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    マウンドに戻った特攻帰還兵の奇跡

    たし、1シーズンに二度の完全試合まであと一歩で幻となる偉業を残した名投手だ。生きてホーム(家)に還るスポーツ「野球」を体現した武智文雄の生涯とは。

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    知られざる名投手「特攻帰還兵」武智文雄の人生

    小林信也(作家、スポーツライター) 「私が生まれたばっかりに、父の二度目の完全試合がダメになってしまった。私は生まれたときから親不孝者です」 初めて会った日、その女性は真面目な顔で言った。 「完全試合を二度やった投手はメジャーリーグにもいないそうです。もし父が二度達成していたら、もう少し世間に知られた存在になって、野球の殿堂にも入れてもらえたのではないでしょうか」 日本のプロ野球史上二人目の完全試合投手、と聞いてすぐ名前が浮かぶ野球ファンがどれほどいるだろう? 史上初の完全試合は、巨人の藤本英雄だと、多くのファンが知っている。だが、二人目となると、知る人は少ない。女性はその人、武智文雄(近鉄パールス)の長女、美保さんだ。 2013年7月、武智文雄は病気で亡くなった。遺品を整理していると、ボールやユニホームが出て来た。それをどうしたものか、どれほど貴重なのものか、誰かにその相談をしたいと紹介されて筆者が会った。その時の自己紹介が冒頭の言葉だ。 武智文雄は、26勝を挙げて最多勝投手に輝いた翌年の1955年(昭和30年)6月19日、大映スターズとの試合で完全試合を達成した。史上二人目、パ・リーグでは初となる快挙だった。そしてその年の8月30日にも、同じ大映戦で9回1死まで完全に抑えていた。 「文(ふみ)さん、またやるぞ!」、球場は期待と緊張に包まれ、「同じ年に二度もやられてたまるか!」、大映ベンチには悲壮な空気が流れていた。 その時、ひとつの難問が近鉄ベンチに投げかけられていた、と美保さんは言う。 「ちょうどその日、私が生まれたのです。ベンチにその知らせが届いて、監督、コーチはそれを父に伝えるかどうか、迷ったそうです。9回1死になって、ベンチはタイムを取り、マウンドにいる父に私の誕生を伝えた……」現役当時の武智文雄投手 女の子が生まれたぞ、と。その途端に、代打で出て来た新人の八田正にセンター前に打たれた。鈍い当たり、テキサス・ヒットだった。これで世界でも初、「同じ年に二度の完全試合」は断たれた。だから、「生まれたときから親不孝」と美保さんが自嘲するのだ。その逸話を、美保さんはまだ幼いころ、自宅に遊びに来た近鉄の選手から聞かされた。しかも、誰かがそのことを書いた記事も見せられたという。だから、自分が生まれた8月30日は誕生日であっても、常に苦い思いとともにある、美保さんにとっては複雑な気持ちにかられる日だという。 さらに、武智文雄(結婚して婿養子になる前は田中文雄だった)が名門・岐阜商に進学、野球部での活躍を期待されながら夏の甲子園大会が中止になったこともあり途中で退部。自ら予科練を志願し、野球をあきらめた人だと知らされた。 運命の糸に引かれるように、私は武智文雄の人生をたどり始めた。「神風」から「桜花」へ 武智文雄が配属されたのは、特攻隊。神風特攻隊から、やがて桜花特攻隊員へ。桜花は別名「人問ロケット」と呼ばれた。エンジンがついていない親機にぶらさがり、引っ張られて上空に昇る。そこで切り離されると、加速用のエンジンだけを噴かして時速600キロで急降下する。出撃したら、生きて帰る道がない。武智文雄の頭には生きて輝く未来はもう描けなかった。野球どころではない。死ぬことが目的となった日々。 野球評論家、近藤唯之が書いた夕刊フジ(1977年10月21~23日)のコラム「背番号の消えた人生」に、文雄自身の回想とともに、下記のように掲載されている。 「男の運命ぐらい、不思議なものはない。戦争中、田中文雄は特別攻撃隊神雷隊員だった。最初はゼロ戦に乗っていた。しかし戦争末期はゼロ戦ではない。『桜花』と名づけられた、翼のあるロケット特攻機である」  「一式陸攻が桜花を腹にかかえて飛ぶんです。そして敵艦の近くにきたら桜花を胴体から切り離す。すると桜花は5分間ほど自動ロケット装置で飛び、時速600キロのスピードで敵艦に突っ込んでいく。私はこの桜花特攻隊員になったから、いずれは間違いなく死ぬと思ってました」 「それが生き残った。紙一枚の差というか、まばたきする瞬間の差というか、すれすれの作戦変更で彼の特攻出撃はないまま、戦争は終わった」 幸運にも、武智文雄は出撃命令のたびに何らかの理由で出撃が中止され、出撃した際も天候不良で作戦が中止され不時着するなど、大けがは負っても死は免れ、終戦を迎えたのだ。日本海軍の特攻専用機「桜花」 復員してしばらくは「愚連(ぐれん)隊」を自称して荒れた日々を過ごした。生きて還ったものの、飛び立ったまま二度と戻らなかった仲間たちを思えば、生きている自分を恥じる気持ちが消えなかった。その後、社会人野球に誘われ、思いがけず野球の世界に戻った。所属した大日本土木(岐阜)が都市対抗野球で2連覇を飾るなど実績を積んだ武智文雄は、1950年(昭和25年)、誕生したばかりの近鉄球団の契約第1号選手としてプロ野球に入った。 武智文雄の人生をたどりながら、私は改めて、戦争の悲惨さを知った。戦争は多くの命を犠牲にする、だから絶対に繰り返してはならないと思っていた。それだけではない。武智文雄のように、九死に一生を得て、生き延びた人にとっても、その周囲の家族にも、実は一生消えない心の傷を与え、生涯その痛みを抱えて苦しみ続ける。 私たちの父親たちがそうだったように、その世代の日本人の多くは案外、戦争体験やその後抱え続けた心の苦悩を自分の中にとどめ、表現しようとしなかった。いや、どう表現すればいいのか、どう理解すればいいのか、ついにはっきりした答えが見つからないまま、人生を重ねていたのかもしれない。 また私は、死ぬことを覚悟して生きた青春時代を持つ武智文雄の生きざまから、野球という競技そのものの、そして日米の野球観の違いなどに気づくことができた。 野球は27の「死(アウト)」を重ねて勝利を目指すゲームだ。日本の草野球では、アウトをただ「アウト」とコールするが、アメリカの野球では必ず「ヒー・イズ・アウト」と言う。 ひとつひとつの「死」をどのように生かすか。日本とアメリカではまったく考え方が違う。それをただ戦術論として捉えがちだが、その背景には、社会の価値観、個人の尊厳をどれだけ尊重するかの重要な社会の空気も反映されているように気がついた。そんな新たな視点もまじえ、筆者は彼の人生を『生きて還る 完全試合投手となった特攻帰還兵 武智文雄』(集英社インターナショナル刊)にまとめた。高校時代、武智文雄と同じアンダースロー投手だった私が、武智文雄に出会ったのも何かの運命かと感じている。

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    無欲の走りでつかんだ桐生祥秀「9秒98」の金字塔

    小林信也(作家、スポーツライター)日本学生対校選手権の男子100メートル決勝で、9秒98の日本新記録を樹立し喜ぶ桐生祥秀=9日、福井県営陸上競技場 9月9日、陸上男子100メートルで桐生祥秀(東洋大)がついに9秒98を記録し、日本人で初めて100メートル「10秒の壁」を破った。桐生が先鞭(せんべん)をつけたことで、同じく9秒台を狙うサニブラウン・ハキーム(東京陸協)、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、多田修平(関西学院大)、山縣亮太(セイコーホールディングス)らも次々に9秒台に突入する期待がふくらんでいる。 世界のスプリント界は伝統的に黒人選手の天下が続いている。これまで100メートルを9秒台で走った選手はすでに100人を超えるが、その中で、黒人以外のスプリンターはたった3人しかいなかったという。クリストフ・ルメール(フランス)9秒92、パトリック・ジョンソン(豪州)9秒93、蘇炳添(中国)9秒99。桐生は「4人目」となった。 黒人優位の100メートルにあって、桐生が9秒台を突破できたのは、そして桐生に続く期待のランナーが片手で数え切れないくらい控えている日本の高レベルの背景には何があるのか。 ひとつは、日本の中学、高校の陸上指導者の情熱と努力。大学の研究者も含め「日本人が100メートル10秒を突破する夢」を誰もが追い求め、それぞれに「人生をかける」ほど日々の努力を重ねてきた、その集大成ともいえるだろう。 9秒台の夢を多くの陸上関係者が追い求めてきた。不断の努力が全国津々浦々で行われていた。その中から、才能ある桐生が飛び出し、次いでサニブラウン、ケンブリッジ、今年はさらに多田が9秒台に迫る実力を身につけた。 記録が伸びた背景にはトレーニングの進化や、何十台ものビデオカメラで撮影してフォーム分析するなどの技術研究の成果もある。加えて、シューズやトラックの開発も挙げられる。 1968年のメキシコ五輪のころから、アンツーカーに代わって、ポリウレタン舗装の全天候トラックが主流になった。弾力性に富むウレタン素材はストライドを伸ばしやすく、記録が2パーセント良くなるといわれている。この素材開発も年々重ねられているから、選手の実力が同じでも記録は向上する環境が整っている。 さらに、日本のシューズメーカーを中心に、スパイクの改良、開発も日進月歩、重ねられている。カール・ルイスの勝利を支えるために「片足たった115グラム」の軽量スパイクが提供され、話題になった。かつては耐久性も兼備していなければ「市販に耐えない」という考え方があったが、カール・ルイスのころからは選手のプロ化もあり、「記録を出すための一発勝負のスパイク」を選手たちが使うようになった。これも記録短縮に大きな役割を果たしている。「少し遅すぎた」壁を破った無欲の力 桐生の9秒台はもちろん快挙だ。歴史を開く一歩であるのは間違いない。だが、「少し遅すぎた」という気持ちを持つ関係者、ファンも少なくないだろう。 電動計時で世界初の9秒台が記録されたのは、1968年10月、ジム・ハインズ(米国)の9秒95。それから49年もたっている。ただ、ハインズの記録が高地メキシコでマークされたものだったため、1983年5月、カール・ルイスが出した9秒97が「平地で初めての9秒台」とも形容されている。それからでさえ、34年も過ぎている。 ウサイン・ボルトが9秒58の現世界記録をマークしたのは2009年8月のベルリン世界陸上。桐生の記録と0秒4もの差がある。伊東浩司が10秒0をマークしたのは、1998年12月。この記録更新に19年近くかかった。それだけ難しかったとも言えるだろうし、桐生の快記録を誰も驚きはしなかった。それは「機が熟していた」と誰もが感じていたからだろう。それだけに、ここからの飛躍に期待がかかる。 世界の現状に目を移すと、9秒98は決して手放しで喜べる記録ではない。国際陸上連盟のホームページに、世界歴代ランキングが掲載されている。桐生は99位にランクされている。すでに引退した選手も多いが、世界はまだ決して近くはない。 今季のベスト10を見ても、トップがクリスチャン・コールマン(米国)の9秒82。2位がヨハン・ブレークの9秒90、3位ジュリアン・フォルテの9秒91とジャマイカ勢が続く。11位に9秒97で5人が並んでいるから、桐生より速い選手がまだ15人いるわけだ。内訳は、アメリカ5人、ジャマイカ3人、南アフリカ3人、フランス、トルコ、英国、コートジボワール各1人。そのうちのボルトは引退した。もちろん、このランクなら、決勝進出は射程内といっていい。決して夢ではないだろう。だが、他の選手が実力どおりの走りを展開したら、まだ金メダルを確実に狙えるまでには至っていない。 京都・洛南(らくなん)高2年のとき、ユース世界記録の10秒21をマークし、桐生は一躍脚光を浴びた。9秒台を実現するのに、それから5年の月日が必要だった。この長い5年の間に桐生は何を感じ、何をつかみ取ってきたのか。それが大きな糧となって、五輪ファイナリスト、さらにはメダル獲得につながればいい。陸上の日本選手権男子100メートル決勝で4位に終わった桐生祥秀(中央)。右は10秒05をマークし、初優勝したサニブラウン・ハキーム。左は2位の多田修平=2017年6月24日、ヤンマースタジアム長居(撮影・甘利慈) 今回の記録達成は、実はあまり期待されていないレースだった。コンディションはよくなかった。そのため、普段はあまりやらない長い距離を走る練習を数日間やっていた。そのためか、後半の失速が遅かった。いつもは55メートル付近でトップスピードを記録するのが、今回は65メートル付近が最速だったという分析がある。これが世界の上位に食い込むための、意外に大きな手がかりになるのではないかとの見方もある。 ずっと望み続けた9秒台だが、このレースに限っては「無欲」な記録達成が、桐生に思いがけないひらめきと新たな感覚を与えた可能性がある。

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    成績不振が原因なのか? ロッテとヤクルト監督退任に言いたいこと

    小林信也(作家、スポーツライター) まだ8月のうちに、千葉ロッテの伊東勤監督、ヤクルトの真中満監督が辞意を表明。今季限りの退任が正式に発表された。 伊東監督は、8月13日の西武戦前に、自ら記者たちに今季限りでの辞意を表明した。オールスター戦前には伊東監督自身が決断。8月5日に球団幹部に辞意を伝え、了承されていた。公式戦終了まで口外する気持ちはなかったが、一部メディアが続投を伝えるなどしたたため、誤報がひとり歩きして迷惑をかけては申し訳ない、と公表した背景がある。  2013年に就任してからの成績は、3位、4位、3位、3位。2013年と2016年はクライマックスシリーズのファイナルステージまでチームを率いたが、日本シリーズには届かなかった。今季はオープン戦で13勝2敗3分、圧倒的な強さを見せて仕上がりの良さをアピールし、ファンの期待も高まった。ところが、オープン戦の成績が必ずしも反映しない過去の例を証明するかのように、開幕4連敗。投打の主力が戦列を離れ、新外国人打者も不振。借金が膨らみ続けて優勝の望みは遠ざかった。戦況を見守るヤクルト・真中満監督=8月23日、神宮球場 ヤクルト・真中満監督は、8月22日の阪神戦の前に記者会見し、球団から続投を要請されたが固辞したことを公表した。就任1年目にリーグ優勝。2年連続最下位だったチームの優勝だけに、監督としての手腕が高く評価され、真中株は急騰したが、残念ながらそれがピークだった。昨年は5位、今季も開幕から低迷を続けた。 問題提起したいことは2点ある。「成績低迷がただ監督のせいなのか?」と「30試合以上も、クビになったも同然の監督が指揮を執り続ける是非」についてだ。 今季は6月に巨人の堤辰佳ゼネラルマネジャー(GM)が成績不振の責任を問われて退任し、球界は衝撃が走った。これは高橋由伸監督の責任を問うのでなく、チーム編成を担当したGMこそが責任者だという、ある意味で、日本野球の新しい形というか、責任追及の新スタイルだった。巨人は、生え抜きのエリートである高橋由伸監督を守り、GMを斬ったのだ。 だが、たいていはやはり、今回の伊東、真中両監督のように、監督が成績不振の責任を取らされる伝統がこれからも続くだろう。 釈然としないのは「成績不振の要因が、本当に監督にあるのか」が曖昧だからだ。山口俊の処分もおかしい 選手が体調を崩す、ケガをする、期待どおりのパフォーマンスを発揮しない、できない原因は、プロ野球の場合、監督以外の理由が大きい。それでも監督たる者、たとえ前年活躍した有名選手でも続けて活躍できる素材かどうか、性格や普段の生活態度、選手を取り巻く人間模様なども把握してクールに分析するべきかもしれない。そしてもし、期待したい選手でも不安な要素があれば、代役を探し、抜てきする準備が求められる。こう書けばいかにも正論だ。が、プロ野球界はそれを全面的に支援する仕組みになっていない。ドラフト会議によって、必要な戦力を着実に補強する道は制約され、メディアは知名度の高い選手を連日報道して、半ば出場を強要する雰囲気も作る。 球団は、明確なチームの方針を描き、その上でGM、監督と一体となってチームを運営しているだろうか。巨人・堤GM解任の後味が悪かったのは、堤前GMは、球団の方針や司令に従って選手補強を進め、それが失敗したのに堤氏個人が詰め腹を切らされた印象が拭えなかったからだ。ビジネスと現場が一体となって初めて成立するプロ野球である以上、責任は何より球団にある。その球団がほとんど責任を負わない体質に根本的な矛盾がある。 暴力事件で処罰を受けた山口俊投手の問題は、選手会の提言で新展開を迎えているので、今後の展開に関心が集まっているが、大臣の不祥事ではないが、山口俊にフリーエージェント(FA)で入団を懇願した球団にも任命責任ならぬ選択責任がある。それをまったくひとごとのように認めない球団の厚顔にあきれる。また、あまり指摘がないが、「1億円の減俸」は球団にとってはその分、「お得」な処分だ。球団は処分して得をする側で、選手だけが処分され、非難され、損をする立場というのは正しいのだろうか。厳しい表情を見せるロッテ・伊東勤監督=6月18日、東京ドーム もうひとつ、まだ8月、30試合以上も残して事実上の退任発表。「今季で引退します」と公表し、残り試合をファンと特別な思いを共有しながらプレーする選手と監督は違う。また高校野球なら、「この夏限りで勇退」と大会前に発表することで選手たちが特別な感情を抱き、チームが理屈を越えた一体感で強さを発揮する例は少なくない。今夏も新潟・日本文理、熊本・秀学館がその例で、甲子園出場を果たした。けれど、今回の2監督の場合は違う。もう事実上、鮮度が落ちた監督に率いられるチームをファンから入場料を取ってお見せするのがプロ野球としてマナーに沿うのか。 契約やいろいろな事情もあるだろうが、「来季の契約を結ばない」と公表した時点で、監督の威厳や尊敬は失う。だから、その日をもって退任し、代行監督を立てるのが筋だと思う。その方が、来季の監督選びの現実性も高まる。例えば、次期監督とうわさに上がる、ロッテなら井口資仁、ヤクルトなら高津臣吾2軍監督に残りのシーズンを任せてどんな試合が見られるのか。それをファンとともに共有し、来季の展望を語り合うなら、プロ野球としては話題も提供でき、夢も膨らむのではないだろうか。

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    菊池雄星の投手生命か審判の権威か、「反則投球」ルールのジレンマ

    小林信也(作家、スポーツライター) 西武、菊池雄星投手の「2段モーション」が物議を醸している。正確にいえば、菊池の2段モーションを、シーズン終盤に差し掛かろうという8月半ばに突然やり玉にあげた審判団の姿勢に疑問の声が上がっている。 8月17日の楽天戦、2回表1死の場面で、菊池の投球が2球続けて「反則投球でボール」と判定された。コールしたのは一塁塁審だ。菊池はその後、クイックモーションに変えて、完封勝ちを果たした。 続いて登板した8月24日のソフトバンク戦では、初回の先頭打者の初球、川島慶三から空振りを奪ったが、これがまたしても「反則投球」と判定された。投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 菊池のフォームは今季5月ころから変わったといわれ、上げた右足を少しおろしてまた引き上げる2段モーションになっている。厳密に判定すれば、野球規則で禁じられている「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさらに段階をつけるモーションをしたり」という行為に該当する。 反則投球とジャッジされても仕方がない。だが、当事者やファンが怒っているのは、3カ月も許されていて、「なぜいま急に?」という疑問が消えないからだ。8月半ば、しかも試合の途中で宣告された。意図や作為がないとしても、それは不自然な印象をぬぐえない。 法律の解釈や適用がそうであるように、野球ルールにも一定の理解やあうんの呼吸がある。 とくにプロ野球においては、曖昧な判定もあるが、その曖昧さにも一定の基準や解釈があって、その枠を大きく外さない暗黙の了解がある。外さないから選手もファンも、一定の感覚で試合に臨める。 例えば、ハーフスイング。昔は「長嶋ボール」などという言葉があった。長嶋茂雄さんがスイングしかけて大げさなアクションでバットを止めると、主審はしばしば「振っていない」「ボール」と判定した。それがひとつの楽しみにもなっていた。ビデオテープで見直せば、明らかにバットの先端は回っている。それでも「ボール!」。時代が変わり、グリップが鋭く動けば、バットの先端の動きにかかわらず「ストライク」と判定するような基準に変わり、ハーフスイングのジャッジは厳しくなった。実際、グリップが明らかに動いたときは、おおむねバットも回っている。誰もがそう認識し、いまは案外、ハーフスイングをめぐるトラブルは少なくなっている。 2段モーションは、2006年ころに一度厳しくなったが、最近はまた緩やかになっていた印象がある。それが突然、牙をむいた格好だ。繊細な投手に与える影響西武・菊池雄星の反則投球を観客に伝え打席に戻る白井球審=8月24日、ヤフオクドーム 多くのファンや当事者が感じているとおり、判定基準の変更はシーズン前か開幕直後に行われるべきであって、シーズン途中でされるべきではない。この問題に関連して、指摘したいのはふたつのことだ。 ひとつは「審判の権力と試合の崩壊」について。 投球のストライク、ボールの判定ひとつで、勝負がどちらかに転ぶこともある。言うまでもなく、野球において審判の判定は大きな影響力を持つ。その中でも、打った、打たない、捕った、捕り損なったといった、選手のパフォーマンス以外のところで、突然、強権的な鉈(なた)を振り下ろし、強引とも見える方法で勝負に介入する方法を審判は持っている。それが例えば「ボーク」の判定である。 セットポジションで動作を止めないなどの明らかな反則投球があった場合、たとえそのボークの判定で攻撃側のサヨナラ勝利になる場合でもそれはやむを得ない。だが、今回の菊池のように、その試合ずっと同じモーションで投げていたのに、ある場面で急に反則投球が宣告されるのは違和感をぬぐえない。 審判はそこまで強権を振るって勝負に介入すべきではない。 投手は繊細だ。突然バッサリ斬られるような反則投球の判定は、投手生命を奪うほどの影響力(危険)も伴う。審判はそれを十分に自覚すべきだ。 もうひとつは、審判と監督、コーチ、選手間のコミュニケーションの「不在」だ。 コミュニケーションの欠如ではなく、プロ野球において審判と監督、コーチ、選手はコミュニケーションを「取ってはならない」前提があり、理解を深める仕組みになっていない。「親しく交われば不正の温床になる」という、古くからの慣習と規定のせいである。だから、常に両者間には対決ムードというのか、取り締まる人と取り締まられる人のような不穏な関係がある。それは即刻改善し、コミュニケーションを図る方向に舵(かじ)を切るべきである。審判長の説明に感じる違和感投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 野球以外の他の競技を取材すると、野球との大きな違いに驚かされる。例えばラグビー。レフェリーと両チームの選手(主に主将)とは試合中ずっと短い会話を交わし続けている。危険なファウルがないよう未然に注意を促し、助言を与え、双方の理解にずれがないよう調整しながら試合を進めるのがラグビーにおいては当たり前になっている。試合後、競技場近くのバーや喫茶店で、微妙な判定を下された当事者とレフェリーとがビールのグラスを交わしながら直接議論し合う姿を見ることも珍しくない。 それは「親しくなって不正な判定をもらうため」でなく、「ルールの解釈や適応をめぐって、両者の理解をすりあわせるため」であり、時には選手側から「杓子(しゃくし)定規な判定では好プレーにたどり着けない選手のジレンマ」などが伝えられたりもする。もちろん、だからといってルールを曲げることはないが、レフェリーはなぜ選手が反則を犯してしまうのか、犯しがちになるのかの背景を、常に変化するプレーの傾向や技術の変化に応じて理解する好機にもなる。そうやって、お互いにラグビーという競技を深め、高めているのだ。野球にはそのような機会が日常的にはない。 菊池の2段モーションが最初に反則投球と判定された試合後、判定を下した塁審はメディアの取材を拒んで「ノーコメント」を通したという。それはあたかもコミュニケーションを拒絶することで審判の権威が保たれるというような古い常識に縛られているようだった。 しかし、25日になって日本野球機構(NPB)の友寄正人審判長が菊池に対し、事前に複数回注意を行っていたことを明らかにした。日刊スポーツによると、友寄審判長は「注意は何回もしています。なぜ今の時期か、じゃなくて、少しずつ悪くなってきているから今の時期。4月、5月、6月と変わっていることは明らかなので」と説明したという。こうした注意を秘密裏に行う必要があるだろうか。仮にもプロ野球、ファンが見るスポーツだ。 審判団にも開かれた情報公開の意識改革と、コミュニケーションを取る新しい姿勢への転換が求められるべきだ。

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    史上最弱巨人の救世主、菅野智之の「魔球」が打てない理由

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人の投手、菅野智之が7月の月間MVPを獲得した。7月は4試合に先発し、4戦全勝。この間、投球回数29で失点わずか1、与四球3、奪三振30。安定感抜群の内容で文句なしの受賞だった。 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも侍ジャパンのエースとして活躍した菅野。いまさら喧伝するまでもない存在だが、大谷翔平(日本ハム)のように160キロ台の速球を投げるわけではない。千賀滉大(ソフトバンク)のような目を見張るフォークボールが武器というわけでもない。その菅野がこれだけ「打たれない理由」は何なのか? 日本の野球界には、いくつかの誤った常識がある。古くからの思い込み。気づいている人、いない人で野球がずいぶん変わる。少年野球や高校野球を見ていると、技術的に古い常識にとらわれて、子供の良さを伸ばしきれない指導者の姿をしばしば見かける。DeNA対巨人で10勝目を挙げた巨人の菅野智之=2017年7月22日、横浜スタジアム(撮影・山田俊介) 菅野はその意味で「常識を覆す」よい見本だ。端的な例を挙げると、菅野のよさは「球の速さ」以上に「左足を踏み出してから球が離れる速さ」にある。 日本の野球ファン、指導者の間には、逆の常識がある。「投手は、右投手なら、左足を踏み出したとき、右腕を後ろに残し、ためを作ってそこから勢いよく投げ下ろすのがいい」という思い込みがある。私自身も少年時代、そう思っていたし、高校野球でもそのように指導された。 ところが、メジャーリーグの好投手の大半は、まったく別の投げ方をしている。ここでは右投手を前提に話すが、左足を踏み出したときにはもう投手の上半身が打者に正対し、ボールを持つ右手が顔の前に出ている。左足の踏み出しと右腕の振りがほとんど同時なのだ。 もちろん、左足をゆっくりおろし、地面すれすれのところまでは右手は後ろにある。しかし、左足が着くか着かないかのわずかの間に上体を反転し、足を着くと同時に右手を前に振り出すのだ。この左足と右手の誤差が少なければ少ないほど、打者は打ちにくい。 まだ来ないはずのボールが、突然目の前に現れるような感覚がある。菅野はまさに、こういう投げ方をしている。ゆっくりと左足を上げ、まっすぐな姿勢を保ち、しっかりと右足に乗ってから打者方法に重心を移動する。その仕種はゆったりと見えるが、次の瞬間、急にボールが飛び出してくる。 だから、スピードガンで測る球速以上に菅野のボールは速く鋭く感じるはずだ。打者にすれば、「アッ」と慌てる感覚になるから、そのボールが鋭く変化したら(スライダー)、腰砕けして手に負えない。菅野の投球は「新常識」 日本のプロ野球の投手たちは、ある時期から「これが大事だ」と新しい常識を共有し始めた。ソフトバンクの工藤公康監督などは、それを後輩たちにしきりに強調していたと、若い投手から聞いたことがある。 ファンにとって印象深いのは、いまシカゴ・カブスで活躍する上原浩治ではないか。巨人に入団した一年目、歴代4位タイとなる15連勝をマーク(新人としては巨人・堀内恒夫をしのぐ最多記録)、いきなり20勝を達成して衝撃のデビューを果たした。 当時、上原の速球の平均は140キロ前後だった。それでも打てない。その秘密はやはり「球の速さ」ではなく、「球が離れるまでの速さ」だった。独特の上原の投球リズムを思い起こせばわかるだろう。ためた状態から左足を着くその瞬間に上原の右腕が出て来る。上原の場合はほとんど同時といってよかった。 古い常識にとらわれて、腕が遅れてくる投手が多かった中で、上原は特別で、衝撃的な投手だった。その影響もあってか、他の投手たちもその核心に目覚め、新しい常識を追求するようになっている。ブレーブス戦の8回に登板し、1回を三者凡退に抑えたカブス・上原=2017年7月、アトランタ もちろん、それ以前にもそれを自覚し、実践していた投手はいる。伊良部秀輝もその一人だった。158キロを投げても清原和博に打たれた。白星に恵まれなかった。その苦悩の末に生み出した投法「伊良部クラゲ」とも形容された投げ方は、右手と左足を一緒に出すための工夫でもあった。 そして菅野は、奇しくも同じ背番号19の先輩である上原が、日本の先がけをなした投法を継承して、大投手への階段を昇っている。 さらに菅野自身は、上原とも伊良部とも違う独自の工夫も凝らしている。とくに走者を置いた場面で、菅野は投げた後、左足をひっかくように後ろに引く動作をすることがある。普通の投手は絶対にしない。勢いをつけて前へ前へ投げようとする投手には、やろうと思ってもできない動作だ。 あるテレビの取材に答えて菅野自身がこう語っている。「左足を引くことによって、右肩が前に出る。加速する。よりボールに力が伝わりやすいんじゃないか」 自然と左足を引くようになって「球も強くなるし、面白いように空振りが取れる感じもあった」という。こうした新しい目覚めが今季の菅野の好調の背景にあるのだ。

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    球場使用料も放映権もタダ!「高校野球ビジネス」はこんなにおいしい

    聞社は主催者であり続け、大会を企業活動の営業活動に利用しているわけである。 ご存じのようにプロ野球はスポーツではあるがあくまでも興行であり、球団選手はそれを興行として行い、ビジネスとして成立させている。各球団は営利企業であり、企業活動の一環として、選手を雇い球場などを運営し、テレビに放映権を販売し、選手や球団のブランドライセンスで稼いでいる。では、夏の甲子園はどうなのか。13.出場選手の旅費、滞在費補助規定全国大会 1校20人(選手18人、責任教師1人、監督1人)を限度とし、次の通り旅費と滞在費補助を支給する。(イ)旅費は代表校の所在地から大阪までの往復普通乗車運賃(新幹線、特急、急行料金を含む)、船舶利用の場合は普通二等の乗船運賃を支給する。ただし、沖縄、南北北海道代表校は航空運賃を支給する。(ロ)滞在費は抽選日(8月4日)から、その学校の最終試合日までの日数に対し、1日1人4,000円を補助する。(ハ)前年度優勝校が全国大会に出場できなかった場合、優勝旗を返還する主将と同伴の責任教師に、規定による旅費、滞在費と滞在雑費(1人1日2,000円)を支給する。第99回全国高等学校野球選手権大会 開催要項 大会規定ではこのように記されており、開催費に入場料を充て、過不足が出た場合、大会準備金を充てるとしている。そして、昨年の夏の甲子園の収支決算を見ると、1億円近い利益が出ている構図になっている。宿泊も球場もすべて「善意」出典:<お知らせ>第98回全国高校野球選手権大会収支決算(朝日新聞デジタル、2016.12.02) 収支決算上は「1億円程度の黒字」となっているが、この黒字は最低限の補助金だけで参加する学校側と選手と地元企業などの負担により生まれている。大阪の平均的なホテルの宿泊費は1泊1万5千円程度で、甲子園開催期間ではさらに高騰することが予想される。高野連はホテルや旅館と提携し、1万円以内で宿泊できるホテル(1校当たり35人まで)を用意しているが、これはホテル側の善意と協力で成り立っているものでしかない。そして、食費を除いても1日6千円程度の差額は生徒や学校が負担している計算になるわけだ。ちなみに第94回大会の滞在費補助が7500円であり、現在の4千円という補助は収益からの逆算で割り出されたものであろう。 また、主催者である朝日新聞社や高野連は甲子園球場の利用料も払っていない。これは甲子園球場の所有者である阪神電気鉄道の「善意」である。甲子園は全国中等学校優勝野球大会を開くために作られたという歴史があり、甲子園が利用されることで所有者である阪神電鉄に間接的な利益があることに起因するが、当然運営費はかかるわけであり、それは阪神電鉄による寄付的行為で成り立っているにすぎない。 現在、NHKも朝日新聞社のグループ会社であるテレビ朝日も放映権料を払っていない。しかし、これは最低数十億円の価値を持つものである。先日獲得合戦で話題になったJリーグの10年間の放映権料が2000億円(2017年から2026年)、年間200億円であり、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で放映権とスポンサー収入で80億円程度だといわれている。プロとアマチュアの違いがあるとはいえ、ファンの多い高校野球ではさらに多くの収入を得られる可能性があるといえる。そして、それを開催費用や生徒への補助、学校への助成に利用すればよいのだろう。 現在の高校野球は非営利という建前で、すべてが人の善意で成り立っている。そして、ここに最大の欺瞞(ぎまん)と利権が眠っているわけである。大阪府豊中市の「高校野球発祥の地記念公園」。この場所で「全国中等学校優勝野球大会」の第1回大会が行われた 非営利であるのであれば、営利目的企業である一新聞社にすぎない朝日新聞社が主催に名前を連ねるべきではなく、高野連が単独主催すればよい話である。また、非営利であったとしても、高野連が放映権を販売するのは問題なく、一方で甲子園球場に対して適正なコストを払うことも可能である。アマチュアビジネスの商業化の是非はあるものの、人の善意に付け込み、それを朝日新聞社やNHKが「タダ食い」している現状を許すよりは格段に良いと私は考える。

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    朝日新聞と高野連と夏の甲子園

    連日、熱戦が続く夏の甲子園だが、その経済効果は350億円にも上るという。酷暑の中でプレーする球児や学校関係者の苦労は想像に難くないが、大会を主催する朝日新聞と高野連にとってはおいしい季節である。「高校生らしさ」というアマチュアリズムを売りにする夏の甲子園は教育の一環か、それともビジネスか。

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    朝日新聞はいっそ夏の甲子園を「ビジネス」と割り切った方がいい

    春日良一(スポーツコンサルタント) 旧盆の季節、セミが鳴く夏の昼時、本家の座敷ではステテコ姿の祖父や父がうちわをあおぎながら、ビールの入ったコップを片手にテレビを見つめている。画面に映し出されているのは甲子園で行われている全国高校野球選手権大会の熱戦である。振り返れば、地元長野県の松商学園が4年ぶり16回目の出場を果たした1963年の夏で、その時の投手がとてもカッコいい選手だった。細部は定かでなくても、この風景は夏休み真っただ中の小学生時代の記憶として私の脳裏に焼きついている。第99回全国高校野球選手権の1回戦、土浦日大に快勝し、駆けだす松商学園ナインら=8月9日、甲子園 だから、今夏の甲子園で松商学園が17年ぶりの白星を挙げたと新聞で知れば、高校野球をほとんど見なくなっていた私の心も思わず躍っていた。少年時代、故郷では松商学園か丸子実業が甲子園常連校だった。このお盆の時期、県代表に県民が熱い視線を送っていたのである。そして、それは恐らく今でも変わらない姿ではないだろうか。夏の高校野球は風物詩であり、いわば文化としてこの日本の地に定着している。 しかし、一方で地球温暖化の影響であろう猛暑日が近年どんどん増えている状況で、真昼の屋外試合が果たしてスポーツとして適したものなのかどうか、議論が起きても不思議ではない。実際、猛暑日とは最高気温が35度以上の日を指し、この気温でのスポーツを日本体育協会は中止する原則を発表している。 それでも、この炎天下で白球を追いかける若人のひた向きな姿を「それが青春」と、夏休みで帰省した昼間の宴でエアコンをつけて大人たちは楽しむのである。その文化を捨てることに考えが及ぶ人はまだマイノリティーであろう。 なぜ、そうまでして高校野球はあり続けるのか、それは故郷で地元高校の活躍を応援するという行動規範(エーソス)に寄り添わなければ分からない。この気持ちはどこかでオリンピック競技大会のテレビ中継に見入るとき、日本代表選手に声援を送る姿に重なる。五輪では地元愛が愛国心に変貌して、日本各地からの応援が一つになる。地元愛は突き詰めれば、自己愛に行きつくが、それがスポーツでは世界とつながる一点ともなりうる。それが「オリンピズム」の極意である。 五輪の哲学、すなわちオリンピズムは端的に言えば、「スポーツによる世界平和構築への信仰」である。それは政治、国、経済、性、人種、宗教、肌の色などあらゆる境を超えるツールとしてスポーツを捉えている。1894年に創設された国際オリンピック委員会(IOC)は当時の帝国列強主義が起こす世界戦争への危機に対して、スポーツによるナショナリズムの超克を提言したのである。 しかし、それはナショナリズムを前提にした超克である。それが五輪の祭典を成り立たせている仕掛けでもある。「自己愛=郷土愛=愛国心」とは単純に思われるかもしれないが、五輪や高校野球を成り立たせている図式といえる。しかし、これが戦争にならずに、むしろ平和への架け橋となるのは、ツールがスポーツであるからだ。日本代表選手への敬意と応援が五輪を盛り上げる。そしてその結果、闘った相手を根本的なところで肯定していくことができる。内村航平が体現した「五輪の精神」 これに相似することは高校野球でも起こる。甲子園で地元の代表校が敗れたときは相当落胆するからだ。かく言う私もかなりひどいもので、人生が終わるような気分になった。1回戦で涙をのむことが多い長野県出身者は、この経験をかなり積んでいる。しかし、その後は勝利をつかんだ相手校に夢を託しながら、それまでよりクールな目でテレビ観戦を楽しむ。そして、さらにそれを破るチームが出れば、そのチームに敬意を払い、チームの中に優秀な選手がいれば、メディアの盛り上げに便乗し、そのチームに関心を抱き、応援する。いつしか決勝戦までたどりつき頂点の闘いを賛美する。 高校野球ではここまでが限界だが、五輪ではそれがさらに国境を超えた友情を表現し、究極的にナショナリズムを超えた人間の調和への信頼が芽生える。2016年8月10日、リオ五輪男子体操総合で金メダルを獲得、銀メダルのウクライナのオレグ・ベルニャエフ(手前)と健闘をたたえあう内村航平(甘利慈撮影) リオ五輪体操個人総合での内村航平の大逆転劇を想起する。内村はトップと0・901点差で迎えた最終種目の鉄棒でパーフェクトな演技を見せ、大逆転を果たす。ここでわれわれは大いに感動し、この「奇跡の逆転」にこの上ない至福を得た。しかし、その思いは、記者会見での「ジャッジがあなたを好きだからではないか」というメディアからの質問で水を差された。冷静に対応した内村だが、この記者に対して金メダルを争った2人の選手が反論する。「ジャッジは公平であり、いつも内村は高得点を得ている」「最後の鉄棒は筆舌に尽くしがたい素晴らしいものであった。彼と競い合えることが喜び」と語ったのである。2人はウクライナと英国の選手である。これを目の当たりにした視聴者が学ぶことは大きい。自国の選手の勝利だけでなく、頂点を目指して努力するアスリートに国境を超えた声援を送るであろう。 ことほど左様に五輪と高校野球の構造は相似しているが、その根本において決定的な違いがある。 五輪にあって高校野球にないものとは何か。「○○ファースト」が流行する昨今、一瞬躊躇(ちゅうちょ)するが、あえて言えば、それは「選手第一主義」である。すべては選手を大切にすることから始まる。なぜなら選手は世界平和構築の使者であるからだ。頂点を目指す闘いの中で、自らを鍛え、「努力する喜び」を知り、「より速く、より高く、より強く」(オリンピックモットー)を目指し、人間の限界に挑む姿を示す。それがあらゆる垣根を越えて、人と人とが結び合える可能性を現実化するという思想である。故にベストパフォーマンスを出せる競技会場、選手村、アクセス、食事などを整えることに精力が傾けられる。なぜ優勝しても表彰台に立てないのか 高校野球の根本原則を担う日本学生野球憲章には、「野球が人間形成の手段であり、友情、連帯、フェアプレーを理念とする」と書かれている。五輪憲章がIOCの使命としている「スポーツを通じた青少年教育奨励とフェアプレー精神の確立」と相通じるものだ。 しかし、五輪でうたうアスリートである球児たちは、高校生であり、教育を受ける者として扱われる。球児は高野連の思いにかなった行動規範に収まる限りで大事にされる。礼儀、全力疾走での守備からベンチへの帰還、諦めないプレーがそれだ。 話は若干それるが、わが子の小学校運動会に行くたび疑問に思うことがあった。五輪に長く携わってきた人間にとって、とても違和感のある光景があった。それは表彰式である。金メダルがないとか、立派な表彰台がないことではない。栄誉を受けるべき児童たちが、校長先生から賞状を受け取るときの形である。校長は高台に立ち、グラウンドレベルにいる児童に賞状を渡すのである。 五輪では表彰台が用意され、その上に上るのはアスリートである。そして、どんな偉いIOC委員でも国際競技連盟(IF)役員でも、もちろんIOC会長でも、IF会長でも下から上の選手にメダルを掛けるのである。アスリートは主催者の上にある。それがスポーツへの信仰であり、敬意なのだ。甲子園の閉会式で優勝旗を渡される優勝校のキャプテンが表彰台に立つことはない。あくまでもグラウンドレベルである。第99回全国高校野球選手権大会の開会式で、優勝旗を返還する作新学院の添田真聖主将=8月8日、甲子園球場 もし、高校野球で主役である選手たちを第一に考えるのであれば、すべての運営方式を変革する必要があるのではないか。まず主催者はベストパフォーマンスを出せる環境づくりに集中すべきだろう。もう100年以上も続いてきた伝統ではあるが、高校野球の新たなスタジアムを考案してもいい。そこがこれから100年の聖地になるようなスタジアムを考えてもいいのではないか。「真夏の風物詩」を無くす必要はない。選手としての球児がその能力を発揮できる環境を作るということである。財源確保こそ五輪に学べ 教育ということに主眼を置くならば、IOCが着手し奏功しているユース五輪の発想で、試合以外で選手が交流できる場を作ることも考えられる。新しいスタジアムには選手村が付属していて、決勝大会にエントリーされた47校(今は49校だが)の選手たちが、大会期間中、プライバシーを守られながら、そこで寝食をともにし、主宰者が設ける文化プログラムや教育セッションに参加できる。あるいは大会終了後の何日かを交流と教育のプログラムに充てることも可能だ。2016年8月21日、リオ五輪閉会式で、五輪旗を持つ東京都の小池百合子知事。中央はIOCのトーマス・バッハ会長(共同) 泥と汗に塗(まみ)れて、白球を追いかけ、負ければ涙で土を持って帰る球児から、高校野球を通じて、知識と技術を学び、野球を楽しみ、心の財産を蓄えて故郷に帰る人材が育っていくのではないか。 スタジアムには最新最高の設備が投入されるだろう。日本学生野球憲章の目的とする「学生野球は、教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成」が達成される。 「それにはお金がいくらあっても足りない」と言われるかもしれない。財源確保にこそ、五輪のマーケティング手法を学んで取り入れればいいのではないか。入場券料に頼っている現在の資金調達プログラムを根本から見直せば、早朝から夕刻まで試合を放映しているNHKからは巨額の放映権料を獲得できる。主催である朝日新聞社は後援に回り、大会スポンサーを募ることもできる。考えてみれば、高校野球を主催運営することで、朝日新聞は多くの「利益」を得ているであろう。ならば、高校野球発展のために、朝日新聞からの寄付をいただくのも一考かもしれない。春の選抜大会を主催する毎日新聞社は、夏は後援という立場である。全てのメディアを対象に高校野球教育プログラムにスポンサーシップを募ることもできるだろう。 全国高校野球選手権大会が「各校がそれぞれの教育理念に立って行う教育活動の一環として展開されることを基礎」(日本学生野球憲章より抜粋)とするのであれば、まさに教育に力点を置き、それが高校野球でなければ実現できないということを実践的に表現しなければならない。 五輪のモットーである「より速く、より高く、より強く」は、ラテン語の訳だが、これは比較級を表す。つまり、優勝者になることではなく、自分の限界に挑む志を示すものだ。常に自分の力の限りを尽くして、勝利を目指さなければならない。しかし、勝利を得ればいいのではない。自分の限りを尽くさなければならない。たとえ勝利が得られないとしても、自分の力のより一歩先を目指さなければならない。「勝利至上主義」のように誤解されるこのモットーの真意は、勝利至上主義を超えることなのである。 そして、このモットーを最も心に留めてほしいのは、高野連であり、そして朝日新聞なのだとつくづく思う。

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    夏の甲子園はやはり商業利用? 朝日新聞だけが得する3つのメリット

    。それは圧倒的なメリットが、高校野球から得られるからではないでしょうか。 新聞社が、野球などの国民的スポーツを売り物にするのは、別に珍しいことではありません。読売新聞には読売ジャイアンツといった例を引き合いに出すまでもなく、今では多くのマスメディアが、スポーツの大会を主催したり後援したりしています。しかし、それらとは一線を画した新聞社にとって特別に有利な要素が、日本の高校野球には少なくとも三つあると私は考えています。高校野球独特の「メリット」 第一に選手たちが全員高校生ということで、純真でクリーンなイメージを、読者に鮮烈に植え付けることができます。紙面ではフェアプレイを強調します。それは新聞社として販売部数を伸ばすという意味よりも、むしろ自社の記事に対して無意識のうちに信頼感をもたせるという、潜在的に心理を操作する効果の方が大きいと言えそうです。 第二にお金がかからないという点で有利です。選手への高額な報酬など、球団の維持費を気にする必要はありません。アマチュアですから練習に必要な部費の調達は各学校がそれぞれ負担します。大会中の甲子園球場の使用料も阪神電鉄からの無償提供です。甲子園までの出場選手の旅費は支給しますが、入場料収入でまかなえる程度だそうです。 第三に47都道府県全てから代表校が出場するシステムにより、全国津々浦々に至るまで、それぞれの地域の人々の郷土愛を引き出せる点が挙げられます。全国紙として地方への販路拡大は苦心するところですが、地元代表校の活躍ぶりを書き立てるだけで、全国47都道府県の購読者の心をつかむことができるとすれば、かなり有利です。朝日新聞の社旗が飾られた甲子園で入場行進する選手ら=2017年8月 こうした日本の高校野球のみが持つ、独特のメリットをフルに生かして、朝日新聞は夏の甲子園とともに、また毎日新聞は春の選抜甲子園とともに、それぞれ全国的に購読者数を伸ばしてきたと言えるでしょう。 マスコミ各社が、スポーツの情報を提供し、国民の娯楽としての需要を満たすのは大いに結構なことです。娯楽を目的として存在するプロスポーツにおいては、マスコミとの関係は車の両輪であり、協力し合わなければ成り立ちません。マスコミにはビジネスとしてスポーツ業界を発展させる使命さえあると言えるかもしれません。 しかしそれはプロスポーツのビジネスモデルであって、高校野球の場合はそもそもの理念、目的からして全く異なります。高校野球の目的は「青少年の健全な育成」であることを絶対に忘れてはなりません。結果的に人々に娯楽をもたらすことがあっても、決してそれは目的にはなり得ません。あくまでも教育の一環として認識することが大切です。 主催する朝日新聞社、毎日新聞社には、今一度その原点に立ち返ってもらいたいものです。この時期になると、高校野球以外にニュースはないのか、と思われるほどの朝日新聞紙面の過熱ぶりには違和感を覚えます。高校球児たちの純粋な汗と涙を、大人の娯楽産業として汚すことのないように、商用利用は極力慎むべきだと私は考えます。

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    高校野球の時短を阻むメディアと球界の「美意識」

    赤坂英一 (スポーツライター) 高校野球選抜大会が終わり、プロ野球取材を再開すると、試合の長さを痛感する。甲子園は2時間前後で終わるのに、プロは軒並み3時間以上かかる。1日の広島-阪神戦など、両チームの四死球が合計28個に上る大乱戦となり、試合時間も5時間24分に達した。広島対阪神 四球を選ぶ広島・田中広輔=8月1日マツダスタジアム広島(撮影・村本聡) そうした中、メジャーリーグでは今季から敬遠の四球が「申告制」となり、投手が実際に4球ボールを投げる必要がなくなった。守備側のチームが打者との勝負を避ける場合、監督が審判にそう伝えれば済む。MLBでは試合時間の短縮を喫緊の課題としており、3時間前後の試合時間を2時間半に縮めるのがロブ・マンフレッド・コミッショナーの悲願だという。敬遠の申告制度化もその一環だ。 早ければ来年、NPBもMLBのルール改正に倣うことになるだろう。2016年の平均試合時間は3時間10分(9回制のみ)で、15年に2時間56分として3時間台を切ることに成功したMLBに比べるとまだ長い。公式HPに連日平均試合時間をアップし、時短を呼びかけているNPBが「敬遠申告制」を導入するのも、それこそ〝時間の問題〟である。 試合時間短縮のためには、延長制度の改革も避けて通れない。プロ野球の公式戦は最大12回まで行われ、決着しなければ引き分けとなる。MLBでは勝負が決するまで何回まででも続けられ、延長20回を越え、2日間にまたがって行われたケースもある。勝負論としては正しいのかもしれないし、曖昧な決着を許さない大リーグの伝統のひとつとはいえ、これだけ時短が叫ばれるようになった現在、そろそろ見直される可能性もありそうだ。 その兆候を示したのが、今年行われたWBCのタイブレーク制度だ。延長戦自体はMLBと同じ無制限となっていた一方で、延長11回以降は点が入りやすくなるよう無死一・二塁でプレーが続けられた。2次ラウンドの日本-オランダが延長戦にもつれ込み、タイブレークに入った延長11回、中田翔(日本ハム)が2点タイムリーを打って勝利をものにしたケースは記憶に新しい。もしタイブレークがなければ、何回まで試合が続いていたか。タイブレーク導入は高校野球界にも いま、このタイブレークを導入すべきだ、という議論が再燃しているのが高校野球界である。今年の選抜大会では、準々決勝進出をかけた2回戦、滋賀学園-福岡大大濠、健大高崎-福井工大福井がともに延長15回の末に引き分け再試合になるという史上初の事態が発生。福岡大大濠のエース三浦銀二は延長15回で196球、中1日置いての再試合でも9回を130球。ともにひとりで最後まで投げ抜き、8強進出を決めている。が、準々決勝の報徳学園戦では、さすがに八木啓伸監督が登板を回避。控え投手に外野手や捕手を注ぎ込みながら、報徳に大敗して甲子園を去った。第99回全国高校野球選手権、日大山形戦に六回から登板、延長十二回まで無失点に抑えた明徳義塾の市川=8月9日(岩川晋也撮影) かつての甲子園は大黒柱のエースがひとりで投げ抜くのが当たり前だった。そのために肩や肘を壊す投手が続出し、再三世間の批判に曝され、一時期より苛酷な連投が減少したとはいえ、それでもこの種の根性論的投手起用は消滅してはいない。4年前の選抜でも済美の安樂智大(現楽天)がひとりで722球を投げ、大会後にしばらく投球不能の状態に陥った。安樂の件は海外でも話題になり、とりわけアメリカのメディアに手厳しく批判されている。 このときもタイブレーク導入を訴える声が挙がったが、一部の著名なプロ野球OB評論家が異議を唱えた。「日本には日本、甲子園には甲子園の野球というものがある。苛酷な条件の中で投げ続けているからこそ、全国の野球ファンも野球少年たちも感動するのだ。アメリカの言うことだから、何でもかんでも正しいとは限らない」というわけ。私と旧知の仲の解説者など、「アメリカが偉そうに、日本の野球に口を出すな!」と憤っていた。  こういう昔ながらの精神論が、現代の高校球児の胸中にもまだ宿っているらしい。現に福岡大大濠の三浦も報徳戦の最中、2度自らブルペンに走って、ベンチに戻されている。そんな場面が〝美しい光景〟としてマスコミに報じられるのもまた、日本ならではだ。 だが、時代は確実に変わりつつある。一般のファンにはあまり知られていないものの、いまや社会人の都市対抗、大学や高校の明治神宮野球大会でもタイブレークが実施されている。あのWBCでもやっているのだ。物は試し、プロと高校野球で歩調を合わせてタイブレークをやってみたらどうだろう。プロの試合時間が短くなり、高校球児の健康維持にも役立つ。メリットは小さくない、と思う。

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    朝日新聞 高校野球地方大会のたび購買部数が大幅増

    子園出場の翌年に4倍に跳ね上がった。さらにOBがプロ野球に進めば、野球部への入部が飛躍的に増える」(スポーツジャーナリスト) 文部科学省によれば、平成27年度の私立高校の授業料などの年間合計金額は約72万円。1学年300人の高校ならば、2億1000万円以上の収入となる。定員割れせず、毎年この収入を確保できるのは「甲子園出場のおかげ」だという高校も少なくないのである。 そうした恩恵を誰よりも受けているのが、夏の大会を主催する高野連(日本高校野球連盟)と朝日新聞である。 昨夏開催された第97回大会の収支決算をみると、入場料収入は約4億4900万円。支出は約3億3900万円で、差し引き約1億1000万円の剰余金が出ている。これを高野連を中心とする委員会で運用する。 この剰余金は全国高校軟式野球選手権大会関係費に500万円、少年野球振興補助金として100万円など、様々な補助金に充てるとされている。高野連関係者は「公益目的以外で使うことができないようにするため基金を設けているが、13億円以上の資産を保有する超優良組織といえる」と明かす。高野連とともに夏の大会を主催する朝日新聞は、拡販ツールとして甲子園を利用する。 地方大会が始まると、地方版の紙面に各高校のメンバー表を掲載するなど、独占的に情報を扱える。試合経過も詳しく報じられるため、高校野球ファンの購買部数が大幅に増えるという。孫が甲子園に出るので購読を始める年配者も少なくなく、地域によっては2割増しになる販売店もあるという。 間もなくプレイボールを迎える夏の甲子園。大金を、いや優勝旗を故郷に持ち返るのはどこの代表校になるのだろうか。関連記事■ 高校野球のお宝展示される甲子園歴史館 現在特別展を開催中■ 地域別にみる高校野球トリビア 鳥取県が日本一を誇るのは?■ 週刊誌「不倫メール」スクープ後に高野連理事の名が消された■ 夏の甲子園 大会通算戦績で最も強い地域は近畿で勝率は.596■ 高校野球で舌禍の“やくざ監督”「喉元過ぎれば熱さ忘れる」

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    新国立の暑さ対策にかち割り氷? 甲子園の先達が挙げる課題

     建設費問題で揺れる新国立競技場問題の暑さ対策で「かち割り氷」案が浮上した。実現可能性があるのか、そもそも「かち割り」とはどうやって作られるのか。関係者に取材した。(取材・文=フリーライター・神田憲行)猛暑と甲子園球場の後押しを受け、売り上げ好調な「かちわり氷」=2010年8月9日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場(撮影者 田中一世)* * * 新国立競技場に「かち割り氷」のアイデアを出したのは、なんと安倍晋三首相だ。《8月27日、遠藤氏が首相に説明するため官邸を訪れた際、携えた資料にあった建設費は「1640億円」。競技場には、客席の下から冷風が吹き出す冷房の設置を検討しており、これを外せば、さらに100億円のカットが見込めた》《「暑さ対策なら、『かち割り氷』だってある」。首相は夏の甲子園名物を挙げ、遠藤氏に冷房施設の断念を指示。「首相主導の政治決着」を演出し、1500億円台の「大台」を達成した》(朝日新聞8月29日記事)「かち割り氷」とは主に夏の高校野球シーズンに阪神甲子園球場で販売されている名物だ。ビニールの袋に氷が詰められ、ストローとともに提供されて、1袋に氷が約350グラム、200円である。 新国立競技場の収容人数は6万人超。それだけの世界中から集まる観客が、小さなビニール袋にストローを指してチューチューやっている姿は、実際にどれくらい暑さ対策になるのか不明だが、愉快な光景ではないか。「安倍さんの『かち割り』発言は新聞で知りました。いやあ、日本の偉い人まで『かち割り』が浸透してて、有り難いですわ。たぶん甲子園に来たことないやろうけど」 と笑うのは、甲子園球場で「かち割り氷」の製造・販売を一手に担う梶本商店の梶本泰士さん。「かち割り氷」はそもそも、1927年に梶本さんの先代が甲子園でかき氷を販売したことに始まる。1957年に金魚すくいの袋を見て、現在のスタイルを思いついた。 最盛期には1日1万5000個を売ったこともあるが、氷らせた清涼飲料水の台頭などもあり、現在の販売個数などは「秘密」。それでも灼熱のアルプススタンドなどでは、買い求めた「かち割り氷」を額に乗せたり、涼を楽しむ人が多い。「氷ってるときはおでことか首筋に当てて身体を冷やして、溶け出したら昔は粉末ジュース入れて飲んでる人が多かった。いろいろ楽しめるのがかち割りですわ」(梶本さん) ただの氷をビニール袋に詰めたと思うなかれ。氷の製造方法は一手間掛けられている。水道水をまず浄化して不純物を取り除き、大きな氷塊にする。それをすぐ割らずに、いったん「氷室」に48時間寝かせるという。「寝かせることで氷の芯まで凍って、溶けにくくなるんです。甲子園やったら1試合以上は持つでしょう。ただ家庭用の冷蔵庫で作った氷をもって来ただけではそんなに持ちません」(梶本さん) さすが灼熱の甲子園球場に出場するだけはある、氷も鍛えられているのだ。 しかしそんなに手間がかかるのなら、実際に新国立競技場で提供するのは無理なんでは……。「いや、氷は工場さえあれば作れます。難しいのは売る人の確保やね」 梶本さん、意外な理由を挙げた。「かち割り売りは、声を出さんと売れませんから」「かち割り氷」の売り子さんは、「かち割り氷、いかがっすかー」と、威勢良く声を張り上げながらあげながらスタンドを歩いて行く。実はこの「売り言葉」も、梶本商店が指導している。「アルバイトする人に、最初に『こいういう風に言うんやで』と言葉は教えます。それをどういうイントネーションで言うのかは、売る人の工夫ですわ。そのコツ持ってる人を確保するのは難しいと思いますよ」(梶本さん) とはいえ、「オリンピックですから、世界中からお客さんいらっしゃるんでしょ? 夢がありますわ。チャンスがあったら売りたいですなあ」と梶本さんは笑う。--とすると、「かち割り氷、いかがっすかー」も世界中の言葉に翻訳しないといけないですね。「いや、そこは変えん(笑)あの言葉はあのままでいかんとあかん(笑)」 遠藤利明五輪担当大臣は9月2日に「冷却剤を配布」という中間報告をまとめたが、ここはぜひ、「かち割り氷」も配って欲しい。できれば粉末ジュースも一緒に配って、チューチューしてほしい。冷房の代わりにかち割り氷のアイデアを出したのは安倍首相だ。早急に売り子のトレーニングに政府を上げて取り組むべきではないだろうか。関連記事■ 夏の甲子園 大会通算戦績で最も強い地域は近畿で勝率は.596■ 夏の甲子園 学校別通算勝利数の1位は愛知の中京大中京76勝■ 延長15回裏サヨナラヒット ベース踏み忘れで甲子園幻の事件■ 地域別にみる高校野球トリビア 鳥取県が日本一を誇るのは?■ 江川卓在籍時の作新監督 2年連続甲子園出場逃し更迭された

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    このままでは清宮幸太郎はプロ入りしても「ホームラン王」になれない

    小林信也(作家、スポーツライター)  これまで、早稲田実業の清宮幸太郎について語ることを避けていた。大騒ぎに便乗する気はないし、騒ぎに水を差すほど無粋でもない。実績はそろっているが、まだ10代の少年。高校生同士が戦った結果を過剰に持ち上げる違和感もあった。 清宮が高校3年間で通算107本のホームランを打ったのは事実だ。が、いずれも高校生投手から打ったにすぎない。しかも、プロ野球では使えない金属バットから放たれたものである。 東京の高校野球のレベル差は極端だ。強い高校もあれば、中学の硬式チームより拙い高校も少なくない。それを「107本」という数字でくくるのは、少なからず誇張も含まれる。 将棋の世界では、藤井聡太四段が14歳にしてプロ入りし、29連勝を飾った。彼が戦う相手は紛れもなく一流のプロ棋士であり、プロを相手に29連勝した藤井四段の実力は掛け値無しだ。その彼でさえ、このまま順調に成長するかどうか、100%の確証はない。なぜなら、かつて28連勝した先輩はいま壁に当たり、苦闘を続けている。メディアは平気で、「凡人の作った記録を天才に抜かれて良かった」と謙遜した彼のコメントを真に受けて発信したが、彼だって28連勝した当時は「天才」と呼ばれたはずだ。 清宮は、まだプロ野球の投手から1本のホームランも打っていない。野球界の規則に阻まれて対戦する機会が与えられないためで、清宮のせいではない。対戦すれば打ったかもしれない。 将棋界のように、若い才能がプロ野球選手と直接対戦する機会を野球界も作る必要があるというのは安全性の面で早計だが、新しい方向や発想を出し合い、改善を模索する土壌さえないのはお粗末だ。 ひとつ疑問がある。なぜ清宮は、これほど高校野球に没頭したのか。甲子園出場を逃し、試合後に取材に応じる早実の清宮幸太郎主将 =7月30日、東京・神宮球場 早実野球部で清宮は「青春」を満喫した。敗戦後、チームメイトと過ごした充実感、主将である自分についてきてくれた仲間や後輩への感謝を口にした。まさに青春そのもの。人間的な成長において「大切な経験」を清宮は高校野球で培ったと言っていいのだろう。個人競技の色合いが強い野球だが、一方でチームゲームの現実があり、そのチームゲームの何たるかを高校で体感した。だが、プロ野球選手としてそれがプラスであったかどうかは、にわかには断定できない。プロの世界で感傷(センチメンタル)はあまり役に立たないからだ。その意味では、現役時代、まったくセンチメンタルを感じさせなかった父・克幸さんとは少し違った人間味を感じさせる。 藤井四段が青春を捨てているように、ある道に秀でた天才が、何かを犠牲にするのは選択肢の一つだ。高校時代に「次」を見据えて野球に取り組むなら、清宮が自ら進んでやるべきことは「甲子園出場を目指すこと」や「通算ホームラン記録を抜くこと」以外にあったように思う。そう、いま清宮が最も不安視されている「木製バットへの対応」と「守備力の改善」である。 西東京大会の決勝では一塁手としてふたつのミスをし、それが失点、敗戦につながった。 野球を見る目を持つ人なら、清宮の守備の動き、スローイングのレベルには思わず口をつぐみ、ため息をもらすだろう。お世辞にもプロのレベルとは言えない。打撃と違って、守備は努力で向上する、と一般的には言われるが、清宮がどれほど努力すればプロで一流と呼ばれるようになるのか。正直言って、かなり前途多難だと多くの人は感じることだろう。履正社・安田尚憲との違い 一塁手というポジションは、プロ野球ではある種の「指定席」の色合いがある。巨人の阿部慎之助が捕手を卒業して守っているように、ベテラン選手の生きる道に使われる。守備に難のある強打の外国人助っ人の「指定席」でもある。 18歳のルーキーに最初から喜んで提供できるポジションとは言えない。もしプロ球団がそれを確約するなら、清宮にはホームラン王を争う助っ人並みの数字が求められる。1年または2年、結果に目をつぶって経験を積ませてくれる余裕のある球団がどこにあるだろうか。 高校時代に木製バット対策と守備力強化を行わなかった清宮は、今からその課題を克服しなければならない。 木製バット対応は、打撃の天性を持ってすれば、案外すぐにできても不思議ではない。ただし、特別な知識と指導力を持ち、清宮の潜在的可能性を見いだし伸ばしてくれる名伯楽との出会いが必須だ。今の球界にそのような人物が本当にいるのだろうか。 王貞治には、荒川博コーチがいた。巨人に入って3年間、期待ほどの結果を出せない王にしびれを切らした川上哲治監督(当時)が、「安打製造機」の異名を取った榎本喜八の育ての親である荒川を大毎オリオンズから引き抜き、王の専属打撃コーチにした。二人の師弟関係から「一本足打法」が生まれ、王がホームラン王に変貌した伝説はオールドファンなら誰もが知っている通りだ。松井秀喜には長嶋茂雄監督(当時)が熱心にマンツーマン指導したという逸話もある。 清宮は184センチの恵まれた体躯からホームランを量産してきた。だが、今のバッティングスタイルはむしろ中距離打者である。やわらかなリストワーク、しなやかなバットコントロールは、打撃センスと安定感を感じさせる。投球を捉えるのもうまい。しかし、イチローがホームラン打者でないように、その打ち方がプロ野球に入ってもホームランを生むのに最適な打法かは一考の余地がある。今秋のドラフト候補、履正社の安田尚憲内野手 履正社の安田尚憲は松井秀喜を手本にし、内面でボールを捉えた後、バットと身体をひとつにして、「ブン!」と振り抜く。これは紛れもなくホームラン打者の打ち方だ。清宮は、バットと身体の出方にズレがある。下半身が投手方法に向かった後、上半身(バット)は少し遅れて出てくる。昔の好打者に多かった打撃スタイル。ヒットや二塁打は高い確率で打てても、柵超えを狙うのに最適な打ち方ではない。 フルスイングが代名詞の柳田悠岐(ソフトバンク)も、中田翔(日本ハム)も、中村剛也(西武)も、軽々とホームランを打つときは、ステップとバットとボールが一つになっている。 結論から言えば、「中距離打者」の清宮幸太郎など、誰も求めてはいない。不自由すぎる野球の世界 ホームランこそが清宮に求められる代名詞だ。ところが、今の清宮は「ホームラン王」への道をまっしぐらに歩んでいるとは言い切れない。そういう誤差を指摘し、納得の上で清宮をホームラン打者へと導いてくれる指導者との出会いが何より重要である。もしくは、少年時代、そうして来たように、清宮自身がメジャーリーガーらを参考に、自らフォームの見直しを図ることだ。 U-18(18歳以下)世界大会では不調に終わり、昨秋の東京都大会では日大三高のエース、櫻井周斗に5打数5三振を喫した。今夏の西東京大会決勝では、東海大菅生のエース、松本健吾から丁寧に攻められ、凡打を重ねた。最後の打席で一二塁間を抜いたのはさすがだが、レベルの高い投手から攻められたら、必ずしも結果を出していないのが、早実時代の清宮だった。 次の2年、3年、どんな環境で、どんなコーチと、何をどう改善するかが、清宮の野球人生を大きく左右する。 早稲田大学にそれを満たす環境があるだろうか。通算107号本塁打を放つ早実・清宮幸太郎=7月28日、神宮球場 今の時点で考えると、大学生活の4年は長すぎる。「プロ入りの準備完了」と判断したら、中退してプロ入りしたいだろう。その自由が日本の野球界にはない。社会人野球でも3年は拘束される。唯一の例外は独立リーグだが、清宮には合わないだろう。 アメリカ留学の声もあるが、注意が必要だ。アメリカの野球界に飛び込んだら、MLBの制約を受ける可能性が出てくる。マイナーリーグに所属すれば、自分の意志で日本のプロ野球に入れない立場になる。 こうして考えると、野球界とはなんと不自由な世界なんだろうとつくづく思う。清宮には、今すべきことを、それにふさわしい環境で取り組んでほしい。例えば、アメリカ、南米の環境で自由に野球を謳歌(おうか)するのも、もう一度清宮を大きく飛躍させる糧になるように思える。 プロ・アマ規定や日米の紳士協定が邪魔になるなら、この機会に改善してほしい。清宮のための「特例」ではなく、そうした堅苦しい規制のために、のびやかな野球人生を過ごせない多くの若者に、もっと選択肢を広げ、野球以外の経験も含めたスケールの大きな野球人生を保証するために。 通常ルートでプロに入る選手ばかりでなく、独自の成長過程を過ごして才能を伸ばす選手たちを柔軟に受け入れる懐の深さを野球界は持つべきだ。 清宮が次の2年間をどこでどう過ごすかが重要だ。それは候補に挙げられる「即プロ入り」でも、「早稲田大進学」でも、単純な「アメリカ留学」でもない気がする。そんな杓子定規しか選択肢のない日本の野球界そのものが、常識の枠におさまらない清宮幸太郎には居心地が悪いのではないだろうか。

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    高校野球、大阪勢の「えげつない強さ」の秘密がようやく分かった

    小林信也(作家、スポーツライター) 今春、センバツの決勝で対戦した大阪桐蔭と履正社が、夏の大阪大会準決勝で戦った。 「事実上の決勝戦」と表現していい両校が、地方大会で対戦する。大阪のレベルの高さを物語る出来事だ。試合はシーソーゲーム、どちらが勝つか終盤までまったくわからない接戦を大阪桐蔭が最終回に3点を取って制し、8対4で決勝に駒を進めた。高校野球大阪大会。走って整列する大阪桐蔭と履正社 =7月29日、大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 過去40年の夏の優勝校を見ても、1977年が東洋大姫路(兵庫)、78年がPL学園(大阪)、79年箕島(和歌山)と続き、関西勢だけを一覧しても、83年PL、85年PL、86年天理(奈良)、87年PL、90年天理、ここまでは大阪の中でもPL学園の天下。そして91年に大阪桐蔭が優勝し、下克上が起こる。93年育英(兵庫)、97年智弁和歌山、2000年智弁和歌山、08年、12、14が大阪桐蔭。なんと40年中8大会で大阪代表が優勝。関西勢に広げれば15回を数える。 なぜこれほど大阪のチームは強いのか? 言うまでもなく、青森や山形、東京、島根など、他の地方の高校が大阪から選手を集め、一世を風靡(ふうび)した例もたくさんある。 今回はやや大胆に、独自の観点から大阪が強い理由を探ってみよう。 第一に、大阪人の「えげつなさ」が、トーナメントで戦う日本の高校野球と相性がよいのではないか。東京人はどこか格好をつけ、きれい事(理想)を追う価値観を捨てきれない人が多い。「勝ちゃいいんだよ」と言い切れない。ところが大阪人は「勝ってナンボやろ」という割り切りがある。 東京的な感覚では、「勝利至上主義」などと批判するが、大阪人にはそんな発想さえない気がする。「試合なんやから、勝つのが当たり前とちゃうの?」。 大阪の中学から新潟の高校に進んだ選手の逸話がある。かつては二塁走者が打者に身ぶり手ぶりで捕手のサインを教えるのは常識だった。「汚い」という認識はなかった。しかしある年、それがフェアプレー精神に背く、また試合時間の遅れにもつながるとして禁止された。常識だったことが、悪いことと立場を変えたのだ。 その変更を聞いて、新潟の高校球児はほぼ全員が「もう二塁からサインを送ってはいけないのだ」と素直に理解した。ところが、大阪から来た球児は違った。 「これからは、うまくやらな、あきまへんね」 その言葉に、チームメイトはあぜんとしたという。それを地で行く光景を、実際に大阪大会で見た経験がある。 大阪の強豪校の試合を観戦していたとき、一緒に見ていた大阪の野球関係者が私の脇を突ついて、「二塁ランナーの動き、よく見てください」と耳打ちした。最初は意味がわからなかった。次第に、なるほどと気がついた。 二塁走者は、投手がセットポジションに入ろうとすると、ベースに足をつけた状態から、ススッと素早く離塁したり、ゆったりとリードを取り始めたりする。つまり、ススッと出たらストレート、ゆっくり出たらカーブ系といったサインを送っていたのだ。審判も、余計な動作ではないから、反則行為と警告できない。それいう工夫をして(?)、ルールの裏をかく行為を平然とやっている。「あれは監督が教えとる」 同じ試合で、一塁手の巧みな走塁妨害も目撃した。 相手打者が右中間に長打を打った。三塁打コースだ。打者走者は勢いよく一塁を回ろうとして、アッとスピードを落とした。一塁手がぼうぜんと打球を見やり、走路に立っていたからだ。一瞬、衝突を避けたため、その打者は二塁を回って三塁を狙うことができず、二塁打にとどまった。一塁手は走者に背を向け、ボーッと打球を見ているから、まさか故意に走者を妨害するためそこに立っているとはすぐ気づかない。 「あれ、監督が教えとるんですわ」  つまり、確信犯だというのだ。「そこまでして勝ちたいのか?」と、甘い東京人や新潟県人の筆者は思う。しかし「当たり前やがな、勝負やもん」と、大阪人は思う。みんながそうだとは言わないが、地域の空気としてそれがある。 私は今春、監督を務めるリトルシニアの大会で同じことをやられた。まさに、その大阪の高校出身のコーチが指導するチーム。こちらが走者二塁で一塁線を抜いた。楽々と「本塁生還だ」と思って見ていたら、三塁手がボーッとした様子で三塁ベースのすぐ内側に立っていた。二塁走者は、慌てて大回りし、ベースの外側を踏むような感じでホームに向かった。幸い得点にはなったが、危険なプレーであることも間違いない。さすがにタイムを取って、三塁塁審に「三塁手、危ないから注意して」と短い言葉で促した。すると、塁審は私が何をアピールしているかも理解できないようだった。打球をぼんやり見ている三塁手の「迷演技」にすっかり欺かれていた。バックスクリーンから練習する選手の動きを狙う8Kカメラ =兵庫県西宮市の甲子園球場 このように書くと、東京人の多くは「許せない」といきり立つかもしれないが、大阪人は違う。それも半ば洒落とまでは言わないが、「いい、悪い」ではなく、「あって当然やろ」という気構えを持っている。 強さの秘密、その二に移ろう。よく指摘されるのは、リトルシニア、ボーイズといった中学生硬式野球チームの数の多さとレベルの高さ。甲子園で3大会連続ベスト4に入り、この夏も甲子園出場を決めて新たな強豪として勇名をはせている秀岳館(熊本)は、長くオール枚方ボーイズの監督を務め、ボーイズでは全国優勝を争う常連だった鍛冶舎巧監督が、選手ごと一緒に熊本に移って始めたチーム。熊本代表という名の大阪のチームとも呼ばれる。それほど、中学野球のレベルが高いのだが、この背景には「タニマチ文化」がある。履正社の安田はここが違う 初めて大阪のボーイズ・リーグ関係者たちと交流したとき、東京にはない不思議な人間模様を感じた。東京にも調布シニア、武蔵府中シニアといった名門、強豪チームがある。練習の雰囲気などは、限りなく高校野球に近い。大阪のチームは「プロ野球ごっこ」の風情がある。東京の中学硬式野球は「ミニ高校野球」、大阪は「街のプロ野球」みたいなのだ。プロ野球チームにオーナーがいるように、ボーイズのチームには「代表」がいて、みんなから当然のようにそう呼ばれている。それが快感なのである。プロ野球のオーナーや代表にはなれないが、それらしい気分を味わうことができる。地元のお金持ちがまさにタニマチとして運営しているチームもある。 特待生問題が物議を醸したとき、東京をはじめ大方の地方の人たちは中学生選手を売り買いするブローカーのようなスカウトがいることに眉をひそめ、問題視したが、大阪人はそもそも「プロ野球ごっこ」をしているのだから、スカウトがいて、裏金があって当たり前なのだ。それに目くじら立てる方が、彼らには「信じられない」のではなかったか。あわやホームランの大きな当たりを飛ばすがアウトになった履正社の安田尚憲(中央)=大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 全国的には清宮幸太郎の通算ホームラン更新に注目が集まり、高校3年生の一打席ごとの結果がネットで速報されている。一方、清宮を超える才能の持ち主ではないかとスカウトの間で評価の高い履正社の安田尚憲は、練習では木製バットを使い、「プロに入ったら金属バットは使えないから」と、先を見据えた練習をずっと重ねてきた。これも安田は高邁(こうまい)な理想の持ち主であり、清宮は目先の記録を狙っている、とばかりは決めつけられない。大阪は高校野球にもプロ野球気分があり、東京はまさにザ・高校野球なのだから。先のことなど考えない。たとえ清宮幸太郎であっても、「高校野球で終わってもいい」くらいの、のめり込みが当たり前なのだ。 早実対駒大苫小牧、伝説の延長再試合。最後の打者となった関西人の田中将大投手が、斉藤佑樹投手に三振に打ち取られ笑っていたのも、それとつながっているのではないだろうか。履正社の安田もまた、大阪桐蔭に敗れた試合後、チームメイトと健闘をたたえ合った。 高校野球で終わりじゃない大阪。終わりじゃないけど、終わってもいいと思っている東京をはじめ他の地方。その器の大きさも、大阪の強さの一因かもしれない。

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    中田久美ほど「名将」の条件が揃った監督を私は知らない

    小林信也(作家・スポーツライター) 中田久美監督率いる、女子バレーの日本代表、新生「火の鳥NIPPON」が、ワールドグランプリの予選に臨んでいる。3つのグループに分かれて予選リーグを戦い、8月2日から行われる決勝ラウンドには上位5チームと開催国の中国が出場。すでにオランダ大会、仙台大会を終え、いま最後の予選リーグ、香港大会を戦っている。日本は通算5勝3敗で、決勝進出圏内に入っている(7月22日時点)。 中田ジャパンは強豪オランダ、ブラジルに勝ち、今後に大きな期待を抱かせる戦いを展開している。16日のブラジル戦はフルセットの末、最終第5セットを17対15で制し、6年ぶりにブラジルから勝利を奪った。テレビ中継で接戦に手に汗握り、中田ジャパンへの思いを熱く感じたファンもきっと多かっただろう。 「絶対的エース」として長く日本代表を牽引(けんいん)した木村沙織が引退。柱を失った日本代表は、ポスト木村沙織探しも含め、不安な船出といってよかった。そのかじ取りを任された中田新監督への期待はもちろん大きかったが、ここまでの戦いで、すでに多くのファンの支持を得つつある、そして未来への期待を大きく抱かせているのではないだろうか。 ポスト木村沙織の育成とともに注目されるのが、世界と戦う名セッターの養成だ。すでに日本代表のセッターを務めて久しい宮下遥(岡山シーガルズ)が本命と誰もが認識しているが、かつて15歳で日本代表に抜擢(ばってき)された天才セッター・中田久美が、このテーマとどう取り組むかは注目の的だった。ワールドグランプリ 日本-ブラジル戦。試合を見る中田久美監督=7月16日、カメイアリーナ仙台 オランダ大会では代表初出場の冨永こよみ(上尾メディックス)を先発セッターに起用。宮下オンリーではない姿勢を明確にした。 またブラジル戦では佐藤美弥(日立リヴァーレ)を起用。これが見事に功を奏する形でブラジルを破った。 試合後、中田監督は佐藤起用の理由を「ブラジルが日本を徹底的に研究しているのがわかった。セッターを変えれば、その研究データはまったく役に立たなくなるだろうと思った」と説明している。まったくその通り。ブラジルにすれば開いた口がふさがらない、人を食ったような大胆采配とも言えるだろう。 中田久美監督は、久光製薬スプリングスの監督に就任した一年目からVリーグ優勝のほか、女子初の三冠にチームを導き、Vリーグ4度優勝を果たした。指導者としての力量もここで十分に実証して日本代表の監督を任された。その指導力をあえて再評価するまでもないが、中田久美監督は何が違うのか? あえて結論から記してしまうが、他の競技も含め、日本にこれだけ理想的な素質と実績を持つ監督がいるだろうか? とさえ、私は感じる。中田久美監督の素質と器量 女子の指導者といえば、シンクロナイズドスイミングの井村雅代監督が頭に浮かぶ。厳しい、妥協を許さない、目標を定めたら必ずそこに到達する。揺るがない意志の強さは、他に比類を見ない。まだ競技としての注目が低かったため、あまり知られていないが、選手としても日本選手権2度優勝の実績がある。中田自身、助言を仰ぐ機会を得ているようだが、指導者として中田はこの井村に勝るとも劣らない素質と器量の持ち主だと感じる。さらに加えて、選手として、自らが天才と呼ばれ、世界を相手に戦った豊富な実績と経験がある。もっといえば、他に誰も経験していないほど深く重い悔しさを身に染みて体験している。 中田久美がセッターとして臨んだ1984年ロス五輪。日本女子は銅メダル。このときメディアは、それを賛美するどころか、「史上最低の銅メダル」と表現した。当時、日本の女子バレーは「金メダルを獲って当たり前」と期待されていた。1964年東京五輪で金メダル。1968年メキシコ五輪は銀メダル。1976年モントリオール五輪では再び金メダル。しかもセットをひとつも落とさなかった。銅メダルは中田久美にとって「屈辱」でしかなかった。 それからすでに33年が経過し、さらに36年後の2020年東京五輪でその屈辱を晴らすチャンスを与えられた。中田久美監督の覚悟が並大抵のものでないことは怖いほど感じる。 中田久美監督は、勝つためにすることを知っている。そして、それをやりきる以外、考えない人である。自ら実践する人だから、選手も言い訳はできない。チーム全体が目標に向かう迫力をみなぎらせる。その強さ。口で言うのは簡単だが、それをやりきれる指導者は希少だ。 私も何度かお会いしているが、まなざしがあれほど真っすぐで揺るがない人に出会った経験は少ない。やると言ったらやる、やるのが当たり前。そんな雰囲気が満々とみなぎっている。 日本代表ですでに4年の実績がある「天才セッター」宮下遥を平気でベンチに座らせることのできる人物も中田久美監督以外にないだろう。他の監督が同じことをすれば、そして少しでも結果が悪ければ、批判するメディアやファンが出るのは容易に想像できる。他のセッターにチャンスを与えることで厚みが出る。宮下を超えるセッターが登場する可能性もある。そして、宮下遙自身がいっそうの飛躍を遂げる期待も感じる。女子バレーボール日本-中国戦。スパイクを打つ中田久美選手 =1980年11月、京都体育館 「名選手、必ずしも名監督にあらず」、スポーツ界でそれは常識的な認識だ。 しかし、野球の捕手に名監督が多いのと同様、バレーボールのセッターは名将に通じる素養の持ち主かもしれない。 ワールドグランプリの後、8月9日から17日まではフィリピン・マニラで「第19回アジア女子選手権大会」。次いで、9月5日から10日まで東京、名古屋で「ワールドグランドチャンピオンズカップ2017」が行われる。これら一連の国際大会が、中田ジャパンの基礎を作る日々となる。勝負の結果に一喜一憂しながらも、中田久美監督がどんなチーム作りを進めるか、選手たちが監督に呼応してどんな成長を遂げていくか、またどんな人材が飛び出してくるか、楽しみだ。

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    「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物

    小林信也(作家、スポーツライター) まもなく、7月3日にテニスのウィンブルドン選手権が開幕する。 錦織圭が初めて四大大会(グランドスラム)を制覇できるか。現時点で男子シングルス世界ランキング9位の錦織は第9シードと発表された。第1シードは昨年優勝のアンディ・マリー(英国)。第2シードはノバク・ジョコビッチ(セルビア)、第3シードがロジャー・フェデラー(スイス)、全仏オープンを制したラファエル・ナダル(スペイン)が第4シードだ。 ゴルフの全米オープンで松山英樹が2位に入り、モータースポーツのインディ500では佐藤琢磨が優勝するなど、このところ日本の男子選手の世界での活躍が続いているだけに、錦織への期待も当然のように高まる。 だが、芝生のコートで開催されるウィンブルドンと錦織の相性はよいとはいえない。初出場の2008年は1回戦敗退。14年と16年には4回戦まで進んだが、四大大会のうちウィンブルドンでだけはまだ準々決勝に進めていない。ベスト8に進出すれば、1995年の松岡修造以来、戦後2人目となる。 相性がよくない一番の理由は、コートのサーフェス(種類)とみられている。錦織はハードコートが舞台の全米オープンでは14年に決勝、16年には準決勝進出を果たしている。同じくハードコートで行われる全豪オープンでは3度準々決勝に進んでいる。クレーコートの全仏オープンでは15年に続いて今年も準々決勝に進出した。グラスコートのウィンブルドンだけが、高い壁のようになっている。ゲリー・ウェバーOPシングルス2回戦で、試合中にマッサージを受ける錦織圭。結局途中棄権した=6月22日、ドイツ・ハレ(共同) ファンにとっては気になる状況がある。錦織は、ウィンブルドン前哨戦でもあるゲリー・ウェバー・オープン(ドイツ)の2回戦途中、左臀部(でんぶ)を痛めて棄権した。この大会で途中棄権するのは、今年で3年連続になる。これで芝生の大会では5回連続、下部大会を含めると9度目の棄権となった。昨年のウィンブルドンでは、マリン・チリッチ(クロアチア)との4回戦途中(第2セットの途中)で棄権した。今年もまた同じような不安を抱えて晴れ舞台に臨む。錦織はなぜ芝コートでケガをしやすいのか 錦織が芝生のコートでケガをしやすいのはなぜか? 実は芝生のコートが身体に負担を与える実例は、錦織圭に限らない。芝のコートはハードコートやクレーコートに比べてバウンドが低いため、普段より態勢を沈め、体重を乗せて打つことが要求される。軽快なフットワークとその流れで打つイメージでは対応しきれない難しさがある。 しかも、ウィンブルドンの前には全仏オープンがあり、クレーコートになじんだ状態から選手たちは芝への順応と切り替えを求められる。クレーコートを得意とし、今年3年ぶりに全仏オープンを制覇したナダルが優勝後の記者会見でウィンブルドンへの抱負を聞かれて語った言葉にその一端が表れている。「芝のコートでは重心を低く保たなければいけない。足元の踏ん張りが利かなくて不安定。膝の状態次第だね」 足元の踏ん張りが利かない。芝は滑りやすい。そのため、身体とスイングの微妙なずれによって膝や股関節、腰、臀部(でんぶ)などをひねって痛める選手が少なくない。伝統ある憧れの大会でありながら、芝が舞台だからという理由で出場を回避する選手もいる。  テニスは19世紀の終わりころ、芝の上で行う競技として発展した。「ローンテニス(lawn tennis)」が競技名として使われていたくらい、芝が当然の舞台のだった。それなのに芝が敬遠されるのはおかしな気もするが、それが時代の流れ、競技の現実だ。 錦織はハードコートで育った選手だ。抜群のフットワークも、「エアK」に代表されるトリッキーでエネルギッシュなショットも、ハードコートの安定性の上に成り立っている。ボールが一定の高さまでバウンドする。ショットのスピードからバウンドのイメージを容易に想像できる。足元(足裏)とコートがしっかりグリップして、スリップしたり、イメージとの誤差を生じることも少ない。 芝でプレーする場合は、いつ足元が滑るかわからない。ボールのバウンドも低く、はね方も一定ではない。不測の事態が常に頭の片隅から離れない。 「芝生のコートに入ると、自然と敵が強く見える」と錦織圭がつぶやく理由もその不安から生じるものかもしれない。見た目には美しい緑の芝が、選手にとっては恐ろしい魔界でもあるようだ。「最高峰」ウィンブルドンに生じた時代とのズレ2014年10月、楽天ジャパンOP男子シングルス2回戦でエアKを放つ錦織圭=東京・有明テニスの森公園(撮影・中鉢久美子). 錦織と芝生の相性を考えたとき、ふと野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の光景が目に浮かんだ。侍ジャパンの菊池涼介二塁手(広島)は、人工芝で行われた1次ラウンド、2次ラウンドで素晴らしい守備を繰り返し披露した。従来の野手の動きとは少し違う、人工芝の特性を生かした身体のこなし、切り返しだと私は感じた。表面が土や芝だったらできない動きを菊池は開発し、駆使していると感じたのだ。それが、準決勝では痛恨のエラーをした。下は天然芝だった。予想外の打球の伸び、はね方に対応できなかった。広島は普段から天然芝の球場が本拠だから慣れてはいるはずだが、メジャーリーガーの鋭い打球を芝で捕る経験は少ない。その切り替えがうまくできなかったための失策のように見えた。そして何より、野手の技術や動きの基本が、もはや人工芝を前提に培われている事実に気づいて感嘆した。 テニスも同様だろう。打ち方、フットワークの基本は、かつては芝を前提にしていた。いまはハードコートが前提だ。ボールを捉えて打つ間合いやテンポが全然違う。錦織はショットを打つのに止まらない。フットワークとショットはほぼ一体だ。その当たり前のリズムが芝によって制約され、ズレが生じる。バウンドも低いため、いつもの高い態勢で打つことができない場合が多い。そのずれの中で故障が生まれる。 いまスポーツは、伝統と近代のはざまで実は難しい状況にあるとも言えるのだろう。ウィンブルドンは伝統を誇る大会で、賞金も高く、決して軽視できない大会だ。しかし、その舞台は時代の主流とは大きくかけ離れた芝生。陸上でいえば、土のトラックで100メートル競走を行うようなもの。ゴルフで言えば、木製ウッド全盛期にはやったパーシモン(柿)のクラブですべて打つよう制約されているのに近いかもしれない。時代とのズレが、伝統の重さという名で強要されているウィンブルドンを、以前のように世界最高峰を決める大会と認識し続けることを少し見直すべきなのかもしれない。 ボールの高さ、ショットの間合い、この当たり前の感覚を調整するのは、われわれが思うよりずっと難しいだろう。芝生に合わせるのか、芝生でもいつものリズムで打つ感覚で調整するのか。態勢を低くするのか、あまり低くせず、スイングの角度で対応するのか。 錦織圭のウィンブルドンはまず、足元を克服し、足元を意識せずにプレーできるかどうかにかかっている。

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    「強運の人」鹿取義隆GM起用は弱すぎる巨人にとって吉と出るか

    小林信也(作家、スポーツライター) 株主総会のタイミングで、巨人のゼネラルマネジャー(GM)が代わった。堤辰佳GM兼編成本部長が再任されたが自ら辞し、かつてのリリーフエース、特別GM補佐の鹿取義隆氏が同職に就いた。就任会見に臨む巨人・鹿取義隆GM兼編成本部長=6月13日、東京・大手町(撮影・長尾みなみ) シーズン前半にもかかわらずGMが代わった。しかも読売新聞社からの出向でなく、「元選手が巨人で初めてGMに抜擢された」という表現などから、全体としては歓迎ムードだ。当面これで球団への批判モードは封印し、新体制を見守ろうという空気が巨人ファンだけでなく、プロ野球報道全体の傾向になっている。世の中というのは、印象だけで大きく変化する。意外と容易にコントロールできるのかなあと、今回の交代劇で改めて感じる。 「選手出身のGMは巨人では史上初」との報道だが、本当にそうだろうか? GMという肩書きではなかったし、GMほどの権限が与えられていたわけではないが、巨人で事実上GMに相当する職務は「編成部長」が務めていた。この職は、元投手の倉田誠さんが長く務めていた印象が強い。その意味で「鹿取が初」というのは、センセーショナルすぎる表現ではないだろうか。倉田さんに失礼だ。 別の表現をすれば、巨人も野球界の流行の中で「GM兼編成本部長」という名称に変えたが、実質的にメジャーリーグでGMが任されている権限を与えているのかどうか、明らかではない。選手と同様、GMは会社員ではない。球団と契約し、成果が求められ、期待に合わなければ職を追われる。それだけに、選手同様、自由な裁量権が保証され、実力を存分に発揮できる条件が与えられなければやっていられない。 今回就任した鹿取GMが、そのような裁量と権限を持っているかどうかの報道は残念ながらされていない。読売本社からの起用ではないが、読売本社の意向を強く反映する読売巨人軍に「就職した」印象も拭えない。 何より「なぜ鹿取義隆なのか?」の理由について、明快なメッセージはない。同世代だけ見ても、「なぜ江川卓ではないのか?」「なぜ西本聖ではないのか?」、誰も問わない。 鹿取は引退後も巨人と近い関係を築いていた。「きちんと球団の意向を聞ける大人」という評価が、鹿取GM起用の大きな理由のようにも感じる。それならば社員と変わりがない。 巨人では初というが、日本プロ野球に導入されてまだ歴史の浅いGMの大半は、「元巨人」の選手が担ってきた。千葉ロッテで初めてGMになったのは広岡達朗氏。言うまでもなく、往年の巨人の名ショート。次いで日本ハムで手腕を発揮した高田繁さんもV9戦士のひとり。いまは横浜DeNAベイスターズでGMを務めている。今年初めに退任した中日の落合博満前GMも「元巨人」。王貞治さんの現在の肩書きは、福岡ソフトバンクホークス取締役会長兼GM。会長でありながら、GMも務めている。 こうして見ると、巨人で初という表現はますます妙な感じだし、各球団のGMを輩出している本家巨人のGMが他球団に比べて「小粒」な印象も否めない。もちろん、GMとしての実力は現役時代の実績と関係ないが、果たして鹿取GMに多くを期待していいのだろうか。不安は拭えない。 鹿取義隆投手の現役時代については、中年以上の野球ファンには説明する必要がないだろう。とくに王監督時代(1984年から1988年)の5年間には、48、60、59、63、45試合と、計275試合に登板。27勝19敗49セーブをマークした。王監督が姿を現すと「ピッチャー鹿取」の声がスタンドから先に上がるほど、王監督の信頼を一身に集めるリリーフ投手だった。生涯成績は、91勝46敗131セーブ。皮肉なことに、最優秀救援投手のタイトルに恵まれるのは、西武ライオンズに移籍した1年目(1990年)だった。「根性」と「強運」の人 筆者はちょうど鹿取GMと同じ年齢だから、巨人に入る前からの活躍も見ている。江川卓投手を中心に一世を風靡(ふうび)した法政大の黄金世代のひとつ下。明治大に入った鹿取は、3年生になるとリーグ戦で活躍。しかし、スター軍団の法政大には勝てなかった。4年になって、同期の高橋三千丈投手と両輪でリーグ戦優勝を果たす。巨人の鹿取義隆選手(当時)=1989年8月、東京ドーム 大学時代の鹿取を神宮球場で見たことがある。174センチと小柄、驚くような球速でもなかったから、まさかその後、プロ野球で活躍するとは想像しなかった。 改めて鹿取のたどって来た道のりを振り返ると、鹿取義隆は「根性の人」であり、「強運の人」でもある。鹿取は明大卒業後、社会人野球の日本鋼管(当時)に入る予定だったという。同僚の高橋三千丈投手は当然のように、ドラフト1位指名を受け、中日に入った。そのドラフト会議で、鹿取の名前は呼ばれていない。プロ野球との縁がつながったのは、ドラフト会議の後だった。 その年のドラフト会議は、いわゆる「江川事件」のために巨人がドラフトをボイコットし、参加しなかった。その巨人がドラフト指名洩れ選手に直接入団交渉をした。その中のひとりが鹿取だった。西本聖の「テスト入団」が有名だが、同期の鹿取もまた「ドラフト外」での入団だった。 当時の巨人には、少しタイプは違うが、サイドハンドの小林繁投手がいた。鹿取にとっては同タイプの先輩。この小林を越えなければ出場の機会は増えないと見る向きもあったが、江川事件の余波で小林繁が阪神に移籍。「サイドハンド枠」がポッカリ空く形となって、鹿取は1年目から一軍登板の機会に恵まれ、期待に応えている。開幕戦に救援登板、計38試合に登板して3勝の成績は、新人の一軍出場の敷居が高かった当時の巨人にあっては上々の1年目と言えるだろう。その意味で、鹿取GMの持つ強運に期待、というところだろうか。 就任発表の記者会見で、鹿取GMは低迷の理由を分析しつつ、「若い選手がなかなか出てこなかった、ということがある。いいスカウティングをして、そこから育てていきたい」と語った。 これを読んで、どう思うだろう? 「GMの就任の言葉ではない」と私は感じた。選手出身者はどうしても「育てる」意識が強い。これはコーチか育成部長の言葉であって、GMの思考ではない。 GMは活躍できる選手、活躍させる監督・コーチをそろえるのが仕事だ。将来の成長も見越して選手を獲得するの当然だが、それは二番目であって、今日試合を見に行くファンを満足させるチーム編成を「いますぐ実現する」切迫感、使命感が感じられない。 日本でも『マネー・ボール』のタイトルで有名になった著書を出版し、ブラッド・ピット主演で映画化もされたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(現上級副社長)は、本にも書かれているとおり、通常の野球観をひっくり返す策を講じて、予算の少ないアスレチックスに生きる道をもたらした。ビリー・ビーンは試合が始まるとトレーニング・ルームにこもり、試合を見ない。データだけで選手を判断する。かえってその方が冷徹な人事を断行できる、というビーンならでは発想。それくらいの大胆さ、斬新さが、「GM」という立場には求められている。そういう勉強や鍛錬を果たして鹿取新GMは積み上げて来たのだろうか? 「全国区」を売り物にしてきた巨人は、地元密着の流れの中で、ファンとの強い結びつきを失いかけている。実は成績以上に、ここに深刻な課題がある。鹿取GMが、グラウンド上にどんな魅力を配置できるか。相当な発想転換を持って取り組んでほしいと願っている。

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    佐藤琢磨、インディ500制覇で叶った「消えた天才ライダー」の夢

    小林信也(作家、スポーツライター) 先週は「佐藤琢磨インディ500初優勝」のニュースが伝えられ、日本が湧いた。その1週間前、二輪の分野では、ヤマハが世界グランプリ(GP)シリーズ通算500勝を達成、世界のモータースポーツファンから喝采を浴びた。 ヤマハ発動機の柳弘之社長は「『世界で通用するものでなければ商品ではない』という創業者の意志を若い会社全体で共有して世界に打って出た」と、ヤマハが世界GPシリーズに挑戦した当初の意気込みを代弁している。 ヤマハの世界GP初勝利は1963年のベルギーGPだ。ライダーは伊藤史朗。2005年3月、来日会見を行い、新しいヤマハのバイクにまたがるオートバイ世界選手権シリーズ、モトGPクラス総合王者のバレンティーノ・ロッシ(手前)(共同) 伊藤に始まった歴史が500勝まで到達したのは、私自身、感慨深いものがある。なぜなら、その後「消えた天才ライダー」と呼ばれ、突如姿を消して16年間も行方不明になっていた伊藤を追い、アメリカ・フロリダ州でインタビューに成功したのが、私だったからだ。 16年間の沈黙を破って日本人ジャーナリストである僕に会い、インタビューに応じてくれた伊藤は、少しずつ人間味あふれる心情を吐露してくれた。あるとき、言った。「オレは、ヤマハの川上源一社長のために命を賭けて走った。あの人の作るバイクを世界一にするためなら、命を捨てても惜しくないと思った。オレの気持ち、伝えて来てくれないか? そして、川上社長がオレを覚えてくれているか、確かめてくれ」 伊藤の言葉の端々から、昔気質(かたぎ)の心情と同時に、まだ草創期のオートバイで高速走行し、可能な限り高速でコーナーに飛び込み、駆け抜けるためには、高等技術と同時に「命知らず」な覚悟が不可欠だったことを切々と感じた。 「川上のオヤジのために」、そういう思いが必要だった。そして、「オレはそれをやり遂げた」、伊藤の背中がそう語っていた。 私は、伊藤の思いを受けてヤマハに取材を申し込んだ。何の縁もない、若いノンフィクション作家の求めに応じて、川上社長は浜松の本社で時間を取ってくれた。そして、少し離れたレストランで、当時、川上社長が力を入れていた「エピキュリアン料理」をごちそうしてくれた。 しかし、伊藤のことを尋ねたときの反応は意外なものだった。同行の社員に、「そういうライダー、いたかなあ?」と、聞いたのだ。おそらく川上社長にとっては、オートバイの技術開発・性能向上で頭がいっぱいで、ライダーにはそれほど関心を寄せていなかったのかもしれない。「あの人のために命をかけて走った」 再びアメリカに渡り、恐る恐る伊藤にその報告をしたとき、「馬鹿な、そんな馬鹿な! オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」 なんともやるせない表情で、オールドミルウォーキーという名の安いビールをあおった、伊藤の叫び、黙り込んでうなだれた姿が忘れられない。 ヤマハがオートバイを作り始めたのは、1955年(昭和30年)1月。同じ年の7月、主に楽器などを製造する日本楽器製造(現在のヤマハ)から独立して、ヤマハ発動機株式会社が発足。初代社長には当時、日本楽器製造4代目社長だった川上が就いた。 ヤマハ発動機の社史にはこうつづられている。ヤマハ発動機の創業者、川上源一氏『1953年11月7日、ヤマハ発動機の前身である日本楽器の幹部社員に対し、川上源一社長から極秘の方針が伝えられた。 「オートバイのエンジンを試作する。できれば5-6種類くらいのエンジンに取り組む必要がある。その中から製品を選び、1年後には本格的な生産に入りたい」 日本が復興への道を歩み始めた1950年代、無数の企業が二輪業界へと参入し、その数は一時204社までふくれ上がった。しかし、川上社長がモーターサイクルの製造を示唆した頃にはすでに淘汰(とうた)も始まっており、「そういう市場に最後発として参入して、果たして本当にやっていけるのか」という戸惑いの声も社内にないわけではなかった。 のちに川上社長は「今どきになってオートバイを? という意見もありましたが、自分もヨーロッパを回って、技術部長その他に勉強させた結果、これをやるのが一番よろしいという確信のもとにスタートした」と説明。さらに「木材資源の面から見ても楽器の無制限な増産は困難。楽器産業はいつまでも楽にできる商売ではない」と語り、将来の事業発展の足がかりとしてモーターサイクル製造に賭けたことを明らかにしている』 素人から見ると、楽器とオートバイのどこに共通点があるのか、すぐには理解できないが、ピアノのシリンダーを作る技術がオートバイ・エンジンのシリンダーに通じる、技術陣は、トロンボーンの共鳴原理を排気系の共振に応用させるなど、数々の応用が可能といったひらめきがあった。 ヤマハは、1955年7月、毎日新聞社の主催で行われた第3回富士登山レースに参戦。本田宗一郎率いるホンダもこの大会での優勝を狙って参戦していたが、ヤマハは見事、125ccクラスで優勝。同じ年の11月に開かれた第1回浅間高原レースでも125ccクラスで再び上位を独占した。そしてレース後、この大会の250ccクラスで初参戦初優勝を飾った16歳の伊藤少年とワークスライダー契約を結ぶ。「インディで勝てたかもしれない」 再び、ヤマハ発動機の社史から紹介する。『川上源一社長は、モーターサイクル事業への進出を決めたときからすでに「海外に雄飛する」という構想を描いていた。こうした信念を実現する方策として、1958年5月3、4日の両日、ロサンゼルス沖のサンタ・カタリナ島で開かれるカタリナグランプリに参戦することが決まる。ヤマハにとっては初の国際レースだった。 ヤマハは、250ccクラスに5台のマシンを送り込んだ。第2回浅間火山レースで活躍した「YD1改」に、不整地走行のためのモディファイ(編集部注:アレンジ)を加えたマシンだった。5台のうち1台には伊藤史朗選手が乗り、他の4台にはアメリカ人ライダーが乗った。 このレースでヤマハの最高位は6位に入賞した伊藤選手だったが、全32台中完走わずか11台という過酷なレースの中で、最後尾からの追い上げで6位まで順位を上げた伊藤選手の走りは現地で大きな注目を集めた。また、その後ロサンゼルス市内で行われたハーフマイルレースにも出場し、このレースで優勝を飾ると、はるばる日本から遠征してきたヤマハチームの活躍は現地のマスコミでも話題となり、ヤマハモーターサイクルのアメリカ市場進出に大きな弾みをつけたのだった。』 この話にはもうひとつの因縁がある。伊藤史朗さん=1984年、フロリダ(小林信也撮影) 取材で伊藤と一緒に過ごしているとき、「どうしてもノビーさんを連れて行きたい場所がある」と言って、フロリダからインディアナ州まで僕を乗せ、ロング・ドライブをした。その行き先こそが、佐藤琢磨が快挙を成し遂げたインディアナポリス・モーター・スピードウェイだった。 ちょうど1台のマシンが練習走行をしていた。日本でもモータースポーツ取材はしていたが、インディカーの爆音、オーバル・コースを撥(は)ねるようにして直線に向かってくるスピードと迫力には度肝を抜かれた。少しでも浮力を受けたら、そのまま空に舞い上がるのではないかと思った。 「四輪転向の誘いもあった」という伊藤がインディ500の舞台を見つめ、つぶやいた。「オレだって、レースを続けていれば、ここで勝てたかもしれない」 アメリカで20年近く暮らした伊藤にとって、最大のモータースポーツレース、最大の憧憬といえばインディ500だったのだろう。1950年代、60年代にオートバイレースを戦った高橋国光らはその後四輪に転向し、ルマン24時間などで活躍した。 高橋らが「自分たちとは別格、伊藤史朗は天才だった」と口をそろえる伊藤のインディ500への思いは決して戯(ざ)れ言とはいえない。その夢を、30年以上経って、同じ日本人の佐藤琢磨がついに果たした。日本の快挙は、一朝一夕ではなく、草創期からモータースポーツに尋常ではない情熱とそれこそ命を懸けた先人たちの生き様の先にあるものだ。

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    疑惑の判定で村田諒太をはめた「カネの亡者」WBAの大誤算

    小林信也(作家・スポーツライター) 20日の世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王座決定戦での村田諒太選手の敗戦後、判定への異論が噴出している。プロボクシングの世界には、過去にも不可解な判定で物議を醸した例が少なくない。だが、今回はちょっと事情が違う。不思議なことがいくつかあるのだ。 第一に、村田はどこで戦ったのか? という素朴な疑問だ。ホームタウン・デシジョンという言葉がある。試合の開催地側の選手に有利な判定が出る傾向が強いことから、この言葉が生まれた。 今回の騒ぎでしばしば前例に出される亀田興毅選手の世界タイトル初挑戦の試合はまさに、ホームタウン・デシジョンの一例。日本で開催された王座決定戦で、初回にダウンを奪われ、終始苦戦したと見えた亀田がランダエタを破り、王者と判定された。 ところが今回はホームタウンで戦った村田が、敵地かと思われる不可解な判定で王座獲得を取り逃がした。一体なぜ、日本が「敵地」になってしまったのか?ボクシングWBAミドル級王座決定戦で、アッサン・エンダム(左)に判定で敗れた村田諒太=5月20日、東京・有明コロシアム 会場は有明コロシアム、紛れもなく日本。だが結果的に見れば、「あのリングとリングサイドだけはパナマだった」と言うべきかもしれない。村田はアウェーの中で戦った。そのことに気がつかなかった。あるいは、甘く見ていた? すでに試合後の大騒ぎで多くの人が知っているが、ジャッジのひとり、グスタボ・パディージャ氏(パナマ)は日本人選手キラーだ。何しろ、過去9回、日本人選手の世界タイトルマッチのジャッジを担当し、一度も日本選手に勝ちをつけていない。先に挙げた亀田対ランダエタとの王座決定戦でもジャッジを担当し、他のふたりのジャッジと違い、亀田を負けとしている。 日本人キラーと言えば、野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で西岡剛のタッチアップをアウトと判定したデービッドソン審判が有名だ。まさに、グラウンドに敵がもうひとりいた、という象徴的な出来事だった。パディージャ氏は、その上を行く日本キラーであることは過去の実績が物語っている。 だが、彼に作為があったかどうかはもちろん断定できない。なにしろ、亀田戦では敢然とランダエタの勝利と評価しているのだから、一貫して筋が通っていると見るべきかもしれない。 WBAの本部があるパナマから来たパディージャ氏が、WBAの意向を忖度(そんたく)して強引な判定をしたと見る向きも強いが、過去の実績を冷静に見れば、パディージャ氏はあまり忖度(そんたく)するタイプではない。ただし、パディージャ氏が敢然と日本人選手に負けをつけるジャッジだという実績をWBAは当然知っているはずだから、「そこを見込んで連れてきた」と見るべきかもしれない。 彼がジャッジに指名された時点で、エンダム対村田戦のリングは日本でなく、パナマだった? 恥ずかしながら、私も含めて、それを試合前に指摘できたメディアは知る限り、いなかった。「亀田に甘く、村田に厳しかった」ワケ 帝拳ジムの関係者はパディージャ氏の実績を当然知っていただろうが、「判定になったら、どんなに優勢でも負けをひとつ覚悟する必要がある」とまでは認識できていなかった。その危機感を持っていたなら、初回あれほど手を出さず見ることはなかったろうし、終盤優勢を確信したにしても、もっと明らかにポイントを狙いに行っただろう。試合後の記者会見で視線を落とす村田諒太=5月20日、有明コロシアム 村田サイドは、パディージャ氏の存在の大きさを軽視し、自分たちの採点シートを基準に試合を進めてしまった。 「WBAは亀田兄弟には甘く、村田に厳しかった」との声もある。亀田兄弟は、WBAにとってはビジネス的にも大切な看板選手だった。 亀田興毅が13回、亀田大毅が7回、兄弟で計20回のWBA世界タイトルマッチを戦った。これだけのビジネスパートナーはWBAにとっては得がたい存在だったろう。 亀田大毅の世界戦実現のため、亀田側とWBAの間でランキング順位の認定に関して協調する動きがあったとの報道が出たこともある。 亀田興毅、大毅とも、すでに引退している。今後のためにも、新星・村田はWBAにとっても重要な存在だったのではないか。それなのになぜ、地元・日本がアウェー状態になっていたのか? 理由のひとつは、村田が所属する帝拳ジムの本田明彦会長の存在だという。本田会長は、全盛時のマイク・タイソン(世界ヘビー級王者)の来日を二度実現させるなど、世界的にも実績と評価の高いプロモーターである。ファイティング原田氏、ジョー小泉氏とともに、世界ボクシング殿堂に入っている。 WBAは、資金的な苦しさもあり、お金を優先順位の上に設定した運営をせざるを得ないと批判されている。スーパークラスを新設して世界チャンピオンを増産した。そのことで世界王座の価値やプロボクシングの評価が下がることを危惧する声も大きいが、WBAは構わず拡大路線を走ってきた。 本田会長は、これを公然と批判し、プロといえども優先すべき重要なことがあるとの姿勢を貫いて、WBAのタイトル戦はここ数年ほとんど行ってこなかった。すなわち、WBAにとっては煙たい存在なのだ。今回も、WBAが今後一階級一王者の路線に戻す方針を決めたから村田の挑戦を承知した、と本田会長はコメントしている。 私も含め、少年時代にボクシング黄金時代をテレビで見ている世代にとってWBAは世界最高の団体だという、思い込みがあるように感じる。ファイティング原田、海老原博幸、藤猛、沼田義明、小林弘、西条正三、大場政夫…。世界ボクシング評議会(WBC)の併記もあったが、彼らのタイトルには必ずWBAの冠があった。輪島功一も具志堅用高もそうだった。 その後、WBCのほかに国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)が誕生し、いまは4団体がしのぎを削る形だ。 いまも権威があるのは伝統あるWBAだろうとのノスタルジーがあるかもしれないが、実際は違う。いま世界の趨勢(すうせい)は、IBF、WBOにあり、WBAは最も後塵(こうじん)を拝しているというのが近年のボクシング界の共通認識だ。日本のファン全体を敵に回したWBAの焦りWBAのヒルベルト・ヘスス・メンドサ会長 試合後、WBAのヒルベルト・メスス・メンドサ会長自らが判定に異議を唱え、再戦を指示する異例の事態になっている。これは、本田会長への苦い思いがあって設定したパナマ・シフト(WBAの意向)が思いがけない形で奏功し、本田会長への一撃のつもりが、日本のボクシングファン全体を敵に回す事態を生んだことへの大きな焦りの表れではないだろうか。 4団体の中でも、日本マーケットの依存度が最も高く、生命線のひとつとなっているWBAにとって、日本のファンの支持と信頼を失えば存亡の危機にもつながりかねない。 そう考えると、パディージャ氏はいわば確信犯だから、会長の怒りはもうひとりのジャッジ、カナダのヒューバート・アール氏に向いているのではないか。報道によれば、アール氏はあまり実績がないジャッジだという。実績が少ないアール氏を、日本で異様なほど期待が高まっていた「五輪金メダリストの世界挑戦」という大舞台に起用する感覚と意向にこそ、WBAの体質がうかがえる。アール氏は、あまりに完璧にパナマの意向を忖度(そんたく)し、パナマ寄りのホームタウン・デシジョンを実践しすぎた。 手数を重視する判定基準に非難が噴出しているが、かつて採点基準が問題にされたとき、当のパディージャ氏がWBAに見解を送り、「プロである以上、手数より有効打(効いたかどうか)を重視すべきだ」と提言したとの報道もある。まったく同感だが、いかにも皮肉な提言だ。 今後はWBAも、かつて採用を見送り、WBCが採用している公開採点制度(毎回、あるいは4回ごとにジャッジを公表する方式)を実施するなど、明らかな改善が求められるだろう。 最後になるが、エンダムとの試合で村田の強さが際立ち、世界的な評価と注目が高まったのは間違いない。すでにWBO、IBFからも声がかかっているという報道が事実なら、何よりの証明だ。 序盤も終盤も、あまりに手を出さなかったのは反省点だが、リング中央で足をほとんど動かさず、手も出さず、エンダムを危険な距離に立ち入らせなかった。その圧力、パンチを出さずに相手を威圧し、圧倒できるボクサーは過去にどれだけいただろうか。世界王者初挑戦でタイトルは奪えなかったが、村田が証明したものはそれ以上に大きいと言ってもいいだろう。

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    26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

    小林信也(作家・スポーツライター)  プロ野球が開幕から約40試合を終え、セ・リーグは阪神、広島が好調。巨人はほぼ勝率5割で3位にとどまっている。 オフに「26億円補強」とも形容された巨費を投じ、FAで過去最高の3人を獲得した。日本ハムから陽岱鋼、横浜DeNAから山口俊投手、ソフトバンクから森福允彦投手。さらには新外国人選手として、昨季もメジャーで57試合に登板した「160キロ右腕」カミネロ投手、2013年の楽天日本一に貢献したマギー選手らが入団。 「今年は巨人の戦力が圧倒的だ」と感じた人は、巨人ファンならずとも多かっただろう。蓋を開けてみると、「26億円補強」の3選手はいずれもファーム。カミネロ、マギーはまずまず期待どおりの活躍だが、日本選手の大量補強はいまのところ空振りに終わっている。そのような状況から、「巨人のフロント、スカウトは無能ではないか」との厳しい批判が改めてメディアやファンから上がっている。 広島は、鈴木誠也、菊池涼介、田中広輔、丸佳浩ら生え抜き選手を先発メンバーにずらりと並べ、昨年の勢いをさらに増して強くなっている。阪神は、ドラフトで獲得した20代前半の若手、髙山俊、中谷将大、北條史也らとFA組のベテランらがうまくかみ合って好調だ。こうした明暗を見ると、たしかにフロントやスカウトの資質、チーム編成の巧拙が際立ってみえる。イースタン・リーグ巨人対ヤクルト。移籍後、初実戦に臨んだ巨人・陽岱鋼=3月18日 FA3選手のうち、陽、山口については獲得当時から疑問の声があった。それぞれ故障を抱え、実績どおりの活躍を期待できるのか、不安定な状況だったからだ。加えて、ふたりの髪形やファッション、日頃の振る舞いが果たして巨人の空気に合うのか? 紳士たれという「縛り」の中でのびのび活躍できるのか心配もあった。いまのところ、心配の方が現実になっている形だ。 名前と実績のある選手が欲しい、欲しいから獲得する。その甘さ、冷静な判断をせずに期待ばかりで獲得に走る姿勢は厳しく改める必要があるだろう。「調査不足」というより、調査でケガはわかっていたはずなのに「やれる」と踏んだ判断力の甘さを見つめるべきだろう。 私はこれらの背景に「フロントとスカウトの無能」以上に深刻な「巨人の体質」があるように感じる。 かつて、長嶋監督(当時)に熱心に誘われ、FAで巨人に入団した大物選手にインタビューした際、「長嶋監督は全部の試合に勝とうとする。それは無理」と語ってくれたことがある。彼によれば、巨人以外の5チームは、勝ち試合、負け試合をある程度想定して試合に臨む。自分のチームと相手チームの先発投手の力量や調子から、その日の分の良し悪しは判断できる。巨人は戦力が5倍必要なワケ 最初から負けるつもりで臨むのではないが、前半で試合の趨勢(すうせい)が見え、極端な劣勢であれば無理をしないのが、長いシーズンを戦うために得策だ。ところが、長嶋監督は、どんな試合も勝ちに行く。 たとえ序盤に大量失点をしても逆転を目指す。それが巨人ファンへの責務だ。巨人の監督・選手の使命だと。そのことで選手に負担を与え、夏場やシーズン後半に影響を与える可能性がある。それでも毎試合勝ちに行く。いわゆる「捨て試合」を作れない辛さが巨人にはある。 もう十年以上前の話だが、ある地方球団の主力選手が、こう話してくれたこともある。 「自分たちは楽なんですよ。プロに入ってわかりましたが、巨人戦以外はそれほど注目されませんから、他の4チームとの試合ではある程度、楽ができるんです。ところが巨人戦となるとそうはいかない。どの場面でも息が抜けません。巨人の選手は毎日その状態ですから、大変だと思います」 他の試合にない緊張感が巨人戦にはあるという。 今年、巨人から日本ハムに移籍した大田泰示選手が、サヨナラタイムリーを打ったり、早くも自己最多タイの4号ホームランを打つなど、のびのびと躍動している。大田は巨人の頃にあった緊張から解き放たれて「水を得た」好例かもしれない。これを見れば、巨人に入った選手が活躍できないのは、スカウトの眼力のせいとばかりとはいえない。 「ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です。他のチームは5カードに一度だけジャイアンツ戦があります。ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です」ベンチで厳しい表情の長嶋茂雄監督=1997年8月2日  長嶋監督が話してくれた。だから、戦力が5倍必要なのです、というニュアンスだった。5倍は極端にしても、毎日、巨人戦という看板を背負って戦う実感が伝わってきた。 これが巨人の宿命であり、他チームとは違う重圧だ。 「毎年、優勝しなければならない」「毎試合勝たなければならない」という使命感を巨人のフロント、現場、選手の全員が持っている。現実的には無理なのに、その呪縛から逃れられない。 「無能」という以上に、その呪縛、その矛盾をどう乗り越えるか、球団としての戦略や方向性を明確にし、共有することが課題だろう。いまの巨人は、「毎試合勝つのは無理、だけど勝つことを目指さねばならない」という精神論で覆われ、身動きが取れなくなっているドラフト戦略が消極的になった 近年、巨人のドラフト戦略が消極的になった。そのせいで他チームに優秀な人材が流れている、という指摘がある。 確かに、競合を避け、一本釣りで無難に獲得する傾向が強い。昨年こそ田中正義投手(創価大、現ソフトバンク)を指名したが、その前年は桜井俊貴投手(立命館大)、その前年も岡本和真選手(智辯学園)、といったように競合を避けた形で獲得している。 巨人がここ数年、ドラフト会議という仕組みに負けている、という指摘は正しいかもしれない。 ドラフト以前は、巨人というブランド力を生かし、実績ある選手を次々に獲得した。森祇晶という正捕手がいるのに、森を刺激し続けるため、大橋勲、宮寺勝利、槌田誠、吉田孝司といったアマチュアで実績のある捕手を次々に入団させた逸話は、V9伝説のひとつになっている。 ドラフト制度ができて、そのような新人獲得はできなくなった。その幻想をいまの巨人はFA選手の獲得競争に求めているのかもしれない。FAでは巨人ブランドが生きるからだ。 他球団はどうだろう? ドラフト以降も、ドラフトの制約の中で可能なかぎりの工夫と挑戦を続けている球団はある。名スカウトの逸話もたくさんある。 昨オフ引退した黒田博樹投手が広島への思いを貫いた一因には、無名時代から目をかけ、しばしば大学(専修大)のグラウンドに足を運んでくれた広島・苑田聡彦スカウトの存在があったという。苑田が黒田に注目したのは、まだ公式戦登板経験もなかった大学2年のときだという。 メジャー入りの意志が固かった大谷翔平選手を、「獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りに行くのが、ファイターズのスカウティングだ」という山田正雄GMの方針に基づいて強行指名した上、翻意させた大渕隆スカウトディレクター(現部長)による26ページに及ぶ資料もプロ野球史に残る伝説といっていいだろう。 巨人には、ドラフト後の伝説がないのか? といえばそうではない。燦燦会総会であいさつする渡辺恒雄読売新聞社主筆=3月27日 王・長嶋のON引退後、人気低下が心配された巨人を救ったのは、複数競合をいとわず強行指名し、見事にクジを引き当てて獲得した原辰徳選手であり、松井秀喜選手だった。最近でも、原監督(当時)の甥、菅野智之投手を二年越しに獲得。巨人愛を貫く長野の獲得も二年越しだった。 ドラフトでは外れ1位だった坂本勇人選手を2年目、坂本がまだ19歳のころに大抜擢(ばってき)。夏場には低迷する時期もあったが使い続けたのは当時の巨人としては異例だった。だが、いま巨人の中軸を担っているのは、菅野であり、長野であり、坂本であることは言うまでもない。実は巨人はいまも、大胆かつ独自のドラフト戦略と育成によって、チームをつくっているのだ。 巨人はもう一度こうした成功例、巨人のブランド力をドラフトでも活かせる大胆な姿勢を分析・把握し、FAに頼らないチームづくりを球団全体、そしてファンと共有すべきだろう。

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    「くさい」差別発言疑惑とボールボーイ暴行にみたJリーグの病巣

    小林信也(作家・スポーツライター) Jリーグで、選手の言動・行動をめぐって選手が処分を受ける事例が続いている。 4月29日のJ2、ジェフユナイテッド千葉対徳島ヴォルティス戦の前半、徳島ヴォルティスのDF馬渡和彰選手がボールボーイに乱暴したとして一発退場となり、後にJリーグから2試合の出場停止処分を科された。 そして5月4日のJ1、浦和レッズ対鹿島アントラーズ戦では、試合中に浦和レッズのDF森脇良太選手が侮蔑的な発言をしたことに対して、Jリーグは緊急規律委員会を開き、森脇選手と、試合中に激しく口論した鹿島アントラーズMFで主将の小笠原満男選手からそれぞれ事情を聴いた上で、森脇選手に2試合の出場停止処分を科した。相次いで起こった二つの出来事を単純に批判するのでなく、自分自身の問題として考察したい。 4日の件は、スポーツ新聞などの報道を総合すると、森脇選手が試合中、鹿島アントラーズのMFレオシルバ選手に対して、口と鼻をふさぐしぐさをしながら「『くせえな、お前』と言った」と、試合後に小笠原選手が語った。ブラジル出身選手に対する差別的な言動があったと明言したのだ。この発言に対して森脇選手は、自分の顔に小笠原選手のツバが飛んできたので、「『口がくさいんだよ』と言った」と反論。レオシルバ選手に向けた言葉ではないと釈明したという。サッカーJ1浦和対鹿島。後半、鹿島の選手にむかって暴言を吐く浦和の森脇良太(右から2人目)=埼玉スタジアム2002(撮影・佐藤雄彦) さらに、この問題を報じた一部スポーツ新聞が、差別は絶対に許されない、とした上で、「ピッチは戦いの場で、言葉のやりとりや駆け引きもサッカーの一部。言った言わないのたぐいは、試合中にその場で消化すべきだろう」「試合後の取材エリアで処分を誘うような事象が出て、“言葉狩り”のような動きが加速しないかも気になる」と報じるなど、新たな議論も生んでいる。 この問題の根底には、「試合中は勝負をかけた駆け引きもあり、何を言っても許される」といった前提がある。 時代は変わり、パワハラ、セクハラなど、「ひとりひとりの心を傷つける言動や行動は許されない」という認識が社会で共有されるようになった。スポーツもその例外ではないはずだが、「勝てば官軍」「勝つためなら、多少の横暴は許される」といった感覚がまだ根強く残っている。 サッカーに限らず、野球でも「乱闘が起こると盛り上がる。それもエンターテインメントの大事な要素だ」という人は少なくない。本当にそうだろうか? 乱闘をどこかで容認する意識がありながら、差別的な発言を厳しく戒めるのは矛盾する。いま社会は、徹底して、新たな価値観と姿勢を持ち直すべき時代に直面している。ネットの世論が無視できなくなった 差別的な発言をしたことが問題なのでなく、普段から、差別的な意識や発想を持っている自分に気づき、自分の潜在意識と向き合い、学び改めることこそが最初にされるべきことだ。スポーツ界全体が、日頃からそれを重要なテーマとして取り組む必要がある。国際親善とはまさに、自分とは違う文化や習慣、肉体や心情を持つ海外の人たちを知り、受け入れることを意味している。スポーツは、身体と身体をぶつけ合い、勝負という高いテンションで交流できるからとくにそれが深くできる。だからこそ価値がある、として社会に歓迎され、奨励されているのだと思う。それなのに、勝負に勝つため、相手を誹謗(ひぼう)中傷し、心を傷つけてでも優位に立とうとする発想は狭すぎる。それは言葉の自由ではなく、本来の姿勢でないことを選手、指導者、ファン、そして報道する人間も共有することが大事だ。 この問題は、先に記したとおり、一部メディアがこうした発言を試合後に問題視する傾向自体に疑問を呈したことで、何か起こった場合の騒がれ方、対応についての議論も起こっている。黒いスーツで謝罪会見を開いた浦和のDF・森脇良太 =5月9日、さいたま市  ネットの普及によって、数年前ならもみ消された問題が、メディア以外の一般の人々の書き込みや問題提起によって公になる事例が増えている。ネットの世論が、無視できない力を持ち、今回の場合でいえば、Jリーグという組織が処分を決める際にもそれに配慮する必要が生じているように感じられる。 森脇選手の処分が重いか、軽いか、といった議論もすぐ起こっているが、この軽重を判断する場合にも、論理的な妥当性より、世論の「気分」という側面がある。多くの人が、「感情的に納得するかどうか」が重要になっている。 その意味で、ネットの世論が、感情的に偏った方向に導かれ、本質とは違う根拠で形成される傾向はあるように感じる。 徳島ヴォルティスの馬渡選手がボールボーイを小突いた件では、とくにそのことを痛感した。本質が棚上げされ、議論が的から外れているもどかしさを感じるからだ。 世論と世論に配慮したチームやJリーグは、「ボールボーイは中立」「中学生のボランティア」「試合は選手だけでなく、ボランティアのおかげで成り立っている」といった綺麗な表現で謝罪し、対応している。結果的に非難の矛先をもっぱら馬渡選手に向けているが、熱心なサッカー・サポーターなら、「語られていない現実」、あうんの呼吸をわかっていて、実は問題の本質が他にあることはわかっているのではないだろうか。何となく、そのことを言い出せない雰囲気がメディアにもネット世論にもあるとすれば、そこは明らかにしたほうが今後のためだろう。ゴールボール騒動の違和感 状況を改めて詳述しよう。ホームチームであるジェフ千葉のゴールキーパーが、徳島の攻撃をクリアするためサイドラインまで飛び出してきてセーブした。ゴールががら空きなのだから、攻める徳島ヴォルティスの馬渡選手がすぐスローインしてプレーを始めたいと考えるのは当然だ。しかし、すぐボールボーイが渡したら、スローインのボールを受けたヴォルティスの選手がゴールに向かって蹴るだけで得点が成立する可能性がある。実際、ボールボーイから素早いパスを受けたホームの選手が一蹴りでゴールを決めたシーンがネット上で見られる。 サッカーでは、ホームチームのサポーターや関係者が、ホームチームの勝利のために最善を尽くすのは当然との認識がある。その点で日本的な考え方と少し違うと感じる場合がある。今回の出来事は、サッカーという風土の中で起こったことでありながら、日本的な価値観や常識をベースに語られることで、核心がずれていると感じる。 ボールボーイがそう指導されていたとは言わないが、サッカーを知っていればいるほど、アウェイチームの選手に素早くボールを渡すことをためらうのは当然というのが、サッカー界の“あうんの呼吸”だろう。もし素早くボールを渡し、アウェイチームの得点に貢献したらそれこそ非難を浴びるだろう。ボールボーイへの非紳士的行為で退場した徳島DFの馬渡選手 馬渡選手は、そんなことは当然わかっているはずなのに、あそこまで強引にボールを奪い取ろうとした、そのことが「プロとしていかがなものか」と非難されているという背景をこのニュースを聞いたサッカーにあまり詳しくない人がどれだけ理解しているだろう。 試合のスピードアップなどを求め、国際的にマルチボール・システムが採用されたのは、Jリーグ誕生以降だ。そのため、ボールボーイが「フィールドの外にいる12人目の選手」のような役割を果たす場面が生まれた。 試合前、幼い子どもが選手と一緒に手をつないで入場する光景は、微笑ましいサッカーの風景として歓迎されている。中高生のボールボーイもその一環として理解し、支持されているかもしれない。だが、実は試合を大きく左右する重要な役割を担う場面がありえるのだ。 そのような矢面に中学生を立たせることが是か非かを本当は問い直すことも、今回の出来事が教えてくれた重要な問題提起ではなかったか。Jリーグが選手を処分することで問題が終わったと考えるのは、本質と違うように感じる。 ネットの世論形成がますます加熱するだろう傾向の中で、メディアやプロフェッショナルな人間の役割のひとつは、こうした視点や本質の提示をきちんとして、世論が多角的に議論する素材を提供することだと思う。

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    大谷翔平にこれ以上期待してはいけない

    今シーズンのプロ野球が開幕した。侍ジャパンが躍動したWBCの記憶も新しいが、この大会に出場しなかった「二刀流」大谷翔平はどんな想いで見守っていたのだろうか。日本球界のみならず、メジャーからも注目される逸材はどんな飛躍をみせるのか。膨らむ期待を抑えながら、大谷翔平の凄さを大解剖する!

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    170キロは「理論上可能」でも、大谷翔平が目指すべきではない理由

    を放つ。投打ともに類まれなスタープレーヤーである大谷翔平は、私たちに新たな期待感をもたらす。しかし、スポーツの動作を研究している筆者にとっては、一番厄介な存在でもある。なぜなら、私たちが彼の凄さを理論的に説明しようとしても、彼は我々の想定範囲をすべて超えてしまう「外れ値」の選手であり、いつも新たな枠組みで見ることが必要になるからである。つまり、私たちにしてみれば、大谷翔平は分析するのがとても困難な選手ということになってしまう。 筆者はこれまでメディアからの要請もあって、プロ入りから毎年、大谷の分析を行う機会に恵まれてきた。本稿では今までの動作分析からみる「大谷翔平の凄さと可能性」について論じてみたいと思う。「二刀流」を駆使して投打で活躍する大谷翔平 まず、大谷がアスリートして優れているところと言えば、あの大柄な体格(193センチ)にもかかわらず、動きの一切にギクシャクしたところがない点である。身体を巧みに操る能力である巧緻(こうち)性としなやかな身体操作を順序良く効率的に出力できる調整力に優れているところは感心させられる。ケガをしてしまったが、昨年の台湾との親善試合でみせた脚の速さからして、どのスポーツ競技においても「超一流」になることができる素質を持っているのではないだろうか。 大谷がそうしたしなやかな身体操作をできる要因として「柔軟性」の高さが挙げられる。特に大谷を投手として見た場合、肩周りの「柔軟性」は特筆すべきものがある。ここで注意したいのは「柔軟性」という言葉である。「柔軟性」は筋や腱などが柔らかく、引き伸ばされる能力として解釈されるが、これは「柔軟性」の意味の半分しか示していない。 もう一つの意味として、多くの筋肉が動員されて一緒に動く能力があるかどうかも「柔軟性」を理解するポイントである。基本的に骨は連結して関節を形成している。しかし、肩甲骨は上腕骨とはつながっているものの、背中のさまざまな筋肉が密集しているところに乗っているだけの特殊な骨である。 この肩甲骨を動かそうとすると多くの筋肉を連動させる必要があり、肩甲骨周りの筋肉のいずれかがうまく動かなくなると、その筋肉が動きを阻害し、肩甲骨はしなやかな動きを失うために柔軟に見えなくなる。つまり、肩甲骨の「柔軟性」は、いかに多くの筋肉を動員し、連動しながら動かすことができるかにあると言える。大谷は170キロ出せるのか 大谷の凄さはこの肩甲骨周りの筋肉が実によく動いていることにある。「図1」は大谷が160キロを投球した時の「肩関節外旋角度」の最大値を示したものである。肩関節外旋角度とはいわゆる投球のしなりを示すものであり、股関節と肩関節を結ぶ線と前腕の線がなす角度によって示される。 投球時のしなりが大きいと、なぜ球が速くなるかというと、しなりが大きくなればボールを加速するための距離を大きくすることできるからである。肩関節外旋角度の最大値について調べると、2013年では150キロの投球で112度前後であったのに対し、2014年に160キロを投げた時には、おおよそではあるが角度が132度にも達していた。この比類なき大谷投手の値は肩周りの「柔軟性」が160キロを生み出す原動力になっていると言えよう。 いま多くの人々の関心と言えば、大谷が今後「夢の170キロ」を出すことができるのかにあると思う。 筆者の答えは「可能」でも「?(クエスチョン)」である。「可能」な理由として、169キロを記録した米メジャーの最速左腕、A・チャップマンと大谷を比較しても、先述した最大外旋角度が極めて近いからである。けれども、大谷が165キロの投球が打者に当てられたように、速いからといって、打者がかすりもしないのかと言えばそうではない。「速い球を投げる」=「打者をアウトに取る、勝てる」投手にならないところが野球の難しさである。 その理由を示すと、投手が速い球を投げようとすると腕をしならせるため体幹を腕より先行させて胸を張る。そのため、早く体を回旋させる必要があり、打者とは早く正対することになる。さらに、大柄な投手であればあるほど腕が人より遠くを回るため、リリースを投球方向に向けるには右投手であれば体幹自体を一塁側に早めに倒す必要がある。 メジャーリーグの大柄な右投手が投球後一塁方向へ倒れるのをよく見かけるが、それは体幹を倒さないと腕が捕手方向に振れないためである。そのため、大柄な投手が速い球を投げようとするときの問題点として、ボールが早く打者に見えてしまうことがある。 早くボールが見えるということは、打者は投球の軌道予測がしやすくなり、たとえ速いボールが来たとしてもバットに当たる確率が上がってくる。そうであるならば、多少ボールの速度を遅くしても打者に投球の軌道を悟られないようにする。いわゆる球の出どころの見にくい投手の方が「勝てる」投手になることができる。 大谷が170キロを投げることは「可能」であるが「?」としたのは、それを目指すべきかどうかという点では疑問だからである。チャップマンがそうであるように、大谷がクローザーとして「1イニング」だけ投げるのであれば、圧倒するような剛速球で並み居る打者を抑えることもできるだろう。クロ―ザーとしてであれば、より速い球を追求していく方が良いと思うが、先発完投型で毎試合ごと100球前後を投げるのであれば、打者をより効率的に打ち取るような投げ方をした方が良いと、筆者は断言する。打者としても優れた大谷 その考えもあったのだろう、2016年のシーズンではステップ幅を短くし、シーズン途中から投げる位置を高くして、オーバースローに近いスタイルで投げるようになった。それは150キロ中盤くらいのストレートとフォークボールが主体のピッチングである。実際に打席に立っていないので分からないが、このフォームの方が幾分、打者にボールが見えるのが遅れるはずである。比較的動作の効率も良く、身体に負担が少ない投げ方になっている。 シーズン終盤、指の皮がむけるアクシデントもあって、シーズンすべてにおいて活躍できたわけではないが、150キロ中盤のストレートをコンスタントに無理なく投げられるのは日本人投手ではめったにお目にかかれない。大谷にとっては、前述したようなスタイルで投げ続けていれば、もっと「勝てる投手」にはなれる。もちろん、「夢の170キロ」は筆者も期待しているが、「勝てる投手」とのジレンマはこれからも続くだろう。 一方、打者としての大谷の入団当初から優れている点といえば、高卒選手ではなかなかできない「インサイド・アウトの体に巻き付くようなスイング」がすでに身に着いていたところである。 なぜ、インサイド・アウトのスイングが優れているかというと、基本的にスイング・スピードを大きくするためには、バット・ヘッドを加速させる距離を長くする必要がある。しかし、投球の判断など時間に制約のあるバッティングでは大きな弧を描くような距離の長いスイングは不利であり、なるべく短時間で加速させる必要がある。 この加速とスイング時間の矛盾を克服できるのがグリップを先行させて後からヘッドが加速させるようにするインサイド・アウトのスイングである。このスイングによって、短時間で効率よくヘッドの加速距離を取ることができ、スイングスピードを大きくすることが可能となる。 このインサイド・アウトのスイングを実現させるために打者の動作として必要なのが、投手から見て後ろにある腕の「肘のたたみ」、左打者の大谷で言えば,左肘先をスイング開始時にへそにつけるようにする動作である。しかし、この動作が難しいのは肘をへそにつけるような動作をすればするほど、同時に肩が落ちてしまうことである。 肩が落ちるとバット・ヘッドも一緒に落ちてしまう。この一旦落ちてしまってからバット・ヘッドを加速させるのは重力に逆らうことになり、より大きなパワーが必要となる。この結果、スイング速度の低下を招いてしまう。そこで肩を落とさず、肘をたたむには肩甲骨周りの筋群のしなやかな動きが必要で、投手に必要な肩周りの柔軟性が打者、大谷にも活かされていると言えよう。 さらに、彼の年を追うごとの変化についてみてみると、「図2」は2013年と2016年のバックスイングからトップにかけての動きを示したものである。そこから、大谷の「変化」を挙げるとするならば、16年では13年に比べて、トップ時においてバットを後方(捕手側)に約20センチ大きく引くことができている(大きいバックスイング)。つまり、16年の方がより大きく肩から腰にかけての「ねじり」を作ることができている点にある。 大きなバックスイングを取ることにより、身体の回転半径が大きくなり、フォワードスイング時の身体の回転力が大きくなる。バックスイングを大きく取ることで、身体から遠いボール(アウトコース)においてもスイングスピードを落とすことなくバットが振れており、その結果左方向へのホームラン増大につながっている。「二刀流」はいずれ選択を迫られる また、肩や腰のねじりは下半身の力を上半身に伝える役目と体幹自体の大きな力を生み出す役割がある。このねじる力がスイングスピードに貢献することが分かっている。こうしたねじりを活かしたスイングの変化は下半身や体幹の筋力増加、体重の増加が影響している。 イチローのような細身の選手は体重が少ない分、下半身の回旋と上半身の回旋をほぼ同時に行い、一気に全身の力を伝える方法を取っているのに対し、約100キロの体重がある大谷は、下半身が安定しているため体幹のねじりから回旋を中心としたスイングができ、打つための大きなエネルギーを生み出すことができる。オリックス戦で、6回に右適時打を放つ日本ハム・大谷翔平=2016年9月、京セラドーム大阪 筆者が現在、大谷の打撃で似ていると感じているのが90年代にメジャーで5ツールプレーヤーとして活躍した「ケン・グリフィーJr.」である。実は彼の打撃練習を一度見たことがあるが、力感のないフォームなのにいとも簡単にホームランを飛ばし、さらに右、中、左と打ち分けることができる打撃を見て、唖然(あぜん)とした覚えがある。大谷との共通点は後ろの肘のたたみ方であり、あの柔らかく、しかも素早くたためる打撃フォームは非常にしなやかで美しく見える。 ケン・グリフィーJr.と比較して、打者大谷に課題があるとすれば、インコースを打つときに体が若干一塁側へ流れる点である。このため、引っ張るべき球種やコースにおいて「パワーロス」がみられる。これは前の腕(右腕)のたたみ方が不十分なために、体を一塁側へ倒すことでボールとの距離を取ろうとしていることが原因であろう。大柄で手足の長い打者では誰もが苦しむ点であるが、大谷であれば時間が解決してくれるであろう。 最後に今後の大谷に関して、日本、アメリカどちらで活躍するにしろ「二刀流」はどちらかの決断が迫られるであろう。その中で筆者なりに二刀流を継続する方法を探ると、クライマックス・シリーズで見られたようなDHの打者としてコンスタントに出場し、最後の1イニングの場面でDHを外して、クローザーとして投げることができれば、今後も継続可能なのではないだろうか。 もちろん、毎試合投げるとはいかないだろうが、登板間隔をある程度空けることができれば、長く活躍することができるのではないだろうか。1イニングの全力投球だから、コンディションが整えば、夢の170キロも期待できるし、打者としても度肝を抜く打球を放つ大谷を多く見ることができるのも魅力となるであろう。 いずれにしろ、今まで見たことがないプレーが期待できる選手である。今後も野球界をけん引する存在として期待しているが、彼がどう考えて「選択」するのか静かに見守っていきたいし、その選択を是非とも応援していきたい。

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    大谷翔平「メジャーでも二刀流」が可能なのにはワケがある

    古内義明(スポーツジャーナリスト) 「二刀流」大谷翔平への期待は、メジャーリーグの野球関係者でも高いものがあります。投打両方にわたり高いポテンシャルを持つ彼を「ベーブ・ルース」という、メジャー100年以上の歴史の中で「神格化」されている選手になぞらえるメディアも非常に多いです。2016年12月、7000万円アップの推定年俸2億7000万円でサインした大谷翔平(撮影・高橋茂夫) 日本のメディアでも2014年、彼が2年目のシーズンに「10勝10本塁打」を達成したことでルース以来の偉業だと報じましたが、何も日本だけの評価に留まらないわけです。米国メディアが「野球の神様」の名前を出すということはそれだけ魅力的な選手であり、大谷本人の価値を見事に表していると言えます。 米国ではディオン・サンダースやボー・ジャクソンがメジャーリーグとNFLという最高峰で大活躍したように、夏と冬のスポーツの二刀流アスリートでさえ稀(まれ)であり、一つの競技の中で投手と野手を両立させるなんて、米国人でさえそんな発想をする人はいません。そんな選手が日本にいるということが何より驚きで、過去にルースが成し遂げたことをやろうとしている日本人に「ルース」という言葉で形容したことに意義があるんです。 よく大谷が大成するには投手に絞った方がいいとか、打者での可能性が見てみたいなどと、二刀流を一本に絞るべきかどうかという議論になりますよね。確かに投手一本、野手一本で考えれば、それぞれに長所、短所があるでしょうし、アラを探せば出てくるかもしれません。 でも、メジャーリーグでは大谷はそのような見方以前に、投打双方ともメジャーリーグの中でもトップ級の実力という評価を与えられているわけです。投打双方ともに高いレベルで通用する選手というのは、メジャーリーグでも有り得ないと思われていたわけですから。たとえメジャーリーグのドラフト1位指名選手でもあくまで投手、野手のいずれかでの評価です。投打どちらがいいのかを議論できる選手は、世界にいま大谷一人しかいませんから、どちらかを選ぶにしても贅沢な悩みですね。 大谷は花巻東高時代に160キロの速球を投げ、高校通算56本塁打をマークしていましたから、最高の素材であることはプロのスカウトなら誰が見ても分かっていたことです。私が考える大谷の凄いところは、なによりメジャー3球団のスカウトが来日して花巻まで行ったことが、日本の高校野球がメジャーリーグの視野に入ったという意味で大きなターニングポイントになったと思います。野球のマーケットとして捉えてみると、メジャーリーグ30球団と日本のプロ野球12球団の計42チームに入れる可能性がある選手がいたこと自体、日本人の多くが驚きと嬉しさを感じたのではないでしょうか。 たとえ、メジャーに憧れても普通の能力の高校生ではスカウトが見に来ることは当然ありません。いまメジャーで活躍するプレーヤーでも、それまでならNPB(日本野球機構)のチームに入ってFA(フリーエージェント)やポスティングシステムを利用して移籍してきましたが、その常識を打ち破って先鞭をつけた唯一の選手なんです。もし日本ハムの入団を拒否して、メジャー一本で行くと改めて表明していれば「大谷詣」をした球団は3球団どころではなかったでしょうね。でも大谷が登場したことで、日本の高校野球で才能が開花すれば、マイナーリーグやメジャーリーグに進む可能性を見出すことができたのは大きいと言えます。ヤンキースでも撤退? 大谷は「売り手市場」2012年12月25日、投手、打者の二刀流を目指し日本ハムに入団、ユニフォームを着てポーズをとる大谷翔平選手(撮影・高橋茂夫) 結局、大谷はドラフト指名を受けた日本ハムに入団しましたが、私は賢明な選択をしたと思います。現行制度なら入団9年で海外FA権を取得するしかメジャーに行く方法はなく、ならば高卒で海を渡った方がよかったと思います。でも、ポスティングがあるからこそ、日本ハムは「ウチに来て可能性を追求したほうがいい」と大谷に二刀流の提案ができたんだと思います。二刀流という具体的な育成法は、綿密なスカウティング網と戦略を持っていた日本ハム以外では提案できなかったし、いわば組織力の勝利だと思いますね。 しかも入団4年目で10勝、20本塁打を達成した上で日本一に貢献したわけですから、球団も思ってもみないほど順調に来ていると考えているでしょう。想定外は今回のWBCに出られなかったことぐらいで、彼の活躍で世界一を奪還すれば、商品価値は計り知れないほどになっていたでしょうから、その点だけが残念ですね。 今オフにも海を渡る可能性のある大谷に関して、一番の興味はメジャーでも「二刀流」ができるかどうかということでしょうね。ただメジャーは契約社会ですから、本人が二刀流を望めば、応じる球団は少なくないでしょう。もし大谷が「二刀流OK」の球団としか交渉しないという希望を出した場合、たとえ名門ヤンキースであっても二刀流が飲めなければ争奪戦に参加できない、それほど大谷は「売り手市場」なんです。 二刀流か投手野手一本に絞るかは分かりませんが、入団前から自分のやりたいことができるでしょうし、球団は彼の希望を叶えるはずです。そして、彼の代理人が投手と野手の2人分の年俸を算出したり、何年後には投手に専念するといった戦略を練って大谷主導で契約できる、それほど価値のあるプレーヤーは他にはいないですね。本来であれば、先発なら先発、抑えなら抑えしかプレーしない契約を結ぶわけです。日本では昨シーズン、大谷のチームメートの増井浩俊投手が抑えから先発に回って10勝を挙げましたが、契約書にないようなシーズン中の配置転換はメジャーでは有り得ません。万が一、起用法が原因で選手生命に影響を及ぼすケガをしたら裁判になってしまいますからね。 もし、私が大谷の代理人でアドバイスできるとすれば、メジャーリーグでも二刀流を続けるべきだと勧めます。日本のプロ野球の歴史に名を残したイチローの活躍で、ファンの誰もが日本人初の野手のメジャーリーガーとして、最高峰のステージで安打を積み重ね、次の塁を狙い、レーザービームをする姿が見たくなったのと同様に、大谷にしてもメジャーの強打者相手に165キロの速球で三振を奪い、豪腕投手からホームランを打って欲しいと考えているでしょう。投打の両方でそう思わせるほどのポテンシャルがある世界最高峰のプレーヤーですから、挑戦する前からどちらかに絞るなんてもったいないと思います。  メジャーでも二刀流を追求する姿を見たいし、世界中で野球をしている子供たちに大きな夢を与えて欲しい、心からそう願ってます。

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    ケガの克服に「手術」を選ばなかった大谷翔平は間違っていない

     小林信也(作家、スポーツライター) 3月23日に閉幕した野球の国・地域別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本はベスト4に終わった。その大会に大谷翔平は足首の故障で出場を辞退した。「二刀流」で最速160キロ超の球を投げる、他に類を見ない大谷の代役はいなかっただけに、欠場の穴は大きかったといえる。そして大谷はケガの不安を残したままシーズン開幕を迎えた。 WBC欠場の理由は右足のケガで、診断結果は「右足三角骨障害」と発表されていた。昨秋10月の日本シリーズで、一塁を踏んだ際に右足を痛めた。踵の上にある三角骨に何らかのダメージを受けた。休めば治ると思っていた痛みが、しばらくしても治らないため、詳しい検査を受けて「三角骨障害」とわかった。三角骨のかけらなどが遊離している場合、これを手術で取り除かないかぎり痛みは改善しないと、医学的には言われている。大谷も当然その説明を受けただろうが、現在まで手術は受けず、練習をしながら回復を待ったという。投手としてWBC出場断念。会見に臨む日本ハムの大谷翔平 =1月31日、アリゾナ州ピオリア 報道によれば、大谷の右足は常に痛いわけでなく、右足の踵を上げる動きをして、患部に負荷がかかるときに痛みを感じる。つまり、右投手が左足を上げて軸足一本で立ち、打者方向に重心を移動する際には痛みが生じる。それでは本格的なピッチングはできないだろう。その痛みをごまかすため、中途半端な動きで投球すれば、肩や肘、腰など、他を傷める二次的な故障も起こしかねない。バッティングの際、大谷は左打者のため軸足が左になり、右で打つより踵の負担は少なく、痛みも投げる時より気にならなかったようだ。 気になるのは、時間の経過とともに、三角骨の故障が癒え、ピッチングもできるようになるのか?  昨季同様、いやそれ以上の快投、そしてバッティングを見せてくれることができるのかだ。 医師や同様の経験を持つ元プロ野球選手たちは異口同音に手術を勧める。三角骨障害の場合、「手術以外に完治の道はない」と。見解はほぼ一致している。しかし、今日に至るまで、大谷は手術せず、今後も手術に踏み切る様子は今のところない。 手術をすれば、復帰までに早くても2、3カ月、通常は半年かかると医師たちは言っている。いま手術をすれば今季の活躍は難しくなる。大谷は今季の活躍を最優先して手術を回避しているのか? そういう選択は賢明な大谷ならしないだろう。たとえ今季限りで日本球界を後にしてメジャー・リーグに渡る決意を固めているにせよ、最後の奉公のために痛みを押し、未来に暗雲を投げかけるまでの危険を冒す選択はしないはずだ。 では、なぜ大谷は手術という選択をしないのか。 西洋医学が発達し、当然のように社会に定着している現在の日本では、「手術をすれば治るのに手術をしない」という考えはなかなか理解されない。けれど、「ガンは手術しないほうがいい」という考え方も一方で広がっているように、実は手術が絶対でないのも事実なのだ。ケガを乗り越える過程に意味がある 野球界でも、手術に対する抵抗感は根強くあった。「投手は一度肘や肩にメスを入れたら、投手生命を失う」という定説は深く信じられてきた。それを打破し、新たな歴史を作ったのが「トミー・ジョン手術」の名で知られる、ドジャースのエース(当時)、トミー・ジョンと執刀した故ジョーブ博士。その後、数えき多くの投手が手術を受け、復帰した。 日本球界では村田兆治がジョーブ博士の手術を受けて復活し、引退後も140キロを超える速球を投げてその手術の成果を証明した形だ。このため、今となっては、「手術に抵抗がある」という考え方そのものが「もう古い」とされ、大谷のように手術にすぐ踏み切らない考えを疑問視する方が大勢だ。が、この機会に、手術への盲信を考え直しても良いのではないか。大谷はそういうメッセージを発信する形になっているのではないかと私は感じる。オープン戦最終戦日本ハム対ヤクルト。三回、日本ハム・大谷翔平は三邪飛=3月26日、札幌市・札幌ドーム 海の向こうでは、一昨年、田中将大(ヤンキース)が肘痛で戦列を離れた。当然のように球団からは手術を勧められたが、田中は手術をしなかった。そして昨季は見事に復活、今季もまた開幕投手の栄誉を担う勢いだ。ダルビッシュ有は手術し、復帰した。昨季ソフトバンクに復帰し15勝を挙げた和田毅も、アメリカに渡ってすぐトミー・ジョン手術を受けた経験の持ち主だ。このように、両方の選択がある。 しかも、手術は絶対ではなく、手術後活躍できなかった選手、わずかな期間で引退に追い込まれた例も少なくない。 私が重要だと思うのは、選手の心技体を総合的にサポートするスペシャリストの存在だ。日本人の身体を熟知し、短期中期長期、あらゆる展望を踏まえ、選手とともに歩むべき道を助言できる存在は少ない。選手たちはそうした存在を求めて、これはと思う医師やトレーナーに身も心も託す例がここ数年は増えている。 一時的にはうまくはまって成果が出る場合もあるが、大きな観点を持って、その選手の潜在的な素質を飛躍的に触発した例は少ない。医師は西洋医学を、ストレングスコーチは筋力を、日本的なトレーナーはケガの治療を専門にするからどうしてもその観点に重きを置いてしまう。 かつて有名選手の信頼を受けて多くのスポーツ選手や芸能人たちをサポートしていた有名医師は、結局多くのクライアントを薬物依存にしてしまった。薬や手術への盲信は一方でそのような懸念もある。 大切なのは、この痛みから何を学ぶか、何が変わるか。実は、ごまかしではなく、右足の痛みが出ないようにする、正しい身体の使い方、力に頼らない左足の上げ方、重心移動の方法がある可能性もある。それが身につけられたら、ケガの巧妙どころか、「162キロの速球を投げても打者に当てられる」という、大谷の最大の課題に対する答えが見つかり、「消えて見えない」ような速球を投げる投手にさらに変貌するきっかけになるだろう。果たして、大谷がそういう志を持って、ケガと向き合っているのかどうか。助言者たちの力量も含め、このケガを乗り越える過程には大きな意味がある。

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    日本一のチームを作り上げた「指導をしない」マネジメント

    ビューを果たし、88年には、3割3分1厘と活躍。89年にはゴールデングラブ賞を獲得。90年の引退後はスポーツジャーナリストとして幅広く活躍。2012年、北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、1年目にしてリーグ優勝を果たす。16年、11.5ゲーム差を逆転し、4年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズも逆転優勝した。著書に、『未徹在』(ベストセラーズ)など。関連記事■ 人材育成のプロが語る「リーダーに不可欠なスキル」■ 「すごい成果」を上げるリーダーの部下指導の極意とは?■ 上司・部下間のストレスを劇的に減らす仕組みとは?

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    大谷翔平のMVPが満票ではなかった理由

    赤坂英一(スポーツライター) 11月28日に表彰式が行われたパ・リーグ最優秀選手(MVP)の投票結果が、ネット上でプロ野球ファンの物議を醸している。日本ハムの〝二刀流〟大谷翔平が選出された結果自体は当然としても、残念ながら満票に僅か1票だけ足らなかった。その1票が同じ日本ハムのリリーフ投手・宮西尚生に投じられていたことに、「理由がわからない」「見識を疑う」と批判の声が上がっているのだ。254票中253票が大谷を1位 MVPは日本新聞協会の運動記者クラブに加盟する新聞社・通信社・放送局で5年以上の取材経験を持つプロ野球担当記者が、日本シリーズの開幕までに投票して決められる。このとき、ベストナインと最優秀新人(新人王)も同時に投票する。投票用紙に書くのはベストナインが各ポジションにひとりずつ、新人王も両リーグひとりずつだが、MVPは3人まで連記することができ、1位5点、2位3点、3位1点で合計が最も高かった選手がMVPに選出される。今回はパの有効投票数254票中253票が大谷を1位としているのに、1票だけ1位を宮西としていた。これがファンの間で問題視されているのである。最優秀選手賞を受賞し、握手する日本ハム・大谷翔平(左)と広島・新井貴浩=2016年11月 過去、満票での選出は1959年の南海・杉浦忠、65年の同・野村克也、それにまだ記憶に新しい2013年の楽天・田中将大(現ニューヨーク・ヤンキース)の3人のみ。大谷が満票を獲得すれば史上4人目の快挙となるところだっただけに、首をひねるファンが多いのも無理からぬところだろう。が、「この記者は何を考えてるんだ」「ふざけるな」といった罵詈雑言を浴びせるのもどうかと思う。 宮西は1年目の08年から中継ぎ一本で9年連続50試合以上登板し、プロ野球歴代2位の通算256ホールドポイント(HP)をマーク。今季はリーグ最多、自己最多タイの42HPを挙げ、初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手にも輝いた。非常に貢献度の高い選手であることは確かで、MVP投票でも2位票、3位票と合わせて41点を獲得している。私は大谷に1位票を入れたが、「自分のようにひとりぐらい宮西に投票する記者がいてもいいじゃないか」と考えた記者がいても、責める気にはなれない(その記者が誰かは知らず、本人に意図を確かめたわけでもないが)。いぶし銀の選手が選ばれてもいい 今回の投票で私が最も迷ったのは、ベストナインのパ・リーグ遊撃手部門である。守備率と失策数で比較すると、1位が9割8分2厘、11個のソフトバンク・今宮健太。2位が9割7分9厘、14個の日本ハム・中島卓也。3位が9割7分8厘、14個のロッテ・鈴木大地。彼ら上位3チームの正遊撃手は3人とも130試合以上に出場しており、数字上はほとんど遜色がない。一方で、打撃成績は鈴木が打率2割8分5厘でトップ10に入り、27位の今宮(2割4分5厘)、28位の中島(2割4分3厘)を大きく凌駕している。守備を評価するゴールデングラブ賞とは異なり、ベストナインは打撃も加味した上での投票となるから、鈴木が選出されることは大方予想がついた。 しかし、私はあえて中島に1票を投じた。今季の中島は常につなぎ役に徹し、犠打の数も鈴木の16個、今宮の38個をはるかに上回るリーグ最多の62個。ただ単に走者のいる場面で機械的に送りバントを繰り返していたわけではなく、好投手に対しては執拗にファウルで粘り、そのぶん球数を投げさせ、ときには四球を選んでチャンスを広げている。いぶし銀 クリーンアップを打つ大谷、中田翔、ブランドン・レアードが勝負を決める一発長打を打つ前に、中島が相手バッテリーに十分プレッシャーをかけていたケースも決して少なくなかったはずだ。セ・リーグでも広島・菊池涼介、ヤクルト・川端慎吾ら、攻撃的な2番打者が増えている今日、そういう昔ながらの〝いぶし銀〟をベストナインの遊撃手に選ぶ記者がひとりぐらいいてもいいじゃないか、と考えたわけだ。ちなみに、得票数はトップの鈴木が118、中島が67、今宮が42だった。 MVPの投票用紙は記者が所属する会社、及び記者個人宛てに日本野球機構(NPB)から送られてくる(私の場合は、週1本以上の記事を寄稿している東京スポーツ新聞社・赤坂英一宛て)。選手名の誤記、及び無記名投票は無効とされる決まりだ。記者の誰もが責任を持ち、厳格な規則に則って投じた1票が最終結果となることを強調しておきたい。

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    「意表つく大谷翔平の起用法考えたい」と栗山英樹監督

     「歴史通」が縁となって実現した北海道日本ハムファイターズの栗山英樹・監督と、本誌連載「逆説の日本史」著者の作家・井沢元彦氏による対談。そのなかから、戦国武将では豊臣秀吉の家臣、大谷吉継が好きだという栗山氏に、井沢元彦氏が好きな野球監督についても聞いた。2016年10月25日、日本シリーズ第3戦の延長十回、サヨナラ安打を放った大谷翔平(左)を出迎える日本ハムの栗山英樹監督=札幌ドーム(撮影・高橋茂夫)井沢元彦(以下、井沢):野球監督ではどうですか? 監督の采配を見ると、「三原マジック」と呼ばれた三原脩さんが好きなのかなと勝手に想像していたんですが。栗山英樹(以下、栗山):ええ、大好きです。直接話したことはありませんが、自分が目指す理想の野球人は、やはり三原さんですね。長嶋(茂雄)さんを野次った自分のチームの選手に「プロ野球は長嶋で成り立ってるんだ」と怒鳴りつけたとか、プロ野球全体のことをすごく意識されていた方なんですね。井沢:奇手奇策の人とも呼ばれますね。栗山:三原さんが生きておられたら、翔平を二刀流で起用したことを「おまえ、よくやったな」って褒めてもらえるんじゃないかと思っています。 三原さんの教え子だった仰木(彬)さんもそうですけど、名将と言われる監督は、みんなから「なんか知らないけど、監督のやることは当たる」と言われているんですよね。それも実は、すべてデータに基づいているんだと思いますが。井沢:仰木監督も素晴らしいですよね。野茂(英雄)のピッチングフォームを見て、みんなダメだって言ったけど、あの人だけはいいと言ったわけでしょう。イチローもそうですよね。栗山:野茂のフォームは普通、いじりたくなりますよね(笑い)。実はかつて仰木さんがそうしていたように、毎年、三原さんの墓参りをしてからキャンプインしていまして、今年もこれから行く予定です。井沢:いよいよシーズンが始まりますが、「日本ハム・大谷翔平」を日本で見られる最後の年になりそうですね。栗山:無理をさせないようにという前提ですが、翔平の本当の凄さを示してもう一度日本一になりたい。井沢:二刀流を続けるということですね。栗山:今までとは違う使い方がないかなとも考えています。去年は1か月半マウンドから離れて、バットでチームの勝利に貢献してくれた。もちろん先発はやってもらうけど、バランスをもう少し考えて、バッターとしてもう少し出せる形はないかと。井沢:敵も研究してきますよね。栗山:だからこそ、相手が“こんな使い方をするのか!?”と意表をつく起用法を考えたい。関連記事■ 朝食会に1日だけ遅刻した仰木彬に三原脩が見せた粋な気遣い■ TBSの名物番組『プロ野球をクビになった男たち』が書籍化■ 解任騒動の元巨人・清武英利氏が野球への思い綴った本が登場■ 【プロ野球コーチの役割】ヘッドコーチ編 監督退場時は代役■ ソフトバンク秋山監督 大胆采配のルーツは高校時代の被弾

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    大谷翔平 ついにメジャーも「二刀流」を本格準備

     2016年のプロ野球では、日本ハム・大谷翔平(22)が絶大な存在感を見せた。最大の理由は、“まるでマンガ”と評された「二刀流」での活躍だ。 DHのあるパ・リーグで「1番・ピッチャー」という仰天オーダーで先発して先頭打者ホームランを放ったかと思えば、CSでは「3番・DH」で先発し、9回のマウンドに上がって日本最速の165kmを記録、胴上げ投手となった。数字では表わせない衝撃的なシーズンだった。「契約更改では球団が来オフ以降のポスティングによるメジャー移籍を“公認”。大リーグの新協定で25歳未満の外国人選手に契約総額制限が設けられましたが、本人が前向きなのは間違いない」(球団関係者)2016年11月12日、侍ジャパン強化試合のオランダ戦、八回に二塁打を放つ大谷翔平=東京ドーム(撮影・山田喜貴) となると気になるのは、メジャーでも本格的な二刀流が実現するかだ。これまでは否定的な見方が多かった。DH制のないナ・リーグ球団の評価が高いとされてきたのも「9番・投手」としてのみ打席に入る前提で考えられていたからだ。だが、風向きは変わりつつもある。 大リーグ関係者が一堂に会するウインターミーティング(12月5日)では、監督としてメジャー通算1769勝のジム・リーランド氏が「本当に凄い選手と聞く。毎日は無理だが、月曜に投げて、水木にDHなら……」と大谷について言及。メジャーリーグ研究家の福島良一氏はこういう。「興味深いのは、日ハムと業務提携するパドレスが、控え捕手のベタンコートを来季から二刀流で起用しようとしていること。最近も監督が“ウインターリーグで投手もやらせる”と明言し、投手、捕手、外野手の三刀流まであるといわれている。これは大谷を獲得した際の予行演習ではないか。 ただ、さすがの大谷も中4日ローテーションと打者の両立は厳しい。可能性があるとすればリリーフに回って、打者でも出場するパターンではないか。2000年代初めにブリュワーズにいた中継ぎ投手のブルックス・キーシュニックは、代打、DHなどで出場し、2003年は1勝1敗、7本塁打の成績を残しています」 どうせ米国に行くなら、海の向こうのファンの度肝も抜いてもらいたい。関連記事■ 大谷翔平 「本気でメジャー目指すなら打者は諦めるべき」の声■ 大谷翔平の「二刀流」はMLBでどう評価されているか■ 大谷翔平の活躍にはMLBで年俸30億円分の価値がある■ 「大谷翔平はメジャーでも二刀流可能」その根拠■ MLB球団スカウト 大谷翔平に「早く投手に専念してほしい」

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    「血」の常識を覆すキタサンブラックが伝説と呼ばれる日

    上短距離のメダリストで、自分はマラソン選手ということがあってもおかしくないような気もするが、ブラッドスポーツと言われる競馬において、ここまで「血の常識」を覆した馬は、そう多くはない。 オグリキャップが活躍したときは、一流とは言えない血統なのになぜこんなに走るのか、と何代も血統表を遡って強さの源泉を探そうとしたものだが、キタサンブラックのスタミナの源泉は、父方の祖父サンデーサイレンスということで解決しそうだ。が、母の父がサクラバクシンオーだと、スピードを受け継ぐ代わりにスタミナは今ひとつ、というふうに生まれてくるのが普通だ。何代も前にバクシンオーの血が入っているだけならまだしも、母の父という、きわめて影響の強いところにあるのにこれだけ長距離で強いのはなぜなのか。 これはもう「キタサンブラックだから」と言うしかないような気がする。ひと言で言うと突然変異ということになるのだろうが、それだけでは表現し切れないスペシャルな力がこの馬にはある。 今週の有馬記念で、3戦連続となる1枠1番を引いた。勝率100パーセントの絶好枠だ。実力だけではなく、運も持っている。 そんなキタサンブラックについて、武は、自身の手綱で有馬記念を勝ったオグリキャップやディープインパクトと同じように、誰もが知る「国民的スターホース」になったと話している。 人気が実力に追いつき、追い越そうとしている――と、まとめようと思ったが、ひょっとしたら、まだ追いついていないのかもしれない。キタサンブラックは、はたしてどれほど大きなスケールの馬なのか。その答えが出る有馬記念が楽しみだ。

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    暮れの中山で、もう一度「まつり」を聴いてみたい

    大月隆寛(民俗学者、札幌国際大学人文学部教授) 有馬記念は、スタンド右斜めうしろからの夕陽と、黄色く枯れた芝の色だ。今みたいな洋芝の、管理万全行き届いた馬場でなく、11月にゃもう見事に枯れちまう昔の芝馬場に、釣瓶落としの暮れの陽がさしている。オルウェーブルが有終の美を飾った第58回有馬記念の2周目1コーナー=2013年12月22日、中山競馬場(横幕雅大撮影) スタートはほぼ正面からの迎え陽に始まり四角あたりまで、いい感じの陽の光を浴びて馬たちが駆けてゆく。1周目スタンド前で日陰に入る。それまで光の中にいた馬たちは一瞬、毛色もわからないほどのアンダー気味の一群となって駆けてゆく。着ぶくれたろくでなしたちからの拍手と歓声、そして思い思いの怒声やかけ声の祝福も共に投げかけられて、もう一周の旅に。再びの向こう正面から二周目三角過ぎあたりから出入りが激しくなって、一気に競馬が競馬になる。 さっきより気持ち深くなった、その分鈍い琥珀色にもなった斜陽の中、勝負どころの四角から直線、中山のあの深い坂下、見る位置によっては馬群が見えなくなるかとさえ思うそのわずかな時間の後に、年の瀬の英雄たちはスタンド前の日陰の中に次から次へと姿を現わす、その光と影とのコントラストに煽られるのが、気分だ。 あとはもうどうでもいい、贔屓の馬、目当てのノリヤクめがけて息を詰めたまんま、あるいは丸めた予想紙を片手に振りかざし、あるいは両手拳を握りしめ、いずれ精一杯、渾身の応援をしてやる数十秒の至福。ああ年末最後の大勝負、有馬記念は「グランプリ」の光景とは、いつの年も概ねこんな感じで記憶の銀幕に再生されることになっていた。 ヒカリデュール、という馬がいた。 当時「マル地」とシルシつけられた地方競馬出身の豪傑。母系はサラ系、そこまで目立った戦績でもなかったものの、大井から名古屋は土古経由で中央入り。見立て通りに芝馬場が合ったらしく、後方待機からの眼のさめるような差し脚を繰り出し頭角を現わし、始まって2年目のジャパンカップでも勝ったハーフアイストからコンマ3秒差の5着入線は前年第一回、浦和のゴールドスペンサーに続く日本馬最先着で、僚馬カズシゲの6着と共に「マル地」二頭のまずは大殊勲。同じ河内を鞍上に、そのまま1982年は暮れの有馬へと矛先を向けた。 あの年の有馬は雨だったか、降ってなくてもガチの重馬場。ただでさえ暗い暮れの中山がほんとにとっぷり暗かったという印象がある。レースは出遅れて最後方追走、それでも最後の最後、あれは確か渋谷か新宿の場外のモニター越しだったけれども、ほんとに一瞬何が起こったかわからないくらいの末脚でゴール前、一気に飛び込んできたのが真っ黒なその一頭。内側ラチ沿いでほぼ勝ちを手にしていた当時の最強馬アンバーシャダイを、きっちりアタマだけ差しきっていた。 ああ、平日真っ昼間っから開催してる地方競馬ってやつにゃ、実にこういうとんでもない馬がうっかりひそんでるんだ、ということを、泥まみれの赤と黄色の橋本善吉氏の服色と共に、満天下に思い知らせてくれたものだ。地方競馬通いにより深く、足踏み入れるようになった頃の、今となってはもう昔話。好きな分マジメに損をしてきた男 今年は、キタサンブラック。父はディープインパクトの全兄とは言え、ぶっちゃけ愚兄賢弟なブラックタイド。生まれも天下の社台サマご一統ではなく、日高は門別福満のヤナガワ牧場。前走ジャパンカップでの逃げ切り完勝は、鞍上ユタカの腕もさることながら、馬自体が間違いなく力をつけていることの改めての証明だった。 ここはもちろん人気になるし標的にもなる、馬券的にも展開的にもおもしろくないけれども、しかし敢えて、敢えてあの「サブちゃん」のこの馬に期待したい。地方競馬も含め、どれだけ競馬が好きで、好きな分どれだけマジメにこれまで損をしてきたか、その片鱗くらいははばかりながらこちとらとて見聞きしてきている。紅白は引退したかも知れないが、なんのその分、暮れの中山でもう一度、あの「まつり」を聴いてみたいってもんじゃないか。ジャパンカップに勝利したキタサンブラックの北島三郎オーナー(左)が「まつり」を熱唱。合いの手をいれる武豊騎手=東京競馬場(撮影・白石智彦) セントサイモンの首ざしだよなあ、とこれは先日、日高のある馬喰がしたたか酔っぱらっての回らぬ呂律で、ふともらしたひとこと。え、なんでまたセントサイモンなのよ、と首ひねっていると、いや、ジャパンカップでな、と濁った眼を向けてきた。あの時の、パドックじゃなくゲート前での輪乗りの様子を見ていて、ああ、ほんとにこれは素晴らしい競馬ウマになったなあ、タネ馬になってもひと勝負預けたくなるような馬だなあ、ヤナガワさんきっちり権利持っといて欲しいなあ。 かつて昭和の終わり、世のバブル任せに競馬もまた天井知らずうかれていた時期に、その最先端の修羅場で見るべきものを見てきた百戦錬磨、老いたりとは言えど未だ手練れのうまやもんの一言。いいや、最後に背中押されたんだ、乗ってみる。 相手は、同じく前めにつけての勝負もできる馬たち。中山だとあとひと脚伸びてくれそうなゴールドアクター、ここに来て充実著しい伸び盛りシュヴァルグランに、牝馬ながら気楽に乗れれば一発ありそうなマリアライト、万一、先行勢が削りあうような乱戦での伏兵アルバートあたりの突っ込みまで考えておきたい。 話題の若武者サトノダイヤモンドは年明けて以降が本領と見てここは着まで、キタサンに2連敗中の人気者サウンズオブアースも、勝負づけはすんでいる、と共に敢えて判断、ここは眼をつぶって軽視しておく。徹底マークで捨て身のつぶしを仕掛けてきそうな馬もいるが、そこはそれ、どうやら巷のろくでなしたちのイメージ以上に強くなってるらしいこの馬の底力と世界のユタカの腕前を再度、黙って信頼しよう。

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    北島三郎と佐々木主浩に見る引退後の「馬主」人生

    小林信也(作家、スポーツライター) 今年の競馬界は、スターホースとともに「馬主」が話題になった年でもあった。天皇賞を勝ったキタサンブラックは、あの北島三郎氏。公式データの馬主名は「大野商事」と記されているが、これは北島三郎氏が代表を務める有限会社の名前だ。以前から、北島三郎氏が馬主であることは知られていた。初めて中央競馬会の馬主になったのは昭和38年(1963年)というから、馬主歴は長い。しかし、なかなかG1レースに勝つ馬には恵まれなかった。第36回ジャパンカップ1着のキタサンブラック。バンザイする(左から)清水久詞調教師、オーナーで歌手の北島三郎、武豊騎手=11月27日、東京競馬場 (撮影・榎本雅弘) 昨秋、キタサンブラックが菊花賞に勝って初めてG1を制覇。今年はそのキタサンブラックが春の天皇賞と11月のジャパンカップに優勝、馬主としての地位をグッと高める年となった。キタサンブラックは、有馬記念にも出走する。昨春の産経大阪杯からコンビを組み、5戦3勝を挙げている武豊とのコンビは有馬記念でも人気を集めるに違いない。 話題といえば、野球界で一世を風靡した“大魔神”佐々木主浩氏も馬主としてすっかり「実力派」と認められている。何しろ、馬主になってわずか7年でG1を初制覇。すでにG1で3勝を記録している。今年はまた「快挙」も達成した。11月初旬のアルゼンチン共和国杯、持ち馬のシュヴァルグランが優勝したばかりでなく3位にも同じ大魔神の持ち馬ヴォルシェーブが入り、同レースで1着と3着を占める快挙。賞金は2頭合わせて7100万円だった。 佐々木主浩氏がすごいのは、その「眼力」と言うべきだろう。今季の馬主ランキングを見ると、12月18日のレースを終えた時点で賞金額では28位にランクされている。賞金額4億8千914万円。日本プロ野球界の高額年俸選手とほぼ同レベルの収入を馬主として得ていることになる。 1位のキャロットファームは30億円を越え、2位サンデーレーシングも約28億円だから、トップにはまだ差があるけれど、これらはいずれも会社として多くの馬を所有している。わずか6頭の馬で5億近い賞金を稼ぐのは容易ではない。ランキング表をよく見ると、実は“大魔神”が馬主の中でダントツの才能の持ち主ではないかと思えてくる。 勝率は・257。出走すれば4回に1回以上も優勝する計算だ。今季は計35回のレースで9勝を挙げている。連対率は・343、複勝率は・486。つまり、大魔神の馬は2回に1回はほぼ必ず3位以内に入るから、複勝馬券を買っていれば確率5割で配当をもらえる。これらの数字が、かなり驚異的であることはランキング表全体を見渡せばすぐわかる。 賞金総額1位のキャロットファームの勝率は・131。2位サンデーレーシングの勝率は.133、それでも上から数えて4番目。50傑まで見ても、半分以上は0割台だ。大魔神に続く高勝率は・155の大野商事。つまり北島三郎氏。大野商事は賞金総額7億5千732万円でランキング12位。先輩の貫禄と言えるだろうが、連対率.268、複勝率.380、ともに佐々木主浩氏には大きく離されている。それほど、佐々木主浩氏は効率的に稼いでいる。馬を見る目があり、勝たせる環境作りが上手い、あるいは厩舎やジョッキーら、ブレーンに恵まれているのだろう。阪神大賞典1着11番・シュヴァルグラン、握手をする 佐々木主浩オーナー(左)と福永祐一騎手=阪神競馬場 個人の馬主では、里見治氏も話題になった。ディープインパクト産駒のサトノダイヤモンドが菊花賞を制し、馬主になって24年8ヵ月目でようやくG1制覇にたどり着いた。里見氏は、セガサミーホールディングスの会長兼社長。1億円以上の高額取引馬がクラシックを制覇したのは2001年の菊花賞を制したマンハッタンカフェ以来という点でも話題となった。サトノダイヤモンドは、セレクトセールで2億3千万円の値が付いたサラブレッドだ。 馬券で確実に儲けている人はごく少ないと言われるが、馬主はどうなのか? 高額賞金の数字だけ見ると羨ましい限りだが、実際には黒字の馬主はそれほど多くないと言われる。一頭所有すれば、維持費だけで月に約400万円かかるという。年間約4800万円。しかも購入費用もある。これらの出費を上回る賞金を稼いでくれないと、馬主は赤字になるわけだ。そのマイナスも、馬券をコツコツ買う以上に大きい。 勝つために、血統のよい「高い馬」を買う道もあれば、目利きを生かし、「リーズナブルな馬」で稼ぐ馬主もいる。佐々木主浩氏は、今年7月、キングカメハメハ産駒で、エアグルーブの血を引く良血馬を2500万円で落札した。もっと値が上がると予想されていた馬を比較的リーズナブルに入手できたと、本人のコメントもニュースで流れた。この馬がレースに出走すれば、当然また話題になるだろう。さらに佐々木主浩氏のランキングを押し上げる孝行息子になるかもしれない。 それにしても、紅白歌合戦から引退を宣言した北島三郎氏、プロ野球から引退して久しい佐々木主浩氏がいずれも現役の馬主として勝負し、第一線で活躍している。芸能界、スポーツ界で頂点を極めた後の「馬主という生き方」がこれからますます注目されるかもしれない。

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    有馬記念、キタサンブラックは伝説になれるか

    年末の風物詩、「有馬記念」がやってくる。普段は競馬をやらない人でもこのレースだけは買うという人も多いだろう。奇跡、衝撃、番狂わせ…ファンは数々のドラマに酔いしれた。もちろん、今年の主役は「北島三郎+武豊」という人気者がタッグを組んだキタサンブラックで異論はない。有馬は再び「伝説」を生み出すか。

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    日経新聞の競馬予想 「めっちゃ当たる」裏に専門記者の存在

    。 実は今、日経の「競馬欄」の予想が「めっちゃ当たる」と競馬ファンの間で話題になっているのだ。日経のスポーツ欄は他紙に比べて小さいが、競馬欄が占めるスペースは意外や広い。さらに意外なのが、その予想的中率の高さだ。1991年の有馬記念で大波乱を演出したダイユウサク(中央、熊沢騎手が右手を上げる)。今年は波乱か、それとも… たとえば5月1日に東京競馬場で開催された12レース中、実に11レースで日経が「本命(◎)」もしくは「対抗(○)」とした馬が1着でターフを駆け抜けた。8日開催の12レースも8レースを的中。各日のメインレースとなった1日の天皇賞と8日のNHKマイルカップ(いずれもGI)でも、日経はいずれも勝ち馬に「○」の印を付けていた。 これからオークス(5月22日)、日本ダービー(5月29日)、安田記念(6月5日)、宝塚記念(6月26日)と大きなレースが続くこともあり、注目を集めている。 しかし、運動部の記者が少ない日経の競馬予想がなぜこれほど優れているのか。実は日経には競馬の「専門記者」がいて、取材と予想に励んでいる。競馬専門紙の記者が実情を明かす。「全国紙で競馬専門の社員記者を置くのは日経だけ。系列のスポーツ紙記者や競馬ジャーナリストの予想を掲載することの多い全国紙としては異例です。関東と関西にそれぞれ記者を常駐させています」 実は日経新聞と競馬の関わりは深い。競馬中継の全国放送を行なっている短波放送「ラジオNIKKEI」は日経のグループ会社。「日経賞(GII)」や「日経新春杯(GII)」などグレードの高いレースの冠スポンサーでもあり、中央競馬と近い関係にあることから、競馬情報が紙面で大きく扱われるのだ。関連記事■ 我こそはという馬券師は大穴狙える梅雨に競馬場へ足運ぶべき■ 高橋源一郎氏が世界各地の競馬場を訪ね歩いた経験を記した書■ 12戦11勝の「競馬予想の神」 皐月賞のジンクス終焉を予想■ 2070万円馬券演出の江田照男騎手の「買い方」を競馬記者指南■ 収監直前のホリエモン ネットでダービー予想するも

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    京大式「3連複重視」理論ならGI的中はそれほど難しくない

     秋競馬もいよいよ本番。10月には秋華賞(16日)、菊花賞(23日)、天皇賞(30日)とビッグレースが目白押しだ。そんな中、京大大学院を休学し競馬予想家に転じた久保和功氏の競馬本が話題になっている。『京大式 最強の馬券セミナー』の著者・久保氏にきいた。「大学院時代、競馬場のパドックで偶然出会った競馬予想家の赤木一騎氏に教えを乞うと、驚くほど勝率が上がったことで、虜になった。そのまま休学し、この道に入りました」 久保氏の京大式必勝法は「馬券の買い方」にある。「最初から穴ありきで人気薄の馬券を買うのはオススメできない。あくまで軸馬は人気馬から選ぶべきです。これで大きく勝率は変わる。私は、まず軸に据えた馬の単勝の倍率が3倍を超えれば、シンプルに単勝を交ぜて買いますね」復活ラストランで有馬記念優勝を飾ったオグリキャップ(鞍上は武豊)=1990年12月23日 実際、2013年のフェブラリーステークスから2016年の宝塚記念まで、平地(障害以外)で開かれたGI77レースで、1~3番人気馬が1頭も馬券にからまなかったのは、わずか6レースだという。「つまり、1~3番の人気馬から軸となる馬さえしっかり選べば、GI的中はそれほど難しくない」(同前) そんな久保氏が強く推奨する買い方が、着順不問で1~3着の組み合わせを予想する「3連複」だ。「1頭の軸馬を決めて、2軸目となる馬を3頭、3軸目を10頭以上選んで買えば、馬券的中確率が高くなる。1~5番人気馬がすべて4着以下になる確率は低いので、軸馬をきっちり選べれば、『3連複』は的中しやすい。しかも穴馬が1頭でも入れば、大きなリターンを期待できる」 必然的に購入額も多くなるが、「3連複の平均配当は約2万5000円と高く、的中率も良いので高配当を狙ってチャレンジしてほしい」(同前)と強調する。 もちろん、久保氏が軸を選ぶ基準は単に人気だけではない。注目するのは「推定3ハロン」のタイムだ。「まず、過去のレースから前・後半3ハロン(約600メートル)の速い馬を算出。前・後半3ハロンどちらが速い馬が該当レースで有利なのか、コースや距離などから判断します」 芝のGIレースを例にすると、過去6年間のデータから、「推定後半3ハロン」のタイムが1位の馬の勝率が高いため、要注目だ。関連記事■ 我こそはという馬券師は大穴狙える梅雨に競馬場へ足運ぶべき■ ゴールドシップに死角は? 初の宝塚記念3連覇の可能性を分析■ 安田美沙子 100万円の配当ゲットで「馬ドル」生命延びる■ 高橋源一郎氏が世界各地の競馬場を訪ね歩いた経験を記した書■ 日経新聞の競馬予想 「めっちゃ当たる」裏に専門記者

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    「反撃者」本田圭佑は理想を捨てるべきか

    河治良幸(サッカージャーナリスト) 「スターとはチームがスターである」 昨年3月の就任会見でヴァイッド・ハリルホジッチ監督は代表チームにおいてポジションが約束された選手はいないことを宣言した。チームのベースを作る上でザックジャパン、アギーレジャパンの主力を担ってきた本田圭佑も例外であるべきではない。 本田圭佑はハリルジャパンにおいても9月3日のUAE戦までW杯予選で7試合連続ゴールを決めるなど、代表における結果で存在価値を示してきたが、ミランでの出場機会をほとんど得られない中で、パフォーマンスが落ちてきていることも確かだ。W杯予選に出場するために帰国した本田圭佑=10月4日、成田空港 1トップで先発した先月のオーストラリア戦は原口元気の先制ゴールをアシストし、守備面やカウンターの起点としてチームに貢献したが、競り合いの着地の際に足首をひねり、復帰直後の練習は別メニューに。10月16日のキエーボ戦は出場なしに終わった。 翌週のジェノア戦では今季初先発のチャンスを得たが、失点につながるミスなど低いパフォーマンスに終わり、現地メディアにも酷評された。その後の2試合で本田の出場はなく、チームも連勝を飾ったことで、ミランでの立場はますます厳しいものになっている。 ビジネス面での活動などがプレーの妨げになっているという声もあるが、筆者としては大きく影響していないと考えるし、実際に世界のトップ選手の多くはサイドビジネスを展開しているからだ。ただ、結果を出していないとプロのサッカー選手として風当たりが強くなる要因になってしまうことも確かだ。 「(オマーンは)あまりプレー機会の少ない選手にもチャンスを与えたい。もしくは海外で試合に出られていない選手」 そう語ったハリルホジッチ監督は従来通り右ウィングに本田を起用した。戦前に「色々と試したい」と言っていた本田はベンチスタートの長谷部誠に代わりキャプテンマークを巻いて登場。中央寄りでトップ下の清武らと近めの距離を取りながら、1タッチとボールキープを使い分けて攻撃に絡んだ。 ボールタッチなどの感触に加え、本田が特に意識したのは周囲をサポートする位置だ。速い攻撃の中でも単調にならない様に近い位置で周りに絡んでいこうというビジョンはプレーから見えた。大迫による2つの得点も本田の存在あればこそ生まれたものだ、ただ、全体としてプレーが効果的だったかどうかは難しいところ。本田が1クッション絡むことで、攻撃のダイナミズムが失われる向きもある。「本田外し」が特別なワケ また純粋に試合感の問題からか、ボールタッチが精度を欠き、背負った相手にボールをかき出されてしまうなど、良い状態の本田とはかけ離れたプレーも目に付いた。本田なりに日本がより得点率を上げるために構築して行くべきことのビジョンはあるのだろう。問題の1つはそれがハリルホジッチ監督のスタイルでどれだけ効果的なのか。そして本田自身のビジョンに実際のプレーが追い付いているのか。2つの面から本田の存在意義は問われている。 「キーとなる選手でも、交代で出る選手のパフォーマンスの方が高ければ私はその選手を使う。それに関してはまったく問題を抱えていない」 そう語るハリルホジッチ監督が「(オマーン戦で)試合のリズムが足りないのが確認できた」と評価する本田をサウジアラビア戦でスタメンから外すかどうかは1つの注目点になるが、これが普通の選手なら一度ぐらいスタメンから外しても、次の試合に向けてアピールすれば良い意味での競争になるとポジティブに受け取ることもできる。W杯アジア2次予選日本対アフガニスタン。ベンチの本田圭佑(右)ら=3月24日、埼玉スタジアム2002 それは日本代表で豊富な経験と実績を持つ岡崎慎司や代表でずっと厳しい目にさらされてきた香川真司ですら、その例外ではない。ただ、本田の場合はチーム作りにおける影響力に加え、発言力も強いために1つ1つの言動が大きく取りざたされ、記事などの見出しになりやすいという性質もある。 オマーン戦では61分に本田との交代で出場した浅野拓磨が鋭い飛び出しでPKを獲得するなど、本田と異なる持ち味でアピールした。ハリルホジッチ監督は就任時から「日本の選手はディフェンスの裏への意識が足りない」と言い続けてきたが、そうした要求に明確な回答を示す様なプレーだった。 もちろん、そうした裏への意識だけで攻撃が成り立つわけではないが、テンポ良く縦にスピードアップしていくスタイルをベースに、状況や相手に応じてアクセントを加えていくというのが現在のチームの基本的な考え方であり、そこに良い意味でアレンジは加えても、反してしまえばチーム作りとしては逆効果になりかねない。 チームのベースを作って行く段階において本田が重要な働きをしてきたことは間違いない。ただ、オマーン戦で本田なりの感触なり手応えなりを得たものが指揮官にとって「試合のリズムが足りない」要因なのだとすれば、コンディションに関わらず今後の起用法に大きく影響を与える可能性がある。ハリル監督とのズレ 本田はこれまでゴールやアシストという結果によって日本代表を引っ張ってきたが、90分のプレーを見るとスローインの受け手として、相手のビルドアップにプレッシャーをかけるファーストディフェンダーとして、相手の守備を自分のところに引き付け、周りに前を向かせる起点として機能してきた。そうした総合的な働きではチームでも最高レベルにある。 ただ、現在のパフォーマンスが主力として物足りないことも確かで、クラブでの状況も影響しているのは間違いないが、こと右ウィングに関しては戦術的に浅野や怪我で今回は選外だった小林悠の方がよりマッチする部分もある。チームの方向性は同じでも、選手の特徴が同じ必要はない。ただ、ハリルジッチ監督の目指すものが理想に近づくほど、本田の持つ特性から離れていく実情はあるかもしれない。サッカーキリンチャレンジ杯日本対オマーン。試合後、目も合わせず引き揚げる本田圭佑(左)とハリルホジッチ監督=11月11日、県立カシマサッカースタジアム 自分がスピードを出すよりも、味方のスピードを引き出せる1トップがメインになる可能性もあるが、ストライカーが本職の大迫勇也の様にゴール前の最前線でフィニッシャーとして決定的な仕事ができるかと言えばノーかもしれない。やはり、このポジションではメインではなくオプションの扱いではないか。 どのポジションにしても、もし本田がスタメンのファーストチョイスから外れた場合、ハリルホジッチ監督がメンバーに招集し続けるかどうか。それは本田の振る舞い次第かもしれない。サブという立場に満足する必要は全くない。ただ、スタメンが当たり前ではない状況を受け入れた上で、出番を得るためにアピールするという行動を取れるかどうか。 代表に競争は付きものだが、絶対的な主力として長く定着してきたことによる難しさはある。本田には個人としてはプレーのパフォーマンスを上げること、スタメンを外れたとしても健全な競争に身を投じながらアピールしていくことを願いたい。そのためにも所属クラブで常に出場できる状況にしていくことが条件になるだろう。周りがいかに騒ごうが結局、日本代表の戦力であり続けられるかどうかは本田の振る舞い次第であり、監督の決断にかかっているのだ。

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    一度落ちることが勢いになる。ロシアで牙むく本田圭佑の「強さ」

    番いいパフォーマンスの選手が誰なのかは、これから確認していかないといけない」 これを受けて一夜明けたスポーツ紙を中心とするメディアは、サウジアラビア代表を埼玉スタジアムに迎える15日のワールドカップ・アジア最終予選第5戦における「本田外し」を大々的に報じた。 そして、時間の経過とともに、図らずも流れは大きくなっていく。サウジアラビア戦前日には本田が主戦場としてきた3トップの右に、スピードスターの異名をもつFW浅野拓磨(シュツットガルト)が先発することがほぼ確実な状況として伝えられている。 本田が日本代表の大黒柱に定着したのは、2010年6月のワールドカップ・南アフリカ大会の直前だった。精彩を欠いていた司令塔・中村俊輔(横浜F・マリノス)をベンチへ退けさせ、本職ではない1トップで全4試合に先発出場。2ゴールをあげて、日本がベスト16へ進出する原動力になった。 あれから6年あまり。当時24歳だった本田は、今年の6月で30歳とベテランの領域に足を踏み込んだ。どんなスーパースターでも、必ず母国の代表チームに別れを告げる瞬間が訪れる。黄金の左足で一時代を築いた中村は、南アフリカ大会直後に「代表引退」を表明していま現在に至っている。 結果として中村に引導を渡した形となった本田の目の前に、サッカー人生で最大のターニングポイントが訪れているのか。ハリルジャパンの「未来」に必要か否かを論じる前に、いま現在の本田がなぜ精彩を欠いているのかを確認しておきたい。すべては所属するミランを取り巻くチーム状況に帰結している。「時代が終わった」 本田とミランの契約は来年6月で切れる。CSKAモスクワから完全移籍で加入し、本人のたっての希望で「10」番を背負ったのが2013年12月。期待に見合った結果を残しているのであれば、ミランと代理人との間で契約延長に関する交渉が始まっていてもおかしくない。 しかし、ミラン側にその意思はなく、むしろ昨シーズンわずか1ゴールに終わった本田は今夏の放出リストに名前が含まれていた。契約を残した状況で移籍すれば、ミランは違約金を手にできる。本田のそれは1000万ユーロ(約11億6000万円)に設定されていると、イタリアのメディアが報じたこともある。セリエA サンプドリア―ACミラン ベンチ入りしたが出場機会はなかったミランの本田圭佑=9月17日、ジェノバ この違約金が高額だという理由で他のクラブが二の足を踏み、さらに本田自身がヨーロッパの主要リーグでのプレーを希望したこともあって、本格的な交渉には至らなかった。 しかし、実質的な構想外となった選手に居場所はない。今シーズンから指揮を執るヴィンチェンツォ・モンテッラ監督から声がかからない状況に、UAE代表とのワールドカップ・アジア最終予選を戦うために、8月下旬に帰国した本田はこう言及していた。 「確かに序列のスタート地点で、いままでよりも何が状況的に変わったかというと、契約が満了に向かっている選手という扱いになってきている気がする。やはり序列が低いので、もう少しアプローチのやり方を変えないと、簡単には試合に出られないのかなという気がしますけどね」 今シーズンの本田はわずか3試合、合計81分間しかプレーしていない。つまり、1試合に満たない時間しか、セリエAのピッチに立っていないことになる。10月25日のジェノア戦で初先発のチャンスを得たが、見せ場を作れないまま後半17分にベンチへと下げられている。 オマーン戦から一夜明けた12日には、ミランにおける自身の立ち位置について「時代が終わった流れがあるとすごく感じる」と、さらに踏み込んだ言葉を残してもいる。 「2年半やってきて、自分のなかでは成果を残せなかった。カカやバロテッリをはじめとする名選手たちが、困難な時代を何とかしようと一丸になってやってきたけど、誰しもが乗り越えられなかったなかで俺もその一人だということ。その結果として完全に若返るチーム編成になった段階で、俺が外されるのはすごく理解ができる。誤解してほしくないのは、別にミランにしがみついているわけでないということ。願った移籍がかなわなかったからミランにいる状況下であり、なおかつ試合に出られていないという話なので」試合に必要なスタミナは試合でしか得られない 返す刀で、日本代表における居場所がなくなりつつある状況へ牙を向けた。本田自身、ミランにおける厳しい状況が日本代表でのパフォーマンスにも影響を与えるのか、と問われると判で押したように「問題なし、としないと試合に出るべきではない。心身ともに準備はできている」と同じ言葉を繰り返してきた。最低限の結果を残してきたという自負がある分だけ、オマーン戦翌日の舌鋒は鋭かった。サッカー・ロシアW杯アジア2次予選 日本対カンボジア。カンボジアに快勝し、ガッチリ握手する日本のバヒド・ハリルホジッチ監督(左)と本田圭佑=9月3日、埼玉スタジアム2002 「代表においても、例えばロシア大会のあとにそれ(若返り)が来るとか、いろんなことを考えて(ハリルホジッチ監督が)発言するなら、俺はそれを受け入れる必要がある。ただ、俺はこれまで代表で自分の力で道を切り開いてきたと思っているし、当然ながら自分が代表にふさわしい選手かそうでないか、ということは自分で判断できると思ってもいる。ミランではそれを自分で判断できているわけで、誤解してほしくないのは監督が選ぶ権利はあるものの、俺が自分で判断できるということ。サウジアラビア戦は、少なくともスタメンで出るための準備をしている」 所属クラブで試合に出られない状況が、選手にどのような悪影響をもたらすのか。ある日本代表経験者から「試合に必要なスタミナは、試合でしか得られない」と聞いたことがある。実際、9月、10月、そして今月のオマーン戦と続いた代表戦で、後半になると本田は明らかに動きに精彩を欠くようになる。 ボールキープ力を武器のひとつとして搭載しながら、オマーン戦では不用意なボールロストが少なくなかった。フィジカルの強さも代表のなかでは群を抜いていたはずが、簡単にピッチの上に転がされた場面もあった。俗にいう「試合勘」の欠如もあるし、何よりも選手は試合で感じた課題を翌週の練習でさまざまなアプローチから克服して、再び試合に臨むサイクルのなかで心技体を成長させていく。 約1年5ヶ月ぶりに代表復帰を果たしたオマーン戦で2ゴールをあげたFW大迫勇也(ケルン)は、好循環の真っただ中にいる象徴といっていい。ヘルタ・ベルリンでレギュラーの座をがっちりとつかみ、日本代表でも3トップの左に定着した原口元気は、蓄積した疲労を考慮されてオマーン戦ではベンチスタートだった。本田がボールを「溜める」理由 翻って本田は、ミランでベンチウォーマーの状況が続けば現状維持が精いっぱいとなる。そうした状況と相まって、ハリルホジッチ監督はオマーン戦後に本田の先発落ちを示唆したことになる。本田自身も「それは監督が決めること」と先発を含めた選手選考が指揮官の専権事項であると認めた一方で、持論を展開することも忘れなかった。サッカーキリンチャレンジ杯日本対オマーン代表。後半、競り合う本田圭佑=11月11日、県立カシマサッカースタジアム 「ただ、外すという選択をするというのは、いろいろな意味があると思うので。その意味を監督が説明できる必要があるし、自分自身も納得できるものがあれば受け入れる必要はある。(自分の手応えと監督の評価の)ギャップは感じていますし、(監督からの)批判もありがたいことだと感じてもいる。それを見返したいという気持ちがなくなってしまえば、サッカーをやめるべきなので。ただ、自分が強がって発言するだけではなく、いまは『本田はパフォーマンスを上げてきた』とか『もう一度本調子に戻してきた』と言われなければいけないと思っているので」 中学卒業時にガンバ大阪ジュニアユースからユースへの昇格がかなわなかったように、本田は叩き上げのサッカー人生を自負している。強烈なまでのプライドと自分自身に対する自信、誰にも負けてなるものか、という執念にも近い反骨精神がいままでも、そしてこれからも本田を支えていることが見え隠れする。 実際、オマーン戦ではポジティブな部分も見て取れた。就任以来、一貫して縦への推進力を標榜してきたハリルホジッチ監督のスタンスに対して、本田は異議とはいわないまでも、ある種の違和感を覚えていた。そうした本音を包み隠すことなく、オマーン戦前にはこんな言葉を残してもいる。 「試したいことがいくつかあるので。コンビネーションのやり方、その時の選手の動き方、ボールのもっていきどころ、というのにちょっとだけ変化をつけたいと思っていて。そのへんで自分とポジションが近い選手との意思疎通を、テストマッチということを意識して、変えるという意味でトライしてみようかなと」 縦一辺倒の攻撃だけでは、相手の脅威にはならない。スピードが上がれば、必然的にミスも増える。むしろ不用意なボールロストから、相手のカウンター攻撃を食らいかねない。特に強敵がそろうアジア最終予選に入って日本が苦戦を強いられている原因のひとつに、指揮官が掲げる戦術が機能していない点があげられる。 何よりも、歴代の日本代表がストロングポイントとしてきた細かいパスワークを、2年前のワールドカップ・ブラジル大会で惨敗したという理由で、一気に捨て去る必要はない。パスワークに縦に速い攻撃、つまり「緩」と「急」を自在に織り交ぜていってこそ、日本代表が進むべき新しい道が見えてくると本田は訴えたかったのだろう。日本代表対オマーン代表 先制ゴールを決める日本代表・大迫勇也=11月11日、県立カシマサッカースタジアム 実際、オマーン戦の前半42分に大迫が決めた2ゴール目には本田が言及した「試したいこと」が鮮明に反映されていた。右サイドでMF山口蛍(セレッソ大阪)からMF清武弘嗣(セビージャ)、再び山口と細かいパスをつないだところで中に絞ってきた本田が絡み、本田を追い越すように中央へ走り込んできた清武へパス。ワンタッチで放たれた清武のスルーパスを、大迫がトラップから華麗なターンを駆使してゴール左へシュートを決めた。 一連の美しい流れのなかで、スピードのなかで「溜め」を作る、いわゆる「緩」をつける存在となりえたことに、本田自身も手応えを感じていた。 「ああいうシーンは、最近は皆無だった。こういうテストマッチが入ったからこそ、やれたこと」 サッカーという競技は、野球のようにタイムをかけられない。いざキックオフの笛が鳴れば、ピッチの上で起こるさまざまな事象に対して、選手個々が判断して勝利を目指さなければいけない。試合前に与えられた監督の指示だけを守っていては、まさに秒単位で変わっていく状況にとてもじゃないが対処できない。 性格的に従順とされる日本人は、ともすれば指示を待つ傾向が強い。強烈なカリスマ性を見せつけるハリルホジッチ監督の場合はなおさらだ。だからこそ本田のメンタルは異彩を放つし、同じような存在感を放つ選手は、残念ながらいま現在の代表チームには見当たらない。つまり、心技体の「心」の部分で、まだまだ本田は日本に必要な選手となる。 「何度も言ってきたことだけど、(ミランで)試合に出る、出ないというよりも、自分の精神的な状況そういうものを左右するのかな、と。そういうもの? 結局、頭のなかをどうもっていくのか。自分が試合に出ていないことで体力に不安があるんじゃないか、ボールタッチがどうなのか、試合勘がどうなのかと、そういう言葉ばかりが脳のなかに入ってくることが問題なので。精神面による意識が実際にプレーに反映すると、俺はあらためて思いましたね」本田がもつ「強さ」 名古屋グランパスから移籍したVVVフェンロ―(オランダ)では2部降格と、キャプテンとして1部復帰へ導く波瀾万丈を経験した。CSKAモスクワでは結果を残しながら、4年契約をまっとうするまで移籍を認められなかった。そして、子どものころから憧れてきたミランで味わわされた苦渋。もともとタフだった本田のメンタルを、海外へ飛び出してからの9年間がさらに強靭なものに変貌させた。サッカーW杯ロシア大会アジア最終予選 日本―UAE 先制ゴールを決め、ガッツポーズする日本・FW本田圭佑=9月1日、埼玉スタジアム2002 「一度落ちることが勢いになる。自分としても、そういう道を歩んできたので」 こう公言してはばからない本田がもつ「強さ」は、32歳で迎える2年後のロシア大会でも必ず日本に必要となる。だからこそ、未来をどのように変えるか。どれだけ精神面でカバーしても、ミランでの現状が続けば、すでに決して小さくない影を落としている代表でのパフォーマンスに必ず響いてくる。90分間持続しないコンディションが続けば、残念ながら「不要論」もいままで以上にわきあがってくる。 サウジアラビア戦をもって日本代表は2016年の活動を終え、スケジュールは来年3月下旬まで空く。その間、年明け早々にはヨーロッパで冬の移籍マーケットが開く。ミランとしても来夏に契約満了で本田を放出するよりは、半年ながら契約を残した状況で放出して、違約金を手にするパターンを歓迎するだろう。 今シーズン後半で常に試合出場に絡めるチームへ移籍しなければ、本田の2017年は深刻な状況に陥らざるを得ない。好まざるチームばかりが選択肢のなかに入ったとしても、本田自身をして「しがみついているわけではない」と言わしめるミランと決別すること。プロ人生で通算5チーム目のユニフォームに袖を通すことが、復活への序章となる。

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    本田圭佑「不要論」は間違っていない

    エゴイスト。6年前、サッカーW杯南アフリカ大会で輝きを放った本田圭佑は、誰よりもこの言葉が似合う自信に満ち溢れていた。久しく「絶対的エース」の座を譲らなかった彼もまた世代交代の波にもまれ、不要論まで公然と叫ばれるようになった。それは何も間違っていない。彼が今もスターである証なのだから。

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    失速してもなお「王様」本田圭佑 復活が導くW杯への道

    川端康生(フリーライター) 日本代表が苦しんでいる。ここまで4戦を終えて2勝1分け1敗。このままならアジア予選でのワールドカップ出場権獲得はならず、大陸間プレーオフに回る順位に甘んじている。しかも、結果(成績)だけでなく、内容もよくない。初戦で敗れたUAE戦だけでなく、終了間際の山口の劇的なゴールで勝ったイラク戦も、負けていてもおかしくない内容だった。 敵地でのオーストラリア戦にしても、引き分けという結果は納得できるものだったが、内容的には予想以上の劣勢。ボール支配率で言えば、日本3対オーストラリア7。何とか守り切って、辛うじて手にした勝ち点「1」だった。「強敵とのアウェーだったのだから」と納得することはできても、「ではホームでなら勝てるか」と問われれば沈黙せざるを得ない、そんな試合だったのだ。【日本―オマーン】前半、攻め込む本田=カシマサッカースタジアム 同じ文脈は、「まだ前半戦だから」という楽観に対しても流用できる。つまり、まだ前半戦であることは確かだが、「では後半戦になって巻き返せるのか」と問われれば…。それほどまでに、ここまで4試合の日本代表の戦いぶりは悲観的なものだったということだ。 そんな現状のせいだろう。「本田圭佑」がしきりに取り沙汰されている。不調の本田をスタメン起用し続けるべきか、否かである。 彼に焦点が向けられるのは当然だ。日本代表の中心、王様、アンタッチャブル……表現は何でもいいが、近年の日本代表を牽引し、それどころかチームが苦境に陥ったときいつも存在感を示してきたのが彼だったからだ。苦しいときに頼りになる男、それが本田だった。 そもそもその登場からそうであった。ビッグプレーヤーとして認知されることになった南アフリカ・ワールドカップ。あのときも日本代表は危機にあった。3戦全敗濃厚。そんな前評判を覆し、チームのムードを変えたのは初戦での本田のゴールであった。決して見栄えのいいゴールではなかったが、それをきっかけに日本代表は突然、変身。決勝トーナメント進出を果たしたのである。 実は大会を通じて本田のゴールは2得点だけだったのだが、得点以外のプレー、ピッチ上での振る舞いも含めて、そのインパクトは強烈だった。そこから“本田ジャパン”ともいうべき時代が始まったのである。以後6年、小さな波はありつつも、日本代表において常に本田は絶対的な存在感を放ち続けた。「結局、本田だったね」。苦戦の後でそんな呟きを漏らしたことが幾度となくあった。 ところが、その本田が明らかに不調である。不調というより、パフォーマンスが低調なのだ。原因はやはり所属クラブであるミランで出場機会が得られていないことだろう。ポジションをつかめないでいる今季はまだトータルで81分(12試合終了時点)しか出場できていない。 サッカーに限ったことではないが、練習と試合は違う。練習でどれほどトレーニングをしていても、試合に出場できなければ「ゲーム体力」は落ちる。当然のことながら「ゲーム勘」も失われてしまう。事実、この予選の中でもそうした兆候は見られた。動きはいつもどこか重く、苦しそうに肩で息をする姿。パスやトラップといったボールスキルでのエラー。見えにくいところでは相手選手との駆け引きでの後手。とにかく「らしくないプレー」が随所に見られたのだ。 何より僕がショックだったのは、彼がボールを失うシーンが再三あったことだ。ボールキープ力は彼の最大のストロングポイントである。本田にボールを預ければ奪われることはない。それが日本代表チームに安心感をもたらしてきたのだ。ところが、それがままならなくなっている。いや、それさえもままならなくなっている。それほど本田個人のパフォーマンスが低下しているということである。本田をスタメン起用し続けるべきか では、そんな本田をスタメン起用し続けるべきか。ハリルホジッチ監督は外す気がする。現状(チーム状態と周囲の空気)を考えれば、むしろその決断の方が受け入れられやすい。だが、僕はYES。理由はいずれも消極的なものだが(不調なのだから積極的理由があるはずがない)、スタメン起用すべきと考える。 まず本田が途中から出場して活躍するタイプではないこと。逆にスーパーサブとして期待できる選手は浅野をはじめとして揃っている。もしプレーさせるのであれば、やはりスタメンの方がいい。それに本田を“復活”させるのであれば、やはり試合に出した方がいい。ゲームを重ねることで彼のパフォーマンスが上がってくる可能性は十分ある。円陣で話をするハリルホジッチ監督と耳を傾ける本田圭佑=13日、埼玉県さいたま市内 (撮影・中井誠) さらに言えば、「本田がいる」ことが相手に与える脅威。いかに調子が悪いとはいえ、対戦相手にとって「HONDA」は無視できない存在である。日本代表のチームとしての戦いぶりに期待できない以上、使えるものは何でも使いたい(それほど現在の日本代表に悲観的ということである)。 そして最大の理由は、本田を外して負けた場合の影響だ。その大きさに耐える力が現在の日本代表にあるかどうか。悪くするとこのまま浮上することなく、ワールドカップ出場を逃すことになりかねない。そんなリスクのある大事は、最終予選の前にやっておくべきこと。ここまで来てしまった以上、チームのリニューアルには出場権を勝ち取ってから取り組んだ方がいい。 ただし、スタメン起用するにしてもポジションは変えたい。本田が主に起用されているのは、システムで言えば「4-2-3-1」の「3」の右サイド。本来であれば、右サイドバック(酒井宏)と絡んでチャンスを作りだすポジションだが、二人のコンビネーションがいい形で発揮されることはここまでほとんどない。 彼自身のコンディション、そしてポジショニングの癖(もともと本田は中央に入っていきがちな選手)から考えても、比較的運動量が軽減され、同時にゴールに近い位置でプレーさせた方がいい。その意味ではオーストラリア戦のような「1トップ」(4-2-3-1の「1」)もありである。 いずれにしてもサウジアラビア戦は大一番である。日本代表が悲観的な戦いぶりを繰り返し、これまでならそんなときに頼りになってきた本田が不調にもかかわらず、日本はまだ現時点では3位につけているのだ。幸運と言っていい(イラクに負けていたら…と考えるとぞっとする)。だからこそサウジアラビア戦は、決して誇張ではなく、まさしく「絶対に負けられない戦い」。 もしも、負けるようなことになれば、来年のスケジュール帳に「プレーオフ」を書き込む必要があるだろう。そして、“本田ジャパン”からの世代交代に取り組むことになる。

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    パフォーマンスは決して悪くない 過熱する「本田外し」に異議あり

    飯尾篤史(スポーツライター) 本田圭佑は、日本代表に本当に必要なのか――。 世代交代を促す声は以前からあったにせよ、最終予選の前半戦でこんな議論が巻き起こることなど、半年前には思いもしなかった。【日本―オマーン】 後半、競り合う本田圭佑=カシマサッカースタジアム (撮影・中井誠) 2010年の南アフリカ・ワールドカップでチームを決勝トーナメントに導いて以降、本田はまぎれもなく日本代表において最も重要な選手だった。 本田自身、「代表では自分の力で道を切り開いてきた」と語っているように、南アフリカ・ワールドカップのカメルーン戦での決勝ゴール、デンマーク戦での先制ゴール、12年6月のヨルダンとのアジア最終予選でのハットトリック、13年6月のオーストラリアとのアジア最終予選でのPK、13年11月のオランダ戦での同点ゴール、14年ブラジルワールドカップのコートジボワール戦での先制ゴールなど、「ここぞ」という場面で本田が叩き込んだゴールは、いくらでも浮かんでくる。 そんな本田に不要論が生じるようになったのは、アジア最終予選がスタートした9月からだ。所属するミランで試合に出られなくなり、最終予選で試合勘の欠如やスタミナ不足を露呈するようになった。9月のタイ戦では後半から運動量がガクッと落ち、10月のイラク戦では本田がベンチに下がったあとで山口蛍の決勝ゴールが生まれた。さらに、11月11日のオマーンとの親善試合でヴァイッド・ハリルホジッチ監督が「本田は試合のリズムが足りていないことが確認できた」と語ったことが、不要論に拍車をかけた。 もともと、指揮官の目指す「縦に速いサッカー」と、本田のプレースタイルとの相性は決して良くなかった。本田はゲームの組み立てに関わりながらフィニッシュの局面に顔を出すタイプ。右ウイングを任せられてきたものの、決してスピードがあるわけではない。だから、コンディションのいかんにかかわらず、スタイルの違いや起用ポジションをめぐる問題は、いずれ起きていたかもしれない。ベストでなくても結果を残す その点で、興味深かったのがオマーン戦だった。 プレーメーカータイプではなく、ボール奪取に優れる山口蛍と永木亮太がボランチを務めたことで中盤でのパス回しはシンプルになり、一方、相手のゴール前では本田や清武弘嗣、齋藤学、大迫勇也ら攻撃陣のコンビネーションによって崩しが見られた。練習に臨む本田圭佑(中央)。奥はハリルホジッチ監督=14日、埼玉スタジアム2002(撮影・中井誠) 指揮官の望むスピーディーな攻撃と、日本の強みであるショートパスによる連動した攻撃がうまくマッチしていたように感じられたのだ。 そのなかで、本田のパフォーマンスも決して悪いようには思わなかった。 本田がマークを引き連れてインサイドにポジションを取ることで、右サイドバックの酒井宏樹やトップ下の清武をフリーにする場面が何度か見られ、球離れもよく、ワンタッチ、ツータッチで周囲にボールを預け、前線に走り込んでいた。 ペナルティーエリア内で清武とパス交換をした16分、続けざまにシュートを放った25分、齋藤にロングフィードを送った28分、ミドルシュートを放った57分の場面など、本田がチャンスに絡んだ回数も少なくない。大迫が決めた2点目もゴールシーンでも、山口からのパスを受け、タメを作って清武に預けたのは本田だった。 だが、指揮官のコメントは、ハッパを掛ける意味ではなく、本音だったようだ。13日に行われた戦術練習では本田が主力組から外れ、代わって浅野拓磨が起用されたようなのだ。 もっとも、実際に15日のサウジアラビア戦で浅野がスタメンに抜擢され、本田がベンチに回ったとしても、本田が日本代表に必要ないと結論付けるのは短絡的だ。コンディションがベストでなくても、本田はこれまで結果を残してきたからだ。 9月のUAE戦では先制ゴールを奪い、10月のイラク戦でも清武とのコンビネーションで原口元気のゴールを演出した。オーストラリア戦でも1トップを務め、原口のゴールをアシストし、ハリルジャパンでの9ゴールは依然としてチーム最多の数字だ。「今の時点で、自分が代表から外される理由はない」というコメントを本田が発したのは、結果を残してきたという自負があるからだろう。 また、チームを牽引する本田のリーダーシップとこれまでの経験、精神的支柱としての存在感は、最終予選を戦ううえで依然として必要なものだ。 本田自身、もう一度絶大な信頼を取り戻すのは、自身のパフォーマンス次第だということを理解しているはずだ。本田はオマーン戦の翌日、こんなことを語った。「批判もありがたいことだと思っているし、見返したいという気持ちがなくなってしまえばサッカーを辞めるべきだし、本田はパフォーマンスを上げてきたとか、もう一度本調子に戻してきたって言われないといけないと思っているので、自分で強がって発言するだけじゃなく、実際に明らかに戻ったって言われることも重要だと認識している」 この冬にでもミランを離れ、試合に出られるチームに移籍してベストコンディションを取り戻す必要はあるが、本田が依然としてチームにとって必要な選手であることに変わりはない。

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    本田のリハビリ? ハリルJ、サウジ戦4日前に親善試合の目的

    ビアから白星をもぎ取る歓喜のシーンから逆算した、もうひとつの真剣勝負も幕を開ける。(文責・藤江直人/スポーツライター)

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    香川、本田、岡崎のいないピッチが物語るハリルJ世代交代の鐘

    利とともに、世代交代のゴングが鳴らされたアニバーサリーとして刻まれるかもしれない。(文責・藤江直人/スポーツライター)

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    日本のスポーツ報道は低レベル! サッカー豪州戦は恥ずかしくない

    本チームの現状を考えれば、負けなかったのは最低限の仕事をしたと思う。なかなか上昇気流に乗れないため、スポーツ紙、サッカー誌、サッカー評論家たちの多くが、ハリルホジッチ監督に対する批判(というよりバッシング)をしている。それらを読むと、日本のスポーツジャーナリズムのレベルの低さが情けない。W杯アジア最終予選オーストラリア対日本で競り合う本田圭佑=10月11日 まず第一に、的確かつデータに基ずく客観的な分析が少ないのだ。感情論や印象論だけで批判している。あるいは、出所の定かではないゴシップ的な情報で批判している。典型的な例が、セルジオ越後氏だ。セルジオ越後氏、日本の戦いに「こんな臆病な姿は初めて。恥ずかしい」「勝ち点3を取るサッカーした?」(サッカーキング)「日本代表のワールドカップ予選をこれまでいくつも見てきたけど、こんなに臆病な試合をする姿を見るのはW杯に出場するようになってから初めて。恥ずかしくなってしまった。これまでは勝敗の結果はあるにせよ、対等に戦おうとする姿勢は見せていた。だが、今日の試合は最初から守りに徹し、相手の実力が上であることを認めるサッカーだった。今の日本の実力が、このくらいのレベルなんだということを表していたのではないだろうか」 (中略) 勝ち点3を取りにいくサッカーをした? グループ最大のライバルとのアウェーゲームとは言え、W杯の予選初戦をホームで落としたチームが勝ち点を取り返すためにやるサッカーをしなかった。 (中略) あと以前、金崎夢生に忠告をしていたが、自分が審判に詰め寄る姿も子どもに見せられるようなものではない。抗議するにしてもやりすぎだね。 この人、記憶力はよくないらしい。10月7日の記事には、以下のように書いていた。劇的勝利もセルジオ越後氏「内容はひどい」「原口のような選手がたくさん出てこないと」(サッカーキング)11日のオーストラリア戦は、まともに戦ったら負けるのでは。引き分けを頭に入れた弱者の戦い方も考えなければならない。 結果的には、引き分けになったんだから、セルジオ氏のいうとおりになった。ここは褒めるところじゃないのかな?「弱者の戦いをしろ」といっておきながら、それが「恥ずかしい」とはなにごとだ!自分の発言には責任をもってもらいたいね。守備は豪州戦で回復の兆し 私は弱者の戦い方をしたとは見ていない。勝ち点3を取りに行ったから、開始5分での原口のゴールが生まれた。セルジオ氏には、あの攻めが見えていなかったのか?そのあとが続かなかったことが問題ではあるが、押し込まれる時間が多かったものの、攻めてはいた。毎度の課題で決定機でのシュートが決まらない。 オーストラリア戦の戦い方を、恥ずかしいとは思わない。そもそも、サッカーは「恥」がどうこういうスポーツではない。相手より1点多く取ったチームが勝つスポーツだ。そこに強者も弱者もないし、恥も外聞もない。「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」(フランツ・ベッケンバウアー)日本対オーストラリアの後半、同点のPKを決められるGK西川=10月11日 セルジオ氏が恥ずかしいという弱者のサッカーをしても、勝てばいいのだ。それを体現したのが、南アフリカ大会でのベスト16だった。あの当時のサッカーを続けるというのも、日本サッカーの道ではある。しかし、そうではなく攻撃的なサッカーを目指した。弱者の戦い方から抜けだそうとした。それはある程度までは成功していた。ブラジル大会の前のコンフェデでは、勝てはしなかったが攻撃的なサッカーができていた。コンフェデでのイタリア戦は負けたが、攻撃的で打ち合いのサッカーだった。ザックジャパンは、この試合がピークだったと思う。 攻撃的なサッカーは、副作用をともなった。守備がもろくなってしまったのだ。失点が多くなり、先制しても守りきれなくなった。そして、ブラジル大会で敗退すると、自信を喪失することとなり、攻撃的なサッカーはできなくなった。しかも、もろくなった守備はさらにもろくなり、悪循環に陥った。それは現在も続いていて、回復途上にある。 その守備は、オーストラリア戦で回復の兆しが見えた。失点はPKの1点だけであり、相手のシュートが決まらなかったことに助けられた部分もあるが、鉄壁とはいかないまでもベニヤ板くらいにはなった。その守備が機能していたから、決定機のチャンスを作れていた。問題は、そこで決めきれるかどうか。シュートコースがあと10~30センチずれていれば、という精度の問題だ。それは蹴るタイミングであったり、わずかなボールコントロールの違いだろう。なぜ「求心力」が低下したといえるのか また、「金崎夢生に忠告をしていたが、自分が審判に詰め寄る姿も子どもに見せられるようなものではない」といっているが、この指摘はまったくの別問題だ。金崎選手は、チーム内の監督に向かって不満をぶつけていたが、それはチームの規律を乱す行為だ。対して、監督が審判に抗議するのは、公正な審判を求める抗議であり、チームのための抗議だ。アクションが大きいのは、外国では珍しくない。オーストラリア戦の 後半、酒井高徳が倒され怒鳴るハリルホジッチ監督=10月11日 なぜ、同列に比較できるのか?監督が審判の判断に疑問を抱いても、おとなしくイスに座っている方がいいのだろうか?その方が紳士かもしれないが、選手を鼓舞することにはならない。冷静沈着だったオシム監督でも、抗議するときは激しく抗議していた。それは個人のパーソナリティであると同時に、国民性でもある。どこから出てくる情報なのか、監督解任論がくすぶっているのだが。「日本協会、今月中にもハリル監督進退会議 手腕検証 - 日本代表」(日刊スポーツ)試合後のロッカールームでの第一声「おめでとう」に対し、複数の選手は「何で勝ちにいかないんだ」と吐き捨てた。 (中略) 「後半、監督から守備の方法を変える指示が出て流れが変わった」と話す選手も出るなど、求心力は低下しつつある。11月1日に予定される技術委員会が、続投か否かを含めて協議するため、今月に前倒しになる可能性も出てきた。 「複数の選手」の選手とは誰なんだ?ほんとうに発言したのか疑ってしまう。その発言を、記者の前でいったら大問題だろう。その選手は金崎選手と同様に、代表から降ろされる。「流れが変わった」という発言が、なぜ「求心力の低下」といえるのか?伝聞情報や推測記事としか思えない。スポーツ紙は、なにかと煽る記事を書くのが仕事とはいえ、こういう記事しか書けないようでは、日本のサッカー文化の成長を妨げるものにしかならない。 監督を代えればチームが強くなるわけでもなく、むしろ1から作り直しになるのだから、リスクの方が大きい。ころころ監督を代えることほど愚かな策はない。誰が監督になっても同じなら、セルジオ氏にやらせてみるといい。誰にも文句をいわれない、強いチームになる。ただ、監督ができるライセンスは持っていないようだが。また、岡田さんに頼む?さすがに二度目の途中交代には応じないだろうな。日本代表は必ず這い上がる 分析記事として、よい記事だったのが以下。 ハリルJは悪いゲームをしたわけではない。原口の得点とPK献上に見るハリルの功罪。(小宮良之個人 - Yahoo!ニュース)ボスニア系フランス人指揮官には、戦術を用いるだけの戦略が足りない。オーストラリアを封じ込めたタクティクスと得点シーンは、ハリルの手柄だった。戦術的に良い準備をし、悪くない内容だった(ボールゲーム主体の方が発展性があるという議論とは別に)。交代に関しては批判も浴びているが、戦局は拮抗しており、動きにくかったのも分かる。アウエーゲームとしては、タイ戦からの上積みを感じさせた。 にもかかわらず、全体で失敗した印象になってしまう理由。それは指揮官が持つキャラクターが、良くも悪くもチームを左右してしまっているからだろう。 攻撃的なサッカーを好む監督だから、性格的にも攻撃的だ。逆にいえば、こういう性格だから攻撃的なサッカーを目指しているのだろう。ところが、日本人はこういうとんがった人が苦手(というか嫌い)だ。出る杭は打ての社会なので、バッシングの対象になってしまう。トルシエ監督も似たタイプだったから、けっこう叩かれた。逆に、温厚なオシム監督やザッケローニ監督は、負けると叩かれてはいたが、好感度は高かった。W杯ブラジル大会でコロンビアに敗れた後、サポーターに挨拶するザッケローニ監督ら(当時)  もうひとつ、よかった記事。なぜ日本はアジア王者に負けなかったのか敵地メルボルンで手にした勝ち点1の重み(スポーツナビ)かくして、日本戦では奇策を持ち要らざるを得なかったオーストラリアであったが、日本が戸惑うことなくしっかり対応できていたことについては、個人的に賞賛したいと思う。「(相手が4-4-2でくるのは)スカウティングどおり」と原口が語れば、ディフェンスリーダーの吉田も「10番(クルーズ)とか4番(ケーヒル)とか7番(レッキー)が出てきて、クロスとかあるんだろうなと思っていたので、そんなに怖くはなかった」と言い切る。これらの証言から、相手の奇策をきちんとリサーチしていた日本代表スタッフの綿密な仕事ぶりをうかがい知ることができよう。メルボルンでの勝ち点1は実のところ、日本のスカウティングスタッフの働き抜きにはあり得なかったのである。  ファンとしては、このような情報を知りたい。この記事にあるように、誰がなにを言ったかの情報は重要だ。前出の誰が言ったかわからない発言は、信憑性がない。結果がすべての世界だから、結果を出せば批判の声は少なくなる。次の試合は、11月15日、ホームにサウジアラビアを迎えての一戦。この試合は、最終予選の分水嶺だろうね。勝利して来年につなげて欲しいところ。 ハリルホジッチ監督のチーム作りは、ようやく根付いてきた段階だと思うので、ここからどれだけ巻き返しができるかだろう。これまでの展開は、日本人好みのストーリーでもある。どん底の崖っぷちに立たされて、そこから紆余曲折を経て、不屈の精神で這い上がる。そのストーリーはまだ序盤だ。這い上がることができたときの歓喜は、いかほどだろうか?しかし、這い上がれず挫折してしまうストーリーの分岐もありえる。私は這い上がることを期待しているが、ワクワクしているのだ。(諌山裕公式ブログ 2016年10月12日分を転載)

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    ドローの理由は、ハリルの交代遅れとチグハグな選手起用

     (THE PAGEより転載) グループ首位相手に敵地メルボルンでの勝ち点「1」は、アジア最終予選突破のための最低ラインをクリアしたとも言えるが、勝ち点「3」の獲得も十分に可能だった、つまり勝てた試合だった。 勝てた試合がドローに終わった原因はいくつか考えられる。 一つ目は、後半すぐに同点のPKを与えることになった原口のディフェンスのミス。彼のガムシャラに突っ走る性格が、ここでは裏目に出た。ペナルティエリア内でのプレーだという認識不足。前に入られた相手に対して、勢いを殺すことができず、後ろからぶつかっていけば、ファウルは取られても致し方ない。日本対オーストラリアの後半、同点のPKを決められるGK西川=10月11日 二つ目は、後半の戦術の変化だ。前半はしっかりとプレスをかけて、オーストラリアに前がかりにボールを回させなかったが、後半、PKで同点にされてからは、オーストラリアのパスワークが速くなってスピードが上がった。日本はプレッシャーを受け、体力面でも引き離されたが、ディフェンスラインに長谷部、山口が吸い込まれるほど引いたことでフォーメーションが崩れて前半のリズムを保つことができなくなった。必然、セカンドボールも奪えなくなり、ボールを奪ったケースでも、カウンターへの切り替えが一歩遅く、そこからのパスミスが目立った。 そういう状況を招いたのは、ハリルホジッチ監督のカードの切り方が後手に回ったことも影響している。足のつった小林を清武と代えたのが後半37分、本田を浅野と代えたのが後半39分。イラク戦の交代もそうだったが、タイミングが遅すぎる。清武がピッチに入ってからは、明らかに流れが変わった。終盤に入ってからは、ボールが収められなくなっていたが、清武が入って再びボールが収まるようになっていた。 もっと言えば、スタメンのトップ下に香川、MFに小林を使った意図もよくわからなかった。小林はピッチからほとんど消えていたし、おそらく香川にはもっとボールに絡んでもらいたかったのだろうが、その役割を果たせていなかった。イラク戦に出場した清武の疲労などを考慮しての決断だったのかもしれないが、チグハグな選手起用に見えた。 問題点を指摘したが、もちろん、ポジティブな面もあった。正念場となるサウジアラビア戦 岡崎の故障などがあったにせよ、本田のワントップはハマった。本田のフィジカルの強さとキープ力を生かし、彼を起点に原口を走らせようというプランだったと思うが、そのハリルホジッチ監督の思惑通りの働きを本田は果たした。前半5分の先制ゴールのシーンは、その象徴だった。中盤でボールを奪った原口から長谷部の縦パスを経由して本田がボールをキープ、起点となって“ため”をつくり、距離を走ってオーバーラップしてきた原口が突破して1対1でシュートを決めた。本田の起点、原口の仕掛けと突破力が見事に調和した完璧な連携からのゴールだった。日本代表のハリルホジッチ監督 欲を言えば、起点の本田がもっと2次、3次攻撃に絡んで自らシュートを仕掛けていく場面を作ってもらいたかった。ハリルホジッチ監督が、「本田のプレーには満足しているが、彼のフィジカルがもっと良ければ勝てた」とコメントしたのは、そこへの要求だと思う。だが、それもこれも所属しているミランでの出場機会があれだけ少なければ、コンディションをベストに保てという方が無理なのかもしれない。 11月15日にホームで戦うサウジアラビア戦は、アジア最終予選の前半戦の山場だと思う。ここで勝ち点「3」を奪えなければ、グループBで3位以下の位置から抜け出すことは難しくなる。その正念場の試合まで約1か月の時間がある。 今回の2試合で課題を露呈した本田ら海外組の幾人かが自チームでの立場をどれだけ改善するかが、代表チームの状況に大きな影響を及ぼす。W杯のブラジル大会でグループリーグ敗退を喫した際に、「個を強くすること」をロシア大会までの課題に挙げた選手が何人もいたが、今こそ、所属クラブで個を強する時なのだ。 (文責・城彰二/元日本代表FW)

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    ベンチで屈辱の「最優秀選手」 ミラン本田圭佑は針の筵

    に座っている。イタリア・セリエAのACミランに所属する本田圭佑(30)は、10月30日の試合後、大手スポーツ紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』で最優秀選手を意味するMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)に選出された。ジェノア戦で競り合うACミランの本田(右)=ジェノバ(ロイター=共同) どんな大活躍をしたのか──と思いきや、そうではなかった。本田はこの試合中、ずっとベンチに座っていたのだ。どういうことか。 ミランに1-0の勝利をもたらしたのはイタリア代表のボナベントゥーラのフリーキックだった。相手選手が並んで作った“壁”の下を抜く技ありのゴールだが、実は数日前の練習で本田が同じ形で決めていて、それがヒントになったという。ガゼッタは本田を〈見事な間接的貢献〉と、痛烈に皮肉って、格下相手に1点しか取れなかったチームを批判したのである。 屈辱的な仕打ちも、スポーツライターの杉山茂樹氏は、「今の本田ではしょうがない」と言う。「ミランは近年ずっと低迷しており、2014年の本田加入後も“暗黒時代”が続いていた。エースナンバー“10番”を背負っていることもあり、本田はファンやマスコミから“凋落の象徴”と思われています。しかし本田を起用しなくなった今シーズンの戦績は好調のため、こんな皮肉が出ているのです」 今シーズン、ミランはすでに11試合を消化しているが(11月3日現在)、本田の総出場時間は1試合分にも満たない81分。今冬の中国リーグへの移籍も取り沙汰されている。 日本代表はW杯アジア予選で苦戦が続き、2018年のロシア大会出場に黄信号が灯っている。今後、日本代表での本田の立ち位置はどうなるのか。「アタッカー(攻撃陣)としては厳しいと思う。しかし本田はピッチにいるだけで精神的支柱となれる選手。サイドバックやボランチといったよりディフェンシブな位置で起用してみてもいいかもしれません」(杉山氏) ベンチにいるだけでも“大活躍”できることは、すでに証明済みなのだが。関連記事■ 上戸彩が親しい知人に相談「万が一離婚したら子供は私が…」■ 三田寛子 中村芝翫を支える貫禄の「あくび姿」■ 堀江貴文氏 「本田圭佑は誤解されている」■ 酒井法子を直撃 「45歳のビキニ写真集」の第2弾は?■ 女性暴行東大生「みんな死ねばいいのに」発言の真意を直撃

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    堀江貴文氏 「本田圭佑は誤解されている」

     サッカーW杯アジア最終予選で、依然として厳しい戦いが続く日本代表。その精神的支柱でもある本田圭佑を、「次元の異なる存在」と評価するのが堀江貴文氏だ。堀江氏は新著『ウシジマくんvs. ホリエモン 人生はカネじゃない!』の中でも、自身の経験と比較しなら本田の心情について独自分析している。堀江氏が語る。堀江貴文氏「本田圭佑の発想は、抜きんでて先を行っている。しかし、30歳の今、サッカー界での自分のポジションに納得がいかないのだろう。本当なら、日本代表でW杯をとっくに制して、もっとずっと先に行っていなければいけないのに。現状にとどまっている自分が歯がゆいのだと思う」(以下、「」内は堀江氏) 堀江氏がこう推測するに至った背景には、同じ30歳の頃の自分の姿があるという。東京大学在学中に起業した堀江氏はすぐに経営が軌道に乗り、急成長。「ネットビジネスの旗手」としてマスコミなどにたびたび取り上げられた。だが、当時の心境は必ずしも喜びに満ち溢れていたわけではなかったようだ。堀江氏が吐露する。「会社経営がうまくいって、どんなに周りから褒められても嬉しくはなかった。本当に行きつきたいところは、はるか遠くだったからだ。本田の言動やスタイルは唯我独尊すぎると、批判があるようだけれど、誤解されている。彼が追っているビジョンに、まだ大多数の人が追いついていないだけだ」 同書の中で堀江氏は、本田のビジネスマンとしての有能な一面も紹介。現在、本田がビジネスで積極的に投資している「有望な種」は、「10年もしないうちに大きな実をつけるだろう」と予測している。◆堀江貴文(ほりえ・たかふみ)1972年、福岡県生まれ。実業家。SNS media&consulting株式会社ファウンダー。ライブドア元代表取締役CEO。東京大学在学中の1996年起業。以後、プロ野球参入やニッポン放送の買収表明、総選挙立候補など次々と脚光を浴びる。現在は、自身が手がけるロケットエンジン開発など様々な事業で幅広く活躍。最新刊は『ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない!』。関連記事■ 堀江貴文氏 「元カノの急死」で心境語る■ 堀江貴文氏 収監前に太田在とヨリ戻して仮出所後も一緒に寿司■ 堀江貴文氏 「日本人の99%は洗脳されている」■ 堀江貴文氏 「親ほど信用ならない人種はいない」■ 堀江氏赤ちゃん睡眠薬言及「そこを議論したかったのではない」

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    騒げば騒ぐほど遠のく五輪メダル リオで日本が結果を残せた理由

    春日良一(スポーツコンサルタント) リオ五輪が聖火台の火を消し、閉会した。日本は史上最多のメダル41個を獲得したことで喜びに沸いているが、選手強化という観点から言えば、金メダルの数こそが当然重要になる。リオ五輪で日本は12個の金メダルを獲得した。1964年の東京、2004年のアテネの16個には及ばなかったが、1972年ミュンヘンの13個に続く数字である。そもそも国別メダルランキングなるものは五輪憲章が否定している。だが、その国のスポーツ力を測る指針としてメダル数を考えるならば、金メダルの数が参照されるべきである。一番と二番の差は大きく、トップの座を射止める力こそスポーツ力の証明となるからだ。リオ五輪の閉会式で、入場する日本選手団。日本は史上最多41個のメダルを獲得、2020年東京五輪に夢をつないだ(共同) 前回大会のロンドン五輪の7個から12個への飛躍は、確かに成長としてとらえてもいいだろう。その要因はどこにあったのか。ナショナルトレーニングセンターの設立と活用、2020年東京五輪へのモチベーションと強化プランなど様々な外的要因が挙げられるだろう。もちろん一つの要因が全てを説明できるわけではない。そこで、私は選手団本部の経験者としての視点から考えたい。選手がその力を発揮しなければならない現場にある選手団本部が、どのように選手に関わるか。その関わり方が地味でありながらも、メダルの結果に少なからず繋がっているように思えるからである。 一体、選手団本部とは何か。日本オリンピック委員会(JOC)は五輪やアジア大会への参加のために日本代表選手団を形成するが、その構成の中心に本部と呼ばれる統括的機能を設けている。本部は選手村内に設置され、選手と役員を24時間体制でケアする。 1982年、インドはニューデリーで開催された第9回アジア競技大会の日本代表選手団本部が私にとって初めての選手団体験である。選手団本部は団長、副団長、強化担当役員、総務担当役員、渉外担当役員などが設けられ、その下に本部員が配属されて選手団運営に関わる。私は渉外担当として、組織委員会や各国選手団との折衝が主な仕事であったので、アジア大会が重視する文化交流に重きを置いた活動が中心であった。 しかし選手団役員にとって、最も大事なことはメダルの数、特に金メダルの数であった。それに気づくには一日とかからなかった。それまでアジアトップの座を譲らなかった日本が、この大会で中国に越される可能性があったからだ。それで団長以下、競技の結果に一喜一憂する姿を日々見ることになった。本部室の壁には金メダル、銀メダル、銅メダルの大きな一覧表が作られる。金を取ればそこに選手名が書かれる。まるで国政選挙の政党開票センターにいるかのようだ。「天才スイマー」を押しつぶした選手団長崎宏子(1983年撮影) 時の団長は水連会長の藤田明。中国勢にメダル競争で圧倒されそうになる中、長崎宏子が三つの金メダルを取るという快挙をなしとげ、団長のメンツは保たれた、しかし、こうした日本選手団のあり方に、現地組織委員会のコンパニオンを務めるニューデリー大学の精鋭たちは「日本は文化交流のためにインドに来たのではないのか? 文化行事には一切出席しないし、まるで金メダルを取りにきた狩人みたいだ」と言った。この言葉は選手団本部新人の私にも、メダル至上主義ぶりが選手団本部のあり方として本当に正しいのだろうかという疑問を抱かせた。その疑問は、2年後のロサンゼルス五輪でさらに深いものになるのである。 1984年のロサンゼルス五輪は「片肺五輪」と呼ばれた。前大会のモスクワ五輪がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西側諸国の政治的圧力でボイコットを受けたお返しに、今度は共産圏の諸国が参加しなかったからだ。小学生でモスクワ五輪代表に選ばれてから、日本新記録を更新し続け、前年のプレオリンピックで1位となった水泳界の彗星、長崎宏子には長年低迷を続けた日本水泳界の期待がかかっていた。水泳界はもちろんのことだが、日本のメディアもプレ五輪で地元の新聞に「かわいい日本人形が1位となった!」と形容された長崎をずっと追いかけた。 当時の日本体育協会(体協)競技力向上委員長を務めた水泳出身の福山信義は真剣に日本の選手強化に取り組んでおり、水泳に初めて高地トレーニングを採用した。それまで絶好調だった長崎は、開催年に入ってから平泳ぎ特有の膝痛に悩まされ始めていた。しかし、ナショナルチームの新しいトレーニングに取り組む姿勢を崩すわけにはいかず、休むことなく練習し続けた。16歳の少女にかかる重圧は相当なものであったにもかかわらず、膝痛を緩和する手段に体制は頓着しなかったのである。 選手団全体がメダルの数を追い求める中で、私自身はこのままだと長崎はベストパフォーマンスに至らず終わってしまうかもしれないと不安だった。「ライバルだった東ドイツの選手は出ない。普通に泳げばメダルは確実なはずだ」。そう見込んでいた多くの関係者の期待にクエスチョンマークを付けたのは私だけだったかもしれない。結果は平泳ぎ200メートル4位、100メートル6位、ともに入賞だったが、「敗北」と表現された。この時の選手団本部の体制では選手にプレッシャーをかけるだけの機能しか果たせずに終わったのである。ただ金メダル総数が体操などの活躍で10という二ケタになったことで、かろうじて成功と言い訳ができたに過ぎなかった。JOC独立を促したソウル五輪の「惨敗」 この頃、選手強化を司る競技力向上委員会は、ナショナルトレーニングセンターを設立して国を挙げての選手育成計画を策定するべく「21世紀プラン」を策定した。これには西ドイツのゴールデンプランなど各スポーツ先進国の視察や情報収集などを含めた長年の努力が蓄積されていた。だが、素晴らしいプランはできあがったものの、その実践にはなかなか踏み出せなかった。予算の目途が立たなかったのである。実はこの「21世紀プラン」が、1993年に発足するJリーグの百年構想の土台であったことはあまり知られていない。ソウル五輪の開会式で旗手をつとめるシンクロナイズドスイミングの小谷実可子=1988年9月17日 1988年のソウル五輪は2大会ぶりの西も東も参加する「完全」五輪となった。その大会で日本はわずか4つの金メダルに終わる。このいわゆる「惨敗」が契機となり、JOC独立論が浮上する。それまで体協の一委員会として、日本を代表する国内オリンピック委員会だったJOCが体協から独立して独自に選手強化を進めなければ、日本のスポーツ力は発展が見込めないという危機感からであった。多大な労力を費やして策定した「21世紀プラン」も机上の空論とされ、予算がつかぬままの状態であった。 一刻も早くこの状況を改革しなければならないという切羽詰まった危機感がJOC独立を促進した。そして体協の若手役員が結成する会が中心となってJOC独立を密かに進めた。その中心に西武鉄道のオーナー、堤義明もいた。堤はJOCが自ら選手強化資金を捻出できる組織になり、それによって選手強化の理想的なプランを実現するようにならなければと考えていた。 そして1989年8月、JOCは独立した。それからすべてが一変していく。これまで取り入れられなかった若手職員の意見が抽出される環境に変わった。 ソウル五輪までの選手団本部の実情はこうだった。相変わらずメダル獲得者一覧の大きなボードが本部を占める。そこに競技担当、輸送担当、総務担当などのオフィスがある。それぞれの競技を応援に行く役員たちの世話に追われる。選手をサポートするための労力はそちらにそがれる。さらに試合が終わり、夜のとばりが下りれば、別室に設けられた役員サロンがオープンする。 そこでは体協部長クラスの本部役員が、その他の本部役員と競技力会談を毎夜開く。しかし中身はと言えば「今日は良かった。○○でメダルが取れたから」程度の話である。そしてウィスキーのボトルがどんどん空いていく。本部役員におべっかを使う競技団体の監督も加わり、そのサロンは毎夜大盛況となる。真摯な戦略会議は選手とコーチに任せ、自分たちは大会を楽しむ。あわよくばメダルをたくさん持って帰れれば、体協での地位も安泰。メダルが取れなければ、それはそれで選手と選手強化策の至らなさと言えばすむ。選手サポートの弊害となった日本の悪習 かような選手団本部を改革したいと思っていた私にとって、1989年のJOC独立は希望あふれる出発だった。当面は、長野五輪招致に専念せざるを得なかったが、その成功後、1992年のバルセロナ五輪は新生JOC最初の夏の五輪であり、その本部構成はまさに選手のための機能集団とするべく考えられたものになった。 日本の選手団本部役員は、いわゆる名誉職である団長、副団長、総務主事、その他役員と実務を司る事務局で構成される。対組織委員会対策、他国選手団対策などの実務は本来「Chef de Mission」と言われる団長がすべて司ることになっている。しかし、日本語での団長はあくまでも名誉職であり、かような実務を団長に任せることはできない。バルセロナ五輪の団長が時のJOC会長、古橋廣之進(水連会長)であったと言えば納得いただけると思う。「フジヤマのトビウオ」に資格認定交渉や選手村配宿交渉を託すことができようか。閉会式に先立って、大会を総括した日本選手団の橋本聖子団長(右)と山下泰裕副団長=8月21日、メインプレスセンター(森田達也撮影) そこで機能集団とするために本部員以下で構成する本部役員会を作り上げた。まず私自身をActing Chef de Mission(団長代行)にして、組織委員会や他国NOCそして国際オリンピック委員会(IOC)との交渉を選手団代表としてすべて取り仕切った。そこから本部員に選手のための労働を託していった。いわゆる「チーム」を作ったのである。これによって、逆にその「チーム」を支援しようと実際に仕事をする役員が出てくるようになった。役員と選手の壁が消え、日本代表選手団が風通しの良い機能集団に変わろうとしていた。 これがなぜ重要かというと、選手やコーチたちと本部の信頼関係が築けるからである。本部に行って相談すれば大丈夫という安心感が競技に及ぼす影響は大きい。体調の悪い時にリラックスして話せる本部と、体調が悪いなどと言えず「頑張ってきます」としか言えない本部の違いと言ったらわかりやすいだろうか。 また、日本選手団を編成する場合、JOCは選手団編成委員会を設けて、各競技団体の代表と折衝する。五輪憲章とIFの規定に基づき組織委員会が決めたエントリーフォームに基づいて選手数と役員数が必然的に決まるために、その枠内での交渉となる。選手数が決まれば役員数が決まるが、この役員の人選は競技団体に任される。そしてここに日本独特の慣習があり、それが選手サポートの弊害になっていた。五輪選手団に入るという名誉を得たい役員が山ほどいる競技団体では、選手のためではなく、役員のための論理を働かせるからだ。競技団体に長年尽くしてきてくれたのだから、褒賞として今度の五輪の総監督に推すなど、まさに年功序列というべきか。あの選手の専属コーチを選手のために役員枠に入れてあげようという発想には決してならないのである。メダルの先にあるものを目指さなければメダルは手元に来ない 当然ながら、実際に困るのは選手である。その選手を助けるために私ができたことは、枠外役員交渉である。枠外役員、いわゆるExtra Officialである。組織委員会は選手村に入れる役員数を上回る必要な役員については、各NOCとの交渉に付す。これは1984年のロサンゼルス五輪から出てきた概念であり、1998年のカルガリー冬季五輪から資格認定カード(ADカード)とともにしっかりと定義づけられた。そこで、本当に役に立つ役員に対してADカードを出すために組織委員会と交渉するのである。それによって「選手のための役員」を帯同することができる。この交渉によって、私が取得したExtra OfficialのADカードの数は常に他のNOCを上回った。本来ならば、本当に必要な役員を選手と同様に選考するシステムがあればいいのだが、それができないときの苦肉の策であった。 しかし最も大切なのは、選手団本部が選手のための機能集団であるとJOCに根付かせたことである。 こうした選手団本部の変革がすぐに奏功したのが、競泳女子200メートル平泳ぎの岩崎恭子の金メダルではないだろうか。ロサンゼルス五輪で日本を一人で背負って戦った長崎宏子が果たせなかった夢を、14歳の無垢なアスリートが誰の注目も浴びずにやってのけた瞬間だった。選手団本部が機能集団化することで選手と本部の垣根が取り払われ、信頼関係が生まれる。選手は自分に集中しながら、選手村生活を快適に送ることができる。バルセロナの選手村の風通しの良さが起こしたとも言える奇跡だった。バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで優勝、史上最年少で金メダルに輝いた岩崎恭子=1992年7月27日 あれから24年もたったリオ五輪。12個の金メダルを獲得した。バルセロナの4倍ということになる。日本選手団本部の改革が浸透してきた証と見る。 私は「メダル、メダル」と騒げば騒ぐほど、メダルが遠のく気がしていた。なぜか。メダルの先にあるものを目指さなければメダルは手元に来ないからだ。JOCは必ず大会前に金メダル獲得目標を掲げる。しかし、それが達成されたことがあるのは1964年東京五輪だけだ。 時の強化本部長の大島鎌吉日本選手団団長は「15個の金メダル」を約束した。そして、16個を獲得した。大島は後にオリンピック平和賞を授与されるほど、スポーツで世界平和の構築を掲げるオリンピック精神を持った哲学者であり実践家でもあった。彼の金メダルの先には平和があった。 既にJOCは2020年東京五輪で金メダルを20~33個獲得して世界3位に入るという目標を掲げている。だが、その心の奥にメダルを超えるゴールを持っていなければ実現できない。そのことに気付いた人材がリーダーシップを取っていれば、また何か新しい風が吹くだろう。今はそれを期待するしかない。 選手は選手自身のゴールのために、そして役員はその選手のゴールのために! そういう選手団本部が完成すれば、さらなる飛躍が望めるはずだ。吉田沙保里を育てた栄和人コーチが語っていたではないか。「選手の夢を実現させることだけが私の仕事、それ以外はいらない」と。

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    五輪3回出場、障害馬術の第一人者が教える「本番で結果を出せる人」

    らの助言を柔軟に取り入れます。だから本番でも結果が出せ、スランプに陥ることもないのです。 これは他のスポーツはもちろん、ビジネスでも同じでしょう。職場では監督・コーチは上司にあたると思います。皆さんもいろいろと細かい要望や指摘をされ、うんざりするといった経験がある方も多いと思います。 アドバイスをするコーチ 特に入社3~10年目くらいで、1人である程度仕事をこなせるようになり、成功体験も持ち始めた頃のビジネスパーソンに多いのではないでしょうか。 自分の感覚を持つことはもちろん重要ですが、客観的な意見に素直に耳を傾け、時には自己流を軌道修正することが、結果を追い求める上では重要なのです。人間も馬も「押し付け」には反発する 結果を出せる人は「意思の強い人」というイメージを持っている方も多いと思います。もちろん、自分の意思を貫き通すことは悪いことではありません。しかし、個人競技ならともかく、チーム競技になるとそれだけではうまくいきません。自分の意思を押し通すことで、相手の感情を害し、それが物事を悪い方向に進めてしまうことが多々あるからです。実際、トップアスリートの多くは強い意思を持ちつつも、「相手の感情」を尊重するという特徴があります。 実は、これは馬術においても一緒です。相手は『馬』ですが、馬も人間と同じく意思を持つ生き物です。そのため、選手の指示を受け入れてくれないこともあるのです。 そんなときに、ムチを使って自分の意のままに馬を動かそうとすると、逆に反発され、障害でミスをしたり馬が立ち止まってしまったりすることになります。それが嵩じて、落馬という事故につながることもあります。 これは、センスの良い馬を相手にしているときほど当てはまります。結果を残せる選手は、その時々の馬の状態を正確に察知し、『馬が力を100%発揮できているか』『気持ちよく障害を飛べているか』を常に意識しているのです。最後は「メンタルトレーニング」が勝負を分ける優秀なスタッフほど「相手の感情」に寄り添う 相手が人間の場合も同様です。交渉の際、自分の意思を押し付け“相手をコントロールしてやろう”というマインドでは、物事をうまく進めることはできません。相手の経験やスキルが自分よりも優れている場合、反対に相手の意のままに操られてしまうこともあります。 私は、障害馬術選手の育成以外に、乗馬クラブクレインの関東にある6つの事業所の運営責任者も担っていますが、やはり優秀なスタッフほど「相手の感情を意識する」ことを心がけているように思います。 乗馬体験にいらっしゃるお客様や新たに入会したいというお客様に対し、一方的に伝えたいことを話すのではなく、「相手がなぜ乗馬に興味を持ったのか」「何がネックになっているのか」「心地よい空間と感じてくれているか」を意識して話を進められるスタッフほど、お客様との関係構築も上手くいきますし、結果にもつながっているようです。「いつも通り」ができないと、馬は混乱する 本番に強い人の最後の条件、それは「普段から本番を意識したメンタルトレーニングを行なっているかどうか」ということです。 意外と知られていませんが、障害馬術という競技は当日までどのようなコースを走るのか、どういった障害が設置されているのか開示されません。人間だけは下見といって、本番15分前にコースを歩くことができるのですが、馬は本番で初めてそのコースを走ることになります。 人間の役割は、15分の間に障害と障害の間を馬に何歩で走らせるか、ミスなく早くゴールするために、どこで勝負をかけるかを判断すること。そして何より重要なのが、普段の練習時と変わらない乗り方をすることです。 たとえば、人間が緊張していつもとはコントロールの加減が違ったりすると、馬は「あれ? いつもの指示とは違うな。どう動けばいいんだ?」と混乱してしまうのです。 競技自体はわずか2~3分程度なので、緊張で通常通りの乗り方ができないと、立て直す間もなく競技はあっという間に終わってしまいます。最後は「メンタルトレーニング」が勝負を分ける 本番でいつも通りの乗り方をするためには、普段の練習の際から本番を想定したメンタルトレーニングをしておくことが何よりも重要です。 私は今年58歳になりましたが、現役の障害馬術選手として大会に出場しています。 本番で最高のパフォーマンスをするために、練習を行なう際は、『これはすごく大きな大会……観客もたくさんいる……周りの選手にもカッコ悪いところは見せられない!』と本番と同じ心理状況に持っていき、障害を飛ぶようにしています。練習でこれを繰り返すことで、プレッシャーを味方につけ、緊張すればするほど結果を出せる体質に変わってきました。 仕事も同様だと思います。いくらプレゼンの練習をしたところで、本番では相手がみな難しい顔をしていて最悪の雰囲気の中で話をしなくてはならないこともありますし、予測もしなかった質問が飛び交ったりもします。そうした“いつもとは違う状況”で力を発揮するには、普段から意図的にその状況を作り出し、トレーニングをする必要があります。 この時のポイントは、環境だけでなく意識もその状況下に置かれた状態に持っていくことです。プレゼンであれば、自分の話す内容だけを練習するのではなく、その場の緊張感などを想定し練習をするのです。たとえば「ドアを開けた瞬間、5名の参加者が座っている。笑顔はなく部屋全体が緊張感に包まれ、全ての視線が自分に注がれている。心臓の音も聞こえるし、手にも汗をかきはじめた。声も上ずってしまいそうだ。この空気に飲み込まれてはいけない」などと、できるだけ具体的に、本番に置かれるであろう心理状況に近づけるのです。「キャリアを積み重ねても、人の意見に素直に耳を傾けること」「相手の意思を尊重すること」「本番を意識したメンタルトレーニング」を意識することで、本番で結果を残せる人材を目指しましょう。なかの・よしひろ 乗馬クラブクレイン取締役。過去4回オリンピックへの出場(内1回は直前で棄権)を果たすなど、日本のトップ障害馬術選手として活躍。アジア大会では、2度(ソウル[‘86年]・広島[’93])団体で金メダルを獲得。2005年には、国内競技500勝を達成する。現在は、乗馬クラブクレインの関東圏にある6事業所を束ねる支社長と障害馬術部門のコーチを務めるほか、公益社団法人日本馬術連盟の障害馬術本部副強化委員を兼務し、若手選手の育成や大会運営などにも力を注ぐ。関連記事■ 山本昌・野球界最年長投手のやる気の源とは?■ 『スッキリ!!』の敏腕リポーターが語る「強い自分の作り方」■ 「仕事より健康優先」がハイパフォーマンスを実現する

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    競泳のスターは「KY男」 ロクテが払う高すぎるウソの代償

    入が約2億5000万円に達したと報じている。有名ファッション誌の表紙を飾ったこともあり、現役引退後はスポーツ界だけではなく、ショービズの世界やビジネスの世界でも活躍できるのではないかという声もあったほどだ。しかし、リオ五輪期間中に報道陣に対して語った強盗被害の話が捏造されたものであったことが判明し、選手生活の晩節を自ら発した言葉で汚してしまった。競泳男子金メダリストのライアン・ロクテ選手=8月9日、リオデジャネイロ(AP=共同) 8月14日、ロクテと3人の米代表競泳選手は、銃を持った4人組に銃を突き付けられ、そのままタクシーから引きずり出されて現金を奪われたと訴えた。翌日にロクテはリオデジャネイロ市内で米NBCテレビの取材に対し、路上強盗を行った4人組は警察官の制服を着ていたと語った。ロクテは16日に早々とアメリカに帰国している。 リオデジャネイロの治安が極めて悪いという指摘に異論はない。今年1月から5月の間にリオデジャネイロ州で発生した殺人事件は2083件。昨年の同時期と比較して、13パーセントの増加だ。 単純に計算しても、1カ月の間に400人以上が殺害されており、ニューヨーク市や日本全体で1年間に発生する殺人事件の件数を超えている。国連薬物犯罪事務所が発表した統計によると、2014年にブラジル全土で発生した殺人事件は5万674件で、他国を大きく引き離す形で世界ワーストとなっている。年間1万件以上の殺人が発生する11カ国の中で、約半数となる5カ国がアメリカ大陸(アメリカ、ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、コロンビア)にあるのも悲しい現実だ。警察官が犯罪に加担するブラジルの現実 もう一つの現実として、警察官が犯罪に加担するケースが珍しくない国内事情がある。ブラジルを含めたラテンアメリカの国々では、現職警察官が誘拐や麻薬ビジネス、契約殺人などに手を染めるケースがたびたび報道されている。先月24日にはニュージーランド人柔術選手が、リオデジャネイロ市内で警察官に銃を突きつけられ、しばらく拉致される事件も発生している。複数のメディアによると、自家用車でリオ市内のハイウェイを走行中、複数の警察官から停車を求められたこの選手は、停車後すぐに銃を突きつけられた。警察官が用意していた別の車に乗せられると、市内にある数カ所のATMに連行され、総額で約8万円を引き出して手渡したところで解放された。警察官は「今起きたことを他言するな」と言って立ち去ったのだという。 リオの犯罪事情などを考えると、ありえない話ではないため、当初はロクテの話に同情を示すメディアやファンも少なくなかった。しかし、ロクテらの話に疑問を抱いたリオ警察は捜査を開始。それぞれの選手の話に矛盾点が存在することを見抜き、ロクテ以外の3選手をブラジルから出国させず、事情聴取を続けた。男子4×200mリレーの予選でロクテと共に出場していたガナー・ベンツとジャック・コンガーの2選手は、18日にブラジルを出国しようとしたが、警察によってすでに搭乗していた旅客機から離陸寸前におろされ、パスポートを押収されていた。2人は「目撃者」として証言することを求められ、証言を終えた同日夜にブラジルを出国している。リオデジャネイロ近郊のレブロンの警察署を出る米男子競泳代表のガナー・ベンツ(左)とジャック・コンガー両選手=8月18日(AP) ロクテと共に虚偽の証言を行った容疑で地元の捜査当局から事情を聴かれていたジェームズ・フェイゲン選手は、18日になって事件当初とは異なる説明を行った。担当の弁護士がAP通信に語ったところによると、約1万ドルの罰金を支払ったのち、フェイゲン選手はパスポートを返却してもらい、アメリカに帰国する予定だ。 防犯カメラの映像や、目撃者の証言から、ロクテら4人が選手村に戻る直前にリオ市内西部のガソリンスタンドに立ち寄っていたことが判明した。4人はタクシーで移動していたが、トイレを借りる目的でガソリンスタンドに立ち寄った。酔った状態でガソリンスタンドに立ち寄った4人のうち、何人かが(詳細は不明だ)トイレの鏡や扉を壊し、床に放尿した。ロクテがトイレの外で広告を破り捨てると、4人は再びタクシーに乗り込もうとした。しかし、4人は店員と警備員に呼び止められる。ベンツは19日に発表した声明によると、警備員につかみかかろうとしたロクテをベンツらが制止する一幕もあったのだという。結局4人は現金を手渡し、その場を去ったのだという。ロクテはなぜ嘘をついたのかロクテはなぜ嘘をついたのか リオ五輪では選手村で盗難事件が相次いで発生し、ナミビアとモロッコの代表選手がそれぞれ選手村で女性の清掃員に対する性的暴行容疑で逮捕されている。アスリートが被害に遭うケースもあれば、逆にアスリートが加害者となったケースも発生した。しかし、アメリカの有名アスリートがリオ市内で破壊行為を行った挙句、地元の警察官らしきグループに銃を突きつけられて現金を奪われたとメディアに訴えたケースは前代未聞で、米メディアは「醜いアメリカ人」という表現でロクテらを強烈に批判している。 「醜いアメリカ人」とは、主にアメリカ国外で地元の人とトラブルになるアメリカ人旅行者を指す言葉で、英語を話すことのできない地元民を大声で罵ったりする、視野が狭く傲慢なアメリカ人のステレオタイプとなっている。ロクテらが関与した事件では、通常の「醜いアメリカ人」とは異なるケースだが、自らの不祥事を覆い隠す為に、地元の治安や警察官による犯罪を利用したことに同情を示すメディアはない。 スポーツ界のスターが海外でトラブルに巻き込まれたケースは過去にも存在する。オリンピックではないものの、有名な話ではサッカーのイングランド代表の主力選手がコロンビアで宝石を盗んだ容疑で逮捕された事件がある。1970年5月、イングランド代表はワールドカップ・メキシコ大会直前に高地トレーニングをコロンビアのボゴタで行っていた。練習が終わってホテルに戻ったキャプテンのボビー・ムーアと攻撃陣の主力であったボビー・チャールトンは、チャールトンの妻へのプレゼントを探す為にホテルのロビーの近くにあったギフトショップに足を運んだ。買いたいものが特に無かったため、店を出ようとしたムーアらに対し、ギフトショップの店員がブレスレットを盗んだと主張。 ムーアとチャールトンはその場で身体検査をしてもらってもいいと反論。結局ブレスレットは見つからなかった。イングランド代表はその後、コロンビアと親善試合を行い、エクアドルでも親善試合を行った。2試合を終えて、イングランドはコロンビア経由でメキシコ入りするため、ボゴタで約5時間の乗り継ぎ時間を過ごすことになった。その際に、ムーアが窃盗の容疑でコロンビア警察に逮捕され、当局によって拘束された。結局、その後の取り調べでもムーアがブレスレットを盗んだという証拠は見つからず、起訴が見送られたムーアはメキシコ大会に出場している。この事件には現在も不明な点が多く、チームの精神的支柱であった主将のムーアを狙い撃ちにしてチームに揺さぶりをかけようとした者が仕組んだという陰謀論まで語られる始末だが、真相は謎のままだ。 ロクテらが関与した事件でも、なぜ捏造した話をメディアに伝える必要があったのかは不明だ。ガソリンスタンドで破壊行為を行ったことを隠ぺいしたかったという説に加えて、ロクテらが2人の女性とパーティー会場を後にしていたという話も地元メディアによって報じられており、ガソリンスタンドでの一件が公になることでガールフレンドに2人の女性の存在を知られることを恐れた4人の誰かをかばうために話をでっち上げたのではないかという指摘もある。こちらも真相は不明だが、ガソリンスタンドのトイレなどが4人によって壊されたことだけは事実だ。4年後の東京目指す?無神経さに非難集中4年後の東京目指す?無神経さに非難集中 俗にいう「KY」という言葉が、ロクテの性格を形容するのに最も適しているのかもしれない。路上強盗の被害に遭ったと主張する他の3人が、リオデジャネイロで地元警察から事情聴取されていた16日夜、すでにアメリカに戻ったロクテはツイッターに「髪の毛の色を普通の色に戻そうと思うんだ」と投稿。のちに路上強盗そのものが虚言だったことが判明すると、仲間をブラジルに残したまま、アメリカで髪の毛の色についてツイートするロクテの無神経さに非難が集中した。リオ五輪の米競泳代表、ライアン・ロクテ選手の強盗狂言について報じた米ニューヨークの地元紙=8月19日(ロイター) ロクテは18日にインスタグラムで、事件について謝罪。自身の非を認めながらも、「違う国で、違う言葉が飛び交う中で銃を向けられる経験はトラウマを引き起こしそうです」と釈明し、再びネット上で炎上騒ぎを起こしている。リオ五輪の開幕前、女子サッカーの米代表ゴールキーパーとして日本でもよく知られる存在のホープ・ソロが、インスタグラムに虫よけの防護服を着て虫刺され薬を手にする写真を「あなた方も忘れずに」というメッセージを付けて投稿。ソロにとってはジョークのつもりだった写真は、ジカ熱が大きな問題となっていたブラジルで、ブラジル人を侮辱する投稿として受け止められた。アメリカ代表の試合でソロがボールに触れるたびに、会場からは「ジカ!」というチャントがソロに浴びせられた。ソロの写真とは異なるケースとはいえ、自ら起こした不祥事をブラジルの治安の悪さにすり替えようとしたロクテの行動に憤るブラジル人は少なくない。 米オリンピック委員会と米水泳連盟は、ロクテを含む4人の競泳選手に対し何らかの制裁も検討していることを明らかにしたが、リオ五輪が現役生活最後のオリンピックになるだろうと思われたロクテは、2020年の東京五輪にもアメリカ代表の一員として出場を目指したいと報道陣に語っている。こちらは虚言ではないようだ。肉体の衰えはトレーニングでカバーできるかもしれないが、今回の事件で崩壊してしまったロールモデルとしてのイメージや、チームメイトや関係者から失った信頼を取り戻すには、4年という時間は短すぎるだろう。