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    キュレーションは生き残れるか? グーグルを騙し続けたDeNAの罪

    神田敏晶(ITジャーナリスト) 上場会社のDeNAが、自社や関連会社で運営するオウンドメディアのキュレーション媒体を全記事非公開化に踏み切ったことは、ウェブメディアのビジネスだけでなく日本のウェブの文化にも大きなインパクトを与えている。キュレーションメディア全体が大きな危機を迎えている現状を分析してみたい。2013年12月、ディー・エヌ・エー(DeNA)本社を見学に訪れたバイデン米副大統領(中央)、ケネディ駐日米大使(左)を案内する、同社創業者の南場智子取締役(代表撮影) DeNAのヘルスケア情報メディア「WELQ」の実情を白日のもとにさらけだしたのが、BuzzFeed日本語版の2016年11月28日の「DeNAの『WELQ』はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言」という記事だ。 しかし、この記事は、DeNAの現役社員や契約ライターによる社内の秘匿情報の漏洩という側面も知ることもできる。チャット画面などの公開は、果たしてスクープといえるのだろうか。秘匿義務違反や内部通報で社内ルール違反の上にスクープが成り立っているのか。 ただ、法律を犯す指示をしたとか著作権違反を強要しているのを判断するにはBussFeedではなく、司法の判断だ。BuzzFeedがここまで踏み込んだのは、それをさかのぼる1カ月前、10月28日の「無責任な医療情報、大量生産の闇 その記事、信頼できますか?」という記事にあった。 10月の段階でBuzzFeedはWELQの問題をDeNAに対して正攻法で取材し、DeNA側は「真摯に対応してまいります」と応えていた。そして、最後に「BuzzFeed Newsは、医療や健康をテーマとしたキュレーションメディアが引き起こす問題を引き続き取材します。WELQに執筆されている方など、関係者からの情報をお待ちしております」と掲載したことが、内部の密告者とコンタクトのきっかけなのだろう。まさにメディアとしての正しい攻め方だ。 DeNAがこの時点で、真摯にBuzzFeedの指摘に対して、SEO対策としての8000文字もの長文記事を1日100本も掲載することの異常さを感じ、医療情報というセンシティブなメディアに対しての責任感が伴えば、このようなキュレーションメディアの全面閉鎖ということにはならなかっただろう。キュレーションメディアを乱造させた「張本人」 しかし、問題はDeNAが謝罪し、閉鎖しただけでは終わらなかった。「DeNAショック」は一気に業界を震撼させ、キュレーションメディアの順次自主的な非公開という対応をとりはじめた。つまり記事の量産化、著作権違反の奨励、写真の無断使用など、同じ穴のムジナとなっている業界なのだ。しかもヤフーの「TRILL」、サイバーエージェントの「spotlight」、リクルートの「ギャザリー」、KDDI子会社のSupership「nanapi」と上場企業のキュレーションメディアばかりだ。 なぜ、このようなことが起きるのか。日本のIT業界は、歴史の短いインターネット史の中で、同様の失敗を何度も繰り返している。まったく学習機能がオンにならない業界なのだ。 最初のインターネット・バブル時代は、海外も含めて初めてのバブル経験で、スピード成長とユーザーの抱え込みに問題があった。次は上場で得られた資金でのテレビコマーシャルへの大量投下。ソーシャルゲームの課金ブームが訪れる。そう、2012年の「コンプガチャ問題」だ。 莫大な利益をあげたコンプガチャだが、2012年に終息してしまう。そして、スマホ活用の「ソーシャルゲーム」へと進化するが、そのゲームも頭打ち。さらに上場会社でも、ヴァイラルメディア(口コミネットコミによって伝染するかのようにひろがるメディア)やキュレーションメディア(多数の情報をまとめ精査することによって新たな価値を生み出すメディア)の有効性に目をつけはじめた。 Googleなどの検索に効果を発揮するSEO化された記事を量産するために「クラウドソーシング」で安価な素人ライターを獲得し、記事を乱造してPV数を稼ぎ、広告で利益を得るという方法をとる手法が展開をはじめる。このあたりの「上場会社」という社会の公器としての意識がIT業界はまだまだ低い。資金調達のための上場だからだ。 要するに、キュレーションメディアを乱造させたのは、実はGoogleなのである。Googleが良いサイトだと認識し、検索した時に上位に表示し、そこをユーザーが閲覧し、広告を見て、クリックするという流れが起きる。そこでGoogleは広告主からお金をもらい、メディアには掲載手数料をアフィリエイトとして支払い、自社広告をとるキュレーションメディアはGoogleによる流入をSEOでかさ上げして、広告主から表示数やクリック数に応じた広告費を稼ぐ流れだからだ。「タコツボ」にハマり前が見えなくなったDeNA しかし、この状況を考えてみると、恐ろしいネット上の「サイロ・エフェクト(縦割り化現象)」がもたらされている。 適当なサイトから、クラウドソーシングで働くライターがパクって作成した医療記事が、検索エンジンによりトップに表示され、そこに掲載されている健康食品の広告で商品を購入し、また精査されていないはずの記事を鵜呑みにして、行動を起こす。いつしか、大きな健康被害が発生しても責任の所在地がはっきりしない状況になりかねない。 しかも、これらの現象は今起きたことではない、少なくともキュレーションメディアやヴァイラルメディアの功罪は5年以上の歴史があるのだ。その間、GoogleもSEO化されないように、いろいろとアルゴリズムを調整し続けている。 しかし、それもイタチごっこであり、常にGoogleに検索されやすい施策を取り続けてきた。それが、個人や中小企業でも参入しやすいキュレーションメディアを買収することによって集積し、拡大させ、資金を投入し、人的な加工でGoogleのエンジンをまんまと騙し続けてトップ表示させて流入を稼ぐ。IT企業を標榜するような企業が、インターネット上に役立たない情報を乱造し続けてきたにすぎないのだ。 また「サイロ・エフェクト」はタコツボ現象と訳することができる。組織が高度化し、専門性を高めれば高めるほど、費用対効果を極限にまで追い求める。しかし、そこには組織としての目指すべきヴィジョンやゴールに対しての明確なヴィジョンがないとタコツボ化して前が見えないまま走り続けてしまう。 もう一度、DeNAのサイトを確認してみた。創業時からDeNAのDNAは「新しいことに挑戦し続けること」「世界に喜びと驚きを」。何かの重要な「コトバ」が足りない気がしてならない。「正しい姿で…」「あるべき姿で」というコトバをDeNAにプレゼントしたいと感じた。 組織が立ち止まった場合に考えるべき重要なことは、社会に対してのコミットメントだ。そこの意識がないと組織全体が好き勝手に挑戦し続け、好き勝手な喜びと驚きを与えつづけたのかもしれない。 インターネット登場から20年も経過したのだから、IT業界全体が焼畑農業でなりふりかまわず稼ぐ時代はもう終わった。オトナの組織として社会全体を良い方向に導くために自社がなにをすべきなのかを全社員と意識を共有し、社内リソースを改めてキュレーションしなければならないのだ。

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    なぜダンマリか、DeNA騒動の中心人物「村田マリ」にも説明を求む

    し、敬虔な反省と持つとともに、真摯に省み、自己批判をしなさい。次回は村田某にもコメントをさせなさい。メディアも、株主も同社と経営陣の責任を非妥協的に追及せよ。同サイトに振り回された至純の魂を持つ消費者よ、断固たる闘争に起て。 もっとも、この手の問題というのは、問題を起こした企業や、関係者を糾弾しただけでは解決しない。構造的問題を直視しなくてはならない。 これはネットビジネスが直面している構造的問題だと解釈している。広告型のビジネスモデルではPV数がモノを言う。そのPVを稼ぐためには、検索されなくてはならない。このようなビジネスモデルであれば、粗製濫造と言われようとも、さらにはそれが機械的に作られていようとも、大量に記事を生産し、アップした方が有利になる。このような魂の腐敗、道義の頽廃とも言える取り組みが合理的になってしまうのが、ウェブの世界なのである。 この「PV課金の広告型モデル✕検索エンジン」という呪縛に、ネット関連のサービスは常に囚われている。それこそ、DeNAの愚行を報じるネットニュースサイトも広告課金、検索エンジンという掌の上で踊らされている。 釣り記事や炎上狙いの記事が話題になるが、この手のものも単に関わっている企業や書き手の問題だけではなく、このビジネス上の構造的な問題のもとに成り立っている。ついついPV稼ぎに走ってしまう中、どうブレーキをかけるのか。倫理だけで阻止することができるのか。ウェブサービスは魂を空白状態にするのだ。 上場しているネットベンチャー企業には、常に変化への対応と、成長が求められる。これもまた、株式市場の論理だ。 DeNA社の悪辣なる愚行に対する我々国民の怒りは、もう限界のレベルに達している。とはいえ、こういった構造的な問題も理解しておくべきである。ネット社会は、普遍的・根底的矛盾を抱えているのだ。記者会見したディー・エヌ・エーの守安功社長と南場智子会長(右)=2016年12月7日 もうひとつ、おさえておきたい論点がある。それは、生活者にとっての価値だ。 健康や美容に関連して間違った情報が掲載され、放置されていたということは、上場企業が行うサービスとしては断じて許してはならない。もっともこれは「情報の管理が行き届いていなかった」「剽窃なども放置されていた」「しかも、それを推奨していた」というのが問題であって、「わかりやすく、情報がまとめられている」ということは悪いことではない。 つまりこういうことだ。元AKB48の前田敦子風に言うと「キュレーションメディアを嫌いになっても、キュレーションそのものを嫌いにならないで欲しい」というわけである。 釈迦に説法だが、情報が氾濫する時代である。信頼できる、自分に合った情報に辿りつくのも困難である。そんな中、情報をわかりやすくまとめるキュレーションという行為は、本来、生活者にとって便利なものであったはずだ。だから、「キュレーションサイト」というサービスが起こした「問題」は直視するべきだが、「キュレーション」という取り組み事態は否定できないのではないか。 今回の件はネット社会、ベンチャー企業を論じる上で格好の材料である。同じような案件は今後も出てくることだろう。構造的な問題は理解しなくてはならない。しかし、善良なる市民を冒涜する企業、経営者、サービスを断じて許してはなるまい。我々はもっと怒っていいと思うのだ。追伸 このインタビュー、私が苦手なNewsPicksに掲載されているものなのだが、いま読むと色々考えさせられるので、ぜひご覧頂きたい。「私が、DeNAにiemoを売った理由」(https://newspicks.com/news/640478/)

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    WELQ元ライターが告発した1文字1円以下の実態

    【ネット炎上のかけらを拾いに】網尾歩 (ライター) キュレーションメディアWELQに批判が殺到している。これをきっかけに、ぜひともアクセス至上主義のウェブメディア業界も、少し目を覚ましてほしい。「正確な情報よりアクセス数」の現状 DeNAが運営するキュレーションメディアWELQが燃えている。近年、キュレーションメディア、バイラルメディアと呼ばれる媒体に、たびたび批判が集まっていたが、今回WELQを批判する人が多いのは、運営元が大手であることと、SEO対策が非常に強く、特に医療関連の情報で曖昧な内容が多かったからだろう。生死に関わる情報について、こんなサイトの記事が上位に出てしまうのは、さすがにまずいだろうと思う人が多かった。情報の誤りや、他サイトからのコピペが多いという指摘も続いている。 質の低い記事を大量に制作し、検索での上位ヒットを狙う。欲しいのはアクセス数だ。どのニュースサイトでもアクセス数が稼げなければ広告が入らないから、アクセス数にこだわるのは当然のことではある。しかし、「メディア」と名乗る以上、アクセス数以上にこだわらなければいけないのは正確な情報を読者に伝える姿勢だろう。正義感ぶったことを言っても始まらないが、短期的にアクセス数稼ぎに走ったがゆえの当然の帰結に思えてならない。地道に質のいい記事を作ろうと試行錯誤する人たちからすれば、そりゃ潰さなければいけないメディアだと思われてしまうだろう。iStock WELQでは炎上を受けてサイト上に改善していく意向を表す「お知らせ」を出した。これですぐに糾弾の声が弱まるとは思わないので、以降、似たようなメディアはどうか出てこないでほしい。 WELQで記事を書いていたというライターからの告発も話題となった。記事の原稿料が1文字1円にも満たない安さだったこと、素人が書いた医療系記事を、素人が確認してOKを出すような制作スタイルだったことなどが語られている。 記事の中では、こんなことも書かれている。素人の編集者(?)であり、実際のところ医療情報や引用元についての確認はほとんど行わないにもかかわらず、「キーワードが入っているか」「構成が指示通りか」については厳しいダメ出しが行われていたと。キーワードと構成は、検索対策において重要な点だから厳しいチェックが入ったのだろう。 しかし、1文字1円以下という価格で厳しいダメ出しが入るというのも、なかなか過酷な仕事だ。文章を書くという作業が、これほど低く見積もられている現場があるのだなと悲しく感じる。 そう、文章を書くという行為は、「誰にでもできる」と思われがちだ。実際、現代に生きる人は毎日大量の文字を綴っている。プライベートのLINEや、仕事のメール、自分のブログやSNS、ニュースサイトのコメント欄で。義務教育の基本は書くことにあるのだから、文章を書くのは誰もが身に着けているスキルであると思われている。ビジネスシーンにおいて、わざわざ「私は文章が書けます」などと言う人はいない。 しかし、多くの人がやすやすと文章を書けるのは、自分が考えていること、思っていることについてのみだったりする。プライベートでの他愛のないメールのやり取りは好きでも、ビジネスメールになるとピタリと手が止まってしまう人もいるだろう。 人が言っていることや本に書いてあることを要約したり、インタビューを面白く構成したり、難しい専門的な文章を一般の人が読めるようにリライトしたり……といった行為は、それなりのスキルや経験が必要になる。 WELQでクラウドソーシングを通じて記事を発注していたライターは、ライターの中でも「100円ライター」「1文字1円ライター」などと揶揄されることがある。心あるライターや編集者は、「WELQのようなサイトで記事を何本書いてもライターとしての経験値にはならない」と苦言する。自ら取材しない、文責を持たない。そんな記事をいくら書いたって無駄だと。かたや1記事20万円 今ここにあるライターの賃金格差かたや1記事20万円 今ここにあるライターの賃金格差 しかし筆者は、こうも思う。WELQがライターに求めていたものは、本来「医療や美容などの専門的な内容について」「正確な情報を集め」「パクリにならないように引用し」「それなりにキーワードを散りばめ」「全文にわたって整合性の取れた内容」にすることだったと思う。こういったレベルの記事を大量に作るのは、本来とても難しいことだ。実際、WELQが生産した記事は正確な情報を集められていないし、コピペになってしまっているし、整合性も取れていない文章が散見する。 もし、WELQの求めるクオリティーを完全にクリアした原稿を毎日30本書けるライターがいたとしたら、それに支払われるべき対価は1文字1円以下では決してない。それなのにWELQは、簡単で誰にでもできる副業かのように、安価でライターを募集した。ツイッター上では「まるで奴隷労働だ」と指摘されていたが、本当にそう思う。肉体を酷使する仕事ではないが、精神的に疲弊する仕事であることは、同じライターとしてよくわかる。 一方、ウェブ業界の一部では、いかに記事をバズらせるか、拡散することができるかが、ライターの評価軸として確立しつつある。フォロワーが1万人以上いることを誇る、あるPRライターは、1記事20万円だと自身の原稿料を公開していた。5000PVが1つの指標なのだそうだ。5000PVなんて、既存のメディアや大手ポータルサイトからしたら大した数字ではないのだが、広く知られていないオウンドメディアを餌場とすれば、こんなPV数でも価値がつけられる。 それもライターとして一つの生き残り方だと思うし、特にマイナーメディアにおいて拡散力が評価の大きな軸となっているのは、現状では仕方のないことだと思う。しかし、情報をきちんと精査する能力や、文章力や構成力に長けたライターも、制作側がきちんと評価していかなければいけないと感じる。彼らの仕事は一見地味に見えるが、彼らが活躍できる場がなければ、質の良いコンテンツは枯渇し続け、読者がインターネットを諦めるからだ。拡散力を持つか1文字1円の仕事か。その2択になってしまうインターネットを見たくない。WELQのようなサイトに読者が吸収され続けるのは、ちょっともう見てられない。

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    DeNA「サイト炎上」MERY、iemoの原罪とカラクリ

    家・ブロガー) 山本一郎です。毎日幸せに暮らしています。 ところで、先日来のDeNAのキュレーションメディアについては、健康情報サイト「welq(ウェルク)」を中心にDeNAパレットと称された10個のうちMERYを除く9個のサイトをCEO守安功さんが謝罪とともに非公開化したと発表がありました。 個人的には、いまのDeNAにできる最大限のことで、守るべきところは守ったという点で、英断だったと思います。ぎりぎりの判断をされたDeNA経営陣は凄いなと思いました。代表取締役社長兼CEO 守安功からの一連の事態に対するお詫びとご説明 | 株式会社ディー・エヌ・エー【DeNA】(DeNA公式サイト 16/12/1)「がん」などのインターネットの検索結果で「信頼できる医療情報」を手に入れるために知っておきたいこと(ヤフーニュース個人 朽木誠一郎16/10/24)無責任な医療情報、大量生産の闇 その記事、信頼できますか?(Buzzfeed Japan 16/12/1) 先日、簡単に経緯をまとめた記事はこちらです。DeNAがヘルスケア絡みのキュレーションメディア商売で大炎上(ヤフーニュース個人 山本一郎 16/11/28) ネットで流れるデマ医療情報やニセ科学とSEOの関係については、この方面の大御所である辻正浩さんが「自殺」をキーワードに上位表示に打って出たことを指摘したことに端を発するわけでありますが、およそ一か月余りでwelqは非公開とDeNAによる謝罪で序盤の攻防を終えることになりました。その後、話題は「こういうビジネスがアリか無しか」や「ネットで流通する情報の正確性はどう担保されるべきか」といった方面に移ってきたわけであります。「[死にたい]でSEOされたwelq(運営:DeNA)の大きな問題」(作成者: @tsuj) そのDeNA守安さんについては、TechCrunchのインタビューで興味深い発言を連発しています。DeNA守安氏「認識が甘かった」ーーWELQに端を発したキュレーションメディアの大騒動(TechCrunch Japan 16/12/1)―過度とも言えるSEOによるグロース施策を実行していた人物として、キュレーション企画統括部の部長の名前が具体的に挙がっています。 それぞれのメディアには担当者がいて、グロースハック部とメディア部がどう絡み合っていたのかは分からないのですが、私を含め「SEOを重視しよう」という方針で運営していました。村田(やまもと註:村田マリ女史)が責任者でいて、配下の部長が数名いる中の二人だったという認識です。―事業のキーマンの採用は現場の采配によるところが大きかったということでしょうか。 メディア全体の方針やモラル的な問題に関しては私に責任があると思っていますが、現場の判断に関しては村田の判断が大きいです。―ただ、社内外からSEOの手腕に関して「ちょっと強引じゃないか」という声も挙がっていたと伺っています。 報道を見るとそういう面もあったのかなと思いますが、社内の中では把握していませんでした。 そうですか。社内の中では把握していませんでしたか。組織的なステルスマーケティング 実は、当時DeNAがPalette事業をやったり、バイラルメディアで問題起こした人物らがグロースハック部なる部門でDeNAの“活躍”が問題視される2年ほど前の、2014年11月に、MERYやiemoで他社画像投稿サイトで掲載されている画像や図版、文字などの剽窃、無断利用について、事業統括であった村田マリ女史に直接「これは問題ではないか」と問い質していました。 ちなみに、村田マリ女史のDeNA加入はこういう経緯です。ちょっと悪意ある書き方かなとも思いますが、事実関係はだいたいこんな感じです。DeNA(2432)と村田マリ氏とその夫(本間 真彦氏)に利益相反は無いのだろうか?(カツシン!! VIPE(電子タバコ)初心者 16/12/2) その村田マリ女史が運営していたiemoというサイトをDeNAが買収したわけですけれども、何と言っても、当初はPinterstなど画像投稿サイトなどから4万件以上の剽窃、無断利用が判明していたので、さすがに問題ではないかと思ったわけですね。 その際には、村田女史から「(DeNAの)法務に相談し、社内の対応も急ぎで進めています」との回答があり、実際に、その後画像投稿サイトからの直接リンクや剽窃、無断盗用が一部削除になり、きちんとご対応いただけた、という認識でおりました。その意味では、私どもの打診について村田マリ女史にお話しさせていただき、内容をしっかりと理解していただいたうえで、具体的に法務と検討され、社として問題の投稿を削除対応されたということです。その意味では、DeNAもきちんと考えてくれるのだな、村田マリ女史も良く対応してくれたな、という心証でおりました。 ところが、実際に今回非表示化されたDeNA Paletteの13万以上記事や、「別組織だから」と温存されたMERYの全ページを検証してみると、やっぱり商用ではない外のサイトから画像をそのままぶっこ抜いてきて、テキストつけて記事にしていることが分かります。GettyImagesなどフリー素材サイトもかなり含まれてはいますが、MERYという媒体の性質上、よりオリジナリティの高い画像を利用する必要があり、ネットで検索した画像を適当にもってきて記事にしている、ということなのでしょう。 現存しているMERYの記事の、少なくとも約2割強にあたる460件ほどが、権利関係が不明確な剽窃や無断利用と思われる状態です。MERY自体は、Buzzfeedも指摘するように8割以上の記事が削除されていますが、それでもなお、これだけの問題のある記事が残っている、ということになります。投稿者の責任であるとして、プロバイダ責任法で逃れるとしても、そのような問題のある記事を投稿させてそこに広告を貼ってビジネスをすることが果たして是か非かという論点はどうしても残ります。DeNA疑惑の画像まとめcsvお持ち帰り用(dropbox csvファイルです)DeNA の「MERY」は問題なし? 記事9割削除に広告代理店やライターも困惑(Buzzfeed Japan 16/12/2) たぶん、DeNAも分かっていてこれらの記事を残しているのかなあと思うのは、どことは言いませんが、大手広告代理店などが広告や精読率などの効果測定するために使っているタグを残さなければならないページばかりだからでしょう。これらの話は組織的なステルスマーケティングの問題とも言えます。残っている記事の一部は、投稿サイトを装いながら実質的にはペイドコンテンツであるという疑いが濃厚だからです。ここから推測するに、MERYを本来ならば非表示化するのが筋なのに理由をつけてそうしないのは、一連の事業はDeNAが主体的にやっていたものとはいえ、上流にモラルの低い大手広告代理店がくっついて、クライアントビジネスをしていたからではないかと予想されるわけです。記事の量産を担う「コピペロボット」 そして、この画像の剽窃や無断利用とセットで語られるのが、“SEO対策をされた“記事群です。すでに具体的な社名が上がっていますが、クラウドワークス、ランサーズ、シュフティといった、マイクロビジネスの受け口がエンタープライズ向け記事集稿システムを担っていたと見られます。実際に、記事集めの責任者がいて、ウェブメディア向けの営業を繰り返し行っており、そういうマイクロビジネスを使ったライティングの元締めとなって、古き良き編集プロダクションの競合になるぐらいの勢いでありました。次に謝罪があるとするとこっちの方面ではないかと思うところもあります。 問題となるのは、1文字あたり1円にも満たないという単価です。正業のライターでこんな値段で請ける人物などいないでしょうし、またライター志望や副業であったとしても一定の品質を保ちながらこれだけの量を生活の足しにするほどに入稿するのは不可能です。 しかしながら、実際にこの手の記事の量産を担っているのは、だいたいにおいて人間ではありません。「サクラ」であり「肉袋」である、コピペロボットです。 もしも、いまお手すきでしたらこの記事を読み終わった後で「リライトツール」と検索していただければすぐわかります。ネットでは、1万5,000円から高価なもので4万円程度のソフトウェアが売られています。どれも万全なSEO対策、作業時間短縮といった機能が並び、これらのソフトを購入してきちんとチューニングすれば、クラウドワークスなどから提示される執筆のレギュレーションを満たし得るサイトから元の文章をソフトウェアに流し込むだけで、10万種類以上のリライト文章を生み出すことができます。 この手の定番ソフトを売っている大手ベンダーのサイトでは、「1秒で2,000文字を自動的にリライト」とか「当ツールは1000文字に対して40箇所くらいは普通にリライトします」などといった、とても魅力的なパワーワードが並んでおり、小遣いに悩む主婦や暇な学生のハートをがっちりキャッチするわけであります。IAX研究所(webarchives) さらに、これらのシステムを転がすだけではネットで記事を探し回ったり、複数のサイトの記事をつなぎ合わせるなどいちいちマウスをポチポチやらないといけません。なので、コピペとリライト作業をもっと効率化するために「お目当てのキーワードを入れるだけでネットから品質の高い記事をコピーしてきてリライトソフトにぶち込んでくれるBOT」が出回ることになります。その威力で申しますと、BOTとリライトソフトの組み合わせで一日2時間サーバーを転がすだけで300本ほど約2,000文字の記事が出来上がります。 最盛期は漁場が空いていたこともあり2,000字の記事が一本1,100円ほどで水揚げされていました。記事を微調整するバイト君の人件費を除けば一日の利益が300万円も夢ではないという世界だったため、みんな群がって、DeNAもこりゃいいってことでどんどんサブカルや自動車などジャンルを増やしてDeNA Paletteとして10サイトも作ったんだと思います。他のICT企業も目をつけて参入が相次いで、競争が激化してしまったために今年の夏ぐらいから一本当たりの文字数を増やすよう指示があり、またリライトツールが浸透して入稿数が増えたためか、単価も2,000文字600円ぐらいまで下落する豊作貧乏なレッドオーシャンの世界になってしまったわけであります。Googleのロジックをハックする「SEO技術」 残念ながらBOTは一般には売られていませんが、これらのBOTが流通している背景は、いまはもうなかなか儲からなくなった出会い系サイトの運営技術があります。スマートフォンが出てくるまでは、出会い系サイトにやってくる下半身がいきり立った男性が大量にやってくる夕刻や深夜前の時間帯に、大量のスケベメッセージが送られてくるのをすべてバイトで雇った「サクラ」の女性が思わせぶりなチャットを返してあげることでサイトの収入の根幹を担っておりました。 収益性を考えるとサクラをやってもらうのは概ね50代60代のおばちゃんなのですが、ガラケーの画面の向こう側の事情などお客様には分かりませんから、男性たちは従量課金でせっせとスケベメッセージを送り続けます。ただし、概ね40秒以上返信を待たせると、男性たちが通信を切ってしまう可能性が高くなります。もっとも繁盛する時間帯にこれをやられるときついので、登板するのが自動返答機能付き「サクラ」であり、「肉袋」と呼ばれるシステムです。 ところが、出会い系サイトが一般のチャットや無料掲示板に置き換えられ始めると、徐々に廃業するところが出てきます。LINEなどで出会えてしまうようになると、儲からなくなってくるのです。大手のYYCが我らのmixiに身売りしたのですが、それでも、古き良き出会い系サイトのシステムは生き残り、「実際に会わなければほとんど人間が応答しているのと変わらない」レベルにまで精度が上がっているのが実情です。特定の固有名詞やジャンルのない一般的な会話であれば、リアルタイムに二時間でも三時間でも引っ張ることができます。 このシステムが人工知能ブームで技術革新をおおいに進めました。生物の進化において真核生物がミトコンドリアを取り込んで酸素を呼吸し始めたようなものです。ウェブから引っ張ってきた文章をリライトしただけの大量のコピペ記事を、クラウドワークスなどからDeNAに送り込むと、アクセス情報が広告代理店に流れ、これらがクライアントのステルスマーケティングの根幹を担うというネット業界的大スペクタクルへと発展していきます。テーマに沿った画像をネットで見つけてきて引っ張るツール、一人で大量の記事を納品するとバレるので架空のTwitterIDやChatWorkと紐づけるツールや、アカウントへの業者からの問い合わせに自動返信するツールまでついているので、対個人取引で必要なマイナンバーの提示を求められない限り安全です。 で、これらの仕組みをDeNAはご存知だろうと思います。今回の謝罪の前に説明しましたから。GoogleというスーパーパワーのロジックをハックするSEO技術の根幹には、長年下半身をしごき続けてきた男たちの財布に裏打ちされたソリューションが脈々と生き続けてきたと思うと感動の熱い涙が溢れるのを止められない気分になります。品質の低い記事でも高い収益性 問題の核心は、やはりウェブメディアの品質問題って私たちが思っている以上に深刻なんだということです。 どんなにコピペ記事の品質が低い、DeNAのビジネスはけしからんと既存のウェブメディアが拳を振り上げたところで、この問題が起きるまでは、日本にあるあらゆるウェブメディアよりもDeNA Paletteの仕組みは収益性が高く、多くのユーザーに読まれていました。その中でも、画像が無断利用されたうえに記事の品質が低いにもかかわらずMERYが飛び抜けて収益性が高かったのは理由があります。SEOだけでなく相応のリピート読者を獲得し、広告代理店がしっかりとついて多くのクライアントが広告を出稿していたからです。読者がたくさんいて、広告を出しても買われるから、広告が出続けるんですよ、品質の低い記事でも。 真面目に取材し、記事を執筆し、画像を選び抜いた記事よりも、ネット上のつぶやきや引用、取りまとめをして簡単な編集をしただけの記事の方が読まれているという現実は、DeNAを叩くよりも前に各ウェブメディアが胸に手を当てて真摯に反省するべきところではないかと思います。 それとは別に、これだけのことを医療情報でやらかしたDeNAが、ヘルスケア事業や医療情報を扱うサービスを手掛けてよいのか、という論点も出てくるでしょう。ただ、ウェブメディアビジネスのカラクリの一部を知る者として、正しい情報を担保する努力が圧倒的な収益性の前に負け続けることについては、意外と指摘され語られることも無かったように思うので、たまにでもいいので「情報の質を高めるために、私たちは何をするべきか」というテーマを思い出していただけると嬉しいです。 なお、タイトル画像で起用した質の高い書き手、鳴海淳義さんの魂の叫びはこちらです。MERYの学芸大学駅お出かけ記事をめぐる冒険 エピソード4 - Blog @narumi(narumi BLOG 16/1/2) あしたも幸せな一日が来るといいなと思っています。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年12月2日分を転載)

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    キュレーションメディア問題はDeNAの成果追求風土に原因あり?

    果、同社の急成長を実現してきた組織風土の負の部分に原因があったと考えています。短期間で影響力の大きなメディアを作り上げたディー・エヌ・エー 今回のディー・エヌ・エーの情報サイト閉鎖の理由は、以下の二点にありました。 (1) 細心の注意を払って取り扱うべき医療情報を、専門家による監修のないまま、根拠が不明確なまま載せていたため、下手をするとその内容を信じた読者の健康を悪化させる恐れがあったこと。 (2) ウェルクも含めたキュレーションメディアの記事制作のマニュアルやライターの方々への指示などにおいて、他サイトからの文言の転用を推奨する等、著作権を軽視したと捉えられかねない点があったこと。 様々なサイトに掲載された情報をまとめて掲載する「キュレーションメディア」と言われるサイトについては、その情報の質や編集責任の所在に、疑問を抱く声はありました。今回、特にディー・エヌ・エーのサイトが問題視されたのは、検索エンジンのアルゴリズムを活用して、自社のサイトが検索結果の上位に並ぶよう対策を打っていたことも一つの要因です。検索上位になった結果、ページビューも他のキュレーションサイトに比べて多く、影響力が大きいからです。高い成長意欲と能力を持つ集団高い成長意欲と能力を持つ集団 キュレーション事業のみならず、ディー・エヌ・エー自体が非常に成長志向の強い会社です。創業は1999年。6年後には東証マザーズに上場、翌々年には東証一部に市場変更し、創業10年足らずで、いわゆる「上場企業」となりました。グループ企業全体で2000人を超える大企業となった今でも「永久ベンチャー」として、新たな挑戦を続けることを社風として謳っています。 同社の成長への原動力は、次々に新規事業に挑戦してきたところにあります。創業当初は、ネットオークションを手掛けていたものの、その後、事業の主軸をゲームからコマース、エンターテイメント、ヘルスケア、ライフスタイルメディア、そしてプロ野球球団と事業の幅を広げてきました。DeNA創業者の南場智子会長=2013年11月20日 その成長を支えてきたのが、「年功や肩書に囚われない権限付与」です。創業者の南場智子氏は、その方式を「パーミッションレス型」と称しています。日本語に訳すと「許可不要」とでも言えるでしょうか。南場氏は、次のように語っています。 「私たちは失敗と反省を繰り返して、経営会議だけで決めることをやめてしまいました」「偉い肩書を持っている人間がなんでも決める時代は終わりました。そのサービスの素晴らしさ、そしてサービスのアクセルを踏むか否かのジャッジするのは経営会議ではなく、ユーザーなのです」(「南場智子が語る『新しいビジネスの作り方とデザインの関係』UI Crunch U25」 エン・ジャパン「キャリア・ハック」2015年9月25日付)成果を出した人から、次の活躍の場を得られる「早抜け方式」成果を出した人から、次の活躍の場を得られる「早抜け方式」 急激な成長を支えるために、意慾、能力ともに高い人材の確保に力を入れているのもディー・エヌ・エーの特徴です。 2014年度4月に同社に新卒採用された98名のうち、東大卒(学部、院卒)は28名。学生数の多い早稲田、慶応をおさえ、4分の1以上を東大卒が占める結果となりました(「激変、東大生の就活!新御三家はこの3社!商社、金融を押しのける 人気のメガベンチャー」東洋経済オンライン 2014年3月31日付)。 もちろん、東大卒だからといってビジネスパーソンとして優秀とは限りません。しかし、ディー・エヌ・エー社は数日間の合宿方式のインターンシップを行い、そこにメンターとして社員を張り付けて指導に当たらせるなど、新卒採用の目利きには多大なリソースを注いでいます(前述記事)。その結果が入社社員の学歴として現れたと考えてよいでしょう。 また、成果をあげた社員へのインセンティブとして、「好きなこと」を手掛ける優先権を与えていることも特徴的です。 2010年から2013年にヒューマンリソース本部長を務めた中島宏氏は、「活躍している順に好きなことをやらせるという異動ポリシー」があるとインタビューで語っています(「2020年の人事シナリオ~企業人事トップ×ワークス研究所 所長対談」リクルートワークス研究所) このポリシーは、新入社員として入社した直後から適用されているようです。ディー・エヌ・エーで技術人事を担当する大月英照氏によると、新人エンジニア研修では、研修を終えた人から実際の配属になる「早抜け方式」を取っているとのこと。(「新入社員を未来のスーパーエンジニアに!ディー・エヌ・エーの「早抜け」方式の新卒研修とは」 「SELECK(セレック)」リレーションズ株式会社 2015 年 8月20日付) こうした例から見ると、ディー・エヌ・エーは、「成果の出た人が、さらに次のやりたいことを行う場を、他の人より早く得ることができる」施策を取ることによって、社員のモチベーションを喚起し、組織を活性化してきたと考えられます。能力と意欲に自負する優秀な人材が集まる効果も大きかったでしょう。 もともとモバイルゲームが事業の柱であったディー・エヌ・エーが、キュレーションメディアを買収したのが2014年。そこから2年間で、情報サイトの中で圧倒的な存在感を示すまでに成長を遂げた背景には、有効な戦略を考え、実行力のある優秀な社員の存在の寄与するところも大きかったと思います。業績に直接影響しない要素は軽視した?業績に直接影響しない要素は軽視した? ディー・エヌ・エーは2015年度の決算説明会で、新たな事業の柱として、今回問題となったキュレーションプラットフォーム事業を2016年度下期に黒字化し、2017年度には利益貢献できるまでに育てる計画を発表していました。その達成のために、経営陣も含めて、売上最優先に走ってしまったことは想像に難くありません。 この状況の中で、社員は売上のような目に見える成果を競い合うようになっていったことは容易に想像できます。成果をあげて、次の成長事業に自分のフィールドを移していかないと、ディー・エヌ・エー社員である限り、下手をすると永遠に成長の余地のない事業部門に残らざるを得ない状況に陥りかねないからです。 そうした状況の中で、業績に直接影響のない、いや、見ようによっては「売上アップの阻害要因」と考えられる著作権管理やコンプライアンスといった要素は軽視されがちになったのではないでしょうか。前述の「パーミッションレス方式」は、ユーザー志向の意思決定をめざしたものであったはずです。しかし、大企業となった組織には、経営者の芯の意図が末端まで浸透するのは難しいのが現実です。「ユーザーの支持がある=売上があがる事業ならゴーサイン」と、誤解が生じてしまったと考えられます。 コンプライアンスは、「守って当たり前のもの」。守らなかったときの罰則はあるものの、厳密に守ったからと言って、そのこと自体で評価されることは、ほとんどありません。そのため、評価につながる売上アップなどが優先されがちです。しかし、売上アップとコンプライアンスと、二律背反のことを両立させるのが経営でます。ディー・エヌ・エーでは、目に見える成果を追い求めるあまり、評価軸が偏ってしまい、コントロールが効かなくなっていたのではないでしょうか。組織の活力を失わずに改革をするには?組織の活力を失わずに改革をするには?旧リクルートコスモス(現:コスモスイニシア)本社 今回のディー・エヌ・エーの事件をきっかけに、私が思い出したのはリクルートのことです。若手に大幅な権限移譲を行いながら、新規事業で成長を果たしたという点で、リクルートとディー・エヌ・エーとは非常に似た文化を持っています。 リクルートは、かつてトップによる未公開株贈賄事件で糾弾を受け、バブル崩壊後の事業の行き詰まりも重なり、冬の時代を送りました。 そんなリクルートが復活を果たしたのは、社員が社内ではなく、お客様に真摯に向き合い続けたことで、顧客の支持を失わずに済んだからです。元リクルート・フェローの藤原和博氏は、著書で以下のように述懐しています。 「結果的には、リクルートというよりは、営業マン一人ひとりのお客様に相対してやっていたサービスが、ギリギリのところで会社の信用をつなぎとめた。また、リクルートという社名は傷ついても、各情報誌のブランドに瑕がつくことはなかったことも大きい。(中略)半年間、マスコミのリクルートたたきが続いても、読者と顧客は離れなかった。」(「リクルートという奇跡」2002年9月 文藝春秋刊) 藤原氏によると、この事件を機に、創業者である江副氏の個人商店的組織から、本当の意味で社員個々が立つ組織に脱皮できたとも語っています。 今回問題となったディー・エヌ・エーのキュレーション事業については、残念ながら「お客様と相対し」ている状態ではなく、社内の評価軸に向いているようです。であるならば、まず顧客が本当に何を望んでいるのか、誠実に向き合うことが必要なのではないでしょうか。 ディー・エヌ・エー全体で見たときに、その要素は十分にあると思います。例を挙げると、横浜ベイスターズや横浜スタジアムの経営です。 今年、久しぶりに横浜スタジアムに野球観戦に出かけ、サービスレベルの向上に目を見張りました。ディー・エヌ・エーがオーナーとなってもらって、本当に良かったと思っています。 肩書や年功に囚われない実力主義は、組織の活力を維持するためにも重要です。また経営陣の意思や机上の分析より、「ユーザーエクスペリエンス」を重視することも決して間違ってはいません。しかし、ユーザーの期待には、コンプライアンスに基づく「信頼性」への期待も含まれています。 ディー・エヌ・エーは自らを「清々しく、泥臭く、逆境を楽しむ 飽くなき挑戦を続ける、永久ベンチャー」と称しています。ぜひこの逆境を、自らを鍛える機会とし、新たな成長のきっかけとされることを期待しています。【参考記事】■英国首相選ではなぜ「子供を持つ母親」が不戦敗したのか? http://sharescafe.net/49083976-20160715.html■SMAP騒動の裏に見える「中年の危機」http://sharescafe.net/47565368-20160120.html■近鉄車掌飛び降り問題を、「怒り」の視点から考えてみた。http://sharescafe.net/49684012-20161003.html■「女性活躍推進法」は女性を追いつめる両刃の剣? http://sharescafe.net/48120829-20160322.html■石原さとみさん主演「地味にスゴイ!校閲ガール」は報われない仕事をやっていると思った時にお勧めしたい。http://sharescafe.net/49959839-20161109.html

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    極端な「潔癖主義」がネットメディアをつまらなくしないか

     岡本裕明(Blue Tree Management 株式会社 代表取締役) ネット情報の便利な点の一つに欲しいテーマについて情報が集まっている点があります。ニュースサイトでも関連ニュースが記事の下にずらっと並んでいますし、ファッションでも雑貨でも自動車でも趣味の分野に様々なブログやメルマガが立ち上がっていますがそれらを一括で取りまとめれば読み手としては便利であります。まとめサイトのことをIT用語でキュレーションサイトと呼ぶそうですが、最近、急速に問題視されるようになってきました。 ことの発端はDeNAが運営していたキュレーションサイトの一つで医療系の内容を取り扱うWELQに於いて不正確なものがあり、読者から批判が出ていた為、同社が運営するキュレーション サイトを確認したところ、信憑性の確認ができず、全キュレーションサイトの閉鎖に追い込まれたものです。日経の後追い記事を見る限り同様のサイトを持つリクルートやサイバーエージェント、ヤフーでも一部サイトの閉鎖や見直しを行っているようです。 正直、この問題の扱いは難しいと思います。 情報にどこまで信憑性を持たせるのか、すべての情報がいつも正しいかといえばそれはあり得ません。報道機関でも誤報はしばしば起きています。私が愛読する日経も一面トップが誤報だったことはしばしばあります。あるいは誤報かどうか、その判断は文面をじっくり読まないとひっかけられることもしばしばです。記事内容は条件付き肯定文になっていてもタイトルはあたかも無条件でそうなると思わせるような書き方をするケースもしばしばです。 これは数年前から特に顕著に表れたケースなのですが、非常に強いトーンのタイトルで読者を引っ張り込むのが一種のテクニックのようになったためにタイトルと内容が合致しないこともしばしばあるのです。私がかつて記事を提供していたところでも内容はそのままでタイトルはよりアグレッシブなものに書き換えられていました。 また、キュレーションサイトの場合、投稿内容は似たような記事が中心となるため、投稿者が競合意識を持ち、極端な書き方をするケースも出てきます。傍で見ていて「やりすぎだろう」と思ったこともしばしばですが、そのような気を引くサイトが更にヤフーなど総合型のポータルサイトに転載されればまさにそのトーンが市民権を得たような形にすらなりかねないのです。ブログもハイリスク 内容の点検、チェック機能も脆弱です。新聞社は何重にも内容を点検して違和感が出ない内容に校正しますが一般人のブログ形式ではそれはまずありえません。この辺りの粗削りさが出るのが良い部分でもあり、今回のように弱点にもなりえるのです。 例えばキュレーションサイトの代表格、トリップアドバイザーは旅行計画をするには旅行雑誌よりも早い情報と多くの写真でなるほど、その気にさせます。そうすれば旅行につながり、同サイトが提供するより具体的な旅行情報に誘導することができますのでビジネスにつながるということかと思います。 問題はこの情報が間違っていたり、限定的情報だった場合どうするのか、であります。 私もこのように毎日ブログを書かせていただき、多くの方にお読みいただいています。内容について注意深く書いていますが、何時も必ずしも正しいわけではなく、間違いもあります。そして皆様からご指摘をしばしば受けるわけです。また、ある一面から見ればそういう見方もできるかもしれないかなり際どい記事も当然ながらにしてあります。いわゆる「際物」はリスクが多い半面、そうなった場合、「へぇ、やっぱりあの記事の通りになった」という反応の大きさもあります。まさにハイリスクハイリターンです。 「際物」を「際物」としてお読みいただき、そのリスクを認識していただければそれがベストなのですが、時として前提条件のところを読み飛ばしてコアの部分だけを取り上げて「お前はこう言った」と指摘されると私もグーの音も出なくなります。この辺りが悩ましいところです。 私の場合には収益を持たないブログですので儲けるための一定方向のポジショントークはしません。これだけ多くの方が訪問されるブログなのに、なぜ儲けないのか、と思われるかもしれません。私のブログはそもそもが自分で勉強や見聞き、読み込んだインプットを自分なりに頭でまとめてアウトプットしなおすという自分の為の復習の作業であります。そのあたりが他のサイトと若干違うところかもしれません。完璧を目指すだけでいいのか では、本題に戻りますが、キュレーションサイトの間違いがある投稿は全部落とすべきなのでしょうか?そんな作業は今は旬な問題ですので一時的に運営者はやらざるを得ないとしてもいずれ、ギブアップしてしまうでしょう。どこまでを間違いとするかの判断も容易ではありません。そのためにいちいち専門家に聞いていたらそれこそ手間暇でサイト運営そのものが出来なくなります。 個人的には悪質なものについてはともかく、一般的なものはディスクレーマー(免責事項)をサイトにつけて読者に注意を促すしかない気がします。あるいはキュレーションサイトの運営者が書き手のクオリフィケーション(格付け)をつけるのも方法論としては考えられますが、これは難しいかもしれません。 日本人は極端な潔癖主義で一方向に影響を受けやすいタイプです。しかし、完璧を目指し、何処までも漂白して純白にしたら記事の「えぐみ」がなくなって面白くないものになると思います。 一つ、確実に言えることはキュレーションサイトに投稿する多くの書き手は本当に主張として書いているのか、儲けたかったからなのか、売名なのか、この辺りの書き手の質とそれを著名キュレーションサイトが載せてしまう短絡なスキームにも疑問点は残るでしょう。実に微妙なところです。(公式ブログ「外から見る日本、見られる日本人」から2016年12月6日分を転載)

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    ゴミ記事を量産20代「元編集長」がテキトー過ぎる運営を激白

    得ている人も少なくない昨今、IT大手ディー・エヌ・エー(DeNA)が運営する“医療情報キュレーションメディア”「WELQ」が炎上した。出典の曖昧な記事やデマや信憑性が低く、さらに薬事法にも抵触しているような記事を量産し掲載していたことが原因で、新興ネットメディアの運営は大手といえども驚くほどいい加減なものが多いことが浮き彫りになる事件だった。11月29日をもってWELQのすべての記事の非公開を決定、同社が運営するWELQ以外の9つのキュレーションメディアについても、12月7日までにすべて公開を中止した。  東京都の丸山麗子さん(仮名・28歳女性)も、そんな「いいかげんメディア」の運営に関わった一人。某IT企業に転職して間もなく、その会社が持っていたポータルサイトの「編集長」にされてしまったのだという。――突然編集長に?丸山:前職で編集の経験があったからか、『このサイトで記事をアップして』って言われたんですね。受けたら次の週、編集長の名刺を渡されたんです(笑)。女性向けの美容とかカルチャーの記事を、まずは準備期間1ヶ月ほどで、1人で1日1~3記事。ビジネスとしてはかなり小さいものでしたが……会社の「負の遺産」をどうにかしてくれる人が欲しかったんでしょうね。――負の遺産、とは?丸山:私が入るずっと前からそのサイトはあったみたいなんですけど、有名な会社にサイトを構築してもらったらしくて、ほっといても月に数十万円の維持費がかかるような状態だったんですね……誰もお金に換えることができなかったから、新人にやらせちゃえ! みたいな(笑)。月間PV3万くらいのサイトを、まず3ヶ月で10万にします! という目標でした。――まずどのように運営を始めたんですか?丸山:準備期間のうちに、まず昔の仕事仲間に声をかけました。でも、あんまり安いお金では動いてもらえないから、どうにか予算をつけてもらって、1記事3000~5000円。「安くてごめんねー」なんて言いながら頼んでました。 後から知ったんですが、実はこれって破格に高いんですよね? この額って他の有名なメディアと同じくらいだったりしました。クラウドワークスみたいなサービスを使って素人ライターを雇えば1記事100円なんていうのもザラで……。自然と行き着いた「小エロ系記事」――節約しきれなかったんですね。丸山:はい。でも、100円とかで書かれる記事なんて面白いわけがありませんよね……。そんな風に準備をしていたら、PVが実は月間1万以下しかないサイトだということが発覚して。でも、あてがわれた目標は変わりませんでした。3万が10万になるのと、1万が10万になるのは相当違いますよね(笑)。 相当慌てたので、正式に更新をはじめてからは、PVの稼げるようなことはなんでもやりました。例えばNHKのドキュメンタリー番組には「再放送」があるので、1回目を見た後にその内容を取り上げて記事にすると、2回目の放送の直後にPVが稼げるとか……セコいですよね。芸能人をタダで出したかったので、PR会社の知人に頼って記者会見発表に山ほど行って、どうでもいいような発言をムリヤリ女子の教訓にしてみたりとか……そんな流れの中、自然と行き着いたのは「小エロ系記事」でしたね。――女性向けのエロ系記事……?丸山:ライターも全員女性だったんですけど、お任せしておくとエロ系の記事ばっかり上げてくるんですよ(笑)。『an・an』が「セックスできれいになる」って言ってる部分はどこなのか女医さんに聞いてみたりとか、行為の時の手の動きがエクササイズになるだとか……バカでしょ? そういう記事ばっかりだったわけでもないんですが、途中まで順調にPVは上がりましたね。――目標は達成したんですか?丸山:1ヶ月遅れで達成しました。でもその先のことは何も考えてなかった。「売れるサイト」にするには特定のジャンルのキーワードで検索に強くなることが必要だったりするんですが、うちのサイトはPVを上げることだけに照準を当てて運用してたので、特定のエロ系ワードにだけ異様に強い感じでした。 PVが上がっても、収益は上がらないまま……でも、私もみんなも当時はわかってなかったんで、誰にも怒られたりしませんでしたね……。――サイトはどうなったんですか。丸山:その後もしばらく続けていましたが、予算削減である時静かに閉じていくことになりました。サイトオープン時にすでに2000万円、私が入るまでに3000万円かかっていたサイトは、どうでもいい記事を世の中に撒き散らして消えたんです。でも、ゴミみたいなサイトをネットの海に残しちゃうより、うちのサイトはちゃんと消えたから、まだマシかな……と思っています。関連記事■ 紗栄子 ローションドロドロ誕生会、費用は1000万円■ 高橋由美子 「生々しくてヤバい」写真集の秘蔵カット■ 炭水化物抜きダイエット実践の愛子さま「摂食障害」の指摘も■ 元アナ徳永有美 「いちばんの勝ち組」と囁かれる理由■ SMAP、最後の歌収録 中居正広は嗚咽を漏らした

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    「隠れトランプ」はどこに潜んでいたのか

    「世紀の番狂わせ」と言われた米大統領選をめぐり、米大手メディアによる事前の世論調査がことごとく外れたことに衝撃が広がった。とりわけ注目されたのが「隠れトランプ票」の存在である。「トランプ憎し」の極端なスタンスで報じ続けたメディア不信の表れとの指摘もあるが、なぜ既存メディアは票読みを誤ったのか。

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    なぜ木村太郎だけが「トランプ勝利」を的中できたのか

    ランプが、なぜヒラリーに勝利したのかを考えると、トランプはヒラリーに勝ったというより、アメリカの大手メディアに勝ったということなんです。逆に言えば最大の敗者は大手メディアだったんですね。 ジャーナリストの一人として、大統領選を報道するアメリカ大手メディアの姿勢にとても驚かされました。一番のいい例は、30年前に飛行機の中でトランプに体を触られたと公表した女性がいましたけど、これをニューヨーク・タイムズが1面トップ級の扱いで報じたことでしょう。米大手紙の大統領選報道について語る木村太郎氏 このニュースを見てやっぱりトランプは女に手がはやいんだなと思ったけど、翌日にはイギリスで「その飛行機におれは乗っていた」という人が名乗り出ていたんです。その男性はむしろ言い寄っていたのは女性の方だったと証言し、その内容がイギリスのタブロイド紙「デイリー・メール」に掲載されたんです。 デイリー・メールは記事にしたけど、このニュースはアメリカのネットメディアなんかにはもうその日に出まくっていた。これをアメリカの大手新聞は一切報じない。この女性問題についてはもう一人証言者がいて、女性はトランプが飛行機の座席のひじ掛けを上げて迫ってきたって言っていたけど、ひじ掛けは上がらないタイプだったと。 要は、ニューヨーク・タイムズは何も裏を取ることもなく、単なる反トランプ側の言う真偽不明なことを平気で1面トップ級で掲載したんです。そして誤報になっているにもかかわらず、訂正のような記事も出さなかったということです。これはもうクオリティペーパーとしてありえない。 メディアに支持する政党や候補がいて、社論があるのは当然です。大手メディアの大半はヒラリー支持を明確にしていました。ただ、これは日本のメディアも同じですけど、論評はそれでいい、でも一般記事まで傾いてウソをつくようになった。ニューヨーク・タイムズの例はほんの一例で、本当にここまでやるのかという記事がやたら多かった。 ワシントン・ポストについてはアマゾンのオーナー、ジェフ・ベゾスが買収したんですけど、アマゾンはいろんな意味でグローバリゼーションの旗頭なんです。トランプの主張はそれを否定しているんです。それで、ベゾスがトランプを潰せと号令をかけて、20人の取材チームつくってトランプのスキャンダル探しをずっとやらせていた。 もうアメリカの大手新聞はジャーナリズムというより、資本の論理が入ってきているんです。ジャーナリズムの信念というより、資本の論理が思いっきりはたらいて、これはテレビもそうですよ、とても危なくなってきていると感じましたね。「トランプ優勢」を言えない米大手メディア ワシントン・ポストのトランプのスキャンダル探しはジャーナリズムとしてアリですけど、いい加減なゴシップを裏も取らずに報じるのは間違っている。ワシントン・ポストのホワイトハウスのキャップなんて、ウィキリークスがばらしたけど、民主党のヒラリー選対の報道係にメール送ったのを暴露されたんです。 そのキャップはトランプのスキャンダル記事についてヒラリー側に「明日の一面トップで出ます、きっと気に入ってもらえると思います、これからもよろしくお願いします」なんて内容をメールで伝えているんです。敵対陣営のネタを記事が掲載される前に言うなんてタブーですよ。 ニューヨーク・タイムズも似たようなことをウィキリークスに暴露されて、テレビも同じようなものです。CNNはトランプにインタビューする前に、民主党の全国委員会にメールを出して、「看板キャスターがインタビューするからトランプを追い込むような質問を集めろ」ってね。これはちょっとひどいなと思いますよ。トランプ氏 大手メディアがこぞって今回の大統領選挙の結果を間違えたのかという点については、目の前を通っているトランプ支持者を自分たちで見えなくさせてしまったんです。あまりのヒラリー支持に凝り固まって、それが行き過ぎた。 何がなんでもトランプが嫌だという思いが強すぎて、たとえ世論調査の結果でも社内でトランプ優勢なんて言えないような雰囲気にまでなっていたようですね。メディアとして死んでいたということです。 メディアが政治的立ち位置を鮮明にするのはいいけど、フェアにやらないといけない。アメリカは今回、あまりに不公平だった印象が強い。こうした大手メディアの信用できない実態を国民は知っていたし、トランプもそこを逆手に取ったんでしょうね。 トランプは大手メディアを敵に回したことで得をしたんです。集会をやると必ずトランプがやることがあって、大手メディアの記者席がある方を指さして「後ろに並んでいるウソつきどもちょっと来い」なんて言って、僕もいましたけど、聴衆が一斉に後ろを向くんですよ。そしてブーイングが起きて、大いに盛り上がる。 トランプは政治経験もなく、スタッフの数も選挙資金もヒラリーの10分の1しかなかった。だけど、選挙参謀がネットメディアの経営者であまりに優秀だったんです。日本もそうなりつつあるけど、結局アメリカもネットメディアの勢いがものすごくて、トランプはきっちりネットメディアのすごいヤツを使っていた。 アメリカに「ブライトバート・ニュース」というニュースサイトがあります。そこの会長がスティーブン・バノンっていいますけど、その人が8月以降、トランプ陣営の総責任者を務めはじめて、それから猛烈にトランプは勢いづいていったんです。クオリティーペーパーは「地に落ちた」 結局、大手メディアは本当のことを報じない、でもネットメディアは本当のことを報じるというイメージが米国民に浸透しているんです。日本よりもとっくにネットメディアがそれなりに信用される土台ができている中でトランプが出現し、それをフルに活用したということなんです。 ずいぶん前の話ですが、「ドラッジ・レポート」というニュースサイトは、保守系なんですけど、ビル・クリントン元大統領とモニカ・ルインスキーの不倫問題を最初にすっぱ抜いたサイトなんです。 僕も毎朝ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズの見出しぐらいは見ますけど、見出しだけで中身がわかるから読まない。大手メディアのネットサイトはつまらないんです。逆にネットメディアは大手メディアのアンチテーゼで評価されている。ネットメディアは見出しからおもしろいし、真実を伝えているから読みますよ。「米大手紙は崇拝から軽蔑に変わった」と語る木村太郎氏 今回の大統領選のスタート時から、ずっとネットメディアを見ていて、それでトランプが勝つだろうと思った根拠の一助になっていますね。トランプの女性問題もそうですが、大手メディアがいい加減に報じたことの裏側情報を必ずネットメディアが出して、その真偽を証明するんです。 ならば、ネットメディアの方が新聞読者より多くなるし、影響力が出る。そこをトランプ陣営はよくわかっていて、選挙戦を展開したから、どれだけヒラリーの支持が見せかけだけなのかわかっていたんでしょうね。 ネットメディアは建前がない。知る権利に応えるとかではなくて、言いたいことをすぐに言おうみたいな。偏っていても、偏って何が悪いんだと。そういうことが言えるメディアなので、それが切磋琢磨していくと、優秀なやつが出てくるんです。 そしてその中から優れたジャーナリズムというか、報道が生まれてくる。アメリカのクオリティペーパーはもう地に落ちた。僕自身もかつて崇拝していたけど、今回の選挙で追いかけて見ていて失望したし、むしろ軽蔑しましたね。 トランプを当選させた最大の功労者は先ほど触れたバノンです。トランプ就任後の人事で、首席補佐官と同列の地位につくようです。反トランプから人種差別主義者だとか批判の声は大きいですが、今後はバノンが社長のブライトバート・ニュースを見ないとトランプ政権の真の方向性がわからない時代になるかもしれない。大手メディアがホワイトハウスのマスコミの中枢から疎外される可能性も十分にありえると思いますよ。(聞き手、iRONNA編集部 津田大資) きむら・たろう 昭和13年、米国生まれ。慶応大法学部卒。NHKの海外特派員やキャスターを経て63年、フリーに転身。現在、フジテレビ系「Mr.サンデー」などでコメンテーターを務めている。

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    トランプ叩きで墓穴を掘った既存メディアの「不都合な真実」

    渡邉哲也(経済評論家) 米国大統領選挙は、私がフジサンケイビジネスアイに寄稿した「【高論卓説】米メディアの選挙ビジネス 批判逆手に存在感、トランプ氏が全否定」の予想通りの結果に終わった。ほぼすべてのメディアがヒラリー優勢という情報を流す中、結果的にトランプが勝利したわけだ。また、その理由に関しては、9月末にiRONNAに寄稿した「米左翼メディアが垂れ流すトランプの「ネガキャン」に騙されるな」ですでに解説済みだ。 記事で確認できると思うが、今回の大統領選挙、私の「予想シナリオ通り」に進んだのではないだろうか? いまだにトランプへのネガティブキャンペーンを続け、必死に言い訳を考え自己正当化しているメディアが多数見受けられるが見苦しい限りであるといえる。米大統領選でのトランプ氏の予想外の勝利を伝える ニューヨーク証券取引所内のテレビ=11月9日 歴史に「もし」はなく、過去は変えられないのである。必死にトランプ批判を繰り広げたところでトランプが次期大統領になるのは事実であり、確定項でしかない。また、他国の国民が選んだ次期大統領に対して、評論を超える人格批判をするのは間違っていると私は思う。それは米国人への侮辱行為でもあるわけだ。 では、何故、そこまで批判に固執するのか考えてみたい。このような場合、「相手の立場で考える」これが思考の基本になる。彼らがそこまで批判に固執するには彼らなりの理由があるからであり、それが「不都合な事実」であるからに違いないからである。 私が考えるに、一番の理由は自分たちの選挙予測や世論調査が外れたことであると思う。事実を必死に批判することで、自己を正当化し、その事実から目を背けたいことのあらわれだ。同時に、これが日本にも波及することをおそれているのであろう。 今回の選挙戦では、全米の大手紙100社の内、ヒラリー支持が57社 トランプ支持は2社であったと報じられている。(11月7日 NHK)つまり、レガシーメディアの神通力は世論を動かせなかったわけである。そして、今回の選挙結果は「メディア世論」と「大衆世論」の乖離を印象づけるものであったわけである。トランプ勝利、騒ぐには理由がある 二番目の理由は放送作家や論説員や執筆者、コメンテーターなどの問題であると思う。一部の選挙速報などがその典型であるが、票が開くにつれ、お葬式モードに突入し、アナウンサーもコメンテーターも言葉を失っていったわけである。すでに用意されていた台本やテロップ、予定稿が使えなくなり、呼んでいたヒラリー支持のコメンテーターも立場を失ってしまった。それは拷問に近いものであっただろう。さらに、選挙後の分析報道においても同じく「外した」人たちが行っているわけであり、批判的になるのは当然と言えよう。 そして、三番目の理由は、トランプが一部の人達にとっての「聖域」を壊したからである。米国のリベラルメディアと米国民主党は人権や差別撤廃という美名のもとで、少数派と言われる人たちの権利を拡大してきた。そして、それに反する行為に対して、「レイシスト」というレッテル貼りを行い、言論封殺してきたわけである。このため、メディアによる批判を恐れる政治家は、問題に触れるのを忌避し、これが聖域になっていたのだ。しかし、トランプはあえてこの問題を提起し、政治の舞台に載せたわけである。 日本のメディアで報じられた「問題発言」のほとんどが、この類の話であり、それも微妙なすり替えがなされていたものが多い。例えば、「移民排斥」であるが、トランプが主張していたのは「違法移民の強制送還」であり、「合法的な移民を否定するものではない」しごく当然の話であるわけだが、これすら議論を許さなかったわけである。その上で、不当に権利が拡大されてきたのであった。そして、米国人はNOを突きつけたというわけである。これを認めることは、一部の日本のメディアにとっても非常に不都合であるのだろう。米大統領選でトランプ氏の勝利に抗議する人々 =11月10日、サンフランシスコ そして、現在、反トランプデモなどが行われており、それを必死に報じている人たちがいるようだが、それはアメリカ人の一部でしかなく、アメリカ人であるかもわからないのである。強制送還される可能性が高い不法移民がトランプ批判を繰り広げるのは当然であるとも言えるわけだ。また、民主主義にとって、主権者である国民が政治を選ぶ選挙が最も大切であり、デモや暴動により選挙が否定されることなどあってはならない。 これは日本にも言えることだ。そして、集団的自衛権反対や反安倍デモを好意的に捉えていたり、支援している人たちとトランプ批判を繰り広げている人たちがかぶると思うのは私だけではないだろう。お困りだから騒ぐのであり、騒いでいるのはお困りだからなのである。

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    トランプ勝率「2%」と読んだ米大手メディアの傲慢と怠慢

    ワシントン・ポストなどが並ぶ米国の新聞自動販売機 さて翻って、アメリカ大統領選だ。巷ではアメリカ主要メディアが何故予測を大きく外したのか、その原因を探る、と言った記事が溢れている。なにせ日本でおなじみ、クオリティペーパーのニューヨーク・タイムズは選挙終盤(10月末)にヒラリー勝利の確率は92%、ワシントン・ポストに至っては98%などと打った。そもそも選挙で「勝率」を予測する習慣は日本にはないが、どんな根拠でこの予測をたたき出したのか大いに興味がある。大方、世論調査の数字から予測したのだろうが、それだけでは正確な予測は出来ないと思うのだが。 日本の選挙情勢取材について紹介すると、小生はテレビ記者だったからテレビのケースだが(新聞も大体同じ)、まずはキー局の記者は激戦区(注目選挙区)に飛び、ローカル局の記者とペアで各候補者の選挙対策本部を取材する。そして各候補者の市区町村別の予想得票数を予測し、本社に持ち帰って過去のデータと突っつき合わせ、コンピューターで最終当確を判定するのである。いわゆる「判定会議」は投開票日の3日前くらいまで数回開かれ、確度を高めていく。 テレビ局の選挙特番は大体夜8時開始だが、その瞬間に各局当確人数と顔ぶれが出るのはそうした取材の裏打ちがあってのことだ。その後開票が進むにしたがって、出口調査の結果も加味し、激戦区の投票状況を見極めながら、他局に先駆けて一秒でも早く当確を打つことを至上命題とするのだ。米主要メディアだって一ローカルペーパー 業界で言う「誤打ち」、つまり当確を出したにもかかわらずその後それを取り消すことは、その局の恥となる。後々監督官庁である総務省に顛末を説明しなければならないからだ。いずれにしてもそれほど選挙取材というものは各メディア総力戦で臨むものである。 さて、米主要メディアはどこまで選挙区情勢を取材したのだろうか。そもそもニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストなどといっても東海岸の一ローカルペーパー(地方紙)に過ぎない。アメリカは広大だ。各州で圧倒的に読まれているのは地方紙だけだ。 ニューヨーク・タイムズの記者が足を使って、激戦州をくまなく取材しただろうか。マンパワーから見て不可能なのではないか。もしそうした地道な取材をしていたなら、こんな恥ずかしい予測外し=誤打ちは起こり得なかったと思うのだが。単に世論調査の数字だけから予測を行ったとしたらメディアとして怠慢としかいいようがない。 次に考えるべきは、主要メディアは最初からバイアスがかかっている、ということだ。彼らの「ヒラリー押し」は当然すぎるほど当然だ。なにせほとんどが民主党寄りなのだ。最初からヒラリーありきで紙面が構成されている。アメリカで取材しているものなら全員知っている事だが。アメリカの新聞は、選挙終盤にEndorsement(エンドースメント)といってどの候補者を支持するか、紙面で旗幟鮮明にするくらいである。 編集部内で編集長が、かつてのテレビ朝日の「椿事件」よろしく、「トランプを落とすために全力を尽くせ!」と言ったかどうかは知る由もないが、少なくともトランプを礼賛する記事を積極的に乗せなかったことは間違いない。批判記事はふんだんに載せたが。新たな報道手法を生み出すチャンス 実際、面白いくらい失言、暴言を繰り返すトランプは恰好の餌食となった感がある。新聞しかり、テレビしかり、だ。そうした米主要メディアのバイアスが予測を見誤らせたのは間違いないだろう。さすがに数字の操作はしていないと思うが、ヒラリー優勢の世論調査を最初から信じ込んでいた、もしくは優先的に紙面に載せたことはあるだろう。 「隠れトランプ支持者」がこんなに多いとは思わなかった、という言い訳も聞こえてくる。英語では Silent/Closet/Hidden/Shy Trump Voters とかいうそうだが、公に口に出さずともトランプに託した人がこれだけいたという事実は厳然としてそこに存在している。 既存のワシントンD.C.の政治家の腐敗に対する不信と怒り、中産階級の間に溜まったオバマ政権の経済政策に対する不満を何故すくい取ることが出来なかったのか。エリート記者たちの「思い込み」や「驕り」がジャーナリストとしての眼を曇らせたのではないか。最初から結論ありきで最後まで世論を正しく知る努力を怠った結果が、米主要メディアの「誤打ち」につながったといえよう。 選挙後も彼らはトランプ叩きに余念がないように見える。曰く、政権移行が不調だ、うんぬんかんぬん。しかし、少なくても日本メディアはそれらをただ単に右から左に報道しているだけではなく、トランプ政権に入るであろうホワイトハウス高官候補や閣僚候補をいち早く取材し、日米同盟がより強固になるための提言などを報道することが求めれている。 最後に米主要メディアに言いたい。これだけ技術が進歩している今、ビッグデータをAI(人工知能)で処理することで、はるかに精度が高い予測を行うことが可能になっているはずだ。それはより正確な選挙予測に繋がる。今回の「誤打ち」問題は、新たな報道手法を生み出すチャンスでもあろう。そして、それは日本の既存メディアにも言えることだ。それが出来ないなら、新たなウェブメディアがその役を担うべきだろう。

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    報道の敗北、トランプの勝利 「世論調査」はなぜ外れた

    ・トランプ氏(共和党)が「逆転」勝利を収めた。事前に州毎の選挙人獲得予想を明らかにしたアメリカの主要メディアは10社以上あったが、その殆どがヒラリー氏勝利を予想していた。接戦を予想していた社でもヒラリー氏が10人前後リード、離れていた社では100人近い選挙人数の差を予想する社すらあった。2回連続「ほぼ完全的中」のネイト・シルバー氏が大敗北 中でも目を引いたのは、過去の大統領選で驚異的な的中率が注目されてきた「ファイブサーティエイト」のネイト・シルバー氏の予想だ。 ネイト・シルバー氏は、現職のオバマ大統領がミット・ロムニー候補(共和党)に勝利した2012年の前回大統領選で、全選挙区の勝者を的中させた。その前の、オバマ氏とジョン・マケイン候補(共和党)が争った2008年大統領選でも、1州を除き勝者を的中させたことで注目を浴びた。その後彼が開設したWebメディア「ファイブサーティエイト」の名前は、まさにその大統領選の選挙人の総数「538人」に因んだものだ。 そのファイブサーティエイトの最終の予測では、70人近い差でヒラリー氏が勝利するとしていた。そして、同サイトが開票前最後に公開した「ヒラリー氏が勝利する確率」は実に71.4%に達した。対するトランプ氏はわずか28.6%だった。 シルバー氏の予想手法の基本は、過去の世論調査のデータとその正確性の差異から情勢を確率論的に分析するものだ。それが今回大きく外れる結果となった背景には、後述する元の調査データの「不正確さ」に加え、それに影響された個別の州での情勢の読み誤りの積み重ねがあると見られる。 アメリカの大統領選挙は、全国世論調査では数ポイント差の僅差でも、(一部の州を除き)州毎に1票でも上回った候補がその州の選挙人を総取りする方式(winner takes all)だけに、州ごとのミスの蓄積が大きな誤差につながってしまう。トランプ陣営すら負けを覚悟?出口調査も外れ多く トランプ陣営すら負けを覚悟? ちなみに、今回外れたのは上記のような事前の世論調査だけではない。期日前投票や当日投票の出口調査でも、主要メディアの調査では「ヒラリー氏が大統領にふさわしい」とする回答が最多となるなど、開票状況と食い違う内容がかなり目立った。 それがために、最初の州の投票締め切り直後には、トランプ陣営の上級顧問が取材に対して「奇跡」でも起こらない限り逆転は無理、と話すなど、トランプ陣営ですら勝利は厳しいと見ていた節がある。ある全米ネットワークの選挙特番のキャスターは「(トランプ氏が)自ら不正の温床と呼んでいたシステムの上で、トランプ氏は勝利を収めつつある」との趣旨のコメントをした。 こうした現象が示す意味は「データに忠実であればあるほど、情勢を読み誤りやすかった」ということだ。シルバー氏をはじめとする専門家の予想の大半が完全に外れた背景には、いわゆる「隠れトランプ支持者」の存在が調査結果を歪ませる影響を与えた、とする分析が多い。つまり、調査会社の調査に対して「私はトランプ支持者です」と答えることを躊躇する有権者が、結果に大きな歪みを与えるほど多く存在したのではないか、とする仮説だ。トランプ氏は「ポリティカル・コレクトネス」(政治的公正さ)を無視した過激な課題提起を行い、それがためにKKKなどに代表される人種差別的主張をする勢力の支持すら得てきた。トランプ氏を支持すると名乗ることが、社会的にレイシストだと誤解されると恐れた「隠れトランプ支持」の有権者がかなりの数存在したのではないか、という見立てだ。 加えて、フロリダ州などでは、トランプ氏側のネガティブキャンペーンや投票日間際のFBIのヒラリー氏に対するメール問題捜査に関する動きの結果、本来ヒラリー氏に入ったはずの票がリバタリアン党や緑の党の独立系候補に流れ、最終的に僅差でトランプ氏が勝つ結果を産んだという指摘もある。 結果として、いわゆるポリティカル・コレクトネスを無視した候補やその支持者には、ポリティカル・コレクトネスを前提に「建前」を聞くかのような従来の世論調査が通用しない、という新たな課題を突きつけられたのかもしれない。 これは、既存の報道機関や世論調査を担う専門家にとって、非常に深刻な問題だ。リスク排除のための調査が逆にリスクにリスク排除のための調査が逆にリスクに そもそも、選挙情勢を探る世論調査とは、不透明感や不確実性を排除するために行われるものだ。つまり、その調査の結果導き出された「全うな予測」がこうも外れるということは、調査が不確実性を抑えるどころか逆に増やすことになる。不確実性即ちリスクを値踏みし、あるいは払拭するためにやっている調査が、逆に疑心暗鬼を生じパニックを誘う原因を作ったわけで、私たちを含む世論調査の担い手には重大な課題が突きつけられている。 実際、昨日までNYダウ平均株価や日経平均株価など、世界の株式市場は「ヒラリー有利」を織り込んで安定ないし上昇していたが、きょうになって「トランプ氏勝利」のリスクが一気に可視化されると瞬く間に「パニック売り」の様相となった。日本時間きょう午前中のうちに、日経平均先物は瞬く間に800円以上値下がりし、メキシコペソは米ドルに対して過去20年で最大の下落を記録した。夕刻になり、株安はアジアから欧州にも波及し「トランプ・ショック」が広がっている。 ただ、こうした世論調査をめぐる問題自体は、実は突然降って湧いた問題ではない。昨年2015年にイギリスで行われた総選挙で注目され始めた問題だ。 元々、2015年イギリス総選挙では、当時のデービッド・キャメロン保守党政権とエド・ミリバンド氏率いる野党・労働党がいずれも過半数を取れない「ハング・パーラメント」の状態になる、との見立てが世論調査機関や報道機関の「相場観」だった。ところが、蓋を開けてみるとキャメロン保守党が大勝しただけでなく、大きな躍進が「危険視」されていた極右のUKIP(英国独立党)が1議席の獲得にとどまるなど「過去70年で最悪」(ウォール・ストリート・ジャーナル紙)と評されるほどの外れ方だった。 イギリスの世論調査機関や報道機関にとってこの傷跡はまだ生々しく、今年6月のBrexit(ブレグジット:英国のEU離脱問題)を問う国民投票に際しては、各社が調査手法の課題を徹底的に洗い出し、改善を図ったとされる。しかし、それでも6月23日の投票日前日までの調査で「残留派がやや有利」とする相場観に反し、結果は「離脱多数」となった。 今回のアメリカ大統領選がBrexitと同じようにならないか、という心配はアメリカでも事前に議論されてはいたが、専門家はアメリカで長く、多く積み重ねられた世論調査の実績など様々な理由を総動員して「イギリスとは違う」とする見立てを説明する向きが目立った。今回、図らずもこの「外れ世論調査」問題がイギリス以外でも発現する問題だということを、衝撃的な結果をもって突きつけられたわけだ。 「社会調査」としての世論調査の限界をどう克服するか、これからのトランプ政権の行方と合わせて、重要な課題が浮かび上がってきた。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年11月9日分を転載)

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    トランプ負けの世論調査はなぜ外れたか―を想像する

    の流れのママにはさせないぞ」という反感が投票行動の動機となったりする。この場合「世の中の流れ」には「メディアから発表される世論調査の動向」も含まれるので、世論調査の結果そのものが反対の行動を促す原因になったりするのではないか――と想像するのである。 ひとつ私がよく知っている事象を述べるなら、ここで想像したことは決してヨソゴトではない。 国政に関する日本の世論調査を長い期間で分析すると、ここ数年は「選挙の直前に無党派層が大きく減少する」傾向が顕著に表れている。平時は「支持政党特になし」と回答している人々が、選挙が近づくと急に支持政党を分明にするように態度を変えるのである。しかもその支持成分の推移を細かく追いかけていくと、「先週は共産党支持だったが今週は自民党支持に変わったとしか考えられない」ような極端で短期的な変化が繰り返される動態が読み取れる。 私はこのように揺れ動く人々を「気まぐれ層」と名付けているが、その動きは決して無視できない。気まぐれ層は、おおむね有権者の2割程度居る。気まぐれ層の4分の1程度がなにかのきっかけで投票日に同じ傾向の投票行動をすると、その投票を受けた政党ないし有権者は勝つ。衆院選の全国の小選挙区で同じような現象が起これば「政権の交代」が起こる。これが「風が吹く」という現象である。 風が吹くときに政治の行方を左右しているのは、普段から政治に関心を持ってイデオロギーや政策の支持不支持を決めている有権者ではない。選挙直前になにかのきっかけで「気まぐれに」行動した有権者――ということになる。それでいいのか? 今年6月の英国のEU離脱の国民投票、そして11月の米大統領選挙に、このような「風が吹いた」現象があるとすれば、世論調査はあまり正しい結果をもたらさなかったのも無理もなかったのかもしれない。 ではどうすれば……。あまり嬉しい感じはないのだが、おそらく検索エンジンやSNSプラットホームのトラフィックを分析することが最もよく世論を表象するのではないかと思う。平時における政治事象への関心の高さ低さから、選挙戦の支持の趨勢まで、よーく見渡せるビッグデータはそこにある。が、表に出てくることはないのだろうなあ――と嘆息。

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    大統領選で日本を覆いつくした米メディアのソフトパワー

    事実です。そして、大半の人がヒラリー勝利を確信していたものと思います。 実際にはヒラリー勝利は「米国メディアがそう報じたこと」以外はほとんど無根拠な予測でしかなく、トランプ氏がヒラリーを破ったことで皆が幻想を見せられていたことが分かりました。このことについて筆者は散々論じてきたので今回は割愛します。興味ある人はこちらまで。(なぜ有識者は「トランプ当選」を外し続けたのか?) 今回、筆者が伝えたいことは、巨大なメディアを有している国のソフトパワーについてです。 ソフトパワーは元々ジョセフ・ナイ(クリントン大統領時代のブレーン・知日派)によって提唱された通貨、文化、その他諸々多様な要素を含む国力の新しい概念でした。そして、この概念はグローバル社会におけるハードパワー(軍事力)に匹敵する力として様々な批判を浴びながらも定着したものになっていると思います。 今回、米国大統領選挙に関する日本の様子を見ていて、筆者が感じたことは「この国は簡単に米国のプロパガンダにやられる、ソフトパワーとしては三流国なのだ」ということです。 日本のメディアは米国の報道を垂れ流し続けて何の疑問もなく、そして国内からもほとんど報道内容がおかしいという検証もなされないわけです。ヒラリー万歳報道に散々騙された挙句、更に米国メディアの「かくれトランプ支持者」なる言い訳報道を何の検証もなく鵜呑みにしているわけです。オレオレ詐欺が無くならないわけだとしみじみします。 まさに文化的・メディア的な植民地状態を露呈した有り様であり、米国のメディアが持つ影響力は日本にとって非常に脅威だと感じました。米国エスタブリッシュメントの代弁者 さらに、単純に日本のメディアが米国メディアの丸写しであるというだけでなく、そこに登場する有識者の大半も米国エスタブリッシュメントの代弁者に善意によって自然となってしまう構造があります。ハーバード大学 それらの有識者とされる人々は官僚・学者・メディアの人間ですが、彼らは米国滞在中に大学・メディア・役人などの極めてリベラルな人たちと接触する機会を多く持つことになります。 そして、日本人は米国政治における基礎的な政治教育を受けることないので、先方のエリート大学などに留学して教育を受けてすっかりリベラルに染め上げられてしまいます。更に、ハーバードをはじめとした米国のエリート大学の中でエスタブリッシュメントとの人間関係が出来上がります。なぜ米国民の半数は屈しなかったか 彼らが米国の友人に聞いたとか、米国でヒアリングしたとか、という際に接触しているのは、リベラルなエスタブリッシュメントばかりなので情報にバイアスがかかります。 そのため、これらの人々が日本のメディアに出て解説を行うことでメディアの偏りが一層加速する形になります。これは陰謀説というよりも、人間ってそういうものだよね、っていう話だと思ってください。彼らが悪いというよりも構造上仕方がないことなのです。 こうして米国エスタブリッシュメントの無自覚な代弁者が出来上がっていくものなのです。筆者は一方に偏り過ぎた情報のみが真実として日本に入ってくることには強い疑問を感じます。 米国のように優れた大学などの教育機関を有していると、世界各国から人材を受け入れてネットワークを作ることができるという「ソフトパワー戦略の見本」を示してくれているとも言えますが…なぜ米国民の半数は屈しなかったか 私たちのような外人(日本人)がすっかりヒラリー大統領だと思い込まされていたにも関わらず、米国では何故半数の人々がヒラリーを拒絶するような不屈の精神を発揮できたのでしょうか。 それは共和党系のグラスルーツ(草の根団体)による政治教育の結果です。米国共和党系の保守派グラスルーツは長年のCNNを筆頭とした偏向報道に対して非常に深い懸念を抱いています。そのため、大手メディアは常に民主党に偏向していることを自らの支持者に伝えているため、もはや米国共和党支持者にとっては米国メディアの偏向報道は慣れっこ&スルーになっているわけです。 更に、どのテレビ番組が放映時間の何分間で偏向報道を行ったのか、を計測して発表するような非営利団体まで存在しており、大手メディアは国民側からも常に監視されています。もはや権力と化したメディアは国民に根差したグラスルーツに監視される存在になっているのです。日本もメディア報道に振り回されないリテラシーを また、共和党側からはリベラルに偏重する米国の大学への信頼も地に落ちているため、その代替機関として政府から独立した民間シンクタンクが発達しています。これらの組織は自由主義の立場(米国のリベラル=大きな政府の反対)から独自の提言・レポートを生産しており、共和党支持者はシンクタンクからの情報を信頼しています。 上記の通り、米国内ではメディア・大学・政府を牛耳るエスタブリッシュメントに対抗するソフトパワーが準備されており、 米国民はそれらの情報を摂取しているため、多少メディアが煽ったところで簡単に騙されにくい構造ができあがっています。メディア報道に振り回されないリテラシーを 日本は独自のメディア情報網が非常に脆弱であり、米国における情報収集能力でも上記の有り様という状況になっています。そのため、一朝一夕で日本独自の情報発信組織を作ることは困難です。 そこで、一般的なメディアなどに対する免疫をつけることから始めるべきでしょう。 筆者は特に今回のヒラリー勝利の誤情報を国会議員ですら信じ込んでいた人も多かったことを懸念しています。このような貧弱なソフトパワー・脆弱な国家のままでは簡単に外国にひっくり返されるのが関の山だからです。今回、ヒラリーが必ず勝つと思っていた国会議員の人たちはリテラシーが低すぎて外交に携わって頂くのが心配で仕方がありません。 そのため、初歩としては、日本国内のメディア・大学などのリベラル偏向に対する米国流のグラスルーツの対抗措置を参考にして、日本版のリテラシーを高める試みを実践していくことが望まれます。そうすることで、外国メディアに対するリテラシーを高めることは自然とできるようになってくるでしょう。 米国エスタブリッシュメントが有する圧倒的なソフトパワーを見せつけられたこと、それが今回の大統領選挙における日本人としての最大の収穫だったと感じています。(ブログ「切捨御免!ワタセユウヤの一刀両断!」より2016年11月14日分を転載)

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    「世論調査」の信頼を失墜させた米メディアのトランプ批判

    を問う国民投票(今年6月23日)の結果を凌ぐほど、サプライズな結果だった。トランプ氏の勝利を予測したメディアは少なく、大多数の欧米の主要メディアはクリントン氏の勝利を信じていた。残念ながら、当方もトランプ氏の勝利は「想定外」と受け取ってきた一人だ。トランプ氏  米大統領選後、「世論調査」一般に対する風当たりが急速に高まってきた。当然の反応だろう。「世論調査」をバッシングする前に、なぜ「世論調査」がその精確性を失っていったのかを少し考えてみた。  「世論調査」の場合、過去の選挙データ、有権者の地域、職種、年齢、所得、学歴等のデータをもとに、最近の世論の動きを予測していく。その「世論調査」は多少の誤差が生じたとしても大きな間違いはない、と受け取られてきた。  「世論調査」は社会の動向を知るうえで不可欠な手段と受け取られ、メディア機関も率先して独自の「世論調査」を実施して、世間のトレンドをいち早く分析し、報道してきた。文字通り、「世論調査」は黄金時代を迎えていた。それが英国のEU離脱を問う「世論調査」ごろから風向きが変わり、米大統領選の結果は「世論調査」への死刑宣告が下されたような状況に陥っているのだ。  「世論調査」の方法は本来、科学的だ。決してサイコロを転がして予測するわけではない。統計学上の知識と社会学的分析を駆使し、社会の動向を解明していく。そのプロセスに大きな問題はないはずだ。  しかし、最新の動向を分析しようとすれば、過去のデータのほか、直接情報を収集しなければならない。過去のビック・データではもはや社会の変化を正確には予測できなくなってきたからだ。そこに落とし穴が控えているわけだ。  時代は迅速に変化する。短期間に情報を入手し、それを解析しなければならない。どうしてもミスが出やすい。ゴミ・データの処置も必要だ。しかし、それらのミスは努力すればクリアできる課題だ。問題は、その新しい情報を提供する側に見られ出したことだ。今後は性悪説に基づく「世論調査」が必要? 「世論調査」は、人間は正直に答えるという「性善説」に基づいている。その情報提供者が何らかの理由から恣意的にうそ情報を語るケースは考えていない。うそ情報に対する「世論調査」側の対応は十分ではないのだ。もちろん、標本調査による誤差(標本誤差)を計算に入れるが、うそ情報による誤差が大きくなれば、その「世論調査」の信頼性は土台から大きく揺れる。 考えてみてほしい。「世論調査」(標本調査)で人が皆うそを答えた場合、「世論調査」はその瞬間、存続できない。「人が皆、正直に答えた」という前提がなくして「世論調査」は成り立たないからだ。換言すれば、「世論調査」は過去のデータを分析、それに基づく予測は可能だが、新しい変化、動向を予測することは難しくなる。そして多くの人が「世論調査」に期待しているのは本来、後者だ。 今回の米大統領選では「隠れトランプ票」といわれる支持者がいた。世間から激しいバッシングを受けるトランプ氏を支持すると答えられない有権者が多数存在していたという。悪評価の高いトランプ氏を支持すると表立っていえば、自身が誤解される恐れがあるからだ。一種の自己防衛だ。 その責任はトランプ氏だけではなく、同氏をバッシングしたメディア側にもあることは明らかだ。メディアが特定人物、候補者を支援する一方、その対抗者、候補者を容赦なく批判する。だから、「隠れトランプ票」のような現象が出てくるわけだ。それは同時に、「世論調査」の精確性、信頼性を傷つける。トランプ氏優勢の速報に沸く支持者 特定な候補者を支援するあまり、どうしてもデータを正しく解説できなくなる。中立性、客観性に問題が生じる。ましてや、メディアが誘導質問し、恣意的に操作した場合、世論調査は元共産政権下の旧ソ連・東欧の国家官製メディアになってしまう。「世論調査」の客体選択で無作為抽出ではなく、有意抽出の場合、その危険性はもちろん拡大する。   残念ながら、情報時代の今日、正直に答える代わりににうそ情報を提供し、自身のプライバシーを守ろうとする人が増えてきている。皮肉なことだが、情報社会が過度に発展すれば、情報を隠蔽しようとする動きが同時に高まってくるのだ。「世論調査」は冬の時代を迎えてきた。人はうそをつく存在だ。これからは人間性悪説に基く「世論調査」を開発していかなければならなくなるわけだ。《上記の内容は、当方の一方的な「世論調査」に関する悲観的な見通しを述べただけに過ぎない》(長谷川良公式ブログ 2016月11月12日分を転載)

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    トランプ大統領で合衆国「内陸」と「沿岸」の分断が進む

    【大前研一氏が米国の今後を分析】 アメリカ大統領選挙の事前予想のほとんどは、苦戦はしても結局、ヒラリー・クリントン氏が勝利するだろうというものだった。ところが、接戦をものにしたのはドナルド・トランプ氏だった。この結果によって米国で進む「分断」について、経営コンサルタントの大前研一氏が解説する。 * * * アメリカ大統領選挙で共和党のドナルド・トランプ氏が勝利し、「トランプ・ショック」が世界に走った。イギリスのEU離脱(ブレグジット)に続いてアメリカも「内向き」「保護主義」になり、「反グローバリズムに突き進む」という報道が相次いでいる。米ニューヨークで9日、大統領選で当選が決まり演説するトランプ氏(ロイター) たしかに、トランプ氏が掲げている「アメリカ第一主義」(America First=アメリカの利益最優先)は、19世紀前半のモンロー主義の時代から繰り返されてきたアメリカ孤立主義の“伝統”だ。 そしてトランプ氏は、その伝統的な白人保守層が優勢な内陸部のエリア、いわば“内陸合衆国(United States of Inland)”の支持を得て、様々な人種・民族で構成されているリベラルな東海岸と西海岸のエリア、いわば“沿岸合衆国(United States of Coastal)”を牙城とする民主党のヒラリー・クリントン氏に勝利した。 しかし、アメリカの人口動態を見れば、この先、黒人、ヒスパニック、中国系、インド系、旧ソ連・東欧系などの人口が増えて白人の人口は減る一方だから、おそらく今回の大統領選は“内陸合衆国”が“沿岸合衆国”に勝てる最後のチャンスだった。アメリカが抱えている最大の問題 この“内陸合衆国”と“沿岸合衆国”の分断こそ、今のアメリカが抱えている最大の問題である。“内陸合衆国”は、ラストベルト(Rust Belt=さびついた工業地帯/中西部から北東部にかけての製造業が廃れた地帯)をはじめとするロッキー山脈以東の南部を含む農業や重工業などの古い産業が中心の地域で、平均年収は約5万ドルだ。 一方の“沿岸合衆国”は、東海岸のボストンやニューヨークの金融業が世界をリードし、西海岸のサンフランシスコ・ベイエリアやシアトルなどにICT産業が集積しているため、平均年収は約15万ドルに達している。つまり、今回の大統領選挙は“5万ドル対15万ドル”の戦いだったとも言える。 そういう構図の中で、トランプ氏は衰退した古き良き“内陸合衆国”の現状に不平・不満を募らせて変化を求めている「中流・白人・男性」にフォーカスし、「不法移民の強制送還」「メキシコ国境に壁を建設」「イスラム教徒の入国禁止」「TPP(環太平洋経済連携協定)の破棄」といったエクスクルーシブ(exclusive=排他的)な公約を打ち出した。 本来、政治家というものは1票でも多くの票が欲しいから、多種多様な意見を取り込んでインクルーシブ(inclusive=包括的)になるものだ。ところが、トランプ氏は政治家ではないので、エクスクルーシブな主張を徹底的に展開し、その訴求力によってインクルーシブな政治家の典型であるヒラリー氏を打ち破ることができたのである。 とはいえ、総得票数ではヒラリー氏がトランプ氏を上回っていた。2000年の大統領選挙で当選した共和党のジョージ・W・ブッシュ元大統領より総得票数が多かった民主党のアル・ゴア氏の時と同じである。ということは、結局ヒラリー氏は選挙戦術を誤ったのである。

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    NHKに日本人はいるのか? 歴史を直視しない公共放送なんていらない

    小名木善行(国史研究家) NHKの戦争史観の偏向が問題になっています。NHKの持つかつての日本の戦争に関するレトリックは明快です。戦争に反対である、日本は侵略国だった、日本は悪いことをした、ということです。私も戦争には反対です。二度とあってはならないと思います。けれど戦争は相手があって起きることです。日本だけが一方的に戦争を回避しようとしても、相手が攻めてきたら戦わざるをえないのです。そうでなければもっと大きな悲劇に襲われることになるからです。東京・渋谷のNHK放送センターにあるNHKのロゴマーク 支那事変の時に「通州事件」という事件がありました。北京郊外にある通州市で、日本人居留民233名が、おそらく人類史上類例のないほどの残虐な方法で殺されました。通州は、北京郊外18キロにある、明朝時代に築かれた静かな街で、天津からの集荷の拠点として、事件直前までは日本人にとっても、中国人にとっても治安の良い街でした。そこには親日派とされる中国軍閥の冀東防共自治政府の兵たちも守備にあたっていました。この自治政府の長官の殷汝耕は日本人を妻にしていて、自治政府軍は約9000名の保安隊を組織していました。 昭和12(1937)年7月29日、通州にいた日本人380名に、いきなりこの軍が襲いかかりました。日本人は、男性が110名、残りは婦女子です。保安隊は自分たちのボスである殷汝耕を拘束し、日本人居留民への虐殺を開始しました。そして日本人223名が虐殺されました。 この事件について、東京裁判における証言があります。そのまま掲載します. ・救援のため通州に急行した、支那駐屯歩兵第二連隊長萱島高中将の供述「旭軒(飲食店)では40から17、8歳までの女7、8人が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5人は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」 ・支那駐屯歩兵第二連隊歩兵砲中隊長代理、桂鎮雄元少佐の供述 「錦水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの死体があり、全部もがいて死んだようだった」 「折り重なって死んでいたが、一名だけは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」残虐な通州事件は仕組まれた犯行 ・支那駐屯歩兵第二連隊小隊長、桜井文雄元少佐の供述 「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、一同悲憤の極みに達した。『日本人はいないか?』と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老女、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体がそこここのゴミばこの中や壕の中から続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた」 「婦人という婦人は14、5歳以上はことごとく強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部にほうきを押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した」 悪鬼も目をそむける惨たらしい所業ですが、その後の調べで、襲撃した連中は襲撃対象の日本人居宅を、あらかじめリストアップしていたことが分かっています。通州事件は、仕組まれた計画的な犯行だったのです。 通州での殺戮と略奪は、まる一日続けられましたが、ひとつだけ、涙なくしては語れない物語があります。ある人が、便槽に隠れていると、外で日本人の男性の声がしたのだそうです。その声は、日本語でこう叫んでいました。「日本人は隠れろ! 日本人は誰も出てくるな! 日本人は逃げろ〜っ!」必死の叫び声だったそうです。そして、ズドンという銃声。以降その声は聞こえなくなりました。中国兵に引きずられながら、その日本人男性は、最期の瞬間まで、自分のことではなく、ほかの日本人の心配をしていたのです。 だから「助けてくれ〜!」じゃなかったのです。「日本人は逃げろ〜!」だったのです。 このような事件が起こった場合、徹底的な報復と賠償を求めるというのが世界の常識です。4千名の居留民が襲われ、ほぼ無傷で全員が助かった義和団事件でさえ、当時の清朝政府の年間予算をはるかに上回る賠償請求がなされたのです。では当時の日本政府は、通州事件の後、いったいどのような要求をしたのでしょうか。実は事件後、日頃は仲の決して良くないといわれる陸軍省と海軍省の意見が一致し、内閣満場一致で決めた対策があります。それが「船津工作」です。戦いで屈服させる文化のない日本 日本の民間人で、中国からの信頼の厚い元外交官の実業家であり紡績業組合の理事長をしていた船津辰一郎を通じて、蒋介石側に和平を働きかけるというものでした。その内容は、それまでの中国側の言い分を、日本にとって不利益なこともふくめて全部丸呑みするから争いをやめようというものでした。そうなれば中国側には、これ以上、日本と争う理由がなくなります。あれだけひどい惨事となった通州事件についてさえ、日本はいっさいの賠償請求をしないというのです。日本は平和のために、そこまで譲歩したのです。蒋介石(左) 日本と中国国民党は同年8月9日に上海で、船津工作に基づく現地停戦協定を結ぶことになりました。そして、いよいよその協定締結のその日の朝、上海で起こったのが、大山中尉虐殺事件です。この事件は海軍上海陸戦隊の大山勇夫中尉が車で走行中に、中国の保安隊に包囲され、機関銃で撃たれて殺されたものですが、実はそれだけではなく、射殺後、中尉を車外に引きずり出して、頭部を青竜刀でまっ二つに割るという猟奇性も帯びていました。この緊急事態発生によって、当日予定されていた日本と国民党との和平会談はご破算になります。 事件はそれだけにとどまりませんでした。その一週間後には、日本への帰国避難のために上海に集結していた約3万の武器を持たない日本人民間人に、中国側は5万の精鋭兵をさしむけてこれを包囲全滅させようとしたのです。このときの日本側の守備隊は、海軍陸戦隊のわずか2200名です。 話し合っても解決しない。でも戦争はしたくない。ではどうしたら良いのでしょうか。おそらく日本人は、誰も答えられません。なぜなら日本には、そもそも戦って相手を屈服させ服従させるという文化がないからです。 身近な例で説明してみます。仮に家の車庫の前に、お隣の旦那さんが勝手にクルマを停めてしまったとします。これではクルマを出したいのに出すことができません。そんなときみなさんなら、どうされるでしょうか。おそらくお隣さんの玄関のチャイムを鳴らして、次のように言うのではないでしょうか。「すみません。クルマを出したいので、停めてあるお車をどけていただけないでしょうか?」NHKは歴史を直視していると言えるか なんと迷惑をかけられたほうが謝り、お願いをしています。諸外国では考えられないことです。もっというなら、多くの場合、自分の家のクルマを動かす必要が出るまで、お隣さんのクルマを放置します。つまり我慢するのです。 そしてどうしようもなくなったとき(クルマを車庫から出さなくてはならなくなったとき)になると、そこではじめてお隣さんに、なんと「謝罪とお願い」に行くのです。これが日本人です。 どうして日本人はそのようなことをするのでしょうか。迷惑をかけているのは相手なのです。大きなハンマーを持ち出して、「おーい、出てこい。出てきてこのクルマをどかしなさい。 さもなくば、このハンマーでたたき壊すぞ!」ということは、まずしません。このことを、単純に図式化してみると、実におもしろい対比となります(諸外国: 問題が起きる→話し合う→戦う(争う)、日本人: 問題が起きる→我慢する→謝罪する)。 どうして日本人が、そのような行動をとるかといえば、答えは簡単です。日本人は、どこまでも「和」を大切にしようとするからです。戦えば恨みが残ります。そんな恨みをいつまでも引きずるくらいなら、最初から喧嘩や争いごとなどしないで少々のことは我慢しようと考えます。そもそも問題が起きるのは、「自分に徳がないからなのだ」と思い、それに則した行動をするのが日本人であり日本国です。このことは戦前も戦後も何も変わりません。 こうした日本人の思考や行動を、果たしてNHKの方々は理解しているのでしょうか。歴史を直視しているといえるのでしょうか。戦争が悪かった、いけないことだと繰り返すだけでなく、なぜ日本人が、本当の意味で我慢に我慢を重ねてきたことを描こうとしないのでしょうか。それはただ日本が戦争に負けたからでしょうか。そうだとするならば、それは卑怯であり卑劣です。日本は我慢しました。我慢して我慢してどこまでも我慢して、そしてどうにもならなくなったとき、日本は正々堂々と宣戦布告をし戦いを挑んだのではないでしょうか。 歴史を俯瞰すれば、日本人の「戦」は単なる殺し合いではなく、敵と味方との間に「和」を築くための大きな試練であったといえるのではないでしょうか。敵をただ殺すのではなく、敵も味方も生かそうとする、この形容しがたい精神の奥深さこそ、日本精神の神髄です。それが普通の日本人にとっては、あたりまえの思考であり行動であり、国家としての意思と行動でもあったのです。それがまるで理解できないというのなら、その人は、果たして日本人なのでしょうか。

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    長谷川豊「ブログ舌禍事件」がネットメディアを変える

    藤本貴之(東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者) フリーアナウンサー・長谷川豊氏によるブログ舌禍騒動は、期せずしてネットメディアと既存メディアの関係性の現在を考える上で、最良のケーススタディとなった。 テレビのように、一定の制約を受けている既存メディアに対して、今のところ法規制や業界内規制を持たないネットメディア(個人・法人問わず)には、高い自由度がある。また、作り手を見ても、素人と玄人の線引きも曖昧で、一定の権威と権力を持つ既存メディアが正面切って相手にはしづらい、という雰囲気もある。テレビ大阪の報道番組「ニュース リアル KANSAI」の 金曜メーンキャスターを降板した長谷川豊氏(右) そのような状況が、かつての「深夜放送のようなトンがり」を生み出す一方で、過剰な表現であっても抑止どころか、牽制もできない現状に、規制下におかれたテレビタレントや既存メディア業界が歯がゆい思いをしてきたことも事実である。 その意味では、ネットメディアでの表現が引き金となって、ネット内での批判的盛り上がりから「炎上」し、リアル社会にまで影響を及ぼし、当事者(長谷川氏)のテレビ番組レギュラーの全降板にまで至らせた今回の騒動。これには単なる「舌禍事件」では収まらない意味がある。 少なくとも、これまで野放図だと思われていたネットメディア/ネット民全体に対して、「ネットだと思って好き勝手やっていると、リアル社会でも制裁を喰らうぞ」という牽制にはなったことは間違いない。今回の騒動を契機として、ネットメディアに対する既存のメディアの接し方も変化してゆくはずだ。 この問題を通して考えさせられることは、ネットメディアの現在の立ち位置が果たしてどのようなものであるのか、ということだ。近年、ネットメディアが急激に影響力を伸ばしているとはいえ、それでもなお、既存メディアが持つ規模感や信頼性とは明確な格差がある。そこで本稿では、ネットメディアの現在の立ち位置について、既存メディアとの対比から考えてみたい。ネットメディアと既存メディアの違い ネットメディアと既存のメディアの「違い」とは何か? この問いに対する典型的な回答と言えば、「既存メディアには信頼性があるが、ネットメディアには信頼性がない」というものだろう。 何をもって「既存メディア」を定義するのか、何が「ネットメディア」なのか、については意見が分かれるところであろうが、概ね「既存」の部分にはテレビ(ラジオ)・新聞などが入るはずだ。「ネットメディア」は「ネットコンテンツだけのメディア」という言葉で言い換えることができるだろう。 しかしながら、ネットコンテンツの中には、新聞や雑誌などから同一情報を転載し、配信している場合も多いので、必ずしも「インターネットの情報サイト=ネットメディア」ではない。新聞社のポータルサイトなどは、あくまでも「既存メディアのネット活用」であって、「ネットメディア」とは言い切れないからだ。 逆に、無数に存在しているネットメディアだが、一定規模以上のPV(アクセス数)や影響力を発揮し、それなりの公益性や大衆性、影響力や商業性を持っているものは多くない。ネットメディアを標榜してはいるが、単なる個人サイトの域を出ないものが多数を占める。 一方で、個人ブログなどであっても、月間数百万PV、1000万PVを超えているようなものは、組織的なネットメディアはもとより、既存メディア以上に大きな影響力を持っている。いずれにせよ今日、その定義はもとより、ネットメディアと既存メディアの関係性やパワーバランスは曖昧だ。視聴率1%と40万PVの違い? では既存メディアとネットメディアの「違い」とは何なのだろうか?  例えば、テレビの視聴率とネットのPVを事例に考えてみよう。テレビの個人視聴率1%は約40万人(関東地区)であるとされる。「ながら視聴」や「電源つけてるだけ」の視聴率も含まれるので厳密にはもっと少ないのであろうが、ここではひとまず置いておく。 視聴率1%=40万人という人数を、ネットメディアにおける1日40万PVと置き換えて考えてみよう。1日40万PVという数値は、商業的に運用しているレベルのPV(閲覧数)としては極めて小さい。「話題の個人ブログ」や「ヒット記事1つ分」ぐらいだろう。個人ブログの月間アクセス数が1億PV(日割計算で1日330万PV以上)を超える市川海老蔵氏のようなケースは稀だが、それでも40万という数値はネットメディアの単位で考えれば大きな数字ではない。 それは無名人によるコンテンツであっても例外ではない。作為的な仕込みや扇動的なタイトル付けやネット世論が喜びそうな落としどころを戦略的に設計した記事であれば、1記事だけで1日で100万PV、200万PVを稼ぐことは珍しくはない。これは一度でも商業ネットメディアを運営してみれば誰でもわかることだ。 もちろん、ある程度のメディアの土壌や作り手のテクニックも必要ではあるが、視聴率1%を得る労力に比べれば、40万PVの獲得ははるかにその敷居は低い。 しかしながら、「放送1回=40万人」と「アクセス数1日=40万PV」と数値こそ同じでも、消費者40万人への影響力は大きく異なるので、単純な比較はできない。そもそもテレビには長い間「娯楽の王様」として君臨してきた実績があり、その信頼性や影響力はまだまだ強く、数値以上の「念力」がある。ネットメディアは「一段以上」低い? 例えば、芸能人であれば、「人気サイトで紹介」されるよりも、視聴率が低い番組でも「テレビで紹介」の方を選ぶはずだ。新聞や雑誌などであってもそれは同様だろう。 その一方で、リアルな消費行動への訴求という点では、その関係はいささか変容する。テレビと異なりネットメディアは、視聴する側がわざわざサイトを訪れる必要のある能動的なメディアである。パソコンやスマホをつけただけで「ながら視聴」はできない。少なくとも自らの意思で検索したり、選択することで初めてサイトに到達する。ようはアクセスしている人のほとんどは明確な「読む/見る意思」があるのだ。そのあたりが受動メディアであるテレビとは訴求力が大きく異なる。 単純に考えて、自らの意思で閲覧しているウェブサイトの方が、受動的に視聴する可能性が高いテレビよりも、消費への訴求力が高いと考えられる。しかも、いわゆる「ポチる」というわずか一動作で消費・購入が完了してしまうのだから、消費への手続きもダイレクトだ。 簡易な比較だけでメディア価値を考えるのは早計だ。それでもネットメディアが消費訴求力という点においては効果的で、若者たちのライフスタイルとの親和性の高さも含め、既存メディアから見ても無視できない比較対象になっていることは間違いないのだ。ネットメディアは「一段以上」低い? しかしながら、既存メディアに対してネットメディアが「一段以上」低く扱われる傾向は揺るぎない。危機意識の裏返しでもあるのだろうが、正統メディア/クオリティメディアとしての既存メディアが「石が多め」の玉石混合のネットメディアを同列には扱えない、という風潮は根強い。それは消費者の側でも同様だろう。 その理由としては、そもそもネットメディアが、インターネット以前のパソコン通信時代から存在してきたいわゆる「アングラ掲示板」などに、その起源があるということも大きい。  パソコン通信時代に醸造されたアングラ文化は、1990年代後半以降のインターネット時代に入っても継承された。「あやしいわーるど」「あめぞう」「2ちゃんねる」などの匿名(的な)掲示板群で構成されたアングラサイトが、一定の社会的影響力、いわば「ネット世論」の温床になってきた。そしてそれが、今日のネットメディアの原型にもなっている。そもそもネットメディアは出自が健全ではないのだ。 その潮流は現在でも健在だ。匿名(あるいは個人情報を表明しないアカウント)のTwitterやSNS、ブログなどよって、積極的な個人攻撃や情報拡散に勤しみ、間接的にであれリアル社会へも影響を与える「ネット世論」ないし「ネット検証」の形成を担うユーザーで溢れている。 そればかりではない。記者クラブに入れるわけでもなかった当初のネットメディアが、新聞やテレビなどの一次情報報道を受けた、二次以下のメディアにならざるを得なかったことも要因としては大きい。ようは既存メディアにとって、ネットメディアとはつい最近までミニコミでしかなかったのだ。 しかし、そのような状況や関係も、近年、急激に変化しつつある。ネットメディアが情報源となって、それを受けた新聞やテレビなどの既存メディアが二次コンテンツを制作し、発信するという現象が急増しているからだ。ネット取材を中心にして書かれたと思しき、既存メディアのニュースなどを眼にすることももはや珍しくない。「尖閣ビデオ流出事件」がもたらしたもの テレビ番組の違法コピーを含めた二番煎じ、三番煎じでしかなかったネット動画が、いつの頃からかテレビで番組の中心的なコンテンツとして紹介されたり、ネット動画を題材にして、タレントたちがトークするようなテレビ番組が存在するようになった。 信頼性の薄い「二次以下情報」でしかなかったネットメディアが一次メディア化していった鏑矢と言えば、2010年9月に発生した「尖閣ビデオ流出事件」だろう。尖閣諸島沖で2010年に起きた中国漁船衝突事件で、動画投稿サイト「YouTube」に 当時投稿された事件のビデオとみられる動画 尖閣諸島海域を侵犯した中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた様子を録画した海上保安庁の映像が、海上保安官によって動画共有サイト「YouTube」にアップロードされ、流出した事件だ。 この事件では全ての既存メディアが「二次以下メディア」であったはずの「YouTube」に掲載された「怪しげなビデオ」をそのまま情報源として、こぞって報じた。自ら動いたわけではない「YouTube」にスクープを独占された形だ。動画共有サイトが一次メディアとして顕在化した瞬間である。 その後も、2014年に起きた小保方晴子氏による「STAP細胞騒動」では、小保方氏の論文の不正や疑惑箇所をネット上で匿名ユーザーたちが解明し、エビデンスを提示するなどしてその疑惑を「確信」へと推し進めた。最終的には論文撤回や小保方氏の理研解雇、ひいては早稲田大学からの博士論文の撤回というリアル社会の権威をも動かす大きな事件となったことは記憶に新しい。 これにより、賛否両論はあるにせよ、ネット世論やネット検証が、リアル社会へも大きな影響を及ぼす存在であること、氷山の一角で騒ぎ立てる「一部の熱心なネット民(ノイジーマイノリティ)」の活動であったとしても、それが無視できない威力を持ちうることが明らかになった。(もちろん、ネット世論に過剰に反応した既存メディアが担った役割も小さくないが) そして、2015年には、「東京五輪エンブレム騒動」が発生し、ネット世論やネット検証が、オリンピックという世界最大の事業の決定をも覆すことになった。 これらの騒動はいずれも、その初動ステージがネットメディアであったという点で共通している。筆者も、「エンブレム騒動」では、デザイン/メディアの専門家として、多くのテレビや新聞といったメディアに出演し、解説・コメントなどをさせてもらったが、騒動の発端となったのも、初期のオピニオンが展開されたのも、ネットメディアであった。 その意味では、ネットメディアが今日、既存メディアを突き動かす程度に、一定の役割と価値を持ちつつあることもまた、揺るぎない事実なのである。ネットメディアは「回転すし」か? 本稿は編集部から『ネットメディアは「回転すし」なのか』をテーマとしてあたえられて書いた原稿である。よって、以上まで論点を踏まえて、このテーマについて筆者の考えを記したい。 『ネットメディアは「回転すし」なのか』とは、いうまでもなく、ネットメディアで展開されるオピニオンは「回転寿司」のような存在であり、一方で、既存のメディアは最高級寿司店「すきやばし次郎」のようなミシュランの星がついたような高級店・クオリティ店ではないのか? といった論点である。 まず、ネットメディアが「回転寿司」であることは否定できない。ただし、最近の「回転寿司」がそうであるように、一言で「回転寿司」と言っても、全て同列に扱えないぐらいクオリティや方向性に違いや差があることに注意が必要だ。「カウンターの寿司屋」と大差がないような「回転寿司」(あるいはその逆)もある。ようは一言で「回転寿司」をまとめることができないのと同じように、「ネットメディア」も一つにまとめることができない。「ネットメディア=回転寿司」だとしても、そこは必ずしも一様ではない、というわけだ。 次に、「既存メディア=ミシュラン高級店」についてだが、これは疑わしい。 我が国最高峰の寿司店である「すきやばし次郎」では、「回転寿司」で使われるような安価のネタやサービスは出さない。ここには超えがたい壁がある。「それなりに良いネタを出すカウンター店と同等の回転寿司」が存在することは事実だが、ミシュラン高級店と呼ばれるレベルのネタやサービス、技術を出す「回転寿司」は間違いなく存在しない。 おそらく、「回転寿司」程度のネタやサービスしか出せない状況であれば、「すきやばし次郎」は店を休むだろうから、過去にだって一度も出したことはないはずだ。 さて、それを踏まえて「既存メディア=ミシュラン高級店」を考えてみよう。 現在、既存メディアでは多くの場面で、ネット発の情報が利用されている。むしろ、一次情報となっている事例すら散見される。つまり、現在の既存メディアは、ネットメディアからの情報を、怪しみながらも「それなりに」利用しているのが実情だ。 つまり、現在の既存メディアは「回転寿司のネタ=ネット情報」をごく普通に利用していることになる。時にはそれを「今日のオススメ」の中に入れてさえいる。もしこれが「すきやばし次郎」なら、翌年からはミシュランガイドからは外されるだろう。 そう考えると、回転寿司(ネットメディア)のネタ(コンテンツ)を利用している寿司屋(メディア)は、絶対に「すきやばし次郎=ミシュラン高級店」ではない、ということになる。 結論から言えば、ネットメディアは「回転寿司」で既存メディアが「すきやばし次郎」という発想は、間違えている、というのが筆者の認識だ。なぜなら今日の既存メディアが決して「すきやばし次郎」になりえていないからである。 だからといってネットメディアの可能性ばかりを賛美したり、既存メディアへの脅威論に直結させる、といった短絡的な思考にも到底なれない。既存メディアは「すきやばし次郎」でこそないが、それなりに財布と相談しながら行くべき店であることは間違いないからだ。それ以上に、程度の差こそあれ、ネットメディアとその業界が抱えている課題・問題は大きい。 メディアが多様化し、ネットメディアが情報源、世論形成の一角を担うようになりつつある。しかしながら、ネットメディアが持つ課題や暗部は、その役割向上に比例して解消されているとは言い難いのも事実。一方で、「安いネタ(=ネット)」に依存したメディア作りが、既存メディアをミシュランガイド掲載から陥落させてしまうような現状も否定できない。 既存メディアとネットメディアの関係性を対比しつつ眺めてみると、その現状が日本の健全なメディアの発展・維持にとっては危機的な状況であるような気がしてならない。参考書籍:拙著「だからデザイナーは炎上する」(中公新書ラクレ)

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    ネットメディアは今も「回転ずし」なのか

    「ネットメディアはしょせん回転ずしみたいなもの」。そう思っている人も案外多いのではないだろうか。新聞や雑誌、テレビと比較すると、どうしても格下扱いされがちだが、なぜネットメディアはいまだ「すきやばし次郎」になれないのか。iRONNA編集部が自戒を込めて、あえてこのテーマをお届けする。

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    カラパゴスすぎるネットメディア「みんなそろってバカになる?」

    山田順(ジャーナリスト) ネットメディアが登場してから今日まで、さまざまなことが言われてきた。ただし、言われてきたことのほとんどはネット先進国アメリカの受け売りで、日本の現状には全く適していない。なぜなら、日本のネットメディア環境は、世界と比較するとあまりにも特殊、つまり「ガラパゴス」すぎるからだ。 今回は、主にネットのニュースメディアについて考察するが、日本は完全なガラパゴス状態にある。日本人は、ネット世界を日本語でしかサーフィンしないから気がつかないが、多くの先進国では多種多様なニュースメディアが育っていて、それなりに共存している。ところが日本では、ほぼ一つのニュースメディアしかないような状態が続いている。 ずばり言うと、「Yahoo!(ヤフー)」しかない。ネットメディアはYahoo!の1人勝ちになっている。それ以外のニュースメディアは、ほとんど存在感がないと言っていい。米カリフォルニア州の米ヤフー本社 一般的にニュースと言えば、新聞、テレビだが、「朝日」「日経」「産経」などの新聞社のオンラインサイト、「NHK」「日テレ」などのテレビ局のオンラインサイトが束になってもYahoo!にはかなわない。しかも、ネットユーザーは、この状況になんの疑問も感じていないようなのである。 いまやスマホ全盛時代だが、スマホ使用者の5割以上が、ニュースを知ろうとするときにアクセスするのはYahoo!である。つまり、日本のネットではYahoo!によってニュースが独占的に流されているのだ。 この状況は、今年の6月に公開されたロイターの「デジタル・ニュース・レポート」(2016年版)の調査にはっきりと現れている。このレポートはネットで閲覧できるので、興味のある方はぜひ見てほしい。 このレポートで、ネットユーザーが主に利用している「オンライン・ニュース・ブランド」を国別に見ると、日本では断トツでYahoo!になっている。「Yahoo」は週間利用で59%、メインソースとして利用で49%となっていて、2位の「NHKオンライン」(同16%、同5%)、3位の「日経オンライン」(同13%、同4%)を大きく引き離している。 ところが、アメリカでは、多くのニュースメディアがネットで共存しいて、抜けたメディアはない。1位は「Yahoo News」(週間利用28%、メインソースとして利用12%)だが、2位にはオンラインメディアの「ハフィントンポスト」(同25%、同6%)、3位には「FOXニュース・オンライン」(同22%、同10%)が入っていて、その差はそれほど開いていない。既存メディアの「CNN」(同21%、同6%)や「NYタイムズ」(同14%、同2%)なども健闘している。これは、アメリカだけではなく、欧州諸国もまた同じである。つまり、Yahoo!だけが突出しすぎている日本の状況は異常と言わざるをえない。エンタメ、スポーツが好きな日本人エンタメ、スポーツが好きな日本人 ネットメディアの世界では、当初から「多様性」や「双方向性」ということが価値を持つとされてきた。これまで既存メディアが独占してきた情報空間が、ネットメディアの登場で活性化するとされてきた。メディアが多様化することで、新しいニュースが発掘され、異質な意見や少数意見がいままで以上に取り上げられる。それによって、人々の選択肢が広がることがいいことだとされてきた。 しかし、なぜか日本はそうはならなかった。既存メディアのオンラインサイトは育たず、新しく登場したニュースメディアも成功した例はほとんどない。かつて市民参加型をうたった「JanJan」や「オーマイニュース」などの試みはいずれも失敗し、本格的なニュースメディアを目指した「J-CASTニュース」なども、結局、既存メディアの後追い記事しか発信できていない。 スマホ時代になるとともに登場した「グノシー」「スマートニュース」「NewsPicks」なども、いまだに単なるアグリゲーターのままで、なにか新しい価値を生み出しているだろうか? ここで、再度ロイターの「デジタル・ニュース・レポート」を見ると、日本のガラパゴスぶりがもう一つあることに気がつく。それは、ネットユーザーの嗜好が「ソフトニュース」に偏っていることだ。「どのニューストピックスにどの程度関心を寄せているか」という調査では、調査26カ国中、日本がもっとも「ハードニュース」のニーズが低い。「ハードニュース」というのは国際、政治、ビジネス・経済などで、これらはニュース報道の主力だ。ところが、日本でニーズが高いのは「ソフトニュース」のほうで、こちらは調査26カ国中最高なのである。 「ソフトニュース」というのは、エンタメ、カルチャー、スポーツなどである。つまり、ユーザーの嗜好がこうでは、ネットのニュースメディアが育たないのも無理はない。 日本でYahoo!がスタートしたのが1996年。新聞社などの既存のオフラインメディアがニュースをYahoo!に提供するようになったのは、その翌年からで、当初は単なる文字放送のような感覚で短文記事をYahoo!に売っていた。 ところが、いつの間にかYahoo!は、競合相手の「インフォシーク」「OCN」「ビッグローブ」「ニフティ」などを競り落としてしまい、早い時期から日本を代表するポータルサイトになってしまった。 こうなると、Yahoo!がニュース記事配信に関する価格支配力を持つようになる。要するに、既存メディア発のニュースは、Yahoo!に買い叩かれるようになったのである。 じつは、この状況は現在まで続いている。新聞社もテレビ局も、そして多くの雑誌、ネットに生まれた新興ニュースメディアに至るまで、Yahoo!に記事を売っているが、その価格はあまりにも安い。 新聞、テレビ、雑誌などのオフラインの既存メディアは、ここ10年ほどの間にネット進出を加速化させ、なんとかPV(ページビュー)を稼いで売り上げを上げ、独自のニュースサイトで稼ごうとしてきた。そのため、会員制定額購読モデルを取り入れ、会員数を増やそうと必死に営業してきた。しかし、いまのところ、どうやってもYahoo!を超えられない。 Yahoo!経由のトラフィックが圧倒的に多いからだ。つまり、Yahoo!依存を止めると、自社で始めたオンラインサイトというネット事業は成り立たなくなってしまうのである。 Yahoo!が1人勝ちをしているため、新興のニュースメディアも育ちようがない。とくに、独自のニュースを発信しようなどとすれば、相当な資金力、ネットワーク力が必要とされる。第一、取材して原稿を書くプロの記者がいなければできるわけがない。これができるのは、いまだに新聞、テレビ、雑誌などの既存メディアだけだ。したがって、ネットのニュースメディアは、結局はアグリゲーターとしてうまくやっていくしかない。つまり、“他人の褌”で相撲を取ってPV稼ぎに奔走する。 まず、Yahoo!を中心にしたトラフィックを最大限に呼び込むために、どうでもいいニュースにも扇情的なタイトルをつける。どこからか安く仕入れてきた記事を加工して、見映えだけをよくする。独自記事もほしいとなれば、1本2000円ぐらいで書いてくれるライターに発注する。そういう記事は、内容よりもSEO(検索エンジン最適化)にしたがって書かれる。  さらに、ネイティブ広告を積極的に進め、広告記事なのに広告クレジットを外すということまでやっている。 この世界では、ステマは日常茶飯事である。ステマにはウェブ媒体別に売り単価、転売単価があり、30媒体まとめたパッケージ料金とか、Yahoo!掲載保証料金というものまである。衰えゆく日本の情報空間衰えゆく日本の情報空間 最近のネットのニュースメディアには、タイトルは違うが内容は同じで、どこからか拾ってきた記事が溢れている。キュレーションというのは、そもそも溢れる情報のなかから、良質な情報、役に立つ情報を厳選する。そうして、それを再発信するのが「キュレーション・サイト」のはずである。 しかし、そうしたサイト自身が、いまや単なるニュースの加工をしているだけで、記事に適当な見出しと画像を付け、コメントを相互に付けさせるCGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)を用意して、体裁を整えているだけだ。 ネットの世界を支配しているのは、PVとアクセスである。ともかく大量のPVとアクセスがほしい。多ければ多いほど、広告が稼げる。たったこれだけである。 だから、ネットのニュースメディアは、アプリの開発や独自のプラットフォームづくりに励む。しかし、彼らはニュースをつくる、つまり、新しい情報、知られていない情報を発掘して世間に届けることには興味がない。まして、異質な意見や少数意見、そして多様な価値観など、どうでもいいのだ。彼らはパブリッシャーではない。Yahoo!がこの世界で勝ち抜いたように、PVとアクセスを総取りしたいだけなのである。 そもそもYahoo!は、ニュースサイトではない。日本最大のポータルサイトであって、ニュース・パブリッシャーではない。また、Yahoo!に依存しているネットメディアもほとんどがアグリゲーターで、パブリッシャーではない。つまり、いくらネットとはいえ、このなかでニュース・パブリッシャーなのは、日本の場合、既存メディア(新聞、テレビ、雑誌など)のサイトだけである。 このような状況を考えると、今後、既存のオフラインメディアが凋落していくにしたがい、日本の情報空間は衰え、ニュースの質は劣化していくのは間違いないと思える。紙からデジタルへの移行は、日本の場合、メディア全体の質の低下をもたらしたと、私は捉えている。 本来なら、ネットユーザーは、既存メディアのニュースサイトにダイレクト・エントリーしなければ、価値ある情報は得られない。しかし、ここには課金の壁がある。だから情報がタダであるポータルサイトか、適当にフィルタリングしてまとめてくれるアグリゲーターサイトに流れる。しかし、それで満足していていいのだろうか?  ネットが始まったころ、ネットは「集合知」(wisdom of crowds)によって発展していくと言われた。誰もが情報を発信し、誰もがそれにフィードバックできる世界なのだから、そうなっていく可能性はあった。しかし、実際に日本で起こってきたのは、「集合愚」(みんな揃ってバカになる)ではないのか?

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    ネットメディアは今も紙より「格下」のままなのか

    が書いたブログをRSSを使って自動転載していたために、これが大問題を引き起こしたりと、いわゆるネットメディアの杜撰さが指摘されて久しいのである。このような「ネットの体たらく」が明るみになればなるほど「紙」は相対的に価値が上がり、珍重されていくわけだが、そう手放しで紙礼賛ばかりしてはいられないのである。 書店やコンビニに行くと「えっ、なんなんだこの本は…」とギョッとするような「紙」が平然と出回っている。しかも平積みである。やたらとQ数(文字の大きさ)がでかく、天地の余白を大きくとって、少ない文字数でページを稼いでいる本。スッカスカのからっからで「本」と名乗っているのだから片腹痛い。 そればかりか内容的にもギョッとなるような本が多い。ネット番組や動画で喋ったものを纏めただけの本や、あるいは今どき並の大学一年生でも信用しないようなトンデモ・陰謀論の類が繁茂している。あろうことか、言論人を名乗っているのにも関わらず、あからさまにテープ起こしに頼った本。評論と見せかけて全部対談で埋めている本。そもそもの事実が違っている本。装丁や帯だけはやたらと気合が入っているがその主張は素人水準未満の本…。これならコミケにでている自家製本の同人誌のほうがよほど良いのではないか。「紙」がネットよりも一等格が上、と思い込んでいるばかりに、このような紙媒体の質の低下は余計に目立つのである。「ネットよりも紙」は過去のもの?「ネットより紙」は過去のもの? 出版(紙)市場がもっとも拡大した90年代中盤、一年間における書籍の刊行点数は約6万点であったが、その後、市場が縮小傾向にもかかわらず現在の書籍刊行点数はぐっと増え、年間8万点を超えるとされている。単純計算でおよそ1.3~1.4倍に増加している。一方、出版社数は同最盛期には約4500社を数えたが、現在では淘汰され約3500社程度とされる。つまり出版社1社あたりが刊行する「紙」の量が激増しているのである。書籍市場が漸減を続ける中、編集者の数が変わらないとすれば、明らかに20年前のピーク時よりも、編集者一人が担当する紙の量は多くなっている。短納期・粗製乱造が横行し、質の低下はもちろん、誤字・脱字のミスおよび事実関係の確認不徹底が頻発するのはこのような原因があろう。 このように考えると、あながちネットよりも紙のほうが一等上である、というのはすでに過去のものになりつつあるのかもしれない。すでに新聞紙面では、紙幅の都合上紙で載せられない内容をデジタル版で増補するなど、積極的なネット活用に転じている。質の低下や「事故」が相次ぐネットメディアでも、一部を除いて編集体制が確立されている媒体では、執筆者の選定の段階から慎重さを以って運用し、質低下の問題はそこまで見られない。媒体が何であれ、短納期・粗製乱造を行えば、ネットも紙も同じように腐敗・劣化が進行していくのは世の理。紙とネットどちらが上か下かという問題よりも、良質のコンテンツを世に問う矜持と体制さえととのっていれば、もはやその両者に優劣のない時代がやってきているのであろう。  とはいえ、最近のネットメディアの体たらくにはやはり辟易とする。「タレントの〇〇がテレビで××といった」「女優の〇〇がブログで▽▽と書いた」。こういう内容が平気で「ネットニュース」と呼ばれて出回っている。それは単にテレビやブログの内容をまとめたもの、あるいは「書き起こし」であって、到底ニュースとは呼ばない。一時期、覚醒剤事案で逮捕され、入院していた某有名野球選手が病院前に詰め掛けた報道陣に振る舞った弁当のオカズの内容が記事になっていて、脳が破裂しそうになった。何でもかんでもネットに文字をばら撒けば良いという風潮には反対である。そしてその風潮は、紙幅の関係で上限がある紙よりも、実質的に上限がないがゆえにどんな内容でも「ぶっ込」めるネットメディアの方がより顕著である。供給量無視で膨張するネット供給量無視で膨張するネット 大量生産・粗製乱造は必ず事故を生む。ネットの普及とスマホの皆普及によって読み手の人口は増加したが、さりとて書き手の絶対数が増加したわけではないし、技量のある書き手がどんどん輩出されているわけではない。先の大戦でベテランパイロットは常に少数であり、またそのベテランの育成には長い時間と投資が必要であった。当然これは現代でも同じだが、事ほどさように読み手の拡大と書き手の熟練は比例していない。供給量には限りがあるのであり、この供給量を無視してどこまでも拡大していこうとする膨張路線が、ときおり「炎上」といったネットメディアやネットメディアに転載されるブログの中から頻出する。 ときおり煽情的で興味をそそられるタイトルの記事があっても「続きは有料会員のみ…」などとやりだすと、途端に幻滅する。たいていの場合、この手の記事は竜頭蛇尾であり、有料会員誘導のための集客第一となり、やがて記事を書く目的がオピニオンや表現ではなく、会員獲得そのものとなって目的と手段が逆転していく。ネットメディアをカネにすることは至難の業であるが、最初っからカネありきのこうした記事群も、短納期・粗製乱造の一因であろう。なぜなら煽情的でヴィヴィットな記事を提供し続けない限り、獲得した有料会員を維持できないからだ。供給量を絞れば少しは改善されようが、なまじネットは見かけ上の供給量に上限がないからこのように血眼になる。 結句のところ、紙もネットも甲乙つけがたいが、この両者に言いたいことは次の一言である。「毎日毎日、そんなに読めないよ!」。

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    捏造・誤報をどう防ぐか 日本報道検証機構・楊井人文代表に聞く

    ジャーナルの記事以外にも、取材のないまま、海外チームの選手や監督の対談記事などをまとめた一部サッカーメディアによる「エアインタビュー」疑惑が指摘されていて、インターネット上では「エア取材」「捏造記事」との批判の声が上がっています。 なぜ、こうした記事の捏造が起こるのでしょうか。ネットメディア特有の問題があるのでしょうか。2012年からマスコミ誤報検証・報道被害救済サイトGoHoo(ゴフー)を運営している日本報道検証機構(WANJ)代表で弁護士の楊井人文さんに話を伺いました。故意の捏造は外部検証が難しい日本報道検証機構(WANJ)代表の楊井人文氏 今回、架空の取材が問題になったビジネスジャーナルの記事について、楊井さんは「言うまでもなく、あるまじきこと」。誤報については、「日々いろんな記事を出す際に、間違いをすることは、避けられないリスクがある」とした上で、故意なのか、過失なのかが、重大性の判断基準のひとつになる、とみています。 しかし、一般的に故意の場合を「捏造」ということが多いものの、「わざとやったかどうかは主観的な部分になるため、外部検証が難しい」と指摘します。記事の誤りだけでは、うっかりミスとの見分けはできず、「今回はビジネスジャーナルが架空であることをお詫びして認めているため、捏造であろうと言える」というわけです。 ただ、「今回の記事は許されない前提」で、ビジネスジャーナル側が、編集部も確認を怠った責任があることや、NHKへの取材が架空であることなど、経緯を明らかにし、「比較的丁寧なお詫び記事で説明し、厳正な処分・再発防止に取り組むことを発表した」こと、その3日後には、サイトを運営する「サイゾーの名前と代表取締役の名前を出し、担当者の減給処分を発表している」点は、事後の速やかな対応として「評価していいと思っている」と言います。2次不祥事の拡大は絶対に防ぐ なぜなら、今回の件を、起こってしまった問題「1次不祥事」に対し、ダメージを最小限にする危機管理を怠って組織ぐるみの隠蔽ととらえられてしまう「2次不祥事」という企業不祥事の観点でみると「1次不祥事をできるだけ防ぐためのチェック体制はもちろん必要だが、2次不祥事への拡大をメディアは絶対防がなくてはいけない。そうした点でビジネスジャーナルは2次不祥事への対応はできたのでは」と考えるからです。 楊井さんは、WANJで5年近く、全国紙マスメディアを対象に捏造を含む誤報について調査・検証活動してきました。その中で「まさに2次不祥事だった」というのが、朝日新聞の「慰安婦報道」「吉田調書」の対応です。「記事そのものの誤りのダメージはもちろんあるが、発覚後もむしろ正当化、矮小化させたことがメディアへの不信感を増幅させた」と振り返ります。明らかにされなかった執筆者の名前 ただ、今回のビジネスジャーナルの記事はもともと署名がなく、謝罪文の中でも執筆した記者が「外部の契約記者」としか公表されていません。「外部ライターである以上、他の媒体で活動するおそれがある。個人情報とはいえ、ケアレスミスの場合ではなく、故意の捏造をしたということなので、他でも活動できないよう情報共有すべき。もともと署名記事であれば情報共有できていた。不安が残る結果になった」。 楊井さんは、ネットメディアは「社会的信頼が確立しているわけではない」「校閲・チェック機能が大手メディアほどではなく、書いた原稿がすぐネットにアップされやすい」という問題点があるとみます。「そういう意味でも、ネットメディアは、記者個人個人の責任が重い。バイライン(署名記事)を原則という方向に持っていくべき」。記事の署名が、記者の捏造予防の一対策になるといいます。 捏造を防ぐこと以外にも、署名記事が必要と考える理由として、「ネットメディア時代ならではのニュースの読まれ方」を理由に挙げます。読者は、どこか特定のメディアのホームページを開いて記事を読むとのではなく、個々の記事にアクセスするという形態が、「ニュースの消費のされ方になってきている」からです。 「署名があるかどうか」に加え、さらに「記者が過去にどんな記事を発表してきたか、メディア側は情報提供する責任があり、読者に記事の信頼性を考える手がかりを与えることができる」と提言します。「本の奥付」のようにどれだけの実績があるのか、ネットメディアは統一的な基準をつくり、「ネットメディアを使用する時代においては、読者側も執筆者の情報に注目して読むという習慣を広げる必要があるのでは」とメディアリテラシーの側面からも呼びかけます。記者ノート、録音データで検証可能な環境を こうした執筆者の情報は、ネットメディア側も自己防衛のためになるといいます。外部フリーランスの記者が多いことから、「記者のデータバンクをつくってネットメディア業界で共有する」。また「記者側もジャーナリストの横断的で自立的な組織をつくって、個人で加盟する仕組みをつくっていってもいいのでは」と言います。メディア側は記者の資質・信頼性の評価ができ、捏造した記者は他媒体でも使われないようにすることができるとみます。日本報道検証機構(WANJ)代表の楊井人文氏 メディア側の外部記者に対する対応としては、いざ記事が問題になったときには、取材ノート、パソコンのデータ、録音データなど、判断材料の提供を求めることが出来るような契約にすることも提案します。「メディア側は取材に立ち会っているわけではない。あとできちんと検証できる環境をつくっておかなくてはならない」と話します。 楊井さんが、日本のメディアの「悪い習慣」と指摘するのが、「かぎかっこ」を使った発言の引用の仕方です。「極力、実際に発言した内容を忠実に引用」「取材プロセスの正確な再現をしなくてはいけない」と言います。例えば、記者が質問した内容を「はい」と肯定しただけでも、記事では、発言した言葉となってかぎかっこ付きで引用する手法がよくみられると指摘します。「エア取材と違って一からの捏造とは違うが、異なる引用は読者からは発言の捏造と取られても仕方がない」「意味が変わったり、ニュアンスが変わったりということが往々にある」。取材対象者とのトラブルの原因として、GoHooで取り上げている中で大きなパターンになっています。記事は「情報源の明示」を原則に また、署名と同じく記事で重視するのが「情報源の明示」です。記者には情報源の明示を条件にし、スタイルとして徹底させることを求めるべきだと言います。「記者も全知全能ではない。人の話を聞きながら書くわけだから情報源が間違っていることもある。情報源が明示されていれば、読者にこの記事は信頼できるか、疑ったほうがいいか、判断材料になる」。 しかし、日本では大手メディアでも「関係者によると」という表現が用いられやすく、「欧米では情報源を原則明示。内部告発で匿名にせざるを得ないときはその事情を明らかにしている」と指摘します。「『関係者によると』では、色を付けたり、想像や捏造が起きてしまう可能性は十分ある。書く側が記事を完成させるため、あるいはストーリーを面白く作るために、この一言が欲しい、という誘惑を防ぐためにも、情報源を明らかにする」。メディア側も、記事中の情報源のところだけでもチェックし、明確でない記事には、記者にルールとして「情報源明示」を求め、守ってもらうことを原則にするべき、と言います。訂正の履歴 「積極的に開示すべき」 楊井さんは誤ったネット記事を取り上げるニュースを配信する「アグリゲーターの対応の仕方」も課題を挙げます。「多くの外部記事が無編集で取り上げられている中、今回のビジネスジャーナルの捏造の記事を含め、誤りが多くあると思います。ただ削除だけで終わらせてしまうのはいかがなものでしょうか」。 「誤報はゼロにはできないものなので、すみっこで読者にわからないような形で訂正してすますべきではない。より正確な事実が判明すれば読者に積極的に開示すべきです」。楊井さんは「訂正を可視化する」というポリシーでGoHooの活動に取り組んでいると説明します。「大手メディアだけに限らず、ネットメディア、あるいはニュースアグリゲーターにも可視化が同じように求められることだが、まだまだできていない気がします」。 大手メディアのサイトでも、記事の書き換えや削除が行われることに疑問を呈します。訂正や削除前の記事が、既に転載されている可能性は高く、そのことがさらにメディアの信頼を損ねる結果になる、と考えるからです。「一度発表したものを事後的に消したり、訂正したり、削除するときはきちんと履歴を残す。それも原則にするべきと思います」。 例えば、ニューヨークタイムズは紙面だけでなく、ホームページ上でも訂正のページを設けています。「欧米メディアもチェック体制が厳しいといわれるが誤報は防げない」「読者に対し、誤りを包み隠さず説明するという意識を持っているかどうか」。 「読者の信頼を得るための方法はいくつもある」と楊井さんは言います。訂正の履歴を明らかにすることは、日本の読者も「ケアレスミスは起きてしまうもの」「このレベルの誤りは仕方がない」「これは許しがたい」とわかって、メディアに対する認識が変わってくる可能性を指摘します。「メディアは不完全であることを読者にもわかってもらう。わかってもらった上で、どれだけ最善を尽くしていくのか」。楊井さんは語ります。「とにかく正直になることがベストですね」。

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    「高級すし」も売れなければ意味がない ネットが紙媒体を超える日

    安倍宏行(Japan In-depth編集長) 「ネットメディアは回転ずし」とはうまいことを言ったものだ。たしかに、既存メディア(新聞・テレビ・通信社・雑誌)の記事を転載して広告費で稼ぐのがネットメディアの典型的なビジネスモデル。そのパイオニアが「Yahoo!ニュース」である。月間約150億PVを稼ぐ、化け物ニュース配信サービスだ。その「Yahoo!ニュース」に変化の兆しが見えたのは、2012年9月。「Yahoo!ニュース個人」が始まったのだ。これについては後述する。 次にネットメディアに大きな動きが出てきたのは2013年ごろ。バイラルメディアなるものが勃興してきた。もともとアメリカで生まれたもので、SNSでの爆発的な拡散を狙うために、読者の興味を引くタイトル、記事、画像、動画などを多用したメディアだ。日本では、一時期30社程サービスを開始した。しかしどれも同じようなものばかり。Buzzる(バズる:話題になる、の意)ことを目的にネット上の面白映像を探してきて掲載するメディアがほとんどであった。しかし、動画の使用許諾を得ているのか怪しいものがあったり、どのメディアも同じ映像を掲載していたりで、すぐ飽きられてしまった。こうした動画系バイラルメディアはほとんど生き残ってない。 次のネットメディア界の動きとして、2013年にサービスを開始した「ハフィントンポスト日本版」が挙げられる。朝日新聞が出資し、元朝日新聞記者だった高橋浩祐氏が初代編集長(現在はトムソン・ロイター)になった。アメリカで生まれ、世界各国で既にサービスを開始していたこのブログメディアは2015年には日本で月間1億PVを達成している。このころから同じくブログサイトのBLOGOSやアゴラなどが攻勢を強めてくる。筆者が編集長を務める解説メディア「Japan In-depth」も2013年秋に創刊している。 キュレーションアプリが本格的にサービスを開始したのも2013年。ニュースを独自のアルゴリズムでユーザーの興味の対象に沿って配信するもので、「Antenna」や「Gunosy」、「SmartNews」などがそれにあたる。スマホに特化し、テレビCMを大量に打ってアプリのダウンロードを加速させる手法が当時話題になった。有識者だけでなくユーザーの知見を生かしたコメントを前面に打ち出した経済情報ニュースキュレーションサービス、「NewsPicks」も同じく2013年に生まれている。 そして前述した日本版バイラルメディアが淘汰された後、2016年1月には満を持してバイラルメディアの元祖、「BuzzFeed」が日本に上陸した。ヤフー株式会社が出資したことでも話題となった。初代編集長は、元朝日新聞デジタル編集部の古田大輔氏。こちらは新聞社から記者を採用したり、調査報道に力を入れようとしていたり、ただ動画を垂れ流していた過去の日本版バイラルメディアとは一線を画す。 それ以外は、既存メディアのネットメディアとして気を吐く「現代ビジネス」や、産経新聞の「iRONNA」がある。又、「ライブドアニュース」、「LINE NEWS」なども人気だ。特に友人同士の情報のやり取りをメールよりLINEで行う若者は、「LINE NEWS」でニュースを知ることが多い。 一通り現時点でのネットメディアを網羅したが、ここで「回転ずし」批判に話を戻そう。何故こうした批判が出てくるかというと、多くのネットメディアが既存メディアの記事にただ乗りしている、とみられているからだ。実際は情報提供料を払っているネットメディアもあるので、すべて「ただ乗り」ではないが、一切払っていないメディアもあるのでそうした批判はある程度当たっている。  お金のかかる「オリジナル記事」はほとんど作らないで、他人が作った記事を大量に掲載しPVを稼ぐ手法、つまり廉価な商品を大量に作り客の前にぐるぐる回す商売が「回転ずし」に見えるということらしい。反対に高級な食材を惜しみなく使い、一点ものを客に出すのが既存メディアであり、その商法は銀座の高級すし店「すきやばし次郎」に例えられる。独り立ちしようと努力するネットメディア こうした批判にこたえるため、一部のネットメディアはオリジナル記事制作に動き始めている。「NewsPicks」は有料会員向けにオリジナル記事を配信しているし、「BuzzFeed Japan」もオリジナル記事に当初から力を入れている。どちらも積極的に記者を採用しており、自ら良質な記事を配信していく決意を示している。 そして筆者が最も注目しているのが、「Yahoo!ニュース」の「メディア化」の取り組みだ。従来の情報提供社からの配信から脱却し、自らが「メディア」となろうとする試みだ。情報提供社に遠慮し口が裂けても「自らメディアを目指す」などとは言わないヤフーだが、その方向性は明確だ。具体的に見てみよう。前述した通り2012年9月には、「Yahoo!ニュース個人」がスタートしている。 これはジャーナリストだけでなく、コラムニストや有識者らが実名で記事を投稿するものだ。ヤフーが自ら記者を擁しているわけではないが、その人数は数百名に達する。記事から得た収益の一部を執筆者に還元したり、「年間オーサーアワード」や「月間MVA(Most Valuable Article)」の受賞者に賞金を出したりして、良質な書き手、記事の確保に力を入れている。 また筆者は、「Yahoo!ニュース特集」に注目している。これはジャーナリストらが、ニュースを深掘りした記事を提供しているもの。10月7日時点でトップ記事は、「憲法に『家族』『緊急事態条項』追加の意図は-自民党草案を読む」(約6800字)という骨太のもの。新聞の特集記事に匹敵するクオリティだ。「Yahoo!ニュース」自らHPでこう謳っている。 『インターネットには日々、膨大な情報が飛び交います。流れるニュースの消費のサイクルが早くなり、ともすれば前後関係や背景がわかりにくく「断片的」になってしまうこともあります。「Yahoo!ニュース 特集」は、大量の情報の中で埋もれがちなイシューを独自の視点で掘り下げ、社会に横たわる課題を浮き彫りにし、良質な文化の発展を目指します』 まさしく、一個の「メディア」として独り立ちしようとしているように見えるではないか。 そして「Yahoo!ニュース」には別動隊ともいうべき解説メディアもある。「THE PAGE」がそれだ。ニュースを理解しやすくするためインフォグラフィックスや写真を多用したり、大きなニュースの動画生配信などにも力を入れる。そして資本を出している「BuzzFeed Japan」。豊富な資金力で全方位でメディア化を進めている。その先「Yahoo!ニュース」がどのような形になっているかはわからないが、少なくとも既存メディアにとって脅威になることは間違いないだろう。 「俺たちはすきやばし次郎だ」という自負を既存メディアが持つことは大切だ。しかし、「Yahoo!ニュース」や他のウェブメディアがオリジナル記事を増やす努力をしている中、既存メディアも発想を変え、どうしたら自らの記事がより多くの人に届くのか、真剣に模索しないと、高級すし屋の暖簾を下ろすことになってしまう。どんなに高級なネタでも、人の口に入らなければ意味がない。

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    Facebookの「インスタント記事」でニュースの読み方はどう変わる?

    ース時には、これまで記事の読み込みに約8秒かかっていたものが、10倍以上速くなると紹介しています。 メディア側は自社のCMSに記事を入稿し、Facebookのサーバーにアップロードします。すると、ユーザーがシェアした記事もインスタント記事の仕様で閲覧できるようになります。インスタント記事はアイキャッチの右上に稲妻マークが付いていることが特徴です。 インスタント記事には広告を掲載することができ、メディアが販売する場合は広告収入の100%がメディアに入る仕組み。広告ネットワークを利用する場合は広告収入の70%がメディアのものとなります。 インスタント記事は当初、欧米での提供が中心でした。昨年12月には韓国、インド、台湾などアジアの50以上のメディアとの提携を発表しました。このときメディア関係者のなかでは「なぜ日本でインスタント記事の導入がはじまらないのか」という声もありましたが、日本からは大手5紙など(朝日新聞社、産経デジタル、東洋経済新報社、日本経済新聞社、毎日新聞社、読売新聞社)の参加が決まりました(ネット専業メディアの名前はまだありません)。考えられるメリットとデメリット Facebookはいうまでもなく、インスタント記事の展開に注力しています。昨年10月にはiPhone版Facebookアプリ、同12月にはAndroid版Facebookアプリの利用者はインスタント記事を利用できるようになりました。いまでは世界350以上のメディアがテストプログラムに参加し、毎日100以上のメディアがインスタント記事を配信しています。 ここまでインスタント記事の概要を紹介してきました。そもそもメリット・デメリットはどういうものが考えられるでしょうか。 メリットの一つは読み込みの速さ。ネットワーク環境が整った先進国でさえ、SNSからリンク先に飛ぶ際の時間は意外と長く感じるものです。インスタント記事によって、瞬時(1秒以内)に記事が表示されることはこれまでになかった体験です。これは読者側の大きなメリットとなります。特にネットワーク環境が不十分な新興国ではより効果を実感できることでしょう。 また、ニュースや広告をよりリッチに表現できることもメリットです。メディア側は、地図や写真のパン・チルト(上下左右振り)、写真への音声埋め込み、動画や音声の自動再生など新しいニュースの閲覧体験を提供できるようになります。 特に紙を母体とするメディア企業は、ウェブ記事の表現にまでなかなか手が回っていないこともよくあります。そのメディアの弱点をFacebookの技術力で担保できるのはインスタント記事を利用するインセンティブとなりそうです。 しかしながら、メリットばかりではありません。デメリットのひとつはサイトへの訪問が減ることです。デジタルメディア分析のcomScoreやGoogle Analyticsなどでトラフィックを計測することは可能ですが、収益モデルによってはインスタント記事の利用を躊躇するメディアも出てくることでしょう。 たとえば、メーター制(月に○○本まで無料)など有料課金モデルを採用しているメディア。インスタント記事は広告を掲出できるため、広告モデルのメディアは相性がよい一方、有料メディアにとってはFacebook上で記事を閲覧されても会員が増えるわけではありません。 ただ、新聞や雑誌などの伝統メディアは新興メディアと比較して、ソーシャル時代の流通に疎かった部分があるため、ワシントン・ポストのようにすべての記事をインスタント記事で配信するといったチャレンジングな選択をするメディアも出ています。SNSで読者の行動が完結する動き 昨今、海外のメディア業界では、「分散型メディア」「分散型コンテンツ」という言葉がたびたび話題となります。自社のウェブサイトに訪問してもらうのではなく、流通を担っているSNSやメッセージアプリ内で読者の行動が完結するような動きが強まっているのです。 読者に来てもらうのではなく、読者のいるところに届けていく――。ソーシャル時代の流通にはこのような考え方が前提となっています。PCからウェブサイトに訪問すれば、ロゴやデザイン、記事の切り口など視覚的に認知できますが、スマホからの訪問ではパッケージではなく、URL単位での情報消費となるため、記事は読まれても、メディアのブランドを認知してもらうことは困難です。 この点をどのように乗り越えるのかも、インスタント記事を利用する際の大きな論点です。ブランドを訴求したいながら、インスタント記事とは距離を置き、イベントを開催したり、紙媒体を発行したり、リアルでの施策を打っていくことが重要になるでしょう。始まる“ニュース争奪戦” ここまでインスタント記事の特徴や影響を解説してきましたが、海外では昨年からプラットフォーム企業によるニュース争奪戦がはじまっています。おそらく、毎日アプリやサービスを使ってもらう口実として、ニュースは最適な素材なのでしょう。多くの人にニュースを届けたいメディアと、滞在時間を伸ばしたいプラットフォームの思惑が重なるわけです。 10~20代に人気のメッセージアプリ「Snapchat」は「Discover」というニュースコーナーを立ち上げ、Twitterはニュースタブやキュレーション機能を追加し、AppleはiOS 9から公式ニュースアプリ「News」を開始、Googleはウェブページの高速読み込みを狙いとする「Accelerated Mobile Pages(AMP)」を提供しています。 国内では唯一LINEが「LINEアカウントメディア プラットフォーム」と銘打ち、メディアにLINEの公式アカウントを用いたニュース配信機能を開放しました。ただ、日本と米国では状況が異なります。それはプラットフォーム企業の数です。日本ではプレイヤーの数が限られるため、インスタント記事をはじめとするプラットフォームへの依存度が高まる 可能性があります。 そうなってしまうと、ウェブサイトよりもプラットフォーム内での閲覧が多くなり、プラットフォーム側の規約・仕様(変更)の影響を強く受けることになるでしょう。最悪のケースを想定すれば、将来的にプラットフォーム企業が倒産した場合、流通をどこに担ってもらうのか。その自体の深刻さは想像するまでもありません。それでも、スマホがあるかぎりはプラットフォーム全盛の時代は続くと思われるため、メリットにせよデメリットにせよ、まずは国内メディアのインスタント記事の配信を見てからの判断となりそうです。さとう・けいいち 編集者。1990年生まれ。新潟県佐渡島出身。出版社でWebメディアの編集をしながら、海外メディアの最新動向を伝えるブログ「メディアの輪郭」を運営中。

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    「週刊文春エース記者」が語るスクープの裏側

    ていませんでした」  そこで聞き込んだ加害者の横顔を記事にした。それが本村さんの琴線に触れ、どこのメディアもまだできなかった単独インタビューに成功するきっかけになったという。本村さんのご両親も見つけた作業もすごい。 「僕は葬儀では花輪をよく見ます。亡くなられた本村さんの奥様とお子さんのお葬式の写真に1枚だけそれが写っているのがあって、誰から送られてきたものかルーペで名前を確認したら、本村姓のものがあった。親族に違いないと思って、電話帳でしらみつぶしで探しました。本村姓のお宅に電話を掛けて、違っていたら定規で線を引いてその名前を消す。そうやって一軒ずつ潰していって、隣の県で見つけました」  本では駅のホームで起きた殺人事件の目撃者を探すため、始発から終電まで改札に張り込んで利用客に尋ねていくエピソードも紹介されている。その駅で見つからなければ隣の駅へ。早朝から深夜まで毎日地道に聞き込んで、ひとりの目撃者を見つけたのである。  中村氏は「スクープを取るのに特別なことはなく、普通のことしかしていない」というが、その普通が尋常ではない。「週刊誌にいると苛酷な人間関係にさらされる」 ──私はスクープを取るのは一種の才能だと思っています。自分にはその才能がありませんでした。中村さんはスクープを取る能力についてどう思いますか。 「性格、パーソナリティーという部分が大きいかもしれません。よく、『人当たりが良くて誰からも好かれるタイプで云々』とスクープを取る記者像が語られますが、そんなことはありません。いろんなタイプのスクープが取れる記者がいると思います」 ──中村さんはどんなタイプですか。 「僕はものすごく人の話を聞きますね。役に立つ立たない関係なく聞きます。他の記者から『よくあんな役に立たない話を聞いていられるな』と呆れられるぐらい聞きます。我々の仕事って、人様の話が先にあって成立するじゃないですか? 凶悪犯であっても普通の市民であっても、僕は真摯に耳を傾けたいというのが信条でもあります。そういう人への共感力というのが強いのかもしれません」 ──また情報源、いわゆる「ネタ元」という存在もあります。私もかつてネタ元と考える人と付き合うようなことをしていましたが、どうも功利的な人間関係に疲れてしまいました。中村さんはどうですか。 「よく若い記者からも『ネタ元はどうやって見つけるんですか』と聞かれるんですが、基本は身の回りの人を大切にすることからですよ。僕も損得関係から人付き合いしたことがありますけれど、やはり長く続きません」 ──でもそれだと結局「好き嫌い」で人と付き合っていることになり、交友関係が狭くなりませんか。 「あ、僕は人の好き嫌いってそんなにないんですよ。どの人も等距離というか。そこは変わっているのかもしれません」 ──夜に人と飲むのは欠かさず? 「文春時代は毎晩でしたね。僕はお酒飲めないんですが、ウーロン茶片手に毎晩ずっと酒席にいました」 ──人の付き合い方で励行していることはありますか。たとえばよく聞く、掲載誌を送るときに直筆の手紙を添えるとか。 「むかしそういうのやってましたけれど、長続きしなかったですねえ(笑)そこまで筆まめじゃないというか(笑)」 ──ですよね? ああ良かった(笑) 「でも週刊誌にいると苛酷な人間関係にさらされるんです。飛鳥涼のシャブのときも、親しいと思っている人から『あいつは暴力団からカネ貰っている』とかデマを流されました。付き合うと危険と思われて、電話しても出てくれないとか、ネタ元が一切いなくなる。孤独感に苛まれるところがあります」 ──その中で仕事の情熱を支えていたのはなんですか。 「僕が文春に来たのは30歳で遅いスタートなんです。結婚して子どもも生まれたのに、人脈もなにもない。人と同じことしていてはいけないと思って、がむしゃらに取材してきただけですよ。娘からは『パパはお酒も飲まないしギャンブルもしないし、なにが面白いの?』って聞かれるんですが、ほんとそうですよ。仕事が面白いといえればいいんですが、なかなかそうもいかないですよね(笑)」 ──なにが楽しみなんですか(笑) 「海外旅行と動物見ることですかねえ。家で鳥飼ってますし、猫カフェもいきます(笑)」  現在取り組んでいるのは人物評伝。「著名人ではなく無名な人。無名だけど面白い人を世の中に届ける本が書きたい」。スクープ記者が発掘する無名伝だ。面白くないはずがない。 〈なかむら・りゅうたろう〉1964年生まれ。大学卒業後、会社員を経て95年から週刊文春編集部で勤務。数々のスクープをものにし、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」を最多の3度受賞する。本書は初の単行本。現在は雑誌だけでなく新聞テレビラジオでも活躍している。 【関連記事】 愛人報道の文春砲も不発 紀香と愛之助は意外とお似合い? 不倫騒動で仕事激減とにかく明るい安村 このまま消えるのか マナー悪い「名古屋走り」でも恐怖の荒技「右折フェイント」 ママ友の車に轢かれた子供の悲しい事故 どう防いでいくべきか 女子大生風俗嬢を生み出す「奨学金制度」の弊害

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    「賛否」を見出しに入れたネットニュースが多すぎないか

    という言葉にはある。それは「これは皆が気にしているんだよ」という記号として、機能しているのだ。 マスメディア研究で「議題設定(agenda setting)」という機能がある。つまり、世の中の人が「これが重要だ」と思うのは、マスメディアによって影響されるという話だ。ネットの時代になっても数をとろうとすれば、「これが重要だ」ということをアピールすればいい。 そして、賛否がわかれることに自分の意見を言えることが賢い、と錯覚しちゃう人がいれば、まだこういう見出しは続くのかもしれない。でも、それの行く末が「熊切あさ美」であれば、あまり賢そうだとは思えない。それにしても、そうやって話題つくって煽ることやってたらマスメディアと同じだし、ネットメディアならではの価値はどうなるんだ?とかいうことは、多分考えられていないんだろう。 そこで「賛否」が問われた形跡は、見当たらないんだけど。でも、そのうち出るかしら。「ニュース見出しの『賛否』に賛否」とか。(公式ブログ 2015年7月14日分を転載)

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    朝日記者の「押し紙」内部告発 公取委に怯える新聞社

     新聞界が大揺れだ。かねて指摘される新聞社の「押し紙」問題が再燃し、重大な局面を迎えているのだ。 日本記者クラブで行われた杉本和行・公正取引委員会委員長の講演会(今年2月)でのこと。質疑応答の最後に手を挙げたのは、朝日新聞のO記者だった。O記者は「(朝日では)25%から30%くらいが押し紙になっている。どこの販売店主も何とかしてほしいのだけれど、新聞社がやってくれない。(中略)押し紙の問題については委員長、どのようにお考えになっていますか?」と質問した。 「押し紙」とは、新聞社が発行部数を水増しするため、販売店に注文以上の部数を押しつけたり、注文させたりする行為のこと。独占禁止法で禁じられているうえ、部数水増しは広告主に対する詐欺行為にあたるとして問題視されてきた。記者が自社の不正を暴露するなど、前代未聞だ。O記者の質問に杉本委員長は、「実態がはっきりすれば、必要な措置をとる」と返答した。 O記者の“公開内部告発”からひと月半後の3月末。公取委は朝日新聞に、販売店との取引に関して口頭注意を行ったという。元全国紙記者で『小説 新聞社販売局』(講談社刊)の著者・幸田泉氏が解説する。 「公取委が新聞業界のタブーである『押し紙』問題に切り込んだことで、新聞社は販売政策の根本的な見直しを迫られるはず。朝日以外の全国の新聞社にとっても重大な出来事と言えます」 O記者の言う通りなら、朝日の公称660万部のうち、200万部が実際には配られていないことになる。公取委は本誌取材に「注意をしたのは事実だが、その内容については個別の案件には答えられない」と回答した。 一方の朝日新聞は、本誌の取材に対し、押し紙の存在を否定したうえで、販売店からの注文部数を減らしたいとの申し出に対応した同社社員の言動が「営業活動としてはやや行き過ぎた」ことを公取委から指摘され注意を受けたことを認めた。 「今回指摘のケースは押し紙にあたらないと考えておりますが、注意については真摯に受け止めております」(同社広報部) 近年はネットニュースの台頭などにより新聞の購読契約数が漸減。「押し紙」に苦しむ販売店からのSOSは裁判所や公取委への告発という形で発信されてきた。 「中でも朝日新聞は、ここ10年の部数凋落が激しく、『慰安婦誤報』問題など一昨年に相次いだ不祥事が追い打ちをかけた。販売所の苦境が臨界点に達したために、公取委も販売店の声を無視できなくなったのでしょう。O記者の行動は、新聞社の歪んだ販売方針に対する強い問題意識からであるのは間違いない」(幸田氏) O記者の発言内容についてあらためて朝日新聞にコメントを求めると、「ご指摘の記者が発言したとされる内容は、弊社の見解とはまったく異なります」との回答があった。幸田氏はいう。 「朝日が販売店への姿勢を改めないのであれば、さらなる指導、処分などが下る可能性もあります。またこの問題は朝日だけでなく、ほぼすべての全国紙、地方紙が抱える問題です」 朝日記者の“告発”に端を発する公取委の動きに、新聞界全体が戦々恐々としている。※SAPIO2016年9月号■ 朝日新聞 「押し紙」問題で公取委からイエローカード■ 「朝日読まない」と公言した安倍首相 最近は記者に電話で感想■ 朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「中・韓の応援」■ 朝日記者が中国外相会見で「釣魚島」と発言 見識疑うと識者

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    まさに中国の言いなり!左傾マスコミはなぜ「虐殺」を創るのか

    別冊正論26号「『南京』斬り」(日工ムック) より柿谷勲夫(軍事評論家・元防衛大学校教授) 朝日新聞は、「虐殺証言、若者に届いたか」との記事を平成10年8月13日付夕刊で掲載した。前夜に二十代の青年たちが、東京・原宿で戦争で被害を受けたとされる「中国人の証言集会」(参加者十人足らず)を主催、昭和17年5月27日、日本軍によって虐殺されたと主張する、中国河北省・北疃村(朝日新聞、岩波は「疃」、その他は「担」と表現)の李慶祥氏(71)の体験談を紹介していた。 朝日新聞は、日本軍の攻撃を『北瞳村大虐殺』と呼称、中国側の調査では約1400人が殺された、と述べていた。「北疃村大虐殺」とは、耳慣れない用語で、今回朝日新聞が新たに創り出したものである。状況によっては、いわゆる「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」と同様、一人歩きし、今後に禍根を残すことになり兼ねない。また、それが朝日の狙いでもあろう。 北疃村に対する歩兵第百六十三連隊の攻撃については朝日新聞だけではなく、毎日新聞、NHK、岩波書店の月刊誌「世界」も報道している。 いずれも中国側の発表、中国人の発言だけを伝達、公刊されているわが国の防衛庁防衛研修所戦史室編纂の『戦史叢書』(いわゆる公刊戦史)や『歩兵第百六十三聯隊史』を無視している。この行為は、偏った報道によって、視聴者、読者に著しい誤解を与えるものである。毎日新聞の場合 平成8年5月11日付毎日新聞は、「中国人500人 毒ガス戦 賠償要求へ」との見出しで、概要次のように記述している。 ―中国河北省北担村の農民、李化民さん(73)ら約500人が、今月末をめどに、日本政府に10億円を超える損害賠償と謝罪を求める要求書を北京の日本大使館に出す。 中国側の記録によると、日本軍(第110師団百63連隊)は1942年5月27日、北京の西南約250キロにある八路軍拠点の同村を襲った。村民や八路軍部隊の一部が避難した地下道の入口をあちこちに見つけ、毒ガスのあか筒(くしゃみ・おう吐剤)、みどり筒(催涙剤)を大量に投げ込んだ。苦しくて地上にはい出したところを老若男女の別なく殺した。村民の3分の1に当たる約一千人が犠牲になった。八路軍兵士の犠牲は数十人だった― 李さんは、ジャーナリスト、新井利男氏に「私は村を留守にしていて難を免れたが、父、妻、弟妹ら12人の家族が殺された。村の家はすべて焼かれ、乳飲み子は火の中に投げ込まれた。毒ガス戦という国際法違反に時効はないことを知り、半世紀余り積もり積もったおん念を日本政府にぶつけることにした」。 この事件では、指揮した大隊長が当時書いた記録に「毒ガス投入」の事項があり、日中双方の記録が一致する。NHKの場合NHKの場合 NHKは平成8年9月22日、NHKスペシャル「『化学兵器をどう処理するのか』―迫られる日本の選択―」を放映、概要次のように述べている。 一、上坂勝供述と赤筒―中国河北省北担村です。この村で旧日本軍は、大規模に化学兵器を使用しました。北担村では地下道に逃げ込み抵抗していた中国側の兵士と住民合わせて800人以上が犠牲になりました。当時の地下道の跡には犠牲者の遺骨が収められていました。 化学兵器を携え北担村の戦闘を行った歩兵第百六十三連隊です。作戦を指揮した上坂連隊長は軍事裁判で、赤筒と呼ばれる化学兵器を使用したと供述しています。 赤筒とは吐き気や呼吸困難を引き起こすガスを発生させる化学兵器です。毒性は低いものの密閉された状態で使うと死に至ることもあります―(下線筆者)。 二、李徳祥氏の証言―毒ガス弾はこれくらいの大きさで、灰色の懐中電灯のような形でした。長さはこれくらいで赤い線がついていました。ガスを吸った途端に息ができなくなり、苦しくて喘ぎ始めます。そうして鼻から血がでてくると、もう助かりません―朝日新聞は〝新たな虐殺〟を検証なしに報じることで「日本軍の残虐行為」はまた一つ既成事実化していった 三、旧日本軍の資料―化学兵器は1935年ごろから、対ソビエト戦に備えて、旧満州に持ち込まれました。そして、1940年には一年間で化学砲弾10万発を持ち込んでいます。その中には当時国際法で使用が禁止されていた化学砲弾も含まれていました。そのため旧日本軍は証拠を隠滅しながら密かに化学兵器を使っていたのです―(下線筆者)。岩波「世界」の場合岩波「世界」の場合 新井利男氏が平成10年4月、中国による、いわゆる「中国の日本人戦犯裁判」(昭和31年)で、有罪判決を受けた45人が書いたとされる供述書のコピーを発表した。 この中から師団長など5人の将官の供述書とされるものが月刊誌「世界」5月号に掲載された。その中でNHKスペシャルにも登場した上坂勝少将の「供述書」、李徳祥氏の証言が載っている。一、上坂供述書(関係箇所抜粋) ―(1)第一大隊方面 第一大隊は五月二十七日早朝定県を出発し、侵略前進中、同地東南方約二十二粁(キロ)の地点に於て八路軍と遭遇しました。大隊は直ちに主力を展開して之を包囲攻撃し、八路軍戦士に対し殲滅的打撃を与へたのみならず、多数の平和住民をも殺害いたしました。 大隊は此の戦闘に於て赤筒及緑筒の毒瓦斯(ガス)を使用し、機関銃の掃射と相俟(あいま)って八路軍戦士のみならず、逃げ迷ふ住民をも射殺しました。又部落内を「掃蕩(そうとう)」し多数の住民が遁入(とんにゆう)せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ、或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました。 私は此の戦闘に於て第一大隊をして八路軍戦士及住民を殺害すること約八百人に上り、又多数の兵器や物資を掠奪させました。以上は第一大隊長大江少佐の報告に依るものであります。 (2)聯隊主力方面(略) (3)結果 此の侵略作戦に於て聯隊が中国人民に与へた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、焼失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)、其の他中国人民約二四〇名を框舎(きようしや)構築(八個)のため酷使しました(約十日間)―(ふりがなは筆者)二、李徳祥氏の証言「証言―毒ガスと三光作戦」とのタイトルで、新井氏が聞き手となって、NHKスペシャルに登場した李徳祥氏が証言している。抜粋すれば次のとおりである。 ―四二年五月二七日の早朝五時頃、北疃村(南を南疃、北を北疃と分けているが、両方合わせて北疃村と呼ぶ)は完全包囲されました。…私たち民兵隊は急いで子ども、女性、老人たちを誘導して地道に避難させました。…地道口から毒ガスを投げ込んだんです。ガスが外に漏れないように蒲団でふさいだ入口もあります。私たち民兵は最後に地道に入ったので、入口に近い方にいました。 毒ガスが投げ込まれた後、村人たちは泣き叫ぶ間もなくバタバタ倒れていきました。私は急に目が痛くなり涙と鼻水がしきりなしに流れ、ノドが乾き、吐き気をもよおし、息がつまり、意識が薄れてふらふらになりました。よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かっていきました。 入口にたどり着きほっとして上を見ると、そこにはたくさんの日本兵がいました。私はとっさにこう言いました。「わたし満州行って井原先生のところで働きました。大君(タイジユン)(日本軍を中国人はこう呼んだ)、助けて下さい。いたい、いたいで、みず」。私は満州で四年間、日本人の家の家事手伝いをしていたのです。「おっ、こいつ日本語を話す」と一人の日本兵が仲間に話しかけ、私にこう言ったんです。「小人、水が飲みたいか?」。私は当時一九歳、童顔でしたので子どもに見えたのでしょう。私はさらに腹を押さえて「いたい!」と顔をしかめると、三包の薬と水をくれました。私は急いで飲みました。すると間もなく、頭がすっきりしたんです。私が日本軍と関係ある者とみたんでしょう。私は何もされずに、その場にひき止められました。そのすぐあとで私はとても恐ろしい光景を目にしました。 私の後から瀕死の状態で大勢の者が這い出してきましたが、日本兵は残虐非道な方法でそれら無抵抗の者を次々と殺し、犯したのです。日本兵が若い男性を樹に縛ると軍犬を放しました。犬は狂ったように男性に飛びかかり、まずノドをかみ切り、次に腹を食いちぎって内臓を引き出しました。毎日新聞も中国側の言いなりに「日本軍の残虐行為」を報じた 日本兵に抵抗したやはり若い男性は、耳、鼻をそがれ、目玉をえぐられた後斬り殺されました。母親から赤ん坊を奪い取った日本兵が燃える家の中に放り投げました。…日本兵は捕まえた村人たちをその井戸の所に連れていき、銃剣で刺した後、けとばして突き落としました。井戸は死体でいっぱいでした。 村を占領した日本軍は、二八日の夕方引き上げるまでの二日間、大勢の女性を強姦し、ある者はその後殺しました。…この侵略によって北疃、南疃あわせて一三〇〇人ほどの人が殺されました―朝日新聞の場合朝日新聞の場合一、李徳祥氏の証言 朝日新聞(平成10年5月10日付)は、「生存者が初来日集会で惨劇証言」とのタイトルで「中国・河北省での旧日本軍による毒ガス攻撃で住民多数が虐殺された事件の生き残りの一人、李徳祥さん(75)が初来日し、9日、東京の集会で惨劇のもようを証言した」と記述、以下「世界」において新井氏に述べた内容とほぼ同じ証言を掲載している。二、李慶祥氏の証言 同8月13日付朝日新聞夕刊は、李氏の発言の概要を「一九四二年五月二十七日、抗日運動の拠点だった村が、二日間にわたって日本軍に襲われた。中国側の調査では約千四百人が殺された。地下道に逃げた人も投げ込まれた毒ガス弾にやられた。慶祥さんも兄弟姉妹四人を亡くし、家を焼かれた」と述べ、さらに、証言として「事件の後しばらくは、子を探す親、親を探す子たちの泣き声が響いた。村は死んだ。人類史上でも珍しい事件だ。今の日本人には理解出来ないかも知れないが、鉄のような(確かな)事実なのです」と記述している。歩兵第百六十三連隊の行動 冒頭で述べたように、歩兵第百六十三連隊の行動に関する資料には、公刊戦史たる『戦史叢書・北支の治安戦(2)』(朝雲新聞社、昭和46)、歩兵第百六十三聯隊史編集委員会が編集した『歩兵第百六十三聯隊史』(歩兵第百六十三聯隊史刊行委員会、昭和63)がある。一、北支の治安戦(2)『戦史叢書・北支の治安戦(2)』では、昭和17年5月27日の歩兵第百六十三連隊・第一大隊(大隊長・大江芳若少佐)の行動を以下のように記述している。 ―担任地域南部の沙河(さか)流域は従来から治安が悪く、民衆は日本軍に親しまず、大隊は再三討伐を実施したが、敵と交戦することができなかった。五月二十七日、召村南東方北担村付近に中共軍一コ営(筆者注・営は日本軍の大隊に相当)が坑道作業中との情報を得た。 大隊はその夜、各警備隊駐屯地から企図を秘匿して行動を起こし、路外機動により、払暁(ふつぎよう)までに北担村を完全包囲した。夜明けと共に戦闘が始まり、敵は猛射を加えてきたが、逐次包囲圈を圧縮して部落に突入したところ、今まで戦闘していた敵兵は忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。 時折屋根の上から手榴弾の投擲(とうてき)を受け、また数カ所で地雷の爆発があった。そこで直ちに部落外囲の坑道および部落内の坑道口を捜索し、隣村に通ずる坑道は遮断した。部落内の坑道、地下室には敵兵が充満しており、頑強に抵抗するので手間取ったが、これをことごとく殲滅し多数の鹵獲品(ろかくひん)を得た。 わが方も将校以下戦死三、戦傷五の損害を受けた。 爾来(じらい)、この地区の治安は急速に良好となり、隣接地区にも好影響を及ぼした。 成功の原因は、日本軍の精強、軍紀の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたこと、中共側の坑道戦法をあらかじめ研究し、敵の潜伏と同時に不意急襲し坑道囗を押さえたことである。二、聯隊史第一大隊定県南方北担村での殲滅戦 ―第一大隊長 大江芳若少佐五月二十七日、第一大隊の殲滅戦…従来中共軍は一応応戦するが、相手が強いと見れば遁走するのが常套戦法であるが、今度は違う。執拗に抵抗し一歩も譲らず、土壁に接近すると、銃眼と屋上陣地を巧に利用し正確な狙撃に徹し、手榴弾を投擲して一切近接を許さず、天晴(あつぱれ)、精兵振(ぶ)りを発揮した。兵力も一コ営如きではなく、相当な兵力と察せられた。 十六時頃に至るも、戦闘は進展しないまま時間は経過した。 大江大隊長は突撃を決意し、各隊は逐次包囲網を圧縮接敵(せつてき)に勉めた。大隊長は敢然と突撃を下命した。頑強に抵抗を続けた敵も遂に抵抗を断念し、我が突撃を許すに至った。 突入して見ると、今が今まで眼前の銃眼、屋上・土壁陣地より狙撃、手榴弾に依る抵抗を強行した敵は忽然(こつぜん)と消え、家屋掃蕩をはじめ扉を開けば仕掛地雷が爆発するなど実に危険な状態であったが、敵影なし。 兼ねてより北担村には地下坑道あり、隣村に通じているとの情報を得ていた。 大隊長は各隊長に命じ、隣村に通ずる坑道の探索遮断、出入口の発見を急がせた。数力所の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じない、日没も間近い止むを得ず発煙筒の投入を下命した。抑留された元日本兵の「供述書」を新井利夫氏らが集めた単行本。中共による過酷な洗脳には触れていない 敵は苦しまぎれに一人又一人、穴の中から這い上り次々と先を競って出て来た。 便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者もいた、本当の住民もいたであろう。 併(しか)し敵の幹部は坑道内に於て手榴弾で自爆し降伏する者はなかった。    坑道内の敵引出(ひきだし)をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かしたが、何事もなく朝を迎え、部落内の掃蕩を再開した―NHK、岩波、朝日報道の問題点NHK、岩波、朝日報道の問題点一、上坂供述 北疃村に対する毒ガス攻撃は、上坂勝少将(昭和17年当時歩兵第百六十三連隊長)の平成8年のNHKスペシャルにおける供述、「世界」10年5月号の供述書が根拠となっている。 新井氏が10年4月発表した供述書のコピーについては、月刊「正論」同6月号で田辺敏雄氏が「朝日・岩波が報じる『中国戦犯供述書』の信用度」とのタイトルで、信頼性への疑問など、詳述されている。 朝日新聞(同4月5日付)によれば、45人中、生存を確認できたのはわずかに4人である。 特に、供述書の骨幹をなす「世界」同5月号に掲載された将官5人全員は、すでに40―15年前(一人は中国に拘禁中)に世を去っている。本人の手によるものであるか否かの確証がなく、今となれば確証を得る手段さえない。真実か否かを確認する手段がなくなった現時点に尤(もつと)もらしく真実として「公表」する行為は、自ら贋作(がんさく)と白状しているようなものである。 百歩譲って、仮に本人の直筆であったにしても、長期にわたる抑留、拘禁、連日連夜、「思想改造教育」と称する想像に絶する地獄の責め苦の下、何十回、何百回もの書き直しを命じられ、精神に異常を来し書かされたものである。証拠とすることはできない。 上坂少将は供述書で、北疃村に対する攻撃のための前進を「侵略前進」、本論で紹介した以外の箇所で捕虜となった敵の将軍の逃亡を「逃走された」、八路軍の攻撃を「反攻されて来た八路軍」、自分の出した命令を「悪辣な命令」などと表現している。極めて不自然である。二、李徳祥証言 李氏の証言は矛盾点が少なくない。例えば、 (一)民兵だった李氏は、地道に最後に入ったと言いながら、毒ガスが投げ込まれた後、よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かった、と述べている。最後に入ったのであれば、倒れている人たちを踏みこえる必要はない。また、入口に近い人は先に入口に殺到するであろう。 (二)日本兵が赤筒、緑筒を使用したとすれば、防毒マスクをしていた筈(はず)だが、その描写がないのは不自然である。このようなことから、使用されたガスは発煙剤だったのであろう。また、子供に水を与えた優しい日本兵が、母親から赤ん坊を奪い取り燃える家の中に放り投げる筈がない。 (三)李氏が、日本語ができるだけの理由で日本軍関係者と見られ、何もされずに、虐殺、強姦場面を二日間にわたり見学できるとは思えない。むしろ日本語ができればゲリラと怪しまれるのではないか。 『聯隊史』は「坑道内の敵引出をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かした…」と述べている。『聯隊史』の記述こそ、命のやり取りをする戦場の実態である。敵の夜襲が予測される中、強姦などできるが筈ない。なお、虐殺、強姦などについて李氏は、平成8年のNHKスペシャルでは一言も触れていない。三、化学兵器とは 化学兵器とは、岩波書店発行の 『広辞苑』第一版では「毒ガス・発煙剤・焼夷剤及びこれらを使用する兵器の総称」となっている。 一方、毒ガスは、びらん剤、神経剤、窒息剤、血液剤などの有毒化学剤とくしゃみ剤、催涙剤、錯乱剤などの無傷害化学剤に分類される。防衛庁防衛研修所戦史室(現防衛省防衛研究所戦史研究センター)の『戦史叢書』は当時の記録を丹念に集めて事実に基づき、史料価値が高い 赤筒とはくしゃみ性のガス、緑筒とは催涙性のガスで、ともに、生理的効果によって、一時的に無力化するために使用するものである。 大隊が使用したガスは『聯隊史』では発煙剤、毎日新聞が記述する大隊長の記録では毒ガスと述べている。『聯隊史』は作戦に参加した戦友の殆ど全員が読む故、虚偽の記述をしたとは考え難い。大隊長が記録で毒ガスと表現したのは、発煙剤も化学兵器の範疇(はんちゆう)に入り、また、くしゃみガスなども煙を出すが故に、化学の専門家ではない歩兵が、発煙剤のことを広い意味で、毒ガスと呼んだであろうことは十分考えられる。素人が虫垂炎のことを盲腸炎と称するに似ているのではなかろうか。 NHKスペシャルでは、「赤筒とは吐き気や呼吸困難を引き起こすガスを発生させる化学兵器です。毒性は低いものの密閉された状態で使うと死に至ることもあります」(傍点筆者)と述べている。 密閉した場所で使用すれば、車の排ガス、炭火でも中毒死する。 平成9年に発効した「化学兵器禁止条約」においてさえ条約が禁じないくしゃみガスや催涙ガスは「暴動鎮圧剤」と位置付け、「戦闘の方法として使用しないことを約束する」としているが、同条約が定義する「化学兵器」ではない。 大江少佐が、地下道に逃げ込んだ兵隊(ゲリラを含む)に降伏勧告後、追い出すために、発煙剤ではなく、仮に赤筒、緑筒を使用したとしても当時違法ではなかった。四、殲滅と虐殺 日本軍の北疃村攻撃を、『戦史叢書』も『聯隊史』も「殲滅」と呼んでいる。軍事用語における殲滅は、いわゆる皆殺しではなく、大勝を意味する。戦史上有名なタンネンベルヒの殲滅戦(第一次世界大戦初頭の1914年、タンネンベルヒで独軍が露軍に大勝した戦い)でもロシア軍二十数万中、死傷は約5万、捕虜は9万余で、死傷者は4分の1である。 読者の中には、殲滅を皆殺し、虐殺と考えている人がおれば、誤解を解いておかねばならない。 大江大隊長は、坑道の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じないから、止むを得ず発煙筒の投入を下命。投入後壕から出たものは捕虜にした。壕から出ず自爆、或いは窒息しても、虐殺ではない。また『戦史叢書』や『聯隊史』で、攻撃成功の原因を、日本軍の精強、軍規の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたことにあると述べている。中国側の記録、中国におけるいわゆる「軍事裁判」での上坂少将の「供述書」、中国人の発言などのような民衆に対する虐殺を行っている筈がない。五、犠牲者、焼失家屋 犠牲者数は、毎日新聞(平成8年)の中国側の記録で約千人、10年の「世界」で李氏が新井氏に対し1300人ほど、10年8月13日付朝日新聞夕刊では「中国側の調査では約千四百人」と述べ、いわゆる「南京事件」同様、年月の経過とともに増大している。この分では21世紀中に万を超えるであろう。 毎日新聞は、中国側の記録による犠牲者は村民約千人、八路軍兵士数十人と述べている。しかし、『戦史叢書』では「中共軍一コ営」、『聯隊史』では「一コ営如きではなく、相当な兵力」と述べている。一コ営は3~500人だから、八路軍の兵力は一千人近かったと思われる。中国側記録で兵士数十人、村民約千人は、『聯隊史』に、便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者がいた、とあるように、兵士のかなりの者がシナ兵の常套手段である便衣に着替えたものと思われる。 また、李化民氏は、村の家はすべて焼かれたと述べているが、上坂供述書なるものでさえ焼失家屋約3軒となっている。『戦史叢書』『聯隊史』にも家屋焼失の記述はない。 本作戦の遂行には、家屋の焼却は不要、逆に民衆の反発を招く、無用な焼却をする筈がない。通州虐殺事件通州虐殺事件 通州虐殺事件とは、昭和12年7月29日、中国保安隊によって、幼児十数人を含む二百数十人の、わが守備隊、居留民が虐殺された事件である。 虐殺の状況について、東京朝日新聞、極東国際軍事裁判(東京裁判)における目撃者は、次のように述べている。一、東京朝日新聞 8月4日付(3日発行)夕刊は、第一面で、見出しに「恨み深し 通州暴虐の全貌」「保安隊変じて鬼畜」「罪なき同胞を虐殺」「銃声杜絶(とだ)え忽(たちま)ち掠奪」「宛(さなが)ら地獄絵巻!」「鬼畜の残虐言語に絶す」を挙げる。通州事件の現場と救援の日本軍部隊に保護された邦人ら(『支那事変聖戦写真史』忠勇社、昭和15) 本文では「あゝ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曾てこれほどの侮辱を與(あた)へられたことがあるだらうか」、「男女の区別さへ付かぬ目を蔽(おお)ふ惨憺たる有樣である、身體(しんたい)の各所を青龍刀で抉(えぐ)られ可憐な子供、幼児迄も多数純真な魂を奪はれてゐるではないか、又東門の他の池にも二十九名の惨殺死体が抛(ほう)り込まれ、これ等はいづれも縛られた儘でこゝまで連れられ嬲(なぶ)り殺しに遭ったのだ、近水(きんすい)旅館は日頃保安隊の無理を聞いてゐながら十一名の女給達が全部裏の池に投げ込まれ人情を絶した鬼の仕業だ、在留邦人中僅かに百廿一名が警備隊に収容されたのみで数百余名は虐殺されたのだ、生き残った者はいづれも銃声と共に支那人に化け女は髪を短く切り日頃親しい支那人の家にかくまはれた者ばかりで、一瞬の間に気転を利かして危機一髪を逃れた運命の導きである、併し子を呼び親を搜して街を彷徨(さまよ)ふ姿の哀れは真に言語を絶した惨状である」と述べている。二、極東国際軍事裁判 「極東国際軍事裁判速記録」第五巻で、当時の目撃者は次のように供述している(抜粋)。 (一)萓嶋高(元陸軍中将、救援のために通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長) ―旭軒とか云ふ飲食店を見ました。そこには四十から十七、八歳迄の女七、八名は皆強姦され、裸体で陰部を露出した儘(まま)、射殺されて居りました。其の中(うち)四、五名は陰部を銃剣で突刺されてゐました― (二)桂鎮雄(元陸軍少佐、第二連隊の歩兵砲中隊長代理) ―錦水楼の門に至るや…男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣の様でありました― ―私は一年前に行ったことのあるカフェーヘ行きました。…一つのボックスの中に、素っ裸の女の屍体がありました。これは縄で絞殺されてをりました。カフェーの裏に日本人の家があり、そこに二人の親子が惨殺されて居りました。子供は手の指を揃へて切断されてをりました―通州事件でシナ兵に惨殺された邦人の遺体。遠目にはわからないが、それぞれの遺体には日本人に想像できない残忍な殺害の手口が、ありのままに残されていた(支那駐屯軍北平憲兵分隊撮影) (三)桜井文雄(元陸軍少佐、第二連隊小隊長) ―東門の近くの鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せて、それに八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠繋ぎにして引廻された形跡、歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染まって居たのを目撃しました―三、「北疃村」は通州虐殺の引用 李慶祥氏は朝日新聞で「事件の後しばらくは、子を探す親、親を探す子たちの泣き声が響いた。村は死んだ。人類史上でも珍しい事件だ。今の日本人には理解出来ないかも知れないが、鉄のような(確かな)事実なのです」と述べている。 が、この表現は通州虐殺事件に関する東京朝日新聞の「子を呼び親を搜して街を彷徨ふ姿の哀れ」「あゝ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曾てこれほどの侮辱を與へられたことがあるだらうか」とほぼ同じ表現である。 また、李徳祥氏が述べた強姦、幼児虐殺、目玉の抉り取り、井戸(池)への投げ捨てなどの虐殺方法も、東京朝日新聞などが述べている通州事件におけるシナ人の虐殺行為のコピー発言である。日本人にはシナ人のような虐殺の習慣はない。 通州虐殺事件に関する東京朝日などの新聞記事、東京裁判での目撃者の証言を転用したものである。中国の意図 中国の意図        中国が、戦後50年以上も経ってから将官等の供述書と称するものを発表した理由は、供述者だけではなく、供述書に実名を挙げられている兵士のほとんどが死亡しているので、嘘八百でも、当事者から反論を受ける心配がない。戦後賠償の新たな要求材料になると目論んだからであろう。 朝日新聞(平成10年4月10日付夕刊)によれば、当時の「撫順(ぶじゅん)戦犯管理所」の管理教育科長で後に所長となった金源氏(72)=朝鮮慶尚北道出身=が、朝日新聞の質問に対し「当初は『百人程度を裁いて約七十人を死刑にする』との案を固め、当時の所長らが北京の周恩来首相に会って報告した。すると、首相は『裁判にかける人数はもっと少なく、死刑や無期(禁固)は一人も出すな。有期刑は最高でも二十年。今は納得できないかもしれないが、二十年後に分かる』と命じた」とのことである。 金源氏の言を信ずれば、周恩来は、70人くらいを殺害しても、中国は得るものが一つもない。白髪三千丈式の偽供述書を書かせた方が国益であると判断したのであろう。朝日新聞は「寛大な処分」として、偽供述書を宣伝している。「死せる周恩来、生ける日本のマスコミを走らす」である。 江沢民中国主席来日に合わせ、タイミングよく発表、わが国に精神的負い目を負わせた中国の狙いが見え見えである。 問題になっている中国系米人女性アイリス・チャン氏の南京事件に関する根拠に基づかない〝でっち上げ″著書『レイプ・オブ・南京』も、中国に、平身低頭する、わが国の政治家、国民を見て、わが国を永久に中国の精神的奴隷にすることを狙ったものであることは疑いの余地がない。東京裁判の検事役より日本の魂を 普通の国の国民は、敵国に捕虜となった自国民の供述書は、偽物もしくは脅迫、強要によるものだと一笑に付す。また、50年以上も前のことを尤(もつと)もらしく、自国の悪口を述べる外国人の証言は信用せず、逆に非難する。 ところが、日本国民から受信料を徴収しているNHK、社会の公器を豪語する朝日新聞などは、敵国だった中国の裁判記録、中国人の発言だけを、真偽を確かめず、真実として大々的に報道し、味方である防衛庁の戦史、聯隊史の内容を報道しないばかりか、その存在さえ伝えない。 特に朝日は冒頭に述べたように、『北疃村大虐殺』との新語まで創作した。反論を加えないで放置すれば、虚偽が一人歩きして真実になり兼ねない。NHKや朝日新聞などの報道は、当時の日本軍人ばかりでなく、子孫の名誉と人権を著しく奪い、日本人としての矜持が微塵も感じられず、とても同胞のものではなく、「日本人の皮を被った中国人」としか思えない。 朝日新聞は昭和12年の通州虐殺についての自紙の記事を読み直し、目を覚まし日本人の魂を取り戻すべきである。 わが国民にもいずれは愛国心が芽生え、普通の国並みに戻るであろう。朝日新聞は、その時の日本国民の評価を恐れるべきである。(月刊「正論」平成10年12月号初出)かきや・いさお 昭和13年石川県生まれ。昭和37年防衛大学校卒業(第6期)と同時に陸上自衛隊入隊。41年大阪大学大学院修士課程(精密機械学)修了。陸上幕僚監部防衛部、陸上自衛隊幹部学校戦略教官、陸上幕僚監部教育訓練部教範・教養班長、西部方面武器隊長などを経て、平成元年防衛大学校教授。国防論講座主任として国防論を指導。4年陸上自衛隊武器学校副校長。5年退官(陸将補)。退官後は軍事評論家となり、戦勝国やマスコミなどによって歪められた日本軍の実際の姿を正しく検証し、国際関係についても評論を続ける。同時に国民一人一人が国防意識を持ち、実戦する大切さを訴える。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』、近著に『自衛隊が国軍になる日―「兵役」を「神聖な任務」とし普通の国に』(いずれも展転社)。

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    蒋介石の視点から見た「南京」  浮かぶ日中のさまざまなズレ

    なったことを、その回想の中で残しているのである(朝日新聞社法廷記者団『東京裁判』昭和22)。 日本のメディアにとって、南京事件は突然出された驚愕の「真実」であった。「南京大虐殺」を昭和12年当時の「日本の新聞からうかがい知ることは、不可能に近い」ことであった。法廷記者たちは何ら自らの情報をもたないままに、次々登場する証人や証言と提出される厖大(ぼうだい)な「証拠」を前に呆然としたのである。 その内容は、新聞紙上で詳細に伝えるにはあまりにも問題があったために、裁判が他の重要案件に移ると、それに対する関心は低下し、以後「南京大虐殺」の内容に関する裁判報道はほとんど出なくなる。 なぜなら、「東京裁判」の中心審議は戦争の謀議・遂行を問われる「平和に対する罪」が中心であったからであり、「南京大虐殺」は「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」に属し、BC級裁判に委ねられるべきもので、主要罪行とはならないとされたからである。 東京裁判に関する日本の報道は、日本がおこなった戦争そのものを反映していた。現在でも大多数の日本人が先の主要戦争相手をアメリカであると認識しているように、日本人にとって、戦争の直接的体験は太平洋戦争によってもたらされ、それ以前に展開されていた日中戦争に関しては、ほとんど知識がなかったということができる。 それが、戦後も日本人の関心の低さにつながっていく。「南京大虐殺」に関する報道は昭和21年8月30日以降ほとんどなされず、一般の国民にはその「信憑性」に対する疑惑だけが根強く残った。新聞報道はそのような日本人の心情を受けて、その扱いは極めて消極的となった。この情況は基本的に今日まで引き継がれている。 日本が起こした戦争は、地域的に広大で、相手国も極めて多数であったため、複雑であり、裁判での罪状は多岐にわたった。その中、主要な戦争犯罪はアジア・太平洋戦争に関するものが多く、日中戦争は相対化されるという傾向にあった。 南京事件に関しては、虐殺された中国人は20万人以上であったことが東京裁判の判決文に刻まれたが、新聞各紙の主要判決の抜粋に「南京大虐殺」を選んだものはほとんど見られず、判決に関する論評は「平和に対する罪」と今後日本が歩むべき「平和と民主」の重要性を強調するものに特化したのであった。「外交は無形の戦争」とした蒋介石「外交は無形の戦争」とした蒋介石 平成24年に出版した拙著『蒋介石の外交戦略と日中戦争』(岩波書店)で明らかにしたように、他国からは二国間戦争、地域紛争と見られていた昭和12年7月7日からの日中戦争は「外交は無形の戦争」であり、「有形の戦争よりもその効果は上である」と主張する蒋介石の外交戦略の中で、アジア・太平洋戦争の勃発による第二次世界大戦の一部に組み込まれていった。 蒋介石は昭和16年12月8日の日本の真珠湾攻撃、それにともなう日米開戦を知ると、「抗戦四年半以来の最大の効果であり、また唯一の目的であった」と自らの日記にその逸(はや)る心情を綴った。それは、蒋が最も待ち望み、ローズヴェルト大統領に対する密着外交によって、アメリカに強く、また執拗に働きかけていたことでもあった。 蒋介石は開戦の翌9日午後5時、自ら国防最高会議常務会議を招集し、「英米諸友邦」と共に「対日宣戦」をおこなうことを即座に決定した。蒋介石はその後中国が連合国側の一員であり、日中戦争が第二次世界大戦の一部であることを各所で強調していく。激しい表情でラジオ演説する重慶時代とみられる蒋介石 外交的側面からいうと、1942(昭和17)年10月の英米との不平等条約の改正(主に治外法権)、アジア・太平洋戦争直後からの「四大国」の地位の確保は、戦争という局面がなかったら達成は困難なことであった。このように、日中戦争が二国間戦争という枠組みからはなれ、国際化したことが中国の勝利に大きく貢献したことは否めない。 しかし、このことが日中戦争の戦後処理を曖昧にするという結果を招いたこともまた事実である。 中国国民党の機関紙であった中央日報は1946年5月3日、東京裁判が始まったことを伝える報道をしているが、この時日本の戦犯がドイツの例に倣(なら)って極刑になることを望むと論評している。 また、南京大屠殺(大虐殺)の責任者を橋本欣五郎であるとの認識を示している。しかし、橋本は判決において南京事件関連は無罪となり、絞首刑を免れ、終身刑となっている。1948年11月13日付中央日報は「東京国際軍事法廷」のこのような判決結果を記事として載せているが、淡々と事実関係を報じただけで、論評や批判はおこなっていない。中華民国は東京裁判に無関心中華民国は東京裁判に無関心 また、当時の中国の東京裁判報道からわかることは、アメリカ主導の東京裁判には極めて無関心、もしくは不介入の対応をしたことである。直接の関与は南京の住人数人を証人として訪日させたことと南京地方法院の調査報告書を証拠として提出したことくらいであった。 しかも、それもアメリカからの要請によっておこなわれたことであり、自主的な関与とはいい難い。管見の限りでは、中国の新聞の「東京裁判」についての本格報道は1946年8月17日付に見られるだけである。その理由は、アメリカの強い報道管制の中で与えられた情報のみを間接的に得て伝えていたことが考えられる。 一方で、張憲文主編・胡菊蓉編の『南京大屠殺史料集24 南京審判』に見られるように、国民政府国防部による南京軍事法廷におけるBC級裁判に関する報道は開廷当初の1946年中には被告・谷寿夫の風貌や表情までも記事にするほど詳細に報道されていた。 しかし、中国共産党と国民党の内戦の激化という中国の政治情勢の激変によって、それは極めて簡単でおざなりなものとなっていったといわざるを得ない。国民政府は戦犯の追及を簡素化、釈放していくことで日本との新たな外交関係を構築しようとしたのである。 すなわち、中国においては、南京事件は日本以上に一般人民には知られていない歴史事象であった。中国共産党が1945年4月20日に採択したいわゆる「歴史決議」においても、続いておこなわれた抗日戦争の総括となる朱徳の軍事報告「解放区の戦場を論ず」(4月25日)においても、南京事件に関する内容は見ることができない。 また、国共内戦に勝利した共産党が中華人共和国を建国して23年後の1972(昭和47)年9月、田中角栄総理の訪中による日中国交正常化交渉においても、周恩来は日中戦争の最大の被害の例として「三光政策」を出したが、南京事件は問題とはならなかった。中国共産党の「歴史改竄」中国共産党の「歴史改竄」 中国共産党の機関紙である『人民日報』が初めて南京大虐殺の特集記事を出したのは、1982(昭和57)年8月2日のことであった。その原因は、日本の歴史教科書をめぐる誤報にあった。 同年6月26日付の新聞各紙は、文部省が検定で日中関係に関して「日本軍が侵略」を「進出」などと書き改めさせたと報じた。後に「誤報」と明らかになったが、6月30日付人民日報は「日本文部省が検定した教科書は歴史を歪曲し侵略を美化する」という記事を掲載した。 そして、8月2日には南京事件の特集「どうして歴史を改竄(かいざん)することができるのだろうか―日本軍の南京大虐殺実録」を組み、日本兵が中国人の生首をぶら下げているなどの写真を掲載してその惨状を報じ、日本政府が「歴史を正視」すべきであると強調した。 さらに、8月15日付では、社説で日本の教科書の「改竄」を批判し、南京ばかりでなく、日本がシンガポールやフィリピンでも「大虐殺」をおこなったと激しく非難した。そして、鄧小平は南京市郊外に「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京大虐殺記念館)」を建設することを指示した。1985年8月15日にオープンした同館の入り口には「遇難者(被害者)300000」の文字が刻まれ、現在に至っている。 これら人民日報の記事には大変大きな「歴史の改竄」がある。それは、南京事件が「中国の軍隊の激烈な抵抗」の末起きたと書いてあることである。 中国共産党は、抗日戦争を「偉大な中国の軍隊と人民の勇敢さ」と「光栄な犠牲」によって勝利を得たと語ってきた。南京事件もその物語の中に組み込もうとしているが、それはとても困難な作業である。 すなわち、南京事件が起きた12月13日の未明、南京を守っていた中国の正規軍は、蒋介石の撤退命令によって、揚子江(長江)を渡って退散し、日本軍が突入したときに残っていたのは逃げ遅れた兵士と一般市民、そして平服に着替えて市民になりすました便衣兵のみであったのである。いわば、日本軍は無血入城した訳であるが、その事実を日中両国共にいまだに正視しようとしない。日本軍の南京攻略を前に軍幹部を引き連れて早々に重慶へと退避した蒋介石(左から2人目)。南京には衛戌軍の兵隊と多くの住民が置き去りにされた また、南京事件はその後中国の歴史教科書に一節を設けて特集されるようになるが、そこには、一律南京陥落後に国民政府が首都を重慶に移したと書かれている。これは、日本のほとんどの歴史教科書もおかしている誤った認識である。 国民政府による重慶への首都移転は、南京事件の以前に実行されていた。南京はいわば「棄都」であり、南京の民は「棄民」であった。日本は、南京を首都と報道し続け、首都陥落を大々的に報じ、日本全体が祝賀ムードに酔いしれた。その時の認識が正されず、今日の歴史教科書にまで反映され続けていることには驚きを隠せない。南京撤退にのぞく蒋介石の遠望南京撤退にのぞく蒋介石の遠望 では、なぜ蒋介石は日本軍が南京を取り囲み、突入の構えをしている情況の中で、撤退命令を出したのか。その解明は、南京事件がなぜ起きたのかを考える上で、重要な意味を持つ。 1937年7月7日の盧溝橋事変勃発後、蒋介石は国内の抗日民族統一戦線結成要求の盛り上がりへ対応するために、武力行使を余儀なくされていく。しかし、同年5月にアメリカが「中立法」を拡大解釈し、正式に成立させたことへの対応に苦慮するようになる。すなわち、対日宣戦布告をすれば、アメリカからは兵器・弾薬・軍用器材などの援助はもとより、財政的な支援も望めない状況となる。 それは、日本も同じことであった。日本は、石油やくず鉄など多くの物資をアメリカからの輸入に頼っていた。この点では、日中の利害は一致していた。そのため、日中戦争は双方共に宣戦布告をしない、歪んだ戦争となったのである。 アメリカの国務長官であったハルは、8月23日公式に声明を発表し、日中双方に停戦を呼びかけ、アメリカの立場を明確にした。その後国民政府は8月30日と9月10日国際連盟に声明文を提出して、①中国は「平和を愛護する方針」には変りがないが、②事の成り行きによっては「自衛を実行せざるを得ない」として、その「苦衷」を世界に向けてアピールしていく。 これに対して国際連盟はこの声明文を加盟国全体に送り、アメリカを代表とする「中日問題諮問委員会」において日中紛争の審議を開始する(中央日報9月11日付)。 このような国際情勢の中で、日本の上海・南京・広州など主要都市に対する空爆は日増しに激しくなり、1937年9月22日の第二次国共合作成立以後中国国内の抗日の機運も高まっていく。しかし、英米はこの時期あくまでも日中双方に対して停戦と和平を勧告する姿勢を貫く。蒋介石が上海と南京の防衛戦で見せた作戦の不徹底の原因には、このような英米の姿勢に対する「苦衷」があったといえる。 この時期蒋は各所で日本に対する国際制裁の必要性を訴え、そのことが国際平和につながることを強調した。また、十月二十九日国防最高会議において、首都を四川省重慶に移転させることを決定した。蒋は、2年前から奥地建設に力を入れ、不測の事態に備えていたのである。この政策は、蒋介石の「持久戦論」実践のための戦略であったということができる。 そのため、蒋介石は11月3日ブリュッセルで開幕した「九国条約会議」の決定に強い期待をかけた。この時期、蒋介石は共産党勢力の「跋扈」を「内憂日ごとに増大する」として警戒感を強めていた。すなわち、蒋にとって英米の協力を得られないままでの対日全面抗戦は、共産党およびソ連の影響力を増大させることになるため、なんとしても避けなければならなかったのである。主要国の鈍い反応主要国の鈍い反応 しかし、蒋介石の期待に反して、九カ国条約会議は11月15日「宣言」を発表し、あくまでも「中立」の立場を堅持する姿勢をみせ、日中両国の「武装衝突」の「継続進行」は会議参加国の「生命財産」に重大な「損害」を与えているとし、「即時停戦」を合意勧告した。 このような九カ国条約会議に対し、国民政府代表として出席した顧(こ)維鈞(いきん)は、11月23日の会議での演説で強い不満と憤りを表明し、「各国が物質上の援助を中国に与え、並に兵器・弾薬および金銭的援助を日本に与えることを停止すべきこと」を要求した(新中華報11月24日付)。米スタンフォード大学フーヴァー研究所で公開されている「蒋介石日記」 それでも翌日同会議は、あくまでも「商務財政上の相互利潤の目的」から軍縮と「非武力」の原則を貫く必要を強調した上で、「無定期延会」を宣告して閉幕したのであった。日本はこのような九カ国会議の状況を具(つぶさ)に報道し、「支那事変」に対する国際制裁がおこなわれないことを、当然のことと受けとめたのである。 日本軍による南京攻略は、中国にとっては日本に対する国際制裁の可能性が望めなくなったと同時に、各国が強く和平と停戦を勧告するという状況の中でおこなわれていった。 1937年11月20日、国民政府は首都の重慶移転を公式に発表した。同日公布された「国民政府遷都宣言」には日本との戦いは「持久戦」になるため、抗戦を継続するためには「国際的同情」と「民衆の団結」が必要であることが述べられている。蒋介石にとって、「持久戦論」は長年の持論であるが、「持久戦」は国際的、特に英米による支援獲得のための闘いをも意味した。 蒋介石は九カ国条約会議が無期延期を決定して閉会した11月24日、唐生智(とうせいち)を南京衛戌(えいじゆ)(護衛)司令長官に任命し、その総指揮を任せる。28日唐は外国公館・教会・報道関係者らに「南京と存亡を共にする」覚悟を語った。そのような状況下で蒋介石は、12月7日南京を離れ廬山へと移る。日本の新聞各紙は蒋の「離京」を一斉に「都落ち」と論評して、翌8日付で大きく報じた。 12月11日、日本軍は南京城外中山陵を占領する。蒋介石は、南京撤退命令の文書を11日の午後に腹心の部下であった陳布雷(ちんふらい)と秘密裏に作成したとその日記にはある。この時蒋は南京の戦況を、雨花台(うかだい)、中山門(ちゆうざんもん)、富貴山(ふうきさん)砲台は日本軍の手に落ち、紫金山(しきんざん)はなお中国軍の手にあり、光華門、通済門(つうさいもん)は平穏であるとの報告をうけていた(「蒋介石日記」12月11日)。三年がかりの持久戦を覚悟3年がかりの持久戦を覚悟 中山門には軍官学校があり、10日日本の空爆を受け、壊滅的に破壊されている。このことが蒋介石に与えた影響は大きかった。蒋にとって、軍官学校は特別の存在であった。蒋はこの日、日本軍が疲弊し、国際干渉がおこなわれるまで「準備に3年かかり、それまで苦闘しなくてはならない」との決意を述べている。 すなわち、蒋介石は中国の最高軍事指導者として、南京完全破壊の前に撤退を決定したということができる。その理由には、①日本と南京衛戌軍との軍事力の差に対する認識②ソ連の軍事援助の拒否、そして③アメリカの中立法と不戦条約の枠組み維持という形での国際的援助が期待できない情況であったこと―が考えられる。さらに蒋は、南京で徹底抗戦をおこなえば、共産党勢力が拡大することになると怖れていた。 蒋は、日本との戦争を持久戦に持ち込めば必ずや国際世論を味方につけることができると信じていたため、最終的には勝利できると予測していた。また、ドイツの駐華大使であったトラウトマンの和平工作も秘密裏に動いていた。そのため、一時的に撤退し、南京を日本軍の手に落としても、共産主義がはびこるよりは取り戻しやすいと判断したと考えられる。 12日日本軍は中華門に進撃し、中山門から城内に攻め込む。このような状況の中で午後3時南京司令部に「命令」が下され、五時南京を護衛していた唐生智は各高級将領会議を招集し、蒋介石の撤退命令を伝える。将校たちに動揺はなく、速やかに撤退の準備に入った。 しかし、この命令は、一定の地位以上の兵士までしか伝わらなかった。逃げ遅れ、捕虜となった兵士が多かったのはそのためである。夜中の11時、南京衛戌軍は撤退を開始し、13日未明に撤退を完了する。同日日本軍は、正規軍が退散した南京を占領する。 蒋介石は南京撤退に関する宣言を無線伝達で送信したのであるが、抗日戦を継続させ、持久戦に持ち込むための撤退であることを強調している。蒋がこの時期最も望んだことは、各国の利権が絡む国際都市であった上海や南京の日本軍による占領に関して、反対する国際世論が起き、各国に自然発生的に日貨排斥運動や日本との協力関係を断絶する動きがおきてくることであった。 しかし、日本はこの時期、アメリカの方針があくまでも「支那事変」を戦争とは見なさず、「中立法」の適用をおこなわず、「不介入」政策を堅持するものと確信していたのである(東京朝日新聞12月8日付)。一人歩きする「数字」検証が重要一人歩きする「数字」検証が重要  12月15日、蒋介石は「南京退出宣言(「我軍退出南京告国民書」)」を公表する。ここで、蒋は「この度の抗戦開始から今まで、我が前線将士の死傷者はすでに三〇万人に達している」と述べている。この数字が、南京大虐殺30万人説へと一人歩きした可能性は高い。 また、アメリカのスタンフォード大学フーヴァー研究所で公開中の「蒋介石日記」を見ると、この時期蒋介石は、南京から大量に逃げてくる難民の「安置」方策を考えるようになり、特別予算の捻出等の南京陥落後の処置の仕事に追われるようになる。 この南京からの難民の数と「南京大虐殺」の被害者数の人口減少根拠説とは、慎重にすり合わせる必要がある。 蒋介石が南京の民に対する日本軍による残虐行為に言及するのは翌38年の1月22日になってからである(「蒋介石日記」)。それは、サンケイ新聞社『蒋介石秘録』の記述と符合する。『秘録』には「倭寇(わこう)(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫を繰り広げている。野獣にも似たこの暴力は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ」とある。ただ、ここには被害数などの記述は見ることはできない。台湾逃避後も専制的な政治で支配者として君臨した蒋介石。晩年も日記を付け続けた 台湾の国史館の檔案(とうあん)史料には、南京を護衛していた唐生智・羅(ら)卓英(たくえい)・劉興(りゆうこう)が1937年の12月27日になって蒋介石に提出した南京撤退に関する報告書が残されている。ここには南京のそれぞれの通用門を守っていた各部隊の「功罪と得失」が分析されている。 ここで総括された南京陥落の最大の要因は、「新しく補充した兵士」が多すぎ、上下関係、命令系統が認識されず、戦況が激烈になると敗走する兵士が多かったことにあり、前線は蒋介石の撤退命令が出るかなり前から収拾がつかない状況に陥っていたことが克明に描かれている。 このことは、日本軍が日々増えていく逃げ遅れた中国軍正規兵の「捕虜」、捕えた便衣兵などの多さに窮し、殺害へと向かった状況を裏付ける。この唐生智らの報告は、日本側の南京戦に参加した兵士たちの証言と一致する点が多いのである。いえちか・りょうこ 東京都生まれ。昭和52年慶應大学法学部卒業、平成4年同大学院法学研究科博士課程満期退学、13年「南京国民政府の研究―支配の不浸透要因の分析」で博士号取得。10年敬愛大学国際学部専任に就任、20年から現職。蒋介石の中華民国を中心とした中国近現代史が専門。蒋の末裔が保管を米スタンフォード大学に託し、順次公開された「蒋介石日記」研究の第一人者で、同日記初の本格研究書『蒋介石の外交戦略と日中戦争』(岩波書店、平成12)で第8回樫山純三賞受賞。著書はほかに『蒋介石と南京国民政府』(慶應大学出版会)、『日中関係の基礎構造』『増補版中国近現代政治史年表』(ともに晃洋書房)、共著に『改訂版 岐路に立つ日中関係』(同)、『東アジアの政治社会と国際関係』(放送大学教科書)、論文に「一九三七年十二月の蒋介石―『蒋介石日記』から読み解く南京情勢」など多数。

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    日本はこうして世界の「嫌われ者」になった

    世界記憶遺産に登録されたのか。理由は反日活動に腐心する中国や韓国のでっち上げだけではない。日本の左翼メディアも彼らのウソに乗っかって積極的に世界に発信してきたのである。日本はいかにして世界の「嫌われ者」にされたのか。その歴史をひも解く。

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    米国に飛び火した「反日」拠点 ウソで塗り固めた戦争記念館の実態

    そも中国国民党系でした。しかし、90年代に2代目社長の息子が中国共産党の上海閥の高官の娘と結婚。現地メディアは「国共聨姻」と記し、「ファン家は国民党を食い、共産党も食う」などと報じました。その“予言”どおり、アジアン・ウィーク社は地元の英字メディアを次々と買収、合併していったのです。つまり江沢民派(上海閥)との“密接すぎる関係”で大躍進していったのが、サンフランシスコの抗日戦争記念館の創始者兼館長であるファン家族なのです。 ファン女史は、2000年1月に北カリフォルニア州中国和平統一促進会をサンフランシスコで創設。その名誉会長という立場で同年8月、欧州で開催された全世界華僑華人中国平和統一促進大会に出席して、「中国と台湾、両岸の平和統一のために支えます。統一してこそ中華民族が飛躍し、21世紀を華人世紀にするという理想を実現させることができます」と発言したと、中国語メディアに記されています。戦後の勝者はコミンテルン? 杉田 国民党系から共産党系に乗り換えたのか、双方を合体させていったのか? 両岸でずっと対立していたと思われてきた2つの政党が、アメリカを舞台に90年代より共存共栄を企てていたのですね。まさに「オール・チャイナ」といえます。 河添 つまり、サンフランシスコの抗日戦争記念館は“新・国共合作”による「歴史戦の旗艦施設」という立ち位置なのかなと思います。中国人は主義・主張というより権力、すなわち利益と結託しますし、われわれが入り込めないネットワークを基軸に動いています。そもそも「誰が米中を舞台に抗日プロパガンダをやってきたのか?」といえば、そのパイオニアは宋美齢だったと私は考えています。 無能力で腐敗しきった蔣介石政権を美化し、キリスト教徒である西洋社会との共通性を強調しながら、英語力でルーズベルト大統領を説得してアメリカから多大な資金と物資を供給させる。そして、フライング・タイガーを呼び込んで日本軍と交戦させ、石油など必要物資の日本への禁輸にまで踏み切らせたのです。さらに、米ルーズベルト大統領にオネダリし、1943年11月27日、英国ウィンストン・チャーチル首相との米英中三国会談――対日方針などを決めたとされるカイロ会談に蔣介石を押し込みました。 杉田 実質的には、宋美齢とルーズベルト、チャーチル会談だったのでしょうね。宋美齢にまつわる四方山話というか初暴露は、このたびの新刊でもたっぷり披露しています。 戦後の勝者はコミンテルン?  杉田 噂にあったとおり、韓国に事務局を置く日中韓などの8カ国・地域の民間団体からなる「国際連帯委員会」が、慰安婦関連資料をユネスコへの記憶遺産に登録申請しました。中国外務省の報道官は「被害国の民間組織による共同申請を支持する」と公式に表明しています。今回の申請では、歴史問題で日本と徹底的に対抗したい中国政府が裏で大きな影響力を発揮した可能性が高いですよね。 河添 そう考えます。両国が結託する意図は、「残虐非道な日本人」を拡散し、反日組織をより拡大させ、世界へ発信していくこと。さらに賠償請求と請求金額のつり上げにあるのでしょう。そして、その先が日本の財閥系企業を破綻させるか、乗っ取ろうって流れではないでしょうか。 杉田 なにせ、今回の申請では強制連行された慰安婦の数が20万人から40万人以上に膨らんでいます。賠償請求に関して言及すれば、被害者はすでにほぼあの世ですが、遺族の数が多ければそれだけガッツリ賠償請求ができるってことですよね。なりすましは、さらに増えそうです。 河添 中華人民共和国の習政権が仕掛ける「歴史戦」の本丸は、「参加していない」サンフランシスコ講和条約の否定であり、「カイロ宣言」「ポツダム宣言」を規範とする戦後体制への転換なのです。他方、サンフランシスコ講和会議に呼ばれなかった中華民国、つまり国民党政権は、日本と1952年4月に日華平和条約を締結し、その際、賠償請求権が放棄されています。中華人民共和国も1972年に日中国交を樹立した際、賠償請求を放棄しているのですが、日華平和条約はこの時点で破棄され、無効となったと主張する中華人民共和国とそれを認めていない中華民国とのあいだで歴史のすり合わせをしなければ、どうにもなりませんけれど……。平和ボケが進行して、すでに不感症 杉田 中国共産党と中国国民党という双子の政党が国際社会で並走しながら、そうした矛盾をご都合主義的にどう修正していくのか。今後も、ずっと注視しなくてはなりません。 河添 ただ、日中戦争を戦ったのもカイロ宣言に関わったのも、中華民国であり中国国民党です。だからこそ、政党として弱体化しようが、中国共産党からすれば存在価値はまだまだあるのでしょう。ポツダム宣言には「日本国軍隊の完全な武装解除」「日本国領土の占領」などが謳われていますが、これは“日本の属国化”や“日米安保の破棄”などを虎視眈々と狙う中国政府の野望、さらにはコミンテルンの悪巧みとも合致します。ドイツ・ポツダムでの首脳会議の合間に、スターリン・ソ連首相(左)の宿舎を訪問したトルーマン米大統領=1945年7月 杉田 国連を使って、とうとう皇室典範にまで踏み込んできました。 河添 そうですね。中国政府そしてコミンテルンは、これまで皇室の解体と神社潰しを目論んできました。日本の強さの根源が、天皇陛下と皇室にあると分析しているのです。さらに、日本人の大多数が望んでいないはずの“ジェンダーフリーな社会”に向けた工作にも注力しています。日本は敗戦後、38度線で分断された北朝鮮と韓国のようにはならなかったけれど、思想の分断工作についてはかなりやられてしまった。日本国民は、サイレントマジョリティとその声を代弁する一部の保守がいて(まぁ右翼などと揶揄されますが)、それに対してマジョリティのフリをした左翼が真ん中に居座っています。 杉田 事なかれ主義と能天気さゆえに放置しつづけてきた挙げ句が、醜く肥大化してしまったような……。「平和ボケ」が進行して、すでに不感症? 河添 まったくねぇ。このたびの新刊の『「歴史戦」はオンナの闘い』は、杉田さんの大きな力が加わっていますので、国内のみならず世界でも話題になるよう頑張りたいです。 杉田 私も頑張ります! われわれ女子が、皆さんの危機感を刺激しつづけることを期待して!すぎた・みお 前衆議院議員。1967 年、兵庫県神戸市生まれ。前衆議院議員(1 期)。日本のこころを大切にする党(旧:次世代の党)所属。鳥取大学農学部を卒業後、住宅メーカー勤務を経て、兵庫県西宮市役所に勤める。2010 年に退職し、2012 年、日本維新の会から出馬し、衆議院議員初当選。従軍慰安婦問題など数々のタブーに切り込み一躍注目を浴びる。他にも子育てや歴史外交問題に積極的に取り組む。充電中の現在も、国際NGOの一員として国連の「女子差別撤廃委員会」「人権基本理事会」などで日本の真実を国際的に発信するなど、東奔西走の日々を送る。国家基本問題研究所客員研究員、チャンネル桜、チャンネルくらら、チャンネルAJERのキャスターを務める。先の著書に『なでしこ復活――女性政治家ができること』(青林堂)、『みんなで学ぼう日本の軍閥』(共著、青林堂)、『胸を張って子ども世代に引き継ぎたい:日本人が誇るべき〈日本の近現代史〉』(共著、ヒカルランド)。現在、『産経新聞Web』に「杉田水脈のなでしこレポート」を連載中。 かわそえ・けいこ ノンフィクション作家。1963 年、千葉県松戸市生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、1986 年より北京外国語学院、1987 年より遼寧師範大学(大連)へ留学。1994年に作家活動をスタート。2010年に上梓した『中国人の世界乗っ取り計画』(産経新聞出版)は、ネット書店Amazon〈中国〉〈社会学概論〉の2部門で半年以上、1位を記録するベストセラー。主な著書は『世界はこれほど日本が好き №1親日国・ポーランドが教えてくれた「美しい日本人」』(祥伝社)、『だから中国は日本の農地を買いにやって来る TPPのためのレポート』『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』(共に産経新聞出版)、『国防女子が行く』(共著、ビジネス社)など。世界の学校・教育関連の取材・著作物として図鑑(47冊)他、『エリートの条件――世界の学校・教育最新事情』(全て学研)などがある。『産経新聞』や『正論』『WiLL』『週刊文春』『新潮45』『テーミス』などで執筆。NHK、フジテレビ、テレビ朝日ほか、TVコメンテーターとしての出演も多数。ネットTV(チャンネルAJER、チャンネルくらら)にレギュラー出演中。40 カ国以上を取材。関連記事■ 中国が仕掛けるオンナの「歴史戦」に断固対抗せよ■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ 日本のメディアはまだGHQの占領下にある

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    石川の中学教諭 旧日本軍の加害性を強調する授業を実施

     18歳選挙権がスタートする一方で、特定思想を植え付ける洗脳まがいの「政治教育」に突っ走るケースが続出している。日本の教育現場を蝕む偏向教育の数々をフリーライターの森下毅氏がレポートする。* * * 主権者教育は18歳のためだけではない。小中学校の段階から中長期的に、政治的中立に留意しつつじっくりと身につけさせるべきものだ。そのため文部科学省も啓発計画を策定したが、それを逆手にとってじっくりと自虐的な考え方を刷り込む教員も少なくない。2月5日、岩手県滝沢市で開かれた日教組の第65回教育研究全国集会 先述の教研集会で報告された石川県小松市の女性中学教諭の授業はなかなか強烈だ。中学3年間を通じて沖縄戦や原爆投下などを平和学習として学ぶが、問題視すべきは2年時の授業内容。日本軍の残虐性をことさら強調し、中国共産党のプロパガンダ説も囁かれる反戦マンガ「はだしのゲン」(*)の視聴は序の口だ。【*同作の単行本全10巻のうち、特に第6巻以降で原爆投下を容認する主人公の台詞や日本軍の残虐行為を強調する描写が多く、近年、一部の図書館などで閲覧制限を実施するなど騒動となった】 計12時間にわたるワークシート学習では太平洋戦争の原因と原爆投下理由、東京大空襲と沖縄戦による戦争被害などを学んでいくが、注目すべきは南京大虐殺、皇民化政策、強制連行など旧日本軍の加害性をことさら強調する授業を丸々1時間も実施していることだ。 南京大虐殺をめぐっては死者数で依然論争が続いており、中学の歴史教科書でもさらっと触れている程度だが、この授業では重点的に学習する。 さらに驚くべきは、日本の加害性をさらに誇張するため、シンガポールの小学4年生の教科書を使って、日本軍による植民地支配の苛烈さを教えていることだ。教科書ではイギリスから日本に支配権者が代わって生活が厳しくなったことや、多数の中国人がスパイ容疑で処刑された「華僑虐殺」も盛り込まれている。自虐史観の刷り込み以外の何物でもない。【PROFILE】森下毅●1970年東京都生まれ。学校現場や行政機関に幅広い取材源を持ち、経済から教育まで幅広く取材、執筆している。関連記事■ 池上彰氏が実際に中学で行った世界を知る為の授業を収めた本■ アメリカの原爆投下に戦争責任はないのかを真正面から問う本■ 「性教育増進で興味がわき、性環境が悪化」と保護者クレーム■ 中学必修化のダンス「キレやすさ」改善に効果アリと脳科学者■ 学習塾塾長らが選ぶ“英語・理数教育に力を入れている学校”

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    中韓の間違いを正す気なし! 日本の国益を守れぬ外務省の「敗北主義」

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 宮家邦彦氏は優れた元外交官かつ外交評論家であり、その論考は学ぶべき点が多い。2015年9月に発行された「日本の敵」(文春新書)もその例にもれない。だが、終章「日本の敵」に至って、前回のブログ「慰安婦問題が好転し始めた--外務省の無策の中で」の関連で、強い違和感、反発を感じた。「やはり日本の外交官の限界か」という失望も。<(ロシア、中東、中国、朝鮮半島などに新民族主義が広がる今)日本が生き残るための、日本の最大の敵は「自分自身」である。……日本民族のサバイバルのためには、日本自身が普遍的価値を掲げ、自らの民族主義的衝動を適切に制御する必要がある> ここまでに異論はない。だが、この後に強い違和感を覚えるくだりが出てきて当惑させられる。<日本が国際社会において守りたい伝統や価値があれば、自由、民主……法の支配といった普遍的価値のロジックで説明していくことだ。日本が世界各国と競争しているのは国際政治であり、過去の歴史の事実関係の判断ではない><イルカ、捕鯨、慰安婦……ナショナリズムは時に普遍的価値と対立するが、これを日本人にしか理解できないロジックで何度説明を試みても、結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である><(過去の歴史の議論は)国際政治ではなく……教室の中でとことんやれば良いではないか。日本の政治指導者が今真剣に考えるべきことは、普遍的価値に基づき、過去の事実を受け止めた上で、これを対外的に説明する能力を高めることだ> イルカ、捕鯨の問題は置いておき、慰安婦問題に焦点を絞ろう。慰安婦問題は「日本人にしか理解できないロジック」でしか説明できない、と宮家氏は本気で思っているのか。 また、中国や韓国が現在、日本の歴史を糾弾する情報戦を国際外交戦略として大々的に展開している現実をどう思っているのか。彼らは世界各国が自分たちに呼応して日本を糾弾するように、史実を歪曲、誇張、捏造し、巧妙な論理で日本を貶めようとしている。「ウソも100回言えば、本当になる」とばかりに。それによって日本に対し道徳的優位に立ち、日本の国際的地位を引き下げようとしているのである。抗議は国益を守る外交活動だ 例えば、この秋、中国は1937年の南京事件について「南京大虐殺」という誇大、誇張した記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出、ユネスコはこれを世界記憶遺産として登録してしまった。 日本がこれに抗議することは日本の国益を守るための国際政治である。偏頗なナショナリズムではない。国益を維持するためのまっとうな外交活動である。日本の若い世代、将来世代がいわれなき屈辱にひたされることなく、胸を張って生きていけるようにするための健全な政治である。 史実を歪曲され、濡れ衣を着せられた状態になっても沈黙していて、どんな国益があるというのか。史実を駆使して中国や韓国の主張の間違いを正すことは、歴史学の本道であり、学問の普遍的価値に基づいたものだ。決して「日本人にしか理解できないロジック」ではない。 宮家氏は、歴史について何度日本の主張をしても「結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である」という。だが、これこそが日本の外務省に見られる典型的な敗北主義、役人の怠慢なのである。 戦後、日本の民間企業の多くは国際市場に自社の製品を売り込みに行って、何度も苦杯をなめた。知名度も信用もなく、いくら説明しても相手にしてくれなかった。だが、それでもひるむことなく「ウチの製品は世界のライバルに負けない」という自負をバネに、さらに説明に行き、次第に顧客を獲得して行った。 売れなければ倒産が待っている。その危機感が企業家をビジネスに駆り立てた。外交官らはそれだけの危機感をもって、史実の間違いを正す努力をしているだろうか。 前回のブログで紹介したように、日本を思う民間の篤志家たちが慰安婦問題に果敢に挑み、まだわずかではあるが、日本側の主張が少しづつ、米国や国連に浸透しつつある。その努力を外交官たちはどう見ているのか。 宮家氏は「普遍的価値に基づいて説明する」ことが大事だなどと書いているが、彼の言うのは実は普遍的価値などではなく、「米国など国際的な軍事・外交力のある国々の意見、主張に従え。これが国際政治の現実だ」と言っているにすぎない。要するに「長いものに巻かれろ」ということだ。 むろん、国際政治では「長いものに巻かれる」ことも重要だ。が、同時に少しでも、国際政治の風向きを自国の国益に沿った方向に導く努力も怠ってはならない。もちろん史実という普遍的価値に沿った努力だ。 米国はじめ国際社会に対して慰安婦問題や南京事件の史実を粘り強く知らせていく。長期戦を覚悟のうえで、世界の理解を得ることが正しい外交戦略というべきだろう。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2015年12月24日分を転載)

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    中国「日本軍が女性200人要求」と嘘をバチカンに告発

     日本に関するデマを世界中にまき散らかしてきた中国は、今度はバチカンを舞台に日本を貶める新たな嘘をバラ撒こうとしている。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が、その中国の新たな戦略を解説する。* * *「南京大虐殺」をはじめとする嘘によって日本を貶めてきた中国が、今、ローマ・カトリック教会の総本山・バチカンを巻き込んだ新たな謀略を進めています。再び、歴史を歪めようとしているのです。ローマ法王フランシスコ 日本軍が南京に入城する2か月前の1937年10月9日、中国河北省の正定という場所にあるカトリックのミッション(伝道団)の支部に強盗が押し入り、宣教師9人が誘拐、後に殺害される事件がありました。正定事件と呼ばれます。 最近になって中国は、この事件について、「日本軍が女性200人を要求」し、宣教師たちはそれを断ったために誘拐、殺害されたと主張し始めたのです。中国はオランダと共同でバチカンにそう主張し、200人の女性を救うために自ら犠牲になったとして、9人の宣教師の「列福」を申請したのです。「列福」とは、「聖人」に次いで聖性の高い「福者」に列せられることで、列福が実現すれば、ローマ法王は9人の宣教師を聖なる人物として全世界のカトリック教徒に宣伝します。それは「日本の悪辣非道ぶり」と対になるもので、日本は世界11億人のカトリック教徒の非難に晒されることになるのです。 しかも、「列福」の後に日本が「そんな事実はない」と主張すれば、「福者を貶めた」としてカトリック教徒を敵に回すことになります。 もちろん中国の主張は大嘘です。中国がバチカンに対してそうした動きを始めたという情報を日本に最初にもたらしたのは、ジュネーブの国際機関で働く白石千尋さんです。白石さんは、当時のミッションを庇護していて事件を調査していたフランス政府の資料を調べました。 その資料は6人の証言で作成されており、うち2人がオランダの神父、2人が中国人でしたが、いずれも女性の要求については一切触れられていませんでした。 女性の要求について証言したのは1人の神父のみでした。それさえも伝聞に過ぎません。伝聞では「日本兵がやってきて女性を要求」し、宣教師が拒否すると「戻ってきて宣教師たちを誘拐し、後に殺害した」となっていますが、「200人」という数字は出てきません。つまり、200人の女性を要求したというのは捏造と考えてよいのです。 それどころか資料の中には日本軍が使っていない「ダムダム弾10発」と「中国刀一振り」が残されていたとの証言のほか、強盗が「完璧な中国語を喋っていた」との証言も複数ありました。 中国が、捏造情報によって日本を世界の悪者に仕立て上げようとしていることは、日本人が常に頭に刻み込んでおかなければならないことだと考えます。【PROFILE】新潟県長岡市出身。ハワイ州立大学卒業。元日本テレビ「きょうの出来事」キャスター。1995年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で大宅賞受賞。関連記事■ 世界の体位 1位は「騎乗位」2位「バック」3位「正常位」■ 日本人の知識欲、勉さ、美徳等を台湾出身論客が紹介する本■ 中国のネットで流行る歌 「日本殺すにゃ武器要らず」■ 50年前の女性 「バックでヤられるのはイヌ扱いです!」と怒る■ 中国人観光客に「ストリップ劇場」が人気 夫婦で鑑賞が定番

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    沖縄ヘイトの現実

    「沖縄はゆすりの名人」。基地問題で揺れる沖縄だが、差別と偏見によるバッシングはいまだ後を絶たない。その一方で高江のヘリパッド建設をめぐり地元住民と機動隊が衝突を繰り返している事実を本土の人間はどれほど知っているだろうか。そう、この「温度差」こそが沖縄蔑視の現実なのである。

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    カメラが映した「辺野古」と「高江」 2人の映画監督が見た現実

    江で激しい攻防が続いている。現地に泊まり込みでカメラを回し続けている森の映画社の共同監督2人が、大手メディアを含む現場での取材状況を語った。 都内の映画館「ポレポレ東中野」に森の映画社の藤本幸久さんと影山あさ子さんを訪ねた。二人が共同監督を務めたドキュメンタリー映画「圧殺の海 第2章『辺野古』」の話を聞くためだった。この映画の前作「圧殺の海」は2014年7月の辺野古の新基地建設着工から11月の翁長知事誕生までを撮ったものだが、今回の作品はそれ以降、今年3月4日の代執行訴訟の和解までを撮影したものだ。 地元住民がゲート前で反対運動を繰り広げたり、カヌーを繰り出して海上で抗議行動を行う攻防戦を至近距離から撮影した迫力ある映像だ。カヌーからの撮影者がカメラもろとも海に投げ出され、突如画面が水中の映像に切り換わる場面もある。  この第2章の上映が続く間も、藤本さんたちは沖縄でカメラを回し続け、第3章を撮影していた。さらに沖縄本島の高江のヘリパッド建設予定地をめぐる反対運動も撮影しており、それは「高江―森が泣いている」というタイトルで9月20日から大阪で公開され、10月からは東京でも上映される。通常、ドキュメンタリー映画は撮影終了から公開まで半年以上かかると言われるが、緊迫の度合いを強める沖縄の実情を少しでも早く多くの人に伝えたいという思いで、藤本さんたちは、第2章の自主上映を全国に広げると同時に次回作を緊急上映するというスケジュールを組んだ。激しく揺れ動く沖縄を撮り続ける藤本さんと影山さんに、現地での取材状況を聞いた。沖縄北部「高江」に機動隊が大量投入 藤本 私たちは2014年7月1日の辺野古着工からほぼ毎日、辺野古を撮影しながら、上映・宣伝も自分たちでやってきました。当初は3月の和解の後、最高裁の判決が確定するまでは、少し時間的余裕もあるだろうから、その間に全国のキャラバン上映をやろうと思っていたんです。同時に、第2章の英語版と中国語版と韓国語版を作っています。韓国や台湾、アメリカで上映し、安倍政権が「沖縄に寄り添う」と言いながら、実際はどういうやり方をしているのかをワシントンの議会関係者たちやアメリカのNGOの人たちにも知ってもらおうと思いました。 しかし、その一方で今、沖縄本島北部の高江に機動隊が大量に導入され、むちゃくちゃなことがやられている。ですから、この間、高江でもカメラを回し、その映画「高江―森が泣いている」を9月20日から大阪で、10月15日から東京のポレポレ東中野でも上映します。それも早急に英語版を作って、年内に辺野古と高江の基地建設がどのように行われているかを、日本全国で自主上映を展開しながら、アメリカや近隣諸国も含めて見せていこうと考えています。映画「高江ー森が泣いている」より ただ、思いのほか裁判の進行が速い。証拠証人調べもなく、7月の裁判の時に9月16日の判決まで提示されるという進行です。9月16日以後は少なくとも陸上工事は再開したいと言っていますから、辺野古の方も機動隊を動入しての工事再開が行われるだろうと思います。今回は本当に沖縄の将来や日本の先行きに大きく関わってくることなので、辺野古に1軒宿舎を借りて、24時間365日撮影に入れる体制を作っています。そこを拠点にして、2014年3月以後ずっと誰かが現地にいるようにして、撮影を続けてきました。昔は報ステやNEWS23が取材 ―宿舎を借りたというのは具体的にどうやったのですか? 藤本 バーを経営していた母親がベトナム戦争の時代に米兵に殴り殺された金城武政という人がいるのですが、今も辺野古のゲート前のテントで世話人をやっています。僕たちとは10年位付き合いがあって、とにかく辺野古に拠点がないと撮っていくのは難しいと思ったので武政に頼んで、母親が殺されたバーのワンフロアを借りて宿舎にしているんです。集落の中にある場所ですし、10分位でゲートまで歩いて行けますから、そこを拠点に撮影をずっとやってきています。ヘリパッド反対派の車両を撤去する機動隊員ら=沖縄県東村高江 ―藤本さんたちが最初に沖縄を撮り始めたのは2004年頃から(05年公開の「Marines Go Home」)ですが、その頃と比べると現地取材の状況がだいぶ変わったというのですね。 藤本 テレビメディアで直接現地に取材に来るというのがどんどんなくなっているんです。 影山 昔なら『報道ステーション』とか、筑紫哲也さんがいた頃の『NEWS23』とか、もっと沖縄に取材に来ていました。 藤本 沖縄のことをずっとフォローし続ける専門知識のある記者もいたんです。でも、そういう記者が報道番組の現場からいなくなった。いないようにされたんですね。 僕達がそのことを感じたのは2008年、海兵隊のブートキャンプを取材した時でした。『NEWS23』と共同取材をするという形で国防総省の許可をとって入ったのですが、それが10分の特集2回で放送された。でも、しばらくしてそれをやったディレクターから連絡が来て「もう皆さんと一緒にやることができなくなりました」と言われたんです。沖縄の問題をフォローしてきた人たちがバラバラにされて、報道ではなく情報番組みたいなところに移されるということがあった。 当時は『報道ステーション』も沖縄のことをずっとフォローする記者が育っていたんですが、そういう人たちが報道の現場からいなくなっていったんです。昨年来、報道番組からキャスターが次々と降板し、話題になっていますが、そういう動きはもっと前からあったのです。 今でも大きな出来事、例えば9月16日の辺野古判決とか、そういうのは放送されますよ。でも沖縄の系列局が撮ったものをその日の出来事として報道するんですね。長期にわたって調査報道をするという機能がなくなっているんです。 今でも比較的沖縄取材をやっているのはTBS『報道特集』ですが、それでも頻繁に取材に訪れるのは難しくなっていると言います。しかも、それは東京の取材陣だけでなく、RBC(琉球放送)とかQAB(琉球朝日放送)とか、沖縄のテレビも現場に来るのが減っていますね。以前はほとんど毎日、地元のテレビが来ていましたけれど、今は大きな出来事がある時しか来ない。琉球新報と沖縄タイムスという2つの地元新聞は相変わらず毎日来ていますけれど。 影山 現場へ来た時でも、カメラマンの撮っている位置が遠くなっていますね。近づいて撮ろうという感じがない。 藤本 日々のニュースのネタとして撮っているという感じです。たぶん東京のテレビ局で起きているようなことが沖縄のテレビ局でも起きているのだと思います。 ―藤本さんたちはどういう体制でカメラを回しているのですか? 藤本 僕たち2人ともカメラを回すし、2006年から一緒にやっている栗原良介カメラマンも撮影に加わっています。 影山 最初、3人で4台のカメラと言っていたのですが、私たち3人のほかに海上保安庁に抗議するカヌーチームの一人に防水カメラをつけてもらって撮影しました。陸と海から4台のカメラを回し続けたんです。 藤本 それと第2章からは、あと3人、20代30代の若いカメラマンが加わっています。キャンプシュワブゲート前と陸と海、県庁の知事の動きも見ていかなければならないので、とても僕たち3人では持たないとわかった。そこで、若いカメラマンでやってくれる人を増やそうということで、6人体制を作りました。僕と影山は拠点が札幌ですし、若いカメラマンも関西とかから行くことになるので、6人のスケジュールを綿密に打ち合わせて取材体制を作ったのです。「同時代」を映しながらそれを記録する「同時代」を映しながらそれを記録する ―人物インタビューもはさまず、現場での激しい闘いを近い距離からリアルに描くという手法ですね。 藤本 いろんなドキュメンタリーの作り方があると思うけれど、例えば多いのは誰か人物に焦点を当てて、インタビュー映像を使って、話を作っていくというスタイルですね。けれど、今回の圧殺の海シリーズではそういう作り方はしませんでした。実際に現場で起こった出来事、行動する人のアクション、現場の出来事で辺野古での現実を見せていくというようスタイルにしています。そういうやり方をダイレクトシネマというのですが、実際に起こった出来事で見せていく。セリフとかインタビューで説明するスタイルは取らないことは決めてありました。映画「圧殺の森 第2章『辺野古』」より インタビューも、ナレーションも、作り手がこういうことを言いたいということを登場人物に喋らせるという手法ですよね。だからある意味インタビューは説明です。でも、そういうのはやめようと思いました。 ―撮影したものをできるだけ早く編集して公開していくというやり方も特徴的ですね。 藤本 いわば寿司屋ですね。握ったものをその場で生のまま味わってもらう。 影山 編集に時間をかけ、十分宣伝してからと言っていたら沖縄の状況は変わってしまい、「今頃かよ」って映画になってしまうんです。 藤本 僕たちは「同時代を記録する」ということをやっているんですね。今起こっていることを起こっていることとして伝えていく。同時代を撮りながら、歴史的にはその時代を記録する。その時代の記録になるというようなことをやろうと思っているんです。例えば、500人機動隊を動員して、沖縄の民意がどうであろうと政府が決めた通りやるということが今、高江で起こっている。このまま行くと今年中にヘリパッドができます。今の国のこういうやり方は、今後全国で起こり得る。そのことを見せなければいけないと思うので、ヘリパットが出来てから公開するようなものでないと思うんですよね。見た人が現代史に関わるようなものとして映画を成立させたいんです。 影山 今、高江で行われていることは、とにかく政府の思った通りにやる、従わなければ潰す。違法にするというか。はっきりとそんなふうに見えますね。 藤本 すごい圧迫感がありますよ。2キロ位にわたって10メートルおきに機動隊をずらーっと並べて、阻止行動をする人が声をあげようとしたり何かアクションをしようとしたら、取り囲まれて地面に押し付けられて何も出来ないような状態です。土本典昭監督の教え「記録なくして事実なし」土本典昭監督の教え「記録なくして事実なし」 ―警察が映像撮影を妨害することはないのですか? 藤本 最近はないですが、でも例えば7月22日はそうでした。 影山 私たちだけではなくて、メディア全部、完全に排除されました。 藤本 何キロも先で全部止めて中に入れない。既に中にいる人間はしょうがないから、撮影している分には直接妨害することはないけれど、そこを一回離れたら二度と戻さないというような形で、撮影をなるべくさせないということはやっています。機動隊が「お前たちはメディアと認めない」と排除しようとするから、「あなた達が決めることではない、何を言っているんだ」と言ってそのまま撮るんだけど、何人かに取り押さえられて。現場から出されることもあります。 影山 撮影する際のフットワークが悪いと、「はい、そこ! プレス排除!」って言われ、すぐに排除されてしまうんです。 藤本 混乱すると、時には僕たちだけでなくて琉球新報とか沖縄タイムスなど新聞社も排除されます。 影山 琉球新報と沖縄タイムスはローテーションを組んで、常時現場に来ていますね。辺野古の取材にしても北部の人だけがくるんじゃなくて、那覇とか中南部の人も来て、今日は誰琉球新報と沖縄タイムスは一緒になることが多いですね。その沖縄2紙と森の映画社は臨時制限区域の中に抗議船があれば入りますけど、大きいメディアの方は入らない。実際の現場には彼らは近づかないことになっているのかな。中に入れば刑事特別法で逮捕起訴の対象になり得るからでしょうね。沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古沿岸部=6月 藤本 そんなことを言っても入らなければ何も見えないんですよ。だから入るけれども、東京から来たような大きいメディアの人はそういうことがあったら困るから、あえて入らない。でも遠くから見ていたって何も見えないですよ。 影山 最近は陸の上から望遠撮影も多いですね。 藤本 とにかく現場で起こっていることを記録し続けようということです。土本典昭監督が常々言っていたことだけれど、「記録なくして事実なし」。記録されないものはいつか消えていくと。事実として存在するためには、記録されなければいけない。そういうことを我々はやっているんだとずっと言ってました。それは僕も非常に重要なことと思っています。インターネットで流しているだけでは残っていかない。それを作品としてまとめて、多くの人が見られる形にしないと残らないんです。そういうふうに考えているし、そういうことをやるのは我々の役目だと思っているんです。 東京では辺野古についてはある程度知られていますが、映画を観た人に「高江のことを知っていますか」と聞くと知っているのは3分の1とか半分ですよ。圧倒的に知られていない。だから知らせないといけないし、撮ったものを速攻で出していこうと考えています。 ※映画「高江―森が泣いている」は9月20日より大阪・シアターセブン、10月15日より東京・ポレポレ東中野と沖縄・桜坂劇場に続いて全国順次公開。映画「辺野古」も全国にて自主上映展開。詳細は「森の映画社」のHPを参照のこと。http://america-banzai.blogspot.jp/

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    「沖縄に関心がない」東京のメディア 地元紙が痛感した温度差

    ッド建設をめぐって住民と機動隊とが激しく闘っていることが、SNSなどで漏れ伝わってきます。でも在京のメディアではそう頻繁に報道されないため、東京では「高江」といっても知らない人が多い。そういう沖縄と本土の温度差をどう考えるのか、沖縄の地元紙はどんな取材・報道を行っているのかお聞きします。 まず高江での取材ですが、地元紙は現場に張り付いて取材しているようですが、東京からマスメディアが取材に行っているという状況ではないわけですね。筑紫哲也さんが健在だった頃の「NEWS23」とか、昔は在京メディアももっと沖縄を取材していたような気がしますが。宮城 東京からメディアが取材のために頻繁に高江へやってくるという状況ではないと思います。沖縄のことを報道するのも、例えば自衛隊のヘリコプターが資材の搬送に使われたとか、そういう大きな動きがある時だけでしょう。それもテレビは地元の系列局が取材した映像を使っているのではないでしょうか。キー局からわざわざ取材に来るというのは、テレビ朝日の『報道ステーション』とTBSの『報道特集』の金平茂紀さんくらいじゃないですか? それは、沖縄をめぐる構図というか、沖縄についての認識をどう持つかということだと思うんですよね。私たち地元紙は、過重な基地負担がある上に、更に住民の生活が大きく脅かされようとしていることについては、地元の人の生活や人権、また地方自治に関わるという普遍的な価値の問題として捉えているわけです。ヘリパッド建設に反対する人々を規制する警察官ら=7月22日、沖縄県東村高江―沖縄の地元紙2紙は、いま高江に連日、現地取材を行っているわけですね。宮城 毎日行っています。朝6時頃から、一人は必ず現場にいるようにしています。そしてツイッターとかで現場から状況を発信しているんです。取り組みはどの部署というより編集局全体でやっています。ローテーションを組んで、今日は何部が行く、明日は何部が行くと毎日、現場に行っているんです。北部支社もありますし、中部支社もあるので、そこから行く記者もいるし、那覇から行く記者もいます。 高江は地理的にも那覇から遠いですから移動も大変です。それでもやはり反対する市民たちがいて、警察や機動隊とやりあっているわけですから、その現場で起こっていることを伝えるのは地元紙としては当然の務めです。 8月20日にその現場に行っていた記者を機動隊が拘束し、車と車の間に押し込んで取材妨害するという事件が起きました。腕章をつけ、記者証も示して、取材活動であることを告げているのに拘束されたわけです。不要な土地を返し、機能強化した施設を得ようとする米国宮城 機動隊の車両と車両の間に市民を押し込めていくというのは以前からやられていて、現場では「仮監獄」とも言っています。2012年のオスプレイ配備の時にも、普天間飛行場のゲート前での抗議行動に対して市民を車両と車両の間に押し込めるというやり方をしていました。 記者証を示した記者に対してそういうことをやるというのは、やはり現場で抗議行動が起きていることを報道させない、県民とか国民の目に触れさせないという狙いもあると思います。 この取材妨害については、新聞労連や沖縄県のマスコミ労協などから抗議声明が出ました。東京新聞も特報面で取り上げたし、信濃毎日や高知新聞も社説で批判しましたね。 生活が脅かされることに対して、沖縄の住民が、あるいは支援する市民が立ち上がるというのは、1950年代に「島ぐるみ闘争」というのがありました。米軍が沖縄に基地を作るために住民の土地を強制的に奪っていったのですが、抗議する住民に対しては投げる蹴るで規制し、奪った土地に入って耕作しようものなら、銃も打ったりして排除したんですね。規模は違いますけれど、今それと同じようなことを、日本政府側が機動隊を使ってやっているのだといえます。 今回日本政府もアメリカ政府も、高江にヘリパッドを新しく作れば、7500位ヘクタールある北部訓練場の、過半、4000ヘクタールを返す、大規模返還になると言うわけですね。もともと半世紀以上前に奪って使ってきた土地なんですけど、アメリカの「戦略展望」という報告を見ると、その4000ヘクタールは、アメリカにとっても不要な土地なんです。それを返すから、新しいヘリパッド建設を受け入れよというわけです。 不要な土地を返して、機能強化した施設を得るというのが、アメリカの狙いなわけです。それを日本政府も一緒になって、大規模返還だという。高江のヘリパッドから海に出入りする訓練水域とかも新しく提供されていますし、訓練しやすい環境を整えて、いらなくなった土地を返す。そういう狙いがあるわけです。 ヘリパッドも高江の集落から一番近いところで3~400メートルのところにできるわけですから、付近の住民からすると大変だと思います。自然環境も破壊されれば住環境も影響を受ける。それに対して反対し、住民の暮らしを守りたいという思いは当然じゃないかと思います。そこをどう捉えるのか。 東京などであまり報道されないのは、沖縄の人は我慢したらという意識が何処かにあるのではないかという疑念を持つこともあります。そういうところが沖縄の人からすると、見え隠れする。何の問題なのかというのをしっかり押さえないと継続的な報道にならないし、現状を変えていくことにならないと思います。身近な「基地問題」を取り上げるのは当然―宮城さんは現在は東京支社にいるわけですが、沖縄の地元紙として東京のメディアを見ていて、関心とか動きが鈍いと感じますか?宮城 そこは難しいんですけどね。翁長知事の誕生以後、以前よりは取り上げられるようになったと思います。全国紙でも沖縄のことをよく知っていて、しっかり取材して書く記者はいるんです。でも、扱いが小さくなってがっかりするという声が多いですね。なぜ全国紙や中央のメディアで沖縄の報道が難しいのか、沖縄のことが伝わらないのか、検証してみる必要がある気がします。沖縄はいま刻一刻動いていて、新しい局面もどんどん出てきているんだけど、東京だと、また沖縄か、また反対しているとかいうようなことで、「ああいつものね」という感じになっているようなのですね。 沖縄についての報道が大きくなるのは政局が絡んだりする時です。同僚の記者が言っていましたけれど、辺野古をどうするか、辺野古がどうなるかじゃなくて辺野古でどうなるか。どうなるという対象は辺野古の住民じゃなくて、政権がどうなるか、だというのです。 だから去年の「沖縄の2紙はつぶさないかん」という百田発言の時も、全国紙の出足は最初遅かったけれど、その後、結構やりましたよね。あの時は安保法案が問題になっていた。辺野古をどうする、辺野古がどうなるではなくて、それによって政府がどうなっていくという話でしょう。やはり沖縄の問題を一面的にしか見ていないという印象は受けます。 今年9月1日の辺野古をめぐる裁判だって、一地方の問題でなくて、地方自治の話であったり、国と地方の関係であったりというような、大きな問題だと思うのですが、中央のメディアはなかなかそうなっていないような気がします。 沖縄と本土の温度差というのがよく指摘されますが、私が沖縄本社社会部から東京支局に来て最初に思ったのは「こんなに沖縄のことを知らないのか」ということでした。「知らない」というより「関心がない」と言うべきでしょうか。 それまで2年間、社会部にいて、オスプレイの配備に始まり、仲井眞さんの埋め立て承認とか、そういうことばかり取材してきたので、東京に来た当初は、その違いに驚きました。「日米安保は大事だけれど、米軍基地は近くにない方がいい」「沖縄にあるんだから、沖縄にがんばってもらった方がいい」というような雰囲気を感じました。 沖縄の人にとって身近な問題は基地問題であり、基地が集中することに絡むいろんな問題です。それが紙面において大きな分量を占めるのは、地方紙として当然ではないでしょうか。例えば福島の地方紙2紙が原発の問題をたくさん取り扱うのは当たり前で、やはり読者が一番身近に感じていること、命や暮らしの問題を報道する役割が地方紙には当然あり、紙面の価値判断も大手メディアとは違ってくると思うんです。 沖縄の場合、過酷な沖縄戦があって、その後の人権もないような米軍支配があって、復帰してもなかなか変わらない現状があり……といったことを考えると、そういう問題のウェイトが高くなるのは必然なのかと思います。―それが沖縄の2紙の特徴なのですね。宮城 保守的な新聞や親米的な新聞も含めて、戦後沖縄には10紙くらい新聞ができました。アメリカの検閲があり、紙の供給も握られているわけですから、沖縄タイムスにしても、当初はなかなか今のように米軍に対して厳しい論調でなかったようです。その後、1950年代の土地闘争の頃、土地の接収方針に反対する住民の意見を前面に出すような紙面展開をするようになります。 そういう厳しい現実の中で、ここまで論調を鍛え上げてきたのは、やはり民意に押されたのだと思います。結局10紙のうちほとんどはなくなってしまい、今この2紙が残っているわけです。もちろんそれは沖縄本島での話です。 沖縄の復帰までの歴史というのは、自治権にしろ、人権にしろ、米軍と対峙しながら一つ一つ住民が勝ち取ってきたものです。そういう中で、沖縄タイムスも住民に背中を押されてここまで来たのだと思います。住民に支持されなかったら他の新聞と同じように消えていったはずです。沖縄の歴史、住民感情に理解した報道を沖縄の歴史、住民感情に理解した報道を―辺野古の問題の捉え方なども、東京と沖縄では違っていると感じましたか?宮城 はい。東京へ来てからは、沖縄の問題については、一から説明しないといけないんです。別に、誘致して基地ができたわけでもないし、そもそも海兵隊って50年代に岐阜とか山梨とかから移ってきたものだし。今で言うと「海兵隊って、本当に抑止力になってるんですか」というところまで含めて説明します。 そもそも何度世論調査を行っても、沖縄の人は現状に反対なわけです。辺野古移設については、沖縄世論は少ない時でも6割、多い時には8割以上が反対だし、「県外へ」という機運が強くなってきたわけです。我々がリードしているんじゃなくて、県民世論がそうだというので、これに立脚しない報道がありうるのかということですよね。過去の沖縄がたどってきた歴史も含めて、本当に虫けらみたいな、人権もないような時代もあったんですから。僕らの世代も、入社して、勉強して沖縄の特異な歴史の重みを理解し、誰のために何を報道するかを考え、認識を深めてきたのです。 今の翁長知事が那覇市長の時、2013年1月に東京でパレードをしているんです。オスプレイ配備の撤回、普天間の県外移設、閉鎖ということを、全首長、市町村とかが署名して、建白書というかたちにした。そして、日比谷公園で集会を開いて、総理官邸に持って行き、パレードもやっているんです。その時に、沿道から「売国奴」とか、ものすごい罵声を浴びせられたんです。「安全保障の問題だからお前たちは黙っていろ」「それに反対するのはシナの手先か」といった罵声ですね。あれは、沖縄の人が本土との溝を痛感した出来事じゃないでしょうか。この圧力が、近年ひどいですよね。 沖縄の人からすると、本土紙の扱いが冷たいなと感じることがあるんですが、それも歴史的経緯に根差しているものだと思います。私たちは住民に押されて、あるいは住民の意見に立脚して紙面を作ってきていますが、本土の新聞はどちらかと言うと両論併記、あるいは扱いが小さい。どこかで「基地は沖縄に置いておけばいい」という考え方が基本にあるからだろうと思います。 沖縄の視点や感情は、突然生まれたものではありません。そこを体系的に理解してあたらないと、県と政府が対峙した局面になると、「落としどころは」というふうな取材に変わり、何も解決されない、「やはり沖縄に」という悪循環になります。 基地問題では、沖縄の人から見れば「なんで沖縄だけなんだ」と思ってしまう。戦争で捨石にされて、その後は米軍に差し出されて、みたいな過去の記憶がありますよね。過重負担だと言って負担を軽減してくれと言っているにも関わらず、同じ状況がずっと続いている。それが差別感みたいなところで捉えられる。逆に言うと、「沖縄問題」と言われながらいろいろな問題がずっと解決されないできている、そういう現状の裏返しではあると思うんです。(月刊「創」2015年9・10月号のインタビューを大幅に加筆しました)

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    沖縄「高江」の機動隊導入 安倍政権が進める強硬姿勢の象徴

    猪野亨(弁護士) 沖縄県東村高江では、ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事に反対する住民たちは、2007年以降、工事をさせまいと反対活動を展開、道路に街宣車を置くなどして、工事を阻止してきました。オスプレイ利用が予定されていますが、オスプレイなど沖縄県民が求めているものでありません。このような危険な施設を住民が当然に受け入れなければならないということにはなりません。 生存権を掛けた闘いです。「沖縄・東村高江 緊迫する米軍ヘリパッド建設 辺野古新基地と強行連動」(赤旗新聞2016年4月25日)「民家を取り囲むようにして建設されるため、地元住民らは2007年から工事車両が出入りするゲート前で座り込みを続けています。昨年、2カ所の建設が完了しましたが、残り4カ所は一歩も進んでいません。」ヘリパッド建設に反対する人々を規制する警察官ら=7月22日、沖縄県東村高江 その工事が再開されようとしています。しかもそのやり方があまりにひどすぎます。安倍政権の対応は、参議院選挙が終わった途端に工事の強行ですが、選挙期間中に強行すれば、自民党公認の島尻安伊子氏の落選がその時点で確定するからです。工事の強行がなくても島尻氏は落選しましたが、それでも望みは持っていたのです。島尻氏を沖縄北方担当相にするなど露骨な選挙対策をしてきたことからもかなりの重点区だったわけです。 従って、選挙期間中に工事を再開するなどあり得ない選択肢でした。「沖縄県民を裏切った島尻安伊子沖縄・北方担当相 『私は大嘘つきだけど、カネをばらまく…かもしれないから票を入れてね』」 2007年以降、工事は中断されたままですが、この時期に再開を睨んでいたのは、安倍政権が力によって沖縄支配を実現するためです。昨年、安保関連法を強行採決して成立させ、日米軍事同盟の強化という国策のもと、沖縄がもっと頑強な抵抗を続けていることが許さなかったからにほかなりません。暴力による支配は恥ずべきやり方 その意味では、選挙結果によって島尻氏が再選したとしても、工事は強行されていましたが、何よりも島尻氏の落選によって衆参どちらも沖縄選挙区から選出された国会議員がゼロになり安倍政権への批判が象徴的に示されたことによって、より一層、安倍氏の逆鱗に触れることになりました。安倍氏にとっては屈辱以外なにものでもなく、改憲勢力が3分の2を超えたなどということで満足する安倍氏ではありませんでした。自分に抵抗する者は力によって屈服させることこそ、安倍氏が求めているものです。 それが本土からの大量の警察官、機動隊の導入というやり方です。「東村高江に機動隊500人 辺野古の5倍投入へ」(沖縄タイムス2016年7月13日)「県警も機動隊員と各警察署からの応援隊員、不測の事態を警戒する刑事らで250~300人規模の要員を確保し、本土の隊員と合わせ最大で約800人の警備体制を敷く見通しだ」 「高江の機動隊投入 『暴力団壊滅と同規模』 自民議席失い、政府強行」(琉球新報2016年7月18日)「一方、一部の警察、防衛関係者からは異論もある。警備関係者は『工藤会の壊滅作戦と同規模だ。重火器を持つ暴力団と一般市民を同一視するのは尋常じゃない』と苦渋の表情を浮かべ、特定危険指定暴力団工藤会の壊滅作戦で2014年に機動隊が約530人に増派された例を挙げ、同様に一般市民に対峙(たいじ)する政府の姿勢を疑問視した」 本土から沖縄支配のために警察官、機動隊を動員し、暴力によって支配を貫徹するというのは恥ずべきやり方です。このようなヘリパッドなどなくても全く困らなかったレベルのものです。安倍政権が意地になって沖縄での建設に固執しているだけです。そこには辺野古同様、抵抗は一切、許さないという安倍政権の強権姿勢の表れだということを知るべきでしょう。また、そのような安倍政権による沖縄に対する剥き出しの暴力を本土の人たちが黙認して良いのかどうかが問われている、これを忘れてはなりません。(弁護士猪野亨のブログ 2016年7月20日分を転載)

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    日テレ24時間テレビがやっぱりおかしい

    障害者の姿を映し出して感動を押し付ける「感動ポルノ」という言葉がある。今年も放映された日本テレビのチャリティー番組「24時間テレビ」の直後には、この言葉がネットの検索キーワードで急上昇したという。障害者蔑視や商業目的との批判が止まない日テレの看板番組。いつもやり玉に挙がるのはなぜか。

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    「障害者パロディ」がNHKにできても日テレにはできない理由

    常者だってみんな頑張っている。障害者の頑張りはわかりやすい 今回の「バリバラ」では、骨形成不全症でコメディアン兼ジャーナリストのステラ・ヤングのスピーチが紹介された。彼女が、障害者の感動ポルノという言葉を作った人だ。ステラは、10代の時、地域の「達成賞」をもらったという。しかし、彼女は思った。自分は普通に生きているだけ。まだ何も達成などしていないと。 私は、かなり小柄な男性だ。もし誰かが、「あなたはこんなに小さいのに、とても頑張って生きてきました。感動しました。表彰します」と言われたらどうだろう。あまり素直には喜べないかもしれない。チビ、ハゲ、デブ、ノッポ。音痴、不器用、近眼、老眼。ああ、それなのにあなたはこんなに頑張ってきた、素晴らしい。そう言われて、うれしいだろうか。 それは、私が障害者手帳を持っていないからだろうか。では、障害者手帳がもらえるような低身長なら、賞賛を素直に喜べるだろうか。 頑張っている人はたしかに素晴らしい。県大会目指して一生懸命練習している中学生を見ただけで、私たちは十分感動できる。ただそれだけだと、テレビ番組にはならないだろう。 障害者の頑張りは、わかりやすいのだ。それに、中学校の部活は多くの人が体験しているが、目が見えなかったり、手足がなかったりすることは、多くの人は経験していない。そのような障害があるのに、普通に生活し、ましてやスポーツなどしているのは、素直に驚くし、すごいと人々は思う。 しかし、障害者だから素晴らしいのではなく、困難を乗り越え、挑戦している姿が素晴らしいのだ。障害者でも、健常者でも、チャレンジしている人は、賞賛に値する。感動が生まれる。 けれども多くの障害者は、普通に生活しているだけだ。普通の生活を普通に取材して普通に放送しても、それはゴールデンタイムの放送には耐えられない。そこで、「24時間テレビ」では、特にチャレンジしてきた障害者を2時間ドラマにして紹介したりする。普通の障害者に何か困難な課題を与え、そこに挑戦する姿を番組にする。 番組だから、編集はある。演出もある。それは、真面目なドキュメンタリーも同じだ。厳しいコーチとして有名な人を取り上げるなら、特に怒鳴っている場面が使われるものだろう。 しかし、「障害者」という枠組みで、すべての障害者を感動の対象としてしまうことに、問題は感じる。それは、女性をモノ化してポルノを作るのと同様に、障害者をモノ化した感動ポルノになる危険性があるからだ。 感動自体が悪いわけではない。今回の「バリバラ」でも次のように語られている。「誤解してほしくないのは、感動は悪くないんですよ。感動の種類をちゃんとわかってないと怖い」「一番怖いのは無意識」。障害者への優しい思いの裏に潜む偏見や差別の心 「24時間テレビ」の社会的貢献は大きいと思う。39年間の間に、多くの寄付金を集め、障害や難病の理解を深めた。有名アイドルと障害を持った人々の交流は、心のバリアフリー解消のために貢献してきたと思う。 「24時間テレビ」は、一般向け、子どもを含めた初心者向けだ。その意義は大いにあるだろう。ただし、39年間の間に世の中もマスメディアも、少しずつ進歩してきている。パラリンピックが大きな注目を集める時代だ。NHKが、障害者問題でパロディーができるようになった現代だ。感動は素晴らしいが、それだけで良いのかと、私たちは問い始めている。リオデジャネイロ・パラリンピックの選手村に入る日本選手団=8月31日(共同) 障害者への配慮は必要だし、思いやりは素晴らしい。しかし、気をつけなくてはならない。その優しい思いの裏に、賞賛の声の下に、偏見や差別の心が潜んでいないか。障害者は、あなたの態度を歓迎しているのか。 社会心理学の研究によると、障害児と健常児をただ一緒にするだけでは偏見の思いは無くならない。健常児たちは優しい心を持って障害児を助けるのだが、その結果は、障害児は私たちの助けが必要な弱い人という偏見を強めてしまう。 そこで、障害児が持つ特徴や能力を活用し健常児と協力しあわなければ勝てないゲームをやらせる。そのような体験が、偏見差別の心理を減らす効果があった。 ジェンダーに関する研究では、レディーファーストを「好意的差別」と呼ぶことがある。レディーファーストができる男性は、評価が高くなるのだが、これらの男性の中には、無意識的に女性を低く見る「敵意的差別」をも同時に持っている人々がいることがわかっている。 それにしても、障害者問題、差別問題は複雑だ。すべての障害者が過剰な賞賛や同情を拒否するわけでもない。同じ言葉や態度に対して、喜ぶ人もいれば傷つく人もいる。そうだ、人の心は複雑で、人それぞれなのだ。 障害者も健常者も、いろんな人がいる。日常生活があり、笑いも感動もある。そんな私たち一人ひとりが、もっと自由に、もっと楽しく生きていける社会にしていきたい。

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    日テレは正気か? 障害者の「見世物小屋」と化した24時間テレビ

    藤本貴之(東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者) 1978年に日本テレビ開局25年記念番組として始まった「24時間テレビ」は、我が国におけるチャリティー番組の代名詞でありつつも、これまでも少なからず批判をされたり、揶揄・嫌悪の対象になってきた。 「24時間テレビ」に同情すべき点としては、あらゆるチャリティー・コンテンツがもっている「チャリティー(といった批判できない対象)を利用したビジネス」への不信感を、チャリティーを標榜した番組の代表として、集中的に受けていることかもしれない。 一方で、ボランティや福祉などをテーマにしたテレビ番組は、近年「24時間テレビ」以外にも多数存在している。必ずしも、その全てが批判や嫌悪の対象になっていないことを考えれば、「24時間テレビ」の制作方法や番組のあり方自体にも、少なからぬ問題があることは間違いない。本稿では、「24時間テレビ」が炎上している理由について、メディア産業の現実を踏まえつつ、考察したい。日本テレビ25周年記念・チャリティーテレソン「24時間テレビ・愛は地球を救う」 左から番組キャスターの大橋巨泉、チャリティーパーソナリティーの大竹しのぶ、萩本欽一=1978年、麹町チャリティーコンテンツへの不信感 「24時間テレビ」に限らず、チャリティー・コンテンツは、人に感動や共感、応援を与えるものの、ともすれば「善意の商業利用ではないか?」「本当にチャリティーなのか?」といった不信感を持たれる諸刃の刃型コンテンツだ。そのような猜疑の目は出演する側、タレントや芸能人の中にも存在し、「24時間テレビ」からの出演依頼を断る有名芸能人も少なくないと言われる。 ましてや「24時間テレビ」は、民放テレビ局という営利企業が販売する「商品」である。ボランティアではない。これが厳しい疑いの目で見られてしまうは止むをえない。「チャリティー」をテーマとしつつも、それはあくまでも「テーマ」であって、番組制作、放送、広告などがチャリティーではないことは誰の目にも明らかであるからだ。 しかしながら、チャリティーをテーマとしている「商品」ということだけで、それを「障害者の商業利用」だとか、「感動ポルノ」などと一概に批判はできない。テレビに限らず、出版でもイベントでも、チャリティーや福祉、環境問題や障害者などをテーマにしたイベントは多々あるからだ。すべての構成要素や人材が完全なボランティアと言い切れるようなものの方が少ないだろう。 むしろ、メディアにおけるチャリティー・コンテンツは、商業利用の側面がある一方で、啓蒙活動としての価値に大きな意味がある。メディアを介して広がるチャリティーやボランティアの理解やそこから始まるムーヴメントは多い。無批判に受け入れるべきではないものの、一概に批判ばかりすべきものでもないのだ。 よって、「見世物小屋」や、行為そのものへの理解が十分ではない知的障害者に対して「面白いことをやらせる」というような明らかな人権侵害は論外であるものの、そのチャリティー・コンテンツ自体が嫌悪されるか(批判)、好意を持たれるか(容認)は、対象をどのように扱ってるのか、という問題になる。許容されない24時間テレビというビジネス「24時テレビ」が批判される2つの要因 「24時間テレビ」に対する批判や嫌悪は、今に始まったことではない。しかし、それが昨今のように、急激に表面化し、国民的な議論へと発展してしまう背景にあるのは、「一億総ネット評論家時代」ともいえる社会状況だ。 従来であれば、ゴシップレベルの批判や個人的なオピニオンやメッセージで終わっていたものが、近年ではSNSを使い、誰もが自分の主張を不特定多数に発信できるようになった。決して少なくない頻度で、無名の個人(でしかも匿名)の意見が、社会性をもったオピニオンとして拡散されてしまう。日本テレビ系「24時間テレビ」で司会をするアナウンサーの徳光和夫=1998年  近年急速に「24時間テレビ」への批判がネット炎上を着火点として加速している背景には、大きく2つの要因がある。 まずひとつ目は、上述した「チャリティー標榜ビジネス」に対する嫌悪や不信感だ。欧米では、ハリウッドスターなどが無償でチャリティーイベントに参加するのは常識だ。一方で、「24時間テレビ」では、出演者にはしっかりとギャラが支払われる。もちろん、高額ギャラの人気タレントたちが出演することで、視聴率を上げ、話題性が高めれば、広告価値が高まり、それは巨額の広告収益を生む。それがテレビ局および周辺企業の売り上げとなるわけだが、この構造に対して不信感や嫌悪感は持ってしまう人は多い。 もちろん、福祉やチャリティーといったことを国民的な関心として盛り上げて行くために、行政や関係団体が巨額の広報費用、啓蒙活動費を利用していることを考えれば、「24時間テレビ」で得られる収益や、そこでやり取りされる巨額なギャラなどは、チャリティーや障害者問題の啓蒙活動のための「必要経費の範囲内」と言えるのかもしれない。よって、ギャランティの有無や商業性の大小に関しては、非常に難しい問題をはらんでおり、一概に明言できないのが実情だ。 よって、「24時間テレビ」がチャリティーの理解を深めるための啓蒙活動として価値を持ち、そのための広報費、啓蒙活動費として「24時間テレビというビジネス」が許容できるなら、それほど大きな問題は起きない。しかし、実際には大きな騒動として議論され、デマや揚げ足取りを含めた様々な批判が飛びかっている。その理由は、視聴者が「24時間テレビ」に対してチャリティーや福祉の啓蒙番組としての価値や意義を見いだせていない、ということにあるのではないだろうか。 2007年の「24時間テレビ」チャリティーマラソンにおいて、ギャラを全額寄付したと言われている欽ちゃんこと萩本欽一氏のエピソードが、番組における美談・逸話として有名である。しかし、よく考えれば、これが美談・逸話としてあつかわれること自体が「24時間テレビ」の特殊性を示している。「一億総ネット評論家時代」の視聴者 そして2つ目が「一億総ネット評論家時代」の確立と成熟だ。従来であれば、「放送しっぱなし」でも許されたテレビ番組。しかし今日、チャリティー番組に限らず、あらゆる番組が、少数のコア視聴者たちによって事細かに検証され、その問題点や疑問点がエビデンスや比較対象資料までつけて分析され、ブログなどで即座に公開され、SNSで拡散されてゆく。その真偽はさておき、意図的な表現改ざんなどの編集を繰り返しつつ、無限に広がるという評論フローが完成している。 当初はアンダーグラウンドな「暴露話」「都市伝説」レベルであったネット評論も、2000年代に入り、一定の検証性や客観性を帯び、リアル社会にも影響を及ぼすようになったものも登場するようになった。 例えば、2002年4月に放送されたNHKスペシャル「奇跡の詩人」は、そういった動きの最初期の事例である。「奇跡の詩人」は、重度の脳障害をもつ11歳の少年が、民間療法ドーマン法のよって驚異の能力を発揮するに至り、文字盤を利用して複雑なコミュニケーションをし、著書を執筆・出版するなど、健常者以上の才能を開花させている状況を取り上げたドキュメンタリーである。 しかし、放送直後から、ネットを中心に疑義が噴出した。母親が操作する文字盤を少年が指差すことで文章を作る・・・としているが、よそ見をしている時でも、文字盤を指差す(指を動かされている)などが事細かに検証された。その結果、製作責任者が釈明放送をするにまで至った騒動だ。 近年でいえば、2014年に起きた小保方晴子氏を中心とした「STAP細胞騒動」がある。この時は、匿名のネット民(だが、おそらく専門に精通した研究者)により、ネイチャー誌に掲載された論文から彼女の博士論文の検証がなされ、論文の取り下げはもとより、博士論文の取り消しにまで発展した。 もちろん、2015年の「東京五輪エンブレム騒動」も同様だ。佐野研二郎氏によってデザインでされた東京五輪のエンブレムの類似指摘に端を発し、その後、続々と五輪エンブレム以外のあらゆるデザイン物に対して「パクリ」指摘が相次いだ。その細かな検証結果は、ネットで拡散され、前代未聞となる五輪エンブレムの取り下げ、再公募となったことは記憶に新しい。(ことの経緯、炎上過程については、拙著「だからデザイナーは炎上する」中公新書ラクレを参照) これらの全ては、「一億総ネット評論家時代」でなければ起き得ない騒動だろう。これまでも同じような検証者はいただろうが、それを不特定数の表明する手段も、拡散させる方法もなかったからだ。言い換えれば、無限に存在するネット上の情報やコンテンツがあれば、揚げ足取りでも、自分の検証や理論を立証させるエビデンスを収集することは容易だ。対象者を貶め、攻撃するエビデンスとは、理論的検証能力というよりは、むしろ「ネット内での発掘能力」なのだ。批判を受ける「24時間テレビ」固有の問題炎上する「24時間テレビ」固有の問題「チャリティー標榜ビジネス」と「一億総ネット評論家時代」という2つが、「24時間テレビ」を炎上させる基本的な要因である。しかし、これは考えてみれば、非常に普遍的な要因でもある。必ずしも「24時間テレビ」だけに当てはまる問題ではない。無数のチャリティー・コンテンツが存在する中で、なぜ、ここまで「24時間テレビ」が問題視され、各方面からの嫌悪を持たれるのだろうか。そこには二段階の問題がある。マラソン終盤、日本武道館へ入る林家たい平=8月28日、東京都千代田区まず、第一段階は上述したように、「24時間テレビ」が我が国におけるチャリティー番組の代名詞であり、同時に「チャリティー標榜ビジネス」の象徴にもなっているためである。この点に関しては、むしろ、チャリティー標榜番組の先駆けであるがゆえに同情する部分ではある。しかし近年、「24時間テレビ」がチャリティー・コンテンツの代表として批判されていること以上に炎上が加速し、鎮火しない最大の理由は、次の第二段階目にある。第一段階がチャリティー・コンテンツ全体への嫌悪・批判だとすれば、第二段階は「24時間テレビ」固有の問題だ。その固有の問題とは、「24時間テレビ」がチャリティー番組ではなく、「障害者を素材にしたバラエティ番組」となっており、しかもそれが視聴者にバレてしまっている、という現実だ。これは、テレビ産業それ自体の地盤沈下、相対的な刺激や影響力の低下によるメディア産業全体の問題でもある。まず前提として、近年のバリアフリーの意識や社会インフラの盛り上がり、技術的な高まりに伴い、障害を持っている場合でも、ほとんど健常者と変わらない生活ができることも珍しくなくなった。もちろん、パラリンピックなどで、国益を代表して大きく注目されるチャンスも増えてきた。一方で、パッと見ただけでは障害とは思えない「障害」への理解も深まりつつある。例えば、発達障害や学習障害を持つハリウッドスターや人気タレントなども珍しくはない。しかし、身体障害のような直感的に理解できる障害とは異なり、なかなか理解はされづらい障害だ。それでも最近ではそういった障害に対する理解も進み、障害が持つ多様性も認められるようになり、障害と健常とは明確に線引きできるものではない、という認識も深まっている。今日、障害とはわかりづらい「グレーゾーン」の部分にこそ、多くの問題や課題が含まれている。その一方で、テレビという直感的なメディアでは、「分かりやすい=目に見える」インパクトが求められる。「お茶の間・娯楽の王さま」から陥落し、「ながら視聴」が一般化した今日、その状況は一層加速している。テロップや擬音で埋め尽くされたテレビ画面は、音を消しても理解できるような状況だ。油断すれば、スマホやパソコンなど、他のメディアに即座に視線を切り替えられてしまう。そのような現状を考えるだけでも、直感的ではない、説明を要するような、わかりづらい「グレーゾーン」は扱いづらい。その結果、「24時間テレビ」のようなチャリティー標榜番組でも、「分かりやすい障害」を扱いがちになってしまうことは想像に難くない。もちろん、扱う場合の内容も、視聴者の関心を釘づけるために、より強いインパクト(=わかりやすさ)を求め、障害者が露骨に「障害と戦う」「障害に苦しむ」姿を描かざるを得なるわけだ。つまり、「見世物小屋」だ。なぜ足に障害のある少年に富士登山をさせるのかなぜ足に障害のある少年に富士登山をさせるのか 足に麻痺を持つ少年に一合目から富士山登頂を目指させるという本年の企画。これは「足に障害を持つ少年が、決死の努力によって富士登頂を果たす」という感動のストーリーを創り出すには、最適な素材なのかもしれない。しかし、「障害克服する」というテーマで、視聴者を啓蒙し、また、障害に苦しむ人たちに勇気を与える目的であれば、必ずしも「足が悪い少年」でなくても良いのではないか、と思う。 目に見えない「心の障害」に苦しむ人でも良いのではないか。苦しみや、克服への努力に貴賎の上下も障害のレベルもないはずだ。しかし、それでは「分かりづらい」。「足が悪い人」が「富士山」という日本で一番高い山に登ることにインパクトがあると考えているからこそ生まれる企画だろう。 チャリティーマラソン企画なども、そのような「わかりやすさ=視覚的なインパクト」を求めている以外の何物でもない。なぜ、無目的に番組時間中、走りつづける必要があるのか。これは「タレント苦しんでいる場面=感動」の置き換えに過ぎない。 ランナーとなるタレントたちは、その多くが「チャリティー」とも「福祉」とも「マラソン」とも無関係だ。そこに理由はない。なぜなら、視覚的なインパクトあるコンテンツという意味しか持たないからだ。 「24時間テレビ」に限った話ではないのであろうが、ここで重要なことは、現在の「24時間テレビ」の作り手が、「チャリティー番組」という本来の意義や意味は、何も考えていない/考えられていない、というリアルでシビアな現実を理解することであるように感じる。 同番組がチャリティー番組としての成長する過程で、いつの間にやら、「チャリティー標榜ビジネス」となり、今日ではもはや「障害者を素材にしたバラエティ番組」へとメルトダウンしている。 そうなれば、作り手たちは、常日頃作っているバラエティ番組と同様に、「より過激に」「よりくだらなく」「インパクト重視」で企画を練り、作る。そこに、チャリティー番組としての細かい検証などほとんどない。なぜなら、「障害者を素材にしたバラエティ番組」なのだから。残念ながら現場レベルでは、日々に仕事に追われ、番組スタート当初の志や意義などはほとんど継承されていないだろう。「24時間テレビ」をチャリティー番組と思うことの問題 例えばオリエンタルラジオの「パーフェクトヒューマン」をダウン症の少女と躍るという企画も同様だ。歌詞の内容とダウン症という症状があまりに乖離しているといった批判があるが、客観的に考えて、制作者が、意図的に障害者を笑い者にしようとして、あるいは批判を覚悟の過激企画として「パーフェクトヒューマン」を選んだとは考えづらい。話題の「PERFECT HUMAN」を踊る オリエンタルラジオの中田敦彦ら=東京・文京区 もちろん、内容の不適切さに対する浅はかさは反省すべきだが、作り手はバラエティ番組として良かれと思って単純に「話題のヒット曲」と「障害者」を抱き合わせただけだろう(それはそれでまた別の問題があるのだが)。制作者は、よりインパクトある、話題性がありそうな企画を、放送可能なギリギリのラインで狙っただけなのだろう。その意味では、制作者の狙いは見事に達成している。チャリティー番組と思うこと自体が問題 よって、「24時間テレビ」をチャリティー番組、福祉の啓蒙番組として認識することにも問題があるのではないか、と筆者は考えている。「障害者を素材にしたバラエティ番組」として捉えれば、あとは出演する人の解釈や倫理的問題、コンプライアンスの問題だ。出る出ない、見る見ないは、当事者の問題である。 「24時間テレビ」には、多くの障害者の方やその家族、関係者が登場している。無理矢理出演させているわけではないのだから、当事者たちにも「24時間テレビ」には、まだ、出演する意味や意義が見出されている、ということでもある。 ただし、それらの人たちがみな、「24時間テレビ」の「障害者を素材にしたバラエティ番組」としての実態を理解しているかは、不明だ。放送を見て、驚く場合もあるかもしれない。一方で、「障害者を素材にしたバラエティ番組」を障害者自身が許容し、あるいは楽しみに、そこに意義を見出すこともあるだろう。 「24時間テレビ」がチャリティー番組ではなく、「バラエティ番組」という認識が広がれば、それはそれでまた新しいバリアフリー番組のあり方も生まれてくるように思う。スポンサー集めや募金活動のあり方も変わってくるであろうし、これまで積み重ねてきた歴史や経緯、社会的意義も失いかねない大きな問題だろうが、それは日本テレビの都合であって、ほとんどの視聴者には無関係だ。少なくとも、現在のようなチャリティー標榜バラエティによって発生する批判は軽減するように思う。

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    どんな障害者の姿なら納得するのか? 「感動ポルノ」批判の傲慢

    どこから生まれたのだろうか。 いくつかの記事を見ると、この言葉の由来は2014年12月に亡くなったコメディアンでジャーナリスト、そして自身も障害を負っていたステラ・ヤングが、TEDで語った内容にあるという。 彼女は周囲の人たちや様々なメディアで、障害者が「障害というマイナスをはねのける、ポジティブな存在」として特別扱いされ続けていることを指して「感動ものポルノ」と称した。ポルノという言葉を使った理由は「ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしている」様子を指したという。 ネットでは感動ポルノというものが、一方的に報じる側、すなわちメディア側だけの問題にされているようだ。しかしテスラはポジティブなものとしてしか障害者を受け入れられない「周囲の人達」の態度も問題にしていた。感動ポルノの論理は、決してメディアという報じる側だけへの批判ではなく、障害者を受け入れる周囲に対する疑問でもある。どんな障害者の姿なら納得するのか それを踏まえたうえで、24時間テレビの感動ポルノを批判している人たちは、どのような障害者の姿であれば納得するのだろうか? 障害の辛さに耐えかねて、周囲に八つ当たりする障害者だろうか? 障害を利用して女性を口説いて不倫をするような障害者だろうか? 目が見えないふりをして作曲をゴーストに丸投げする障害者だろうか? 特定のモデルがいるような気もするが、そうした人間的で善悪だけでははかることのできない障害者の姿を、本当に感動ポルノを批判している人は欲しているのだろうか? そして何より重要なことがある。そうした障害者に対して我々は募金をしたいと思うだろうか? もし「障害をものともせず、何かに常に挑戦しようとしているポジティブな障害者」と「障害があるからと、開き直って酒ばかり呑んでいる障害者」がいるとして、我々はそのどちらに募金したいと思うだろうか? 障害者が普通の人と同等の生活を行うためには、たくさんのお金や支援が必要だ。五体満足であれば、他人をにらみつけ雑言を吐くようなクソオヤジだって、大手を振って道を歩くことができるが、障害を持つ人は車いすや義手義足などの特別な器具を使い、さらに周囲の人に手伝ってもらい、何度も何度も頭を下げながらでないと、道をも満足に歩くことができない。 寄付という形式で、そうした器具を買い保守するためのお金をもらい、周囲の人に手伝ってもらうためには、周りに対しておもねるしかない。感動ポルノとは周囲から好意的な関心を持ってもらうための、手段なのである。障害者は肉体的にも金銭的にも、多くの人たちの「善意」に頼らなければ生活できない。だからこそ障害者は感動ポルノを演じるしかないのである。ポジティブな障害者しか受け入れられない では、問題を解決する手段はあるのだろうか? ある。 多くの人たちの善意に頼らなければ生活できないことが感動ポルノの原因なのだから、障害者がなるべく他人に頼らなくても生活できる社会を実現すればいいのである。 それにはもちろんバリアフリー化ということもあるのだが、最も重要なのは、障害者に対してシステマティックに富を分配することのできるような、社会保障の充実である。 社会保障は国に頼ることであり、頼らないことと矛盾するように聞こえるかもしれないが、障害者の人権を守るのは国の義務である。その義務を国に達成するように要求することは、法治国家においては当然のことであり、頼る頼られるという関係性は存在しない。送検のため相模原・津久井署を出る車の中で笑みを浮かべる植松聖容疑者=2016年7月27日 そもそも、障害者が感動というポルノを見せなければならない理由は、障害者や支援の団体に回るカネが少なく、危機をアピールする必然性に迫られているからだ。分配が足りていれば、障害者がわざわざ他人相手に感動を売る必要もないのである。 もちろん社会保障というものが「固有の権利」であるという社会的合意も必要不可欠である。それがなければ社会保障自体が「持つモノからのお恵み」として認識され、生活保護受給者バッシングと同じ批判が障害者を襲うことになるだろう。 今年7月に相模原市の障害者施設で発生した19人殺傷事件の植松聖容疑者は友人に対して「産まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」 「人の形をしているだけで、彼らは人間ではありません」(原文ママ)というメッセージを送っていたという。そこには五体満足の人間を標準とした、機能性でしか人間を選別しない傲慢さがあると僕は考える。 こうした傲慢さに対して、これまで障害者を「ポジティブな姿勢を見せる」という機能性でしか受容できなかった私達の社会は、ハッキリと対抗の意思を示すことができるのだろうか。 あまり楽観視できないと、僕は思う。

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    日テレはナメているのか? 障害者の私が見た24時間テレビの違和感

    感動ポルノとして健常者に消費される」というタイトルの記事が出回ったことが大きい。 オーストラリアのコメディアン、ステラ・ヤング氏が2014年のTEDxSydneyに出演した際のプレゼンの紹介記事が大きな反響を呼んだ。障害当事者やその家族、支援者だけでなく、ネットメディアで情報を得る多くのひとがこの記事に賛同していた。 「お前、障害者のこととか興味あったの?」と勘繰りたくなる地元の悪友でさえ「感動ポルノなんて気持ち悪い」とか言う始末。障害者をどう報じるか、どう取り扱うかというテーマが市民権を得たのは、ここ最近の話である。24時間テレビのオープニング。左から徳光和夫、波瑠= 8月27日、東京都千代田区 「障害者×◯◯」という方程式に感動を代入しますか? 笑いを代入しますか? これが24時間テレビとバリバラの分かりやすい構図だが、実は、そんなことはどうでもいい話で、そもそも「障害者が何かをやる」という前提で企画を練る発想に、違和感を覚える。 この国には「障害者フィルター」が存在している。障害者が何かをやるだけですごいと思ってしまう価値観フィルターだ。健常者(何をもって健常者というか怪しくなってきた気がするが)と違い、どこかに障害を抱えているから障害者であるわけで、その障害分のマイナスをパフォーマンスで補ったとき、ひとは「すごい」と感じるスイッチを入れてしまうのである。「障害者×◯◯」という式は、この「障害者フィルター」を前提条件に企画や演出方法を考えている。  「障害者フィルター」の厄介なところは、そもそものOKラインを一般社会のものから低いハードルで位置づけてしまうことにある。仕事でもスポーツでも何でもいいのだが、障害者が何かをやるときに健常者と同じだけの成果が求められるかというと、それは否であり、同じことをやるだけで「すごい」のである。 もちろん、障害が理由でできないことがある分、すべてを健常者と同じ水準で求めるのは酷なことだが、その確認をせずとも、「これくらいでOKだよ、ありがとう」というOKラインが下がるのである。そして実は、OKラインが自動的に下がることを自覚している障害者は一定数いる。 社会側の無知という状態、社会側が無知であると認識している障害者側。双方の見えない合意の元で「障害者フィルター」が確実に存在している。これを巧みに演出すれば「感動ポルノ」に仕立てられるし、意地悪く使えば「障害者に遠慮して何も言えない」状態を創り出すことができる。なんだかんだ言って、持ちつ持たれつなのだ。頭ごなしに批判するのはナンセンス 感動ポルノという言葉が議論されるほど、障害者の存在を考える機会が増えてきている。また、2020年の東京パラリンピック開催はひとつの契機に、バリアフリー設備が整い、かつてよりも確実に生活しやすい状態が生まれるだろう。しかし、意識レベルでは「障害者フィルター」が存在し続けているように、大して変わってはいない。ナメられていると表現した3年前と状況は実は変わっていない。 おそらく社会側は、そういえば「障害者フィルター」ってあるなと自覚するくらいで十分。そのフィルターをどう使うかは本人次第だが、自分が事故や病気で障害者になったとしたら、そのフィルターの対象に自分も含まれることになる。すると、自ずと使い方が見えてくる。感動だの笑いだのと「障害者×◯◯」の議論が生まれたが、それをどう使うかは番組の方向性であって、頭ごなしに批判するのはナンセンスだ。 状況を変えるには、障害者側には少し負荷がかかる。もっともっと外に出ていかなくてはならない。障害が理由でできないこと以外は健常者と何も変わらないのに、それを伝えない、それが伝わっていないからフィルターが存在し続けている。社会の一員として障害者がいることが当たり前で、周囲を見渡せば障害者がいる日常になれば、上下ではなくフラットな関係性に近づけるだろう。社会がどれだけ改善されたとしても、障害者にアクションが生まれなければ、何も変わらない。 友人に「車いすカメラマン」がいるが、彼の撮った写真はクオリティが高い。彼は「車いすカメラマン」なのではなく「質の良い写真を撮る彼は車いすに乗っている」だけである。この違いがこれからの社会に必要なことである。 障害が特別視されることなく、本人や社会にとって、当人を特徴付ける要素のひとつくらいの認識になれば、こんな議論をせずとも済むだろう。24時間テレビやバリバラは「障害者フィルターがどのように作用しているか」という現状を示すバロメーターでしかない。

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    24時間テレビを感動ポルノと批判した「バリバラ」の快挙

    自殺関連の番組にもいえることだし、全国紙の新聞にもいえることだ。 では、なぜテレビや新聞といったマスメディアは、障害者を「同情すべき人」あるいは「感動を与える存在」に仕立てあげてきたのか? その問いを考える前に、「感動ポルノ」の言葉で問題提起したジャーナリスト兼コメディアンの故・ステラ・ヤングさんのTEDでのスピーチを約10分間、観てほしい。 ステラさんは、「障害は悪いことではない」と言い、「障害があってもがんばれ」という美談がはびこっている現実を指摘する。そのように特定の存在を感動の対象にすることによってトクする人がいる、とも言っている。 「自分はまだ恵まれている」と健常者に思わせるために、障害者が存在しているかのような誤解が正当化されているが、「私たちが乗り越えたいのは、障害そのものではない。社会からもたらされる障害(=みんなが私たちを特別視すること)は身体や病状よりひどい」とステラさんは言う。障害者の知名度を上げるという点で野心的な『バリバラ』 その点で、『バリバラ』は野心的な番組を制作してきた。健常者がしている恋愛・セックス・婚活・就活・アート活動などが障害者にもあることを紹介し、「SHOW-1グランプリ」という”障害者芸人”によるお笑いコンテストも制作してきた。そうした画期的な取り組みの延長線上に、「お笑いは地球を救う」が生まれたのだ。 こうした取り組みを観て、「障害があったから注目されるのは嫌だ」と感じる人もいるだろう。 しかし、芸人として出演したい人にとって、”◯◯芸人”としてカテゴライズされるのは、むしろふつうの売り込み方であり、特別視とは真逆の作法といえる。芸人として目立つために、「ハーフ芸人」や「高学歴芸人」など自分のキャラを最大限に活かすことで芸を観てもらうチャンスを作るのは、王道だからだ。2014年12月、NHK「バリバラ」で放送された特集ドラマ「悪夢」。障害者エキストラの迫力ある応援で盛り上がるラウンジ「悪夢」のプロレスシーン それを考えれば、自分には障害という強みがあったんだという気づきは、芸人を目指す当事者にとってはうれしいことかもしれない。もちろん、実際に芸人としてメシを食って行きたいなら、『バリバラ』以外の番組や他局にも出演できるようにしていくことが求められるだろう。それが、芸人としてふつうのことだからだ。 そこまでの売り込み指南を『バリバラ』がしていくのかどうかはわからない。だが、『バリバラ』はこれまでもスタジオゲストだった障害者たちをドラマに出演させたり、障害者芸人とプロの芸人を共演させてお笑いビデオを制作するなど、知名度を上げるという点では意欲的な番組制作を行ってきた。 チャンスは十分に与えられた。あとは、”障害者芸人”自身が自分にとって納得できるお笑い活動をどう展開していくのかについて、番組の外でのありようを紹介してほしいものだ。当事者の声を聞かない報道は、あなたと常識を支配する当事者の声を聞かない報道は、あなたと常識を支配する さて、NHK『バリバラ』が障害者自身のニーズをふまえているのに、日テレの『24時間テレビ』はそれができないのか? そして、なぜ両足に麻痺が残る少年を無理やり登山に連れて行き、父親にどつかれることまで「感動」に仕立てあげようとしたのか? 同じテレビ番組でも、番組の制作費を誰が出すによって、制作方針が変わって来るからだ。 NHKは、番組制作費に充てられる視聴料を直接、視聴者から受け取る。視聴者からの声に応えなければ、当然、NHKに直接苦情が入り、局内で問題になる。 そうなれば、視聴者はNHKに視聴料の不払いをしかねない。不払い者が増えれば、番組制作費が減り、最悪の場合、局内の誰かのクビが飛ぶ。 一方、企業がCM枠で莫大な広告費を提供し、それを番組制作に充てている民放は、NHKのようなリスクは負っていない。視聴者が特定の番組に対して不満でも、局やBPOに苦情を言う人が一部に出てくるものの、よほどのことがない限り、企業が一斉にスポンサーを降りることは珍しい(※かつてはあった)。 民放テレビ局・ラジオ局にとって、広告は主な収入源なので、スポンサー企業を喜ばせるには、視聴率の高いコンテンツが最優先の番組制作の方針になる。東京・渋谷のNHK放送センター 視聴率を上げるには、より多くの人が観たがる番組を作る必要がある。それを「多数派が観たがる内容」という具合に誤解すれば、マイノリティ(社会の中で少ない属性の人たち)は出演者やスタッフから日常的に除外される。 障害者はもちろん、LGBTや外国人、帰国子女や中卒以下の低学歴層など、マイノリティとして判断された人は、番組制作のメインとしては認知されないのだ。それどころか、そうしたマイノリティに光を当てるはずの番組でも、マイノリティ当事者の声をあらかじめ尋ねることはしない。 実はこれ、東京在住者の作法かもしれない。NHKの『バリバラ』も、NHK大阪が制作している番組なのだ。 在日外国人、ホームレスなど、障害者以外にも差別の問題が根強く顕在化している大阪だからこそ、「笑い」に包んで現実を浮き彫りにさせるという作法が生きている。 同じEテレで自殺関連の番組が、自殺を思いつめたことのある視聴者の一部に不信感や嫌悪感が根強くあるのは、自殺経験の当事者の声をそのまま番組に反映させようという作法が成熟していないからだろう。 成熟していなくても、彼ら自身は、視聴率さえとれれば何も困らないのだから、成熟を動機づけるチャンスはあらかじめ失われている。 このままだと、ディレクターが番組を制作する以前の企画段階でも、当事者の声を十分に取材しないまま企画書を作るという悪習慣も温存される。そういう番組制作の現場では、よく知らないマイノリティについて頭の中の妄想や一般的なイメージを裏付ける映像さえ撮れれば、仕事が終わってしまう。 それは、マイノリティの既存のイメージを上塗りするだけであり、前述のステラさんがもっとも嫌うことだ。マイノリティを害しても平気でいられるさもしい作法 それでも、そのような安易な方法で番組を作る方が、短時間で視聴率が取れる仕事ぶりになるのだから、やめられないのだろう。もちろん、本物の取材というのは、それまでのイメージやものの見方を根本的に変えてしまう文脈を現実の中から新たに発見することだ。 たとえば、家出人を「不良」と一方的にみなす風潮があるが、現実の家出人は親からのひどい虐待から避難するために家から飛び出し、早めに安定した居場所と仕事を得ている。家出後の生活はふつうの人と変わらないので、ドラマチックな映像にはならない。 すると、凡庸なディレクターは「視聴率が取れない」と嘆き、過激な暮らしぶりをしているレアケースの家出少女の売春を探し出しては撮りたがり、それが家出のマスイメージとして定着してしまったのだ(※家出人で犯罪の加害・被害に遭った人はたった6%程度/警察庁の発表)。 以上をふまえれば、テレビや新聞といったマスメディアが、障害者だけでなく、マイノリティの人たちを「同情すべき人」あるいは「感動を与える存在」に仕立てあげてきた事情を理解できるだろう。 3・11の本でも、やたらと感動の文脈で売れ筋に仕上げた“ノンフィクション”が書店に並んだ。そうした「感動」は、当事者の求めるものと違うのは明らかだ。 マイノリティ当事者をダシにして、自分の稼ぎを守ろうとする人たちを、僕は軽蔑する。それは、当事者にしか持ち得ない固有の経験や苦しみという価値を、自分自身の生活のために奪う「さもしい作法」だからだ。 むしろ、他人を害しても平気でいられるそのさもしい作法こそ、キャリアポルノと呼ぶにふさわしいのかもしれない。 『24時間テレビ』では、1年間に1度しかない全国放送のチャリティ番組なのに、障害者の自発的な意志とは無関係に無理強いをさせ、そのことによって出演する芸能人は莫大なギャラをもらい、広告代理店とテレビ局は大儲けしている。 しかも、小さな子どもが1年間、一生懸命に貯金箱に入れて、寄付したお金は、福島の被災地にオカリナ100個を提供するのに使われるなど、TVチャリティでしかできないわけでもない用途に使われている。 もちろん、福祉車両を福祉団体に寄付してもいるが、団体へ施しをすれば、団体自体が自分たちの力で活動経費を賄うだけの自助努力を動機づけなくなり、結果的に団体にはいつまで経っても経営力が身につかず、『24時間テレビ』への依存度が高まるばかり。これでは、団体の世話になっている障害者も、全国各地で着実に増えている「自分のやりたい仕事を作り出す取り組み」を、ゆめにも思わなくなるかもしれない。 当事者の声を大事にしない報道は、取材対象・視聴者・寄付者などを支配し、常識やマスイメージを固定させ、マイノリティの苦痛をいつまでも温存するのだ。 しかし、時代はいまこの時も、常に変わり続けている。魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが、当事者の自立・自由・尊厳を守る。難民にネイルアートを教えて仕事を作り出しているアルーシャのような事例も増えている。 番組制作も、福祉の仕事も、ソーシャルビジネスへ変えていくことで、当事者満足度の高いものに進化させていく時代なのだ。報道関係者だけでなく、視聴者のあなたも覚えておいてほしい。(「今一生のブログ」より2016年8月30日分を転載)

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    「24時間テレビ」はどれ位地球を救ったか? 感動ポルノはもうやめよ

    常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師) 実に痛快な記事だった。Eテレ「バリバラ」のことを伝える毎日新聞の記事だ。ヤフートピックスにも掲載されていた。 Eテレ「バリバラ」が日テレの「24時間テレビ」を批判、風刺するような内容を放送したというのだ。番組を見逃してしまったが、再放送されるというのでチェックすることにしよう。少なくとも、この番組を伝える毎日新聞の記事は私が長年(それこそ、物心ついた頃から、三十数年にわたり)抱いていた違和感を見事に代弁している。 本来は再放送された番組を見てからコメントするべきだが、いてもたってもいられなくなり、キーボードに向かっている。腐敗しきった「24時間テレビ」、「愛は地球を救う」なんていう欺瞞に満ちた番組に、私はこの檄を叩きつける。 「バリバラ」が批判したように、「24時間テレビ」は「感動ポルノ」そのものだ。社会的に弱い立場にある者(たとえば障がいがある者)に愛を注いでいるようで、見下している、それを視聴率に利用しているのは見え見えだ。芸能人が突然、マラソンを始めるのもまったく理解できない。実にけしからん話である。 だいたい、この日だけ注力して「愛」を叫ぶのはいかがなものか。日テレには見るべき番組がない。ふと気づいた。日テレの番組に一つも録画してでも見たくなる番組がないことを。毎年、恒例の他局つぶしの「宮崎アニメ」もすでにBlu-rayで買い揃えたので、私には効かない。大衆に迎合した低俗なバラエティ番組を垂れ流す中、突然「愛」と言われても困る。 「愛は地球を救う」というコピー自体は素晴らしい。「愛」は否定しないが、ここでいう「愛」とは何なのだろうか。「愛」という言葉は時に思考停止を誘発するし、暴力になる。40年近くやってきて、この番組で言う「愛」はどれくらい地球を救ったのだろうか。「愛」と言いつつ、それは自局や番組、出演者の自己愛ではないのだろうか。 私は母子家庭の出身なのだが、家族が亡くなっていく前、生まれた頃は、脳腫瘍で半身不随で障害者手帳を持っている父、人工透析に通う祖父、心臓の弱い祖母と一緒に暮らしており、それを母が切り盛りしていた。その姿を見て学んだことは、障がいや病気とは、当事者にとっては付き合うものであり、向き合うものであり、違いである。その悩みはそれぞれだ。苦労は想像を超えている。一方、その障がいや病気ゆえに見える世界だってある。幼い頃、そんなことを学んだのは私自身も貴重な体験だった。 「24時間テレビ」の世界観は、一億総中流と言われた時代の世界から脱していない。多様化、格差社会化する世界にまったくついていっていない。「スポットをあててやったぞ」「救ってやるぞ」という世界観をいつの間にか醸しだしていて、それが共感を呼んでいないことをわかっているのだろうか。 Eテレ「バリバラ」は、放送に至ったのは今年度だったものの、長年、番組関係者と視聴者は「24時間テレビ」に対する怒りが溜まっていたことだろう。普段からの問題意識の積み重ねを感じる。民放に対して批判的な内容を放送することを決断した番組関係者を尊敬する。 別に謝罪はしなくていい。「24時間テレビ」関係者はこれまでの番組のあり方を総括し、敬虔な反省を持つとともに、自己批判をしなさい。喝だ。大リニューアルが行われない限り、私は一生見ない。まあ、私が死ぬまでには、同番組は支持されず、終了していることを祈る。そして、「24時間テレビ」なんていうイベントがなくても、普通に障がいや貧困を乗り越えた愛に満ちた世界が実現することを祈る。 だいたい愛なんてことをわざわざ叫ぶ社会は、愛が足りないのだよね。(「陽平ドットコム~試みの水平線~」より2016年8月29日分を転載)

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    「24時間テレビ 愛は地球を救う」の功績と叩かれる理由

     (THE PAGEより2015年6月13日分を転載) 先月下旬に日本テレビ系「24時間テレビ 愛は地球を救う」(※以下「24時間テレビ」)の今年の「チャリティーマラソン」のランナーが、歌手でタレントのDAIGOに決まった。今年で38回目の放送を迎える「24時間テレビ」は、視聴者から寄付を募るチャリティーキャンペーン活動を主題とした番組で、今や日テレの看板番組の一つとなっている。番組放送中、長時間にわたってランナーが走り続ける「チャリティーマラソン」をはじめ、同番組ならではのさまざまな企画が催されて話題を振りまく一方で、「偽善番組だ」や「障害者を利用している」など批判的な意見も多い。日本テレビ本社アンチファンの槍玉に挙げられる「ギャラ問題」 とくに槍玉に挙げられるのが、海外ではノーギャラといったケースが多いチャリティー番組でありながら、出演者に高額なギャラを払っている点で、一昨年7 月に写真週刊誌「FLASH」が関係者の証言をもとに、メインパーソナリティーをはじめとした出演者のギャラや番組のCM収入などを報じた際には大きな波紋を広げた。  こうした“ギャラ問題”に対して、絶対匿名を条件に同局関係者は実状を明かす。 「別に本業がある方ならいざ知らず、芸能活動を生業にしている芸能人に対して、こちらの方から『チャリティー番組なのでノーギャラでお願いします』とは言い出しにくいです。すべてうちの局の“持ち出し”で番組を制作するというのであれば、日頃からうちとお付き合いのあるタレントさんたちにそういった提案もできるかもしれませんけど、番組にはスポンサーがついているわけですしね。ただ、タレントさんや所属事務所さんによっては、『チャリティー番組なんだから、そんなに高いギャラはいらない』とおっしゃる方もいます」  そのうえで、こう続ける。 「ぶっちゃけた話、『24時間テレビ』に関しては番組のイメージも良く、スポンサーもつきやすいんです。出演するタレントさんサイドにとっても、イメージアップに繋がりますからね。だからと言って、偽善とか、商業目的とか言われるのは…。出演者の方も、制作陣も少しでも良い番組を作り募金を集めようと懸命に取り組んでいます。実際に毎年視聴者の方から多くの募金が集まり、好意的な視聴者の方からは『感動した』、『励まされた』といううれしいお声も頂いていますしね」毎年視聴者から寄せられる億単位の募金 たしかに、同番組の公式ホームページによると、過去最高となる4年前の19億8641万4252円をはじめ、一昨年が15億4522万6444円、昨年が9億3695万5640円と、毎年多額の募金が集まっているという現実も無視できない。 公共の電波を利用し、国の免許事業である放送事業を主幹とするテレビ局は、公共放送のNHKのみならず、民間の放送局に関しても、一般の企業より“公共性”が求められるとされている。 とはいえ、広告収入を経営基盤としている営利企業である民放局において、チャリティー番組といえども、スポンサーを募らなかったり、出演者のギャラをゼロにしたりするリスクはかなり高い。 「出演者のギャラの件など一部に批判的な意見があるのは重々承知していますが、現実的にはいち民放局としては今の形の番組作りが最良なのかなと思っています」(同関係者)。今年も8月23~24日に放送される「24時間テレビ」だが、さまざまな話題を集めそうだ。

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    演出で完成する「感動ポルノ」 24時間テレビの偽善に煽動される大衆

    猪野亨(弁護士) NHKのEテレ「バリバラ」の番組の中で、ジャーナリスト・コメディアンのステラ・ヤング氏が「感動ポルノ」を解説していたことが話題になっています。 障がい者を使って、無理矢理「感動映像」をとって制作者と視聴者が自己満足を得る、それで視聴率を稼げればすべてOKという商業主義と偽善が織り混ざっています。 「感動ポルノ」(健常者に勇気や感動を与えるための道具)という言葉を聞いて私は目から鱗が落ちました。 その番組が報道されているとき、日本テレビが毎年恒例の「24時間テレビ愛は地球を救う」を報道していたことも話題になる一因でした。 それはともかく、これが話題になったのも、いかに日本テレビの「24時間テレビ愛は地球を救う」が偽善番組として嫌われているかの裏返しでもあります。 私も若い頃、何度か見たことがありました。この番組では募金集めが主眼のようですが、演出によって作り上げた「感動」によってその気になって募金していくという構図です。 もっとも、バリバラに出演していたグレース氏はこの「24時間テレビ愛は地球を救う」にお誘いがあれば出演するかという問いには出演するということでした。 「24時間テレビ愛は地球を救う」でも自分の主張を訴える1つの機会であることに変わりはなく、積極的に乗り込んでいくというのも行動力です。 しかし、この偽善番組の視聴率は最高値で何と35.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)というから驚きです。司会にアイドルを使ったということもあるでしょうが、それ自体、番組全体を安っぽくしています。 8月26日~28日に掛けて日本経済新聞社とテレビ東京が行った世論調査では、安倍政権の支持率が62%を記録したというのですから驚くに値しないことなのかもしれません。マリオに扮し、赤いボールを手に五輪閉会式に登場した安倍首相=8月22日、リオデジャネイロ(ロイター=共同) 日経新聞の分析では、リオデジャネイロの閉会式に安倍氏が登場したことが追い風になったのではないかとしています。まさにオリンピックの政治利用そのものなのですが、こういった演出に世論が大きく動くというのが現実です。 「24時間テレビ愛は地球を救う」程度の演出に共感し、あるいはアイドル見たさだけの番組の高視聴率に安倍政権の支持率の高さと同じ臭いを嗅いでしまうわけです。福祉などを考えるきっかけになるような番組ではなく、一時的な快楽の提供であって、偽善の拡大再生産でしかありません。 このようなことで煽動されてしまうとすれば、小池百合子氏が「グリーンに染めましょう」とやって煽動されていくのと全く一緒です。(「弁護士 猪野 亨のブログ」より2016年8月30日分を転載)

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    24時間テレビは「偽善番組」か NHKが「障害者の描き方」問う

     障害者差別は「愛」で解決できるのか。NHK番組の挑戦から、オバタカズユキ氏が考える。* * * 明日(28日・日曜)の夜(19時~19時30分)に放送されるEテレ『バリバラ』が楽しみだ。同番組公式HPの放送予告文はこうなっている。〈「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトで始まったバリバラ。しかし、いまだ障害者のイメージは「感動する・勇気をもらえる」というものがほとんど。「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」その謎を徹底検証!スタジオでは「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などのテーマを大討論!Twitterで視聴者ともつながり、みんなで「障害者の描き方」を考える。〉 放送タイトルは、〈【生放送】検証!「障害者×感動」の方程式〉。もうお分かりのように、裏番組の『24時間テレビ 愛は地球を救う』にライブでケンカを売ろうというわけである。 8月27日18時30分~28日20時54分に放送する今年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』は、番組テーマを「愛~これが私の生きる道~」としている。ラストの盛り上げに入ろうかという時間帯にぶつかる『バリバラ』には、ぜひ日テレに向けてこう問いかけてもらいたい。 愛、愛、言ってるだけで、障害者は救われるの? そういう一方的な善意の押し付けは「キラキラ差別」って知ってる? 最近は“攻めのNHK”のイメージも出てきているEテレだ。中でも福祉情報番組『きらっといきる』(放送終了)内企画として2010年4月から始まり、2012年に独立した『バリバラ』は、有名無名を問わず、障害者がエンターテイナーとして出演し笑いを取ろう、というラディカルな番組である。 今春からは対象を障害者に限らず、LGBTなど〈「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人たちにとっての“バリア”をなくすために、みんなで考えていく〉番組へマイナーチェンジ。〈緊急企画 障害者殺傷事件を考える〉など、硬派なジャーナリズム路線も取り混ぜ、攻めの姿勢をさらに強めている。 ならば、日本のテレビ界最強の福祉系番組に真正面(真裏?)から噛みついてみせてほしい。予告の動画では、番組MCの山本シュウが、「何かが起きる~ッ!」と叫んでいる。30分番組で何が起こせるのか、要チェックだ。 ところで、そうして同じテレビ界にも批判者が現れた『24時間テレビ』は、なにやら放送前からバタバタである。オリエンタルラジオと共に番組パーソナリティー役を務める予定だった俳優の高畑裕太が、23日に逮捕されてしまった。送検のため、群馬県警の前橋警察署を出る高畑裕太容疑者=8月24日、前橋市(宮崎瑞穂撮影) 容疑は強姦致傷。読売新聞によると、高畑容疑者は、警察の調べに対し「間違いありません。女性を見て欲求が抑えきれなかった」と容疑を認めているとのこと。福祉的にお話にならない。定説となった「24時間テレビの三大疑惑」 逮捕の当日、『24時間テレビ』の公式HPは、さっそく番組パーソナリティーとして記されていた「高畑裕太」の文字を消した。のみならず、彼は同番組の目玉である24時間テレビドラマスペシャル『盲目のヨシノリ先生~光を失って心が見えた』の出演者でもあり、そのドラマ公式HPのキャストのページからも氏名が消えた。 なんでも彼の登場シーンは代役を立てて撮り直すとのこと。ドラマの放送は27日の21時頃で時間がない。いったいどう修正できるのか気になる~、とネット上ではへんな期待を集めている。「テレビ屋の意地を見せてくれ!」など日テレにエールを送る声がある一方、「視聴率アップでウハウハですね~」的に揶揄する向きも強い。 それでなくとも長いこと、『24時間テレビ』は、良くないウワサが絶えない番組であった。チャリティー番組の看板を出しておいて出演者に高額のギャラを出す異常、テレビ局も広告収入でボロ儲け、チャリティーマラソンの走者は車を使うなど完走なんか真っ赤なウソ。どこまでそうなのか、真相は闇の中だが、上記はもはや「24時間テレビの三大疑惑」として定説のようになっている。 1978年放送開始以来、38年間も続けてきた巨大な人気番組だ。大きな金が動くので、いろんな利権も発生するだろうし、いわゆる「演出」「編集」もさまざまに施されているのだろう。肝心なのは、それらコミでも、あの番組に存在価値があるかという点だ。 Eテレの『バリバラ』は要するに、「頑張る障害者=感動」という図式でしか社会的マイノリティーを捉えることのできない不自由さの象徴、もしくはその態度の発信源として、『24時間テレビ』を批判しようとしている。著書「相方は、統合失調症」の出版イベントを行った松本ハウス。往年の決めポーズを決めたハウス加賀谷(左)と松本キック=7月1日、東京・新宿 たしかに、ハンディキャップにめげず戦う者の姿は美しい。私だって、容易に感動する。でも、だったら、依存症というハンディキャップを乗り越えようと頑張ってクスリ断ちをしている元有名人たちになぜ目を向けないのか。それは犯罪だから、か。 だとしても、ならばなぜ身体障害者ばかり取り上げて、精神障害者にはちゃんと向き合わないのか。絵にならないからか。愛では救えないからか。いや、そんなら3年前の8月に出版され、大きな話題を呼んだ『統合失調症がやってきた』を熟読し、そこにあるコンビ愛の深さを知り、松本ハウスの2人に番組出演を依頼してくれ。そうすれば、いまだに根深い精神障害者蔑視の風向きが変わる。そんな大きな力があの番組には潜んでいる。「チャリティー精神の破壊」と考えたことはなかったのか チャリティー番組である『24時間テレビ』は、過去38年間で356億6732万304円の寄付金を集めたという。そのお金はすべて「福祉」「環境」「災害復興」などの支援に使われ、例えば、これまで方々の施設や団体に1万台以上の福祉車両を贈呈してきた。2013年12月に公益社団法人の認定を受けた「24時間テレビチャリティー委員会」の公式HPでは、その成果を高らかに謳いあげている。 でもね、38年間頑張ってきて、もっとも大事な視聴者に対するチャリティー精神の啓蒙・普及は、どれだけ成果をあげただろうか。数字で数えられないから分らないではなくて、『バリバラ』のようなアンチが公然と現れ、その背景には「24時間テレビは偽善番組だ」という大勢の視聴者の声があることをどう捉えているのか。私たちのやっていることは逆にチャリティー精神の破壊かもしれない、と制作者たちは一度でも考えたことはあるだろうか。 番組と一心同体の関係にある「24時間テレビチャリティー委員会」の公式HPをじっくり見て回って、「あれ?」と気づいたことがある。これまで集めてきた寄付金の総額を放送年ごとに記した一覧表だ。 寄付金総額が、2014年は9億3695万5640円、昨年2015年は8億5672万8209円、とイマイチなのである。前記したように過去38年間の全総額は356億6732万304円。38で割ると、1年あたりの平均は9億3861万3692円で、直近2年はそれを下回っている。公益社団法人の認定を受けたことで、寄付金には寄附金控除や損金参入など税制上の優遇措置が適用となった。その効果が出たはずの2年間なのに低調なのだ。 番組の視聴率はここ20年以上ずっと好調。テレビ低迷の時代にあっても、平均視聴率15%超えをほぼ毎年達成、目玉のドラマは20%超えを当たり前のようにしている。 人は集まる。が、金が集まらなくなってきた。その社会的背景には何があるのか。それは愛で解決できるのか。感動していればそれでいいのか。 感動には思考ストップの副作用もある。愛より頭が必要な時代になってきており、『24時間テレビ』も熟考の時をむかえている。そう私には思える。関連記事■ 高畑裕太容疑者、業界内で広まっていた悪癖 母は新居建築中■ 木村拓哉だけの「特例結婚」でメンバーたちは諦めの境地■ いるだけで視線集める木村拓哉 光GENJIから厳しく叱られた■ 18才息子と渋谷デートの安室奈美恵に主婦から羨望の声■ 18才息子と渋谷デートの安室奈美恵に主婦から羨望の声

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    『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手

     1978年の第1回放送から37回目を迎えた日本テレビ系の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(8月22・23日放送)。今年は、チャリティーマラソンランナーにDAIGOが選ばれ、100キロを走る予定だ。このコーナーは1992年から設けられ、名物企画となっており、今では“マラソンのない24時間テレビ”を知らない世代も多数存在するようになった。 そもそもの『24時間テレビ』の始まりを振り返ると、当時の大人気番組『11PM』(日本テレビ系)までさかのぼる。同番組は1975 年から「スウェーデンの福祉」などの企画を年に3回ほど放送しており、都築忠彦プロデューサーがその延長線上で『24時間テレビ』を発案。日本テレビは『開局25周年記念特別番組』として、1978年に1回きりの放送をする予定だった。 その時のテーマは『寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!』と明確に掲げられており、『11PM』の司会者でもあるキャスターを務めた大橋巨泉は番組の最後に、「(募金額の)99%が1円玉、5円玉、10円玉だと思うんですね。金額は少なくとも量は。ということは、決して豊かでない人たちが僕たちの企画に賛成してくれて、募金してくれたと思うんです。僕が言いたいのは、福田(赳夫)総理大臣を始め、政府の方、全政治家の方に、本来はあなた方がやることだと思うんです。ですから、福祉国家を目指して良い政治をして頂きたいと思います」と時の政権に訴えかけていた。「24時間テレビ」現在のメーン会場、東京・日本武道館 チャリティーという意識が浸透していない時代に、『24時間テレビ』の持つ意義はとても大きかった。 第1回目のチャリティーパーソナリティは萩本欽一、大竹しのぶが務め、番組キャスターには東京では大橋巨泉、竹下景子、大阪では横山やすし、西川きよしが起用された。第1回に男性や子供ばかりが集まった理由 また、現在の番組テーマ曲はエンディングで必ず歌われる『サライ』だが、第1回目は「番組シンボル」であるピンク・レディーが、テーマ曲『2001年愛の詩』を歌っていた。電話で視聴者からのメッセージを受け付けると、その電話は鳴り止まない。時には欽ちゃんなどのタレントが話し込む場面もあった。24時間で189万本もの電話があり、スタジオに繋がったのはたったの7万本。3.7%の確率でしか繋がらなかった。古参の芸能記者が話す。「初開催とあって、とにかく盛り上がりが凄かったんです。代々木公園で行なわれたグランドフィナーレには、萩本欽一と大竹しのぶ、ピンク・レディーが登壇。テレビを見ていた視聴者が会場に押し寄せ、後方のカメラからでも入りきらないほどの人だかりとなりました。欽ちゃんや大竹がステージの上から客席に手を伸ばし、直接募金をもらいに行くと、波を打つように人が集まってきました。 また、街頭で募金を集めていたタモリが黄色いTシャツと白い短パン姿、青と白のシマシマ靴下で、なぜか聖火ランナーとして登場。聖火台に点火していました(笑)」 現在はジャニーズ事務所所属タレントが司会を務めることもあり、会場となる日本武道館には女性ファンが大半を占めている。しかし、第1回目の代々木公園には男性や子供ばかりだった。「人気絶頂のピンク・レディーがいたからという理由もあるでしょうが、それ以上に番組に対する熱狂が凄かった」(同前) サポート役として進行していた徳光和夫氏(当時日テレアナウンサー)が会場へ降り、「こんなことを欽ちゃんたちに言いたいということがあれば、手を上げてください」と質問を募った。すると、千葉から訪れた高校3年生の男子が熱く訴えかけた。「欽ちゃんさ、あの聖火みたいにさ、今日1日で消さないでさ、ずっと続けてよ。これ消えちゃったら、つまんないじゃない? タモリも頑張ってよ。どんどん訴えて、笑いで」 会場からは拍手が巻き起こり、欽ちゃんも「そうだよなあ!」と呼応。「笑いで訴えて」と言われたタモリは「わかりました」と冷静に対応していた。 この熱狂ぶりに、当時の小林與三次日本テレビ社長が舞台裏から突然登場。欽ちゃんからマイクを奪い、「全国の皆さん、ありがとう。心から御礼申し上げます」と感謝。欽ちゃんが会場を指差し、「また来年もやってくれと言ってますよ」と問い掛けると、「ご支持いただくなら、何度でもやります! そういう必要がある限り」と力強く宣言。すると、会場からは小林社長の声をかき消してしまうほどの大拍手が巻き起こり、翌年以降の開催も決まったのである。 盛り上がりに比例するように、最終的な募金額は12億円近くに上り、日本初の大型チャリティー番組は大成功に終わった。あの熱狂から37年。今も番組は続いている。関連記事■ 萩本欽一「丁寧な番組作りはいかりや長介から学んだもの」■ 24時間テレビ 計33回の放送で合計募金総額は291億円超■ 加藤茶の体調不安 「テレビで見る姿以上に深刻」との証言も■ 関根勤、勝俣州和ら欽ちゃんファミリーが今も売れ続ける理由■ 7億当せん番号の宝くじ持つ萩本欽一 換金せず見せびらかす

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    【三ちゃん独白】めちゃイケに必要なのは僕の「復帰」なんです(笑)

     三中元克(お笑い芸人) 2010年秋にナインティナインさんのバラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」の新メンバーオーディションを受けたのは、子供のころからめちゃイケが好きで、中でも岡村隆史さんの大ファンで尊敬していたからです。 小学生のときからめちゃイケの人気はすさまじかったんですよ。地元の大阪の友達は全員見ていました。中学時代にやっていた人気コーナー「数取団」が面白くて、学校でみんな真似していましたね。週明けの月曜日はまず、めちゃイケの話から始まるのが当たり前でした。 だから物心ついたころから、お笑い芸人になりたいって本気で思っていて、岡村さんみたいにお笑いで多くの人を感動させることができるようになるのが夢でした。小学校の卒業文集にも将来の夢として書いたぐらい。僕の原点はめちゃイケなんです。 2001年からロバートさんやキングコングさんらが出演していたお笑いバラエティー番組「はねるのトびら」が始まり、そっちの方が面白いって言う友達もいましたけど、僕は絶対めちゃイケの方が面白いって力説していました。 高校3年の夏休みに同級生3人で、アルバイトで貯めた6万円を持って東京旅行に行きました。当時お台場でやっていたフジテレビのイベント「お台場冒険王」のめちゃイケブースで番組関連グッズなどを買い漁って5万円ぐらい使ってしまったんです。2日目目のディズニーランドでは何も買えませんでしたが、目的はめちゃイケブースだったので大満足して帰りました。それぐらいめちゃイケが好きだったんです。 本気でお笑い芸人を目指したのは高校時代です。ただ、通っていた高校の進路指導の先生に相談したら、一度はちゃんと就職しないさいと言われ、お金もなかったので納得しました。 当初は吉本興業のタレント養成所「NSC」の大阪校に行くつもりでしたが、実家からだと甘えてしまうし、中途半端な気持ちでは親を説得できないだろうと思って覚悟を見せたかったんで、東京でやろうと決めたんです。卒業後は棚の製造会社に就職しましたが、1年間で辞めました。入社前の面接で「一生働きます!」なんて言いましたけど、最初からまとまったお金が貯まればすぐに上京しようって決めていたから。運命を感じたオーディション 1年間で45万円ぐらい貯まったので、翌年に会社を辞めて上京しました。食べることに困らないよう、レストランとかファストフード店とか、飲食店ばかりでアルバイトをしましたね。 最初にめちゃイケとの関係ができたのは、上京から3か月半ほどたったときでした。携帯電話でアルバイト情報を見ていたら「あの人気番組で働ける」と書いてあったので、もしや!って思ったんです。絶対めちゃイケか「はねるのトびら」だろうって。応募締め切りはその日の午後5時、時間をみたら午後4時。猛ダッシュしてギリギリ最後に受け付けてもらったら、仕事はやっぱりめちゃイケだった。帰りの電車の中で採用の連絡がきて、もうめちゃくちゃうれしかったですね。 そのアルバイトは「お台場冒険王」の後継だったフジテレビのイベント「お台場合衆国」で、めちゃイケのブースでした。「矢部家の牛丼」という、矢部浩之さんのお母さんが考案した肉の代わりにタコさんウインナーをのせた丼を作ったりしていました。憧れのめちゃイケに関わる仕事ができて本当にうれしかったですね。フジテレビ夏の恒例イベント「お台場合衆国」 大きな転機が来たのは、めちゃイケメンバーのオーディション実施が発表されたその年の9月。上京した年だったことに加え、アルバイトもした後ですし、何か運命のようなものを感じてオーディションに参加しました。 でも当日会場に行ったら8千人ぐらい集まっていて、こりゃだめだって思ったのを覚えています。もう思い出づくりにでもなればと参加して、最初は○✕クイズで一度は落ちたんです。だけど運がよかったんですよ。あまりにも落選者が多かったので敗者復活になり、それで勝ち残ることができた。30秒の自己PRに進んだときは、事前にあれこれ考えていたけど、いざ面接になると、目の前に加藤浩次さんや濱口優さんらがズラリといて、頭は真っ白。「お台場合衆国」でアルバイトしていたことしか言えませんでした。もうだめだと思っていたけど、濱口さんが僕のことを「気になるわぁ」、「素人中の素人が来たなあ」って言ってくれて、目をつけてくれたんです。 オーディションで選ばれてからは大変でした。岡村さんや加藤さんらは僕とは親子ぐらい年も離れていますし、収録前なんかはどんな話をすればいいのかまったくわからない。憧れの岡村さんと一緒に仕事ができるうれしさや楽しさ以上に不安ばかりでした。もし、岡村さんと絡んでスベッたらどうしようとか、もちろんめちゃイケには素人として出ていたので、メンバーやスタッフの方々から「期待せんから大丈夫やで」って言われてましたけど、やっぱり岡村さんの前では面白いやつでありたかったですからね。 岡村さんは、収録前はほとんどしゃべらないとか聞いていたけど、実際は違いますよ。現場ではメンバーのみなさんとよく話しているし、僕が楽屋にあいさつに行ったときも「三ちゃんおはよう」って返してくれます。よい意味で、ぜんぜん違うんだとわかりました。 それから岡村さんみたいになりたいって簡単に思っていたけど、当たり前ですが、まったく及ばないことも実感しました。昨年の「27時間テレビ」で岡村さんが1時間ダンスを続ける企画があって、その当時は「ライザップ」で鍛えていたのに、ダンスの練習も同時にやって、クタクタの状態で本番に臨むんです。それでも完璧にやりこなして。本当のスターはこういう人なんだって圧倒されて、鳥肌が立ちましたね。めちゃイケに必要なのは「三中の復帰!」(笑)  僕に対して厳しいときもありましたけど、とても深い愛情もあったと感じました。岡村さんは「芸人はカメラの前で感動の涙を流してもいいけど、あまり簡単に涙をみせちゃいけないよ」と指導してくたことがありました。それから「心」という漢字にタスキをかけると「必死」の「必」になるって言われて、「三ちゃんが1週間や2週間で劇的に面白くなることはないから、とにかく一生懸命やればそれが伝わって、必ず認められるから」とか、すごくいろんなことを教えてもらいましたよ。 結果的に視聴者が参加するめちゃイケの再オーディション「国民投票」で不合格だったことは悔しいし、残念です。めちゃイケの20周年を一緒に迎えたかったですから。スペシャル番組を見たりしていて寂しいなって思いました。それが本音です。 めちゃイケという番組自体の魅力は、僕の子供時代と何も変わらないと思いますよ。自主規制なんかが厳しくなる中で、まだまだ攻めている番組の一つでしょう。加藤さんの義理のお父さんが亡くなって、そのお墓の前でパロディやるとか、視聴者から「不謹慎だ」なんて言われるかもしれないことをやったり、めちゃイケがすごいのは「やっちゃいけない」ギリギリのようなことにチャレンジするところだとずっと思っていますから。そんなめちゃイケは今後もずっとこれまで通りに、めちゃイケらしさを大切にして続いてほしいですね。 めちゃイケの視聴率向上のために何が必要かと言えば、そりゃあ「三中復帰!」でしょう(笑)。冗談ですよ。絶対に冗談ですよ。 でも、めちゃイケを卒業になって思うのは、やっぱり僕はめちゃイケみたいなことやりたいし、芸人として目指しているのはナイナイさんです。だから高校時代の同級生とやっているお笑いコンビ「dボタン」で、僕は岡村さんみたいになりたいし、相方には矢部さんみたいになってほしいと思っています。 将来については、本当におこがましいことだと分かっていますが、めちゃイケを卒業になったので、自分自身でめちゃイケのようなものを作ればいいじゃないかと思っていて、舞台なんかで挑戦していきたいですね。(聞き手・iRONNA編集部、川畑希望)さんなか・もとかつ 1990年7月24日、大阪府生まれ。大阪府立今宮工科高校(大阪市西成区)卒業。2010年10月、フジテレビのバラエティー番組「めちゃ×2 イケてるッ!」の新メンバーオーディションで素人枠から合格し、レギュラーメンバーとして出演。今年2月に視聴者参加型の再オーディション企画「国民投票」で不合格となり、降板した。現在は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ「dボタン」のボケ役として活動している。