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    くまのプーさんと羽生結弦「本番に強い」心理を生む2つのコト

    ことは想像に難くない。男子SPの演技を終え、歓声に応える羽生結弦=江陵(共同) そのため、多くのプロスポーツ選手はメンタルコーチを帯同させるなど、メンタルコンディションの管理は、もはや目標を達成するための当たり前の準備として認知されている。 羽生選手は今回、まさに「本番に強く、大舞台に強い」を強靱(きょうじん)な精神力をもって体現した。彼の心理的な強さはどこにあるのだろうか。これまでの言動や振る舞いから、その要素を探ってみたい。 一つは、「精神的な孤独力」のように思える。 現代における彼と同世代の青年の友人関係をみると、自分が必要だと思った以上に深く人間関係を築こうとしないが、一方で自分だけが孤立することを恐れるが故に、「なんとなく群れる」傾向が認められる。つまり、自分の周りには誰もいない、という状況よりは、それほど親しいとはいえない友人であっても身近に誰かがいる状況を求める傾向にあるのだ。 これは、対人関係における他者との適切な距離感をつかむことの苦手さともいえ、現代型うつ(非定型うつ)や社会的ひきこもりの一因とも考えられている。 当然のことながら、人間は社会的な動物であり、人と交わりながら、協力しながら、時に支えあいながら生きている。そのため、他者の存在を求めるという心理は至極当然ともいえる。 一方で、人間関係に疲れたり、自分への期待感に押しつぶされそうになったり、他者に対するマイナスの感情に心が支配されることもある。それが、仕事でのパフォーマンス発揮や課題克服の妨げにもなりうる。羽生を支える二つの要素 とりわけ羽生選手のように超有名で、ましてや前回五輪のディフェンディングチャンピオンともなると、周囲からの期待が時に重圧になったり、他者からの批判やねたみの声が聞こえてくることもあるだろう。さらにいえば、今回は直前にけがを負って練習ができない時期もあった。その時の雑音は相当なものであっただろう。 こうした際に自分を支える一つの要素は、英国の精神科医、ドナルド・ウィニコットが言及した「一人でいられる能力」である。羽生選手のこれまでの「自分について語る姿」から、この力がしっかり備わっているように感じられるのだ。 「一人でいられる能力」とは、実際に社会的に孤立していることを指しているのではない。誰かと一緒に過ごしながらも、自分と他人とを違う「個」として受け入れ、自分の中で区別したり、他者との心理的距離感を適切に保った状態である。フィギュア男子SP、演技を終えた羽生結弦のもとには無数のくまのプーさん人形が投げ込まれた=江陵(松永渉平撮影) この能力が高いと、周囲の雑音はそれはそれとして距離を保ったり、自分が目標を達成するために他者の助言を受け入れながらも、常に自分の物差しで物事を考えていくことができる。そのプロセスは、氷上でたった一人で最初から最後まで演技を完結することには当然プラスに働くのではないかと考えられる。 なお、「一人でいられる能力」の高さは、5歳までの親の育て方に起因すると考えられている。その意味では、今回の結果は羽生選手の養育者(父母などの家族)の成果ともいえるのかもしれない。 二つ目は「マインドフルな心の状態」を作る力である。 これは、「今自分がやるべきこと」に、限りなく100%に近く意識を集中できる能力である。人間は誰しも、過去と未来を抱えながら「今」を生きている。しかし、プレッシャーがかかる場面や緊張する状況においては、過去や未来のことに意識が及ぶことが多い。 例えば、会議の前に「あー、こないだの会議でプレゼン失敗しちゃったな…」とつい考えてしまうのは過去へ意識が及んだ状態であるし、大事な面接の前に「うまく受け答えができなかったらどうしよう…」という思考が頭を支配してしまうのは、未来に関する不安が高まった状態といえる。羽生から全く感じられない「囚われ」 いずれにしても、過去や未来に心が囚(とら)われた状態では自分のパフォーマンスを十分に発揮することにはつながらない。 「競技への集中力の高さ」は羽生選手の演技を見ていれば誰もが感じるところであるが、当然のことながら、彼も過去や未来への囚われと戦いながら日常を生きているだろう。 しかし、演技中の彼からは、その囚われは全く感じられない。競技中にマインドフルな心の状態を保つ術を身につけているのであろう。 もしかすると、彼が愛してやまない「くまのプーさん」は、その一翼を担っているのかもしれない。過去や未来に意識が及んでしまって、「今」目の前にある課題に集中できなくなっているときは、身体の五感を使って、自分の身の回りの環境を体感することが、マインドフルな心の状態を高めるとされている。男子SPの演技を終え、ブライアン・オーサーコーチ(手前)と抱き合う羽生結弦=江陵(共同) 例えば、演技前にプーさんのぬいぐるみやグッズを触って、その感触を確かめたり、弾力を感じたりする。視覚を使って、その愛らしいフォルムを眺める。あるいは、時に匂いを嗅いでもよいだろう。  そのほかには、観客の歓声を一つの環境音としてただただ聞いたり、周りを通る人の足音に傾聴したり、シューズで地面の感覚を足の裏で感じてもよい。彼は数十個のイヤホンを所有するほどこだわりを持っているようだが、周りの音をシャットアウトして好きな音楽を聴くことがその機能を持っているのかもしれない。  つまり、過去や未来への心配や不安に気持ちが及んでも、とにかく「今」自分の身体や周りに起こっていることに注意を向けることを意識するのである。 もちろん、実際に彼がどんな形でマインドフルな心理状態を作り出しているかについては、誰にも分からない部分があるし、仮にプーさんに触っていたとしても彼にとっては一つのルーティンであり、経験的に学習された準備の一つであろう。  いずれにしても、五輪の大舞台でいかんなく力を発揮した彼の精神力は、心理学的にみても、ただただ驚かされるばかりである。

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    羽生結弦、異次元の強さを支える「硬質には表れない野生」

    長田渚左(ノンフィクション作家) 羽生結弦のショートプログラム(SP)を見たとき、本当に心の底から驚いた。 別次元だったからだ。その完成度の高さは揺るぎないどころか、ひょっとして羽生結弦という人間は二人いたのではないかとさえ感じたほどだった。男子SPの演技を終え、歓声に応える羽生結弦=2018年2月16日、江陵(共同) 大怪我をしてリハビリをしていた羽生と、もう一人はひたすらこの4カ月、技を磨き続けていた別の羽生…。 この日の彼はそれほど自信に満ち、完璧なジャンプを次々跳んだ。 その完璧なスケーティングは、彼の後に続くメダル候補たちへ余波となり、次々とミスを生じさせてしまうようにさえ見えた。 圧巻の演技の後、アナウンサーが聞いた。 「どうしてここまで揺るぎのない完璧なスケートができたのでしょうか」 羽生は柔らかな微笑のままに答えた。 「オリンピック(という舞台)を知っています。元(ソチ五輪)のチャンピオンでしたから」 その言葉は、異なる次元の自信を口にしたように思えた。 あの言葉は、こんな風に訳すことができないだろうか。「以前は雲の中しか歩けなかったのですが、今は海の上も歩けるようになっています」 改めて言うが、大怪我をして平昌五輪出場が危ぶまれた羽生は、もう一人の羽生のことだったのだろう。 少しの不安もなく、何の問題も抱えていないどころか、試合に出たくて仕方のない羽生が今、氷上にいることは間違いない。 以前、彼と同じようにとんでもない自信を見せ、本番でとびきりの強さを見せたアスリートを取材したことがある。 アテネ、北京と五輪二大会連続で金メダルを獲得した競泳の北島康介である。「人間丸ごとの闘い」 実はその北島を五輪候補選手として平井伯昌(のりまさ)コーチが推したとき、所属先のコーチ全員が反対していたことをご存じだろうか。 理由は単純明快だった。北島よりも速い選手が他にもいたからである。では、なぜ平井コーチは北島をオリンピックの看板選手に育てたいと思ったのか。 「メンタルの強さです。五輪は人間の総合力の勝負の舞台です。タイムは表に出るので惑わされる。しかし国際舞台での勝負は、人間丸ごとの闘いなのです」北京五輪・競泳男子100メートル平泳ぎ決勝、世界新記録で二連覇を達成し、ガッツポーズで雄叫びをあげる北島康介=2008年8月(浜坂達朗撮影) そして平井コーチはこうも言った。 「練習を重ね、だんだんタイムが出て速くなっていくと、さらに野性が増して、メンタルが強くなっていくと思いがちですが、そういう訳にはいかないことも多い気がしていました」 つまり、持って生まれたメンタルの強さや野性味を減らさないようにすることの方が大切らしい。 羽生結弦というアスリートは他人に対してとても優しい。「くまのプーさん」も大好きで、ぬいぐるみを眺めているときなど、「ゆず君」「ゆずちゃーん」という声がかかると、そちらを向いて、ニコッと笑顔を返す。それはリラックスをしているときの彼であって、他人にはほとんど見せない練習中は、鬼のようにストイックらしい。 あるドキュメンタリー番組で、羽生が怪我をした瞬間を見たが、納得ができずに、ずっとずっと気が遠くなるほど、長時間のジャンプ練習を繰り返した中で起きたものだった。 その映像で鬼気迫るほどの野生が羽生を支えていたことがわかった。 しかも、彼の持ち味である、彼のとびきりの自信は表面的には硬質には表れないのも特徴だろう。 羽生のコーチであるブライアン・オーサー氏は大会前、平昌五輪への期待を聞かれ、こう言っていた。 「…羽生をみくびってはいけない」 たぶんオーサー氏は、「野生」を源にしたケタはずれのメンタルを羽生が持っていることを、身をもって知っていたのである。

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    羽生結弦「異次元の強さ」の秘密

    高く、そして美しい。日本人アスリートのあまりに華麗な演技に魅了され、会場は割れんばかりの拍手と歓声。演技後、氷上の真ん中で両手を広げ、「どうだ」と言わんばかりの表情をみせた彼は、まさに絶対王者であった。「異次元の強さ」をみせつけた男子フィギュア、羽生結弦。その強さの秘密に迫る。

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    スポーツ心理学で読み解く羽生結弦「最強メンタル」の秘訣

    布施努(スポーツ心理学博士) これまで多くのスポーツ選手に注目し、分析してきましたが、平昌五輪のフィギュアスケート男子ショートプログラムで、自己ベストに迫る111・68をたたき出した羽生結弦はメンタルの強さが飛び抜けているアスリートの一人といえます。 そもそも一流スポーツ選手には「獲得型」と「防御型」という二つのタイプがあります。どうやれば勝てるかを考えるのが獲得型で、ミスしないようにするにはどうすればよいかを考えるのが防御型です。羽生はどちらといえば獲得型でしょう。 体操の内村航平も羽生と同じ獲得型でメンタルは強いのですが、以前に失敗したときは、中国の選手の技術が向上していることを目の当たりにしたために、精神的に追い込まれ、自身の技の完成度を上げられなくなり、防御型になってしまったとみられています。 要は周囲に影響されず、自分が勝つためにできること冷静に判断してそれを実行できるかなんです。同じく体操の白井健三もテレビ番組の中で、いわゆる防御型になっていたときに、内村からのアドバイスでもう一度「美しい体操をしよう」という前向きな意識になり、さらによい体操ができるようになったと言っていましたが、これこそ防御型から獲得型に変わった瞬間なんですね。 羽生もおそらく、当初は4回転ループをしようとしていたが、それをショートプログラムで4回転サルコーにしたのは、まさに自信のけがや調子を考えて、どうやったら勝てるかを重視する獲得型を実践した表れだと思います。フィギュアスケート男子SPで演技する羽生結弦=2018年2月、江陵アイスアリーナ 実際、試合後のインタビューで「4回転サルコーにするのはいつ決めたのか」との問いに対して「ここに来る前にサルコーでずっと練習していた。調整が間に合わない部分もあったと思いますが、実際に点数には満足しているので、サルコーにして良かったと思っている」と言っていました。試合直前の体調などに合わせてできることをやりに行くことが勝つために大切なんです。 スポーツ選手にけがは付きものです。その時に置かれた状況でできないことをやろうとすると選手は精神的に「不安ゾーン」に陥るんです。ただ、そんな状態でも試合で勝てる選手というのは自分への課題を意図的に下げることができる。それを羽生は試合直前、もしくは試合中にやることができる能力を備えているからこそ、大舞台で結果がだせるのでしょう。自分のスキルが下がってきたときに、焦りではなく、「自己コントロール」できる能力が抜群に高いといえます。欧米で普及するスポーツ心理学 そもそも4年に一度のオリンピックは、選手にとってなかなかポジティブな精神になれないものです。ポジティブになろうとしてもプレシャーが増幅するだけです。そういう意味でも自分ができることを値踏みできる力が必要になります。自分の状態に見合った意識に変えていくことができるのです。トップ選手の多くはこの能力を持っています。 また、「縦型思考」と「横型思考」があって、普通の人は横型です。今回のフィギュアスケートショートプログラムも、素晴らしい演技をした羽生を目の当たりにしてしまったライバル選手が次々とミスをした。これはだれかと自分を比較してしまう横型なんです。縦型思考ができる選手は、オリンピックのような大舞台で能力を発揮できるケースが多いのです。 一方で、羽生は「発明ノート」という練習日誌をつけていると聞いています。コーチからいわれなくても、自分が練習でできたことやできないことを自己分析して、セルフコーチができるんです。なぜできないのかを逆算して客観評価できる。うまくいかないのは目標の置き方であり、それを再設定できない場合です。男子SPの演技を終え、笑顔の羽生結弦。右はコーチのブライアン・オーサー氏=2018年2月、江陵(共同) これは「ダブルゴール」といって最高目標と最低目標を明確化する手法です。うまくいかないときは最低目標を目指せばいいわけです。仮に羽生が風邪をひいて、徹夜明けでフラフラでも、できるものを最低目標に置くという考え方です。 これまで自己コントロール能力を中心に話しましたが、周囲の人たちをうまく取り込める能力も羽生にはあると思っています。たとえば、絶対に自分を理解してくれる人の存在を大切にする。羽生の場合は、まず、コーチです。調子が悪くて自身の判断で4回転サルコーに変えても理解してくれという安心感です。これは選手に大きな精神的余裕をもたらします。 私はこうしたメンタル面の鍛錬は、一定の知見を持った専門家が指導することによって、生まれながらにその能力が備わっていなくても、可能になると考えています。よく、普段の試合では勝てるのに、オリンピックになると勝てない選手がいますが、欧米では、これらのスポーツサイコロジー(スポーツ心理学)がかなり普及しており、克服しているのが現状です。米メジャーリーグやドイツのサッカーチームなどにも専属の専門家がいるぐらいです。 日本では、まだスポーツサイコロジーを取り入れている選手は少数です。選手一人ひとりの身体能力や、指導力なども日本は向上し、世界に通用する選手は増えていますが、将来的にオリンピックやワールドカップといった大舞台でこれまで以上に勝てるようになるにはこのスポーツサイコロジーをもっと取り入れていく必要があります。 羽生は今日のショートプログラムのように、「獲得型」をうまく活用できれば金メダルは期待できます。さらに、肉体的、身体的な衰えなどがなければ、3連覇、4連覇も現実としてありえるのではないでしょうか。(聞き手、iRONNA編集部 津田大資) ふせ・つとむ スポーツ心理学博士。昭和38年、東京生まれ。スポーツ心理学を応用したトレーニング指導会社「Tsutomu FUSE, PhD Sport Psychology Services」代表取締役。慶応大講師、慶応大スポーツ医学研究センター研究員。ノースカロライナ大グリーンズボロ校大学院にて博士号取得。高校時代、早実野球部で全国準優勝、慶応大野球部で全国大会優勝。これまでに、プロ野球、Jリーグ、社会人、大学、高校のチームや選手を中心にメンタル指導を担った。

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    「フィギュアを観る喜びを与えてくれる」観戦マニアが語る羽生結弦

    :見方というある種の「作法」は気にせずに、まずは平昌五輪のフィギュアスケートを観てみれば、これまでのスポーツ観戦では味わったことのない興奮や血の騒ぎ方、喜び方が自分の中にあることを発見するかもしれません。こういう本を書いておきながらなんですが、見方という作法よりも、そういった感覚的なことのほうが大事なのではないかと考えています。 また、この本に書いたことは、あくまでも長年フィギュアを観ている私のツボであって、書いたことが必ずしも正解というわけではありません。正解は、人の数だけあっていい。 たとえば、ゴルフが好きな人の中でも、胃がキリキリするような短いパットに興奮する人もいれば、胸がすくようなロングショットに興奮する人もいますよね。同じくフィギュアに関しても、ツボは人それぞれ違いますから。――それでは高山さんのツボとは?高山:フィギュアスケートのそもそもの成り立ちは「氷の上に図形(フィギュア)を描くこと」です。 ジャンプは人目を引きますし、得点配分がいちばん高いのもジャンプではありますが、基本はスケート靴の刃がいかに複雑に、そしてスピーディーかつスムーズに動いて図形を描き続けるかだと思います。私のツボもまさにそこにあるんです。4回転ジャンプだけじゃない魅力――ニュース番組のスポーツコーナーを観ていると、4回転ジャンプなどの大技についての解説が多いので、ジャンプに注目するのが正しいのかと思っていました。高山:テレビや新聞などでは、4回転ジャンプの種類や飛ぶ数、その成否が話題になることが多いですね。 ここでフィギュアスケートの演技をダイヤモンドのネックレスにたとえてみます。1つは、ごく普通の紐でいくつかのダイヤモンドを結びネックレスにしたもの。もうひとつは、ダイヤモンドを見事な細工を施したプラチナのチェーンで結びネックレスにしたもの。ジャンプをダイヤモンドとして、ごく普通の紐やプラチナのチェーンにあたるのが、描き出した図形だと考えます。その図形が複雑にスピーディーになめらかに描かれるほど、プラチナに近づいていく。 どのダイヤモンドも同じクオリティだとしたら、当然見事な細工を施した後者のほうが素晴らしいですよね。ネックレス全体を競い合うのがフィギュアスケートだと私は思っているんです。――フィギュアスケートは採点競技です。採点は、ダイヤモンドであるジャンプなのか、それともチェーンの部分、どちらが大きく影響するのでしょうか?高山:フィギュアスケートの採点は、テクニカルエレメンツとプログラムコンポーネンツの2つを合計した得点で順位が決まります。 テクニカルエレメンツは、ジャンプ、ステップ、スピンの3つの技術のクオリティが加算方式で計算されます。平昌冬季五輪2018フィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)で演技する田中刑事=2018年2月16日、韓国・江陵アイスアリーナ(撮影・松永渉平) 一方のプログラムコンポーネンツは「演技構成点」とも呼ばれ、どんなスケートの技術を持っているか、音楽の解釈はどうか、男子のフリーなら4分30秒という時間内で演技のバランスを持っているかなど、簡単に言えばテクニカルエレメンツ以外のスキルを採点します。かつては芸術点と呼ばれていましたが、いまはより細分化され、以前より明確になっていると私は感じています。 先ほどの例で言えば、フィギュアスケートの採点は、ダイヤモンドの見事さそのものもジャッジされますが、結局はネックレス全体の価値を観るものだと私は思っています。 ただ、採点などを気にせずに、はじめのほうに申し上げたようにまずは美ししいと思うかや、血が騒ぐか、自分が味わったことがない種類の感動があるかどうか、というところから入るのがおすすめかな、と。平昌五輪の注目点 おそらくWEDGE Infinityの主要な読者層である40代の男性と私は年齢的に近いと思うのですが、いい大人にもなると今回のフィギュアスケートも含め、新しい物事、いままで知らなかった趣味や芸術に対して腰が引けてしまうのは痛いほどわかります。プライドも高くなり、いまさらなにも知らないところからスタートするのも恥ずかしい、億劫だとつい思ってしまいがちですよね。だから、誰かに見方などの教えを請うのではなく、フィギュアの演技を観て、きれいなものはきれい、カッコイイものはカッコイイというプリミティブな感動を取り戻す楽しさを重視してもいいんじゃないかと。――私も40歳ですが、新しいものになかなかチャレンジできません。高山:そうですよね。私も先日、若い人からスノーボードに誘われたんですが、0.2秒で断ってしまいました(笑)。健康面の理由もありますが、これが25歳くらいなら「やってみようかな」という気持ちになっていたかもしれないなと考えると、肉体以上に精神の老化を切実に感じましたね。 私は、スポーツ以外にも映画を観るのが好きなんですが、なかでもヌーベルバーグの『突然炎のごとく』や『死刑台のエレベーター』などに出演し活躍した女優のジャンヌ・モローさんをリスペクトしています。彼女が、2002年に来日した際に、幸運なことに1対1で1時間インタビューできることになったんです。そこで当時74歳だった彼女に「あなたのように人生の長い時間輝くために、一番必要なことはなんですか?」と聞くと、彼女は間髪入れずに「好奇心」と答えた。そして「好奇心を分かち合える人の存在」だとも。 肉体の老化は仕方がないにしても、精神の老化を止めるには彼女が言うように新しいことへ対する好奇心って本当に大切だと思うんですよね。――2月16日から平昌五輪でフィギュアスケート男子シングルが行われますが、誰に注目というのはありますか?平昌五輪男子SPの演技を終えた羽生結弦=2018年2月16日、韓国・江陵アイスアリーナ(納冨康撮影)高山:私は、フィギュアスケートそのもの、それに打ち込んでいる選手全員を本当にリスペクトしています。そのなかで、毎年倍々ゲームのように新しい「観る喜び」を与えてくれるのが羽生結弦選手。それで書き始めたのが今回の本です。ただ、タイトルに羽生結弦選手の名前は入っていますが、彼一人に絞ったつもりはありません。羽生選手以外の選手にもかなりページを割いています。ただ、好きなスケーター全員を好きなだけ書こうと思ったら、それこそ新書にもかかわらず、広辞苑くらいの厚さになってしまう(笑)。選手の「生き様」を見てほしい だから、オリンピックに出場する選手の誰に注目してほしいというのは難しい。先ほどのネックレスの例で言うならば、ハリー・ウィンストンのネックレスも、カルティエのネックレスも、ブシュロンのネックレスも……とどのネックレスにも目を奪われる。だからあげればキリがない。どのネックレスが好きかも人によって違いますが、私は人の好みにまで立ち入るつもりはないですし。――選手は人生をかけて挑むわけですからね。高山:実は、私は格闘家の友人が多く、たまに招待してもらうので、観に行くことがあるんです。ルールもいまいちわからず、ましてやジャッジたちがどうやって採点いるかなんてまったくわからない。でも、彼らの熱いものを感じます。要するに、生き様が発光している様を観たい気持ちがあるんでしょうね。生き様を発光させられる人なんてそうはいません。スポーツ選手のなかでも選ばれし人たちがオリンピック選手になる。そういったフィギュアスケーターたちの生き様をぜひ観てもらい。『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』(高山真、集英社) またもう中年だから新しいスポーツを観るのは遅いと思っている方がいれば、もったいないことだと思います。新しい喜びや感動に対し、新鮮で謙虚な気持ちでいることは、新しいスポーツを好きになること以上に大事なのかもしれません。 フィギュアスケートを観て、合わないと思うならそれでいいと思うんです。人それぞれ好き嫌いがあって、合う合わないがあって当然ですから。ただ、ほんのすこしでも面白いと思う気持ちがあるのならば、そのプリミティブな感情にフタをする必要はないし、その感情に少しでもポジティブな影響を、この本が与えられたのだとしたら万々歳かなという気がしますね。ただし、あくまでも「私のツボ」なんですけどね。――早くも3刷りとかなり売れていると聞いていますが、反響はどうですか?高山:この本を読みながら、映像を見返すと新しい発見があるというご意見や、いままで2Dで見えていたものが、この本を読んで3Dに見えるというご意見をいただき本当に嬉しいです。私の本が、読者の方々がお持ちの「好奇心」と、ちょっとだけでも何かを分かち合う時間が持てたのかな、と思える……。それが本当に幸せです。ほんだ・かつひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

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    66年ぶりの五輪金メダル連覇狙う羽生結弦を科学で斬る

    玉村治(スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト) 平昌五輪最大の関心の一つは、ソチ五輪フィギュアスケート男子の覇者・羽生結弦が、1948年と1952年の五輪で金メダルを獲得したディック・バトン(米国)以来66年ぶりの金メダル連覇を達成できるかにあるだろう。けがで本番に間に合うか気がかりだが、体もメンタルもたくましくなっただけに、身体状況に合わせた戦略を組み立てしっかり調整してくることは間違いない。20歳の宇野昌磨も国際舞台で経験と自信を積み重ねており、五輪の初舞台で思い切った滑りができれば金メダルに手が届くところにある。宇野の躍進は羽生への刺激だけでなく、プレッシャー分散の意味でもとてもいい材料だ。 4回転ジャンプ全盛で、高得点時代に突入したフィギュア男子は、4回転の出来が勝敗を左右する。しかし、それは技術だけではない。完成度、「美しさ」「流れ」が大事な要素を占める。そこを重視した持ち味の演技ができれば、羽生の勝利の確率は高まるだろう。ジャンプ、演技の完成度、メンタルの視点で分析する。 昨年12月に名古屋市で開かれたグランプリファイナルで優勝したネイサン・チェン(米国)と2位の宇野選手の得点表(図1)とグラフ(図2)見て欲しい。宇野は0.5点の僅差で負けたものの五輪への大きな踏み台となった。 詳細な説明をする前に、採点の仕組みを簡単に解説する。 フィギュアスケートの勝敗は前半のショートプログラム(SP、演技時間2分40秒±10秒)と後半のフリー(演技時間4分30秒±10秒)の得点の合計点で決まる。それぞれ、ジャンプ、スピン、ステップの完成度などをみる技術点と、うまさ、流れ、リズムなどを評価するスケート技術、演技構成、振り付け、表現力、音楽の解釈の5つの演技構成点(ファイブコンポーネンツ)で採点される。 男子の場合、技術点はSPで7演技、フリー13演技で採点される。うちジャンプの回数は上限があり、SPは3演技、フリーは8演技で、一つは最低「アクセル」ジャンプを入れなくてはならない。ジャンプ、スピンなどには選手が選んだ技の難易度によって「基礎点」があり、それに、いくつかの観点から評価する出来栄え点(GOE=Grade of Execution)が加算される。GOEは3からマイナス3まで幅広い。演技が回転不足だったり、失敗したりすれば基礎点も減点される。SP、フリーともに演技後半は基礎点が1.1倍になる。そのため4回転ジャンプを後半にまとめることが多い。演技構成点は各10点の計50点満点。フリーでは合計点は2倍される。審判は9人。図1 グランプリファイナルにおける宇野とネイサン・チェンのSPとフリーの採点表図2 得点におけるジャンプの比重が大きいのがわかる このグラフから読み取れるのはジャンプの比重が極めて大きいということだろう。得点を稼ぐには、4回転ジャンプを何回成功したかが大きなカギを握る。4回転全盛のきっかけは羽生だった? 宇野はフリーで4種類5回の4回転ジャンプを試みた。チェンは3種類5回の4回転ジャンプを挑んでいる。ともに後半は疲労からか回転不足と判定されたが、ソチ五輪で羽生がサルコーとトウループの2種の4回転ジャンプ2回(1回転倒)で金メダルを獲得したのに比べ、確実に4回転ジャンプは増えている。まさに4回転全盛が窺える。 4回転全盛のきっかけを作ったのは、実は羽生だ。2010年のバンクーバー五輪から4回転が注目されたが、ソチ五輪でも4回転ジャンプは2回ほど。それがここ数年、4~6回の4回転ジャンプになった。高得点時代に突入したのは、羽生が史上初めて300点台を超えた、2015年11月のNHK杯からと言っていいだろう。この時はSPで100点、フリーでも200点を超え、合計322.4点(現時点では歴代2位)を記録した。世界に衝撃を与えた。 さらに2016年に、羽生は世界で初めて国際大会で4回転ループに成功した。1988年のカート・ブラウニングが4回転トウループ、1998年にティモシー・ゲーブルが4回転サルコー成功に次ぎ、歴史を刻む画期的な出来事だった。 それ以後、2017年12月10時点で、国際大会において300点超えは14回ほどあったが、そのうち5回が羽生、宇野4回、ハビエル・フェルナンデス(スペイン)2回、チェン1回の順だ。日本選手の活躍は目覚ましく、歴代上位3位の座にはいずれも羽生が独占する。 図3は、歴代最高点となった2015年12月のグランプリファイナルと、同3位の2017年4月の世界選手権の採点表だ。図3 羽生のグランプリファイナル(2015)、世界選手権(2017)の採点表 2015年のグランプリファイナルで羽生は2種3回の4回転を、世界選手権では3種4回の4回転を試み、ほぼ完ぺきに成功させている。特にグランプリファイナルでは、GOEの満点3点が2回もある。  羽生に勝つには、4回転を、より多く飛ばなくてはならないと思うのは、自然の流れである。1人が演技する4回転ジャンプは4種~5種、回数も5~6回とエスカレートしてきたのにはこうした背景がある。 図4を見て欲しい。チェンは、今年ループに成功し、5種類の4回転ジャンプをものにした。5種類の4回転を成功したのは、世界で初とも言われる。図4 平昌五輪で有望選手が国際大会で成功(○)した4回転。△は練習などで成功 ライバルらの努力を前に、羽生もさらに進化を目指した。4回転全盛時代に対応しようと、ルッツにも挑戦し、昨年秋にきれいに成功した。しかし、4回転ジャンプは足への負担が極めて大きい。つま先で蹴る「トウ系」ジャンプと異なり、エッジ系は進行方向にエッジ(刃)を垂直方向に向けて、ブレーキをかけそのエネルギーで跳躍するため足に大きな負担をかける。ルッツはエッジ系ではないが、それでも体重の3倍~5倍ほどが足首にかかると言われる。昨年11月、ルッツ成功に向けた練習で、羽生が足首の靱帯(じんたい)を損傷したのもそのためだ。このけがが引き金となり、その後のNHK杯、全日本選手権などの欠場にもつながった。図5 トウループ。右足外側のエッジに体重を乗せた状態で、左のトウ(つま先)を蹴って踏み切る。両足を蹴るため助走のカーブと同じ方向に回転するため、エネルギーが効率よく高さと回転に振り分けられる。トウを蹴らないのがループ(出典:「図解スポーツ百科(悠書館)」図6 フリップ。前向きに助走して踏み切る直前に後ろ向きとなって、トウで蹴って飛ぶ。ジャンプ直前は左足内側のエッジに体重をかける(出典:「図解スポーツ百科(悠書館)」図6 フリップ。前向きに助走して踏み切る直前に後ろ向きとなって、トウで蹴って飛ぶ。ジャンプ直前は左足内側のエッジに体重をかける(出典:「図解スポーツ百科(悠書館)」羽生の4回転ジャンプ、どこがスゴいか 羽生の4回転ジャンプはどこが優れているのだろうか。 4回転を成功させるには、ジャンプの高さが欠かせない。滞空時間を確保するためだ。 もう一つ重要なのは回転速度だ。滞空時間が短くても、回転速度が速くなれば4回転の成功率は高まる。それには、踏み切る前に助走速度を一定以上に高める必要がある。4回転成功の目安は、0.63~0.67秒の滞空時間で、毎秒5.7~6回ほど回転速度が必要だ。 羽生の助走速度に比べ、宇野はそれを上回る。筋肉も含め強靭な身体能力を持っているのが強みだ。ただ、実際のジャンプの見栄えは回転速度だけでなく、体の柔軟性、身のこなし、筋力のバランス、腕などの使い方などが関係する。助走速度だけで決まらないところが難しいところであり、面白いところである。 羽生のフリーの演技の特徴は、ジャンプ時の姿勢の良さ、完成度だけでなく、ジャンプ前後の演技の流れにある。助走速度をあげるため、加速に当てる時間を短くし、演技が止まらない。それが出来栄え点(GOE)の高さに現れる。 図8を見て欲しい。図8 羽生が高得点を挙げた2015年のGPファイナルと2017年の世界選手権の時のフリー技術点とGOE 300点超えなど高得点時の羽生のGOEの高さは突出する。GPファイナル、世界選手権フリーの13演技で、GOEの合計はそれぞれ25.73、22.96。各演技のGOEは最高3点なので、平均1.98、1.77となる。この数字は他の追随を許さない。図9 2017年のグランプリファイナルにおける宇野とチェンの技術点とGOE 昨年のGPファイナルにおけるチェンと宇野のGOE(図9)と比較してみるとその差、すごさは歴然としている。宇野は平均0.27、チェンは0.22しか加点されていない。4回転ジャンプはするものの完成度は低く、さらには演技が流れないということを意味する。 その辺の事情は、1月に出版された『羽生結弦は助走をしない』(高山真著、集英社新書)に詳しく記されている。フィギュアスケートに対する思い入れが深い著者の洞察は鋭く、優れており、そこには羽生の滑りについて、「(ジャンプなどから次の演技に移る)トランジションの密度の濃さ」「足さばきのほとんどすべてを音楽にからめていく見事さ」「助走をしないほど濃密な演技」と評している。羽生は、4回転だけでなく、その前後の演技を考えていることが窺える。羽生のメンタルが強くなった この演技の完成度の高さから五輪本番では、無理して、難度(基礎点)の高い4回転を飛ぶ必要もないという声が上がるのも自然だ。ケガにつながったルッツより、基礎点は低いもの完成度の高いサルコー、ループ、トウループでまとめた方がいいというものである。羽生はサルコー、ループ、トウループは完成度も高く「武器になる」と語っている。ただ、平昌五輪では4回転を4回ほど飛ばなくては優勝できないとも言われている。もちろん4回転を減らし、3回転、コンビネーションの完成度をあげて,着実にGOEを獲得するという戦略はある。ただ、それを羽生が許すか、GOE重視の演技に切り替えるかは、けがの癒え具合とそれで遅れた可能性のある練習不足の度合いにかかっているだろう。 羽生のけがは懸念材料であるが、それをはねのけるほど練習、準備、スケートにかける思い入れ、メンタルはかなり強くなった。 ソチ五輪の後に、羽生の金メダルの裏にスタミナをつけるための食事について解説した。この4年間、食事以外にも体幹を鍛え、けがをしにくい体作りに取り組み、モチベーションの維持などにも苦労はあっただろう。勝って当り前、負け続ければ「終わり」という烙印を捺される、五輪金メダリストという重圧と向き合ってきた。逃げることなく果敢に練習し、さらに準備を続けてきた。平昌五輪フィギュアスケート男子SPの羽生結弦(4回転トーループ)=2018年2月16日、韓国・江陵アイスアリーナ(納冨康撮影) その一端が、ソチ五輪金メダル獲得をサポートした城田憲子さんの近著『日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦』(新潮社)に書かれている。 同書によれば、城田さんは、ソチ五輪後、羽生の4年間の重圧と、身体にかかる負荷の大きさを考え、躊躇することなく「一年間の休養」を提案したという。多種類の4回転ジャンプ時代の突入を考慮してのことだった。 これに対し羽生は「でも、休んだら駄目なんですよ、城田さん」と答えたという。プレッシャーと向き合う覚悟を感じたという。 ルッツの練習で右足首の靭帯を損傷したのは、名伯楽のブライアン・オーサーコーチの「4回転の種類を増やす必要はない」という反対を押し切ってのことだった。先ほども触れたが、ルッツなしのトウループ、サルコー、ループで十分な得点は十分に稼げるからだ。コーチの指導を振り切ってルッツに挑戦したのも「さらなる高みを目指す、自分への挑戦でもあった」からだ。羽生と若きライバルたちの戦い 羽生にとって、4年間は短いようで長く、長いようで短かっただろう。フィギュア男子のSPは2月16日、フリーは2月17日。20歳と若く伸び盛りの宇野は、大会を経験するたびに技が上達している。1月の全米選手権を制したネイサン・チェンは若干18歳。315.23の高得点をマークするなど4回転ジャンプの精度を飛躍的に高めている。五輪は厳しい戦いになることは間違いないが、羽生にとって宇野の頑張りは、自らを発奮させる材料となっている。羽生自身も23歳と若く、「まだ、負けられない」と思いも強いことが推測される。金メダル候補としては、ほかにも中国の金博洋、フェルナンデスらも侮れないだろう。 五輪に臨む羽生のプログラムで、SPは、ジェフリー・バトル振り付けのショパン作曲の「バラード第一番」の調べにのる。フリーはシェイ=リーン・ボーン振り付けの「SEIMEI」。 この二つは、2015年に300点台の得点を記録し、高得点時代を切り開いたNHK杯の時と同じプログラムだ。同じプログラムではあることに危惧する声もあるが、「何よりすべてのエレメント(要素)を支えるスケーティングスキルが、ソチ五輪に比べ、格段にレベルアップ」(「金メダルに挑戦」)しており、問題はない。男子SPで4回転サルコーを決める羽生結弦=2018年2月16日日、江陵アイスアリーナ(松永渉平撮影) けがを癒し、雑念にとらわれず、冷静な滑りができれば確実に得点は向上するだろう。その先には、ディック・バトン(米国)以来66年ぶりの金メダル連覇がある。羽生、同じく金メダルが期待される宇野、さらには田中刑事の滑りに日本だけでなく、世界が注目する日が待ち遠しい。■修正履歴:2ページ目でルッツジャンプをエッジ系と記載していましたが正しくはトウ系でした。お詫びして訂正致します。該当箇所は修正しております。(編集部 2018/02/02 18:22)たまむら・おさむ スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト。小学校より野球をはじめ、大学では投手として活躍。スポーツを科学的に分析することを得意とし、バンクーバー、ロンドン五輪、ワールドカップサッカーなどで取材。

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    ショパンのピアノ曲と羽生結弦が相性ぴったりな理由

    多いと思いますが、この曲は彼が使ったことによって、広く一般に知られるようになりました。ただ、「音楽とスポーツの融合」というのは、きっちりとはできないと思います。それでも羽生選手は理想に向かって挑戦し続けているということなんですかね。演奏するピアニストのクリスティアン・ツィメルマン(C)林喜代種 この曲を弾いているのはポーランドのクリスチャン・ツィメルマンです。1975年のショパン国際ピアノコンクール優勝者で、現代のピアニストの最高峰と言えます。演奏回数は、最近は多くないですが、人として善を尽くし、演奏を通して人々に愛を与えることができる孤高の芸術家です。もちろん技術的にも完璧で、こんなピアニストはめったにいません。 ツィメルマンは2011年の東日本大震災で、国外に逃げていく人がいる中、逆に海外から日本にやってきた人の一人で、本当に人間愛にあふれている。この人間愛が音色にも滲んでいるのか、非常に美しく、若いときは「鍵盤の貴公子」と呼ばれたぐらいです。それでも自分の技術をひけらかすことをしないのがツィメルマンのもう一つの魅力です。 こうした愛や美に対する意識の高さは、気品や優雅さにつながっている羽生選手と共通するところがあるのではないでしょうか。羽生選手は動きがきれいでムダがないし、バランスもいい、演技がとても考え抜かれている。まさに一流の演奏と一流の演技が見事にコラボレーションした理想だと、感動しましたね。 要するに羽生選手はよく音楽のことをわかっている人なのです。3拍子といっても、スケートですから、3拍子で滑ることはできません。音楽のプログラムで滑ると、激しい部分でしかジャンプできないことになってしまい、不都合が出てくるのです。 だから、完全に音楽を演技に取り入れることはできませんが、羽生選手が音楽をよくわかっているからこそ、それに乗せたスケーティングが可能になるのです。音楽をそのまま演技にもっていくことは難しい中で、音楽的内容を考えて自分の技を決めているのではないでしょうか。 羽生選手はけがから復活して平昌五輪に臨んだようですが、よほどの精神力がないと、今回のような演技はできないと思いますよ。美しい好青年ですが、内面には非常に強い精神力を秘めている。そもそも世界から注目されている中で、これほどの結果を出すのは簡単にはできません。今後の演技にも期待したいですね。(聞き手、iRONNA編集部 川畑希望)かとう・いちろう 国立音楽大学准教授。東京藝術大学卒業、スイス・ヴィンタートゥア音楽院留学。杉浦日出夫、米谷治郎、マックス・エッガー、クリストフ・リスケの各氏に師事。その他、ザルツブルクでタチアナ・ニコラーエワ、デンマークのランダースでコンラート・ハンゼンのマスターコースを受講。各地でリサイタル、オーケストラとの共演、室内楽、伴奏などの演奏活動を行い、NHK-FM等に出演する。著書に『ショパンのピアニスム―その演奏美学をさぐる』(音楽之友社、2004年)など多数。

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    羽生結弦にメドベージェワも負傷 ジャンプ偏重ルールの是非

    重”と表現することもできるだろう。しかし、このルールには理由と背景がある。フィギュアスケートに詳しいスポーツライターはこう解説する。「2010年のバンクーバーオリンピックで、4回転を一度も飛ばなかったライサチェック選手が金メダルを取りました。ショートでもフリーでも4回転を決めたプルシェンコ選手が、演技の質と確実性を重視したライサチェック選手に負けたのです。この結果にプルシェンコ選手が抗議し、“4回転論争”が起きました。以降、4回転をはじめとする高難度ジャンプをもっと評価しようという流れが強くなったのです」ソチ冬季五輪2014のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)=2014年2月6日、ロシア・ソチのアイスベルク・パレス(大里直也撮影) 以後、男子は4回転時代に突入。いまや4回転を3本も4本も飛ばなければ、メダルは望めない時代となった。とはいえ、挑戦にリスクはつきものである。金メダルを狙う男女のエースがこの時期にケガを負ったのは、選手本人たちはもちろんのこと、ファンにとっても辛い現実だ。◆平昌後のルール改正で、ジャンプに傾きすぎた現状を是正する では、ジャンプ偏重を見直すべきなのか。最終的には選手それぞれが自らの進むべき道を選ぶだろうし、ファンとしては、それを応援したい。ただし、ルールとしては、一つの方向性が示されつつある。「平昌五輪後に、ルール改正が検討されています。改正案の中には、4回転ジャンプの基礎点を下げる、というものがあります。国際スケート連盟は、技術面と表現面のバランスを取りたいようで、端的に言えば、ジャンプに傾きすぎた現状を是正するためのルール改正となるのではないかと見られています」 羽生選手らの挑戦によって、フィギュアスケートは技術的に、大いなる進化を遂げた。しかし、挑戦がケガを増やし、選手生命を短く、あるいは危うくするものであれば、何か歯止めは必要なのかもしれない。接触障害に苦しむ女子選手の報道も記憶に新しい。ルールは時代によって変化し、見直され、時に寄り戻しがあるものだ。フィギュアスケートブームが続く日本でも、選手個人の挑戦に対して称賛・批判をするだけではなく、ルールについての議論が起こってもよいのではないか。関連記事■ 芸能裏ネタ 羽生結弦と交際報じられた同級生、共に英語特訓■ いじめ、不登校、脱毛症、離婚 フィギュア選手と家族の苦悩■ フィギュア代表 連盟関係者「本田を押す声多いが本命宮原」■ 「村上佳菜子は逸材」とテレビ業界 増田明美二世の呼び声も■ 浅田真央とデート報道 シェアハウスに住む彼の懐事情

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    平昌五輪フィギュア男子・団体戦率いる宇野昌磨、連覇目指す羽生結弦

    田村明子 (ジャーナリスト)  いよいよ平昌オリンピックが開幕する。平昌から車で30分程度の江陵にあるアイスアリーナで行われるフィギュアスケートは2月9日の団体戦の男子とペアのSPから開始される。 2月7日には、前日に現地入りした宇野昌磨が本番のリンクで初の公式練習を行った。会場の江陵アイスアリーナは、昨シーズンの2月にオリンピックテストイベントを兼ねた四大陸選手権が行われた場所である。宇野はネイサン・チェン、羽生結弦に次いで3位だった。いよいよオリンピック会場に入って、どのような気持ちかと聞かれると、宇野はちょっとこまったような表情で、こう答えた。 「まだなんか、オリンピックという実感がないです」 練習リンクには一般観客も入っておらず、選手もすでに現地入りしたのは団体戦への出場が決まっている選手たちがほとんどで、公式練習にもまだ半数ほどしか来ていない。報道陣もまだ来ていない顔ぶれも多く、いずれは満員になるプレスルームも現在はまだまばらである。そのためもあるのか、宇野もいよいよ本番という実感はあまりないという。 ショートプログラムになるかフリーになるかはまだ発表されていないものの、羽生結弦が団体戦に出場しないこともあって、宇野は日本チームのトップ選手として団体戦に出場することになる。これまでジャパンオープンや国別対抗戦など、団体戦を何度か経験してきた宇野は、そのたびに「足を引っ張らないように」という気持ちになっていたという。だが今回は自分が、日本チームを引っ張っていく役割を自覚しているのだろう。 「今回は思いっきりやって少しでも貢献できるように頑張りたい。その経験を個人戦にも生かしたいと思っています」と力強い言葉を口にした。平昌五輪フィギュアスケート男子SP演技終了後ガッツポーズを出す宇野昌磨=16日、韓国・江陵アイスアリーナ(納冨康撮影) 男子の個人戦は、2月16日のショートプログラム、2月17日が決勝のフリープログラムとなる。一週間の間に、本番のプログラムを団体戦(ショートかフリーどちらか一つ)、個人戦(ショートとフリー)合わせて3本滑ることになる。心配されるのは、体力的な負担である。そのことについて聞かれると、宇野はこのように答えた。 「プログラムの練習に関しては、今シーズンで一番詰めた練習ができた。でも試合の疲れというのは練習とは違うので、どんな疲れが残るかわからない。だからといって(団体戦で)手を抜くわけにいかない。疲れたら一刻も早く回復できるようにするだけかなと思います」 一方気になるのは、11月に右足の靭帯を痛めた羽生結弦が、現在どのくらいまで体調を戻してきているのかということである。羽生の新しい面が見えた 怪我をしてから、ほとんどこれといった大きなニュースも報道されていなかった羽生だが、2月6日にすでに現地入りしているコーチのブライアン・オーサーが、江陵アイスアリーナでメディアにこのように語った。 「練習はうまくいっています。それははっきり言えます」とオーサー。痛みもなくなり、ジャンプの練習も再開して、日々回復してきているという。 「この期間、私は彼の新しい面を学んだし、彼自身も自分のことを改めて学んだのではないかと思います。彼がとても冷静でいたことに、私は強い印象を受けました」 11月9日、NHK杯の公式練習中に4ルッツの着氷を失敗して転倒した羽生は、右足関節外側靭帯損傷で全治4,5週間という診断を受けた。だが炎症が骨にも及んでいたことなどから回復が遅れ、12月末の全日本選手権には欠場。だがこれまでの実績を評価して平昌オリンピック代表に選ばれた。 「2か月半前に、彼と顔を突き合わせて綿密に計画をたてました。大事なのは、小さな目標を細かくたててそれを達成していくことでした。絶対に間に合う、予定通り出場することは可能だ、と彼に告げたんです」とオーサー・コーチ。平昌五輪フィギュアスケート男子SP演技を終え、ブライアン・オーサーコーチらに迎えられる羽生結弦=2018年2月16日、韓国江陵アイスアリーナ(撮影・松永渉平) 本人は2月11日にカナダのトロントから、コーチの一人であるトレイシー・ウィルソン、そしてトレーニングメートのハビエル・フェルナンデスと一緒に現地入りをすることが予定されているという。最後に報道陣の前に姿を見せてから、まるまる3か月の月日が流れているだけに、公式練習ではカメラマンもレポーターも殺到するであろうことが予想される。 いきなり大舞台でのぶっつけ本番になるが、オーサーは「それについては心配していない。彼はすでに必要な経験はたくさん積み重ねてきている」と太鼓判を押す。 ソチオリンピック金メダリストの羽生がここでタイトルを守ることができたら、男子としては1948年と1952年のオリンピックを連覇した、アメリカのディック・バットン以来66年ぶり。 羽生以外の優勝候補は、アメリカのネイサン・チャン、スペインのハビエル・フェルナンデス、そして宇野昌磨である。どのような戦いが繰り広げられるのか。いよいよ始まろうとしている。たむら・あきこ ジャーナリスト。盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『銀盤の軌跡』(新潮社)などの著書もある。

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    羽生結弦選手の最大の魅力は喜怒哀楽とドラマ性

    目を細め嬉しそうに、顔をくしゃくしゃにして歯を見せて笑った。 失敗、ケガ、ルール変更、ライバル…などスポーツ選手の前には、期せずして何らかの障害が待ち受けている。だが彼らは、人々の期待を裏切ることなく、それらを見事にクリアしていく。 新横綱稀勢の里が負傷を押して逆転優勝した春場所の国技館には、割れんばかりの歓声が起こった。君が代を聞く稀勢の里が、ボロボロと涙をこぼし男泣きをした姿は、記憶に新しいスポーツ界のドラマだ。 そしてドラマには葛藤がつきものだ。 2014年の世界選手権中国杯。6分間の練習中、中国の選手と衝突してケガを負いながらも、包帯姿でリンクに立った羽生選手。演技が終わると誇らしげに満足そうな表情で顔を上げたがリンクを出た途端、コーチの腕に倒れ込む。得点が表示されると、不安や苦痛、プレッシャーという葛藤から解き放たれ、顔を覆って号泣していた。 羽生選手は穏やかな柔和なイメージが強いが、表情が豊かで喜怒哀楽をはっきりと表す。だから見ているこちらは、彼が抱える葛藤と感情がわかって共感しやすい。ここに羽生選手のドラマ性があると思う。ファンは羽生選手の状況を理解するだけでなく、その表情や言葉から心にある苦しさ、辛さ、不安といった葛藤を身近に感じ、共感することで心を揺さぶられる。フィギュアスケートGPシリーズ第4戦NHK杯の男子公式練習で4回転ルッツの着氷に失敗、転倒した羽生結弦。=2017年11月9日、大阪市中央体育館 (撮影・松永渉平) 葛藤を感じるからこそ感情移入ができ、さらに惹きつけられていく。苦痛に顔を歪め、涙を流し弱さは見せるが弱音は吐かず、障害に立ち向かいクリアしていく姿に、人はますます魅了されていく。 来季の平昌五輪での優勝を聞かれ「期待に応えるための金メダル」と答えた羽生選手。期待がプレッシャーになるのはわかっているが、やはり期待せずにはいられない。関連記事■ 羽生結弦の中国でのあだ名は「二郎」 ラーメンとは関係ない■ グランプリファイナル出場の羽生結弦 精神的後遺症が心配■ 羽生結弦 アイスショーで高橋大輔とのコラボが意味するもの■ 羽生結弦にハマる夫に「男性に目覚めた?」と疑念を抱く妻■ 羽生結弦ファンになった愛子さま「写真ほしい」と友人に相談

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    スポーツの上に政治がある」平昌五輪、統一コリア実現の舞台裏

    春日良一(スポーツコンサルタント) オリンピックは何をもって成功裏に終わったといえるのか。今、2020年東京五輪大会組織委員会の面々に「東京五輪の『成功』とは何ですか?」と問えば、異口同音に「大会が無事に終了すること」と答えるだろう。 無事に大会が終了するという意味で、平昌五輪が成功する確率はかなり高まった。それは年頭、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が「新年の辞」で参加を宣言したからである。それまでは、大会2カ月前の競技別エントリーが期限になっても、北朝鮮オリンピック委員会は正式手続きを行っておらず、「五輪不参加」というのが大方の見方であった。韓国専門家の中には「100%参加は有り得ない」と断言する人もいたほどだ。2018年の「新年の辞」を発表する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(朝鮮中央通信撮影・共同) しかし、締め切りを過ぎても、国際オリンピック委員会(IOC)は諦めなかった。本来なら、この時点でエントリーがなければ参加できない。しかし、トーマス・バッハ会長は「最終エントリーである大会1カ月前の個人エントリーまでに手続きをすればOKだ」と表明したのである。 五輪参加で最も重要とされるのはエントリーの有無だ。公平性を保つための伝統的なルールであり、ミスをすれば国内オリンピック委員会(NOC)の委員のクビが飛んでしまった例もある。だからこそ、バッハ会長の表明は異例中の異例、いやこれはもう「特例」と言っていい。五輪の伝統を崩してでも、北朝鮮の参加を最後まで待とうとしたのである。この時点で、筆者はIOCが平昌五輪組織委員会、南北両国のNOCに水面下で働きかけているのではないかと思っていた。 なぜなら、北朝鮮には1996年からIOC委員として活動する張雄(チャン・ウン)氏がいるからだ。IOC委員はオリンピック理念を実現するために貢献する使命がある。今年一杯で退任する張委員が「最後の奉仕」として南北友好の五輪実現に努力しないはずがない。五輪運動に携わり、彼自身を見てきた筆者にはそう見て取れた。 ただ、政治が絡む問題は非常に繊細な対応が必要なのは言うまでもない。昨年6月、張委員は「スポーツの上に政治がある」とメディアに語り、統一コリアチームの実現が簡単ではないことを示唆していた。一方で「(北朝鮮と韓国の)2カ国が決めることではなく、IOC委員が話し合う問題」と断言もしていたのである。いち早く「統一コリア」を実現した日本人 実際に、金委員長の「新年の辞」を皮切りに急展開した「統一コリア」の動きは、1月20日にIOC本部で行われた平昌組織委、両国NOCとの四者会談で結実する。バッハ会長は平昌五輪に北朝鮮選手22人の参加や南北合同行進を認めたことを発表したのである。そして、五輪初の南北合同チームが女子アイスホッケーで実現することになった。 しかし、新年の辞から南北会談、四者会談という、わずか半月の流れは外交常識に照らし合わせても、あまりに早すぎ、出来過ぎの感は否めない。この急展開を冷静に読み解けば、「北朝鮮のエントリーを待つ」と事実上認めたバッハ会長の発言がサインになる。新年の辞はあくまでのろしであり、バッハ発言のあった昨年12月以降にこのシナリオが大きく動き出したとみるのが合理的だろう。2017年6月、世界テコンドー選手権が行われた韓国・茂朱で、板割りを披露するIOCのバッハ会長(共同) それは昨年6月、バッハ会長が世界テコンドー選手権の閉会式に出席するために韓国入りしたところから始まる。文在寅大統領が示した南北合同チームの結成案について、バッハ会長は文大統領の表明に感謝した上で「五輪は相互理解や対話、平和の精神に基づいている」と述べている。しかも、北朝鮮政府との交渉のキーパーソンとなる張委員は、元世界テコンドー連盟会長でもあった。名誉総裁として世界テコンドー選手権に来韓した張委員とともに、IOCは北朝鮮へのアプローチに本腰を入れたはずだ。 実際、IOCは文大統領との会談後、北朝鮮選手が平昌五輪に参加できるように支援することを確約している。この支援を決めた理事会から、IOCによる統一コリア実現への具体的アクションが始まったのだろう。 実は過去にも「統一コリア」を実現した人物が日本にいた。1991年、千葉県で開催された世界卓球選手権を成功に導いた当時の国際卓球連盟(ITTF)会長、荻村伊智朗氏である。荻村氏は実現のために、自ら北朝鮮に何度も出向いて、選手強化に励んだ。世界一を競う場で実力が違いすぎれば、チームとしてまとまらないからだ。荻村氏の努力の結果、南北の実力差は解消され、参加が実現した。南北の卓球選手はともに戦う空気が生まれ、統一旗の下で素晴らしいパフォーマンスを披露し、女子団体では強豪中国を破って優勝したのである。 この時の北朝鮮側の交渉相手が張雄委員であり、彼の統一コリアへの情熱もこの結果に結びついている。また、今回の統一コリア実現に慎重だったのも、あの世界卓球の経験があったからだ。だが、並大抵なことではないからこそ、女子アイスホッケーの合同チームも使命のために団結し、想像以上の力を発揮できる可能性がある。もし、このチームが決勝ラウンドに進むことになれば、その反響は想像を絶するだろう。スポーツが政治を利用する だが、女子アイスホッケーをはじめ、統一コリアに対して「スポーツの政治利用」「文政権の行き過ぎた北朝鮮融和策」などと批判的な意見が韓国国内でも多く聞かれる。確かに、五輪では過去にも「スポーツの政治利用」に対する批判の声が挙がったことはある。その代表的な大会が1936年のベルリン五輪だ。ナチス指導者、アドルフ・ヒトラーが国威発揚の機会として利用し、「ナチズムにオリンピックが利用された」と言われる。しかし、ヒトラーが国を挙げて作り上げたベルリン五輪の遺産が今も受け継がれていることも事実である。聖火リレー、開会式の入場行進、放鳩、これらはすべて「平和のシンボル」として継承されている。 それだけに、今回の統一コリア実現を「スポーツの政治利用」という一方的な視座で捉えるべきではない。五輪の原点とは「スポーツによる世界平和構築」である。1894年6月23日にIOCが創設されたのは、帝国主義が蔓延する欧州で世界戦争の危機を感じたからだ。古代オリンピックを復活させ、世界の若人が同じルールの下に競技することで、互いの尊敬と友情を育むことを知る機会を創出したかったのである。 また、五輪はたとえ国家間の紛争状態があっても、この祭典の期間は中断して参加しなければならないという「休戦」の思想がある。これは古代オリンピックから受け継ぐ尊い精神だ。実際、1992年のボスニア紛争で、当時のサマランチ会長は世界で初めて「五輪休戦」を訴えた。それ以降、開催のたびに国連総会でこの思想への支援決議が採択されている。 金正恩政権は長距離弾道ミサイル「火星15」発射実験を強行するなど、今も「先軍政治」を優先し、核ミサイル開発に注力する姿勢を崩していない。一方、米国も北朝鮮に対する圧力を強め、朝鮮半島の緊張は続いている。その風穴をスポーツが開けたとみることはできないだろうか。現状では、少なくとも五輪期間の「休戦状態」は確保できそうである。軍事でも外交でも解決が難しい状況の中で、五輪は政治を利用して、平和を生み出そうと努力している。韓国と北朝鮮のアイスホッケー合同チームが着るコートに付けられたワッペン(左)。朝鮮半島の右側に竹島(右端)が刺しゅうされている=2018年2月5日(聯合=共同) 統一コリアは、多くの識者が指摘するような、韓国と北朝鮮両政府が五輪を利用するために実現したのではないと信じたい。むしろ、IOCがスポーツを利用して、朝鮮半島の融和の実現に動いて結実したとみるべきである。互いに息切れしつつある文大統領と金正恩政権に「スポーツ王国の元首」が救いの手を差し伸べたというのは、言い過ぎだろうか。 平昌五輪は本当の意味で成功するのか。閉会式の最後、IOC会長は必ず「この大会は史上最高の大会であった」と高らかに宣言する。恐らく平昌五輪もそう祝うのだろう。しかし、混迷を深める現代世界では、五輪が逆に政治を利用して、平和や対話、そして和解を図る道具にしていかなければならない。統一コリアがその証になったとき、平昌五輪は歴史的成功を収めたと胸を張れるだろう。

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    貴乃花親方を阻む不倶戴天の敵

    「不倶戴天」。貴乃花親方の心中を察したとき、ふとこの言葉が思い浮かんだ。「同じ天の下には生かしておけない」。相撲協会の理事候補選挙で落選した親方は何と闘っていたのだろう。相撲道を追求する理念はもっともだが、それを阻む「真の敵」が誰か、どうも見えにくい。この騒動の核心を読む。

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    貴乃花親方が戦う「真の敵」をモンゴル人横綱は理解できまい

    ものになりつつあるが、それはあくまでも「SUMO」であって大相撲とは似て非なるものである。SUMOはスポーツであるのに対し、大相撲は神事である。このことを強く認識し、本来の伝統を堅持しようと真剣に取り組んでいるのは、貴乃花親方の他にその存在を見いだすことはできない。その全身全霊を傾ける姿には感銘を受ける。 彼は言う。 「大相撲の紋章には桜があしらわれています。桜は日本人の心の象徴で『大和心』を意味しています。だから大和心の正直さ、謙虚さ、勇敢さでもって大相撲に命懸けで取り組まなければなりません」 相撲道をとことん極めようとする彼の生き方は、厳しい修行に打ち込む求道者にも似たものがある。他の民族には理解できない 昨今の大相撲を取り巻く事件や醜聞が日本中を席巻している。マスコミはおもしろおかしく報道し、相撲協会と貴乃花親方との対立、不和を煽っている。しかし、私見ではあるが、これは貴乃花親方と相撲協会との確執ではなく、対白鵬に向けられた「追放儀式」と思えてならない。 前段で述べてきた大相撲の神聖性や格式に於(お)いて、その欠片(かけら)も見られない白鵬の言動に業を煮やした貴乃花親方が仕掛けた大相撲維新であり、復古戦である。白鵬は日本の文化と伝統を内在する大相撲に於ける最高位たる横綱には不適格者である。遊牧民族のモンゴル人は「力こそ正義である」と信じて疑わない。厳しい大自然の中でそれと対峙(たいじ)し、闘い続ける力を持つ者が最も立派であり、尊敬される。最も評価されるのは「力」であり、年齢や階層には重きを置かない。 白鵬は、横綱の品格とは何かと問われ、「勝つことが品格だ」と答えている。負けた一番について「小さな子どもでも分かる判定ミスだ」と嘘ぶく。直近の例では、敗れた直後の土俵で、実は「待った」だったと手を挙げて抗議し、土俵に上がろうとしなかった。千秋楽の優勝インタビューでは観衆に萬歳(ばんざい)三唱を強要する。このような下劣な言動は何なのか。まるで「傍若無人の独裁横綱」である。大相撲は日本国籍を有しないと親方にはなれない。しかし、彼はモンゴル籍のままで自分だけは親方になれる特例を求めていたという。やりたい放題である。厳しい表情で年寄総会に臨む貴乃花親方 =2017年12月27日、東京・両国国技館 これは妄想だが、モンゴル出身力士の中で唯一、思い通りにならない貴乃花部屋の貴ノ岩が日馬富士に殴られたのも、実は白鵬が黒幕だったのではないか。照ノ富士は致命的なケガを膝に負っているにもかかわらず、正座を強要されたという。あの鳥取の夜、貴ノ岩が殴られたのは、説教の度を超えた白鵬の命令を素直に受け入れなかったからではないか、とさえ思えてくる。繰り返すが、これはあくまで筆者の妄想である。 大和民族は大自然と共生することを目的にそれを徳とし、この自然界のありとあらゆるものを神として崇(あが)め、拝み、その恵(めぐみ)に感謝し、貝塚を作り、その小さな生命(いのち)を頂いたことにも慰霊する。この気高き精神の輝きは、自然界を勝手に食い散らかしてきた他の民族には到底理解できないだろう。 貴乃花親方が真に戦う相手は、相撲協会ではなく、その地位や名誉でもなく、ただ相撲道を汚す許し難い横綱に対してのものなのである。

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    「白鵬を切れ」貴乃花親方が許せなかった相撲協会の及び腰

    」を、「金の勘定」によって置き換えてしまうのが、世間でいう八百長である。 大相撲の世界は、世界のどのスポーツにも引けを取らない猛稽古によって支えられている特殊世界である。その中で強い精神と肉体を作り上げ、すぐれた技芸を身に付けた者が関取となる。関取は特権階級であり、さまざまな有形・無形の特典を享受するとともに、日本の伝統の重要な一部である大相撲を支え継承する社会的責任を持つ。 力士であっても社会的常識がなくてはいけないのは当然のことである。その一環として「暴力はいけない」というのは、本来力士に対して言わずもがなのことなのである。心技体を鍛え上げた力士は、社会に対して範を示すべき存在であり、「暴力はいけない」といった世間並みの説教によって力士をおとしめてはいけない。改革に反するモンゴル力士の「交流」 私は大相撲改革はまず自覚の問題だと思う。相撲協会としての姿勢、理事長や理事による親方の指導、親方による力士の指導、そのための意識改革と、相撲部屋と一門を中心とした協会の構造改革が必要である。相撲界という特殊世界に対する一般大衆による適切な認識は、意識改革に伴ってついてくるものであろう。 結局、このような改革に反するのが、一部モンゴル力士による部屋と一門を越えた「交流」だったのではないだろうか。その頂点にある白鵬に対して、協会はなすすべなく、美しくない相撲と不適切な言動を許してきた。今回の問題で明らかになったのは、白鵬の増長に象徴される国技の危機であり、その背景にある協会の長年にわたって解決されない問題であり、横審も危機管理委も協会の御用機関に留まっている。短期的な興行上の配慮によって、危機に対して気付かぬふりをしてはならないのである。 だが、私は外国出身力士が大相撲を豊かにしていると感じている。特に、モンゴル出身の白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱が大相撲の伝統をつないでくれたことをありがたいことと思っている。伝統芸能を支え神事を体現する横綱ならば、ぜひとも日本の国籍を取って、引退後も協会に残って大相撲の継承・発展に貢献してほしいと願ってきた。 大相撲の伝統を守るにふさわしい力士といえる、日馬富士が引退に追い込まれ、貴ノ岩は被害者として大きなダメージを受けた。最近の美しくない相撲と不適切な言動によって、大相撲の伝統をおとしめ辱めてきた白鵬に対して、興行上の配慮から協会は及び腰である。ではどうしたらよいのだろうか。 貴乃花親方は立場上「白鵬を切れ」とは言えない。白鵬が大相撲に対する大変な功労者であることは否定できないからだ。白鵬は相撲協会における自らの立場を強化するために、モンゴル力士を糾合するまでもない。長年第一人者として大相撲を支えてきた白鵬の貢献は大きく、相撲協会に対する影響力が大きいことは、誰でもわかっているだろう。だからこそ、白鵬には大相撲への高い見識を求めたい。そのためには白鵬に対して強い指導力を発揮する者が必要である。それが誰であるか、私の目には明らかである。2012年1月、土俵祭りに出席した貴乃花親方(手前)と横綱白鵬=両国国技館(今井正人撮影) 日馬富士は、幕内最軽量でありながら、厳しい鍛錬によって小よく大を制すという、大相撲の醍醐(だいご)味を味わわせてくれた立派な横綱だった。その「全身全霊をかけて」という大相撲への取り組みは、大きな称賛に値する。暴力をふるってしまったので引退は仕方ないとはいえ、大相撲への多大な貢献にかんがみ、いつか復権してほしいと心より願っている。 戦後の大相撲は、あの大横綱双葉山の時津風理事長の時代、栃錦の春日野親方を若乃花の二子山親方が支え「第二の栃若時代」と言われた春日野理事長の時代、そして若貴フィーバーによって空前の大相撲ブームを巻き起こした出羽海理事長(のち境川理事長)の時代を経ながら、発展してきた。これらの時代を知るものとして、大相撲の現状と今後について強い懸念を持っている。 北の湖前理事長以降、開かれた日本相撲協会としての体裁を整える中で、協会とともに「国技」が軽くなってきた印象はぬぐえない。これからの大相撲と協会について、また協会と大手メディアや世間一般との関係について、あるべき姿をもう一度考え直す必要がある。そのための契機になるならば、今回の問題によるさまざまな犠牲も意味があったのかもしれない。

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    私が聞いた「モンゴル互助会」と相撲協会の黒い噂

    山岡俊介(ジャーナリスト) 貴乃花親方が日馬富士の暴行事件の報告を怠ったとして解任されてわずか1カ月ほどにも関わらず、今回、理事候補選に出馬したことに違和感を持たれる読者もいるかもしれない。 しかし、貴乃花親方は、横綱日馬富士(当時)による弟子の貴ノ岩に対する傷害事件の本質は、モンゴル人力士による「モンゴル互助会」からの八百長の依頼を断ったことに対する報復としての「集団リンチ」とみている。 ここに来て、昨年末の臨時理事会に提出したが無視された、貴乃花親方が貴ノ岩に聞き取りなどして自らの主張をまとめた通称「貴文書」が流出。暴行時、日馬富士はビール瓶どころかアイスピックを手に「殺してやろうか!」と言ったというし、同席していた白鵬の対応も、協会の報告書とは大きく異なっている。 私は貴乃花親方と事件後も交流のある関係者から、暴行の始まる前、「日馬富士は『八百長をOKすれば、お前を横綱にだってしてやる』といわれ、貴ノ岩は『そこまでして横綱になりたくありません』と答えた」とも聞いている。 貴ノ岩は本場所で白鵬に勝った(昨年初場所)が、白鵬はそのかなり前から貴ノ岩は地力があるとみて警戒し、関係者が貴ノ岩に何度も連絡して来ていて、貴乃花親方は、それを八百長への誘いとみて断らせていたそうだ。鳥取県警の再聴取を受けるため、鳥取に向け出発する元横綱日馬富士関=2017年12月、羽田空港 ところが、日本相撲協会にしてみれば、その事件の本質が表に出れば、日馬富士だけでなく、現場で傍観していた白鵬、鶴竜と横綱3人が一挙に辞任を余儀なくされ、そうなると興行そのものが成り立たなくなることから、高野利雄危機管理委員長(元名古屋高検検事長)と一緒になって逆に事件の隠蔽(いんぺい)に走り、協会への報告義務などを怠ったとの理由で自分を解任したとみているそうだ。 貴乃花親方にしてみれば、自分の属する組織に自浄作用がないから警察に頼ったまでであり、自分にはまったく非はないと考えている。 それどころか、相撲を愛する貴乃花親方は、そうした組織は一刻も早く改革しなければならない、それも内部からということで、そのためには発言力を付ける必要があるから時を置かず、理事候補選に出たわけであり、それに何の矛盾もない。八角理事長の恐怖政治に怯える親方たち もっとも、今回、貴乃花一門から貴乃花親方、それに阿武松親方(元関脇・益荒雄)の2人が出馬したことに対し、貴乃花親方のこの間の協会への徹底した非協力的な態度に一門内でも「分裂」した結果との見方もあるが、そんなことはない。 候補者を2人立てた理由は二つあり、一つは、たとえ貴乃花親方が当選しても、協会とつるむ評議員会(元文科副大臣の池坊保子議長)が認可しない可能性が十分あり得るとみていたからだ。本当にそうなっても、阿武松親方が当選すれば、彼を通じて貴乃花親方の意向を反映できるように「保険」を掛けたわけだ。 もう一つの理由は、貴乃花一門が2人立てなかったら、理事は定員10人のところ、10人しか立候補者はなく、無風選挙になるところだった。各一門、相変わらず「談合」で出馬を決めており、2010年2月、貴乃花親方が二所ノ関一門を離脱して立候補し、無風選挙の慣例を破った「貴ノ乱」以降、4期連続選挙になっているわけで、何としても再び無風選挙にしたくないという思いもあってのことではないか。 もっとも、貴乃花一門の確定票数は昨年末、無所属になった錣山親方(元関脇・寺尾)ら3人を入れても11票。当選には1人あたり9~10票必要であることを思えば、2人当選は非常に厳しいとの見方が専らだった。しかし、若手を中心に改革を目指す貴乃花親方を密かに支持する親方は一門外に相当数おり、理事候補選が実施されるまでは、勝算があると考えたからこそ2人立てたのだろう。 ただし、1人しか当選しない場合は阿武松親方の方が通らないと評議員会の未承認があり得る。結果的に貴乃花親方は2票にとどまり落選したが、一門内では当初、阿武松親方6票、貴乃花親方5票で調整していたのだろう。 最後に、貴乃花親方がどのような改革を目指しているかについてだが、八百長一掃のために現在の年6回の本場所回数を減らすほか、負傷の場合、翌場所も同じ地位にとどまることができる「公傷制度」の復活なども視野に入れていると聞く。 それから、こんな八角理事長体制に多くの親方が従うのは、「正論」を貫く貴乃花親方を徹底してイジメ抜く、恐怖政治に怯えてのことだろうが、その一方で、一部の幹部や取り巻きは「利権」に預かっているからでもある。2016年3月の横綱審議委員会に出席した八角理事長(右から3人目)、貴乃花理事(同2人目)ら=両国国技館(今野顕撮影) 貴乃花親方はその利権について、余剰金、親方の退職慰労金など総額200億円ともいわれている協会資金の流用疑惑といった不正の可能性があるとみており、それにメスを入れて行くつもりもあるようだ。

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    貴乃花親方の理念はどうすれば実現できるか

    春日良一(スポーツコンサルタント) 2月2日に行われた公益財団法人日本相撲協会の理事候補選挙は、注目を一身に集めた貴乃花親方が落選した。苦戦が予想されていたとはいえ、貴乃花親方の投じた一石が実らなければ、大相撲の未来はそれほど明るいものにはならないだろう。2018年1月、新十両昇進を決めた貴公俊の記者会見に臨む貴乃花親方=東京・両国国技館 元横綱日馬富士の暴行事件に始まる一連の流れを冷静に見れば、大相撲の抱えているガバナンス(組織統治)の欠陥に貴乃花親方が挑んでいたことだけは確かである。愛(まな)弟子が暴行を受けたとすれば、それを訴えるのは当然だが、そのような「事件」をうやむやにする体質が相撲協会にはあり、それを十分知り尽くしている貴乃花親方が法的処置を優先し、警察を通して相撲協会に報告が届く戦術を取ったのも、その証左であろう。 巡業部長が事件を報告しなければならないと同時に、愛弟子を守る親方としての倫理的行動が優先されるのは当然といえば当然である。なぜなら、相撲協会のルールは協会内部を統括する規定であり、暴行事件はそれよりも大きな社会、つまり和集合における問題であるからだ。 貴乃花親方が理事会に提出した報告書(貴乃花文書)の内容が明らかになり、そこには八角理事長や尾車、鏡山、春日野の各理事から「内々で済む話だろう」と被害届の取り下げを貴乃花親方に執拗(しつよう)に要請した事実が記載されている。これまでも相撲協会は社会的問題になりそうなトラブルが起これば、理事会がその都度、内々に「事なかれ」にしてきたことが推察できる。 それは私自身の経験からも、肌感覚で分かる問題である。かつて私は、日本体育協会という公益財団法人(当時は財団法人)の職員であった。1989年に日本体育協会から日本オリンピック委員会(JOC)が独立し、オリンピック運動推進と競技力向上を二本柱としてスタートするまでの十数年、協会に籍を置いた。ちなみに、JOCに日本体育協会(体協)から完全移籍したのは91年のことである。 体協は「みんなのスポーツ」運動を推進するが、この両団体ともスポーツ振興法(現スポーツ基本法)に定められたスポーツ界、唯二の特定公益増進法人であり、スポーツに関する寄付金の免税を享受できる希少団体であった。その二つの公益財団法人に身を尽くした経験から相撲協会の混迷がリアルに想像できるのである。 体協からJOCが独立するきっかけは、88年ソウル五輪の日本代表の低迷であった。金メダルが4つという厳しい結果にスポーツ界が声を上げ、「国民体育振興」を標榜する体協から独立して選手強化に集中するという建前だったが、実はJOCの本音はそうではなかった。 それは80年のモスクワ五輪不参加という、嘉納治五郎初代体協会長(講道館創始者)が築いた日本のオリンピック運動への不名誉に対する呵責(かしゃく)にあった。「オリンピックは参加することに意義がある」という理念を裏切った歴史的教訓を生かすために、当時の体協若手理事らが独立後のJOCの構想を練り、時を待っていたのである。それは日本のスポーツ史に残る「革命」とも言っていい出来事であった。スポーツ団体に派閥ができるワケ 80年当時のJOCは、体協の一組織という地位でありながら、国内唯一のオリンピック委員会として、日本代表の顔も持つアンビバレンツ(二律背反)な存在であった。体協は、当時会長だった河野謙三元参院議長が政治的パワーを駆使し、スポーツへの国庫補助金を増大させた実績を持つ組織だった。 1979年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するという名目で、時のカーター米大統領がモスクワ五輪ボイコットを自由主義圏に要請した。日米同盟を重視する大平正芳内閣は、伊東正義官房長官を体協理事会に派遣し、JOCがモスクワ五輪の不参加を表明するよう圧力をかけたのである。このとき、志あるJOC役員らは強硬に参加を主張したが、「君たちはもう日本のスポーツ界に金はいらん、というのか」という河野会長の恫喝(どうかつ)にひるみ、結果として不参加を決めた。この問題はマスコミにも大きく取り上げられたが、時のJOC体制派は世論に耳を傾けることよりも、大平政権の意向に従うべく調整を図る方向に動いたのである。 当時の若手理事の筆頭には、堤義明氏(コクド社長、アイスホッケー、スキー)や岡野俊一郎氏(サッカー)、古橋広之進氏(水泳)、笹原正三氏(レスリング)、松平康隆氏(バレー)、上田宗良氏(ホッケー)など、日本のスポーツ界を牽引した顔触れがそろっていた。むろん、彼らも五輪参加の志はあったが、体制派の前では本心を隠し、沈黙せざるを得なかった。1980年5月、JOC臨時総会後、モスクワ五輪の不参加を発表する柴田勝治委員長(中央)。右は岡野俊一郎氏=東京・渋谷の岸記念体育館 つまり、89年に誕生した新生JOCは「スポーツの自律」を守るという、五輪精神を体現する意味もあったのである。これは貴乃花親方が日馬富士暴行事件以来、相撲協会という旧態依然の組織と対峙して改革を訴えたのと重なる。 どういうわけか、スポーツ団体には必ず「派閥」が生まれる。それは、各スポーツで頂点を争った競技者たちが、そのスポーツとともに一生を遂げたいという心が遠因であるような気がしてならない。スポーツの世界では現役を引退すれば、それぞれ第二の人生を歩む。そして、ある程度の年齢になると、競技団体から役員就任の声が掛かり、自らが切磋琢磨(せっさたくま)したスポーツの振興に尽くそうとする。しかし多くの場合、役員は無報酬であり、いわば「手弁当」で団体運営を支える。濃淡はあれど、個々の思いで団体に関わり続けるのである。 競技団体は、選手強化や競技普及という目的を実現する「機能集団」であると同時に、ボランティア精神が支える「共同体社会」にもなる。そして、人の好き嫌い、相性の良し悪しでグループができ、いつしか組織のトップに立つという野心が芽生える。すると、そのグループは次第に結束を強め、「派閥」を形成していくのである。 スポーツ団体の役員改選は、2年に一度行われるのが通例である。むろん、どんな組織でも同じだが、その都度トップの座に誰が座るのか、役員同士の駆け引きが始まり、そこに派閥が絡んでいく。多くの場合、現体制を受け継ぐか、それに対抗する反体制派かで大きく分かれるが、仮に複数の派閥が絡んでいたとすれば、派閥同士の勢力バランスを意識しながら、役員改選が行われる。それはJOCも同じであり、過去には会長人事をめぐる「派閥抗争」が表面化したこともあった。結局好きか嫌いか 以上のことから鑑(かんが)みるに、今回の相撲協会理事選挙も同じように派閥抗争があったようである。体制派の筆頭である八角理事長に、反旗を翻した貴乃花親方という構図は分かりやすいが、水面下ではさまざまな駆け引きがあったことは想像に難くない。 むろん派閥同士の争いは、メディア操作も意識する。かつては怪文書が主流だったが、今の時代はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)もある。どのようにメディアを利用するか、その戦術も頭にはあっただろう。春日野部屋の暴行事件隠蔽(いんぺい)も、なぜこのタイミングだったのか、誰もが思うところはあったのではないか。 こうした暴露合戦は、スポーツ団体では起こりやすい。JOCの場合、理事選出の際にはプロジェクトチームが組まれて、ある意味大っぴらに「根回し」が行われるが、大相撲にはこうしたプロセスがないので、メディアを利用した暴露合戦が散見される。テレビのワイドショーなどでは、理事が立候補演説などで自分の施策を述べれば、投票がしやすいという趣旨の発言をするコメンテーターもいたが、スポーツ界は「論理」よりも「好きか嫌いか」で左右される世界である。2018年1月、報道陣に囲まれる大砂嵐(右から2人目)=東京・両国国技館 「貴乃花親方の理念についていく!」ではなく、それが正しいかどうかでもなく、結局は親方が好きだから投票するのである。それがスポーツ界の派閥が形成される「第一原理」であるとも言える。大相撲全体のことを考えれば、必ずしもライバルの弱点を暴露することが良い方向に行くとは思わないが、この派閥争いに勝つための手段として、好きな親方のために悪手を選ばざるを得ない場合もあるのだろう。 混迷を深める大相撲であるが、もっと大きな問題はこれだけ不祥事があっても満員御礼が続いているという事実である。つまり、どんなに不祥事が発覚しようと、相撲は大多数の国民に受け入れられている。だから「事なかれ」でいいという結論になってしまう。とはいえ、健全なスポーツとして大相撲を普及させるという観点からみれば、今の状況が望ましいとは言えない。 この問題の核心は管理運営(アドミニストレーション)に対するプロフェッショナリズムの欠如にあると言える。大相撲の運営は、ある意味スポーツの理想形かもしれないが、引退した力士(年寄)が協会の仕事に就いて運営する形式である。確かに相撲のプロではあったかもしれないが、実際の運営能力についてはどうであろうか。  五輪関係組織の場合、役員と職員のバランスを保つことが肝心となる。例えば、体協職員は日本のスポーツ振興を担う唯一無二の組織であり、プロフェッショナルとしてその実務に使命をもって臨まなければならない。JOC職員はオリンピック運動普及を担う唯一無二のプロフェッショナルとして邁進(まいしん)しなければならない。それぞれの役員は、プロである職員の用意したシナリオを理解し、それを実行すべく会議で発言し、公の場で行動に移していく。使命を果たす気なければ「ただのサロン」 JOCであれば、オリンピック運動のための施策を役員が示し、それに職員がこれまでの知識、経験、情報を基に議論し、行動計画を策定して実行に移すプロセスが最も理想的な関係である。私の場合、最もうまく機能したのが、荻村伊智朗JOC国際委員長(国際卓球連盟会長)の時であり、彼との蜜月関係が長野冬季五輪招致の成功やアジアスポーツ界の分裂回避、そして東アジア会議創設などにつながった。 しかし、このような成功例は一方で、役職員がその使命を果たそうと思わなければ、それは「ただのサロンの集まり」と化す危険性もはらんでいる。言い換えれば、地位にさえ安住していれば、そこで起きたトラブルは、仲間同士でうまく解決することを優先してしまう。つまり、事が起こること自体を回避するのが目的となってしまう。今の大相撲はまさにこの悪循環ではないだろうか。 日本相撲協会は役員もかなりの高額報酬を得ていると聞く。報道によれば、理事で年収2100万円。お金も名誉も手に入れれば、そこに安住したくなるのが人情というものである。今後は、真摯(しんし)に「相撲道」を追求するという協会の目標に向かって、無報酬でも取り組む人材で理事会を構成し、事務局強化に資金を投じることを考えるべきではないだろうか。大相撲初場所を終え、横綱審議委員会に臨む八角理事長(右から2人目)ら日本相撲協会執行部=両国国技館(田村亮介撮影) また、相撲協会の定款には「目的」の一つに「国際親善活動」が明記されている。この活動にもっと精力的に取り組めば、世界への普及という新たな視野が開け、密室的な相撲協会の体質改善になるだろう。外国人力士が増えてきた今こそ、彼らを大相撲アンバサダーとして海外に派遣し、相撲の普及を図り、日本の精神を世界に広める活動に力を注ぐべきである。 言うまでもないが、JOCの場合、オリンピック競技大会が「世界平和構築」運動という理念の場に参加するのが目的である。そこに参加する各競技の選手役員は、自身の競技だけではない「次元を超えた体験」をし、その意志を目覚めさせる。 大相撲は日本の伝統的国技であり神事でもあるが、一方でスポーツとしての価値も追求すべきだろう。詳しくはまた別の機会をいただきたいが、かつて私は世界の格闘技を研究し、相撲ほど格闘技の粋を圧縮したものはないと思っている。「総合格闘技の頂点」として、大相撲のあり方も相撲協会再生のヒントになれば幸甚である。大相撲を救うのは、世界への視野と行動しかないのかもしれない。

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    「栃ノ心優勝」を喜ぶ前に必要な相撲界の大手術

    赤坂英一(スポーツライター) 大相撲初場所は西前頭3枚目の栃ノ心が初優勝を飾った。ジョージア出身の力士としてはもちろん初めてで、平幕優勝は1場所15日制が定着した1949年夏場所以降、2012年夏場所の西前頭7枚目・旭天鵬以来6年ぶり。栃ノ心が所属する春日野部屋では1972年初場所の初代・栃東以来、実に46年ぶりのことで、歴史的快挙と言ってもいい優勝だった。初場所優勝から一夜明け、笑顔の栃ノ心=2018年1月29日、東京・墨田区の春日野部屋(撮影・田村亮介) 青い目を潤ませながら「きょうは最高の日です。うれしいです」と語った栃ノ心の優勝インタビューを見て、胸が熱くなったテレビ桟敷のファンも多いだろう。2006年春の入門から12年目、手塩にかけて育て上げた春日野親方(元関脇・栃乃和歌)が感涙にむせんでいたのも無理はない。が、愛弟子がこれほど感動的な優勝を飾ったいまだからこそ、一般社会に対してはっきり説明しておかなければならないことが、この親方にはあるはずだ。 初場所の最中、過去に春日野部屋で力士による暴行事件が発生していた事実が明らかになった。2014年、兄弟子(現在は引退)が弟弟子の矢作嵐さん(22歳)に殴る蹴るの暴行を加え、顎を骨折させるなど全治1年6カ月の重傷を負わせたものである。病院で治療を受けたいと言う矢作さんに対し、春日野親方は「冷やしておけば治る」などと言って部屋のかかりつけの整体治療院へ行くよう指示。その後、矢作さんが病院で診察を受けると、即座に手術を受けるようにとの診断が下り、現在も味覚障害などの後遺症が残っているという。 矢作さんは約1カ月後、兄弟子を傷害容疑、春日野親方を保護責任者遺棄容疑でそれぞれ刑事告訴。兄弟子は16年に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が確定し、春日野親方は不起訴処分になった。春日野親方は相撲協会理事長・北の湖親方、危機管理部長・貴乃花親方、広報部長・出来山親方(いずれも当時)には報告したと話しているが、協会は一連の事実を一切公表していない。こうした対応に納得できなかった矢作さんは、17年3月22日付で、春日野親方と兄弟子に3000万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。 当然のことながら、同じ春日野部屋にいる栃ノ心もこの事件を知っていたはずだ。それ以前に、栃ノ心自身、春日野親方に手ひどい暴行を受けているのである。矢作さんの事件より3年前の2011年、親方は栃ノ心ら3人の弟子を拳に加え、ゴルフのアイアンで殴打。部屋に警視庁本所署の捜査が入り、グリップの折れたアイアンが発見された。親方は任意の事情聴取に、「外出の際に着物を着るよう何度も注意したが、言うことを聞かないので殴った」と証言。記者会見にも応じ、「正直、やり過ぎたと反省しています。弟子たちには、もうげんこつは入れないと言いました」と、殊勝にコメントしていたものだ。相撲協会に必要な大手術とは この事件は、栃ノ心らが被害届を出さなかったため、これで沙汰止みになった。被害者のひとり、栃矢鋪は本所署の事情聴取に対し、「自分たちが悪かったのだから被害届は出しません」と語ったと報じられたが、果たして真相はどうだったのか。それから僅か3年後に矢作さんが兄弟子に顎の骨が折れるほどの暴行を受けたことを考えると、春日野部屋では依然として恒常的に暴力が振るわれていた可能性もある。 相撲界では2007年、時津風部屋で斉藤俊(当時17歳、四股名:時太山)が時津風親方や兄弟子の暴行によって死亡。親方をはじめ加害者4人が傷害致死容疑で逮捕され、親方には懲役5年の実刑判決が下った。この事件のあと、北の湖親方は自ら文科省に出向いて謝罪し、「再発防止委員会」を設立。協会を挙げて暴力や体罰の根絶に取り組んでいたはず。時津風部屋では金属バットが凶器に使われていたことから、竹刀や木刀を持って指導に当たっていた親方たちには、そのような凶器になる物を稽古場に持ち込まないようにとのお達しも下った。 しかし、現実には4年後の11年、バットではなくアイアンで、春日野親方が栃ノ心らを殴っていたのだ。その3年後の14年、今度は矢作さんが兄弟子の拳骨で顎を骨折させられていた。原因も状況も異なるとはいえ、貴ノ岩が日馬富士にカラオケのリモコンで、頭が割れるほど殴られた事件も、そうした過激な暴力を容認している角界独特の雰囲気が生み出したような気がしてならない。会見に臨む春日野広報部長=2018年2月1日、両国国技館(撮影・山田俊介) 栃ノ心の優勝は確かに感動的だった。が、それでは、感動したファンが、自分の子供が相撲取りに憧れているからといって、春日野部屋に入れたいと思うだろうか。相撲協会は遅まきながら、文科省の指示を受け、全力士から暴力問題に関する聞き取りを行うというが、どこまで徹底した調査が行われるのか。これまで相次いだ不祥事の事後処理を見る限り、甚だ疑問と言わざるを得ない。 同じ公益財団法人の全柔連は2013年、セクハラ、パワハラ、金銭問題などで理事が総辞職した。相撲協会も同じくらいの〝大手術〟が必要なときに来ているように思う。あかさか・えいいち スポーツライター。1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒。日刊現代・スポーツ編集部記者を経て2006年独立。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園――記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)、『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)、『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

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    相撲協会理事選 注目すべきは親方株の所有者

     日本相撲協会では、2年に一度の理事選が近づくと、存在しながら誰も襲名していない“空き株”を襲名するためにベテラン力士の引退が相次ぐのが慣習だ。ただし、引退した力士が親方となった時、自らの意思で理事選に「1票」を投じられるとは限らない。「借株」という慣習の存在が、事態を複雑にする。一月場所が終わり開かれた横綱審議委員会(左から)山内昌之委員、杉田亮毅委員、岡本昭委員、北村正任委員長、宮田亮平委員、勝野義孝委員(右手前から)芝田山親方、鏡山親方、八角理事長、尾車親方、春日野親方、藤島親方=2018年1月29日両国国技館(撮影・田村亮介)「相撲協会が2014年に公益財団法人化された際、年寄株の売買は表向き禁じられました。しかし、実態としては退職した元年寄などが所有権を持ったまま、後継者から指導料などの名目で“家賃(名跡使用料)”を受け取っているケースがある。それが『借株』です」(若手親方の一人) たとえば、昨年末に翔天狼が襲名した「春日山」は、借株であるために大トラブルに発展した過去を持つ年寄株だ。 先代の春日山親方(元前頭・濱錦)が、先々代の春日山親方(元前頭・春日富士=故人)から借りていた年寄株を買い取る交渉が決裂し、法廷闘争に発展。2016年8月、東京地裁は元濱錦に名跡証書を受け取る対価として1億7160万円を支払うよう命じている(高裁で和解)。「億単位の額を一度に払える引退力士はほとんどいないので、多くが借株となる。借株の場合、理事選の投票では“所有権”を持つ人物の意向が優先されるのです。 今回の元翔天狼が継承した『春日山』も借株で、元春日富士の遺族が所有しているとされます。翔天狼は出羽海一門の力士でしたが、春日富士は時津風一門の力士だったので、この『1票』は時津風一門のものになる。しかも、春日富士の遺族の意向で反貴乃花サイドの票に回されると見られます」(ベテラン記者) つまり注目すべきは残る空き株の“所有者”なのである。残る5つある空き株のうち3つは、現役力士が所有している。混沌とした勢力図「押尾川」は尾車部屋(二所ノ関一門)のベテラン力士・豪風(前頭13)が、「秀ノ山」は佐渡ヶ嶽部屋(二所ノ関一門)の元大関・琴奨菊(前頭2)、「安治川」は先場所幕内に返り咲いた伊勢ヶ濱部屋の安美錦(前頭10)が所有する。「残る『間垣』は時津風部屋に所属した元小結・時天空の遺族が、最後の『熊ヶ谷』は元十両・金親(2015年、暴行事件で協会解雇)の所有とされています」(同前) これら空き株が、借株として理事選における「1票」に変わっていくことで、協会の勢力図が少しずつ書き換えられていくのだ。「執行部が警戒するのは『秀ノ山』と『間垣』の行方です。前者は所有する琴奨菊の師匠である佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)が貴乃花親方に近いし、昨年1月に悪性リンパ腫のため37歳で亡くなった時天空も、師匠だった時津風親方(元前頭・時津海)は貴乃花グループとみられています。この2つの空き株が貴乃花親方サイドの『1票』に変わることを八角理事長陣営は全力で防ぎにいくはず。初場所の土俵なんかに、構っている暇はないのです」(同前)貴乃花親方と春日野親方(右)=2017年11月30日午後、東京・両国国技館(撮影・大橋純人) 空き株に限らず、借株が存在することで情勢はより混沌としてくる。幕内上位の力士が、引退前に年寄株を取得し、その株をすでに引退した元力士に貸すケースもあるのだ。「田子ノ浦部屋(二所ノ関一門)の横綱・稀勢の里が所有する『荒磯』は、元前頭・玉飛鳥が借株として襲名し、同じ一門の片男波部屋の部屋付き親方となっている。こういうふうに同じ一門内での貸し借りなら話はシンプルだが、一門をまたいだ貸し借りは意図が訝られることになる。 たとえば八角理事長(元横綱・北勝海)のいる高砂一門に属する九重部屋の千代鳳(幕下9)が所有する『佐ノ山』は、時津風部屋の元前頭・土佐豊が借株で襲名して部屋付き親方になっている。時津風親方と貴乃花親方が近いとされるため、そのパイプは九重親方(元大関・千代大海)にもつながっていると考えられるわけです」(協会関係者)関連記事■ 相撲協会理事選が近づくとベテラン力士引退が相次ぐ事情■ 花田景子さんの手腕で貴乃花支持拡大 親方衆の約半分確保か■ 暴行事件被害者・貴ノ岩 心の拠り所はおかみさん・景子さん■ 貴乃花親方がいじめられ、小泉進次郎氏がいじめられない理由■ 貴乃花理事解任で揺れる角界 そもそも「一門制」とは?

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    「松坂世代」があまりに切ない

    かつて球界を席巻した「松坂世代」も今は昔。世代を代表する松坂大輔は入団テストを経て、中日での再出発がようやく決まったが、去就が決まらず正念場を迎えた現役選手は他にもいる。オフに巨人から戦力外通告を受けた村田修一もその一人である。黄金世代と呼ばれた彼らに活躍の機会は訪れるのか。

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    「松坂世代」村田修一の移籍先がいまだ決まらない理由

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人から自由契約となった内野手、村田修一の移籍先が決まらず、その去就に注目が集まっている。巨人から戦力外通告を受けた村田修一内野手= 2017年10月16日、川崎市のジャイアンツ球場 村田は昨季、ケーシー・マギーの加入もあって先発三塁手の座を失い、苦しいスタートを切った。それでも交流戦に入り、指名打者で出場機会が増えると徐々に復調。夏場以降はマギーが二塁、村田が三塁に入り、規定打席には達しなかったが100安打を記録した。十分にまだ活躍できることは実証したが、オフになって「戦力外通告」を受けた。おそらく本人も周囲も想像しなかった処遇だろう。二度目のフリーエージェント(FA)権を取得し、村田自身に次の選択権があるとぼんやり感じていたのではないか。ところが、巨人の判断は厳しいものだった。 鹿取義隆ゼネラルマネジャー(GM)は「苦渋の決断だった」としながらも、自由契約の方が選択肢は広がるとして、むしろ温情ある措置だと説明したが、結果的に現在まで村田の新たな活躍の場は見つかっていない。当初は複数球団が「興味を示している」と報じられたが、数日のうちに立ち消えとなり、ロッテの井口資仁新監督なども、上げた手を下ろす格好になった。 一方、同じ世代の松坂大輔は、ソフトバンクからコーチ兼任での残留を打診されたが、本人の意向で退団。中日から入団テストの機会を与えられ、無事に合格して入団の運びとなった。 年俸は1500万円。「最も稼いでいたころの3日分」と表現する報道もあったが、松坂にとって年俸の多寡は今や問題ではない。勝負できる環境、もう一度マウンドに上がるチャンスを得ることが何よりだ。 過去3年間で1度しか出場できず、しかもすぐ降板した松坂にチャンスが与えられ、シーズン100安打を放った村田に活躍の場が与えられない。普通に考えたら、おかしな現象だ。なぜ村田はそれほど敬遠されるのか? 理由をいくつか推測しよう。 既に37歳。それほど先がないのは明らかだ。それならば、何らかのプラスアルファが重要だと球団や監督は考える。かつて、峠を越えたと誰もが判断していた落合博満を巨人がFAで獲得したとき、長嶋茂雄監督に取材すると、反対意見は意に介さず、「数字は関係ありません。ダイヤモンドにもう一人の監督が立っている。それが大きい」と、落合獲得の理由を教えてくれた。実際、落合は秋に入って失速し、2位の猛追を受けたとき、自らナインを招集し、ミーティングを開いて鼓舞した。それをきっかけに巨人が息を吹き返したと伝説的に語られている。 阪神から古巣広島に戻った新井貴浩なども、その泥臭く懸命な姿勢で若い選手に無言で火をつけており、その功績は大きいと評価されている。村田にはそのような姿勢、リーダーシップの評価が薄い。むしろ、入団しても思い描いた活躍の場が与えられなければ、不満分子の火種になるかもしれない。それならば、若い選手を登用し、すぐに活躍できなくてもチャンスを与える方が夢があると球団が判断するのは当然だろう。余ったプロ野球選手の行方 松坂は、甲子園のカリスマであり、日米での輝かしい実績がある。そして、常に野球に対して懸命な姿勢を貫いてきた。森繁和監督はじめ、中日スタッフに西武時代の恩人や仲間が多く、彼らに松坂自身が信頼されていることがチャンスを得た大きな要因だろう。 もう一つ、投手と内野手の差もある。どの球団も、投手には多くの枠を割いている。内野のポジションは4つもあるのに、内野手は投手より少ない。松坂がもしまた登板できなくても、登板して大活躍する可能性のために一人確保できるポジションなのだ。高校野球第3回アジアAAA野球選手権大会結団式。日本選抜チームに選ばれた投手陣。前列左から松坂大輔(横浜)、寺本四郎(明徳義塾)、久保康友(関大一) 後列左から 新垣渚(沖縄水産)・村田修一(東複岡)・杉内俊哉(鹿児島実)・上重聡(PL学園)=平成10年8月撮影 実は高校時代、村田もエース投手だった。甲子園で快投を演じる松坂を見て、投手としてはまったく松坂にかなわないと判断し、進学した日大で打者に専念したという。 松坂は、打撃でも超一流の才能の持ち主だった。私はこれまでにも、松坂が投手として活躍した後、早い時期に打者転向を図ればと提言してきた。ちょうど、レッドソックスからヤンキースに移籍するタイミングで打者に転向し、ホームラン王として英雄になったベーブ・ルースのように。そうすれば、ここ数年のような苦しみを味わうことはなかったかもしれない。とはいえ、村田同様に肩を叩かれていた可能性だってある。投手だったからこそ、今があるとすれば、松坂の執着は結果的に身を助けたとも言える。 さらに、村田の去就が決まらない現実から浮かび上がって来るのは、「プロ野球で活躍できるレベルの人材は余っている」という事実だ。 昨季は、巨人でなかなか輝けなかった大田泰示が、日本ハムに移籍した途端、水を得た魚のように打ち、レギュラーとして活躍した。私見だが、なぜ日本のプロ野球は球団増を模索しないのか、不思議でならない。 サッカーの例を見れば分かりやすい。「この本拠地でお客さんが本当に集まるのか」と思うような地域でも、苦労はしながら根を生やし、花を咲かせている。各地の努力はサッカーの地道な普及にもつながっている。新球団の話が出ると決まって「レベルの低下」という、もっともらしい反対意見が出るが、それはもう却下して、各都道府県に一つずつ創るくらいの意気込みで、新しいビジョンを真剣に議論し、実現に向かう時期に来ていると思う。 「村田を救うために」とは言わないが、村田のような、まだまだやれる選手がいるのだから、その人材、資産を無駄にする余裕など、人気低迷が加速する今の野球界にはないはずだ。

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    「相撲の品位」とはなんぞや

    俳優の坂上忍がテレビ番組で「角界の常識は世間の非常識」とあきれ顔で発言した。むろん、この言葉の裏にあるのは角界を揺るがす相次ぐ不祥事である。神事を起源とする相撲は、わが国の国技として古くから愛される伝統文化のはずだが、なぜスキャンダルがこうも後を絶たないのか。

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    「ガチンコと品格」を求めたら、相撲になかったことがバレてしまう

    て論評した。「清濁併せのむ」という言葉があるが、水をすべて清くてしまえば、魚は死んでしまう。表向きはスポーツだが、裏では談合が行われ、金銭のやり取りもある。ガチンコと注射が同時に行われる「格闘技ショー」が相撲である。 だから、清いスポーツだけになった途端、これまでの相撲は相撲ではなくなり、歴史も伝統も国技もすべて吹っ飛んでしまう。「大横綱」大鵬の優勝32回も、「国民栄誉賞横綱」千代の富士の53連勝も、白鵬の最多優勝40回と63連勝も、全部吹っ飛んでしまう。すべて注射なしでは成りたたなかった記録だからだ。したがって、「それでいいのだろうか?」という気持ちがまだかすかにある。新興宗教に洗脳された殉教者 ガチンコで22回優勝した貴乃花親方が、ガチンコを貫いたからこそ「相撲道」を追求し、相撲はどこまでもフェアでなければいけないと考えるのは十分に理解できる。しかし、どんなに歴史をさかのぼっても、相撲に「道」など存在しない。あるとすれば、それぞれの力士のなかにそれぞれ別個に存在しているだけだ。そして、それらは多くの場合、単に相撲はこうあらねばならないと洗脳された結果だ。 貴乃花親方は、「偉大なる阿闍梨(あじゃり)」池口恵観法師に送ったメールに《“観るものを魅了する”大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わりの私の天命があると心得ており、毘沙門天(炎)を心にしたため己に克つをを実践しております》(原文ママ、『週刊朝日』2017年12月12日号)と書いているので、「張り手&カチ上げ横綱」としてもっと稼ごうとしている白鵬より、はるかに志が高い。しかし、相撲教習所に掲げられている「角道の精華」を信じているので、こうなるとまるで新興宗教に洗脳された殉教者だ。 「相撲道」=「角道」という以上、「相撲とはなにか?」を具体的に定義しなければならない。そうして初めて「道」として語れる。では、相撲とはなんだろうか。これに関しては、私に忘れられない思い出がある。以下、その思い出のもとになる『週刊文春』のコラム記事を引用する。“縄好調”千代の富士に英国賭博会社の大ボヤキ 千代の富士の意外な(?)絶好調に青ざめているのがダイノサイト社。おなじみ英国政府公認の賭博会社だ。 九州場所の優勝力士当てで、病み上がりの千代の富士に5倍のオッズをつけたら投票が殺到。10万円単位で勝負してくる客がいたりで、最終オッズは2.2に下がってしまう。「しかし、オッズ5倍のときに買った客は5倍の配当が支払われるため、千代が優勝したら胴元は大赤字です」(関係者) 旭富士は胴元のつけた2.8倍のままで、北勝海は3.5倍→3.8倍、霧島は4倍→3.4倍と大きな変動がなかったのを見ても、千代に大量投票が集まったのは明らかだ。「胴元、日本シリーズのMVP当てでも、デストラーデに40倍をつけて3千万円近い赤字を出した。『日本人は遊びを知らない、本気で大金を賭けてくる』とボヤいてます」(同) エコノミック・アニマルをナメたらいかんぜよ。『週刊文春』1990年11月29日号 とのことなのだが、この後、英ブックメーカーは本当に青ざめることになった。千代の富士が優勝してしまったからだ。これで多大な損失をかぶったうえ、さらに富山県在住の日本人会員に任意の2力士のマッチベットに大金を賭けられてこれも当てられ、なんと2500万円もの配当(リターン)を払わなければならなかったからだ。1989年7月、大相撲名古屋場所千秋楽の優勝決定戦、上手投げで北勝海を下す千代の富士。奥は審判をする北の湖親方 このとき、知り合いの日本在住の英国人記者が、私に聞いてきた。彼はブックメーカーが本命にした横綱旭富士を買って外していた。相撲は『フェアリープレー』だな 「なんで千代の富士にあんな大金を賭けられるのか教えてほしい。千代の富士は休み明けだ。競馬だったら、絶対にこない。だからブックメーカーもオッズを5倍にしたのに」。彼の質問はもっともだった。場所前、千代の富士は休場明けで稽古も足りていないとスポーツ紙は報道していた。それに比べて、夏場所と秋場所を連覇してきた旭富士は絶好調だと伝えられていた。私の答えは書くまでもない。「相撲はフェアプレーではないからね。力士たちは土俵の外で星(勝敗)の売り買いをしているんだ」「まさか」「知らなかったのか?」「ああ。となると、相撲はフェアプレーではなくて『フェアリープレー』だな」 さすがに英国人。ジョークがきつかった。フェアリーとは「fairy」で「妖精」のこと。フェアリーテールは「おとぎ話」だから、フェアリープレーはさしずめ「おとぎ遊び」になるだろう。相撲はフェアリープレー。この言葉はその後、ずっと私の頭の中に残った。 ところで、「相撲道」と言われて思うのは「横綱の品格」である。こちらもなんだかわからない。定義がない。 1992年、千代の富士が引退後の土俵で、横綱昇進間違いなしの成績を残した大関小錦は、横綱審議委員会(横審)で推挙もされなかった。それで、米紙ニューヨーク・タイムズは「小錦が横綱になれないのは人種差別のせい」という記事を載せた。要するに、外国人は品格が理解できないとして不当に差別されていると言うのだ。2010年2月、大相撲初場所中に起こした泥酔暴行問題の責任を取り、引退表明した横綱朝青龍=両国国技館(千村安雄撮影) 当時、作家の児島襄氏が『文藝春秋』に「『外人横綱』は要らない」という論文を寄稿していた。そこには、「国技である相撲は、守礼を基本とする日本の精神文化そのものであり、歴史や言語の違う外国人には理解できない」とあり、明らかに「横綱の品格」は日本人だけしか持ち合わせないものになっていた。 しかし、その後、曙、武蔵丸、朝青龍と、外国人横綱が次々誕生した。なんのことはない、外国人にも「品格」があることになってしまったのである。そのため、白鵬の「あれは待っただイチャモン」と「千秋楽みんなでバンザイ」が問題視されることになった。 このようにすべてはいい加減、そのときのムード、風潮、空気で決まる。この空気で物事が決まるというのは日本独特の文化だから、相撲はその意味で日本の伝統文化といえる。ただし、空気は存在するが、それを証明することはできない。 朝青龍は「品格」について悩んでいたという話がある。NHKの刈屋富士雄アナウンサーが相撲中継の折に、一つのエピソードとして語ったところによると、朝青龍は刈屋アナに品格とはなにかと何度も聞いてきたという。それで、刈屋アナは「人よりも自分に厳しいこと。人よりも努力をすること。そして、人に対して優しくあること」を挙げたという。朝青龍はこれを聞いてうなずいたそうだが、「それよりも勝つことのほうが大事なんじゃないか」と言ったという。道を究める必要などない どう見ても、これは朝青龍の認識のほうが正しい。このウルトラ現実主義ゆえに、朝青龍は巡業をサボって「草サッカー」をやって追放されてしまった。 日本ではどんなものにでも「道」をつけて、精神的なものに仕立てあげる。そして、入門してきた弟子たちに、精神を磨かせ、精進して道を究めさせるということになっている。「華道」「茶道」「書道」「剣道」「合気道」―みなしかりだ。 しかし、「華道」は花を活(い)けること、「茶道」はお茶をいれること、「書道」は筆で文字を書くことである。いずれも精神性などなくともできる。例えば、○○の花は茎を何センチに切って、角度は何十度に活けるなどとやれば、「華道の精神(心)」などなくても作品はでき、できた作品には心が宿っているように見えるだろう。 しかし、実際にはそうは言わない。「いまこの季節を感じさせるように、心込めて、このように、こうして剣山に1本ずつ差していきます」などと言うだけだ。これでは、入門して自分の目で確かめなければなにもできない。 そう考えると、日本の「道」は、本当はマニュアル化できてしまうのに、わざとそれをつくらずに、ない心をあるように見せかけているだけのように思える。まさに、ものすごいビジネスの知恵である。いまは、3Dプリンターでなんでもできる時代だ。かつて匠の技とされたものは、分解再生すれば、単なる複雑な工程にすぎない。どこに、道を究める必要があるだろうか。 相撲道も同じだ。マニュアル化、定義化したら、ないことがバレてしまうので、精神性にすり替えている。ルールブックを整備し、フェアプレーだけにしてしまうと、「道」も「品格」もなくなってしまうだろう。2010年7月、各部屋の力士が持ち帰る、解雇された元大関琴光喜の名前が入った大相撲名古屋場所の番付表=愛知県体育館 しかし、いまだに騒動が続く相撲界を見て思うのは、ここまで事態が泥沼化したというのに、なぜ誰もハッキリと真実を言い、私にクレームした「正義の使者」たちのような提言をしないのだろうか。相撲は虚構の上に成り立っているのだから、スポーツから外しましょうと。 いまだに相撲は新聞ではスポーツ欄に載り、テレビではスポーツニュースとして報道される。NHKは全国に生放送して、「一番一番」を垂れ流している。注射力士たちがトクをして、ガチンコ力士がソンをしているなどと、一度も言ったことがない。 それにつけても思うのは、角界を去っていった力士たちが、この状況をどう見ているのだろうかということだ。ばくちで負け続けて借金がかさみ、朝青龍に27連敗した元大関琴光喜はなにを思っているだろうか。2011年の八百長事件で、八百長を認めざるを得なくなった恵那司、春日錦、千代白鵬の3人は、どうしているだろうか。「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」とメールした清瀬海はどうしているだろうか。 テレビ局よ、できればこうした元力士たちを生出演させて、思い切り語らせてほしい。このままでは、この騒動に千秋楽は訪れないだろう。

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    貴乃花親方が「狂信的なカルト信者」に思えてきた

    けだからです。 一方で相撲をレスリングやボクシングのような、フルコンタクト系格闘技の一つとして、単にスポーツであると位置づけるのはもっと無理があります。古事記に由来する相撲の歴史をひもとくまでもなく、相撲が神道に基づくものであり、世界に類を見ない日本独自の重要な伝統文化であることは、誰の目にもあきらかでしょう。 私は相撲を一つの美学だと考えています。美学であるからこそ横綱には品格が求められます。また良い一番だった、良くない取組だったという、勝敗とは別の要素で評価をされることもしばしばあります。ルールブックのみに基づくのではなく、礼儀・所作をより重視したマナーの観点がそこにはあります。「大相撲beyond2020場所」で三段構えを披露する白鵬関(左)と稀勢の里関=2017年10月、両国国技館(代表撮影) 最近では横綱白鵬が「張り差し」や、「肘(ひじ)打ち」とも見られる「カチアゲ」といった打撃系の技を多用し、横綱らしい取り口ではない、と非難されるケースが多く見られました。相撲の禁じ手には「肘打ち」は含まれませんから、白鵬がスポーツとしてルール違反をしたわけではありません。 しかし顔面や頭部への「肘打ち」は深刻なダメージをもたらすため、ほとんどの格闘技においては禁止されています。私もこの技を見て危険だと思うだけではなく、相撲として美しくないと感じました。 もちろん禁じ手でなければどんな攻め方をしてもルール上はよいわけです。ローキックさえも許されます。でもはたして観客は、掌底(しょうてい)による張り手やローキックの応酬による、キックボクシングみたいな取り口の相撲を見たいと思うでしょうか。 考えてみれば相撲をスポーツとして捉えると、ルール自体は意外と曖昧で、それ以前にあうんの呼吸やしきたりで成り立っている、というべきかも知れません。もっとも重要な試合開始の瞬間さえも、互いの力士があうんの呼吸で決めているわけです。 「ゴングが鳴らない唯一の格闘技」とイギリス人の生物学者、ライアル・ワトソンは述べていますが、立ち会いの瞬間は行事が決めるのではありません。両方の力士が互いに目を合わせ、腰を下げて気迫が十分に満ち満ちたと思った瞬間が試合開始です。 その際には両者が左右の手を完全に下まで降ろしていることが、正しい立ち会いとされていますが、実際には努力目標といったところでしょう。両手が地面につかずとも、両者合意で立ち会い成功に至るケースは、しばしば見かけることがあります。重要なのは「あうん」の呼吸 立ち会いまでの、仕切りと呼ばれる時間の制限についても、NHKが中継をするようになって決められましたが、かつては両方の力士の呼吸が合うまで、好きなだけ時間を使って仕切り直しをすることができました。なんとも日本的な、あうんの呼吸で重要なことを決める、独特のシステムではないでしょうか。 さらに暗黙のマナーとして、横綱や大関が格下の力士に対して小細工を弄(ろう)するような技、関節技などを用いるべきではない、というもの。取り組み前に、滑らないように胸や腹の汗は拭っておくこと、など基本的な約束事が道徳としてあると言われています。 かつて角界のプリンスと言われた貴乃花親方は、「力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事」に始まる10カ条の訓辞を掲げています。力士道と「道」の文字を使っていることから、親方が弟子の道徳教育に熱心であったことは、たしかにうかがい知れます。  昨年貴ノ岩が暴行を受けた事件で、親方が日本相撲協会の危機管理委員会に非協力的だったのも、その弟子を思う熱心さゆえに、組織との信頼関係が築けなかったのが原因だったのだと言う意見も、多く聞かされました。理事会に出席した貴乃花親方(左)=2017年12月、東京・両国国技館(桐原正道撮影) しかし実態はどうでしょうか。貴乃花親方の目指す相撲の姿、伝統美と厳密なガチンコ相撲を両立させようとする理想像は、致命的な矛盾をはらんでおり、無理があります。これこそが相撲協会に受け入れられない真の理由だと私は考えます。伝統美の継承と、厳密なガチンコの二兎を追うことは、そもそも混乱を招くだけではないかと、私は常々思ってきました。 厳密な意味でのガチンコというのは存在しない、と私は考えています。理由は簡単。そんなことをすれば、お相撲さんが死んでしまうからです。究極のガチンコとは、立ち会いの瞬間に互いに頭と頭でぶつかり合うことです。新弟子の朝稽古では必ず最初にやらされます。しかしたちまち脳震盪(のうしんとう)を起こすので、まもなく左右どちらかの肩にぶつかる、安全なスタイルに切り替えられるのです。 その時点でもうガチンコではありません。大相撲は6場所15日間、大きなケガをせずに力士たちに土俵に上がってもらい、美しい相撲を観客に披露するのが第一の使命です。もし単なる格闘技、スポーツとして厳密なガチンコを追求すれば、ケガで休場する力士が続出するでしょう。頭突きや打撃系の技で、血まみれになった土俵を、はたして美しいと感じられるでしょうか。 二律背反である伝統美とガチンコを、両立できると信じている貴乃花親方は、もはや科学的にはありえない「神風が吹く」といった思想の域に達していると感じます。狂信的なカルト宗教の信者なのでは、とさえ私には思えるくらいです。現実的に伝統文化の継承を目指す日本相撲協会と貴乃花親方とでは、描いている理想像が異なるのが当然だと言えるでしょう。横綱は神の「依り代」 公然と星のやりとりをする八百長はいけませんが、全力でぶつかりながらも自分がケガをしない、相手にケガをさせない、といったあうんの呼吸による調整は絶対必要です。そういった曖昧な部分も含めての、限りなくガチンコに近い全力試合をする、というのが、いかにも日本的な相撲道の本質だと思います。 ちなみに日本の国技であり、神事でもある大相撲ですが、その担い手は、今やご存じのようにモンゴル人をはじめとする外国人力士たちに頼らざるを得ない状況です。その前は高見山、小錦、武蔵丸といったハワイ系アメリカ人に頼っていました。  私が相撲に関するニュースで最もショックだったのは、2007年の名古屋場所における、新弟子検査の受検者がゼロであったという、小さな新聞の囲み記事でした。おりしも時津風部屋力士暴行致死事件も発覚し、もはや日本人の若者で、力士を目指すものはいないのではないか、と暗澹(あんたん)たる気持ちになったのを覚えています。 大相撲では番付が十両に上がって、ようやく年収1600万円の報酬があるというものの、年間6場所15日、その間の地方巡業など長期にわたる拘束日数を考えると、他のプロスポーツ選手に比べて、決して割のいい商売とは言えない側面があるのは否めない事実です。明治神宮で奉納土俵入りをする横綱白鵬(右)=2018年1月、東京都渋谷区(宮崎瑞穂撮影) 恵まれた肉体を持った小中学生男子が、将来はお相撲さんよりはプロ野球選手に、あるいはプロサッカー選手になりたいと希望するのも、無理はない気がします。伝統文化という重たい職責を背負わされて、前近代的とも思われる厳しい稽古に耐えるには、それ相応の魅力がなければなりません。 最高のフィジカル・エリートとしてのプライドを持てること同時に、幕下からそれなりの報酬が保証され、横綱になれば億単位の報酬が得られるという金銭的なインセンティブが必要でしょう。それを裏付けるには、観戦料を高くしなければなりませんが、私にはそれはやむを得ないことのように思えます。 相撲は他のスポーツのようにシューズメーカーからウェアメーカーまで国際的なスポンサーがつく業界とは違って、あくまでも日本に来てもらい、観戦料を払って伝統文化に触れてもらう、典型的なインバウンド業界です。そこに日本の伝統美を感じてもらい、その精神を楽しんでもらうことができるなら、力士の国籍に関係なく熱狂的なファンをつかむことができるはずです。 求められているのは、勝敗よりも美意識です。あくまでも日本の文化として相撲の美学を貫くことによってこそ、知日派の外国人にも訴求できるはずです。例えばフランスのサルコジ元大統領は相撲を嫌ったが、シラク元大統領は大の相撲ファンだったというのは有名な話です。単なる格闘技、スポーツであれば、そこまで人を引きつけることはできなかったでしょう。 そこに相撲道という哲学がある限り、相撲は世界中の人に愛され親しまれていく可能性を十分に秘めている、日本の誇るべき伝統文化だといえます。それだけに力士たち、とりわけ綱を身につけ神の「依り代」となる横綱には、日本の美学を代表する存在として、誰からも尊敬される精神の高みを担う、特別な覚悟を持って日々を送ってもらいたいものです。

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    「はっけよい」古事記から読み解く神事としての大相撲

    鮮問題よりもこの相撲界のトラブルの話題でもちきりです。相撲はレスリングの興行でもなければ、勝敗を競うスポーツでもありません。神事としての奉納相撲がその起源となります。ですから、行司は神官の姿をしますし、掛け声も「はっけよい、のこった」です。 これは易占いの「八卦(はっけ)良い」からきているという俗説がありますが、そうなると「のこった(残った)」の説明がつきません。それよりも、大和言葉の「はつき、よひ」を語源とするのが自然ではないでしょうか。これは「初の気は良い。だからがんばって残れ!」という意味の古い大和言葉です。「初の気」というのは、神々によって祝福を与えられているという意味ですから、もっとかみ砕いていえば、「神々の祝福が与えられているぞ。がんばって残れ!」といった意味になります。野見宿禰 相撲の歴史は古く、『古事記』の葦原中国平定の神話にまでさかのぼります。建御雷神(たけみかつちのかみ)に出雲の建御名方神(たけみなかたのかみ)が「然欲為力競(ちからくらべをなすことをほっする)」と言って、建御雷神の腕をとって投げようとしたという神事が発端になります。 この後、建御名方神が諏訪にお鎮まりになられて、諏訪大社の御祭神となられています。それが何百年前のことなのか、いまではまったくわかりませんが、少なくとも初代天皇であられる神武天皇が即位されたよりも古い時代ですから紀元前7世紀よりも、もっとずっと古い昔から続く、相撲はわが国の伝統神事となっているわけです。 相撲の始祖とされているのは、野見宿禰(のうみのすくね)と当麻蹴速(とうまのけはや)の試合です。この試合は紀元前23年の垂仁天皇の時代にあった出来事です。野見宿禰は、天穂日命(あめのほひのみこと)の一四世の子孫と伝えられる出雲国の勇士です。このことは日本書紀に詳しく書かれています。 第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)が即位して7年たった7月7日のこと、天皇の近習が、「當麻邑(とうまむら)に當摩蹶速(とうまのけはや)という名のおそろしく勇敢な人がいて、力が強く、日頃から周囲の人に国中を探してもわが力に比べる者はいない。どこかに強力者(ちからこわきもの)がいたら、死生を問わずに、全力で争力(ちからくらべ)をしたいものだ」と言っていると述べました。天皇はこれを聞くと、「朕も聞いている。當摩蹶速(とうまのけはや)は天下の力士という。果たしてこの人に並ぶ力士はいるだろうか」と群卿に問いました。一人の臣が言いました。「聞けば、出雲国に野見宿禰(のみのすくね)という勇士がいるそうです。この人を試しに召して蹶速(けはや)と当たらせてみたらいかがでしょう」 そこで倭直(やまとのあたい)の先祖の長尾市(ながおち)を遣(つか)わして、野見宿禰を呼び寄せました。即日、両者は相対して立ち、それぞれが足を上げて相い踏み、激突して野見宿禰が當摩蹶速の肋骨を踏み折りました。またその腰骨を踏み折って殺しました。 勝者となった野見宿禰には、大和国の當麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えました。野見宿禰は、その土地にとどまって朝廷に仕えました。(中略)垂仁天皇の皇后であられた日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が崩御されたとき、殉死に代えて人の形をした土器を埋めることを提案したのも野見宿禰です。これが皆さまもよくご存じの埴輪(はにわ)の由来です。 ※原文・読み下し:『古典文学体系 日本書紀(上)』(岩波書店)、現代語訳:小名木善行 さて、文中に7月7日という記述がありましたが、つい最近まで、毎年田植えが終わった7月に、全国で町や村の青年たちによる奉納神前相撲が行われていたのは、この野見宿禰の試合に依拠します。そしてこのときの試合で両者が足を挙げて四股(しこ)を踏んでいますが、これもまた現代まで続く相撲の四股そのものです。勝率96%だった伝説の力士 古事記のなかの短い一節の中でも、野見宿禰が勝っておごらず、どこまでも人の命を大切にした人物であったことが説かれています。敗れた當摩蹶速も、はじめから死生を問わずに全力で戦うと宣言し、本人は亡くなってしまいますが、その身内衆も、敗れて腐ったりしていません。 つまり力士というのは、ただ力が強くて並ぶべき人もいない強者というだけでなく、勝敗を超えたところに力士という存在があり、同時に力士は人々の生命を救う優しさを持った人物であることが説かれているわけです。 相撲界では、親方がまさに親となって力士を育て、力士は精進して大関となり、さらに人格識見ともに優れた力士と認められた人が横綱となりました。ですから横綱は、神界の力士とこの世の力士の境にある注連縄(しめなわ)を横に張る、人々の模範となる偉大な存在とされてきたのです。そして勝って奢らず、負けて腐らず、相撲を極めた存在として尊敬を集めてきたのです。そして横綱であっても、親方の前では頭を垂れます。そうした姿がまた孝の道でもあったわけです。 相撲道について、わかりやすいエピソードをもうひとつご紹介したいと思います。雷電為右衛門(らいでんためえもん)と、浦風(うらかぜ)親方のお話です。 雷電為右衛門は江戸時代の人で、大相撲史上、古今未曾有(みぞう)の「最強力士」と呼ばれている力士です。幕下を飛ばして、いきなり関脇でデビューしたと思ったら、初場所でいきなり優勝。以降、幕内通算成績は、35場所で、254勝10敗2分14預5無勝負です。優勝回数は27回。この時代の大相撲は年2場所制です。いまは、年6場所制です。年6場所になった現在でも優勝回数は白鵬の40回が最高ですから、雷電の年2場所時代の優勝27回が、どれだけすごい成績かわかると思います。ちなみに大鵬の幕内勝率は83.7%に対し、雷電は勝率96.2%です。これもまた、現在に至るも更新されていない記録です。雷電為右衛門の錦絵 そんな雷電は、下積み時代が長い力士でもありました。雷電を育てた浦風親方は、雷電の資質を見抜いていました。だからこそ、彼を本物の力士に育てるため、いつ幕内に出しても全勝間違いなしとわかっていながら、6年間も見習い力士のまま、彼を据え置いていたのです。 そしてただ相撲が強いだけでなく、書も達者で、人格も見事な、やさしさのある本物の力士をつくり上げました。浦風親方は、本当に立派な親方であったと思います。なぜなら、浦風親方は、ただ試合に勝つ力士を育てたのではなく、どこまでも「人を育てた親方」であるからです。雷電も、親方の配慮によく耐え、我慢し、人一倍練習に励みました。 そんな雷電に、ようやく初土俵の話が持ち込まれたのが、寛政2(1790)年11月のことです。寛政2年といえば、松平定信が寛政の改革を打ち出していた時代にあたります。雷電は、江戸の興行で、いきなり西方の関脇付け出しで初土俵を踏みました。 番付は、実力者で小結だった柏戸勘太夫よりも上におかれたスタートです。これは、普通ではありえないスタートです。雷電の初土俵の取り組み相手は、大柄な八角という名の猛者でした。立合いざま雷電は、右手一発の張り手を繰り出しました。この一発で大男の八角は、土俵の外まで吹っ飛ばされてしまったそうです。 さらに雷電は、この場所で横綱免許の小野川喜三郎とさえ預かり相撲(引き分け)としてしまいました。初場所でいきなり8勝2預り、負けなしです。両腕の骨を砕いた荒業 江戸相撲の一行が、小田原で巡業したときのことです。小田原に大岩というならず者がいました。この大岩が、地元で大関を張っていて、これがメチャクチャ強くて、江戸力士が挑んでもまるで歯が立ちません。ですから大岩は、江戸力士を頭から小馬鹿にしていました。 そんな大岩に、かつて投げ殺された力士の遺族から、雷電は「なんとしても仇討ちを」と頼まれました。雷電は、大群衆の見守る中で、大岩と土俵で対決することになりました。両者は、互いに土俵の上で激突しました。このとき雷電は、大岩にもっとも都合のよい組み手を意図して取らせました。「雷電不利!」と見ている誰もが思いました。 そのとき、おもむろに大岩の腕の外側から自分の腕をまわした雷電は、そのまま大岩の両腕を絞め上げました。相撲の荒業、閂(かんぬき)です。そしてそのまま大岩の両腕の骨を砕くと、激痛におののく大岩を土俵の外に振り飛ばしました。 このように、雷電は、あまりに強すぎたため、ハンデを負わされました。「張り手」「鉄砲」「閂(かんぬき)」。この3つの技が雷電にだけ、禁じられたのです。それでいて、勝率96パーセントという脅威の成績を残したのですから、いかに雷電が強かったが、わかります。 その後、雷電為右衛門は、現役力士のまま、出雲国松江藩の松平家のお抱え力士になり、文政8(1825)年、雷電は、59歳で短い命を終えました。 日本武道の精神は「心・技・体」です。何ものにも負けない強い心を鍛え、そのために技を磨き、結果として体力が身につくとされます。 西洋の格闘技は、「力と技」です。筋力があり、技がきれて、試合に勝てればそれで良い。人柄は問題になりません。だから試合に勝つと、リングのコーナーロープに登って、ガッツポーズをして猛獣のように吼(ほ)えます。それはそれで興行としては面白いのかもしれません。 しかし、どんなに試合に勝ったとしても、心が貧しくて人格が歪んでいたら、それでは人間として失格です。日本武道では、試合に勝つことよりも、己に厳しい心を涵養(かんよう)することが奨励されました。だから最強の力士には、最高の人格が求められました。雷電の勝ち手は常に壮絶なものだったけれど、彼は勝って奢らず、敗者にも実に謙虚にやさしく接した力士でした。 試合は、いつだって勝ち負けがあるものです。雷電だって、生涯勝ち続けたわけではなく、少なくとも10番は負け勝負があります。勝つことは、もちろん大事なことです。しかし「勝つ」というのは、何も試合に勝つことだけを意味するのではありません。出雲大社で土俵入りを披露する大相撲の横綱、白鵬=2013年10月23日  最近では、勝った力士がガッツポーズをとってもいい、などと言う評論家もいるようですが、それは間違っています。勝ってなお、三度を切って奢らない。自分で誇らなくたって、ちゃんとお客さんは見てくれているのです。それが日本の武人です。 雷電が6年間も親方から幕内出場を許されなかったことで、雷電は人として成長し、誰にも負けない実績を残し、逝去してすでに200年も経っているのに、雷電をしのぐ力士が現れないほどの大物になりました。 それは雷電の試合での強さばかりではなく、親方に鍛えられた心の成果です。そして、これこそ日本相撲が、日本人の誰からも愛され続けた原点なのです。2千年以上も長い伝統を持った相撲をこれからも日本人として大切にしていかなければならないと、切に思います。

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    白鵬よ、「相撲道は礼に始まる」をもうお忘れか

    荒井太郎(相撲ジャーナリスト) 「品格、力量抜群に付、横綱に推挙す」。横綱推挙状の文面にはそう記されている。ただ強いだけでは横綱にはなれない。品格が力量より先に挙げられているのは、その重要性が強さ以上であるからだろう。 それでも昭和の時代までは「品格」が問題視されるケースはほとんどなかったように思う。大きくクローズアップされたのは、ハワイ出身の小錦が全盛の頃。綱取りに挑んでいた平成4年3月場所中に発行された『文藝春秋4月号』で、横綱審議委員でもあった児島襄氏が「外国人横綱は要らない」と述べ、「外国人には横綱に必要な品格は得られない」などと持論を展開した。当時としても暴論と思えるが、小錦の土俵上の態度が横綱としてふさわしくないといった議論も協会内外では噴出した。  その後、15年1月場所後の横綱審議委員会では、満場一致で朝青龍の横綱昇進を決めたが、内館牧子委員(当時)からは「品格を直してほしいと注文し、親方に指導をお願いした」と、ここでも「品格」が取り沙汰された。 内館氏の懸念は残念ながら的中してしまう。夏巡業休場中に母国モンゴルでサッカーに興じて2場所の出場停止、前代未聞の土俵上でのガッツポーズ、極めつけは場所中にもかかわらず泥酔して知人男性を暴行し、最後は「強制引退」に追い込まれた。くしくも朝青龍事件以降、外国人横綱の「品格」は常につきまとうことになる。退断髪披露大相撲で最後の土俵入りをする横綱・朝青龍=2010年10月3日、東京都(撮影・千村安雄) 朝青龍とは対照的に「優等生」と思われてきた同じモンゴル出身の後輩横綱、白鵬もまた次第に土俵上の態度が荒々しくなっていく。勝敗が決まった後のダメ押しで相手を土俵下につき飛ばしたり、「子供が見ても分かるような相撲。なぜ、取り直しにしたのか」などと発言し、審判部を痛烈に批判。立ち合いが成立したにもかかわらず、自ら物言いをつけて土俵上で立ち尽くす暴挙に出たのは記憶に新しい。 そもそも「品格」とは何か。日本人でも、その意味を明快に説明するのは難しい。しかし、多くの社会人は無意識のうちに実践していることではないだろうか。取引先に失礼のないように言動には気をつける、上司や先輩を立てる、礼儀や一般常識をわきまえて行動する。こうした立ち居振る舞いもその一例と言える。 かつて元横綱で相撲解説者の北の富士勝昭氏は自身の現役時代を振り返り、こんなことを言っていた。  「日ごろから『品格』を特別に意識したことはなかった。普通に行動していただけでよくない行いがあれば反省し、改めればいいだけの話だ」白鵬の「かち上げ」はプロレス技に近い 「横綱は神様だ」という言葉をよく耳にする。自身を律する意味で自らそう発言した横綱も過去にはいた。相撲は神事が起源であることや、真摯(しんし)に相撲道を追求し69連勝という金字塔を打ち立てた昭和戦前の大横綱双葉山が、今も理想の力士像と位置づけられていることなどがその根拠だと思われる。しかし、横綱といえども聖人君子でもなければ、何もかもが完璧であるわけではない。当の双葉山本人が「横綱とは他の力士より、ちょっと強いだけで偉くも何ともないんだ」という言葉を残したとも伝わる。 角界に入門した新弟子はまず半年間、国技館内にある相撲教習所に通う。そこでは基本となる実技や教養を身につけるのだが、真っ先に教わるのが「相撲は礼に始まり、礼に終わる」という教えである。土俵に入るときは相手と向かい合って立礼を行い、勝負が決した後も互いに礼をして土俵を下りる。礼は相手や土俵に向けた敬意を表す。どんなに強くても相手がいなければ勝つこともできなければ、そもそも勝負は成り立たない。土俵があるからこそ、相撲が取れる。力士なら誰もが決して忘れてはならない心構えだ。そこを踏み外さなければ「品格」もおのずと備わってくるだろう。 昨年末、横綱審議委員会の北村正任委員長が横綱白鵬の取り口について「張り手、かち上げは横綱相撲とは到底言えない。美しくない。見たくない」といった多数の投書が自身や委員会宛てに来たことを明かし、その取り口を痛烈に批判した。これに対し「張り手やかち上げもルールでは認められている」「だめなら禁止にすればいい」といった反論もテレビのワイドショーなどでは、少なからず沸き起こった。相撲冬巡業・沖縄場所 横綱土俵入りを披露する白鵬 =2017年12月16日、沖縄・宜野湾市の沖縄コンベンションセンター(共同)1 相撲を取材する立場から言わせてもらえれば、白鵬のかち上げは本来のそれとは似て非なるものである。現に大関髙安のかち上げは批判の対象にはなっていない。かち上げとは相手の胸から顎の下あたりを突き上げて上体を起こす攻め方を言う。相手の顔面を狙う白鵬のそれはプロレス技のエルボーに近く、過去には相手を失神させたり、眼窩(がんか)底骨折に追い込んだりしたこともあった。言うまでもなく、これは危険極まりない行為だ。 そこに相手への敬意はあるのか。張り手、かち上げ(エルボー)を「封印」された白鵬だが適応力抜群の横綱のこと、試行錯誤を経て新たな立ち合いを編み出すことだろう。ただし、そこには「礼に始まり、礼に終わる」という相撲道の基本精神が宿ってなくてはならない。数々の大記録を更新できたのも、対戦相手がいたからこそなのだから。

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    「相撲は力ではなく流れ」白鵬が語った横綱論

    赤坂英一 (スポーツライター) 私が初めて白鵬にインタビューしたのは、横綱昇進から2年しかたっていない2009年6月のある日だった。当時、まだ24歳だった白鵬の印象を一言で表すとすれば、「好青年」に尽きる。いつも明るく、周囲に気を遣い、インタビューではこちらの質問の意図を即座に読み取って、明確かつ具体的なコメントをしてくれた。 その中でもとくに印象に残っているのは、白鵬自身の考える「横綱相撲」とはどういうものか、である。日本人の相撲ファンは往年の大鵬や貴乃花のように、相手の相撲をがっちり受け止め、堂々と寄り切る相撲を「横綱相撲」と認識しているが、白鵬は丁寧に言葉を選びながらこう言った。 「まあ、やっぱり、寄り切りで、一番安全な相撲ですね。こう、押していけばそうなる。相撲には流れがありますから、流れるときは流れて、こっちから出るときは出る。それで勝つのが昔ながらの横綱相撲じゃないかと、ぼくの中では思うわけですよ」 「ただ、それ(横綱相撲)、最近の(ファンの)人たちにはわからないんじゃないかな。奥が深い相撲はね。見ていても、全然面白くないでしょう。やっぱり、(観戦に)来てるお客さんたちは、激しく豪快な相撲を見たいわけですから」 その「激しく豪快な相撲」の好例として、白鵬は意外にも、当時のライバルだった朝青龍の相撲を挙げた。「いま、(ファンやマスコミの)みなさんが好きなのはああいう相撲だよね。これまでになかったスタイルの相撲だから」と言うのである。寄り倒しで横綱・朝青龍(左)を破り、全勝優勝を阻んだ大関・白鵬 =2006年7月23日、名古屋市(共同) 白鵬はいま、相撲が横綱らしくない、取り口が汚い、などと批判されている。が、白鵬は白鵬なりに、「昔ながらの横綱相撲」とは何かを理解していた。実際に、土俵でもそれをやって見せていた。にもかかわらず、客席が沸くのは常に天衣無縫に暴れ回る朝青龍のほうだったのだ。そんなジレンマに加えて、いつまでも〝優等生〟を演じることに我慢がならず、もっと好きなように相撲を取りたい、と思うようになったのではないか。白鵬の哲学「相撲は力ではなく流れ」 最近、よくタイミングをずらす、張り差しが多い、と批判されている立ち合いについても、白鵬は当時から自分なりの哲学を持っていた。そもそも「立ち合い自体が相撲にしかない独特のものだから」と、こう言うのだ。 「ああいう始め方をするのは相撲だけです。ボクシングならゴングが鳴るし、柔道は審判が〝始め!〟と言うし。陸上でも球技でも、選手は別の人に〝ヨーイドン!〟と言われて始めるでしょう」 「相撲は相手との間合いというか、お互いに呼吸を合わせて始まる。その立ち合いが成立したところで、行司が軍配を返してね。そういう意味で、相撲は力じゃない。相撲は流れなんですよ。流れがあって、その流れがちょっとでもズレたら負ける。いくら横綱でも」 相撲ならではの流れを読み、ときには流れに任せ、ときには流れを支配し、最後に勝つ。それが白鵬の考える「横綱相撲」だとすれば、現在のような立ち合いに変わったのも当然かもしれない。それが、貴乃花親方や日本人のファンの目にどう映ろうとも、だ。明治神宮で奉納土俵入りをする横綱、白鵬=2018年1月9日午後、東京都(宮崎瑞穂撮影) ちなみに、仕切りで手を着くルールが厳格に適用されるようになったのは割と最近で、2008年のことである。いまは手を着いてないと行司に仕切り直しを命じられるが、昔は手を着いた力士のほうが逆に、「奇襲に出た」などと言われた。これについて、白鵬の意見はこうである。 「仕切りって面白いよね。昭和の初めのころは、ちゃんと手を着いてたんだ。その後は、もう、手を着かない。(昭和時代の相撲の)映像を見ても、全然、着いてない。いまじゃルール違反ですけど、当時はそれでよかったんだよね」 「だから、どういう時代の横綱が一番強いかというのは、難しいでしょう。どの時代の人が強いかは、相撲も違うし、やってみた人にしかわからないんだから。昔の時代と、いまの時代と、実際にやってみたらどっちが強いかというのも、難しいですよ」 現在進行中の日馬富士暴行問題にまつわる言動はともかくとして、24歳の白鵬は極めてまっとうな「相撲論」を語っていた。ボクシングや柔道に様々なタイプの王者がいるように、大相撲にもいろいろな個性を持つ横綱がいてもいいはずである。貴乃花親方の説く相撲道は確かに正論だが、だから白鵬が間違っているとは、私には言えない。あかさか・えいいち スポーツライター。1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒。日刊現代・スポーツ編集部記者を経て2006年独立。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園――記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)、『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)、『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

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    白鵬と稀勢の里 黒星相撲に見る両横綱の対照的な心理

     臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になった著名人をピックアップ。記者会見などでの表情や仕草から、その人物の深層心理を推察する「今週の顔」。今回は、大荒れの大相撲初場所をウォッチ。 * * * 波乱が続く大相撲初場所、横綱白鵬だけでなく稀勢の里も休場となった。元横綱日馬富士の暴行問題で減給処分を受け、横綱審議委員会からは立ち合いでのかち上げや張り手を批判されていたが、2場所連続41度目の優勝を狙っていた白鵬。そして、ケガによる休場明け、「戦える準備ができた」と初場所前に語っていた稀勢の里。黒星となった取り組み後の様子から、対照的な二人の横綱の表情を見てみよう。 初場所3日目、稀勢の里が関脇の逸ノ城に破れると、場内は静まりかえった。だが白鵬が前頭の北勝富士に負けると歓声が上がった。立ち合いのタイミングが合わずに仕切り直し。組んだ後は押し出されて土俵の下に落ちた白鵬。顔を上げると、負けた時によくやる口を尖らせる仕草を見せた。自分の相撲に納得がいかないのか、終わったばかりの取り組みに不満があるのか、悔しさや納得がいかない、面白くないという気持ちを示しているのだろう。大相撲一月場所2日目の白鵬=2018年1月15日、両国国技館(撮影・中井誠) 左手を大きく振りながら土俵に戻ると、唇を固く結び一瞬、北勝富士を凝視する。礼をするように頭を下げたまま、くるりと背を向け、再び2度、口を尖らした。納得のいく相撲ができず、闘士がまだまだ納まらない。そんな印象の仕草ではないか。それだけ勝利へのこだわりが強いのだろう。花道を戻る時も口はへの字。よほど負けたことが悔しかったと推察できる。白鵬は比較的感情が表情や仕草に表れやすい力士である。表情や仕草でマイナス感情やストレスを表に出すことで、無意識のうちに自らの心を落ち着かせようとしているのかもしれない。 そして迎えた4日目、相手は関脇の嘉風。九州場所では土俵の外まで寄り切られて初黒星を喫した後、茫然とした顔で立ち上がり、左手を挙げて立ち合い不成立をアピール。行司の軍配が返っていたにも関わらず、物言いをつけて、横綱の品格を問われた時の対戦相手だ。 見合った時の表情はいつもと変わらないが、はたき込まれて土俵に手をついた。起き上がると、やはり口先を尖らしたものの、左手が力なくぶらぶらと揺れている。白鵬にしては珍しい左手の動き。勝った時は、当然のことながら左手を悠々と力強く振るし、負けた時でも、その手を力なく揺らすようなことは滅多にないのだ。ますます無表情になる稀勢の里 場所中、保ち続けているはずの集中力が一旦、途切れたのだろうか? それとも自分の取り組みへの落胆と言えばいいのだろうか? 戦意を喪失したような、どこか投げやりな手の動きなのだ。 だが、それも一瞬のこと。礼をすると、口を尖らして思い切り息を吐き、花道でも下唇を強く噛んだ。歯痒さといら立ちが大きいのだろうか。そして足を軽くひきずりながら、苦々しそうに顔をしかめ、鼻と眉間にシワを寄せた。その表情には、思うようにいかない怒りだけでなく、悲しみや恥への嫌悪感など、複雑な感情が入り混じっていたようだ。マイナス感情をあえて表に出すことで、自分の心にそんな感情が積み重ならないようにしていると思われる。 一方、稀勢の里はマイナス感情やストレスが表情や仕草に出にくく、内側に抑え、ため込みやすいタイプだ。そんな“おしん”のような耐える性格が、力士として愛される所以でもあるが、黒星が続くと、抑え込んだマイナス感情が膨らみ、気持ちに余裕がなくなってしまう。 4日目には大関琴奨菊に突き落としで金星を配し、土俵に転がった。起き上がると土俵際で右膝を立て、土俵に左手をつき、しばしうなだれた。そこには悔しさというより、失意と情けなさが透けて見える。土俵を下りてからも、一点を見つめたままだ。頭の中で今の取り組みを思い返し、「なぜだ? どこがいけない?」と自問しては堂々巡りになっているように見える。思いつめると、ますます動きがなくなり、無表情になっていくようだ。。大相撲初場所・5日目 嘉風(奥右)に押し倒しで敗れた稀勢の里。=2018年1月18日、両国国技館(撮影・蔵賢斗) それでも5日目の早朝稽古の後は「最後までやり抜く」とでコメントした稀勢の里。取り組みでは嘉風に押し倒され、土俵下に転落してしまった。視線を上げることなく礼をすると土俵を下りた。自分自身の相撲に自信がもてなくなったのだろう。横綱らしい相撲を取れない、見せられないという思いが強いのか、まっすぐに前を見ない。そのまま稀勢の里は、顔を上げてはいるものの視線を落とし、無表情で花道を戻っていった。視線の動きだけでなく、表情がないことで、かえって精神的な辛さを想像させてしまうのだ。 立ち合いに迷いがあると言われた白鵬、そして休場続きで相撲の勘が戻っていないと言われた稀勢の里。それぞれの心中はおもんばかるしかないが、なんとも重たい空気がたちこめる角界だけに、次の場所こそ、ぜひともスカッとする相撲を見せてほしいと願うばかりだ。関連記事■ 白鵬が相撲協会の人種差別匂わせる発言 単なる舌禍で済まず■ 稀勢の里が大鵬、隆の里、貴乃花に並ぶガチンコ横綱に■ 朝青龍、白鵬、稀勢の里ほか… 近年の大相撲名勝負3選■ 稀勢の里 綱取りは2015年の前半が最後のチャンスにと評論家■ 5月場所は支度部屋にも異変、白鵬が稀勢の下座に座る日

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    相撲協会にとっても痛い「最弱横綱」稀勢の里の不甲斐なさ

    小林信也(作家、スポーツライター) 横綱稀勢の里(31=田子ノ浦)が休場した。初場所5日目を終えての成績は1勝4敗。年6場所制となった1958年以降、横綱では6人目となる5場所連続の休場となった。5日目の朝稽古の後には「やると決めたら最後までやり抜く」と語ったというが、4敗目を喫し、さすがに休まざるを得ない状況にまで追い込まれたとみるのが自然だろう。 「もうひと場所全休し、体調と相撲勘をしっかり戻してから復帰した方がよかった」 相撲界やファンの間では、そんな声が早くも聞こえてくる。1月5日の稽古総見で豪栄道に2勝3敗、横綱鶴竜に3戦全敗し、まだ復調の兆しが見られないことから、横綱審議委員会の北村正任委員長も「休場もやむなし」と発言。いわばお墨付きをもらったのだから、無理して出る必要はなかった。 大きな騒動があって混乱が続く相撲界に、爽やかな風を吹かせる唯一の特効薬は「日本人横綱、稀勢の里の活躍、そして優勝」が何よりだと、そんな重圧や責任感もあったのだろうか。しかし、その思いはあえなく空回りし、いよいよ深刻な空気も漂い始めた。同じく休場が続いていた鶴竜は、今場所の結果次第では「進退問題になる」との見方もあったが、稀勢の里はまだその段階ではないと空気が支配的だった。ところが、これだけふがいない相撲が続くと、「進退に影響」との活字がメディアで踊るのも当然である。 初日からの相撲を見ていると、まったく威圧感がない。横綱になかなか昇進できなかったのは、誰もが知る稀勢の里の「弱気の虫」だ。横綱昇進の勢いの中で、それが姿を消したかに見えた時期もあったが、けがに水を差されると、やはり「弱気」が稀勢の里を支配し始めた。思い切った相撲が取れていない。勝ちに行く相撲ではなく、負けない相撲をして逆に、攻めが遅くなる。慎重に行けば行くほど、相手に見切られて敗れる。本来なら横綱が相手を見下ろして取るべきところだが、はっきり言って平幕の格下力士の方に余裕さえ感じられる。いなされたり、たぐられたりして、横綱は何度も土俵の上を転がった。琴奨菊に突き落としで敗れた稀勢の里 =2018年1月17日、両国国技館 初場所の稀勢の里の取組を振り返ると、特に目立ったのが足腰の軽さだ。4日目には、土俵のほぼ中央で琴奨菊に突き落としで転がされた。まわしの位置が高い。無防備に突っ立ったような態勢で、楽々と技をかけられている。3日目の逸ノ城戦でも、立ち会いは互角にも見えたが、そこからあっさりと逸ノ城に優位を取られた。両者の足腰の重さの違いは歴然だった。横綱昇進前後の取組は、どっしりと土俵に根が生えた感じがあったが、この取組では重さを感じさせたのは逸ノ城の方であり、稀勢の里はやけにふわふわと浮いているようだった。今場所の逸ノ城も決して好調とは言えないが、それでも楽々してやられた。 横綱が5日目で4敗ともなれば、休場という判断はやむを得ない。それは「負け越しても降格しない」横綱ゆえの面子(めんつ)ばかりではなく、相撲協会にはそれが容易に許されない「カラクリ」もある。平幕力士が横綱が勝つと「金星を挙げた」と表現するが、これは名誉だけの話ではない。力士褒賞金の支給額が一律4万円プラスになる。つまり、年6場所で24万円の昇給になる。協会にすれば、単純に出費が増える。金星を「安売り」をされれば、それこそ協会の懐を直撃するのである。稀勢の里が負けた時の「出費額」 稀勢の里は2017年11月場所で5個の金星を配給し、武蔵丸と並ぶ不名誉な最多記録をつくった。今場所はすでに3個、たった2場所で8個もの金星を許してしまったのである。下世話な言い方かもしれないが、これは年間192万円の出費を協会に与えてしまったことになる。しかも、この褒賞金は減ることがなく、力士が現役を続ける限り支払われるから、仮に金星を挙げた力士たちがその後も5年間現役を続けると、出費の総額は約1千万円にもなる。決して笑えない数字だろう。つまり協会の側に立てば、平幕力士に簡単に負ける横綱を大目に見続けるわけにいかないのである。 稀勢の里の今場所は「序盤が勝負」と見ていた。初日、二日目、そして三日目あたりまで無難に白星を重ねることができたら、思い切った相撲が取れるようになるのではないか。稽古総見では、いいところがなかったが、三日後の8日に行われた二所ノ関一門の連合稽古では、琴奨菊、嘉風を相手に「三番稽古」(同じ相手と続けて相撲を取る稽古)をして14勝3敗。復活を感じさせる内容だった。不安材料も多いが、無難なスタートさえ切れたら、そんな期待もあった。ところが、初日に敗れた相手は新小結の貴景勝。いま売り出し中の若手力士だ。 二日目は北勝富士。ここまで3場所連続で金星を挙げている「横綱キラー」である。稀勢の里に敗れた後に白鵬を破り、土佐ノ海と並ぶ4場所連続金星のタイ記録に並んだ怖い存在だ。そして三日目が逸ノ城、四日目は元大関の琴奨菊、五日目嘉風と、気を抜く間がない。いずれも元気者、くせ者、簡単には取らせてくれない相手ばかりだった。稀勢の里ファンにすれば「もう少し取りやすい力士から場所に入れれば…」とぼやきたくなるような顔ぶれだったに違いない。大相撲初場所5日目。嘉風に押し倒しで敗れ、4敗目を喫した稀勢の里(手前) =2018年1月18日、東京・両国国技館 だが、これらの力士を簡単に翻弄(ほんろう)してこその横綱である。いまの稀勢の里には残念ながらそれだけの余裕がない。横綱と平幕の力が逆転してしまっているのだろうか。そう考えると、なんだか新しい展望も見えてくる。つまり、横綱稀勢の里の弱さを嘆くのでなく、新しい力の台頭、若い役者たちが多数登場している現状を歓迎するのも一興(いっこう)ではないか。 初場所7日目までで7連勝と破竹の勢いをみせる関脇・御嶽海は24歳、阿武松、貴景勝は21歳、けがで足踏みしてしまった遠藤、逸ノ城も復活の兆しが見えつつある。 くだんの日馬富士事件で、貴ノ岩が言ったとされるせりふではないが、相撲界の世代交代は思った以上に進み、期待の力士たちの台頭が著しい。貴乃花親方が構想しているという「第二相撲協会」をつくらなくても、古い慣習に毒された力士たちはまもなく一掃され、新しい姿勢の持ち主たちが土俵の中心を担う。 そんな初夢を見る方が、相撲ファンにとっては前向きなのかもしれない。稀勢の里がその輪に入るのであれば、しっかりと休み、身体と勘を磨き直した方がいい。素人目ではあるが、けがはすでにかなり回復しているように思える。後は自信の回復次第である。稽古と巡業で準備を重ねてからでいい。次に土俵に上がるときは、今度こそ「進退」をかけた最後のチャンスになる可能性が高いのだから。

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    さらば、星野仙一

    星野仙一がすい臓がんで亡くなった。プロ野球選手引退後は中日、阪神、楽天で監督を務め、2013年の日本シリーズでは東北楽天を初優勝に導いた。「闘将」の名にふさわしく、数々の乱闘劇や選手に檄を飛ばす姿も印象深いが、彼が野球界に残した功績をたどると、意外な一面も見えてくる。

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    星野仙一が灯した情熱の炎を絶やしてはならない

    小林信也(作家、スポーツライター) 星野仙一さんの訃報が伝えられた。突然のことで、驚いたファンが多かったに違いない。ここではあえて、星野監督と呼ばせていただく。 「ONキラー」「巨人キラー」と呼ばれた現役時代の闘志あふれる投球は私が語るまでもない。監督としての実績も同じだ。中日で勝ち、阪神で勝ち、そして楽天を日本一に導いた。日本シリーズ第7戦、9回のマウンドに田中将大投手を送った。田中はその前日にも160球を投げており、いまでも批判する人がいるが、その論拠がわからない。あれは、東日本大震災で被災し、懸命に復興の日々を過ごす東北の人たちに命の火を注ぐ、当然の采配だった。プロ野球日本シリーズの優勝を決め星野仙一監督と握手をかわす田中将大投手 =2013年11月、Kスタ宮城(大西正純撮影) 東北の人ばかりではない。放射能汚染の不安が覆い、暗く気持ちが沈み、どこか自信と希望を失いかけていた日本中の人々に、理屈抜きの興奮と生きる意志をかきたてた。田中将大投手とともに星野監督は、戦後日本プロ野球が、日本の歴史の中で燦然(さんぜん)と輝く、野球が日本社会に大きな活力を与えた出来事を成し遂げた。 私はあの年の楽天の日本一は田中将大投手の24連勝とともに、天覧試合で長島茂雄がサヨナラホームランを打った、それくらいの影響力を持つ快挙だったと感じている。「巨人が嫌いでも長島のことはみんな好き」と言われる。それは天衣無縫なキャラクターのためだけでなく、昭和34年、天皇陛下が初めてプロ野球(発足当初は職業野球と蔑まれてもいたもの)をご覧になった試合で、つまり大衆がその当時最も熱を上げていた娯楽の素晴らしさを、サヨナラホームランという劇的な形でお見せした。それをやってくれた長島に、感謝と興奮を深く感じているからだという。 田中将大投手もまた、昨今のメディアスターの中では珍しく、「嫌いだ」という声をほとんど聞かない。田中がたとえこの先活躍しなかったとしても、日本では永遠にリスペクトされ、愛され続けるに違いない。それは、あの試合でマウンドに上がり、日本一を決める最後のアウトを田中将大投手とともに奪うことができた。巨人ファンでさえ、心の中で楽天の勝利を願っていたと言われるほどの感激と興奮が球場全体に、そしてテレビを通じて全国に伝播(でんぱ)していた。単なる優勝の感激でなく、特別な感慨を持って日本が同じ光景にくぎ付けになった、数少ないスポーツの名シーンのひとつだ。それを迷わず遂行するセンスと実行力を星野監督は兼ね備えていた。時に泥臭く時にスマート もうひとつ、あまり語られない、星野監督の功績を伝えたい。 阪神の監督を退いたあと、阪神のシニアディレクターとして忙しい毎日は過ごしていたが、監督時代のヒリヒリするような毎日とは違い、次第に生きるモチベーションを失いかけていた時期があるという。そのころ、同じ岡山出身の縁で親交のあったスポーツマーケターの岡本佳文さんから打診を受け、アメリカのマイナーリーグ球団に出資し、共同オーナーになった。その最大の理由は、「次の野茂やイチローを育てるため」ではなかった。 これからは日本のプロ野球でもフロントを担うプロフェッショナルな人材が必要だ。選手だけでなく、ビジネス側のプロフェッショナルを育成するためにマイナーリーグの共同オーナーになり、球団ビジネスを志す若者に本場でインターンの経験を積ませる機会を提供する。その提案を受けて星野監督はすぐ答えたという。 「それ、いいじゃないか。ぜひ、やろう!」 マイナー球団を所有する最大の目的は、フロントの人材育成。本来は、野球ビジネスのプロフェッショナルが必要だからだ。そのことを星野仙一監督はすぐ理解し、行動を起こした。グラウンド内の戦術や選手育成だけでなく、プロ野球マネジメントの全体を見据え、発想できる視野と感性の持ち主だった。そして、人知れず実践し、人を育てることで着実に野球界の変化に貢献していた。プロ野球日本シリーズ第4戦、サヨナラ本塁打を放ち、 星野仙一監督(左)に 迎えられる阪神・金本知憲外野手=2003年10月、甲子園球場 それから約十年の間に、何名もの日本の若者がアメリカのマイナーリーグで本場の経営とサービスを肌で学んだ。そして、実際に日本の球団に就職したり、スポーツビジネスの現場で活躍する多くの人材を輩出している。その試みは「ホシノ・ドリームズ・プロジェクト」の名で、少年野球の海外交流、スポンサーの付きにくいスポーツの選手やパラリンピアンのサポートなどを行う活動に発展している。人前、そしてテレビカメラの前に立てば時に熱く泥臭く、時にスマートで弁も立つ、カッコよすぎて憎らしいほどのスタイリストだったが、決して目立ちたがり屋のパフォーマーではなかった。人知れず、こうしたグラスルーツ(草の根)にも情熱を注ぎ、日本の野球を原点から育て直そうとする意識と情熱の持ち主だった。 あまりにも突然で早すぎる旅立ちは、日本の野球界にとって、大きな損失であるのは言うまでもない。日本野球は、人気の減退が進み、野球少年が減少、野球どころかキャッチボールをする場所が都会だけでなく地方にもなくなっている深刻な状況を変える役割を担っていただきたかった。旧態依然のプロ野球の改革も、誰かが本気で声を上げ、行動しなければ手遅れになる。その先頭に立てる人物は限られている。いまその貴重なひとりを日本野球は失った。 心から星野仙一監督のご冥福をお祈りします。そして、その熱と強い意志をくんで、本格的な日本野球改革の動きが起こることを野球少年のひとりとして、願ってやまない。

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    追悼。闘将・星野仙一氏の鉄拳と人情と再建手腕

    ィアの発信力をうまく利用した。筆者にも忘れられない思い出がある 筆者にも忘れられない思い出がある。 スポーツ新聞の記者時代、第一次政権の最終年となる1991年の終盤に「星野続投」と打った。だが、星野監督の退任が決まっていて“特オチ”した。翌朝、一番で星野さんの自宅へうかがった。すでに中日スポーツの星野番記者がリビングに上がりこんでいた。進退については、「色々と新聞が書いているなあ」と言っただけで、それ以上、触れなかった。しばらくして星野さんは、もう出かけるという。何も収穫のないまま退散となりかけたときに星野さんが言った。「おまえは残っとけ」。中日スポーツの記者を帰らせ、愛車だったベンツの助手席に乗せてもらった。 「おまえはアホやな。3年も優勝を逃して来年も監督をできるわけがないやろ」 辞任だった。 「今から加藤オーナーに会いにいく。おまえはビルの近くでわからないようにして降りろ。それまでに聞きたいことを聞け。全部話してやる。いいように記事にせえや」  その車中での一問一答を記事にした。退団を“特オチ”したが、コメントをひとつも出していなかった星野さんが自らの辞任と、その理由を語ったインタビュー記事は、ほんの少しだがミスを挽回する内容になった。星野さんの人情だった。以来、顔を合わせるたびに何十年も「おまえは俺に借りがあるやろ」とつつかれた。 阪神を優勝に導きながら健康上の理由で電撃退任した際には、誰一人特オチの記者がでないように事前に番記者に伝え「シリーズが終わったら書け」と語っていたという。 星野さんはサインを求められると達筆な筆を使い「夢」と書いた。 北京五輪で代表監督として失敗。コミッショナーに就任して日本のプロ野球を大改革しようという野望は挫折した。しかし、星野さんが抱く「夢」が消えることはなかった。 野球殿堂入りが決まったちょうど1年前に「今は楽天の副会長だが、楽天だけにとらわれず、これからは少年野球、アマチュアも含めて野球界全体のことを考えて行動したい。底辺を拡大していかないと野球界は破滅してしまう」という話を熱弁した。野球殿堂入りを祝う会で、孫たちから祝福され笑顔を見せる星野仙一氏=2017年11月 「全国の子供が野球をできる環境を整わせないといけないよな」 星野さんが目を向けていたのは野球界の未来だった。70歳。燃える男・星野仙一の早すぎる永眠。その思い出を辿ると涙が溢れた。(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社) 

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    星野仙一氏が語っていた金本阪神移籍秘話

    投資が勝利につながれば、確実な経済効果を生む、という資金力のあるメジャーのトップチームが採用していたスポーツマネジメントである。  そして、半ば強引に見えた交渉哲学には「信義」があった。「駆け引きはあかん。お互いが信義を示し、認めあうことができれば、後はどうにでもなる」 その「信義」とは「選手の将来を考える」という譲れぬ信念でもあった。だから、来た人も去った人も、今、永眠した星野氏へ感謝をこめて惜別の思いを語るのである。 結局、2002年オフ、星野阪神は、金本氏に加え、メジャーから伊良部秀輝氏を凱旋させ、後に“JFK”の一人になる左腕のジェフ・ウィリアムズを獲得、日ハムとの間で下柳剛氏、野口寿浩氏、中村豊氏対坪井智哉氏、山田勝彦氏、伊達昌司氏の大型トレードを成立させた。およそチームの3分の1となる26人もの人間を入れ替えたのだから、もはや別のチームに生まれ変わったと言ってよかった。 星野氏の思惑通り、金本氏はフルイニング試合出場を続け「何があってもゲームを休まない」という、その姿勢は阪神に蔓延していた「どこが痛い、あそこが痛い」ですぐにトレーナー室に駆け込むという“悪習”を撲滅した。試合後にバットスイングとフィジカルトレーニングを終えてから帰宅するという金本氏のライフスタイルを赤星憲広氏らの若手が見習うようになり、チームの空気は一変した。星野氏が、放り込んだ金本という“劇薬”がチームに見事な化学反応を起こしたのである。星野仙一氏の訃報を受けて取材に応じた阪神の金本監督。球団事務所に飾られた星野氏の胴上げ写真を見つめていた=2018年1月6日、兵庫県西宮市 この年、阪神は18年ぶりにリーグ優勝した。  昨年12月に大阪で行われた「殿堂入りを祝う会」で星野氏は、「生きているうちに阪神と楽天の日本シリーズを見たい」と言った。監督就任と同時に“超改革”を掲げて3年目に突入する金本監督の胸の内には、星野氏が行ったチーム改革がイメージとしてあるのだろう。 星野氏への追悼コメントを残すために球団事務所を訪れた金本監督は、2003年に甲子園で胴上げされている星野氏の写真パネルを長い時間、ずっと見つめていたという。(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)

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    星野仙一が演じた球史に残る「日本シリーズ」

    門田隆将(ノンフィクション作家) なぜ今年の日本シリーズは、これほどの感動をもたらしたのだろうか。7戦目までもつれこんで、王者巨人を3対0で破り、球団創設9年目の初優勝を遂げた楽天の歓喜が爆発するシーンを、私は瞬きもせず、見つめていた。 長く野球を見ているが、日本シリーズでこれほど感動した優勝は、記憶にない。前日、160球を投げて敗れた田中将大が9回のマウンドに上がった時、テレビで野球解説をしていた古田敦也、工藤公康の両氏も絶句していた。ポストシーズンも含めて、昨年からの連勝日本記録を「30」でストップされた田中。その田中がパンパンに張った肩をものともせず、マウンドに上がったのである。 田中の将来を考えれば、あり得ない采配であり、野球の本場・メジャーから見れば、“クレイジー”な登板である。だが、試合後の星野監督のインタビューでそれが田中自身の「志願」であったことが明らかになった。日本シリーズ第7戦で優勝し胴上げされる楽天・星野仙一監督(当時)=2013年11月  「どうしたって、田中が“行く”と。彼がいたから(楽天は)日本シリーズに出れたわけですから。最後は彼に託しました」と、星野監督が“内幕”を吐露したのだ。 こうして「あり得ないシーン」が現実に目の前で繰り広げられたのである。来年はメジャーに進むだろう田中の闘志と、ファンの必死の思いが共鳴して、最終回は異様な空気となった。それが、テレビの画面からも見てとれた。そして、うねりのような東北の応援の声が、田中の背中を押し、鬼のような気迫で、ついに巨人をねじ伏せた。球史に残るシーンだった。 私は、田中将大投手を駒大苫小牧時代に取材したことがある。それは、拙著『甲子園の奇跡』(講談社文庫)に収められているが、彼にとっては、史上2校目の夏の甲子園3連覇を早稲田実業の斎藤佑樹投手に阻止された失意の頃だった。 遠く北海道の苫小牧まで赴き、田中にインタビューした私は、寡黙ながら秘めた闘志のこの青年の将来が気になった。あの時点で“ハンカチ王子”斎藤佑樹投手に水を開けられていた田中は、「絶対に負けない」という闘志で精進をつづけ、押しも押されもしない“日本のエース”となった。来年は、田中の「師匠」でもあるダルビッシュ有とメジャーで投げ合うだろう。二人の実力は、そのままメジャーのトップを争うものになるに違いない。感動を呼んだ田中の登板 先発の美馬、中継ぎの則本、そして抑えの田中。今日、楽天の3人が投げた“魂の入ったボール”は、間違いなく日本シリーズの歴史に残るものだった。闘志、気迫、魂……どんな言葉でも言い表せない投球だったと思う。 いったい何に感動したんだろうと、私はずっと考えていた。そして、あることに気がついた。それは、田中の志願の登板が、「自分のため」ではなく、「他人のため」だったことである。 田中が「自分のこと」だけを考えていたなら、肩を壊す危険性もある連投は絶対に「避けた」だろうし、「避けなければ」ならなかった。メジャーへの挑戦という大いなる未来があるなら、なおさらだ。だが、田中は、「自分のこと」よりも、「腕が千切れても登板を」という方を選んだのである。日本シリーズ第7戦で優勝を決め、嶋基宏捕手と抱き合って喜ぶ田中将大投手(当時)=2013年11月 私は、あの阪神淡路大震災の時に、イチローを擁したオリックスが“がんばろうKOBE”をスローガンに掲げて、震災の年(95年)と、翌年(96年)にパ・リーグ連覇を成し遂げ、2年目に「日本一」となったことを思い出した。 あの時、阪神淡路大震災の被災者がどれだけ勇気づけられたか知れない。一方、若い球団である楽天は、オリックスのように震災のその年にリーグ優勝することはできなかったが、東日本大震災から3年目に「リーグ優勝」と「日本一」を成し遂げたのである。 楽天の優勝をあと押しする人智では推し量れない“何か”があったのかもしれない。しかし、それは、田中が最終戦に見せた「自分のため」ではなく、「他人のため」という姿が呼び寄せたような気がする。 それは、田中にかぎらず、3番打者の銀次をはじめ、岡島、藤田、嶋…等々、ナインに共通していたように思う。そこが、観る人をあれほど感動させたのではないだろうか。2013年プロ野球の締めくくりに相応しい感動の試合を楽しませてもらった。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2013年11月3日分を転載)

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    星野仙一監督 鉄拳制裁の裏にあった選手への愛情

     1月4日に楽天の星野仙一球団副会長がすい臓がんで亡くなったことがわかった。70歳だった。星野氏は1968年秋のドラフトで中日から1位指名を受け、入団1年目から8勝を挙げた。1973年からは5年連続2ケタ勝利をマークするなど中日のエースとして活躍。通算146勝は山本昌広(後に山本昌)、杉下茂に次ぐ球団3位の記録である。 1982年限りで現役を退くと、NHK解説者を経て1986年オフに中日の監督に就任。その直後にパ・リーグで2年連続三冠王に輝いた落合博満を1対4の交換トレードで獲得。2年連続Bクラスに終わっていたチームに喝を入れ、就任2年目の1988年には悲願のリーグ優勝を果たした。星野監督は若手を育てることに長けており、この年はPL学園から入団した高卒ルーキーの立浪和義をショートに抜擢。21歳の中村武志を正捕手に登用した。野球担当記者が話す。「当時がそういう時代だったということもありますが、星野氏の中日監督時代といえば、“鉄拳制裁”が思い浮かびます。特に中村は何度となく鉄拳を食らっていたし、他の選手も文字通り痛い目に頻繁に遭っています。それなのに、星野監督の悪口を言う選手は聞いたことがない。それどころか、未だに慕っている選手ばかりなんです」2000年8月、横浜-中日戦で完封勝利を挙げた山本昌投手(右)と握手をかわす星野仙一監督=横浜スタジアム 優勝した1988年のシーズン終盤、スクリューボールを武器にチームの救世主となった山本昌広は自著『133キロ快速球』でこう語っている。〈星野監督は僕を怒って一人前にしてくれた。どれだけ怒っても、最後は使ってくれた(中略)野球選手にとって、これに勝るフォローは存在しないのだ〉 1年目から起用され、1994年には本塁打王と打点王を獲得した大豊泰昭も自著『大豊』こう記している。〈星野監督は言ったことを守る人だ。選手を叱っても必ずそのあとにチャンスをくれる〉 高卒2年目の1990年にローテーション入りし、以降、中日のエースとして活躍した今中慎二も同じことを感じていた。自著の中でこう記している。〈当時の若い選手が星野監督の厳しい指導についていけたのは、どんなに怒鳴られてもまた試合に出してもらえるという期待感があったから、といえます〉(『中日ドラゴンズ論』より) どんなに厳しくされても、愛情があったからこそ、選手はついてきた。数々の名選手を育てた闘将の死はあまりに早過ぎる。関連記事■ TBS『消えた天才』ヤクルト伊藤智仁特集に疑問の声多数■ 大谷翔平「風俗店に直筆サイン」騒動で球団が火消しに奔走■ 20歳で逝った巨人ドラ1位 地方出身高卒投手が陥るパターン■ オリックス・駿太 登録名変更はイチロー獲得の兆候か?■ 日ハム・栗山監督「清宮はサードも守れると聞いた」

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    確執報道もあった星野仙一と落合博満 監督としての共通点は

    いう落合と、時に鉄拳制裁を食らわせながらも選手を育てていた星野氏の野球観が一致していたとは言い難く、スポーツ紙などで度々確執が報じられていた。 1988年を含め、中日ドラゴンズは球団創設以来、9度のリーグ優勝を果たしている。そのうち2度は星野氏(1988年、1999年)、4度は落合氏(2004年、2006年、2010年、2011年)であり、2人で3分の2を占めている。星野氏は2003年には阪神を18年ぶりに、2013年には楽天を球団創設初の優勝に導いており、2人ともプロ野球史に残る名将と言って差し支えないだろう。2011年2月、中日とのオープン戦の試合前、落合博満監督(右)とメンバー表を交換する楽天・星野仙一監督(森本幸一撮影) 一見、馬が合わないように見える2人には、監督としてある共通点があった。1990年代、中日のエースだった今中慎二は自著『中日ドラゴンズ論』で星野監督が落合に怒りを爆発させた場面を見て、仰天したと書いている。1990年5月24日の巨人戦、絶不調に陥っていた落合は2回、セーフティーバントを試みる。まさかの行動に巨人は意表を突かれた格好に。この出塁をキッカケに中日はこの回、2点を奪って逆転した。しかし、試合後のミーティングで星野監督は落合にこう激怒したという。「なんでバントなんかしたんだ! バントさせるときは俺がサインを出す。勝手にやるな。4番なんだから4番らしい仕事をせぇ。罰金だ!!」 これを目の当たりにした今中は〈「怒る」星野監督のもとチームが結束していたのは、若手でもベテランでも、もちろんコーチに対してでも特別扱いしなかったことが大きかったと思います〉〈星野監督は筋が通った監督だったと思います〉などと綴っている。野球担当記者が話す。「特別扱いしない」難しさ「この試合は2度の乱闘が起こり、星野監督が巨人の水野雄仁にビンタを喰らわせた有名な試合でもあります。もしかしたら色々な怒りが混ざっていた上での発言かもしれませんが、当時既に日本野球史に残る大打者だった落合を皆の前で叱るのはなかなかできないこと。 プロ野球の世界は実績が全てという考え方も根強く、監督やコーチでも大選手にはもの申せぬ空気があることは間違いありません。自分の現役時代の実績と比較してしまい、場合によっては遠慮してしまうこともある。 星野監督は前人未到の3度の三冠王を獲得した落合にも臆することなく、叱咤した。この言動がチームに良い緊張感をもたらしていたことは間違いありません。落合も感じるところがあったのでしょう。これ以降、現役生活でバントを1度も試みていないはずです」 2004年、中日・落合監督が誕生すると、レギュラーだろうと若手だろうと関係なく、選手を練習で鍛え上げた。「落合監督の口癖は『俺の成績を超えたら、いくらでもおまえの能書きを聞いてやる』。裏を返せば、『俺の成績も超えられないのに偉そうなことを言うな。能書き垂れる暇があったら練習しろ』ということです。現役時代の圧倒的な実績があったとはいえ、落合監督は誰であろうと特別扱いせず、徹底的に鍛え上げた。それによって、荒木雅博と井端弘和の鉄壁の二遊間が出来上がり、在任8年で4度のリーグ優勝、1度の日本一に繋がったのではないでしょうか」(同前) 誰も特別扱いしない――。当たり前のようでいて、できないことを遂行したからこそ、星野氏も落合氏も名将になり得たのだろう。関連記事■ 星野仙一監督 鉄拳制裁の裏にあった選手への愛情■ 金田&米田氏 合計750勝の名投手が阪神・藤浪にアドバイス■ 20歳で逝った巨人ドラ1位 地方出身高卒投手が陥るパターン■ 部屋で寝泊まりする貴乃花親方、家族は堂々と部屋に来る■ 花田優一の義父・陣幕親方 年寄総会で八角理事長を袖にする

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    政治利用される平昌五輪に日本は「不参加」の選択肢があってもいい

    小林信也(作家、スポーツライター) 2017年末、平昌五輪の代表選考を兼ねたフィギュアスケートの全日本選手権が行われた。男子は羽生結弦がケガのため今大会を欠場したが、過去の実績を評価されて代表に選出された。ケガの復調具合が心配だが、平昌五輪では前回ソチに続く2連覇を狙っている。 羽生だけでなく、平昌五輪は冬季五輪で前例がないほど、多種目で日本人選手の金メダル獲得が期待されている。スピードスケート女子500メートルの小平奈緒、ジャンプの高梨沙羅ら「絶対本命」もいる。スノーボードでも男女とも複数のメダルが狙えると注目されている。選手たちが順調に実力を発揮すれば、1998年の長野五輪の金5個、銀1個、銅4個、計10個を超える可能性もある。2月9日の開幕早々にフィギュアスケート団体予選で日本が好スタートを切り、4日目のスキージャンプ女子ノーマルヒルで高梨沙羅、伊藤有希がメダルを獲得すれば、一気に五輪フィーバーが巻き起こり、不安な世界情勢など忘れたお祭り騒ぎに日本列島が浮かれる可能性も高い。2017年4月、フィギュアスケート世界選手権男子で3季ぶり2度目の優勝を果たした羽生結弦が帰国し、多くのファンから出迎えを受けた=羽田空港(今野顕撮影) だが、政治的、社会的な観点からは、平昌五輪自体の開催や成功が危ぶまれてもいる。12月2日の産経新聞は次のように伝えた。 北朝鮮の核・ミサイル危機を受け、欧州では平昌五輪への選手派遣を再検討する動きが出ている。 発端は、フランスのフレセル・スポーツ相が9月21日、ラジオで「状況が悪化し、安全が確保されなければ、フランス選手団は国内にとどまる」と発言し、派遣見送りの可能性を示唆したことだ。フレセル氏は翌日、ボイコットするわけではないと強調したうえで「私の役割は選手を守ることだ」と述べた。 フレセル氏自身が金メダルを獲得した元五輪フェンシング選手だったため、選手団の間には「家族は心配しており、危険を見極める必要はある。今は練習するだけ」(アルペンスキー選手)などの動揺が広がった。だが10月には仏五輪選手団が発表され、現在までに派遣差し止めの動きはない。 北朝鮮情勢への動揺が広がっていることに配慮し、IOCは9月22日、「関係国や国連と連携している。開催準備は予定通り進める」とする声明を発表した。「選手の安全は最重要課題。朝鮮半島情勢を注視していく」との立場を示した。平昌五輪で日韓が「駆け引き」 慰安婦問題で急速に冷え込む日韓関係にあって、平昌五輪が政治的な「駆け引き」に使われている。スポーツは、政治と無関係ではない。政治の舞台そのものだ。まず、11月15日の中央日報は次のように伝えている。 李洙勲(イ・スフン)駐日韓国大使が日本の河野太郎外相と会い、両国首脳間のシャトル外交復活に向けて努力することを確認した。 李大使は14日、外務省で就任の挨拶のため河野外相と会談を行い、韓日関係の未来志向的発展に向けた方案について意見を交換した。 この中で河野外相は「大統領の信任が厚い方が大使として日本に来られ、未来志向的な韓日関係につながっていくものと期待する」と話した。これに対し、李大使は河野外相に「先月の総選挙で、最多得票によって当選したことに対し、お祝いを述べたい」と答えた。李大使は会談後、記者団と会い、「来月あるいは来年1月に韓日中首脳会議が開催され、文在寅(ムンジェイン)大統領が日本に訪問した後、来年2月の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)の時に安倍晋三首相が訪韓すればシャトル外交が復活する」としながら「このために共に努力していくことを確認した」と述べた。 だが、12月19日に韓国外相との会談で日本の河野外相は否定的な見解を伝えたという。以下は朝日新聞の報道である。 19日にあった河野太郎外相と韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相との会談で、来年2月の韓国・平昌冬季五輪への安倍晋三首相の出席をめぐって日本側が韓国側を牽制(けんせい)する一幕があった。日本政府は慰安婦問題で韓国政府の対応に不信感を募らせており、外交的な「駆け引き」を仕掛けた格好だ。 複数の日韓関係筋が明らかにした。康氏が会談で「首相を平昌で歓迎したい」との文在寅(ムン・ジェイン)大統領のメッセージを伝えると、河野氏は文政権が2015年末の日韓合意に反する動きを見せていることに触れ、「このままでは(参加は)難しい」と伝えた。2017年12月、会談に臨む河野外相(左)と韓国の康京和外相=東京都港区の飯倉公館(代表撮影) 言うまでもなく、朝鮮半島は緊迫の度合いを増している。北朝鮮の動き次第で、世界的に戦闘的行動へ移行する一触即発の危機をはらんでいる。地理的にも、その影響を最も受ける国のひとつが日本でありながら、五輪を語り出すと日本人はそうした世界情勢の緊張感を忘れる。「平和ボケ」と呼ばれる兆候を示す端的な傾向だろう。スポーツを糾弾すればエンタメになる 私は北朝鮮の暴挙や韓国の姿勢を理由に「平昌五輪不参加」を強く提言する立場ではないが、スポーツをいつまでも万能な「平和の象徴」のように位置づけ、「スポーツ交流さえすれば仲良くなれる」「スポーツの感動さえあれば、世界は平和になる」という安易な思い込みからは早く脱却すべきだ。スポーツに打ち込む選手も指導者もそれを認識し、その上で「スポーツに何ができるか」を模索する深い目覚めと覚悟が求められている。2010年2月、バンクーバー五輪のフィギュアスケート女子表彰式で、銀メダルに終わり、こらえきれず涙を見せる浅田真央。右は金メダルの金姸児(キム・ヨナ)(鈴木健児撮影) 仮の話だが、想像してみてほしい。金妍児(キム・ヨナ)と浅田真央の戦いの舞台がもし平昌五輪だったら? そして、韓国の観客から見れば「不可解」と思われるジャッジで金妍児が敗れたとしたら。いやもしその相手が北朝鮮の選手だったら…。 競技を終えてノーサイド、互いに抱き合いたたえ合う、観客も心を同じくして深い友情の絆を感じる…。そのような美しい物語ばかりを期待できるだろうか。巨大なビジネスと化したスポーツ界には、巨額のお金と利権がうごめいている。選手はその膨大なビジネスのカギを握る中枢にいる。もはやセンチメンタルだけでスポーツは語れない時代だ。 ここ2カ月以上、テレビのワイドショーはずっと大相撲問題を取り上げている。スポーツをめぐる社会の空気が変わっている。お茶の間がスポーツを批判的な立場で糾弾し、「それがエンターテインメントになる」時代にシフトしたのだ。東京五輪のエンブレム問題、新国立競技場建設問題あたりから、急速に旗色が変わった。スポーツは賛美されるばかりの分野でなくなった。それはある意味、歓迎すべきことだと感じている。 果たして、平昌五輪もこの厳しい流れの中で、お茶の間を巻き込んだ新しい議論が生まれるのか。あるいは、やはり「空前のメダルラッシュへの期待」でお祭り騒ぎが国民の気分を支配するのか。日本人のスポーツに取り組む姿勢、そしてスポーツを通して実現を目指すべき中身の真価がいま問われている。

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    ロシアW杯、組織力ゼロでもハリルJ予選突破の確率は「100%」

    木崎伸也(スポーツライター) ここ3大会、サッカーワールドカップ(W杯)を開幕から決勝まで取材して気づいたことがある。それはW杯のグループステージのレベルは意外に高くない、ということだ。 決して選手のレベルが低いという意味ではない。チームをオーガナイズする各国の協会のレベルに差があるのだ。 W杯というのは、異国の地で、長期間(準備期間を入れたら少なくとも1カ月間)、大人数(選手23人+スタッフ十数人)が動く、チーム運営の戦いでもある。 合宿地の環境・食事・勝利給・移動・メディア対応など、いたるところでマネジメントの腕が試される。W杯の戦い方のノウハウを持つ強豪国以外にとっては未知の部分が多く、予想外のトラブルが起こりやすい。 たとえば2014年ブラジルW杯の時、ガーナ代表チームでは、選手と協会幹部がつかみ合いのけんかをしたり、監督に暴言を吐いたりして、大会中に2人の選手が追放になった。大会前からボーナスの未払いでもめており、火種がくすぶっていた。 いくらいい選手がいても、運営がずさんだと力を発揮できない。特にヨーロッパのトップクラブでプレーする選手は、環境が悪いと不満をつのらせやすい。W杯で100%の力を出せる国はまれなのだ。 そういう意味で、今回、日本にはチャンスがある。 実は2014年ブラジルW杯で、日本は運営面で致命的なミスをした。それはキャンプ地選び。試合会場が暑い場所にもかかわらず、気温が低いイトゥを大会中のベースキャンプ地としてしまったのだ。 抽選前にすでにイトゥを選んでいたのだが、それは言い訳にならない。なぜならドイツも当初はイトゥを選んでいたが、抽選で試合会場が暑い場所になったことを受け、急遽(きゅうきょ)気温が高い他の都市(カンポバイア)に変更したからだ。 日本の選手たちはイトゥと試合会場の気温差に苦しみ、体のキレを欠き、4年間積み上げてきた組織プレーを発揮できなかった。サッカーブラジルW杯2014、1次リーグ、日本代表対コロンビア代表。岡崎慎司(中央手前)が倒され怒る日本のアルベルト・ザッケローニ監督(同奥)=現地時間2014年6月24日、クイアバ(撮影・吉澤良太) 代償は大きかったが、その失敗が日本サッカー協会の財産になっている。2018年ロシアW杯の抽選会後、日本はカザンをキャンプ地に選んだと発表した。モスクワから800キロに位置し、日本が試合を行う3都市への距離感もいい。 率直に言えば、チームの完成度という点で、ハリルジャパンはザックジャパンに大きく劣る。それでも日本が決勝トーナメントに進める理由 ハリルホジッチ監督は、ボールの位置に応じて選手がポジションを修正するといった守備の基礎がないままに、激しくボールを追うことを求めている。選手間の距離が離れた状態でそれをやると、陣形に穴が開きやすく、個人でボールを奪えなかったときに簡単にパスをつながれてしまう。それが露呈したのが、11月の1対3で敗れたブラジル戦と0対1で敗れたベルギー戦だった。 ザッケローニ監督の母国イタリアでは、守備の細かな指導のノウハウが蓄積されており、選手たちに基礎を徹底的にたたき込もうとした。そのおかげでチームの組織力は極めて高い状態になっていた。 だが、サッカーをやるのはロボットではなく、生身の人間だ。どんなに優れた戦術があっても、コンディションが悪いと勝つことはできない。上に書いたように、ザックジャパンは2014年ブラジルW杯でコンディション管理に失敗した。 4年前の反省を生かして、いいコンディションで試合に臨めれば、ハリルジャパンはザックジャパンより好成績を残せる可能性がある。前述したハリルの戦術の「矛盾」については、ベテランを中心に選手たちが話し合って、自主的にバランスを取ってくれるはずだ。選手のみによる話し合いは意見が割れてネガティブに作用する場合もあるが、今回は意見が割れる可能性は低く、ポジティブに作用するのではないかと思う。東アジア選手権の日本代表メンバーを発表するハリルホジッチ監督=2017年11月29日、東京文京区(撮影・中井誠) さて、それでは日本と対戦する国(コロンビア、セネガル、ポーランド)の3つの中で、チームの運営面に不安があるのはどこだろうか。 ロシアは地理的にヨーロッパに分類されながらもアジアの影響を強く受けており、さらに長らく共産圏として独自の発展を遂げてきた。この文化圏に慣れていない国にとっては簡単な環境ではない。コロンビアはブラジルW杯で戦ったときほど自信満々ではなく、日本が2試合目に対戦するセネガルは、1試合目がピークでだんだんパフォーマンスが落ちていくのではないだろうか。逆にポーランドは地理的にも文化的にもロシアに近く、ポテンシャル以上の力を出せるだろう。 こういった情報を総合して、筆者は日本がグループステージを突破すると予想する。決勝トーナメントに進出するもう1カ国はポーランドだ。 最後にW杯の優勝争いについても簡単に触れよう。ファイナルはブラジル対ドイツになるとみている。前大会の準決勝の再戦だ。 前回の対戦は、ホームのブラジルがドイツに1対7で敗れるというショッキングな展開になった。ブラジルはその悲劇を忘れていない。ドイツのセンターバックのスピード不足を突いて、ブラジルがカウンターから点を奪い、W杯の頂点に立つのではないだろうか。

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    相撲協会・理事選の鍵となる「二所ノ関一門の“変人横綱”」

     日馬富士暴行事件に絡む貴乃花親方の処分問題は、2018年初場所後に控える相撲協会の理事選にも影響する。「10席」の理事ポストを巡る椅子取りゲームは、各一門で繰り広げられている。かつて貴乃花親方が所属していた二所ノ関一門では、往年の名横綱と名大関による水面下での激しい差し手争いが行なわれているようだ。 理事の当選ラインは8票ないし9票。20人の親方衆を抱える二所ノ関一門では、数のうえでは2人の理事を輩出できる計算になる。うち1枠は一門内での求心力が高く、協会ナンバー2の事業部長を務める尾車親方(元大関・琴風)で“当確”と目されているが、もう1席の行方が混沌としている。現在発売中の『週刊ポスト』(1月1日・5日合併号)の「角界100人相関図」を見ると、その状況が一目瞭然だ。芝田山親方=2017年1月(蔵賢斗撮影) もう一つの理事の枠は現在は二所ノ関親方(元大関・若嶋津)だが、10月に船橋市内の路上で倒れ、一時は意識不明の重体に陥った。一命は取り留めたものの11月の九州場所は“全休”し、現在も懸命の闘病中で、「理事を続けるのは難しい」(二所ノ関一門の親方)といわれる。その空席に座る最有力候補が現在は協会副理事の芝田山親方(元横綱・大乃国)で、当初は年内にも「次期理事候補」になると見られていた。ところがその雲行きが怪しくなっているという。「九州場所中に開かれた一門会では、尾車親方が“二所ノ関親方は徐々に回復していると聞く。そんな中で次の候補を決めるのは失礼”と発言して、候補者決定は年明けに延期され、初場所中の会合で決めることになった」(前出の親方) 背景には、一門内の引き締めが十分ではない状況がある。「一門内には“隠れ貴乃花派”といわれる親方が数人いる。佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)や、佐渡ヶ嶽部屋から独立した鳴戸親方(元大関・琴欧洲)らの若手親方は、貴乃花親方が掲げる相撲協会改革に理解を示しているといわれます。貴乃花親方の処分を巡って揺れている中で後任候補を決めようとすれば、そうした親方衆が反旗を翻す懸念が出てくる。慎重で知られる尾車親方はそれを心配したのでしょう」(同前) また、芝田山親方への「不安」もあるようだ。横綱・大乃国は千代の富士の53連勝を止めた一番で知られる一方、15日間出場した横綱として唯一の負け越しという不名誉な記録の持ち主でもある。「力士同士の馴れ合いを嫌い、ガチンコを貫き通したため“変人横綱”と呼ばれた。貴乃花親方と近いわけではないが、現役時代に何度も対戦してきた八角理事長や尾車親方にとって“扱いやすい理事”ではないのかもしれません」(ベテラン相撲記者) 前出の親方も、「現役時代同様、芝田山親方は協会内での政治的な動きが苦手なタイプ」と語る。そうした経歴が二所ノ関一門の候補者調整に影響しているのかもしれない。関連記事■ 花田景子さんの手腕で貴乃花支持拡大 親方衆の約半分確保か■ 時津風一門の分裂は「第一波」、貴乃花シンパが続々離脱か■ 白鵬の「モンゴル一門」実現のために貴乃花が消される?■ わかり始めた貴乃花親方の真意と“vs白鵬”の構図■ 今は一家離散 宮沢りえから始まった花田家「女の因縁」

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    そしてキタサンブラックは伝説になる

    競馬のGI有馬記念は、一番人気のキタサンブラックが制し、引退の花道を飾った。通算成績は20戦12勝、史上最多タイのGI7勝、獲得賞金は歴代1位の18億1700万円。中央競馬の記録をことごく塗り替え、名実ともに「伝説の名馬」となった。なぜキタサンは最強馬になったのか。ラストランに向けて栗東トレーニングセンターで調教を進めるキタサンブラックを取材し、その強さの秘密に迫った。■動画のテーマはこちら

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    競馬騎手クリストフ・ルメール「僕が日本を選ぶ理由」

    先どうなるんだろうという不安がある。日本の競馬ファンは本当の意味でのサポーターだね。競馬を正真正銘のスポーツと考えて、馬、ジョッキー、調教師を応援し、尊敬してくれるんだ。日本人の競馬の楽しみ方は素晴らしいよ。これほど熱狂的に楽しみ、応援してくれる国はないね。だから僕らジョッキーも、ファンの期待に応えることで、大きな喜びを感じることができるんだ。(※5)2016年、日本ダービー当日の入場者数は13万9140人を記録。(インタビューはフランス語 インタビュー撮影=コデラケイ) クリストフ・ルメール 1979年フランス生まれ。高校を卒業後、1999年にフランスの騎手免許を取得しデビュー。日本中央競馬会(JRA)の短期免許で2002年に初来日して以来、毎年3カ月の期間限定で日本のレースに出場。2015年、ミルコ・デムーロ(イタリア)とともに、外国人初の通年騎手免許を取得して日本に本格参戦。2年目の2016年は12月18日現在、181勝を挙げて最多勝争いのトップに立つ。

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    「勝つのはルメデムばかり」日本人騎手がGⅠで勝てない理由

    島田明宏(作家・ライター) 直線でライアン・ムーアが騎乗するエアスピネルが先頭に躍り出た。ミルコ・デムーロのペルシアンナイトが外から猛然と追い上げてくる。勝利を手中にしたかに見えたエアスピネルを、ペルシアンナイトがハナ差かわしたところがゴールだった。1番人気に支持されたクリストフ・ルメールのイスラボニータは5着に終わった―。 競馬を知らない人が読んだら、どの国のレースかわからないのではないか。これは、11月19日に京都競馬場で行われた第34回マイルチャンピオンシップのゴールシーンだ。 翌週のジャパンカップでヒュー・ボウマンのシュヴァルグラン、翌々週のチャンピオンズカップでムーアのゴールドドリームが優勝。12月17日の朝日杯フューチュリティステークスが終了した時点で、今年22レース行われたJRA平地GIのうち、半数以上の12レースで外国人騎手が勝っている。 通年騎手免許を持つ外国人はM・デムーロとルメールだけで、あとは短期免許で来日している外国人が数人いるだけだ。にもかかわらず、これだけ外国人騎手が勝ちまくっている。外国人騎手の占有ぶりを詳しく見るため、今年のGI勝利騎手を挙げていくと、次のようになる。 M・デムーロ6勝、ルメール4勝、武豊3勝、川田将雅2勝、ボウマン、ムーア、幸英明、池添謙一、松山弘平、横山典弘、石橋脩、各1勝。さらに、元メジャーリーガーの「大魔神」佐々木主浩が所有するヴィプロスに乗ったジョアン・モレイラが、3月末のドバイターフで勝っている。 こうして見てみると、外国人騎手が強いというより、「M・デムーロとルメールが強い」と言うべき状況であることがわかる。菊花賞で優勝したキセキとM・デムーロ騎手=2017年10月、京都競馬場 リーディング争いでも、12月17日終了時でルメールが194勝でトップ、2位が大井出身の戸崎圭太で169勝、3位がM・デムーロで168勝、4位がJRA生え抜きの福永祐一で115勝、武は81勝で10位。ファンの間で「ルメデム」と呼ばれている彼らは、大舞台ばかりでなく、トータルでもたくさん勝っているのだ。 なぜ、彼らはこれほど強いのか。 まず、最初に当たり前の答えを挙げておきたい。例えば、プロ野球の外国人選手は、メジャーリーグでは厳しいので日本に活路を見い出すケースが多い。それに対し、JRAの外国人騎手の場合、自国で一定基準以上の成績をおさめた者しか短期免許を取得できないルールになっている(M・デムーロとルメールもかつては短期免許で来日していた)。つまり、本場の欧米のトップジョッキーなのだから、上手くて当然なのだ。 では、具体的にどのように上手いのか。M・デムーロが流した涙のワケ M・デムーロのスーパープレーが見られた数々のレースのなかでも代表的なのは、ヴィクトワールピサで制した2011年のドバイワールドカップだ。序盤は後方を走り、道中でペースが落ちたところで一気にポジションを上げた。そこにおさまってスパートのタイミングをはかり、直線での叩き合いを制した。道中で大きく動くと馬にスイッチが入り、そのまま暴走する危険があるのだが、M・デムーロは、とりたいポジションを確保したら、そこで見事に折り合いをつけ、日本馬によるドバイワールドカップ初制覇という快挙をやってのけたのだ。【ドバイワールドカップ】ヴィクトワールピサの鞍上で日本国国旗を掲げながらパドックに戻るM・デムーロ騎手=2011年3月 あのレースが行われたのは3月26日。東日本大震災から2週間ほどしか経っていなかった。砂漠の競馬場で行われたナイターレースの表彰式で「君が代」の調べが響き、M・デムーロは涙を流した。技術だけでなく、そうした印象的なシーンの主役となり得るものを「持っている」ことも、騎手には大切なことだ。 昔から「馬7人3」と言われているように、勝敗を決するのは馬の力である。つまり、強い騎乗馬を獲得できる騎手がよい騎手、ということになる。良質な騎乗依頼を集めるために必要なのは、何よりも実績なのだが、「あいつに乗せてみたい」と馬主や調教師に思わせる「何か」もまた求められる。M・デムーロにもルメールにも「彼なら、この馬の新たな可能性を引き出してくれるのではないか」と期待させるものを持っている。 良質な騎乗馬獲得という点でM・デムーロとルメールが強いのは、社台レースホースやノーザンレーシング、キャロットファームといったクラブ法人の所有馬や、社台ファームやノーザンファームの生産馬など、いわゆる「社台グループ」の主戦騎手のようなポジションにいることだ。 強い馬の騎乗依頼が続々と舞い込んできて、高い技術でそれらの能力を引き出して、勝つ。するとその勝利が次の騎乗依頼を呼び…というふうに、理想的なサイクルに自分を乗せている。 彼らの騎乗について、もうひとつ加えたいことがある。M・デムーロもルメールも、道中、馬群の中を進んで、前が塞がるリスクを恐れない。他馬に囲まれても、巧みな操作で抜け出す自信があるからだろう。だから、彼らのレースはとてもクリーンだ。豪快に馬群を割ったように見えるレースでも、最初から最後までフェアプレーを貫く。 ただ、外国人騎手に比べて、日本人騎手の技術は劣っているのかというと、そんなことはない。逆に、日本の騎手こそ世界一と言える部分もある日本人騎手が優れた「体内時計」 その一つは「体内時計」の正確さだ。日本の騎手は見習い時代から、1ハロン(200メートル)を15秒のペースで走らせる「15-15」を徹底的に仕込まれる。昔は、1000メートルで3、4秒ズレただけで師匠の雷が落ちた。 すべてのレースで細かく調教時計が報じられるし、実戦でも全レースでハロンごとの通過ラップが発表される。そうした環境で調教やレースをこなしているのは世界でも日本の騎手だけで、彼らは「これなら1000メートル通過61秒ぐらいだな」と時計を尺度に計算しながら乗っている。 そのなかでも体内時計の精度が高いのが武豊だ。 アメリカで1000メートルの調教に乗って、指示からコンマ2秒ズレただけだったので、現地の調教師は驚いていたのだが、武は悔しそうにしていた。コンマ2秒というと、ストップウオッチを押すタイミングの誤差のような気もするが、そのくらい正確なのだ。秋の天皇賞で優勝した武豊騎手のキタサンブラック=2017年10月29日、東京競馬場(撮影・塩浦孝明) 武の技術で優れたところはほかにもいろいろあるが、間違いなく世界一だと思われるのは、スタートの速さだ。 2015年の香港カップで、彼が乗ったエイシンヒカリは、ゲートからすぐコーナーがあるため不利と言われる外枠(13頭中12番枠)からスタートした。出鞭を入れるなど無理はせずに速いスタートを切って内に切れ込み、1コーナー手前でハナに立っていた。スタートが遅すぎると外を回らされるし、速すぎると勢いがついて掛かってしまうのだが、そのどちらでもない絶妙なスタートを切り、レコードで逃げ切った。 20代前半のころから、遠征先のアメリカで、ゲートボーイというスタート時にゲート内で馬の口を抑える係員を「彼はスタートが速いね!」と驚かせるほどの技術を持っていた。直線で鞭を左右に持ち替えて叩く速さも世界トップクラスだ。それはつまり、馬をまっすぐ走らせる技術がトップクラス、ということを意味する。 武は自然と上手くなったわけではない。デビュー3年目、20歳になった年から毎年アメリカに遠征していた。今のように日本馬で海外のビッグレースに出る形ではなく、単身で向こうに行き、現地の騎乗馬を探す形の遠征だ。下手をすれば一頭も騎乗馬を得られないかもしれないのに、彼はその遠征を繰り返した。やがて、遠征先はフランス、ニュージーランド、ドバイ、イギリスなど世界各国におよび、31歳になった2000年にはアメリカ、2001年と2002年にはフランスに騎乗ベースを移し、長期間滞在した。若手騎手にとって受難の時代 「あの3年間があったから、年間200勝を超えられるようになったのだと思う」と本人は話している。その逆を、M・デムーロとルメールはやっているようなものだ。そして今年、ルメールは、武しか達成していない年間200勝突破に手が届きそうなところまで来ている。 そして外国人騎手ばかりでなく、内田博幸、戸崎圭太など、地方出身の一流騎手もひしめく今、叩き上げの若手には非常に厳しい環境になっている。 日本人の優れたところは、選抜した少人数を徹底的に鍛え上げて、世界に通用する職人などを育成する技術と習慣にある、と筆者は考えている。底辺人口の多いところには勝てないと降参してしまっては、何をやってもアメリカや中国に永久に勝てないということになってしまう。ヴィクトリアマイルで優勝した戸崎圭太騎手のストレイトガール=2016年5月、東京競馬場  かつて、日本の騎手は、職人と同じく徒弟制度のなかで、人間教育を含め、一人前になるよう育てられてきた。JRAの競馬学校ができて(武は騎手課程3期生)からも、そうした風潮は残っていた。武が初年度から活躍できたのも、師匠(所属厩舎の調教師)の武田作十郎が「うちの豊をお願いします」とほかの調教師に頭を下げて回ったからだ。 当時は、どの馬にどの騎手を起用するかの決定権は調教師にあった。もちろん、馬主との力関係によっては例外もあったが、普通は、調教師が決めて馬主に確認をとる、という形だった。 特にバブル期は、馬を持つことのできる金持ちがたくさんいた。せっかく馬を買っても預ける厩舎がどこも一杯だった。月に50万円とか60万円という高い預託料を払う馬主が、調教師に「お願い」して馬を預かってもらっていたのだ。 ところが、1990年代前半にバブルが崩壊すると、調教師と馬主の力関係が逆転した。どの騎手を乗せるかも、馬主が決めるのが一般的になった。調教師は、弟子として受け入れた所属騎手を育てるため、いい馬に乗せてやろうとしても、馬主の許可を得なければならない。馬主としては、未熟な若手騎手より、海外や地方で天下を獲った一流騎手に乗ってもらいたいと思うのは当然だ。 若手騎手受難の時代である。今年の皐月賞をアルアインで勝った松山弘平が、平成生まれ初のGIジョッキーだった。フィジカル面でもっとも充実している20代が、これだけ苦しんでいる競技は珍しいのではないか。JRAとしても、自前の施設と人材(教官など)で育てた叩き上げのなかから、第2、第3の武豊が出てほしいところだろうが、そうなっていないのが現状だ。 磨けば輝く原石を、原石のまま終わらせてしまうのはもったいない。今、デビュー4年目の小崎綾也、2年目の坂井瑠星が、オーストラリアに長期遠征に出ている。 もしかしたら、競馬学校のカリキュラムに「海外での騎乗」も取り入れなければならない時代になったのか。それは極端だとしても、その業界の活性化に、若い力が欠かせないことは確かだ。「なんだ、こいつは!」と、大胆なレースで私たちを驚かせるような若手騎手の登場を待ちたい。

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    なぜ日本人騎手はGⅠで勝てないのか

    中央競馬の1年を締めくくるグランプリ、有馬記念が行われ、キタサンブラックが優勝した。このレースで引退するキタサンブラックは武豊が騎乗し有終の美を飾ったが、今年の競馬は「春のルメール」「秋のデムーロ」と言っても過言ではないほど、外国人騎手がGⅠを席巻。なぜ日本人騎手はGⅠで勝てないのか。

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    なぜ外国人騎手は日本のGⅠで勝ちまくれるのか

    街で誰かが僕に気づいても心配ない」「日本の競馬ファンは本当の意味でのサポーターだね。競馬を正真正銘のスポーツと考えて、馬、ジョッキー、調教師を応援し、尊敬してくれるんだ。日本人の競馬の楽しみ方は素晴らしいよ」 これでは、ただでさえ技術で上回る外国人騎手が、日本の主要レースを勝ちまくるのは、当然の結果といえるだろう。2005年11月、第25回ジャパンカップでハーツクライ(右)をハナ差競り落としたアルカセットと鞍上のデットーリ騎手=東京競馬場(金子貞夫撮影) もし、ルメールでなかったら、ウオッカはジャパンカップを勝てただろうか? GIで惜敗が続き「シルバーコレクター」と言われたハーツクライは、有馬記念でディープインパクトを負かせただろうか? もし、M・デムーロでなかったら、スクリーンヒーローはジャパンカップを勝てただろうか? 今年のマイルチャンピオンシップをペルシアンナイトは勝てただろうか? いまや国際レースとは名ばかりで、キングジョージ6世&クイーンエリザベス馬や凱旋門賞馬の「墓場」となったジャパンカップを、なぜ、世界最高の騎手の一人といわれるランフランコ・デットーリは3度も勝てたのだろうか。3度とも着差はハナだった。有馬記念が「夢のグランプリ」でなくなる 日本の競馬はいまや世界でもトップレベルにあり、そのうえ騎手にとっては素晴らしい環境であるということを、果たしてどれだけの日本人騎手が認識しているだろうか。多くの日本人騎手たちは、海外を知らないから、こんな日本の競馬環境を「当たり前」と思ってしまっている。これが、たった2人の外国人騎手に席巻された最大の原因ではないだろうか。 もっと、厳しく腕を磨く。そして、努力すべきなのだ。そして、そのためには若いときから海外に出て、もまれなければならない。ルメールは18歳からの3年間、アメリカとドバイとインドにそれぞれ3カ月ずつ海外修業に出て腕を磨いた。そのことが現在の自分に大きく影響していると言っている。2009年11月、ジャパンカップを制したウオッカの頭を撫でる鞍上のルメール騎手=東京競馬場(佐藤雄彦撮影) 国際化とは海外を受け入れて、国内を海外並みにすることばかりではない。その逆に、海外に積極的に出ていって、そこで日本の力を発揮することも国際化だ。かつてもいまも日本の産業はこれをやり続けている。そして、スポーツの世界でも、サッカーや野球では一流選手たちが世界の舞台に挑戦している。それなのに、なぜ、騎手たちは国内で甘んじているのか。 現在の日本競馬の悲願は、手が届くところまできた凱旋門賞を、日本調教馬で勝つことだ。しかし、それよりも、日本人騎手が外国調教馬で凱旋門賞を勝つことのほうが、より大きな意義があるのではなかろうか。 ところで、有馬記念は2007年から「国際競走」になり、外国調教馬の出走枠が6頭になった。となると、もし有力な外国調教馬が6頭出走してきたらどうなるだろうか。これまで、有馬記念には1頭も外国調教馬が出走したことがないので、いくら外国人騎手が勝とうと違和感はなかった。しかし、もし外国調教馬が外国人騎手で出走し、このタイトルを取ったらどうなるだろうか。 有馬記念は「夢のグランプリ」とされ、ファン投票を基盤として出走馬が選出される。そのため、この稿の冒頭に書いたように、1年の「総決算レース」と呼ばれてきた。しかし、ここを日本で一度も走ったことがない外国調教馬が勝ったらどうなるだろうか。すでに、ジャパンカップが国際競走として形骸化してしまったいま、JRAは「国際化」について改めて考え直すところにきている。

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    コーナーの回り方が特に巧い騎手はルメール、デムーロ

     競馬の醍醐味は最後の直線勝負。マイペースで逃げた馬が残るか、しっかりタメをつくった馬が差してくるか。その数秒前、第4コーナーを巧く回った馬が有利なのは間違いない。数々の名馬を世に送り出した調教師・角居勝彦氏による週刊ポストでの連載「競馬はもっともっと面白い 感性の法則」から、コーナーの回り方の妙味についてお届けする。* * *「競走馬にとって大切なことは真っ直ぐに速く走ること」と以前に書きました。その能力さえ磨けば競馬では勝ち負けに持っていける。 そういう意味でもコーナリングは大事です。なかでも4コーナー、いかに巧く直線に向かうかが肝要です。2005年12月、それまでの追い込みから一転、果敢な先行策でディープインパクト(右、赤帽)に初めて土をつけたルメール騎手騎乗のハーツクライ(左、黄帽) 鉄則は「小さく回る」。コーナーでは遠心力によって外に振られます。自然に任せれば大きく外に膨らんで馬の重心がぶれ、減速します。直線に向いたときにスピードを立て直しづらい。案外多いのが、直線でインに入ろうとして3コーナーから大きく回ってインに切れ込むパターン。これは遠心力によるロスが大きくて得策とはいえません。 どう曲がってもスピードは落ちるわけですが、その後に手前を替えることもあるので、小さく回ったほうが直線での加速がスムースです。 東京や新潟など、直線が広い競馬場では、小さく回って大きく出てもいい。大事なのはいったん殺したスピードをいかになめらかに立て直すか。たとえてみれば、車で交差点を左折するとき、曲がった先の道路が2車線ならば外に出すほうが遠心力に逆らわずにラクですよね。左側の車線に入ろうとすると、遠心力に逆らう分減速を強いられ、その後のアクセルの踏み込みが深くなってしまうでしょう。 4角前から、ずんずん加速する馬がいますね。あれは巧みにスピードを殺してコーナーを小さく回り、直線に出た瞬間になめらかに加速している。特に巧いのはルメール、デムーロでしょうか。他の馬が「減速→加速」でモタついている場合、加速のいい馬はとりわけ目に鮮やかです。 馬の気持ちになってみましょう。たとえば左回りの4角で、馬は少し左に体を傾けて走りたい。なるべくスピードを殺さないように重心を保とうとする。その重心に合わせてジョッキーも左に体を傾けてほしいのです。そうしないと、馬は鞍上の体重込みでさらに体を左に倒すことになってしまう。無理に傾けた分、スピードをさらに殺すことになる。遠心力を直線に利用する 巧いジョッキーは遠心力とケンカせず、むしろ直線での加速に利用する。鞍上に遠心力を操作する意識がないと、その分を馬がカバーしようとしてスピードを落とすことになってしまう。馬がバランスをとって勝手に走る。人馬一体とはいえない。巧みに馬を動かすジョッキーとは歴然とした差があります。 小さく回って大きく外に出ると、確かに内側の馬には置いていかれることがある。しかしスピードに乗っている時間が他の馬よりも長いから、なんとか届くわけです。 騎手の腕も大事ですが、馬の器用さも大切。状況によって完歩を縮められる器用さです。縦に長い馬体、いわゆる胴長はコーナーを器用に捌きづらい傾向があるようです。ストライドが大きく、ピッチを使いづらくコーナーが苦手。たとえばキセキはそういった器用さに欠けるところがある。しかし経験上、大物は案外不器用な部分があるようです。苦手部分がはっきりしているから、それさえ克服すれば、という感じでしょうか。●すみい・かつひこ/1964年石川県生まれ。2000年に調教師免許取得、2001年に開業。以後15年で中央GI勝利数23は歴代3位、現役では2位。今年は13週連続勝利の日本記録を達成した。ヴィクトワールピサでドバイワールドカップ、シーザリオでアメリカンオークスを勝つなど海外でも活躍。引退馬のセカンドキャリア支援、障害者乗馬などにも尽力している。引退した管理馬はほかにカネヒキリ、ウオッカなど。『競馬感性の法則』(小学館新書)が好評発売中。関連記事■ 角居勝彦調教師 競馬場に右回りと左回りある魅力解説■ 加藤綾子アナが立位体前屈で好記録を出す■ 全ての競馬ファンが泣き武豊が泥酔した「沈黙の日曜日」■ 金田正一 球速と制球どちらが大事?に「バカな質問するな」■ 馬の「利き脚」考察は日本競馬の予想時の妙味

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    GIは外国人騎手でないと勝てない? 武豊さえ乗り替わり

     「もう日本人じゃ勝てない」──大相撲ではなく、日本競馬界の話である。11月26日に行なわれた国内最高峰レースのひとつ「ジャパンカップ(GI)」を制したのは、「大魔神」こと佐々木主浩氏の持ち馬で、5番人気のシュヴァルグラン。騎乗したのはオーストラリア人のH・ボウマン騎手だった。「ボウマンはJRA所属ではなく、短期免許で来日した、いわば“期間限定の助っ人”。これまでシュヴァルグランの主戦騎手は福永祐一で、GI勝利にあと一歩届かないレースが続いていましたが、ボウマンに乗り替わったらこの結果。馬主の佐々木氏は12月の有馬記念でもボウマンに託す方針です」(競馬専門紙記者) 今年1年を振り返っても、外国人騎手の勢いは凄まじい。ジャパンカップ前までのGI・20レース中、実に10レースを、JRA通年免許を持つイタリア人騎手、M・デムーロ(6勝)とフランス人騎手、C・ルメール(4勝)の2人が制している。日本人騎手は武豊の3勝が最多だ。「武の3勝はすべて年内に引退する現役最強馬キタサンブラックだったので、『来年は“日本人がGI0勝”もあり得るのでは』と言われるほど。とくに大きなレースは、“外国人騎手でなければ勝てない”というムードだ。外国人騎手を乗せたいという馬主の強い意向を受けて、有力馬を抱える厩舎側は外国人騎手のスケジュールに合わせて出走するレースを決め、調教している状態です」(同前) 11月19日のGI「マイルチャンピオンシップ」では直前の15日になって武豊がこれまた“期間限定助っ人”のイギリス人のR・ムーアに乗り替わった(ムーアはジャパンカップ翌週、12月3日のGIチャンピオンステークスをゴールドドリームで制した)。2017年11月、主戦の武豊騎手からムーア騎手乗り替わってGIマイルCSに挑んだエアスピネル(11)だったが、ハナ差の2着に終わった(榎本雅弘撮影)「調教中に身体を痛めたためという理由でしたが、武は別馬で同レースに出場した。武ほどの騎手でも、万全でなければ外国人騎手に替えられるということです」(JRA関係者) 若手はさらに強い逆風に晒されている。「期待のホープ・荻野極は7月の中京・2歳新馬戦でアーデルワイゼを優勝させました。にもかかわらず、次走の10月、京都・もみじステークスではルメールに乗り替わり。『これじゃあ若手が育たない』と苦言を呈する調教師もいるほどです」(前出・競馬専門紙記者) 日本人スタージョッキーはもう現われないのか。関連記事■ 大の親日家・デムーロ騎手 ありがちな外国人騎手批判と無縁■ 全ての競馬ファンが泣き武豊が泥酔した「沈黙の日曜日」■ 角居勝彦調教師 外国人騎手は何が違うのか昨年のJCから解説■ 三浦皇成 ほしのあきの胸は「実はあんまり大きくない」■ 角居勝彦調教師 ラストの直線でどこを通るか

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    大谷翔平が「和製ベーブ・ルース」などおこがましい

    小林信也(作家、スポーツライター) 大谷翔平選手の米大リーグ、エンゼルス入団記者会見は、華やかで期待の大きさが伝わってきた。  マイク・ソーシア監督が二刀流での起用・育成を明言し、メジャーでの大谷の方向性も見えてきた。少し前まで、メジャーでの二刀流挑戦は悲観的に見られていた。投手か打者か、どちらかに絞っての契約になるだろうとの空気が大勢だった。ところが、大谷自身が日本ハムで投打に実績を挙げたこともあって、メジャーでの二刀流挑戦が現実になった。 それ自体に異論はないが、記者会見や一連の報道を見ていて、不思議な違和感ばかりを覚えるのは私だけだろうか。騒ぎ方と現実のギャップ。胸騒ぎといったら言い過ぎだが、宣伝文句やはやし立てるフレーズばかりが先行して、「本当に大丈夫か?」という不安に答えてくれるような問答はほとんどなかった。 大谷の課題ははっきりしている。まずは右足首のケガだ。今季は手術を受けずにプレーし、シーズン終了後の10月12日に有痛性三角骨を除去する内視鏡手術を受けた。無事成功し、リハビリも終えて2週間後に退院したと日本ハム球団から発表されているが、なぜかこのケガについては楽観的に報じられ、あまり騒がれていない。今季の登板が5試合にとどまった原因だけに、回復が期待もされるし、懸念もされる。本当に「二刀流」を無理なくこなせるまでに快復したのか、まずはそこが気になるところだ。「4番・投手」で先発した日本ハム・大谷翔平投手=2017年10月4日、札幌ドーム(共同) 次に技術の課題だ。投手としては、160キロ台の速球を「当てられる」ことへの疑問と不安が日本球界でも語られていた。藤川球児のようなホップする(浮き上がる)速球とは違う。速いけれど素直な球質がメジャーに行って、どう出るのか? 力勝負のメジャーリーグ。打者たちの大半は日本の打者のようにコツコツは当ててこない。思い切ったフルスイングが多いから、「球速の餌食になってくれる」との見方もできる。だが一方で、「速い球にはめっぽう強い」打者がそろっているから、ガツンと行かれる可能性も否定できない。 もちろん、大谷投手にはフォークボールとブレーキの鋭いスライダーがあるから、勝負どころでは低めの変化球で打者を翻弄(ほんろう)できる。160キロ台の速球と混ぜたら、メジャーの強打者のバットがクルクルと空を切る光景も容易に想像できる。だが、勝ち星と負け数が拮抗(きっこう)する、あるいは負けが勝ちを上回るような厳しさを経験する可能性はある。いずれにしても、ただ球速を求めるのでなく、「速球の質」を深めることが投手・大谷の課題であり、成長への道だろう。その手がかりをどうやって得るのか、メジャーにそのヒントがあるのか? もちろんそれは「企業秘密」だろうが、その点はいままったく触れられていない。大谷自身が、球質を変える意欲を持っているのかどうかさえ、わかっていない。  違和感を覚えた一因は、そうした本来すべき質問がまったく飛ばなかったことだ。期待に終始し、大谷を持ち上げる方向でばかり記者会見が進む。日本のメディアの面々もすっかりその雰囲気にのみ込まれ、普段は当たり前にする厳しい質問をする意志があらかじめ制圧されていた。あれは「お祝いの席」だから、それで文句はないけれど、シーズンが始まれば、現実は自(おの)ずと明らかになる。まるで芸能人の結婚会見 打撃の課題は、厳しい内角攻めへの対応だ。会見から帰国後の自主トレ風景を見ていても、左脇の甘さが目立つ。外の変化球を混ぜ、最後はインハイ(内角高め)に鋭い快速球を投げ込まれたら打てるのか? データ解析が徹底して進んでいるメジャーリーグで、こうした弱点があれば苦しい。これをどう乗り越えていくのか、投手としての課題同様、ほとんど問われることはなかった。 つまり、大谷翔平のエンゼルス入団会見は、「芸能人の結婚記者会見」のような内容で、野球選手としての本質にはほとんど触れられていなかった。それが違和感の根元かもしれない。 二刀流が実現すれば、野球の歴史を変える素晴らしい快挙だ。メジャーリーグの長い歴史の中でも、ほとんどそのような選手は現れていない。 「日本のベーブ・ルース」という形容がしばしば使われたが、大谷翔平とベーブ・ルースのイメージはまったく違う。「同じシーズンに投手で10勝を挙げ、打者で10本のホームランを記録した唯一のメジャーリーガー」がベーブ・ルースだ。大谷が2014年と2016年にそれを記録したことから、日米の二刀流の双璧と呼びたいのだろう。だが、体形やイメージからして二人は全然違う。ベーブ・ルースはどう考えても「二刀流」より「世界のホームラン王」として名高い。いまの大谷をベーブ・ルースと呼ぶにはいかにも早すぎる。 だが、ベーブ・ルースの名前をここに持ちだしてくるのは、それほどメジャーでも二刀流が希少だということだ。それに、データを調べればすぐわかるが、ベーブ・ルースは決して「二刀流」を目指していたのではなさそうだ。 「プロ入り当初は投手としても活躍した」という表現が正しい。最初に入団したボストン・レッドソックスでは、打者というより左腕投手として活躍が期待された。1年目の1914年こそ2勝1敗にとどまったが、2年目は18勝8敗、3年目は23勝12敗、4年目も24勝13敗。エースと呼ぶにふさわしい活躍を見せた。しかし、5年目は13勝、6年目9勝にとどまったところで、トレードが待っていた。1920年、ニューヨーク・ヤンキースに入団すると、今度は打者に「転向」。投手としての出場は毎年1試合か2試合となった。米大リーグ、エンゼルス入団会見の後に記念撮影に収まる大谷翔平投手(中央) =2017年12月9日、エンゼルスタジアム(撮影・リョウ薮下) いわゆる二刀流と呼べるのは、ボストンでの最後の二年間。勝ち星が少なくなるのは、徐々に打者としての出場が増えたからだ。 実はここ数年のメジャーリーグで「二刀流」は大谷の専売特許ではない。アマチュア時代に投打で活躍したジョン・オルルドらルーキーたちが何人か二刀流に挑戦したが、結局、どちらかを選んだ現実がある。 私の違和感のもうひとつは、投手としては打たない、打者としては守らない、それで二刀流と呼べるのか? ということだ。大谷本人もこれは会見で語っていたとおり、「ひとつの試合で両方やれるのが理想」である。それならば、なぜ指名打者(DH)制のないナショナル・リーグを選ばなかったのか? と突っ込みたくなった。

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    ファンディーナに魅せられた私

    2017年4月、牡馬クラシック「皐月賞」で69年ぶりの牝馬優勝に挑戦した馬がいた。その名はファンディーナ。9馬身差をつけたデビュー戦から3連勝し、「怪物」と呼ばれるも、皐月賞では7着に終わる。再び彼女の輝く姿を見たい。天才牝馬の復活に向けた闘いを追った。■動画のテーマはこちら

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    人はなぜ競馬に魅せられるのか

    菊池寛や吉川英治といった文豪の多くが競馬をこよなく愛したことはよく知られている。疾風のごとく駆け抜ける馬の姿に、ギャンブルにとどまらない魅力を感じるのだろうが、なぜ、これほどまで人の心をつかむのだろうか。まったく興味のない方が多いことも承知の上だが、今回は文豪たちの視点で競馬の魅力を探ってみた。

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    競馬を文学に昇華させようとした寺山修司の挑戦

    清水義和(愛知学院大客員教授)  見知らぬ女から一通の手紙が届いた。封を切ると、きれいなペン字で、「昨日、千葉のマザー牧場へ行って、一頭の老馬に逢ってきました」と、書いてあった。「聞くと、その馬はユリシーズという名でした。ユリシーズは今も元気で、子供たちのための乗馬として、みんなに可愛がられておりますから、御安心ください、と牧場の方が言っておりました」 私はその手紙を読んで、むかし別れた女の消息を聞くような、てれくささと懐かしさで胸が一杯になってきた。ユリシーズ! それは私にとって忘れられない馬の名だったのである。(寺山修司『旅路の果て』新書館) 弘前生まれの寺山修司(※1)は往年の競争馬が草競馬で走る落剝した姿を見て胸を熱くした。だが、中央競馬以外を知るきっかけになったのは、ユリシーズの馬主となり地方競馬を見る機会を得たおかげである。自身の所有馬にジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』の名を付けた。この馬は、カーブも曲がり切れず真直ぐ走る癖があり、寺山は曲がったことが嫌いな性格に魅せられた。ユリシーズが中央競馬でスターになれず、引退した後、草競馬や馬肉でなく、マザー牧場で子供の乗馬になる余生が選ばれたのは思いやりからだったという。歌人、劇作家で劇団「天井桟敷」主宰の寺山修司=1972年5月 歌人で劇作家の寺山が騎手の吉永正人の伝記を書いた。吉永はレース中、他の競走馬からポツンと離れて走る一風変わった騎手だ。吉永は競馬を客観的に見る孤高の思考回路があると信じ寺山はユーモアあふれたエッセイを書いた。 寺山の競馬論を読むと、馬のスピード感が好きだったことが分かる。「暴力としての言語―詩論まで時速100キロ」「時速100キロの人生相談」と表題に冠した。寺山は47年の短い人生を全力疾走し、生命を愛しむように次々と新しいアイデアを考えた。萩原朔美さんは、寺山が死後に遺した手帳を開いて驚いた。若い頃から若死にを覚悟していたが、何年も先まで予定がびっしりと書かれていたと回想する。 寺山はスピード感覚を青校時代シェイクスピアの『マクベス』から学んだと私は考える。シェイクスピア役者は全力疾走しながら数ページに及ぶ台詞を一呼吸で話す軽業師だ。 寺山は天馬のように疾走できるのは想像力だと考えた。「どんな鳥だって想像力よりは高く飛ぶことはできないだろう」と『邪宗門』に書いている。 寺山は織田作之助(※2)の小説『競馬』が好きだった。主人公の寺田は亡き恋女房の一代が象徴する数字、“1”の馬券だけを買い続け、何度負けても、同じ“1”を執拗に買い求めて、とうとう最後になって勝つ。だが、寺山は、賭けは偶然性の賜物でなく、競馬に必然性を持ち込んだ織田作に批判的だった。 サガンやドストエフスキーは賭博に巨額を投じ、同じ数字に固執して賭けた。まるで破滅する為に同じ数字を賭けているようで、カミュのシジフォスと同じ不条理だ。サガンは賭博にいつも同じ数字の“8”を掛け、一度は勝って大金を得て城を買ったが、その後心に魔物が棲み、数字に翻弄され、しまいには、財産はおろか死後も借金地獄に責めさいなまれ、墓碑銘さえ失った。 ※1:寺山修司(てらやま・しゅうじ 1935~1983)歌人、劇作家。劇団「天井桟敷」主宰。競馬をこよなく愛した文化人の一人として知られる。 ※2:織田作之助(おだ・さくのすけ 1913~1947)小説家。太宰治らとともに無頼派と呼ばれ、愛称は「織田作」。代表作に『夫婦善哉』『木の都』など。競馬ファンを魅了した寺山修司 寺山は劇団の費用も賭け、その損失はよほどの額であったと聞く。フランシス・ベーコンは賭博で巨額を失った時の懊悩(おうのう)を絵に表した。けれども寺山は命取りとなる賭けに必然性よりも偶然性を求めて、偶々賭けに負けたユリシーズに情けをかけて愛した。 寺山の競馬に対する偏愛から見えるのは、持ち馬のユリシーズや騎手の吉永が、想定外の行動をとる姿を活写し、競馬の面白さ、魔の刻を発見して、競馬ファンを魅了したことだ。第50回日本ダービーを制したミスターシービー(右)。鞍上の吉永正人騎手は初制覇だった=1983年5月29日、東京競馬場 これは寺山がネフローゼ症候群で生死を彷徨い、地獄を見てきたからこそ、寺山の話は民衆の琴線に触れるのだろう。寺山のエッセイ『馬敗れて草原あり』『山河ありき』には杜甫の亡国を逆なでするような逆説的なパワーがある。そこには、三島由紀夫の『憂国』にあるエロスとタナトスが命がけでせめぎ合う葛藤を見る思いがする。たかが競馬にさえも、天下国家が顔を出すのは、寺山も例外ではなかった。短歌で寺山は歌っているではないか。マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山は長い海外公演を頻繁に挙行し、ダービーの本場イギリスの競馬にも詳しかった。その謎を解く鍵はジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』の馬だろう。『ガリバー』の馬はダービーの競走馬と異なって、人間の形をしたヤフーよりも賢くふるまう。また、スウィフトには召使の教訓集『奴婢訓』(ぬひくん)がある。寺山は同名の劇作『奴婢訓』を上演し、召使を馬に変え、女主人を演じるダリアの足の裏に蹄鉄を噛ましている。この結末は寺山が競馬ファンであることを知らないと奇怪な戒めに映る。 寺山が夥(おびただ)しく綴った競馬論を読み漁り、改めて『奴婢訓』を観ると数多くの競馬論を濾過した果てに文学に昇華した傑作であることに気がつく。スウィフトと同じくらい皮肉屋のバーナード・ショーは、斜に構え、馬と遊んでいた大戦前の英国人を批判して劇作『傷心の家』を書き、『マイ・フェア・レデイ』と同じくらい人気のある芝居となった。 ショーは太陽の沈まぬ大英帝国の成金たちが第一次世界大戦前夜も、馬と遊ぶ堕落ぶりを『傷心の家』で風刺し、その間にアジア・アフリカの新興国が台頭し帝国を覆そうとしていると警鐘を鳴らした。 地方出の寺山が、日本中央競馬界で持ち馬ユリシーズや騎手の吉永を評する疾風怒濤の波は、下町娘のイライザがめかし込んで息巻き当時社交場であったアスコット競馬場へ乗込んでじゃじゃ馬ぶりを発揮する立振舞に似て、競馬ファンからやんやと喝采を浴びた稀代の芸術家であった。

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    「人間ってのは勝手」愛するがゆえ吉川英治は競馬場から姿を消した

    ように、自分だけの遊び方ができることも、競馬の魅力として感じていたのかもしれない。 野球など、ほかのスポーツにはあまり関心を示さなかった吉川も、競馬だけは夢中になった。しかし、1956(昭和31)年のダービーに出走した愛馬エンメイがレース中に転倒して骨折、安楽死処分となってから、競馬場には行かなくなってしまう。「考えてみれば、人間ってのは勝手なもんだね。馬を走るだけの生き物に育てて、怪我したら殺しちゃうっていうのは、やっぱり悲しいね」 息子にそう漏らしたのも、馬への愛情が強かったからだろう。 昭和の初めに書いた『かんかん虫は唄う』に、少年時代に憧れた神崎利木蔵をモデルにした「島崎」を登場させるなど、小説でも競馬を描いている。 作家として、ファンとして、馬主として、さまざまな立ち位置から競馬を見つづけた吉川英治は、馬を、そして競馬を、深く愛していた。