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    澤穂希を解き明かす4つのキーワード

    松原渓(スポーツライター、キャスター) 「10番 澤、穂希」 5月1日に日本サッカー協会で行われたカナダW杯メンバー発表会見。なでしこジャパン、カナダW杯メンバー発表で澤穂希の名前を読み上げる佐々木則夫監督=5月1日(撮影・山田俊介) 佐々木則夫監督の口からその名前が力強く発せられると、カメラのフラッシュ音が一段と大きくなった。 澤の代表選出は、昨年5月の女子アジア杯以来約1年ぶり。「また青のユニフォームを着たい、また日の丸を背負って戦いたいという気持ちで、日々のトレーニングに励んでいました」(澤) 試合に出れば、男女を通じて世界初のW杯6大会連続出場の偉業達成となる。W杯連覇に不可欠なパズルのラストピースが、はまった。「影響力」 佐々木監督は澤を選考した理由について「パフォーマンス(の高さ)、90分間の集中力、そして、チーム内でも誰よりも身体を張ってスライディングも多い」ことを挙げた。実際、澤は今季リーグで良いパフォーマンスを見せており、表情からも心身ともに充実している様子が見て取れる。リーグで首位を走るINAC神戸レオネッサで攻守の舵を取り、4月にはリーグ最年長ゴール記録も更新した。 24日と28日に行われたW杯前の壮行試合では、澤復帰の効果が早速現れた。24日のニュージーランド戦ではフル出場で攻守を牽引し、決勝ゴールも決める大活躍。28日のイタリア戦でも厳しい守備で相手の攻撃の芽を摘み、攻撃の起点になり続けた。また、他の選手もスライディングでボールを奪いに行くなど、チーム全体に意識の変化が見られた。トレーニング中、佐々木監督は澤がスライディングでボールを奪取するシーンを集めたビデオを全員に見せ、球際の強さを求めたという。FWの安藤梢もその姿に刺激を受けた一人だ。 「澤さんは背中で見せている。球際や諦めずに走るところなど、しっかり戦う姿勢を見せていきたい」 プレーで周囲を鼓舞する、その影響力は絶大だ。「リーダーシップ」「苦しい時は、私の背中を見て」 澤の代名詞ともなったこの言葉は、2008年北京五輪の3位決定戦前のロッカールームで生まれた。この試合で日本はドイツに敗れてメダルには手が届かなかったが、澤と共に140試合近くを戦ってきた宮間あやは「最後の一秒まで澤さんの背中を見て走りました」と話している。多くを語らず、プレーで示す。澤のリーダーシップはこの言葉に凝縮されている。 惜しみなく身体を張って戦い、チームを奮い立たせる―エピソードを挙げれば枚挙に暇がない。04年4月、アテネ五輪アジア予選準決勝の北朝鮮戦も語り継がれる一戦だ。2大会ぶりの五輪出場がかかったこの試合に、澤は右膝半月板損傷を抱えながら強行出場した。ところが、普通なら立っているだけでも辛い状況の中、キックオフ直後に北朝鮮のエースをタックルで吹っ飛ばし、ボールを奪ったのだ。このプレーにチームは鼓舞され、それまで7連敗と圧倒的に負けていた北朝鮮を3-0で圧倒。アテネ行きのチケットを手にした。 攻撃面では「常に大事な場面で点を取ってくれる」(解説者、元日本代表DFの矢野喬子氏)点も、エースたる所以だろう。研ぎすまされた”第六感”が、勝負所を見逃さない。11年のW杯決勝で、米国にリードを許していた延長後半、試合終了直前に劇的な同点ゴールを決め、日本中を興奮の渦に包んだ場面は記憶に新しい。 このように自ら率先して結果を出す姿はサッカーのみならず、会社や組織でも理想のリーダーシップと言えるのではないだろうか。 とはいえ、背中で見せる澤のリーダーシップはピッチに立ってこそ威力を発揮する。「控えのスーパーサブでも、澤がベンチにいればチームが一つになる」という安易な見方には賛成できない。「コンビネーション」、そして「原動力」「コンビネーション」 普段からコンディション面に細心の注意を払い、誤差は経験でカバーできる。試合での好不調の波が小さいことも、澤がこれまで選ばれ続けてきた理由の一つだろう。 では、選ばれなかった昨年と今年で何が変わったか。最大の要因は、所属クラブを取り巻く環境の変化だと私は考える。昨年、INACは国内4冠を達成した2013年のレギュラーメンバーから一気に5人が移籍し、若く経験の浅い選手たちがチームの大半を占めた。そして、選手間の連携が未熟な中で相手のマークが澤に集中した結果、個人のパフォーマンスが上手く発揮できず、チームの総合力も落ちた。 サッカーは見る人の「主観」によって、印象が180度変わることもある。たとえば1本のパスが失敗した際、「技術不足」「判断が遅い」と、出し手に責任を求めるのは簡単だ。しかし、1秒ごとに局面が変わる中では多くの不確定要素がある。パスの受け手のポジショニングは正しかったのか。声で相手のマークを分散させるなど、周囲のサポートはあったのか。 良くも悪くも、1人で何でもできてしまうクリスティアーノ・ロナウド(レアル・マドリード)のような選手なら話は別だが、澤はそういうタイプの選手ではない。周囲とのコンビネーションの中で、味方の良さを最大限に生かして自らのポテンシャルを発揮し、チームに命を与えるシャビ(バルセロナ)のような選手なのだ。4月26日のAS埼玉戦後半、リーグ通算150得点となるゴールを決め笑顔で手を振るINAC神戸・澤(中央) 昨年の苦しみを教訓に、INACは今季、なでしこジャパンの主力メンバーでもある大野忍や近賀ゆかり、鮫島彩らを補強。息の合ったコンビネーションが復活し、澤も生き生きとプレーしている。代表とクラブで澤のチームメートとしてプレーする川澄奈穂美は、「守備面での予測や、パスを出す視野の広さは、昨年から良い意味でまったく変わっていないと思います。それに対して、周りがどう反応するかというところは変わったと思います」と話す。この言葉も、昨年のパフォーマンスが澤自身の不調によるものではなかったことを証明している。 今季、INACに新指揮官として迎えられた松田岳夫監督は、10代から澤を知る恩師の1人だ。強烈な個性をまとめ上げる戦術もさることながら、選手のモチベーションを上げるのにも長けている。再会を果たした恩師に澤は「もっとサッカーを知りたいし、上手くなりたい」と伝えたという。「原動力」 15歳ではじめて代表入りしてから22年。年齢を重ねても変わらずに活躍し続ける姿は、見る者に勇気を与える。そんな澤の原動力は、大好きなサッカーへの探究心と向上心だ。その気持ちの強さを、チームメイトの川澄は肌で感じているという。 「常にサッカーを楽しんでいるのが見ていて分かります。人一倍身体を張って、声を出して、相手にやられれば悔しがる。本当に、そういうところに尽きるのかなと」 試合はもちろん、日々のトレーニングも絶対に手を抜かない。INACのトレーニングでは、澤が練習場に入るとピリッと空気が引き締まるのが外から見ていても分かる。常に100%を出し切って戦う姿勢は、周囲の選手にとって最高の見本になっている。 今回選ばれた23人中17人の選手が前回大会経験者というデータからも分かるように、なでしこジャパンの主力は前回2011年のW杯からほとんど変わらず、平均年齢は25.3歳(21名)から27.7歳(23名)になった。世代交代の失敗を指摘するような報道もあったが、実際この4年間で多くの若手選手がチャンスを与えられた中、そのチャンスをモノにできたのは僅かに6人。澤と、その背中を見てきた選手達の気迫とレベルアップが、若手の台頭に待ったをかけたのだ。その気迫と経験は、現在のなでしこジャパンの武器でもある。後の祭りではあるが、2012年のロンドン五輪から3年間は世代交代を急ぐのではなく、今のメンバーで連携を高めることが重要だったのだと思う。そして、澤の存在はなでしこジャパンをより魅力的にするのだと、代表復帰戦を見て実感した。今大会で新たに選ばれた6人の選手には、そのプレーや練習に取り組む姿勢を貪欲に学び、盗んで欲しい。 その背中は、今大会でも多くの選手の支えとなるはずだ。まつばら・けい スポーツライター、キャスター。1983年生まれ、東京都出身。女子プロサッカー・日テレの下部組織のセレクションを受験するなど7年のサッカー経験を持つ。「日本代表TV」「プロサッカーニュース」(フジテレビONE/TWO/NEXT)アシスタントMCを経て、現在は「INAC TV」(BSフジ)オフィシャルキャスター。08年からスポーツライターとして精力的に取材活動を行う。著書に『日本女子サッカーが世界と互角に戦える本当の理由』(東邦出版)。関連記事■ 岡田優介が見た日本のバスケ界 改革に選手の声は反映されるか■ 改革へ豪腕振るう川淵C 現場には困惑も■ 田中将大投手を襲ったケガの裏にあるもの

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    一体感で本番へ!なでしこ・佐々木監督流マネジメント

    々木則夫監督。日本のサッカー史上初めて"W杯連覇"に挑む指揮官に話を聞いてみた。<聞き手:上野直彦(スポーツライター)/写真:Shu Tokonami>「なでしこらしさ」を大事に――W杯への新たな挑戦へ向けて、昨年(2014年)は多くの試合を経験されました。初優勝した5月のアジアカップ(ホーチミン)と秋口に開催され準優勝したアジア競技大会(仁川)。そして、10月26日・29日にW杯開催地で行なわれたカナダとの親善試合。ご自身のマネジメント力が試された1年でしたが、課題に掲げていた「ベテランと若手の融合」について手応えは感じられましたか。佐々木 いまのなでしこには3つの層があります。2011年のドイツW杯、2012年のロンドン五輪に出場経験のあるレギュラー選手、サブの選手、それと若手選手の3つの層です。実際、いままでサブだった選手たちは、主要な大会は経験しているけど、試合に出場した場数が圧倒的に少ない。経験ある選手たちと熾烈なポジション争いができるくらいにならないといけない。次の世界大会だけではなくて、その先の未来も視野に入れるべきだからです。 ところが、この2年間で、優勝したドイツW杯と準優勝したロンドン五輪を経験した選手たちの質に追い付いてくるだけのものが、顕著に感じられませんでした。――ベテラン勢とサブ組とを隔てる壁がそんなに高いのですか。厳しい現状ですね。佐々木 そこを打ち崩さなきゃいけない。でも厳しい言葉を投げかけたり、試合の映像を見せただけでは選手たちはピンときません。解決策としては経験のある選手たちとサッカーをする、ということが一番です。――なでしこジャパンだけでなく、いまの日本の会社や組織においても同じことがいえます。佐々木 先輩と中堅と若手のざっくばらんな雰囲気や、みんなで「こうしよう!」とお互いに声を掛けて、目標に向かっていく姿勢をつくり出すことが監督として何よりも重要なんです。サッカーの技術的な要素だけでなくて、「なでしこジャパン」がこの30数年歩んできた歴史のなかでの彼女たちのカラーを学んでほしい。そのなかで若い選手にはプラスの個になる突出した選手が出てきてくれることを期待していますね。 「なでしこらしさ」も僕は大事にしています。――監督が考える「なでしこらしさ」とは、どのようなものでしょうか。佐々木 ひたむきさ、芯の強さ、それと明るさ。忍耐力もあって礼儀正しい点ですね。もし今年のW杯のメンバーに若手の選手が入ってこなくても、次の世代にこの「なでしこらしさ」は繋いでいかないといけません。もちろん今回のW杯に若い選手が何人か入ってくれたら、将来への継続的な力となる。――若い選手の筆頭となるのは、どういった選手でしょうか。佐々木 年齢や経験ではけっして若手ではないのですが、いつもギリギリで代表メンバーに入らない選手たちもいる。そのような選手たちが這い上がってこられるかを重要視しています。――監督流の若手の育て方、能力の引き上げ方があれば教えてください。佐々木 選手の能力を、監督の手腕だけで引き上げることはできません。経験値の高いベテラン選手が若手の選手たちと練習や試合中に意見を交わしたり、ピッチの外で、身なりや振る舞い、時間に対する意識などを指摘することで若手選手はどんどん成長します。だから監督ができることは、若手の選手がポテンシャルを思いきり出せるような空気をつねに設定する。これが最も大事なんです。――選手のなかで、若手をまとめる雰囲気を醸し出している選手はいますか。佐々木 現キャプテンの宮間あや選手(岡山湯郷)が中心になるでしょう。試練や修羅場を潜り抜けてきた選手の1人ですから。若手のときは意識が自分に向いていたころもあった彼女が、いまは若手選手たちのサポートができている。――ベテラン勢に求める役割は、若手をケアする以外にもいろいろありそうですが。佐々木 私の理想は、経験ある選手たちが率先して細かい部分でコーチングスタッフにアプローチしていくことです。たとえば選手間ミーティングで、僕と彼女たちのあいだで「もっとこういう場面は、こう動くべきだよね」と率直に話し合える。時間配分でいえば、僕が半分、選手たちが半分です。何でも話し合えることが、なでしこのスタイルなんです。――企業で例えるなら、経営者と社員とが腹を割って「何でも話し合える」状態でしょうか。佐々木 そうですね。主従関係にはけっしてなりませんし、なにより一方的なコミュニケーションにならないように気を付けています。若手に求められる勝負強さ――昨年のアジア競技大会では決勝戦で北朝鮮に1―3で敗れました。敗因は何でしょうか。佐々木 前回の大会(2010年)に優勝したときと、今回の大会では「意識づけ」が全然違います。前大会では「攻守にアクションをする」ことを念頭に置いていました。 メンバーに関しても、2008年の北京五輪以降から2011年のW杯までコアな選手はほぼ代わっていません。かつ大会中は、初めて選手の自主性を重んじました。先ほどのミーティングの話でいえば、5分の1ぐらいが監督・スタッフ主導、残りの5分の4を選手主導に切り替えたのです。――選手の自主性を高めるミーティング方法ですね。なでしこの強さの秘密が垣間見えました。佐々木 あと、決勝までの5試合も「練習じゃない練習」をやりました。どういうことかというと、つねに決勝トーナメントと同じような緊張状態に持ち込むようにしたのです。苦しい戦いでしたが、粘り強くやるというシチュエーションをつくりました。じつはこれは2011年W杯の決勝トーナメントという設定でした。――なんと! すでに前年のアジア大会でドイツW杯のシミュレーションをやっていたのですか。佐々木 ただし今大会は、若い選手、経験の浅い選手との融合の場とも位置付けました。なおかつその設定下で、連覇も果たすことがテーマでした。結果、大事な場面でのミスや守備における粘り強さのなさなどが課題であることもわかりました。勝敗に関わるところで、甘いプレーも出てしまいました。――いまの若者特有の勝負弱さが出てしまった。佐々木 「ここぞ」という場面での勝負強さが光るプレーは重要です。 リズムが悪いときに自分のプレーができなくなってもいけない。相手にイニシアティブ(主導権)を握られても、自分らしいプレーを出し切る必要があります。たとえば、相手が前に来ていて「自分の位置でボールを止めていたらまずい」と思ったら、簡単にタッチして、次の準備をしたほうがいい。でも判断力の鈍さと勝負弱さが前面に出てしまうと、パスを受けた際に相手にボールを取られてしまうのです。そういった勝負勘というのは、まだまだ課題としてわれわれも取り組まなければいけないと感じています。――般企業で働く新入社員にもよく見受けられる傾向ですね。世界の女子サッカーを変えたなでしこ世界の女子サッカーを変えたなでしこ――話を戻しますが、「攻守にアクションをする」という新しい方法も一朝一夕にはできなかったと思います。佐々木 じつは、最初は宮間選手たちベテランもなかなか順応していませんでした。われわれは2008年から09年にかけて、「こうしろ、ああしろ」と細かく戦術を指示しました。しかしパワーがあり、体格も大きい外国勢に勝つためには、いままでにない戦い方や守備が必要です。――新しい戦い方が必要になったのですね。「ジャパンオリジナル」ではないですが、日本ならではの方法論を生み出したということでしょうか。佐々木 とくに守備の面を意識しました。相手を中から外に追いやる守備は世界標準です。しかし、それだと縦に蹴られたとき、ボールが外に出て相手のスローインから始まってしまいます。そこでわれわれは、いままでとはまったく異なる守備を考え出しました。ワザと中に誘って数的有利でボールを奪う。そこから攻撃を仕掛けるというものです。選手たちはその理論を学んで、体で身に付け、トレーニングを積み重ねる。そうやって、なでしこたちが動けるようになったのが1年半後のW杯なのです。――ドイツW杯での6試合ばかりが報道されましたが、大会に至るまでのプロセスが優勝の鍵となった。でも、監督と選手で侃々諤々あったのでは。佐々木 なでしこのサッカーは、選手と監督をはじめとするスタッフが30年の歴史のなかで切磋琢磨して積み上げてきたものです。経験値のある選手はオートマチックに動けているものの、若手にはまだまだ浸透していない部分もありますね。――昨年はカナダ遠征でカナダ代表との親善試合も2戦行ないました。結果は3―0、3―2と勝利。ただ、絶対的な支柱である澤穂希選手(INAC神戸)は選ばれませんでした。彼女の存在感と安定感は別格だと思いますが。佐々木 海外組の選手をはじめとするほかの選手を試す時期で、今回はメンバーに入らなかった事情もあります。カナダはW杯でベスト8クラスの相手と想定しています。開催国での試合ということもあり、今回はヨーロッパ組にプラスして日本の国内リーグでのベストメンバーをエントリーしました。――現状のパフォーマンスで全員を評価した結果だと。佐々木 もちろん、ベテランや中堅選手のレベルも上がってきています。――メンタル面では、宮間選手がカバーしています。佐々木 そうですね。2大会を経験している選手たちが支えている状況下でなでしこのチーム力はかなり上がりました。――監督としては、このチームは何を理想としていくべきだと思われますか。明らかにいまのチームは4年前とは違います。佐々木 2008年から、先ほど話した「攻守にアクションをする」という全員攻撃・全員守備を徹底してきた土台がチームにあります。発足当初の小さなチームが、北京五輪でベスト4入りを果たしました。「日本のコンパクトなサッカーに大柄な外国人選手が振り回されている」と世界中から注目を集めました。なでしこのサッカーが、世界の女子サッカーのスタンダードを変えた瞬間です。いまや、大柄でパワーもある選手たちが、コンパクトに守備を固め、高いテクニックで巧みにボールポゼッションするのが女子サッカーの主流です。世界各国の女子サッカーチームが日本のようなスタイルを取り入れている流れで、2015年W杯を迎えようとしているのです。 W杯で優勝した2011年から1年ほどは、われわれが相手の個を消しながら、自分たちの良さを活かすサッカーが機能していました。しかしいま、FIFAランキング15~20位クラスに属する国のプレーが本当にうまくなっています。たとえば潜在的にパワーがあるニュージーランドは以前であれば「3点差くらいつけて勝つ」と意気込めたのが、いまは簡単に勝てる相手ではありません。――なでしこが、もっといえば日本の女性が、世界の流れを変えたともいえます。その上での上積みは何があるのでしょう。佐々木 やはりもっと攻守一体型のサッカーをめざして、アベレージ(平均値)を上げていかなければいけません。選手からの提案は「やってみる」――佐々木監督は女性のチームを率いて世界一に輝きました。世の中には、女性の組織をまとめる管理職として悩んでいる方も多いと思います。よい結果を出す秘訣はありますか。佐々木 最初のころと違うのは、まず僕が冗談をいっても、いまの若い選手は笑ってくれない。昔のメンバーはみんな笑ってくれたのに(笑)。「怖い」という気持ちはないと思いますが、若い人ほど「なでしこの監督」というイメージを強く抱いているのかもしれない。僕はチームのボスでもなく、選手たちの兄貴分、あるいは父親役を務めているようなものです。上の世代とは比較的対等な人間関係を築いてきたし、僕のことを「ノリさん」はまだしも、悪ふざけで「ノリオ」と呼ぶ人もいるくらい(笑)。 監督というイメージを払拭するという意味でも、いまの若い選手には「ああしろ、こうしろ」とは要求しません。サッカーはアメフトのように「こういうときは、こうプレーする」という約束事はありません。ピッチ上では自分で判断し、プレーを選択することが要求されます。細かい指示を与えると、選手が考え込んでしまい、逆にパフォーマンスを落としかねない。なにより判断力が絶対に身に付きません。 若い世代にはできるだけ細かくいわずに、若い感性を活かしたアイデアやひらめきを表現して、伸び伸びと自分らしいプレーができるように環境をつくってあげることが大事です。――失敗してしまった選手に対してはどんな声を掛けますか。佐々木 失敗を恐れてセーフティなプレーに終始した場合は、注意しなければいけませんが、失敗を恐れずにチャレンジした姿勢は評価をします。なにより日ごろからピッチ内外問わず観察し、気が付いたことがあれば選手に声を掛けています。優勝が決まるような緊張感のある試合でも普段どおりの力を出すためには、「いつもと同じように」コミュニケーションをとることが大切なのです。――選手からの提案にはどのような対応をしていますか。佐々木 選手から「このフォーメーションはどうでしょう」と提案があれば、「それもいいんじゃない。やりたい? じゃあ、やってみるか」という具合に親善試合などでも、どんどん取り入れることはあります。――上司が部下の意見をすぐ採用する組織は一般企業では珍しいです。ピア・スンドハーゲ監督(元アメリカ女子代表監督、現スウェーデン女子代表監督)のように女性の組織を女性が指導する場合のメリット、デメリットをどうお考えですか?佐々木 同じく女性でドイツの監督を務めるシルビア・ナイト氏にも該当しますが、とにかく選手たちとの一体感を大事にしていますね。試合後、選手を集めてじっくり話をしたり、点を取ると控えの選手も含めてハイタッチしたり。「この結果はみんなの力よ!」といわんばかりのオーバーアクションも効果的でしょう。僕も真似しなきゃだめなのかなあって思います(笑)。――それはどうでしょう(笑)。佐々木監督なりの表現方法があると思いますよ。一体感をもって本番へ――率直に聞きますが、W杯出場国のなかで手強そうな国はありますか。佐々木 メキメキと力を付けてきているフランスです。日本と同じようなオーガナイズのチームで、かつ身体能力の高い選手がいます。それに加えて、トミス選手(オリンピック・リヨン)をはじめ大柄でスピードのある選手も揃っています。潜在能力では一番ではないでしょうか。親善試合でもドイツに2―0で勝ちましたし、6対4ぐらいの割合でイニシアティブを取っていました。――最後にW杯連覇の達成に向けて、課題は何でしょうか。佐々木 ボールを動かす仕掛けも大事ですが、もっとチーム全体で攻守におけるプレーに一体感をもって本番に臨みたいです。アジア大会の敗北もそうですが、チームの一体感があれば、攻撃に加えて守備も意識しながらポジションを取れる。逆に、一体感がないとショートカウンターやセットプレーで失点してしまうケースが増えてしまいます。――なでしこの強さの1つは「一体感」。ファンやサポーターも選手たちと一体感をもって応援してくれるでしょうね。W杯での健闘をお祈りしています。佐々木 ありがとうございます。本番に向けてしっかり準備します。ささき・のりお サッカー日本女子代表監督。1958年生まれ。明治大学卒業後、NTT関東サッカー部でプレー。2007年12月より現職。08年の北京五輪四位、10年アジア大会優勝。11年女子W杯(ドイツ)にてFIFA主催大会で男女を通じ、日本を初優勝に導く。国民栄誉賞を受賞し、12年のロンドン五輪では史上初の銀メダルを獲得。関連記事■ カズ語録 僕はこれを若い人に伝えたいと思う■ メダリスト・有森裕子の「やめたくなったら、こう考える」■ イタリアサッカーのダービーマッチは、なぜあんなに熱いのか?

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    なでしこジャパンの強さ 脳科学に基づく実践、練習があった

    玉村治 (スポーツ科学・科学ジャーナリスト) 2011年ドイツのワールドカップ優勝、昨年のロンドン五輪準優勝という輝かしい成績を残した「なでしこジャパン」。強さの秘密は個々の選手の能力の高さ、戦略的な作戦に加え、チームワークの良さがあったことを多くの識者が指摘している。ここでは、なでしこの強さの裏に、最新の脳科学に基づく実践、練習があったことを紹介したい。 その核心に触れる前に、脳神経外科医で、脳科学者の日本大学の林成之(なりゆき)教授の話に触れたい。なでしこジャパンをはじめ、水泳、陸上、レスリングなど多くの競技のアスリートに影響を与えた、重要な仕掛け人だからだ。本能を理解した勝負脳日本大学の林成之教授 林教授は、「脳低温療法」という新しい治療法を開発したパイオニアだ。交通事故、脳卒中などで脳が障害を受けた時に、脳内は圧力が増し、脳血液の温度(体温ではない)が上がってしまう。39度が長く続くと変性が始まり、44度を超えると短時間で脳死に至る。これを防ぐため、脳を32~34度に冷やして、蘇生手術を行う手法だ。1990年代に確立した、この脳低温療法は、脳障害につきものの後遺症を最小限にし、多くの患者を救った。脳神経外科として多くの患者に向き合った林教授は、人間の「本能」「感情や判断を生み出す情報伝達ルート」に関する深い理解に至った。そして多くの科学的な成果を発表した。 「患者が後遺症なしに社会に復帰する。最高のパフォーマンスを見せる。脳科学の視点は、肉体的に恵まれているアスリートにも通じるはずだ」と、長い間蓄積した知見をスポーツで試したいと思ったという。勝敗に影響を与える脳の癖、「勝負脳」の考え方を、多くの競技団体や選手の前で話したり、著書で解説したりした。 世間の注目を集めたきっかけは、日本水泳連盟から「日本代表チームのパフォーマンスを上げてもらえないか」と依頼されたこと。林教授は、選手らの泳ぎを見て、残り10メートルのところで失速していることに気づく。 そこで選手らに「途中でゴールを意識するとパフォーマンスが下がる。ゴールだと思わずに泳ぐよう」アドバイスした。 効果はてきめんだった。ゴールまで最高のパフォーマンスを見せて、失速は消えた。アテネ、北京五輪で100m、200m2種目で連覇した北島康介もその一人だ。脳は「終わりと思った瞬間」活動を停止 なぜ、ゴールだと思うとダメなのか。それは脳が終わりと思った瞬間、活動をやめてしまう癖があるからだ。これを確かめた実験がある。 1分間に50回、パネルを移動する光に触れる作業、タッチパネルをやってもらって、残り20秒で「ゴールはまだ遠い」「ゴールは近い」と思った時の大脳皮質の血流活動を比較した。 「遠い」と思った時は、判断・理解をつかさどる前頭葉、スポーツのパフォーマンスに影響する頭頂連合野が活発に活動しているが、「近い」と思った瞬間、活動をやめてしまう。勝負への意欲とパフォーマンスが下がってしまう現象だ。 これが勝敗を左右する脳の本能「勝負脳」。脳科学が解明した脳の癖の一つだ。 実は、ほかにも勝負に影響を及ぼす脳の癖がある。「プレー中の新しい指示」と「プレー中の否定語」などだ。プレー中は自信満々が大事 脳というのは新しい刺激、情報を好む。常に何かを求めていると言ってよい。身の危険を察知するなど外界の変化に対応するための本能と言ってよいだろう。これが勝負でも悪さをする。試合直前、あるいは試合中に新しいことを指示されると、そのことに集中力が分散され、本来心掛けていたことを忘れてしまう。例えば、柔道、レスリングなどでプレー中に監督が大声を出しているのをよく見かける。この時、全く新しい指示だと、そのことに気をとられ、本来の力がでないということもありうる。 実際、林教授のアドバイスで、男子レスリングチームは、世界選手権でコーチがリングサイドからの指示を控え、好結果を残している。 プレー中の否定語も同様だ。例えば、「きょうは、いつもと違うぞ」「(フィギュアスケートなどで)次は難しい技」「相手が強い」などと選手が思った瞬間、闘争心をなくし、気後れや体の硬さ、不安が芽生えてしまう。プレー中は自信満々でいることが大事だということだろう。 これらの癖について 林教授は「人間には様々な本能がある。脳組織由来としては、『統一・一貫性の本能』『自己保存本能』『自我本能』がある。どれもスポーツのパフォーマンスに関係しているが、中でも統一・一貫性は重要だ。これを大事にする視点が必要」と語る。 統一・一貫性とは、首尾一貫したもの、継続的なもの、バランスのとれたものは美しいなどと感じる本能のことを言う。一流選手は、よいパフォーマンスを感覚的に捉えるが、反復練習で培われたわずかな違いを感知するのも統一・一貫性の本能によるものだ。一流でない我々も、同じルートで通勤したり、几帳面な性格がなかなか変えられなかったりするのもこの本能に基づく。 実は先ほど触れた、脳の癖もこの本能と密接にかかわる。途中でゴールが近いと思ったり、プレー中に新しい指示を言われたりすると、「統一・一貫性本能」が崩され、「自己保存本能」が作用し、パフォーマンスが悪くなるのである。なでしこの強さは「統一・一貫性」と「同期発火」なでしこの強さは「統一・一貫性」と「同期発火」 あまりにも長く引っ張ってしまったが、ここから本題の、なでしこジャパン強さの話に戻る。脳科学の視点から、なでしこに迫ったテレビ番組が、7月20日NHKBS11で放送された「データマン」。この番組によると、W杯、五輪で、なでしこジャパンが戦った全21試合において、ボールを奪ってからシュートを打つまでは平均11.22秒。対戦相手は14秒だから、いかに速攻、パスワークがよいかが伺える。 この番組の中で、林教授はこうした速いパスワークをこなす選手らの「空間認知力の高さ」を指摘する。特に澤穂希選手の能力はすごいという。空間認知力は、目まぐるしく動く選手の配置を瞬時に立体的に位置づける能力で、わずかな選手の動きを感じる「統一・一貫性本能」が関わってくる。サッカー女子カナダW杯へ向け出発前に、FW大野忍の携帯電話で記念撮影するなでしこジャパンのメンバーら=2015年6月1日、成田空港(納冨康撮影) その上で、選手同士が互いの動きを予知し、まるで同じリズムで動く「(脳の)同期発火」が起きていると分析する。同期発火は、離れた脳の領域が同時に信号を送り出す脳現象のことを言うが、林教授は、これと同じ現象がチーム、組織でも起こっているとし、同期発火と指摘する。 その象徴的なシーンがW杯準々決勝のドイツ戦。延長後半108分、ディフェンスが蹴り出したボールが、ワンパスを経て、澤に渡った。空間認知能力の高い澤は、相手DF裏の空きスペースを見逃さなかった。そして縦パス。まるで示し合わせたように縦パスの先に走り込んだ丸山桂里奈に渡り、ゴール。これが決勝点になった。 「前に走ったら、きっと誰かが蹴ってくれると思っていた。走り出すタイミングを意識した」と丸山は語る。その上で、「蹴るときはゴールは見ていなかった。(一筋の)光が見えた。蹴ることだけに集中できた。ゴールを見ていたら失敗していた」と振り返る。 これが林教授の言う「同期発火であり、心が一つになったプレー」だ。同期発火は、相当の練習が必要であるという。林教授によれば、同期発火に関係する、空間認知能力を上昇させる練習はいくつもあるという。その一端をまとめたのが図3だ。同期発火に必要な「気持ちが伝わる」という感覚 番組では触れられていなかったが、実はこの同期発火に不可欠なのが「相手に自分の気持ちが伝わる」という感覚だ。その感覚を選手全員に持たせるために、脳科学に基づく布石が、佐々木則夫監督と、林教授の話し合いをもとに、なでしこジャパンで実践されていた。 それは、「チームメートを好きになる」「チームメートの心に入る会話をする」「共通の目標をもつ」「チームメートを尊敬しあう」ということだ。林教授が、時には12時間もかかる手術に耐えられるチームワークが必要な脳神経外科チームを率いているときのやり方でもある。 難しいことではない、どこでもできることだ。しかし、それを持続して行うことは高いモチベーションが求められている。具体的には、(1)相手の言った言葉を先に受け、それから意見を言う習慣(2)相手の脳が反応する間合いを取る(3)立場を入れ替えて考える習慣(4)どんな嫌な上司・部下でも自分を高めるための神様が遣わした人と思うことだ この実践があったからこそ、選手同士の会話が活発になり、互いを認め合うことができ、W杯、五輪本番で信頼することができた。この信頼感こそが、緊張や体力消耗を余儀なくされる修羅場で、安定的な力を発揮する原動力となったと言えるだろう。 脳科学の視点で戦略を練り、成績を残した選手には、今年8月ロシアの世界選手権マラソンで銅メダルを獲得した福士加代子がいる。 6月ごろ不調だった福士は、林教授に相談を持ちかける。福士は常に先頭を走り、後半失速するレースを繰り返していた。「後半に失速しないにはどうしたらよいか」。一種のバーンアウト(燃え尽き症候群)だった。 そのための林教授は、これまでとは違う「ニュー福士物語を作ろう」と持ちかけた。35㎞付近までは、自分の前に出たい気持ちを押さえて、先頭集団の後ろにつき、集団の選手らと同じリズムを刻む「同期発火」をして走るよう提案。実際のレースは、30㎞で4人の先頭集団から脱落したものの、スタート時の気温が27度という猛暑にもかかわらず、驚異的な粘りで最後に1人を抜き返した。脳科学的な視点だけでなく、熱中対策として背中や肩甲骨をスポンジで冷やし、体力を温存することに成功し、福士の代名詞とまで言われる「後半の失速」を克服した。ビジネスに通じる脳科学の視点 脳科学的な視点では、勝った時の過ごし方が大事だという。満足感、達成感を得る脳の領域「自己報酬神経群」が作用すると、モチベーションが急速に下がる癖があるからだ。例えば、この神経群は常にご褒美をねだる。過去の栄光にしがみつこうとし、その一方で、「こんなはずじゃない」という邪念が生まれ、結果として勝てなくなる。「だからその都度、クリアランスをしなくてはいけない」と林教授はいう。 競泳日本代表の平井伯昌コーチ(東洋大水泳部監督)が、世界選手権などの優勝は、五輪の前哨戦に過ぎないという意識を選手に浸透させようとしているのもその一例だろう。 林教授は著書『勝負に強くなる「脳」のバイブル』(創映社/三省堂書店)の中で、・脳は優勝すると本能によって、しばらく力を発揮しない。・「(一時の)いい思いは」は、次への更なるステップ(単なる前哨戦に過ぎない)と考える・成功の理由を常に明らかにし、否定語は使わない など勝ち続けるために必要な脳科学の視点を紹介している。これはスポーツだけでなく、ビジネスや教育、受験などにも通じることだ。学ぶことは多い。関連記事■ 岡田優介が見た日本のバスケ界 改革に選手の声は反映されるか■ 改革へ豪腕振るう川淵C 現場には困惑も■ 田中将大投手を襲ったケガの裏にあるもの

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    澤穂希 運動能力は平均点でも世界最高評価の理由

    彼女の最新刊『夢をかなえる。』(徳間書店刊)を構成、『世界一のあきらめない心』(小学館刊)を上梓したスポーツライター・江橋よしのり氏が解説する。 なでしこジャパンが合宿を行なう際、選手全員が持久力やダッシュ力、ジャンプ力などの運動能力テストを受けることがあります。意外ですが、澤はどの種目も平均点そこそこなのだそうです。澤本人も「だから私は、自分を一番の選手だと思っていない」と謙虚に受け止めています。女子サッカー・国際親善試合 日本対ナイジェリア 攻める日本・澤穂希=2013年9月22日、長崎県立総合運動公園陸上競技場 (撮影・山田喜貴) それでも澤は、いざ試合となると誰よりも最後まで徹底的に走ります。テレビ画面からは分かりにくいですが、スタジアムでよく目を凝らして見てみると、澤は“ムダのない走り”を誰よりも実践していることが分かります。つまり澤は、「ここでボールを奪えそうだ」と感じたエリアに、一直線で走っているんです。途中でコースが変われば、やはり誰よりも早く軌道を修正して先回りしています。いってみれば澤は、“究極のエコ・サッカー選手”なんです。 そのうえで、溜めていた力を勝負所でしっかり使う。足の止まったマーカーを簡単に振り切ってゴール前に顔を出し、シュートを放っている。だから得点も量産できるんですね。こういうタイプの選手は、世界を見渡しても男子選手ですらなかなか見つからないでしょう。 では、澤は一体どのようにしてボールを奪う嗅覚を身につけたのか。ストレートにこの件を本人に問うと、明確な答えは返ってきませんでした。強いていえば「サッカーが大好きだから」「もっとうまくなりたい、といつも思っているから」といった返事が返ってくるばかりです。無意識的に体現できる正解でも稀有な才能! つまり、「他人に説明できない感覚=澤特有の能力」と解釈すれば、澤穂希がいかに突出した特別な選手であることの理由が分かる気がします。関連記事■なでしこジャパン 国民栄誉賞副賞の化粧ブラシは2万7000円■女子W杯が面白くなる10問10答■一流アスリートのアルバイト時代■なでしこ 澤に代わるスター育て新たなスポンサー開拓を狙う■「ノリさんと呼ぶな」のなでしこ佐々木監督に選手「ノリオ」

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    澤穂希の言葉からみる 彼女が第一線で輝き続ける理由

    月。実に20年以上にわたって第一線でまばゆい輝きを放ち続ける存在は、サッカーという垣根を飛び越えて、スポーツ界全体を見渡しても稀有といっていい。 今年9月に37歳となる澤は、これまでに幾度となく報じられてきた「代表引退」あるいは「現役引退」を決めるポイントについてこう言及してきた。 「心と体が一致しなければ、多分そこで終わりなのかなと思います」 レギュラーシーズンを首位で折り返した今シーズンのなでしこリーグで、澤は全9試合で先発フル出場を続けている。けがと背中合わせという競技の性質と年齢を考慮して、練習前後のマッサージ時間をほかの選手の2倍とするなど、「体」のケアには細心の注意を払ってきた。 となると、澤を前人未到の領域へと踏み込ませている最大の理由は「心」となる。そして、モチベーションを高いレベルで維持させた一つ目の要因としてあげられるのが、日本女子サッカー界の黎明期を支えた先輩たちから託されたバトンの重さだ。 いまでこそ待遇は改善されたが、澤がデビューした当時の日本代表は遠征すれば大部屋に雑魚寝は当たり前で、遠征費の半分を自己負担するケースも少なくなかった。所属チームの練習開始時間は決まって夜。選手のほとんどが昼間に仕事を抱えていたからだ。 それでも、サッカーが大好き、女子サッカーをメジャーにしたいという一心でボールを追い続けた先輩たちが築いた土台の上で、澤は多感な十代を駆け抜けた。そして、副キャプテンに指名された19歳のときにバトンに託された思いと夢の重さに気がついた。 澤の言葉で、いまでも忘れられないものがある。「他には何も望みません。だから、今日だけは勝たせてください」 2004年4月24日。アテネオリンピックの出場権をかけた北朝鮮女子代表戦のキックオフを数時間後に控えた日本代表は、散歩の途中で熊野神社に立ち寄って必勝を祈願した。負ければその瞬間にオリンピックへの道が閉ざされる、まさに生きるか死ぬかの大一番だった。 悲壮な祈りを捧げた澤の右ひざには、包帯が痛々しく巻かれていた。半月板の損傷。プレーできる状態にはほど遠かったが、患部に痛み止めの注射を打ち、座薬までも服用して国立競技場のピッチに立った。 選手生命をかけて強行出場しなければいけない理由があった。当時の国内女子リーグはバブル経済崩壊の余波を受けて撤退チームが続出するなど、縮小の一途をたどっていた。ここでシドニー大会に続いてオリンピック出場を逃せば、日本女子サッカーの灯そのものが消えてしまう。 バトンを握る澤の覚悟はキックオフ直後、ボールをもつ北朝鮮の選手を吹っ飛ばしたワンプレーとともに仲間たちに伝わる。果たして、試合は3対0で日本が快勝。健気に、ひたむきに戦う彼女たちの姿に日本サッカー協会幹部が胸を打たれ、愛称「なでしこジャパン」が公募されるきっかけとなった。 そのアテネはベスト8、北京オリンピックはベスト4と一歩ずつ、確実に階段を上がり、オリンピックと並ぶワールドカップで悲願の頂点に立った。個人として得点王と大会MVPに輝き、世界最高の選手に贈られるバロンドールも手にした。ロンドン五輪のメダルセレモニーに手をつないで登場、銀メダルのなでしこジャパン。(左から)宮間あや、川澄奈穂美、沢穂希、大野忍、矢野喬子=2012年8月10日、ウェンブリー競技場(撮影・山田俊介) 翌2012年のロンドンオリンピックでは、男子を含めて最高位となる銀メダルも獲得。一人のアスリートとして望むものはほとんど手に入れた。キャプテンを継いだMF宮間あや(岡山湯郷Belle)へバトンを託しかけている状況だが、自身に課された使命をまだ完遂していないという思いも強いのだろう。 世界女王として凱旋帰国した4年前に、澤はこんな要望を公言している。 「サッカーを愛する女の子をもっと、もっと増やしていきたい。いまの女の子は、中学校に進学するとサッカーができる環境がなかなかない。そういうところにもっと力を入れていただければ嬉しい」 日本人で初めてバロンドールを受賞し、男子のリオネル・メッシ(バルセロナ)と並んで、晴れ着姿でスポットライトを浴びた直後にはこうも語っている。 「日本人でも、と言ったらあれですけど、不可能はないということを証明できたことで、大勢の子どもたちに夢をもっていただければと思います」 残念ながら、日本の女子サッカー界を取り巻く状況と歪な形のピラミッドは、大きく改善されずにいま現在に至っている。約1年ぶりの復帰戦となった、先月24日のニュージーランド女子代表との壮行試合。先発フル出場を果たし、決勝点となる代表通算83得点目をマークした試合後に澤はこう語っている。 「みんなに声をかけるのもそうですけど、ボールを奪うときに体を張ってスライディングするとか、得点をとるとか、私としてはそうやって背中で見せることが役割だと思っています」 背中を介してメッセージを発信する相手は、ワールドカップを戦う仲間だけではない。次のなでしこを担う世代。未来を夢見るサッカー少女たち。サッカーに興味を抱き始める子どもたち。そして、日本サッカー界全体へ。伝道師であることを自覚しているからこそ、澤のモチベーションは萎えることはない。夢はかなえるもの夢はかなえるもの 座右の銘を聞かれると、澤は迷うことなくこの言葉をあげる。 「夢は見るものではなく、かなえるもの」 決して順風満帆なサッカー人生ではなかった。何度も何度も悔し涙を流してきた。大事な試合の前に澤がよく聴いてきた、ナオト・インティライミの『Brave』のサビの部分はこれまで澤が歩み、これからも進んでいく軌跡と完璧なまでにシンクロしている。 「夢のまた夢で届かない いつかは描いたものを この手に掴むまで歩き続けていこうか」 6歳のときに初めてボールを蹴った瞬間に魅せられ、大好きになったサッカーをとことん極める、求道者としてのモチベーションももちろん失っていない。これが二つ目の要因だ。 ロンドンオリンピックを直前に控えたときに、スポーツ雑誌の企画でFW三浦知良(横浜FC)と対談する機会があった。いまもなお最年長記録を更新し続けるカズが「現役である以上は代表を目指す」と語る姿に澤は深く感銘を受け、自分自身の原点を思い起こしたという。 「現役を一度引退しちゃうと、またやりたいと思っても多分できないですよね。カズさんのプロ意識やサッカーを継続させる姿勢はすごく勉強になりましたし、刺激にもなりました。カズさんからは『やれる間はサッカーを続けたほうがいい』という言葉もいただきましたし、自分のなかで『ここまで』と決めたら、おそらくそれ以上の成長はないと思うので。一度しかないサッカー人生をやり切った、言い方は変ですけど、もういいやと思えるくらいにサッカーを極めたいという思いが自分のなかにあるんです」 心技体の「技」に関しては、あれこれ懸念する必要はないだろう。小学生時代は府ロクサッカークラブで唯一の女子選手として男の子顔負けの活躍を演じ、中学生からはトップクラブの読売サッカークラブ女子ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)で大人に混じって1年目からピッチに立った。5月1日、サッカー女子W杯カナダ大会の代表発表を受け、会見で地球儀のカナダの部分を指さす(左から)INAC神戸・大野忍、田中明日菜、川澄奈穂美、澤穂希、鮫島彩、近賀ゆかり、海堀あゆみ(撮影・山田喜貴) 育成年代に身につけたテクニックは、決して色褪せることはない。加えて、2007年11月に就任した佐々木則夫監督のもと、それまでの攻撃的MFからボランチに転向したことで豊富な運動量、ピンチの芽を未然に摘み取る察知力とボール奪取力、中盤の深い位置からの展開力、そして機を見るに敏な攻撃参加とプレーの幅が大きく広がった。 サッカーを始めたときからボランチの選手だったのではないのかと思えるほど、いまではなでしこジャパンの心臓部で、誰よりも長く結ったポニーテールを背番号『10』越しになびかせている。 「いまはサッカーが楽しいし、サッカーをやれる喜びをすごく感じている。年齢が上がるにつれてどこまでできるかは私自身も経験したことがないし、どうなるかもわからないけど、やれるところまでプレーしようというのは現時点の正直な気持ちです」 こんな言葉を弾ませていたのは3年前だった。指導者という道に対しては「私は感性でプレーするタイプなので似合わない」と、いまも昔もまったく興味を示さない。誰よりもピッチを駆け抜け、スライディングタックルを見舞い、ここ一番の決定力をも見せつける澤の充実した笑顔を見る限りは、心と体をリンクさせるエネルギーは6度目のワールドカップを戦い終えた後も無尽蔵にわき出てくるはずだ。ふじえ・なおと ノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早大第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代はサッカーを中心に、また米ニューヨーク駐在としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て07年に独立。関連記事■ 岡田優介が見た日本のバスケ界 改革に選手の声は反映されるか■ 改革へ豪腕振るう川淵C 現場には困惑も■ 田中将大投手を襲ったケガの裏にあるもの

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    試練の日本バスケ 再生は可能か

    宝田将志(産経新聞運動部記者) 日本バスケットボール界が岐路に立っている。日本協会(JBA)は国際連盟(FIBA)から国内男子の2リーグ併存状況などを問題視され、昨年11月から無期限の国際試合停止の制裁を科せられた。このままなら日本代表が2016年リオデジャネイロ五輪の予選に出場できない非常事態だ。これを受け、改革を主導する特別チームが発足。サッカーJリーグ創設で手腕を振るった川淵三郎・日本サッカー協会最高顧問がまとめ役のチェアマンに就き、制裁解除に向けて動き出した。前代未聞のピンチをチャンスに変え、日本バスケ界は生まれ変わることができるのか。 FIBAが求めているのは次の3点だ。(1)国内男子のナショナルリーグ(NBL)とTKbjリーグの統合(2)JBAのガバナンス(組織統治)強化(3)若手育成を含めた男女の代表強化体制の確立 中でも最大の焦点はリーグ統合で、国内でも、かねて課題とされてきた難題だ。FIBAは選手が分散し、強化や魅力発信につながっていないと指摘する。アイシン三河と対戦後、観客の声援に応えるNBL和歌山の選手=1月21日、愛知県西尾市総合体育館 今季、NBLは13チーム、bjには22チームが所属している。内情を見ると、NBLのつくばが5勝41敗、bjの埼玉も5勝39敗(いずれも4月2日現在)と、下位チームは勝率1割そこそこに低迷しており、リーグ内で実力差が大きいのは確か。NBLの和歌山が経営破綻し、運営法人が変わるなど切り盛りが厳しいチームもある。 そもそも2リーグ併存は05年に日本リーグ機構から脱退した6チームがbjを発足させたことに始まる。bjは現在、全22チームが地域密着を掲げたプロで、実業団リーグの流れをくむNBLは13チーム中5チームが企業保有だ。過去に統合の動きはあったが、分裂時の心情的行き違いなどもあり、bjの千葉がNBLに移っただけで不調に終わっている。 FIBAから統合を求められたJBAは、昨年7月以降、両リーグの代表者による委員会を立ち上げ協議を続けてきた。しかし、福利厚生の一環としてチームを保有する企業は、チーム名称から企業名を外すことなどに反対し、調整が付かず、今回の制裁に至った。 また、リーグ統合問題にとどまらず、FIBAが(2)(3)も求めるのは、日本が06年に男子世界選手権を開催したものの約13億円の赤字を計上したうえ、選手強化の起爆剤にも出来なかった点も無関係ではない。男子代表に至っては1976年モントリオール大会を最後に五輪に出場できていない。年代別代表の国際試合と国内大会の日程の重複も問題点として指摘されていた。 一方で、FIBAが制裁という“外圧”を掛けてまで、強硬に改革を迫る背景には彼らの世界戦略も絡む。17年に始まる19年ワールドカップ予選から、サッカーのようにホーム&アウェー方式を採用する。FIBA関係者は「今までバスケを見たことのない人にも見るチャンスが出来る。日本には潜在能力がある」という。 実際、日本体育協会がまとめた11年度の競技別登録者数によると、バスケットは約61万5千人で、団体球技では軟式野球(約114万人)、サッカー(約92万7千人)に次いで多い。20年には東京五輪も控え、FIBAには、これを機にバスケ熱を高め、市場を拡大する狙いがある。 特別チームはFIBAからワイス財務部長が共同チェアマンとして入り、JOCや文部科学省の関係者ら計10人で編成された。1月末から始動し、5月下旬までに議論をまとめる方針だ。 特別チームの活動ではスピード感が一つの重要なポイントとなる。16年リオ五輪が刻一刻と迫っているからだ。予選を兼ねるアジア選手権は男子が9月から、女子は8月から予定されている。男子はアジア選手権に出場するため東アジア選手権で4位以内に入ることが条件。同選手権は例年5月か6月に開催されており、ギリギリのタイミングだ。ワイス財務部長や特別チームメンバーによると、国内男子チームの多数が分裂することなく新リーグに入会の意思を示し、さらに、JBAの組織改革の方向性も定まれば、制裁解除への道筋が見えるとしている。 新リーグは来年10月に開幕する。特別チームは参加基準として、1部は5000人、2部は3000人収容のホームアリーナ確保などを提示した。競技環境や集客面から「ホームアリーナが最重要」との考えからだ。各チームに都道府県協会、地元自治体との連携を促し、その一方で、チーム名に企業名を入れることについては理解を示している。 編成は1部(12~16チーム)2部(16~24チーム)、3部相当の地域リーグ(仮称)の3階層。初年度からリーグ間の昇降格も想定する。4月末までに入会申し込みを受け付け、5月末に参加チームを決定。各チームへの聞き取りなどを経て、7月までに各リーグに振り分ける計画だ。川淵チェアマンは「強力な夢のある新リーグを作る」と語っている。関連記事■ 東京五輪へ向けて 日本で育てる国際的指導者■ プロレスはもはや「老人ホーム」になった■ W杯開催成功へ 日本ラグビー、今季2つの“ノルマ”

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    川淵三郎はバスケ界の救世主になれるのか

    国際試合の無期限停止が続く日本バスケットボール協会の新会長に改革を主導してきた川淵三郎氏が就任する。川淵氏は五輪予選出場のため処分解除を目指して、引き続きリーグ統一を推進するが、戸惑いの声も漏れる。果たして川淵氏は新リーグを、日本のバスケ界を発展に導けるのか。

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    日本バスケに“第3のメジャー”を期待したい

    試合を行えないなど、にわかに脚光を浴びることとなった日本のバスケットボール界であるが、ここでは日本のスポーツビジネスとしての視点から眺めてみることにする。冬季で唯一の候補 アメリカでは、MLB、NFL、NBA、NHLの4大プロ・スポーツリーグがお互いのレギュラー・シーズンとプレーオフの期間を異なるものとすることによって、すみ分けを行っている。日本のプロ・スポーツリーグでビジネスとして成立し、テレビ放映されているものは、野球(日本プロ野球機構:NPB)とサッカー(Jリーグ)の2つ。それぞれのシーズンは、NPBが4月から10月末、Jリーグが3月から12月上旬で、冬季をカバーするプロ・スポーツを欠いている。日本一を決める決勝戦が冬を彩るラグビーやアメリカン・フットボールは、興行面でプロ化が見込めない状況にある。日本の第3のメジャー・プロ・スポーツリーグは、プロ化が進み、降雪地域にハンディをもたらさない室内競技であるバスケットボールが、唯一の候補なのだ。 FIBAが問題としているように、日本の男子バスケットボールにはトップを称するリーグとして、ナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)と日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の2つが存在する。いずれも10月から翌年5月末までをシーズンとしており、冬季をカバーするプロ・スポーツリーグとして格好の存在なのだ。 デジタル化したテレビ業界にとって、スポーツはコンテンツとしての重要性が高まっている。アメリカでは2003年から13年の10年間でスポーツ番組の総放送時間が232%増と驚異的な伸びを記録しており、13年の1年間に2億5500万人が全国放送のスポーツ番組を延べ330億時間視聴しており、03年の260億時間に比べて27%も増加している。日本でも、インターネット配信などさまざまなテレビ視聴の形に対応し特徴あるコンテンツを提供していくためには、プロ野球とサッカーだけではコンテンツ不足が懸念され、新たなスポーツ・コンテンツの開発が必要とされる。 また、「地方再生」の手段として、地方公共団体にとってプロチームの招致・育成は注目に値する。地方メディアにとっては、地元プロチームは地域密着型の商材として提携価値が十分見込めるものである。競技者登録数2位 これらを踏まえて日本のバスケットボール市場を測る数字を見てみよう。NBLとbjリーグの2つのリーグを合わせた年間観客動員数は延べ約130万人にすぎない。しかし、競技者人口を見ると、競技団体に競技者登録される人数は、サッカーが最も多くて約96万人だが、バスケットボールは2位で約62万人。スポーツ実施人口で見ると、サッカーは約750万人、野球が約730万人、バレーボールが約650万人、バスケットボールは約570万人である。バスケットボールは野球やサッカーとさほど遜色ない基盤を有している。バスケットボールは天候に左右されない室内競技という強みもある。 神様・マイケル・ジョーダンの活躍と「今や神様」井上雄彦の「スラムダンク」の連載開始にも後押しされて、1990年代に空前のブームとなった日本におけるNBAビジネスに裏方として携わった経験がある筆者としては、JBAのだらしなさにしびれを切らしたFIBAによる「介入」と「指導」を機会に、日本のバスケットボール界が第3のメジャー・スポーツに変身していくことを期待したい。みやた・まさき 大阪大学法学部卒。1971年伊藤忠商事入社。物資部、法務部を経て、2000年5月、日本製鋼所。法務専門部長を経て、12年10月から社団法人GBL研究所理事・事務局長(現在に至る)。非常勤講師として帝京大学で「スポーツ法」、二松学舎大学で「企業法務」に関する教鞭(きょうべん)を執っている。関連記事■ ビジネスとしてのプロ野球 ポストシーズン改革で収益改善を■ 単なるPR媒体じゃない 大学スポーツ真の魅力復活を■ 東京五輪 学生を大会運営の原動力に

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    日本のバスケットボール界に人材はいないのか

    アマン=2月12日、東京・浜松町 揶揄するわけではない。バスケットボール界に人材はいないのか。日本のスポーツ界で、組織改革の大なたを振るえるのは川淵さんしかいないのか。そんな思いの「やれやれ」だ。 実際、川淵さんは日本バスケットボール協会(JBA)役員が何年かかってもなし得なかった国内男子のナショナルリーグ(NBL)とプロリーグのTKbjリーグの統合に、わずか3カ月あまりで道筋をつけた。 強引とも思える手法に反発する向きもあったが、改めて川淵さんの突破力の凄さを味わった。プロサッカーのJリーグを創設し、育て、定着させた手腕は確かに余人をもって代え難い。 一方で、JBAの役員たちの統治能力(ガバナンス)と当事者意識の欠如には言葉もでない。 リーグ統一をめぐる内輪もめは10年も続いた。誰も火中の栗を拾おうとしないまま、国際バスケットボール連盟(FIBA)から国際試合の出場資格停止処分をうけた。もう後のない危機である。記者会見で辞任を表明する日本バスケットボール協会の深津泰彦会長=2014年10月23日 普通ならここで何とかしなければと組織を挙げて行動する。ところが、「何度話し合っても解決に至らない」と自浄努力すら放棄し、文部科学省やFIBAに下駄を預けてしまった。 いったい、何のための役員なのか。日本選手権の開閉会式で椅子にふんぞり返っていることが役目だと考えているのか。 FIBAにしても、川淵さんにしても、バスケットボール界からみれば黒船であり、外からの人である。彼らの出現によって取りあえず事態は収まり、新たな統一リーグが来年10月にも発足する。 5月中旬のJBA理事会で選定される新たな会長には川淵さんが就き、改革の中核として新設される事務総長にJリーグ常務理事の大河正明氏が就任することも内定した。組織固めに強力なリーダーを求めるFIBAからの強い要請が背景にあった。 新組織を軌道に乗せるには、組織運営に長けた人材が必要である。大河氏は都市銀行出身、Jリーグ常務理事ではクラブ財政健全化のための制度導入や資金調達に辣腕をふるった人物であり、組織改革にはうってつけだ。徹底して組織を変え新しく出発する必要がある。 だが、そうは受け止めていないバスケットボール関係者も多く、危機が去ったのだから黒船も去るべきだと思っているふしがある。地方組織役員からは「バスケットボールに愛情のない者には協力できない」といった声も聞かれた。 サッカー界の軍門に下った。そんな悔しさがにじみ出た談話なのかもしれないが、落ち着いて考えてみてほしい。自分たちでは解決できなかった問題に答えを出し、解決に向けた道筋を整えてくれた人材に拒否反応を示す。だだをこねる子どものようではないか。「善意」の危うさ バスケットボールに限らず、日本のスポーツ界には良識をもった役員が多くいる。そのことはよく承知しているが、それでもなお誤解を恐れずに指摘しておきたい。 「我こそがこの競技を一番理解し、普及に努めている」。日本のスポーツ組織では、そう豪語する人をしばしば見かける。外部人材登用に異論を示したバスケットボールの地方組織役員はその典型かもしれない。 自負することは結構である。何よりスポーツを、その競技を愛している事実はあるだろう。だが、一方で豪語する人に限って何か起きたときに責任をとらない、とりたがらない事例をしばしば目撃する。 JBA騒動でも顕著なように、当事者意識が欠如している人が多いことには驚かされる。組織論的にいえば、「善意の人」によって担われていることが実は問題なのではないか。仕事が休みの日、ほんとうなら家で身体を休ませていたいときもある。ゴルフなど好きな趣味で過ごしたいとき、家族と団欒を楽しみたいときもあるだろう。 しかし、休日には関わっている競技団体主催の試合がある。組織を挙げたイベントも催される。平日でも絶対に欠席してはならない会議が少なくない。休みたくても組織のために競技会場へ、会議場へと足を運ぶ。交通費はでるが、ほとんどは手弁当。善意の人でなければとても務まらない。 だが、善意のボランティアなら責任はないのか、決してそうではないはずだ。 問題に深く斬り込むことを避けたがる。不都合が起きても誰かを追及などしない。むしろ前例を踏襲し、争いをさける。ことに責任論が起きそうな問題は先送りし、できれば避けて通ろうとする。 役員同士、口角泡を飛ばして議論し、責任を追及するよりも、当たり障りのないところで仲良く共存することを尊ぶ。仕事ではなくボランティアだから、そんなに無理しなくてもと考えているように思えてならない。 ある競技団体にビジネスでの手腕をかわれて登用された役員がいた。「組織の活性化」を期待されたが、執行部入りすると「スポーツ組織なのだからビジネスの話をしても」とその手腕を封印してしまった。ビジネス手腕を揮うと誰かが傷つく、親睦にはなじまないという理屈だ。結局、組織は変わらなかった。体育会気質が助長する体育会気質が助長する 日本独特の学閥意識、俗に体育会気質と皮肉られる先輩・後輩関係もこうした風潮を助長する。 ある競技団体ではA大学が伝統的に強力で過去から数多くの役員を輩出し、他の大学の追随を許さない。そうなると、卒業年次や現役時代の競技成績で役職があてがわれ、常に先輩が後輩を「指導」する形になる。ものが言いづらい。先輩の言い分は絶対との空気が組織を支配し沈滞してしまう。 また、ある団体ではA大学とB大学が拮抗、組織バランスの上から何も言わないほうが得という風潮が生まれる。構造的な課題だ。 政治力を利用しようと、政治家を組織のトップに据えることがある。実権を握る事務方がいて、長くその座に居座る組織に多いパターンだ。政治力がいい形に表れれば、組織を拡大することも可能だが、単に威を借りるだけだとその他の役員の発言が封じ込まれてしまいがちだ。改革はどうすれば可能なのか 理想と現実の乖離は大きい。競技団体再生には財源と人材が必要だ。大半の競技団体の財源は以下の5つに大別される。1.競技者・団体からの収入2.事業収入3.補助金・助成金4.寄付金5.資産運用収入 1は登録料や年会費といわれる収入で、地域組織などで活動する主体が負担している。2が競技会での入場料、協賛金、放送権料など。3はスポーツ振興くじによる助成が代表的な例であろう。4と5の割合は概して多くはない。 サッカーや陸上競技など人気が高く、所帯も大きな競技団体は興行面で成功が期待でき、スポンサーも多いので、2の事業収入の比率が高くなり、1の比率は低い。一方マイナー競技は逆のことが多い。1に頼らなければならない団体ほど活動が鈍く、それがまた事業収入低下を呼ぶ「負のスパイラル」に陥っていることが少なくない。 貧すれば鈍すではないが、この現状を変えなければ、いま競技団体が抱えている問題が解決できない。 サッカーは1993年のプロリーグ「Jリーグ」創設が大きな効果をよび、2002年FIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ日本・韓国大会を機に大きく飛躍した。スポンサー収入、放映権料収入は群を抜き、東京・本郷に自社ビルを構える。bjリーグで奈良との試合後、ファンとタッチを交わす西(0)ら大阪の選手たち=岸和田市総合体育館 バスケットボールはサッカー、野球に続く競技人口を誇るものの、事業化で大きく遅れをとってきた。サッカー界に人材を頼る結果になったのも、そう考えればよくわかる。 マイナー競技ともなれば、バスケットボール以上に現実は厳しい。運営資金にすら汲々とし、ボランティア頼りになればガバナンス能力は低下する。まずは基礎財源を確保して人材発掘と活用の資金を捻出するために知恵を絞りたい。 その上で経営感覚の優れた人材を外部に求めてはどうか。実はサッカー界も、学閥や競技実績にとらわれず、外部からの人材を積極的に登用してきた過去がある。Jリーグ創設から発展へ、経営者であったり学者であったり、メディア出身者であったり広告代理店出身者であったり、多岐にわたる人材の登用が組織に活力を与えてきた。JBA再建のためにFIBAが川淵氏や大河氏の登用を進言したのも、そうした柔軟性を重視したからだろう。 外部から求めた人材には組織運営とともに、次代の人材育成も任せたい。競技団体内部の若い人材、あるいは最近増えている大学のスポーツ系学部で学び、実社会経験をもつ若い人材に活躍してほしい。ボランティアではなく、収入を確保しプロとして遇する必要がある。学閥や競技成績にとらわれず、人材は広く求めていかなければならない。 現在の役員に対しても同様で、責任感をもって職務を遂行してもらうよう、少額であっても給与を支払うべきである。 2020年東京オリンピック・パラリンピックを5年後に控え、この10月1日にもスポーツ庁が発足する。スポーツ界は伝統的に政治とは距離を置こうとする意識が強いが、スポーツ庁が本格的に動き始めれば政治による支援と同時に介入の動きも強まるかもしれない。競技団体はどう対応するのか。 あらゆる競技スポーツにおいて、そして実際に競技を行う選手たちにとっても、最も重要な価値であるはずの自主性、独立性を大切にしたいのなら、自己財源を確保し、人材の登用育成によって組織自体を変えていく必要がある。今回のバスケットボール騒動は、一競技団体の問題ではなく、日本のスポーツのあり方を問う、大きな自己変革の機会としてとらえるべきだろう。関連記事■ 東京五輪 川淵三郎の出合いと思い…■ 白鵬よ、日本人の心を持て■ しつこいキム・ヨナ採点遺恨「ソチは終わってない」

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    改革へ豪腕振るう川淵C 現場には困惑も

    。川淵氏は競技人口の少ないカーリングの方がテレビ中継や報道量が圧倒的に多い現状を引き合いに「あらゆるスポーツは五輪に出ることで国民全体の支援を受けている」とも主張。男子代表が五輪から約40年も遠ざかっている現状の打破を訴えた。 バスケットに大きく関わるようになったのは昨年4月、元代表監督の小浜元孝氏にリーグ統一への協力を依頼されたことがきっかけ。当時の調整は不調に終わったが、FIBAのバウマン事務総長から打診を受け、特別チームのチェアマンに就任した。 「これは“外圧”じゃない。本当に人気のあるプロリーグを作り、強い代表チームを作っていこうということ。大きく発展するチャンスととらえないと」。魅力あるリーグ作りのため、1部参入の条件として5000人収容のホームアリーナ確保を提示。たとえ戦力的に充実していようとも、プロの興業にふさわしい環境を整えられなければ、1部入りは認めないという立場だ。この姿勢はJリーグ発足時の10クラブを決める際、サッカー専用スタジアムを確保した点を評価し、旧日本リーグ2部から唯一、鹿島を抜擢した当時と重なる。鹿島がその後、最多タイトル数を誇る強豪に成長した事実も、川淵氏の揺るぎない信念につながっている。 一方でJリーグでは原則排除した企業名のチーム名への盛り込みを認めるなど、柔軟な姿勢も打ち出している。「今までの軋轢を超えて、すべてがいい方向に変わってくれれば」と川淵氏。Jリーグ発足を契機に5大会連続でW杯へ代表を送り込むようになったサッカー同様の発展を願っている。アマ契約制限 ホーム固定に戸惑いもアマ契約制限 ホーム固定に戸惑いも 新リーグの運営法人は4月3日から申請受付を開始し、NBLと下部のNBDL、TKbjリーグの計47チームのうち、初日に24チームが申請を済ませた。ただNBLに所属し、有力選手を多く抱える5つの企業チームはこの日の申請を見送った。 背景には厳しい参加条件がある。企業名をチーム名に残すことは認められたが、チームを運営する別法人の設立が課せられたため、これまでのように社内のバスケットボール部として維持することはできなくなった。またリーグはプロ契約を基本とするため、社員の立場を維持したアマチュア契約は1部だと2人までしか認められず、2部でも5人以上のプロ契約が必要。日本人選手13人がすべて東芝の社員という東芝神奈川は現状のままでは1部どころか、2部入りも認められない。林親弘部長は「1部にいくので退職してプロになって、というのもなかなか…。そこの調整がネック」と困惑を口にした。社員選手が6人いる日立東京の長谷山恭司GMも「1部を目指したいが、今はリーグ戦の最中。そこに集中してもらいたい」と選手への説明のタイミングを熟慮している。新リーグの参加基準を痛烈に批判した秋田県の佐竹敬久知事 また1部、2部ともホームゲームの8割以上を特定のホームアリーナで開催するという条件にも戸惑いが広がっている。初日に申請を終えたbjの青森の下山保則社長は3月末、川淵チェアマンに直接「違和感がある」と訴えたことがあった。 青森は今季7会場でホームゲームを実施、県の面積が広く、冬は雪で交通アクセスが制限される事情から、県内各地での分散開催を基本とし、bjの中でも上位の観客動員を確保してきた。「応援してくださるのは県内各地に出向いているのが大きい。(固定では)かえって集客を減らすことになる」と下山社長。同リーグの別チームの社長も「これまで試合開催に協力してもらった自治体に『撤退します』と言って回るのは厳しい」と同調する。 川淵氏は「プロバスケットボールが発展していくためには、一つの拠点を設けて、拠点をいかに大きくしていくか、そこにいかに多くのファンを集めるかが大切」と訴える。固定のホームを持つことで得られる選手と観客の一体感、シーズンチケット販売など商業的な魅力などがその理由で、ホームタウン以外への普及活動には残る2割を活用すればいいとの立場だ。ただbjの仙台が東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町で3年続けてホームゲームを開催するなど、分散開催の意義は小さくなかっただけに、今後の影響も懸念される。関連記事■ 東京五輪 川淵三郎の出合いと思い…■ プロレスはもはや「老人ホーム」になった■ W杯開催成功へ 日本ラグビー、今季2つの“ノルマ”

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    岡田優介が見た日本のバスケ界 改革に選手の声は反映されるか

    関連記事■ ビジネスとしてのプロ野球 ポストシーズン改革で収益改善を■ 単なるPR媒体じゃない 大学スポーツ真の魅力復活を■ W杯開催成功へ 日本ラグビー、今季2つの“ノルマ”

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    日本人力士よ、恥を知りなさい

    白鵬は偉大なる横綱なのか。今年1月、審判部批判や外国人差別を匂わせる自身の発言が物議を醸した白鵬。問題が尾を引く中で迎えた春場所も日本人力士を寄せ付けぬ圧倒的な強さで34度目の優勝を果たした。外国人力士に押されっ放しの相撲界。日本人力士たちよ、少しは恥を知りなさい。

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    かげりが見えない白鵬 モンゴル勢の強さの秘密を科学する

    玉村治 (スポーツ科学・科学ジャーナリスト) 大相撲九州場所(11月場所)で、希代の大横綱、大鵬と並ぶ32回目の優勝を成し遂げた白鵬。他を寄せ付けない圧倒的な強さの裏には、力と力がぶつかり合う相撲において、自分の力だけでなく、相手の力をも有効に利用してしまう「柔らかさ」「うまさ」がある。細い体から肉体を作り上げ、大鵬の最大の長所の柔らかさに加え、剛の両面を持ち、重心のスポーツとされる相撲の極意を知り尽くしたセンスは、追随を許さない。40回の優勝も現実味を帯びている。 この白鵬に続き角界を引っ張ると期待されるのが、幕下付け出しから5場所で、史上最速の関脇に昇進した逸ノ城だ。九州場所では、上位陣と当たる難しい番付ながら勝ち越し、類い希な才能を見せつけた。角界を席巻するモンゴル出身の白鵬、逸ノ城の躍進の秘密はどこにあるのか、日本人力士はどこと違うのか、迫りたい。大相撲 春場所14日目 横綱白鵬(左)は大関稀勢の里を注文相撲で下し、 1敗を堅持した=3月21日、ボディメーカーコロシアム9割の勝敗を決める立ち合い 相撲の立ち合いは、勝敗の8~9割を決めると言われる。体重150KG同士の力士が正面からぶつかり合った時の衝撃は800KG。体重が200KG同士では、1トンを超える。 この衝撃力をまともに受け止めることはどんなに鍛えていても難しい。自らも前のめりになって当たっていくか、あるいは力を逃がしたり、かわしたりしななくてならない。互いにバランスが崩れやすい瞬間であり、ここで先手をとれば、技をかけやすい有利な体勢に持ち込むことができる。 この立ち合いに絶対的な自信を持つのが白鵬だ。クッションなみに力を吸い取り、多様な攻めにつなげる柔らかい相撲を取る。それは昭和の大横綱「大鵬」(1940-2013年)と共通する。 「巨人、大鵬、卵焼き」と一世を風靡した大鵬と対戦した力士は、立ち合いでのぶつかりを異口同音にこう表現した。 「思い切ってぶつかったが、手応えがない。衝撃を吸収されてしまう感じ」。 大鵬の体の柔らかさをデータも示す。1973年に東京教育大学(現筑波大学)が、横綱の大鵬、玉の海(1944-71)ら十両以上の力士47人を対象に身体能力を測定したデータがある。大鵬は、伏臥上体そらしなど体の柔軟性を示すデータが飛び抜けていた。ちなみに、もう一つ目立ったのが「肺活量」だった。 この大鵬に対する表現と同じことを、白鵬と対戦する力士も口にする。白鵬は、立ち合いで、出遅れることなく踏み込み、相手の出方を受け止める余裕もある。変貌自在なのである。自分の型にはめ込む幅(遊び)が大きい。 白鵬は、立ち合いの時に、横綱「双葉山」(1912-1968年)が得意とした「後の先」(ごのせん)を目指している。後の先は、立ち合い時に相手の動きを見て、かすかに遅れ気味に立つことである。双葉山は、これによって相手を下から攻め、主導権を握った。一歩間違えば、相手に付け入れられてしまう危険もある。しかし、この後の先は、相手の力を吸収し、有効に利用するのに理にかなっているやり方なのである。膝を抜き、地面反力で相手の力を吸収図1 立ち合い時に力士に働く力。白鵬の力を吸収する原理 (出典:『一流選手の動きはなぜ美しいのか』(小田伸午著、角川選書)) 図1を見て欲しい。両力士が勢いよくぶつかった立ち合いである。右図から左図へと相撲が展開していく。左の力士を白鵬とすると、下位の力士は頭を下げてぶつかっていくが、「後の先」で構え、白鵬はびくともせず受け止める。そして、相手力士の力を上に押し流す(押し上げる)。力を逃がした格好だが、相手力士は力が吸収されたと感じ、白鵬は相手の力を巧みに使い、自分の型にはめ込んでいける。 関西大学人間健康学部の小田伸午教授は「稽古で鍛えられた強靱な筋力に裏打ちされた、うまさがある。具体的には、『膝の抜き』によって、強力な地面反力(地面からの力)を活用している」と指摘する。 膝の抜きとは何か。稽古が十分な横綱は、突進してくる相手に足を踏み込み、膝の力を抜き、重心を落としていく。この重心の落とし方が絶妙であればあるほど、地面から大きな力「地面反力」を受けることになる。物理でいう「作用と反作用の法則」だ。体がかたいと十分に落とせず、しかも重心を最大限、落としたところで相手を胸で受け止めれば、それだけ大きな反力を引き出すことができる。一見、体が立っているように見えるが、相手の突進力を上に押し上げることで、白鵬の足の裏には自重だけでなく、相手の体重もかかる。これによって強力な地面反力がさらに大きくなっていく。 小田教授は、「横綱はインタビューで、踏み込みがいいというが、これは膝の抜きが良かったということ。重心を落とせる筋力と、バランスが不可欠だ。稽古を積んだ力士は、このコツを体得している」と強調する。四股、鉄砲の基本動作がバランス、うまさを引き出す四股、鉄砲の基本動作がバランス、うまさを引き出す これを難なくこなすのは、白鵬が胴長短足の理想的な体形に加え、質、量ともに群を抜く練習量の裏付けがあるからだ。野球でいうキャッチボールやトスバッティングのような基本練習「四股(しこ)」「鉄砲」「股割り」「すり足」などの反復をけっして怠らない。「組んでよし、離れてよし」という柔らかさと、攻撃の両面性を持つ白鵬の原点になっている。HP「相撲健康体操イラスト図解」 (http://www.sumo.or.jp/pdf/kyokai/sumo_taiso.pdf))より 基本の稽古は、大型化が進む力士の筋力を向上させるだけでなく、柔らかさを生む。何より大事なのは、下半身と上半身をうまく連動させるための「バランストレーニング」であることだ。おろそかにはできない。 「四股」は、両足をほぼ180度開き、高く振り上げた足を降ろすと同時に、重心を落として、地面を強く踏む動作。四股を踏むという。これは、お尻の肉を鍛えるとともに、股関節周りの柔軟性と安定性を得るための練習だ。 「鉄砲」は太い木柱を腕で押すトレーニングで、腕力向上を狙うように見えるが、実は押しと足の運び方、つまり上半身と下半身をバランスよく使う「型」を覚えるものである。図3 相撲の股割り(出典:日本相撲協会HP「相撲健康体操イラスト図解」(http://www.sumo.or.jp/pdf/kyokai/sumo_taiso.pdf))より「股割り」は、足を一直線に広げて伸ばすトレーニング。下半身、特に股関節や大腿の内側の筋肉の柔軟性を高め、けがを防ぐ狙いがある。股関節の柔軟性を高めることで、膝、足首、腰などの負担が軽減する。 「すり足」は、中腰姿勢で、足を地面にスルようにして前進するトレーニング。「右脚と右腕」「左脚と左腕」を同時に動かすのがコツ。膝、股関節の筋力と下半身と上半身を連動させることを習得する。 これらのトレーニングは昔に確立された伝統的な練習だが、実は股関節などの可動域を広げ、柔軟性とけが防止、バランスを確保する意味で科学的なのである。絶対的な右四つと、多彩な取り口 白鵬がすごいのは、こうした稽古を続けながら100KG近く、体を大きくしたことにある。来日当時は身長175CM、体重62KGしかなかったが、14年経過した今は192CM、157KG。モンゴル勢は魚、野菜を食べる習慣がなかったが、白鵬は、食事について「ちゃんこを基本にし、特段、苦労はなかった」と語っている。 横綱昇進の2007年の7月場所以来、7年経ってもけがで休場したことは一度もない。それも基本練習のおかげだ。稽古場では、土俵に上がる前に四股、鉄砲を100回以上やる。ここまで徹底する力士はそう多くない。 「小学時代から肥満で、相撲しか選択肢がないという日本人力士と異なる。脂肪の少ないだけでなく、柔らかい筋肉がついていったのだろう」と専門家は分析する。図4 白鵬の得意とする右四つ左上手(手前の力士)。差し手(下手)が 右腕になっている(出典:『大相撲の見方』(桑森真介著、平凡社新書) 剛と柔をこうして培った白鵬は、「右四つ左上手」という絶対的な必勝の型を持つ。四つは両者が胸を合わせた状態のことで、右四つは、差し手(下手)が右の組み方をいう。この形から、低い姿勢で多彩な攻めを展開する。 決まり手は、四つに組んだまま、相手を土俵外に出す「寄り切り」が最も多いが、右四つ左上手からの「上手投げ」「上手出し投げ」などの投げも少なくない。大鵬よりこの上手投げなどの決まり手が多いとも言われる。絶対的の得意の型から相手の重心をずらし、投げに打つタイミングは絶妙だ。白鵬が安定しているのは、それだけではない。得意の型以外でも勝てるところにある。それは今年1年の決まり手を見ても言える(図5)。          図5 今年1年間の白鵬の決まり手モンゴル勢の強さの秘密 白鵬の強さは彼がモンゴル出身であることも大きく関係している。鶴竜、日馬富士の横綱、人気急上昇中の関脇逸ノ城を含め、九州場所の幕内力士42人中10人がモンゴル勢。今やモンゴル勢なしに、大相撲の人気は考えられない。 彼らが強いのは、日本より恵まれない環境で育った「ハングリー精神」だけではない。骨太で、筋肉が多く、子どものころから馬にまたがる機会があるため体のバランスがよい。さらに伝統のモンゴル相撲の環境要因が大きい。白鵬の父親はモンゴル相撲の永久横綱で、メキシコ五輪レスリング銀メダリストでもある。 大相撲と、どこが違うのか。論文「モンゴル人力士はなぜ強いのか」(「ユーラシア」、蓮見治雄・東京外大名誉教授)によると、大きな違いは土俵の有無。大相撲は直径5.5Mの土俵の外にでると負けになるので、「押し出し、突き出し、寄り切り」が主な決まり手になる。これに対しモンゴル相撲は土俵がなく、相手を倒す(膝から上のどの一部も土についたら負け)ことで勝敗が決着する。必然的に引き、突き、足技、投げ技などが勝負手になる。 モンゴル勢の決まり手は36種類(大相撲の決まり手は82種類)あり、このうち大技は10種類だが、「小さい技は三歳牛の毛の数ほどある」と言われている。それらの技をよく見ると、組み手争いから始まり、組み手の崩し方、引き技、突き技、かつぎ技、投げ技など多彩なのである。 しかし、モンゴル相撲の優れた力士の大半は、2、3種類の技で勝ち進んでいる。「技を器用にこなすより、自分にあった技を習熟することの方が優れている。大相撲で言えば、型を持った力士と言える」と強調する。 こうした得意の型を持ちやすいモンゴル勢に対し、日本勢は上位陣でも絶対的と呼べる型がない。大相撲解説者で、「技のデパート」と異名をとった舞の海秀平さんは「日本人力士は絶対的な自分の型がない。それがここぞというときに勝てない理由だ」と強調する。 論文の中で、蓮見名誉教授は、モンゴル力士に伝わる遺伝子(DNA)をこうまとめる。「相撲は力が強ければいいというものではない。また、腕力でとるものではない。知力や俊敏さも必要だ」ということを受け継いでいる。 そして、「上半身は前頭で、足腰は小結だ。けれども全体で横綱です」と語った白鵬の言葉を引用し、その知力の高さ、考える相撲の伝統も絶賛する。逸ノ城は白鵬を抜けるか?大相撲 出稽古先の追手風部屋で遠藤(右)を相手に取り組みを行う関脇、逸ノ城=2015年12月22日、埼玉県草加市(撮影・春名中) 白鵬と同じ、モンゴルの遺伝子を引き継ぐ逸ノ城は、白鵬を抜けるのか。多くのファンの関心事でもある。モンゴル勢初の遊牧民出身で、小さい時から馬のミルクを毎日2リットル飲み、丸太をトラックに積み込む作業で上半身、下半身を鍛えた。2010年の来日時にすでに135キロの巨体。今は193CM、199キロまで大きくなった。強みは太もも周りが92CMもあること。鳥取城北高校時代から200KGもあるタイヤを裏返すトレーニングで鍛えたという。 秋場所(9月場所)では、1横綱2大関を倒し13勝の快進撃を続けた時は、立ち合い時に白鵬が得意とする「相手に胸を合わせる」ことができていたという。 小田教授によれば、「胸を合わせるためには、膝を抜き、重心を落とすことが必要。逸ノ城は長身で、一見、腰高に見えるが、最初の位置から重心を落として、つまり膝を抜いて、落下を支えた時、体重がある分地面反力が上方向に突き上げる。これで相手はどんなに頭をつけても吸収されてしまう。地面反力の使い方が白鵬同様にうまい。ここからは投げでも、押しでも、突き上げでも何でもあり。すでに横綱相撲。剛ではなく、柔の技」と指摘する。 地面反力を活用できるのは、あの太もも裏の筋肉「ハムストリングス」だ。 秋場所終了時に逸ノ城は「体が自然に動いた」と語っていたのは、上記の地面反力をうまく使えていたことを意味する。しかし、11月場所は関脇に昇進したこともあるが、立ち合いが甘く、簡単にかわされ、あっけなく土をつく場面が多かった。 得意の右四つに持ち込んでも、9月場所のような地面反力を有効に使う前に、体制が崩れてしまうケースが目立った。立ち合いの「俊敏性が足りない」のが要因の一つと言われる。場所前に帯状疱疹に見舞われるなど本調子でもなく、稽古も不十分だったのだろう。 9月場所に横綱相手に注文相撲(立ち合い時に正面から当たらず、相手の突進をかわす取り口)について批判が集まるが、「相手をしっかり見ていないとああいう相撲はとれない。新入幕力士はガチガチで突っ込めばいいとうものではない。状況や動きを見てとれる余裕が大事」という見方もある。 落ち着き払った風格は、みるものを楽しませてくれる。白鵬並の努力家でもあり、ポスト白鵬の中心的な存在になるのは間違いない。 日本人力士も全く逸材がいないわけではない。11月場所で、白鵬から金星をとった高安のほか、妙義龍、遠藤、琴奨菊なども横綱の可能性はあり、注目したい。 今年3月場所で、引退した元大関琴欧洲は「大相撲は、基本練習の反復の精神的修練だけでなく、科学的な稽古を取り入れるべき」と朝日新聞のインタビューに答えている。特に日本の力士は、自分の育った環境がモンゴル勢などと違うことを自覚した上で、科学的なトレーニングを積む必要があろう。琴欧洲の苦言は、納得出来る面は多い。相撲は、重心のスポーツであること、地面反力の有効活用することが大事であること、バランスの崩し合いであること、柔らかさ、俊敏性など身体を知り尽くすことが心技体の充実につながることなど科学的な視点が重要だからだ。この科学的な目を持ち、稽古を積んでいくことが大相撲には必要な時期に来ている。関連記事■アントニオ猪木インタビュー『プロレスはもはや「老人ホーム」になった』■金沢克彦編集長が語るプロレス誌「ゴング」復刊の真相■男たちの聖域になぜ? プロレス会場に女性が殺到する理由

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    白鵬よ、日本人の心を持て

    出演、コメント提供も多数。2015年1月に創刊した『相撲ファン』の監修を務める。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』など。関連記事■ プロレスはもはや「老人ホーム」になった■ 内も外もよく知る「二本」人たれ■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」

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    何が相撲の伝統を守ったか

    舞の海秀平(元小結、スポーツキャスター) 大相撲の世界には、ここ何年間でいろいろな不祥事がありました。本場所が中止になったこともあり、天皇陛下をお迎えする天覧相撲も平成23年1月を最後に、もう3年以上も行われていません(編集部注:その後、天皇、皇后両陛下は4年ぶりに平成27年初場所をご観戦)。大相撲界の不祥事が原因であり、やむをえないことなのかもしれませんが、これは本当に残念なことです。 私自身、現役時代に何度も天覧相撲を経験し、現役引退後にもNHKなどで大相撲の解説もしていますが、天覧相撲というのは、力士に不思議な力を生み出すものなのです。また、国技館のお客様が、自然と立ち上がって拍手を送る。こういう光景を見ると、なんと素晴らしい国に生まれたのだろうと思います。私たちは、天皇という大きくて深い、懐の中で、生きているのであろうと感じられるのです。 それはなぜか。単に、陛下がご覧になっていることを意識している一人一人の感覚によるものともいえるでしょうが、私は、それだけではないと考えています。それは日本の伝統文化の一つである大相撲が、実は天皇、皇室のご存在によって、1500年近く守られてきたという歴史的事実と無関係ではないのではないかと思うわけです。そのことを、いま私たちは改めて思い出し、襟を正す必要があるのではないか。私はそう考えています。相撲界に携わる者として、一日も早く、晴れて陛下にご覧いただける大相撲を取り戻さなければならない、そう考えるわけです。大相撲 住吉大社で奉納土俵入りを披露する横綱、白鵬ら=2月28日、大阪市住吉区単なるスポーツではない まず初めに大相撲が、単なるスポーツではなく、日本の伝統文化、伝統芸能であり、そして何より相撲は神事であるということを確認しておく必要があるでしょう。 神事だということは、日本の伝統的な信仰で、皇室と深くつながる神道に関わるものでもあるということです。大相撲の不祥事報道では、スポーツとしての公平さ公正さの重要性ばかりが強調されますが、これはあまりに一面的な見方なのです。 大相撲本場所のテレビ放送を見ると、誰でも相撲が伝統芸能であり、神事であるという証拠を目にすることが出来ます。例えば、呼出が扇子を持って「東~」「西~」と、力士を呼び上げます。ただのスポーツならば、観客のためにマイクで場内アナウンスをすれば済むことですが、大相撲は伝統芸能であるが故に、あの独特の所作が生むムードを必要とするわけです。歌舞伎役者がどんなに見得を切っても、音を響かせるツケ打ちさんの高い技術がなければ見栄えしないのと同じです。 相撲の取組には、神事であるからこそ、さまざまな作法があります。 土俵の力士は蹲踞をして、大きく手を広げて、ぱちっと手を叩きますが、あれは、私は武器を持っていません、正々堂々と闘います、ということを示すと同時に、柏手の意味があるそうです。丁寧な力士は叩いた手を揉んでいますが、実はこれが正式な所作であり、神社にお参りするとき、手を洗って口をすすぐ行為の代わりなのです。昔はどこにでも水がなかったから、力士は手を下に伸ばして、草をむしり、その草で手を揉んで、手を洗ったことにしたのですが、その名残なのだそうです。 土俵の中央で向かい合った後、わざわざそこで四股を踏むのもまた神事からきているそうです。大昔の人は、土の中に魔物がいると考えたそうで、力持ちの力士が大地を踏みしめて魔物を退治し、五穀豊穣を祈る意味があるそうなのです。 塩をまくのもそうです。塩は、いろいろな神事に使われますが、大相撲でも土俵を清め、邪気を払う役割もあるのです。宮中儀式にならなければ… ここで大相撲が、いかに天皇、皇室と関わりが深いものであったかということに触れておきたいと思います。 『力士漂泊』を書いた宮本徳蔵は、力士の起源を2、3世紀のモンゴル辺りとみていますが、日本では、西暦642年(皇極天皇元年)に、古代朝鮮半島の百済から来た使者を饗応するため、飛鳥の宮廷の庭で相撲を見せたという史実が、文献で確認されているそうです。 734年、聖武天皇の代には、初めて天覧相撲が行われたといわれています。聖武天皇は諸国の郡司に対して、強い力士を選んで貢進するように勅令も出しており、国家儀礼として宮中で行われる相撲「相撲節会」が正式に形作られていったのです。「すもうせちえ」と読みますが、相撲は「すまい」と読まれていたことから、「すまいのせちえ」とも読みます。 平安時代に入った頃から、天覧相撲は毎年恒例となり、833年、仁明天皇の頃になると、「相撲節会というのはただ単に娯楽遊戯のためではなく、武力を鍛錬するのが、中心の目的である」と勅令を出し、諸国のすぐれた相撲人を探し求めるようになりました。 このようにして、相撲は、天皇に認められ、宮中儀式となり、そして国家的な文化として隆盛を極めるようになったといえるでしょう。 平安時代、相撲は民間各地でも豊作祈願の農耕の儀式として行われていましたが、宮中で相撲節会として扱ってもらっていなければ、やがて廃れてしまい、続いていなかったかもしれません。実際に、その後、相撲は危機に瀕することもあったのです。天覧相撲に救われた伝統天覧相撲に救われた伝統 12世紀になると武家社会が到来し、相撲は宮中から、武士の手に渡り、戦のために鍛錬するという武芸の一種のような性格が強くなっていきました。室町時代になると、いろいろな文化、芸能が起こり、芸能文化としての相撲は段々衰退していき、野蛮なものだと思われるようになっていくのです。 しかし、戦国の英雄、織田信長が相撲好きで、上覧相撲も行われるようになり、また見直されます。豊臣秀吉もそれにならいました。江戸時代になると、寺社仏閣を建てる、橋を建てるという名目で、営利目的の相撲の興行が起きるようになりました。これを勧進相撲といいます。 平和で、力のある外様大名が中央政治に関与する機会が殆ど無かった江戸時代には、各藩の大名が強い力士を探して、それぞれ抱え、藩の名誉を競うようになったようです。年に何度かある江戸、京都、大坂であった相撲の大会に出場させるわけです。たとえばいまの青森県の津軽家や鹿児島県の島津家は、本当に強い力士を探すのに熱心だったそうです。こうした熱心な大名家の領地だった土地には、いまでも輩出する力士の数が多いのです。 ちなみに、相撲に土俵が生まれたのは江戸時代だという説があります。土俵がない時代の相撲は、力士の周りに人が集まって相撲を観るために、力士双方が四つに組んで、どちらかが倒されるまで続けなければならず、なかなか勝負がつきませんでした。気が短い江戸っ子は、いつ終わるか分からない相撲を観ていられなくなり、土俵をつくるようになったというのです。 相撲の歴史では大きな進歩というべきでしょうが、一方で、土俵ができたことによって、立ち合いに変化が生まれ、力と力のぶつかり合いが必ずしも行われなくなっていったという一面もあります。現役当時の私のように、猫だましをしたり、八艘跳びをしたりする「卑怯」な力士には、いいことだったかもしれません。もちろん、これはある種の冗談というか、土俵がなかった時からみたらそう見えるということで、いま、それをしている力士が卑怯ということではありませんが…。大相撲 春場所千秋楽 初の全勝優勝で、北の湖(左)は、往年の名人横綱栃錦、現春日野理事長から天皇賜杯をうける=1977年3月27日、大阪府立体育会館  それはともかく、宮中から舞台が移っても、相撲と皇室との関わりは消えませんでした。明治時代、天皇が京都から江戸に移る時、京都の力士達は菊のご紋の陣羽織を着て先頭に立つことを名誉としたそうです。文明開化で西欧のものを取り入れるようになると、相撲はまた室町時代のように野蛮な競技だとみられるようになり、裸になることすら憚られるようになったのですが、そのとき、相撲を救ったのは明治天皇でした。 明治17年、芝延遼館で天覧相撲が行われ、明治天皇がご覧になったことで、一気に相撲が見直されるようになったのです。もし、ここで天覧相撲が行われていなかったら、時代とともに相撲はなくなっていたかもしれません。 天覧相撲とともに、相撲という伝統文化が残った大きな理由に丁髷があると私は思います。明治後、世の中の人はみな、丁髷を切ったのですが、相撲界だけは丁髷を残しましたが、これは今考えると、重要だったのではないかと思います。相撲というのは丁髷をつけているから神々しく見える。丸坊主の太った男が土俵に上がって闘っても、それほど神々しく見えないのではないでしょうか。 言い換えると、皇室によって守られた相撲が存続することで、丁髷という伝統技術も残されたということなのです。一度、丁髷をやめれば、そこで髷を結う床山は必要なくなります。そうすると床山の持っていた伝統技術もなくなるのです。復活させようとしても、もうできません。丁髷を結える人がいなくなってしまうのですから。こう考えると、皇室の存在は相撲の持つさまざまな伝統文化、技術を守っていたともいえるでしょう。身を乗り出された昭和天皇 昭和天皇は大変な相撲好きでいらしたことが知られていますが、昭和天皇のご存在が、大相撲を現在の形にしたと言っても過言ではありません。 まず、力士にとって最高の名誉である天皇賜杯。大正14年、昭和天皇が摂政宮でいらしたときに、赤坂の東宮御所で台覧相撲が行われましたが、このときの御下賜金で摂政盃(優勝賜杯)が作成され、これが現在の天皇賜杯につながっているのです。 また、天皇賜杯をいただくのに、大相撲を行う団体はきちんとしておかなければいけないということもあって、財団法人となる動きは加速し、大日本相撲協会が認可されるのです。これが現在の公益財団法人「日本相撲協会」へとつながっていくわけです。 昭和天皇はありがたいことに戦後も40回にわたり、蔵前、両国国技館にお出ましになり、大相撲をご覧になりました。東京では年3場所ありますが、3場所ともご覧になった年も何度もあるわけです。 天覧相撲といえば、昭和50年5月場所、麒麟児と富士櫻戦が有名です。麒麟児と富士櫻はお互いにまわしを取らずに突っ張るタイプの力士で、いまの力士に多いタイプとは違って、押せなかったからといって、はたかず、突っ張り合いで勝負するのです。テレビ中継では、100発を超える突っ張り合いを、昭和天皇が身を乗り出されて、香淳皇后とご一緒にご覧になる姿が放映され、非常に印象的でした。 天覧相撲では、この両力士が激突することが多かったように思います。本当かどうかは定かではないのですが、相撲協会も天覧相撲になると、わざわざ麒麟児、富士櫻戦を用意したのではないかといわれています。 プロ野球の天覧試合では、巨人・阪神戦で、巨人の長嶋茂雄選手が逆転サヨナラホームランを打った映像が有名ですが、私たち力士は、天覧相撲になると、何か不思議な力をいただくのではないかと思えるのです。ひ弱な日本人力士たちひ弱な日本人力士たち 大相撲は、現在の日本社会に大きな影響を受けています。日本社会の縮図と言っても過言ではありません。たとえば、日本の若者はひ弱になったとか、内向きになったとか、そういうことが言われますが、大相撲も最近、強いのは外国人ばかりで、つまらなくなったという声をよく聞きます。 いま大相撲を支えているのはモンゴル人なのです。モンゴル人がいるからこそ、私たちは横綱の土俵入りが見られるわけです。彼らの目的は何か。日本の大相撲界に入って、そして早く強くなって、お金を稼いで、祖国の両親、家族の面倒を見るということです。勝てるようになるまで、帰れない。そういう強い気持ちが、日本人の力士と違ってあるわけです。 朝青龍から聞いた話なのですが、朝青龍の父上は、息子に、どういう気持ちで相撲に臨むべきか、このように教えたそうです。「相手のことを、自分のお母さんのことを殺した犯人だと思って闘え」と。これを聞いた時、日本人力士は勝てないなと思いました。 それに比べて、このごろの日本人力士には「3~5年やってだめなら、田舎に帰って何か仕事を探せばいいかな」と考えている力士がたくさんいるのです。力士の親も変わってきました。昔は、息子が相撲界に入るとなると、親も「強くなるまで帰ってくるな」と送り出したものですが、いまの親は「苦しかったら、すぐ帰ってきなさい」「何も我慢することはないのよ」と送り出すのです。そうすると、すぐ帰っていきます。ひどいのになると、朝来て夜には帰ってしまうのもいるのです。 これは、相撲界だけなのでしょうか。企業の社長と話していても、「最近の若いのはすぐやめていくんだよね」というのです。「どうしてですか」ときくと、「いや、『理想の職場じゃなかった』というんだよね」というのです。どんな世界でも、いいところと悪いところがあります。みんな、我慢をしながら、仕事をしていくのになあと思います。 相撲界に外国人が増えるのは、やはり国際化、グローバル化の影響であり、もはや止めようもないことです。外国の力士を排除すべきという意見もありますが、これも難しいと思います。もし、そういうことでもすれば、外交問題に発展するでしょう。モンゴル政府は本当に怒ると思います。 ただ、その一方で相撲が日本の伝統文化、伝統芸能であり、神事であるということも忘れてはならないと思います。相撲をオリンピック競技にしてはどうかという声も出てきていますが、五輪競技になれば、スポーツの国際的基準にあわせるために、相撲の伝統的部分がどんどん失われることになるでしょう。私はそれは、決していいことだとは思いません。大相撲 初場所初日 逸ノ城(右)を寄り切りで下した遠藤 =2015年1月11日、両国国技館 (今井正人撮影) ずぶ濡れになってお見送り なぜ、大相撲がここまで続いたのかというと、日本に天皇がいらしたから、日本に皇室があったからだと思うのです。 明治時代に相撲が廃れかけたときに、明治天皇が天覧相撲を行って下さった。昭和天皇が何度も国技館に足を運んで下さり、大相撲を見守って下さった。そして今上陛下も何度も国技館に足を運んで下さいました。 クラシック音楽が宮廷音楽として発展したのと似ていますが、相撲という文化を発展させたのは天皇・皇室のご存在なのです。相撲界には谷町という存在がありますが、皇室は、大相撲の精神的な谷町であるというと、言い過ぎでしょうか。 しかし、相撲に限らず、皇室のご存在を精神的支柱とし、その中で発展してきた伝統文化は多いはずです。同じようにさまざまな伝統文化が、皇室のご存在によって生まれ、維持され、発展してきたはずです。そういう意味では、天皇・皇室は、伝統文化を守る大きなシステムであるともいえるのではないかと、私は考えています。 私たち相撲関係者は、皇室への敬意を決して失いません。相撲界の先輩から聞いた話ですが、昭和天皇が崩御された時、大相撲の親方、力士は、ご遺体が運ばれるのを、土砂降りの冷たい雨の中をずっと立って待っていたといいます。いつ到着されるか分からなかったこともあり、はじめは、みな傘を差してお待ちしていたのですが、当時の相撲協会の二子山理事長が「傘をとれ」というと、力士がみなズブぬれになりながら、頭を垂れて、ご遺体を見送ったそうです。私は、この話を聞いた時、本当に胸が熱くなりました。 私は、相撲界に携わる一人として、皇室の弥栄を心よりお祈りして参りたいと考えております。(構成/月刊正論編集部・菅原慎太郎)舞の海秀平氏 本名は長尾秀平。昭和43(1968)年、青森県生まれ。日本大学経済学部卒業。平成2年、大相撲出羽海部屋入門。基準の身長に足りず1度目の新弟子検査に不合格。頭にシリコンを入れ1カ月を過ごし、2度目の検査で合格。3年3月新十両、9月新入幕。最高位小結。11年に引退後は大相撲解説者、スポーツキャスターとして活躍。関連記事■ 元特攻隊員が語る「日本人」としての戦い■ 元海自特殊部隊小隊長が問う 日本人よ、この覚悟が理解できるか■ 大切にしたい日本の美徳

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    聖地・花園で、きっと世界一のドラマが生まれる

    結の機会にしたいと考えた。 当時、黒人たちに人気があったのはサッカーで、ラグビーは富裕層の白人が行うスポーツだった。代表チームに黒人選手は1人しかおらず、長く国際大会から締め出されていたこともあって、W杯でも期待されなかった。 南アフリカ代表チームは予想外の快進撃で決勝に進出する。そっぽを向いていた黒人も応援するようになる。 決勝の相手は、優勝確実とみられたニュージーランドだったが、南アフリカは互角の戦いで延長にもつれ込み、終了間際の劇的なドロップゴールで勝った。 できすぎたストーリーだが、実話である。 つけ加えると、力と力がぶつかり合うラグビーは番狂わせがほとんどない。この大会に出場した日本は、ニュージーランドに17-145という記録的な大敗を喫している。「スポーツの宮様」のお言葉W杯日本大会の開催地に選ばれた東大阪市の花園ラグビー場 (本社ヘリから) 2019(平成31)年のラグビーW杯が日本で開催される。全国12の開催地に大阪府東大阪市の花園ラグビー場が選ばれた。 高校野球の聖地が甲子園なら、ラグビーは花園である。楕円(だえん)形のボールに青春を燃焼した高校生ラガーマンの汗と涙がグラウンドにしみこんでいる。 その舞台に世界の強豪を迎える。今からワクワクする。 花園ラグビー場の誕生には、「スポーツの宮様」として親しまれた秩父宮殿下(1902~53年)が大きな役割を果たされた。 英国に留学された秩父宮殿下はラグビーに関心をお持ちだった。 昭和3(1928)年、甲子園球場で第1回東西対抗が行われた。臨席された殿下は試合の前日、大阪電気軌道(現近畿日本鉄道=近鉄)で橿原神宮に参拝され、車窓をながめながら「沿線にはずいぶん空き地が多い。ここにラグビー専用競技場を作ったらどうか。乗客が増えて、会社も利益を得るのではないか」とおっしゃった。 随行した大軌の幹部は受け流したが、まもなく再度のご乗車で「まだグラウンドはできないのか」と尋ねられてあわてた。すぐさま重役会を開いてラグビー場建設を決議した。 しかし、日本にはまだラグビーの専用競技場はない。英国のトゥイッケナム・ラグビー場を参考に、グラウンドは全面には高麗芝、大鉄傘付きのメーンスタンドなど1万2000人収容の堂々たるラグビー場が翌4年11月に完成した。 計画からわずか1年足らずの突貫工事だった。選手たちの魂がぶつかり合う全国高校ラグビー大阪大会で、優勝を決め府代表となった府立北野高校フィフティーン。賞状を手に喜ぶ選手は、現大阪市長の橋下徹氏(手前中央)=昭和62(1987)年11月、大阪府東大阪市の近鉄花園ラグビー場 昭和38(1963)年から全国高校ラグビー大会の会場になった。近鉄が所有していたが、今年7月に東大阪市に譲渡された。 W杯のために、3万人収容のスタンドを4万人に改修し、ナイター設備や大型ビジョンを設置するという。 大会後の維持・管理が問題になるが、心配はあるまい。東大阪市は、夏には市職員がクールビズでラガーシャツを着用し、バイクのナンバープレートはラグビーボール形にするなど「ラグビーのまち」をアピールしており、全国的な知名度も高い。 むしろ心配なのはW杯の盛り上がりだ。 ラグビーを観戦したことのない人は、学生の試合でも社会人大会でも、一度、花園に足を運んでほしい。間近に選手たちの息づかいが聞こえ、魂がぶつかり合う音に驚くはずだ。 W杯ではきっと映画になるようなドラマが生まれる。

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    日本ラグビーは復活するか

    2019年に日本で行われるラグビーW杯の開催地が決まったが、運営資金調達や認知度向上などの課題は山積みだ。何より重要な日本代表の強化も加速させなければならない。4年後の大会成功に向け、いま日本がすべきことを考える。

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    W杯開催成功へ 日本ラグビー、今季2つの“ノルマ”

    グビー界最大の大会であり、注目度の高さと観客動員力から、オリンピック、サッカーW杯と並び、世界の三大スポーツ大会とも言われる。だが、まだまだ国内の注目度は低い。会場発表こそ、東日本大震災の被災地、岩手県釜石市が開催都市の一つに選ばれたこともあって、新聞やテレビにも大きく扱われたが、それまでは15年がW杯イヤーであることも、その4年後の開催地が日本であることも、熱心なラグビーファン以外にはあまり話題になってこなかった。 盛り上がりにいまひとつ欠ける理由の一つは、日本のW杯戦績が芳しくないことだ。日本代表はアジアの覇者として過去7大会すべてに出場しながら、通算成績は1勝2分け21敗。1991年の第2回大会でジンバブエに1勝しただけで、もう20年以上も白星がない。試合前にハカを披露するマオリ・オールブラックスを見る日本代表=2014年11月8日、秩父宮ラグビー場 (撮影・山田俊介) 15人制ラグビーは五輪種目ではないこともあって、代表資格に関し、国籍などのしばりが比較的ゆるい。外国籍でも3年以上の居住など一定の条件を満たせば、代表になれる。現在の日本代表でも複数の外国出身選手が活躍している。この門戸の広さはラグビーの大きな魅力の一つでもあるのだが、結果が出なければファンは離れていきやすい。魅力が大きい分だけ、リスクもまた他の競技より高いと言わざるを得ないだろう。 自国開催の2019年W杯を成功させるには、何よりもまず日本代表が結果を残す必要がある。もともと人気の高いスポーツだけに、強くなれば離れていたファンも戻ってくるし、話題度が高まり、若い層への普及効果も大きくなる。W杯開催の成否を運営面で左右する集客やマーケティングも必然的に好転するはずだ。 イングランド大会で、日本はベスト8(決勝トーナメント進出)を目標にしている。2012年に元豪州代表監督のエディー・ジョーンズ氏がヘッドコーチに就任後、日本代表は、どこからでも果敢に攻め抜く「Japan Way」を目指すラグビーとして掲げ、猛練習に取り組んできた。 そして、13年には欧州の強豪、ウェールズとのテストマッチ(代表同士の公式試合)で金星を挙げ、14年にはイタリアにも勝った。世界ランキングも一時は過去最高の9位まで上昇するなど、ベスト8にもう一歩の結果を残してきた。有望な若手選手も多く、秋までのノビシロに期待が高まる。 W杯イングランド大会で、日本は1次リーグB組で、南アフリカ(9月19日)、スコットランド(9月23日)、サモア(10月3日)、米国(10月11日)と対戦するが、準々決勝に進出するにはB組で2位以内に入る必要がある。 そのためには、ニュージーランドに続く優勝候補で、世界ランク2位の南アフリカはともかくとして、他の3チームには勝てる力をつけなければならない。 最大の注目はスコットランド戦だろう。13年秋の欧州遠征で対戦した際には、17-42で完敗したが、その後2年間の成長具合が問われる戦いとなる。南アフリカ戦から中3日と厳しい日程だが、ここで白星を挙げれば、その後は試合間隔もゆとりがあり、勢いに乗って戦えるはずだ。日本代表は4月から、宮崎で強化合宿をスタートさせる。7人制 ~ 男女に「コアチーム」の差 W杯後の11月には7人制ラグビーの2016年リオデジャネイロ五輪アジア地区予選が予定されている。ラグビーは近代五輪の初期には正式種目に入っていたが、その後は長く外れていた。リオ五輪はそのラグビーが7人制で正式競技として復活する最初の大会である。 五輪出場権は、「コアチーム」といわれる世界の上位グループ(男子は15チーム、女子は11チーム)が中心になって競うワールドシリーズの上位4チーム、各大陸予選勝者、世界最終予選勝者が獲得できるが、世界の勢力図を見ると、日本にとってはアジア地区予選がもっともハードルが低い。ライバルは男子が香港など、女子が中国などとなるが、男子は有望、女子はやや厳しいが不可能ではないというのが一般的な見方だろう。 昨年の仁川アジア大会でも、男子は優勝したが、女子は優勝を逃した。しかも、男子はコアチームとしてワールドシリーズを回っているが、女子はコアチームではない。 この違いは大きい。ワールドシリーズは、経験を積み、レベルアップを図るまたとない機会だからだ。女子の場合、中国がコアチームとして力を磨いていることも不安材料だ。 日本協会は、W杯だけでなく五輪予選も考慮し、今年のトップリーグの開幕を11月中旬まで遅らせる方針。何とか男女ともアジア予選を勝ち抜いて7人制の認知度を高め、リオだけでなく2020年東京五輪にも弾みをつけてほしい。“準日本代表”が強豪と激突 ラグビー界のもう一つの注目は、世界の強豪として定着することを目的に、日本チームが16年3月から世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」に参入することだ。ニュージーランド、豪州、南アフリカといった強豪国のクラブチームが競うリーグには、今年は日本代表6選手がそれぞれ挑戦しているが、来年からは“準日本代表”としてのチーム加入が実現する。リーグ編成の都合から主要な対戦相手は南アフリカのチームになる。移動に約20時間を要する相手とのリーグ戦がどういう形になるのか。 収益面とともに、選手の健康面も重要な課題だけに、日本協会としては16年度以降の年間スケジュールの見直しも急務となっている。関連記事■ 田中将大投手を襲ったケガの裏にあるもの■ しつこいキム・ヨナ採点遺恨「ソチは終わってない」■ アナウンサーには「清廉さ」は間違いなく必要です

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    スーパーラグビー参戦が決まった日本の抱える問題点

    向風見也(ラグビーライター)(THE PAGE 提供) 日本最強のドリームチームが2016年から世界最高峰のリーグ「スーパーラグビー」に新規参入することが正式決定した。それを受け日本ラグビー協会は11月21日、記者会見を開き、現段階での構想を明らかにした。 スーパーラグビーは南半球最高峰のリーグとされ、世界ランクの上位3傑を争うニュージーランド、南アフリカ、オーストラリアのトップクラブが、各国代表選手を軸に据えてしのぎを削っている。日本からは、パナソニックのスクラムハーフ田中史朗とフッカー堀江翔太が12年度から参戦。国内初のスーパーラグビープレーヤーの1号と2号として、話題を集めた。田中はニュージーランドのハイランダーズで同国代表スクラムハーフのアーロン・スミスと定位置を争い、堀江はオーストラリアのレベルズで列強国特有の激しい肉弾戦に身を投げている。 従来は「15」だったスーパーラグビーの参加チーム数が、2016年度から「18」に拡張するため、日本協会は8月、その1枠獲得へ立候補していた。シンガポール協会と両天秤にかけられた結果、ホームゲームの7、8試合のうち3試合をシンガポールで行うことを条件とし、今度の決定を勝ち取ったのである。なお日本は、南アフリカのチームなど5チームが加わるカンファレンスに入り、他のカンファレンスとのゲームを含めてシーズンで15試合をこなすこととなる。国際親善試合の後半、マオリに勝ち越しのトライを許し呆然とする五郎丸歩(中央)=2014年11月8日、秩父宮(撮影・吉澤良太)  参戦目的の1つは、自国開催となるワールドカップへ向けての代表チームの強化だ。ワールドラグビーによる世界ランキングの近い国同士がテストマッチ(国際的な真剣勝負)を組む傾向にあるのが楕円球界である。そんななかスーパーラグビーへ日本代表級のチームが入れば、従来とは違った形で国際経験を積めることとなる。矢部専務理事は、この舞台に、日本代表と、その候補、日本で活躍する外国人選手らによる40名程度のスコッドで挑みたいとしている。 参加期間は2016年から2020年度までの5シーズンで、矢部達三専務理事は「それが終わってからも(契約期間を)更新したい」と希望を述べている。 もっとも、会見に出た田中は、現実の厳しさも指摘した。質疑応答で「いまの日本代表がスーパーラグビーに入ったら」と聞かれ、「正直、下の方」と即答している。事実、今秋に「JAPAN XV」として挑むもホームで2連敗を喫したマオリ・オールブラックスは、そのスーパーラグビーの予備軍級の選手が大半を占めていた。田中は言う。 「これが日本ラグビーのスタート。1、2年はしんどい戦いが続くと思うんですけど、(自身の参加を問わず)そのなかでも世界と対等に戦えるチームを作っていきたい」 加えて、「誇りと同時に大きな責任も感じている」と話した矢部専務理事は、参画に向け抱えている多様な課題を指摘された。 参戦に伴う国内シーズンの日程調整については「SANZAR(スーパーラグビーの母体)が日程を出してきていない」こともあって具体案はなし。南アフリカ、シンガポールなど各国を転戦するための移動費は「スポンサーシップと入場料収入」でまかなうというが、その「スポンサー」の詳細は「決まっていません。色々なところとお話しているということです」という。 なかでも切実な問題は、選手のサラリーだろう。 国内最高峰のトップリーグの選手にはチームの母体となっている企業の社員選手も多い。スーパーラグビーは最長で2月から8月までの拘束期間があるが、そこへトップリーグのチームが選手を出すには、相応の条件があるだろう。「そういうところも…これからですけど…」と言葉に詰まる矢部専務理事は、各企業からの「出向」という形でメンバーを招集したいようだ。しかし、その折に重要となる故障した場合の保障問題については明確なビジョンが示せなかった。2012年10月、スーパーラグビー「ハイランダーズ」入りが決まり、ガッツポーズする田中史朗(撮影・財満朝則) 国内外2チームとプロ契約を結ぶ田中は、周りの社員選手を慮った。 「怪我をした時のことを考えておかないと、企業が社員選手を出してくれないと思います。あと、チームができたら皆、ホテル住まいになると思うんですけど、そこに家族が来られるようにしてあげないと。家族と会う時間がなくなってしまうことで、(選手によっては)嫁に『行かないで』と言われることとかもあると思うんで」 日本人のプロ選手や外国人選手も、簡単に参戦できるとは限らないだろう。まず、家族がいるのは多くのプロ選手も同様だ。それに外国人選手が日本に来ているのは、そもそも治安の良さや安くないギャラに惹かれているとの側面は否定できないだろう。 会見の最後、こんな質問が飛んだ。 ――いま、決まっていないこと、話せないこと。いつ、クリアになりますか? 矢部専務理事は答えた。 「これから(運営のための)組織をつくっていくわけです。それはなるべく、数ヶ月のうちに。皆さんにお話できるようになるには、1年はかからないんじゃないかと思います」 ――もし、諸条件が整わぬ状態で「日本拠点のチーム入りを」とのオファーがあったら。プロ選手は2つ返事で受けるものですか。 妻子ある29歳の田中は語った。 「若かったら、決まっていない状態でも『やろう!』となるかもしれないけど、いまは、そういうものが決まっていないと迷ってしまうと思います」 日本ラグビー界にとって、競技力と認知度の向上に不可欠なスーパーラグビーへの参戦。ただ、その実現までにはいくつかのハードルがある。選手たちがプレーするまでの間、適切な経過観察が求められよう。関連記事■ プロ野球球団は増やせるのか 経済学の「視点」改めて議論■ 男たちの聖域になぜ? プロレス会場に女性が殺到する理由■ アキも悲しむ? NHKにやっぱり「日本」なし

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    単なるPR媒体じゃない 大学スポーツ真の魅力復活を

    、高度経済成長期を迎えることになる。そして、製造業を中心に、企業は社員の福利厚生や士気高揚を目的に、スポーツチームを設立し、日本スポーツ界の発展の土台となる企業スポーツが隆盛を極めることになる。しかし、バブル経済の崩壊から失われた20年といわれる景気低迷期には、300を超える多数の企業スポーツチームが休・廃部に追い込まれた。一方、戦前から日本のスポーツ界をリードしてきた大学スポーツも、企業スポーツの隆盛と同じ時期に、絶大な人気を博していた。観客数が激減 東京六大学野球は、1シーズンに50万人以上の観客を集め、明治神宮野球場(東京都新宿区)には各大学の応援歌が響いていた。その六大学野球も、2000年以降はシーズンで20万人まで観客数が減少し、最近は持ち直しているようだが、それでも全盛期の半分程度である。全国大学ラグビーフットボール選手権決勝の帝京大対筑波大戦で後半トライを決める帝京大・磯田泰成選手。帝京大は筑波大を破って6連覇を達成した=1月10日、味の素スタジアム 大学スポーツの象徴の一つ、ラグビーも、ここ10年、観客数を激減させている。正月恒例の大学選手権決勝の舞台は、今年は味の素スタジアム(同調布市)に移され、入場者数は1万2107人(公式発表)。大学関係者に頼んでもチケットが取れないほど人気を博した1980年代の4分の1程度になっている。 ラグビー関係者は、試合会場へのアクセスを問題にした発言をあるメディアでしていたが、果たしてそれだけが原因だろうか。テレビ視聴率は1月2日の準決勝で1%台(以下数値は全て関東地区、ビデオリサーチ調べ)。10日の決勝も試合前半では2%を僅かに超えたが、帝京大が大差をつけた後半は1%台に落ちている。これは、全盛期の5分の1以下。観客席も一般ファンの割合は決して多くない。 バスケットボールやバレーボールの大学選手権の試合会場を見ると、観客席はほどほどに埋まっているようにも見える。だが、客席を占める観客の大半は、関係者らしき人たちしかいない。かつてはOBやOGのみならず、一般ファンで観客席は埋め尽くされ、応援の歓声に会場全体が包まれていた。今はテレビ中継も有料チャンネルの衛星放送に限られる。 高度成長期から景気低迷期に至り、企業は企業スポーツの存在意義として広告宣伝効果に重きを置くようになった。スポーツチームへの年間数億円の投資に対するリターンを明確にしたからであろう。それが、ここ最近では、業界再編や企業合併などで肥大化した企業グループのインナー効果を求める傾向が強い。企業ブランドの求心力を高めていくために、スポーツは活用しやすいからである。 観客席で、社員総出で応援する姿は、スポーツでしか具現化できない。企業広告は世間一般に対する企業理念や企業イメージを訴求するためのものだが、実は、最大のターゲットは社員であるという。スポーツも企業広告と同じ一つの媒体なのである。そして大学スポーツも、愛校心を醸成するための手段としてとらえる傾向が強くなりつつある。その傾向は、企業スポーツの衰退と同じ道をたどっているようにも見えてくる。限られるPR効果 少子化が進む中で、志願者数を伸ばし、学生数を維持していくことは大学経営の根幹にある最大の目的であろう。この目的達成のために、大学はスポーツ活動に力を注ぎこむ。箱根駅伝での活躍が、志願者数の増加に結び付くケースも少なくない。大学側の思惑はさまざまであろうが、運動部の活躍がメディアをにぎわすことは、絶大なPR効果を生んでいる。しかし、それはごく少数に限られる。大学スポーツ全体が、世間一般のスポーツ人気の範疇(はんちゅう)から消えつつあるからである。 単なるPR媒体としてではなく、大学スポーツの真の魅力を復活させることが、日本のスポーツ界を底上げしていくための礎になるのではないだろうか。トップレベルはプロ化が叫ばれるようになって久しいが、日本のスポーツ界全体を盛り上げていくためには、大学スポーツへの関心を高めていくことが必要なことであるように思う。こん・まさし 専修大法卒。広告会社各社で営業やスポーツ事業を担当。伊藤忠商事、ナイキジャパンを経て、2002年からフリーランスで国際スポーツ大会の運営計画設計、運営実務のほか、スポーツマーケティング企画業に従事。13年から2年間は帝京大経済学部経営学科非常勤講師も務める。ブログは(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/umekichihouse/)関連記事■ ビジネスとしてのプロ野球 ポストシーズン改革で収益改善を■ プロレスはもはや「老人ホーム」になった■ 桑田佳祐は中途半端な「アナーキー」

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    14年前から何が変わったか

    たときの切り抜きだ。 変色した新聞記事の中の私はステッドワードにこう聞いている。パラリンピックは競技スポーツ大会なのか、障害者のリハビリ・スポーツ大会なのか…。 「IPCは、オリンピックがそうであるようにパラリンピックをトップ選手が高い技術を誇る競技大会との見方をしている」 ステッドワードはそう話した。だが、私は意地が悪い。エリート大会なら改善すべき問題は多く、資金や施設に恵まれない発展途上国の選手は出場が困難だ。障害者のためのという視点が薄れていけば、弱者の切り捨てにつながりはしないかとたたみ込む。 1989年に創設されたIPCの初代会長は正面から受け止める。「障害度で多岐にわたるクラス分けの減少は必要、金メダルの価値も高まる」「ローカルレベルでの広がりのため、IPCは資金援助から技術や装備、組織づくりまで支援する」「重要事項は女性、重度の障害者、発展途上国支援。さらに紛争地域での被害者支援などオリンピックと違う活動をしていく」 オリンピックとの連動の始まりは88年ソウル大会、初めて同じ会場が使用された。以後競技性が高まり、98年長野冬季大会を経てシドニーで新時代を迎えた。IPCと国際オリンピック委員会(IOC)が連携で基本合意、ステッドワードはIOC委員ともなった。車いすマラソンの土田和歌子選手(左)とアルペンスキー女子回転座位の大日方邦子選手(右) 競技の普及には裾野の広がりと同時に、人気選手やスター選手の出現による押し上げ効果が必要だ。日本のパラリンピックは河合純一を先駆に成田真由美や土田和歌子、大日方邦子らの活躍で存在感が増し、今日車いすテニス界に国枝慎吾という偉大な選手が輩出。14年前の私のような疑問は抱かないかもしれない。 2020年へ、選手強化予算は文部科学省の概算要求に盛り込まれもした。しかし、今月5日の日本スポーツ振興センター助成事業審査委員会の席上、委員の一人、日本障がい者スポーツ協会会長の鳥原光憲が何度もこう念を押した。「アスリート助成ではパラリンピックを忘れずに」と…。 いわゆる心のバリアの解消も含め、ステッドワードが話した事柄の実現はいまだ道半ばである。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    織田フィールドで考えた…

    こは日本一利用者の多い競技場なんですがねえ…」 受付の職員は所在なげに溜(た)め息をひとつついた。 スポーツの歴史を知る NHK放送センター隣にあるここは、正式名称を東京都公園協会代々木公園陸上競技場という。言うまでもなく代々木公園に併設された施設である。 表参道から延びる道路で公園と隔てられ、デング熱媒介の蚊は発見されていない。閉鎖対象でもないのに“被害”が及ぶ。情報の奇妙な広がりと過敏さを思わずにいられなかった。 もう「織田フィールド」と言って、すぐに反応する人は少なくなった。第一、冠の「織田」がわからない。織田信長と関係あるの?と聞いてきた女子学生には驚かされたが、織田幹雄を知らない。 1928年のアムステルダム五輪、織田は陸上競技三段跳びで15メートル21を跳んで優勝、日本人初の金メダリストとなった。 功績を後世に残すため、64年東京五輪選手村に併設された練習用グラウンドにその名を頂いた。飛距離は国立競技場フィールド内に立てられたポールの高さである。これらもまた大事なスポーツ遺産、しかし、それが必ずしも周知されていない。 大リーグのイチロー選手やテニスの錦織圭選手の活躍は歴史上の名選手に光をあてた。マスコミが取り上げたからだ。 幾度となくスポーツの歴史を知る楽しさ、歴史を語り継ぐ大切さに言及した。しかし小学校や中学校、高校の授業で取り上げられることは稀(まれ)だ。どの教科で教え、教材はあるのか…問題は少なくない。教える先生もいない。情報は蓄積され、伝達されなければ意味をなさない。織田幹雄と情報収集  64年東京五輪当時、織田フィールドは競技に臨む選手たちの調整の場として大きな役割を果たした。国立霞ケ丘競技場での本番に向け、ここで体をほぐし調子を整えていく。 と同時に、各国・地域選手たちがどんなトレーニングをしているか、調子はどうか、情報を知る場ともなっていた。 スポーツ写真のオーソリティーとして、60年ローマ五輪からオリンピック取材を続ける岸本健さんにこんな逸話を伺ったことがある。陸上競技日本代表総監督だった織田幹雄が、織田フィールドの近くに部屋を借り、調整にきた海外のコーチや選手たちを招き入れては情報収集に励んでいたという。「いかにも織田さんらしいでしょ」 そういえば1996年春、鵠沼(くげぬま)の老人用施設に住む91歳の織田に話を聴いた。1時間の予定が2時間を超え、心配した職員が幾度も顔をのぞかせる。かまわず織田は、金メダルは情報収集のたまものと話し、情報を得る重要さを力説した。懐かしくも、貴重な証言であった。 伝える大切さを思う 織田フィールドは64年、もう一つ大役を担った。パラリンピック、いや当時は国際ストークマンデビル競技大会(ISMG)の開会式会場である。 秋晴れの11月8日日曜日、皇太子時代の天皇、皇后両陛下ご臨席のもと、ISMG旗を先頭に大会22カ国・地域390選手が行進した。NHK厚生文化事業団制作の特集番組は、屈託のない選手たちの表情を映しながら言葉をかぶせていく。「華やかさも厳粛さもないが、明るく和やかな印象だ」 華やかさ、厳粛さはオリンピックとの比較だろう。実はこの開会式、招待者以外の観衆は存在しない。なぜなのか、明確な理由は知らない。障害者スポーツへの理解が足りないとの判断があったためだろうか…。 番組の中の日本人選手たちは朗らかな外国人選手と比べ、沈みがちに見えた。それが試合や交流を経て変わっていく。世界を知った喜びだったろう。 あの頃と比べ、日本での浸透は進んだ。昨年9月11日の招致決定後は記事も増えている。それでも、身体障害者スポーツの環境水準は欧米の比ではない。周囲の理解に加え、組織と競技の成熟度がまだ足りない。情報発信の不足は言うまでもない。 変えていくには訴え、伝え続けることが肝心だ。メディアの役割は重い。無人の織田フィールドを眺めながら、情報を扱う難しさを考えていた…。(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    これから認知拡大が始まる

    技に冬季3競技。すべてではないが、パラリンピック競技の多くが対象になった。 これらは「障害のある人のスポーツ推進」が明記されたスポーツ基本法、「環境の整備」を政策課題とするスポーツ基本計画に基づく。ただ、前者は12年、後者は13年の制定。ようやく今年から環境整備が始まったと言い換えてもいい。 従って「教育の場で」と言っても先の話である。小中学校や高校に配布する読本制作を急ぐ東京都教育庁も手探り状態だろう。 「伝えたいことはたくさんあります。でも、すべてはこれから…。今までは厚生労働省管轄、文部科学省にも教育委員会にもルートがなかったわけですから」 日本パラリンピック委員会(JPC)企画情報部の井田朋宏は「これから」を強調した。 50年前、東京で開かれた国際ストーク・マンデビル競技大会が初めて「パラリンピック」と命名された。対(両下肢)まひを意味するパラプレジアから採られた造語で、もう一つのというパラレル+オリンピックとなるのは1985年、実際の大会では88年ソウル夏季大会以降である。 日本のマスコミが競技性に着目するのは98年長野冬季大会まで待たなければならなかった。それまで、いや長野後もまだ、運動面より社会面が定位置だった。 前述の質問者は錦織圭の準優勝で沸いた全米オープンテニスを取り上げて、車いすテニスで国枝慎吾、上地結衣が男女単複にダブル優勝したにもかかわらず扱いの悪さを指摘。「メディアの姿勢」を問題視した。 問いただされて無理もないところもある。一方で組織や競技は未成熟、それが人々の未知につながる。 教育現場もマスコミも、もっとパラリンピックを知りたい。今後、このもうひとつの大会を深く学んでいきたい。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    川淵三郎の出合いと思い…

    サッカー協会最高顧問の川淵三郎は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会評議員でもある。つい先日、スポーツ議員連盟の国会議員たちの前でこんな話を披露した。 「1960年夏、僕は日本代表の一員として西ドイツに遠征した際、素晴らしい光景に出合った…」 その年、日本サッカー界は4年後に東京五輪を控えながら予選で敗退、ローマ五輪に出場できなかった。起死回生のためにドイツ人コーチ、デットマール・クラマーを招聘(しょうへい)、出会いを兼ねての遠征だった。 川淵はドイツ西部の工業都市、デュイスブルクでの思い出を語る。練習したスポーツ・シューレ(学校)は青々とした天然芝のピッチが8面広がっていた。それが後のJリーグ百年構想につながるのだが、「素晴らしい光景」と話すもうひとつの出合いは体育館にあった。車いすの人たちが歓声を上げながらバレーボールを楽しんでいる。「ドイツと日本のスポーツへの意識の違いを感じた」という。 当時の日本では障害者はスポーツはおろか外に出ない、いや外に出さない状況だった。西ドイツとの差は歴然としていた。 英国ではパラリンピックの前身、国際ストーク・マンデビル競技大会(ISMG)が開催されていたが、西ドイツでも障害者スポーツ大会が開かれていた。前者が車いす使用者限定競技大会であるのに対し、後者は全ての身体障害者が参加する大会。64年のISMG東京招致に尽力する国立別府病院整形外科部長の中村裕は、対立関係にあった両者の融合を目指した。 結局、車いす選手によるISMGを第1部、全ての身体障害者が参加する国内大会を第2部として「パラリンピック東京大会」開催を迎えた。あまり語られていないが、今のパラリンピックの原型は東京にあるといえなくもない。50年前の11月8日のことである。 川淵は言う。「ドイツをはじめ欧米では健常者と障害者が一緒にスポーツしているし施設もある。日本は初めから分けてしまう。それでは本当のスポーツ文化の醸成にならない。ルールなど進め方を工夫すれば少しでも前に進んでいく」 理事長を務める首都大学東京・荒川キャンパスの体育施設では融合に向けた取り組みを始めている。きっと組織委でも取り上げていくだろう。欠席や途中退席が目立った議連の会合、川淵の熱い思いを受け止めてもらいたい…。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    幾多の障害乗り越えてきた

    療だったという。 しかし、初代脊髄損傷科長の医師ルードウィッヒ・グッドマンは、手術をできるだけ避けてスポーツをリハビリの中心に据え、患者の早期回復、社会復帰にめざましい効果をあげた。男子陸上100メートル(切断など)の山本篤 「失われたものを数えるのではなく、残された機能を最大限に生かそう」 グッドマンは車いす患者にスポーツを奨励。52年にはオランダからの参加を得て「国際ストーク・マンデビル競技大会」に発展し、60年ローマでの初のパラリンピック開催に至る。 以上、日本パラリンピック委員会企画部、井田朋宏の論文『障がい者スポーツの50年』を参照した。 今では当たり前になったリハビリでのスポーツの活用は、導入までに幾多の障害があったと想像に難くない。まして競技大会開催なら…。 グッドマンがパラリンピックの父ならば、日本の障害者スポーツ生みの親は国立別府病院整形外科部長の中村裕。ローマ大会直前にストーク・マンデビル病院を視察、グッドマンから啓示を受けた中村は61年、地元大分で身体障害者体育大会を開く。当時障害者は体を動かさず、人目に触れさせずが風潮。「見せ物にする気か」と周囲の医師やマスコミなどから強い非難を受けての船出だった。 50年の歳月を経て「こんなにも変わるとは…」と井田は書き記す。6年後の日本社会はもっと変わっていなければならない。仁川での選手の活躍を見ていて心底そう思った。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    激しい都市間競争を勝ち抜け 「TOKYO」アジアNo.1都市へ

    ake)作家。1976年、東京生まれ。早稲田大学在学中、『五体不満足』(講談社)が大ベストセラーに。スポーツライターとして活躍した後、東京都新宿区教育委員会非常勤職員や杉並区小学校教諭を歴任。2013年3月から東京都教育委員。

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    虎「打」とタカ「投」 投資の総決算

    日比野恭三(写真:iStock) あるプロ野球選手は、試合中、ベンチで選手名鑑を見てモチベーションを上げるのだという。なぜか? 名鑑には全選手の年俸が書いてあるからだ。 「アイツ、こんなにもらってやがるのか。絶対打ってやる!」 プロ野球界とは、残酷なまでに選手の「格」が年俸という数字に表れる世界である。二刀流で活躍する日本ハムの大谷翔平が高卒3年目となる来季には1億円を突破すると見込まれているように、年齢など関係のない非情な実力社会なのだ。相手がナンボほどの“給料”をもらっているのか、それは間違いなく選手を奮い立たせる燃料になる。補強に積極的な阪神、ソフトバンク 昨年の日本シリーズがまさに「格差」シリーズだった。 巨人が年俸総額38億円以上で12球団中1位だったのに対し、楽天は同18億円余りで第10位(年俸は推定、以下同)。たとえば第1戦の先発マウンドに立った楽天の則本昂大(1200万円)と巨人の主砲・阿部慎之助(現役最高額の5億7000万円)の対戦などは、年俸差47.5倍という途方もない開きがあった。 それでも第7戦までもつれたシリーズを制したのは楽天の方だった。もちろん田中将大という、のちにヤンキースと7年総額約160億円の超大型契約を結ぶことになる絶対エースがいたとはいえ、資金力の面から言えば、見事なまでの「下剋上」を成し遂げたシリーズだったのだ。 そして今年の日本シリーズには、セ・リーグからはCSファイナルステージでリーグ覇者の巨人に4連勝を飾った阪神が、パ・リーグからは同ステージで粘る日本ハムを振り切ったソフトバンクが出場する。ともに関西と九州に熱烈なファンを抱える人気球団だ。ソフトバンクは3年ぶり、阪神は9年ぶりの出場とあって、地元を中心に大いに盛り上がることは間違いない。 そんな両球団のもう一つの共通項が、特に近年、積極的に補強を行ってきたことである。 今季の年俸総額はソフトバンクが37億5100万円、阪神が31億8500万円で、これは12球団中2位と3位にランクインする(1位は巨人の45億1200万円)。昨季4位に沈んだソフトバンクは王座奪還に向けて次々と大物選手を獲得、年俸総額で約13億円を上積みした。阪神は昨季リーグ2位とはいっても巨人に12.5ゲームという大差をつけられた。やはり8億円以上の年俸を加算して今季に臨んでいる。 両チームの年俸総額には6億円近い開きがあるが、昨年の対戦カードに比べればその差はなきに等しい。今シリーズは大型補強を断行したチームどうしの、日本一をかけたガチンコ勝負と言えそうだ。阪神打線とソフトバンク投手陣が火花を散らす ここで、今シリーズで出場が予想される選手のラインアップを見てみたい。 まず野手について、年俸、今季成績、そして補強選手の入団年をまとめたのが表1だ。CSのスタメンを参考にして作成した(阪神のDHは独断で新井良太を選出)。表2の投手編は、先発が予想される4人と中継ぎの中心選手3人、クローザー1人の合計8人ずつを比較対象としている。 野手陣の年俸の合計額に大きな差は見られない。投手陣では阪神の方が高年俸だが、不調にあえぐエース攝津正(年俸4億円)が登板するとなれば一気に逆転する。出場予想選手の年俸対決は五分五分と見ていいだろう。補強選手の投資効果 だが「過去2年の補強選手」というフィルターをかけると、両チームの強化方針の違いが表れてくる。黄色で示した通り、阪神はこの2年で野手の戦力を厚くし、ソフトバンクは投手を大幅に強化しているのだ。つまり補強選手に限って見れば、西岡剛、ゴメス、福留孝介らの阪神打線と、中田賢一、スタンリッジ、五十嵐亮太、サファテらのソフトバンク投手陣とが火花を散らす構図が浮かび上がるわけだ。 彼らは首脳陣の期待の分だけ年俸も高い。補強戦力がその真価を発揮するのは果たしてどちらのチームなのか? そうした視点でシリーズの行方を見守るのも一興だろう。 レギュラーシーズンの成績に基づいた“投資対効果”を指標に、あえて結果を予想するとどうなるか。ソフトバンクの補強選手たちが年俸に比してまずまずの結果を残しているのに対して、出場24試合に留まった西岡と、104試合に出場して打率2割5分3厘の福留、この阪神の2選手に関しては物足りない成績と言わざるを得ない。 ならば「ソフトバンク有利」と言いたいところだが、シーズン終盤からCSにかけて、情勢は大きく変わりつつある。今季、西岡が欠場続きだったのは、開幕直後3月30日の試合で負った大ケガが原因だった。二塁後方への飛球を追って、右翼手の福留と激しくぶつかったのだ。開幕3試合目で年俸2億円の西岡が戦線離脱を強いられたのはチームにとっては大誤算だったろうが、CSでは本塁打を放つなどついに復活の時が訪れたことをうかがわせた。福留も、広島とのCSファーストステージ第1戦で前田健太から決勝のソロ本塁打を放ち、鋭い読みと勝負強さを随所に発揮している。今年の日本シリーズを制するのは、阪神か、ソフトバンクか…… (写真: Getty Images News) メジャー帰りという共通点をもつ2人は「期待はずれ」と批判の槍玉にあがることもしばしばだったが、過去、日本シリーズに複数回出場した実績があり、短期決戦の経験が豊富なのも事実。来日1年目で打点王に輝き、好調を持続するゴメスとともに、“補強打線”爆発への期待は高い。 一方、シーズン中は健闘してきたソフトバンク投手陣にはほころびが見える。象徴的なのはセットアッパー五十嵐の乱調だ。メジャーで習得したナックルカーブを武器に危なげない投球を続けてきた五十嵐だったが、オリックスとの優勝争いが佳境に入った9月25日の楽天戦で、まさかの5四球4押し出し(1イニングに4つの押し出し四球は60年ぶり、史上5人目のタイ記録だった)。その後の登板での不安定な投球内容から察するに、この時のショックはまだ完全には癒えていないと見る。先述の通り、李大浩と並んでチーム最高年俸4億円を受け取る攝津もシーズン最終登板で3回6失点、CSで2回7失点と絶不調にある今、低空飛行の「鷹」が牙を剥いた「虎」をおとなしくさせられるかは甚だ疑問だ。 もちろん、昨年がそうであったように、勝負は年俸で決まるわけではない。表には挙げなかったが、ソフトバンクでは飯田優也(育成選手2年目・年俸400万円で契約)、阪神ではルーキーの岩崎優(660万円)と岩貞祐太(1500万円)といった年俸の低い若手投手たちが一軍の先発マウンドを経験しており、彼らが1億円プレーヤーばりの大活躍を見せる可能性も十分にある。逆に、代打起用が予想される阪神の新井貴浩(2億円)などは、数少ないチャンスで存在価値を示したいところだ。 高給取りが底力を見せつけるのか、それともハングリーな若手が大物を食うのか。大阪と福岡、商人(あきんど)の街で繰り広げられる日本シリーズだけに、そんな“銭勘定”も観戦の楽しみの一つにしてはいかがだろうか。   

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    ビジネスとしてのプロ野球 ポストシーズン改革で収益改善を

    ばれる1カ月がはじまるプロ野球界。なぜ横浜ほどの市場規模がありながら球団経営が赤字なのか。プロ野球をスポーツビジネスとして捉えたとき、日本球界はまだまだ未成熟だ。クライマックス・シリーズから日本シリーズに続くこの1カ月間のポストシーズンをいかに収益化していくかが、今後のプロ野球改革の最重要ポイントである。 (2011年10月執筆)大坪正則 今年も日本プロ野球のポストシーズンがまもなくスタートする。元来、クライマックス・シリーズ(CS)と日本シリーズが行われるこの1カ月間は、日本のプロ野球(日本野球機構、以下NPB)のビジネスにとって最も大切な期間である。だが、実態は理想と掛け離れ、さらにはレギュラーシーズンの勝者を重視する一部の人からは「CSはやめるべし」との声も聞こえてくる。そのような考えには賛成できない。むしろ、CSの試合をもっと増やすべきだ。 ポストシーズンは面のビジネス プロスポーツリーグを構成する球団の収支は、図表にある主な勘定項目の増減の結果として表われる。収支を整えるには地方市場、即ち「点のビジネス」と全国市場、即ち「面のビジネス」の両立を図り、そして両市場から得た収入の範囲以内に支出を抑えなければならない。ポストシーズンは面のビジネス プロスポーツリーグを構成する球団の収支は、図表にある主な勘定項目の増減の結果として表われる。収支を整えるには地方市場、即ち「点のビジネス」と全国市場、即ち「面のビジネス」の両立を図り、そして両市場から得た収入の範囲以内に支出を抑えなければならない。 地方市場とは、フランチャイズ制の下で各球団に与えられた地域独占営業区域を指し、この地域ではチケットと球場内物品が販売される。球団が販売を独占するので、1人のオーナー対多数のファンの関係となり、オーナーによる「売り手市場」が形成される。 そして、テレビの電波は、フランチャイズ地域を越え、全国津々浦々、さらには全世界に届くので、全国市場を形成した。しかもテレビは、全国市場で販売・展開されるマーチャンダイジング(商品化)とスポンサーシップを牽引する。全国市場の管理は個別球団が行うよりもコミッショナー(または、1人の人物)に任せる方が効率が良い。ここでもコミッショナー1人に対して多数の契約候補者の関係になるので、「売り手市場」が形成されることになる。 プロスポーツリーグは地方市場と全国市場をそれぞれ1人の「売り手」の管理下に置くことができる。ビジネスの上で、これほどの理想的形態はない。 NPBの最大の問題は、そのビジネスが全国市場に広がらず、地方市場に留まっていることにある。(編集部作成) 日本では、1959年に後楽園球場で巨人対阪神の天覧試合が行われ、NPB人気を確固たるものにする一方、テレビ放送権が試合主催者である球団の管理下に置かれることになった。以来、一貫して巨人戦だけが地上波で全国放送されてきた。交流戦開催前までを例に取ると、各チームの年間ホーム試合数が70ならば、巨人に70試合分の、そして巨人以外のセ・リーグ球団に14試合分の放送権利料が入った。巨人との試合が無いパ・リーグ球団はセ・リーグ球団と比較して放送権利料収入が極端に少なかった。 この不合理はテレビ放送だけに限らない。球団が商品化とスポンサーシップを個別に管理すると、それらの権利は全国市場で成長・発展しない。全国市場で商品グッズを販売したいメーカーも、同じくスポンサーシップを展開したい大手企業も、巨人や阪神の人気が高いといってもファンの比率は20~30%が上限だから、契約することを躊躇する。巨人や阪神と契約した場合、70~80%のファンからソッポを向かれる可能性が高いからだ。したがって、NPBでは、全国市場の商品化とスポンサーシップが球団の収入に貢献しない構造になってしまった。結局、巨人中心のテレビ放送が、巨人に依存するセ・リーグと赤字体質のパ・リーグを生み出し、同時に全国市場の開拓がお座なりになった。収入増をもたらすプレーオフの長期化 米国では、62年、アメリカンフットボールのナショナルフットボールリーグ(NFL)が、コミッショナーの指導の下でテレビ局と地上波独占契約を締結した。コミッショナーによる独占契約は、後にメジャーリーグベースボール(MLB)など他のプロリーグでも採用された。 MLBの放送権の管理はNPBのそれとはまったく異なる。MLBは30球団で構成され、各球団は年間162試合戦うので、全ての試合を全国放送にすることはできない。全国に放送する試合をコミッショナーが選択し、残りは各球団の管理に戻される。各球団に地方市場での放送が許されるのだ。 このシステムでは、シーズン開幕から8月頃までコミッショナーの出番はない。なぜなら、フランチャイズ制の下では、ファンは地元のチームを熱心に応援するので、全国向けに放送をしても対戦する2チームの地元ファン以外は見てくれないからだ。全国市場に向かってテレビ放送が動き出すのは、優勝争いから脱落するチームが出始める8月頃からになる。優勝争いから落ちて行くチームを応援するファンの関心をプレーオフとワールドシリーズに惹きつけるために、地上波の全国放送の回数を徐々に増やすことになる。 商品化とスポンサーシップの収入拡大はテレビが牽引するので、MLBではコミッショナーがテレビに加え、商品化・スポンサーシップも一括管理することになった。これによって、全国市場のビジネス活性化のために、テレビ局、商品化のライセンシー、スポンサーなどのステークホルダーの協力を得て、全国規模でのプロモーションを展開できる準備も整う。8月頃からワールドシリーズまでが、ライセンシーの書き入れ時期になり、スポンサーはその間に大々的なセールスキャンペーンを行うのが慣例化する。その中心になるのが、シーズン終盤の優勝争い、プレーオフ、ワールドシリーズ終了までの連続した地上波による全国放送である。だから、戦力が拮抗して試合数が多くなり、そのためプレーオフの期間が長くなればなるほど収入増加に寄与する。参考までにNPBと米国4大プロリーグのプレーオフの組合せを別記する。 テレビ活用の上手なリーグと球団が潤い、テレビ活用に乗り遅れた所は売上が伸びない。現に、テレビ放送がMLBとNPBの経営の仕組みを決定的に違うものにし、今現在、大きな経済格差を生む要因となっている。 Forbes「The Business of Baseball 2011」によれば、MLB30球団の収入合計は61億3700万ドル。日本円に換算すると、約5000億円。一方のNPBは推定だが、約1200億円。球団当たりの平均収入が、MLBは約170億円、NPBが約100億円。この差が選手年俸の差となって表れ、日本人選手のMLB入りを促している。地域密着の営業で成果出すパリーグ 「親会社が、球団の当該事業年度において生じた欠損金を補填するため支出した金額は、広告宣伝費として取り扱う」(54年国税庁通達)の特例が日本の球団経営を甘いものにし、球団改革を遅らせたようだ。赤字を出し続けたパ・リーグでは、2リーグ制発足時の6球団の親会社が全て撤退し、総入れ替えとなった。 そして、04年大阪近鉄バッファローズの消滅が、他のパ・リーグ球団に大きな衝撃を与えた。親会社が赤字に陥り、その時球団が赤字であれば、球団が消えてなくなることを目の当たりにしたからだ。パ・リーグの球団は黒字に向かって改革を迫られた。だが、テレビ放送権が絡む全国市場の改革はセ・リーグ球団の了解を必要とする。セ・リーグの了解取得は至難の業、時間もかかる。そこでパ・リーグは地方市場からの収入拡大に着手することにした。 幸い、日本ハムが北海道に移転し、楽天が近鉄に代わり東北に進出、ソフトバンクがダイエーの商圏だった福岡を継承し、バランスの取れたフランチャイズを敷くことができた。これは、フランチャイズ制の利点の1つである地域密着の営業活動を展開できることを意味する。05年以降のパ・リーグの「元気良さ」は地域密着の営業が上手く行われている証であり、数字が如実に物語っている。 04年11月のオーナー会議でパ・リーグ球団の平均赤字額が32億2200万円と発表されたが、09年度には2球団が赤字だった(『AERA』10年11月29日号)という調査結果も出るようになった。親会社からの補填があった上での黒字だったかも知れない。それでも、観客動員数で見ると、実数発表が始まった05年と比較して10年は158万939人増の983万2981人となっている。赤字球団の減少が親会社からの補填に頼った結果だけでもなさそうだ。 パ・リーグは、6球団が協働して営業活動を行う会社を07年に設立し、パシフィックリーグマーケティング(PLM)と名付けた。PLMはホームページの作成、インターネット動画中継、リーグスポンサーの獲得などの成果を挙げており、今後も更なる業績拡大が期待されている。 一方、セ・リーグの観客動員数をパ・リーグの同期間と比べると、63万5451人の増加で、パ・リーグの半分にも満たない。フランチャイズの分布を見ると、バランスが取れていない。全国市場を優先して地域密着の営業が機能していない球団もあれば、東京及び近隣の都市に3球団が並存しているからだ。同じ日の同じ時間に、東京ドーム・神宮球場・横浜スタジアムで試合を行いファンの奪い合いをすることは、地域独占の観点に立てば、最悪の事例だ。関東以北に球団がないのもファン層が偏在する要因となっている。 現状打開は、全国市場のビジネスモデルを変えることだ。全国市場の管理を個々の球団から一括管理ができる1人の人物に移管しなければならない。それが達成できれば、球団の数を12から16に、更に16から24に増やすことも視野に入ってくる。全国市場が活発化すると、全国市場からの収入分配が増えるので、各球団の収支が改善される。ファン層と市場の拡大も期待できる。さらに良いことは、全国市場からの分配増加が各チームの「戦力の均衡」も促進できる。緊迫した試合が増え、これまで以上にファンを惹きつけることも可能となる。その中で核となって働くのが、MLB同様、シーズン終盤、CS、日本シリーズを連続して全国に放送するテレビなのだ。 以上のことから、CSと日本シリーズの地上波による全国テレビ放送の重要性が理解して貰えると考える。今NPBに求められるのはリーグ型経営の早期実現である。   

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    田中将大投手を襲ったケガの裏にあるもの

    日本人選手に肘の故障が多発するのはなぜか?玉村 治 (スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト) 大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースで鮮烈なデビューを飾った田中将大投手は、右肘内側側副靭帯の部分断裂で7月、故障者リスト(DL)入りした。昨年の東北楽天ゴールデン・イーグルス時代の24連勝に続き、前半戦だけで12勝と快進撃を見せつけていただけに、多くのファンは突然のニュースに驚かされた。肘の治療は自己血注射による再生医療が中心で手術を免れ、9月21日、ニューヨークでのブルージェイズ戦で復帰して75日ぶりに先発登板。6回1死までを5安打1点に抑え13勝目を挙げた。大リーグで現在投げる日本人投手では、松坂大輔(ニューヨーク・メッツ)、和田毅(シカゴ・カブス)、藤川球児(シカゴ・カブス)らが肘の手術を受けている。ダルビッシュ有(テキサス・レンジャーズ)も8月に肘の炎症を訴えてDL入りした。肘の故障はなぜ起こるのか、日本人投手に起こりやすいのか、肘痛を回避するにはどうしたらいいかを考える。腕の振りの加速が大きいほど肘にストレス図1 投手のしなりがもっとも大きい時(最大外旋位)に肩やひじには大きなストレスがかかる。最大外旋位は剛速球投手では150~160度を超えることがある。 (提供:筑波大・川村卓准教授) 「東洋人は肘に何か問題があるの」 日本人選手の相次ぐ肘の故障(痛み)に、大リーグ関係者の間ではこんな言葉がささやかれているという。しかし、肘の故障はアメリカ、中米出身の選手でも起きている。いいピッチングをしていた日本人投手が突然のように、肘の痛みを訴えて戦列を離れる意外性から発せられたものであり、それだけ日本人が活躍していることの証左である。投手にとって、肘の故障は、肩痛より起きやすいトラブルなのである。 では、なぜ肘を痛めやすいのか。それは、一連の投球動作の中で、前に移動する腰、肩、上腕(二の腕)と異なり、前腕(肘から手首)は後ろに取り残され、中でも上腕と連結している肘に大きなストレス(力)がかかるからである。 この力は、静止していたものが急に加速する時に働く慣性力(止まっているものはずっと止まり続けようとする力)だ。反力ともいう。停止した電車が前進するとき、乗車している我々が後方に倒される力である。図1を見て欲しい。 前腕が最も後方にしなっている状況は「レイバック姿勢」と言われ、前腕が後方に最も強く引っ張られる瞬間である。上腕の振りの加速が大きいほど、この力は大きくなる。大まかにいうと、剛速球投手ほど、腕のしなりは大きくなり、それだけ後ろに引っ張られる力も大きい。 この時、重要なのは、理にかなった投球動作をすることである。正しくないフォーム、例えば、肘が両肩を結んだ線より下がっていたり、前腕が肩から遠く離れすぎたりすると、肘への負担はさらに大きくなってしまうからだ。田中投手の肘の故障原因と治療法は? 田中将大投手が傷めた、内側側副靭帯(ないそくそくふくじんたい)の部分断裂とはどういうものか。内側とは肘の内側というものだ(図2)。図2 内側側副靭帯のある部位(参照:『「野球医学」の教科書』(ベースボール・マガジン社) 上腕は上腕骨一つだけだが、前腕には尺骨と橈骨(とうこつ)という二つの骨がある。尺骨は手のひらを上に向けた時に内側にある骨で、この尺骨と上腕骨を結びつけているのが内側側副靭帯だ。この靭帯は、細かくいうと3つからなるが、投球で最も傷めやすいのが前束(前斜走線維)だ(図3)。正常な靭帯は、強固な線維の束となっているが、度重なる酷使で線維が切れてしまったり、ほぐれて広がったりしてしまうと痛みを伴ってしまう。注意しなくてはならないのは、痛みがなくても損傷は進んでいることがあることだ。図3 内側側副靭帯の模式図。青い矢印が靭帯の前束(参照:『カラー人体解剖学』(西村書店) 「最新のMRI(磁気共鳴画像診断)で判明することも少なくない」と筑波大附属病院水戸地域医療教育センターの馬見塚尚孝講師(整形外科医)は語る。馬見塚さんは、筑波大野球部部長を務める一方、『「野球医学」の教科書』(ベースボール・マガジン社)を執筆し、ジュニア野球選手の野球肘などの故障を回避するための指導法の在り方に一石を投じている。 田中投手の故障は、この前束の靭帯の部分断裂とされる。同じ部位を損傷した松坂、和田、藤川らが受けた肘靭帯再建術(いわゆるトミー・ジョン術)を選択せずに、自らの血液から血小板が多い部分を集めて注射する「多血小板血漿:PRP(Platelet Rich Plasma)療法」を選んだ。 この治療法を簡単に説明すると、①自分の血液を採取する ②遠心分離という方法で血液の中から血小板が多く含まれる部分を取り出す ③それを患部に注射する――方法だ。血液から取り出した血小板が多く含まれる液体は「多血小板血漿(PRP)」と呼ばれる。この中には靭帯修復に役立ついろいろな物質が含まれている。図4 肘靭帯再建術をした患部。内側側副靭帯を補強するように手首の腱(白い部分)を移植してある(提供:馬見塚講師) 靭帯再建術は、損傷した靭帯を補強するように手首や膝裏の正常な腱を切り取って移植する手法。試合復帰するのに1年から1年半近くかかることから、田中投手は、損傷の程度、チーム事情、個人の意思などからPRP療法にかけたとみられる。ただ、PRP療法は新しい治療法であり、どの程度復帰できるかは、まだ臨床研究の段階にある。原因の一つはスプリットの多投?図5 昨年と今年の田中投手の全配給の内訳(提供:フェアプレイ・データ) では、田中投手の肘痛の原因はどこにあるのか。さまざまな要因が考えられるが、日本のプロ野球の全試合を分析するフェアプレイ・データの石橋秀幸社長(慶應大スポーツ医学研究センター研究員)は、田中投手の「投球の組み立て」に注目する。 石橋さんが、田中投手の楽天時代の2013年と今年ヤンキースでの配球を分析したところ、スプリット(フォーク)の多投が顕著だったという。 全配球のデータからもそれが伺える(図5)。昨年は、①ストレート36% ②スライダー24% ③スプリット(フォーク)19%の順だったが、今年は、①スプリット(フォーク)26% ②ストレート22% ③スライダー22%の順に大きく変化した。 石橋さんは、「大リーグでは田中投手のような切れのある、スプリットを投げる投手は少ない。パワーヒッターが多い大リーグでも十分に威力を発揮しているため、キャッチャーもスプリットを中心に組み立てている」と指摘する。 その証拠に、今年は初球からスプリットを多く投げている。大リーグでは初球から積極的に打ってくるバッターが多いのと無関係ではない。 2ストライクと追い込んだ、投手有利な場面でもスプリットが目立っている。昨年は、こうした場面ではストレートを厳しいコースに投げていたとみられるが、今年はスプリットが多く、昨年のストレートがそのままスプリットに置き換わった形だ。早めに勝負球を投げ、球数を減らす狙いがあるとみられる。同じく1-1、2-2などの平行カウントでもスプリットと、ストレートの使用割合が日本時代と逆転しているという。 こうしたスプリットの多投で何が起きたか。田中投手は、ある程度深くボールをはさみ、指の間からボールを抜く感じで投げている。ボールをリリースした瞬間、腕には急ブレーキがかかるが、フォーク(スプリット)はストレートより大きな力でブレーキをかけなくてはいけない。 石橋さんは「フォークを多投する投手に聞くと、投げすぎると握力が落ち、手がむくむことがあったという。フォークを投げた時の肘には、ストレートより1.4倍も大きな力の急ブレーキがかかる(図9)。それだけ肘への負担が大きくなる。スプリットの多投は肘への負担を高めた要素の一つ」と強調する。図9 直球とフォークボールを投げた時、肘にかかる加速度。ボールをリリースした後、フォークを投げた時の肘には、直球の時の1.4倍も大きなブレーキがかかっている (参照:車谷洋、村上恒二、「フォークボールと肘関節障害」、臨床スポーツ医学 19-4)中4日の登板による疲労説も もう一つの要素と考えられるのは、中4日の登板による疲労の蓄積だ。田中投手は楽天時代、中6日で登板していた。この2日の違いは、休養の取り方、投球練習、筋力トレーニングなどの調整の内容、スケジュールに大きく影響する。 ダルビッシュ投手が「中4日では肘の炎症がとれない。もっと間隔をあけるべきだ」と主張するのは、この投球間隔がいかに過酷であるかを示す悲鳴にも聞こえる。 このほか、田中投手のフォームは、大リーグの固い、急傾斜のマウンドには向いていないという分析もある。 下の写真は、このコラム「楽天・田中将大投手 25連勝 強さの秘密」で紹介したフォームである。図10 楽天時代の田中投手のフォーム(提供:フェアプレイ・データ) 文句のつけようのないきれいなフォームであるが、松坂投手のけがの理由について解説した「ダルビッシュと松坂を科学する」でも触れたように、ステップ幅が大きく、重心が低く、体を前に送り出すフォームでは、大リーグの傾斜の高い、固いマウンドでは無理な姿勢で投げなくてはならない。肘への負担が大きくなってしまう。こうした大リーグのマウンドでは、ステップ幅を狭くし、踏み出した足を突っぱねるようして地面からの力(反力)を得て投球するのが理にかなっているのである。 しかし、大リーグ入り後の田中のフォームには、ほとんど変化は見られなかった。「大丈夫かな」と思っていた矢先のDL入りだった。 現在、リハビリ中の田中投手は、ビデオ映像を見ながらフォーム改造に着手した。従来のフォームでは肘への負担が大き過ぎると判断したのだろう。幸いヤンキースには、田中と同じような、重心の低いフォームから大リーグ型のフォームに見事修正した黒田博樹投手がローテンションの柱として健在だ。 石橋さんは「目指すべき姿、目標が近くにあることは大きい。3年目のダルビッシュやシアトル・マリナーズの岩隈久志投手らも大リーグにあったフォームに進化している」と語る。幼少期からの投げすぎが一因にも図11 野球で肘痛を発症した大学生の過去の既往歴との関係(参照:『「野球医学」の教科書』) 一方で、馬見塚さんや、筑波大の川村卓准教授(同大野球部監督、スポーツ科学)らは、「ジュニア時代からの投げ過ぎなどが今回の肘障害の背景にある」との見方を提示する。田中投手は中学時代にキャッチャーからピッチャーへ転向し、特に肩や肘を傷めたとの報告はなし。しかし、キャッチャーやピッチャーは、ジュニアではともに肘などの故障がダントツに多いポジションだ。 馬見塚さんは、「精密なMRI検査をすると、ジュニア時代に繰り返す軽微な肘痛の裏には内側側副靭帯の異常があることが多い。田中投手の場合、肘の障害のきっかけはジュニア時代の障害があったのではないかなど、過去にさかのぼって考える必要がある。これにメジャーでの慣れない環境、中4日登板などによって、疲労が十分に取れない中で、投球数の多さも重なって症状がでた可能性はある」とみる。 馬見塚さんによれば、大学生で肘の痛みを訴える人の86%はジュニアや高校時代などに肘痛の既往歴があった。大学生になって初めて発症するのは2%に過ぎなかった。発症しやすさは、過去に傷めたことのある人の方が既往歴のない人に比べ25倍も大きいことになる。 「つまり、大学生からの障害対策では遅い。もっと小さい時からの障害予防の取り組みが欠かせない。成人と同じような、勝利至上の野球は障害の要因になるだけだ。なぜなら、ジュニアと成人では骨や靭帯の発達が違うからだ。肘の場合、子どもは軟骨が多く、耐久性はない。指導法が異なることを指導者は知らなくてはならないが、まだそこまでいっていない」と語る。図12 子ども(10歳、左)と成人(27歳、右)の肘のMRI画像。緑色の矢印は軟骨を指す。青色の矢印は靭帯を指す。子どもは骨が発達せず、軟骨が極めて多い(参照:「別冊整形外科No.64」(南江堂))。投げ過ぎの基準は球数以外にも強度やフォームも考慮 馬見塚さんがもう一つ警鐘を鳴らすのは、「投げ過ぎが球数だけで考慮されている野球界を取り巻く空気」だ。大リーグでは先発投手の交代の目安は100球。青少年も「1試合75球以下、1シーズン600球」を推奨する野球ガイドラインがあるが、野球肘などの障害防止の特効薬にはなっていない。 日本でも同様の興味深いデータがある。小学生の投手149人を対象に、1年間追跡した調査で、1日50球以上投げていた62人中42人(66.1%)が肘などの障害が発生した。一方、50球以下の障害発生は少なくなったものの87人中25人(28.7%)が発症している。このことは「肘痛の減少に球数を抑えることは有効だが、球数を少なくしても、約30%が肘痛を発症していることは、投球数制限だけでは十分ではないことを示している」(馬見塚さん)。 では、何が重要かと言えば、投球の強度とフォームという。全力投球は肘に負担がかかることをこどもたちに教えることはとても大事である。そしてその指導は決して将来の投球スピードを減らすものではないことを知ることである。じっくり成長を待つことが大切だ。 また、ストレートの肘への負担を100とすると、カーブは91、チェンジアップは83と適切な指導を受けた場合変化球は決して負担の多い球種ではない。「学童野球ではチェンジアップなどを許可し、指導者講習会などで指導者に指導法を学んでいただくことも大事だ」と馬見塚さんは強調する。 もう一つは、肘や肩に負担の少ないフォームを身につけることだ。フォームが身についていないと、球数が増え、疲労がたまると投げ方が悪くなりがちだ。年齢に応じた筋力とスタミナをつけないと、フォームを修正しても昔の癖が抜けきらないことがある。 田中投手らが大リーグで活躍することは、未来を担う少年たちにも大きな夢となる。今後、田中投手の一挙手一投足には注目が集まるが、今回のDL入りは、日本、アメリカのプロ、アマチュア、ジュニアを超えて、改めて野球を冷静に見直す良い機会を与えてくれた。科学的に野球をすることの大切さだ。   関連記事■昨季の田中将大 投手酷使指数ではMLB先発投手の5年分に相当■マー君の故障 米では原因を日本での投げ過ぎに求める声強い  (ともに週刊ポスト 2014年8月8日号)

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    プロ選手の増加歓迎 経営の合理化必要に

     ◇小関順二(こせき・じゅんじ)  昭和27年、神奈川県出身。61歳。日大卒。単行本の編集者を経て、スポーツライターに転身。ドラフト戦略に着目するなどプロ野球に精通。著書に「プロ野球問題だらけの12球団」など。井箟重慶(いのう・しげよし)  昭和10年、岐阜県出身。79歳。上智大卒。平成2~12年、オリックス球団代表を務める。著書に「プロ野球 もうひとつの攻防『選手VSフロント』の現場」。関西国際大名誉教授。

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    プロ野球球団は増やせるのか 経済学の「視点」改めて議論

     東京・銀座のランドマークである、ソニービルは入り口の一角で、サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会のダイジェスト版を4Kテレビで流したり、最上階のホールでは大型画面を用意したり、ファンの熱気に包まれていた。日本が1次リーグでの敗退が決まると、すっかり人波は遠のいた。 列島がサッカー熱に浮かされているとき、プロ野球交流戦は盛り上がりをみせ、巨人対ソフトバンクの最終戦で巨人の優勝が決まる劇的な幕切れとなった。 プロ野球の1リーグ構想が突然明るみに出て、紆余(うよ)曲折を経て2リーグが継続してから10年目である。あの時の真相を探ろうとする報道が相次いでいる。「アベノミクス」の成長戦略の立案に対し、自民党が球団を現在の12球団から16球団にする構想を打ち上げた。 改めて、プロ野球の「経済学」が論議されている。列島に球団の数を増やすことはできるのか、球団経営は親会社からの補填(ほてん)なくして自立できるのか…。 千葉に本拠を置くロッテと、福岡のダイエーを合併して、1リーグにする構想は実は、10年前ではなく、その前年に水面下で開始されていた。 オリックスの本拠地のネーミングライツ(命名権)を購入したソフトバンクの孫正義代表が、この年にオリックスに招待されて試合を観戦したのが、のちに2リーグを維持することになるきっかけだった。観戦直後にプロ野球の球団買収の意向を示した。 買収できる球団はどこか。情報を収集する過程で1リーグ構想につきあたった。球界の情勢に詳しい2人の友人から情報がもたらされた。 そして、球界再編騒動の2004年に入る。ロッテとダイエー、さらにオリックスと近鉄の合併構想までが明らかになり、選手会のスト表明にまで至る。 ダイエー本体は10月、産業再生機構の支援を仰ぐ。孫代表はその瞬間に、球団が売り出されると読んだ。急遽(きゅうきょ)、休日に呼び出され、福岡と東京で買収に名乗りを上げる記者会見の設営を命じられた。 ダイエーとの交渉を進めるなかで、突然のように西武から身売りの打診があったのに驚かされた。 球団経営の収入は、チケットと関連グッズ、飲食である。支出のうちで大層を占めるのが実は球場の使用料なのである。米国では自治体が球場を建設して、年間の使用料を1ドルにしているところもある。ネーミングライツも補填する。仙台を本拠とする楽天が早期に黒字化したのは、県営球場の使用料が格安であることが大きな要因だ。 福岡はかつて西鉄が、仙台は準フランチャイズだったロッテに去られた経験がある。市民は地元に球団が存在する意義をよく知っている。 プロ野球球団を増やせるかどうか。その方程式を解く鍵は、多くの否定的な専門家が説くような、選手不足や親会社の維持費の問題ではないと思う。(シンクタンク代表 田部康喜)※フジサンケイビジネスアイ 2014年6月30日関連記事■プロ野球 16球団に拡大するなら完全ウェーバー制導入すべき■プロ野球16球団構想に江本孟紀氏「アホとしかいいようない」■プロ野球16球団拡大プラン 集客考慮した「4地区制」の提案■アベノミクスで「プロ野球16球団構想」 現状は厳しいと識者

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    「カープ女子」の次は「オリ姫」! イケメン選手に女性ファン殺到

     開幕前の低い下馬評を覆すプロ野球オリックスの快進撃。前半戦44試合で100万人を超え、1試合平均2万2734人は前年同期と比較して16・2%増。この大幅増の裏側には若き女性ファン「オリ姫」の存在があった。 データを活用  夏休みに入った後半戦は客足がさらに伸びた。週末のロッテ戦は8月2日が3万1765人、3日も3万3989人と3万人を超すファンで本拠地の京セラドーム大阪は連日ほぼ満員。最後に日本一に輝いた1996年の179万6000人の球団最高記録を抜く可能性も出てきた。 「ここからが観客動員の“勝負のかけどころ”だと思っています」。山本康司リテール営業部チケットグループ長も鼻息が荒い。 観客の大幅増にはチームの快進撃はもちろん、昨年から本格的に活用を始めた「ビッグデータ」が大きく寄与している。 ファンクラブ「BsCLUB」の会員証はICカードになっていて、グッズやチケット購入、飲食履歴などをデータとして蓄積。性別、年齢別に分類しグッズや飲食の好みなどを分析、チケットセールスやイベントの企画、告知メールの文面までファン層に応じてアプローチを変えている。 こうしたきめ細かい対応がファンの満足度を高め、リピーターが増えた。新規加入も増え、ファンクラブ会員数は昨年比1・5倍の4万人に到達した。20~30代増加 特筆すべき点は「ウチが最も弱かった層」と山本グループ長が指摘する「20~30代の女性層」のファンクラブ会員が前年比5~6%増加したことだ。 ネット上で「オリ姫」「猛牛女子」とも呼ばれる若い女性。このファン層はお目当ての選手を追いかける傾向が強い。侍ジャパン(野球日本代表)の4番打者、糸井嘉男外野手(33)が日本ハムから移籍してきた昨年も女性会員が増える現象がみられたという。今季、金子千尋投手(30)、西勇輝投手(23)、伊藤光捕手(25)らイケメン選手の活躍、露出増の効果は大きい。ダンスで応援 データ分析による球団のマーケティング戦略も見逃せない。京セラドーム大阪ではフードメニューに女性向けのスイーツを今季から5種類増やした。 昨年12月には、伊藤捕手、海田智行投手とその当時は独身だった安達了一内野手の“独身・イケメントリオ”が登場する女性限定のクリスマスパーティーを開き、2部構成各30人限定の募集を掛けると、あっという間に完売。先月1~3日の楽天戦では、七回攻撃前に応援歌にのせグラウンドで踊るという企画を各日100人限定で募集し、全日完売。女性ファンの取り込みに球団挙げて取り組んでいる。 今後の重点試合はソフトバンクとの首位攻防戦。京セラドーム大阪では17日までと9月16~18日の3連戦が予定されている。いずれも優勝争いを左右する戦いだけに「じゃあ1回ドームに行ってみようという人も多いでしょう。そういう人たちが真のファンになってもらえるように引き込みたい」と山本グループ長。快進撃は最大のビジネスチャンスでもあるのだ。

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    カープ女子で経営安定の広島 マツダとの連携強化なら常勝か

    って出資していたように、多くの企業にスポンサー支援を仰いだほうが広島経済全体の活性化にもつながる」(スポーツ紙記者) 幸い、マツダは前3月期で過去最高益を計上するなど業績は絶好調。新型の『デミオ』が2014~15年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」に選出されるなど勢いづいている。 仮に、マツダがカープとの連携をさらに深めて積極的な財政支援を行えば、“常勝チーム”を狙う選手補強の原資にもなる。果たして、松田一族は「広島東洋カープ」の未来像をどう描いているのだろうか。 (2014年10月15日)関連記事■広島市民溺愛のカープうどん 2年前から「全部のせ」が登場■「カープ女子」の平均的プロフィール判明 26歳ラーメン好き■24歳美女「窓を開けて風を感じたい」とドライブデートを夢想■車メーカー・マツダのアルファベット表記が「MAZDA」の理由■「巨人の選手は東京ドームの本塁打の打ち方を熟知」と専門家

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    銭ゲバ目線で考える日本シリーズ

    拠地を商都に抱える両チームのガチンコ勝負に注目が集まる。一方で激減した放映権料や選手年俸の高騰など「スポーツビジネス」としての課題も多いプロ野球経営。今年はいつもと違う視点で日本シリーズを楽しもう。