検索ワード:ネット社会/77件ヒットしました

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    アマゾンが始めた「お坊さん便」 そのシステムと利用者の感想

     インターネット通販大手・amazonは、本や家電、食品などあらゆるものが買える便利サイトだ。12月8日、ついに「お坊さん」までがそのラインアップに加わり、ワンクリックで注文、「お布施」はクレジットカードで決済できるようになった──。 その名称は「お坊さん便」。四十九日や一周忌といった法事(法要)の際に、読経を行なう僧侶の手配サービスだ。 料金は、自宅など手配先への訪問のみなら3万5000円。自宅から墓地など手配先からの移動を含む場合は4万5000円。プラス2万円で戒名を授与するプランもあり、全国どこにでも手配が可能だという。 法事や葬儀の際に僧侶に払う「お布施」は、金額が決まっているものではない。そんな中、2009年に流通大手のイオンが葬儀の仲介業を始め、お布施の目安を公開。これが人気を呼び、明朗会計を謳う仲介業者に対するニーズが拡大している。「お坊さん便」を運営する「みんれび」も、そんな仲介業者の一つだ。同社の取締役副社長・秋田将志氏がいう。 「都市部では菩提寺がなかったり、不明朗な料金体系に不安を抱く人が少なくありません。そうした声に応える形で金額を明示した『お坊さん便』を始めたのは2013年5月。現在は浄土真宗、曹洞宗、真言宗など7宗派、約400人のお坊さんを手配可能です。 今回、amazonに出品したことで、より多くのニーズに応え、購入者がサイトに感想を書き込むレビュー(評価)によってサービスの向上を図っています」 どうやって僧侶は“配送”されるのか。まずはamazonで商品を購入する。支払いはクレジットカードの他、コンビニ決済やネットバンキングなども利用可能。みんれびから確認のメールが送られ、日時や目的、宗派を返信すると、注文内容が書かれたチケットが郵送で届く。 その後、僧侶本人から購入者に電話があり、待ち合わせ場所の確認、故人についてのヒアリングが行なわれる。そして当日、指定場所まで僧侶が来て、法事が執り行なわれる。お布施以外の車代や御膳料(食事代)なども料金に含まれており、追加料金は一切かからない。 最近、「1時間配送」を始めたamazonだが、「お坊さん便」は事前打ち合わせなどが必要となるため、最短で2週間前からの購入となる。また初回は宗派の指定はできるが、僧侶の指名はできない。2回目の利用から僧侶の個人名で“注文”できる。「お坊さん便」を利用した神奈川県在住の男性(64歳)はこう語る。 「妻の一周忌で利用しました。初めて会った僧侶が妻を供養してくれたことに違和感はありませんでした。地方出身者で菩提寺がない、お坊さんとの個人的な付き合いもない人には、利用価値はあると思いました」関連記事■ 伊藤淳史が僧侶を演じる映画公開へ 山本美月、溝端淳平も挨拶■ H本大量保管の祖父のため葬式で「棺の中にH本を」と僧侶■ 月9主演中の山下智久 ドラマの最終的な展開はまだ知らない■ 戒名は本来生前につけるもの 自分自身で決めても構わない■ 動物のために出家したペット霊園僧侶 動物専用火葬炉を調達

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    LINEはバカと暇人のもの

    今の時代、どいつもこいつもLINEを使う。暇さえあれば四六時中LINEをチェックし、既読スルーされただけでキレるバカもいる。ベッキーの不倫騒動だって記憶に新しい。かつて「ウェブはバカと暇人のもの」という本が話題になったが、LINEまでも真正の「バカ発見器」と化したのか。

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    17歳少女をリンチしたLINEトモダチの「承認競争」

    土井隆義(筑波大学人文社会系教授)同質な仲間とつながるツール インターネットは、世界中に散らばる多種多様な人びとが、時間と空間の隔たりを超えて、互いにつながりあうことを可能にした開放的なシステムである。しかし昨今は、世界観や価値観を同じくする仲間が、時間と空間の制約を超えて、互いにつながり続けることを容易にする閉鎖的なシステムとして使われる機会も多くなっている。携帯電話やスマートフォンといったモバイル機器を情報端末として用いる場合には、さらにその傾向が著しい。その意味で、現在のネットは、異質な他者とつながる装置ではなく、同質な他者とつながる装置ともいえる。 現在、若者たちの多くは、学校生活など日々のリアルな人間関係をマネージメントするツールとして、ネットを活用している。LINEはその典型である。しかし、そこでの人間関係に不全感を抱える若者たちも、またネット上に代替の人間関係を求めている。LINEは、その道具としても駆使される。いわゆるID交換によって、見知らぬ他者とつながることも可能だからである。彼らは、しばしばLINE民と呼ばれる。そこが生活の基盤となっている様子から、LINEの住民といった意味で用いられる。 日常のリアルな仲間をマネージメントするためにLINEを駆使する若者たちも、またそれを代替してくれる仲間をネット上に求めてLINEを駆使する若者たちも、人間関係に対して強いこだわりを持っているという点では、互いにまったく同じ心理的特性を有している。しばしばネット依存やLINE依存と呼ばれる問題も、ここから生じてくる。それは、ネットゲームや動画などのコンテンツから抜け出せない依存のメカニズムとはまったく違う。 彼らの多くがつねにネットに接続し、ネットへの接続を切断できずにいるのは、けっして快楽に押し流されてのことではない。もちろん、仲間と接続しつづけることに快楽の要素がまったくないわけではない。とりわけネットの利用を始めた当初は、その要素も大きいと考えられる。しかし、日夜ネットを利用しつづけ、その常時接続にやがて疲弊感が募っていっても、もはや接続機器を手放せなくなってしまうのは、けっして快楽の強さからではない。むしろ不安の強さからである。自分だけが仲間から外されるのではないかという恐怖から手放せないのである。人間関係の流動化が進む現代人間関係の流動化が進む現代 LINEの「既読」表示は、東日本大震災時の経験から、受信者が返事を出せるような状況になくても、とりあえずメッセージを読んだことだけは送信者に分かるようにと考案された機能である。しかし、若者たちの多くは、むしろ「既読」表示があるからこそ、返事をすぐに送らないと相手に悪いと感じ、不安に駆られてしまうという。アプリの開発側の想定からすれば、見事なまでに反転した使用法が見受けられるのは、何か具体的な用件を伝えるための道具としてはでなく、つながっていることそれ自体を確認しあうための道具として、LINEが駆使されているからである。 今日では、人間関係の流動化とインターネットの発達が相まって、既存の組織に縛られない自由な交友関係を築きやすくなっている。制度上の制約から不本意な相手との関係を強制されるような事態は減ってきた。しかし、そうやって実現した軽やかな人間関係は、他面では脆く壊れやすいという面も併せ持っている。制度的な枠組みが人間関係をかつてほど強力に拘束しなくなったということは、裏を返せば、それだけ制度的な枠組みが人間関係を保証してくれる基盤ではなくなったことも意味するからである。 このように今日では、人間関係が自由になったことの代償として、その不安定さも増してきている。既存の組織や制度に縛られることなく、付きあう相手を勝手に選べる自由は、自分だけではなく相手も持っている。したがって、自分が仲間を選ぶ自由は、仲間が自分を選んでくれないかもしれないリスクと表裏一体である。互いに仲間であることの根拠は、互いにそう思っている気持ちの共有にしかありえない。その親密さをつねに確認しつづけていないと維持していくことの難しい関係であるため、絶えざる不安のスパイラルへと陥っていきやすい。 このような事態が進んできた結果、安定した自己承認を仲間から得ることは、今日の社会ではむしろ難しくなっている。そんな状況下で少しでも安定した人間関係を営み、自己承認を受けつづけるためには、できるだけ価値観の似通った者どうしで仲間関係を保持しておいたほうが得策である。人間関係の流動性が高まった社会のなかで、しかし同質な相手だけを探してつながり、互いに分断化された世界を生きるようになってきたのはそのためである。冒頭で述べたように、ネットもまたそのためのツールとして駆使されている。それは、少しでも安定した自己承認を得るための防衛策なのである。自己承認欲求を強める現代人自己承認欲求を強める現代人 しかし、それでも互いの不安が完全に払拭されることはない。とりわけネットを介した人間関係では、全人格的に付きあうことが難しく、断片化した情報を継ぎ合わせながら、期待されるキャラを互いに演じあうことに陥りがちである。したがって、そこで得られる自己承認には、その程度の重さしかなくなってしまう。このとき、互いに一致団結して焦点を定めることのできるターゲットをどこかに作ってやれば、一時的ではあるにせよ、それを核にして人間関係は安定しやすく、自己承認も受けやすくなる。しかし、グループ間の分断化が進行し、互いに異なった世界を生きるようになった現代では、グループの外部にそのターゲットを見つけることが難しい。そのため、しばしばグループの内部にターゲットを探し、そこで暴行事件やいじめ事件が発生しやすくなる。 このように見てくると、グループの内部で、たとえ被害に遭ってもその状況から逃げ出せない者だけでなく、じつはその加害の側に回っている者たちも、また同様に自己承認への不安を抱えていることが分かる。互いのまなざしを集中させるターゲットをどこかに作ってやれば、集団内における自分たちの居場所は確保される。そのターゲットをネタにいじり回すことで、互いが円滑にキャラを演じる舞台も用意される。共通の関心対象がそのターゲットへ集中されるので、自分たちの不安が一時的にでも和らぎ、関係を維持していくことも容易になるのである。 グループ内での暴行事件やいじめ事件で、加害側がつねに気にかけているのは、同じグループ内の他の者たちの反応である。被害者をターゲットにしながらも、しかしその反応をじっと凝視しているわけではない。ともかく自分たちが周囲から承認を得るために、仲間のウケを狙うことに必死で、被害者のことはじつは二の次なのである。そのため、自分たちの行為が被害者に及ぼしているダメージの大きさにまで目が届かないことも多い。 これらの暴行事件やいじめ事件でエスカレートしているのは、じつは被害者への攻撃衝動ではなく、むしろ加害側にいる者たちの承認競争である。ネット上で発生する関係トラブルの多くは、道徳意識が低下した結果ではなく、互いの承認不安から生ずる集団的な自傷行為のようなものである。狭い仲間内で繰り広げられる承認競争の結果、内部での規範意識はむしろ高まっており、そこからわずかでも外れた者が攻撃対象として選択される。むしろそうやって内閉化し、独善化した規範意識の発露としてこそ、これらの事件は理解されるべきものである。

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    「馬鹿とLINEは使いよう」のほうが適切なレトリックかもしれない

    神田敏晶(ITジャーナリスト)ベッキーはLINEのCMキャラクターだった 2011年6月、今から5年前のことだ。LINEが登場した時の最初のCMキャラクターは、あのベッキーだった。 「無料通話、無料メール」という触れ込みで、ベッキーがLINEをしながら、泣いたり、笑ったりするというコマーシャルでLINEのマーケティングはスタートした。通常ハイテク業界のマーケティングは、パソコンに詳しいギーク層からブームが伝承され、一般に普及するという潮流にあったにもかかわらず、LINEは、最初からテレビCMというコミュニケーションで、今までのパソコンやインターネットに詳しくない層に一気にリーチされた。日本最大のコミュニケーションインフラ 3カ月後の2011年9月には100万ダウンロードという快挙を成し遂げた。しかし、そのさらに3カ月後には10倍もの1000万ダウンロードという脅威の成長ぶりを見せたのだ。その後、2013年には1億人を超え、2014年には、世界で5.6億人を超えた。LINEは、韓国資本のNHNの日本法人であるが、韓国で流行していた「カカオトーク」のようなものを日本のユーザー向けに日本支社で独自に開発したものだった。そして、何よりもLINEをブレイクさせたのは、「スタンプ」であった。無料でプレゼントされる公式のスタンプはあっという間に日本のスタンプにおけるコミュニケーション文化を築いたのだ。キャラクターによる感情表現、有料で購買できるユニークなスタンプ。顔文字だけのそっけないコミュニケーションから多彩な表現がスタンプで一気に可能となった。文字ベースの感情表現の不足部分をスタンプが見事に補完したのであった。バンド「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音とのスキャンダルについて会見に臨むベッキー=東京・新宿区 一番反応したのは女性であり、若年層であった。世界は、ソーシャルネットワークサービスが席巻していたが、ごく限られたクローズドな仲間だけで構成されるLINEの世界は、24時間オープンの「OL給湯室」となった。また、学校の放課後のおしゃべりも24時間365日可能となった。 2015年末には、月間アクティブユーザー数(MAU)で約2億1500万人となった。 国内利用者数は5200万人以上であり、そのうち毎日利用するユーザーは約3400万人、日本の人口の40%以上をカバーし、日本国内のアクティブユーザー率が63%という、まさにコミュニケーションの一大インフラへと成長している。もう一度言うが、その期間はたったの5年なのだ。iPhoneというスマートフォンの米国デビューも2007年で9年前のことだった。しかし、この9年間で世界中のコミュニケーションは大きく変革した。ありとあらゆるものがスマートフォンの中に統合化されていった。しかし、スマートフォンから新たに生み出されたものも多くなった。LINEは単に「メッセンジャーアプリ」とはいえないコミュニケーションのインフラとなり、もはやテレビやPCよりも、そして紙媒体よりも愛されているメディアといってもいいほどの浸透ぶりだ。 さらに2013年7月に開始したLINEニュースは、月間アクティブユーザー数(MAU)が、2,200万人に及んだ。http://linecorp.com/ja/pr/news/ja/2016/1202 コミュニケーションツールでありながらも、同時にニュースも得られるツールとなった。他にもたくさんのサービスが日々追加されている。それと同時に、トレードオフの関係で「事件」も「犯罪」も発生している。LINEというインフラの正体は何なのか?LINEというインフラの正体は何なのか? イジメの事件の現場は今や学校ではなく、LINEの中で起きているのだ。また、不倫もLINEから暴かれている。LINEのなりすましによるギフトカードの詐欺事件にいたるまで、すべての悪の温床はLINEの中で発生しているかのような報道がなされている。しかし、「インフラ」というものは、いつの日にも、光と影を背負う宿命にある。 たとえば、電話が登場したことによって「脅迫電話」や「誘拐電話」という新たな犯罪がスピーディーに生まれるようになった。刑事ドラマや映画では、犯人の電話の「逆探知」という捜査方法まで公開された。クルマの登場も、馬車の時代とは、はるかに違う死者数を生み出した。しかし、1970年代には年間1.6万人もの交通事故による死亡者も、2015年には4000人規模にまで落ち着いたのだ。これは人類の叡智のあらわれと技術の進化である。我々は便利さの裏側に常に発生する暗部とのトレードオフの関係に常に晒されているが、それを習慣や技術や法律によって変えることもできるのだ。 LINEによって造られたインフラとは何だったのか? LINEはかつて「メディア」と「コミュニケーション」という分断されていた領域を、ズタズタに崩してしまったと言える。かつて、「メディア」はごく選ばれた一部の人のみが発信することを許され、一般人はその情報を受け、限られたクローズドな「コミュニケーション」の場で消費するだけで終わっていた。しかし、LINEのようなパーソナルでクローズドでプライベートだった空間がいつしか勝手に「メディア」化し、個別の「コミュニケーション」と絡まったまま肥大化し増幅し、大事件にまで至るようになってしまった。それを「従来型のメディア」がさらに報道し、加熱させ、さらにまた、コミュニケーションと複雑に絡まり合いながら「メディア化」していくのである。大人たちは、LINEを日常的に使いながらも、子どもたちの世界でのLINEの普及の怖さに怯えるというまさに「ディスラプト(破壊)」されたコミュニケーションの状態とも言える日常となった。 そこにはノイズもデマも、嫉妬もやっかみも、リスペクトもdisリスペクトも、カオスの状態で蠢き合っている。人類の「カルマ=業」が渦巻いているといってもいいだろう。何よりも、指数関数的にコストが低廉化したことにより、誰もが無尽蔵に無秩序に感情をぶちまけあっているのだ。さらにスマートフォンというデバイスが「おしゃべり」から「調べ物」「連絡」「議論」「協調」…などの知的だった行為をすべて包含してしまっているから、まさにコミュニケーションの玉石混交状態なのである。LINEは個別でバラバラで行われていたコミュニケーションを統合化したインフラになってしまったのである。 それと同時に、そのインフラの世界に麻薬的に依存してしまう傾向の人たちが多くなった。一部のコミュニティーでは、本来の生活よりもLINEのクローズドな生活の方がリアル世界よりも現実的だったりもする。しかし、それを選択し依存しているのはあくまでも自分自身である。また、親や友達、ご近所、学校を越えたコミュニティが、若年層の世界に突如として出現したのだから、誰も対応方法の経験値を持ち合わせていない。親も先生たちも困惑するばかりだ。本当は自分自身の立ち位置を明確にし、情報に溺れないためには、LINEに依存しなくても生きていける自分自身が必要なのだ。…といってもまだまだ進化する黎明期のメディアであり、最適解が存在しない。本当のLINEの進化を未来から見返してみると、きっと黎明期の頃のドタバタに映ることだろう。 「LINEはバカと暇人のもの」という本テーマを紐解くと、その責任はインフラ側にあるのではなく、利用する側のリテラシーに完全にあると思う。 それと同時に「長電話はバカと暇人のもの」や「テレビの長時間視聴はバカと暇人のもの」と言われなくなったのは、それらが完全に当たり前となり、認識され、理解されてしまったからだ。「インターネットはバカと暇人のもの」とも言われなくなっても久しい。それは、「使い方次第」だったことを皆が理解しているからだ。 あえていうならば、「馬鹿と鋏は使いよう」を習い、「馬鹿とLINEは使いよう」のほうが適切なレトリックなのかもしれない。どんな使えなかったハサミでも賢く工夫さえすれば、うまく使えるようになるものだ。ネガティブに否定するのは簡単だが、ポジティブに前向きに良い面を活用することによって、この「LINE」というインフラをうまく乗りこなしてほしいと願う。

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    ベッキーの不倫問題で騒ぐのは「平和」だったと感じる日が来る

    やまもといちろう(ブロガ―・投資家) 2016年冒頭の大スキャンダルとなったベッキー不倫事件に、ある種の花を添えたのが、不倫同士で交わされたLINEでの生々しい「愛のやり取り」でした。「ありがとう文春」や「センテンススプリング!」といった際どくもキャッチーなワードが多数盛り込まれ、いったんは謝罪・釈明会見を行って話が終わりかけた直後に致命的なダメージを与えたLINE流出は、技術的な問題だけでなく、プライベートなLINEの使われ方がいかにセンシティブな内容を多く含むかを改めて浮き彫りにしました。 一方、「池袋メンツ」暴行映像投稿は、少女暴行の一部始終を撮影、LINEで複数のユーザーが見られるグループという機能を使いみなで閲覧していたとされ、便利であるが故に多くの事案で何らの心理的な抵抗もなく悪用されるという事態が多発しています。バンド「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音とのスキャンダルについての会見で 謝罪するベッキー =1月6日、東京都新宿区(撮影・山田俊介) 以前からSNSなどでもTwitterやFacebookに仲間内の悪ふざけ画像を投稿した結果、全世界に不謹慎画像が流通してしまい炎上すると言う、俗にいう「バカッター現象」がありました。LINEは確かに利用者の裾野が広く、普通の家庭間の連絡ごとから学生同士の馬鹿話まで、あらゆるジャンルの通信が行われていることになります。むしろ、LINEはTwitterなどと違って友達限定、グループだけ、といった範囲づけが容易であるぶん、情報の秘匿性が高くTwitterに比べてよりプライベートなやりとりが中心でした。 もちろん、一般的な議論として、LINEやSNSがこれだけ普及している以上、便利なツールが手軽な気持ちで悪用されるのは当然ともいえます。自宅にいる高齢者を狙い撃ちする振り込め詐欺がNTTの固定電話をターゲットに悪用されることはあっても、そのような詐欺犯罪に電話が使われているかどでNTTが責任追及される、というような事態に発展しないのと同様に、LINEが赤裸々な不倫トークや犯罪動画投稿に悪用されるのはLINEの責任とは到底いえません。 今回、チャット内容が流出してしまった手口が問題視されたわけですが、そのLINEも、この問題を受けて技術的な問題を抜本的に解決するという取り組み内容を公表しており、まずは解決に当たってその進展を待つしか方法はありません。第三者によるLINEアカウントへのアクセス可能性に関する当社の見解についてhttp://linecorp.com/ja/security/article/52LINEを媒介とした犯罪はなぜ防げないのか しかしながら、このような問題が明るみに出るたびに、LINEを媒介とした犯罪はなぜ防げないのかという話題になります。これは、例えば2011年以降大きな動乱となった「アラブの春」において、大規模デモや集会を民衆が企画することを防ぐために、その連絡の場となったFacebookなどのSNSを政府が遮断しようとした事件。あるいは、LINEも含めた外製SNSは全般的に中国では全面的に使用禁止になり、すべての通信は何らかの形で中国当局に検閲される問題。どこの社会、どこの国でも、SNSを始めとした情報通信技術の進歩で日常が便利になる一方で、犯罪やテロなどに対する監視の脆弱さは問題になり続けます。 我が国でも、携帯電話や車載型カーナビゲーションなどで広く使われているGPS情報を利用者本人に知らせることなく犯罪捜査などに活用していきたいという動きがあるのは事実です。もちろん、これらがプライバシーや、場合によっては信書・通信の秘密に該当するかはデリケートな議論が続いているのが現状です。携帯GPS情報、本人通知せず捜査に活用 指針見直しへhttp://www.asahi.com/articles/ASH4J4DG5H4JULFA00Z.html こうなると、一連のベッキー不倫事件のLINE流出騒動は、その手口がクローンスマホによる同期だったかどうかという技術論よりも、そもそも大量通信時代のコミュニケーションと社会全体の安全管理はどうあるべきかという方面に物事の本質が隠れているような感じがします。つまり、下は男女間の愛の囁きや情事から、少女たちのいじめ暴行動画の共有があり、上は国家全体の安全保障から犯罪情報を如何に適法・適切に収集して社会の安全を確保するかというところまで、すべての分野で通信技術が縦串として絡むという世界です。 そして、LINEに限らず通信キャリアとプラットフォーム事業者、スマホ上で運用されるアプリという繋がりは、引き続き同じような問題を起こしていくでしょう。というのも、今後はLINEアカウントで荷物が送れたり、スマホのGPSツールでタクシーを配車させるといったIoT(モノのインターネット)と言われるさらなる情報技術の進歩のど真ん中に位置するからです。そこには、人工知能によるなりすましからスマホの乗っ取りによる個人情報の大量漏洩といった新しいタイプの犯罪も多数出てくることが予想され、後から振り返れば「ベッキーの不倫問題で騒いでいたころはむしろ平和だった」と感じる日が来てしまうのかもしれません。 突き詰めれば、利用者がどこまで自分のデータや通信内容をインターネットに預けるのか、という問題に本腰で向き合うべき時期が来ているのだとも言えます。自分の何の情報がネットに出ていて、どういうリスクがあるのかそろそろ考えるべきなのでしょうが、スマホの設定が分からないので友人に預けてセットアップしてもらうというのが日常的な昨今、業界全体でもう少しやり方を考えないといけないのではないかと思います。

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    言えば言うほど老人の匂いがする 「ライン=若者」という気持ち悪さ

    古谷経衡(著述家)とりあえずラインって言っとけ、の風潮に吐き気 作家の瀬戸内寂聴氏が、2015年11月号の『小説すばる』にて、「さよならの秋」と題した掌編小説を掲載し話題になったことは記憶に新しい。この掌編にはのっけから「LINE(以下ライン)」が登場する。主人公の「千晶」なる女性が、独白形式の視点で吐露するのだが、要するに「瑛太」なる恋人にラインでメッセージを3回送っても既読にならないから、それは無視である云々という「一方的最後通牒」ではじまる。が、自分の方は方とて学生団体「SEALDs」に参加してそのグループの「同志男性」を好いてしまったので、「瑛太」は自分にとって最早無意味であり過去人である。そして兎に角「戦争法案」はよろしくない、という内容の小品であった。 私は瀬戸内寂聴氏を好きでも嫌いでもないが、この掌編を「若者の感性」などという文脈の中で肯定的に紹介している紹介文を観て吐瀉しそうになった。「ラインでメッセージを3回送っていつまでたっても既読にならない事象」というのは、それは「無視」ではなく「ブロック」ではないか、という疑問はさておき、なんかとりあえずラインを出しとけば若者風だよね、という著者の安直な作劇に無批判に迎合しているのが何とも精神的に怠惰だと思う。「ラインを出しておけばとりあえず若者風だよね」という感性は「『カノッサの屈辱』を見ていればとりあえず当世チャラ目のインテリっぽいよね」というバブル時代のノリに似ていてとても「老人臭い」。繰り返すように私は瀬戸内氏を批判しているのではなく、それを批判しない人間を批判しているのだ。ライン、ラインといえば言うほど老人のにおいがする。 ちなみに当世青年リア充はラインと併用して”インスタグラム”なるものを使って「今日食ったディナー」とか「◯◯ちゃん家でのホームパーティー」だのの写真をこれみよがしにアップロードしているそうだが、こちらについては私がやったことがないので論評しようがない。「既読スルー問題」とライン「既読スルー問題」とライン しかし確かに、ラインは普及している。例えば私は、自分のスマートフォンに「ラインアプリ」をダウンロードしてからというもの、所謂「ケータイのメールアドレス」というものは虚無化した。 いま、私の名刺にはラインIDと「ケータイのメールアドレス」の両方が印字されているが、私のケータイにEメールしてくる人物は、私自身が友無き無縁の人間であるという事実を差し引いても、まったくゼロである。次に名刺を増刷する際は、「ケータイのメールアドレス」の項目は削除しようと思う。どうあってもこのまま使わないからだ。 昔はよく「メアド教えて(この場合のメールアドレスはケータイのメールアドレスを指す)」などといったものだが、今どきこんなことをいう人物はどこにも居ない。「ライン教えて」ときて、スマホ端末をプルプル上下に震わせるかバーコードを読めばすぐに「新しい友だちが追加されました」的なる通知がきて完了である。これが故に、「既読スルー」というのが、ライン時代になってからプチ問題化している。 メールを「はがき」とすると、ラインのメッセージは「簡易書留」である。つまり、相手が確実に開封(既読)したかどうかが送信者側から即座に分かるシステムになっている。これが故に、「ラインでメッセージが届き、それを読んでいるはずなのに返答がない」ことを「既読スルー」などというのだそうだが、意味がわからない。 私は、なぜそんなにライン上で返信がほしいのか、良くわからない。そんなに返信がほしいなら、文面の末尾に「返信ヲ要ス」「至急返信サレタシ」「ハハキトクスグカエレ」などとでも書けばいいと思うのだが、それをせず、何となく相手から返答が来るものだと期待していると一向に来ないので、それを「黙殺」と同義であると捉えて心象を悪くする人も多いという。反復と老人 そういえば、1990年代後半、私の高校の修学旅行の事を思い出した。宿泊先の旅館の部屋で、同級のM君が、当時最先端であった移動体通信からのネット接続「iモード」を契約したドコモの「ケータイ」端末を持って、右に行ったり左にいたりしながら顫動(せんどう)してたのである。 何をしていたのかといえば、所謂、当時流行った「メル友」からの応答を待っているのである。当時の移動体通信からのネット接続には、現在のような早さはない。受送信に数秒かかるしその精度はなんとなく信用出来ないし、電波エリアも現在のように津々浦々ではない。政令指定都市の同じホテルの建物内でも、ほんの数メートルの差で電波が強、電波が微弱の差異が存在した。  Mは常に部屋の中を歩きまわり、電波の良い場所を探して「メル友」からの応答を待っているのである。ハレの修学旅行の日にまで、「メル友」からの返信に四六時中拘泥しなければならないこいつはある種の中毒だ、と思った。私はMを馬鹿にしているのではない。90年代のEメールに「既読」の機能がないだけで、現在のライン使用者の少なくない部分は、Mの心象と大差ない。兎に角、相手から返答が欲しくて欲しくてたまらないのである。  当時Mは多分童貞だったと思うが、別段オタクというわけでもないし、容姿も成績も中の上くらいだった。スクールカースト的には下よりも上から数えたほうが早いはずだが、そんな人間でも相手からの返答が欲しくてたまらず、動物園のオリの中に住む熱帯性の子グマのようにずっと狭い空間を反復しているのである。  反復はある種の老化である。誤解されないように言っておくが、私は老化が悪いことだと言っているのではない。反復行為は老化の前衛だ、といっているのだ。とすれば、四六時中メル友からの返答を待っていたMも、「既読スルー」に24時間拘泥するある種のラインユーザーも、そして紙やネットの中でライン、ラインと繰り返す人間も、全部老人ということになる。そしてこういう老人とはあまり付き合いたいとは思わない。なぜなら、同じことの繰り返しは飽きるからだ。退屈ほどつまらないことはない。 加齢で体が老いるのは仕方がないが、精神だけは老人になりたくないものだ。

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    意識高い系ボスママ LINE案内に返事忘れたママはいじめ対象

     LINE上でママ友から陰湿ないじめを受け、同じ小学校の2人の母親が自ら命を絶つという栃木県佐野市で起きた衝撃的な“事件”から2か月が経った。 「ママ友問題」には多くの芸能人が関心を寄せる。1年前、ママ友たちとのトラブルをブログで告白し騒動となった江角マキコ(48才)もその1人だ。 「江角さんは栃木のニュースが報じられて以来、ずっと気にしているようです。彼女は“ママ友いじめの最大の被害者は子供”だと言っています。“ママ友同士のLINEは子供に無関係ではいられない。スマホを見た母親の表情が曇ると子供はすぐに気づくし、子供に大きな影響を与えることに親は気づくべき”と話していました」(江角を知る芸能関係者)無料通信アプリ「LINE(ライン)」のアイコン 『女性セブン』には「私もママ友との関係に悩んでいる」という電話が多数届き続けている。とくにLINEやSNSは「学校行事やPTA、塾などの情報交換には便利だが、相手との距離が近くなりすぎて、軋轢が生じやすい」(教育評論家の松本肇氏)傾向があり、大きなトラブルのもととなる。 LINEのママ友6人グループのメンバーである30代主婦が言う。「本当の仲良しは5人で、残り1人は嫌われています。その5人で別の“裏LINEグループ”を作って、建前と本音を使い分けてるんです。表LINEで『今日は素敵なお洋服ね』と褒めても、裏LINEでは『胸開きすぎ。そんなに男の目を引きたいのか』と毒を吐く。いつか自分も裏LINEからはじかれるのではないかと怖くて、つい調子を合わせているうちに、どんどん内容もエスカレートして…もう抜けられないんです」 実際にいじめ被害を受けたというママは深刻だ。 「一度、自分の子供と一緒に遊んでいるお子さんの顔をボカさないで、ジオタグ(位置情報)込みでSNSにアップしてしまったんです。それ以来、ママ友グループのLINEで私が発言するたびに活発なやりとりがピタッと止まり、発言スルーが繰り返されるようになりました。普段直接会うと挨拶はしてくれますが、いくらメッセージを送ってもLINEでは完全無視。どうすればいいのかわかりません」(40代パートママ) 20代後半の事務員ママは「意識高い系」の“ボスママ”に睨まれた。 「30代前半のママが保育園の同じクラスの母親に声をかけ全員がLINEメンバーに。このママは 母親対象の食育や子育ての勉強会を主催し、何度も案内が送られてきました」 案内状に返事を出し忘れたことがきっかけで子供もいじめの対象になった。 「知らないうちに別のママ友LINEグループが結成されて、私は見事に外されていました。そのグループでは“あの母親の教育では子供もレベルが低い。子供同士もつきあわせないほうがいい”といわれているそうです。私はまだしも、子供まで…」(事務員ママ)関連記事■ ママ友LINE事情 大企業夫持つ美人ママには即レスの傾向あり■ Facebookで数百人のコメント全部に返事をしてゲッソリの人妻■ 階層上位ママ 転居してきた家族の年収を子供にスパイさせる■ ママカースト 外車に乗っていたり夫の収入が良いと上層に■ 子役・はるかぜちゃんが明かした「LINEいじめ」の実態とは?

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    病院から会社に欠勤の連絡 いまだに電話をかけるべきなのか

     仕事においてメールを連絡手段ではないと考える人は少ないだろうが、かつては欠勤の連絡をメールでするなんて非常識だという風潮が強かった。出勤直後の忙しない時間に電話はかえって迷惑との考え方もあり、最近は電話よりメールを推奨する職場もあるが、LINEやFacebookのメッセンジャーなどSNSについては否定的な意見が少なくない。新入社員を迎える季節には必ず議論になり、ちゃんと連絡したのになぜ非難されるのかという声も少なくない。 社会人1年目の恵美さんは、今年はじめて風邪をひいたとき病院からLINEで会社の先輩に欠勤の連絡をした。病院では自分の携帯から電話をすることがはばかられたからだ。「病院で電話をかけるのはできないなと思ってLINEしたんですけど、『LINEだけじゃダメ。電話入れて』と返事がきました。ふだんは仕事のやりとりも短い連絡ならLINE使っているんですけど、欠勤の連絡だけなんで電話なんですかね。公衆電話から電話しましたけど。学生のときのアルバイトでは、欠勤やシフト変更の連絡はいつもLINEでした。メールより早いし既読マークつくから便利だと思うんだけどなあ」 この認識のずれは、ふだんよく使うコミュニケーション系メディアの差異が大きく影響している。今年5月に公表された『情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査』(総務省)によれば、平日のSNS利用とメール利用を年代別にみると、10代、20代ではSNS利用の行為者率が50%を超えメール利用を上回っているのに対し、30代~50代ではメール利用の行為者率が50%を超えSNS利用の行為者率が大きく下回っているからだ。 いまのところ、SNS利用が日常的か否かについて、若者と30代以上とで連絡手段として大きな感覚のずれが生じているようだ。職場は様々な年代の、いろいろな背景の人が集まるところ。明文化されたルールがあるのでなければ、前述の恵美さんのように、自分で常識だと思っていたことが通用しないこともある。 実際に仕事で周囲とコミュニケーションをとるとき、主にどの手段を使っているか複数回答可で調査したところ、メールが98.33%でトップ、次が電話の92.67%、LINEはわずか10.9%にとどまっていた。また、仕事で外部の人から初めて連絡をもらうとき失礼だと思う手段としてはLINE(50.87%)、Twitter(41.73%)、Facebook(35.00%)が上位3つを占めた(一般社団法人ビジネスメール協会調べ)。 SNS普及率が高まりつつあるとはいえ、まだ仕事での主要な連絡手段とはいえない状態だ。ならば適切な使い方を早めに学んでほしいところだ。情報処理を教える神奈川大学非常勤講師の尾子洋一郎さんは講義でメールの使い方を説明するとき、電話との違いに必ず触れている。「24時間関係なく自分のタイミングで情報を送り受け取れることは、メールと電話とのもっとも大きな違いですね。証拠が残るという点で連絡手段としてメールを推奨していますが、それには本文と件名を必ず入れるなど、最低限の形が整ったメールである必要があります。それでも相手に必ず届いて読まれる保証はなく、返信がないメールは届いていない可能性があると考えるように言っています。 緊急時のどんな内容の連絡も、どうするのか確認しておいた方がお互い嫌な気持ちにならずに済むでしょう。大事な連絡は必ず電話でという職場もあれば、会社の連絡事項はメッセンジャーを使って組んだグループに流すと決めているところもある。メールやSNSを使いこなしている人も、あまり使っていない人も、自分の使っている連絡手段が相手も使っているのが常識だと思いこまずに相手に確実に伝わる方法を決めておくのがいいでしょうね」 事業所のインターネット普及率が99%に達したのは2007年末、個人で毎日使う人は全体でようやく74%。SNSの普及率も全体で65%に達したところだ。コミュニケーションの“常識”はいまだに端境期にある。関連記事■ 「LINE」ライバルの「カカオトーク」5人まで同時通話可能■ 埼玉県教委 県立高校全教師に生徒とのLINE等の私的連絡禁止■ 格安通話アプリ「LINE電話」と「楽天でんわ」 特徴と注意点■ すき家やKFCなどのお得クーポンにLINEユーザー「魅力です」■ 公衆電話が繋がったのは通信規制かけられないもの多いから

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    エフセキュア問題は我が国の課題の縮図だ

    森口朗(教育評論家、東京都職員) エフセキュアの社員だったK氏が、エフセキュアの顧客であるフェイスブックの個人情報をリスト化し、拡散したとして大問題になっています。ここには、我が国の喫緊の課題が凝縮されており、全ての日本人にとって他人事とは思えないので、今の段階で論点を整理しておきたいと思います。その前に事件概要を(事件概要)エフセキュアの社員であるK氏は、同時に「しばき隊」やその後継団体に所属する左派活動家だった。一方、はすみとしこ氏という漫画家が今年になって一部でブレイクしたが、そのマンガが難民や在日コリアンに批判的だったために別の一部の人達から「レイシスト」というレッテルを貼られていた。K氏はフェイスブックで、はすみとしこ氏に「いいね」を押した人達の、学歴や勤務先といった個人情報をリスト化し、インターネット上で拡散し、活動家仲間と共にリスト化された人達への個人攻撃(勤め先への情報提供や個人宅訪問)を推奨した。ところが、K氏自身も様々なところで自分の情報を書いていたために、エフセキュアの社員であることが突き止められた。ネット市民がエフセキュア本社の社長に事件の概要を伝えたところ社長は対処することを明言し、エフセキュアはK氏を自主退社(おそらく)させることで事件の収束を図ろうとした。その後のネット市民の調査によりエフセキュア日本法人の社長が、韓国系ITセキュリィ企業の社長であったことが判明した。 この問題で明らかになった我が国の課題を大きいと思える順に列挙していきたいと思います。1 暴力的で独善的な人が「平和」や「人権」を大声で叫ぶために、真っ当な人達がこの言葉に嫌悪感を感じてしまう 話が大きすぎると感じるでしょうが、私はこれが最も深刻な課題だと思っています。世界がIS(イスラムステイト)や共産主義国の拡大を許さないのは、まさに「平和」と「人権」を重んじるからですが、日本では刺青を見せ付けて他人を脅すような人間が「平和」や「人権」を叫び、朝日新聞や地上波TVがそれを当然のように報道するために、ここに共感できない人が、この概念自体に懐疑的になっています。2 左派(共産党や社民党などの主張に共産する人達)のレッテル貼りはメジャーメディアで報道されるが、右派がレッテル貼りは無視される はすみとしこ氏に限らず在日コリアンに批判的な人達に「レイシスト」のレッテルを貼ったのは左派も市民団体でした。私は特定の人達に対するステレオタイプの非難=レイシズムには一切与しません。しかし、今レイシストの烙印を押される人達が活動する前から今に至るまで、韓国本国はもちろん在日コリアンによる日本人全体への民族差別発言が繰り返されています。また、左派により自衛官や警察官に対する職業差別発言も堂々と行われています。こういった発言こそレイシズムだと思いますが、それを「レイシズム」として報道するマスメディアはほとんどありません。 また、安保関連法案制定時には安倍総理を「叩き切る」と表現した著名人や「安倍しね」というプラカードを掲げた人達に右派が「テロリスト」というレッテルを貼りましたが、それもまったく報道されていません。3 左派が違法不当な手法で敵を攻撃するときは黙認され、右派が同様の手法を取る時には厳しく糾弾される 右派が今回のK氏と同様の手法。例えば「安倍しね」プラカードにフェイスブックで「いいね」を押した人の「氏名」「学歴」「勤務先」などの個人情報をリスト化し、勤務先への通報を推奨したら、新聞やテレビは大騒ぎをするでしょう。しかし、K氏の行動は今のところMXTVを除き、まったく報道されていません。報道機関の「報道しない自由」が幅を利かせすぎている4 報道機関の「報道しない自由」が幅を利かせすぎている 多くの報道機関は民間企業ですから企業活動の自由として、何を報道するかについては自主決定できます。しかし、メジャーメディアの談合体質が酷すぎるために、全社が報道しないという暗黙の空気に包まれると、まるでその事件がなかったかのようになります。今回のエフセキュア問題がまさにそれです。 これは先進国のメディアの在り方として明らかに異常です。5 公共団体のソフト部門に「赤い利権」が食い込んでいる 利権と聞くと大多数の人は、保守政治家と役人及びゼネコンといった構図を思い浮かべるでしょう。そういう一面はありますが、ソフト部門、例えば「人権」「男女平等」といった部門では、明らかに思想的に左派の人達が、独占的に官公庁から受注しています。 エフセキュアはIT企業ですから本来、思想信条とは無縁のはずですが、今回の行動から見る限り、特定の思想に支配されている危険性を払拭できません。6 機密情報に対する国家意識が希薄 国家としてはともかく、国民感情として「韓国人」は日本を仮想敵国とみなしています。その韓国人や韓国系企業に我が国の機密情報や日本人の個人情報を見せ、触らせることは非常に危険です。ところが、韓国系企業との癒着が懸念されるエフセキュアが、防衛省関連やマイナンバー関連の仕事をしていることが判明しました。 また、マイナンバーが公布されれば多くの自治体で働いている在日コリアンも個人のマイナンバーに触れることが可能になります。 以上、これ以外にも様々な課題を提示してくれたエフセキュア問題。今後も注視していきたいと思います。 最後に、これに危機感を覚えた方は、是非、ご自身が住む自治体がITセキュリティをエフセキュア社に委託していないかチェックしてください。公文書の公開を求めれば、どんな人にもチェックが可能です。そして、万一エフセキュア社が受託していれば、それを議会で質問するよう保守系議員に働きかけてください。 私たち個人ができることは沢山あるのです。(『森口朗公式ブログ』より2015年11月10日分を転載)

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    身内びいきの新潟日報よ、中傷ツイート記者の処分が甘すぎる

    小坪慎也 (福岡県行橋市議会議員) まず冒頭において述べさせて頂くが、本件、新潟日報社の社としての責任を問う立場だ。同様に、先般の「ぱよぱよちーん事件」についてもエフセキュア社の社としての責任を問うてきた。しかしながらこれは、しばき隊として問うものではない。この点も併せて明確にしておきたい。前半においては、少し変わった論調であるが、後段においては社会的・道義的な責任を理詰めで説いている。後段まで是非、お読みください。ただ、それを述べるにあたって、私には言わねばならぬことがある。新潟日報の新本社ビル「メディアシップ」=新潟市 その大きな理由は、私が政治家であるという点に集約される。かつてのように保守活動家として言論活動を行うのであれば、私はしばき隊を軸として責めただろう。実際、横串をさして論じたほうが楽だ。話もわかりやすい。エフセキュアの件にせよ、web上でも激しいものだと分類されるだろうし、実効性の面においても高い効果を発揮したと思う。とは言え、実は、現在まで私が論じた話は、しばき隊ゆえ、という攻め方はしていない。 問うべきは、社としての責任であり、その中身は「社会的・道義的な責任」である。横串となる言葉は、コンプライアンス、CSR、ガバナンスである。この点は、政治家として徹底的に追及し続けたい。それは「しばき隊」として責めることとは、大きく異なる立場だ。敗走中の彼らを、私は政治家としては責めない。社としてのみを、その責任を問い続ける。保守活動家の目線 政治家として問うべきは「社としての責任」であり、社会的・道義的な責任であることは事実だ。しかし、保守活動家として述べさせて頂くなら、しばき隊として「撃たない理由」は異なる。本心を一言で表せば「なんてことをしてくれる!」という怒りだ、しばき隊側への怒りだ。ひどい言い方になるが、勝手に沈んでる場合じゃないぞ、と。私は、彼らとの公開討論を約束していた。恥ずかしながら、健康上の理由で当時からかなり体調が悪く、結果的には入院・手術となり、これは叶わなかった。 ネット上の左派系、対峙する陣営の指揮官クラスであると私は認めてきた。さあ、今から撃ちあおう、そういうタイミングである。双方が宣戦を布告し、戦端が開かれようとしていた。イメージなるが、海戦を行うべく、駆逐艦「小坪しんや」は、決闘の海域に進出していた。敵艦隊の名は、しばき隊。だが、待てど暮せど、敵艦が来ない。途中で機雷に接触し、勝手に沈んだという。私からすれば「おい待て!!」と文句も言いたくなる。 私は、今回、しばき隊を責めない。しばきたくないからだ。リスクを背負いつつ、現場を張ってきた自負がある。経験則になるが、気分の乗らぬ案件は手を出すべきではない。これは獣のカンに近いものだし、私の美学でもある。憲法は変えるべきだと思うが、憲法を破ろうとも思っていない。よって、憲法九条をも私は順守したい。赤旗の問題を取り上げた際も、徳永克子(共産党・行橋市議)から一年以上に渡り、延々と責められたという原因がある。九条をも遵守する以上、私は撃たれてから「ちょっと考えて」撃ち返す。私は、個人としてはしばき隊に撃たれていない。撃たれていない以上、私は撃つことは許されない。 ここで相手が落ち目の時に、時流に乗って叩くことは、私の美学に反する。しかも私が撃たれていないのに、だ。大破炎上中、機関も出力が上がらない敵艦がいたとしよう、私は、やはり撃てない。ドックに入渠して頂き、しっかりと修して頂きたい。完全な状態に戻って頂き、本調子を取り戻した上で、全力の彼らと撃ちあいたいのだ。その際、当然、撃沈されるのは私なのかも知れない。それでもいい。退却中の敵艦を後ろから撃つのは、私は嫌だ。 明らかに敵陣なのだが、エールを送りたい。赤壁の戦いでも曹操は敗走したが、なんとか落ち延びた。私は、是非、落ち延びて頂きたいと思う。そして、しっかりと名を明かした上で、平場で撃ちあおう。正々堂々と、だ。私は今までそうしてきた。議員になる以前より名を明かし、住所を明示し、ロビー活動に従事してきた。今度は、こちらと同じルール、土俵でやりあいたい。 とは言え、落ち延びることも楽ではないだろう。私は撃たぬと言ったし、実害を受けていない者は撃つべきではないと主張もするが、彼らは敵も多すぎる。例えば公開されたリストに記載されていた方々。彼らは正当に撃つべき権利を有する。私はこれを止める気はない。また、リスト記載者を「守る」という部分においては、本件に介入してきた。今回も同様に、政治家として「社としての責任を問う」立場だ。事実、そうしている。 保守の追っ手を彼らは果たして振り切れるのか。赤壁の曹操と同じぐらいに、状況は厳しいだろう。だが、是非、逃げて頂きたい。関羽気取りかと(双方の陣営から)怒られそうだ。乗っているのは赤兎馬ではなく車高の低いスカイラインだが。落ち延び、体制を整え、復活して頂きたい。名を明かした、対峙する陣営のロビイストとして、誇りある指揮官として。その際には、こちらも全力で行かせていただく。私が、自らの手で沈めたいと思っていたのだ、勝手に沈むんじゃない。なんとか生き残れ、そして同じ土俵で撃ちあおう。決闘の舞台で、私は待っている。 修羅の国と福岡は揶揄される。この名が適切かは評価する立場にないが、また自ら名乗ることもどうかとは思うが、仕方ない部分もあるのかな、とは思う。私は、修羅の国から来た普通の修羅だ。新聞でも大きく報じられたため、自らの自治体の恥をさらすが、一年ほど前に行われた行橋市長選においては、対立陣営の御兄弟より実弾320発、武器庫認定を受けて大問題になった。また先の九月議会、ほんの数か月前だが、工藤会にお金を渡すためという理由で、ゼネコンより数千万の工事をゆすった事件があり、しかも市発注の事業であったため委員会での審査となった。私は、所管委員会(総務委員会)の所属であるため、当該業者の指名停止を委員として求めた。 かつては走り屋であり、ネットで言うところの「いわゆるDQN」であったことを私は公開している。九州ということで、半島系の方も多い。日常的にもめてきており、そして議員になった今も決して安全な職場ではない。こんなことを言うと、保守からもしばき隊からも怒られそうだが、しばき隊よりも遥かに激しい連中が常に目の前におり、それが私の世界観なのだ。よくないことだとは思うが、なぜか彼らの写真を見て、どことなくシンパシーすら感じてしまった。普通においしく酒でも飲めそうだ、と。私は、もっと面倒な難処理案件だらけだ。  そんなわけで、彼らが「ある程度、激しい」からと言って、だからどうしたんだと常々思っていた。私は、行橋市議としても死ぬ危険性はあると思っている、サヨクの過激派の手以外で、だ。この町で、市民の側に徹底的に立つことは、容易な覚悟ではできない。福岡では発砲事件もよくニュースになる、あれももう慣れた。少なくともしばき隊は、銃火器は使わない。だったら「話せばわかる」層だろうと、そんな風に思っていた。対峙する陣営ではあるものの、その指揮官クラスとして遇し、直接やりあいたいと、そう思っていたのだ、修羅の国から来た普通の修羅としては。これがヘイトでなくて何がヘイトか 最後になる。社としての責任だ。これは「社会的・道義的な責任」である。この点は強く追及させて頂く。一気に論調が変わるが、この点は追及する必要がある。新潟日報社の件だが、上越支社の報道部長だ。これは許されて良いものではない。 安倍首相が学校を訪問している際の写真だろうか、それをTweetする際、「美少女に迫る異常者」である。これは首相の対するヘイトだ。また稲田議員に対しては「英霊の慰安婦こと、稲田朋美!」(原文ママ)と呼び、片山議員には「片山は自分からすすんでネトウヨの慰安婦になった!」(原文ママ)と侮辱。また「高市早苗 所属政党 ナチス」(原文ママ)とtweet。高市早苗「総務大臣」の所属政党は、自由民主党です。 もちろん、これが一般人の発言であっても許されるべきではない。左派はヘイトヘイトと口癖のように言うが、これがヘイトでなくて何がヘイトなのだろうか。彼らはよく自己批判とか総括とか言うが、是非、自己批判して総括して頂きたい。 問題なのは、新潟日報社の上越支社報道部長という役にあったことであろう。これは社としての報道方針を決め得る立場と、対外的にも理解されるポジションだ。これらは新潟日報社の公式見解なのだろうか。特に現職の総務大臣に対し「所属政党ナチス」は、報道に携わる者として如何なものかと思う。 特に許せないのは、民間人に対してのTweet。以下は、子を持つ母親に向けられた発言だ。『想像しろ。お前が本能に任せて性行為した、クズみたいな男と娼婦のお前の間に生まれた薄汚いガキ!明らかに人種差別主義者の子どもであり、生きてる価値はない!最大限の尊厳を与えてやる。それは、豚のエサになることだ!』 『(前略)このブス!お前の赤ん坊は豚のえさにするんだから…。で、お前とダンナが、その豚を喜んで食べるのな。そりや美味しいよ。お前の子ども食った豚だもん!お前とダンナ?うなぎの餌。あんたの頬から胸に抜ける。目玉から肛門に抜ける(笑)』 『豚って、なんでも食うらしいよ。野菜でも、人間でも(笑)。赤ん坊は柔らかいだろうね。』 以上発言は、いずれも原文ママ、である。私も子を持つ親であるが、「新潟日報社」は、上越支社報道部長の言動に対し、どのように対応をとられるおつもりか。これを民間人に対して吐いたことは、社会的・道義的責任が追及されるべきであると、政治家として述べさせて頂く。責任は、人事処分をもって公開されるのが筋だろう。詳細:新潟日報社(上越支社報道部長)坂本秀樹氏は、パブリックに批判されるべきだ。(小坪しんやのBlog)左派の責任、メディアの責任左派の責任、メディアの責任 左派こそ、これを徹底的に糾弾すべきだ。それができぬなら、無暗に憲法がどうだ等と述べるのはやめたほうがいい。話が軽くなり、意見自体が意見として認識されなくなるからだ。これは、一般人・民間人への威圧を持っての言論弾圧としか言えず、これを自らの陣営に対しては責めることができぬとなると、何が護憲かと指摘されるからだ。憲法を護るのは結構なことだし、私自身も遵守しようと思っているが(同じく改正したいと思っているが)護憲を掲げるならば、他者の憲法で保障された自由・権利に対しても配慮すべきだ。でなければ、その旗は降ろせ。憲法がかわいそうだ。 メディアに対しても思うことがある。テレビでも報道されたという。ただし、これらの、私が紹介したTweetは報じられていない。酔って弁護士に絡んだ程度の報道であり、その実態を報じているとは言い難い。身内びいきもここまでくると、ちょっとあり得ないと思う。 私には、これを述べる「権利」がある。かつて、SEALDsの皆様へと題してシリーズを報じたところ、メディアはスクラムを組んで私を叩いてくれたな? 随分と扱いが違うじゃないか。「同じ扱い」を求めているのみだ。私には、これを言う権利がある。 三菱樹脂事件の最高裁判例を踏まえ、学生が政治活動に参加する際に気を付けるべき点をまとめたものであった。徹底的に学生側に立った書き方を心がけ、かつ判例(三権分立のため政治分野が介入できない)があることを伝え、「過激派など、反社会的勢力」との混同を避けるように訴えたものだ。安保法制の是非には触れておらず、意見の誘導も行わぬよう配慮した。 まとめサイトを始め好意的に取り上げられ、炎上はしなかった。しかしながら、結果として、取材「攻」勢が多発。東京新聞、毎日、朝日もあったかな。西日本からも取材を受けた。弁護士ドットコム(これは日弁連だろうか)、J-castなどは取材すらせず全くの誤報を足れながす。yahooのヘッドラインに掲載され大きく名誉を傷つけられた。 報道状況を見るに「私とは随分と違う」のだ。私の場合は、言ってもいないことまで書かれ(しかも意図を真逆にとられて、だ)誰も謝罪すらしなかった。新潟日報社については、言ったことすら報じていない。詳細:SEALDsは共産党や中核派と混同されても仕方ない(iRONNA) 現在の報道状況は、身内びいきが過ぎると感じる。酔って言ってしまった程度の報道では足りぬ。先ほどの、実際のTweet内容を見て、世論がこれを許すと思うのか。メディアこそは常に政治に問い続けてきたではないか。だからこそ、ネット保守論壇からも言わせて頂こう。この程度の処分、異動程度で「世論が納得するのだろうか」と。 そして冒頭の繰り返しになるが、しばき隊は落ち延びて頂き、実名での活動に出てきて頂きたい。体制を整えた上で、正面から撃ち合おう。勝手に沈むんじゃない。

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    ツイッターで自滅する人間をどうすればよいのか

    古谷経衡(著述家)益なき不毛な戦場=ツイッター ツイッターは補給のない戦場に似ている。つまり、あらかじめ持てる弾薬と食料の量はそれ以上増えず、ひたすら手持ちのコマを消耗していく戦いに似ている。 私が何を言いたいかというと、ツイッターでは損をすることはあれ、得をすることはめったにない、ということだ。ツイッターは加点法ではなくひたすら減点法の評価空間だ。 ツイッターが勃興し始めた時、感受性の高い少なくない人々は、ツイート(呟き)によって日本の政治や社会が変わると信じていた。ところがツイッターが普及し、蓋を開けてみると、ツイッターがもたらしたのは政治や社会の(良い意味での)変革ではなく、ひたすら揚げ足取りと罵詈雑言と誹謗中傷の、どす黒い空間だった。「アラブの春」に代表される、「ツイッターを利用した(良い意味での)民主化や政治変革」は日本には全く当てはまらなかった。なぜならそれは簡単な理由で、日本は、リビアやチュニジアのような権威主義的な閉鎖国家ではないからだ。 それでも当初は、ツイッターでの軽快なつぶやきを売りにした「ツイッター有名人」なるものが続々と輩出されていたが、そのようなプラスの側面は物珍しさも手伝った、ごく初期の現象であった。どだい、140文字の範囲内での呟きに真理などはなく「上手いこと言った」で終わる、酒席における日本版アネクドートの一種だと、だんだんとユーザーが気づいてきたのだろう。 このような殺伐としたツイッター空間に耐えられなくなったのか、近年では急速にツイッターの趨勢が「しぼんで」いるように感じる。より攻撃性の薄いFB(Facebook)や、もっといえば、更に閉鎖的なインスタグラムに、特に若いユーザーが逃避していると言われている。私はインスタグラムは使っていないが、「死ね」「クズ」という言葉と、通報と誹謗が飛び交うツイッター空間に嫌気が差した人が増えていることは間違いない。米ツイッター社がツイート総数の記録を非表示にしたことも関与して、今後、殺伐とした減点評価のツイッターは、かつてのMIXIなどのSNSと同様、衰退していくのかもしれない。 近年ではツイッターは炎上と自爆の主戦線を形成している。たった数文字のつぶやき「(例)あべしね」や「アカウントが第三者に乗っ取られた」という言い訳で展開される罵詈雑言と誹謗中傷への強烈な反応は、多くの著名人や文化人を「火達磨」にしてきた。時にその火達磨は、発信者の社会的地位の失墜を決定づけるに充分な場合もある。或いは、名も知れぬ素人やティーンの「犯罪自慢」の場所としてそれが官憲に通報され、官憲もそれを無視することが出来ず逮捕事例が相次いでいる。他者に対しどす黒い敵意を持った「連中」他者に対しどす黒い敵意を持った「連中」 新潟日報上越支社の報道部長が、新潟水俣病3次訴訟の原告側弁護団長に対し、匿名のツイッターアカウントで引用するにも耐えない誹謗中傷を呟き、釈明・陳謝する事態になっている。ツイッター空間の中では「良くある」誹謗中傷を社会的地位のあるメディアの人間が行っていることが判明し批判が相次いだ。上越支社の報道部長は、「酔っていた」と陳謝したが、過去のつぶやきを総覧すると、その釈明も怪しくなる。つい先日には、自らの職権を利用して「ヘイト的」と見なされているアマチュアイラストレーターの投稿図版にFB上で「いいね」を押した人々の個人情報を不法に開示したとして、ある関係者に批判が集中し、物議をかもした。 なぜ彼らが、ツイッター空間でのみ「暴走」するのかの解明は、容易ではない。「匿名の空間だと、人は本性をむき出しにする」というのが有り体な説明だが、匿名であることと誹謗中傷の展開には、応分の相関関係はあるとは思うが、それが全てを説明していることにはならない。なぜなら、ネット上で実名を用い、他者を誹謗中傷した結果、訴えられたり逮捕されたりするユーザーの事例もまた、近年あとを絶たないからである。 結局のところ、ツイッター上で展開される誹謗中傷や罵詈雑言の解消のために、その理由を解明しようとする試みは不毛のように思える。この世界には一定程度、他者に対してどす黒い敵意を持っている人間が存在し、彼ら(或いは彼女ら)がたまたまツイッターという発信機を手にしていた、というのが、その理由の真実であろう。そういう連中には、ポジティブな意味での解決策というものは存在しない。なぜなら繰り返すように、この世界には他者に対して決して寛容になれず、他者を呪詛することに一定のカタルシスを見い出す「変人」が、ある程度の数、存在しており、それは多分時代が変わっても普遍的なものだろうからだ。結論としては、自滅を待つしか無い。ツイッターをどう使えばよいのか さてツイッターでの罵詈雑言や誹謗中傷を抑制することに画期的な解決方法はないにしても、なるべくそういった「騒動」から遠く、巻き込まれないように「自衛」する方策はある。もっとも簡単な方法は、ツイッターを辞める(アカウント削除)ことだ。この至極簡単な方法に多くの人々が気づいて、ツイッターアカウントを削除する人も、私の周辺にもいる。単純明快な自衛策だ。 かくいう私も、近年この方針に近づきつつある。とはいっても、ツイッターが退潮傾向にあると感じられるにせよ、いまだ国内で数千万のユーザーを保有している以上、宣伝や拡散のツールとしては重宝する人々も少なくはないのが実態だ。溜まりに溜まったポイントカードを簡単に棄てることの出来る人は、そんなに多くない。 そこで、ツイッターを快適に使う自衛策として、発信者がつぶやく際に、特に意識し、遵守すべき点を、私なりに提示したい。1) 猫と犬の話題(特に猫)2) 観たアニメ・映画・ドラマ、読んだ本や漫画の感想(ただし全否定はいけない)3) 今晩の夕食とランチの話題(ただし豪華であってはいけない)4) 商品やコンテンツの宣伝(ただしこれは宣伝である、と明示した上で行う) ツイートの内容として、この四項目を遵守する限りにおいて、自衛策は完全に機能する。他者に対しどす黒い敵意を持ったユーザーも、850円のハンバーグ・ランチと猫の写真に対してはイチャモンを付けることは出来ないし、発信者も「火達磨」になることもない。 ツイッターユーザーのすべてがこの四項目を守れば、罵詈雑言も誹謗中傷も存在しなくなるだろう。ただしそれが魅力的な空間であるか否かは別問題だが。

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    新潟日報記者の中傷ツイート全内幕

    新潟日報上越支社の報道部長が、匿名ツイートで弁護士を誹謗中傷する書き込みを繰り返していたことが発覚した。報道人にあるまじき卑劣な行為は決して許されるものではないが、一方でその思想信条や背後関係にも関心が集まっている。ネットの匿名性を悪用したこの手の「事件」はなぜ繰り返されるのか。

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    「赤ん坊を、豚のエサにしてやる」新潟日報サヨク記者の本性

    中宮崇(サヨクウオッチャー) またか。「お前の赤ん坊を、豚のエサにしてやる!」「こいつを自殺させるのが、当面の希望」などとサヨク活動屋がツイッターへ書き込みをしていることを知った時の第一印象である。 サヨクはよく「ネトウヨは卑劣にも匿名で差別やヘイトスピーチを行っている!」と喚き散らしているが、そのサヨク自身が赤ん坊を殺すなどという差別どころか凶暴な脅迫を匿名で行っているわけだから、まさにブーメラン、「お前が言うな」としか言いようがない。 この赤ん坊殺しのサヨクはツイッター上で「壇宿六(闇のキャンディーズ)」を名乗り、 国会前で「反戦争法デモ」と称する騒乱を引き起こしているSEALDs、レイシストしばき隊(現在はC.R.A.C.と改名)の関係者であることをかねてより表明していた人物だ。デモに動員された際に日当が支払われていた(しかしまだ自分には振り込まれていない)という喜びのツイートを行ったこともあり、プロフィールには「レイシスト、ファシスト排除!戦争法をぶっ潰せ!安倍はやめろ!自民党は民主主義の敵!日本に本当の民主主義を!」と、ご大層なことを掲げている真性のサヨクである。 サヨク連中が「反差別」だの「ヘイトスピーチ反対」だのと偉そうに叫びつつ、自分は平気で赤ん坊を殺せだのハゲだのブスだのと、ヘイトスピーチなどという横文字を使うこともおこがましい幼児レベルの差別を平気で行うこと自体も、「またか」である。自分の卑劣な差別性や暴力衝動を満たし正当化するために「人権」だの「平和」だのといった正義を騙り、他者を脅迫し、暴力行為で逮捕されるという症状は、こうしたサヨクに共通するものであるという事実はこれまでも指摘してきた通りだ。 しかし、この「赤ん坊殺し」のサヨクはとことん愚かであった。なんと間抜けにも、その実名がバレてしまったのである。 かねてよりサヨク報道で知られていたローカル紙「新潟日報」の報道部長という要職にある坂本秀樹記者こそが、匿名で「殺す」だのと日常的に敵を脅しまくっていた卑劣漢の正体だったのである。サヨクを気取る「闇のキャンディーズ」 きっかけは、あろうことか朝鮮総連の顧問弁護士という経歴を持つばりばりの人権派としても知られる高島彰弁護士に、サヨクを気取る「闇のキャンディーズ」が、「高島彰はネトウヨ!」「ハゲ!はよ弁護士やめろ」「今死ね!毒飲め!」「こいつを自殺させる」などと、執拗にツイッター等で脅迫したことだった。 なにしろ「反戦争法デモ」と称する国会前騒乱で敵を「人間じゃねぇ!たたっ斬る!」と白昼堂々「殺害宣告」するような連中である。インターネット上で気に入らぬ敵を「ネトウヨ」「反知性主義」などと恣意的にレッテルを貼り脅迫を行うことは、彼らにとっては日常的な「正義」の行為だ。そのため、まさか反撃を食らうとは想像もしていなかったのであろう。本来、お仲間であるはずの、しかもバリバリの武闘派弁護士を脅迫しておいて反撃を予想していないということだけでも十分間抜けである。 その上、赤ん坊殺しの闇のキャンディーズこと坂本秀樹記者は、高島弁護士についての情報を新潟日報記者としての職権を利用し入手していたばかりか、マスコミ関係者以外には入手することが困難なその情報を不用意にもツイッターに書き込んでしまっていたのだ。そのことに気付いた高島弁護士の調査により、卑劣な匿名脅迫者の正体がSEALDs、しばき隊から日当をもらっていたと自慢し、国会前デモを自紙で礼賛してきた新潟日報報道部長だという事実がバレてしまったのである。 既に主要全国紙の全てで大々的に報じられた事件なので、詳しい経緯については、以下をご覧頂きたい。「クソ馬鹿やろう」「弁護士やめれば」…新潟日報上越支社の報道部長、匿名ツイッターで弁護士に誹謗中傷繰り返す(産経新聞11月24日付)「しばき隊」構成員(実は新潟日報上越支局長)が新潟水俣病弁護団長に暴言→身元を割られ謝罪文を書かされる(ガジェット通信11月24付) 坂本秀樹記者の卑劣さは、その厚顔無恥な自作自演の書き込みにも見て取れる。なにしろ昨年7月4日には匿名で「新潟日報という新聞が、集団的自衛権行使に関し、反対の論陣を明確にして『地方から反対の声を!』と、社長名で訴えたらしい。もはや、地方から声を上げよう!」などとツイートしているのだ。自分が報道部長を務める新聞社の記事を、匿名で第三者のふりをしてヨイショするのだから、これは自作自演としか言いようがない。既に削除し証拠隠滅済みの彼のツイートの数々から考えると、今回に限らず、坂本記者は日常的にマスコミの職権を悪用し、このような卑劣な反日サヨク活動を行っていたと言わざるを得ない。  さて、ここで再び「またか」である。「反差別」を騙るサヨクが敵を平気で差別し脅迫するという行為自体、ありふれた症状なので「またか」なのではあるが、匿名でそのような卑劣な行為を行っておいて、間抜けにも実名や自作自演の事実がバレてしまうというのも、サヨクのオツムの弱さ故に頻繁に見られる症状であり、「またか」なのである。 例えば、今月だけでも、しばき隊関係者とみられる人物が匿名で「ネトウヨ」の個人情報を収集、ブラックリストを作成しネット上に公開したが、坂本記者同様にうっかりから逆にK氏という実名と身元が判明してしまう事件があったばかりだ。数百人の個人情報を“公表”したセキュリティー企業社員「本人の意思で退社」(産経アプリスタ11月6日付 つくづく「またか」である。このしばき隊関係者が勤務していたセキュリティー大手のF-Secure(エフセキュア)は、マイナンバー制度等に関連する個人情報を扱う仕事を受注している企業である。「F-Secureは『エフセキュアの社内のお客様情報や業務上知りえた個人情報が外部に漏えいしたという事実はありません』と噂を否定した」とあるが、ろくな社内調査も行ったとは思えず、到底信用に値しない言い逃れだ。「しばき隊関係者が職権を乱用し個人情報を不正に盗み取りネット上にばらまいた」という疑惑を払拭することはできない。 そればかりか、しばき隊は反省するどころか「幸いなことに、F-secureを辞めさせられたのはK氏だけでその他は全員無事。ほとぼりが冷めるのを待って、残留組が差別主義のネトウヨどもをしばき倒してくれるはず。今度は非公開で処刑する」と犯行予告&脅迫ツイートまで行い、他にも反日サヨク工作員がF-Secure社内に潜伏していることを示唆する始末だ。一部では、会社ぐるみの犯行であるとの憶測まである。まるでどこかで聞いたような話ではないか? そう、前述の新潟日報、坂本秀樹記者のケースと瓜二つなのだ。まさにK氏と坂本秀樹記者そのもの私は以前iRONNAで、サヨクどもが「サイコパス」だと言える数々の症例という記事を書いたことがある。そこから引用してみよう。 「サヨクがインターネット上の匿名性を悪用し、複数のアカウントを取得し、自分の投稿した手前勝手な主張に対して別アカウントで「凄いですね!感動しました!」などと自作自演で礼賛するというのは、極めてよく見られる症状だ。しかしそこは「想像力が貧困」なため、極めて簡単に自作自演がバレる」 まさにK氏と坂本秀樹記者そのものである。例えば、産経新聞記者が職権を乱用し敵の個人情報を盗み取り、卑劣にも身分を隠し匿名でネット上にそれをばら撒き、その上間抜けにも身元がバレてしまったという事件がこれまであったであろうか? 保守陣営や「ネトウヨ」には見られぬ、そうした厚顔無恥な事件が、サヨク陣営には極めて頻繁に見られる。その上、犯罪発覚後も問題を叱責するどころか「幸いなことに」などと擁護するような連中なのだから、ことはサヨクの一部の不届き者による特殊な蛮行と言うようなものではなく、サヨクそのものが持つ病的な本性と見るべきである。 特にこの2つの事件で重大なのは、サヨクは自らが信ずる歪んだ正義のためなら平気で職権を乱用し、個人情報を盗み取りばら撒くことをためらわない。しかも、お仲間もそれを批判するどころか礼賛し擁護するという事実だ。ここは、保守陣営が在特会のような「ネトウヨ」の蛮行に忠告や批判を加えることが多いという事実と全く対照的だ。サヨクには「自浄能力」という概念自体がなく、存在そのものが反社会的勢力であると言うしかない。 サヨクの自浄能力の無さは、反日マスコミとして名高い朝日新聞の数々の前科を見るだけでも明らかだ。1989年に記者自ら貴重なサンゴを破壊し「サンゴ汚したK・Yってだれだ」という自作自演の記事を書き散らした「珊瑚記事捏造事件」を筆頭に、朝日新聞関係者による自作自演事件は後を絶たない。09年には朝日新聞の校閲センター員が匿名でネット上に精神障害者差別や部落差別書き込みを行い、またもや間抜けにも身元がバレてしまうという同じような事件を引き起こしている。 ここで、ロバート・D. ヘア「診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち」(早川書房)から引用してみよう。 「サイコパスはナルシスティックで、自分の価値や重要性に関してひどく慢心したものの見かたをする。まったく驚くべき自己中心性と権利感覚の持ち主だ。彼らは、自分が宇宙の中心にいると思っていて、己のルールに従って生きることが許されている優秀な人間だと思っている」  「嘘つきで、ずるく、ごまかしがうまいのは、サイコパスの生まれもった才能だと言える。 想像力が貧困なのか、それとも自分のことしか考えていないためか、サイコパスは自分の正体が見破られる可能性に驚くほど無頓着か、見破られないと確信をもっているかに見える。嘘を見破られたり、真実味を疑われたりしても、めったにまごついたり気おくれしたりしない。あっさり話題を変えたり、真実をつくりかえて嘘のうわ塗りをする」 まさに、新潟日報の坂本記者らと同じサヨクそのものである。「自分が宇宙の中心にいると思っていて、己のルールに従って生きることが許されている優秀な人間だと思って」いて「自分の正体が見破られる可能性に驚くほど無頓着」であるからこそ、身分を偽り平気で卑劣な自作自演や脅迫を繰り返し、自らの間抜けさ故に簡単に身元がバレてしまう。 サヨクの一部が犯罪を犯しているのではない。サヨクそのものが犯罪的であり病的なのである。そして、自らの差別性や暴力性を満たすために「反差別」などの正義を騙る病的なサヨクを、高島章弁護士のような地道に活動を行っている真面目な左翼と混同するべきではないのだ。

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    ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相

    ろくでなし子 「新潟日報上越支社の坂本報道部長による高島章弁護士へのTwitterでの誹謗中傷事件について、ご意見をお願いします」 産経デジタル担当編集Kさんからこのような依頼を受けたのは、わたしも最近、しばき隊(通称レイシストをしばき隊)の一派の方々からTwitter上で誹謗中傷の集中攻撃を受けていたからだと思います。「壇宿六(闇のキャンディーズ)」のTwitter 「闇のキャンディーズ」という匿名で、新潟水俣病第3次訴訟の弁護団長を務める高島章弁護士を「はよ弁護士の仕事辞めろ」「うるせー、このハゲ!」などと罵っていた人が新潟日報の社員であり、しかも報道部長という管理職の方だったことに、わたしは少なからず衝撃を受けました。まだ入社したての若者ならともかく、それなりに年齢を重ね、部下を指導する立場でもある人が、まるで小学生のいじめのように大はしゃぎしていた……この国は本当に大丈夫なのかと、「ろくでなし子」と名乗るわたしでさえ、愕然としました。 この件について、既に報道されている坂本記者の弁によれば、「お酒を飲んでいたから」とのことでしたが、「匿名」という隠れ蓑に甘え、日頃のストレスを文句を言えそうな相手にひたすら撒き散らす行為に、報道人としての倫理観うんぬんよりも、大人としてどうなのかという疑念は尽きません。 実はこの事件から1週間ほど前のことですが、わたしも高島弁護士と同じような状況になりました。 事の起こりは、「はすみとしこ」さんという民族差別主義的なイラストを描く漫画家に対し、はすみさんのFacebook投稿に「いいね!」を付けたおよそ300人の個ちん情報(個人情報)を集めてリスト化したものを、「闇のあざらし隊」という匿名で活動していたしばき隊関係者とみられるKという人物が作成し、はすみさんの創作活動を妨げようとしたことでした。 わたしは、そのリストを作ったことで得意気になっているK氏の投稿を、どなたかのタイムラインで目にし、いくら「レイシズム」が憎いからといってもその人や賛同者に対し「個人情報を晒すぞ!」と脅す行為は「なにかがおかしい」と感じていました。 その後、K氏がとあるITのセキュリティ会社の幹部社員だったことを逆に暴かれ、その会社が販売しているソフトに対するamazon評価が大荒れし、一企業の信頼性にまで話が発展。K氏はその責任をとって退職に追い込まれたとか…。 さらに、晒し上げに執念をかけた人達が、K氏の過去のTwitterをさかのぼり、K氏がある女性に「ぱよぱよち~ん」とハートの絵文字付きで投げかけていた投稿をおもしろおかしく取り上げ、「ぱよちん音頭」なるものまで編み出し、お祭り騒ぎとなっていました。 わたしはK氏が気の毒な反面、自業自得でもあることと、パッと見が強面の印象のK氏が「ぱよぱよち~ん」と過去につぶやいていた事実に、おもわずクスリとしてしまいました。 「ぱよぱよち~ん♪」 なんて間抜けで愉快なフレーズでしょう。口にした途端、誰もが脱力感とほっこりとした楽しい気分にとらわれるはず。 そこで、わたしはおもわず自分のTwitter上でも「ぱよちん音頭でぱよぱよち~ん♪」と無邪気につぶやいてしまいました。わたしのフォロワーさんもこの間抜けなフレーズに反応し、一緒になってぱよぱよちんちんつぶやいていたところ、突然、しばき隊関係者かその一派であろう人たちから「その言葉を使うな!」「削除しろ!」とものすごい剣幕でわたしを威嚇するリプライをしてきました。しばき隊という人たち 実はしばき隊という人たちに関して、わたしはあまりよく知りませんでした。そのうちの一人であるN氏という人物は、ネット上にアップされていた写真を拝見しましたが、金属バットに釘を打ち込んだものを振りかざしている中途半端なヤンキーのような人、という印象でした。特に怖くもなかったんですけど、大勢で寄ってたかってわたしのTwitterに誹謗中傷を浴びせてきた行為はとても異常だと感じました。 彼らはわたしが自分のタイムライン上で「ぱよぱよちんちん」とつぶやいていただけで、レイシストと認定し、「ろくでなし子が逮捕された時に署名したり支援してやったのに、裏切りやがって!」と言っていました。それでもまだ、ぱよちんツイートをやめないわたしに対し、「ゴミ、クズ、カス、死ね」。果ては、わたしが活動できなくなるよう「アート界から抹殺してやる!」と、自分たちが本来敵視するレイシストのような矛盾したつぶやきをしている人もいました。 その様なわたしへの集団攻撃は1週間ほど続いたと思います。わたしの不当逮捕に対し、支援活動をしてくださったのでしたらそれについては心から感謝いたしますが、「支援してやったんだから俺たちの言うとおりにしろ!」というのは、なにかおかしい。支援とは、そのように支配的なものなのでしょうか?(ちなみに「K氏はろくでなし子に身銭を切って支援してやったんだぞ!」という方がいたので、ならばお礼を述べねばと思い、確認のために弁護団カンパ口座の通帳記録でK氏のお名前を探しているのですが、お名前が見当たりませんので、別名義で振り込んでくださったのでしょうか? 本当にありがとうございます) これら一連の騒動は「ぱよちん騒動」と呼ばれるようになり、その一部始終を見たネットユーザーの中には「一人の女性を集団でリンチしているおぞましい光景だ」 として、わたしを気の毒がる人もいましたが、わたしはもっと別のことを2つ考えていました。 まず一つは、この光景が今回だけに限らず、Twitter上でわたしがこれまで受けてきた「炎上」パターンの典型であることです。 わたしは自由につぶやきすぎるせいか、いつもTwitterで誰かに文句を言われています。ペッパイちゃんというセクハラをテーマにしたメディアアートを作ったアーティストの市原えつこさんが炎上していた時も、「ペッパイちゃん、おもしろいじゃん。」とつぶやいていただけで、Twitterで「フェミニスト」を自称する一部の女性たちから「性暴力に加担する人」に認定されてしまいました。 ペッパイちゃんは、実物を見ればわかるように、どちらかといえばセクハラをする側(主に男性)が恥ずかしくなるような、セクハラ行為の間抜けさを可視化する装置だとわたしは思ったので、おもしろいとつぶやいたのですが、その真意も無視され、あの時もひたすら罵倒され続けました。   また、わたしを罵倒する人の中には「ろくでなし子が逮捕された時に署名してやったのに!」と、今回と同じようなつぶやきをしている方々もいました。わたしは実際に性暴力に加担する行為など一切していませんし、単にペッパイちゃんを面白がっただけなのに「性暴力に加担した!」と冷静さを失って怒り出す人たちに「集団ヒステリー的なもの」を感じ、しばき隊関係者とみられる人たちに罵倒された今回のことよりも、じんわりと怖かったです。 それと二つ目は、「ぱよぱよちーん」で怒り出す一見怖そうな男性たちが、わたしを逮捕・起訴にまで追い込んだ警察当局や検察当局の人たちととてもよく似ていることでした。彼らも「まんこ」というくだらないテーマに対し、額に青筋を立てて必死になっていました。  わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。 それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。 なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。連帯した集団ヒステリーはとても恐ろしい 今回の件でも「しばき隊にいじめられているろくでなし子がかわいそう」という人もいましたが、わたしはむしろ笑うところだと思っていましたので、どうかお気遣いなさらないでください。 ただ、笑うところであったとしても、「俺たちは絶対の正義だ」と信じ、「俺たちの意に背いた者はすべて敵で悪」であるから、そいつらには「手段を選ばず何をしても構わない」と思う人たちが連帯した集団ヒステリーはとても恐ろしいものです。 彼らに共通するのは、自分のことを正しいと信じて疑わないところです。自分は「正しい」から相手の間違いを粛清するのは許される、という考え方では、敵対関係や戦争しか生まれません。 人は誰でも間違うもの。絶対に間違わない人間などいません。 間違った人を「許さない」集団の共通意識は、その人の個ちん情報(※注・個人情報)まで晒し、退職や謹慎処分に追い込むことがあります。K氏は相手を許そうとしなかったため、自分が許されない立場に追い込まれました。個ちん情報の晒し合いをして、一体誰が得をするのでしょうか? 今回の件で、「しばき隊はろくでなし子に謝罪しろ」という人まで出てきましたが、 当事者でもない人たちから、そのような謝罪要求の声が強まれば、結局集団リンチにつながり、それこそ不毛です。だからもう、やめましょうよ…。 敵対関係にある人同士のおろかな個ちん情報の晒し合いよりも、真剣に怒っていることすらどうでもよくなれる魔法の言葉をみんなで一緒につぶやきませんか? ア、ソーレ、右も左も ぱよぱよちーん♪ あなたもわたしも ぱよぱよちーん♪♪♪

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    テレビは生き残れるか

    ようやく、というべきか。テレビ局がいよいよインターネット戦略に本腰を入れ始めた。2015年はテレビにとって「ネット戦略元年」として記録されるだろう。「巨人」ネットフリックスの日本参入で生き残りへと動き出した民放キー局。この先視聴者が選ぶのは一体誰なのか。

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    誰か僕を止めてください!

    各地で小型無人機「ドローン」を飛ばし、トラブルを起こした「ノエル」こと横浜市の15歳の少年が逮捕された。少年が挑発的な言動を繰り返した背景には、「囲い」と呼ばれる無責任な大人の存在も浮かぶ。無法地帯と化すネット世界。歪んだ暴走を止めることができるか。

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    「ノエル」少年の心と行動を読み解く

     不謹慎な動画を投稿し続け、これまで何度も警察から厳重注意を受けていた15歳の少年が、浅草神社の三社祭でドローンを飛ばすとの発言をインターネット上に投稿したとして、5月21日、威力業務妨害容疑で逮捕されました。彼をここまで暴走させたものは何なのでしょう。やや専門的な考察を含みますが、近年の少年単独で行われた事件に普遍的に指摘できる点も多々あり、その一部を記したいと思います。彼自身が「ニコニコ生放送」で中継した動画やツイッターが大量に残っており、私はかなりの時間を割いてそれらを見ました。 ノエル少年は、誰の目にも奇異に映る「ファッション」を貫いていました。マスクが常に眼鏡の下、鼻を覆う部分にあります。その「定位置」からずり落ちないように、あるいは喋りやすいようにマスクを半分に折り畳んでいますが、口の部分はよく見えるのでプライバシー保持には役立っていません。自宅からの配信で全裸と思われる(立ち上がった時には下半身にバスタオルを巻いていた)ものがありましたが、画面に映り込んだ背景は「そのまま」で、いかにも無防備です。外見上の彼独特の「こだわり」とは乖離している感を覚えるのですが、それは他者からどのように見られているかという視点が欠落しているために生じています。鋭い視線は関心事に固定され、緩やかな動きを見せておらず、視野の狭い特徴もうかがえます。 私たちは一般に、程度の差はあれ、他者の眼差しを気にします。そして「変」に思われないよう工夫をしています。逆に気にしすぎることで悩みが深まる人が多くいるのも実際ですが。 他者の視点で自分を顧みることが苦手な点は、彼の様々な言動によく表れています。ニコニコ生放送では視聴者との間でリアルタイムのやりとりができますが、画面に流れるコメントに過敏に反応し、目に留まった質問には躊躇なく答えてしまうのです。そこに冷静な判断がバイパスしているようには見えません。その結果、プライバシーを自ら曝すことになってしまいました。家族との「けんか」も生中継され、これは家族にとって大迷惑だったでしょう。川崎市で起きた上村遼太君殺害事件の被疑少年の自宅前、上村君の葬儀の生中継をはじめ、他人の迷惑や気持ちへの配慮がうかがえないことは、自己保全ができないという側面と裏腹であると理解することが必要です。 警察との揉め事、「ニコニコ動画」を運営するドワンゴへの苦情申し立て等の動画から、年齢を考慮して一定水準以上の言語能力を有していると考えられます。しかし自分が15歳の少年であるという認識が足りません。立場を顧みず、自分の言い分の正しさに固執し、相手の諭しの隙を突くような外形的理屈、いわゆる屁理屈で攻撃を畳みかけます。彼の用いる言葉にバリエーションの豊かさが感じられません。警察官に対し、「警察手帳の提示が義務づけられています」、「これは任意ですか? (任意なら)拒否します」、「ドローン禁止と明記してないじゃないですか!」、「痛い、痛い、ぼく今、警察に誘拐されています!」等と、限られた言葉を連呼しています。 話は一旦飛びますが、ニコニコ動画の配信が生中継であることは、「何が起こるかわからない」という魅力を視聴者に与える効果があります。また、普段から格差社会に対して不信を抱いている人にとっては、権力の象徴に果敢に立ち向かうノエル少年に感情移入し、応援しながら見守るという状況にもなります。自分では実行できない分を彼に託し、生中継を続けてほしいという期待から、「囲い」(資金提供者)と呼ばれる人たちが現れてきます。彼は大口の囲いを「超越者」と呼ぶなどして、その人たちの特権意識を刺激し、また囲い同士で支援額を競わせるようにしたとの報道も見受けますが、そこまで計画的に行ったようには思えません。仮にそうだとすれば、別の大人の入れ知恵があったのかもしれません。いずれにしても、生動画配信のフィールドで一部の大人が彼を「神」のように奉り、ノエル少年の自己万能感は肥大していきました。彼自身、「神の子」、「ノエル」と刻まれたグッズ等も作成し、それを購入する人も現れました。これは、彼は深いコンプレックスを抱えていることを物語ります。反動形成としてネット配信の世界で「神」というヒーローになってしまったのですが、その過程で視聴者との相互作用が不可欠だったということです。逮捕までの三つの転機逮捕までの三つの転機 私はノエル少年が「ドローンで逮捕」に至るまでに、三つの転機を通過していると考えています。 第一のそれは、昨年10月上旬「ノエル放送局」と題してニコニコ生放送を開始したことです。名門私立中学を退学させられ、公立中学に転校した後、学校にうまくなじめない最中でした(初期の僅かな期間、放送中のマスクは正しく装着されていました)。視聴者に自己中心的で挑発的な言葉を吐き、そのキャラクターが彼を一躍世に知らしめ、この「仕事」への執着が始まったのです。家族は「10月まではいい子だった」という趣旨の話をしているようです。 11月22日に「中学生 驚異のアスペ診断」として、視聴者がノエル少年のネット言動を見て、自閉症スペクトラム指数(AQ)尺度に答えて採点するという動画がアップされました。結果は37点で、カットオフポイント(それを超えると可能性を疑うという基準点)である33点を超えたのですが、彼は「お前ら(視聴者)がアスペだ」と豪語したのです。ほどなくして答えていた視聴者の一人から電話が入り、「ノエルのことを客観的に答えたのであって、アスペはノエルのことだ」と説得するのですが、彼には理解されないままで終わりました。 ここで誤解されないよう念を押しますが、AQ尺度で正確に自閉症スペクトラムを測定することはできません。そして、「アスペ」と差別語のように呼び捨てにすること、ましてや動画にコメントされたような異常者であるかのような捉え方をするのは大きな誤りです。何らかの発達障がいを有する人々の多くは、辛い経験をしながらも、社会の中で一生懸命に生活しています。 第二の転機は、12月3日にYouTubeにアップロードされた「ノエル 家に帰らされPC投げる」と題した動画の中にあります。しばらく家を空けて帰ったところ、パソコンのモニターが無くなっていることに気づき、ひどく落ち込んでいるところから放送が始まります。おそらくニコニコ生放送を止めさせるために、家族がどこかに仕舞い込んだのでしょう。視聴者の冷たい反応に触れ、母親の言葉にも刺激され、徐々に興奮し、絶叫し、台所にいる母親に「返して!」と訴え続けます。興奮が高まると手当たり次第に自分の持ち物を投げつけ、そして台所に行ってマヨネーズをまき散らしました。その様子は、明らかに「パニック」の状態です。予期せぬ不利な事態への遭遇は、彼のような傾向をもつ人にとってはパニックへの琴線とも言える重大なことなのです。この体験が、彼の溜め混んでいた怒りの感情を増幅したと、私は考えています。その後、ノエル少年の生放送は、部屋から外へと湧出し、悪質性が増していくのです。 第三の転機は、4月22日、永田町の首相官邸屋上に落下していたドローンが発見され、すぐに自首逮捕された40歳の容疑者が反原発を訴えるためだった等の供述が報じられたことに関わります。ノエル少年は、4月29日に初めてドローンから空撮を行う生放送に成功し、強い達成感に喚起の声を上げるのでした。この動画中「4月9日に飛ばした際に故障した」と言っていますが、永田町の事件が世間を大きく騒がしたことが彼のモチベーションを高めただろうと推察されます。「どっかの配信者はドローンを飛ばしただけで撮影はしていない」とも言い、記念すべきドローン空撮生配信第一号になったことが、その後の「ドローン撮影放送」へのこだわりを強めたのです。 これらの転機はいずれも、「強い執着を起こさせた」と理解することによって、彼の行動理解の助けとなります。私たちが専門用語で「固着」と呼ぶ現象で、限られた体験であっても、脳に劇的な反応(快感ホルモンの放出)を引き起こし、脳がその再現を求めることで同じ言動が繰り返されるのです。一旦固着が生じるとなかなか解消されにくいという特徴もありますが、丁寧に時間をかけて新しい快体験に接することで、弱めることは可能です。 ここまでノエル少年の簡単な心理分析を試みましたが、性格特徴を纏めると以下のようになります。ここに、三つの転機が加わることでノエル少年の暴走に至ったというのが、私の考察の一部です。・他人の視点に立って考えることが苦手・強いこだわり思考とこだわり行動を持つ・現実世界での柔軟な対人関係が苦手である・会話は理屈の羅列に終始しやすい・予期せぬ事態でパニックに陥ることがある・負の感情を蓄積しており、他人に攻撃的である・低い自尊心の反動形成として、自己愛傾向や自己万能感が強い これらは、先天的な特徴と、生育環境及びそれまでの社会での対人関係が輻輳することによって助長されると考えられます。社会との相互作用の中で何に「固着」を起こすかによって、時には反社会的な行動に走ることがあるのです。 最後に、彼が逮捕に至るまでに「助けられなかったのか?」という観点から検証してみることも重要だと考えています。というのも、公立中学に転校してから、学校は彼の不適応状態を把握していたし、家族は彼が起こすトラブルに困っていたという事実があります。学校と家族が連携し、専門機関の支援を仰いでいたら、ここまで重大な局面を迎えることはなかったのではないか、そう考えると彼一人の問題に帰してしまうのは誤りで、社会全体に自らの眼差しを問う必要性を痛感するのです。それは「囲い」や「生放送視聴者」だけの問題ではありません。関連記事■ ネットで「スイッチが入る」瞬間■ デジタルタトゥーで人生台無し「ネットに匿名性はない」 ■ 川崎殺害で私刑と実況動画アップ疑惑

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    少年を導く能力を持たなかった普通の大人たち

    赤木智弘(フリーライター) インターネット上での生放送を利用して、浅草三社祭でドローンを飛ばすことを示唆したとして、15歳の少年が威力業務妨害の疑いで逮捕された。 この少年は以前から横浜のランドマークタワーでパンツ一丁になったり、講座を受講しては無許可配信をしたりと、迷惑な生放送を繰り返しては警察の注意を受けていた。 今年の2月には、マスコミに混じって川崎市で発生した中学1年生殺害事件の容疑者宅の生配信を行い、これがマスコミで問題行動として報じられ、名前を知られる存在となった。 5月になると、4月に発覚した首相官邸にドローンが落ちた事件に刺激を受けたのか、善光寺の敷地内でドローンを飛ばして落下させ「ドローン少年」と呼ばれるようになった。そして幾度かドローンを飛ばそうとして警察に注意をされ続け、三社祭への参加をほのめかしたところで、今回の逮捕となった。 逮捕後にわかったこととしては、彼は度重なる問題行動から、家族からはPCを取り上げられたり、お小遣いをなくされたりしていたが、少年はネットでグッズを販売したり、活動のサポートを募るなどして、お金を集めていた。そのお金でドローンやPCを購入していたという。 そうしたことから、本人の周囲の迷惑を顧みない活動以上に、彼に資金を与えていた人たちの無責任さが批判されている。ネットの向こうの大人たち 少年の配信を追いかけていたわけではないので、真偽の程は不明だが、ネット上で少年の活動などをまとめた記録を見るに、少年は中学校をドロップアウトして、高校には通っていないという。 学校からはじき出されてしまった少年が、ネットでの生配信を通じて多くの人の興味を引き、お金を集めて自立する。ストーリーラインだけをなぞれば、サクセスストーリーにもなりそうな話が、どうして少年の逮捕という結果を招いてしまったのだろうか? 僕はその原因として、少年の周囲に彼を導くことのできる大人がいなかったことが原因だと考えている。 とはいえ、彼らは決して悪い大人では無かった。彼らは至って普通の大人だった。 幾度と無く警察の厄介になる子供を叱り、PCを取り上げたり、小遣いを与えないようになったのは、親としては当然の態度であったと思う。しかし残念ながら、親としての厳しい対応は、結局は少年を自分を認めてくれるネットの世界に逃げ込ませるきっかけにもなってしまった。自分を認めてくれない家族と、自分を認めてお金まで与えてくれるネットの向こうの誰か。少年がネットの向こうを選択するのは必然であったと言えよう。 では、ネットの向こうの大人はどうだったのか。彼らもまた普通の大人であった。 ネット上では、少年に金銭などを与えていた人たちに対して「大人たちが少年をドローンのように操っていた」と批判されている。「うまいことをいうなぁ」とは思うのだが、しかしそうした大人というのは、ネットに限らず現実世界にも存在して、金のない若者にお金を与えているのである。現実世界ではそうした人たちを「タニマチ」や「パトロン」と呼ぶ。 ネット上のコンテンツにはお金を払わないというのが常識とも言える中で、素人が作ったコンテンツにちゃんとお金を出してくれる大人の存在というのは非常に重要である。そうした意味では、世の中の多くの大人たちよりは、彼らのほうがよほど成熟した大人であったといえるのかもしれない。 だが、それもまた、少年の放送の過激さと引き換えのものだった。彼らは少年の過激な放送にお金を出すことで、少年の過激さを煽る役割を果たした。少年がドローンを飛ばしたのも、騒がれることをしたほうが、多くの人が集まり、お金を稼げると考えたからだろう。そしてその過激さには歯止めが効かなくなった。少年がネットで認められ続け、お金を得続けるためには「過激なネット配信」という仕事を続けるしか無くなってしまったのではないかと、僕は考えている。デタラメが当たり前になったネット環境デタラメが当たり前になったネット環境 僕はインターネットを1994年ごろから利用している。 その頃はまだ、インターネット上にコンテンツが少なかったから、決して有用と言えないコンテンツではあっても、ウェブサイトを開設しているというだけで誰かから注目をあつめることができた。数少ないネット仲間同士の交流も盛んだった。 しかし、徐々にインターネットが世間に浸透し、多くの人が個人で情報発信を行うようになると、そのテクニックは高度化し、素晴らしいコンテンツを作れるごく一部の人しか注目されなくなっていった。 さらに、アフィリエイト等の収入に直接関わりのあるシステムが普及すると、ページビューを集めるために、嘘やデタラメや過激な煽りを意図的に使用する人たちが増えてきた。現在15歳の少年がネットを利用する頃には、こうしたネット環境が当たり前になっていた。彼は注目を得るために、意図的に騒ぎを起こしていたのだろう。騒ぎのための道具が、今回のドローンだった。 しかし一方で、こうは考えられないだろうか? 善光寺にしても、三社祭にしても、なんとか主催側の許可を得ることができなかったのだろうかと。 中学をドロップアウトした15歳の少年が、祭りのダイナミクスを伝えるためにドローンを用いて生中継を行うということを、公式とタッグを組んでちゃんとアナウンスをして行えば、それはとても見どころのある放送になったはずだ。 少年は過激であるためにゲリラ的な放送を続けていたが、これをちゃんとしたビジネスに転化できなかったのかと。そしてなにより、そうした筋道をつけてくれる大人がいなかったのかと。アングラを捨てた「ニコ動」 僕はふと「ニコニコ動画」を思い出した。 ニコニコ動画は、元々はyoutube等の動画投稿サイトから動画を借用して、その上にコメントを流すシステムを提供するサイトだった。 ところが、ニコニコ動画が多くの人に知られ、youtubeへの負荷が増えるようになると、youtubeはニコニコ動画からのアクセスを遮断した。つまりニコニコ動画上で動画が見られなくなった。 そこで、ニコニコ動画は自前の動画アップロードのシステムを提供するようになるのだが、この頃のニコニコ動画は、まだまだアニメの動画が無許可でアップロードされたり、深夜にエロ動画がアップされては消されるような、よくあるアングラ動画サイトの1つとしてしか、ネットユーザーに認識されていなかった。かくいう僕も、当時は東京では見られない地方のアニメを試聴するために、ニコニコ動画を利用していた。 しかしニコニコ動画はアングラであり続けることを良しとはしなかった。JASRACとの包括契約を結んで、JASRACが管理する楽曲を合法的に使用できるようにしたり、ニコニコチャンネルを用意してコンテンツホルダー側がお金をとって動画を配信できる環境を整え、ニコニコ大会議などを通して、様々な団体とのパイプを組み上げてきた。 そして、アングラ動画サイトであったニコニコ動画は、今やネット動画というジャンルにおいて、無くてはならないサイトとなっている。彼はまだ取り返しが付く 少年についても全く同じことが言える。 今はまだ、子供の作った過激な配信であるに過ぎないが、コンテンツを配信したい側と繋がることによって、彼の活動は本格的なビジネスに繋がる可能性もあったのではないかと思う。まだまだ新しい技術であるドローンによる撮影と、その生配信という技術を望んでいる人はどこかにいるはずなのだ。 誰か彼の周囲にいる大人が、彼をビジネスに利用することを考えてあげることができれば、彼にとってもその家族にとっても、幸福な方向に進む可能性はあったと言えよう。 だが、彼の周りの大人達はそうした能力を持たない、普通の大人だった。少年は逮捕され、ちょっとした色が付いてしまった。彼を単純にビジネスの場に立たせるのは難しくなった。 けれども、彼はまだ取り返しの付く年齢だ。今回の件を反省し、多くの人たちと繋がって一緒にコンテンツを作り上げることを覚えれば、いくらでも社会の中で自立することはできるだろう。がんばって欲しい。関連記事■ その「気軽な」書き込みが犯罪です■ 「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている■ 川崎殺害で私刑と実況動画アップ疑惑

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    低レベルのネット釣り師に引っかかる ネット社会の危うい人々

    必要はない。「“いい釣り”にだまされるのはOK」 ただ、レベルの低い釣り文書に引っかかるようでは今のネット社会を生きていくのは危うい。東日本大震災後、ネットで有害なデマが乱れ飛んだことは記憶に新しい。「釣りを見破る基本を身につければ、デマをはじめすべてに通用する武器になる」。現代のメディアリテラシー教科書としても有用だ。(磨井慎吾)Hagex(ハゲックス) 昭和51年、福岡県生まれ。マスコミ系企業勤務のかたわら、平成16年にネットウオッチ日記「Hagex-day.info」開設。■『2ch、発言小町、はてな、ヤフトピ ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い』(アスキー新書・本体750円+税)

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    facebookに自分の子どもの写真を頻繁に掲載するということ

    新井克弥(関東学院大学文学部教授) facebookを利用していて、ちょっと引っかかっていることがある。それは、“自分の子どもの写真を頻繁にアップする人間がいること”だ。 これ、少し節度をもってやって欲しいと考える。その根拠は二つある(二つ目はオマケだけれど)。友達はあなたほど見たいとは思わない 一つは、これを閲覧する他者の立場から。 facebookに登場するコメントや写真・動画は原則、友達申請した人間か、その友だちがシェアしたものが掲載される。だから、シェアしたものはともかく、これらを閲覧するのは、原則相手を何らかのかたちで知っているという存在になる(このへんは使い方にもよる。たとえばfacebookでネットワークを広げようとする人間にとっては、見知らぬ相手であっても友達になることは多い。たとえば、シェアされたものをきっかけに友達申請して、友だちになるという場合もある。ただし、その多くは、原則、互いに何らかのかたちで面識がある相手を友達申請するというのが一般的だろう)。 しかしである、相手を知っていたとして、、いや、たとえよく知っていたとしても、そんなに相手の子どもの写真を見たいとは、はっきり言って思わないだろう。自分の子ども可愛さで、どうしても天使に見えてしまう「親バカ」な気持ちはわからないでもないのだけれど、あまりに頻繁に掲載されると、正直、たとえ仲間内のそれであっても「うざったいもの」になってしまうのは否めない。実のところ、息子・娘の写真を頻繁に見たいのは祖父・祖母、叔父叔母、兄弟と言った身内のエリア内の関わりの人間しかいないはずだからだ。一般的には、まあ、年に数回、拝見させていただければ、それでいいというところではなかろうか(年賀状などでは、よく子どもの写真が掲載されているが、これは「報告」的な意味合いが強く、個人的にはあまり違和感を感じることはない)。 もう一つは子どもそれ自身の立場から。自分の子どもをfacebook上に公開するのは、いくら友達であったとしても危険性を完全に回避できるわけではない(しかもこの「友達」は「facebookで登録した友達」だ)。もし仮に、友達がその写真をシェアしてしまったとしたら、それは友達でない人間にも閲覧可能になるわけで。それが、ひょっとすると……まあ、めったにそんなことはないだろうが、ごく僅かの確率であったとしても、子どもを危険な立場に晒してしまう可能性がないとも言えない。公私の区別がSNSでは涵養されていない この二つの可能性を孕んでしまう、親のfacebookへの写真の公開。原因は同じところにある。要するに、メディアリテラシー、もう少し限定して言ってしまえばSNSリテラシー(この場合はfacebookリテラシー)が涵養されていないのだ。言い換えればSNSという新しいメディア(もう「新しい」というほどのものでもないかもしれないが)の使い方、とりわけ「公私の区別」のそれがついていないというところに、その原因が求められるのではないだろうか。 昨年、一昨年あたりにTwitterでバカッターなるものが話題になった。コンビニの冷蔵庫にバイトの従業員が裸で入った写真をアップしたり、ホテルの従業員が有名人のお忍びチェックインをツイートしてしまったり。これが話題になって、アップした本人がバッシングを受けたり、店が閉店に追い込まれたりしたことは、記憶に新しい。子どもの写真をむやみにアップすること。実は、これらの延長上にある心性と僕は考える。相手が好意的に見てくれる状態を 個人的に提案したいのは、子どもを見たい人は誰なのかを配慮してからアップするということだ。たとえば、子どもの写真を頻繁にアップしたいのなら、そういったニーズのあるグループを作って、そこに逐次アップすればよい。そのグループに祖父・祖母がメンバーとして加わっていれば、これはSNSとしてはなかなか有意義な使い方のはずだ。 また、子どもが必ずしもテーマの中心とはならない、つまり別ネタのために子どもを登場させるという場合もアップの対象となる。マンガ『ドラえもん』の中で、お金持ちの息子・スネ夫が、自分の世界旅行の写真をのび太たちに見せるというシーンがある。ところがこの写真、ほとんどがスネ夫のどアップで、その後ろに世界的な名所がかろうじて見えるという代物。そして、これを見せられたのび太たちがウンザリするのだけれど。実は、これと同じ心性に基づくのが現在のfacebookに頻繁に掲載されている「子ども写真」の多くだろう。つまり「○○を見せる」と見せかけて、実は自らのナルシシズムの他者への押しつけをやっている。だから、こちらとしては、ちょっとウンザリするわけで。 しかし、子どもがものすごく面白いことをやった。笑わせるとか、感動させるとか、泣かせるとか。そして、この「面白さ」をみんなにシェアしてもらいたい。こんな場合は子どもの写真や映像(子どもに関するコメントも含めて)は実に有意義なものと言える。この時、焦点が当てられるのは子どもではなく、子どもがやった行為。これを見ている相手を楽しませることが出来るし、そのネタをシェア=共有することで閲覧者ともコミュニケーションを図ることが出来る(ただし、この場合、子どもを二番目の危険性に晒すことにはなるけれど)。もっとも、その線引きは容易ではないけれど。 すでに一般化したSNS。SNSの性質によるが、ここがもう一つのパブリックな空間(そして、そのパブリックな空間の中にプライベートな空間を作ることも可能な空間)であることを利用者が熟知するにはまだ少々時間がかかりそうだ。 10年後、facebookに子どもの写真を頻繁にアップしているなんてことがあったという事実を知って、未来の人間が「へー、そんなバカなことやってたんだ」なんてことになるのでは?僕はそう考えている。そして、それがメディアリテラシーの成熟ということになる。(ブログ「勝手にメディア社会論」より)あらい かつや メディア研究者。関東学院大学文学部教授。ブログ「勝手にメディア社会論」を展開中。メディア論、記号論、社会心理学の立場から、現代のさまざまな問題を分析。アップル、ディズニー、バックパッカー、若者文化についての情報も。

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    なぜネットは人格を変えるのか

    リアル社会ではおとなしい人でも、ひとたびネットの世界に入れば、まるで別人のように攻撃的になる―。最近では「ネット弁慶」だけでなく、過剰にマナー順守を要求する「マナー厨」などと呼ばれる人もいるそうだが、今や「ネット人格」は社会問題の一つでもある。ネットはなぜ人格を変えるのか。

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    川崎殺害 被害者が辿った場所を順にスマホ撮影する人も

     川崎市川崎区の多摩川河川敷で中学1年生の上村遼太さん(享年13)が殺害された事件は、加害少年が逮捕されるなど徐々に事件の真相が明らかになってきている。上村さんを失った悲しみは、家族や友人だけにとどまらず、近隣住民などにも広がりをみせている。しかし、悲しみの輪が広がるにつれて、殺害現場には異様な光景が見られるようになったという…。容疑者逮捕から一夜経ち、遺体発見現場では献花に訪れる人たち=28日午前、神奈川県川崎市 2月20日に遺体が発見されてから約3週間。現場となった河川敷には、神奈川県内だけではなく、日本中から多くの人が手を合わせに訪れ、中には涙を流す人もいる。しかし今この地で、驚くべき行動に出る人が急増していた。 花や手紙が手向けられているのは、上村くんの遺体が放置されていた場所ではない。そこから約20mほど川に近い背の低い草の生えた場所に、上村くんは横たわっていたとされる。さらに、そこから10mほどにあるアスファルトの護岸箇所のフェンスのそばに、上村くんが首を切られたときに滴り落ちた血だまりや、凶器のカッターナイフの刃が落ちていたという。 これらの場所を順に巡っては、自身のスマホでひとつひとつ写真に収めていく人がいるのだ。 彼らは、逮捕後に少年Aが「殺害前に、上村くんを全裸にして川で泳がせた」「上村くんのスマホを川に投げ捨てた」と供述したことも理由にあるのか、最後は川縁に立ちシャッターを切っていた。 もちろん、訪れるすべての人がこういった行いをするわけではないが、そういった人はかなりの数にのぼり、まるで現場は順路のある観光地のようになっているのだ。関連記事■ 中1殺害事件、実況動画アップ疑惑と私刑 ネットで広がる波紋■ 川崎中1殺害 少年法適用されるため殺人でも刑期は10~15年■ 中1殺害 逮捕に1週間要した背景に神奈川県警の信用失墜懸念■ 中1殺害逮捕少年「弁護士同伴出頭」と父親証言変化の違和感■ フジ中村光宏アナ母「生野さんがお嫁にきてくれたら嬉しい」

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    マスゴミよりたちが悪い私刑化社会

    も広く知られるようになった。川崎市の中1殺害事件でも、加害少年らの私刑が物議を醸したが、私刑化が進むネット社会に潜む落とし穴とは。

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    川崎殺害で私刑と実況動画アップ疑惑

     神奈川県川崎市の多摩川河川敷で中学1年生・上村遼太さん(享年13)の遺体が発見された事件で、不良グループのリーダー格・A(18才)、Aの中学時代のクラスメートのB(17才)、AとBの1つ下の学年にあたるC(17才)の3人が殺人容疑で逮捕された。 首を刃物で切りつけるという残忍な殺害方法が衝撃を与えているが、さらなる疑惑が話題となっている。 上村さんの死亡推定時刻の2月20日深夜2時頃、ツイッター上で気になるやりとりがあったのだ。(本文と写真は関係ありません) その会話は、Aたちと接点があった少年Dが20日深夜2時39分に、《びーん》と綴ったことから始まる。これに対して、別の少年が《あれ?自殺に追い込ませた?》と問いかけると、Dは《一人死んだ》と返答した。「“びーん”は6秒の動画を投稿できるサイト『Vine』を指していると思われます。今回逮捕された少年の1人が、このサイトのアカウントを持っていました。Dはツイートすることで何か動画がアップされたことを周囲に知らせた。それを見た別の少年が、人の死を想起させられたとなれば、自ずと上村くんとの関連を疑ってしまいます。殺害にまつわる動画や、もしかしたら、Aが上村くんの首を切る瞬間の実況動画だったのかもしれません」(捜査関係者) もしそうだとしたら、「イスラム国を真似た犯行」という説も、信憑性を帯びてくる。 遺体が上村さんと確認されてから、インターネット上には、《上村くんを殺害した犯人はこいつらだ》という真偽不明の情報が流れ始めた。中には、顔写真とともに実名や住所が晒され、ツイッターでリツイート(転送)される事態にもなっていた。ネットメディアに詳しい中川淳一郎氏が解説する。「野次馬精神もありますが、それ以上に、悪い奴をこらしめたいというのがあるんですよね。今回の一件でも、“上村くんがかわいそうだ”“なんとしてでも犯人を追い詰めねば”という正義感から、“ネット私刑”をくだそうとした人が多くいたんです。一方で“おれは情報通なんだ”“犯人の写真を発見したぞ”と優越感に浸りたいタイプもいる」 とはいえ、ネットやツイッターの情報は信憑性が低く、過去には滋賀県大津市で起きた中学生のいじめ自殺で、無関係な女性が“いじめの首謀者の母親”として取り上げられたこともあった。 一方、ツイッターでの情報の拡散が奏功したケースもある。2012年にアイルランドで迷子になっていた犬を見つけた駅員が、写真とともに飼い主を探すつぶやきをすると、みるみる拡散されてその日のうちに飼い主にたどり着いたことがあった。 今回の事件では、上村さんを知る多くの人がテレビや週刊誌の取材にこたえてくれた。Aに対して「報復が怖い」と思っていた人もいただろうが、そこには、ツイッターで拡散していく情報に勇気づけられた一面もあったことだろう。関連記事■ 世界をうならせたツイッター創始者、ナイキ創業者の敗者復活■ 「化粧を落とすと別人」と小6娘にツイートされ笑い者の母親■ 個人投資家にはツイッターと「夜のトレード大会議」が便利■ ネットの名誉毀損や個人情報漏洩 実例を挙げた弁護士解説本■ 金子哲雄氏 ヤフー・トピックスの拡散力の速さと威力を実感

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    その「気軽な」書き込みが犯罪です

    最所義一(弁護士)「気軽な」投稿の責任 とある掲示板に書かれていた投稿を、他の掲示板にコピペ。 誰もが「気軽に」行ってしまいがちな行動ですが、その行為が重大な結果を招くことがあります。 高裁判例の中には、コピペによって「新たにより広範に情報を広め、控訴人の社会的評価をより低下させたものと認められる」と判断したものもありますので、コピペだからと言って、名誉毀損の成立が直ちに否定されるものではありません。 コピペした投稿が、名誉毀損に該当するような表現であれば、コピペをした人も責任を問われることになります。 名誉毀損罪について定める刑法230条は「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する」と規定しています。 この条文を見る限り、名誉毀損罪は「その事実の有無にかかわらず」成立することになります。 つまり、名誉毀損表現を行った場合には、その記載内容が真実であるか否かに拘わらず、「原則的に」成立することになるのです。真実であることが大前提 名誉毀損表現が、例外的に許される場合があります。 その例外的なケースについては、刑法230条の2に規定されています。 刑法230条の2第1項は「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」と規定しています。 この規定によれば、表現内容が、公共の利害に関する事実(1)であり、表現することに公益目的があり(2)、記載内容が真実である場合(3)には、例外的に許されることになります。 さらに、(1)の公共の利害に関しては、同じ条文の第2項に「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。」との規定がありますので、人の犯罪行為に関する事実に関しては、その表現行為に公益目的があって(2)、記載内容が真実である(3)場合には、名誉毀損罪は成立しないことになります。 名誉毀損罪の成立に関して言えば、刑法230条の2第2項は、成年者であるか未成年者であるかを区別してはいません。そのため、少年の犯罪行為に関する事実であっても、公共の利害に関する事実(1)に該当します。したがって、その記載内容が、真実である場合(3)には、その表現行為に公益目的が認められる(2)限りにおいて、名誉毀損罪の成立は否定されることになるでしょう。 ただ、同時に、少年法61条は、少年の場合の推知報道を禁止しています。 少年法が、明文で推知報道を禁止している以上、少年の犯罪に関する記載が許容される為には、それ相応の公益目的が要求されることになるでしょう。 公益目的の判断においては、その表現方法や表現内容も判断要素となりますので、表現方法や内容によっては、公益目的を欠くとして、名誉毀損罪の成立が認められるケースも十分に考えられると思います。 名誉毀損罪の成立が否定される為には、まずもって、その記載内容が真実であることが大前提です。仮に、事件とは無関係である人物をあたかも事件に関わった人物であるかのように記載した場合には、名誉毀損罪が成立してしまうことになります。 この場合に、処罰を免れるためには、相当な根拠をもって真実と信じたことが必要ですが、単に、ネット上に記載されているから正しいと信じたという程度では、まず、認められることはないでしょう。裁判所の判断としても、この免責の判断は極めて厳格になされています。背後に「繋がって」いる多数の人背後に「繋がって」いる多数の人 インターネット上の掲示板に投稿する場合、パソコンの画面やスマホの画面を見ながら、投稿するのが通常だと思います。その場合、見ているのは、目の前のパソコン画面や、スマホの画面に過ぎません。 しかしながら、その画面の背後には、何千、何万という人がインターネットを通じて「繋がって」います。 満員の東京ドームのオーロラビジョンに、リアルタイムに投稿した内容が表示されることをイメージして下さい。そのときの観客の驚き、熱狂、叫びを想像してみて下さい。 その熱狂した観客の前に、誹謗中傷を受けた一人の人間が立たされることになるのです。 インターネット上の掲示板へ投稿することの影響は、計り知れません。 名誉毀損行為を行ったとされた場合、その事実について記載することは「犯罪行為に関する事実」に該当することになります。その場合、原則として、名誉毀損罪は成立しません。そうなった場合、今度は、逆に、名誉毀損行為を行った人に対する表現が広く許容されることになります。まさに、逆の立場に置かれる可能性も否定はできません。 私が投稿者を特定した事件で、投稿者は、その動機について「興味があり、広く情報を集めるために投稿した」と説明したケースがありました。このケースは、投稿者が興味本位で行ったケースのようですが、その代償は極めて大きなものとなります。 裁判例の中には、被害者が被った実害の外に、調査費用として100万円程度の請求を認めるものも多数存在しています。 「気軽な」投稿の結果、その代償は、時として、非常に大きなものとなります。 インターネットの発達によって、誰もが気軽に情報発信ができるようになりました。そのことは、非常に素晴らしいことですが、同時に、情報発信には、重大な責任を伴う可能性があること、そのことは、しっかり認識しなければならないと思います。さいしょ・よしかず 弁護士法人港国際法律事務所 湘南平塚事務所所長弁護士(横浜弁護士会所属)。東大農学部卒業後、病院勤務を経て、中央大学法科大学院修了。ITと医療分野に詳しい。ネット上での誹謗中傷、名誉棄損問題に取り組む。関連記事■ 女性専用車両がつくる「断絶」が被害への理解を阻む■ 「小4なりすまし」擁護論も登場、炎上続く■ いま少年法の理念が揺らいでいる

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    容疑者を許すな!─広がる「私刑」の危うさ

    清水 陽平(弁護士) 川崎市の中学1年性の男子生徒が殺害された事件の「犯人(と思われる人)の情報」として、特定の人物の写真や家族の情報などがネットには多数書き込まれています。 「犯人を絶対に許すな」「徹底的に追いつめろ」などの書き込みも散見され、容疑者の画像や情報を投稿したり、それを拡散する人が後を絶ちません。中には犯人の自宅と思われる場所まで行き、住所や写真を掲載するなど「私刑」とも言える行為が繰り広げられています。 逮捕された被疑者らは未成年であり、メディアではこの少年らの氏名等は公表していませんが、ネット上を中心にこのような行為が多くされています。 このような書込みをすることは、実は法的に様々な問題があります。名誉毀損の問題がある まず、実際にネットに書かれた人物が犯人ではなかった場合、特に何の問題もなく名誉毀損が成立することになります。 人の社会的評価の低下をさせることが名誉毀損となりますが、犯人であるとされれば、当然社会的評価が低下することになります。 そして、名誉毀損が成立しなくなるケースとしては、(1)公共性、(2)公益性、(3)真実性、(3)’真実相当性を、いずれも満たすことが必要です。 犯人ではなかったという場合、真実ではない以上、真実相当性があるかどうかという問題になります。真実相当性というのは、真実と信じる相当な理由があることをいうのですが、軽々しく信じるだけでは不足で、相当な証拠をもって信じる必要があります。 「みんなが書いていて犯人であると信じました」とか、「ネットで調べて…」といった程度では全く不足で、これが認められるのはかなりの調査をしたケースです。 したがって、犯人でなければ名誉毀損が成立することになるのです。正しい犯人の情報であっても違法になる可能性 次に、実際に最終的に犯人であることが確定された場合はどうでしょうか。 この場合、一般的には名誉毀損の成立は難しくなってくるとは思います。 しかし、別途、プライバシー権の侵害はあり得ます。犯人であるからどのような情報であっても公開してよいということには、当然なりません。そのため、安易に情報をネット上に流してしまえば、その責任を問われる可能性があります。 特に本件では、犯人が未成年の可能性があるわけなので、少年法61条の問題があります。少年法61条の問題とは 少年法61条は、「氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」としています。 この推知報道の禁止はネット情報にも適用され得るもので、少年についての推知報道は原則としては違法になります。 ただ、判例上、「保護されるべき少年の権利ないし法的利益よりも、明らかに社会的利益を擁護する要請が強く優先されるべきであるなどの特段の事情が存する場合に限って違法性が阻却され免責される」とされています。 本件においては、たしかにひどい事件だとは思います。しかし、しばしば「少年事件が凶悪化している」とか「少年の凶悪事件が増えている」といったことが言われますが、それはデータ上全く正しくなく、上記特段の事情があるといえるかは何とも言えないところです。 なお、犯人であると認められたということがどういうことかを誤解している人が非常に多いと感じるのですが、これは「有罪判決を受け、それが確定したとき」です。決して「逮捕」が決め手にはなりません。 そのため、現時点で書込みをしている人たちは非常に危ういということいなるのではないでしょうか。 家族の情報については書き込む正当な理由はない さらに、家族等の情報も晒されているようです。 少年が犯罪を犯しているケースでは、生育環境などに問題があるケースはたしかに少なくないという印象はあります。しかし、だからといって家族の情報を晒してよいかというと、そんなことはありません。 家族の情報を晒すことはプライバシー侵害の問題を生じるでしょうし、書き込む内容によっては名誉毀損の問題も生じます。 このように安易な書込みは種々の問題を生じることになります。 また、情報をコピー&ペーストして書き込んだり、リンクを貼るだけであっても責任を問われる可能性は否定できないものです。したがって、自分なりの「正義感」を振りかざした安易な拡散はするべきではないでしょう。  しみず・ようへい 2007年弁護士登録(東京弁護士会)。都内法律事務所、都内コンサルティング会社を経て、法律事務所アルシエンを開設(共同代表パートナー)。2ちゃんねるをはじめとしたインターネット上でされる誹謗中傷への対策、炎上対策のほか、名誉・プライバシー関連訴訟、各種規約・契約書の作成、労務問題等の企業法務についても対応。関連記事■ 「小4なりすまし」擁護論も登場、炎上続く■ 誰のための「親」なのか ―泣きわめく赤ちゃんと大人たち■ 社会が知らない「最貧困女子」の実態

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    「小4なりすまし」とは結局なんだったのか

    自民党圧勝で幕を閉じた衆院選だが、公示前に気になるニュースがあった。大学生が「小学4年生の中村君」になりすましてサイトを立ち上げ、「どうして解散するんですか?」などと政治的な主張を発信し、各方面に波紋を広げたあの〝事件〟である。