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    有権者をそそのかす報道ステーション「依存効果」の罠

    きく左右されているようだ。 例えば、公示前は小池新党への期待や、その後の同党と立憲民主党の話題が、各メディアともに激増していた。ところが選挙戦が始まると、これは一例だが、10月11日にテレビ朝日系「報道ステーション」で放送された党首討論では、森友・加計学園問題が内容全体の6割を占めていた。これは国民の選挙への関心とは大きくずれた問題設定であるといえる。例えば、その報道ステーション自身が9月31日・10月1日に実施した世論調査によれば、森友・加計問題など政権固有の「スキャンダル」を論点化したいと考えている国民はほとんどいないのである。 多くの国民の関心は経済政策、安全保障問題に集中している。その他の報道機関での世論調査でもほぼ同様の傾向がみられる。国民の関心では、森友・加計問題はもう争点ではなくなっているのだろう。それだけに報道ステーションの森友・加計問題への党首討論での過度な傾斜は異様にさえ思える。ちなみに同問題については、私はかなり早い段階に本連載で、安倍首相個人や政権の固有の問題ではない、その意味での議論は事実上フェイクであると指摘してきた。マスコミがあおりたい対決図式 現状では、関係者ともいえる国家戦略特区ワーキンググループの八田達夫座長から、朝日新聞など事実上のフェイクニュースをただす公開質問が出されているが、それに対して朝日新聞の応答はまったくない(参照:「岩盤規制」を死守する朝日新聞)。その他にも多くの識者・関係者らから同問題の報道姿勢について、マスコミに批判が加えられている。その意味では、上記した朝日新聞や報道ステーションなどの、あまりに政治的に過度に偏った報道姿勢が問われている局面ではないだろうか。マスコミのあり方が、実はいまの選挙でも問われている隠れた論争点かもしれない。 マスコミの多くは選挙における政策的論争点を、「消費増税(与党)vs消費税凍結(野党)」という対立図式であおりたいようだった。この図式がいかに誤っているかは前回の寄稿で解説した。 簡単にまとめると、現在の日本経済は総需要不足、つまり国民にお金が不足している状態である。過去20年の停滞期よりははるかに改善されているが、まだ不十分である。このはるかにましになった状況は、政府と日本銀行がデフレ脱却にコミットした持続的な金融緩和の成果である。財政政策は2013年こそ拡大基調だったが、それからは14年の消費増税や以降の財政緊縮スタンスであまり効果は発揮されていない。そのため金融緩和政策を否定する政党には、日本経済の改善をストップさせてしまうから評価はできない。また消費増税はそもそも2年後であり、そのときの経済状況に大きく依存する話である。 もちろん減税をいまの段階で決めることがベストだが、それでも金融緩和政策という経済回復の前提条件を否定してまでやるとすれば、それは単に倒錯した政策スタンスでしかない。つまり何が重要かは、「いまの段階でどんな政策をやるか」そして特に「金融緩和政策への姿勢」こそが問われる。2017年10月、党首討論会を終えた(左から)公明党の山口那津男代表、自民党の安倍晋三首相、日本共産党の志位和夫委員長、希望の党の小池百合子代表、立憲民主党の枝野幸男代表=日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) その点から評価すれば、自公政権のスタンスは金融緩和政策の継続であり、この経済回復のための前提条件を満たしている。ただし2年後の消費増税を現時点で許容していることで、今後も大きな政策的争点になる。また財政政策については基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年の黒字化目標を取り下げたため、目前の財政政策の制約がなくなり拡大スタンスを取りやすくなっている。もちろん取りやすくなっただけで実際にデフレ脱却のために財政政策も積極的にやるかどうかは厳しく今後も検証すべきだろう。少なくとも衆院選後の補正予算の構築が大きな経済政策上のテーマになる。一番の争点はやっぱりこれだ さて、対する与党の最大ライバルである希望の党、立憲民主党は公約を見る限り、現時点の経済政策については、緊縮スタンスと反リフレ政策(デフレ脱却政策の否定)を主にしている。そのためそもそもの経済回復の前提条件を満たす政策を、この両党は提起しえないでいる。せいぜい2年後の消費税を凍結するといっているだけだ。つまり、これから2年間は緊縮政策とリフレ政策の見直しを続けると明言しているのである。 確かに2年たてば「凍結」せざるをえないかもしれない。ただし、日本経済がどうにもならない危機的状況になっていて、政治的に「凍結」しないとその時の政権が持たなくなるからだ。その意味では、希望の党も立憲民主党もともに危機的な政党といえる。ちなみに各党の経済政策についての評価は、エコノミストの安達誠司氏とネット放送で徹底的に議論したのでそれを参照していただきたい。 以上書いた理由から、消費増税vs消費税凍結というのはニセの論点であり、むしろ経済政策全体をみていく必要がある。この常識的な観点が、マスコミの問題設定に誘導されるとみえなくなるおそれがあるだろう。 さらに投開票日が差し迫った選挙の論点は経済問題だけではない。やはり「北朝鮮リスク」こそが選挙で問われる本当のテーマであったろう。この点についてはあまり議論が盛り上がっていないというのが率直なところだ。だが北朝鮮リスクが今後、高まることはあれ低くなることがない情勢である。2017年10月9日、平壌駅前に設置された朝鮮労働党創建記念日の飾り(共同) 端的にいえば北朝鮮リスクが戦争状態にまでなるのか、それとも北朝鮮の政治体制の大きな変更になるのか、その選択になっている状況といえるかもしれない。そのときに日本はどのような状況におかれるのか。さまざまなシナリオが具体的に考えなければいけない局面だろう。例えば、難民問題をどうとらえるのか、国連軍が立ち上がったときに日本はどう関与するのかしないのか。北朝鮮リスクを客観的に考えることは今後ともに極めて重要になるだろう。

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    「NHKスペシャル」が象徴するジャーナリズムの劣化

    和田政宗(参議院議員、元NHKアナウンサー)(青林堂『日本の真実50問50答』より)Q日本のメディアは偏向しているのか? 私自身がメディアに在籍していた人間ですが、これは「どちらともいえない」というのが正直なところです。事実に基づいて公平・公正を欠くことなく中立な記事を書く社もありますし、事実をカットしたり、部分的に強調したり隠したりして都合のいい記事に仕立てたりする社もあります。いろいろなメディアがありますから、そこは情報を受け取る側にも見きわめが必要でしょう。 新聞でもテレビでも、報道に携わるジャーナリストは視聴者の目であり耳であるはずです。自分が取材して見たこと、聞いたことについて裏付けをとり、事実としてありのままに伝えることが本来の姿です。ところがそれができない、あるいは意図的にしない記者が増えている印象があり、私自身は大いに危機感を感じています。 平和安全法制…いわゆる安保法制が国民の大きな関心事になっていた頃、国会前では連日のように反対派による抗議運動が行われていました。朝から夜遅くまで大声を上げていた彼らの行動について、苦言を呈したことがあります。国会前で安保法案反対を訴え、声を上げる「SEALDs」の奥田愛基氏=2015年8月 「日本は民主主義がきわめて進んだ国で、こうしたデモも認められており、それを国会は許容しなくてはならない。でも夜遅くまでやっていると、近隣住民の方々には迷惑なんじゃないか」 次に別の話題として─「話は変わりますが」という言葉は挟みませんでしたが、「中国ではチベット・ウイグルの人々が銃で惨殺されている。とんでもないことが起こっている」という話をしました。 ところがこの私のコメントを毎日新聞の青木という記者が拾い上げ、都合良く切り貼りをして「和田がデモ隊に発砲しろと言った」という話にしたてたのです。実にとんでもない話です。 この記事は紙面よりも前に電子版に掲載されました。するとこれを見た日刊スポーツの政治担当の記者が「こんな記事では、和田さんの真意が伝わらない」と、私のコメントを全文に近い形でネット版に掲載してくれました。 沖縄の基地問題に関しては、沖縄タイムズが私のブログを転載引用して、取材もせずに記事にした、ということがありました。私がいたNHKでこんなことをしようものなら、担当記者は首が飛ぶでしょう。 このように、偏向しているかどうか、あるいはまともな取材記事を書いているかどうかは、記者個人の資質によっても左右されます。自浄作用が働く場合もありますから、いちがいに何ともいえません。ですがここで挙げた例のようにジャーナリストの質の低下は確実に起こっており、それがさらに加速していくことに私は危惧を感じているのです。そしてそれは、ジャーナリストとして以前に、過去に受けてきた教育の影響が色濃いと思っています。 別の項目でもお話ししましたが、私が育った地域というのは、ずいぶんと左寄りの教育が行われていました。国旗国歌をないがしろにするような、左へ向かう刷り込み教育が行われていたのです。それでいて、具体的な政治の話はタブーでした。 政治のことは、それを専門にしている政治家や学者がいるのだから、一般市民は考えなくても良い。それに素人が政治を考えたところで、何か変わるものでもない。専門家に任せておけば大丈夫なのだ…。 とにかく政治から遠ざけようとしていたのだな、ということは大人になってから判ることです。このような教育を受け続けていれば、政治というものに対して鈍感になっていきます。大学で法学部とか政治学科とかに身を置けば別でしょうが、そうでなければ政治というものをまったく知らない、まっさらな状態で社会に出ていくことになります。そんな人たちがメディアの世界に飛び込んでいくと、どうなるでしょうか。 今の日本では、民間で政治的な活動をしているのは左派の人が多く、あちこちで集会や抗議活動が行われています。そうしたところに取材に出かけ、話を聞いているうちに、知らず知らずに左派思想に染まっていく。そうしたことは現実に起きています。ただ、たとえ思想的に左寄りであったとしても、ジャーナリストである以上、記事にする際には中立の立場で、公平・公正を期さねばなりません。多くの記者たちはそうしているのですが、それができていない者もいる、というのが現状なのです。メディアへの政治圧力はあるのか 外部からの圧力・抗議に弱いということも、メディアの偏向を助長します。これはNHK時代に痛感したことです。NHKは組織として官僚的なところがあり、外部からの抗議が入ると、そうした意見も採り上げないといけない…というバイアスがかかったりするのです。中立の立場で番組を作ろうとはするのですが、左右それぞれの意見を扱うときに「抗議が来るかもしれない」という意識が働き、ついつい左寄りになってしまう、ということもあります。その理由はどうあれ、発信する記事や放送内容に偏りがあってはなりません。これはジャーナリストとして基本中の基本です。 今でも語りぐさになっているのが、NHKスペシャルのシリーズ「JAPANデビュー」の第一回放送です。これは日本の台湾統治を描いたドキュメンタリーなのですが、その内容は「日本の台湾統治は悪そのものだった」という視点から構成された、かなり偏ったものでした。放送当時、私は大阪放送局で見ていたのですが、番組が始まってから5分もしないうちに局内が「これはまずい」とざわつき始めたのを覚えています。 なぜこんな番組ができてしまったのか。制作中にセルフチェックは働かなかったのか。放送前に上司のチェックは通したのか。通したのであれば、なぜそこでスルーしてしまったのか。おそらく、左寄りか台湾について無知のスタッフが集まり、セルフチェックが緩い環境で制作が進み、放送前の上司の確認でも「問題なし」とされてしまったのでしょう。 まさにジャーナリズムの質の低下であるとしかいいようがありません。メディアには権力の監視という機能もありますから、論評などで反政権的な説を掲げることもあります。ですがそれを下支えするのは、地道な取材で得た事実の積み重ねです。そこが欠落したままで、つなぎ合わせの記事や結論ありきの事実をわい曲する記事ばかりを書いていては、日本のジャーナリズムの信頼は墜ちていくばかりです。Q メディアに対する政治圧力は本当にあるのか? たとえば、あるメディアが何らかの政治についてのニュースを流したとします。ところがそのニュースの内容がどうも事実と違う。ニセ情報を掴まされた可能性もある。そこで、私のような政治家でも自分や自身の所属する政党が対象のニュースであればメディアに対して、事実と違うと指摘したり、間違いない事実なのかどうかを確認することがあります。単なる問い合わせなのですが、時としてこれを「圧力」と表現する人たちがいます。東京・渋谷のNHK放送センター ジャーナリズムの独立性には大きな価値があり、それは基本的におびやかしてはならないものです。そして、テレビ・ラジオメディアについては放送法というルールがあり、その枠組みの中で、常に公正な報道を行う義務を負います。まともな政治家ならばそんなことは百も承知ですから、メディアに圧力をかけるなどということはありません。私がNHKに在籍していた頃も、そんな話は聞いたことがありません。 それでも、まれに「政治家から圧力を受けた」「暗黙の圧力を受け続けている」などと言い出す人たちがいます。もし本当に圧力を受けているのなら、そもそもそんな発言ができるはずがありません。また本当に圧力があったのならば、それを記事にして公開することがジャーナリズムの本質でしょう。 「○○○についての報道に関して、××× 議員からこのような圧力を受けた…」と、公開してしまえばいいのです。それもせず、ただ「圧力だ、圧力だ」と騒いでいるばかりで、事実関係もはっきりしない、具体的な内容も公開しない。これでは事実でないことを述べ立てて、騒いでいるようにしか見えません。 こうしたことがジャーナリズムに対する視聴者の信頼の低下につながることがわからないのでしょうか。ジャーナリストは毅然とした態度で、真実をしっかり伝えることに力を注いでほしいと思います。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

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    朝日新聞はいっそ夏の甲子園を「ビジネス」と割り切った方がいい

    む。そして、さらにそれを破るチームが出れば、そのチームに敬意を払い、チームの中に優秀な選手がいれば、メディアの盛り上げに便乗し、そのチームに関心を抱き、応援する。いつしか決勝戦までたどりつき頂点の闘いを賛美する。 高校野球ではここまでが限界だが、五輪ではそれがさらに国境を超えた友情を表現し、究極的にナショナリズムを超えた人間の調和への信頼が芽生える。2016年8月10日、リオ五輪男子体操総合で金メダルを獲得、銀メダルのウクライナのオレグ・ベルニャエフ(手前)と健闘をたたえあう内村航平(甘利慈撮影) リオ五輪体操個人総合での内村航平の大逆転劇を想起する。内村はトップと0・901点差で迎えた最終種目の鉄棒でパーフェクトな演技を見せ、大逆転を果たす。ここでわれわれは大いに感動し、この「奇跡の逆転」にこの上ない至福を得た。しかし、その思いは、記者会見での「ジャッジがあなたを好きだからではないか」というメディアからの質問で水を差された。冷静に対応した内村だが、この記者に対して金メダルを争った2人の選手が反論する。「ジャッジは公平であり、いつも内村は高得点を得ている」「最後の鉄棒は筆舌に尽くしがたい素晴らしいものであった。彼と競い合えることが喜び」と語ったのである。2人はウクライナと英国の選手である。これを目の当たりにした視聴者が学ぶことは大きい。自国の選手の勝利だけでなく、頂点を目指して努力するアスリートに国境を超えた声援を送るであろう。 ことほど左様に五輪と高校野球の構造は相似しているが、その根本において決定的な違いがある。 五輪にあって高校野球にないものとは何か。「○○ファースト」が流行する昨今、一瞬躊躇(ちゅうちょ)するが、あえて言えば、それは「選手第一主義」である。すべては選手を大切にすることから始まる。なぜなら選手は世界平和構築の使者であるからだ。頂点を目指す闘いの中で、自らを鍛え、「努力する喜び」を知り、「より速く、より高く、より強く」(オリンピックモットー)を目指し、人間の限界に挑む姿を示す。それがあらゆる垣根を越えて、人と人とが結び合える可能性を現実化するという思想である。故にベストパフォーマンスを出せる競技会場、選手村、アクセス、食事などを整えることに精力が傾けられる。なぜ優勝しても表彰台に立てないのか 高校野球の根本原則を担う日本学生野球憲章には、「野球が人間形成の手段であり、友情、連帯、フェアプレーを理念とする」と書かれている。五輪憲章がIOCの使命としている「スポーツを通じた青少年教育奨励とフェアプレー精神の確立」と相通じるものだ。 しかし、五輪でうたうアスリートである球児たちは、高校生であり、教育を受ける者として扱われる。球児は高野連の思いにかなった行動規範に収まる限りで大事にされる。礼儀、全力疾走での守備からベンチへの帰還、諦めないプレーがそれだ。 話は若干それるが、わが子の小学校運動会に行くたび疑問に思うことがあった。五輪に長く携わってきた人間にとって、とても違和感のある光景があった。それは表彰式である。金メダルがないとか、立派な表彰台がないことではない。栄誉を受けるべき児童たちが、校長先生から賞状を受け取るときの形である。校長は高台に立ち、グラウンドレベルにいる児童に賞状を渡すのである。 五輪では表彰台が用意され、その上に上るのはアスリートである。そして、どんな偉いIOC委員でも国際競技連盟(IF)役員でも、もちろんIOC会長でも、IF会長でも下から上の選手にメダルを掛けるのである。アスリートは主催者の上にある。それがスポーツへの信仰であり、敬意なのだ。甲子園の閉会式で優勝旗を渡される優勝校のキャプテンが表彰台に立つことはない。あくまでもグラウンドレベルである。第99回全国高校野球選手権大会の開会式で、優勝旗を返還する作新学院の添田真聖主将=8月8日、甲子園球場 もし、高校野球で主役である選手たちを第一に考えるのであれば、すべての運営方式を変革する必要があるのではないか。まず主催者はベストパフォーマンスを出せる環境づくりに集中すべきだろう。もう100年以上も続いてきた伝統ではあるが、高校野球の新たなスタジアムを考案してもいい。そこがこれから100年の聖地になるようなスタジアムを考えてもいいのではないか。「真夏の風物詩」を無くす必要はない。選手としての球児がその能力を発揮できる環境を作るということである。財源確保こそ五輪に学べ 教育ということに主眼を置くならば、IOCが着手し奏功しているユース五輪の発想で、試合以外で選手が交流できる場を作ることも考えられる。新しいスタジアムには選手村が付属していて、決勝大会にエントリーされた47校(今は49校だが)の選手たちが、大会期間中、プライバシーを守られながら、そこで寝食をともにし、主宰者が設ける文化プログラムや教育セッションに参加できる。あるいは大会終了後の何日かを交流と教育のプログラムに充てることも可能だ。2016年8月21日、リオ五輪閉会式で、五輪旗を持つ東京都の小池百合子知事。中央はIOCのトーマス・バッハ会長(共同) 泥と汗に塗(まみ)れて、白球を追いかけ、負ければ涙で土を持って帰る球児から、高校野球を通じて、知識と技術を学び、野球を楽しみ、心の財産を蓄えて故郷に帰る人材が育っていくのではないか。 スタジアムには最新最高の設備が投入されるだろう。日本学生野球憲章の目的とする「学生野球は、教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成」が達成される。 「それにはお金がいくらあっても足りない」と言われるかもしれない。財源確保にこそ、五輪のマーケティング手法を学んで取り入れればいいのではないか。入場券料に頼っている現在の資金調達プログラムを根本から見直せば、早朝から夕刻まで試合を放映しているNHKからは巨額の放映権料を獲得できる。主催である朝日新聞社は後援に回り、大会スポンサーを募ることもできる。考えてみれば、高校野球を主催運営することで、朝日新聞は多くの「利益」を得ているであろう。ならば、高校野球発展のために、朝日新聞からの寄付をいただくのも一考かもしれない。春の選抜大会を主催する毎日新聞社は、夏は後援という立場である。全てのメディアを対象に高校野球教育プログラムにスポンサーシップを募ることもできるだろう。 全国高校野球選手権大会が「各校がそれぞれの教育理念に立って行う教育活動の一環として展開されることを基礎」(日本学生野球憲章より抜粋)とするのであれば、まさに教育に力点を置き、それが高校野球でなければ実現できないということを実践的に表現しなければならない。 五輪のモットーである「より速く、より高く、より強く」は、ラテン語の訳だが、これは比較級を表す。つまり、優勝者になることではなく、自分の限界に挑む志を示すものだ。常に自分の力の限りを尽くして、勝利を目指さなければならない。しかし、勝利を得ればいいのではない。自分の限りを尽くさなければならない。たとえ勝利が得られないとしても、自分の力のより一歩先を目指さなければならない。「勝利至上主義」のように誤解されるこのモットーの真意は、勝利至上主義を超えることなのである。 そして、このモットーを最も心に留めてほしいのは、高野連であり、そして朝日新聞なのだとつくづく思う。

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    朝日新聞 高校野球地方大会のたび購買部数が大幅増

     高校野球の甲子園大会に出場が決まると、高校はかかる費用が莫大なため、金策に走り回る。OBが多く、寄付金が多く集まる高校はまだよいが、歴史の浅い私立高では、出場するたびに学校経営が逼迫する“甲子園貧乏”に陥ることもある。そうした出費を覚悟してでも多くの高校が甲子園を目指すのは、見返りとして膨大な広告効果を期待しているからだ。高校野球 早実対日大三 試合開始前からイチョウ並木までチケットを求める観客の列が続いた=4月27日神宮外苑(撮影・川並温美)「ある九州の私立高校は、定員割れだった入学希望者の倍率が甲子園出場の翌年に4倍に跳ね上がった。さらにOBがプロ野球に進めば、野球部への入部が飛躍的に増える」(スポーツジャーナリスト) 文部科学省によれば、平成27年度の私立高校の授業料などの年間合計金額は約72万円。1学年300人の高校ならば、2億1000万円以上の収入となる。定員割れせず、毎年この収入を確保できるのは「甲子園出場のおかげ」だという高校も少なくないのである。 そうした恩恵を誰よりも受けているのが、夏の大会を主催する高野連(日本高校野球連盟)と朝日新聞である。 昨夏開催された第97回大会の収支決算をみると、入場料収入は約4億4900万円。支出は約3億3900万円で、差し引き約1億1000万円の剰余金が出ている。これを高野連を中心とする委員会で運用する。 この剰余金は全国高校軟式野球選手権大会関係費に500万円、少年野球振興補助金として100万円など、様々な補助金に充てるとされている。高野連関係者は「公益目的以外で使うことができないようにするため基金を設けているが、13億円以上の資産を保有する超優良組織といえる」と明かす。高野連とともに夏の大会を主催する朝日新聞は、拡販ツールとして甲子園を利用する。 地方大会が始まると、地方版の紙面に各高校のメンバー表を掲載するなど、独占的に情報を扱える。試合経過も詳しく報じられるため、高校野球ファンの購買部数が大幅に増えるという。孫が甲子園に出るので購読を始める年配者も少なくなく、地域によっては2割増しになる販売店もあるという。 間もなくプレイボールを迎える夏の甲子園。大金を、いや優勝旗を故郷に持ち返るのはどこの代表校になるのだろうか。関連記事■ 高校野球のお宝展示される甲子園歴史館 現在特別展を開催中■ 地域別にみる高校野球トリビア 鳥取県が日本一を誇るのは?■ 週刊誌「不倫メール」スクープ後に高野連理事の名が消された■ 夏の甲子園 大会通算戦績で最も強い地域は近畿で勝率は.596■ 高校野球で舌禍の“やくざ監督”「喉元過ぎれば熱さ忘れる」

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    「スクープよりも訂正出すな」私が読売記者を辞めた本当の理由

    策が優れている」は、システムの解説でしかない。歴史的な背景にさかのぼって考える必要がある。 戦時中のメディア統制は、いわゆる「一県一紙」による新聞業界の寡占体制を生んだ。1938年から新聞用紙の配給が統制され、1940年から新聞社の統廃合が進んだ。その結果、1938年に848紙あった日刊紙は、4年後の1942年にはわずか54紙に激減した。 一方、経営サイドからすれば、上からの新聞統合は同業他社との過当競争で共倒れになるリスクを避け、経営基盤を安定化させるのに役立った。戦前は朝日、毎日の二強に対し、読売は大きく後塵(こうじん)を拝していたが、1938年には100万部を突破し、徐々に三強体制が築かれていく。 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は宣伝工作に有利なメディアの寡占体制を温存した。事前検閲に加え、各新聞社が設置した世論調査部門を通じ、米式民主主義を植え付けるために利用した。戦後に受け継がれた新聞業界の寡占体制は、大量発行部数モデルを生むゆがんだ市場の土台を提供した。 現在、日刊紙の数は117種しかない。他の先進国と比較すれば、新聞大国の内実が質の面ではお寒い状況であることに気づく。しかも、五大全国紙が市場の半分を占めている現状は、言論の多様性という点から、大国の栄誉ではなく憂慮と呼ぶのがふさわしい。 報道の自由はメディア間の競争と不可分だ。競争がなければ自由を追求する精神は育たない。メディアの寡占体制は、報道の自由への責任をないがしろにする根本的な病根を抱えている。読売の部数トップは販売戦略 日本の新聞は1950年代から70年代の高度経済成長期、寡占体制を背景に大きな成長を遂げた。各地に販売店を設け、世界で最も完備したきめ細かい宅配購読システムを構築した。印刷、通信技術の向上や交通網の発達もあいまって、日本のどこでも出勤前の朝6時には各家庭に朝刊が届けられる。 これを後押ししたのが当時の一億総中流意識だ。生活レベルも単一化し、各家庭が「お隣が読んでいるなら」と競って新聞を購読した。小中学校でも、新聞記事の論評や社説の書き写しが宿題として出され、大学入試には社説がしばしば使われた。 読売新聞の発行部数は1977年、朝日新聞を抜いて業界トップの720万部に達し、1994年には念願の1000万部を突破した。戦前を含め、社会の流れを機敏に察知し、販売戦略に生かしてきたのが読売新聞である。読売新聞東京本社=東京都千代田区 留意すべきは、記事内容によって発行部数トップになったのではないという点だ。これもまた市場の落とし穴である。 市場にはさまざまな商品が存在するが、販売している者が商品を理解していないケースはほとんどない。だが新聞販売に関して言えば、勧誘員が新聞を熟読し、内容をセールストークとしているという話は聞いたことがない。何が書いてあるかではなく、トイレットペーパーや洗剤などの景品で読者を釣るのである。当時、販売店主が「白紙でも売ってやる」と豪語したエピソードは顕著な例だ。多くの読者もまた、内容を問わず、習慣や景品の多寡で購読契約書にサインすることが常態化した。 では、編集の現場で何が起きたか。大量発行部数を支えるのは、際立った論調ではなく、だれもが受け入れられる均質な内容である。他紙と同じようなことを書いていればそれでよい。こうして、リスクの伴う特ダネよりも、1社だけ記事を落とす「特落ち」を極度に恐れる横並び意識がはびこった。 固定契約による販売と編集の分断は、編集の独立を担保するメリットもある。駅売りで、夕刊タブロイド紙やスポーツ紙のように、内容とかけ離れた派手な見出しをつける必要がない。だが、独立はまた読者との乖離(かいり)を生む。 特ダネは主として社会の不正義や権力による不正を告発する形をとる。メディアの主な存在意義が、知る権利を通じた権力の監視にある以上、それは必然的な結論だ。世界をみても、一大スクープが権力による隠蔽(いんぺい)を暴き、時代変革のきっかけを作った事例は、新聞史上の栄誉として語られている。 裏を返せば、特ダネを重んじない新聞社は、権力チェックの責任をも放棄したことになる。その結果、内にあっては事なかれ主義が、外に対しては権力にすり寄る事大主義が根を下ろす。寡占体制によるなれ合い、読者不在の事なかれ主義と事大主義が、報道機関の使命を有名無実化している構造的な欠陥がうかがえる。ボツにされた「特ダネ」記事 私は27年間、読売新聞に身を置き、2015年6月、「特ダネ記事がボツにされた」ことを理由に辞職した。ボツ扱いされた私の特ダネはその後、月刊誌『文藝春秋』2015年8月号に掲載された。私はそれ以前にも、「安全」を名目にした意味不明な特ダネ執筆禁止令や緊急帰任令を受けた。報道機関としてあるまじき事態だ。私は自分が辞表を書くに至った経緯は拙著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』(文藝春秋)で言い尽くしたので、これ以上は触れない。 私は在籍中、編集幹部が「特ダネは書かなくてもいいから、訂正は出すな」と平気で口にしているのを聞いてあぜんとした。こうした後ろ向きの体質は社内全般に行きわたり、記者の手足から頭の中までを縛っている。 失敗を恐れて特ダネを軽視し、特落ちを恐れる体質は、読売新聞に在籍する者であれば、目をふさぎ、耳を閉じない限り、だれもが体感している。それを口外してはならないことも、無意識のうちに自覚している。事なかれ主義が極まり、独裁国家顔負けの情報統制が敷かれているのだ。 世界最大発行部数の裏に、「見ざる聞かざる言わざる」を心得とし、羊の群れのように黙って草を食(は)んでいる光景がある。決して誇張ではない。自由ではなく盲従が、責任ではなく追従が、ジャーナリズムの土台をむしばんでいる。 インターネットの発達により、従来の経営モデルが重大な挑戦を受けている中、改革や革新ではなく、リスクを恐れる事なかれ主義が蔓延(まんえん)しているのは不幸である。と同時に深刻なのが、「共食い現象だ。全体のパイが増えない以上、他社の失策に乗じ、なりふり構わず読者を奪おうとする発想が生まれる。なれ合いの市場はそもそも健全なルールを欠いているため、仁義なき戦いに転ずるのは必然だ。狭隘(きょうあい)な自己都合でそろばんをはじき、強い者には媚び、弱者には鞭打つ事大主義が巣食っている。 顕著な例が、2014年8月、朝日新聞が従軍慰安婦報道や東京電力福島第一原発事故「吉田調書」の誤報で対応に手間取り、社長が辞任に追い込まれた際、読売新聞が行った過剰な批判キャンペーン記事だ。連載記事は「徹底検証 朝日『慰安婦』報道」(中公新書ラクレ)として出版までされた。海外支局にも「有効活用してください」と1冊が送られてきて、私はあきれた記憶がある。朝日新聞東京本社=東京都中央区(本社チャーターヘリから、桐原正道撮影) 日本国憲法は戦前の言論統制の反省から、第21条で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定める。新聞や雑誌、テレビで構成される日本新聞協会は新聞倫理綱領の中で、「新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」と明言し、各メディアはこれに準じた独自の報道指針を作っている。もちろん、真実の報道がその核心であることに変わりはない。事なかれ体質が顕著な読売新聞 こうした法制度や自律的な取り組みには、戦時中、政府・軍による厳格な言論統制に対し、新聞各社が当局に迎合し、自主検閲の愚行に陥った反省がある。当時は各社が、当局の検閲方針にかなうよう報道の事前審査部門を社内に設立し、事実上の自主検閲を行った。発刊停止や新聞紙の配給停止による制裁によって、経営が成り立たなくなることを恐れた自己保身の結果である。戦時中、当局の検閲に抵抗し、発刊停止となった新聞は1社もない。委員会で答弁する前川喜平・前文部科学事務次官=2017年7月、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) 時代背景は異なるが、現在の読売新聞における事なかれ体質は、ちょうどこうした自己規制のメカニズムと重なる。経営の保守主義は、報道姿勢、さらには論調の保守主義につながる。その延長線上に、前川喜平・前文部科学事務次官に関する読売新聞の「出会い系バー」報道と、その批判にこたえ、逆に火に油を注いだ社会部長名の釈明記事がある。 権力に迎合し、真実の追求を妨げる報道に加担し、しかも臆面もないその態度は、読者不在の事大主義が凝縮されたものだ。政治の迷走から生まれた安倍首相の独り勝ち現象と、寡占体制下の部数至上主義を堅持する読売新聞の事大主義は、自由や多様性を排除し、不公正な寡占状態を維持する点でつながっている。 ゆがめられた新聞市場が機能不全を起こせば、報道の自由も国民の知る権利も絵に描いた餅でしかない。自由がないがしろにされ、真実が隠蔽された時代の反省から、戦後の日本メディアはスタートした。時計の針を逆戻りさせるような事態に対し、危機感を抱かずにはおられない。 最後に、こうした現状を招いた責任を1人の政治家や新聞社1社に押し付けても、何も変わらないことを注意喚起したい。歴史的経緯を振り返れば、日本の社会全体が反省を迫られていることは明らかだ。 「新聞に書いてある」の殺し文句は、読者の側にも、独立した精神を欠いた事なかれ主義や事大主義が潜在していることを暗示する。いくら読売バッシングをしても、ストレス発散で終わるしかない。読売問題の中に社会の投影を写し見る理性的な思考こそが求められている。 7月12日、61歳で亡くなった中国のノーベル平和賞受賞者、劉暁波氏はこう言い残している。「歴史に対して責任を負うことにおいて最も重要なのは、ただ他人を責めるだけではなく、自己反省をすることである」 この言葉を肝に銘じることが、彼に対する真の弔いとなる。

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    読売新聞が安倍政権の「御用メディア」になってどこが悪い!

    なにかの間違いでないか?」と話題になっている。 新聞協会賞とは、通信、放送を含めたいわゆる旧来のマスメディアが「全体の信用と権威を高めるような活動を推進することを目的として設けられた」(日本新聞協会HPより)もので、その編集部門には各社の代表的なスクープがエントリーされる。 となると、安倍晋三首相に「自民党総裁としての考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてありますから、ぜひそれを熟読していただいてもいいのでは」と国会答弁で言われたことで「御用新聞」のレッテルを貼られたことが、読売としては本当に「栄誉」だと考えていることになる。さらに、それによって、マスメディア全体の「信用と権威」を高めることに貢献したと考えていることになるが、それでいいのだろうか。 また、こうした一国の首相のインタビュー記事がスクープに値するのかどうかも疑問だが、読売はこれこそが今年の日本のマスメディアの中で胸を張って自薦できるスクープだと考えていることになるが、それでいいのだろうか。 というわけで、以上2点に絞って「なにかの間違いではないか」という理由を考えてみたい。 まず、御用メディアであるが、これはメディア自身がそのような選択をしなければそうはならない。読売の場合、明らかにそういう選択をして、常に現政権寄り、現政権擁護のための記事づくりをしてきたのは間違いない。 それは、加計学園問題で「総理のご意向」証言をした前川喜平・前文科省事務次官の下半身スキャンダルを報じたことで明らかだ。このスキャンダル記事は、5月22日朝刊の社会面で「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題されて報じられたが、前川氏が実際に「総理のご意向」文書が確実に存在していることを記者会見で証言したのは、なんとそれから3日後の5月25日だった。内閣委員会連合審査会で答弁する前川喜平前文部科学事務次官=7月10日(斎藤良雄撮影) さらに、記事の内容はただのリークで、まったく裏取りをしていないことが、その後の週刊文春記事で暴露されてしまった。この文春記事では、前川氏と3年間で30~40回会ったという「A子さん」ばかりか、「A子さんから前川氏を紹介された女性」、「前川氏とA子さんが通っていたダーツバーの当時の店員」も証言者として登場していた。そして、A子さんやほかの女性たちと前川氏との間に売春、援助交際などがなかったこと、前川氏はお小遣いを渡して生活や就職などの相談に乗っていたことが明らかにされていた。 つまり、読売の「前川記事」は、御用メディアという批判以前に、記事の体を成していないものだった。私もかつてメディアの最前線にいたから、記事を書く場合は、その当事者には必ず直(じか)当たりすることを、上司から厳しく命じられていた。「首相インタビュー」のどこがスクープなのか 「否定されてもいいから直撃しろ。しないで記事を書いてはいかん」と言われたものだ。しかし、あの読売記事は、こうした基本的なことを怠っていた。前川氏本人にさえ当たっていないのである。したがって、その後、この記事が批判されるのは当然だった。 ところが6月3日、読売は紙面で、原口隆則社会部長の「次官時代の不適切な行動 報道すべき公共の関心事」と題する反論コメントを掲載した。原口氏は、記事に対する批判に対して「こうした批判はまったく当たらない」とし「買春を目的とするような客が集まる店に足しげく通っていたのである。我が国の教育行政のトップという公人中の公人の行為として見過ごすことができない」と述べたのだ。 要するに、読売は社会正義のためにこうした報道をしたと言いたかったのだろうが、問題はそこにあるのではない。 では次に「御用新聞」としての「名声」を高めた「首相インタビュー」記事についてみてみよう。これのどこがスクープなのだろうか。加計学園問題・閉会中審査で挙手する安倍晋三首相=7月24日(斎藤良雄撮影) 安倍首相にとって、憲法改正は悲願であるから、これを明言することはなにも目新しいことではない。すでにビデオメッセージも出すことになっていたのだから、ほぼそれと同内容の記事がメッセージ公開より早く出たからといって、なにか特別な意義があるのだろうか? かつて私は、スクープには2種類あると教えられた。一つは「抜きスクープ」。他メディアを出し抜いて先に報道することで、これはやがて明らかになることを、ただいち早く報道しただけにすぎない。つまり、取材先とベッタリになれば、やがて向こうから恩着せがましくネタを振ってくる。 もう一つは、いわゆる「特ダネ」で、これはそれまで誰も知らなかった事実を初めて報道することだ。スクープは「掘る」という意味だが、掘って新事実を発掘したということで、スクープといえば、やはりこちらの方がはるかに価値がある。 しかし、読売が新聞協会賞に応募した「首相インタビュー」は、このどちらにも当たらないだろう。 このように、読売が「御用メディア」と化してしまったので、新聞をはじめとする既存マスメディアへの批判が高まっている。マスメディアは偏向し、信用できないというのだ。識者の中には、こうした状況を憂い高邁(こうまい)なジャーナリズム論をぶつ方々が本当に多い。 しかし、現在の日本のメディア空間は、そんなに嘆かわしいことになっているだろうか。ネット民たちが言うように、マスコミは「マスゴミ」に成り下がってしまっただろうか。 私はそうは思わない。むしろ、いまのメディアの状況は、かつて私が経験してきた、既存マスメディアだけの時代より、はるかによくなっていると思う。 ネットに関して言えば、サヨク、ネトウヨなどは別として、多数のネットメディア、フェイクニュース、拡散ボット、ブログ、そしてSNSとなんでもあるので、これらがマスメディアを補完し、リテラシーさえあれば、この海の中から「事実」「真実」にたどり着くことができる。メディアが偏向してどこが悪い ネットが進展して、新聞をはじめとする既存メディアは大きく変わってしまった。昔は、メディアとジャーナリズムは同義で、それは近代民主国家の成立とほぼ同時にスタートしたから、メディアは民衆側に立って権力を監視するという役目を担っていた。 「言論の自由」(フリーダム・オブ・スピーチ)が、これを支えてきた。ただし、これは訓練されたジャーナリストというプロの仕事だったので、彼らは使命感を持って、この仕事に取り組んできた。  しかし、いまやネットでは誰でも情報発信ができる。誰もが「言論の自由」の恩恵のもとに、真実や事実と関係なく、言いたい放題言えるし、右だろうと左だろうと、ヘイトスピーチだろうとおかまいなしにアップ、拡散できる。最近では人工知能(AI)が発達し、人間ではないツイッターボットなどが、嘘か本当かわからないことを拡散している。 こんな自由なメディア空間が出現したことは、かつてなかった。こうなると、既存マスメディアも変わらざるをえない。「権力監視」「中立報道」「不偏不党」などということは言っていられなくなった。「加計学園」問題を報じる新聞各紙の7月26日付朝刊=7月26日(山田哲司撮影) 古代ローマの時代、シーザーが言った「多くの人は見たいと欲することしか見ない」が真実なら、これを実践するしかなくなった。既存マスメディアも、右なら右、左なら左と、はっきりと自分自身を色分けするようになったのである。 したがって、読売が御用メディアに徹するという姿勢は間違っていない。産経が常に保守、右の言論をリードしてきたように、読売がそれをやれば、ライバルの朝日との違いははっきりするので、やらない手はない。朝日は、リベラルと反日をやりすぎて、ついに慰安婦のような妄想、捏造(ねつぞう)記事をつくってしまった。それに比べれば、読売の与党リークの記事はたいした問題ではない。 世の中の多くの人間は、自分の頭で物事を考えることを嫌う。パンとサーカスがある限り「お上」などどうでもいいのである。そもそも、この世の中に完全な中立などないのだから、メディアが偏向してどこが悪いのだろうか。 これまで、日本のメディアの論法はどこも同じ、五十歩百歩だった。例えば、政権に対するスタンス、論調ということで見ていくと、どの新聞もほとんど同じで、次のような表現であふれていた。 重要法案の審議--------時間をとって論を尽くせ 重要法案で与野党妥協-----法案は骨抜きだ 重要法案の与党単独可決----強行採決だ、独裁だ 官僚に任せる---------丸投げではないか 官邸主導で進める-------独裁では、一強の弊害だ 首相の決断先送り-------決められない政治 首相の決断----------なぜ急ぐ、もっと慎重に 支持率上昇----------人気取りの政策が多い  支持率下落----------国民の声に耳を傾けよ  これでは、記事は定型化し、ロボットでも記事が書けてしまう。ところが最近は違ってきた。産経、読売ははっきりと右となり、朝日、毎日は以前に増して左となった。日経は政権批判をせず、東京は徹底して政権批判をしている。マスゴミ度ランキングを作ってほしい こうなると、例えば次のようなランキングをつくって、各紙の立ち位置をマトリックスにできるのだから、読者にとってはありがたい。 御用メディア度ランキング、マスゴミ度ランキング、スクープ度ランキング、偏向度ランキング(右、左)、誤報ランキング(誤報率)、フェイク度ランキング、発表もの記事率、スクープ(特ダネ)比率、月間訂正記事数ランキング-etc. 私としては誰かが、上記のような項目をつくり、それを指数化してくれることを願っている。そうすれば、メディアを「食べログ」のように指数化、評価し、好きなメディアを思い切り楽しめるだろう。  ドナルド・トランプ米大統領は、いまもなお世界のメディアをうそつき呼ばわりしている。彼にとっては、自分のツイッター以外はみなフェイクニュースである。米CNNテレビのロゴが重ねられた人物をドナルド・トランプ米大統領が殴りつける映像=7月2日(本人のツイッターから) 「国民はもう誰もメディアを信用していない」とツイートし、米CNNやワシントン・ポストを「フェイクニュース」と宿敵扱いし、英BBCは「ふざけたメディア」と罵倒している。ならば、日本の読売や朝日もぜひ仲間に入れてほしいが、残念ながら、彼は日本などに興味はない。 もはや、なにが真実で、なにが嘘かメディアではわからなくなってしまったこの時代、最後に新聞などの既存マスメディアにお願いしたいことがある。右や左と論調が傾くのはけっこうだが、一つだけ守ってほしいことがある。 それは、やはり事実を徹底究明してほしいということだ。ネットメディアやブログ、SNSでは、プロとしての教育も受けず経験もない書き手が、書きたい放題書きまくり、政治勢力のつくったボットが大量にフェイクニュースを拡散しているのだから、なおさらプロの腕を見せて事実報道に徹してほしい。 既存メディアの記者たちは世界中同じで、腕に「プレス」という腕章を巻いて現場に出かけている。もちろん、腕章なしの潜伏取材も多い。この「プレス」は「フリーダム・オブ・プレス」のプレスだ。このプレスに誇りを持ってほしい。 「フリーダム・オブ・プレス」を支えるのは、公正や正義である。これを持って事実を明らかにしてほしい。「右か左か」「保守化かリベラルか」「政権寄りか反政権か」などどうでもいい。人は「見たいと欲することしか見ない」というが、本当に見たい、知りたいのは「事実」だけである。

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    新聞協会賞に「首相インタビュー」読売のスクープ応募がみっともない

    安倍宏行(Japan In-depth編集長) 「忖度(そんたく)」メディアなんて、とんでもない名前を頂戴したものだ。読売新聞さんのこと。5月22日の「前川前文科次官 出会い系バー通い」報道がそれだ。「中曽根康弘先生の白寿を祝う会」で談笑する安倍晋三首相(右)と発起人の渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆=5月15日(宮川浩和撮影) タブロイド紙でもあるまいし、目を疑った読者も多かったろう。安倍政権が連日加計学園問題で野党から責め立てられていた時期である。官邸の意向を忖度して書いたとみられても仕方ないではないか。 そもそも放送法の縛りがない新聞は、その論調が右か左かはっきりしている。朝日新聞と産経新聞が真逆にいるのは誰でも知っていることだし、読売新聞が保守寄りであることに誰も異論はないだろう。しかし、今の読売新聞はあまりに政権寄りではないか、と首をかしげざるを得ない。その理由の一つが前川喜平前文科次官の「出会い系バー通い」報道なのだ。 確かに官僚、それも文科省の前トップが、いくら社会勉強だからといって頻繁にそうした店に通うことに違和感を覚える人は多かろう。しかし、それと加計学園問題とは別だ。誰が見ても前川氏に対する人格攻撃に見える。 人格攻撃とは、相手をおとしめるために相手のあらを探して行われることが多い。もし、それをやれば、人格攻撃をした方に何か後ろめたいことがあるのではないか、と痛くもない腹を探られるから、普通はやらない。それでも、なおかつそうした手法を取るということは、相手を消し去りたいくらいの「何か」があるのではないか、と勘繰られて当然だ。だからこうした「怪文書」的な手法はもろ刃の剣といえる。慎重に扱うべきであることは言をまたない。 「出会い系バー通い」報道で、報道する価値があるとすれば、そこに犯罪性があったかどうか、その1点に尽きる。しかし、結局犯罪性は出てこなかった。読売新聞は、政権に忖度して報道した、とみられても仕方がない。 それどころか、前川氏が会っていた複数の女性から、就職や家庭の問題で相談に乗ってもらってよかったなどという証言が週刊誌で報道されるに至り、前川氏に対する印象操作は全く裏目に出てしまった。あの忖度報道は一体何だったのか。ちゃんと裏を取って書いたのか、と疑われても仕方がない。だからこそ慎重に扱うべきであった。政権の足を引っ張ることになっていることに気付かないのか。「忖度」だけじゃない、もう一つの問題報道 さらに、読売新聞は憲法記念日にあたる2017年5月3日朝刊1面に「憲法改正2020年施行 9条に自衛隊明記 安倍首相インタビュー」を掲載した。これをもって同新聞は新聞協会賞に応募しているという。 安倍首相は5月8日の予算委員会で、民進党の長妻昭衆議院議員から改憲に関する真意を問いただされると「自民党総裁としての考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてありますから、ぜひそれを熟読していただいてもいいんだろう(と思う)」と発言した。ここでも読売新聞は安倍自民党総裁の意向を忖度して記事を書いた、との印象を強く国民に与えたことになった。一国の権力者の意向をそのまま記事にして掲載することを読者は「スクープ」と捉えるだろうか。 政権のメディアへの介入や干渉が取り沙汰されて久しいが、だからこそ少しでも読者に疑われるような報道は慎重に扱わねばならない。身を律して慎重の上にも慎重を期すことが重要だ。さもないと御用新聞とのレッテルを貼られることになりかねない。それは新聞の死を意味するのではないか? 一方で政権打倒に血道を上げるような報道にも国民は辟易(へきえき)している。森友学園問題にしろ、加計学園問題にしろ、結局のところ何が問題だったのか、よくわからないというのが正直なところだろう。些末(さまつ)な報道に終始し、問題の本質を掘り下げる報道がなされたとは言い難い。 「忖度」報道以外にもう一つ問題報道がある。それが「印象操作」報道である。東京都議選の最終日、秋葉原で安倍氏が候補者応援演説を行っていた最中に起きた「安倍辞めろ」コールと安倍氏の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言報道も私はバランスを欠いていたと思っている。7月1日、都議選の自民党候補の街頭演説会場で、「安倍やめろ!」と書かれた横断幕を掲げる人たち=東京・秋葉原 現場にいた人間なら誰でもわかるが、当初は「安倍、安倍」と安倍氏への応援コールしか聞こえなかったのだ。それが、安倍氏が演説を始めると一部の集団が一斉に「安倍辞めろ」コールを始めたのが実際だ。全体からしたら10分の1にも満たない人数の集団だった。その集団はどういう団体が組織したものなのかという検証は大手メディアでは全くなされなかった。それを詳細に報じたのは実はネットメディアであった。微に入り細をうがって、どのようなメンバーが含まれていて彼らが過去どのような活動に参加していたか、まで詳しく調べ上げていた。ユーザーから常にチェックを受ける既存メディア この例でわかるとおり、ネットメディアの台頭とSNSで情報の拡散が容易になったことにより、既存大手メディアの記事は絶えず一般読者から検証されている。それに気付いていないとしたら既存メディアは相当危機的な状況にあると言わざるを得ない。6月20日、築地市場の豊洲移転問題で会見する小池百合子都知事(桐原正道撮影) 豊洲市場問題で、フジテレビの報道番組「新報道2001」は市場の柱が大きく傾いている、と報じたが、ネットメディアからそれはカメラの「広角パース(ゆがみ)」によるものでは、との指摘を受けると同時に、写真の加工疑惑まで報じられ、結局フジテレビは訂正に追い込まれた。どちらの例も、大手メディアがどこまで意図的だったかはわからないが、結果として「印象操作」に加担したことになってしまう危険をはらんでいる。 これまで既存メディアが独占してきた報道は、今や全ての読者、視聴者によって絶えずファクトチェックされる時代に突入した。既存メディアはこれまで以上に慎重に裏取りを行い、そうした検証に堪えうる報道をしなければならない。 何が問題の本質か、掘り下げた報道が足りないと感じている人は多いのではないか。「忖度」報道も「印象操作」報道も、国民のメディアに対する信頼を毀損(きそん)すると同時に、国民をミスリードしかねない、という二重の意味において罪は重い。 メディアは、権力に「忖度」したり、「印象操作」をしたりするのではなく、読者・視聴者の真の報道を求める気持ちにこそ「忖度」すべきであろう。さもなければ、既存メディアがネットメディアに取って代わられてもおかしくない。すでに去年あたりから大手新聞社から若手の優秀な記者がネットメディアに続々転職している。中には完全寄付方式の調査報道メディア「ワセダクロニクル」を立ち上げた朝日新聞出身の渡辺周編集長のような人物まで出始めた。これで危機感を抱かなければもはや新聞・テレビの明日はない。

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    日本の新聞記者はいつから「倒閣ビラの活動家」になったのか

    見せつづけた。 しかし、これらの「ファクト(事実)」とは一体、何だったのだろうか。事実にこだわるべきメディアが、「主義・主張(イデオロギー)」、それも、「安倍内閣打倒」という目的に向かって、報じるべきファクトを報じず、国民を一定の方向に導くべく狂奔した毎日だった。 嬉々として、これをつづける記者たちの姿を見て、「ああ、日本の新聞記者はここまで堕ちたのか」と失望し、同時に納得した。 私は今週、やっと新刊の『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(小学館)を上梓した。締切に追われ、ここしばらくブログを更新することもできなかった。しかし、産経新聞に〈新聞に喝!〉を連載している関係上、毎日、新聞全紙に目を通してきた。 私は今、来年に刊行する政治がらみのノンフィクション作品のために、かつての大物政治家たちの「回想録」や「証言集」を読み始めている。そこには、多くの新聞記者が登場してくる。大物政治家たちは、彼ら新聞記者の「見識」を重んじ、新聞記者に意見を求め、自分が判断する時や、大きな決断が必要な際に、大いに参考にしている。そのことが、大物政治家たちの証言集の中に随所に出て来るのである。 しかし、今の新聞記者にそんなことは望むべくもない。記者がどこまでも追及しなければならないファクトを置き去りにし、「政権に打撃を与えることだけ」が目的の報道を延々とつづけているからである。 会ったこともないのに、天皇や安倍首相が幼稚園を訪問したというデタラメをホームページに掲載し、ありもしない「関係」を吹聴して商売に利用してきた経営者による「森友問題」は、国会の証人喚問にまで発展した末、安倍首相の便宜供与という具体的な事実は、ついに出てこなかった。 問題となった森友学園の土地は、伊丹空港への航空機の侵入路の真下に位置している。かつて「大阪空港騒音訴訟」の現場となったいわくつきの土地である。「騒音」と建物の「高さ制限」という悪条件によって、国はあの土地を「誰か」に買って欲しくて仕方がなかった経緯がある。 そのために、破格の条件でこれらの土地を売却していった。現在の豊中給食センターになっている土地には、補助金をはじめ、さまざまな援助がおこなわれ、“実質的”には100%の値引きとなっている。都合の悪い「ファクト」は報じない また、森友学園と道ひとつ隔てた現在の野田中央公園となっている土地にも、いろいろな援助がおこなわれ、“実質”98・5%の値引きが実現している。それだけ、国はこのいわくつきの土地を「手放したかった」のである。学校法人「森友学園」が小学校用地として取得した大阪府豊中市の国有地=7月27日 森友学園には、地中に埋まっているごみ処理費用としての値引きをおこなって、実質86%まで値下げをおこなった。しかし、前者の二つの土地に比べれば、実質的な値引きは、まだまだ「足らなかった」と言える。これは、新聞をはじめ、マスコミならすべて知っている事実だ。 だが、新聞は、この土地の特殊な事情や、ほかの二つの土地のことに「全く触れず」に、ひたすら安倍首相が「関係の深い森友学園の経営者・籠池氏のために破格の値引きをおこなった」という大キャンペーンをくり広げた。 そして、証拠が出てこないことがわかるや、今度は「忖度」という言葉までひねり出して「疑惑」を継続報道した。国民に不信感を抱(いだ)かせる抽象的なことは書くが、それに都合の悪い「ファクト」は、いっさい報じなかったのである。 加計問題も、図式は同じだ。12年前の小泉政権時代の構造改革特区時代から今治市の民主党(当時)県議の働きかけによって、加計学園は獣医学部新設に動き始めた。だが、新聞はそのことには、いっさい触れず、加計学園は、安倍首相の友人が理事長を務めており、「加計学園に便宜をはかるため」に、「国家戦略特区がつくられ」、獣医学部の「新設が認められた」とされる疑惑をつくり上げた。 森友問題と同じく、ここにも、「憶測」と一定の政治的な「意図」が先行した。そこに登場したのが、天下り問題で辞任した文科省の前川喜平前事務次官である。前川氏は、「行政が歪められた」という告発をおこなったが、抽象論ばかりで具体的な指摘はなく、文科省内の「総理のご意向」や「官邸の最高レベルが言っている」という文言が記された内部文書がその“根拠”とされた。 しかし、現実には、公開されている国家戦略特区の諮問会議議事録でも、文科官僚は獣医学部の新設が「必要ない」という理由を何も述べられなかったことが明らかになっている。そして、いわば「議論に敗れた」ことに対して、文科省内部での上司への弁明の文書ともいうべきものが、あたかも「事実」であるかのように報道され、テレビのワイドショーがこれに丸乗りした。 これらの報道の特徴は、ファクトがないまま「疑惑は深まった」「首相の関与濃厚に」という抽象的な言葉を並べ、国民の不信感を煽ることを目的としていたことである。 ここでも都合の悪い情報は報道から除外された。前述の加計学園が12年も前から手を挙げていて、それが今治選出の県議と加計学園の事務局長が友達だったことからスタートしていたことも、国会閉会中審査に登場した“当事者”の加戸守行・愛媛県前知事によって詳細に証言された。 愛媛県が、鳥インフルエンザやBSE、口蹄疫問題等、公務員獣医師の不足から四国への獣医学部の新設を要請し続けたが、岩盤規制に跳ね返され、やっと国家戦略特区によって「歪められた行政が正された」と語る加戸前知事の証言は具体的で、文科省の後輩でもある前川氏を窘(たしな)める説得力のあるものだった。 しかし、多くの新聞は、ここでもこの重要な加戸証言を黙殺した。自分たちがつくり上げた疑惑が、虚構であることが明らかになってしまうからである。新聞は、前川氏の証言だけを取り上げ、逆に「疑惑は深まった」と主張した。 ついに稲田防衛相の辞任につながった南スーダンの日報に関する報道も、「隠ぺいに加担した稲田防衛大臣」という一方的なイメージをつくり上げた。自衛隊の南スーダンの派遣施設隊の日報は、今年「2月6日」には存在が明らかになり、新聞各紙も防衛省の公表によって、「2月7日付夕刊」から大報道していた。「活動家」になり果てた記者 黒塗りの機密部分もあったものの、日報は公開され、国民はそのことをすでに知っていた。それから1週間後の「2月15日」に防衛省で開かれた会議で、日報を隠蔽することなどは当然できない。しかし、新聞をはじめ、ほとんどのマスコミは、すでに日報が公表されていた事実にいっさい触れず、あたかも「すべてが隠蔽された」という印象報道をおこなったのである。南スーダンPKO派遣部隊の日報=2月 事実を報じ、その上で、批判をおこなうのがジャーナリズムの使命であり、責任であることは言うまでもない。しかし、哀しいことに日本の新聞記者は、いつの間にか「政治運動体の活動家」になり果ててしまったのだ。 外交評論家の岡本行夫氏が、朝日新聞の慰安婦報道をめぐる朝日社内の「第三者委員会」の委員となり、2014年暮れに発表された報告書に記したこんな文章がある。〈当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない(一部略)〉 明確に岡本氏は、「新聞社は運動体ではない」と述べていたが、残念ながら、新聞の実態はますます悪化し、いまや「政治運動体」そのものと化し、もはや、“倒閣運動のビラ”というレベルにまで堕ちているのである。 メディアリテラシーという言葉がある。リテラシーというのは「読み書き」の能力のことで、すなわち「読む力」と「書く力」を表わす。情報を決して鵜呑みにはせず、その背後にどんな意図があり、どう流されているものであるのかまで、「自分自身で判断する能力」のことをメディアリテラシーというのである。 新聞を筆頭とする日本のマスコミがここまで堕落した以上、日本人に問われているのは、このメディアリテラシーの力であることは疑いない。幸いに、ネットの発達によって玉石混淆とはいえ、さまざまな「ファクト」と「論評」に人々は直接、触れることができる。 どうしても新聞を読みたい向きには、政治運動体の機関紙と割り切って購読するか、あるいは、真実の情報はネットで仕入れた上で、その新聞の“煽り方”を見極め、これを楽しむ意味で読むことをお勧めしたい。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2017年7月30日分を転載)

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    読売新聞よ、このままでいいのか

    正を明言した安倍首相インタビューを今年の新聞協会賞に応募していたことが明らかになり、ネットでは「忖度メディア」との批判も飛び交う。世界最大の発行部数を誇る大新聞に何が起こっているのか。

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    出会い系報道に前川氏「クオリティ紙・読売が書くとは…」

     獣医学部の新設で安倍晋三首相の意向が働いたのではないかという“加計学園疑惑”。そのキーマンである前川喜平・前文部科学事務次官について、読売新聞は5月22日、「前川前次官 出会い系バー通い」と報じた。 前川氏は読売報道から3日後となる25日付の朝日新聞朝刊と同日発売の『週刊文春』でインタビューに応じ、〈総理のご意向〉文書が実際に文科省内でやり取りされたものであることを認め、その日のうちに会見も開いた。5月25日、記者会見を終え、汗をぬぐいながら席を立つ前川喜平前文科事務次官(右)(福島範和撮影) 一方、同日午前の官房長官会見で菅義偉氏は、前川インタビューの内容を受けた上で、文書について「文科省が行なった調査で存在は確認できなかった」と従来の見解を繰り返した。さらに前川氏の辞任経緯について、「当初は責任者として辞意も示さず地位に恋々としがみついていたが、世論の批判に晒され、最終的に辞任された」と厳しく非難し、その言葉を各紙が報じた。“絶妙なタイミング”でのネガティブ報道や官房長官の非難を受けてなお、実名証言に踏み切った心中を前川氏はこう語った。「私はもう誰にも監督されていないし、天下りもしていない。生まれて初めて自由になった気持ちで振り返ったとき、現職中にかかわった仕事で、『これはおかしい』と思いながら行政がねじ曲げられるのを黙認してしまった反省がある。それを国民は知る権利があると考えた。処分された逆恨み? 天下り問題はひとえに文科省が悪かった。私が責任を取って辞めるのは当然、恨んでなどいるはずがありません」 前川氏は自らに対するネガティブ報道がこの時期に相次いだことをどう受け止めたのか。本誌のインタビューはその点に踏み込んだ。──出会い系バーに通ったという報道は事実か。「行ったのは事実です。だけど買春も、ましてや未成年との淫行もしていない。彼女たちに食事をおごって身の上を聞いた。家庭内の虐待で中学生の頃に家出し、友人と住所不定の生活をしている子がいました。そのバーで男を捕まえたら一晩過ごし、お金ができればネットカフェに泊まる。ああいうところに流れ着く子を見て、学び直しを経済的にサポートする仕組みが必要だと思い知りました。別の女性の話からは通信制高校の実態も知ることができた」読売報道を官邸の圧力と感じたか?──読売は「前川氏は取材に応じなかった」と。「メールで質問は来ましたが、答えてもちゃんと報じないだろうと思って答えませんでした。読売の記事に『値段の交渉をしていた女の子もいる』と話す女性のコメントが出ていますが、そんな記憶はありません」──読売報道を官邸の圧力と感じたか。「正直、取材のメールが来てもあの読売新聞が実際にこんなことを書くとは考えていなかった。日本を代表するクオリティ紙ですよ。しかも、書いてしまったら威嚇にならない。実際に記事が出た時には、やはり当惑しました」(読売新聞グループ本社広報部は買春バー通い報道と〈総理のご意向〉文書の関係について「記事掲載の経緯についてはお答えしていません」と回答)。 核心の加計疑惑に質問が及ぶと、中立公正であるべき行政が歪められたという思いを口にする。「一番おかしいのはこの規制緩和に『確たる根拠』がないことです。文科省が大学設置認可権という国民から与えられている権限を行使し、私大の新学部が設置されれば、税金から私学助成金が出て、国民負担が発生する。獣医師は現状で足りているとされているので、文科省の認可基準で獣医学部は一般的に『設置不可』となっています。 特例を設けるのなら、確たる根拠が必要ですから、新たな分野でどういう人材需要があるのかという『需給見通し』を具体的に明らかにするためにも、農水省や厚労省抜きでは決められないと主張した。 だが、規制改革の所管省庁である内閣府は『トップダウンで決めるからそれに従え』というスタンスで、獣医学部新設のためにクリアすべきと定めた条件(2015年6月閣議決定)を満たしているのか、明らかにしようともしませんでした。安倍首相が議長の国家戦略特区諮問会議で決定するから、文科省は責任を負う必要がないという姿勢です」(前川氏) その経緯が残されたのが、〈総理のご意向〉文書だったわけだ。「文科省専門教育課の課長が内閣府に足を運んだとき、地方創生推進事務局の審議官からいわれた言葉です。(内閣府の側は否定しているが)私は自分の部下の報告を100%信じている」 前川氏はそう言葉を継いだ。関連記事■ 前川前文科次官 出会い系バー通いを官房副長官が注意してた■ ムロツヨシ 本名が明かせない理由と猫が飼えない理由■ 皇族の買い物事情 百貨店の外商が主流、Amazonもご利用■ 菊川怜 明かされる夫の過去に「知りたくなかった」と脱力感■ AKB最終候補者が出会い喫茶に潜入 露骨な交渉の一部始終

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    メディア、安倍政権に取り込まれ不利な情報は流さぬ状況に

    法改正論をめぐる安倍晋三・首相の答弁は野党から「国会軽視」との批判を浴びた。だが、この発言は政権と大メディアとの関係の変質を示唆するある種の「予告」だったのではないか。自民党の若手議員がこう驚いている。5月8日、衆院予算委の集中審議で、質問に答弁する安倍晋三首相(斎藤良雄撮影)「総理のいうように読売新聞を熟読することにした。すると2週間後(5月22日)に社会面に前川喜平・前文部科学事務次官の(出会い系バーに出入り)記事が出た。ああ、あの言葉には深い意味があったんだと感じた」 牽強付会な見方とは言い切れない。「憲法9条改正」の具体案を語った安倍首相の憲法インタビューは渡辺恒雄・読売新聞グループ本社主筆と会食した2日後(4月26日)に行なわれ、憲法記念日に読売が1紙独占で報じた。その読売紙面に前川氏の出会い系バー通いが掲載されたのだ。 服部孝章・立教大学名誉教授(メディア法)はそこに権力とメディアとの関係の大きな変化があると見る。「安倍首相が再登板以来、力を入れてきたのがメディア対策だ。首相が大手紙や民放キー局の社長や会長と相次いで会食して手なずける一方、2014年の総選挙前には側近の萩生田光一氏を通じて民放各局に“報道の公平中立を守るように”という圧力文書を配って恫喝もした。そのアメとムチの結果、いまや大メディアは政権にすっかり取り込まれ、安倍政権に不利な情報があっても報じなくなった。 今回の読売の前川氏の報道は、さらに進んで、メディアが政権にとって都合の悪い人物のネガティブキャンペーンにまで加担する関係になったように見える。安倍政権の問題を明らかにしようとすれば、新聞にスキャンダル情報をリークされて社会的にダメージを受けるという印象が植え付けられる。日本社会にとって非常に危険な兆候です」 逆に朝日新聞のように政権批判をすれば、ネットで“言論テロ”と批判され、安倍首相がそれに「いいね!」を押す。これでは現場の記者はますます萎縮する。 そうした傾向は、「安倍首相ガンバレ」という森友学園の園児たちの映像が報じられて批判が高まり、首相が各社の官邸詰め記者を集めて中華料理を振る舞った今年2月の「赤坂飯店の夜」から顕著になってきた。 安倍首相が「読売を熟読せよ」と軽口を叩いたのは、大メディアの幹部も記者も自家薬籠中のものにしたという自信から――そう考えると、朝日新聞以外の複数の新聞・テレビが文科省内部文書を入手しながら、報道に積極的でなかったという奇妙な状況の裏がよく読み解けるのである。 獣医学部の新設で首相の意向が働いたのではないかという加計学園疑惑で「総理のご意向」文書を本物と認めた前川氏はこう語った。「取材をお受けしたのは、『これは国民が知らなければならないことだ』と思ったからです。もちろん『在職中に正しい方向に戻すために力を尽くすべきだったのではないか』とのご批判は甘んじて受けます。文科省の後輩たちにも申し訳ない思いです。 しかし、天下り問題で文科省が失った信頼を少しでも取り戻すためにも、いうべきことをいわなければいけないと決意したのです」 政権が道を違えていないか。監視役に徹するメディアの役割が、改めて問われている。関連記事■ 出会い系報道に前川氏「クオリティ紙・読売が書くとは…」■ AKB最終候補者が出会い喫茶に潜入 露骨な交渉の一部始終■ ムロツヨシ 本名が明かせない理由と猫が飼えない理由■ 前川前文科次官 出会い系バー通いを官房副長官が注意してた■ 菊川怜 明かされる夫の過去に「知りたくなかった」と脱力感

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    「加計ありき」で発狂するワイドショーの安倍叩きがヒドすぎる

    かというと、この件には具体的な問題が不在だと、私が思っているからだ。しばしば新聞やワイドショーなどのメディアでは、「加計ありき」という言葉を聞く。これは安倍晋三首相と加計学園の理事長が友人関係にあり、そのため獣医学部新設について優遇されたという疑惑があるという。 では、どんな具体的な「疑惑」なのだろうか? そしてそれは違法性があったり、あるいは政治的、道義的責任を発生させる「問題」なのだろうか? 具体的ならば一言で表現できるはずである。だが、繰り返されるのは「加計ありき」というおうむ返しと、なんの実体も伴わない「疑惑」のバーゲンセールである。 「疑惑」を持つことは結構である。実際に政府にはさまざまな権力が集中していて、それをチェックするのは政治家やメディア、そしてなによりも私たち国民の責務である。だが、その「疑惑」は少なくともある程度の具体性を持たなければならない。7月24日、衆院予算委の集中審議で、答弁に立つ和泉洋人首相補佐官(左)と前川喜平前文部科学事務次官(斎藤良雄撮影) 例えば、「総理のご意向」を書かれた文部科学省の内部メモである。出所がいまだにはっきりしないこの内部メモには、和泉洋人首相補佐官から「総理の口から言えないから」としてスピード感を持って取り組むように、と前川喜平前文科事務次官に伝えたとある。どうも「総理の口から言えないから」の存否が論点らしい。前川氏はそのような発言があったとする一方、他方で和泉氏は否定している。 しかしそもそもこの文言があったとして、何か重大な法律違反や不公平な審議が国家戦略特区諮問会議の中で起こったのであろうか。むしろ規制緩和のスピードを速めることは、国家戦略特区のあり方でいえば正しい。ましてやその内部メモには、加計学園に決めよ、という誘導を示すものは何もない。だが、多くの報道は、なぜかこの点を飛び越えてしまい、「加計ありき」のシナリオとして読み込んでいる。「ありき」論者たちの思い込みである。 ちなみにこの内部メモが作成された段階では、京都産業大も候補として残っていたのだから、「京産大ありき」や「加計も京産大もありき」の可能性さえも、「ありき」論者たちの読み込みに付き合えばありえるだろう。だが、もちろん「ありき」論者たちは、加計学園の加計孝太郎理事長が安倍首相の「お友達」なので、「加計ありき」だと証拠も論理的根拠さえもなく、断定するわけである。およそ良識外だ。ニュースの消費は「娯楽の消費」 連日のように新聞やワイドショーなどのテレビ番組が、このような実体のおよそ考えられない良識外の「疑惑」を2カ月にわたり流し続けてきた。他にもさまざまな要因があるだろうが、安倍政権の支持率はがた落ちである。ワイドショーなど既存メディアの権力の強さを改めて実感している。7月25日、参院予算の集中審議で、民進党・蓮舫代表(右下)の質問に答弁する安倍晋三首相(川口良介撮影) 加計学園「問題」の真偽については、筆者も以前この論説などで書いた。また当サイトでも他の論者たちが実証的に議論しているだろう。ここでは、主に森友学園「問題」や加計学園「問題」などで明らかになってきた、ワイドショーなどマスメディアの報道の経済学について簡単に解説しておきたい。 経済学者でハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ジェンセン教授が、1976年に発表した「報道の経済学に向けて」という野心的な論文がある。通常の経済理論では、財やサービスに対する消費者の好み自体には無関心である。ある特定の好みを前提にして、単に価格の高低にしたがって需要と供給が一致することで現実の取引が決まると考える。だが報道の経済では、ニュースという「財」そのものが消費者の好みを作り出すことに特徴がある。ここでいうニュースは、政治、経済、芸能などの中身を問わない多様なメディアが提供する広告宣伝以外のサービス総体を指す。 ジェンセン氏は、ニュースの消費は、「情報」の獲得よりも、エンターテインメント(娯楽)の消費であると喝破する。つまりテレビなどの「報道」は、ディズニーランドで遊ぶことや、または映画や音楽鑑賞、アイドルのライブで沸き立つことと同じだということだ。これは慧眼(けいがん)だろう。日本のようにワイドショー的な「報道」方法が主流ではなおさらのことだ。 ジェンセン氏は、この報道=娯楽、という視点から、どんなニュースが消費者の好みを作り出し、また消費者は実際にそれを好むかを主に3点から解説している。1 「あいまいさへの不寛容」…ニュースがもたらす「疑問」「問題」よりも、単純明快な「解答」をニュースの視聴者は求める。証拠と矛盾していても、また複雑な問題であっても、単純明快な「答え」が好まれる。ニュースの消費者の多くは、科学的な方法を学ぶことにメリットを見いだしていない。つまり学ぶことのコストの方が便益よりも大きいと感じているのだ。そのためニュースの消費は、いきおい、感情的なもの、ロマンチシズム、宗教的信条などが中核を占める。単純明快な二元論を好む消費者2 「悪魔理論」…単純明快な二元論を好む。善(天使)VS悪(悪魔)の二項対立で考える傾向が強い。極端なものと極端なものを組み合わせて論じる報道が大好きである。特に政府は「悪魔」になりやすく、政府のやることはすべて失敗が運命づけられているような報道を好む。まさにいまの「学園シリーズ」の報道はこの図式にあてはまる。「天使」は前川喜平氏なのだろうか。「悪魔」は安倍首相であることは間違いないだろう。その友人や知人は「悪魔」の一族なのだろうか。 また対立する意見や見解を明らかにするよりも、「人間」そのものやゴシップを好む。それが「面白い」娯楽になるからで、それ以外の理由などない。戦前も朝日や毎日などの大新聞は、政治家や著名人のスキャンダルを虚実ないまぜにして取り上げては、政権批判につなげていた。このような悪しき人物評論については、戦前もかなり批判があった。政策の議論よりも政治家の「人間性」という実体のわからないものに国民の関心が向き、それで政策の評価がなおざりになるのである。3 「反市場的バイアス」…市場的価値への嫌悪をニュースの消費者は持ちやすい。例えば規制緩和や自由貿易への否定的感情がどの国も強い。例えば、今回の加計学園「問題」は、規制緩和が敵役になっているといっていい。規制緩和は、国民全体の経済的厚生を改善するのだが、それよりも規制緩和は、むしろ国民の利害を損なうものとしてニュースの消費者から捉えられるという。今回も既得権側の日本獣医師会や、また文科省などの官僚組織、そしてそれを支援する政治家たちの方が、安倍政権の批判者たちには人気のようである。 ジェンセン氏の報道の経済学はいまの日本の政治状況、そして報道のあり方を考える上で示唆的である。しかし、いまの日本の報道が、もし真実よりも「娯楽」の提供を中心にするものだったとしたらどんなことがいえるのか。その答えは簡単である。現在、新聞やテレビなどの企業群が、報道の「公正中立」などを担保として持つさまざまな特権が、国民にとってアンフェアなものだということだ。 さまざまな遊園地や映画館、そしてアイドルたちも政府から優遇的な規制を受けてはいない。それと同じように、日本の報道機関は、いまのような「娯楽」中心の報道を重ねるかぎり、政府からのさまざまな優遇措置を保証する国民が納得する根拠はない。軽減税率の適用除外、再販売価格維持の見直し、記者クラブ廃止、新聞とテレビのクロスオーナーシップ禁止、新聞社の株式売買自由化などが検討されるべきだ。今回の新聞やワイドショーなどテレビの「学園シリーズ」をめぐる報道は、日本の報道のあり方を再考するまたとない機会になっている。

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    「テレビなくても受信料」NHKに怒り心頭

    「不道徳、不誠実…この声を、NHK様にお届けしよう」。離婚騒動でワイドショーをにぎわす女優、松居一代さんもブログで書いていましたが、趣旨は違えど、思いは同じです。NHKがテレビなし世帯を対象に「ネット受信料」の新設を検討しているようです。こんな暴挙、許してもいいんですか?

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    公共放送の自覚なきNHKに「ネット受信料」の議論は早すぎる

    杉江義浩(ジャーナリスト) NHKがテレビを所有せずにネットで番組を受信する世帯にも、ネット受信料を新設するという中間答申案を6月に取りまとめ、それに対する批判や議論が高まっています。 議論を整理すると、全く異なる二つの論点が、ごっちゃ混ぜになって語られていることに気づきました。一つはNHKの番組を受信できる世帯に義務化されている、受信料制度そのものの是非を問う論点。もう一つは高度に進化したデジタル環境において、放送と通信をどうすみ分けるか、あるいはどう融合するかという論点です。この二つの論点を混同しないように切り分け、順に論じていきたいと思います。 一つ目の論点、受信料制度については、私は確固たる信念があります。受信料制度は必要不可欠です。NHKが受信料で支えられているべき最大の、そして唯一の理由は「国家権力からの独立」です。NHKのクライアントは、時の政権ではなく、あくまで視聴者一人一人であるべきです。常に視聴者を利する方向で、番組やニュースは編集されなければいけません。政府を利する方向で編集されてしまったら、それは国営放送です。 NHKの予算は税金でまかなって国営放送にしてしまえばよい、などと軽々しく口にする人には、国家権力が放送を牛耳る恐ろしさについて、想像力が欠如していると言わざるを得ません。ミサイルの発射実験をするたびに、笑顔で金正恩労働党委員長をたたえる、朝鮮中央テレビの女性キャスターの映像を思い浮かべてください。国営放送になるということは、あのような権力者の宣伝機関になり果てるということを意味しています。それを避けるために受信料制度があるのです。 では、実際にNHK職員が制作現場で、国営放送ではなく公共放送であることを十分に自覚し、政権に忖度(そんたく)することなく視聴者目線で日々の仕事に従事しているのか、と問われたら、私は力強く首を縦にふることは難しい気もします。NHKの役職員それぞれの、ジャーナリストとしての矜持(きょうじ)に期待することしかできないからです。NHKが構造的に、時の政権に影響を受けやすい脆弱(ぜいじゃく)性を持った組織であることは、iRONNAの別の記事に書いたとおりです。記者会見で質問に答えるNHKの上田良一会長=東京都渋谷区(宮川浩和撮影) それでも私たちは、決して安くはない受信料をNHKに支払わなければなりません。さすがに最近は少なくなりましたが、今述べたような「編集権の独立」という概念ではなく、もっと単純に、民放やネットは無料なのに、なぜNHKだけが受信料を取るのだ、と批判する人も昔はけっこういました。そういう人は「情報には対価が必要」という基本的なことを理解していないのです。 私だって支払わなくてよいのなら「WOWOW」を無料で見たいし、大手新聞社のデジタル版も無料で購読したいです。しかし、情報には対価が必要だと理解しているから、納得して支払っているのです。この話をすると、WOWOWには加入するかしないかの選択肢があるのに、なぜNHKには選択肢がないのだ、と必ず聞かれます。放送と通信は相反する概念 私は世の中には視聴者にとって「見たい番組」と「見るべき番組」があると思っています。視聴者が見たい番組のみを集めたのがWOWOWです。名作ドラマやスポーツ中継、有名アーティストのライブなど、徹底して「見たい番組」を追求しています。一方、NHKは「見るべき番組」も放送します。 学校放送など教育番組も含まれるかもしれません。国会中継や政見放送を面白いと思って見る人は少ないでしょう。でもこれらは国民の知る権利として「見るべき番組」です。いざというときに役立つ情報は、広くあまねく提供されるべきで、それを担うのがNHKの重要な役割の一つではないでしょうか。 「ぐらりときたらNHK」とよく言われますが、地震を感じたときに、思わずNHKの総合テレビをつけて、地震の規模と震源地を確かめた経験はありませんか。NHKには公共放送としての使命があります。手話ニュースも、乳幼児と母親のための番組も放送します。こういった公共の福祉に寄与する放送は、いわゆる商業目的の「PayTV」ではできません。そもそもの目的が違うのですから、NHKと動画配信サービスを比較しても意味がありません。 動画配信サービスの話が出たところで、二つ目の論点である、高度デジタル社会における、放送と通信の関係についてお話ししたいと思います。 今回の議論の中では、テレビを所有せずにネットのみでテレビ番組を視聴する、という状況をどう捉えるかも論点になっています。ですから今は仮に地上波やBSで視聴する現状のNHK受信料制度には納得している、という前提で話を進めさせてください。※写真はイメージ もともと放送と通信は相反する概念です。放送とは一カ所から不特定多数に向かって拡散する情報伝達です。原点は巨大なスピーカーだといえます。区市町村の防災放送を、あるいは小中学で各教室や運動場に響き渡る校内放送を思い浮かべてください。秘密はなく、誰もがいや応なく聞かされます。 一方、通信とは個人から個人に向けた、非公開で秘密を原則とする情報伝達です。原点は郵便です。親書の秘密や通信の秘密が守られ、電話やインターネットも通信に含まれます。不特定多数に向けて公開される放送とは、その理念からして通信が融合することはないと、長らく考えられてきました。しかし、通信網の量的変化が、質的変化をもたらして、新しい時代に入ったようです。 ご存じのようにテレビの放送はこれまで、地上波アナログ、BS、地上波デジタルといった具合に、主に電波の使い方や伝送技術に関して進化してきました。電波という自然界において物理的に限りのある資源を、ラジオやテレビだけではなく警察無線や船舶無線、携帯電話、Wi-Fiなどで周波数を分け合って、いかに効率的に配分するか、が大きなテーマでした。スマホでテレビは放送として不完全 問題は伝送技術が、限られた電波の配分、という枠組みを超えて、増やしたければいくらでも増やせる、インターネットの光ファイバー網に乗ったとき、それは通信なのか放送なのかという論点です。もし放送と定義されるなら、その時は放送法が適用されることになりますから、熟慮が必要です。それはもはや放送であると定義してよいのではないか。というのが今の私の考えです。 技術的には、ハイビジョンのテレビ番組を、パソコンやスマホにリアルタイム配信することは難しくありません。個人的にはスマホの小さい画面でサッカーの試合を見る気にはなれませんが、小さい画面でも十分楽しめる、という人もいるでしょう。民放の番組をスマホで見るアプリも既に出回っていますから、たっぷりコマーシャルを見せられるのさえ我慢すれば、番組を楽しむことは今でもできます。※写真はイメージ パソコンに至っては、私の場合27インチの5K解像度のモニターを使っていますから、フルHDの番組をオンデマンドで見ると、テレビより鮮明かと思えるほどです。これでテレビの放送番組をリアルタイムで見られるようになるのなら、テレビなんか必要ない、と考える人が続出することも、あるいは考えられます。 そこで受信料収入で成り立っているNHKが、テレビではなくネットで放送を見る人たちからも受信料を得る仕組みを作っておこう、と先回りして中間答申案を出したのも理解できなくはありません。 ただし、既存のテレビでの受信が、画面サイズに多少の差こそあれ、テレビの機種にかかわらずほぼ一定の品質で誰もが簡単に放送を楽しめるのに対して、ネット経由の受信はインターネット環境やデバイスの種類によって、品質に極端な違いが生じることは考慮しなくてはならない課題です。  小さなスマホでしか番組を見られない人が、高解像度大画面のモニターで番組を見ている人と、同じように受信料を取られるとしたら、納得がいかないでしょう。放送番組はある程度大きな画面サイズのテレビで視聴することを前提に作られていますから、番組中の小さな字幕などはスマホでは読み取れません。これではNHKの放送として定義するには不完全だということになります。 また、放送というからには受信者側に手間をかけさせてはいけません。起動に時間がかかったり、デスクトップ画面が出たり、アプリケーションを選択したり、といったお年寄りに難しい操作性ではだめです。自治体からの防災放送のように、誰もがスイッチ一つでパッと番組を受信できなければ、放送とは定義できません。 私自身はネット経由でリアルタイムのテレビが見られるようになったとしても、テレビ番組はパソコン画面上ではなく、あくまでもテレビ受像機で見たいと思っています。なぜなら気持ちを切り替えたいからです。やりかけの仕事や、SNSの画面などさまざまな情報であふれているパソコンの画面では、純粋にテレビ番組を楽しめる気分には、とてもなれそうにありません。 Apple社の創設者、故スティーブ・ジョブズ氏は、テレビとコンピューターの画面の違いについて、こう述べています。 「テレビを見るとき、人間の脳はリラックスする。コンピュータースクリーンを見るとき、人間の脳は覚醒する」 まさにその通りだと思います。技術的に放送と通信の垣根が取り払われても、人間の脳はテレビとパソコンに異なる情報を求めています。ということは、テレビはテレビの形態のまま4K、8Kへと進化すると考えられます。ゆるぎない信頼性がNHKの生命線 伝送ルートが地上波でも、ケーブルテレビでも、インターネットでも、関係ありません。誰もが簡単なリモコンによるチャンネル操作で、それなりのサイズの画面で瞬時に放送番組が見られるなら、それはもうテレビと呼ぶべきでしょう。 ぐらりと揺れたら、お年寄りでもスイッチ一つですぐに地震速報のニュースが見られる。最低限それくらいの操作性をテレビは満たしている必要があります。そういったデバイスが世に出回ったときに、始めて受信料を課金すればよいのではないでしょうか。 伝送ルートにこだわるのは、技術者の発想です。視聴者は番組がどんなアンテナによって受信されようと気にも止めていません。気にするのは映像の品質と操作性、そして何よりもコンテンツ(放送番組の内容)が満足できるものであるかどうかが、最も重要事項なのはいうまでもないことです。※写真はイメージ 前半にも書きましたが、NHKの視聴者は安くはない受信料を対価として支払い、それに見合うだけの公共放送としてのサービスを受けているかを、シビアに考えています。公共放送は、コンテンツ販売業者ではないので、単に「今の朝ドラはつまらないから受信料は払いたくない」といったレベルの話ではありません。常に政府から独立した報道機関として、視聴者を利するジャーナリストの立場で番組作りをしているという、ゆるぎない信頼性を確保しているかどうかが生命線なのです。  NHKが独立した公共放送としての信頼性を失い、国営放送と同じではないか、とそしりを受けるようなことが度重なれば、ネット受信料どころか地上波の受信料さえ収納する根拠を失うでしょう。 受信技術の如何(いかん)を議論する暇があったら、まず顧客である視聴者からの信託にしっかりと内容面で対応できるレベルの、独立した中立公正な取材・編集体制が機能しているかどうかを、真っ先に議論するべきです。

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    相次ぐ不祥事に巨額マネー、肥大化するNHK「もう一つの貯金箱」

    小田桐誠(ジャーナリスト) ひとり暮らしの学生や若いサラリーマンを中心に、テレビ受像機やパソコンを持たない世帯が増えている。ワンセグ放送受信機能付きのケータイに続きタブレット端末やスマートフォン(スマホ)が普及し、「テレビ視聴はタブレットあるいはスマホで」が日常になりつつあるのだ。 「受信料の公平負担は社会の要請だ。タブレットでもスマホでも放送を受信できる端末を所有している場合、NHKとの受信契約が生じ、受信料を支払わなければならない」がNHKのスタンスである。 だが、受信契約・受信料徴収に訪れるNHKの委託を受けた業者の職員や地域スタッフに「NHKの番組を見るためにスマホを持っているわけではない」「そもそもタブレットでNHKは見ない」と素朴な意見をぶつける若者が後を絶たない。 放送法やNHKの放送受信規約を読み込み、インターネットでNHKの集金スタッフを追い返す方法を学んでいる若者の中には、「法律では“設置”と“携帯”の用語を区別して使っている。スマホは携帯するものであって受信設備の設置に当たらない」などと断固拒否する。 放送法第64条第1項の「協会(NHK=筆者注)の放送を受信することができる受信設備を設置した者は、協会と受信契約をしなければならない」とあるからだ。全国各地では、この受信契約をめぐっては裁判で争われている。NHKが勝訴する場合もあるが、第一審で敗訴し控訴することもある。就任会見で記者の質問に答えるNHK・上田良一新会長=1月25日午後、東京都渋谷区神南のNHK(宮川浩和撮影) ケータイやスマホでの放送の受信を含めた受信料制度の今後のあり方について、今年1月25日付で会長に就任した上田良一氏(元三菱商事代表取締役副社長執行役員)は、2月27日に会長の諮問機関として「NHK受信料制度等検討委員会」(座長=安藤英義・専修大学教授)を設置。諮問第1号「常時同時配信の負担のあり方について」、諮問第2号「公平負担のあり方」、諮問第3号「受信料体系のあり方」の検討を始めた。 6月27日、検討委員会は第1号の答申案をまとめ同日に開かれた経営委員会に提出した。第2号、第3号も7月末には答申案を公表する予定だ。原案の柱では、テレビを持たずネット同時配信のみを利用する世帯について別の受信契約を新設すること。支払いは世帯単位。スマホなどでネット受信アプリのダウンロードなどの手続きを済ませた者を対象とする、としている。どうなるネット受信料? ネット受信料金については、現行の地上放送と同額(口座振替2カ月払いで2520円)とする案が有力だという。「地上波より安くするとテレビよりもネットでの視聴が増えてしまう」との懸念に加え、営業の現場からは「アンテナやケーブルなどで設置が確認しやすいテレビと異なるケータイやスマホは、今時持っていない人がいないのが常識とはいえ『持っているでしょ』と決めつけるわけにもいかない。地上波よりも安くすれば契約が取りやすいわけでもない」との声が上がっている。 また、民間放送事業者は「ネット常時同時配信は、NHKがネット事業をさらに強化することにつながり、将来的に通信分野に進出していく可能性も想定される。放送法に基づくNHKの通信分野へ進出することが許されるのか、許されるとすればどんな限度を設定すべきかも考える必要がある」とその巨大化を警戒する(編注:放送法によりNHKの業務範囲は制限されており、現行法上はNHKのすべての番組をインターネットで同時配信することはできない)。 NHKの上田会長は、7月6日の定例会見での「同時配信は(付随業務ではなく)本来業務という認識か」との質問に、「NHKとしては放送が太い幹で、インターネット活用業務は放送を補完し効果を高めるものであるという考え方に変わりはない」と強調した。 放送による受信料収入で成り立つNHKが、通信の一形態であるネット事業にどの程度の費用をかけるのか。その妥当性も厳しく検証されなければならないだろう。小泉純一郎元首相=4月6日、東京都中央区(寺河内美奈撮影) NHK経営陣にとって、ネット受信者との契約・受信料徴収以上に悩ましいのが職員の犯罪・不祥事だ。 2004年、『NHK紅白歌合戦』元チーフプロデューサーによる6200万円の詐欺罪、編成局エグゼクティブプロデューサーら2人のカラ出張による約320万円の不正受給、前ソウル支局長による総額4400万円の経費水増し請求などが相次いで発覚した。架空の飲食費の請求もあった。 これを受け、小泉純一郎内閣の竹中平蔵総務相の下で、受信料の値下げ、経営委員会の理事会(執行機関)に対する監督権限・ガバナンス(企業統治)の強化などを内容とする「政府・与党合意」がまとまった。2006年6月のことである。だがそれ以降も、NHK本体や関連団体・子会社の職員の犯罪・不祥事は絶えることはなかった。止められない不祥事 窃盗未遂や建造物侵入に加え、勤務時間中に全国の放送局を結ぶ報道用端末にアクセスして知り得た特ダネをもとに、インサイダー取引をしていた30歳前後の記者やディレクターもいた。2013年10月には、「音響のプロフェッショナル」として国内外から高い評価を受けていたNHK放送技術研究所の主任研究員が、業者に架空工事を発注する見返りに百数十万円の物品を受け取っていたことが明らかになった。 倫理・行動憲章の策定、報道局内の一定の範囲内での株取引の禁止、職員教育・研修の徹底など、そのたびに対策を打ち出すのだが、あとは殺人事件で職員が逮捕・有罪ともなれば、ほぼすべての刑事・経済犯がそろいかねないありさまだ。しかも年代や所属部署、肩書を問わないから始末に負えない。 「NHKにはグループ企業を合わせて約1万6500人の職員がいるのですから、そりゃあ不届き者もいますよ。みんながみんな身ぎれいで犯罪や不祥事に無縁とはいきません。憲章に署名させ、何かの誓約書を書いてもらってもゼロにならないのですから」 NHK理事経験者がこうため息交じりに話せば、現在関連会社の役員を務める報道局出身者も「打つ手なし」といった表情で次のように語った。「NHKと名がつくすべての法人・団体・企業の職員にGPS機能の付いた業務用端末を持たせて24時間監視するわけにもいきませんでしょう。監視のための職員確保も難しい(笑)。何よりもそんなことをすれば職場の雰囲気がギスギスしてきます」 今年1月には、横浜放送局の営業部勤務の40代職員が、受信料の過払い分を視聴者に払い戻すように装った架空の伝票を作り、部の運営費から現金を引き出し数十万円着服していた事案が発覚した。しかもその職員が自殺しただけではなく、それらの事実を約3カ月間公表していなかったことも明らかになった。同月13日、閣議後の記者会見で、高市早苗総務相はNHKをこう批判している。4Kと8Kのチャンネルを割り当てられた放送事業者の首脳に認定証を手渡す高市早苗総務相=1月24日午後、総務省 「ガバナンスを強化するこれまでの取り組みが不十分だった」 今年2月には、初任地の甲府放送局から山形放送局酒田支局へ異動した28歳(当時)の記者が、両県での婦女暴行事件の容疑者として逮捕されている。NHKの営業部門の職員は、「おカネにまつわる不祥事に次いで視聴者の受信料支払いストップの理由になるのが、放火や暴行、強制性交といった重犯罪です」と頭を抱える。 NHK内には、「2019年にはネットの同時配信を始めたいが、その時期やネット受信料の実現にも影響するのでは」と先行きを心配する向きもある。不祥事の裏では… ガバナンスが低空飛行を続ける一方で、絶好調なのが受信料収入と財務体質である。5月11日の定例会見で上田会長は、2016年度の決算速報と営業業績を発表した。事業収入は、計画を56億円上回る7073億円(うち受信料収入は6769億円)で、事業収支差金で280億円の黒字になった。 営業実績を見ると、契約総数が51万4000件増(計画比102・9%)で4030万件に、BS契約は69万3000件増えて(同109・9%)2018万件となった。BS契約については2015年度実績が78万件増(同130・0%)で、BS契約の大幅増加が受信料収入増につながっているのが分かる。 2017年度の計画は、契約総数50万件、BS契約60万件の増加を見込んでいる。「BS契約割合(BS受信可能件数に占める契約数)51%を目指す」(5月11日の定例会見)と上田会長の鼻息は荒い。世帯・事業所の契約総数、BS契約ともに順調に増え続けていけば、そう遠くない将来に受信料収入1兆円も見えてくるだろう。 子会社からの受取配当金や全国に散らばる職員寮の固定資産売却益などの「その他の事業収入」も増え続けている。 上田会長は、7月6日の定例会見で「子会社11社の株主総会がすべて終了し配当が確定した。去年配当に関する考え方を見直し、前年度に続き大型の配当を実施した。その結果84億1千万円で、このうちNHKが受け取る総額は56億3000万円といずれも過去最高となった。関連会社の放送衛星システムの配当金を含めると、配当総額は88億6000万円で、NHKの受取額は56億5000万円」と胸を張った。 2016年度の事業収支差金280億円のうち、80億円を新放送センターの建設積立資金に回し、これで積立残高は1707億円になった。繰越金残高は957億円に達している。子会社の内部留保も948億円あり、NHK本体にとっては「もう一つの貯金箱」になっている。潤沢すぎる建て替え資金 6月27日に開いた経営委員会で放送センター建て替え工事担当の大橋一三理事が説明したスケジュールは次のようなものである。 まず、その日にホームページ上で業者募集を開始する。7月26日には参加申請を締め切り、業者からの提案書提出期限は12月20日。落札では技術提案、入札価格、コストを総合的に評価する総合評価落札方式を採用する。そこでは、費用だけではなく技術提案を重視。コストについての参考額は600億円で、NHKが事業運営していく上での目安の数字になる。 入札に当たっての予定価格は改めて設定するが、入札に参加しない業者に積算させ、来年春には確定したいと考えている。600億円には、放送設備は含まれていない。これは将来の放送内容が不確定なためで規模や価格は見通せない。放送設備は既存設備の更新という形で段階的に整備するため、全体でならせば減価償却費を原資とする従来の設備投資の範囲内で原則対応することになろう。 2014年度の収支予算と事業計画の説明資料によれば、放送開始100周年に当たる2025年に運用開始を想定。近年の民間放送事業者の新社屋建設コストなどを参考に試算し、総額3400億円と見込んでいる。費目はざっくりと、建物経費が1900億円、番組制作設備や送出・送信設備などに1500億円とはじいた。 大橋理事が説明したように、放送設備は更新という形で段階的に整備するため、初期の設備費はぐっと圧縮され1000億円を下回るかもしれない。仮に総額3000億円とすれば、すでに2011年度から始めた建設積立資金が1707億円ある。 2017年度から運用開始前年度まで8年間あり、毎年100億円ずつ積み立てれば800億円だ。この金額は、2010年度以降の契約総数とBS契約の伸びを見れば、そう難しい目標ではない。なにしろ2015年度は278億円もの繰り入れを実施しているのだから、年150億円平均の積み立ても可能ではないか。957億円に達した繰越金残高も増えていくだろう。もう放送センター建て替え資金は用意できたも同然だ。 もともとNHKの財務体質は健全だ。オンライン上で公開しているここ数年の連結財務諸表などを参考に、その財務体質の特徴的な点を見ていこう。 テレビ放送開始前の1950年前後、各都道府県に建設した放送局が順次建て替えの時期を迎えていることもあって、NHKの事業収入に占める減価償却の比率が実は10%を超えている。上場平均、放送業平均とも4%台で、通常7%を超えると過大であるといわれている。そんな常識からすれば、NHKの事業収入と比べた減価償却費の割合は超過大と言っても良い。巨額内部留保の存在 耐用年数で決まってくる減価償却の中でも、建築構造物は、償却年数が長く劣化が緩慢なので、受信料収入・その他事業収入が安定的に増え続けているNHKといえども加速度償却(加速償却ともいい、耐用期間の初期に大きな割合の償却をする減価償却の方法)は行いにくい。NHK放送センターの看板=2011年4月24日、東京都渋谷区 だが、製品のモデルチェンジが速い固定資産である機械・装置はそれが可能だ。電子機器の割合が急増し数年で新規モデルが登場する機械・装置の耐用年数は見積もりにくく、かなりの主観が伴うといわれる。NHKの場合、取得原価に対する償却進捗(しんちょく)率は80%(2016年度は81・4%)を超えている。 償却進捗率は固定資産の減価償却の進展割合を示すもので、償却の進展具合だけではなく資産の古さも確認できる。進捗率が小さい会社は体力がないということになるが、50%以上あれば良好水準といわれる。ちなみにトヨタ自動車の償却進捗率が66・5%だから、NHKの償却進捗率がいかに良好な水準にあるのかがよく分かる。 有形固定資産も過大だ。先に述べたように電子技術のイノベーションの進行が速いこともあってか、有形固定資産への投資は右肩上がり。同局では、総資産に占める有形固定資産の比率が45%以上を占める。日経経営指標ではこれらの比率が算出されていないので比較できないが、NHKの有形固定資産は明らかに多いと言っていいだろう。 巨額の投資ができるのも、減価償却費を早期に多額計上できるのも、キャッシュフローが潤沢だからである。事業活動による(=営業)キャッシュフローは、毎年1000億円超の水準で安定的に推移している。 高い自己資本比率もNHK財務の特徴の一つだ。すでにご承知のように、最近、財務安定性を計る指標として、自己資本比率が最も重視されるようになった。NHKは、2006年に62%だった自己資本比率を2016年度末に65・6%にまで高めている。 残りの34・4%が負債だが、2011年11月11日の経営委員会の議事録によれば、260億円あったNHKの有利子負債はこの3年間でゼロになっている。2016年度682億円の現金預金があり、これまた2425億円弱の短期保有有価証券(同年度)、985億円超の長期保有の有価証券(同)があるのだから、そもそも有利子負債を負う必要がないのである。 財務・年度の収支情報を公開すれば、年度単位の必要な支出と将来のリスクに備えた一定の内部留保を超えた額(収入)は本来徴収してはいけないという、いわゆる受信料積算の根拠となっている「総括原価主義」が崩れかねないと考えているならば、大きな間違いである。 契約拒否や受信料の長期滞納者に対する民事手続きの強化、簡易裁判所・地方裁判所での訴訟合戦を経て、受信料の支払いも法的義務化へ。4K・8Kハイビジョンの普及など課題が山積する中で、子会社を含め巨額の内部留保(金融資産)を抱えるNHK。まずはその財務実態について広く情報公開し、視聴者に丁寧に説明責任を果たすとともに、早急に適正かつ公正な受信料体系を示すべきだろう。

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    こんなNHKに黙ってカネを払うくらいなら裁判で争ってやる!

    う、当たり前の企業活動と消費者主権が実現されるべき時が来ている。 これについて私が代表理事を務める「メディア報道研究政策センター」は、平成24(2012)年、NHKが受信者を特定し受信者のみに課金することが今や技術的に可能であるにもかかわらず、それを放置してNHKを見ていない者を含めたテレビの所有者全部から受信料を強制徴収することを定めた放送法64条1項は、憲法29条(財産権)および84条(課税の要件)に違反するとして、東京地裁に告訴した。 これに対する判決は驚くべきもので、NHKの受信を希望する者にのみ課金した場合、NHKの財源が不足して公共放送の享受を国民に保証できなくなる可能性があるから、放送法64条1項は公共の福祉に反せず違憲とはいえない、というものであった。慰安婦問題を流布した番組 スクランブル放送や視聴時間制の受信料徴収で財源を不足させたくなかったら、NHKは視聴者が喜んで見たくなるような魅力的な番組づくりに努力すべき、というのが事業者として当然であるし、視聴者は見たくもなく見てもいない番組に代金を支払わなくて良いというのも、消費者主権の常識であろう。 NHKが受信料強制徴収の論拠としている64条は、いわば視聴者側に課せられた義務規定といえる。これに対して、民放も含めた放送各社に対する義務規定として4条がある。放送法4条は、公序良俗に反しない報道や政治的中立、事実に反しない報道、論争のある問題の公平な報道、等を定めている。しかし、NHKの報道の中にはこの規定に違反しているものが少なくない。 以下では、論争の余地もなく逃れようもないNHKの違反番組の事例を挙げて、いかにNHKが自分たちに都合の良い64条のみを振り回して、4条を踏みにじっているかを明らかにしていくことにしよう。以下のNHKの放送法違反事例に関しては、『これでも公共放送かNHK!』(小山和伸著/展転社)に依拠している。 まずは1996年に放映されたNHK教育の番組「51年目の戦争責任」に注目したい。古い事例になるが、今日なおいわゆる慰安婦問題は全く沈静化しておらず、それどころかソウルや釜山の日本大使館・領事館前に慰安婦像なる建造物が、事実に反する碑文とともに設置され、その設置場所も韓国内にとどまらず既にアメリカに複数設置されており、さらにオーストラリアなどへもこれを波及させようとの画策がはたらいている。従って、21年も前に報道されたこの番組の悪意は、決していまだ色あせてはいない。「NHK番組改変問題」に関する会見に臨むNHKの松尾武元放送総局長(左)=2005年1月19日(大山文兄撮影) 事実に反する慰安婦強制連行が流布される潮流を作ったのは、朝日新聞とNHKの報道であった。最初のきっかけとなったのは吉田清治著『私の戦争犯罪』だが、平成7(1995)年に著者自身がその虚偽記述を認めている。その本人の自供から19年もたった後、朝日新聞は強制連行記事について撤回し謝罪した。しかしながら、NHKは歴史資料を改竄(かいざん)までして強制連行説を裏付けた詐欺番組について、いまだに撤回も修正も謝罪も一切していない。 この番組においてNHKは、「陸支密大日記」(防衛省防衛研究所蔵)という史料を改竄(かいざん)して紹介し、慰安婦強制連行を軍が指示していた証拠が出てきたと報じた。しかし同史料は、慰安婦の募集に当たっている業者の中に、ことさら軍との関係があるかの如く吹聴して、甘言をろうしたり中には誘拐まがいの方法で女性を集めるような悪徳業者がいるので、軍は憲兵や警察と協力してしっかり取り締まらなければならない、という趣旨の通達文である。NHK番組改竄の真実 NHKは、この史料文中の「慰安所設置」「従業婦等ヲ募集」「募集ノ方法誘拐ニ類シ」「派遣軍ニ於テ統制」「関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋」等を巧みに切り貼りして、軍が警察などと連係して誘拐に類する方法で婦女子を集めるよう指示していた証拠だと、ゲストの吉見義明中央大学教授の解説とともに報道した。 同史料のコピーを持っていた私は、番組直後に電話によって抗議した。番組担当のプロデューサーは当初「テレビ画面は限られているので全文をそのまま映すことはできなかった」などと言い訳したが、40分にわたる論争の末に番組の不公正を認めた。翌日、この経緯に基づき受信料支払いを拒否する旨、当時の川口幹夫会長あてに内容証明郵便を送付し、以来受信料の不払いを続けている。当番組の放映時期が、吉田清治著者自身の虚偽本告白の翌年であることからも、番組製作の悪意を知ることができる。「NHK番組改変問題」で会見するNHKの石村英二郎・放送総局副総局長=東京都渋谷区(栗橋隆悦撮影) しかし実は、くだんの吉田著書の虚偽性は早くも平成元(1989)年、同著の韓国語版出版と同時に済州島の郷土史家金奉玉氏によって暴かれている。もしこの時点で、メディアがこの事実を正確に報道していれば、「戦後50年」に向けて加熱の一途をたどった反日運動や慰安婦賠償請求、河野談話などの動きは大きく変わったものになっていたかもしれない。しかし、反日メディアはこの事実を決して伝えようとはしなかった。 2001年に放映された番組「ETV2001 問われる戦時性暴力」は、バウネット・ジャパンなる市民グループが主催した、裁判形式による集会「女性国際戦犯法廷」を極めて好意的に紹介したものである。NHKスタジオの番組司会者は、弁護士無しで検事役が史実に反する旧日本軍の慰安婦強制連行や性奴隷制度を一方的に糾弾するこのえせ法廷集会について、「裁判形式上問題があるにせよ」と前提にしつつも「旧日本軍の蛮行を改めて問いただす意義」を強調した。 まじめな事実検証からほど遠い集会の肯定的・支持的な報道は、放送法4条の3「報道は事実を曲げないですること」に違反している。もしNHKが、「性奴隷制度の存在を前提とした団体の集会という事実を報道しただけだ」と逃げを打ったとしても、逆の立場の集会を同等に報道していない限り、同法4条の2「政治的に公平であること」および、同法4条の4「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に違反していることは明らかである。沖縄を「捨て石」NHKの偏向姿勢 月刊『正論』に「一筆啓誅NHK」を連載していた元高校教師の本間一誠氏からの情報によれば、NHKは平成29年6月23日からの「沖縄全戦没者追悼式~沖縄県糸満市・平和記念公園」のNHK総合テレビ中継の冒頭、「沖縄は本土防衛のための捨て石とされ…」とのナレーションを流したという。本間氏によれば、昨年、一昨年の同式典でのナレーションは「沖縄は本土防衛のための最前線と位置づけられ…」であったという。ここに、反日偏向意志の増長は明らかであろう。沖縄全戦没者追悼式「平和の礎」の前で祈る人たち=23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園(門井聡撮影) 日本軍11万6400人が連合国軍54万8000人を迎え撃った3カ月に及ぶ激闘の沖縄戦、あるいは航空・水上・水中特別攻撃に散華した4000人におよぶ若き命のどこを取って、沖縄が捨て石にされたというのであろうか。確かに、地上戦において沖縄住民の戦没者は、日本軍人とほぼ同数の9万4000人にのぼる。これは、米軍急襲に際して兵民分離がなされなかった悲劇ではあるが、戦時国際法に違反する米軍の都市爆撃による民間人の犠牲は、同様な悲劇を全国各都市で生んでいる。特段に沖縄を捨て石と表現する合理性はなく、NHK報道の偏向姿勢が如実に表れているといえよう。 朝日新聞の反日偏向に嫌気がさして購読を止めれば、もちろん購読料は取られない。しかしどんなにNHKを嫌って視聴しなくても、受信料強制徴収はやむことがない。自らの支払う受信料によってさらに悪質な反日偏向番組が作られていくという精神的苦痛が、良識的な国民を苦しめている。 今も全国各地でNHK受信料不払い裁判が起こされている。裁判結果はNHKの勝訴だが、それでもNHKの告訴を受けて立つ視聴者は後を絶たない。彼らは異口同音に訴える。「うそまでついて日本の悪口を放送し続ける、こんなNHKに黙って金を払うくらいなら裁判で被告になって、言いたいことを言ってやりたい」と。こうした法廷闘争が奏功してか、最近の判決では「NHKが編集の自由の下に偏った価値観に基づく番組だけを放送し続けるならば…視聴者の側から放送受信契約を解除することを認めることも一つの方策と考える余地がないではないと言い得る」という東京高裁判断を得ている。  もしNHKがネット配信での受信料請求を始めるというのであれば、裁判件数の急増と裁判所判断の行方に覚悟をもって臨まなければならないであろう。

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    NHK、新会長就任で雰囲気一変も「数字」求められるように

     籾井勝人前会長の退任後、NHKに変革が起きている。新企画にどんどん取り組み、“テレビ界視聴率ナンバー1”の座を貪欲に狙っているのだ。1月に上田良一氏が新会長に就任して以来、NHK内部の雰囲気は一変した。1月25日、就任会見に臨む上田良一NHK会長「これまでは幹部たちが籾井さんの顔色を窺ってばかりで、局内には萎縮ムードが漂っていた。しかし、上田会長は“現場介入はしない”という方針のようで、局内の風通しがよくなりました。 たとえば、1月19日放送の内村光良(52)のコント番組『LIFE!』に、綾瀬はるか(31)がドラマ『精霊の守り人』のコスチュームで出演してコントをやりましたが、これが大ウケで、上田会長も絶賛していたといいます。これまでの“縦割り”のNHKでは考えられなかったことです」(NHK関係者) 視聴率が営業成績に大きく影響する民放と違い、国民からの受信料で支えられているNHKは視聴率と無縁のように思えるが、最近はそうでもないらしい。NHKの若手ディレクターがいう。「民放以上に視聴率を気にしています。いまは受信料徴収を厳しくしているため、視聴者に『これだけ良い番組があるのだから受信料を払ってください』とアピールしなければならない。上層部からは常に“数字”を求められています」 そんなNHKにとって最大の敵となるのが3年連続視聴率三冠王の日本テレビだ。前出・NHKディレクターがいう。「昨年上半期のゴールデンタイム(※1)はウチが視聴率11.8%で11.6%の日テレに勝った。2016年の全日(※2)平均でも0.9ポイント差と肉薄した。高視聴率が期待できる朝ドラや大河ドラマはBSでも放送しているため、そちらに流れてしまった視聴者も多い。それを含めれば、実質ナンバー1はウチだと思います」 NHKと日テレの“テレビ界最強”を懸けた戦い。現在攻勢を仕掛けているのはNHKだ。【※1/19~22時の間の平均視聴率のこと。視聴率が最も高い時間帯】【※2/朝6時から深夜24時までの間の平均視聴率のこと】関連記事■ フジTV社員「数字取れるのはサザエさんとスマスマ位」と消沈■ 「篠原涼子>米倉涼子」のギャラ格差 直接対決で異変発生■ テレビドラマ キャスティングが第一で面白くするのは二の次■ 米倉涼子『ドクターX』第二弾の現場でも幸運の焼肉弁当配る■ ドラマ視聴率 月9も水10も日9も「10%超えがやっと」の現実

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    NHK 政権の空気読む「静かな籾井さん」が局内に多数存在

    期を満了し、職員らに見送られるNHKの籾井勝人前会長。右端は上田良一会長 上智大学教授の田島泰彦氏(メディア論)はNHKの報道姿勢をこう批判する。「NHKの報道は、政府の仕掛けに率先して乗った読売新聞のケースとは別の問題を孕んでいる。情報を入手した場合、事実を事実として伝えるのがジャーナリズムの最低限のルールですが、NHKは肝心の部分だけを黒塗りにしており、視聴者からすれば、なにを報じているか分からない。 ではなんのための報道かといえば、政府に対してNHKが『情報は持ってるけど報じませんよ』と自らのスタンスを示すため。視聴者より政府に伝えることを優先したのですから、公共放送としてあるまじき態度です。権力を監視するというジャーナリズムの基盤が歪み、極めて危うい状況になりつつある」 NHKに黒塗りにした理由などを質した。「個別の編集材料や取材の過程などについては、お答えを差し控えますが、ご指摘のあったニュースに関しては、NHKの独自取材によるものも含めて随時、お伝えしています」(広報局) さて、この回答は誰に伝えるためのものだろう。関連記事■ 厚労省の圧力で「消えた年金」と書くのを止めた大手メディア■ 『南方週末』問題報じたNHK 検閲で海外放送が一時真っ黒に■ 朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係■ 雑誌スクープ後追いの新聞「一部で報じられた」等の表現横行■ 権威に弱い新聞は大誤報しても“俺たちも被害者”と開き直る

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    どれもこれも嘘ばかり、感情で動く「無責任メディア」の北朝鮮報道

    さんと放送時間の大半を割いて「ICBM発射」の意義を語った。あの時点で「ICBM」と断じたのは、マスメディアでは私だけ。日本政府も翌日まで明言できず、「分析中」と言葉を濁し続けた(防衛相の会見など)。 そもそもニュースの扱いが小さい。小さすぎる。発射当日夕刻には、北朝鮮が「ICBM火星14型発射に成功」と「特別重大報道」したにもかかわらず、同夜のNHK「ニュース7」もトップ項目は「台風と前線」だった。同様に「ニュースウオッチ9」のトップも「台風3号」。なぜ、みな過小評価したのか。それがICBMとは思わなかったから。そういう次第であろう。北朝鮮のミサイルが日本の排他的経済水域(EEZ)内の日本海に着水したことを報じるNHKニュース=2017年7月4日、東京都内(AP) 他方、世界の主要メディア(と当局)は大きく扱った。米韓両国は言うに及ばず、北朝鮮のICBMが届かないイギリスの公共放送BBCもトップ項目で詳しく報じた。例外は日本だけ。 ところが、翌5日に至り、それらが一変する。理由は単純だ。アメリカ連邦政府がようやく「ICBM発射」(国務長官)と認めたからである。その途端、反米論調で知られる新聞や番組も含め、みな一斉に「ICBM」と報じ始めた。日本政府も例外でない。脱力感を覚える。 過去ずっと、こうだった。北の「火星12型」が発射された今年5月も、今回と同様の展開をたどった(詳しくはアゴラ関連拙稿)。今年4月のバカ騒ぎも思い出す。マスコミが重用する「識者」やジャーナリストらは、みな4月15日や4月25日を「Xデー」と断じ、危機を煽(あお)った。知り得るはずのない「米軍の最高機密」を論拠にした猛者もいる。私は一貫して異論を唱えたが、NHK以下多くの主要メディアは聞く耳を持たなかった。識者は無責任な放言ばかり 結局、4月15日にも4月25日にも、何も起きなかった。4月の軍事挑発は私が予測したとおりイースター(復活祭)の朝、5月も予測どおり米メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)となった。同様のことは2013年にも、2009年にも、2006年にも起きた。一貫してそう主張してきたが、日本の政府とマスコミには馬耳東風。関係国の当局者だけが耳を貸した(詳しくは前掲拙著)。 みな口をそろえて「ICBM発射はアメリカにとってレッドライン(越えてはならない一線)」と断言してきた。主要メディアとも7月5日までそう断定してきた。NHKも例外でない。今回、北朝鮮はその「レッドライン」を越えた。 当然アメリカが軍事行動を起こすはずだが、発射から数日経った今も、その兆候は見えない。「レッドラインは(ICBMが届く)アラスカではなく東海岸」との釈明まで出始めたが、開いた口が塞がらない。 要は「Xデー」同様、「レッドライン」をめぐる報道もフェイク(偽物)だった。北朝鮮関連報道自体フェイクだったと評してもよかろう。それなのに、テレビ画面に映る「識者」らの顔は、いつまで経っても変わらない。代わり映えしない。出す方も、出る方もどうかしている。ここまで予測と分析を間違えておきながら、恥じることを知らない。破廉恥きわまる。朝鮮中央テレビが放映した、ICBM「火星14」発射実験の写真(共同) 今回「また潮が危機を煽った」云々の批判を受けた。事実関係のみ反論しておく。やれXデーだ、レッドラインだと危機を煽ってきたのは、連日ワイドショーなどでコメントしてきた著名な「識者」やジャーナリストのみなさまである。私ではない。私は事実と今後の予測を述べただけ。 もし、それが「危機を煽った」ように聞こえたなら、失礼ながら事実を直視できないからか、あるいは私の予測を受け入れ難い〝良心〟(感情)があるからなのか。どちらにしても私の責任ではない。 ICBM発射当日、私の長女(自衛隊員)は航空自衛隊の主力戦闘機F-15DJに搭乗飛行していた。もし今後、拙著の予測どおり展開するなら、そのとき、隊員は「危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえ」なければならない(自衛隊法)。 最近まで危機を煽ってきたのは、そうしたリスクを背負う気概すらない無責任な連中である。どいつもこいつも放言しているだけではないか。彼らの眼には、自分が見たいものしか映らない。私は見たくもない現実を直視している。彼らと私では、そこが決定的に違う。 北朝鮮の脅威は核や弾道ミサイルだけではない。いま最も警戒すべきはテロ・ゲリラ攻撃である。本来なら軍隊たるべき自衛隊が対処すべきだが、残念ながら、戦後日本では警察(または海上保安庁)が対処の任を担う。 案外知られていないが、交番の警官が着用しているのは防弾チョッキではない。防刃ベストである。そのとき、私の次男(警察官)が凶弾に倒れるかもしれない。その私が今回、危機を煽ったなど、聞き捨てならない。 拙著の予測は外れてほしい。もうこれ以上、当たってほしくない。ひとりの父親としては、心からそう願っている。きっと誰よりも、その思いは強い。

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    田中眞紀子の秘書暴行をスッパ抜いた上杉隆「17年目の反省文」

    上杉隆(メディアアナリスト) 豊田真由子議員の秘書に対する暴行を報じた『週刊新潮』の記事を読んで思い出したのは2000年、田中眞紀子議員の取材をしていたときのことだ。2001年8月、外務省講堂に職員を集め、人事問題などについて訓示する田中真紀子外相(早坂洋祐撮影) 鳩山邦夫事務所を退職したばかりの私は、毎週末、新潟に通い詰め、約6カ月間、永田町で噂になっていた同議員の秘書への「暴行」を取材していた。 取材結果は想像を超えるものだった。朝から晩まで議員に罵倒され続け、退職に追い込まれた者。買い物のおつりをくすねたと誤解され肉体的な被害を受けた者。失敗の反省を紙に書かせて、正座しながら大きな声で繰り返し朗読させられた者。 どの元秘書に取材しても、予想を超える「暴行」の証言ばかりで、取材する側の私の方がすっかり気分を悪くしてしまった。 記事は、2001年の『週刊文春』新年合併号に8ページにわたって掲載された。直後から私自身への猛烈な批判が待っていた。いわく「作り話だ」「陥れるための記事だ」 時はちょうど眞紀子ブームの全盛期。アンケートでは総理大臣にしたい政治家ナンバーワンの人気を誇る政治家への批判ということもあって、当初、すべてのメディアが「そんなバカな話があるはずがない」と決めつけ、後追い取材をするメディアもなかった。 ところが、その4カ月後、小泉政権で田中眞紀子氏が外務大臣に就任すると、外務省内で同様の騒動が起き続け、メディアの状況も一変、産経新聞が一面で私の記事を紹介する形で報じたのを皮切りに、議員秘書への「暴行」がようやく世に問われることになったのだ。 いま思えば、当時の永田町では、議員による秘書への「暴行」「虐待」などは決して珍しい話ではなく、テレビや新聞などでは報じられない「闇の世界」が日常化していた。 多くの政治記者たちも議員による秘書への暴行話を見たり聞いたりしながらも、それがあまり問題視される時代ではなかったのだろう。 実際、他の議員事務所を取材した当時の私自身も、軽度の「暴行」は容認していた気がする。 私が議員秘書として鳩山邦夫事務所に入った1994年は、まだ国会議員の秘書稼業は丁稚奉公(でっちぼうこう)的な色合いを深く残しており、忠誠心を持って議員に仕え、ときに身代わりとして自己犠牲すら厭(いと)わない秘書こそが優秀な秘書とされている時代だった。 たとえば、「経世会」(旧田中派)の秘書会の大先輩が、議員のスキャンダルが報じられた後、自ら命を絶ったという話も「秘書の鏡」として美談になって語られていた時代だった。鳩山邦夫の秘書時代 当時の国会議員は、主に「官僚派」と「党人派」に別れ、とくに後者は自らも議員秘書時代に鍛えられた経験から、同じ厳しさを秘書に求める傾向にあったように思う。 私のボスである鳩山邦夫議員も、田中角栄首相の秘書を務めた「党人派」であり、その例に漏れず、厳しいルールを自らの秘書たちに強いていた。2009年8月、総選挙の決起集会で演説する,、福岡8区から出馬した鳩山邦夫元総務相=福岡県久留米市内のホテル 私自身も入所して3カ月間は一切、家に帰ることはなかった。というのも、勤務時間は午前7時から深夜23時が定時で、土・日、祝日は一切なく、新人は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰らなければならないというルールが徹底されていた。 それ以上に、私たち若手秘書は、鳩山代議士の自宅に寝泊まりして、朝は掃除やゴミ捨て、夜は家族が寝るまで夜回りの記者などの対応を担当し、結局、鳩山家のお手伝いさんの部屋か、事務所に寝泊まりするのを余儀なくされていたのだ。 入所1年後、運転随行秘書になった私はより厳しい労働環境に置かれた。盆も暮れもない。軽井沢の別荘で鳩山代議士と二人っきりで過ごす2週間は、私にとっては逃げ場のない苦役だった。 初めて休みをもらったのは秘書になって1年半がたったある夏の日、父が急逝した翌日のことだった。それまで本当に1日たりとも、休みがなかった。 そうした厳しい世界を経験した秘書仲間、同僚や先輩や後輩たちがいまバッジを付けている。自民党の2回生が問題となっているが、その中にもかつての秘書仲間はいる。当時永田町で育った議員や秘書の多くは、いまだに古い永田町文化をひきずっているように思う。 もちろん、それで免罪されるわけではない。だが、時代の変化に対応できない議員が「自民党2回生」に集中していると断じるのは、早計にすぎるのではないかと思う。 問題を起こした議員が「自民党2回生」に多いというのはたまたまだろう。3回生にも、4回生にもその種の問題議員はいるし、また自民党だけではなく、野党にも間違いなくそうした議員は存在する。 すなわち、安倍チルドレンだけの問題ではなく、永田町全体の問題であり、その一端は、それを知っていて見て見ぬふりをしてきたメディアの報道姿勢にもあると私は思う。 実際、罵倒を繰り返して、言葉の「暴行」を繰り返す議員を、日頃、永田町で取材している政治記者たちが知らないはずはない。 仮に知らないとしたら、よほど愚鈍か、あるいはスタジオでご高説を垂れる取材をしないテレビコメンテーターや政治評論家の一団に違いない。いまの秘書は恵まれている さて、こうした関係は議員と秘書の間だけではないだろう。私が知っているだけでも、役人に向かって「絶叫暴行」を繰り返す議員や秘書は少なからずいたし、制作子会社のスタッフに「暴行」を続けるテレビ局の社員も複数知っている。 つまり、日本社会全体に存在している相対的弱者に対する「イジメ」が、より目立つ形で、永田町で噴出したのが今回の「絶叫暴行」事案だと言った方が正確なのかもしれない。 元国会議員秘書経験者からすれば、いまの秘書は恵まれていると思う。定時には帰宅することができるし、休日も保証されている。思えば、それは当然のことだが、わずか20年前とはいえ、どうしても自分自身の経験を基準とし、厳しい目を持ってしまう。 人はそうやって自分の経験からしか物事を見られないのだろう。おそらく、私の先輩秘書も、私たち後輩に対して同様の気持ちを抱いていたに違いない。 秘書稼業の厳しさは、生きてきた時代が規定する。そう考えると、時代によって議員と秘書の関係も変わるに違いない。 鳩山事務所を退所した1999年から3年間、私は米国の新聞社(ニューヨーク・タイムズ)に働いた。その際、米国の議員と秘書の関係も知ることになる。米国のように、公費で20人も秘書を雇える制度ならば、秘書は秘書、本来の秘書業務に専念させることも可能だろうと実感した。2月19日、地元の埼玉県朝霞市長選で万歳三唱する豊田真由子衆院議員(菅野真沙美撮影) しかし、公設秘書を3人しか置けない日本の現行制度では、選挙というものがある以上、とりわけ衆議院では、議員と秘書の雇用関係に、法律や常識の枠では収まらない厳しい現状が発生するのも無理もないという考えに至ってしまう。 豊田議員をかばうつもりはない。だが、彼女の事務所以上に、ひどい扱いを受けている秘書が存在するのは紛れもない事実だし、そうした状況を許してきた永田町の慣習を無視して、いまの私には、ひとり彼女だけを追及する気にはなれない。 あの田中眞紀子議員を追及して、議員辞職まで追いつめたジャーナリストの反省として、誰かひとりをスケープゴートにしてつるし上げても何も変わらないと知っている。そうした報道は、社会に進歩も発展ももたらさないことを、私たちはこの20年間の報道で学んだはずだ。 政治部を中心とするテレビ・新聞は、自分たちの不都合も含めて、今回のことを俯瞰的に調査・報道してもらいたい。大局を持って今回の「暴行」事件を報道・分析すれば、きっとその先に、議員と秘書の健全な関係が待っているに違いない。

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    中居正広の裏切りとジャニーズへの「忖度」

    まさに「忖度」の世である。国民的アイドルグループ元SMAPメンバーの事務所契約終了がスポーツ紙などで報じられ、独立派と目されていたリーダー、中居正広のジャニーズ残留が決まった。他の3人への「裏切り」とも揶揄されたが、どうやら芸能界特有の複雑な事情もあったようで…。

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    「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇

    れをノーベル経済賞経済学者のトーマス・シェリングは「心の消費」の活動として分析している。テレビなどのメディアで目にする様々な偶像(アイドル)に、自分と切っても切り離せないものを感じることで、アイドルに生命を吹き込む。その心の消費がさまざまな人々のネットワークで強固に結びついたときに、アイドルはアイドルを超えて、国民の統合にさえなるのだろう。打算だけでは図れないSMAPが持つ日本的価値観 矢野によると、ジャニー喜多川はアメリカの視線で日本の芸能人を見るべきだと考えていたという。ジャニー喜多川は、アメリカの芸能人とは「芸術家」のことであり、その活動は社会的に尊敬されているという。SMAPは、このジャニー喜多川の願いを超えて、日本の文化の根幹にさえなった、と言ったらおおげさだろうか。 SMAPのCMや出演番組が、「ポスト団塊ジュニア」の消費モデルとなったことは、その世代に完全に属するライターの速水健朗らの分析によって明らかにされている(速水他『大人のSMAP論』宝島社新書)。SMAPのメンバー自体の多くは、正確にはこのポスト団塊ジュニアよりも若干上の世代だ。つまり「兄」としてポスト団塊ジュニアたちの生活モデルとなったのだろう。SMAPが日本の文化の根幹になるに際して、日本の人口でも団塊世代に次いで巨大な層であるポスト団塊ジュニアを魅了した点は大きいだろう。 他方で、SMAPはまた旧来の日本的価値観ともいえる「義理と人情」にも大きく規定されている(松谷創一郎『SMAPはなぜ解散したか』SB新書、にも同様の指摘がある)。これは今回の5人の去就が必ずしも経済的合理性、よりわかりやすくいえば打算だけではまったく測れないことにもある。 今回、事務所を出ていく3人は、観測報道が正しければ、彼らを成功に導いた功労者のひとり、飯島氏と行動をともにする、という。ただでさえ独立することは、日本の閉鎖的な芸能市場では困難に直面する。しかも誰がどうみても今回のSMAP解散劇は、またジャニーズ事務所の内紛であった。その意味では、芸能界での「忖度」が強く働き、出ていく3人の芸能活動を著しく制約してしまうかもしれない。1989年1月7日、新元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官=首相官邸 だが、あえて彼らがその選択をとったのは、「義理と人情」であったろう。また残るふたりの思いも、また同様だと、筆者は信じている。出ていく3人と同じく、残るふたりもまた彼らを育ててきたジャニーズ事務所への「義理と人情」ゆえに残ったのかもしれない。あたりまえだが、人は打算のみでは生きてはいない。そしてそのことを、SMAPは平成の世を通して、私たちに訴え続けてきたではないか。 平成の世もまもなく終わる。そして組織の中のSMAPもまもなく完全に終わる。だが、SMAPは平成を超えて、その先ノムコウを行くだろう。

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    中居正広がジャニーズに残留しても「SMAP再結成」は有り得ない

    き手 iRONNA編集部、松田穣)なかもり・あきお 昭和35年、三重県生まれ。80年代からさまざまなメディアでサブカルチャーを論じる。「おたく」の名付け親として知られる。著書に『アイドルにっぽん』(新潮社)『東京トンガリキッズ』(角川文庫)など多数。近著に『アイドルになりたい!』(筑摩書房)。

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    香取、草彅、稲垣の独立を許したジャニーズの思惑を私は知っている

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家、実業家) ジャニー喜多川さんが今一番大事にしていることは2020年東京五輪・パラリンピックなんです。当然ですが、ジャニーさんが今の地位を築いてから最大のイベントですから、「世界のジャニー喜多川」を自負する本人としては、総合プロデューサーを狙っていて、そこで名を残したいんです。 ジャニーさんはタレントや事務所より、何よりも自分が大切。エンターテイナーとして五輪は、これ以上の舞台はないと思っていますからね。85歳と高齢ですが、少なくとも2020年を健康で迎えたいという意識が強くて、毎週病院に行っていますし、体調管理には相当のお金をかけています。 もちろん「亡くなるまで現役」を公言しているので、元気なうちは仕事を続けるでしょうけど、やっぱり東京五輪を集大成にしたいという思いがあるんです。「国歌斉唱」をジャニーズ事務所から出したいと言ってるぐらいですから。東京・赤坂にあるジャニーズ事務所 それだけに、大麻所持で逮捕された元KAT―TUNで現役時代から素行が悪かった田中聖は早々と放出したし、NEWSの手越祐也の醜聞なんかもさっさと片づけて、なかったことにしたいくらいでしょう。メンバーの悪行でジャニーズそのものの印象が悪くなることに非常に気を使っている。だから今は、そういうことがジャニーさんにとって最大の不安要素です。もちろん、昨年まではSMAP問題は大きな不安要素だったんですがね。 だから、今回発表したSMAPの事務所コメントの中にジャニーさんの思いが書かれていたのは異例ですが、SMAPへの愛はきちんとあるということをアピールしつつ、穏便に片づけたいという思いの表れでもあるでしょうね。 そして中居正広の事務所残留は、想定の範囲内です。レギュラー番組も多くて、CMもあれだけあれば、中居本人もバカじゃないのでそう簡単にいかないことぐらいわかるでしょう。まして、これだけの仕事を引き受けるのは新たな個人事務所としても荷が重いですからね。 今回の騒動で中居の裏切りだとか言われてますけど、あくまでビジネスですから、事務所を離れる香取慎吾ら3人はそういう風には思っていないはずです。むしろ3人はジャニーズ事務所を離れてようやくやりたい仕事ができるようになると喜んでいる。 そして多くの人が誤解しているのは、ジャニーさんがキムタクを特別視しているわけではないということ。逆にキムタクがジャニーさんに心酔しているだけなんです。実際、ジャニーさんが最も大事に思っているのは堂本光一と滝沢秀明ですよ。2人はやっぱり「王子様」のような容姿だし、舞台をこなせる能力が高いですから。ジャニーズプロデュースの舞台は、ジャニーさんの思いすべてが込められていますから。この2人は死んでも離さないでしょうね。 キムタクにあの2人のような能力はないんです。だから、キムタクはジャニーズに残るしかない。元シブがき隊の本木雅弘が辞めて丸刈りにしたり、ヌードになったりしてタレントとして生まれ変わることができましたが、それは妻の工藤静香は望んでいないし、そういった能力があるとも言えない。最近のキムタクは「オワコン」と言われていますからね。それはキムタク本人もわかっていることですよ。 キムタクはジャニーズの幹部候補だとかいう記事もよく見ますけど、そういった状況ではないですね。幹部になると言っても上にはまだ、近藤真彦や東山紀之がいるわけです。逆にSMAPの元メンバーの目線から言えば、うっとうしい存在なんだし、そういった話は現実味がないですね。 ジャニーさんの最高傑作は、先に言ったように光一と滝沢で、この2人は絶対に離さない。SMAPがジャニーズの歴史をつくったことは重視していますが、ああいう内紛のようなかたちで解散してしまえば、ジャニーさんとしてはキムタクも含めて出ていきたいという人は追いませんよ。キムタクより中居が大事 だから、仮にジャニーさんがキムタクと中居とどっちをとるかといえば、これもさっき言ったようにビジネスとして中居を取るに決まっているんです。今、キムタクがいなくなってもさほど困らないけど、中居がいなくなるとそりゃあ事務所もそれなりに影響がでますからね。(イラスト・不思議三十郎) ジャニーズは芸能界という世界では大企業以上の省庁みたいな存在になってしまった。例えて言うならSMAPクラスは事務次官ですかね。辞めてどこかへ行くときは「天下り」なんですよ。元SMAPメンバーはなんといってもブランド力がありますから、フリーになること自体がおいしい「天下り」みたいなものです。 だって、今までジャニーズだから制限されていた仕事を何でもしがらみなくできますからね。光GENJIと比べ物にならないのは言うまでもありません。稼ぎが半端じゃないですから。正直元SMAPメンバーは仕事を10年休んでもなんともない。なぜ、仕事を続けるかといえば、自分の地位を維持しておきたいという願望だけです。 そもそも中居の「裏切り」だとか騒いでますけど、本当は5人ともビジネスライクの付き合いでしかない。本当の友達じゃないですから。一部報道で「慎吾が中居に残留を勧めた」とかありますが、事務所を離れる3人からすればどうでもいいことなんですよ。 慎吾らは自由になりたいがために芸能界を辞めてもいいというぐらいの勢いで事務所に迫ったから、ジャニーさんもあきらめたんです。そういう状況に対して、ジャニーさんは、面倒くさがりなんで、「そうなのか」で終わりです。もめているときは「YOUたちなんとかならないの?」とか言ったでしょうけど、もうどうでもいいんです。 言葉ではジャニーさんはみんな自分の子供たちのように大事だと言いますが、結局ジャニーさんの夢を全部叶えたのは光一と滝沢なんですよ。観客の目の前で、本当の実力があって歌って踊れてということができるのはその2人で、それはSMAPも嵐もできないんですよ。この60年のジャニーズの歴史の中でこの2人はずば抜けている。ビジネスとして中居は大切ですけどね。心底大切に思っているかどうかは別ですね。 だからビジネスとして稼いでくれたSMAPは、その意味で大切に思っているけどジャニーさん個人の思いとしては光一と滝沢に勝る者はいないんです。 慎吾ら3人は芸能界から干されるとか心配する人もいますが、それはないですね。元マネジャーの飯島三智さんのところに行って、むしろ安いギャラでもいろんな仕事を引き受けることになりますから。  それこそ、テレビ関係者や他の芸能事務所が、事務所を出た慎吾ら元SMAPのメンバーを使いづらいとか思うのは、まさにジャニーズ事務所への「忖度」であって、本当は何の横やりも入れないですよ。ジャニーさん本人が言ってましたよ、「僕が出て行った人たちを使うなとか、そんなこと言ったことは一度もない」ってね。(聞き手・iRONNA編集部、津田大資)

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    香取慎吾 「解散ネタ」出るかもと中居との共演を心配してた

    「朝からずっと(番宣に)出ているんですけど、今の時間がちょうど眠いですね!」。4月24日、『中居正広のミになる図書館』(テレビ朝日系)がゴールデンに移って再スタート。生放送の冒頭でこう笑いをとって、ソツのない司会ぶりを見せた中居正広(44才)。ところが、同じ生放送でも香取慎吾(40才)の『SmaSTATION!!』(22日、テレビ朝日系)にゲスト出演した時はいつもと様子が違った。東京・六本木のテレビ朝日本社 SMAP解散後、初めてのメンバー同士のテレビ共演とあって現場は緊張ムード。そんな中、中居は登場するやいなや、香取の隠し子騒動をイジると、香取も「友達の子だって。いいんだよ、それはもう!」と、からかってくる“長男”に“末っ子”が必死に言い返すやり取りは相変わらず。 VTR中も香取にしきりに話しかける中居は、「シーッ! 生放送だからこれ!」と叱られ、苦手な食材の食レポをすると「グチャッとしたのが嫌なんでしょ?」と香取につっこまれ、笑いあう。 終盤にはお互いを「ふざけてる感じがあるんです」(中居)、「ゲストは超下手!」(香取)と、多少のぎこちなさを見せながらも、その“ツンデレやり取り”に気が置けない関係がうかがえた。その舞台裏を番組関係者が明かす。「2人の共演は4月15日に発表されましたが、実は中居さんがゲスト出演することは4月頭には内定していました。発表が遅れたのは、中居さんがやる気満々の一方、香取さんのテンションが意外と低かったからです。どうも中居さんが解散を笑いのネタにするのではないかと心配だったようなんです。いくら仲がいいとはいえ、年下の香取さんが先輩の中居さんにアレコレ注文をつけられる立場ではないですから…。さすがに解散ネタは出なかったものの、『隠し子騒動』の話がいきなり出たので冷や汗が出ました」 昨年は2人で熊本地震被災地への炊き出しに行くなど親密な仲ながら、先輩後輩の気遣いはあるようだ。『スマステ』では生放送前に、後日放送する総集編で使うために、大下容子アナ(46才)も交えたゲストとのトークの収録が行われる。「セットの椅子に座るよう促されると、改まった雰囲気になることに照れたのでしょう、中居さんが『いやだよ~』と笑いながら拒否したんです。そうしたら香取さんが『みんなやってるんだから、ほら、中居くん』と。弟キャラの香取さんがお兄さんキャラの中居さんに言い聞かせる様子がおかしくて、スタジオからは笑いが起きました。もちろん中居さんもちゃんと座って、トークの収録に参加していましたよ」(前出・番組関係者) 25年ずっと一緒だった仲間と、4か月会わずに久々の再会。気恥ずかしいような、照れるような、ちょっと脇の下に汗もかきそうな雰囲気になるのは、わかる気もする。関連記事■ 山下智久、32才の誕生日に石原さとみと原宿デート■ 萬田久子 マネジャーとの熱い夜に冷水浴びせた薬物事件■ 香取慎吾と恋人の関係、「SMAPと恋」の苦難と悲哀を象徴■ 貴乃花長男の結婚相手 清爽な雰囲気の黒髪美女の写真■ 中居正広の恋人・武田舞香 木村拓哉に厳しいダンス指導

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    木村拓哉「中居ジャニーズ残留」に複雑心境も大人の対応

     SMAPの解散から約半年。当初からジャニーズ事務所残留を決めていたという木村拓哉(44才)以外の4人の未来がいよいよ決まりそうだ。 まず、稲垣吾郎(43才)、草なぎ剛(42才)、香取慎吾(40才)は事務所と話し合いを行い、退社の意向を伝えたという。草なぎと香取は元マネジャーの女性と行動をともにし、稲垣も元マネジャーと相談しながら、移籍先を決める予定だという。 一方、中居正広(44才)はジャニーズ事務所に残留するもよう。事務所への恩義を返すことと、退社する3人を守る防波堤になるとの思いがあるという。今回の3人の独立について首を傾げる関係者も多い。「元マネジャーがいくら育ての親といえど、ここまで活躍できたのは事務所に所属していたからこそ。それに、独立する3人の推定年収は1億円ほどで、きっちりお給料ももらっています。彼らの行動は筋が違うのでは、という声も聞こえます」(芸能関係者) 彼らの決断を木村はどう受け止めているのか。5月18日(現地時間)にカンヌ国際映画祭のレッドカーペットを歩いて以降、芸能生活を始めて以来という長期休暇に入っている木村。最近は美容院を変えたり、家族でカフェで食事をする姿が目撃されている。 その休暇中に独立の意思を見せた元メンバーの動向について、「木村さんは複雑な心境では」と語るのは木村を知る関係者。「事務所への恩義と家族のために残留を決意し、4人に『5人でやっていこう』と言葉を懸命にかけていましたが、結局は解散という結果になり、世間からの風当たりが最も強くなったのは木村さんです。しかも、昨年末の焼き肉晩餐会には木村さんだけが呼ばれず、『木村対4人』の構図ができあがってしまいました。 木村さんとしては自分ひとりだけでも筋を通したつもりでしたが、しこりが残ったことは事実。今回、中居さんが残留すると言われて即答できない気持ちもあるでしょう。でもそこは大人です。解散してそれぞれが選んだ道で成功してほしい、と。木村さんのそんな態度もあったからこそ、事務所スタッフも違和感なくみんなの決断を受け止められたんだと思います」関連記事■ 稲垣、草なぎ、香取 9月でジャニーズ退社へ 中居は残留か■ 草なぎ剛、香取慎吾、稲垣吾郎 それぞれの心機一転■ 小出恵介の相手は17才シングルマザー 雑誌暴露に後悔も■ 渡辺謙 不倫報道で6億円自宅から荷物たたき出される■ 中居正広の恋人・武田舞香 木村拓哉に厳しいダンス指導

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    若者に変化を求めた関口宏の本心はやっぱり「安倍下ろし」だった

    よらない発想で、旧世代の予想を裏切る変化が生じるかもしれない。たとえば、昔ながらのリベラルや左派的なメディアに疑いの眼を抱いたりしている可能性だってある。その反対の政治勢力に対しても同様かもしれないが。日経平均株価の午前終値を示すボード。1年半ぶりに大台の2万円を回復した=6月2日午前、東京都中央区(春名中撮影) ジュリアーノとスピリンベルゴの論説で興味深い指摘はそれだけではない。おそらく客観情勢を考えれば、いまの安倍政権の経済政策は「偶然」に生まれたものである。たまたま安倍首相が、いわゆる大胆な金融緩和政策を主軸にした経済政策(リフレ政策)を採用しただけだ。実際に自公政権、そして野党含めてリフレ政策の支持者は数人程度しかいない。いわばリフレ政策による最近の若者の雇用状況の改善は、安倍晋三氏が首相にたまたまなったという「偶然」でしかない。 ジュリアーノとスピリンベルゴは、偶然の重みを知っている人たちが「大きな政府」を望むと指摘している。ただし彼らの定義した「大きな政府」の定義は、増税=緊縮なので、本当の「大きな政府」ではない。「大きな政府」とは、緊縮を否定し、金融緩和と財政拡大を支持する政府のことだ。この意味では、いまの日本の若い世代は、安倍政権のリフレ政策が偶然の産物にしかすぎないことを十分知っている可能性がある。 この議論が正しいとすると、「大きな政府」を積極的に支持する気持ちは理解できる。若い世代は、この「偶然」の成果を背景にして、それを支持する一方で、自分たちは自分たちの人生の可能性を切り開いていこうとしているのかもしれない。言い方をかえれば、マクロ経済政策は最低でも現状維持、できればもっと非緊縮型(=大きな政府)を進め、そして個々人の生活はより変化を追求していくことが考えられる。 いずれにせよ、関口氏が本心では期待しているとしか思えない、アベノミクスの否定は、日本の経済と社会を逼迫(ひっぱく)させ、政治勢力の「変化」はあってもそれは混乱だけをもたらすだろう。その政治的混乱は、経済の停滞という形で、若い世代の活躍の場と意欲をくじいていくことだけは間違いない。そのことをわれわれは老いも若きもこの「失われた20年」の体験で十分に知っているはずだ。どうも関口氏とその意見に賛同する人たちは、そのことを忘却してしまったか、違う世界線の住人なのかもしれない。

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    青林堂パワハラ訴訟、泥沼バトルの舞台裏

    休刊した漫画誌『ガロ』で知られる出版社「青林堂」(東京都渋谷区)のパワハラ訴訟をめぐり、同社社長の蟹江磐彦氏がiRONNAに独占手記を寄せた。一方、会社を訴えた原告代理人からも反論手記が寄せられ、泥沼バトルの内幕がiRONNAでついに明らかになった。老舗出版社で何があったのか。

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    【青林堂社長独占手記】「あんな社員に謝る必要が本当にあるのか?」

    蟹江磐彦(青林堂社長) 青林堂は、現在「東京管理職ユニオン」および、TBSを筆頭に各マスコミから猛烈な攻撃を受けている。これは当社が男性社員に一方的にパワハラを行い、うつ状態にさせたとして提訴され、支援するユニオン側が実施した記者会見に端を発している。 TBSの報道番組「NEWS23」については、男性社員がうつ病にもかかわらず、2度にわたって出演させ、自分がいかに虐げられたかを語らせ、その現状を当社での録音音声をかぶせて放送している。この報道はユニオンだけの言い分を、マスコミが恣意(しい)的に流している点で大きな問題があると思っている。 では、そもそもユニオンとはいかなる労働組合なのだろうか。簡単に言えば、個人で加入できる、業種や会社をまたいだ労働組合だ。大企業にはもともと労働組合があり、労働者はその組合に加入して保護を受ければいいのだが、当社のように正社員3人といった零細企業には、そもそも組合などない。そういった企業の社員が加入できる労働組合がユニオンである。それどころか契約社員やアルバイトまでも加入できるというのが売りでもある。 確かに、社会には「ブラック」とされる企業があり、労働者はこうした企業から守られなければならず、ユニオンの活動がそこに向けられる分には正しい行動である。しかし、今のユニオンは現行の労働法に強く守られ、会社に無法の限りを行っても「良いか悪いかは別として」弱者の労働者としては正しいこととされてしまう。 実際に男性社員のように、会社内で録音盗撮したり、会社の重要な名簿やIDパスワードを無断で持ち出したりしても、労働法に守られた労働者の「権利」なのである。また、辞令を出しても自分が気に入らない仕事は「支配介入」という文言で拒否できてしまう。 男性社員は一日中机の前に座り、社内の動向を探りながら言動を逐一メモし、その情報をユニオンに報告していた。当社は、ユニオンとは思想的には真逆の書籍を発売している出版社である。このような状態が正常であるとは、到底思えない。現に東京管理職ユニオンの鈴木剛執行委員長からは「全力で青林堂を潰しに行く」と宣言されている。 また、不思議なのは、大半のテレビ局が今回の提訴を報道するなど、この裁判がなぜこんなに大きく扱われるのか、ということだ。先にも記したが、当社は社員が3人という、極めて零細な企業である。すさまじいユニオンの要求 しかも内容は、ユニオンが言うところの単純なパワハラである。これにはなんらかの恣意的な意図を感じずにはいられない。先日も、東京新聞からこの裁判について、取材依頼がきた。当社とユニオンしか知り得ない事柄を聞いてきたのであり、なぜ東京新聞がそれを知っているのか? 当社を狙ったマスコミ各社の動きをみれば、ユニオンと何らかのつながりがあると疑ってしまう。 東京新聞の取材の件は、当社が男性社員に直接連絡をとったことが支配介入に当たるためユニオンに陳謝しろという内容だったが、そもそも自社の社員に連絡することが、労働法では違法とされること自体疑問だ。 一方、ユニオンの要求だが、これがすさまじい。勤続半年の男性社員の和解退職金が1200万円である。キャリア官僚が10年勤めても400万円程度なのに。もしくは復職させて昼から5時までの5時間勤務、残業なし。この条件でさらに30万円の給料を要求しているのである。 零細企業である当社としては、「復職」させるしか選択肢はない。ゆえに、この条件を受け入れた。その後も給料を「48万円にしろ」と要求してきたが、さすがにこれは拒否した。他社員との給与格差が大きすぎて不公平になるからだ。 また、男性社員は復職後、初日から守秘義務契約を拒否し、大声で「支配介入だ!」と恫喝(どうかつ)していた。「これは闘いですから」と叫ぶ。辞令を出して編集業務として復職したのにもかかわらず、「営業業務をやらせろ」と要求する。(写真はイメージです) しかも、出版労連の講演で、当社の出版物に対してデザイナーからヘイト本の装丁を断られた経験に触れつつ、「言論の自由を言い募り、差別をあおる本を売ることに目をつぶってきた」と自省を込めながら振り返っているのである。 こんな社員に営業は任せられない。当然、当社としては語気強く毎日のように説得を続けた。だが、一連のやりとりを録音されていたのである。 こういった毎日のやり取りの中、突然男性社員はうつ病の診断書を提出して昨年2月に休職した。健康保険組合から傷病手当を受け取りながら、国会前デモや、安保法制反対デモに元気に参加している。当社にも何度も団体交渉や、中傷ビラをまきに訪れている。うつ病にもかかわらず、休職から一年後になる今年2月、東京地裁に提訴した。「青林堂でパワハラを受けてうつ病になった。損害賠償として2300万円を支払え」という要求である。 訴訟になった以上、判断は司法に委ねるしかないが、このような社員でさえユニオンは手厚く保護し、会社側は労働者に謝罪をしなければならないのだろうか。青林堂は今後もこのような左派系労働組合である東京管理職ユニオンと、これを支援するマスコミや団体とも闘っていくつもりだ。

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    青林堂社長にこれだけは言いたい 「パワハラに右も左も関係ない」

    ハラスメント内容のひどさに加え、録音という客観的な証拠があり、それがあまりに生々しいことから、多くのメディアにおいて取り上げられることとなった。パワハラに右翼も左翼も関係ない 青林堂は、これは左翼の陰謀であるなどと言っているようであるが、最初に言っておきたいことは「パワハラに右翼も左翼も関係ない」ということである。もちろん、青林堂からみた「左翼団体」においてもパワハラは存在する。私はその場合でも、特に躊躇(ちゅうちょ)することなく、被害者となった労働者の権利擁護をしたいと考えているし、実際にしてきた実績がある。 したがって、本件は、青林堂が過去にどんな出版物を出していようが、はっきり言って関係のないことである。青林堂はツイッターなどを使って、盛んに「サヨクが」「サヨクが」と言っているようであるが、心の底から、「それは関係ないんだよ」と優しく教えてあげたい気分である。 おそらく青林堂は、自分たちのした陰湿なハラスメントが白日の下にさらされ、批判が集中したことを回避するために、単なるパワハラを「右翼」「左翼」の問題につなげたいのであろう。 そうすることで、味方を得ることができるからだ。しかし、録音に示されるとおり、客観的な記録があり、発言内容自体は動きようがない。もし「右翼の社長なら、左翼だと思った社員に対し、パワハラをしても何の責任も生じない」とでも思っているのだとしたら、それは誤りである。 一口にパワハラと言っても、多くの種類がある。次の分類は、厚生労働省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」が、平成24年3月15日に公表した「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」における分類である。ここでは6類型に分類している。① 暴行・傷害(身体的な攻撃)② 脅迫・名誉毀損(きそん)・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)③ 隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)④ 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)⑤ 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)⑥ 私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害) こうした行為はいずれもパワハラとして企業や行為者が損害賠償請求を受けるリスクのある行為となる。通常の企業では、こうした行為をすることのないように社員を教育・指導するのが一般であるが、中小企業などでは、社長が先頭に立ってこれらを実行してしまう企業も少なくない。青林堂事件では、特に②がクローズアップされていることは周知のとおりである。労働相談のダントツ1位は そもそもパワハラの問題は、青林堂事件だけの問題ではない。実は昨今、労働問題を扱う業界で深刻なのは「いじめ・嫌がらせ」事案の増大である。 たとえば、厚生労働省が毎年6月ごろに公表している全国労働局に寄せられる労働相談では、平成24年度以降「いじめ・嫌がらせ」が1位となっている。平成27年度は、約6万6千件の相談があり、2位の解雇(約3万8千件)に大きく水をあけてダントツである。 相談に行くということは、それだけでハードルがあるのだが、それを差し引いても約6万6千件であるから、この裏にはどれだけ多くの労働者がハラスメントに苦しんでいるかが分かると思う。 こうした状況を踏まえ、厚生労働省は平成23年、先の分類の提言をした「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」を開き、パワハラの定義や対応について専門家の意見を聴取するなどした。残念ながら、この会議は、提言・報告を出すにとどまり、立法などの動きにつながることはなかった。 現在の安倍政権も、パワハラ問題を無視することはできず、「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日閣議決定)には、「職場のパワーハラスメント防止を強化するため、政府は労使関係者を交えた場で対策の検討を行う」として、何らかの対策の検討を行うことを記している。 なお、政策として必要なのは、「パワハラ防止基本法」のような法律を制定して、腰を据えた対策が行われることであろう。そうでなければ、この問題は「当事者同士の問題」として矮小(わいしょう)化されかねない。しかし、セクハラなどと同じように、基本的にパワハラは違法であるとする明確な法規範があれば、企業の取り組みは変わってくるものである。 いずれにせよ、パワハラは社会問題となっており、国の政策として何か対策をとらねばならないところまで深刻化しているのである。 では、労働者はこうした時代にどうやって自分の身を守ればいいのだろうか。(本文とは関係ありません) 青林堂事件のように、暴言などのパワハラを受けた場合、まずは証拠を確保することが何よりも大事である。その際、録音が客観的な証拠として価値が高い。青林堂事件では、パワハラが日常化していたために、多くの録音記録が存在している。 あまりに多くて、訴えの提起にあたり選別するのが非常に大変であった。そのため、普通なら問題とすべき発言が、他のひどい発言に比べてレベルが低いと、「これは大したことないね」となってしまって、感覚がまひしてしまったほどである。 なお、対話者に無断で録音することが違法であるかのような誤解があるが、そんなことはない。職場におけるトラブルがある場合に、証拠保全の意味で録音することは問題ない。むしろ、労働者が取りうる唯一の証拠収集における対抗手段といっても過言ではない。気にせず「録音」を 裁判例でも、録音手段・方法が著しく反社会的ではない限り、これを証拠として認める旨判示している(東京高裁昭和52年7月15日判決)。最近の裁判例でも否定例は極めて例外的な場合のものしかないので、被害を受けている場合は、気にすることなく録音することが必要である。 一方、使用者側に期待されるのは、職場におけるいじめ・嫌がらせは、企業経営にとってマイナスしかないことを自覚することである。 そもそも、そのような問題が発生していること自体恥ずかしいことだという認識を持ってもらいたい。先に挙げた円卓会議において、ある企業の人事担当者の言葉として、次のようなものがある。 全ての社員が家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さんだ。そんな人たちを職場のハラスメントなんかでうつに至らしめたり苦しめたりしていいわけがないだろう。 誰かをいじめてうつにすることは、その背景に多くの悲しみが生まれることを自覚することが必要である。社員は人間であり、ロボットではない。ましてや機械でも道具でもない。その当たり前を自覚することが第一歩である。相手は自分と同じ生身の人間なのである。 近年は、まともな企業や労働組合が機能している企業においては、こうした意識が徐々に高まり、パワハラになり得る行為類型を冊子やパンフレットなどにして全社員に配布し、啓蒙(けいもう)している企業もある。 本来は、こうした取り組みが一般化される必要があるだろう。一方で、社長が先頭に立ってパワハラするような企業は論外である。これについては、一つ一つ正していくほかない。(本文とは関係ありません) 青林堂事件は、ハラスメントの陰湿さと、それを支える証拠が多くあることでたくさんの注目を集めた。しかし、俯瞰(ふかん)的に見れば、これはわが国にはびこるパワハラ事件の一つに過ぎないのである。もっとも、一つに過ぎないとしても、これだけ注目が集まった事件である。青林堂には、パワハラを行ったことについて、しっかり責任を取っていただきたい。 また、労働者はこうした時代であるので、身を守る術を身につけ、何かあれば第三者に相談してほしい。一人で抱えても解決しない。労働組合や公的機関など、相談窓口は多い。 そして、国は「働き方改革実行計画」に記載したのだから、「啓発」「啓蒙」だけで終わることのない政策を実行してほしい。これについては与野党一丸となれるのではないだろうか。パワハラを撲滅するのに右も左も関係ないのだから。

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    なぜユニオンは「ブラック企業」退治の切り札と呼ばれるのか

    月28日に勝利した東京都労働委員会の命令文は、東京都のホームページに公開されています。青林堂関係者がメディアに公開している情報には、誤ったものが多くありますので、本件に関する正確な情報は、これらをご覧いただければと思います。 こうしたいわゆるブラック企業の問題は、近年、社会的な問題になっています。本稿ではブラック企業に対抗するために「ユニオン」と呼ばれる労働組合が有効であるという点について論じたいと思います。 ユニオンとは、合同(一般)労働組合と呼ばれる、一人でも加入することができる労働組合のことで、従来の合同労組の一種として、1970年代以降、新たに誕生したものです。ユニオンは企業内労働組合と全く同じ法的権限を有しています。ユニオンが急増した構造的背景は、経済成長率の低下に伴う雇用形態の変化があります。(写真はイメージです) それまでの男性正社員を中心とした年功型雇用システムから、派遣・有期契約・パートなどの非正規労働者の増大があります。日本の労働組合の多くは男性正社員をメンバーシップとする企業別組合でしたから、こうした非正規労働者は保護の枠外にありました。 また、諸外国と比較して日本の非正規労働者は、時間当たりの賃金が非常に低いという特徴がありました。昨今、政府も推進しようとしている「同一労働同一賃金」は、この構造的問題の解消を目指すものであり、いわば国民的な課題です。この点から、従来の企業別組合が受け入れなかった非正規労働者が数多くユニオンに駆け込んできたのです。 加えて、日本で構成比率が高い中小企業では、法令を無視した職場も多く、必然的に労働者がユニオンに助けを求めてくる実態もあります。そして、労働基準監督署などの公的機関や弁護士によるアプローチと比較しても遜色なく、被害者が納得する内容で解決していることから、ユニオンは増加傾向にあります。 解決内容も、労使双方が和解し、継続して円満な労使関係を確立し、就労を続けるケースも少なくありません。この点でユニオンはブラック企業対策として有効な武器であるといえます。近年、「ユニオン対策本」と題した書籍が出版され、「ユニオンは解決金目当て」などと書かれている場合がありますが、正確ではありません。 ブラック企業に対してユニオンが有効な手段足りえるのは、以下の法的根拠が考えられます。① 団結権に基づく企業内外での広範なネットワークづくり② 団体交渉権に基づく強い交渉力③ 団体行動権に基づく強い行動力たった一人でもこれだけ戦える ①は、企業内で組合員や協力者を拡大することや企業外の支援者ネットワークを活用し、広げることです。同様な被害にあった労働者が同じ目線で励まし、先行する経験からアドバイスすることは有益なことです。労働基準監督署などの公的機関にしても、弁護士を通しての訴訟にしても、被害当事者は一人で孤立しがちです。 また、企業は、経営者の強い権限で違法行為を隠蔽し、従業員に虚偽の陳述書を書かせ、被害当事者を孤立させることもあります。この点でユニオンは、企業内外のネットワークを駆使し、当事者が孤立することを防ぎ、交渉においても有効な証拠収集などを進めることができます。 ②は、法的に企業がユニオンからの団体交渉の申し入れを拒否できないということです。たった一人の労働者でも企業は団体交渉を受諾しなければならず、これを拒否すれば違法行為となります。また企業は、単に交渉すればよいのではなく、客観的資料などを示し、説明しなければならない「誠実交渉義務」が課されています。 そして③は、交渉が企業側の不誠実な態度によって行き詰まった際に、これを打開する手段として、行動することが法的に認められていることです。つまりユニオンは、法的根拠をもって被害当事者の立場で、多様な行動を取ることができるのです。 代表的なものは、ストライキ、抗議行動、取引先などのステークホルダーへの要請行動、SNSやメディアを通しての宣伝活動などです。一個人で行使すれば違法に該当する恐れがある行動に関しても、ユニオンが正当な手続きを踏めば、違法性が阻却されるのです。 もちろん、企業側が誠実な交渉をしている段階でそのような行動を取ることは許されません。従って企業がキチンと法令順守していれば、ユニオンとのトラブルになることはあり得ないのです。 ユニオンにも多様な組織があり、スタイルも異なります。しかし、基本的には労働組合法が定めるように、労働者が企業と対等の立場に立って、団体交渉や団体行動を行い、労働協約を締結するためのものです。ユニオンは、この点で法令に沿った存在であり、違法なブラック企業から被害を受けた人々にとって心強い解決手段です。 また、最近では、ユニオンと企業がセミナーを共催したり、職場環境改善に向けて講師依頼されるケースも増えています。私もこうした取り組みを歓迎し、引き受けています。経営環境が厳しい中小企業にとって、知恵と力を出し合い、労働者も成長し、企業が持続的に発展することを心から願っています。

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    労働者を洗脳し、企業をゆする「ユニオン」の正体

    摘し、金を要求してくるからだ。  ユニオンのターゲットになると経営者の損失も大きくなる。横の繋がり、メディアの扱いがうまく、情報が広まりやすいので注意が必要である。小さい組織だからといってなめてかかると痛い目を見る。(本文とは関係ありません) また、ユニオンとしては給与や待遇面は攻撃しやすい。なぜなら不満を持っている多くの労働者の同調を得やすいからである。同調をさせてユニオンは労働者を取り込み洗脳していくのである。洗脳されたユニオン側のことを何でも聞く状態になっている労働者と経営者は対峙(たいじ)しなければならない状況にある。 今後ユニオンは、残業代未払いや解雇など、今まで扱ってきた事案以外にも幅広く関わってくるであろう。すなわち、ユニオンの活動範囲が広くなる。例えば降格など、どちらかというと経営側の人事権の範疇(はんちゅう)であるケースにも関わってくる可能性が高い。現状は、ユニオンが、活動しやすい状況にあると言わざるを得ない。 経営者はやられっぱなしではなく、ユニオンに対して何をされたかもっと声を上げていくべきであろう。会社が潰されてからでは取り返しがつかないだけに、社員とその家族を守る気概でユニオンと対峙(たいじ)してほしい。 

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    「サヨク」を「パヨク」と呼び始めたネット論争とその余波

    す」と宣言しているのだから、ネットでは同書をめぐり論争が発生中。不買運動に応援活動、両方が入り乱れてメディアもニュース化せざるを得なくなり、さらに注目を集めることだろう。それにしてもどんな批判が来ようが蛙の面に小便的な青林堂の担当者、精神強いな。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など関連記事■ 玄葉外相 「彼はKARAメンバー名を暗記」と韓国から褒め殺し■ 千葉真一氏 「ヒロくん(真田広之)は5歳から僕が育てた」■ QVCマリン人気No.1 地元芋豚がとろける「千葉もつ煮込み」■ 編集者人生半世紀の松田哲夫氏 盟友・南伸坊氏と若き日回顧■ 江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本

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    『少年ジャンプ』伝説編集長が語る「漫画雑誌は一度壊して作り直せ」

    篠田博之(月刊『創』編集長) 月刊『創』5・6月号マンガ特集を編集するにあたって、昨年、今年と白泉社の鳥嶋和彦社長を訪ねて話を聞いた。鳥嶋さんは2015年8月に同社社長に就任するまでは集英社に籍を置き、以前は『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった。白泉社は集英社の関連会社だ。 この春、白泉社発行の青年誌『ヤングアニマル』の連載『3月のライオン』が映画化されるなど、同社にとって大きな動きが起きているのだが、そうした話題にとどまらず、鳥嶋さんに聞いてみたいと思ったのは、いまマンガが多様化しているなかで、マンガの黄金時代と言われた20~30年前と今を比べてマンガの持つエネルギーがどう変わっているのかということだ。白泉社の鳥嶋和彦社長。『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった(古厩正樹撮影) その話に入る前に、まず白泉社の現状について聞いた。 「僕は社長になる時に目標を二つ言ったのです。営業利益を黒字化させることと、コミックス初版100万を達成すること。前者は昨年達成できたので、もう一つは、『3月のライオン』最新刊が特装版と合わせて80万だからもう一歩、年内に何とかしたい。でも今、マンガの初版100万は簡単じゃない。僕が編集現場にいたころの100万と今の100万は重さが違いますね」  鳥嶋さんは集英社にいた時代、編集現場を離れてからはデジタルやライツをめぐるビジネスに尽力していた。これからはマンガをめぐるビジネスを考える場合、デジタルとライツビジネスをきちっと回していかないといけない、というのが鳥嶋さんの持論だ。マンガ界はこの1年間で、ますます紙の雑誌が落込み、デジタルが伸びつつあるのだが、今の業界の方向性に必ずしも鳥嶋さんは同意しているわけではないらしい。かつてのマンガにはエネルギーがあった 「この機会にマンガ雑誌のあり方をもう一遍再定義してどうするかを考えなきゃいけないと思います。それがやっぱりどの出版社も出来ていない。マンガの作り方も、特に週刊誌がそうですけど、一話一話読ませる、ひいてはその雑誌を買わせる、という作り方がどこまで出来ているか。僕は今、ちばてつやさんやあだち充さんのかつての作品を読み返しているのですが、あの時代はマンガにエネルギーがありましたよね。確かに今は少子化とかデジタルどうのこうのという厳しい環境はあるのですが、でもそれは外部的要因に過ぎないのじゃないか。マンガが力を持っていた頃は雑誌の連載自体にライブ感、読者の反響があって作家がそれに引っ張られて描くといういい意味での双方向性があったと思います」 鳥嶋さんが「あの時代」というのは1980年代だろう。『週刊少年ジャンプ』は90年代前半がピークで、最高部数650万部超を記録した。当時の毎日新聞400万部をはるかに上回る部数だ。それが1995年、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』という三大人気連載が終了したのを機に一気に部数を減らしていった。その後、紙のマンガ市場は一貫して縮小を続けている。『週刊少年ジャンプ』はその中では健闘しているとされるが、部数は今や200万部を切ってしまっている。部数の減少が続くマンガ雑誌  確かに『ONE PIECE』などのように驚異的な人気を誇る作品はあるのだが、そうした一部の作品を除くと、ちばてつやさんやあだち充さんのピーク時のような勢いやエネルギーが失われているのではないか、というのだ。そのあたりについては異論もあるだろう。時代が変わったのだからそんなことを言っても無意味だという意見もあるかもしれない。ただ、マンガの黄金時代に現場でマンガの編集をやっていた鳥嶋さんの言葉だけに、その指摘は考えてみる価値がありそうな気もする。ただ、もちろん鳥嶋さんはこう付け加えるのも忘れなかった。 「言葉で言うのは簡単ですけどね。本当はもう一回その雑誌が必要なのかどうか問いかけて作り直す作業をやらなきゃいけないんじゃないか。今この厳しい時代に、そんなふうに壊しながら作り直すというのは相当難しいとは思いますけれどね」

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    「少年ジャンプ200万部割れ」を深刻に語るオトナたちへの違和感

    るわけではありません。生まれたときからアニメがあり、ゲームもある彼らにとっては、それら新たに出現したメディアを含む情報環境に育って社会化してきたわけで、マンガもまた情報環境における多様化したメディアコンテンツの一つに過ぎません。あくまで「マンガ『も』読める」というように、機会があれば読むけれど、だからといってマンガを特別なモノとして読むわけではないのです。 そしてなによりマンガをかつてのような「教養」や、活字を自明の前提に成り立っていたような「文化」として受け取る素地自体、既に希薄になっています。近年「マンガはもうダメかもしれん」論を深刻に語る人たちの口ぶりには、この「かつて切実な表現としてマンガを読んできた」世代感覚ならではの、どこか教養や文化として活字の「補助線」を自明の前提にしながら解釈しようとしてきた、その「習い性」ゆえの現状に対する根深い違和感がどこか必ず含まれているような印象があります。 かつてマンガを青年に、さらにオトナになっても読むような習慣を身につけ始めた世代が育った情報環境は、活字が良くも悪くも大衆娯楽の中心に成り立っていました。この当時、「マス」を対象とするラジオに代わる新しいメディアとして、テレビの存在感がひと際増しつつありましたが、それでも情報環境における第一次的なメディアは良くも悪くもやはり活字であるという現実が、それを支える価値観や約束事とともに厳然として生きている環境でした。だから、それら活字を「読む」ことこそが、彼らにとっての「読む」という作法の根幹を形成してきたところがあります。 「視聴覚教育」などと言われ、大衆社会化とともに活字以外の媒体がその社会的意味を意識されるようになっていったのもおおむねそのころでした。いわゆる映像、画像的な「ビジュアル」情報についての意味が、それまで標準設定とされてきた活字との関係で改めて問い直されるようになったのも、思えばその時代からだったわけです。マンガを「読む」こともまた、それが「読む」という動詞とともに人々に意識されるようになっていったことに象徴されているように、やはり活字の「読む」を前提に身につき、かつ社会的に浸透していったと考えていいでしょう。新たな環境から続々生まれてくるマンガ作品 けれども、そのような活字前提の「読む」習い性自体が昨今、決して当たり前のものではなくなっています。マンガに限ってみても、自分で描いた作品が同人誌も含めた紙媒体ではなく、ウェブ経由の発表手段が一般化していく中で、ウェブから読者を獲得することはごく当たり前になっています。また、そこから紙媒体に「進出」していくことも珍しくありません。 先日、第21回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した『夜廻り猫』(作・深谷かおる)や、ウェブ経由で読者を獲得し自費出版までこぎつけた『巻きシッポ帝国』(作・熊谷杯人)など、すでにプロの描き手として実績ある作家も、同人作家や駆け出しのアマチュア作家などと「同じ土俵」で作品を発表して広く世間に問うことができる。そういう「開かれた」環境が準備されるようになってきていることの恩恵は大きいわけですが、同時にまた、それら新たな環境経由で生まれてくるマンガ作品には、これまでのマンガを「読む」作法からはなじみにくい、活字前提の「読む」とは別のところで成り立っている作品も徐々に増えています。 思えばマンガを取り巻く商品や市場環境自体、メディアミックスありきになって既に久しいです。アニメ、ゲーム、映画のみならず、いまやソーシャルゲームやプラモデル、トレーディングカードといったキャラクター商品群も加わり、広がりを見せています。 そんな中で育った今どきの青年は、活字中心に育った私たちの世代とは異なる「読む」作法をマンガに求めているのかもしれません。彼らは読み手としてだけではなく、消費者の立場からマンガの本質を理解しているはずです。彼らにとってのマンガの「教養」というのもまた、私たちの世代が蓄えてきた教養や文化とは別に、既に蓄積され始めているのかもしれない。私はそう感じています。

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    『逃げ恥』『東京タラレバ娘』変貌する女性マンガ

     今年も女性マンガを原作とする映画やドラマが次々と公開されている。さすがに似たような映画が続いてあきられもしているようなのだが、原作がある程度売れていると宣伝もしやすいし、何よりも低予算で作れるとあって、次から次へと量産されているのだ。 そうしたもののヒットの手本とされているのが、昨年秋にドラマが大ヒットした『逃げるは恥だが役に立つ』と、今年に入って放送されヒットした『東京タラレバ娘』だ。どちらも講談社の女性マンガ誌『Kiss』の連載だ。『Kiss』『BE・LOVE』 は、講談社の同じひとつの編集部なのだが、そこから生まれたコミックスが映像化で絶好調なのだ。4月からは『BE・LOVE』連載『人は見た目が100%』もドラマ化されたし。2016年は春に同誌連載の『ちはやふる』が映画化されてヒットした。人気漫画「東京タラレバ娘」 講談社第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長がこう語る。 「女性もののコミックスは前年比で120%くらい行ったのではないでしょうか。昨年春に映画化された『ちはやふる』はトータルで150万部くらい重版がかかりましたし、秋にドラマがヒットした『逃げるは恥だが役にたつ』は120万部くらいの重版になりました。『逃げ恥』はもともとの部数がそう大きくなかったこともあり、ドラマスタートの前段階では各巻3万部くらい増刷をかけていましたが、放映開始以降はかけてもかけても足りなくなる。2週間に1回くらいのペースで増刷をしていました。『東京タラレバ娘』はもともと1巻から30万部を超えるベストセラー作品だったこともあり、ドラマ開始にあわせて各巻10万部増刷をかけました。最新刊の第6巻も初版30万部でスタートし、37万部を超えています」 講談社の少女マンガ誌『別冊フレンド』もこの1年ほど映像化でコミックスが売れている。2016年は『黒崎くんの言いなりになんてならない』が映像化で大きく売り伸ばしたが、今年も『PとJK』が3月から映画公開中で、全9巻それぞれ4万部くらいずつ増刷がかかっているという。 映像化で女性マンガが売れているのは小学館も同じだ。この1年の映像化についていうと、『プチコミック』の連載『はぴまり~Happy Marriage!?~』と『せいせいするほど愛してる』の2本が2016年ドラマ化。2017年に入ってからはフジテレビの月9で『突然ですが、明日結婚します』がドラマ化された。春からはもう1本、『恋がヘタでも生きてます』がドラマ化。また『Sho‐Comi』の『兄に愛されすぎて困ってます』(通称『兄こま』)が映画化される。 小学館第一コミック局の細川祐司チーフプロデューサーがこう語る。  「やはりドラマ化された作品は紙でもデジタルでも売れています。『突然ですが、明日結婚します』は視聴率とかいろいろ騒がれましたが、原作は増刷がかかっています。元々『プチコミック』の中でも人気作でした。『プチコミ』の作品はデジタルとの親和性が高いのが特徴ですが、ドラマの1話が終わった後にデジタルの売れ行きが跳ね上がる。反応は紙よりも分かりやすく出るかもしれません。昨年の『はぴまり』はAmazon プライム・ビデオでのドラマ化、『せいせいするほど』はTBSでした。『はぴまり』は、元々超ビックタイトルだったし、連載が終わっている作品でもあるので、映像化でものすごく増えたというのでなく、堅実に部数が乗ったという感じですね」ドラマや映画と親和性が高い女性マンガ 女性マンガとデジタルは親和性が高いと言われるが、小学館では以前から「エロかわ」と呼ばれる路線をとってきたサイト「モバフラ」のほかに、「&フラワー」というサイトがスタートする。 「今後は紙とデジタル両方に描く人もいれば、例えばデジタルに合っている作品といったケースも考えられます。去年『深夜のダメ恋図鑑』という『プチコミック』の作品が、デジタルのほうで火がついて紙に跳ね返ってきて、というケースもありました。単純に紙のマンガをデジタルに、というだけじゃない展開を今後考えていかなければならないと思っています」(細川チーフプロデューサー) 集英社の少女・女性マンガの映像化については、2016年は『YOU』連載の『高台家の人々』と『別冊マーガレット』連載の『青空エール』が実写映画として公開された。それぞれ原作者は森本梢子さんと河原和音さんだが、集英社の女性マンガの代表的なヒットメーカーだ。 2017年に入ってからは3月24日に『マーガレット』に連載されたやまもり三香さんの『ひるなかの流星』原作の実写映画が公開され、ヒットした。既に連載は終了しているが、13巻刊行されているコミックスを集英社では計50万部以上の重版をかけた。また児童小説「みらい文庫」やライト文芸「オレンジ文庫」からノベライズ単行本を刊行するなど、大きな取り組みを行っている。 また『ココハナ』で森本さんが連載している『アシガール』も人気が高く、映像化が期待されている。『別冊マーガレット』連載の『君に届け』など、コミックスの巻数を重ねても初版60万部を誇るヒット作品もある。 「女性マンガ誌は雑誌の部数は厳しいですが、デジタルが伸びており、紙の雑誌を補完しています。映像化については公開のタイミングもあるし、原作のコミックスに大きく跳ね返るケースもあればそうでないものもあります」 そう語るのは集英社の鈴木晴彦常務だ。  女性マンガ誌は部数も小さく、雑誌はもちろん赤字なのだが、この間、テレビドラマや映画化でコミックスが売れるというパターンが続いている。そうした映画やドラマを観て、原作を読もうという人が1巻からデジタルで読むというので、デジタルコミックの伸びも大きい。なかには紙のコミックスよりデジタルの売上の方が大きいという作品もある。「逃げるは恥だが役に立つ」の完成披露試写会に出席した(左から)大谷亮平、星野源、新垣結衣、石田ゆり子 少女・女性マンガのビジネスモデルは明らかに変わってきた。男性向けマンガももちろん映像化で伸びるというパターンはあるのだが、女性マンガは映像化との関係抜きには市場が成立しないほどドラマ・映画との親和性が高い。さすがに少女マンガ原作の映画は飽和になりつつあるのではとも言われるが、今年も次々と予告編が映画館で紹介されており、この傾向はしばらく続きそうだ。

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    デジタルファーストが功を奏す? 絶好調『ヤンマガ』攻めの戦略

     青年マンガ誌のトップを走るのが集英社の『週刊ヤングジャンプ』で、人気連載『東京喰種 トーキョーグール:re』の実写映画がこの7月、公開される。ヒロイン役の女優・清水富美加さんの突然の引退騒動で関係者はハラハラしたようだが、公開は予定通り。集英社としても、この映画化を機にコミックスの部数をおおいに伸ばしたいと期待しているようだ。青年マンガ誌のトップを走る集英社の『週刊ヤングジャンプ』と、ヤンジャンに次ぐ講談社の『週刊ヤングマガジン』 ただこの1~2年、青年誌で注目されているのは、『ヤンジャン』に次ぐ講談社の『ヤンマガ』こと『週刊ヤングマガジン』だ。一時期低迷していたのだが、このところ映像化やデジタルなど攻めの施策が奏功して次々と話題を提供しているのだ。 転機となったのは2015年に『監獄学園〈プリズンスクール〉』がアニメ化を機にコミックス全20巻で累計370万部という大増刷を成し遂げたことだ。また『新宿スワン』も2017年に映画のパート2が公開された。既に連載が終了しているためコミックスは大きくは売り伸ばしていないが、デジタルがよく売れているという。 「守りに入らず新しいことをやっていこうという姿勢が功を奏しているのでしょうね」 そう語るのは講談社の嘉悦正明・第四事業局長だ。攻めの姿勢とは映像化だけでなく、別冊やウェブサイトなどを次々と立ち上げて作品の掲載媒体を拡大させていることも含まれる。 『ヤングマガジン』編集部では『月刊ヤングマガジン』に続く別冊として2014年に『ヤングマガジンサード』を創刊。『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』などのヒットが出ている。また『月刊ヤングマガジン』連載の『中間管理録トネガワ』もコミックスがよく売れている。 さらに最近注目されているのは、『eヤングマガジン』という無料のアプリに連載された作品から2016年、『食糧人類―Starving Anonymous―』『生贄投票』などコミックスのヒットが生まれていることだ。デジタルファーストのマンガが紙のコミックスでも売れたという事例だ。 第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長が語る。 「『食糧人類』はコミックスの第1巻が初版1万5000部からスタートして累計22万5000部までいっています。これはなかなかないケースですね。第2巻は初版20万部ですが、デジタルを合わせると1・2巻累計で100万部くらい出ているのではないでしょうか。『生贄投票』もコミックス第1巻は初版2万部でしたが、デジタルで火がついて以降、紙のコミックスも第1巻が10万部を超えました」 増刊やデジタルを含め、作品のテイストにあわせたいろいろな媒体に連載を行い、それを紙のコミックスに落としこんでいくという戦略が奏功しているようだ。  別冊を次々と創刊し、さらにウェブサイトでも連載を立ち上げ、基幹雑誌の周辺にいろいろな作品発掘の機会を拡大していこうというのは、講談社のマンガ部門全体の基本方針だ。例えば『進撃の巨人』は『週刊少年マガジン』でなく、『別冊少年マガジン』の連載作品だ。本誌とちょっとテイストの異なるエッジの効いた作品を別冊で、という方針は、マンガそのものの多様化が進む中で、今のところ成功しているようだ。 前述した『ヤンマガ』の『食糧人類』や『生贄投票』もかなり異色の作品なのだが、そういうものがデジタルなどで人気を博し、コミックスで売り上げを伸ばすという状況に至っているのだ。そもそも『監獄学園〈プリズンスクール〉』にしても王道系とは異なるマンガで、深夜アニメで火が付いた。マンガやアニメの嗜好が多様化し細分化しているなかで、いろいろな作品をどう発掘してビジネスとして成立させていくか。いまマンガをめぐるビジネスはそういう時代に至っているといえる。

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    ブームこそ命『コロコロコミック』が切望する次の「妖怪ウォッチ」

     小学館は以前は学年別学習誌で知られていたが、今は少子化の影響もあって、『小学1年生』以外全て休刊になってしまった。その児童誌市場で圧倒的なシェアを誇っているのが『コロコロコミック』と『ちゃお』だ。『コロコロコミック』は『妖怪ウォッチ』ブームの後、部数も落ちているのだが、この児童誌市場にいま、気になる傾向が目立ち始めている。まだスマホを持たない小学生が読者であるため、デジタルの影響を受けていないと言われるこの市場にも、実はいろいろな変化が出つつあるというのだ。少年児童誌市場で圧倒的なシェアを誇る小学館の『コロコロコミック』(中央) 小学館第二コミック局の佐上靖之チーフプロデューサーに聞いた。 「『コロコロコミック』の主な読者は小学校高学年なんですが、4月号は、新しい読者を迎え入れる大事な時期なんですね。新しい読者がつく一方で上の年齢の子どもたちは卒業していく。入ってくる読者と卒業する読者のどちらが多いかで雑誌の部数が決まるのです。今年は『コロコロコミック』も『ちゃお』も創刊40周年の節目ですので、しっかりと力を入れて楽しい雑誌を作っていこうと思っています」 雑誌が苦戦する出版界だが、子どもたちの間ではいまだにマンガ雑誌が娯楽の中心を占める。スマホの普及も上の世代ほどではないし、お小遣いの額も限られているので、いろいろなマンガが読めて付録もついているマンガ雑誌は貴重な存在なのだ。 児童誌の大きな特徴は、玩具やゲームを含めたブームと連動していることだ。3年前の「妖怪ウォッチ」大ブームの時は『コロコロコミック』も100万部を突破する勢いだった。そのブームが一段落した現状では、雑誌の部数もピーク時に比べると20~30万部落ちているという。 「それは児童誌の特徴であり想定内のことではあるのです。幸い、今の『コロコロコミック』の部数は、『妖怪ウォッチ』ブームの前よりは高いところにとどまっています。本来、編集部としてはブームが一段落する前に次のブームを仕掛けていかねばならず、今は『ベイブレード』と『デュエル・マスターズ』がそれに当たるのですが、残念ながら『妖怪ウォッチ』ほど大きなムーブメントに至っていないのが実情です」(佐上チーフプロデューサー) 「ベイブレード」は、もともとベーゴマをもとにタカラトミーが開発した玩具だが、過去2001年、2008年とブームになり、今回は第3期。「ベイブレードバースト」というシリーズだ。2015年夏にタカラトミーから玩具が発売され、7月から『コロコロコミック』でマンガ連載開始、2016年4月からはテレビ東京でアニメの放送が始まった。  「デュエル・マスターズ」はタカラトミー発売のトレーディングカードゲームと連動したもので、『コロコロコミック』では2014年4月号から現在のシリーズ「デュエル・マスターズVS」の連載が始まった。テレビ東京のアニメも昨年4月から始まっている。 そんなふうにゲームや玩具にマンガとアニメを連動させてブームを作り出し、マンガを読んでいないと学校で子どもたちが話題についていけないという状況を作り出す。そういう独特の手法が児童誌の大きな特徴だ。小学生読者にもデジタル化の波 小学生向けの市場は、中学生より上の世代のようにスマホの影響が見られないと前述したが、実はこの世代にもデジタル化の波は着実に押し寄せてきている。 「小学生は任天堂の3DSというゲーム機でユーチューブを見ているんですね。そこで私たちは2015年末から『コロコロチャンネル』という動画配信を始めました。『コロコロコミック』の編集者が新しいゲームやホビーの遊び方やマンガの描き方を説明するほか、アニメも見逃した子どもたちのために配信しています。毎日最低1本は何らかの動画を配信するという方針です。これが人気になっており、チャンネル登録者数が10万件を超えました。 『コロコロコミック』では20年以上前から、年に1回、1月にビッグアンケートという、設問が100くらいある詳細な読者アンケートをとっているのですが、今年の集計データを見ると、『これからやってみたいこと』の1位が動画配信でした。創刊40周年の節目を迎えた『コロコロコミック』 『将来なりたい職業』の1位が『本やマンガの仕事』で、これは大変嬉しい結果ですが、2位が『ゲームの仕事』、そして3位が『ユーチューバー』でした。ユーチューブは小学生たちにとって相当身近になっているのですね。 親のスマホを借りて子どもたちがスマホゲームで遊んでいるというのも目立ってきています。親も監視下にある場合は、子どもにスマホを使わせているのです。 『コロコロコミック』にとって、これまでウェブはマンガのPRやプロモーションのためという使い方でしたが、これからはデジタルのコンテンツで収益を上げることも考えていくことになるかもしれません。  昨年の夏から始めた『デジコロ』は、3DSのゲーム機の中でコンテンツを販売しているニンテンドーeショップに『コロコロコミック』のマンガ2作品を出品しているものです。『でんぢゃらすじーさん邪』と『ケシカスくん』で、それぞれマンガに着色をし、音声をつけて1話100円で販売しており、すでに20話くらいアップされています。制作に費用がかかって今のところは赤字ですし、子どもたちに課金というのはハードルが相当高い。当面は先々を見据えてじっくりと取り組んでいきたいと思っています」(同) 小学生向けの市場にもデジタルの影響がいろいろな形で出始めている。この傾向が今後ますます拡大していく可能性もある。今後、デジタルの波は、児童の娯楽市場にも大きな影響を及ぼすことになっていくのだろうか。

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    『君の名は。』大ヒット後も続く劇場アニメの世界的ブーム

    異例の事態だった。 フジテレビとテレビ東京のアニメに顕著なのだが、実はテレビアニメも映画を含めた他のメディアとの連動を仕掛けたりと、戦略的な展開をしないといけない時代になりつつある。いずれにせよ、アニメをめぐる環境がいま、大きく変わりつつあるのは確かなようだ。

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    なにがなんでも「安倍降ろし」 フェイク臭あふれる加計学園疑惑

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民進党を中心にした野党勢力、そして安倍政権打倒をおそらく目的にしているマスコミの一部が、なりふり構わぬ「猛攻」を展開している。共謀罪法案とも俗称されている「テロ等準備罪法案」の衆院通過を控えてのことなのか。もちろん政権批判がまっとうな理由によるものならば、むしろ公正な政治を進展させるために必要な条件だろう。だが、最近明らかになった事例をみれば、むしろ日本の政治そのものを壊しかねない危惧を抱くものだ。 典型的な事例が「加計(かけ)学園問題」といわれるものだ。先に書いておくが、これは「加計学園が生み出した問題」という意味ではない。まったく落ち度のない学校法人加計学園と愛媛県今治市のそれぞれの関係者や市民、そしてこの件に関して安倍首相を政争の手段として「生贄(いけにえ)」にしている民進党、そして朝日新聞の「共謀」のことを指して言っている。もっとも、この「共謀」には法律の適用はない。われわれが全力で批判する代物であるにすぎない。 問題の経緯は以下の通りだ。朝日新聞は今月16日の朝刊一面に、今治市の国家戦略特区に獣医学部を新設する件で、「官邸の最高レベル」「総理のご意向」によって早期に計画をすすめるように促す文書を掲載した。これは内閣府から文部科学省に提示された文書だという。文部科学省が作成したとされる「加計学園」に関する文書 17日には、国会で民進党の玉木雄一郎議員が、松野博一文部科学相にこの文書の真偽について問いただした。朝日新聞と民進党が入手した文書は同一のものだったようである。この連係プレーにも似た動きは、たちまち国民の注目することになった。あたかも「森友学園」第二幕のようであったが、あまりにもフェイク臭があふれる第二幕であった。 まず文書はいわゆる「怪文書」である可能性が大きい。記述については事実を反映している部分もある。世の怪文書あるいはトンデモ経済論といわれるものは、全部がデタラメではなく、核心部分がデタラメ以外はだいたい「真実」によって構成されている。それで読み手を巧妙に釣るのである。朝日新聞などはこの核心部分以外が事実であることを、かなり詳細に報道していて感心してしまう。もはや「魔女狩り」 ところで核心部分はもちろん「総理のご意向」といわれる部分だ。この「総理のご意向」については総理自身が否定している。また政府はこの文書が公式には存在しない、まさに「怪文書」であることを現時点の調査で明らかにしているといえよう。 だが、そもそもこの文書に書かれていることが真実だとして何が問題になるのだろうか。繰り返すが文書の核心部分が真実だとしても、要は獣医学部の開設をできるだけスピード感をもって進めろ、と首相が命じているだけなのだ。 国家戦略特区というのは、首相官邸ホームページの説明だと、「国家戦略特区は、産業の国際競争力の強化および国際的な経済活動の拠点の形成に関する施策の総合的かつ集中的な推進を図るため、2015年度までの期間を集中取組期間とし、いわゆる岩盤規制全般について突破口を開いていくものです」というものだ。「加計学園」が岡山理科大の獣医学部を新設予定の建設現場=5月17日午後、愛媛県今治市 簡単にいうと、規制緩和を短期集中的に行う枠組みである。規制緩和を早急に進めていくことを、首相が指示したとして何の不思議もない。「総理のご意向」などがあったとしてそれは違法でもなければ、道義的責任をもたらすものでもない。 ましてや加計学園の理事長が首相の友人であり、その友人と会食やゴルフをすることが何の問題になるのだろうか。まるで友人関係があるために、不正なことが行われているかのような報道を目にするがあまりにもひどく、「魔女狩り」に近いものである。 だが、この種の悪質な釣り、もしくは現代版魔女狩りの効果はバカにはできない。私のTwitterなどでもしばしば、「事実関係はわからないのですが」というコメントを頂戴する。つまり疑いの芽を少なからずもっている人たちがいるのだ。法的にも道義的にも何の問題もないのだが、マスコミが報道するだけで不安や疑心を抱く人たちが少なからず生まれるのだ。もちろん報道にそれなりの正当性があれば推測記事もありだろう。「疑惑」は簡単に人の心に芽生える しかし今回の件は、違法性も道義的な問題もまったくない。現在の情報を前提にすればゼロだ。例えばネットでみかけた「疑惑」の例だが、「公募期間が1週間なのは加計学園ありきだ」というが、実は1週間とは公募期間の平均的な設定で優遇では全くないのだ。あるいは「土地の無償譲渡は首相が便宜したもの」という指摘もあったが、今治市議会が賛成多数で決めたことで、あくまで地方自治の成果だということになる。まさに「疑惑」は簡単に人の心に芽生えるという好例だ。 実はこの件については、国会で追及した玉木議員自身が、フジテレビ系報道番組「ユアタイム」で違法性がないことを認めており、まったく理解に苦しむ。だが、民進党の蓮舫代表は、「いま急がれるのは共謀罪よりも加計学園や森友学園の究明だ」と断言している。違法性もなければ道義的責任もない、加計学園を単に政争のために利用していることは明瞭すぎるほどだ。なお森友学園については以前の連載で書いたので参照されたい。 また最近では、そもそも獣医学部新設の動きは、民主党や民主党議員、つまり現在の民進党議員らが積極的にすすめていたことが明らかになっている。これだけでも政党としてまったく首尾一貫していない。さらに追及の急先鋒(せんぽう)である玉木議員には、現段階でいくつかの問題が指摘されている。日本獣医師政治連盟から玉木議員は政治献金をうけ、または父親が獣医師であることで、既存の獣医師の利益を守るために行動する私的なインセンティブ(動機付け)が存在するということだ。 既存の獣医師たちの多く、特に日本獣医師会は、特区における獣医学部の設置については従来反対であった。つまり、この意図を忖度(そんたく)しての政治的な動きではないか、という疑念だ。もちろん民進党が規制緩和に反対するのなら、それはそれで政策論争の意味で興味深い。加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左)=5月17日、国会 だが、蓮舫代表や玉木議員がやっていることは、なにがなんでも安倍氏を首相の座から引きずりおろすための、怪文書を利用した不公正な扇動だけしかない。そこに朝日新聞など一部マスコミが安易に同調していることは、さらにあきれ果てるしかない。

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    フリマアプリ隆盛 メルカリ一人勝ちの理由は?

     スマートフォンから手軽に商品を出品できる「フリマアプリ」の利用者が拡大している。これまで個人間取引(CtoC)サービスといえば、「ヤフオク!」(Yahoo! JAPAN)をはじめとするネットオークションが一般的だった。 ネットオークションとの決定的な違いは、オークション形式ではなく出品者が指定した固定価格で取引できる点だ。現在は、日米合計4000万ダウンロード(2016年6月時点)を突破した「メルカリ」が国内フリマアプリで最大利用者数を誇り、一人勝ち状態となっている。 このほか、いち早くスマホ向けフリマアプリをリリースしたFablicの「FRIL」や、楽天の「ラクマ」、スタートトゥデイの「ZOZOフリマ」など、多くの企業がフリマアプリに参入している状況だ。 フリマアプリはなぜ隆盛を誇っているのか。IT系企業のアプリ開発担当者は、以下のように分析する。「フリマアプリは『スマホがあれば、そんなにITリテラシーが高くなくても、簡単に出品できて小遣い稼ぎができる』という点が最大の強み。ネットオークションの場合、ある程度のPCスキルが必要となりますが、スマホ向けアプリはそれが不要なところが大きいでしょう。 クラウドソーシング(不特定多数の人に業務を委託する雇用形態)を見ても分かりますが、たとえ時給300円であっても子育ての合間に働きたいという人がたくさんいます。ちょっと空いた時間で小遣い稼ぎをしたいというニーズは確実に存在するのです。(画像はイメージです) 例えば、メルカリの出品価格のラインナップを見ると、どれも単価が非常に安い。300円で中古コスメを出品し、10%の手数料を持って行かれ、自分で発送する手間があるにもかかわらず、売りたいと思う人がいる。そういった『世間』の感覚をしっかりと捉えた点がフリマアプリ隆盛の理由でしょう」 フリマアプリの現状を見ると、「メルカリ」が圧倒的に多くのユーザーを掴んでいる。その背景には「デザイン」面の秘密もあるようだ。Webデザイナーが語る。「メルカリが成功した理由として考えられるのは、あえて『カッコいいデザイン』や『カッコいいサービス』を目指さなかった点だと思います。メルカリを見ると、ベースのデザインが大衆的であるだけでなく、出品者が自宅の床で撮った適当な写真が無数に並んでいます。そういった“素人っぽい”デザインやムードが、『私でも手軽に出品できそうだ』と思わせるのではないでしょうか。 一方で、すでにフリマアプリから撤退したLINEの『LINE MALL』は、素人だけでなく業者も出品していたため、プロ仕様のキレイなプロダクト写真が並んでいました。それが結果として、素人の出品への障壁を上げてしまったのではないか、と分析できます。 また、早くからリリースしていたフリマアプリ『FRIL』は、デザインを10~20代女性向けに作っていたので、主婦層や男性ユーザーの中にはとっつきにくいと感じた人もいるかもしれません。後発のメルカリにダウンロード数が追い抜かれた背景には、そうした面も影響しているのかもしれません」 まだまだユーザー数は拡大中のスマホ向けフリマアプリ。手軽に出品できるシステムにくわえ、男女問わず幅広い世代を獲得できる工夫も成功の秘訣のようだ。関連記事■ 新婚の千原ジュニア 「リアルジュニア」の誕生は再来年以降■ ツイッター見る感覚で買い物できるフリマアプリ「Fril」を解説■ フリマアプリ トラブルを避けるための買う時のコツ■ フリマアプリで「賢く稼ぐ」には売り時を見極めよ■ 月20万円稼げることもある「メルカリ」で売れるコツ

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    時間空いてる主婦を活用した「バイマ」は商い∞ビジネス

     21世紀の今は、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)などによる「第4次産業革命」の時代であると言われている。そこで成功をおさめ拡大を続けるのはどんな企業なのか。経営コンサルタントの大前研一氏が解説する。(画像はイメージです)* * * 中国EC最大手のアリババグループが運営する越境ECサイト「天猫国際(Tモールグローバル)」は、昨年11月11日に実施した「独身の日セール」の取引額が1日で実に約1兆8700億円にも達したが、その中の越境ECの範疇で大きな話題を集めたのが、美容フェイスマスクを専門に扱う化粧品会社のクオリティファーストだ。 社員5人で年商約40億円。そのうち、ほぼ半分が中国での売り上げだ。日本国内での商品体験会に在日中国人を招待したり、中国のタレントやスポーツ選手などに商品を提供したりしてSNSやブログで拡散してもらうという戦術によって、昨年の「独身の日セール」の部門別売り上げで同社の商品が1位を獲得し、化粧品カテゴリー全体でも4位になったのである。 さらに、日本唯一のユニコーン企業(推定時価総額1000億円以上)と言われているのが2013年創業のメルカリだ。フリマアプリ「メルカリ」の運営会社で、スマホで売りたい物の写真を撮って特徴を入力するだけで簡単に出品できる。お金のやりとりはメルカリが仲介し、購入者が届いた商品に納得したら出品者に代金が振り込まれるという安心・安全なエスクローを介した売買システムを採用した。それがユーザーに支持されてアプリのダウンロード数は6000万を突破し、そのうち3分の1はアメリカが占めている。 そしてもう1社、私が注目しているのがソーシャル・ショッピング・サイト「バイマ(BUYMA)」を運営している2004年創業のエニグモだ。この会社は海外に駐在している日本人社員の奥さんなどのパーソナルショッパー(バイヤー)が直接買い付けした世界中のブランド品を安価で購入できる越境ECサイトだ。パーソナルショッパーは135か国・約9万人に達し、登録会員数は400万人、アプリのダウンロード数は200万を突破している。 これは、いわば“空いている主婦”を活用した「アイドルエコノミー」だが、このビジネスは商い無限だ。従来、海外で買い付けて高いマージンを取ってきた輸入業者や百貨店は、このままではあっという間に取って代わられるだろう。 エニグモとビィ・フォアードは生まれてからまだ13年、メルカリに至ってはわずか4年しか経っていない。第4次産業革命では、いかに先行者利益が大きいかがよくわかるだろう。関連記事■ 新婚の千原ジュニア 「リアルジュニア」の誕生は再来年以降■ 韓流ブームに沸く中国 辛ラーメンの「農心」も中国内で売上増■ 家電爆買い中国人 日本製優秀との認識強く高値でネット取引■ 男が女より3700万人多い中国で大人のオモチャバカ売れ■ Made in ChinaからMade in PRCで中国製品売り上げ増

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    【長谷川幸洋独占手記】異論を封じる東京新聞と私は断固闘う

    伝わったのか。検証番組はその点も消防署長に確かめた。「ストーリーありきの報道」 番組スタッフが「他のメディアにも同じように答えていたのか」と質問すると、署長は「そう細かくは回答していない」「(質問は)妨害があったかどうかストレートに聞いて、あるかないかだけ答えてます」と言った。さらに「それ以上の質問はなかったということか」と確認すると「ほとんど質問はないですね」という返事が返ってきた。 つまり、批判記事を書いた記者たちは消防が「妨害はなかった」と答えるとすっかり満足して、それ以上の質問はしなかったのだ。署長からしてみれば、反対派と賛成派が入り交じる現地で、片方に肩入れするような発言は避けたかっただろう。だからこそ、取材には細心の注意が必要だった。 これは最初にストーリーありき、で取材する記者が陥りがちな問題である。 批判する記者たちは「妨害があったのか、なかったのか」だけに関心を集中させて、できれば「なかった」という話を引き出したい。事実の究明よりも、最初に自分の思惑がある。だから「なかった」の一言が得られたら、それ以上は突っ込んで聞かなかったのだ。 2万円の日当問題についても、検証番組は「日当をもらった人がいる」という複数の住民の声を紹介した。「もらった」と言われた本人は取材を拒否したが、もらった人をかつて取材したジャーナリストの大高未貴氏のスタジオ証言も合わせて考えれば、反対派の一部にであれ、日当が支払われていたとみる蓋然(がいぜん)性は十分にある。 それでも現場の記者たちは取材しているだけ、まだましだ。お粗末なのは論説委員たちである。たとえば朝日新聞は社説で「事実に基づかず、特定の人々への差別と偏見を生むような番組をテレビで垂れ流す」と書いた(1月28日付)。 毎日新聞はどうかといえば、与良正男・専門編集委員(元・論説副委員長)が「問題の本質は…『ニュース女子』は、明らかに虚偽の内容が含まれ、特定の人々への偏見を助長した点にある」と自身のコラムに書いている(2月15日付)。 東京新聞は番組とは関係がないのに、深田実・論説主幹が私の出演を「重く受け止め、対処します」という奇妙な反省文を載せた(2月2日付)。その中で、やはり同じように「事実に基づかない論評が含まれて」いると書いた。 以上の3紙に共通するのは、いずれも「事実に基づかない」と指摘しておきながら、肝心のどの部分が基づかないのか、明示していない点である。論説委員たちは事実をきちんと取材したのだろうか。私は大いに疑問を持っている。メディア問題の識者なる人たちのデタラメさ 東京新聞の深田主幹には、その点を確かめた。すると「それは特報部がやっている」と答えた。特報部は反省文より前に番組を批判する記事を掲載しているので、それらの記事を信用したのだろう。だが、結果的には日当問題にせよ、救急車問題にせよ取材が十分だったとはいえない。 そもそも論説主幹が自分で取材せずに「反省文」を書いた姿勢自体が怠慢ではないか。事実関係の究明より前に自分の主張を優先する。これは朝日新聞の慰安婦報道批判で、さんざん指摘された「ストーリーありきの報道」と共通している。 事態がいっそう深刻なのは、問題が「言論の自由」に関わるレベルでも「ストーリーありきの論説」となっている点である。 当初のニュース女子自体に取材不足だった面があるのは、私も認める。ただし、それは番組の問題だ。私は番組の司会者であり、取材者ではない。ここが新聞との違いである。新聞は基本的に取材者が記事を書く。これに対して、テレビはチームであり番組と取材者は同じではない。 新聞に「司会者も責任を免れない」とコメントした識者もいる。そんなことを言えば、司会者は出演者の発言にも責任を持って、自分がすべて裏取りをしなければならなくなる。私はメディア問題の識者なる人たちのデタラメさを見た思いがした。彼らは現場を知らないで、モノを言う無責任な人種である。 ニュース女子騒動は言論の自由をめぐって「組織と個人の対立」問題も提起した。私は東京新聞の報道や社説が反対派にいくら心情を寄せていようと、私個人がそれと異なっていても何ら問題はないと考える。それが、私の「言論の自由」にほかならないからだ。 ところが、世の中にはそう考えない人々がいる。深田主幹が反省文で私に「対処する」と世間に公言し、実際に私を論説副主幹からヒラの論説委員に降格したのは「副主幹という立場で出演したのが問題」という理由からだった。 論説副主幹は東京新聞の論調に縛られなくてはいけないのか。もしそうであれば、副主幹はいつでもどこでも東京新聞の論調に沿って書いたり、喋らなければならなくなる。「社の意見が違うことがあってはならない」というなら、東京新聞は北朝鮮と同じだ。「もう君には社説を書かせない」 私は2014年秋まで社内の論説会議でも大方の論調と違う論を語っていた。ところが、そのころを境に会議には出席せず、意見も言わなくなった。なぜか。この際、はっきり言おう。当時の論説主幹から「もう君には社説を書かせない」と通告されたからだ。 そのとき以来、それまでは2カ月に一度くらいのペースで順番が回ってきていた日曜付大型社説の執筆当番からも外された。私は「おかしい」と思ったので、社の最高幹部に事情を訴え「どうしたらいいか」と尋ねた。 最高幹部は「論調が違う君の主張だって、他の委員と順番で書けばいい」と言ってくれた。だが、ヒラ取締役の論説主幹は「いくら最高幹部だって、それはオレが絶対に許さない」と私に断言した。私は唖然(あぜん)としたが、言い争うことはしなかった。以来、会議には出席していない。 つまり、東京新聞は今回の騒動が起きるずっと前から、私の社説執筆を許さず社内で異論を封じてきたのだ。 異論をどう扱うべきかについて、東京新聞は何度も興味深い社説を書いている。たとえば、自民党結成60周年をテーマにした社説(2015年11月15日付)だ。総裁選で野田聖子衆院議員が推薦人を集められず立候補断念に追い込まれた件で、こう主張していた。「議論を自由に戦わせるよりも、異論を認めず『一枚岩』のほうが得策という党内の空気である」「国民の間に存する多様な意見に謙虚に耳を傾ける。それこそが自民党が国民政党として再生するための王道である」 もう1つ、安倍改造内閣の発足ではこう書いた(2014年9月4日付)。「安倍政権の面々には、国民の声に耳を傾ける謙虚さを持ってほしい」「自らの主張のみ正しいと思い込み、国民の中にある異論を十分にくみ取って、不安に思いをめぐらせたと言えるのだろうか」「異論封じが強まる気配すら感じる」 自民党には「異論を尊重せよ」と上から目線で訴えながら、自分たち自身はどうなのか。まったくチャンチャラおかしい。こういうダブルスタンダードが左派マスコミの典型である。「自らの主張のみ正しいと思い込む」という言葉は、そっくりそのままお返ししよう。 それでも社外のメディアに執筆するコラムやテレビ、ラジオその他で、私は完全に自分の「言論の自由」を確保してきた。東京新聞に対する批判を含めて、である。会社もそういう私のスタンスを容認していた。 それどころか「東京新聞論説副主幹」の肩書でテレビに出るのを望んでいたのは、むしろ会社側なのだ。首都圏でマイナーな東京新聞の宣伝になるからだ。そういう事情で、これまで私は会社から注意も叱責もされず、論説副主幹の肩書で外の仕事を続けてきた。使い分けられた私の人事 「論調が違うなら会社の肩書を使うのはやめてほしい」とネットで公言している東京新聞記者もいる。それは会社に言うべきだ。今回の騒動でも、なぜ論説委員への降格にとどまっているかといえば、そんな事情で会社は私を真正面から処分するつもりがないからである。 ただし、会社がどう考えようと、肩書は私の重要な個人情報であり、それをどう扱うかは私が決める。他人が私の肩書にあれこれ言うのは、余計なお世話だ。一記者にすぎない自分の考えが東京新聞の論調と勘違いしているなら、思い上がりというものだろう。 そもそも今回の私の人事は、会社の規定で言えば「処分」でもなんでもない。通常の人事だ。むしろ定年を過ぎているのに、7年間も副主幹を務めているほうが異例だった。 だが、社外的には「対処する」と公言して「処分」の体裁をとった。つまり、社内向けと社外向けで使い分けている人事なのだ。なぜ、そうなのか。社外には処分の形にしないと、反対派の手前、格好がつかないとみたからである。 これは、まったくサラリーマンの事なかれ主義そのものだ。言い換えれば、形だけ反対派に迎合したにすぎない。私は、そういう信念のなさ、事なかれ主義こそが言論の自由を危うくすると思っている。だいたい主幹は「そこは阿吽(あうん)の呼吸で」とか「大人の対応で…」としか言えなかったのだ。見識も何もあったものではない。 「言論の自由」は、それを脅かす者たちから戦い取るものだ。戦いはいつでも、どこでもある。右であれ左であれ、安易な迎合主義こそが言論の自由を奪っていく。そんな自由の本質を深田主幹と、反省文の掲載を認めてしまった東京新聞はまるで分かっていない。 「東京新聞と意見が違うなら、会社を辞めて出ていくべきだ」という主張もある。私はそういう考えにもくみしない。異論こそが議論の健全さを担保すると思うからだ。社内の会議に出ていなくても、私のコラムや発言は社内で広く読まれ、知られている。 辞めてしまうのは簡単だが、私が辞めていれば、そもそも今回の騒動も違った形になっていただろう。ニュース女子騒動がジャーナリズムの問題を洗い出したと思えば、つくづく辞めずに良かったと思う。私には、いつかこういう事態が起きるという予感もあった。今後も私から辞めることはない。みんなネットで知っていた こう言うと「結局、会社にしがみついているのか」と言う人もいる。それには「まったく世間知らずですね(笑)」の一言だ。他に言葉はない。 ついでに一言、加えよう。与良正男・毎日新聞専門編集委員は先のコラムで「どうしても納得できない正反対な社説が掲載される事態になったら、論説委員を辞するくらいの覚悟はある」と書いている。 これには「まあ、ご立派な覚悟だこと」と感心するほかない(笑)。同時に、私は「こういう大層な台詞を吐く輩に限って、まったく信用ならない」と思っている。これは本当に戦った経験のある人間にしか、分からない直感だ。「まずは戦ってみてから言ってくれ」と申し上げる。 さて、最後にネットとマスメディアの乖離についても書いておこう。ネットの世界では、ニュース女子が伝えたような問題はとっくに知られていた。 一例を挙げれば、取材の妨害だ。ジャーナリストの青木理氏は「サンデー毎日」の連載コラムで「高江は反対運動が激化し、危険でメディア取材ができない」という問題についても「完全なデマ」と書いている。 青木氏はネットで「高江、暴力」と検索してみるべきだ。すると反対派が取材者を威嚇し嫌がらせしたり、一般人の車両を勝手に検問する映像がいくつも出てくる。この一例をもってしても、青木氏の指摘のデタラメさが分かる。 新聞やテレビが報じないから、青木氏は知らなかっただけかもしれない。そうだとすれば、ジャーナリストとして、まったくお粗末だ。沖縄問題に関心がある人はみんなネットで知っていた。それほどネットとマスメディアの情報が乖離している。 左派メディアは綺麗事(きれいごと)と建前が大好きだ。沖縄についても、反対派は口を開けば「人間の尊厳をかけた戦い」などと言う。左派メディアがそういう綺麗事ばかりを報じてきたから、ニュース女子がちょっと疑問を呈したら、反対派がすっかり逆上してしまった。 その意味で左派メディアの罪は重い。反対派に迎合して、都合の悪いことは報じない。そういう姿勢では、やがて左派メディア自身が読者、視聴者の信頼を失っていくに違いない。いや、もうとっくに失い始めているのだ。

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    「それでも私は東京新聞を辞めない」

    沖縄基地反対運動を一方的な立場から伝えたとして炎上した東京MXテレビ「ニュース女子」をめぐり、同番組で司会を務める東京新聞論説委員、長谷川幸洋氏がiRONNAに独占手記を寄せた。論説主幹との対立、言論の自由をめぐる左派との闘い…。一連の騒動の全内幕に迫った。

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    「ニュース女子」で共演した私だから言える! 東京新聞よ、恥を知れ

    し、日本の「権力」というのは国民が選挙で選んだ政府であり、いわば「国民=権力」である。それを監視するメディアだって多すぎるほどある。ヘリパッド移設工事現場近くで反対派(手前)が激しい抗議活動を展開。奥は道路中央に置かれた反対派の車両を移動させる警察官=9月15日、沖縄県東村 しかし、私が見たのは「数人」の無抵抗の若い役人を小突き回す「多数」のデモの人たちなのだ。デモ隊が示威行為をするのに暴力を振るう必然性は全くないし、頭をかきむしられる若い役人が人格を傷つけられカッとして反撃に出ることを期待して暴力を振るっているようにも見える。 これは酷い。実に卑劣なデモ隊だ。 私は、こんなことが沖縄で起こっていることをそれまで知らなかった。何のための新聞、何のためのテレビ、何のための「表現の自由」なのか。私は沖縄でずっと仕事をしてきたし、友人も多い。それなのになぜ、私は今までこんなに酷い沖縄のデモのことを知らなかったのだろうか。 ところが、事態は意外な方向に発展した。こともあろうに暴力を振るっていたデモの後ろ盾だった「のりこえねっと」という人権団体が番組の内容にいちゃもんをつけてきたのである。「盗人猛々しい」という言葉があるが、暴力を振るった側が「デマ、ヘイト、差別」などと事実とはまったく違う理由を挙げて番組批判を繰り返した。その後記者会見も行い、そこには多くのメディアが集まった。東京新聞はなぜ会社内で注意しない? 「のりこえねっと」は、米軍基地反対運動を行っているが、もし沖縄に基地がなくなれば、おそらく1年もかからないうちに中国に占領されるだろう。ちなみに、この団体の中心人物は在日外国人である。さらに、「のりこえねっと」の幹部には村山富市元首相や宇都宮健児元日弁連会長をはじめ、多くの大学教授が名を連ねているのには私自身二度ビックリした。日本の国家転覆にもつながりかねない彼らの活動に賛同し、若い役人に暴力を振るうような人権団体をわが国で指導的立場にある人たちが支えているのである。 しかし、この「事件」はそれだけにとどまらない。 このとき番組の司会をしていたのは、東京新聞前論説副主幹の長谷川幸洋氏だったが、彼が番組に出るようになったのは東京新聞から「東京新聞の知名度を上げるためにぜひ出てくれ」と頼まれた経緯があったという。そして、私をはじめとした強烈なキャラのコメンテーター陣を相手に、番組内容の「公平性」をできる限り保つべく、毎回のように四苦八苦しながら仕切っていた。だから、いつも暴論気味に発言してしまう私と長谷川さんはある意味、仇敵(きゅうてき)のような関係性だった。東京新聞の長谷川幸洋論説副主幹の謝罪と訂正を求める基地反対派の市民団体メンバーら有志=2月9日、東京都千代田区の衆院議員会館 そんな長谷川さんのことを、あろうことか東京新聞は1面の左上5段抜きぐらいで「東京新聞に無関係の番組ではあるが、そこに社員たる長谷川が出演していたのは、東京新聞の恥である。深く反省する」という趣旨の支離滅裂な記事を論説主幹が書いて掲載したのである。 もはやナチスもビックリの展開である。大新聞がその紙面を大きく割いて個人攻撃、しかも身内の社員を一方的に攻撃したというのだから、私の周りのある女性でさえも「東京新聞って、なんで会社の中で長谷川さんに注意しなかったのかしら。新聞で社員の名前を出すなんて変な会社ですよね」と切り捨てた始末である。 例えば、あるメディアの記者が、所属する会社の方針と異なる研究会などに出ようとして会社の了解を得て会場に行き、若干の質問をしたとする。その記者が会社に帰ると、上司に呼び出され、「君、我が社の方針と違う研究会に出席してはダメだ。降格する」と言われたらどうなるだろうか? 記者は「あらかじめ許可を得ています。それに私は出席しただけで発表したのではありません」と言っても、パワハラを得意技とする上司は「フン」と言ったきりで答えず、まもなくその記者は降格となった…そんな話なのである。 事実、長谷川さんはほどなくして論説副主幹からヒラの論説委員に「降格」された。新聞の人に社内の評価を聞いてみたら、「番組に取材が不十分だったと聞いている。それにウチは上層部が左だから社内は言論の自由などない」と言っていた。闇の中に葬ってはいけない さらに長谷川さんが担当しているコラムにこの事件を執筆したらボツになった。論説主幹の記事は社長の「お眼鏡」(東京新聞は沖縄の記事を琉球新報に頼っているという経営的理由もあり、事実より経営が優先しているという)にかない、長谷川さんのはかなわないからボツになったと推定される。 表現の自由、言論の自由、経営と論説の独立などと高邁なことを言うこともできないほどレベルが低い。ただのパワハラ会社が新聞という公器をつくり、情報をコントロールしていると言うことは明らかである。しかし、この事件は、その裏に潜む現代日本社会の闇を照らしている。 第一に、その後の議論で明らかになったのだが、日本のメディアには「タブー」があると、ベテランのメディア関係者は言う。それは「左翼の活動や平和運動に都合の悪いことは、それがたとえ犯罪行為であっても、記事にしてはいけない」というのである。 メディアにとって「ウソを報道する」というのは大した問題ではないのかもしれない。「目的」のためには「手段」はなんでも良い。「労働者の同志」で国を作るためには「労働者の同志を殺戮する」のは正当化される。スターリンも毛沢東もそうだった。朝日新聞、毎日新聞、そして当の東京新聞は「テレビがタブーを破って事実を捻じ曲げて伝えるとは何事か!」として、「のりこえねっと」の主張を全面的に支持した。 私はこれらの新聞を見て、現在の日本にジャーナリストはいないのだなと感じた。それは新聞社という組織内だけではなく、ほぼフリーで活動している著名なジャーナリストがこの言論弾圧事件を見て見ぬふりをしているという事実にも表れている。放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が発足から10年を迎える。記念シンポジウムでは、役割を評価する意見も多かった=3月、東京都千代田区 そして、第二にBPO(放送倫理・番組向上機構)がこの番組の審査にあたっているということだ。この委員会は放送関係各社が作ったものだが、委員長は慰安婦問題や南京大虐殺といった歴史的根拠が乏しい事件を「事実」として報道した、あの朝日新聞系の弁護士である。委員長代行の女性弁護士は沖縄基地反対を掲げる「新沖縄通信」のキャスターを務めている。つまり、日本人に真実を伝えないということを信念としてきた人物が委員長と委員長代行という重要ポストを占めているのである。言い換えれば、自分たちの思想とは異なる放送をした番組について「審査」しているのだから、実に滑稽である。    本来、BPOがニュース女子の審査をすること自体おかしい。組織の理念に基づけば、当然審議入りしないのが筋である。しかし、実際には「のりこえねっと」の申請に従い、番組に「問題あり」として審査(段階は2段階ある)している。これはまさにBPOの見識の低さを示している。およそ知性と誠実さを持っていれば、思想信条は違っても審査を辞退したはずだからである。 以上のように、この事件は実質的に言論の自由を失っている日本のメディアにおいても特異なものであり、日本の社会の健全性、発展を大きく阻害するパワハラ事件、タブー保護事件である。これを不問に付し、闇の中に葬ることは、これまで人権、民主主義などを唱えてきた人にとっては耐えがたいことのはずであり、いまこそ日本の言論が全滅する前に声を上げるチャンスであると考える。

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    東京新聞「社内言論の自由」はどうなっているのか

    が答えます 沖縄報道 本紙の姿勢は変わらず」という見出しで、初めて長谷川氏について触れていた。 「他メディアで起きたことではあっても責任と反省を深く感じています。とりわけ副主幹が出演していたことについては重く受け止め、対処します」 同日、東京新聞は「『沖縄ヘイト』言説を問う」という連載をスタートさせた。第1回に登場したのはジャーナリストの津田大介さんで、MXテレビの対応を批判し、同局の出演を拒否したことを明らかにしていた。ヘイト批判を続けてきた安田浩一さんも同局の番組への出演を拒否した。出演番組で「ニュース女子」批判をしようとしたが、許されなかったためだという。 さらに東京新聞は2月2日の「読者部だより」で、榎本哲也読者部長がこの問題をめぐって読者からいろいろな批判が寄せられていることを明らかにした。「厳しいご批判や、本紙の見解表明を求める声は、読者部にいただいた電話やファクス、メールや手紙だけでも二百五十件を超えました。重く受け止めており、きょうの一面に論説主幹の見解を掲載しました」としている。東京新聞朝刊1面に掲載された「『ニュース女子』問題 深く反省」と題した記事 しかし、その論説主幹の謝罪文に、長谷川さん自身の見解が載っておらず、「重く受け止め、対処します」というのも、どう対処するのか具体的に書かれていない、と批判する意見が他紙で紹介された。東京新聞も批判した長谷川さん 当の長谷川さんは、6日にコメンテーターを務めるニッポン放送のラジオ番組で、「東京新聞は何の関係もないのに、なんで『深く反省』するのか。私から辞めることは500%ありえません」などと、2日の謝罪文に反発を表明した。また10日には講談社のウェブサイト「現代ビジネス」に「東京新聞の論説主幹と私が話合ったこと」と題して内情を暴露した。 それによると、深田論説主幹の反省文が掲載される3日前の1月30日朝、深田主幹から会社に呼び出され、人事異動の内示を受けた。論説副主幹をはずれるという人事だったが、処分という趣旨ではなかったという。 ところが1日夜、翌日掲載される反省文のゲラを見たら、通常の人事異動でなく処分になっていたので、「処分であれば受け入れられない」と主幹に訴えた。「主幹は処分かどうかという点について『そこは大人の対応で…』とか『あうんの呼吸で…』などとあいまいに言葉を濁していた」。翌日以降、「あらためて私が問い詰めると『副主幹という立場で出演したのが問題だ』と『処分』の意味合いが含まれていることを認めた」という。 もちろんここでの長谷川さんの記述が正確なのかは深田論説主幹にも確認しないと分からない。ただ少なくとも、2日の東京新聞に掲載された反省文に長谷川氏が納得していないことは明らかだ。ちなみに長谷川氏は「自分は管理職に向いておらず論説副主幹を降りるのは全く構わない。しかし、処分というのでは納得できない」という言い分である。 結局、長谷川氏は論説副主幹の任を解かれたのだが、本人はその後、まとまった論考を月刊『Hanada』5月号に発表した。その『Hanada』5月号で長谷川氏は「『言論の破壊者』と批難された私」と題して、自身を批判しているジャーナリストや有識者の名前を挙げ、徹底反論している。 批判の対象は、津田大介さんや青木理さん、山口二郎法政大教授、そして香山リカさんらだ。香山さんについては、『創』の連載記事を取り上げ、根拠を示さずに「番組を『ひどい』とか『正真正銘のヘイト番組』などと決め打ちしている」と非難している。「ニュース女子」に対し、抗議の記者会見をする「のりこえねっと」の辛淑玉共同代表(右)ら いささか驚いたのは、長谷川氏が東京新聞をも強く批判していることだ。記事によると、長谷川氏は「人事発令後、深田主幹と人事を批判するコラムを東京新聞の『私説』という小欄に書いた。それはゲラになって送られてきたが、掲載前日の三月七日午前になって深田主幹から電話があり、留守電で『君の私説は使わない』と通告された」という。「ニュース女子」もひどすぎる! そして、それを受けてこうも書いている。「一連の経過は、東京新聞が言論の自由を守るどころか、左翼勢力の代弁者になり果ててしまった事態を物語っている」。そして末尾はこう結ばれていた。「元左翼の私としては、情けなく思うと同時に、左翼の行く末にあらためて絶望感を深くする」。長谷川氏は処分を受けた後も、東京新聞を自分からは辞めないと言明していたようだが、何やらこの一文は、東京新聞への「決別宣言」のように見える。東京MXテレビが入るビル=東京都千代田区  一連の騒動は、メディアが抱えるいろいろな問題を浮き彫りにしたといえる。MXテレビが大きな批判にさらされながら態度を曖昧にしているのは、番組を制作したDHCシアターの背後にいるDHCが同局の大口スポンサーであることが影を落としているのは明らかだろう。 そして東京新聞をめぐって特報部と論説の間、また論説内部の関係がいまいち分かりにくいのは、新聞社における「社内言論の自由」の問題が関わっているためだ。 これまでマスメディアに在籍しながら個人として発言してきたジャーナリストが、社の見解と個人のスタンスが異なって問題になったケースはいくらでもある。だが、その時に「社内言論の自由」を主張してきたのはリベラル派が多かった。今回はやや逆のケースで、こういうケースがこんな風に目立つのも言論報道をめぐる時代の変化を反映したものだろう。かつて故・筑紫哲也さんが朝日新聞に在籍しながら市民運動・革自連の選挙を応援して処分を食らったこともあった。 長谷川氏は一時期、テレビ朝日系の「朝まで生テレビ」などに出演していたし、記者クラブ制度などを批判してきた論客だ。週刊誌のコラムなど、私も愛読していた。近年は安保法制などで東京新聞のスタンスと異なる発言が目についていたが、そういう政治的スタンスの問題とは別に、今回は「社内言論の自由」を主張しているのだろう。 だからこの件、MXテレビの番組そのものの批判と長谷川氏の問題とは少し「区別」して議論しなければいけないと思う。ただ、残念なのは「ニュース女子」がいささかひどい番組だったために、そういうきちんとした議論が起きにくい状況になっていることだ。 「ニュース女子」をめぐる論争は拡大しつつある。青木理さんや金平茂紀さんらは週刊誌の連載コラムでこの番組を批判。さらに『週刊金曜日』が3月17日号で「デマを斬る!メディアとヘイト」と題する大きな特集を組んでいる。特集の巻頭は、辛淑玉さんと青木理さんの対談だ。この問題、対立は深まるばかりだが、BPOがどんな見解を出すのか注目される。

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    BPOで問題になった番組 朝ズバ、バンキシャ!、明日ママなど

     政権、スポンサー、芸能事務所など、テレビ局はさまざまなタブーに配慮し、その顔色を窺いながら番組づくりを行っている。そのなかでも、現場の番組スタッフたちがいま、一番恐れているのが「BPO(放送倫理・番組向上機構)」だ。 過去にBPOで問題になった主なテレビ番組を紹介しよう。●TBS『みのもんたの朝ズバッ!』(報道)/2007年1月22日放送 不二家で賞味期限切れチョコレートの再利用があったとの内部告発に関して、取材や演出に問題があったと指摘された。放送倫理検証委員会が初めて手がけた事案で、委員会は「番組は、もっとちゃんと作るべきだ」とする見解を出した。●日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』(報道)/2008年11月23日放送 岐阜県が発注した土木工事に絡み裏金作りが行われているという建設会社役員の証言をスクープとして報じたが、証言が虚偽であることが判明。放送倫理検証委員会は、日本テレビに検証番組の制作などを求める勧告を出した。●TBS『情報7days ニュースキャスター』(報道)/2009年4月11日放送 大阪府の府道と国道との交差点で、大阪府の清掃車が国道を清掃しないようにする映像を、二重行政の象徴的場面として放送したが、通常の作業と異なり、TBSの依頼によるものだったことが判明。放送倫理検証委員会の討議中に総務省が行政指導したことに、同委員長が「重大な懸念」を表明する談話を出した。●日本テレビ『芸能BANG ザ・ゴールデン』(バラエティ)/2012年5月4日放送 番組中に「オセロ中島騒動の同居占い師 まもなくスタジオに登場」等のテロップが繰り返し表示されたが、実際に出演したのは別の占い師であり、問題の占い師本人は登場せずに番組が終了。BPOの放送倫理検証委員会が審議対象とすることを決定したのを受けて、日本テレビは打ち切りを決めた。●フジテレビ『ほこ×たて』(バラエティ)/2013年10月20日放送 出演者のラジコンカー操縦者が放送後、「対決内容が編集で偽造された」と指摘し、社内調査の結果、番組が打ち切られた事案。放送倫理検証委員会は、「重大な放送倫理違反があった」とする意見を公表した。●日本テレビ『明日、ママがいない』(ドラマ)/2014年1月15日~放送 熊本県の慈恵病院が「ドラマが児童養護施設で暮らす子どもたちや職員への人権侵害にあたる」と申し立てをしたところ、放送人権委員会は「個別具体的な子どもらが特定されていない」ため、審議入りしないことを決定した。●テレビ朝日『報道ステーション』(報道)/2014年9月10日放送 原子力規制委員会が九州電力川内原発の新規制基準適合を正式決定したニュースにおいて、規制委員会委員長の記者会見の報道内容に事実誤認と不適切な編集があったとして、BPO放送倫理検証委員会が「放送倫理に違反する」との意見を出した。関連記事■ 川内原発報道で4人処分の報ステ 自らBPO申告は自作自演か■ 過激昼ドラ『幸せの時間』苦情殺到で性描写が質・量とも減少■ テレビ番組の現場スタッフがBPOを過剰に恐れる理由とは■ 視聴率最高記録は『第14回NHK紅白歌合戦』の81.4%■ 先輩芸人 かつては後輩に悪知恵付けたが今は収録ルール徹底

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    オスプレイの飛行再開でメディアの偏向報道は続く

    公表されている。とすると、これ以上、なにが問題なのだろうか? ところが、NHKをはじめとする日本の大メディアは、「100パーセント安全でないとダメ」というオールオアナッシングの非科学(宗教)に染まっていて、それを主張する人間のコメントしか報道しない。それをいいことに、たとえば沖縄の翁長知事は「原因究明をしっかりやって説明を果たしてもらわないと認められない。とんでもないことだ」などと現地視察で記者団にコメントした。しかし、前記したように、事故原因はすでに公表されている。それ以上なにが知りたいのだろうか。1月6日、米軍普天間飛行場に駐機する新型輸送機オスプレイ=沖縄県宜野湾市 じつは、この方は、米軍がどんな報告を出そうと聞く耳を持っていない。そればかりか、沖縄は米国の従属国・日本の一地方だという事実を受け入れられないという、現実無視メンタリティの持ち主である。 だから、自分の行動を「植民地の王」としてふさわしいと信じているようだ。ところが、沖縄の人々で、自分たちの状況に不満を持っている人は、大メディアと現地メディアが騒ぐほど多くないだろう。 ただ、それがバレてしまうとメディアは困るので、基地反対派、オスプレイ反対派のインタビューコメントばかりを取り上げる。 NHKニュースは、「アメリカ軍がオスプレイの飛行を再開させたことについて、普天間基地がある沖縄県宜野湾市の住民からは、批判や不安の声が聞かれました」などと、嘘ではない程度にナレーションして、たとえば40代の男性の「小さい子どもがいるので、飛行を再開すると聞いて非常に不安です。こんなに早く飛行を再開することは許されることではありません」などいう声を伝えた。 しかし、ここであえて言いたいが、もし日本のメディアが伝えるようにオスプレイが本当に危険な飛行機なら、いちばん不安なのは、それに搭乗するパイロットなどのクルーたちだろう。次に、そうした兵士を送り出した親や家族たちだ。万が一の事故で巻き込まれる可能性がある地上にいる住民より、彼らのことを心配する方が、たとえメディアとしても先に来なければならない。沖縄住民を本当に危険にさらしているのは誰だ 在沖縄米軍トップのニコルソン中将(四軍調整官)は、飛行再開に先立ち、現地を訪れて住民らに事故について謝罪し、「MV22の安全性と信頼性に米軍が最大級の自信を持っていることを日本国民に理解していただくことが重要だ」とする声明を発表した。そして、「この4年間、ここを飛んでいるが事故は1度もなかった」と言った。 日本のメディアの論理で行くと、この司令官は部下の命を顧みない、人命無視の非情な軍人ということになる。2016年12月22日、沖縄県名護市で開かれたオスプレイ不時着事故への抗議集会に参加した翁長雄志知事(奥中央)。同市内で開かれた北部訓練場返還式には欠席した(恵守乾撮影) 不思議なことに、この国では翁長知事のような考えが正義だと考える人間が少なくない。たとえば、民進党の蓮舫代表は、オスプレイの飛行再開より、事故原因の説明が先だと指摘し、「安全を担保した、 どのように担保したのかを、しっかり政府は説明する責任があると思います」と述べた。 オスプレイが飛ぶこと自体に反対なので、いくらコメントを求めてもこうなるという程度のことしか、この人は言わない。 おそらく、この日本には、オスプレイが飛ぶことを歓迎している人もいっぱいいるだろう。私は、沖縄と同じように米軍基地が多い神奈川県民だが、小さい頃から基地に遊びに行ったりしたこともあり、米軍に出て行ってほしいと思ったことは1度もない。本当にほとんどの沖縄県民が、今度のことで怒っているのか? メディアはちゃんと世論調査して、その結果を公表してほしいと思う。 沖縄の住民を本当に危険にさらしているのは、じつは米軍であるわけがない。それは、尖閣諸島に押し寄せ、しばしば領海侵犯する中国の艦船と、最近、領空侵犯寸前を繰り返すようになった中国軍機のほうだ。 民兵が乗っている中国の「偽装漁船」、あるいは中国空軍の戦闘機「スホイ30」や戦略爆撃機「轟&K」とオスプレイでは、どちらがより潜在的な脅威か考えてみたほうがいい。米軍は、日本の同盟軍である。 これまで、翁長知事はワシントンDCやスイスに出向き、「県民の人権が侵害されている」などと訴えてきた。しかし、この人は行く場所を間違えている。彼が本当に抗議しに行くべきなのは、アメリカ政府、国連、日本政府ではない。それは、北京だろう。それをしなければ、この知事は、県民の安全を平気で無視できる偽善者と言わざるをえない。(Yahoo!ニュース個人より2016年12月19日分を転載)

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    百田尚樹氏 地上波テレビは左翼だらけという印象

    衛出動命令を下せるかどうかは、世論の後押しにかかっています。櫻井:しかし、朝日新聞をはじめとする左翼メディアが猛反対することは、容易に想像がつきますね。百田:朝日新聞は「たかが島のために自衛隊員の命が失われていいのか」「尖閣を奪い返そうとしたら大きな戦争に発展して、市民に犠牲が出る」などと、一大キャンペーンを張るでしょう。櫻井:百田さんの著書『カエルの楽園』では、「1、カエルを信じろ。2、カエルと争うな。3、争うための力を持つな」という「カエルの三戒」を守っていれば平和は保たれると信じていたツチガエルたちが、“隣の国”のウシガエルに目をくりぬかれ、腕をちぎられて食べられてしまいますね。百田:はい。「カエルを信じろ」は「諸国民の公正と信義に信頼して」と謳う憲法前文、「カエルと争うな」「争うための力を持つな」はそれぞれ憲法9条を指しています。三戒を守ることが絶対と信じることで国が滅び、虐殺されるという寓話です。櫻井:「三戒があるから平和が保たれている」と主張するカエルがいて、ウシガエルが侵入してきても「話し合えばわかる」「刺激するな」と。百田:朝日新聞みたいですよね(笑)。私が懸念しているのは、戦後70年たって、多くの国民が自虐史観に根ざした戦後教育を受けてきたことです。「洗脳」が100%完了したわけです。櫻井:私も、現行憲法の精神が日本人のすみずみまで行き渡ってしまったように感じます。「テレビの言うことを信じる」日本人百田:最近では、最も影響力の大きい地上波テレビが、おぞましいくらいに左翼的な考え方に偏っていることも問題だと思っています。安保法制の議論でも、賛成と反対の両論を半分ずつ取り上げるべきです。ところが調べてみると、反対意見を流している時間のほうが圧倒的に長い。櫻井:とても公正とは言えませんね。百田:私も、地上波テレビからはすっかりお呼びがかからなくなりました。私がテレビで「憲法は改正すべき」などと言うと面倒だと思っているのでしょう。 地上波テレビは左翼だらけという印象です。しかも怖いのは、日本は「テレビの言うことを信じる」という人の割合が先進国の中で最も多いこと。さらに、朝から晩までテレビばっかり見ていて、他のメディアは全然見ないという人が一定数いることです。櫻井よしこ氏櫻井:現在の憲法を大事に持ち続けると、逆に日本という国が滅んでしまうという「正しい情報」を広く国民に伝えていくことは難しいですね。百田:トランプが本当に「在日米軍を引き揚げる」という段になったら、それがメディアや国民にとって踏み絵になるんじゃないでしょうか。共産党は「どうぞ出て行ってください」というでしょう。民進党は、「在日米軍にいてもらいたい」ということは軍の必要性を認めることになって自分らの主張と矛盾しちゃうから、右往左往するのでしょうね(笑)。 トランプは日本にとってまさに「黒船」です。約160年前の黒船は日本に開国を迫ったけれど、トランプの黒船は逆に「俺たちは引き揚げるぞ」「後は自分で守れや」と。櫻井:その通りです。日本は憲法9条を戦後約70年も守ってきましたが、黒船・トランプ政権の誕生が日本を大きく変えるかもしれません。【PROFILE】さくらい・よしこ/新潟県長岡市出身。ハワイ州立大学卒業。元日本テレビ「きょうの出来事」キャスター。1995年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で大宅賞受賞。執筆・講演活動を続ける一方、インターネット放送「言論テレビ」を運営中。【PROFILE】ひゃくた・なおき/1956年、大阪市生まれ。同志社大学中退。放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手がける。2006年、『永遠の0』で作家デビュー。近著に『カエルの楽園』『幻庵』などがある。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ「憲法学者」■ 黒鉄ヒロシ『鳥獣戯画』はピカソやダ・ヴィンチに負けてない■ 『カエルの楽園』 読了後じっくり日本を考えさせられる一冊■ TVの言葉が「語り」から「喋り」に移った理由を解説した本■ 「TV局を減らせ」と説く元業界人がTV界の現状を描いた書

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    辻元さん、総理と同じことが起こってますよ

    民進党と産経新聞が因縁バトル―。つい最近、ネット上にはこんな書き込みが飛び交った。森友学園問題を奇貨として追及を続けた民進党だが、所属議員の辻元清美氏に疑惑が飛び火するや、これを報じた産経新聞に猛抗議したのである。この際、はっきり申し上げます。辻元さん、本当に安倍総理のこと言えますか?