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    菅野智之の「魔球」はこうして生まれた

    4戦4勝で7月のセ・リーグ月間MVPに輝いた巨人のエース、菅野智之の勢いが止まらない。160キロ台の剛速球や飛びぬけた変化球があるわけでもないが、菅野の球は打てないのだという。史上最弱と言われる苦境に喘ぐ巨人を救う菅野の「魔球」はなぜ、生み出されたのか。

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    史上最弱巨人の救世主、菅野智之の「魔球」が打てない理由

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人の投手、菅野智之が7月の月間MVPを獲得した。7月は4試合に先発し、4戦全勝。この間、投球回数29で失点わずか1、与四球3、奪三振30。安定感抜群の内容で文句なしの受賞だった。 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも侍ジャパンのエースとして活躍した菅野。いまさら喧伝するまでもない存在だが、大谷翔平(日本ハム)のように160キロ台の速球を投げるわけではない。千賀滉大(ソフトバンク)のような目を見張るフォークボールが武器というわけでもない。その菅野がこれだけ「打たれない理由」は何なのか? 日本の野球界には、いくつかの誤った常識がある。古くからの思い込み。気づいている人、いない人で野球がずいぶん変わる。少年野球や高校野球を見ていると、技術的に古い常識にとらわれて、子供の良さを伸ばしきれない指導者の姿をしばしば見かける。DeNA対巨人で10勝目を挙げた巨人の菅野智之=2017年7月22日、横浜スタジアム(撮影・山田俊介) 菅野はその意味で「常識を覆す」よい見本だ。端的な例を挙げると、菅野のよさは「球の速さ」以上に「左足を踏み出してから球が離れる速さ」にある。 日本の野球ファン、指導者の間には、逆の常識がある。「投手は、右投手なら、左足を踏み出したとき、右腕を後ろに残し、ためを作ってそこから勢いよく投げ下ろすのがいい」という思い込みがある。私自身も少年時代、そう思っていたし、高校野球でもそのように指導された。 ところが、メジャーリーグの好投手の大半は、まったく別の投げ方をしている。ここでは右投手を前提に話すが、左足を踏み出したときにはもう投手の上半身が打者に正対し、ボールを持つ右手が顔の前に出ている。左足の踏み出しと右腕の振りがほとんど同時なのだ。 もちろん、左足をゆっくりおろし、地面すれすれのところまでは右手は後ろにある。しかし、左足が着くか着かないかのわずかの間に上体を反転し、足を着くと同時に右手を前に振り出すのだ。この左足と右手の誤差が少なければ少ないほど、打者は打ちにくい。 まだ来ないはずのボールが、突然目の前に現れるような感覚がある。菅野はまさに、こういう投げ方をしている。ゆっくりと左足を上げ、まっすぐな姿勢を保ち、しっかりと右足に乗ってから打者方法に重心を移動する。その仕種はゆったりと見えるが、次の瞬間、急にボールが飛び出してくる。 だから、スピードガンで測る球速以上に菅野のボールは速く鋭く感じるはずだ。打者にすれば、「アッ」と慌てる感覚になるから、そのボールが鋭く変化したら(スライダー)、腰砕けして手に負えない。菅野の投球は「新常識」 日本のプロ野球の投手たちは、ある時期から「これが大事だ」と新しい常識を共有し始めた。ソフトバンクの工藤公康監督などは、それを後輩たちにしきりに強調していたと、若い投手から聞いたことがある。 ファンにとって印象深いのは、いまシカゴ・カブスで活躍する上原浩治ではないか。巨人に入団した一年目、歴代4位タイとなる15連勝をマーク(新人としては巨人・堀内恒夫をしのぐ最多記録)、いきなり20勝を達成して衝撃のデビューを果たした。 当時、上原の速球の平均は140キロ前後だった。それでも打てない。その秘密はやはり「球の速さ」ではなく、「球が離れるまでの速さ」だった。独特の上原の投球リズムを思い起こせばわかるだろう。ためた状態から左足を着くその瞬間に上原の右腕が出て来る。上原の場合はほとんど同時といってよかった。 古い常識にとらわれて、腕が遅れてくる投手が多かった中で、上原は特別で、衝撃的な投手だった。その影響もあってか、他の投手たちもその核心に目覚め、新しい常識を追求するようになっている。ブレーブス戦の8回に登板し、1回を三者凡退に抑えたカブス・上原=2017年7月、アトランタ もちろん、それ以前にもそれを自覚し、実践していた投手はいる。伊良部秀輝もその一人だった。158キロを投げても清原和博に打たれた。白星に恵まれなかった。その苦悩の末に生み出した投法「伊良部クラゲ」とも形容された投げ方は、右手と左足を一緒に出すための工夫でもあった。 そして菅野は、奇しくも同じ背番号19の先輩である上原が、日本の先がけをなした投法を継承して、大投手への階段を昇っている。 さらに菅野自身は、上原とも伊良部とも違う独自の工夫も凝らしている。とくに走者を置いた場面で、菅野は投げた後、左足をひっかくように後ろに引く動作をすることがある。普通の投手は絶対にしない。勢いをつけて前へ前へ投げようとする投手には、やろうと思ってもできない動作だ。 あるテレビの取材に答えて菅野自身がこう語っている。「左足を引くことによって、右肩が前に出る。加速する。よりボールに力が伝わりやすいんじゃないか」 自然と左足を引くようになって「球も強くなるし、面白いように空振りが取れる感じもあった」という。こうした新しい目覚めが今季の菅野の好調の背景にあるのだ。

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    このままでは清宮幸太郎はプロ入りしても「ホームラン王」になれない

    小林信也(作家、スポーツライター)  これまで、早稲田実業の清宮幸太郎について語ることを避けていた。大騒ぎに便乗する気はないし、騒ぎに水を差すほど無粋でもない。実績はそろっているが、まだ10代の少年。高校生同士が戦った結果を過剰に持ち上げる違和感もあった。 清宮が高校3年間で通算107本のホームランを打ったのは事実だ。が、いずれも高校生投手から打ったにすぎない。しかも、プロ野球では使えない金属バットから放たれたものである。 東京の高校野球のレベル差は極端だ。強い高校もあれば、中学の硬式チームより拙い高校も少なくない。それを「107本」という数字でくくるのは、少なからず誇張も含まれる。 将棋の世界では、藤井聡太四段が14歳にしてプロ入りし、29連勝を飾った。彼が戦う相手は紛れもなく一流のプロ棋士であり、プロを相手に29連勝した藤井四段の実力は掛け値無しだ。その彼でさえ、このまま順調に成長するかどうか、100%の確証はない。なぜなら、かつて28連勝した先輩はいま壁に当たり、苦闘を続けている。メディアは平気で、「凡人の作った記録を天才に抜かれて良かった」と謙遜した彼のコメントを真に受けて発信したが、彼だって28連勝した当時は「天才」と呼ばれたはずだ。 清宮は、まだプロ野球の投手から1本のホームランも打っていない。野球界の規則に阻まれて対戦する機会が与えられないためで、清宮のせいではない。対戦すれば打ったかもしれない。 将棋界のように、若い才能がプロ野球選手と直接対戦する機会を野球界も作る必要があるというのは安全性の面で早計だが、新しい方向や発想を出し合い、改善を模索する土壌さえないのはお粗末だ。 ひとつ疑問がある。なぜ清宮は、これほど高校野球に没頭したのか。甲子園出場を逃し、試合後に取材に応じる早実の清宮幸太郎主将 =7月30日、東京・神宮球場 早実野球部で清宮は「青春」を満喫した。敗戦後、チームメイトと過ごした充実感、主将である自分についてきてくれた仲間や後輩への感謝を口にした。まさに青春そのもの。人間的な成長において「大切な経験」を清宮は高校野球で培ったと言っていいのだろう。個人競技の色合いが強い野球だが、一方でチームゲームの現実があり、そのチームゲームの何たるかを高校で体感した。だが、プロ野球選手としてそれがプラスであったかどうかは、にわかには断定できない。プロの世界で感傷(センチメンタル)はあまり役に立たないからだ。その意味では、現役時代、まったくセンチメンタルを感じさせなかった父・克幸さんとは少し違った人間味を感じさせる。 藤井四段が青春を捨てているように、ある道に秀でた天才が、何かを犠牲にするのは選択肢の一つだ。高校時代に「次」を見据えて野球に取り組むなら、清宮が自ら進んでやるべきことは「甲子園出場を目指すこと」や「通算ホームラン記録を抜くこと」以外にあったように思う。そう、いま清宮が最も不安視されている「木製バットへの対応」と「守備力の改善」である。 西東京大会の決勝では一塁手としてふたつのミスをし、それが失点、敗戦につながった。 野球を見る目を持つ人なら、清宮の守備の動き、スローイングのレベルには思わず口をつぐみ、ため息をもらすだろう。お世辞にもプロのレベルとは言えない。打撃と違って、守備は努力で向上する、と一般的には言われるが、清宮がどれほど努力すればプロで一流と呼ばれるようになるのか。正直言って、かなり前途多難だと多くの人は感じることだろう。履正社・安田尚憲との違い 一塁手というポジションは、プロ野球ではある種の「指定席」の色合いがある。巨人の阿部慎之助が捕手を卒業して守っているように、ベテラン選手の生きる道に使われる。守備に難のある強打の外国人助っ人の「指定席」でもある。 18歳のルーキーに最初から喜んで提供できるポジションとは言えない。もしプロ球団がそれを確約するなら、清宮にはホームラン王を争う助っ人並みの数字が求められる。1年または2年、結果に目をつぶって経験を積ませてくれる余裕のある球団がどこにあるだろうか。 高校時代に木製バット対策と守備力強化を行わなかった清宮は、今からその課題を克服しなければならない。 木製バット対応は、打撃の天性を持ってすれば、案外すぐにできても不思議ではない。ただし、特別な知識と指導力を持ち、清宮の潜在的可能性を見いだし伸ばしてくれる名伯楽との出会いが必須だ。今の球界にそのような人物が本当にいるのだろうか。 王貞治には、荒川博コーチがいた。巨人に入って3年間、期待ほどの結果を出せない王にしびれを切らした川上哲治監督(当時)が、「安打製造機」の異名を取った榎本喜八の育ての親である荒川を大毎オリオンズから引き抜き、王の専属打撃コーチにした。二人の師弟関係から「一本足打法」が生まれ、王がホームラン王に変貌した伝説はオールドファンなら誰もが知っている通りだ。松井秀喜には長嶋茂雄監督(当時)が熱心にマンツーマン指導したという逸話もある。 清宮は184センチの恵まれた体躯からホームランを量産してきた。だが、今のバッティングスタイルはむしろ中距離打者である。やわらかなリストワーク、しなやかなバットコントロールは、打撃センスと安定感を感じさせる。投球を捉えるのもうまい。しかし、イチローがホームラン打者でないように、その打ち方がプロ野球に入ってもホームランを生むのに最適な打法かは一考の余地がある。今秋のドラフト候補、履正社の安田尚憲内野手 履正社の安田尚憲は松井秀喜を手本にし、内面でボールを捉えた後、バットと身体をひとつにして、「ブン!」と振り抜く。これは紛れもなくホームラン打者の打ち方だ。清宮は、バットと身体の出方にズレがある。下半身が投手方法に向かった後、上半身(バット)は少し遅れて出てくる。昔の好打者に多かった打撃スタイル。ヒットや二塁打は高い確率で打てても、柵超えを狙うのに最適な打ち方ではない。 フルスイングが代名詞の柳田悠岐(ソフトバンク)も、中田翔(日本ハム)も、中村剛也(西武)も、軽々とホームランを打つときは、ステップとバットとボールが一つになっている。 結論から言えば、「中距離打者」の清宮幸太郎など、誰も求めてはいない。不自由すぎる野球の世界 ホームランこそが清宮に求められる代名詞だ。ところが、今の清宮は「ホームラン王」への道をまっしぐらに歩んでいるとは言い切れない。そういう誤差を指摘し、納得の上で清宮をホームラン打者へと導いてくれる指導者との出会いが何より重要である。もしくは、少年時代、そうして来たように、清宮自身がメジャーリーガーらを参考に、自らフォームの見直しを図ることだ。 U-18(18歳以下)世界大会では不調に終わり、昨秋の東京都大会では日大三高のエース、櫻井周斗に5打数5三振を喫した。今夏の西東京大会決勝では、東海大菅生のエース、松本健吾から丁寧に攻められ、凡打を重ねた。最後の打席で一二塁間を抜いたのはさすがだが、レベルの高い投手から攻められたら、必ずしも結果を出していないのが、早実時代の清宮だった。 次の2年、3年、どんな環境で、どんなコーチと、何をどう改善するかが、清宮の野球人生を大きく左右する。 早稲田大学にそれを満たす環境があるだろうか。通算107号本塁打を放つ早実・清宮幸太郎=7月28日、神宮球場 今の時点で考えると、大学生活の4年は長すぎる。「プロ入りの準備完了」と判断したら、中退してプロ入りしたいだろう。その自由が日本の野球界にはない。社会人野球でも3年は拘束される。唯一の例外は独立リーグだが、清宮には合わないだろう。 アメリカ留学の声もあるが、注意が必要だ。アメリカの野球界に飛び込んだら、MLBの制約を受ける可能性が出てくる。マイナーリーグに所属すれば、自分の意志で日本のプロ野球に入れない立場になる。 こうして考えると、野球界とはなんと不自由な世界なんだろうとつくづく思う。清宮には、今すべきことを、それにふさわしい環境で取り組んでほしい。例えば、アメリカ、南米の環境で自由に野球を謳歌(おうか)するのも、もう一度清宮を大きく飛躍させる糧になるように思える。 プロ・アマ規定や日米の紳士協定が邪魔になるなら、この機会に改善してほしい。清宮のための「特例」ではなく、そうした堅苦しい規制のために、のびやかな野球人生を過ごせない多くの若者に、もっと選択肢を広げ、野球以外の経験も含めたスケールの大きな野球人生を保証するために。 通常ルートでプロに入る選手ばかりでなく、独自の成長過程を過ごして才能を伸ばす選手たちを柔軟に受け入れる懐の深さを野球界は持つべきだ。 清宮が次の2年間をどこでどう過ごすかが重要だ。それは候補に挙げられる「即プロ入り」でも、「早稲田大進学」でも、単純な「アメリカ留学」でもない気がする。そんな杓子定規しか選択肢のない日本の野球界そのものが、常識の枠におさまらない清宮幸太郎には居心地が悪いのではないだろうか。

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    高校野球、大阪勢の「えげつない強さ」の秘密がようやく分かった

    小林信也(作家、スポーツライター) 今春、センバツの決勝で対戦した大阪桐蔭と履正社が、夏の大阪大会準決勝で戦った。 「事実上の決勝戦」と表現していい両校が、地方大会で対戦する。大阪のレベルの高さを物語る出来事だ。試合はシーソーゲーム、どちらが勝つか終盤までまったくわからない接戦を大阪桐蔭が最終回に3点を取って制し、8対4で決勝に駒を進めた。高校野球大阪大会。走って整列する大阪桐蔭と履正社 =7月29日、大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 過去40年の夏の優勝校を見ても、1977年が東洋大姫路(兵庫)、78年がPL学園(大阪)、79年箕島(和歌山)と続き、関西勢だけを一覧しても、83年PL、85年PL、86年天理(奈良)、87年PL、90年天理、ここまでは大阪の中でもPL学園の天下。そして91年に大阪桐蔭が優勝し、下克上が起こる。93年育英(兵庫)、97年智弁和歌山、2000年智弁和歌山、08年、12、14が大阪桐蔭。なんと40年中8大会で大阪代表が優勝。関西勢に広げれば15回を数える。 なぜこれほど大阪のチームは強いのか? 言うまでもなく、青森や山形、東京、島根など、他の地方の高校が大阪から選手を集め、一世を風靡(ふうび)した例もたくさんある。 今回はやや大胆に、独自の観点から大阪が強い理由を探ってみよう。 第一に、大阪人の「えげつなさ」が、トーナメントで戦う日本の高校野球と相性がよいのではないか。東京人はどこか格好をつけ、きれい事(理想)を追う価値観を捨てきれない人が多い。「勝ちゃいいんだよ」と言い切れない。ところが大阪人は「勝ってナンボやろ」という割り切りがある。 東京的な感覚では、「勝利至上主義」などと批判するが、大阪人にはそんな発想さえない気がする。「試合なんやから、勝つのが当たり前とちゃうの?」。 大阪の中学から新潟の高校に進んだ選手の逸話がある。かつては二塁走者が打者に身ぶり手ぶりで捕手のサインを教えるのは常識だった。「汚い」という認識はなかった。しかしある年、それがフェアプレー精神に背く、また試合時間の遅れにもつながるとして禁止された。常識だったことが、悪いことと立場を変えたのだ。 その変更を聞いて、新潟の高校球児はほぼ全員が「もう二塁からサインを送ってはいけないのだ」と素直に理解した。ところが、大阪から来た球児は違った。 「これからは、うまくやらな、あきまへんね」 その言葉に、チームメイトはあぜんとしたという。それを地で行く光景を、実際に大阪大会で見た経験がある。 大阪の強豪校の試合を観戦していたとき、一緒に見ていた大阪の野球関係者が私の脇を突ついて、「二塁ランナーの動き、よく見てください」と耳打ちした。最初は意味がわからなかった。次第に、なるほどと気がついた。 二塁走者は、投手がセットポジションに入ろうとすると、ベースに足をつけた状態から、ススッと素早く離塁したり、ゆったりとリードを取り始めたりする。つまり、ススッと出たらストレート、ゆっくり出たらカーブ系といったサインを送っていたのだ。審判も、余計な動作ではないから、反則行為と警告できない。それいう工夫をして(?)、ルールの裏をかく行為を平然とやっている。「あれは監督が教えとる」 同じ試合で、一塁手の巧みな走塁妨害も目撃した。 相手打者が右中間に長打を打った。三塁打コースだ。打者走者は勢いよく一塁を回ろうとして、アッとスピードを落とした。一塁手がぼうぜんと打球を見やり、走路に立っていたからだ。一瞬、衝突を避けたため、その打者は二塁を回って三塁を狙うことができず、二塁打にとどまった。一塁手は走者に背を向け、ボーッと打球を見ているから、まさか故意に走者を妨害するためそこに立っているとはすぐ気づかない。 「あれ、監督が教えとるんですわ」  つまり、確信犯だというのだ。「そこまでして勝ちたいのか?」と、甘い東京人や新潟県人の筆者は思う。しかし「当たり前やがな、勝負やもん」と、大阪人は思う。みんながそうだとは言わないが、地域の空気としてそれがある。 私は今春、監督を務めるリトルシニアの大会で同じことをやられた。まさに、その大阪の高校出身のコーチが指導するチーム。こちらが走者二塁で一塁線を抜いた。楽々と「本塁生還だ」と思って見ていたら、三塁手がボーッとした様子で三塁ベースのすぐ内側に立っていた。二塁走者は、慌てて大回りし、ベースの外側を踏むような感じでホームに向かった。幸い得点にはなったが、危険なプレーであることも間違いない。さすがにタイムを取って、三塁塁審に「三塁手、危ないから注意して」と短い言葉で促した。すると、塁審は私が何をアピールしているかも理解できないようだった。打球をぼんやり見ている三塁手の「迷演技」にすっかり欺かれていた。バックスクリーンから練習する選手の動きを狙う8Kカメラ =兵庫県西宮市の甲子園球場 このように書くと、東京人の多くは「許せない」といきり立つかもしれないが、大阪人は違う。それも半ば洒落とまでは言わないが、「いい、悪い」ではなく、「あって当然やろ」という気構えを持っている。 強さの秘密、その二に移ろう。よく指摘されるのは、リトルシニア、ボーイズといった中学生硬式野球チームの数の多さとレベルの高さ。甲子園で3大会連続ベスト4に入り、この夏も甲子園出場を決めて新たな強豪として勇名をはせている秀岳館(熊本)は、長くオール枚方ボーイズの監督を務め、ボーイズでは全国優勝を争う常連だった鍛冶舎巧監督が、選手ごと一緒に熊本に移って始めたチーム。熊本代表という名の大阪のチームとも呼ばれる。それほど、中学野球のレベルが高いのだが、この背景には「タニマチ文化」がある。履正社の安田はここが違う 初めて大阪のボーイズ・リーグ関係者たちと交流したとき、東京にはない不思議な人間模様を感じた。東京にも調布シニア、武蔵府中シニアといった名門、強豪チームがある。練習の雰囲気などは、限りなく高校野球に近い。大阪のチームは「プロ野球ごっこ」の風情がある。東京の中学硬式野球は「ミニ高校野球」、大阪は「街のプロ野球」みたいなのだ。プロ野球チームにオーナーがいるように、ボーイズのチームには「代表」がいて、みんなから当然のようにそう呼ばれている。それが快感なのである。プロ野球のオーナーや代表にはなれないが、それらしい気分を味わうことができる。地元のお金持ちがまさにタニマチとして運営しているチームもある。 特待生問題が物議を醸したとき、東京をはじめ大方の地方の人たちは中学生選手を売り買いするブローカーのようなスカウトがいることに眉をひそめ、問題視したが、大阪人はそもそも「プロ野球ごっこ」をしているのだから、スカウトがいて、裏金があって当たり前なのだ。それに目くじら立てる方が、彼らには「信じられない」のではなかったか。あわやホームランの大きな当たりを飛ばすがアウトになった履正社の安田尚憲(中央)=大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 全国的には清宮幸太郎の通算ホームラン更新に注目が集まり、高校3年生の一打席ごとの結果がネットで速報されている。一方、清宮を超える才能の持ち主ではないかとスカウトの間で評価の高い履正社の安田尚憲は、練習では木製バットを使い、「プロに入ったら金属バットは使えないから」と、先を見据えた練習をずっと重ねてきた。これも安田は高邁(こうまい)な理想の持ち主であり、清宮は目先の記録を狙っている、とばかりは決めつけられない。大阪は高校野球にもプロ野球気分があり、東京はまさにザ・高校野球なのだから。先のことなど考えない。たとえ清宮幸太郎であっても、「高校野球で終わってもいい」くらいの、のめり込みが当たり前なのだ。 早実対駒大苫小牧、伝説の延長再試合。最後の打者となった関西人の田中将大投手が、斉藤佑樹投手に三振に打ち取られ笑っていたのも、それとつながっているのではないだろうか。履正社の安田もまた、大阪桐蔭に敗れた試合後、チームメイトと健闘をたたえ合った。 高校野球で終わりじゃない大阪。終わりじゃないけど、終わってもいいと思っている東京をはじめ他の地方。その器の大きさも、大阪の強さの一因かもしれない。

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    中田久美ほど「名将」の条件が揃った監督を私は知らない

    小林信也(作家・スポーツライター) 中田久美監督率いる、女子バレーの日本代表、新生「火の鳥NIPPON」が、ワールドグランプリの予選に臨んでいる。3つのグループに分かれて予選リーグを戦い、8月2日から行われる決勝ラウンドには上位5チームと開催国の中国が出場。すでにオランダ大会、仙台大会を終え、いま最後の予選リーグ、香港大会を戦っている。日本は通算5勝3敗で、決勝進出圏内に入っている(7月22日時点)。 中田ジャパンは強豪オランダ、ブラジルに勝ち、今後に大きな期待を抱かせる戦いを展開している。16日のブラジル戦はフルセットの末、最終第5セットを17対15で制し、6年ぶりにブラジルから勝利を奪った。テレビ中継で接戦に手に汗握り、中田ジャパンへの思いを熱く感じたファンもきっと多かっただろう。 「絶対的エース」として長く日本代表を牽引(けんいん)した木村沙織が引退。柱を失った日本代表は、ポスト木村沙織探しも含め、不安な船出といってよかった。そのかじ取りを任された中田新監督への期待はもちろん大きかったが、ここまでの戦いで、すでに多くのファンの支持を得つつある、そして未来への期待を大きく抱かせているのではないだろうか。 ポスト木村沙織の育成とともに注目されるのが、世界と戦う名セッターの養成だ。すでに日本代表のセッターを務めて久しい宮下遥(岡山シーガルズ)が本命と誰もが認識しているが、かつて15歳で日本代表に抜擢(ばってき)された天才セッター・中田久美が、このテーマとどう取り組むかは注目の的だった。ワールドグランプリ 日本-ブラジル戦。試合を見る中田久美監督=7月16日、カメイアリーナ仙台 オランダ大会では代表初出場の冨永こよみ(上尾メディックス)を先発セッターに起用。宮下オンリーではない姿勢を明確にした。 またブラジル戦では佐藤美弥(日立リヴァーレ)を起用。これが見事に功を奏する形でブラジルを破った。 試合後、中田監督は佐藤起用の理由を「ブラジルが日本を徹底的に研究しているのがわかった。セッターを変えれば、その研究データはまったく役に立たなくなるだろうと思った」と説明している。まったくその通り。ブラジルにすれば開いた口がふさがらない、人を食ったような大胆采配とも言えるだろう。 中田久美監督は、久光製薬スプリングスの監督に就任した一年目からVリーグ優勝のほか、女子初の三冠にチームを導き、Vリーグ4度優勝を果たした。指導者としての力量もここで十分に実証して日本代表の監督を任された。その指導力をあえて再評価するまでもないが、中田久美監督は何が違うのか? あえて結論から記してしまうが、他の競技も含め、日本にこれだけ理想的な素質と実績を持つ監督がいるだろうか? とさえ、私は感じる。中田久美監督の素質と器量 女子の指導者といえば、シンクロナイズドスイミングの井村雅代監督が頭に浮かぶ。厳しい、妥協を許さない、目標を定めたら必ずそこに到達する。揺るがない意志の強さは、他に比類を見ない。まだ競技としての注目が低かったため、あまり知られていないが、選手としても日本選手権2度優勝の実績がある。中田自身、助言を仰ぐ機会を得ているようだが、指導者として中田はこの井村に勝るとも劣らない素質と器量の持ち主だと感じる。さらに加えて、選手として、自らが天才と呼ばれ、世界を相手に戦った豊富な実績と経験がある。もっといえば、他に誰も経験していないほど深く重い悔しさを身に染みて体験している。 中田久美がセッターとして臨んだ1984年ロス五輪。日本女子は銅メダル。このときメディアは、それを賛美するどころか、「史上最低の銅メダル」と表現した。当時、日本の女子バレーは「金メダルを獲って当たり前」と期待されていた。1964年東京五輪で金メダル。1968年メキシコ五輪は銀メダル。1976年モントリオール五輪では再び金メダル。しかもセットをひとつも落とさなかった。銅メダルは中田久美にとって「屈辱」でしかなかった。 それからすでに33年が経過し、さらに36年後の2020年東京五輪でその屈辱を晴らすチャンスを与えられた。中田久美監督の覚悟が並大抵のものでないことは怖いほど感じる。 中田久美監督は、勝つためにすることを知っている。そして、それをやりきる以外、考えない人である。自ら実践する人だから、選手も言い訳はできない。チーム全体が目標に向かう迫力をみなぎらせる。その強さ。口で言うのは簡単だが、それをやりきれる指導者は希少だ。 私も何度かお会いしているが、まなざしがあれほど真っすぐで揺るがない人に出会った経験は少ない。やると言ったらやる、やるのが当たり前。そんな雰囲気が満々とみなぎっている。 日本代表ですでに4年の実績がある「天才セッター」宮下遥を平気でベンチに座らせることのできる人物も中田久美監督以外にないだろう。他の監督が同じことをすれば、そして少しでも結果が悪ければ、批判するメディアやファンが出るのは容易に想像できる。他のセッターにチャンスを与えることで厚みが出る。宮下を超えるセッターが登場する可能性もある。そして、宮下遙自身がいっそうの飛躍を遂げる期待も感じる。女子バレーボール日本-中国戦。スパイクを打つ中田久美選手 =1980年11月、京都体育館 「名選手、必ずしも名監督にあらず」、スポーツ界でそれは常識的な認識だ。 しかし、野球の捕手に名監督が多いのと同様、バレーボールのセッターは名将に通じる素養の持ち主かもしれない。 ワールドグランプリの後、8月9日から17日まではフィリピン・マニラで「第19回アジア女子選手権大会」。次いで、9月5日から10日まで東京、名古屋で「ワールドグランドチャンピオンズカップ2017」が行われる。これら一連の国際大会が、中田ジャパンの基礎を作る日々となる。勝負の結果に一喜一憂しながらも、中田久美監督がどんなチーム作りを進めるか、選手たちが監督に呼応してどんな成長を遂げていくか、またどんな人材が飛び出してくるか、楽しみだ。

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    高野連よ、夏の甲子園は「球児への虐待」と自覚せよ

    小林信也(作家、スポーツライター)全国高校野球選手権・東西東京大会。選手宣誓をする早実・清宮幸太郎主将=7月8日、神宮球場 高校野球人気は、衰える様子がない。今年は清宮幸太郎というスター選手の存在があって、異様とも思える集客現象が一部で起こっている。 しかし、ここで言う「高校野球人気」とは、あくまで見る側からの現象であって、実際に主役であるはずの高校生、高校教育の現場で、いまも世間が騒ぐような人気を野球が持ち続けているかは疑問だ。 今月初め、高野連が「平成29年度加盟校部員数調査」の結果を発表した。それによると、登録者数が3年連続で減少している。高野連のホームページに次の文章が掲載されている。本年5月末の加盟校数と部員数の集計がまとまりましたのでお知らせいたします。硬式の部は、昨年より6,062人減少し161,573人で3年連続の減少。学年別にみると、1年生(新入)部員が54,295人、2年生部員が53,919人、3年生部員が53,359人となっています。継続率は、14年連続でアップし、昨年に引き続き90%を超えました。(継続率の算出は1984年以降)加盟校数は、昨年から25校減の3,989校。平成に入ってから初めて4,000校を割りました。 部員の減少が続き、加盟校が4000校を割った。少子化の流れがあるにせよ、深刻に受けとめるべき事実だ。だが、継続率のアップを続けて表記し、まるで質的には向上しているかの印象を与える。 長年16万人から17万人で推移していた高校球児(硬式野球)の数が、数年後には激減するだろうとの予測は一部で深刻に語られている。なぜなら、学童野球、中学校の野球部員数がすでに激減しているからだ。この世代が高校生になる数年後、高校野球の部員数も参加校数も極端に減ることが心配される。こうした未来予測に、高野連が対策を講じている様子はほとんど見られない。 高校野球は、議論の柔軟性も失っている。見る側も頭が固くなり、自由な議論や提言を交わす土壌がない。 例えば、猛暑対策。いま全国で行われている地方大会のスタンドでは、観客に向けても「熱中症にならないよう、十分に水分補給をするなど、お気をつけください」といったアナウンスを繰り返している。本当なら、大会の時期をずらすなど、もっと根本的な改革をするべきだと思うが、踏み込んだ変革の兆しはほとんどない。アンタッチャブルな高野連 この夏も例えば7月8日、「さいたま市の県営球場で行われた埼玉大会開会式で、野球部員と観客の高校生ら合わせて13人が気分が悪いと訴えた。このうち野球部員で高校1年の男子生徒一人は、意識が混濁した状態で病院に搬送された」とNHKはじめ各局のニュースが伝えた。併せて「水戸市で行われた茨城大会の開会式でもグラウンドにいた高校生の男女7人が熱中症とみられる症状を訴えて医務室などで手当てを受けた」との報道もあった。 一人が意識混濁した状態で病院に搬送された。この重大な出来事を高野連はどのような立場、どんな認識で受けとめているのか? 倒れた当事者の問題なのか? 引率していたチームの責任なのか? 高野連が大会の時期、開会式の時間を変更していれば避けられる課題ではないか? 私はいま、中学硬式野球(リトルシニア)の監督を務めている。当初は真夏でも頑張って練習するのが当たり前と考えていた。しかし、選手たちと数年過ごすうち、認識を改めた。昨今の猛暑は、私たちが子どものころと質も激しさも違う。そして、最近の子どもたちは明らかにわれわれ世代より暑さに慣れていない。30年前とか、40年前の常識で「暑い中での高校野球を賛美する根性主義や感傷」をいまも持ち続けるのは危険だと、はっきり気がついた。しかも、猛暑の中で練習や試合を連日繰り返せば、野球に行くのが嫌になる、やめたいという考えが頭をもたげるのも自然だ。こうして、野球界が貴重な人材を失っている現実に、高野連や関係者は気づいていないのだろうか。高校野球、水戸一鹿島学園。午前9時59分に始まった試合が終わり、スコアボードの時計は午後3時を超えていた=7月10日、水戸市民球場 「根性のないヤツは去れ」「暑さで倒れるような選手は要らない」 本当にそんな考えで、「教育的」と言えるのだろうか? 選手や生徒の安全を第一に考えず、危険に晒(さら)すことで心身が鍛えられると決めつけるのは、精神主義そのものだ。 実際、生徒が病院に搬送される事態が常態化しているのに、教育者である高校の校長や監督、部長が、警鐘を鳴らし、高野連に改善を求める動きが一切ないのはなぜだろうか? 教育者たちは球児に、そして半強制的に応援にかりだす一般生徒たちに、猛暑の中でどんな教育を施そうとしているのか? それこそ、戦時中の価値観をも想像させる、不思議なメンタリティーだ。アンタッチャブルな高野連。何が怖くて、誰も高野連に物を言わないのか。売春斡旋事件でも上から目線 サッカー界は暑さ対策を講じている。昨年3月、日本サッカー協会は暑さに対するガイドラインを発表した。 具体的には、熱中症対策のために編み出されたWBGT(湿球黒球温度)という「暑さ指数」を基準にしている。 「大会/試合を開催しようとする期間の各会場(都市)における、過去5年間の時間毎のWBGTの平均値を算出し、その数値によって大会/試合スケジュールを設定する。必要に応じて、試合時間を調整して早朝や夜間に試合を行う、ピッチ数を増やす、大会期間を長くするなどの対策を講じる」 WBGTが31度(気温だとおよそ35度前後)を超えると予測される場合は「試合を中止または延期する」と規定している。これを基準にすれば、7月の10日前後から下旬にかけて高校野球の大会を実施すること自体が「不適当」という明快な結論が出る。 沖縄大会が6月にいち早く開幕するのは、土日しか試合を行わないためだという。暑さ対策もあるだろう。この方式を全国が検討することもひとつではないか。拓殖大学紅陵高校の処分をめぐり会見する千葉高野連の圓城寺一雄会長(中央)ら=7月11日、千葉市稲毛区 世間ではいま、元球児の売春あっせん事件が露呈して「出場停止」の基準が議論され始めている。これについても、私は違和感を覚える。なぜいつも、高野連は、お上のように、こうした問題を裁く立場で居続けるのか? このような事件が起きた。一生徒の個人的な問題によって起こされた事件なら、そもそも連帯責任は的外れだと思う。しかし、もし高校野球の、行きすぎた、そしてゆがんだ日常がこの生徒の行動に何らかの影響を与えていたなら、それは一高校の問題ではなく、あまりに加熱し、勝利至上主義に走り、改善を話し合う土壌も空気もなくなってしまった高校野球全体の問題ではないか。 このような出来事を前にして「処分」だけを論じるのでなく、「高校野球のあり方が間違っているのではないか」と、自分たちの姿勢を見直すくらいの意識が本当は高野連に必要だと感じる。 私は、猛暑対策が根本的に必要と感じてから、真夏の期間はできるだけ涼しい時間に練習を行っている。今日(7月15日、土曜)も、チームの本拠である武蔵野市の昼間の気温は36度と発表された。朝6時半に練習を始め、9時半には解散した。それでも選手たちは少し顔を上気させ、汗をびっしょりかいていた。選手や親の中には、猛暑の中で練習する習慣をつけなくて高校野球に入ってから大丈夫か、と心配する向きもある。だからこそ、高校野球の責任は重い。高校野球がそうだから、中学生も小学生も炎天下の練習を「当然」と強いられ、心身を危険に晒し、何割かは野球から離れて行く。 夏の大会が猛暑の時期を避け、もっと快適な野球がやれる季節に移れば、少年たちが虐待的な練習をする必要もなくなる。野球少年が増える可能性もある。私はここに書いたすべてが正しいと強調したいのでなく、まったく提言もない、自問自答もない高野連や高校野球の現状を変える必要を問いかけたい。

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    「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物

    小林信也(作家、スポーツライター) まもなく、7月3日にテニスのウィンブルドン選手権が開幕する。 錦織圭が初めて四大大会(グランドスラム)を制覇できるか。現時点で男子シングルス世界ランキング9位の錦織は第9シードと発表された。第1シードは昨年優勝のアンディ・マリー(英国)。第2シードはノバク・ジョコビッチ(セルビア)、第3シードがロジャー・フェデラー(スイス)、全仏オープンを制したラファエル・ナダル(スペイン)が第4シードだ。 ゴルフの全米オープンで松山英樹が2位に入り、モータースポーツのインディ500では佐藤琢磨が優勝するなど、このところ日本の男子選手の世界での活躍が続いているだけに、錦織への期待も当然のように高まる。 だが、芝生のコートで開催されるウィンブルドンと錦織の相性はよいとはいえない。初出場の2008年は1回戦敗退。14年と16年には4回戦まで進んだが、四大大会のうちウィンブルドンでだけはまだ準々決勝に進めていない。ベスト8に進出すれば、1995年の松岡修造以来、戦後2人目となる。 相性がよくない一番の理由は、コートのサーフェス(種類)とみられている。錦織はハードコートが舞台の全米オープンでは14年に決勝、16年には準決勝進出を果たしている。同じくハードコートで行われる全豪オープンでは3度準々決勝に進んでいる。クレーコートの全仏オープンでは15年に続いて今年も準々決勝に進出した。グラスコートのウィンブルドンだけが、高い壁のようになっている。ゲリー・ウェバーOPシングルス2回戦で、試合中にマッサージを受ける錦織圭。結局途中棄権した=6月22日、ドイツ・ハレ(共同) ファンにとっては気になる状況がある。錦織は、ウィンブルドン前哨戦でもあるゲリー・ウェバー・オープン(ドイツ)の2回戦途中、左臀部(でんぶ)を痛めて棄権した。この大会で途中棄権するのは、今年で3年連続になる。これで芝生の大会では5回連続、下部大会を含めると9度目の棄権となった。昨年のウィンブルドンでは、マリン・チリッチ(クロアチア)との4回戦途中(第2セットの途中)で棄権した。今年もまた同じような不安を抱えて晴れ舞台に臨む。錦織はなぜ芝コートでケガをしやすいのか 錦織が芝生のコートでケガをしやすいのはなぜか? 実は芝生のコートが身体に負担を与える実例は、錦織圭に限らない。芝のコートはハードコートやクレーコートに比べてバウンドが低いため、普段より態勢を沈め、体重を乗せて打つことが要求される。軽快なフットワークとその流れで打つイメージでは対応しきれない難しさがある。 しかも、ウィンブルドンの前には全仏オープンがあり、クレーコートになじんだ状態から選手たちは芝への順応と切り替えを求められる。クレーコートを得意とし、今年3年ぶりに全仏オープンを制覇したナダルが優勝後の記者会見でウィンブルドンへの抱負を聞かれて語った言葉にその一端が表れている。「芝のコートでは重心を低く保たなければいけない。足元の踏ん張りが利かなくて不安定。膝の状態次第だね」 足元の踏ん張りが利かない。芝は滑りやすい。そのため、身体とスイングの微妙なずれによって膝や股関節、腰、臀部(でんぶ)などをひねって痛める選手が少なくない。伝統ある憧れの大会でありながら、芝が舞台だからという理由で出場を回避する選手もいる。  テニスは19世紀の終わりころ、芝の上で行う競技として発展した。「ローンテニス(lawn tennis)」が競技名として使われていたくらい、芝が当然の舞台のだった。それなのに芝が敬遠されるのはおかしな気もするが、それが時代の流れ、競技の現実だ。 錦織はハードコートで育った選手だ。抜群のフットワークも、「エアK」に代表されるトリッキーでエネルギッシュなショットも、ハードコートの安定性の上に成り立っている。ボールが一定の高さまでバウンドする。ショットのスピードからバウンドのイメージを容易に想像できる。足元(足裏)とコートがしっかりグリップして、スリップしたり、イメージとの誤差を生じることも少ない。 芝でプレーする場合は、いつ足元が滑るかわからない。ボールのバウンドも低く、はね方も一定ではない。不測の事態が常に頭の片隅から離れない。 「芝生のコートに入ると、自然と敵が強く見える」と錦織圭がつぶやく理由もその不安から生じるものかもしれない。見た目には美しい緑の芝が、選手にとっては恐ろしい魔界でもあるようだ。「最高峰」ウィンブルドンに生じた時代とのズレ2014年10月、楽天ジャパンOP男子シングルス2回戦でエアKを放つ錦織圭=東京・有明テニスの森公園(撮影・中鉢久美子). 錦織と芝生の相性を考えたとき、ふと野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の光景が目に浮かんだ。侍ジャパンの菊池涼介二塁手(広島)は、人工芝で行われた1次ラウンド、2次ラウンドで素晴らしい守備を繰り返し披露した。従来の野手の動きとは少し違う、人工芝の特性を生かした身体のこなし、切り返しだと私は感じた。表面が土や芝だったらできない動きを菊池は開発し、駆使していると感じたのだ。それが、準決勝では痛恨のエラーをした。下は天然芝だった。予想外の打球の伸び、はね方に対応できなかった。広島は普段から天然芝の球場が本拠だから慣れてはいるはずだが、メジャーリーガーの鋭い打球を芝で捕る経験は少ない。その切り替えがうまくできなかったための失策のように見えた。そして何より、野手の技術や動きの基本が、もはや人工芝を前提に培われている事実に気づいて感嘆した。 テニスも同様だろう。打ち方、フットワークの基本は、かつては芝を前提にしていた。いまはハードコートが前提だ。ボールを捉えて打つ間合いやテンポが全然違う。錦織はショットを打つのに止まらない。フットワークとショットはほぼ一体だ。その当たり前のリズムが芝によって制約され、ズレが生じる。バウンドも低いため、いつもの高い態勢で打つことができない場合が多い。そのずれの中で故障が生まれる。 いまスポーツは、伝統と近代のはざまで実は難しい状況にあるとも言えるのだろう。ウィンブルドンは伝統を誇る大会で、賞金も高く、決して軽視できない大会だ。しかし、その舞台は時代の主流とは大きくかけ離れた芝生。陸上でいえば、土のトラックで100メートル競走を行うようなもの。ゴルフで言えば、木製ウッド全盛期にはやったパーシモン(柿)のクラブですべて打つよう制約されているのに近いかもしれない。時代とのズレが、伝統の重さという名で強要されているウィンブルドンを、以前のように世界最高峰を決める大会と認識し続けることを少し見直すべきなのかもしれない。 ボールの高さ、ショットの間合い、この当たり前の感覚を調整するのは、われわれが思うよりずっと難しいだろう。芝生に合わせるのか、芝生でもいつものリズムで打つ感覚で調整するのか。態勢を低くするのか、あまり低くせず、スイングの角度で対応するのか。 錦織圭のウィンブルドンはまず、足元を克服し、足元を意識せずにプレーできるかどうかにかかっている。

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    「強運の人」鹿取義隆GM起用は弱すぎる巨人にとって吉と出るか

    小林信也(作家、スポーツライター) 株主総会のタイミングで、巨人のゼネラルマネジャー(GM)が代わった。堤辰佳GM兼編成本部長が再任されたが自ら辞し、かつてのリリーフエース、特別GM補佐の鹿取義隆氏が同職に就いた。就任会見に臨む巨人・鹿取義隆GM兼編成本部長=6月13日、東京・大手町(撮影・長尾みなみ) シーズン前半にもかかわらずGMが代わった。しかも読売新聞社からの出向でなく、「元選手が巨人で初めてGMに抜擢された」という表現などから、全体としては歓迎ムードだ。当面これで球団への批判モードは封印し、新体制を見守ろうという空気が巨人ファンだけでなく、プロ野球報道全体の傾向になっている。世の中というのは、印象だけで大きく変化する。意外と容易にコントロールできるのかなあと、今回の交代劇で改めて感じる。 「選手出身のGMは巨人では史上初」との報道だが、本当にそうだろうか? GMという肩書きではなかったし、GMほどの権限が与えられていたわけではないが、巨人で事実上GMに相当する職務は「編成部長」が務めていた。この職は、元投手の倉田誠さんが長く務めていた印象が強い。その意味で「鹿取が初」というのは、センセーショナルすぎる表現ではないだろうか。倉田さんに失礼だ。 別の表現をすれば、巨人も野球界の流行の中で「GM兼編成本部長」という名称に変えたが、実質的にメジャーリーグでGMが任されている権限を与えているのかどうか、明らかではない。選手と同様、GMは会社員ではない。球団と契約し、成果が求められ、期待に合わなければ職を追われる。それだけに、選手同様、自由な裁量権が保証され、実力を存分に発揮できる条件が与えられなければやっていられない。 今回就任した鹿取GMが、そのような裁量と権限を持っているかどうかの報道は残念ながらされていない。読売本社からの起用ではないが、読売本社の意向を強く反映する読売巨人軍に「就職した」印象も拭えない。 何より「なぜ鹿取義隆なのか?」の理由について、明快なメッセージはない。同世代だけ見ても、「なぜ江川卓ではないのか?」「なぜ西本聖ではないのか?」、誰も問わない。 鹿取は引退後も巨人と近い関係を築いていた。「きちんと球団の意向を聞ける大人」という評価が、鹿取GM起用の大きな理由のようにも感じる。それならば社員と変わりがない。 巨人では初というが、日本プロ野球に導入されてまだ歴史の浅いGMの大半は、「元巨人」の選手が担ってきた。千葉ロッテで初めてGMになったのは広岡達朗氏。言うまでもなく、往年の巨人の名ショート。次いで日本ハムで手腕を発揮した高田繁さんもV9戦士のひとり。いまは横浜DeNAベイスターズでGMを務めている。今年初めに退任した中日の落合博満前GMも「元巨人」。王貞治さんの現在の肩書きは、福岡ソフトバンクホークス取締役会長兼GM。会長でありながら、GMも務めている。 こうして見ると、巨人で初という表現はますます妙な感じだし、各球団のGMを輩出している本家巨人のGMが他球団に比べて「小粒」な印象も否めない。もちろん、GMとしての実力は現役時代の実績と関係ないが、果たして鹿取GMに多くを期待していいのだろうか。不安は拭えない。 鹿取義隆投手の現役時代については、中年以上の野球ファンには説明する必要がないだろう。とくに王監督時代(1984年から1988年)の5年間には、48、60、59、63、45試合と、計275試合に登板。27勝19敗49セーブをマークした。王監督が姿を現すと「ピッチャー鹿取」の声がスタンドから先に上がるほど、王監督の信頼を一身に集めるリリーフ投手だった。生涯成績は、91勝46敗131セーブ。皮肉なことに、最優秀救援投手のタイトルに恵まれるのは、西武ライオンズに移籍した1年目(1990年)だった。「根性」と「強運」の人 筆者はちょうど鹿取GMと同じ年齢だから、巨人に入る前からの活躍も見ている。江川卓投手を中心に一世を風靡(ふうび)した法政大の黄金世代のひとつ下。明治大に入った鹿取は、3年生になるとリーグ戦で活躍。しかし、スター軍団の法政大には勝てなかった。4年になって、同期の高橋三千丈投手と両輪でリーグ戦優勝を果たす。巨人の鹿取義隆選手(当時)=1989年8月、東京ドーム 大学時代の鹿取を神宮球場で見たことがある。174センチと小柄、驚くような球速でもなかったから、まさかその後、プロ野球で活躍するとは想像しなかった。 改めて鹿取のたどって来た道のりを振り返ると、鹿取義隆は「根性の人」であり、「強運の人」でもある。鹿取は明大卒業後、社会人野球の日本鋼管(当時)に入る予定だったという。同僚の高橋三千丈投手は当然のように、ドラフト1位指名を受け、中日に入った。そのドラフト会議で、鹿取の名前は呼ばれていない。プロ野球との縁がつながったのは、ドラフト会議の後だった。 その年のドラフト会議は、いわゆる「江川事件」のために巨人がドラフトをボイコットし、参加しなかった。その巨人がドラフト指名洩れ選手に直接入団交渉をした。その中のひとりが鹿取だった。西本聖の「テスト入団」が有名だが、同期の鹿取もまた「ドラフト外」での入団だった。 当時の巨人には、少しタイプは違うが、サイドハンドの小林繁投手がいた。鹿取にとっては同タイプの先輩。この小林を越えなければ出場の機会は増えないと見る向きもあったが、江川事件の余波で小林繁が阪神に移籍。「サイドハンド枠」がポッカリ空く形となって、鹿取は1年目から一軍登板の機会に恵まれ、期待に応えている。開幕戦に救援登板、計38試合に登板して3勝の成績は、新人の一軍出場の敷居が高かった当時の巨人にあっては上々の1年目と言えるだろう。その意味で、鹿取GMの持つ強運に期待、というところだろうか。 就任発表の記者会見で、鹿取GMは低迷の理由を分析しつつ、「若い選手がなかなか出てこなかった、ということがある。いいスカウティングをして、そこから育てていきたい」と語った。 これを読んで、どう思うだろう? 「GMの就任の言葉ではない」と私は感じた。選手出身者はどうしても「育てる」意識が強い。これはコーチか育成部長の言葉であって、GMの思考ではない。 GMは活躍できる選手、活躍させる監督・コーチをそろえるのが仕事だ。将来の成長も見越して選手を獲得するの当然だが、それは二番目であって、今日試合を見に行くファンを満足させるチーム編成を「いますぐ実現する」切迫感、使命感が感じられない。 日本でも『マネー・ボール』のタイトルで有名になった著書を出版し、ブラッド・ピット主演で映画化もされたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(現上級副社長)は、本にも書かれているとおり、通常の野球観をひっくり返す策を講じて、予算の少ないアスレチックスに生きる道をもたらした。ビリー・ビーンは試合が始まるとトレーニング・ルームにこもり、試合を見ない。データだけで選手を判断する。かえってその方が冷徹な人事を断行できる、というビーンならでは発想。それくらいの大胆さ、斬新さが、「GM」という立場には求められている。そういう勉強や鍛錬を果たして鹿取新GMは積み上げて来たのだろうか? 「全国区」を売り物にしてきた巨人は、地元密着の流れの中で、ファンとの強い結びつきを失いかけている。実は成績以上に、ここに深刻な課題がある。鹿取GMが、グラウンド上にどんな魅力を配置できるか。相当な発想転換を持って取り組んでほしいと願っている。

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    佐藤琢磨、インディ500制覇で叶った「消えた天才ライダー」の夢

    小林信也(作家、スポーツライター) 先週は「佐藤琢磨インディ500初優勝」のニュースが伝えられ、日本が湧いた。その1週間前、二輪の分野では、ヤマハが世界グランプリ(GP)シリーズ通算500勝を達成、世界のモータースポーツファンから喝采を浴びた。 ヤマハ発動機の柳弘之社長は「『世界で通用するものでなければ商品ではない』という創業者の意志を若い会社全体で共有して世界に打って出た」と、ヤマハが世界GPシリーズに挑戦した当初の意気込みを代弁している。 ヤマハの世界GP初勝利は1963年のベルギーGPだ。ライダーは伊藤史朗。2005年3月、来日会見を行い、新しいヤマハのバイクにまたがるオートバイ世界選手権シリーズ、モトGPクラス総合王者のバレンティーノ・ロッシ(手前)(共同) 伊藤に始まった歴史が500勝まで到達したのは、私自身、感慨深いものがある。なぜなら、その後「消えた天才ライダー」と呼ばれ、突如姿を消して16年間も行方不明になっていた伊藤を追い、アメリカ・フロリダ州でインタビューに成功したのが、私だったからだ。 16年間の沈黙を破って日本人ジャーナリストである僕に会い、インタビューに応じてくれた伊藤は、少しずつ人間味あふれる心情を吐露してくれた。あるとき、言った。「オレは、ヤマハの川上源一社長のために命を賭けて走った。あの人の作るバイクを世界一にするためなら、命を捨てても惜しくないと思った。オレの気持ち、伝えて来てくれないか? そして、川上社長がオレを覚えてくれているか、確かめてくれ」 伊藤の言葉の端々から、昔気質(かたぎ)の心情と同時に、まだ草創期のオートバイで高速走行し、可能な限り高速でコーナーに飛び込み、駆け抜けるためには、高等技術と同時に「命知らず」な覚悟が不可欠だったことを切々と感じた。 「川上のオヤジのために」、そういう思いが必要だった。そして、「オレはそれをやり遂げた」、伊藤の背中がそう語っていた。 私は、伊藤の思いを受けてヤマハに取材を申し込んだ。何の縁もない、若いノンフィクション作家の求めに応じて、川上社長は浜松の本社で時間を取ってくれた。そして、少し離れたレストランで、当時、川上社長が力を入れていた「エピキュリアン料理」をごちそうしてくれた。 しかし、伊藤のことを尋ねたときの反応は意外なものだった。同行の社員に、「そういうライダー、いたかなあ?」と、聞いたのだ。おそらく川上社長にとっては、オートバイの技術開発・性能向上で頭がいっぱいで、ライダーにはそれほど関心を寄せていなかったのかもしれない。「あの人のために命をかけて走った」 再びアメリカに渡り、恐る恐る伊藤にその報告をしたとき、「馬鹿な、そんな馬鹿な! オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」 なんともやるせない表情で、オールドミルウォーキーという名の安いビールをあおった、伊藤の叫び、黙り込んでうなだれた姿が忘れられない。 ヤマハがオートバイを作り始めたのは、1955年(昭和30年)1月。同じ年の7月、主に楽器などを製造する日本楽器製造(現在のヤマハ)から独立して、ヤマハ発動機株式会社が発足。初代社長には当時、日本楽器製造4代目社長だった川上が就いた。 ヤマハ発動機の社史にはこうつづられている。ヤマハ発動機の創業者、川上源一氏『1953年11月7日、ヤマハ発動機の前身である日本楽器の幹部社員に対し、川上源一社長から極秘の方針が伝えられた。 「オートバイのエンジンを試作する。できれば5-6種類くらいのエンジンに取り組む必要がある。その中から製品を選び、1年後には本格的な生産に入りたい」 日本が復興への道を歩み始めた1950年代、無数の企業が二輪業界へと参入し、その数は一時204社までふくれ上がった。しかし、川上社長がモーターサイクルの製造を示唆した頃にはすでに淘汰(とうた)も始まっており、「そういう市場に最後発として参入して、果たして本当にやっていけるのか」という戸惑いの声も社内にないわけではなかった。 のちに川上社長は「今どきになってオートバイを? という意見もありましたが、自分もヨーロッパを回って、技術部長その他に勉強させた結果、これをやるのが一番よろしいという確信のもとにスタートした」と説明。さらに「木材資源の面から見ても楽器の無制限な増産は困難。楽器産業はいつまでも楽にできる商売ではない」と語り、将来の事業発展の足がかりとしてモーターサイクル製造に賭けたことを明らかにしている』 素人から見ると、楽器とオートバイのどこに共通点があるのか、すぐには理解できないが、ピアノのシリンダーを作る技術がオートバイ・エンジンのシリンダーに通じる、技術陣は、トロンボーンの共鳴原理を排気系の共振に応用させるなど、数々の応用が可能といったひらめきがあった。 ヤマハは、1955年7月、毎日新聞社の主催で行われた第3回富士登山レースに参戦。本田宗一郎率いるホンダもこの大会での優勝を狙って参戦していたが、ヤマハは見事、125ccクラスで優勝。同じ年の11月に開かれた第1回浅間高原レースでも125ccクラスで再び上位を独占した。そしてレース後、この大会の250ccクラスで初参戦初優勝を飾った16歳の伊藤少年とワークスライダー契約を結ぶ。「インディで勝てたかもしれない」 再び、ヤマハ発動機の社史から紹介する。『川上源一社長は、モーターサイクル事業への進出を決めたときからすでに「海外に雄飛する」という構想を描いていた。こうした信念を実現する方策として、1958年5月3、4日の両日、ロサンゼルス沖のサンタ・カタリナ島で開かれるカタリナグランプリに参戦することが決まる。ヤマハにとっては初の国際レースだった。 ヤマハは、250ccクラスに5台のマシンを送り込んだ。第2回浅間火山レースで活躍した「YD1改」に、不整地走行のためのモディファイ(編集部注:アレンジ)を加えたマシンだった。5台のうち1台には伊藤史朗選手が乗り、他の4台にはアメリカ人ライダーが乗った。 このレースでヤマハの最高位は6位に入賞した伊藤選手だったが、全32台中完走わずか11台という過酷なレースの中で、最後尾からの追い上げで6位まで順位を上げた伊藤選手の走りは現地で大きな注目を集めた。また、その後ロサンゼルス市内で行われたハーフマイルレースにも出場し、このレースで優勝を飾ると、はるばる日本から遠征してきたヤマハチームの活躍は現地のマスコミでも話題となり、ヤマハモーターサイクルのアメリカ市場進出に大きな弾みをつけたのだった。』 この話にはもうひとつの因縁がある。伊藤史朗さん=1984年、フロリダ(小林信也撮影) 取材で伊藤と一緒に過ごしているとき、「どうしてもノビーさんを連れて行きたい場所がある」と言って、フロリダからインディアナ州まで僕を乗せ、ロング・ドライブをした。その行き先こそが、佐藤琢磨が快挙を成し遂げたインディアナポリス・モーター・スピードウェイだった。 ちょうど1台のマシンが練習走行をしていた。日本でもモータースポーツ取材はしていたが、インディカーの爆音、オーバル・コースを撥(は)ねるようにして直線に向かってくるスピードと迫力には度肝を抜かれた。少しでも浮力を受けたら、そのまま空に舞い上がるのではないかと思った。 「四輪転向の誘いもあった」という伊藤がインディ500の舞台を見つめ、つぶやいた。「オレだって、レースを続けていれば、ここで勝てたかもしれない」 アメリカで20年近く暮らした伊藤にとって、最大のモータースポーツレース、最大の憧憬といえばインディ500だったのだろう。1950年代、60年代にオートバイレースを戦った高橋国光らはその後四輪に転向し、ルマン24時間などで活躍した。 高橋らが「自分たちとは別格、伊藤史朗は天才だった」と口をそろえる伊藤のインディ500への思いは決して戯(ざ)れ言とはいえない。その夢を、30年以上経って、同じ日本人の佐藤琢磨がついに果たした。日本の快挙は、一朝一夕ではなく、草創期からモータースポーツに尋常ではない情熱とそれこそ命を懸けた先人たちの生き様の先にあるものだ。

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    疑惑の判定で村田諒太をはめた「カネの亡者」WBAの大誤算

    小林信也(作家・スポーツライター) 20日の世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王座決定戦での村田諒太選手の敗戦後、判定への異論が噴出している。プロボクシングの世界には、過去にも不可解な判定で物議を醸した例が少なくない。だが、今回はちょっと事情が違う。不思議なことがいくつかあるのだ。 第一に、村田はどこで戦ったのか? という素朴な疑問だ。ホームタウン・デシジョンという言葉がある。試合の開催地側の選手に有利な判定が出る傾向が強いことから、この言葉が生まれた。 今回の騒ぎでしばしば前例に出される亀田興毅選手の世界タイトル初挑戦の試合はまさに、ホームタウン・デシジョンの一例。日本で開催された王座決定戦で、初回にダウンを奪われ、終始苦戦したと見えた亀田がランダエタを破り、王者と判定された。 ところが今回はホームタウンで戦った村田が、敵地かと思われる不可解な判定で王座獲得を取り逃がした。一体なぜ、日本が「敵地」になってしまったのか?ボクシングWBAミドル級王座決定戦で、アッサン・エンダム(左)に判定で敗れた村田諒太=5月20日、東京・有明コロシアム 会場は有明コロシアム、紛れもなく日本。だが結果的に見れば、「あのリングとリングサイドだけはパナマだった」と言うべきかもしれない。村田はアウェーの中で戦った。そのことに気がつかなかった。あるいは、甘く見ていた? すでに試合後の大騒ぎで多くの人が知っているが、ジャッジのひとり、グスタボ・パディージャ氏(パナマ)は日本人選手キラーだ。何しろ、過去9回、日本人選手の世界タイトルマッチのジャッジを担当し、一度も日本選手に勝ちをつけていない。先に挙げた亀田対ランダエタとの王座決定戦でもジャッジを担当し、他のふたりのジャッジと違い、亀田を負けとしている。 日本人キラーと言えば、野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で西岡剛のタッチアップをアウトと判定したデービッドソン審判が有名だ。まさに、グラウンドに敵がもうひとりいた、という象徴的な出来事だった。パディージャ氏は、その上を行く日本キラーであることは過去の実績が物語っている。 だが、彼に作為があったかどうかはもちろん断定できない。なにしろ、亀田戦では敢然とランダエタの勝利と評価しているのだから、一貫して筋が通っていると見るべきかもしれない。 WBAの本部があるパナマから来たパディージャ氏が、WBAの意向を忖度(そんたく)して強引な判定をしたと見る向きも強いが、過去の実績を冷静に見れば、パディージャ氏はあまり忖度(そんたく)するタイプではない。ただし、パディージャ氏が敢然と日本人選手に負けをつけるジャッジだという実績をWBAは当然知っているはずだから、「そこを見込んで連れてきた」と見るべきかもしれない。 彼がジャッジに指名された時点で、エンダム対村田戦のリングは日本でなく、パナマだった? 恥ずかしながら、私も含めて、それを試合前に指摘できたメディアは知る限り、いなかった。「亀田に甘く、村田に厳しかった」ワケ 帝拳ジムの関係者はパディージャ氏の実績を当然知っていただろうが、「判定になったら、どんなに優勢でも負けをひとつ覚悟する必要がある」とまでは認識できていなかった。その危機感を持っていたなら、初回あれほど手を出さず見ることはなかったろうし、終盤優勢を確信したにしても、もっと明らかにポイントを狙いに行っただろう。試合後の記者会見で視線を落とす村田諒太=5月20日、有明コロシアム 村田サイドは、パディージャ氏の存在の大きさを軽視し、自分たちの採点シートを基準に試合を進めてしまった。 「WBAは亀田兄弟には甘く、村田に厳しかった」との声もある。亀田兄弟は、WBAにとってはビジネス的にも大切な看板選手だった。 亀田興毅が13回、亀田大毅が7回、兄弟で計20回のWBA世界タイトルマッチを戦った。これだけのビジネスパートナーはWBAにとっては得がたい存在だったろう。 亀田大毅の世界戦実現のため、亀田側とWBAの間でランキング順位の認定に関して協調する動きがあったとの報道が出たこともある。 亀田興毅、大毅とも、すでに引退している。今後のためにも、新星・村田はWBAにとっても重要な存在だったのではないか。それなのになぜ、地元・日本がアウェー状態になっていたのか? 理由のひとつは、村田が所属する帝拳ジムの本田明彦会長の存在だという。本田会長は、全盛時のマイク・タイソン(世界ヘビー級王者)の来日を二度実現させるなど、世界的にも実績と評価の高いプロモーターである。ファイティング原田氏、ジョー小泉氏とともに、世界ボクシング殿堂に入っている。 WBAは、資金的な苦しさもあり、お金を優先順位の上に設定した運営をせざるを得ないと批判されている。スーパークラスを新設して世界チャンピオンを増産した。そのことで世界王座の価値やプロボクシングの評価が下がることを危惧する声も大きいが、WBAは構わず拡大路線を走ってきた。 本田会長は、これを公然と批判し、プロといえども優先すべき重要なことがあるとの姿勢を貫いて、WBAのタイトル戦はここ数年ほとんど行ってこなかった。すなわち、WBAにとっては煙たい存在なのだ。今回も、WBAが今後一階級一王者の路線に戻す方針を決めたから村田の挑戦を承知した、と本田会長はコメントしている。 私も含め、少年時代にボクシング黄金時代をテレビで見ている世代にとってWBAは世界最高の団体だという、思い込みがあるように感じる。ファイティング原田、海老原博幸、藤猛、沼田義明、小林弘、西条正三、大場政夫…。世界ボクシング評議会(WBC)の併記もあったが、彼らのタイトルには必ずWBAの冠があった。輪島功一も具志堅用高もそうだった。 その後、WBCのほかに国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)が誕生し、いまは4団体がしのぎを削る形だ。 いまも権威があるのは伝統あるWBAだろうとのノスタルジーがあるかもしれないが、実際は違う。いま世界の趨勢(すうせい)は、IBF、WBOにあり、WBAは最も後塵(こうじん)を拝しているというのが近年のボクシング界の共通認識だ。日本のファン全体を敵に回したWBAの焦りWBAのヒルベルト・ヘスス・メンドサ会長 試合後、WBAのヒルベルト・メスス・メンドサ会長自らが判定に異議を唱え、再戦を指示する異例の事態になっている。これは、本田会長への苦い思いがあって設定したパナマ・シフト(WBAの意向)が思いがけない形で奏功し、本田会長への一撃のつもりが、日本のボクシングファン全体を敵に回す事態を生んだことへの大きな焦りの表れではないだろうか。 4団体の中でも、日本マーケットの依存度が最も高く、生命線のひとつとなっているWBAにとって、日本のファンの支持と信頼を失えば存亡の危機にもつながりかねない。 そう考えると、パディージャ氏はいわば確信犯だから、会長の怒りはもうひとりのジャッジ、カナダのヒューバート・アール氏に向いているのではないか。報道によれば、アール氏はあまり実績がないジャッジだという。実績が少ないアール氏を、日本で異様なほど期待が高まっていた「五輪金メダリストの世界挑戦」という大舞台に起用する感覚と意向にこそ、WBAの体質がうかがえる。アール氏は、あまりに完璧にパナマの意向を忖度(そんたく)し、パナマ寄りのホームタウン・デシジョンを実践しすぎた。 手数を重視する判定基準に非難が噴出しているが、かつて採点基準が問題にされたとき、当のパディージャ氏がWBAに見解を送り、「プロである以上、手数より有効打(効いたかどうか)を重視すべきだ」と提言したとの報道もある。まったく同感だが、いかにも皮肉な提言だ。 今後はWBAも、かつて採用を見送り、WBCが採用している公開採点制度(毎回、あるいは4回ごとにジャッジを公表する方式)を実施するなど、明らかな改善が求められるだろう。 最後になるが、エンダムとの試合で村田の強さが際立ち、世界的な評価と注目が高まったのは間違いない。すでにWBO、IBFからも声がかかっているという報道が事実なら、何よりの証明だ。 序盤も終盤も、あまりに手を出さなかったのは反省点だが、リング中央で足をほとんど動かさず、手も出さず、エンダムを危険な距離に立ち入らせなかった。その圧力、パンチを出さずに相手を威圧し、圧倒できるボクサーは過去にどれだけいただろうか。世界王者初挑戦でタイトルは奪えなかったが、村田が証明したものはそれ以上に大きいと言ってもいいだろう。

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    26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

    小林信也(作家・スポーツライター)  プロ野球が開幕から約40試合を終え、セ・リーグは阪神、広島が好調。巨人はほぼ勝率5割で3位にとどまっている。 オフに「26億円補強」とも形容された巨費を投じ、FAで過去最高の3人を獲得した。日本ハムから陽岱鋼、横浜DeNAから山口俊投手、ソフトバンクから森福允彦投手。さらには新外国人選手として、昨季もメジャーで57試合に登板した「160キロ右腕」カミネロ投手、2013年の楽天日本一に貢献したマギー選手らが入団。 「今年は巨人の戦力が圧倒的だ」と感じた人は、巨人ファンならずとも多かっただろう。蓋を開けてみると、「26億円補強」の3選手はいずれもファーム。カミネロ、マギーはまずまず期待どおりの活躍だが、日本選手の大量補強はいまのところ空振りに終わっている。そのような状況から、「巨人のフロント、スカウトは無能ではないか」との厳しい批判が改めてメディアやファンから上がっている。 広島は、鈴木誠也、菊池涼介、田中広輔、丸佳浩ら生え抜き選手を先発メンバーにずらりと並べ、昨年の勢いをさらに増して強くなっている。阪神は、ドラフトで獲得した20代前半の若手、髙山俊、中谷将大、北條史也らとFA組のベテランらがうまくかみ合って好調だ。こうした明暗を見ると、たしかにフロントやスカウトの資質、チーム編成の巧拙が際立ってみえる。イースタン・リーグ巨人対ヤクルト。移籍後、初実戦に臨んだ巨人・陽岱鋼=3月18日 FA3選手のうち、陽、山口については獲得当時から疑問の声があった。それぞれ故障を抱え、実績どおりの活躍を期待できるのか、不安定な状況だったからだ。加えて、ふたりの髪形やファッション、日頃の振る舞いが果たして巨人の空気に合うのか? 紳士たれという「縛り」の中でのびのび活躍できるのか心配もあった。いまのところ、心配の方が現実になっている形だ。 名前と実績のある選手が欲しい、欲しいから獲得する。その甘さ、冷静な判断をせずに期待ばかりで獲得に走る姿勢は厳しく改める必要があるだろう。「調査不足」というより、調査でケガはわかっていたはずなのに「やれる」と踏んだ判断力の甘さを見つめるべきだろう。 私はこれらの背景に「フロントとスカウトの無能」以上に深刻な「巨人の体質」があるように感じる。 かつて、長嶋監督(当時)に熱心に誘われ、FAで巨人に入団した大物選手にインタビューした際、「長嶋監督は全部の試合に勝とうとする。それは無理」と語ってくれたことがある。彼によれば、巨人以外の5チームは、勝ち試合、負け試合をある程度想定して試合に臨む。自分のチームと相手チームの先発投手の力量や調子から、その日の分の良し悪しは判断できる。巨人は戦力が5倍必要なワケ 最初から負けるつもりで臨むのではないが、前半で試合の趨勢(すうせい)が見え、極端な劣勢であれば無理をしないのが、長いシーズンを戦うために得策だ。ところが、長嶋監督は、どんな試合も勝ちに行く。 たとえ序盤に大量失点をしても逆転を目指す。それが巨人ファンへの責務だ。巨人の監督・選手の使命だと。そのことで選手に負担を与え、夏場やシーズン後半に影響を与える可能性がある。それでも毎試合勝ちに行く。いわゆる「捨て試合」を作れない辛さが巨人にはある。 もう十年以上前の話だが、ある地方球団の主力選手が、こう話してくれたこともある。 「自分たちは楽なんですよ。プロに入ってわかりましたが、巨人戦以外はそれほど注目されませんから、他の4チームとの試合ではある程度、楽ができるんです。ところが巨人戦となるとそうはいかない。どの場面でも息が抜けません。巨人の選手は毎日その状態ですから、大変だと思います」 他の試合にない緊張感が巨人戦にはあるという。 今年、巨人から日本ハムに移籍した大田泰示選手が、サヨナラタイムリーを打ったり、早くも自己最多タイの4号ホームランを打つなど、のびのびと躍動している。大田は巨人の頃にあった緊張から解き放たれて「水を得た」好例かもしれない。これを見れば、巨人に入った選手が活躍できないのは、スカウトの眼力のせいとばかりとはいえない。 「ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です。他のチームは5カードに一度だけジャイアンツ戦があります。ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です」ベンチで厳しい表情の長嶋茂雄監督=1997年8月2日  長嶋監督が話してくれた。だから、戦力が5倍必要なのです、というニュアンスだった。5倍は極端にしても、毎日、巨人戦という看板を背負って戦う実感が伝わってきた。 これが巨人の宿命であり、他チームとは違う重圧だ。 「毎年、優勝しなければならない」「毎試合勝たなければならない」という使命感を巨人のフロント、現場、選手の全員が持っている。現実的には無理なのに、その呪縛から逃れられない。 「無能」という以上に、その呪縛、その矛盾をどう乗り越えるか、球団としての戦略や方向性を明確にし、共有することが課題だろう。いまの巨人は、「毎試合勝つのは無理、だけど勝つことを目指さねばならない」という精神論で覆われ、身動きが取れなくなっているドラフト戦略が消極的になった 近年、巨人のドラフト戦略が消極的になった。そのせいで他チームに優秀な人材が流れている、という指摘がある。 確かに、競合を避け、一本釣りで無難に獲得する傾向が強い。昨年こそ田中正義投手(創価大、現ソフトバンク)を指名したが、その前年は桜井俊貴投手(立命館大)、その前年も岡本和真選手(智辯学園)、といったように競合を避けた形で獲得している。 巨人がここ数年、ドラフト会議という仕組みに負けている、という指摘は正しいかもしれない。 ドラフト以前は、巨人というブランド力を生かし、実績ある選手を次々に獲得した。森祇晶という正捕手がいるのに、森を刺激し続けるため、大橋勲、宮寺勝利、槌田誠、吉田孝司といったアマチュアで実績のある捕手を次々に入団させた逸話は、V9伝説のひとつになっている。 ドラフト制度ができて、そのような新人獲得はできなくなった。その幻想をいまの巨人はFA選手の獲得競争に求めているのかもしれない。FAでは巨人ブランドが生きるからだ。 他球団はどうだろう? ドラフト以降も、ドラフトの制約の中で可能なかぎりの工夫と挑戦を続けている球団はある。名スカウトの逸話もたくさんある。 昨オフ引退した黒田博樹投手が広島への思いを貫いた一因には、無名時代から目をかけ、しばしば大学(専修大)のグラウンドに足を運んでくれた広島・苑田聡彦スカウトの存在があったという。苑田が黒田に注目したのは、まだ公式戦登板経験もなかった大学2年のときだという。 メジャー入りの意志が固かった大谷翔平選手を、「獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りに行くのが、ファイターズのスカウティングだ」という山田正雄GMの方針に基づいて強行指名した上、翻意させた大渕隆スカウトディレクター(現部長)による26ページに及ぶ資料もプロ野球史に残る伝説といっていいだろう。 巨人には、ドラフト後の伝説がないのか? といえばそうではない。燦燦会総会であいさつする渡辺恒雄読売新聞社主筆=3月27日 王・長嶋のON引退後、人気低下が心配された巨人を救ったのは、複数競合をいとわず強行指名し、見事にクジを引き当てて獲得した原辰徳選手であり、松井秀喜選手だった。最近でも、原監督(当時)の甥、菅野智之投手を二年越しに獲得。巨人愛を貫く長野の獲得も二年越しだった。 ドラフトでは外れ1位だった坂本勇人選手を2年目、坂本がまだ19歳のころに大抜擢(ばってき)。夏場には低迷する時期もあったが使い続けたのは当時の巨人としては異例だった。だが、いま巨人の中軸を担っているのは、菅野であり、長野であり、坂本であることは言うまでもない。実は巨人はいまも、大胆かつ独自のドラフト戦略と育成によって、チームをつくっているのだ。 巨人はもう一度こうした成功例、巨人のブランド力をドラフトでも活かせる大胆な姿勢を分析・把握し、FAに頼らないチームづくりを球団全体、そしてファンと共有すべきだろう。

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    「くさい」差別発言疑惑とボールボーイ暴行にみたJリーグの病巣

    小林信也(作家・スポーツライター) Jリーグで、選手の言動・行動をめぐって選手が処分を受ける事例が続いている。 4月29日のJ2、ジェフユナイテッド千葉対徳島ヴォルティス戦の前半、徳島ヴォルティスのDF馬渡和彰選手がボールボーイに乱暴したとして一発退場となり、後にJリーグから2試合の出場停止処分を科された。 そして5月4日のJ1、浦和レッズ対鹿島アントラーズ戦では、試合中に浦和レッズのDF森脇良太選手が侮蔑的な発言をしたことに対して、Jリーグは緊急規律委員会を開き、森脇選手と、試合中に激しく口論した鹿島アントラーズMFで主将の小笠原満男選手からそれぞれ事情を聴いた上で、森脇選手に2試合の出場停止処分を科した。相次いで起こった二つの出来事を単純に批判するのでなく、自分自身の問題として考察したい。 4日の件は、スポーツ新聞などの報道を総合すると、森脇選手が試合中、鹿島アントラーズのMFレオシルバ選手に対して、口と鼻をふさぐしぐさをしながら「『くせえな、お前』と言った」と、試合後に小笠原選手が語った。ブラジル出身選手に対する差別的な言動があったと明言したのだ。この発言に対して森脇選手は、自分の顔に小笠原選手のツバが飛んできたので、「『口がくさいんだよ』と言った」と反論。レオシルバ選手に向けた言葉ではないと釈明したという。サッカーJ1浦和対鹿島。後半、鹿島の選手にむかって暴言を吐く浦和の森脇良太(右から2人目)=埼玉スタジアム2002(撮影・佐藤雄彦) さらに、この問題を報じた一部スポーツ新聞が、差別は絶対に許されない、とした上で、「ピッチは戦いの場で、言葉のやりとりや駆け引きもサッカーの一部。言った言わないのたぐいは、試合中にその場で消化すべきだろう」「試合後の取材エリアで処分を誘うような事象が出て、“言葉狩り”のような動きが加速しないかも気になる」と報じるなど、新たな議論も生んでいる。 この問題の根底には、「試合中は勝負をかけた駆け引きもあり、何を言っても許される」といった前提がある。 時代は変わり、パワハラ、セクハラなど、「ひとりひとりの心を傷つける言動や行動は許されない」という認識が社会で共有されるようになった。スポーツもその例外ではないはずだが、「勝てば官軍」「勝つためなら、多少の横暴は許される」といった感覚がまだ根強く残っている。 サッカーに限らず、野球でも「乱闘が起こると盛り上がる。それもエンターテインメントの大事な要素だ」という人は少なくない。本当にそうだろうか? 乱闘をどこかで容認する意識がありながら、差別的な発言を厳しく戒めるのは矛盾する。いま社会は、徹底して、新たな価値観と姿勢を持ち直すべき時代に直面している。ネットの世論が無視できなくなった 差別的な発言をしたことが問題なのでなく、普段から、差別的な意識や発想を持っている自分に気づき、自分の潜在意識と向き合い、学び改めることこそが最初にされるべきことだ。スポーツ界全体が、日頃からそれを重要なテーマとして取り組む必要がある。国際親善とはまさに、自分とは違う文化や習慣、肉体や心情を持つ海外の人たちを知り、受け入れることを意味している。スポーツは、身体と身体をぶつけ合い、勝負という高いテンションで交流できるからとくにそれが深くできる。だからこそ価値がある、として社会に歓迎され、奨励されているのだと思う。それなのに、勝負に勝つため、相手を誹謗(ひぼう)中傷し、心を傷つけてでも優位に立とうとする発想は狭すぎる。それは言葉の自由ではなく、本来の姿勢でないことを選手、指導者、ファン、そして報道する人間も共有することが大事だ。 この問題は、先に記したとおり、一部メディアがこうした発言を試合後に問題視する傾向自体に疑問を呈したことで、何か起こった場合の騒がれ方、対応についての議論も起こっている。黒いスーツで謝罪会見を開いた浦和のDF・森脇良太 =5月9日、さいたま市  ネットの普及によって、数年前ならもみ消された問題が、メディア以外の一般の人々の書き込みや問題提起によって公になる事例が増えている。ネットの世論が、無視できない力を持ち、今回の場合でいえば、Jリーグという組織が処分を決める際にもそれに配慮する必要が生じているように感じられる。 森脇選手の処分が重いか、軽いか、といった議論もすぐ起こっているが、この軽重を判断する場合にも、論理的な妥当性より、世論の「気分」という側面がある。多くの人が、「感情的に納得するかどうか」が重要になっている。 その意味で、ネットの世論が、感情的に偏った方向に導かれ、本質とは違う根拠で形成される傾向はあるように感じる。 徳島ヴォルティスの馬渡選手がボールボーイを小突いた件では、とくにそのことを痛感した。本質が棚上げされ、議論が的から外れているもどかしさを感じるからだ。 世論と世論に配慮したチームやJリーグは、「ボールボーイは中立」「中学生のボランティア」「試合は選手だけでなく、ボランティアのおかげで成り立っている」といった綺麗な表現で謝罪し、対応している。結果的に非難の矛先をもっぱら馬渡選手に向けているが、熱心なサッカー・サポーターなら、「語られていない現実」、あうんの呼吸をわかっていて、実は問題の本質が他にあることはわかっているのではないだろうか。何となく、そのことを言い出せない雰囲気がメディアにもネット世論にもあるとすれば、そこは明らかにしたほうが今後のためだろう。ゴールボール騒動の違和感 状況を改めて詳述しよう。ホームチームであるジェフ千葉のゴールキーパーが、徳島の攻撃をクリアするためサイドラインまで飛び出してきてセーブした。ゴールががら空きなのだから、攻める徳島ヴォルティスの馬渡選手がすぐスローインしてプレーを始めたいと考えるのは当然だ。しかし、すぐボールボーイが渡したら、スローインのボールを受けたヴォルティスの選手がゴールに向かって蹴るだけで得点が成立する可能性がある。実際、ボールボーイから素早いパスを受けたホームの選手が一蹴りでゴールを決めたシーンがネット上で見られる。 サッカーでは、ホームチームのサポーターや関係者が、ホームチームの勝利のために最善を尽くすのは当然との認識がある。その点で日本的な考え方と少し違うと感じる場合がある。今回の出来事は、サッカーという風土の中で起こったことでありながら、日本的な価値観や常識をベースに語られることで、核心がずれていると感じる。 ボールボーイがそう指導されていたとは言わないが、サッカーを知っていればいるほど、アウェイチームの選手に素早くボールを渡すことをためらうのは当然というのが、サッカー界の“あうんの呼吸”だろう。もし素早くボールを渡し、アウェイチームの得点に貢献したらそれこそ非難を浴びるだろう。ボールボーイへの非紳士的行為で退場した徳島DFの馬渡選手 馬渡選手は、そんなことは当然わかっているはずなのに、あそこまで強引にボールを奪い取ろうとした、そのことが「プロとしていかがなものか」と非難されているという背景をこのニュースを聞いたサッカーにあまり詳しくない人がどれだけ理解しているだろう。 試合のスピードアップなどを求め、国際的にマルチボール・システムが採用されたのは、Jリーグ誕生以降だ。そのため、ボールボーイが「フィールドの外にいる12人目の選手」のような役割を果たす場面が生まれた。 試合前、幼い子どもが選手と一緒に手をつないで入場する光景は、微笑ましいサッカーの風景として歓迎されている。中高生のボールボーイもその一環として理解し、支持されているかもしれない。だが、実は試合を大きく左右する重要な役割を担う場面がありえるのだ。 そのような矢面に中学生を立たせることが是か非かを本当は問い直すことも、今回の出来事が教えてくれた重要な問題提起ではなかったか。Jリーグが選手を処分することで問題が終わったと考えるのは、本質と違うように感じる。 ネットの世論形成がますます加熱するだろう傾向の中で、メディアやプロフェッショナルな人間の役割のひとつは、こうした視点や本質の提示をきちんとして、世論が多角的に議論する素材を提供することだと思う。

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    ボストンマラソン3位の大迫傑は瀬古利彦を越えられるか

    小林信也(作家・スポーツライター) 大迫傑(すぐる)が4月17日のボストンマラソンで3位入賞。日本選手がボストンで表彰台に立つのは、瀬古利彦選手が優勝して以来30年ぶりと話題になった。大迫は早稲田大学時代、箱根駅伝1区で2年連続区間賞を取るなど活躍。早くから「将来はマラソンで世界と戦ってほしい」という期待を担っていた。 日本の男子マラソン選手が世界の一線から大きく離され、かつてのように優勝を争う機会が少なくなって久しい。それだけに、今回の大迫のニュースはファンの胸を躍らせた。 折しも、ほぼ同じ時期に、2020東京五輪マラソン代表選手選考に関する新たな方法が発表された。発表したのは、日本陸連のマラソン強化プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦氏。もめることの多かった選考基準を見直し、選考レースで上位ふたりを決め、残りひとりを追加のレースで選考する方式。以前より明快になったが、残りひとりはやはり曖昧さが不安視されている。 古くからのマラソンファンには、思い浮かぶことがあっただろう。瀬古は現役時代、ボストンで優勝したほか、数々の快走と優勝を重ね、福岡国際マラソンでは3連覇を記録するなど「世界最強」と信じられていた。ところが、最高の晴れ舞台になるはずのロサンゼルス五輪で14位に終わった。次のソウル五輪では、五輪代表選考レースと指定された福岡国際マラソンにケガで出場できず、物議をかもした。当時ライバルだった中山竹通選手が「這ってでも出てこい」と言った逸話が広く知られている。期待の高かった瀬古は結局3月のびわ湖毎日マラソンで優勝しソウル五輪代表に選ばれたが、五輪の舞台では奮わず、9位に終わった。それは瀬古自身にとっても、苦い経験だろう。だからこそ、強化プロジェクトリーダーの役割を与えられた東京五輪で成果を上げることを大きな使命と感じているだろう。ボストン・マラソン男子で、3位に入った大迫傑=4月17日、米マサチューセッツ州ボストン(共同) 一連のニュースや動きを見ていて、さまざまな因縁を感じる。大迫は同じ早稲田大学の後輩。その大迫が日清食品を一年で退社し、選んだ先は、ナイキオレゴンプロジェクト。そのチームのコーチは、アルベルト・サラザール(アメリカ)なのだ。 サラザールと聞けば、瀬古の活躍を知るオールドファンなら、懐かしく思い出すだろう。まさに、瀬古利彦のライバルだった人物だ。 瀬古が福岡国際で3連覇を果たした翌年1981年10月のニューヨークシティーマラソンで、2時間8分13秒、当時としては驚異的な世界記録で優勝した。デレク・クレイトン(オーストラリア)の記録を12年ぶりに約20秒上回る快記録。サラザールの名は一躍、「瀬古利彦の最大のライバル」として日本のマラソンファンに刻まれた。サラザールの記録は84年12月になって「距離が150メートル短かった」と判明し取り消されるが、1984ロス五輪に臨むまでの間はサラザールが世界記録保持者であり、ファンにとっても脅威の存在であるのは間違いなかった。ただ、サラザールもケガに苦しみ、ロス五輪での快走は幻に終わった。大迫が日本を離れたワケ 当時から、まだ世界的に知られてまもないナイキのシューズで走る姿が印象的だった。そしていま、自分が果たせなかった金メダルの夢を指導者としてかなえている。リオ五輪陸上男子5000メートルで優勝し、金メダルを獲得したモハメド・ファラー=2016年8月20日、リオデジャネイロの五輪スタジアム(撮影・桐山弘太)  最初にサラザールが指導手腕を高く評価されたのは、イギリス代表でオレゴンプロジェクトに所属するモハメド・ファラーの活躍によってだ。 ファラーは2010年のヨーロッパ選手権(バルセロナ)で五千メートルと1万メートルに優勝。2011年大邱世界陸上でも5千に優勝、1万は2位。そして、2012年ロンドン五輪で5千、1万の二種目を制覇した。その後は2013年のモスクワ世界陸上、2015年の北京世界陸上、昨夏のリオ五輪と続けて二種目制覇を果たしている。いわば、陸上界のスーパースター。大迫が日本を離れ、オレゴンに練習の本拠を移したのも、ファラーの成長を支えたナイキオレゴンプロジェクトの指導体制や環境に惹かれてのことだったろう。 一体、日本の環境や指導と何が違うのか? アフリカ勢が圧倒的に優位な長距離界にあって、アメリカのクラブが気を吐いている背景には、さまざまな独自の姿勢が功を奏しているからだと言われている。中でも、最も象徴的なひとつを紹介しよう。それは今回、大迫がボストンを初マラソンのレースに選んだことにも表れている。 日本の陸上関係者やファンの多くは、大迫自身が2月にボストン出場をネットでほのめかしたとき、怪訝(けげん)に思ったという。なぜなら、4月といえば、その後、トラックレースが盛んになるシーズンだ。マラソンを走る疲労が影響を与える心配が大きいため、日本では敬遠される時期だ。しかも、今年の4月にボストンマラソンを走っても、世界陸上の代表になれるわけでなし、何かの選考のデータにはならない。大きな大会への出場権獲得という価値観からすれば、およそ選択肢にない決断に見えたからだ。 オレゴンプロジェクトは、「長期的な展望で選手を育てる」という方針が明確に打ち出されているという。そのため、大迫も、今年や来年のためでなく、将来のマラソンの可能性を見据えた挑戦だったのだろう。 ファラーにしても、いま34歳。25歳のとき、2006年北京五輪5千メートルに出場はしたものの、予選6位で決勝進出を逃している。不動の地位を築きあげるのはその後だ。トレーニングの特徴のひとつは、中長距離であってもスプリント系の練習を重視することだという。ファラーの抜群の強さは終盤の爆発力にある。1万メートルの最後の400メートルを54秒台で走る。ラストスパートの100メートルは12秒台で走る。サラザール自身は現役時代、かなりの距離を走るランナーだったと記憶しているが、それが疲労やケガにつながった反省からか、選手たちには自分の半分程度しか走らせないという。 強化プロジェクトリーダーの瀬古氏が、かつてのライバル、サラザールに大迫を託し、東京五輪での活躍を期待する構図にははがゆさも感じるが、それが日本の指導陣の現実を表している。

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    素直で真面目という美徳こそが浅田真央を苦しめた

    小林信也(作家・スポーツライター)  浅田真央選手が「引退」したと騒がれている。このニュースを小さな視野と大きな視野という観点から論考してみたい。 テレビをはじめメディアの報道はすべて「小さな視野」で語っていないだろうか。ファンもまた小さな視野で浅田真央の引退を惜しんでいる。そこにひとつ、大きな茶番と戸惑いを感じる。引退会見終了の挨拶で報道陣に背を向けて涙を拭う浅田真央選手 =4月12日、東京都港区の東京プリンスホテル 浅田真央は、オリンピックや世界選手権などを頂点とする競技からの撤退を宣言しただけで、「今後はプロスケーターとして活躍する」と明言している。それを「引退」と表現するのは、アマチュアを前提にしていた時代からのフィギュア界の慣例ではあるが、もう現実とはそぐわない。引退という受け止め方に私はまず違和感を覚える。 高校野球を終えて、プロ野球に入る選手を「引退」と呼ぶだろうか。高校野球界ではそれで実際、競技としての野球をやめる選手が少なくないから、小さな視野で「引退」と呼ぶことはあるが、大学やプロで野球を続ける選手を「引退」とは呼ばない。 日本のフィギュアスケートは、オリンピックに出ることを選手と認め、それ以後のプロ活動を真剣に認めていない意識が現れている。 「勝負がかかっていないから、競技ではない」というのはひとつの考え方だが、音楽の分野に例えたら、まだ無名の若いころ、「コンテストに挑戦して世界の評価を得て、演奏家としての登竜門をくぐる」というプロセスはある。だが、ひとたび演奏家として活動を始めたら、勝ち負けではなく、聴衆に感動や感銘を与える演奏ができたか、音楽性の豊かさ、深み、技術に裏打ちされた個性などが問われ、ものをいう。フィギュアスケートも本来は採点に縛られて終わるものではないだろう。 浅田真央が真剣にフィギュアスケートと向き合うならば、これから「競技や採点、勝負」といった制約のないパフォーマンスの世界に歩み出す、さらに厳しいアートの世界への旅立ちを意味する。だから、過去の競技生活を回顧し、まだ二十六歳の若い女性に「引退」という烙印を押そうとする日本中の身勝手な意識を無責任だと感じるし、怒りも覚える。 浅田真央がこれからどんな活動をするのか。できれば、芸能的な活動は最小限にして、本格的なプロスケーターとしての挑戦を期待してもよいのではないか。この十年でフィギュアスケートがゴールデンタイムで放送されるコンテンツになったようにプロのアイスショーが日本でもっと認知されるような活躍ができれば、浅田真央の次の生きがいにならないだろうか。その前提として、タレントが本業というイメージを払拭することが重要だろう。 いまのメディアやスポンサー、広告代理店は人気スポーツ選手のタレント化に熱心だ。浅田真央がいまもフィギュアスケーターとして秘めている素質や可能性があるならば、彼女の人生を「大きな視野」でとらえ、その開花の舞台を創出するブレーンがいたら幸せだろう。キム・ヨナと浅田真央の違い 周りが浅田真央を利用し、小さな視野で自分たちが稼げればいいと考え、浅田真央を使うだけなら、いまの局面はまさに「引退」だ。常識や周囲に従順な浅田真央だから、現状ならタレント人生まっしぐらに進む可能性が高い。所属エージェントと浅田真央本人の覚悟と見識が試されている。タレント活動は、今後もお姉さんに任せたらいいのではないか。 浅田真央は、自分自身が生み出したフィギュアスケートのブームに乗って愛される存在になったと同時に、自分自身を追い込み、葛藤を繰り返し、今日に至った。 2002年ソルトレークシティ五輪に出場したのは村主章枝と恩田美枝だった。村主は5位、恩田は17位。男子は本田武史と竹内洋輔が出場。本田にメダルの期待が大きかったが4位入賞にとどまった。このころ、ゴールデンタイムでフィギュアスケートが放送されることはまれにしかなく、国民的な注目もそれほど高くなかった。キラーコンテンツとなり、中高年の女性たちからも熱い視線を獲得したのは、浅田真央が2005年グランプリファイナルに15歳で優勝、翌2006年のトリノオリンピックで荒川静香が金メダルを獲ってからだ。安藤美姫という才能もいた。フィギュアスケート世界選手権女子表彰式。メダルを掲げる3位の浅田真央(右)と、優勝した金姸児(キム・ヨナ)=2013年 3月16日、カナダ・オンタリオ州ロンドン(大里直也撮影) 「引退」記者会見でもよくわかったが、浅田真央は本当に誠実で周囲の期待や助言に従順な人だ。それは得がたい美しさでもあるが、賛美しすぎるのはどうかと思う。苦しんだのは、その生真面目さゆえだったろう。それを素晴らしいとも思う一方、危うくも感じる。そうした柔軟性のなさが、ソチ五輪以降の葛藤と結びついている気がしてならない。 人はもう少し幅を持ったほうがいいし、裏表という意味でなく、もっと頭で考える以上の予期せぬ出来事を柔軟に受け入れ、明るい気持ちで糧にする大らかさも大切だ。 五輪で金メダルを獲る、大会で優勝する、といった結果にすべて集約しようとする思考回路と価値観に支配されすぎてはいなかっただろうか。 母親の死、父親の不祥事など、浅田真央の身に降りかかった出来事は、勝負を遙かに超えた人間としての苦しみや運命の領域だ。それを金メダルの価値観に受け入れるのは無理がある。もっと大きな人生の悲哀だ。すべてを競技の枠の中で生かそうと考えるのはスポーツ選手やメディアの悪い癖で、これも「小さな視野」ゆえの弊害ではないだろうか。 金妍児(キム・ヨナ)のしたたかさに比べて、浅田真央の従順さはあまりにも頼りなく、もろく感じる。今後の人生において「浅田真央、大丈夫か」と少し心配になる。その悲劇性ゆえ、よくがんばったと見る者は共感を重ねるが、それはある意味無責任で、本当に浅田真央の心に寄り添い、応援したと言えるだろうか。 浅田真央は荒川静香、安藤美姫らと共に築きあげたフィギュアスケートの人気に自分自身が翻弄され、押しつぶされかけた。浅田真央の演技を見るのが辛かった 私は浅田真央の演技がむず痒かった。見るのが辛かった。なぜなら、「決めたとおりのことをきちんとやらなければいけない」という意識が強すぎて、シナリオ通りのもどかしさが常にあったからだ。 浅田真央の中にはもっと予定調和を超越し、自分の中に眠る未知の叫びや表現があったのではないか。ノーミスで終わらなければならない、勝負に負けてはならないといった心の制約を突破しきれず、顔こそ笑顔を作っても、いつも堅苦しい雰囲気をまとっていた。金妍児がそうした制約を平然と振り捨て、自由な荒野で大胆に自分を解き放っていた印象が強いだけに、もどかしくてたまらなかった。 日本人は、勝った負けたが好きだ。それは世界的な現実でもあるが、世界のスポーツにはもっと、勝った負けた以上の価値観も共存している。 最近注目している選手のひとりに、瀬尻稜というスケートボーダーがいる。まだ20歳だが、主要な国際大会で3連覇を飾るなど、世界的な存在だ。その瀬尻稜がNHKの番組に出演し、番組ホストの相葉雅紀(嵐)から東京五輪への抱負を聞かれて次のように答えた。 「東京オリンピックはまだ出場するか、決めていない。なぜなら、僕らの競技は、他の選手がすごい技を決めたら、やったじゃん! と拍手して、ハイタッチして喜び合うような雰囲気です。自分だけが絶対、金メダルを獲るぞみたいな、そういう種目じゃないので」フィギュアスケート第85回全日本選手権女子フリー。自己最低の12位に終わった浅田真央の演技=2016年12月25日、大阪・東和薬品ラクタブドーム 私はそれを聞いて心が弾んだ。まさにその通りだ。東京五輪を日本が2020年に開催する意義はそこにこそあるのではないかと。 私はかつて、ソチ五輪の演技の前、金妍児(キム・ヨナ)の演技を見ようとせず、イヤホンで音楽を聴き、いわば〈閉じた状態〉で演技に臨んだ浅田真央を残念だったと語り、批判を浴びた。「あれは集中するための方法だ、スポーツライターのくせにわかっていない」「勝つために必要な選択だった」などなど。 いま日本のスポーツファンは、熱くなればなるほど、「小さな視野」でスポーツを語る。勝ち負けにこだわるのは「衝突」の発想であり、瀬尻稜の感覚こそ「調和」の姿勢だ。いま世界が求められているのはどちらか? 「小さな視野」に人々を導くことは危険だ。スポーツはそういう危険と背中合わせだ。そのことに私たちが目を覚まさないと、「小さな視野」で大衆が危うい全体主義への世論を形成しかねない。浅田真央の引退報道にはそれが凝縮されている。 プロとしての活動に歩み出す人が「引退」と表現し、メディアもプロへの転進とわかっていながら、「オリンピック」を基軸にすえて引退と呼ぶ。このおかしさに気づかなければ、東京五輪も「小さな視野」でしか開催されない。

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    高野連を脱退したPL学園名門野球部の「復活」を望まない理由

    小林信也(作家・スポーツライター) 春のセンバツ高校野球決勝戦が「史上初の大阪対決」と話題になった一方で、「PL学園が高野連を脱退」というニュースもまた全国に報じられた。 PL学園は昨夏の地方大会で初戦で敗れたのを最後に活動を休止した。地方大会には3年生のみ12人(選手登録は11人)で挑んでおり、1、2年生の野球部員を受け入れていなかったためである。 桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」に代表される世代だけでなく、PL学園は長く高校野球の「王者」の一角に君臨していた。硬式野球部は1956年に創部し、62年春の甲子園に初出場。これまで春夏合わせて計37回出場した全国屈指の常連校である。それだけに、さまざまな感傷や感慨をもって、このニュースを受け止めた野球ファンは少なくないだろう。第67回全国高校野球選手権 甲子園を沸かせたPL学園の「KKコンビ」桑田真澄投手(左)と、清原和博内野手=1985年8月 PL学園野球部が消滅する直接のきっかけは、部内暴力をはじめとする相次ぐ不祥事の発覚だったという。私は、PL学園OBの元プロ野球選手から長時間にわたって、PL時代の思い出話を聞かせてもらった経験がある。とくに寮生活での先輩、後輩の上下関係は、他人事だから半分笑って聞ける話だが、もし当事者になれば冗談では済まない。息子を思う母親なら、そのような理不尽な仕打ちをどんな思いで受け止めただろうと今でも胸が傷む。 中でも「付き人制度」は特に有名で、1年生は3年生の付き人になり、その先輩の洗濯から食事まで、サポートする。寮にある洗濯機の数が限られているから、1年生同士の洗濯機争奪戦も激しく、もし敗れてしまうと、深夜まで順番待ちをさせられるため、寝る暇もない。食事のときなんかは、部員同士が食器を投げるように回して、テーブルの上で食器が飛びかう、とも聞いた。 そんな理不尽な振る舞いがいったい何の役に立つというのか。率直に疑問をぶつけてみると、彼らは一様に真剣な面持ちでこう言ってのけた。「辛い経験を乗り越え、やがてレギュラーの座を勝ち取り、甲子園でも活躍してプロになる。あの厳しさがあったから今がある」 実際、「甲子園常連の名門校」と呼ばれる高校は全国にいくつもあるが、不思議とプロの世界では通用しない選手も少なくない。智弁和歌山や日大三高などはその代表例だ。一方、PL学園はプロを数多く輩出しているだけでなく、プロ入り後も各球団の中心選手として長く活躍する選手が多い。 パワハラが社会問題となり、体罰だけではなく言葉の暴力も厳しく戒められる世相の中で、PL学園のOBたちが語る「PL学園野球部でかつて行われていたこと」は、明らかにパワハラに該当する。だが、強烈なパワハラがあってこそ、栄光の歴史が築かれ、日本を代表するプロ選手があまた誕生した、というのもまた事実なのである。 もちろん、その陰には才能を持ちながら挫折した多くの選手たちや、笑えない「事件」もあったと聞いたことがある。清原が薬物依存症に陥った背景にも、寮生活で強いられた、あるいは身についたパワハラ体質とも無関係ではなかったのかもしれない。大阪桐蔭と履正社はこうも違う 私は、いまさらPL学園の復活を期待し、あの寮生活が「今こそ必要だ」などと論じる気など毛頭ない。 むしろ、PL学園は「没落」した形になったが、かつての王者が倒れた後にその座を奪ったチームは果たして、新しい高校野球を体現しているのか、それとも「勝てば官軍」とばかり、勝利至上主義を後ろ盾にしたチームなのか。そこを厳しく見つめる社会の眼差しが今必要ではないかと思っている。 くしくも大阪対決となった春のセンバツ決勝。大阪桐蔭は全国から有望な選手が集まり、高校生レベルとは思えない投手、打者がチーム内でしのぎを削り、今回も全国優勝を勝ち取った。OBの日本ハム、中田翔は広島出身。今年のセンバツで活躍した2年生、根尾昴選手は岐阜県出身だ。大阪桐蔭は「寮生活で、チームの一体感を育てることも重視している」とうたっている。 一方の履正社は、かつてはバリバリの高校野球を実践していたが、今はかなり新しいスタイルを導入しているという。寮はなく、部員全員が自宅からの通学である。しかも、他府県から選手を集めていない。文武両道を重視し、野球部員も他の生徒同様に勉強に力を入れている。第98回全国高校野球選手権大阪大会。東大阪大柏原-PL学園。今夏限りでの休部が決まっているPL学園は初戦で敗れ、ナインは号泣しながらベンチ前に整列した=2016年7月15日、大阪府東大阪市の花園中央公園野球場 実際の学校生活を見たことがないので、断定はできないが、PL学園の反省を生かそうとしているチームと、PL学園の成功例に学び実践しているチーム。それぞれに特徴がある。 私は、PL学園が高野連から脱退し、名実ともに高校野球界から消え去った今、高校野球の「悪しき封建体質」も勝利至上主義も同時に終焉させ、本当に新しい高校野球への変革を目指す時ではないかと熱望している。 サッカーのJリーグは、放映権を2100億円で買われ、劇的に体制が変わった。高校野球は「教育の一環」という名目で、放映権料はタダ、外野席もタダ、という不思議な伝統を維持している。高校野球がメディアを中心とした「ビジネス」になっていることは誰だって知っている。それなのに一方で教育を振りかざし、それでいてパワハラを放置している。この矛盾は解消すべきである。 私は、中学硬式野球の監督を務めている立場から、野球少年の減少を切実に感じている。家の近くにキャッチボールをする場所も、草野球に興じる場所もなければ、野球自体に触れる機会がない。野球を志す少年が減るのは当然だ。「草野球のできる公園づくり」は、いま野球界が一致団結して取り組むべき、緊急プロジェクトではないかと思っている。 前述したようにJリーグには2100億円もの値がついた。では高校野球にはいくらの値がつくだろう。この財源を元に、全国各地で草野球のできる公園を整備してはどうか。高校野球にはそれだけの「バリュー」がある。「PL学園、高野連脱退」という、ある意味ショッキングな出来事をきっかけに、そういった観点からも議論を起こし、高校野球を新しく発展させる動きが始まることを切に願う。

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    稀勢の里が火をつけた「日本VSモンゴル」仁義なき抗争

    小林信也(作家・スポーツライター) 新横綱・稀勢の里が、「奇跡」と形容された逆転優勝を飾り、相撲人気がさらにボルテージを増している。場所前からのフィーバーは、稀勢の里連勝でさらに燃え上がったが、同時に新たな遺恨の様相が表面化した。稀勢の里を中心とする日本勢と白鵬、日馬富士らのモンゴル勢の「洒落にならない対立」の様相が深刻化しているという。大相撲春場所13日目。横綱日馬富士(左)に寄り倒され、初黒星を喫した横綱稀勢の里。土俵下へ落下し、左肩から胸部付近を負傷した=3月24日、エディオンアリーナ大阪  そういえば、連勝街道を走り、早くも大横綱の風格を感じさせた稀勢の里を、厳しい相撲で負傷させ、一気に奈落の底に突き落としたのは日馬富士だった。意図的とは言わないが、ただならぬ厳しさがあったのは、ただの相撲の一戦ではなく、それ以上に腹に抱えるものがあったからだと指摘する関係者は少なくない。 これが土俵上の勝負に徹したライバル心なら歓迎するが、どうやら、土俵外での感情的な対立が背景にある。それも、当事者同士というより、相撲協会が絡んだいざこざだというから、あまり歓迎できるドラマではない。 本場所では、優勝争いの相手となった照ノ富士に対して、「モンゴルへ帰れ!」のヤジが飛んで物議を醸した。どうして日本人はこう単純なのだろう。浅いといった方が的確か。かつてのプロレスに見られたような単純な善玉・悪玉の構図、日本人が外国人を倒す姿を見て溜飲を下げるという、短絡的な心情がいまも生きているとしたら、あまりに了見が狭い。調和の時代に逆行する島国根性と言われても返す言葉がない。 日本人横綱の誕生は若乃花以来、約19年ぶり。貴乃花が2003年1月に引退してから14年もの間、日本人横綱の不在が続いた。その間、大相撲を支えてくれたのはモンゴル勢だった。貴乃花引退の次の場所から横綱に昇進し、一時代を築いたのは朝青龍。貴乃花の22回をしのぐ25回の優勝という記録が、朝青龍の大相撲への貢献を物語っている。続いて大相撲の看板力士となったのは白鵬だ。双葉山に迫る63連勝を記録し、優勝回数は37回と歴代最多記録を更新した。白鵬なしに、この10年の大相撲はありえなかった。そうした感謝、敬意があれば、照ノ富士に対して「モンゴルへ帰れ」とは決して言えないし、笑えない。日本人はそのような謙虚さ、わきまえさえ無くしたのか。 新横綱誕生の瞬間から日本列島に伝播した稀勢の里熱は、やはり「日本人横綱」への期待が根強くあったこと、多くの相撲ファンが、モンゴル勢に占領された形の相撲界に欲求不満を覚えていたことを明らかにする形ともなった。稀勢の里の大逆転優勝で、そうした日本の相撲ファンたちも、少し浮かれ気分で、久々の上から目線を謳歌している……。貴乃花親方が白鵬いじめ? これまで一人勝ち状態だったモンゴル勢は、とくに日本勢と対立することもなかった。日本人力士たちは、張り合うレベルになかったからだ。ところが、稀勢の里が実力を増し、同じ部屋の高安も実力と人気を伸ばす中、モンゴル勢はすっかり敵役の様相を呈している。白鵬は、ある時期から日本人を敵に回しても平気だという姿勢に転じたが、横綱になってしばらくは「日本人以上に日本人の良さを兼ね備えている」と評価され、大半の日本人が好感を持って応援していた。白鵬と常に優勝を争い、その地位を脅かす日本人力士がいなかったのだから、白鵬が日本人的な位置を占め、日本のファンに愛される役割を担っていたのだ。 ところが、それでなくても白鵬が悪役的な振る舞いを常態化させ、かつての白鵬に対する評価がなくなっているいま、稀勢の里の台頭で白鵬は完全に「勝てば嫌われる脇役」となった。 その背景に、もうひとつ複雑な事情がある。相撲協会の中で着実に勢力を伸ばしつつ在る貴乃花親方の白鵬いじめがあからさまだというのだ。真偽は定かではないが、巡業中、白鵬がまだバスに戻っていないことを知りながら貴乃花親方がバスの出発を促した。明らかに嫌がらせだと証言する人が多い。白鵬がそれを聞いて、気分を悪くした(おそらくは激しく憤慨した)のは容易に想像できる。貴乃花親方にすれば、自分がそうであったように、相撲界は日本人横綱が先頭に立ってこそ本物との思いが根強くあるのではないだろうか。久々に現れた稀勢の里という宝を寵愛するあまり、好敵手たちを感情的に冷遇する意識が無意識にでもあるとすれば、世界を視野に入れる相撲協会をリードする資質を疑われる。稽古する白鵬(右)と稀勢の里=3月8日、大阪市港区の田子ノ浦部屋宿舎 白鵬が引退を決意する日がそう遠くないのではないかという思いは、多くの相撲ファンが抱いている。引退後の白鵬はどんな道を歩むのだろう。これだけの大横綱なら、親方になり、部屋を持つのが、日本人力士なら通常の道だ。が、白鵬の前には国籍の問題が立ちはだかる。親方になれるのは「日本人」と限定されているからだ。 日本の伝統を守るために必要な規定かもしれないが、すでに土俵を外国人力士に開放し、看板を担ってもらいながら、最後に門を閉じるやり方は、失礼千万ではないのか。白鵬は「モンゴル国籍のまま、一代年寄として相撲界に貢献する」道を希望し、非公式だがその意向を表明した。ところが、春場所前のトークショーで貴乃花親方がこれに否定的な見解を示した。相撲協会は「親方は日本国籍」の方針を今後も維持し、「外国人親方」を頑なに拒む姿勢のようだ。そのことがさらに深い感情のもつれの背景にある。日本の相撲界は、よき伝統を守る努力を続ける一方、開かれた発想を持って変わる意識も持つべき時期に来ている。 土俵が熱くなる競争心、ライバル心が高じることは、時に勝負の次元を一瞬にして高める役割を担う。だが、今回の日本勢対モンゴル勢の対立構図は、まず明るくない。陰湿で、こういう場合は必ずと言っていいほど、大ケガにつながる。今回は稀勢の里の気力が上回って、自ら悪夢のような試練を糧に変えたが、遺恨を背にした相撲を見るのはあまり楽しくはない。

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    「心技一体」を会得した稀勢の里は誰よりも強い

    小林信也(作家、スポーツライター) 稀勢の里が好調だ。 新横綱として臨んだ春場所、初日から盤石な相撲で、危なげなく白星を重ねている。他の三横綱は序盤から土が着き、白鵬は二敗を喫すると5日目から休場してしまった。最大の敵が消え、新横綱として初場所に続く連続優勝に向け、視界が開けてきた。豪風(左)を一気に押し出した稀勢の里=3月12日 5日目までの取り口を見ていると、不安がまったく消えている。稀勢の里の唯一と言っていい弱点は、負けを怖れた時、極端に固くなり、まったく力が出せなくなることだった。普通に勝負したら、相撲の強さは白鵬と甲乙つけがたい、最近なら稀勢の里が上回ったのではないかと、相撲ファンなら認めているだろう。今場所はまだ大一番を迎えていないとはいえ、緊張したはずの初日も難なく実力者の豪風を退けた。 2日目は、初日に白鵬を破って勢いに乗る正代を落ち着いて受け止め、一蹴した。そして3日目の相撲には、稀勢の里の大きな変化成長をまざまざと見た気がする。相手は貴ノ岩。見合ったあと、行事の軍配が返った瞬間の稀勢の里の立会いの素早さ、鋭さには舌を巻いた。 貴ノ岩にすれば、アッと思う間もなく、すでに稀勢の里がぶつかってきていた感じではないだろうか。決して陸上で言うフライングではないが、まるで瞬間移動するように、「ハッケよーい、残った」の声が響いた瞬間にサッと稀勢の里の大きな身体が貴ノ岩に襲いかかっていた。そして終始、前がかりで攻め続けた。前へ前へ素早く動くと、軽くいなされる心配もあるのだが、前のめりに出ているようで稀勢の里の腰はどっしりと落ち、崩れる心配を感じさせない。貴ノ岩にすれば、稀勢の里の圧力が半端ではなく、いなすなどの余裕もなかったのではないだろうか。力勝負ではなく、ちょっと違う次元の相撲に稀勢の里は歩み入ったように感じる。 最近のスポーツ界は、相撲も含めて、目に見える筋力の強さ弱さばかりで優劣を計り、理解しようとする。人間の持つ力はもっと目には見えない、重心だとか、相手との間合いによって生じる内面の力にこそ本質がある。身体の大きさ、筋肉の量だけで強さが決まるなら、決して大男ではなかった朝青龍がなぜあれほどの強さを誇ったか説明できない。稀勢の里は身体にも恵まれている上、こうした内面の作用をも感じ、鍛える手応えを感じているようだ。「土俵は人生の縮図」 時間一杯になった最後の仕切りでは、ゆっくりと立ち、蹲踞で構えてから少し時間を置いて自分の間を作る。そこで時間を開けると従来なら余計なことを考えて不安が入り込み、格下にも思わぬ取りこぼしをする例が少なくなかったが、今場所は雰囲気が違う。勝負に自然と入り込み、身体と意思がピタリとあってズレがない。そんな風に見える。四日目は小兵のクセ者・蒼国来。初顔とあってか、相手を見て慎重に立った。上手を取るともう蒼国来は完全に自由を奪われ、相撲にならなかった。そして5日目、前日に白鵬を破った勢を終始圧倒した。大相撲春場所の初日、土俵入りする新横綱稀勢の里 =3月12日、大阪市のエディオンアリーナ大阪  横綱には「負けてはならない」宿命はあるが、何勝しないと昇進できない、といったプレッシャーはない。稀勢の里は、横綱昇進で苦手なプレッシャーから解放され、伸び伸びと強さを発揮しているように見える。そして、どうやらそれだけではない。相撲に対する確信が自分の中でも深まっているようだ。 場所前、NHKテレビのインタビューに答えて、稀勢の里はこう語っている。 「去年の大阪くらいから少しずつですけど自分の形になってきた。そこで13勝したのがかなりの自信になりました。バチッとはまった感じがありましたね。(今場所大事なのは)気持ちの部分じゃないですか。喜怒哀楽を出すとやはりムラも出ますしね。いかに淡々と一日一日を過ごすかが大事。先代の師匠も言っておられました、土俵は人生の縮図だ、その部分を鍛えていきたい」 5日目の白星で、幕内通算勝利数が683勝となり、高見山と並び歴代9位になった。1位白鵬の927勝にはまだ距離があるが、上を見ると、8位旭天鵬、7位貴乃花、6位武蔵丸、5位の大鵬が746勝だ。大横綱・大鵬まであと63勝。今年中に上回るのも夢ではない。もし今年の終盤、早い段階で大鵬の746勝を超えるようなら、稀勢の里もまた大横綱と呼ばれる階段を上り始めた証拠になるだろう。 NHKのインタビューの終わりに稀勢の里はこうも語っている。 「肉体は25歳だと思っている。あと5年、10年はできるようにがんばりたい」 昇進の甘さで物議を醸した稀勢の里だが、ここから世間を納得させる大横綱へと実績を積む可能性も感じられる。中盤以降、より凄みを増すよう、期待したい。

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    最強の伏兵イスラエル、侍ジャパンの「仕事人」が必勝のカギだ!

    小林信也(作家、スポーツライター)  野球の国・地域別対抗戦、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕した。日本代表「侍ジャパン」は、一次ラウンドを快調に突破した。キューバ戦は前半から優位に立ち、終盤は乱戦気味になったものの、打ち勝って難敵を倒した。  オーストラリア戦は先発の菅野が先制ホームランを浴び、打線も12連続凡打に抑えられるなど重苦しい展開だった。が、松田の犠牲フライで同点に追いつき、中田のホームランで勝ち越すと一気にムードが明るくなって、危なげなく連勝スタートを果たした。休養日、中国がオーストラリアに敗れた時点で、日本の二次ラウンド進出が確定した。 強化試合では負けが続き、選手も勝利の十字架を背負って暗い雰囲気だったが、いざ大会が開幕すると、吹っ切れたように伸びやかなプレーを見せている。 キューバ戦は、セカンド菊池の好守(ダブルプレー)に始まり、センター青木のファインプレーもチームを盛り上げた。キューバの外野陣も立て続けに超美技を見せ、試合自体がスリリングな展開で活気づいたことも、侍ジャパンが本来の躍動を取り戻した一因かもしれない。何より、野球は面白い、カッコいい! という、素朴な感動が見る者を興奮させた。 余談だが、9日の木曜に吉祥寺の小料理屋さんに行くと、「前日のお客さんがものすごく少なかった。外の人通りもいつもに比べて格段に静かだった。みんな自宅に帰ってWBCを見ていたからではないか」と女性店主が真剣な顔で分析していた。確かに、オーストラリア戦の視聴率が20パーセントを超えたとの報道もあった。WBCで野球人気回復の勢いがつけばうれしい。 戦前のチーム状況から推して、私は勝つとすれば「打つべき選手のホームラン」と、「松田のようなお祭り男に火が点くこと」と期待していた。まったく、それが現実となって、侍ジャパンに勢いがついた。キューバ戦の5回、3ランを放ちベンチ前で「熱男」ポーズをとる松田=3月7日、東京ドーム 四番・筒香は2戦連発、中田にもホームランが出た。山田の当たりはビデオ判定の結果、二塁打になったが、中心打者にそれぞれ快打が出た。そして何より、松田が初戦4安打、2戦目も貴重な同点犠飛を放ち、調子に乗ったのが大きい。 沈黙と爆発の差が激しいという不安はあるものの、小久保監督としては、攻撃面でこれ以上ないスタートが切れたと手応えを感じただろう。一次ラウンドの勢いは二次ラウンドに続くとは限らない 投手陣もまずまず好調な滑り出しを見せた。初戦先発の石川、2戦目の菅野とも安定した投球で試合を作った。初戦の第二先発・則本は打ち込まれたが、乱戦になった試合の雰囲気の中での失点と気持ちを切り替えているだろう。オーストラリア戦の8回、4番手で登板した宮西=3月8日、東京ドーム 投手陣では、宮西、千賀の好投も大きい。この二人の頼もしいピッチングは、彼らが世界の舞台で活躍できることを実証したし、二次ラウンド以降も重要な戦力になることを示した。小久保監督、権藤投手コーチの継投にも幅ができるだろう。 そして、懸案とされていたクローザーも、牧田が落ち着いた投球を見せ、信頼を築いた。同時に、松井、秋吉を別の場面で生かす余裕が生まれた。 二次ラウンドでは、3連勝で勢いに乗る伏兵イスラエル、前回も台風の目となったオランダ、それにキューバが相手だ。 イスラエルは、初戦で韓国を破り、「大会史上最大の番狂わせ」と形容され、世界中を驚かせた。メジャーリーグ経験者を多数揃えるイスラエルは、大会前から「韓国以上の実力を持つチーム」と関係者の間では評価されていた。その真価を発揮し、トップで一次ラウンドを突破した。日本にとって、怖い存在であるのは間違いない。 オランダもメジャーリーガーを揃え、一発の破壊力もある。オーストラリアに先制されたように、序盤でリードを奪われる展開もありうる。焦らず粘って、最少失点にしのぎ、後半で追いついて勝つ覚悟も必要だろう。 キューバも、以前のような迫力はないものの、初戦の終盤に見せた打力は侮れない。 一次ラウンドは主力選手とお祭り男が調子付いて快勝した。ただそういう勢いは、相手投手の思わぬ快投や、序盤の猛攻で一気に沈黙する恐れがある。できれば序盤に相手を調子づかせずに、打線が封じられたり、リードを奪われた時にどう打開できるかの準備が二次ラウンドでは重要だろう。 その時、一発屋以上に頼りになるのは「仕事人」たちだ。すでにいい味を出し始めている青木、菊池、山田、さらには秋山、内川らの活躍が苦境打開には欠かせない。彼らをどの場面で起用し、侍ジャパンに「化学変化」をもたらすか。小久保監督の勇気とひらめきある選手起用にも期待したい。

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    阪神にも敗れた侍ジャパンがWBCを制する方法はこれしかない

    小林信也(作家・スポーツライター) 侍ジャパン、大丈夫か? 強化試合を見て、ファンの間に不安が広がっている。ソフトバンクに敗れ、台湾に大敗した。台湾との第二戦には快勝したものの、阪神にも負けた。結果以上に、世界を制覇してくれるチームの勢いを感じない。 一体何が問題なのか。 端的に言って、侍ジャパンの面々は、ジャパンのユニフォームを着て、楽しそうに野球をやっていない! それが何よりの問題だ。 侍ジャパンには、「WBCに優勝して、落ち目の野球人気復活の起爆剤になる」期待がかかっている、と関係者も選手も余計な責任感に縛られているのではないか。それは大きな勘違いだ。優勝すればフィーバーする、メディアも取り上げ、一般大衆の関心は高まる。だが、野球人気を高める本質は「優勝」ではなく、「野球って楽しいなあ」と、理屈抜きに魅了することだ。ムッツリした顔で、結果を求めて結果の出ない選手たちの姿には魅力がない。人を惹きつける華やかさもない。たとえ三振しても見る者の心を揺さぶるような、豪快で、人間的なプレーがほとんどない。WBC日本代表侍ジャパン対台湾プロ野球選抜、ベンチ前でタッチをする侍ジャパン・菊池涼介=2月28日、ヤフオクドーム福岡 投打の戦力分析以前の問題だ。チームとしてのダイナミズムを感じない。野球は個人プレーの集積と言われるゲームだ。1+1が2でなく3にも5にもなるような、化学反応、相乗効果があってチームは強さを発揮する。 そのために、監督は見えないところで様々な配慮をし、選手個々の力を超えた潜在力が大きく膨らむような仕掛けをめぐらす。いまのところ、侍ジャパンにはそのようなエネルギーを感じない。 小久保監督が果たして、どのような仕掛けを準備しているのか。 監督経験がないことを不安視する声もある。それは、このあたりの引き出しや観点を小久保裕紀監督が持っているかどうか、誰も見たことがないからだ。チームが勝利するときは、大会を戦うごとに結束が固まり、勢いがつく例が多い。偶発的にも思えるが、予め準備された火薬に火が点いて実現する場合がほとんどだ。小久保監督がすでにこうした策を打ち、小さな点火を重ねてチームが変わる準備ができているのを祈るばかりだ。メンバーはどんぐりの背比べ 強化試合では、選手ひとりひとりが「自分で結果を出そう」としている雰囲気があふれていた。野球は確かにそういう競技だ。打席に立った打者が打つか打たないか。マウンドに立った投手が抑えるか崩れるか。だが一方で、目に見えないつながりが、凡打も意味あるものにし、相手に不安やダメージを与えることで後の誰かが結果を出すこともある、それが野球だ。 いまの侍ジャパンにはその余裕がない。チームメイトとの無言の信頼、「自分が結果的に凡打でも、結果以上の熱を発散することで最終的にチームに力を注ぐものだ」という覚悟がない。それは、WBCという、普段とは違う世界大会で「優勝」という十字架を背負った選手たちの重圧でもあるのだろう。WBC日本代表壮行試合日本代表-台湾プロ野球選抜1回で二塁打を放つ日本代表・筒香嘉智外野手=2月28日、ヤフオクドーム カリスマ性を持った監督なら、そして強烈なリーダーシップを持つ中心選手がいれば自然とチームの空気は変わる。いま、侍ジャパンには、先頭に立って全員を鼓舞するリーダーがいない。四番を打つ筒香嘉智は、主将を務める横浜DeNAでは毎試合前、ナインを集め、思いのこもった言葉でチームに熱を注いだ。 ベイスターズの記録映画を見ても、主将として筒香が与えた変化が初めてのクライマックス出場に大きな貢献を果たしたことが窺える。その役割を侍ジャパンでは与えられていないから、宝の持ち腐れになっている。無言でチーム全体に熱を注ぐ、第2回大会のイチローのような絶対的な存在もいない。それが、ひとりひとりが「結果を出さなければ」と肩に力が入る一因になっているだろう。 侍ジャパンのメンバーを見ると、大半が中堅クラス。いずれも素晴らしい選手には違いないが、並べて見ると存在感という意味でどんぐりの背比べで、横並びの感じがする。ベテランと呼ばれる年代の選手は内川聖一(ソフトバンク)ら、ごく一部だ。内川は職人的な存在で、精神的支柱を担うタイプではなさそうだ。その意味では、阪神戦から加わった青木宣親(アストロズ)がその役割を果たしてくれるかどうか。もしくは、松田宣浩(ソフトバンク)あたりのバットが火を吹き調子に乗ってムードメーカーになることを期待するところだ。  戦力的には、優勝した1回、2回に比べて、エース投手の国際舞台での実績や迫力にやや不安を感じるが、実力的には十分な選手が揃ったと思う。全体的にむしろ、山田哲人(ヤクルト)、菊池涼介(広島)、秋山翔吾(西武)、鈴木誠也(広島)ら、新しいタレントが以前にも増して充実している。打線は個性もあって楽しみ 投手については、球数制限に惑わされすぎだ。普段と違う規定がある以上、シンプルに割り切ればいい。先発投手の球数に右往左往するのでなく、先発投手と第二先発、ふたりの投手で6回までを作る。7回まで行けばラッキー。残りの3回(または2回)を中継ぎ、抑えで受け持つ。それだけの話だ。人材はいる。先発は、菅野智之(巨人)、則本昂大(楽天)、石川歩(ロッテ)、武田翔太(ソフトバンク)。第二先発は藤浪晋太郎(阪神)、増井浩俊(日本ハム)、牧田和久(西武)、千賀滉大(ソフトバンク)。  中継ぎに岡田俊哉(中日)、宮西尚生(日本ハム)。抑え候補の平野佳寿(オリックス)、松井裕樹(楽天)、秋吉亮(ヤクルト)は中継ぎも兼務する。第二先発は必ずイニングの頭から出る。先発が途中で崩れたときには中継ぎが間に入るなどの内規を決めておけば混乱も少ない。WBC台湾プロ野球選抜との壮行試合第2戦1回、山田哲人が先頭打者本塁打を放つ=3月1日、ヤフオクドーム 打線は、個性もあって楽しみだ。不安があるとすれば、中田翔(日本ハム)も含め、平田良介(中日)、松田ら、むらのある一発屋が短期決戦でつなぐ打線に水を差すことだ。平田、松田らは代打の切り札でこそ存在感を発揮するのではないか。 松田をベンチに下げれば、三塁手の人材が必要だ。ギャンブルだが、山田の三塁起用も選択肢ではないかと思う。二塁手が山田、菊池とふたりいる。小久保監督は当初、二塁守備のスペシャリスト菊池を守らせ、山田をDHに起用した。ところが、守りと打撃でリズムを作るのが当たり前だった山田にとって、守らずに打席に向かう感覚はしっくりこなかったのではないか。それならば、山田を三塁に起用することで、ふたりの二塁手が共存する。 外野は人材揃いで選択に苦しむところだが、レフト筒香、ライト鈴木誠也(広島)、センターは青木と秋山の併用が基本でチームは力を発揮するのではないか。 7日からの本番。1次ラウンドは勝ち抜くだろうが、2次ラウンドは楽観を許さない。決勝ラウンドの行われるアメリカに侍ジャパンが渡れるかどうかは予断を許さない。最大のポイントは明るさ、大胆さ、そしてリーダーのもとに相乗効果を起こせるかにかかっている。いや、何より、結果より感動、興奮を巻き起こし、「野球ってドキドキする、面白い!」、素朴なワクワク感をもたらしてほしい。

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    制球難は心の乱れが原因? 元巨人、越智大祐が女と金に嵌ったワケ

    小林信也(作家、スポーツライター) 週刊文春の先週号が、2000年代後半に中継ぎで活躍した越智大祐・元巨人投手の結婚詐欺疑惑を報じている。既婚者でありながら、キャンプ時に知り合った女性に、すでに離婚したと偽るなどして結婚を求めたという。その女性の証言は、結婚詐欺にとどまらず、現役時代に違法闇スロットに通っていた、刺青を背中に入れていたなど、荒んだプロ野球選手の現実を思い知らされる内容になっている。東京六大学野球、早稲田大学・越智大祐投手(当時)=2005年 10月 16日 越智大祐を初めて見たのは、2002年春。越智が早稲田大学の投手として、神宮球場のマウンドに立った時だ。ちょうどそのころ、私は東大野球部の選手や法政大、専修大の選手らと勉強会を重ねるなどし応援していた時期で、毎週のように神宮球場のスタンドから六大学リーグ戦、東都大学リーグ戦を見ていた。 早稲田のエースは4年生左腕の和田毅(ソフトバンク)。越智は一年生の春にすぐ、和田と並ぶ先発投手に起用された。がっしりした身体から投げる速球は重そうだったが、ごくオーソドックスな投球スタイルで、とりたてて相手打者を唸らせるような鋭い印象はなかった。2年下だが、東都で抜群のピッチングを重ねた東洋大・大場翔平投手(その後ソフトバンク入り)の速さ、鋭さに比べたら、それほど非凡さは感じなかった。打者を翻弄する投球術に長けているタイプでもない。 しかし、バックネット裏で見るより越智のボールは打ちにくかったのだろう。1年春から2年秋まで、越智は負けなしの11連勝を記録。早大史上初の4連覇の一翼を担った。越智が投げれば負けない、早稲田ファンには頼もしい新人投手だったろうが、かといって、「六大学に新たな怪物登場」と言われるほどの騒がれ方もしなかった。 私の記憶に最も刻まれているのは、なんとなく野暮ったいか、ふてぶてしく見えるあの早稲田の伝統のユニフォームを越智が着ると、白が輝き、若々しい光を感じた。そういった独特の華やかさは発散していた。ややふっくらしたベビーフェイス的なマスクで、女性ファンの人気も得るだろうと思わせた。山口鉄也との風神雷神コンビで活躍 その越智が3年になると精彩を欠き、3年秋こそ最優秀防御率投手賞を獲得しているが、3年、4年で4勝しかしていない。尻すぼみの感は拭えず、これではドラフト指名がないかもしれないと思っていたら、巨人から4位指名を受けて入団した。身長185センチの身体、最速150キロを超え、140キロの高速フォークボールを持っている投手をプロ野球は放っておかなかった。巨人のドラフト指名には、正直ちょっと驚いた。プロ野球巨人対中日、中日・ブランコから三振を奪い、雄たけびをあげる巨人・越智大祐投手(当時)=2010年 04月10日、東京ドーム 私の勝手なイメージでは、プロに入るくらいの投手は、何か格別な武器や売り物を持っているものだと思い込んでいた。越智は球速、制球、勝負強さ、いずれの点でも合格点以上だが、突出した魅力が薄い。それでもやはり、背が高くて球速があってアマチュアで一定の成績を残せば、プロは可能性を求めるのだなと。 2006年にプロ入りした越智大祐は、最初の2年間を二軍で過ごし、3年目の2008年から一軍で活躍し始めた。 7月のヤクルト戦に中継ぎ登板、初勝利を挙げて以降は、毎試合のように越智の名前がコールされた。多くの野球ファンが越智の名をはっきり認識したのはこの時期だろう。結果的にキャリア最多となる68試合に登板、3勝3敗10ホールドの成績を残した。 この年の巨人は、阪神に最大11.5ゲーム差をつけられながら大逆転優勝を遂げ、メークドラマをしのぐ「メイクレジェンド」とも形容された。その原動力の一人が越智だったことは、巨人ファンの記憶には深く刻まれているだろう。 だが、それ以上に強い印象を残したのはこの年の日本シリーズだ。西武との第7戦。1点リード、日本一に王手をかけた形の8回に原監督が命運を託したのは越智だった。このシーズンはそれが、同じころ台頭した左腕・山口鉄也とともに抑えのクルーンにつなぐ「勝利の方程式」になっていたから(後に山口と越智は風神雷神コンビと呼ばれた)、ファンは期待こそすれ、越智の登板に異論を抱くファンは少なかったに違いない。もしあるとすれば、しばしば見せる越智の制球難……。 この試合は、その不安が現実となった。死球、四球でピンチを作った後、タイムリーを打たれ、大切なリードを守れなかった上に逆転を許し、敗戦投手となった。ほぼ無名の存在が、ファンに頼られる中継ぎエースとなった飛躍の年は、奇しくも投手・越智大祐を語る上で最も象徴的な敗北のドラマで幕を閉じた。難病との闘い その後3年間は、中継ぎとしてまずまずの活躍を重ねた。2009年が8勝3敗10セーブ、24ホールド。2010年は4勝4敗5セーブ、21ホールド。クルーンが調子を落とすとクローザーに起用され、火消し役も担った。このオフに結婚を発表。 クルーンが退団した2011年はクローザーの期待がかけられたが、開幕直後から調子を崩し、ファームで調整し直す期間も多かった。この年、3勝2敗11セーブ。42試合には登板したが、中継ぎエースと呼ばれる勢いは失われつつあった。契約更改交渉を終え、会見する巨人・越智大祐投手(当時) =2012年11月30日、東京・千代田区大手町 そして2012年、開幕直後に体調不良でファーム落ち。検査の結果、黄色靭帯骨化症という難病とわかった。6月末に手術。成功して8月末にはキャッチボールを再開。カムバックを期待されたが、ついに一軍復帰を果たしないまま2014年オフに戦力外通告を受けて現役を引退した。 今回、週刊文春で報道された結婚詐欺疑惑の相手女性と知り合ったのは、2011年春のキャンプ時だという。皮肉にもそのころから越智のプロ野球選手人生は下り坂を迎える。その女性の証言によれば、背中に刺青もあった、違法な闇スロットにしばしば他の選手と通っていたと本人から聞かされていたという。野球少年たちの憧れ、小中学校時代から他の遊びに目もくれず、野球一筋に猛練習を重ねたものだけが到達できると信じられているプロ野球の世界。ところが、そこに到達し活躍を重ねる選手たちは、勝利の喜びや野球を極める感動では飽き足らず、キャバクラに通い、刺青に心を惹かれ、違法と知りつつギャンブルに向かう。一体、その心の隙の正体は何だろう? 野球以外の経験がなさすぎるゆえの人間的な奥行きの浅さ、幅の狭さ? 幼いころから活躍し、ただ勝ってチヤホヤされることに快感を覚え、本当の野球の喜びを味わっていないのではないだろうか。プロ野球選手には、自分がお金を稼いで好きなことをするだけでばない、もっと大切な社会的な使命があることを我々メディアも含め、もっと真剣に共有することが急務だ。そうでなければ、本当に、自分の子どもには野球をやらせたくないと直感的に思う親がいっそう増えるに違いない。

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    「大甘昇進」稀勢の里は横綱の重圧に耐えられるか

    小林信也(作家、スポーツライター) 稀勢の里が横綱に昇進。日本出身力士の横綱昇進は若乃花以来19年ぶりとあって、世間はお祭りムードに沸いている。27日の明治神宮奉納土俵入りには、貴乃花昇進時の2万人に次ぐ、史上2番目に多い1万8千人の見物客が集まった。土俵入りは午後3時からというのに、早朝6時40分の神社開門前から行列ができ、お昼過ぎには入場制限がなされたという。ここ数日、東京も朝方は氷点下を記録。この日も1度まで冷え込んだ中でこれだけの行列を作らせるのだから、稀勢の里の人気と期待の高さが窺える。明治神宮で奉納土俵入りをする新横綱・稀勢の里 =1月27日、東京都渋谷区 私が稀勢の里の存在を知ったのは13年くらい前、まだ幕下のころだ。角界の次代を担う期待の力士を探す取材の中で、真っ先に名前が挙がったのが、稀勢の里になる前の萩原と、琴欧洲だった。二人の時代がきっと来ると、多くの相撲関係者が口をそろえた。北の湖理事長(当時)が、期待の若手を問われて、まだ幕下だった17歳の萩原を話題にしたのもその前後だった。堂々とした身体、正攻法の相撲ぶりにも好感を抱き、私自身、萩原そして稀勢の里に注目し続けてきた。だから、横綱昇進にはひとしきりの感慨がある。 当時の評価や期待感からすれば、20代前半で横綱になる勢いだった。しかし現実は厳しい。思いのほか、年月がかかった。いや、昨年の後半から終盤にかけては、稀勢の里が横綱になるのはもう無理かと、観念したファンも多かっただろう。肝心な一番に勝てない。綱取りがかかる場所、優勝のかかる一番になると途端に稀勢の里はもろさを見せ、悲しいくらい硬くなって普段の力を出せない。ついにその弱さを克服できない稀勢の里に、ファンも観念し、綱取りは諦めて「最強の大関」という生き方に思いを転換するような雰囲気があった。それだけに、その稀勢の里の元に横綱昇進を伝える使者が来る展開になろうとは、感慨無量とも言えるし、同時にやはり戸惑いと違和感も拭いきれない。 突然降って湧いたように、稀勢の里の「横綱昇進」がマスコミで話題になったのは、昨年11月の九州場所が千秋楽を迎えるころだ。端は八角理事長の発言だった。単独年間最多勝、5場所続けての二桁勝利、これは充分に綱取りの資格に相当するというのだ。 九州場所では、白鵬、日馬富士、優勝した鶴竜の三横綱すべてを破った。稀勢の里の強さは疑いがない。誰もが認めるところだ。だが、従来の横綱昇進の基準は残念ながら満たしていない。そこで理事長自らが、相撲界全体の利益と発展を考慮し、苦慮した末なのだろう、これまでにない基準を示して、横綱・稀勢の里実現の近道を作った……。 長い歴史の中で吟味され了解され、誰もが認める成績を基準にして、横綱の地位は確立されてきた。今回その基準を超越した(逸脱した)ことは、ごまかしようがない。横綱の地位は侵してはならない聖域 横綱の資格とはなんだろう? 横綱の偉大さとはなんだろう? 「二場所連続優勝かそれに準ずる成績」という制度上の基準には、私はそれほどこだわらない。だが、強者の中の強者、言葉を変えれば「相撲道を極めた者」という意味での横綱の地位は侵してはならない聖域ではないかと、幼いころからの相撲ファンとして感じる。相撲を極めた者は、大勝負には負けないだろう。厳しい場面に立って、常人が驚嘆するほど普段以上の神々しさを見せ、圧倒的な強さを見せる。それこそが横綱であり、知る限りほとんどすべての歴代横綱が昇進時にはそうした輝きを見せて来た。出来上がった綱を締めてもらう新横綱稀勢の里 =1月26日、東京都江戸川区の田子ノ浦部屋 果たして、稀勢の里はそれだけの驚嘆と感銘を与える相撲を見せただろうか。強さは間違いない。だが、理事長や相撲協会の特段の配慮を受けた過保護とも言える状況下で、危ない橋を辛うじて渡りきっての昇進は、異例といっていいだろう。そのことが、今後の稀勢の里に、そして相撲界にどのような未来をもたらすのだろう。 相撲は本来、心技体を極め磨く修行と一体のはずだ。相撲に精進し、相撲が強くなれば自ずと心も強くなる。なのに稀勢の里はプレッシャーに弱い。それは相撲が本質を失ったからだと指摘されても仕方がない。もちろん相撲の変質は稀勢の里のせいではない。むしろ稀勢の里はその悪影響を被っている一人かもしれない。 筋力トレーニングを積極的に取り入れてから、相撲界の「本質の喪失」に拍車がかかった。かつて相撲界は筋トレを必要としなかった。股割り、四股鉄砲、摺り足、ぶつかり稽古といった伝統的な稽古の中に、相撲の全ては凝縮されている。筋力に頼ると「頭」が働く。頭で考えたら不安が生じる。それがプレッシャーに弱い人間を作る。そのカラクリは、武術を稽古した者はよく知っている。スポーツ界は欧米の影響や価値観に影響されているから、そのような身体論を受け入れない傾向が強い。 四股鉄砲に代表される理屈抜きの体系を継承する相撲は独自の伝統文化を有する誇り高き道だ。ところが、相撲がスポーツの影響下に成り下がり、誇りと真価を失っている。勝負に弱い横綱・稀勢の里はその象徴的な存在とも言えるだろう。相撲が強くなっても心が強くならない。相撲だけでなく、日本のスポーツが直面する深刻な課題だ。 果たして、そこを認識し、相撲本来の稽古の復活を徹底しようと燃えている親方衆がどれほどいるだろう。強いモンゴル勢を擁すれば部屋が活気付く、そこに依存してきた相撲界の現実。四股鉄砲の本質に誇りを持てず、筋トレで目先の強さを追ってきた世代が親方になった相撲界。 いまはほとんどの部屋にウエイトトレーニングの器具やマシンが用意されているという。それがないと「遅れている」と思われる。スポーツ的な安易な手法を毅然とはねのける信念を持つ親方が少ない。 近道を用意された横綱・稀勢の里が、横綱の地位を得て、変わるだろうか。ファンとしては変わって欲しいが、そう甘いものではないだろう。 横綱は負けることが許されない地位。これからの、絶対負けられない一番一番、そして、今後も展開されるであろう優勝のかかる終盤の戦いでどのような相撲っぷりを見せてくれるのか。揺るぎない心の強さを見せてくれるのか。 初場所前には、徹底して基本稽古に取り組んだという。そこには未来がある。改めて相撲の本質と向き合い、相撲本来の真価を体感し体現することが、19年ぶりに横綱になった日本出身力士・稀勢の里に託された責務と期待ではないだろうか。

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    中村俊輔に見る「もがき続ける」カッコよさ

    小林信也(スポーツライター) Jリーグを代表するミッドフィルダー・中村俊輔選手のジュビロ磐田移籍が1月8日、正式に発表された。国内では横浜Fマリノスひとすじだった中村俊輔の移籍は、マリノスのサポーターはもとより、サッカー界全体に動揺をもたらした。 今年39歳になる中村俊輔の決断。当初から10年の期限が示されていたとはいえ、みなとみらいにあったマリノスタウンが撤退。2014年にグローバルパートナーシップを締結したシティ・フットボール・グループの意向がチーム運営に強く反映し、中村俊輔が信頼を寄せるフロント首脳も次々とチームを去る背景もあっての決断だ。ジュビロ磐田の新体制発表記者会見でポーズをとる 中村(右端)、 名波監督(同2人目)ら=1月13日、静岡 県磐田市のヤマハスタジアム 一方、ジュビロ磐田は、昨シーズン第1ステージで司令塔を務めた小林祐希を8月、オランダ一部リーグのエールディヴィジ・SCヘーレンフェーンに送り出した後、苦しい戦いが続いた。名波監督が新しいシーズンを戦う司令塔に、かつて日本代表で共にプレーした中村俊輔に白羽の矢を立てた。中村俊輔もまた、名波監督のオファーに応えて「マリノスひとすじ」を破り、新たな挑戦を決めた。 サッカーのサポーターは野球との比較など望んでいないだろうが、長く野球に慣れ親しんでいる立場からすると、このニュースは多くの意味で野球界とは違う、新しい日本スポーツの潮流を感じさせる出来事でもある。 野球に比べて、プロサッカー選手は自由だ。自分がプレーするチームは実力さえあれば自分で選べる。もちろん、チームからのオファーがあってこそだし、契約期間内は自由に移籍はできないが、契約期間が最長5年と短い。野球の場合は長く契約に縛られてサッカーほど選手に選択の自由はない。フリーエージェントの権利を得てようやく選択権が得られる。そもそも、Jリーグには入団に際してドラフト会議がない。 名波監督がチームの戦力より小林祐希の将来を優先して、シーズン途中でオランダに送り出すというのも、野球界ではあまりない発想だ。取材を通じて、野球界とサッカー界のこの辺の感覚の違いも以前から強く感じている。 あるジュニアチームの指導者は「うちの選手がもし格上のJリーグ傘下のジュニアチームに誘われたら喜んで送り出します。サッカー界には、日本のサッカー界全体で才能を伸ばそうという気風があります。どうしても自分のところで、という意識より、その選手にとって最良の環境でプレーすべきだと、心ある指導者なら当然思っているはずです」このような言葉を、野球関係者から聞いたことはあまりない。自分のチームをいかに強くするか、野球界にはそちらの思考が強く根ざしている。カズもゴン中山も50歳で現役 中村俊輔ほど大きなニュースになっていないが、元日本代表の岩政大樹選手が、J2のファビアーノ岡山から東京ユナイテッドに移籍するというニュースもあった。東京ユナイテッドは、関東社会人リーグ1部所属のチーム。日本サッカーの頂点であるJ1から数えて5番目のリーグを岩政大樹は選んだ。いわば、2部から5部へ。 「多くの方から『なぜ?』と聞かれました」と、岩政自身が、『BEST TIMES』というネットマガジンの「岩政大樹の現役目線」というコラムでも詳しく心情を綴っている。日本のスポーツ選手が書いた文章でこれだけ深く厚く心のひだを表現したものも少ないと感じた。興味があればぜひご一読をお勧めする。その中で岩政は、こう書いている。 「『自分』が輝くことを1番に置いた上で次に『チーム』がくる。そういう世界だと理解しています。しかし、僕は順番を逆さにしていました。1番に『チーム』や『チームメイト』を置き、次に『自分』にしていました」 「J1でプレーできなくなったらJ2、J2でできなくなったらJ3やタイリーグ、それでもダメなら引退。そうした選択をしていくと、いつも『自分』のことに目が行きがちになります。(中略) しかし、『チーム』や『チームメイト』に基準を置いていると、違うものが見えてきます」 こうした発想や姿勢は、岩政選手自身が自分の中で育て目覚めてきたものに違いない。だが、そうした発想に導く空気や土壌がサッカー界にはあるのではないか。試合前に談笑する沼津・FW中山雅史(左)と 横浜FC・FW三浦知良 =2016年4月24日、横浜市 開幕日に50歳を迎える三浦知良選手が今年も横浜FCと契約、現役続行が発表された。引退を撤回して現役復帰したゴンこと中山雅史も秋には50歳、今季J3初参戦の沼津で現役を続ける。こうした選手のスピリットは、広告代理店が絵を描いたとばかり思っていたJリーグ構想に、机上の計画を超えた熱と魂を加えた。サッカーを愛する指導者と選手たち自身が魂を注ぎ、書き加えた歴史の積み重ねこそが、人を育て、サッカー界を育てるのだと教えられる。中村俊輔があえて愛着のあるマリノスに決別して表現しようとする思いもそこに通じるのではないだろうか。

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    スポーツも「切った張った」の世界? 桃田賢斗の大いなる勘違い

    小林信也(作家、スポーツライター) 違法カジノ店での常習的な賭博行為がわかり、所属先を解雇され、日本バドミントン協会から無期限の資格停止処分を受けた田児賢一が、昨年12月、マレーシアのプロリーグで現役復帰した。そして昨年暮れ、テレビ朝日の番組で直撃インタビューに応じた様子が紹介された。  より重い処分を受けた田児が、まだいつ謹慎が明けるかわからない桃田賢斗より先にバドミントンコートに戻ったのはある意味皮肉だ。が、海外で選手生命をつないだ田児には、日本代表としてオリンピックや世界選手権などに出場する道はもう残されていない。その活躍次第で、日本以外の国の代表として国際舞台に立つ日が来るのかどうか。マレーシア・プロリーグのデビュー戦をストレート勝ちで飾り、競技復帰した田児賢一(AP) 田児の復帰で次に注目されるのは、田児に誘われてやはり違法カジノ店に出入りし、リオ五輪への出場が断たれた桃田の復帰のタイミングだ。桃田は解雇を免れ、一カ月間の出場停止処分の後、いまも処分が明ける日が見えない状態で練習に取り組んでいる。復帰は丸一年が過ぎる今年5月以降ではないかとの見方もある。 一年という出場停止期間が充分な長さなのか短いのかを論じるのは難しい。海外とはいえ、プロリーグで田児がプレーし始めたのに桃田に機会が与えられないのは罰が重すぎるとの声も上がってくるだろう。まして、国が積極的にカジノ法案を拙速に成立させた社会的な状況がある中で、賭博行為そのものの善悪の基準も揺らいでいる。もちろん、違法カジノ店は当時も今後も非合法だが、賭博自体は国が推進の立場なのだから、一年を超える資格停止を桃田および彼を応援する立場の人たちが受け入れるだろうか。 事件が発覚したとき、桃田が語った言葉がずっと気にかかっている。勝負の世界に生きる選手である以上、ギャンブルの興奮は断ちがたい、というようなニュアンスで、桃田は違法カジノに通った理由を語った。 このことに違和感を覚えた人は少なかったようだが、私はこの言葉に問題の核心といまスポーツが抱える課題が凝縮されていると感じた。スポーツは賭け事の勝負と同じか スポーツの勝ち負けは、賭け事の勝ち負けと同じくギャンブル性が高く、「切った張った」の世界なのだろうか? 勝負のかかる土壇場の興奮状態が、ギャンブルで直面する昂揚感と近いことは確かかもしれない。けれど、近いようで遠い、まったく別の次元の興奮ではないかと私は思う。他力本願と自力本願。ギャンブルは多くの場合が他力だ。偶然性も高く、予想するのは自分でも、実際に走るのは馬だったり、他者であったり、ポーカーマシンであれば勝負を演出するのは機械だ。ここがスポーツ競技とはまったく異なる。全英オープン男子シングルス2回戦でインド選手を破り、準々決勝に進んだ桃田賢斗のプレー=2016年3月10日、バーミンガム(AP=共同) 最近のスポーツ界は勝負の結果ばかりが最終的には評価の対象となっている。勝てば官軍、負ければ賊軍的な空気が支配し、たとえ汚い手を使っても、結果が出た選手やチームがもてはやされる。プレーの質や深さを評価されるのでなく、要は結果が全てとなったら、選手たちの思いもギャンブラー的な感覚に向かうのは仕方がない。 そう考えると、果たして子供たちにスポーツを推奨し、健全な心身をスポーツで鍛えよう、という根本的なスポーツの目的が揺らいでしまう。重要なのは、桃田の謹慎明けを誰かが判断し、罰を下し、罰を終わりにすることではないと思う。桃田自身が、一体何を学び、何に目覚め、バドミントンに取り組む意味に気づいて変わったのか変わっていないのか。そこではないか。そして、協会も世間も悪くない、法律を犯した桃田だけが悪い。本当にそれでこの問題は片付くのだろうか。 子供たちに夢を与え、バドミントンに興味を持ってほしいから、お金も稼ぎ、華やかな生活をするのが自分の務めだ、と事件の前から桃田は公言していた。そうした発言や振る舞いをはやし立て、持ち上げていたのは誰だったか。お金が全てではないし、有名になれば幸せを手に入れられるとは限らない。スポーツには、そういう浅い喜びにとどまらない深さがあるからこそ、世界中の人々が愛好し、育ててきたのではないか。 私たちはもっと、質の高いスポーツの意義や目的に改めて気付き、これを共有することこそ、2020年東京五輪に向けて真っ先にすべき基本ではないだろうか。

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    プーチンからの柔道の誘いを断った安倍首相の甘さ

    小林信也(作家・スポーツライター) ロシアのプーチン大統領訪日から2週間が過ぎた。北方領土問題などの進展を期待する声が大きかったが、ロシア側の厳しい姿勢を明確にされる結果となった。 スポーツライターの立場でこの原稿を書いているのは、いまだ指摘されない側面があるからだ。それは、プーチン大統領と安倍首相が講道館を訪ねたときの、安倍首相の対応についてだ。柔道の形の演武を見学する(前列左から)森元首相、 安倍首相、ロシアのプーチン大統領=11月16日、 東京都文京区の講道館(代表撮影) 講道館で柔道の模範演武を見た後、プーチン大統領が安倍首相に「一緒に畳に上がりましょう」と促す場面があった。安倍首相は苦笑しながらやんわりと断った……と新聞などが報じた。 このニュースに接して複雑な思いにかられた。だがメディアも世間も、この出来事をちょっとした笑い話程度にしか捉えていない。その後もほとんど報道されない。そのことに強い違和感を覚えるのだ。 ひと昔前なら、「とんだ腰抜け!」と大きな罵声を浴びたのではないだろうか。その後、安倍首相は平気な顔で国民の前に出られないくらいの大失態、日本のリーダーとしてありえない弱腰、国際社会で活躍する日本人として基本的なわきまえさえ持たない不十分な人材として表舞台に立つ資格を失って当然ではなかったろうか。 2020年には東京五輪を開催する。私は東京五輪招致に反対していた。その理由はまさにここにある。日本人はスポーツを軽く見ている。オリンピックを東京でやる意義などほとんど語られず、共有されていない。お祭り、イベント、経済効果……。「未来に夢を」といった精神論で美化し、正当化する弊害は大きい。幸か不幸か、エンブレム問題や新国立競技場建設問題をきっかけに東京五輪への世間の視線は厳しさを増し、賭博問題などの不祥事でスポーツ界全体への逆風も強くなった。けれどまだ、日本社会全体のスポーツ観は甘く曖昧だ。 プーチン大統領が柔道を愛し、熱心に稽古を重ねる柔道家であることは以前から知られている。2000年に来日した際にも、森喜朗首相(当時)に講道館で型の演武を披露している。 「柔道は単なるスポーツではない。柔道は哲学だ」というプーチン大統領の言葉を、安倍首相はどれほど実感的に理解しているだろう。スポーツ外交を甘く見るな 講道館はプーチン大統領に名誉六段を与えようとしたが、丁重にこれを断った逸話もある。安倍首相はほとんど柔道の経験がなく、プーチン大統領の誘いを当然のようにあしらった。 訪日前、テレビ局の単独インタビューに応じたプーチン大統領は、被災地から支援のお礼に贈られた秋田犬と戯れるシーンを撮影させた。そして、訪日中に講道館を安倍首相と訪ねるスケジュールを入れた。これは何を意味するのか? プーチン大統領は日本が嫌いで、日本には根っからの敵愾心を持っている、訪日はするが安倍首相や日本政府と距離を縮める意識はないという牽制のメッセージだろうか?プーチン大統領は2000年9月に来日した際も、 講道館を訪れ柔道の練習に参加した 最初のスケジュールに2時間も遅れて来たニュースばかりが声高に報道された。それが旧東側諸国の外交戦略の常套手段だという解説がなされたが、その前後の日本側の対応も含めてロシア側の真意を探り、理解すべきではないだろうか。 例え話だが、もし安倍首相がロシアを訪問する際、かねて愛好しているロシアの競技サンボを見学したいと要望し、できればプーチン大統領と手合わせを願いたい、そう要望したらプーチン大統領はどう対応するだろう? ゴルフ接待、グリーン会談などという言葉があり、スポーツはいまも政財界の要人たちが、特別な親交を温める場所として活用されている。スポーツが政治に利用されることに賛否はあるが、歴史を紐解けば、事実スポーツが世界の歴史を大きく変える舞台になった事実はある。米中国交回復の直接的な舞台となったピンポン外交などはその代表だ。 安倍首相がプーチン大統領の誘いに応じ、お互い柔道着に着替えて畳に上がって身体をぶつけ合い、汗をほとばしらせたらどうだったろう? プーチン大統領が圧倒的な強さを発揮し、安倍首相が何度も畳に叩きつけられたにしても。いや本当は、日本を代表する政治家は、柔道や剣道、空手、相撲など、日本の競技の心得は当然のように持ち、外交の場で求められれば自信と誇りを持って型の演武などを披露する。それが日本人のたしなみではないのだろうか。 文武両道と言われるが、そのような基本的な武の実践もない政治家が日本のリーダーになっている現実にいま日本が直面する様々な社会問題の根本はつながっている。失礼さに気づかない日本人 数年前、武道が必修化された。柔道もそのひとつだ。柔道が日本以上に盛んと言われるフランスでは柔道の死亡事故はほとんどない。日本では、死亡事故や重大事故が頻発している。それでも政府は「武道」を必修にし、事故が続発し、問題が提起されても子どもたちを危険にさらし続けている。講道館を訪問、柔道場に一礼して入る・プーチン大統領。 右は全日本柔道連盟の山下泰裕副会長=12月16日、 東京都文京区(代表撮影) 安倍首相は、自分でやったこともない柔道を推進している。やったこともない柔道を評価し、子どもたちに強いているのだ。 私は初心者ながら武術を学ぶひとりとして、日本が「武道必修」を打ち出し、子どもたちが日本の身体文化に触れる機会を与える潮流は歓迎すべきと思う。だが、現在の武道が、かつての武術とは「似て非なるもの」になり、形骸化している現実を知れば、歓迎はできない。 日本の政治家の多くが口先だけで、実際に自分が体験し実践しない事柄を「いい」とか「ダメ」とか判断している。 プーチン大統領はどうやら違う。自ら実践している凄みを感じる。だから、日本の首相や政治家は、会話以前の段階で相手にされていない感じがした。 かつて明治維新のころ、維新の志士たちはほぼ全員が剣の修行を重ねる文武両道の人だった。物事の判断は、頭で考えた知識や打算ではできない。理屈だけで判断すれば、武道必修が招く死亡事故の多発のような問題を引き起こす。東京五輪招致もしかり。 日本で生まれた柔道を愛してくれるプーチン大統領。そのプーチン大統領の誘いを断った安倍首相の根本的な甘さと勘違い。日本のメディアも国民もその重さ、失礼さに気づかない、軽いやりとりにしか感じない鈍感さ。柔道の誘いにも応じない首相に「北方領土を返せ」と言われても、「あなたは日本の何を知っているのか。私の方がよほど柔道の修行を通じて日本の精神を学んでいる」、内心笑われても当然ではないか。 訪日前から、「日本に好感を持っている」というメッセージを送って来たプーチン大統領に形だけの歓迎しか表さなかった日本政府の「心のなさ」が今回の訪日時、ロシア側の冷たさの一因になったのではないか。スポーツを愛し、スポーツを人生や社会を学ぶ重要な手がかりにして来たスポーツライターはそう感じる。

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    哲学なき巨人の「30億円」補強は必ず失敗する

    小林信也(作家・スポーツライター)  巨人が多くのファンの心をつかんで来た理由は何だろう? 勝つこと、どのチームより強いこと、それが最大の要因だと球団首脳自身も勘違いしていないだろうか。 プロ野球の草創期から、巨人は王者として君臨してきた。優勝回数も圧倒的に多い。だが、人の心を魅了し続けるのは果たして「勝利」という結果だけだろうか。 日本のプロ野球の歴史を拓いたのは巨人だ。その情熱、パイオニアの挑戦に多くの人が共鳴したのが最初ではなかったか。そして、V9と呼ばれる不滅の9連覇の時代に巨人人気はさらに圧倒的なものになった。V9巨人には、長嶋茂雄がいた。王貞治がいた。バイプレーヤーに柴田勲、土井正三、高田繁、森祇晶らがいて、それぞれ個性を放っていた。ONの華やかな活躍でダイナミックにファンを惹きつける一方、牧野茂ヘッドコーチがアメリカから学んで持ち帰ったといわれる緻密なドジャース戦法が勝利の土台を支えていた。要するに、選手に魅力があり、野球に根拠があった。巨人のユニホームに袖を通した陽岱鋼。背番号の「2」を左手で作り笑顔を見せる。 左は高橋由伸監督=12月19日、東京都千代田区・帝国ホテル いまの巨人はどうだろう? 勝つことばかりが使命とばかり、このオフも、DeNAから先発の山口俊投手、ソフトバンクからリリーフの森福允彦投手、日本ハムから陽岱鋼外野手、FA選手を史上最多の3人も獲得したほか、現役メジャーリーガーのアルキメデス・カミネロ投手の獲得も決まり、総額30億円の大型補強になると報じられている。 カミネロは今季、パイレーツ、マリナーズで活躍。57試合にリリーフで登板し、2勝3敗1S8H。昨季は5勝1敗15Hの成績を残している。平均164.4キロのストレートはメジャーの球速ランク3位。さらに、ウィニングショットのスプリットはほとんど打たれない。今季、スプリットは22打数1安打しか打たれなかったという。正式に決まれば、終盤のセットアッパーかクローザーとして、ファンには頼もしい存在だ。こうした補強を聞けば、来季の巨人は相当戦力アップしそうな気もする。 不足の戦力は可能な限り補強するのがフロントの務め。しかし、どのような哲学でチームを強くし、魅力的なチーム作りを目指すかをファンは見ている。その姿勢が的外れだと、チームの和は崩壊し、戦力も宝の持ち腐れになる。ここしばらくの巨人はそうした批判や反省から生え抜きの若手を育てる方針を強化し、原前監督の下で一定の新しい成果を生みつつあった。ところが、2年間優勝を逃したこのオフはまた「金の力で」と言われても仕方のない、なりふり構わぬ補強を展開している。 問題は、加入する選手たちが、「いい選手」「数字を残している」であればいいのか。巨人が求める野球に合っているのか、その選手の加入でチームに新たな活力が湧き上がるのか、といった吟味がされているかだ。山口と陽は髪を切ったが… 今季セ・リーグを制した広島勝利の要因に、野手では丸佳浩、鈴木誠也、投手では野村祐輔といった生え抜きの若手と、それぞれ思いを持って古巣の戻った黒田博樹投手、新井貴浩内野手の存在が挙げられる。数字の合計ではなく、彼らのチーム愛が戦力を倍加させ、悲願の原動力となったことは広島ファンならずとも痛感している。 このオフの巨人の補強は、そのような魂のスイッチを入れるような目論見が込められているだろうか。単に数字の合計ではチームは強くならない。 すでに様々なメディアがいろんな角度から指摘している。今季初めて2桁勝利を挙げた実績しかない山口は、3年総額7億円で契約と報じられている。年間平均すれば約2億3千万円強。今季年俸8500万円から一気に3倍近いアップだ。この年俸は、巨人のエース菅野智之投手とほぼ同額。入団1年目から13勝をマーク、3年連続で二桁勝利を挙げ、先発ローテーションの中心であり続ける菅野と山口が同じ評価でチーム内の人間関係はうまくいくだろうか。巨人の入団会見でポーズを取る山口俊(左)と森福允彦(右)。中央で笑みを浮かべる高橋由伸監督=12月5日、東京都千代田区 山口と陽は、巨人入りが決まって髪やヒゲなど、こざっぱりと変身した。元々はやんちゃ系なファッションが持ち味だった。髪は切っても、長年の志向はそう簡単に変わらないだろう。昨年の話だが、家内とDeNAの試合を見に行ったことがある。先発は山口だった。走者のいる場面で打席に立った山口がボテボテのサード ゴロを打った。私は走者の動きに目をやった。隣の家内が叫んだ。 「あのバッター、どうして一塁に走らないの?」 みると、山口は打席からほとんどそのままベンチに向かっていた。アウトはほぼ確定とはいえ、そこまで怠慢なプレーを見たことはなかったから正直驚いた。DeNAではそれが許されていた。巨人はそのような選手に菅野と同じ年俸を保障し、重要なローテーションの一角を託そうとしている。 補強といえば、巡回投手コーチに小谷正勝コーチ、守備コーチに小坂誠コーチの復帰が決まった。いずれも指導に定評のある仕事人。30億円とも言われる補強予算のごく一部で招聘されたこれら球界の名伯楽たちこそ、本当は未来の巨人を担う人材育成に重要な役割を果たすのではないだろうか。そこを忘れていないのがせめてもの救いだ。

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    「王が長嶋くらい努力していたら」荒川博コーチに学ぶ天才の育て方

    小林信也(作家・スポーツライター) 荒川博さんが亡くなった。世界のホームラン王・王貞治選手を育て、一本足打法を考案、伝授した名伯楽だ。小学生を指導する元巨人打撃コーチの荒川博さん=2009年11月11日、東京・明治神宮外苑バッティングドーム  私は、東京武蔵野シニア監督になってまもない5年前、一年間に渡って荒川さんから打撃を学んだことがある。荒川さんが小・中学生を教える神宮外苑のバッティングセンターで子どもを指導しながら打撃理論や昔話を聞かせてもらった。伝説となっている隅田公園での王少年との出会いの話、プロ入りして師弟として運命的に再会した話など、幾度となく聞かせてもらった。 甲子園の優勝投手として鳴り物入りで巨人に入り、すぐ打者に転向した王は、最初のシーズン、まったく打てなかった。私たちが少年の頃、草野球に興じている時、誰彼となく口にする有名な流行り文句があった。 「王は王でも三振王!」 それは、プロに入って期待を裏切り続ける王に対する野次から生まれたものだろう。3年経っても期待通りの活躍を見せない王に一計を案じた川上哲治監督(当時)は、大毎オリオンズで榎本喜八を指導し、首位打者に育てた打撃コーチ・荒川博に目をつけ、王の育成係として巨人に引っ張った。 「3割、25本打てるバッターに育ててほしい」 それが川上監督から受けた使命だった。打撃の神様からの要請に荒川さんは奮い立った。ところが、練習を始めてみると、王の打撃技術は目を覆うほど拙くて驚いた。王貞治(左)に一本足打法を指導する巨人・荒川博打撃コーチ=1966年 「何しろ、トスバッティングでもしょっちゅう空振りするんだから、呆れたね」 新しいシーズンが始まっても、猛練習甲斐なく、王の才能が開花する兆しはなかった。7月1日の試合前、監督コーチの打合せの席でべらんめえな別所コーチが言い放った。 「ピッチャーが抑えたって、どうせまたバッターは打てないし、やってられねえな。とくに王なんて」 それを聞いてカーッとした荒川コーチはすぐロッカールームに駆け戻り、王に怒鳴った。 「今日の試合はあれで打て! 練習でやった、右足を上げて打つヤツだ」 すごい剣幕に圧倒され、王はただ頷くほかなかった。どちらにしても当時の王は荒川コーチに絶対服従だったから、荒川さんがあれで打てといえばそれに従うのが当然だった。「王が長嶋くらい努力していたら」 「王はどうしても突っ込む癖があった。それで詰まってしまう。その癖をなんとか直せないかと思って、右足を上げさせてみた。足を上げたら突っ込むわけにいかないだろ」王貞治氏と荒川博氏=1971年12月21日  その目的でやらせた練習で飛距離が伸びたことを荒川さんは見逃さなかった。その夜の試合、王は右足を大きく上げる奇妙な打ち方でホームランをかっ飛ばす。結果が出たものだから、次の日もまた次の日も王は一本足で打ち、やがてそれが王貞治の代名詞になった。7月はわずかひと月で10本のホームランを打った。その年、38本塁打を記録した王は初めてのホームラン王に輝いた。 それから13年連続でセ・リーグのホームラン王を獲得し続け、生涯868本のホームラン王を記録して世界のホームランと呼ばれた。師・荒川博の存在がなければその栄光が生まれなかっただろうことは、当時の野球ファンなら誰もが知っている。 合気道の始祖・植芝盛平翁から直々に指導を受けた門弟でもある荒川さんは、打撃の基本に合気道の心技体を置いていた。筋力に頼るのでなく、身体の芯から込み上げる力をいかにバットに伝えるか。来たボールにバットを当てるのでなく、ボールと一体になれば自然とボールがバットの当たる感覚を打者に求め続けた。日本刀を振り、天井から吊るした短冊を斬る稽古を王にさせたのはそうした境地を体得させるためだった。 あまり知られていないが、荒川さんが指導したのは王ばかりではない。長嶋もまた、遠征先の宿舎などで、熱心に荒川コーチの指導を受けていた。 「王が長嶋くらい努力していたら、もっとすごい選手になったよなあ」 荒川さんはしばしばそう言った。天才・長嶋、王は努力の人というイメージがあるが「違う」と。 「遠征先の宿舎で、3時に部屋に来いと約束するだろ。時間になると、バットをぶら下げて涼しい顔で来るのが王だ。長嶋は、汗びっしょりで来る。自分の部屋でもうさんざんバットを振ってから来るんだよ」荒川博コーチのアドバイスを受けバッティング 練習する 長嶋茂雄選手=1964年6月6日 いつのころか、墨田区から区民栄誉賞が贈られる話があった。荒川さんはこれを断った。なぜかと聞くとこう言った。 「弟子の王が国民栄誉賞で、師匠のオレが何で区民栄誉賞なんだ。おかしいだろ」 師匠が弟子と同じ評価と処遇を与えられない世の中に、荒川さんは精一杯の強がりを言って見せたのだ。 いつお会いしても、人懐っこい笑顔で迎えてくださり、こちらが遠慮しても気前よくコーヒーやスパゲッティをご馳走してくださった……。荒川さん、ありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。

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    白鵬一強時代の終わりと稀勢の里が横綱になる日

     大相撲九州場所、豪栄道の綱取りは果たせず、鶴竜の優勝で今年の相撲は幕を閉じた。またモンゴル勢に賜杯を握られたが、相撲界の潮流は大きく動き始めた。白鵬一強時代から波乱の時代へ。今年は、白鵬ほか、琴奨菊、日馬富士、豪栄道、そして鶴竜と五力士が優勝した。うちニ力士が日本人というのも大きな変化と言っていいだろう。豪栄道を下し、7場所ぶり3度目の優勝を果たした鶴竜=福岡国際センター なぜモンゴル勢が強く、日本人力士が叶わないか。モンゴル勢のハングリー精神を指摘する声もあり、また日本の生活様式の変化を指摘する声もある。中でも「和式トイレがなくなり、洋式が大半になった」、これが大きいとの指摘は少なくない。ことに相撲などは足腰が基本だから、影響は深刻だという。最近の日本の子供たちにしゃがむ姿勢を取らせてもできない子が大半だ。そのまま後ろに倒れてしまう。これでは相撲どころではない。相撲の基本になる蹲踞の姿勢が取れない日本人が多い現状で、「日本人は相撲が得意なはずだ」と言っても無理な話だ。琴奨菊、豪栄道は子どもの頃から相撲に親しんでいた力士だから、かつて日本人同様、しゃがむ姿勢は「わけない」方だろう。では、稀勢の里はどうか? 綱取りの最右翼と目され、期待を浴び続ける稀勢の里が今年も優勝に届かなかった。もう稀勢の里には期待しないといったあきらめムードもファンの間には広がりつつある。ところが、一年を終える九州場所の千秋楽を迎えて、「稀勢の里の綱取り」の話題がにわかに浮上するという意外な現象が起こった。八角理事長が稀勢の里に言及して、「来場所、内容のよい相撲で優勝したら横綱昇進の推挙もあり得る」との考えを示したのだ。 それは、稀勢の里が今年の「年間最多勝」に輝いたことへの評価だ。優勝こそできなかったが、今年は4場所で、優勝に次ぐいわゆる準優勝の好成績を重ねた。その安定感は際立っていた。加えて、九州場所では、優勝した鶴竜に唯一の土をつけたほか、白鵬、日馬富士、3横綱全員を倒した。「横綱以上」の実力を堂々と実証したのだから、綱への期待が俄然現実味を帯びるのも当然といえば当然だ。というわけで、次の平成29年初場所は「稀勢の里の綱取り」が最大の注目になりそうだ。 さて、そうなるとファンならずとも気になるのが「稀勢の里の勝負弱さ」だ。これまでも綱取りのチャンスがありながら、勝負のかかった大一番では別人のようにもろさを露呈し、大観衆のため息を巻き起こしてきた。そういう力士でも、いざとなると何かの力を得たように一世一代のたくましさを発揮するのがこれまで横綱昇進を果たした力士ひとつのパターンだが、稀勢の里についぞそのような「変身」が見られない。大きな体に、ノミの心臓 ファンの不安な思いに沿うように、大一番では硬くなり、体が動かない。いつもの稀勢の里らしさが影をひそめるのだ。「大きな体に、ノミの心臓」と言われても仕方がない。年間最多勝に輝き、4度も準優勝しながら優勝に届かず、綱取りもできない現実は、裏を貸せばその勝負弱さゆえの結果だ。 なぜ稀勢の里は実力がありながら大勝負に弱いのか? 来場所、どうすれば綱取りを果たせるのか?表彰される年間最多勝の稀勢の里=福岡国際センター 答えは簡単ではないが、稀勢の里へのエールも込めて考えてみたい。実はこのテーマ、稀勢の里だけでなく、現代日本のスポーツマンの多くが抱える共通の課題でもある。 こうすればいい、と偉そうに語る前に、プレッシャーを感じて解決できない力士や選手たちの多くがしていることを検証しよう。 すっかり定着した解決法は、ネックレスやブレスレッド、磁気テープなどを身につける方法。野球や駅伝などでは、こうしたグッズを身にまとう選手が数多く目立つ。見苦しいとの批判も多いが、選手たちはその効用に頼っている。お相撲さんは残念ながら、回しひとつで土俵に上がるため、この方法には頼れない。腕や足に巻くテープの下に磁気テープなどを偲ばせることはできるが、ネックレスやブレスレッドはご法度だ。 表には出ないが、占い師や霊能者に相談に行く力士、選手もたくさんいる。あとは、ゲン担ぎ、願掛け。勝った時にしたことと同じことをする。国技館に行く道順、着る浴衣、食べるものなど。 稽古や練習ですることはといえば、猛稽古、猛練習、単純な練習を何度も反復して無心になる、といった方法は古くから行われている。合理的とは言えないが、案外無駄でもない。もちろん最近では、心理学者や心理療法士の指導やカウンセリングを受ける方法も実際に日本代表クラスの現場で採り入れられている。 さて、こうして並べて、読者にはどんな解決法が見えて来ただろうか? 勝負に弱いのは、不安に支配されるからだ。不安で、悪いことを思い描いてしまう。その不安が体も縛り付け、動かなくなる。稀勢の里はその典型だろう。不安は裏を返せば「期待」と背中合わせだ。大きな期待を抱いた時、つまり、「この勝負に勝てば優勝だ! そして横綱昇進だ!」という期待に素直に燃えて土俵に上がれば何の問題もないものを「オレに勝てるだろうか」「オレなんか、優勝するに値する力士だろうか」「横綱の器か? 横綱の重責が務まるか?」等々、先にあれこれ考えて、がんじがらめになってしまう。開き直りが功を奏す プレッシャーに弱い人は、気が小さいというより、それだけ素直で善人とも言えなくもない。自信家、傲慢、上昇志向の強い人は、そんな発想をしない。日本における相撲の伝統の重さ、横綱の地位の意味を幼い頃から肌で感じている日本人・稀勢の里だから感じる畏れや不安もあるだろう。モンゴルから来た力士たちはそうした目に見えない重さや伝統より、出世して地位をつかみ財を得ることに気持ちが向いている。だから稀勢の里が感じるようなプレッシャーが入り込まないと言えるかもしれない。それだけに、稀勢の里には何とか重圧を乗り越えて、優勝と綱取りを果たしてほしい。稀勢の里(右)に小手投げで敗れた鶴竜 =11月23日、福岡国際センター 不安を作り出すのはどこだろう? 不安で動かなくなるのは体だが、不安を生み出すのは頭だ。頭、つまり頭脳。頭でモノを考え始めると、実はネガティブな方向に考えが向かいがちだ。最近はスポーツの世界でも「よく考えろ」と言われるが、あれは両刃の剣で、咄嗟の判断はからだでしている、だから「考えるな」と言った方が自然な実力を発揮できる。 稀勢の里には、余計なことを考えない日常を過ごして初場所に臨んでほしい。あれだけの実力を備えたのだから、相手力士の研究や戦略は必要ない。余計なことを考えるくらいなら、適量のお酒を飲んでさっさと寝る。それくらいの開き直りが功を奏すだろう。 2カ月後には待望久しかった「日本人横綱誕生」のニュースが流れる可能性がある。優勝もなしに綱取りの可能性が浮上した、こんな幸運はないのだから、稀勢の里にはこの流れに乗ってほしい。

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    目立ちたがらない人がいい! 大谷翔平「理想の嫁」6つの条件

     「涌井秀章投手(千葉ロッテマリーンズ)と押切もえ結婚」のニュースには少し衝撃を受けた。数ヵ月前から交際報道はあったが、果たして両者の人生にどう影響するのか。それぞれ上昇機運にあるだけに、気になる結婚だ。 モデルでタレントの押切もえは短編小説集が今年の山本周五郎賞にノミネートされて話題になったほか、絵画でも才能を発揮し、二科展で2年連続入選するなどマルチに活躍している。だが、過去には野球選手との交際が複数報じられ、いずれも相手選手は厳しい成績に苦しんだ経緯がある。ロッテ・涌井秀章投手(右)指導のもと、始球式に向けて投球練習を行ったモデル・押切もえ=2014年8月8日、千葉・QVCマリンフィールド 一方、涌井秀章投手はプロ入り2年目から5年連続二桁勝利を記録。順調なプロ野球生活を送りながら肘の故障があり、2012年から2013年にかけて一度ならず二度までも女性問題で物議をかもし、成績低迷に陥った。涌井は、千葉ロッテ移籍2年目の2015年は15勝9敗で自身3度目の最多勝を獲得。今季は10勝7敗。防御率3.01はここ数年で最も良い数字だ。押切もえと出会ったのが2013年だという。 2014年に千葉県応援大使を務める押切もえがQVCマリンスタジアムで始球式を務めたときに投球指導をしたのが涌井投手だと報じられている。その甲斐あってか、押切もえは見事にストライクゾーンに投げ込んだ。交際に発展したのは昨年からというが、押切と出会って涌井の成績が上昇しているのは事実。そのふたりが、過去の経験を乗り越えて今度は新たな出会いをポジティブに変えられるか。ファンとしてはそうあってほしいところだ。 結婚は人生の大きな局面。プロ野球選手にとっても、結婚はその後の選手生活を左右する重要な決断だ。奥様は、食事などの体調管理、勝負に挑む精神面を支えてくれる存在。結婚相手によって価値観や生き方が変わる選手もいる。それだけに、世間では早くも22歳のエース、大谷翔平の「理想のお嫁さん」をめぐる議論も起きている。希有な才能をつぶさず伸ばしてもらうため、どんなお嫁さんが相応しいか。先輩たちの例から、勝手な条件探しをしてみたい。条件1 目立ちたがらない人 有名選手が女子アナと結婚する傾向は顕著だ。嫉む声もあるが、必然性もあるのだと思う。結婚する相手がある程度「高嶺の花」であることは、努力してスターの地位をつかんだ野球選手の自尊心を満たす要素でもある。周りが納得する要素でもあるだろう。まったく無名の一般人が大谷翔平と結婚したならば、他のファンからの強烈な嫉妬や厳しい視線を浴び続けるだろう。それに耐えられるだろうか。大谷はそうした奥さんの気持ちに配慮することでエネルギーを消耗する可能性がある。私が見た人気ロックスターの奥様 私はかつて、日本で最高の人気を誇るミュージシャンたちに帯同し取材したことがある。ある人気ロックスターの奥様は世間的には無名の女性だったが、スタイルがよく、足がやたらと細かった。親衛隊を納得させるには、何かそういう決定的な要素が必要なのだと納得した覚えがある。プロ野球オールスターゲーム第2戦の試合後、フジテレビ系「スポーツLIFE HERO’S」の収録に参加した大谷翔平。右はフリーアナウンサー・加藤綾子=7月16日、横浜スタジアム その意味で、女子アナ、有名タレントは無条件に周囲を黙らせる力がある。ただし、目立ちたがり屋はNGだ。結婚したら、大谷投手を前に出し、自らは控えめに内助の功に徹する。古い考えと非難されそうだが、プロ野球選手の日常はそれほど苛酷だ。夫婦は一体となって球場での活躍を実現するチームといっていい。だから、結婚後も選手以上に自分がメディアで目立ちたいタイプの女性では難しいだろう。 イチロー選手の弓子夫人、田中将大投手の里田まい夫人らがそうだ。いずれも料理が話題になるほどだ。ことに里田まい夫人の手料理は、それが楽天時代の24連勝につながったと多くの人が信じている。ファンからも夫人は共感を得ている。それが田中将大投手への信頼と支持につながっている。結婚当初は不安視もされたが、いまとなっては究極のカップルと認められている。条件2 「天然系」か「気が強い人」 もちろん、例えば大谷が中学時代、高校時代からの級友と結婚するのも微笑ましい。あるいはプロ入り後に出会った一般の女性にひらめきを感じ、結婚するのも大谷翔平の人柄を感じさせて私は応援したい。けれど、その場合は、先に書いた強烈な周囲のプレッシャーを覚悟しなければならない。だから奥様は、まったくそういう騒ぎに頓着しない天然系か、さもなければ気が強い人。 野村克也元監督の沙知代夫人、現中日・落合博満GMの信子夫人はこのタイプ。目立ちたがり屋にも見えるが、それ以上に気の強さとご主人をメディアや雑音から守ろうとする意識の強さによって結果的に自分が目立つ形になっている。野村監督の場合、沙知代夫人と二人三脚を始めたのは現役の晩年、むしろ監督としての立場をサポートされた時期だから夫人のキャラクターがプラスになったのだろう。条件3 同い年か年下の女性 20代の前半で結婚するプロ野球選手が多いから、姉さん女房が多い。同じ年代の女性ではまだ経験が浅く、精神的にも不安定で選手の負担になるという声が多い。確かに、20代の選手生活を支えてくれるのは年上の女性がよいかもしれない。だが、野球選手の現役生活は長くなっている。30代、40代の人生を生きるとき、男性が求める感性はどちらだろうか。自分より若い女性が自然と相性がいい、必要な感性を与えてくれるという要素もある。料理上手は必須か観戦に訪れたヤンキース・田中将大投手夫人でタレント・里田まい=2015年3月12日、フロリダ州タンパ 大谷選手が「年上好き」ならいいが、そうでなければ自分より先に老化が進む奥さんに物足りなくなり……、という不安も生じる。それならば、あえて急いで結婚しない、20代の後半まで、ひとり身で昇れるところまで昇るという選択も賢明ではないだろうか。 遅くとも再来年にはメジャー挑戦が期待されている。そのとき、伴侶がいた方が心強いのか。むしろ、ひとりの方がシンプルに集中しやすいのか? 私はひとりでもやれると思う。家族の支えが必要なのは、その後の長い選手生活を生きる局面に入ってからではないだろうか。条件4 英語は話せなくてもいい イチロー選手がメジャー入りを決めた直後の記者会見で、夫人がそれほど英語が堪能でないことをわざわざ伝えていた。それでも立派にイチロー選手のメジャー生活を支えている。岡島秀樹投手夫人のようにバイリンギャルで、球団から渡された資料をすぐに翻訳して説明してくれた内助の功も助かるだろうが、英語が話せないからといって決定的に不足なわけではない。条件5 食事は上手い方がいい 食事は大切だ。遠征の多い野球選手は、自宅でくつろぎ、手料理で心を和ませる時間は重要だ。アメリカに行けばなおさら。料理上手は言うまでもなく、大谷夫人の必須条件と言えるだろう。条件6 誰もわかってくれない気持ちを支える 最後の条件は、「誰もわかってくれない心の空白を埋めてくれる」という要素。天才は孤高だ。世間やメディアは、わかったように言うが、たぶん天才の細やかな感性までは理解していない。その繊細な気持ち、天才の孤独や空しさに気づき、やさしい温もりを注ぐのが奥様の役割だろう。無言でもいい。大谷の孤高を慰め、安心して戻れる家庭を築く感性とやさしさこそが何よりの要素だ。

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    松山英樹と石川遼は「王と長嶋」のようなライバル?

     松山英樹が北京で行われたWDC HSBCチャンピオンズで優勝。全英オープン、マスターズなどの4大トーナメントの次のランクに位置付けられる大会をアジア人で初めて制覇し、ますますメジャートーナメント優勝の期待が高まってきた。応援する側から見れば、日本ゴルフ界の長年の夢「日本人初のメジャー制覇」の快挙を射程内に捉えたように感じる。もはや松山のメジャー優勝は、日本人だけが贔屓で願う夢ではない。 HSBCチャンピオンズで初優勝を飾り、トロフィーを手に笑顔の松山英樹=10月30日、中国・佘山国際GC 世界のゴルフファンが当然のように想定する出来事になっている。アメリカでトーナメントごとに行われる優勝予想投票でも、松山の名はいつも上位にランクされるようになった。 松山の強さの要因はいくつも挙げられるが、ゴルフそのもので言えば、抜群のアイアンショットの精度にある。ドライバーの飛距離は世界のツアープロの中ではごく平均的な距離に過ぎないが、それ以外のショットは世界のトップクラス。今回の優勝も抜群のアイアンショットと安定したパットでの圧勝だった。 もうひとつ、松山の強さを挙げるなら、揺るぎないメンタリティーだろう。試合展開に一喜一憂しないだけでなく、他人のゴルフを羨んだり、自分にないものを求めてゴルフを崩さない。ゴルファーは「無い物ねだり」になりがちだ。ことに「ドライバーをもっと飛ばしたい」と思うのは多くのゴルファーの希望。だが、松山は世界一の飛距離に執着せず、世界一のアイアンで頂点に立てると信じて戦っているように感じる。そして事実、HSBCチャンピオンズ優勝で「世界一」も獲得した。 世界の舞台で気後れしないたくましさも松山の持ち味だ。世界デビューの早さも影響しているかもしれない。松山は東北福祉大に進学した2010年、アジアアマチュア選手権に優勝し、翌年のマスターズ出場権を得た。そのマスターズで27位タイ、ローアマチュアにも輝き、順風満帆な海外デビューを果たしたとき松山はまだ19歳だった。 しかし、松山の若さをさほど驚かない雰囲気がその頃の日本にはあった。言うまでもなく、同学年の石川遼が2007年、高校1年(15歳)でプロツアーに優勝。一躍、ゴルフ界だけでなく、お茶の間のヒーローになった。しかも石川遼は、プロ転向したシーズンに今度は16歳でプロツアーに優勝。飛ぶ鳥を落とす勢いは止まらず、石川遼はゴルフ界を象徴する存在となった。松山英樹と石川遼の共通点 アマチュアゴルフに詳しい関係者たちは、ひと足先に国民的スターになった石川遼と同じかそれ以上の才能を秘めた逸材がいるのを知っていた。が、一般の人々は松山英樹の名前をほとんど知らなかった。それから約8年。二人の立場は大きく入れ替わった。11日現在、世界ランキング7位の松山に対し、石川は96位。なぜこの逆転が起こり、差がついたのか。 二人を比較すると共通点も多いが、対照的な側面も少なくない。そこに、現在までの明暗を分けた要因が見えてくる。石川遼が彗星のごとく登場し、常にトーナメントの上位を争っていたころから、ドライバーの距離は日本では飛ぶ方でも、それが勝因と言われるほどではなかった。むしろ、憎らしいほどショットが安定し、乱れない。人生の様々なプレッシャーを背中に感じて、一打ごとにゴルフを難しくしてしまう先輩ゴルファーから見れば、石川遼のゴルフはシンプルで、コースがいとも簡単に見えた。ティーショットを放つ石川遼=11月3日、TPCサマリン、ネバダ州ラスベガス  ところが、世界への挑戦を意識していた石川は当初から熱心に筋トレに励み、飛距離を伸ばすことを重要な世界制覇の条件と考えていたように見える。飛距離に頓着しない松山との差。身長175センチ、体格的なコンプレックスがいっそう、パワーアップの必然性を意識させのではないか。一方の181センチの松山は適度なトレーニングはしているに違いないが、元々フィジカルの強さには自信があるのだろう。それほどパワーアップに神経を尖らせていない印象がある。一般に筋トレはケガを予防すると吹聴されているが、実際には筋トレを熱心に重ねた選手に大きなケガが多いという皮肉な現実が、野球や相撲など、他の競技でも目立っている。石川遼のもまた、パワーアップとともにケガ防止の意味も込めて筋トレを日常的に取り入れながら、腰痛でしばらくグリーンを離れた。 父親との関係も対照的だ。石川遼の成長そして快進撃の傍に常に父親の存在があることは広く知られている。父親のサポートがなければ、石川がゴルフを続けることもできなかった。その父は、プロ入り後もコーチとして寄り添い、マネジメントも担っている。松山もまた、日本アマに出場した経験を持つ父親の影響で、4歳でゴルフを始めた。よりよいゴルフ環境を求めて、明徳義塾中学に転校。そのまま明徳義塾高校に進んだ。そのころまでは父親の影響が垣間見える。ところが、東北福祉大学に進学したころから、父親の影はほとんど見えなくなる。プロになったいまも、東北福祉大の恩師や先輩たちが、松山のブレーンとして彼の世界挑戦を支えている。 完全に親離れし、自分の意志で、自分の階段を登っている松山のたくましさが際立って見える。かつての「王と長嶋」と重なる二人 石川遼と松山英樹、同じ時代に生きるプロゴルファーであることは間違いないが、二人を見ていると、別のゴルフの地平が存在するようにも感じる。メディアのアイドルであり、テレビ好きの中高年女性にも愛され、リップサービスとも聞こえる優勝予告を実際に体現して見せる石川遼。そのスター性、驚異的なドラマを演じてのけるカリスマ性には脱帽させられる。しかし、その「びっくり箱」的な天性は世界の舞台でも通用するだろうか。男子ゴルフ・三井住友VISA大平洋マスターズ最終日 ホールアウト後、石川遼(左)と握手する、優勝した松山英樹(右)=2011年11月、静岡・御殿場市の太平洋C御殿場C 松山英樹は、むしろメディアには素っ気なく我が道を行く。メディアにバッシングされ、悪評を立てられてもさほど気にしない。メディアに媚びることもない。大事なのはメディアでなく、成績だと言わんばかりに、結果を出して無言の自己主張を続けている。結果の次に大事にすべきものがあるとすれば、メディアでなくファンだ。先の日本オープン最終日、表彰式のあと暗くなってもなお列を作って待つファン全員に松山はサインをしてくれたと、ニュースは報じている。 現状を見れば、世界での実績、今後の可能性ともに、すでに圧倒的に松山が凌駕し、議論の余地もないように感じる。だが、松山が優勝を遂げた先日の日本オープンを観戦したゴルフ番組プロデューサーに聞くと、ギャラリーをより熱く沸かせていたのはいまでも石川遼だったという。種目は違うが、かつての王と長嶋、最近でいえば田中将大とハンカチ王子・斎藤佑樹にも重なる。 松山に不安があるとすれば、左手首の状態だ。出場試合が少ないのは左手首を気遣ってのことかと心配にもなる。 肉体が万全でさえあれば、今後松山が出場するメジャートーナメントの一戦一戦が優勝への期待に胸を躍らせての観戦になるだろう。石川遼が松山英樹より先にメジャー制覇すると断言する人は少ないだろう。よもや、ここでも石川遼はミラクルを巻き起こすのか? そんな不思議な天才を同期に持つ松山もまた幸せと言えるかもしれない。

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    投手か打者か、黒田との初対決で見えた大谷翔平の生きる道

     日本シリーズは広島2連勝のあと、日本ハムが3連勝。それぞれ本拠地で勝利をものにし、勝負の行方は再び広島マツダスタジアムへと持ち越された。 息詰まる接戦の連続、野球の面白さを堪能するシリーズになっていると、多くのファンが熱く盛り上がっている。話題の中心はやはり大谷翔平。初戦は投手として先発しながら2本のホームランを浴びるなど、敵地で先勝とは行かなかった。 札幌に戻った第3戦では、広島の精神的主柱でもある黒田投手から2安打を奪い、最後は1、2塁間を破るサヨナラヒットで、広島に傾いていた覇権を一気に手繰り寄せた。勝つも負けるも、そこに大谷がいる、という存在感を発揮している。広島にサヨナラ勝ちし、喜ぶ大谷翔平(中央)ら日本ハムナイン=10月25日、札幌ドーム 果たして、最終的に日本一に輝くのは広島か、日本ハムか。ここからも大谷の投球、そして打撃が勝敗の行方を左右しそうだ。 「ほぼ全ての球種を打席で見ることが出来た」 黒田との初対決を終えて、大谷は語った。最初の打席は外角球にうまくバットを合わせて3塁線を抜いた。黒田にとっては、虚をつかれた感もあったのではないか。どちらが若手で、どちらがベテランか、わからない感じの勝負だった。 次の打席は、微妙に動く変化球で黒田らしく2ストライクに追い込みながら、ウィニングショットが甘く入って、右中間に気持ちよく運ばれた。普段の黒田なら、2ストライクからの球があのように甘く入ることは少ない。大谷が待っているほぼど真ん中に、投げさせられたように投球だった。それは、ヒットになったかならないかの結果以前に、完全に大谷が黒田との間合いを制していたと言ってもいいような勝負だった。無骨なポーカーフェイスを変えない黒田だから、動揺が外には見えなかったが、クールに両者を眺めたら、上から相手を見下ろしていたのは打者・大谷だった。 投手・大谷は、日本シリーズ初戦においては、打者を見下ろして投げていたとは言い難い。クライマックスシリーズで165キロを連発しながら、ソフトバンクの本多に粘られた。その動揺が影を落としていたようにも感じる。 野村克也氏も指摘していたとおり、「165キロのボールがなぜ当てられるのか? 本来ならかすりもしないだろう」という指摘はその通りだと思う。150キロ台でも、往年の藤川球児の速球には打者たちのバットは空を切った。オールスター戦で9連続三振に取った江夏豊投手のボールもそうだった。当てようと思っても当たらない。投手か打者か、そのヒントが黒田との対決で見えた 「伸びてホップする」「途中からボールが見えた」といった表現を対戦した打者たちはしている。ところが、大谷の球は球速表示的には驚異的な数字だし、確かに速いけれど「見える」のだろう。見えるから、当てようと思えば何とかなる。広島の打者たちも、ソフトバンク戦の投球から、打てる手応えを持って打席に入り、投球に合わせるのでなく、先に仕掛ける感覚で打ちに行って見事に捉えた。それでも大谷のボールにソフトバンク戦と同程度の球威があればそう簡単には打てないはずだが、球速もいまひとつ、スライダーの安定感にも欠けていたため、大谷自身が自信を持って投げ込めない感じに見えた。広島・黒田博樹から二塁打を放つ日本ハム・大谷翔平=10月25日、札幌ドーム そこではっきりしたのは、低めのスライダーがビシビシとコントロールされたら打者たちは手も足も出ないが、スライダーがばらつき、打者が「余裕を持って低めのボールを見極めることが出来たら、大谷は攻略できる」という方程式だ。調子がよくて、そのような不安を一切感じることなくスイスイ投げたら大谷のペースだが、少しでも不安がよぎる兆候があれば、広島にも勝機が見える。 このように分析して、ひとつ浮かび上がったことがある。もし大谷がメジャーリーグに行き、二刀流ではなくどちらかに絞るとすれば、投手か打者かという究極の選択に迫られる。これまでは、打者も捨てがたいが、あれだけの球速を誇る投手は滅多にいないから、やはり投手だろうと漠然と感じる人が多かったのではないか。だが、日本シリーズ、ことに黒田投手との対決で、大谷の格別な才能が投打どちらにあるか、はっきりしたように思う。 投手としては、球速こそ速いが、藤川球児、江夏豊のような稀有な球質を持っているわけではない。むしろ打者として、日米の打者たちを翻弄し続けてきた黒田投手を逆に手玉に取るだけの天性の間合いを持っている。マウンドに上がれば140キロ台後半のスピードボールを投げることのできるイチロー選手がまったく投手としての可能性を追わなかった要因もそこにあるのではないか。大谷は身長こそイチローよりはるかに恵まれ、「投手向き」のようにも見えるが、そうばかりではないかもしれない。 シリーズが7戦までもつれたら、投手・黒田対打者・大谷だけでなく、投手・大谷対広島打線というダブル対決が見られる可能性もある。そこで改めて、大谷の投打の可能性を占うこともできるだろう。 打者としての不安があるとすれば、上から叩いて楽々と遠くへ飛ばす打ち方をまだ感覚的に掴んでいない感じだろうか。長身の左打者は、長打力も持ちながらなぜか強打者でなく「巧打者」になっていく傾向がある。山本功児しかり、駒田しかり。大谷がそうなるようではつまらない。大きなスケールの打者になってくれるか、それ占う意味でも、日本シリーズの大詰めがますます楽しみだ。

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    不世出の華とキャプテンシー W杯・五輪を前に平尾誠二は逝った

     平尾誠二さん逝去の報に、胸が締め付けられた。 今年3月、長崎県主催のシンポジウムでご一緒した時、かなりお痩せになっていたので、体調を案じていた。これほど早く旅立たれるとは残念でならない。53歳、あまりに若すぎる。第32回日本選手権決勝で、前半2分にモールサイドを突き先制のトライを決めた神戸製鋼時代の平尾氏(中央)。これで神鋼の猛攻に火がつき、大東大を下して7年連続日本一を飾った 平尾誠二という類いまれな人材を失ったラグビー界、いやスポーツ界にとどまらず日本社会の損失は言葉に尽くせない。ラグビーの選手、指導者としての独自性だけでなく、競技と教育の融合、スポーツと社会の有機的な関係作りなどの面でも、これから大いに貢献してもらえる才覚の持ち主だった。 もし体調が万全ならば、新設されたスポーツ庁長官の有力候補のひとりだったろう。 現役時代の華麗なステップとランニング、難しいフェイントでディフェンスをかわし涼しい顔で味方にパスを渡す姿は、ガツンガツンとぶつかる猛々しいイメージの強いラグビー界で異彩を放っていた。 私は東京に住み、サントリーラグビー部(当時)を取材して本を書く立場でラグビーを見ていたので、そんな平尾選手に何度も悔しい思いをさせられた。ラグビーは膝で感じて動く 30代で日本代表の監督を務めていたとき、長野・菅平の合宿を訪ね、インタビューした印象が強く残っている。 「ラグビーは、頭で考えて動いたのでは遅すぎます。身体で考える、例えば、膝で感じて動く、そういう感覚です」1985年1月、大学選手権決勝でプレーする同志社大時代の平尾氏。史上初の3連覇を果たした=国立競技場 その話を聞いて、私はその場で叫びたいほど興奮し、感激した。スポーツライターになって、出会いたいのはそういう言葉だった。最近でこそ雄弁なスポーツ選手は多くなったが、約20年前、競技中の究極の身体感覚をこれほどすんなり言語化してくれる選手に会ったのは初めてだった。 ラグビー界の輝ける星・平尾誠二は、長嶋茂雄のような華やかさと理屈を超えたパフォーマンスを演じつつ、思わず感嘆するしかないほどの聡明さを兼ね備えていた。 テレビドラマになった伏見高校時代はもとより、同志社大でも、神戸製鋼でも、チームメイトにはいずれ劣らぬヤンチャと猛者がそろっていた。だが、平尾誠二はいとも簡単に多士済々の面々をひとつの方向に向け、彼ら一人ひとりの能力を愉快なほどに引き出す天才だった。 キャプテンシーという言葉がラグビー界では使われる。温かさとクールさが程よくブレンドされた平尾誠二は、まさに、そのキャプテンシーを見事に体現した大黒柱だった。神様がいるならば、聞いてみたい 長崎でご一緒したのは、ワールドカップの快進撃で日本のラグビー界が活気付き、まだその余韻が残る時期だった。しかし、シンポジウムのステージに上がる前、控室で伺った平尾さんの話からは、決して楽観できない現状と未来への思いが感じられた。 体調の不安から、自らが先頭に立てない歯がゆさもあったのかもしれない。 2019年のワールドカップを迎える東京が、まだ明確な方向性を見いだせず、世界を相手に再びたくましく戦える確信はないようだった。震災チャリティーマッチ 新日鐵釜石OB対神戸製鋼OB で、試合前に握手する平尾氏(右) と松尾雄治氏= 東京・秩父宮ラグビー場 (中井誠撮影)  平尾誠二には、いくつもビジョンがあっただろう。現役を退いた後、神戸製鋼のチーム運営だけでなく、さまざまな活動を展開し、書籍を通じた発信や啓蒙にも力を注いでいた。彼の発想やビジョンには、知的文化人の多くが共鳴し、そうした人々に深く愛された。だが、ラグビー界の主流からいつしか一歩引いていた感もあり、スポーツ界の主流もまた、彼を積極的に改革や創造の先頭に立たせようとする空気がありそうで広がらなかった。それは、平尾誠二特有のややシャイな振る舞いだったのか、どこかに平尾誠二が見抜く本質に自分の立場を危ぶんだ人たちの怖れがあったためか。いまとなっては、もったいない、と悔やまれてならない。 神様がいるならば、聞いてみたい。なぜ平尾誠二という、日本にとってかけがえのない存在が、これほど早く失われたのか?  2020年東京五輪の準備をめぐって、喧々囂々の議論が起こり、方向性が見えない。平尾さんの考えを聞く機会はメディアではあまりなかった。2019年のラグビーワールドカップを3年後に控えたいま、なぜ日本のラグビー界の象徴とも言える人がいなくなるのか。これからは、平尾誠二ならどう考えるか、どう行動するかを考えることが、ひとつの手がかりになるのかもしれない。 心よりご冥福をお祈りします。ありがとうございました。

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    日本ボクシング界が「亀田3兄弟」にすり寄らざるを得なかったワケ

     ボクシング界のお騒がせファミリー「亀田三兄弟」が世間の注目を集め、まず長男、亀田興毅が世界タイトル獲得に成功した当時、私はレギュラー出演していたTBSラジオの番組でタイトルマッチの感想を求められ、「亀田三兄弟は、僕の中には存在しません」と言い、それ以来、彼らについては一切言及してこなかった。協栄ジムと所属契約を結んだ亀田和毅 TBSといえば、亀田三兄弟を積極的に売り出すベースになったテレビ局だ。が、番組スタッフは僕の気持ちを受け入れてくれた。  率直なところ、亀田三兄弟を、スポーツライターとしてどのように位置づけ、応援もしくは論評すればいいのか、道が見えなかった。  話題性、タレント性、テレビ局が好むキャラクター性は抜群なのだろうが、少年時代からボクシングに胸を熱くしてきたスポーツライターには、自分の中にあるボクシングの憧憬や敬意と、亀田三兄弟や彼らを指導する父親の振る舞いがどうにもつながらなかった。 今回、ずっと揉めていた日本のボクシング界と亀田家が歩み寄り、唯一現役でボクシングを続けている三男、和毅の日本での試合が実現する可能性が出てきたと報じられた。かつて所属していた協栄ジムの金平桂一郎会長が間に入って調整、興毅氏が合意したという。 この報道を受けて、iRONNA編集部から論考を求められた。少し違う角度から、この問題で本当はみんなが認識し、議論すべき核心があることを提言したい。作られたノックアウト記録 ボクシングに限らず、テレビやスポンサー各社が結びついてスポーツを盛り上げようとする時代の中で、「受ける」「儲かる」「人が集まる」は大前提になっている。視聴率、売り上げ、観客動員などが評価のバロメーターになり、質はあまり問われない。  勝負なら「結果」がすべて。勝てば官軍、多少の不正や汚い手を使っても勝った方が権勢を振るい続ける。そこに文句を言っても、天に唾するようなものかもしれない。だが、スポーツは少年少女、そしてもちろん老若男女の心身を直接育みもすれば、傷つけもする。実はとても責任重大な分野だという現実をあまりにも忘れてはいないかと思う。 スポーツライターを志す大半が、かつてはボクシングをテーマに書きたがった。ボクシングには、文学的な陰陽があり、ドラマ性を持ちやすかった。沢木耕太郎さんの名著『敗れざる者たち』の中に描かれた輪島功一、『一瞬の夏』のカシアス内藤の生き様に多くの読者が深く揺さぶられた影響もあっただろう。  私も駆け出しのころ、足繁く後楽園ホールに通った。雑誌の取材で縁ができ、当時、連続ノックアウトで売り出し中の人気ボクサーを繰り返し取材させてもらう幸運にも恵まれた。世界タイトルに挑戦した彼は無念にもTKO負けを喫し、タイトル奪取は叶わなかった。取材の過程で、その連続ノックアウト記録が、話題を作り、人気を盛り上げてタイトルマッチを実現するためのジムとテレビ局の共同作業だったと知った。  そのような戦略は、興行の世界では日常的にあることだというが、ボクシングは、人と人とが殴り合う競技だ。グローブこそつけているが、パンチの衝撃が時には死をもたらすことは、過去の例が物語っている。  果たして彼もまた、試合中の打撃で意識を失う事故に遭った。病院に運ばれ、開頭手術を受け、生死の境を彷徨った。一時は回復は難しいとの見解も伝わった。幸い彼は一命を取り留め、その後は役者として存在感を放っている。だが、あの事故を知らされたときの衝撃をいまも忘れることができない。ボクシングの理想と現実  同時に、後楽園ホールの試合で魅力を感じた、10代のボクサーをも追いかけていた。長身でスマートな彼は、どこか大場政夫を思い出せた。話してみると、やさしげな少年だった。その彼が、格上ボクサーと戦い、殊勲の勝利を挙げたまでは順風満帆だったが、試合の数日後、相手ボクサーが亡くなる事故が起きて彼は精彩を失った。紆余曲折しながらボクシングを続けた彼が、ロサンゼルスのジムでトレーニングを積み、やがて帰国して地方のリングで日本タイトルを獲得する折々を私は見つめ続けた。亀田和毅の協栄ジム所属を発表した記者会見後、握手をする協栄ジムの金平桂一郎会長(左)と和毅の兄で元世界王者の亀田興毅氏=10月7日、東京都新宿区の同ジム  そう書けば美しいドラマになりそうだが、現実は甘くない。やさしそうな彼が、日ころ、不当と思える扱いを受けるとすぐ拳を振るい、暴力で他人を圧倒する癖を持つことを知って、呆然とした。プロボクサーは、リング以外では決して拳を使わないと言われているが、現実は理想通りでないことを知り、私はボクシングを安易に美化してはいけないことを身をもって痛感した。  それは、「安易にお金儲けに使ってはいけない」という戒めにも通じるだろう。 ずっと海外のリングでファイトし続けてきた三男、和毅が日本のリングに立つことができれば、ファンにとっては待望の試合が実現するわけだし、和毅自身にとっても可能性が広がる。明日ある若者の活躍の場が与えられることは喜ばしい。 それは同時に、「いずれはジムの会長になって、ボクシング界に恩返ししたい。盛り上げるアイデアはたくさん持っている」という趣旨のコメントをした長兄、興毅の日本ボクシング界復帰の道を開く糸口にもなる。 少年のころ、沼田義明と小林弘の日本人対決に言葉をなくして見入った思い出がある。輪島功一の敗北も、奇跡とも評された逆転勝利も、胸を熱くして見た。辰吉丈一郎と薬師寺保栄の対決も身体の中に戦慄に近い感覚を抱えて見つめた。 日本のボクシング界も亀田三兄弟も、ボクシングがただの見世物でなく生死と紙一重の勝負であることは、門外漢に言われるまでもなく分かっているに決まっている。そして、リング上で繰り出すパンチと暴力が紙一重だという認識をさらに直視した上で、今後の指導や運営に当たってほしいと切に願う。

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    結局、斎藤佑樹は早大進学で何をしたかったのか

     6日にプロ野球志望届の提出が締め切られ、200名を超える高校生、大学生が、ドラフト指名を受けてプロの門を叩く意思を表した。今年“高校BIG3”と呼ばれる寺島成輝(履正社)、高橋昂也(花咲徳栄)、藤平尚真(横浜)、それに夏の甲子園優勝投手・今井達也(作新学院)は届けを出した。しかし、選抜優勝投手の村上頌樹(智弁学園)、「U-18アジア選手権」でジャパンを優勝に導いた林中勇輝(敦賀気比)、納大地(智弁学園)、早川隆久(木更津総合)らは提出しなかった。決勝再試合で駒大苫小牧を下して優勝を決め、ガッツポーズの早実・斎藤佑樹投手=2006年08月21日、甲子園球場 高校生が卒業後すぐにプロ入りすべきか、大学や社会人で経験を積んでからの方が賢明なのか、はっきりした定説はない。過去の実例からいろいろと考察し、判断する以外に方法はない。 このテーマで誰もが思い浮かべるのが、斎藤佑樹投手と田中将大投手。高校時代、日本中を熱く沸かせたライバルふたりの選択とその後の経過ではないだろうか。 高校3年の夏、甲子園の決勝戦で延長15回を投げて互いに譲らず、翌日の再試合も息詰まる接戦となった。結局4対3、ハンカチ王子と呼ばれ国民的な人気選手となった斎藤の早実が優勝を飾った。豪球で全国のファンを魅了した田中は負け投手となった。この時点で、斎藤佑樹と田中将大、どちらが多くのファンを魅了したかといえば、おそらく斎藤の方だった。田中がプロ入りを表明する一方、斎藤は早大への進学を決めた。 この後の4年間が、ふたりのプロ野球での成否に大きな影響を与えたのではないか、と今となっては多くのファンが考えているだろう。早いもので、ふたりが甲子園で対決してから今年はちょうど10年目になる。 最初の4年間は、どちらもそれぞれが成果を残した。斎藤は大学1年春から東京六大学リーグ戦で好投し、早稲田の優勝に貢献した。大学通算31勝、奪三振323の数字は、十分に期待にこたえたと言っていいだろう。大学4年の秋にはリーグ戦優勝と大学日本一にも輝いている。 田中は、プロ入り1年目の2007年から1軍で活躍。最初の年は11勝7敗、その後は9勝7敗1セーブ、15勝6敗1セーブ、11勝6敗。斎藤が大学で過ごした4年間ですでに46勝をマークした。堂々たる実績で田中がすっかりプロの先輩という風格はあったが、この時点では大学4年間で斎藤の輝きが失われたと断言されるような翳りはまだなかった。多くのファンは、いよいよプロに入る斎藤の活躍を期待した。しかし、それからの6年間で、両者の野球人生は残酷なほどの明暗を描く。大学で回り道をしなければプロ野球人生を華やかに歩めたか 5年目に19勝を挙げた田中は、2年後の2013年、無敗の24連勝を記録し、楽天イーグルスをパ・リーグ初優勝に導き、日本シリーズでも巨人を倒して日本一に輝いた。大地震で被災した東北の人々に勇気と感動を与え、強い絆を象徴し、田中は新たな日本の伝説となった。ニューヨークに渡った田中は、MLB3年間で39勝16敗。ヤンキースで最も安定した先発投手との信頼を勝ち得ている。4回途中でマウンドを降りた日本ハム・斎藤佑樹 =7月28日、西武プリンスドーム (撮影・小倉元司) 斎藤は、1年目6勝6敗、2年目5勝8敗。2年目には開幕投手を務め完投勝利を収めるなど話題の中心だったが、輝きもそこまで。3年目0勝、4年目2勝、5年目は1勝、そして今季は11試合の登板で0勝1敗。シーズン中に、出版社社長からポルシェの提供を受けていたとの報道もあり、かつての好感度も期待も失われた感がある。まだ来季も現役続行の機会が与えられるようだが、引退の危機も現実味を帯びている。 斎藤は、大学に進学せず、直接プロ入りすれば違ったプロ野球人生をもっと華やかに歩めたのだろうか? さまざまな報道を総合すると、大学時代、さほど苦労せず結果を残せたこともあり、斎藤はそれほど真剣に練習に取り組まなかった、その影響が出ているのではないかとの見方がある。それも一理あるかもしれない。 それ以上に、斎藤がプロに直接飛び込まなかった理由にこそ、今日の現実が現れているのではないか? 自信があれば、プロ野球に人生を賭ける思いがあれば、迷わずプロ野球を選んでいただろう。斎藤にはその確信がなかった。そのため、将来の保障として、大学卒業という学歴を優先した。高校からプロ入りせず大学や社会人を経由する選手は自らその道を選ぶというより、プロ野球から声がかからなかった場合が大半だ。もしくは、成長が遅いタイプで、直接プロ入りする準備ができていない選手も少なくない。だが、斎藤はむしろ成熟した投手だった。大学4年間で、投手としての不足を補い、プロで活躍する準備をするといった目的は見いだせないタイプではなかったか。もちろん、身体のサイズは小さい方だし、筋力などは低いタイプだろう。かといって、大学で身体を大きくする、筋力を増強するというわけではなかっただろう。斎藤佑樹が抱えるコンプレックス 大学で何を培いたかったのか? 時間が欲しかった、自信をつけたかった…? 勝手に言って申し訳ないが、言い換えれば、覚悟がなかった、野球こそが自分の人生だという感覚が斎藤にはなかったのかもしれない。甲子園ではからずも国民的なヒーローとなり、マウンドに立ち続けることを期待される宿命を担った。だが、斎藤の投手人生は、高校でこそ、大学のレベルでこそ輝くものであって、プロ野球で戦えるほどの資質ではなかった。それをいちばん感じていたのが、斎藤自身ではなかったろうか。 世間は田中との比較をしたがったが、投手としての器が違う。奇しくも、甲子園の決勝再試合の最後の打者は田中だった。斎藤が田中を三振に取って、世紀の対決は幕を閉じる。ハンカチ王子のファンにはこれ以上ないフィナーレだった。その時、敗れた田中は笑っている。その表情がいかにも印象的だ。リーグ優勝のビールかけに参加する日本ハムの斎藤佑樹(右) =9月28日、東京都内のホテル 斎藤にとって、甲子園は野球人生をかけた戦いであり、田中にとっては野球人生の通過点にすぎなかった。 もちろん、斎藤にはこのまま終わってほしくない。大学3年のとき、斎藤はあまり活躍できなかった。甘さや練習不足を指摘する声に対して、斎藤自身は、「球速を求めすぎ、ピッチングのバランスを崩したため」とコメントしている。いまもそれと同じ壁に直面しているのではないか。 球速や球威に対するコンプレックス。これを払拭し、斎藤本来の打者との間合い、打者を翻弄する投球術こそが生きる道ではないか。たとえプロ野球の大半の投手より球速が劣っても、斎藤にはこうした他の投手にない感性がある。そのことにもう一度目覚め、自信を持つことで斎藤は最後の勝負ができる。周囲が、大学で回り道をしたからダメだった、と非難するのは簡単だ。斎藤には、大学を経験し、プロ野球で厳しい6年間を経験したからこそ到達できる境地を見せてほしい。いまこそ、プロ野球で生きる! という覚悟を決めて。

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    ベイスターズ躍進を支えた「ハマの番長」三浦大輔の男気

     横浜DeNAベイスターズが、9月19日の広島戦に勝って、Aクラス(3位以内)を確定。新球団になって初めてのクライマックスシリーズ(CS)出場を決めた。ベイスターズは12球団で唯一CSに出た経験のないチームだった。これでようやく不名誉な記録にも終止符を打った。 広島カープの25年ぶりの優勝と並んで、横浜DeNAのCS出場は、プロ野球の未来を変える、あるいはプロ野球界に確実な地殻変動が起こっている表れとも感じる。 両チームに挟まれて2位にいる巨人は、この流れに乗り遅れているガラパゴス的存在といったら巨人ファンに怒られるだろうが、私自身も幼い頃から巨人ファンだった。その私が巨人への愛着や応援する意欲を削がれているのは、時代の流れに巨人が沿っていないことも大きな要因ではないか。 単純に言えば、誰がチームを応援するのか? 巨人ファンの姿が見えにくくなっている。広島や横浜DeNAのファンの姿ははっきりと見える。どこに行けばファンがいるかも想像しやすい。プロ野球巨人対DeNA。本塁打を放ったDeNAの筒香嘉智=9月24日、東京ドーム  巨人は全国区、広島や横浜DeNAは地方区。他のチームもいまは地域に根ざして、濃密なファン意識を高めている。巨人が東京のチームかといえば、それは曖昧だ。東京には、東京ヤクルトスワローズがある。Jリーグのフランチャイズ制をきっかけに浸透した地域球団の流れは、いま日本の潮流となっている。見事にそれを体現した広島カープと横浜DeNAは今季例年以上の結果を残し、地域を核にすることで逆に出身者以外のファンも吸引するという現象さえ巻き起こしている。 『4522敗の記憶』という本をご存知だろうか。副題には「ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」とある。長年のファンでもある村瀬秀信さんの綿密な取材、多くの選手や関係者へのインタビューを土台に構成されたノンフィクションだ。12球団で最も負け数の多いベイスターズをファンはなぜ応援し続けるのか。そして、チームはなぜ負け続けるのか。かつて古い体質を持っていた時代の、不甲斐ない球団の振る舞いやいざこざの詳細も綴られている。2013年に単行本が出され、今年1月には文庫本化されたことを見ても、この本が着実に読者の支持を得ていることがわかる。 本からは、「これじゃ、やっていられない」読めば誰もがため息をつく、劣悪な環境で選手たちは懸命にプレーを続けた歴史が浮かび上がる。 かつて選手たちに移籍の自由はなかった。が、FA制度ができて、選手は新たな環境に移る権利を得た。内川が、村田修一が、ファンの願いもむなしく、チームを去った。ベイスターズはますます勝利から遠ざかるチームとなった。三浦大輔が後輩に与えた影響 2008年から12年まで5年連続最下位。中畑監督が懸命にチームを鼓舞して一時首位に立つなど見どころもつくったが、13、14年は5位、昨年はまた最下位に沈んだ。 そんな中、ベイスターズ一筋に歩み続けた三浦大輔投手は、ファンにとっても、後輩選手にとっても、特別な心のよりどころだったろう。三浦大輔自身も、一度は阪神タイガースへのFA移籍に心が揺れた。2008年のオフ、FA宣言し、阪神タイガースから入団の誘いを受けた。ファンも三浦大輔の移籍を半ば覚悟した。しかし、最終的に三浦が出した結論は「残留」だった。その決断がどれほどベイスターズファンの心を揺さぶり、泣かせたか。今季優勝を飾った広島カープで、MLBから古巣に戻ってきた黒田投手の存在が大きかったことは誰もが認識している。それと同じか、もしかしたらそれ以上の役割を三浦大輔は果たしたのではないか。今季1勝もできなかった三浦大輔を咎める声はなかった。 昨季は主力のひとり石川雄洋内野手がFA権を取得したが、行使せず残留した。ファンは胸をなでおろした。チームが確実に変わりつつあることと、先輩三浦大輔の存在が少なからず石川の選択に影響を与えただろう。 12球団でいちばん負けているベイスターズは、12球団で一、二を争う「心の絆」を持った球団になりつつあると言えるのではないだろうか。その力が、今季のクライマックスシリーズ出場を引き寄せた。 ファンとの絆、選手のチーム愛を育てた球団が結果を残したことに、今季セ・リーグの戦いは大きな意義を持っている。プロ野球DeNA-ヤクルト。DeNA先発の三浦大輔投手 =9月29日、横浜スタジアム CS出場を決めた後、長年エースとして活躍し、「チームの顔」でもあった三浦大輔投手の今季限りの引退が発表された。数年前にはFAで他球団に移ることも思案しながらとどまり、ベイスターズひと筋で投げ続けてきた三浦大輔への支持とファンの感謝がいかに大きかったかは、その後の現象が物語っている。 9月24日に予定されていた三浦大輔投手の最終登板は29日のヤクルト戦。この試合のチケットを求める長蛇の列が横浜スタジアムの窓口に並び、深夜まで対応が及んだという。横浜市営地下鉄関内駅の構内は、「永遠番長」のコピーと共に「背番号18」の三浦大輔投手の勇姿が美しいポスターが多数掲示され、話題になった。 ラストの登板は7回途中10失点。最後は渾身のストレートで三振を奪った。その背番号18は、ふさわしい後継者が現れるまで欠番になることも決まっている。ラミレスが監督1年目でAクラスを実現できた理由 監督を辞任し、ラミレス新監督にその座を譲った中畑清前監督の思いも、今季のベイスターズに託されている。監督を追われた人がその後もチームに愛情を注ぎ続ける例は決して多くない。まして中畑は現役時代、ベイスターズではプレーしていない。 昨オフ、野球教室のニュースを見たとき、監督を辞任した中畑が横浜DeNAのユニフォームで指導する姿に目を見張った。元巨人の肩書きは野球界では絶大と言われ、たとえ一年でも巨人のユニフォームを着た経験があれば、引退後ほとんど「元巨人」を売り物にする。中畑がさっさと巨人のユニフォームに着替えても不思議ではない。中畑は心をベイスターズにとどめた、それもまたファンのベイスターズ愛を高める一因になっただろう。 チームの滑り出しは決して良くなかった。開幕から4月いっぱいは、3連戦でほとんど負け越し。2勝1敗で勝ち越したのは開幕から5カード目の対ヤクルト戦の一度だけだった。5月に入ってようやく2勝1敗ペースとなり復調の兆しを見せるが、交流戦では3連勝3連敗を繰り返し、波に乗りきれなかった。それでもラミレス監督は大きな動揺を見せず、粘り強くチームの形を整え続けた。プロ野球DeNA対ヤクルト。ファンの声援に応えるDeNA・ラミレス監督=9月7日、横浜スタジアム 交流戦が終わると、まず巨人に2勝1敗と勝ち越し、7月上旬あたりから再び勝ち越しが多くなった。決して連勝が続くこともなかったし、相変わらず負け越しも重ねたが、長い連敗が続くこともなく、しぶとく3位争いをリードする展開が続いた。 印象的なのは、中畑清前監督の跡を受けて就任したラミレス監督が、明るさやパフォーマンスを売り物にするのでなく、あくまで指揮官としての風格を持って采配にあたり、開幕ダッシュに失敗したにもかかわらず、大きくぶれることなく、自らの方針と選手の可能性を信じて我慢強くチームを育て、リードする姿だった。現役時代から、日本のプロ野球の監督になることを念頭に置いていたというラミレス監督の覚悟とこれまでの準備が監督就任1年目でAクラスを実現したと言えるだろう。 もうひとつ、球団の取り組みも、隠れた勝因として注目すべきだろう。今季のベイスターズの主な動きは1月20日、「横浜スタジアムの経営権を取得、子会社化した」というニュースから始まった。これは一見、野球とはそれほど関係がないように思われるかもしれないが、球団経営の根幹に関わる核になる変化だった。 日本のプロ野球チームは親会社を持ち、赤字が出ても、親会社が宣伝広告費の名目で補填することで成り立ってきたと言われる。例外は今季優勝の広島カープ。メジャーリーグのチームはいずれも広島カープ同様、独立採算で経営している。球団の貴重な収入源の主なものは、入場料とテレビの放映権料、それに球場の広告や販売収入だ。とくにMLBでは、広告や販売収入が大きな伸びを示しているという。ところが、巨人にしても、本拠地球場は賃貸で、“持ち家”ではないから、広告料や販売収入は基本的に球場側の利益になる。新しく球団経営に参入したソフトバンク、楽天などはいち早くMLBビジネスの仕組みを学び、球場の経営権を取得したり、球場を傘下におさめて経営の仕組み改善を進めている。ベイスターズこれに倣ったわけで、球団が本気で経営に取り組んでいる証と言えるだろう。  CSは、10月8日(土)にファーストステージが開幕する。相手は巨人。今季はベイスターズが14勝10敗1分と勝ち越している。横浜DeNAが巨人を破り、広島とのファイナルステージを戦う可能性も十分にある。

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    五輪金メダリストを超えた! パラリンピックの新たな境地

     リオ五輪に続いてリオ・パラリンピックの競技風景が連日、日本にも届けられている。 障害者スポーツが広く報道されることで、障害を持つ人々への認識が深まり、バリアフリー社会の必然性を多くの人が理解し支持する流れにつながる期待が込められている。 一方で、報道露出が高まることで、障害者スポーツが「参加を重視する方向性」から「勝利至上主義」的な色合いを強め、さらにはプロ化の傾向も加速している。国際大会で優勝を重ねる各種競技の選手たちにはスポンサーがつき、中にはポスターやテレビCMに採用される有名選手も生まれている。 競技力も年々向上し、オリンピックとの距離も詰まっているとの声があった中、今回リオ・パラリンピックで衝撃的な出来事が起こった。 リオ・パラリンピック陸上男子1500メートルの優勝タイムが、リオ五輪の陸上男子1500メートル金メダリストのタイムを上回ったのだ。それどころか、パラリンピック4位までのタイムが、リオ五輪金メダリストより速かった。 その背景には、1500メートルという競技が、とくに大舞台の決勝ではタイムを度外視して勝負の駆け引きが優先するレースだという現実がある。とくに今回のリオ五輪の決勝では稀に見るスローペースで進み、最近五輪では最も遅い優勝タイムだった。が、どんな理由があるにせよ、パラリンピックが新たな歴史を刻んだことは言うまでもない。男子5000メートルでロープを手に伴走者と走る和田伸也選手=9月8日  今大会、見ていて想像を超える感銘を受けた種目のひとつが、陸上の視覚障害者200メートル。私が見たのは女子のレースだった。手と手に短い紐を携えて、ガイド(伴走者)とともに曲走路を走る。タイムは23秒台だった。視界の閉ざされた平野を全速力で進む恐怖はどのようなものだろう。とても考えが及ばない。しかも、あの微妙な曲線を、たとえ伴走者の導きがあるにせよ、見事にレーンの中を進む感性に驚嘆した。ガイドとの寸分違わず揃った足並も美しかった。ガイドには当然、選手以上の走力と繊細な配慮が必要だろう。 女子100メートルでは前回覇者がレース後、「ガイドが引っ張った」と判定され失格になった。障害者スポーツにはこうした難しい側面もある。 パラリンピックがテレビや新聞で盛んに報じられるようになったのは、2000年にIOC(国際オリンピック委員会)とIPC(国際パラリンピック委員会)が正式に協定を結んだことが背景にある。オリンピック開催地は、五輪後にパラリンピック開催が義務付けられた。放映権を獲得した各国のテレビ局は、オリンピックを放送する権利を得ると同時に、一定時間以上のパラリンピック放送も求められる。1500万円の高額車椅子とは 実は国際パラリンピック委員会は、視覚障害を含む、主に肢体不自由の身体障害者を対象としている。聴覚障害者の大会はデフリンピック、知的障害者の大会はスペシャルオリンピックがそれぞれ行われ、パラリンピックがすべてのすべての障害者スポーツを含んでいるわけではない。 注目が高まり、競技志向が強くなり、プロ化が進む流れの中で、様々な進化と課題の両方が浮かび上がってもいる。道具の開発と進化もそのひとつだ。 陸上競技で、ハイテク素材の義足をオーダーメイドで注文し使用できる選手と、経済的にそれができない選手とでは、走る前から大きな差がついてしまうという。車いすテニスでプレーするフランスのステファン・ウデ=リオデジャネイロ テニス選手の車椅子も話題になった。テニスという競技性から、ボールを追いかける、ターンするなどの動きが重要だ。操作技術の優劣はもちろんだが、それ以前に車椅子の性能がモノを言う。今回は準決勝で敗れたが、世界ランキング1位ステファン・ウデ(フランス)の車椅子はカーボン製、専門家たちと開発した車椅子は「1500万円」と話題になった。男子ダブルスで銅メダルを獲った国枝慎吾選手ら日本選手たちもオーダーメイドだが、40万円程度だという。 障害者スポーツが盛んになり、ジュニアも含めて競技環境が整うこと、障害者の人たちが生きがいを見つけ、日々の暮らしが活気付くのは素晴らしいと思う。障害者の人たちの実情や可能性を知らされることで社会的な理解が深まり、バリアフリー環境が整備されるだけでなく、生活者全員の心の持ち方が変わる意義は大きい。 だが、現代のスポーツが持つ弊害や課題は、そのまま障害者スポーツにも通じている。スポーツにかける思いが強くなればなるほど、生きる上で、スポーツに依存する度合いが高くなる。「スポーツにかける」といえば聞こえはいいが、競技スポーツには年齢的な壁がある。勝つスポーツの舞台を目指せなくなった時の喪失感をどう転換し、新たな生きがいを見つけるかの準備やサポートが充分にされているだろうか。勝てば官軍的な雰囲気も急速に広がってきた中で、勝利者が謙虚さを失わない姿勢はぜひ保ったまま、発展を続けてほしい。

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    前田健太を失ったからこそ広島カープは優勝できた?

     広島カープが25年ぶりの優勝を決めた。 本当は昨季、優勝するはずだった。不思議なものだ。エース前田健太がMLBドジャースに行き、大きな柱を失った今年のカープの優勝を予想した人は少なかった。ところが、去年できなかった優勝を今年は堂々の独走態勢で果たした。その要因は何だろう?ベンチを飛び出す広島ナイン(左端は広島・野村祐輔)=9月10日、東京ドーム プロ野球で優勝するための最大の要素は「戦力の充実だ」と見ている人が圧倒的に多い。開幕前の優勝予想も、投打の戦力分析を中心に行われる。が、評論家たちの予想は外れるものと相場が決まっている。なぜか? それは、意外なことに、戦力は必ずしも優勝を手繰り寄せる最大のポイントではないからだ。 毎年の優勝チームを分析すると、案外素朴な共通項が浮かび上がってくる。 今年、セ・リーグで一番優勝したがっていたチームはどこだろう? 優勝に飢え、そしてチームの気持ちがひとつにまとまっていたチームは? 昨季の悔しさは理屈抜きにカープ・ナインに充満し、力を漲らせていただろう。マエケン最後のシーズンと誰もが覚悟していた。広島・黒田が200勝を達成。新井貴浩から記念プレートを受け取る黒田博樹=7月23日、マツダスタジアム 黒田博樹が男気でカープに戻ってきた。新井貴浩も復帰した。日本一のセカンド・菊池涼介もいる。優勝のお膳立ては整っているはずだった。ところが、期待の外国人選手の怪我などもあり、開幕早々に失速した。4月、5月はまさかの最下位に沈み、いきなり優勝は遠いところに逃げ去った。夏前から挽回したものの、クライマックス・シリーズ出場さえ叶わなかった。そして、前田健太はアメリカに渡った。 悔しさと喪失感。選手も首脳陣も、そしてファンもその気持ちをかみしめ、迎えた今季だった。引退も案じられた黒田投手が「もう一年」を決意した。マエケンの不在は、むしろ若手投手たちの奮起を促した。 こうして書くと、精神論のように誤解されそうだが、高校野球の優勝条件のように思われがちな「チームの気持ちがひとつになる」という要素は、実はプロ野球でこそ重要だ。複数のプロ野球選手がそれを語ってくれた。 「プロ野球の方がむしろチームワークが重要ですよ。なぜなら、一年中ずっと、一緒に旅をするわけですから。この仲間とビールかけをしたい、そういう気持ちが強い年に優勝できた」 今季のカープにはそれがあった。 もちろん、結果的には戦力の充実もあった。これを、「カープにあって、ジャイアンツになかったもの」という観点から見ると、優勝を勝ち取れた要因もまた浮かび上がってくる。カープが貫いた独自の姿勢 まず、大きいのは黒田、新井という二人の復帰組の存在だ。 黒田は敬意に満ちた大先輩、新井はダメキャラ的ないじり要素も持った愛すべき先輩。ふたりの存在はチームのエネルギーを生み出した。こうした存在がジャイアンツにいただろうか。 シーズン中、多くの評論家が絶賛した「インコース攻め」は、今季のカープ投手陣を象徴するキーワードでもあった。その手本を身をもって示したのが黒田であり、勇気を持って内角に構えた捕手の石原だった。巨人対広島。4回表、ソロホームランを放つ 鈴木誠也 =9月10日、東京ドーム 生え抜きの成長も大きかった。すでに日本一のセカンドの評価を得ていた菊池涼介に続き、3戦連続で勝負を決めるホームランを放って、緒方監督に「神ってる」と言わしめた鈴木誠也の活躍も勢いを注いだ。ジャイアンツの若手もしばしばヒーロー的な活躍を見せているが、菊池や鈴木誠也ほどの伝説的な輝きはあっただろうか。 この陰には、広島カープのフロントの覚悟と実力も見逃せない。12球団で最も経済的に厳しいと言われる広島カープは、言い方を変えれば、「日本で唯一、親会社に依存しない、独立採算で球団経営を貫いている黒字球団」とも言われる。潤沢な資金はない。その代り、独自のアイディアと路線を確立し、戦力アップを図ってきた。ドミニカのカープ・アカデミーもそのひとつ。高額な外国人を獲得できない分、先行投資して、自ら海外の選手を育成する発想と実行力はジャイアンツにはなかった。そして今年は、ドラフト戦略の勝利が際立ったとも言える。 菊池も鈴木も、それなりに各球団から注目され、指名リストに挙がっていた。しかし、他球団の多くは「上位でなくても取れるだろう」と高をくくっていた。広島は違った。菊池や鈴木も2位で指名し獲得した。欲しい選手は上位で取り、主力に育てる。簡単そうでなかなかできないことを広島カープはやってのけている。名前や肩書き、アマチュア時代の人気などに左右されがちなジャイアンツや他球団にはない姿勢だ。 ファンの声援に応える広島・緒方孝市監督 =9月10日、東京ドーム そして最後に監督の経験。 昨季は緒方監督の采配に批判が集中した。結果が出なければそれもやむをえない。さんざん叩かれた経験が、緒方監督の中で糧になったのも事実だろう。ジャイアンツの高橋由伸監督は、一年目でやはり、選手との距離感を掴みきれなかった。現役時代はソフトな印象だった高橋監督が、意外なほど選手に厳しいコメントを発することに驚かされた。「監督は選手の上に位置してリーダーシップ発揮するもの」という先入観、固定観念に縛られて虚勢を張っているようにも見える。 緒方監督は、ミスに対して厳しい選手起用をするなどの姿勢でチームに緊張感は与えているが、選手を尊重する謙虚さをも感じる。若い選手の気風が変わっている時代を捉え、選手と監督の新しい関係、ほどよい距離感を生み出しだという面でも、広島カープに一日の長があったように感じる。 独自の姿勢を貫き、25年ぶりの優勝を勝ち取った広島カープ、球団、首脳陣、選手、そして支え続けたファンに心からお祝い気持ちを伝えたい。広島カープには、プロ野球の未来を拓くヒントがたくさんある。

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    「初戦黒星はW杯出場できず」ジンクスより気になる指揮官のメンタル

     1年以上に及ぶ長い戦いの幕開けは「敗北」だった。 2018年、サッカーW杯ロシア大会アジア最終予選の初戦、対UAE。『過去、W杯最終予選の初戦に勝利できなかったチームが本戦の出場権を取った例はない。つまり、初戦に負けた時点で、データ上はロシアW杯への出場が断たれるといってもいい。それほど初戦は重要だ』サッカーW杯ロシア大会アジア最終予選 日本―UAE後半、日本・FW浅野拓磨(右から2人目)が放ったシュートをかき出す相手GK。ゴールラインの内側だったように見えたが…=9月1日、埼玉スタジアム2002 大会直前、そのようなデータが発信された。記事の意図を、緊張感を持って受け止めたサポーターや一般のサッカー・ファンがどれほどいただろう。相手はUAE。アジアカップで負けている相手だ。しかし、日本は5大会連続でW杯出場を果たしている。もはやW杯の常連だ。 強い相手には違いないが、いまの日本代表が苦杯を喫する相手ではない―。そんな思いが日本中を包んではいなかっただろうか。データを発信した側も、今ひとつ注目が高まらない最終予選への関心を煽りたい、そんな意図があったようにも感じる。 日本代表がUAEに負けるかもしれないことを試合前、真剣に案じ、心臓が潰れそうなほど不安にかられたサポーターが何割いただろうか? それが、現在の日本サッカーの実情のように感じる。勝って当たり前。勝つに決まっている。世界のサッカーを眺めれば、そのように安易に考える割合は日本ほど高くないだろう。真剣なサポーターはもちろん緊張感に包まれて試合開始を迎えただろうが、いまの日本はサッカーに限らず、楽観ムードに大勢が占められているのかもしれない。抗議するハリル監督=9月1日、埼玉スタジアム2002  専門家(サッカージャーナリスト)たちは、大いに危惧していた。何しろ、日本が世界に誇る左サイドバックの長友佑都がケガで欠場。毎試合、執拗なボディーブローのように相手の体力、気力を奪い続ける長友の代役はいない。それだけでも、日本代表の危機は明らかだった。が、日本中は漠然と勝利を信じていた。 試合は楽観ムードを助長する形で始まった。開始11分、清武弘嗣のクロスを本田圭佑が頭で押し込んだ。日本代表が先制。ところが、前半20分、吉田麻也がゴール前でアリマブフートを倒して奪われたフリーキックをアハメドハリルに直接決められ、同点になった。 さらに後半9分、大島僚太がイスマイル・アルハマディを倒してPKを奪われた。これを再びアハメドハリルに浮き玉で決められ、逆転を許した。 日本は、逆に明らかにペナルティエリア内で倒されながらPKをもらえなかった。後半32分、本田がヘディングで折り返したボールを途中出場の浅野拓磨が左足でシュート。決まったかに見えたこのシュートをゴールキーパーのエイサが後追いながら懸命にセーブすると、「ゴールラインを割っていない」と判定され、ゴールは幻になった。ハリル監督が自分自身にレッドカードを出した 「審判に負けた」との声が日本中から上がるのも無理のない敗戦だった。日本代表のホーム(埼玉スタジアム)でありながら、アウェーのような状況。しかし、ファウルを積極的に取る傾向の見える主審を見て、ロングボールをディフェンスラインの裏に蹴りこみ日本代表のファウルを誘おうとするUAEが、主審の心に入り込んだという意味でも勝利者の条件を満たしていたのかもしれない。UAEのその戦法は前回の試合と同じものだったが、日本は明確な対応を取りきれていなかった。サポーターらに挨拶する本田圭佑=9月1日、埼玉スタジアム2002 試合後、ハリルホジッチ監督が、「なぜこのような先発メンバーを選んだのか、自分に失望している」という趣旨の発言をした。長友、槙野智章、柏木陽介をケガで欠いている難しさはあった。しかし、監督のこの発言を日本代表の選手自身、そしてサポーターはどんな思いで受け止めただろう。私には初戦黒星という厳しい結果以上に、監督が自分自身にレッドカードを出した、白旗を揚げた、その深刻さを感じる。その言葉は辞意表明にも等しいのではないだろうか。 「最終予選を戦うには時間が足りなかった」海外組の合流のタイミングなど、監督の希望とは違う現実もあっただろう。だが、日程はすでにわかっていた。戦いの舞台で、してはいけない「言い訳」が多かったのも気になる。 大会前に示されたデータは、必ずしも今大会には通じないと感じている。なぜなら今大会は初戦から強豪同士、双方とも高い確率で本戦出場の可能性を秘めるチーム同士が対戦しているからだ。試合は全10試合。長い間隔をはさみながら1年余にも及ぶ。巻き返しは十分にできる。だが、この指揮官であと1年をやっていけるのか。そのことに不安を抱いた。私は、結果が出なければ大会中でも監督を更迭し交代させるサッカーの常識にあまり馴染めない方だが、今回はそのことが強く印象に刻まれた。

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    女子マネジャーを晴れ舞台から締め出す高野連の傲慢

     大会前の甲子園練習で、ユニフォーム姿で練習をサポートしていた女子マネジャーがグラウンドから追い出された出来事が大きな波紋を呼んでいる。ネット上では、「時代錯誤」「男女差別」などの言葉で高野連の対応を非難する意見が多い。まずは事実を確認しよう。産経新聞は次のように報じている。 第98回全国高校野球選手権大会の出場校による甲子園練習2日目の2日、2年ぶり出場の大分(大分)の練習で、同校の女子マネジャーがグラウンドで練習に参加し、開始後約10分で大会関係者に止められる一幕があった。 大会規定では危険防止のため、グラウンドに立つのは男子のみと明記されており、甲子園練習でもそれに準じる形だった。ところが、この日の大分の練習では、ユニホーム姿の長い髪の美少女がグラウンドでノッカーにボールを渡す補助役を務める姿があった。広瀬茂部長が3年のマネジャー、首藤桃奈(ももな)さんのために背番号のないユニホームを新調し、練習補助員として参加させていたという。 途中で気付いた大会関係者に止められ、首藤さんは三塁ベンチ裏に下がったが、チームが練習を終えた後は出口通路へ向かう一塁側ベンチ前で男子部員と笑顔でグラウンドに向かって「ありがとうございました」と一礼して球場を引き揚げていった。 練習後、首藤さんは「きょうは緊張して手が震えた。(止められたときは)やっぱり駄目かと思いました」と話していた。産経ニュース 2016.8.2甲子園練習。ユニホーム姿で練習をサポートする大分の首藤桃奈マネジャー(中央) =8月2日、甲子園球場 高野連は、全国の高校野球部に何人の女子マネジャーが存在し、日頃からどのような活動をして選手たちを支えているか、知らないのだろうか? いまや女子マネジャーがいない高校野球部の方が少数だろう。 女子マネジャーが当たり前になって30年以上は経過している。いま彼女たちは、グラウンド内での練習サポートでも大きな役割を担っている。現場の監督たちは、当初、女子高生に硬球を触らせることや、実際にボールが飛びかい、バットを振る近くに立たせることを案じ、制約していた。ところが、長い年月を重ね、彼女たちが十分安全に練習サポートできる事実を知り、実績を重ね、グラウンド内でも多くの役割を担うようになった。これは全国的な情報交換の積み重ねの成果だ。女子が選手として出場する権利も認めるべき 守備練習の際、ノッカーにボールを渡す役目を女子マネジャーが務める光景はごく日常的だ。日々の練習試合でそれを咎める相手監督などほぼ皆無だろう。チームによっては、ティーバッティングのボールを女子マネジャーが上げている。中学時代から野球経験を重ねている女子マネジャーの中にはノッカーを務める者もいる。さらには、試合出場は禁じられているが選手として三年間、練習を重ねる女子部員もいる。 高校野球は、女子マネジャーがいなければ成立しない。それくらい大切な存在だ。なのに、晴れ舞台から女子マネジャーを追い出すなど、言語道断だ。練習を終え、引き上げる大分の首藤桃奈マネジャー(右) =8月2日、甲子園球場 女子のグラウンド立ち入り禁止の規定があること自体、おかしい。だが、この規定を放置し、改善を求めずにいた私たちにも責任がある。いま改めて、甲子園での女子マネジャー活躍の場を保証し、試合時にベンチでスコアブックをつける記録員、練習時の補助員やノッカーを女子マネジャーが務めることを認めるよう規則を変えてもらうべきだろう。 女子が選手として出場する権利だって、認めるべきだと私は感じる。高校生になれば男女の体格の差が顕著になり、とくに硬球を扱う高校野球では安全の問題は十分に配慮する必要がある。だが、それは野球経験の乏しい男子部員も同様だ。 男子選手との競争に勝ってベンチ入りし、試合出場の実力を認められた選手を「女子だから」という理由で排除する権利が高野連にあるのだろうか。女子野球の日本代表だった西朝美捕手などは、男子の投手から見ても、「あの捕手に受けてもらいたい」と、憧憬を抱くくらい素晴らしいキャッチングセンスの持ち主だ。 私が監督を務める東京武蔵野シニア(中学硬式野球チーム)にもひとり女子選手がいる。入団時には心配も感じたが、彼女は3年夏までなんら支障なく活動し、今年は主将も務めた。女子が主将を務めることに、選手も父母も誰一人異論をはさまなかった。それだけの実力を備え、リーダーシップを発揮したからだ。 この問題がネット上を中心に大きな議論を呼んでいることで、高野連や高校野球がいい意味で動き出す期待も感じる。これまで高校野球界は「思考停止状態」に近く、長年の伝統や習慣が良きにつけ悪しきにつけ維持され、自由に議論されることなく過ぎてきた。ネットの普及で自由な議論が喚起され、本来見直すべき課題を多くの人が共有し、アイディアを出し合う動きは歓迎すべきではないかと感じる。

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    「アニキ」の愛は伝わらない? 金本監督スパルタ式の限界

     阪神・金本監督への風当たりが厳しくなっている。一時は最下位に沈み、「超変革」の期待感で高水準だった支持率が急降下したこともあった。プロ野球広島-阪神。勝利を収め喜ぶ阪神の(左から)金本知憲監督、島本浩也投手ら=7月24日、マツダスタジアム 7月24日の広島戦から鳥谷を先発から外し、途端に4連勝。28日のヤクルト戦では今季初のスクイズも決まって、上昇ムードを掴みつつある。だが、阪神ファンの「金本離れ」はこの程度でまだ解消しきれないだろう。 8月1日時点で43勝53敗、首位広島に15ゲーム差の4位。3位の横浜DeNAとも5ゲーム差。クライマックスシリーズ出場もまだ厳しい状況。負けがこめば監督に疑問符がつくのはプロ野球の宿命。もちろん、結果さえ出せば汚名挽回、支持率復活の可能性も大いにあるが、勝っても評価が変わらない類の疑問や非難が上がっている点で、今回は少し事情が違う。 去年の今頃、やはり就任1年目の広島・緒方監督が批判の的になっていた。黒田投手が復帰、エース前田健太もカープ優勝のため残留。戦力充実し、悲願の優勝へのお膳立てはすべて整ったとファンは感じていた。ところが開幕ダッシュに失敗。期待を裏切る低調な成績に喘ぎ、厳しい非難にさらされた。曰く、「采配がめちゃくちゃ」「黒田投手に気を使いすぎ」「特定の選手にこだわりすぎ」等々。「さっさとやめろ」「このまま緒方監督続投なら優勝の目はない」くらいの言われようだった。そう怒っていたファンが一年経って、「緒方監督最高!」「ありがとう!」と叫んでいる。プロ野球ファンとはそういうものだと言えばその通り。金本監督も来年は緒方監督の再現を演じている可能性はある。 だが、両者には少し違いがある。それは監督の意識と、選手との距離感だ。 金本監督は、アニキと呼ばれ、若い選手たちに慕われる存在だったとメディアではイメージ作りがされている。果たしてそれは本当だろうか。「アニキ」は兄弟の関係にあってこそ成立する 私は数年前、あるパーティーで同席した経験があるが、少年たちも少数ながら参加している席の挨拶でいきなり下ネタを連発。失笑しつつ眉をひそめた大人が少なからずいた。私もそのひとりだった。そんな彼が、後輩全員に慕われているとは考えにくかった。先輩に気を遣って差し障りなく付き合いこそすれ、彼の行動のすべてを敬服する選手ばかりではなかったのではないだろうか。もし後輩全員から慕われていたとしても、アニキは、兄弟の関係にあって成立する。選手同士ならアニキでいい。だが、監督と選手は、野球界の体質的には完全な上下関係、兄弟より親子関係に近い。つまり、金本監督と選手の関係に変わった途端、アニキと弟の関係はそのままではうまくいかない。 いや、最近の選手たちの気質の変化を反映すれば、本当はアニキのままが上手くいく。ところが金本監督は、立場が監督になった途端、自分は相変わらずアニキのつもりかもしれないが、監督という権力の座があるものだから、知らずしらずアニキの言動が「暴君の横暴」にすりかわっている現実を、自覚しきれていないのではないだろうか。 アニキの叱責は、たとえ言い方はきつくても 、愛のこもった励ましと受け止められる。同じ選手同士だからだ。ところが、監督の叱責は試合出場や起用の多寡にも直接影響する。選手にとっては戦々恐々として当然の重さをはらむ。阪神対広島。ピンチで汗をぬぐう阪神の藤浪晋太郎投手=7月8日、甲子園球場 金本監督の言動や采配は多分に懲罰人事的な色合いが強いと指摘されている。 7月8日の序盤から失点した藤浪投手を降板させず、8回161球投げるまで続投させた。明らかにへばっている藤浪の続投にファンからも藤浪への同情と金本監督への怒りの声が上がったという。私は古い野球人だから、金本監督の気持ちはよくわかる。そうやって選手を奮いたたせ、目覚めさせる手法は野球界では珍しくない。むしろ、チームの柱と期待する選手以外には取らない、愛情と期待の表現という意識もあるだろう。 しかし、そういうやり方や感覚が、いまの選手には通じない現実も金本監督は理解する必要があるのではないだろうか。 世間では、パワハラに対する眼差しが厳しくなり、職場などでも従来の常識は通用しなくなった。社長や上司たちは、身勝手な言い分のすべてを否定され、根本的な発想転換を強いられている。金本監督が、その点をどれだけ認識して、選手たちと接しているか。野球は別だ、と思っているとすれば、時代遅れの批判は免れない。 内情まではわからないが、緒方監督はその点でやわらかさがあるように感じる。「勝負の世界で甘いことを言っていられない」という主張こそ「甘い」と、金本監督は認識し直す必要がある。それこそが、「超変革」の第一歩であり、金本監督の実践と発信で日本中の野球指導者が目覚めればものすごく大きな貢献にもなるだろう。

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    横綱になれない稀勢の里と双葉山を超えられない白鵬の共通点

     稀勢の里は大相撲名古屋場所13日目で3敗し、綱とりが事実上、消えた。14日目に白鵬を破り、千秋楽の結果次第では横綱昇進の声も上がりかねないムードもあったが、日馬富士の優勝で綱取りは来場所に持ち越された。大一番を迎えるとガチガチに硬くなる弱さを、今場所も克服できなかった。 中学卒業後に角界入りし、十代の頃から「未来の横綱候補」と期待を浴びていた稀勢の里もすでに30歳。体も技も申し分ないように見えるが、勝負どころで力を発揮できない課題が、横綱の地位から遠ざけている。この原因はどこにあるのだろう?日馬富士が優勝し、ガックリ花道を下がる稀勢の里=7月24日、愛知県体育館 精神的な弱さといえば簡単だが、向こうっ気の強そうな眼差し、強い時は強い稀勢の里自身、大事な一番でなぜこれほどまでに牙を抜かれるのか。ただ心が弱いという理由では説明がつかない気がする。稀勢の里自身、自分に腹が立つ以上に、途方に暮れているのではないだろうか。 一方、白鵬は荒々しい相撲に歯止めがかからない。立ち合いのかちあげは、相撲で認められている攻めには違いないが、残忍な印象が否めず、強い白鵬に喝采を送るファンがいる一方で、それ以上に、武士の情けのなさを嘆き白鵬に愛情を感じられない相撲ファンも増えているようだ。 少し前までは、「双葉山の後を追い、『後の先』の境地を究める」と口にしていた白鵬が、「後の先はもうやめた」と公言し、勝つためには『先の先』が確実とばかり、荒っぽいかちあげで挑戦者たちを震え上がらせている。強さに品格が乏しいためか、白鵬の勝利はこのところ感動を呼び起こさない。白鵬が勝てば勝つほど、ひとりファンから遠ざかっているようにも感じる。それはかつての大鵬や北の湖が「強すぎて憎らしい」と言われた気分とまた違うものに感じる。 稀勢の里の心の弱さ、白鵬の強さは、対極にあると感じるのが普通だろうが、私には同じ根っこを持つ、現在の大相撲の深刻な課題のように思われる。 白鵬の目指した双葉山の境地は、まさに相撲道を究める道の先にある、勝負を超えた高み深み。それこそ、相撲が単なるスポーツではない神事だと言われる存在の原点にも通じる。 残念ながら、いまの大相撲は「勝つか、負けるか」だけを問われるスポーツに落ちぶれてしまった。相撲がスポーツと違うというのは、取組みを神様にささげたという歴史的な背景だけではない。「どちらが先に土俵を割るか、土俵に身体が着いてしまうか」というバロメーターでなく、「それ以前に相手を捉え、相手を支配して勝負は決まっている」という勝負の綾を感じているかどうか。白鵬が追い求めた「後の先」 かつて武士たちの時代には、「戦わずして勝つ」の次元があったと言われる。互いに真剣を抜いて対峙し戦えば、どちらかが死ぬ。そのため、対峙した瞬間に負けを悟ったら、無駄死にせず、潔く負けを認めてひざまづいた。実際に剣を交えるまでもなく、互いに優劣を感じ合う次元を両者が備えていた。琴勇輝と対戦する白鵬=7月 15日、愛知県体育館 白鵬が追い求めた『後の先』もそれが前提にある。相手が立った後で受けても負けない、という見かけの後先ではなく、立つ前に、見かけは動いてないけれどすでに相手を捉えているため、相手は無力化されている。その時点で勝負はついているので、相手の攻撃を受けて立ち、後から動いても楽々と相手をさばけるという意味だと思う。双葉山はそれを体現していた。白鵬もそれに近い感覚はあったに違いない。 ところが、いま相撲協会の親方衆のどれほどが、その次元を理解し、共有しているか。そして、白鵬の師匠となって、双葉山への境地に導く存在があったかどうか。そうした真の師となる存在の不在が、大相撲の悲劇ではないだろうか。 師がいない。そして、勝った・負けたという結果ばかりで評価がされる風潮に支配されれば、悪い結果を恐れる不安が募る。結果を意識し、頭で考えるようになると、身体が頭脳に支配され、頭脳は不安を増幅して体を硬く縛り上げる。それが、大一番での稀勢の里だ。普段の稀勢の里は、身体に任せ、感性と身体感覚で動いている。それが頭脳の支配に変わったとたん、別人になる。白鵬の強さと稀勢の里の弱みが表裏一体だというのは、いまの相撲界が勝負の結果ばかりに支配されていること、戦わずして勝つの次元を求めて来なかった師匠たちが大勢を占める指導力の欠如にあるという懸念だ。 白鵬には、もう一度「勝てばいい」ではない次元を求めて欲しいし、稀勢の里には勝負を超えて戦う覚悟と大らかさを期待したい。

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    リオ五輪の出場を辞退したゴルフ松山英樹が責められない理由

     リオ五輪開幕まで1ヶ月を切った(開会式は8月5日)。たいていは、工事の遅れを少々懸念しつつも、いよいよ開幕するオリンピックへの期待感が盛り上がってくる時期だ。ところが今回は様子が違う。この一週間、メディアで報じられたのは、「治安への不安」「ジカ熱や水質汚染などの環境不安」そして続々と表明される「出場辞退」のニュースだった。ブラジル・サンパウロの路上に置かれた巨大な蚊のオブジェ=5月27日 安心してリオに行けない、それほどの危険を冒してまでオリンピックに出場する気はない、というのが、辞退を決めた選手たちの理由だ。世界中でこれだけテロが頻発し、オリンピックもその標的になる可能性が否定できない中で、給与未払いなどの理由で警察が万全な警備を確約していないとあっては、いくら政府やIOCが「大丈夫だ」と言っても、保証はないと感じるのも当然だ。5月には、現地を訪れていたスペイン選手が市街で銃を突きつけられ、金品を奪われる強盗被害に遭ったと報じられた。このような情勢下では、出場辞退を決めた選手を非難できない。 日本勢では、ゴルフの松山英樹が7月4日に正式辞退を発表した。ゴルフは1904年以来、112年ぶりに今回のリオ五輪からオリンピック競技に復帰した種目。それだけに注目もされているが、言い換えればトップ・ゴルファーにとって、それが全精力をかけて戦うべき価値のある大会かどうか、個人の価値観や事情によって大きく分かれるところだろう。世間的には(とくに日本では)、オリンピックでメダルを取れば、日頃ゴルフに無関心な人たちの関心も得ることができる。それなりのフィーバーも起こり、ゴルフ界にとっても、選手自身にとっても大きなプラスになるのは間違いない。だが、通常のゴルフ・ツアーに戻ったとき、オリンピックのメダルがその選手の価値をどれだけ高めるかは未知数だ。おそらく、マスターズ、全英オープンといったメジャー大会制覇と同列に扱われる日はすぐには来ないだろう。そう考えれば、ゴルフ界で世界の頂点を狙える場所にいる松山英樹が大きなリスクを回避するのは当然の判断と理解できる。リスクを冒してでも「オリンピック・ムーブメントに加わり、オリンピックが世界平和に貢献する一翼を担いたい」と思わせる実態も魅力もオリンピックにはないとも言える。 もし本当に、「オリンピックはスポーツを愛する者が、世界の平和を実現するために集う四年に一度の平和の祭典だ」と、いま誰もが信じているなら、松山英樹は激しく非難されてもおかしくない。非難できないのは、オリンピックは残念ながら、平和への強い願いより、ビジネスの側面が肥大化し、誰の目にも競技とビジネスへの思いばかりが強く感じられるからだろう。リオ五輪が歴史的な転換期になる リオデジャネイロ開催が決まったのは2009年10月のIOC総会。最後まで争ったのはスペインのマドリード。他に東京、シカゴも立候補していたが、最初の投票で敗れている。 南半球でオリンピックが開催されるのは、1956年メルボルン、2000年シドニーに続き3度目。南アメリカ大陸で開催されるのは史上初めてだ。今となっては、リオデジャネイロを五輪の舞台に選んだことにIOCは忸怩たる思いではないだろうか。デモ行進をするリオデジャネイロ州立大学の職員や学生ら。同校では職員に給料が払われておらず、4カ月間授業がストップしている。後ろは開閉会式とサッカー会場のマラカナン競技場、右奥はバレーボール会場のマラカナンジーニョ=7月7日、ブラジル・リオデジャネイロ 普通に考えたら、経済力や利便性などの面で圧倒的に有利ではないかと思われる東京とシカゴが真っ先に落ちていることが、当時の空気を感じさせる。2009年秋といえば、リーマンショックの1年後。先進国が大きな打撃を受けて先行き不透明な中、ブラジルなどの新興国への期待が高まっていた。2年前には2014年サッカーワールドカップのブラジル開催も決まっていた。開催地がヨーロッパやアメリカに偏ることへの懸念からFIFAがアフリカそして南米での開催を積極的に進めた背景もあってのブラジル開催決定だった。 商業化が進む中で、オリンピックもまたヨーロッパやアメリカに偏っていた中で、オリンピックの世界的イメージやバランスを取る上で「リオデジャネイロ五輪」はとても有効な選択だったのだ。しかし、世界経済は、そのような希望的な展望通りには推移しなかった。中国不安から始まった世界的な株安はとくに新興国に打撃を与えたといわれ、中でもブラジルの低迷が際立った。ブラジルの通貨レアルは昨年の前半わずか半年の間で約20パーセントも下落した。その意味では、リオを選んだIOCを非難することもできない。 ただもし疑問を呈するならば、巨大ビジネスとなったオリンピック開催で、IOCは桁外れの利益を得るようになった。主に協賛金、放映権料、商品化権収入等々だが、各大会の主催者との関係に大きな変化はない。商業化によって、開催都市も税金に頼るのでなく、独立採算が可能になった。だが、今回の事態に直面すれば、基本的な大会開催にかかる費用の内、例えば警備にかかる予算、安全対策費などは、IOCが主体的に負担する方向性も検討して良いのではないだろうか。コンビニのフランチャイズと本部の関係のようなもので、本部がすべきことが以前に比べて多くなっていると思うが相変わらずオリンピックの本部は「口は出すがお金は出さない」「認可する立場であって、共同経営者ではない」という立場を変えていないように見える。 先週5日には、アルゼンチンのオリンピック委員会会長が「50パーセントの可能性で(サッカー男子)代表チームはリオ五輪に出場しない」とラジオで発言したニュースが日本にも伝えられ、ショッキングな印象を与えた。これはアルゼンチンの事情ではあるが、ゴルフ同様、オリンピックより重要視されているユーロ(ヨーロッパ選手権)やコパアメリカ(旧称南米選手権)が開催される同じ年のオリンピック代表に人材を確保することが容易でないことを示している。幸い翌日には急遽決まった監督と18人の代表選手が発表され、アルゼンチン代表もリオ五輪参加の方向のようだ。 「オリンピックこそ世界のスポーツ界で最高の祭典」と自画自賛するIOCの足元は、いろんな形で揺らいでいる。リオ五輪は様々なオリンピックの課題を浮き彫りにし、共有する歴史的な転換を促す大会になるのかもしれない。

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    ジャマイカの血を引くケンブリッジ飛鳥の「覚醒」

     直木賞作家・赤瀬川隼さんが1985年に出版した小説集『ブラック・ジャパン』を読んだ時の衝撃は、それまで感じたことのない驚きと戸惑いを伴っていた。近未来小説の体裁を取ったその作品の概要はこうだ。 ソウル五輪のマラソン競技、優勝のゴールテープを切ったのは、胸に日の丸を付けた、黒人選手だった。陸上の全日本選手権、男子100メートルで優勝し、ポーズをとるケンブリッジ飛鳥(左)と3位に終わりうつむく桐生祥秀=6月25日、パロマ瑞穂スタジアム 赤瀬川隼さんの慧眼に感服する以外ないというのが、それから31年経った、いまの素直な感想だ。スポーツ界全体に、赤瀬川さんの予見が現実となって広がっている。リオ五輪の代表を決める陸上の全日本選手権、男子100メートル決勝レースを制し、代表の座を真っ先に射止めたのは、桐生でも、サニブラウン・ハキームでも、山縣でもなく、彗星のごとく登場したケンブリッジ飛鳥だった。 父親がジャマイカ人、母親が日本人。ウサイン・ボルトをはじめ、いまや陸上短距離界の頂点に立つと言っていいジャマイカの血を引く若者が、日本の星に躍り出た。大会直前になって、太ももの違和感から出場を見合わせ、その時点でリオ五輪出場の望みを絶たれてファンを落胆させたサニブラウン・ハキームに代わって、このような頼もしい新星が控えていたとは、多くの一般のファンは驚いたことだろう。それだけに、突如出現してケンブリッジ飛鳥への熱は急速に加熱し、一気に注目の的になった。 恵まれた体躯、老若男女すべてを魅了するだろうルックス、凛とした姿勢、清々しく真っ直ぐなメディアへの受け答え、申し分のないニュー・スターの登場。いまや、初めて日本人で10秒の壁を破るだろうと期待されていた桐生も、ロンドン五輪で準決勝に進んだ実績を持つ山縣も、昨年の世界陸上で次代の星となったサニブラウンも一気にかすんだ格好だ。 社会人1年目のケンブリッジ飛鳥が、ここに来て急に光を浴びたのには訳がある。大学3年まで、飛鳥はどちらかといえば100mより200mにスタンスを置いていた。ここ1、2年、100mにシフトした。サニブラウンの台頭に刺激を受けたのか。やはり自分の潜在能力は100mにあると目覚めたのだろうか。とくに今シーズンに入ってからの進境は著しい。若い才能は、ある時期、一気に化けることがある。飛鳥にとってまさにいまその時が訪れているなら、リオ五輪に向けて、さらに記録を伸ばして、一気に世界のファイナリストのレベルまで自分を導く可能性も密かに期待させる。この春からの成長曲線からいえば、一気に9秒台、さらには9秒9の前半、いやいずれは優勝争いさえも夢想させてくれる。飛鳥にその可能性がないとする根拠を探す方が難しいように感じる。 戦わずしてリオへの道が消えたサニブラウンの胸中を思うと、これは胸が痛くなる。その悔しさ、苦悩が糧になるならば、この四人が中心となるこれからの日本短距離陣は史上かつてない、強力で楽しみな軍団を形成する。400mリレーでも、本気でジャマイカ、アメリカとの堂々勝負が思い描ける。これまでは想像しにくかった期待が現実となった。まさに、赤瀬川隼さんの予言通りの潮流だ。決勝に出たら一億円のボーナス ひとつだけ、気になるところを提示したい。ケンブリッジ飛鳥が「決勝に出たら、所属先のドームが一億円のボーナスを約束」といった記事に刺激されたか、山縣の所属先であるセイコーも「決勝進出か9秒台達成で、五千万円の時計を贈呈」などと、景気のいいボーナスのニュースが紙面を賑わせている。 こういう景気のいいニュースは、総じて「明るい話題」という扱いだが、「ちょっと待てよ」と感じた。春先、野球賭博への関与に端を発して、プロ野球各チームの「声出し」の報酬やらまで大問題とされた。エラーなどの罰金を集めて、何らかの賞金にすることも「賭博的」だと糾弾されたのだ。陸上日本選手権の男子100メートルで力走する(左から)優勝したケンブリッジ飛鳥、2位の山県亮太、3位の桐生祥秀=6月25日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアム ケンブリッジ飛鳥や山縣亮太へ、所属先が出す報奨金はいわば成功報酬だから非合法とは言えないだろうが、馬の鼻先に人参をぶら下げる卑しさも感じないわけではない。スポーツ選手が資本家に支配されている構図にもなる。 少し視点を変えて考えてみよう。 もし日本選手が偉大な記録を突破したら、誰から賞金ないしは成功報酬を受け取るのが最もうれしく、ふさわしいだろうか。所属企業からもらうのは、 「あなたは立派に会社の宣伝に貢献しました」という意味で、記録や成績を直接的に評価されたとは言い難い日本の誇り、日本社会への功績というなら、国や公的なスポーツ組織が財源となるべきだろう。いや国に支配されたくないというなら、民間の任意団体が、クラウドファンディングではないが、有志の個人から募金を集める方法もある。もっと発展的にというか、単純に考えたら、どうしてオリンピックには賞金がないの? という問いかけがないのも不思議だ。 「陸上男子100mの優勝賞金は一億円」といった制度になっていくのも、現状の商業主義的流れから言えば当然ではないだろうか。種目ごとにスポンサーを募ることも有効だ。ロンドン五輪では一大会でIOCは約6400億円の収入を得たと言われる。これを選手に還元しない方針が今後も許容されるとは考えにくい。賞金が設定されれば、所属企業が賞金を出すようなマスターベーション的な仕組みからも脱却できる。

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    別次元へという誘惑と欲求 日本も他人事ではないドーピング汚染

     組織的なドーピング不正を行ったとみられるロシア陸連に対して、リオ五輪出場を認めないとする国際陸連の方針を引き続きIOCが支持すると表明した。一方で、潔白の証明された個々の選手の出場は認める見解も示した。 これは、一部の選手がスポーツ仲裁裁判所への提訴を示唆したことへの反応だ。人気と実績を兼ね備えた選手が多いロシア陸上選手を完全に排除すれば、リオ五輪の陸上が真の世界一決定戦から遠ざかり、五輪の価値が低下するジレンマとも関わっているだろう。 現段階でドーピング検査に陽性反応を示していない選手にすれば、「違反していないのに、ロシア人だからといって五輪から締め出されるのはおかしい」と主張するのは当然だ。仮に過去においてドーピングを行っていたとしても、これから受ける新たな検査で陰性の結果を得る準備期間は十分あったとも言える。ドーピングの完全排除を目指す国際陸連やIOCにとっては悩ましい現実が複雑に交錯している。国際陸連がロシア陸連を暫定資格停止とした処分の取り消しを訴えている陸上女子棒高跳びで2004年のアテネ、08年の北京両五輪で金メダルを獲得したロシアのエレーナ・イシンバエワ選手 すでに公表されている様々な調査や取材報道を総合すると、ロシア・スポーツ界の根強いドーピングの日常化が窺える。とくにコーチ陣にとってドーピングは、選手強化のごく当たり前のプログラムの一環であって、倫理観や罪の意識と常に葛藤していた雰囲気は薄い。日本のスポーツ選手が、練習前後にストレッチや筋トレを行い、高校球児でさえもプロテインやアミノ酸を補給するのと同じ感覚で禁止薬物を選手に摂取させていた実態が明かされている。禁止はされているが、多くの選手が使っており、おそらく他国のライバルたちも何らかの不正によって競技力を高めているという疑心暗鬼(というより、確信にも近い警戒感)もあって、自分たちもやらなければ勝負にならない、といった観念もあったように感じられる 年々ドーピング検査は厳しくなり、日本人の一般的な感覚からすれば、もはや不正は間違いなく暴かれる、これだけ厳格な検査すり抜けるのは不可能だと感じるが、そうでない感覚も世界には存在する。徹底して、検査機関を買収するなり懐柔すれば良いと、ロシアは考え実行した。不正を取り締まる検査機関を味方につければ怖いものはない。海外の検査官に対しても賄賂を渡すなど、可能な手立てを取っていた。それが組織的な不正と言われる由縁だ。 最近は日本のトップ選手の口から厳しい抜き打ち検査の実態なども語られている。突然、早朝に検査官が自宅を訪ねてくる。選手は、常に居場所を明らかにする必要がある、等。世界の上位を争う競技者になると、まるで容疑者のような立場に置かれ、精神的にも抑圧されるいびつな現実。好きな競技で頂点に近づき、さらに燃えるような高次元の勝負を楽しみたいとワクワクする一方で、競技の清々しさと対極にあるそのような監視的空気があればそれだけで競技への純粋な意欲がそがれる懸念を感じる。 ロシアの選手は、一般には立ち入りの難しい軍事施設に居所を置くことで、抜き打ち検査から守られるという対策もとられていた。なぜいまロシアの不正が問題視されるようになったか ドーピングが、検査強化と巧妙な手口のいたちごっこになって、すでに50年以上の歴史を重ねている。ロシアに限らず、ケニア陸連の不正も問題になっているが、競技が商業化し、トップ選手の周りで巨額の金銭が動く時代になってますます、勝つことの意義は高まった。勝利者こそが金のなる木であり、選手自身も勝つことによって、通常の職業では得られない、桁違いの報酬を手にする。ライバルもやっていると思えばなお、自分もやらねばとの思いに走る。周囲もそれをそそのかす。 もっと端的に言えば、日本のメディアが「極悪な行為」と決めつけているほどに、世界のスポーツの現場でそう認識されているかどうか疑わしい。かつてサッカー界で、「審判に見られなければ、敵のジャージーを引っ張って妨害するのは当たり前」という常識を持つ国や選手も少なくなかった。いまはFIFAのキャンペーンも功を奏して、ずいぶん空気が変わってきた。 それにしても、最近になってなぜロシアの組織的な不正が問題視されるようになったのか。ひとつ明快なデータがある。五輪輪男子50キロ競歩で優勝した際のセルゲイ・キルジャプキン。2009年8月から12年10月まで全ての記録が抹消され、金メダルを剥奪される見通しとなった=2012年8月、ロンドン 旧ソ連崩壊後、スポーツ界における旧ソ連の国々の存在感は薄らいでいる。冬季五輪のメダル数の変遷を見ると、かつて旧ソ連時代には、冬季大会でもソ連は強さを誇っていた。1988年のカルガリー大会の金メダル獲得数は11で第1位。1994年、 ロシアとして初めて出場したリレハンメル五輪でも金メダル11個で1位。ところが、1998年長野五輪は3位、2002年ソルトレイクシティ五輪5位、2006年トリノ五輪4位、そして2010年バンクーバー五輪では金メダルわずか3個で11位に沈んでいる。4年後に自国ソチでの五輪開催を控えて、尻に火が点いた危機感があったろう。 それで組織的な不正に拍車がかかったのではないかと推断はできないが、2014年ソチ五輪では金メダル13個、金銀銅合わせて33個を獲得し、見事1位にV字復活している。 最後に、あまり語られていない、ひとつの観点を伝えたい。 私自身、国内外で活躍するトップ選手と幾度となくドーピングについて聞く機会があった。驚いたことに、我々が「当然悪い」と決めつけているドーピングに関して、競技力が向上し、自分が到達できていない次元の感覚を体感できるなら、やってみたいと言った選手が少なからずいたそれか、勝ちたいという欲求とはまた別に、自分が追求する特別な次元で躍動したいという憧憬。それを理解できるとは言わないが、ドーピングがなくならないのは、単に勝利を求めるからだけでなく、こうした側面があることも一因かもしれない。そして、ロシアだけでなく、日本も決して他人事とばかり言えない。

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    清原とは正反対! イチローが42歳でも輝けるのは筋力に頼らないから

     イチロー選手が、ピート・ローズの最多安打記録4256本に並び、同じ日にこれを更新した。 ついにこの日が来た。マーリンズ移籍が決まったときには、出場機会が減ることが予想され、果たして達成できるかと案じられたが、イチローは着実に出場機会を確保し、安打を積み上げて歴史を塗り替えた。昨季は153試合に出場し、91安打を打った。パドレス戦で日米通算4257安打を放ったマーリンズのイチロー=6月15日、サンディエゴ 日米通算の数字だけに、「認める・認めない」の議論も賑やかで、日本の野球ファンやメディアが騒ぐほど「世界一」とアメリカでも手放しで賞賛されているわけではなさそうだ。しかし、この安打数が、世界のプロ野球で記録された最高の数字であることは間違いない。日本の野球ファンがイチローの記録に敬意を示すことは誰にも遠慮はいらない。 イチロー自身は、イチローらしい内野安打でピート・ローズに並んだときも、最終打席で二塁打を放ち、記録を更新したときも、思わず笑顔こそこぼしたが、あまり派手な表現をしなかった。それは、この記録に様々な見解があること、とくにMLBファンの認識をイチロー自身、よく承知しているからだ。 試合後のインタビューでは次のように話している。 「ここにゴールを設定したことがなかったので、実はそんなに大きなことという感じはしていない。ピート・ローズが喜んでくれれば全然違う。でもそうではないと聞いていた。だから僕も興味がない。ただ、チームメートやファンの方々の反応がすごくうれしかった」(日刊スポーツより) 記録を越された当のピート・ローズが、以前から「記録更新」を認めていないからお祭り騒ぎに釘が刺されているのも確か。 記録達成直前には 「高校時代のヒットの数もカウントするんじゃないか?」などといった表現で、自分の記録が「抜かれた」と表現されることを牽制している。 これに対して、イチローはほとんど反応していない。ある意味、余裕と配慮を感じる。実際にその記録を抜いたのは厳然とした事実だ。おそらく、今日よりも明日、そして年月が経過すればするほどにイチローの記録の重さが持って輝くことを、イチロー自身、予感しているのではないだろうか。 MLBの公式スタンスははっきりしている。 「偉大さは認める。けれど、MLBの記録ではない」 これは他の偉大な記録に関しても同じだ。MLBはファンが注目し、歓声をあげる記録達成に関して、とくにここ数年は積極的に広報し、話題にしている。観客動員や収益につながる明るい話題ならそれが日米通算記録であろうが共有しようという姿勢だ。けれど、正式記録はあくまで「MLBで記録されたものに限る」と、ここははっきり一線を引いている。今回も同じ。祝福も報道もするが、MLB記録としては認めない。それはそれで当然のことだから、議論の必要も、腹を立てることもないだろう。 これで次の注目は、イチローのMLB通算3000本安打達成に移って行く。次の目標「3000本安打」は水を差される心配なし 最多安打記録を更新し、日米通算4257本となったイチローのMLB通算安打はこれで2979本。あと21本となった。今季はすでに44安打。このペースなら間違いなく今季中に達成できる計算だ。サイン会を開くピート・ローズ氏=6月11日、米ラスベガス 《3000本安打クラブ》と呼ばれる、3000本達成者のランキングを見ると、1位ピート・ローズ、2位タイ・カッブ、3位ハンク・アーロン、4位スタン・ミュージアルと、歴代のスーパースターたちの名前が並ぶ。これまでの達成者は29人。29位ロベルト・クレメンテ、28位アル・ケーライン、27位ウェイド・ボックス、26位ラファエル・パルメイロ、25位ルー・ブロックと、ここに並ぶ選手もレジェンド立ちばかり。イチローがあと21本打てば、30人目のメンバーとなり、こうした歴史的なヒーローたちの列にまた加わることになる。3000本安打は、MLBだけで記録されたものだから、今回のように水を差される心配もない。イチロー自身もそれを知っているから、3000本を打ったとき、やはりクールに振る舞うのか、茶目っ気を出してはしゃぐのか、そこにイチローの本音が見える気がする。 さて、42歳になってなお、これだけのパフォーマンスを維持するイチローを支える秘密は何なのか? 今季、MLB通算500盗塁の記録も達成したように、まだ快足が衰えない。足の速さや筋力は年齢とともに衰えるといわれるが、イチローはその常識を超えて、活躍し続けている。それをどう理解すればよいのか? 日ごろの節制と鍛錬の賜物であることは多くの人たちが感嘆するとおりだろう。私は少し見方を変えて、「筋力が衰えないから」でなく、「筋力に頼っていないから」という側面もあるのではないかと指摘したい。イチローがこれほどの打力、走力を発揮しているのは、筋力にあまり頼っていないからだと考えた方が合理的だ。筋力を使わずに打つ、走る方法をイチローは身体でつかんでいるのではないか。だから、年齢とともに衰えるはずの筋力の低下に影響されることなく、記録を積み上げている。 ひとつの根拠として、視力をあげておく。「イチローは目がいい」と多くのファンが信じているが、実はイチロー選手の視力はシアトル・マリナーズに入団した時点で0・5程度だったという。コンタクト・レンズで矯正するよう球団の医師から勧められたが、イチロー選手はこれを断り、裸眼でプレーする道を選択した。イチローは「目がいい」から打てるので、「ボールの見方がいい」から打てると考えを変えた方がイチローの実体に近づけるだろう。 筋力に頼らない打法、走法、そんな見方でイチローのこれからの活躍を見つめるのもきっと興味深いはずだ。

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    朝日健太郎は自民党に利用されるだけの政治家になるな

     参院選への動きが活発になる中、バレーボールおよびビーチバレーの元日本代表選手・朝日健太郎氏が自民党からの立候補を明らかにした。一方で、元柔道の五輪金メダリスト・谷亮子議員は立候補しないことを表明した。 朝日健太郎氏は40歳、身長199センチ、いわゆるイケメンタイプ。自民党も、選手としての実績や知名度に加えて、こうした印象を買っての公認ではないかと想像する。参院選の自民党公認候補に決まり、茂木選対委員長(左)と握手する朝日健太郎氏=7日午後、東京・永田町の党本部 バレーボール・ファンにとって朝日健太郎はまず法政大学時代から全日本に選ばれ、サントリー入社後はVリーグ3連覇の中心になって活躍したミドルブロッカーとして記憶されている。ところが20代半ばを過ぎたばかりの2002年、ビーチバレー転向を発表してファンを驚かせた。2004年のシドニー五輪に向けて、朝日は当然、日本代表の中心選手として活躍してくれるものだとファンは思い込んでいた。 2008年、2012年、朝日健太郎は五輪代表の座を勝ち取り、北京五輪、ロンドン五輪に連続出場を果たす。ロンドン五輪後に現役を引退。現在は株式会社フォーバル男子バレーボールチーム監督、NPO法人日本ビーチ文化振興協会理事長、(公財)日本バレーボール協会ビーチバレーボール事業本部企画競技部長などを務めている。 谷亮子議員は、6年前の参院選で民主党(当時)の要請を受けて立候補して当選。その後、小沢一郎氏と共に生活の党に移った。今回の立候補見送りは政界引退を意味するものでなく、あくまで今回は立候補しないという判断のようだ。 谷議員は、当選の翌年(2011年6月)に公布され8月に施行されたスポーツ基本法の成立に一定の役割を果たしたと言われる。スポーツ基本法は、1964年の東京五輪に向けて作られたスポーツ振興法を時代に則して全面的に改正したもの。スポーツ基本法の条文を抜粋すると、次のような内容である。スポーツは、世界共通の人類の文化である。スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適性等に応じて、安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない。 およそ一般的なことに感じるが、日本のような法治国家では、これを法制化しないと、国や自治体が大手を振ってスポーツの普及振興に関わる活動がしにくいのだという。スポーツが私たちの生活と一体化し、見る娯楽としてだけでなく、多くの人が心と身体の健康のため、そして生きがいのためにスポーツと関わっている時代の中で、本当はスポーツに携わる側がもっと真剣に政治との関わりに目覚める必要がある。スポーツ議員の大半は客寄せパンダ 印象として、これまでのスポーツ議員の大半は客寄せパンダ的な存在で、いわば集票マシーンとしての期待が大きかった。議員になってそれなりの存在感を示している元選手もいるにはいるが、政党の思惑に沿って使われるだけで、「もっとスポーツを愛する者の情熱や願いに沿った動きをしてくれないか」と、じりじりする場合が多い。 故郷・熊本の被災が政界進出のひとつのきっかけになったという朝日健太郎氏は、6人制からビーチバレーに転向したことで様々な経験と目覚めを体験しているはずだ。 監督の強烈なリーダーシップの下、やらされるイメージが強い従来型のチームスポーツから、指導者がいない、自分たちで主体的に練習し強化を図るビーチバレーは、マインドがまったく違う。ここにはスポーツがいじめの温床になりかねない現状から脱却するためのヒントがある。夏の五輪の中にあっては数少ないエックスゲーム的自由さを持ったビーチバレーに飛び込んで、それまでのスポーツのイメージと正反対のスピリットを朝日健太郎は実感しただろう。それはスポーツのひとつの未来像とつながっている。しかも、ビーチという自然の舞台。海からの風と調和し、裸足で砂の上を動き回る。人工的に整備され、守られた室内競技場でプレーする6人制バレーボールとはその面でも対照的だ。自然への目覚め、自然との共生なども体感しただろう。その意味で、従来の多くのスポーツ議員の枠から脱却し、本当にスポーツを愛する者の代表として活躍してくれたら政界進出の意義はある。バレーW杯日本対イタリア。日本代表の朝日健太郎の スパイク=1999年11月30日  かつてマニフェストが話題になり、各政党が選挙ごとにそれを発表した当初、私はいつも苦い思いを感じた。なぜなら、スポーツ選手が選挙に担ぎ出され、政治家はスポーツを様々な形で利用するくせに、マニフェストにはほとんど一行もスポーツのことが記載されていなかった。政治家のスポーツ認識などその程度のものだとよくわかった。ここ数年はさすがに2020東京五輪招致に絡んでマニフェストにスポーツが登場するようになった。だが、彼らのスポーツ認識が変わったわけではない。  6月初めに閣議決定された政府の成長戦略の中にもスポーツは取り上げられ、要約すると次のように規定されている。 「スポーツの熱狂は多くの国民を魅了するものだから、当然収益性も高い。これを利用して産業を活性化させない手はない」 射幸心を煽ってギャンブルの売り上げを伸ばせ、と書いているようなものだ。 いま、商業主義、勝利至上主義に偏りすぎたスポーツの弊害が目に見える形で連日のように露呈される中、政治家やお役人はその弊害を脇に置き、ビジネスチャンスだけをさらに伸ばそうと一致団結している。奇妙な現象ではないだろうか。国民の多くはメディアに煽られるまま、不祥事には拳を振り上げ、熱狂は歓迎して受け入れる。それではスポーツに未来はない。政界に乗り込むスポーツ選手にはこの点を胸に刻んでもらいた。そして私たちスポーツを愛する者たちも、政治に利用されるスポーツから脱却し、政治を超えるスポーツの力を社会の再生と活性化に生かす道を提言し実践する道に踏み出す意識に目覚める時期に来ている。

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    大谷翔平を見習え! 投手の「無気力」打席を許してはいけない

      プロ野球・日本ハムの大谷翔平投手(21)が、またも日本最速記録を塗り替えた。6月5日、東京ドームで行われた交流戦の巨人3回戦に先発し、プロ野球公式戦の歴代最速となる163キロをマークした。四回にクルーズの4球目に投げ、結果はファウルだった。試合後、大谷は「あまり手ごたえがなかった。空振りを取れれば、もっと良かったですけどね」と話したが、今シーズンの大谷の「進化」には目を見張るものがある。 5月29日の楽天戦に「6番・投手」として出場した試合もそうだった。打者として3安打を打ち、投げては七回を被安打4、1失点に抑えて3勝目をマークした。DH制を採用してからパ・リーグの投手が同じパ・リーグ相手の公式戦でDHを使わず打席に立つのは事実上初めて。かつて日本シリーズの準備のため、シーズン終盤に西武の投手たちが打者としても先発メンバーに名を連ねて以来だという。 大谷は二刀流と騒がれ、登板しない時に打席に立って平均的な打者を上回る実績を残してきた。今年は4試合連続ホームランを放つなど、打者としても怖さを増していた。それでも、投げる試合と打つ試合が別々 の「二刀流」に物足りなさを感じていた。二刀流の大谷なら、投手として出場する試合でも打席に立ってほしい、立つのが自然と感じていた。それが今回初めて実現し、いよいよ「本物の二刀流」になった。日本ハムの大谷翔平投手=5月29日、コボスタ宮城(土谷創造撮影) これまで栗山監督はピッチングへの影響を考慮して、登板試合では大谷を打席に送らなかった。走者として疲労しピッチングのリズムを崩す、次の回に備えた投球練習などができない、などの不安を避けるためだろう。実際、走者に出た後の回で失点が多い投手はいる。相手投手が走者に出た次の回はチャンスだ、という隠れた常識はプロ野球に限らず高校野球でも認識されている。かつて怪物と呼ばれた巨人・江川投手を打ち崩すため、相手チームがわざと江川を出塁させ、走らせた後、攻略を図った伝説もある。栗山監督はそれを仕掛けたチームの出身だから、そのイメージが強くあるのかもしれない。 ただ今回は対照的な現象が起こって興味深かった。試合後の報道の中には、次のようなレポートがあった。 「大谷は走者になって疲れるどころか、打者として打ち、走ったことで闘争心が湧き上がったのか、このところ影を潜めていた燃えるようなピッチングを展開した」 これぞ野球ではないか。「三振とわかっている勝負を見せる」という明らかな手抜き行為 投げる専門で打たないことが、闘争心の発現を制御しているとすれば、プロ野球界は大切な核心を自ら放棄していることになる。試合後の大谷のコメントがまた的を射ている。 「セ・リーグの投手なら当たり前のことですから」 そう、大谷をまるで超人みたいに報道するが、DH制のないセ・リーグの投手はみな打席に立つ。ただし、よほど限られた場面以外では「打つ気なし」が当然。打てなくても責められないのが当たり前になっている。それも本当はおかしい。 プロ野球の投手は、打撃練習をする余裕はない、打撃に意識を向ける余力はない、という常識が、投手が打席に立つセ・リーグでさえ蔓延している。それは「野球のレベルが高いから」とも言えるが、観客に「最初から三振とわかっている勝負を見せる」という明らかな手抜き行為でもある。日本ハム・大谷翔平が右安打を放つ=6月5日、東京ドーム(撮影・矢島康弘) それが長年通用してきた背景には、「投球と打撃は別の技術だ」という共通認識があるからだ。それこそ実は、日本の野球のレベルアップを阻害している。心技体の基本は同じ。投球練習は打撃練習に通じ、打撃は投球に通じる。だからこそ、高校野球のエースは打撃もいい。大谷翔平に限らず、横浜高・松坂投手も豪打で知られた。イチロー選手、楽天・松井稼頭央ら、高校時代は投手だった打者も多い。これは「エースになるほどの選手は運動能力が高いから打撃もいい」と理解されがちだが、もっと重要な事実がある。「投球と打撃の技術が通じている」、それを忘れて「投手は投球練習に専念すべきだ」という短絡的な発想で投手にただ楽をさせている。ファンがもっと声をあげ、「プロ野球でも投手はもっと打撃に意識を向け、高校時代は中心バッターだった片鱗を見せて欲しい!」と求めるべきだろう。 大谷翔平はその先陣を切って「プロ野球でもできる」ことを実証している。二刀流を大谷翔平の専売特許にするのでなく、第二、第三の大谷が次々出現し、「可能性を持つ投手は打って当たり前」、日本のプロ野球がさらに活気付くことを期待する。 プロ野球選手では投手と打者の両方できないことが「プロ野球のレベルの高さ」を証明する共通認識のようにされてきた。いま我々はその幻想がファンを欺く茶番だと気づく時期ではないだろうか。 メディアもファンも、大谷を怪物に仕立てる努力以上に、まずは「セ・リーグの投手がもっと真剣に打ってくれ!」とけしかけるべきだと思う。そうすれば、野球はもっと面白くなる。セ・リーグの投手なら、それは今日からできる変革だ。

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    選手時代からあった「心の隙間」 薬に頼り続けた清原和博の人生

     清原初公判の報道を見ていて、違和感を覚えた。 検察も弁護側もメディアも、一丸となって美談を形成し、この事件をある方向に着地させたい意図が一致しているように感じた。 それが清原和博という、高校野球、プロ野球を通じて多くの人々に驚きと喜び、そして興奮を提供してくれた野球選手に対するみんなの思い、更生を願う気持ちだと思えば、社会の温かさを感じないでもない。 だが、美談のからくりで語られすぎて、本当に清原がもう一度心に火を点けて、常人には想像も及ばない清原和博というとてつもないエネルギーを回転させる未来が見えてこない。メディアも含めた周囲がみな、清原を いまは上から見ていて、自分たちが常識的に持っている「良識」という枠にはめ込んで「更生」させようとしている。覚醒剤には二度と手を出してはならない、これは厳然とした事実。その先、清原和博が何を成していくのか? 覚醒剤経験者の覚醒剤との訣別が難しい以上に、清原ほどの野球界での成功者がその後を生きる、新たなやりがいや役割を見つける難しさと相まって、相当に高いハードルが行く手に立ちはだかっている。これをどう乗り越えるか、誰がサポートし、どう清原が挑戦していけるかの発想が欠落している。清原の更生を期待すると言いながら、ただ普通の大人に戻ってほしいというような論調、社会の空気に違和感を覚えるのだ。清原は、普通の枠におさまるような人間ではない。だから、美談が白々しく思えるのだ。 清原に何をやってもらいたいのか? 清原にはまだ発揮せず埋蔵している才能がある。それを発掘し、開花させる未来こそ、清原のこれからのやりがいであり、人生の道だ。少年野球教室でオリックスに移籍した清原和博(左)と談笑する野球評論家の佐々木主浩 =兵庫・神戸市のスカイマークスタジアム(撮影・江角和宏) スポーツ選手は、ある年齢を迎え現役を引退したら「終わり」だとすれば、第二、第三の清原は量産される恐れがあるし、子どもにやらせない方がいい分野になる。なぜなら、プロ野球に入れる割合もごくわずかだし、そのプロ野球で成功し、スーパースターと呼ばれる存在になった人でさえ、引退したらその後のやりがいが見えない。そんな空しい山に登るのは愚かだろう。いくらその道程が華やかで、通常の大人より高収入でも、山を登り、引退する歳には心身ともに疲弊し、高収入も高支出によって消費している。それが現実。現役時代ほど華やかでないにせよ、スポーツには「極める」という別の次元があり、天才と呼ばれ、プロ野球で活躍した選手でなければ到達できない領域がある。それをさらに高め、野球という分野を越えて、普遍化し、指導できる道だって本来はあるはずだ。いまはそのような方向に野球が向いていない。結果ばかりに執着し、それゆえ、心身の大切な本質を見失う。その象徴的な存在が清原和博といってもよいのではないか。 それは清原個人の弱さや欠落ゆえの問題ではない。野球界、スポーツ界が持つ構造的な誤りを直視せず、それを曖昧にごまかして、スポーツという産業を維持しようとする、自衛的な発想も無意識に流れている気がする。私たちはこの機会に、清原を徹底的に悪人に仕立てるのでなく、私たち自身も日常的に深く関わっているスポーツ、そしてスポーツ産業のからくり全体に深く斬り込み、スポーツの意義、スポーツの功罪、スポーツの本来の取り組み方を社会全体で真剣に構築し直す必要がある。その意識が今回の初公判とその報道には欠けている。 引退後、心の隙間を埋める方法がなくなったという。言い換えれば、野球をやっている間は、野球で隙間を埋め、心身のバランスを保つことができたと受け取れる。果たして、そうだったろうか?ミイラ取りがミイラになる 現役時代から清原は、結果を恐れ、結果を出さねばならない使命感と脅迫観念から、依存的な傾向に陥っていた。ニンニク注射はそのひとつだ。試合前、東京ドームのベンチ裏でしばしば医師から注射をうってもらっていた。それが合法的な注射であっても、注射に頼り、その効能によってホームランをうつことが理想的な姿勢と言えるだろうか。ニンニク注射だけでなく、多くの薬を服用していたことは関係者が語っている。現役時代すでに、清原は道に迷っていた。その迷路から救ってくれる存在は清原にはいなかった。そのこともスポーツ界の大きな問題点だ。そして、結果を出す、ホームランを打つ以外に清原が自分も世間も納得させる方法を持たなかった。清原和博被告の初公判後に取材に応じる佐々木主浩氏 =5月17日、東京・霞ヶ関の司法記者クラブ(蔵賢斗撮影) 佐々木主浩さんの出廷には、もちろん敬意を覚える。終始一貫、佐々木さんの発言は清原へのエールに貫かれている。だが、これを報じるメディアや、受けとめる側があまりに美談に酔ってはいないかと案じる。 薬物依存者社会復帰施設「ダルク」の茨城ダルクを主宰している岩井喜代仁さんは、その実態を同出版の季刊誌「道」の対談や著書で語っておられる。その中で胸を衝かれたのは、岩井さんが学校から依頼を受けて講演する際に話すという次のエピソードだ。要約する。 「友だちが悪い人と付き合い、覚醒剤に手を出しているとわかったらどうしますか」 岩井さんは子どもたちに問いかける。多くの子どもたち、ことに学校で「マジメ」と言われるタイプの子どもはたいてい次のように答える。 「やめるよう説得します」 学校の先生たちも同じように言う。しかし、岩井さんの助言は正反対だ。 「近づくな。そんな友だちに近づいたら、あなたも仲間にされる。だから、そうとわかったら絶対に近づいてはいけない。それくらい、覚醒剤は怖いものだ」 学校教師のマジメな道徳論が通用するほど甘くない。「逃げろ!」が鉄則だ。ミイラ取りがミイラになる。その話が強烈に刻まれているから、初公判後の報道がぬるま湯というか、美談に仕立て上げられた幻想に感じられてならない。 清原は罪状を認め、終始、謝罪の姿勢に徹している。それはもちろん、必要な姿勢だろう。だが、本当はもっと清原らしい、強烈なメッセージを発信してほしいと願う気持ちがある。 「オレみたいになるな!」「野球界でチヤホヤされたら、オレみたいになる可能性がある」「オレは何を間違えたのか。自分は何を学び、志すべきだったのか」 もっと切実に自分をさらけ出し、見つめ直すこと、問題を社会と共有することが大切な清原和博の使命ではないだろうか。そのために周りの誰かを巻き添えにすることは避けたいだろうが、ただ謝るだけでは解決しない深い問題がそこにある。これは、清原が罪を償った後にしかできないことかもしれないが、清原だけが悪者にされてこの問題が収束するのは違うだろう。

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    プロ野球の魅力も緊張感も奪う「コリジョンルール」

     5月11日の阪神・巨人戦で、セ・リーグでは初めて、今季から採用されたコリジョンルールが適用され、本塁でのクロス・プレーの判定が覆った。それが勝敗にも大きな影響を与えた。結果は3対1で巨人の勝利。その1点がなければ、結果はどうなったか、わからない。プロ野球阪神対巨人。3回、脇谷亮太の適時打で2走小林誠司が本塁狙うもアウト。その後コリジョンルール適用でセーフに。捕手原口文仁 =5月11日、甲子園球場(撮影・安部光翁)  3回表、巨人の攻撃は2死2塁。脇谷のセンター前ヒットで二塁走者・小林誠が三塁を蹴ってホームを陥れた。センター大和からのワンバウンドを原口捕手がやや後ずさりしてキャッチした正面に小林誠が足から滑り込む形になった。タイミング的には、間違いなくアウト。とくに大きな衝突もなく、タッチプレーが行われた。主審は「アウト」をコールした。 「大和が好返球で魅せました!」と、実況中継ならアナウンサーが叫ぶ場面。甲子園球場の阪神ファンは盛り上がり、巨人ファンは地団駄を踏んだ。一瞬が明暗を分ける。野球の中でも最もスリリングなプレーだと言われるホーム上の攻防。守備側の阪神が見事に瞬間の勝負を制し「勢いをつけた」と思われた。ところが、ビデオを確認した審判団は判定を翻し、小林誠の生還を認めた。アウトがセーフになったのだ。確かにルールのとおりだが、これで野球の面白さは維持できるのだろうか。 世紀の対決と呼ばれた、ソウル五輪の陸上男子100メートルを思い出した。ベン・ジョンソンがカール・ルイスを圧倒し優勝した。誰の目にもベン・ジョンソンの勝利、カール・ルイスの敗北は明らかだった。ところがその後、ベン・ジョンソンのドーピング違反が判明。ベン・ジョンソンの金メダルは剥奪され、カール・ルイスの胸に輝いた。このとき、カール・ルイスが勝ったと感じた人はどれほどいただろう。このようなルールや裁定は、競技の健全性を守るためには必要だが、決して前向きな感動は生まない。 話を野球に戻そう。審判の説明どおり、原口は送球が届く前から走路に立っていた。コリジョンルールに照らせばその時点で「走者はセーフ」だ。金本監督が抗議する矛先はない。ただ、その時すぐ捕手のルール違反をコールできなかった主審の過ちが痛い。そして、ルールを尊重するなら、大和の好返球を無にした原口の安易な立ち位置にこそ、金本監督は怒りを向けるべきだろう。 これほど徹底して予告され、申し合わせているルール変更に対して安易すぎる立ち方だと指摘されても仕方がない。だが、捕手たちは感覚的に「答えを見出せない」と感じ、クロスプレーにどう対応すればいいのか、戸惑っているのも現実ではないだろうか。ルールの理想と現実のギャップというか、実態を把握すれば、原口捕手を責めるのも酷だと感じる。野球の魅力と緊張感に水を差す コリジョンルールの採用で、捕手も、二塁手や三塁手同様、立ったままタッチに行かねばならなくなった。身体ごとぶつかって行けないから、他の内野手がするように、「ミットを地面につけてホームベースの前に置く」のが基本になるといった変化が指摘されている。だが、実際にはそう簡単ではない。そもそもなぜ、二塁や三塁上では通常起こらない激しい接触やせめぎ合いが本塁上では発生するのか? それは、他のベースと違うルール上の特性がある。本塁では、走者のオーバーランが許される。走者は5つの角を持つホームベースのどこか一部に、捕手のタッチより早く身体を触れさえすれば生還が認められる。そのため走者は、回り込んでベースに触れたあと、勢いよくホームベースから 何メートル先まで転がっても構わない。スピードを最後まで緩めず、トップ・スピードで本塁に到達し通過できる。オーバーランができないため、ベース上で足か手を必ず止めねばならない二塁、三塁とはそこが大きく違う。だから、従来は当たり前だったブロックなしに、トップ・スピードの走者を迎え撃ち、タッチするのは簡単ではない。審判団に詰め寄る阪神・金本知憲監督(左)=5月11日、甲子園球場 (撮影・吉澤良太) 捕手が手だけでタッチに行けば、屁っ放り腰になる。そんな弱腰で少しでも走者と接触したら大ケガにつながると身体は知っているから、ますます及び腰になる。コリジョン・ルールはこのように、危険防止のようで危険を呼び込む側面を持っている現実はあまり指摘されていない。わざわざルールで屁っ放り腰にさせておいて、「走者に負けるな」と叱咤するのは、ただの精神論だ。二塁や三塁のように、ベースの前にミットを置けば解消する問題でもない。なぜなら、二塁や三塁のクロスプレーの場面、走者は滑り込んで地面すれすれにアプローチするよりほかに方法がない。だから、野手がその位置にグラブを置けば、走者はグラブを避けようがない。ホームベースは違う。回り込んで上方から手でタッチもできる。ミットを地面に着いて待っていれば「万全」ではないのだ。 野球の魅力と緊張感に水を差す上に、決して安全対策にもなっていないコリジョンルール。金本監督の、行き場のない怒りもその意味でよく理解できる。 守備においては守備が主体であり、守備の動きは尊重されるのが伝統的に野球ルールの基本になってきた。それなのに、走者を優位にし、捕手の立ち位置を規制する発想が実は本質から外れていないだろうか。本塁上の大きな危険を生み出す根本的な原因は「そこに捕手が待ち構えているから」ではなく、勢いというアドバンテージ持つ走者が強引な衝突によって生還を勝ち取ろうとする姿勢のためだ。本来は、走者の危険な走塁をこそ徹底して規制すれば無用なケガは避けられるのに、捕手を規制するからおかしくなる。捕手を屁っ放り腰にさせる危険こそ、見ていてハラハラする。 アメリカがそうだから「日本も倣う」姿勢は、野球の歴史からすればやむをえない面もあるが、アメリカが間違った選択や判断をしていたらきっちり本質を抑える感性と、提言する覚悟をそろそろ日本野球も持っていいのではないだろうか。ぜひ、野球を愛するみなさんに、正統なコリジョンルールを改めて考えていただきたい。「安全」という名目を押し出して、反対を押し付けない雰囲気を醸しているが、これは絶対に改善すべき悪しきルールだと感じている。

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    日本人として誇らしい! 伝説の担い手になった岡崎慎司の栄誉

     プレミアリーグで、日本代表の岡崎慎司が所属するレスター・シティがチーム創設132年目にして初のリーグ制覇を成し遂げた。開幕前にはほとんど誰もレスター・シティの優勝を予想していなかった。これほど痛快な出来事も珍しい。あらゆることを賭けの対象にする英国内のブックメーカーは、レスター・シティ優勝に5000倍のオッズをつけていた。5000倍といえば、「ネス湖のネッシーが存在感した」「エルビス・プレスリーは生きていた」といった賭けと同じと報じられ、これも驚嘆に拍車をかけた。それほど「ありえない」と思われた優勝。その輪の中に岡崎慎司がいたことは、日本人にとっても、うれしく誇らしい出来事だった。 レスターの初優勝が決まり、チームメートと共に喜びを爆発させる岡崎(中央) =5月2日、レスター(ゲッティ=共同) 奇跡的とも形容される優勝が現実になったのは、現有戦力で最高の成果をあげる策として採用された「カウンターアタック」が物の見事にはまったことが最大の要因。これは優勝を目指した戦略でなく、なんとか降格を免れようと採った策。それが頂点までチームを導いた。カウンターアタックで勝利を握る前提には堅い守りが不可欠だ。今季のレスター・シティは、相手に決定的なチャンスを与えても最後まであきらめず、相手シュートをブロックに行き、「ブロック王」と呼ばれたディフェンダーのモーガン(ジャマイカ)の存在があった。彼とコンビを組むフート(ドイツ)ら、ディフェンス陣の渋とさは際立っていた。 ゴール前でボールを奪い、ロングボールで前線に送ると、驚異的な突破力を見せたバーディを中心とした攻撃陣が相手ゴールに襲いかかった。シーズン途中まで得点王争いを独走したバーディはまさに救世主。そして、マフレズ、岡崎が絡んで勝利のゴールを重ねた。何しろ、常識的には勝利への鍵とされるボール支配率もパス成功数もリーグでワースト3に入っている。この数字は普通は優勝チームのものではない。それほど今季のレスター・シティは常識を捨て、全員が徹底してカウンターアタックにかけて奇跡を起こしたのだ。岡崎が決めた芸術的なオーバーヘッド・シュートは、優勝のシーズンを語るファンにとっては忘れられないファイン・ゴールに違いない。マンチェスターU戦の前半、ルーニー(左)と競り合うレスターの岡崎 =5月1日、マンチェスター(共同)  岡崎慎司は、歴代の日本代表フォワードの中でも「決定力を持つストライカー」と言えるだろう。が、歴代最高だと誰もが認めるかどうか、意見は分かれるに違いない。しかし、そんな評価とは別次元で「レスター・シティを132年目に優勝に導いた伝説のイレブンのひとりだ」という事実は動かない。シンジ・オカザキの名はレスター・シティで永く語り継がれ、ずっと愛され、慕われ続けるだろう。スポーツ選手にとって、これほどの栄誉があるだろうか。経済的な収入を追い求めたらきりがないが、どんな高額報酬も今回の岡崎が得た栄光には叶わないのではないか。イチローは「記録」だけでなく「記憶」に残る選手になれるか 岡崎の姿を見ていると、スポーツ選手の究極のゴールは、優勝や記録達成ではなく、時代を作ること、人々と感動を共有すること、伝説の担い手になることではないかと感じる。 近年のプロ野球で鮮烈なのは、2013年の楽天日本一。東日本大震災で被災した東北の人々の声援を受けて楽天が巨人を破り初制覇を遂げた。3勝3敗で迎えた最終戦の9回、前日も完投しながら敗れた楽天のエース田中将大が最後にベンチを出てきた。誰もがその姿を待ち望んでいた。スタンドのファンがファンキーモンキーベイビーズの《あとひとつ》を涙ながらに歌い、田中将大がマウンドで投げ始めたときの感情の昂り。その尊さは言葉では語り尽くせない。テレビの前のファンも、特別な感慨を共有した。巨人ファンでさえ、あの日は田中将大に思いを寄せた。田中将大は確かに伝説となり、絶対的な存在尊敬を不動にした。米大リーグ ブルワーズ-マーリンズ 一回、大リーグ通算500盗塁となる二盗を決めるマーリンズのイチロー外野手 =4月29日、米ウィスコンシン州ミルウォーキーのミラー・パーク(共同) メジャーリーグでイチロー選手は着実に通算記録を重ねている。先日はメジャーリーグ通算500盗塁を達成。メジャーリーグ通算3000本安打も射程内だ。が、イチローが通算記録を打ち立てるたび、クールで孤高な印象を帯びる。イチローも、熱い記憶とともに語られたら、もっと心にしみる存在になるだろう。過去にはオリックス優勝もあれば、ワールドベースボールクラシック優勝を決めた一打もある。なのに、積み重ねた数字が大きすぎるためか、記録が先に語られる。イチローが「記録を残す人」でなく「記憶を残す人」でありうるかどうか。それをファンも心の奥底で待望しているのかもしれない。

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    「ブラック部活顧問」問題から考える、教師ってナンだ?

     小中学校の「ブラックな部活顧問」の業務状況が問題にされ始めている。 ただでさえ忙しく、勤務時間の長い教員が半ば強制的に部活動の顧問を担当し、平日の放課後だけでなく、土日も出勤して部活動の指導や引率にあたる現状を「ブラックな職場環境だ」と一部が声を上げたというのだ。 4月25日の毎日新聞は次のように伝えている。 昨年12月、若手の教員らが、部活の顧問を引き受けるかどうかの「選択権」を求めてインターネット上のウェブサイトで署名を集める運動を始めたところ、3カ月間で約2万3500人分が集まり、3月初めに文部科学省に届けられた。 この背景には、部活動の位置づけの曖昧さ、部活に対する顧問の意欲の温度差、最近とみに強まっている運動部のパワハラ的指導に対する社会的批判などもある。 中高年の世代には、「部活動は大切な学校教育の一環」という意識が根強く浸透し、高校も含めて、「部活動がなければ毎日きちんと学校に行ったかどうか。部活のために学校に行っていたようなものだ」と笑う人たちは少なくない。その感覚は、いまも何割かの子どもたちに通じている。ところが、教員にも、「働く者の権利」が重視される世相になり、部活動のような曖昧な存在は正当な奨励の根拠を失いがちになる。毎日新聞は同じ記事の中で、このように伝えている。「部活動」は国語や社会などの教科と異なり、教育課程に位置付けられていない。文部科学省が定める学習指導要領には「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養(かんよう)等に資するものである」「(部活は)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」と記されている。  文科省の教員勤務実態調査によると、2006年の時点で部活動顧問を務めていない中学教員は13・7%。「全員顧問制」の学校もある。  活動時間はほとんどが放課後や休日だ。文科省の担当者は「一般的に、土曜や日曜に部活動の指導を4時間程度した場合、日額3000円が支給される」と説明する。具体的な支給の要件や額は自治体が条例などで定めている。  部活動の成果や重要性は認められているものの、実は教育課程に位置づけられていない。ある時期から「サービス残業」という言葉が普及したが、教員にとって部活動はまさに「サービス業務」のような存在だ。それでも長年の伝統があるため、部活動を熱心に指導し運営するのは学校として当然という大勢が保たれてきた。 ところが近年、教員の通常業務もさらに増加し、勤務時間の長さが問題となり、加えて働く者の環境やワークライフバランスの確保が社会的に強く認識されるようになって、部活動が厄介な存在、「なければいいのに」と疎まれる存在になり始めている。学校の存在こそが曖昧 一方には、部活動どころか、学校の位置づけの曖昧さが顕著になっている現実もある。 学校は「勉強するところ」なのか、「人間形成の場、人格的な教育の場」なのか。また、「勉強は学校でするのか」「受験勉強は塾でするのか」という問題も併せ持っている。 いまの時代、人格形成を施す指導を明快な哲学を持って推進すると、過剰な思想への関与だと批判されかねない。学校にそこまで深い人格指導は求められていない。つまり、学校の存在こそが曖昧なのだ。 6歳から15歳までの少年少女が、「朝から午後(夕方)までの時間を集団的に過ごす社会的な場である」という以上の機能を学校が果たし得ない状況が出来上がりつつある。練習に励む女子サッカー部の選手たち。 部活動は学校でなく、「地域のスポーツクラブなどで行えばいい」という主張も高まっている。現実に水泳や体操、テニス、サッカーなどの競技で本格的に上位を目指している少年少女たちの多くは学校の部活動ではなく、専門のクラブやスクールに所属し、競技力向上を目指すのが一般的になっている。野球も同じで、高校野球の強豪校に進学し、いずれプロ野球を目指したいと考えている選手の多くは、部活動でなく、シニアやボーイズと呼ばれる地域のチームの門を叩く。 「部活動はやりたくない!」という選択権を与えるべきだという訴えはもちろん理解できる。「教員にも適正な労働環境を!」という主張にも賛同する。だが、一方で学校の現実をもっと全体的な視野で捉える必要がある。 専門的な役割を教員以外の外部が担う傾向が進む現実の中で、学校の先生は「何をする人」になっていくのか? 不登校やイジメなどに対する相談は「カウンセラー」が担当する。スポーツや音楽などの部活動は「専門の指導員」が外部から起用される。 勉強は、先生が教えるつもりかもしれないが多くの親子は「受験勉強は塾で教えてもらう」と思っている。授業は塾の講師に依頼した方が「成果が上がるのではないか」との議論も出始めている。実際、教育委員会の意向で「塾の講師による講習を受けさせられた」と憤慨していた友人(高校教師)の声を聞いたことがある。 「授業に最大の誇りを持つべき教員が塾の講師に教えを請う時代になって、教師の誇りや存在意義はどこに行くのか」と彼は嘆いていた。授業さえ外部スタッフに任せる潮流が生まれたら、本当に学校の先生は「何をする人」になるのだろう? 先生は、生徒たちの悩みと向き合う必要もなく、部活動を通して触れ合う必要もなく、進路に関わる受験勉強の責任さえ求められない。 私はいま地域に根ざす中学生の硬式野球チームの監督を務めている。学校の部活動で野球をするのでなく、地域のチームを選んだ中学生たちと放課後と週末を利用して、野球を通した人格づくりに取り組んでいる。クラス替えなどの話題を報告してくれる中学生たちの言葉や表情から感じるのは、「中学は友だちとの愉快な場であり、担任はその愉快な場を邪魔せず、心地よい空間を醸成してくれる、“わかっている人”がありがたい」といった感覚だ。「このままでは教員がお役所の係員みたいになる」 多くの子どもや親が、もはや専門的な能力など公立小中学校の先生に求めていないと断言したら行き過ぎかもしれないが、そのことを教員自身が自覚したほうがよいと思う。 私にこのような示唆を与えてくれる高校の部活顧問たちや小中学校の教員を務める知人たちはそのような認識を持ち、「このままでは教員がお役所の係員みたいになり、教育に携わっている実感がどんどん失われそうだ」と危機感をつのらせている。このままエスカレートすると、先生は「書面づくりや学校運営の管理遂行を担当する事務職員」のようになりかねない。教員グループによるインターネットでの署名活動 頭に浮かぶのはテレビ局の社員の現状だ。テレビ番組の制作に携わりたくて難関を突破しテレビ局に入社しても、実際に制作現場に関わる人は多くない。制作現場を受け持つのは外部の制作会社や専門職(脚本家、演出家ら)である。子どもの教育に携わりたくて学校の先生になったのに、現場はすべて外部のスタッフが担当し、先生は「その管理が主」といった状況になりかねない。 教員の労働環境を整備するのは重要だが、学校の本質を根っこに持たない議論は子どもたちを幸せにしない。部活顧問の強制がブラックだという問題ばかりを部分的に論じることは、いま学校や教員、もっといえば子どもたちが直面している本質的な悩みや課題に光を注ぐ具体的な行動にはならない。 忙しすぎるというならば、通常の業務の見直しがまず先ではないか。なぜ、子どもたちと直接触れ合い、人間関係の温もりで子どもに情熱や知恵を注ぐべき小中学校の教員が書面づくりに追われるのか。 放課後や週末、部活動に情熱をそそぐ英気を養う余裕を日常の勤務時間の中で確保する改善こそが本質だと考える。 このままだと、「学校自体がいらないのではないか」「子どもたちは学校以外の場所に通わせたほうがよほど人間的に豊かに育つのではないか」といった社会的な目覚めが起こり、学校そのものの存続が問われる可能性とつながっていることも認識する必要がある。