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    「こち亀」が日本人に愛され続けた理由

    秋本治氏の人気マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が最終回を迎えた。単行本200巻はギネス世界記録に認定され、連載開始から40年の間、一度の休載もなかった偉業を称える声はやまない。「こち亀」はなぜ日本人に愛され続けたのか。その理由を読み解く。

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    原点は伝説のギャグ漫画 「こち亀」が警察ネタでヒットしたワケ

    区亀有公園前派出所』が連載四十年、単行本全二百巻を期に完結する。偉業である。単一作品で最も巻数の多いマンガとしてギネスブックにも認定された。国際的にも名声が高まることになるが、紹介・言及する時、この書名はどうするんだろう。『Kochira・・・』とそのまま長々と書いても、略称で『Kochi-Kame』としても、どっちみち外国人には通じないし、といっても『Hello,This is・・・』と英訳すればいいというものでもなかろう。なんだか嬉しい悩みがマンガ界に起きそうな気配だ。 四十年の長期連載というと、これに肩を並べるのは「ビッグコミック」連載のさいとうたかを『ゴルゴ13』ぐらいだろう。『ゴルゴ13』は、一九六八年連載開始だから四十八年の連載である。ただ、「ビッグ」は月二回刊誌(隔週刊誌とほぼ同義)だから、単行本は現在百八十巻ほどである。興味深いことに、両作品とも休載が一度もない。これもまた偉業の両雄と言えよう。(C)秋本治・アトリエびーだま/集英社 『こち亀』連載開始時、秋本治は当年二十四歳の新人マンガ家であった。事実上のデビュー作であり、それが代表作にもなっている。若い読者にはあまり知られていないことだが、連載当初、作者名は「山止(やまどめ)たつひこ」となっていた。単行本も古い版では六巻まで山止名義であり、この名義の単行本はマニアの間では珍重され、古書価も高くなっている。 作者名改正の理由として、山上たつひこから抗議があったからだとされている。「少年ジャンプ」第三代編集長、西村繁男の回顧録『さらばわが青春の「少年ジャンプ」』には、その経緯が次のように記されている。「このペンネームは、『少年チャンピオン』に連載され評判になっていたギャグ漫画『がきデカ』の作者山上たつひこをもじってつけたものだった。投稿原稿の一回こっきりのペンネームとして作者は考えていたが、入選作を掲載してみたら、読者の反応がすこぶる強いので、急遽連載にふみ切ったのである。しかし、山上氏より、まぎらわしいからとペンネームにクレームがつき、昭和五十二年の秋に、本名の秋本治に変更することになる」 山上たつひこからのクレームなるものがどの程度のものであったのか、文面からはよく分からない。作者当人はさほど気にもしていなかったが、編集部や出版社の版権管理部の強い意向が働いた可能性もある。というのも、秋本治名義に改正されている現行版『こち亀』第一巻でも、最終章名は「山止たつひこ笑劇場 交通安全76」のままだからである。長期連載の理由は初期設定の良さにあり ともあれ、秋本治自身は、当時驚異的人気を誇っていた山上たつひこ『がきデカ』を愛読し、一種のパロディー作品を描こうと思ったのだろう。新人マンガ家が尊敬する先輩マンガ家に憧れることは自然である。このことはギャグの作り方にも表れている。 『こち亀』の描線は、伝統的なギャグマンガの描線とは違い、劇画系の描線である。伝統的なギャグマンガ(ユーモアマンガ、ゆかいマンガなどと言った)の描線は、太さが均一で、省略法が多用され、輪郭線は閉じている。簡単に言えば、「略画」なのだ。 しかし、一九七〇年代前半に、劇画系の描線で描くギャグマンガが登場し、爆発的な人気を博した。山上たつひこの『がきデカ』であり、これとほぼ同時期の楳図かずおの『まことちゃん』である。ギャグ大王と呼ばれた赤塚不二夫でさえ『天才バカボン』などでわかるように、伝統的な描線であった。秋本治は、この点でも山上の系譜に属している。(C)秋本治・アトリエびーだま/集英社 『こち亀』長期連載の理由は、初期設定の良さだろう。主人公が型破りの警察官、両津巡査長である。巡査長とは警察官の階級で下から二番目、ただし正式な階級ではない。駆け出しの新人ならともかく、二十代後半か三十代初めとおぼしき両津は、出世に興味がないということになる。ただし、ギャンブルや酒、少年誌だから露骨には描けないが、加えて女に興味がある。感情むき出しで粗暴なふるまいをする半面、おっちょこちょいの好人物でもある。 これを取り巻くイケメンの伊達男の中川、鈍重な寺井、凶暴でヤクザまがいの戸塚・・・、連載数回でこれだけの役者をそろえた。どんな話でも演じさせられることになった。実際、その時ごとの流行物を巧みに取り込んだし、登場人物の入れ替えも適宜行っている。 掲載誌「ジャンプ」の発行部数は、『こち亀』開始時が百八十万部、それ以降伸びが著しく、一九九五年には、六百五十万部に達した。現在は二百二十万部前後である。しかし、『こち亀』は常にアンケートで中央値を確保し、全掲載作の基準作ともなっていた。瞬間値でトップを取るのも十分に栄誉だが、四十年間、時代の変化にふり回されず安定的に笑いを演出できたのは並みの才能ではない。秋本治は偉業を成し遂げたと言っていいだろう。 

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    正しく通俗であるがゆえにリアル 「こち亀」が日本人に教えたもの

    際大学人文学部教授) 通称「こち亀」。この短く端折った呼ばれ方こそが、今様読み物文芸としてのニッポンマンガの栄光である。 人気マンガ作品がこのように略して呼びならわされるようになったのは、概ね80年代末から90年代にかけてのころである。週刊『少年ジャンプ』の600万部以下、週刊誌でのマンガ商品がそのようなとんでもないオーダーで流通し消費されるようになった戦後ニッポンマンガのまさに黄金時代。そういう当時の情報環境があって初めて「スラダン」「ゴー宣」その他、人気を博したマンガ作品にこのような呼び方が当たり前にされるようになっていた。 連載開始以来今年で40年、ということは当時でもすでに20年ほどたっていたことになる。そして、その間必ずしも第一線の人気を維持し続けていたとは言えない作品が「こち亀」と呼ばれるようになったのも、毎週の人気投票で生き残りが決められる最も苛烈な『少年ジャンプ』という舞台で、今日までしぶとく粘りに粘って生き残っていたからに他ならない。まずはこのことを、あの両さん以下「こち亀」世界の住人たち、そして作者の秋本治さんのために喜びたい。「週刊少年ジャンプ」連載の人気漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が連載が終了すると明かされ、漫画の舞台となったJR亀有駅近くの両津勘吉像と写真を撮るファン=9月3日夕、東京都葛飾区 - とはいえ、すでにこの「こち亀」の終了をめぐっては、専門家も含めていろんな方がそれぞれの視点でコメントしている。ここでいまさら屋上屋を架すのも野暮、ということで一点だけ。「こち亀」はいま、この時期に自ら幕を閉じてみせることで、マンガが正しく「通俗」であることに改めて思い至らせてくれた、このことをちょっと述べておきたい。 足かけ十数年、延べ140本以上のマンガ作品を取り上げてきたテレビ番組『BSマンガ夜話』でも、「こち亀」は扱っていない。何度か候補にあがってはいたけれども、結局流れたのは、分量が多くて出演者がきちんと読み込むのが大変という物理的な制約とともに、やはりどこかで「連載」モノ、殊にこのような長期連載となったある種の国民的規模での「おはなし」が必然的に帯びざるを得ない、ある種の通俗性に対して敬して遠ざける意識がどこかで働いていたのかも知れない。そう言えば、「サザエさん」も取り上げていなかった。「ドラえもん」や「ゴルゴ13」は頑張って取り上げたのだけれども。「こち亀」もまた「意識されざる公教育」の果実 「連載」という形式での「おはなし」というのは、何も活字やそれに類する紙に印刷された媒体に限らず、寄席その他の生身の上演や口演における続きものなども含めて、どうやらわれらの社会にある時期以降、宿ってきたものだった。新聞や雑誌には連載小説があったし、それらは売り上げを左右する重要なコンテンツでもあった。 NHKの「朝ドラ」がいまだに「連続テレビ小説」と称していることを思い起こしてもらってもいい。それまで月刊だった子ども向け雑誌が週刊になり、活字主体の読み物など他のコンテンツと並べられていたマンガが独立した専門誌になっていったのは高度経済成長の始まるころ。ラジオもまた、戦前はともかく戦後はそれら続きものを主な武器にしてきたし、新しいメディアのテレビもまたその習性に従った。 新たな情報環境に宿る「連載」「続きもの」の「おはなし」は、そのようなわれらの日常、日々の暮らしの当たり前になってゆき、それらを介して浸透してゆく価値観や世界観、素朴な道徳や世を生きてゆく上での約束事といったものもまた、わざわざそうと意識せずともある種の「教養」として人々に共有されるようになっていった。それはわれらの社会における「意識されざる公教育」でもあったのだ。 そのように「連載」「続きモノ」としての「おはなし」をそれこそまるで空気のように、自然に当たり前に呼吸する、いや呼吸できる環境にわれわれは生まれ、育ってきたらしい。週刊誌のマンガ専門媒体が複数林立し、それらが最盛期には数百万部規模での市場を獲得、当然読み手もまたそのオーダーで編成されていった社会、そして時代というのがすでにあった。そのことの意味やとんでもなさについて、おそらく当のわれら日本人自身がいまだよく思い至っていない。「サブカルチャー」などという目新し気なモノ言いでひとくくりにして事足れりという考えなしが昨今、また事態をさらに不透明にしてゆき、同情薄い「分析」「解釈」「批評」のひからびたことばの手癖だけが得意げにそれらを後押ししてゆく。(C)秋本治・アトリエびーだま/集英社 けれども、確かなことがある。今回の「こち亀」終了をめぐって、メディアの舞台の外で、さまざまな人たちがさまざまにその「想い」を語っている。もちろん単行本を全部揃えているという人は少ないだろう。けれども、人生のある時期「こち亀」と出会ってそのことから何かを受け止めていっただろう、国民的規模での「意識されざる公教育」の果実は、全て見通すことはできずとも、間違いなくこの時代の眼前にある。 40年という年月、単行本にして延べ200巻という規模の「おはなし」の集積は、おそらく「研究」や「批評」「評論」の土俵に正当に乗せられるまでにはまだしばらくかかるだろう。だが、そんなことはどうでもいい。マンガは昔も今も、正しく「通俗」であり、通俗であるがゆえの「リアル」を静かに宿しながら眼前にたたずんでいる。「こち亀」がいま、自ら幕引きすることで思い至らせてくれたそのことは、あらゆる知的な言葉やモノ言いが軒並み煮崩れ、信頼を失いつつあるかに見える今、この時代の日本語環境において、それらの言葉の失地回復を志す立場にとっての福音にもなるはずだ。

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    「こち亀」連載終了の決断を支持する

    常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師) 『こち亀』の連載終了が発表された。40年の長寿連載に幕 コミックス200巻で完結(まんたんウェブ) - Yahoo!ニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000005-mantan-ent(C)秋本治・アトリエびーだま/集英社 著者の秋本治さん、スタッフの皆さんに感謝したい。お疲れ様でした、と。 まだ最終回を読んでいないからなんとも言えないのだが、良い決断だと思う。人気投票で強制終了なんてことがあり得る、生き馬の目を抜くような週刊少年ジャンプの競争社会において、これだけ続くのはスゴイことだ。もちろん、作品自体が続けやすいフォーマットだったということもあるのだけど。Twitter上では「200巻で終わるように綿密に調整されていたのではないか」との説も出ているが・・・。40周年、200巻で終わるという決断が素晴らしい。どんな終わり方をするのか。今から楽しみだ。 秋本治さんは『情熱大陸』にも登場したことがあり。両さんのようなキャラでは全然なく。物静かな職人タイプである。建築物を描く際などにはちゃんと取材に出かけ、カメラとビデオで両方、立体像を抑えるなどのこだわりも紹介されていた。沢山のスタッフとの協業も。 『こち亀』にピリオドをうつことによって、次の創作活動も始めるとのことで。結構な年齢なので、実は『こち亀』終了というのは、創作意欲の現れだとも言えるのだろう。漫画化人生も後期に入る中で秋本治さんが何を描きたいのか、何を伝えたいのか。期待したい。 ここからは、ファンとしての自分語りになる。40年も続いているだけに、作風は何度か変わっている。自分が漫画に熱中していた時期とも重なるのだが・・・。私は初期というか、50巻くらいまでの頃が好きだ。これも、だいたい2期くらいに作風がわかれ。最初はスーパーバイオレンスおまわりさん的だったのだが、だんだん人情おまわりさん風になり。漫画を読んで、お腹を抱えて笑った体験は、『こち亀』が人生で初めてだった。 でも、それは既存の警察官像をガラリと変えたものであり。漫画の中ではあるものの、こんな社会人がいていいんだと思ったりしたものだ。よく大学教員っぽくないと言われるのだけど、どこかで私は両さんみたいな人を目指しているのかもしれない。(C)秋本治・アトリエびーだま/集英社 両さんは、大人の趣味を紹介してくれる漫画でもあった。プラモデル、ラジコンなどで無邪気に遊ぶ様子は、当時は新鮮で。そうか、大人になっても遊びをやめなくていいんだと思った次第だ。大人になる、警察官になるということ自体が自由な人生の終わりではないのだと勇気づけられている。 サブキャラクターの秀逸だ。バイクに乗ると豹変する本田速人、キザな星逃田、五所川原の親分などがお気に入りのキャラだった。ゴルゴ13を真似したキャラ、後流悟十三の登場回も傑作だった。オリンピックのたびに覚醒する日暮熟睡男さんは、東京オリンピックを迎えることがなくなってしまい、そこは残念なのだが。 2005年から墨田区に住んでいる。葛飾区、荒川区、足立区、台東区が近く、まさに両さんエリアに住んでいる。住み始めた頃から、「両さんっぽい街だなあ」と感じていた。 歩いていると、たまに両さんとすれ違ったかのような気分になる。自分は両さんみたいな型破りな、人生楽しんでいる社会人になれているのかと、問いかけられているかのようだ(幸い、職務質問ではなく)。 その度に、私はこうつぶやく。「両さん、おかげ様で人生楽しんでいるよ。あなたにはまだまだかなわないけどね」と。連載は終わるけど、私と両さんの関係は続くのだ。(「陽平ドットコム~試みの水平線~」より2016年9月3日分を転載)

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    漫画通の石破茂氏が「演説で台詞を拝借した」という漫画は?

    。面白く、しかも知識がつくというサラリーマンにピッタリの漫画を紹介する。 毎年のヒット作を表彰する『マンガ大賞』の発起人で、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記氏は、「投資本よりも、経済の仕組みが頭に入ってくる」として、『インベスターZ』(三田紀房、講談社刊)を推す。経済漫画といえば、サラリーマンや起業家が主人公というのがお決まりだが、同作の主人公は中学生だ。 「学校の“投資部”に所属する中学生が『投資は遊びだ。ゲームを楽しめ』といって、運用資金3000億円をバンバン動かす非現実的な設定ですが、内容は、ウォーレン・バフェット氏や堀江貴文氏らの実例を引用する本格派。漫画が投資の指南書の挿絵の役割を果たしてるから分かりやすい」 防衛相や自民党幹事長などを歴任し、漫画愛好家としても知られる石破茂・代議士は、『加治隆介の議』(講談社刊)と『黄昏流星群』(小学館刊)という、弘兼憲史氏の代表作を挙げた。記者団の質問に答える石破茂氏=2014年8月、首相官邸(酒巻俊介撮影) 「政治漫画といえば『加治隆介の議』でしょう。連載が始まった1991年は、僕はまだ当選2回目。首相まで上り詰めた主人公・加治隆介は憧れだったなあ。『黄昏流星群』は、60~70代なら共感できる人が多い作品ですよ。同窓会でバッタリ会った学生時代の同級生と恋に落ちるなんて……いいよねぇ~。あっ、僕がそうだという訳じゃないですよ」 そんな石破氏が「もう一つ政治漫画を挙げたい」と熱弁を奮うのが『サンクチュアリ』(原作・史村翔、画・池上遼一、小学館刊)だ。 「『加治隆介の議』と違って主人公が総理になる直前で死んでしまう。かっこ良い台詞が読み所だな」 お気に入りは、当選1期目の主人公が先輩議員に「あんたは派閥の番頭になるのが目的で代議士になったんですか。あんたたち団塊の世代がナマクラだから、今の政治ができあがっちまったんだよ」と言い放つシーンだ。 「痛快だよね。こうありたいと思いますよ。出てくる台詞のいくつかは拝借して、演説で使った気がする。どれを使ったか? それはいえないな(笑い)」(石破氏)関連記事■ 『あしたのジョー』のラストをちばてつや氏が独自解説した書■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「オール民主党」■ 「ママの憧れ」 永作博美がベストマザー賞授賞式で見せた笑顔■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ「TPP後の世界」■ 呉智英氏が「70歳になる私が号泣した」と語る漫画は?

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    いつもそばにある「こち亀」は私たちの精神的支柱だった

    鈴木涼美(社会学者) オトコを街に例えるとして、分かりやすく六本木や霞が関や渋谷や歌舞伎町のオトコなんていうのは顔が浮かびやすく、当然、オンナとしてはそういう男たちに愛されたい。逆に北海道や大阪なんていうのもまたそれはそれでオンナとしては愛されて損はないというか好きなひとは好きという感じがしなくもない。蒲田とか綾瀬とかのオトコも私は個人的に嫌いじゃない。葛飾区っぽいオトコってどんなだろうか。中肉中背の郵便局員、あるいはスーパーの店員。さしずめそんなところであろう。JR亀有駅前にある制服姿の両さん像。横断歩道を挟んで背後にあるのがモデルとなった北口交番 こち亀の主な舞台は葛飾区である。葛飾区、響きからして冴えない区である。私は新聞記者時代、地方行政の取材をしていて担当は東京都と23区のいくつか。都庁担当の記者数人が23区をそれぞれ5~6区担当するのだが、当然話題が豊富な渋谷区や港区、千代田区や新宿区というのが記事も書きやすいし人気なわけで、次点としてスカイツリー建設中だった墨田区や、商店街振興なんかが暇ネタになる品川区、人口急増してこの時代に珍しく学校新設なんかがされてる江東区、待機児童ネタがつきない世田谷区、都の文化施設が結構あって何かと改修されたりする台東区なんかがあった。バランスがいいように、各自の担当は人気区が1~2個、次点が2~3個、などと分かれており、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区、杉並区など、別に住んでもいいけど記者的にはそんなに食指が動かない影の薄い区がおまけでくっついてくるというのが定石だった。 というわけで私は、渋谷・新宿・品川・世田谷のほかに葛飾区と大田区も担当することになり、生まれて数回目に京成線に乗って立石にある葛飾区役所なんかを訪問したりなんかした。東京って広いので、新宿スワンも東京、六本木心中も東京、こち亀も東京である。葛飾区に関する記事で、次年度予算の事業計画の他に書いた記憶のあるのが、亀有駅周辺に、区がこち亀の銅像を設置したという話と、それが何者かによって故意に破損されたという話である。で、亀有駅なんて一生降り立つことはないと思っていた駅で降りて銅像の写真を撮ったり、記者クラブへのおみやげにこち亀饅頭的な物を買ったりしたものである。葛飾区っぽいオトコではない葛飾区のオトコ 漫画には二種類あって、ひたすら引き込まれてやめられなくなるものと、常にそこにあって好きなときに手に取り好きなときにまたそこに置けるもの。後者の代表格であるように感じられるこち亀だが、それは単純に長く連載されていたとか、人が死なないとか、主人公が男前じゃないとか、ロマンチックラブがないとかっていうことではなく、おそらく葛飾区にカギがある。(C)秋本治・アトリエびーだま/集英社 こち亀は必ずしもほのぼのとした話ではない。そういう意味ではサザエさんやあさりちゃんとは大分異質である。過激で国際的な回もあるし、暴れるし、時空まで超える。しかし、次回には必ず冴えない葛飾区のさらにしみったれた亀有に戻っているのである。日常というのはそう簡単にそこから逃れられない退屈で平坦なものだし、多くの私たちにとってそれはとても冴えない。けれども一度そこから引き剥がされると急に心細くなり、平坦で退屈だった日常を懐かしみ、戻りたいと願う。離れてみるとその盤石さと力強さが愛おしくなるのである。 日常というのを地元、と置き換えることもできる。地元が表参道であるとかいうすかしたレア人間は別として、多くの人の地元はギラギラとした刺激もスラム街のようなひりひり感もない、退屈なものである。ただし、そこから離れるとなんだか駅前の原色の看板やパチンコ屋でタバコ吸ってるオジサンや公営住宅の脇の公園とかが妙に懐かしく、恋しく感じられる。日常というのは、地元というのは、まさに葛飾区なのである。冴えなくてつまらなくて、恋しい。 こち亀は別に平坦な日常のヒトコマを描いた作品ではないし、両さんも退屈なオトコではない。しかし、葛飾区という圧倒的に平坦な冠をつけることで、常にそこにある漫画として孤高の位置まで上り詰めている。両さんは冒頭で言う葛飾区っぽいオトコではない。野性的でエロくて暴れん坊である。ただし、葛飾区のオトコであることに変わりない。これが六本木や渋谷でなく、またちぇるちぇるランドやこりん星やナルニア国でないことは極めて重要である。さらに、舞台が派出所、つまり警察という、言ってみれば我々住民の日常を守るべく設置された国家機関であることも当然それをさらに強いものにする。 平坦な街を飛び出し、事件が起こり、退屈な日常をドラマチックに補完する。これはフィクションの大きな役割である。しかし、その根底に、私たちの日常よりもさらに安定した平坦で冴えない日常の時間が流れていること。これもまたフィクションのドラマチックさとは別の役割でもある。私たちの日常は退屈だが、同時に不安定であるのも確かだからである。つまらないくせに、失うとなかなか取り戻せないもの。それをノット・ドラマチックに補完するフィクション、私たちはこち亀の連載終了で、大きな精神的支柱を失うことになる。

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    「こち亀」原作者、秋本治さんに聞く両さん「無欠勤」の秘訣

     サンダル履きの警察官「両さん」が大暴れする週刊少年ジャンプ(集英社)の人気漫画「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が、連載30周年を迎えた。連載漫画は、読者アンケートで人気がなければ即打ち切りという厳しい世界。その中で30年も人気を保ち続けているのは驚異的だ。アイデアが尽きるということはなかったのか。作者の秋本治さん(53)に“長寿の秘訣(ひけつ)”を聞いた。(堀晃和) 「こち亀」の連載が始まったのは昭和51年9月。驚いたことに、ハードな毎週の掲載にあって、これまで一度も連載を休んだことがない。読者の熱い支持はもちろん、何よりも作者自身がネタに困ろうが、病気になろうが、描き続けないと、この偉業は達成できない。 「“貯金”をするのがコツです」と秋本さん。月に4週あれば、5週分を描きためる。そうすれば1週休める。奇策があるわけではなく、心の余裕を保つことが秘訣だという。秋本治さん これは、連載当初に担当編集者から受けたアドバイス。「ぼくは描くのが遅くて、時間がないとパニックになるんですよ」と笑う。以来、予定表を作って締め切りを前倒しで設定し、仕上げることにした。 「原稿と休みを“貯金”しておけば、万一倒れても大丈夫だし、作品も冷静に見られる。空いた時間にネタ探しの取材にも行けるでしょ」 そうはいっても、30年も続けていればネタに困るときがあるのでは-。「正月などの年中行事を軸に、下町の商店街の様子や、お巡りさんの生活などを入れると1年は埋まる。逆にアイデアを削るのが大変」だそうだ。 基本は下町を舞台にしたギャグ漫画だが、原則1話完結でアクションや恋愛などさまざまなジャンルを盛り込んでいる。例えば、弓道に凝ったときは、日本文化の良さを作品の中で伝えたことも。パソコンや携帯電話が登場すればいち早くネタにするなど常に最新事情を反映させてきた。時代設定も、郷愁を誘う昭和30年代から現代まで。世の中のあらゆる事象がネタとなる。読み切り形式なので、毎回違う話が読者を飽きさせない。 両さんのアイデアは、当時、映画「ダーティハリー」や、テレビドラマ「太陽にほえろ!」など刑事物がはやっていたことがきっかけ。交番のお巡りさんで、競馬もするし酒も飲む、本能のままに生きる警察官はそれまで誰も描いておらず、目立つと思ったのだそうだ。 連載10年、20年の節目では、続けていいのかと、自問したことも。だが、描いているうちに面白い素材が見つかり、まだまだやりたいと思うようになったという。 さて今回は-。「新たな展開が思いつく間は、描かせていただきたい」。「こち亀」ファンには何ともうれしい答えが返ってきた。

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    「センゴク」宮下英樹が語る真実の信長

    織田信長とはどんな人物だったのか。多くの研究者や歴史ファンを虜にする彼の人物像は、いまだ多くの謎に包まれる。数々の古戦場や城跡を踏査し、膨大な資料を読み解いた独自の解釈が専門家をも唸らせる人気漫画「センゴク」の著者、宮下英樹氏に、自身が思う信長像を大いに語ってもらった。

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    「センゴク」宮下英樹が語る真実の信長

     戦国乱世の革命児とのイメージが定着した織田信長だが、最新の研究ではこうした「破壊者」としての人物像を否定する学説に注目が集まっている。信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕えた戦国武将、仙石秀久の生涯を描いた人気漫画「センゴク」シリーズの著者、宮下英樹氏に自身が思う「真実」の信長像を大いに語ってもらった。 若手研究者として注目を集める金子(拓・東大史料編纂所准教授)先生の、「革新的なイメージの強い信長が、実は保守的だった」とする説は説得力があると思います。ちょっとニュアンスが難しいんですけど、例えば、スティーブ・ジョブズってあれだけ有名なのに、でも特に新しい発明してないじゃんみたいな。実は彼の凄さはもっと違うところにあって、信長についても同じことが言えるのかなと思う。そういう意味で凄さや新しさのニュアンスっていうのが難しくなってきたと思ってます。 昔は誰かが何かを為せば、全部が全部、新しいことをしてきたような受け止め方になっていたけど、最近はそんな新しいことしてないって否定的な見方も当たり前になってきた。でも、本当の新しさって、そこでもないっていうか、信長に関して言えば、彼がやりたかったことは、領土を拡大することだから、それ以外は政治的に何か新しいことをしないといけないわけでもなかったはずなんです。それを無視して、信長は大したことないっていうのはやっぱり違うと思う。宮下英樹氏=東京都文京区の講談社(瀧誠四郎撮影) 僕が描きたいのは、とにかく彼の苦労人の一面っていうか、もっと端的に言えば失敗がむちゃくちゃ多くて、失敗の連続の中で生き抜いた事実なんです。「信長公記」に書かれている信長の姿は、野営の中で鎧とか兜を枕にして寝るとか、ハンニバルのアルプス越えの苦労じゃないけど、部下のみんなに苦労しているところを見せてるところ。ルイス・フロイスも書いているように、誰よりも遅く寝て早く起きるみたいな。人一倍苦労しているからこそ、強権的なところも許されているってイメージが強いですね。 でも僕の漫画で描く信長は、苦労人というよりは破壊者っぽいですよね。実情として考えているのは、彼が分かった上で壊してるのか、木曽義仲みたいにただ闇雲に壊してるのかということです。足利義昭(室町幕府15代将軍)の追放のやり方一つをみても、田舎者が暴れて壊すというより、かなり慎重にやっているな、という感じがします。当時の書状や記録などを読んだんですが、実際はかなり慎重に宣伝しながら、時期を見計らってまさにこの瞬間というタイミングで義昭を追放している。信長という人物を考えたとき、壊すものと残すものの取捨選択が特にうまいっていう印象もありますね。いきなりメジャーを目指さなかった慎重さ 金子先生が最近提唱した学説では、信長が足利義昭を奉じた目的は、京都を中心とした畿内の秩序維持であり、将軍をサポートして自分が政を執り行うという意味だったそうです。言い換えれば、信長の目指した天下とは日の本の統一ではなく、畿内制圧だったという見方ですよね。これは難しい解釈なんですけど、やっぱり僕も金子先生の言う通り、信長が義昭を奉じた時点では、全国の大名に向けて日の本を統一する宣言をしようなんて考えてなかったと思います。当時の状況を考えれば、信長がそれを宣言した瞬間、全国の大名を敵に回してしまうことになる。信長はそんなつもりではなく、やっぱり「将軍家をサポートしますよ」という宣伝が大きな目的だったのかなと思う。義昭を奉じて以降は、少しずつ周囲を観察しながら「あっ、こいつも大したことないな」「京って言ってもまあ大したことないな」って肌で感じるようになり、少しずつ野心が大きくなっていったのだと思う。 東大史料編纂所の金子拓准教授は著書「織田信長 <天下人>の実像」で信長が早くから天下統一を意識していたという見方を否定。愛用していた「天下布武」印も天下取りの宣言ではなく、室町幕府・足利将軍家を助けて京を中心とした畿内統治への意志を示したものだという新たな信長像を提示している。織田信長 <天下人>の実像(講談社BOOK倶楽部)宮下英樹氏=東京都文京区の講談社 当時は、京都で数年間過ごして、それを維持できただけでも、過去にあまりないことだった。その時点で自分の能力にある程度の確信はできたのかなって感じですね。ちょっと単純かもしれないけど、僕はこの時代に生きた人をプロ野球選手みたいに考えているんです。例えば、高校で通用したら、次はプロでもやれて、さらにその上のメジャーへ行くみたいな。信長も最初からメジャーを目指すぐらいの気概がうっすらあったとは思うんですけど、それは自分の成長とともに段階を踏まないといけないし、誰だっていきなりは通用しないことも知っていた。 ましてや、京都のしきたりだって分かんないと壊しようもない。だからまずは京都のスタッフというか、松永弾正(久秀)とか、ああいう畿内の事情に精通した人物を集めて使ったというのは、信長が慎重にやっている表れでもある。比叡山の焼き討ちの時だって、ちゃんと周囲に相談して意見を聞いたりとか、一応念入りに下調べした上で実行した。彼の内面にはその慎重さと、いつかぶっ壊してやるという破壊的な部分がいつも同居している。すごく曖昧な見方になっちゃいますけど、自分が描いているよりはもっと理知的にやってる気がしますね。 ところが、ある時点までは慎重にやっていながら、突然急にキレてしまうことがあるんですよね。しかも感情的に。その時には、いろんな事が一気に進んでしまう。でも、彼は下調べした上でキレるから、一気に物事が進んでもそこまで大きな問題にはならない。何かを壊したときの反発が、いつも想像の範囲内で済むっていう感じなんです。もちろん、キレすぎて、「あっ、ちょっとやりすぎかも」っていう時も、たぶんあったと思いますけどね(笑)。裏切りの耐性が強権につながった裏切りの耐性が強権につながった 信長という人物像を考えるとき、まず思うのは、彼が「裏切り」に関する耐性が強いってところです。尾張の時代から裏切りにいっぱい遭ってきているし、その経験から事前察知というか、裏切りに対してあまり怖がらなくなったのは大きいですよね。ふつう1、2回裏切りに遭えば、次は慎重になっていくものなんですが、信長ってこの部分だけは全然慎重じゃない。裏切りにはさらに大きな裏切りで返すっていう耐性がある。 佐久間(信盛)に出した折檻状を読むと、信長はかなり起業家的な考え方があって、とにかくお金回り優先の家臣遣いだった。例えば、佐久間を責めた理由の一つは、褒美とかを貯め込んで家臣に分け与えないことだった。つまり家臣が内部留保を貯め込むみたいなことをとにかく嫌う。褒美を与えられたら与えられた分、すぐに部下に分け与えることを好む。あと寄騎って、企業にとっての派遣社員みたいなものなんですが、寄騎の武将を酷使するなとか、本当は使い勝手がいいはずなんだけど、それを酷使することも嫌う。ちゃんと自分の育てた家臣を前線に立たせて、そのサブとして寄騎を使えとか。それと、失敗した家臣もすぐに首にするんじゃなくて、ちゃんと挽回しろっていう、すごい合理的な起業家精神を持っている。『佐久間折檻状』 天正8(1580)年、信長が古参重臣の佐久間信盛に送った書状。19箇条からなる書状には、他の重臣に比べての武功不足や保守的な戦略など無為をあげつらわれ、信盛は高野山に追放された。織田・徳川討伐に動き始める武田信玄=「センゴク」8巻(C)宮下英樹/講談社 これも謎なんですが、当時の一般的な考え方として「家を残す」という思想があったはずなんですけど、信長はこの思想から部下を切り離すことに成功した。本来、大名というのは、いかに家中の感情をなだめていくのかが非常に重要な仕事でもある。(武田)信玄とかも、ちゃんと法律をつくって徹底的に順守させた。他にも、結城家っていうところも、やっぱり家臣が自分の家を守るためには裁判で黒を白にしちゃうぐらい極端なことをやっている。家臣の非を責めてすぐに切腹されたら困るし、だからこそ多くの大名が独自の法律をつくって、ちゃんと家臣をなだめたりしてたんですけど、信長は最期までそれやらずに済んだ。やっぱり家の思想から切り離したことが大きいんだと思うんですけど、それができたのは金銭力、つまり経済力があったからなんでしょうね。でも、根本的にはちょっと謎ですね。なんで信長だけ家臣の感情を無視しながら、あれだけ領土を拡げることができたのか。 それと当時は、武士がお金を扱うことを忌み嫌う風潮があった。だから銭勘定は商人にやらせたし、しかも経済学なんて学問もないからリテラシーだってほとんどない。でも信長は違った。他の大名と比べても、お金の扱い方は圧倒的に優れていた。歴史をひもとけば、鎌倉時代とかの荘官でも凄い羽振りのいい人って、その金回りが謎だったらしくて、結局は周りの人に妬まれて潰されるんですけど、荘官程度でもお金の扱い方次第で大名クラスの生活ができたというから、信長の時代もお金の扱い方一つでものすごい差がついたのだと思う。お金を使えるか使えないか、単に得意っていうだけで、信長は他の大名よりもすごく優位に立っていたはずです。 織田家は代々、荘官の家柄だった。商業地である尾張の津島で、しかも民間人と付き合っていたというのが大きかった。家老の子なのに庶民と付き合って、卑しいと思われていたお金の扱いを学んでいたなんて、当時の感覚では有り得ない。これは想像なんですけど、信長は荘官の時代からお金のリテラシーをどんどん学んでいったんだと思う。信長は室町オタクだった 関西の研究者の先生と話したりすると、もうちょっと関西の事情を考慮すべきだって教わることがあります。考えてみれば、尾張から来た信長が当時の都である京の秩序をいきなりは壊せない。ちょっとニュアンスが難しいですけど「自明性」というやつですよね。世の中はこんな風に成り立ってるという、あれです。この社会がどのように運営されているのか、というシステム。実はこのシステムを壊すのが一番難しい。安土に伺候する徳川家康への饗応に関して相談する織田信長(上段左)と明智光秀(同右)=センゴク一統記1巻(C)宮下英樹/講談社 さっきも言いましたが、信長は極めて慎重にやっていて、信長以前の歴史上の権力者がいずれも朝廷に取り込まれてきたということもよく知っていた。信長は朝廷に対し暦の改訂を求めていますが、これも自明性の一番大きなものですよね。日付を決めるというのは日常を支配することですから。ちょっとずつちょっとずつ朝廷ありきの社会の自明性を、取り込まれないように、あんまり入り込まないように変えていこうとした。 僕は、信長が京都に住まなかったのもその一つだと思うんです。信長はむしろ怖いぐらいに朝廷を見ていたと思うんです。将軍を追放しても何とか成り立つというか、京都の秩序を維持することができたけど、朝廷を壊したらもっと大きな問題が起きるんじゃないかって恐れを感じながら、でもどこかで壊そうとしてるっていうのはすごく感じますよね。だけどちょっとずつ、何を壊したいとか、朝廷権力というより、秩序の中心に成り立ってる社会の自明性を壊すことを極度に恐れていた気がします。 ただ、それでいて単なる欲望と言うか、損得によって邪魔なものを壊すのが信長の考え方だったから、朝廷が表立って邪魔しない限りはそんなに急いで壊そうとも思っていなかった。それが、いつの頃からか朝廷に対して感情的にキレてしまう。信長にしてみれば、「もう、こいつは要らねえな」と思った時は、いつでもすぐに壊せるだけの準備はしていたと思います。 もう一つ、僕のイメージなんですけど、信長は「室町オタク」だったと思うんです。これは以前、黒嶋(敏・東大史料編纂所助教)先生に聞いた話なんですが、信長が南蛮船を見に行った時に、細川京兆家の人と一色家の人を連れていっています。実は、かつて足利義満(室町幕府3代将軍)が外国船を見に行った時も、同じく細川京兆家と一色家の人を連れて出かけている。おそらく信長は義満にあやかって、同じようなメンバーで南蛮船を見に行ったんではないかと。 あと、安土城の絵画とかも、義満の趣味にあやかったりしています。信長は懐古主義だからこそ、ちゃんと理解した上で古いものを壊そうとしていた。僕にとってはむしろ、そっちの方がよっぽど超人的に見えちゃったりするんですよね。何も考えなしに壊す方がよっぽど馬鹿っぽくて、分かって壊すって方が悪魔的な感じがして、ちょっと過大評価かもしれないですけど(笑)。光秀の内面から読み解く本能寺の変光秀の内面から読み解く本能寺の変 信長を語る上で避けて通れない出来事といえば、やっぱり本能寺の変だと思います。日本史最大のミステリーといわれるだけあって、光秀の動機は研究者の間でも諸説分かれるぐらい謎に包まれています。僕はまず前提として「黒幕説」っていうのは、あまり信じていない。誰かがちょっとそそのかしたとか、その程度を黒幕とは思いたくない。本当に黒幕がいるのなら、信長がいなくてもよっぽど後ろ盾になるぐらいの力がないと。ちょっと秀吉とか義昭とかがそそのかしたぐらいで黒幕って言うのはどうなのかなと。(C)宮下英樹/講談社 仮にそそのかした事実があったとしても黒幕というのは、信長がいない後の権力をつかむほどの力がなければ現実的ではない。むしろ、光秀が嫌っている人物を殺させるぐらいの力がないと黒幕にはなりえないと思う。 もう一つ、歴史科学をどう使おうか、というのもありました。本来『センゴク』は文献に当たったりして歴史科学を重要視してますけど、歴史科学はどんどん更新されるじゃないですか。最近もね、本能寺の黒幕について斎藤利三説というものが出てますけど。僕の中ではあれもけっこう納得できる説ではあるんですが、もっと普遍的なものにできないかと思って、まず光秀の内面に迫ることを前提で描きました。 光秀は長い放浪の中でかなり「自明性」から外れた人になった設定にしたんです。「武士ってかくあるべし」という常識とは違う目線というか、そういう人ってのは「世の中がすべて作りごと」に見えてくるんですよね。例えば戦国時代は場合によっては、人を殺しても許されるじゃないですか。なんか曖昧なルールの中で生きているわけですよね。こういう挨拶をしなければならないとか、こういうしきたりがあるとか、こういう序列でとか。そこから外れて、当時の一般社会のルールから外れた目線を持ってるという意味でも、ある種の異能者なんです。もう一つの目を持ってるという描写はそういった意味で表現しました。 いま僕たちもこうやって会話を交わしているけど、でも社会のルールには則っているわけじゃないですか。どこか心の奥底では「馬鹿馬鹿しいやりとりしてるな」って思うことも、時にはある。腹が立ったら殴り合えばいいし、ここでお互いに唾を吐きかけてもいいはずなのに、それをせずになんか一定のルールを守っている自分と、どっかで「このくだらないやりとりは何?」って冷めた目を持っている自分がいる。織田信長(右)と明智光秀=「センゴク一統記」3巻(C)宮下英樹/講談社 それを光秀に当てはめてみると、信長に仕える前は幕府に仕えていましたが、意味があるのかないのかよく分かんないしきたりの中で生きてるんですよね。その最中に信長と出会ってなんとなく絶対的なものを見るというか、拠りどころとしてというか、「この人はなんか曖昧なルールの世の中で絶対的な頼るべきものを持ってる」という風に信奉していく。自分の中で「神」のような存在にしていくわけですよね。キリストの下にいた伝道師みたいなものですよね。何を置いてもまずはキリストを絶対と立てて、その中の善悪の中で生きていくというか。光秀にとっては信長ってそういう存在で、善悪の規範だったり、世の中にある曖昧なことをかっちり変えてくれる人なんです。 でも、自分の中で絶対神であったのが、時間の経過とともにちょっとずつそれが崩れていく。人は神様がいないって思った瞬間、パニックになるんですよね。神様がいないとしたら、じゃあ我々はどういう善悪基準で生きていけばいいんだって。誰もがうろたえるはずなんですけど、光秀もそういう状態に陥っていくっていう感じなのかな。 信長にしても、さっき言った拡大路線の中で限界が出てくる。領土拡大の限界とか、経済的限界とか、統治の限界とか。拡大したところでこれは終わらないし、いずれ自転車操業になる。光秀にしてみれば、自分の肉体的限界も迫り、近い将来、絶対的な信長がいなくなったら、自分はどう生きていけばいいのか。彼の中でパニックを起こす心理状態になる。 そして、その先に見たのはキリストと一緒で、死ぬことで絶対になるという発想です。きっと光秀もそういう答えにたどり着いたんだと思う。信長は死してこそ絶対神になるみたいな。よく言われますけど、ゲバラも死ぬことで神格化されちゃうから、実はなるべく殺害したくなかったとか。うまい例えが見つからないけど、光秀の中で本当は一番恐れていたはずの信長の死を、ある時を境にそこから急に死によって絶対視しようって考えるようになった。もちろん、信長を絶対視した政権をつくろうという光秀の内面は僕の勝手な妄想ですけど、漫画的な流れでみてもそういう流れの方がおもしろいですしね。センゴクに込めた想いセンゴクに込めた想い 本能寺の変で信長が横死し、政権が改変しました。これは言い換えれば、前政権に問題があったという意味でもある。前政権のやり方に問題があったのだから、それを改変するのが次の政権の役割ですよね。だからこそ、信長の次の政権を担当した秀吉は、何よりもまず信長の経済政策は危なかっしいと思ったはずなんです。後に政権交代した徳川家康も、秀吉のやり方とは違うことをやりました。これは山本七平さんの受け売りなんですけど、秀吉と家康の違いって、実は家康の方が官僚機構をちゃんとつくっていて、秀吉は「五大老五奉行」っていうのをつくったのに結果的にうまくいかなった。織田家の新たな政略を信長に上申すべく、帷幄で謀る羽柴秀吉、石田三成、黒田官兵衛ら=「センゴク一統記」2巻(C)宮下英樹/講談社 本来であれば、政治的には五奉行の権力を大きくすべきなのに、実際は五大老の権力の方が大きかった。でも、それをやったのが家康じゃないですか。自分が中心となり五奉行を抑えつけたのに、政権を担うことになった途端、家康は武断派を外してむしろ官僚機構を制度化した。その一方で藩ごとに政治を任せたり、ある程度は藩の中で自由に統制できる余地も残した。 そうやって考えると、秀吉の統治のやり方は家康とは真逆で、各藩を統制しすぎたことに加え、武断派を外せなかったっていうのが禍根として残ったんだと思う。政治的にはそういう部分で秀吉の限界がきっとあったんです。 それと、やっぱり百姓から天下統一まで成し遂げた人だから、どこか虚無的になっちゃうんだろうなあと。これは単純な見方なのかもしれないけど、プロ野球選手が日本でトップになってしまうと、「もうメジャーに行くしかない」みたいな。もちろん、秀吉には信長への憧れもあったでしょうし、信長が日の本統一後に夢見た征明も多少なりとは影響を与えていたと思います。 武士というのはすごく不器用な生き方しかできないから、一度戦いを始めたら、すぐには止められないなんてこともよくあったそうです。信長にしろ、秀吉にしろ、どこかにそんな生き急ぐみたいな気持ちがあったと思う。僕の漫画の主人公である仙石秀久にはむしろ、そんな感じを出していきたいんですよね。「センゴク」シリーズの主人公、仙石秀久(C)宮下英樹/講談社 彼は一般的にはあまり知られていない存在でしたが、すごく描き甲斐があるんです。善悪の尺度がよく分かんない時代でしたから、敵には嫌われていても、味方には慕われているということがよくあります。仙石自身にしても長宗我部家とか、島津家に嫌われて、信長になぜか好かれていたとか。まあ秀吉にも好かれていたし、徳川秀忠(江戸幕府2代将軍)にも好かれていましたしね。 半面、(ルイス・)フロイスには、ぼろくそ書かれてますよね。だけど、仙石が「悪」でフロイスが「善」であるかって一概には言えませんよね。フロイスだって、当時は日本の占領計画を密かに進めていたり、布教のために寺社をぶっ壊したりとかしてるんで。見方を変えれば、すぐに善悪が正反対になる仙石秀久というキャラは、どっちの顔も描くことができるから、描き甲斐があるんですよね。 もちろん、彼の人生そのものもおもしろいですよね。連載を始めた動機で言うと、それが一番大きいですね。復活劇というか、彼の場合は他の復活劇とはちょっと違う。大失敗してから呼ばれてないのに自分から戦場に行って、自分で武功を挙げて復活するんです。それは他の武将にないんですよね。立花宗茂みたいに自分から浪人になってその才能がもったいないって大名に召し抱えられる人もいますけど、仙石の場合はそういうのではなくて、呼ばれてもないのに自分で機会を求めていく。まあ、昔の仲間とかが集まっては来るんですけど、美濃時代の仲間が集まって復活するっていう、そういう人柄もちょっと好きですね。自分にも重なる部分 実を言うと、連載当初の僕はほんとにゲームぐらいの歴史の知識しかなくて。知識がないところから始めているから、より分かりやすく描こうってことだけ気を付けています。自分が面白いと思っていた人物はどんどん分かりやすく描くっていう風に。いまさらですけど「独眼竜政宗」って、こんなに面白いのがあるんだってぐらい疎いっちゃ疎くて。歴史の知識がない分、現代にある問題と照らし合わせたりして、人間の感情とか、知性のもつれみたいなものを想像するしかないんです。でも今となれば、それが逆に武器になっているのかなとも思っています。 歴史というのは、当事者性というか、どうしても結果だけをみて後知恵で語ることがあるじゃないですか。信長について言えば、後世の人は信長がすべて見通してやったっていうふうに見るけど、実はそうじゃない。その当時の葛藤とか苦悩とか、人知れず苦労してようやく解決策を見つけ出してきたはずなんです。 なぜこんな戦が起こり、この戦に勝つために大将はどう悩んでどう対処したか。もっと別の視点で言えば、戦を未然に防ぐ策はなかったのかとか。現代にもつながる教訓にしたいんですよね。できれば読者には一つのイベントごとに、どうやればこの戦を未然に防ぐことができたのか、まで想像を膨らませてほしいですよね。 仙石秀久っていう人物は、特別な才能に恵まれた人物じゃありません。自分の才能を発揮する場所を選べるような立場にはなかったと思うんです。当時、才能のない国人たちはもうどっちが生存の可能性が高いかで選ぶしかなくって、でも選んだ先によっては滅びてしまうことが当たり前だった。もちろん、武士の美学みたいな発想で奉公先を選んだ人もいたでしょうけど、仙石の場合は選んだからにはそこで突っ走るっていう考え方だったと思うんです。宮下英樹氏=東京都文京区の講談社 自分がここと決めたからには、ここで突っ走る。才能がなくて失敗してもいつか必ず取り返してみせる。そんな精神の持ち主というか、境遇というか、なんとなく自分にも重なるところがあるんですよね。(聞き手 iRONNA編集部、白岩賢太/川畑希望/溝川好男)宮下英樹(みやした・ひでき) 昭和51年、石川県七尾市生まれ。富山大工学部中退後、3年間のアシスタント生活を経て、平成13年にちばてつや大賞を受賞した「春の手紙」でデビュー。センゴクシリーズのほか、今川義元が主人公の「センゴク外伝 桶狭間戦記」などの作品がある。関連記事■ 突発説、単独犯行説、黒幕説…「主殺し」の真の動機は何か■ 家康は豊臣家を滅ぼすつもりではなかった?■ 安土城 信長の画期的な発想が随所に