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    「激しい言葉」と「鋭い質問」は違う 舛添疑惑の過熱報道に残る違和感

    新聞からこの種のスクープが影を潜めたのでしょうか。 週刊文春の新谷学編集長は今年3月、インターネットメディアのインタビューに応じ、「いまのメディアは、批判をされない、安全なネタばかり報じる傾向が強まっているように思います。評価が定まったものに対しては『悪い』『けしからん』と叩きますが、定まっていないものは扱いたがらない」と語りました。新谷氏のこの言葉は、新聞やテレビの“ダメさ加減”を的確に言い当てています。つまり、既存の大マスコミがリスクを取らなくなった、ということです。経営悪化で調査報道が縮小傾向 かつては、新聞報道が「政界疑獄」のきっかけを作ったことがありました。竹下登内閣を崩壊に追い込んだ朝日新聞の「リクルート疑惑報道」(1988年)はその最たる実例でしょう。こうした取材・報道は「調査報道」と呼ばれますが、調査報道には時間も経費もかかります。成功するかどうかも途中では分かりません。週刊文春も甘利氏の疑惑では、1年もの時間を費やして取材し、確たる証拠を握るまで報道しなかったそうです。参院税特委に証人として出席した江副浩正リクルート前会長=昭和63年12月6日、国会 しかし本来、人も資金も潤沢に有しているはずの新聞・テレビは最近、失敗を恐れ、ほとんどリスクを取らなくなりました。理由は二つあります。一つは部数減や広告収入の減少などにより、新聞・テレビの経営環境が急速に悪化していること。特に、かろうじて調査報道を支えてきた新聞の凋落ぶりは著しく、全国の日刊紙は1年間で合計100万部前後も部数を落としています。こうなると、会社は、金のかかる調査報道の比重を落とし、危ない橋を渡ることを避けようとします。経営上、リスクを取らなくなるわけです。 特別報道部を作り、鳴り物入りで調査報道を進めていた朝日新聞も、福島第一原発事故の「吉田調書」問題をめぐる失敗をきっかけとして、特別報道部の体制を事実上、縮小してしまいました。これも“失敗”に懲りて、リスクを取ることを恐れた一例と言えます。 一方、経営悪化によって、社員のリストラに着手した新聞社も少なくありません。こうなると、現場でもリスクを恐れ、記者がますます冒険をしなくなります。「行政の言うことをそのまま書いていればいい」「街の楽しい話が読まれるはずだ」――。そんな「自粛の空気」が取材現場にじわじわと広がってきたわけです。政治資金収支報告書の点検などはかつて、調査報道の基本中の基本でしたが、舛添知事問題が起きて「初めて政治資金報告書なるものを見た」という都庁詰めの記者もいたそうです。記者クラブ制度と“構造的”な問題記者クラブ制度と“構造的”な問題 大手新聞やテレビが週刊誌にも追いつけなくなった背景には、記者クラブ問題も横たわっています。広く知られるようになりましたが、記者クラブは原則、新聞やテレビの会社員記者しか加盟できません。週刊誌やフリー、ネットメディアの記者はメンバーになれず、記者会見を取材することも不可能なことが大半です。そのぬるま湯の中で、各社の記者は「仲良しクラブ」を作り、半ば談合のような取材を繰り返してきました。 舛添氏をめぐる報道では、こんな“構造問題”も見えてきました。語るのは大手新聞の中堅記者。「都庁担当は政治部ではなく、社会部です。記者にすれば、都庁は首相官邸や外務省などと比べて格下だし、都庁にはふつう、入社数年の若い記者か、やる気を失った記者しかいません」。全国紙の場合、都内版を埋めることが都庁担当の重要な役割の一つであり、「知事の“疑惑”にふだんは目も向いていない」(同)というわけです。「言葉の激しさ」=「追及」ではない 舛添氏の釈明会見では、“中国服を着て習字を書くまねをして”といった質問も飛び出しました。そんなニュースに接し、レベルの低さにあきれた方もいるのではないでしょうか。週刊文春の新谷編集長が指摘するように、取材力が低いと、おぼれかかった犬は一斉に叩き始める傾向があります。昨年問題になった“号泣会見”の兵庫県議に対する集中砲火のような報道も、そうした事例の一つと言えるでしょう。 おそらく「舛添疑惑」のような問題を取材する大手メディアの記者は今後、会見で激しい言葉をぶつけていくでしょう。例えば、2005年のことですが、JR西日本の福知山線で列車脱線事故が起きた際、全国紙の記者が会見で“ヤクザまがい”のような言葉で罵声を浴びせて批判され、のちに会社から処分されたことがあります。「罵声や大声=追及」と勘違いした一例と言えるでしょう。 言葉の激しさ、とげとげしさは「質問の鋭さ」とは別次元の話です。結局、日々の地道な取材こそが、いざという時に力を発揮するのではないでしょうか。それがないから、常にウオッチしているはずの政治家らへの取材は甘くなり、問題が起きても記者クラブ内の「なあなあ」の雰囲気の中で追及は中途半端にしか進まず、そしてターゲットがおぼれかけていると見るや今度は一斉にたたき始める――。そんな傾向が続くのではないでしょうか。 舛添氏をめぐる問題でも、それがあからさまに見えてしまいました。大マスコミの体たらくは今に始まったことではありませんが、思わず、「おい、しっかりしろよ」と言いたくなる日々はまだ続くのかもしれません。

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    無意味なリーダー潰しではなく、舛添氏を「育てる」べきだった

    添氏を辞めさせた方がいいか、都知事を続けさせた方がいいか」は、自分たちの利益を考慮して判断すべきだ。メディアの「舛添バッシング」に乗ると、最終的に自ら、あるいは子ども達がツケを支払うことになりかねない。 私は、舛添氏は、政治家としての卓越した能力を持つと考えている。過去に私がみてきた厚労大臣の中で、舛添氏の業績は傑出している。また、東京都知事としても、きっちりとした仕事をしていたと思う。本稿では、政治家舛添氏に対する私の評価をご紹介したい。妊婦死亡事件から医師不足問題に道筋 舛添氏は07年8月から09年9月まで、第一次安倍・福田・福田改造・麻生内閣の四期にわたり厚労大臣を務めた。この期間、多くの問題を片付けた。例えば、C型肝炎訴訟、年金記録、新型インフルエンザ騒動、そして医学部定員増である。 いずれの問題においても、既得権者が存在し、「改革」は困難を極めた。舛添氏の手法は、マスコミを巻き込みながら、世論を喚起し、さらに永田町の政治バランスを利用して合意を形成していくというものだった。厚生労働相に就任し、会見に臨む舛添要一氏=2008年9月 その真骨頂は、08年6月に、1997年の医師定数削減の閣議決定を撤回させることに成功したことだ。当時、わが国で医師が不足していることは自明だった。国民が医師不足を知るきっかけは、06年2月に、福島県立大野病院で癒着を伴う前置胎盤に対し、帝王切開手術を受けた妊婦が死亡した事件だ。 担当医が逮捕された。この「不当逮捕」に対し、全国の医師が憤った。そして、メディアも、この問題を調べるようになった。その結果、逮捕された医師が、一人医長として24時間365日、お産に対応していることを知った。この不幸な事件を契機に、国民は、問題の本質が「医師不足」であることを認識し、「医療崩壊」「医師不足」を繰り返し報じるようになった。 この事件に早くから取り組んだのは、当時参議院議員だった舛添氏である。国会で取り上げ、関係者を支援した。08年8月に福島地裁は無罪判決を下し、検察は控訴しなかったため、無罪が確定した。厚労官僚の信頼を得ていた舛添氏 医師不足が明白にもかかわらず、舛添氏が厚労大臣になるまでは、誰も手をつけなかった。官僚、日本医師会という抵抗勢力が存在したからだ。 官僚の抵抗は熾烈だった。舛添氏が医学部定員を増やそうとしたときには、文科省医学教育課長に出向中だった医師免許を持つ厚労省の幹部官僚が、東大などの医学部長に「医師はなるべく増やさない方向で頼みます」と電話し回ったことが判明している。日本医師会の横倉義武会長(右)=2016年4月 厚労省の幹部官僚から、直接電話で「依頼」された医学部長たちは悩んだことだろう。厚労大臣は大きな権限を持つ。しかしながら、任期は通常1~2年だ。一方、幹部官僚には、その人物が退官するまで、研究費の工面や審議会の人選などで「お世話」になる。大臣と幹部官僚の板挟みにあった場合、どちらにつけばいいかは言うまでもない。 舛添氏は様々な手法を用いて、この問題を克服した。例えば、前出の医系技官のケースでは、マスコミにリークした。舛添氏本人ではなく、彼の意向を汲んだ部下たちが動いたようだ。このことは、08年10月10日、日本経済新聞が朝刊の一面で報じ、大臣に対して面従腹背の厚労官僚の姿が国民に曝された。そして、この動きは止まった。 なぜ、舛添氏はこういうことができたのだろうか。それは厚労省内の心ある官僚たちが、舛添厚労大臣を応援したからだ。2007年夏に厚労大臣に就任後、「誠実に勤務する姿が、部下で官僚たちの信頼を得た(厚労官僚)」という。 日本医師会との闘いは、日本医師会の幹部だけでなく、その意向を受けた「族議員」との代理戦争だった。 舛添氏は、メディアが醸成した世論、及び民主党と連携することで、日本医師会・族議員の抵抗を抑えることに成功した。メディアについては、あらためて言うまでもないだろう。ただ、メディアだけでは族議員は屈服しない。最終的には永田町での多数決が勝負を決める。 注目すべきは、07年以降、参議院で与野党が逆転していたことだ。当時、最大野党の民主党の医療政策をリードした仙谷由人・元官房長官や鈴木寛・元文科副大臣だった。舛添氏は彼らと太いパイプを持っていた。仙谷氏や鈴木氏は、医師を増員すべきと考えており、彼らが中心になって作成した09年の総選挙の民主党のマニフェストは、ほぼ舛添氏の考えを踏襲していた。 この結果、舛添氏は、日本医師会や厚労官僚の抵抗を押しきることが出来た。そして、医学部定員を5割増員することが決まった。当時約8000人であった医学部定員は、1万22000人になる まで、毎年400人ずつ増員されることになった。国民の利益を代弁できる数少ない政治家 ただ、舛添氏の改革は、その後、骨抜きとなる。医学部定員が当初の予定通り増員されたのは2010年度までで、2011年度には77人の増員に減らされた。東日本大震災で東北地方の医師不足が顕在化したにもかかわらず、医学部定員の増員にはブレーキがかかったのだ。 その後、現在にいたるまで大きな変化はない。2015年度入試での定員は9234人で、前年から65人増やすだけだった。さらに、2015年9月13日には、日経は一面トップで「医学部の定員削減、政府検討 医療費膨張防ぐ」と報じた。厚労省は、20年から医学部定員を削減しようとしていることを報じ、医師数削減を既成事実化しようとしたことになる。 勿論、このままで医師不足は改善しない。図は首都圏の75才以上人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移を示す。全都県で団塊世代が亡くなる2035年頃に一時的に回復するものの、その後は悪化している。このまま無策を決め込めば、首都圏の医療は崩壊する。これでいいのだろうか。図;首都圏での75才人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移 筆者と井元清哉・東大医科研教授の共同研究  日本医師会にとっても、医師免許をもつ厚労官僚にとっても、ライバルとなる同業者は出来るだけ少ない方がいい。選挙で支援を受ける族議員も、彼らの機嫌を損ねたくない。こうやって医師不足は放置されてきた。そして、これからも放置されるだろう。 この問題を解決するには、国民が考え、そして国民の利益を代弁する政治家が必要だ。知名度が高く、独自の支持組織を持たない舛添氏は、国民の利益を代弁できる数少ない政治家の一人であった。東京五輪をダウンサイズ では、都知事として、舛添氏はどうだったろうか。「介護や医療を売り物にして当選したのに、都知事になったら何にもしなかった」と批判する人がいる。 確かに、結果的にはそうだったかもしれない。ただ、私は、これはやむを得なかったと思う。それは、13年9月に、2020年に東京五輪が開催されることが決まっていたからだ。舛添氏が都知事に当選する前のことである。 国民・都民が東京五輪の開催を希望していた以上、舛添氏は、東京五輪を着実に推進するしかない。知人の東京都庁の職員は「舛添知事の仕事のエネルギーの半分以上は、東京五輪関係に費やされていた」という。 では、その仕事の中味はどうだったろうか。私が注目するのは、東京五輪をダウンサイズしたことだ。例えば、物議を醸した新国立競技場の建設計画は、15年12月に白紙撤回され、ゼロベースで見直されることになった。予算は約3000億円から1581億円に減額され、395億円を東京都が負担することとなった。 これを主導したのは舛添知事だ。15年5月、下村博文文科大臣(当時)が「競技場は東京のど真ん中、都民のスポーツ振興にもなる」という理由で東京都に約500億円の支援を要請したとき、舛添氏は「500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」と反発し、計画が見直されるきっかけを作ったことは有名だ。 私は日本国民の一人として、国立競技場の改修が必要な事は認める。ただ、税金を使う以上、費用対効果を考える必要があると思う。舛添氏の仕事を評価したい。おそらく、普通の知事なら、こんなことはしなかったろう。巨大公共事業には利権が付きものだからだ。東京五輪のダウンサイズが、自民党都議団や彼らの支持組織の不評を買ったのは想像に難くない。都市外交の能力も都市外交にも能力を発揮 舛添氏が批判されるきっかけは、度重なる外遊だ。では4年後に五輪を開催する都市のトップとして、舛添氏はどうすればよかったのだろうか。 私は、この点について舛添氏を批判するのはお門違いだと思う。政府は勿論、都市、民間ベースで交流を続けるべきだ。これは東京五輪に限らず、東京の世界的な地位を上げるために必要なことだし、戦争や災害など危機にあたっては、個人的なネットワークがものをいうからだ。会談を終え、握手する遠藤五輪相(左)と東京都の舛添要一氏=2015年7月、都庁 幸い、舛添氏には、その能力がある。どうせなら、もっと都市外交をやって貰えばいい。そして、有機的なネットワークを作ってもらえばいい。フランスや韓国などの大統領や首相に面談を求め、実際に会って貰える政治家が、わが国にどれくらいいるのだろう。 新国立競技場の建設に500億円を支払うことには反対しないのに、一回数千万円の舛添氏の外遊費を批判することが合理的だろうか。「外遊はすべきだが、もう少しコストを下げるように」と要望するだけでいい。リーダーを使い捨てにしても無意味 わが国には優秀なリーダーが必要だ。それは、わが国が、巨額の財政赤字を抱え、かつ東アジアのパワーバランスは不安定だからだ。遠くない将来、大きな決断を迫られる可能性が高い。 国家が危機を迎えたとき、官僚では大きな方向転換は出来ないし、わが国が議会制民主主義をとっている以上、そうすべきではない。このようなとき、矢面に立つのは政治家だ。このような政治家には、歴史、文化、経済、科学などに対する広い教養が必要だ。 海外のリーダーを交渉する際には、語学力や国際関係に関する知識は勿論、タフでなければならない。急速に国力を失いつつあるロシアを支えるプーチンのイメージだろうか。 このような政治家は、一部の国民からは「性格が悪い」と映るだろう。そして、メディアにバッシングされるだろう。果たして、どの程度の国会議員や知事に、その矜持があるだろうか。また、能力があるだろうか。舛添氏には、能力と矜持がある。リーダーに何を期待するか有権者が考えるべき マスコミは、舛添氏を批判し続けたが、彼の対応は立派だったと思う。もし、自分が同じ立場に置かれたときに、同様の対応ができるか自信がない。 例えば、一連の疑惑報道に対し、舛添氏は自ら説明した。6月13日の東京都議会の総務委員会集中審議では、いくつかのメディアが完全生放送した。 記者会見では、誰でも参加可能で、全ての質問に答えなければならないという都庁記者クラブのルールに従った。二時間を超えることもあった。舛添氏は、病気」を理由に、入院したりしていない。東京都議会総務委員会の集中審議で答弁を終え、自席に戻る舛添要一氏=6月13日 また、政治資金が問題視されたとき、「秘書がやりました」とは言わなかった。これは、昨今、政治資金規正法や贈収賄の疑いを指摘された政治家とは対照的だ。 海外出張の際には「都庁の役人のお膳立て通りやった」と言ったが、おそらくその通りだったのだろう。都庁の役人の中には、都市外交に意義を感じ、率先して進めた人も少なくないはずだ。 誰と会い、何を行い、そしてどう交渉するかは舛添氏が決めただろうが、ロジについては役人に任せたのだろう。そして、役人は「前例」通りやったのだろう。費用を節減する必要があるなら、「前例」を変えればいいだけだ。 都庁の知人は「これまでの知事は、あまり出勤してこなかった。だから、政治決定すべきことがしにくかった。舛添さんになって、やっと普通の組織になったと思う」という。このように考えると、舛添騒動も全く違って見えてくる。 舛添叩きをすることは簡単だ。果たして、それでいいのだろうか。リーダーの揚げ足をとって、使い捨てにしても、有権者には何のメリットもない。舛添氏には「公私混同を慎んで下さい」と釘を刺し、さらに働いて貰えばよかった。舛添氏が「成長」するきっかけになっただろう。 リーダーは、我々が育てるものだ。リーダーに何を期待すべきか、いまこそ、我々、有権者が考えるべきである。

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    「バカ殿」を演じた舛添氏を「切腹」させたメディアの罪

    た「疑惑追及劇場」が、「セコイ」という日本語を世界に拡散しただけで終わった。本当に残念である。世論とメディアが、ひたすら「辞任」を要求しなかったから、こんなことにはならなかっただろう。 私は、「疑惑劇場」が始まってしばらくしてから、「辞めてほしくない。もっと続けてほしい」と願うようになった。 それまでは、このまま「逃げ切ろう」という姿勢が許せず、一刻も早く「出場停止」にし、「永久追放」してほしいと思ってきたが、考えが変わった。このまま「辞職します」と頭を下げて、いなくなってしまったら困る。「反省しています」「生まれ変わります」「給料を返上します」と言っているのだから、しばらく都庁にいてもらって、毎週、同じ会見と議会審議を続けていってほしかった。 舛添「疑惑追及劇場」が始まったのは、「文春砲」(週刊文春5月12日号)が放たれた4月27日だった。その後、「口先言い逃れ」が続いたが、6月20日の「無言逃亡」により、劇場はわずか2カ月で終幕してしまった。険しい表情で都庁を後にする東京都の舛添要一知事(中央)=6月20日午後 この間、メディアの報道は盛り上がり、とくにテレビのワイドショーは視聴率を稼いだ。だから、一部のテレビ関係者は私と同じ思いで、「すぐに辞めてもらっては困る」と言っていた。「すでに辞任は既成事実化している。ならば、辞めるのはいつでもいい。もっと先でいい。毎日、ナマ中継でき、ここまで視聴率が取れるコンテンツはそうない」 というのが、その理由だ。 メディアは常に「都民の声」を代弁していると言いつつ、本音では「劇場」が続くことを願っていた。しかし、都議会与党の自民・公明の議員まで「恥ずかしくないのか」「あなたは辞めるべきです」などと言い出したため、舛添氏は辞めざるをえなくなってしまった。 本当に、残念である。辞任で本当にホッとしている人たち辞任で本当にホッとしている人たち  多くの都民、いや日本国民全体が舛添辞任を「よかった」と思っているかもしれない。「やっと辞めてくれた」とホッと胸を撫で下ろし、「今度はもっとまともな人を選ぼう」と思っているかもしれない。 しかし、舛添辞任を本当に「よかった」と思っているのは、都民・国民ではなく、都議会の与党、そして都の役人たちである。もっと大きく言えば、日本の政治・官僚支配システムのなかで、税金で生きるすべての人々である。 なぜなら、舛添氏は、都知事としてほぼなにもせず、「素晴らしき遺産」を守り通してくれたからだ。これは、世界の民主制国家のなかで、どこの国にも見られない世界遺産に匹敵する「日本遺産」である。 では、舛添氏が守り通し、残していった遺産とはなんだろうか? 以下、列記してみよう。視察という「外遊」には常にファーストクラスで行き、宿泊は5つ星ホテルのスイートでOK(「事務方が用意してくれた」のだから問題なし)。公用車は「走る知事室」なのだから、どこに行こうとかまわない(週末別荘通い。家族といっしょに巨人戦観戦もOK)。「視察」と言えば、趣味の「美術館めぐり」をいくらでもやっていい。正月の家族旅行を「会議」にしてしまえば、旅行代を政治資金でまかなっていい。「クレヨンしんちゃん」も政治資金で買っていい。「外国からの賓客にプレゼントする」とすれば、政治資金で趣味の美術品をヤフオクで買っていい。「中国服」を書道用に使うという画期的な着用方法がある。「第三者の厳しい目」として、ヤメ検弁護士を使えば「関係者は関係者」と言ってくれる。 まだまだいくらでも「遺産」はあるが、この辺にしておこう。要するに政治家は、税金、政治資金を好きなように使えるということである。政治資金規正法は「公私混同法」 ところで、舛添氏はどうして、このようなことをしたのだろうか? どんなに優秀、頭がいい人間でも、このような素晴らしい(=セコイ方法)は思いつかない。いずれも、優秀な学者アタマでは考えられない方法である。 そこで言えるのは、彼は政治家になり、先輩政治家たちを見て、こうした方法を学んだのではないかということだ。そうでなければ、「クレヨンしんちゃん」を政治資金では買うはずがない。1件あたり3万円程度の美術品を外国の賓客にプレゼントしたら笑われるはずなのに、それを堂々と買うわけがない。 その意味で、彼の学習能力は極めて高い。 つまり、政治資金規正法が主として献金の授受に関しての規定であり、その使用法については特段の記載がない「ザル法」であることを知り、ほかの政治家がどのようにそれを活用しているのかを学習したのだろう。 その結果、この法律は「公私混同法」であることを早くから見抜いていたのだ。 舛添氏は素晴らしい「語録」を残している。「政治家というものは私利私欲を離れて公のために尽くす気持ちがなければ、政治家になるべきでない」は、そのなかでも筆頭に挙げられるものだ。 しかし、彼は政治家になって、これが「戯言」にすぎないことを、身を持って知ってしまった。マスコミが本当に追及すべきことマスコミが本当に追及すべきこと さらに、舛添氏が学んだことがある。 日本では上に立つ者はなにもしてはいけない。トップリーダーというのは、改革者であってはいけないということだ。上に立ったら、下の者たちがいうことをすべて聞き入れ、「バカ殿」として振る舞うことこそが、やるべきことだということだ。 「文春砲」が放たれるまで、舛添氏の都庁における評判はすこぶるよかった。同じく金銭疑惑で辞任した猪瀬直樹前知事は、行政改革をやろうとしたため、労働組合の強い反発を受けた。しかし、舛添氏は改革などいっさい言い出さず、官僚の言いなりに都の財源を気前よく使った。 東京五輪の“裏金招致”疑惑の追及などには無関心で、まして、五輪利権で潤う既得権者のために、いくらでも都の資金を投入することを許した。 日本の組織においては、トップは下に担がれる「神輿」、つまり「バカ殿」でいいのである。いくら、自分をアタマがいいと思っても、そのアタマを使ってはならない。アタマがいいほど「バカ殿」を演じなければ、必ず「神輿」を外される。このような日本独特の民主制のあり方は、世界でも類を見ない。 舛添氏に「バカ殿遊び」をさせていたのは、いったい誰なのだろうか? メディアが追及すべきは、セコイ公私混同疑惑ではなく、じつはこちらのほうではなかったか? さらに、政治資金規制法という「ザル法」を改正させることではなかったのか? こうして見れば、舛添氏は「素晴らしい知事」だった。国民も都民も“怒り損”「担がれるほう」もそうなら、「担ぐほう」も、税金、政治資金を勝手に使って、遊興生活を送っている。 自由民主党東京都支部連合会の収支報告書を調べれば、舛添氏と同様に「会議」名目で、都内の高級料亭などで、飲食三昧しているのがわかる。たとえば、2013年2月5日には、高級料亭「つきぢ田村」約98万円、2014年4月4日には、ミシュランの星付きの高級割烹「玄冶店 濱田家」に約52万円を支払っている。東京都議会の自民党が舛添要一知事への不信任決議案を提出した議会運営委員会=15日午前0時46分 このような会議費は、2014年までの3年間で、約3500万円に達している。 その意味で、舛添氏の「ホテル三日月」の家族旅行費は本当にセコイ。出版社社長には、部屋にあるお茶程度しか出さなかったというのだから、彼はもっと学習するべきだった。「舛添“逃げ切り失敗”劇場」が終わって、途方もない虚脱感が残った。 とくに、自民党の都議5期を務める重鎮・野村有信都議が「侍で言えば、打ち首よりも名誉ある切腹の方がいいでしょ。最後の引き際は尊敬すべきだと思いますよ。そう思って、みなさん、許してあげましょう」と述べたのには、驚きを通り越した。  この国は、まだ戦国時代、江戸時代なのだろうか?   結局、メディアの洪水報道は失敗に終わってしまった。政治資金規制法の改正も、都条例の改正も実現できなかったのだから、国民も都民も“怒り損”だ。「文春砲」がいくら放たれても、これでは日本はなにも変わらない。私たちが税金を払うのは、「受益者負担」という原則に基づいている。しかし、日本では「受益者」は、この国を支える人一人の国民ではない。

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    「舛添叩き」は正義といえるか

    らず都庁を去り、疑惑の解明もうやむやになったままだ。舛添氏のどこがダメで、何がいけないのか。そして、メディアによる執拗な「舛添叩き」は何が問題なのか。

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    職業人として悲しくないのか? 誇りなき日本メディアの「舛添劇場」

    は誰で、その動機は何だったのか? そのような構造を明らかにすることも、「本寸法」の報道だったろう。 メディアにも、商業的な側面がある。新聞社だって、テレビ局だって、食っていかなければならない。従って、たとえ「色物」だとわかっていても、いわば「にぎやかし」としてそれらの話題を取り上げること自体が、悪いとまでは言えないだろう。 その一方で、「本寸法」の精神を忘れてしまっては、職業人として悲しい。何よりも、ジャーナリズムの名が、恥ずかしい。さらに、ヘタをすれば、国の方向を誤る。舛添さんの一連の騒動で、現場の記者たちに、そのような矜持は、どれくらいあったのだろうか。 連想されるのが、米大統領選挙をめぐる、アメリカ国内のメディア状況である。 不動産王トランプさんは、確かに注目を集めやすい人である。メキシコとの国境に壁をつくって、その費用はメキシコに負担させるとか、イスラム教徒は入国させないとか、実現の可能性が怪しい、派手な花火を打ち上げる。トランプ報道で冷静だった米国メディア その独特のヘアスタイルから、華やかなライフスタイル、さらには、父親からの資金援助が最初にあったとは言え、自らの努力で資産を築き上げた「アメリカン・ドリーム」の物語など、トランプさんが注目を浴びる要素は、たくさんある。 テレビなどのメディアは、そのようなトランプ現象に乗っかり、かなりの分量の報道をした。その過程で、それなりに利益も上がっただろう。トランプさんが事実上の共和党の候補になる上では、そのようなメディアの後押しが大いに役に立ったことだろう。 しかし、そのようなトランプ現象は、所詮、「色物」である。では、「本寸法」の報道は、忘れ去られてしまったのだろうか? そんなことはなかった。トランプさんが、共和党の候補者指名を獲得しそうだ、という情勢になった頃から、米メディアの中に、真剣な報道が目立ち始めた。もちろん、最初からあったのだろうが、騒ぎが一段落して、そのような冷静な声が聞こえ始めたのである。米ウィスコンシン州の集会会場に到着したトランプ氏=2016年3月(ロイター) トランプ現象は、確かに、今回の大統領選挙を盛り上げている。一方で、実際に、大統領になる資質があるかどうかの検証、主張されている政策の是非、さらには、トランプさんを支持している人たちの特徴についての、冷静な分析ーーこれらの「本寸法」の仕事を、米メディアは忘れていなかった。これらの報道は見応えがあるし、記事は、読み応えがある。さすがは、「ピューリッツァー賞」に象徴される、「ジャーナリズムはこうあるべき」という規範のしっかりした国らしい、ほっとさせる動きだと思う。 話は、日本のメディアに戻る。最近の日本のメディア、そしてソーシャル・ネットワークでの議論を見ていると、どうも、タガが外れてしまっているような気がしてならない。すべてが「ネタ」として話題にされ、そして消費されていく。誰も、そもそも原則論としてはどうなのか、ということを気にしない。そして、喧騒の中で再び誰かが神輿に担がれ、やがてまたスキャンダルで失脚していく。 そろそろ、日本の将来、政治の本来の課題について、冷静かつ合理的な議論をすべきなのではないか。そのような対話の助けになる、「本寸法」の報道がなされるべきなのではないか。 これは、何も、米国に見習え、という話ではない。「本寸法」、「色物」という価値観を創ったのは、私たちの祖先である。それは、日本の文化の根幹に根付いている、ある「生真面目」な感覚である。 今の報道のあり方が良くないということは、報道陣も、そして報道を消費する私たちも、どこかで気づいているのではないか。祭りの喧騒はほどほどにして、そろそろ、背筋をぴんと伸ばしてものごとを考えるべき時が来ているように思う。 日本人の生真面目さは、世界の人たちが称賛するところである。舛添さんに関する報道にそれがあまり見られなかったのは、一時的な現象だと思いたい。

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    舛添氏に対してNOを突きつけた民衆は本当に「愚民」か

    諌山裕(グラフィックデザイナー) 舛添都知事の辞職が確定したようだ。今回の一件に関して、小林よしのり氏は舛添氏に対するバッシングを「集団リンチ」と書いているのだが……舛添都知事をギロチンにかけよという民衆の声が静まらない。都議会でもマスコミでも、集団リンチが続いている。(中略)「レ・ミゼラブル」のエピソードに倣って、コソ泥には銀の食器を与えよ、反省して死にもの狂いで働くからと言っても、聞く耳を持たない。(中略)民衆とはそうした愚昧な連中なのだ。舛添都知事をギロチンにかけよと熱狂する民衆 「愚昧(ぐまい)」とは……おろかで道理に暗いこと。また、そのさま。愚蒙。「―な人」「―なる通人よりも山出しの大野暮の方が遥かに上等だ」〈漱石・吾輩は猫である〉ぐまい【愚昧】の意味 - goo国語辞書 ……の意だが、「愚昧な民衆」とは「愚民」ということになる。「愚昧」の対義語は「賢明」だが、では「賢明な民衆」とは存在しえるだろうか?……という疑問がわいた。「愚民」の対義語は、「賢民」になりそうなものだが、「賢民」という熟語は辞書にはない。「賢民」は造語になってしまう。2014年2月、雪が降りしきる中、東京都知事選の候補者の街頭演説に足を止める有権者ら=JR品川駅前(宮川浩和撮影) 誤解しそうなのが「良民」だが、本来は「良い民」の意味ではなく、階級制度のあった時代(奈良時代)の身分を表す言葉だ。辞書によっては「善良な人民。まじめな国民。」と記しているものもあるが、福澤諭吉の「学問のすすめ」あたりから派生した拡大解釈だと思われる。 かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。福沢諭吉 学問のすすめ ここに「良民」という言葉が出てくる。同時代の陸羯南(くがかつなん)の著作「近時政論考」(1891年刊)では、良民について…… 吾輩はあえて議員諸氏に向かいてこの編を草するにあらず、世の良民にして選挙権を有し読書講究の暇なき者のためいささか参考の資に供せんと欲するのみ。陸羯南 近時政論考 ……と書いていて、選挙権を有していることが条件のひとつになっている。当時の選挙権は、「国税を15円以上おさめている満25才以上の男性に限られ、全人口の1%の人」だったことを考えると、富裕層が対象だったようだ(※当時の15円は、現在の60万~70万円ぐらい)。 「愚民」の対義語が「良民」と定義されていないのはなぜなのか? 字義に別の由来があるからなのかもしれない。「賢民」の語がないのは、個人としては賢明さを備えていても、民衆という大人数の集団になると賢明さを失い愚昧な人々になってしまう……ということではないだろうか。 つまり、「賢民」が存在できないのであれば、民衆と愚民は同義語あるいは補完関係にあり、「民衆とはそうした愚昧な連中」という指摘は成立しないことになってしまう。人が数万人~数百万人~数億人と集まって「民衆」になると、「愚昧化」するともいえる。 小林氏が、舛添問題での民衆のあり方を「愚昧=愚民」と批判するのであれば、「賢民」といえる事例を引き合いに出さなければ説得力が乏しい。1077万人が集団リンチに賛同したわけではない 「愚昧」の辞書に用例として出ている「吾輩は猫である」の一節が象徴的だ。 「愚昧なる通人」とは不特定多数を指しているが、「山出しの大野暮の方」は個人もしくは少人数を指していると思われる。少人数のコミュニティであれば人間関係が密で、意見の集約も比較的容易だが、大人数の民衆になると全員一致の意見集約は困難になる。そのため、多数決をとったり、折衷案で妥協したりする。YESかNOで白黒をつける必要性が出てくると、個々の意見の細部は切り捨て、問題を簡素化して二者択一の結論を出すことになる。ある人が、100%賛成ではないが60%賛成ということで、YESに投票すれば不本意な40%の意見は無視される。民衆の規模が大きくなるほどに、意見や意思表示は絞られ、先鋭化していく。枝葉の部分は切り落とされ、1本の丸太になってしまう。 それが民衆。言い換えると、愚昧化した人々の集まりが民衆だ。そして、民衆とは実体をともなわない仮想の存在でもある。誰も民衆を目視することができない。多くの人々という漠然としたイメージの産物なのだ。小林氏のイメージする民衆と、他の人々がイメージする民衆は同じではない。「こんな感じ」と想像しているのが民衆だ。 東京都の人口は、約1351万人のうち有権者数は、約1077万人(2013年7月)。舛添氏に対する意見は、1077万通りあるはずだが、最大公約数で集約すると先鋭化された「辞任要求」になってしまった……ということだろう。 小林氏は「レ・ミゼラブル」を引き合いに出したが、それはちょっと違うと思う。Wikipediaから該当するあらすじを拾うと…… その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、2本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スーを結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。 レ・ミゼラブル - Wikipedia ヴァルジャンは懺悔したが、舛添氏は自分の行為を正当化し、正直な証言をせず、懺悔もしなかった。「言えない」「記憶にない」というばかりで、誠実さを示すことはなかった。 「銀の食器を与えよ」というが、都民は彼に「都知事」という座を与えた。銀の食器よりもはるかに価値のあるものだ。それを使って彼が真剣に仕事をし、正直な人間として、人々に称賛される成果を出せればよかったが、実態は違っていた。そのことに民衆は怒ったのだと思う。 ヴァルジャンに置き換えるならば…… マスゾエ・ヴァルジャンは、銀の食器を手に入れたことに味をしめて、銀の食器をもっと手に入れるために、同様の手段であちこちの教会で盗みを働いた。 罪を重ね、逃げ続けたマスゾエ・ヴァルジャンだが、ついには捕まってしまう。 裁きの場に立たされたマスゾエ・ヴァルジャンは、司教に許しを乞う。「どうか、お許しを。今度こそ、心を入れ替えます」 司教は失望感を露わに告げる。「マスゾエ・ヴァルジャンよ。私が銀の食器を与えたのが間違いだった。もはや、私にはどうすることもできない。神のご意志にまかせるしかない」 ……という筋書きになる。 「学問のすすめ」には、以下のような一節もある。 また一方より言えば平民といえども悉皆無気無力の愚民のみにあらず、万に一人は公明誠実の良民もあるべし。しかるに今この士君子、政府に会して政をなすに当たり、その為政の事跡を見ればわが輩の悦ばざるものはなはだ多く、またかの誠実なる良民も、政府に接すればたちまちその節を屈し、偽詐術策、もって官を欺き、かつて恥ずるものなし。この士君子にしてこの政を施し、この民にしてこの賤劣に陥るはなんぞや。福沢諭吉 学問のすすめ 為政者が不正を働ければ、「良民」も賤劣に陥る……と説いている。そういう意味では、セコい不正ではあるが、舛添氏の行いに対してNOを突きつけた民衆は、愚民かもしれないがまだ良識はあったともいえる。不正利用が少額だから許してやれとか、言い訳に嘘をついても許されるとしたら、法律や倫理・道徳は守らなくてもいいって話になってしまう。人の上に立つ者が、それでいいのか? 小林氏が「集団リンチ」と呼ぶのは、ネット上でバッシングの嵐が吹き荒れることをいっているだと思う。ネットのない時代であれば、飲み屋で「あの知事は首だよ、首」と話題にしたとしても、それが拡散することはなかった。個々の声は、半径5メートル以内で消えていた。 それがネット時代の現在では、つぶやきが瞬時に日本中に広がる。小さなつぶやきでも、共感する人が多いほどに、大きな叫びになっていく。 しかし一方で、バッシングに同調している数は、騒ぎの大きさほど多くはないという実態もある。数百人がつぶやきを発していると、あたかも日本中が同調しているような錯覚をしてしまう。人間の脳の処理能力には限界があり、大量の情報が一気に押し寄せると、「1つ、2つ、3つ……たくさん!」と、ひとかたまりに省略してしまう。処理しきれない数になるため、「民衆」という抽象化をしてしまうのだ。 何人からが「民衆」なのか? 10人? 100人? 1000人? 1万人? そこに厳密な定義はない。少なくとも、1077万人が集団リンチに賛同したわけではない。 個人的な希望としては、小林よしのり氏が都知事選に立候補したらいいのではと思う。知名度はあるし、主義主張もはっきりしているし、官僚や周辺の政治家からの圧力に屈することもないだろう。愚昧ではない小林氏なら、都政は正常化できるかもしれない。私は小林氏に1票入れるよ。(ブログ「諌山裕の仕事部屋」より2016年6月15日分を転載)

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    舛添報道「幕引きにするな」というテレビはなぜ取材をやめるのか

    高橋秀樹(放送作家/日本放送作家協会・常務理事)(メディアゴンより転載) 日本経済新聞デジタル版が次のように伝えている。 東京都議会は15日の本会議で、舛添要一知事の辞職の申し出に同意した。舛添氏は残務処理の後、21日付で正式に辞職する。本会議に登壇した舛添氏は『これ以上、都政の停滞を長引かせることは耐えがたい。私が身を引くのが一番だと考え、職を辞することを決めた』と辞職理由を述べた。 最後まで自分を飾ることばで締めくくっているところに、舛添氏の誤ったプライドを感じてしまう。 テレビの報道番組は軒並み辞職を伝えた後、以下のような旨の発言で締めくくる。 これで幕引きにしてはならない。 テレビならずとも、それは多くの都民、国民が思うところである。そもそも疑惑についての都知事自身の説明は全く納得できない。第三者と言われるヤメ検弁護士は舛添氏に雇われた身内で、関係者にあたってさえいない。普通の感覚で言えば第三者ではない。【参考】自ら「炎上」へと突き進む?舛添都知事の「理論的な釈明」 第三者たり得るのはマスコミであろう。しかしながら、実際はそれも心もとない。政治資金の「公私混同」疑惑について、弁護士の調査結果を公表した東京都の舛添要一知事(左奥3人目)。注目の調査結果に、大勢の記者やカメラマンが集まった=6月6日(早坂洋祐撮影) キャスターやコメンテーターたちは「これで幕引きにしてはならない」とは言うものの、これは体のいいまとめの言葉。「幕引きにしてはならない」とは言いながら、残念ながら大抵それで「取材は幕引き」になってしまうのである。 舛添氏の疑惑について、明らかにしておかなければなければならないことはまだまだある。ザル法と言われる政治資金規正法についても提言を行うべきである。しかし、今後の取材は行われないだろう。 それは猪瀬直樹前知事の失脚の原因になった徳洲会からの5000万円授受問題の背景が未だに明らかになっていないことを思い出せばわかるだろう。あの話も、すでに「お蔵入り」している感は否めない。【参考】<税金も含まれる「政治資金」>舛添都知事の「政治資金」余っているなら返還すべき ではなぜ、マスコミによる以後の取材は行われないか? 理由は簡単である。取材して放送しても視聴率が取れないからである。視聴率が取れないことを今の報道番組は過剰に恐れている。バッシングは面白いが辞めてしまった人はもう過去の人だ。見る方はもう飽きている。だから取材は行われない。 その意味では、「幕引きにしてはならない」の発言は単なる区切りの思考停止でしかない。都庁クラブに1人か2人かの記者しか配置していない現状では、民放には取材能力が無いとも言えるかもしれない。 「だが!」と筆者は声を大きくして言いたい。本当に視聴率は取れないのか、と。 実は取れるかも知れないのだ。例えば、1週間に1回のペースで、舛添都知事の疑惑を調査報道するコーナーをニュース内に設けてはどうだろうか。ずっとずっとしつこく調査し続ける。密着の連載コーナーだ。手法自体は今のテレビは苦手ではないはずだ。 もしそれが実現できれば、そんなことを他の局はやっていないのだから、ユニークさで目立つ。しつこいほどやって、ある日とんでもないことが分かることもある。これであれば、確実に視聴率は取れる。調査報道は番組に力を与える。もし、記者が足りないなら、下請けでも何でも使えばよい。力を持っている者、ぜひともそれに参加したいジャーナリストはいくらでもいるはずだ。

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    開き直れなかった舛添要一氏の陰で「飛んで」しまった課題

    渡辺輝人(弁護士) 舛添要一・東京都知事が辞表を提出しました。舛添氏の問題は、出張旅費の濫用の問題に始まり、政治資金の濫用・流用の問題に発展していきましたが、前者は所詮ローカルな東京都の財政の問題で、後者については東京都の財政にすらあまり関係ない一政治家・舛添要一の問題でした。日本国民の将来がかかった7月10日の参議院選挙を前にして、「事実上の選挙戦」が始まっているにもかかわらず、毎日一定量しかないニュースの時間を東京ローカルのネタに占領されることに、筆者は「それでいいのか」という思いに駆られていました。しかし、舛添氏は辞任し、参院選・東京都知事選に向けてことは動き始めました。そこで、舛添氏の問題でどこかへ飛んで行ってしまった、法的にも、政治的にも重要な問題について、いくつか指摘しておこうと思います。舛添氏を都知事候補に担いだ人たちがいること すでに拙稿「ひらきなおれ!舛添要一」で指摘したことですが、舛添氏の政治資金に関する疑惑は2014年2月の舛添氏が当選した東京都知事選の前から指摘されていました。東京都知事の旅費濫用についても、石原慎太郎氏のガラパゴス旅行以来、東京都では“当たり前”になっていたことでした。 それらの問題がすでに顕在化していたのに、特に問題にされることもなく、舛添氏は都知事候補として担がれたのです。下記動画をご覧下さい。YouTubeの舛添氏の公式ページにアップされていたものですが、タイトルは「舛添要一(ますぞえよういち)【東京都知事選 2014 街頭演説動画】自民党の安倍総裁、公明党の山口代表と共に支持を訴えました!- 2月2日(日) 銀座編-」です。 司会は東京都選出の自民党の参議院議員・丸川珠代氏ですね。舛添氏を紹介するときに「私たちにはこの人しかいない」(2:36~)と言っています。 舛添氏本人の演説の後に登場するのは山口那津男・公明党代表(10:47~)です。街宣に公明党の街宣車が使われていることを指摘した後、「ぜひとも、舛添さんに勝ってもって、この世界の都市東京、日本の首都東京、素晴らしい世界一の都市東京を作ろうではありませんか」(11:18~)と述べます。 その次にマイクを握ったのは安倍晋三・自由民主党総裁(総理大臣)(19:23~)です。「この東京の良さを引き出し、競争力を引き出し、国際社会における、この競争に打ち勝つことができる、その都知事候補は、舛添要一さんしか、みなさん、いないじゃないですか」(25:46~)と言った上、安倍氏、舛添氏、山口氏が三人で手をつなぎます。 すでに指摘されていた舛添氏の政治資金問題に知らん顔して、舛添氏を推薦した人たちに、責任はないのでしょうか。「裏金問題」と政治資金規正法はどこへ行った東京五輪の裏金問題がどこかへ行ってしまった件 思い返してみると、舛添氏の問題に火がつく直前まで、私たちが目にしていた政治ニュースは、2020年の東京五輪招致に絡む裏金問題でした。2億2千万円ものお金(実際には10億円ものお金が動いた、という報道も一部にあります)が投票権を持つ国際オリンピック委員会の委員の買収工作に関連して使われた、とも言われています。フランスでは、現在でもこの問題の捜査が続いており、万が一の可能性としては東京五輪が取り消しになることもありうるとさえ言われています。東京五輪ののぼりを横目に、都庁を後にする舛添要一知事(右手前)=6月20日午後 五輪招致委員会は、東京都や日本オリンピック委員会などが中心になって作られたNPO法人ですが、すでにホームページの主要部分は消され、財政報告を見ることはできません。一方、オリンピック招致に多額の都税(平成24年度、25年度だけで33億円)が投入されたことは明らかであり、本来、6月の東京都議会では、この問題も審議されるものと思っていました。が、舛添氏の問題で完全にどこかへ行ってしまいました。 私も一国民として支払っている税金が、疑惑にまみれた東京五輪に関連して投入されるのは、正直言って御免被りたいです。また、報道されていることが本当であれば、五輪絡みの不正な金員の額は、舛添氏が不正に使用したお金の比ではないはずです。参院選でも、都議会でも、焦点にされるべきこの問題が舛添氏個人の問題に押し出される形でどこかへ行ってしまったのは遺憾としか言いようがなく、今後の都知事選、参院選で改めて議論をして頂く必要があると思います。徹底調査と、クロだった場合のオリンピック返上を掲げるくらいの都知事候補は出てこないのでしょうか。そういう政党はないのでしょうか。政治資金規正法、収賄関係の法律の改正こそ急務 舛添氏の政治資金問題は、一部、違法の可能性もありますが、多くの部分は乱脈ではあっても、現行法では責任すら問えない可能性すらあります。これは舛添氏に限った話ではなく、今の政治資金規正法はあまりにザル法過ぎ、小渕優子氏(元経産大臣)、下村博文氏(前文科大臣)など、安倍政権の閣僚たちがザルの目をかいくぐって責任を問われないままになっています。安倍首相自身の多額のガソリン代の問題は利益供与の可能性すら指摘されながら大きな話題になっていません。これを機に、政治資金規正法の改正をすべき事は、国民の大方が一致する意見なのではないでしょうか。そして、政治家と金の問題では、この間、甘利明(前特命大臣)によるあっせん利得の問題について、東京地検特捜部が不起訴にする、という大変ショッキングな話題がありました。この件も、舛添氏の問題に押しのけられる形で、どこかへ行こうとしています。あれだけ証拠が揃っているのに不起訴になるのなら、今後、政治家が汚職めいたことをやっても、ほとんどは無罪放免になってしまうでしょう。そうであるのなら、悪いのは法律です。政治家の贈収賄をもっと厳しく取り締まる法律の制定は待ったなしの課題であるはずなのです。 報道各社は、舛添氏に対する微に入り細に穿った報道と同じレベルで、これらの問題を報道し、追及し、不正を暴き、厳しい法律を制定するために、頑張って戴きたいと思います。そうしないと、我が国の政治倫理は、崩壊してしまいます。政権に近い者だけが免罪され、そうでない者はマスコミ総動員でクビを飛ばすことになってしまうのですから。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年6月15日分を転載)

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    舛添知事を辞任に追い込む有権者の行動の危うさ

    猪野亨(弁護士) 都議会自民党も舛添都知事に対する不信任決議案の提出を決めました。議会解散を恐れる自民党は舛添氏の自主的な辞職を求めているようですが、舛添氏は拒否しています。そこまでしてリオ五輪に出席したいのかということですが、その程度の理由ではもはや説得力はありません。 カネにせこいという程度のものではなく、高額な外遊も含めて都の財政の私物化ですから、カネを戻せば済むという話ではなく、辞職は当然のことです。 政策に問題があるから辞職を求めているわけではありません。都議会自民党が動いたのは、はっきりと「世論」です。この「世論」によって参議院選挙への影響を懸念した自民党が観念したというところです。都議会、都庁や自民党への抗議の電話が多数、寄せられているようですが、こういった事情も無視しえなくなったことでもあります。 風見鶏の公明党は、さっさと決断しています。背景には公明党は都議会議員選挙には強いということ、つまり不信任決議案が可決され、知事が議会を解散しても何も怖くはないからです。 ところで、最近、辞職した人といえば宮崎謙介議員です。イクメンを宣言した最中での不貞行動でしたから、なお一層、世論の反発は強く、議員辞職に追い込まれ、おまけに自民党は補選で公認候補を立てられないところまできました。 しかし、同時期にカネまみれの問題で甘利明氏は、検察庁が不起訴処分にするまで引き籠もり、只ひたすら嵐が過ぎ去るのを待っていたという感じなのですが、実は宮崎氏に対する批判に比べたら、大した嵐でもありませんでした。辞職すらもしないで済み、今や晴れ晴れとしています。このままでは次期選挙でも当選するでしょう。 責任の重さは、こんな感じなのです。 宮崎謙介氏            >     甘利明氏 舛添要一氏「議員としての問題行動の重さ ≠ 責任の取り方 自民党の論理は違う」なぜあの人との扱いがここまで違うのか さらに比べたいのが石原慎太郎氏です。この石原氏は、都庁にもほとんど来ず、外遊は頻繁、高級ホテルは当たり前。都の職員は、石原氏に怒鳴られることでビクビクしていたとも都知事現職時代にも報じられていました。「舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由」(リテラ) しかし、大マスコミはほとんど報じず仕舞い。石原氏は、当時、圧倒的な支持率を背景にしていましたが、それでも何故、有権者は、石原氏との扱いがここまで違うのかということです。日本外国特派員協会で会見する石原慎太郎元東京都知事=5月19日(山崎冬紘撮影) 今、舛添都知事のことで、都庁や自民党などに抗議の電話を入れている人たちが、石原都政時代に同じような抗議をしたのかということが問われているといえます。 確かに、舛添氏が弁明すればするほど、醜態をさらしていますし、それがマスコミを通じて広く知れ渡ったからということになるのですが、そのような動画なり印象を植え付けるようなものがなければ行動には移さないのか、それとも動画を見ることによって行動に駆り立てられてしまったのか、いずれにしてもこのような傾向は情報操作のもとでは危うい「世論」ということになります。 世論は一度、火が付くと止められない危うさがあり、今回の舛添氏の問題は、この危うさを露呈しています。私たちは、舛添氏を辞職に追い込むだけでなく、それが何故、今回、このような舛添氏への批判の嵐になったのかを自らにも問うべきです。ただの自己満足だけの行動ではあってはならないということです。(「弁護士 猪野 亨のブログ」より2016年6月14日分より転載)

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    安田純平さん手記「私が新聞社を辞めて戦場に行った理由」

    交について述べるばかり。戦争が迫っている国の人々の表情などは、ほとんど見えてこない状態だった。 大手メディアもイラクに入国できる人数が限られ、「本筋」の査察取材で手一杯。調査団は、参加者20人余のうち半数は全国紙やテレビ局などメディア関係者という奇妙な市民グループだったが、それは、なかなか見えてこないイラク市民の様子を伝える格好のチャンスだったからだ。米国の「対テロ戦争」と追随する日本政府の方針に疑問 私は、戦争が近づいているといわれている国の人々がどのような表情をして暮らしているのか、そうした場所にいるということがどういった心境なのかを知りたいと思った。また、そうした人々の声を伝えるのが記者の役割だと考えていた。91年の湾岸戦争のとき、高校生だった私は、テレビゲームのようだったバグダッドの映像を見て「あの下にも人が住んでいるのだな。それはどのような心境なのだろうか」と感じていた。それは、さまざまな人々の境遇に触れる事のできる記者を志した原点の一つでもあった。 戦争の機運が高まり、世界的に反戦世論が広がってきていたにもかかわらず、日本国内は動きが鈍く、新聞やテレビで扱われることはほとんどなかった。長野県内にはそういった動きがなく、イラクにゆかりのある人も見当たらなかったため、地方紙に必須の「県内とからめた」イラク関連の記事を書くのが困難だった。イラク行きを決めたのは、「それなら自分が行くことで関連づけてしまえ」と〝安易な方向〟に走った面もあった。県内関係者が行くのを待ち、土産話を取材する機会を捜すという方法をとれないほど好奇心が勝っていた。 記事には出来なかったが、共感してくれた県内有志が帰国後に報告会を開いてくれた。「長野県に住む自分たちとは関係ない」などと思っていない県民がこの時期からたくさんいた。身近な人を取り上げることで読者が親近感を持つという地方紙としての考え方はあってもいいし、逆に、記者が自ら体験しても親近感を持ってくれるものだという側面も感じた。 しかし、これもとがめられた。あくまで個人的に話をしたのだが、就業規則に引っかかるらしく、「会社の名を語った」とされた。見てきたものを伝える、その方法をことごとく封じられた。 なぜ会社がそこまで強硬だったのかは分らない。ただ、12月に行く前に「取材で行きたい」と申請したが「危険だからだめ」とにべもなく却下されていた。さらに、「休みであっても何かあれば会社の名前が出る。休みは強制できないが、行かないでほしい」という会社側の意向に辟易し、強行したことが溝をつくってしまったかもしれない。画像はイメージです市民の側の現場に身を置くしかない 私は2002年3月、やはり休暇を使ってアフガニスタンを取材した。「9・11」のテロ事件から始まった米国の「対テロ戦争」と、追随する日本政府の方針に疑問を感じていたからだ。同時に、それまで知らなかったアフガン民衆の困窮も知った。アフガン攻撃をきっかけに、経済のグローバル化による貧富の差の拡大が広く認識されるようになったが、「貧」の側にいる人々の存在と、「富」の側にある日本の中で比較的「貧」である地方の暮らしを考えることは、自分の中で新しい視点につながっていくのではないかと思った。地方で記者をしながら、休みを使って紛争地帯・貧困地域に行こうと考えたのはそのためだ。しかし、そもそも大した日数はつぎ込めないのに記事を書けないのならば、その意味は半減する。 編集幹部は「イラクの話などに力を入れては読者にしかられてしまう」と言った。しかし、戦争が始まれば、紙面は戦争の記事で埋まることは分かっていた。帰国後に読んでみると、県内の市民数人に意見を聞き、攻撃反対の世論があることを紹介する記事が書かれ、各地で始まったデモや集会の紹介も手厚くなっていた。通信社からの配信を多数使い、米英側、イラク側の発表を織り交ぜていた。バグダッドにいた日本人に電話取材もしていた。識者へのインタビューも頻繁に行っている。朝日新聞なども似た内容だ。 せめて戦争が始まる前に、この程度でも力を入れることはできないものかと思う。後から検証することは大事だが、始まってしまえば人々が傷つき殺される。この段階で反戦の論調を打ち出しても基本的に手遅れである。 また、月並みな感想だが、どのメディアも、イラク市民の様子はいまいち伝わってこない。息遣いや生生しさを感じない。爆撃に対する恐怖も覚えない。戦況を伝えることは重要だが、あくまで基礎情報であって、それによって市民に何が起こっているのかを伝えるのが報道の使命のはずだ。そのためにはイラク市民の側の現場に身を置くしかない。 1月の段階で、メディア情報にはこうした最も重要なはずの部分が欠落することは予想がついていて、歯がゆい気持ちで日本でそれを見ることになるのはつらいと思った。アフガン攻撃でも、現場がどうなっているのかが見えてこず、焦燥感でいっぱいだったからだ。戦前にイラクに行っていながら記事にすることができなかった苛立ちと失望の中で、そうした情報に晒されるのは我慢できないだろうと思い至った。 戦争中に私がバグダットなどで訪れた病院は、血と膿と消毒液の混ざった生臭いにおいが充満し、路上に放置された民間人の遺体は強烈な腐臭を放っていた。空爆跡地は血だまりも残り、騒然とした空気が漂っていた。人々が発する怒りや嘆きも感じた。一方で、戦争のさなかにも人々は笑い、何気ない暮しをしていた。そうしたメディアからでは得られないものを全身で感じ、戦争とは何かを叩き込みたかったがため、私は現場へ向かうことを選んだ。そして、もちろん現場で取材できることの限界にもぶつかった。それらはフリーにならなければできないことだった。組織ジャーナリストとフリーランスの違い組織ジャーナリストとフリーランスの違い それにしても、膨大な情報の中から取捨選択して新聞を作っていることは周知の事実なのに、多くのメディアが「公明正大」「客観」と言う言葉を未だに使いたがるのはこっけいだ。組織ジャーナリズムの中にいるかぎり、記者は取捨選択に組み込まれる。バグダット陥落後に入って来たある全国紙の記者は、悔しそうにしながら「会社の論調に合わない記事はボツになる。悩んでいる同僚は多い」と話していた。記者たちがそうした悩みを抱えながら取材をしていることを、読む側も知っていてもいいと思う。 自分自身の状況判断と責任で行動を取れるかどうかが、組織ジャーナリストとの違いだ。フリーになって初仕事という意味では、開戦前後の葛藤はイラク戦争取材の中でも充実感の残った部分だ。組織の命令で動くならば、諦めもつくし、文句を言って気を紛らわすことも出来る。理不尽であると同時に、気楽な面もあったのだなと感じた。 組織から「危険だから行ってはいけない」という指示を受けることがあることは、私も何度も経験している。それが記者の声明を心配してのことと言うよりも、家族からの賠償請求など会社の責任を気にしてのことだということもよく言われる。しかし、私は「休みで行くので自己責任だ」と主張したが、会社は納得しなかった。あるブロック紙のカメラマンは、「家族が賠償を請求しないという文書を出すからイラクに行かせてほしい」と会社と交渉したが受け入れられなかったという。「何かあったら会社の名前に傷がつく」ことを恐れているようだ。私などは「紛争地がらみで会社名が出ればハクがつくだろうに」と思ったものだが、そう簡単なものではないらしい。  戦争中の3月末、通信施設が壊滅して連絡手段がいっさい途絶え、私を含む日本人の安否確認ができなくなり、ある通信社は死亡記事を用意していたらしい。私の記事を作るうえで、信濃毎日新聞のある幹部に取材をしたようだが、その幹部は私の行動で会社が取材されたことに激怒していた、という話を耳にした。何も迷惑をかけたつもりはないが、何かあれば当然、経歴とともにマスコミに出ることになるだろうし、あることないこと書くところも出てくるだろう。「何も起こらないのが一番」と考えるのも無理はない。恐らくどんな会社にいてもそうした反応をするはずだ。しかし、それが取材活動を制限することになるならば、その守りたい「名」とは何かと思わざるを得ない。(『創』2003年8月号)

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    安田純平さんも見殺しにするのか

    昨年6月に内戦下のシリアに入国後、行方が分からなくなったフリージャーナリスト、安田純平さんとみられる男性の画像がインターネットに投稿された。「助けてください。これが最後のチャンスです」。身柄を拘束した犯人グループの思惑と安田さん本人の覚悟が複雑に絡み合う事件の舞台裏を読み解く。

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    「嘘とカネ」思惑が渦巻く安田純平さん拘束の舞台裏

    、彼と相談してこれからやることは二つということにしました。一つは、情報をそっと探ること。もう一つは、メディアに出さないことです。 なぜなら、拘束したグループから何のメッセージもなく、何のために拘束しているのかわからない。騒ぐことでこちらが有利になるのか不利になるのかわからない状況です。だからとにかく、そっとやろうね、と決めました。 その後、7月12日に、常岡さんがトルコに行きました。その時私たちが考えていたのは「もしかしたらスパイ容疑をかけられているんじゃないか」ということでした。あくまでも推測ですが。ヌスラ戦線が拘束したわけではない 安田さんが消息を絶ったところは、ヌスラ戦線というアルカイダ系の組織が強い影響力を持っている場所だったので、我々はてっきりヌスラ戦線が拘束したと思っていました。そこで、そのスパイ容疑を晴らすために安田さんが書いた本とか、記事とかテレビ出演している映像とかをヌスラ戦線に見せて、ちゃんとしたジャーナリストだよとアピールしようと思ったのです。 でも、事前にこのミッションは失敗が見えていました。というのも、5月の段階で、それまでシリア取材を熱心にやっていた日本人ジャーナリストが、トルコの空港についた時点で次々に入国禁止になって強制送還されていたからです。例えば、若い女性ジャーナリストの鈴木美優さん、『ジャーナリストはなぜ「戦場に行くのか」』(集英社新書)の執筆者でもある横田徹さんなどが立て続けに強制送還されました。 ましてや常岡さんは「イスラム国」を取材した数少ないジャーナリストで、2014年に日本で私戦予備陰謀というとんでもない容疑でパスポートから何から取り上げられて家宅捜索されたことのある人だから入国は絶対無理だと思いました。私は「まあダメもとで行ってらっしゃい、旅費は半分カンパするよ」と言って送り出したんです。画像はイメージです そしたら案の定、トルコには入れずにすぐに帰されて来ました。ここで問題なのは、トルコに入国できないこの3人というのが、いずれもヌスラ戦線と連絡を取れて土地勘のある人たちなんですよ。しかもみな安田さんの友人。安田さん救出に最も力になれそうな人たちが、ことごとく現地に近づけなくなっているんです。 これはあくまで推測ですが、日本政府が、そうしているんじゃないかなと私は思っています。というのも、安田さんが以前イラクでとらわれた後、日本政府が「安田純平にはビザを出すな」とイラク政府に要請したんです。だから安田さんはまともな方法ではイラクに入れなくなったので、コック(料理人)になってイラクの軍の基地でシェフとして働いた。その状況を書いた本が『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』(集英社新書)というのですが、これは戦場取材に新たな手法を持ち込んだ名著だと私は思っています。 彼は基地から出られないのでずっと厨房にいる。この本には「厨房から見た戦争」が描かれている。イラク社会ってどんなものかとか、戦争が民営化されていることもよく分かる。世界中からイラクに出稼ぎに来ていて、格差と戦争とか、大事なことがたくさん書いてあるすごく面白い本です。幾つものグループが救出に動く さて、7月以降、安田さんの友達などを含めて、民間で幾つものグループが救出に動き出します。そして、それぞれ間接的・直接的に拘束者との接触に成功しています。日本にこういう人材がいるのかと私は驚きましたね。 そのうちの一つがヌスラ戦線に「日本人が捕まっているだろ?」と問い合わせたら、ヌスラ戦線の方が「知らない」と言うのです。実は現地はヌスラ戦線の影響力が強いところですが、最初に安田さんを拘束したのはヌスラ戦線じゃなかった。実は現地には他にもいろんな武装グループがあって、その中にはヌスラ戦線と付かず離れずで、密貿易などをやっている「ならず者集団」もいます。最初に安田さんを拘束したのはそういうグループだったのです。 それで、ヌスラ戦線が日本からの通報を受けて調べたら、その「ならず者集団」が拘束していたので「我々のテリトリーで勝手なことするな」と怒って、ヌスラ戦線の部隊がそのグループを攻撃しました。これは死者が出るくらいの戦闘で、結果、ヌスラ戦線が安田さんの身柄を引き取りました。画像はイメージです 今日の話は、どこから聞いたとか一切言えないですけど、今、ヌスラ戦線に安田さんは捕まっていて、12月10日段階で、安田さんが生きていることは確実になっています。 問題はヌスラ戦線がどんな組織かということですが、もともとはイスラム国と同根のアルカイダ系組織で、途中からイスラム国と分かれます。今はイスラム国と最も激しく戦っている武装勢力です。今まで何人もジャーナリストを捕まえていますが、まだ殺していません。2012年にはスペイン人のジャーナリスト3人を身代金も何も取らずに帰しています。この時はクゥエート政府が仲立ちしたと言われています。 だから我々もなんとか静かに交渉がやれればと思っていたら、とんでも無いことが起こりました。昨年12月23日に「国境なき記者団」が「安田さんの拘束者が身代金要求をしている。期限内に金を払わないと、殺すか、他の組織に売ると言っている」と声明で発表した。これがドカーンと報道されて、日本人のほとんどがこの事件を知ることになりました。それまでは、常岡さんたちが、日本のメディアに「慎重にして」とお願いしていた。一時期「これは安倍政権がメディアに圧力をかけて黙らせている」というツイッターかなんかがあったけど、逆だったのです。 そんな中、国境なき記者団の声明発言で安田さん拘束が報道された。これが非常に問題だったのは、そもそも安田さんの家族にも、外務省にも身代金の要求は来ていない、つまり根本的に間違った情報だったのです。そこでおかしいじゃないかと問い合わせたら、国境なき記者団は29日に発言を撤回するんです。「5000万円で私が解決してあげる」「5000万円で私が解決してあげる」 どうしてこんなことが起きたのか。私が知っている安田さんを助けようとしている民間のルートの一つにスエーデン人のNさんというのがいて、この人が外務省に「5000万円で私が解決してあげる」と持ちかけていたんです。外務省は相手にしなかった。で、Nさんは、自分の出番を作るために国境なき記者団を使って演出したんだと私は思っています。 Nさんがヌスラ戦線にどんな取引を持ちかけているか分かりませんが、もし身代金での交渉ということになると、大変なことになります。 ご存知のように日本政府は、テロリストとは交渉も接触もしません。身代金も払いません。安田さんのご家族も巨額のお金を払えるわけがない。日本には身代金を払う人がいない。ですから、身代金での交渉となると、安田さんの身柄は非常に危険なことになってしまう。我々は、今一生懸命情報を探っている段階ですけど、Nさんのおかげで非常に難しい状況に立たされています。 こういう混乱が起きる背景の一つには、日本政府の「関与せず」というスタンスがある。政府に頼れないから、民間の人たちがこういうふうに一生懸命やるわけです。それぞれのルートがトルコまで行って独自に調査をやっています。 そして、私が知っている3人のヌスラ戦線と話が付けられるジャーナリストの動きは封じられています。 もし、トルコへの入国禁止を日本政府が要請しているとすれば、「関与せず」だけではなくて救出活動を邪魔することになっている。そもそもジャーナリストが武装集団に拉致された場合、どこの国もなんらかの形で政府が乗り出すものなんです。ところが、日本はそうなっていない。それどころか政府は、危ないところにいくジャーナリストは「蛮勇だ」などと言ってバッシングに加担する。このような日本特有の事情要因があって、今回の状況は起きているんだと思います。 とはいえ、日本政府が出て来ればかえって話がごちゃごちゃになるかもしれない。それが1年前の後藤健二さんの時の教訓でもありますので、私たちとしても動きがとれません。今はとにかく情報を集めようとしている状況です。 ただ12月10日の段階では少なくとも安田さんはまだ大丈夫だということがわかっています。これから、新たな段階でみなさんにご協力をお願いすることがあるかもしれない。その時はよろしくお願いします。  最後に、なぜ戦場に行かなければならないのかというきょうのシンポのテーマについて安田さんは先ほど紹介した本にこう書いています。「戦後60年が過ぎ、戦争を知っている日本人が年々減っていく中で、現場を知る人間が増えることは、空論に踊らないためにも、社会にとって有意義だ」。つまり、戦争のリアリティーを知る人が少なくなる中で、戦争のリアルを知っている人間がいるっていうことは、戦争が空論として論じられないためにもいいんじゃないかというのです。今の日本の状況にぴったりの言葉だと思います。 安田さんは非常に志のある有能な人だし、イラクでコックをやりながらアラビア語をマスターしていたので、拘束者との間に変な誤解が生じることはないと思います。必ず、無事で帰ってくると信じています。(1月15日に都内で行われたシンポジウム「ジャーナリストはなぜ戦場へ行くのか」での発言を収録)

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    取材現場での事故は殉職? 戦場ジャーナリストたちの意志と覚悟

    れたかというと、セキュリティ会社の社長を名乗るスウェーデン人の男がおりまして、それまでもずっと日本のメディアや政府に自分が仲介役になれる、交渉できると持ちかけて、一儲けしようと企んでいたのです。しかし相手にされず、国境なき記者団でよく知っているベンジャミンというアジア太平洋担当デスクに話を持ちかけた。そして彼が上司の判断を得ず、会社の会議にかけずに個人の判断でリリースを出してしまい、世界に広まってしまったということです。 それは全くの誤報であり、国境なき記者団に抗議を送ったところ、ベンジャミンの上司からすぐにメールが返ってきて、撤回させるとのことでした。私だけでなく複数の人が働きかけたと思いますが、それによって国境なき記者団は、声明を取り下げたわけです。 その後、今年の3月、今度は安田純平さん本人がビデオで語っている映像が流れ、大きく報道されて知られることになりました。今日のシンポジウムの開催趣旨にもありますが、「こういう局面で私たちが何をすべきか、何ができるのか」??。私は、何もしないでほしいと思っているんです。というのは、安田さんが3月16日のメッセージの中で、ご家族や奥様、ご兄弟のことを言っています。「いつもみんなのことを考えている。みんなを抱き締めたい。みんなと話がしたい。でも、もうできない」。これは、安田さんが家族や関係者に伝えようとした強烈な覚悟、意思表示だったと思うんです。自分は身代金による解放を望んでいないので、もう家族たちには会えないだろうという決意表明をしたのだと思います。私はこれは、一人の職業人として、ジャーナリストとして、本当に立派な覚悟のしかただと思っています。イラク日本人人質事件。保護されたバグダッドのウムクラ・モスク前から日本の両親に携帯電話をかける安田純平さん=2004年4月17日 安田さんは過去に一度、3日間ほどではありますが、イラクでも拘束されたことがあります。戦場においてジャーナリストや取材者が一時的に拘束されるというのは、時々起こりうることなんです。12年前にイラクで安田さんが拘束されたこともよくあることの一つだったにもかかわらず、大きく扱われてしまった。高遠菜穂子さんら他の3人の誘拐事件とタイミングが重なったために、非常に大きな扱いをされたわけです。 それ以降、彼はずっと、自分がもしどこかで拘束されたり、身の上に何かがあった時どう処すればいいかを考えて取材地に向かっていたはずです。彼はそれを、今回ヌスラ戦線と思われるところから流れてきたビデオによって、しっかりと表明したんです。それに対して我々はじめ同業者、あるいは関係者や一般の人たちが、政府に安田さんを解放してやってほしいと働きかけることは、安田さんの意に反することでもあるのです。これは国家が国民の身に何かが起きた時に、尽力する責任がある、義務があるということとは全く別の話で、当然政府にはそうした責務があるのですが、一方で安田純平さん個人が、自分の職責において、自分の生き方において、政府による交渉を望んでいないので何もしないでくれという訴えかけをしてきた時、私は友人として、同じ仕事をしている人間として、彼の意志を尊重したいと思うんです。 また、闇雲に政府に働きかけたり、それによって政府が何か動いたり、また我々の側からヌスラ戦線に解放してくれとアピールするといったことは、身代金を欲しがっている人間のことをこちらから宣伝してやっているようなものです。それは安田さんにとって何のメリットもないことだと、僕は思っています。現場での事故は殉職現場での事故は殉職野中章弘(アジアプレス代表) フリーランスのネットワークであるアジアプレス・インターナショナルは、シリア、イラク、パレスチナ、アジアの各地で30年ほど取材してきました。その中で1999年には、我々のインドネシア人のメンバーだったアグス・ムリアワン君が東ティモールで殺害されるということがありました。この時は襲撃されて殺害されており、今回のように拘束、誘拐ではなかったのですが、それは僕のジャーナリスト人生の中で一番つらい出来事でした。殺害されたという報告を受けてすぐに東ティモールに行こうとしたのですが、国連もジャーナリストもすべて撤退して入れない。まず、彼の故郷であるバリ島に行って、家族に報告をしなければいけない。説明に行くと、数十人の家族や親戚たちが待っているわけです。そこでアグス君がどうして亡くなったのか、どういう状況だったのかを報告しなければいけなかったのですが、それが僕の人生の中で最もつらい瞬間でした。それから東ティモールの事件の現場に行きましたが、国連との交渉や検視など、いろんな手続があり、殺害から3年後にようやく遺体を掘り起こして、東ティモールの海岸で荼毘に伏して、遺灰を故郷バリ島の海岸に流しました。 2012年には山本美香さんがシリアで殺害されました。山本さんも一時期アジアプレスに在籍していたこともあって、昔からよく知っていた仲間でした。こういう仕事をしていると、当然そういうリスクがあります。 ただ、誤解のないように言っておくと、アジアプレスのメンバーたちは自分が戦場ジャーナリストだという意識はたぶんあまりないと思います。これは大切なところで、戦場だから行っているわけではなくて、そこに伝えなければいけないことがあるから行っているのです。アジアプレスの譲れない原則のひとつは戦争に反対するということです。戦争が起きた時に、我々の命も生活もすべてが破壊されるわけです。戦争に向かうような動きに対して警告を発して権力を監視する。それがジャーナリズムにとって最も大切な使命なのです。そういうことが起きている現場に行き、現状を報告し、なぜそれが起きるのか、それを起こさないためにはどうしたらいいのか、そのような問題提起をすることがジャーナリストの使命、ミッションです。ただ、現場に行けば、いろんな形で事故が起こる。戦場でなくても、取材活動の中では、思わぬ事故が起きるわけです。山本さんも言っていたように、そういう現場での事故というのは殉職だと思います。職業に付随したリスク、それ以上でもそれ以下でもないと思います。 安田純平君の話をしますと、彼が信濃毎日新聞を辞めてフリーで仕事を始めた後、時々会って取材の話を聞いてきました。彼は、主に中東地域の取材をしてきたジャーナリストです。日本のフリーランスの中で、最もイラクやシリアの取材経験の長いジャーナリストの一人です。彼は彼の、本当の意味での自己責任で、自分の職責を全うするということで取材に行ったわけです。ここはきちんと共有したいと思うのです。彼はジャーナリストとして、そこで起きていることを世界に伝えるという役割を自分に課して取材に行った。そこで起きた事故です。 土井敏邦さんや、アジアプレスの綿井健陽や石丸次郎などを中心に、戦場ジャーナリストの仕事をサポートする動きが出てきていますが、とても大切なことです。画像はイメージです フリーランスの権利、取材の自由や安全を守る組織は、日本には全くありません。これは他の国と大きく違うところです。ですから安田君がこういうことになったからといって、組織的に救援に動けるような体制は、全くとられていないのです。友人たちが個々に動くということはあっても、救援活動を担う主体が日本にはない。これは非常に大きな問題です。誰かを責めているわけではなく、僕自身も含めて我々フリージャーナリストを守る主体は我々です。自分たちで自分たちを守るというふうに動かなければいけないのですが、残念ながら山本美香さんであれ、後藤健二さんであれ、その前には2007年に長井健司さんがミャンマーで殺害されましたが、いくつかそういう例がありながら、フリーランスの側が自分たちの権利を守っていくための組織作りができていません。だから我々自身にまず課題があるというふうに僕は感じています。 ただ、誘拐などが起きた場合、我々のできる力を遥かに超えてしまう。身代金であれ、処刑であれ、どう対応するのか。現実的な対応は非常に難しい。できることは限られている。フリーはマスメディアの人たちが行かないような場所に行けば仕事になる、お金になる、現実的にそういう面もあります。でもそういう補完的な気持ちで行っているわけではないのです。戦争の実相というのは、まず戦場の取材から始めなければいけない。僕は絶対にそう思います。ホワイトハウスやペンタゴンを取材したって戦争の本質はわかりません。イラク戦争でも取材の起点は戦場にしかない。だからそこに行くという判断を、自分でしているわけです。 アジアプレスのメンバーが万が一、拘束された場合は、基本的には一切救援活動はしないことにしています。責任を自分で負うということを引き受けて現場に行く。それがフリーランスの仕事のやり方であり、生き方だと思います。ジャーナリズムの自殺ジャーナリズムの自殺新崎盛吾(新聞労連委員長) フリーランスと組織ジャーナリズム、これは決して二つに分けられるものではありません。戦場取材等で、別の立場を取らざるを得ないケースはままあるのですが、取材に対しては同じ思いを共有していると考えています。 安田さんを初めて知ったのは、イラク戦争の時でした。2003年3月、実は私も、共同通信のイラク戦争取材班の一員として中東におりました。3月20日に米軍によるバグダッド空爆が始まるわけですが、大手メディアは全てヨルダンやシリアに撤退して、イラク国内にはフリーの方々だけが残っている状況でした。この時、安田さんは「人間の盾」として、イラク国内で取材活動をされていたわけです。私のような社会部記者がなぜ取材班に加わっていたかといえば、イラク国内には多くの日本人が残っており、空爆で日本人が亡くなったり、けがを負ったりすることがあるかもしれない。そんな最悪の事態に備える意味もありました。 イラク国内のフリーの方々は、大きな情報源にもなりました。今、隣にいる志葉さんは当時、空爆下のバグダッドで取材をされていました。私が志葉さんと初めて会ったのは、シリア・ダマスカスの空港でした。バグダッドから到着する便の乗客を取材している時にお会いして、イラク国内の話を聞いて記事にしたり、撮影された写真の提供をお願いしたりした訳です。もちろん自分で直接取材しなければ分からない、現場に入りたいという思いはありますが、業務命令でイラク国内に入れない状況下では、やむを得ない取材手法です。イラク邦人人質事件。成田空港に到着した渡辺修孝さん(左)と安田純平さん。記者らを前に、イラクに残る発言はしていないと釈明した=2004年4月20日、成田空港 その後、4月10日にバグダッドが陥落し、フセイン像が倒される映像が世界に流れるわけですが、実は共同通信の取材班は、この直前にバグダッドに戻っていました。本社から許可が出ていない中、現場の判断で半ば会社の命令を無視する形で戻ったため、後に社内では問題視されたのですが、歴史的に見ればバグダッド発で報じた共同通信の評価は高まりました。フリーであっても組織であっても、そういう現場の思いがあってこそ、戦場取材が成り立つわけです。 バグダッド陥落の日の紙面で、例えば読売は外電写真を使ってアンマン発で記事を出していました。ジャーナリズムの観点から、本当にそれでいいのかということです。ベトナム戦争の時は大手メディアも記者を従軍させ、現地から写真や映像を送り、戦争の生々しい現実を茶の間に伝えた結果、反戦ムードが高まりました。それが、メディアが本来やるべき戦争取材のあり方だと思います。戦争に反対し、ムーブメントをつくっていくためには、やはり戦場で何が起きているのか取材しなければいけない。そこに組織かフリーかの違いはないと思っています。  新聞労連は今回、安田さんの即時解放を求める声明を出しました。私は映像が流れた直後から、安田さんに対する罵詈雑言、いわゆる自己責任論などがネットで大量に流れたことに大変ショックを受けました。そんな一方的に非難されることを彼がしたのか、冷静に考えてほしいという思いがあります。声明にも書きましたが、メディアの人間、ジャーナリズムの人間は、国民の知る権利を最前線で背負っていると自覚しています。そして大手メディアが、ある意味尻込みをしている地域に、あえて入った安田さんがなぜ非難されるのか。国に迷惑をかけたというような発想が出てくることが、私にはちょっと理解しづらいのです。彼は戦争の現実を伝えるために、ある意味で命を張って行った。結果として危険に晒されたかもしれないけれども、それはジャーナリストとしてのリスクの部分だと思います。 特に今、大手メディアの中では安全最優先、あるいはコンプライアンスという考え方がかなり強まり、記者個人が自由に動ける範囲が少しずつ狭まっているように感じます。そういう中で、現場に行かなければならない、人々に伝えなければならないという思いを失くしてしまったら、組織であってもフリーであっても、ジャーナリズムの自殺だろうと思います。

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    ジャーナリストには使命がある!取材制限に関わる既存メディアの愚

    を感じるし、だからこそ筆者がジャーナリストとして伝えるべきことを伝えるべきだとも思う。 このところのメディアの動きで気になることがある。先日配信した記事でも書いたが、日本のジャーナリストが、紛争地取材を行うべきではない、退避勧告を守るべきだと言わんばかりのニュアンスで、書かれている記事がいくつもあることだ。 読売、産経が朝日のシリア取材「批判」 外務省は渡航見合わせ強く求めていた(http://www.j-cast.com/2015/02/02226867.html) 「イスラム国」:「後藤さん殺害」 3回、渡航自粛を要請 官房副長官明かす(http://mainichi.jp/shimen/news/m20150203ddm041030137000c.html) 先の記事でもツイッターの投稿を引用させていただいた、自民党の佐藤正久参議院議員が、また朝日新聞記者のシリア取材についてツイートしていたので、引用させていただこう。 今般の湯川氏、後藤氏の事案は、退避勧告が発出されている地域で発生したもの。危機管理の基本の一つは危険な地域に近寄らないことだ。シリアのヌスラ戦線で戦う日本女性や、アルジェリア系仏人の夫と共にシリアで不明になった日本女性報道もある。再発防止の為、朝日新聞の記者含め、早期退出を願う こうした主張が、ジャーナリストの紛争地取材を禁止させようという流れにつながるのではないか、と警戒している。 外務省が退避勧告を発令するのは、邦人保護という職務上、仕方ない部分もある。しかし、ジャーナリストにはジャーナリストとしての職務がある。 イラク戦争やガザ侵攻など、日本の国家の政策と絡む紛争も多い(自衛隊イラク派遣やF-35などの武器輸出など)。そうした政策を国会で審議する場合も現地情報として報道が果たす役割は大きい。また一般の人々も現地で何が起きているのか、主権者として知る権利がある。 日本人のジャーナリストが現地で取材するからこそ、現地の問題を日本と関連付けて取材することができる。情報がろくに無い中で、何を決めることができるのか。政府に都合のいい情報だけでいいのか。ジャーナリムが人々の知る権利を保障する、民主主義に不可欠な役割を果たすことを、一般の人々は勿論、メディア関係者すらも忘れているのではないか。 公的な仕事をする人間は、危険だからと言って、職務を放棄していいのか?警察や消防隊員が「危ないから」と職務を放棄するだろうか?人命が関わっているのは、ジャーナリズムも同じだ。ジャーナリストの報告を多くの人々が真剣に受けとめ、戦争を止めるならば、流される血、奪われる命も少なくなるだろう。日本政府は「救出に全力で取り組む」フリをしただけ 筆者は、危険な紛争地の取材であっても、ちゃんと日本に生きて戻り、現地の状況を伝えるまでが仕事であると考えている。しかし、万が一、紛争地で死ぬことになっても、それは職業上のリスクにすぎない。片足を失ったガザのジャーナリスト。むしろ現地の記者こそ危険度が高い。アル・クドゥス放送提供 SNSやインターネットが発達した現在、ぶっちゃけ現地の映像や写真はネット上でも得られないでもない。しかし、こうした映像や画像も、そこで撮っている人間がいることを忘れるべきでない。昨夏のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの侵攻では、現地のジャーナリストが16人死んでいるのだ。安易に「現地の映像や画像を使えば」という主張には、強い憤りを感じる。 また、志葉も含め、外国人ジャーナリストが取材中に殺される可能性があるのだが、外国人ジャーナリストの方が殺されない可能性が高い場合もある。筆者自身、イラクで取材中に米軍に不当拘束されたことがある。誤解が解け、筆者は数日で釈放されたが、もし筆者がイラク人記者だったら、酷い拷問をされていただろう。実際、そうした拷問を受けたイラク人記者が筆者の友人にもいるのだ。 日本のメディアや社会の、日本人の命至上主義にも疑問を感じる。たった今も紛争地で犠牲となっている、あまりに多くの罪の無い人々の命より、日本人ジャーナリスト一人の命が重いかと言えば、それは違うだろう。だが、これまで、日本のメディアがどれだけ、シリアやイラクの惨状を伝えてきたのか?どれだけ多くの人々が関心を持ってきたのか? 思うに、ネットで気軽に報道された情報を得られるようになってから、情報というものがどのように得られるのか、わかっていない人々が多くなったような気がする。情報はタダではない。それなりにリスクをおかし、経費も時間もかけて、取材の中で現地との人脈もつくって、ようやく得られるものなのだ。 後藤さんのケースで言えば、日本政府は「救出に全力で取り組む」フリをしただけだ。実際には常岡浩介さんや中田考さんらのISISとのパイプを活用しなかったし、ISISが後藤さんのご家族にメールしていたのに、そのメールを使っての交渉も「一切しなかった」(今月2日午後の菅官房長官の会見での発言)。 結局は「自己責任」ということなのだろうが、それならば、より一層、政治家や官僚が「報道の自由」に口出しするべきではない。まして、メディアがそうした取材活動の制限に関わるのは、本当に愚かしい「メディアの自殺」なのだ。(志葉玲氏ブログ 2015年2月3日分を転載)

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    日本人人質殺害事件と戦場ジャーナリズム

    決議した衆院本会議で拍手する安倍首相 その間政府、あるいは外務省が、それから僕らを含めてですけれどもメディアがとり続けている姿勢というのは、この国が今までと形を変えようとしているというくらい大きな節目だと思います。恐らく皆さんもこの間の危機的な状況を敏感に感じられているからこそ、今日もこれだけ大勢の方が会場に来ていらっしゃるんだと思うんですね。 私はテレビ報道の仕事ばかりやってきた人間ですけれども、今回ばかりは現場に取材に行って、胃液が逆流するような思いを何度もしました。今まで国家と個人の関係で言うと、国民の生命財産を守るというふうに、どこかの政治指導者が口を酸っぱくするぐらい、口だけで言っていますけれども、実際に国家が国民の生命財産を守ろうとしていたのかどうなのかが問われています。 それを事実に即してきちんと検証しなきゃいけない。それが今メディアの最大の責務だろうと思っています。市民の側、あるいは国民の側の権利が蹂躙されようとしているときに、果たして今の国家とか、政府とか、官庁とかそういう所が自分たちを本気で守ろうとしているのかということをきちんと考えなければいけない、一種岐路に立たされている。それが偶然戦後70年の今年に重なってしまったんだと思うんですね。 ここに来る前に、ある外交官の方と話をしてきたんですけれど、その人はもう退官されて、それまで40年ずっと外交官として一線で働いてきた人ですけれども、同じことを言っていました。私たちの国の形が変わろうとしている。これまで自分たちは外交官として、国民の生命財産を守るために身体を張って、プライド、矜持を持って仕事をしてきたけれども、これからは違うことになるのではないか。「大義」のためには国民の犠牲もやむを得ない、と。そういうことを、危機感を持って語っていました。 事実経過で言えば、いろんな節目があるんですけれども、湯川遥菜さんが拘束されたのが昨年の8月です。10月6日に警視庁の公安部が常岡浩介さんとか、中田考というイスラム法学者に家宅捜索を行った。あの時の報道は皆さんよく記憶していると思いますけれども、常岡さんや中田さんを、いわば叩いた形ですよね。 その後に、11月1日に拘束されているという情報を政府が把握していたということになっていて、12月3日に後藤さんの奥さんのところに身代金の要求が来るわけです。しかしそれは外務省ないし政府の方から表に出さないようにということを言われていた形跡がある。実はその前の日の12月2日は衆議院選挙の公示日です。 今になって「テロには屈しない」とか大騒ぎをしていますが、その間、本当に国は人質を救出しようとしていたのか。交渉の糸口をつかむために、情報を表に出さないというやり方は他の国でもやっています。ただ、何もやっていない国というのは滅多にない。本当に日本の政府が何もやっていなかったということであるならば、責務を放棄していたと言わざるをえない。 そういうようなことを今、私たちは本当は検証しなきゃいけない。現場で取材をしている人たちが、どこまでやるかということが試されている、それくらいの気持ちで今考えているんです。私はそう思って、きょうここに参りました。戦場取材はこれからどうなるのか戦場取材はこれからどうなるのか~綿井健陽──綿井さんもイラク戦争を始め、戦場取材をやってきた経験から今回の事件についてお話しいただけますか。綿井 僕は「アジアプレス」というフリージャーナリスト集団に所属して15年くらいになるんですが、イラク戦争の取材は2003年からやってきました。去年ですが、イラク戦争の10年を描くドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』の制作(各地で上映中)と、NHKでドキュメンタリー番組を放送しました。 この人質事件に関しては、「日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)」という、12年前に設立した、映像ジャーナリストと写真ジャーナリストの団体から、日本語、アラビア語の声明を出したり、その後はインターネット放送を通じてアラビア語で解放を呼びかけたりと、なんとかできることをしようと試みました。 しかし結局、力及ばず残念でした。今までも報道関係者が殺害されることは、この10年ぐらいの間では結構ありました。思い起こすのは、2004年にイラクで橋田信介さんと小川功太郎さんが車で移動中に襲撃されて殺害されたことです。2007年にビルマで長井健司さんが撮影中に背後から政府軍兵士に射殺された。その後2012年にシリアで山本美香さんが殺害されました。その間には、バンコクでロイター通信のカメラマンである村本博之さんがデモの取材中に銃撃されて殺害されています。 しかし、今回の後藤さんの事件はそれまでとは殺害までの経緯が異なります。取材や移動中の銃撃・殺害ではなくて、拘束されて身代金の要求、そして殺害された。しかも首を斬られて、なおかつその後にまた日本人全体に対する殺害予告ということですから、ちょっとこれまでとは違う恐怖感を感じます。 橋田さんたちがイラクで亡くなった後は、私もそうでしたけれどフリーランスは、その後もイラクの取材に結構行っているんですよね。けれども、振り返ると2004年の10月下旬に香田証生さんが首を斬られて、星条旗に包まれて、バグダッド市内で遺体で発見されたという事件がありました。 当時、日本の大手メディアはバグダッドから日本人記者を引き揚げさせるんですね。事件が起きる直前に、新聞がまず引き揚げさせて、香田さんの事件の後には共同通信が日本人記者をバグダッドから引き揚げさせた。その後、唯一NHKだけが日本人記者・カメラマンを2~3カ月交代で常駐させるという時期が長く続くんです。しかし、NHKも常駐をしているものの、ほとんど外には出ない。ホテルの中で、あるいは民家の宿舎の中でしか動けなくて、実質的にはイラク人スタッフしか外で取材できないという状況が当時始まるんです。 イラクの状況はその後、どんどん悪化していきました。報道陣の誘拐も相次ぎました。外国メディアも現地にはいるんですが、イラク人スタッフでしか、取材できなくなります。イラク・アルビルにある難民キャンプ だから香田証生さん殺害後の2004年の後半以降、フリーランスもイラク取材をする人は物凄く減りました。僕自身も行く回数は減りましたし、2006~7年に入った時は、ほとんど身動きができないくらいで、バグダッドまで入ったはよいけれども、自分自身での映像・写真取材はほとんどできないという状況でした。 2013年に6年ぶりにバグダッドに取材に行ったんですが、その時に外国の通信社のイラク人スタッフに話を聞きました。過去10年間で「イラク人だけで5人のスタッフが亡くなった。私たちの生活はイラク人市民とともにある」と言うのです。イラクではこの12年間で報道関係者が約160人亡くなっているんですけれど、そのうち85%がイラク人です。 イラク市民の死者も、報道関係者の死者も、過去10年を調べたら一番多いのは2006~7年の内戦状態、宗派抗争が激化した時期でした。イラク市民の死者数とイラク報道陣の死者数は連動していて、報道陣の殺害が多い時は、彼らが取材をするイラク市民全体も、毎日のように殺されているということがよく分ります。メディアが狙われる時、市民はもっと死んでいるということです。 今回、後藤さんが殺害されたことで、いま周りの人と話しているのは、これからフリーランスが戦場取材に行ったとしても、発表媒体がどれくらいあるかですね。後藤さんはテレビ朝日系列「報道ステーション」で、この3年ぐらいは何度もリポートをされていました。でも専属ではなくて、他の発表媒体にも持ち込んだりしていました。フリーランスの場合は、取材に行く前に「放送しましょう」と決まっていることはまずないんですね。危険地域の場合は特に取材が全部終わってから、「放送しましょう」「やりません」という判断になります。 後藤さんはたくさんテレビに出ていたたようにも見えますけど、取材に行ったけれど放送できなかったこともあったようです。だから取材してリポートがどんどんできる時は、欲も出ると言いますか、できる時にもっとやっておこうとか、そういう「もっと…」「もう少し…」という気持ちになっていったのではないか、と推測します。私自身もそんな時期はありました。今回、取材日程を見ても相当無理をしているし、フリーランスであるがゆえの、ベテランゆえの、何か「落とし穴」というようなものに嵌ってしまったのか……。ただこれは、本人がいないので確実なことは何も言えません。 今ネット上でこういう書き込みがあります。「テレビ局がフリーランスの、戦争取材の映像を買うからあの連中はそういうところに取材に行くんだ。だからテレビ局はそのような映像を買うのをやめるべきだ」と書いてあった。一人の書き込みかもしれませんけれど、僕が恐れているのは、それこそ放送局がフリーランスの戦争取材の映像等の扱いについて、これからどのように対応するのかということです。 似たような経験としては、2011年の3・11の後に福島第一原発の取材に行った時、立ち入り禁止区域に入った映像は、しばらく出せませんでした。「立ち入り禁止区域の映像は出せません」とテレビ局スタッフの方から言われました。一番訊かれたのは、「どこの許可を取って撮られた映像でしょうか?」ということでした。報道・取材はいつから「許可制」になったのかと驚きました。政府や国家が立ち入り制限・禁止をしているエリアこそ、とても重要な事実が隠されている。それを伝えるのがジャーナリズムの役目でしょう。 戦争取材に行くスピリットや心意気みたいなものは、多分これまでと変わらず、フリーランスの人たちは皆さんそれぞれあると思うんですけれども、ここから先どうやって発表することができるのか。特にマスメディアでの発表に関しては、この後にじわじわ影響が出てくるんだろうなというのが、いま気になっていることです。戦場から伝えることで初めてわかる真実も戦場から伝えることで初めてわかる真実も~豊田直巳──豊田さん、そのあたりいかがですか。豊田 その前に一つ申し上げておきたいことがあります。綿井君からありましたように、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会の仲間たちで、後藤さんが拘束されている映像が出たその日に、二人を解放してくれ、という声明を出しました。その後も救援の一部を担うような形を取らざるを得なかったのですけれども、少しお話しておいた方が良いかなと思うのは、実は今日のシンポジウムのタイトルも「後藤健二さんの死を悼み…」ですね。つまり湯川さんは消えてしまう。これは後藤さんがジャーナリズムに関わっていたということで、このシンポジウムのテーマとしてそうしたのでしょうが、僕たちの一回目の声明は、まだ二人が存命だという前提で二人について出しました。 僕たちも湯川さんがどのような人であるかということはネットに残っている映像くらいでしか知らなかったんです。その映像は彼が戦争オタクなのか軍事訓練なのか、様々な憶測を呼ぶようなもので、躊躇する部分はあったんですけれども、原則に立つべきだと僕たちは思いました。ジャーナリストであるかどうか、湯川さんがどんな人であるかに関わらず、殺してはいけないという原点に立つということです。だから二人の解放を訴えました。ただ、最近気になるのは、メディアの扱いが後藤さんだけの死を悼んでいるように見えることです。 それからもう一つ。なぜ僕がここにいるのか、といえば、綿井君も僕も後藤さんを知っていたということです。知っていると言っても20年前に1週間ほどヨルダンで一緒に居たことがあるというだけです。でも、安田さんと同じように、僕らの所には後藤さんが行方不明という情報は入っていました。それにも関わらず救えなかった。何もできなかったという後ろめたさもあって、彼の映像が出た時には何かしなければと思ったわけです。 今日のテーマである、後藤さんや僕らが危険を冒してでも戦場に行かなければならない理由というのは、もう既に金平さんが仰ったとおりです。現場に行かないと分からないことはいっぱいあるということを、自分の取材の中で体験してきているわけです。トルコ南東部のアクチャカレ付近から望むシリア。鉄条網の向こうは過激派「イスラム国」が支配する地域だ=2015年1月(共同) 例えば日本の自衛隊が派兵されるされないという議論のあった11年前、自衛隊がイラク中部のサマワに派遣され、しかも自衛隊が行くと給水支援ができる、サマワの人たちは水で困っているから水を支援するんだと説明されたんです。だから僕は実際に取材に行ってみたのですが、行ってすぐ分かったこととは、地元の人たちは水に困っているどころか、毎日お風呂に入っていました(会場笑)。だから、自衛隊がサマワに行く理由は全くないとわかるわけです。にもかかわらず何故かサマワの町の中には「自衛隊員の皆様ようこそ」という日本語で書かれた横断幕が掲げられていた。常識で考えて、日本軍という横断幕なら分かるけれども、自衛隊という言葉を知っているイラク人が何人いるんだろうと。結局それは日本人の「ジャーナリスト」が書いたものだと判明しますが、それが日本で報道されて、自衛隊が地元で歓迎されている、という話になっちゃうわけです。 必要があればジャーナリズムがカバーしなきゃいけないことはやっぱりあるんだ。しかも、国の流れが悪い方に行くことを止められる可能性が1%でもあるんじゃないかという思いもあって行っています。危険との天秤にはかけますけれども、ジャーナリズムの方を優先せざるを得ない場合もあるんだということをご理解頂きたいと思います。戦場で斃れた記者の大半がフリーランスだ戦場で斃れた記者の大半がフリーランスだ~野中章弘──シンポジウムのタイトルについての話もあったので主催者としてコメントすれば、きょうはジャーナリズムについて議論するということで後藤さんの名前を掲げました。それ以上の意味はありません。ただ豊田さんの指摘は大事なことだとは思います。 次に野中さんから、戦場取材についてお話をいただけますか。野中 先ほど綿井君から亡くなったジャーナリストの話がありました。1975年、ベトナム戦争が終わってから今年でちょうど40年になりますけれども、ベトナム戦争で取材中に亡くなった日本人ジャーナリストは十数名。実は沢山のジャーナリストが亡くなっています。それから40年経って、その間に何人のジャーナリストが戦争や内戦、騒乱などで亡くなったのか。数えてみると8人なんです。うち6人がフリーランスです。2004年、橋田信介さんと小川功太郎さんがイラクで襲撃されて殺害されましたが、この事件から今年の後藤健二さんまで、犠牲者は6人。この40年間のうちで最後の10年に集中している。6人のうち5人がフリーランスのジャーナリストで、企業内ジャーナリストは村本博之さんというロイター通信の方です。 その6人には共通点があるんですね。それは映像ジャーナリストだということです。犠牲者が増えた主な原因は2つあると思います。一つは、イラク戦争以降にジャーナリストが抱えるリスク、直面するリスクの質が大きく変わったということです。実は殺害・誘拐された人はジャーナリストだけじゃないんです。赤十字国際委員会、NGOスタッフなど人道援助の関係者たちも同じような目にあっています。まだ解放されていない国連などの職員たちも沢山いるということです。 80年代、90年代、僕もアジアの戦場取材を沢山やりましたけれども、それは戦場の危険であって、ジャーナリストが武装勢力のターゲットになることはほとんどなかったんです。今はジャーナリスト自身、あるいは外国人自身がターゲットになるという意味で、リスクが非常に高くなっています。 もう一つ、何故映像ジャーナリストたちの犠牲者が多いのか。ビデオカメラを持って現場に行った時は、とにかくインパクトのある映像、迫力のある映像を撮ろうと考える。これはカメラマンの本能です。だから前へ前へと進む。ファインダーを覗いている時は他のものは見えないんです。とにかく良いショットを撮ろうと前に進むんですね。記事を書くジャーナリストたちももちろん大変な仕事なんですけれども、ただ記者は戦場から帰ってきた人の話を聞いても記事は書けるわけです。けれども、写真とかビデオというのは、幾ら下手でもとにかく現場に行かないと撮れないわけですね。 フリーランスの場合は余計にそのプレッシャーが強いわけです。テレビ局のカメラマンよりも迫力のある映像を撮らないと発表できないからです。NHKとかTBSのクルーがもう既に同じような映像を撮っているとフリーランスの映像を使う必要はないわけです。ですからフリーランスがいつも考えるのは、NHKやTBSと区別される映像を撮るということ。やっぱり戦場でいちばんインパクトのあるシーンは戦闘ですから、どうしても、前へ前へと進んでしまうんですね。 ただ誤解のないように言っておきますと、ネットなどを見ていると、フリーランスは危険な映像を撮って沢山の金を貰っていると書いている人もいる。我々の中にそういう野心がないわけではないんですよ。しかし名誉の為に言っておくと、お金へのこだわりは、我々の中、少なくとも僕の周りにいる人の中では、あんまりない。勿論お金がないと取材の最前線まで行けない。だけど我々はお金よりも、お金に変えられない価値を生み出すためにこういう仕事をしています。それは現場で起きていることを多くの人に伝えるということです。それが我々にとっての最大の価値なんですね。ですから単にお金になるから、戦場取材で迫力のある映像を撮ろうとしているわけではない。 戦争取材の基本は戦場にある。はっきり言ってそうです。これはもう疑いのないことです。戦場で何が起きているのかを伝えなければ戦争の本質を伝えることにはならない。オバマ大統領がホワイトハウスでこういう声明を出しました、安倍首相がこういうふうに言っています、という報道も必要ですが、それだけでは戦争の実相を伝えることにはならない。映像ジャーナリストたちは、戦争の悲惨な実態、現実をみんなに知らせる、そういう役割を担って現場に行くわけですね。 また何故フリーのジャーナリストたちがそういう所へ行くようになったかと言うと、カメラがデジタル化され、小さなカメラでも戦場取材ができるようになったからなんです。フリーランスのジャーナリストがドキュメンタリーを作ったり、ニュース番組の中に登場したりというようなことは、20年ほど前まではあまりなかったんです。それまでテレビの取材はテレビ局のカメラマンが何百万円かのカメラを使って取材をしていた。だけどカメラが小型化され、安く手に入るようになってから、フリーランスの人たちもそういう仕事をするようになったわけです。 フリーランスの場合はたいてい単独で行動しますから、より危険です。何か起きた時に自分の救援をしてくれるような態勢を整えて行くわけではない。もちろん保険もかけません。戦争保険というのは僕の記憶では、危ない所では一日10万円ということもあります。たいがいのフリーランスは、保険にかける10万円があるんだったら取材費に使うわけです。かけても「海外旅行保険」ですが、これは多分戦場ではおりないと思います。何かあったら同僚たち、仲間たちが救援活動に携わるということです。本来ならばフリーランスのジャーナリストたち、我々自身が、仲間たちがそのようになったときに、すぐに救援に行けるように、あるいはそうならないように情報を共有したり、助け合う環境を整えることが今大切なのではないかと思います。「危険な所へ行くな」という誤った認識──イラク戦争の頃から、日本人が標的になるみたいな状況が出て来たのじゃないかと言われますが、綿井さんはイラク戦争の取材に頻繁に行かれていたので、その辺どうですか。イラク戦争が日本の戦争報道においてひとつのターニングポイントじゃないかとよく言われますが…。綿井 基本的に中東は日本人に対する親近感、尊敬の念と言いますか、日本人であることのアドバンテージはこれまで高かったです。2003年に行った時も、日本人というだけでチヤホヤされたような時期はありました。けれども、その日本がなぜアメリカの側についているのか、なぜ自衛隊を派遣するのかとか、そういうことを訊かれたことも事実です。 しかし、2013年にイラクのバグダッドに行ったんですけれども、「日本人ですか?」と声を掛けられることがほぼ皆無でした。それまではだいたいアジア人と言うと圧倒的に代表は日本人だったと思うんですけれども、バグダッドの街を歩いていても、99%「中国人ですか、韓国人ですか」としか言われることがなくなってしまった。それは、日本人に対して憎しみが高まったのではなく、相対的に中国とか韓国の電化製品や車が増え、中国・韓国系企業で働く人も増えて、生活や仕事の接点が日本よりも圧倒的に増えたんですね。 イラクに自衛隊が派遣されていた当時、自衛隊員が狙われるよりも、自衛隊が契約している道路補修業者や、地元の人で日本と接点があるイラク人が狙われるであろう、と思いました。そうすると、今回の邦人人質・殺害事件を受けて、今後は日本の企業で働いている、日本のメディアで働いている通訳の人とか、日本と接点のある人が狙われる可能性が高いんじゃないでしょうか。この予測は外れて欲しいんですけれど、自分自身の身の安全もありますが、地元の協力者たちが、日本や日本人と付き合うことで感じる「不安感」のようなものが高まることを危惧しています。「危険な所へ行くな」という誤った認識安田 今回、我々が問題にすべきなのは、どうやって現場の取材をするかという手法の部分だと思うんです。後藤さんがどうやって現場に入ったのかまだ全然経緯が分からなくて、どういう判断基準があったかも分からない。イスラム国に今まで行ってきた人って、イスラム法学者の中田先生のような、直接パイプのある人のつてで許可証を貰って入るとか、少なくともイスラム国の戦闘員と一緒に入るとかいう形でしか入れていないんですよ。後藤さんは、報道された範囲では、ガイドと一緒に検問所まで行って、そこで一人で降りてバスで向かって行ったんですけれど、誰も迎えにも来ていない。かなりイレギュラーな入り方をしていて、その辺の詳細が分からないんです。許可証があったかなかったかはっきりしないんですけれど、その入り方を見ていると、たぶんとっていないですね。 後藤さんの判断の基準は分かりませんけれど、我々が検証すべきなのは、その手法がしっかりしたものだったのか、ということです。その後朝日新聞がシリア側を取材したってことで産経や読売、政府関係者も批判していましたけれども、朝日が入った場所はコバニというトルコ国境に近いところです。イスラム国が攻め込んできたところをクルド勢力が追い返して解放した街と言ってアピールしている所ですよね。そこにクルド勢力のプレスツアーが入ったわけですよ。はっきり言ってそこでどうやって人質になるのという話ですけど、それから、アサド政権のビザをとって、ダマスカスからアレッポへ入ってその先へ行ったわけですよね。情報省の役人が付いているわけですよ。要するにどちらもイスラム国を排除したということをアピールしている現場ですよね。そこで護衛も付けているわけですよ。そういうところで、イスラム国が人質にするとしたら、襲撃してきて、護衛を蹴散らして、外国人を捕まえて連れ去るという状況ですよね。そうなるとコバニは解放されてないんじゃないかという話じゃないですか。 要するに具体的にこういう危険があるという指摘は何一つしていない。ただ危険だと言っているだけです。朝日新聞を批判しているところは〝空気読め〟っていうだけの批判しかできていない。僕は「空気読め」って話が一番危険だと思うんですよね。我々が必要なのは、自分の頭で物ごとを判断して、やっていることとか起きていることが妥当なのかそうでないのか判断することじゃないですか。そのための具体的な情報を出すのが我々の仕事であって、「空気読め」というのに乗るわけにはいかないし、使命感なんかなくたって、事実を見てくれればそれで良いわけです。 この間イラク北部で旅行者が捕まりました。どこでどうやって捕まったのか全然説明がないじゃないですか。政府にはクルド政府から絶対に説明があったはずですよ。官房長官が、イスラム国が戦闘をやっているようなところに入るなんて危険であると、一歩間違えれば大変なことになる恐れがあったと言っているんですけど、どういう危険があるのか何にも話してない。 それがクルド側とイスラム国側の最前線まで行こうとしたのかそうじゃないのか、全然違う所で捕まったのか。不審者だって言うのならどういう不審な行動をしたのかとか、それを全然説明しないんですよね。危ない危ないと言うだけで、具体的にそれがどうだったのか我々に判断させないようにしているわけですよ。恐怖を煽って政治的な要求を通すってテロの手法じゃないですか(拍手)。だから我々がやるべきことは、雰囲気とか恐怖とかいうことではなくて、それを克服して何がどうなっているのかをそれぞれ我々が頭で考えることなんですよ。テロに屈しないということは、そういうことだと思うんですよね。 それをどうやっていくかが、我々がすべきことで、政府の側は、そうさせないようにしたいわけですよね。旅券返納とかいうことも、「シリアなんて危ない所に行くなんて」「当然だろう」って雰囲気になっちゃってるわけじゃないですか。恐怖を煽って雰囲気だけで物事を進めようとしている。本当にこれは危険な方向に行っていると思いますよ。 しかも、パスポートを取り上げて、渡航禁止というのは憲法違反だと言うと、じゃあ憲法の方がまずいって話になっているわけでしょう。だから完全に憲法を変えるための流れになっているわけですよ。メディアもかなりやばいところに来ちゃったなというのが僕の印象です。映像で戦場の光景を伝えることの重要性映像で戦場の光景を伝えることの重要性金平 安田さんが今言われたことが一番、僕がこの場で話すべきことだと思っています。つまり何が現場で起きているかということについての丁寧な説明がなされていないんですよね。僕らが持っている強みというのは、フリーであろうが企業ジャーナリストであろうが現場で見てきたことを、その中の公益性があると思われる情報をきちんと提供することだと思うんですね。 例えば今言われていたコバニについては、僕はレバノンに取材に行っていた時にBBCワールドでコバニからのレポートをやっていまして、凄かったですよ。BBCの記者の顔のアップからずーっとズーム・バックしていくんですけれども、周りが全部瓦礫で、つまり破壊され尽くした跡にその記者が立っている。その映像を見た人は、ここで行われている愚かさというのが目に焼き付いて離れない。それくらい価値のあるレポートだったわけです。そういうことに何故僕らのメディアが気付かないかと言えば、そういうことに目配せする能力、編集する能力が劣化しているんですよ。物凄く狭い鎖国のような状態で自分たちの国のことだけ考えていて非常に勇ましいことを言って…。この間総理の所信表明演説を聞いていたら「列強」とか言ってました(笑)。もうびっくりしますね。つまり物凄く想像力が幼稚化しているというか、世界をちゃんと見ていないんですよ。 シリアのアレッポだって、僕らの同僚は1月初めに行きましたよ。やっぱり風景を見ると心を打たれるんです。アレッポって観光地だったですからね。遺跡観光で凄く賑わっていたところが今は無人で、荒れ果てていて、遺跡どころではないんですよ。遺跡の遺跡になっちゃっているわけです。そういう無人のところをずっと見た時に、僕らが伝えるメッセージの大きさというのがあると思うんです。それをいっしょくたにして「シリアは危ないらしいぞ、その周りも危ないらしいぞ」と言って、パスポートを取り上げるなんてもっての外です。そんなことをやる権利が国家にあるというふうに彼らは思ってしまっているというところで、西側のジャーナリストから言うと、「君らの国というのは江戸時代か!」みたいな話になるわけですよ。 僕らの国って主権在民ですよ。国家が先にあってその許しを得るとか許可を得るとか、いつからそんな国になっちゃったんだろう。イラク戦争を仕掛けたアメリカでさえ第一次湾岸戦争の時はCNNのピーター・アーネットが国防総省による退去勧告を無視してずっととどまり続けて、バグダッドから中継をやったんです。バグダッドの夜空がイルミネイティッドって最初にやったあの生中継をホワイトハウスの地下にあるシチュエーションルームという作戦本部がみんなで見ていたんですよ。つまりそれくらいメディアの力というのは強いんです。国防総省の人間でさえそれを見て自分たちの作戦を考えないといけないぐらい強い力を持っているということについての自覚がなくなってしまって、どこかの下僕になってしまっている。それはもうジャーナリズムじゃないでしょう。 例えば、朝日が注意深くやったシリア国内の取材を叩く新聞社というのは何なのですか。その新聞社のカイロ支局の人間はその記事を読んで泣いていると思いますよ。つまり僕が言いたいのは、ここに来ている理由もそうなんですけれども、フリーであろうが、組織内ジャーナリストであろうが、ジャーナリストである内部的自由というのがあるんですよ。これは近代国家であれば当たり前の、つまり自分の意見というのがあって、会社が、あるいは組織の上の人間から理不尽な命令をされたらそれに対して逆らう権利です。例えばイラク戦争でバグダッドが陥落した時、有名なサダム・フセインの銅像が倒れる瞬間があったでしょう。あの時に、恥ずかしいことながら、外務省の退去勧告に従って、日本の企業メディアは、どこもいなかったんです。何人かフリーの人だけが立ち会っていたわけですね。そこでレポートしていたのが綿井さんなんですよ。もちろん周りにはイタリアとかフランスとかそういう海外の企業ジャーナリストが一杯いて、そこからちゃんと中継をやっていたりしていたんです。何故日本だけいないんですか! 何故綿井さんだけなんですか!綿井 正確に言うと、当時、共同通信の記者・カメラマン3人は、開戦前に一度撤退した後、バグダッド陥落前にまたバグダッドに戻ってきました。豊田 私もいました!(会場笑)金平 フリーはいた(笑)。でも企業ジャーナリストは横並びで、今だから言いますけれど、外信部長会議というのがあって、みんなで引き揚げたわけですよ。  イギリスだってドイツだってフランスだって人質がとられたりしても、交渉をして帰ってきました。交渉もしない国ってなんですか。交渉もしない国でないというのであれば、その証拠をちゃんと出すべきですよ。そうじゃないと、国民は国家を信用できなくなるじゃないですか。いざとなったら救ってくれないんだ、という話になるわけで、きちんとメディアは、国に対して情報を開示しなさいみたいなことを言わないといけないと思います。そうじゃないと「テロに屈しない」という大義だけで、物凄く幼稚なわけですよ。今の政権の幼稚さには、がっかりというか恥ずかしいというか。つまり海外のジャーナリストたちの普通の感覚でいえば「ああそうなんだ、助けてくれないんだ」というふうに、僕も日本人ですから思われたくないですよね。ただ今現下で起きている状況はそうなっていて、一番問題なのはそこに引っ張られて、例えばパスポートの返納命令があっても「迷惑だよな」みたいなことを言う人たちが多い。メディアの僕らの仲間だってわからないですよ。「迷惑だよな」と思っている人がいるかもしれない。 さっきの社論と内部的自由の関係というのは、これから本当に僕らのメディアの存在意義を考える時に一番大事な話で、僕らがどこまで自分達の良心に従って組織の中できちんとした報道をしていくか。最終的には自分たちがやっていることが誰のためなんだという、そこが今揺らいでいるのではないかという気がしてしょうがないですね。これは僕の個人的な意見ですけれど。

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    テレビが黙殺する「報道の自由」の真実

    する報道の自由度ランキングで、日本は72位に転落した。安倍政権による「報道圧力」を指摘する野党や左派メディアはここぞとばかりに自由の危機を憂いたが、なぜかテレビだけはこの問題にダンマリを決め込む。そこにはテレビ局側の「内」なる事情もあるらしい。

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    批判を恐れて萎縮する日本のテレビが迎えるジャーナリズムの「死」

    安倍宏行(Japan In-depth 編集長) 「日本に報道の自由はない」とか「安倍政権がメディアに圧力をかけている」との批判が活字メディアを中心に頻繁に見られる。論拠によく上がるのが、1.パリに本部を置くNGO「国境なき記者団」が発表した「報道の自由ランキング」で、日本が180ヵ国中、72位2.高市早苗総務大臣の停波発言3.直言キャスターの一斉降板4.国連特別報告者のデービッド・ケイ氏(米カリフォルニア大アーバイン校教授)の調査報告。などだ。 1は正直このNGOの実態がよくわからないので、何故72位なのか不明だが、2から4まではかなり恣意的な要素が入っていると思われる。安倍政権に批判的な勢力が主張しているように見えるのだ。 2013年にテレビ局を辞し、フリーのジャーナリストとして独立して以来、政府の報道に対する圧力はあるか、と幾度となく既存メディア(特に新聞、雑誌)から取材を受けたが、いつも「干渉が全くないかと言うとそんなことはないが、圧力というほどのものは感じたことが無い。それによって自分の記事の内容がゆがめられたこともない。」と答えてきた。21年間の記者生活で「政治の圧力」を感じたことが無いのだから正直にそう答えたまでだ。ついでに言うと「スポンサーの圧力」を指摘する声も多いが、それも一度たりとも感じたことはない。 さて、ではなぜこれほどまで執拗に「日本に報道の自由がない」という言説が跋扈するのか。それはひとえに既存メディアである新聞、テレビの報道姿勢にあると筆者はみている。とりわけ、年が明けてから政治スキャンダルなどのスクープで息を吐いている週刊文春をはじめとする週刊誌ジャーナリズムの元気がいいから、余計に既存メディアの消極的な報道姿勢が目立つ。 特にテレビだ。「自主規制」という言葉がしっくりくるが、テレビの報道姿勢が非常にあいまいになっている印象を持つ。この春、古舘伊知郎(テレ朝系「報道ステーション」)、国谷裕子(NHK「クローズアップ現代」)、岸井成格(TBS系「NEWS23」)が降板したが、これは政府の圧力というより、テレビ局がさまざまな理由から判断して彼らを降ろした、というのが本当のところだろう。各局ともにその理由はさまざまだが、その背景にあるのは局幹部の過剰な「リスク管理」意識、いや「忖度」したといってもいい。「自粛」は言い換えれば「委縮」 筆者の感覚だとここ15年くらい、テレビ局内のこうした「リスク管理」意識は強まる一方だ。背景には、ネット社会を中心に強まって来たテレビ局批判がある。これまで可視化されてこなかった批判が一気に噴出し、それが増幅されてきた歴史がある。時にはいわれない理由でバッシングが起きることもある。フジテレビの韓流押し批判など、その最たるものだが、身に覚えがなくてもいとも簡単に世論は沸騰する。そしてテレビ局の評価は下がる一方だ。 そうした批判にテレビ局自身が鈍感だったことも不幸だった。局員がネットに疎く、時代の流れを読めなかったことが、事態を悪化させた。そして、局内に、「無駄に批判を招くような番組は自粛しよう」という空気が蔓延した。「自粛」は言い換えれば「委縮」と取られる。 現在、筆者はクライシスマネジメントの仕事にも関わることも多いが、企業の「リスク管理」意識は今、大きく変貌している。ネット社会において、企業のレピュテーションは簡単に毀損する。企業は批判や攻撃を防御するだけではなく、「攻め」が必要な時代になっている。テレビ報道は「委縮している」という批判に甘んじたくなければ、「攻めの報道」をしなければだめだ、ということだ。 キャスターの首をすげ替えただけで、批判が消え去ると思ったら大間違いだ。むしろ逆だろう。批判に立ち向かうためには、番組内容を変え、むしろ批判に答えていかねばならない。具体的には、キャスターと番組が一体となり、国民的関心事、例えば憲法改正や原発問題、政治とカネの問題などに対する提言を積極的に放送するとか、継続的に「調査報道」を行う、などがそれにあたる。口先批判などと揶揄できないほどのクオリティと確固たる報道姿勢が前面に出すことが、批判に答える唯一の道だ。 しかし、テレビ局はキャスターを代えたことでお茶を濁し、ニュースのバラエティー化に邁進している。それは「自主規制」や「委縮」というより、「怠慢」に近い。地上波では「ハードなニュースを流しても数字(視聴率)が取れない」などと思っているなら、それは大間違いだろう。現に、硬派の報道番組の代表格であるBSフジ「プライムニュース」などはしっかりと視聴者に支持されているではないか。それはBSだから、という言い訳は、実際に地上波でやってから言ってもらいたい。間違った「リスク管理」の名の下に、何もしない=不作為は、筑紫哲也氏ではないが、報道の死を意味する。 「報道の自由」が毀損している、との批判は、政府の圧力よりも、報道する側の「委縮」と「怠慢」が招いている。その自覚がないとなれば、そうした批判に甘んじて生きるしかないのだろう。

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    「報道の自由」不信を生んだ日本の古きジャーナリズム

    現行政権の報道の自由への介入を声高に、強い口調で非難し、保守派は報告者の人物像と基準の偏り、また左派メディアの過去のさまざまな同種の瑕疵をもとに冷笑する…。 すでに、この対立の構図それ自体を見飽きた気さえしてくるが、大半の生活者はあまり気にしていないか、なんとなくどのメディアに対しても「なんとなく偏っているのではないか」などと漠然とした不信感を抱いている。実態はともかくとして、日本の「報道の自由」に対する閉塞感、不信感については否定できないだろう。 もちろん、両者の言い分には、それぞれ一定の耳を傾けるべき理由があり、また説得力があるが、本稿では、こうした対立の構図を支えるジャーナリズムの課題に目を向けてみることにしたい。 政治とメディアの冗長的な「慣れ親しみ」の関係をもとに形成された「規範のジャーナリズム」が機能不全を起こしているが、その変革に失敗していることである。ここでいう政治とメディアの「慣れ親しみの関係」とは、政治とメディアが、生活者よりも密な関係を形成することである。詳しくは拙著『メディアと自民党』(角川新書)などを見て欲しいが、日本の政治とメディアは、歴史的な発展過程のなかで緊密な関係を形成してきた。そのあり様のことを指している。ネガティブな側面が指摘されることが多いが、後述するように、受け手とメディアのあいだで十分に価値観の共有がなされていた時代には、ポジティブに機能することもあったというのが筆者の認識だ。 「規範のジャーナリズム」とは、このような政治とメディアの関係を踏まえて、大所高所から政治や社会のあり様について、特定の価値観のもとに政治や生活者がどうあるべきかという指針を提示する、やや図式的にいえば「速報、取材、告発」を重視するジャーナリズムのかたちである。情報の受け手とメディアに共有されていた価値観 言うまでもなく、ジャーナリズムの存在理由のひとつは権力監視にある。しかし、日本の政治とメディアでは、佐藤栄作元総理の首席秘書官を勤めた元産経新聞政治部の楠田實や読売新聞主筆の渡邉恒雄の回顧録を引き合いにだすまでもなく、双方に対して間接どころか、ときには直接的な影響力が行使されていたことが知られている。東京ドームで試合を観戦する渡辺恒雄・読売新聞主筆(手前左)、森喜朗元首相(右隣)ら=2015年5月13日午後、東京都文京区の東京ドーム(撮影・大橋純人) それでも、情報の受け手とメディアのあいだに一定の価値観の共通がなされていた時代には、読者はその媒体を「信頼」することができ、その信頼を基盤とした「表現」と「ジャーナリズム」が可能だったと思われる。紙幅の、あるいは放送時間上の強い制約を受けるため、接続詞、主語、目的語、論理などを省略化しようとするし、簡略化した発言が好まれる。 メディアと情報の受け手のあいだの価値観の共有が省略化された前提を、「適切に」補完することで、「規範のジャーナリズム」にも合意できた。合意できない場合には、別のメディアを手に取ればよいのだから、直接的な違和が表明される機会は乏しく、実質的に媒体ごとに特定の価値観共同体が形成されてきた。 しかし、現在では、その基盤が大変脆弱なものとなっている。若年世代は新聞を読む機会をもたず、メディアもコンテンツをばらばらに、自社やニュースポータルを経由してネット配信する。そこでは、従来的な意味での価値観共同体は存在しないが、記事の大半は伝統的な製作方法に由来して作られている。適切なニュアンスの補完は働かないし、前提とした宛先とは異なったコミュニティに届いてしまう「誤配」も生じてしまう。 多くの生活者は、日本の初等中等教育課程における、実効的で実質的な政治教育のカリキュラムの不在や、社会教育の機会の不備によって、メディアが伝える政治や社会問題を読み解く素地を形成できているとは言いがたい状況にあった。こちらも、戦後の日本のメディアの「復興」過程と、現在の教育基本法第14条の政治教育のあり方(かつての、いわゆる「8条問題」)についての歴史的な側面が強く影響している。 簡潔にまとめると、生活者にとって、平易に読み解くための素材(情報)と道具立て(論理やフレームワーク)が乏しいメディア、とくに古典的なマスメディアが提供する情報環境のなかで、大上段の命題と「べき論」中心のコンテンツに慣れ、ときに過剰なメディアへの信頼・不信頼・対立や、社会や政治の問題それ自体から目をそらし続けるという誤った耐性が生まれてしまっている。 また私的生活におけるコストの観点からして、すべての生活者が日常的に権力を監視し続けるというのは、あまり現実的に思われない。政治と生活者が直接対峙するのではなく、やはり第三項としてのメディア、そしてジャーナリズムの役割は大きい。 ただし、日本のメディアメディア環境の変化に対応できていないがゆえに、生活者から、やや過剰に信頼を失い、そのいっぽうで、状況への適応を進める政治との緊張関係のなかで劣勢に、また従属的な地位にはまり込もうとしているように見える。規範から「機能のジャーナリズム」へ 筆者の主張はこうだ。メディア環境の変化を理解し、それらを踏まえ実効的な権力監視の役割を果たす「機能のジャーナリズム」へと変化する必要があるのではないか。あえて対立的に記すと、「整理、分析、啓蒙」を重視する必要があるように思われる。近年、情報量は格段に増えたが、文脈は断片化し、またメディアが前提としてきた価値観共同体も遠くない将来に消え去ることが自明になりつつある。 そのような時代のジャーナリズムは、無数にある情報のなかから価値あるものを取捨選択して整理し、定量的、定性的な分析や比較、解説を加え、生活者がそのコンテンツを受け取るまでのインターフェイスや表現の形式までをデザインすることで現代的な啓蒙を試み、政治との新たな緊張関係を取り戻すことを期待したい。 そのうえで、冒頭のたとえば、「世界報道自由度ランキング」の結果をどのように評価するか、私見を提示しておくことにしたい。2015年に日本は61位という過去最低の順位を記録した。実はランキングの低下はいまに始まったことではない。2011年の東日本大震災と福島第一原発事故をきっかけにしている。2012年は22位、2013年53位、2014年には59位と順位を下げ続けてきたのだが、2015年にとうとう過去最低の数字を刻んだのである。 比較のために幾つか他国の順位も挙げておくと、1位フィンランド、2位ノルウェー、3位デンマークと最上位には北欧諸国が並んでいる。カナダ8位、ドイツ12位、イギリス34位、フランス38位、アメリカ49位、韓国60位と続く。いずれにせよ、この基準に照らすと日本の報道をめぐる状況は、OECD加盟34カ国のなかでは、もっとも低い水準にあると評価されていることになる。 もちろん「世界報道自由度ランキング」の評価方法についてもこのランキング特有の評価の傾向があるから、「世界報道自由度ランキング」を偏っていると見なすこともできるが、この基準それ自体はさほど大きく変化していない。それを踏まえれば、重視するか否かはさておくとして、日本は民主党政権の時代から、第2次安倍内閣にかけて一貫して順位を下げていることになる。したがって、この間に生じたメディア・イベント、なかでもメディアと政治に関係したメディア・イベントが、日本の報道の自由を引き下げるものであったと対外的には評価されたといえる。 一般にこうした国際ランキングにおいて、低位に甘んじていることが、日本と日本のメディアにとって愉快なはずはないし、メリットが有るとも思えない。だとすれば、政治も、メディアも改善の措置を講じるべきだと思うのだが、どうだろうか。

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    秘密保護で抑圧?国家機密の前にメディアは無力なのか

    、戦後民主主義における日本の方針を大きく転換させる契機となった。これらの法案審議中においては、一部のメディア報道によって反法案キャンペーンが展開され、法案可決阻止を目指した市民によるデモ活動も大規模に発生した。 インテリジェンス活動は秘密工作、情報収集・分析、防諜活動など多様な側面を持つが、現代国家において国家機密の情報保全は極めて重要な基本的な機能である。しかしながらこれまでの日本にはその制度が存在せず、「スパイ天国」と揶揄される時代が続いた。特定秘密保護法の成立過程において、特定秘密指定のプロセスの不透明性や第三者機関によるチェック機能の問題、運用の恣意性の問題などから、メディア報道が抑圧される可能性も指摘された。国境なき記者団による「世界報道自由度ランキング」(World Press Freedom Index)2015年版において日本のランキングが61位に下がり、さらには2016年版において72位にランキングが下がったことの背景として、特定秘密保護法の成立とメディア報道への影響が指摘されている(福田,2015)。情報保全諮問会議であいさつを交わす安倍晋三首相(左)と座長の渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長(右)=4月5日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影) 戦争や紛争に関する安全保障、テロリズムやミサイル事案に対する国民保護、自然災害や原発事故などの災害対策といった社会的危機においては、国家機密の問題に触れる場面が想定されるが、国家機密の問題とは別の次元で、危機的状況においては、政府発表にメディアが依存せざるを得ない状況が発生する。危機において情報源が政府に集中し、記者会見や政府発表の情報をそのままメディアが報道する状態、これが発表ジャーナリズムの問題である。 ここには、危機における政府による情報の統制という危険性だけでなく、危機においてメディアが自力の取材活動や報道の独立を放棄するという危険性も同時に存在している。こうした現象は日本に限られたことではなく、国際的に見られる現象である。安全保障と国家機密…欧米ではどうなのか 安全保障と国家機密にまつわる欧米の制度とメディア報道の関係はどうなっているだろうか。 アメリカにおける情報自由法では、情報公開の例外規定として国家の安全保障に関わる問題が指定されている。9つある例外規定の1番目は、大統領令によって定められた国防、外交における機密である(福田,2010)。ペンタゴン・ペーパー事件やウォータゲート事件など歴史的な事件を経て、アメリカ政府とメディアの対立と緊張関係がもたらすダイナミズムの中で、アメリカの報道の自由は維持されている。 イギリスにおける公務機密法では、国家機密を漏えいしたものに対する処罰が規定され、政府とメディアの間で安全保障をめぐる報道について調整するDAノーティス制度が存在する(福田,2009)。DAノーティス制度においては、イギリス軍の作戦・計画・能力について、イギリスの安全保障・情報機関・特殊部隊についてなど5項目に関連する報道がなされる場合に、事前にDPBACという機関において政府とメディアの代表が報道について検討、審議しなければならない。 アメリカやイギリスのような先進国においても、安全保障やインテリジェンスなどに関する報道については、政府とメディアの間に緊張関係が存在する。安全保障など社会的危機をめぐる政府とメディアの対決と克服によって民主主義が運営されている。 ジャーナリズムの重要な役割のひとつは権力の監視機能である。それは民主主義社会における極めて重要な機能であり、報道の自由や市民の人権と結びついている。著者が所属した日本大学新聞学研究所が実施した「日本のジャーナリスト1000人調査」においても、ジャーナリズムの重要な機能として、日本のジャーナリストに多く挙げられたのが「正確な情報提供」(42%)と「権力の監視」(40.3%)であった。ジャーナリズムの国際比較調査においても、各国のジャーナリストの中でこの権力監視機能の重要性は指摘されている。 しかしながら、その反面で国家の安全保障において国家機密の情報保全も極めて重要な活動である。それは国民の安全・安心を守るために必要不可欠な機能を有している。この「安全・安心」の価値と、「自由・人権」の価値は市民社会において重要な役割を果たしていて、どちらか一方だけが優先され、どちらか一方が破棄されてよいものではない。つまり、報道の自由や人権を守るために国家機密の情報保全に関する法制度が未整備のまま放置されてよいわけではなく、反対に、国家機密の情報保全のために報道の自由や市民の人権が損なわれてよいわけではない。この「安全・安心」の価値と「自由・人権」の価値がバランスよく運用されるための、インテリジェンス、テロ対策、安全保障の制度のあり方を議論する必要がある。 「報道の自由」がどうあるべきか、その問題を考えるひとつのテーマとして、これまで日本では議論がなされてこなかった、この安全保障やインテリジェンス活動とメディア報道の問題について、根本的な議論を始めなくてはならない。【参考文献】福田充(2009)『メディアとテロリズム』(新潮新書)福田充(2010)『テロとインテリジェンス~覇権国家アメリカのジレンマ』(慶應義塾大学出版会)福田充(2015)『「報道の自由度」ランキング、日本はなぜ61位に後退したのか?』https://thepage.jp/detail/20150304-00000004-wordleaf日本大学新聞学研究所編(2007)『日本のジャーナリスト1000人調査報告書』.Shinji Oi, Mitsuru Fukuda & Shinsuke Sako (2012) The Japanese Journalist in Transition: continuity and change, "The Global Journalist in the 21st Century". David H. Weaver, Lars Willnat(ed.), Routledge.

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    国連特別報告者、反日の系譜

    力や抑圧により危機に瀕している」という趣旨を総括した。 この結論に対し日本政府の外務省などやニュースメディアの一部は「そんな事実はない」という反論をすぐに公表した。日本政府では近くケイ氏への反論を文書にまとめて公表し、国連本部へも伝達するという。「反日」政治活動家と対話する特別報告者 ところが日本側のそうした公式な対応がまだ出ないうちにケイ氏の母校のカリフォルニア大学アーバイン校では「アレクシス・ダデン教授とデービッド・ケイ教授の『日本の言論の自由への脅威』についての対話が5月12日に催される」という通知が流された。この「対話」はアメリカのアジア研究学会の機関誌「アジア研究ジャーナル」の共催とされていた。この機関紙の編集長格のジョージタウン大学のジョーダン・サンド教授はダデン教授とともに慰安婦問題で日本への批判を続けてきた人物である。 ダデン氏は2000年の東京での「女性国際戦犯法廷」という模擬裁判で慰安婦問題を追及し、昭和天皇に有罪判決を出すという活動をはじめとして、日本の歴代政権を糾弾してきた。日本の北方領土や竹島、尖閣諸島の主権主張も「膨張主義的な野心」の結果として批判した事実もある。ダデン氏はとくに安倍晋三氏に対して「悪漢」「軍国主義志向」「裸の王様」などというののしりの言葉も浴びせてきた。その一方、韓国とは親密な関係を保ち、韓国政府の対米政策の相談にも乗ってきた実績がある。 またダデン氏は昨年、欧米の日本研究学者らの多数の署名を得て日本の国民や政府、安倍首相あてに日本の慰安婦問題への態度が不適切だと非難する書簡のまとめ役となった。その際にサンド氏もダデン氏とともに書簡草案の起草や発信の役を担った。 このように「反日」とか「日本叩き」という描写が当てはまる政治活動家的な人物と国連特別報告者としての日本での調査活動を終えたばかりのケイ教授がすでに日本での「言論の自由への脅威」という結論を打ち出しての公開討論をすることは日本にとってまさに不公正だといえる。 そのうえに共催組織の代表のサンド氏も日本糾弾という政治色の濃い履歴を持つ人物なわけだ。だからケイ氏の今回の日本での調査も、すでに最初に結論ありきの安倍政権非難という政治傾向がにじむのだ。 しかしケイ氏の調査結果は本来、国連への報告が主目的なはずである。その過程では「報道の抑圧」を非難された日本政府側がその非難は事実に反するとして、正規の反論をいま準備中なのだ。であるにもかかわらず、ケイ氏は自分だけの結論をアメリカ国内ですでに一方的に広めようとする構えを明らかにした。日本にとってまさに不公正な動きである。 アメリカの学界にもこのケイ氏の今回の動きを不適切だとする意見がある。ウィスコンシン大学の日本歴史研究学者のジェーソン・モーガン博士は次のように述べるのだった。 「ダデン氏はアメリカ学界全体でも最も過激な反日派であり、韓国の利益を推進する政治活動家としても知られる。国連特別報告者の肩書きを持つケイ氏がそのダデン氏との密接な協力を露呈した今回の『対話』はアメリカ学界の安倍叩き、日本叩きの勢力がその政治目的のために国連をも利用している実態を示したといえる。明らかに日本や日本語を知らないケイ氏がわずか1週間の滞在で日本の報道や政治の全容をつかむというのは不可能であり、この種の日本断罪は不公正であり、傲慢だ」 さあ日本側がどう対応するか。日本の報道界も無関心ではいられまい。

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    報道の自由度ランキングはどう偏っているのか

    016)」を発表した。2つのランキングを比較する 国境なき記者団のランキングは日本の多くのニュース・メディアがセンセーショナルに報道したので、ご存知の方は多いと思う。先進国であるはずの日本が報道の自由度で180カ国中72位(前年61位)と低位にランクされたというニュースは、確かにインパクトがあった。 一方、同時期に発表されたフリーダムハウスの報道の自由度については日本ではあまり報道されなかったので、知らない人が多いかもしれない。 Googleトレンドのスコアではフリーダムハウスが国境なき記者団を圧倒するように、グローバルな認知度ではむしろフリーダムハウスの方が高いとも言えるのだが、日本が全体の44位というフリーダムハウスの結果は良くも悪くもない印象で、ニュースとして扱うには平凡に過ぎたのだろう。 フリーダムハウスのランキングは、ツバルやソロモン諸島等の小国を網羅し、国境なき記者団が一まとめに扱う東カリブ諸国機構(OECS)についてもその構成国をそれぞれ別個に評価していることから、実は評価対象が20カ国も多く、両者を比較するにはまずここを調整しなくてはならない。 両者がどちらもカバーする評価対象は179カ国。その中での日本の順位は、フリーダムハウスが33位、国境なき記者団は変わらず72位だ。72位 vs 44位でも印象はかなり違ったが、72位 vs 33位となれば、違いはさらに際立つ。 では、どちらかの「報道の自由度」が偏っているのだろうか?偏りがあるのは当たり前 「報道の自由度(ランキング)」はどちらも偏っているし、そうなるのは当然のことだと言うのが、私の見方だ。こうした定性的な評価に基づく指標には、ランキング作成者の「価値観」が必ず反映されるからだ。 両者の評価手順を比べると、NGO自身が事前に決めた基準に従い専門の分析者が評価するフリーダムハウスに対し、国境なき記者団では当該国の関係者数十名程度のアンケート結果を数式に当てはめて評価値を算出するという違いがある。設定する評価基準や数式をどう決めるか、アンケート回答者として誰を選ぶか等によって、それぞれの組織の価値観が反映される。 評価のプロセスに価値観が反映される以上、そこに相応の偏りが生まれるのは自然なことなのだが、そうした偏りは、両者の評価点の分布によく表れている。 下図では、各国の評価点の平均からの距離を標準偏差の倍率として表し、その分布を比較している。 オレンジ棒が示すフリーダムハウスの評価点は、均一に近い平たい分布だ。基準に従い専門の分析者が評価を行うやり方は、分布を平均的に散らすような調整に向いているのだろう。 他方、青棒が示す国境なき記者団の評価点は、尖度が大きめの分布だ。尖度とは、確率分布の特徴を表す指標の一つで、尖度が大きい分布は中心が鋭く尖る一方、厚く長く伸びた裾を持つ。いわゆるファットテールだ。 左右の非対称性も国境なき記者団の特徴で、低評価方向にのみテールが長く伸びている。多くの国が平均近くに集まる中、一部の低評価の国を特に低く評価した分布だと言えるだろう。平均周辺に多く集中するのは、十分に組織展開できない国ではアンケート協力者を確保しづらい、といった事情があるのかもしれない。国境なき記者団はアジアが嫌い?国境なき記者団はアジアが嫌い? 両ランキングの相対的な偏りがより顕著に表れているのが、地域ごとの扱いの違いだ。国境なき記者団がフリーダムハウスと比べ特に厳しく評価したのは、もちろん日本だけではない。 両者の評価順位の差を相対的な厳しさの指標とすると、国境なき記者団が最も厳しく評価した国はフィリピンで、以下、インド、マリ、インドネシア、ブルガリア、イスラエル、東チモール、モンテネグロ、日本と続く。アジアの国が目立つ印象だ。 実は、二つのランキング順位の差を地域ごとに平均すると、アジア太平洋が断然、国境なき記者団が相対的に厳しい態度をとっていることが分かる。(フリーダムハウスが相対的に優しい。) 逆に、ユーラシア(ロシア等)に対しては、フリーダムハウスの方が相対的に厳しい。(国境なき記者団が相対的に優しい。) 米国のNGOがアジアに相対的に寛大で、フランスのNGOが旧ソ連地域に相対的に寛大だという傾向には、納得できる。政情や歴史的経緯、地政学的な関係等が影響しているのだろう。表:ランキング順位差(国境なき記者団 - フリーダムハウス)の地域別平均ユーラシア       -14.8位(かなり優しい)サブサハラ・アフリカ  -7.7位(優しい)北中南米        +1.4位(ほぼ同程度)中東・北アフリカ    +1.5位(ほぼ同程度)ヨーロッパ       +5.7位(厳しい)アジア太平洋      +13.8位(かなり厳しい)注:()内は、フリーダムハウスと比較した場合の国境なき記者団の相対評価。 とは言え、地域ごとの平均がマイナス14.8位やプラス13.8位だと言われても、それがどの程度の偏りなのか、あまりピンとはこない。 そこで、これを分かりやすく見るため、179カ国の順位差の分布を所与の確率分布と見なし、ランダム抽出による出現確率をシミュレーションにより概算してみた。 結果は、ユーラシア12カ国の平均が-14.8位以下となる確率が約0.26%、アジア太平洋32カ国が+13.8位以上となる確率は約0.034%である。 どちらも、かなり低い確率だ。比較して分かること このように二つの「報道の自由度(ランキング)」を比べることで、どちらが正しいか分かるかというと、そうではない。そもそも、どちらか一方が正しいというようなものではない。 日本に関して明らかに言えるのも、「誰がどのような方法で計測するかによって、同様の指標で72位にもなれば33位にもなる」ということくらいだろう。 だが、身も蓋もない言い方になるが、こうしたランキングに一喜一憂するのが如何に馬鹿らしいかということだけは、分かって頂けるのではないだろうか。【参考記事】■日本が先進国で最下級だという「幸福度」ランクについて、みんなが勘違いしていること。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/48183188-20160325.html■日本代表FW岡崎慎司のレスター優勝で賭け屋が大損した、本当の理由。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/48557339-20160509.html■日本がギリシャより労働生産性が低いのは、当たり前。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/47352836-20151229.html■軽減税率で一番損なのは誰か、分かりやすく解説してみました。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/47171441-20151211.html■映画『マネー・ショート』を見ていて混乱するのは、「空売り」を予習したせいだ。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/48046767-20160310.html

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    「報道の自由」で一番大切なのは言論人の強い覚悟

    細川珠生(政治ジャーナリスト) 「政権のメディアへの圧力」が国内外で問題視されているようだ。メディアの一端に身を置いて20年超が経つが、仕事を始めた当初からフリーランスで活動してきた私は、報道機関に属す記者等とは、問題意識も多少異なると思っている。正直、「メディア=報道機関」への圧力という点においては実感がないし、本当にあるのかどうかも、私自身はわからない。評論家の細川隆元氏 =昭和57年10月29日 とはいえ、フリーランスで活動しているものが、その対象外であるということもないだろう。フリーランスは自分自身の活動の一回一回が評価の対象になっているという思いで活動しているので、ある意味、「世の中からの圧力」を常に受けているという感覚である。自分が何を、どんな目的を持って伝えていくかことについて、かなり真剣に考えて一つ一つの仕事に取り組んでいる。一回の失敗が命取りになるという意識でいるので、安易な妥協はしない。しかし、「使っていただく身」としては協調も大事であり、自分の思いだけでは仕事は成り立たたないことも、フリーランスの身でありながらも実感することでもある。 さて、私自身の「最初からフリーランス」という経歴は、少し特殊だとは思うが、同じような経歴を持つフリーのジャーナリストの先輩をお手本にしてきた。最も身近で見てきたのは、父の細川隆一郎であり、大叔父の細川隆元である。二人とも、「毒舌」「辛口」などと評されることが多いが、それだけ、政治に対し、政権に対し、また現職の総理大臣に対しても、容赦ない力強い評論活動をしてきた。大叔父の隆元は、TBS開局時に始まった「時事放談」でお茶の間をお騒がせしてきたが、放送内容によっては、局が何らかの勢力(政権ということではなく)に取り囲まれるような騒ぎ、番組への苦情なども多々あったと聞く。しかし、その時には社を上げて、番組を守り、出演者を守ってくれたという強い意志があったと、父・隆一郎から、その様子を聞いたことがある。また父も、特に時の総理大臣に厳しい評論を行っていたが、そのことによって活動が制限をされることは一度もなかったと、娘としても記憶している。二人とも故人となった今、その時々の詳細を確かめることはできないが、言論人として、メディア人としての強い覚悟、それを支える報道機関の信念が感じられるエピソードとして、私自身がこれまでフリーランスで活動する中で、幾度となく思い起こされ、勇気づけられた体験談なのである。「フリーランス」は活動しにくい 「政権からの圧力」以前に、私はフリーランスのジャーナリストが非常に活動しにくいということを常々感じているのだ。記者クラブ制度の外に置かれているのがその最たるものであるが、民主党政権以降は、フリーランスであっても、一定の条件を元に取材が可能となった記者会見も随分増えた。しかし、取材のベースである国会や議員会館、当然官邸なども、記者章がないために、その都度面会票を書かなければ入館できない。しかも、何らかの約束がなければ入館も許可されないので、自由に出入りをして取材をするということは、一切できないのである。報道機関と政治・行政の双方に問題意識がなければ、一向に改善されないことであり、正直、かなり不利な条件の下で活動してきたと感じている。もちろん一定の条件は必要だが、もう少し開かれた世界にならなければ、本当の意味での「報道の自由」が確立できないのではないかと感じるのである。 報道機関に属する人々も、フリーランスで活動する者も、切磋琢磨し、それぞれがよい報道を目指せば、メディアの世界も、言論の世界もより良いものが世の中に提供され、それを目にする視聴者や読者である国民の意識や質も向上していくのではないだろうか。その意味では、政権との関係という以前に、メディア側の閉鎖性という課題も重要であるように思う。 「評論家は正論を言っていくことが大事だ。長く仕事をしていれば、親しい政治家も増えるし、人の気持ちもわかるようになる。でもそこで批判の刃を鈍く切れ味わるくしてしまえば、この仕事は成り立たない。それで壊れる人間関係にならないように、人として信頼される評論家になれ」 仕事を始めたころには、なかなか実感できなかったが、今は、父のこの言葉がとても心に響く。立場の違いを超え、メディアに係わる多くの人にも訴えるものであればと願う。

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    政治がTV局に圧力 かつて久米宏のテレ朝やNHKは戦った

    しかし、テレビ局はそれに抵抗してきた。 自民党はスキャンダルで支持率が大きく落ち込んだ森内閣時代に「メディア規制3法案」と呼ばれた個人情報保護法案、人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案を推進したが、それに対して民放連、NHK、日本新聞協会、日弁連などがスクラムを組んで反対運動を展開した。 そして安倍氏が幹事長に就任すると、テレビ局と全面的にぶつかった。2003年総選挙で民主党が投票日の5日前に政権を取った場合の閣僚予定名簿を公表すると、テレビ朝日のニュースステーションが大きく報じた。安倍氏はそれを「政治的公平に反する」と批判して同社の選挙特番に党幹部の出演を拒否したのだ。 自民党は当時から、党本部でキー局の番組を録画し、ワイドショーや報道番組での自民党と野党の取り扱い時間を比較して「公正性」をチェックする体制をとって圧力をかけた。それでも、テレビ朝日はキャスターである久米宏氏を降板させることはなかった。久米宏氏 NHKも戦った。第1次安倍内閣時代、総務大臣だった菅義偉・現官房長官がNHKに国際放送(短波)の番組で「拉致問題で日本政府の毅然とした姿勢を示す」という異例の命令を出した。 放送法では国が費用を負担する国際放送について政府の命令を認めているが、政権が具体的な番組内容まで介入したのは初めてだった。このときNHKが加盟する日本新聞協会は「報道・放送の自由を侵すおそれがある」と重大な懸念を表明した。 それがいまやテレビ局は、先の衆院選前に自民党から「報道の公平・中立」を申し入れる圧力文書を突きつけられても「言論弾圧の証拠だ」と公表して反撃することさえできなくなった。 だから自民党からは完全に舐められ、自民党幹部は、古舘、岸井、国谷の3氏の降板も、「こちらがクビを切れといわなくても、各局の上層部が官邸の顔色をうかがって降板させてくれた」と笑っているのだ。 関連記事■ 24時間テレビ 計33回の放送で合計募金総額は291億円超■ 顎関節症から復帰の日テレ宮崎アナ 妙なところで評価あがる■ 自民党執行部 党内やメディアに厳重な「言論戒厳令」を敷いた■ SAPIO連載・業田良家4コマ漫画【1/2】「勝敗ライン」■ 「TV局を減らせ」と説く元業界人がTV界の現状を描いた書

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    自民党勉強会発言 ネトウヨのスポンサー電凸と全く同じ発想

    寄りと判断した報道があると、番組スポンサー企業の「お客様相談窓口」に苦情電話を集中させ、「なぜあんなメディアに広告を出すのか」と圧力をかけるアクションがしばしば起きる。電話で突撃をもじってそれを「スポンサー電凸(でんとつ)」と呼び、これまで朝日新聞やフジテレビなど多くのメディアや番組が標的になってきた。  しかし、一般市民の発言や行動と、政治家に許される言動には厳然と違いがある。百田尚樹氏が講師を務めた勉強会での、「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。われわれ政治家、ましてや安倍首相にはいえないが、文化人、民間人が経団連に働きかけて欲しい」という大西英男・代議士の“懲らしめ”発言は、ネトウヨの「電凸」と全く同じ発想で、自ら手を汚さないだけ一層卑怯である。 「子供たちに悪い影響を与えている番組ワースト10を発表し、広告を出している企業を列挙すればいい」という井上貴博・代議士の発言も、政権与党が“有害”と認定した番組を排除しようという、メディアへの露骨な恫喝だ。関連記事■ 有田芳生 首相の『民主は息を吐くように嘘をつく』発言紹介■ ネトウヨは変人が徒党組んでる、相手するのバカバカしいの指摘■ 【ネット右翼事件簿】“韓国寄り”企業への不買運動が続々と■ 安倍晋三氏のネトウヨ化を心配する声がネット住民から噴出■ 左寄りの政治姿勢でブレた鳩山元首相に「鳩左ブレ」の渾名

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    古舘伊知郎と国谷裕子 去りゆく「名」キャスターたちの罪と罰

    昭和45(1970)年、北海道生まれ。豊橋技術科学大学卒業、名古屋大学大学院経済学研究科除籍。ネットメディア「週刊言志人」を主宰。韓国の反日について積極的に発言する。著書に『天晴れ! 筑紫哲也news23』(文春新書)。

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    大竹しのぶ、蛭子能収、朝日新聞…反戦の耐えきれない軽さ

    メディア裏通信簿】 教授 演技は個性派なんですけどねえ…。 編集者 何のお話ですか? 教授 いやね、女優の大竹しのぶさんが「安倍首相の戦争政策を真っ向批判」していたんだそうですよ。インターネットメディアのリテラで読んだのですが、これが戦争反対、憲法改正阻止という紋切り型の薄っぺらい左翼護憲論なんです。個性のカケラもないしね。共産党か何かの政治宣伝に使われる広告塔みたいですよ。 先生 大竹しのぶは昔から、しんぶん赤旗に登場していたコテコテの左翼護憲派だからな。女優の大竹しのぶさん 女史 リテラは、元夫のお笑い芸人、明石家さんまさんの「俺は戦争のためとか、人殺しをアシストするために働いてるんじゃないって。そのために税金を納めてるんじゃないって言いにいったんです」という過去の反戦発言も載せてたね。 先生 芸ではなく、政治談義でコテコテの反戦平和や護憲を語るお笑い芸人は結構いるけど、だいたい、いかに国の安全を守るのか、何も考えはないんだ。本人の意思なのか、テレビ局がしゃべらせてるのか知らないけどさ。あ、吉本の大物でもダウンタウンはちゃんとしてるか…。松本人志は政治を語るけど、単なる左翼と違って独自の視点もあるし。3月25日にフジテレビ系のダウンタウンなうで地方創生担当相の石破茂を「軍事オタク」「鉄道オタク」とイジっていたが、あれも面白かったよ。 編集者 石破大臣にしてみれば、ダウンタウンにからかわれる、度量の大きさがあるところを見せたんでしょうけどね。 先生 前にマスコミが反集団的自衛権で騒いでいた頃、漫画家タレントの蛭子能収も朝日新聞で反対論をぶってたよな。 編集者 ええ、蛭子さんみたいな飄々としたタレントまで、朝日の政治キャンペーンにのせられていたのに驚いて、このメディア裏通信簿でも取り上げましたが。 先生 3月14日のTBS系「私の何がイケないの?」で放送していたが、蛭子は1年前に軽度認知障害と診断されていたんだそうだ。今は回復に向かっているそうだけどな。無論、朝日は認知障害を知らなかったんだろうし、もしかしたら、蛭子も朝日にしゃべった時には症状もなかったのかもしれないが、それにしても朝日にいいように利用されていたよな。 教授 あの時は、一時期、保守派論客として名をはせていた漫画家の小林よしのり氏まで反安保法制に走って、失望させられましたね。そういえば、小林氏はSAPIO5月号の連載漫画で、国連女子差別撤廃委員会が元慰安婦に日本政府は公式謝罪せよとイチャモンをつけた問題を「外圧だ」と非難していたのですが、皇位の男系継承を「女性差別」と文句を付けようと画策していたことは批判せず、むしろ賛同していました。矛盾しています。 編集者 小林さんは以前から女系容認ですからねえ…。国連委員会問題をきっかけに、自分の間違いに気づけば良かったのに。 先生 安保関連法が施行された翌日の3月29日の朝日朝刊はひどかったぜ。「専守防衛を転換」と大ウソ。自国を守るためやむを得ないときだけ、集団的自衛権行使の一部のみ認めたあの法律や閣議決定を、どこからどう読んだら、専守防衛の転換になるんだ。 編集者 あの記事の巧妙なところは見出しで「専守防衛を転換」としておいて、本文を読むと「『専守防衛』の政策を大きく転換した」と書いてあるところだと思います。先生のような方に抗議されたら、「よく読んで下さい。専守防衛を転換してやめたなんて書いていないですよ。専守防衛は変わらないんですが、その政策のあり方を大きく変えた、と言っているだけです」と言い訳できるんです。 教授 見出しと中身が違うんじゃ、往年の東スポと変わらないじゃないですか。 先生 朝日は共産党幹部の「殺し、殺される危険」という言葉も何度も引っぱり出してきて、煽っていたが、自衛隊員が子供から「お父さんは、殺し殺されに行くの」と言われたら、どんな気持ちになるか考えたことあるのかね。朝日、知性派のお株を奪われる朝日、知性派のお株を奪われる 教授 朝日とは月とスッポンで、読売新聞3月30日付朝刊の論点スペシャルはとても良かったですね。「解釈改憲」「立憲主義崩壊」などと言う安保法制批判に対して、憲法学の立場から京都大の大石眞教授と慶応大の山元一教授が「憲法解釈の変更は許されないという議論はありえない」「立憲主義は特定の政策に反対するために使う概念でもない」と冷静に反論していました。まとめの記事では元最高裁判事、藤田宙靖東北大名誉教授の「従来の法制度の『運用』で処理できる場合には、あえて法改正を求めるのではなく、従来の法規の『解釈・運用』によって済ませるという行政手法は、決して珍しくない。そのすべてを『違法』と決めつけることは、ほとんど不可能」という論文も引用して、反安保の憲法学者たちの意見を根底から覆していましたしね。朝日新聞東京本社=東京都中央区 先生 あの記事は最近の安保法制関連で一番、知的だったよな。残念ながら産経新聞にもここまでのクオリティーはなかったな。 編集者 産経新聞も同じことを主張してきたんですよ! 読売ほど知的な書き方はできなかったのかもしれませんが…。 先生 (笑)本来ならこういう知的な記事は、朝日新聞の得意技だったんだぜ。ところが、今じゃ「専守防衛を転換」の大見出しだもんな。落ちたもんだぜ。 教授 藤田名誉教授は読売の取材に「どの党が政権を持っていても通用するような法解釈の議論をしたかった」と述べていました。党利党略で解釈変更を批判した民主党などを暗に批判したのではないですか。 先生 彼らは「安倍政権による解釈変更は許さない」なんて批判してきたけど、どの政権だろうが、許されるものは許されるし、ダメなものはダメなんだ。朝日は社説の見出しも卑怯だったぜ。 《「違憲」の法制、正す議論を》 違憲にカッコをつけてるのは、「僕が『違憲』と言っているんじゃありません。憲法専門家のミナサンが『違憲』と言っているんです」という意味だろ。威勢の良いことを言うフリをして、こっそり責任逃れをしているんだ。そもそも違憲ならば、法制は無効だ。「正す議論」なんか求めずに、堂々と「無効だ」と主張しろっての。 教授 安保法制は世論調査でも、最近は評価する方が多くなってきました。多くの国民も、彼らの反対論がインチキだったと分かっているんです。 女史 北朝鮮の核ミサイル開発や中国の南シナ海とか、色々あったし、国民も気づくよね。左翼は悔しいのか、最近、ネットでは北朝鮮のミサイルも「安倍政権の陰謀だ」なんて書かれてる。(笑) 編集者 すごい妄想ですね。「日本死ね」で名を上げた「日本死ね」で名を上げた 女史 笑えたのは、ネットで読んだ慶応大学教授、金子勝さんのツイッター。日本でもネット検索が中国みたいに、政府に操作されているという妄想に取り憑かれていたんだよね。 《たとえば、「平成28年度予算」とgoogleで検索すると、産経新聞と経産省など政府機関が必ず上位を占めて気持ち悪い。ネットもメディア操作の対象であり、検索順位の操作が行われていることは知られているが、今年初めからgoogle検索ではこうした操作が目立つように思われる》って、書き込んでんの。産経や政府系機関は元号表記を使ってるから「平成28年度予算」で検索したらヒットするの当たり前じゃん。朝日新聞とか、ほとんどのメディアが「2016年度」って西暦表記しているんだからさあ。 教授 ネットと言えば、「保育園落ちた日本死ね」のブログを国会で取り上げ有名になった山尾志桜里代議士は、まだ2期目で民進党の政調会長になりましたね。衆院予算委員会で質問する民主党の山尾志桜里氏=2016年2月29日、国会・衆院第1委員室 女史 「日本死ね」って過激なブログだけど、朝日も持ち上げたからね。冨永格特別編集委員はツイッターで「『保育園落ちた 日本死ね!』以外の表現…では、これほどの伝播力は持ち得ない。尖った言葉が、むき出しの怒りや悲しみを残らず伝えているからこそ、その叫びは全国に響いた」と、つぶやいてた。 編集者 「尖った言葉」「むき出しの怒り」は、ヘイトスピーチの専売特許かと思いましたが、朝日の記者も好きなんですね。 女史 冨永さんって、前にツイッターで、ナチスの旗などを掲げてデモをする人たちの写真を載せて、英語で「東京であった日本の国家主義者のデモ。彼らは安倍首相と保守的な政権を支持している」と書いて、朝日新聞がお詫びする騒ぎを起こしているんだよね。レギュラーのコラム執筆も降ろされちゃったんだって。 編集者 山尾氏は、自分が長を務める政治団体の政治資金収支報告書が、1年間で地球5周分のガソリン代を計上していたことを、週刊新潮に批判されていました。新潮の「『日本死ね』で名を売った弱者の味方!」という見出しは皮肉が効いていましたよ。 教授 彼女は、東大出身で元検事という知的なご経歴の持ち主ですが、「日本死ね」は品性にかけていますね。有権者にウチワを配って法相を辞任した松島みどり衆院議員を彷彿させますよ。あの人も東大出で朝日新聞という、知的なご経歴の持ち主ですから。(笑) 女史 山尾さんは、ガソリン代で秘書の責任を強調しようとしてたけど、彼女って、経済再生担当相を辞任した甘利明さんの不祥事の追及チームで「秘書のやったことについて本人の責任が免れるわけではない」という批判をしてたんだよね。自己矛盾じゃん。 先生 ただ、ガソリン代の地球5周分は官房長官の菅義偉も同じだった。これもダメだろ。 教授 菅氏の場合は事務所やスタッフの活動規模も、山尾氏とは比べものにならないほど大きいから事情が違うと思いますよ。古舘伊知郎が開き直った!古舘伊知郎が開き直った! 女史 先月号で高市早苗総務相の偏向テレビ局に対する「停波」発言について「テレビは放送法の規制を受ける業者だから、偏向すれば停波も当然だ」って話で盛り上がったでしょ。だけど正論常連の潮匡人さんがサンデー毎日4月3日号で「彼女は真の保守ではない」という見出しで批判してたよ。正論が分裂してんじゃん。 編集者 あれはサンデー毎日編集部が見出しと文章の技巧で、潮先生を反高市、反安倍に見せたんですよ。よく読むと、潮先生は「もし安倍さんや高市さんが考え違いをしているなら…」と仮定の話としてコメントしているし、「保守派は言論の自由に鈍感」という考えについて「正統的な保守に対する見方としては明らかに誤解」と言っているだけ。「高市さんは保守ではない」とは言ってない。 先生 編集者は潮をかばいたいんだろうが、結局、彼は左派のサンデー毎日にうまく利用されてるじゃねえか。ところで、高市批判をしていたTBSの金平茂紀が3月31日付で執行役員をやめさせられたの知ってるか。金平はハフィントンポストで理由を聞かれても「会社の人事ですから、その質問をする相手は、僕ではなく、会社でしょう」と、木で鼻をくくったような答えをしていたし、小川榮太郎たちの公開討論の呼びかけにも、会社を通じて「金平氏はお受け致しませんとのことです」と答えるだけ。逃げてばかりだな。 編集者 テレビ朝日系の報道ステーションを降板した古舘伊知郎さんは最後の放送で「情熱を持って番組を作れば、多少は番組は偏るんです」と開き直りともとれる発言をしていましたね。 教授 こういうのをイタチの最後っ屁というのでしょうね。左派系マスコミが、政権の圧力で降板したんじゃないかと騒いでましたが、実際は、ネットで批判を受けたのが最大の原因だと思いますよ。かつてはテレビ局も番組への苦情も聞き流せましたが、現代ではネットで批判が拡散するから、無視できなくなっているんですね。国谷裕子氏 先生 最後といえば、NHKのクローズアップ現代では、キャスター国谷裕子の最後の放送で、SEALDs創設メンバーの奥田愛基をVTR出演させていた。反安保法制で大騒ぎした学生さんで、ラストを締めくくるなんて、番組の本性がよく分かるよ。 教授 国谷さんは左翼論壇誌世界5月号で「最近、ますますそうした同調圧力が強くなってきている気がする。…同調するのが当たり前だ、といった圧力。そのなかで、メディアまでが、その圧力に加担するようになってはいないか」と書いていました。左翼がやる「政権の言論弾圧だ」式のもの言いで、彼女自身がどういう考えの持ち主か、よく分かります。 女史 ちなみに、奥田クンは民進党結党大会に出席してスピーチしたんだってね。 先生 「日本死ね」だけで2期目の山尾を政調会長にして、結党大会は学生に頼るんだから、民進党も人材不足なんだなあ。(笑)朝鮮学校は被害者なのか朝鮮学校は被害者なのか 先生 京都大学准教授や東京大学の研究所に勤務経験がある専門家たちが北朝鮮の核・ミサイル開発に協力した可能性があるそうだ。国家基本問題研究所ホームページの「今週の直言」というコーナーで、西岡力が怒っていたよ。もう北朝鮮へ渡航しないように再入国不許可とされているそうだが、大手マスコミも、なんで専門家たちを実名で報じないんだ。 教授 この問題に限らず、国立大学では「国立」なのに、国の方針を無視して勝手なことが行われているという実情があるのです。朝日新聞3月24日付の朝刊には「国旗・国歌、実施じわり 国立大の卒業式ピーク」と、国旗掲揚と国歌斉唱が増えたことを批判する記事が出ていましたが、「国立」ですから、本来、国旗も国歌もあって当然。それをしない大学が多いことが問題なんです。 朝日新聞は、静岡大の笹沼弘志教授に「大学が政権の言うことにただ従っていて、『自分で考えられる人材になれ』と学生に言えるのか」などとコメントさせていましたが、国立大学には多額の国民の税金が投入され、教官も国から給与を得ているんですよ。学生も授業料が安く、私立から見れば、国から給付型奨学金を得ているに等しいんです。なのに、国の意向を無視し、挙げ句の果てには北朝鮮に協力するなら、国立大学である必要はないのです。 先生 俺は笹沼という先生に、こう申し上げたい。「北朝鮮の元帥様に唯々諾々と従う工作員になるより、日本国の政権に従う方が100倍マシです」とね。(笑) 教授 朝日は3月21日付の社説では朝鮮学校への補助金打ち切りに反対し「子どもたちには、核開発や拉致問題の責任はない」と訴えましたが、朝鮮学校に補助金を出せば、結局、朝鮮総連、北朝鮮本国のために使われるんですよ。完全に議論のすり替えですよ。 先生 「子どもたちには、責任はない」というが、少なくとも親は、朝鮮学校がどういう学校か分かったうえで通わせているんだから、責任はある。教室に独裁者の金日成、金正日の写真が飾ってあるような学校だぞ。子供だって高校生にもなれば、拉致問題も知っているだろうし、自分が通う学校がどういうところか分かるだろ。ヒドイ社説だぜ。 教授 朝日は慰安婦問題で批判されたのを忘れ、完全に開き直って従来路線に戻っています。 女史 朝日はヘイトスピーチも、うまく利用してる。在特会と今の保守化の流れを一緒にして、「右傾化」「排外」とか言ってね。ヘイト訴訟で在特会が敗訴確定したから勢いづいてんじゃないの。 編集者 保守をヘイトと同一視させるレッテル貼りだけでなく、ヘイトという悪がはびこるのを利用して朝鮮学校擁護をしているとしたら、とんでもないですね。 教授 朝日の3月27日付朝刊では、このところ、偏向コラムで有名な高橋純子記者が、「反日。国賊。売国奴。いつからか、国によりかかって『異質』な他者を排撃する言葉が世にあふれるようになった。…国家を背景にすると、ひとはどうして声が大きくなるのだろう」と書いていましたね。 編集者 どうして「反日」が問題になったかと言えば、どこかの新聞が、ありもしない慰安婦狩りだとか、意図的なウソや誤報を大きな声で流しっぱなしにしてきたからでしょう。「国家を背景に」などと意味のはっきりしない言葉を挿入して、まるで国家権力が排外主義を進めているように印象づけようとしているのでしょうが、それは違うでしょう。 先生 高橋のこのコラムは、何が言いたいか、わざと不明確に書くんだよな。 教授 書き出しからして「全国各地から桜の便りが届いていますが、みなさまいかがお過ごしですか」と、何の話をしようとしているか分からないんですね。 編集者 そして最後は「スプリング・ハズ・カム」云々と、またボンヤリと締め括るんですね。 女史 彼女の頭の中が、スプリング・ハズ・カムなんじゃない。(笑)中西輝政「さらば安倍」の衝撃中西輝政「さらば安倍」の衝撃 先生 月刊日本という雑誌があるんだけど、この頃、おかしいんだよ。4月号の表紙には、こんな見出しが並んでいる。《安倍晋三は「保守」ではない 適菜収・山崎行太郎》《嘘だらけ・櫻井よしこの憲法論 小林節》《保守のまがいもの・百田尚樹 西岡研介》 保守派の著名人に「保守ではない」「嘘だらけ」と悪口を言っているわけだけど、当の筆者が保守とは言い難い人たちばかり。俺は「じゃあ、本物の保守は誰ですか」と聞きたいね。まさか、自分たちだと言うんじゃないだろうな。 女史 安倍さん、櫻井さん、百田さんって、みんな朝日とか左翼の標的になっている人ばかりじゃん。「月刊日本」という名前は右っぽいけど、視点は左だよね。 教授 まあ、有名な雑誌ではないから、大きな影響はありませんがね。業界では、なかなか筆者に原稿料が払われない雑誌として知られていましたけど。(笑) 先生 一方、こちらは看過できない。保守系雑誌歴史通5月号で、安倍晋三首相のブレーンとも呼ばれた中西輝政が「さらば、安倍晋三」と決別宣言をしていたぞ。 教授 安倍総理が出した戦後70年談話が、日本の侵略戦争史観になっていて、それに反対する自分の意見を取り上げてもらえなかったから、怒っているように読めますね。しかし、総理は欧米や左派の世論にも配慮して、謝罪外交を断ち切る談話の文言を決めなければならない苦境に立っていたんです。持論が全面採用されなかったから「さらば」は、ちょっと度量が小さいでしょ。 編集者 ただ、中西先生は70年談話の有識者会議のメンバーとして、侵略戦争史観で談話をつくろうとした北岡伸一氏や他のメンバー、外務省側の官僚と闘ったんです。耐え難い思いがあったのではないですか。70年談話をおかしなものにしないために努力したのに、報告書の大勢は北岡氏や外務省側に押し切られ、談話そのものも結局、日本の侵略という史観を否定できなかった。中西先生の悔しさもわかります。中西輝政氏 教授 しかし、彼は昨秋頃まで安倍総理の苦しい立場も理解し、かばってもいたんですよ。それなのに、同じく総理の苦境を慮って談話を擁護してきた他の多くの保守派を、今になって「愚鈍」と非難した。それはないでしょ。 先生 ただ、「元来、私と安倍氏では政治理念も思想も大きく異なっていた」「私の論説や提言を安倍政権が政策として採用した例など皆無だ」とも書かれているし、本来、考えが違ったから、当然の帰結かもしれないがね。 教授 いやいや、安倍政権には、かなり中西氏の考えが反映された部分がありましたよ。 先生 確かに、70年談話のための報告書でも、日本の侵略戦争説を否定する脚注を安倍総理と直談判して付けさせたのは自分だと、中西は去年の月刊正論10月号などでも主張していた。意見は採用されているよな。 亡くなった元駐タイ大使の岡崎久彦から安倍総理が影響を受けていたという理由で、まるで岡崎が諸悪の根源のように批判しているのにも、俺は違和感があるな。 教授 70年談話のとき、岡崎氏はこの世にはいなかったのですからね。まさか岡崎氏が守護霊として甦り、安倍首相を動かしたというわけじゃないでしょう。 先生 70年談話に承伏し難い点があるのは俺も中西と同じだ。雑誌正論も含め保守論壇には反発が少なすぎたとも思うし、保守だからこそ談話や安倍政権の個々の政策を是々非々で批判するのも当然だ。ただ、決別宣言のような形で批判するのは一線を越える。安倍でなければ、誰にすればいいというんだ、って話になるよなあ。 編集者 中西先生の専門分野の一つである歴史に絡む問題だけに、妥協できないという思いもおありだったのでは。70年談話や日韓合意に保守派が誰か異を唱えなければ、すべてを認めることになってしまいますし…。中西先生には、中西先生なりの葛藤と深い考えがあったはずですよ。 先生 ただ、それはこの歴史通を読むだけでは分からんからなあ…。左翼も「右派が内輪モメしてる」と喜んでいるだろうし。 女史 確かに保守が分裂すると、一番喜ぶのは左翼だね。 教授 言論人が自分の意見を通したいと思うのは当然ですが、だからといって、左翼を利するようなことは避けなければ。まして保守ならば、保守政権を潰すようなことは厳に慎むべきではないですか。政治の世界は、政権に就きさえすれば、なんでも自分の理想を実現できるわけではないんです。対立する意見、世論、外圧にさまざま配慮しながら、少しずつ実現に近づけるものですよ。中西氏もそれは分かっているでしょう。さらば、花田WiLL?さらば、花田WiLL? 先生 この歴史通の編集長、立林昭彦は、かつての保守系論壇誌「諸君!」編集長だった時代から、過激な見出しをつけることで有名だから、俺も初め、表紙を見た時は「また、立林が派手な見出しを…」と思ったんだが、読んだら、そのまんまだから驚いたよ。 これを雑誌に載せたということは、立林は今後、反安倍政権で行くということなのかね。彼は、WAC社の内輪もめ騒動でWiLL編集長から飛鳥新社の新雑誌に移った花田紀凱の後任になったわけだろ。基本的に安倍政権支持だった花田WiLLから、大きく方針転換するのかね。「さらば、安倍晋三」の裏に、「さらば、花田と旧WiLLの筆者たち」という意味も込められているのだとすれば、それは安倍批判を雑誌の内輪もめに利用したことにならないか。 編集者 それは穿った見方じゃないですか。立林編集長は、言論に対しては真面目な人だという印象が、私にはありますよ。歴史通も実直な企画が多かったし。 先生 そんな甘いことを言っていると、立林の派手な見出しで正論読者を奪われるぞ。 教授 ま、「さらば、安倍晋三」は見出し通りの内容でしたが。 編集者 私としては、立林さんのWiLLも、花田さんの新雑誌も両方、失敗して、正論だけが売れるのが一番嬉しいんですが…。 女史 それこそ私利私欲じゃないの。一番、度量が小さいのは編集者じゃん。(笑)(文中敬称一部略)

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    良心が暴走する「謝罪社会」を生んだ 文春無双を許すメディアの罪

    あるわけだが。発覚してすぐ謝罪というのは、その覚悟がなかったのかと問いたくもなる。芸能人に関しては、メディアやスポンサー筋との関係もあるわけだ。そういうリスクもわかっていつつ、不倫に走るなら、何かあった時に責任をとる覚悟、あるいは開き直って「これは本当の愛だから」と言うくらいの想いが必要だ。 この春には、CMの打ち切り騒動もあった。表現というものは常に賛否を呼ぶものだ。特に尖った表現などはそうだ。あるCMなどはクレームを受け、簡単に打ち切りが決まってしまった。ただ、言うまでもなく大金を投入したCMである。クレームは折り込み済みだったはずだ。ここは批判を受けようとも、それでもCMを流す意図というものを主張するべきところではなかったか。ただ、それを主張しないということは、このCMを流した企業や、創り手が中途半端だったということだろう。もっとも、打ち切りになることを話題にしようとしていたとしたならば、たちが悪いが。 このように、そもそも、謝らなければならないようなことをするなということを確認しておきたいし、物事には筋の通し方というものがあるのだ。誰が誰に何を謝っているのか?誰が誰に何を謝っているのか? もっとも、一連の謝罪騒動を見ていて不思議に思うことがある。それは「誰が誰に対して謝っているのか?」という問題である。いや、国民の代表として政治に関わっている政治家が謝罪するのはわかりやすい。もっと謝れと言いたくなることもある。 ただ、芸能人やスポーツ選手などの謝罪においては、誰が誰に、何を理由に謝っているのか、わからなくなる瞬間がある。そんな謝り方をされても、申し訳なくなるし、戸惑うだけだ。論点がずれていて、逆に怒りを抱いてしまうことだってある。 例えば、ベッキーの謝罪問題などについては、もう何が何だかわからなくなった。迷惑をかけるのは番組関係者であり、スポンサー筋であり、主人を奪われそうになった川谷の嫁だろう。まあ、たしかに世間を騒がせた案件であったが、メディアを通じた謝罪のあり方としてはどうだろうか。 騒ぎになったからと言って、すぐ謝罪するのも考えものだ。それは、誰が誰に対して、何を謝っているのか。 結局、この手のものは筋の通し方が大事なのである。下手な謝罪は、さらなる怒りを買うことになる。メディアの構造的な問題も ここで、誰が誰に謝らせているのかという問題を考えてみたい。思うにこれは、ウェブ社会の構造的な問題ではないかとも思うのだ。 前段で触れたように、生活者がネットという手段を通じて、主張をする、異議申し立てをできるようになったことは、権利や機会が広がる意味ではよい。しかし、それが良心の暴走とも言える状態になっているのだが、現在の炎上社会と謝罪社会ではないか。 結局、何か問題が起こり、炎上し、謝罪するという出来事があると、それを取り上げるサイトは、PV数を稼ぐことができ、広告収入が入るのである。だから、ネットのまとめサイトや、一部のネットニュースがそうであるが、この手の謝罪ネタをひたすら探している。中には、それほど騒ぐべきことでもないことも、歪められて伝えられ、炎上させられる。この炎上→謝罪の連鎖で我々は踊らされているのではないか。 そして、今年の流行語大賞にノミネートされそうな「センテンススプリング」。文春がやり過ぎなのではなく、他メディアの劣化の結果なのではないかと考える。スクープを連発しているが、他のメディアには取材する体力もなく、後追いになっている。テレビですら文春を後追いする。結果として、皮肉にも文春の独占メディア化というか、影響力がますます増し、他のオルタナティブがない状態になってしまっている。 このように、炎上→謝罪の連鎖するネット社会、センテンススプリングに対抗するメディアの不在、劣化の末に、この謝罪社会は成り立っている。解決策は簡単ではないが、不要な炎上、謝罪を誘発しないためのメディアリテラシーの強化がまずは課題ではないか。また、縁起が悪いが、企業も人も、謝罪リテラシーが必要だ。 というわけで、誤った謝り方、謝らせ方がこれ以上、加速しないことを祈るのである。

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    「中傷ツイートは職員の責任」理論は炎上が加速するだけ

    るために放火したに等しいのだから。ふじもと・たかゆき 東洋大学総合情報学部・准教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員准教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。(2016年4月17日「メディアゴン」より転載)

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    震災報道「自衛隊」「米軍」を見出しに載せない大手マスコミ

     未曽有の災害を前に、新聞各紙は震災報道に大きなスペースを割いた。しかし、メディアウォッチャーとして知られる高崎経済大学教授の八木秀次氏が、ある疑問点を指摘する。* * * 驚いたのが、「自衛隊」と「米軍」が見出しにならないことです。自衛隊が被災地の復旧や原発事故の対処に大きな力を発揮しているのはもちろんですが、たとえば、3月17日の自衛隊による福島第一原発3号機への放水について、読売は翌18日付朝刊一面で報じていますが、大見出しは『3号機 陸からも放水』で、見出し周りに「自衛隊」という言葉がまったく使われていない。朝日も18日付朝刊一面の大見出しで『原発肉薄 30t放水』と“主語”の抜けたフレーズを採用している。 阪神大震災の頃と比べれば、自衛隊の扱いはずいぶんよくなりましたが、米軍による支援については、報道自体が少ない。米軍も「オペレーション・トモダチ」という作戦名のもと、1万8000人体制で支援をしてくれている。中国からはレスキュー隊15人がやってきて、確かにありがたいことですが、それと米軍の支援を“世界何十か国からの支援”と一緒くたにしてしまうのはいかがなものか。東日本大震災、気仙沼大島から米海軍強襲揚陸艦「エセックス」の艦内ドックに戻ったLCU(汎用上陸艇)=2011年3月27日、三陸沖(古厩正樹撮影) 当初は産経新聞でさえ伝えていなかったので、産経社会部の編集委員の方から電話があったときに「なぜ米軍や自衛隊の活動を載せないのか」と文句をいったら、翌日から紙面に載り、特集まで組まれていた(笑い)。単なる偶然でしょうが。米軍による支援を見れば、日米同盟や在日米軍の存在意義が改めてわかるはずなのに、各紙がそこに言及していないのも問題です。 青森県の三沢基地は、自衛隊との共同活動拠点になっていますが、産経の『「私たちも逃げない」米軍三沢基地 軍人家族、震災孤児ら救済』(3月29日付)によれば、三沢基地の米軍人の家族らが震災孤児らを収容した児童養護施設に食糧を届ける支援をしているのです。 沖縄の米軍基地からも2500人以上もの海兵隊員が災害支援で出動している。自衛隊と共同演習を積んできたからこそ、このような大部隊が連携して動けるのです。もし在日米軍基地がグアムに撤退していたら今ごろどうなっていたか。朝日や毎日は、在日米軍を邪魔者扱いしてきた現政権に対する批判が決定的に足りないですね。 同様に、3月16日に流された天皇陛下のビデオメッセージの扱いについても、各紙の性格の違いを際立たせた。朝日以外は一面で報じましたが、意外にも日経は『苦難の日々 分かち合う』(3月17日付朝刊)の見出しで、お言葉の全文を一面に掲載していた。産経でも全文は三面に移していたので、これには驚きました。日経にいったい何が起きたのでしょうか。関連記事■ 人命救助2万人、遺体収容1万体 自衛隊の災害派遣の実績■ 元防衛大臣・北澤俊美氏が震災時の自衛隊の働きを解説した書■ イラクで活躍「ヒゲの隊長」 震災後の自衛隊の活躍を報告■ 日米合同軍事演習を終え海兵隊員と陸自隊員が笑顔で肩を組む■ 自衛隊OB 入間基地で「一刻も早く菅政権潰し昔の自民党政権に」

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    過剰な自粛規制で同情しているフリがバレる

    長谷川豊(フリーアナウンサー) 堀江貴文氏や本田圭佑氏が「過剰な自主規制」に対して苦言を呈していました。 堀江氏の件に関していえば、堀江氏が出演予定だった「ネットTV」のマージャン番組が取りやめになってしまったそうです。 これはさすがに堀江氏の意見が正しく、地上波テレビでもなんでもない「ネットテレビ局」が、今回の地震発生に際して放送をやめることはさすがに適切とは言いにくい部分があります。堀江氏のようにスケジュールを押さえられていた人間もいたでしょうし、その当人が苦言を呈したくなるのは当然のことだと思います。 逆に、地上波のテレビ局はその多大な影響力を行使できる観点からいくつもの制約があり、それらは「放送法」にまとめられています。「放送を公共の福祉に適合するように規律すること」「放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること」などはその「放送法」の大前提の部分に記されていて…難しく書いてありますが、要は「日本の、国民のために役立ちなさい」ってことだと思っておいてください。当たり前ですね。 なので、地上波放送が今回のような大災害が発生したときに、かなりの放送時間を割いて災害報道一色になることは当然の責務です。「九州の話ばっかりやってないで、他の放送もしてくれよ~」って意見もとてもよく分かりますが、そこは一応、地上波放送の役目だったりするんです。 さて、では問題となっているのが「過剰な自主規制」に対して、です。私は、これは2種類に分かれると思います。 一点目に「適切な自主規制」。もう一点は「ノイジーマイノリティがうるさそうだし面倒だから、いったん全部辞めちゃえ」的自主規制。 堀江氏や本田氏が指摘しているのは後者の方ですね。実を言うと、今現在行われているほとんどのCMや番組の自主規制は後者となります。なので、批判されることは当然な気もします。 「適切な自主規制」に関していうと、東日本大震災が起きた直後に、あるテレビ局が大きな津波が襲い掛かってくるシーンが含まれるアメリカ映画を流す予定となっていたのですが、これを取りやめたことがありました。 東日本大震災では、多くの方々が被災し、また津波によって多数の尊い命が失われました。ご遺族の心情、察するに余りあります。その傷も全く癒えていないタイミングで、ふとした瞬間にテレビをつけて、津波が襲い掛かってくるシーンが流れたら、ご遺族はどんな気持ちになるでしょうか?テレビには二つの大きな力がある 今回の地震では、まだ余震が続いています。この状況の中で、一番守られるべきなのは被災者の方々であり、失われた命の周囲にいたご遺族の方々のお気持ちです。彼らを傷つけるような放送…または傷つけてしまう可能性のわずかでもある放送は、私は地上波では取りやめて、いったん先に送るべきだろうと考えます。テレビ局はあまりに強い力と影響力がありますから、出来る限り「優しく」「思いやりを持って」放送にあたるべきでしょう。 なので、単にゲラゲラ笑いながら、人を馬鹿にして笑いものにしたり、おフザケをするだけの放送も果たして…どうなのかなぁ…と考えてしまいます。 しかし、同時にテレビには、二つの大きな力があることを忘れてはいけません。一つは「情報を多くの方々に届ける力」。もう一つは「バラエティー番組などで多くの方々を笑顔にする力」。 ニュース番組や情報番組の多くのスタッフは、現在現地に飛んで必死に情報収集に当たっていることでしょう。どうか、日本全国に多くの情報が届けられるように、今まで通り頑張ってほしいと思います。 と、同時に、バラエティー番組やドラマなど、「娯楽的要素」の強いテレビ番組も、今こそ必要とされるべき時です。今は多くの方々が癒しや笑顔を求めています。24時間、報道番組に付き合う必要もありません。人間である以上、気分転換はとても必要な行為です。 私のレギュラー出演している上沼恵美子さんと高田純次さんが司会を務める「クギズケ!」という番組も、今日のお昼に「通常放送」をいたしました。 司会の上沼恵美子さんが、「とっても本当はやりにくいんですよ?でも、笑顔も必要でしょうから、私たちはいつも通りにやろうと思っています」と番組冒頭で宣言。私たち、専門家チームも遠慮せずに、いつも通りの放送を心掛けました。 毎週、13%~16%という大変な視聴率を誇る同番組ですが、今週も多くの笑いと笑顔を届けることができたことでしょう。私もその一員に加わっていられることに誇りを感じます。もちろん、同放送に対して何らかのクレームが来た、苦情が来た、などという情報は今のところ、全くありません。これからも来ないでしょう。 地震報道が一段落したら「ノイジーマイノリティ」について、当コラムでも少し記そうと考えていますが「苦情」や「クレーム」は時としてとても役に立ち、自分を裸の王様にせずにすむ素晴らしい助言者となりえます。 しかし「ノイジーマイノリティ」の声は「ただのイチャモン」であるために「無視しなければ逆にダメージとなってしまう」可能性が生じます。 え?あんな連中の言ってること、真に受けるくらいバカなんだ?と受け止められてしまうんですね。昔、ウーマンリブ活動が盛んだったときに「過剰な男女平等」が謳われ、海外のある国では「女性用の立ちション便器」が登場して世界の失笑を買ったことがあったそうですが、聞くべき苦情と「ただのイチャモン」は別です。 今回のように大災害が起きたときも同じように、冷静に「正確な判断」が求められます。本当に災害現場を慮って、入れてきているクレームなのか? それとも「災害現場を心配している自分が大好きで酔っているだけのノイジーマイノリティ」なのか? CMの自主規制も同じです。私は、現在行われている過剰なCMの自主規制の大半がカッコ悪くてしょうがないと感じています。その大半は「別にそのCMによって被災者の方々が傷つくとは思えないCM」のはずだからです。そうやって「考えなしに」自主規制しているポーズだけを取っていると、あぁ、あの企業ってこういう時にカッコだけつけて「乗っかる」バカな企業なんだな~とバレてしまいます。「同情をしているフリ」をしているだけってのがネット社会ではバレてしまうんですね。 もともと、自社の製品が多くの方々のために役に立ち、多くの方々を幸せにしているんだ、と自信を持っていれば、現在の状況でCMの自主規制が行われることは「不自然」な状況でしかありません。企業の皆さんも、あまり表面上だけの「ポーズ」は控えられた方がいいような気がします。 現在の状況では、多く言われている通りで、素人が勝手に物資を届けても、ボランティアと称して押し寄せても邪魔なだけでしょう。私はふるさと納税を含む3か所ほどの機関に心ばかりの寄付をさせていただきました。結局、お金が一番、汎用性が効くだろうと判断したためです。 心配し、何かできることを考えることは大切ですが、出来ないことを見極めることも大切です。被災された多くの方に、一刻も早い安心が戻ることを願います。(長谷川豊公式ブログ「本気論 本音論」より2016年4月18日分を転載)

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    本田圭佑選手の問題提起で考える「支援」と「自粛」の間にある選択肢

    徳力基彦(アジャイルメディア・ネットワークCMO、ブロガー) 14日の夜に始まった一連の熊本地震から、丸4日がたとうとしています。 14日のそれは「前震」であり、本震が16日という形になったこともあり、実際には本震から数えるのが正しい表現かもしれませんが、いずれにしても私自身、東日本大震災の時もそうでしたが、こういう事態にいたると思考停止に陥ってしまうところがあり、今日までソーシャルメディア上も含めてたいして情報発信ができていませんでした。 いまも避難所で過ごされている被災地の方々の不安は、想像を絶するものがあると思いますし、あらためてこういう時に自分ができることの小ささを痛感させられる日々です。 ただ、ネット上のニュースを見ていて、どうしても気になることがあったので。自分ができる数少ないことの一つとして、筆をとることにしました。SNS投稿を不謹慎と指摘され削除する芸能人達 私が気になったのがこちらのニュース■芸能人はいま「笑顔」だけで「不謹慎」なのか SNS投稿が次々削除という異常な「震災反応」 長澤まさみさんや、西内まりやさんが、インスタグラムやツイッターの投稿が不謹慎ではないかと指摘されて、投稿を削除したり謝罪したりしているという話があるそうです。 実際には記事を読む限り削除されたのが確認されたケースはこの二人だけのようですし、もう一つの事例の菜々緒さんのケースもコメント欄で論争が続いているというわりには、コメントの数は過去の普段の写真とそれほど変わらないようなので、正直記事タイトルの「次々削除」というのはちょっと飛ばし記事気味ではあります。 ただ、少なくとも二人が投稿を削除したのは事実のようですので、何らかの批判が出て削除したというのは間違いないのでしょう。 こうした批判を受けるのは芸能人だけでなく、企業も同様の模様。 特にテレビCMのように強制的に表示される広告は視聴者からすると「こんな時に広告なんてするな」という批判の対象になりやすいようで、テレビCMをACに差し替えた企業が複数いるようです。 その関係で、こんな記事も出てくる状態になっています。■テレビCM、また「ACだらけ」に 「5年前を思い出し、つらい」「やめてほしい」 こういうニュースを見れば見るほど、芸能人だけではなく多くの人々が自分達も「自粛」した方が良いのかな、と思うことは想像に難くありません。自粛ムードを「間違っている」と問題提起した本田圭佑選手本田圭佑選手は、自粛ムードを「間違っている」と問題提起 これらの記事を見て私が思い出したのが、週末に話題になっていたこちらの記事です。■本田圭佑「間違っている」震災による自粛ムード一蹴 本田圭佑選手が、4月16日にいち早くイタリアからメッセージを送ってくれているのですが、その中で明確に自粛ムードに対する反対の意思を表明しているのです。練習後、ファンの子供を抱いて記念撮影に応じる本田圭佑=2015年1月21日、シドニー(撮影・中井誠) 該当部分を引用するとこんな感じ。 一方で、様々な分野で自粛のニュースを目にしますが僕は自粛するのは間違ってると思います。 こういう時だからこそ、各々に与えられた役割を行動に移すことが求められているんじゃないでしょうか。 それなのに、多くのケースの場合は被災者の為ではなく 「商品が売れなくなる」、「批判をされるから」という理由で自粛してるのなら、それはありえない。 本当に被災者らのことを思うなら、自粛どころか積極的にやるべきでそれを通じて何ができるかを考えたほうが良いんじゃないでしょうか。出典:本田圭佑オフィシャルWEBサイト もちろん、この問題提起には賛否両論あるのではないかと思います。 こういう時だから明確に自粛すべきこと、というのは当然あるでしょう。 例えばこういうのは論外ですね。■熊本地震の取材中にテレビ中継車が給油待ちの列に割り込んだと判明し関西テレビ謝罪 ただ、だからといって本田選手が問題提起するように、何もかもとりあえず様子見で自粛すればいい、という話ではないというのも事実だと思います。私たちができるのは「支援」と「自粛」の二択なのか 特に個人的に気になるのは、芸能人や企業の担当者がこういう状況に直面した際に選択する思考回路が「支援」か「自粛」の二択になってしまっているのではないかという点です。 募金活動やボランティアなど、当然我々一人一人が被災地を「支援」できることを考えて実際に支援の行動を起こすというのは非常に重要なことだと思います。 問題は、その次に考えるのが「自粛」になってしまわないかという点です。 熊本地震のような災害が発生した場合、芸能人の情報発信や企業の宣伝活動など多くの人目にさらされる人達の「支援」以外の活動は、全て批判されるリスクを負うことになります。長澤まさみさんは、普段同様の笑顔の写真をアップしたら批判されました。西内まりやさんも、普段同様の自撮りの写真をアップしたら批判されました。菜々緒さんも、普段同様の自分らしい写真をアップしたらコメント欄で論争が起こりました。 そうした批判を元に、全ての活動を「自粛」するのは簡単な話です。 ただ、本当にそれで良いのでしょうか? それが本当に被災地の方々が、私たちに求めている行動なのでしょうか?東日本大震災から私たちが学んだはずのこと東日本大震災から私たちが学んだはずのこと 5年前の東日本大震災直後、関東で放送される全てのテレビCMがACに差し替えられるという異常事態が発生しました。 あの未曾有の大惨事において、当時はそれも当然だと思っている自分もいましたが、来る日も来る日も同じACのCM素材を見るのは正直辛かったのを良く覚えていますし、徐々に普通のテレビCMが復活したときに、視聴者が歓迎の声を上げたのも良く覚えています。 当然、最初にテレビCMを復活することにした企業は、不謹慎だと批判されるリスクを覚悟してその選択をしてくれたはずです。 でも、あの時の私たちにとっては、普通のテレビCMが普通に放送されるという、いつもと変わらない「普通」の状態こそが一番求めていたものだったわけです。 実は「支援」と「自粛」の選択肢の間には、本田圭佑選手が言うようにいつも通りのことを「普通」にやる、いやむしろ普段より積極的にやる、という選択肢があります。 その「普通」の行動は一見不謹慎に見えるリスクがあるかもしれませんが、実際には「自粛」よりもはるかに間接的に「支援」につながるケースもあるわけです。 今回の芸能人の方々の投稿は、批判も生んでしまったかもしれませんが、実は被災地の方々の中には、いつも通りの「普通」の芸能人の方々の笑顔に癒やされている人も多くいるはずですし、実際にそういったコメントも多数ついているのを拝見しました。 当然、批判があって投稿を削除したというのは、何かしら反映すべき点があったと感じたからだと思いますが。 今回の騒動によって、自分達の活動自体を全て自粛してしまうのではなく、いつも通りの自分でいることこそが、自分が笑顔でいることこそが、自分ができる支援の一つだと、批判者に対して胸を張ってお返事できる、そんな自分なりのやり方を探して頂くのが良いのではないかと。 そんなことを本田圭佑選手の問題提起は教えてくれているように思うわけです。■熊本、九州の皆様へ|西内まりやオフィシャルブログ まぁ、実際、西内まりやさんは、謝罪騒動後も地道な情報発信を続けられているようですから、全く心配は無用なのかもしれません。自粛したはずの九州新幹線開通記念CMが生んだ感動 東日本大震災において、私たちを感動させてくれ、勇気をくれた動画の一つは、企業がこぞって自粛したはずのテレビCMとして作成された九州新幹線の開通記念CMでした。 このテレビCMは、放映開始の2日後に東日本大震災によって放映中止を余儀なくされたものですが、ネット上で口コミで感動を呼び、全国的に話題になった結果、4月に入ってテレビでの放送が再開されたという非常に象徴的なCMです。 さらには世界的な広告賞であるカンヌ国際広告賞で金賞も受賞したことでも有名です。 今でも、この動画を見ると当時の感動がよみがえってきますし、このCMを通じて当時九州の方々がくれた勇気のお礼をしたいと改めて感じる方も少なくないはずです。(個人的には、是非九州新幹線復旧の暁にはこのCMをアレンジしたものを再放送をして頂きたいと強く願っています。) 私たちが災害時にできることは、何も災害に関する情報を拡散したり、直接的な支援をすることだけではありません。 笑顔の力で人々をいやしたり、コミュニケーションの力で勇気を分け合うこともできるはず。 一人でも多くの人が、本田圭佑選手の問題提起を参考に、過度の「自粛」をしすぎずに、自分ができることを小さいながらも改めてちゃんと考え実行し続けることが、実は意外に大事なのかもしれません。(『Yahoo!ニュース個人』より2016年4月19日分より転載)とくりき・もとひこ アジャイルメディア・ネットワーク取締役最高マーケティング責任者(CMO)。1972年生まれ。名古屋大学法学部卒。NTTで法人営業やIR活動に従事した後、2006年にアジャイルメディア・ネットワークの設立に参画。代表取締役社長を経て、14年から現職。WOMマーケティング協議会の事例共有委員会委員長などを務める。

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    「頑張れ」がテレビの放送禁止用語に? 震災機に自粛ムード

     「テレビで新しい放送禁止用語ができている」──そんな噂が、インターネット上を飛び交っている。対象となる言葉はなんと「頑張れ」。発端はニュースサイト・トカナが掲載した記事で、「頑張れ」という言葉が、テレビ局によって放送禁止用語に指定されようとしているというのだ。 いくら自由にものがいえなくなっているテレビであっても、まさか「頑張れ」まで放送禁止だなんて……実際にこの記事を見たテレビ局社員の間では「そんなことあり得ない」と笑いものになっているという。だが、下請けの制作会社からは、違う事情が聞こえてきた。 「放送禁止などという大仰なレベルでは全くないが、敏感になっているのは確か。たとえばスポーツ関連の番組で選手にいう『頑張ってください』なんかも、いまは無責任じゃないかというクレームを気にして控えるようにしている」(制作会社のスタッフ) そうした「頑張れ」自粛ムードは、東日本大震災を機に強まったという。当時、テレビから被災者に向けられた「頑張れ」という声、「頑張ろう東北」といったスローガンが、被災者に対して無配慮だという批判が巻き起こったのだ。情報番組などを担当する制作会社のディレクターはいう。「震災以降、東北の人たちには無神経に『頑張れ』とはいえなくなった。それ以外の取材現場でも、『頑張れない』人や、すでに『頑張っている』人たちに『頑張れ』ということは失礼で、余計なプレッシャーを与えてしまうのかもしれない、というのを取材者側が必要以上に配慮するようになっています」15周年を迎えるUSJの“Re-born”大使に松岡修造さんが就任。ステージに登場した松岡さん=2月2日午後、大阪市此花区(前川純一郎撮影) テレビ局よりも制作会社の現場レベルで、密かに「頑張れ」の自主規制が進んでいたのだ。しかし、そうした配慮が実際にどれだけ必要なのかは、疑問である。「松岡修造のような許されるキャラクターの人が『頑張れ!』と叫んでも、何の問題にもなりませんからね(笑い)」(別の制作会社ディレクター)関連記事■ 民放 著作権収益確保のため系列外制作会社の完パケを認めず■ 日本テレビの夕方ニュース枠拡大 制作会社競争激化の側面も■ ADの薄給は時給換算で約333円 東京都の最低時給の半額以下■ デヴィ夫人平手打ち騒動 TBS出禁説に異議、演出側こそ問題■ 忌野清志郎に身近で接したマネージャーが忌野の逸話を綴った本

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    なぜマスコミの過熱取材は嫌われるのか

    、今度は毎日放送の男性アナが取材中に調達した弁当をツイッターに投稿し、「配慮に欠く」と非難を浴びた。メディアスクラムはどうして嫌われるのか。

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    熊本地震でも繰り返されるメディアの「マッチポンプ」報道

    武田邦彦(中部大特任教授) 熊本地震ではメディアの横暴が度を超していて、熊本県の人に強い違和感を与えている。たとえば、関西テレビの車が、朝早くからガソリンスタンドに並んでいる人たちの列に割り込み、テレビ局が謝罪した。倒壊の恐れが高まり、立ち入れなくなっている熊本県宇土市役所庁舎=4月18日午前 確かに、著者が見ていた地震当日のNHKの中継は眉をひそめるものが多く、ネットでも厳しく指摘されている。阪神・淡路大震災の時に、故・筑紫哲也が倒壊した民家の上に立って「温泉街の風景だ」などと人の苦しみをまったく感じていない中継をして顰蹙を買ったのとほぼ同じようなものだ。 でも、このようなことは人の神経を逆なではするものの、地震被害を増大させているメディアの罪のうちほんの一部である。実は、長い間、メディアは「防災」と言いながら、実はマッチポンプのように「自ら災害を大きくする原因を作り、実際に災害が起きるとその悲惨さを大々的に報道する」ということを続けて、視聴率をあげる作戦にでている。それを事実で整理してみたい。 1978年に「大規模地震対策特別措置法(大震法)」に基づく地震予知体制が出来て以来、メディアは「東海に地震が来る」、「東南海に来る」と「政府の言うとおりに」報道を続けた。まともな神経を持っていれば、それから38年間、東日本大震災、阪神淡路大震災を始め死者が10人以上の地震や噴火が9件、震度4以上の地震に至っては無数と言ってよいほどなのに一つも地震を予測できなかったのだから、正常な判断力をもつ報道機関ならおかしいと思うはずだ。((注)地震予知がはじまってから10人以上の死者を出した地震は、日本海中部、北海道南西、阪神淡路、新潟中越、新潟中越沖、岩手宮城内陸、東日本、熊本、それに御嶽山の噴火も同様) つまり、「地震予測が理論、発生した地震がデータ」という関係だから、「理論で予測した結果はデータとまったく違う」ことが38年間も続いているのに、同じ理論で計算した結果を今も報道している。その結果、今回も含め地震が起きた地方の対策は大きく遅れて被害を増大させている。 熊本地震では倒壊家屋などが多かったし、前震と本震を間違えて、さらに圧死者を出した。 このように長年にわたるデータ無視というのは著者のような科学者の理解を超える。そこで著者は数日前、ある心理学者を訪ねて「理論の予測が38年間、一件も合致しないのに、その理論で計算した結果を公表し報道するという心理はどういうものか?」と聞いてみたら、「それは、利得によって価値基準を変えるという異常心理の一つ」と説明された。 つまり、「自分は科学者や記者である」、「理論とデータが違えば、本来は理論を疑う」、「この手段を失うと利得を失う」、「地震は儲かる」という矛盾した状態の中にいて、どれでも選択できると説明された。実質的には過失致死罪に近い倫理的問題点 たとえば2000万円の国費研究費を受け取り、東京の立川に活断層があると2013年に断言した東大教授が、後にその活断層は単にコンクリートパイルなどであることが分かり、「見たいものを見てしまった」、「私は催眠術にかかっていた」と説明したのがその典型例である。ちなみにこの教授は現在でも在職し、マスコミに登場、さらに研究費の返還を求められてもいない。 「催眠術」という言い訳もたいしたものだが、「見たいもの」という言葉の中に、先の心理学者が解説してくれた真髄がある。つまり、地震学者は防災のために地震学を研究しているのでは無く、地震が起こり被害が大きくなることを心の中で希望していると考えられる。「焼け太り」である。 メディアも予測を報道することが不適切であることを38年間の取材でよく知っているのに、それを続け予測とは違う地震で大きな被害が出ると、地震報道で大きく収益を上げている。 法律的な責任を問われる可能性は低いが、実質的には過失致死罪に近い倫理的問題点を含んでいる。 地震学者が地震の研究を「学者」として地道に行い、学会で発表する分には学問の自由が認められるし、失敗も許される。しかし、「専門家」となり、社会に積極的に働きかけるとなると、その活動には制限が加わり、間違えば時に制裁が加わる。記者会見する加藤照之日本地震学会長(右)ら防災関連の学会関係者=4月18日午後、東京都新宿区 学問の自由は「内的、精神的なこと」に限定されるからであり、報道の自由も完全に制約なくメディアに与えられるのでは無く、その正確性、普遍性が求められ、報道によって国民に大きな被害を与えてもよいなどは報道の自由に入らない。 その意味では、阪神・淡路大震災の前に「東海地震が先」と報道したマスコミ(この場合は完全にメディアの先行だった)、東日本大震災の前に「東海、東南海、南海地震が先」と社会や審議会で発言した学者などは報道の自由、電波法の特権や学問の自由を失い、職を追われるのが近代国家の専門職というものである。 地震で無念の死を遂げた人たちのためにも、誇りある日本のために一刻も早く、地震学者、メディアが「事実をみる勇気」をもってもらいたい。

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    被災地には「邪魔」な存在でも、メディア抜きでは「救済」できない

    山田順(ジャーナリスト) 4月14日に発生した熊本大地震の報道を巡って、主にネット住民による「メディア批判」が繰り返されている。その背景には、現場に殺到したメディアの“過熱報道”があるが、これまで巻き起こったメディア批判には、納得できるものもあれば、「それは違うだろう」と納得できないものもある。 そこで、「iRONNA編集部」の要請に応じて、これらの批判をチェックし、改めてメディアの役割、使命を考えてみたい。活かされなかった「阪神・淡路」の教訓 まず、メディア批判のなかで、これはどうしようもないと思えたのが、「関西テレビの中継車によるガソリンスタンド割り込み」事件だ。これは、4月18日、熊本県内のガソリンスタンドで、給油待ちをしていた車の列に同社の中継車が割り込んで給油していたという、信じがたい事件だ。 地元のツイッターユーザーが、「ガソリン入れるために朝早くからたくさんの人が並んでたのに横入りされた」と、中継車の写真付きでツイートしたため、大拡散した。 このツイートは、このように訴えていた。“母が「後ろに他の人もいるので並んで下さい」て言ったのにも関わらず無視して我先にとガソリン入れてました。 テレビ局だからいいんですか?? もう少し考えて欲しい” たしかにその通りである。これは災害現場という状況とは関係なく、どこであろうと許されない行為だ。慌てた関西テレビは、すぐに「あってはならない行為」として、公式に謝罪したのは言うまでもない。 それにしても、不思議なのは、なぜこんな割り込みができたのか?ということだ。給油のためガソリンスタンドに並ぶ車=4月16日午前、熊本市東区 関西テレビと聞いて私が思い出すのは、1995年の阪神・淡路大震災のとき、関西テレビの取材クルーが大活躍したことだ。当時、関西テレビでは全社員の約3分の1にあたる200人が地震による家屋倒壊などの被害を受け、報道局員の約4分の1は被災者だった。にもかかわらず、彼らは混乱のなか、視聴者、被災者のための現場報道を続けた。このときの教訓がなぜ活かされなかったのだろうか?ヘリ騒音、過剰取材…次々批判の的に ガソリンスタンド事件に続いて批判されたのが、「報道ヘリの騒音」「現場クルーの過剰取材」への批判である。日本テレビは4月18日の午後17時半ごろから、倒壊した家屋内に閉じ込められた被災者を救済する模様を実況中継した。緊迫した現場の模様がお茶の間に流れた。 しかし、ツイッターでは、「報道ヘリの音で、助けを求める声がかき消されたらどうするんだ」という声が拡散した。さらに、「救助した人をブルーシートで覆いながら歩かざるをえないのは、報道ヘリが空から撮影してるからでしょ。 助けを求める声を掻き消すし、救助作業の能率だって下げてる」「報道ヘリのせいでブルーシートたくさん使わなきゃいけないし、そうなると人手がたくさんいるし、迷惑だってわからないの?」などいうツイートもあり、ここでは「報道ヘリ」と現場の「撮影クルー」が、完全な悪者、邪魔者にされてしまった。 さらに、4月18日のNHK「あさイチ」では、有働由美子アナが、ある視聴者からのFAXを読み上げた。このFAXの主は熊本に住んでいる友人から聞いたと言って、次のようにメディアを批判していた。「余震で崩れそうなお宅の前でテレビ局がずっと待機しているのだそうです。どこの局かはわかりませんが、ご当人にとってはすごく失礼なことではないでしょうか?」メディアを抜きにして被災者救済はできないメディアを抜きにして被災者救済はできない 「報道ヘリ」の騒音批判に関しては、阪神・淡路大震災のときにも同じようなことがあった。現場で瓦礫の下の生存者の救済に当たっている作業員から、「生存者の声がヘリの音がうるさくて聞こえない」という不満の声が上がったからだ。 しかし、当時の神戸上空には報道ヘリだけが飛んでいたわけではない。自衛隊をはじめ多数のヘリが飛んでいた。それなのに、なぜか報道ヘリだけが視聴者の槍玉にあがり、「ヘリで取材するひまがあったら救援物資を落とせ」など、ヒステリックに批判された。 しかし、これらの批判は、みなテレビ報道を見た一般視聴者が、正義感にかられてメディアを批判したもので、きわめて感情的なものである。 今回の熊本でのツイッターやFAXでの批判も、ほぼあのときと同じだ。自分たちは安全なところで見ていて、現場の救援作業が進まない苛立ちを誰かを悪者(つまりメディア)にすることで解消しているに過ぎない。 私は、ツイッターが災害や事件に対して大きな効力を発揮することに異論はない。しかし、それは現場にいる人間や当事者が発するツイッターであり、外野が発するツイッターではない。メディアに向かって「被災者にとってメディアは迷惑な存在だと自覚せよ」などという“正論”をぶつツイッターユーザーには、「そんなに言うなら、あなた自身が現場に行って被災者を助けてみろ」と言いたい。 それなのに、今回もまたメディア側の人間までも、「報道ヘリを1社に限定するようにできないか」「救助は初動72時間が勝負。せめて72時間は報道ヘリが飛ばないよう法制化を」などと言い出したのにはあきれた。 報道ヘリも現場クルーも、ある意味で、“使命感”に基づいて取材をしている。メディアはともかく伝えるということが、最大の使命で、それだけは果たしている。 被災者にとって、メディアは邪魔者かもしれないが、全国の人々にとっては、空撮や現場報道によって伝えないかぎり、その災害の全容はわからない。たとえ一時的に邪魔に思えても、メディアを抜きにしては、被災者の救済はできないと、私自身の経験から思う。梨元勝氏が深く反省したメディアの暴走 話は古くなるが、芸能リポーターの故・梨元勝氏がいちばん悔んでいたのは、「報道ヘリ」で大変な間違いをしでかしたことだった。「あれは本当に間違いだった。いまも悔んでいる」と、私は梨元氏から何度も聞いた。 1986年11月、伊豆大島の三原山が大噴火を起こし、島民が船で緊急避難するという大災害が起こった。このときも、テレビをはじめとするメディアは報道合戦を繰り広げ、ワイドショーも連日、大島と避難した人々の状況を伝えた。 そんな最中、梨元氏はある歌手から両親が大島に住んでいて、かわいがっていた目の悪い老犬を置き去りにして避難してきたという話を聞いた。それで、大島への取材が解禁されたとき、報道ヘリに乗って、その老犬を救出に向かったのである。カメラは報道ヘリの離陸から回され、大島で老犬を発見して東京に戻って来るという一部始終がワイドショーで放映されると、視聴者から猛烈な抗議が殺到した。「苦しんでいる被災者がいるというのに、犬1匹のためにヘリを飛ばすとはなにごとだ」 これは、視聴者の言う通りだった。梨元氏は深く反省し、視聴者に謝罪した。 「ともかく視聴率。そのために感動的なシーンを撮れればと後先を考えずに突っ走ってしまった」と、梨元氏はうなだれた。 これはメディアの暴走の最たる例だが、現在のテレビ報道はここまでひどくはないだろう。最悪のとき、人間は言葉を失う最悪のとき、人間は言葉を失う いずれにせよ、被災地は一種の戦場である。被災した人々の悲しみ、苦しみははかりしれなく、どんなメディアであろうと、それを正確に伝えることなどできない。 ところが、メディアは、時としてその使命を逸脱し、「お涙ちょうだい」報道をしたがる。また「大変だ、大変だ」と騒ぎたがる。そのため、被災者の悲しみや苦しみを増幅して伝えたいがために、マイクを向け、「大変なことになりましたね」「いまなにが必要ですか?」「なにが足りませんか?」などと、聞きまくる。 しかし、本当に悲しんでいる人間、苦しんでいる人間は、これに答える余裕などない。最悪の状況のとき、人間は言葉を失う。 したがって、「水が足りません」「食料がもらえない」「夜、眠れません」などと答えられる人間は、被災者のなかでも、失礼を顧みずに言えば、まだマシな方々である。それなのに、現場を知らないツイッターユーザーは、被災者の心の痛みがわかっていないとメディアを批判する。物資が届かず休業するコンビニエンスストアが多い中、開いている店舗には飲み物など少ない商品を求め買い物客が長蛇の列を作ることが多く見られた=4月16日午後、熊本市東区(鳥越瑞絵撮影) 余談かもしれないが、熊本の私の知人は、こういったことがバカらしくて、被災地から福岡に逃げてホテル暮らしを始めた。 「メディアも被災者も一体になって、モノが足りないなどと言っているが、車でも電車でもちょっと走れば佐賀や福岡に行ける。水がない、食料がないなんて言っているが、そんなに欲しいなら自分から動けばいいではないか。 本当に被災して困り果てている方たちは別だが、ここは日本だ。コンビニはどこにでもある」硬直したシステムを批判せよ 今回も、地震から数日たって、被災地に救援物資が届いていないことが明るみになった。役所には企業や団体から届いた食料や毛布などが山積みになっているのに、被災地の現場には届けられていない。 これは、ほぼ役人のせいである。役人は誰かの命令があり、またそれが規則通りでないと動かない。誰も自分から動こうなどとしないのである。 私は、世界で地震や災害が起こるたびにボランティア活動をしているあるキリスト教団体の代表(アメリカ人)と付き合いがあるが、彼はいつもこのことをこぼしている。「神戸のときも東日本のときも、真っ先にメンバーと駆けつけましたが、役所に行くと“なにしに来た”です。まだなにも決まっていないからやることはないと言われます。外には苦しんでいる人がいっぱいいるのに、彼らは届いた救援物資の仕分けをしていたり、会議を延々としていたりしているのです。そんなことをするより、すぐ目の前にある災害に立ち向かうべきです。 欧米ではこんなことはありえません。ボランティアで行くと、よく来てくれた、すぐにこれをやってくれと言われます」 ツイッターなどのSNSユーザーは、メディア批判する余裕があるなら、むしろ、こうした日本の硬直したシステムを批判すべきだろう。ホリエモンが批判した自主性のなさホリエモンが批判した自主性のなさ ところで、今回の熊本大地震で、ホリエモンこと堀江貴文氏と尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏が、ネット上で火花を散らした。 地震発生後から、テレビメディアなどは、いつもの伝で番組などを自粛した。これに対し、ホリエモンは「熊本の地震への支援は粛々とすべきだが、バラエティ番組の放送延期は全く関係無い馬鹿げた行為。人のスケジュールを押さえといて勝手に何も言わずキャンセルするとはね。アホな放送局だ」とツイートしたのである。 これは別の意味でのメディア批判である。 ホリエモンは「単に『こんな時に馬鹿な番組やりやがって』というノイジーマイノリティの苦情を受けるのが嫌なだけ」と、メディアの自主性のなさを批判した。 ところが、尾木氏は「番組自粛はごく自然な人間らしい判断」とのタイトルでブログを更新。「水も食料もなく避難所にも入れないで グランドで寒さのなか身を寄せあっておられるたくさんの被災者の皆さん さておいて普段通りの楽しい番組構成にブレーキかかるのあまりにも当然!人間らしい共感能力あれば自粛して工夫しようとするのはあまりにも当然!」だとしたのである。さらに、「自粛するテレビをバカにするのはとんでもない鈍重と言わざるを得ません…」と、間接的に堀江氏に反論した。 これは、どちらの言い分が正しいか正しくないかの問題ではない。自粛しようとしまいと、それはそのメディアの判断だからだ。したがって、尾木氏のように被災者に同情して「自粛すべき。それが当然」という考えは、一種の“欺瞞”であり、単一の価値観の押し付けである点で、私は賛同できない。 この世の中には、どんな価値観があってもよく、それが多様なほど社会は豊かになるからだ。メディアの判断で立ち向かえ 最後に、日本の放送法は、災害などの報道でなにを規定しているのかを書いておきたい。 放送法「第6条の2・災害の場合の放送」は、このように述べている。「放送事業者は、暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生し、又は発生するおそれがある場台には、その発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送をするようにしなければならない」 また、災害対策基本法の第6条では、指定公共機関(NHK)及び指定地方公共機関(民放)は、その業務を通じて防災に寄与しなければならないと規定されている。 要するに、災害時にはこのようなガイドラインに基づいて報道すべきということだが、その判断は報道機関に任されている。メディアは自身の判断で、災害報道に立ち向かえばいい。

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    被災地の「不都合な事実」は一切報じない だからマスコミは嫌われる

    少なくとも似ている気がしている…。20数年前の自宅が半壊し、避難所にいたことを想い出しながら…。マスメディアのtwitter写真獲得合戦 あれから20数年経過するが、メディアの報道ぶりに変化はないようだ。いや、むしろ震災の時の報道体制に慣れすぎてきたような気さえする。テレビを見ていて感じるのが、震災翌日から報道がたくさん入り、熊本城の上空からのショットや石垣の崩壊を見せつける。夜とちがって朝になって被害が露見してくるのだ。さらに各局がこぞって被害の一番大きなところへと向かう。これはメディアの習性なのでしかたがない。 twitter上では、「写真の使用許可をお願いしたいので、DM(ダイレクトメッセージ)を送らせていただきますので、フォローしてください」というやり取りが、震災の写真をアップした人に対して、メディアのtwitter担当者から大挙して送られている…。「ライオンが逃げた」というデマに対しても写真の使用許可を願うものまで現れる。最低限のウラ取りは必要だ。ネットでの空中戦と現場の地上戦とではまったく温度差がある。被災者と同様に疲弊するメディア カメラマンは、常にインパクトのある映像を撮影するようにプロとしてトレーニングされている。時に写真は大嘘をつく…。また、レポーターは粛々と被災された人にインタビューを繰りかえす。当然、震災の規模が大きければ大きいほどたくさんのコメントが取れるので、各局によって重なるコメントは少ない。これは個人個人のコメントがバラバラでも全体として、俯瞰していくとどんな状況かが徐々にわかるようになってきた良い傾向だ。 また、近年では防災アプリがテレビの警報よりも数秒早く、警鐘を鳴らすので、ほぼリアルタイムにこれから来るであろう地震に対して準備することができるようになった。映像にもアプリの警報音でカメラを回すという体制にもなりつつある。しかし、なぜかテレビの画面を見ていて、違和感を覚えるのが、そこの中でレポートする側のレポーターがインタビュアー化していることだ。強い地震でホテルのロビーに集まり、テレビを見つめる宿泊客=4月16日午前、熊本市内のホテル 大変そうな人に「大変ですねぇ…」「大変です…」「今何が一番…?」「うーん、何も頭に浮かびません…」というような受け答えが延々と続く…。そう、震災直後で家を失い、慣れない避難所に集い、余震が続いている状況で、人に何を聞いても答えはないのだ。 家がない、家に戻れない、家に入れない。そんな苦労を知っている日本人はそんなにもいない。 日々、戦争が日常化している国の人たちと完全に日本は違うからだ。 それが突如として何万人もが同時に、「ホームレス」を体験するのだ。当然、1日目より2日目、2日目よりも3日目というように経験値はあがっていくが、同時に疲労困憊度は蓄積していく。普通に、食事があって、何でも買えて、ベッドがあって、安眠できる暮らしが突如なくなるのだ。普通の日本的な国民としての暮らしが、ある日を境に、ホームタウンは被災地、自分たちは突然、被災者の方々と呼ばれる日がスタートするのだ。避難所報道に欠ける「当事者感覚」 最初は被災地にも被災者にも実感がない…。日に日に被災している実感といつまでこの生活が続くのかという不安に駆られるのだ。いっそ、他の場所へと避難したいと思うが、そこにいないと「情報」が入らないという見えない鎖で避難所の呪縛に覆われてしまう。 筆者は少しでも、避難所の暮らしから離れて、普通の暮らしができる環境を国をあげて提供できるようにすべきだと心から願う。避難所では、最初は遠慮から始まり、それが蓄積し、集団ヒステリーにもなりやすく、幾度もの衝突を乗り越えて初めて、同志的な結合が生まれる。最初から過酷な団体生活に慣れている人なんていないから仕方がない。避難所報道に欠ける「当事者感覚」 それは現場のメディアも同様で、当然のように疲弊してくる。現場のメディアが避難所で寝るわけにはいかないからロケのクルマで仮眠を取るような生活が強いられる。たとえ交代のシフトを組んだとしても、報道すること以外何もできない自分たちの業に、業を煮やすのだ。レポーターを見ていると、震災を報道してきた人かどうかがすぐにわかる。大多数の震災報道経験者は被災者にこっぴどく叱咤された経験があるから、被災者の神経をさかなでない報道を心がける。しかし、最初に震災報道を経験する記者は、疲労困憊の時に、マイクとカメラを向けてドヤされる。きっとこれは、戦時中の従軍記者も同様だったのだろう。しかし、従軍記者には敵と味方が明確だ。でも自然災害には敵味方がいない。誰もが誰にも、怒りをぶちまけられない感情を持ったままだ。メディアには怒りをぶつけやすいのだ。だからメディアは嫌われているように見える。しかし、その状況は当然のことながらメディアの放送には流れない。一番心を痛めているのはメディアだ。仕事として頑張れば頑張るほど嫌われるからだ。避難所となっている小学校で給水を受ける住民=4月19日午前7時4分、熊本市西区の花園小 ただ、一番メディアに欠けているマインドは、被災地に存在する自分の感情だ。被災地に訪れたよそ者だから嫌われ、いじめられるのだ。報道の立場でありながらも、被災者と同じ視点に立ったレポーターやカメラマンは違う。震災報道の場合、客観報道よりも被災者のためになる情報を届ける主観報道のほうが本当は価値があると思う。一番情報を欲しているのが被災者だからだ。そうすると、全国の皆様ではなく、隣の避難所でテレビを見ている被災者にとっての有益な情報を提供するべきだ。避難所においてのチップスとか、簡単なゲームとか、安眠する方法とか、マッサージ技術とか、知らない人とのアイスブレイクとか、いろんな情報番組は作れるはずだ。被災者もメディアの前では被災者を演じてしまう 20数年前、筆者も阪神大震災で被災した経験を持つ。震災から3日目の頃、自衛隊の定期的な炊き出しがおこなわれる前、おにぎりだけが唯一の食事であった。しかし、おにぎりばかり、三食もおにぎりだけを食べていると、喉を通るものではなくなってくる。味噌汁も漬物もないまま、おにぎりばかり、毎日食べられたものではない。テレビ取材のインタビューで何が一番食べたいですか? と避難所で聞かれ、正直に「焼き肉、寿司、天ぷら」と答えたが、採用されなかった…。謙虚なおばあちゃんの涙ながらの「おにぎりがあれば十分です」のひとことで、翌日も翌々日も大量のおにぎりが届けられる…。もう、おにぎりは完全に喉を通らず、避難所で廃棄されることとなった。当然そんな都合の悪いことは報道されない。 被災地での問題は、美談ばかりを報道することだ。もちろん、熊本でも空き巣被害が報道されていたが、神戸では非常時のパニック状態も手伝って、開店していた店に食料を求めて略奪行為があったのを何度も目撃した。普通の市民がコンビニの食べ物を強奪しているのだ。集団パニック状態だ。しかし、そんなことは一切報道されない。避難所のトイレに関しても、コンビニ袋2枚を持って用を足せば、水の流れない避難所でも汚れることがないが、我先にトイレで用を足した避難所では目も当てられない光景となっている。しかし、メディアはそんな避難所での一番困っていることを報道しない。いや、できないのだ。そう、報道のお客さまは、避難所以外の人々だからだ。震災報道は誰が為のメディアであるべきか?震災報道は誰が為のメディアであるべきか? そこで、ひとつの提案だ。メディアが苦労をしてきて被災地で報道していることは何なのだろうか? そう、それは、汚い言葉を使わせてもらうならば、被災地以外で、何不自由なく普通にぬくぬくと暮らしている人々の被災地を知りたい満足の為だけでしかないのだ。そこに向けて報道することにどれだけのジャーナリズム的な価値があるのだろうか? しかも、不都合な事や、事実は、一切何にも報道していない。 被災地がんばっています。義援金の寄付をぜひ! とアピールする。しかし、いくら寄付をされても被災地で本当に困っている人の銀行口座に届くのは、半年から一年もあとなのだ。なぜならば、家屋が「全壊」「半壊」「一部損壊」の三種類の罹災証明をもらって公平に分配されるルールが決まり、家屋が調査された後でしかないからだ。 何よりも寄付金や義援金のルールは公平に分配するという決まりがあるからだ。いやそれは違うと思う。多少の不公平があったとしても、今、今日、現在、被災地にいる人にお見舞い一時金をひとりあたり10万円くらい渡してあげるべきだと思う。それだけで、数日、いや数週間ほど家族で避難所を離れることができるからだ。ボランティアが大量にくる前に避難所暮らしを1人でも減らすべきなのだ。避難所の小学校では夕食の分配を待つ人で長い行列ができた=4月18日午後、熊本県益城町の広安小学校(鳥越瑞絵撮影) それがあるとたとえ避難所にいても、家族を持っている人にとっては、精神的、金銭的に安らぐ時間があることだろう。その拠出した金額をあとから義援金で補填してもよいはずだ。今、避難所にいる人を計算して10万倍すればよいのだ。5万人が避難所暮らしならば、たかだか50億円だ。国会議員の一ヶ月分の給与を全部寄付にまわせば10億円。残りは40億円。政党交付金320億円の1/8を回せばクリアできる金額だ。 どうせ、選挙の票を集める為のお金なんだから有効に使おう! それぞれのお見舞い金に自民党やら、民進党の“のし”をつけてあげればよいのだ。きっと一生涯感謝されるから安いものだ。それも国民ひとりあたり250円、赤ちゃんからも徴収されている金なんだから…。 極論かもしれないが、半年後、一年後に家屋の撤去に修理に何百万円もかかり、それをたとえ、震災特例により無利子で銀行から貸し付けられた時に、1人10万円の義援金が渡されても何の感謝の念を被災者は抱かない。寄付のお金は心から被災者に感謝される時期に渡してはじめて本当の寄付なのだ。このことをマスメディアが伝えないかぎり、嘘偽りの震災報道を演じるゲームだけが永遠と続く…。今すぐ、避難所にゲンナマを配布すべきとなぜメディアは言わないのか?

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    メディア災害報道に批判集中 ネット時代の取材ガイドライン作れ

    に人間は無力だと改めて感ぜずにはいられない。 そうした中、今に始まったことではないが、ネット上では、メディアの取材手法に批判が集まっている。広島の土砂災害の時だけでなく、生き埋めになった人を捜索している時に各社が報道ヘリを飛ばすことは捜索を妨害するとの声が上がっている。また、被害現場近くまで取材クルーやリポーターが大挙して押しよせることも批判の的だ。広島土砂災害で最も被害が大きかった安佐南区で、住宅街に流れ込んだ土砂=2014年8月20日午前、広島市(森田達也撮影) 今回の御嶽山の噴火では、噴火直前にツイートしていた人に、多くのメディアが情報を得ようとツイッターでコンタクトを取ろうと試みたが、噴火で安否がわからない人に群がるハイエナのようだ、とネット上で厳しく糾弾された。 メディアが速報を競い、時として過熱気味に取材攻勢に走ることを戒める声は日増しに強くなっている。実は、新聞・テレビ、それぞれ自主規制ガイドラインを決めている。(注1)どちらも2001年に制定されているにもかかわらず、今も批判に晒されていることをメディアは真摯に受け止めねばならない。 特に、SNSを使っての取材は東日本大震災後、急速に普及してきた感がある。SNSを学生時代から当たり前のように使ってきた記者が増えていることも関係しているが、二つの点で気を付けるべきだ。 一つは、ネット上の情報の信頼性だ。そもそも裏が取れている情報なのかどうか、不確かである。うっかり引用しようものならとんでもないやけどをする可能性がある。また、情報が投稿された時間もよく調べないと危険だ。本人の投稿と他人によるリツイートやシェアなどが混在しているからだ。既存のメディアは速報スピードでもはやSNSには勝てない 二つ目は、ネットを使っての取材手法の問題だ。ツイッターやフェイスブックを使って取材する記者が増えている。広く情報提供を呼びかけるパターンと、直接取材対象を絞ってその人にコンタクトを取るパターンがあるが、特に後者は今回の御嶽山のケースのように、一歩間違うと批判の対象となり易い。今後はSNSを使った取材がどのような問題を引き起こすのかを想定した新たなガイドライン作成が必要であろう。 さて、既存のメディアは速報の速さでもはやSNSには勝てないことが分かっている。無論、情報を早く伝達する努力を放棄すべきではないが、事件・事故・災害が起きた場合、その原因を特定し、対策を提示することもメディアの大切な役割だろう。 先日NHKが、群馬県下仁田町の防災の取り組みについて特集を組んでいた。過去幾度となく土石流などの被害を受けてきたこの町は、行政に頼らず、住民自ら自然を日常的に観察し、異常値を検知したら自主避難を住民に勧告するシステムを構築している、という内容だった。 沢などの水の流れの目視や、自家製のコップ型雨量検知器を使っての雨量の測定を通じ、異変を感じたら係りの人が自治会長にすぐ連絡し、自治会長が各地区のリーダーに避難を呼びかけるという。又、過去どの場所でどんな災害が起きたかが詳細に記載されている防災マップも作成し、各戸に配布している。まさしく、「自助」「共助」の参考となる例であろう。 こうした地域の優れた取り組みを紹介することが、各自治体の防災意識を喚起することになり、将来の災害時の被害を減じることにつながると思う。とても有意義な放送だった。 災害時の報道で、メディアは1次情報の提供だけでなく、災害が起きた原因を分析し、被害を最小限に止める為に今後私たちはどうしたらいいか、具体的に提案をしていくことがこれまで以上に求められている。注1)日本新聞協会 集団的過熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解http://www.pressnet.or.jp/statement/report/011206_66.html民間放送連盟 集団的過熱取材(メディア・スクラム)問題に関する民放連の対応についてhttp://www.j-ba.or.jp/category/topics/jba100553(「Japan In-depth『編集長の眼』」より2014年9月29日分を転載)

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    行方不明の母親を捜す子供に密着するテレビ報道の意義とは?

    フジテレビに「半袖禁止令」が出る■ 小林麻耶の報道番組大コケ以降ゴールデンでバラエティ激増 ■ 韓国メディアによる「日本沈没」報道に韓国人「下劣」と批判

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    民放テレビ 被災者を泣かせる過剰演出はもう止めての声出る

     「NHKは必要だが民放は要らない」という声をよく聞く震災報道。作家・五感生活研究所の山下柚実氏がメディアの語源からテレビ報道の在り方を問う。* * * 被災現場でどれだけメディア、とりわけテレビ局は現場の方たちの力になれているのでしょうか。被災者たちの未だ多くが、「連絡がとれない」「安否確認ができない」と不安の声を挙げています。 しかしたとえば、ある民放番組では、アナウンサーが被災現場に入って、亡くなった家族のことを被災者から聞き出しては泣かせる、といった現場レポートをしていました。今回の激甚災害の過酷さを、視聴者はすでに直感的に理解しています。これ以上、余分な強調や増幅はいりません。被災者に水をむけて泣かせようというのは、テレビ局自身のための演出行為に見えてしまいます。 その一方で、やはり民放ですが、被災者にボードを渡してメッセージを書いてもらい、それを映しながらマイクで言いたいことを話してもらう、という番組もありました。 いわば、テレビが、被災者同士をつなぐ「広域伝言板」に徹しています。「メディア」の語源は「ミディアム」=「間に入る」「媒介」という意味です。まさしく「媒介」役を果たしていました。電話などの通信網が寸断されている今こそ、原点に立ち返るなら、自ずとメディアの果たすべき役割が見えてくる気がします。関連記事■ 若者に“TVはネットよりつまらない”の意識浸透と上智教授■ 「TV局を減らせ」と説く元業界人がTV界の現状を描いた書■ 日テレ「面白い」発言、フジ「笑えてきた」発言とNHKの差■ 共に大震災に直面した台湾・李登輝氏と菅総理の初期対応の差■ 吉川晃司「エンターテイメントは無力」と被災地でボランティア

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    マスコミは被災地の邪魔者か?

    きな被害を受けているのか。被災地一帯は一体どのような状況なのか。そうした街全体のリポートはやはり報道メディアの技術には及ばない。 また、ヘリコプターによる空撮も、被害の大きさを知るためにはとても分かりやすい映像である。マスコミの存在は、九州から離れた我々が、被災地で実際にどのようなことが起きているのかを知るために、必要不可欠といえる。地震被害を受けた熊本県南阿蘇村で、屋外に避難した人たち=16日午前6時37分(共同通信社ヘリから) しかし、当の被災地に居ると思わしき人たちから、SNSなどを通して伝えられるマスコミの評判はすこぶる悪い。 よく聞かれるのが「マスコミのヘリの音がうるさくて、埋もれた人の声が聴こえない」という話だ。他にも「コンビニの食料をマスコミが買い占めた」とか「カメラクルーが現地で写真を取ろうとして人々の邪魔をしている」という話だ。 まず「マスコミのヘリの音がうるさい」という話。ぼくはこれは眉唾であると考えている。そもそも被災地で飛んでいるヘリは、決してマスコミのヘリだけではない。被災地を飛ぶヘリの多くは、消防や自衛隊といった災害対応にあたるヘリコプターである。また、物資輸送のために、民間のヘリコプターが飛ぶケースも多いという。 一方で、憎まれている報道ヘリは、昔はどうかは知らないが、今は低い高度を飛ぶことはない。なぜなら、空撮映像には広い視野で被害の全体像をつかむ映像が求められるので、低い高度を飛ぶ意味が無いからだ。また、阪神淡路大震災で批判を受け、ある程度の高度を保つように要請されているとも聞く。いずれにせよ地表に音が響くような低い場所を飛んでいない。 象徴的な出来事が、去年に起きた茨城県西部で発生した鬼怒川の決壊による洪水で発生している。 NHKがヘリで自衛隊の活動などを空撮していたところ、自衛隊機に極めて近いところをテレビ朝日の報道ヘリが飛んでいるような映像が捉えられ放送されたのである。これに対してネット上の正義の人たちが憤怒。「テレビ朝日は自衛隊の邪魔をするな!」というツイートがあふれた。(*1)  しかし、実際には自衛隊機とテレビ朝日のヘリの距離は全く近くなかった。NHKの空撮が極めて高い場所から超望遠のレンズで撮影しているために、遠近法により絵の距離感がおかしくなり、さも近い場所に両機がいるような絵になってしまったというだけの話だったのである。 こうした状況で「報道ヘリがうるさい」という意見が出るのは、プレイステーション4だろうがWiiUだろうが、知らない人が「ファミコン」と言ってしまうのと同じ理屈だ。航空機ファンでもなければ地上から見てヘリの違いなどわからない。ヘリの音だけを聞いて十把一絡げに「報道ヘリが!」と思い込んでしまうのだろう。 ちなみに「報道ヘリも人や物資を運べ」などと言っている人もいるが、報道ヘリが現場に降りるほうがよほどレスキューや自衛隊の邪魔になることは言うまでもないだろう。他には変えられない被災地報道の役割 「コンビニの食料をマスコミが買い占めた」は、ほとんど嘘であると断じられる。現地で暮らす被災者の人数と、取材に訪れるマスコミの人数を考えれば、被災者が買い占めたと考えるほかはない。 コンビニの棚というのは、商品が溢れているように見えるが、狭い店舗でも品物の種類を増やすために一点あたりの品数は意外と少ないのである。 例えば震災時に求められるであろう2リットルの水は、1単位(ダンボール1箱あたり)6本なので、客が少ない店なら6本。普通の店なら12本くらいしかストックしていない。南アルプスの天然水と、自社のPB商品で、あってせいぜい24本である。 それでもほとんど品切れをしないのは、店舗裏に大きな倉庫があるからではなく、普段の売上を見ながら、最小限の数を毎日発注し、それがコンビニ本社が各地に持つ配送センターから毎日届けられるからだ。無くなりそうになっても、すぐに次の商品が届くから、コンビニの棚はいつも商品が溢れているように見えるのである。 だから、こうした震災が発生し、普段では考えられない客が殺到しするようなときには、すぐに必要とされる商品は無くなってしまう。もちろん道路なども被災しているから、次の商品が普段通りに届くとも限らない。石垣などが崩れた熊本城=4月17日、熊本市(産経新聞社ヘリから、三尾郁恵撮影) そうしたことを知らずに、商品がなくなったコンビニの棚を見ると「普段はたくさんあるのに、今日はない。マスコミが買い占めたに違いない」と、短絡的に考えてしまうのだろう。 最後に「カメラクルーなどが邪魔」というのは、そのとおりなのだろうと思う。 実際、ぼくも歩いていて取材をしているクルーなどを見かけることがあるが、彼らは数人でまとまって、比較的長い時間、同じ場所をうろうろしているので邪魔である。 1つのクルーだけでも邪魔なのに、それが何社も訪れればとんでもなく邪魔だろう。ましてや震災で精神状態が平常ではない時だから、クルーに怒りが集まるのは理解できるし、それを否定する気はない。 しかしながら、取材クルーは決して邪魔をするためだけに取材をしているのではない、取材によってメディアで被害が報じられ、関心が集まることによって、多くの支援物資や寄付金などが集めやすいという状況を生み出しているという役割を果たしていることが挙げられるだろう。 東日本大震災が発生した翌日、長野県北部の栄村でも震度6強の地震が発生し、家屋の倒壊や土砂崩れ、道路の寸断などが発生した。 本来であれば、マスコミが駆けつけ、その被害状況をつぶさに報じたのだろうが、マスコミの大半は東北の津波被害や原発事故の取材に追われ、栄村の情報はほとんど取り上げられることはなかったし、わずかに取り上げられても、人々の記憶からはすぐに消えていった。 被災当初は役場もうまく機能せず、情報発信もままならなかったと聞く。この時にマスコミにもっと人手があれば、役所の代わりに栄村の情報を、首都圏の人たちにもっと届けることができたはずである。 マスコミが積極的に取材をし、それを報じなければ、いかに苛烈な震災が発生したとしても、その土地と関係ない人が被害の程を知るすべがなく、支援の手が届きにくくなってしまうのである。 たとえ現地の人たちにとって、マスコミが邪魔に見えたとしても、その土地と関係のない多くの人たちは、マスコミが報じることではじめて問題を知ることになる。その情報拡散能力があってはじめて、多くの人が遠く離れた地域の被災に関心を持つのである。たとえ一時的に邪魔に思えても、マスコミが被災地報道で果たす役割は、他には変えられない重要なものであるといえる。 被災地の方々には本当に申し訳ないし、震災というどうにもならない状況で怒りをどこかにぶつけたい状況であるのも理解はするが、マスコミが殺到しているという状況を見ても、けっして邪魔をしに来ているだけではないのだということを、頭の片隅に入れておいていただければと思う。*1:【速報】テレ朝/日テレのヘリが自衛隊の洪水救助を妨害!? #NHK で放映され撃ち落とせと炎上【反日】(Togetterまとめ)(2016年04月17日 「BLOGOS」より転載)

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    熊本地震翌朝の各局情報番組 TBSが一歩リードか

     放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、熊本地震報道に見る各局の情報番組を分析。* * * 熊本地震で被災された皆様に御見舞を申し上げます。 14日夜9時26分頃、熊本県内で震度7の地震が発生して以来、テレビ各局では報道局が主導となり、緊急特番となった。 もともと『ニュースウォッチ9』枠だったNHKが第一報からリードしていたものの、現場はかなり混乱。着の身着のままで避難してきた方達に「NHKですが…」とマイクを向けていたことも少々気になった。 また、スタジオのアナウンサーの脇で指示するディレクターの声がずっとオンエアにのってしまっていた。東日本大震災のとき、内輪の会話がマイクにのってしまい、結果、被災者の方や視聴者の皆さんに不快な思いをさせてしまった在京局が2局あったことを思い出す。NHKのディレクターが不謹慎な発言をしていたわけではないのだが、オンエア的に聞きづらかったことは否めない。 民放局に目をやると、今週月曜日、メインキャスターに就任したばかりの『報道ステーション』(テレビ朝日系)の富川悠太アナウンサーは、さすがに全国を取材しているだけあり、現場との連携が見事だったし、終始落ち着いていた。強い地震により一階部分が押しつぶされた歯科医院の建物=4月16日午前4時、熊本市中央区安政町 その後スタートした『NEWS ZERO』(日本テレビ系)は、レギュラー陣が、いつものスタジオではなく報道フロアに集まり、座りではなく立ちで乗り切った。こちらも新メンバーを加えての座組だったが、日頃のチームワークの良さで乗り切ったように思う。 気になったのは翌朝の民放局だった。『めざましテレビ』(フジテレビ系)や追随する『ZIP!』(日本テレビ系)の成功により、それまでF3、M3に強かったテレビ朝日までがターゲットの年齢層を下げてきている昨今。日頃、いわゆるエンタメ情報やトレンド情報を扱いすぎているせいで、全体的に“報道の顔”をしていない番組ばかりなのである。 『めざまし~』の三宅正治アナはベテランだが、専門はスポーツ。なので、最新のニュースは報道局から奥寺健アナと斉藤舞子アナが担当していた。 『ZIP!』も、座組は通常どおりだったので、北乃きいや鈴木杏樹、ZIP!ファミリーの女子らが笑顔でワイプにおさまるコーナーもありつつ、桝太一アナが懸命に進行していた。それでも、速水もこみちをロケに出していたコーナーを始め、この日に出さなければならない“縛り”があると推察できる企画はそのままオンエア。結果、やや浮いた作りになってしまっていたように感じた。 その点、この4月、「思い切ったリニューアルをした」と他局も注目している『あさチャン!』(TBS系)は、白シャツに黒スーツという出で立ちの夏目三久をメインに、ずっと地震関連のニュースを扱っていた。 『あさチャン!』がなぜ「思い切ったリニューアルをした」と言われているかというと、番組全編がほぼニュースになったからなのである。 NHKを除く民放の横並びがどんどん若者向けにシフトしていくなか、みのもんたの『朝ズバッ』の流れを汲む『あさチャン!』には、F3(50才以上の女性)、M3(同・男性)の視聴者が付いていた。 以前は、テレビ朝日の早朝枠もF3、M3に強いと言われていたが、『グッド!モーニング』は明らかにF2やM2にシフト。在宅率が高く、人数も多いF3、M3層をNHKとTBSが分け合うこととなっていた。腹をくくった夏目三久 が、みのから夏目に変えた時点では、もう少し若い層を狙っていたのも事実。およそ女子アナっぽくないモード系ファッションで、ストッキングではなくソックスで登場した夏目は、女子アナのヘアメイクとは一線を画す“尖った見た目”でもあったせいか、番組開始当時、おばさんやおじさんに好まれなかったものだ。 当然のことながら視聴率は芳しくなかったのだが、ネット局を中心に最近、数字が上向いている『あさチャン!』。夏目の見た目も徐々に年配視聴者に好まれるようなものに改善され、4月からレギュラー陣を一新し、ニュースを伝える番組にシフトした。お天気キャスターに『ニュースウォッチ9』(NHK)の井田寛子気象予報士を据えたのも、F3、M3対策の一つだ。 3月で『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)を卒業した夏目は、『真相報道バンキシャ!』(日本テレビ系)と『あさチャン!』により、ニュースキャスター・夏目三久として、腹をくくったようだ。 もともと出版社志望だったという彼女が新入社員のとき、『恋のから騒ぎ』(同)の説教部屋セットに現れ、明石家さんまからの質問に堂々と答えているのを見たのは9年前のことだ(オンエアはせず、入社式で流された)。 大阪出身なので、お笑いが好きだという彼女に対し、「芸人で好きなのは?」と聞いた明石家さんまに、「チュートリアルの徳井さん」と答え、さんまさんからピコピコハンマーで何度も叩かれていた夏目。 大型新人アナとして、入社半年で『おもいッきりイイ!!テレビ』のアシスタントに抜擢されるも、11年1月に退社。大型レギュラーをもたせてもらっても、勘違いするようなタイプではなかったし、後輩女子アナの面倒もよく見ていた。編集者志望だったからだろうか、裏方仕事もよくやっていた気がする。 だが、写真誌の一件で日本テレビを追われ、フリーに。果たして、この年代の局アナ出身の女子アナで唯一、帯番組のレギュラーをもっているのが夏目である。 熊本地震の報道に話を戻す。テレビ局では、阪神淡路大震災の経験が東日本大震災に活かされなかったことが大きな課題になっていた。地震の報道や、その後の報道について、身をもって体験していた在阪局のディレクターや記者、アナウンサーらの知識は専門的なことを含め、とても深かった。 が、それが在京局にももたらされなかったのは、直後に地下鉄サリン事件が起きたからだと言われている。阪神淡路大震災報道にまつわるさまざまな教訓は、在阪局だけのものになってしまったと彼らは嘆く。地震で損傷した熊本城の戌亥櫓と石垣=熊本市 思えば夏目は大阪出身なので阪神淡路大震災を経験している。TBSでは、『あさチャン!』に続く、『白熱ライブ ビビット』の真矢ミキも宝塚歌劇団の花組トップに就任した年、阪神淡路大震災に遭っている。そしてTOKIO国分太一は、『ザ!鉄腕!DASH!!!』(日本テレビ系)で東日本大震災の被災地・福島県への強い思い入れがあるタレントだ。 偶然ではあるが、こうした出演者の経験に基づくコメントが並んだTBSの番組がリードした熊本地震の翌朝だった。 当然だが、午後は、阪神淡路大震災の現場を朝日放送の局アナとして連日取材して回った宮根誠司の『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ・日本テレビ系)が群を抜いていた。が、その読売テレビでも、阪神淡路大震災の取材を経験している局アナは半数にも満たなくなってしまっている。そこで同局では、先輩アナが中心となって、後輩たちへのセミナーを行っているという。 在京局のテレビ局は、被災者の皆さんの心に寄り添うことがどれほど大事なことか、改めて系列局との情報を“共有”してほしいものだ。関連記事■ TVの言葉が「語り」から「喋り」に移った理由を解説した本■ 夏目三久アナ 年収3億円説飛び出し女子アナ界新女王の声も■ お泊りデート報じられた松尾由美子アナ パンツスーツ姿多い■ 日テレ『NEWS ZERO』 山岸舞彩アナ抜擢でほぼ決まりとの声■ 大江麻理子アナ 会見時の所作に「気遣いのできるいい女」評

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    杉村太蔵だから分かる 「公募で不倫を見抜けるわけがない!」

    杉村太蔵(元衆院議員、タレント) 自民党の候補者公募の審査や面接って、正直言って皆さんが想像しているような変わったことは何もないんですよ。私は2005年8月の郵政解散選挙で自民党のホームページを見て候補者を公募しているのを知り、応募しました。そう、小泉純一郎元首相が郵政民営化反対派への「刺客」として、たくさんの「小泉チルドレン」が誕生した、あの国政選挙です。公募の一次審査の際には、戸籍謄本や住民票、中退した筑波大学の在学証明といった最低限必要な書類はもちろん、私が高校時代に国体の少年男子ダブルスで優勝したときの表彰状まで、まとめて揃えて提出しました。 一次審査では課題論文もあったんですが、いざ面接になると、総選挙の争点が郵政民営化の是非だったこともあり、面接担当の自民党議員の方からは真っ先に郵政民営化と小泉構造改革についてどう考えているのかと聞かれたのを覚えています。あのときは自分なりに考えをまとめて意見を述べたんですが、私自身もともと郵政民営化には強い関心があり、小泉さんが「完全民営化」を謳っていても、ユニバーサルサービスの維持を法律で義務付けていることに問題があるのではとも思っていました。だから、面接では「東京・赤坂にある郵便局と、地方の過疎地にある郵便局が本当に一律のサービスでいいのか。これは非常に疑問だし、どうせ民営化するのなら極力縛りをかけない方がいいと思っています」みたいなことをお伝えしました。国会に初登院し、名札のスイッチを押す杉村太蔵氏=2005年9月21日(宮川浩和撮影) 郵政民営化に関しては、私も当時は証券会社に勤めていたので、かつて同僚や上司らと議論した経験を元にとうとうとしゃべりました。いま思えば、自分が金融業界で働いていたことも評価されたのかなと思っています。その他にも、面接官からは「議員になったら郵政民営化以外で何をしたいか?」という質問もありました。大学を中退し、新卒採用の壁に阻まれ、しばらくは派遣社員も経験したことがあったので、「いったんフリーターになると、正規雇用に這い上がるのが難しい。ここには構造的な問題があるんじゃないかと考えています。だから、私は国会議員になって若者たちの雇用環境を改善したい。当選した暁には、ぜひ厚生労働委員会に所属したいです」と結構、具体的に説明したんですよ。あのとき、もし自分が「教育改革をやりたいです!」みたいなことを話していたら、きっと候補者選びで不合格になっていたと思います(笑)。 公募に合格するまでには5回も面接審査があって、結構大変だったんですよ。面接では、安倍さんや武部さんといった当時の自民党執行部のそうそうたる顔ぶれもありましたね。私が受けた面接審査の中で、もう一つ印象に残っているのが「憲法」に関する質問でした。私は自由民主党の公認候補者として出馬を目指していたわけですから、結党以来の党是である憲法について聞かれるのは当たり前だし、公認候補が党是に従うのは当然です。もし郵政民営化には賛成の立場でも、憲法改正について否定的な完全護憲派では、自民党の国会議員は務まりません。面接の質疑応答では、憲法に関する意見もたくさん求められた記憶があります。ズバリ直球で女性関係を聞かれることなんてない 自民党から公認を得て国会議員になる場合、もっとも多い事例といえば、地方議会で活動していて地元の党支部や支援者たちからの推薦を受けて立候補するパターンと、党本部が公募して候補者を選定し擁立するパターンの2つがありますよね。例えば、前者のパターンに多くみられますが、党のTPP推進方針に反して、自分が出馬する小選挙区では「反対」を訴え、党の方針に反して当選する議員もいたりします。ただ、自民党というのは、いろんな意見を吸収できる度量の広い党ですから、必ずしも党の方針に反対したらダメだといっているわけではないんです。個別の政策であれば、党内でいろいろな意見があったとしても、ある程度は許容の範囲内なんです。  でも、憲法のように綱領で掲げる政策については違います。憲法改正について優先度の低い政治家はいるかもしれませんが、改憲に否定的な政治家が自民党議員として活動するのは有り得ない。だから、僕のときもそうでしたが、公募の面接で党の綱領や、立党宣言について聞かれるというのは、公認候補者としての最低限の確認レベルみたいなものなんじゃないですかね。いま、こうして当時を振り返ってみると、党が候補者を選定する際には、個々の政治理念をとにかく重視し、しっかり選んでいただけたんだなと思います。 よく国会議員が不祥事を起こすと、政治家の「身体検査」が問題になることがあります。でも、面接のときにズバリ直球で女性関係のことを聞かれることなんてないです。そんなこと有り得ないです。だって、一般企業の面接のときに「あなた不倫してますか?」なんてことを聞く採用担当者なんていますか。いくら清廉潔白が求められる政治家にだって、そんな非常識なことを面接で聞くことなんてあるわけがない。面接で聞かれることは、ごくごく常識的な質問ばかりです。まずは自民党の公認候補者として相応しい政治理念を持っているかどうか、面接の9割がそこへの関心です。あのときの公募は、たった2週間という短い期間でしたが、それでも党の執行部までフル回転して、より良い人材を発掘しようという熱意が伝わりました。僕みたいな人間でも、情熱があれば政治への道をつくってあげようという、そんな雰囲気もありましたね。 一般的に政治家になるためには、国会議員の二世・三世や議員秘書、官僚出身といった経歴がなければ、なかなか難しいといった印象がありますよね。裁判官や検事、弁護士であれば司法試験に合格すればなれるし、官僚であれば国家公務員試験といった入り口があります。でも、国権の最高機関である立法府に入るには、選挙で有権者の支持を得なければならない。一般人が党の公認を得て国政選挙に出馬するルートというのは、実は不明確なんですよね。だからこそ、どの政党も国民に対しては政治家になるための「門戸」を開いておいてほしいと思っています。誰だって政治家になるチャンスはあるという意識を根付かせることも重要だと思う。 そういえば、乙武洋匡さんの不倫騒動が話題になってますけど、それでも乙武さんが出馬するかどうかという質問については、今は「ノーコメント」とさせてください。時事的なことに関しては毎週日曜日の「サンデージャポン」(TBS系)が終った後に話すことにしているんですよ。私が国会議員を辞めて、人生最大のピンチを救ってくれたのは「サンジャポ」ですし、一番恩義を感じているんですから(笑)。(聞き手、iRONNA編集部・松田穣)すぎむら・たいぞう 1979年8月13日生まれ、北海道旭川市出身。筑波大体育専門学群中退。外資系証券会社に在職中の2005年に自民党の候補者公募に合格し、同年9月の衆院選に出馬し当選。10年7月の衆院選では同党から公認されず出馬を断念した。09年7月の参院選にたちあがれ日本から出馬したが落選。同年10月からTBS系「サンデージャポン」(日曜前10・0)に出演するなど、タレントとして活動中。血液型O。

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    乙武さん不倫で思った政治家の「身体検査」

    今夏の参院選で自民党の目玉候補の一人として擁立が取り沙汰された作家、乙武洋匡さんが不倫について謝罪しました。それにしても、今年は週刊誌発のスキャンダルが絶えませんね。ふと思ったんですが、政治家になろうとする人やテレビに出る人たちの「身体検査」って、どうなってるんでしょうか。

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    共産党の候補者選びは、自民党とココが違う!

    筆坂秀世(政治評論家、元共産党政策委員長) いわゆる議員の「身体検査」というのは共産党には特にないと思う。プライバシーを調べて「おまえ、ああだろう、こうだろう」っていうのはたぶんない。たまたま耳に入ってくる話があれば別だろうけど、組織として「身体検査」をするというような習慣はまずない。共産党の場合、「私、立候補したいです」とか「選挙に出たいです」って、自分から言って立候補する制度というか習慣がそもそもないんです。あくまでもそれは全部、党が決定するんです。 たとえば、新宿区の区議会議員の場合、地区委員会の委員長を筆頭に常任委員がいます。「今度Aさんっていう人が引退するので、後の候補者に誰を立てようか。教師にいいのがいるが、教師をやめさせて落ちたらどうしよう。これは家庭の問題もあるから教師をやめさせてまで立てるわけにいかない」となった場合、「地域で熱心に活動してて地域に人望のある人がいる。この人に立候補してもうらおう」となって、この人に立候補の話をすることになる。つまり、いろんな党員の日常的な活動を目にして立候補者を決めているというわけです。 僕は最初、参議院の比例代表の候補者になったんですが、当時は党の国会議員の秘書をしていた。そのころ共産党は比例で当選するとしたらせいぜい5人ぐらいのもので、そこにたとえば25人立てるとすると、落ちても構わない人を指名するわけ。僕なんかもともと秘書だったわけだから落っこちたらまた秘書に戻して党本部の勤務にすればいいだけの話。立候補は、ある日選対局長に呼ばれて「今度選挙に出てくれ。心配しなくても絶対当選することないから」って具合だった(笑)。そのあと、「次は衆議院の東京1区から出てみてくれるか」ということになって、衆院選東京1区から3回出馬して3回とも落選。それで「10年ぐらいやったんで、もういいでしょう。もう充分御奉公したでしょう」と降りたんです。そしたら今度は「次の参院選でまた比例で出てくれ、今度は順位が上の方で、当選する可能性がある順位で」となって、ついに当選した(笑)。参院決算委員会で質問に立つ共産党の吉良佳子氏=参院第1委員会室 東京で吉良佳子って子が参議院で当選しましたが、彼女もそれまで都議選に出て落っこちてるんですよ。たぶん当時の東京都委員会の選対局長や都委員長が「なかなかいいじゃないか。今度、東京選挙区から参議院選挙に出そう」となって、本人に立候補の話をしたんでしょう。そうやって共産党は上が候補者を決めてくんです。普段の活動を見ていて「これなら話も演説もうまいじゃないか」とかね。池内沙織って子も参院選に出たり総選挙に出たりして、4回目で当選しましたよね。いま議員をやっている人だって、結構、落選経験を持ってます。書記局長の山下(芳生)君だってそう。落選してないのは志位(和夫・党委員長)さんくらいじゃないかな。 公募議員というのは共産党では考えられないよね。最近はどうか知らないけど、昔の共産党だったら公募なんてありえない(笑)。共産党に入党するのは、議員になる道として入る人はまず一人もいないんですよ。党員としての活動において、別に議員が偉いというわけではなくて、たとえば区議会議員より地区委員の方が偉い。昔だったら宮本顕治(元中央委員会議長)さんがバッジ着けてないときだって、宮本さんが一番偉かった。国会議員は宮本さんの指導下で動いていたし、そういう組織だからね。そもそも共産党というのは。公募議員はチルドレンと変わらない記者会見で議員辞職する意向を表明し、頭を下げる自民党の宮崎謙介衆院議員=2月12日午前、国会 自民候補とうわさされていた乙武(洋匡)さんの一件が話題になってますが、ちょっと騒ぎすぎかなという気がするけどね。ただ自民党にとっては参院選の目玉になるはずだったわけだから。もう出ないでしょう。あれで出るようだと大した度胸だと思うけど。共産党にももちろん不倫でやられた人はいますよ。それは男と女の社会だからね。ただ、あんまりそういう確率は低いよね。不倫で辞職した宮崎(謙介・前衆院)議員なんか「キジも鳴かずば撃たれまい」みたいな、育休で目立っちゃったからね。だから僕は文春にタレこみがあったんだと思うよ。何が育休だと(笑)。 公募議員っていうのは政党としてどうかと思う。民主党が党名を決めるのに世論調査をやって民進党になったけど、自民党もこれをあんまり馬鹿にできないと思う。だって大政党の自民党だったら、候補者ぐらい自前でつくれ、政権政党何十年やってるんだよと。人材を抱える企業とだって、役所とだって付き合いがあるわけだから。公募なんて議員にはある意味卑しさを感じる。選んでもらえれば、いまの自民党だったら勝てるというね。 国会議員になることを前提に政治のことを勉強していいわけがない。会社を立ち上げて成功した、金も結構ありますという人が公募で選ばれて、本当に国会議員になっちゃうわけでしょ。そもそも自由民主党になんで入りたいのか。自由民主党に入るのは国会議員になりたいから入るわけでしょ。たぶん国会議員落選したらすぐ抜けてますよ。党費なんて払う人もいない。要するに自分のことしか考えていないということではないのか。 自民党で選挙が強い人だって、やっぱり最初の頃はうんと苦労しているわけです。中選挙区で自民党とも、野党とも戦い、みんな這いつくばって地元を開拓して、自分の地盤を作り上げてきた。しかし、いまの小選挙区だったらそんなことしなくったって、自民党公認という金看板さえあれば、ほとんど勝てる。だから公募議員ってコツコツ努力していないもの。 金銭トラブルで自民を離党した武藤(貴也・衆院)議員も、宮崎議員も落下傘候補だった。地元で苦労したわけでも何でもないんだよ。政治家にとってドブ板というのはやっぱり大事なんだ。この街のことなら何でも知ってる、タクシーの運転手より詳しいんだというぐらいコツコツ歩く、そういう苦労をしていない。小選挙区とはもう党で決まっちゃう、そういう選挙制度なんだよ。「小沢ガールズ」だって民主党の看板さえあればだれでも当選出来た。ガーンと政権交代のような大きな変化があると、そういうチルドレンしか残らないわけ。今の自民党の公募議員っていうのはそれと変わらないんだよ。チルドレンとは呼ばれていないけど。なりたいからといって候補者にはなれない 共産党では自分でなりたいからといっても絶対、候補者になれないんです。「俺、今度参議選に出るから公認してほしい」って手を挙げたら「ちょっとこいつは変わりもんやな」となる。個人の希望でなんて絶対ありえない。共産党にとって、議員であるか、党本部の勤務員であるか、党本部の選対局にいるか、あるいは赤旗の記者やるかというのは、それぞれの任務分担なんです。党員として何らかの仕事をしなければいけないわけで、ある人は選対局の任務を与えられ、ある人は赤旗編集局で記者の仕事、ある人は国会議員の秘書、ある人は候補者になりなさいと言われる。それはあくまでも党内での党員の任務分担なんです。任務分担として議員をやってるわけです。未公開株をめぐる金銭トラブルを週刊誌に報じられ、記者会見する武藤貴也衆院議員=2015年8月26日午後、衆院第2議員会館 決めるのは党本部だけど、国会議員クラスになれば実際にはトップとかナンバー2が決めている。今なら委員長、書記局長クラスでしょう。僕らなんかでもだれを候補者にするかなんて相談は受けたことがない。共産党の人事というのはそんなものなんだよ。 例えば常任幹部会って最高の幹部が集まる会議があるんだけども、そこで「A候補にしようか、B候補にしようか」っていう議論はありません。選対局から提案があって東京は誰々、大阪は誰々と会議で発表される。それは委員長、書記局長が了承しているものだから。参議院の選挙区なんかは都道府県で勝手に決めるわけです。ただし、東京とか大阪とか京都とか、絶対獲りたいところはもちろんこれでいいかどうかって討議をするんだけれども、青森でだれ、石川で誰を立てるかってことは県任せですよ。 基本的に共産党員になれた時点で身体検査云々って話にはならないってこと。僕らが共産党に入った半世紀前はいきなり党員にはなれなかったんです。党員候補期間っていうのがあって、入党申込書に権力関係の有無とか、事件の前科であるとか全部書いて、長い入党の決意表明文を書いて、それが審査を通ったら、やっと党員候補になれた。労働者の場合は3カ月のお試し期間があって、正式の党員になる。 当時、僕がAという人を口説いて入党を決意させ党の会議に持っていくと、ほかの党員から「彼はまだ意識が弱い」「まだ共産党員のレベルに達していない」「もうちょっと鍛えてからにしよう」と。こういうことをホントにやっていた(笑)。なんたって革命運動の前衛政党、労働者階級の前衛が共産党だから。革命の司令部だからそんなの誰でも入れないんですよ。それが革命政党の本当の姿だと思いますよ。今は、共産党に入りたいといったら「喜んでー」って入れるかもしれないけどね(笑)。(聞き手/iRONNA編集部、溝川好男)

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    ショーンK「学歴詐称」に見るテレビの責任

    ・」 正直な感想である。ショーンKなる人気コメンテーターの学歴・経歴詐称問題のことだ。複数のレガシーメディアでコメンテーターや番組ナビゲーターなどを務めていた人物のスキャンダルだけに、世間はこの話題で持ちきりだ。 例によって、メディアは「池に落ちた犬は叩け」、とばかりにバッシングを繰り広げているが、実際、番組コメンテーターとして彼を出していたテレビはどうなんだ?と思わざるを得ない。彼を出演させていた責任はないのか?という素朴な疑問だ。「やっちまったか」という感想は、ショーンK氏に対して発したものではなく、彼を持ち上げ、番組に出し続けたテレビ局に対してのものだ。ショーン・マクアードル川上氏 そもそも有識者、文化人などのカテゴリーから選ばれる情報番組(ワイドショー)のコメンテーターはどのようにして選ばれているのか?ルールとか基準とかあるのだろうか?疑問に思う人もいるだろう。局によって違いはあるだろうが、基本は番組の責任者に権限がある。つまり、プロデューサーや編集長と呼ばれる人たちだ。 情報番組は毎日様々な分野のニュースを取り上げる。事件・事故などの社会部系ニュースから、政治関連ニュース、国際ニュース、経済関係ニュース、そして芸能人や政治家のスキャンダルなど、ありとあらゆるジャンルを網羅する。したがって、それらジャンル別にコメンテーターを用意する必要がある。まずは、レギュラーコメンテーターだ。番組によって同じ顔触れを毎日固定する場合もあるし、曜日ごとに変える場合もある。それに加え、日々の話題によって、スポットでコメンテーターを選び、番組に呼ぶのだ。 レギュラーコメンテーターの選出には、番組プロデューサー・編集長に権限がある。特に改編期などの入れ替え時期には入念に顔ぶれを決めるのが通例だ。番組スタッフ内で候補者を選び、何人かに絞る。最終的に、報道局内でオーソライズし、決定する。番組のキャスターともなると、視聴率にもかかわってくるので、社内における根回しが必要となってくる。編成局、営業局など他の部署の合意も必要だ。しかし、コメンテーターを選ぶ際にはそこまでの社内調整は必要とされないことが多い。「コメンテーターの経歴は調べないのか?」という疑問 レギュラーコメンテーターを選ぶにあたり必要とされる資質とは何か。経歴・学歴などのバックグラウンドはもちろんの事、知名度、権威、個性に加え、清新さ、話のうまさ、ルックスなどが上げられる。要は誰が見ても、「この人のコメントは心配ないだろう」という人が選ばれるのが普通だ。 一方、日々のニュースに関して呼ばれるコメンテーターについては、上記のようなことは言っていられない。何しろニュースは待ってくれない。あらゆるニュースが飛び込んでくる。そのニュースに関してコメントしてくれる人は誰なのか、担当ディレクターは電話をかけまくったり、ネットで検索しまくったりして、人を探すのだ。必死である。なにせ時間との勝負なのだ。見つかりませんでした、は許されない。時には社内の専門記者や解説委員にアドバイスを仰いだりする。一見の人を呼ぶより、社内の人間の“お墨付き”がある方が安心だし、パイプがあれば出演交渉もスムーズになるからだ。 さて、話をショーンK氏に戻そう。彼がどのような経緯でレギュラーコメンテーターに選ばれたのか小生は知らない。気づいたときはいつの間にか画面の常連になっていた。正直、知名度がある人ではなかったので、初めて彼を見た時は「誰?」という素朴な疑問を抱いたのは事実だ。番組として、他の情報番組の常連ではない、斬新でユニークな人を選ぼう、という意思が番組内で働いたものと思われる。 そうした時には、プロデューサーの声が大きい。何といっても番組のヒトモノカネを握っている権力者なわけで、彼がNoといったものはNoだし、YesといったものはYesなのだ。したがって、学歴・経歴詐称を行った人間をレギュラーコメンテーターに決定した責任は番組プロデューサーにある、と私は考える。 次の読者の疑問は、「コメンテーターの経歴は調べないのか?」というものだろう。答えは、Noだ。自己申告、もしくはネット上の情報以外に独自にその人の経歴を洗い直すことは通常しない。ある意味性善説にのっとっていると言ってもいいだろう。実は小生も経験がある。自分の担当する番組で準レギュラーとしてとある識者を推薦したのだ。立派な肩書・経歴だったし、疑う余地はなかった。当然、誰も異を唱えることはなかったし、プロデューサー含め反対はなかった。その人物のコメントは切れ味も鋭く、なるほど、と思うものが多かった。期待以上の仕事をしてくれたのだ。しかし、しばらくして突然、その人物の学歴詐称問題がネット上に出現した。結局、編集会議でその人物の出演は見合わせることを決定した。テレビに出るコメンテーターの学歴・経歴についてはこれまで精査されてこなかったのだ。自分も含め、この点は大いに反省しなければならないし、システムそのものを見直さなければいけない、と思う。 いずれにしても、これだけ大っぴらに詐称が行われていたことを見ると、今後、報道番組や情報番組に出演する人は全て、経歴や学歴にうそがないか、チェックする必要が出てきた。さもないと、テレビ局はとんでもないレピュテーションリスク(信頼性を毀損するリスク)を負うことになる。まるで、閣僚任命前の“身体検査”のようだが、仕方がない。 ニュースの中身を正しく理解し、深い洞察に基づいて視聴者に新たな視点を提供するようなコメンテーターがベストだ。急逝したジャーナリスト竹田圭吾氏のような人だが、そういう人は少ない。見てくれや喋りのうまさ、その時その時で話題になっているというだけで選ばれた人がコメンテーターとして画面に出ているのが実態だ。 情報番組はこれまで「視聴者の目線に沿った」人をコメンテーターとして選んできた。一般市民の目線でコメントしてくれる人を視聴者も受け入れ、楽しんできた側面は否めない。私たちはそこに「深さ」を求めてこなかった。しかし、現代はネット上に様々な情報が溢れている。誰もが瞬時に情報を入手できる今、視聴者の意識は大きく変化した。コメンテーターの発する言葉は瞬時に評価され、その評価はネット上に拡散されていく。適当なことを“喋くり倒して”いれば良い、という時代ではない。毎秒毎秒、“真剣勝負の世界”だと知るべきである。さもないと視聴者を愚弄することになりかねない。テレビ局が思っている以上に視聴者は情報を持っており、賢いのだ。 ショーンK氏が何故学歴・経歴を詐称するに至ったかについては筆者は知る由もない。しかし、彼を選び、番組に出し続けたメディアの責任は重い。彼を起用していたテレビ局やラジオ局がどのようなコメントを出すのか、視聴者は見ている。

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    自民党の候補者ネット公募 スキャンダル探し大会の怖れ

     今夏の参議院選挙では自民党の選挙戦略に大きな狂いが生じている。最大の誤算は本誌が報じた参院選の目玉候補、SPEED・今井絵理子氏の「婚約者の逮捕歴」問題だ。婚約者が昨年3月、児童福祉法違反で那覇署に逮捕され、処分保留で不起訴になっていたのだ。さらには、前回の総選挙における公認候補・武藤貴也氏や宮崎謙介氏らのスキャンダルも登場している。 これから参院選の本番を迎えると、候補者のスキャンダルがさらにクローズアップされる可能性が高い。 それというのも、自民党は今回、若者にアピールする狙いで初めてネットで参院選の候補者を募集し、ネット投票で最終的な公認を決める「オープンエントリー」を実施しているからだ。 公募条件は「日本の将来と私」「自分のまわりの1億総活躍社会」のいずれかのテーマで原稿用紙わずか1枚の論文提出。すでに受け付けを締め切り、内部審査で党大会前日の3月12日にファイナリスト約10人が発表され、それからPR活動を行なって5月のネット投票で上位の者が正式に参院選の候補者となる予定だ。ネット選挙の専門家が危険性をこう指摘する。第83回自民党大会で参院選必勝祈願のバンザイを行う安倍晋三総裁(中央)ら=3月13日、東京都港区(撮影・春名中)「これまでの自民党の公募に応募するには、自民党関係者の紹介が必要だったから事前にどんな人物なのかある程度はわかった。しかし、今回のネットのオープンエントリーには紹介は必要ない。中にはどこの馬の骨かわからない人も入ってくる。これまで以上に候補者の人物チェックができない仕組みなわけです」 そしてネット上で起きる異常事態をこう予測する。「一番心配なのは、ファイナリストが発表された後、ネット上ではほぼ間違いなく“あの候補は以前、民主党の公募に応募していた”とか、“こんな発言をした”といった粗探しが盛り上がること。公選法の規制は受けないから書きたい放題になる。 自民党の内部選考段階の身体検査には限界があるから、ファイナリスト全員が炎上するような事態になれば、せっかくの試みが自民党候補のスキャンダル探し大会と化す恐れがあります」 衆院議長経験者の大ベテラン、自民党の伊吹文明氏は二階派の総会で、若手議員の教育について、「10万票をもらって国会に出てきた人に、新たに人間教育をしなければいけないなんて言い出したら、日本の恥だ」と嘆いてみせた。 それはその通りなのだが、そんな「日本の恥」の国会議員を生み出し続ける候補者選びの杜撰さ、ザルすぎる候補者の身体検査を自民党はまず恥じるべきではないのか。関連記事■ マスコミが報じない参院選・ネット選挙の真相に迫った1冊■ 宮崎、武藤氏ら2012年組が誤算 自民党候補者公募の問題点は■ 衆院落選議員 参院へ鞍替え図るのは借金苦から逃れる側面も■ 嶋大輔が参院選候補者に浮上で加速する自民党の「ヤンキー化」■ 7月参院選 自民尋常なる上げ潮で野党が消える日になるか

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    参院選出馬の今井絵理子氏 自民党は身体検査したのか

     7月の参議院選挙まで約半年あるにもかかわらず、早くも自民党の“目玉候補”として立候補を表明した今井絵理子氏(32)。人気音楽グループSPEEDのボーカルとして活躍する一方、聴覚障害のある長男(11)を持つシングルマザーとしても知られる彼女は、若い子育て世代を取り込む逸材として期待されている。 2月9日に自民党本部で開かれた出馬会見では、茂木敏充・選挙対策委員長が自ら「きょうは白い服で、『White Love』の通りではないか」とSPEEDのヒット曲に引っかけて彼女を紹介する異例の好待遇。そこで彼女は、「障害を持っている子供たち、そのお母さんたちが、より明るい希望を持てる社会作りをしたいなと思いました」 と出馬の理由を語り、「私は、政治は希望だと思います」と力強く表明した。第83回自民党大会で参院選候補者の今井絵理子氏(左)を握手で迎える安倍晋三総裁=3月13日、東京都港区(撮影・春名中) 甘利明・前経済再生相の辞任を皮切りに相次ぐ党内スキャンダルや失言連発で逆風が吹き始めた安倍自民にとって、今井氏の出馬は起死回生の一手といえよう。そんな今井氏は出馬直後、別の形でも騒がれた。「シングルマザー」という触れ込みの彼女には、実は交際相手がいたと複数の週刊誌で報じられたのである。そのお相手は俳優・徳重聡似の「イケメン」と評される、今井氏の地元・沖縄の同級生A氏だ。 沖縄県那覇市にある歓楽街、松山で飲食店のキャッチをしている男性に週刊誌を見せるとびっくり仰天。「あれ、Aじゃないですか。実物のほうがイケメンですけどね。顔がカッコいいだけじゃなくて、ゆっくりとした優しい口調で喋る人なんで、モテてました。今井絵理子と付き合って内地にいるとは知らなかったな」 A氏はこの界隈ではちょっとした有名人だったのである。というのも彼は、この地でほんの1年前まで、「風俗店」を経営していたからだ。同じ松山で飲食店を経営する古い友人が語る。「少女3人にみだらな行為をさせた」「Aは今井さんと同じ地元の学校を出てからLED電球を売る会社を立ち上げて社長になり、『俺はこのビッグビジネスの波に乗って儲ける』といっていたけどすぐ潰れた。それで風俗業界に詳しい人間と2人で数年前に松山で風俗店を始めたんです。店舗型のピンサロのような形態ですね。 その後、今井さんと同窓会で再会して、付き合いはじめたそう。今井さんはAが風俗店をしているのが嫌で、『自分と一緒に本土で暮らそう』といっていたらしく、頻繁に内地に行っては、働き先として福祉施設を紹介されたりしたらしい」 同じく松山でデリヘルを経営する彼の知人もいう。「Aに『地元の同窓会があるから、みんなで遊びに行く車が要る』といわれて、いつも女の子の送迎に使っているレンタカー屋で車を手配してあげたら、『今井絵理子が来ていて、親しくなってよくメールが来るんだ』と嬉しそうにいっていた。そのうちAは、『今井が内地に引っ越すようにいっている』というようになって、たびたび内地に行くのに渡航費を工面してやった。そのくせ、『今井に外車を買ってもらった』と自慢もしてきた(笑い)」「少女3人にみだらな行為をさせた」 しかし、今井氏と付き合って以降も、A氏は風俗店の経営から手を引くことはなかった。2015年3月、中学生を含む少女3人にみだらな行為をさせたとして、店員の男性と2人で風営法・児童福祉法違反の容疑で那覇署に逮捕されたのだ。当時の地元紙・沖縄タイムスにはこう報じられている。〈那覇市松山のテナントビルの一室で、14歳の女子中学生と16歳と17歳の無職少女2人を雇い、男性客相手にみだらな行為をさせた疑い〉 実際にその風俗店で働いていた元店員の男性は本誌の取材に、「中学生を雇っていたのは事実で、自分が逮捕されなかったのは本当に幸運だった」と振り返る。 釈放されたA氏は、ただちに風俗店を畳んだ。「今井さんがAを絶対連れて行くと強く決めたようで、昨年5月に沖縄から出て行く直前、Aが挨拶に来た。『これからはまじめになる』が最後の言葉だった」(前出・デリヘル経営者) A氏が「まじめ」になったなら何よりかもしれないが、それですべてチャラになったわけではない。彼は沖縄で風俗店のほかに、飲食店や貸金業にも手を出しており、そのために方々からカネを集めていた。その借金は、いまだに返されていない。前出の飲食店経営者は「裏切られた」と憤る。「貸金業でいいカモの客を握っているから、ガンガン儲かるといわれてAに100万円ほどを貸したところそのまま、内地に行って連絡先も変えてしまったから取り戻せない」 同じくデリヘル経営者もそれ以上の金額をA氏に提供したままだというが、彼の場合、「Aは優しすぎて失敗を重ねただけで、嫌いにはなれない」と同情的である。なるほど、人からモテる才能があることだけは間違いない。 東京に住む今井氏を訪ね、子供が出かけたことを確認してからインターフォン越しに話を聞いた。 ──Aさんが昨年3月に逮捕されたとの情報がある。「すみません。プライベートなことなので、事務所のほうに確認していただいて」──知っていたのか?「(しばらく沈黙の後)事務所に聞いてもらえますか?」 その後、今井氏の所属事務所から回答があった。「今井に確認したところ、『経営を譲渡した店で事件が起こったが、本人は不起訴になったと聞いています。それ以上の詳しいことは判らないです』とのことでした。また、本人のプライベートな問題については、回答を控えさせて頂きます」 沖縄にある今井氏の実家に住む父親は、「本人からAさんとの話は聞いている」というが、逮捕の過去については「えっ!? 初めて聞きました」と驚きを隠さず、記者に詳細を尋ねた。動揺した様子だったが、最後には「本人たちの問題でしょう」と述べていた。 もちろん、A氏と今井氏が「まじめ」に交際すること自体を否定するつもりはない。だが、今井氏が「シングルマザー」として子育て世代からの集票を見込んで出馬する以上、中学生を風俗店で働かせていたA氏の過去が、影響を与える可能性は高い。 そもそも自民党は、この“目玉候補”の交際関係について、しっかり「身体検査」(過去の発言や周辺関係も含めたスキャンダルなどの調査)をしたのだろうか。スキャンダル続出でイメージ回復に躍起になり、「SPEED出馬」させたのが裏目に出ているのかもしれない。関連記事■ 今井雅之さん 親友・中居のカラオケ中、トイレに逃げたことも■ 今井絵理子氏 逮捕された恋人のビジネス現場を訪れていた■ 自民候補・今井絵理子の恋人に児童福祉法違反で逮捕歴報道■ 松井秀喜氏の今年の抱負は「進」 バイクにまたがる姿も披露■ 今井雅之「どうしても出たい」と中居正広と最後の共演果たす

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    乙武君を「ゲス不倫議員」と一緒にしてはいけない

    鈴木哲夫(政治ジャーナリスト) ここ最近、自民党議員の不祥事が続き、メディアなんかでも「自民党の『身体検査』が甘いのではないか」という指摘があります。ですが、公党の「身体検査」と乙武洋匡君の不倫スキャンダルをごちゃ混ぜにした議論は、本質的に間違っています。 『週刊新潮』が最新号で報じた乙武君の不倫スキャンダルは、彼が今夏の参院選でどの党から出馬するのか、公認をめぐるいざこざ、恨み辛みから編集部にリークされたのがきっかけだったと聞いています。乙武洋匡さん=2月29日午後、東京都新宿区(荻窪佳撮影) というのも、乙武君にはもともと前回の新宿区長選に出馬するという話があったのですが、ある理由で断念しました。 実は彼には国政の舞台で活躍したいという気持ちの方が強かった。だから、直近の国政選挙である参院選の出馬を決意したのですが、政治団体「日本を元気にする会」代表の松田公太氏と仲が良いこともあって、出馬するときは「元気にする会」からという覚書を松田氏と交わしていました。松田氏自身も改選でしたから、いまの状況では自身の選挙も厳しいのは当然分かっていた。だから、乙武君が出れば、知名度の高い彼とも選挙運動が連動できるし、乙武君自身も最初はそれでいいと考えていたようです。 ところが、事態は変わりました。第一次安倍政権の秘書官を務めた井上義行衆院議員が、松田氏のやり方に反発して離党したんです。それから「元気にする会」がゴタゴタしてしまって、乙武君も不安に思い始めたようなんです。 そこに、自民党が目をつけた。ある自民党議員が、乙武君の引き抜きのために積極的に動いたそうです。そして昨年12月7日、乙武君と菅義偉官房長官が会談し、今年4月に乙武君が東京選挙区から自民党公認候補として出馬会見するという段取りが正式に決まったんです。実を言うと、私もその情報は把握していました。自民党は乙武君を徹底的に調べていた そんなわけで、自民党は乙武君について昨年暮れから目をつけていたわけですから、彼の「身体検査」というか、彼の経歴については徹底的に調べています。では、彼の何を調べていたのかといえば、新宿区長選への立候補が取り沙汰されたとき、彼の周辺では金銭トラブルが起きたんです。これは乙武君自身の問題ではなく、仕事先とのちょっとしたトラブルでした。そういう情報も事前にキャッチして、官邸や自民党都連が中心になって彼の身辺を徹底的に調べ上げ、金銭トラブルは問題ないという結論になった。でも、不倫と言うのは、金銭トラブルとは趣が随分異なる。そもそも本人が隠してやっているわけですから、表に出にくい。それ以外の彼のいろんな噂については調べ上げていたんでしょうが、不倫の事実までは掴むことができなかったようです。 しかも、今回の不倫スキャンダルは乙武君のかなり個人的なことまで知っている人からのリークですから、自民党の「身体検査」が甘かったからというのはちょっと違うと思います。それでも一つ言えるのは、いまの自民党の調査能力は昔に比べると相当弱くなっていると思います。 自民党には「2012年問題」というのがあって、2012年に初当選した公募議員の顔触れをみれば分かりますが、『週刊文春』が報じた不倫疑惑で辞職した宮崎謙介元議員や、週刊新潮がセクハラ疑惑を報じた石崎徹議員らがいて、政治家としての資質や劣化が問題視される議員がゴロゴロいます。 自民党の歴史を振り返ってみると、候補者の公募というのは小選挙区制が導入されたことをきっかけに始まりました。党内には「ピカピカの履歴書」という隠語があるんですが、これは候補を誰にしようかと選んでいるときに、華々しい履歴書とか、有名大学を出たとか、アメリカの大学で資格をとったとか、商社勤務だったとか、そういう「ピカピカ」の経歴を持つ人物にころっと騙されてしまうんです。あと、忘れてはならない隠語が「イケメン」。小選挙区では当然1人しか通りませんから、万人に受けるイケメンがいい。もちろん、彼らの身体検査もしているんですが、それでもピカピカの履歴書とイケメンに目を奪われて「女に多少モテるのは仕方がない」と審査が甘くなる向きがあるんです。ましてや、奥さんも子供もいるような人物だったら、たとえイケメンでもそれなら安心だろうと、ますます調査が甘くなっているようです。飯島勲元秘書官の「身体検査」は凄い でも、中選挙区制の時は違いました。党の公認がほしければ自分で後援会をつくり、選挙資金をつくって無所属から這い上がらなければいけない。もし現職を落として当選したら、その後公認してやるっていうのが自民党の歴史だった。 議員一人ひとりが地域活動や選挙活動を一生懸命やって、這い上がっていくわけです。だから、地域の人も「あの人は頑張り屋さんだ」とか、「資金集めばかりをやっていて汚い人間だ」とか、「あいつは女にだらしないところがある」といった噂が自然と広がり、いつしか党本部の耳にも入る。叩き上げの候補者が公認を掴み取るというやり方だったからこそ、ごく自然な流れで「身体検査」ができていたわけです。 かつては派閥ごとに候補を育てていて、目が行き届いていました。小選挙区になり、公認の権限を党の執行部が握るようになると、派閥が弱体化し、チェックも甘くなる。そういったことが複合的に重なり、「身体検査」や候補者本人を見極める力が弱くなっていったわけです。飯島勲内閣官房参与(元首相秘書官)= 2014年4月14日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 小泉(純一郎)総理を支えた飯島勲元秘書官は、情報収集やメディア戦略に長けていたことで知られています。まず第一に、飯島さんはエリート官僚だけでなく、現場で働くノンキャリアに対しても、分け隔てなく大事にしたからノンキャリアにもいっぱい人脈がある。キャリア官僚は政策に関しては優秀だけれど、「あの先生は自分の地元支援者から裏でお金をもらっている」といったブラック情報は必ずといっていいほど、子飼いのノンキャリアが仕入れてくるんです。 第二に、飯島さんは警察や公安調査庁とか、捜査能力のある役所にも強かった。 そして第三として、マスコミ、それも週刊誌やスポーツ紙にも強かった。普通は週刊誌の記者が議員会館を回っても「週刊誌は嫌いだ」とか、「すぐ悪口を書く」とか言って、国会議員や秘書官も相手にしないわけですね。でも飯島さんは、小泉さんが総理になる前から週刊誌の記者も事務所に招き入れ、一緒に酒を飲んだりして付き合いを深めていった。 ここ2、3年、安倍内閣のスキャンダルはほとんど週刊誌が発端だった。週刊誌はアングラな情報、男と女の話とか、噂の類といった情報には圧倒的に強い。こういった情報が飯島さんは自然に入ってくる人脈を築いていたんです。だから「身体検査」にも強かった。 いまの安倍首相の秘書官を飯島さんと比較すると、情報収集能力では明らかに劣っていますよね。安倍さんはどうしても大新聞社やテレビ局と付き合いがちになる。そうなると、なかなかアングラ情報は入ってこない。官邸の中で、週刊誌との付き合いがあるのは、官房長官の菅さんだけなんじゃないかな? そういう意味では、飯島さんは群を抜いて情報収集能力に長けた秘書官だったと思います。自民党の反撃 スキャンダルというのは、その時の政治状況によって全然変わってくるんです。政治家が同じスキャンダルを起こしても、辞める人と辞めない人がいるのはそのせいなんです。宮崎元議員は憲政史上初の不倫を理由に辞職した国会議員とか言われてますけど、彼がなぜ辞めなければならなかったのかは、安倍政権の施政方針をみれば一目瞭然です。安倍政権にとって女性の活躍は柱なんです。宮崎元議員は「イクメン議員」として注目されていたし、夏に国政選挙も控える中では「早く切った方がいい」という官邸の判断だったんでしょう。これは政権の危機管理であって、クビを切るべき時に切らずに広がれば、政権に大きなダメージを与える可能性もある。いまは週刊誌のスクープ合戦が続き、より危機意識を高める必要になったということでしょう。 今年に入り、甘利さんや宮崎元議員の問題が次々と表面化し、予算審議などへの影響もあって、自民党の国対(国会対策委員会)はとても苦労していた。そんなときに自民党は何をやったかというと、他党のスキャンダル探しをしていたんです。特に民主党のスキャンダル、金や女の話はないかって。でも、それは天に唾する話で、民主党のスキャンダルを見つけたところで、民主党はおとなしくなるかもしれないけど、世論は許さない。トータルで政治不信になって、自民と民主の支持率が落ちるのは間違いない。結局、表には出ませんでしたけどね。 乙武君の話に戻ると、彼は退路を断っていますし、いまも参院選にチャレンジしたいという気持ちを持っていると思う。だからこそ、色々批判はあると思うが、奥さんと共にコメントを発表した。 自民党は彼を最後の「目玉候補」と考えていた。ほぼ参院選の候補が決まり、4月に記者会見をするという流れをつくってきたのに、こんなことになってしまったから、目玉どころか彼が足を引っ張ってしまう「危険候補」として微妙な立場に変わってしまった。 乙武君だけ票が減るならいいけど、例えば東京選挙区から出馬するとして、同じ選挙区から中川雅治君が出ることが決まっていますから、二人の票の配分も変わってくる。どちらかが落選してしまうとか、乙武君の勝ち負けだけの問題では済まなくなるんです。 現時点では、乙武君の出馬が吉と出るか凶と出るのか、自民党にとっては難しい判断になるでしょうね。 参院選は、衆院選とは異なり選挙区が広いから、通常なら選挙の1年くらい前には候補者名を出さないと浸透しないのですが、彼の場合は知名度がありますから、出馬表明はギリギリでもいいわけです。当然、自民党は世論の動向を見極めながら決断するでしょうから、4月24日に行われる北海道補欠選挙の結果も考慮してから判断するのではないでしょうか。(聞き手/iRONNA編集部、川畑希望)すずき・てつお 1958年生まれ。早稲田大学法学部卒。ジャーナリスト。テレビ西日本報道部、フジテレビ報道センター政治部、日本BS放送報道局長などを経て、2013年6月からフリージャーナリストとして活動。20年以上にわたって永田町を取材し、与野党問わず豊富な人脈を持つ。テレビ、ラジオの報道番組でコメンテーターとしても活躍中

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    出版不況、書店業界を救う手立てはないのだろうか

    酒井威津善(フィナンシャル・ノート代表 ビジネスモデルアナリスト) 先日、都内近郊に10店舗展開する芳林堂が自己破産した。2月5日に自主廃業した出版取次老舗の大洋社自主廃業による影響が大きいとのことだ。昨年起きた出版取次4位の栗田出版倒産など、数年前から出版関連企業が次々と閉鎖や廃業に追い込まれている。出版・書店業界はこのまま手を拱くしかないのだろうか?気がつけば街中から消えてしまった米屋や八百屋、酒屋と同じ運命をたどるしかないのだろうか?出版市場の現状 改めて確認すると、出版不況の文字通り、書店、出版社、取次など出版関連企業は極めて厳しい状況に置かれている。出版科学研究所によると、書籍の流通量を示す2015年の出版販売額は、1兆6,000億円を割り込み、前年比5.3%の減の1兆5,220億円にまで減少。1950年に調査開始以来、過去最大の落落ち込みとなっている。 現在の出版不況を引き起こしている原因や背景には、ネット通販や電子書籍の普及、活字離れ、人口減少(特に地方)などあると言われており、さらには、出版業界特有の慣習(再販価格維持制度や取次によるパターン配送など)が、その本来持っていた機能が裏目になりつつあり、結果刃が逆になって持ち主を傷つけ始めている背景もある。 こうした状況に対して、できるだけ短期的に改善する策はないのだろうか?出版不況を招く原因のうち、活字離れや人口減少、および業界慣習については残念ながら今すぐどうにかできそうにないが、顧客との接点がある書店に絞って何がしか手がないか考えてみたい。 ネットへのシフトという点で、同じような状況に追い込まれている業界がある。CD不況と言われ、窮地に立たされている音楽業界である。CDは、ネット配信や動画再生サイトにとって替わられ、日本レコード協会の統計情報によると、CD全体(シングル、アルバムの合計)は、2006年の2億9020万枚をピークに、昨年2015年では1億6783万枚と約42%も落としている。 音楽業界が取った対策は、動画サイトに専用のチャンネルを作り、そこへファンを集め、ライブへと誘導することだった。一般社団法人コンサート・プロモーターズ協会によると、2014年での公園回数は27,581回(前年比125.5%)、動員数は4261万人(同109.7%)となり、一定程度成果をあげている。 CDと同じ情報媒体である書籍も似たような手立ては考えられるだろうか?残念ながら、否である。書籍は音楽と違い、直接アーティストの歌声を聴きたいといった副次的な欲求対象がない。あえて言うなら、映画化やテレビのドラマ化があるが、それでは書籍流通の世界を出てしまうからだ。 音楽業界での取り組みが成果を上げているのは、動画サイトで繰り返し見たユーザーが、「臨場感のあるライブで歌声を聴きたい」「他の曲も聞いてみたい」という気持ちを抱かせることができたからに他ならない。つまり、顧客がその商品と触れる時間を大きく増やしたことに要因がある。 音楽と同様の手法は取れないにしても、書籍について顧客との接触時間を増やす手立てはないのだろうか?例えば、すでに存在するケースでは、カフェなどを書店に併設する仕組みがある。事例として蔦屋書店の代官山店が有名だ。リアル書店ならではの「強み」 書籍スペースを中心にして、周辺に飲食店やグッズ販売店を置き、店舗エリア全体でエンターテイメント性を打ち出す。顧客は、カフェスペースでコーヒーを飲みながら購入した本を読むことができる価値を提供し、本との接触時間を増やすことに成功している。 しかし、この方法には大きな問題がある。カフェやその他施設を併設するための資金だ。ツタヤのような大企業ならいざしらず、地方都市にあるような小さな書店では到底マネできない。書店単体で接触時間を伸ばす方法を考えなければならない。本との接触時間にはやはり、取り扱いタイトルを増やすしかないだろう。 もちろん、単純にタイトル数を増やすことはできない。営業面積は限られている。そこで、既存の店舗のまま取り扱いタイトルを増やす方法として、在庫保管用に使われているスペースを再利用できないだろうか。 例えば、書店のショールーミング化はどうだろうか?これはファッションの世界でゾゾタウンが試みたケースが有名だ。店舗に見本の服を置き、試着して気に入った顧客がWEBサイトで購入するという仕組みだった。驚きの方法だったが、インストアの売上に対して家賃などを課金している百貨店サイドからの抵抗に合い、うまく進んでいない。もちろん、書店でもエキナカや百貨店といったインストアの場合は難しいが、店舗として独立しているのであれば、そのような縛りはない。 書店でのイメージはこうだ。タイトルごとに1冊だけ見本としておいておき、立ち読みし、購入したいと思った顧客が、その見本をレジへ持っていく。レジでは、ISBNコードなどを利用して、購入者の自宅へ配送する。受け取りはネット通販同様に自宅でもコンビニでも選べるようにしておくといった流れだ。この仕組みによって得られるメリットは、在庫を削減した分だけ取り扱いタイトルが増やせるほか、出版社への在庫返品の手間が減ることなどもメリットとして考えられる。 しかしながら、この方法も現実的ではない。リアルの書籍ならではの「購入後すぐ読める」という価値を失うほか、「特定の書籍をアピールする平積み」ができない。さらには立ち読みしたあと、そのままスマホ経由で購入されてしまい、ネット通販の売上に自殺点を入れてしまう格好になる恐れも想像できるからだ。リアル書店ならではの「強み」 ここまで、本と似た性質を持つ音楽業界からのヒントや、カフェなどの併設、さらには在庫スペースを利用した取り扱いタイトルの増加などを洗い出してみたが、どれも現実的には難しい。 とはいえ、電子書籍との比較にはなるが「現物としての書籍」特有の価値は間違いなくあるはずである。それは「紙であること」だ。当たり前だが、ネット通販で扱われる書籍は手に取ることができない。数ページを読むことができる「立ち読み機能」が付いているときもあるが、書店でパラパラとめくるほうが、現時点では使い勝手が良いのは紛れもない事実だ。 またネット通販には、中身の確認を補完するためにカスタマーレビューもあるが、一時期問題として巷を賑わしたように、ステルスマーケティング(ステマ)による賛同レビューはいまだ散見され、全幅の信頼がおけない状況もまだ完全に解消されていない。紙ならでは強みがあるのは、現にアマゾンがリアル店舗を出していることもその証左だ。 残念ながらこうした強みを活かした手段はまだ見いだせていない。しかし、無類の本好きの一人として、これ以上書店が減り続けるニュースは聞くに堪えない。微力ながら引き続き打開策を模索していきたい。参考記事【就活で銀行を選ぶな!】 銀行のビジネスモデルが終焉を迎える日 (酒井威津善 ビジネスモデルアナリスト)http://sharescafe.net/47617542-20160125.htmlワタミが劇的な復活を遂げる可能性が低い理由 (酒井威津善 ビジネスモデルアナリスト)http://sharescafe.net/47314916-20151224.htmlネットフリックスに見るビジネスの視点(酒井威津善 ビジネスモデルアナリスト)http://sharescafe.net/47055631-20151129.htmlモノを売らずに、「センス」を売る新しいビジネスとは(酒井威津善 ビジネスモデルアナリスト)http://sharescafe.net/44389389-20150422.htmlユニクロがゾゾタウンを買収すべき理由。(中嶋よしふみ SCOL編集長)http://sharescafe.net/46947284-20151119.html

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    週刊文春に負けっぱなしの大メディア

    ベッキーの「禁断愛」に始まり、甘利大臣秘書の口利き疑惑、イクメン議員の不倫、そして最新号はショーンKの学歴詐称疑惑…。今年に入り、世間に衝撃を与えるスクープを飛ばしまくる『週刊文春』。新聞、テレビも後追いばかりの「文春砲」は流行語になりつつある。なぜ文春だけが「一人勝ち」するのか。