検索ワード:スポーツ/154件ヒットしました

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    ファンディーナに魅せられた私

    2017年4月、牡馬クラシック「皐月賞」で69年ぶりの牝馬優勝に挑戦した馬がいた。その名はファンディーナ。9馬身差をつけたデビュー戦から3連勝し、「怪物」と呼ばれるも、皐月賞では7着に終わる。再び彼女の輝く姿を見たい。天才牝馬の復活に向けた闘いを追った。■動画のテーマはこちら

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    高野連の「おバカ規則」が腹立たしい

    中学生を練習に参加させただけでセンバツ推薦を辞退する―。こんなバカげた話があるかと言いたくなるようなネタだが、高校野球のルールではこれは決して言い逃れできない「不祥事」である。もともとは勧誘行為の禁止が目的だったとはいえ、野球人気が下火になった今、そこまで厳格さを求める必要があるのか。

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    人はなぜ競馬に魅せられるのか

    菊池寛や吉川英治といった文豪の多くが競馬をこよなく愛したことはよく知られている。疾風のごとく駆け抜ける馬の姿に、ギャンブルにとどまらない魅力を感じるのだろうが、なぜ、これほどまで人の心をつかむのだろうか。まったく興味のない方が多いことも承知の上だが、今回は文豪たちの視点で競馬の魅力を探ってみた。

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    競馬を文学に昇華させようとした寺山修司の挑戦

    清水義和(愛知学院大客員教授)  見知らぬ女から一通の手紙が届いた。封を切ると、きれいなペン字で、「昨日、千葉のマザー牧場へ行って、一頭の老馬に逢ってきました」と、書いてあった。「聞くと、その馬はユリシーズという名でした。ユリシーズは今も元気で、子供たちのための乗馬として、みんなに可愛がられておりますから、御安心ください、と牧場の方が言っておりました」 私はその手紙を読んで、むかし別れた女の消息を聞くような、てれくささと懐かしさで胸が一杯になってきた。ユリシーズ! それは私にとって忘れられない馬の名だったのである。(寺山修司『旅路の果て』新書館) 弘前生まれの寺山修司(※1)は往年の競争馬が草競馬で走る落剝した姿を見て胸を熱くした。だが、中央競馬以外を知るきっかけになったのは、ユリシーズの馬主となり地方競馬を見る機会を得たおかげである。自身の所有馬にジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』の名を付けた。この馬は、カーブも曲がり切れず真直ぐ走る癖があり、寺山は曲がったことが嫌いな性格に魅せられた。ユリシーズが中央競馬でスターになれず、引退した後、草競馬や馬肉でなく、マザー牧場で子供の乗馬になる余生が選ばれたのは思いやりからだったという。歌人、劇作家で劇団「天井桟敷」主宰の寺山修司=1972年5月 歌人で劇作家の寺山が騎手の吉永正人の伝記を書いた。吉永はレース中、他の競走馬からポツンと離れて走る一風変わった騎手だ。吉永は競馬を客観的に見る孤高の思考回路があると信じ寺山はユーモアあふれたエッセイを書いた。 寺山の競馬論を読むと、馬のスピード感が好きだったことが分かる。「暴力としての言語―詩論まで時速100キロ」「時速100キロの人生相談」と表題に冠した。寺山は47年の短い人生を全力疾走し、生命を愛しむように次々と新しいアイデアを考えた。萩原朔美さんは、寺山が死後に遺した手帳を開いて驚いた。若い頃から若死にを覚悟していたが、何年も先まで予定がびっしりと書かれていたと回想する。 寺山はスピード感覚を青校時代シェイクスピアの『マクベス』から学んだと私は考える。シェイクスピア役者は全力疾走しながら数ページに及ぶ台詞を一呼吸で話す軽業師だ。 寺山は天馬のように疾走できるのは想像力だと考えた。「どんな鳥だって想像力よりは高く飛ぶことはできないだろう」と『邪宗門』に書いている。 寺山は織田作之助(※2)の小説『競馬』が好きだった。主人公の寺田は亡き恋女房の一代が象徴する数字、“1”の馬券だけを買い続け、何度負けても、同じ“1”を執拗に買い求めて、とうとう最後になって勝つ。だが、寺山は、賭けは偶然性の賜物でなく、競馬に必然性を持ち込んだ織田作に批判的だった。 サガンやドストエフスキーは賭博に巨額を投じ、同じ数字に固執して賭けた。まるで破滅する為に同じ数字を賭けているようで、カミュのシジフォスと同じ不条理だ。サガンは賭博にいつも同じ数字の“8”を掛け、一度は勝って大金を得て城を買ったが、その後心に魔物が棲み、数字に翻弄され、しまいには、財産はおろか死後も借金地獄に責めさいなまれ、墓碑銘さえ失った。 ※1:寺山修司(てらやま・しゅうじ 1935~1983)歌人、劇作家。劇団「天井桟敷」主宰。競馬をこよなく愛した文化人の一人として知られる。 ※2:織田作之助(おだ・さくのすけ 1913~1947)小説家。太宰治らとともに無頼派と呼ばれ、愛称は「織田作」。代表作に『夫婦善哉』『木の都』など。競馬ファンを魅了した寺山修司 寺山は劇団の費用も賭け、その損失はよほどの額であったと聞く。フランシス・ベーコンは賭博で巨額を失った時の懊悩(おうのう)を絵に表した。けれども寺山は命取りとなる賭けに必然性よりも偶然性を求めて、偶々賭けに負けたユリシーズに情けをかけて愛した。 寺山の競馬に対する偏愛から見えるのは、持ち馬のユリシーズや騎手の吉永が、想定外の行動をとる姿を活写し、競馬の面白さ、魔の刻を発見して、競馬ファンを魅了したことだ。第50回日本ダービーを制したミスターシービー(右)。鞍上の吉永正人騎手は初制覇だった=1983年5月29日、東京競馬場 これは寺山がネフローゼ症候群で生死を彷徨い、地獄を見てきたからこそ、寺山の話は民衆の琴線に触れるのだろう。寺山のエッセイ『馬敗れて草原あり』『山河ありき』には杜甫の亡国を逆なでするような逆説的なパワーがある。そこには、三島由紀夫の『憂国』にあるエロスとタナトスが命がけでせめぎ合う葛藤を見る思いがする。たかが競馬にさえも、天下国家が顔を出すのは、寺山も例外ではなかった。短歌で寺山は歌っているではないか。マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山は長い海外公演を頻繁に挙行し、ダービーの本場イギリスの競馬にも詳しかった。その謎を解く鍵はジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』の馬だろう。『ガリバー』の馬はダービーの競走馬と異なって、人間の形をしたヤフーよりも賢くふるまう。また、スウィフトには召使の教訓集『奴婢訓』(ぬひくん)がある。寺山は同名の劇作『奴婢訓』を上演し、召使を馬に変え、女主人を演じるダリアの足の裏に蹄鉄を噛ましている。この結末は寺山が競馬ファンであることを知らないと奇怪な戒めに映る。 寺山が夥(おびただ)しく綴った競馬論を読み漁り、改めて『奴婢訓』を観ると数多くの競馬論を濾過した果てに文学に昇華した傑作であることに気がつく。スウィフトと同じくらい皮肉屋のバーナード・ショーは、斜に構え、馬と遊んでいた大戦前の英国人を批判して劇作『傷心の家』を書き、『マイ・フェア・レデイ』と同じくらい人気のある芝居となった。 ショーは太陽の沈まぬ大英帝国の成金たちが第一次世界大戦前夜も、馬と遊ぶ堕落ぶりを『傷心の家』で風刺し、その間にアジア・アフリカの新興国が台頭し帝国を覆そうとしていると警鐘を鳴らした。 地方出の寺山が、日本中央競馬界で持ち馬ユリシーズや騎手の吉永を評する疾風怒濤の波は、下町娘のイライザがめかし込んで息巻き当時社交場であったアスコット競馬場へ乗込んでじゃじゃ馬ぶりを発揮する立振舞に似て、競馬ファンからやんやと喝采を浴びた稀代の芸術家であった。

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    「人間ってのは勝手」愛するがゆえ吉川英治は競馬場から姿を消した

    ように、自分だけの遊び方ができることも、競馬の魅力として感じていたのかもしれない。 野球など、ほかのスポーツにはあまり関心を示さなかった吉川も、競馬だけは夢中になった。しかし、1956(昭和31)年のダービーに出走した愛馬エンメイがレース中に転倒して骨折、安楽死処分となってから、競馬場には行かなくなってしまう。「考えてみれば、人間ってのは勝手なもんだね。馬を走るだけの生き物に育てて、怪我したら殺しちゃうっていうのは、やっぱり悲しいね」 息子にそう漏らしたのも、馬への愛情が強かったからだろう。 昭和の初めに書いた『かんかん虫は唄う』に、少年時代に憧れた神崎利木蔵をモデルにした「島崎」を登場させるなど、小説でも競馬を描いている。 作家として、ファンとして、馬主として、さまざまな立ち位置から競馬を見つづけた吉川英治は、馬を、そして競馬を、深く愛していた。

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    「明日は大穴、疑いなし!」競馬に俗とロマンを求めた織田作之助

    岩佐善哉(酒詩歌研究家) あと2日、26日になると、小説『夫婦善哉(めおとぜんざい)』で知られる大阪出身の作家、織田作之助(1913~47年)が生まれてちょうど100年の日を迎える。作之助については、その妻、一枝さんが記していた昭和16年と18年の家計簿が大阪府立中之島図書館の織田文庫に収められており、調べたことがある。織田作之助 この家計簿を調べていくうちに、掛け買いしている書籍類の一覧のうち、16年10月に競馬雑誌が12冊記されていることに驚いた。さらに春と秋の競馬シーズンである4、10、11月の月末の空きスペースに、日付とプラスマイナスの記号付きの不思議な数字が列挙されていることに気づいた。もしや、阪神や京都の競馬場に出かけていた作之助の賭け馬の損得が記帳されているのではないかと閃(ひらめ)いた。 早速、その日付の曜日を調べたところ、当時競馬が開催されていた金曜、土曜、日曜であることが判明。10月という記載から、すぐさま京都競馬場でのビッグレース、菊花賞(当時の京都農林省賞典)のことを思い浮かべ、この年の開催日が26日であることが確認できた。しかもセントライトが菊花賞を制し最初の三冠馬となった日である。当日の作之助の馬券戦績はプラス11円50銭と記されている。 作之助を競馬に引き込んだのは在阪の先輩作家、藤沢桓夫(たけお)で、他に漫才作家の秋田実や長沖一(ながおきまこと)らが競馬仲間であった。新進作家の作之助にとって、文士サークルに加わり、競馬、将棋や麻雀などでも親交できることはうれしかったにちがいない。 藤沢は作之助の競馬に関して、人気馬で勝負、勝てば大はしゃぎしている姿が印象的で、手堅く勝つことを計算していたようだと記している(『大阪自叙伝』)。65円の給料プラス稿料が入って競馬資金に少々ゆとりがあったとはいえ、当時は規制によって単勝、複勝の20円馬券を一人1枚ずつしか買えなかったのだから、無謀な穴券には手が出せなかったであろう。病み付きになって予想まで書いたオダサク 一方で、競馬の穴馬に関しての逸話がある。作之助が東京へ赴き、府中の競馬場へ行こうとする前夜、友人がつまずきそうになったのを見て、作之助は「ええねんで! 明日は大穴、疑いなし! 馬の代わりにつまずいたんやから」とはしゃいでいたので(青山光二『青春の賭け』)、予想外の大穴を獲る欲望が強かったことが分かる。 競馬に病み付きとなり、研究熱心だった作之助は、ついには競馬の予想記事を当時記者をしていた夕刊大阪新聞に書いたこともあった。 京都の競馬場で藤沢から、馬主でもあった菊池寛に紹介されており、菊池の「堅き本命を取り、不確かなる本命を避け、たしかなる穴を取る」との競馬哲学を作之助は知っていたのではないか。リアリティーとロマンをいずれも追い求める競馬観は、作之助の文学にも通じるところがある。俗衆の脚下の生活を直視した小説を書きながら、さらに虚構性や偶然性を盛り込むことで大ロマン、人間の可能性を描きたいとの文学論を「可能性の文学」で展開している。 そして戦中の競馬経験を熟成させて、終戦の翌年に短編小説『競馬』を発表した。競馬への投資を無駄にしなかったあたり、さすがである。主人公は亡き妻、一枝(小説では一代)をしのび1の馬券をいちずに買い続けて、ついに最終レースで夢みた大穴を当て、妻の昔の男と抱き合って感涙する哀傷の物語である。(iStock) なお、学生時代にこの『競馬』を読んで競馬に興味を持ったのが、詩人の寺山修司である。彼は『さかさま文学史黒髪篇』で、「劇作を志し、競馬にあけくれていた青春時代、持病の悩み―。ただ一つちがっていたことは、織田が一枝という生涯に、たった一人だけ愛することのできた女をもっていたことである」と2人の愛に憧憬の念を表している。いわさ・よしや 会社顧問、オダサク倶楽部メンバー、酒詩歌研究家。昭和13年、三重県鈴鹿市生まれ。大阪外国語大学卒業。広告代理店などへの勤務を経て現職。著書に『第三欲望市場の発見』(ダイヤモンド社)、『酒読み』『東京府のマボロシ』(ともに共著、社会評論社)など。

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    全ての競馬ファンが泣き武豊が泥酔した「沈黙の日曜日」

     競馬は秋のGIシーズンを迎えたが、20年近く経った今でも語り継がれる伝説の名馬がいる。1998年11月1日、東京競馬場で行われた第118回天皇賞(秋)で、圧倒的な1番人気になりながら、悲劇的な結果を迎えたサイレンススズカについて、競馬評論家の阿部幸太郎氏が解説する。* * * 悲劇の大番狂わせだった。1998年の天皇賞(秋)、6連勝中のサイレンススズカは単勝1.2倍という圧倒的な1番人気に推されていた。手綱を握るのは、前年、結果を出せないでいたサイレンススズカに“大逃げ”の才能を見出した武豊・騎手。1996年10月、GII毎日王冠で6連勝を飾ったサイレンススズカと武豊騎手。最後の勝利となった 前半1000メートルを平均より3秒早い57秒4のハイペースでぶっ飛ばし、3コーナー手前で2番手を10馬身引き離す。誰もが勝利を確信した瞬間、サイレンススズカは突然、ガクンと失速。府中の大観衆の歓声は悲鳴に変わった。 左前脚の骨折だった。通常、トップスピードで競走馬が骨折すると、転倒して騎手が大ケガを負うが、この馬はバランスを崩しながらも3本の足で踏ん張り、ゆっくりとコースを外れていった。まるで、鞍上の武騎手を危険から守っているようだった。 レース後、予後不良で安楽死処置に。武騎手はその晩、生まれて初めて泥酔した。関連記事■ 武豊 美馬怜子と深夜の手つなぎデート、宿泊先へと消える■ 上戸彩が親しい知人に相談「万が一離婚したら子供は私が…」■ 長期欠席の愛子さま 「お疲れ」レベルは他の中学生と別次元■ 有吉弘行と熱愛報道の夏目三久 きっちり筋を通し信頼獲得■ 『東京ラブストーリー』から25年、鈴木保奈美の人生

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    角居勝彦調教師 直線でぶつかる格闘技としての競馬を語る

     併走することで競走馬の闘争本能をかき立てる効果を期待する調教を「併せ馬」という。キレで勝負する馬とは別に、「勝負根性」をウリにする馬もいる。数々の名馬を世に送り出した調教師・角居勝彦氏による週刊ポストでの連載「競馬はもっともっと面白い 感性の法則」から、格闘技としての競馬について考察する。* * * ラストの直線。外に出すか内ラチ沿いに切れ込むか。前回は外側のメリットを中心に書きました。内側はどうしてもゴチャつきやすく、スムースに走りにくい面はあります。 しかし狭いところが好きな馬もいる。馬体がぶつかっても怯まず、気合が入るタイプです。 ぶつかることは、日本の競馬ではあまりよしとはしないものの、ヨーロッパでは普通にぶつける。寄せていけば相手も張り合ってくる。陸上の短距離のように走行レーンが決まっているわけではないので、ぶつかって当然。競馬には格闘技の側面もあるということです。「狭いところをこじ開ける」と、よく聞きますね。頭だけ入って、横に揺すって広げていく。ヨーロッパのジョッキーはそれをやります。 日本でもペナルティを科せられない範囲ならばありではないでしょうか。闇雲ではなく、隣の状況が見えていて、乗り手に自信があることが条件。大事なのは隣の馬の後方の様子。ぶつけたことで隣の後ろが不利を被るといけません。 ぶつかるといえば、角居厩舎ではやはりデルタブルースでしょう。厩舎に初のGI勝利をもたらした2004年の菊花賞では、4コーナーを回って先頭を行くコスモバルク(4着、五十嵐冬樹騎手)に外からぶつかった。あれでデルタに気合が入った。鞍上(岩田康誠)の気性も無関係ではなく、まあ喧嘩です(笑い)。2006年11月、豪州の国民的レース、GIメルボルンCを壮絶な叩き合いで制したデルタブルース(右)。2着のポップロックとともに角居勝彦厩舎の管理馬だ=メルボルンのフレミントン競馬場 2006年のメルボルンカップでは、最後の直線、デルタブルースとポップロック(D.オリヴァー騎乗)はぶつけ合いながら上がっていった。先を行くデルタがぶつけられたのですが、デルタのほうが性格的に激しく、火がついた感じでゴール板を駆け抜けました。 ぶつけて(ぶつけられて)気合が入る馬とその鞍上。そういった特徴を他のジョッキーは当然知っている。あるレースで、力関係を見れば自分の馬は4番手だと分かったとします。上位にぶつかって怯まない馬がいるのかどうか。その馬とぶつかったときにどう対処するのか。自分の乗る馬の特徴を考慮し、レース前にシミュレーションができるわけです。 枠順が決まり、相手の馬や騎手の癖をビデオでチェックする。何鞍も乗る場合は時間が足りず、エージェントが下調べを手伝うこともあるようです。この馬は直線で垂れてくるとか、この騎手は必ず右側から馬をかわしていくとか。それを頭に入れた上でレースに臨み、視野を広くして、直線ではどこが空くのか、瞬時に判断する。 ぶつけられることで嫌気が差して競走をやめてしまう馬がいることも確かなら、ぶつかることがイヤではない馬がいるのは確かです。ムチと同様、ぶつかることで火がついてさらに脚を出す。メルボルンカップの映像を見返すと、最後の直線のぶつかり合いはムチを振るう効果があったようにも思えてきます。●すみい・かつひこ/1964年石川県生まれ。2000年に調教師免許取得、2001年に開業。以後15年で中央GI勝利数23は歴代3位、現役では2位(2017年11月5日終了現在)。今年は13週連続勝利の日本記録を達成した。ヴィクトワールピサでドバイワールドカップ、シーザリオでアメリカンオークスを勝つなど海外でも活躍。引退馬のセカンドキャリア支援、障害者乗馬などにも尽力している。引退した管理馬はほかにカネヒキリ、ウオッカなど。本シリーズをまとめた『競馬感性の法則』(小学館新書)が発売中。関連記事■ 高橋源一郎氏が世界各地の競馬場を訪ね歩いた経験を記した書■ 日本競馬史上でも前代未聞の誤審事件 諦めのいい人多かった■ 全ての競馬ファンが泣き武豊が泥酔した「沈黙の日曜日」■ 「リストラ中高年の星」の13歳馬は馬肉になる寸前だった■ 競馬訴訟 ハズレ馬券の費用「必要経費」にならないのが問題

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    なぜ日本人は日馬富士引退に無関心でいられるのか

    小林信也(作家、スポーツライター) 大相撲横綱、日馬富士が引退した。世間の空気は「やむをえない決断」との認識で一致している。だが、引退会見やその反応を見ていて、複雑な思いも湧き上がってくる。みんなクールだ。日馬富士の引退を惜しむ声があまりに少ない。「身内の感覚」で受け止めた日本人がほとんどいないように感じられる。 もし、これが浅田真央の引退や羽生結弦の引退だったなら、あるいは「甲子園を沸かせたスターの突然の引退」なら、こんなクールに論じられるだろうか。常識論を振りかざす大多数のコメンテーターや街の声に、物心ついたころから相撲ファンだった私は、空虚な思いにかられた。 かつて八百長事件で追放されたメジャーリーグのスター選手に、「嘘だと言ってよ、ジョー!」と叫んだ少年ファンの逸話がある。今回の騒動を振り返り、テレビの前でそんな風に叫んだ少年ファンはいただろうか。引退会見を行う日馬富士 =2017年11月29日、福岡県、太宰府天満宮 横綱の突然の引退を、大騒ぎにこそすれ、多くの日本人は自分と直接関係のない出来事としか感じていない。これが「国技」と呼ばれる大相撲の現状である。残念ながら、相撲はもはやその程度にしか愛されていない。貴乃花親方の相撲人気復活への情熱や危機感も底流は同じかもしれない。 日馬富士は、今回の引退で相撲界に残る道を断たれた。事実上、「廃業」というのが正確な表現だ。 引退会見で日馬富士が自ら振り返った通り、16歳のやせっぽちの少年は、モンゴルからはるばる日本へやってきた。安馬(当時の四股名)は幕内に上がってもなお、ひときわ細く、身体の軽さで相手に圧倒されて敗れる相撲も少なくなかった。それを上回るスピードと闘志、勝利への執念が安馬を幕内上位へと導いた。 相撲は「柔よく剛(ごう)を制する」ものであり、身体の大きさがすべてではない。だが、筋力トレーニングが容認され、力勝負が土俵の趨勢(すうせい)となる中で、巨大化する関取衆を相手に三役を張る地位を得た。さらに大関、横綱へと昇りつめたのは、持ち味のスピードと闘志に加えて、日本の身体文化が伝える内面の力を発揮する術を日馬富士なりにつかんだ証しだった。 横綱は、ただ強いだけでなく、実践でしか継承できない見えない身体文化の継承者である。その横綱を追放して、むしろ厄介払いができたかのような今の空気は、あまりに相撲が軽視されていると言わざるを得ない。もっと言えば、相撲を理解していないからこそできる安易なバッシングにも思える。 日馬富士は引退会見で「相撲が大好きです。相撲を愛しています」と声を大きくして言った。私は素直にこれまでの日馬富士の精進に頭が下がる。日本人が半ば放棄している相撲そして日本独自の身体文化の追求を外国から来て実践し、継承し、愛してくれた。 今回の騒ぎでは、相撲をまるで理解していない人たちが「ビール瓶で殴った」などと断片的な情報に振り回され、最初から日馬富士を「ありえない乱暴者」のように決め付けた感が否めない。暴力やシゴキは、筆者自身も許せないと思うから擁護するつもりはない。「かわいがり」はいじめにつながるシゴキを意味するものだが、普段の相撲の稽古がどのようなものか、それを知っている人と知らない人では認識が全く違う。 強い先輩力士が若い力士に胸を貸し、土俵際まで押させたところで軽く土俵に転がす。何度もそれを繰り返す。「そこからが稽古だ」と言い伝えられている。だから、すぐにへたって起き上がらない力士に先輩力士と周りの兄弟弟子は容赦ない𠮟咤(しった)を浴びせる。悔しさの中で懸命に立ち上がり、乱れた髪に汗と砂をため、必死の形相でまたぶつかっていく風景は、相撲部屋では日常的な、いや正当な稽古そのものである。 それをいじめと声を大にして言えば、いじめになってしまうのが今の世の中である。 むろん、行き過ぎればいじめに変わりないが、その稽古自体は重要な鍛錬として、長く相撲界を支えてきた伝統である。土俵に寝たまま起き上がらない力士の尻を先輩が軽く蹴り飛ばすくらいは、日常的な光景だった。今の時代、それさえも「暴力」になってしまうのではないか。八角理事長の横に座った読売社長 九州場所は、白鵬がまた強さを見せて優勝した。今場所は「張って出る」相撲が目立った。立ち会い、相手力士の大半は白鵬に対して頭を下げ、猪突(ちょとつ)猛進的に頭でぶつかってくる。これに対して、白鵬は平手で相手の頰を激しくたたき、機先を制した。 「ガツン」と鈍い音を発する激しい頭突きも、平手打ちも、日常生活では「暴力」だが、土俵の中では正当な技であり、これを克服しなければ相撲界での躍進はない。日常社会で暴力と呼ばれる以上に激しい肉体のぶつかり合いが相撲の前提にある。 相撲の勝負の中に、このように激しい身体的な接触があることをまったく理解せず、すべてをいじめ、パワハラ、悪しき上下関係と断罪する世間には、言葉は悪いが憤りに近い違和感を覚える。 相撲の稽古といえば「四股」「鉄砲」が有名だ。これさえ正確に語れる日本人はもはや少ないだろう。片足を挙げて下ろす四股の目的が、「足腰を鍛える」、スクワットのような筋トレだと思い込んでいる人が大半だろう。実際、その目的のために選手や生徒に四股をやらせる他種目の指導者も少なくない。四股は本来、「臍下丹田(せいかたんでん)に気を集める」「ハラを鍛える」ために行うものだという。人間の力は、目に見える筋力だけではない。身体の内面から湧き上がる力こそ、人間の持つ素晴らしい潜在能力だ。だからこそ、小さな力士が大きな力士を翻弄できる。 最近は、親方衆でさえ欧米のパワー重視の練習法に影響され、四股や鉄砲の意義を忘れてしまっているのではないかと思うことがある。今回の騒動は、そうした基本の喪失と無関係でない気がする。 貴乃花親方の不可解な行動も、今回の騒動を大きくした一因との指摘はあながち間違ってはいないが、相撲の基本に光を当て「相撲界を再生したい」と切望する親方の真意もまたきちんと伝わっていない。横綱白鵬(右)を破り初優勝を決めた大関時代の日馬富士=2009年5月 新しい時代の流れの中で、古き佳(よ)き上下関係、師弟関係、先輩と後輩の関係をどう肯定的に受け継いでいくか。日本社会が直面する課題を今回の事件は浮き彫りにしている。ビール瓶で殴ることはないにしても、職場でも社会でも、同じような指導やかわいがりは日常的に存在する。私はしばしばそうした光景を目にするし、遭遇する。決して他人事ではないはずだ。まさに「自分たち自身の問題」だと思うが、「相撲界ってとんでもない」といった表現がネット上などでは飛び交う。不思議なほど、「自分たちもそうだ」との認識がないことも、この騒動と日本社会の途方もない不毛さを象徴している気がしてならない。 最後にもう一つ、11月30日に開かれた相撲協会理事会を報じるニュースを見て驚いた。八角理事長の左右を固める人物に目が点になった。 八角理事長のすぐ右隣に山口寿一理事、すぐ左隣には広岡勲理事補佐が着席していたのである。座った場所から見て、理事長を強力に支える「ブレーン」と理解するのが自然だろう。山口氏は、読売新聞グループ本社社長である。しかも、広岡氏は元スポーツ報知記者であり、かつて元巨人・松井秀喜のメジャー時代の記者会見のときにいた「専属広報」ではないか。今の相撲界は、その二人がなぜか中枢にいるのである。「開かれた組織に」という掛け声が、その目的通り公正な方向に発展すればよいが、もし一部の権力やメディアに支配される構造ができつつあるのだとしたら、貴乃花親方の異様とも言える頑(かたく)なさの背景も少しは理解できる。

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    日馬富士騒動、ワイドショーの悪ノリが痛い

    テレビをつければ、連日連夜くだんの日馬富士騒動だが、各局のワイドショーは軒並み高視聴率だという。騒動とは無関係の元モンゴル人力士が「場外乱闘」まで繰り広げ、ワイドショーの悪ノリもここまで来るともはや「公害」である。このバカ騒ぎの元凶はテレビなのか、それとも視聴者か。

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    日馬富士騒動に便乗したワイドショーの「場外乱闘」がみっともない

    ンキング(11月20日~11月26日)を見ても、「大相撲九州場所12日目」は、関東地区で17.2%とスポーツ分野で堂々の1位だ。この数字は、全番組の中でも「笑点」に次ぐ5位である。 テレビ離れが進む今日にあってもなお、大相撲中継は、高位安定の「鉄板コンテンツ」であることに間違いない。中継技術も完成しているだろうから、番組制作にあたり改めて新しいアイデアを考え出す必要もなく、労力もかからない。近年、消滅しつつある「ながら視聴」にもまだまだ耐え得る貴重なコンテンツでもある。 大相撲中継が「本編」だとすれば、バラエティー番組や情報番組で扱われる大相撲ネタはいわば「スピンオフ」だが、このスピンオフでさえも本編に伍(ご)するほどのコンテンツ力を誇っていることは言うまでもない。力士を登場させるバラエティーやワイドショー番組は数多い。 エンターテインメントという観点から見ても、大相撲や力士は分かりやすく、扱いやすい素材だ。何より「相撲レスラー」のキャラクター性が明確であり、相撲に詳しくない人でも、力士がテレビに出てくれば、「あっ、この人はお相撲さんなんだ」とすぐに分かる説明不要のコンテンツなのである。2017年11月29日、引退会見を終え頭を下げる日馬富士=福岡県の太宰府天満宮(撮影・仲道裕司) 日馬富士や貴ノ岩含め、登場する力士や親方の名前を今回の騒動で初めて知った若い人は少なくないだろう。しかし、普段、大相撲中継などを見ておらず、個別の力士に興味がない人でも、相撲界全体の話題やスキャンダルには思わず関心を持ってしまう。われわれ日本人の中に、大相撲、力士というコンテンツへの関心が潜在的に刷り込まれている証左と言える。 この高いコンテンツ力が故に、無関係な「関係者」の臆測や場外乱闘でさえも、ワイドショーや情報番組にとっては決して小さくないニーズが生まれる。当事者からの情報が出てこない今回のようなケースであればなおさらだ。 もちろん「関係者」たちの無法地帯が生まれる理由は他にもある。 メディアにとって、大相撲のコンテンツ力の高さは、相撲協会に対する弱みにもなっている。ジャニーズ事務所のような大手芸能プロダクションとの関係にも似ているが、批判的な立場はとりづらいはずだ。コンテンツ力の高い相手に対しては、常に顔色を窺わざるを得ないのが今のテレビの宿命である。それがとりわけ閉鎖性が強いといわれ、他に代替がきかない相撲協会であれば過剰な「忖度(そんたく)」は必至だ。 それでも、スキャンダルであればあるほど関心が高まる大相撲ネタであるだけに、今回のような騒動は、テレビのワイドショーや情報番組ではあれば、多少のリスクを冒してでも扱いたいトピックだろう。 そこで利用されるのが「関係者」たちである。 「関係者」をカメラの前に座らせて、「よく知る第三者」として発言させることで、メディアとしての直接的な責任を回避しつつ、話題性の高い情報を発信できる。相撲協会にとって不都合であったり、気に食わない内容があったとしても、その責任は「関係者」にあるのだから、差別発言や放送禁止用語などを口にしない限り、番組自体が責任追及の対象にはなりづらい。 テレビは責任の外に置かれ、「関係者の発言」だけが、番組のスクープ、新事実として無責任に一人歩きをしてゆく。要するに無責任でスキャンダラスな発言を「関係者」と称する、出たがりの第三者に代弁させているだけではないか。それどころか、真偽不詳で臆測だらけで炎上発言をしてしまう「関係者」もまた、ワイドショーにとっては力士同様に便利なコンテンツなのかもしれない。国技でもないのに品格を求められ 日本の「国技」として認識される相撲ではあるが、他の伝統文化の業界に比べ、報じられるスキャンダルや問題は多い。親方の暴行による力士の死亡事故を含め、暴力問題、八百長疑惑などは枚挙にいとまがない。日本相撲協会も事あるごとに「力士の品格」を口にしては所属力士たちを律するが、そんなものどこ吹く風で、品格のない事件や騒動は後を絶たない。 その要因は、意外に思われるかもしれないが「相撲は日本の国技ではない」という事実にあると筆者は感じている。 より正確に表現すれば、相撲は、国旗国歌法のように法律で「国技」であると定められているわけではない。演芸や工芸でもないので、文化財保護法における「重要無形文化財」でもない。菊の紋章のように、慣例的に「日本の国章」になっている類いのものでもない。 つまり、大相撲を頂点とした相撲文化が、日本の「国技」であることを示す法的な根拠はないのである。2017年9月、両国国技館で行われた土俵祭(撮影・加藤圭祐) 一方で、多くの日本人は相撲が日本を代表する武道であり、わが国の象徴的な「伝統文化=国技」であるとして受け入れることにやぶさかではない。多くの国民から「国技」であるとイメージされ、そこで活躍する力士たちも、日本の伝統文化を継承する人気者であるにもかかわらず、「国技の継承者」としては明確に定められていないという矛盾がある。 国民からの「国技の継承者=国の代表」としての認識は、力士たちと相撲協会に大きな収益や知名度といった特権を与えている。対外的にも「国技」としての役割も存分に担わされているにもかかわらず、日本相撲協会という民間団体だけによってコントロールされているのが実態だ。  メディアにとっては検証や批判がしづらい大相撲の高いコンテンツ力。「国技」としてのイメージを担わされ、特別な立場を享受している事実。しかし、実は単なる民間の競技団体でしかないという大相撲の実態。この相容れない3つの重なりが生み出す矛盾にこそ、日本の伝統文化にもかかわらず、品格なき事件を生み出す要因があるのではないだろうか。 もっとかみ砕いて言えば、大相撲で活躍するモンゴル人力士たちの中に、日本の「国技」を支えてきた、という自負が生まれ、それが品格なき「増長」をも許してしまうのではないか。 連日過熱する日馬富士騒動だが、ワイドショーを中心としたマスコミは「関係者」たちによる臆測報道ばかりで、こういった問題に対して言及することはあまりない。相撲界を正常化させ、より発展させるために期待される役割は決して小さくない。 無関係な人たちによる無責任な想像力を楽しむことも節度を守れば必ずしも悪いとは言い切れないが、それよりもメディアが取り組むべき魅力的なテーマは、他にいくらでもあるだろう。

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    「若貴の母」藤田紀子のワイドショー発言だけは価値ある情報だった

    佐伯順子(同志社大大学院教授、女性文化史研究家) 連日、様々な話題で多彩なコメンテータが意見をのべあう、ワイドショー。「ワイドショー」とは和製英語であり、文字どおり社会の話題をワイドに扱う番組として、芸能人のスキャンダルから深刻な社会、政治問題まで、まさに「ワイド」な守備範囲をほこる。 かつて、ワイドショーで取り扱った情報が深刻な事件の契機となった疑いが生じた反省から、一時期はワイドショーに自粛ムードが流れたこともあったが、その後復活し、各局の番組のなかで欠かせない位置を占める現状である。そのときそのときの話題のニュースを軸にして、キャスターの仕切りでコメンテータが発言するという番組の構造は基本的に同じであり、各局通じて、平日には類似のワイドショーが組まれており、ワイドショーの占める放送時間は、物理的にも大きい。 平日の日中は、基本的に仕事中の女性や男性は視聴しにくいので、現状のオーディエンスの中心としては、自由業や主婦、主夫の方が想定される。それゆえに、「女子供」(この表現自体が女性と子供を甘くみる偏見を含んでいるが)向けの情報と低くみられかねないが、確かに「そこまで本気で公共のメディアで時間を使うべきものですか?」という話題について無駄に議論する例も少なくない。タレントの不倫問題について、延々と議論するのは最たる例である。 最近の例でいえば、日馬富士の暴行問題が一様に注目のテーマであった。国技として社会的な注目度も高い相撲界で起こった出来事だけに、ワイドショーが盛り上がるのも理解はできるが、どの局も同じような映像を使い、相撲ジャーナリストとタレントの組み合わせという、類似のメンバーで横並びの情報を流すことに果たして意義があるのかはオーディエンスの多くが疑問に思うところであろう。報道陣に囲まれる貴乃花親方=2017年11月、東京都江東区 ただ、ワイドショーの存在自体が無意味かというと、そうとは言いきれない。現在の多様化したメディアにおいては、かつては録画しなければその場限りの言動で消えて行った司会者やコメンテーターの発言が、ネット上に記事として再掲され、放送時間にテレビの前に座っていなくても、ワイドショーでの議論に接することができ、記録にも残るようになった。 つまり、ワイドショーの司会者やコメンテーターが「オピニオンリーダー的な位置づけ」で扱われる現象が、ネット環境の発達により高まっているのだ。ワイドショーをみているのは「どうせ女子供」という前提は通用しなくなり、より幅広い一般市民、老若男女に、ワイドショーの議論が影響を与える可能性が増えたのである。 また、ワイドショーには、専門家やジャーナリストを中心に構成される夕方から深夜にかけてのニュース番組にはない特徴がある。コメンテーターの顔ぶれには、市民目線を意識したいわゆる「ど素人」的なメンバーも含まれるので、コメントは玉石混交ではあるが、時に素人ならではの新鮮な疑問が飛び出し、いわゆる学識経験者らによる真面目な大新聞の社説よりも的を射た意見だと納得させられる場合もある。意外と有意義な「社会勉強」の場 今般の日馬富士騒動の例では、「貴乃花、若乃花を育てた母」というテロップとともに、ニュースの当事者である貴乃花親方の母親でもあり、相撲部屋の女将でもあった藤田紀子氏の、元女将の立場、母親の立場を絶妙に使い分けながらのコメントには、ユニークなものがあった。女優の藤田紀子(左)と息子でタレントの花田虎上 通常、メディア学においては、新聞や雑誌に頻出する「〇〇の母、妻」という肩書を、女性個人の主体性を尊重するのではなく、男性(夫や子供)の従属者とみなす呼称として批判するのであるが、今回の暴行問題においては、元相撲部屋の女将であるという藤田氏の独自の立場を認識させるために、必ずしもマイナスではなかったといえる。そして、母親という私的立場を併せ持つ独自の立場からの意見を引き出したワイドショーには一定の意義があった。 貴乃花部屋を謝罪に訪れた伊勢ケ浜親方と日馬富士を車の中で無視して走り去った貴乃花の態度は、大人げないと批判されるが、親方衆は場所中は会場に詰めているのだから、いつでも謝罪の機会はある、あれはむしろ伊勢ケ浜親方側のパフォーマンスだ、というコメントには、あからさまではないが、正論を主張しつつも母としての愛情がこめられていたように見えた。過去に自分自身も、息子たちの現役時代の家族関係を取りざたされ、まさにワイドショーを賑わせただけに、ワイドショーのネタとなった経験者の発言としても興味深いものであった。 テレビ局のコンテンツ制作力が低下したため、ワイドショーでお茶を濁しているという見方もあり、より大きく扱うべき北朝鮮との外交問題、福島原発の今後、震災復興などの深刻な社会問題を隠蔽しているという批判もあるが、素人の素朴な疑問から、専門的な知見まで、多様な意見をいい意味で取捨選択せずに(つまり、製作者側のバイアスがかかる可能性を減らして)流すことができるのは、ワイドショーの利点でもあろう。いわば、ネット情報に近いゲリラ性を有するのが、ワイドショーの言論である。 専門家や現役の業界関係者が、一般視聴者の目に見えぬ利害関係に縛られて教科書的、建前的な良識だけしか述べず、本音が別のところにある可能性も高いため、良い意味での井戸端会議的な談論風発で、社会通念や専門家の盲点をつく「正論」がワイドショーという場で引き出される可能性もある。 ただ、経歴詐称で姿を消すコメンテーターの例もあったように、コメンテーターが果たして本当に信頼できる人物なのか、専門家としての意見を述べているのか、専門外の立場から発言しているのかをオーディエンスはきちんと見極める必要がある。ワイドショーのコメンテーターがたとえ、その場限りのハチャメチャな意見を述べたとしても、それを批判し、良質な意見をそこから腑分けできるような、情報を読み解く力、高いメディアリテラシーがオーディエンスには求められる。 それさえ意識していれば、一見軽く見えるやりとりの中から、珠玉のコメントを自分なりに発見し、そこから社会を読み解くヒントをくみ取る場として、ワイドショーは意外と有意義な「社会勉強」の場となり得るのである。

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    「マスゴミの象徴」ワイドショーはどこへ行く

    もたちが紙芝居に集まったように、人々はテレビの前に集まる。街頭テレビに群がる大勢の人々 ドラマあり、スポーツあり、お笑い番組あり。大勢の人がテレビの前に集まり、戦後のスタープロレス選手、力道山を応援し、オリンピックの日本チームに声援を送ってきた。試合会場に行かなくても、寄席に行かなくても、テレビなら全国どこでも気軽に楽しめる。 かつて「楽しくなければテレビじゃない」と豪語したテレビ局もあった。みんながテレビばかり見ていると、国民みんなが愚かになってしまうと「一億総白痴化」などと言って警鐘を鳴らした評論家もいた。 テレビはまた情報伝達ツールだ。テレビの発明は、グーテンベルクの印刷機の発明に匹敵する、人類史上の大発明だ。大量の情報やニュースが毎日流されている。情報伝達ツールの先輩にあたるのは新聞だ。ただし、新聞はテレビよりも格調高い。新聞の1面トップを飾るのは、ほとんどが政治経済ネタである。 政治経済の話なので、大見出しで書かれていることでも、庶民にはよくわからないこともある。最近は新聞を購読する人も減ってはいるが、かつてみんなが新聞を読んでいたときも、1面トップの難しい記事は読まず、まずテレビ欄を見たり、社会面やスポーツ欄から見たりする人も多かったことだろう。4コママンガを楽しみにしている人もいるだろう。その人たちももちろん新聞を購入した。 しかし、テレビはもっと自由だ。そしてシビアだ。番組冒頭から、難しい話題を難しい言葉で話す必要はない。やわらかい表現を使ってもいいし、やわらかい話題から入ってもいい。それに、番組の最初から面白くない話などされたら、視聴者はすぐに番組を変えてしまう。面白い興味深い話題になるまで待ってなどくれないのだ。 テレビは視聴者をつかむためにさまざまな番組を作ってきた。その中で生まれたのが「ワイドショー」だ。ワイドショーは、とても自由だ。ワイドショーを変えた「ワイドショー」 ワイドショーは1960年代に始まっている。放送時間はゴールデンタイムなど高視聴率が狙える時間帯ではない。むしろ、平日昼間のすきま時間とも言えるような視聴率が取りにくい時間帯に、ワイドショーは置かれた。だが、ワイドショーは次々大成功していく。スタジオ生番組、そして2時間程度の長時間、バラエティーに富んだ話題をスタジオトークでつないでいくワイドショーは、視聴者の心をつかんだのだ。 かつてのワイドショーといえば、芸能ニュースやゴシップネタが中心だったろう。だが、世の中は変わっていく。テレビも変わっていく。今までのいわゆるワイドショーでは、満足しない人々が出てくる。 その変化を生んだ番組の一つは、1999年に始まったフジテレビの『情報プレゼンター とくダネ!』だろう。「ワイドショーを超えたワイドショー」と銘打って、豊富な話題を取り上げていく。平日昼間に家にいる主婦なら、この程度の話題をこの程度に扱えばよいだろう。番組スタッフはそんなふうには考えず、今までのワイドショーを越えたいと考えたのだろう。フジテレビ系「とくダネ!」番組開始時に司会を務めた(左から)笠井信輔アナウンサー、メーン司会の小倉智昭キャスター、佐々木恭子アナウンサー=1999年 このコンセプトを視聴者は受け入れた。2001年にはこの時間帯の視聴率トップにおどり出る。その後10年近くは、視聴率トップの座を維持してきた。しかし、成功すれば他局もまねをし、またNHKの『あさイチ』が登場してきたことで、首位の座は明け渡していく。 いずれにせよ、視聴者はワイドショーに堅い話題も求めてはいる。しかし、そうは言ってもやはり娯楽性は無視できない。そして、テレビは自由だ。視聴者が求める話題、視聴率が取れる話題を求めるのは当然だ。そして時に、すべての話題がワイドショー化していく。 例えば、力士の暴力事件が大きな話題になり、人々の関心の的になれば、もちろんワイドショーはその話題を取り上げる。ニュース番組も新聞も同じ話題を取り上げるが、取り上げ方が違う。ワイドショーならジャンルを問わず、一番の話題として、最も関心度が高いテーマを取り上げることができる。 週刊誌も、読者が最も読みたがる話題を自由に取り上げられるが、さすがに雑誌のページの半分がその話題で占められることはないだろう。だが、ワイドショーならそれも可能だ。番組の始まりから力士暴力事件など一番話題のテーマを取り上げ、間で少し他のニュースやコーナーを行い、また力士暴力事件に戻ることも、しばしばある。ワイドショーこそ、テレビそのもの 各局で視聴率争いを行い、1分刻みの視聴率の変化に一喜一憂する。それがテレビだ。だから、うっかりすると、どのチャンネルのワイドショーもみんな同じテーマを取り上げることになる。しかも、今日も明日もあさってもだ。よほどその話題に関心を持つ人でないならば、うんざりすることもあるだろう。だが、別の話題にして視聴率が下がるようであれば、やはりこの話題を取り上げ続けるだろう。2017年11月、大相撲九州場所が行われている福岡国際センターで、役員室へ向かう貴乃花親方 ともかく話題を提供し続けなければならない。視聴率を取らなければならない。そうなると、同じような出演者(専門家)が、各局のワイドショーをはしごして出演することもある。少しでも他局のワイドショーより目立とうと思えば、センセーショナルな表現を取ってしまうこともある。 容疑者段階の人間を完全に犯人扱いし、ひどく侮辱することもある。おどろおどろしい表現で、必要以上に危機感をあおることもある。自殺の現場を生々しく撮影し、詳しい自殺方法を伝えてしまうこともある。これは、自殺予防の観点からすると大きな問題だ。 また少しでも新しい話題を提供しようと思えば、友人や知人、近所の人など雑多な人々にインタビューし、またスタジオに招くこともある。そこで価値ある情報が得られればよいが、不正確な情報を流してしまい、視聴者をミスリードする危険性もあるだろう。時には、内容が薄くなってしまうこともあるだろう。 テレビにとっては、わかりやすさは最重要事項の一つだ。わからないものは面白くない。わからなければ意味はない。テレビは、小学校4年生にもわかるように作ると語った人がいるが、確かにおじいちゃんも小学生も孫も一緒に楽しめるのがテレビだ。わかりやすいことは確かに大切だ。わかりやすく、そして意味あることが大切だ。時には、テレビで長々と放送されたものを見てもよくわからなかったものが、新聞記事を読んでわかることもある。ただし、集中してじっくり読まなければならないが。 マスコミのことを「マスゴミ」などと言って揶揄(やゆ)する人がいる。ワイドショーをばかにする人もいる。同じ放送局の中にも、事件現場に最初にワイドショーが入ってインタビューをすると「現場が荒らされる」と嘆く報道スタッフもいる。そういうこともあるのだろう。視聴率争いは激烈なのだから。 しかし、ワイドショーのスタッフたちも、心ある人々はもちろんよい番組作りを願っている。事件現場で、心のこもった思いやりあるインタビューをしようとしているリポーターのことも、私は知っている。 自由で楽しくてわかりやすい生放送。ワイドショーこそ、テレビそのものなのかもしれない。ワイドショーはどこに行くのか。それがテレビの未来像なのだ。

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    貴乃花の〝孤立主義〟ならぬ〝ガチンコ主義〟

    赤坂英一 (スポーツライター)  大相撲の日馬富士暴行問題で、その是非や真相はともかく、改めて感心させられたことがひとつある。日馬富士に殴られた貴ノ岩の親方・貴乃花の頑ななまでに他者を寄せつけない〝孤立主義〟、と言って聞こえが悪ければ徹底した〝ガチンコ主義〟だ。 今回の事件では、貴乃花親方がふだんから貴ノ岩に対し、日馬富士や白鵬、鶴竜ら同じモンゴル人力士と付き合わないよう厳命していたことが明らかになった。国技館や巡業先での雑談はもちろん、モンゴル人同士の飲み会に顔を出すなどもってのほか、だというのだ。貴ノ岩だけでなく、自分の弟子全員に、他の部屋へ出稽古に行かないこと、他の部屋の力士たちと必要最低限の挨拶以上のコミュニケーションを取ることを厳に禁じている。理事会を終え、国技館をあとにする貴乃花親方=両国国技館(山田俊介撮影) このあまりに閉鎖的な指導方針には批判も多く、相撲協会から再三事情聴取に協力するよう求められても頑として拒否したあたりはいささか大人げなかったかもしれない。が、協会の執行部や白鵬が牛耳るモンゴル人力士たちとの間に一線を画そうとする姿勢自体は大いに結構。むしろ、談合、馴れ合い、密室政治がまかり通っている角界にあって、最もまともではないか、という気さえする。 私は数年前、モンゴル人力士たちの宴会に取材で出席したことがある。白鵬や鶴竜らをはじめ、部屋の異なる力士たちが仲良く一緒に焼き肉を平らげ、カラオケボックスのVIPルームで延々と大騒ぎしていた。彼らの多くは当然、本場所後にモンゴルへ一時帰国するときも同じ飛行機に乗り、母国でもまた一緒に酒を飲む。昔はそこまで同行取材した。 そんな同国人同士の交友自体は責められることではないにせよ、ふだんプライベートでそこまで親密な付き合いをしていて、本場所の取組でどこまで本気で戦えるのか。相手の顔面を鼻血が出るまではたき、土俵下へ突き落とすことができるのか。もっと公私の区別をつけるべきではないか、と疑問に感じたのも確かである。 現にここ数年、モンゴル人力士同士の〝無気力相撲〟は、取材している報道陣の間でもしばしば話題になっていた。取組によっては明らかに力を抜いている力士がおり、土俵を割る際に笑みさえ漏らしている表情がカメラに捉えられることも珍しくない。一部週刊誌で報じられている「星の回しあい」や「互助会相撲」があるとは言わないが、貴乃花が貴ノ岩にモンゴル人力士との付き合いを禁じているのもむべなるかな、とは思わせられる。喧嘩腰の姿勢 一昔前は、プロ野球でも他チームの選手、コーチ、関係者との交友を禁止している監督がいた。とりわけ中日監督時代の星野仙一(現楽天球団副会長)は厳しく、試合前に相手の選手と雑談をしただけで激しく叱責されたという。球界の慣例として、相手チームに高校や大学の先輩がいたら、後輩のほうから挨拶に行かないわけにはいかない。「でも、その先輩に話しかけられ、雑談に応じている姿を星野さんに見られたら、あとでどんなに怒られるかわからない。だから、先輩に挨拶するタイミングを計るのも一苦労なんだよ」と、当時の中日選手はもらしていた。 最近は、侍ジャパンで異なる球団の選手が一緒にプレーする機会が増えたこともあり、試合前に敵同士のはずの選手が雑談している姿は珍しくなくなった。試合前、よく巨人の野手と話し込んでいた広島の投手に、「試合になったら内角へは投げづらいんじゃないの?」と聞くと、「いや、ふだん仲よくしているからこそ試合ではしっかり抑えなきゃと思うんですよ」と言われた。一方で、「やっぱりインサイドは攻められなくなりますね。とくに奥さんや子供の写真とか見せられてると、ぶつけちゃまずいと思うもんな」という投手もいた。たぶん、こちらのほうが多数派だろう。 正直、私は星野さんが苦手だったが、いつも喧嘩腰で野球をやっていた姿勢は正しいと思う。いまのグラウンドからは、かつての息詰まるような緊張感やギスギスした雰囲気はすっかり失われてしまった。投手なら打者にぶつけるぐらいの気迫で投げろ、と私などが大声で言うことすら躊躇われる。プロ野球がそんな時代だからこそ、騒然とする大相撲で黙々と〝ガチンコ主義〟を貫く貴乃花親方を応援したくなるのだ。

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    「八角理事長、許すまじ」貴乃花のガチンコ相撲道

    の「日本的な組織体」としての相撲である。これを全く理解していないから、こんな言葉が飛び出すのである。スポーツではない相撲のシステム 「あなたたちの時代は終わった」「これからはオレたちの時代」などといえば、言われた側はカチンとくる。相撲界であろうとなかろうと、自分の力をひけらかすのは、日本では控えるべきこととされている。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるくらいだ。したがって、横綱・白鵬に1回勝ったぐらいでこんなことを言ったら、「いい加減にしろ」となるのは当然だ。 ところが、貴ノ岩は相撲をスポーツだと考えていたようだ。スポーツなら実力、勝敗がすべてである。勝者が絶対の世界だ。しかし、日本の相撲は実力勝負とはいえ、その秩序は実力だけで成り立っているのではない。相撲の一番、一番は「注射」と「ガチンコ」で成り立っていて、これが「談合」と「カネ」で微妙に采配されることにより、横綱以下の序列が決まるようになっている。2017年1月、大相撲初場所14日目で貴ノ岩(手前)に寄り切られて敗れ、険しい表情の白鵬=両国国技館 だから、相撲にはテニスやゴルフのような、明確な実力ランキングは存在しない。スポーツならチャンピオンは1人だが、相撲の横綱は何人もいる。実際、現在は異例とも思える4横綱の時代である。しかも、力士(プレーヤー)は部屋に所属し、同部屋対戦がないので、本場所はトーナメントでもリーグ戦でもない。 これが、相撲という組織体のシステムであり、日本のほとんどの組織は、みなこのような原理で動いている。したがって、単に横綱に「ガチンコ」で勝ったぐらいで、「オレたちの時代」は訪れない。  貴ノ岩はモンゴル人だから、そんなことは知らないでいいではないかという見方もできる。しかし、彼の先輩のモンゴル力士たちは、みなこのシステムを受け入れ、日本人力士以上に相撲という「美しき伝統文化」を継承してきたのである。 はっきり書くが、もしモンゴル人力士がすべて「ガチンコ」だったら、いまの相撲界はまったく違ったものになっていただろう。モンゴル人力士の草分けである旭鷲山、そしてモンゴル出身で初の横綱になった朝青龍などがいたから、いまの相撲界がある。さらに、貴ノ岩を殴った日馬富士、大横綱の白鵬などが、このシステムを理解・実践してきたから、伝統文化は守られたのだ。「全部ガチンコなら体がもたない」 「注射」による相撲を八百長と呼ぶメディアがあるが、それでは理解が浅すぎる。 「注射文化」は江戸時代からあったという。しかし、戦後、相撲が大衆娯楽としての地位を得たことで花開いた。最初の大々的な「注射相撲」は、1955年3月場所の栃錦・若乃花の両横綱による全勝対決とされる。 このとき、若乃花は2場所前に栃錦に星を貸していたので、それを返してもらって優勝する絵図を描いた。しかし、栃錦も自分も全勝優勝したいと譲らず、両部屋の話し合いになったのである。当時を知る中島克治氏(元幕内力士の大ノ海の息子で、自身も1967年から4年間、花籠部屋所属力士)の証言(『週刊現代』2011年2月26日号)によると、栃錦が転ぶことを了承し、取り組みの細部まで突っ込んだ打ち合わせがあったという。  時代は下って、衝撃の「八百長告白」を行って謎の死をとげた大鳴戸親方(元高鉄山)によると、「八百長の全盛期のきっかけを作ったのは柏戸さんで、確立したのは北の富士だといえるんじゃないでしょうか」(『週刊ポスト』1996年2月2日号)という。さらに、このシステムを盤石にしたのが、先ごろ相次いで亡くなった名横綱千代の富士(九重親方)と、北の湖(第9代、第12代相撲協会理事長)だった。 そしていま、こうした伝統を受け継いで、土俵を盛り上げているのが、一大勢力となったモンゴル人力士たちなのである。  ところが、貴乃花親方は誰もが証言するように、「注射」は「相撲道」ではない、まして伝統文化などではないと考えている。それは、自身が現役時代、かたくなに「ガチンコ」を貫いてきたからだろう。「ガチンコ一直線」で来ると、フェアプレーでない取り組みが許せなくなる。なぜなら、スポーツの最高の価値はフェアプレーにあるからだ。2001年の大相撲夏場所、武蔵丸との優勝決定戦で仕切り中の横綱貴乃花=両国国技館 かつて週刊誌で編集者をやっていたとき、私はある現役力士に「なぜ『注射』をするのか?」と聞いたことがある。そのときの答えをいまも鮮やかに覚えている。「全部『ガチンコ』でやったら体が持ちませんよ。だから、最初はガチンコでも、勝ち進んで幕内に上がると『注射』の魅力に勝てなくなるんです。ただ、『注射』といっても『ガチンコ』で強くないとできません。はなから勝てる相手に誰も『注射』など持ちかけてきませんからね」 相撲の勝負は、言い換えれば巨体が全力で激突することである。それを15日間続ければ、体力は消耗し、場合によっては故障してしまう。「注射」はそれを避けるための知恵でもある。「もし、15日間全部『ガチンコ』でやれば、半分の力士が故障します。そうなったら、場所が成り立ちませんよ」 実際、無気力相撲や八百長相撲がメディアで問題化し、協会が対策に乗り出した後の場所では、故障・休場力士が続出している。貴乃花親方が許せない「相手」 今回の事件の背景には、貴乃花親方の協会執行部、特に八角理事長に対する根強い不信感があるとされる。貴乃花親方と八角理事長は、昨年の理事長選で対決し、6対2で貴乃花親方が敗れている。貴乃花親方の「正論」、つまり「改革」(ガチンコ改革)についていける親方衆はほぼいないからだ。2007年に時津風部屋で新弟子が暴行で死亡する事件が起きたときも、貴乃花親方は相撲界の改革を訴え、協会の透明化を主張した。相撲をスポーツにしようとしたのだ。 そんな貴乃花親方だから、現役時代の八角親方の生き方が許せるはずがない。現役時代の八角親方、つまり横綱・北勝海は、同部屋(九重部屋)の大横綱・千代の富士に次ぐ2番手の横綱として、千代の富士からの星回しで8回、優勝している。しかし、これは典型的な「注射システム」による優勝だった。次は、北勝海が優勝した8回の成績を、千代の富士の成績と比較したものだ。 見ればわかるように、千代の富士が優勝を捨てるか、あるいは休場した場所でしか北勝海は優勝していない。これは、千代の富士が優勝を捨てた場所では、千代の富士は下位力士に星を売り、その見返りに下位力士は北勝海に負けるというパターンが繰り返されたからである。こうすると千代の富士の黒星は白星となって北勝海に集まり、北勝海が優勝できることになる。そして、次の場所でこの逆をやれば、今度は千代の富士が楽に優勝できるというわけだ。実際、北勝海は千代の富士の引退後、1回も優勝していない。 前述したように、国民栄誉賞を受賞した名横綱・千代の富士の時代は「注射システム」が全盛の時代だった。そのとき、「注射」を「中盆」(仲介人)として仕切った板井圭介氏(元小結板井)を、私が所属する日本外国特派員協会が呼んで、記者会見を開いたことがあった。 2000年1月のことで、このとき、板井氏は現役時代の「注射」を認め、「注射」にかかわった20人の力士の実名を公表した。慌てた相撲協会は板井氏に謝罪を求める書面を送付したが、最終的に「板井発言に信憑(しんぴょう)性はなく、八百長は存在しない。しかし板井氏を告訴もしない」という玉虫決着で、この問題は終息した。 千代の富士や北勝海の「注射時代」を終わらせたのは、ほかならぬ貴乃花親方である。いまでも語り継がれるその出来事は、1991年の5月場所の初日で起こった。このとき、18歳9カ月の貴花田(当時)は、千代の富士を真っ向勝負で一気に寄り切ったのである。初挑戦での金星だっただけに、千代の富士のショックは相当なものだった。しかも、この18歳9カ月という金星は、若秩父の記録を破る最年少金星なのだから、角界も相撲ファンも世代交代の流れをハッキリと意識した。案の定、千代の富士はこの敗戦から2日後に引退を表明している。 貴花田はその後、相撲界の期待のヒーローとなり、翌年の初場所で最年少優勝を果たして横綱に昇進した。そして、引退するまで「ガチンコ」で11回優勝した。言うまでもないが、この優勝は北勝海の優勝とは中身が違うものだ。最近の「注射相撲」は本当につまらない 「注射」と「ガチンコ」。この二つは切っても切り離せないもので、これがある限り、相撲は観戦していて面白い。なぜなら、「注射」か「ガチンコ」かのどちらかになるまでに、さまざまな背景、人間関係、そのときの場所のムードなどが複雑に絡んでくるからだ。大相撲九州場所14日目、福岡国際センターを通って、東京へ出発する故北の湖理事長を乗せた霊きゅう車を見送った八角親方(右)と貴乃花親方=2015年11月(中川春佳撮影) 相撲を単にどちらの力士が強いかという見方で観戦してしまうと、日本の伝統文化に触れることはできない。 ところが、最近の「注射相撲」は本当につまらなくなった。かつてのように、綿密な事前打ち合わせなしで行われることが多いからだろう。 かつて私は、1年間の幕内の全取組の決まり手を調べ、それをランキングしたことがある。そうした結果、「寄り切り」「押し出し」「はたき込み」の三つの決まり手が上位を独占していることがわかった。現在、「注射」のほとんどは、この三つの決まり手のどれかで行われているとみていい。 なぜ、こうなるかといえば、力士がよほどの場合をのぞいて、複雑なシナリオを嫌うからだ。力士が一番嫌うのが、投げ飛ばされるなどして身体に砂がつくことだ。また、下手な倒れ方をしてケガをしてしまうこと。こんなことになったら、「注射」した意味がなくなってしまうからだ。となると、やはり「ガチンコ相撲」のほうが面白いとなるが、果たしてそれでいいのだろうか。 さて、モンゴル人力士たちが引き継いだ日本の伝統文化だが、師匠・貴乃花の教えで「ガチンコ」を貫く貴ノ岩のような力士の出現で、大きく揺らぐことになった。また、モンゴル人力士が増えすぎたため、同じモンゴル人力士のなかで「派閥」ができてしまったことも、伝統文化を脅かしている。 よく知られているように、傷害事件を起こして事実上協会から追放された朝青龍は、一大派閥を形成していた。反朝青龍の先鋒(せんぽう)は旭鷲山で、現役時代、風呂場で口論となった後、朝青龍は旭鷲山の車のサイドミラーを壊す騒動を起こしたのは有名だ。  現在の大横綱白鵬は、朝青龍の派閥を引き継いで、モンゴル人力士たちのまとめ役となっている。2006年5月場所で優勝したとき、白鵬は朝青龍から「注射」により300万円で星を買ったという(『週刊現代』2007年6月9日号)。以来、白鵬は朝青龍の派閥に組み込まれ、日馬富士も朝青龍の忠実な配下になったといわれている。 今回の事件でも、朝青龍は「本当の事聞きたくないか?お前ら」、「ビールびんありえない話し」などと、ツイッターに連日投稿している。  というわけで、今後、この事件がどういう展開になっていくのかは、私にはわからない。日馬富士が「傷害罪」で書類送検されるという話があるが、そうなれば、引退を余儀なくされ、モンゴルネットワークの一角が崩れるだろう。注射は土俵の上では効くが、カラオケ店のような「場外」では効かないのだ。 かといって、貴乃花以来の「ガチンコ一直線」の日本人横綱稀勢の里は満身創痍(そうい)である。「ガチンコ」と「注射」。これは、相撲を相撲たらしめている根本文化である。「ガチンコ」だけの相撲など成り立たないし、また、面白くもなんともない。 来年、2018年の初場所が本当に楽しみだ。

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    貴乃花親方がなんだかおかしい

    「角界のプリンス」ともてはやされたころから気難しそうな印象はあったが、今回の日馬富士騒動でもその掴みどころのない言動に周囲はヤキモキしているようである。ダンマリ貴乃花の胸の内もさることながら、そもそもこの騒動自体、なんだかスッキリしない。というわけで、本日は相撲ファンによる言いたい放題、大放言!

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    自らの出世のために「綱」を汚した貴乃花親方が小憎らしい

    杉江義浩(ジャーナリスト) 横綱日馬富士が貴ノ岩を殴りつけたとされる暴行事件は、本当にそんなに悪質な大事件なのでしょうか。必要以上にマスコミが振り回されてはいないでしょうか。一人の大相撲ファンとして報道される内容を見ていると、むしろ加害者である日馬富士の方が気の毒になり、貴乃花親方の方が小憎らしく思えてくる、不思議な感情にとらわれてしまいました。 もちろん張り手一発でも、土俵の外で行われれば、暴力は暴力です。許されて良いという道理はありません。ましてや日本の国技である大相撲の頂点に君臨する、神聖なる横綱ともあろうものが、暴行事件を起こして警察に取り調べられるなどとは、情けない限りであります。しかし今回はそのような正論はワイドショーに任せて、私は一連の騒動の本質に迫ろうと思います。 私は十数年前、奇しくも同じ九州場所の真最中に、横綱武蔵丸を密着取材したことがあります。苦労して日本相撲協会からもらった取材許可書には、但し書きが付いていました。力士が気乗りしないときには取材を断ることがあり得る、という文言とならんで、取材中に力士からいかなる暴力を受けても訴訟しないこと、という一文がありました。 どんな恐ろしい取材現場になるのだろう。私はビクビクしながら福岡の武蔵川部屋宿舎を訪れました。まもなく早朝から竹刀を持った親方の前で、新弟子たちの迫力満点のぶつかり稽古が始まりました。なんと立ち会いの瞬間、額と額を全力で激突させるのです。 頭と頭の骨がぶつかり合う「ゴーン」という音が部屋中に響き渡り、若い力士は脳震盪(のうしんとう)を起こしてふらふらになります。意識を取り戻して再びガツン。文字通りのガチンコ相撲の繰り返し。これでは死んでしまう、と思わず親方に言いたくなった頃、土俵の上は交代し、力士たちは互いに頭を左右によけて、相手の肩にぶつかるような稽古が始まりました。稽古総見で汗を流す日馬富士(右)=2017年9月、両国国技館の相撲教習所 相撲の歴史をひもとくと、戦国時代の勧進相撲では、相手を殺してしまうことも普通に行われていたようです。そんなルーツを持つ相撲の凄みに、私はぐいぐいと引き込まれていきました。先輩力士から受ける新弟子の稽古では、土俵の内外を問わず、私の目には暴力としか映らない光景も多く目にしました。その異様な雰囲気の朝稽古に比べると、稽古の終盤に現れた武蔵丸は、おおらかでユーモアがあり、ようやく私をホッとさせてくれました。 なぜこの話をしたかというと、大相撲の世界というのは、我々の非常識が常識になるような、特殊な世界だということを強調しておきたいからです。究極の暴力を日本の伝統文化にまで昇華させた、世界に例を見ない存在です。力士の身体はそれだけで武器です。ですから日馬富士の件でスポニチが第一報を出したとき、私は非常に違和感を持ちました。関取は素手が凶器 まずビール瓶で貴ノ岩を殴ったという表現。力士がそんなことするだろうかという疑問でした。実はビール瓶というのは、中身が入っている状態では重く威力のある鈍器になりますが、中が空の状態では軽いし瓶の方が割れてしまって武器としては微力なものです。 それよりは力士の素手の方が、ずっと破壊力がある凶器です。私のような素人が力士に張り手で頭をはたかれたら、それだけで死んでしまうかも知れません。日馬富士がわざわざビール瓶で殴るという行為には、どうしても意味が見いだせずに、首をかしげるしかありませんでした。カラオケのリモコンであろうと何であろうと力士の場合関係がありません。素手そのものが凶器なのですから。 もう一つは報じられた診断書です。「右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」という記載です。本当に髄液漏など起こしていたら、全治2週間どころではない重傷です。いや命に関わる重態でしょう。でも医師は「疑い」と書いているだけであり、よく読めばそれほどでもないことがわかります。全治2週間というのも負傷した10月26日から起算して2週間です。 実際に貴ノ岩は翌日に鳥取の巡業に参加していますし、いくら力士が並外れた体力を持っているとはいえ、2週間での復帰は現実離れした回復力だということになります。ワイドショーが日馬富士の暴行のひどさを語るために、こぞって引用したこの診断書は、実はちゃんと正しく読めていなかっただけで、本当は軽傷に近いものだったのではないかと私は思っています。 何よりも理解に苦しんだのは、日本相撲協会の理事でもある貴乃花親方が、この事件を協会の八角理事長や危機管理委員会に報告せず、いきなり県警に被害届を診断書とともに提出したということです。引き揚げ時、テレビのインタビューに答える八角理事長=2017年11月、福岡国際センター(撮影・中島信生) もちろん一般社会の常識としては、暴力事件などが起こったらまず警察、それから内部調査という手順を踏むべきだとされています。しかし日本相撲協会というのは、文部科学省管轄の公益財団法人です。日本の国技としての伝統や精神を受け継いでいくために、さらに言えば暴力を神格化させた特殊な世界の自治のために、半官半民の立場を与えられています。 日本相撲協会には、不祥事などに備えて、組織の内部で解決するためのシステムがあります。危機管理委員会です。それは外部から招いた元地検特捜部の検事や弁護士などを含む、特別な委員会。すなわち今回のような内輪の事件が起きたときには、真っ先に相談すべき機関です。なぜそこに貴乃花親方は最初から報告しなかったのか。通報義務を無視して単独行動に出たのか。 組織の力学、というものがあります。組織の力は、その組織を守る方向に作用する、という法則です。それに従えば、貴乃花親方は今回のような事件の場合、まずは日本相撲協会に通報して、危機管理委員会の判断をあおぐ。その上で警察沙汰にするかどうか、結論を下すというのが自然な流れです。 その自然な流れに逆らって、今回の軽微な事件を最初から警察沙汰にし、刑事法廷も辞さない構えでマスコミにアピールした貴乃花親方の態度は、組織を守るというよりも、組織を相手にして追い詰めているように見えます。狙いは理事長ポストか 組織と敵対して追い詰めると、いったい何のメリットが貴乃花親方にあるのか。それを考えていくと、日本相撲協会の理事長の座をめぐる、現在の八角理事長と、理事長選に負けた貴乃花親方との確執以外考えられません。来年3月の理事長選に向けて貴乃花親方は、なんとしても八角理事長をスキャンダルで退任に追い込みたかった。そう考えるのは邪推でしょうか。  現役力士としての頂点である横綱を極めた貴乃花が、引退した後も管理職としての親方株を引き継ぎ、ついには大相撲界管理職の頂点である理事長の座を極めるべく情報戦にもつれ込む。そんなドロドロとした相撲協会内での勢力争いが垣間見えます。横審終了後囲み取材を受ける貴乃花親方=2016年3月両国国技館(今野顕撮影) 日馬富士の暴行事件をすっぱ抜いたのは、スポニチ一社だけでした。事件から20日も空白の期間があったとはいえ、見事なスクープ記事だったように見えます。しかしスポニチは貴乃花部屋と関係が深い、いわば貴乃花一門のお抱え新聞社です。そのことを考えると実態は、貴乃花親方によるリークであった可能性が十分考えられます。 自らの出世のために、神聖な横綱の真っ白な「綱」を汚す。その行為が大相撲ファンの私には許せなかったのかもしれません。 傷害容疑で日馬富士は書類送検となるとのことです。それにより横綱の立場は致命的なものになります。暴力を振るった日馬富士も悪いけど、先輩である横綱白鵬からの説教の最中に、スマホで恋人とのやりとりをした貴ノ岩にも非があるでしょう。そのどちらも大相撲という特殊な世界の中では、比較的軽微な罪だと私には思えるのです。 大相撲の世界で、現役の横綱を、現役の親方が警察に突き出す。それこそが日本の国技である大相撲が、今まで受け継いできた美しい伝統と、守り抜いてきた神聖なる「綱」の重みを、一瞬で台無しにしてしまう、極めて残念な行為なのだ、と私には感じられます。 私がかつて取材した九州場所での横綱武蔵丸は、番組のために特別に「綱」を見せてくれました。部屋の後輩力士たちが3人がかりで、白い手袋をはめて木箱から取り出し、持ち上げて見せてくれた「綱」は、塵一つ付いていない見事な純白のしめ縄でした。横綱はご神木と同様に、神様の扱いなのです。 その「綱」を締めたときはどんな気分か、という私のインタビューに答えた、当時の武蔵丸の言葉が、「綱」のまぶしい白さの印象とともに思い出されます。「コレつけると緊張するよ。悪いことできないから」 武蔵丸はアメリカ人横綱でしたが、日本の心をしっかりと理解していると感じました。日馬富士はモンゴル人横綱ですが、同様に日本の心を理解していると信じたいです。 酒の席で先輩が後輩に手を上げてしまった。今回の事件は一般の社会ではありふれた事件であり、たいていの場合は示談で片づくレベルの事件です。それがなぜ協会内部で解決できないのか。この事態を最も残念に感じ、嘆いているのは、事件のために汚されてしまった、横綱が締める純白の「綱」自身かもしれません。

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    ダンマリを決め込む貴乃花が抱えた「大人の事情」

    小林信也(作家、スポーツライター) 日馬富士問題への対応で、貴乃花親方の立場が日に日に悪くなっている。警察に被害届けを出し、「取り下げる気はない」と強硬な姿勢を崩さない。これについてはいろいろ見解はあるだろうが、公に責められるものではない。 一方で、巡業部長でありながら、巡業中の出来事に関して協会への報告が不十分、一部内容は警察への届けと食い違う。貴ノ岩のケガの程度についても、実際以上の重症と主張し、診断書の内容も疑わしいところがあるといった報道が出ている。その詳細について、貴乃花親方は一切、口をつぐんでいる。事件の発覚以来、貴乃花親方は沈黙を守り、警察の捜査にすべて委ねる形になっている。 そんな中、日本相撲協会は、巡業部長である貴乃花親方を今場所後の巡業から外し、代役を立てる方向だと報じられた。いまの貴乃花親方に、他の部屋に所属する力士を任せるわけにいかないという判断だ。それは、管理責任者としての資質を否定され、協会公務からの追放を示唆するものとも受け取れる。貴乃花親方(中井誠撮影)  「いずれは理事長になる」、引退直後は協会関係者もファンも多くがそう考えていた。引退後も貴乃花は、「角界のプリンス」であり続けるはずだった。それがなぜ、このような孤立を生んだのだろう。このままでは、来年早々、理事選後に予定される次期理事長選挙でも、過半数の支持を得るのは難しい情勢だ。さらに言えば、孤立を深める貴乃花親方がこのまま日本相撲協会の一員として活動し続けてくれるのか、そんな心配さえ広がる。 貴乃花親方は、日頃から「相撲という日本の伝統文化を改めて身近な人気分野にしたい」「老若男女、とくに子供がもっと日頃から親しむ環境を作りたい」といった主旨の夢を語り続けている。協会内で主張しているのも、その夢を前提にしたビジョンだ。 ところが、日本相撲協会の大勢は、そのような広い視野に立った深淵なビジョンではなく、当面の本場所や巡業の運営、日々の相撲部屋の経営に目が向けられている。それでなくても不祥事が続き、長年維持してきた財団法人としての既得権や恩恵が揺るぎかねない事態が続いている。権益や経営権をできる限り相撲界の外部に流失させず、相撲界の中に保持し続けたい、そのことに意識とエネルギーが注がれているように、貴乃花親方には感じられ、苛立ちが募っているように見える。 理想を追い、根本的な改革を目指す貴乃花親方は、自らを正しいと信じ、「これを成し遂げなければ相撲の未来はない」とさえ、危機感と使命感を募らせているように見える。そのことに異論はない。変化はあの「貴の乱」から だが、正義を背負い、自分には邪心がないと確信する人間が「現実論」「大人の事情」を斟酌せず、組織の中で摩擦を生ずることは往々にしてある。貴乃花親方はまさにその状況ではないか。自分が正しいと信じるがゆえに、理解しない周囲に物足りなさを感じ、敵視する傾向に向かう。2010年1月、二所ノ関一門からの離脱と日本相撲協会の理事選に立候補することを表明する貴乃花親方 2010年の理事選では、それまでの慣習を破って理事選に立候補し、「貴の乱」と形容された。改選前に一門同士が調整し、無投票で理事を決める慣例を破ったのだ。このころから、協会のぬるま湯的な体質に反発する積極的な姿勢と行動が目立つようになる。 貴乃花は、現役時代から「孤独」を感じ続けていたように感じられる。 横綱に昇進し、着実に優勝回数を重ねていた当初は、明るく、角界のスターそのものだった。ところが、横綱になって4年目ころから、親方や兄・若乃花と距離が開き、親しく会話しなくなったと伝えられた。ケガが重なり、休場も多くなり、次第に難しい顔が目立つようになる。 孤高の存在になる予兆は、現役時代にも見られた。 角界を背負う使命感とそれを理解してくれない周囲への苛立ちと失望。横綱時代、7場所連続全休という過去に例のない時期を過ごした。ケガの回復のため、入院したのはフランスの病院だった。 ケガから復帰し、次第に強さを取り戻した2001年5月場所での優勝は、いまも語り継がれる。小泉純一郎首相(当時)が、「痛みに耐えてよくがんばった、感動した、おめでとう」と言って内閣総理大臣杯を渡した。あの時の「鬼の形相」は多くの相撲ファンにいまも刻まれる記憶だが、思えば、あれほどのケガを負いながら土俵に上がり、そして勝った貴乃花を動かしたのは、尋常ではない背景によって生み出された精神的エネルギーだったのだろう。それも「孤高」と背中合わせの快挙だったように感じる。 引退を発表した日、貴乃花の表情は清々しかった。引退会見では「非常にすがすがしい気持ち」「心の底から納得しております」と繰り返し語った。 私はその日、貴乃花本人とNHKで会い、インタビューする機会に恵まれた。 「フランスの病院に入院して、いろいろなフランス人と接する中で日本の相撲の伝統、横綱への敬意を痛感して、日本の伝統を担う責任の重さを改めて感じた」と、素直な眼差しで語ってくれた。正直、その眼差しに魅了され、貴乃花親方による相撲界の改革に心から期待を感じた。 だが、使命感と意気込みが強ければ強いほど、相撲協会の現実、改革を本気で志向せず、現状維持によって自分たちの権益や収入を守ろうとする勢力への失望と憤りは募っていったのではないだろうか。 孤立を深めた背景には、部屋付きの親方で貴乃花親方の右腕と呼ばれた音羽山親方(元大関貴ノ浪)の早すぎる死もあった。ひとつ年上の貴ノ浪は、ストイックな貴乃花とは対照的に、大らかで明るく、部屋の垣根を越えて親しまれる存在だった。排他的な貴乃花親方 2年前の6月、音羽山親方が43歳で亡くなり、貴乃花親方は腹心を失った。協会業務で部屋を留守にすることの多い親方に代わって、稽古は音羽山が中心になって部屋を盛り立てていた。今回の「被害者」貴ノ岩も、音羽山親方が熱心に育てた弟子のひとりと言われる。いずれ貴乃花が理事長になるときには音羽山親方が右腕になる、カリスマ性が強く、近寄りがたい雰囲気がどうしても拭えない貴乃花親方を支える影の存在として、貴ノ浪が周囲との融和を図る役目を担うと多くの関係者がみていた。その貴重な存在を失ったことも貴乃花の孤立に拍車をかけたかもしれない。 沈黙を守る貴乃花親方から読み取れるのは、協会の現執行部への深い不信感、「警察の調べですべてが明らかになれば、自分の正しさが理解される」との確信。2005年1月、断髪式で音羽山親方(元大関貴ノ浪、手前)の大銀杏を切り落とす師匠の貴乃花親方=両国国技館(斎藤浩一撮影) だが、たとえ事実によって貴乃花親方の正義が立証されても、世の中はそれだけで円滑に動かないことを貴乃花親方も受け入れてほしいと、老婆心ながら思う。 妥協せよ、長いものに巻かれろと、具申したいのではない。改革は、ひとりではできない。支持があって初めて為される。いま貴乃花親方が敵視する執行部やその周りに連なる親方衆との融和がなければ、貴乃花親方が目指す相撲界の改革、相撲の普及も実現しない。 私は、貴乃花親方に共鳴し、相撲がさらに愛され、発展する夢を重ねるからこそ、その孤高ぶり、排他的な現在の貴乃花親方を案じる。 日馬富士やモンゴル勢を追放することが、日本の相撲界に活況をもたらす切り札ではない。悪しき慣習は、モンゴル勢だけではない。 真剣勝負の場所前に、戦う者同士が親しく杯を交わす「モンゴル会」の存在にも貴乃花親方は異議を唱えていたと伝えられる。確かに、それも一理あるが、異国を離れ、モンゴル語で話す相手のいない孤独な相撲部屋暮らしの中で、同胞との交流は彼らにとって貴重な時間ではないだろうか。親しければ八百長につながる、というのは事実ではない。こうした実情を理解し、受け入れる柔軟さ、発想の転換も、角界のリーダー、革命児には必要ではないだろうか。

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    日馬富士を「犯罪者」扱いするにわか相撲ファンが許せない

    西尾克洋(相撲ライター) 日馬富士の騒動について、事態が混迷を極めている。日馬富士が貴ノ岩を殴ったという事実以外の情報が錯綜(さくそう)し、新情報が小出しに追加されている状況だ。事実が明らかになっていない中で、憶測を元にした議論がメディア上で活発になされ、世論が翻弄(ほんろう)されている。 横綱という立場にありながら、後輩力士を殴った日馬富士。情報をつかみながら、素早い対応を怠った相撲協会。彼らの行いは言い逃れができないものだ。かつて不祥事が続いた頃、盛んに叫ばれた「品格」はそこにはない。これはただの暴行事件ではなく、暴行をトリガーにして、相撲界の悪しき体質が露呈された事件だといえるだろう。 だが、この混乱は果たして品格なき日馬富士と相撲協会だけが招いたものだろうか。 戦犯探しをすることが問題解決につながるとはかぎらないし、安全圏から悪い誰かを責めることは憂さ晴らしをする行為につながりやすいので気を付けねばならない。ただ、今回ばかりは日馬富士の騒動をかき乱した、2人の登場人物について触れねばならない。 騒動の原因を産み出したのが日馬富士で、適切な処理を怠ることで騒動を大きくしたのが相撲協会なら、不確かな情報を拡散し、事態を混乱させているのは間違いなくマスコミである。 夜の羽田空港で日馬富士を大勢で取り囲み、朝になればホテルの前を占拠してこれまでの経緯を報じる。有名人たちが番組内で不確かな情報を元に無責任なコメントを発し、今度はそれを元にネット記事が作成される。話題が朝から晩まで日馬富士で埋まるのは、彼らがこうして自ら話題を創り上げているからである。果たしてこのような報道姿勢が問題解決につながるのだろうか。 さらにその情報の中には、マスコミによって印象操作されているものまで存在している。 例えば、一連の報道でよく使われている貴ノ岩の写真の一つに、浴衣姿で顔がアザだらけのものがある。誰がどう見ても、これは日馬富士の暴行によってできたものだと思うはずだ。事実私もそうだった。十両に昇進し、会見の冒頭、貴乃花親方(右)と握手を交わし笑顔を見せる貴ノ岩(左)=2012年5月23日、東京・中野区の貴乃花部屋(大橋純人撮影) だが、実はこの写真は今回の事件と一切関係ない。貴ノ岩が数年前に昇進したときに撮られたものだ。アザだらけの貴ノ岩が貴乃花親方とガッチリ握手をしている写真も存在している。少なくともフジテレビ系情報番組「グッディ」と「めざましテレビ」でこの写真が使われていることまでは確認できている。 特にこの写真は有名なものではない。ネット検索しても、ヒットする順位はかなり低い。だから、偶然この写真を使ってしまったという言い分は通用しない。つまり貴ノ岩が被害者である印象を植え付けるために、マスコミが意図的にこの写真を選んだということである。 問題を解決する気がないだけでなく、問題を意図的に操作して伝える彼らは、果たして何がしたいのだろうか。そこに報じる立場としての自覚はあるのだろうか。そして、彼らが日馬富士に求めている「品格」が、彼ら自身にあると言えるだろうか。恐るべき「にわかアンチ相撲ファン」の正体 もう1人の触れておくべき登場人物は、マスコミの情報を元に事態をさらに混乱に陥れている「にわかアンチ相撲ファン」というべき人物たちである。 相撲ファンと彼らは明確に異なる。相撲ファンであれば、日馬富士の9月場所での活躍、3横綱が場所前に休場する中で不調にあえぎながらも15日間を戦い抜き、優勝にまでこぎ着けた姿を知っている。そして、大相撲がどん底の頃から人気回復のために土俵に立ち続けてきたことを知っている。だから日馬富士の功績の部分を考慮した上で、苦しみながら厳しい処分を求めている。 だが、にわかアンチ相撲ファンは、日馬富士を「犯罪者」であるとし、懲役や解雇、永久追放という言葉を並べて批判する。そして、ビール瓶で数十発殴ったという行為を声高に叫ぶ。当初の情報をうのみにして、その後の情報には目も向けない。そして、日馬富士の力士としての貢献には一切言及しない。だから、厳しい処分を求める以外は何もしない。 なぜ彼らがこうしたスタンスを取るのか。それはにわかアンチ相撲ファンが普段相撲を見ていないからだ。彼らの興味はあくまでも不祥事を起こした人物、会社、組織である。彼らの行動を見てみると、その前にかみついていたのは小池百合子であり、巨人の山口俊であり、宮迫博之のような人物たちであった。にわかアンチ相撲ファンは時ににわかアンチ野球ファンになり、時ににわかアンチ吉本興業になる。 だからこそ、彼らは「にわか」に相撲をたたく。つまり「にわかアンチ相撲ファン」というわけである。 にわかアンチ相撲ファンの恐ろしさは、実はこうした意見が一定数存在することで、世論に少なからず影響を与えることだ。彼らも世論の一部だ。そして、彼らとそれ以外の人の意見を区分けすることは難しい。なぜなら「にわかアンチ」という概念がまだ理解されていないため、彼らの意見を排除するという発想がないからだ。福岡空港に到着する横綱・日馬富士=2017年11月21日、福岡空港(仲道裕司撮影) 「にわかアンチ相撲ファン」もまた、見る側としての、そして意見を出す者としての品格がない。声高に非難する対象には品格を求めながら、彼ら自身は自らを省みない。 こうした状況の中で、相撲を愛する者も、そうでない者も、等しく日馬富士の騒動をこれから目の当たりにし続けることになる。正しい情報は何か。印象ではなく、事実に基づいて一視聴者として判断を下す必要がある。情報があふれているからこそ、自分が心地よい情報を選択する傾向にあるが、心地よく加工された情報、そして心地よい反応に囲まれていることを自覚せねばならない。 品格を求めるのであれば、まずは自らが品格を求めて考え、行動すること。日馬富士の事件が教えてくれたのは、われわれには見る側としての品格が必要だということである。

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    日馬富士と貴ノ岩 本来、宴席に居合わせるはずはなかった

     モンゴル出身の横綱・日馬富士(伊勢ヶ濱部屋)が同郷の後輩力士・貴ノ岩(貴乃花部屋)を殴打する事件が、巡業先の鳥取で起きたのは10月25日の夜。事件は根深い問題を表面化させた。 この夜、鳥取のちゃんこ屋での1次会には日馬富士、貴ノ岩のほかに横綱の白鵬、鶴竜、関脇・照ノ富士らモンゴル出身力士が多数参加した。「ただ、同郷の集まりというよりは、地元の相撲強豪校・鳥取城北高校に関係する力士を中心に集まっていた。貴ノ岩らはモンゴルから鳥取城北に相撲留学したOB。白鵬は、同校相撲部の石浦外喜義・総監督の息子である十両・石浦を内弟子に取っていて関係が深い。大相撲九月場所(秋場所)14日目の日馬富士=2017年9月、両国国技館(蔵賢斗撮影) 貴乃花親方は弟子たちに対し、稽古場を除いては他の部屋の力士と仲良く交流することを禁じています。本来、貴ノ岩が部屋をまたいだモンゴル勢の集まりに顔を出すことはないわけですが、高校の相撲部OB会ということで、親方の許可が出たとみられています」(ベテラン記者) さらに、ある鳥取城北高校OBはこんな話をする。「本来、日馬富士と鶴竜は鳥取城北高校とは何も関係ないから来るはずがなかった。数年前に鳥取への巡業があった時の同じような夜の会合には自分も顔を出したが、日馬富士と鶴竜はいなかった。今回は、白鵬がたまたま声をかけたんじゃないか」 モンゴル勢の集まりには顔を出さないはずの貴ノ岩と、鳥取城北の集まりには来ないはずの日馬富士が居合わせ、結果として2次会の席で事件は起きた。 つまり、幕内に9人(横綱3、関脇1、平幕5)という一大勢力であるモンゴル人力士たちは、全く一枚岩ではないのだ。「一言にモンゴル勢といっても前頭筆頭の玉鷲をはじめ、貴ノ岩、荒鷲、逸ノ城らは同郷の先輩とは積極的に交流しないし、土俵上でも遠慮なく全力でぶつかっていく。今年の初場所では、白鵬から貴ノ岩と荒鷲が金星をあげています。 2011年に発覚した八百長事件でモンゴル勢でも引退勧告を受けた力士がいたことから、若手はことさらガチンコを徹底しようとする。だんだんと世代間の溝が深まっていた」(前出のベテラン記者) 今回の事件は、単なる突発的な事故では片付けられない、モンゴル勢内部の「溝」の存在を裏付けている。関連記事■ 日馬富士殴打事件 秘密裏に金銭による示談交渉あったとの証言■ 横綱昇進の日馬富士 素行の悪さで“ミニ朝青龍”と呼ばれる■ 日馬富士殴打事件 深刻化の裏に「理事選での親方同士の遺恨」■ 協会が身内に牙むいた!貴ノ岩“仮病疑惑”浮上 「頭蓋底骨折」はあくまで“疑い”■ 【横綱・日馬富士暴行】貴乃花親方、冬巡業帯同させず 現執行部への不信感が問題複雑に

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    日馬富士殴打事件で「貴乃花クーデター第3幕」の幕開けか

    両国国技館を後にする横綱日馬富士関=2017年11月、東京都墨田区(佐藤徳昭撮影) モンゴル出身の横綱・日馬富士(伊勢ヶ濱部屋)が同郷の後輩力士・貴ノ岩(貴乃花部屋)を殴打する事件が、巡業先の鳥取で起きたのは10月25日の夜。事件が表沙汰になったのは、九州場所3日目の11月14日朝だ。両者の間には秘密裏に示談交渉があったともされ、深刻化した背景には親方同士の理事選をめぐる遺恨もあるという。さらにモンゴル勢内部の「溝」も浮き彫りになった(※日本相撲協会に事件公表が遅れた経緯、示談交渉の存在について問うたが、広報部は「調査中につき取材はお断わりする」とするのみだった)。 角界の“分断”を白日の下に晒した今回の事件が、簡単に収まるはずもない。2018年2月には2年に一度の理事選が控えている。 2010年に日馬富士が同郷の先輩として慕っていた横綱・朝青龍が暴行事件をきっかけに引退に追い込まれた。その際には、師匠の高砂親方(元大関・朝潮)が監督責任を問われ、役員待遇から2階級降格処分を受けた。今回も、伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は理事からの降格処分は避けられないだろう。 2016年2月の理事選では、自身の一門が持つ票だけでは理事になれない伊勢ヶ濱親方が、貴乃花グループから票を回してもらって当選した経緯がある。もしも伊勢ヶ濱親方も高砂親方と同様に降格処分をくらったらどうなるか。「そうなれば、貴乃花グループと関係の切れた伊勢ヶ濱親方が理事に返り咲くのは難しい。伊勢ヶ濱一門からの後任理事は貴乃花親方に近い浅香山親方(元大関・魁皇)になるとみられる。“貴派”の理事を一枠、奪い返せるわけです。さらには、横綱の不祥事だけに協会の最高責任者である八角理事長(元横綱・北勝海)の責任問題につながってくる。ここ数年、貴乃花親方への支持はじわじわと広がっていたものの、来年の理事長選はまだ劣勢とみられていた。それが今回の暴行事件をきっかけに、一気に形成逆転の芽が出てきた」(ベテラン記者)貴クーデター、待ったなし 協会改革を掲げてきた貴乃花親方は、事前の候補者調整で各一門が理事ポストを分け合い、本場所、地方巡業を含め様々な興行の利益配分を行なう既存体制に強い疑念を投げかけてきた。大相撲十一月場所5日目、会場入りする貴乃花親方=2017年11月、福岡国際センター(仲道裕司撮影) 2010年の理事選では、所属していた二所ノ関一門を割って出馬。貴乃花一門を立ち上げ、「貴の乱」「クーデター」と騒がれた。 そして昨年の理事長選では、敗れたものの正面から協会トップの座に挑んだ。「今回の事件は、『貴クーデター・第3幕』の幕開けになりうる」(同前) もちろん、“開戦”となれば、主流派も黙ってはいないだろう。「貴乃花親方も現執行部派から批判に晒されるようになるでしょう。事件が起きたこと自体に責任はなくても、巡業中の事件であり、巡業部長として責任を問われ、理事から降格処分となるかもしれない。また、協会に報告せずに被害届を提出したことでも責められる。ただ、貴乃花親方は、自分のグループの票で理事の座には戻れるし、なにより、世論を味方につけられると踏んでいるのではないか」(同前) 土俵外の闘いはむしろこれから、待ったなしの本番を迎える。関連記事■ 日馬富士殴打事件 深刻化の裏に「理事選での親方同士の遺恨」■ 日馬富士と貴ノ岩 本来、宴席に居合わせるはずはなかった■ 日馬富士殴打事件 秘密裏に金銭による示談交渉あったとの証言■ 【横綱・日馬富士暴行】貴乃花親方、冬巡業帯同させず 現執行部への不信感が問題複雑に ■ 相撲協会、貴乃花親方外しで反撃開始 冬巡業帯同させず、NHK解説は交代…敵対的姿勢看過できず

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    大谷翔平の「踏み台」にされた日本のプロ野球が情けない

    小林信也(作家、スポーツライター) 大谷翔平選手(北海道日本ハム)が、ポスティング制度を利用してメジャーリーグ(MLB)に渡ることが正式に発表された。「メジャーでも二刀流」「球速165キロへの期待」など、早くも大谷の新たな未来を歓迎する報道があふれている。大リーグ移籍表明会見を行う日本ハム・大谷翔平選手=2017年11月1日、東京都千代田区 日米の新たな入札制度の合意など、流動的な要素もあるが、今週中にもMLBのオーナー会議で改正案が了承される見通しだという。日本ハム球団も積極的にアメリカ行きを容認し、支援する姿勢を示しているので、大きな支障はないだろう。順調に交渉が進めば、年内にも大谷翔平選手の新たな所属チームが決まるだろう。 私もいまさら大谷のメジャー流失を憂い、反対する気持ちはないが、あまりに無防備で、既定路線を受け入れる風潮に物足りなさを感じる。そもそも第一に、「大谷翔平は本当にヒーローだったのか?」と、あえて反問を投げかけたい。 投手で二桁勝利、打者でも二桁ホームラン。投げれば最速160キロ超。文句なしの実力、実績。だが、札幌に本拠を置く北海道日本ハムの選手だったこともあり、全国の野球ファンが実際に目撃する機会はさほど多くなかった。昨年、11.5ゲームを逆転してのリーグ優勝、そして日本一達成は彼なしには実現しなかったろうが、「大谷翔平ってすごいね」とは思わせても、「大谷翔平に泣かされた」「大谷翔平とともに泣いた、笑った」という、感情を揺さぶられる体験をどれだけの日本人がしただろうか? 少し大げさな表現をすれば、「大谷翔平は本当に実在したのか?」と反問したくなる。テレビやメディアの中に存在し、記録や数字のすごさで日本中を驚かせはしたが、生身の大谷が、日本中を感動させた出来事がどれだけあっただろう。札幌やパ・リーグのファンにとっては実在のヒーローだったに違いないが、それ以外のファンにとっては星飛雄馬と同じ、アニメ・ヒーローのような存在だったとさえ感じる。 最も日本中の期待を担うはずだった今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にはけがで出場ができなかった。全国の野球ファンは、大谷に肩透かしを食らわされたまま、アメリカ行きを見送ることになった。田中将大との決定的な違い ファイターズ・ファンにしても、今季は欠場が続き、日本での最後のシーズンは不完全燃焼に終わっている。その意味で、楽天ファンだけでなく、日本シリーズで対決したジャイアンツ・ファンさえも感動させ、涙させ、日本中に熱い思いを注ぎ込んで米大リーグ機構(MLB)に渡った田中将大投手と色合いがずいぶん違う。 プロでの実績は積んだ、実力も証明した。それでMLBに行くとなれば、日本のプロ野球は本当にMLBの傘下にあるマイナー・リーグのような存在になる。アメリカが上、日本が下。いまでも、それは当然でしょう、という雰囲気もある。 だが、日本のプロ野球はせめて、MLBと肩を並べ、これをしのぐ方向性を提示しなければならないと思う。何もせず、MLBのマイナー化を甘んじて受け入れる姿勢で将来が明るいとは思えない。 まして、7球団競合の末に清宮幸太郎選手(早実)の交渉権を獲得したのが、北海道日本ハム。もし清宮が順調に成長すれば、やはり喜んで送り出されるだろう。それを阻止しろと言いたいわけではないが、まるで高校野球を3年で卒業するように、日本のプロ野球は4年か5年で卒業される、それが当たり前になったのでは日本野球機構(NPB)の威厳や権威はどうなるか。試合終了後に引き揚げる日本ハム・大谷翔平選手(左)。シーズン最終戦は4打数無安打に終わった=2017年10月9日、Koboパーク宮城 その意味で、侍ジャパンは重要だ。日本のプロ野球を本拠とし、世界を相手に戦う。世界にその名を轟(とどろ)かせ、実力も存在も示せる時代だ。それなのに、侍ジャパンの注目度も広報努力もまだ低い。16日から始まる「アジアプロ野球チャンピオンシップ」も、始まればそれなりに注目されるだろうが、稲葉篤紀監督の地味さ、Uー24で若手主体のメンバー構成という事情もあって、盛り上がっているとは言えない。 強化合宿初日の記者会見で、稲葉監督は、「勝利至上主義、勝ちに行く」といった表現で意気込みを示した。多くのメディアもファンも、この言葉をすんなり受け止めていたが、私はあまりの当たり前さにぼうぜんとした。野球少年の減少が課題としてあり、野球の底辺を支える人気衰退が深刻化する中で、侍ジャパンの代表監督が発するメッセージとしてはあまりに物足りない。そんな憂いや不足を感じない鈍感さも、日本野球の危機を如実に物語っていると言えないだろうか。 実際はもっと、侍ジャパンを頂点とする、日本野球のレベルアップ、魅力向上を野球界全体で企画し、推進しなければいけないのに、その危機感も意欲も感じられない。本当は、大谷翔平のメジャー挑戦を手放しで喜んでいる場合ではない。

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    清宮幸太郎は巨人だけには行かない方がいい

    小林信也(作家、スポーツライター)  ドラフト会議が近づき、プロ入りを宣言した清宮幸太郎(早稲田実業)の争奪戦が最大の目玉となっている。次いで、今夏の甲子園で6本のホームランを打った中村奨成(広陵)。ほかに、強打で知られる安田尚憲(履正社)、投手では即戦力の呼び声高い左腕、田嶋大樹(JR東日本)らがいるが、どうしても直近の甲子園で活躍し、話題となった選手に世間の注目は集まり、メディアも彼らこそが「ドラフトの目玉」であるかの騒ぎ方を崩さない。 ただ現実には、甲子園での実績がプロ野球での活躍に直結しないのは、多くのファンが知るところだ。平成18年夏の決勝で、再試合の末に優勝を飾った早実のエース、斉藤佑樹が、プロ野球では苦しんでいる。一方、三振を取られ、最後の打者となって苦笑いを見せた敗者・田中将大は24連勝の偉業を成し遂げ、楽天を日本一に導き、メジャー4年目を迎えた今シーズンはワールドシリーズ進出を逃したものの、ヤンキース躍進を支える活躍を見せた。 それでもドラフト会議では、「甲子園の実績」という幻想をスカウトや球団でさえ捨てきれないのが現状だ。果たして、高校時代の実績がどれほどプロ野球の活躍と直結しているのか? 日本プロ野球の歴史を彩った投打のレジェンドの高校時代に光を当てて検証してみたい。国鉄スワローズ入団当時の金田正一投手=1950年 投手では真っ先に名前の浮かぶ、通算400勝の金田正一。プロ入り8年目で2000奪三振を記録。通算4490奪三振。史上最年少の18歳でノーヒットノーランを達成。1957年には史上4人目の完全試合。挙げたらきりがないほど、その実績、怪腕ぶりは球史に燦然(さんぜん)と輝いている。 愛知県で生まれ育った金田は最初、名古屋電気学校(現在の愛知工業大学名電)に入学。1年生の5月、享栄商業に編入した。昭和8年8月生まれの金田が、まだ14歳の昭和23年春に高校入学した理由はわからない。金田の公式ウェブサイトによれば、高校時代の実績は次のとおりだ。  昭和23年5月7日 享栄商高野球部へ入部(同時に同学校へ入学)、甲子園大会へ補欠で出場(登板の機会は無し) 昭和24年(16歳) エースとなるも、春・夏とも県予選で敗退 昭和25年(17歳) 3月 国鉄スワローズの西垣さん来宅(誤解から入団内定)、8月 甲子園県予選・準決勝で敗退。すぐ国鉄スワローズ入団 一年の夏に甲子園のベンチには入ったが、甲子園ではほとんど活躍していない。上記、西垣さんとあるのは、その年誕生したばかりの国鉄スワローズ初代監督、西垣徳雄のことである。監督自ら金田家を訪ね、入団を要請したのだろう。国鉄は1年目のその年(1950年)、シーズン序盤に14連敗、4月下旬からも10連敗を喫するなど、8球団中最下位と苦しんでいた。その夏、甲子園予選で敗れた金田がすぐに高校を中退して国鉄スワローズに入団した。今の規則ではあり得ない芸当だが、8月1日に17歳になったばかりの金田がそれから8勝をマークし、7位だった広島を抜いて結局7位でシーズンを終えた。長嶋伝説の裏話 長嶋茂雄のデビュー戦で4打数4三振に斬った伝説があまりに有名だが、金田自身、「17歳夏から入団して8勝」という、今では考えられない伝説を作ったことはあまり知られていない。しかも、金田は「甲子園のヒーロー」ではなかった。その夏の甲子園優勝校は松山東。後にプロ入りした同期の高校球児には吉田義男、大沢啓二がいるが、後にも先にも金田以上にプロで活躍した投手はもちろんいない。 通算勝利数で金田に次ぐ350勝を挙げた2位の米田哲也も境高校(鳥取)時代、甲子園には届かなかった。しかも高校入学時は捕手だった。当時、鳥取で名を馳せていたのは、米子東のエース、義原武敏だった。巨人に入団し、4年目に10勝もマークしたが、実働7年、通算33勝でプロ野球人生を終えている。高校時代の評価や実力とプロ野球での活躍が直結しない皮肉な実例とも言えるだろう。  「投げる精密機械」と異名を取り、320勝で通算3位の小山正明は、高砂高(兵庫)3年の秋、阪神タイガースの入団テストを受け、テスト生としてプロ球界に入った。同時に大洋松竹ロビンスのテストも受けたが、こちらは不合格だったという。  「神様・仏様・稲尾様」で知られる稲尾和久は、西鉄ライオンズの3年連続日本一に貢献した伝説の鉄腕投手。1961年にはシーズン42勝を挙げ、1939年のスタルヒン(巨人)と並ぶシーズン最多勝利も記録。その稲尾も、別府緑丘高(大分)時代はまったく無名の存在だった。入団当初、三原脩監督(当時)が「稲尾はバッティング投手として獲得した」と公言した逸話まで残っている。 最近の高卒投手に目を移せば、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大ら、確かに甲子園のヒーローがプロでも活躍する例も少なくない。一方で、先に挙げた通り、優勝投手の斉藤佑樹は苦しんでいる。松坂伝説の翌年に夏の覇者となった桐生第一のエース、正田樹も日本ハムに入団後、新人王こそ獲ったが、その後は苦労を重ね、今は独立リーグでプレーしている。 現役最多の128勝を挙げている内海哲也は、高校時代からスカウトの注目を集めていたが、春のセンバツはチームメイトの不祥事で辞退、夏は予選の決勝で敗れて甲子園には出ていない。現役2位126勝の和田毅は浜田高(島根)3年夏に甲子園出場、準々決勝まで進んだ。昨年引退した黒田博樹に至っては、上宮高(大阪)時代、控え投手だったことが広く知られている。金田正一(左)、王貞治(右)らとくつろぐ長嶋茂雄=撮影日不明 この10年、20年の間に、甲子園で輝いた投手が何人もプロに入っているが、多くは期待された活躍ができないままプロ野球を去っているか、今も苦闘 を続けている。 打者で真っ先に挙げるなら長嶋茂雄だろう。佐倉高3年夏、「県立大宮球場のバックスクリ ーンに打ち込んだホームラン」がプロのスカウトの目に留まり、一躍その名が轟いたという伝説は今も語り継がれる。だが、チームは敗れて甲子園には出場していない。その打球は、高校生離れした弾丸ライナーだったというから、とてつもない打球だったのだろう。だが、私は記録本に目を通して、おもしろい事実に気がついた。左右両翼の距離は球場によって差があるが、大抵の球場は当時もセンターまで120メートルでほぼ共通している。ところが、この県立大宮球場だけは108メートルしかない。だからといって「長嶋伝説」に異論を唱えるわけではないが、伝説とはこんな風に生まれるものかと苦笑いした次第である。部活に馴染めなかった落合 王貞治は早実でセンバツ優勝投手だった。プロに入って打者転向して世界のホームラン王になったことは語るまでもない。 王に次ぐ657本塁打を打ち、戦後初の三冠王に輝いた野村克也は、高校時代は無名中の無名の存在だった。峰山高(京都)は2年の夏に2回戦に進んだのが最高で、ほぼ1回戦負けが当たり前。南海ホークスにはテスト入団している。 史上最多、三冠王を三度獲得した落合博満は、秋田工出身だが、体育会的な体質になじめず、試合だけ出場したことはあっても、事実上ほとんど野球部では活動していない。進学した東洋大も1年の途中で退部し、その後中退した。2年後に東芝府中に誘われ、25歳でプロ入りした異色の経歴の持ち主だ。  こうして見ると、プロ野球界のエリートは、むしろアマチュア球界の変わり種、非エリートが少なくない。 現役打者では、歴代3位となるホームラン王6回の中村剛也(西武)が名門、大阪桐蔭高の出身だが、甲子園には出場していない。筒香嘉智(横浜DeNA)は、1年春から横浜高の4番を打ち、2年夏には甲子園で2打席連続ホームランを放つなど活躍。だが、3年夏は準々決勝で自らのエラーがきっかけで横浜隼人にサヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逃している。 むろん、このような歴史があったとしても、清宮幸太郎への期待が変わるわけではない。何球団から指名されるのか、そこばかり注目されているが、正直そんなことはどうでもいい。むしろ、スカウトや球団フロントの無策と覚悟の欠如の証しと言いたい。私は本当に清宮を必要とし、清宮がその才能を開花できる球団と結ばれてほしいと願っている。  一部に、「セ・リーグも清宮対策のためDH制採用」などの記事も流れたが、賛成はしかねる。DH制専門でホームランを連発しても、果たして球界を代表するリーダーになれるだろうか? その意味では、あえてセ・リーグに進み、三塁手としての経験を積んでほしいと期待している。もちろん、それを前提とするならパ・リーグでもいいが、そもそも指名打者など18歳の新人に用意する場所ではない。ドラフトの目玉、早稲田実業の清宮幸太郎。指名球団数が注目される(長尾みなみ撮影)  巨人、ソフトバンク、西武などは、メジャーへの早期挑戦の道が閉ざされる可能性が大きいから、早く渡米したいなら絶対に避けるべき球団だ。その点では今季、大谷翔平を送り出す日本ハム、田中将大を送り出した楽天など、実績ある球団の方が安心だろう。 巨人に入れば、原辰徳や松井秀喜がそうであったように、日本球界の王道を行くようなレールもあるが、巨人人気の衰退は単に「スター不在」が原因ではなく、その存在や本質的な方向性の問題である。清宮一人に復活を託すのはかわいそうだ。巨人がもし清宮を指名するなら、球団としての新しいビジョンを提示することが前提だと思う。清宮の人気頼みの球団に、指名する資格などない。 一方、広島はいち早く中村奨成の1位指名を公言した。これに割って入る球団の動きも聞こえる。 果たして、幻想にとらわれず、的確な判断をし、有望な人材を獲得するのはどの球団か。冷静かつ独自のドラフト戦略がセ・リーグ2連覇の重要な勝因とも言われる広島のような眼力と覚悟を持つ球団がどれほど存在するか。各球団の姿勢を探る上でも、ドラフト会議はやはり興味深い。

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    知られざる名投手「特攻帰還兵」武智文雄の人生

    小林信也(作家、スポーツライター) 「私が生まれたばっかりに、父の二度目の完全試合がダメになってしまった。私は生まれたときから親不孝者です」 初めて会った日、その女性は真面目な顔で言った。 「完全試合を二度やった投手はメジャーリーグにもいないそうです。もし父が二度達成していたら、もう少し世間に知られた存在になって、野球の殿堂にも入れてもらえたのではないでしょうか」 日本のプロ野球史上二人目の完全試合投手、と聞いてすぐ名前が浮かぶ野球ファンがどれほどいるだろう? 史上初の完全試合は、巨人の藤本英雄だと、多くのファンが知っている。だが、二人目となると、知る人は少ない。女性はその人、武智文雄(近鉄パールス)の長女、美保さんだ。 2013年7月、武智文雄は病気で亡くなった。遺品を整理していると、ボールやユニホームが出て来た。それをどうしたものか、どれほど貴重なのものか、誰かにその相談をしたいと紹介されて筆者が会った。その時の自己紹介が冒頭の言葉だ。 武智文雄は、26勝を挙げて最多勝投手に輝いた翌年の1955年(昭和30年)6月19日、大映スターズとの試合で完全試合を達成した。史上二人目、パ・リーグでは初となる快挙だった。そしてその年の8月30日にも、同じ大映戦で9回1死まで完全に抑えていた。 「文(ふみ)さん、またやるぞ!」、球場は期待と緊張に包まれ、「同じ年に二度もやられてたまるか!」、大映ベンチには悲壮な空気が流れていた。 その時、ひとつの難問が近鉄ベンチに投げかけられていた、と美保さんは言う。 「ちょうどその日、私が生まれたのです。ベンチにその知らせが届いて、監督、コーチはそれを父に伝えるかどうか、迷ったそうです。9回1死になって、ベンチはタイムを取り、マウンドにいる父に私の誕生を伝えた……」現役当時の武智文雄投手 女の子が生まれたぞ、と。その途端に、代打で出て来た新人の八田正にセンター前に打たれた。鈍い当たり、テキサス・ヒットだった。これで世界でも初、「同じ年に二度の完全試合」は断たれた。だから、「生まれたときから親不孝」と美保さんが自嘲するのだ。その逸話を、美保さんはまだ幼いころ、自宅に遊びに来た近鉄の選手から聞かされた。しかも、誰かがそのことを書いた記事も見せられたという。だから、自分が生まれた8月30日は誕生日であっても、常に苦い思いとともにある、美保さんにとっては複雑な気持ちにかられる日だという。 さらに、武智文雄(結婚して婿養子になる前は田中文雄だった)が名門・岐阜商に進学、野球部での活躍を期待されながら夏の甲子園大会が中止になったこともあり途中で退部。自ら予科練を志願し、野球をあきらめた人だと知らされた。 運命の糸に引かれるように、私は武智文雄の人生をたどり始めた。「神風」から「桜花」へ 武智文雄が配属されたのは、特攻隊。神風特攻隊から、やがて桜花特攻隊員へ。桜花は別名「人問ロケット」と呼ばれた。エンジンがついていない親機にぶらさがり、引っ張られて上空に昇る。そこで切り離されると、加速用のエンジンだけを噴かして時速600キロで急降下する。出撃したら、生きて帰る道がない。武智文雄の頭には生きて輝く未来はもう描けなかった。野球どころではない。死ぬことが目的となった日々。 野球評論家、近藤唯之が書いた夕刊フジ(1977年10月21~23日)のコラム「背番号の消えた人生」に、文雄自身の回想とともに、下記のように掲載されている。 「男の運命ぐらい、不思議なものはない。戦争中、田中文雄は特別攻撃隊神雷隊員だった。最初はゼロ戦に乗っていた。しかし戦争末期はゼロ戦ではない。『桜花』と名づけられた、翼のあるロケット特攻機である」  「一式陸攻が桜花を腹にかかえて飛ぶんです。そして敵艦の近くにきたら桜花を胴体から切り離す。すると桜花は5分間ほど自動ロケット装置で飛び、時速600キロのスピードで敵艦に突っ込んでいく。私はこの桜花特攻隊員になったから、いずれは間違いなく死ぬと思ってました」 「それが生き残った。紙一枚の差というか、まばたきする瞬間の差というか、すれすれの作戦変更で彼の特攻出撃はないまま、戦争は終わった」 幸運にも、武智文雄は出撃命令のたびに何らかの理由で出撃が中止され、出撃した際も天候不良で作戦が中止され不時着するなど、大けがは負っても死は免れ、終戦を迎えたのだ。日本海軍の特攻専用機「桜花」 復員してしばらくは「愚連(ぐれん)隊」を自称して荒れた日々を過ごした。生きて還ったものの、飛び立ったまま二度と戻らなかった仲間たちを思えば、生きている自分を恥じる気持ちが消えなかった。その後、社会人野球に誘われ、思いがけず野球の世界に戻った。所属した大日本土木(岐阜)が都市対抗野球で2連覇を飾るなど実績を積んだ武智文雄は、1950年(昭和25年)、誕生したばかりの近鉄球団の契約第1号選手としてプロ野球に入った。 武智文雄の人生をたどりながら、私は改めて、戦争の悲惨さを知った。戦争は多くの命を犠牲にする、だから絶対に繰り返してはならないと思っていた。それだけではない。武智文雄のように、九死に一生を得て、生き延びた人にとっても、その周囲の家族にも、実は一生消えない心の傷を与え、生涯その痛みを抱えて苦しみ続ける。 私たちの父親たちがそうだったように、その世代の日本人の多くは案外、戦争体験やその後抱え続けた心の苦悩を自分の中にとどめ、表現しようとしなかった。いや、どう表現すればいいのか、どう理解すればいいのか、ついにはっきりした答えが見つからないまま、人生を重ねていたのかもしれない。 また私は、死ぬことを覚悟して生きた青春時代を持つ武智文雄の生きざまから、野球という競技そのものの、そして日米の野球観の違いなどに気づくことができた。 野球は27の「死(アウト)」を重ねて勝利を目指すゲームだ。日本の草野球では、アウトをただ「アウト」とコールするが、アメリカの野球では必ず「ヒー・イズ・アウト」と言う。 ひとつひとつの「死」をどのように生かすか。日本とアメリカではまったく考え方が違う。それをただ戦術論として捉えがちだが、その背景には、社会の価値観、個人の尊厳をどれだけ尊重するかの重要な社会の空気も反映されているように気がついた。そんな新たな視点もまじえ、筆者は彼の人生を『生きて還る 完全試合投手となった特攻帰還兵 武智文雄』(集英社インターナショナル刊)にまとめた。高校時代、武智文雄と同じアンダースロー投手だった私が、武智文雄に出会ったのも何かの運命かと感じている。

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    無欲の走りでつかんだ桐生祥秀「9秒98」の金字塔

    小林信也(作家、スポーツライター)日本学生対校選手権の男子100メートル決勝で、9秒98の日本新記録を樹立し喜ぶ桐生祥秀=9日、福井県営陸上競技場 9月9日、陸上男子100メートルで桐生祥秀(東洋大)がついに9秒98を記録し、日本人で初めて100メートル「10秒の壁」を破った。桐生が先鞭(せんべん)をつけたことで、同じく9秒台を狙うサニブラウン・ハキーム(東京陸協)、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、多田修平(関西学院大)、山縣亮太(セイコーホールディングス)らも次々に9秒台に突入する期待がふくらんでいる。 世界のスプリント界は伝統的に黒人選手の天下が続いている。これまで100メートルを9秒台で走った選手はすでに100人を超えるが、その中で、黒人以外のスプリンターはたった3人しかいなかったという。クリストフ・ルメール(フランス)9秒92、パトリック・ジョンソン(豪州)9秒93、蘇炳添(中国)9秒99。桐生は「4人目」となった。 黒人優位の100メートルにあって、桐生が9秒台を突破できたのは、そして桐生に続く期待のランナーが片手で数え切れないくらい控えている日本の高レベルの背景には何があるのか。 ひとつは、日本の中学、高校の陸上指導者の情熱と努力。大学の研究者も含め「日本人が100メートル10秒を突破する夢」を誰もが追い求め、それぞれに「人生をかける」ほど日々の努力を重ねてきた、その集大成ともいえるだろう。 9秒台の夢を多くの陸上関係者が追い求めてきた。不断の努力が全国津々浦々で行われていた。その中から、才能ある桐生が飛び出し、次いでサニブラウン、ケンブリッジ、今年はさらに多田が9秒台に迫る実力を身につけた。 記録が伸びた背景にはトレーニングの進化や、何十台ものビデオカメラで撮影してフォーム分析するなどの技術研究の成果もある。加えて、シューズやトラックの開発も挙げられる。 1968年のメキシコ五輪のころから、アンツーカーに代わって、ポリウレタン舗装の全天候トラックが主流になった。弾力性に富むウレタン素材はストライドを伸ばしやすく、記録が2パーセント良くなるといわれている。この素材開発も年々重ねられているから、選手の実力が同じでも記録は向上する環境が整っている。 さらに、日本のシューズメーカーを中心に、スパイクの改良、開発も日進月歩、重ねられている。カール・ルイスの勝利を支えるために「片足たった115グラム」の軽量スパイクが提供され、話題になった。かつては耐久性も兼備していなければ「市販に耐えない」という考え方があったが、カール・ルイスのころからは選手のプロ化もあり、「記録を出すための一発勝負のスパイク」を選手たちが使うようになった。これも記録短縮に大きな役割を果たしている。「少し遅すぎた」壁を破った無欲の力 桐生の9秒台はもちろん快挙だ。歴史を開く一歩であるのは間違いない。だが、「少し遅すぎた」という気持ちを持つ関係者、ファンも少なくないだろう。 電動計時で世界初の9秒台が記録されたのは、1968年10月、ジム・ハインズ(米国)の9秒95。それから49年もたっている。ただ、ハインズの記録が高地メキシコでマークされたものだったため、1983年5月、カール・ルイスが出した9秒97が「平地で初めての9秒台」とも形容されている。それからでさえ、34年も過ぎている。 ウサイン・ボルトが9秒58の現世界記録をマークしたのは2009年8月のベルリン世界陸上。桐生の記録と0秒4もの差がある。伊東浩司が10秒0をマークしたのは、1998年12月。この記録更新に19年近くかかった。それだけ難しかったとも言えるだろうし、桐生の快記録を誰も驚きはしなかった。それは「機が熟していた」と誰もが感じていたからだろう。それだけに、ここからの飛躍に期待がかかる。 世界の現状に目を移すと、9秒98は決して手放しで喜べる記録ではない。国際陸上連盟のホームページに、世界歴代ランキングが掲載されている。桐生は99位にランクされている。すでに引退した選手も多いが、世界はまだ決して近くはない。 今季のベスト10を見ても、トップがクリスチャン・コールマン(米国)の9秒82。2位がヨハン・ブレークの9秒90、3位ジュリアン・フォルテの9秒91とジャマイカ勢が続く。11位に9秒97で5人が並んでいるから、桐生より速い選手がまだ15人いるわけだ。内訳は、アメリカ5人、ジャマイカ3人、南アフリカ3人、フランス、トルコ、英国、コートジボワール各1人。そのうちのボルトは引退した。もちろん、このランクなら、決勝進出は射程内といっていい。決して夢ではないだろう。だが、他の選手が実力どおりの走りを展開したら、まだ金メダルを確実に狙えるまでには至っていない。 京都・洛南(らくなん)高2年のとき、ユース世界記録の10秒21をマークし、桐生は一躍脚光を浴びた。9秒台を実現するのに、それから5年の月日が必要だった。この長い5年の間に桐生は何を感じ、何をつかみ取ってきたのか。それが大きな糧となって、五輪ファイナリスト、さらにはメダル獲得につながればいい。陸上の日本選手権男子100メートル決勝で4位に終わった桐生祥秀(中央)。右は10秒05をマークし、初優勝したサニブラウン・ハキーム。左は2位の多田修平=2017年6月24日、ヤンマースタジアム長居(撮影・甘利慈) 今回の記録達成は、実はあまり期待されていないレースだった。コンディションはよくなかった。そのため、普段はあまりやらない長い距離を走る練習を数日間やっていた。そのためか、後半の失速が遅かった。いつもは55メートル付近でトップスピードを記録するのが、今回は65メートル付近が最速だったという分析がある。これが世界の上位に食い込むための、意外に大きな手がかりになるのではないかとの見方もある。 ずっと望み続けた9秒台だが、このレースに限っては「無欲」な記録達成が、桐生に思いがけないひらめきと新たな感覚を与えた可能性がある。

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    成績不振が原因なのか? ロッテとヤクルト監督退任に言いたいこと

    小林信也(作家、スポーツライター) まだ8月のうちに、千葉ロッテの伊東勤監督、ヤクルトの真中満監督が辞意を表明。今季限りの退任が正式に発表された。 伊東監督は、8月13日の西武戦前に、自ら記者たちに今季限りでの辞意を表明した。オールスター戦前には伊東監督自身が決断。8月5日に球団幹部に辞意を伝え、了承されていた。公式戦終了まで口外する気持ちはなかったが、一部メディアが続投を伝えるなどしたたため、誤報がひとり歩きして迷惑をかけては申し訳ない、と公表した背景がある。  2013年に就任してからの成績は、3位、4位、3位、3位。2013年と2016年はクライマックスシリーズのファイナルステージまでチームを率いたが、日本シリーズには届かなかった。今季はオープン戦で13勝2敗3分、圧倒的な強さを見せて仕上がりの良さをアピールし、ファンの期待も高まった。ところが、オープン戦の成績が必ずしも反映しない過去の例を証明するかのように、開幕4連敗。投打の主力が戦列を離れ、新外国人打者も不振。借金が膨らみ続けて優勝の望みは遠ざかった。戦況を見守るヤクルト・真中満監督=8月23日、神宮球場 ヤクルト・真中満監督は、8月22日の阪神戦の前に記者会見し、球団から続投を要請されたが固辞したことを公表した。就任1年目にリーグ優勝。2年連続最下位だったチームの優勝だけに、監督としての手腕が高く評価され、真中株は急騰したが、残念ながらそれがピークだった。昨年は5位、今季も開幕から低迷を続けた。 問題提起したいことは2点ある。「成績低迷がただ監督のせいなのか?」と「30試合以上も、クビになったも同然の監督が指揮を執り続ける是非」についてだ。 今季は6月に巨人の堤辰佳ゼネラルマネジャー(GM)が成績不振の責任を問われて退任し、球界は衝撃が走った。これは高橋由伸監督の責任を問うのでなく、チーム編成を担当したGMこそが責任者だという、ある意味で、日本野球の新しい形というか、責任追及の新スタイルだった。巨人は、生え抜きのエリートである高橋由伸監督を守り、GMを斬ったのだ。 だが、たいていはやはり、今回の伊東、真中両監督のように、監督が成績不振の責任を取らされる伝統がこれからも続くだろう。 釈然としないのは「成績不振の要因が、本当に監督にあるのか」が曖昧だからだ。山口俊の処分もおかしい 選手が体調を崩す、ケガをする、期待どおりのパフォーマンスを発揮しない、できない原因は、プロ野球の場合、監督以外の理由が大きい。それでも監督たる者、たとえ前年活躍した有名選手でも続けて活躍できる素材かどうか、性格や普段の生活態度、選手を取り巻く人間模様なども把握してクールに分析するべきかもしれない。そしてもし、期待したい選手でも不安な要素があれば、代役を探し、抜てきする準備が求められる。こう書けばいかにも正論だ。が、プロ野球界はそれを全面的に支援する仕組みになっていない。ドラフト会議によって、必要な戦力を着実に補強する道は制約され、メディアは知名度の高い選手を連日報道して、半ば出場を強要する雰囲気も作る。 球団は、明確なチームの方針を描き、その上でGM、監督と一体となってチームを運営しているだろうか。巨人・堤GM解任の後味が悪かったのは、堤前GMは、球団の方針や司令に従って選手補強を進め、それが失敗したのに堤氏個人が詰め腹を切らされた印象が拭えなかったからだ。ビジネスと現場が一体となって初めて成立するプロ野球である以上、責任は何より球団にある。その球団がほとんど責任を負わない体質に根本的な矛盾がある。 暴力事件で処罰を受けた山口俊投手の問題は、選手会の提言で新展開を迎えているので、今後の展開に関心が集まっているが、大臣の不祥事ではないが、山口俊にフリーエージェント(FA)で入団を懇願した球団にも任命責任ならぬ選択責任がある。それをまったくひとごとのように認めない球団の厚顔にあきれる。また、あまり指摘がないが、「1億円の減俸」は球団にとってはその分、「お得」な処分だ。球団は処分して得をする側で、選手だけが処分され、非難され、損をする立場というのは正しいのだろうか。厳しい表情を見せるロッテ・伊東勤監督=6月18日、東京ドーム もうひとつ、まだ8月、30試合以上も残して事実上の退任発表。「今季で引退します」と公表し、残り試合をファンと特別な思いを共有しながらプレーする選手と監督は違う。また高校野球なら、「この夏限りで勇退」と大会前に発表することで選手たちが特別な感情を抱き、チームが理屈を越えた一体感で強さを発揮する例は少なくない。今夏も新潟・日本文理、熊本・秀学館がその例で、甲子園出場を果たした。けれど、今回の2監督の場合は違う。もう事実上、鮮度が落ちた監督に率いられるチームをファンから入場料を取ってお見せするのがプロ野球としてマナーに沿うのか。 契約やいろいろな事情もあるだろうが、「来季の契約を結ばない」と公表した時点で、監督の威厳や尊敬は失う。だから、その日をもって退任し、代行監督を立てるのが筋だと思う。その方が、来季の監督選びの現実性も高まる。例えば、次期監督とうわさに上がる、ロッテなら井口資仁、ヤクルトなら高津臣吾2軍監督に残りのシーズンを任せてどんな試合が見られるのか。それをファンとともに共有し、来季の展望を語り合うなら、プロ野球としては話題も提供でき、夢も膨らむのではないだろうか。

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    菊池雄星の投手生命か審判の権威か、「反則投球」ルールのジレンマ

    小林信也(作家、スポーツライター) 西武、菊池雄星投手の「2段モーション」が物議を醸している。正確にいえば、菊池の2段モーションを、シーズン終盤に差し掛かろうという8月半ばに突然やり玉にあげた審判団の姿勢に疑問の声が上がっている。 8月17日の楽天戦、2回表1死の場面で、菊池の投球が2球続けて「反則投球でボール」と判定された。コールしたのは一塁塁審だ。菊池はその後、クイックモーションに変えて、完封勝ちを果たした。 続いて登板した8月24日のソフトバンク戦では、初回の先頭打者の初球、川島慶三から空振りを奪ったが、これがまたしても「反則投球」と判定された。投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 菊池のフォームは今季5月ころから変わったといわれ、上げた右足を少しおろしてまた引き上げる2段モーションになっている。厳密に判定すれば、野球規則で禁じられている「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさらに段階をつけるモーションをしたり」という行為に該当する。 反則投球とジャッジされても仕方がない。だが、当事者やファンが怒っているのは、3カ月も許されていて、「なぜいま急に?」という疑問が消えないからだ。8月半ば、しかも試合の途中で宣告された。意図や作為がないとしても、それは不自然な印象をぬぐえない。 法律の解釈や適用がそうであるように、野球ルールにも一定の理解やあうんの呼吸がある。 とくにプロ野球においては、曖昧な判定もあるが、その曖昧さにも一定の基準や解釈があって、その枠を大きく外さない暗黙の了解がある。外さないから選手もファンも、一定の感覚で試合に臨める。 例えば、ハーフスイング。昔は「長嶋ボール」などという言葉があった。長嶋茂雄さんがスイングしかけて大げさなアクションでバットを止めると、主審はしばしば「振っていない」「ボール」と判定した。それがひとつの楽しみにもなっていた。ビデオテープで見直せば、明らかにバットの先端は回っている。それでも「ボール!」。時代が変わり、グリップが鋭く動けば、バットの先端の動きにかかわらず「ストライク」と判定するような基準に変わり、ハーフスイングのジャッジは厳しくなった。実際、グリップが明らかに動いたときは、おおむねバットも回っている。誰もがそう認識し、いまは案外、ハーフスイングをめぐるトラブルは少なくなっている。 2段モーションは、2006年ころに一度厳しくなったが、最近はまた緩やかになっていた印象がある。それが突然、牙をむいた格好だ。繊細な投手に与える影響西武・菊池雄星の反則投球を観客に伝え打席に戻る白井球審=8月24日、ヤフオクドーム 多くのファンや当事者が感じているとおり、判定基準の変更はシーズン前か開幕直後に行われるべきであって、シーズン途中でされるべきではない。この問題に関連して、指摘したいのはふたつのことだ。 ひとつは「審判の権力と試合の崩壊」について。 投球のストライク、ボールの判定ひとつで、勝負がどちらかに転ぶこともある。言うまでもなく、野球において審判の判定は大きな影響力を持つ。その中でも、打った、打たない、捕った、捕り損なったといった、選手のパフォーマンス以外のところで、突然、強権的な鉈(なた)を振り下ろし、強引とも見える方法で勝負に介入する方法を審判は持っている。それが例えば「ボーク」の判定である。 セットポジションで動作を止めないなどの明らかな反則投球があった場合、たとえそのボークの判定で攻撃側のサヨナラ勝利になる場合でもそれはやむを得ない。だが、今回の菊池のように、その試合ずっと同じモーションで投げていたのに、ある場面で急に反則投球が宣告されるのは違和感をぬぐえない。 審判はそこまで強権を振るって勝負に介入すべきではない。 投手は繊細だ。突然バッサリ斬られるような反則投球の判定は、投手生命を奪うほどの影響力(危険)も伴う。審判はそれを十分に自覚すべきだ。 もうひとつは、審判と監督、コーチ、選手間のコミュニケーションの「不在」だ。 コミュニケーションの欠如ではなく、プロ野球において審判と監督、コーチ、選手はコミュニケーションを「取ってはならない」前提があり、理解を深める仕組みになっていない。「親しく交われば不正の温床になる」という、古くからの慣習と規定のせいである。だから、常に両者間には対決ムードというのか、取り締まる人と取り締まられる人のような不穏な関係がある。それは即刻改善し、コミュニケーションを図る方向に舵(かじ)を切るべきである。審判長の説明に感じる違和感投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 野球以外の他の競技を取材すると、野球との大きな違いに驚かされる。例えばラグビー。レフェリーと両チームの選手(主に主将)とは試合中ずっと短い会話を交わし続けている。危険なファウルがないよう未然に注意を促し、助言を与え、双方の理解にずれがないよう調整しながら試合を進めるのがラグビーにおいては当たり前になっている。試合後、競技場近くのバーや喫茶店で、微妙な判定を下された当事者とレフェリーとがビールのグラスを交わしながら直接議論し合う姿を見ることも珍しくない。 それは「親しくなって不正な判定をもらうため」でなく、「ルールの解釈や適応をめぐって、両者の理解をすりあわせるため」であり、時には選手側から「杓子(しゃくし)定規な判定では好プレーにたどり着けない選手のジレンマ」などが伝えられたりもする。もちろん、だからといってルールを曲げることはないが、レフェリーはなぜ選手が反則を犯してしまうのか、犯しがちになるのかの背景を、常に変化するプレーの傾向や技術の変化に応じて理解する好機にもなる。そうやって、お互いにラグビーという競技を深め、高めているのだ。野球にはそのような機会が日常的にはない。 菊池の2段モーションが最初に反則投球と判定された試合後、判定を下した塁審はメディアの取材を拒んで「ノーコメント」を通したという。それはあたかもコミュニケーションを拒絶することで審判の権威が保たれるというような古い常識に縛られているようだった。 しかし、25日になって日本野球機構(NPB)の友寄正人審判長が菊池に対し、事前に複数回注意を行っていたことを明らかにした。日刊スポーツによると、友寄審判長は「注意は何回もしています。なぜ今の時期か、じゃなくて、少しずつ悪くなってきているから今の時期。4月、5月、6月と変わっていることは明らかなので」と説明したという。こうした注意を秘密裏に行う必要があるだろうか。仮にもプロ野球、ファンが見るスポーツだ。 審判団にも開かれた情報公開の意識改革と、コミュニケーションを取る新しい姿勢への転換が求められるべきだ。

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    史上最弱巨人の救世主、菅野智之の「魔球」が打てない理由

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人の投手、菅野智之が7月の月間MVPを獲得した。7月は4試合に先発し、4戦全勝。この間、投球回数29で失点わずか1、与四球3、奪三振30。安定感抜群の内容で文句なしの受賞だった。 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも侍ジャパンのエースとして活躍した菅野。いまさら喧伝するまでもない存在だが、大谷翔平(日本ハム)のように160キロ台の速球を投げるわけではない。千賀滉大(ソフトバンク)のような目を見張るフォークボールが武器というわけでもない。その菅野がこれだけ「打たれない理由」は何なのか? 日本の野球界には、いくつかの誤った常識がある。古くからの思い込み。気づいている人、いない人で野球がずいぶん変わる。少年野球や高校野球を見ていると、技術的に古い常識にとらわれて、子供の良さを伸ばしきれない指導者の姿をしばしば見かける。DeNA対巨人で10勝目を挙げた巨人の菅野智之=2017年7月22日、横浜スタジアム(撮影・山田俊介) 菅野はその意味で「常識を覆す」よい見本だ。端的な例を挙げると、菅野のよさは「球の速さ」以上に「左足を踏み出してから球が離れる速さ」にある。 日本の野球ファン、指導者の間には、逆の常識がある。「投手は、右投手なら、左足を踏み出したとき、右腕を後ろに残し、ためを作ってそこから勢いよく投げ下ろすのがいい」という思い込みがある。私自身も少年時代、そう思っていたし、高校野球でもそのように指導された。 ところが、メジャーリーグの好投手の大半は、まったく別の投げ方をしている。ここでは右投手を前提に話すが、左足を踏み出したときにはもう投手の上半身が打者に正対し、ボールを持つ右手が顔の前に出ている。左足の踏み出しと右腕の振りがほとんど同時なのだ。 もちろん、左足をゆっくりおろし、地面すれすれのところまでは右手は後ろにある。しかし、左足が着くか着かないかのわずかの間に上体を反転し、足を着くと同時に右手を前に振り出すのだ。この左足と右手の誤差が少なければ少ないほど、打者は打ちにくい。 まだ来ないはずのボールが、突然目の前に現れるような感覚がある。菅野はまさに、こういう投げ方をしている。ゆっくりと左足を上げ、まっすぐな姿勢を保ち、しっかりと右足に乗ってから打者方法に重心を移動する。その仕種はゆったりと見えるが、次の瞬間、急にボールが飛び出してくる。 だから、スピードガンで測る球速以上に菅野のボールは速く鋭く感じるはずだ。打者にすれば、「アッ」と慌てる感覚になるから、そのボールが鋭く変化したら(スライダー)、腰砕けして手に負えない。菅野の投球は「新常識」 日本のプロ野球の投手たちは、ある時期から「これが大事だ」と新しい常識を共有し始めた。ソフトバンクの工藤公康監督などは、それを後輩たちにしきりに強調していたと、若い投手から聞いたことがある。 ファンにとって印象深いのは、いまシカゴ・カブスで活躍する上原浩治ではないか。巨人に入団した一年目、歴代4位タイとなる15連勝をマーク(新人としては巨人・堀内恒夫をしのぐ最多記録)、いきなり20勝を達成して衝撃のデビューを果たした。 当時、上原の速球の平均は140キロ前後だった。それでも打てない。その秘密はやはり「球の速さ」ではなく、「球が離れるまでの速さ」だった。独特の上原の投球リズムを思い起こせばわかるだろう。ためた状態から左足を着くその瞬間に上原の右腕が出て来る。上原の場合はほとんど同時といってよかった。 古い常識にとらわれて、腕が遅れてくる投手が多かった中で、上原は特別で、衝撃的な投手だった。その影響もあってか、他の投手たちもその核心に目覚め、新しい常識を追求するようになっている。ブレーブス戦の8回に登板し、1回を三者凡退に抑えたカブス・上原=2017年7月、アトランタ もちろん、それ以前にもそれを自覚し、実践していた投手はいる。伊良部秀輝もその一人だった。158キロを投げても清原和博に打たれた。白星に恵まれなかった。その苦悩の末に生み出した投法「伊良部クラゲ」とも形容された投げ方は、右手と左足を一緒に出すための工夫でもあった。 そして菅野は、奇しくも同じ背番号19の先輩である上原が、日本の先がけをなした投法を継承して、大投手への階段を昇っている。 さらに菅野自身は、上原とも伊良部とも違う独自の工夫も凝らしている。とくに走者を置いた場面で、菅野は投げた後、左足をひっかくように後ろに引く動作をすることがある。普通の投手は絶対にしない。勢いをつけて前へ前へ投げようとする投手には、やろうと思ってもできない動作だ。 あるテレビの取材に答えて菅野自身がこう語っている。「左足を引くことによって、右肩が前に出る。加速する。よりボールに力が伝わりやすいんじゃないか」 自然と左足を引くようになって「球も強くなるし、面白いように空振りが取れる感じもあった」という。こうした新しい目覚めが今季の菅野の好調の背景にあるのだ。

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    球場使用料も放映権もタダ!「高校野球ビジネス」はこんなにおいしい

    聞社は主催者であり続け、大会を企業活動の営業活動に利用しているわけである。 ご存じのようにプロ野球はスポーツではあるがあくまでも興行であり、球団選手はそれを興行として行い、ビジネスとして成立させている。各球団は営利企業であり、企業活動の一環として、選手を雇い球場などを運営し、テレビに放映権を販売し、選手や球団のブランドライセンスで稼いでいる。では、夏の甲子園はどうなのか。13.出場選手の旅費、滞在費補助規定全国大会 1校20人(選手18人、責任教師1人、監督1人)を限度とし、次の通り旅費と滞在費補助を支給する。(イ)旅費は代表校の所在地から大阪までの往復普通乗車運賃(新幹線、特急、急行料金を含む)、船舶利用の場合は普通二等の乗船運賃を支給する。ただし、沖縄、南北北海道代表校は航空運賃を支給する。(ロ)滞在費は抽選日(8月4日)から、その学校の最終試合日までの日数に対し、1日1人4,000円を補助する。(ハ)前年度優勝校が全国大会に出場できなかった場合、優勝旗を返還する主将と同伴の責任教師に、規定による旅費、滞在費と滞在雑費(1人1日2,000円)を支給する。第99回全国高等学校野球選手権大会 開催要項 大会規定ではこのように記されており、開催費に入場料を充て、過不足が出た場合、大会準備金を充てるとしている。そして、昨年の夏の甲子園の収支決算を見ると、1億円近い利益が出ている構図になっている。宿泊も球場もすべて「善意」出典:<お知らせ>第98回全国高校野球選手権大会収支決算(朝日新聞デジタル、2016.12.02) 収支決算上は「1億円程度の黒字」となっているが、この黒字は最低限の補助金だけで参加する学校側と選手と地元企業などの負担により生まれている。大阪の平均的なホテルの宿泊費は1泊1万5千円程度で、甲子園開催期間ではさらに高騰することが予想される。高野連はホテルや旅館と提携し、1万円以内で宿泊できるホテル(1校当たり35人まで)を用意しているが、これはホテル側の善意と協力で成り立っているものでしかない。そして、食費を除いても1日6千円程度の差額は生徒や学校が負担している計算になるわけだ。ちなみに第94回大会の滞在費補助が7500円であり、現在の4千円という補助は収益からの逆算で割り出されたものであろう。 また、主催者である朝日新聞社や高野連は甲子園球場の利用料も払っていない。これは甲子園球場の所有者である阪神電気鉄道の「善意」である。甲子園は全国中等学校優勝野球大会を開くために作られたという歴史があり、甲子園が利用されることで所有者である阪神電鉄に間接的な利益があることに起因するが、当然運営費はかかるわけであり、それは阪神電鉄による寄付的行為で成り立っているにすぎない。 現在、NHKも朝日新聞社のグループ会社であるテレビ朝日も放映権料を払っていない。しかし、これは最低数十億円の価値を持つものである。先日獲得合戦で話題になったJリーグの10年間の放映権料が2000億円(2017年から2026年)、年間200億円であり、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で放映権とスポンサー収入で80億円程度だといわれている。プロとアマチュアの違いがあるとはいえ、ファンの多い高校野球ではさらに多くの収入を得られる可能性があるといえる。そして、それを開催費用や生徒への補助、学校への助成に利用すればよいのだろう。 現在の高校野球は非営利という建前で、すべてが人の善意で成り立っている。そして、ここに最大の欺瞞(ぎまん)と利権が眠っているわけである。大阪府豊中市の「高校野球発祥の地記念公園」。この場所で「全国中等学校優勝野球大会」の第1回大会が行われた 非営利であるのであれば、営利目的企業である一新聞社にすぎない朝日新聞社が主催に名前を連ねるべきではなく、高野連が単独主催すればよい話である。また、非営利であったとしても、高野連が放映権を販売するのは問題なく、一方で甲子園球場に対して適正なコストを払うことも可能である。アマチュアビジネスの商業化の是非はあるものの、人の善意に付け込み、それを朝日新聞社やNHKが「タダ食い」している現状を許すよりは格段に良いと私は考える。

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    朝日新聞と高野連と夏の甲子園

    連日、熱戦が続く夏の甲子園だが、その経済効果は350億円にも上るという。酷暑の中でプレーする球児や学校関係者の苦労は想像に難くないが、大会を主催する朝日新聞と高野連にとってはおいしい季節である。「高校生らしさ」というアマチュアリズムを売りにする夏の甲子園は教育の一環か、それともビジネスか。

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    朝日新聞はいっそ夏の甲子園を「ビジネス」と割り切った方がいい

    春日良一(スポーツコンサルタント) 旧盆の季節、セミが鳴く夏の昼時、本家の座敷ではステテコ姿の祖父や父がうちわをあおぎながら、ビールの入ったコップを片手にテレビを見つめている。画面に映し出されているのは甲子園で行われている全国高校野球選手権大会の熱戦である。振り返れば、地元長野県の松商学園が4年ぶり16回目の出場を果たした1963年の夏で、その時の投手がとてもカッコいい選手だった。細部は定かでなくても、この風景は夏休み真っただ中の小学生時代の記憶として私の脳裏に焼きついている。第99回全国高校野球選手権の1回戦、土浦日大に快勝し、駆けだす松商学園ナインら=8月9日、甲子園 だから、今夏の甲子園で松商学園が17年ぶりの白星を挙げたと新聞で知れば、高校野球をほとんど見なくなっていた私の心も思わず躍っていた。少年時代、故郷では松商学園か丸子実業が甲子園常連校だった。このお盆の時期、県代表に県民が熱い視線を送っていたのである。そして、それは恐らく今でも変わらない姿ではないだろうか。夏の高校野球は風物詩であり、いわば文化としてこの日本の地に定着している。 しかし、一方で地球温暖化の影響であろう猛暑日が近年どんどん増えている状況で、真昼の屋外試合が果たしてスポーツとして適したものなのかどうか、議論が起きても不思議ではない。実際、猛暑日とは最高気温が35度以上の日を指し、この気温でのスポーツを日本体育協会は中止する原則を発表している。 それでも、この炎天下で白球を追いかける若人のひた向きな姿を「それが青春」と、夏休みで帰省した昼間の宴でエアコンをつけて大人たちは楽しむのである。その文化を捨てることに考えが及ぶ人はまだマイノリティーであろう。 なぜ、そうまでして高校野球はあり続けるのか、それは故郷で地元高校の活躍を応援するという行動規範(エーソス)に寄り添わなければ分からない。この気持ちはどこかでオリンピック競技大会のテレビ中継に見入るとき、日本代表選手に声援を送る姿に重なる。五輪では地元愛が愛国心に変貌して、日本各地からの応援が一つになる。地元愛は突き詰めれば、自己愛に行きつくが、それがスポーツでは世界とつながる一点ともなりうる。それが「オリンピズム」の極意である。 五輪の哲学、すなわちオリンピズムは端的に言えば、「スポーツによる世界平和構築への信仰」である。それは政治、国、経済、性、人種、宗教、肌の色などあらゆる境を超えるツールとしてスポーツを捉えている。1894年に創設された国際オリンピック委員会(IOC)は当時の帝国列強主義が起こす世界戦争への危機に対して、スポーツによるナショナリズムの超克を提言したのである。 しかし、それはナショナリズムを前提にした超克である。それが五輪の祭典を成り立たせている仕掛けでもある。「自己愛=郷土愛=愛国心」とは単純に思われるかもしれないが、五輪や高校野球を成り立たせている図式といえる。しかし、これが戦争にならずに、むしろ平和への架け橋となるのは、ツールがスポーツであるからだ。日本代表選手への敬意と応援が五輪を盛り上げる。そしてその結果、闘った相手を根本的なところで肯定していくことができる。内村航平が体現した「五輪の精神」 これに相似することは高校野球でも起こる。甲子園で地元の代表校が敗れたときは相当落胆するからだ。かく言う私もかなりひどいもので、人生が終わるような気分になった。1回戦で涙をのむことが多い長野県出身者は、この経験をかなり積んでいる。しかし、その後は勝利をつかんだ相手校に夢を託しながら、それまでよりクールな目でテレビ観戦を楽しむ。そして、さらにそれを破るチームが出れば、そのチームに敬意を払い、チームの中に優秀な選手がいれば、メディアの盛り上げに便乗し、そのチームに関心を抱き、応援する。いつしか決勝戦までたどりつき頂点の闘いを賛美する。 高校野球ではここまでが限界だが、五輪ではそれがさらに国境を超えた友情を表現し、究極的にナショナリズムを超えた人間の調和への信頼が芽生える。2016年8月10日、リオ五輪男子体操総合で金メダルを獲得、銀メダルのウクライナのオレグ・ベルニャエフ(手前)と健闘をたたえあう内村航平(甘利慈撮影) リオ五輪体操個人総合での内村航平の大逆転劇を想起する。内村はトップと0・901点差で迎えた最終種目の鉄棒でパーフェクトな演技を見せ、大逆転を果たす。ここでわれわれは大いに感動し、この「奇跡の逆転」にこの上ない至福を得た。しかし、その思いは、記者会見での「ジャッジがあなたを好きだからではないか」というメディアからの質問で水を差された。冷静に対応した内村だが、この記者に対して金メダルを争った2人の選手が反論する。「ジャッジは公平であり、いつも内村は高得点を得ている」「最後の鉄棒は筆舌に尽くしがたい素晴らしいものであった。彼と競い合えることが喜び」と語ったのである。2人はウクライナと英国の選手である。これを目の当たりにした視聴者が学ぶことは大きい。自国の選手の勝利だけでなく、頂点を目指して努力するアスリートに国境を超えた声援を送るであろう。 ことほど左様に五輪と高校野球の構造は相似しているが、その根本において決定的な違いがある。 五輪にあって高校野球にないものとは何か。「○○ファースト」が流行する昨今、一瞬躊躇(ちゅうちょ)するが、あえて言えば、それは「選手第一主義」である。すべては選手を大切にすることから始まる。なぜなら選手は世界平和構築の使者であるからだ。頂点を目指す闘いの中で、自らを鍛え、「努力する喜び」を知り、「より速く、より高く、より強く」(オリンピックモットー)を目指し、人間の限界に挑む姿を示す。それがあらゆる垣根を越えて、人と人とが結び合える可能性を現実化するという思想である。故にベストパフォーマンスを出せる競技会場、選手村、アクセス、食事などを整えることに精力が傾けられる。なぜ優勝しても表彰台に立てないのか 高校野球の根本原則を担う日本学生野球憲章には、「野球が人間形成の手段であり、友情、連帯、フェアプレーを理念とする」と書かれている。五輪憲章がIOCの使命としている「スポーツを通じた青少年教育奨励とフェアプレー精神の確立」と相通じるものだ。 しかし、五輪でうたうアスリートである球児たちは、高校生であり、教育を受ける者として扱われる。球児は高野連の思いにかなった行動規範に収まる限りで大事にされる。礼儀、全力疾走での守備からベンチへの帰還、諦めないプレーがそれだ。 話は若干それるが、わが子の小学校運動会に行くたび疑問に思うことがあった。五輪に長く携わってきた人間にとって、とても違和感のある光景があった。それは表彰式である。金メダルがないとか、立派な表彰台がないことではない。栄誉を受けるべき児童たちが、校長先生から賞状を受け取るときの形である。校長は高台に立ち、グラウンドレベルにいる児童に賞状を渡すのである。 五輪では表彰台が用意され、その上に上るのはアスリートである。そして、どんな偉いIOC委員でも国際競技連盟(IF)役員でも、もちろんIOC会長でも、IF会長でも下から上の選手にメダルを掛けるのである。アスリートは主催者の上にある。それがスポーツへの信仰であり、敬意なのだ。甲子園の閉会式で優勝旗を渡される優勝校のキャプテンが表彰台に立つことはない。あくまでもグラウンドレベルである。第99回全国高校野球選手権大会の開会式で、優勝旗を返還する作新学院の添田真聖主将=8月8日、甲子園球場 もし、高校野球で主役である選手たちを第一に考えるのであれば、すべての運営方式を変革する必要があるのではないか。まず主催者はベストパフォーマンスを出せる環境づくりに集中すべきだろう。もう100年以上も続いてきた伝統ではあるが、高校野球の新たなスタジアムを考案してもいい。そこがこれから100年の聖地になるようなスタジアムを考えてもいいのではないか。「真夏の風物詩」を無くす必要はない。選手としての球児がその能力を発揮できる環境を作るということである。財源確保こそ五輪に学べ 教育ということに主眼を置くならば、IOCが着手し奏功しているユース五輪の発想で、試合以外で選手が交流できる場を作ることも考えられる。新しいスタジアムには選手村が付属していて、決勝大会にエントリーされた47校(今は49校だが)の選手たちが、大会期間中、プライバシーを守られながら、そこで寝食をともにし、主宰者が設ける文化プログラムや教育セッションに参加できる。あるいは大会終了後の何日かを交流と教育のプログラムに充てることも可能だ。2016年8月21日、リオ五輪閉会式で、五輪旗を持つ東京都の小池百合子知事。中央はIOCのトーマス・バッハ会長(共同) 泥と汗に塗(まみ)れて、白球を追いかけ、負ければ涙で土を持って帰る球児から、高校野球を通じて、知識と技術を学び、野球を楽しみ、心の財産を蓄えて故郷に帰る人材が育っていくのではないか。 スタジアムには最新最高の設備が投入されるだろう。日本学生野球憲章の目的とする「学生野球は、教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成」が達成される。 「それにはお金がいくらあっても足りない」と言われるかもしれない。財源確保にこそ、五輪のマーケティング手法を学んで取り入れればいいのではないか。入場券料に頼っている現在の資金調達プログラムを根本から見直せば、早朝から夕刻まで試合を放映しているNHKからは巨額の放映権料を獲得できる。主催である朝日新聞社は後援に回り、大会スポンサーを募ることもできる。考えてみれば、高校野球を主催運営することで、朝日新聞は多くの「利益」を得ているであろう。ならば、高校野球発展のために、朝日新聞からの寄付をいただくのも一考かもしれない。春の選抜大会を主催する毎日新聞社は、夏は後援という立場である。全てのメディアを対象に高校野球教育プログラムにスポンサーシップを募ることもできるだろう。 全国高校野球選手権大会が「各校がそれぞれの教育理念に立って行う教育活動の一環として展開されることを基礎」(日本学生野球憲章より抜粋)とするのであれば、まさに教育に力点を置き、それが高校野球でなければ実現できないということを実践的に表現しなければならない。 五輪のモットーである「より速く、より高く、より強く」は、ラテン語の訳だが、これは比較級を表す。つまり、優勝者になることではなく、自分の限界に挑む志を示すものだ。常に自分の力の限りを尽くして、勝利を目指さなければならない。しかし、勝利を得ればいいのではない。自分の限りを尽くさなければならない。たとえ勝利が得られないとしても、自分の力のより一歩先を目指さなければならない。「勝利至上主義」のように誤解されるこのモットーの真意は、勝利至上主義を超えることなのである。 そして、このモットーを最も心に留めてほしいのは、高野連であり、そして朝日新聞なのだとつくづく思う。

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    夏の甲子園はやはり商業利用? 朝日新聞だけが得する3つのメリット

    。それは圧倒的なメリットが、高校野球から得られるからではないでしょうか。 新聞社が、野球などの国民的スポーツを売り物にするのは、別に珍しいことではありません。読売新聞には読売ジャイアンツといった例を引き合いに出すまでもなく、今では多くのマスメディアが、スポーツの大会を主催したり後援したりしています。しかし、それらとは一線を画した新聞社にとって特別に有利な要素が、日本の高校野球には少なくとも三つあると私は考えています。高校野球独特の「メリット」 第一に選手たちが全員高校生ということで、純真でクリーンなイメージを、読者に鮮烈に植え付けることができます。紙面ではフェアプレイを強調します。それは新聞社として販売部数を伸ばすという意味よりも、むしろ自社の記事に対して無意識のうちに信頼感をもたせるという、潜在的に心理を操作する効果の方が大きいと言えそうです。 第二にお金がかからないという点で有利です。選手への高額な報酬など、球団の維持費を気にする必要はありません。アマチュアですから練習に必要な部費の調達は各学校がそれぞれ負担します。大会中の甲子園球場の使用料も阪神電鉄からの無償提供です。甲子園までの出場選手の旅費は支給しますが、入場料収入でまかなえる程度だそうです。 第三に47都道府県全てから代表校が出場するシステムにより、全国津々浦々に至るまで、それぞれの地域の人々の郷土愛を引き出せる点が挙げられます。全国紙として地方への販路拡大は苦心するところですが、地元代表校の活躍ぶりを書き立てるだけで、全国47都道府県の購読者の心をつかむことができるとすれば、かなり有利です。朝日新聞の社旗が飾られた甲子園で入場行進する選手ら=2017年8月 こうした日本の高校野球のみが持つ、独特のメリットをフルに生かして、朝日新聞は夏の甲子園とともに、また毎日新聞は春の選抜甲子園とともに、それぞれ全国的に購読者数を伸ばしてきたと言えるでしょう。 マスコミ各社が、スポーツの情報を提供し、国民の娯楽としての需要を満たすのは大いに結構なことです。娯楽を目的として存在するプロスポーツにおいては、マスコミとの関係は車の両輪であり、協力し合わなければ成り立ちません。マスコミにはビジネスとしてスポーツ業界を発展させる使命さえあると言えるかもしれません。 しかしそれはプロスポーツのビジネスモデルであって、高校野球の場合はそもそもの理念、目的からして全く異なります。高校野球の目的は「青少年の健全な育成」であることを絶対に忘れてはなりません。結果的に人々に娯楽をもたらすことがあっても、決してそれは目的にはなり得ません。あくまでも教育の一環として認識することが大切です。 主催する朝日新聞社、毎日新聞社には、今一度その原点に立ち返ってもらいたいものです。この時期になると、高校野球以外にニュースはないのか、と思われるほどの朝日新聞紙面の過熱ぶりには違和感を覚えます。高校球児たちの純粋な汗と涙を、大人の娯楽産業として汚すことのないように、商用利用は極力慎むべきだと私は考えます。

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    高校野球の時短を阻むメディアと球界の「美意識」

    赤坂英一 (スポーツライター) 高校野球選抜大会が終わり、プロ野球取材を再開すると、試合の長さを痛感する。甲子園は2時間前後で終わるのに、プロは軒並み3時間以上かかる。1日の広島-阪神戦など、両チームの四死球が合計28個に上る大乱戦となり、試合時間も5時間24分に達した。広島対阪神 四球を選ぶ広島・田中広輔=8月1日マツダスタジアム広島(撮影・村本聡) そうした中、メジャーリーグでは今季から敬遠の四球が「申告制」となり、投手が実際に4球ボールを投げる必要がなくなった。守備側のチームが打者との勝負を避ける場合、監督が審判にそう伝えれば済む。MLBでは試合時間の短縮を喫緊の課題としており、3時間前後の試合時間を2時間半に縮めるのがロブ・マンフレッド・コミッショナーの悲願だという。敬遠の申告制度化もその一環だ。 早ければ来年、NPBもMLBのルール改正に倣うことになるだろう。2016年の平均試合時間は3時間10分(9回制のみ)で、15年に2時間56分として3時間台を切ることに成功したMLBに比べるとまだ長い。公式HPに連日平均試合時間をアップし、時短を呼びかけているNPBが「敬遠申告制」を導入するのも、それこそ〝時間の問題〟である。 試合時間短縮のためには、延長制度の改革も避けて通れない。プロ野球の公式戦は最大12回まで行われ、決着しなければ引き分けとなる。MLBでは勝負が決するまで何回まででも続けられ、延長20回を越え、2日間にまたがって行われたケースもある。勝負論としては正しいのかもしれないし、曖昧な決着を許さない大リーグの伝統のひとつとはいえ、これだけ時短が叫ばれるようになった現在、そろそろ見直される可能性もありそうだ。 その兆候を示したのが、今年行われたWBCのタイブレーク制度だ。延長戦自体はMLBと同じ無制限となっていた一方で、延長11回以降は点が入りやすくなるよう無死一・二塁でプレーが続けられた。2次ラウンドの日本-オランダが延長戦にもつれ込み、タイブレークに入った延長11回、中田翔(日本ハム)が2点タイムリーを打って勝利をものにしたケースは記憶に新しい。もしタイブレークがなければ、何回まで試合が続いていたか。タイブレーク導入は高校野球界にも いま、このタイブレークを導入すべきだ、という議論が再燃しているのが高校野球界である。今年の選抜大会では、準々決勝進出をかけた2回戦、滋賀学園-福岡大大濠、健大高崎-福井工大福井がともに延長15回の末に引き分け再試合になるという史上初の事態が発生。福岡大大濠のエース三浦銀二は延長15回で196球、中1日置いての再試合でも9回を130球。ともにひとりで最後まで投げ抜き、8強進出を決めている。が、準々決勝の報徳学園戦では、さすがに八木啓伸監督が登板を回避。控え投手に外野手や捕手を注ぎ込みながら、報徳に大敗して甲子園を去った。第99回全国高校野球選手権、日大山形戦に六回から登板、延長十二回まで無失点に抑えた明徳義塾の市川=8月9日(岩川晋也撮影) かつての甲子園は大黒柱のエースがひとりで投げ抜くのが当たり前だった。そのために肩や肘を壊す投手が続出し、再三世間の批判に曝され、一時期より苛酷な連投が減少したとはいえ、それでもこの種の根性論的投手起用は消滅してはいない。4年前の選抜でも済美の安樂智大(現楽天)がひとりで722球を投げ、大会後にしばらく投球不能の状態に陥った。安樂の件は海外でも話題になり、とりわけアメリカのメディアに手厳しく批判されている。 このときもタイブレーク導入を訴える声が挙がったが、一部の著名なプロ野球OB評論家が異議を唱えた。「日本には日本、甲子園には甲子園の野球というものがある。苛酷な条件の中で投げ続けているからこそ、全国の野球ファンも野球少年たちも感動するのだ。アメリカの言うことだから、何でもかんでも正しいとは限らない」というわけ。私と旧知の仲の解説者など、「アメリカが偉そうに、日本の野球に口を出すな!」と憤っていた。  こういう昔ながらの精神論が、現代の高校球児の胸中にもまだ宿っているらしい。現に福岡大大濠の三浦も報徳戦の最中、2度自らブルペンに走って、ベンチに戻されている。そんな場面が〝美しい光景〟としてマスコミに報じられるのもまた、日本ならではだ。 だが、時代は確実に変わりつつある。一般のファンにはあまり知られていないものの、いまや社会人の都市対抗、大学や高校の明治神宮野球大会でもタイブレークが実施されている。あのWBCでもやっているのだ。物は試し、プロと高校野球で歩調を合わせてタイブレークをやってみたらどうだろう。プロの試合時間が短くなり、高校球児の健康維持にも役立つ。メリットは小さくない、と思う。

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    朝日新聞 高校野球地方大会のたび購買部数が大幅増

    子園出場の翌年に4倍に跳ね上がった。さらにOBがプロ野球に進めば、野球部への入部が飛躍的に増える」(スポーツジャーナリスト) 文部科学省によれば、平成27年度の私立高校の授業料などの年間合計金額は約72万円。1学年300人の高校ならば、2億1000万円以上の収入となる。定員割れせず、毎年この収入を確保できるのは「甲子園出場のおかげ」だという高校も少なくないのである。 そうした恩恵を誰よりも受けているのが、夏の大会を主催する高野連(日本高校野球連盟)と朝日新聞である。 昨夏開催された第97回大会の収支決算をみると、入場料収入は約4億4900万円。支出は約3億3900万円で、差し引き約1億1000万円の剰余金が出ている。これを高野連を中心とする委員会で運用する。 この剰余金は全国高校軟式野球選手権大会関係費に500万円、少年野球振興補助金として100万円など、様々な補助金に充てるとされている。高野連関係者は「公益目的以外で使うことができないようにするため基金を設けているが、13億円以上の資産を保有する超優良組織といえる」と明かす。高野連とともに夏の大会を主催する朝日新聞は、拡販ツールとして甲子園を利用する。 地方大会が始まると、地方版の紙面に各高校のメンバー表を掲載するなど、独占的に情報を扱える。試合経過も詳しく報じられるため、高校野球ファンの購買部数が大幅に増えるという。孫が甲子園に出るので購読を始める年配者も少なくなく、地域によっては2割増しになる販売店もあるという。 間もなくプレイボールを迎える夏の甲子園。大金を、いや優勝旗を故郷に持ち返るのはどこの代表校になるのだろうか。関連記事■ 高校野球のお宝展示される甲子園歴史館 現在特別展を開催中■ 地域別にみる高校野球トリビア 鳥取県が日本一を誇るのは?■ 週刊誌「不倫メール」スクープ後に高野連理事の名が消された■ 夏の甲子園 大会通算戦績で最も強い地域は近畿で勝率は.596■ 高校野球で舌禍の“やくざ監督”「喉元過ぎれば熱さ忘れる」

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    新国立の暑さ対策にかち割り氷? 甲子園の先達が挙げる課題

     建設費問題で揺れる新国立競技場問題の暑さ対策で「かち割り氷」案が浮上した。実現可能性があるのか、そもそも「かち割り」とはどうやって作られるのか。関係者に取材した。(取材・文=フリーライター・神田憲行)猛暑と甲子園球場の後押しを受け、売り上げ好調な「かちわり氷」=2010年8月9日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場(撮影者 田中一世)* * * 新国立競技場に「かち割り氷」のアイデアを出したのは、なんと安倍晋三首相だ。《8月27日、遠藤氏が首相に説明するため官邸を訪れた際、携えた資料にあった建設費は「1640億円」。競技場には、客席の下から冷風が吹き出す冷房の設置を検討しており、これを外せば、さらに100億円のカットが見込めた》《「暑さ対策なら、『かち割り氷』だってある」。首相は夏の甲子園名物を挙げ、遠藤氏に冷房施設の断念を指示。「首相主導の政治決着」を演出し、1500億円台の「大台」を達成した》(朝日新聞8月29日記事)「かち割り氷」とは主に夏の高校野球シーズンに阪神甲子園球場で販売されている名物だ。ビニールの袋に氷が詰められ、ストローとともに提供されて、1袋に氷が約350グラム、200円である。 新国立競技場の収容人数は6万人超。それだけの世界中から集まる観客が、小さなビニール袋にストローを指してチューチューやっている姿は、実際にどれくらい暑さ対策になるのか不明だが、愉快な光景ではないか。「安倍さんの『かち割り』発言は新聞で知りました。いやあ、日本の偉い人まで『かち割り』が浸透してて、有り難いですわ。たぶん甲子園に来たことないやろうけど」 と笑うのは、甲子園球場で「かち割り氷」の製造・販売を一手に担う梶本商店の梶本泰士さん。「かち割り氷」はそもそも、1927年に梶本さんの先代が甲子園でかき氷を販売したことに始まる。1957年に金魚すくいの袋を見て、現在のスタイルを思いついた。 最盛期には1日1万5000個を売ったこともあるが、氷らせた清涼飲料水の台頭などもあり、現在の販売個数などは「秘密」。それでも灼熱のアルプススタンドなどでは、買い求めた「かち割り氷」を額に乗せたり、涼を楽しむ人が多い。「氷ってるときはおでことか首筋に当てて身体を冷やして、溶け出したら昔は粉末ジュース入れて飲んでる人が多かった。いろいろ楽しめるのがかち割りですわ」(梶本さん) ただの氷をビニール袋に詰めたと思うなかれ。氷の製造方法は一手間掛けられている。水道水をまず浄化して不純物を取り除き、大きな氷塊にする。それをすぐ割らずに、いったん「氷室」に48時間寝かせるという。「寝かせることで氷の芯まで凍って、溶けにくくなるんです。甲子園やったら1試合以上は持つでしょう。ただ家庭用の冷蔵庫で作った氷をもって来ただけではそんなに持ちません」(梶本さん) さすが灼熱の甲子園球場に出場するだけはある、氷も鍛えられているのだ。 しかしそんなに手間がかかるのなら、実際に新国立競技場で提供するのは無理なんでは……。「いや、氷は工場さえあれば作れます。難しいのは売る人の確保やね」 梶本さん、意外な理由を挙げた。「かち割り売りは、声を出さんと売れませんから」「かち割り氷」の売り子さんは、「かち割り氷、いかがっすかー」と、威勢良く声を張り上げながらあげながらスタンドを歩いて行く。実はこの「売り言葉」も、梶本商店が指導している。「アルバイトする人に、最初に『こいういう風に言うんやで』と言葉は教えます。それをどういうイントネーションで言うのかは、売る人の工夫ですわ。そのコツ持ってる人を確保するのは難しいと思いますよ」(梶本さん) とはいえ、「オリンピックですから、世界中からお客さんいらっしゃるんでしょ? 夢がありますわ。チャンスがあったら売りたいですなあ」と梶本さんは笑う。--とすると、「かち割り氷、いかがっすかー」も世界中の言葉に翻訳しないといけないですね。「いや、そこは変えん(笑)あの言葉はあのままでいかんとあかん(笑)」 遠藤利明五輪担当大臣は9月2日に「冷却剤を配布」という中間報告をまとめたが、ここはぜひ、「かち割り氷」も配って欲しい。できれば粉末ジュースも一緒に配って、チューチューしてほしい。冷房の代わりにかち割り氷のアイデアを出したのは安倍首相だ。早急に売り子のトレーニングに政府を上げて取り組むべきではないだろうか。関連記事■ 夏の甲子園 大会通算戦績で最も強い地域は近畿で勝率は.596■ 夏の甲子園 学校別通算勝利数の1位は愛知の中京大中京76勝■ 延長15回裏サヨナラヒット ベース踏み忘れで甲子園幻の事件■ 地域別にみる高校野球トリビア 鳥取県が日本一を誇るのは?■ 江川卓在籍時の作新監督 2年連続甲子園出場逃し更迭された

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    このままでは清宮幸太郎はプロ入りしても「ホームラン王」になれない

    小林信也(作家、スポーツライター)  これまで、早稲田実業の清宮幸太郎について語ることを避けていた。大騒ぎに便乗する気はないし、騒ぎに水を差すほど無粋でもない。実績はそろっているが、まだ10代の少年。高校生同士が戦った結果を過剰に持ち上げる違和感もあった。 清宮が高校3年間で通算107本のホームランを打ったのは事実だ。が、いずれも高校生投手から打ったにすぎない。しかも、プロ野球では使えない金属バットから放たれたものである。 東京の高校野球のレベル差は極端だ。強い高校もあれば、中学の硬式チームより拙い高校も少なくない。それを「107本」という数字でくくるのは、少なからず誇張も含まれる。 将棋の世界では、藤井聡太四段が14歳にしてプロ入りし、29連勝を飾った。彼が戦う相手は紛れもなく一流のプロ棋士であり、プロを相手に29連勝した藤井四段の実力は掛け値無しだ。その彼でさえ、このまま順調に成長するかどうか、100%の確証はない。なぜなら、かつて28連勝した先輩はいま壁に当たり、苦闘を続けている。メディアは平気で、「凡人の作った記録を天才に抜かれて良かった」と謙遜した彼のコメントを真に受けて発信したが、彼だって28連勝した当時は「天才」と呼ばれたはずだ。 清宮は、まだプロ野球の投手から1本のホームランも打っていない。野球界の規則に阻まれて対戦する機会が与えられないためで、清宮のせいではない。対戦すれば打ったかもしれない。 将棋界のように、若い才能がプロ野球選手と直接対戦する機会を野球界も作る必要があるというのは安全性の面で早計だが、新しい方向や発想を出し合い、改善を模索する土壌さえないのはお粗末だ。 ひとつ疑問がある。なぜ清宮は、これほど高校野球に没頭したのか。甲子園出場を逃し、試合後に取材に応じる早実の清宮幸太郎主将 =7月30日、東京・神宮球場 早実野球部で清宮は「青春」を満喫した。敗戦後、チームメイトと過ごした充実感、主将である自分についてきてくれた仲間や後輩への感謝を口にした。まさに青春そのもの。人間的な成長において「大切な経験」を清宮は高校野球で培ったと言っていいのだろう。個人競技の色合いが強い野球だが、一方でチームゲームの現実があり、そのチームゲームの何たるかを高校で体感した。だが、プロ野球選手としてそれがプラスであったかどうかは、にわかには断定できない。プロの世界で感傷(センチメンタル)はあまり役に立たないからだ。その意味では、現役時代、まったくセンチメンタルを感じさせなかった父・克幸さんとは少し違った人間味を感じさせる。 藤井四段が青春を捨てているように、ある道に秀でた天才が、何かを犠牲にするのは選択肢の一つだ。高校時代に「次」を見据えて野球に取り組むなら、清宮が自ら進んでやるべきことは「甲子園出場を目指すこと」や「通算ホームラン記録を抜くこと」以外にあったように思う。そう、いま清宮が最も不安視されている「木製バットへの対応」と「守備力の改善」である。 西東京大会の決勝では一塁手としてふたつのミスをし、それが失点、敗戦につながった。 野球を見る目を持つ人なら、清宮の守備の動き、スローイングのレベルには思わず口をつぐみ、ため息をもらすだろう。お世辞にもプロのレベルとは言えない。打撃と違って、守備は努力で向上する、と一般的には言われるが、清宮がどれほど努力すればプロで一流と呼ばれるようになるのか。正直言って、かなり前途多難だと多くの人は感じることだろう。履正社・安田尚憲との違い 一塁手というポジションは、プロ野球ではある種の「指定席」の色合いがある。巨人の阿部慎之助が捕手を卒業して守っているように、ベテラン選手の生きる道に使われる。守備に難のある強打の外国人助っ人の「指定席」でもある。 18歳のルーキーに最初から喜んで提供できるポジションとは言えない。もしプロ球団がそれを確約するなら、清宮にはホームラン王を争う助っ人並みの数字が求められる。1年または2年、結果に目をつぶって経験を積ませてくれる余裕のある球団がどこにあるだろうか。 高校時代に木製バット対策と守備力強化を行わなかった清宮は、今からその課題を克服しなければならない。 木製バット対応は、打撃の天性を持ってすれば、案外すぐにできても不思議ではない。ただし、特別な知識と指導力を持ち、清宮の潜在的可能性を見いだし伸ばしてくれる名伯楽との出会いが必須だ。今の球界にそのような人物が本当にいるのだろうか。 王貞治には、荒川博コーチがいた。巨人に入って3年間、期待ほどの結果を出せない王にしびれを切らした川上哲治監督(当時)が、「安打製造機」の異名を取った榎本喜八の育ての親である荒川を大毎オリオンズから引き抜き、王の専属打撃コーチにした。二人の師弟関係から「一本足打法」が生まれ、王がホームラン王に変貌した伝説はオールドファンなら誰もが知っている通りだ。松井秀喜には長嶋茂雄監督(当時)が熱心にマンツーマン指導したという逸話もある。 清宮は184センチの恵まれた体躯からホームランを量産してきた。だが、今のバッティングスタイルはむしろ中距離打者である。やわらかなリストワーク、しなやかなバットコントロールは、打撃センスと安定感を感じさせる。投球を捉えるのもうまい。しかし、イチローがホームラン打者でないように、その打ち方がプロ野球に入ってもホームランを生むのに最適な打法かは一考の余地がある。今秋のドラフト候補、履正社の安田尚憲内野手 履正社の安田尚憲は松井秀喜を手本にし、内面でボールを捉えた後、バットと身体をひとつにして、「ブン!」と振り抜く。これは紛れもなくホームラン打者の打ち方だ。清宮は、バットと身体の出方にズレがある。下半身が投手方法に向かった後、上半身(バット)は少し遅れて出てくる。昔の好打者に多かった打撃スタイル。ヒットや二塁打は高い確率で打てても、柵超えを狙うのに最適な打ち方ではない。 フルスイングが代名詞の柳田悠岐(ソフトバンク)も、中田翔(日本ハム)も、中村剛也(西武)も、軽々とホームランを打つときは、ステップとバットとボールが一つになっている。 結論から言えば、「中距離打者」の清宮幸太郎など、誰も求めてはいない。不自由すぎる野球の世界 ホームランこそが清宮に求められる代名詞だ。ところが、今の清宮は「ホームラン王」への道をまっしぐらに歩んでいるとは言い切れない。そういう誤差を指摘し、納得の上で清宮をホームラン打者へと導いてくれる指導者との出会いが何より重要である。もしくは、少年時代、そうして来たように、清宮自身がメジャーリーガーらを参考に、自らフォームの見直しを図ることだ。 U-18(18歳以下)世界大会では不調に終わり、昨秋の東京都大会では日大三高のエース、櫻井周斗に5打数5三振を喫した。今夏の西東京大会決勝では、東海大菅生のエース、松本健吾から丁寧に攻められ、凡打を重ねた。最後の打席で一二塁間を抜いたのはさすがだが、レベルの高い投手から攻められたら、必ずしも結果を出していないのが、早実時代の清宮だった。 次の2年、3年、どんな環境で、どんなコーチと、何をどう改善するかが、清宮の野球人生を大きく左右する。 早稲田大学にそれを満たす環境があるだろうか。通算107号本塁打を放つ早実・清宮幸太郎=7月28日、神宮球場 今の時点で考えると、大学生活の4年は長すぎる。「プロ入りの準備完了」と判断したら、中退してプロ入りしたいだろう。その自由が日本の野球界にはない。社会人野球でも3年は拘束される。唯一の例外は独立リーグだが、清宮には合わないだろう。 アメリカ留学の声もあるが、注意が必要だ。アメリカの野球界に飛び込んだら、MLBの制約を受ける可能性が出てくる。マイナーリーグに所属すれば、自分の意志で日本のプロ野球に入れない立場になる。 こうして考えると、野球界とはなんと不自由な世界なんだろうとつくづく思う。清宮には、今すべきことを、それにふさわしい環境で取り組んでほしい。例えば、アメリカ、南米の環境で自由に野球を謳歌(おうか)するのも、もう一度清宮を大きく飛躍させる糧になるように思える。 プロ・アマ規定や日米の紳士協定が邪魔になるなら、この機会に改善してほしい。清宮のための「特例」ではなく、そうした堅苦しい規制のために、のびやかな野球人生を過ごせない多くの若者に、もっと選択肢を広げ、野球以外の経験も含めたスケールの大きな野球人生を保証するために。 通常ルートでプロに入る選手ばかりでなく、独自の成長過程を過ごして才能を伸ばす選手たちを柔軟に受け入れる懐の深さを野球界は持つべきだ。 清宮が次の2年間をどこでどう過ごすかが重要だ。それは候補に挙げられる「即プロ入り」でも、「早稲田大進学」でも、単純な「アメリカ留学」でもない気がする。そんな杓子定規しか選択肢のない日本の野球界そのものが、常識の枠におさまらない清宮幸太郎には居心地が悪いのではないだろうか。

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    高校野球、大阪勢の「えげつない強さ」の秘密がようやく分かった

    小林信也(作家、スポーツライター) 今春、センバツの決勝で対戦した大阪桐蔭と履正社が、夏の大阪大会準決勝で戦った。 「事実上の決勝戦」と表現していい両校が、地方大会で対戦する。大阪のレベルの高さを物語る出来事だ。試合はシーソーゲーム、どちらが勝つか終盤までまったくわからない接戦を大阪桐蔭が最終回に3点を取って制し、8対4で決勝に駒を進めた。高校野球大阪大会。走って整列する大阪桐蔭と履正社 =7月29日、大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 過去40年の夏の優勝校を見ても、1977年が東洋大姫路(兵庫)、78年がPL学園(大阪)、79年箕島(和歌山)と続き、関西勢だけを一覧しても、83年PL、85年PL、86年天理(奈良)、87年PL、90年天理、ここまでは大阪の中でもPL学園の天下。そして91年に大阪桐蔭が優勝し、下克上が起こる。93年育英(兵庫)、97年智弁和歌山、2000年智弁和歌山、08年、12、14が大阪桐蔭。なんと40年中8大会で大阪代表が優勝。関西勢に広げれば15回を数える。 なぜこれほど大阪のチームは強いのか? 言うまでもなく、青森や山形、東京、島根など、他の地方の高校が大阪から選手を集め、一世を風靡(ふうび)した例もたくさんある。 今回はやや大胆に、独自の観点から大阪が強い理由を探ってみよう。 第一に、大阪人の「えげつなさ」が、トーナメントで戦う日本の高校野球と相性がよいのではないか。東京人はどこか格好をつけ、きれい事(理想)を追う価値観を捨てきれない人が多い。「勝ちゃいいんだよ」と言い切れない。ところが大阪人は「勝ってナンボやろ」という割り切りがある。 東京的な感覚では、「勝利至上主義」などと批判するが、大阪人にはそんな発想さえない気がする。「試合なんやから、勝つのが当たり前とちゃうの?」。 大阪の中学から新潟の高校に進んだ選手の逸話がある。かつては二塁走者が打者に身ぶり手ぶりで捕手のサインを教えるのは常識だった。「汚い」という認識はなかった。しかしある年、それがフェアプレー精神に背く、また試合時間の遅れにもつながるとして禁止された。常識だったことが、悪いことと立場を変えたのだ。 その変更を聞いて、新潟の高校球児はほぼ全員が「もう二塁からサインを送ってはいけないのだ」と素直に理解した。ところが、大阪から来た球児は違った。 「これからは、うまくやらな、あきまへんね」 その言葉に、チームメイトはあぜんとしたという。それを地で行く光景を、実際に大阪大会で見た経験がある。 大阪の強豪校の試合を観戦していたとき、一緒に見ていた大阪の野球関係者が私の脇を突ついて、「二塁ランナーの動き、よく見てください」と耳打ちした。最初は意味がわからなかった。次第に、なるほどと気がついた。 二塁走者は、投手がセットポジションに入ろうとすると、ベースに足をつけた状態から、ススッと素早く離塁したり、ゆったりとリードを取り始めたりする。つまり、ススッと出たらストレート、ゆっくり出たらカーブ系といったサインを送っていたのだ。審判も、余計な動作ではないから、反則行為と警告できない。それいう工夫をして(?)、ルールの裏をかく行為を平然とやっている。「あれは監督が教えとる」 同じ試合で、一塁手の巧みな走塁妨害も目撃した。 相手打者が右中間に長打を打った。三塁打コースだ。打者走者は勢いよく一塁を回ろうとして、アッとスピードを落とした。一塁手がぼうぜんと打球を見やり、走路に立っていたからだ。一瞬、衝突を避けたため、その打者は二塁を回って三塁を狙うことができず、二塁打にとどまった。一塁手は走者に背を向け、ボーッと打球を見ているから、まさか故意に走者を妨害するためそこに立っているとはすぐ気づかない。 「あれ、監督が教えとるんですわ」  つまり、確信犯だというのだ。「そこまでして勝ちたいのか?」と、甘い東京人や新潟県人の筆者は思う。しかし「当たり前やがな、勝負やもん」と、大阪人は思う。みんながそうだとは言わないが、地域の空気としてそれがある。 私は今春、監督を務めるリトルシニアの大会で同じことをやられた。まさに、その大阪の高校出身のコーチが指導するチーム。こちらが走者二塁で一塁線を抜いた。楽々と「本塁生還だ」と思って見ていたら、三塁手がボーッとした様子で三塁ベースのすぐ内側に立っていた。二塁走者は、慌てて大回りし、ベースの外側を踏むような感じでホームに向かった。幸い得点にはなったが、危険なプレーであることも間違いない。さすがにタイムを取って、三塁塁審に「三塁手、危ないから注意して」と短い言葉で促した。すると、塁審は私が何をアピールしているかも理解できないようだった。打球をぼんやり見ている三塁手の「迷演技」にすっかり欺かれていた。バックスクリーンから練習する選手の動きを狙う8Kカメラ =兵庫県西宮市の甲子園球場 このように書くと、東京人の多くは「許せない」といきり立つかもしれないが、大阪人は違う。それも半ば洒落とまでは言わないが、「いい、悪い」ではなく、「あって当然やろ」という気構えを持っている。 強さの秘密、その二に移ろう。よく指摘されるのは、リトルシニア、ボーイズといった中学生硬式野球チームの数の多さとレベルの高さ。甲子園で3大会連続ベスト4に入り、この夏も甲子園出場を決めて新たな強豪として勇名をはせている秀岳館(熊本)は、長くオール枚方ボーイズの監督を務め、ボーイズでは全国優勝を争う常連だった鍛冶舎巧監督が、選手ごと一緒に熊本に移って始めたチーム。熊本代表という名の大阪のチームとも呼ばれる。それほど、中学野球のレベルが高いのだが、この背景には「タニマチ文化」がある。履正社の安田はここが違う 初めて大阪のボーイズ・リーグ関係者たちと交流したとき、東京にはない不思議な人間模様を感じた。東京にも調布シニア、武蔵府中シニアといった名門、強豪チームがある。練習の雰囲気などは、限りなく高校野球に近い。大阪のチームは「プロ野球ごっこ」の風情がある。東京の中学硬式野球は「ミニ高校野球」、大阪は「街のプロ野球」みたいなのだ。プロ野球チームにオーナーがいるように、ボーイズのチームには「代表」がいて、みんなから当然のようにそう呼ばれている。それが快感なのである。プロ野球のオーナーや代表にはなれないが、それらしい気分を味わうことができる。地元のお金持ちがまさにタニマチとして運営しているチームもある。 特待生問題が物議を醸したとき、東京をはじめ大方の地方の人たちは中学生選手を売り買いするブローカーのようなスカウトがいることに眉をひそめ、問題視したが、大阪人はそもそも「プロ野球ごっこ」をしているのだから、スカウトがいて、裏金があって当たり前なのだ。それに目くじら立てる方が、彼らには「信じられない」のではなかったか。あわやホームランの大きな当たりを飛ばすがアウトになった履正社の安田尚憲(中央)=大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 全国的には清宮幸太郎の通算ホームラン更新に注目が集まり、高校3年生の一打席ごとの結果がネットで速報されている。一方、清宮を超える才能の持ち主ではないかとスカウトの間で評価の高い履正社の安田尚憲は、練習では木製バットを使い、「プロに入ったら金属バットは使えないから」と、先を見据えた練習をずっと重ねてきた。これも安田は高邁(こうまい)な理想の持ち主であり、清宮は目先の記録を狙っている、とばかりは決めつけられない。大阪は高校野球にもプロ野球気分があり、東京はまさにザ・高校野球なのだから。先のことなど考えない。たとえ清宮幸太郎であっても、「高校野球で終わってもいい」くらいの、のめり込みが当たり前なのだ。 早実対駒大苫小牧、伝説の延長再試合。最後の打者となった関西人の田中将大投手が、斉藤佑樹投手に三振に打ち取られ笑っていたのも、それとつながっているのではないだろうか。履正社の安田もまた、大阪桐蔭に敗れた試合後、チームメイトと健闘をたたえ合った。 高校野球で終わりじゃない大阪。終わりじゃないけど、終わってもいいと思っている東京をはじめ他の地方。その器の大きさも、大阪の強さの一因かもしれない。

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    中田久美ほど「名将」の条件が揃った監督を私は知らない

    小林信也(作家・スポーツライター) 中田久美監督率いる、女子バレーの日本代表、新生「火の鳥NIPPON」が、ワールドグランプリの予選に臨んでいる。3つのグループに分かれて予選リーグを戦い、8月2日から行われる決勝ラウンドには上位5チームと開催国の中国が出場。すでにオランダ大会、仙台大会を終え、いま最後の予選リーグ、香港大会を戦っている。日本は通算5勝3敗で、決勝進出圏内に入っている(7月22日時点)。 中田ジャパンは強豪オランダ、ブラジルに勝ち、今後に大きな期待を抱かせる戦いを展開している。16日のブラジル戦はフルセットの末、最終第5セットを17対15で制し、6年ぶりにブラジルから勝利を奪った。テレビ中継で接戦に手に汗握り、中田ジャパンへの思いを熱く感じたファンもきっと多かっただろう。 「絶対的エース」として長く日本代表を牽引(けんいん)した木村沙織が引退。柱を失った日本代表は、ポスト木村沙織探しも含め、不安な船出といってよかった。そのかじ取りを任された中田新監督への期待はもちろん大きかったが、ここまでの戦いで、すでに多くのファンの支持を得つつある、そして未来への期待を大きく抱かせているのではないだろうか。 ポスト木村沙織の育成とともに注目されるのが、世界と戦う名セッターの養成だ。すでに日本代表のセッターを務めて久しい宮下遥(岡山シーガルズ)が本命と誰もが認識しているが、かつて15歳で日本代表に抜擢(ばってき)された天才セッター・中田久美が、このテーマとどう取り組むかは注目の的だった。ワールドグランプリ 日本-ブラジル戦。試合を見る中田久美監督=7月16日、カメイアリーナ仙台 オランダ大会では代表初出場の冨永こよみ(上尾メディックス)を先発セッターに起用。宮下オンリーではない姿勢を明確にした。 またブラジル戦では佐藤美弥(日立リヴァーレ)を起用。これが見事に功を奏する形でブラジルを破った。 試合後、中田監督は佐藤起用の理由を「ブラジルが日本を徹底的に研究しているのがわかった。セッターを変えれば、その研究データはまったく役に立たなくなるだろうと思った」と説明している。まったくその通り。ブラジルにすれば開いた口がふさがらない、人を食ったような大胆采配とも言えるだろう。 中田久美監督は、久光製薬スプリングスの監督に就任した一年目からVリーグ優勝のほか、女子初の三冠にチームを導き、Vリーグ4度優勝を果たした。指導者としての力量もここで十分に実証して日本代表の監督を任された。その指導力をあえて再評価するまでもないが、中田久美監督は何が違うのか? あえて結論から記してしまうが、他の競技も含め、日本にこれだけ理想的な素質と実績を持つ監督がいるだろうか? とさえ、私は感じる。中田久美監督の素質と器量 女子の指導者といえば、シンクロナイズドスイミングの井村雅代監督が頭に浮かぶ。厳しい、妥協を許さない、目標を定めたら必ずそこに到達する。揺るがない意志の強さは、他に比類を見ない。まだ競技としての注目が低かったため、あまり知られていないが、選手としても日本選手権2度優勝の実績がある。中田自身、助言を仰ぐ機会を得ているようだが、指導者として中田はこの井村に勝るとも劣らない素質と器量の持ち主だと感じる。さらに加えて、選手として、自らが天才と呼ばれ、世界を相手に戦った豊富な実績と経験がある。もっといえば、他に誰も経験していないほど深く重い悔しさを身に染みて体験している。 中田久美がセッターとして臨んだ1984年ロス五輪。日本女子は銅メダル。このときメディアは、それを賛美するどころか、「史上最低の銅メダル」と表現した。当時、日本の女子バレーは「金メダルを獲って当たり前」と期待されていた。1964年東京五輪で金メダル。1968年メキシコ五輪は銀メダル。1976年モントリオール五輪では再び金メダル。しかもセットをひとつも落とさなかった。銅メダルは中田久美にとって「屈辱」でしかなかった。 それからすでに33年が経過し、さらに36年後の2020年東京五輪でその屈辱を晴らすチャンスを与えられた。中田久美監督の覚悟が並大抵のものでないことは怖いほど感じる。 中田久美監督は、勝つためにすることを知っている。そして、それをやりきる以外、考えない人である。自ら実践する人だから、選手も言い訳はできない。チーム全体が目標に向かう迫力をみなぎらせる。その強さ。口で言うのは簡単だが、それをやりきれる指導者は希少だ。 私も何度かお会いしているが、まなざしがあれほど真っすぐで揺るがない人に出会った経験は少ない。やると言ったらやる、やるのが当たり前。そんな雰囲気が満々とみなぎっている。 日本代表ですでに4年の実績がある「天才セッター」宮下遥を平気でベンチに座らせることのできる人物も中田久美監督以外にないだろう。他の監督が同じことをすれば、そして少しでも結果が悪ければ、批判するメディアやファンが出るのは容易に想像できる。他のセッターにチャンスを与えることで厚みが出る。宮下を超えるセッターが登場する可能性もある。そして、宮下遙自身がいっそうの飛躍を遂げる期待も感じる。女子バレーボール日本-中国戦。スパイクを打つ中田久美選手 =1980年11月、京都体育館 「名選手、必ずしも名監督にあらず」、スポーツ界でそれは常識的な認識だ。 しかし、野球の捕手に名監督が多いのと同様、バレーボールのセッターは名将に通じる素養の持ち主かもしれない。 ワールドグランプリの後、8月9日から17日まではフィリピン・マニラで「第19回アジア女子選手権大会」。次いで、9月5日から10日まで東京、名古屋で「ワールドグランドチャンピオンズカップ2017」が行われる。これら一連の国際大会が、中田ジャパンの基礎を作る日々となる。勝負の結果に一喜一憂しながらも、中田久美監督がどんなチーム作りを進めるか、選手たちが監督に呼応してどんな成長を遂げていくか、またどんな人材が飛び出してくるか、楽しみだ。

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    「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物

    小林信也(作家、スポーツライター) まもなく、7月3日にテニスのウィンブルドン選手権が開幕する。 錦織圭が初めて四大大会(グランドスラム)を制覇できるか。現時点で男子シングルス世界ランキング9位の錦織は第9シードと発表された。第1シードは昨年優勝のアンディ・マリー(英国)。第2シードはノバク・ジョコビッチ(セルビア)、第3シードがロジャー・フェデラー(スイス)、全仏オープンを制したラファエル・ナダル(スペイン)が第4シードだ。 ゴルフの全米オープンで松山英樹が2位に入り、モータースポーツのインディ500では佐藤琢磨が優勝するなど、このところ日本の男子選手の世界での活躍が続いているだけに、錦織への期待も当然のように高まる。 だが、芝生のコートで開催されるウィンブルドンと錦織の相性はよいとはいえない。初出場の2008年は1回戦敗退。14年と16年には4回戦まで進んだが、四大大会のうちウィンブルドンでだけはまだ準々決勝に進めていない。ベスト8に進出すれば、1995年の松岡修造以来、戦後2人目となる。 相性がよくない一番の理由は、コートのサーフェス(種類)とみられている。錦織はハードコートが舞台の全米オープンでは14年に決勝、16年には準決勝進出を果たしている。同じくハードコートで行われる全豪オープンでは3度準々決勝に進んでいる。クレーコートの全仏オープンでは15年に続いて今年も準々決勝に進出した。グラスコートのウィンブルドンだけが、高い壁のようになっている。ゲリー・ウェバーOPシングルス2回戦で、試合中にマッサージを受ける錦織圭。結局途中棄権した=6月22日、ドイツ・ハレ(共同) ファンにとっては気になる状況がある。錦織は、ウィンブルドン前哨戦でもあるゲリー・ウェバー・オープン(ドイツ)の2回戦途中、左臀部(でんぶ)を痛めて棄権した。この大会で途中棄権するのは、今年で3年連続になる。これで芝生の大会では5回連続、下部大会を含めると9度目の棄権となった。昨年のウィンブルドンでは、マリン・チリッチ(クロアチア)との4回戦途中(第2セットの途中)で棄権した。今年もまた同じような不安を抱えて晴れ舞台に臨む。錦織はなぜ芝コートでケガをしやすいのか 錦織が芝生のコートでケガをしやすいのはなぜか? 実は芝生のコートが身体に負担を与える実例は、錦織圭に限らない。芝のコートはハードコートやクレーコートに比べてバウンドが低いため、普段より態勢を沈め、体重を乗せて打つことが要求される。軽快なフットワークとその流れで打つイメージでは対応しきれない難しさがある。 しかも、ウィンブルドンの前には全仏オープンがあり、クレーコートになじんだ状態から選手たちは芝への順応と切り替えを求められる。クレーコートを得意とし、今年3年ぶりに全仏オープンを制覇したナダルが優勝後の記者会見でウィンブルドンへの抱負を聞かれて語った言葉にその一端が表れている。「芝のコートでは重心を低く保たなければいけない。足元の踏ん張りが利かなくて不安定。膝の状態次第だね」 足元の踏ん張りが利かない。芝は滑りやすい。そのため、身体とスイングの微妙なずれによって膝や股関節、腰、臀部(でんぶ)などをひねって痛める選手が少なくない。伝統ある憧れの大会でありながら、芝が舞台だからという理由で出場を回避する選手もいる。  テニスは19世紀の終わりころ、芝の上で行う競技として発展した。「ローンテニス(lawn tennis)」が競技名として使われていたくらい、芝が当然の舞台のだった。それなのに芝が敬遠されるのはおかしな気もするが、それが時代の流れ、競技の現実だ。 錦織はハードコートで育った選手だ。抜群のフットワークも、「エアK」に代表されるトリッキーでエネルギッシュなショットも、ハードコートの安定性の上に成り立っている。ボールが一定の高さまでバウンドする。ショットのスピードからバウンドのイメージを容易に想像できる。足元(足裏)とコートがしっかりグリップして、スリップしたり、イメージとの誤差を生じることも少ない。 芝でプレーする場合は、いつ足元が滑るかわからない。ボールのバウンドも低く、はね方も一定ではない。不測の事態が常に頭の片隅から離れない。 「芝生のコートに入ると、自然と敵が強く見える」と錦織圭がつぶやく理由もその不安から生じるものかもしれない。見た目には美しい緑の芝が、選手にとっては恐ろしい魔界でもあるようだ。「最高峰」ウィンブルドンに生じた時代とのズレ2014年10月、楽天ジャパンOP男子シングルス2回戦でエアKを放つ錦織圭=東京・有明テニスの森公園(撮影・中鉢久美子). 錦織と芝生の相性を考えたとき、ふと野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の光景が目に浮かんだ。侍ジャパンの菊池涼介二塁手(広島)は、人工芝で行われた1次ラウンド、2次ラウンドで素晴らしい守備を繰り返し披露した。従来の野手の動きとは少し違う、人工芝の特性を生かした身体のこなし、切り返しだと私は感じた。表面が土や芝だったらできない動きを菊池は開発し、駆使していると感じたのだ。それが、準決勝では痛恨のエラーをした。下は天然芝だった。予想外の打球の伸び、はね方に対応できなかった。広島は普段から天然芝の球場が本拠だから慣れてはいるはずだが、メジャーリーガーの鋭い打球を芝で捕る経験は少ない。その切り替えがうまくできなかったための失策のように見えた。そして何より、野手の技術や動きの基本が、もはや人工芝を前提に培われている事実に気づいて感嘆した。 テニスも同様だろう。打ち方、フットワークの基本は、かつては芝を前提にしていた。いまはハードコートが前提だ。ボールを捉えて打つ間合いやテンポが全然違う。錦織はショットを打つのに止まらない。フットワークとショットはほぼ一体だ。その当たり前のリズムが芝によって制約され、ズレが生じる。バウンドも低いため、いつもの高い態勢で打つことができない場合が多い。そのずれの中で故障が生まれる。 いまスポーツは、伝統と近代のはざまで実は難しい状況にあるとも言えるのだろう。ウィンブルドンは伝統を誇る大会で、賞金も高く、決して軽視できない大会だ。しかし、その舞台は時代の主流とは大きくかけ離れた芝生。陸上でいえば、土のトラックで100メートル競走を行うようなもの。ゴルフで言えば、木製ウッド全盛期にはやったパーシモン(柿)のクラブですべて打つよう制約されているのに近いかもしれない。時代とのズレが、伝統の重さという名で強要されているウィンブルドンを、以前のように世界最高峰を決める大会と認識し続けることを少し見直すべきなのかもしれない。 ボールの高さ、ショットの間合い、この当たり前の感覚を調整するのは、われわれが思うよりずっと難しいだろう。芝生に合わせるのか、芝生でもいつものリズムで打つ感覚で調整するのか。態勢を低くするのか、あまり低くせず、スイングの角度で対応するのか。 錦織圭のウィンブルドンはまず、足元を克服し、足元を意識せずにプレーできるかどうかにかかっている。

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    「強運の人」鹿取義隆GM起用は弱すぎる巨人にとって吉と出るか

    小林信也(作家、スポーツライター) 株主総会のタイミングで、巨人のゼネラルマネジャー(GM)が代わった。堤辰佳GM兼編成本部長が再任されたが自ら辞し、かつてのリリーフエース、特別GM補佐の鹿取義隆氏が同職に就いた。就任会見に臨む巨人・鹿取義隆GM兼編成本部長=6月13日、東京・大手町(撮影・長尾みなみ) シーズン前半にもかかわらずGMが代わった。しかも読売新聞社からの出向でなく、「元選手が巨人で初めてGMに抜擢された」という表現などから、全体としては歓迎ムードだ。当面これで球団への批判モードは封印し、新体制を見守ろうという空気が巨人ファンだけでなく、プロ野球報道全体の傾向になっている。世の中というのは、印象だけで大きく変化する。意外と容易にコントロールできるのかなあと、今回の交代劇で改めて感じる。 「選手出身のGMは巨人では史上初」との報道だが、本当にそうだろうか? GMという肩書きではなかったし、GMほどの権限が与えられていたわけではないが、巨人で事実上GMに相当する職務は「編成部長」が務めていた。この職は、元投手の倉田誠さんが長く務めていた印象が強い。その意味で「鹿取が初」というのは、センセーショナルすぎる表現ではないだろうか。倉田さんに失礼だ。 別の表現をすれば、巨人も野球界の流行の中で「GM兼編成本部長」という名称に変えたが、実質的にメジャーリーグでGMが任されている権限を与えているのかどうか、明らかではない。選手と同様、GMは会社員ではない。球団と契約し、成果が求められ、期待に合わなければ職を追われる。それだけに、選手同様、自由な裁量権が保証され、実力を存分に発揮できる条件が与えられなければやっていられない。 今回就任した鹿取GMが、そのような裁量と権限を持っているかどうかの報道は残念ながらされていない。読売本社からの起用ではないが、読売本社の意向を強く反映する読売巨人軍に「就職した」印象も拭えない。 何より「なぜ鹿取義隆なのか?」の理由について、明快なメッセージはない。同世代だけ見ても、「なぜ江川卓ではないのか?」「なぜ西本聖ではないのか?」、誰も問わない。 鹿取は引退後も巨人と近い関係を築いていた。「きちんと球団の意向を聞ける大人」という評価が、鹿取GM起用の大きな理由のようにも感じる。それならば社員と変わりがない。 巨人では初というが、日本プロ野球に導入されてまだ歴史の浅いGMの大半は、「元巨人」の選手が担ってきた。千葉ロッテで初めてGMになったのは広岡達朗氏。言うまでもなく、往年の巨人の名ショート。次いで日本ハムで手腕を発揮した高田繁さんもV9戦士のひとり。いまは横浜DeNAベイスターズでGMを務めている。今年初めに退任した中日の落合博満前GMも「元巨人」。王貞治さんの現在の肩書きは、福岡ソフトバンクホークス取締役会長兼GM。会長でありながら、GMも務めている。 こうして見ると、巨人で初という表現はますます妙な感じだし、各球団のGMを輩出している本家巨人のGMが他球団に比べて「小粒」な印象も否めない。もちろん、GMとしての実力は現役時代の実績と関係ないが、果たして鹿取GMに多くを期待していいのだろうか。不安は拭えない。 鹿取義隆投手の現役時代については、中年以上の野球ファンには説明する必要がないだろう。とくに王監督時代(1984年から1988年)の5年間には、48、60、59、63、45試合と、計275試合に登板。27勝19敗49セーブをマークした。王監督が姿を現すと「ピッチャー鹿取」の声がスタンドから先に上がるほど、王監督の信頼を一身に集めるリリーフ投手だった。生涯成績は、91勝46敗131セーブ。皮肉なことに、最優秀救援投手のタイトルに恵まれるのは、西武ライオンズに移籍した1年目(1990年)だった。「根性」と「強運」の人 筆者はちょうど鹿取GMと同じ年齢だから、巨人に入る前からの活躍も見ている。江川卓投手を中心に一世を風靡(ふうび)した法政大の黄金世代のひとつ下。明治大に入った鹿取は、3年生になるとリーグ戦で活躍。しかし、スター軍団の法政大には勝てなかった。4年になって、同期の高橋三千丈投手と両輪でリーグ戦優勝を果たす。巨人の鹿取義隆選手(当時)=1989年8月、東京ドーム 大学時代の鹿取を神宮球場で見たことがある。174センチと小柄、驚くような球速でもなかったから、まさかその後、プロ野球で活躍するとは想像しなかった。 改めて鹿取のたどって来た道のりを振り返ると、鹿取義隆は「根性の人」であり、「強運の人」でもある。鹿取は明大卒業後、社会人野球の日本鋼管(当時)に入る予定だったという。同僚の高橋三千丈投手は当然のように、ドラフト1位指名を受け、中日に入った。そのドラフト会議で、鹿取の名前は呼ばれていない。プロ野球との縁がつながったのは、ドラフト会議の後だった。 その年のドラフト会議は、いわゆる「江川事件」のために巨人がドラフトをボイコットし、参加しなかった。その巨人がドラフト指名洩れ選手に直接入団交渉をした。その中のひとりが鹿取だった。西本聖の「テスト入団」が有名だが、同期の鹿取もまた「ドラフト外」での入団だった。 当時の巨人には、少しタイプは違うが、サイドハンドの小林繁投手がいた。鹿取にとっては同タイプの先輩。この小林を越えなければ出場の機会は増えないと見る向きもあったが、江川事件の余波で小林繁が阪神に移籍。「サイドハンド枠」がポッカリ空く形となって、鹿取は1年目から一軍登板の機会に恵まれ、期待に応えている。開幕戦に救援登板、計38試合に登板して3勝の成績は、新人の一軍出場の敷居が高かった当時の巨人にあっては上々の1年目と言えるだろう。その意味で、鹿取GMの持つ強運に期待、というところだろうか。 就任発表の記者会見で、鹿取GMは低迷の理由を分析しつつ、「若い選手がなかなか出てこなかった、ということがある。いいスカウティングをして、そこから育てていきたい」と語った。 これを読んで、どう思うだろう? 「GMの就任の言葉ではない」と私は感じた。選手出身者はどうしても「育てる」意識が強い。これはコーチか育成部長の言葉であって、GMの思考ではない。 GMは活躍できる選手、活躍させる監督・コーチをそろえるのが仕事だ。将来の成長も見越して選手を獲得するの当然だが、それは二番目であって、今日試合を見に行くファンを満足させるチーム編成を「いますぐ実現する」切迫感、使命感が感じられない。 日本でも『マネー・ボール』のタイトルで有名になった著書を出版し、ブラッド・ピット主演で映画化もされたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(現上級副社長)は、本にも書かれているとおり、通常の野球観をひっくり返す策を講じて、予算の少ないアスレチックスに生きる道をもたらした。ビリー・ビーンは試合が始まるとトレーニング・ルームにこもり、試合を見ない。データだけで選手を判断する。かえってその方が冷徹な人事を断行できる、というビーンならでは発想。それくらいの大胆さ、斬新さが、「GM」という立場には求められている。そういう勉強や鍛錬を果たして鹿取新GMは積み上げて来たのだろうか? 「全国区」を売り物にしてきた巨人は、地元密着の流れの中で、ファンとの強い結びつきを失いかけている。実は成績以上に、ここに深刻な課題がある。鹿取GMが、グラウンド上にどんな魅力を配置できるか。相当な発想転換を持って取り組んでほしいと願っている。

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    佐藤琢磨、インディ500制覇で叶った「消えた天才ライダー」の夢

    小林信也(作家、スポーツライター) 先週は「佐藤琢磨インディ500初優勝」のニュースが伝えられ、日本が湧いた。その1週間前、二輪の分野では、ヤマハが世界グランプリ(GP)シリーズ通算500勝を達成、世界のモータースポーツファンから喝采を浴びた。 ヤマハ発動機の柳弘之社長は「『世界で通用するものでなければ商品ではない』という創業者の意志を若い会社全体で共有して世界に打って出た」と、ヤマハが世界GPシリーズに挑戦した当初の意気込みを代弁している。 ヤマハの世界GP初勝利は1963年のベルギーGPだ。ライダーは伊藤史朗。2005年3月、来日会見を行い、新しいヤマハのバイクにまたがるオートバイ世界選手権シリーズ、モトGPクラス総合王者のバレンティーノ・ロッシ(手前)(共同) 伊藤に始まった歴史が500勝まで到達したのは、私自身、感慨深いものがある。なぜなら、その後「消えた天才ライダー」と呼ばれ、突如姿を消して16年間も行方不明になっていた伊藤を追い、アメリカ・フロリダ州でインタビューに成功したのが、私だったからだ。 16年間の沈黙を破って日本人ジャーナリストである僕に会い、インタビューに応じてくれた伊藤は、少しずつ人間味あふれる心情を吐露してくれた。あるとき、言った。「オレは、ヤマハの川上源一社長のために命を賭けて走った。あの人の作るバイクを世界一にするためなら、命を捨てても惜しくないと思った。オレの気持ち、伝えて来てくれないか? そして、川上社長がオレを覚えてくれているか、確かめてくれ」 伊藤の言葉の端々から、昔気質(かたぎ)の心情と同時に、まだ草創期のオートバイで高速走行し、可能な限り高速でコーナーに飛び込み、駆け抜けるためには、高等技術と同時に「命知らず」な覚悟が不可欠だったことを切々と感じた。 「川上のオヤジのために」、そういう思いが必要だった。そして、「オレはそれをやり遂げた」、伊藤の背中がそう語っていた。 私は、伊藤の思いを受けてヤマハに取材を申し込んだ。何の縁もない、若いノンフィクション作家の求めに応じて、川上社長は浜松の本社で時間を取ってくれた。そして、少し離れたレストランで、当時、川上社長が力を入れていた「エピキュリアン料理」をごちそうしてくれた。 しかし、伊藤のことを尋ねたときの反応は意外なものだった。同行の社員に、「そういうライダー、いたかなあ?」と、聞いたのだ。おそらく川上社長にとっては、オートバイの技術開発・性能向上で頭がいっぱいで、ライダーにはそれほど関心を寄せていなかったのかもしれない。「あの人のために命をかけて走った」 再びアメリカに渡り、恐る恐る伊藤にその報告をしたとき、「馬鹿な、そんな馬鹿な! オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」 なんともやるせない表情で、オールドミルウォーキーという名の安いビールをあおった、伊藤の叫び、黙り込んでうなだれた姿が忘れられない。 ヤマハがオートバイを作り始めたのは、1955年(昭和30年)1月。同じ年の7月、主に楽器などを製造する日本楽器製造(現在のヤマハ)から独立して、ヤマハ発動機株式会社が発足。初代社長には当時、日本楽器製造4代目社長だった川上が就いた。 ヤマハ発動機の社史にはこうつづられている。ヤマハ発動機の創業者、川上源一氏『1953年11月7日、ヤマハ発動機の前身である日本楽器の幹部社員に対し、川上源一社長から極秘の方針が伝えられた。 「オートバイのエンジンを試作する。できれば5-6種類くらいのエンジンに取り組む必要がある。その中から製品を選び、1年後には本格的な生産に入りたい」 日本が復興への道を歩み始めた1950年代、無数の企業が二輪業界へと参入し、その数は一時204社までふくれ上がった。しかし、川上社長がモーターサイクルの製造を示唆した頃にはすでに淘汰(とうた)も始まっており、「そういう市場に最後発として参入して、果たして本当にやっていけるのか」という戸惑いの声も社内にないわけではなかった。 のちに川上社長は「今どきになってオートバイを? という意見もありましたが、自分もヨーロッパを回って、技術部長その他に勉強させた結果、これをやるのが一番よろしいという確信のもとにスタートした」と説明。さらに「木材資源の面から見ても楽器の無制限な増産は困難。楽器産業はいつまでも楽にできる商売ではない」と語り、将来の事業発展の足がかりとしてモーターサイクル製造に賭けたことを明らかにしている』 素人から見ると、楽器とオートバイのどこに共通点があるのか、すぐには理解できないが、ピアノのシリンダーを作る技術がオートバイ・エンジンのシリンダーに通じる、技術陣は、トロンボーンの共鳴原理を排気系の共振に応用させるなど、数々の応用が可能といったひらめきがあった。 ヤマハは、1955年7月、毎日新聞社の主催で行われた第3回富士登山レースに参戦。本田宗一郎率いるホンダもこの大会での優勝を狙って参戦していたが、ヤマハは見事、125ccクラスで優勝。同じ年の11月に開かれた第1回浅間高原レースでも125ccクラスで再び上位を独占した。そしてレース後、この大会の250ccクラスで初参戦初優勝を飾った16歳の伊藤少年とワークスライダー契約を結ぶ。「インディで勝てたかもしれない」 再び、ヤマハ発動機の社史から紹介する。『川上源一社長は、モーターサイクル事業への進出を決めたときからすでに「海外に雄飛する」という構想を描いていた。こうした信念を実現する方策として、1958年5月3、4日の両日、ロサンゼルス沖のサンタ・カタリナ島で開かれるカタリナグランプリに参戦することが決まる。ヤマハにとっては初の国際レースだった。 ヤマハは、250ccクラスに5台のマシンを送り込んだ。第2回浅間火山レースで活躍した「YD1改」に、不整地走行のためのモディファイ(編集部注:アレンジ)を加えたマシンだった。5台のうち1台には伊藤史朗選手が乗り、他の4台にはアメリカ人ライダーが乗った。 このレースでヤマハの最高位は6位に入賞した伊藤選手だったが、全32台中完走わずか11台という過酷なレースの中で、最後尾からの追い上げで6位まで順位を上げた伊藤選手の走りは現地で大きな注目を集めた。また、その後ロサンゼルス市内で行われたハーフマイルレースにも出場し、このレースで優勝を飾ると、はるばる日本から遠征してきたヤマハチームの活躍は現地のマスコミでも話題となり、ヤマハモーターサイクルのアメリカ市場進出に大きな弾みをつけたのだった。』 この話にはもうひとつの因縁がある。伊藤史朗さん=1984年、フロリダ(小林信也撮影) 取材で伊藤と一緒に過ごしているとき、「どうしてもノビーさんを連れて行きたい場所がある」と言って、フロリダからインディアナ州まで僕を乗せ、ロング・ドライブをした。その行き先こそが、佐藤琢磨が快挙を成し遂げたインディアナポリス・モーター・スピードウェイだった。 ちょうど1台のマシンが練習走行をしていた。日本でもモータースポーツ取材はしていたが、インディカーの爆音、オーバル・コースを撥(は)ねるようにして直線に向かってくるスピードと迫力には度肝を抜かれた。少しでも浮力を受けたら、そのまま空に舞い上がるのではないかと思った。 「四輪転向の誘いもあった」という伊藤がインディ500の舞台を見つめ、つぶやいた。「オレだって、レースを続けていれば、ここで勝てたかもしれない」 アメリカで20年近く暮らした伊藤にとって、最大のモータースポーツレース、最大の憧憬といえばインディ500だったのだろう。1950年代、60年代にオートバイレースを戦った高橋国光らはその後四輪に転向し、ルマン24時間などで活躍した。 高橋らが「自分たちとは別格、伊藤史朗は天才だった」と口をそろえる伊藤のインディ500への思いは決して戯(ざ)れ言とはいえない。その夢を、30年以上経って、同じ日本人の佐藤琢磨がついに果たした。日本の快挙は、一朝一夕ではなく、草創期からモータースポーツに尋常ではない情熱とそれこそ命を懸けた先人たちの生き様の先にあるものだ。

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    疑惑の判定で村田諒太をはめた「カネの亡者」WBAの大誤算

    小林信也(作家・スポーツライター) 20日の世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王座決定戦での村田諒太選手の敗戦後、判定への異論が噴出している。プロボクシングの世界には、過去にも不可解な判定で物議を醸した例が少なくない。だが、今回はちょっと事情が違う。不思議なことがいくつかあるのだ。 第一に、村田はどこで戦ったのか? という素朴な疑問だ。ホームタウン・デシジョンという言葉がある。試合の開催地側の選手に有利な判定が出る傾向が強いことから、この言葉が生まれた。 今回の騒ぎでしばしば前例に出される亀田興毅選手の世界タイトル初挑戦の試合はまさに、ホームタウン・デシジョンの一例。日本で開催された王座決定戦で、初回にダウンを奪われ、終始苦戦したと見えた亀田がランダエタを破り、王者と判定された。 ところが今回はホームタウンで戦った村田が、敵地かと思われる不可解な判定で王座獲得を取り逃がした。一体なぜ、日本が「敵地」になってしまったのか?ボクシングWBAミドル級王座決定戦で、アッサン・エンダム(左)に判定で敗れた村田諒太=5月20日、東京・有明コロシアム 会場は有明コロシアム、紛れもなく日本。だが結果的に見れば、「あのリングとリングサイドだけはパナマだった」と言うべきかもしれない。村田はアウェーの中で戦った。そのことに気がつかなかった。あるいは、甘く見ていた? すでに試合後の大騒ぎで多くの人が知っているが、ジャッジのひとり、グスタボ・パディージャ氏(パナマ)は日本人選手キラーだ。何しろ、過去9回、日本人選手の世界タイトルマッチのジャッジを担当し、一度も日本選手に勝ちをつけていない。先に挙げた亀田対ランダエタとの王座決定戦でもジャッジを担当し、他のふたりのジャッジと違い、亀田を負けとしている。 日本人キラーと言えば、野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で西岡剛のタッチアップをアウトと判定したデービッドソン審判が有名だ。まさに、グラウンドに敵がもうひとりいた、という象徴的な出来事だった。パディージャ氏は、その上を行く日本キラーであることは過去の実績が物語っている。 だが、彼に作為があったかどうかはもちろん断定できない。なにしろ、亀田戦では敢然とランダエタの勝利と評価しているのだから、一貫して筋が通っていると見るべきかもしれない。 WBAの本部があるパナマから来たパディージャ氏が、WBAの意向を忖度(そんたく)して強引な判定をしたと見る向きも強いが、過去の実績を冷静に見れば、パディージャ氏はあまり忖度(そんたく)するタイプではない。ただし、パディージャ氏が敢然と日本人選手に負けをつけるジャッジだという実績をWBAは当然知っているはずだから、「そこを見込んで連れてきた」と見るべきかもしれない。 彼がジャッジに指名された時点で、エンダム対村田戦のリングは日本でなく、パナマだった? 恥ずかしながら、私も含めて、それを試合前に指摘できたメディアは知る限り、いなかった。「亀田に甘く、村田に厳しかった」ワケ 帝拳ジムの関係者はパディージャ氏の実績を当然知っていただろうが、「判定になったら、どんなに優勢でも負けをひとつ覚悟する必要がある」とまでは認識できていなかった。その危機感を持っていたなら、初回あれほど手を出さず見ることはなかったろうし、終盤優勢を確信したにしても、もっと明らかにポイントを狙いに行っただろう。試合後の記者会見で視線を落とす村田諒太=5月20日、有明コロシアム 村田サイドは、パディージャ氏の存在の大きさを軽視し、自分たちの採点シートを基準に試合を進めてしまった。 「WBAは亀田兄弟には甘く、村田に厳しかった」との声もある。亀田兄弟は、WBAにとってはビジネス的にも大切な看板選手だった。 亀田興毅が13回、亀田大毅が7回、兄弟で計20回のWBA世界タイトルマッチを戦った。これだけのビジネスパートナーはWBAにとっては得がたい存在だったろう。 亀田大毅の世界戦実現のため、亀田側とWBAの間でランキング順位の認定に関して協調する動きがあったとの報道が出たこともある。 亀田興毅、大毅とも、すでに引退している。今後のためにも、新星・村田はWBAにとっても重要な存在だったのではないか。それなのになぜ、地元・日本がアウェー状態になっていたのか? 理由のひとつは、村田が所属する帝拳ジムの本田明彦会長の存在だという。本田会長は、全盛時のマイク・タイソン(世界ヘビー級王者)の来日を二度実現させるなど、世界的にも実績と評価の高いプロモーターである。ファイティング原田氏、ジョー小泉氏とともに、世界ボクシング殿堂に入っている。 WBAは、資金的な苦しさもあり、お金を優先順位の上に設定した運営をせざるを得ないと批判されている。スーパークラスを新設して世界チャンピオンを増産した。そのことで世界王座の価値やプロボクシングの評価が下がることを危惧する声も大きいが、WBAは構わず拡大路線を走ってきた。 本田会長は、これを公然と批判し、プロといえども優先すべき重要なことがあるとの姿勢を貫いて、WBAのタイトル戦はここ数年ほとんど行ってこなかった。すなわち、WBAにとっては煙たい存在なのだ。今回も、WBAが今後一階級一王者の路線に戻す方針を決めたから村田の挑戦を承知した、と本田会長はコメントしている。 私も含め、少年時代にボクシング黄金時代をテレビで見ている世代にとってWBAは世界最高の団体だという、思い込みがあるように感じる。ファイティング原田、海老原博幸、藤猛、沼田義明、小林弘、西条正三、大場政夫…。世界ボクシング評議会(WBC)の併記もあったが、彼らのタイトルには必ずWBAの冠があった。輪島功一も具志堅用高もそうだった。 その後、WBCのほかに国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)が誕生し、いまは4団体がしのぎを削る形だ。 いまも権威があるのは伝統あるWBAだろうとのノスタルジーがあるかもしれないが、実際は違う。いま世界の趨勢(すうせい)は、IBF、WBOにあり、WBAは最も後塵(こうじん)を拝しているというのが近年のボクシング界の共通認識だ。日本のファン全体を敵に回したWBAの焦りWBAのヒルベルト・ヘスス・メンドサ会長 試合後、WBAのヒルベルト・メスス・メンドサ会長自らが判定に異議を唱え、再戦を指示する異例の事態になっている。これは、本田会長への苦い思いがあって設定したパナマ・シフト(WBAの意向)が思いがけない形で奏功し、本田会長への一撃のつもりが、日本のボクシングファン全体を敵に回す事態を生んだことへの大きな焦りの表れではないだろうか。 4団体の中でも、日本マーケットの依存度が最も高く、生命線のひとつとなっているWBAにとって、日本のファンの支持と信頼を失えば存亡の危機にもつながりかねない。 そう考えると、パディージャ氏はいわば確信犯だから、会長の怒りはもうひとりのジャッジ、カナダのヒューバート・アール氏に向いているのではないか。報道によれば、アール氏はあまり実績がないジャッジだという。実績が少ないアール氏を、日本で異様なほど期待が高まっていた「五輪金メダリストの世界挑戦」という大舞台に起用する感覚と意向にこそ、WBAの体質がうかがえる。アール氏は、あまりに完璧にパナマの意向を忖度(そんたく)し、パナマ寄りのホームタウン・デシジョンを実践しすぎた。 手数を重視する判定基準に非難が噴出しているが、かつて採点基準が問題にされたとき、当のパディージャ氏がWBAに見解を送り、「プロである以上、手数より有効打(効いたかどうか)を重視すべきだ」と提言したとの報道もある。まったく同感だが、いかにも皮肉な提言だ。 今後はWBAも、かつて採用を見送り、WBCが採用している公開採点制度(毎回、あるいは4回ごとにジャッジを公表する方式)を実施するなど、明らかな改善が求められるだろう。 最後になるが、エンダムとの試合で村田の強さが際立ち、世界的な評価と注目が高まったのは間違いない。すでにWBO、IBFからも声がかかっているという報道が事実なら、何よりの証明だ。 序盤も終盤も、あまりに手を出さなかったのは反省点だが、リング中央で足をほとんど動かさず、手も出さず、エンダムを危険な距離に立ち入らせなかった。その圧力、パンチを出さずに相手を威圧し、圧倒できるボクサーは過去にどれだけいただろうか。世界王者初挑戦でタイトルは奪えなかったが、村田が証明したものはそれ以上に大きいと言ってもいいだろう。

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    26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

    小林信也(作家・スポーツライター)  プロ野球が開幕から約40試合を終え、セ・リーグは阪神、広島が好調。巨人はほぼ勝率5割で3位にとどまっている。 オフに「26億円補強」とも形容された巨費を投じ、FAで過去最高の3人を獲得した。日本ハムから陽岱鋼、横浜DeNAから山口俊投手、ソフトバンクから森福允彦投手。さらには新外国人選手として、昨季もメジャーで57試合に登板した「160キロ右腕」カミネロ投手、2013年の楽天日本一に貢献したマギー選手らが入団。 「今年は巨人の戦力が圧倒的だ」と感じた人は、巨人ファンならずとも多かっただろう。蓋を開けてみると、「26億円補強」の3選手はいずれもファーム。カミネロ、マギーはまずまず期待どおりの活躍だが、日本選手の大量補強はいまのところ空振りに終わっている。そのような状況から、「巨人のフロント、スカウトは無能ではないか」との厳しい批判が改めてメディアやファンから上がっている。 広島は、鈴木誠也、菊池涼介、田中広輔、丸佳浩ら生え抜き選手を先発メンバーにずらりと並べ、昨年の勢いをさらに増して強くなっている。阪神は、ドラフトで獲得した20代前半の若手、髙山俊、中谷将大、北條史也らとFA組のベテランらがうまくかみ合って好調だ。こうした明暗を見ると、たしかにフロントやスカウトの資質、チーム編成の巧拙が際立ってみえる。イースタン・リーグ巨人対ヤクルト。移籍後、初実戦に臨んだ巨人・陽岱鋼=3月18日 FA3選手のうち、陽、山口については獲得当時から疑問の声があった。それぞれ故障を抱え、実績どおりの活躍を期待できるのか、不安定な状況だったからだ。加えて、ふたりの髪形やファッション、日頃の振る舞いが果たして巨人の空気に合うのか? 紳士たれという「縛り」の中でのびのび活躍できるのか心配もあった。いまのところ、心配の方が現実になっている形だ。 名前と実績のある選手が欲しい、欲しいから獲得する。その甘さ、冷静な判断をせずに期待ばかりで獲得に走る姿勢は厳しく改める必要があるだろう。「調査不足」というより、調査でケガはわかっていたはずなのに「やれる」と踏んだ判断力の甘さを見つめるべきだろう。 私はこれらの背景に「フロントとスカウトの無能」以上に深刻な「巨人の体質」があるように感じる。 かつて、長嶋監督(当時)に熱心に誘われ、FAで巨人に入団した大物選手にインタビューした際、「長嶋監督は全部の試合に勝とうとする。それは無理」と語ってくれたことがある。彼によれば、巨人以外の5チームは、勝ち試合、負け試合をある程度想定して試合に臨む。自分のチームと相手チームの先発投手の力量や調子から、その日の分の良し悪しは判断できる。巨人は戦力が5倍必要なワケ 最初から負けるつもりで臨むのではないが、前半で試合の趨勢(すうせい)が見え、極端な劣勢であれば無理をしないのが、長いシーズンを戦うために得策だ。ところが、長嶋監督は、どんな試合も勝ちに行く。 たとえ序盤に大量失点をしても逆転を目指す。それが巨人ファンへの責務だ。巨人の監督・選手の使命だと。そのことで選手に負担を与え、夏場やシーズン後半に影響を与える可能性がある。それでも毎試合勝ちに行く。いわゆる「捨て試合」を作れない辛さが巨人にはある。 もう十年以上前の話だが、ある地方球団の主力選手が、こう話してくれたこともある。 「自分たちは楽なんですよ。プロに入ってわかりましたが、巨人戦以外はそれほど注目されませんから、他の4チームとの試合ではある程度、楽ができるんです。ところが巨人戦となるとそうはいかない。どの場面でも息が抜けません。巨人の選手は毎日その状態ですから、大変だと思います」 他の試合にない緊張感が巨人戦にはあるという。 今年、巨人から日本ハムに移籍した大田泰示選手が、サヨナラタイムリーを打ったり、早くも自己最多タイの4号ホームランを打つなど、のびのびと躍動している。大田は巨人の頃にあった緊張から解き放たれて「水を得た」好例かもしれない。これを見れば、巨人に入った選手が活躍できないのは、スカウトの眼力のせいとばかりとはいえない。 「ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です。他のチームは5カードに一度だけジャイアンツ戦があります。ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です」ベンチで厳しい表情の長嶋茂雄監督=1997年8月2日  長嶋監督が話してくれた。だから、戦力が5倍必要なのです、というニュアンスだった。5倍は極端にしても、毎日、巨人戦という看板を背負って戦う実感が伝わってきた。 これが巨人の宿命であり、他チームとは違う重圧だ。 「毎年、優勝しなければならない」「毎試合勝たなければならない」という使命感を巨人のフロント、現場、選手の全員が持っている。現実的には無理なのに、その呪縛から逃れられない。 「無能」という以上に、その呪縛、その矛盾をどう乗り越えるか、球団としての戦略や方向性を明確にし、共有することが課題だろう。いまの巨人は、「毎試合勝つのは無理、だけど勝つことを目指さねばならない」という精神論で覆われ、身動きが取れなくなっているドラフト戦略が消極的になった 近年、巨人のドラフト戦略が消極的になった。そのせいで他チームに優秀な人材が流れている、という指摘がある。 確かに、競合を避け、一本釣りで無難に獲得する傾向が強い。昨年こそ田中正義投手(創価大、現ソフトバンク)を指名したが、その前年は桜井俊貴投手(立命館大)、その前年も岡本和真選手(智辯学園)、といったように競合を避けた形で獲得している。 巨人がここ数年、ドラフト会議という仕組みに負けている、という指摘は正しいかもしれない。 ドラフト以前は、巨人というブランド力を生かし、実績ある選手を次々に獲得した。森祇晶という正捕手がいるのに、森を刺激し続けるため、大橋勲、宮寺勝利、槌田誠、吉田孝司といったアマチュアで実績のある捕手を次々に入団させた逸話は、V9伝説のひとつになっている。 ドラフト制度ができて、そのような新人獲得はできなくなった。その幻想をいまの巨人はFA選手の獲得競争に求めているのかもしれない。FAでは巨人ブランドが生きるからだ。 他球団はどうだろう? ドラフト以降も、ドラフトの制約の中で可能なかぎりの工夫と挑戦を続けている球団はある。名スカウトの逸話もたくさんある。 昨オフ引退した黒田博樹投手が広島への思いを貫いた一因には、無名時代から目をかけ、しばしば大学(専修大)のグラウンドに足を運んでくれた広島・苑田聡彦スカウトの存在があったという。苑田が黒田に注目したのは、まだ公式戦登板経験もなかった大学2年のときだという。 メジャー入りの意志が固かった大谷翔平選手を、「獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りに行くのが、ファイターズのスカウティングだ」という山田正雄GMの方針に基づいて強行指名した上、翻意させた大渕隆スカウトディレクター(現部長)による26ページに及ぶ資料もプロ野球史に残る伝説といっていいだろう。 巨人には、ドラフト後の伝説がないのか? といえばそうではない。燦燦会総会であいさつする渡辺恒雄読売新聞社主筆=3月27日 王・長嶋のON引退後、人気低下が心配された巨人を救ったのは、複数競合をいとわず強行指名し、見事にクジを引き当てて獲得した原辰徳選手であり、松井秀喜選手だった。最近でも、原監督(当時)の甥、菅野智之投手を二年越しに獲得。巨人愛を貫く長野の獲得も二年越しだった。 ドラフトでは外れ1位だった坂本勇人選手を2年目、坂本がまだ19歳のころに大抜擢(ばってき)。夏場には低迷する時期もあったが使い続けたのは当時の巨人としては異例だった。だが、いま巨人の中軸を担っているのは、菅野であり、長野であり、坂本であることは言うまでもない。実は巨人はいまも、大胆かつ独自のドラフト戦略と育成によって、チームをつくっているのだ。 巨人はもう一度こうした成功例、巨人のブランド力をドラフトでも活かせる大胆な姿勢を分析・把握し、FAに頼らないチームづくりを球団全体、そしてファンと共有すべきだろう。

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    「くさい」差別発言疑惑とボールボーイ暴行にみたJリーグの病巣

    小林信也(作家・スポーツライター) Jリーグで、選手の言動・行動をめぐって選手が処分を受ける事例が続いている。 4月29日のJ2、ジェフユナイテッド千葉対徳島ヴォルティス戦の前半、徳島ヴォルティスのDF馬渡和彰選手がボールボーイに乱暴したとして一発退場となり、後にJリーグから2試合の出場停止処分を科された。 そして5月4日のJ1、浦和レッズ対鹿島アントラーズ戦では、試合中に浦和レッズのDF森脇良太選手が侮蔑的な発言をしたことに対して、Jリーグは緊急規律委員会を開き、森脇選手と、試合中に激しく口論した鹿島アントラーズMFで主将の小笠原満男選手からそれぞれ事情を聴いた上で、森脇選手に2試合の出場停止処分を科した。相次いで起こった二つの出来事を単純に批判するのでなく、自分自身の問題として考察したい。 4日の件は、スポーツ新聞などの報道を総合すると、森脇選手が試合中、鹿島アントラーズのMFレオシルバ選手に対して、口と鼻をふさぐしぐさをしながら「『くせえな、お前』と言った」と、試合後に小笠原選手が語った。ブラジル出身選手に対する差別的な言動があったと明言したのだ。この発言に対して森脇選手は、自分の顔に小笠原選手のツバが飛んできたので、「『口がくさいんだよ』と言った」と反論。レオシルバ選手に向けた言葉ではないと釈明したという。サッカーJ1浦和対鹿島。後半、鹿島の選手にむかって暴言を吐く浦和の森脇良太(右から2人目)=埼玉スタジアム2002(撮影・佐藤雄彦) さらに、この問題を報じた一部スポーツ新聞が、差別は絶対に許されない、とした上で、「ピッチは戦いの場で、言葉のやりとりや駆け引きもサッカーの一部。言った言わないのたぐいは、試合中にその場で消化すべきだろう」「試合後の取材エリアで処分を誘うような事象が出て、“言葉狩り”のような動きが加速しないかも気になる」と報じるなど、新たな議論も生んでいる。 この問題の根底には、「試合中は勝負をかけた駆け引きもあり、何を言っても許される」といった前提がある。 時代は変わり、パワハラ、セクハラなど、「ひとりひとりの心を傷つける言動や行動は許されない」という認識が社会で共有されるようになった。スポーツもその例外ではないはずだが、「勝てば官軍」「勝つためなら、多少の横暴は許される」といった感覚がまだ根強く残っている。 サッカーに限らず、野球でも「乱闘が起こると盛り上がる。それもエンターテインメントの大事な要素だ」という人は少なくない。本当にそうだろうか? 乱闘をどこかで容認する意識がありながら、差別的な発言を厳しく戒めるのは矛盾する。いま社会は、徹底して、新たな価値観と姿勢を持ち直すべき時代に直面している。ネットの世論が無視できなくなった 差別的な発言をしたことが問題なのでなく、普段から、差別的な意識や発想を持っている自分に気づき、自分の潜在意識と向き合い、学び改めることこそが最初にされるべきことだ。スポーツ界全体が、日頃からそれを重要なテーマとして取り組む必要がある。国際親善とはまさに、自分とは違う文化や習慣、肉体や心情を持つ海外の人たちを知り、受け入れることを意味している。スポーツは、身体と身体をぶつけ合い、勝負という高いテンションで交流できるからとくにそれが深くできる。だからこそ価値がある、として社会に歓迎され、奨励されているのだと思う。それなのに、勝負に勝つため、相手を誹謗(ひぼう)中傷し、心を傷つけてでも優位に立とうとする発想は狭すぎる。それは言葉の自由ではなく、本来の姿勢でないことを選手、指導者、ファン、そして報道する人間も共有することが大事だ。 この問題は、先に記したとおり、一部メディアがこうした発言を試合後に問題視する傾向自体に疑問を呈したことで、何か起こった場合の騒がれ方、対応についての議論も起こっている。黒いスーツで謝罪会見を開いた浦和のDF・森脇良太 =5月9日、さいたま市  ネットの普及によって、数年前ならもみ消された問題が、メディア以外の一般の人々の書き込みや問題提起によって公になる事例が増えている。ネットの世論が、無視できない力を持ち、今回の場合でいえば、Jリーグという組織が処分を決める際にもそれに配慮する必要が生じているように感じられる。 森脇選手の処分が重いか、軽いか、といった議論もすぐ起こっているが、この軽重を判断する場合にも、論理的な妥当性より、世論の「気分」という側面がある。多くの人が、「感情的に納得するかどうか」が重要になっている。 その意味で、ネットの世論が、感情的に偏った方向に導かれ、本質とは違う根拠で形成される傾向はあるように感じる。 徳島ヴォルティスの馬渡選手がボールボーイを小突いた件では、とくにそのことを痛感した。本質が棚上げされ、議論が的から外れているもどかしさを感じるからだ。 世論と世論に配慮したチームやJリーグは、「ボールボーイは中立」「中学生のボランティア」「試合は選手だけでなく、ボランティアのおかげで成り立っている」といった綺麗な表現で謝罪し、対応している。結果的に非難の矛先をもっぱら馬渡選手に向けているが、熱心なサッカー・サポーターなら、「語られていない現実」、あうんの呼吸をわかっていて、実は問題の本質が他にあることはわかっているのではないだろうか。何となく、そのことを言い出せない雰囲気がメディアにもネット世論にもあるとすれば、そこは明らかにしたほうが今後のためだろう。ゴールボール騒動の違和感 状況を改めて詳述しよう。ホームチームであるジェフ千葉のゴールキーパーが、徳島の攻撃をクリアするためサイドラインまで飛び出してきてセーブした。ゴールががら空きなのだから、攻める徳島ヴォルティスの馬渡選手がすぐスローインしてプレーを始めたいと考えるのは当然だ。しかし、すぐボールボーイが渡したら、スローインのボールを受けたヴォルティスの選手がゴールに向かって蹴るだけで得点が成立する可能性がある。実際、ボールボーイから素早いパスを受けたホームの選手が一蹴りでゴールを決めたシーンがネット上で見られる。 サッカーでは、ホームチームのサポーターや関係者が、ホームチームの勝利のために最善を尽くすのは当然との認識がある。その点で日本的な考え方と少し違うと感じる場合がある。今回の出来事は、サッカーという風土の中で起こったことでありながら、日本的な価値観や常識をベースに語られることで、核心がずれていると感じる。 ボールボーイがそう指導されていたとは言わないが、サッカーを知っていればいるほど、アウェイチームの選手に素早くボールを渡すことをためらうのは当然というのが、サッカー界の“あうんの呼吸”だろう。もし素早くボールを渡し、アウェイチームの得点に貢献したらそれこそ非難を浴びるだろう。ボールボーイへの非紳士的行為で退場した徳島DFの馬渡選手 馬渡選手は、そんなことは当然わかっているはずなのに、あそこまで強引にボールを奪い取ろうとした、そのことが「プロとしていかがなものか」と非難されているという背景をこのニュースを聞いたサッカーにあまり詳しくない人がどれだけ理解しているだろう。 試合のスピードアップなどを求め、国際的にマルチボール・システムが採用されたのは、Jリーグ誕生以降だ。そのため、ボールボーイが「フィールドの外にいる12人目の選手」のような役割を果たす場面が生まれた。 試合前、幼い子どもが選手と一緒に手をつないで入場する光景は、微笑ましいサッカーの風景として歓迎されている。中高生のボールボーイもその一環として理解し、支持されているかもしれない。だが、実は試合を大きく左右する重要な役割を担う場面がありえるのだ。 そのような矢面に中学生を立たせることが是か非かを本当は問い直すことも、今回の出来事が教えてくれた重要な問題提起ではなかったか。Jリーグが選手を処分することで問題が終わったと考えるのは、本質と違うように感じる。 ネットの世論形成がますます加熱するだろう傾向の中で、メディアやプロフェッショナルな人間の役割のひとつは、こうした視点や本質の提示をきちんとして、世論が多角的に議論する素材を提供することだと思う。

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    大谷翔平にこれ以上期待してはいけない

    今シーズンのプロ野球が開幕した。侍ジャパンが躍動したWBCの記憶も新しいが、この大会に出場しなかった「二刀流」大谷翔平はどんな想いで見守っていたのだろうか。日本球界のみならず、メジャーからも注目される逸材はどんな飛躍をみせるのか。膨らむ期待を抑えながら、大谷翔平の凄さを大解剖する!

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    170キロは「理論上可能」でも、大谷翔平が目指すべきではない理由

    を放つ。投打ともに類まれなスタープレーヤーである大谷翔平は、私たちに新たな期待感をもたらす。しかし、スポーツの動作を研究している筆者にとっては、一番厄介な存在でもある。なぜなら、私たちが彼の凄さを理論的に説明しようとしても、彼は我々の想定範囲をすべて超えてしまう「外れ値」の選手であり、いつも新たな枠組みで見ることが必要になるからである。つまり、私たちにしてみれば、大谷翔平は分析するのがとても困難な選手ということになってしまう。 筆者はこれまでメディアからの要請もあって、プロ入りから毎年、大谷の分析を行う機会に恵まれてきた。本稿では今までの動作分析からみる「大谷翔平の凄さと可能性」について論じてみたいと思う。「二刀流」を駆使して投打で活躍する大谷翔平 まず、大谷がアスリートして優れているところと言えば、あの大柄な体格(193センチ)にもかかわらず、動きの一切にギクシャクしたところがない点である。身体を巧みに操る能力である巧緻(こうち)性としなやかな身体操作を順序良く効率的に出力できる調整力に優れているところは感心させられる。ケガをしてしまったが、昨年の台湾との親善試合でみせた脚の速さからして、どのスポーツ競技においても「超一流」になることができる素質を持っているのではないだろうか。 大谷がそうしたしなやかな身体操作をできる要因として「柔軟性」の高さが挙げられる。特に大谷を投手として見た場合、肩周りの「柔軟性」は特筆すべきものがある。ここで注意したいのは「柔軟性」という言葉である。「柔軟性」は筋や腱などが柔らかく、引き伸ばされる能力として解釈されるが、これは「柔軟性」の意味の半分しか示していない。 もう一つの意味として、多くの筋肉が動員されて一緒に動く能力があるかどうかも「柔軟性」を理解するポイントである。基本的に骨は連結して関節を形成している。しかし、肩甲骨は上腕骨とはつながっているものの、背中のさまざまな筋肉が密集しているところに乗っているだけの特殊な骨である。 この肩甲骨を動かそうとすると多くの筋肉を連動させる必要があり、肩甲骨周りの筋肉のいずれかがうまく動かなくなると、その筋肉が動きを阻害し、肩甲骨はしなやかな動きを失うために柔軟に見えなくなる。つまり、肩甲骨の「柔軟性」は、いかに多くの筋肉を動員し、連動しながら動かすことができるかにあると言える。大谷は170キロ出せるのか 大谷の凄さはこの肩甲骨周りの筋肉が実によく動いていることにある。「図1」は大谷が160キロを投球した時の「肩関節外旋角度」の最大値を示したものである。肩関節外旋角度とはいわゆる投球のしなりを示すものであり、股関節と肩関節を結ぶ線と前腕の線がなす角度によって示される。 投球時のしなりが大きいと、なぜ球が速くなるかというと、しなりが大きくなればボールを加速するための距離を大きくすることできるからである。肩関節外旋角度の最大値について調べると、2013年では150キロの投球で112度前後であったのに対し、2014年に160キロを投げた時には、おおよそではあるが角度が132度にも達していた。この比類なき大谷投手の値は肩周りの「柔軟性」が160キロを生み出す原動力になっていると言えよう。 いま多くの人々の関心と言えば、大谷が今後「夢の170キロ」を出すことができるのかにあると思う。 筆者の答えは「可能」でも「?(クエスチョン)」である。「可能」な理由として、169キロを記録した米メジャーの最速左腕、A・チャップマンと大谷を比較しても、先述した最大外旋角度が極めて近いからである。けれども、大谷が165キロの投球が打者に当てられたように、速いからといって、打者がかすりもしないのかと言えばそうではない。「速い球を投げる」=「打者をアウトに取る、勝てる」投手にならないところが野球の難しさである。 その理由を示すと、投手が速い球を投げようとすると腕をしならせるため体幹を腕より先行させて胸を張る。そのため、早く体を回旋させる必要があり、打者とは早く正対することになる。さらに、大柄な投手であればあるほど腕が人より遠くを回るため、リリースを投球方向に向けるには右投手であれば体幹自体を一塁側に早めに倒す必要がある。 メジャーリーグの大柄な右投手が投球後一塁方向へ倒れるのをよく見かけるが、それは体幹を倒さないと腕が捕手方向に振れないためである。そのため、大柄な投手が速い球を投げようとするときの問題点として、ボールが早く打者に見えてしまうことがある。 早くボールが見えるということは、打者は投球の軌道予測がしやすくなり、たとえ速いボールが来たとしてもバットに当たる確率が上がってくる。そうであるならば、多少ボールの速度を遅くしても打者に投球の軌道を悟られないようにする。いわゆる球の出どころの見にくい投手の方が「勝てる」投手になることができる。 大谷が170キロを投げることは「可能」であるが「?」としたのは、それを目指すべきかどうかという点では疑問だからである。チャップマンがそうであるように、大谷がクローザーとして「1イニング」だけ投げるのであれば、圧倒するような剛速球で並み居る打者を抑えることもできるだろう。クロ―ザーとしてであれば、より速い球を追求していく方が良いと思うが、先発完投型で毎試合ごと100球前後を投げるのであれば、打者をより効率的に打ち取るような投げ方をした方が良いと、筆者は断言する。打者としても優れた大谷 その考えもあったのだろう、2016年のシーズンではステップ幅を短くし、シーズン途中から投げる位置を高くして、オーバースローに近いスタイルで投げるようになった。それは150キロ中盤くらいのストレートとフォークボールが主体のピッチングである。実際に打席に立っていないので分からないが、このフォームの方が幾分、打者にボールが見えるのが遅れるはずである。比較的動作の効率も良く、身体に負担が少ない投げ方になっている。 シーズン終盤、指の皮がむけるアクシデントもあって、シーズンすべてにおいて活躍できたわけではないが、150キロ中盤のストレートをコンスタントに無理なく投げられるのは日本人投手ではめったにお目にかかれない。大谷にとっては、前述したようなスタイルで投げ続けていれば、もっと「勝てる投手」にはなれる。もちろん、「夢の170キロ」は筆者も期待しているが、「勝てる投手」とのジレンマはこれからも続くだろう。 一方、打者としての大谷の入団当初から優れている点といえば、高卒選手ではなかなかできない「インサイド・アウトの体に巻き付くようなスイング」がすでに身に着いていたところである。 なぜ、インサイド・アウトのスイングが優れているかというと、基本的にスイング・スピードを大きくするためには、バット・ヘッドを加速させる距離を長くする必要がある。しかし、投球の判断など時間に制約のあるバッティングでは大きな弧を描くような距離の長いスイングは不利であり、なるべく短時間で加速させる必要がある。 この加速とスイング時間の矛盾を克服できるのがグリップを先行させて後からヘッドが加速させるようにするインサイド・アウトのスイングである。このスイングによって、短時間で効率よくヘッドの加速距離を取ることができ、スイングスピードを大きくすることが可能となる。 このインサイド・アウトのスイングを実現させるために打者の動作として必要なのが、投手から見て後ろにある腕の「肘のたたみ」、左打者の大谷で言えば,左肘先をスイング開始時にへそにつけるようにする動作である。しかし、この動作が難しいのは肘をへそにつけるような動作をすればするほど、同時に肩が落ちてしまうことである。 肩が落ちるとバット・ヘッドも一緒に落ちてしまう。この一旦落ちてしまってからバット・ヘッドを加速させるのは重力に逆らうことになり、より大きなパワーが必要となる。この結果、スイング速度の低下を招いてしまう。そこで肩を落とさず、肘をたたむには肩甲骨周りの筋群のしなやかな動きが必要で、投手に必要な肩周りの柔軟性が打者、大谷にも活かされていると言えよう。 さらに、彼の年を追うごとの変化についてみてみると、「図2」は2013年と2016年のバックスイングからトップにかけての動きを示したものである。そこから、大谷の「変化」を挙げるとするならば、16年では13年に比べて、トップ時においてバットを後方(捕手側)に約20センチ大きく引くことができている(大きいバックスイング)。つまり、16年の方がより大きく肩から腰にかけての「ねじり」を作ることができている点にある。 大きなバックスイングを取ることにより、身体の回転半径が大きくなり、フォワードスイング時の身体の回転力が大きくなる。バックスイングを大きく取ることで、身体から遠いボール(アウトコース)においてもスイングスピードを落とすことなくバットが振れており、その結果左方向へのホームラン増大につながっている。「二刀流」はいずれ選択を迫られる また、肩や腰のねじりは下半身の力を上半身に伝える役目と体幹自体の大きな力を生み出す役割がある。このねじる力がスイングスピードに貢献することが分かっている。こうしたねじりを活かしたスイングの変化は下半身や体幹の筋力増加、体重の増加が影響している。 イチローのような細身の選手は体重が少ない分、下半身の回旋と上半身の回旋をほぼ同時に行い、一気に全身の力を伝える方法を取っているのに対し、約100キロの体重がある大谷は、下半身が安定しているため体幹のねじりから回旋を中心としたスイングができ、打つための大きなエネルギーを生み出すことができる。オリックス戦で、6回に右適時打を放つ日本ハム・大谷翔平=2016年9月、京セラドーム大阪 筆者が現在、大谷の打撃で似ていると感じているのが90年代にメジャーで5ツールプレーヤーとして活躍した「ケン・グリフィーJr.」である。実は彼の打撃練習を一度見たことがあるが、力感のないフォームなのにいとも簡単にホームランを飛ばし、さらに右、中、左と打ち分けることができる打撃を見て、唖然(あぜん)とした覚えがある。大谷との共通点は後ろの肘のたたみ方であり、あの柔らかく、しかも素早くたためる打撃フォームは非常にしなやかで美しく見える。 ケン・グリフィーJr.と比較して、打者大谷に課題があるとすれば、インコースを打つときに体が若干一塁側へ流れる点である。このため、引っ張るべき球種やコースにおいて「パワーロス」がみられる。これは前の腕(右腕)のたたみ方が不十分なために、体を一塁側へ倒すことでボールとの距離を取ろうとしていることが原因であろう。大柄で手足の長い打者では誰もが苦しむ点であるが、大谷であれば時間が解決してくれるであろう。 最後に今後の大谷に関して、日本、アメリカどちらで活躍するにしろ「二刀流」はどちらかの決断が迫られるであろう。その中で筆者なりに二刀流を継続する方法を探ると、クライマックス・シリーズで見られたようなDHの打者としてコンスタントに出場し、最後の1イニングの場面でDHを外して、クローザーとして投げることができれば、今後も継続可能なのではないだろうか。 もちろん、毎試合投げるとはいかないだろうが、登板間隔をある程度空けることができれば、長く活躍することができるのではないだろうか。1イニングの全力投球だから、コンディションが整えば、夢の170キロも期待できるし、打者としても度肝を抜く打球を放つ大谷を多く見ることができるのも魅力となるであろう。 いずれにしろ、今まで見たことがないプレーが期待できる選手である。今後も野球界をけん引する存在として期待しているが、彼がどう考えて「選択」するのか静かに見守っていきたいし、その選択を是非とも応援していきたい。

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    大谷翔平「メジャーでも二刀流」が可能なのにはワケがある

    古内義明(スポーツジャーナリスト) 「二刀流」大谷翔平への期待は、メジャーリーグの野球関係者でも高いものがあります。投打両方にわたり高いポテンシャルを持つ彼を「ベーブ・ルース」という、メジャー100年以上の歴史の中で「神格化」されている選手になぞらえるメディアも非常に多いです。2016年12月、7000万円アップの推定年俸2億7000万円でサインした大谷翔平(撮影・高橋茂夫) 日本のメディアでも2014年、彼が2年目のシーズンに「10勝10本塁打」を達成したことでルース以来の偉業だと報じましたが、何も日本だけの評価に留まらないわけです。米国メディアが「野球の神様」の名前を出すということはそれだけ魅力的な選手であり、大谷本人の価値を見事に表していると言えます。 米国ではディオン・サンダースやボー・ジャクソンがメジャーリーグとNFLという最高峰で大活躍したように、夏と冬のスポーツの二刀流アスリートでさえ稀(まれ)であり、一つの競技の中で投手と野手を両立させるなんて、米国人でさえそんな発想をする人はいません。そんな選手が日本にいるということが何より驚きで、過去にルースが成し遂げたことをやろうとしている日本人に「ルース」という言葉で形容したことに意義があるんです。 よく大谷が大成するには投手に絞った方がいいとか、打者での可能性が見てみたいなどと、二刀流を一本に絞るべきかどうかという議論になりますよね。確かに投手一本、野手一本で考えれば、それぞれに長所、短所があるでしょうし、アラを探せば出てくるかもしれません。 でも、メジャーリーグでは大谷はそのような見方以前に、投打双方ともメジャーリーグの中でもトップ級の実力という評価を与えられているわけです。投打双方ともに高いレベルで通用する選手というのは、メジャーリーグでも有り得ないと思われていたわけですから。たとえメジャーリーグのドラフト1位指名選手でもあくまで投手、野手のいずれかでの評価です。投打どちらがいいのかを議論できる選手は、世界にいま大谷一人しかいませんから、どちらかを選ぶにしても贅沢な悩みですね。 大谷は花巻東高時代に160キロの速球を投げ、高校通算56本塁打をマークしていましたから、最高の素材であることはプロのスカウトなら誰が見ても分かっていたことです。私が考える大谷の凄いところは、なによりメジャー3球団のスカウトが来日して花巻まで行ったことが、日本の高校野球がメジャーリーグの視野に入ったという意味で大きなターニングポイントになったと思います。野球のマーケットとして捉えてみると、メジャーリーグ30球団と日本のプロ野球12球団の計42チームに入れる可能性がある選手がいたこと自体、日本人の多くが驚きと嬉しさを感じたのではないでしょうか。 たとえ、メジャーに憧れても普通の能力の高校生ではスカウトが見に来ることは当然ありません。いまメジャーで活躍するプレーヤーでも、それまでならNPB(日本野球機構)のチームに入ってFA(フリーエージェント)やポスティングシステムを利用して移籍してきましたが、その常識を打ち破って先鞭をつけた唯一の選手なんです。もし日本ハムの入団を拒否して、メジャー一本で行くと改めて表明していれば「大谷詣」をした球団は3球団どころではなかったでしょうね。でも大谷が登場したことで、日本の高校野球で才能が開花すれば、マイナーリーグやメジャーリーグに進む可能性を見出すことができたのは大きいと言えます。ヤンキースでも撤退? 大谷は「売り手市場」2012年12月25日、投手、打者の二刀流を目指し日本ハムに入団、ユニフォームを着てポーズをとる大谷翔平選手(撮影・高橋茂夫) 結局、大谷はドラフト指名を受けた日本ハムに入団しましたが、私は賢明な選択をしたと思います。現行制度なら入団9年で海外FA権を取得するしかメジャーに行く方法はなく、ならば高卒で海を渡った方がよかったと思います。でも、ポスティングがあるからこそ、日本ハムは「ウチに来て可能性を追求したほうがいい」と大谷に二刀流の提案ができたんだと思います。二刀流という具体的な育成法は、綿密なスカウティング網と戦略を持っていた日本ハム以外では提案できなかったし、いわば組織力の勝利だと思いますね。 しかも入団4年目で10勝、20本塁打を達成した上で日本一に貢献したわけですから、球団も思ってもみないほど順調に来ていると考えているでしょう。想定外は今回のWBCに出られなかったことぐらいで、彼の活躍で世界一を奪還すれば、商品価値は計り知れないほどになっていたでしょうから、その点だけが残念ですね。 今オフにも海を渡る可能性のある大谷に関して、一番の興味はメジャーでも「二刀流」ができるかどうかということでしょうね。ただメジャーは契約社会ですから、本人が二刀流を望めば、応じる球団は少なくないでしょう。もし大谷が「二刀流OK」の球団としか交渉しないという希望を出した場合、たとえ名門ヤンキースであっても二刀流が飲めなければ争奪戦に参加できない、それほど大谷は「売り手市場」なんです。 二刀流か投手野手一本に絞るかは分かりませんが、入団前から自分のやりたいことができるでしょうし、球団は彼の希望を叶えるはずです。そして、彼の代理人が投手と野手の2人分の年俸を算出したり、何年後には投手に専念するといった戦略を練って大谷主導で契約できる、それほど価値のあるプレーヤーは他にはいないですね。本来であれば、先発なら先発、抑えなら抑えしかプレーしない契約を結ぶわけです。日本では昨シーズン、大谷のチームメートの増井浩俊投手が抑えから先発に回って10勝を挙げましたが、契約書にないようなシーズン中の配置転換はメジャーでは有り得ません。万が一、起用法が原因で選手生命に影響を及ぼすケガをしたら裁判になってしまいますからね。 もし、私が大谷の代理人でアドバイスできるとすれば、メジャーリーグでも二刀流を続けるべきだと勧めます。日本のプロ野球の歴史に名を残したイチローの活躍で、ファンの誰もが日本人初の野手のメジャーリーガーとして、最高峰のステージで安打を積み重ね、次の塁を狙い、レーザービームをする姿が見たくなったのと同様に、大谷にしてもメジャーの強打者相手に165キロの速球で三振を奪い、豪腕投手からホームランを打って欲しいと考えているでしょう。投打の両方でそう思わせるほどのポテンシャルがある世界最高峰のプレーヤーですから、挑戦する前からどちらかに絞るなんてもったいないと思います。  メジャーでも二刀流を追求する姿を見たいし、世界中で野球をしている子供たちに大きな夢を与えて欲しい、心からそう願ってます。

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    ケガの克服に「手術」を選ばなかった大谷翔平は間違っていない

     小林信也(作家、スポーツライター) 3月23日に閉幕した野球の国・地域別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本はベスト4に終わった。その大会に大谷翔平は足首の故障で出場を辞退した。「二刀流」で最速160キロ超の球を投げる、他に類を見ない大谷の代役はいなかっただけに、欠場の穴は大きかったといえる。そして大谷はケガの不安を残したままシーズン開幕を迎えた。 WBC欠場の理由は右足のケガで、診断結果は「右足三角骨障害」と発表されていた。昨秋10月の日本シリーズで、一塁を踏んだ際に右足を痛めた。踵の上にある三角骨に何らかのダメージを受けた。休めば治ると思っていた痛みが、しばらくしても治らないため、詳しい検査を受けて「三角骨障害」とわかった。三角骨のかけらなどが遊離している場合、これを手術で取り除かないかぎり痛みは改善しないと、医学的には言われている。大谷も当然その説明を受けただろうが、現在まで手術は受けず、練習をしながら回復を待ったという。投手としてWBC出場断念。会見に臨む日本ハムの大谷翔平 =1月31日、アリゾナ州ピオリア 報道によれば、大谷の右足は常に痛いわけでなく、右足の踵を上げる動きをして、患部に負荷がかかるときに痛みを感じる。つまり、右投手が左足を上げて軸足一本で立ち、打者方向に重心を移動する際には痛みが生じる。それでは本格的なピッチングはできないだろう。その痛みをごまかすため、中途半端な動きで投球すれば、肩や肘、腰など、他を傷める二次的な故障も起こしかねない。バッティングの際、大谷は左打者のため軸足が左になり、右で打つより踵の負担は少なく、痛みも投げる時より気にならなかったようだ。 気になるのは、時間の経過とともに、三角骨の故障が癒え、ピッチングもできるようになるのか?  昨季同様、いやそれ以上の快投、そしてバッティングを見せてくれることができるのかだ。 医師や同様の経験を持つ元プロ野球選手たちは異口同音に手術を勧める。三角骨障害の場合、「手術以外に完治の道はない」と。見解はほぼ一致している。しかし、今日に至るまで、大谷は手術せず、今後も手術に踏み切る様子は今のところない。 手術をすれば、復帰までに早くても2、3カ月、通常は半年かかると医師たちは言っている。いま手術をすれば今季の活躍は難しくなる。大谷は今季の活躍を最優先して手術を回避しているのか? そういう選択は賢明な大谷ならしないだろう。たとえ今季限りで日本球界を後にしてメジャー・リーグに渡る決意を固めているにせよ、最後の奉公のために痛みを押し、未来に暗雲を投げかけるまでの危険を冒す選択はしないはずだ。 では、なぜ大谷は手術という選択をしないのか。 西洋医学が発達し、当然のように社会に定着している現在の日本では、「手術をすれば治るのに手術をしない」という考えはなかなか理解されない。けれど、「ガンは手術しないほうがいい」という考え方も一方で広がっているように、実は手術が絶対でないのも事実なのだ。ケガを乗り越える過程に意味がある 野球界でも、手術に対する抵抗感は根強くあった。「投手は一度肘や肩にメスを入れたら、投手生命を失う」という定説は深く信じられてきた。それを打破し、新たな歴史を作ったのが「トミー・ジョン手術」の名で知られる、ドジャースのエース(当時)、トミー・ジョンと執刀した故ジョーブ博士。その後、数えき多くの投手が手術を受け、復帰した。 日本球界では村田兆治がジョーブ博士の手術を受けて復活し、引退後も140キロを超える速球を投げてその手術の成果を証明した形だ。このため、今となっては、「手術に抵抗がある」という考え方そのものが「もう古い」とされ、大谷のように手術にすぐ踏み切らない考えを疑問視する方が大勢だ。が、この機会に、手術への盲信を考え直しても良いのではないか。大谷はそういうメッセージを発信する形になっているのではないかと私は感じる。オープン戦最終戦日本ハム対ヤクルト。三回、日本ハム・大谷翔平は三邪飛=3月26日、札幌市・札幌ドーム 海の向こうでは、一昨年、田中将大(ヤンキース)が肘痛で戦列を離れた。当然のように球団からは手術を勧められたが、田中は手術をしなかった。そして昨季は見事に復活、今季もまた開幕投手の栄誉を担う勢いだ。ダルビッシュ有は手術し、復帰した。昨季ソフトバンクに復帰し15勝を挙げた和田毅も、アメリカに渡ってすぐトミー・ジョン手術を受けた経験の持ち主だ。このように、両方の選択がある。 しかも、手術は絶対ではなく、手術後活躍できなかった選手、わずかな期間で引退に追い込まれた例も少なくない。 私が重要だと思うのは、選手の心技体を総合的にサポートするスペシャリストの存在だ。日本人の身体を熟知し、短期中期長期、あらゆる展望を踏まえ、選手とともに歩むべき道を助言できる存在は少ない。選手たちはそうした存在を求めて、これはと思う医師やトレーナーに身も心も託す例がここ数年は増えている。 一時的にはうまくはまって成果が出る場合もあるが、大きな観点を持って、その選手の潜在的な素質を飛躍的に触発した例は少ない。医師は西洋医学を、ストレングスコーチは筋力を、日本的なトレーナーはケガの治療を専門にするからどうしてもその観点に重きを置いてしまう。 かつて有名選手の信頼を受けて多くのスポーツ選手や芸能人たちをサポートしていた有名医師は、結局多くのクライアントを薬物依存にしてしまった。薬や手術への盲信は一方でそのような懸念もある。 大切なのは、この痛みから何を学ぶか、何が変わるか。実は、ごまかしではなく、右足の痛みが出ないようにする、正しい身体の使い方、力に頼らない左足の上げ方、重心移動の方法がある可能性もある。それが身につけられたら、ケガの巧妙どころか、「162キロの速球を投げても打者に当てられる」という、大谷の最大の課題に対する答えが見つかり、「消えて見えない」ような速球を投げる投手にさらに変貌するきっかけになるだろう。果たして、大谷がそういう志を持って、ケガと向き合っているのかどうか。助言者たちの力量も含め、このケガを乗り越える過程には大きな意味がある。

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    日本一のチームを作り上げた「指導をしない」マネジメント

    ビューを果たし、88年には、3割3分1厘と活躍。89年にはゴールデングラブ賞を獲得。90年の引退後はスポーツジャーナリストとして幅広く活躍。2012年、北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、1年目にしてリーグ優勝を果たす。16年、11.5ゲーム差を逆転し、4年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズも逆転優勝した。著書に、『未徹在』(ベストセラーズ)など。関連記事■ 人材育成のプロが語る「リーダーに不可欠なスキル」■ 「すごい成果」を上げるリーダーの部下指導の極意とは?■ 上司・部下間のストレスを劇的に減らす仕組みとは?

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    大谷翔平のMVPが満票ではなかった理由

    赤坂英一(スポーツライター) 11月28日に表彰式が行われたパ・リーグ最優秀選手(MVP)の投票結果が、ネット上でプロ野球ファンの物議を醸している。日本ハムの〝二刀流〟大谷翔平が選出された結果自体は当然としても、残念ながら満票に僅か1票だけ足らなかった。その1票が同じ日本ハムのリリーフ投手・宮西尚生に投じられていたことに、「理由がわからない」「見識を疑う」と批判の声が上がっているのだ。254票中253票が大谷を1位 MVPは日本新聞協会の運動記者クラブに加盟する新聞社・通信社・放送局で5年以上の取材経験を持つプロ野球担当記者が、日本シリーズの開幕までに投票して決められる。このとき、ベストナインと最優秀新人(新人王)も同時に投票する。投票用紙に書くのはベストナインが各ポジションにひとりずつ、新人王も両リーグひとりずつだが、MVPは3人まで連記することができ、1位5点、2位3点、3位1点で合計が最も高かった選手がMVPに選出される。今回はパの有効投票数254票中253票が大谷を1位としているのに、1票だけ1位を宮西としていた。これがファンの間で問題視されているのである。最優秀選手賞を受賞し、握手する日本ハム・大谷翔平(左)と広島・新井貴浩=2016年11月 過去、満票での選出は1959年の南海・杉浦忠、65年の同・野村克也、それにまだ記憶に新しい2013年の楽天・田中将大(現ニューヨーク・ヤンキース)の3人のみ。大谷が満票を獲得すれば史上4人目の快挙となるところだっただけに、首をひねるファンが多いのも無理からぬところだろう。が、「この記者は何を考えてるんだ」「ふざけるな」といった罵詈雑言を浴びせるのもどうかと思う。 宮西は1年目の08年から中継ぎ一本で9年連続50試合以上登板し、プロ野球歴代2位の通算256ホールドポイント(HP)をマーク。今季はリーグ最多、自己最多タイの42HPを挙げ、初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手にも輝いた。非常に貢献度の高い選手であることは確かで、MVP投票でも2位票、3位票と合わせて41点を獲得している。私は大谷に1位票を入れたが、「自分のようにひとりぐらい宮西に投票する記者がいてもいいじゃないか」と考えた記者がいても、責める気にはなれない(その記者が誰かは知らず、本人に意図を確かめたわけでもないが)。いぶし銀の選手が選ばれてもいい 今回の投票で私が最も迷ったのは、ベストナインのパ・リーグ遊撃手部門である。守備率と失策数で比較すると、1位が9割8分2厘、11個のソフトバンク・今宮健太。2位が9割7分9厘、14個の日本ハム・中島卓也。3位が9割7分8厘、14個のロッテ・鈴木大地。彼ら上位3チームの正遊撃手は3人とも130試合以上に出場しており、数字上はほとんど遜色がない。一方で、打撃成績は鈴木が打率2割8分5厘でトップ10に入り、27位の今宮(2割4分5厘)、28位の中島(2割4分3厘)を大きく凌駕している。守備を評価するゴールデングラブ賞とは異なり、ベストナインは打撃も加味した上での投票となるから、鈴木が選出されることは大方予想がついた。 しかし、私はあえて中島に1票を投じた。今季の中島は常につなぎ役に徹し、犠打の数も鈴木の16個、今宮の38個をはるかに上回るリーグ最多の62個。ただ単に走者のいる場面で機械的に送りバントを繰り返していたわけではなく、好投手に対しては執拗にファウルで粘り、そのぶん球数を投げさせ、ときには四球を選んでチャンスを広げている。いぶし銀 クリーンアップを打つ大谷、中田翔、ブランドン・レアードが勝負を決める一発長打を打つ前に、中島が相手バッテリーに十分プレッシャーをかけていたケースも決して少なくなかったはずだ。セ・リーグでも広島・菊池涼介、ヤクルト・川端慎吾ら、攻撃的な2番打者が増えている今日、そういう昔ながらの〝いぶし銀〟をベストナインの遊撃手に選ぶ記者がひとりぐらいいてもいいじゃないか、と考えたわけだ。ちなみに、得票数はトップの鈴木が118、中島が67、今宮が42だった。 MVPの投票用紙は記者が所属する会社、及び記者個人宛てに日本野球機構(NPB)から送られてくる(私の場合は、週1本以上の記事を寄稿している東京スポーツ新聞社・赤坂英一宛て)。選手名の誤記、及び無記名投票は無効とされる決まりだ。記者の誰もが責任を持ち、厳格な規則に則って投じた1票が最終結果となることを強調しておきたい。