検索ワード:ネット社会/66件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    日本人好みの「間接自慢」進化系、それがインスタ女子である

    原田曜平(博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー) 若者に人気のSNS「インスタグラム」上で、芸能人が「偽装リア充」をアピールしているというニュースが相次いでいます。華やかなセレブ生活をアピールするために巨額の借金をしていたタレントのGENKINGさんや、友人と食事しているように見せるために、1人で2人分の食事を頼んで写真を撮っていたモデルの西上まなみさんがテレビ番組で言ってましたね。 でも、これはあくまで芸能人の特殊な例で、一般の女の子の場合はもう少し小ぶりな例が多いんじゃないですかね。例えば友達同士で集まって、そんなに盛り上がってもいないのに、SNSに載せるための写真を撮るときにはみんなでジャンプをしてあたかも楽しそうに仲良さそうにみせるとか、その程度のものでしょう。 名古屋で6月に、見た目がかわいいソフトクリームを写真だけ取ってほとんど捨ててしまっている、という写真がツイッターに投稿され話題になったけど、そういった「事件」がその後続いていないことをみると、極端な行動を起こす人はごく一部なんです。 若い女の子たちの「承認欲求」は、SNSというツールによって可視化されることで、エスカレートしているように見えます。例えば、友達と楽しそうな写真を撮ったり、かわいいソフトクリームの写真を撮ったりするのは、日常の記録のためという人もいますが、多くはインスタグラムなどのSNSに投稿し、「いいね」ボタンをたくさん押してもらうという承認欲求を得たいからなんです。 SNSという公衆の面前で、人が見ていることを前提に投稿しているということは、当然その場でどれくらいの人がリアクションしてくれるのか見たいという欲求がわきます。フェイスブックもツイッターも同じで、投稿したものに対してリアクションができるボタンがあるからこそ、反応が気になる、そういうツールですからね。原田曜平氏(博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー) 昔は「君かわいいね」「お前いいよな」と面と向かって言われるのが承認欲求の満たし方だったけど、今では知らない人でも、遠くにいても、「いいね」ボタンがあることで、認める側もライトに「いいね」ができます。そして、認められる側も数多く、幅広く「いいね」を集められる。もともとあった承認欲求というものが表現されやすくなったんでしょう。 いままでは、男なら飲んで酔っ払って深酒して、「実はおれ結構お前のこと認めてんだよ」と、そこまでいかないとなかなか引き出せなかったものが、いまはボタン一つでできるってこと。きっと今のおじさまたちがインスタグラムをやってみたら、同じように承認欲求を表現する行動をとると思いますよ。「いいね」とビックリマンチョコの共通点 そういえば、僕が小さい頃、「ビックリマンチョコ」の買い占めがありました。「おまけ」のシールだけ抜き取ってチョコだけ大量に残すというのが社会問題になりましたけど、インスタグラムに起こっていることと全く同じじゃないですか。 ビックリマンチョコも、所有というワンステップを置いているだけで、最終的にはレアなシールや強いシールを見せびらかして承認欲求を満たしていたんです。ビックリマンシールは今でいう「いいね」ボタンでしょう。別に最近の若者が病んでいるわけでもなく、いつの時代でも若者というのは、承認欲求を得るためにバカなことをするやつが一部いるということなんです。 要は人間の本質って20年、30年では変わりません。ただ、インスタグラムなどのSNSがこれだけ普及すると、ツールが生まれた分、行動も変わってきます。例えば、最近の若者は「写真動機」と呼ばれる動機をもとに行動をしているんです。昔ならおいしいものを食べに行き、いい景色だったから結果として写真を撮っていました。でも、今は旅に行くにしても、SNSで画像検索をして、例えばウユニ塩湖でジャンプした写真を撮りたいからウユニ塩湖に行こう、となります。目的と動機の主従が逆転しているんですね。常にスマホでカメラとSNSを持ち歩いている現状があるからこそ、そういう行動動機になるのは必然といえます。20年前でもカメラとSNSを渡したら同じようになっていたはずです。インスタグラム投稿例 もう一つ、インスタグラムを利用する女の子の特徴的な行動として、「間接自慢」というものがあります。要するに婉曲表現、間接表現による自慢ということです。 例えば、「私、彼氏ができました。ラブラブです」という彼氏とのツーショット写真は絶対に載せない。「栃木の温泉にきています。今旅館でごはん中です」というコメントとともに写真を載せるのに、本来だったら真上から料理を撮ればいいものを、なぜかちょっと引いて撮る。その角度の先に2人分のお皿がチラッと見える。「この子彼氏と来ているの?それとも女友達?」というくらいに匂わせる手法を間接自慢というんです。 この手法を使っている女の子はかなり多いですね。青春18切符を写真に撮って、「これで貧乏旅しています」といいながら、ブランドもののバックをさりげなく映り込ませたり、「今日は東京タワーに来ています」と運転席から東京タワーを引きで撮り、さりげなく車のエンブレムを映り込ませたり、そしてその車がフェラーリだったりするんです。 この間接自慢は、写真を中心にコミュニケーションするインスタグラムの象徴的な文化でしょうね。そもそも写真というものは、いろいろなことを示唆できる。それを一般の女の子たちが気軽に使って表現できるようになったがゆえに、間接的に自分を自慢する行為が生まれたんです。インスタは最も平和なSNS そして、今のトレンドは、「より自然に盛る」ことらしいですよ。例えば最近、自分の後ろ姿を写真に撮ってインスタグラムに載せる子をよく見かけますよね。そこに街並みの全体も見えて、路上の店舗も映り込んでいて、おしゃれな世界観をなにげなく自然に見せてね。でも、よく考えたら自分のページに自分の後ろ姿が載っているのは、すごく不自然じゃないですか。道のどこかにスマホを置いて、カシャッと撮っているわけだから。ただ、写真だけパッとみたら、本当は不自然だけど、なんとなく自然な写真に見えてしまうんです。 どうして間接的に自慢したがるのかといえば、それは日本特有の文化だと思いますよ。海外でも間接自慢の写真はあるかもしれませんけど、基本的に海外の方が階級や階層などの格差が当たり前のようにあって、自慢は悪いことじゃないからこそ、やんわりとした表現はあまり使わないんです。 その一方で、日本はなんとなくみんなが平等じゃないといけない雰囲気があって、直接自慢するやつは嫌なやつ、という島国根性、ムラ社会的な文化があるじゃないですか。だからこそ多くの人が間接自慢をやりたがるんです。直接は言いにくいからね。 とはいっても僕はインスタグラムをわりと肯定的に見ているんです。たしかにうがった目で見ると気持ち悪いかもしれません。ただ、人生は必ずしもいいことばかりじゃなく、能力もないしお金もないし自信もないし、という人がたくさんいるんです。そういう人が写真を投稿して、たった10個の「いいね」をもらうだけで、心がちょっとホッとするならそれはそれでいいのかな、と思います。人に認めてもらうことで、いろいろなものを維持できる人が世の中にはたくさんいますからね。ある意味で心のセーフティーネットになっているならいいことじゃないですか。 そのためだけに写真を撮る、ということを「病んでいる」とみるか、肯定的な見方をするか、それはどちらも間違っていないと思います。ただ、インスタグラムはツイッターと違ってリツイート機能がない分、炎上もほとんどなくて、最も平和なSNSといえます。LINEだって既読になっていないとか、既読スルーとかでもめたりしますよね。人の結婚式で悪口が言えないのと一緒で、インスタグラムはきれいな写真を載せることが多い分、きれいな場所はそんなに荒れませんからね。今までのSNSの中では一番良質で、誰も傷つけないのがインスタグラムだと思いますよ。 インスタグラムを使う若者たちをおじさまたちは受け入れられないかもしれません。でも、それは自己表現するツールが変わっただけで、昔の人が同じものを持っていたら同じことをしていたはずです。いつの時代もそうでしょう、もし江戸時代に車があったら、遠くまで行けるようになることで人々の行動や生活が劇的に変わるじゃないですか。おじさま世代にとってSNSはバーチャルであって、意味のないものに見えるかもしれないけど、実はモータリゼーションと同じくらい大きなことかもしれないと僕は思いますね。(聞き手 iRONNA編集部、中田真弥)はらだ・ようへい 1977年、東京都生まれ。慶応大卒業後、博報堂に入社。現在、博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー。多摩大非常勤講師。近著に『新・オタク経済 3兆円市場の地殻大変動』 (朝日新書)など多数。

  • Thumbnail

    テーマ

    「インスタ女子」がけしからん!

    写真共有アプリ「インスタグラム」に狂う女子が激増しているという。「いいね!」欲しさに女子力アピールするだけならまだしも、撮影目的で注文した料理を残したり、ゴミ箱にポイ捨てする行為も横行しているらしい。世のおじさんたち、そんなインスタ女子の気持ちを理解できますか?

  • Thumbnail

    記事

    なぜインスタグラムに狂う女子が爆発的に増えたのか

    鈴木朋子(ITジャーナリスト) 「インスタグラム」の勢いが止まらない。インスタグラムとは、写真や動画を共有するSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)だ。ニールセン デジタル株式会社が2017年3月に発表した「SNSやコミュニケーションアプリ」の利用状況によると、国内のユーザー数は1294万人。2016年5月発表の同社の調査によると、2015年から2016年にかけての増加率は84%で1092万人と、その後も着実にユーザー数を拡大していることがわかる。 特に特徴的なのが、若い女性からの支持だ。性年代構成を見ると、インスタグラムの30%が18歳から34歳までの女性であり、LINEやフェイスブックとは明らかに異なるユーザー属性を持つ。インスタグラムの画面 若い女性たちのインスタグラムに対する熱意はすごい。彼女たちは「インスタ映え」(インスタグラムに投稿すると注目を集められる写真)を求め、インスタ映えするスイーツを提供するカフェに長時間行列する。インスタグラム上で人気な人は「インスタグラマー」と呼ばれ、その生活スタイルは憧れを呼び、愛用品を入手するファンも多い。そんな彼女たちをターゲットに、飲食店は撮影用の壁や照明を用意し、インスタグラムによるクチコミ効果を狙い、女性誌は自撮り用のライトを付録に付け、「いいね」をもらえる写真の撮り方や加工のコツを紹介する大特集を組んでいる。 ここまで若い女性を熱狂させているインスタグラムとは何なのか。 インスタグラムは前述の通りスマートフォンで画像や動画を投稿し、コミュニケーションをとるSNSで、写真全体の色味を変更したり、トリミングや回転といった基本的な加工機能を持つ。好きなアカウントを「フォロー」すると、自分のホーム画面に投稿が表示されるようになる。投稿主とは「いいね」やコメントで交流することができる。 実はインスタグラムは最近始まったサービスではない。2010年にアメリカのベンチャー企業がiOS用のアプリをリリースしたのが始まりだ。色調や彩度などを簡単に加工できる「フィルター」機能を持ち、スマートフォンで撮影したスナップ写真が作品として生まれ変わる点が写真愛好家の支持を集めていた。その後、フェイスブック社に買収され、正方形に限定されていた画像も長方形で投稿できるようになるなど、時代に合わせて機能を拡張し続けている。「盛れている」写真の裏側 近年のSNS動向を見ると、テキストでの交流から画像や動画による交流への移行が顕著だ。インスタグラムは初めから写真をベースにしており、時代が追いついたといえるかもしれない。さらに、海外の「セレブ」と呼ばれる女優やモデルが愛用し、日本の芸能人へと広がったことも流行した要因だろう。インスタグラムの投稿 インスタグラムでも写真や動画に文章を付けることができるが、長文を投稿するユーザーはまれだ。「ハッシュタグ」という検索しやすくなるキーワードを付けて投稿する。鎌倉で撮影した海の写真なら「#鎌倉」「#sea」といった具合だ。ハッシュタグをタップすると、同じハッシュタグを付けている投稿が一覧表示される。フォロー関係にないアカウント同士でも、ハッシュタグ経由で投稿を発見し、「いいね」を通じて自然な交流が生まれることもある。 若い女性はハッシュタグをいくつも付ける傾向がある。先の例で言えば、場所や名称のハッシュタグだけでなく、「#今年初めて」「#靴のセレクト失敗」「#ほんとは暑くて帰りたい」などと10個程度並べる人も少なくない。検索による投稿閲覧を目的にしているのではなく、個条書きのように書けば文章にするよりも簡単に思いを伝えられるからだろう。 彼女たちがインスタグラムに投稿するのは、「盛れている」一枚だ。「盛れている」とは、現実よりもかなり良く写っている状態のこと。盛れていない写真は、インスタグラムの加工機能や別の写真加工アプリを駆使して、最高の一枚に仕上げる。「インスタ映え」するとされている、カラフルなスイーツや生クリームたっぷりのパンケーキ、海外ブランドのコスメ、セレクトショップの雑貨などの投稿が多く、真上から撮影している写真が多くみられる。 自撮りを載せるときは、盛れる角度を探して何十枚もの写真を撮る。最近の流行は、「SNOW(スノー)」などの自撮りに特化したアプリで撮影した写真だ。自撮りアプリで撮影すれば、顔に動物のスタンプを施して目を大きくするといった、誰でもかわいらしくなる加工ができる。あからさまな加工を避けたければ、さりげなく美肌にし、顔の輪郭をすっきり整えるアプリもある。 インスタグラムに投稿した写真は自分のプロフィル画面に並ぶため、数日前に投稿した写真が気に入らなくなったら、躊躇(ちゅうちょ)なく削除する。インスタグラムには常に自分のセンスが光るキラキラした写真のみが表示されるのだ。 しかし、これでは「今」を共有できるこの時代においてタイムラグを感じるし、少し窮屈でもある。そこで多用されているのが「ストーリー」機能だ。インスタはマックよりスタバ? 「ストーリー」は、24時間で投稿が自動的に消える機能だ。「エフェメラル」と呼ばれるこの機能は、海外で人気を集めた「Snapchat」というSNSに早くから採用され、2016年にインスタグラムもこの機能を追加した。若い女性にとって盛れている写真しか投稿できないインスタグラムだが、知り合いと繋がっている以上、たまには普段の自分も共有したい。そこで、自動で消えることで写真が残らず安心なストーリー機能を使うのだ。 ストーリーには、静止画と動画が投稿できる。画像を文字やスタンプで飾ったり、他のアカウントへのリンクを設定する機能もある。 ある女子高生は「スターバックスに行ったらインスタに投稿するけど、マクドナルドはインスタに投稿できない。でもストーリーならマクドナルドもあり」と言っていた。友達とマクドナルドでおしゃべりしている様子を他の友達に中継するために投稿することもあるそうだ。 他にもストーリーには、インスタグラムらしからぬ投稿が行われる。黒い背景に愚痴をずらずらと書き連ねた画像や、彼氏とイチャイチャしている動画などだ。「消えるから」と投稿するのだが、投稿を見た人がスマートフォンの画面を撮影すれば、自分の知らないところに画像が残ってしまう。そのリスクは想像できるはずだが、それでも発信したい気持ちが勝つのだろう。 実のところ、清らかな印象のインスタグラムにも怪しい投稿はある。セミヌードや性的なイメージを想起させる画像や動画、風俗店のアカウントといったアダルト系だ。ただしインスタグラムの規制は厳しく、ガイドライン違反をしたユーザーのアカウントはすぐに停止される。 また、「ステマ(ステルスマーケティング)」の問題もささやかれている。若い女性は商品を購入するとき、検索エンジンでWebサイトを検索するのではなく、SNS内を検索することが多い。特にファッショングッズやコスメに関しては、インスタグラムの投稿を参考にする。100円ショップで買えるコスメの使用感やモデル以外の人が着ている洋服など、通常の通販サイトでは見られない写真やクチコミが見られるからだ。インスタグラムでフォロワー数の多いアカウントを持つ人は「インフルエンサー」とも呼ばれ、美容系のサプリやグッズを紹介することで購買促進に影響力を発揮するのだが、企業からの宣伝依頼であることを隠して投稿している「ステマ」もあるという。 この問題にもインスタグラムは積極的に取り組んでいる。インフルエンサーがスポンサー企業の商品を投稿するとき、「XXX(ブランド名)とのタイアップ投稿」と表示される仕組みを提供することが発表されている。現状は少数のクリエイターや企業に限定して提供されているが、今後ガイドラインの公開とともに提供を拡大していく予定だ。 おしゃれな女性誌を自らが編集するように楽しめるインスタグラムは、若い女性が憧れる世界の投影だ。いつまでも夢が続くように、今後も安心で健全な運営を期待したい。

  • Thumbnail

    記事

    精神科医が教える「インスタ女子」心のメカニズム

    熊代亨(精神科医) 「インスタグラム女子」がキラキラした写真を投稿するために、わざわざ着物をレンタルしたり、高価なアイテムを買って写真を投稿したらすぐ売り払ったりする…といった話を最近はよく耳にします。他人から認められない「承認欲求」を満たしたい気持ちはわからなくもないのですが、「そこまでやるか?!」と驚かずにいられません。ただ、「インスタグラム女子」の承認欲求の充足メカニズムについて立ち止まって考えてみると、昭和生まれ世代が20代だった頃にはあまりなかった、新しい感性を想定してみたくもなります。 「何かを蒐集(しゅうしゅう)して、見せびらかして注目されたり褒められたりする」という承認欲求の満たし方は、今に始まったものではありません。  昭和時代を思い出しても、たとえば「ビックリマンチョコ」に付いているレアなキャラクターシールを見せびらかしたり、アニメのキャラクターグッズをコレクションして自慢したりするとか、そういった承認欲求の充足はポピュラーでした。  現在も、これに近い風景を「ソーシャルゲーム男子」にみることができます。近所の学生男子たちがソーシャルゲームの話をしているのに耳を傾けると、「俺の一番お気に入りのキャラクターは○○だ」「こないだ、ガチャ(希少アイテムが当たる有料の電子くじ)をやったら××が出た」といった弾むような声が聞こえてきて、ああ、男子は今も昔もそういうのが大好きなんだなぁと、安堵(あんど)したような気持ちになります。 2015年3月のマーリンズ春季キャンプで、イチローは「ビックリマン」のキャラクター、スーパーゼウスがプリントされたTシャツで施設入りした(撮影・リョウ薮下) 「インスタグラム女子」は彼らとは違います。  何かを蒐集して、見せびらかして、注目されたり褒められたりしたがっている点では、彼女たちも同じといえば同じです。  ただし、彼女たちが蒐集しているのはモノではありません。体験であったり、関係性であったりします。というより、体験や関係性が蒐集されてキャラとして練り上げた、インスタグラムのアカウントそのものです。  ビックリマンチョコのレアなキャラクターを見せびらかしている男子には、承認欲求以外にも、モノが欲しい・モノを手に入れたいという物神崇拝(フェティシズム)の傾向がありました。他人に見せびらかして注目されたいだけでなく、モノそのものに対する執着があったわけです。蒐集対象がキャラクターシールからキャラクターデータに置き換わったソーシャルゲームにおいても、この点はあまり変わりません。 他方、「インスタグラム女子」には、そうしたモノそのものに対する執着があまり感じられないのです。最近は「モノより体験」などとよく言われますが、体験に執着しているとも思えず、どうなんでしょうか。男子も中年も「いいね」集めるのが当たり前 もちろん、着物をレンタルして写真を撮ったり、一日で売ってしまうであろう最新アイテムを手にしてそれらしい場所で写真を撮ったりするのも、体験といえば体験かもしれません。しかし、本当に自分自身の体験を大切にするなら、着物のレンタルはともかく、高価なアイテムを1日で売り払ったりはせず、もっと使い勝手を確かめてみるのではないでしょうか。やはり、インスタグラムのアカウントの見栄えをよくして、他人に見せびらかすことに重きが置かれていて、体験は二の次になっていると想定せずにはいられません。 私個人としては、「プリント倶楽部」がブームになっていた90年代を思い出しても、女子という人々は、男子に比べて物神崇拝のきらいが乏しく、モノより体験を、あるいは、関係性を見せびらかして承認欲求を満たす性質が強かったように思います。そうした体験や関係性を見せびらかすためのツールとして、インスタグラムはとても便利なツールです。いや、おそらく便利過ぎるのでしょう。自分が見せたいものだけを、自分が見せたいように並べて編集して投稿できるツールが、女子の標準装備になってしまいました。これは、何気に大変なことなのではないでしょうか。 いや、女子だけを挙げるのは間違いでしょう。今では、男子や中年男女もインスタグラムのアカウントをつくって、自分の見せたいものだけを見せたいように陳列したキャラを立ち上げて、せっせと「いいね」を集めています。それが当たり前になってしまいました。 昨今、インスタジェニックなシーンのために買い物や旅行に狂奔する、「インスタグラム女子のキラキラアカウント」的なエピソードが、面白おかしく紹介されるのを目にします。もちろん、そのような極端なアカウントは多数派とも思えません。ですが、そういった記事に注目が集まるということは、ユーザーの少なからぬ割合が、それに近いアカウントに出合っているか、自分自身に思い当たる節があるか、どちらかではあるのでしょう。 インスタグラムで「いいね」を集めて承認欲求を満たすことに夢中になっている人たちは、モノを、体験を、関係性を、どこまで愛しているのでしょうか。もし、本当は承認欲求にしか眼中に無くなって、そのためなら手段を選ばなくなってしまっているとしたら、その人は本当に幸福だといえるのでしょうか。そのあたりが、私にはよくわかりません。 ただし、インスタグラムで「いいね」を集めまくっている現代人を、不幸でかわいそうな人々だと言い切ってしまうのも難しいように思います。「盛りまくって」も気にしない ひとこと承認欲求を満たすと言っても、20世紀末のころのそれと、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やインスタグラムを誰もが使用するようになった現代とでは、その前提となる感性が違ってきているように見受けられるからです。 20世紀末においても、承認欲求は人々の重要なモチベーション源でした。高級ブランド品を買ったり、海外旅行に出かけたり、プリント倶楽部を撮ったり… とにかく、承認欲求を満たすための手段になりそうなものには片っ端から手を出していました。 ただ、あの頃の人々が承認してもらいたかったのは、「あるべき自分」や「本当の自分」ではなかったでしょうか。 自分自身から乖離(かいり)したキャラをではなく、「あるべき自分」や「本当の自分」をできるだけ磨き上げて、他者に注目されたり褒められたりして承認欲求が満たされたい-この大原則に沿ったかたちで、モノを買ったり、体験を買ったり、関係性を維持したりしていたのが、20年ほど前にはやっていた感性と処世術だったように思います。だからこそ、自分自身とキャラとの乖離が大きくなり過ぎると、認められているのはキャラであって自分ではない…などと疎外感を感じたものです。 ところが今日の「インスタグラム女子」や、それに類する人々には、これが当てはまらないように思われるのです。 どれほどの虚飾と虚栄を集め、アカウントを「盛りまくった」としても、そこで疎外感を感じたりキャラとの乖離に悩んだりせず、承認欲求を満たせてしまうのが、いまどきの感性なのではないでしょうか。 これは、インスタグラムや女子に限った話ではありません。若い世代に限った話でもなくなっているのかもしれません。 たとえばフェイスブックやインスタグラムを使用している中年男女にも、「盛ってみせる」ことをためらわないアカウントはそれなりあります。ツイッターでも、明らかに等身大のその人自身とは思えない、キャラ立ちの大げさな、キラキラアカウントやネタアカウントが人気を博しています。 つまり何が言いたいのかというと、アカウント上で作り上げたキャラと「あるべき自分」や「本当の自分」との乖離は、もはやたいした問題ではなくなっているのではないか、ということです。それと、そういったことをたいした問題とは感じず、キャラが承認されれば自分自身も承認されるような感性が台頭してきているのではないか、ということです。 自分自身とキャラの乖離を意に介さなくて構わないなら、「インスタグラム女子」的な処世術もそんなに悪くはないかもしれません。「インスタ女子」は承認欲求の無間地獄か 素のままの自分自身では承認欲求があまり満たせない人でも、インスタ映えする写真を撮って、編集して、キラキラしたキャラをでっちあげてしまえば、大量の「いいね」をアカウントに集めることができます。キャラと自分の乖離に悩まない人なら、これでも承認欲求は満たされるでしょう。 むろん、それをやり過ぎて承認欲求がエスカレートしてしまい、炎上したりするようでは話になりませんが、「盛ってみせる」度合いをきちんとコントロールし、アカウントを運営できる限りにおいては、失うものよりも得るもののほうが多いかもしれません。 そういう目線で「インスタグラム女子」を考え直してみると、あれは、アカウントやキャラを複数使い分けるのが当たり前になった現代ならではの、社会適応の先鋭化した姿の一例ではないか、という風にもみえます。ツイッターのキラキラアカウントやネタアカウントについても同様です。そういうことをやっても疎外感を感じたりキャラとの乖離に悩んだりすることなく、承認欲求が満たされ、社会生活も円滑に営んでいけるのなら、そう悪くもないのではないでしょうか。 スマートフォンもインターネットの常時接続もなかった頃は、「インスタグラム女子」的な処世術や感性は、やろうと思っても難しかったでしょう。 しかし、現代は誰もがスマホを持ち、いつでも写真が撮れて、簡単にキャラを編集でき、複数のアカウントを束ね持つのが当たり前になっています。アカウントにつくられたキャラなるものが、選好や編集のうえで成り立っていることを、お互いに知っている時代でもあります。そのような時代において、自分自身が承認されたいと願うことと、自分がデザインしたキャラが承認されたいと願うこととの間に、いったいどれぐらいの距離があるのでしょうか。 「インスタグラム女子」のやり方を、虚飾と虚栄にみちた、承認欲求の無間地獄と見て取るのは簡単ですし、それにそれで事実の一端ではあるでしょう。が、そういう理解だけで本当に構わないのか、私にはだんだんわからなくなってきました。 それと、私たちは忘れてはならないのです。「インスタグラム女子」をツベコベ言う人々にしても、その大半はSNSやインスタグラムとは無縁ではなく、「いいね」のために写真を撮り、140字以内の文章をつぶやき、自分自身のアカウントのキャラを編集している点では似たり寄ったりだということを。 「インスタグラム女子」を揶揄(やゆ)したりバカにしたりしている人の中には、案外自分の中にある「インスタグラム女子」的な部分を直視したくないから、彼女たちのことをあれこれ言って、他人事にしておきたい人もいるのかもしれませんね。

  • Thumbnail

    記事

    「インスタ女子」の闇は本当に深いのか

    北条かや(著述家) 先日、1人のツイッターユーザーがネットに投稿した写真が「炎上」した。 友達と大須のかわいいアイス食べたんだけどみんなインスタ写真撮る目的だからかほとんど捨てられててインスタの闇を感じた 見れば、色とりどりのアイスクリームが無残にゴミ箱へ捨てられている。名古屋にオープンしたという、ソフトクリーム専門店。写真共有アプリ「インスタグラム」(Instagram)などに載せる目的で撮影し、食べきれない分を捨てた客がいたのだろう。 これを見てネットでは、「食べ物を粗末にするなんて許せない」「インスタグラムの闇を見た」など、非難の声があふれた。なぜこんなことが起こってしまうのか。 インスタグラムは、全世界で1カ月に7億人以上が使う写真・動画共有SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だ。スマートフォンのカメラで撮った画像や動画を、インスタグラム独自のフィルタで加工し、短いコメントをつけて共有する。好きなユーザーをフォローして、コメントを残すことも可能だ。「写真をアップするだけ」のシンプルな仕組みがかえって斬新で、日本でも20~30代を中心に利用者を増やしてきた。 このアプリの可能性に目をつけていたのが、米フェイスブックだ。2012年には、フェイスブック社として過去最大の約10億ドルでインスタグラムを買収すると公表し、大きな話題となった。当時は、インスタグラムの運営企業が設立されてわずか2年。未知数だが大きな可能性を秘めた新手のSNSに、フェイスブックは脅威を感じたのかもしれない。10億ドルという破格の買収額がそれを物語っている。 今や日本でも若者を中心に、「インスタ」は共通言語となった。カフェでは若い女性たちが「インスタ映え」する写真を撮る光景が見られ、「インスタ映え」するスポットやサービスが人気を集めている。若者たちの24時間には、当たり前のように他人の写真へ「いいね!」を押す時間が組み込まれ、「いいね!」がほしいから、写真をかわいく「盛る」ための加工アプリがヒットする。美容整形にも通じるインスタ女子の心理 特に若い女性にとって、スマホで何かを撮影することは、すなわちインスタグラムにアップできるかもしれない「ちょっといい写真」の在庫を確保しておくことといっても過言ではない。ツイッターでもフェイスブックでもなく、インスタがいいのだ。なぜかと聞かれても、みんなが使っているからとしか言いようがない。ヒットするアプリとはそういうものだろう。スマホのインターフェースは直感的なものだから、「なぜ良いのか」問われても言語化しづらい。直感的な気持ちよさを味わえるから「良い」のだ。 インスタグラムが提供する気持ち良さは「『少し盛った自分』を味わう中毒性」ともいえる。同アプリの特徴は、アプリ内のフィルタで加工した画像を1枚載せるだけ、というシンプルさにある。タイムラインには画像が大きく表示され、自分のトップページは画像で埋め尽くされるから、いきおいアップする写真に変なものがあってはいけないと身構える。自分の画像一覧。筆者のインスタグラムトップページはこのように表示される 筆者も多くのユーザーと同じく、ツイッターやフェイスブックに載せる画像と、インスタグラム用の画像はしっかり分ける方だ。インスタグラム用の写真はより美しく、よりかわいく、色合いも気になる。インスタを使い続けるうち、アプリの世界観に「適応」した結果だ。せめてインスタグラムの中ではかわいくいたいのである。 現実の「私」は平凡で、日常はつまらない。だからアプリの中くらい、理想の自分を演出したい。あわよくば、その「理想」に合わせて現実をアップデートしたい。この心理は、美容整形にも通じるところがある。『整形した女は幸せになっているのか』(星海社)でも論じたが、顔や体にメスを入れ、より美しく整える美容整形は、「化粧=メーキャップ≒自分を美しく盛る」という概念なしには成立しないからだ。 普段から化粧に親しみ、素顔よりも美しく整えている人ほど、素顔になった際に「落差」を意識しやすい。理想の自分=盛った自分と、現実=すっぴん。その落差を埋めるため、「すっぴんでも、化粧したかのように美しくありたい」と、美容整形にひきつけられるのだ。アイメイクをしなくても大きな目。ハイライトを入れなくても高い鼻。補正下着をつけなくても、大きな胸。それを目指して対価を払い、肌にメスを入れる行為は、特に責められるものでもない。誰でも持っている当たり前の衝動 「理想の自分」に現実を合わせたほうが自意識の安定が得られるなら、他人に迷惑をかけない限り何をしてもいいと筆者は考えている。が、ひとときでも「理想の自分」を手に入れる行為には、快楽と依存性があるので、美容整形をやみくもに勧めていいとも思わない。 インスタグラムにアップする写真は、メーキャップした顔さながらに「加工」が施されている。美容整形に引き付ければ、「現実を化粧しているようなもの」だ。そうして演出した理想の自分に合わせて、現実を引き上げたいと思う人が出てきても不思議はないだろう。 冒頭で言及した「アイスクリームを買って撮影し、その場で捨てる」件などは、「かわいいアイテムと一緒に映るかわいい私」という理想をかなえたいがために、社会的に非難されることをしてしまったケースだろう。美容整形のしすぎとでもいおうか、「そこまでするか?」という行為さえ、快楽の前では正当化される。 最近では、そうした行為が「インスタの闇」として非難されることもあるようだ。インスタグラムに載せて「いいね!」をもらうため「だけ」に連日、衣装を変えて撮影スポットに繰り出す若者や、ブランドバッグを買って撮影し、インスタにアップしたらすぐさまフリマアプリで売るなどの行為が、ネットで嘲笑されている。 「インスタ映え(笑)」と、「(笑)」をつけて揶揄(やゆ)するのもよく見かける。が、笑っているあなたも、平凡な日常にため息が出そうになったことはないだろうか。つまらない自分と、有名なセレブを比べて、うらやましくなったことが一度でもないだろうか。インスタグラムは、平々凡々とした己の現実を、画像1枚で「理想」のシチュエーションへと近づけてくれる。少なくとも、写真を眺めている間だけは「理想」に耽溺(たんでき)できるのだ。皆が嗤(わら)う「インスタの闇」は、私たち誰もが持っている、ごく当たり前の衝動なのである。

  • Thumbnail

    記事

    インスタ「#すっぴん」画像の多くは「すっぴん」ではない?

     日夜、世界中から数多の写真がアップされ続けている写真投稿用SNS・インスタグラム(以下、インスタ)。ユーザー(=インスタグラマー)の間ではインスタグラムでの「いいね!」数を競って、“インスタジェニック(インスタ映えする)”な写真を撮ることに余念がないという人も多い。 インスタでは、ハッシュタグと呼ばれる記号(「#」)を用いると、そのキーワードに関連する画像検索ができるようになっているが、なかでも若い女性の投稿に散見されるのが「#すっぴん」関連のタグだ。※写真はイメージです こうした「#すっぴん」写真を投稿する理由について、女子大生のAさん(20歳)は、こう語る。「インスタを見ていると、『#すっぴん』、『#すっぴんごめん』、『#すっぴんすみません』、『#すっぴん失礼』といったハッシュタグをわざわざつけて、自分の自撮り写真をアップする子が大勢います。必死な盛りメイクで自撮りをするのはイタいという価値観があるから、あえて必死じゃない感じを出す女子が多いんです。 最近のトレンドは、“抜け感”とか“ナチュラルさ”。とはいえ、ガチのすっぴんは恥ずかしくて晒せたものじゃないので、当然『すっぴん風メイク』をしている人がほとんどです。必死感を出さずに『いいね!』をたくさんもらいたいという女子の欲深さですね(笑い)」(Aさん) 別の女子大生Bさん(21歳)が、「すっぴん風」の顔を作る方法をこっそり教えてくれた。「芸能人も一般人もすっぴん写真をアップしますが、これまでは『どうせすっぴん風メイクをしているんでしょ?』と言われて来ました。でも最近では、メイクをしなくても寝起きの時点で可愛い顔に仕上げるアイテムがたくさんあります。 マツエク(まつげエクステ)だけでなく、『眉毛ティント』と呼ばれているコスメを使うと、数日間眉毛の色が消えないんです。昔はアートメイクという手法があったけれど、それよりもお手軽で色素沈着もしません。 また、赤い色が付いているリップクリームも市販されているので、起き抜けにリップクリームを塗るだけで顔色が良くなり、“すっぴん美人”になれるんです」(Bさん) しっかりメイクで可愛い顔を作るよりも、「ナチュラルなのに可愛い」という“抜け感”がインスタジェニックだという女子の価値観。“抜け感”とは手抜きというわけではなく、アイテムを駆使して“抜けを作る行為”なのだとすれば、「#すっぴん」関連の投稿にはそんな若者の心理がよく現われているのかもしれない。関連記事■ 大江麻理子アナ すっぴんは別人で“ミス・アドマジック”評■ TBS田中みな実アナのすっぴん絶賛にテレ朝D「ウチの方が!」■ TBS田中みな実のすっぴん絶賛されるも お局「調子のるな」■ すっぴん見せぬ中野美奈子 小倉智昭との共通点指摘する声も■ 石田エレーヌアナのすっぴん ウルウルな目が修道女的と評判

  • Thumbnail

    記事

    SNSは「使い分け」が常識か 若者の「裏アカ処世術」とは

     FacebookやTwitter、LINEなどのSNSを利用する人はいまや2人に1人を超えた。複数のSNSを利用するのも珍しくなく、それぞれのSNSを連携させて、一度の投稿をすべてのSNSに反映させることもできる。しかし、あえてそれぞれのSNSを「つながり」ごとに使い分ける動きもある。とくに若年層では「SNS使い分け」が当たり前の行動になっている。 実際に15~29歳を対象にした関係性によるSNSの使い分けについての調査結果をみると、相手をよく知らないときはLINEよりもTwitterを、女性は相手と趣味が合うほどInstagramを交換する傾向があるとわかった(株式会社ジャストシステム調べ)。 ITジャーナリストの高橋暁子さんによれば、「Facebookには皆に知ってほしいことだけを、LINEは連絡手段として、Instagramは自分好みの幸せな空間をつくるために使っていますね」と、若年層におけるSNSごとの使い分けの存在を認める。「若い世代にとってLINEはメールアドレスや電話番号のようなもので、同じクラスやクラブなどのメンバーになったら、連絡手段として必ず交換してグループを作成します。リアル(現実)の知り合いなら、絶対に交換するものです。よくわからない相手とは交換していません。もし、どうしても嫌な何かが起きたら、その相手をブロックして対処しています。とは言っても、大人と違って彼らは、ネットでやりとりすれば信頼してLINEでつながってしまうので、”知り合い”の基準が大人とは違いますけれどね」 10代の77.0%、20代の92.2%、50代でも42.8%が利用しているLINE(総務省調べ)は、いまや電話番号やメールアドレス代わりに使われている。友だちのLINEは知っているが電話番号は知らない、ということも珍しくない。クラスの緊急連絡網などネットではなくリアル(現実)の人間関係における連絡手段として、LINE交換は欠かせない。 実名で登録するSNSとして急拡大したFacebookは、20代が61.6%、30代が50.9%、40代で33.5%と大人の利用率が高い(総務省調べ)。そのため、誰に知られても問題がないことだけを扱うSNSとして若者たちは利用し、盛んに充実した毎日をアピールする投稿を繰り返す大人は、遠巻きに観察されることもある。 とりわけ若年層に特徴的なのは、コミュニケーション内容によって複数のTwitterアカウントを駆使して使い分けていることだろうと前出の高橋さんはいう。「リアルの友人であれば誰にでも教える表のアカウントとは別に、相互フォローしないと投稿内容が見られないよう鍵をかけた裏アカ、闇アカをつくって使い分ける傾向があります。たとえば普段の友人づきあいで明るく、面白いキャラクターで通していると、表のアカウントでも同様の振る舞いを求められます。もし、そこから外れた言動をみせると、友人たちの間で居場所をなくしてしまうかもしれません。裏アカや闇アカをつくるのは、リアルのコミュニティでの居場所をなくさないための処世術です」 裏アカ、闇アカとはそれぞれ裏アカウント、闇アカウントのこと。いずれも鍵をかけて利用されるので、相互フォローしたアカウントでなければ投稿内容を読めない。そこでは、表のアカウントでは言えないネガティブな内容や、趣味の話をしていることが多い。投稿内容を理解してくれると信用できる人とだけ、こっそり教えあっている。 多くの人に知られたくない言葉を、わかってくれる人に向けて発言したい気持ちは理解できる。しかし、その場所がSNSというのは、いくら鍵をかけていても危険ではないか。何かの拍子に白日の下にさらされる可能性がある。なぜ、そうまでしてネットに書き込むのか。「ため込んでいる気持ちを書いて吐き出し、スッキリさせる、というのは、以前ならノートとペンでするものでした。でも、今の若い世代にとって身近な書く道具といえば、手に持っているスマートフォンなんです。複数アカウントの使い分けも、今のTwitter公式アプリにある機能ですから、彼らが特殊なテクニックを駆使しているわけではありません。もっとも、ときどき闇アカに投稿したつもりの暗い内容を表のアカウントに誤爆、つまり間違って投稿してしまい、慌てて取り消すことはよく起きているようです」(前出・高橋さん) SNSやスマホが今ほど身近でなかったとき、人はその場所にあわせて少しずつ顔を変えて存在することが容易だった。人とは本来、そういった複雑な生き物のはずだ。ところが、今のようにいつでもどこでもつながると、複数の顔を見せたら、自分の居場所が消えてしまうかもしれない怖さに怯えるばかりだ。SNSやそのアカウントの使い分けは、姑息な手段ではなく、実に人間らしい行動といえそうだ。関連記事■ NEWSポストセブンがLINEアカウント開設 おすすめ記事を通知■ 「LINE」有名人アカウント登録すれば撮影秘話など見ることも■ FXトレードに役立つツイッターアカウント一覧■ 韓流ペンのLINE使いこなし術 限定新曲やチケットも入手可■ 若い女性の間で拡散中 Twitterを活用したダイエット術とは

  • Thumbnail

    記事

    「8月1日問題」でビットコインは消滅してしまうのか?

    志波和幸(国際通貨研究所 主任研究員)  仮想通貨の利用者保護と取引業者の監視強化を目的とした「改正資金決済法(いわゆる「仮想通貨法」)」が4月1日に施行され、ビックカメラなどの小売店でビットコインでの決済が可能になったという報道を受け、3月末に1ビットコイン当たり約13万円で取引されていた相場が5月下旬には34万円台に急騰した。仮想通貨「ビットコイン」の支払いで使用されるスマートフォンの画面=4月7日、東京都千代田区のビックカメラ有楽町店(川口良介撮影) しかし、6月中旬以降、ビットコインの相場に急ブレーキがかかっている。7月16日には一時20万円まで下落した。回復したとはいえ、現在その価格は25万円前後と5月下旬のピーク時点から約25%を下回る水準で推移している(7月19日現在)。その主な理由として「8月1日問題」が挙げられる。 「8月1日問題」とは、ビットコイン記録方式の規格変更の是非をめぐり関係者の利害が対立し、一部のシステム利用者が8月1日から新規格の導入を一方的に宣言したことに端を発するものである。 ここで、あらためてビットコインについて簡潔に説明したい。2009年初めに運用を開始したシステムでは、下記の作業が繰り返される。①世界中のビットコインの取引データを、およそ10分ごとに「ブロック(データの塊)」にまとめる。②次に、世界中に分散しているサーバーが、「ブロック」に格納した取引データに誤りがないことを確認し合う。そして、すべてのサーバーがその確認を終了した時点で、送金作業が実行される。③最後に、その「ブロック」をその10分前に生成された「ブロック」とつなげる。つなげる作業を行うのは「マイナー」と呼ばれる業者で、最も早く「ブロック」同士をつなげたマイナー業者には一定額の報酬が与えられる。 なお、このシステムを運用するに当たり、1つのブロックに格納することができる取引データ量の上限値は1MB(メガバイト)と定められている。少なくとも昨年までは10分ごとの取引データをブロックに格納することができていた。しかし、昨今のビットコインの認知度の高まりとともにその取引件数が急増したため、2017年4月頃から10分間の取引データ量が1MBを超過する状態が発生した。そのため、取引相手の指定した口座(「アドレス」と呼ぶ)にビットコインの送金指示をしたにもかかわらず、その取引データがブロックに収まらず、次の10分後のブロックに格納する取引データ候補に繰り延べられ、さらにそのブロックも1MBの容量上限を超過すると、次の10分後のブロックに格納する取引データ候補に繰り延べられる。その結果、相手方の指定アドレスに着金するのが遅れてしまうという事態に至った。取引容量のパンクを解決するには この問題を解決するに当たり、各ビットコイン取引業者は、過去10分間の取引データを遅延なくブロックに収めるために、ビットコインの送金者に対し高額な手数料を要求して、取引件数を意図的に減らそうと試みた。その結果、報道によると6月初旬にはその手数料が1取引当たり550円程度まで上昇したとのことである。 その間に、イーサリアムやリップルなどの他の仮想通貨が台頭し始めたことで、ビットコインの取引件数が自然に減少した。それに伴い7月19日時点のビットコイン取引手数料は10円程度に低下している。しかし、この解決方法は一時的かつ暫定的なものに過ぎない。今後ビットコインの人気が再燃して取引件数が増加すれば、ブロックの容量を恒常的に逼迫(ひっぱく)することになり、送金手数料が上昇する可能性がある。 この「ブロックの容量問題(「スケーラビリティ問題」とも呼ばれる)」は既に2014年頃から提起されていた。今まで、取引業者などのシステム利用者とマイナー業者などが協議し、ブロック容量の拡張などさまざまな対策が提案されたが、その運用システムのプログラム改良の同意・実行には至らなかった。 その理由として、ビットコインの運用システムのルールの1つである「システム改良時にはマイナー業者の95%以上の賛同を得なければならないこと」が障壁となっていたといわれている。 仮にブロックの容量を2倍に拡張したとすると、マイナー業者はマイニング作業による報酬を受け取る機会が半減するため、プログラムの改良に消極的であった。 しかし、前述の通りブロック容量の逼迫(ひっぱく)が恒常化すると、ビットコインは既存の金融機関を介した送金作業と比べ手数料が安価であるという最大の利便性を失い、さらにそれが今後のビットコインの価値低下を招きかねないという懸念が高まった。そのため、3月に一部のシステム利用者が「マイナー業者の賛否に関わらず、8月1日からプログラムを改良する」と一方的に宣言した(この宣言は「UASF-BIP148」と呼ばれる)。 言い換えると、8月1日からは「すべての取引データを特殊プログラムで圧縮し(「segwit」と呼ばれる)、ブロックに格納可能な取引データ量を増加させることで容量問題を根本的に解決する」と宣言したのである。もう1つの解決法と衝突 これに対し、一部マイナー業者はその対抗策として6月に「ビットコイン運用ネットワークのなかで『既存取引データを格納する旧ブロック』と『特殊プログラム(segwit)で圧縮したデータを格納した新ブロック』とを併存させる。つまり、1つのネットワークのなかに2種類の性質が異なるビットコインを流通させる」案を提唱した(この提案は「UAHF」と呼ばれる)。 これら2案の発表後、有識者がビットコインの取引データが新旧ブロックのいずれかまたは両方に同時に記録されることにより運用システムに支障が生じるおそれがあること、そして保有しているビットコインが8月1日以降に消滅するおそれがあること、などを指摘した。これを受けて、一部のビットコイン保有者が大量に売却したことが引き金となり、6月中旬に価格が急落したのである。 では、果たして「8月1日問題」は解決するのであろうか?上記2つの案(「UASF-BIP148」と「UAHF」)が提案された6月中旬以降のビットコインの価格は、前述の通り一時1ビットコイン当たり20万円に下落したものの、その後は25万円前後で推移している。これは、ビットコイン保有者の多数は「7月31日までには利用者とマイナー業者間でシステム改善に関し何らかの妥協点を見いだす」と楽観的な見方をしているためと思われる。 しかしながら、8月1日まで残り2週間を切るなか、いまだ問題解決方法が明らかになっていないため、噂や思惑でビットコインの価格が急変動する場合があろう。かつ、多くのマイナー業者が「UAHF」案を支持した場合、その価格が急落するおそれがある。 このような状況下、7月18日に本邦の日本仮想通貨事業者協会(JCBA)に加盟する仮想通貨取引業者13社は、顧客資産の保全を優先するべく、ビットコインの受け入れや引き出しの受付を8月1日から一時停止すると発表した。 ビットコインは日本円や米ドルなどの既存の法定通貨と異なり、政府や中央銀行などの管理主体が存在しないという利便性から「仮想通貨の代表格」として支持され、取引・流通してきた。しかし、今回のように何らかのシステム的な問題が発生した場合に、合意形成が困難であるという脆弱(ぜいじゃく)さも露呈した。 7月19日現在、仮想通貨は確認できるものだけでも約800種類存在する。大多数の仮想通貨は、ビットコインをより高度化したものや異なる運用システムの構成および運用方法が用いられている。しかし、この「8月1日問題」の解決可否は、ビットコインのみならずその他の仮想通貨が今後世の中に浸透するのか、あるいはその市場が収縮するのか、真価が問われるものとなろう。

  • Thumbnail

    記事

    「仮想通貨は危ない」という人も知って損はないビットコインの潜在力

    加谷珪一(経済評論家) これまで、怪しげな存在とみなされることが多かったビットコインの普及が急速に進んでいる。一方、ビットコインが8月1日に分裂してしまうのではないかという騒動も発生しており、ビットコイン保有者は気を揉んでいる。 ビットコインに代表される仮想通貨については、賛否両論があるが、社会の仕組みを変える大きな破壊力を持っているのは確かだ。当面、仮想通貨を保有する気はないという人であっても、その仕組みについて理解しておいて損はない。 ビットコインはインターネット上に流通する仮想通貨である。既存通貨のように発行元になる国家や中央銀行が存在していないという点が最大の特徴となっている。 仮想通貨に関して、いわゆる電子マネーと混同している人が多いが、仮想通貨と電子マネーとは根本的に異なる存在である。電子マネーはあくまで既存通貨がベースであり、これを電子的に置き換えたものに過ぎないが、ビットコインはそれ自体が通貨であり、単独で価値を持っている。  国家が一元的に管理していなければ通貨とは呼べないと考える人も少なくないが、これは幻想に過ぎない。多くの人がその価値を認めれば政府が関与しなくても通貨は成立するのだ。 この話は、近代日本の歴史を振り返ればよく分かる。日本史の教科書を読むと、明治政府は日清戦争の勝利で得た賠償金を元に金本位制を開始したと書いてあるが、厳密に言うとこの記述は正しくない。清は日本に金の支払いができず、当時の覇権国である英国に対して外債を発行。金の価値に相当するポンドを借り入れ、それを日本に支払っている。つまり日本が受け取ったのは金ではなくポンド紙幣である。 ポンドは英国が保有する金を裏付けとして発行されたものだが、金そのものではない。しかし、当時のポンドは現在の米ドルと同様、グローバルに見てもっとも信用度の高い通貨だった。日本政府はこれを金とみなし、ポンドを担保に日本円を発行したのである。現代に当てはめれば、日本政府はたくさんドル紙幣を持っているので、それを担保に日本円を発行したことと同じになる。慌てて方針変更した日本政府 つまり、多くの人が、その通貨に裏付けがあると認識すれば、政府の信用がなくても、その通貨は流通させることができる。日本の通貨制度は、自国政府に対する信用ではなく、ポンド紙幣に対する信用でスタートしたわけだが、だからといって日本の通貨制度は否定されるべきものだろうか。筆者はそうは思わない。結果としてポンドをベースにした通貨制度は発展を遂げ、現在の日本を形作った経緯はあえて説明するまでもないだろう。 ビットコインは、電子的に管理されるという点では目新しいが、通貨としての基本的な概念は金本位制に近い。コインの発行総量については構造的な上限が決められており、一定量以上の発行は不可能な仕組みになっている。新しくコインを生み出すには、ビットコインの取引を管理するシステムに対してコンピュータの計算能力という「労働力」を提供しなければならず、この作業によって新しい価値が生み出される。 金本位制の考え方に、経済学でいうところの投下労働価値説をうまくミックスさせた仕組みであり、通貨として非常によくデザインされている。 こうした特徴を背景に、国家が集中管理しない通貨としてビットコインは全世界に普及した。すべてがネット上で管理されるので運営コストが極めて安く、安価な手数料で世界中とこにでも送金できるという利便性も利用者の増大に拍車をかけた。 これまでビットコインは、少額の海外送金や投機目的、あるいは経済危機が発生した国からの逃避手段としての保有が多かったが、最近では一般的な決済通貨としての利用も増えている。全世界で利用者が増えてくれば、各国通貨の為替レートを気にすることなく決済できる。旅行などで複数の国を移動している人にとってはなおさらである。多くの出国者で混雑する成田空港 日本政府は、ビットコインはいかがわしい存在としてこれを全否定してしまい、モノとして扱うことをいち早く決定してしまった。しかし、各国がビットコインを通貨として法整備する方向に進んだことから、日本政府も慌てて方針を変更。今年の4月に改正資金決済法が施行され、金融庁の監督の下、ビットコインは準通貨として利用できるようになった。法改正をきっかけに量販店のビックカメラが一部店舗においてビットコイン支払いに対応するなど、事業者も動き始めている。 もちろん、政府が一元管理しないというビットコインにはデメリットも多い。その典型例が、現在、ネットで話題となっているビットコインの「8月1日危機」である。通貨制度の隙間を埋めるビットコイン 現在のビットコインの仕様では、1日に数十万件の取引しか成立させることができない。普及が急速に進んだことから、この仕様では決済処理がパンクすることはほぼ確実な情勢となっている。こうした事態に対応するためには、ビットコインの仕様を変更する必要があるが、ここで問題となるのが、誰がそれを決めるのかという点である。政府が管理する通貨なら、最終的に政府が決断し、うまくいかなかった時の責任も政府が負えばよい。だがビットコインにはそのような仕組みは存在していない。 ビットコイン取引所など、ビットコインの運営に関わる人たちの間で議論が行われ、多数決に近い形で仕様変更が決定された。だが一部の関係者がこれに納得せず、ビットコインが分裂するリスクが出てきたというのが今回の騒動の発端である。仕様変更の期日が8月1日なので、「8月1日危機」などと呼ばれている。 最終的には、ビットコインの処理能力が向上し、現在のビットコインはそのまま継続して使えるという、妥当な形で騒動は終結すると思われるが、集中管理者が存在していないだけに何が起こるのかはまったく予測がつかない。 こうした不透明要素の存在が、決済通貨としての普及を妨げる要因になるのは確かである。だが一方で、政府という政治的な存在に左右されず、通貨というものを民主的に運営するためのコストと見なすこともできる。主要通貨の紙幣。(左から)米ドル、英ポンド、中国の人民元、日本円、ユーロ(共同) これまで多くの国家が恣意的に通貨を発行してハイパーインフレを起こしてきた歴史を考えると、どちらが信用できる通貨制度なのかを断定することはなかなか難しいことである。 わたしたちが理解しておくべきなのは、現代のテクノロジーを使えば、従来は国家レベルでなければ運営できなかった通貨制度もネット上でいとも簡単に構築できてしまうという現実である。 ビットコインのような仮想通貨が、政府による通貨制度を超越するとは筆者は考えないが、各国の通貨制度の隙間を埋める存在として、普及が進むことは間違いない。ポートフォリオの一部として仮想通貨を組み入れる人は確実に増えてくるはずだ。 

  • Thumbnail

    記事

    デジタル通貨が生む「宝の山」 データ産業革命が社会を変える

    小黒一正(法政大経済学部教授) 思想や技術革新は世界を動かす。第4次産業革命の成否を最初に握るのは「データ」であり、情報通信技術(ICT)革命の次は「データ産業革命」という認識が、世界トップ層の中でひそかに浸透しつつある。この本丸は金融、中でも仮想通貨やデジタル通貨であり、米経済誌フォーブスでは「どこかの中央銀行が5年以内にデジタル通貨を実現するだろう」という予測も登場している。 というのは、データ産業革命の行き着く先に見えているのは、次のような世界であるからである。まず、一番上に人工知能(AI)という「脳」があり、その下にはハイテク機器にモノのインターネット(IoT)などが組み込まれ、そこが人間でいうと神経細胞のようになる。当然、この神経細胞には、インターネットで張り巡らされた既存の情報ネットワークやそこから生成されるさまざまな情報なども含まれ、これらの情報(ビッグデータ)は特定の場所にプールされる。 ただ、ビッグデータも頭脳がなければ意味がなく、人間が目指す目的を設定・制御しつつ、人工知能が解析しながら深層学習(ディープラーニング)で価値を見いだしていく。この意味で、ビッグデータは人工知能が進化するために必要不可欠な「食糧」に相当し、経済学的には「資産」でもあり、さまざまなデータを融合することで莫大(ばくだい)な価値を創造できる。 すなわち、データ産業革命の本丸は「金融」、中でも、ネットワークで結んだ複数のコンピューターが取引を記録するブロックチェーン技術を活用した仮想通貨といっても過言ではなく、ITを使った金融サービス、フィンテックはその一部でしかない。理由は単純で、われわれが経済活動で何か取引を行ったときに必ず動くものは「マネー」であり、仮想通貨が経済取引の裏側で生成するビッグデータは「スーパー・ビッグデータ」であるからである。 このような状況の中、スウェーデンの中央銀行、リクスバンク副総裁のスキングスレー氏がeクローナと呼ばれるデジタル通貨の発行に向けて本格的な検討を開始することを講演で明らかにした。 また、英国の中央銀行、イングランド銀行(BOE)も、デジタル通貨に関する興味深い論文を公表した。この論文では、米国経済をモデルに分析を行っており、対国内総生産(GDP)比で30%のデジタル通貨を導入すると、金融取引のコストなどが抑制でき、定常状態のGDPが3%押し上げられる可能性などを明らかにしている。GDPで500兆円の規模を有する日本でいえば、15兆円の経済効果に相当する。 さらに最近では、インド準備銀行(中央銀行、RBI)が実証実験を行った後、デジタル・ルピーの発行を推奨する報告書を発表した。インドのプラサド電子・情報技術相も「電子決済や電子行政を含む同国の「デジタル経済の規模が3-4年で倍増し1兆ドル(約110兆円)に達する」との見方」(日本経済新聞2017年7月5日朝刊)を示している。中国もデジタル通貨の発行を検討しているとの噂もある。データこそが「資産」になる スウェーデンやインドがデジタル通貨の発行を急ぐ背景にはさまざまな戦略が存在するはずだが、デジタル通貨を利用した取引が生成するビッグデータは、さまざまな可能性を秘めていることを考えると納得がいく。 例えば、経済取引の裏側で生成されるビッグデータを政府が1カ所のクラウド(インターネット上のサーバー)に収集することができれば、マネーの動きが詳細に把握でき、成長産業の「芽」を分析・予測できよう。また、家計消費や企業投資の動きも把握でき、いま日本で問題になっているGDP統計の問題解決にも利用できることが期待できる。 もしデータ・プラットホームを構築し、個人情報が特定不可能な形式に加工した上で、誰でも利用できる形で公開すれば、さまざまなビジネスに利用できよう。 ところで、中央銀行が発行する現代の紙幣は、偽造防止技術(ホログラム)や特殊な紙・印章を含めて最高水準のテクノロジーを利用したものだが、紙であるために「誰が何を買ったか」「誰が紙幣を保有しているか」といった情報は、紙幣を発行した者から切り離されているという視点も重要である。すなわち、現代の紙幣は、民主的・分権的でプライバシー保護に役立っており、消費者は安心して買い物ができる。 中央銀行が仮想通貨を発行するとき、最も注意する必要があるのはこの視点である。つまり、経済取引の裏側で生成されるビッグデータを政府が1カ所のクラウドに収集する場合、仮想通貨を受け取った側のデータは蓄積するが、家計・企業といった簡単な属性区分を除き、仮想通貨を渡した側のデータは基本的に蓄積してはならない。 なお、サービス産業の生産性を高める観点から、北欧諸国では「キャッシュレス経済」が進展しつつあるが、中央銀行による仮想通貨の発行はその動きを加速するはずだ。 しかも、中国では政府主導でビッグデータの取引市場の整備が始まっている(例:貴州省貴陽に設立されたビッグデータ取引所)。データの生成量は人口規模や経済規模に依存するため、中国やインドなど人口で日本を上回る国々の情報をどこまで日本の市場で活用できるかも、これから考えていかなければならない。ICT革命が急速に進んだのと同様に、データ産業革命も急速に進むことが予想され、いまこそ日本の戦略が問われている。 いずれにせよ、いま世界では「データ=アセット(資産)」になる時代が近づいている。ICT革命では「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの米大手4社)に日本企業は敗北したが、データ産業革命はこれからが本番だ。成長戦略の一環として、日本版デジタル通貨である「J-coin」(仮称)の発行を含め、日銀・財務省を中心に日本もデータ産業革命の推進を本気で検討してはどうか。

  • Thumbnail

    記事

    金融とITの融合「フィンテック」が起こす変化と4つの原理

     金融とITを組み合わせた「フィンテック」は、株式市場でも大きなテーマとして注目を集めている新技術だ。はたしてこの技術はどういう原理で成り立っており、どのような変化をもたらすのか、経営コンサルタントの大前研一氏が解説する。* * * 金融とIT(情報技術)を組み合わせた「フィンテック(FinTech)」の普及を促進するための改正銀行法と、ビットコインなどの仮想通貨を規制する改正資金決済法が成立し、金融機関側でも三菱東京UFJ銀行が独自の仮想通貨を開発中と報じられるなど、フィンテックを駆使した新たな金融サービスが身近なものになりつつある。「フィンテック」はファイナンスとテクノロジーを合わせた造語だが、単に金融分野にITを活用する、という話ではない。その本質は、送金、投資、決済、融資、預金、経理・会計といった従来のファイナンスのあらゆる領域をテクノロジーが再定義し、これまで金融機関がやっていたことを金融機関ではない企業が奪っていく、ということだ。 これは既存の金融機関にとっては実に恐ろしい話である。すでにアメリカでフィンテックは巨大な産業になって「金融業界におけるウーバー」とも形容されており、たとえば銀行の株式時価総額で世界1位の米ウェルズ・ファーゴのジョン・スタンフ会長兼CEOは「新しいフィンテック企業から学ぶべきものは多い。積極的に協業していく」と述べている。 具体的にはどのような変化が起きているのか? もう少しわかりやすく説明しよう。たとえば、ビットコインに代表される仮想通貨の基盤技術である「ブロックチェーン」は、すべてのトランザクション(取引)を、それに関係するすべてのコンピューターが記録することで人間の指紋のように複製や偽造ができなくなり、特定の権威なしにトランザクションの正当性を保証するという仕組みである。 実は、通貨というものはすべて新しい技術とセットだった。石を通貨にしていた時代は丸くする技術が難しかったし、金貨や銀貨や銅貨を同じ大きさと重さと形で大量に作る技術も為政者(中央政府)以外にはなかなか持ち得なかった。それが“信用”を生んできたのである。その後、紙幣になってからは偽札防止技術が進化し、その価値を国家などが保証することで決済のための交換媒体となった。本人が信用を持ち歩けるようになる そして今度の仮想通貨は、ブロックチェーンという新技術によって信頼できる(紙幣よりも便利な)通貨の交換・決済ができるようになった、ということだ。 簡単な例を挙げると、今はクレジットカードを使うと3~4%の手数料を取られる。これは、まずクレジットカード利用者の中に支払い不能になる人がいるため、その回収コストや不良債権になった時のコストが発生するからだ。さらに、店舗の端末からNTTデータのCAFISなどのカード決済サービスと全銀システム(全国銀行データ通信システム)を経由した個人口座へのアクセスにも高い手数料が必要になる。 しかし、ブロックチェーンでトランザクションの証明ができて複製や偽造が不可能な仮想通貨なら、CAFISや全銀システムのようなものを通る必要がなく、スマートフォン(スマホ)やPCからのわずかなパケット料金だけで済むので、決済コストが著しく安くなる上、第三者ではなく個人個人が自分で自分の信用を証明できる。 私が考えるフィンテックの「四つの原理」は次の通りだ。(1)価値があるものは何でも貨幣と置き換えて考えられる。(2)価値は時間の関数である。(3)スマホセントリックのエコシステム(スマホ中心の生態系)を使えば、ほぼ瞬時に全世界のどことでも誰とでも取引することができる。(4)以上三つの原理を実行するために必要な“信用”を(サイバー空間で)提供するものが、国家や金融機関に取って代わる。 要するに、ユビキタス社会では国家や金融機関に頼ることなく「本人が信用を持ち歩けるようになる」わけで、これは画期的なことである。関連記事■ 大前研一氏「フィンテック革命で日本経済は何倍にも膨らむ」■ 金融分野でフィンテック企業が勃興 銀行は淘汰されるか■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「日韓スワップ」■ 『SAPIO』人気連載・業田良家4コマ「日韓通貨スワップ」■ 為替相場は「通貨マフィア」が水面下で裏交渉している説

  • Thumbnail

    記事

    ポケモンGOでCIAが誘導実験? そんな陰謀論も存在

     テレビでは、お笑い芸人の“Mr.都市伝説”関暁夫らが陰謀論を披露するバラエティ番組『やりすぎ都市伝説』(テレビ東京系)が人気を集め、ネットでは陰謀論や不思議科学などを扱うオカルトニュースサイト『TOCANA』が月間4500万PVを稼いでいる。『TOCANA』編集長の角由紀子氏は最近の陰謀論の傾向について、「電子空間の関心が高い」と話す。「SNSやスマホに搭載された最新テクノロジーは、人間を監視し、情報を集めて奴隷化するために作られたという陰謀論です。米国の国家安全保障局(NSA)の元局員で、米政府による情報収集活動を暴露したエドワード・スノーデン氏が、『サイバー空間上のやりとりはすべて監視されている』と警告したことで信憑性を増しました」(角氏) 当局による監視・情報収集はSNSに限らない。昨年、全世界で5億ダウンロードを記録した「ポケモンGO」にもある陰謀が隠されているとの説がある。「ポケモンGOは人間を誘導するために作られたという陰謀論です。『あそこにポケモンがいるぞ』との情報が流れると、ユーザーはこぞってその地に集結します。実は人々は、知らず知らずのうちに誘導実験に参加させられていて、そのデータは有事のシミュレーションや監視のために使われているというものです。 その根拠となるのが、ポケモンGOを開発した会社がもともとGoogle傘下にあったことで、Googleの情報はCIA(米中央情報局)に提供されていると信じている人々の間では、ポケモンGOで収集した情報もすべてCIAに送られていると思われているということです」(同前) 陰謀論者の間で現在、新潮流とされるのが「電子マネー」に関わる近未来像だ。「最も注目されるのが、仮想通貨ビットコインを開発したサトシ・ナカモト氏が考案した『ブロックチェーン』というテクノロジーです。簡単に言うと、電子マネーの動きを監視して、取引を透明化できるシステム。こうした技術が主流になれば、資金の移動がすべてコンピューター上で管理されることになり、現在流通している紙幣が紙くずになる可能性がある。そのため、既存の富裕層支配に革命を起こすために考案されたという説があります」(同前) 興味深いことに、全く逆の視点の陰謀論も存在する。「既存の富裕層はブロックチェーンの普及を阻止しようと動いているとされ、実際、2013年にビットコインの勢いが止まった背景には、“何者かの力”が働いたとも囁かれました」(同前)関連記事■ ポケモンGO 高橋名人が得する「カーブボール」の投げ方指南■ ポケGO 捕獲率を上げる「アイテム虎の巻」とは■ ポケモンGO挑戦男 「ミニスカ」「キョニュウ」をゲット■ 東京都内「レアポケモンを捕まえるならここ!」リスト■ 中川翔子「水族館デートあきらめない」と肉食っぷり披露?

  • Thumbnail

    記事

    小林麻央さんのブログが変えた「日本人の死生観」

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 有名人や芸能人の人生は、私たちに大きな影響を与え、時に社会を変えていく。山口百恵のように、人気絶頂のアイドルが結婚を機にすっぱりと引退し、専業主婦として生きていくといった姿は、当時の日本女性に強いインパクトを与えただろう。そして「山口百恵」は伝説化されていく。1977年秋に極秘来日し、インタビューに応じたジョン・レノン(右)とオノ・ヨーコ=東京都内のホテル さらに「死」にまつわることは、より普遍性が高いために、多くの人々の生き方にさえ影響を与える。スポーツカーで事故死したジェームズ・ディーン、愛と平和を歌いながら暗殺されたジョン・レノン、民家の軒先で遺体が発見された尾崎豊。彼らは、その芸能活動と死にざまがあいまって、熱狂的なファンを生み神格化されていった。 人はみんな死ぬ。有名人も権力者も金持ちも関係ない。死から免れる人はいない。だから問題は、どう死ぬかだ。涙で包まれた穏やかな臨終の場面はドラマでよく登場するシーンだが、現実とは異なる「様式美」とさえ言えるよう最期が描かれたりする。事故死は、突然の死であり、ご遺族にとってはとても辛いことになる。だが、だからこそこの衝撃的な死に方も物語にはよく登場する。現実世界の芸能人も、事故死の方がその芸能人のイメージのままで死を迎えられるために、「永遠のスター」として私たちの記憶に残ることもある。 だが、病気はなかなか辛い。徐々に体が弱る。痩せ細るなど容姿が変わることもある。長く苦しむこともある。病人の周囲では良いことばかりが起こるわけではない。体と心の苦しみ、お金の問題、看病、人間関係の問題など、さまざまなトラブルが起こることもあるだろう。辛さだけが残る最期もある。だから、有名人の中には闘病生活をほとんど世間に知らせない人もいる。華やかな結婚式や、授賞式や、一家だんらんなど公私にわたる人生を公開してきた人も、死期が近づいている闘病生活は公開しない。夢を売ってきた芸能人として、それも当然のことだろう。 だからこそ、フリーアナウンサーの小林麻央さんの活動は注目された。彼女のネット発信は素晴らしものだった。「私は前向きです」「今、前向きである自分は褒めてあげようと思いました」「何の思惑もない優しさがこの世界にも、まだたくさんある」「がんばれっていう優しさもがんばらなくていいよという優しさも両方学んだ」「今は今しかない」「今日、久しぶりに目標ができました。娘の卒園式に着物で行くことです」「空を見たときの気持ちって日によってなんでこんなに違うのだろう」「苦しいのは私一人ではないんだ」「私はステージ4だって治したいです!!!」「奇跡はまだ先にあると信じています」。小林麻央さんのブログには、宝石のような言葉があふれた。死との向き合い方のお手本のようだ。人生の苦悩と希望を届けてくれた 酸素チューブを鼻に入れた写真。ウイッグ(カツラ)の写真。闘病中の姿も、美しく、ユーモラスに公開した。そして彼女は語る。6月20日、小林麻央さんが最後に自身のブログに掲載した写真(本人のブログから) 「私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」。闘病生活をつづったブログなのだが、麻央さんのプログは闘病記ではなかったのだ。 もちろん、公開されたことだけが事実ではないだろう。家族にしか言えない苦しみがあったことだろう。死も闘病も、きれいごとだけですまない。しかしそうだとしても、2016年9月1日に始まった麻央さんのブログは、人生の苦悩と希望を私たちに届けてくれた。それは日本人の心を動かし、世界にも報道された。彼女の言葉に、慰められ、励まされた人々はどれほどたくさんいたことだろう。そしてその活動が、小林麻央さん自身の癒しと勇気にもつながったことだろう。 どう死ぬかという問題は、どう生きるかという問題であり、死生観が関わる問題だ。そして死生観には、宗教が絡む。普段は無宗教という人でも、葬儀の時には宗教的なことをする。しかし、世界的に宗教の力は落ちている。日本でも、簡易な家族葬、無宗教の葬儀、そして「直葬」と呼ばれる宗教的葬儀なしに火葬場へ行く方式も増えている。仏教式の葬儀を行っても、以前ほど戒名などにこだわる人は減っているだろう。宗教への熱い信仰があれば、どう生きてどう死ぬかの指針になる。だが、非宗教化した現代社会で、人々は新しい死生観を求めている。 インターネットは、まるで新しい宗教だ。人は確かに生きて日々活動しているのだが、人生とは各自が振り返ってみたこれまでの記憶とも言える。同じような生き方をした人でも、良い記憶でまとめられた人生もあるし、悪い記憶でまとめられた人生もある。人生は、当人の記憶であると同時に、周囲の人々の記憶だ。多くの人々の記憶が、その人の人生を形作る。 神仏を信じていれば、神仏が私の人生を見守る。神仏は私に関する出来事を全て記憶し、私の人生に意味づけをする。心理学の研究によれば、信仰を持っている人の幸福感は高い。神仏的なもの抜きで人生の意味づけをすることは、簡単ではない。 インターネットは、新しい神にもなるのだろう。私の人生を、ネット上で記録できる。世界に発信できる。世界の人々は、ネットを通して私を見て、リツイートしたり、「いいね」したりする。その記録は半永久的に残る。ネット世界でも人は包まれる インターネットの黎明期(れいめいき)から、人生を語る人々はいた。一般の人の中にも、闘病生活を発信した人はいた。まだブログもなく個人ホームページも数少なかった頃、母であり教師であるある一人の女性は、死期が近づく中で、普及し始めた電子メールで配信を始めた。「私は、なぜ病気になったのかではなく、何のために病気になったのかと、考えるようになりました」と。その活動は、多くの友人、知人たちを力づけた。 このような活動は、今や多くの人々に広がっている。ある元校長は末期のガンであることをブログでカミングアウトし、それでも最期まで自然に親しみ、グルメを楽しみ、家族や病院スタッフに感謝する。家族がそれを見守り、友人や知人が応援し、見ず知らずの読者との温かな会話が始まる。同じ病で苦しむ読者とも交流が生まれる。それは、どれほど素晴らしく意味あることだったことだろう。 ネットを通して、記録を残し、思いを伝え、人々とつながる。それは、真剣に命と向き合っている人にとって、かけがえのない活動だ。死期が迫った終末期は、人生の中でもっともコミュニケーションを必要とする時期だ。しかし、しばしば死期が迫っているからこそ、孤独感に襲われることもある。だがネットは、豊かなコミュニケーションを提供する。神仏の腕に包まれるように、ネット世界で人は包まれることもあるだろう。 余命いくばくもない人にとって必要なことは、安易な慰めでもなく、客観的だが悲観的なだけの情報でもない。必要なのは「祈り心」だ。神仏に祈れる人もいる。同じ宗教の信者たちに祈ってもらえる人もいる。健康心理学の研究によれば、祈られている人は病気が治りやすくなる。そして祈り心は特定宗教によらなくてもできる。祈り心とは、客観的には厳しい状況であることを知りつつ、同時に希望を失わない心だ。 東日本大震災の時に、日本は祈りに包まれた。「Pray for Japan」、日本のために祈ろうと、世界が日本の支援に乗り出した。国連はコメントしている。「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」。 義援金や救助隊員を送ってくれたことはもちろんうれしい。だが金や人だけではなく、その心に熱い想いを感じた人も多かったことだろう。真実の祈りは行動が伴い、真実の行動は祈りが伴う。世界はマスコミ報道により日本の状況を知り、そしてインターネットによってさらに詳細な情報が伝わり、人々はつながっていった。つながりこそが、人間の本質だ。 このようなことは、個人でも起こる。今回は、小林麻央さんというたぐいまれな人格と文才を持った女性が、苦悩と希望を発信してくれたことで、大きな祈りと交流が生まれたといえるだろう。ネットは世界を変えた。ネットは私たちの死生観をも変えるのかもしれない。

  • Thumbnail

    記事

    百田尚樹氏のTwitter観「フォロワー15万人で自由に書けん」

     日本一売れる小説家と称される一方、度重なる暴言、失言の類いで世の顰蹙を買っている百田尚樹氏。プロインタビュアー・吉田豪氏が、百田氏の自由奔放な発言をする背景に斬り込んだ。──あの~、まず最初に確認しておきますけど、ボクの存在はご存知でした?百田:はい、プロインタビュアーでしたっけ? 前に『文春』の阿川佐和子さんの対談で見ました。「この人、私の悪口ツイッターで書いた人や!」と思って。──ダハハハハ! そこでボクは「会えば好きになれる人だと思うから、いつか百田さんの取材をしたい」って話してたんですよ。百田尚樹氏(桐山弘太撮影)百田:そうでしたか。申し訳ない! 読んでなかったです(笑)。ですから最初にこの話が来たとき、「うわ、私の悪口を書きたくてインタビューやりたいんかな」と思ったんですけど……。──全然違いますよ!百田:いいとこなんかあんまりないんですけど、なんとか探してみてください。──ちなみに、ボクはツイッターで百田さんにブロックされてるわけですけど。百田:ブロックしてましたか? すみません(笑)。じゃあ外しておきますわ。──百田さん、あまり考えずにブロックしますよね。百田:全然考えません! 反射的にブロックします。──百田さんのツイッター観を知りたいんですよ。百田:ツイッター観はだいぶ変わりましたね。最初はもっと無名でフォロワーも100人くらいやったんで、宣伝ツールになると思ってやってて。ところがいまフォロワーも15万人になってくると自由に書けなくなりました。だって一時期、私がツイートすると、ほぼ100%、ネットニュースになったんですよね。──引退宣言でニュースになり、撤回でニュースになり、って状態でしたよね。百田:政治的なコメントもね。とにかく反響が大きい。何かツイートすると、ものすごい数のネガティブ・リアクションが来て……。もっとも私はアンチを片っ端からブロックしているから見えないんですが(笑)。なかなか本が10万部とか売れない時代に15万人のフォロワーっていうのは影響力大きいなと思ってますね。「政治的発言をすると必ずファン半分を失う」──15万人にへんずり(関西弁でオナニーの意)を報告するのはどうかと思うようになった、と(笑)。百田:ハハハハ! 前は平気で書いてましたよね。──出版社の人も百田さんがツイッターをやるのに反対していたみたいですね。百田:政治的な発言をすると、右寄りの発言であろうが左寄りの発言であろうが必ず半分のファンを失うんで、やればやるほど損なんです。で、「百田さん、もう本が売れなくなるようなことはしないで!」ってみんな言うんですけど。──なんで宣伝のために始めたはずなのに、部数を減らすようなことしてるんだって話じゃないですか!百田:ハハハハハ! ホント、アホですね(笑)。自分でもわかってるんですけど、性分なんですよ。作家としてデビューしたのが50歳なんで、まあ書けて数年か、と。作家で10年トップを走れる人はなかなかいないから。1000倍の倍率をくぐり抜けて賞を取った作家でも、3~4年でほとんど消えるんですね。私なんかも当然、どうせ消える作家と思ってたんで、あんまり気にしなかったんです。──最初からその前提なのが大きいんでしょうね。百田:そうですね。私は昔から「おい百田、お前ひと言多いんや」っていつも言われてきたくらい、とにかくいらんこと言うんですよ。ここで言うたら絶対怒らせるなと思っても我慢でけへん。で、「アチャー、また言うてしもた」となる。そうやってしょっちゅう痛い目にあってきたんですけど、しゃあないんです。これは私の性分なんで、50歳になってからじゃ治らないんで。──昔からひどかった。百田:そう、私のツイッターも、有名になる前のほうがひどいんですよ(笑)。──放送作家時代も?百田:口は災いのもとで、思い出すと恥ずかしいことばっかりですが、まだ20代の若造が会議で40ぐらいのプロデューサーとかディレクターに「それ全然おもろないわ」「まったくダメ!」とか平気で言うんですよ。だから若い頃は片っ端からクビになってました。関連記事■ ハイサワーの販促用美尻カレンダーは6666倍の倍率突破したお尻■ 50代医師 「患者の気持ちを明るくしないとな」と下ネタ言う■ 「女を抱いた数は世界3番目」を自認する宍戸錠 計1331人■ 「モテたためしない」三國連太郎 女優と付き合ったことない■ 三國連太郎 性的悩みで一度は手術を真剣に考えたと告白

  • Thumbnail

    記事

    「自由」を履き違えたメルカリと情弱ユーザーは最低な組み合わせ

    ト全盛を迎えた世代)以上のユーザーが不在の空間である、ということを意味する。 アラフォー世代以上は、ネット社会の過渡期を過ごし、そのメリット、デメリットの多くを経験している。必要に迫られ、高いコンピューターリテラシーを持つ一方で、ネットへの警戒感も非常に強いのが特徴だ。 それに対し、現在の20歳前後の若者層は生まれたときには既にインターネットが一般化しているばかりか、初めて手にしたケータイがスマホの世代である。大学に勤務していると痛感することだが、今日の若者層はその生活環境とは裏腹に、驚くほどコンピューターリテラシーが低い。ワープロ作業も十分ではないどころか、自分でパソコンを所有していない人も珍しくない。90年代水準と何も変わらない その理由は、初めて手にしたデジタルデバイスであるスマホがあまりに「万能」であり、パソコンを所有して利用する必要性を感じていない、ということだ。しかも、「財布以上に携帯率の高いスマホ」である。常に座右にあり、パーソナルなツールとして身体化しているため、自分がスマホというデバイスを介してインターネットにアクセスしていること、またそこで個人情報を含めたさまざまな情報を意図せずに行き来させているという実感もない。ネットゲームの経験から、スマホ課金への障壁もない。 そのため、アラフォー世代以上であれば警戒してしまうようなネット個人売買や、課金、個人情報に対する危機意識があまりにも低い。顔や制服、氏名などがはっきり分かる形で不適切な写真をSNSで公開してしまう「おバカな若者ユーザー」が多いのもそのせいだろう。スマホが手軽で身近すぎるツールであるため、悪意なく、意図せず、軽い気持ちでかかわったことが犯罪や犯罪幇助(ほうじょ)になっている場合も少なくない。 ただ、危機意識の高い年配者がいるからといってネットが健全化するとは限らないが、少なくとも問題の探知はされやすい。それが冷やかしや「晒(さら)し」であったとしても、違法な行為や不適切な売買、記述をおもしろおかしく話題にするのも、「それなりのリテラシー」を持った大人たちだからだ。 若者層、特に若い女性が多いメルカリでは、中高年層がメーンを占める通常のネットオークションやネット売買と異なり、ネットの善悪を経験している「大人の目」が届きづらい空間になっている。これもメルカリが「90年代水準の無法地帯」を生み出している大きな要因の一つであるように思う。 DeNA騒動のキュレーションメディア問題のように、いまメルカリで起きている問題は「90年代水準のネット無法地帯」と酷似する。その実態は、同社が主張するような「自由やポテンシャルの広がり」とは到底思えない。 常に座右にあるスマホに生活の全てを一元化させるライフスタイルは確かに便利だ。しかし、それをフリマのような有機的な活動にまで広げるような在り方には「限界」がきている。このことに、そろそろ若者自身が気づくべきではないのだろうか。

  • Thumbnail

    テーマ

    フリマアプリ「メルカリ」の正体見たり

    現金に大量の領収書、「妊娠菌」付きのコメ…。これらはいずれもフリマアプリ「メルカリ」に出品されたモノである。今さら驚く必要もないが、ネット商取引が始まってからというもの、この手のいたちごっこが止むことはない。トンデモ出品が後を絶たないメルカリ騒動の背景を読む。

  • Thumbnail

    記事

    「メルカリ」の正体見たり! 正直者が馬鹿をみる拝金ベンチャーの闇

    山本一郎(個人投資家・作家) 国会論戦もたけなわの4月25日、日本維新の会の衆議院議員、丸山穂高さんが質問に立ちました。これが、現在スマートフォンを中心に人気のフリーマーケットアプリ「メルカリ」で現金が出品されるという事態について金融庁などの対応を問う内容であったため、かねてから問題視されてきたメルカリほかアプリ無法地帯ともいえる現状がより広く知られるところとなったわけです。 このメルカリの問題については、かねてからSNSや雑誌記事などでも取り上げてきておりますので、経緯についてはそちらをご覧いただければと存じます。もちろん、表題はメルカリが中心となっていますが、実際には「ヤフオク!(旧・ヤフーオークション)」やC2C(消費者間の取引)のフリーマーケットアプリ全般の話が中心となっています。その意味では、昔から適切ではない商品の出品があったことは事実です。・急成長「メルカリ」にはどんな法的リスクがあるか(PRESIDENT)・「やったもん勝ち」ネット業界のイノベーションが世間を犯罪まみれにするまで(文春オンライン)  昨今、とりわけ問題視されているメルカリについては、大きく分けて2つの問題を抱えています。 ひとつは、本人確認が事実上なされず銀行口座などの情報にもひもづけられないため、問題出品をしている人物を取り締まることは容易ではないこと。もうひとつは、売り主から売掛金をメルカリが事実上の預かり金という形で計上しているにもかかわらず、出資法や資金決済法で定めた適法な措置を取ってこなかった点です。さまざまな物が売買されているメルカリ。「トイレットペーパーのしん」など、一風変った出品もみられる(寺河内美奈撮影) これらの問題の根幹には、日本初の大型ベンチャーを育てていくにあたって、多少の脱法的なビジネスもやむを得ない、グレーゾーンをついてこそベンチャー企業だという姿勢を取る経済産業省の特定部署の責任者や、証券会社、ベンチャー界隈独特の「空気」が存在します。 ある高級官僚は、経済産業省の競争促進を担う責任者がベンチャー企業経営者の集まる席上でむしろ脱法的、潜脱的なビジネスも容認する発言を見て、日本のイノベーションは消費者や生活安全の犠牲の上に成り立っていると深く嘆いたといいます。ここまでアプリ関連のビジネスが大きくなったいま、金融当局が「実は違法でした」と立ち入り検査をすることに逡巡(しゅんじゅん)する背景には、日本の経済が停滞から脱却し、力強い成長路線に回帰するためには活力ある創業環境が必要だという安倍政権のリーダーシップに逆らうのではないかという「忖度(そんたく)」があるともされます。同業者が一斉に「ドボン」する日 しかしながら、現状で発生していることは冒頭で述べた現金の出品を行うような事実上のクレジットカードの貸付枠の現金化であり、つまりはモグリの消費者金融と同様の手口です。しかも、これらは「お手軽なフリーマーケットを楽しませる」というメルカリ特有の本人確認のない匿名性の高さをよりどころに適法性が疑われる売買を黙認し、仲介を志したことになります。とりわけ問題視されるのは、この犯罪行為が明らかになるまでメルカリの利用規約が一時的に「現金類似物も出品可能な状態」にわざわざ書き換えられていたことからも伺えます。現金がチャージされたSuica。すでにSuicaも規制されているがいたちごっこが続く=4月27日 どうせやるなら適法にやればいいのに、真面目に本人確認させたって、メルカリほどの勢いであれば問題にならないだろうと思うのですが、これはメルカリに限らず、果物のりんごに見立てた写真で売買されるApple社のiTunesギフトや、返金可能な商品券や交通系ICカード「Suica」などを使っての売買など、いたちごっこは各所で発生しています。 さらには、本やDVDに特化した新しいメルカリのサービスが立ち上がりましたが、これらの商品の中古売買を行うために必要な古物商の資格は仲介するメルカリも確認していません。直接の売買であれば、業として行うわけではないとリーガル上判断したのかもしれませんが、その匿名で本やDVDを出品している人物が業者でないことをメルカリすらも把握していません。 要するに、お手軽さを追求して顧客を集め、本人確認や古物商の資格の有無、預かり金の管理を行うのに必要な「資金移動業者」としての信託など、いままで生活を安全に送っていくために構築されてきた法制度をすべてスルーすることで販売管理費を下げ、その分を広告宣伝費やシステム投資に回すことで他社よりも効果的に成長する戦略がメルカリの狙いであることは言うまでもありません。 これらの問題は、一種のチキンレースのようなもので、ある一定のタイミングで同業種が一斉に「ドボン」することになります。消費者金融の過払い金訴訟問題や、あるいはテレフォンクラブやダイヤルQ2、出会い系サイトといった生活安全の問題も、途中まではグレーゾーンの成長モデルとしてもてはやされた後で事件が起きて当局対応の果てに輝きを失い、結果として潰されたり大手資本系列に逃げ込まなければならないことになります。 それまでの間に、できる限りのことをやって儲けてしまえ、というのが日本のベンチャー界隈の常識だとするならば、いつぞやのライブドアショックで大いに批判をされた拝金主義と何ら変わることなくこの10年が過ぎたということでしょうか。 進歩がない、と言われればそれまでですが、ソーシャルゲーム業界にせよオンライン決済や仮想通貨の取引に使われるブロックチェーンなどの金融とITを組み合わせた「フィンテック」方面にせよ、この世の中は知らないものが馬鹿を見る百鬼夜行なのだと思えばそう間違いはないのかもしれません。

  • Thumbnail

    記事

    善意のスキマからメルカリにやってきた「怪しい人々」の正体

    北条かや(著述家) 国内最大のフリーマーケットアプリサービス「メルカリ」で、「現金が額面以上の値段で売られている」「チャージ済みのICカードや旅行券が売られている」、さらには「妊娠米」など怪しげな物品が散見されるとのニュースが飛び交った。筆者もメルカリの利用者なので見てみると、確かに「1万円札4枚」が4万7000円(送料無料)などの価格で出品されている。今すぐ手元に現金が欲しい多重債務者などが、クレジットカードで購入している可能性もあり、マネーロンダリング(資金洗浄)にもつながる可能性がある。 指摘を受けて運営側は4月末、監視体制を強化し(「メルカリ、安心・安全への取り組みについて」)、「現行の貨幣を出品禁止」とすること、さらにメルカリ側が「24時間体制で監視・削除の対応」を行っていくことを発表した。なぜこのような怪しげな出品が相次ぐのか。筆者もメルカリや同業のフリマアプリ「フリル」などの利用者であり、売る側、買う側それぞれの立場を経験している。本稿ではその経験もふまえ、フリマアプリで行われているさまざまなモノの売買を「優しさのあふれる空間」というキーワードから読み解いてみたい。 メルカリなどのフリマアプリサービスは、2012年頃に誕生したといわれる。それまでインターネットで個人が売買するサービスといえば「ヤフオク」「モバオク」「楽天オークション」など、大手企業が提供する「オークション型」が中心だった。現在は楽天オークションがサービスを中止し「ラクマ」というフリマアプリの提供をスタートしたため、事実上ヤフオク、モバオクしか残っていない状態だ。 CtoC(個人間取引)のみならず、BtoC(企業対消費者)取引のプラットホームとして非常に優れているが、最大手のヤフオクに出品するためには毎月の利用料が400円ほどかかり、売れても売れなくてもサービスにお金を払わなくてはならない。クレジットカードの登録が義務付けられるなど、利用者にとってはややハードルが高かった。すくいきれないニーズがあったのも事実だ。 そこに目をつけたのがフリマアプリだ。最大手のメルカリは、急速に普及したスマートフォンを「フリーマーケット」のプラットホームに変えた。その手法はあざやかだ。ネットオークションに敷居の高さを感じる人や、これまでオークションを利用してみようとすら思わなかった若者や女性、主婦層などでも「使ってみよう」と思えるシンプルなインターフェース(使用感)に加え、「簡単」「安心・安全」のキャッチコピーを売りに急成長したのである。幅広い層に訴えかけるテレビCMも功を奏し、14年頃から認知度が急上昇。現在は国内で3000万ダウンロード数を誇るという。こんなに簡単に不用品が処分できるのか 経済産業省が今年4月に公表した「平成28年度電子商取引に関する市場調査」によると、ネットオークションにおける個人間取引の市場規模が3458億円に対し、フリマアプリは3052億円に達している。わずか数年の歴史で、この成長はすさまじい。昨年時点でのマーケット規模なので、今年はさらに大きくなっているかもしれない。 86年生まれの筆者は学生時代からヤフオク、楽天オークションを経験してきた世代だが、ここ数年は足が遠のいていた。出品してもしなくても毎月の利用料がかかる上、楽天オークションなどは利用者が少なく、そもそも出品しても売れづらいなどのデメリットを感じたからである。フリマアプリがはやっていると聞き、気軽な気持ちでメルカリやフリルをダウンロードしてみたのが昨年夏。これが非常に使いやすく、初心者でも出品しやすい。 筆者は最先端のサービスには気が引けるタイプだが、使ってみると確かに「安心・安全・分かりやすい」アプリだと実感した。スマートフォンのカメラで撮影した衣類を出品するまでにかかった時間は、わずか5分。出品した商品は2日以内に売れ、定形外郵便でポストに投函(とうかん)して受取評価を待つだけだ。 こんなに簡単に不用品が処分できるのかと感動した。リサイクルショップへ持っていけば10円で買いたたかれてしまう古着が、1000円で売れたりする。送料は「出品者負担」を標準設定にするようなインターフェースになっているので、送料と10%の利用手数料を差し引けば、もうけは数百円程度だが、古着屋に10円で売るよりはマシかもしれない。買った人からは「大切に着ます」とコメントが届き、3段階のうち最も高い評価を付けてもらえた。対面して物を売るフリーマーケットのような気持ちのよいコミュニケーションが続き、はじめは楽しかったと思う。 フリマアプリでは、ネットオークションに多いブランド物やコンサートチケットなどの高額品より、古着や使わなくなったアクセサリー、キャラクターグッズなど、やや安価な商品が多く出品されている。カテゴリ別に見ると「レディースファッション」が最も多く、購入者も女性が目立つ。感覚としては、リユースショップへ持っていくような、もっといえば、そのままでは自分にとって「ゴミ」になってしまうような物をかなりの低価格で売り出し、「まだ使っていただける人に買ってもらう」サービスだと思う。いらないものを「欲しい」と言うありがたさ それこそフリーマーケット並みの価格で売らなければ、なかなか買ってもらえないが、自分が不要になったものを「欲しい」と言ってくれる人がいること自体が「ありがたい」のである。筆者もコメント欄で「値下げ」を要求されることもときにはあったが、買ってもらえるならと応じた。 こちらが商品を購入した際も、非常に安く買える上に「ご購入ありがとうございました」というお礼の手紙が添えられていたりして、ほとんど利益は出ていないだろうに「買ってもらえてありがとう」という気持ちが伝わってくる。何の変哲もない服は、多くの人が競り合うオークションでは値段がつかないことも多いが、フリマアプリなら数百円程度で売れる。それ自体が「ありがたい」のだ。 先述の経済産業省によるレポートでも、ネットオークションとフリマアプリの違いは次のように定義されている。 ネットオークションが「できるだけ高い値段で売りさばきたい」という目的が特徴である一方、フリマアプリは「利用しない持ち物を手軽に処分して換金したい」との想いで利用する人が多い「平成28年度電子商取引に関する市場調査」80ページ まさにフリーマーケット感覚で「不用品を(たとえ安い値段でも)他の人が使ってくれるならうれしい」というコミュニケーションが提供されているのが、フリマアプリなのだ。気軽さと、ある種の善意が満ちている。 ネットに限らず通常のオークションでは「買う側」が複数おり、ニーズに合わせてモノの価格はどんどん上がっていく。「売る側」はそれを黙って見ていればよいが、フリーマーケットはやや事情が異なる。出品されるものの「価値」が相対的に低く、「売る側」は利益の出るギリギリの範囲に価格を設定し、低姿勢で「買っていただく」空間である。それなりの「お得感」を提供できなければ見向きもされずに終わる上、フリマアプリではネットオークションよりも「売る側」がより優しく、低姿勢でいることが求められるのだ。 「私の不用品をあなたに買っていただけてうれしい」という善意がなければ、多くの場合は売れない。もうけようと高値をつけるアカウントや、送料を毎回着払いにするアカウントは人気がなく、とにかく「安くて、そこそこ良いものを譲ってくれる人」が評価されるサービスである。善意なきユーザーも簡単に入り込める このサービスは、出品者が徹底して良心的で、「低価格・低姿勢」でいるからこそ保たれる。買う側はただその善意を受け取ればよく、万が一不良品が届いても運営側に通報すればよいので気分はラクだが、売る側としてはストレスも多くなる。 なぜなら、ここ1、2年でユーザーが爆発的に増えたため、いわゆる常識はずれな購入者にも「低価格・低姿勢」で対応しなければならないからだ。説明文を懇切丁寧に書いても読まれていなかったり、送料を明記していても読まずに「高すぎる」とメッセージが来たりする。商品の状態を細かく質問されたので、じっくり答えたらあっさりスルーされるなど、優しく対応する「相手」が増えれば増えるほど、その思いが届かないストレスも大きくなってしまうのだ。善意にあふれたフリーマーケットの空間に、「普通の消費者」が大量に入ってきたようなものである。 フリマアプリのユーザーは右肩上がりで増えている。わずかな期間に莫大(ばくだい)なユーザーが押し寄せたため、「安くてそこそこ良いものを善意で譲りあう」フリーマーケットの精神性のようなものを「乱す」アカウントが出てくるのも仕方がないだろう。「現金」や「チャージ済みのICカード」、果ては「妊娠米」などを出品し、「グレーな手段でもうけよう」というユーザーが増えてきたのは、「不用品を安く処分できてうれしい」というフリマアプリの理想的な利用者層ではなく、ネットオークションに見られるような「できるだけ高く売りさばきたい」タイプの利用者が増えてきたということではないか。(画像はイメージです) 日本人の2人に1人、若年層でいえばほぼ100%がもつスマホをプラットホームに、できるだけ多くの利用者を集めようとしてきたフリマアプリ。サービスが莫大なユーザーを取り込み始めた以上、当初の「フリマ」とはかけ離れた使い方をし始めるユーザーが現れることは想像に難くない。 「不用品ならほぼ何でも売れる」フリーマーケットの空間だからこそ、ある程度良いものを安く売り買いするための「善意」が求められるが、リアルのフリーマーケットとウェブ上のアプリは利用者のケタが違う。善意のないユーザーも、顔が見えないから簡単に入り込める。 運営側が何度取り締まっても、規模が大きくなればなるほど、怪しげなモノ・サービスの売買は続くだろう。ユーザーの多さにともない悪貨が良貨を駆逐することのないよう、今度はシステム側が「フリマならではの善意」をうながすようなアーキテクチャを構築し、一枚上手をいくことが求められている。

  • Thumbnail

    記事

    フリマアプリ隆盛 メルカリ一人勝ちの理由は?

     スマートフォンから手軽に商品を出品できる「フリマアプリ」の利用者が拡大している。これまで個人間取引(CtoC)サービスといえば、「ヤフオク!」(Yahoo! JAPAN)をはじめとするネットオークションが一般的だった。 ネットオークションとの決定的な違いは、オークション形式ではなく出品者が指定した固定価格で取引できる点だ。現在は、日米合計4000万ダウンロード(2016年6月時点)を突破した「メルカリ」が国内フリマアプリで最大利用者数を誇り、一人勝ち状態となっている。 このほか、いち早くスマホ向けフリマアプリをリリースしたFablicの「FRIL」や、楽天の「ラクマ」、スタートトゥデイの「ZOZOフリマ」など、多くの企業がフリマアプリに参入している状況だ。 フリマアプリはなぜ隆盛を誇っているのか。IT系企業のアプリ開発担当者は、以下のように分析する。「フリマアプリは『スマホがあれば、そんなにITリテラシーが高くなくても、簡単に出品できて小遣い稼ぎができる』という点が最大の強み。ネットオークションの場合、ある程度のPCスキルが必要となりますが、スマホ向けアプリはそれが不要なところが大きいでしょう。 クラウドソーシング(不特定多数の人に業務を委託する雇用形態)を見ても分かりますが、たとえ時給300円であっても子育ての合間に働きたいという人がたくさんいます。ちょっと空いた時間で小遣い稼ぎをしたいというニーズは確実に存在するのです。(画像はイメージです) 例えば、メルカリの出品価格のラインナップを見ると、どれも単価が非常に安い。300円で中古コスメを出品し、10%の手数料を持って行かれ、自分で発送する手間があるにもかかわらず、売りたいと思う人がいる。そういった『世間』の感覚をしっかりと捉えた点がフリマアプリ隆盛の理由でしょう」 フリマアプリの現状を見ると、「メルカリ」が圧倒的に多くのユーザーを掴んでいる。その背景には「デザイン」面の秘密もあるようだ。Webデザイナーが語る。「メルカリが成功した理由として考えられるのは、あえて『カッコいいデザイン』や『カッコいいサービス』を目指さなかった点だと思います。メルカリを見ると、ベースのデザインが大衆的であるだけでなく、出品者が自宅の床で撮った適当な写真が無数に並んでいます。そういった“素人っぽい”デザインやムードが、『私でも手軽に出品できそうだ』と思わせるのではないでしょうか。 一方で、すでにフリマアプリから撤退したLINEの『LINE MALL』は、素人だけでなく業者も出品していたため、プロ仕様のキレイなプロダクト写真が並んでいました。それが結果として、素人の出品への障壁を上げてしまったのではないか、と分析できます。 また、早くからリリースしていたフリマアプリ『FRIL』は、デザインを10~20代女性向けに作っていたので、主婦層や男性ユーザーの中にはとっつきにくいと感じた人もいるかもしれません。後発のメルカリにダウンロード数が追い抜かれた背景には、そうした面も影響しているのかもしれません」 まだまだユーザー数は拡大中のスマホ向けフリマアプリ。手軽に出品できるシステムにくわえ、男女問わず幅広い世代を獲得できる工夫も成功の秘訣のようだ。関連記事■ 新婚の千原ジュニア 「リアルジュニア」の誕生は再来年以降■ ツイッター見る感覚で買い物できるフリマアプリ「Fril」を解説■ フリマアプリ トラブルを避けるための買う時のコツ■ フリマアプリで「賢く稼ぐ」には売り時を見極めよ■ 月20万円稼げることもある「メルカリ」で売れるコツ

  • Thumbnail

    記事

    時間空いてる主婦を活用した「バイマ」は商い∞ビジネス

     21世紀の今は、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)などによる「第4次産業革命」の時代であると言われている。そこで成功をおさめ拡大を続けるのはどんな企業なのか。経営コンサルタントの大前研一氏が解説する。(画像はイメージです)* * * 中国EC最大手のアリババグループが運営する越境ECサイト「天猫国際(Tモールグローバル)」は、昨年11月11日に実施した「独身の日セール」の取引額が1日で実に約1兆8700億円にも達したが、その中の越境ECの範疇で大きな話題を集めたのが、美容フェイスマスクを専門に扱う化粧品会社のクオリティファーストだ。 社員5人で年商約40億円。そのうち、ほぼ半分が中国での売り上げだ。日本国内での商品体験会に在日中国人を招待したり、中国のタレントやスポーツ選手などに商品を提供したりしてSNSやブログで拡散してもらうという戦術によって、昨年の「独身の日セール」の部門別売り上げで同社の商品が1位を獲得し、化粧品カテゴリー全体でも4位になったのである。 さらに、日本唯一のユニコーン企業(推定時価総額1000億円以上)と言われているのが2013年創業のメルカリだ。フリマアプリ「メルカリ」の運営会社で、スマホで売りたい物の写真を撮って特徴を入力するだけで簡単に出品できる。お金のやりとりはメルカリが仲介し、購入者が届いた商品に納得したら出品者に代金が振り込まれるという安心・安全なエスクローを介した売買システムを採用した。それがユーザーに支持されてアプリのダウンロード数は6000万を突破し、そのうち3分の1はアメリカが占めている。 そしてもう1社、私が注目しているのがソーシャル・ショッピング・サイト「バイマ(BUYMA)」を運営している2004年創業のエニグモだ。この会社は海外に駐在している日本人社員の奥さんなどのパーソナルショッパー(バイヤー)が直接買い付けした世界中のブランド品を安価で購入できる越境ECサイトだ。パーソナルショッパーは135か国・約9万人に達し、登録会員数は400万人、アプリのダウンロード数は200万を突破している。 これは、いわば“空いている主婦”を活用した「アイドルエコノミー」だが、このビジネスは商い無限だ。従来、海外で買い付けて高いマージンを取ってきた輸入業者や百貨店は、このままではあっという間に取って代わられるだろう。 エニグモとビィ・フォアードは生まれてからまだ13年、メルカリに至ってはわずか4年しか経っていない。第4次産業革命では、いかに先行者利益が大きいかがよくわかるだろう。関連記事■ 新婚の千原ジュニア 「リアルジュニア」の誕生は再来年以降■ 韓流ブームに沸く中国 辛ラーメンの「農心」も中国内で売上増■ 家電爆買い中国人 日本製優秀との認識強く高値でネット取引■ 男が女より3700万人多い中国で大人のオモチャバカ売れ■ Made in ChinaからMade in PRCで中国製品売り上げ増

  • Thumbnail

    記事

    芸能コピペ記事は、テレビの「自己否定」そのものである

    神田敏晶(ITジャーナリスト) テレビ番組をネットニュースで見てから録画視聴することが増えてきた…。もはや、テレビを「生」でずっと視聴し続けるというのは、朝の限られた時間だけではないだろうか。 好みの番組は、ハードディスクで録画していたが、いつしか、動画サイトで検索すれば到達することができるようにもなってしまった。また「全録」「6チャンネル同時録画」ハードディスクレコーダーも増えてきたので、生で視聴するよりも、数十分遅れて視聴し始めて、CMをスキップするほうが時間効率が良いというのは、もはや小学生でもわかる現象となった。 民放が提供する「TVer」では、見逃したドラマや番組を1週間前くらいまではCMつきで無料視聴することができる。しかもテレビ局の垣根を完全に超えていて、何チャンネルのドラマを見ているかどうか意識しなくなった。しかもCMはしっかりと見させられ、スキップできない。むしろWi-Fiがあるところで、どこでもドラマとバラエティは視聴する機会があるのだ。テレビの概念が変わった。録画することなく、ヒマつぶしをするにはとても便利なサービスだ。 また、テレビ朝日系列のANNニュースであれば、サイバーエージェントの「Abemaニュース」で24時間視聴できる。NHKも、「NHK NEWS WEB」で速報性のあるニュースを記事スタイルのメタファーで動画視聴できる。 ニュースもドラマもバラエティも、テレビよりもネットで見るほうが自由度が高かったりする時代だ。面倒なのは、散らばっているメディアのブックマークの使い分けくらいだろう。 ヤフーニュースやLINEニュースなどでは、坂上忍さんやダウンタウンの松本人志さん、ビートたけしさんらが発したコメントがアクセスランキングに踊る。芸能情報ではなく総合ランキングまでも芸能が占めているのだ。それだけの視聴PV数を『タレント発言の記事化』が稼いでいる。 「タレント名」+「発言内容」=「インパクトのあるタイトル」というフォーマットのみで耳目が簡単に集められる。取材も分析も何もいらないのだ。ただ、テレビとレコーダーさえあれば記事は書けてしまう。「いつ、どの番組でそのコメントを発したのか」を明記すれば、芸能ジャーナリズムとしても成立する。 「最新急上昇ワード」や、「リアルタイム検索」を見ているだけで、テレビで、今何が起きているのかも掌握することができる。そして、「全録ハードディスクレコーダー」で番組やコメントを確認すれば1時間後には、れっきとしたニュースとして配信できる。テレビを見ただけで記事が書けるのだ。これはもはや、読書感想文よりも簡単で時間もコストもかからない。テレビを見ないまま流通するコメント テレビ局も、番組が話題になることはよいことだ。タレント側としても、テレビで発言したことが取り上げられることはよいことだ。広告スポンサーも話題になることはよいことだ。ヤフーニュースやLINEニュースに配信するメディア媒体も、自社にPV数が反映されるからよいことだ。しかし…。 かつて、テレビはメディアの王様だった。ゴールデンタイムのテレビ番組で、翌日、学校の話題は独占されていた。しかし、今日、テレビの母数としての視聴率には差があまりでないが、テレビの話題で独占されることは非常に少なくなった。そう、誰もが「共感するテレビの話題」がないからだ。 すでにスマートフォンでは、「なう」でソーシャルな話題に忙しい。昨日のテレビのことなんてどうでも良くなっているからだ。では、なぜ、タレントコメントがネットのニュースで話題になるのか。それは、テレビ番組を見なくても、タレントの動向がそのままネットの話題として流通しているからなのだ。 よほどの人しか、全録ハードディスクレコーダーでさかのぼってまで、テレビ番組を再視聴することはないだろう。そして、実際に録画を見ても、ネットのニュースコメントほど大したコメントではないケースの方が多い。 あくまでも、ネットニュースのコメントはタレントが何を言ったのかがわかるだけでよいのだ。それで、その場のネタとして消費できればよい。誰も、そのテレビ番組を見ないまま、タレントのコメントだけが、ただ流通しているにすぎない。 ネットニュースを見ているだけで、テレビで何が起きているかを察することができる。テレビを見ないでテレビでの内容が把握できるということは、ますます人をテレビから遠ざけてしまっているのではないだろうか。 本当にテレビ局が番組を見せたいと思うならば、TVerのような番組のURLのリンクを必ず貼らせるべきだろう。そして、回流視聴に期待するはずだ。ネットであれば、流入経路が掌握できる。しかし、視聴率に反映されないことはテレビ局は、あまりやりたがらない。テレビが自ら流入してくる努力を惜しむ間に、母数の変わらない視聴率でさえ稼げない時代が必ずやってくる。 ネットニュースでテレビの話題のシーンに回流させ、番組をそのまま再生できるようなフォーマットがなければ、テレビを見ないですむ習慣を、ますます増長させているだけだろう。結果として、芸能コピペ記事は、テレビ番組の自己否定につながる。

  • Thumbnail

    テーマ

    DeNA大炎上、キュレーションを疑え

    パクり、デタラメ、何でもあり。DeNAが運営する10ものキュレーションサイトが閉鎖に追い込まれた。ネットメディアに潜む病巣を浮き彫りにしたともいえるが、この問題は決して他人事ではない。iRONNAでも自戒を込めて、今回の炎上騒動の意味を考えてみたい。

  • Thumbnail

    記事

    キュレーションは生き残れるか? グーグルを騙し続けたDeNAの罪

    神田敏晶(ITジャーナリスト) 上場会社のDeNAが、自社や関連会社で運営するオウンドメディアのキュレーション媒体を全記事非公開化に踏み切ったことは、ウェブメディアのビジネスだけでなく日本のウェブの文化にも大きなインパクトを与えている。キュレーションメディア全体が大きな危機を迎えている現状を分析してみたい。2013年12月、ディー・エヌ・エー(DeNA)本社を見学に訪れたバイデン米副大統領(中央)、ケネディ駐日米大使(左)を案内する、同社創業者の南場智子取締役(代表撮影) DeNAのヘルスケア情報メディア「WELQ」の実情を白日のもとにさらけだしたのが、BuzzFeed日本語版の2016年11月28日の「DeNAの『WELQ』はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言」という記事だ。 しかし、この記事は、DeNAの現役社員や契約ライターによる社内の秘匿情報の漏洩という側面も知ることもできる。チャット画面などの公開は、果たしてスクープといえるのだろうか。秘匿義務違反や内部通報で社内ルール違反の上にスクープが成り立っているのか。 ただ、法律を犯す指示をしたとか著作権違反を強要しているのを判断するにはBussFeedではなく、司法の判断だ。BuzzFeedがここまで踏み込んだのは、それをさかのぼる1カ月前、10月28日の「無責任な医療情報、大量生産の闇 その記事、信頼できますか?」という記事にあった。 10月の段階でBuzzFeedはWELQの問題をDeNAに対して正攻法で取材し、DeNA側は「真摯に対応してまいります」と応えていた。そして、最後に「BuzzFeed Newsは、医療や健康をテーマとしたキュレーションメディアが引き起こす問題を引き続き取材します。WELQに執筆されている方など、関係者からの情報をお待ちしております」と掲載したことが、内部の密告者とコンタクトのきっかけなのだろう。まさにメディアとしての正しい攻め方だ。 DeNAがこの時点で、真摯にBuzzFeedの指摘に対して、SEO対策としての8000文字もの長文記事を1日100本も掲載することの異常さを感じ、医療情報というセンシティブなメディアに対しての責任感が伴えば、このようなキュレーションメディアの全面閉鎖ということにはならなかっただろう。キュレーションメディアを乱造させた「張本人」 しかし、問題はDeNAが謝罪し、閉鎖しただけでは終わらなかった。「DeNAショック」は一気に業界を震撼させ、キュレーションメディアの順次自主的な非公開という対応をとりはじめた。つまり記事の量産化、著作権違反の奨励、写真の無断使用など、同じ穴のムジナとなっている業界なのだ。しかもヤフーの「TRILL」、サイバーエージェントの「spotlight」、リクルートの「ギャザリー」、KDDI子会社のSupership「nanapi」と上場企業のキュレーションメディアばかりだ。 なぜ、このようなことが起きるのか。日本のIT業界は、歴史の短いインターネット史の中で、同様の失敗を何度も繰り返している。まったく学習機能がオンにならない業界なのだ。 最初のインターネット・バブル時代は、海外も含めて初めてのバブル経験で、スピード成長とユーザーの抱え込みに問題があった。次は上場で得られた資金でのテレビコマーシャルへの大量投下。ソーシャルゲームの課金ブームが訪れる。そう、2012年の「コンプガチャ問題」だ。 莫大な利益をあげたコンプガチャだが、2012年に終息してしまう。そして、スマホ活用の「ソーシャルゲーム」へと進化するが、そのゲームも頭打ち。さらに上場会社でも、ヴァイラルメディア(口コミネットコミによって伝染するかのようにひろがるメディア)やキュレーションメディア(多数の情報をまとめ精査することによって新たな価値を生み出すメディア)の有効性に目をつけはじめた。 Googleなどの検索に効果を発揮するSEO化された記事を量産するために「クラウドソーシング」で安価な素人ライターを獲得し、記事を乱造してPV数を稼ぎ、広告で利益を得るという方法をとる手法が展開をはじめる。このあたりの「上場会社」という社会の公器としての意識がIT業界はまだまだ低い。資金調達のための上場だからだ。 要するに、キュレーションメディアを乱造させたのは、実はGoogleなのである。Googleが良いサイトだと認識し、検索した時に上位に表示し、そこをユーザーが閲覧し、広告を見て、クリックするという流れが起きる。そこでGoogleは広告主からお金をもらい、メディアには掲載手数料をアフィリエイトとして支払い、自社広告をとるキュレーションメディアはGoogleによる流入をSEOでかさ上げして、広告主から表示数やクリック数に応じた広告費を稼ぐ流れだからだ。「タコツボ」にハマり前が見えなくなったDeNA しかし、この状況を考えてみると、恐ろしいネット上の「サイロ・エフェクト(縦割り化現象)」がもたらされている。 適当なサイトから、クラウドソーシングで働くライターがパクって作成した医療記事が、検索エンジンによりトップに表示され、そこに掲載されている健康食品の広告で商品を購入し、また精査されていないはずの記事を鵜呑みにして、行動を起こす。いつしか、大きな健康被害が発生しても責任の所在地がはっきりしない状況になりかねない。 しかも、これらの現象は今起きたことではない、少なくともキュレーションメディアやヴァイラルメディアの功罪は5年以上の歴史があるのだ。その間、GoogleもSEO化されないように、いろいろとアルゴリズムを調整し続けている。 しかし、それもイタチごっこであり、常にGoogleに検索されやすい施策を取り続けてきた。それが、個人や中小企業でも参入しやすいキュレーションメディアを買収することによって集積し、拡大させ、資金を投入し、人的な加工でGoogleのエンジンをまんまと騙し続けてトップ表示させて流入を稼ぐ。IT企業を標榜するような企業が、インターネット上に役立たない情報を乱造し続けてきたにすぎないのだ。 また「サイロ・エフェクト」はタコツボ現象と訳することができる。組織が高度化し、専門性を高めれば高めるほど、費用対効果を極限にまで追い求める。しかし、そこには組織としての目指すべきヴィジョンやゴールに対しての明確なヴィジョンがないとタコツボ化して前が見えないまま走り続けてしまう。 もう一度、DeNAのサイトを確認してみた。創業時からDeNAのDNAは「新しいことに挑戦し続けること」「世界に喜びと驚きを」。何かの重要な「コトバ」が足りない気がしてならない。「正しい姿で…」「あるべき姿で」というコトバをDeNAにプレゼントしたいと感じた。 組織が立ち止まった場合に考えるべき重要なことは、社会に対してのコミットメントだ。そこの意識がないと組織全体が好き勝手に挑戦し続け、好き勝手な喜びと驚きを与えつづけたのかもしれない。 インターネット登場から20年も経過したのだから、IT業界全体が焼畑農業でなりふりかまわず稼ぐ時代はもう終わった。オトナの組織として社会全体を良い方向に導くために自社がなにをすべきなのかを全社員と意識を共有し、社内リソースを改めてキュレーションしなければならないのだ。

  • Thumbnail

    記事

    ゴミ記事を量産20代「元編集長」がテキトー過ぎる運営を激白

     まとめサイトやYouTube、ブログ等が世の中にあふれ、個人でインターネットから広告収入を得ている人も少なくない昨今、IT大手ディー・エヌ・エー(DeNA)が運営する“医療情報キュレーションメディア”「WELQ」が炎上した。出典の曖昧な記事やデマや信憑性が低く、さらに薬事法にも抵触しているような記事を量産し掲載していたことが原因で、新興ネットメディアの運営は大手といえども驚くほどいい加減なものが多いことが浮き彫りになる事件だった。11月29日をもってWELQのすべての記事の非公開を決定、同社が運営するWELQ以外の9つのキュレーションメディアについても、12月7日までにすべて公開を中止した。  東京都の丸山麗子さん(仮名・28歳女性)も、そんな「いいかげんメディア」の運営に関わった一人。某IT企業に転職して間もなく、その会社が持っていたポータルサイトの「編集長」にされてしまったのだという。――突然編集長に?丸山:前職で編集の経験があったからか、『このサイトで記事をアップして』って言われたんですね。受けたら次の週、編集長の名刺を渡されたんです(笑)。女性向けの美容とかカルチャーの記事を、まずは準備期間1ヶ月ほどで、1人で1日1~3記事。ビジネスとしてはかなり小さいものでしたが……会社の「負の遺産」をどうにかしてくれる人が欲しかったんでしょうね。――負の遺産、とは?丸山:私が入るずっと前からそのサイトはあったみたいなんですけど、有名な会社にサイトを構築してもらったらしくて、ほっといても月に数十万円の維持費がかかるような状態だったんですね……誰もお金に換えることができなかったから、新人にやらせちゃえ! みたいな(笑)。月間PV3万くらいのサイトを、まず3ヶ月で10万にします! という目標でした。――まずどのように運営を始めたんですか?丸山:準備期間のうちに、まず昔の仕事仲間に声をかけました。でも、あんまり安いお金では動いてもらえないから、どうにか予算をつけてもらって、1記事3000~5000円。「安くてごめんねー」なんて言いながら頼んでました。 後から知ったんですが、実はこれって破格に高いんですよね? この額って他の有名なメディアと同じくらいだったりしました。クラウドワークスみたいなサービスを使って素人ライターを雇えば1記事100円なんていうのもザラで……。自然と行き着いた「小エロ系記事」――節約しきれなかったんですね。丸山:はい。でも、100円とかで書かれる記事なんて面白いわけがありませんよね……。そんな風に準備をしていたら、PVが実は月間1万以下しかないサイトだということが発覚して。でも、あてがわれた目標は変わりませんでした。3万が10万になるのと、1万が10万になるのは相当違いますよね(笑)。 相当慌てたので、正式に更新をはじめてからは、PVの稼げるようなことはなんでもやりました。例えばNHKのドキュメンタリー番組には「再放送」があるので、1回目を見た後にその内容を取り上げて記事にすると、2回目の放送の直後にPVが稼げるとか……セコいですよね。芸能人をタダで出したかったので、PR会社の知人に頼って記者会見発表に山ほど行って、どうでもいいような発言をムリヤリ女子の教訓にしてみたりとか……そんな流れの中、自然と行き着いたのは「小エロ系記事」でしたね。――女性向けのエロ系記事……?丸山:ライターも全員女性だったんですけど、お任せしておくとエロ系の記事ばっかり上げてくるんですよ(笑)。『an・an』が「セックスできれいになる」って言ってる部分はどこなのか女医さんに聞いてみたりとか、行為の時の手の動きがエクササイズになるだとか……バカでしょ? そういう記事ばっかりだったわけでもないんですが、途中まで順調にPVは上がりましたね。――目標は達成したんですか?丸山:1ヶ月遅れで達成しました。でもその先のことは何も考えてなかった。「売れるサイト」にするには特定のジャンルのキーワードで検索に強くなることが必要だったりするんですが、うちのサイトはPVを上げることだけに照準を当てて運用してたので、特定のエロ系ワードにだけ異様に強い感じでした。 PVが上がっても、収益は上がらないまま……でも、私もみんなも当時はわかってなかったんで、誰にも怒られたりしませんでしたね……。――サイトはどうなったんですか。丸山:その後もしばらく続けていましたが、予算削減である時静かに閉じていくことになりました。サイトオープン時にすでに2000万円、私が入るまでに3000万円かかっていたサイトは、どうでもいい記事を世の中に撒き散らして消えたんです。でも、ゴミみたいなサイトをネットの海に残しちゃうより、うちのサイトはちゃんと消えたから、まだマシかな……と思っています。関連記事■ 紗栄子 ローションドロドロ誕生会、費用は1000万円■ 高橋由美子 「生々しくてヤバい」写真集の秘蔵カット■ 炭水化物抜きダイエット実践の愛子さま「摂食障害」の指摘も■ 元アナ徳永有美 「いちばんの勝ち組」と囁かれる理由■ SMAP、最後の歌収録 中居正広は嗚咽を漏らした

  • Thumbnail

    テーマ

    ネットメディアは今も「回転ずし」なのか

    「ネットメディアはしょせん回転ずしみたいなもの」。そう思っている人も案外多いのではないだろうか。新聞や雑誌、テレビと比較すると、どうしても格下扱いされがちだが、なぜネットメディアはいまだ「すきやばし次郎」になれないのか。iRONNA編集部が自戒を込めて、あえてこのテーマをお届けする。

  • Thumbnail

    記事

    カラパゴスすぎるネットメディア「みんなそろってバカになる?」

    山田順(ジャーナリスト) ネットメディアが登場してから今日まで、さまざまなことが言われてきた。ただし、言われてきたことのほとんどはネット先進国アメリカの受け売りで、日本の現状には全く適していない。なぜなら、日本のネットメディア環境は、世界と比較するとあまりにも特殊、つまり「ガラパゴス」すぎるからだ。 今回は、主にネットのニュースメディアについて考察するが、日本は完全なガラパゴス状態にある。日本人は、ネット世界を日本語でしかサーフィンしないから気がつかないが、多くの先進国では多種多様なニュースメディアが育っていて、それなりに共存している。ところが日本では、ほぼ一つのニュースメディアしかないような状態が続いている。 ずばり言うと、「Yahoo!(ヤフー)」しかない。ネットメディアはYahoo!の1人勝ちになっている。それ以外のニュースメディアは、ほとんど存在感がないと言っていい。米カリフォルニア州の米ヤフー本社 一般的にニュースと言えば、新聞、テレビだが、「朝日」「日経」「産経」などの新聞社のオンラインサイト、「NHK」「日テレ」などのテレビ局のオンラインサイトが束になってもYahoo!にはかなわない。しかも、ネットユーザーは、この状況になんの疑問も感じていないようなのである。 いまやスマホ全盛時代だが、スマホ使用者の5割以上が、ニュースを知ろうとするときにアクセスするのはYahoo!である。つまり、日本のネットではYahoo!によってニュースが独占的に流されているのだ。 この状況は、今年の6月に公開されたロイターの「デジタル・ニュース・レポート」(2016年版)の調査にはっきりと現れている。このレポートはネットで閲覧できるので、興味のある方はぜひ見てほしい。 このレポートで、ネットユーザーが主に利用している「オンライン・ニュース・ブランド」を国別に見ると、日本では断トツでYahoo!になっている。「Yahoo」は週間利用で59%、メインソースとして利用で49%となっていて、2位の「NHKオンライン」(同16%、同5%)、3位の「日経オンライン」(同13%、同4%)を大きく引き離している。 ところが、アメリカでは、多くのニュースメディアがネットで共存しいて、抜けたメディアはない。1位は「Yahoo News」(週間利用28%、メインソースとして利用12%)だが、2位にはオンラインメディアの「ハフィントンポスト」(同25%、同6%)、3位には「FOXニュース・オンライン」(同22%、同10%)が入っていて、その差はそれほど開いていない。既存メディアの「CNN」(同21%、同6%)や「NYタイムズ」(同14%、同2%)なども健闘している。これは、アメリカだけではなく、欧州諸国もまた同じである。つまり、Yahoo!だけが突出しすぎている日本の状況は異常と言わざるをえない。エンタメ、スポーツが好きな日本人エンタメ、スポーツが好きな日本人 ネットメディアの世界では、当初から「多様性」や「双方向性」ということが価値を持つとされてきた。これまで既存メディアが独占してきた情報空間が、ネットメディアの登場で活性化するとされてきた。メディアが多様化することで、新しいニュースが発掘され、異質な意見や少数意見がいままで以上に取り上げられる。それによって、人々の選択肢が広がることがいいことだとされてきた。 しかし、なぜか日本はそうはならなかった。既存メディアのオンラインサイトは育たず、新しく登場したニュースメディアも成功した例はほとんどない。かつて市民参加型をうたった「JanJan」や「オーマイニュース」などの試みはいずれも失敗し、本格的なニュースメディアを目指した「J-CASTニュース」なども、結局、既存メディアの後追い記事しか発信できていない。 スマホ時代になるとともに登場した「グノシー」「スマートニュース」「NewsPicks」なども、いまだに単なるアグリゲーターのままで、なにか新しい価値を生み出しているだろうか? ここで、再度ロイターの「デジタル・ニュース・レポート」を見ると、日本のガラパゴスぶりがもう一つあることに気がつく。それは、ネットユーザーの嗜好が「ソフトニュース」に偏っていることだ。「どのニューストピックスにどの程度関心を寄せているか」という調査では、調査26カ国中、日本がもっとも「ハードニュース」のニーズが低い。「ハードニュース」というのは国際、政治、ビジネス・経済などで、これらはニュース報道の主力だ。ところが、日本でニーズが高いのは「ソフトニュース」のほうで、こちらは調査26カ国中最高なのである。 「ソフトニュース」というのは、エンタメ、カルチャー、スポーツなどである。つまり、ユーザーの嗜好がこうでは、ネットのニュースメディアが育たないのも無理はない。 日本でYahoo!がスタートしたのが1996年。新聞社などの既存のオフラインメディアがニュースをYahoo!に提供するようになったのは、その翌年からで、当初は単なる文字放送のような感覚で短文記事をYahoo!に売っていた。 ところが、いつの間にかYahoo!は、競合相手の「インフォシーク」「OCN」「ビッグローブ」「ニフティ」などを競り落としてしまい、早い時期から日本を代表するポータルサイトになってしまった。 こうなると、Yahoo!がニュース記事配信に関する価格支配力を持つようになる。要するに、既存メディア発のニュースは、Yahoo!に買い叩かれるようになったのである。 じつは、この状況は現在まで続いている。新聞社もテレビ局も、そして多くの雑誌、ネットに生まれた新興ニュースメディアに至るまで、Yahoo!に記事を売っているが、その価格はあまりにも安い。 新聞、テレビ、雑誌などのオフラインの既存メディアは、ここ10年ほどの間にネット進出を加速化させ、なんとかPV(ページビュー)を稼いで売り上げを上げ、独自のニュースサイトで稼ごうとしてきた。そのため、会員制定額購読モデルを取り入れ、会員数を増やそうと必死に営業してきた。しかし、いまのところ、どうやってもYahoo!を超えられない。 Yahoo!経由のトラフィックが圧倒的に多いからだ。つまり、Yahoo!依存を止めると、自社で始めたオンラインサイトというネット事業は成り立たなくなってしまうのである。 Yahoo!が1人勝ちをしているため、新興のニュースメディアも育ちようがない。とくに、独自のニュースを発信しようなどとすれば、相当な資金力、ネットワーク力が必要とされる。第一、取材して原稿を書くプロの記者がいなければできるわけがない。これができるのは、いまだに新聞、テレビ、雑誌などの既存メディアだけだ。したがって、ネットのニュースメディアは、結局はアグリゲーターとしてうまくやっていくしかない。つまり、“他人の褌”で相撲を取ってPV稼ぎに奔走する。 まず、Yahoo!を中心にしたトラフィックを最大限に呼び込むために、どうでもいいニュースにも扇情的なタイトルをつける。どこからか安く仕入れてきた記事を加工して、見映えだけをよくする。独自記事もほしいとなれば、1本2000円ぐらいで書いてくれるライターに発注する。そういう記事は、内容よりもSEO(検索エンジン最適化)にしたがって書かれる。  さらに、ネイティブ広告を積極的に進め、広告記事なのに広告クレジットを外すということまでやっている。 この世界では、ステマは日常茶飯事である。ステマにはウェブ媒体別に売り単価、転売単価があり、30媒体まとめたパッケージ料金とか、Yahoo!掲載保証料金というものまである。衰えゆく日本の情報空間衰えゆく日本の情報空間 最近のネットのニュースメディアには、タイトルは違うが内容は同じで、どこからか拾ってきた記事が溢れている。キュレーションというのは、そもそも溢れる情報のなかから、良質な情報、役に立つ情報を厳選する。そうして、それを再発信するのが「キュレーション・サイト」のはずである。 しかし、そうしたサイト自身が、いまや単なるニュースの加工をしているだけで、記事に適当な見出しと画像を付け、コメントを相互に付けさせるCGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)を用意して、体裁を整えているだけだ。 ネットの世界を支配しているのは、PVとアクセスである。ともかく大量のPVとアクセスがほしい。多ければ多いほど、広告が稼げる。たったこれだけである。 だから、ネットのニュースメディアは、アプリの開発や独自のプラットフォームづくりに励む。しかし、彼らはニュースをつくる、つまり、新しい情報、知られていない情報を発掘して世間に届けることには興味がない。まして、異質な意見や少数意見、そして多様な価値観など、どうでもいいのだ。彼らはパブリッシャーではない。Yahoo!がこの世界で勝ち抜いたように、PVとアクセスを総取りしたいだけなのである。 そもそもYahoo!は、ニュースサイトではない。日本最大のポータルサイトであって、ニュース・パブリッシャーではない。また、Yahoo!に依存しているネットメディアもほとんどがアグリゲーターで、パブリッシャーではない。つまり、いくらネットとはいえ、このなかでニュース・パブリッシャーなのは、日本の場合、既存メディア(新聞、テレビ、雑誌など)のサイトだけである。 このような状況を考えると、今後、既存のオフラインメディアが凋落していくにしたがい、日本の情報空間は衰え、ニュースの質は劣化していくのは間違いないと思える。紙からデジタルへの移行は、日本の場合、メディア全体の質の低下をもたらしたと、私は捉えている。 本来なら、ネットユーザーは、既存メディアのニュースサイトにダイレクト・エントリーしなければ、価値ある情報は得られない。しかし、ここには課金の壁がある。だから情報がタダであるポータルサイトか、適当にフィルタリングしてまとめてくれるアグリゲーターサイトに流れる。しかし、それで満足していていいのだろうか?  ネットが始まったころ、ネットは「集合知」(wisdom of crowds)によって発展していくと言われた。誰もが情報を発信し、誰もがそれにフィードバックできる世界なのだから、そうなっていく可能性はあった。しかし、実際に日本で起こってきたのは、「集合愚」(みんな揃ってバカになる)ではないのか?

  • Thumbnail

    記事

    「賛否」を見出しに入れたネットニュースが多すぎないか

     山本直人(経営コンサルタント) まあ、安保法案や新国立競技場やギリシャ問題やら、そりゃたしかに「賛否」を問う話は多いんだけど、それにしても最近のネットニュースの見出しは、やたらと「賛否」が多いと思うわけ。たとえば、こんな感じ。 「父の日イベント中止? 理由に賛否」これは、家庭の事情でお父さんがいないこともあるから。まあ、これは賛否あるだろうな。「『ドッジボールは暴力』に賛否」まあ、これもわかる。いずれも、それなりに社会の話だ。 でも、この「賛否」というのもtwitterあたりの声をザクザクと拾って、つぎはぎしてるだけだったりする。そして、賛否はそれだけじゃない。「女の子の頭をなでるゲームCMに賛否両論」これはゲームの話。「やりすぎ? とんねるずに賛否」これはテレビの話。 そもそも、テレビやゲームは別に見なくてもプレイしなくてもいいようなもので、賛否を問うもんじゃないだろ、と。そして、ついにこんな見出しが。「熊切あさ美の『別れていない』にネットでは賛否」。もう、何が賛否なんだか。賛辞の方が文は通じる。まあ、実際は惨事のようだけど。 法案や政策など、それによって自分たちの生活が大きく影響されるなら「賛否」というのも普通だ。学校の行事も、決められちゃえば逃げられないので議論にはなる。でも、タレントのやったことやコンテンツというのは、別に関係ない人にとっては、相当どうでもいい。じゃあ、なんで「賛否」とかつけたがるのか。 単純に言って、ついつい見出しのクリックが増えるのかもしれない。ただ、それ以上の意味合いが、この「賛否」という言葉にはある。それは「これは皆が気にしているんだよ」という記号として、機能しているのだ。 マスメディア研究で「議題設定(agenda setting)」という機能がある。つまり、世の中の人が「これが重要だ」と思うのは、マスメディアによって影響されるという話だ。ネットの時代になっても数をとろうとすれば、「これが重要だ」ということをアピールすればいい。 そして、賛否がわかれることに自分の意見を言えることが賢い、と錯覚しちゃう人がいれば、まだこういう見出しは続くのかもしれない。でも、それの行く末が「熊切あさ美」であれば、あまり賢そうだとは思えない。それにしても、そうやって話題つくって煽ることやってたらマスメディアと同じだし、ネットメディアならではの価値はどうなるんだ?とかいうことは、多分考えられていないんだろう。 そこで「賛否」が問われた形跡は、見当たらないんだけど。でも、そのうち出るかしら。「ニュース見出しの『賛否』に賛否」とか。(公式ブログ 2015年7月14日分を転載)

  • Thumbnail

    テーマ

    寛容さを失う日本人と「一発レッド社会」

    さながら「一発レッド社会」といったところか。不倫騒動が話題になったタレント、矢口真里を起用した日清カップヌードルの新CMをめぐり、「不貞をネタにしている」との批判が渦巻き、たった一週間で放送中止になったことが波紋を呼んだ。日本人は本当に寛容さを失いつつあるのか。

  • Thumbnail

    記事

    【山路徹独占手記】あの泥沼不倫で私が「謝罪会見」したホントの理由

    謝罪しなければ絶対に許さない”という事も意味している。特に、誰もが誰に対しても発言できるようになったネット社会では、謝罪を求める声やクレーム内容が度を越し、いわば社会の“謝罪圧力”になっているように感じるのだ。正当な主張や要求は多いに結構だが、理不尽な要求も少なくない。中には脅迫めいたものまで存在する。悲しいかな、それが“現代世間”のひとつの姿になっているように思う。多くの報道陣が詰めかけたAPF通信社・山路徹代表(左)の会見=2011年2月26日、東京都渋谷区道玄坂 (川口良介撮影) 芸能人もスポーツ選手も大企業も政治家も、いざ問題を起こせば事の大小に関わらず、たちまち“ネット世間”の標的になり、“謝罪圧力”をかけられる。ネットを中心とした社会環境を考えると、そこから逃れるのはもはや不可能だ。ならば、不当な謝罪圧力や理不尽なクレームに屈しない強い信念を持たなければならないのだが、現実にはなかなか難しいようだ。 つい先日も、タレントの矢口真里さんらが出演した日清カップヌードルのCMが視聴者からのクレームで中止になった。このCMは、なんでも正論を主張するお利口さんになるのではなく、バカをやろう!と訴えた斬新な作品だった。CMでは「世間の声とかどうでもいい。大切なのは自分の声を聞くってことだろう?」と謳い上げていたが、結局、世間の声によって放映中止に追い込まれてしまった。 “過度な謝罪要求”や“理由なき謝罪”は社会を萎縮させるだけではなく、人々の進歩や社会の発展にも大きな妨げになることはあきらかである。“理由なき謝罪”で不倫騒動の危機から脱出した私がいうのも少々憚れるが、いま一度、“謝罪”のあり方を見つめ直す必要があるかもしれない。そんなわけで、私も個人的な騒動が身にふりかかった場合、世間には謝罪しないことにしようと思う。

  • Thumbnail

    記事

    どうしたニッポン、なぜ謝罪はここまで増える?

    岡本裕明(Blue Tree Management 株式会社 代表取締役) ベッキー、SMAP、横流しのダイコーに教科書出版会社、バス運行会社…ごく最近の謝罪例だけでもこれぐらいすぐ思い浮かびます。甘利大臣も釈明が謝罪に変るのでしょうか?多くは「脇が甘い」結果が生んだ失態で、深々と頭を下げ、フラッシュとシャッターの音が象徴的なシーンであります。 海外から見る私としては「いい加減にしてほしい!」と言いたくなります。 日本はこんなに人に頭を下げ続けなくてはいけないほどの恥ずかしい国だったのでしょうか?まじめで一生懸命働き、人に迷惑をかけない筈じゃなかったのでしょうか?私は小さい時からそういう国だ、と習っていました。が、経済がどれだけ成熟しても人間は成熟していないということでしょうか?「SMAP存続へ」と報じた2016年1月18日付 サンケイスポーツ 少なくとも海外ではこのようなシーンはまずお見かけすることはありません。勿論、非を認めない世界(=裁判など第三者の判定を仰ぐスタイル)との相違はあるもののそれにしてもこのところの日本の謝罪は尋常なペースではありません。日本に在住の方はこれをテレビのニュース番組でみてどう思っているのでしょうか?もはや、当たり前の行為として日本の謝罪文化として受け入れてしまったのでしょうか?そうだとしたらとんでもなく不思議な国になりつつある気がします。 私は謝罪する状況を作る人間の弱さが気になります。特に問題視すべき事件は教科書事件だと思います。とにかく対象者が多すぎます。教科書会社が12社、図書券や現金を貰った先生は4000人と言われています。先生の大半は公務員ですから賄賂の贈収賄であって本来なら全員クビになりかねません。が、この問題は今後、すっーと収まる気がしています。日教組あたりがマスコミを抑え込むとみているからです。それぐらい見せたくないシリアスな問題ともいえ、ルール通りに行けば日本から先生がいなくなってしまうぐらいの勢いなのです。 日本的謝罪を求めるならば、学校側、つまり収賄された側の代表者の弁明がまだない気がします。表に表れないもう一人の代表者にSMAPの飯島三智マネージャーも上げられると思います。SMAPにしても教科書問題にしても本来のトラブルを起こした当事者に代わり本来謝罪をすべきかどうかわからないSMAP本人たちや文科省が弁明、謝罪するという奇妙なスタイルができつつあります。謝罪文化は組織のトップないし顔役が頭を下げるという仕組みができているともいえ、この独特の文化のフレーバーとも言えそうです。また、「謝罪のコンサルタント」もいる時代ですから驚きです。 例えば政治家の秘書が賄賂や政治資金規正法の問題を起こしても謝罪するのは政治家本人です。これはその顔役が頭を下げることで「水に流せ」と言わんばかりのような気がします。家父長制度の典型とも言えそうです。見る人たちはそれで溜飲が下がるのでしょうか?これを繰り返していても根本的日本人の弱さを解決できないように思えます。 謝罪が増えるその原因は世の中が複雑化、情報化、コンプライアンス、規制、ルール、監視体制など正直「住みにくい」「やりにくい」世の中になったことがあるかもしれません。進化する世の中に対して全員が全員、ついて行っているわけではありません。細かいルールなど正直、フォローできないのです。その為、「多分、悪いことかも…」と思いながらも「まぁ、いいか」という気持ちになるのではないでしょうか?また、完全競争下にある業界ではズルをしてでも生き残りを図るという苦しい実情もありそうです。 朝日新聞の報道によると北海道、登別の温泉宿で厨房の皿洗い場を風呂にして浸かる高校生アルバイトの写真が拡散したようです。これも以前からある悪さの典型ですが、ツィッターがなければばれることはなかった、ではなくてツィッターなりYoutubeがあるからこういう「目立つこと」をして見せびらかせる行為をするわけです。 民泊について緩和策が出てきそうな感じです。一定の細かいルールが設定されるはずですが全ての民泊に興味がある人にこのルールを周知、徹底させることが出来るかといえば100%無理だと今から断言しておきます。必ず、トラブルが発生し、そのトラブルに対して役人が頭を下げる時が来るはずです。 これらは日本人の常識感がややあいまいになりつつあることも原因かもしれません。それぐらい社会は急速に変化し価値観が世代と共に変わってきています。このギャップが埋められないのかもしれません。先行き、一抹の不安を抱くのは私だけでしょうか?では今日はこのぐらいで。(2016年1月24日 岡本裕明ブログ「外から見る日本、見られる日本人」より転載)

  • Thumbnail

    記事

    嘘情報の拡散者にならないためにネット流言飛語見破る5か条

     地震・原子力発電所にまつわる様々な情報・意見がネットで連日飛び交っている。有益なものもあれば、悪質なデマ、流言飛語もある。ネットに飛び交う情報の真偽を見分けるコツを、ITジャーナリストの西田宗千佳氏に聞いた。* * * ネットでの流言飛語を防ぐ最大の方法は、「出所がわからない情報」「報道されていないセンセーショナルな情報」はまず疑う、ということです。「友人から回ってきた情報ですが」というメールや、根拠がわからないブログは、基本的に他人に転送しない方が無難。とくに今回のような重大な事件の場合は情報の第一は公的機関・マスメディアを第一に考えましょう。 ツイッターだとRT(リツイート機能)で簡単に様々な情報が拡散されてくるので、情報の真贋はより慎重に見極めなければいけません。下手をすると自分がデマの拡散者になりかねませんから。 私は「発言者は本当のプロか」「いつの情報か」「データの出処はどこか」を確認してからRTするようにしています。余震や原発・放射能などの情報については、発言者が「本当の専門家」かどうかか肝心です。ちょっと知っているだけの人の善意の情報発信であっても、本物の情報に紛れてノイズになってしまうので拡散しないほうがいい。また「情報の鮮度」も重要で、発信から半日以内が目安です。 最近多いのが「被災地に誰かが取り残されているから拡散して」というパターン。気持ちはわかりますが、ツイッターで回覧しても、政府や対策機関に情報は届きにくいので、本当に深刻と思える情報以外の拡散は避けた方が良いでしょう。 また、重要な情報をツイッターで拡散する際には、ツイッターのHPから「公式リツイート」でしましょう。コメントで改変できず、拡散した後に情報が間違いだと分かったときにも取り消せるからです。関連記事■ ツイッターはマスコミ報じぬ細かい情報伝えたと佐々木俊尚氏■ 「ツイッターには前頭葉を鍛えるフリン効果」と茂木健一郎氏■ FX投資家がまず見るべきツイッターIDはトムソン・ロイター■ 世界をうならせたツイッター創始者、ナイキ創業者の敗者復活■ 金子哲雄氏 ヤフー・トピックスの拡散力の速さと威力を実感

  • Thumbnail

    記事

    12月7日地震で嘘ツイートの高校生 光速で身元特定される

     『メルマガNEWSポストセブン』では、『ウェブはバカと暇人のもの』の著者としても知られるネット編集者の中川淳一郎氏が、その週にネットで話題になったニュースのツボを解説している。12月14日配信の『メルマガNEWSポストセブンVol.44』でも、「Instagramの写真がツイッターで見られなくなる」「ほしのあき ステマをしていたことを認める。芸能人続々ブログ削除」など、その週にネット上で起きた様々な事件を紹介しているこのコーナー。なかでも今週「もっともネット的」とでもいうべきネタが「大阪の高校生が『閉じ込められた。助けて』と12月7日の東北地震でデマツイートし炎上」というネタだ。 * * * 12月7日、東北地方で震度5の地震が発生しましたが、この時に「リツイートしてください 地震で家が崩れ外にでられません がれきの中に閉じ込められています。 救助をよんでください」「皆さんごめんなさい 焦っててつい場所を書くのを忘れてました 気仙沼市です」とツイートする人物が登場しました。 この時は、約14000のリツイートがされ、朝日新聞のツイッターIDは「場所はどちらですか?」と心配のメッセージまで送ったほどです。しかし、その後この人は「ウソやしwww みんなバカだねぇ(^ ^) マジだったらTwitterなんかやらねえよ」と「釣り」であったことを明かします。 ここからこの人物の正体暴きが開始するのですが、まぁ~、すぐに特定されてしまいました。大阪の高校生で、宝塚ファンだということから、彼が出演していた舞台なども洗いざらい晒され、顔写真も出てきました。 で、複数のツイッターIDを使っていたことなども明かされ、こうなると学校に電話突撃が開始するわけです。で、この人の名前をツイッターで拡散する人々が続出するのですが、「拡散させた人をまとめるtogetter」まで登場し、なんだかこのまとめを作った人は拡散させた人を叩きたいのか、名前をさらに拡散させたいのか、よくわからない状態になってしまいました。 この手の「災害でヤバいことになった」というニセツイートは東日本大震災の時も発生しました。ドワンゴの社員の男性がSOSを求めたのですね。その後、ウソであることが明らかになり、結局炎上。 人間というものは、そこまで注目を集めたいものなんですかねぇ……。ウソをついてまで構ってもらいたいというのはなんだか恥ずかしいことだと思います。※参考ページ・@reonandnene ブルギニョンが特定されるまで【2ちゃんまとめ】※『メルマガNEWSポストセブンVol.44』関連記事■ ネットの「連携アプリを認証」安易に認証させない方が良い■ 女が「生理なう」とツイートする理由を2人の男が必死に分析■ 内職系仕事 ツイッター1クリック1円~動画投稿1万回千円~■ 次長課長河本 ツイッター辞める宣言でまたもバッシングの嵐■ 個人投資家にはツイッターと「夜のトレード大会議」が便利

  • Thumbnail

    記事

    田母神氏の台頭は「日本の右傾化」が理由でないと思う

    木走正水 さて都知事選の結果ですが田母神俊雄氏が得た61万票余りが注目されています。 特にマスメディアの出口調査によれば、投票した20代の4分の1近くが彼に投票したことやネット上の支持率が彼が群を抜いて突出していたことなどから、主に左派・リベラル派の論客が「ネットの保守化」や「日本の右傾化」について論じています。 今回は左派・リベラル派の論を三題取り上げて「田母神俊雄氏が得た61万票」について考えてみたいです。BLOGOSから2題。 まずは小串聡彦氏のエントリー。田母神氏の台頭は「大雪のせいだ」小串 聡彦http://blogos.com/article/80233/舛添要一氏当確の一報を聞き、選挙事務所で頭を下げる田母神俊雄氏=2014年2月9日(蔵賢斗撮影) うむ、田母神氏が「極右」候補かどうかは議論のあるところでしょうが、小串氏は大雪のために投票率が下がり相対的に田母神氏の得票率が上がったとの見立てで論を進め結論として、「現実路線の中道左派政党が作れるかどうかが今後のカギである」としています。 失礼してエントリーの結びの箇所を引用。 日本の極左および極右の台頭の動きは、ただでさえ不安定な政治システムをさらに不安定にする、危険な兆候といえよう。欧州の事例からは投票率の上昇が極右勢力の台頭を抑える可能性があると示したが、それは確固とした中道政党の存在を前提としている。中道政党が受け皿として存在しなければ、投票率の上昇はそのまま急進的な政治勢力に飲み込まれる。特に欧州の極右政党は、経済的弱者に訴求力を持っているといわれるが、これは日本でも同様である。本来は中道左派政党が解決策を提示して貧困層を取り込むのだが、日本ではそこに訴求する勢力は共産党しかない。中間層がどんどん浸食される中で、現実的な対抗策を打ち出せる中道左派がいない。現実路線の中道左派政党が作れるかどうかが今後のカギである。 続いて五十嵐仁氏のエントリー。 日本は右傾化したのか五十嵐仁http://blogos.com/article/80142/ うむ、日本は右傾化しているのかという問いかけに「安倍晋三首相が高い支持率を得ていることが社会全体の右傾化を示している」とし、「民族を理由に差別の言葉を投げつけるヘイトスピーチ(憎悪表現)やネット右翼の活動など拝外主義的なナショナリズムの高まりもある」と「ネット右翼の活動」などを具体例として示しています。 さらに「右よりの世論は一部とはいえ、ネットなどで発信力を持っている。中国や韓国との緊張に危機感を強めている人もいるだろう」と分析します。五十嵐氏は「右翼的な人とは」との問いかけに以下のように答えています。―右翼的な人とは。 「自分の状況が厳しく将来に対する展望や希望を持てない人が、憎しみを他の人に向けており、現実逃避の面がある。政治に異議申し立てや抵抗するのではなく、権力に擦り寄ったり、弱者を攻撃したり、憎んだりすることで自らに対する癒し、慰めを得ようとしているのではないか」 エントリーは日本の右傾化により「平和・民主国家としての在り方が、大きく変わらないか心配だ」と案じて結ばれています。 「安倍首相までの自民党総裁は改憲を口にしても、実際にそのための法的な整備に着手しなかった。安倍首相は1次内閣の07年に憲法改正の是非を問う手続きを定める国民投票法を制定した。自民党の憲法改正草案、特定秘密保護法や教育改革も、国家の力、国権を強化する方向を明確に示している。平和・民主国家としての在り方が、大きく変わらないか心配だ」ネット民には「普通の中年」たちが少なくない 続いて12日付け朝日新聞の記事から一題。若者に届かぬリベラル 宇野常寛さん、都知事選読み解く2014年2月12日09時30分http://www.asahi.com/articles/ASG2C3WMQG2CUCVL005.html 宇野常寛氏はリベラルの立場から「「ネット保守」と呼ばれる層に人気が高いとされる田母神俊雄氏の票数は衝撃的」としています。 「ネット保守」と呼ばれる層に人気が高いとされる田母神俊雄氏の票数は衝撃的でした。マスメディアの出口調査によれば、投票した20代の4分の1近くが彼に投票しました。かなりの割合が「ネット保守」と考えると、リベラル勢力は自分たちの言葉が届かない若い層がこれだけいるということを軽視してはいけないと思う。マスメディアだけの問題ではないと思います。僕を含めた30~40代のインターネットに足場を持つ若いジャーナリストや言論人の言葉が、ネット保守の動員力に対抗出来ていない。 宇野氏は「ネット保守層はこうした「かわいそうな若者」にとどまらないのではないか」と分析、「リベラル勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な、現実的な処方箋(せん)を出せていない。」、「その背景にあるのは、リベラル勢力のある種の大衆蔑視だと僕は考えています。」と続けます。 しかし、ネット保守層はこうした「かわいそうな若者」にとどまらないのではないか。現実に東アジア情勢は緊迫し、北朝鮮の状況も混迷している。この状況下で、防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、リベラル勢力は数十年前から更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしない。(中略) しかし、リベラル勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な、現実的な処方箋(せん)を出せていない。これでは、実際に国防に不安を抱いている人々を安心させるどころか、「この人たちは自分たちの話を聞いてくれない」と心を離れさせるだけです。 私見では、国家に軍事力が必要であることも、近隣諸国の反日ナショナリズムの問題も一通り認めた上で、保守派の掲げる「重武装化」や「強気外交」以外の現実的な選択肢を提示することが、リベラルの側にもっと必要だと思う。性急な改憲や重武装化以外の手段を講じた方が、国防に結びつくというアピールが足りていない。その背景にあるのは、リベラル勢力のある種の大衆蔑視だと僕は考えています。 3氏の論説の詳細はそれぞれ直接お読みいただくとして、たいへん興味深いそれぞれの分析でしたです。・・・ さて当ブログとしてまとめです。 「ネット右翼」か「ネット保守」か呼称はともかく、ネット上の支持率が田母神氏が群を抜いて突出していたことは事実です。 この層を含め五十嵐氏は「自分の状況が厳しく将来に対する展望や希望を持てない人が、憎しみを他の人に向けており、現実逃避の面がある」と分析していますが、私としては宇野氏の「ネット保守層はこうした「かわいそうな若者」にとどまらない」との分析により近い考えであります。 ここ数年の中国や韓国による一連の反日的行動、これらに対して「防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、リベラル勢力は数十年前から更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしない。」との宇野氏の分析は正鵠を射ていると思います。 実は私を含めてネット上で論じる論者の多くは「かわいそうな若者」というより「普通の中年」たちが少なくないのであり、「右傾化」というより単に理不尽な中国・韓国の反日的活動に対して「憤り」を持って、日本としてしっかりと対抗手段を講じるべきと考える国民が増えているのだと考えます。 そして時事問題をネットで収集したり意見するネットユーザー層は「従軍慰安婦問題」しかり「南京大虐殺問題」しかり、ネットでの情報収集能力が高いため、これらの「問題」がいかに中国や韓国や日本の一部メディアにより事実を湾曲して「拡大」していったのか、よく知っている層なのであります。 当然ながら、今回の都知事選では田母神氏の考えに一番親和性を見出したのでしょう。これがネット上の支持率が田母神氏が群を抜いて突出していたことの真の理由であり、結果61万票を越える票が彼を支持したのであると考えます。 リベラル派の論客は「日本の右傾化」を憂いていますが、私は国民は「右傾化」などしていない、そうではなくネットの発達などにより、一部の国民のメディアリテラシー能力が高まったことでマスメディアの論じる「戦後平和体制」や慰安婦などの「歴史問題」に疑問を持てるようになった、そして自己が信じるところの主張を始めただけなのだと思います。 田母神氏の台頭は、「大雪のせい」ではなく、そして「日本は右傾化した」のではなく、今まで情報量が少なくマスメディアの報道などを鵜呑みにし「沈黙」を余儀なくされていた有権者の一部が、ネットなどのツールの発達により情報収集能力を高め、本当の「事実」に気づいた層が着実に増えている証左なのだと云えましょう。(ブログ「木走日記」より2014年2月13日分を掲載)

  • Thumbnail

    記事

    坊主丸儲けなんてとんでもない! 「檀家」と「お布施」の困った現実

    若林唯人(僧侶、「フリースタイルな僧侶たち」代表) はじめまして。「フリースタイルな僧侶たち」という団体の代表で、浄土真宗本願寺派の僧侶の若林唯人と申します。「お前、誰やねん」と思われると思いますので、初めに簡単に自己紹介させていただきます。 「生きる中で避けられない色んな悩みや苦しみが、仏教によって少しでも軽くなっていただけたら」「仏教が少しでも身近になる、きっかけとなれたら」——「フリースタイルな僧侶たち」は、このような「思い」をベースに、仏教の本質は変えず現代に合うように翻訳し、型に捉われずフリースタイルに仏教を発信しようと活動している団体です。京都を拠点に、この「思い」に共感してくれた複数の宗派の僧侶と、僧侶ではない一般の方々と一緒に、「フリーマガジン」を隔月で発行したり、「アラサー僧侶とゆるーく話す会」などの参加しやすいイベントを実施したりしております。若林唯人氏 こうした活動の代表をしている僧侶の視点から「宗教行為のネット販売」についての論考を、とご依頼があり、このたび寄稿させていただく運びとなりました。特別なことは何も言えませんが、お付き合いいただければ幸いです。 「お坊さん便」を始めてくださって、有り難いなと思っています。第一には、僧侶も含め、多くの方々とご一緒に、これからのお葬式のあり方、これからの僧侶・寺院とのご縁のあり方について、考えるきっかけを与えてくださったからです。 このサービスを始められた背景は、「みんれび」のウェブサイトによれば、(1)「法事・法要などで読経をしてもらいたいものの、お寺とのお付き合いがない」(2)「お布施は何代をいくら包めば良いのか相場がわからず不安」などの時代のニーズがあるとのことです。 いずれもその通りだなと思う理由で、私自身も時代の要請に充分に応えられておらず、申し訳ないと思っています。拙稿では、主にこの2点について、思うところを書かせていただきます。 私は僧侶として登録しておらず、Amazonで「商品」としてクリックされ、僧侶として先方に伺うことを想像すると、違和感があるのが正直なところです。「返品については出品者のリンクからご確認ください。この出品商品にはコンビニ・ATM・ネットバンキング・電子マネー払いが利用できます」などのAmazonのページの文言を見ると、複雑な気持ちにもなります(笑)。とはいえ、私も書籍の購入などでAmazonをよく利用させていただいているし、時勢を鑑みるに、インターネットを介して僧侶とのご縁を持つこともこれからは当たり前のことになってくると思います。お寺はなぜ「お付き合い」を持てていないのか  なぜ、お寺は「お付き合い」を持てていないのか。その原因の一端を探ってみます。この記事をお読みいただいている方は、今お住まいの家にお仏壇はないけれども、他方でご実家にはお仏壇があるという方が多いのではないかと思います。お寺は「檀家さん」という「閉じたコミュニティ」に対しては、代々ご縁を育んできました。江戸時代、キリシタン禁制のための幕府の政策として「寺檀制度」がしかれ、寺院は戸籍の管理も任されて、「役所」の役割も果たしていました。すべての家が、いずれかの寺院に所属することが義務づけられていたのです。そのため、檀家を増やすことは、言わば「どこかのお寺の檀家を奪う」ことでもありました。そのタブー意識が現代においても残っているからか、「どうすれば檀家さんの次の世代も、お寺と関係をもってくださるか」は考えても、どのお寺とも関係をもっていない方にアプローチすることには積極的になれない感覚が、いまだにあるのだと思います。 とはいえ、最近になってようやく、お寺の側も意識が変わり始めているように感じています。明治以降も「家を継ぐ」という「家」意識によって、制度としては無くなったけれども実質的に「寺檀制度」は残りました。しかし、戦後の高度経済成長期以降、社会移動が進み、家族のあり方も核家族へ、そして最近では単身世帯が増える中で、「家」意識を生きた最後の世代の方々が世を去るのが目前に控え、やっとお寺の意識が変わり始めたのだと思います。 若い世代の僧侶ほど意識が変わり始めており、檀家さん以外にも開かれたお寺となり、様々な方にご縁を結んでいただこうと努めておられる僧侶が増えてきています。とはいえ、私たちの努力だけでは足りない部分を、このサービスが補ってくださっている。このことも有り難いことだと思うし、ご縁を望まれる方々のために、私たちもネットでの発信に力を入れていかなければならないと励みにもなっています。以上が(1)についての所感です。 次に、(2)についてですが、このサービスの仏教側との最大の争点は「お布施が定額であること」です。 「布施」とは、仏道修行の一つで、仏教の大切な教えの一つです。なので、上記の「僧侶とのご縁の結び方」とは本質的に異なり、核心的な問題であると言えます。「お布施が定額」ということに私も違和感がありますが、それでも「定額」でも良いと思うし、「目安」であればなお良いのでは、と私は思っています。理由は、以下の通りです。 「お布施は、お気持ちで」と耳にされたことがあると思います。布施とはまさに「お気持ちで」するものであり、本来の意味からすれば金額を提示すべきものではありません。ですが以前、檀家さんから「お気持ちでと言われたら、安く包んだらあかんと脅迫されてるように聞こえるねんで」と教えていただいたことがありました。それほどの「不安」なのだと檀家さんの立場から想像させていただけたご縁でした。布施には「財施」「法施」「無畏施」の三種があると説かれており、それぞれ「金銭や衣服や食料」「仏教の教え」「安心」を与えることです。僧侶は「不安を取り除き、安心を与える」よう努めなければならない。「お布施の相場がわからない」ことは不安だけれども、「定額」だと安心していただけるのであれば、そうしていただきたいと私は思うのです。僧侶も「お布施されるに足る」存在であれ また、これまでも純粋に「お気持ちで」お布施をされていたかというと、多くはそうではないと思います。各地域・各宗派で「相場」があり、僧侶が直接答えずとも、村の誰かに聞けば「相場」を教えてもらえた。ただ、現代において、特に都市部で暮らす方々は、「相場」を聞く相手がいなくなった。だからこそ「不安」になられるのだと思うし、その「村の誰か」の代わりを葬儀社の方がしていただいているのだと思います。 さらには、布施は「三輪清浄」でなければならないとも説かれています。施す者・施しを受ける者・施す物自体の三つが、清浄でなければならない。すなわち、見返りや欲といった執着、自分にとって都合の良い考え方を離れなければならないということです。「これだけお布施したのに」とか、「これだけしかお布施されなかった」という思いを離れて、布施と呼べる。「定額」であっても、それがそのまま「お気持ち」であることには変わりないし、まずは受け取る僧侶側が「サービスの対価」としてではなく、清浄なお布施として見ることから始めた方がいいのではないかなと思っています。 とはいえやはり、お布施が定額であることの問題点も残ります。小学生と社会人とでは1,000円の価値が違うように、いくらであっても定額にすれば「自分がお布施するには高すぎる」という方がおられると思います(逆もまたしかりです)。そうした方は、他のサイトをあたるなど、「定額」のサービスを利用しないのだと思いますが、例えば「イオンのお葬式」のように、「目安」として「相場」を提示することが一つの良案なのだろうと私は思います。先の「不安」のことを考えると、それぞれのご事情をお聞きし相談することによって幅を持たせつつも、なんらかの形で相場を提示することの方を重視すべきだと思うからです。  ところで、メディアでの取り上げられ方の影響からか、僧侶と言えば、厳しい修行をしているか、坊主丸儲けかという両極端のイメージがあると思います。「お坊さんは税金を納めていない」とこれまで何度も耳にしてきたましたが、「お布施」がそのまま僧侶個人の収入になるわけではありません。「お布施」は、仏さまに対して、宗教法人である寺院に対して収められるもので、仏教の道場である寺院の護持や、檀家さんをはじめとしたご縁のある方々のために役立てられるものです(ちなみに、住職は寺院から「お給料」をいただいて生活しており、所得税や市民税、国民健康保険料などは一般の方々と同じく収めています)。 知人の僧侶によれば、こうしたサービスの「お布施」の平均4割ほどが、「紹介手数料」として仲介業者に支払われると聞いたことがあります。ですが、「お布施」の中からそれが支払われるのは、おかしいと思うのです。もちろん、諸々の運営費がかかることから「紹介手数料」が支払われること自体はあって当然だと思いますが、それは「お布施」の細目からではなく、別項目として分けていただきたいです。少なくともウェブサイトを見る限りそのようには明示されておらず、お申し込みされる方が「お布施」と思って収められる金額の中から「紹介手数料」が差し引かれることは、先の「お布施」の目的から外れると思ったためです。 他方で、財施をいただく僧侶も、当然ながら「お布施されるに足る」存在であることが求められます。法施と無畏施、すなわち教えを説き、安心を与えることが僧侶の務めですが、かつての檀家さんのように、ご住職との継続的な関わりの中で仏事や仏教の教えに親しんでいる方だけの場であれば、葬儀の場で改めて何も言わずとも伝わっていたことも、そうしたご縁がほとんどない現代の方にとっては、例えばお経の意味をはじめ、分からないことだらけだろうと思います。時間が限られた場ではありますが、そうした方たちのために、私たち僧侶は精一杯の努力をしなければなりません。出来る限り人に、悲しみに寄り添う 静岡県伊豆の国市の渡邉元浄ご住職は以前、フリーマガジンの特集記事に、ご自身がなされている、実に「温かみのある」お葬式について寄稿してくださいました。訃報が入ると、法衣に着替えご遺体のあるご自宅へ向かわれます。夕方の6時。お部屋の照明を消し、ロウソクの灯だけに包まれた室内で、読経をされた後、ご遺族は渡邉さんのお念珠を順番に手に持って、目の前の亡き方への想いや、今の心境を語られる時間を持たれるとのことでした。お通夜・お葬式の会場は、お寺の本堂。祭壇の脇には故人が生前描かれた絵手紙や、趣味のフラダンスの衣装を並べられます。また、会葬者の方たちには、お通夜とお葬式に際しそれぞれ12ページにわたる冊子を毎回手作りされています。 拝見させていただきましたが、お通夜やお葬式の意味が懇切に示され、式中に読まれるお経にはふりがなと和訳を添えておられて、またその方の法名の由来や、お寺の旅行でご一緒された際の故人のお写真もあり、実に行き届いた冊子だと感じ入りました。さらには、グリーフケア、すなわち大切な方を失われたことによって生じる、悲歎をはじめとした様々な感情のケアにも積極的に取り組まれておられ、お通夜・お葬式だけでなく、四十九日・月命日・一周忌・三回忌などご法事のご縁も重ねられる中で、「喪の伴走者」としてご遺族とともに歩まれているお方です。 人に寄り添う、悲しみに寄り添うことは、私たち人間には限界がありますが、渡邉さんをお手本として、安心を与えられるよう、出来うる限りのことをさせていただかなくてはならないと改めて思わせていただいたご縁でした。 また、法話で仏教の教えをお話させていただくことも、僧侶が関わる葬儀ならではの良さだと思っています。ここでも同様に、初めて法話を聞く方、初めて仏教に触れる方にとっても分かりやすいように、私たち僧侶は努めなければなりません。冒頭で書いたように私は浄土真宗の僧侶ですが、私の先輩の僧侶が次のようにおっしゃっておられました。「お浄土があって良かった。お寺の仕事が忙しくて、父親の見舞いに十分に行くことができず、後悔の中でお通夜を迎えた。でもその時の法話の中で、改めてお浄土で再会することを味わった。最期のお見舞いもそうだし、生きているうちに出来なかった親孝行を、お浄土で存分にさせていただける。また会える世界があって良かった」。 浄土と聞くと、科学的な価値観からは受け入れられないかと思いますが、その世界観の中に生きるからこその安心があることもたしかだと、私自身も感じています。葬儀に際して極力伝わりやすいように努めはしますが、すぐには共感することは難しいだろうとも思うので、できれば生前中から仏教に親しんでいただけたらなと思います。仏教の世界観を生きることで、ご自身の死、ご家族との別れの意味はむなしいものではなくなり、仏教ならではの安心も与えられると思うからです。 長くなりましたが、以上が(2)についての所感です。互いに批判せず、お互いを敬おう これまで記してきたように、私たち僧侶は、これからは特に、一般の方々の視点に立つ意識を持たねばならない、一般の方々の思いに寄り添わなくてはならないと思っています。以前は、決まった檀家さんと長きに亘ってご縁を育んできたため、何も言わずともご理解いただいている部分が多かったように思います。そこに甘えたまま、ご縁のなかった方に同じように接したら、供給者目線が強すぎることになる。受け手の視点に立つためにも、一般の方々の声に耳を傾け続けなければならないだろうし、また、僧侶だけで考えるのではなく、葬儀社の方や、一般の方々とパートナーになって、一緒に考え、行動していくことが必要だろうと思います。 「寺子屋ブッダ」という、お寺イベントの情報サイトを運営している組織があります。お寺がもっと身近で楽しく、あたたかな場所であるために、様々なクリエイターと僧侶が一緒になって活動をしているチームです。以前、フリーマガジンの別の号で特集した佐々木教道ご住職は、このクリエイターの方々と一緒に考え、様々な活動に取り組まれている方でした。「仏教の本質でありながら、一般の方々にも響く言葉」を見つけるために、合宿を何度も重ねられたとのことです。こうしたお話をお聞きする中で私が深く感じ入ったのは、佐々木ご住職も一般の方々のことを理解しようとし、クリエイターの方々も仏教のことを理解しようとする、双方がお互いをリスペクトするあたたかさでした。 お葬式も、僧侶だけではなく、葬儀社の方々のご協力の元で、そしてご遺族や会葬者が集われる中で執り行われます。「お布施」の問題にしても、あるいは「ご縁の結び方」にしてもそうだし、互いに批判するのではなくて、お互いを敬いながら、「どうすれば三者のいずれにとっても良いお葬式になるか」を、一緒に考える時間を持ち、協働していけたらと思っています。みんなでつくるお葬式、いいですよね。 仏教はまだまだ縁遠い存在のため、考えても分からないこと、動き出さないと分からないことがいっぱいあると思います。この度の「お坊さん便」も、動き始めたからこそコミュニケーションが生まれました。これからの更なる対話を通して、多くの方にとって安心が増えるように、私自身も努めていきたいと思っています。わかばやし・ただと 浄土真宗本願寺派僧侶。1982年生まれ。京都大学大学院修士課程修了(社会学専攻)。光照寺(大阪市東淀川区)衆徒。2015年4月より「フリースタイルな僧侶たち」代表を務める。「フリースタイルな僧侶たちフリーマガジン」オンライン版http://www.freemonk.net/http://p.booklog.jp/users/freemonk

  • Thumbnail

    テーマ

    「罰当たり」アマゾンの拝金主義を問う

    ネット通販大手のアマゾンから申し込める僧侶の派遣サービス「お坊さん便」をめぐり波紋が広がっている。宗教行為の「商品化」への反発が仏教界から上がるが、一方で日本人の「お寺離れ」を食い止めるチャンスと期待する声もある。日本人の心をも金儲けのネタにするアマゾンの拝金主義を問う。

  • Thumbnail

    記事

    破壊的イノベーションの真の推進者

    森山祐樹(中小企業診断士) 昨今の日本経済、政府・地方自治体、企業においてイノベーションが叫ばれて久しい。日本全体としてそれを後押ししていくことで、経済や社会の発展を成し遂げていこうという気運が高まっている。しかしながら、世に出るイノベーションには、歓迎されるものがある一方で、既存業界はもちろんのこと、後押しをしているはずの国や地方自治体からの抵抗に合うケースも存在する。これらは破壊的イノベーションとも呼ばれ、業界に大きな波紋を呼んでいる。 最近の例では、「みんれび」が提供し、アマゾンで販売している「お坊さん便」、ライドシェアサービスの「ウーバー」、観光立国推進によりその存在感を増す「民泊」などがある。これらは既存業界のみならず、政府や法までも巻き込んだイノベーションを作り上げている。日本宗教界の破壊的イノベーション「お坊さん便」 「みんれび」が提供するお坊さん便は、都会などで寺やお坊さんとのつながりが希薄となった層が、手軽で低価格でその地域に疎い者であっても利用できるサービスである。しかしながら、このサービスに対し、全日本仏教会は猛反発し、抗議文を提出するに至った。 このサービスが多くのメディアで取り上げられ、利用者の支持を得ているのは、現代の日本人が求める本質(家族構成や社会の発展による宗教・寺とのつながりの希薄化、葬儀の多様性、世間体、信仰心ではなく儀式としてのお坊さん等)に応えるものであり、消費者ニーズの変化である。全日本仏教界が考える既存の宗教行為とは異なる面があるのではないだろうか。そもそも、これらのニーズは仏教会が抱えていた既存市場ではなく、利用したくてもこれまではできなかった層を取り込んだいわば新規市場である。そこに加えて、これまでの宗教行為に不満を持っていた層がそのニーズを満たすために流出したと考えられる。 一方、お坊さん側にもニーズがあり、檀家の減少に伴い収入が減少傾向にあるお坊さんには手軽に新規顧客を開拓でき、仕事をもらえる手段として両者の求めていたものをマッチングさせた商品であった。これは現代のライフスタイルやニーズに対応するために生まれたサービスであり、いわば必然のものであったと言える。ライドシェアリング その他、ライドシェアリングで全世界に大きな波紋を呼んだウーバーは、日本においても例に洩れずタクシー業界からの猛反発があり、最後には国土交通省が待ったをかけたものの、その有用性や期待度は疑いようがない。また、ライドシェアは単なる都市部のビジネスとしてのみならず、このビジネスモデルを活用することにより、地方の過疎化地域等の既存交通インフラ(電車や路線バス)にかわる低コストの解決策を生み出す将来性をも秘めている。民泊 民泊についても同様である。観光立国を目指して、外国人誘致を図った結果、国内の宿泊施設が不足し、シェアリングエコノミーの考え方とそのニーズから生まれた新しいビジネスモデルである。これについても、既存のホテル・旅館業界は猛反発をしているが、京王電鉄が民泊の予約仲介サイト運営会社に出資する等、既存業界との軋轢を承知で民泊を支援する動きが活発化してきている。また、行政側も昨今の宿泊施設不足を背景に、民泊を進めるための体制作りを急ぎつつある。破壊的イノベーションの証明 お坊さん便、ウーバー、民泊などに見られるように、既存企業・業界をはじめとする利害関係者からの反発は破壊的イノベーションの特徴でもある。(既存企業が破壊される可能性を当初は認識せずに破壊が進むイノベーションも存在する)むしろ、反発をされるほど既存業界は危機感を持っているということであり、その破壊可能性の大きさを証明するバロメーターにもなろう。 これらの破壊的イノベーションを生み出す企業の裏には、既存業界や行政との軋轢が生まれることは十二分に理解しながらも、これらの企業・サービスを支援し続ける投資家が存在する。例えば、ウーバーは各国でタクシー業界からの反発を生んではいるものの、グーグルやゴールドマンサックスなどの投資家から資金を集め続け、同社が起業から5年間で調達した資金は借入と株式発行を合わせて50億ドルを超える。また、お坊さん便を提供するみんれびは、国内においてグローバルブレイン、三井住友海上キャピタル、SMBCベンチャーキャピタルからの資金調達を受け、販路としてはアマゾンが大きな支援をしている。 これら破壊的イノベーションを提供する企業の投資家や協力者は、様々な規制の壁や既存業界からの反発や衝突を理解しつつも、既存業界を敵に回してでもこのサービスには価値があるという判断を下している。そして、なお彼らに軍資金を与え続けることで、その破壊的イノベーションが規制の壁を破り、既存業界の反発を撥ね退け、その業界に大きな風穴を開けるため、思う存分に戦うことを投資家自身が強く望んでいるのである。【参考記事】■ポルシェの拡大戦略に潜む罠とは(森山祐樹 中小企業診断士)http://sharescafe.net/47952351-20160229.html■日本企業のM&A「対等の精神」に潜む影 「ファミマとユニーの経営統合」(森山祐樹 中小企業診断士)http://sharescafe.net/47656741-20160129.html■フェラーリの戦略にみる企業価値経営(森山祐樹 中小企業診断士)http://sharescafe.net/47203706-20151215.html■地方創生時代に輝く地方企業の挑戦と秀逸な競争戦略(森山祐樹 中小企業診断士)http://sharescafe.net/46572214-20151014.html■ブルーボトルコーヒーに見る戦略ストーリー「人気のブルーボトルコーヒーは何を捨てたのか!?」(森山祐樹 中小企業診断士)http://sharescafe.net/45855247-20150808.html

  • Thumbnail

    記事

    嫌われる電子世界の「アマゾン教」

    神田敏晶(ITジャーナリスト) Amazonが、お坊さんを派遣する「お坊さん便」を取り扱ったことによって、お寺の業界から葬儀業界にいたるまで、各所で物議を醸している。きっと我が家でもAmazonの「お坊さん便」を利用するとしたら、親戚や親族の中から抗議の声が続々とあがることだろう。しかし、なぜ、Amazonでお坊さんをオーダーしたらダメなのか? の問いかけについては、心情面以外で明確な答えは上がって来ないはずだ…。では、なぜ? 人はAmazonでお坊さんを呼ぶことに抵抗感を感じるのだろうか? そもそもお弔いとは死者の霊を慰めることであり、後の意思を引き継ぐ親族としての役目でもある。そして、僧侶は、死後の世界をガイドしてくれる為の経験を積んだプロフェッショナルである。しかし、地域のコミュニティや先祖代々のつながりの世界感が希薄になった今日、お寺という存在そのものが日常に介在しなくなっている人が多い。当然、お坊さんとの関わりも薄い。賃貸マンションの中に仏壇を備えている世帯も少なくなっている。墓地に関しても、実家にはあれど、都心部では永代供養料の高騰化から格安合戦にいたるまで様々な展開が繰り広げられている。祈りの歴史からの開放 人類の過去の歴史は、宗教と非常に密接しており、生活の主要な一部というよりも、働くこと以外は、ずっと祈り続け、将来の不安を払拭してきた歴史である。しかし、産業革命以降、工場で働き、会社に通うという習慣の中で、「祈り」という行為そのものが、生産的効率的なものとは思われなくなってきた。かくして、今日の日本においての祈りは一部の人を除いて、先祖への祈りしか存在していない状況となった。 「祈り」は日常から、非日常へと変化し、お盆や命日などの特別な日と歳事による慣習のものへと変化した。同時に、誰もが「祈り」が本来のものではなく、行事化、イベント化しているので、中身よりも、形式を重んじるようになってきたともとらえることができる。僧侶との付き合いも、感謝の念を生産物がない人は、金銭でお渡しすることしかできないので、自分の収入に見合わせて考えるのではなく、お布施の「相場」というものが登場する。僧侶が「相場」で判断され、サービスが売買されている時点で、有り難みという尊さは無くなっていると筆者は考える。 また、僧侶も人生の糧としてのお布施だから、経営的に成立する価格を求めはしないが、期待することだろう。「電子」という名の安物感「電子」という名の安物感 今回のAmazonの「お坊さん便」の一番のメリットは、「相場」だったものを「定価」にすることのわかりやすさだ。しかし、「ありがたい行為」だから相場だった僧侶が、定価による「サービス」化がなされたことで、当然有り難みは希薄になる。しかし、実際に「効果」がまったく同じであれば、「相場」よりも「定価」の方が安心だろう。まだ、実際に「お坊さん便」によって、先祖の供養の満足度が落ちたという報告は現れていない。通販でお坊さんを呼ぶ、通販で呼ばれるお坊さんに対して、我々が慣れていないだけなのかもしれない。 「メール」といえば、手紙を指す言葉ではなく、「電子メール」のことを言う。「ギター」といえば、エレキギターのことを言う。生ギターやアコースティックという言葉をわざわざ置き換えるようになった。Amazonもかつては、「電子商取引」と呼ばれ、今や「ネットショップ」の大手である。しかし、「電子」や「ネット」と呼ばれている間は、まだ本流ではないのだ。「商店」という名称も、今後は「ネット商店」が主流になると、「リアル商店」「リアルスーパー」とかでないと通用しなくなるだろう。かつての「デパート」の響きの持つ、楽しいワクワクした百貨店のイメージはもうどこにもない。それだけ選択肢が増え、多様化しているからだ。同時に、電子やネットの持つ、安物感も、慣れ親しんだ歴史が重ねられることによって、希薄になりつつある。図書館の限られた書物で検索するのとGoogleで検索するのとどちらがフレッシュなのか?とか利用目的によって、情報の価値は大きく変化する。 ネットでお坊さんを呼ぶのと、電話帳で調べて、電話でお坊さんを呼ぶのと実はあまり大差がないのだ。違いがあるとするならば、弔いたいと思っている人が、簡単に便利にしたいのか、懇切丁寧に弔いたいと思う違いだけだと思う。それは、僧侶の仕事ではなく、あなたがた親族の仕事だと思う。

  • Thumbnail

    記事

    「お坊さん便」は宗教活動と言えないのに、仏教界はなぜ反発するのか

    島田裕巳(宗教学者) 「みんれび」という葬儀会社がアマゾンを通してはじめた「お坊さん便」というものが注目を集め、また騒ぎを引き起こしている。 お坊さん便は、法事・法要の際に僧侶を手配するというサービスである。何よりものウリは、費用というか、布施の額が決まっていることで、一律税込みで3万5000円である。 みんれびのホームページを通して申し込むと、この3万5000円の「お布施」は直接僧侶に渡すことになるが、アマゾンを通すとチケットを買うようになっていて、依頼する側が紹介された僧侶と打ち合わせを行うことになる。 これはあくまで初七日以降の法事・法要のための僧侶の手配であって、葬儀の際のものではない。ただ、みんれびのホームページでは、葬儀の際の僧侶については5万5000円以上で手配するとしている。ほかに、戒名については2万円でアマゾンからチケットが販売されている。 注目しなければならないのは、その注意書きのなかにある「菩提寺とのお付き合いがある方はご利用になれませんので事前にご確認ください」の箇所である。 ここにこのサービスが生まれた何よりもの理由があるわけで、お坊さん便は、特定の寺に墓がなく、壇家関係を結んでいない家をターゲットにしている。檀家になっていないので、法事・法要に呼ぶ僧侶がいないのだ。 それも、現代の社会では、とくに都市部を中心にそうした家が増えているからである。新たに墓を設けるという場合、寺院墓地にそれを求め、檀家になるという家は少ない。なにしろ檀家になれば、寺のスポンサーになるわけで、建物を修理するなどという際には、かなりの額の布施を求められる。 そこで多くの人たちは、いわゆる「民間霊園」に墓を求める。こうした民間霊園の母体はたいがい寺なのだが、石材業者やデベロッパーが管理運営しており、「宗教宗派を問わず」という形で募集され、檀家になることを求められない。寺が母体になるのは、宗教法人ではないと墓地の許可が下りないからだ。 お坊さん便は、布施の額を一律にしたことで、布施の額をどうするかで悩む人たちの不安を解消している。布施は本来なら、出す側が、自分の信仰心や経済力を勘案して額を決めるものだが、一方で「相場」というものがある。相場よりも安い布施だと、坊さんから突っ返されるなどという話も聞く。 しかも、3万5000円はそれほど高いわけではない。2万円の戒名なら安い。そういう受け取り方をされているはずだ。 ところが、お坊さん便に対しては、仏教界がかみついた。各宗派の集まりである全日本仏教会は、「宗教行為を定額の商品として販売することに大いなる疑問を感じる。定額にすることによって『お布施』本来の宗教性を損なう」として、アマゾンにお坊さん便の中止を要請した。 仏教界にとって一番困るのは、お坊さん便が定額であることで、それが信仰心を伴う布施ではなく、料金の支払いと見なされることである。そうなると、僧侶が法事・法要を営むことが、宗教行為ではなく、商売としてとらえられる恐れが出てくる。「お坊さん便」のシステムは別に革新的ではない それは、たんに認識やイメージの問題にとどまらず、課税にも結びついていく可能性がある。それぞれの寺は、宗教法人として認証されており、宗教活動については課税されない。一方で、宗教法人を維持するために行われる事業、たとえば駐車場の経営などは、収益事業と見なされ、そちらには法人税が課税される(軽減税率だが)。 おそらく、一般の人たちは宗教法人に対してはまったく課税されないと思っているかもしれないが、僧侶は宗教法人に雇われた形になっていて、源泉徴収もされる。一般の勤め人と変わらないのだ。 それでも、宗教活動にまで課税されれば、それは、宗教法人としての寺にとって困ったことになる。 実際、お坊さん便のシステム全体を見ていくと、これでは、とても宗教活動とは言えないように思えてくる。 だいたい、みんれびのホームページでは、税込みとされているし、アマゾンでは関東への配送料無料となっている。いったいここで言う税込みとは何のことだろうか。布施なら消費税などかからないはずだ。その点では、全日本仏教会が抗議するのももっともだ。 しかし、お坊さん便のシステムが革新的なものかと言えば、そうではない。 葬儀の場合、檀家になっていない家は、葬儀会社に導師となる僧侶を紹介してもらうのが一般的だ。それに、最近は葬儀を頼む側が、ネットで調べて安い葬儀会社を選ぶことが多い。その点で、お坊さん便と変わらない。 面白いのは、お坊さん便が、僧侶との関係がその時限りのものであることを強調している点である。仏教界はむしろここを批判すべきかもしれない。お坊さん便で法事・法要をしてもらったことを契機に、依頼する側が仏教に対する信仰をもつようになることが望まれるはずだからである。 結局のところ、お坊さん便は、現代における葬式仏教のあり方を、一つのビジネス・モデルとして表現したものに過ぎないのではないか。 ビジネス・モデルが作れるということは、それだけ、一般の人とお寺なり、仏教なりとの距離が、極めてドライなものになっていることを意味する。 お坊さん便は、宗教家を呼ぶものではなく、何かの専門家、たとえば、修理屋や庭師、電気屋や水道屋を呼ぶのと変わらないものになっている。 もしこれに需要があるとすれば、多くの人たちがそれでいいと考えている証になる。 仏教界がそれでは困ると考えても、現状はすでにそうなってしまっている。しかも、お坊さん便がはじまると、自分もお坊さん便になりたいと希望する僧侶が殺到したと聞く。 仏教界は抗議をする前に、なぜこうしたシステムが生まれたのか、徹底してそれを分析する必要があるのではないだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    葬儀の「お布施」は言い値 相場より低くても寺は断われない

     「日本全国の寺院のうち、35.6%が消滅の可能性がある」(鵜飼秀徳著、日経BP社刊『寺院消滅』より)。今、日本全国の寺が困窮にあえいでいる。4人の現役僧侶が葬式にまつわるお金の話を語り合った。 今回、自らの寺院を持つ住職・副住職たちが一堂に会した。甲信越地方の浄土宗の副住職A(43)、関西地方・浄土真宗の住職B(63)、関東地方・曹洞宗の住職C(50)、そして北陸地方の臨済宗の住職D(35)が、匿名を条件に「葬式の費用」について語る。浄土宗A:葬儀は定期的にあるものではないので、副収入的に考えていますね。それに葬儀の際の「お布施」は、一応相場はあるものの、こちらで額を決めることができない。そもそもお布施とはお寺に対する寄付のこと。こちらで具体的な額を提示してしまうと商取引になり、課税される可能性がある。 一応お布施の相場は東京が高額で40万~50万円、大阪や名古屋が30万~40万円、京都が20万~30万円で、地方だと10万円前後といわれていますが、原則「寄付する側の言い値」でやらなきゃいけない。相場より低いから葬儀を断わるということはできません。浄土真宗B:でも今は「値段はいくらですか」とストレートに聞かれる時代になりましたね。我々は「お気持ちで」というしかない。それでは困るといわれた時には、「本意ではないが相場ではこのくらいです」とお伝えするようにしています。 そうした相場は親や親戚の年配者から引き継がれ、暗黙の了解となっていたんですが……。最近では袋に「お経料」と書いて持ってくる人がいるくらい(苦笑)。これは「料金」ではない、ということで「『お布施』と書いてください」とお願いしています。浄土宗A:その点、葬祭業者が仲介している場合には、こうしたことを代わって伝えてくれるから安心ですよね。葬祭業者に手数料を取られるから難しいところではありますが。曹洞宗C:自分だけでは葬儀を行なえない寺が増えてきているから、最近の葬祭業者は強気ですよね。仲介手数料名目の「中抜き」が2~3割、多いところで5割ぐらいでしょうか。臨済宗D:最近は葬儀は必要ない、墓も要らないという「ゼロ円葬」の時代ですから、業者も大変なんでしょう。でも我々はいつの時代でも「お気持ちで」と返すしかない。収入は減るばかりです。関連記事■ お布施の相場 お経をあげてもらうだけの読経料は最低20万円■ 柴又帝釈天 「御前様」の後継者をめぐり騒動が勃発していた■ 金満僧侶はごく一部 檀家増やすためバー開きマスター就任も■ 北京で葬儀費用が高騰 一般人の年収の3分に1に及ぶケースも■ 葬儀費用の稼ぎ頭「戒名」 正式な由来も根拠もなく寺の都合

  • Thumbnail

    記事

    アマゾンが始めた「お坊さん便」 そのシステムと利用者の感想

     インターネット通販大手・amazonは、本や家電、食品などあらゆるものが買える便利サイトだ。12月8日、ついに「お坊さん」までがそのラインアップに加わり、ワンクリックで注文、「お布施」はクレジットカードで決済できるようになった──。 その名称は「お坊さん便」。四十九日や一周忌といった法事(法要)の際に、読経を行なう僧侶の手配サービスだ。 料金は、自宅など手配先への訪問のみなら3万5000円。自宅から墓地など手配先からの移動を含む場合は4万5000円。プラス2万円で戒名を授与するプランもあり、全国どこにでも手配が可能だという。 法事や葬儀の際に僧侶に払う「お布施」は、金額が決まっているものではない。そんな中、2009年に流通大手のイオンが葬儀の仲介業を始め、お布施の目安を公開。これが人気を呼び、明朗会計を謳う仲介業者に対するニーズが拡大している。「お坊さん便」を運営する「みんれび」も、そんな仲介業者の一つだ。同社の取締役副社長・秋田将志氏がいう。 「都市部では菩提寺がなかったり、不明朗な料金体系に不安を抱く人が少なくありません。そうした声に応える形で金額を明示した『お坊さん便』を始めたのは2013年5月。現在は浄土真宗、曹洞宗、真言宗など7宗派、約400人のお坊さんを手配可能です。 今回、amazonに出品したことで、より多くのニーズに応え、購入者がサイトに感想を書き込むレビュー(評価)によってサービスの向上を図っています」 どうやって僧侶は“配送”されるのか。まずはamazonで商品を購入する。支払いはクレジットカードの他、コンビニ決済やネットバンキングなども利用可能。みんれびから確認のメールが送られ、日時や目的、宗派を返信すると、注文内容が書かれたチケットが郵送で届く。 その後、僧侶本人から購入者に電話があり、待ち合わせ場所の確認、故人についてのヒアリングが行なわれる。そして当日、指定場所まで僧侶が来て、法事が執り行なわれる。お布施以外の車代や御膳料(食事代)なども料金に含まれており、追加料金は一切かからない。 最近、「1時間配送」を始めたamazonだが、「お坊さん便」は事前打ち合わせなどが必要となるため、最短で2週間前からの購入となる。また初回は宗派の指定はできるが、僧侶の指名はできない。2回目の利用から僧侶の個人名で“注文”できる。「お坊さん便」を利用した神奈川県在住の男性(64歳)はこう語る。 「妻の一周忌で利用しました。初めて会った僧侶が妻を供養してくれたことに違和感はありませんでした。地方出身者で菩提寺がない、お坊さんとの個人的な付き合いもない人には、利用価値はあると思いました」関連記事■ 伊藤淳史が僧侶を演じる映画公開へ 山本美月、溝端淳平も挨拶■ H本大量保管の祖父のため葬式で「棺の中にH本を」と僧侶■ 月9主演中の山下智久 ドラマの最終的な展開はまだ知らない■ 戒名は本来生前につけるもの 自分自身で決めても構わない■ 動物のために出家したペット霊園僧侶 動物専用火葬炉を調達

  • Thumbnail

    テーマ

    LINEはバカと暇人のもの

    今の時代、どいつもこいつもLINEを使う。暇さえあれば四六時中LINEをチェックし、既読スルーされただけでキレるバカもいる。ベッキーの不倫騒動だって記憶に新しい。かつて「ウェブはバカと暇人のもの」という本が話題になったが、LINEまでも真正の「バカ発見器」と化したのか。

  • Thumbnail

    記事

    言えば言うほど老人の匂いがする 「ライン=若者」という気持ち悪さ

    古谷経衡(著述家)とりあえずラインって言っとけ、の風潮に吐き気 作家の瀬戸内寂聴氏が、2015年11月号の『小説すばる』にて、「さよならの秋」と題した掌編小説を掲載し話題になったことは記憶に新しい。この掌編にはのっけから「LINE(以下ライン)」が登場する。主人公の「千晶」なる女性が、独白形式の視点で吐露するのだが、要するに「瑛太」なる恋人にラインでメッセージを3回送っても既読にならないから、それは無視である云々という「一方的最後通牒」ではじまる。が、自分の方は方とて学生団体「SEALDs」に参加してそのグループの「同志男性」を好いてしまったので、「瑛太」は自分にとって最早無意味であり過去人である。そして兎に角「戦争法案」はよろしくない、という内容の小品であった。 私は瀬戸内寂聴氏を好きでも嫌いでもないが、この掌編を「若者の感性」などという文脈の中で肯定的に紹介している紹介文を観て吐瀉しそうになった。「ラインでメッセージを3回送っていつまでたっても既読にならない事象」というのは、それは「無視」ではなく「ブロック」ではないか、という疑問はさておき、なんかとりあえずラインを出しとけば若者風だよね、という著者の安直な作劇に無批判に迎合しているのが何とも精神的に怠惰だと思う。「ラインを出しておけばとりあえず若者風だよね」という感性は「『カノッサの屈辱』を見ていればとりあえず当世チャラ目のインテリっぽいよね」というバブル時代のノリに似ていてとても「老人臭い」。繰り返すように私は瀬戸内氏を批判しているのではなく、それを批判しない人間を批判しているのだ。ライン、ラインといえば言うほど老人のにおいがする。 ちなみに当世青年リア充はラインと併用して”インスタグラム”なるものを使って「今日食ったディナー」とか「◯◯ちゃん家でのホームパーティー」だのの写真をこれみよがしにアップロードしているそうだが、こちらについては私がやったことがないので論評しようがない。「既読スルー問題」とライン「既読スルー問題」とライン しかし確かに、ラインは普及している。例えば私は、自分のスマートフォンに「ラインアプリ」をダウンロードしてからというもの、所謂「ケータイのメールアドレス」というものは虚無化した。 いま、私の名刺にはラインIDと「ケータイのメールアドレス」の両方が印字されているが、私のケータイにEメールしてくる人物は、私自身が友無き無縁の人間であるという事実を差し引いても、まったくゼロである。次に名刺を増刷する際は、「ケータイのメールアドレス」の項目は削除しようと思う。どうあってもこのまま使わないからだ。 昔はよく「メアド教えて(この場合のメールアドレスはケータイのメールアドレスを指す)」などといったものだが、今どきこんなことをいう人物はどこにも居ない。「ライン教えて」ときて、スマホ端末をプルプル上下に震わせるかバーコードを読めばすぐに「新しい友だちが追加されました」的なる通知がきて完了である。これが故に、「既読スルー」というのが、ライン時代になってからプチ問題化している。 メールを「はがき」とすると、ラインのメッセージは「簡易書留」である。つまり、相手が確実に開封(既読)したかどうかが送信者側から即座に分かるシステムになっている。これが故に、「ラインでメッセージが届き、それを読んでいるはずなのに返答がない」ことを「既読スルー」などというのだそうだが、意味がわからない。 私は、なぜそんなにライン上で返信がほしいのか、良くわからない。そんなに返信がほしいなら、文面の末尾に「返信ヲ要ス」「至急返信サレタシ」「ハハキトクスグカエレ」などとでも書けばいいと思うのだが、それをせず、何となく相手から返答が来るものだと期待していると一向に来ないので、それを「黙殺」と同義であると捉えて心象を悪くする人も多いという。反復と老人 そういえば、1990年代後半、私の高校の修学旅行の事を思い出した。宿泊先の旅館の部屋で、同級のM君が、当時最先端であった移動体通信からのネット接続「iモード」を契約したドコモの「ケータイ」端末を持って、右に行ったり左にいたりしながら顫動(せんどう)してたのである。 何をしていたのかといえば、所謂、当時流行った「メル友」からの応答を待っているのである。当時の移動体通信からのネット接続には、現在のような早さはない。受送信に数秒かかるしその精度はなんとなく信用出来ないし、電波エリアも現在のように津々浦々ではない。政令指定都市の同じホテルの建物内でも、ほんの数メートルの差で電波が強、電波が微弱の差異が存在した。  Mは常に部屋の中を歩きまわり、電波の良い場所を探して「メル友」からの応答を待っているのである。ハレの修学旅行の日にまで、「メル友」からの返信に四六時中拘泥しなければならないこいつはある種の中毒だ、と思った。私はMを馬鹿にしているのではない。90年代のEメールに「既読」の機能がないだけで、現在のライン使用者の少なくない部分は、Mの心象と大差ない。兎に角、相手から返答が欲しくて欲しくてたまらないのである。  当時Mは多分童貞だったと思うが、別段オタクというわけでもないし、容姿も成績も中の上くらいだった。スクールカースト的には下よりも上から数えたほうが早いはずだが、そんな人間でも相手からの返答が欲しくてたまらず、動物園のオリの中に住む熱帯性の子グマのようにずっと狭い空間を反復しているのである。  反復はある種の老化である。誤解されないように言っておくが、私は老化が悪いことだと言っているのではない。反復行為は老化の前衛だ、といっているのだ。とすれば、四六時中メル友からの返答を待っていたMも、「既読スルー」に24時間拘泥するある種のラインユーザーも、そして紙やネットの中でライン、ラインと繰り返す人間も、全部老人ということになる。そしてこういう老人とはあまり付き合いたいとは思わない。なぜなら、同じことの繰り返しは飽きるからだ。退屈ほどつまらないことはない。 加齢で体が老いるのは仕方がないが、精神だけは老人になりたくないものだ。

  • Thumbnail

    記事

    「馬鹿とLINEは使いよう」のほうが適切なレトリックかもしれない

    神田敏晶(ITジャーナリスト)ベッキーはLINEのCMキャラクターだった 2011年6月、今から5年前のことだ。LINEが登場した時の最初のCMキャラクターは、あのベッキーだった。 「無料通話、無料メール」という触れ込みで、ベッキーがLINEをしながら、泣いたり、笑ったりするというコマーシャルでLINEのマーケティングはスタートした。通常ハイテク業界のマーケティングは、パソコンに詳しいギーク層からブームが伝承され、一般に普及するという潮流にあったにもかかわらず、LINEは、最初からテレビCMというコミュニケーションで、今までのパソコンやインターネットに詳しくない層に一気にリーチされた。日本最大のコミュニケーションインフラ 3カ月後の2011年9月には100万ダウンロードという快挙を成し遂げた。しかし、そのさらに3カ月後には10倍もの1000万ダウンロードという脅威の成長ぶりを見せたのだ。その後、2013年には1億人を超え、2014年には、世界で5.6億人を超えた。LINEは、韓国資本のNHNの日本法人であるが、韓国で流行していた「カカオトーク」のようなものを日本のユーザー向けに日本支社で独自に開発したものだった。そして、何よりもLINEをブレイクさせたのは、「スタンプ」であった。無料でプレゼントされる公式のスタンプはあっという間に日本のスタンプにおけるコミュニケーション文化を築いたのだ。キャラクターによる感情表現、有料で購買できるユニークなスタンプ。顔文字だけのそっけないコミュニケーションから多彩な表現がスタンプで一気に可能となった。文字ベースの感情表現の不足部分をスタンプが見事に補完したのであった。バンド「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音とのスキャンダルについて会見に臨むベッキー=東京・新宿区 一番反応したのは女性であり、若年層であった。世界は、ソーシャルネットワークサービスが席巻していたが、ごく限られたクローズドな仲間だけで構成されるLINEの世界は、24時間オープンの「OL給湯室」となった。また、学校の放課後のおしゃべりも24時間365日可能となった。 2015年末には、月間アクティブユーザー数(MAU)で約2億1500万人となった。 国内利用者数は5200万人以上であり、そのうち毎日利用するユーザーは約3400万人、日本の人口の40%以上をカバーし、日本国内のアクティブユーザー率が63%という、まさにコミュニケーションの一大インフラへと成長している。もう一度言うが、その期間はたったの5年なのだ。iPhoneというスマートフォンの米国デビューも2007年で9年前のことだった。しかし、この9年間で世界中のコミュニケーションは大きく変革した。ありとあらゆるものがスマートフォンの中に統合化されていった。しかし、スマートフォンから新たに生み出されたものも多くなった。LINEは単に「メッセンジャーアプリ」とはいえないコミュニケーションのインフラとなり、もはやテレビやPCよりも、そして紙媒体よりも愛されているメディアといってもいいほどの浸透ぶりだ。 さらに2013年7月に開始したLINEニュースは、月間アクティブユーザー数(MAU)が、2,200万人に及んだ。http://linecorp.com/ja/pr/news/ja/2016/1202 コミュニケーションツールでありながらも、同時にニュースも得られるツールとなった。他にもたくさんのサービスが日々追加されている。それと同時に、トレードオフの関係で「事件」も「犯罪」も発生している。LINEというインフラの正体は何なのか?LINEというインフラの正体は何なのか? イジメの事件の現場は今や学校ではなく、LINEの中で起きているのだ。また、不倫もLINEから暴かれている。LINEのなりすましによるギフトカードの詐欺事件にいたるまで、すべての悪の温床はLINEの中で発生しているかのような報道がなされている。しかし、「インフラ」というものは、いつの日にも、光と影を背負う宿命にある。 たとえば、電話が登場したことによって「脅迫電話」や「誘拐電話」という新たな犯罪がスピーディーに生まれるようになった。刑事ドラマや映画では、犯人の電話の「逆探知」という捜査方法まで公開された。クルマの登場も、馬車の時代とは、はるかに違う死者数を生み出した。しかし、1970年代には年間1.6万人もの交通事故による死亡者も、2015年には4000人規模にまで落ち着いたのだ。これは人類の叡智のあらわれと技術の進化である。我々は便利さの裏側に常に発生する暗部とのトレードオフの関係に常に晒されているが、それを習慣や技術や法律によって変えることもできるのだ。 LINEによって造られたインフラとは何だったのか? LINEはかつて「メディア」と「コミュニケーション」という分断されていた領域を、ズタズタに崩してしまったと言える。かつて、「メディア」はごく選ばれた一部の人のみが発信することを許され、一般人はその情報を受け、限られたクローズドな「コミュニケーション」の場で消費するだけで終わっていた。しかし、LINEのようなパーソナルでクローズドでプライベートだった空間がいつしか勝手に「メディア」化し、個別の「コミュニケーション」と絡まったまま肥大化し増幅し、大事件にまで至るようになってしまった。それを「従来型のメディア」がさらに報道し、加熱させ、さらにまた、コミュニケーションと複雑に絡まり合いながら「メディア化」していくのである。大人たちは、LINEを日常的に使いながらも、子どもたちの世界でのLINEの普及の怖さに怯えるというまさに「ディスラプト(破壊)」されたコミュニケーションの状態とも言える日常となった。 そこにはノイズもデマも、嫉妬もやっかみも、リスペクトもdisリスペクトも、カオスの状態で蠢き合っている。人類の「カルマ=業」が渦巻いているといってもいいだろう。何よりも、指数関数的にコストが低廉化したことにより、誰もが無尽蔵に無秩序に感情をぶちまけあっているのだ。さらにスマートフォンというデバイスが「おしゃべり」から「調べ物」「連絡」「議論」「協調」…などの知的だった行為をすべて包含してしまっているから、まさにコミュニケーションの玉石混交状態なのである。LINEは個別でバラバラで行われていたコミュニケーションを統合化したインフラになってしまったのである。 それと同時に、そのインフラの世界に麻薬的に依存してしまう傾向の人たちが多くなった。一部のコミュニティーでは、本来の生活よりもLINEのクローズドな生活の方がリアル世界よりも現実的だったりもする。しかし、それを選択し依存しているのはあくまでも自分自身である。また、親や友達、ご近所、学校を越えたコミュニティが、若年層の世界に突如として出現したのだから、誰も対応方法の経験値を持ち合わせていない。親も先生たちも困惑するばかりだ。本当は自分自身の立ち位置を明確にし、情報に溺れないためには、LINEに依存しなくても生きていける自分自身が必要なのだ。…といってもまだまだ進化する黎明期のメディアであり、最適解が存在しない。本当のLINEの進化を未来から見返してみると、きっと黎明期の頃のドタバタに映ることだろう。 「LINEはバカと暇人のもの」という本テーマを紐解くと、その責任はインフラ側にあるのではなく、利用する側のリテラシーに完全にあると思う。 それと同時に「長電話はバカと暇人のもの」や「テレビの長時間視聴はバカと暇人のもの」と言われなくなったのは、それらが完全に当たり前となり、認識され、理解されてしまったからだ。「インターネットはバカと暇人のもの」とも言われなくなっても久しい。それは、「使い方次第」だったことを皆が理解しているからだ。 あえていうならば、「馬鹿と鋏は使いよう」を習い、「馬鹿とLINEは使いよう」のほうが適切なレトリックなのかもしれない。どんな使えなかったハサミでも賢く工夫さえすれば、うまく使えるようになるものだ。ネガティブに否定するのは簡単だが、ポジティブに前向きに良い面を活用することによって、この「LINE」というインフラをうまく乗りこなしてほしいと願う。

  • Thumbnail

    記事

    ベッキーの不倫問題で騒ぐのは「平和」だったと感じる日が来る

    やまもといちろう(ブロガ―・投資家) 2016年冒頭の大スキャンダルとなったベッキー不倫事件に、ある種の花を添えたのが、不倫同士で交わされたLINEでの生々しい「愛のやり取り」でした。「ありがとう文春」や「センテンススプリング!」といった際どくもキャッチーなワードが多数盛り込まれ、いったんは謝罪・釈明会見を行って話が終わりかけた直後に致命的なダメージを与えたLINE流出は、技術的な問題だけでなく、プライベートなLINEの使われ方がいかにセンシティブな内容を多く含むかを改めて浮き彫りにしました。 一方、「池袋メンツ」暴行映像投稿は、少女暴行の一部始終を撮影、LINEで複数のユーザーが見られるグループという機能を使いみなで閲覧していたとされ、便利であるが故に多くの事案で何らの心理的な抵抗もなく悪用されるという事態が多発しています。バンド「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音とのスキャンダルについての会見で 謝罪するベッキー =1月6日、東京都新宿区(撮影・山田俊介) 以前からSNSなどでもTwitterやFacebookに仲間内の悪ふざけ画像を投稿した結果、全世界に不謹慎画像が流通してしまい炎上すると言う、俗にいう「バカッター現象」がありました。LINEは確かに利用者の裾野が広く、普通の家庭間の連絡ごとから学生同士の馬鹿話まで、あらゆるジャンルの通信が行われていることになります。むしろ、LINEはTwitterなどと違って友達限定、グループだけ、といった範囲づけが容易であるぶん、情報の秘匿性が高くTwitterに比べてよりプライベートなやりとりが中心でした。 もちろん、一般的な議論として、LINEやSNSがこれだけ普及している以上、便利なツールが手軽な気持ちで悪用されるのは当然ともいえます。自宅にいる高齢者を狙い撃ちする振り込め詐欺がNTTの固定電話をターゲットに悪用されることはあっても、そのような詐欺犯罪に電話が使われているかどでNTTが責任追及される、というような事態に発展しないのと同様に、LINEが赤裸々な不倫トークや犯罪動画投稿に悪用されるのはLINEの責任とは到底いえません。 今回、チャット内容が流出してしまった手口が問題視されたわけですが、そのLINEも、この問題を受けて技術的な問題を抜本的に解決するという取り組み内容を公表しており、まずは解決に当たってその進展を待つしか方法はありません。第三者によるLINEアカウントへのアクセス可能性に関する当社の見解についてhttp://linecorp.com/ja/security/article/52LINEを媒介とした犯罪はなぜ防げないのか しかしながら、このような問題が明るみに出るたびに、LINEを媒介とした犯罪はなぜ防げないのかという話題になります。これは、例えば2011年以降大きな動乱となった「アラブの春」において、大規模デモや集会を民衆が企画することを防ぐために、その連絡の場となったFacebookなどのSNSを政府が遮断しようとした事件。あるいは、LINEも含めた外製SNSは全般的に中国では全面的に使用禁止になり、すべての通信は何らかの形で中国当局に検閲される問題。どこの社会、どこの国でも、SNSを始めとした情報通信技術の進歩で日常が便利になる一方で、犯罪やテロなどに対する監視の脆弱さは問題になり続けます。 我が国でも、携帯電話や車載型カーナビゲーションなどで広く使われているGPS情報を利用者本人に知らせることなく犯罪捜査などに活用していきたいという動きがあるのは事実です。もちろん、これらがプライバシーや、場合によっては信書・通信の秘密に該当するかはデリケートな議論が続いているのが現状です。携帯GPS情報、本人通知せず捜査に活用 指針見直しへhttp://www.asahi.com/articles/ASH4J4DG5H4JULFA00Z.html こうなると、一連のベッキー不倫事件のLINE流出騒動は、その手口がクローンスマホによる同期だったかどうかという技術論よりも、そもそも大量通信時代のコミュニケーションと社会全体の安全管理はどうあるべきかという方面に物事の本質が隠れているような感じがします。つまり、下は男女間の愛の囁きや情事から、少女たちのいじめ暴行動画の共有があり、上は国家全体の安全保障から犯罪情報を如何に適法・適切に収集して社会の安全を確保するかというところまで、すべての分野で通信技術が縦串として絡むという世界です。 そして、LINEに限らず通信キャリアとプラットフォーム事業者、スマホ上で運用されるアプリという繋がりは、引き続き同じような問題を起こしていくでしょう。というのも、今後はLINEアカウントで荷物が送れたり、スマホのGPSツールでタクシーを配車させるといったIoT(モノのインターネット)と言われるさらなる情報技術の進歩のど真ん中に位置するからです。そこには、人工知能によるなりすましからスマホの乗っ取りによる個人情報の大量漏洩といった新しいタイプの犯罪も多数出てくることが予想され、後から振り返れば「ベッキーの不倫問題で騒いでいたころはむしろ平和だった」と感じる日が来てしまうのかもしれません。 突き詰めれば、利用者がどこまで自分のデータや通信内容をインターネットに預けるのか、という問題に本腰で向き合うべき時期が来ているのだとも言えます。自分の何の情報がネットに出ていて、どういうリスクがあるのかそろそろ考えるべきなのでしょうが、スマホの設定が分からないので友人に預けてセットアップしてもらうというのが日常的な昨今、業界全体でもう少しやり方を考えないといけないのではないかと思います。

  • Thumbnail

    記事

    17歳少女をリンチしたLINEトモダチの「承認競争」

    土井隆義(筑波大学人文社会系教授)同質な仲間とつながるツール インターネットは、世界中に散らばる多種多様な人びとが、時間と空間の隔たりを超えて、互いにつながりあうことを可能にした開放的なシステムである。しかし昨今は、世界観や価値観を同じくする仲間が、時間と空間の制約を超えて、互いにつながり続けることを容易にする閉鎖的なシステムとして使われる機会も多くなっている。携帯電話やスマートフォンといったモバイル機器を情報端末として用いる場合には、さらにその傾向が著しい。その意味で、現在のネットは、異質な他者とつながる装置ではなく、同質な他者とつながる装置ともいえる。 現在、若者たちの多くは、学校生活など日々のリアルな人間関係をマネージメントするツールとして、ネットを活用している。LINEはその典型である。しかし、そこでの人間関係に不全感を抱える若者たちも、またネット上に代替の人間関係を求めている。LINEは、その道具としても駆使される。いわゆるID交換によって、見知らぬ他者とつながることも可能だからである。彼らは、しばしばLINE民と呼ばれる。そこが生活の基盤となっている様子から、LINEの住民といった意味で用いられる。 日常のリアルな仲間をマネージメントするためにLINEを駆使する若者たちも、またそれを代替してくれる仲間をネット上に求めてLINEを駆使する若者たちも、人間関係に対して強いこだわりを持っているという点では、互いにまったく同じ心理的特性を有している。しばしばネット依存やLINE依存と呼ばれる問題も、ここから生じてくる。それは、ネットゲームや動画などのコンテンツから抜け出せない依存のメカニズムとはまったく違う。 彼らの多くがつねにネットに接続し、ネットへの接続を切断できずにいるのは、けっして快楽に押し流されてのことではない。もちろん、仲間と接続しつづけることに快楽の要素がまったくないわけではない。とりわけネットの利用を始めた当初は、その要素も大きいと考えられる。しかし、日夜ネットを利用しつづけ、その常時接続にやがて疲弊感が募っていっても、もはや接続機器を手放せなくなってしまうのは、けっして快楽の強さからではない。むしろ不安の強さからである。自分だけが仲間から外されるのではないかという恐怖から手放せないのである。人間関係の流動化が進む現代人間関係の流動化が進む現代 LINEの「既読」表示は、東日本大震災時の経験から、受信者が返事を出せるような状況になくても、とりあえずメッセージを読んだことだけは送信者に分かるようにと考案された機能である。しかし、若者たちの多くは、むしろ「既読」表示があるからこそ、返事をすぐに送らないと相手に悪いと感じ、不安に駆られてしまうという。アプリの開発側の想定からすれば、見事なまでに反転した使用法が見受けられるのは、何か具体的な用件を伝えるための道具としてはでなく、つながっていることそれ自体を確認しあうための道具として、LINEが駆使されているからである。 今日では、人間関係の流動化とインターネットの発達が相まって、既存の組織に縛られない自由な交友関係を築きやすくなっている。制度上の制約から不本意な相手との関係を強制されるような事態は減ってきた。しかし、そうやって実現した軽やかな人間関係は、他面では脆く壊れやすいという面も併せ持っている。制度的な枠組みが人間関係をかつてほど強力に拘束しなくなったということは、裏を返せば、それだけ制度的な枠組みが人間関係を保証してくれる基盤ではなくなったことも意味するからである。 このように今日では、人間関係が自由になったことの代償として、その不安定さも増してきている。既存の組織や制度に縛られることなく、付きあう相手を勝手に選べる自由は、自分だけではなく相手も持っている。したがって、自分が仲間を選ぶ自由は、仲間が自分を選んでくれないかもしれないリスクと表裏一体である。互いに仲間であることの根拠は、互いにそう思っている気持ちの共有にしかありえない。その親密さをつねに確認しつづけていないと維持していくことの難しい関係であるため、絶えざる不安のスパイラルへと陥っていきやすい。 このような事態が進んできた結果、安定した自己承認を仲間から得ることは、今日の社会ではむしろ難しくなっている。そんな状況下で少しでも安定した人間関係を営み、自己承認を受けつづけるためには、できるだけ価値観の似通った者どうしで仲間関係を保持しておいたほうが得策である。人間関係の流動性が高まった社会のなかで、しかし同質な相手だけを探してつながり、互いに分断化された世界を生きるようになってきたのはそのためである。冒頭で述べたように、ネットもまたそのためのツールとして駆使されている。それは、少しでも安定した自己承認を得るための防衛策なのである。自己承認欲求を強める現代人自己承認欲求を強める現代人 しかし、それでも互いの不安が完全に払拭されることはない。とりわけネットを介した人間関係では、全人格的に付きあうことが難しく、断片化した情報を継ぎ合わせながら、期待されるキャラを互いに演じあうことに陥りがちである。したがって、そこで得られる自己承認には、その程度の重さしかなくなってしまう。このとき、互いに一致団結して焦点を定めることのできるターゲットをどこかに作ってやれば、一時的ではあるにせよ、それを核にして人間関係は安定しやすく、自己承認も受けやすくなる。しかし、グループ間の分断化が進行し、互いに異なった世界を生きるようになった現代では、グループの外部にそのターゲットを見つけることが難しい。そのため、しばしばグループの内部にターゲットを探し、そこで暴行事件やいじめ事件が発生しやすくなる。 このように見てくると、グループの内部で、たとえ被害に遭ってもその状況から逃げ出せない者だけでなく、じつはその加害の側に回っている者たちも、また同様に自己承認への不安を抱えていることが分かる。互いのまなざしを集中させるターゲットをどこかに作ってやれば、集団内における自分たちの居場所は確保される。そのターゲットをネタにいじり回すことで、互いが円滑にキャラを演じる舞台も用意される。共通の関心対象がそのターゲットへ集中されるので、自分たちの不安が一時的にでも和らぎ、関係を維持していくことも容易になるのである。 グループ内での暴行事件やいじめ事件で、加害側がつねに気にかけているのは、同じグループ内の他の者たちの反応である。被害者をターゲットにしながらも、しかしその反応をじっと凝視しているわけではない。ともかく自分たちが周囲から承認を得るために、仲間のウケを狙うことに必死で、被害者のことはじつは二の次なのである。そのため、自分たちの行為が被害者に及ぼしているダメージの大きさにまで目が届かないことも多い。 これらの暴行事件やいじめ事件でエスカレートしているのは、じつは被害者への攻撃衝動ではなく、むしろ加害側にいる者たちの承認競争である。ネット上で発生する関係トラブルの多くは、道徳意識が低下した結果ではなく、互いの承認不安から生ずる集団的な自傷行為のようなものである。狭い仲間内で繰り広げられる承認競争の結果、内部での規範意識はむしろ高まっており、そこからわずかでも外れた者が攻撃対象として選択される。むしろそうやって内閉化し、独善化した規範意識の発露としてこそ、これらの事件は理解されるべきものである。

  • Thumbnail

    記事

    意識高い系ボスママ LINE案内に返事忘れたママはいじめ対象

     LINE上でママ友から陰湿ないじめを受け、同じ小学校の2人の母親が自ら命を絶つという栃木県佐野市で起きた衝撃的な“事件”から2か月が経った。 「ママ友問題」には多くの芸能人が関心を寄せる。1年前、ママ友たちとのトラブルをブログで告白し騒動となった江角マキコ(48才)もその1人だ。 「江角さんは栃木のニュースが報じられて以来、ずっと気にしているようです。彼女は“ママ友いじめの最大の被害者は子供”だと言っています。“ママ友同士のLINEは子供に無関係ではいられない。スマホを見た母親の表情が曇ると子供はすぐに気づくし、子供に大きな影響を与えることに親は気づくべき”と話していました」(江角を知る芸能関係者)無料通信アプリ「LINE(ライン)」のアイコン 『女性セブン』には「私もママ友との関係に悩んでいる」という電話が多数届き続けている。とくにLINEやSNSは「学校行事やPTA、塾などの情報交換には便利だが、相手との距離が近くなりすぎて、軋轢が生じやすい」(教育評論家の松本肇氏)傾向があり、大きなトラブルのもととなる。 LINEのママ友6人グループのメンバーである30代主婦が言う。「本当の仲良しは5人で、残り1人は嫌われています。その5人で別の“裏LINEグループ”を作って、建前と本音を使い分けてるんです。表LINEで『今日は素敵なお洋服ね』と褒めても、裏LINEでは『胸開きすぎ。そんなに男の目を引きたいのか』と毒を吐く。いつか自分も裏LINEからはじかれるのではないかと怖くて、つい調子を合わせているうちに、どんどん内容もエスカレートして…もう抜けられないんです」 実際にいじめ被害を受けたというママは深刻だ。 「一度、自分の子供と一緒に遊んでいるお子さんの顔をボカさないで、ジオタグ(位置情報)込みでSNSにアップしてしまったんです。それ以来、ママ友グループのLINEで私が発言するたびに活発なやりとりがピタッと止まり、発言スルーが繰り返されるようになりました。普段直接会うと挨拶はしてくれますが、いくらメッセージを送ってもLINEでは完全無視。どうすればいいのかわかりません」(40代パートママ) 20代後半の事務員ママは「意識高い系」の“ボスママ”に睨まれた。 「30代前半のママが保育園の同じクラスの母親に声をかけ全員がLINEメンバーに。このママは 母親対象の食育や子育ての勉強会を主催し、何度も案内が送られてきました」 案内状に返事を出し忘れたことがきっかけで子供もいじめの対象になった。 「知らないうちに別のママ友LINEグループが結成されて、私は見事に外されていました。そのグループでは“あの母親の教育では子供もレベルが低い。子供同士もつきあわせないほうがいい”といわれているそうです。私はまだしも、子供まで…」(事務員ママ)関連記事■ ママ友LINE事情 大企業夫持つ美人ママには即レスの傾向あり■ Facebookで数百人のコメント全部に返事をしてゲッソリの人妻■ 階層上位ママ 転居してきた家族の年収を子供にスパイさせる■ ママカースト 外車に乗っていたり夫の収入が良いと上層に■ 子役・はるかぜちゃんが明かした「LINEいじめ」の実態とは?

  • Thumbnail

    記事

    病院から会社に欠勤の連絡 いまだに電話をかけるべきなのか

     仕事においてメールを連絡手段ではないと考える人は少ないだろうが、かつては欠勤の連絡をメールでするなんて非常識だという風潮が強かった。出勤直後の忙しない時間に電話はかえって迷惑との考え方もあり、最近は電話よりメールを推奨する職場もあるが、LINEやFacebookのメッセンジャーなどSNSについては否定的な意見が少なくない。新入社員を迎える季節には必ず議論になり、ちゃんと連絡したのになぜ非難されるのかという声も少なくない。 社会人1年目の恵美さんは、今年はじめて風邪をひいたとき病院からLINEで会社の先輩に欠勤の連絡をした。病院では自分の携帯から電話をすることがはばかられたからだ。「病院で電話をかけるのはできないなと思ってLINEしたんですけど、『LINEだけじゃダメ。電話入れて』と返事がきました。ふだんは仕事のやりとりも短い連絡ならLINE使っているんですけど、欠勤の連絡だけなんで電話なんですかね。公衆電話から電話しましたけど。学生のときのアルバイトでは、欠勤やシフト変更の連絡はいつもLINEでした。メールより早いし既読マークつくから便利だと思うんだけどなあ」 この認識のずれは、ふだんよく使うコミュニケーション系メディアの差異が大きく影響している。今年5月に公表された『情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査』(総務省)によれば、平日のSNS利用とメール利用を年代別にみると、10代、20代ではSNS利用の行為者率が50%を超えメール利用を上回っているのに対し、30代~50代ではメール利用の行為者率が50%を超えSNS利用の行為者率が大きく下回っているからだ。 いまのところ、SNS利用が日常的か否かについて、若者と30代以上とで連絡手段として大きな感覚のずれが生じているようだ。職場は様々な年代の、いろいろな背景の人が集まるところ。明文化されたルールがあるのでなければ、前述の恵美さんのように、自分で常識だと思っていたことが通用しないこともある。 実際に仕事で周囲とコミュニケーションをとるとき、主にどの手段を使っているか複数回答可で調査したところ、メールが98.33%でトップ、次が電話の92.67%、LINEはわずか10.9%にとどまっていた。また、仕事で外部の人から初めて連絡をもらうとき失礼だと思う手段としてはLINE(50.87%)、Twitter(41.73%)、Facebook(35.00%)が上位3つを占めた(一般社団法人ビジネスメール協会調べ)。 SNS普及率が高まりつつあるとはいえ、まだ仕事での主要な連絡手段とはいえない状態だ。ならば適切な使い方を早めに学んでほしいところだ。情報処理を教える神奈川大学非常勤講師の尾子洋一郎さんは講義でメールの使い方を説明するとき、電話との違いに必ず触れている。「24時間関係なく自分のタイミングで情報を送り受け取れることは、メールと電話とのもっとも大きな違いですね。証拠が残るという点で連絡手段としてメールを推奨していますが、それには本文と件名を必ず入れるなど、最低限の形が整ったメールである必要があります。それでも相手に必ず届いて読まれる保証はなく、返信がないメールは届いていない可能性があると考えるように言っています。 緊急時のどんな内容の連絡も、どうするのか確認しておいた方がお互い嫌な気持ちにならずに済むでしょう。大事な連絡は必ず電話でという職場もあれば、会社の連絡事項はメッセンジャーを使って組んだグループに流すと決めているところもある。メールやSNSを使いこなしている人も、あまり使っていない人も、自分の使っている連絡手段が相手も使っているのが常識だと思いこまずに相手に確実に伝わる方法を決めておくのがいいでしょうね」 事業所のインターネット普及率が99%に達したのは2007年末、個人で毎日使う人は全体でようやく74%。SNSの普及率も全体で65%に達したところだ。コミュニケーションの“常識”はいまだに端境期にある。関連記事■ 「LINE」ライバルの「カカオトーク」5人まで同時通話可能■ 埼玉県教委 県立高校全教師に生徒とのLINE等の私的連絡禁止■ 格安通話アプリ「LINE電話」と「楽天でんわ」 特徴と注意点■ すき家やKFCなどのお得クーポンにLINEユーザー「魅力です」■ 公衆電話が繋がったのは通信規制かけられないもの多いから

  • Thumbnail

    記事

    身内びいきの新潟日報よ、中傷ツイート記者の処分が甘すぎる

    小坪慎也 (福岡県行橋市議会議員) まず冒頭において述べさせて頂くが、本件、新潟日報社の社としての責任を問う立場だ。同様に、先般の「ぱよぱよちーん事件」についてもエフセキュア社の社としての責任を問うてきた。しかしながらこれは、しばき隊として問うものではない。この点も併せて明確にしておきたい。前半においては、少し変わった論調であるが、後段においては社会的・道義的な責任を理詰めで説いている。後段まで是非、お読みください。ただ、それを述べるにあたって、私には言わねばならぬことがある。新潟日報の新本社ビル「メディアシップ」=新潟市 その大きな理由は、私が政治家であるという点に集約される。かつてのように保守活動家として言論活動を行うのであれば、私はしばき隊を軸として責めただろう。実際、横串をさして論じたほうが楽だ。話もわかりやすい。エフセキュアの件にせよ、web上でも激しいものだと分類されるだろうし、実効性の面においても高い効果を発揮したと思う。とは言え、実は、現在まで私が論じた話は、しばき隊ゆえ、という攻め方はしていない。 問うべきは、社としての責任であり、その中身は「社会的・道義的な責任」である。横串となる言葉は、コンプライアンス、CSR、ガバナンスである。この点は、政治家として徹底的に追及し続けたい。それは「しばき隊」として責めることとは、大きく異なる立場だ。敗走中の彼らを、私は政治家としては責めない。社としてのみを、その責任を問い続ける。保守活動家の目線 政治家として問うべきは「社としての責任」であり、社会的・道義的な責任であることは事実だ。しかし、保守活動家として述べさせて頂くなら、しばき隊として「撃たない理由」は異なる。本心を一言で表せば「なんてことをしてくれる!」という怒りだ、しばき隊側への怒りだ。ひどい言い方になるが、勝手に沈んでる場合じゃないぞ、と。私は、彼らとの公開討論を約束していた。恥ずかしながら、健康上の理由で当時からかなり体調が悪く、結果的には入院・手術となり、これは叶わなかった。 ネット上の左派系、対峙する陣営の指揮官クラスであると私は認めてきた。さあ、今から撃ちあおう、そういうタイミングである。双方が宣戦を布告し、戦端が開かれようとしていた。イメージなるが、海戦を行うべく、駆逐艦「小坪しんや」は、決闘の海域に進出していた。敵艦隊の名は、しばき隊。だが、待てど暮せど、敵艦が来ない。途中で機雷に接触し、勝手に沈んだという。私からすれば「おい待て!!」と文句も言いたくなる。 私は、今回、しばき隊を責めない。しばきたくないからだ。リスクを背負いつつ、現場を張ってきた自負がある。経験則になるが、気分の乗らぬ案件は手を出すべきではない。これは獣のカンに近いものだし、私の美学でもある。憲法は変えるべきだと思うが、憲法を破ろうとも思っていない。よって、憲法九条をも私は順守したい。赤旗の問題を取り上げた際も、徳永克子(共産党・行橋市議)から一年以上に渡り、延々と責められたという原因がある。九条をも遵守する以上、私は撃たれてから「ちょっと考えて」撃ち返す。私は、個人としてはしばき隊に撃たれていない。撃たれていない以上、私は撃つことは許されない。 ここで相手が落ち目の時に、時流に乗って叩くことは、私の美学に反する。しかも私が撃たれていないのに、だ。大破炎上中、機関も出力が上がらない敵艦がいたとしよう、私は、やはり撃てない。ドックに入渠して頂き、しっかりと修して頂きたい。完全な状態に戻って頂き、本調子を取り戻した上で、全力の彼らと撃ちあいたいのだ。その際、当然、撃沈されるのは私なのかも知れない。それでもいい。退却中の敵艦を後ろから撃つのは、私は嫌だ。 明らかに敵陣なのだが、エールを送りたい。赤壁の戦いでも曹操は敗走したが、なんとか落ち延びた。私は、是非、落ち延びて頂きたいと思う。そして、しっかりと名を明かした上で、平場で撃ちあおう。正々堂々と、だ。私は今までそうしてきた。議員になる以前より名を明かし、住所を明示し、ロビー活動に従事してきた。今度は、こちらと同じルール、土俵でやりあいたい。 とは言え、落ち延びることも楽ではないだろう。私は撃たぬと言ったし、実害を受けていない者は撃つべきではないと主張もするが、彼らは敵も多すぎる。例えば公開されたリストに記載されていた方々。彼らは正当に撃つべき権利を有する。私はこれを止める気はない。また、リスト記載者を「守る」という部分においては、本件に介入してきた。今回も同様に、政治家として「社としての責任を問う」立場だ。事実、そうしている。 保守の追っ手を彼らは果たして振り切れるのか。赤壁の曹操と同じぐらいに、状況は厳しいだろう。だが、是非、逃げて頂きたい。関羽気取りかと(双方の陣営から)怒られそうだ。乗っているのは赤兎馬ではなく車高の低いスカイラインだが。落ち延び、体制を整え、復活して頂きたい。名を明かした、対峙する陣営のロビイストとして、誇りある指揮官として。その際には、こちらも全力で行かせていただく。私が、自らの手で沈めたいと思っていたのだ、勝手に沈むんじゃない。なんとか生き残れ、そして同じ土俵で撃ちあおう。決闘の舞台で、私は待っている。 修羅の国と福岡は揶揄される。この名が適切かは評価する立場にないが、また自ら名乗ることもどうかとは思うが、仕方ない部分もあるのかな、とは思う。私は、修羅の国から来た普通の修羅だ。新聞でも大きく報じられたため、自らの自治体の恥をさらすが、一年ほど前に行われた行橋市長選においては、対立陣営の御兄弟より実弾320発、武器庫認定を受けて大問題になった。また先の九月議会、ほんの数か月前だが、工藤会にお金を渡すためという理由で、ゼネコンより数千万の工事をゆすった事件があり、しかも市発注の事業であったため委員会での審査となった。私は、所管委員会(総務委員会)の所属であるため、当該業者の指名停止を委員として求めた。 かつては走り屋であり、ネットで言うところの「いわゆるDQN」であったことを私は公開している。九州ということで、半島系の方も多い。日常的にもめてきており、そして議員になった今も決して安全な職場ではない。こんなことを言うと、保守からもしばき隊からも怒られそうだが、しばき隊よりも遥かに激しい連中が常に目の前におり、それが私の世界観なのだ。よくないことだとは思うが、なぜか彼らの写真を見て、どことなくシンパシーすら感じてしまった。普通においしく酒でも飲めそうだ、と。私は、もっと面倒な難処理案件だらけだ。  そんなわけで、彼らが「ある程度、激しい」からと言って、だからどうしたんだと常々思っていた。私は、行橋市議としても死ぬ危険性はあると思っている、サヨクの過激派の手以外で、だ。この町で、市民の側に徹底的に立つことは、容易な覚悟ではできない。福岡では発砲事件もよくニュースになる、あれももう慣れた。少なくともしばき隊は、銃火器は使わない。だったら「話せばわかる」層だろうと、そんな風に思っていた。対峙する陣営ではあるものの、その指揮官クラスとして遇し、直接やりあいたいと、そう思っていたのだ、修羅の国から来た普通の修羅としては。これがヘイトでなくて何がヘイトか 最後になる。社としての責任だ。これは「社会的・道義的な責任」である。この点は強く追及させて頂く。一気に論調が変わるが、この点は追及する必要がある。新潟日報社の件だが、上越支社の報道部長だ。これは許されて良いものではない。 安倍首相が学校を訪問している際の写真だろうか、それをTweetする際、「美少女に迫る異常者」である。これは首相の対するヘイトだ。また稲田議員に対しては「英霊の慰安婦こと、稲田朋美!」(原文ママ)と呼び、片山議員には「片山は自分からすすんでネトウヨの慰安婦になった!」(原文ママ)と侮辱。また「高市早苗 所属政党 ナチス」(原文ママ)とtweet。高市早苗「総務大臣」の所属政党は、自由民主党です。 もちろん、これが一般人の発言であっても許されるべきではない。左派はヘイトヘイトと口癖のように言うが、これがヘイトでなくて何がヘイトなのだろうか。彼らはよく自己批判とか総括とか言うが、是非、自己批判して総括して頂きたい。 問題なのは、新潟日報社の上越支社報道部長という役にあったことであろう。これは社としての報道方針を決め得る立場と、対外的にも理解されるポジションだ。これらは新潟日報社の公式見解なのだろうか。特に現職の総務大臣に対し「所属政党ナチス」は、報道に携わる者として如何なものかと思う。 特に許せないのは、民間人に対してのTweet。以下は、子を持つ母親に向けられた発言だ。『想像しろ。お前が本能に任せて性行為した、クズみたいな男と娼婦のお前の間に生まれた薄汚いガキ!明らかに人種差別主義者の子どもであり、生きてる価値はない!最大限の尊厳を与えてやる。それは、豚のエサになることだ!』 『(前略)このブス!お前の赤ん坊は豚のえさにするんだから…。で、お前とダンナが、その豚を喜んで食べるのな。そりや美味しいよ。お前の子ども食った豚だもん!お前とダンナ?うなぎの餌。あんたの頬から胸に抜ける。目玉から肛門に抜ける(笑)』 『豚って、なんでも食うらしいよ。野菜でも、人間でも(笑)。赤ん坊は柔らかいだろうね。』 以上発言は、いずれも原文ママ、である。私も子を持つ親であるが、「新潟日報社」は、上越支社報道部長の言動に対し、どのように対応をとられるおつもりか。これを民間人に対して吐いたことは、社会的・道義的責任が追及されるべきであると、政治家として述べさせて頂く。責任は、人事処分をもって公開されるのが筋だろう。詳細:新潟日報社(上越支社報道部長)坂本秀樹氏は、パブリックに批判されるべきだ。(小坪しんやのBlog)左派の責任、メディアの責任左派の責任、メディアの責任 左派こそ、これを徹底的に糾弾すべきだ。それができぬなら、無暗に憲法がどうだ等と述べるのはやめたほうがいい。話が軽くなり、意見自体が意見として認識されなくなるからだ。これは、一般人・民間人への威圧を持っての言論弾圧としか言えず、これを自らの陣営に対しては責めることができぬとなると、何が護憲かと指摘されるからだ。憲法を護るのは結構なことだし、私自身も遵守しようと思っているが(同じく改正したいと思っているが)護憲を掲げるならば、他者の憲法で保障された自由・権利に対しても配慮すべきだ。でなければ、その旗は降ろせ。憲法がかわいそうだ。 メディアに対しても思うことがある。テレビでも報道されたという。ただし、これらの、私が紹介したTweetは報じられていない。酔って弁護士に絡んだ程度の報道であり、その実態を報じているとは言い難い。身内びいきもここまでくると、ちょっとあり得ないと思う。 私には、これを述べる「権利」がある。かつて、SEALDsの皆様へと題してシリーズを報じたところ、メディアはスクラムを組んで私を叩いてくれたな? 随分と扱いが違うじゃないか。「同じ扱い」を求めているのみだ。私には、これを言う権利がある。 三菱樹脂事件の最高裁判例を踏まえ、学生が政治活動に参加する際に気を付けるべき点をまとめたものであった。徹底的に学生側に立った書き方を心がけ、かつ判例(三権分立のため政治分野が介入できない)があることを伝え、「過激派など、反社会的勢力」との混同を避けるように訴えたものだ。安保法制の是非には触れておらず、意見の誘導も行わぬよう配慮した。 まとめサイトを始め好意的に取り上げられ、炎上はしなかった。しかしながら、結果として、取材「攻」勢が多発。東京新聞、毎日、朝日もあったかな。西日本からも取材を受けた。弁護士ドットコム(これは日弁連だろうか)、J-castなどは取材すらせず全くの誤報を足れながす。yahooのヘッドラインに掲載され大きく名誉を傷つけられた。 報道状況を見るに「私とは随分と違う」のだ。私の場合は、言ってもいないことまで書かれ(しかも意図を真逆にとられて、だ)誰も謝罪すらしなかった。新潟日報社については、言ったことすら報じていない。詳細:SEALDsは共産党や中核派と混同されても仕方ない(iRONNA) 現在の報道状況は、身内びいきが過ぎると感じる。酔って言ってしまった程度の報道では足りぬ。先ほどの、実際のTweet内容を見て、世論がこれを許すと思うのか。メディアこそは常に政治に問い続けてきたではないか。だからこそ、ネット保守論壇からも言わせて頂こう。この程度の処分、異動程度で「世論が納得するのだろうか」と。 そして冒頭の繰り返しになるが、しばき隊は落ち延びて頂き、実名での活動に出てきて頂きたい。体制を整えた上で、正面から撃ち合おう。勝手に沈むんじゃない。

  • Thumbnail

    テーマ

    新潟日報記者の中傷ツイート全内幕

    新潟日報上越支社の報道部長が、匿名ツイートで弁護士を誹謗中傷する書き込みを繰り返していたことが発覚した。報道人にあるまじき卑劣な行為は決して許されるものではないが、一方でその思想信条や背後関係にも関心が集まっている。ネットの匿名性を悪用したこの手の「事件」はなぜ繰り返されるのか。

  • Thumbnail

    記事

    エフセキュア問題は我が国の課題の縮図だ

    森口朗(教育評論家、東京都職員) エフセキュアの社員だったK氏が、エフセキュアの顧客であるフェイスブックの個人情報をリスト化し、拡散したとして大問題になっています。ここには、我が国の喫緊の課題が凝縮されており、全ての日本人にとって他人事とは思えないので、今の段階で論点を整理しておきたいと思います。その前に事件概要を(事件概要)エフセキュアの社員であるK氏は、同時に「しばき隊」やその後継団体に所属する左派活動家だった。一方、はすみとしこ氏という漫画家が今年になって一部でブレイクしたが、そのマンガが難民や在日コリアンに批判的だったために別の一部の人達から「レイシスト」というレッテルを貼られていた。K氏はフェイスブックで、はすみとしこ氏に「いいね」を押した人達の、学歴や勤務先といった個人情報をリスト化し、インターネット上で拡散し、活動家仲間と共にリスト化された人達への個人攻撃(勤め先への情報提供や個人宅訪問)を推奨した。ところが、K氏自身も様々なところで自分の情報を書いていたために、エフセキュアの社員であることが突き止められた。ネット市民がエフセキュア本社の社長に事件の概要を伝えたところ社長は対処することを明言し、エフセキュアはK氏を自主退社(おそらく)させることで事件の収束を図ろうとした。その後のネット市民の調査によりエフセキュア日本法人の社長が、韓国系ITセキュリィ企業の社長であったことが判明した。 この問題で明らかになった我が国の課題を大きいと思える順に列挙していきたいと思います。1 暴力的で独善的な人が「平和」や「人権」を大声で叫ぶために、真っ当な人達がこの言葉に嫌悪感を感じてしまう 話が大きすぎると感じるでしょうが、私はこれが最も深刻な課題だと思っています。世界がIS(イスラムステイト)や共産主義国の拡大を許さないのは、まさに「平和」と「人権」を重んじるからですが、日本では刺青を見せ付けて他人を脅すような人間が「平和」や「人権」を叫び、朝日新聞や地上波TVがそれを当然のように報道するために、ここに共感できない人が、この概念自体に懐疑的になっています。2 左派(共産党や社民党などの主張に共産する人達)のレッテル貼りはメジャーメディアで報道されるが、右派がレッテル貼りは無視される はすみとしこ氏に限らず在日コリアンに批判的な人達に「レイシスト」のレッテルを貼ったのは左派も市民団体でした。私は特定の人達に対するステレオタイプの非難=レイシズムには一切与しません。しかし、今レイシストの烙印を押される人達が活動する前から今に至るまで、韓国本国はもちろん在日コリアンによる日本人全体への民族差別発言が繰り返されています。また、左派により自衛官や警察官に対する職業差別発言も堂々と行われています。こういった発言こそレイシズムだと思いますが、それを「レイシズム」として報道するマスメディアはほとんどありません。 また、安保関連法案制定時には安倍総理を「叩き切る」と表現した著名人や「安倍しね」というプラカードを掲げた人達に右派が「テロリスト」というレッテルを貼りましたが、それもまったく報道されていません。3 左派が違法不当な手法で敵を攻撃するときは黙認され、右派が同様の手法を取る時には厳しく糾弾される 右派が今回のK氏と同様の手法。例えば「安倍しね」プラカードにフェイスブックで「いいね」を押した人の「氏名」「学歴」「勤務先」などの個人情報をリスト化し、勤務先への通報を推奨したら、新聞やテレビは大騒ぎをするでしょう。しかし、K氏の行動は今のところMXTVを除き、まったく報道されていません。報道機関の「報道しない自由」が幅を利かせすぎている4 報道機関の「報道しない自由」が幅を利かせすぎている 多くの報道機関は民間企業ですから企業活動の自由として、何を報道するかについては自主決定できます。しかし、メジャーメディアの談合体質が酷すぎるために、全社が報道しないという暗黙の空気に包まれると、まるでその事件がなかったかのようになります。今回のエフセキュア問題がまさにそれです。 これは先進国のメディアの在り方として明らかに異常です。5 公共団体のソフト部門に「赤い利権」が食い込んでいる 利権と聞くと大多数の人は、保守政治家と役人及びゼネコンといった構図を思い浮かべるでしょう。そういう一面はありますが、ソフト部門、例えば「人権」「男女平等」といった部門では、明らかに思想的に左派の人達が、独占的に官公庁から受注しています。 エフセキュアはIT企業ですから本来、思想信条とは無縁のはずですが、今回の行動から見る限り、特定の思想に支配されている危険性を払拭できません。6 機密情報に対する国家意識が希薄 国家としてはともかく、国民感情として「韓国人」は日本を仮想敵国とみなしています。その韓国人や韓国系企業に我が国の機密情報や日本人の個人情報を見せ、触らせることは非常に危険です。ところが、韓国系企業との癒着が懸念されるエフセキュアが、防衛省関連やマイナンバー関連の仕事をしていることが判明しました。 また、マイナンバーが公布されれば多くの自治体で働いている在日コリアンも個人のマイナンバーに触れることが可能になります。 以上、これ以外にも様々な課題を提示してくれたエフセキュア問題。今後も注視していきたいと思います。 最後に、これに危機感を覚えた方は、是非、ご自身が住む自治体がITセキュリティをエフセキュア社に委託していないかチェックしてください。公文書の公開を求めれば、どんな人にもチェックが可能です。そして、万一エフセキュア社が受託していれば、それを議会で質問するよう保守系議員に働きかけてください。 私たち個人ができることは沢山あるのです。(『森口朗公式ブログ』より2015年11月10日分を転載)