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    巨人新GMは江川卓のほうがマシだった?

    球団史上ワーストの13連敗を記録するなど「弱すぎる巨人」のフロントに動きがあった。かつてのリリーフエース、鹿取義隆氏のゼネラルマネジャー(GM)起用である。「選手出身のGM起用は球団初」と前向きに報じられたが、筆者に言わせればただの「強運の人」よりも、江川卓の方がよっぽどマシである。

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    「強運の人」鹿取義隆GM起用は弱すぎる巨人にとって吉と出るか

    小林信也(作家、スポーツライター) 株主総会のタイミングで、巨人のゼネラルマネジャー(GM)が代わった。堤辰佳GM兼編成本部長が再任されたが自ら辞し、かつてのリリーフエース、特別GM補佐の鹿取義隆氏が同職に就いた。就任会見に臨む巨人・鹿取義隆GM兼編成本部長=6月13日、東京・大手町(撮影・長尾みなみ) シーズン前半にもかかわらずGMが代わった。しかも読売新聞社からの出向でなく、「元選手が巨人で初めてGMに抜擢された」という表現などから、全体としては歓迎ムードだ。当面これで球団への批判モードは封印し、新体制を見守ろうという空気が巨人ファンだけでなく、プロ野球報道全体の傾向になっている。世の中というのは、印象だけで大きく変化する。意外と容易にコントロールできるのかなあと、今回の交代劇で改めて感じる。 「選手出身のGMは巨人では史上初」との報道だが、本当にそうだろうか? GMという肩書きではなかったし、GMほどの権限が与えられていたわけではないが、巨人で事実上GMに相当する職務は「編成部長」が務めていた。この職は、元投手の倉田誠さんが長く務めていた印象が強い。その意味で「鹿取が初」というのは、センセーショナルすぎる表現ではないだろうか。倉田さんに失礼だ。 別の表現をすれば、巨人も野球界の流行の中で「GM兼編成本部長」という名称に変えたが、実質的にメジャーリーグでGMが任されている権限を与えているのかどうか、明らかではない。選手と同様、GMは会社員ではない。球団と契約し、成果が求められ、期待に合わなければ職を追われる。それだけに、選手同様、自由な裁量権が保証され、実力を存分に発揮できる条件が与えられなければやっていられない。 今回就任した鹿取GMが、そのような裁量と権限を持っているかどうかの報道は残念ながらされていない。読売本社からの起用ではないが、読売本社の意向を強く反映する読売巨人軍に「就職した」印象も拭えない。 何より「なぜ鹿取義隆なのか?」の理由について、明快なメッセージはない。同世代だけ見ても、「なぜ江川卓ではないのか?」「なぜ西本聖ではないのか?」、誰も問わない。 鹿取は引退後も巨人と近い関係を築いていた。「きちんと球団の意向を聞ける大人」という評価が、鹿取GM起用の大きな理由のようにも感じる。それならば社員と変わりがない。 巨人では初というが、日本プロ野球に導入されてまだ歴史の浅いGMの大半は、「元巨人」の選手が担ってきた。千葉ロッテで初めてGMになったのは広岡達朗氏。言うまでもなく、往年の巨人の名ショート。次いで日本ハムで手腕を発揮した高田繁さんもV9戦士のひとり。いまは横浜DeNAベイスターズでGMを務めている。今年初めに退任した中日の落合博満前GMも「元巨人」。王貞治さんの現在の肩書きは、福岡ソフトバンクホークス取締役会長兼GM。会長でありながら、GMも務めている。 こうして見ると、巨人で初という表現はますます妙な感じだし、各球団のGMを輩出している本家巨人のGMが他球団に比べて「小粒」な印象も否めない。もちろん、GMとしての実力は現役時代の実績と関係ないが、果たして鹿取GMに多くを期待していいのだろうか。不安は拭えない。 鹿取義隆投手の現役時代については、中年以上の野球ファンには説明する必要がないだろう。とくに王監督時代(1984年から1988年)の5年間には、48、60、59、63、45試合と、計275試合に登板。27勝19敗49セーブをマークした。王監督が姿を現すと「ピッチャー鹿取」の声がスタンドから先に上がるほど、王監督の信頼を一身に集めるリリーフ投手だった。生涯成績は、91勝46敗131セーブ。皮肉なことに、最優秀救援投手のタイトルに恵まれるのは、西武ライオンズに移籍した1年目(1990年)だった。「根性」と「強運」の人 筆者はちょうど鹿取GMと同じ年齢だから、巨人に入る前からの活躍も見ている。江川卓投手を中心に一世を風靡(ふうび)した法政大の黄金世代のひとつ下。明治大に入った鹿取は、3年生になるとリーグ戦で活躍。しかし、スター軍団の法政大には勝てなかった。4年になって、同期の高橋三千丈投手と両輪でリーグ戦優勝を果たす。巨人の鹿取義隆選手(当時)=1989年8月、東京ドーム 大学時代の鹿取を神宮球場で見たことがある。174センチと小柄、驚くような球速でもなかったから、まさかその後、プロ野球で活躍するとは想像しなかった。 改めて鹿取のたどって来た道のりを振り返ると、鹿取義隆は「根性の人」であり、「強運の人」でもある。鹿取は明大卒業後、社会人野球の日本鋼管(当時)に入る予定だったという。同僚の高橋三千丈投手は当然のように、ドラフト1位指名を受け、中日に入った。そのドラフト会議で、鹿取の名前は呼ばれていない。プロ野球との縁がつながったのは、ドラフト会議の後だった。 その年のドラフト会議は、いわゆる「江川事件」のために巨人がドラフトをボイコットし、参加しなかった。その巨人がドラフト指名洩れ選手に直接入団交渉をした。その中のひとりが鹿取だった。西本聖の「テスト入団」が有名だが、同期の鹿取もまた「ドラフト外」での入団だった。 当時の巨人には、少しタイプは違うが、サイドハンドの小林繁投手がいた。鹿取にとっては同タイプの先輩。この小林を越えなければ出場の機会は増えないと見る向きもあったが、江川事件の余波で小林繁が阪神に移籍。「サイドハンド枠」がポッカリ空く形となって、鹿取は1年目から一軍登板の機会に恵まれ、期待に応えている。開幕戦に救援登板、計38試合に登板して3勝の成績は、新人の一軍出場の敷居が高かった当時の巨人にあっては上々の1年目と言えるだろう。その意味で、鹿取GMの持つ強運に期待、というところだろうか。 就任発表の記者会見で、鹿取GMは低迷の理由を分析しつつ、「若い選手がなかなか出てこなかった、ということがある。いいスカウティングをして、そこから育てていきたい」と語った。 これを読んで、どう思うだろう? 「GMの就任の言葉ではない」と私は感じた。選手出身者はどうしても「育てる」意識が強い。これはコーチか育成部長の言葉であって、GMの思考ではない。 GMは活躍できる選手、活躍させる監督・コーチをそろえるのが仕事だ。将来の成長も見越して選手を獲得するの当然だが、それは二番目であって、今日試合を見に行くファンを満足させるチーム編成を「いますぐ実現する」切迫感、使命感が感じられない。 日本でも『マネー・ボール』のタイトルで有名になった著書を出版し、ブラッド・ピット主演で映画化もされたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(現上級副社長)は、本にも書かれているとおり、通常の野球観をひっくり返す策を講じて、予算の少ないアスレチックスに生きる道をもたらした。ビリー・ビーンは試合が始まるとトレーニング・ルームにこもり、試合を見ない。データだけで選手を判断する。かえってその方が冷徹な人事を断行できる、というビーンならでは発想。それくらいの大胆さ、斬新さが、「GM」という立場には求められている。そういう勉強や鍛錬を果たして鹿取新GMは積み上げて来たのだろうか? 「全国区」を売り物にしてきた巨人は、地元密着の流れの中で、ファンとの強い結びつきを失いかけている。実は成績以上に、ここに深刻な課題がある。鹿取GMが、グラウンド上にどんな魅力を配置できるか。相当な発想転換を持って取り組んでほしいと願っている。

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    佐藤琢磨、インディ500制覇で叶った「消えた天才ライダー」の夢

    小林信也(作家、スポーツライター) 先週は「佐藤琢磨インディ500初優勝」のニュースが伝えられ、日本が湧いた。その1週間前、二輪の分野では、ヤマハが世界グランプリ(GP)シリーズ通算500勝を達成、世界のモータースポーツファンから喝采を浴びた。 ヤマハ発動機の柳弘之社長は「『世界で通用するものでなければ商品ではない』という創業者の意志を若い会社全体で共有して世界に打って出た」と、ヤマハが世界GPシリーズに挑戦した当初の意気込みを代弁している。 ヤマハの世界GP初勝利は1963年のベルギーGPだ。ライダーは伊藤史朗。2005年3月、来日会見を行い、新しいヤマハのバイクにまたがるオートバイ世界選手権シリーズ、モトGPクラス総合王者のバレンティーノ・ロッシ(手前)(共同) 伊藤に始まった歴史が500勝まで到達したのは、私自身、感慨深いものがある。なぜなら、その後「消えた天才ライダー」と呼ばれ、突如姿を消して16年間も行方不明になっていた伊藤を追い、アメリカ・フロリダ州でインタビューに成功したのが、私だったからだ。 16年間の沈黙を破って日本人ジャーナリストである僕に会い、インタビューに応じてくれた伊藤は、少しずつ人間味あふれる心情を吐露してくれた。あるとき、言った。「オレは、ヤマハの川上源一社長のために命を賭けて走った。あの人の作るバイクを世界一にするためなら、命を捨てても惜しくないと思った。オレの気持ち、伝えて来てくれないか? そして、川上社長がオレを覚えてくれているか、確かめてくれ」 伊藤の言葉の端々から、昔気質(かたぎ)の心情と同時に、まだ草創期のオートバイで高速走行し、可能な限り高速でコーナーに飛び込み、駆け抜けるためには、高等技術と同時に「命知らず」な覚悟が不可欠だったことを切々と感じた。 「川上のオヤジのために」、そういう思いが必要だった。そして、「オレはそれをやり遂げた」、伊藤の背中がそう語っていた。 私は、伊藤の思いを受けてヤマハに取材を申し込んだ。何の縁もない、若いノンフィクション作家の求めに応じて、川上社長は浜松の本社で時間を取ってくれた。そして、少し離れたレストランで、当時、川上社長が力を入れていた「エピキュリアン料理」をごちそうしてくれた。 しかし、伊藤のことを尋ねたときの反応は意外なものだった。同行の社員に、「そういうライダー、いたかなあ?」と、聞いたのだ。おそらく川上社長にとっては、オートバイの技術開発・性能向上で頭がいっぱいで、ライダーにはそれほど関心を寄せていなかったのかもしれない。「あの人のために命をかけて走った」 再びアメリカに渡り、恐る恐る伊藤にその報告をしたとき、「馬鹿な、そんな馬鹿な! オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」 なんともやるせない表情で、オールドミルウォーキーという名の安いビールをあおった、伊藤の叫び、黙り込んでうなだれた姿が忘れられない。 ヤマハがオートバイを作り始めたのは、1955年(昭和30年)1月。同じ年の7月、主に楽器などを製造する日本楽器製造(現在のヤマハ)から独立して、ヤマハ発動機株式会社が発足。初代社長には当時、日本楽器製造4代目社長だった川上が就いた。 ヤマハ発動機の社史にはこうつづられている。ヤマハ発動機の創業者、川上源一氏『1953年11月7日、ヤマハ発動機の前身である日本楽器の幹部社員に対し、川上源一社長から極秘の方針が伝えられた。 「オートバイのエンジンを試作する。できれば5-6種類くらいのエンジンに取り組む必要がある。その中から製品を選び、1年後には本格的な生産に入りたい」 日本が復興への道を歩み始めた1950年代、無数の企業が二輪業界へと参入し、その数は一時204社までふくれ上がった。しかし、川上社長がモーターサイクルの製造を示唆した頃にはすでに淘汰(とうた)も始まっており、「そういう市場に最後発として参入して、果たして本当にやっていけるのか」という戸惑いの声も社内にないわけではなかった。 のちに川上社長は「今どきになってオートバイを? という意見もありましたが、自分もヨーロッパを回って、技術部長その他に勉強させた結果、これをやるのが一番よろしいという確信のもとにスタートした」と説明。さらに「木材資源の面から見ても楽器の無制限な増産は困難。楽器産業はいつまでも楽にできる商売ではない」と語り、将来の事業発展の足がかりとしてモーターサイクル製造に賭けたことを明らかにしている』 素人から見ると、楽器とオートバイのどこに共通点があるのか、すぐには理解できないが、ピアノのシリンダーを作る技術がオートバイ・エンジンのシリンダーに通じる、技術陣は、トロンボーンの共鳴原理を排気系の共振に応用させるなど、数々の応用が可能といったひらめきがあった。 ヤマハは、1955年7月、毎日新聞社の主催で行われた第3回富士登山レースに参戦。本田宗一郎率いるホンダもこの大会での優勝を狙って参戦していたが、ヤマハは見事、125ccクラスで優勝。同じ年の11月に開かれた第1回浅間高原レースでも125ccクラスで再び上位を独占した。そしてレース後、この大会の250ccクラスで初参戦初優勝を飾った16歳の伊藤少年とワークスライダー契約を結ぶ。「インディで勝てたかもしれない」 再び、ヤマハ発動機の社史から紹介する。『川上源一社長は、モーターサイクル事業への進出を決めたときからすでに「海外に雄飛する」という構想を描いていた。こうした信念を実現する方策として、1958年5月3、4日の両日、ロサンゼルス沖のサンタ・カタリナ島で開かれるカタリナグランプリに参戦することが決まる。ヤマハにとっては初の国際レースだった。 ヤマハは、250ccクラスに5台のマシンを送り込んだ。第2回浅間火山レースで活躍した「YD1改」に、不整地走行のためのモディファイ(編集部注:アレンジ)を加えたマシンだった。5台のうち1台には伊藤史朗選手が乗り、他の4台にはアメリカ人ライダーが乗った。 このレースでヤマハの最高位は6位に入賞した伊藤選手だったが、全32台中完走わずか11台という過酷なレースの中で、最後尾からの追い上げで6位まで順位を上げた伊藤選手の走りは現地で大きな注目を集めた。また、その後ロサンゼルス市内で行われたハーフマイルレースにも出場し、このレースで優勝を飾ると、はるばる日本から遠征してきたヤマハチームの活躍は現地のマスコミでも話題となり、ヤマハモーターサイクルのアメリカ市場進出に大きな弾みをつけたのだった。』 この話にはもうひとつの因縁がある。伊藤史朗さん=1984年、フロリダ(小林信也撮影) 取材で伊藤と一緒に過ごしているとき、「どうしてもノビーさんを連れて行きたい場所がある」と言って、フロリダからインディアナ州まで僕を乗せ、ロング・ドライブをした。その行き先こそが、佐藤琢磨が快挙を成し遂げたインディアナポリス・モーター・スピードウェイだった。 ちょうど1台のマシンが練習走行をしていた。日本でもモータースポーツ取材はしていたが、インディカーの爆音、オーバル・コースを撥(は)ねるようにして直線に向かってくるスピードと迫力には度肝を抜かれた。少しでも浮力を受けたら、そのまま空に舞い上がるのではないかと思った。 「四輪転向の誘いもあった」という伊藤がインディ500の舞台を見つめ、つぶやいた。「オレだって、レースを続けていれば、ここで勝てたかもしれない」 アメリカで20年近く暮らした伊藤にとって、最大のモータースポーツレース、最大の憧憬といえばインディ500だったのだろう。1950年代、60年代にオートバイレースを戦った高橋国光らはその後四輪に転向し、ルマン24時間などで活躍した。 高橋らが「自分たちとは別格、伊藤史朗は天才だった」と口をそろえる伊藤のインディ500への思いは決して戯(ざ)れ言とはいえない。その夢を、30年以上経って、同じ日本人の佐藤琢磨がついに果たした。日本の快挙は、一朝一夕ではなく、草創期からモータースポーツに尋常ではない情熱とそれこそ命を懸けた先人たちの生き様の先にあるものだ。

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    疑惑の判定で村田諒太をはめた「カネの亡者」WBAの大誤算

    小林信也(作家・スポーツライター) 20日の世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王座決定戦での村田諒太選手の敗戦後、判定への異論が噴出している。プロボクシングの世界には、過去にも不可解な判定で物議を醸した例が少なくない。だが、今回はちょっと事情が違う。不思議なことがいくつかあるのだ。 第一に、村田はどこで戦ったのか? という素朴な疑問だ。ホームタウン・デシジョンという言葉がある。試合の開催地側の選手に有利な判定が出る傾向が強いことから、この言葉が生まれた。 今回の騒ぎでしばしば前例に出される亀田興毅選手の世界タイトル初挑戦の試合はまさに、ホームタウン・デシジョンの一例。日本で開催された王座決定戦で、初回にダウンを奪われ、終始苦戦したと見えた亀田がランダエタを破り、王者と判定された。 ところが今回はホームタウンで戦った村田が、敵地かと思われる不可解な判定で王座獲得を取り逃がした。一体なぜ、日本が「敵地」になってしまったのか?ボクシングWBAミドル級王座決定戦で、アッサン・エンダム(左)に判定で敗れた村田諒太=5月20日、東京・有明コロシアム 会場は有明コロシアム、紛れもなく日本。だが結果的に見れば、「あのリングとリングサイドだけはパナマだった」と言うべきかもしれない。村田はアウェーの中で戦った。そのことに気がつかなかった。あるいは、甘く見ていた? すでに試合後の大騒ぎで多くの人が知っているが、ジャッジのひとり、グスタボ・パディージャ氏(パナマ)は日本人選手キラーだ。何しろ、過去9回、日本人選手の世界タイトルマッチのジャッジを担当し、一度も日本選手に勝ちをつけていない。先に挙げた亀田対ランダエタとの王座決定戦でもジャッジを担当し、他のふたりのジャッジと違い、亀田を負けとしている。 日本人キラーと言えば、野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で西岡剛のタッチアップをアウトと判定したデービッドソン審判が有名だ。まさに、グラウンドに敵がもうひとりいた、という象徴的な出来事だった。パディージャ氏は、その上を行く日本キラーであることは過去の実績が物語っている。 だが、彼に作為があったかどうかはもちろん断定できない。なにしろ、亀田戦では敢然とランダエタの勝利と評価しているのだから、一貫して筋が通っていると見るべきかもしれない。 WBAの本部があるパナマから来たパディージャ氏が、WBAの意向を忖度(そんたく)して強引な判定をしたと見る向きも強いが、過去の実績を冷静に見れば、パディージャ氏はあまり忖度(そんたく)するタイプではない。ただし、パディージャ氏が敢然と日本人選手に負けをつけるジャッジだという実績をWBAは当然知っているはずだから、「そこを見込んで連れてきた」と見るべきかもしれない。 彼がジャッジに指名された時点で、エンダム対村田戦のリングは日本でなく、パナマだった? 恥ずかしながら、私も含めて、それを試合前に指摘できたメディアは知る限り、いなかった。「亀田に甘く、村田に厳しかった」ワケ 帝拳ジムの関係者はパディージャ氏の実績を当然知っていただろうが、「判定になったら、どんなに優勢でも負けをひとつ覚悟する必要がある」とまでは認識できていなかった。その危機感を持っていたなら、初回あれほど手を出さず見ることはなかったろうし、終盤優勢を確信したにしても、もっと明らかにポイントを狙いに行っただろう。試合後の記者会見で視線を落とす村田諒太=5月20日、有明コロシアム 村田サイドは、パディージャ氏の存在の大きさを軽視し、自分たちの採点シートを基準に試合を進めてしまった。 「WBAは亀田兄弟には甘く、村田に厳しかった」との声もある。亀田兄弟は、WBAにとってはビジネス的にも大切な看板選手だった。 亀田興毅が13回、亀田大毅が7回、兄弟で計20回のWBA世界タイトルマッチを戦った。これだけのビジネスパートナーはWBAにとっては得がたい存在だったろう。 亀田大毅の世界戦実現のため、亀田側とWBAの間でランキング順位の認定に関して協調する動きがあったとの報道が出たこともある。 亀田興毅、大毅とも、すでに引退している。今後のためにも、新星・村田はWBAにとっても重要な存在だったのではないか。それなのになぜ、地元・日本がアウェー状態になっていたのか? 理由のひとつは、村田が所属する帝拳ジムの本田明彦会長の存在だという。本田会長は、全盛時のマイク・タイソン(世界ヘビー級王者)の来日を二度実現させるなど、世界的にも実績と評価の高いプロモーターである。ファイティング原田氏、ジョー小泉氏とともに、世界ボクシング殿堂に入っている。 WBAは、資金的な苦しさもあり、お金を優先順位の上に設定した運営をせざるを得ないと批判されている。スーパークラスを新設して世界チャンピオンを増産した。そのことで世界王座の価値やプロボクシングの評価が下がることを危惧する声も大きいが、WBAは構わず拡大路線を走ってきた。 本田会長は、これを公然と批判し、プロといえども優先すべき重要なことがあるとの姿勢を貫いて、WBAのタイトル戦はここ数年ほとんど行ってこなかった。すなわち、WBAにとっては煙たい存在なのだ。今回も、WBAが今後一階級一王者の路線に戻す方針を決めたから村田の挑戦を承知した、と本田会長はコメントしている。 私も含め、少年時代にボクシング黄金時代をテレビで見ている世代にとってWBAは世界最高の団体だという、思い込みがあるように感じる。ファイティング原田、海老原博幸、藤猛、沼田義明、小林弘、西条正三、大場政夫…。世界ボクシング評議会(WBC)の併記もあったが、彼らのタイトルには必ずWBAの冠があった。輪島功一も具志堅用高もそうだった。 その後、WBCのほかに国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)が誕生し、いまは4団体がしのぎを削る形だ。 いまも権威があるのは伝統あるWBAだろうとのノスタルジーがあるかもしれないが、実際は違う。いま世界の趨勢(すうせい)は、IBF、WBOにあり、WBAは最も後塵(こうじん)を拝しているというのが近年のボクシング界の共通認識だ。日本のファン全体を敵に回したWBAの焦りWBAのヒルベルト・ヘスス・メンドサ会長 試合後、WBAのヒルベルト・メスス・メンドサ会長自らが判定に異議を唱え、再戦を指示する異例の事態になっている。これは、本田会長への苦い思いがあって設定したパナマ・シフト(WBAの意向)が思いがけない形で奏功し、本田会長への一撃のつもりが、日本のボクシングファン全体を敵に回す事態を生んだことへの大きな焦りの表れではないだろうか。 4団体の中でも、日本マーケットの依存度が最も高く、生命線のひとつとなっているWBAにとって、日本のファンの支持と信頼を失えば存亡の危機にもつながりかねない。 そう考えると、パディージャ氏はいわば確信犯だから、会長の怒りはもうひとりのジャッジ、カナダのヒューバート・アール氏に向いているのではないか。報道によれば、アール氏はあまり実績がないジャッジだという。実績が少ないアール氏を、日本で異様なほど期待が高まっていた「五輪金メダリストの世界挑戦」という大舞台に起用する感覚と意向にこそ、WBAの体質がうかがえる。アール氏は、あまりに完璧にパナマの意向を忖度(そんたく)し、パナマ寄りのホームタウン・デシジョンを実践しすぎた。 手数を重視する判定基準に非難が噴出しているが、かつて採点基準が問題にされたとき、当のパディージャ氏がWBAに見解を送り、「プロである以上、手数より有効打(効いたかどうか)を重視すべきだ」と提言したとの報道もある。まったく同感だが、いかにも皮肉な提言だ。 今後はWBAも、かつて採用を見送り、WBCが採用している公開採点制度(毎回、あるいは4回ごとにジャッジを公表する方式)を実施するなど、明らかな改善が求められるだろう。 最後になるが、エンダムとの試合で村田の強さが際立ち、世界的な評価と注目が高まったのは間違いない。すでにWBO、IBFからも声がかかっているという報道が事実なら、何よりの証明だ。 序盤も終盤も、あまりに手を出さなかったのは反省点だが、リング中央で足をほとんど動かさず、手も出さず、エンダムを危険な距離に立ち入らせなかった。その圧力、パンチを出さずに相手を威圧し、圧倒できるボクサーは過去にどれだけいただろうか。世界王者初挑戦でタイトルは奪えなかったが、村田が証明したものはそれ以上に大きいと言ってもいいだろう。

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    26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

    小林信也(作家・スポーツライター)  プロ野球が開幕から約40試合を終え、セ・リーグは阪神、広島が好調。巨人はほぼ勝率5割で3位にとどまっている。 オフに「26億円補強」とも形容された巨費を投じ、FAで過去最高の3人を獲得した。日本ハムから陽岱鋼、横浜DeNAから山口俊投手、ソフトバンクから森福允彦投手。さらには新外国人選手として、昨季もメジャーで57試合に登板した「160キロ右腕」カミネロ投手、2013年の楽天日本一に貢献したマギー選手らが入団。 「今年は巨人の戦力が圧倒的だ」と感じた人は、巨人ファンならずとも多かっただろう。蓋を開けてみると、「26億円補強」の3選手はいずれもファーム。カミネロ、マギーはまずまず期待どおりの活躍だが、日本選手の大量補強はいまのところ空振りに終わっている。そのような状況から、「巨人のフロント、スカウトは無能ではないか」との厳しい批判が改めてメディアやファンから上がっている。 広島は、鈴木誠也、菊池涼介、田中広輔、丸佳浩ら生え抜き選手を先発メンバーにずらりと並べ、昨年の勢いをさらに増して強くなっている。阪神は、ドラフトで獲得した20代前半の若手、髙山俊、中谷将大、北條史也らとFA組のベテランらがうまくかみ合って好調だ。こうした明暗を見ると、たしかにフロントやスカウトの資質、チーム編成の巧拙が際立ってみえる。イースタン・リーグ巨人対ヤクルト。移籍後、初実戦に臨んだ巨人・陽岱鋼=3月18日 FA3選手のうち、陽、山口については獲得当時から疑問の声があった。それぞれ故障を抱え、実績どおりの活躍を期待できるのか、不安定な状況だったからだ。加えて、ふたりの髪形やファッション、日頃の振る舞いが果たして巨人の空気に合うのか? 紳士たれという「縛り」の中でのびのび活躍できるのか心配もあった。いまのところ、心配の方が現実になっている形だ。 名前と実績のある選手が欲しい、欲しいから獲得する。その甘さ、冷静な判断をせずに期待ばかりで獲得に走る姿勢は厳しく改める必要があるだろう。「調査不足」というより、調査でケガはわかっていたはずなのに「やれる」と踏んだ判断力の甘さを見つめるべきだろう。 私はこれらの背景に「フロントとスカウトの無能」以上に深刻な「巨人の体質」があるように感じる。 かつて、長嶋監督(当時)に熱心に誘われ、FAで巨人に入団した大物選手にインタビューした際、「長嶋監督は全部の試合に勝とうとする。それは無理」と語ってくれたことがある。彼によれば、巨人以外の5チームは、勝ち試合、負け試合をある程度想定して試合に臨む。自分のチームと相手チームの先発投手の力量や調子から、その日の分の良し悪しは判断できる。巨人は戦力が5倍必要なワケ 最初から負けるつもりで臨むのではないが、前半で試合の趨勢(すうせい)が見え、極端な劣勢であれば無理をしないのが、長いシーズンを戦うために得策だ。ところが、長嶋監督は、どんな試合も勝ちに行く。 たとえ序盤に大量失点をしても逆転を目指す。それが巨人ファンへの責務だ。巨人の監督・選手の使命だと。そのことで選手に負担を与え、夏場やシーズン後半に影響を与える可能性がある。それでも毎試合勝ちに行く。いわゆる「捨て試合」を作れない辛さが巨人にはある。 もう十年以上前の話だが、ある地方球団の主力選手が、こう話してくれたこともある。 「自分たちは楽なんですよ。プロに入ってわかりましたが、巨人戦以外はそれほど注目されませんから、他の4チームとの試合ではある程度、楽ができるんです。ところが巨人戦となるとそうはいかない。どの場面でも息が抜けません。巨人の選手は毎日その状態ですから、大変だと思います」 他の試合にない緊張感が巨人戦にはあるという。 今年、巨人から日本ハムに移籍した大田泰示選手が、サヨナラタイムリーを打ったり、早くも自己最多タイの4号ホームランを打つなど、のびのびと躍動している。大田は巨人の頃にあった緊張から解き放たれて「水を得た」好例かもしれない。これを見れば、巨人に入った選手が活躍できないのは、スカウトの眼力のせいとばかりとはいえない。 「ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です。他のチームは5カードに一度だけジャイアンツ戦があります。ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です」ベンチで厳しい表情の長嶋茂雄監督=1997年8月2日  長嶋監督が話してくれた。だから、戦力が5倍必要なのです、というニュアンスだった。5倍は極端にしても、毎日、巨人戦という看板を背負って戦う実感が伝わってきた。 これが巨人の宿命であり、他チームとは違う重圧だ。 「毎年、優勝しなければならない」「毎試合勝たなければならない」という使命感を巨人のフロント、現場、選手の全員が持っている。現実的には無理なのに、その呪縛から逃れられない。 「無能」という以上に、その呪縛、その矛盾をどう乗り越えるか、球団としての戦略や方向性を明確にし、共有することが課題だろう。いまの巨人は、「毎試合勝つのは無理、だけど勝つことを目指さねばならない」という精神論で覆われ、身動きが取れなくなっているドラフト戦略が消極的になった 近年、巨人のドラフト戦略が消極的になった。そのせいで他チームに優秀な人材が流れている、という指摘がある。 確かに、競合を避け、一本釣りで無難に獲得する傾向が強い。昨年こそ田中正義投手(創価大、現ソフトバンク)を指名したが、その前年は桜井俊貴投手(立命館大)、その前年も岡本和真選手(智辯学園)、といったように競合を避けた形で獲得している。 巨人がここ数年、ドラフト会議という仕組みに負けている、という指摘は正しいかもしれない。 ドラフト以前は、巨人というブランド力を生かし、実績ある選手を次々に獲得した。森祇晶という正捕手がいるのに、森を刺激し続けるため、大橋勲、宮寺勝利、槌田誠、吉田孝司といったアマチュアで実績のある捕手を次々に入団させた逸話は、V9伝説のひとつになっている。 ドラフト制度ができて、そのような新人獲得はできなくなった。その幻想をいまの巨人はFA選手の獲得競争に求めているのかもしれない。FAでは巨人ブランドが生きるからだ。 他球団はどうだろう? ドラフト以降も、ドラフトの制約の中で可能なかぎりの工夫と挑戦を続けている球団はある。名スカウトの逸話もたくさんある。 昨オフ引退した黒田博樹投手が広島への思いを貫いた一因には、無名時代から目をかけ、しばしば大学(専修大)のグラウンドに足を運んでくれた広島・苑田聡彦スカウトの存在があったという。苑田が黒田に注目したのは、まだ公式戦登板経験もなかった大学2年のときだという。 メジャー入りの意志が固かった大谷翔平選手を、「獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りに行くのが、ファイターズのスカウティングだ」という山田正雄GMの方針に基づいて強行指名した上、翻意させた大渕隆スカウトディレクター(現部長)による26ページに及ぶ資料もプロ野球史に残る伝説といっていいだろう。 巨人には、ドラフト後の伝説がないのか? といえばそうではない。燦燦会総会であいさつする渡辺恒雄読売新聞社主筆=3月27日 王・長嶋のON引退後、人気低下が心配された巨人を救ったのは、複数競合をいとわず強行指名し、見事にクジを引き当てて獲得した原辰徳選手であり、松井秀喜選手だった。最近でも、原監督(当時)の甥、菅野智之投手を二年越しに獲得。巨人愛を貫く長野の獲得も二年越しだった。 ドラフトでは外れ1位だった坂本勇人選手を2年目、坂本がまだ19歳のころに大抜擢(ばってき)。夏場には低迷する時期もあったが使い続けたのは当時の巨人としては異例だった。だが、いま巨人の中軸を担っているのは、菅野であり、長野であり、坂本であることは言うまでもない。実は巨人はいまも、大胆かつ独自のドラフト戦略と育成によって、チームをつくっているのだ。 巨人はもう一度こうした成功例、巨人のブランド力をドラフトでも活かせる大胆な姿勢を分析・把握し、FAに頼らないチームづくりを球団全体、そしてファンと共有すべきだろう。

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    「くさい」差別発言疑惑とボールボーイ暴行にみたJリーグの病巣

    小林信也(作家・スポーツライター) Jリーグで、選手の言動・行動をめぐって選手が処分を受ける事例が続いている。 4月29日のJ2、ジェフユナイテッド千葉対徳島ヴォルティス戦の前半、徳島ヴォルティスのDF馬渡和彰選手がボールボーイに乱暴したとして一発退場となり、後にJリーグから2試合の出場停止処分を科された。 そして5月4日のJ1、浦和レッズ対鹿島アントラーズ戦では、試合中に浦和レッズのDF森脇良太選手が侮蔑的な発言をしたことに対して、Jリーグは緊急規律委員会を開き、森脇選手と、試合中に激しく口論した鹿島アントラーズMFで主将の小笠原満男選手からそれぞれ事情を聴いた上で、森脇選手に2試合の出場停止処分を科した。相次いで起こった二つの出来事を単純に批判するのでなく、自分自身の問題として考察したい。 4日の件は、スポーツ新聞などの報道を総合すると、森脇選手が試合中、鹿島アントラーズのMFレオシルバ選手に対して、口と鼻をふさぐしぐさをしながら「『くせえな、お前』と言った」と、試合後に小笠原選手が語った。ブラジル出身選手に対する差別的な言動があったと明言したのだ。この発言に対して森脇選手は、自分の顔に小笠原選手のツバが飛んできたので、「『口がくさいんだよ』と言った」と反論。レオシルバ選手に向けた言葉ではないと釈明したという。サッカーJ1浦和対鹿島。後半、鹿島の選手にむかって暴言を吐く浦和の森脇良太(右から2人目)=埼玉スタジアム2002(撮影・佐藤雄彦) さらに、この問題を報じた一部スポーツ新聞が、差別は絶対に許されない、とした上で、「ピッチは戦いの場で、言葉のやりとりや駆け引きもサッカーの一部。言った言わないのたぐいは、試合中にその場で消化すべきだろう」「試合後の取材エリアで処分を誘うような事象が出て、“言葉狩り”のような動きが加速しないかも気になる」と報じるなど、新たな議論も生んでいる。 この問題の根底には、「試合中は勝負をかけた駆け引きもあり、何を言っても許される」といった前提がある。 時代は変わり、パワハラ、セクハラなど、「ひとりひとりの心を傷つける言動や行動は許されない」という認識が社会で共有されるようになった。スポーツもその例外ではないはずだが、「勝てば官軍」「勝つためなら、多少の横暴は許される」といった感覚がまだ根強く残っている。 サッカーに限らず、野球でも「乱闘が起こると盛り上がる。それもエンターテインメントの大事な要素だ」という人は少なくない。本当にそうだろうか? 乱闘をどこかで容認する意識がありながら、差別的な発言を厳しく戒めるのは矛盾する。いま社会は、徹底して、新たな価値観と姿勢を持ち直すべき時代に直面している。ネットの世論が無視できなくなった 差別的な発言をしたことが問題なのでなく、普段から、差別的な意識や発想を持っている自分に気づき、自分の潜在意識と向き合い、学び改めることこそが最初にされるべきことだ。スポーツ界全体が、日頃からそれを重要なテーマとして取り組む必要がある。国際親善とはまさに、自分とは違う文化や習慣、肉体や心情を持つ海外の人たちを知り、受け入れることを意味している。スポーツは、身体と身体をぶつけ合い、勝負という高いテンションで交流できるからとくにそれが深くできる。だからこそ価値がある、として社会に歓迎され、奨励されているのだと思う。それなのに、勝負に勝つため、相手を誹謗(ひぼう)中傷し、心を傷つけてでも優位に立とうとする発想は狭すぎる。それは言葉の自由ではなく、本来の姿勢でないことを選手、指導者、ファン、そして報道する人間も共有することが大事だ。 この問題は、先に記したとおり、一部メディアがこうした発言を試合後に問題視する傾向自体に疑問を呈したことで、何か起こった場合の騒がれ方、対応についての議論も起こっている。黒いスーツで謝罪会見を開いた浦和のDF・森脇良太 =5月9日、さいたま市  ネットの普及によって、数年前ならもみ消された問題が、メディア以外の一般の人々の書き込みや問題提起によって公になる事例が増えている。ネットの世論が、無視できない力を持ち、今回の場合でいえば、Jリーグという組織が処分を決める際にもそれに配慮する必要が生じているように感じられる。 森脇選手の処分が重いか、軽いか、といった議論もすぐ起こっているが、この軽重を判断する場合にも、論理的な妥当性より、世論の「気分」という側面がある。多くの人が、「感情的に納得するかどうか」が重要になっている。 その意味で、ネットの世論が、感情的に偏った方向に導かれ、本質とは違う根拠で形成される傾向はあるように感じる。 徳島ヴォルティスの馬渡選手がボールボーイを小突いた件では、とくにそのことを痛感した。本質が棚上げされ、議論が的から外れているもどかしさを感じるからだ。 世論と世論に配慮したチームやJリーグは、「ボールボーイは中立」「中学生のボランティア」「試合は選手だけでなく、ボランティアのおかげで成り立っている」といった綺麗な表現で謝罪し、対応している。結果的に非難の矛先をもっぱら馬渡選手に向けているが、熱心なサッカー・サポーターなら、「語られていない現実」、あうんの呼吸をわかっていて、実は問題の本質が他にあることはわかっているのではないだろうか。何となく、そのことを言い出せない雰囲気がメディアにもネット世論にもあるとすれば、そこは明らかにしたほうが今後のためだろう。ゴールボール騒動の違和感 状況を改めて詳述しよう。ホームチームであるジェフ千葉のゴールキーパーが、徳島の攻撃をクリアするためサイドラインまで飛び出してきてセーブした。ゴールががら空きなのだから、攻める徳島ヴォルティスの馬渡選手がすぐスローインしてプレーを始めたいと考えるのは当然だ。しかし、すぐボールボーイが渡したら、スローインのボールを受けたヴォルティスの選手がゴールに向かって蹴るだけで得点が成立する可能性がある。実際、ボールボーイから素早いパスを受けたホームの選手が一蹴りでゴールを決めたシーンがネット上で見られる。 サッカーでは、ホームチームのサポーターや関係者が、ホームチームの勝利のために最善を尽くすのは当然との認識がある。その点で日本的な考え方と少し違うと感じる場合がある。今回の出来事は、サッカーという風土の中で起こったことでありながら、日本的な価値観や常識をベースに語られることで、核心がずれていると感じる。 ボールボーイがそう指導されていたとは言わないが、サッカーを知っていればいるほど、アウェイチームの選手に素早くボールを渡すことをためらうのは当然というのが、サッカー界の“あうんの呼吸”だろう。もし素早くボールを渡し、アウェイチームの得点に貢献したらそれこそ非難を浴びるだろう。ボールボーイへの非紳士的行為で退場した徳島DFの馬渡選手 馬渡選手は、そんなことは当然わかっているはずなのに、あそこまで強引にボールを奪い取ろうとした、そのことが「プロとしていかがなものか」と非難されているという背景をこのニュースを聞いたサッカーにあまり詳しくない人がどれだけ理解しているだろう。 試合のスピードアップなどを求め、国際的にマルチボール・システムが採用されたのは、Jリーグ誕生以降だ。そのため、ボールボーイが「フィールドの外にいる12人目の選手」のような役割を果たす場面が生まれた。 試合前、幼い子どもが選手と一緒に手をつないで入場する光景は、微笑ましいサッカーの風景として歓迎されている。中高生のボールボーイもその一環として理解し、支持されているかもしれない。だが、実は試合を大きく左右する重要な役割を担う場面がありえるのだ。 そのような矢面に中学生を立たせることが是か非かを本当は問い直すことも、今回の出来事が教えてくれた重要な問題提起ではなかったか。Jリーグが選手を処分することで問題が終わったと考えるのは、本質と違うように感じる。 ネットの世論形成がますます加熱するだろう傾向の中で、メディアやプロフェッショナルな人間の役割のひとつは、こうした視点や本質の提示をきちんとして、世論が多角的に議論する素材を提供することだと思う。

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    大谷翔平にこれ以上期待してはいけない

    今シーズンのプロ野球が開幕した。侍ジャパンが躍動したWBCの記憶も新しいが、この大会に出場しなかった「二刀流」大谷翔平はどんな想いで見守っていたのだろうか。日本球界のみならず、メジャーからも注目される逸材はどんな飛躍をみせるのか。膨らむ期待を抑えながら、大谷翔平の凄さを大解剖する!

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    170キロは「理論上可能」でも、大谷翔平が目指すべきではない理由

    を放つ。投打ともに類まれなスタープレーヤーである大谷翔平は、私たちに新たな期待感をもたらす。しかし、スポーツの動作を研究している筆者にとっては、一番厄介な存在でもある。なぜなら、私たちが彼の凄さを理論的に説明しようとしても、彼は我々の想定範囲をすべて超えてしまう「外れ値」の選手であり、いつも新たな枠組みで見ることが必要になるからである。つまり、私たちにしてみれば、大谷翔平は分析するのがとても困難な選手ということになってしまう。 筆者はこれまでメディアからの要請もあって、プロ入りから毎年、大谷の分析を行う機会に恵まれてきた。本稿では今までの動作分析からみる「大谷翔平の凄さと可能性」について論じてみたいと思う。「二刀流」を駆使して投打で活躍する大谷翔平 まず、大谷がアスリートして優れているところと言えば、あの大柄な体格(193センチ)にもかかわらず、動きの一切にギクシャクしたところがない点である。身体を巧みに操る能力である巧緻(こうち)性としなやかな身体操作を順序良く効率的に出力できる調整力に優れているところは感心させられる。ケガをしてしまったが、昨年の台湾との親善試合でみせた脚の速さからして、どのスポーツ競技においても「超一流」になることができる素質を持っているのではないだろうか。 大谷がそうしたしなやかな身体操作をできる要因として「柔軟性」の高さが挙げられる。特に大谷を投手として見た場合、肩周りの「柔軟性」は特筆すべきものがある。ここで注意したいのは「柔軟性」という言葉である。「柔軟性」は筋や腱などが柔らかく、引き伸ばされる能力として解釈されるが、これは「柔軟性」の意味の半分しか示していない。 もう一つの意味として、多くの筋肉が動員されて一緒に動く能力があるかどうかも「柔軟性」を理解するポイントである。基本的に骨は連結して関節を形成している。しかし、肩甲骨は上腕骨とはつながっているものの、背中のさまざまな筋肉が密集しているところに乗っているだけの特殊な骨である。 この肩甲骨を動かそうとすると多くの筋肉を連動させる必要があり、肩甲骨周りの筋肉のいずれかがうまく動かなくなると、その筋肉が動きを阻害し、肩甲骨はしなやかな動きを失うために柔軟に見えなくなる。つまり、肩甲骨の「柔軟性」は、いかに多くの筋肉を動員し、連動しながら動かすことができるかにあると言える。大谷は170キロ出せるのか 大谷の凄さはこの肩甲骨周りの筋肉が実によく動いていることにある。「図1」は大谷が160キロを投球した時の「肩関節外旋角度」の最大値を示したものである。肩関節外旋角度とはいわゆる投球のしなりを示すものであり、股関節と肩関節を結ぶ線と前腕の線がなす角度によって示される。 投球時のしなりが大きいと、なぜ球が速くなるかというと、しなりが大きくなればボールを加速するための距離を大きくすることできるからである。肩関節外旋角度の最大値について調べると、2013年では150キロの投球で112度前後であったのに対し、2014年に160キロを投げた時には、おおよそではあるが角度が132度にも達していた。この比類なき大谷投手の値は肩周りの「柔軟性」が160キロを生み出す原動力になっていると言えよう。 いま多くの人々の関心と言えば、大谷が今後「夢の170キロ」を出すことができるのかにあると思う。 筆者の答えは「可能」でも「?(クエスチョン)」である。「可能」な理由として、169キロを記録した米メジャーの最速左腕、A・チャップマンと大谷を比較しても、先述した最大外旋角度が極めて近いからである。けれども、大谷が165キロの投球が打者に当てられたように、速いからといって、打者がかすりもしないのかと言えばそうではない。「速い球を投げる」=「打者をアウトに取る、勝てる」投手にならないところが野球の難しさである。 その理由を示すと、投手が速い球を投げようとすると腕をしならせるため体幹を腕より先行させて胸を張る。そのため、早く体を回旋させる必要があり、打者とは早く正対することになる。さらに、大柄な投手であればあるほど腕が人より遠くを回るため、リリースを投球方向に向けるには右投手であれば体幹自体を一塁側に早めに倒す必要がある。 メジャーリーグの大柄な右投手が投球後一塁方向へ倒れるのをよく見かけるが、それは体幹を倒さないと腕が捕手方向に振れないためである。そのため、大柄な投手が速い球を投げようとするときの問題点として、ボールが早く打者に見えてしまうことがある。 早くボールが見えるということは、打者は投球の軌道予測がしやすくなり、たとえ速いボールが来たとしてもバットに当たる確率が上がってくる。そうであるならば、多少ボールの速度を遅くしても打者に投球の軌道を悟られないようにする。いわゆる球の出どころの見にくい投手の方が「勝てる」投手になることができる。 大谷が170キロを投げることは「可能」であるが「?」としたのは、それを目指すべきかどうかという点では疑問だからである。チャップマンがそうであるように、大谷がクローザーとして「1イニング」だけ投げるのであれば、圧倒するような剛速球で並み居る打者を抑えることもできるだろう。クロ―ザーとしてであれば、より速い球を追求していく方が良いと思うが、先発完投型で毎試合ごと100球前後を投げるのであれば、打者をより効率的に打ち取るような投げ方をした方が良いと、筆者は断言する。打者としても優れた大谷 その考えもあったのだろう、2016年のシーズンではステップ幅を短くし、シーズン途中から投げる位置を高くして、オーバースローに近いスタイルで投げるようになった。それは150キロ中盤くらいのストレートとフォークボールが主体のピッチングである。実際に打席に立っていないので分からないが、このフォームの方が幾分、打者にボールが見えるのが遅れるはずである。比較的動作の効率も良く、身体に負担が少ない投げ方になっている。 シーズン終盤、指の皮がむけるアクシデントもあって、シーズンすべてにおいて活躍できたわけではないが、150キロ中盤のストレートをコンスタントに無理なく投げられるのは日本人投手ではめったにお目にかかれない。大谷にとっては、前述したようなスタイルで投げ続けていれば、もっと「勝てる投手」にはなれる。もちろん、「夢の170キロ」は筆者も期待しているが、「勝てる投手」とのジレンマはこれからも続くだろう。 一方、打者としての大谷の入団当初から優れている点といえば、高卒選手ではなかなかできない「インサイド・アウトの体に巻き付くようなスイング」がすでに身に着いていたところである。 なぜ、インサイド・アウトのスイングが優れているかというと、基本的にスイング・スピードを大きくするためには、バット・ヘッドを加速させる距離を長くする必要がある。しかし、投球の判断など時間に制約のあるバッティングでは大きな弧を描くような距離の長いスイングは不利であり、なるべく短時間で加速させる必要がある。 この加速とスイング時間の矛盾を克服できるのがグリップを先行させて後からヘッドが加速させるようにするインサイド・アウトのスイングである。このスイングによって、短時間で効率よくヘッドの加速距離を取ることができ、スイングスピードを大きくすることが可能となる。 このインサイド・アウトのスイングを実現させるために打者の動作として必要なのが、投手から見て後ろにある腕の「肘のたたみ」、左打者の大谷で言えば,左肘先をスイング開始時にへそにつけるようにする動作である。しかし、この動作が難しいのは肘をへそにつけるような動作をすればするほど、同時に肩が落ちてしまうことである。 肩が落ちるとバット・ヘッドも一緒に落ちてしまう。この一旦落ちてしまってからバット・ヘッドを加速させるのは重力に逆らうことになり、より大きなパワーが必要となる。この結果、スイング速度の低下を招いてしまう。そこで肩を落とさず、肘をたたむには肩甲骨周りの筋群のしなやかな動きが必要で、投手に必要な肩周りの柔軟性が打者、大谷にも活かされていると言えよう。 さらに、彼の年を追うごとの変化についてみてみると、「図2」は2013年と2016年のバックスイングからトップにかけての動きを示したものである。そこから、大谷の「変化」を挙げるとするならば、16年では13年に比べて、トップ時においてバットを後方(捕手側)に約20センチ大きく引くことができている(大きいバックスイング)。つまり、16年の方がより大きく肩から腰にかけての「ねじり」を作ることができている点にある。 大きなバックスイングを取ることにより、身体の回転半径が大きくなり、フォワードスイング時の身体の回転力が大きくなる。バックスイングを大きく取ることで、身体から遠いボール(アウトコース)においてもスイングスピードを落とすことなくバットが振れており、その結果左方向へのホームラン増大につながっている。「二刀流」はいずれ選択を迫られる また、肩や腰のねじりは下半身の力を上半身に伝える役目と体幹自体の大きな力を生み出す役割がある。このねじる力がスイングスピードに貢献することが分かっている。こうしたねじりを活かしたスイングの変化は下半身や体幹の筋力増加、体重の増加が影響している。 イチローのような細身の選手は体重が少ない分、下半身の回旋と上半身の回旋をほぼ同時に行い、一気に全身の力を伝える方法を取っているのに対し、約100キロの体重がある大谷は、下半身が安定しているため体幹のねじりから回旋を中心としたスイングができ、打つための大きなエネルギーを生み出すことができる。オリックス戦で、6回に右適時打を放つ日本ハム・大谷翔平=2016年9月、京セラドーム大阪 筆者が現在、大谷の打撃で似ていると感じているのが90年代にメジャーで5ツールプレーヤーとして活躍した「ケン・グリフィーJr.」である。実は彼の打撃練習を一度見たことがあるが、力感のないフォームなのにいとも簡単にホームランを飛ばし、さらに右、中、左と打ち分けることができる打撃を見て、唖然(あぜん)とした覚えがある。大谷との共通点は後ろの肘のたたみ方であり、あの柔らかく、しかも素早くたためる打撃フォームは非常にしなやかで美しく見える。 ケン・グリフィーJr.と比較して、打者大谷に課題があるとすれば、インコースを打つときに体が若干一塁側へ流れる点である。このため、引っ張るべき球種やコースにおいて「パワーロス」がみられる。これは前の腕(右腕)のたたみ方が不十分なために、体を一塁側へ倒すことでボールとの距離を取ろうとしていることが原因であろう。大柄で手足の長い打者では誰もが苦しむ点であるが、大谷であれば時間が解決してくれるであろう。 最後に今後の大谷に関して、日本、アメリカどちらで活躍するにしろ「二刀流」はどちらかの決断が迫られるであろう。その中で筆者なりに二刀流を継続する方法を探ると、クライマックス・シリーズで見られたようなDHの打者としてコンスタントに出場し、最後の1イニングの場面でDHを外して、クローザーとして投げることができれば、今後も継続可能なのではないだろうか。 もちろん、毎試合投げるとはいかないだろうが、登板間隔をある程度空けることができれば、長く活躍することができるのではないだろうか。1イニングの全力投球だから、コンディションが整えば、夢の170キロも期待できるし、打者としても度肝を抜く打球を放つ大谷を多く見ることができるのも魅力となるであろう。 いずれにしろ、今まで見たことがないプレーが期待できる選手である。今後も野球界をけん引する存在として期待しているが、彼がどう考えて「選択」するのか静かに見守っていきたいし、その選択を是非とも応援していきたい。

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    大谷翔平「メジャーでも二刀流」が可能なのにはワケがある

    古内義明(スポーツジャーナリスト) 「二刀流」大谷翔平への期待は、メジャーリーグの野球関係者でも高いものがあります。投打両方にわたり高いポテンシャルを持つ彼を「ベーブ・ルース」という、メジャー100年以上の歴史の中で「神格化」されている選手になぞらえるメディアも非常に多いです。2016年12月、7000万円アップの推定年俸2億7000万円でサインした大谷翔平(撮影・高橋茂夫) 日本のメディアでも2014年、彼が2年目のシーズンに「10勝10本塁打」を達成したことでルース以来の偉業だと報じましたが、何も日本だけの評価に留まらないわけです。米国メディアが「野球の神様」の名前を出すということはそれだけ魅力的な選手であり、大谷本人の価値を見事に表していると言えます。 米国ではディオン・サンダースやボー・ジャクソンがメジャーリーグとNFLという最高峰で大活躍したように、夏と冬のスポーツの二刀流アスリートでさえ稀(まれ)であり、一つの競技の中で投手と野手を両立させるなんて、米国人でさえそんな発想をする人はいません。そんな選手が日本にいるということが何より驚きで、過去にルースが成し遂げたことをやろうとしている日本人に「ルース」という言葉で形容したことに意義があるんです。 よく大谷が大成するには投手に絞った方がいいとか、打者での可能性が見てみたいなどと、二刀流を一本に絞るべきかどうかという議論になりますよね。確かに投手一本、野手一本で考えれば、それぞれに長所、短所があるでしょうし、アラを探せば出てくるかもしれません。 でも、メジャーリーグでは大谷はそのような見方以前に、投打双方ともメジャーリーグの中でもトップ級の実力という評価を与えられているわけです。投打双方ともに高いレベルで通用する選手というのは、メジャーリーグでも有り得ないと思われていたわけですから。たとえメジャーリーグのドラフト1位指名選手でもあくまで投手、野手のいずれかでの評価です。投打どちらがいいのかを議論できる選手は、世界にいま大谷一人しかいませんから、どちらかを選ぶにしても贅沢な悩みですね。 大谷は花巻東高時代に160キロの速球を投げ、高校通算56本塁打をマークしていましたから、最高の素材であることはプロのスカウトなら誰が見ても分かっていたことです。私が考える大谷の凄いところは、なによりメジャー3球団のスカウトが来日して花巻まで行ったことが、日本の高校野球がメジャーリーグの視野に入ったという意味で大きなターニングポイントになったと思います。野球のマーケットとして捉えてみると、メジャーリーグ30球団と日本のプロ野球12球団の計42チームに入れる可能性がある選手がいたこと自体、日本人の多くが驚きと嬉しさを感じたのではないでしょうか。 たとえ、メジャーに憧れても普通の能力の高校生ではスカウトが見に来ることは当然ありません。いまメジャーで活躍するプレーヤーでも、それまでならNPB(日本野球機構)のチームに入ってFA(フリーエージェント)やポスティングシステムを利用して移籍してきましたが、その常識を打ち破って先鞭をつけた唯一の選手なんです。もし日本ハムの入団を拒否して、メジャー一本で行くと改めて表明していれば「大谷詣」をした球団は3球団どころではなかったでしょうね。でも大谷が登場したことで、日本の高校野球で才能が開花すれば、マイナーリーグやメジャーリーグに進む可能性を見出すことができたのは大きいと言えます。ヤンキースでも撤退? 大谷は「売り手市場」2012年12月25日、投手、打者の二刀流を目指し日本ハムに入団、ユニフォームを着てポーズをとる大谷翔平選手(撮影・高橋茂夫) 結局、大谷はドラフト指名を受けた日本ハムに入団しましたが、私は賢明な選択をしたと思います。現行制度なら入団9年で海外FA権を取得するしかメジャーに行く方法はなく、ならば高卒で海を渡った方がよかったと思います。でも、ポスティングがあるからこそ、日本ハムは「ウチに来て可能性を追求したほうがいい」と大谷に二刀流の提案ができたんだと思います。二刀流という具体的な育成法は、綿密なスカウティング網と戦略を持っていた日本ハム以外では提案できなかったし、いわば組織力の勝利だと思いますね。 しかも入団4年目で10勝、20本塁打を達成した上で日本一に貢献したわけですから、球団も思ってもみないほど順調に来ていると考えているでしょう。想定外は今回のWBCに出られなかったことぐらいで、彼の活躍で世界一を奪還すれば、商品価値は計り知れないほどになっていたでしょうから、その点だけが残念ですね。 今オフにも海を渡る可能性のある大谷に関して、一番の興味はメジャーでも「二刀流」ができるかどうかということでしょうね。ただメジャーは契約社会ですから、本人が二刀流を望めば、応じる球団は少なくないでしょう。もし大谷が「二刀流OK」の球団としか交渉しないという希望を出した場合、たとえ名門ヤンキースであっても二刀流が飲めなければ争奪戦に参加できない、それほど大谷は「売り手市場」なんです。 二刀流か投手野手一本に絞るかは分かりませんが、入団前から自分のやりたいことができるでしょうし、球団は彼の希望を叶えるはずです。そして、彼の代理人が投手と野手の2人分の年俸を算出したり、何年後には投手に専念するといった戦略を練って大谷主導で契約できる、それほど価値のあるプレーヤーは他にはいないですね。本来であれば、先発なら先発、抑えなら抑えしかプレーしない契約を結ぶわけです。日本では昨シーズン、大谷のチームメートの増井浩俊投手が抑えから先発に回って10勝を挙げましたが、契約書にないようなシーズン中の配置転換はメジャーでは有り得ません。万が一、起用法が原因で選手生命に影響を及ぼすケガをしたら裁判になってしまいますからね。 もし、私が大谷の代理人でアドバイスできるとすれば、メジャーリーグでも二刀流を続けるべきだと勧めます。日本のプロ野球の歴史に名を残したイチローの活躍で、ファンの誰もが日本人初の野手のメジャーリーガーとして、最高峰のステージで安打を積み重ね、次の塁を狙い、レーザービームをする姿が見たくなったのと同様に、大谷にしてもメジャーの強打者相手に165キロの速球で三振を奪い、豪腕投手からホームランを打って欲しいと考えているでしょう。投打の両方でそう思わせるほどのポテンシャルがある世界最高峰のプレーヤーですから、挑戦する前からどちらかに絞るなんてもったいないと思います。  メジャーでも二刀流を追求する姿を見たいし、世界中で野球をしている子供たちに大きな夢を与えて欲しい、心からそう願ってます。

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    ケガの克服に「手術」を選ばなかった大谷翔平は間違っていない

     小林信也(作家、スポーツライター) 3月23日に閉幕した野球の国・地域別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本はベスト4に終わった。その大会に大谷翔平は足首の故障で出場を辞退した。「二刀流」で最速160キロ超の球を投げる、他に類を見ない大谷の代役はいなかっただけに、欠場の穴は大きかったといえる。そして大谷はケガの不安を残したままシーズン開幕を迎えた。 WBC欠場の理由は右足のケガで、診断結果は「右足三角骨障害」と発表されていた。昨秋10月の日本シリーズで、一塁を踏んだ際に右足を痛めた。踵の上にある三角骨に何らかのダメージを受けた。休めば治ると思っていた痛みが、しばらくしても治らないため、詳しい検査を受けて「三角骨障害」とわかった。三角骨のかけらなどが遊離している場合、これを手術で取り除かないかぎり痛みは改善しないと、医学的には言われている。大谷も当然その説明を受けただろうが、現在まで手術は受けず、練習をしながら回復を待ったという。投手としてWBC出場断念。会見に臨む日本ハムの大谷翔平 =1月31日、アリゾナ州ピオリア 報道によれば、大谷の右足は常に痛いわけでなく、右足の踵を上げる動きをして、患部に負荷がかかるときに痛みを感じる。つまり、右投手が左足を上げて軸足一本で立ち、打者方向に重心を移動する際には痛みが生じる。それでは本格的なピッチングはできないだろう。その痛みをごまかすため、中途半端な動きで投球すれば、肩や肘、腰など、他を傷める二次的な故障も起こしかねない。バッティングの際、大谷は左打者のため軸足が左になり、右で打つより踵の負担は少なく、痛みも投げる時より気にならなかったようだ。 気になるのは、時間の経過とともに、三角骨の故障が癒え、ピッチングもできるようになるのか?  昨季同様、いやそれ以上の快投、そしてバッティングを見せてくれることができるのかだ。 医師や同様の経験を持つ元プロ野球選手たちは異口同音に手術を勧める。三角骨障害の場合、「手術以外に完治の道はない」と。見解はほぼ一致している。しかし、今日に至るまで、大谷は手術せず、今後も手術に踏み切る様子は今のところない。 手術をすれば、復帰までに早くても2、3カ月、通常は半年かかると医師たちは言っている。いま手術をすれば今季の活躍は難しくなる。大谷は今季の活躍を最優先して手術を回避しているのか? そういう選択は賢明な大谷ならしないだろう。たとえ今季限りで日本球界を後にしてメジャー・リーグに渡る決意を固めているにせよ、最後の奉公のために痛みを押し、未来に暗雲を投げかけるまでの危険を冒す選択はしないはずだ。 では、なぜ大谷は手術という選択をしないのか。 西洋医学が発達し、当然のように社会に定着している現在の日本では、「手術をすれば治るのに手術をしない」という考えはなかなか理解されない。けれど、「ガンは手術しないほうがいい」という考え方も一方で広がっているように、実は手術が絶対でないのも事実なのだ。ケガを乗り越える過程に意味がある 野球界でも、手術に対する抵抗感は根強くあった。「投手は一度肘や肩にメスを入れたら、投手生命を失う」という定説は深く信じられてきた。それを打破し、新たな歴史を作ったのが「トミー・ジョン手術」の名で知られる、ドジャースのエース(当時)、トミー・ジョンと執刀した故ジョーブ博士。その後、数えき多くの投手が手術を受け、復帰した。 日本球界では村田兆治がジョーブ博士の手術を受けて復活し、引退後も140キロを超える速球を投げてその手術の成果を証明した形だ。このため、今となっては、「手術に抵抗がある」という考え方そのものが「もう古い」とされ、大谷のように手術にすぐ踏み切らない考えを疑問視する方が大勢だ。が、この機会に、手術への盲信を考え直しても良いのではないか。大谷はそういうメッセージを発信する形になっているのではないかと私は感じる。オープン戦最終戦日本ハム対ヤクルト。三回、日本ハム・大谷翔平は三邪飛=3月26日、札幌市・札幌ドーム 海の向こうでは、一昨年、田中将大(ヤンキース)が肘痛で戦列を離れた。当然のように球団からは手術を勧められたが、田中は手術をしなかった。そして昨季は見事に復活、今季もまた開幕投手の栄誉を担う勢いだ。ダルビッシュ有は手術し、復帰した。昨季ソフトバンクに復帰し15勝を挙げた和田毅も、アメリカに渡ってすぐトミー・ジョン手術を受けた経験の持ち主だ。このように、両方の選択がある。 しかも、手術は絶対ではなく、手術後活躍できなかった選手、わずかな期間で引退に追い込まれた例も少なくない。 私が重要だと思うのは、選手の心技体を総合的にサポートするスペシャリストの存在だ。日本人の身体を熟知し、短期中期長期、あらゆる展望を踏まえ、選手とともに歩むべき道を助言できる存在は少ない。選手たちはそうした存在を求めて、これはと思う医師やトレーナーに身も心も託す例がここ数年は増えている。 一時的にはうまくはまって成果が出る場合もあるが、大きな観点を持って、その選手の潜在的な素質を飛躍的に触発した例は少ない。医師は西洋医学を、ストレングスコーチは筋力を、日本的なトレーナーはケガの治療を専門にするからどうしてもその観点に重きを置いてしまう。 かつて有名選手の信頼を受けて多くのスポーツ選手や芸能人たちをサポートしていた有名医師は、結局多くのクライアントを薬物依存にしてしまった。薬や手術への盲信は一方でそのような懸念もある。 大切なのは、この痛みから何を学ぶか、何が変わるか。実は、ごまかしではなく、右足の痛みが出ないようにする、正しい身体の使い方、力に頼らない左足の上げ方、重心移動の方法がある可能性もある。それが身につけられたら、ケガの巧妙どころか、「162キロの速球を投げても打者に当てられる」という、大谷の最大の課題に対する答えが見つかり、「消えて見えない」ような速球を投げる投手にさらに変貌するきっかけになるだろう。果たして、大谷がそういう志を持って、ケガと向き合っているのかどうか。助言者たちの力量も含め、このケガを乗り越える過程には大きな意味がある。

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    日本一のチームを作り上げた「指導をしない」マネジメント

    ビューを果たし、88年には、3割3分1厘と活躍。89年にはゴールデングラブ賞を獲得。90年の引退後はスポーツジャーナリストとして幅広く活躍。2012年、北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、1年目にしてリーグ優勝を果たす。16年、11.5ゲーム差を逆転し、4年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズも逆転優勝した。著書に、『未徹在』(ベストセラーズ)など。関連記事■ 人材育成のプロが語る「リーダーに不可欠なスキル」■ 「すごい成果」を上げるリーダーの部下指導の極意とは?■ 上司・部下間のストレスを劇的に減らす仕組みとは?

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    大谷翔平のMVPが満票ではなかった理由

    赤坂英一(スポーツライター) 11月28日に表彰式が行われたパ・リーグ最優秀選手(MVP)の投票結果が、ネット上でプロ野球ファンの物議を醸している。日本ハムの〝二刀流〟大谷翔平が選出された結果自体は当然としても、残念ながら満票に僅か1票だけ足らなかった。その1票が同じ日本ハムのリリーフ投手・宮西尚生に投じられていたことに、「理由がわからない」「見識を疑う」と批判の声が上がっているのだ。254票中253票が大谷を1位 MVPは日本新聞協会の運動記者クラブに加盟する新聞社・通信社・放送局で5年以上の取材経験を持つプロ野球担当記者が、日本シリーズの開幕までに投票して決められる。このとき、ベストナインと最優秀新人(新人王)も同時に投票する。投票用紙に書くのはベストナインが各ポジションにひとりずつ、新人王も両リーグひとりずつだが、MVPは3人まで連記することができ、1位5点、2位3点、3位1点で合計が最も高かった選手がMVPに選出される。今回はパの有効投票数254票中253票が大谷を1位としているのに、1票だけ1位を宮西としていた。これがファンの間で問題視されているのである。最優秀選手賞を受賞し、握手する日本ハム・大谷翔平(左)と広島・新井貴浩=2016年11月 過去、満票での選出は1959年の南海・杉浦忠、65年の同・野村克也、それにまだ記憶に新しい2013年の楽天・田中将大(現ニューヨーク・ヤンキース)の3人のみ。大谷が満票を獲得すれば史上4人目の快挙となるところだっただけに、首をひねるファンが多いのも無理からぬところだろう。が、「この記者は何を考えてるんだ」「ふざけるな」といった罵詈雑言を浴びせるのもどうかと思う。 宮西は1年目の08年から中継ぎ一本で9年連続50試合以上登板し、プロ野球歴代2位の通算256ホールドポイント(HP)をマーク。今季はリーグ最多、自己最多タイの42HPを挙げ、初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手にも輝いた。非常に貢献度の高い選手であることは確かで、MVP投票でも2位票、3位票と合わせて41点を獲得している。私は大谷に1位票を入れたが、「自分のようにひとりぐらい宮西に投票する記者がいてもいいじゃないか」と考えた記者がいても、責める気にはなれない(その記者が誰かは知らず、本人に意図を確かめたわけでもないが)。いぶし銀の選手が選ばれてもいい 今回の投票で私が最も迷ったのは、ベストナインのパ・リーグ遊撃手部門である。守備率と失策数で比較すると、1位が9割8分2厘、11個のソフトバンク・今宮健太。2位が9割7分9厘、14個の日本ハム・中島卓也。3位が9割7分8厘、14個のロッテ・鈴木大地。彼ら上位3チームの正遊撃手は3人とも130試合以上に出場しており、数字上はほとんど遜色がない。一方で、打撃成績は鈴木が打率2割8分5厘でトップ10に入り、27位の今宮(2割4分5厘)、28位の中島(2割4分3厘)を大きく凌駕している。守備を評価するゴールデングラブ賞とは異なり、ベストナインは打撃も加味した上での投票となるから、鈴木が選出されることは大方予想がついた。 しかし、私はあえて中島に1票を投じた。今季の中島は常につなぎ役に徹し、犠打の数も鈴木の16個、今宮の38個をはるかに上回るリーグ最多の62個。ただ単に走者のいる場面で機械的に送りバントを繰り返していたわけではなく、好投手に対しては執拗にファウルで粘り、そのぶん球数を投げさせ、ときには四球を選んでチャンスを広げている。いぶし銀 クリーンアップを打つ大谷、中田翔、ブランドン・レアードが勝負を決める一発長打を打つ前に、中島が相手バッテリーに十分プレッシャーをかけていたケースも決して少なくなかったはずだ。セ・リーグでも広島・菊池涼介、ヤクルト・川端慎吾ら、攻撃的な2番打者が増えている今日、そういう昔ながらの〝いぶし銀〟をベストナインの遊撃手に選ぶ記者がひとりぐらいいてもいいじゃないか、と考えたわけだ。ちなみに、得票数はトップの鈴木が118、中島が67、今宮が42だった。 MVPの投票用紙は記者が所属する会社、及び記者個人宛てに日本野球機構(NPB)から送られてくる(私の場合は、週1本以上の記事を寄稿している東京スポーツ新聞社・赤坂英一宛て)。選手名の誤記、及び無記名投票は無効とされる決まりだ。記者の誰もが責任を持ち、厳格な規則に則って投じた1票が最終結果となることを強調しておきたい。

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    「意表つく大谷翔平の起用法考えたい」と栗山英樹監督

     「歴史通」が縁となって実現した北海道日本ハムファイターズの栗山英樹・監督と、本誌連載「逆説の日本史」著者の作家・井沢元彦氏による対談。そのなかから、戦国武将では豊臣秀吉の家臣、大谷吉継が好きだという栗山氏に、井沢元彦氏が好きな野球監督についても聞いた。2016年10月25日、日本シリーズ第3戦の延長十回、サヨナラ安打を放った大谷翔平(左)を出迎える日本ハムの栗山英樹監督=札幌ドーム(撮影・高橋茂夫)井沢元彦(以下、井沢):野球監督ではどうですか? 監督の采配を見ると、「三原マジック」と呼ばれた三原脩さんが好きなのかなと勝手に想像していたんですが。栗山英樹(以下、栗山):ええ、大好きです。直接話したことはありませんが、自分が目指す理想の野球人は、やはり三原さんですね。長嶋(茂雄)さんを野次った自分のチームの選手に「プロ野球は長嶋で成り立ってるんだ」と怒鳴りつけたとか、プロ野球全体のことをすごく意識されていた方なんですね。井沢:奇手奇策の人とも呼ばれますね。栗山:三原さんが生きておられたら、翔平を二刀流で起用したことを「おまえ、よくやったな」って褒めてもらえるんじゃないかと思っています。 三原さんの教え子だった仰木(彬)さんもそうですけど、名将と言われる監督は、みんなから「なんか知らないけど、監督のやることは当たる」と言われているんですよね。それも実は、すべてデータに基づいているんだと思いますが。井沢:仰木監督も素晴らしいですよね。野茂(英雄)のピッチングフォームを見て、みんなダメだって言ったけど、あの人だけはいいと言ったわけでしょう。イチローもそうですよね。栗山:野茂のフォームは普通、いじりたくなりますよね(笑い)。実はかつて仰木さんがそうしていたように、毎年、三原さんの墓参りをしてからキャンプインしていまして、今年もこれから行く予定です。井沢:いよいよシーズンが始まりますが、「日本ハム・大谷翔平」を日本で見られる最後の年になりそうですね。栗山:無理をさせないようにという前提ですが、翔平の本当の凄さを示してもう一度日本一になりたい。井沢:二刀流を続けるということですね。栗山:今までとは違う使い方がないかなとも考えています。去年は1か月半マウンドから離れて、バットでチームの勝利に貢献してくれた。もちろん先発はやってもらうけど、バランスをもう少し考えて、バッターとしてもう少し出せる形はないかと。井沢:敵も研究してきますよね。栗山:だからこそ、相手が“こんな使い方をするのか!?”と意表をつく起用法を考えたい。関連記事■ 朝食会に1日だけ遅刻した仰木彬に三原脩が見せた粋な気遣い■ TBSの名物番組『プロ野球をクビになった男たち』が書籍化■ 解任騒動の元巨人・清武英利氏が野球への思い綴った本が登場■ 【プロ野球コーチの役割】ヘッドコーチ編 監督退場時は代役■ ソフトバンク秋山監督 大胆采配のルーツは高校時代の被弾

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    大谷翔平 ついにメジャーも「二刀流」を本格準備

     2016年のプロ野球では、日本ハム・大谷翔平(22)が絶大な存在感を見せた。最大の理由は、“まるでマンガ”と評された「二刀流」での活躍だ。 DHのあるパ・リーグで「1番・ピッチャー」という仰天オーダーで先発して先頭打者ホームランを放ったかと思えば、CSでは「3番・DH」で先発し、9回のマウンドに上がって日本最速の165kmを記録、胴上げ投手となった。数字では表わせない衝撃的なシーズンだった。「契約更改では球団が来オフ以降のポスティングによるメジャー移籍を“公認”。大リーグの新協定で25歳未満の外国人選手に契約総額制限が設けられましたが、本人が前向きなのは間違いない」(球団関係者)2016年11月12日、侍ジャパン強化試合のオランダ戦、八回に二塁打を放つ大谷翔平=東京ドーム(撮影・山田喜貴) となると気になるのは、メジャーでも本格的な二刀流が実現するかだ。これまでは否定的な見方が多かった。DH制のないナ・リーグ球団の評価が高いとされてきたのも「9番・投手」としてのみ打席に入る前提で考えられていたからだ。だが、風向きは変わりつつもある。 大リーグ関係者が一堂に会するウインターミーティング(12月5日)では、監督としてメジャー通算1769勝のジム・リーランド氏が「本当に凄い選手と聞く。毎日は無理だが、月曜に投げて、水木にDHなら……」と大谷について言及。メジャーリーグ研究家の福島良一氏はこういう。「興味深いのは、日ハムと業務提携するパドレスが、控え捕手のベタンコートを来季から二刀流で起用しようとしていること。最近も監督が“ウインターリーグで投手もやらせる”と明言し、投手、捕手、外野手の三刀流まであるといわれている。これは大谷を獲得した際の予行演習ではないか。 ただ、さすがの大谷も中4日ローテーションと打者の両立は厳しい。可能性があるとすればリリーフに回って、打者でも出場するパターンではないか。2000年代初めにブリュワーズにいた中継ぎ投手のブルックス・キーシュニックは、代打、DHなどで出場し、2003年は1勝1敗、7本塁打の成績を残しています」 どうせ米国に行くなら、海の向こうのファンの度肝も抜いてもらいたい。関連記事■ 大谷翔平 「本気でメジャー目指すなら打者は諦めるべき」の声■ 大谷翔平の「二刀流」はMLBでどう評価されているか■ 大谷翔平の活躍にはMLBで年俸30億円分の価値がある■ 「大谷翔平はメジャーでも二刀流可能」その根拠■ MLB球団スカウト 大谷翔平に「早く投手に専念してほしい」

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    「血」の常識を覆すキタサンブラックが伝説と呼ばれる日

    上短距離のメダリストで、自分はマラソン選手ということがあってもおかしくないような気もするが、ブラッドスポーツと言われる競馬において、ここまで「血の常識」を覆した馬は、そう多くはない。 オグリキャップが活躍したときは、一流とは言えない血統なのになぜこんなに走るのか、と何代も血統表を遡って強さの源泉を探そうとしたものだが、キタサンブラックのスタミナの源泉は、父方の祖父サンデーサイレンスということで解決しそうだ。が、母の父がサクラバクシンオーだと、スピードを受け継ぐ代わりにスタミナは今ひとつ、というふうに生まれてくるのが普通だ。何代も前にバクシンオーの血が入っているだけならまだしも、母の父という、きわめて影響の強いところにあるのにこれだけ長距離で強いのはなぜなのか。 これはもう「キタサンブラックだから」と言うしかないような気がする。ひと言で言うと突然変異ということになるのだろうが、それだけでは表現し切れないスペシャルな力がこの馬にはある。 今週の有馬記念で、3戦連続となる1枠1番を引いた。勝率100パーセントの絶好枠だ。実力だけではなく、運も持っている。 そんなキタサンブラックについて、武は、自身の手綱で有馬記念を勝ったオグリキャップやディープインパクトと同じように、誰もが知る「国民的スターホース」になったと話している。 人気が実力に追いつき、追い越そうとしている――と、まとめようと思ったが、ひょっとしたら、まだ追いついていないのかもしれない。キタサンブラックは、はたしてどれほど大きなスケールの馬なのか。その答えが出る有馬記念が楽しみだ。

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    暮れの中山で、もう一度「まつり」を聴いてみたい

    大月隆寛(民俗学者、札幌国際大学人文学部教授) 有馬記念は、スタンド右斜めうしろからの夕陽と、黄色く枯れた芝の色だ。今みたいな洋芝の、管理万全行き届いた馬場でなく、11月にゃもう見事に枯れちまう昔の芝馬場に、釣瓶落としの暮れの陽がさしている。オルウェーブルが有終の美を飾った第58回有馬記念の2周目1コーナー=2013年12月22日、中山競馬場(横幕雅大撮影) スタートはほぼ正面からの迎え陽に始まり四角あたりまで、いい感じの陽の光を浴びて馬たちが駆けてゆく。1周目スタンド前で日陰に入る。それまで光の中にいた馬たちは一瞬、毛色もわからないほどのアンダー気味の一群となって駆けてゆく。着ぶくれたろくでなしたちからの拍手と歓声、そして思い思いの怒声やかけ声の祝福も共に投げかけられて、もう一周の旅に。再びの向こう正面から二周目三角過ぎあたりから出入りが激しくなって、一気に競馬が競馬になる。 さっきより気持ち深くなった、その分鈍い琥珀色にもなった斜陽の中、勝負どころの四角から直線、中山のあの深い坂下、見る位置によっては馬群が見えなくなるかとさえ思うそのわずかな時間の後に、年の瀬の英雄たちはスタンド前の日陰の中に次から次へと姿を現わす、その光と影とのコントラストに煽られるのが、気分だ。 あとはもうどうでもいい、贔屓の馬、目当てのノリヤクめがけて息を詰めたまんま、あるいは丸めた予想紙を片手に振りかざし、あるいは両手拳を握りしめ、いずれ精一杯、渾身の応援をしてやる数十秒の至福。ああ年末最後の大勝負、有馬記念は「グランプリ」の光景とは、いつの年も概ねこんな感じで記憶の銀幕に再生されることになっていた。 ヒカリデュール、という馬がいた。 当時「マル地」とシルシつけられた地方競馬出身の豪傑。母系はサラ系、そこまで目立った戦績でもなかったものの、大井から名古屋は土古経由で中央入り。見立て通りに芝馬場が合ったらしく、後方待機からの眼のさめるような差し脚を繰り出し頭角を現わし、始まって2年目のジャパンカップでも勝ったハーフアイストからコンマ3秒差の5着入線は前年第一回、浦和のゴールドスペンサーに続く日本馬最先着で、僚馬カズシゲの6着と共に「マル地」二頭のまずは大殊勲。同じ河内を鞍上に、そのまま1982年は暮れの有馬へと矛先を向けた。 あの年の有馬は雨だったか、降ってなくてもガチの重馬場。ただでさえ暗い暮れの中山がほんとにとっぷり暗かったという印象がある。レースは出遅れて最後方追走、それでも最後の最後、あれは確か渋谷か新宿の場外のモニター越しだったけれども、ほんとに一瞬何が起こったかわからないくらいの末脚でゴール前、一気に飛び込んできたのが真っ黒なその一頭。内側ラチ沿いでほぼ勝ちを手にしていた当時の最強馬アンバーシャダイを、きっちりアタマだけ差しきっていた。 ああ、平日真っ昼間っから開催してる地方競馬ってやつにゃ、実にこういうとんでもない馬がうっかりひそんでるんだ、ということを、泥まみれの赤と黄色の橋本善吉氏の服色と共に、満天下に思い知らせてくれたものだ。地方競馬通いにより深く、足踏み入れるようになった頃の、今となってはもう昔話。好きな分マジメに損をしてきた男 今年は、キタサンブラック。父はディープインパクトの全兄とは言え、ぶっちゃけ愚兄賢弟なブラックタイド。生まれも天下の社台サマご一統ではなく、日高は門別福満のヤナガワ牧場。前走ジャパンカップでの逃げ切り完勝は、鞍上ユタカの腕もさることながら、馬自体が間違いなく力をつけていることの改めての証明だった。 ここはもちろん人気になるし標的にもなる、馬券的にも展開的にもおもしろくないけれども、しかし敢えて、敢えてあの「サブちゃん」のこの馬に期待したい。地方競馬も含め、どれだけ競馬が好きで、好きな分どれだけマジメにこれまで損をしてきたか、その片鱗くらいははばかりながらこちとらとて見聞きしてきている。紅白は引退したかも知れないが、なんのその分、暮れの中山でもう一度、あの「まつり」を聴いてみたいってもんじゃないか。ジャパンカップに勝利したキタサンブラックの北島三郎オーナー(左)が「まつり」を熱唱。合いの手をいれる武豊騎手=東京競馬場(撮影・白石智彦) セントサイモンの首ざしだよなあ、とこれは先日、日高のある馬喰がしたたか酔っぱらっての回らぬ呂律で、ふともらしたひとこと。え、なんでまたセントサイモンなのよ、と首ひねっていると、いや、ジャパンカップでな、と濁った眼を向けてきた。あの時の、パドックじゃなくゲート前での輪乗りの様子を見ていて、ああ、ほんとにこれは素晴らしい競馬ウマになったなあ、タネ馬になってもひと勝負預けたくなるような馬だなあ、ヤナガワさんきっちり権利持っといて欲しいなあ。 かつて昭和の終わり、世のバブル任せに競馬もまた天井知らずうかれていた時期に、その最先端の修羅場で見るべきものを見てきた百戦錬磨、老いたりとは言えど未だ手練れのうまやもんの一言。いいや、最後に背中押されたんだ、乗ってみる。 相手は、同じく前めにつけての勝負もできる馬たち。中山だとあとひと脚伸びてくれそうなゴールドアクター、ここに来て充実著しい伸び盛りシュヴァルグランに、牝馬ながら気楽に乗れれば一発ありそうなマリアライト、万一、先行勢が削りあうような乱戦での伏兵アルバートあたりの突っ込みまで考えておきたい。 話題の若武者サトノダイヤモンドは年明けて以降が本領と見てここは着まで、キタサンに2連敗中の人気者サウンズオブアースも、勝負づけはすんでいる、と共に敢えて判断、ここは眼をつぶって軽視しておく。徹底マークで捨て身のつぶしを仕掛けてきそうな馬もいるが、そこはそれ、どうやら巷のろくでなしたちのイメージ以上に強くなってるらしいこの馬の底力と世界のユタカの腕前を再度、黙って信頼しよう。

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    有馬記念、キタサンブラックは伝説になれるか

    年末の風物詩、「有馬記念」がやってくる。普段は競馬をやらない人でもこのレースだけは買うという人も多いだろう。奇跡、衝撃、番狂わせ…ファンは数々のドラマに酔いしれた。もちろん、今年の主役は「北島三郎+武豊」という人気者がタッグを組んだキタサンブラックで異論はない。有馬は再び「伝説」を生み出すか。

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    北島三郎と佐々木主浩に見る引退後の「馬主」人生

    小林信也(作家、スポーツライター) 今年の競馬界は、スターホースとともに「馬主」が話題になった年でもあった。天皇賞を勝ったキタサンブラックは、あの北島三郎氏。公式データの馬主名は「大野商事」と記されているが、これは北島三郎氏が代表を務める有限会社の名前だ。以前から、北島三郎氏が馬主であることは知られていた。初めて中央競馬会の馬主になったのは昭和38年(1963年)というから、馬主歴は長い。しかし、なかなかG1レースに勝つ馬には恵まれなかった。第36回ジャパンカップ1着のキタサンブラック。バンザイする(左から)清水久詞調教師、オーナーで歌手の北島三郎、武豊騎手=11月27日、東京競馬場 (撮影・榎本雅弘) 昨秋、キタサンブラックが菊花賞に勝って初めてG1を制覇。今年はそのキタサンブラックが春の天皇賞と11月のジャパンカップに優勝、馬主としての地位をグッと高める年となった。キタサンブラックは、有馬記念にも出走する。昨春の産経大阪杯からコンビを組み、5戦3勝を挙げている武豊とのコンビは有馬記念でも人気を集めるに違いない。 話題といえば、野球界で一世を風靡した“大魔神”佐々木主浩氏も馬主としてすっかり「実力派」と認められている。何しろ、馬主になってわずか7年でG1を初制覇。すでにG1で3勝を記録している。今年はまた「快挙」も達成した。11月初旬のアルゼンチン共和国杯、持ち馬のシュヴァルグランが優勝したばかりでなく3位にも同じ大魔神の持ち馬ヴォルシェーブが入り、同レースで1着と3着を占める快挙。賞金は2頭合わせて7100万円だった。 佐々木主浩氏がすごいのは、その「眼力」と言うべきだろう。今季の馬主ランキングを見ると、12月18日のレースを終えた時点で賞金額では28位にランクされている。賞金額4億8千914万円。日本プロ野球界の高額年俸選手とほぼ同レベルの収入を馬主として得ていることになる。 1位のキャロットファームは30億円を越え、2位サンデーレーシングも約28億円だから、トップにはまだ差があるけれど、これらはいずれも会社として多くの馬を所有している。わずか6頭の馬で5億近い賞金を稼ぐのは容易ではない。ランキング表をよく見ると、実は“大魔神”が馬主の中でダントツの才能の持ち主ではないかと思えてくる。 勝率は・257。出走すれば4回に1回以上も優勝する計算だ。今季は計35回のレースで9勝を挙げている。連対率は・343、複勝率は・486。つまり、大魔神の馬は2回に1回はほぼ必ず3位以内に入るから、複勝馬券を買っていれば確率5割で配当をもらえる。これらの数字が、かなり驚異的であることはランキング表全体を見渡せばすぐわかる。 賞金総額1位のキャロットファームの勝率は・131。2位サンデーレーシングの勝率は.133、それでも上から数えて4番目。50傑まで見ても、半分以上は0割台だ。大魔神に続く高勝率は・155の大野商事。つまり北島三郎氏。大野商事は賞金総額7億5千732万円でランキング12位。先輩の貫禄と言えるだろうが、連対率.268、複勝率.380、ともに佐々木主浩氏には大きく離されている。それほど、佐々木主浩氏は効率的に稼いでいる。馬を見る目があり、勝たせる環境作りが上手い、あるいは厩舎やジョッキーら、ブレーンに恵まれているのだろう。阪神大賞典1着11番・シュヴァルグラン、握手をする 佐々木主浩オーナー(左)と福永祐一騎手=阪神競馬場 個人の馬主では、里見治氏も話題になった。ディープインパクト産駒のサトノダイヤモンドが菊花賞を制し、馬主になって24年8ヵ月目でようやくG1制覇にたどり着いた。里見氏は、セガサミーホールディングスの会長兼社長。1億円以上の高額取引馬がクラシックを制覇したのは2001年の菊花賞を制したマンハッタンカフェ以来という点でも話題となった。サトノダイヤモンドは、セレクトセールで2億3千万円の値が付いたサラブレッドだ。 馬券で確実に儲けている人はごく少ないと言われるが、馬主はどうなのか? 高額賞金の数字だけ見ると羨ましい限りだが、実際には黒字の馬主はそれほど多くないと言われる。一頭所有すれば、維持費だけで月に約400万円かかるという。年間約4800万円。しかも購入費用もある。これらの出費を上回る賞金を稼いでくれないと、馬主は赤字になるわけだ。そのマイナスも、馬券をコツコツ買う以上に大きい。 勝つために、血統のよい「高い馬」を買う道もあれば、目利きを生かし、「リーズナブルな馬」で稼ぐ馬主もいる。佐々木主浩氏は、今年7月、キングカメハメハ産駒で、エアグルーブの血を引く良血馬を2500万円で落札した。もっと値が上がると予想されていた馬を比較的リーズナブルに入手できたと、本人のコメントもニュースで流れた。この馬がレースに出走すれば、当然また話題になるだろう。さらに佐々木主浩氏のランキングを押し上げる孝行息子になるかもしれない。 それにしても、紅白歌合戦から引退を宣言した北島三郎氏、プロ野球から引退して久しい佐々木主浩氏がいずれも現役の馬主として勝負し、第一線で活躍している。芸能界、スポーツ界で頂点を極めた後の「馬主という生き方」がこれからますます注目されるかもしれない。

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    日経新聞の競馬予想 「めっちゃ当たる」裏に専門記者の存在

    。 実は今、日経の「競馬欄」の予想が「めっちゃ当たる」と競馬ファンの間で話題になっているのだ。日経のスポーツ欄は他紙に比べて小さいが、競馬欄が占めるスペースは意外や広い。さらに意外なのが、その予想的中率の高さだ。1991年の有馬記念で大波乱を演出したダイユウサク(中央、熊沢騎手が右手を上げる)。今年は波乱か、それとも… たとえば5月1日に東京競馬場で開催された12レース中、実に11レースで日経が「本命(◎)」もしくは「対抗(○)」とした馬が1着でターフを駆け抜けた。8日開催の12レースも8レースを的中。各日のメインレースとなった1日の天皇賞と8日のNHKマイルカップ(いずれもGI)でも、日経はいずれも勝ち馬に「○」の印を付けていた。 これからオークス(5月22日)、日本ダービー(5月29日)、安田記念(6月5日)、宝塚記念(6月26日)と大きなレースが続くこともあり、注目を集めている。 しかし、運動部の記者が少ない日経の競馬予想がなぜこれほど優れているのか。実は日経には競馬の「専門記者」がいて、取材と予想に励んでいる。競馬専門紙の記者が実情を明かす。「全国紙で競馬専門の社員記者を置くのは日経だけ。系列のスポーツ紙記者や競馬ジャーナリストの予想を掲載することの多い全国紙としては異例です。関東と関西にそれぞれ記者を常駐させています」 実は日経新聞と競馬の関わりは深い。競馬中継の全国放送を行なっている短波放送「ラジオNIKKEI」は日経のグループ会社。「日経賞(GII)」や「日経新春杯(GII)」などグレードの高いレースの冠スポンサーでもあり、中央競馬と近い関係にあることから、競馬情報が紙面で大きく扱われるのだ。関連記事■ 我こそはという馬券師は大穴狙える梅雨に競馬場へ足運ぶべき■ 高橋源一郎氏が世界各地の競馬場を訪ね歩いた経験を記した書■ 12戦11勝の「競馬予想の神」 皐月賞のジンクス終焉を予想■ 2070万円馬券演出の江田照男騎手の「買い方」を競馬記者指南■ 収監直前のホリエモン ネットでダービー予想するも

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    京大式「3連複重視」理論ならGI的中はそれほど難しくない

     秋競馬もいよいよ本番。10月には秋華賞(16日)、菊花賞(23日)、天皇賞(30日)とビッグレースが目白押しだ。そんな中、京大大学院を休学し競馬予想家に転じた久保和功氏の競馬本が話題になっている。『京大式 最強の馬券セミナー』の著者・久保氏にきいた。「大学院時代、競馬場のパドックで偶然出会った競馬予想家の赤木一騎氏に教えを乞うと、驚くほど勝率が上がったことで、虜になった。そのまま休学し、この道に入りました」 久保氏の京大式必勝法は「馬券の買い方」にある。「最初から穴ありきで人気薄の馬券を買うのはオススメできない。あくまで軸馬は人気馬から選ぶべきです。これで大きく勝率は変わる。私は、まず軸に据えた馬の単勝の倍率が3倍を超えれば、シンプルに単勝を交ぜて買いますね」復活ラストランで有馬記念優勝を飾ったオグリキャップ(鞍上は武豊)=1990年12月23日 実際、2013年のフェブラリーステークスから2016年の宝塚記念まで、平地(障害以外)で開かれたGI77レースで、1~3番人気馬が1頭も馬券にからまなかったのは、わずか6レースだという。「つまり、1~3番の人気馬から軸となる馬さえしっかり選べば、GI的中はそれほど難しくない」(同前) そんな久保氏が強く推奨する買い方が、着順不問で1~3着の組み合わせを予想する「3連複」だ。「1頭の軸馬を決めて、2軸目となる馬を3頭、3軸目を10頭以上選んで買えば、馬券的中確率が高くなる。1~5番人気馬がすべて4着以下になる確率は低いので、軸馬をきっちり選べれば、『3連複』は的中しやすい。しかも穴馬が1頭でも入れば、大きなリターンを期待できる」 必然的に購入額も多くなるが、「3連複の平均配当は約2万5000円と高く、的中率も良いので高配当を狙ってチャレンジしてほしい」(同前)と強調する。 もちろん、久保氏が軸を選ぶ基準は単に人気だけではない。注目するのは「推定3ハロン」のタイムだ。「まず、過去のレースから前・後半3ハロン(約600メートル)の速い馬を算出。前・後半3ハロンどちらが速い馬が該当レースで有利なのか、コースや距離などから判断します」 芝のGIレースを例にすると、過去6年間のデータから、「推定後半3ハロン」のタイムが1位の馬の勝率が高いため、要注目だ。関連記事■ 我こそはという馬券師は大穴狙える梅雨に競馬場へ足運ぶべき■ ゴールドシップに死角は? 初の宝塚記念3連覇の可能性を分析■ 安田美沙子 100万円の配当ゲットで「馬ドル」生命延びる■ 高橋源一郎氏が世界各地の競馬場を訪ね歩いた経験を記した書■ 日経新聞の競馬予想 「めっちゃ当たる」裏に専門記者

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    本田圭佑「不要論」は間違っていない

    エゴイスト。6年前、サッカーW杯南アフリカ大会で輝きを放った本田圭佑は、誰よりもこの言葉が似合う自信に満ち溢れていた。久しく「絶対的エース」の座を譲らなかった彼もまた世代交代の波にもまれ、不要論まで公然と叫ばれるようになった。それは何も間違っていない。彼が今もスターである証なのだから。

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    「反撃者」本田圭佑は理想を捨てるべきか

    河治良幸(サッカージャーナリスト) 「スターとはチームがスターである」 昨年3月の就任会見でヴァイッド・ハリルホジッチ監督は代表チームにおいてポジションが約束された選手はいないことを宣言した。チームのベースを作る上でザックジャパン、アギーレジャパンの主力を担ってきた本田圭佑も例外であるべきではない。 本田圭佑はハリルジャパンにおいても9月3日のUAE戦までW杯予選で7試合連続ゴールを決めるなど、代表における結果で存在価値を示してきたが、ミランでの出場機会をほとんど得られない中で、パフォーマンスが落ちてきていることも確かだ。W杯予選に出場するために帰国した本田圭佑=10月4日、成田空港 1トップで先発した先月のオーストラリア戦は原口元気の先制ゴールをアシストし、守備面やカウンターの起点としてチームに貢献したが、競り合いの着地の際に足首をひねり、復帰直後の練習は別メニューに。10月16日のキエーボ戦は出場なしに終わった。 翌週のジェノア戦では今季初先発のチャンスを得たが、失点につながるミスなど低いパフォーマンスに終わり、現地メディアにも酷評された。その後の2試合で本田の出場はなく、チームも連勝を飾ったことで、ミランでの立場はますます厳しいものになっている。 ビジネス面での活動などがプレーの妨げになっているという声もあるが、筆者としては大きく影響していないと考えるし、実際に世界のトップ選手の多くはサイドビジネスを展開しているからだ。ただ、結果を出していないとプロのサッカー選手として風当たりが強くなる要因になってしまうことも確かだ。 「(オマーンは)あまりプレー機会の少ない選手にもチャンスを与えたい。もしくは海外で試合に出られていない選手」 そう語ったハリルホジッチ監督は従来通り右ウィングに本田を起用した。戦前に「色々と試したい」と言っていた本田はベンチスタートの長谷部誠に代わりキャプテンマークを巻いて登場。中央寄りでトップ下の清武らと近めの距離を取りながら、1タッチとボールキープを使い分けて攻撃に絡んだ。 ボールタッチなどの感触に加え、本田が特に意識したのは周囲をサポートする位置だ。速い攻撃の中でも単調にならない様に近い位置で周りに絡んでいこうというビジョンはプレーから見えた。大迫による2つの得点も本田の存在あればこそ生まれたものだ、ただ、全体としてプレーが効果的だったかどうかは難しいところ。本田が1クッション絡むことで、攻撃のダイナミズムが失われる向きもある。「本田外し」が特別なワケ また純粋に試合感の問題からか、ボールタッチが精度を欠き、背負った相手にボールをかき出されてしまうなど、良い状態の本田とはかけ離れたプレーも目に付いた。本田なりに日本がより得点率を上げるために構築して行くべきことのビジョンはあるのだろう。問題の1つはそれがハリルホジッチ監督のスタイルでどれだけ効果的なのか。そして本田自身のビジョンに実際のプレーが追い付いているのか。2つの面から本田の存在意義は問われている。 「キーとなる選手でも、交代で出る選手のパフォーマンスの方が高ければ私はその選手を使う。それに関してはまったく問題を抱えていない」 そう語るハリルホジッチ監督が「(オマーン戦で)試合のリズムが足りないのが確認できた」と評価する本田をサウジアラビア戦でスタメンから外すかどうかは1つの注目点になるが、これが普通の選手なら一度ぐらいスタメンから外しても、次の試合に向けてアピールすれば良い意味での競争になるとポジティブに受け取ることもできる。W杯アジア2次予選日本対アフガニスタン。ベンチの本田圭佑(右)ら=3月24日、埼玉スタジアム2002 それは日本代表で豊富な経験と実績を持つ岡崎慎司や代表でずっと厳しい目にさらされてきた香川真司ですら、その例外ではない。ただ、本田の場合はチーム作りにおける影響力に加え、発言力も強いために1つ1つの言動が大きく取りざたされ、記事などの見出しになりやすいという性質もある。 オマーン戦では61分に本田との交代で出場した浅野拓磨が鋭い飛び出しでPKを獲得するなど、本田と異なる持ち味でアピールした。ハリルホジッチ監督は就任時から「日本の選手はディフェンスの裏への意識が足りない」と言い続けてきたが、そうした要求に明確な回答を示す様なプレーだった。 もちろん、そうした裏への意識だけで攻撃が成り立つわけではないが、テンポ良く縦にスピードアップしていくスタイルをベースに、状況や相手に応じてアクセントを加えていくというのが現在のチームの基本的な考え方であり、そこに良い意味でアレンジは加えても、反してしまえばチーム作りとしては逆効果になりかねない。 チームのベースを作って行く段階において本田が重要な働きをしてきたことは間違いない。ただ、オマーン戦で本田なりの感触なり手応えなりを得たものが指揮官にとって「試合のリズムが足りない」要因なのだとすれば、コンディションに関わらず今後の起用法に大きく影響を与える可能性がある。ハリル監督とのズレ 本田はこれまでゴールやアシストという結果によって日本代表を引っ張ってきたが、90分のプレーを見るとスローインの受け手として、相手のビルドアップにプレッシャーをかけるファーストディフェンダーとして、相手の守備を自分のところに引き付け、周りに前を向かせる起点として機能してきた。そうした総合的な働きではチームでも最高レベルにある。 ただ、現在のパフォーマンスが主力として物足りないことも確かで、クラブでの状況も影響しているのは間違いないが、こと右ウィングに関しては戦術的に浅野や怪我で今回は選外だった小林悠の方がよりマッチする部分もある。チームの方向性は同じでも、選手の特徴が同じ必要はない。ただ、ハリルジッチ監督の目指すものが理想に近づくほど、本田の持つ特性から離れていく実情はあるかもしれない。サッカーキリンチャレンジ杯日本対オマーン。試合後、目も合わせず引き揚げる本田圭佑(左)とハリルホジッチ監督=11月11日、県立カシマサッカースタジアム 自分がスピードを出すよりも、味方のスピードを引き出せる1トップがメインになる可能性もあるが、ストライカーが本職の大迫勇也の様にゴール前の最前線でフィニッシャーとして決定的な仕事ができるかと言えばノーかもしれない。やはり、このポジションではメインではなくオプションの扱いではないか。 どのポジションにしても、もし本田がスタメンのファーストチョイスから外れた場合、ハリルホジッチ監督がメンバーに招集し続けるかどうか。それは本田の振る舞い次第かもしれない。サブという立場に満足する必要は全くない。ただ、スタメンが当たり前ではない状況を受け入れた上で、出番を得るためにアピールするという行動を取れるかどうか。 代表に競争は付きものだが、絶対的な主力として長く定着してきたことによる難しさはある。本田には個人としてはプレーのパフォーマンスを上げること、スタメンを外れたとしても健全な競争に身を投じながらアピールしていくことを願いたい。そのためにも所属クラブで常に出場できる状況にしていくことが条件になるだろう。周りがいかに騒ごうが結局、日本代表の戦力であり続けられるかどうかは本田の振る舞い次第であり、監督の決断にかかっているのだ。

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    一度落ちることが勢いになる。ロシアで牙むく本田圭佑の「強さ」

    番いいパフォーマンスの選手が誰なのかは、これから確認していかないといけない」 これを受けて一夜明けたスポーツ紙を中心とするメディアは、サウジアラビア代表を埼玉スタジアムに迎える15日のワールドカップ・アジア最終予選第5戦における「本田外し」を大々的に報じた。 そして、時間の経過とともに、図らずも流れは大きくなっていく。サウジアラビア戦前日には本田が主戦場としてきた3トップの右に、スピードスターの異名をもつFW浅野拓磨(シュツットガルト)が先発することがほぼ確実な状況として伝えられている。 本田が日本代表の大黒柱に定着したのは、2010年6月のワールドカップ・南アフリカ大会の直前だった。精彩を欠いていた司令塔・中村俊輔(横浜F・マリノス)をベンチへ退けさせ、本職ではない1トップで全4試合に先発出場。2ゴールをあげて、日本がベスト16へ進出する原動力になった。 あれから6年あまり。当時24歳だった本田は、今年の6月で30歳とベテランの領域に足を踏み込んだ。どんなスーパースターでも、必ず母国の代表チームに別れを告げる瞬間が訪れる。黄金の左足で一時代を築いた中村は、南アフリカ大会直後に「代表引退」を表明していま現在に至っている。 結果として中村に引導を渡した形となった本田の目の前に、サッカー人生で最大のターニングポイントが訪れているのか。ハリルジャパンの「未来」に必要か否かを論じる前に、いま現在の本田がなぜ精彩を欠いているのかを確認しておきたい。すべては所属するミランを取り巻くチーム状況に帰結している。「時代が終わった」 本田とミランの契約は来年6月で切れる。CSKAモスクワから完全移籍で加入し、本人のたっての希望で「10」番を背負ったのが2013年12月。期待に見合った結果を残しているのであれば、ミランと代理人との間で契約延長に関する交渉が始まっていてもおかしくない。 しかし、ミラン側にその意思はなく、むしろ昨シーズンわずか1ゴールに終わった本田は今夏の放出リストに名前が含まれていた。契約を残した状況で移籍すれば、ミランは違約金を手にできる。本田のそれは1000万ユーロ(約11億6000万円)に設定されていると、イタリアのメディアが報じたこともある。セリエA サンプドリア―ACミラン ベンチ入りしたが出場機会はなかったミランの本田圭佑=9月17日、ジェノバ この違約金が高額だという理由で他のクラブが二の足を踏み、さらに本田自身がヨーロッパの主要リーグでのプレーを希望したこともあって、本格的な交渉には至らなかった。 しかし、実質的な構想外となった選手に居場所はない。今シーズンから指揮を執るヴィンチェンツォ・モンテッラ監督から声がかからない状況に、UAE代表とのワールドカップ・アジア最終予選を戦うために、8月下旬に帰国した本田はこう言及していた。 「確かに序列のスタート地点で、いままでよりも何が状況的に変わったかというと、契約が満了に向かっている選手という扱いになってきている気がする。やはり序列が低いので、もう少しアプローチのやり方を変えないと、簡単には試合に出られないのかなという気がしますけどね」 今シーズンの本田はわずか3試合、合計81分間しかプレーしていない。つまり、1試合に満たない時間しか、セリエAのピッチに立っていないことになる。10月25日のジェノア戦で初先発のチャンスを得たが、見せ場を作れないまま後半17分にベンチへと下げられている。 オマーン戦から一夜明けた12日には、ミランにおける自身の立ち位置について「時代が終わった流れがあるとすごく感じる」と、さらに踏み込んだ言葉を残してもいる。 「2年半やってきて、自分のなかでは成果を残せなかった。カカやバロテッリをはじめとする名選手たちが、困難な時代を何とかしようと一丸になってやってきたけど、誰しもが乗り越えられなかったなかで俺もその一人だということ。その結果として完全に若返るチーム編成になった段階で、俺が外されるのはすごく理解ができる。誤解してほしくないのは、別にミランにしがみついているわけでないということ。願った移籍がかなわなかったからミランにいる状況下であり、なおかつ試合に出られていないという話なので」試合に必要なスタミナは試合でしか得られない 返す刀で、日本代表における居場所がなくなりつつある状況へ牙を向けた。本田自身、ミランにおける厳しい状況が日本代表でのパフォーマンスにも影響を与えるのか、と問われると判で押したように「問題なし、としないと試合に出るべきではない。心身ともに準備はできている」と同じ言葉を繰り返してきた。最低限の結果を残してきたという自負がある分だけ、オマーン戦翌日の舌鋒は鋭かった。サッカー・ロシアW杯アジア2次予選 日本対カンボジア。カンボジアに快勝し、ガッチリ握手する日本のバヒド・ハリルホジッチ監督(左)と本田圭佑=9月3日、埼玉スタジアム2002 「代表においても、例えばロシア大会のあとにそれ(若返り)が来るとか、いろんなことを考えて(ハリルホジッチ監督が)発言するなら、俺はそれを受け入れる必要がある。ただ、俺はこれまで代表で自分の力で道を切り開いてきたと思っているし、当然ながら自分が代表にふさわしい選手かそうでないか、ということは自分で判断できると思ってもいる。ミランではそれを自分で判断できているわけで、誤解してほしくないのは監督が選ぶ権利はあるものの、俺が自分で判断できるということ。サウジアラビア戦は、少なくともスタメンで出るための準備をしている」 所属クラブで試合に出られない状況が、選手にどのような悪影響をもたらすのか。ある日本代表経験者から「試合に必要なスタミナは、試合でしか得られない」と聞いたことがある。実際、9月、10月、そして今月のオマーン戦と続いた代表戦で、後半になると本田は明らかに動きに精彩を欠くようになる。 ボールキープ力を武器のひとつとして搭載しながら、オマーン戦では不用意なボールロストが少なくなかった。フィジカルの強さも代表のなかでは群を抜いていたはずが、簡単にピッチの上に転がされた場面もあった。俗にいう「試合勘」の欠如もあるし、何よりも選手は試合で感じた課題を翌週の練習でさまざまなアプローチから克服して、再び試合に臨むサイクルのなかで心技体を成長させていく。 約1年5ヶ月ぶりに代表復帰を果たしたオマーン戦で2ゴールをあげたFW大迫勇也(ケルン)は、好循環の真っただ中にいる象徴といっていい。ヘルタ・ベルリンでレギュラーの座をがっちりとつかみ、日本代表でも3トップの左に定着した原口元気は、蓄積した疲労を考慮されてオマーン戦ではベンチスタートだった。本田がボールを「溜める」理由 翻って本田は、ミランでベンチウォーマーの状況が続けば現状維持が精いっぱいとなる。そうした状況と相まって、ハリルホジッチ監督はオマーン戦後に本田の先発落ちを示唆したことになる。本田自身も「それは監督が決めること」と先発を含めた選手選考が指揮官の専権事項であると認めた一方で、持論を展開することも忘れなかった。サッカーキリンチャレンジ杯日本対オマーン代表。後半、競り合う本田圭佑=11月11日、県立カシマサッカースタジアム 「ただ、外すという選択をするというのは、いろいろな意味があると思うので。その意味を監督が説明できる必要があるし、自分自身も納得できるものがあれば受け入れる必要はある。(自分の手応えと監督の評価の)ギャップは感じていますし、(監督からの)批判もありがたいことだと感じてもいる。それを見返したいという気持ちがなくなってしまえば、サッカーをやめるべきなので。ただ、自分が強がって発言するだけではなく、いまは『本田はパフォーマンスを上げてきた』とか『もう一度本調子に戻してきた』と言われなければいけないと思っているので」 中学卒業時にガンバ大阪ジュニアユースからユースへの昇格がかなわなかったように、本田は叩き上げのサッカー人生を自負している。強烈なまでのプライドと自分自身に対する自信、誰にも負けてなるものか、という執念にも近い反骨精神がいままでも、そしてこれからも本田を支えていることが見え隠れする。 実際、オマーン戦ではポジティブな部分も見て取れた。就任以来、一貫して縦への推進力を標榜してきたハリルホジッチ監督のスタンスに対して、本田は異議とはいわないまでも、ある種の違和感を覚えていた。そうした本音を包み隠すことなく、オマーン戦前にはこんな言葉を残してもいる。 「試したいことがいくつかあるので。コンビネーションのやり方、その時の選手の動き方、ボールのもっていきどころ、というのにちょっとだけ変化をつけたいと思っていて。そのへんで自分とポジションが近い選手との意思疎通を、テストマッチということを意識して、変えるという意味でトライしてみようかなと」 縦一辺倒の攻撃だけでは、相手の脅威にはならない。スピードが上がれば、必然的にミスも増える。むしろ不用意なボールロストから、相手のカウンター攻撃を食らいかねない。特に強敵がそろうアジア最終予選に入って日本が苦戦を強いられている原因のひとつに、指揮官が掲げる戦術が機能していない点があげられる。 何よりも、歴代の日本代表がストロングポイントとしてきた細かいパスワークを、2年前のワールドカップ・ブラジル大会で惨敗したという理由で、一気に捨て去る必要はない。パスワークに縦に速い攻撃、つまり「緩」と「急」を自在に織り交ぜていってこそ、日本代表が進むべき新しい道が見えてくると本田は訴えたかったのだろう。日本代表対オマーン代表 先制ゴールを決める日本代表・大迫勇也=11月11日、県立カシマサッカースタジアム 実際、オマーン戦の前半42分に大迫が決めた2ゴール目には本田が言及した「試したいこと」が鮮明に反映されていた。右サイドでMF山口蛍(セレッソ大阪)からMF清武弘嗣(セビージャ)、再び山口と細かいパスをつないだところで中に絞ってきた本田が絡み、本田を追い越すように中央へ走り込んできた清武へパス。ワンタッチで放たれた清武のスルーパスを、大迫がトラップから華麗なターンを駆使してゴール左へシュートを決めた。 一連の美しい流れのなかで、スピードのなかで「溜め」を作る、いわゆる「緩」をつける存在となりえたことに、本田自身も手応えを感じていた。 「ああいうシーンは、最近は皆無だった。こういうテストマッチが入ったからこそ、やれたこと」 サッカーという競技は、野球のようにタイムをかけられない。いざキックオフの笛が鳴れば、ピッチの上で起こるさまざまな事象に対して、選手個々が判断して勝利を目指さなければいけない。試合前に与えられた監督の指示だけを守っていては、まさに秒単位で変わっていく状況にとてもじゃないが対処できない。 性格的に従順とされる日本人は、ともすれば指示を待つ傾向が強い。強烈なカリスマ性を見せつけるハリルホジッチ監督の場合はなおさらだ。だからこそ本田のメンタルは異彩を放つし、同じような存在感を放つ選手は、残念ながらいま現在の代表チームには見当たらない。つまり、心技体の「心」の部分で、まだまだ本田は日本に必要な選手となる。 「何度も言ってきたことだけど、(ミランで)試合に出る、出ないというよりも、自分の精神的な状況そういうものを左右するのかな、と。そういうもの? 結局、頭のなかをどうもっていくのか。自分が試合に出ていないことで体力に不安があるんじゃないか、ボールタッチがどうなのか、試合勘がどうなのかと、そういう言葉ばかりが脳のなかに入ってくることが問題なので。精神面による意識が実際にプレーに反映すると、俺はあらためて思いましたね」本田がもつ「強さ」 名古屋グランパスから移籍したVVVフェンロ―(オランダ)では2部降格と、キャプテンとして1部復帰へ導く波瀾万丈を経験した。CSKAモスクワでは結果を残しながら、4年契約をまっとうするまで移籍を認められなかった。そして、子どものころから憧れてきたミランで味わわされた苦渋。もともとタフだった本田のメンタルを、海外へ飛び出してからの9年間がさらに強靭なものに変貌させた。サッカーW杯ロシア大会アジア最終予選 日本―UAE 先制ゴールを決め、ガッツポーズする日本・FW本田圭佑=9月1日、埼玉スタジアム2002 「一度落ちることが勢いになる。自分としても、そういう道を歩んできたので」 こう公言してはばからない本田がもつ「強さ」は、32歳で迎える2年後のロシア大会でも必ず日本に必要となる。だからこそ、未来をどのように変えるか。どれだけ精神面でカバーしても、ミランでの現状が続けば、すでに決して小さくない影を落としている代表でのパフォーマンスに必ず響いてくる。90分間持続しないコンディションが続けば、残念ながら「不要論」もいままで以上にわきあがってくる。 サウジアラビア戦をもって日本代表は2016年の活動を終え、スケジュールは来年3月下旬まで空く。その間、年明け早々にはヨーロッパで冬の移籍マーケットが開く。ミランとしても来夏に契約満了で本田を放出するよりは、半年ながら契約を残した状況で放出して、違約金を手にするパターンを歓迎するだろう。 今シーズン後半で常に試合出場に絡めるチームへ移籍しなければ、本田の2017年は深刻な状況に陥らざるを得ない。好まざるチームばかりが選択肢のなかに入ったとしても、本田自身をして「しがみついているわけではない」と言わしめるミランと決別すること。プロ人生で通算5チーム目のユニフォームに袖を通すことが、復活への序章となる。

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    失速してもなお「王様」本田圭佑 復活が導くW杯への道

    川端康生(フリーライター) 日本代表が苦しんでいる。ここまで4戦を終えて2勝1分け1敗。このままならアジア予選でのワールドカップ出場権獲得はならず、大陸間プレーオフに回る順位に甘んじている。しかも、結果(成績)だけでなく、内容もよくない。初戦で敗れたUAE戦だけでなく、終了間際の山口の劇的なゴールで勝ったイラク戦も、負けていてもおかしくない内容だった。 敵地でのオーストラリア戦にしても、引き分けという結果は納得できるものだったが、内容的には予想以上の劣勢。ボール支配率で言えば、日本3対オーストラリア7。何とか守り切って、辛うじて手にした勝ち点「1」だった。「強敵とのアウェーだったのだから」と納得することはできても、「ではホームでなら勝てるか」と問われれば沈黙せざるを得ない、そんな試合だったのだ。【日本―オマーン】前半、攻め込む本田=カシマサッカースタジアム 同じ文脈は、「まだ前半戦だから」という楽観に対しても流用できる。つまり、まだ前半戦であることは確かだが、「では後半戦になって巻き返せるのか」と問われれば…。それほどまでに、ここまで4試合の日本代表の戦いぶりは悲観的なものだったということだ。 そんな現状のせいだろう。「本田圭佑」がしきりに取り沙汰されている。不調の本田をスタメン起用し続けるべきか、否かである。 彼に焦点が向けられるのは当然だ。日本代表の中心、王様、アンタッチャブル……表現は何でもいいが、近年の日本代表を牽引し、それどころかチームが苦境に陥ったときいつも存在感を示してきたのが彼だったからだ。苦しいときに頼りになる男、それが本田だった。 そもそもその登場からそうであった。ビッグプレーヤーとして認知されることになった南アフリカ・ワールドカップ。あのときも日本代表は危機にあった。3戦全敗濃厚。そんな前評判を覆し、チームのムードを変えたのは初戦での本田のゴールであった。決して見栄えのいいゴールではなかったが、それをきっかけに日本代表は突然、変身。決勝トーナメント進出を果たしたのである。 実は大会を通じて本田のゴールは2得点だけだったのだが、得点以外のプレー、ピッチ上での振る舞いも含めて、そのインパクトは強烈だった。そこから“本田ジャパン”ともいうべき時代が始まったのである。以後6年、小さな波はありつつも、日本代表において常に本田は絶対的な存在感を放ち続けた。「結局、本田だったね」。苦戦の後でそんな呟きを漏らしたことが幾度となくあった。 ところが、その本田が明らかに不調である。不調というより、パフォーマンスが低調なのだ。原因はやはり所属クラブであるミランで出場機会が得られていないことだろう。ポジションをつかめないでいる今季はまだトータルで81分(12試合終了時点)しか出場できていない。 サッカーに限ったことではないが、練習と試合は違う。練習でどれほどトレーニングをしていても、試合に出場できなければ「ゲーム体力」は落ちる。当然のことながら「ゲーム勘」も失われてしまう。事実、この予選の中でもそうした兆候は見られた。動きはいつもどこか重く、苦しそうに肩で息をする姿。パスやトラップといったボールスキルでのエラー。見えにくいところでは相手選手との駆け引きでの後手。とにかく「らしくないプレー」が随所に見られたのだ。 何より僕がショックだったのは、彼がボールを失うシーンが再三あったことだ。ボールキープ力は彼の最大のストロングポイントである。本田にボールを預ければ奪われることはない。それが日本代表チームに安心感をもたらしてきたのだ。ところが、それがままならなくなっている。いや、それさえもままならなくなっている。それほど本田個人のパフォーマンスが低下しているということである。本田をスタメン起用し続けるべきか では、そんな本田をスタメン起用し続けるべきか。ハリルホジッチ監督は外す気がする。現状(チーム状態と周囲の空気)を考えれば、むしろその決断の方が受け入れられやすい。だが、僕はYES。理由はいずれも消極的なものだが(不調なのだから積極的理由があるはずがない)、スタメン起用すべきと考える。 まず本田が途中から出場して活躍するタイプではないこと。逆にスーパーサブとして期待できる選手は浅野をはじめとして揃っている。もしプレーさせるのであれば、やはりスタメンの方がいい。それに本田を“復活”させるのであれば、やはり試合に出した方がいい。ゲームを重ねることで彼のパフォーマンスが上がってくる可能性は十分ある。円陣で話をするハリルホジッチ監督と耳を傾ける本田圭佑=13日、埼玉県さいたま市内 (撮影・中井誠) さらに言えば、「本田がいる」ことが相手に与える脅威。いかに調子が悪いとはいえ、対戦相手にとって「HONDA」は無視できない存在である。日本代表のチームとしての戦いぶりに期待できない以上、使えるものは何でも使いたい(それほど現在の日本代表に悲観的ということである)。 そして最大の理由は、本田を外して負けた場合の影響だ。その大きさに耐える力が現在の日本代表にあるかどうか。悪くするとこのまま浮上することなく、ワールドカップ出場を逃すことになりかねない。そんなリスクのある大事は、最終予選の前にやっておくべきこと。ここまで来てしまった以上、チームのリニューアルには出場権を勝ち取ってから取り組んだ方がいい。 ただし、スタメン起用するにしてもポジションは変えたい。本田が主に起用されているのは、システムで言えば「4-2-3-1」の「3」の右サイド。本来であれば、右サイドバック(酒井宏)と絡んでチャンスを作りだすポジションだが、二人のコンビネーションがいい形で発揮されることはここまでほとんどない。 彼自身のコンディション、そしてポジショニングの癖(もともと本田は中央に入っていきがちな選手)から考えても、比較的運動量が軽減され、同時にゴールに近い位置でプレーさせた方がいい。その意味ではオーストラリア戦のような「1トップ」(4-2-3-1の「1」)もありである。 いずれにしてもサウジアラビア戦は大一番である。日本代表が悲観的な戦いぶりを繰り返し、これまでならそんなときに頼りになってきた本田が不調にもかかわらず、日本はまだ現時点では3位につけているのだ。幸運と言っていい(イラクに負けていたら…と考えるとぞっとする)。だからこそサウジアラビア戦は、決して誇張ではなく、まさしく「絶対に負けられない戦い」。 もしも、負けるようなことになれば、来年のスケジュール帳に「プレーオフ」を書き込む必要があるだろう。そして、“本田ジャパン”からの世代交代に取り組むことになる。

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    本田のリハビリ? ハリルJ、サウジ戦4日前に親善試合の目的

    ビアから白星をもぎ取る歓喜のシーンから逆算した、もうひとつの真剣勝負も幕を開ける。(文責・藤江直人/スポーツライター)

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    パフォーマンスは決して悪くない 過熱する「本田外し」に異議あり

    飯尾篤史(スポーツライター) 本田圭佑は、日本代表に本当に必要なのか――。 世代交代を促す声は以前からあったにせよ、最終予選の前半戦でこんな議論が巻き起こることなど、半年前には思いもしなかった。【日本―オマーン】 後半、競り合う本田圭佑=カシマサッカースタジアム (撮影・中井誠) 2010年の南アフリカ・ワールドカップでチームを決勝トーナメントに導いて以降、本田はまぎれもなく日本代表において最も重要な選手だった。 本田自身、「代表では自分の力で道を切り開いてきた」と語っているように、南アフリカ・ワールドカップのカメルーン戦での決勝ゴール、デンマーク戦での先制ゴール、12年6月のヨルダンとのアジア最終予選でのハットトリック、13年6月のオーストラリアとのアジア最終予選でのPK、13年11月のオランダ戦での同点ゴール、14年ブラジルワールドカップのコートジボワール戦での先制ゴールなど、「ここぞ」という場面で本田が叩き込んだゴールは、いくらでも浮かんでくる。 そんな本田に不要論が生じるようになったのは、アジア最終予選がスタートした9月からだ。所属するミランで試合に出られなくなり、最終予選で試合勘の欠如やスタミナ不足を露呈するようになった。9月のタイ戦では後半から運動量がガクッと落ち、10月のイラク戦では本田がベンチに下がったあとで山口蛍の決勝ゴールが生まれた。さらに、11月11日のオマーンとの親善試合でヴァイッド・ハリルホジッチ監督が「本田は試合のリズムが足りていないことが確認できた」と語ったことが、不要論に拍車をかけた。 もともと、指揮官の目指す「縦に速いサッカー」と、本田のプレースタイルとの相性は決して良くなかった。本田はゲームの組み立てに関わりながらフィニッシュの局面に顔を出すタイプ。右ウイングを任せられてきたものの、決してスピードがあるわけではない。だから、コンディションのいかんにかかわらず、スタイルの違いや起用ポジションをめぐる問題は、いずれ起きていたかもしれない。ベストでなくても結果を残す その点で、興味深かったのがオマーン戦だった。 プレーメーカータイプではなく、ボール奪取に優れる山口蛍と永木亮太がボランチを務めたことで中盤でのパス回しはシンプルになり、一方、相手のゴール前では本田や清武弘嗣、齋藤学、大迫勇也ら攻撃陣のコンビネーションによって崩しが見られた。練習に臨む本田圭佑(中央)。奥はハリルホジッチ監督=14日、埼玉スタジアム2002(撮影・中井誠) 指揮官の望むスピーディーな攻撃と、日本の強みであるショートパスによる連動した攻撃がうまくマッチしていたように感じられたのだ。 そのなかで、本田のパフォーマンスも決して悪いようには思わなかった。 本田がマークを引き連れてインサイドにポジションを取ることで、右サイドバックの酒井宏樹やトップ下の清武をフリーにする場面が何度か見られ、球離れもよく、ワンタッチ、ツータッチで周囲にボールを預け、前線に走り込んでいた。 ペナルティーエリア内で清武とパス交換をした16分、続けざまにシュートを放った25分、齋藤にロングフィードを送った28分、ミドルシュートを放った57分の場面など、本田がチャンスに絡んだ回数も少なくない。大迫が決めた2点目もゴールシーンでも、山口からのパスを受け、タメを作って清武に預けたのは本田だった。 だが、指揮官のコメントは、ハッパを掛ける意味ではなく、本音だったようだ。13日に行われた戦術練習では本田が主力組から外れ、代わって浅野拓磨が起用されたようなのだ。 もっとも、実際に15日のサウジアラビア戦で浅野がスタメンに抜擢され、本田がベンチに回ったとしても、本田が日本代表に必要ないと結論付けるのは短絡的だ。コンディションがベストでなくても、本田はこれまで結果を残してきたからだ。 9月のUAE戦では先制ゴールを奪い、10月のイラク戦でも清武とのコンビネーションで原口元気のゴールを演出した。オーストラリア戦でも1トップを務め、原口のゴールをアシストし、ハリルジャパンでの9ゴールは依然としてチーム最多の数字だ。「今の時点で、自分が代表から外される理由はない」というコメントを本田が発したのは、結果を残してきたという自負があるからだろう。 また、チームを牽引する本田のリーダーシップとこれまでの経験、精神的支柱としての存在感は、最終予選を戦ううえで依然として必要なものだ。 本田自身、もう一度絶大な信頼を取り戻すのは、自身のパフォーマンス次第だということを理解しているはずだ。本田はオマーン戦の翌日、こんなことを語った。「批判もありがたいことだと思っているし、見返したいという気持ちがなくなってしまえばサッカーを辞めるべきだし、本田はパフォーマンスを上げてきたとか、もう一度本調子に戻してきたって言われないといけないと思っているので、自分で強がって発言するだけじゃなく、実際に明らかに戻ったって言われることも重要だと認識している」 この冬にでもミランを離れ、試合に出られるチームに移籍してベストコンディションを取り戻す必要はあるが、本田が依然としてチームにとって必要な選手であることに変わりはない。

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    香川、本田、岡崎のいないピッチが物語るハリルJ世代交代の鐘

    利とともに、世代交代のゴングが鳴らされたアニバーサリーとして刻まれるかもしれない。(文責・藤江直人/スポーツライター)

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    ベンチで屈辱の「最優秀選手」 ミラン本田圭佑は針の筵

    に座っている。イタリア・セリエAのACミランに所属する本田圭佑(30)は、10月30日の試合後、大手スポーツ紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』で最優秀選手を意味するMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)に選出された。ジェノア戦で競り合うACミランの本田(右)=ジェノバ(ロイター=共同) どんな大活躍をしたのか──と思いきや、そうではなかった。本田はこの試合中、ずっとベンチに座っていたのだ。どういうことか。 ミランに1-0の勝利をもたらしたのはイタリア代表のボナベントゥーラのフリーキックだった。相手選手が並んで作った“壁”の下を抜く技ありのゴールだが、実は数日前の練習で本田が同じ形で決めていて、それがヒントになったという。ガゼッタは本田を〈見事な間接的貢献〉と、痛烈に皮肉って、格下相手に1点しか取れなかったチームを批判したのである。 屈辱的な仕打ちも、スポーツライターの杉山茂樹氏は、「今の本田ではしょうがない」と言う。「ミランは近年ずっと低迷しており、2014年の本田加入後も“暗黒時代”が続いていた。エースナンバー“10番”を背負っていることもあり、本田はファンやマスコミから“凋落の象徴”と思われています。しかし本田を起用しなくなった今シーズンの戦績は好調のため、こんな皮肉が出ているのです」 今シーズン、ミランはすでに11試合を消化しているが(11月3日現在)、本田の総出場時間は1試合分にも満たない81分。今冬の中国リーグへの移籍も取り沙汰されている。 日本代表はW杯アジア予選で苦戦が続き、2018年のロシア大会出場に黄信号が灯っている。今後、日本代表での本田の立ち位置はどうなるのか。「アタッカー(攻撃陣)としては厳しいと思う。しかし本田はピッチにいるだけで精神的支柱となれる選手。サイドバックやボランチといったよりディフェンシブな位置で起用してみてもいいかもしれません」(杉山氏) ベンチにいるだけでも“大活躍”できることは、すでに証明済みなのだが。関連記事■ 上戸彩が親しい知人に相談「万が一離婚したら子供は私が…」■ 三田寛子 中村芝翫を支える貫禄の「あくび姿」■ 堀江貴文氏 「本田圭佑は誤解されている」■ 酒井法子を直撃 「45歳のビキニ写真集」の第2弾は?■ 女性暴行東大生「みんな死ねばいいのに」発言の真意を直撃

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    日本のスポーツ報道は低レベル! サッカー豪州戦は恥ずかしくない

    本チームの現状を考えれば、負けなかったのは最低限の仕事をしたと思う。なかなか上昇気流に乗れないため、スポーツ紙、サッカー誌、サッカー評論家たちの多くが、ハリルホジッチ監督に対する批判(というよりバッシング)をしている。それらを読むと、日本のスポーツジャーナリズムのレベルの低さが情けない。W杯アジア最終予選オーストラリア対日本で競り合う本田圭佑=10月11日 まず第一に、的確かつデータに基ずく客観的な分析が少ないのだ。感情論や印象論だけで批判している。あるいは、出所の定かではないゴシップ的な情報で批判している。典型的な例が、セルジオ越後氏だ。セルジオ越後氏、日本の戦いに「こんな臆病な姿は初めて。恥ずかしい」「勝ち点3を取るサッカーした?」(サッカーキング)「日本代表のワールドカップ予選をこれまでいくつも見てきたけど、こんなに臆病な試合をする姿を見るのはW杯に出場するようになってから初めて。恥ずかしくなってしまった。これまでは勝敗の結果はあるにせよ、対等に戦おうとする姿勢は見せていた。だが、今日の試合は最初から守りに徹し、相手の実力が上であることを認めるサッカーだった。今の日本の実力が、このくらいのレベルなんだということを表していたのではないだろうか」 (中略) 勝ち点3を取りにいくサッカーをした? グループ最大のライバルとのアウェーゲームとは言え、W杯の予選初戦をホームで落としたチームが勝ち点を取り返すためにやるサッカーをしなかった。 (中略) あと以前、金崎夢生に忠告をしていたが、自分が審判に詰め寄る姿も子どもに見せられるようなものではない。抗議するにしてもやりすぎだね。 この人、記憶力はよくないらしい。10月7日の記事には、以下のように書いていた。劇的勝利もセルジオ越後氏「内容はひどい」「原口のような選手がたくさん出てこないと」(サッカーキング)11日のオーストラリア戦は、まともに戦ったら負けるのでは。引き分けを頭に入れた弱者の戦い方も考えなければならない。 結果的には、引き分けになったんだから、セルジオ氏のいうとおりになった。ここは褒めるところじゃないのかな?「弱者の戦いをしろ」といっておきながら、それが「恥ずかしい」とはなにごとだ!自分の発言には責任をもってもらいたいね。守備は豪州戦で回復の兆し 私は弱者の戦い方をしたとは見ていない。勝ち点3を取りに行ったから、開始5分での原口のゴールが生まれた。セルジオ氏には、あの攻めが見えていなかったのか?そのあとが続かなかったことが問題ではあるが、押し込まれる時間が多かったものの、攻めてはいた。毎度の課題で決定機でのシュートが決まらない。 オーストラリア戦の戦い方を、恥ずかしいとは思わない。そもそも、サッカーは「恥」がどうこういうスポーツではない。相手より1点多く取ったチームが勝つスポーツだ。そこに強者も弱者もないし、恥も外聞もない。「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」(フランツ・ベッケンバウアー)日本対オーストラリアの後半、同点のPKを決められるGK西川=10月11日 セルジオ氏が恥ずかしいという弱者のサッカーをしても、勝てばいいのだ。それを体現したのが、南アフリカ大会でのベスト16だった。あの当時のサッカーを続けるというのも、日本サッカーの道ではある。しかし、そうではなく攻撃的なサッカーを目指した。弱者の戦い方から抜けだそうとした。それはある程度までは成功していた。ブラジル大会の前のコンフェデでは、勝てはしなかったが攻撃的なサッカーができていた。コンフェデでのイタリア戦は負けたが、攻撃的で打ち合いのサッカーだった。ザックジャパンは、この試合がピークだったと思う。 攻撃的なサッカーは、副作用をともなった。守備がもろくなってしまったのだ。失点が多くなり、先制しても守りきれなくなった。そして、ブラジル大会で敗退すると、自信を喪失することとなり、攻撃的なサッカーはできなくなった。しかも、もろくなった守備はさらにもろくなり、悪循環に陥った。それは現在も続いていて、回復途上にある。 その守備は、オーストラリア戦で回復の兆しが見えた。失点はPKの1点だけであり、相手のシュートが決まらなかったことに助けられた部分もあるが、鉄壁とはいかないまでもベニヤ板くらいにはなった。その守備が機能していたから、決定機のチャンスを作れていた。問題は、そこで決めきれるかどうか。シュートコースがあと10~30センチずれていれば、という精度の問題だ。それは蹴るタイミングであったり、わずかなボールコントロールの違いだろう。なぜ「求心力」が低下したといえるのか また、「金崎夢生に忠告をしていたが、自分が審判に詰め寄る姿も子どもに見せられるようなものではない」といっているが、この指摘はまったくの別問題だ。金崎選手は、チーム内の監督に向かって不満をぶつけていたが、それはチームの規律を乱す行為だ。対して、監督が審判に抗議するのは、公正な審判を求める抗議であり、チームのための抗議だ。アクションが大きいのは、外国では珍しくない。オーストラリア戦の 後半、酒井高徳が倒され怒鳴るハリルホジッチ監督=10月11日 なぜ、同列に比較できるのか?監督が審判の判断に疑問を抱いても、おとなしくイスに座っている方がいいのだろうか?その方が紳士かもしれないが、選手を鼓舞することにはならない。冷静沈着だったオシム監督でも、抗議するときは激しく抗議していた。それは個人のパーソナリティであると同時に、国民性でもある。どこから出てくる情報なのか、監督解任論がくすぶっているのだが。「日本協会、今月中にもハリル監督進退会議 手腕検証 - 日本代表」(日刊スポーツ)試合後のロッカールームでの第一声「おめでとう」に対し、複数の選手は「何で勝ちにいかないんだ」と吐き捨てた。 (中略) 「後半、監督から守備の方法を変える指示が出て流れが変わった」と話す選手も出るなど、求心力は低下しつつある。11月1日に予定される技術委員会が、続投か否かを含めて協議するため、今月に前倒しになる可能性も出てきた。 「複数の選手」の選手とは誰なんだ?ほんとうに発言したのか疑ってしまう。その発言を、記者の前でいったら大問題だろう。その選手は金崎選手と同様に、代表から降ろされる。「流れが変わった」という発言が、なぜ「求心力の低下」といえるのか?伝聞情報や推測記事としか思えない。スポーツ紙は、なにかと煽る記事を書くのが仕事とはいえ、こういう記事しか書けないようでは、日本のサッカー文化の成長を妨げるものにしかならない。 監督を代えればチームが強くなるわけでもなく、むしろ1から作り直しになるのだから、リスクの方が大きい。ころころ監督を代えることほど愚かな策はない。誰が監督になっても同じなら、セルジオ氏にやらせてみるといい。誰にも文句をいわれない、強いチームになる。ただ、監督ができるライセンスは持っていないようだが。また、岡田さんに頼む?さすがに二度目の途中交代には応じないだろうな。日本代表は必ず這い上がる 分析記事として、よい記事だったのが以下。 ハリルJは悪いゲームをしたわけではない。原口の得点とPK献上に見るハリルの功罪。(小宮良之個人 - Yahoo!ニュース)ボスニア系フランス人指揮官には、戦術を用いるだけの戦略が足りない。オーストラリアを封じ込めたタクティクスと得点シーンは、ハリルの手柄だった。戦術的に良い準備をし、悪くない内容だった(ボールゲーム主体の方が発展性があるという議論とは別に)。交代に関しては批判も浴びているが、戦局は拮抗しており、動きにくかったのも分かる。アウエーゲームとしては、タイ戦からの上積みを感じさせた。 にもかかわらず、全体で失敗した印象になってしまう理由。それは指揮官が持つキャラクターが、良くも悪くもチームを左右してしまっているからだろう。 攻撃的なサッカーを好む監督だから、性格的にも攻撃的だ。逆にいえば、こういう性格だから攻撃的なサッカーを目指しているのだろう。ところが、日本人はこういうとんがった人が苦手(というか嫌い)だ。出る杭は打ての社会なので、バッシングの対象になってしまう。トルシエ監督も似たタイプだったから、けっこう叩かれた。逆に、温厚なオシム監督やザッケローニ監督は、負けると叩かれてはいたが、好感度は高かった。W杯ブラジル大会でコロンビアに敗れた後、サポーターに挨拶するザッケローニ監督ら(当時)  もうひとつ、よかった記事。なぜ日本はアジア王者に負けなかったのか敵地メルボルンで手にした勝ち点1の重み(スポーツナビ)かくして、日本戦では奇策を持ち要らざるを得なかったオーストラリアであったが、日本が戸惑うことなくしっかり対応できていたことについては、個人的に賞賛したいと思う。「(相手が4-4-2でくるのは)スカウティングどおり」と原口が語れば、ディフェンスリーダーの吉田も「10番(クルーズ)とか4番(ケーヒル)とか7番(レッキー)が出てきて、クロスとかあるんだろうなと思っていたので、そんなに怖くはなかった」と言い切る。これらの証言から、相手の奇策をきちんとリサーチしていた日本代表スタッフの綿密な仕事ぶりをうかがい知ることができよう。メルボルンでの勝ち点1は実のところ、日本のスカウティングスタッフの働き抜きにはあり得なかったのである。  ファンとしては、このような情報を知りたい。この記事にあるように、誰がなにを言ったかの情報は重要だ。前出の誰が言ったかわからない発言は、信憑性がない。結果がすべての世界だから、結果を出せば批判の声は少なくなる。次の試合は、11月15日、ホームにサウジアラビアを迎えての一戦。この試合は、最終予選の分水嶺だろうね。勝利して来年につなげて欲しいところ。 ハリルホジッチ監督のチーム作りは、ようやく根付いてきた段階だと思うので、ここからどれだけ巻き返しができるかだろう。これまでの展開は、日本人好みのストーリーでもある。どん底の崖っぷちに立たされて、そこから紆余曲折を経て、不屈の精神で這い上がる。そのストーリーはまだ序盤だ。這い上がることができたときの歓喜は、いかほどだろうか?しかし、這い上がれず挫折してしまうストーリーの分岐もありえる。私は這い上がることを期待しているが、ワクワクしているのだ。(諌山裕公式ブログ 2016年10月12日分を転載)

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    ドローの理由は、ハリルの交代遅れとチグハグな選手起用

     (THE PAGEより転載) グループ首位相手に敵地メルボルンでの勝ち点「1」は、アジア最終予選突破のための最低ラインをクリアしたとも言えるが、勝ち点「3」の獲得も十分に可能だった、つまり勝てた試合だった。 勝てた試合がドローに終わった原因はいくつか考えられる。 一つ目は、後半すぐに同点のPKを与えることになった原口のディフェンスのミス。彼のガムシャラに突っ走る性格が、ここでは裏目に出た。ペナルティエリア内でのプレーだという認識不足。前に入られた相手に対して、勢いを殺すことができず、後ろからぶつかっていけば、ファウルは取られても致し方ない。日本対オーストラリアの後半、同点のPKを決められるGK西川=10月11日 二つ目は、後半の戦術の変化だ。前半はしっかりとプレスをかけて、オーストラリアに前がかりにボールを回させなかったが、後半、PKで同点にされてからは、オーストラリアのパスワークが速くなってスピードが上がった。日本はプレッシャーを受け、体力面でも引き離されたが、ディフェンスラインに長谷部、山口が吸い込まれるほど引いたことでフォーメーションが崩れて前半のリズムを保つことができなくなった。必然、セカンドボールも奪えなくなり、ボールを奪ったケースでも、カウンターへの切り替えが一歩遅く、そこからのパスミスが目立った。 そういう状況を招いたのは、ハリルホジッチ監督のカードの切り方が後手に回ったことも影響している。足のつった小林を清武と代えたのが後半37分、本田を浅野と代えたのが後半39分。イラク戦の交代もそうだったが、タイミングが遅すぎる。清武がピッチに入ってからは、明らかに流れが変わった。終盤に入ってからは、ボールが収められなくなっていたが、清武が入って再びボールが収まるようになっていた。 もっと言えば、スタメンのトップ下に香川、MFに小林を使った意図もよくわからなかった。小林はピッチからほとんど消えていたし、おそらく香川にはもっとボールに絡んでもらいたかったのだろうが、その役割を果たせていなかった。イラク戦に出場した清武の疲労などを考慮しての決断だったのかもしれないが、チグハグな選手起用に見えた。 問題点を指摘したが、もちろん、ポジティブな面もあった。正念場となるサウジアラビア戦 岡崎の故障などがあったにせよ、本田のワントップはハマった。本田のフィジカルの強さとキープ力を生かし、彼を起点に原口を走らせようというプランだったと思うが、そのハリルホジッチ監督の思惑通りの働きを本田は果たした。前半5分の先制ゴールのシーンは、その象徴だった。中盤でボールを奪った原口から長谷部の縦パスを経由して本田がボールをキープ、起点となって“ため”をつくり、距離を走ってオーバーラップしてきた原口が突破して1対1でシュートを決めた。本田の起点、原口の仕掛けと突破力が見事に調和した完璧な連携からのゴールだった。日本代表のハリルホジッチ監督 欲を言えば、起点の本田がもっと2次、3次攻撃に絡んで自らシュートを仕掛けていく場面を作ってもらいたかった。ハリルホジッチ監督が、「本田のプレーには満足しているが、彼のフィジカルがもっと良ければ勝てた」とコメントしたのは、そこへの要求だと思う。だが、それもこれも所属しているミランでの出場機会があれだけ少なければ、コンディションをベストに保てという方が無理なのかもしれない。 11月15日にホームで戦うサウジアラビア戦は、アジア最終予選の前半戦の山場だと思う。ここで勝ち点「3」を奪えなければ、グループBで3位以下の位置から抜け出すことは難しくなる。その正念場の試合まで約1か月の時間がある。 今回の2試合で課題を露呈した本田ら海外組の幾人かが自チームでの立場をどれだけ改善するかが、代表チームの状況に大きな影響を及ぼす。W杯のブラジル大会でグループリーグ敗退を喫した際に、「個を強くすること」をロシア大会までの課題に挙げた選手が何人もいたが、今こそ、所属クラブで個を強する時なのだ。 (文責・城彰二/元日本代表FW)

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    堀江貴文氏 「本田圭佑は誤解されている」

     サッカーW杯アジア最終予選で、依然として厳しい戦いが続く日本代表。その精神的支柱でもある本田圭佑を、「次元の異なる存在」と評価するのが堀江貴文氏だ。堀江氏は新著『ウシジマくんvs. ホリエモン 人生はカネじゃない!』の中でも、自身の経験と比較しなら本田の心情について独自分析している。堀江氏が語る。堀江貴文氏「本田圭佑の発想は、抜きんでて先を行っている。しかし、30歳の今、サッカー界での自分のポジションに納得がいかないのだろう。本当なら、日本代表でW杯をとっくに制して、もっとずっと先に行っていなければいけないのに。現状にとどまっている自分が歯がゆいのだと思う」(以下、「」内は堀江氏) 堀江氏がこう推測するに至った背景には、同じ30歳の頃の自分の姿があるという。東京大学在学中に起業した堀江氏はすぐに経営が軌道に乗り、急成長。「ネットビジネスの旗手」としてマスコミなどにたびたび取り上げられた。だが、当時の心境は必ずしも喜びに満ち溢れていたわけではなかったようだ。堀江氏が吐露する。「会社経営がうまくいって、どんなに周りから褒められても嬉しくはなかった。本当に行きつきたいところは、はるか遠くだったからだ。本田の言動やスタイルは唯我独尊すぎると、批判があるようだけれど、誤解されている。彼が追っているビジョンに、まだ大多数の人が追いついていないだけだ」 同書の中で堀江氏は、本田のビジネスマンとしての有能な一面も紹介。現在、本田がビジネスで積極的に投資している「有望な種」は、「10年もしないうちに大きな実をつけるだろう」と予測している。◆堀江貴文(ほりえ・たかふみ)1972年、福岡県生まれ。実業家。SNS media&consulting株式会社ファウンダー。ライブドア元代表取締役CEO。東京大学在学中の1996年起業。以後、プロ野球参入やニッポン放送の買収表明、総選挙立候補など次々と脚光を浴びる。現在は、自身が手がけるロケットエンジン開発など様々な事業で幅広く活躍。最新刊は『ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない!』。関連記事■ 堀江貴文氏 「元カノの急死」で心境語る■ 堀江貴文氏 収監前に太田在とヨリ戻して仮出所後も一緒に寿司■ 堀江貴文氏 「日本人の99%は洗脳されている」■ 堀江貴文氏 「親ほど信用ならない人種はいない」■ 堀江氏赤ちゃん睡眠薬言及「そこを議論したかったのではない」

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    騒げば騒ぐほど遠のく五輪メダル リオで日本が結果を残せた理由

    春日良一(スポーツコンサルタント) リオ五輪が聖火台の火を消し、閉会した。日本は史上最多のメダル41個を獲得したことで喜びに沸いているが、選手強化という観点から言えば、金メダルの数こそが当然重要になる。リオ五輪で日本は12個の金メダルを獲得した。1964年の東京、2004年のアテネの16個には及ばなかったが、1972年ミュンヘンの13個に続く数字である。そもそも国別メダルランキングなるものは五輪憲章が否定している。だが、その国のスポーツ力を測る指針としてメダル数を考えるならば、金メダルの数が参照されるべきである。一番と二番の差は大きく、トップの座を射止める力こそスポーツ力の証明となるからだ。リオ五輪の閉会式で、入場する日本選手団。日本は史上最多41個のメダルを獲得、2020年東京五輪に夢をつないだ(共同) 前回大会のロンドン五輪の7個から12個への飛躍は、確かに成長としてとらえてもいいだろう。その要因はどこにあったのか。ナショナルトレーニングセンターの設立と活用、2020年東京五輪へのモチベーションと強化プランなど様々な外的要因が挙げられるだろう。もちろん一つの要因が全てを説明できるわけではない。そこで、私は選手団本部の経験者としての視点から考えたい。選手がその力を発揮しなければならない現場にある選手団本部が、どのように選手に関わるか。その関わり方が地味でありながらも、メダルの結果に少なからず繋がっているように思えるからである。 一体、選手団本部とは何か。日本オリンピック委員会(JOC)は五輪やアジア大会への参加のために日本代表選手団を形成するが、その構成の中心に本部と呼ばれる統括的機能を設けている。本部は選手村内に設置され、選手と役員を24時間体制でケアする。 1982年、インドはニューデリーで開催された第9回アジア競技大会の日本代表選手団本部が私にとって初めての選手団体験である。選手団本部は団長、副団長、強化担当役員、総務担当役員、渉外担当役員などが設けられ、その下に本部員が配属されて選手団運営に関わる。私は渉外担当として、組織委員会や各国選手団との折衝が主な仕事であったので、アジア大会が重視する文化交流に重きを置いた活動が中心であった。 しかし選手団役員にとって、最も大事なことはメダルの数、特に金メダルの数であった。それに気づくには一日とかからなかった。それまでアジアトップの座を譲らなかった日本が、この大会で中国に越される可能性があったからだ。それで団長以下、競技の結果に一喜一憂する姿を日々見ることになった。本部室の壁には金メダル、銀メダル、銅メダルの大きな一覧表が作られる。金を取ればそこに選手名が書かれる。まるで国政選挙の政党開票センターにいるかのようだ。「天才スイマー」を押しつぶした選手団長崎宏子(1983年撮影) 時の団長は水連会長の藤田明。中国勢にメダル競争で圧倒されそうになる中、長崎宏子が三つの金メダルを取るという快挙をなしとげ、団長のメンツは保たれた、しかし、こうした日本選手団のあり方に、現地組織委員会のコンパニオンを務めるニューデリー大学の精鋭たちは「日本は文化交流のためにインドに来たのではないのか? 文化行事には一切出席しないし、まるで金メダルを取りにきた狩人みたいだ」と言った。この言葉は選手団本部新人の私にも、メダル至上主義ぶりが選手団本部のあり方として本当に正しいのだろうかという疑問を抱かせた。その疑問は、2年後のロサンゼルス五輪でさらに深いものになるのである。 1984年のロサンゼルス五輪は「片肺五輪」と呼ばれた。前大会のモスクワ五輪がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西側諸国の政治的圧力でボイコットを受けたお返しに、今度は共産圏の諸国が参加しなかったからだ。小学生でモスクワ五輪代表に選ばれてから、日本新記録を更新し続け、前年のプレオリンピックで1位となった水泳界の彗星、長崎宏子には長年低迷を続けた日本水泳界の期待がかかっていた。水泳界はもちろんのことだが、日本のメディアもプレ五輪で地元の新聞に「かわいい日本人形が1位となった!」と形容された長崎をずっと追いかけた。 当時の日本体育協会(体協)競技力向上委員長を務めた水泳出身の福山信義は真剣に日本の選手強化に取り組んでおり、水泳に初めて高地トレーニングを採用した。それまで絶好調だった長崎は、開催年に入ってから平泳ぎ特有の膝痛に悩まされ始めていた。しかし、ナショナルチームの新しいトレーニングに取り組む姿勢を崩すわけにはいかず、休むことなく練習し続けた。16歳の少女にかかる重圧は相当なものであったにもかかわらず、膝痛を緩和する手段に体制は頓着しなかったのである。 選手団全体がメダルの数を追い求める中で、私自身はこのままだと長崎はベストパフォーマンスに至らず終わってしまうかもしれないと不安だった。「ライバルだった東ドイツの選手は出ない。普通に泳げばメダルは確実なはずだ」。そう見込んでいた多くの関係者の期待にクエスチョンマークを付けたのは私だけだったかもしれない。結果は平泳ぎ200メートル4位、100メートル6位、ともに入賞だったが、「敗北」と表現された。この時の選手団本部の体制では選手にプレッシャーをかけるだけの機能しか果たせずに終わったのである。ただ金メダル総数が体操などの活躍で10という二ケタになったことで、かろうじて成功と言い訳ができたに過ぎなかった。JOC独立を促したソウル五輪の「惨敗」 この頃、選手強化を司る競技力向上委員会は、ナショナルトレーニングセンターを設立して国を挙げての選手育成計画を策定するべく「21世紀プラン」を策定した。これには西ドイツのゴールデンプランなど各スポーツ先進国の視察や情報収集などを含めた長年の努力が蓄積されていた。だが、素晴らしいプランはできあがったものの、その実践にはなかなか踏み出せなかった。予算の目途が立たなかったのである。実はこの「21世紀プラン」が、1993年に発足するJリーグの百年構想の土台であったことはあまり知られていない。ソウル五輪の開会式で旗手をつとめるシンクロナイズドスイミングの小谷実可子=1988年9月17日 1988年のソウル五輪は2大会ぶりの西も東も参加する「完全」五輪となった。その大会で日本はわずか4つの金メダルに終わる。このいわゆる「惨敗」が契機となり、JOC独立論が浮上する。それまで体協の一委員会として、日本を代表する国内オリンピック委員会だったJOCが体協から独立して独自に選手強化を進めなければ、日本のスポーツ力は発展が見込めないという危機感からであった。多大な労力を費やして策定した「21世紀プラン」も机上の空論とされ、予算がつかぬままの状態であった。 一刻も早くこの状況を改革しなければならないという切羽詰まった危機感がJOC独立を促進した。そして体協の若手役員が結成する会が中心となってJOC独立を密かに進めた。その中心に西武鉄道のオーナー、堤義明もいた。堤はJOCが自ら選手強化資金を捻出できる組織になり、それによって選手強化の理想的なプランを実現するようにならなければと考えていた。 そして1989年8月、JOCは独立した。それからすべてが一変していく。これまで取り入れられなかった若手職員の意見が抽出される環境に変わった。 ソウル五輪までの選手団本部の実情はこうだった。相変わらずメダル獲得者一覧の大きなボードが本部を占める。そこに競技担当、輸送担当、総務担当などのオフィスがある。それぞれの競技を応援に行く役員たちの世話に追われる。選手をサポートするための労力はそちらにそがれる。さらに試合が終わり、夜のとばりが下りれば、別室に設けられた役員サロンがオープンする。 そこでは体協部長クラスの本部役員が、その他の本部役員と競技力会談を毎夜開く。しかし中身はと言えば「今日は良かった。○○でメダルが取れたから」程度の話である。そしてウィスキーのボトルがどんどん空いていく。本部役員におべっかを使う競技団体の監督も加わり、そのサロンは毎夜大盛況となる。真摯な戦略会議は選手とコーチに任せ、自分たちは大会を楽しむ。あわよくばメダルをたくさん持って帰れれば、体協での地位も安泰。メダルが取れなければ、それはそれで選手と選手強化策の至らなさと言えばすむ。選手サポートの弊害となった日本の悪習 かような選手団本部を改革したいと思っていた私にとって、1989年のJOC独立は希望あふれる出発だった。当面は、長野五輪招致に専念せざるを得なかったが、その成功後、1992年のバルセロナ五輪は新生JOC最初の夏の五輪であり、その本部構成はまさに選手のための機能集団とするべく考えられたものになった。 日本の選手団本部役員は、いわゆる名誉職である団長、副団長、総務主事、その他役員と実務を司る事務局で構成される。対組織委員会対策、他国選手団対策などの実務は本来「Chef de Mission」と言われる団長がすべて司ることになっている。しかし、日本語での団長はあくまでも名誉職であり、かような実務を団長に任せることはできない。バルセロナ五輪の団長が時のJOC会長、古橋廣之進(水連会長)であったと言えば納得いただけると思う。「フジヤマのトビウオ」に資格認定交渉や選手村配宿交渉を託すことができようか。閉会式に先立って、大会を総括した日本選手団の橋本聖子団長(右)と山下泰裕副団長=8月21日、メインプレスセンター(森田達也撮影) そこで機能集団とするために本部員以下で構成する本部役員会を作り上げた。まず私自身をActing Chef de Mission(団長代行)にして、組織委員会や他国NOCそして国際オリンピック委員会(IOC)との交渉を選手団代表としてすべて取り仕切った。そこから本部員に選手のための労働を託していった。いわゆる「チーム」を作ったのである。これによって、逆にその「チーム」を支援しようと実際に仕事をする役員が出てくるようになった。役員と選手の壁が消え、日本代表選手団が風通しの良い機能集団に変わろうとしていた。 これがなぜ重要かというと、選手やコーチたちと本部の信頼関係が築けるからである。本部に行って相談すれば大丈夫という安心感が競技に及ぼす影響は大きい。体調の悪い時にリラックスして話せる本部と、体調が悪いなどと言えず「頑張ってきます」としか言えない本部の違いと言ったらわかりやすいだろうか。 また、日本選手団を編成する場合、JOCは選手団編成委員会を設けて、各競技団体の代表と折衝する。五輪憲章とIFの規定に基づき組織委員会が決めたエントリーフォームに基づいて選手数と役員数が必然的に決まるために、その枠内での交渉となる。選手数が決まれば役員数が決まるが、この役員の人選は競技団体に任される。そしてここに日本独特の慣習があり、それが選手サポートの弊害になっていた。五輪選手団に入るという名誉を得たい役員が山ほどいる競技団体では、選手のためではなく、役員のための論理を働かせるからだ。競技団体に長年尽くしてきてくれたのだから、褒賞として今度の五輪の総監督に推すなど、まさに年功序列というべきか。あの選手の専属コーチを選手のために役員枠に入れてあげようという発想には決してならないのである。メダルの先にあるものを目指さなければメダルは手元に来ない 当然ながら、実際に困るのは選手である。その選手を助けるために私ができたことは、枠外役員交渉である。枠外役員、いわゆるExtra Officialである。組織委員会は選手村に入れる役員数を上回る必要な役員については、各NOCとの交渉に付す。これは1984年のロサンゼルス五輪から出てきた概念であり、1998年のカルガリー冬季五輪から資格認定カード(ADカード)とともにしっかりと定義づけられた。そこで、本当に役に立つ役員に対してADカードを出すために組織委員会と交渉するのである。それによって「選手のための役員」を帯同することができる。この交渉によって、私が取得したExtra OfficialのADカードの数は常に他のNOCを上回った。本来ならば、本当に必要な役員を選手と同様に選考するシステムがあればいいのだが、それができないときの苦肉の策であった。 しかし最も大切なのは、選手団本部が選手のための機能集団であるとJOCに根付かせたことである。 こうした選手団本部の変革がすぐに奏功したのが、競泳女子200メートル平泳ぎの岩崎恭子の金メダルではないだろうか。ロサンゼルス五輪で日本を一人で背負って戦った長崎宏子が果たせなかった夢を、14歳の無垢なアスリートが誰の注目も浴びずにやってのけた瞬間だった。選手団本部が機能集団化することで選手と本部の垣根が取り払われ、信頼関係が生まれる。選手は自分に集中しながら、選手村生活を快適に送ることができる。バルセロナの選手村の風通しの良さが起こしたとも言える奇跡だった。バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで優勝、史上最年少で金メダルに輝いた岩崎恭子=1992年7月27日 あれから24年もたったリオ五輪。12個の金メダルを獲得した。バルセロナの4倍ということになる。日本選手団本部の改革が浸透してきた証と見る。 私は「メダル、メダル」と騒げば騒ぐほど、メダルが遠のく気がしていた。なぜか。メダルの先にあるものを目指さなければメダルは手元に来ないからだ。JOCは必ず大会前に金メダル獲得目標を掲げる。しかし、それが達成されたことがあるのは1964年東京五輪だけだ。 時の強化本部長の大島鎌吉日本選手団団長は「15個の金メダル」を約束した。そして、16個を獲得した。大島は後にオリンピック平和賞を授与されるほど、スポーツで世界平和の構築を掲げるオリンピック精神を持った哲学者であり実践家でもあった。彼の金メダルの先には平和があった。 既にJOCは2020年東京五輪で金メダルを20~33個獲得して世界3位に入るという目標を掲げている。だが、その心の奥にメダルを超えるゴールを持っていなければ実現できない。そのことに気付いた人材がリーダーシップを取っていれば、また何か新しい風が吹くだろう。今はそれを期待するしかない。 選手は選手自身のゴールのために、そして役員はその選手のゴールのために! そういう選手団本部が完成すれば、さらなる飛躍が望めるはずだ。吉田沙保里を育てた栄和人コーチが語っていたではないか。「選手の夢を実現させることだけが私の仕事、それ以外はいらない」と。

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    五輪3回出場、障害馬術の第一人者が教える「本番で結果を出せる人」

    らの助言を柔軟に取り入れます。だから本番でも結果が出せ、スランプに陥ることもないのです。 これは他のスポーツはもちろん、ビジネスでも同じでしょう。職場では監督・コーチは上司にあたると思います。皆さんもいろいろと細かい要望や指摘をされ、うんざりするといった経験がある方も多いと思います。 アドバイスをするコーチ 特に入社3~10年目くらいで、1人である程度仕事をこなせるようになり、成功体験も持ち始めた頃のビジネスパーソンに多いのではないでしょうか。 自分の感覚を持つことはもちろん重要ですが、客観的な意見に素直に耳を傾け、時には自己流を軌道修正することが、結果を追い求める上では重要なのです。人間も馬も「押し付け」には反発する 結果を出せる人は「意思の強い人」というイメージを持っている方も多いと思います。もちろん、自分の意思を貫き通すことは悪いことではありません。しかし、個人競技ならともかく、チーム競技になるとそれだけではうまくいきません。自分の意思を押し通すことで、相手の感情を害し、それが物事を悪い方向に進めてしまうことが多々あるからです。実際、トップアスリートの多くは強い意思を持ちつつも、「相手の感情」を尊重するという特徴があります。 実は、これは馬術においても一緒です。相手は『馬』ですが、馬も人間と同じく意思を持つ生き物です。そのため、選手の指示を受け入れてくれないこともあるのです。 そんなときに、ムチを使って自分の意のままに馬を動かそうとすると、逆に反発され、障害でミスをしたり馬が立ち止まってしまったりすることになります。それが嵩じて、落馬という事故につながることもあります。 これは、センスの良い馬を相手にしているときほど当てはまります。結果を残せる選手は、その時々の馬の状態を正確に察知し、『馬が力を100%発揮できているか』『気持ちよく障害を飛べているか』を常に意識しているのです。最後は「メンタルトレーニング」が勝負を分ける優秀なスタッフほど「相手の感情」に寄り添う 相手が人間の場合も同様です。交渉の際、自分の意思を押し付け“相手をコントロールしてやろう”というマインドでは、物事をうまく進めることはできません。相手の経験やスキルが自分よりも優れている場合、反対に相手の意のままに操られてしまうこともあります。 私は、障害馬術選手の育成以外に、乗馬クラブクレインの関東にある6つの事業所の運営責任者も担っていますが、やはり優秀なスタッフほど「相手の感情を意識する」ことを心がけているように思います。 乗馬体験にいらっしゃるお客様や新たに入会したいというお客様に対し、一方的に伝えたいことを話すのではなく、「相手がなぜ乗馬に興味を持ったのか」「何がネックになっているのか」「心地よい空間と感じてくれているか」を意識して話を進められるスタッフほど、お客様との関係構築も上手くいきますし、結果にもつながっているようです。「いつも通り」ができないと、馬は混乱する 本番に強い人の最後の条件、それは「普段から本番を意識したメンタルトレーニングを行なっているかどうか」ということです。 意外と知られていませんが、障害馬術という競技は当日までどのようなコースを走るのか、どういった障害が設置されているのか開示されません。人間だけは下見といって、本番15分前にコースを歩くことができるのですが、馬は本番で初めてそのコースを走ることになります。 人間の役割は、15分の間に障害と障害の間を馬に何歩で走らせるか、ミスなく早くゴールするために、どこで勝負をかけるかを判断すること。そして何より重要なのが、普段の練習時と変わらない乗り方をすることです。 たとえば、人間が緊張していつもとはコントロールの加減が違ったりすると、馬は「あれ? いつもの指示とは違うな。どう動けばいいんだ?」と混乱してしまうのです。 競技自体はわずか2~3分程度なので、緊張で通常通りの乗り方ができないと、立て直す間もなく競技はあっという間に終わってしまいます。最後は「メンタルトレーニング」が勝負を分ける 本番でいつも通りの乗り方をするためには、普段の練習の際から本番を想定したメンタルトレーニングをしておくことが何よりも重要です。 私は今年58歳になりましたが、現役の障害馬術選手として大会に出場しています。 本番で最高のパフォーマンスをするために、練習を行なう際は、『これはすごく大きな大会……観客もたくさんいる……周りの選手にもカッコ悪いところは見せられない!』と本番と同じ心理状況に持っていき、障害を飛ぶようにしています。練習でこれを繰り返すことで、プレッシャーを味方につけ、緊張すればするほど結果を出せる体質に変わってきました。 仕事も同様だと思います。いくらプレゼンの練習をしたところで、本番では相手がみな難しい顔をしていて最悪の雰囲気の中で話をしなくてはならないこともありますし、予測もしなかった質問が飛び交ったりもします。そうした“いつもとは違う状況”で力を発揮するには、普段から意図的にその状況を作り出し、トレーニングをする必要があります。 この時のポイントは、環境だけでなく意識もその状況下に置かれた状態に持っていくことです。プレゼンであれば、自分の話す内容だけを練習するのではなく、その場の緊張感などを想定し練習をするのです。たとえば「ドアを開けた瞬間、5名の参加者が座っている。笑顔はなく部屋全体が緊張感に包まれ、全ての視線が自分に注がれている。心臓の音も聞こえるし、手にも汗をかきはじめた。声も上ずってしまいそうだ。この空気に飲み込まれてはいけない」などと、できるだけ具体的に、本番に置かれるであろう心理状況に近づけるのです。「キャリアを積み重ねても、人の意見に素直に耳を傾けること」「相手の意思を尊重すること」「本番を意識したメンタルトレーニング」を意識することで、本番で結果を残せる人材を目指しましょう。なかの・よしひろ 乗馬クラブクレイン取締役。過去4回オリンピックへの出場(内1回は直前で棄権)を果たすなど、日本のトップ障害馬術選手として活躍。アジア大会では、2度(ソウル[‘86年]・広島[’93])団体で金メダルを獲得。2005年には、国内競技500勝を達成する。現在は、乗馬クラブクレインの関東圏にある6事業所を束ねる支社長と障害馬術部門のコーチを務めるほか、公益社団法人日本馬術連盟の障害馬術本部副強化委員を兼務し、若手選手の育成や大会運営などにも力を注ぐ。関連記事■ 山本昌・野球界最年長投手のやる気の源とは?■ 『スッキリ!!』の敏腕リポーターが語る「強い自分の作り方」■ 「仕事より健康優先」がハイパフォーマンスを実現する

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    競泳のスターは「KY男」 ロクテが払う高すぎるウソの代償

    入が約2億5000万円に達したと報じている。有名ファッション誌の表紙を飾ったこともあり、現役引退後はスポーツ界だけではなく、ショービズの世界やビジネスの世界でも活躍できるのではないかという声もあったほどだ。しかし、リオ五輪期間中に報道陣に対して語った強盗被害の話が捏造されたものであったことが判明し、選手生活の晩節を自ら発した言葉で汚してしまった。競泳男子金メダリストのライアン・ロクテ選手=8月9日、リオデジャネイロ(AP=共同) 8月14日、ロクテと3人の米代表競泳選手は、銃を持った4人組に銃を突き付けられ、そのままタクシーから引きずり出されて現金を奪われたと訴えた。翌日にロクテはリオデジャネイロ市内で米NBCテレビの取材に対し、路上強盗を行った4人組は警察官の制服を着ていたと語った。ロクテは16日に早々とアメリカに帰国している。 リオデジャネイロの治安が極めて悪いという指摘に異論はない。今年1月から5月の間にリオデジャネイロ州で発生した殺人事件は2083件。昨年の同時期と比較して、13パーセントの増加だ。 単純に計算しても、1カ月の間に400人以上が殺害されており、ニューヨーク市や日本全体で1年間に発生する殺人事件の件数を超えている。国連薬物犯罪事務所が発表した統計によると、2014年にブラジル全土で発生した殺人事件は5万674件で、他国を大きく引き離す形で世界ワーストとなっている。年間1万件以上の殺人が発生する11カ国の中で、約半数となる5カ国がアメリカ大陸(アメリカ、ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、コロンビア)にあるのも悲しい現実だ。警察官が犯罪に加担するブラジルの現実 もう一つの現実として、警察官が犯罪に加担するケースが珍しくない国内事情がある。ブラジルを含めたラテンアメリカの国々では、現職警察官が誘拐や麻薬ビジネス、契約殺人などに手を染めるケースがたびたび報道されている。先月24日にはニュージーランド人柔術選手が、リオデジャネイロ市内で警察官に銃を突きつけられ、しばらく拉致される事件も発生している。複数のメディアによると、自家用車でリオ市内のハイウェイを走行中、複数の警察官から停車を求められたこの選手は、停車後すぐに銃を突きつけられた。警察官が用意していた別の車に乗せられると、市内にある数カ所のATMに連行され、総額で約8万円を引き出して手渡したところで解放された。警察官は「今起きたことを他言するな」と言って立ち去ったのだという。 リオの犯罪事情などを考えると、ありえない話ではないため、当初はロクテの話に同情を示すメディアやファンも少なくなかった。しかし、ロクテらの話に疑問を抱いたリオ警察は捜査を開始。それぞれの選手の話に矛盾点が存在することを見抜き、ロクテ以外の3選手をブラジルから出国させず、事情聴取を続けた。男子4×200mリレーの予選でロクテと共に出場していたガナー・ベンツとジャック・コンガーの2選手は、18日にブラジルを出国しようとしたが、警察によってすでに搭乗していた旅客機から離陸寸前におろされ、パスポートを押収されていた。2人は「目撃者」として証言することを求められ、証言を終えた同日夜にブラジルを出国している。リオデジャネイロ近郊のレブロンの警察署を出る米男子競泳代表のガナー・ベンツ(左)とジャック・コンガー両選手=8月18日(AP) ロクテと共に虚偽の証言を行った容疑で地元の捜査当局から事情を聴かれていたジェームズ・フェイゲン選手は、18日になって事件当初とは異なる説明を行った。担当の弁護士がAP通信に語ったところによると、約1万ドルの罰金を支払ったのち、フェイゲン選手はパスポートを返却してもらい、アメリカに帰国する予定だ。 防犯カメラの映像や、目撃者の証言から、ロクテら4人が選手村に戻る直前にリオ市内西部のガソリンスタンドに立ち寄っていたことが判明した。4人はタクシーで移動していたが、トイレを借りる目的でガソリンスタンドに立ち寄った。酔った状態でガソリンスタンドに立ち寄った4人のうち、何人かが(詳細は不明だ)トイレの鏡や扉を壊し、床に放尿した。ロクテがトイレの外で広告を破り捨てると、4人は再びタクシーに乗り込もうとした。しかし、4人は店員と警備員に呼び止められる。ベンツは19日に発表した声明によると、警備員につかみかかろうとしたロクテをベンツらが制止する一幕もあったのだという。結局4人は現金を手渡し、その場を去ったのだという。ロクテはなぜ嘘をついたのかロクテはなぜ嘘をついたのか リオ五輪では選手村で盗難事件が相次いで発生し、ナミビアとモロッコの代表選手がそれぞれ選手村で女性の清掃員に対する性的暴行容疑で逮捕されている。アスリートが被害に遭うケースもあれば、逆にアスリートが加害者となったケースも発生した。しかし、アメリカの有名アスリートがリオ市内で破壊行為を行った挙句、地元の警察官らしきグループに銃を突きつけられて現金を奪われたとメディアに訴えたケースは前代未聞で、米メディアは「醜いアメリカ人」という表現でロクテらを強烈に批判している。 「醜いアメリカ人」とは、主にアメリカ国外で地元の人とトラブルになるアメリカ人旅行者を指す言葉で、英語を話すことのできない地元民を大声で罵ったりする、視野が狭く傲慢なアメリカ人のステレオタイプとなっている。ロクテらが関与した事件では、通常の「醜いアメリカ人」とは異なるケースだが、自らの不祥事を覆い隠す為に、地元の治安や警察官による犯罪を利用したことに同情を示すメディアはない。 スポーツ界のスターが海外でトラブルに巻き込まれたケースは過去にも存在する。オリンピックではないものの、有名な話ではサッカーのイングランド代表の主力選手がコロンビアで宝石を盗んだ容疑で逮捕された事件がある。1970年5月、イングランド代表はワールドカップ・メキシコ大会直前に高地トレーニングをコロンビアのボゴタで行っていた。練習が終わってホテルに戻ったキャプテンのボビー・ムーアと攻撃陣の主力であったボビー・チャールトンは、チャールトンの妻へのプレゼントを探す為にホテルのロビーの近くにあったギフトショップに足を運んだ。買いたいものが特に無かったため、店を出ようとしたムーアらに対し、ギフトショップの店員がブレスレットを盗んだと主張。 ムーアとチャールトンはその場で身体検査をしてもらってもいいと反論。結局ブレスレットは見つからなかった。イングランド代表はその後、コロンビアと親善試合を行い、エクアドルでも親善試合を行った。2試合を終えて、イングランドはコロンビア経由でメキシコ入りするため、ボゴタで約5時間の乗り継ぎ時間を過ごすことになった。その際に、ムーアが窃盗の容疑でコロンビア警察に逮捕され、当局によって拘束された。結局、その後の取り調べでもムーアがブレスレットを盗んだという証拠は見つからず、起訴が見送られたムーアはメキシコ大会に出場している。この事件には現在も不明な点が多く、チームの精神的支柱であった主将のムーアを狙い撃ちにしてチームに揺さぶりをかけようとした者が仕組んだという陰謀論まで語られる始末だが、真相は謎のままだ。 ロクテらが関与した事件でも、なぜ捏造した話をメディアに伝える必要があったのかは不明だ。ガソリンスタンドで破壊行為を行ったことを隠ぺいしたかったという説に加えて、ロクテらが2人の女性とパーティー会場を後にしていたという話も地元メディアによって報じられており、ガソリンスタンドでの一件が公になることでガールフレンドに2人の女性の存在を知られることを恐れた4人の誰かをかばうために話をでっち上げたのではないかという指摘もある。こちらも真相は不明だが、ガソリンスタンドのトイレなどが4人によって壊されたことだけは事実だ。4年後の東京目指す?無神経さに非難集中4年後の東京目指す?無神経さに非難集中 俗にいう「KY」という言葉が、ロクテの性格を形容するのに最も適しているのかもしれない。路上強盗の被害に遭ったと主張する他の3人が、リオデジャネイロで地元警察から事情聴取されていた16日夜、すでにアメリカに戻ったロクテはツイッターに「髪の毛の色を普通の色に戻そうと思うんだ」と投稿。のちに路上強盗そのものが虚言だったことが判明すると、仲間をブラジルに残したまま、アメリカで髪の毛の色についてツイートするロクテの無神経さに非難が集中した。リオ五輪の米競泳代表、ライアン・ロクテ選手の強盗狂言について報じた米ニューヨークの地元紙=8月19日(ロイター) ロクテは18日にインスタグラムで、事件について謝罪。自身の非を認めながらも、「違う国で、違う言葉が飛び交う中で銃を向けられる経験はトラウマを引き起こしそうです」と釈明し、再びネット上で炎上騒ぎを起こしている。リオ五輪の開幕前、女子サッカーの米代表ゴールキーパーとして日本でもよく知られる存在のホープ・ソロが、インスタグラムに虫よけの防護服を着て虫刺され薬を手にする写真を「あなた方も忘れずに」というメッセージを付けて投稿。ソロにとってはジョークのつもりだった写真は、ジカ熱が大きな問題となっていたブラジルで、ブラジル人を侮辱する投稿として受け止められた。アメリカ代表の試合でソロがボールに触れるたびに、会場からは「ジカ!」というチャントがソロに浴びせられた。ソロの写真とは異なるケースとはいえ、自ら起こした不祥事をブラジルの治安の悪さにすり替えようとしたロクテの行動に憤るブラジル人は少なくない。 米オリンピック委員会と米水泳連盟は、ロクテを含む4人の競泳選手に対し何らかの制裁も検討していることを明らかにしたが、リオ五輪が現役生活最後のオリンピックになるだろうと思われたロクテは、2020年の東京五輪にもアメリカ代表の一員として出場を目指したいと報道陣に語っている。こちらは虚言ではないようだ。肉体の衰えはトレーニングでカバーできるかもしれないが、今回の事件で崩壊してしまったロールモデルとしてのイメージや、チームメイトや関係者から失った信頼を取り戻すには、4年という時間は短すぎるだろう。

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    「絶対王者」が失った父という道標 吉田沙保里の孤独な戦い

    小林信也(作家、スポーツライター) 吉田沙保里が銀メダルにとどまった。日本中が大きなショックに沈んだ。「お父さんに怒られる」 負けた直後、母親の胸で泣き、小さく叫んだ彼女の言葉に、声を失った。吉田と父・栄勝さんの絆、目指し続けた一途な道は、他人にはわからない覚悟の強さがあるだろう。それでも、吉田を今日まで衝き動かしてきた心の原動力、その本音の核心を垣間見て、「もっと自分の心を解放してくれてもいいのではないか」。そんな思いを抱いたのは筆者だけだろうか。レスリング女子53キロ級決勝戦、試合後に母親の元で泣きじゃくる吉田沙保里=カリオカアリーナ(撮影・森田達也)「取り返しのつかないことをしてしまった」「日本選手団の主将として、絶対に金メダルを獲らなければいけなかったのに、本当にすみません」 次々と吉田の口から絞り出される言葉に、彼女の強い思いを感じると同時に、彼女の思いと周囲の期待には少しずれがあるような感じも否めなかった。 吉田は、幼い頃にレスリングを始めてからずっと、「オリンピックの金メダル」が目標だった。まだ女子レスリングが五輪種目でなかったにもかかわらず、「必ず五輪種目になる」と予言した父親の言葉を信じ、競技に打ち込んできた。その予言通り、アテネ五輪から女子レスリングが採用され、ちょうど21歳になり、ずっと勝てなかった宿敵・山本聖子さんをしのぐ実力をつけていた吉田は日本代表となり、念願の金メダルを獲得した。それから北京五輪、ロンドン五輪で3連覇を果たし、金メダルは吉田の代名詞のようにもなり、また宿命にもなった。 オリンピックの成果はもちろんメダル獲得、中でも金メダルに集約されるのは言うまでもない。 今回のリオ五輪でも、大会序盤から始まった日本選手たちのメダル獲得ラッシュが、リオ五輪への日本中の関心を盛り上げた。吉田が金メダルを獲っていれば、さらに熱狂のボルテージが高まっただろう。けれど、吉田が銀メダルにとどまった意義の大きさをいまは感じている。 もし4連覇を果たしていたら、彼女の重圧や体力・心理の年齢的厳しさを実感できない無邪気な応援者たちは、2020年東京五輪での5連覇を求めただろう。それは、今回以上のストレスを彼女に与えることになっただろう。「加齢に対する答えを持たない」深刻な課題 ここ一年の吉田の行動や決断を振り返れば、すでに彼女自身がリオ五輪での4連覇の難しさを相当、現実的に自覚していたように思われる。昨年の全日本選手権で優勝し、リオ五輪代表の権利を確定してから、「大会にはもう出ない。リオ五輪では一発勝負で金メダル獲得を目指す」という、異例の決断をする。ずっと彼女の戦いをいちばん身近なところで見つめ支え続けてきた母親でさえ、「それで大丈夫?」と、思わず聞き返したという。その背景には、迫り来る世界の若いライバルたちへの怖さがあったのではないだろうか。 「金メダルを獲ったアメリカのヘレン・マルーリス選手はずっと『吉田沙保里さんに勝つ』と宣言し、それだけを目標に研究し、練習を重ねてきた」。元世界チャンピオンの山本美憂さんが教えてくれた。試合後、あのダルビッシュ有投手がツイッターで、美憂さんの妹で妻の山本聖子さんがマルーリス選手の指導をしていたことを伝えている。漠然とした不安は現実の脅威になっていた。加えて、絶対の信頼を寄せていた父・栄勝さんの思いがけない死。 レスリング女子53キロ級決勝 ポイントを奪われる吉田沙保里=カリオカアリーナ(撮影・甘利慈) 上り調子時期ならまだしも、競技生活の最も厳しい終盤の時期に、道標を失った吉田の心に、行く末の見えない暗闇が広がっていたのではないかと想像される。 スポーツの深刻な課題は、「年齢(加齢)に対する答えを持たないことだ」と言われる。 若い頃なら、練習が積み重ねとなり、日々成長している手ごたえも感じる。ある年齢に達した時、あるいは大きなケガなどをきっかけに、それまでどおりの感覚で心身が動かない自分を感じ、選手たちは上っていく階段を見失う。吉田も、これ以上自分がどうすれば成長できるのか、強くなれるのか、その明快な道が見えなかったのではないだろうか。父親がいれば、何か心に火をつける言葉があったかもしれない。その父はいない。我々が想像する以上の厳しさに吉田は直面し、孤独な戦いを続けていたのではないだろうか。 銀メダルに終わって、吉田を責めたのは吉田自身だけだった。落胆はしたが、彼女を責める気持ちなど、誰が抱いただろう。 吉田は、ずっと「金メダル」を唯一の目標にし、そこを唯一の価値のように感じて戦ってきたけれど、彼女が培ってきたもの、彼女が日本中に与えてきたものは、金メダルだけではなかった。それを多くの日本人たちが実感したように思う。まずは吉田自身にそれを感じ、スポーツに打ち込む意義の深さ、広さに気付き直してほしい。応援する私たちは、「スポーツの目的、オリンピックの意義が金メダルだけではないこと」を今回の銀メダルで学んだ。それこそが、日本選手団の主将として、2020年東京五輪に向けて大切なメッセージを与えてくれたと感じる。吉田は、主将として充分な役割を果たしてくれたのである。

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    貧民街シルバ涙の金!ブラジルを熱狂させる逆境のアスリートたち

    シルバ選手と姉のラクエルさんに柔道を習わせることにした。 7歳で柔道を始めたシルバ選手は、少年少女にスポーツを教える非営利組織のサポートを受け、柔道家として上達を続け、2008年にタイのバンコクで行われた世界柔道ジュニア選手権大会で57キロ以下級に出場し、見事に優勝を果たしている。ロンドン五輪にブラジル代表として出場したシルバ選手は、2回戦で反則と判断され、敗退した。この時、シルバ選手はまだ20歳だったが、引退を真剣に考えていたのだという。彼女が引退を考えた理由は、柔道家としての限界といったものではなく、試合後に浴びせられた多数の中傷であった。 試合後、シルバ選手の敗退に憤慨したブラジル人がツイッターなどでシルバ選手を誹謗中傷する書き込みを繰り返した。これらの書き込みには、柔道の試合内容ではなく、黒人のシルバ選手に対して人種差別的な言葉を投げかけたものも少なくなく、あるユーザーはシルバ選手に対し「檻に入った猿め。お前なんかオリンピック選手ではない」とツイートし、ブラジルのオリンピック委員会が差別発言の投稿者に対して法的措置を検討する事態にまで発展した。 シルバ選手は引退という選択をせずに、地元リオで開催されているオリンピックで見事に金メダルを獲得した。金メダルを手にして間もない10日に、シルバ選手は人種差別に関するフォーラムに出席し、その後の記者会見で「私が檻の中に入れられるべきと言った人たちがいましたが、このメダルが彼らへの私からの回答です」と涙ながらに語った。シルバ選手は記者会見の中で、ファベーラで暮らす黒人は日々の生活の中で人種差別に直面しているとも語り、ブラジル国内に現在も存在する人種差別や女性差別を社会から無くすことを訴えた。しかし、シルバ選手にとって金メダルは人種差別へのカウンターパンチというだけの存在ではなく、将来への希望を象徴するものでもあるようだ。シルバ選手は「このメダルは、ファベーラで暮らす子供達の模範にもなるのです」とも語っている。身体的なハンデも武器に変えたスターたち身体的なハンデも武器に変えたスターたち ファベーラ出身のシルバ選手による金メダル獲得は、間違いなく今大会で最も感動的なシーンの1つだ。経済的なハンデに加えて、身体的なハンデを逆に武器に変え、多くのファンを魅了したアスリートがブラジルのスポーツ界にはまだいる。サッカー選手のガリンシャとジジは、50年代と60年代のブラジルサッカー界を代表するスター選手だった。ガリンシャはドリブルで、ジジはパスやフリーキックで非凡な才能を見せ、ペレにとって初めてのワールドカップとなった1958年のスウェーデン大会では、ブラジル代表の主力選手として活躍し、ジジはスウェーデン大会の最優秀選手に選出されている。リオ五輪柔道女子57キロ級で金メダルを掲げるラファエラ・シルバ。(左から)銅メダルのモンテイロ、松本薫=8月8日午後、カリオカアリーナ(代表撮影) スタミナがあまりなく、運動量の多い現代サッカーではジジは大活躍することはなかったかもしれないが、個人のスキルが試合を大きく左右した50年代、ジジの試合の流れを読む力とパスの正確性は他の追随を許さず、文字通りピッチを支配する選手だった。リオデジャネイロ州東部の町で生まれ育ったジジは、14歳の時にサッカーの試合中に右脚を負傷。傷口が菌に感染したため、医師は右脚の切断をすべきと家族に伝えたが、ジジと家族は切断を行わない治療を希望。1年近いリハビリを経て、ジジは再びサッカーをプレーすることが可能となった。 やがてジジはフルミネンセやボタフォゴといったビッグクラブで活躍するスター選手となるのなだが、古傷をかばう目的で身に付けた独特のフォームから繰り出されるボールは通常とは異なる軌道を描いたため、ジジはこれをフリーキックで活用することにした。ジジのフリーキックは、野球のナックルボールのように無回転のまま急に落下することから「枯れ葉」という呼称で知られるようになり、多くのゴールキーパーを苦しめた。ペレと並び称される「曲がった脚をもつ天使」ペレと並び称される「曲がった脚をもつ天使」 ドリブルの名手であったガリンシャはリオデジャネイロ州西部の小さな集落で誕生した。6歳の時に小児麻痺にかかるが、家庭が貧しかったために病院での治療は行えず、医大を出たばかりの若い医師がボランティアとしてガリンシャに手術を施した。しかし、十分な医療機器がないまま行われた手術によって、ガリンシャの背骨は歪曲し、両足が同じ方向にねじ曲がってしまった。左足が右足よりも5センチ以上短かったという記録も残っている。 バスの運転手として生計を立てていこうと考えたガリンシャだが、知能テストの結果が低かったために、バスの運転手になる夢を断念している(小児麻痺の影響で、ガリンシャには軽度の知的障害があった)。サッカー選手として生活できないかと考えたガリンシャは、リオデジャネイロ周辺の幾つかのクラブチームの入団テストを受けに行ったものの、曲がった足を見たクラブ関係者からテストを受けることすら断られたり、サッカーシューズを持っていなかったためにテストを受けられないといった経験をしている。しかし、19歳の時の転機が訪れる。 工場で働きながら地元チームでプレーしていたガリンシャのドリブルの才能に目をつけたのが、リオデジャネイロのビッグクラブとしてブラジル代表の選手が何人もプレーしていたボタフォゴだった。トライアル期間中のある日、ガリンシャはブラジル代表のディフェンダーとしても活躍するニウトン・サントスと一対一の勝負を繰り返し行い、ブラジル屈指のディフェンダーとして知られたサントスをガリンシャは何度も簡単に抜き去り、無名の若者に恥をかかされたサントスはすぐにクラブの幹部に「じっとしていないで、すぐにこいつと契約すべきだ」と直談判しに行ったという逸話が残っている。1962年、チリでのサッカーW杯に出場したガリンシャ=左(Wikimedia) ボタフォゴで頭角を現したガリンシャは、ブラジル代表にも選出され、前述のジジやペレらと共にブラジルの黄金時代を作り上げた。ガリンシャは身体的なハンデを逆手にとって、トリッキーなドリブルを仕掛けることで相手ディフェンスを恐怖に陥れた。ある時はディフェンダーを置き去りにし、ある時はディフェンダーの股下にボールを通して突破する。誰がディフェンスをやってもガリンシャの幻想的なドリブルを止めることはできず、いつしかブラジルのメディアは相手ディフェンダーを「ジョアンたち(ジョアンはポルトガル語でよくある男子の名前で、誰がやっても同じという皮肉が込められている)」と呼び、ガリンシャは「脚の曲がった天使」と呼ばれ愛された。ブラジルでは現在でもペレとガリンシャのどちらがより優れていたのかという論争が存在するが、実際に現役時代のペレとガリンシャのプレーを見た筆者の知人のブラジル人は、「ペレは最高のアスリートで、ガリンシャは最高のアーティストだった」と語る。 晩年のガリンシャはアルコール依存症に苦しみ、49歳の若さでこの世を去ったが、身体的なハンデを武器にして、芸術的なプレーでブラジル最高のサッカー選手の1人になったガリンシャの生き様に敬意を表するブラジル人は少なくない。今回のリオ五輪でも、選手の置かれた環境は競技や出場国によって大きく異なる。最高の練習施設を使うことができ、トレーニング方法やスポーツ医学の分野で知識の高いスタッフに囲まれたアスリートもいれば、そうでないアスリートもいる。ある意味で、先進国のアスリートや、国際的な企業にバックアップされているアスリートと、そうでないアスリートとの間には、経済面から練習環境まで様々な部分でハンデが存在する。しかし、そういったハンデを乗り越えたアスリートが活躍を見せた時、世界中のスポーツファンはそのパフォーマンスに歓喜するのだ。ファベーラ出身のラファエラ・シルバの活躍が、暗い話題の続くブラジル社会で芽が出始めた希望の種なのかもしれない。

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    ネイマールを憂鬱にさせる? ブラジル真の「10番」

    」はどちらだ 5日に開会式が行われたリオ五輪も、すでに後半に突入し、アメリカやイギリス、中国といったスポーツ大国は、いつものように多くの競技でメダルを獲得している。今大会では日本人選手の活躍も目立ち、すでにメダルを27個まで増やした。南米では初めてとなるブラジルのリオデジャネイロで開催されている五輪では、ブラジル人アスリートの活躍も注目の的となっているが、ブラジルが獲得したメダルは8月15日(現地時間)の時点で9個のみとなっている。 ブラジル人選手があまり活躍しないことや、南米特有のファンによる相手チームへの挑発が原因となって、リオ五輪ではブラジル人ファンによる他国の代表選手に対するブーイングの方が目立つ格好となり、リオ発のニュースとして世界中に配信されている。 アルゼンチンのマクリ大統領は、かつてディエゴ・マラドーナもプレーしたアルゼンチンの強豪ボカ・ジュニオールズの会長をつとめていた事でも知られるが、14日に自身のフェイスブックページに「アルゼンチンとブラジルのファンはフットボールのライバル関係を、リオ五輪に持ち込むべきではないと思う」と投稿。様々な場所でアルゼンチン人選手に対するヤジが酷いとの指摘を受け、大統領自らがフェイスブック上で自制を求める展開へと発展した。アルゼンチンとポルトガルの選手が対戦したテニスの試合では、会場のブラジル人観客からアルゼンチンを罵るチャントを含んだブーイングが繰り返され、興奮しすぎた2人のファンは殴り合いまで始めてしまい、試合会場から追い出されている。テニス男子シングルス準決勝でスペインのナダルに逆転勝ちし、喜ぶアルゼンチンのデルポトロ。決勝進出を決めた=リオデジャネイロ(ロイター=共同) 他国のチームや選手に対するブーイングを、自国のアスリートがメダルを取れない現実に対するフラストレーションだと指摘する声もあるが、あまり格好のいい話ではない。五輪が終了するまでにこの種のブーイングが鳴りやむ可能性は低く、ブラジル人選手が生まれ変わったように各競技でメダルを次々と奪取する可能性はさらに低い。しかし、全土でブラジル人が金メダルの獲得を期待し、「絶対に取ってもらわなければ困る」と考えるスポーツが1つだけ存在する。ブラジル人が「フチボウ」と呼ぶ競技、つまりサッカーのことだ。2人の絶対エースにブラジル人がつけた人気の差 サッカーのブラジル代表は男子・女子ともに準決勝に進出し、女子代表は16日にスウェーデン代表と、男子代表は17日にホンジュラス代表とそれぞれ対戦する。スペインのFCバルセロナですでに世界的な名声を手にしているアタッカーのネイマールがオーバーエイジ枠でチームに加わった男子代表は、五輪開催前に圧倒的な攻撃力を期待されたものの、グループリーグの最初の2試合をスコアレスドローで終え、国民から大きなバッシングを受けた。勝ち点2で挑んだグループリーグ最終戦では、4-0でデンマークを粉砕し、結局グループリーグを首位で通過。準々決勝のコロンビア戦も2-0で勝利し、ようやくエンジンがかかってきたように思われる。女子サッカー1次リーグのスウェーデン戦、この試合4点目を決めて、飛び上がって喜ぶブラジルのマルタ=マラカナンスタジアム(ロイター) 女子代表はグループリーグの最初の2試合で8ゴールをあげ、早々に準々決勝進出を決めている。準々決勝ではオーストラリアにPK戦の末に勝利し、準決勝ではグループリーグで5-1で勝利したスウェーデン代表と再び対戦した。女子代表のエースは30歳のマルタだ。2006年から5年連続でFIFA世界最優秀選手に選ばれており、テクニックの高さからロマーリオやロナウジーニョといった選手と比較されることもある。フォワードとして102試合で102ゴールを決めており、得点率の高い選手として間違いなく後世に語り継がれる選手だ。 マルタとネイマールはそれぞれ10番を背負ってリオ五輪での優勝を目指している。それぞれが甲乙つけがたい、チームの中で絶対的な存在のタレントだが、ブラジルの国内メディアが人気投票を行ったところ、マルタを支持する声が圧倒的に多かったのだという。加えて、ブラジル国内ですらマルタの名前の入ったレプリカユニフォームがほとんど売られていない現状に憤慨した一部のファンが、ネイマールと名前が入ったブラジル代表の10番のレプリカユニフォームを購入。ネイマールの名前に油性ペンで横線を引き、その下にマルタの名前を書き込み、それを着て女子サッカーの試合を観戦した。その様子がSNSで瞬く間に拡散し、ネイマールからマルタに名前が書き替えられたユニフォームを着たファンは増加傾向にある。 ネイマールにとっては気分のいい話ではないが、高給取りの集まる男子代表とは異なる環境でプレーする女子代表に声援を送るファンが多いのも事実だ。ブラジル国民の悲願でもあるオリンピックでの金メダル獲得。マルタとネイマールにかかる期待は大きい。「フチボウ・アルチ」は遠い昔の話か「フチボウ・アルチ」は遠い昔の話か ブラジルが「フットボール大国」であることは紛れもない事実だ。これまでに行われた国際大会での優勝回数や、ペレやジーコ、ロナウドといった世界的な選手を常に輩出している国はおそらくブラジルのみだろう。また、世界のフットボールシーンにおいても、ブラジルは最大の選手供給源だ。フットボールを学術的に調査・研究するスイスのシンクタンク「CIES」は2013年に、ヨーロッパ31カ国のトップリーグでプレーするブラジル人選手が毎年500人以上にのぼると発表している。これらの国の下位リーグや、これらの国以外でプレーするブラジル人選手を含めると、世界中でプレーするブラジル人選手数は膨大なものとなる。 ヨーロッパでは過去にフェロー諸島のリーグで得点王に輝いたストライカーがブラジル人選手であった記録が残っていたり、アジアでも日本や中国で活躍するブラジル人選手は多い。サッカー人気が上昇を続けるアメリカでも、メジャーリーグ・サッカー(MLS)でプレーするブラジル人選手は少なくない。ここまで書くと、まるでフットボールがブラジルで誕生したようにすら思えてくるが、他国同様にブラジルにサッカーを伝えたのはイギリス人であった。準々決勝でコロンビアを下し、喜ぶブラジルのネイマール=サンパウロ(AP=共同) ブラジルでは長年にわたって、スコットランドとイングランドから移住した両親のもとにサンパウロで誕生したチャールズ・ウイリアム・ミラーが、「ブラジル・フットボールの父」と考えられてきた。1874年生まれのミラーは10歳の時にイングランドの寄宿学校に送られ、1894年にブラジルに戻ってきた。学生時代にイングランドでフットボールとクリケットをプレーし、その魅力の虜となったミラーは、ブラジルに戻る際にスーツケースに2個のサッカーボールとルールブックを入れて持ち帰り、主にクリケットなどがプレーされていたサンパウロ・アスレチック・クラブでサッカーの試合を始めて行った。 1894年にサンパウロで行われた試合がブラジル初のサッカーの試合で、そこから各都市でサッカーが行われるようになったという説は今も根強く残っている。しかし、2011年3月にスコットランドの歴史家らが新説を発表した。スコットランドからブラジルに渡った移民の歴史について研究していた地元の歴史家らが、スコットランドとブラジルに残っていた資料などに細かく目を通した結果、サンパウロで試合が行われる約半年前に、スコットランド出身の鉄道技師トーマス・ドノヒューがリオデジャネイロでサッカーの試合を主催していたことが判明したのだ。諸説あるものの、ブラジルでサッカーが行われ始めたのは1894年頃というのは間違いないだろう。もし、ドノヒュー説が正しければ、サッカーの決勝戦はブラジル・フットボール発祥の地で行われることになる。 かつてブラジル人は自国のサッカーを「フチボウ・アルチ(芸術のフットボール)」と呼び、ペレやガリンシャ(彼については、次回の記事で紹介したい)、リベリーノといった選手が個人技でファンを魅了した。多くのトップ選手が若くしてヨーロッパでプレーする現在、フチボウ・アルチは遥か昔のおとぎ話のようにすら考えられるようになった。他の産業と同じように、ブラジルのサッカーもグローバリゼーションの影響を受けたのではないだろうか。マーケティング戦略の成功によって一部の選手は莫大な富を得るようになったが、選手間の経済格差は大きくなり、スター選手が一般のブラジル人にとって昔ほど身近な存在ではなくなったという話も耳にする。ブラジル国内でネイマールではなくマルタに人気が集まるのも、そういった「変化」に対する民衆の不満が起因しているのではないだろうか。

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    「体操ニッポン」はなぜ復活できた? 内村航平を強くした宿命の力

    小林信也(作家、スポーツライター) 体操ニッポンは、期待どおり、いや期待以上の成果を収めた。 男子団体ではアテネ五輪以来の金メダルを獲得した。予選は4位。決勝の滑り出しでも落下があり、厳しい状況から勝ち取った勝利だった。体操男子決勝 内村航平の床運動=8月8日、リオ五輪アリーナ(撮影・桐山弘太) 男子個人総合は、内村航平が最終種目で大逆転。加藤沢男以来の五輪連覇を果たした。さらに女子も団体総合4位に入り、2020東京五輪に向けて大きな希望を抱かせた。 内村航平は、5種目を終えた時点で、ペルニャエフ(ウクライナ)に0・901点差をつけられ2位。大逆転を現実にするためには、内村が最終種目の鉄棒で完璧な演技をするしかなかった。その重圧、追い込まれた状況で、王者・内村航平は高難度の演技を感動的に演じきった。後になって、演技の途中でぎっくり腰にも似た痛みを発症するアクシデントに見舞われていたと知らされたが、まったくそれを感じさせない勢いでフィニッシュも決めた。 あるテレビ番組で、「宿命」という言葉で、内村が自分自身の挑戦、なぜ体操に打ち込むかの理由を表現したのを見たことがある。 かつては体操ニッポンと呼ばれた時代があったが、長く低迷する時期もあった。そんな中、両親が長崎県諫早市で始めた体操教室で体操を始めた。内村が3歳の時だった。中学卒業と同時に上京し、朝日生命体操クラブに入る。内村は、両親はもとより、体操ニッポンの歴史を築いた先輩たちの情熱や期待をも一身に担う存在だった。内村自身がある時からそれを自覚し、それを喜びに感じていたように見える。それは想像を絶する苦しさでもあるだろうが、それだけの可能性を与えられた者だけの特権であり、見事にその宿命を開花させ、歓喜に変えた。常に金メダルを争う強さを得た背景 団体総合でも内村が中心を担ったのはもちろんだが、団体金メダル獲得を実現した要因として、床運動のスペシャリスト・白井健三の存在も大きかった。 体操の団体競技は、ルール変更が頻繁だ。かつて団体競技は選手全員が全種目を演技していた。今大会は、選手6人のうち3人が各種目に出場すればいい。そのため、白井のようなスペシャリストの五輪出場が可能になった。白井は得意の床運動でポイント・ゲッターになったばかりでなく、若く天真爛漫な白井がチームに明るさを注いだ。すごすぎる内村がともすれば孤高の存在になりがちな中、チームが一つになる上で貴重な存在だったという。体操男子団体決勝 白井健三の床運動の演技=8月8日、リオ五輪アリーナ(撮影・桐山弘太) 一時は低迷していた「体操ニッポン」が復活し、五輪でも世界選手権でも常に金メダルを争う強さを得た背景に「個人の情熱」の集積があることを改めて伝えておきたい。 先に書いた通り、絶対王者・内村航平を生み出した原点は両親が始めた体操教室だった。白井の両親も体操選手。体操を愛し、体操に情熱を燃やす人たちが、我が子に体操を勧め、ジュニアを育成する環境づくりに人生をかけた、献身と努力の賜物と言えるだろう。 もっと直接的な表現をすれば、金メダリストを育てたのは、国でも協会でもなく、選手たちの父母である。 アテネ五輪のメンバーであり、いまは強化本部長を務める水鳥寿思の実家は静岡の水鳥体操館。内村航平の実家も長崎県諫早市で体操教室を開いている。自分の家が体操教室、父母が元体操選手という境遇に育った子どもたちが現在の強さの源になっている。この状況は、卓球とよく似ている。2020東京五輪に向けて、国を挙げての強化が叫ばれているが、実績的には国より個人、熱心な親に任せた方が成長の確率が高い。この点は真剣に見つめ、支援の方法を模索すべきテーマではないだろうか。 ジュニア育成のシステムが日本中に整っている態勢も、選手を輩出する要因だ。 テニスやサッカーに比べたら数は少ないが、世界的に見て、これだけ全国的に体操競技にチャレンジできる受け皿が整っている国は珍しいという。 我々日本人にとっては当たり前のように感じる「街の体操教室」が、国際的にはそれほど定番ではないらしい。スイミングクラブも同様、こうした体操クラブが生まれたルーツには1964東京五輪がある。鈴木大地スポーツ庁長官が所属していたセントラルスポーツクラブは、東京五輪の水泳選手だった後藤社長が、メダルを獲れなかった悔しさから後輩に夢を託すため設立した。そうした成果がいま生きている。

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    卓球の神様が微笑んだ! メダルをもたらした水谷隼の使命と情熱

    小林信也(作家、スポーツライター) 卓球男子シングルスで、水谷隼が銅メダルを獲得した。銅メダルを手に笑顔を見せる水谷隼=11日、リオ中央体育館(撮影・桐山弘太) オリンピック卓球の個人種目で日本男子が獲った史上初のメダル。それだけでも充分に価値があるが、この勝利はそれ以上の重みと意義を持っている。 2012年のロンドン五輪でメダルを獲得できなかった水谷隼は、大きな決断をし、勇気ある行動を起こした。卓球界では公然の秘密となっていた補助剤(ブースター)を一掃し、公平な競技環境を取り戻すための問題提起をしたのだ。 ご存知ない方のために概要を説明しよう。数年前まで、卓球選手たちの多くはスーパーグルーという接着剤を使用してラバーを張り替えていた。これはただ貼るだけの目的でなく、この溶剤を使って接着することでラバーが化学反応を起こし、ラバーの反発力などが変わる。回転数や球速が劇的に増加する効果を狙ってこの接着剤を使っていたのだ。ところが、有害な物質ゆえに、ある選手が中毒症状を起こし重体になった。それをきっかけに使用が禁じられた経緯がある。それで卓球界が健全になればよかったが、次に選手たちが採り入れたのが補助剤だった。ラバーを貼るとき、補助剤を塗るとスーパーグルー同様にラバーが変質し、回転数と球速が飛躍的に増すという。一度そのたくましい打感を経験すると、それなしではいられないほどの違いだという。 この補助剤も規則で禁じられているが、使ったかどうかを検査する方法がないこともあって、多くの選手が違反を承知で使っている実態がある。水泳で言えば、話題となった高速水着が禁止になったにもかかわらず、無視して使い続け、しかもお咎めなしで、順位も記録も正式に認められる状況が続いている。実際には野放しの状態なのだ。ロンドン五輪のころは、補助剤を使っていないのは水谷隼をはじめとする日本選手とその他ごく一部の選手だけで、海外の選手はほとんどが使っているのではないかと思われる状況だった。選手によれば、試合で打ち合うと一発でわかるという。打つ音がまるで金属音のように響く。信じられない回転数で、威力のあるボールが飛んでくるからだ。 このような不正、そして不公平が放置されたら、卓球競技は健全さを失う。いやすでに失っている。それに対して声を上げたのが水谷隼だった。世界に向けて、卓球選手の間では公然の秘密になっている不正の横行を伝え、改善を呼びかけ、公平性が回復するまで「国際大会には出場しない」と宣言したのだ。 その行動に対して、「ロンドン五輪でメダルを獲れなかった言い訳をするな」といった批判も向けられた。そういう出来事があってのリオ五輪だけに、銅メダル獲得の重さは、格別だ。卓球を変える使命を担って戦う 3位決定戦の大事な局面、水谷隼が3ゲーム目を取るポイントで、エッジボールが決まった。実況アナウンサーが思わず「神様が水谷隼に味方をした」といった表現をした。他にも随所に神がかり的なショットがあった。水谷隼が逆に相手のエッジボールを難なく拾うシーンもあった。まさに、卓球の神様が微笑んでくれたようにも感じる。男子シングルス3位決定戦 ベラルーシのサムソノフと対戦する水谷隼=リオデジャネイロ(共同) リオ五輪が始まって早々にメダルラッシュが続いただけに、いつにも増してお祭り騒ぎが盛り上がっている。一方、メダルに大騒ぎする風潮を批判する声も起こり始めている。私自身、メダル獲得ばかりを話題にするのは違うと思っているが、今回は新たな潮流を感じ、少し感銘も受けている。 卓球界を変える使命を担って戦う水谷と同じように、競技生活を「宿命」と表現した体操の内村航平もしかり。体操が超競技化し、一般の子どもたちが日常的に触れ、親しむ競技ではなくなりつつある現状をどう打破できるか。そのことに意識を深く持っている内村の2連覇も、ただ個人の栄誉ではない意義を感じる。カナディアンカヌー男子スラロームで銅メダルに輝いた羽根田卓也はまさにそうだ。 その競技を愛し、その競技の未来を拓く使命を担う情熱に衝き動かされた選手たちにメダルが授与される。3位決定戦で敗れメダルには届かなかったが、卓球女子シングルスで快進撃を演じた福原愛にもそれを感じる。 彼らを見つめ直すと、共通点がある。いずれもその競技に情熱を燃やしていた父母の勧めや影響で、幼い頃から競技に親しんでいる。 水谷隼は5歳のとき、父親が始めた卓球スポーツ少年団の一期生として卓球を始めたという。「天性のボールタッチ」と形容される水谷隼の最大の魅力そして武器は、文字どおりボールタッチのやわらかさ。これは技術だけでは生まれない。卓球への愛情ややさしさから生まれる。彼らの両親が育んだのは、技術ばかりでなく、競技に対する底深い愛情だったのではないだろうか。それこそがメダル獲得の原動力のように感じる。

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    ここがヘンだよ! 揉めてないのに揉めたがる女子マラソン選考

    小林信也(スポーツライター) 「女子マラソンの五輪代表選考が、また揉めた」と話題になって約一カ月。騒動の主ともなった福士加代子も無事代表に選ばれ、とくに混乱もなくリオ五輪の女子マラソン代表は伊藤舞(大塚製薬)、福士加代子(ワコール)、田中智美(第一生命)の三人で決定した。 私は先週の名古屋ウィメンズマラソンの前、あるラジオ番組でこう発言した。「また揉めているというけれど、まだ何も揉めていないし、たぶん揉めないと思います」 なぜなら、福士が名古屋への出場を取りやめて余計なミソをつける(途中棄権や、ひどいタイム、惨敗など)の心配がなくなった上、福士が大阪で出したタイムを超える可能性のある選手はほとんどいない、ミラクルが起こってもせいぜいひとりと見るのが自然に思えたからだ。名古屋ウィメンズマラソン 陸上連盟の会見 尾懸貢日本陸連専務理事(右)と酒井勝充日本陸蓮強化副委員長(左) =ナゴヤドーム(撮影・榎本雅弘) 実際、名古屋のレースが終わってみれば、とくに揉める要素もなく、順当に三人が浮かび上がった。今回の騒動の主は陸連ではなかった。マッチポンプというのか、福士加代子側が火を点け、そして自ら火を消して、何事もなく終わったというのが、クールに見た今回の騒動だ。 何もなかったのに大騒ぎになったのは、福士側の上げた狼煙に、マスメディアもネットもこぞって乗っかったからだ。そこには「陸連に対する強い不信と不満」が根強くあるからだろう。福士を指導するコーチにもその気持ちが痛いほど感じられたし、「何かあってからでは遅すぎる」という切実な葛藤と、日ごろから積み重なる陸連へのフラストレーションがあったからだろう。 女子マラソンの代表選考は、松野明美(バルセロナ五輪)の落選に象徴されるように、幾度となく多くの人が「納得のいかない」結果で物議を醸してきた。記憶に新しいのはほぼ一年前、2015世界陸上・北京大会の代表に当然選ばれると見られ、本人もほぼ確信し朗報を待っていただろう田中智美が選考から洩れた事件だ。 選考の対象となった3レース中、最初の横浜で唯一優勝を飾ったのが田中智美だった。多くの関係者やファンが「日本人1位」よりも田中の「優勝」を重く評価していた。ところが、蓋を開けると選ばれたのは大阪で3位の重友梨佐、名古屋で3位の前田彩里、同4位の伊藤舞だった。 日本の女子マラソンの草分けともいえる存在でいまはスポーツジャーナリストの増田明美さんが、記者会見で厳しく日本陸連を追求した。シドニー五輪の金メダリスト・高橋尚子さんも批判の声を上げた。揉めたどころか「超ハッピー」なエンディング 世界陸上で入賞し、日本人1位になれば自動的にリオ五輪が内定する。世界陸上出場にとどまらない道がそこには続いている。それだけに、田中智美の落胆は想像に難くない。第35回大阪国際女子マラソン 花束を手に笑顔で観客に応える福士加代子 =1月31日午後、ヤンマースタジアム長居(奥清博撮影) その北京世界陸上で、名古屋4位の伊藤舞が7位に入賞し、いち早くリオ五輪切符を手中に収めたのは、日本陸連の慧眼というべきか。伊藤舞は自ら選考の正しさを証明し、五輪出場のチャンスさえ自力でつかむ形となった。 日本陸連が定めた標準記録を突破した福士加代子も選ばれた。北京五輪で悲運に泣いた田中智美が名古屋で、しかもゴール前のデッドヒートを制して最後の最後で切符をつかみ、雪辱を果たす結果となった。 揉めたどころか、「超ハッピー」な、人間ドラマに満ちあふれたエンディング。日本陸連が描いたとすれば、最敬礼と大喝采を捧げねばならない展開となった。 もちろん、この三人でメダルを獲れるのか? と問えば、かつて有森裕子、高橋尚子、野口みずきを擁して臨んだオリンピックほど確信は高くない。本当はそこが一番議論され、改善すべきテーマだ。 それにしても、揉めていないのにマスメディアもファンも「揉めたがった」原因を改めて探っておこう。 私は主に、二つの要素が主因だと感じている。ひとつは、日本陸連をはじめとする日本のスポーツ組織の権威主義。平たく言えば「偉そうな体質」だ。茶道などの家元が君臨するのは、免状などを認め、授与するのは家元だという絶対的な構造がある。スポーツ団体にとってこれに代わるもののひとつが、オリンピックや世界選手権、国際大会などへの出場選考だ。「お前、そんな態度なら代表に選んでやらねえぞ」 私はナショナル・チーム合宿の取材現場で、協会関係者があからさまに 「お前、そんな態度なら代表に選んでやらねえぞ」と、選手を脅す光景に接したことがある。選手にすれば、「勝手にしろ」と言いたいけれど、そうも言い切れない現実がある。協会や連盟は、その切り札さえ抑えておけば、選手の手綱を握ることができる。長年のその体質は簡単に抜けないだろう。思えば、プロテニスやプロゴルフなど、賞金ランクやポイント・システムで明確に出場資格が定められ、組織の人の感情に左右されない競技団体ではこのようなトラブルは起こらないし、権威的な空気も少ないかもしれない。 そしてもうひとつの要因は、マラソンや世界陸上の各国代表枠が「三つしかない」という、当たり前だが、考えようによっては馬鹿馬鹿しい制約があるためだ。 競技によっては、ワイルドカードなどの方法で四人目、五人目の選手に出場権を与えてもいいだろう。五輪前一年間の指定レースの総合ランキング上位者、あるいは標準記録突破者の何名かの五輪出場に道を開く方法だ。団体競技の中には、アジア予選に敗れた国が、世界最終予選に回る例もある。 陸上男子100メートルでアメリカ代表が3人に限定されているのは、長年のしきたりで誰も声を上げないが、もったいないし、申し訳ないと私はずっと思っている。オリンピックがそうだから、「世界陸上は標準記録を突破すれば誰でも出場できる大会にしよう」という主旨で、1993年にそもそもいまの世界陸上がヘルシンキで始まったと記憶している。ところが、その大会と翌年のロス五輪がアマチュアリズム崩壊、スポーツの商業化のきっかけを作る大会となり、スポンサーや放送局の思惑も絡んでか、すぐ各国3人に戻ってしまった。 マラソンなら、あと10人選手が増えても、競技運営に大幅な支障をきたすとは思えない。代表選考をめぐって不愉快な非難や議論で時間と労力を無駄にするくらいなら、陸連も選手もファンもこぞって、「オリンピックにもワイルドカード枠を!」と一緒になって提言し運動する方がよほど本質的で前向きではないかと私は考えている。

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    陸連に評価はムリ! 私なら世界一「公平」なマラソン選考が出来る

    もしマラソン代表選考におけるこれらの本質的な問題の解決がまたまた先送りされるようなことがあるならば、スポーツの根幹にかかわる公平性の問題を長年に亘って解決できない御頭(おつむ)のお寒い国民に対する嘲りの視線の中で五輪のホスト国を務めることになるであろう。一発選考に立ちはだかる既得権の壁 代表選考の問題点に言及する前に、自分の立場を明らかにする意味で「一発選考か複数大会選考か」という問題に触れておく。 選考システムに関しては、私は断然、複数大会選考派である。つまり、現状のシステムを是とする考え方である。理由は2つ、「おもしろい」ということ、そして「現実的」ということである。もちろん、「フェアタイムの活用によって公平な選考が実現できる!」ということが複数大会選考を主張する技術的背景としてあるが、ここではその議論は割愛する。 選考競技会は時期もコースも気象条件も異なる大会で開催される。こうした異なる舞台の上で、鍛え上げた選手がその条件と対話しながらベストの結果を出すべく能力の全てを傾注するのであるから、これがおもしろくない訳がない。市民ランナーにとっても、マラソンの奥深さに触れる絶好の機会である。しかも複数大会選考となれば、代表選考に係る選手と一緒に走れる市民ランナーもぐっと増える。同じ大会でエリートランナーと一緒にアップしているときなど、泡沫市民ランナーの私にとっては至福の瞬間である。一発勝負派の人達には「市民ランナーの楽しみを奪わないで!」と言いたい。 マラソン大会は既得権の塊である。選考レースが複数ともなれば、陸連の実入りが多くなるのは当然として、各大会の主催者にとっても、参加選手の質と量、観客動員数、視聴率、協賛金、放映権、関係者のモチベーションなど冠大会のメリットは甚大である。もし一発勝負ということで話が進んだとしても、この既得権の壁を切り崩すには相当の覚悟が必要であろう。 選手にとってもメリットが大きい。自分の体調と他の選手の動きに合わせて複数回のチャンスが与えられる。実業団を保有する企業も協賛する大会に所属の選手を出場させたいであろう。ただし、一発勝負を望む選手も少なくないと思うので、この観点に関しての断定は避ける。 代表選考におけるリスクヘッジという意味でも複数大会選考方式が優る。選考レースとしても異なる条件から選手の選考ができるので異なるタイプの選手を選考することができる。世界大会の傾向を見ても、エース格の選手が力を発揮できていないのに対し、這い上がった選手が結果を出していくことから見ても、複数大会選考がリスクヘッジになっていることは確かである。 私は基本的に複数大会選考派ではあるが、一発勝負が実現するならそれに異論を唱えるつもりはない。しかし、一発勝負を実現するには相当なパワーが必要である。一発勝負を主張する人は、ただ建前論を声高に叫ぶだけでなく、是非、行動に移してほしい。そして、一発選考のビジョンおよびスケジュールを明確に示して頂きたい。 私は代表選考問題を解決するために12年の歳月をかけて外堀を埋め、本丸に打ち込む強力な大砲を開発し、そして体を張って闘いを挑んできた。一発選考派の人にこうした執念と行動力、そして何より多数派を形成し得る規格外の知恵があるのかどうか、はなはだ疑問である。代表選考、4つの問題点代表選考、4つの問題点 ここで、マラソン代表選考における問題点を整理しておこう。代表選考の問題点を一言で言えば、「陸連の陸上競技を独占的に統括する当事者としての資質の欠如」ということである。陸連の資質に関する具体的項目として「パフォーマンス評価能力の欠如」、「反法治主義的体質」、「反民主主義的運営」、そして「公人義務違反」という4つの視点で論じることとする。 現状における代表選考における第一の問題点は、陸連の「パフォーマンスの評価能力の欠如」である。現在、日本は複数大会から代表を選考するシステムであるが、このシステムが成立するためには異なる条件下のマラソンのパフォーマンスを公平に判断できる能力が必要なことは言うまでもない。しかし陸連は、研究者の集合体であるにも関わらず、パフォーマンス評価能力は極めて脆弱である。それゆえに、先の世界陸上2015の田中智美選手と重友梨佐選手の場合のように、たった二人のパフォーマンスの優劣を判定することができないのである。 北京世界陸上2015の記者会見で酒井勝充強化副委員長は、「われわれもプロとしてやっている」と発言した。しかし、人並みの能力しか持ち合わせていない彼らは、決してプロとは言えないのである。ただし、陸連の名誉の為に申し上げるが、これは陸連だけの問題ではなく、私以外の世界の全ての人に共通する能力の限界なのである。したがって、この点に関して陸連を糾弾すべきポイントは、自分達の仲間以外の研究成果を受け入れることのできない陸連の「村社会体質」である。 マラソンのパフォーマンスの評価という課題に対し、私はカルバリン砲を遥かにしのぐ“VMS砲”を有している。ちなみにVMSとは「仮想測定系システム(Virtual Measurement System)」のことである。マラソンの記録をVMSで処理した結果が「フェアタイム」である。フェアタイムとは、「異なる条件下におけるマラソンの記録を同じ条件下の記録として変換した値」であり、これを別の視点で言い換えれば、「ランナーの真のパフォーマンスを表す値」である。フェアタイムは、前述のWebサイト「ハートフルランナーズ」で誰でも知ることができる。 Webサイトを開設した当初は情報提供大会がエリート大会8大会であったが、現在では80大会(国内71大会、海外9大会)まで増えており、各々の大会の過去3大会分のフェアタイムが検索できるようになっている。現在、フェアタイムの精度は目標である0.1%(2時間10分なら±7.8秒)に迫っており、十分に実用に耐えるレベルにある。 ここで、任意の二人のランナーのパフォーマンスを相互に比較する組み合わせの数Nを計算した場合、フィニッシャーの数をnとするとすなわち一兆の組み合わせが存在する。 諸説はあるが、天の川銀河の恒星の数が約2000億から4000億、地球から観測可能な銀河の数が数千億とか言われているようであるから、”一兆”という数字は超天文学的数字であることは間違いない。この一兆の組み合わせにおいて、サブテンのランナーから7時間でゴールに飛び込んだランナーに至るまで整合性が保たれている。ちなみに整合性とは、「辻褄が合っている」ということである。 話を戻そう。先ほど、陸連はたった二人のパフォーマンスを科学的に判断することができないという話をした。その一方でフェアタイムでは、一兆の組み合わせに対して矛盾なく定量的にパフォーマンスの比較ができるのである。私はこの差を称して、「陸連とVMSとは、サッカーで言えばレアル・マドリードと幼稚園ひまわり組ほどの差がある」と言っている。レアル・マドリードは「バルサ」の方がいいかもしれないが、いずれにしても比較の対象外であるほどの能力差であることはご理解頂けると思う。これが、私が陸連を“上から目線”で見ている理由である。 なお、従来の研究とVMSの違い等の詳しい解説は前述の行政訴訟における準備書面等に詳しく書く予定なので、そちらを参照して頂きたい。選ぶ者と選ばれる者の区別がない 代表選考における2番目の問題は、陸連が「反法治国家的体質」であるということである。 陸連が発表している「第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)マラソン代表選考要項」に「選考方針」、「選考競技会」、「選考基準」等が記載されている。この中で特に問題となる部分は、選考基準(2)の2)で、「各選考競技会での記録、順位、レース展開、タイム差、気象条件等を総合的に勘案し、本大会で活躍が期待されると評価された競技者」としている点である。つまり、代表選考において陸連に大きな裁量権が与えられているのである。 ところで、先ほど私は「陸連にはパフォーマンスを評価する能力がない」ということをお話しした。いくら記者会見で「プロとしてやっている!」と見栄を張っても、所詮、彼らの武器は経験と勘しかないのである。その陸連に強力な裁量権を与えているのであるから、どうなるかはすぐに察しがつくであろう。 更に面倒なことは、陸連の組織の問題である。つまり、選考に係る選手が所属する実業団の監督等が選考に関与しており、自分達に好都合な選考理由を自在に作り出しているということである。要するに「選ぶ者と選ばれる者の区別がなくなっている」。受験生が入試の解答を採点するようなものである。 こうした内部の構造的矛盾を隠蔽するためであろうか、世界陸上2015での記者会見を振り返ってみると、「この人はボケ老人ではないか?」と思うほど耳を疑う説明が次々と飛び出してきた。例えば、田中智美選手が優勝しながら落選した理由が「外国選手が弱かった」であったり、重友梨佐選手を選んだ理由が「途中までトップグループにいた」であったりする。もちろん、外国選手の力量に関するようなバカげた規定はマラソン代表選考要項のどこにも書いてない。もしそうであれば、弱い外国選手しか出ない大会では、優勝しても代表にはなれないということになる。そして何より、この発言は女子マラソンを牽引してきた横浜国際女子の関係者にとってはなはだ失礼な発言であるし、そもそも陸連自らが主催する大会でそんな自己否定するようなことがよく言えるものである。第6回横浜国際女子マラソン 34キロ付近、先頭集団で併走する(左から)4位のロティチ、優勝の田中智美、3位の岩出玲亜、2位のフィレス・オンゴリ=2014年11月16日午後、神奈川県横浜市(代表撮影) 普通の人間なら決して口に出さない選考理由が記者会見という公の場で次々と口をついて出てくる。これが日本の陸上スポーツのリーダーの言葉であると思うと、ただただ悲しくてならない。レース展開にしても、陸連は「先行&玉砕型」がお好みのようだが、マラソンには様々なタイプがあって、それがおもしろいのである。 確かに優勝を争うということであればトップグループかそれに近いところにいなければならないかもしれないが、世界との差が余りに大きい今の日本では、自分のペースでマラソンを走り切る方が最終的なパフォーマンスがいいのは当たり前である。もし”先行逃げ切り”しか評価されないようであれば、私のような落ちこぼれで遅咲きの人間は全くチャンスは与えられないということになる。日本がそうしたシステムの国であったなら、人類はVMSを手にすることができなかったということである。 法治主義では、権力の暴走、権利の濫用を法が規制する。ただし、法治主義では、法は過去の事例に遡及しない。脱法ハーブがそうであったように、常識的には限りなく黒に近い事例であっても、立法化されていない段階では法律的に取り締まることができない。おかしいと言えばおかしなことだが、人間が絶対的な基準軸を有していない以上、法治主義のシステムは次善策として受け入れざるを得ないのである。 代表選考における陸連の反法治国家的体質とは、選考要項において陸連の裁量権が幅広く認定されており、独善的あるいは恣意的判断を規制できない諸口となっていることである。これを分かりやすい言葉で言い換えると、「陸連は後出しジャンケン可」ということである。 この問題の対策は簡単である。要するに、陸連の裁量権の幅を限りなく狭くするように選考要項を書き換えればいいだけの話である。すなわち、事前にありとあらゆる場合を想定してルールを規定しておけば、混乱は絶対に起こらないはずである。つまり、陸連は事前のルール作りを緻密に行い、実際の選考はルールが決定するのである。 例えば、びわ湖毎日2016で川内優輝選手には「2時間6分30秒を切らない限り優勝しても選考の対象外」という酷な条件が課せられていた。しかし、選考要項に「初回の選考競技会を評価の対象とする」旨の規定があり、これは「全ての選手にチャンスは一回だけ与えられる」というルールを成文化したものと考えられるので、彼も納得できるのである。 野球では膨大な量の「野球規則(いわゆるルールブック)」を定め、多様な野球場における試合の整合性を保っている。野球の試合は見た目には審判が裁いているように見えるが、実は野球規則が裁いているのである。野球規則を制定する手間に比べたら、マラソン代表選考のルールなど訳ないことである。そして、選考のルールを規定することはパフォーマンス評価能力が欠如している人でも出来ることなのである。私もこの件に関しては長く言い続けていることではあるが、こうした当たり前のことができないのが不思議でならない。選考要項を整備することによって陸連に何らかの不都合が生じるからだと勘繰らざるを得ない。長期低落傾向への責任はないのか 代表選考に係る3つ目の問題は、選考が「反民主主義的運営」という点である。この問題は、前述の世界陸上2015で「誰もが首をかしげる選考はいったいなぜ起こったのか」というこの疑問を糸口にして陸連の組織について考えてみよう。 世界陸上2015及びリオ五輪2016のマラソン代表選考では、選考方法の手続きに関し、「全ての競技の終了後、編成方針及び選考基準に則り、強化委員会にて原案を作成し、選考委員会で選考し、理事会において決定する。」と規定されている。 私は、先に、市民マラソンフォーラム2015で開催した緊急企画のパネルディスカッションで、参加者全員が北京世界陸上の選考に対して異議を唱えたという事実を報告した。当該パネルラーは意識の高い人の集まりだったかもしれないが、代表発表直後の記者会見での質疑応答やSNSでの書き込みも圧倒的多数が陸連の選考に異議を唱えているのである。 陸連の理事は、特殊な思考構造を持つ偏屈者の集合体でないであろうから、大多数は田中智美選手を選ぶべきだと考えていたに違いない。したがって、もし世界陸上2015の選考が理事会で理事の総意を集約した結論であれば、重友選手の選考はあり得ない。ではなぜ、ふなっしーが船橋から石垣島までぶっ飛んでいくような結論が出たのであろうか。 特別な推論をするまでもなく、理事会が適式に機能していなかったと思われる。先の選考は、強化委員会の原案作成時、またはせいぜい強化委員会での選考時に基本方針が決定しており、理事会に諮られる時点では覆せない状況になっていることが想像できる。つまり、理事会が“出来レース”になっているということである。陸連の内部において、民主主義的手続きが担保されていないのである。 公益財団法人でありながら、民主的な手続きに則って与えられた権利が行使されていないということであれば、所管官庁が陸連の公益法人格をはく奪するしかない。先の行政訴訟が認容され、内閣府が陸連に対して行政指導を行った暁には、この点に関しても明らかにしてゆきたい。 日本陸連は、税制等で優遇される公益財団法人、すなわち公人であるから、その社会的責任は重く、その活動に対して国民から厳しい目が向けられるのは当然のことである。ここでは、「説明責任」および「結果責任」という側面から陸連の行動を検証する。 政治家がその活動に関して疑義をもたれた場合、その疑惑を晴らすための説明責任があるのは当然である。その際、もしその政治家が国民を十分に納得させるだけの説明ができなければ、政治家自らが責任をとるのは当然のことと考えている。最近でも甘利明氏は金銭授受問題で経済再生担当大臣を辞任しているし、宮崎健介議員はスキャンダルによって衆議院議員を辞している。 陸連は今までの数々の疑惑に対して納得できる説明を一切してこなかった。今回の世界陸上代表選考に係る私の公開質問状に対しても、陸連との往復書簡(Webに掲載中)から明らかなように、全く回答していないのである。 もし政治家が職務に関する疑惑に対して説明を拒否あるいは黙秘すれば、ほぼ100%、政治生命は断たれるであろう。しかし陸連は、繰り返し送付した督促状を無視し続け、しかも何食わぬ顔で平然と生き延びているのである。矛先は違うが、こうした事態に対して陸連に対する行政指導を求めた内閣府も、私の申し出を無視したのである。この国は一体、どうなっているのであろうか。 国民栄誉賞まで受賞したなでしこジャパンの佐々木則夫監督も辞任ということになった。公人は、ただ身ぎれいなだけで務まる訳ではない。活動の結果に対しても厳しい結果責任が問われるのである。 陸連は、日本の陸上競技界を代表する唯一の存在としての地位を与えられており、日本代表選手の選考を含む主要な権利を独占している(陸連定款参照)。これだけの独占排他権を付与されている公益財団法人であるが故に、陸連が負っている結果責任は極めて重いのである。 それにもかかわらず、日本の陸上界は長期低落の一途をたどっている。北京陸上2015ではあわやメダルゼロの瀬戸際まで追いつめられる惨敗を喫した。最近の日本選手権でも生きのいい若手が育っておらず、世界では全く通用しないベテラン選手の連覇が目についた。特権的な地位を与えられて仕事をしている以上、結果責任が問われるのは当然である。陸連も、本来なら北京世界陸上の結果を受けて、原田康弘強化委員長だけでなく幹部は総辞職のはずである。もしリオ五輪でメダルがゼロなら流石に続投する幹部はいないだろう。 以上、マラソン代表選考に関する陸連の資質を「パフォーマンス評価能力の欠如」、「反法治主義的体質」、「反民主主義的運営」、そして「公人義務違反」という4つの視点で論じた。 ここで指摘した問題点は、パフォーマンス評価能力を除き、法治主義、民主主義といった先進国の基本的要件に対する背任行為である。日本のスポーツ界で指導的地位にあるはずの陸連がこうした状態であることに、我々は強い危機感を持たなければならない。問題解決には知的にパワフルに闘うしかない問題解決には知的にパワフルに闘うしかない 「保育園落ちた日本死ね!」の書き込みが話題になっている。この問題と代表選考問題に特別な接点はなさそうに見えるが、問題解決のアプローチという切り口において共通性が垣間見え、そして潜在的な危険性を感じている。そこで「日本死ね!」をキーワードに問題解決のアプローチについて考えてみることにする。「保育園落ちた日本死ね!」の書き込みが賛否を含めて大きな反響を呼び、政界まで動かそうとしているのは、待機児童の問題が緊急の解決課題である少子化問題とのからみもあって、大きな社会問題であるからであろう。しかし日本には待機児童問題と同等、あるいはより深刻な問題が山ほどあり、その当事者は誰も厳しい現実にさらされて生きているのではないだろうか。 たとえば基地問題を抱える沖縄の人は、「小さな沖縄に基地の3/4も押し付けやがって、沖縄を何だと思っているんだ、日本死ね!」だろうし、TPPで危機に追い込まれる農業関係者は、「農家を殺す気か、日本の農業を殺す気か、日本死ね!」だろうし、将来のシナリオが描けない契約社員は「結婚も出来ない、子供も産めない、俺には未来はない、日本死ね!」だろう。つまり、「日本死ね!」と叫びたい人は山ほどいるということである。 もしそんな日本人の皆がみんな「日本死ね!」と言い出したら日本はどうなるのだろう。それもさることながら、「日本死ね!」で政治が動くとしたら、それはもっと怖いことだと思う。 客観的に日本を見てみよう。日本は戦後70年、戦争に関与してこなかった。世界標準で見ると、これはいい意味で異常である。また、言論の自由などの基本的人権も尊重され、識字率は高く、治安のレベルも良好で、落とし物もほぼ手元に返ってくる。しかも、国民皆保険制度も整っており、特別な病気や事故がなければ80年以上は生きられる。 もし私が神様なら、こういった国家に対しては黙って70点の部分点をつける。90点でもおかしくない。残りが内政問題での配点である。言わずもがなであるが、我々は、日本人であることに感謝し、そうした国家を作り上げた先人に敬意を表してもバチは当たらないだろう。 私が子供のころは、背中に子供を背負って農作業をする女性の姿を普通に目にしていた。母親が私を生んだとき、農繁期ということもあったが、出産の前日まで働いていたそうである。母親は、8人家族の中で唯一の女として、朝早くから夜遅くまで身を粉にして働いていた。昔の女性の生活環境は過酷で、60歳そこそこで腰が曲がっている人が沢山いた。父親も、仕事から帰ると夜の8時9時まで当たり前のように野良仕事をしていた。私がたとえビッグネームになったとしても、両親には到底かなわないと思っている。 そんな両親を見て育ったので、私は贅沢はしない、我がままは言わない、無いものねだりもしない。そして、「あるもの、手に入るもので何とかやりくりする知恵」と、「不条理に対しては体を張って闘う性格」が自然に身に付いた。世界で唯一の研究に手本など全く存在しない。泣いても喚いても誰も助けてくれない。研究という場で私のこうした性格や考え方は大いに役立っている。「時代が違う」というかもしれないが、それは違う。今でも、貴方よりも過酷な環境で子育てをしている人はいくらでもいる。 社会の不備に罵詈雑音(ばりぞうごん)を浴びせて噛みつく前に、まず問題を解決するための知恵を出してみよう。なぜなら、貴方にはこれから様々な問題が次々に降ってわいてくるのであり、それをその度、自分自身で解決しなければならないからである。 貴方が当面の危機を乗り切ったら、その次に、あなたが直面した問題の解決のために行動することである。なぜなら、あなたは当事者だから誰よりも問題の深刻さを理解しているはずであり、誰よりも辛抱強くこの問題に取り組めるはずである。貴方は、60歳になって腰が曲がることはないであろうし、特別なことがなければ80過ぎまで生きていける。飢餓に瀕した国で暮らしているわけではないので、貴方の体は不条理と闘うに必要な十分の栄養が行き渡っている。闘う準備は整っているのである。 さあ、闘おう! 貴方が忌み嫌う不条理と闘おう! でも、民主主義は手続きである。だから、必要な手続きをきっちりと積み上げていこう。  私も陸連や内閣府に対して、繰り返し督促状を送付している。こうした、一見、無駄で非効率に見える手続きが、大勢の人の利害が錯綜する社会では必要なのである。しっかりと手順を踏んで問題の絡んだ糸束を根気強くほぐしていってほしい。 繰り返し言うが、「日本死ね!」が最終結論であるなら、物事は何も成し遂げられないであろう。もし日本がそうした一言で動く薄い国であれば、国として世界で名誉ある地位を占めることはできないであろう。問題に遭遇したら、クールジャパンの国民らしく、知的に、そしてパワフルに闘っていこう。泣き言を言ったり、叫んだりしていても津波に飲み込まれるだけである。 たとえば東京五輪2020であるが、国民は推進派の人たちの粗探しばかりしているように見える。日本には“セバスチャン・コー”がいないことは確かなのだが、だからこそ一人ひとりの資質の底上げが必要なのである。マラソン代表選考への“我が闘争”マラソン代表選考への“我が闘争” 本章では「マラソン代表選考における”我が闘争”」を紹介する。「我が闘争」は、言わずと知れたナチス党首アドルフ・ヒトラーの自伝の邦名であるが、語呂の面白さと本稿の内容とのマッチングのよさでタイトルとして選択したまでで、もちろん私が彼を崇拝している訳ではない。むしろ、彼に踊らされた大衆へのアンチテーゼとしてこのタイトルを使用したまでのことである。「日本死ね!」を書いた人も、そのブログに同調する人も、私がこのマラソン代表選考問題に対峙して歩んできた12年間の話は参考になると思うので、腰を据えて私の話を聞いてほしい。第24回東京国際女子マラソン、ゴール直後係員に抱えられ、一瞬苦しそうな表情を見せた高橋尚子選手=2003年11月16日、国立競技場 (奈須稔撮影) 私のマラソンの研究はアテネ五輪2004の代表選考の日から始まる。私自身も市民ランナーとして出場していた東京国際女子2003は季節外れの猛暑に見舞われた。そんな過酷な気象条件の中で高橋尚子選手は、終盤に失速して優勝を逃したものの、日本人2位の嶋原清子選手に4分近い大差をつけ2時間27分21秒でゴールした。しかしアテネ五輪代表選考では、シドニー五輪金メダリストでマラソン6連覇中であった高橋選手は落選した。東京国際女子2003が超劣悪な条件であったことは一切考慮されず、記録と順位だけを根拠とするアンフェアな選考であった。 私はこの選考に対し、表現し難い怒りを覚えた。高橋尚子選手と同じあの過酷な条件下のレースを私も走っている。あの猛暑を体全体で知っている。しかし、陸連の選考委員は、誰一人として東京国際女子2003を走っていない。「クーラーの効いた部屋でTVの画面を見ていたやつに何が分かる!」そういった怒りがこみ上げていた。マラソンを一度も走ったことのない”知識人”が表面的な情報だけで陸連の判断を支持するコメントを寄せたことにも向かっ腹がたった。よくは覚えていないのだが、きっと「陸連死ね!」とか「バカメディア死ね!」などと思っていたはずである。 怒りが収まらない選考の日の夜、悶々とした気持ちと対峙しながらじっくり考えてみた。感覚としてではあるが、自分にはあの選考が明らかに間違っていることは分かっている。同じ大会に出場した私の仲間も同じ意見である。しかし、私が著名人やエリート選手だったら世間で多少は聞く耳を持つ人がいるかもしれないが、私ごときの泡沫市民ランナーが不公平を口に出して騒いだとしても何の影響力もないであろう。 何の影響もない。何も変わらない。 確かにその通りなのだが、もしここで何もしないでこの事件をやり過ごしたとしたら、この先ずっと自分の気持ちを裏切ったことに負い目を感じて生きていくことになるだろう。何もしなかったことに対する精神的な屈辱感は、一生、自分を蝕み続けるに違いない。直観的にそう思った。 ここからが貴方と違う。私は「陸連死ね!」と叫ぶようなことはしなかった。その代わり、翌日から全国の大会主催者を訪ね、資料を収集した。ほとんどアポなしである。何の面識もない、どこの馬の骨ともわからない者の、何の勝算もない申し出に、大会主催者は資料提供の申し出に応じて下さった。 それらの資料を基にデータ解析を始めて一週間ほどが経過したとき、斬新な発想が浮かぶ。それが、異なる条件下の測定値の定量的な比較を可能とする「仮想測定系システム(VMS)」の原型である。その年の5月、東大本郷キャンパスの学園祭である五月祭で代表選考に関するイベントを開催する。教室の一室を使い「マラソン代表選考は正しかったのか?」と題したこのイベントは、私の解析結果を発表し、アテネ五輪代表選考の間違いを世間にアピールするものであった。ちなみに、このイベントを開催した時点で代表選考の日から2月余りしかたっていない。 アテネ五輪直前の2004年8月に開催された日本陸上競技学会では、2枠しかない口頭発表のうちの一枠をもらって発表している。この大会のエントリー締め切りは2004年5月だったと記憶している。私の本来の研究は、AI(人工知能)や知能ロボットであるが、マラソンの研究に次第に軸足を移していくことになる。 その後も、何とか自分の理論を普及させようと思い、複数の学会で気が狂ったように発表を続けていった。しかし、ささやかな賞をくれた学会があることはあったが、従来の方法論と余りにもかけ離れた考え方のためか、反応は概ね芳しくなかった。 闘いには武器が必要である。それは、知識を身に着けることでも、スキルを磨くことでも、体を鍛えることでも何でもいい。とにかく、相手に勝る武器が必要である。私は、新しい課題を解決するとき、必ずといっていいほど新しい武器を作り出してきた。 私の武器は、科学という道具を使って作り出される。それは、例えば理論であったり、アルゴリズムであったり、方法論であったり、モデルであったり、システムであったり、デバイスであったり、装置であったりする。武器の中でも、新兵器は特に威力を発揮する。なぜなら、相手はそれを手にしていないので、対策を講じようがないからである。郷土の伝説的棋士である升田幸三氏は「新手一生」を生涯の信条としていた。新手こそ勝負の極意である。 もちろん、口でいうほど新兵器の開発は尋常な道のりではない。例えるならば、暗闇のジャングルで出口を見つけるようなものである。フロントランナーなら誰しも味わう孤立無援の世界である。 詳しい経緯は割愛するが、ともかく私は問題の解決に迫る“新兵器“を発明した。それがVMSである。私は、10年の歳月と10,000を超すアイデアのトライ・アンド・エラーにより、VMSを初期の怪しげな珍品から最新鋭の「21世紀型カルバリン砲」へと変貌させた。現在、陸連を反論できない状況に追い込み、子供を窘めるように陸連と対峙できるのは、この新兵器による効果が大きい。 闘いを城攻めに例えるなら、まず相手の城の外堀を埋める必要がある。つまり、自分の理解者を増やし、相手の勢力範囲をじわじわと狭めていくのである。 フェアタイムが世の中に普及し、誰もがフェアタイムでパフォーマンスを確認するようになれば、陸連はフェアタイムが示唆する結果と相反する結論は出せなくなるはずである。つまり、陸連を「裸の王様」状態にしてしまうのである。この目的を達成するために、Webサイト「ハートフルランナーズ」を開設し、誰でも無料でフェアタイムを検索できるシステムを構築した。 更に、全国の大会を駆け回り、掲載大会数を増やすことに努めた。田中角栄ではないが、なんてったって"数は力"である。Webサイト開設当初は情報提供大会がエリート大会8大会であったが、現在では80大会まで増えてきた。情報提供するフィニッシャーの数は140万人に達している。私は、大会を規模で区別しない。出場者数が35,000人の都市型の巨大マラソンも、1,000人に充たない小規模の大会も同等に扱っている。マラソンに寄せる情熱は同じだからである。 利用者の信頼を勝ち取るには、フェアタイムが十分な精度を有していなければならない。研究開始当初のフェアタイムは、定量的に評価した訳ではないが、研究開始当初はかなりの不確かさが残存していたのではないかと思われる。しかしそれから10年の歳月をかけ、100以上のマラソン大会に出場し、10,000のアイデアを超す試行錯誤により、フェアタイムの精度は0.1%のレベルに達しつつある。精度の向上、そして安定した再現性は、フェアタイムの普及においても大きな力になった。 巷に溢れている数字情報は、実はすべて嘘っぱちである。そもそも「95%の人が美味しいと言いました!」なんて数字は、データの収集の仕方と処理によって如何様にもなるのである。したがって、本来なら提供する数字に不確かさを付記して情報を提供しなければならないのであるが、知識不足と不都合な事情があるので、世の中の人は誰もそれをやらない。 私は、情報を提供する者の義務という観点から、精度を付記して提供するようにした。フェアタイムが科学的データであることの証である。現在のフェアタイムは、精度(95%信頼区間)が併記されて提供されている。工業製品では製品に不確かさを付記して表示するのは普通であるが、一般の情報で精度を付記して表示しているのは見たことがない。このように、不確かさを付記する情報提供形態ということに関してもフェアタイムが世界初であろう。 更にシステムは進化を続け、フィニッシュタイムを他の大会の記録に変換する「フィニッシュタイム変換システム」を開発した。これは、もしあなたがどこかの大会を完走したとしたら、そのフィニッシュタイムを他の大会の記録として変換できるという“驚愕のシステム”である。たとえば、東京マラソン2016を走った人は、フィニッシュタイム変換システムによって千歳JAL、いわきサンシャイン、篠山ABC、高知龍馬、青島太平洋といった各地の大会に仮想的に出場することができるのである。 更に、アテネ五輪2004、北京五輪2008等の世界大会にも出場することができるし、またその逆に、アテネ五輪で優勝した野口みずき選手や、北京五輪で驚愕の記録で優勝したサムエル・ワンジル選手がその時のパフォーマンスで各地の大会を走ってもらうこともできるのである。 私は、相互に変換されたこれらのフィニッシュタイムを、時空を超えて飛び回るSFのワープとの連想から「ワープタイム」と命名した。ランナーの皆さんは、フェアタイム、ワープタイムを活用してマラソンを100倍、楽しんでいただきたい。 震災から3年が経過した2014年には、復興支援のファンドを募る目的もあって第1回の「市民マラソンフォーラム」を開催する。私は日ごろからVMSを地球の未来の為に使いたいと思っており、「市民マラソンフォーラム」はその第一歩である。将来的には、この市民マラソンフォーラムを母体として、災害支援、森林の保護、若者の支援、ボランティアの支援等を行うための、献金に頼らない強いファンドである「ハートフルランナーズファンド」を立ち上げたいという構想を持っている。 このように、私は常に新しいテーマに取り組み、新しいものを作り上げてきた。「変われるもの、創造性のあるものだけが生き残る」、そんな危機感を私は常に持っている。 「機に発し、感に敏なること」とは、極真道場の道場訓の一節である。私が西池袋の道場に通っていたころ、最も心に沁み込んだ言葉の一つであった。その意味は、「状況の変化に機敏に対応せよ」ということであり、「その為に普段の準備を怠るな」ということでもある。ここでは、アテネ五輪後の対応のような、代表選考問題でとった機に敏なる対応の幾つかをご紹介する。これは、危機意識がなく改革の意欲に乏しい陸連へのアンチテーゼでもある。陸連の代表選考はドーピングと同じだ 私は、北京世界陸上2015の代表選考があった2015年3月11日の翌週に当たる3月18日に公開質問状を陸連に送付している。しかも、第一生命サイドが日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に異議申立をしないと見極めたときには既に4日が経過しており、この手の事件の賞味期限が1週間だとして、残された時間は3日しかなかった。その時間で全体の構想をまとめ、文章化して推敲し、執筆開始から2日半後に陸連に質問状を送付している。更に、陸連にはその旨のFAXを入れ、主要な新聞社にFAXを入れ、Webサイト「ハートフルランナーズ」に質問状の全文をアップし、その2日後には日本体育協会で記者会見を行っている。世界陸上北京大会のマラソン代表に選ばれ、会見でポーズをとる今井正人(左)と前田彩里=2015年3月11日、東京都新宿区(丸山和郎撮影) 市民マラソンフォーラム2015では、緊急企画としてこの代表選考のテーマを取上げ、「私も言いたい! マラソン代表選考かくあるべき!」と題したパネルディスカッションを開催した。ほとんど面識のない方々に趣旨をお話しし、ご参集頂いて実施にこぎつけたのである。今回の内閣府に対する行政訴訟も、予定の行動の範疇ではあるが、タイミングを見計らってのことである。 勝負事は瞬発力が大事である。ここぞという時は、覚悟を決めて相手の懐に飛び込む覚悟が必要である。陸連の代表選考はドーピングと同じだ 最後に、我々がマラソン代表選考問題と闘わなければならない理由について述べておく。 人間の社会は競争がなければならない。競争があって、強いもの、知恵のあるものがリーダーになれるようなシステムでなければ、社会全体が滅びてしまう。酷なようだが、生物は環境の変化に順応して変わり続けなければならない宿命にあるのである。  競争社会は公平性が担保されて初めて成り立つ。なぜなら、本当に強いもの、本当に知恵のあるものが明日を切り拓くために生き残らなければならないからである。公平性という美学を究極まで高めたものがスポーツであり、公平性を逸脱する様々な誘惑と明示的に対決しているのがスポーツである。公平性こそスポーツの魂である。公平性が担保されているからこそ、スポーツは輝き、魅力に満ちている。そして、スポーツにおける公平性に対するたがが緩むと、社会を精神面から蝕み始める。 昔を振り返ってみよう。野球のドラフトにおいて、「空白の一日」の江川事件があった。清原・桑田事件というのもあった。清原選手が巨人との日本シリーズの終了直前に見せた涙を見ると、ドラフトが彼の人格形成に大きな影響を与えたことが伺える。執筆時点の16日、彼は覚醒剤取締法違反の疑いで拘留中だが、あのドラフトが現在の事態の遠因になっているのかもしれない。 角界では、一度の優勝もなく横綱に昇進させた「北尾事件」があったが、その後の経過は皆さんがご承知の通りである。 代表選考問題の渦中にあった重友選手の世界陸上2015や大阪国際女子2016の結果に、内心、ほくそ笑んだ人も少なからずいたであろう。日本が一つにまとまっていない証拠である。一つにまとまっていない日本が勝てるわけがない。足の引っ張り合いで選手が力を発揮できる訳がない。そんな日本にした全ての責任は陸連にある。不公平な措置は選手のやる気も才能も奪っていく。そして人生をも狂わすのである。陸連は、裁量の範囲を逸脱した代表選考が選手を潰し、社会を蝕んでいることを肝に命ずるべきである。 ドーピングは不適法な方法で特定の選手が優遇される行為である。陸連の代表選考はドーピングと同じである。つまり、スポーツの規範となるべき陸連が率先してドーピングを行っているのである。 マラソン代表選考問題で日本人の知性と品格が問われている。陸連の今日の状況を看過するようであれば、日本の陸上界だけでなく、日本に未来はない。私は、Webサイト「ハートフルランナーズ」でフェアタイムを提供すること自体が、日本人の知性と先進性を世界にアピールすることになると思っている。そして更に、フェアタイムが世界に普及することになれば、その原点となった日本は永遠に世界でリスペクトされることになるであろう。 陸連がフェアな体質に変わり、多くの才能ある若者が陸上競技に取り組むようになれば、日本は世界に冠たる陸上王国になる可能性は十分にあると思う。更に先進的なシステムを世界に先駆けて導入し、世界標準の姿を示すような国になれば、世界が日本を見る目も変わってくるだろう。陸連は、目先の利益、内輪の論理で動くのではなく、高い理想を掲げて世界と闘って欲しい。 私の主張や活動に賛同して頂けるかたがおられたら、是非ご連絡ください。「フェア」、「クール」そして「ハートフル」な未来を切り拓くために、ともに闘いましょう!いけがみ・たかのり 東京大学大学院工学系研究科助教。大学卒業(物理)後、プラントエンジニア等を経て東大生産技術研究所で画像通信、同工学部精密工学科で「光応用計測および知能ロボットの研究」に従事。工学博士。フルマラソン完走は100回以上。アテネ五輪マラソン代表選考における非科学的で不公平な選考の実体に激憤し、異なる測定系下の測定値を規格化する「仮想測定系システム」を発明(国際特許)。2006年よりWebサイト「ハートフルランナーズ」を立ち上げ、マラソンの記録の規格値である「フェアタイム」を提供、「国際大会の記録の規格化」、「フィニッシュタイムの相互変換」などを進める。

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    マラソン選考、絶対揉めない方法があった!

    今や4年に一度の風物詩となった感もある女子マラソンの五輪代表選考だが、今回は順当に決まった。とはいえ、福士加代子の「内定」をめぐり、ひと悶着あったのは記憶に新しい。どうしてすっきり決まらないのか。実は、絶対に揉めない「世界一公平な選考方法」を考案した日本人がいるらしい。

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    マラソン五輪代表選考レースは、なぜ一本化できないのか?

    (THE PAGEより転載) 大阪国際女子で五輪派遣設定記録(2時間22分30秒)を上回る2時間22分17秒で優勝した福士加代子(33、ワコール)が、代表確定をもらえないため名古屋ウィメンズにエントリーしたことで、陸連の五輪代表選考方法に対しての批判が相次いでいる。その中で大多数を占めているのが、なぜ選考レースが一本化されていないのかという議論。過去にも、日本マラソン界では女子のみならず、五輪代表選考において同じような騒動を繰り返してきた。 女子では、最近、松野明美が当時の問題をぶりかえした1992年のバルセロナ五輪代表を巡る選考会が問題になった。世界陸上を2時間31分8秒で4位だった有森裕子か、大阪国際女子で2時間27分2秒のタイムで2位だった松野明美か、どちらを選ぶのかという議論が起き、松野が「私を選んで」会見まで開いたが、陸連の理事会の判断は有森。結果、有森が銀メダルを獲得して選考論議は静まった。 アトランタ五輪の代表選考も、世界陸上と東京を勝っていた浅利純子はスンナリと決まったが、残り2枠を巡って夏の北海道を2時間29分17秒で優勝したバルセロナ五輪銀メダリストの有森か、大阪国際女子で2時間26分27秒のタイムで2位に入った鈴木博美か、名古屋を2時間27分32で優勝した真木和かの3人でもめた。だが、最もタイムが良かった鈴木が、陸連の「勝負に競り勝った優勝選手を記録より優先」という方針で落選となった。強いランナーが揃っていた時代は、五輪代表選考方法のあり方についての議論が起きたが、その度に出てくるのが“一発選考レース”の要望論だ。泣いても笑っても、そのレースの上位から3人を代表に選ぶというわかりやすい手法。だが、その実現は、簡単ではない。 実は、過去に男子マラソンで一発選考レースが行われたことがあった。 1988年のソウル五輪代表の3人を選ぶ選考方法がそれで、陸連は強化指定選手の福岡への出場を義務化、事実上、1987年12月の福岡国際が一発選考レースとなった。昭和63年12月18日、第1回国際千葉駅伝を最後に現役を引退瀬古利彦(中央)を、ライバルであった中山竹道(右)が花束で労をねぎらった この時は、ロス五輪代表の瀬古利彦、圧倒的な強さを見せていた中山竹通、宗兄弟に、前年北京で日本新記録を1、2フィニッシュで樹立していた児玉泰介、伊藤国光、そして新宅雅也、谷口浩美ら世界で通用するサブテンランナー(2時間10分以内)がゾロゾロといたため、一発選考でないと決めきれなかったのである。  しかし、大会12日前に“事件”が起きる。本命の一人だった瀬古が、左足腓骨(ひこつ)の骨折で一発選考レースを欠場したのだ。当事、中山の「俺なら這ってでも出てくる」という爆弾発言が物議をかもしたが、結局レースは中山が独走V。2位には新宅が入り、この2人は代表内定となったが、2時間11分36秒で4位(日本人3位)に入った工藤一良には内定が出ず、陸連はその年のボストンで優勝していた瀬古に“救済措置”を与え、出場予定だったびわ湖の結果を待った。瀬古はそのびわ湖で工藤より悪い2時間12分41秒で優勝。経験と実績を買われ3人目の代表に選ばれた。 当時、この曖昧な選考に関しては、五輪出場が内定していた中山自身が批判を口にした。 本来ならば理由がどうあれ、一発選考に向けて準備ができなかった時点でアウトなのが、フェアなルール。だが、陸連には「五輪に勝てるランナー」を送り出したいという意向が強く、選考に“幅”を持たせて、瀬古をごり押しした。結果的にこのソウル五輪での代表選考での失敗が、現在でも一発選考レースの実施に二の足を踏む“トラウマ”となっている。 アメリカが全米陸上選手権を一発選考レースとしている例を出して「見習え」と声を大にしている人もいるが、マラソンに関してのアメリカのレベルの低さと、選手層の薄さを考えると、実業団が支えている日本の女子マラソン界とは土壌が違い、単純に「アメリカみたいに一発選考レース」という考え方も早計だろう。 また、五輪との間には世界陸上があるため、これを選考レースと切り離すわけにはいかない。 そして陸連が一発選考レースに踏み込めない“大人の事情”もある。 陸連は、各大会の主催に名を連ねているが、レースの公認料を受け取っているし、またテレビ局と系列新聞社が軸となっている大会運営側も、五輪の一発選考レースが自社が主催する大会にならなければ、スポンサーの協力なども含めて大きな被害を被る。  各大会は、陸連サイドの要望も手伝ってレースのレベルを上げ選手強化に寄与するため、多額の出場フィーを払って海外の有力ランナーを招待しているが、それらもすべて最も注目を集める五輪選考レースに向けての先行投資である。また国内の招待選手に関しても、「うちの大会に貴チームの選手をぜひ、お願いします」と、実業団幹部への“接待”、“スカウト合戦”が水面下で盛んに行われているのが実情。 今回の女子の国内選考レースで言えば、さいたまが読売、日テレ系、大阪女子がフジサンケイグループ、名古屋ウィメンズが中日、東海テレビ系列となっている。 つまり大会運営サイド(マスコミ)も、実は一発選考を望んでいないという背景があるのが実情で、なかなか一発選考レースの気運を盛り上げることもできない。  また、その時々の国内の選手層やレベルによっても、一発選考の是非は変わってくるだろう。 一発選考レースの実現が難しいのならば、選考基準を曖昧にせず、より明確に打ち出すと同時に、肝心の代表を決定する陸連の理事会を完全公開にしてみればどうだろうか。選考過程がガラス張りであれば、選手、関係者も納得するのかもしれない。おそらく福士は最終的には名古屋ウィメンズには出場しないだろうが、今回、ワコールが問題提起したことを、陸連は真摯に受けとめる必要があるだろう。

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    女子マラソン代表選考に抗議した増田明美氏に見習うべき点は

     女子マラソンの代表選手選考に対する解説者の増田明美氏の抗議が話題になっている。増田氏の言葉遣いに大人力コラムニスト・石原壮一郎氏は「大人の勇気と節度」を見る。 * * * 日本陸連と解説者の増田明美さんが、激しいバトルを繰り広げました。3月11日に世界選手権(8月、北京)の代表を発表する記者会見が開かれましたが、女子のマラソン選手の選考について、増田明美さんが「これでいいんでしょうか?」と異議を唱えたのです。 代表に選ばれたのは、名古屋ウィメンズマラソンで3位(2時間22分48秒)の前田彩里と同じレースで4位(2時間24分42秒)だった伊藤舞、大阪国際マラソン3位(2時間26分39秒)の重友梨佐の3人でした。もうひとり、横浜国際マラソンで優勝(2時間26分57秒)した田中智美も有望と見られていましたが、選ばれませんでした。 増田明美さんは、居並ぶ日本陸連の幹部たちに質問。まずは「びっくりしました。なぜ同じ26分台で大阪で3位だった重友さんなんでしょうか?」と口火を切ります。それに対して日本陸連の酒井強化副委員長は、「優勝は評価するが、田中選手の走りは世界と戦うという意味では内容は物足りないものがあった」と返します。 しかし、増田さんは引き下がりません。「重友さんは確かに復調の兆しがあったが、まだまだのように見えた。優勝した田中さんには圧倒的な強さがあったと思う。これで本当にいいのでしょうか?」と食い下がります。酒井副委員長は「我々も現場のプロ。世界を目指す上で、評価した」と説明。やり取りはいったん終わりますが、増田さんは最後にまた手をあげて「世界を見ると、後半上げていくことを重視している選手もいる。この説明を聞いても、すっきりしないです」と、選考結果を嘆きました。 オリンピックや世界選手権のマラソンの代表選考は、いくつかのレースでの成績を総合して判断するため、以前から「なぜ、こっちの選手が!?」ということが話題になりがち。発表後は日本陸連に、選考を疑問視するファンから多くの電話が寄せられたそうです。 日頃から増田さんの解説は、選手への愛があふれているのはもちろん、綿密な取材と丁寧な準備を元に、興味深いエピソードがふんだんに盛り込まれることで定評があります。以前、某ワイドショーでコメンテーターとして何度かごいっしょさせていただいたことがありますが、本番前の打ち合わせのときに、ディレクターの話を聞きながら台本にあれほど細かくメモを書く人はほかに見たことがありません。世界陸上のフォトセッションでポーズをとる(左から)伊藤舞、 前田彩里、重友梨佐=2015年8月28日午前、中国・北京の国家体育場 そんな増田さんだけに、今回のことも単に何となくではなく、客観的に判断してよっぽど納得がいかなかったのでしょう。しかし、陸上競技の解説者である増田さんにとって、日本陸連は嫌われるわけにはいかない相手。一般の会社で言えば、重役かスポンサーみたいなものです。 それでも増田さんは、きちんと自分の意見をぶつけました。サラリーマンをしている人や、あるいは自営業やフリーランスでも同じですが、利害関係がある相手に対して「それはおかしいと思う」と言える人が、どれだけいるでしょうか。酔っぱらって「俺は言うよ! ああ、言うとも!」なんて盛り上がっている人は、断言しますが、相手にとって耳が痛いことなんて絶対に言えません。言える人は、酔って気炎を上げる前に言ってます。いや、言えないことを責めるつもりはないし、自分だってたぶん言えません。しかし、増田さんの勇気を素直に称えて、「あのとき彼女は言った」ということは覚えておくのが大人としてのせめてもの良心。あれこれケチをつけるヤツも出てきそうですが、自分ができないことをしたからといって足を引っ張って安心するのは、けっこう最低な行為です。 さらに着目したいのは、きっと相当の怒りが渦巻いていたはずなのに、大人としての節度を守った言葉の選び方をしているところ。もっとも見習いたいのが、最初の「びっくりしました」です。上司や取引き先から理不尽な指示を受けたり、納得のいかない決定を聞かされたときに、いきなり「どういうことですか!」と返したら、一気に険悪な雰囲気になります。そんなときは「びっくりしました」を活用しましょう。 ほかにも「これで本当にいいのでしょうか?」と質問する形で不満や疑問を表明している点も、勉強になります。仮に「おかしいですよ!」と詰め寄ったら、相手はたちまち激怒して聞く耳を持ってくれないでしょう。最後の「すっきりしないです」も、大人としての礼節をギリギリ保っている表現。今後「納得できません」とか「ふざけるな」と言いたい場面に遭遇したときは、「すっきりしないです」と返すのがオススメです。 猪突猛進するだけが大人の戦い方ではありません。無理のないペース配分で、最後まで走り続けましょう。さすが増田さん、そんなマラソン的な生き方の大切さも感じさせてくれました。ところで、男子は誰が選ばれたのか、まったく話題になってませんね。関連記事■ 東京マラソン 優勝の尾崎の恋人暴露の解説者は許可取ってた■ 増田明美さん「歩幅広く速度上げて歩けば代謝上がる」と指摘■ 女子マラソン 有森、高橋、増田らが解説者序列巡り戦い発生■ ボディビルにのめり込む人の心理に迫ったノンフィクション■ 地方の人口減少や都市の高齢者激増等の今後の対策を考える本

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    世界で通用しない日本男子マラソン 箱根駅伝は日本が抱える病の縮図?

    反映するように、番組平均世帯視聴率(関東地区)も高く、今大会も往路28.0%、復路27.8%でした。スポーツの視聴率が概して低下してきた昨今では、珍しいことです。しかし、箱根駅伝で繰り広げられるドラマから視点を少し離してみると、また違った世界が見えてきます。 視聴率の推移を見ると、視聴率が25%を超えたのは、1992年の第68大会の復路で、翌年からはほぼ25%超えがほとんど続く人気を得ていますが、1991年までは、20%を超えるのも稀だという状況でした。箱根駅伝 | ビデオリサーチ つまり、昔から箱根駅伝はそれなりに高い人気はあったけれど、バブルが崩壊し、日本経済が停滞し始めてからさらに人気が高まったことになります。しかし、箱根駅伝の人気の高まりとは裏腹に、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピックで森下広一が2位で銀メダルをとったのを最後に、世界のマラソンの舞台で華々しい記録をつくってきた日本男子マラソンの黄金期は終わります。それ以降は世界のマラソンの高速化やハイレベル化についていけなくなってしまいました。総合1位でゴールする青学大10区・渡辺利則=2016年1月3日、東京・大手町 つまり日本の男子長距離は、マラソンという世界の檜舞台では通用しなくなり、逆に国内の駅伝人気が高まってきたことになります。 ところで、もしかすると箱根駅伝は全国大会だと思っている人がいらっしゃるかもしれませんが、関東学生陸上競技連盟が主催し読売新聞社が共催している大会で、なんと「箱根駅伝」は読売新聞東京本社の登録商標なのです。だから関東の大学しか出場していません。それが全国放送され、あたかも国民的イベントのように読売新聞、日本テレビが演じてきたのです。まあ、関東の地方イベントが、日本を代表するイベントになっているというのは、箱根駅伝にかぎらず、ビジネスの分野でもよくある話ですが。 しかし、にもかかわらず、箱根駅伝は全国区なのです。選手の出身校です。連覇を果たした青山学院の選手を見ると、なんと関東の高校出身者は一人もいません。青山学院選手一覧|第92回箱根駅伝 第2位の東洋大学は、関東の高校出身者が、埼玉2名、栃木1名で10名中3名です。東洋大学選手一覧|第92回箱根駅伝| 第3位の駒沢大学は、関東の高校出身者は     東京・駒大高の1名だけです。駒沢大学選手一覧|第92回箱根駅伝| つまり、走っている選手のほとんどが地方の高校出身者で、その意味では全国を代表する選手なのでしょう。日本の経済と同じです。地方から人材が流出し、東京一極に吸収されている日本と同じ姿です。そして世界の檜舞台で活躍する選手を輩出できなくなっているのです。因果関係はよくわかりませんが、東京の大学に選手を集めて、決して日本の男子長距離を強くすることに役立ってこなかったことだけは事実です。しかも、その構図の後押しをしてきたのが読売新聞グループです。                 箱根駅伝の人気が高まってきたなかで、一部かもしれませんが、批判も起こるようになってきました。意識朦朧の選手を大写しにする箱根駅伝に「お茶の間残酷ショー」じゃないかとか、襷をつなぐ行為が「連帯責任の権化みたいなスポーツだ」、「日本に過労死が多い理由が分かる」と言った批判です。ブロゴスのキャリコネの記事がそんな声を紹介しています。マスコミが感動を「切り取って伝える」ことへの警戒感も必要なのかもしれません。意識朦朧の選手を大写しにする箱根駅伝に「お茶の間残酷ショー」との批判 「日本に過労死が多い理由が分かる」という声も 読売グループの日テレのカメラワークで、選手たちの繰り広げるドラマをさらに効果的にドラマ化して、選手たちにプレッシャーをかけ、また人気を煽って、ミスリードしている。しかも国内だけしか通じない、ガラパゴス化した国内だけの自己満足で終わってしまっているようにも見えてきます。 はたして箱根駅伝は日本の陸上にとって健全で、選手のレベル育成や向上にほんとうに役立っているのでしょうか。ぜひ日本の陸上界には世界の舞台で、ほんとうの成果を見せて欲しいものです。(2016年01月05日「大西宏のマーケティング・エッセンス」より転載)

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    13歳で力士になった北の湖の「たたき上げ」相撲道

     「憎らしいほど強い」と形容され、史上最年少の21歳2ヵ月で横綱昇進を果たした経歴から、多くの相撲ファンは北の湖を「生まれながらの天才力士」と思い込んでいるのではないだろうか。ところが、北の湖の成績を検証すると、意外な記録が浮かび上がってくる。 北の湖は1966年(昭和41年)、中学一年のとき三保ヶ関部屋に入門。1967年(昭和42年)1月に初土俵を踏んでいる。そして1年後の1968年(昭和43年)1月場所、序二段で全勝して早くも怪物の片鱗を見せる(決定戦で敗れて優勝はならず)。ところがすぐ次の3月場所、西三段目20枚目で北の湖は7戦7敗、なんと全敗しているのだ。後に横綱昇進した力士で全敗の経験を持つのは北の湖ただひとり。これは相撲ファンにとって信じがたい記録である。 もっとも、このとき北の湖はまだ14歳、中学2年生。いくら身体が大きいとはいえ、十代後半あるいは二十代の力士を相手に北の湖も力の差を思い知らされた。二段目と三段目にはそれ相応の力の差がある。当時の北の湖には三段目で易々と白星を挙げる力はなかったのだろう。さらに、初土俵から十両昇進までの4年間に北の湖は6回の負け越しを経験している。決して、無敵の快進撃を重ねていたわけではなかった。まだ義務教育の学齢。当然中学への通学を優先し、毎朝の稽古ができない事情もあったようだ。十両以下で一度も優勝経験がないのも、若き天才力士のイメージからは意外な事実だ。 中学卒業間際の1969年3月に15歳9ヵ月で幕下に昇進。「北の怪童」の異名を取るなど徐々に注目を集め、1971年4月には史上最年少(17歳11ヵ月)で十両昇進を決めた。後年その実績ばかりが強調され、「早熟」「天才」の印象がひとり歩きしているが、北の湖には自らの弱さと対峙し、懸命に我慢と精進を重ねる「下積み時代」があったのだ。新入幕を果たし、番付を手に喜ぶ北の湖=東京都墨田区の三保ケ関部屋 十両でも2場所目に6勝9敗で負け越し。新入幕の1972年1月場所も前頭12枚目で北の湖は5勝10敗。幕内の厳しさを思い知らされ、勝ち越せず十両に陥落している。翌場所すぐ10勝を挙げて返り咲くが、幕内上位に上がった1年間は、6勝9敗のほか、新小結で4勝11敗も経験している。北の怪童も三役陣にすぐ通用するほどの強さを誇っていたわけではなかった。 ところが、再入幕を果たして8場所目、前頭4枚目で8勝7敗と勝ち越したあたりから、北の湖は俄然、上昇気流に乗り始める。このときちょうど20歳。入門してから7年の月日が流れていた。返り小結で8勝を挙げ関脇に昇進すると、まず10勝。翌1974年1月場所は14勝1敗で初優勝。大関に昇進し、10勝、13勝(二度目の優勝)、13勝。わずか大関在位3場所で横綱に駆け上がる。このわずか一年の間に、北の湖は「憎らしいほど」の強さを体得し、体現し始めたのだ。1974年7月、大相撲名古屋場所で横綱輪島(左)と対戦する大関北の湖=愛知県体育館 北の湖は最初から強かったのではない。中学一年で入門し、約7年の歳月を重ねて着実に才能を育み、成長を遂げ、一気に開花した。 この快進撃から北の湖は50場所連続勝ち越し、幕内連続2桁勝利37場所を記録。優勝回数も22回まで積み上げて「憎らしいほど強い横綱」の伝説を不動のものにした。現役時代の終盤はケガに苦しみ、1983年には3場所連続全休も経験した。復帰を果たして苦しい土俵を続けながら1984年5月場所で全勝優勝したときには、それまでと違う拍手と歓声が北の湖を祝福した。それが最後(24回目)の優勝となった。このときは、13日目に同じ部屋の弟弟子・北天祐が隆の里を破った瞬間に北の湖の優勝が決まった。勝った直後、土俵上から北天祐が控えで見守っていた北の湖に微笑んだ。すると北の湖も北天祐に微笑みを返した有名な光景がある。苦境から返り咲いてつかんだからこその温かな光景。全盛時代の北の湖にはありえないことだったかもしれない。 北の湖は当然ながら勝負に厳しく、相手力士に容赦なく勝つことからも「憎らしいほど強い」との印象を深めた。対金城との対戦成績29勝0敗は、無敗の対戦成績としては史上最多の記録である。ほかにも蔵間に17勝0敗、青葉山に12勝0敗など、10戦以上して一度も白星を許さなかった力士がたくさんいる。春場所初日を翌日に控え、土俵祭りに出席した白鵬(奥)と北の湖理事長 =2015年3月7日、大阪市浪速区のボディメーカーコロシアム 一方で、元大関・朝潮には7勝13敗(不戦敗1を含む)と負け越している。北の湖は入幕後、巨漢力士の高見山に連敗したことから、「自分より大きな力士に弱い」、朝潮を苦手にしたのもそれが理由ではないかと言われた。しかし、もうひとつの見方もある。真摯な仕切りを重ねる北の湖に対して、巨漢力士はゆったりと遅く仕切る。朝潮はとくにトリッキーな動作もあった。こうした動きには普段の呼吸を乱されがちだ。それでも北の湖は黙々と仕切り、内心の苛立ちを抑えて表情を崩さなかった。そのような土俵を貫いていた名横綱だからこそ、白鵬の猫だましに毅然と苦言を呈した。それは、毅然とした北の湖の相撲道を貫いた先輩横綱として当然の指摘であったのだろう。

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    ラグビー五郎丸フィーバーと「拝みポーズ」に感じる違和感

    空気が一変したのは30年来ラグビーを応援し、もっとラグビーの魅力が伝わればいいのに、と願い続けてきたスポーツライターには感慨深い。このままラグビーが熱く応援されるよう願っている。 だから、ラグビー人気にも五郎丸フィーバーにも水を差す気はない。けれど一方、今回の騒ぎでやはり見えてくる日本の不思議な現状を記しておきたい。五郎丸のレッズ入りで、スーパーラグビーの仕組みなどもワイドショーで詳しく紹介されている。そこまで時間を割いて伝えるかと驚くばかりだが、それでも一切報じられていないことがある。 ひとつは、「スーパーラグビーだけが世界の最高峰ではない」ということ。 世界のラグビー界には、日本で知られる15人制ラグビーのほかに、13人制の「リーグ・ラグビー」という流れがある。実はこちらが先にプロ化し、ニュージーランド、オーストラリアでは高い人気を博している。これに対して「ユニオン・ラグビー」と呼ばれる15人制側は、長くアマチュアリズムの伝統をを守り続けたため、リーグ・ラグビーに人材を奪われ、人気で後塵を排する流れになりかけた。そこで遅ればせながら方向転換を図り、現在のスーパーラグビーへと発展するスーパー10などのリーグを発足させた経緯がある。 日本のラグビー界は、日本ラグビー「協会」と称することでもわかるとおり、ユニオン・ラグビーの傘下にある。かつて私の友人がリーグ・ラグビーの普及を依頼され、日本代表を組織して国際大会に参戦した歴史もあるが、これに参加すれば二度と協会の試合には出場させないといった警告も発せられて、いまでいうトップリーグの選手は参加せず、大きなムーブメントにはならなかった。リーグ・ラグビーはいまだに日本では「存在しないもの」のようになっている。江戸時代の鎖国的な情報管制が、いまも日本のラグビー界では生きているのだ。 いまでいうトップリーグの選手は参加せず、大きなムーブメントにはならなかった。 五郎丸を見にオーストラリアまで出かける新たなファンもいるだろう。現地でテレビをつけたら、スーパーラグビーと同じかそれ以上に華やかなリーグ・ラグビーの試合も中継しているはずだ。 ちなみに五輪種目となった7人制ラグビーはユニオンが主宰する種目だから、15人制とはルールも醍醐味もずいぶん違うが「ラグビー」と認められている。ラグビーW杯イングランド大会 サモア代表対日本代表 先制のペナルティゴールを決める日本代表・五郎丸歩=ミルトンキーンズのスタジアムMK(撮影・山田俊介) もうひとつ、話題沸騰の「おがみポーズ」にも触れておこう。 五郎丸は蹴る前のおがみポーズで高いゴールキック成功率を誇っているのだから、「効果があるに決まっている」という前提で会話が盛り上がっている。岐阜にある同じポーズの仏像を持つ寺院の参拝者数が3倍に増えたとの報道もある。昔からモノマネの対象になりやすい選手ほど人気を得るのはスポーツ界では定番だし、こういう楽しい話題を真面目に批判するのは野暮と知りつつ、考察しておきたい。 これを若い選手や子どもが真似したら、「キックが上手くなるか?」といえば、そういう効果はないだろう。おがみポーズは、スポーツ界では「ルーティン」と呼ばれる心理的なスキル。同じ動作を習慣化することで迷いを排除し、自然な集中状態に自分を導いていつもの動作が出来るよう促す。イチロー選手が打席に入るまでのプロセス、打席に入って大きくバットを回してから構える仕種もこのルーティンとして知られている。だから、欧米のスポーツ科学を学んだ方々からすれば「おがみポーズは科学的なスキル」として推奨されることになる。だが、ちょっと冷静に考えればわかることだ。 いまそれを言ったら野暮なのは承知の上だが、大真面目にルーティンを賛美する風潮には、スポーツライターとして釘を刺しておきたい。ルーティンはたしかに「できる人にはよりできる」助けにはなる。けれど、できない人がやっても効果はない。また五郎丸自身も、いざ調子を落とし、体力が衰えるなどしてキックの精度が落ちた時に、これさえやれば「入る!」とは行かないだろう。 かつて、やはりゴールキック前の動作が人気を呼んだ早稲田の先輩キッカーがいた。ボールをセットしたあと、大股で一歩、二歩、三歩と下がる動作に合わせて、スタンド全体が「イーチ、ニー、サーン!」と叫ぶ楽しさを共有したものだ。けれど現役生活の終盤、彼が久々にキックを大きく外し、スタンドに失笑がこだまするところまでが「ルーティン」になった。残念ながら、ルーティンもスタンドの大合唱も、彼の失われた技量に力を注ぐ効果まではなかったのだ。 「勝つ」という目的に限って言えば、ルーティンにも一定の効用はあるがろう。けれど、「心技体を磨く」というスポーツ本来の目的に照らしたらどうだろう? ルーティンは半ばおまじないであり、いわば「依存」とも言える行為だ。いまスポーツ界には、サプリメントをはじめ磁気ネックレス類まで、依存症グッズが溢れている。その提供者は重要なスポンサーになっている事情もあって、憂うべき依存症傾向を戒める指摘も少ない。本当は、スポーツに打ち込むことでたくましい心身を磨くのがスポーツの意義であるはずなのに、勝利を求めるあまりスポーツ選手が依存に走る風潮、周囲もそれを傾向を推奨するおかしさに気づかなければならない。五郎丸が拝むのは不安があるから?五郎丸が拝むのは不安があるから?ラグビー練習試合ヤマハ-東芝 ヤマハ・FBの五郎丸歩選手=2015年10月30日、遠州灘海浜公園球技場(撮影・納冨康) そもそも、五郎丸がおがむのは、キックが入るかどうか不安があるからではないか? 不安を敵に見せるのは、真剣勝負の中では愚かな行為。ラグビーの試合中としては特別な、敵が攻撃を仕掛けてこない守られた時間だからできることとはいえ、本来は感情を表さず、できるだけシンプルな動作でゴールを目指す姿勢こそ「次元が高い」ことは、スポーツ・ファンならわかっておいてほしい。 五郎丸は、拝む時の指のからめ方を進化させるより、何もしないで、ボールを置いたらサッと蹴る方向に進むのが本道だ。五輪予選決勝の中継で多くの人が目にしただろう、7人制のゴールキック。時間短縮のため、ボールを地面に置かず、両手で保持したボール地面に落としてショートバウンドで蹴る。両手がふさがっているから、拝めない。五郎丸ファンにはあっさりしてつまらないだろうが、こちらの方がスピードとテンポを重視する最近のスポーツの流れでもあるだろう。 ただ、W杯の大舞台でもゴールキックの精度を支え、初めて見る日本人ファンの大半を魅了した「おがみポーズ」の効用も検証すべきだろう。 脳科学の世界的権威で、イネの遺伝子完全解読プロジェクトを先頭に立って成し遂げた村上和雄博士(筑波大名誉教授)はいま「祈り」を生涯の研究テーマにされているという。季刊誌《どう》秋号の巻頭対談で、武術家の宇城憲治師範にこう語っている。 「『祈り』というのは、『心』よりもっと深いところに根ざすもの。自分のことより他人のために祈る。世界の平和を祈る、というように、非常に広くて大きいんですね。そういう心が人間にあるんじゃないかと。それを魂と言っているんです」 「祈りによって遺伝子は目を覚ます。本当に遺伝子にスイッチが入るんですね」 もし五郎丸選手が、自分のキック成功のためでなく、日本ラグビーの未来のために祈って蹴ったとすれば、その魂がボールにこもった可能性はある。

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    野球の五輪復活に立ちふさがる思いの外に高い壁

    春日良一(スポーツコンサルタント) サマランチベイビーと呼ばれる競技がある。サマランチの赤ちゃん?! サマランチとは1980年に就任した国際オリンピック委員会(IOC)会長のことであり、ベイビーとはBABY(赤ちゃん)のこと。彼の力によってオリンピックスポーツ(五輪競技)に生まれ変わることができたスポーツのことをオリンピック関係者は秘かにそう呼ぶ。代表的なのはトライアスロンで、2000年開催のシドニー五輪から五輪競技となり、今や押すに押されぬオリンピックスポーツである。サマランチ会長と言えば、オリンピックを商業化した人物として知られているが、五輪の「ために」なるスポーツを見分ける才能に長けていた。その競技がどれだけ魅力的で人々を引き付け、そしてメディアの関心を得られるかという視点を五輪運動に初めて与えた人物とも言える。その意味で、ベースボールすなわち野球もサマランチベイビーであると言える。 彼がIOC会長に就任した1980年当時、欧州で野球を知るものは少なかった。日本スポーツ界は「野球にあらずばスポーツにあらず」というほどの野球至上主義の時代である。この日本と世界のギャップはかなり大きかった。1982年、サマランチがIOC会長就任後、初来日した際、日本体育協会職員四年目の私はアテンドの任に就いた。IOC会長接遇の一夜、日本オリンピック委員会(JOC)専務理事(当時は総務主事と呼んだ)岡野俊一郎の自宅での晩餐があった。岡野夫人の手作り料理を囲むごくアットホームな食事会であった。夕食後、リビングにくつろぎながらの語らい、テレビにはプロ野球ナイター中継が映っていた。サマランチは鋭い眼光をその試合に当てた。岡野は気を遣って、「先般来日したドイツのサッカーチームが野球中継をTVで見ていて、どうしていつも同じ方向(一塁)に走るのだ。フェイントをかけて左(三塁)に走ればいいのにと言っていた」というエピソードを披露した。しかし、サマランチは平然と「それはルールだから」と答えた。まだIOCの誰も野球になど関心のなかった時に彼は既に日本の国民的なスポーツを理解しようとしていたのである。 野球が五輪にデビューしたのは、1904年の第三回大会(セントルイス)と言われているが、デモンストレーション(公開)競技としてであった。以降、何度か公開競技とし実施されるが、初めて正式種目になったのは1992年バルセロナ五輪である。サマランチ会長が自分の故郷で開催した第25回大会である。五輪競技になるには様々なハードルをクリアしなければならないが、その最も重要なファクターとは、実は、五輪が全てのスポーツの至高の存在でありうるかどうか?という点で、ここにサマランチは一番こだわっていた。同じバルセロナ五輪のバスケットボールに米国が初めてドリームチーム(NBLの選手たちで構成)を派遣したことは記憶に新しい。MLBの選手が出ない野球をサマランチが認めた背景には、日本野球への彼一流の特別な理解があった。 2002年からのロゲIOC会長新体制が野球を五輪競技から外す決断をしていくのも、当然といえば当然である。MLBは依然、五輪にトップアスリートの派遣を推奨していないし、野球の国際連盟(IF)は普及活動にも力を出し切れていなかった。サマランチという後ろ盾を失ったベビーは孤児となったのである。 その野球が2020年東京五輪の追加種目として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(OCOG)からIOCに付議された。追加種目というコンセプトは、2013年9月のIOC総会(ブエノスアイレス)において、新会長となったトマス・バッハの提唱する五輪改革案「アジェンダ2020」の提言の一つである。その総会で第32回オリンピック競技大会開催都市として東京が選ばれた。 五輪実施競技について、競技数から種目数による制限に変え、種目数と選手数と役員数の範囲内で、開催都市に追加種目の実施を認めるというものである。そもそも「アジェンダ2020」の主目的は何かと言えば、五輪運動の維持継続である。そのためには開催したい都市が永続的に出現する必要がある。開催経費の捻出の基盤となるその都市が実施したい種目を五輪「競技」の枠を取っ払っても選べますよ!という開催運営に心を砕いた規定である。 「競技」と「種目」と言っても分かりにくいので、簡単に説明すると、競技はsportの訳、種目はeventに相当する。水泳で言えば、競技は水泳、種目は100メートル自由形となる。 これまでは五輪競技(Olympic Sports)から実施競技を選んでいたから、五輪競技に選ばれないとどうしようもなかった。しかし、実施基準が競技から種目となったことで、Sportとしては認められていなくともEventとして提案し、実施できるというわけである。 東京五輪組織委員会が五輪競技から除外された野球を開催都市の権利として提案することは我々日本人からすれば至極当然のことのように思える。しかし、先述のとおり、野球は生粋のサマランチベイビーであり、彼の庇護なくしては存立しえないほどのはかない存在であるという真実を想起する必要がある。最も重要な選考基準はオリンピズムにある最も重要な選考基準はオリンピズムにある 本年9月28日にOCOGがIOCへ提案する追加種目18を発表したが、種目として野球男子が入り、「野球は日本の国民的スポーツであり…」と詠われているように、日本人の多くは野球が追加種目になるのは当然だと思っているだろう。若者に聞いても野球が追加種目としては有力だという意見が多かった。追加種目を含むソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンに比べて知名度が高い。IOCの最終決定は2016年リオデジャネイロでの五輪時に開催されるIOC総会で行われるが、その選考基準は35項目に亘っている。 何が最も重要な基準であるか? それを考えるヒントは、オリンピック運動を支えるオリンピズム(五輪哲学)である。なぜなら、それがために五輪大会は開催され続けなければならないからだ。端的に言えば、それは創設以来の理念、「スポーツを通して世界平和を構築する」である。そのためにはオリンピック競技大会は至高の競技大会でなければならない。それが至高であるから、各国は自らを代表する最も優れたアスリートを国を挙げて出場させる。そしてそれぞれのナショナリズムを背負った選手たちが競う合う中で、敵を認め尊敬することを学ぶ。それによって戦う前提であったナショナリズムも超越し、それが全世界レベルで共有される。オリンピズムとはナショナリズムを利用して、ナショナリズムを超克する思想なのである。 そこで、最大の基準は「最上の選手の参加」である。サマランチ会長の改革は商業主義と揶揄される場合が多いが、それは「最上の選手の参加」という視点からプロ化の必要性を見抜いていたからと捉えることもできる。世界で最も強い選手が出る大会でなければオリンピックの理念に反することになる。この部分は現会長バッハも「アジェンダ2020」で引き継いでいて、プロリーグやIFとの連携で「最上の選手の参加」を確保することを重んじている。その意味で野球にはMLBの参画が必須であり、現状はこの点で相当厳しいものがある。MLBが五輪運動に賛同して選手の参加に協力できるようにならなければ、「アジェンダ2020」の求める五輪の持続可能性において脆弱である。追加種目として選ばれてもそれが持続的五輪競技となりえるかどうかもそこにかかっている。東京ドームのライト側スタンド=2015年3月28日、東京・文京区(撮影・春名中) 野球が正式に追加種目となった場合に一番の問題は競技会場である。「心配するな、東京ドームがあるじゃないか!」と言う人が多いだろうが、五輪期間中は五輪会場は特別な空間である。「スタジアム、 会場、その他の競技場エリア内とその上空は、オリンピック区域の一部とみなされ、 いかなる形態の広告またはその他の宣伝も許されない。スタジアム、会場、またはその他の競技グラウンドでは商業目的の設備と広告の標示は許されない」(オリンピック憲章第50条第2項) 会場内は"Clean Venue"の原則から、TOPスポンサー(五輪の最上位スポンサー)であっても、広告が許されることはありえない。この点に関して、オリンピックは五輪の威厳を保っている。そうなると、現在、東京ドームに掲示されている全ての宣伝広告は撤去しなければならないことになる。 ドームには既存の売店等が多数存在するが、それらはどうするのだろうか?五輪時もそこで商業活動を営むのならば、五輪スポンサーにならなければならない。そのために払わなければならないスポンサー料はとても小売業者に払える額ではないと思える。もし東京ドームを野球の主会場とするならば、少なくとも五輪スポンサー以外の業者は、最低でも五輪開催期間中はそこから撤退しなければならない。スポンサー企業が提供できないものについては、期間内営業について交渉の余地があるもののスポンサーにはfirst refusal right(第一拒否権)があり条件は厳しい。 さらに大会期間中だけであるならば、16日間で済むが、リハーサル大会を行う場合は、本大会よりも宣伝広告禁止コードは低いもののそれなりの対処が必要になる。 であれば、東京五輪のために新たに野球場を建築した方が容易に思える。が、それは、新国立競技場問題で揉めたばかりのOCOGに新たな財政的問題を引き起こす。そもそも「アジェンダ2020」は開催経費の節約について既存施設の有効利用を提言しているだけに、東京ドームの利用は推奨されるところである。しかし、実際の運営を考えるとその実現にはオリンピックの壁が聳えている。 野球が五輪競技として磐石なる地位を築くことを真摯に考えるならば、まず日本の野球機構の矛盾を止揚しなければならないだろう。そもそも五輪代表を決める権利はその国のNOC(日本ならば日本オリンピック委員会=JOC)だけが有する。NOCが認証したその国あるいは地域で当該競技を統括する唯一のNF(国内競技連盟)だけがNOCに代表選手を推薦できる。しかし、日本にはプロ野球、社会人野球、学生野球があり、それぞれが自己の権威を保っている。五輪代表を選考するために言わば「便宜的に」全日本野球協会が設立され、JOCの傘下にあるが、IOCの基準からすれば、底辺からトップまで一環して統括管理し、選手育成、野球振興を図るために機能する野球統括組織の誕生が求められる。その道はMLBの五輪参画とともに険しいようだ。 2008年の第29回オリンピック競技大会(北京)以来、姿を消した野球が第32回の東京五輪で復活するために超えなければならない壁は思いの外に高いのである。(敬称略)

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    東京五輪と野球の悩める関係

    2020年東京五輪の追加種目として提案される5競技が決定した。野球は「大本命」だったとはいえ、賭博問題を契機にIOCが敵視する採用判断への影響が懸念される上、実施に向けて様々な難問が待ち構える。五輪と野球の悩める関係を考える。

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    日本プロ野球のプライド「プレミア12」が五輪復活の夢を繋ぐ

     [WEDGE REPORT]森本茂樹(スポーツライター) 2015WBSCプレミア12が11/8に札幌ドームで開幕した。侍ジャパンこと日本代表は、韓国代表との初戦を日本ハムのエース大谷翔平投手の好投で勝利。幸先良いスタートを切った。今回初開催されるこの野球の国際大会、WBCと何が違うのかという率直な疑問を持つファンに向けて、大会をより楽しむためのレポートをまとめるべく、札幌を訪れた。11/8のWBSCプレミア12の開幕戦、投打が噛み合った日本は韓国に5-0で勝利。日本ハムの大谷翔平投手の好投が光った。第二戦からは台湾で行われ、11/19の準決勝からは再び日本で開催。準決勝、3位決定戦、決勝の4試合は東京ドームで行われるジュニアからトップチームまで関係するベースボールワールドランキング 開幕戦の前日、札幌市内のホテルで会ったWBSC(World Baseball Softball Confederation/世界野球ソフトボール連盟)のリカルド・フラッカーリ会長は、プエルトリコとの強化試合を指し、「日本はいい試合をしたね。これから我々にとっても重要な大会が始まるのが楽しみだよ」と話してくれた。そのプレミア12について教えてくれたのは、WBSCのトーナメント&マーケティングマネージャーの横尾賢氏だ。彼はスイスのローザンヌにあるWBSCのヘッドオフィスで働く唯一の日本人。今年8月に日本で行われたWBSC U-18ベースボールワールドカップ同様、日本で開催される大会とあって、彼は大きな議題から細かな調整まで、大会を支えるキーパーソンとなっている。 「世界における野球の普及、振興は私たちWBSCにとって永遠のテーマです」と開口一番に出てきたのは、野球とソフトボールの国際組織としてあるべき理想だった。「プレミア12がユニークなのは、世界ランキングで出場国を決めていることです。これは野球では今までなかったことですし、他のチームスポーツでも稀なケースではないかと思っています」と語る。 このベースボールワールドランキング、実は日本がアメリカ合衆国をおさえ現在1位である。このランキングには、トップチームだけではなく、U-12からU-21までの年代別ベースボールワールドカップの成績も勘案されている。サッカーのFIFAランキングと決定的に異なるのはここで、トップチームだけ強ければランキングが上がるわけではない。そういう意味も込め、WBSCプレミア12は、『野球国力No.1決定戦』なのである。WBSCのトーナメント&マーケティングマネージャーの横尾賢氏。「オリンピックが開かれる日本を重要視し、台湾と日本での共同開催となった」と語る 横尾氏はそのランキングについて詳しく教えてくれた。「世界で野球が発展していくには、ユースを含めた若い世代が今後重要になります。将来の野球を盛り上げるのは間違いなく今のジュニア世代です。U-12やU-15のワールドカップが、世界ランキングに関係し、プレミア12の出場権を左右するということで、ジュニアの大会の真剣さや重要度が増しています。過去4年の成績がポイントに反映されることから、まさに国の野球レベルを高める取り組みとなり、世代を超え、国同士がしのぎを削るようになっています」韓国戦で盛り上がる日本ベンチ。ベースボールワールドランキング1位の実力を示した試合となった 東京オリンピックでの野球復帰を願って東京オリンピックでの野球復帰を願って 「先ほど言いましたように、WBSCの存在意義は、世界に野球を広めていくことです。そのためには、野球の普及、振興に役立つ大きなエンジンとなるような大会が必要だと考えました。それがこのプレミア12の第一回大会なのです。各国が盛り上がって、日本でも大きな話題となると、2020年の東京オリンピックにも繋がるのではないかとも思っています」 プレミア12は11/8から11/21まで、全38試合が行われる。日本野球機構(NPB)との交渉が難航したため台湾の単独開催という発表も一度はあったが、開幕戦と準決勝、3位決定戦、決勝が日本で、1次リーグと準々決勝が台湾というように、日本・台湾の共同開催となった。これについても横尾氏の説明は明快である。「開催国も台湾だけでということから共同開催に変更となりました。これはオリンピックが開かれる日本を重要視し、日本で盛り上がることが大事だと捉えた結果です。どのスポーツでも、オリンピック競技になることで、注目が高まりますし、政府のサポートも大きなものになります。各国でWBSCが実施しているクリニックなども含めて、プレミア12もオリンピックも、野球の普及、振興というテーマのための道標になります」 野球の世界大会といえば、日本が2006年、2009年と2大会連続で優勝を飾ったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)がある。WBCは、MLBの機構・選手会が共同出資して作った運営会社が開催しているという特徴があるのに対し、プレミア12はWBSC(世界野球ソフトボール連盟)が運営している。「考え方がニュートラルでいられる私たちが開催することで、より中立性を保った大会にすることができると思いますし、今回も各国のリーグと利害関係を調整できたのは、国際機関だからだと思っています」とそのメリットを語る。 しかし、大会参加が期待されたMLBの選手たちは、長いシーズンが終了したばかりの11月は体調のケアを最優先する時期だということもあり、不参加となった。横尾氏は言う。「確かにMLBの選手は今大会には出場しませんが、アメリカを始めとした各国も正直強いと思います。日本のファンの方々にもご理解いただきたいのは、『メジャーが出ないから、プレミア12は面白くない』ということではなく、国の威信をかけて戦っている選手、代表チームを誇りを持って応援してもらえれば、きっと楽しんでもらえると思っています。他の国の取り組みや姿勢に注意を払うのは良いことだとは思いますが、日本が主体性を持って世界の野球をリードしていってほしいと思っていますし、また日本野球にはその力があると思っています」日本、台湾、韓国のプロ審判も参加開幕戦の審判はアメリカやカナダ、オーストラリアから来日した審判団が務めた。世界各国から一流の審判がプレミア12をジャッジするために集合している 参加国はランキング上位の12カ国が選ばれたが、審判はニカラグアやパナマ、オーストラリアなど参加国以外からも招集された。WBSCの審判部長グスタボ・ロドリゲス氏は、「今大会の審判団を信頼している」と語る。「NPB(日本野球機構)、CPBL(台湾プロ野球)、KBL(韓国プロ野球)などアジアのプロ審判に加え、アメリカ合衆国やカナダからも参加。マイナーリーグやAAA、またメジャーでも経験のある審判だ。ベネゼエラやキューバでプロとして活躍している審判もおり、ベストな審判団になったと思う。ハイレベルな試合になると思うし、審判団も同じくハイレベルだ。野球ファンにとっては間違いなく興味深い大会になると思うよ」と笑った。 川口亘太氏はNPBのアンパイアであり、22年1600試合以上の経験を誇る。今回プレミア12の審判に選ばれたが、「試合での動きは、日本でのゲームと同じですが、言葉が通じないので少し不安はありますね」と語る。アンパイアミーティングを終え、一緒にチームを組むメンバーの母国語は、英語が2名、スペイン語が1名、日本語が1名だったという。 しかし、NPB審判部長の友寄正人氏は心配していない。「NPBから選りすぐった6名ですので、技術的なことは何も心配をしていません。確かに色んな国から審判が集まっていますので、言葉の問題はあります。コミュニケーションで戸惑うんじゃないかな、と。ただ、私もWBCの第二回大会に参加した経験があって言えるのですが、言葉は通じなくてもやることは同じで、上手く連携が取れるようになると思っています」。さらに今後、国際大会が増えていくことになると思うと話し、「現状、アマチュアの方が国際大会の試合が多いんです。今回、そんな中でチャンスがある。国際大会ですから、選手たちは国の威厳を背負ってプレーします。それは私たち審判も同じ。どの国の審判にも負けたくないという気持ちでやっています。私もこの大会が楽しみです」開幕戦は白熱の日韓戦開幕戦は白熱の日韓戦 先制打は中日の平田良介選手。三塁ベースに当たるラッキーなヒットとなった。3点目となる追加点も粘り強いバッティングから記録するなど2安打2打点の活躍 開幕戦は、11/8札幌ドームで行われた日本vs韓国の一戦だった。日韓戦というと、どうしてもサッカーのイメージが強い。サッカーではA代表の日韓戦が1954年のワールドカップ予選でスタートして以来、今年8月の東アジアカップまで74試合が行われている。日本は13勝38敗23引き分けと分が悪い。一方野球では、2000年のシドニーオリンピックから、プロ選手が代表入りするようになり、前年のオリンピック地区予選でトップチームの戦いが始まった。当時はプロアマ混在チームで、プロからは松坂大輔選手(ソフトバンク)や今年ソフトバンクを退団した松中信彦選手らがおり、アマからは当時大学生だった阿部慎之助選手や杉内俊哉選手(ともに現・読売ジャイアンツ)らがプレーした。シドニー、アテネ、北京でのオリンピック、また2006年から始まったWBCとあわせて、日韓戦の成績は日本の6勝9敗となっていた。巨人坂本勇人選手は、攻守に光るプレーを見せた。日本チーム初ホームランも坂本選手のバットから トッププロが加わって16試合目となった日韓戦は、地元・北海道日本ハムファイターズのエース大谷翔平投手が最速161kmのストレートで会場を沸かせる熱投で、6回10奪三振の零封。打っては中日の平田良介選手が3塁ベースに当たる幸運なタイムリーなど2打点。さらには巨人・坂本勇人選手も犠牲フライとチーム初本塁打となるソロホームランで2打点など、着実に追加点を重ね、12安打で5得点。守っては8回1アウト1・2塁のピンチにショート坂本選手がセンターに抜けそうな当たりを横っ飛びのファインプレーで盛り立てるなど、ピンチの場面はあるものの、2番手・則本昂大投手、3番手・松井裕樹投手(ともに東北楽天ゴールデンイーグルス)が韓国打線を抑え、5-0で大事な初戦をものにした。国のプライドを賭けた戦い日本の4番は埼玉西武ライオンズの主砲中村剛也選手。11/6のプエルトリコとの強化試合で右手甲にデッドボールを受け、出場が心配されたが、先発出場。2安打の活躍となった 緊張感のある開幕戦を見ても、国際大会の凄みが随所に感じられた。強化試合のデッドボールで手の甲を打撲した4番中村剛也選手(埼玉西武ライオンズ)も試合に出場するなど、開幕戦をモノにしたい勝利へのこだわりが見て取れた。試合後の会見では、「台湾に行っても緩めることなく、とにかく全部勝って、予選を通過したいと思います」と小久保裕紀監督は語った。台湾での初戦は11/11のメキシコ戦。サヨナラ勝利で開幕二連勝を飾った侍ジャパン。日本のいるグループBには、アメリカやドミニカ共和国などまだまだ強豪国との試合が続く。 WBSCの横尾氏は言う。「見所は本当に真剣勝負。国のプライドを賭けた戦いだということです。この大会の盛り上がりが、2020年の東京オリンピックへと繋がればと思っています」。1992年のバルセロナから2008年の北京まで5大会連続で正式種目として実施されたオリンピックへの復帰。野球ファンなら興味を抱くだろう東京オリンピックでのトッププロ選手のプレー。そんな夢を描きながら、プレミア12で戦う選手たちの真剣勝負を楽しみたいと思う。