検索ワード:ユーザー投稿/58件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    「慰安婦像設置」サンフランシスコを非難する日本への違和感

    著者 KEIKO サンフランシスコが反日拠点だといったコメントを耳にした。こういった偏った不用意な発言は私たちを戦争へと近づけていくのではないだろうか。  斬新な解説をするコメンテーターの言うことは時にはワクワクする。だが、政治的にその人がどういうスタンスをとっていて、その弁明によって何を目指しているのかを確認する必要も聞き手やプロデューサー側には求められる。「この人は詳しそう」というおぼろげな感覚だけで一つの意見を鵜呑みにしないという手続きは情報が交錯する時代には誰もが心得て置かなければいけないことだと思う。  過去の大きな戦争の流れをたどっていけば、必ずどこかに個人レベルでの衝突があり、それを感情的に煽る力と無言のまま支援する力が加わって大きな論争に発展しているものだ。  ましてや一個人のコメントが瞬時に何万人、何十万人、時には何百万人へと配信され、しかもその言動が記録され、好き勝手に切り取られて簡単に独り歩きしていってしまうような時代。一つ一つの発信に発信者自身もそのパワーと責任を感じ取り、慎重に選んだ言霊(ことだま)を乗せて欲しい。他人が発信した情報をシェアする人もそうだ。  あらゆることに意識を張り巡らせた解説でない限りそれはニュース報道ではなく、感情的な主観による人寄せの詭弁となる危険性がある。米大統領選を大きく動かしたといわれるいわゆるフェイクニュースは少人数の偏った目標を掲げた者たちによって発信されたが、事実確認をしないままシェア拡散する大衆の無意識の協力により大きな効果をもつこととなった。フェイクニュースの発信者はそれが簡単に可能であることを先読みしていたのだ。  本来なら世界中の人と人がつながり合い平和で楽しい世界を作るために情報交換をしていく土台であるべきインターネットが人を傷つけたり、みんなで集まっていじめたり、はたまた自殺幇助(ほうじょ)の温床となってしまうのはなんとも悲しいことだ。 サンフランシスコはカリフォルニア州をはじめとするアメリカのどの州にも先駆けて同性愛者同士の婚姻を許可した地方都市(郡でもある)だ。性や人種を超えて人権を尊重するということにかけては第一線で理想の旗を掲げている街。  有色人種も多く、アジア人だけではなく世界中からの外国人が多く住んでいるいわゆるメルティングポット(人種のるつぼ)だ。世界中の住んでみたい街のトップに必ずランキングされる理由は決して外観の美しさや、まるで空調で整えたかのような湿度と温度がほぼ一年中楽しめる気候だという事実以外に、メルティンポットだからこそのユートピアが見え隠れする街だからだ。  人口の84・5%である34・5万人が民主党に登録しており(選挙は登録制)、ジョージ・W・ブッシュ大統領はその8年間の就任期間に一歩も足を踏み入れなかったというくらい、民主党の勢力が強い都市であることは有名である。ジョージ・W・ブッシュ元大統領 日本では民主党のオバマ大統領がブッシュ大統領ほどの人気がなかったと知ってショックを受けるアメリカ人は少なくないだろう。日本政府とアメリカ共和党との強いつながりの理由はおそらく「保守」対「リベラル」のくくりの意識が導き出している中身の釣り合わない国家間友情なのだろう。保守だから自民党はアメリカの共和党と仲良くなる、逆にアメリカ側も民主党は日本の自民党とは距離を置こうという判断なのかもしれない。米国で感情を軽んじられる日本人 今回の衆院選において保守・リベラルの定義・区分そのものが混乱をきたしていたように、米国二大政党との関わり方を決定する土台となっているなら、その振り分け自体に相当の無理があるのではないかと思う。アメリカでも近年の共和党は昔の共和党とは質を異にするという人が多い。 それぞれの国に存在する各党の目指す方向性や性質は時代と世界情勢、内政の趨勢によりどんどん変わっていくのが当然である。イチかゼロの二進法でくくるべき事柄ではなく限りなくアナログで流動的な解釈やその時々に相応の対応は国を預かる者には必須条件であるはずだ。  昨年の大統領選でも明らかになったように、アメリカではいわゆる先進の都市部(海外との貿易・提携・折衝の多い地域、ITなど先進技術が発達している地域)に主に民主党支持者が多く、米国の内陸部の州であまり外国との交易がなく石炭採掘など今後温存が難しくなってきた伝統産業に頼っている地域などに共和党支持者が多いと一般的にはいわれている。 もちろん、シリコンバレーやサンフランシスコのような都市部でも一部富裕層には個人の利を重視し、共和党を支持する人たちはいるのだが、共和党支持者と民主党支持者のデモグラフィクスをみると、一般的には教育レベルや経済的格差というものも浮き彫りになってきている。 安倍総理は共和党推薦のトランプが大統領に選出されると、就任前だというのに訪米し「日本ここにありき」とばかりにまだ一般市民であるはずのトランプを無条件で祝福した。就任したトランプ大統領は個人の利益や感情をあからさまに最優先する稚拙で横暴な外交を進めようとし、他国首脳・代表から牽制され批難されるまっただ中、安倍首相は「友」を名乗りトランプ大統領のフロリダの個人資産である別荘で手厚いゴルフ三昧接待を受けた。今回のトランプ大統領来日でもトランプ大統領のご機嫌伺いに終始したことはアメリカでも報道されている。その一部始終をアメリカ国民は見守ってきた。トランプ米大統領(右)と握手する安倍晋三首相=2017年2月(共同) そういった安倍政権の方法論が世界の一国としての日本の緻密に考え抜かれた対米外交戦略であり、うまく米国を手の平で転がし国益を守り、世界全体の和平や潤滑で公平な経済へと導くようなことであれば海外からの見方も異なるはず。少なくとも日本人としては国益につながることを期待するのは当然である。 本来であればシリコンバレーやサンフランシスコ市内で展開するIT産業でゆるぎない存在価値のある経済日本のはずが、今回のようにまったく発言力がなく日本人の感情など容易に軽んじられてしまったのは、日本が自らの立ち位置を作ってしまっているというその証しなのではないだろうか。  今、アメリカはセクシャル・ハラスメントと性的虐待関連の摘発・告発でとんでもない事態になっている。女性が台頭しているアメリカで今頃?と驚く声も聴こえてくるが、1991年のトーマス・クラランス最高裁判事候補に対するセクハラ問題の議会での公聴会の様子は記憶に新しい。この問題を真剣に考えてきた者にとってはこのアメリカで目の当たりにするには衝撃的すぎる展開だった。 密室で行われるセクハラ行為を証明することは非常に困難であり、ヒル女史のように社会的地位に上り詰めている立場であったとしても、その勇気ある告発が否定され、公の場、法のもとでの尋問の辱めを告発者、アニタ・ヒル女史は受け、しかも嘘つきの烙印を押されてしまうことで、世に無数に存在するであろう犠牲者たちの証言を永遠に封印させてしまうほどの歴史的一場面だった。変革する米国社会 TwitterやFacebookなどのSNS技術が広まり、個人が自分の気持を発信しやすくなったということもあり、これまで口を閉ざし苦渋を噛み締めてきた女性たちが声をかけあい、励まし合い、この国も漸くセクハラを告発する女性が問題に公然と立ち向かえる土壌ができたといえる。映画界から始まったその告発・摘発はメディア界、政界、経済界、あらゆる分野へと波及している。「え、この人まで」と思うほどに広まり衝撃を受けるケースもある。「もう我慢はしない」「これからの子供たちのために」とそのモチベーションは様々だろうが、その勢いは留まるところがなく社会に大きな変革が訪れていることを改めて確信する昨今だ。 アラバマ州において上院議員の補欠選挙が12月に予定されているが、その有力候補である共和党のロイ・ムーアに対しセクハラ及び未成年者(最年少は14歳の時のできごと)への過去の性的虐待暴行容疑が13人の女性から告発されている。ムーア氏本人はその告発に対し「虚言だ、民主党の罠だ」と否定。しかし、過去の記録をたどると三十代のムーア氏(現在70歳)は十代の女子がよく集まったりバイトをしている地元のショッピングモールから挙動不審を理由に、当時立ち入りが禁止されていたという事実も浮き彫りになってきている。 民主党内でも上院司法委員を務め、その鋭い切り口で支持者も多い元コメディアン(サタデーナイトライブ出身)アル・フランケン氏もコメディアン時代の行為にセクハラがあったとして告発されてしまった。「面白いと思ってしたことだが」「私の記憶と彼女の記憶には違いがあるのだが、彼女の言い分を私は尊重する」と告発した女性の申し立てを即日真摯に受け止め、謝罪をした。 即刻、上院議員を辞任するべきなのではと自ら打診したが、党幹部との話し合いで今すぐ辞任する必要はないということになり感謝祭休暇の終わった今日議会に戻っている。しかし、本人自ら倫理諮問委員会による本人への徹底的な尋問を求めた。告発した女性からも「辞める必要はない。謝罪をうれしく思う」と発表があった。 その対応の差に共和党と民主党の近年のあり方が象徴されるようであるが、しかし、トランプ大統領は謝罪し即刻事態の収拾を図ったフランケン氏を指して「そら見たことか」とばかりにTwitterで非難。自分へのセクハラ・性的不適切な行為に関する十数人の女性被害者による告発も含め、ムーア氏への告発女性たちは皆嘘つきで民主党の戦略であると責任転嫁をするばかり。 今日に至っては大統領選挙戦中には謝罪会見まで行って自らの失態を認めていた、テレビ局が収録していた卑猥な会話の音声が偽物だとまで言い出す始末。ホワイトハウス報道官のサラ・ハッカビー・サンダースによれば、選挙中は謝罪が必要だと思ったからしたが、もうすでに大統領に就任しておりようやく偽物だと弁明することができたと発表している。そういった倫理に欠ける公式発表が毎日のようにホワイトハウスから発信されているのだ。定例の記者会見で記者に話しかけるサラ・ハッカビー・サンダース米大統領報道官 トランプ支持者もアラバマ州のムーア候補者支持者も一連のセクハラ・暴行容疑・告発についてまったく気にも留めない状態であり、大統領自身が容疑を抱える当事者であることから一向に事態が収束する様子はない。その渦中にある、共和党色濃いアラバマ州では何がなんでも共和党ということなのだろう、ムーア氏を支持する人たちが怯む様子もまったくないようだ。 この党だと決めたが最後、候補者の素行や言動など倫理的側面はまったく関係ないということか? だとしたら世界の世論がどうであれ、素行に問題があれ、何が何でも共和党だからトランプを支持しご機嫌をとろうという姿勢を変えようとしない日本与党の今日の外交にも共通するところではないだろうか。サンフランシスコを責めることへの違和感 アメリカがひっくり返ってしまうほどの騒ぎになっているそういったセクハラ・性犯罪・人権侵害の告発者を非難し、まるで性犯罪を擁護するかのような姿勢を取り続けるトランプ大統領の腰ぎんちゃくとなってしまっている安倍政権。人権問題についてアメリカのどの土地よりも真剣に取り組んで来た歴史の長いサンフランシスコ。そこでサンフランシスコ議会が日本の立場や見解に対して疑問を持っているのであれば、慰安婦像への日本の感情論を無視したことだけを取り上げてサンフランシスコを一方的に責めるのはどこかおかしい。 サンフランシスコの現市長は中国系アメリカ人である。中国人はサンフランシスコのゴールドラッシュ時代に西海岸沿岸に鉄道を敷く際の労働力として米国に多く移住している。私が移住してきた32年前でさえもサンフランシスコの70%の不動産が中国系アメリカ人が所有しているといわれていたように、中国系アメリカ人はこの土地に根をはり地道に自分たちの発言権を高めてきた。彼らは一度手にした土地・家屋は手放さない。たとえ手放すことになっても身内や親族に売り渡し、中国系民族が所有する不動産は着実に増やして来たのだ。 韓国人も祖国韓国が英語教育、それも聞き取りだけではなく発言に非常に力を入れている中、多くの若者がアメリカに留学し、発言力を高めている。彼らの認識が正しい、正しくないにかかわらず声高々に主張したり、プロパガンダを行う人達の声が社会には浸透する。 日系アメリカ人はといえば第二次大戦中に、祖国日本が突如起こした真珠湾攻撃の余波を浴び、ご存知のようにすべての所有物を国に没収され強制収容所へと送還された歴史がある。だから日本人からの移民者も歴史的にはたくさんこの地に根付いていたのではあるが、土地も家屋もビジネスも途中で奪われてしまいその勢力は弱くなってしまったようだ。その悲しい経緯もあるからか、日本の美徳を引き継ぐ日系アメリカ人は中国系や韓国系のアジア人とは違い、どちらかというと物静かなよきアメリカ人として社会に貢献している。 多民族・多思想を包含するサンフランシスコの公共の場に設置されるこの慰安婦像を観て何を考えるのかは人それぞれだろう。日本軍による侵略を体験した人は苦々しい思いでその当時を思い起こす人もいるかもしれない。日本軍の優しさに触れたことを思い出す人も少なくないのかもしれない。強制収容所にいた辛かった時期を思い浮かべる人もいるかもしれない。単に人権尊重の象徴として思いを馳せる人も多いだろう。セント・メリーズ公園展示スペースに設置された慰安婦像=2017年9月、サンフランシスコ 日本人の感情や理解だけでそれを観たどの民族も同じ思いを持つのではないということは理解しておくべきだと思う。  この慰安婦像が日本に対して屈辱を与え反省を促すことをその主旨としているという結論を最初に出すのではなく、まずは人間としての原点に立ち戻り、性的暴力・虐待・人権侵害ということについて考えるべきなのではないかと思う。どうしても日本への挑戦状であると考えたいのであれば、現代の日本はセクハラや性的暴行を擁護する国ではないということを徹底的に示すべきではないだろうか。 米国に進出した日本企業の日本から赴任された上司の米国人女性へのセクハラ問題、人種差別を取り上げた報道も過去には珍しくなかったように記憶している。 日本では、今なお痴漢が満員電車にあふれ、政府に近しい人材を相手にセクハラ・暴行で訴えてもまったくメディアが問題にもしない。ちょっとした会話の中でセクハラに当たる言動をしてしまっている自分に気づかない御仁も相変わらず日本には多い。必要なのは違いを認める勇気 最近は日本での綿密な取材調査をもとに、日本に住む在日外国人(特に在日朝鮮人)への陰険な差別、言語による暴力、反対運動を取り上げているアメリカ・欧州の報道もよく目にする。日本人が言葉の壁に守られながら光を当てようとしない国内での人権問題・人種差別問題を今、外から当てられる光によって明らかにされようとしているということも認識しておく必要がある。 そういった日本での人権問題を取材・調査・報道する人たちが例えばアジア系ではない場合も多い。日本における在日アジア人への差別・暴力を取り上げるきっかけが自分自身の体験したいわゆる『外人』への人種差別であるという例も少なからずあるだろう。一般的に日本人にはなかなか意識上にはあがってこないさまざまな差別意識があるということに気づくことが第一歩なのかもしれない。 いかなる側面が題材であったとしても日本の報道が海外で歪んだものにならないためにも日本はもっともっと生の言葉を発信できる国際化に努めることが必要である。国内で改めるべき問題は改め、海外で誤解されていることがあればしっかりとした正論をもって対等に主張していかなくてはいけない。媚びたり、非難したりして取り繕う時代はもう終わらせるべきだ。 サンフランシスコ市長の裁決に対し市議会で際立った反論も生まれず全員一致で可決されたこの慰安婦像設置案。日本の感情論がこれだけどうでもいい存在なのだということに対して反感を抱く前に、まずは自分の足元を照らす必要があるのだと思う。国家的感情論で論議するのではなく、国際社会の中で日本はどういう国として受けとられていて、経済的先進国としてどこを目指しているのかをじっくり見直す機会にしてみてはどうだろうか。その上で日本が正しければ国際的ステージで外交や言葉でしっかり弁明し時間をかけて実りある議論をし合える土壌と人間関係を作り上げていくべきだ。 セントメリーズ公園に慰安婦像とともに設置された碑文=米サンフランシスコ かつて無謀にも大国アメリカ、そして世界を相手に戦争をしかけたその張本人である日本。そして原爆に泣いた国、日本。敗戦の屈辱から立ち上がり、経済大国といわれるまでに復興し世界のリーダー的立場に立った日本ならではの主張をこれからは毅然とした形で見せてほしい。 第二次大戦中に無念な思いを強いられた日系アメリカ人の方々と、経済大国日本の落とし子として日本を守り続ける日本の皆さんと、第二次大戦後アメリカに進出してきた私たちとがもっと連携し、力を合わせ、世界和平と発展を担うこれからの時代の日本の立場を確立させていく必要があるのだと思う。 今、必要なのは、失敗をおそれぬ勇気、その上で得られるたくさんの経験を活かし全体を引き上げるための叡智をかざし、意見の違いを認め、包括し導いていく勇気なのだろうと思う。失敗の経験がたくさんある者は決して他人の気持ちを疎(おろそ)かにはしない。サンフランシスコ市長の判断が失敗だと思うなら、その失敗を活かしサンフランシスコ市長とともに全体が成功へと突き進める流れを作って欲しい。 そしてなによりも奇をてらう詭弁(きべん)などには目もくれず、心のど真ん中が共鳴する真相を探る人が多くいることを願ってやまない。世界和平は私達一人一人の心の中の取捨選択から始まるのだから。

  • Thumbnail

    記事

    「10・22総選挙」絶対に失敗しない候補者の選び方

    丸山清高 われわれ国民は新聞などのメディアと呼ばれるものから、情報を得ています。ここで重要なのはメディアの人々は、文章ないし文壇によって収益を得る人々だというのは紛れもない事実であると思います。 そこで「売れる内容」というのは過激な内容であることが多く、それはつまり購読者に受けるように編集されていることを意味します。ということは、当然その情報ソースの妥当性を疑う必要が発生するでしょう。そのため、そうした部分も視野に含めながら今回の選挙について論考することにしました。 選挙というものは、当然政治家の進退に関わる重要なものであり、ここで政治家が熱弁を振るうのは当然のことと思われます。その信義、信条に基づいた雄弁や一体感を醸し出す「空気」には力強いものがありますが、ここにおいてわれわれは投票という行為によって選ぶ側にあります。つまり、政治家の語る内容の冷静な吟味と、分析が必要なのです。だからこそ、選挙の時こそ国民は冷静になるべきでしょう。選挙カーから有権者に手を振る立候補者=10月10日、京都府舞鶴市(水島啓輔撮影)  現実問題として、理想的な政治家が存在すればその人に投票するのが当たり前かと思います。ですが、政治家も人間です。テレビニュースや新聞に載っているからといって、何でもできる超人ではないでしょう。そのため、現実に存在する人の中から、誰かは選ばなければならないと思います。選挙である以上、誰かは選ばないといけないのです。無投票も、構わないとは思いますがそれでは国会に影響を与えることは不可能です。一部が投票しなくとも、それでも国会は開かれ、討議は始まってしまうのです。 日本は、「偏向報道」という言葉が流行した時期に安易な批判が横行し、政権交代を経験しました。その結果、国政がわれわれの生活に、甚大な影響を及ぼすことは十分なほど認知されたと考えています。当然ですが各党、その信義・信条は異なります。個人のレベルのそれと、団体のそれとを同じレベルで論じることに問題は感じますが、それはいわば価値観の違いとも表現できるでしょう。 当然ですが価値観が異なれば、現実の問題へのアプローチが異なります。具体性を伴った個々の政策が異なるということは、例えば金融政策のような、直接的に経済に影響を及ぼすような政策が変化することを意味します。国政は、われわれの生活と直結しているのです。 そして「冒頭解散」、「加計・森友隠し」というこの2つのキーワードは、今回の自民党勢力を批判するワードになるかと思います。まず「冒頭解散」に関しては、むしろ本当に、このタイミングで良かったのではないのかと思うのです。理由は北朝鮮のミサイルに代表されるように、この国を取り巻く国際情勢というのは今後、重要な局面を迎えることになると思います。その重要な時期になってから、選挙をするのでしょうか。常識的に考えてその時になって、選挙などやっている場合ではないと思います。 加えて、国会議員というものはその任期が満了を迎えれば、どうせ選挙をするのです。まずい時期に被るくらいであれば、本当に今のうちにやってしまった方がよいのではないでしょうか。「浄化」される国政 次に、「加計・森友隠し」の問題ですが私がこの問題の情報を最初に知り得た時、その情報源は週刊誌であったと記憶しています。過激なネタと呼ばれるものは、書けば売れやすい傾向にあると言えるでしょう。この問題の、実際のところがどの程度であるのかはまだ不明瞭ではありますが、私の所感としては、かつての「埋蔵金ネタ」と同種のものではないのかという疑いを抱いています。参院文科・内閣委員会連合審査会に参考人で出席した前川喜平前文部科学事務次官(右)と加戸守行前愛媛県知事(左)=7月10日 そもそも出回っている情報の信憑性はどの程度のものなのでしょうか。その部分について検証せずに信用するのも危険かと思われます。結論として、選挙のタイミングとしてはむしろ歓迎だ。学園系の問題については、情報の信憑性自体を疑っている。ということです。 まず、今回の選挙にあたって、民進党の事実上の解党、希望の党の結党、立憲民主党の結党がありました。この状況の中で、前大阪市長の橋下徹氏が過激な発言をした対象である、いわゆる「中途半端な議員たち」つまり、その性質が疑わしい議員たちが恐らく消える結果になると思っています。正直なところ、これにより国政がある意味「浄化」されるだけでも大変有意義になるとは思わないでしょうか。 加えて注目するべきは現状存在する政党の、その構図です。現在候補を立てている政党のうち、自民・公明、維新、そして小池氏率いる希望の党、これらの党は、改憲保守勢力です。つまり、基本的には改憲の必要性を認めている勢力なのです。そして今日までの国会を振り返れば分かることと思われますが、国会内においては、単純に賛成と反対の意見の応酬を繰り返すだけで全くもって結論に至ることはありませんでした。 私はその責任は、政治家にだけあるものではないと思っています。結論が出なかった理由に、世論の影響というものがあると思います。つまり、われわれに対する意識調査からその議論が停滞する要因の一つになったということを意味しています。この意味において、また、このタイミングで選挙の運びなったことはある意味絶好の機会ともいえるでしょう。 そのため、今回の選挙の結果が改憲を考える上での参考になるのです。こうした事情が考えられるので、今回だけは絶対に投票した方がよいと私は考えています。賛成にしても、反対にしても投票率を可能な限り高い状態にすることが答えを導く上で、最も早く解決に至る近道ではないでしょうか。 ここで、改憲の必要性とは何であるのかについて整理しておかなければならないと思います。歴史の教科書に載っているレベルではありますが、下記に持論を述べさせていただきます。 そもそも、この国の憲法の由来は明治時代までさかのぼります。それは明治期に植民地化の脅威から当時の明治政府高官が、プロイセン憲法を参考に日本に取り入れたものです。これは当時の問題を解決と、日本の伝統を取り込むために行われたものです。しかし、大日本帝国憲法は、必要に迫られ用意した急ごしらえの憲法であるとも捉えることができるのではないでしょうか。改憲は歴史的な転換点 実際、第二次世界大戦中にはその前後の国粋主義の横行から、軍部の政権掌握による全体主義への傾倒を招きました。その中で、戦争を中断できなかった要因の一つに、かつての憲法に記載されていた「統帥権」の存在です。 状況に対応するために用意されたものの、欠陥と呼ぶべき要因を備えていたと見なすのは、先の大戦の結果を見れば言うまでもないと思います。そしてその後に制定され、今日まで手を加えられていない現在の憲法は連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥により影響を受けたものです。マッカーサー元帥 振り返ると、この国には「自分たちで定めた憲法」というものは有史以来、存在しなかったとも言えるのではないでしょうか。ここにおいて、われわれが民主主義の概念とその権利、自由に基づいてこれを定めることは非常に大きな意味を持つでしょう。自分たちは、自分たちで扱うための憲法を定めることができる。日本が、主権国家として完全回復したことを示すものになると思います。 次に、国際問題への対応です。冷静に考えて、戦力を保有しないとうことはあり得ないでしょう。加えて北朝鮮のミサイルのように、軍事的圧力が加わる場合、普通に考えて対策は必要でしょう。ですが必要であるにもかかわらず、現在の憲法での自衛隊の解釈は、違憲なのです。当たり前の話ですが、自衛隊は日本の国民と領土・領空、ひいては日本の主権を守るために存在しています。この矛盾した状態は、明らかに異常でしょう。 また別に、平和主義はそのまま最大限尊重すればいいのです。ただ我を通すために対話もなく武力を行使してきかねない国家があった場合には、断固として抵抗する必要があるのは言うまでもありません。 最後に、改憲は日本国の歴史的な転換点になるということです。戦後、長い間私たちの先人は、第二次世界大戦への反省を重ねてきました。ここで育まれた平和への祈りは、現在もわれわれに受け継がれ大切にされています。それは国際社会における日本国の基本的な態度に現れています。 この中で、私たちが選んだ政治家が十分な議論の元に改憲を行い、その上で平和主義を尊重することで、先人たちの育んだ平和主義の概念を伝統として受け継いだうえで、新たに平和国家としての歩みを進めるということを意味しています。今回は「政権選択型」選挙 つまり、われわれは自分たちの意志でその平和の概念と祈りの下に行動しできるということを、国内外に明確に示すことができるのです。また、これは長年にわたって、象徴天皇としての道を歩まれた今上天皇陛下の祈りを、全国民が伝統として受け継ぎ、将来にわたって独立した平和国家として歩み始めるための重要な転換点だと思われるのです。 戦争の記憶が薄れる昨今において、最も重要であるのは、この平和の概念を伝統として将来の長きにわたって受け継ぐ環境を整えることにあるとは思わないでしょうか。 上記までの内容を踏まえて、あらためてどの政党が与党を担当するべきかを考えてみますと、自民党しかないと思います。また個人的には本当に「政権選択型の選挙」になったと思っています。今回の選挙の、つまりわれわれの投票によって、選ぶしかないでしょう。そうでなければいつまで経っても、投票率の低さを言い訳に結論が出ないままになってしまうという恐れもあるのではないでしょうか。 また、経済などの問題もあります。実際のところ、理論や原則はあるものの現実の経済は生ものです。つまり、最終的にはフタは開けて見なければ分からない、という話もあるでしょう。その中で、アベノミクスは成功した。失敗した。現時点での様々な見方ができるとは思います。衆院選が公示され、候補者の街頭演説に集まった大勢の有権者=10月10日、東京・新宿駅前 ですがある意味、やったからといって確実に結果が出るとは言い難いこの分野において比較的まともなコントロールが働いているとは思えないでしょうか。その上で考えると、この取り組みを途中でやめる方が逆に危険なのではないのかと思っています。 実際、円安誘導には成功している状況にはあります。これから効果が出るのか、限界を迎えるのか。現実的な態度として、それを見守るというのが、冷静な態度と呼べるのではないでしょうか。

  • Thumbnail

    記事

    民進党の師弟コンビが仕組んだ「菅直人潰し」がエゲつない

    著者 永井文治朗 10月1日付の産経朝刊が希望の党の公認名簿原案をスクープしたのには久々に驚いた。おそらくは希望の党内部からのリークによるものと考えられる。当然、その時点で民進党議員の名前はなかったが、47人という中途半端な数字と希望の党が第1次公認として掲げていた50人超という数字には到達していないため、まさに作成途中にある公認予定者リストであろう。 ちなみに9月28日、静岡県富士市で行われた細野豪志氏の結党集会には民進党公認で出馬予定だったが離党した関係者2人に加え、参議院議員で民進党を離党し無所属になった議員も参加し、希望の党支持を訴えていた。公認名簿に名前はなかったが、無所属から参議院の希望の党へのくら替えになると考えられる。 元みんなの党代表の渡辺喜美氏は出馬断念をさせられた。これも参議院での議席確保のためと考えられる。現時点での参加留保も解党したみんなの党の元議員たちを刺激しないためだろう。がんばろうコールの後、両手を突き上げる希望の党代表の小池百合子都知事(中央)。左は樽床伸二氏、右は細野豪志氏=10月9日、東京都港区 そもそも細野氏は地元での人気が高い。仮に無所属で出馬しても苦戦はしないだろう。民進党で刺客候補の擁立を検討したが、すぐに頓挫したのも個人人気が高いためだ。結党集会では選挙期間中に地元に戻ることができても1日程度になると本人が認めている。激戦区となる地域での応援がメーンになるのだろう。毎度のことなので有権者は慣れっこだ。都知事公務で応援活動に制限のある小池百合子氏にかわって、選挙報道で毎日顔を見ることになる。 細野氏とは選挙区が隣という渡辺周氏も希望の党公認が確定している。10月1日の時点で選挙事務所に確認したところ、「希望の党での公認を予定しています」とよどみなくキッパリ即答された。少なくともリベラルではないので十分ありうるが、本人はインタビューで当惑した風を装っている。彼も相当のタヌキだ。 それにしてもいつから希望の党は準備されていたのか? 先の結党集会においては、マスコミへの公式発表前に小池氏らしきハイヒールの女性が年配議員らしき男性たちから罵倒されるのを完全無視して会見場に現れるというPR動画が披露された。さらに「希望の党」党名入りの細野氏の名刺が参加者各位に束で配布され、私も受け取った。要するに安倍総理が事実上衆議院解散を切り出した9月17日にはすでに準備万端だったのだろう。急きょ、印刷業者に発注したにしては出来すぎており、数もそろっていた。「師弟」の2人はグル? そうなると8月10日に1人で離党した細野氏の行動も予定通りで、仲間をあえて残したのも民進党の代表選で前原誠司氏を代表にするための行為だったと思える。9月24日のフジテレビの番組「報道2001」内で、細野氏が「前原氏との話し合いがなされている」と不敵に笑ったことで、師弟のつながりを持つ2人がグルだと確信し、まさにその通りとなった。 前原新執行部は山尾志桜里議員を要職に置くと発表し、すかさずスキャンダルで潰されるというのも、どこかの誰かと重なる。支持率が回復傾向にあった安倍総理が解散を決断したのもまさにそれだった。菅義偉官房長官が元首相の娘を入閣させたときの手口と酷似している。あれは潰れる前提だった。 前原氏があえて党勢の凋落(ちょうらく)を演出した。蓮舫氏と争った前回の代表選で前原氏が公約した政権与党時の反省はこういう形だ。選挙前はなりを潜めていたリベラル勢力が与党となるや正体を現し、マニフェストを反故にした上、外国人参政権などを発議し、中国に擦り寄り、官邸主導どころか官僚に丸投げせざるを得ず、良きにつけ悪しきにつけ豪腕で民主党を引っ張った小沢一郎氏をたたき出した。 東日本大震災では、外国人献金問題で揺れていた菅直人元総理が人気回復目的で迷走して現場の足を引っ張り、1番厄介な除染、残土、原発問題を細野氏に押しつけた。いよいよ政党支持率が危険域に達すると、旧日本新党から野田佳彦元総理を引っ張り出す。実のところ旧社会党勢力の数の論理と連合による仮面政党だった。野党転落後は誰も音頭を取れる者がいなくなり、方針が決められない野党にして「なんでも反対」の旧社会党化した。それでも左派マスコミの協力で打倒安倍政権といって悪質なイメージ戦略で「モリカケ問題」をアピールして支持率を下げた。衆院本会議に臨む(手前から)枝野幸男官房長官、野田佳彦財務相、菅直人首相(肩書きはいずれも当時)=2011年3月31日、国会(酒巻俊介撮影) そのように与党時代に好き勝手し民進党を迷走させた最大戦犯を大量粛清する絶好機を作ったことで結実したし、民共共闘の解消も霧散した。そうした意味では公約を実現したことになる。結局、対抗馬だった枝野幸男氏らが執行部の要職を牛耳ったが、まさに三日天下だった。 また、細野氏の「三権の長は(希望の党)公認を辞退すべきだ」という発言は明らかに「菅直人潰し」が目的だと考えられる。野田元総理も該当はするが、実際のところ無所属で出馬しても余裕で勝てるほど地元に愛されている。無所属出馬を予定している前原氏にしても同様だ。2人とも大逆風の前回の衆院選でアッサリ当確を決めてみせた。比例名簿でゾンビ復活したのは菅直人氏だけだ。そもそも民進党の看板など選挙の邪魔なくらいではなかろうか。野田元総理があえて「(細野氏の)股(また)くぐりはしない」と発言したのも猿芝居の類いではないか。なんにせよ立場が完全に逆転した感は否めない。 本当に追い詰められているのは枝野氏たちだろう。まさかここまで用意周到に民進党解体が準備されていたとは思わなかっただろうし、立憲民主党が自民や希望の候補者と拮抗(きっこう)できるかは微妙だ。マスコミの無意味な追及 こんな状況下でマスコミが執拗(しつよう)に質問を浴びせていたのが、小池氏の衆議院出馬だった。「出る」と言えば都政軽視と批判し、「出ない」と言えば首班指名をどうするのかと追及する。つまり小池氏に対する踏み絵だ。早い話、日々刻々と希望の党が繰り出す動きについて行けておらず、そこを追及するしかなかったのだろう。自民党補完勢力なのは小池氏の発言でも明白だ。小池氏がくら替え出馬をするとしたら、若狭勝氏の求心力・政治力が野心の大きさに全く伴っておらず、合流した民進党勢に党を乗っ取られるという危機感が生じたときだろう。答弁を聞いている限り、歯切れが悪すぎて絵面も悪い。腰巾着感が否めず、百戦錬磨でブラフも効かせたマスコミ対応をしてネット記事を賑(にぎ)わせている細野氏とは比較にならない。街頭演説を行う希望の党の小池百合子代表=10月10日、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) そもそも代表代行という形で若狭氏・細野氏・中山恭子氏ら結党メンバーをその地位につけ、首班指名ではそのうちの誰かの名前を書くなりすればいいだけの話だ。あるいは希望の党の議員全員で「小池百合子」と書いて全員分無効票となる。少なくとも党としての足並みがそろっていることが強烈にアピールできる。また、結党直後の政党が一度の選挙で全部ひっくり返せるとは多分、希望の党の関係者でさえも思っていない。第一、橋下徹氏は大阪府知事、大阪市長を務めたものの、結局現在に至るまで一度も衆院選に出馬せず、それなのにずっと維新の代表だった。 そうした前例があるのに無意味な追及をするマスコミの姿勢からして、言いがかりに等しいアベバッシングと暗に民共をプッシュすれば良かった状態から脱却しきれていない証拠だ。希望の党はあえて政権選択選挙の形を取ることで、まずは国会内に頭数をそろえることが目的であり、実際に民主党でも維新の会でも結党直後の選挙では躍進はしても与党になっていない。 実際のところ、希望の党は改憲について是々非々と結党集会でも主張していた。つまりは自民党、維新の会と足並みをそろえ、中身の議論を詰める準備は万端。有権者が三党のいずこに票を入れても改憲の機運は高まる一方だ。希望の党が玉虫色で稚拙な綱領を掲げざるを得ないのも誕生段階なのだから仕方ない。むしろ相当煮詰まった内容を出された方が前段の「いったいいつからこの一連の政治謀略は準備されていたんだ」ということになる。 いっそのこと護憲勢力はまとまって「護憲党」でも作ることをご検討された方が良いのではないだろうか。

  • Thumbnail

    テーマ

    矛盾と不条理だらけの日本国憲法

    安倍晋三首相は先日、今秋の臨時国会に憲法改正案を提出する意向を示した。とはいえ、国論を二分する課題だけに、是非をめぐる議論は未だ過熱しており、実現には困難が予想される。ただ、現行の日本国憲法は「矛盾」と「不条理」に満ちたものであり、改めて読めば自ずと議論の着地点が見えてくるのではないか。

  • Thumbnail

    記事

    首都東京は大丈夫か? 都議選公約に隠された3つの問題点

    著者 西村健(日本公共利益研究所 代表) 7月2日投開票。東京都議選が佳境に入っている。各党が特徴的な政策を掲げている。有権者と握手する都民ファーストの会の小池百合子代表=6月25日午後、東京都墨田区(佐藤徳昭撮影) 都民ファーストの会は「議会改革条例をつくります」「議員特権を廃止します」「『不当口利き』禁止条例をつくります」などの政治改革を先頭に掲げ、待機児童対策など小池都知事の公約とほとんど同一の内容、つまり都民目線の公約を掲げている。 他方、都議会自民党は「個人都民税10%減税」「事業所税50%減額」などの斬新な政策から「東京2020大会を起爆剤とした、日本全体の景気浮揚。全国への経済波及効果は32兆円」といった壮大な政策を提言している。 そして公明党は「鉄道駅のホームドア整備を拡充」「私立高校授業料の無償化について、対象を年収約910万円未満の世帯へ拡充」といった人にやさしい政策を、民進党は「小・中学校の給食費等を無償化」「口きき記録を公開し、補助金などの適正化を検証」など具体的かつ実施可能な政策を、共産党は「認可保育園を9万人分増設」「特養ホーム2万人分増設」といった弱者に寄り添った政策を掲げている。 それぞれの「らしさ」全開のメニューだ。その順番や書き方、まとめ方にも政党の個性が表れており比較すると面白い。こうした各党の努力については敬意を示したい。前提となる知識を持っていない人にとっては理解しやすい言葉が並び、その意味では素晴らしいものも多い。 しかし、厳しい言い方をすると、専門家の見地から見て「政策」でも何でもないものも多い。主に3つの問題がある。具体例を示しながら見ていこう。 問題1 イメージ先行の抽象的な言葉のオンパレード「教育カリキュラムの充実、多様な教育の展開」(都議会自民党)「学童クラブの充実」(都民ファーストの会) 上記の文言から何を言っているのか理解できるだろうか? 「どのように」充実・展開するのか示されていない。実際すでに行われていることをただそのまま書いているだけともいえる。東京都の各種計画を見れば近い内容は書かれている。つまり、これは方針・指針のようなもので、進め方や度合いの違いにしかすぎない。 抽象度が上がれば上がるほど公約の責任追及からは逃れられるわけで、具体性を隠す政治的な高等技術ともいえる。無用な対立を避ける必要性があった時代ならまだしも、地方自治体が指標やKPI(Key Performance Indicator 編集部注:重要業績評価指標)を掲げ、数値目標の達成度を追及される時代にこれでは困る。第2、第3の問題点とは?問題2 明確な目的が存在しない「被災地と東京の子どもたちの絆を深めていくために、スポーツを通した交流事業をさらに展開」(公明党)「議会基本条例の制定に取り組みます」(民進党)「中小企業がとりくむ職業訓練への東京都の助成制度を充実させる」(共産党) 現実問題として何のためにその政策を行うのか、どのような問題解決につながるのかということが明示されていない。このような目的がよく分からない政策や公約が存在する。空気のようにはっきりしない理念にもかかわらず、もはやそれを実施すること自体が目的になっているようにも見える。運用できない、機能しない条例や自立を促さない助成事業ほど、行政職員の時間を奪い、やる気を損ねる事業はない。問題3 行政の役割範囲を超える「『おもてなしの心』で世界中から訪れる人々を歓迎するまちを実現」(都議会自民党)「金融とITを融合した「フィンテック」を推進」(都民ファーストの会) 上記のような政策に対しては、「行政の行うべき範囲を超えているのではないか」「民間が行うことではないか」との疑問を呈さざるを得ない。都政の予算には限界がある。行政でやってほしいという要望に取り組めば取り組むほど肥大化してしまう。 政治が率先してアピールすればするほど、「時代を先行する」人気取り事業に走りがちになる。そういった事業は人目を引きやすく、体の良い宣伝材料とニュースになるからである。そうなると見た目の良い「新規事業」に予算が確保されることによって本当に必要な事業の予算が削られる。もちろん事業の見直しとセットであれば良いが実際にはそういうわけにもいかない。これらは筆者がよく見てきた光景だ。 上記の3つの問題を改めて考えると残念だと思わざるをえない。都政の基本が分かっていないのではないかという疑問を覚えるし、このレベルでは優秀な都職員をバックにする都知事に対峙(たいじ)できるとは思えない。本来の役割である都政をチェックできるのだろうか。われわれは何を求めるべきかという点を考察したい。(1)前回の都議選の公約を示した上での説明(与党)達成できた成果を具体的な数値(KPI)で示す(野党)未達成であることの理由、シナリオを提示(2)今回の公約に対しての説明 政策をなぜ実施するのかを明らかにする 政策の目標、実現のための前提条件やシナリオを明示 ということが求められるのではないだろうか。自民、公明、民進は実績を示しているので、あともう少しがんばってほしいところである。首都東京の現実を前に責任政党の今後の取り組みに期待したい。

  • Thumbnail

    記事

    施行から70年、浮かび上がる日本国憲法に刻まれた「敗戦国の烙印」

    著者 H・N おじむ(和歌山県) およそ国家において「法」と名のつく文言が自明の理として備えていなければならない要件は、私の考えるところによれば、第一に「秩序を維持するためのもの」であること、第二に「正当な手続きによって成立したもの」であること、第三に「実効性を備えたもの」であること、以上の3要件すべてを満足していなければ「法」としての体裁を成していないと判断し、それが原因となって実害が発生しているのならば改正もしくは廃止を主張するところとなります。 あくまでも「私の考えに基づくもの」とすることを前提として示せば、「法の秩序」とは主権者の利益を保護するための規範であり、必ずしも善悪を反映するわけではありません。「正当な手続き」とは主権者の承認であり、正式ではあっても必ずしも正当とは限りません。「実効性を備える」とは法の趣旨と文言が矛盾しないもので論理的に破綻しないことです。 これらの観点から現行の「日本国憲法」を思うにあたり、正直な感想を述べると「なんとまぁお粗末なものを」と自虐的なおかしさすら感じます。まず最も肝心な「主権者」は誰か? という点についてですが、以下に「日本国憲法前文」を示します。日本国憲法前文日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 この前文によって明らかにされているのは、主権者が「国民」であること、国民から信託を受けた代表者がその権利を行使すること、その利益は国民が享受することが定められています。また「基本的人権」の概念や「平和主義」の精神がうたわれ、「理想国家の実現」が宣言されています。 ただ、一国の法の権限の及ぶ範囲は、その国家の領域内のみであり、他国を規定することはできません。それにもかかわらず他国のありように言及する部分があるのは独善的で、いささか専横に過ぎるかと思われます。 一国の国内法でありながら、複数国を実効的に規定する法律が実は存在します。「アメリカ合衆国憲法」です。アメリカはいくつもの国の集合体なのです。その価値観を取ってつけたように日本国にあてはめたようなものなのですが、残念ながら日本国は合衆国ではないということに気がつかなかったようです。 合衆国仕様の法規を単一国に採用した結果、至る所で不具合が生じています。まず自国の平和を他国の善意に委ねるかのような表現は随分と他力本願的であり、自立心に欠けているとも感じます。他者に価値観を押しつけながら自らは受け身であるとは奇々怪々です。 国の定義ともいえる憲法のこのような姿勢が国民の性質に影響を及ぼしてはいないかと懸念します。自ら思考したというよりも、「言わされた感」が強いと感じています。有体に申しますと「いかにもアメリカ人の考えそうな」という印象を受けます。しかしながら第一要件である「秩序の維持」に逆行してはいないようです。第二要件「正当な手続き」を満たすのか 問題は第二要件の「正当な手続き」がなされたと見なすことが困難であるところです。一般にはあまり認知されていないようですが、現行の日本国憲法は戦後に制定された「新憲法」とは言い難く、実のところ「改正大日本帝国憲法」を「天皇が承認」し発布されたものです。1945年8月30日バタアン号から厚木基地に降り立ったマッカーサー連合軍最高司令官 しかも当時の日本は敗戦国としてGHQの占領下にあり、GHQの指導の下に臨時政府である「帝国議会」が策定し、「大日本帝国憲法73条」の憲法改正手続を経て公布されました。その経緯が、ハーグ陸戦条約43条(戦時国際法)『国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。』これに抵触しているのではないかと指摘されています。 占領下における主権者はGHQであり、具体的にはマッカーサー最高司令官ですので、その指揮の下で憲法改正が行われたことは不当ではありません。「憲法が絶対的な支障である」と判断されたのなら、いたしかたのないことです。国際社会が容認したのなら是非もなしです。「大日本帝国憲法」における主権者は天皇であるので、その承認がある以上、現行憲法の公布は不当なものではありません。 しかしながら、実施されたその瞬間から主権者は日本国民でありますので、当然、その承認を得なければなりません。ところが現在に至るまでなんとなく既成事実化した「みなし承認」で運用されてきており、正当性があるのか非常に曖昧です。 不適切な仕様が原因で生じた不具合の一例として、文言の表す意味が極めて矮小(わいしょう)なものになってしまった部分が、いわゆる「諸国民」が用いられている個所です。「諸国民の公正と信義(に)信頼して」の(に)の一文字ですが、なぜ(を)ではなく(に)なのでしょうか? 「単なる言い方の違いじゃないか、問題はない」と思われるかもしれませんが、この(に)であるか(を)であるかは、そのまま受動的(従属)であるか能動的(対等)であるかの違いです。「諸国民」とはすなわち「日本国民以外」を指し、主権者の権限の及ばない外国となります。一方、合衆国における諸国民とは各州の市民でありますのでまったく状況が異なります。 意訳をすれば「外国の善意(に)寄り添って、この命預けます」と読めてしまいます。これでは国家としての主体性を持たないことを表明する文言となっています。対等ではないかのような表現を用いながら、後述では対等であることが責務であると表明するのはどうにも矛盾していると感じます。それもそのはず仕様が不適切なのです。ガソリンエンジン車に軽油を給油したり、その逆を行って、まともに動くと考える方がどうかしているというものです。独立国家の矜持はいったいどこへ? 「押しつけでも素晴らしい憲法なのだから良いじゃないか」との意見も多数あり、それも一理あるとは思いますが、植民地であるならばいざ知らず、曲がりなりにも独立主権国家としての矜持(きょうじ)にかんがみて、そこのところを譲歩してはいけないのではないかと思えてなりません。 日本の主権のために戦った兵士のみならず、空襲で亡くなった無垢(むく)の市民や沖縄の激戦で犠牲になった幾多の命の流した血潮のしみ込んだ大地の上に今われわれが生きているのだと、そうしみじみ思うのです。現行憲法はまるで「敗戦国の烙印(らくいん)」のようなものだと、私には思えてならないのです。 まだまだ不条理の止まるところは知れません。第一章第一条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 さて、ここで確認しなければならないことは、そもそも「天皇」とは何か? どのように定義されてきた存在なのか? 「象徴」と再定義することが可能であるか? 再定義された「新天皇」に存在意義はあるのか? 畏れ多くはあってもそれを思索することを避けて通れません。 学術的な真偽は考慮せず、建前として「古事記」等に記されている日本神話の設定を受け入れることを是とした場合、初代神武天皇より第125代天皇陛下に至るまで2600年以上にわたり「父系」によって血統(皇統)が受け継がれ、その血統は日本国の創造主たる「イザナギ・イザナミ」の2神(2柱)を原初としています。 すなわち、「天皇」とは「神様の系譜を継承する存在(神様の子孫)」と定義されます。重要なのは「血統」であって「家名」や「家督」ではありません。そこが「皇室」とその他の一族との決定的な相違です。豊臣秀吉や徳川家康が天下人と成りながらもなお、自ら天皇を名乗れず家臣として官位を授かることで「成就」としたのは正に「血統」によるものです。 「血統」が象徴するものは「一族」であり、せいぜい「民族」であって「国家」ではありません。日本国民の中にはさまざまな国を出身とする人々がいます。そのような異民族の人々を「天皇」が象徴することは定義上不可能です。唯一、民族を超えて日本国民すべてを象徴することができるのは「日本国籍」のみです。 「天皇」という存在を受け入れるのであれば、それは国民より下に置くわけにはまいりません。「天皇」の呼称は「神様」と同義です。「人」にその呼称を使うのは不適当です。現行憲法以前は「天皇は元首」であり「国民は臣民」でありました。なぜならば「だって相手は神様ですもの」倫理的にそれ以外の形式はありえません。「是」か「非」か、はたまた「可」であるか「否」であるか、二者択一の問題です。 たしかにこれは「身分制度」であります。しかも「人」と「神族」であります。良いか悪いかの話ではなく「天皇」を規定している時点で「身分制度」も同時に容認しているということです。天皇と国民主権の両立には問題がないのか? 天皇と国民主権の両立には何の問題もありません。天皇以外が主権者であることは通例でした。江戸時代もそうでしたし、明治維新以降もそうでした。真に天皇が主権者であったのは平安時代までのことです。「人の世」の主権が人にあったところで、「神様」の存在が脅かされることはないからです。しかしながら、天皇の存在を認めながらも元首とせず、「象徴」という筋違いの地位に置く現行憲法の規定は、論理的に破綻しているのです。理論的合理性すなわち「理性」を欠きます。昭和天皇の署名がある日本国憲法の公布原本=2017年4月7日、東京都千代田区の国立公文書館 念のため申し上げますが、私は現行憲法の矛盾点、不条理を指摘しているのであって、「天皇」を賛美しているのではありません。私の価値観においては、「天皇」の存在は「有意義」ではあるけれど「不可欠」ではない事象です。温室の花であれば庇護の手も必要でしょうが、あえて路傍の雑草あれかしと願うからです。踏まれてもなお根を張り生きようとする雑草あれかしと願うからです。私は「人草」の末裔(まつえい)です。 正当な手続きも怪しく、論理破綻も濃厚な現行憲法ではありますが、秩序の維持だけはなんとか保っているかと思いきや、それさえもむなしく瓦解(がかい)する条文が待ち受けています。皆さんお待ちかねの第二章第九条と愉快な仲間たちの登場です。第二章第九条第一項日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 「正義」とは主権者にとっての正義であり、「秩序」とは主権者のための秩序であるので一国の国内においては絶対的な基準となり得ます。しかし、複数国を想定した場合では、それぞれの国にそれぞれの主権者が存在する以上は、相対的基準でしかなく、国際平和の基調とすることは不可能なのです。 不可能な事象を希求したところでそこには空虚しかありません。理論的にそれが可能となる状況はただひとつ、全世界が統合され統一法規の元に主権者が集約されて、「正義と秩序」が相反することなく、絶対的な基準として機能する場合のみであります。ちょうどアメリカが合衆国として成立しているようにです。 そのような目的を達成するために、武力を放棄することがいったいどんな貢献をするのか、さっぱり意味不明なのです。「○○のために、××をする」つまり目的を達成するために方策を行うからには、そこに実効性が伴っていなければ意味をなしません。 例えば「お湯を沸かすために加熱する」「空腹を満たすために食べる」などで分かるとおり熱量の問題には熱量で、栄養の問題には栄養で対処しなければ効果がありません。目的と方策は同じ要素であるか、相互互換の関係性が成り立っていなければなりません。「お湯を沸かすために歌う」では、上がるのはテンションであって温度ではありません。実効性が置いてきぼりにされている 第二項では、方策として「戦力の不保持」が示されていますので、必然的にその目的は「武力放棄」以外に効力を発揮しえません。しかしながら第一項には、2つの主題が同列に掲げられています。「国際平和」および「武力放棄」ですが、そのうちで実効的方策が示されているのは「武力放棄」のみで「国際平和」が宙に浮いた状態になっています。 では「国際平和」を目的とし「武力放棄」を方策とすることが可能でしょうか? 複数国を対象とする問題に自国の憲法の規定が実効力を持つはずもなく、残念ながら、ただの希望が記述されているだけです。結果的に「無抵抗の表明」をしている文言となっています。「外交的努力があるじゃないか!」との指摘もありますが、そこで注目すべきであるのは「国際紛争」とはいかなる状態を指しているのかです。単純化のために2国間での場合を想定して考察します。1、なんらかの事由で利害の対立が生じ、2、互いに非難しあい、3、臨界を超えて物理的衝突に至る。 「紛争」とはどの段階を表す文言でしょうか? 1には「摩擦」という表現がよりふさわしいのであてはまりません。2には「係争」というより適切な文言がある以上、それを押しのけて当てはめるのも不条理です。3「争い紛れる」とは、彼我が入り乱れ、分別の定かではない状態であり、正に物理的衝突の最中にあるという文言です。 外交的努力が意味を成すのは2の状況までであり。3の段階はその努力が失敗した事後なのです。そのような状況に無抵抗であることがどのような結果をもたらすのか想像に難くありません。無抵抗であるからには当然のことながら自衛権も放棄しているのであって、どう解釈すれば自衛隊が合法化できるのか理解できません。 個人的に極めて不本意ながら、日本共産党の違憲とする主張の方が筋が通っています。「ほら!なにもしないよ。僕を信じて!LOVE&PEACE」「日米安全保障条約があるから、いざというときはアメリカが助けてくれる」。 本当ですか? 彼らはこの国を焦土と化した人たちですよ? 抵抗もせずただ蹂躙(じゅうりん)されている者のために、肉親家族を戦場に送ることをかの国の国民が認めると本当に思いますか? 自立と独立をなによりも重んじる国の国民が? もし、私がアメリカ国民ならば、こう言うでしょう。「死にたいなら勝手に死ね!まず自ら武器を手にしてあらがえ、そうしたら一緒に戦ってやる」日本国憲法は「ポンコツ」 前段で、私は現行憲法は主権者たる日本国民の承認を得ているとは言い難いと論じました。それはあくまでも私の考えに基づく判断ではありますが、そのまま推し進めるとするならば、「国権・国の交戦権」なるものがそもそも存在しません。前文によって国民主権が確立されているからには、主権を有しているのは日本国民であって、国は行政上の義務を負っているに過ぎないからです。 権威も権利も権力もすべては国民の所有し認証する事項です。主権者の承認もなく主権者の権利を国権などと称して勝手に放棄することは秩序の破壊そのものであり、もはや「法」と名付けることに値しません。「放棄」の是非を論じているのではありません。「持ち主に断りもなく捨てるな!まず許可をとれ!!」と主張するものであります。 私は日本国憲法の可否を問うています。同じものであっても人それぞれの感性や価値観によって評価が違うのは当然です。私が検証したのは理論的不合理が発生してはいないか、論理破綻に陥っていないか、法としての体裁に欠陥はないかを考察しているのです。 その結果としてかなりの「ポンコツ憲法」であると思っているわけです。主体性を持たず、理性を失い、脅威に無抵抗であることを国是とした最高法規を、それでもなお「可」とするか、それとも「否」と断ずるかをせめて一度は国民に、その信を問うべきだと申し上げている次第です。 憲法というものは本来たやすく変えてはいけない類のものです。国のあり方がコロコロかわるようでは、どんな顔をして信念を説けばよいのでしょう。良不良を別にして70年間一言も変えずに、掲げ続けてきた日本国民の不屈の信念はなんとまぁ見上げたものだとあきれもすれば、また誇らしくもあります。 人は己の意思を他者に伝える、あるいはその逆の場合において、身ぶり手ぶりや表情やうなり声では不十分であることに気がつき言葉を生み出しました。やがてその言葉を時空間的な束縛から解放する手段として、単なる記号でしかなかった印に言葉を対応させました。文字、そして文言の誕生です。 それは人の意思を伝え人になにがしかの影響を及ぼす力を持ちます。文言はそれ自体が生命体として最低限の要素を備えているとさえ言えます。人は文言に意思を込めることによって、生命を創造するに等しいのです。 人はどのような文言を信念とするかによって、その認識にかかわらず、その文言の持つ性質に同化していきます。炎の中に身を投じるとその人が炎をどのように認識していようとも、皮膚は焼けただれ肉は焦げやがて灰となるでしょう。 国はどのような憲法を国是とするかによって、その解釈にかかわらず、その憲法の持つ傾向を体現していきます。だからこそその中身に齟齬(そご)があってはならないと私は思います。「ツッコミどころ満載!!」であってはいけないと私は考えます。あらゆる批判に耐えうる堅牢(けんろう)さを構築したまえと私は小声で申し上げます。

  • Thumbnail

    記事

    大阪市版「豊洲問題」だ! デタラメ行政が生じさせた医療空白地

    著者 宇山卓栄 東京都のデタラメな行政運営の象徴が「豊洲市場移転問題」である。だが、大阪市にも、この問題に劣らないくらい大きな問題が発生している。「市民病院跡地問題」である。両者に共通するのは、デタラメな行政が住民に大損害を与えているということだ。  今年3月、大阪市では、とんでもないことが明らかになった。ごく簡潔に、この問題の経緯を説明する。 老朽化した市民病院(「大阪市立住吉市民病院」、大阪市住之江区)の統廃合に伴い、民間病院がその跡地に誘致されることが決まっていた。2013年の橋下徹前市長時代の話だ。ところが、この民間病院の新病棟建設ができなくなった。日影(日照権)規制に引っ掛かり、既定の病床数(209床)を満たす大規模病棟建設が法的に認められなかったからだ。 平成30年3月末をもって閉院する大阪市立住吉市民病院=2016年10月28日、大阪市 毎日新聞などでは、「民間病院側の設計ミス」で日影規制に引っ掛かったと報じているが、これは事実と異なる。民間病院のミスではなく、市行政の過失が原因である。  大阪市健康局は、跡地の指定区域に、日影規制で209床もの大規模病棟を建てられない予見可能性を持ちながら、この民間病院の提案スキームを2015年8月に受け入れた。日影規制の障壁があり、新病棟建設ができないということを、健康局が吉村洋文市長(橋下氏の後継者)に報告したのがなんと、1年後の2016年9月である。「1年間、いったい何をやっていたんだ!」という話である。議会には、11月まで報告はなかった。  この1年間、厚生労働省の認可を得たり、市民病院の府立病院への統廃合の予算を通したりしている。しかし、結局、指定区域に新病棟が建てられないという結果となり、当初のロードマップに大きな狂いが生じはじめたのだ。 こうしたゴタゴタの中で、5月17日、民間病院側が誘致計画そのものから撤退することを表明した。民間病院としても、市のズサンな対応に業を煮やしたというところだろう。市は跡地の病院誘致を断念し、跡地の売却などを検討している。 この病院は大阪市の地域(住之江区など)の小児・周産期医療の主要な部分を市民病院が担っていた。今後、医療空白が生じ、それらの小児・周産期医療を代替する医療機関はこの地域からなくなってしまう。これは地域住民にとっての大きなリスクだ。  3月の市議会で、自民党の山本長助市議がこの問題を徹底追及した。山本市議の調査によって、市健康局が市民病院の跡地で、タイトな日影規制が掛かっていることを以前から認識していたことを裏付ける書類も出てきた。  当初、吉村市長も健康局も、上記の民間病院の建設スキームの選定に対し、日影規制を認識していなかったと主張していた。しかし、山本市議の手厳しい追及もあり、3月17日の市議会民生保健委員会では、吉村市長が「日影規制を知り得る機会があった」と答弁。  また、市は一連の経過について内部調査を実施し、その報告書で「選定段階で図面提出が義務づけられていなかったことに起因する」として、上記民間病院を選定した市に過失があることを認めた。  今後は、この行政過失がどのような背景から生じたのかを情報開示させるとともに、どこに責任が帰属するのかを明らかにしなければならない。  東京をはじめ、他の府県の方々に、われわれのこの大阪の問題が分かっていただきたいと思う。大阪府庁は「森友学園問題」、大阪市役所は「市民病院跡地問題」をそれぞれ抱えている。今、大阪はメチャクチャである。 行政が怠慢で不作為、意思決定がズサン。こうしたことは豊洲問題を抱える東京都庁も同じであろう。行政機構におけるガバナンスがまるで利いていない。怠慢な文学者気取りの知事やポピュリズム市長に加え、行政のチェックもできない無能議員を選んだ有権者が結局、こうしたツケを払わされる。そして、役人たちは大手を振って、「役人天国」を満喫し続ける。 

  • Thumbnail

    記事

    現役信者がすべて明かす 「生長の家」は本当に左傾化したのか?

    著者 日野智貴 平成28年6月、生長の家は「与党とその候補者を支持しない」という声明を出し、「反安倍政権」との立場を明確にしました。 生長の家はかつて、「優生保護法」の廃止(反優生学・反堕胎)を目的に「生長の家政治連合」を結成し、「大日本帝国憲法」の復原・改正や靖国神社の国家護持を訴えるなど、「保守」の立場を鮮明にしていました。しかし、「反安倍政権」の声明以降、ネット上では肯定派・否定派ともに「生長の家は左傾化した」という論調が盛んになっています。 ネットだけでなく雑誌『SAPIO』の29年3月号でも、反政権側の宗教もいくつか「保守」に分類しているにもかかわらず、生長の家を「リベラル派」の宗教としていました。 安倍政権を支持する生長の家の別派の中にも、ネット上に「今の生長の家は左傾化した」とか「共産党を支持するようになった」という書き込みをされている方もおられます。私は、生長の家の現役の青年会の会員で、組織内での活動もしています。また、今年の2月から3月にかけて、生長の家宇治別格本山で1カ月間「研修生」として修行していました。 その私からすると、今の生長の家が「左傾化」したという外部からの評価は意外でした。別派の中には私のことも「左翼学生」として名指しにされている方もいますが、どうしてそのような誤解を生むのか納得できない面もあります。  私は、ブログに『大日本帝国憲法』の復原・改正を訴える文章を掲載したり、保守系オピニオンサイトに堕胎や野党共闘に反対する記事を寄稿したりしたこともあります。私の主張は決して「左翼」とはいえず、むしろ「右翼」的なものであると自分では思っています。 宗教団体の教義や活動は外部からは分かりにくい面もあるでしょうから、ここでは内部から見た実態を伝え、本当に生長の家は「左傾化」しているのかを考えていただきたいと思います。 私が生長の家宇治別格本山の研修生であったころ、毎朝「早朝行事」と呼ばれる時間がありました。朝4時45分に起きて「宝蔵神社」という生長の家の神殿に行き、そこで祈りとお経の読誦を行った後、境内の清掃をするというものです。本山の職員と研修生には参加が義務づけられており、一日の始まりの重要な行事として認識されています。 その「早朝行事」では必ず、境内清掃の前に「皇居遥拝(こうきょようはい)」を行います。しかも、生長の家の行事で「最敬礼」を行うのは、「神想観(しんそうかん)」という祈りを行う場合を除くと、この早朝行事での皇居遥拝の時だけなのです。 また、毎日午後1時になると「幽斎殿(ゆうさいでん)」という建物で天照大御神(あまてらすおおみかみ)・住吉大御神(すみよしおおみかみ)・塩椎大御神(しおつちおおみかみ)の三柱の神様を前で神想観という祈りを捧げます。生長の家で天照大御神を祀っているのはここだけなのですが、この幽斎殿で行う神想観は他の場所とは文言が異なる特別な神想観であり、いかにここでの祈りが重要かを示しています。生長の家の教義の原点は「天皇信仰」にある さらに、早朝行事での国旗掲揚と夕食時の国旗降納の際には、国旗に向かって起立し国歌を歌います。夕食では多くの職員・研修生が食堂にいますが、食事中であっても食事を中断して食堂の中から国旗掲揚台のある方角に向かって起立し、「君が代」を歌うのです。一体、これのどこが「共産党を支持する新興宗教」「左傾化した教団」の儀式なのでしょうか? 他にも、大東亜戦争の戦没者に祈りを捧げたり、全国流産児無縁霊供養塔で水子さんたちにお経を読誦したりと、左翼団体の人間には死んでもしたくないであろう儀式がたくさんあります。このような実態を知らずに「生長の家は左傾化した」とか「今の生長の家はエコロジー左翼」などと評価するのは、誤解と無知からくる偏見にすぎません。 今の生長の家が地球環境問題に取り組んでいるのも、生長の家における「天皇信仰」の教義が原点にあります。 生長の家では天皇を天照大御神の化身であると捉えており、そして天照大御神は単なる太陽神であるのみならず、全宇宙を遍く(あまねく)照らす毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)であって、宇宙の大自然と一体にして中心者であるとされています。 したがって、大自然と天皇陛下が一体であるという信仰的立場から地球環境問題に取り組んでいるのであり、決してエコ・フェミニズムなどの左翼思想に染まっているわけではないのです。 事実、神武天皇以来の歴代天皇陛下が天地の大自然の神様に祈りを捧げて来られたことは紛れもない事実であり、ハゼの研究で高名な今上天皇陛下も自然環境に多大な関心を払われていることは広く知られていると思います。 また、昨年、皇后陛下は誕生日のおことばで、「ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がかない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。(略)日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています」と述べられ、天皇・皇后両陛下が環境問題に関心を持たれていることを改めて示されました。 このように、環境問題と尊皇愛国の精神とは全く矛盾するものではなく、生長の家が環境問題に精力的に取り組んでいるからと言って「エコロジー左翼」などと評するのはナンセンスです。 むろん、世の中には「右翼」と「左翼」の定義についていろいろな考え方があるのは承知しています。しかし、上記で述べたような今の生長の家の実態を知った上で、本当に生長の家が「左傾化」したといえるのでしょうか? これを読まれた皆様には偏見を持たずに考えていただきたいと思います。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ韓国は110年前の「竹島」編入に抗議しなかったのか

    茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人) 日本と韓国との間の竹島(韓国名、独島)領有権論争において、韓国側(韓国の政府、学者、マスコミなど)は、日本の領土である竹島を不法占拠しているという事実を認めるわけにはいかないので、「独島は韓国の領土だ」と言うためにありとあらゆる「うそ」(こじつけ、客観性を欠いた自分勝手な解釈)を繰り出している。その中から、本稿では「韓国は日本の竹島領土編入に抗議したくてもできなかった」という主張についてその、うそを明らかにしてみたい。 日本が竹島を公式に日本の領土としたのは1905年の閣議決定(1月28日)と島根県告示(2月22日)を通じてだ。そして、竹島(独島)が日本領となったことを韓国政府中央が知ったのは、それからおよそ1年後の1906年5月のことだった。もし、韓国政府が日本の竹島領土編入に異議を提起するとすれば、それは1906年5月以降に可能となったということになる。 ところで、その半年ほど前の1905年11月17日に日本と韓国(大韓帝国)との間では第二次日韓協約が結ばれて韓国の外交権は日本に接収されることとなり、韓国は事実上日本の保護国となった。第二次日韓協約は乙巳の年に締結されたので乙巳条約とも言われ、また韓国では「勒(くつわ)」を掛けるように強制的に結ばされたという意味から「乙巳勒約」とも言われる。 この協約では、第1条に「日本国政府は、東京にある外務省により今後韓国の外国に対する関係及び事務を監理指揮する」と、また第3条には「日本国政府は、その代表者として韓国皇帝陛下の下に統監(レジデントジェネラル)を置く。統監は、外交に関する事項を管理するため京城に駐在し親しく韓国皇帝陛下に内謁する権利を有する」とある。初代統監は伊藤博文が1906年3月から1909年6月まで務めた。日本と韓国との領土問題になっている竹島 竹島領有権論争が進行中の現在、韓国側の学者・研究者からは、この第二次日韓協約を理由として「韓国は日本による独島侵奪に抗議したくても、外交権を日本に押さえられていたから抗議ができなかった」という主張がしばしば言われ、日本の竹島編入を非難する一つの材料となっている。二、三の例を挙げよう。 1905年の島根県編入措置は、日露戦争中、韓半島侵略過程で行われたものであり、すでに確立した大韓民国の独島領有権に対して行われた不法かつ無効の措置である。韓国は日本の措置について気付いて、即時「独島が韓国の領土である」ことを再確認したものの(1906年)、乙巳勒約(1905年11月)によって外交権が奪われた状態だったため、外交的抗議の提起ができなかったのである。(東北アジア歴史財団「日本外務省の独島領有権主張に対する反駁文」2008年) 韓国政府が日本政府の独島侵奪決定の事実を知ったのは、1906年3月28日でした。鬱島郡守の沈興澤はこれを知るや「本郡所属独島が日本の領土になったと日本人たちが主張している」と江原道観擦使に報告し、江原道観擦使は中央政府に報告しました。これに対して、韓国政府内務大臣は直ちに独島領土侵奪を断固として否定し、「独島を日本領土とする主張は全然理がない主張で、甚だしく驚愕するところだ」と抗議しました。 議政府の参政大臣(総理大臣署理)は、「独島の日本の領地云々は全く根拠のない主張」と強力に抗議し、日本人の動きをさらに報告するように訓令しました。しかし、韓国中央政府のこのような抗議は、日本政府に外交文書として発送することができず、書類としてだけ奎章閣に保管されることになりました。何故ならば、日本が1905年11月18日に乙巳条約を強制して韓国政府の外交権を奪ってしまい、1906年1月からは日帝統監府が韓国政府の外交権を行使したからです。しかし、韓国政府がこの時強力に抗議したことは証拠が残っている事実でした(シン・ヨンハ(独島学会会長 ソウル大名誉教授)『世界人が独島問題を理解するための16のポイント』)。海軍望楼の跡地売買事件 一方、日本は露日戦争を経て重要性を悟ることになった独島に海軍望楼を建てて無線電信を設置しようと、1905年1月28日独島の日本領土編入を決める。後にこの事実を政府が知って反論するが、乙巳勒約で外交権を剥奪されていて抗議するには不適当だった(「独島」(『韓国民族文化大百科』))。 このような「独島日本領編入を知った韓国政府はそれに異議を提起しようとしたが第二次日韓協約のために不可能だった」という説明は、「日帝の悪辣さ」を強調したい韓国の一般世論の中では大変に受け入れられやすいもので、韓国における「独島問題」の理解としてほぼ常識となっていると見てよいだろう。 しかし、竹島問題に関する韓国側の他の諸々の主張と同じく、これもうそなのだ。そう言える理由として、本稿では「海軍望楼跡地売買事件」、「早稲田大学学長処分要求事件」そして「ハーグ密使事件」について述べることとする。竹島の位置 この件は、島根県竹島問題研究会の第2期「竹島問題に関する調査研究」最終報告書中の「韓国政府による竹島領有根拠の創作」という論文で紹介されていて、出典などもそこに記載されているが、1905年12月の蔚珍郡竹辺浦(当時は江原道、現在は慶尚北道)という場所における土地売買の話で、不用となった日本海軍の望楼を購入した日本人がその土地も併せて買おうとしたことがあった。ところがそれは不法売買に当たると判断されて、現地の郡守から内部(内務部)大臣、李址鎔に報告が上げられた。その報告を受けた内部大臣、李址鎔は、1906年2月26日付けでさらに参政大臣、朴斉純へ報告して対処を求めたのだが、その文書の末尾では次のように要請されている。 この報告に基づき調査をしたが、蔚珍郡竹辺浦の望楼は日本海軍が軍用にしばらく駐屯していて既に撤収したのであるが、今、日本商人の高賀亦次が望楼長の高橋清重から私的に買い取ったというのは法律に違反するものでいかにも理に合わないことなので、ここに報告するので内容確認のうえ速やかに交渉され、即刻禁止させてそれを明示されるよう願う。 つまり、日本人が不法な土地売買をしているので日本側と交渉をして禁止すべきだと言っているのだが、それは、当然ながら、そういうことが可能だという認識が前提になっている。そして、この要請を受けて参政大臣、朴斉純は実際に日本側(統監府)に事情を照会した。その往復文書は確認されていないが、照会の結果を参政大臣、朴斉純から内部大臣、李址鎔に回答した文書がある。全文を掲げる。 《貴第3号照会を受けて、蔚珍郡竹邊浦の望楼と土地の私的売買禁止の件について統監に照会し回答を得た。回答は次のとおりである。先月14日、蔚珍郡竹邊浦の望楼売却について貴第13号照会を受け取ったが、その照会に基づき日本の佐世保海軍鎭守府に文書を送って事実を調査したところ、その報告によれば、その望楼用の建物と設備は代金收納後に全て他人に譲渡することとし、佐賀県人である古賀亦次に売却した。昨年12月27日に既に代金を受領したがその敷地は売却していない。以上回答するので承知されたい。このような照会結果であったので、内容を確認されたい。1906年4月17日 議政府参政大臣 朴斉純より 内部大臣 李址鎔閣下へ》 このように、参政大臣から事情照会を受けた統監府は本国に問い合わせた上で「土地は売っていない」という調査結果を韓国政府に回答し、その回答でこの一件は落着した。これは第二次日韓協約によって韓国政府の外交権を日本が接収した後のできごとだ。日本人による不法な土地売買が行われていると判断した韓国政府の大臣は、一人は「即刻禁止させてくれ」と意見を述べ、もう一人は日本側に対して事情照会を行った。その形式は「照会」(問い合わせ)なのだが、本件の場合は「不法なことがあっているようだから事情を確かめたい」という意味なのだから、その本質は立派な「抗議」だ。 そもそも、外交権が押さえられたといってもそれは第三国との関係においてそうだということであって、それが韓国は日本に対して何もものが言えないということに直接つながるわけではない。当時の日本と韓国との間には、基本的には日本のほうが強いという力関係の差はあったとしても、ここに見られるような普通のやりとりは行われていて「抗議」に類することも可能だったのだ。「抗議したくてもできなかった」 そして、この二人の大臣はこの翌月(1906年5月)に「鬱島郡所属の独島が日本領になった」という現地鬱陵島の鬱島郡守、沈興沢からの報告に接することになる。先に引用したシン・ヨンハ氏の『世界人が独島問題を理解するための16のポイント』でも紹介されているのだが、沈興澤の報告を読んだ内部大臣、李址鎔は「独島を日本領土というのは全然理がないことで、甚だしく驚愕する」と反応し、参政大臣の朴斉純は「独島領地の件は事実無根のことだが、その島の状況と日本人の行動を更に調べて報告せよ」と指示した(5月10日)。 ここでは、二人とも日本の竹島編入には異議があるという姿勢を見せているのだが、結局は日本に対して抗議が行われることはなかった。韓国の論者の説によるならば、外交権が日本に押さえられていたから内部大臣、李址鎔も参政大臣、朴斉純も何も言えなかったのだということになるのだが、その直前の時期に二人の大臣はその判断によって日本側に対する事情照会を行っていたのだから、竹島編入に異議があったのならば同じように事情照会くらいはできたはずなのだ。だが、日本に対する具体的な反応は何もなかった。 結局、この土地売買事件の顛末からは「抗議したくてもできなかった」という現在の韓国側の主張がうそであることが分かるし、抗議しようと思えばそれは可能であったのに結果として竹島については抗議がなかったのだから、それは抗議する必要がないと判断されたことを示していることになる。  初代韓国統監、伊藤博文と韓国政府の大臣たちとの間では韓国施政改善協議会という韓国の政務運営に関する協議の場が設けられていた。その記録が残されているのだが、第13回(明治40年(1907年)4月5日)の議事録に興味深い記録がある。 その二日前に韓国の新聞である大韓毎日申報が「日本の早稲田大学校において討論会を開き、韓国皇帝に対して華族の称号を奉呈することの是非を決議したため、同校の韓国学生は忿痛を抑えることができず全員退学したという。大韓臣民の無限の痛恨はむしろ死んだほうがましであろう、等々」と報道した。これが問題になったのは、おそらく、仮にも一国の皇帝の地位にある者に対して「華族」というレベルの称号を議論するのは非礼にもほどがあるということだと思われるが、第1313協議会において韓国政府の大臣たちはこの新聞記事を取り上げて統監の伊藤博文に善処を求めた。当日の出席者は統監府側は統監の伊藤ほか一名、韓国政府側は参政大臣の朴斉純、内部大臣の李址鎔のほか度支部大臣、法部大臣、学部大臣、軍部大臣、農商工部大臣の名前がある。伊藤博文首相 統監の伊藤に対して、最初は軍部大臣が「もし日本で果たしてこういう事実があったのならば、本件について統監閣下の御考慮を煩わせたく思います」と非常に婉曲な言い方で伊藤に訴え、度支部大臣も「私たちは遠隔の地にあって日本の事情は詳しく分かりませんが、もし本当にこの記事のとおりの事実があるのならば閣下の御注意を煩わせたく存じます。こういう事件は両国の交誼に影響を及ぼすことすこぶる大であります」と同趣旨を述べた。 これに対して伊藤が、この件は日本政府や官吏の行為ではなくて書生の空論に過ぎない、書生たちの間では放言は往々にしてあるものであって政府が一々これを取り締まることはできない、思慮のある日本国民はこんなことは考えないなどと述べてことを収めようとしたのに対して、軍部大臣が今度ははっきりと「もしこの新聞が伝えるような事実があるのならば、責任者たる早稲田大学の校長以下に対して相応の処分を加えていただきたい」と求め、内部大臣の李址鎔も「もし学校が討論を許したのであれば、責任者たる校長などにしかるべき筋から注意を与えていただきたい」と重ねて要求した。 自分たちにとって承服しがたいことがあったから関係者の処分を求める、というのは「抗議」そのものだろう。これは韓国政府が日本の竹島領土編入を知ってからおよそ一年後のできごとだが、そういう時期でも韓国政府は日本側に対して必要と思えば要求あるいは抗議ができる状況にあったことが分かる。「外交権が剥奪されていたから日本に対して抗議ができなかった」などというのは根拠のない思いつきの反論に過ぎないのだ。 ハーグ密使事件はよく知られている歴史上の事件で、1907年6月15日からオランダのハーグで開催された第二回「万国平和会議」に韓国皇帝高宗の密命を受けた3人の韓国政府関係者が参加しようとした事件だ。すなわち、韓国政府が日本の竹島編入を知ってから約一年後のできごとだ。密使たちは、世界各国に日本による韓国支配の不当性を訴え、第二次日韓協約が無効であることを列強に承認してもらうことによって日本に奪われた外交権の回復を図ろうとしたが、列強の支持を得られず失敗に終わったとされる。 ハーグに到着した李相卨、李儁、李瑋鐘の3人の密使は、まず日本以外の参加国に「控告詞」という文書を送り、日本による韓国の外交権接収を批判して各国の賛同を得ようとした。「控告詞」では、日本に対する告発の理由を3点挙げた。日本が韓国皇帝の合意を得ずに行動したこと、目的達成のために韓国政府に武力を行使したこと、韓国の国法と慣習法を全て無視したこと、の3点である。また、「日本の策略によって、私たちの間に維持されて来た友好的な外交関係が断絶され、恒久的な極東平和が脅かされるようになりました。独立国家である大韓帝国が、どうしてこのことを認めることができるでしょうか」という言葉もある。 そして、「日本人不法行為」と題する付属文書では、第二次日韓協約の締結に至る過程で伊藤博文と日本軍がいかに横暴にふるまったかということを中心に、種々の日本の行為の「残忍さ」と「野蛮さ」が非難された。いくつか挙げれば、日本人たちは宮殿を不当に占拠して大臣たちに恥ずべき条約の締結を強要した、抗議して自決した高官たちもいる、日本の陰謀に反対するデモを武力で解散させ、そのとき多数が死に、あるいは負傷した、日本に魂を売った一進会を組織して多くの者を高額で買収した、平壌に住むある貧しい農夫は僅かの土地を日本人に取り上げられて自殺した、ソウルと義州間の軍事鉄道建設で付近の農民、女子供まで駆り出され、鞭で打たれながら報酬もなく働かされた、宮殿に入る者たち全てに女性も含めて裸にして身体検査をした、というようなことが非難されている。不法ならなぜ列強に訴えないのか だが、これだけのことを書きながら、そこに「日本は韓国の領土である独島を奪った」という指摘は一言もない。これは、現代の韓国の独島主張に照らせば実に奇妙なことだ。密使を派遣した皇帝高宗は、とにかく日本の圧迫・干渉を排除したいと考えて日本が韓国を蹂躙(じゅうりん)しているという形でその不当性を訴えさせたわけだ。それならば、日本が辺境の一小島とは言え、れっきとした韓国の領土を不法に侵奪したのであれば、なぜその行為を列強に訴えなかったのか。 「領土を奪う」という行為ならば、先の「控告詞」にある「独立国家である大韓帝国が、どうしてこのことを認めることができるでしょうか」にまさにぴったり当てはまるものとして列強諸国の関心を引く度合はより高かっただろう。だが密使たちはそんな指摘をしなかった。 これが何を意味するかは明らかだろう。現代の韓国の研究者たちは抗議したくてもできなかったというのだが、ハーグ密使は完全に日本に対して秘密裡に準備されたのであって、一切日本に気兼ねすることなく思う通りのことを発表することができた。それなのに竹島(独島)について何も言わなかったというのは、日本の竹島領土編入は韓国にとって何も問題とすることではなかったからなのだ。日本が領有権を主張する「竹島」(ロイター)  以上のように、日本の竹島編入の事実を知った前後の韓国政府は、日本に抗議をしようと思えばそれができる状態にあった。しかし、抗議はしなかった。それもそのはずなのである。筆者は、以前にこのiRONNAに投稿した文章(「韓国は110年前に竹島の領有権を放棄した? 謎多き「石島」の真実」)で、日本の竹島編入には韓国政府も異議がないという形で竹島問題は1906年に既に決着していたことを述べたことがある。 「独島が日本の領土になった」という報告を受けた内部大臣、李址鎔と参政大臣、朴斉純は、最初は日本の決定に疑義を持ったのだが、改めて検討した結果、異議をいうべきものではないことを理解したのだった。したがって、結局この二人が抗議をしなかったのも、またハーグ密使が「独島」について何も言わなかったのも当然のことだった。 心優しい日本人の中には「日本から圧迫されていたから抗議したくてもできなかったのだ」などと言われると「なるほど、そうだろうな」と思ってしまう人もいるかも知れない。だが、竹島問題に関して韓国側の論者のいうことはうそばかりだ。それは、韓国が竹島を不法占拠しているという事実を何とか合理化しなければならないので、勢い無理な説明を繰り広げることになるからだ。 なお、韓国政府はこれまで公式の主張としては「抗議したくてもできなかった」ということは言っていないようだ。だから本稿のような指摘は意味がないという見方もあるかも知れない。だが、韓国政府は「独島は、こうした日本による韓国の主権侵奪過程の最初の犠牲でありました。1905年、日本による独島編入の試みは長きにわたって固く確立された韓国の領土主権を侵害した不法行為であるため、国際法的にも全く効力がありません」(韓国の美しい島、独島)というふうに日本の竹島編入を強烈に非難する一方で、当時の韓国政府がそれに抗議したという事実は示していないのだから、「では、なぜそのときに抗議しなかったのですか?」という問いは有効に成立する。 そして、実際に抗議した事実を提示できない以上、その質問に対する回答の選択肢は、「抗議したかったができなかった」と言うか「自分の意志としてしなかった」と言うかのどちらかだ。だが、おそらく韓国政府はそのどちらも口にすることはできない。前者は、そういう状況ではなかったことは韓国政府も分かっているだろうし、後者は、それこそ日本の竹島編入に韓国政府も異議がなかったことを認めることになるからだ。

  • Thumbnail

    記事

    「国債亡国論」に騙されてはいけない

    著者 Don Giovanni  蝸牛庵居士と墨堤居士は、ともに東京の下町に住む知合いである。二人は永い付合いであり、いわば親友である。時々暇をみては(実はいつも暇なのだが)お茶を飲みながら雑談を交わしている。筆者のDon Giovanniがそれを傍で聴いていて文章にまとめてみたというわけである。なお、蝸牛庵(かぎゅうあん)は幸田露伴の旧宅、墨堤(ぼくてい)は言うまでもなく向島の隅田川堤のことである。二人の老人はこの墨堤の近くに住まっている。雑談 その1 蝸牛庵居士(以下K) やあしばらくですな。お元気ですか。 墨堤居士(以下B) やあやあ、なんとかやっていますよ。ただご近所のみなさんはすっかり歳を取ってしまい、だんだん元気がなくなってきていて心配です。世間全体でも老齢化が進んでいるようで、この国の将来がどうなっていくのか心配ですよ。 K そうですなあ。われわれが若い頃は、世間は活気に満ちていてみな忙しそうに飛び回っていたが、今はすっかり様変わりしたように見える。景気もはっきりしないので、みなさんじっと耐えて我慢をしているようだ。私は永く当地でささやかな料理屋をやっているが、商売はさっぱりだよ。墨堤さんは学生時代に経済の勉強をされてきたというし、また大きな会社の経営者としての経験もあるので、このデフレがどうなっていくのか解説していただけませんか。 B 1980年代のバブルがはじけて日本経済は今までの記録にない長期にわたる低迷を続けている。国全体の所得を表すGDPは1997年をピークとしてそれ以降一度もその水準を上回っていない。いわゆる「失われた20年」という長期のデフレーション(物価の継続的な下落と不況)が続いている。 2012年末の自民党政権の復活によって新しい経済政策が実行に移された。アベノミクスである。当初は為替、株価の回復が見られ政策は成功に向かっていくと期待されたが、ここへきて政策の中核をなすリフレ策の効果の限界が確かになってきている。このままではデフレからの脱出は絶望的であり、強力な財政政策の出動が必要との見方が有力である。期待される財政出動の額は最低でも年15~20兆円規模であり、かつそれを数年続ける必要があると見られている。 しかし7月末に発表された経済対策案によると、いわゆる真水による追加の財政支出(主として公共事業)は2~3兆円規模に留まりまったく不足である。これでは個人消費の回復や企業の設備投資意欲の復活などは到底望めない。 K 本当に大胆な財政支出が必要ということならば、もっと思い切ってやったらどうなのかな。それができない訳でもあるのかな。「国債亡国論」の嘘 B 根本的には財政支出に限界があるとされていることが問題だ。国債発行残高が1,000兆円を超えており、財務省を中心にして、これ以上財政赤字を続けるわけにはいかない、いわゆるプライマリーバランス(PB)ゼロを早急に達成しなければならないとの声が根強くある。これを「財政均衡主義」と言っている。また以下では国債の増加を制約すべしとの主張を「国債亡国論」と言うこととしたい。 しかし、国債残高の累増によって、わが国全体あるいはわが国の財政が破綻することはありえないということが今やはっきりしている。ここがポイントである。この辺のことは、現時点では遺憾ながらまだ多数意見とは言えないが、次第に認知されつつある。具体的には以下の方々の著述を見れば分かる。また他にもそういう考えの論者はおられると思う。蝸牛庵さんも一度勉強してみてはいかがかな。 三橋貴明氏、藤井聡氏、青木泰樹氏、島倉原氏、小野誠司氏、青山繁晴氏、田村秀男氏、中野剛志氏、菊池英博氏、高橋洋一氏、R.Koo氏などである(順不同)。 K 安倍総理や官邸はこうした事態を理解しているのだろうか。理解しているのならば、強引にでも旧来の考えを捨てて積極的な財政政策に踏み込んでいったらどうなのか。安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=12月20日、首相官邸 B 最近の安倍総理や副総理の麻生財務大臣は理解しているようにも見える。 2016年6月に出版された藤井聡京都大学教授による「国民所得を80万円増やす経済政策」が具体的な提言を示している。藤井教授は内閣官房参与であり、また本書に対して安倍総理は「日本経済再生に必要な、具体的かつ実践的な提案だ」と述べている(本書の帯を参照)。しかし永年にわたって流布された「国債亡国論」の嘘を蹴散らしていくのは容易なことではない。「嘘も100回言えば本当になる」と言うが、今ではほとんどすべての人々が「国債亡国論」は真実であると信じている。 財務省だけではなく、政治家、日本銀行・経済界の指導者層、経済学者、評論家・エコノミスト、マスコミには「国債亡国論」が根強くはびこっている。またほとんどの国民は国債の累積がいずれ国を滅ぼすと信じている。すなわち事態はそう簡単に動くとは考えられない。 K 財務省が「財政均衡主義」や「国債亡国論」の中心にあるようだが、どのような背景・理由によるのだろうか。 B 財務省はもともと国(中央政府)のお金の管理をするのが使命の役所だから、始めからお金に関して保守的な考えを持っていることが当然でそれが伝統になっている。まあ自然の成り行きである。財政均衡主義と言われる考え方である。 K しかし時代・環境が変わったわけだから、そういう考え方を変えさせるわけにはいかないのだろうか。エリートにとって借金は辛い話 B かねて知り合いの某記者から聞いている話をしよう。彼は長い間官界の担当をしていてその実情に詳しい。以下に述べるように、蝸牛庵さんの期待するようにはいかない事情・経緯がある。 財務省の伝統としてその幹部はほとんど東大法学部出身の優等生で構成されている。在学中に司法試験合格、外交官試験合格、国家公務員試験合格(かつ順位一桁以内)といったキャリアが尊ばれている世界である。彼らは小学生の頃から優等生であり、いつも周囲から羨望と尊敬を集めてきた経験に満ちている。その結果強烈なエリート意識と権力意識を持っており、自分たちこそが財務省の仕事を通じて国を動かしていくのが当然だという野望と信念を持っている。そして阿呆な話だが、世の中はそれを認めている。財務省=東京・霞が関 財務省の仕事の中心は財政資金の配分(予算案の作成)と財政資金の収集(税金の徴収)である。そしてこのことこそが財務省の権限の源泉である。そして国債残高が累増していくことは、そうした仕事にとって決して好ましい状態とは言えないであろう。安月給に甘んじて徹夜でがんばってお国のために働いているのに、学校時代にさっぱり成績の良くなかった国会議員の連中が騒いだのでこんなに国債が増えてしまった。この巨額の国債を返済することは可能なのだろうか。多分無理であろう。困ったことだ、と彼らは思っている。 言うまでもなく国債とは国(正しくは中央政府)の借金である。そして借金をするには人様に頭を下げねばならないであろう。しかも借金が多ければ多いほど自由に使える資金量は自ずと制約されざるをえない。つまりはエリートたちにとって借金はとてつもなく辛い話なのである。 財政資金の配分に与りたい国会議員を始め、他の省庁や全国の都道府県の役所の連中、あるいは民間企業の連中を、床の間に座って悠々と指導したいと思っていたのに、この様はなんたることかということなのであろう。 財務省幹部が財政均衡主義から離れられない深層にはこうした事情があるのである。わが国民1億2千万人の福祉・幸福・安全のためには財政均衡主義では対応できなくなってきている現実がある。そして今や財務省幹部は、そのことを分かっていないわけではないと思われる。そう、彼らは優秀で頭は決して悪くはないのであって、この程度のことは頭では十分に理解しているはずなのである(なかにはあまり頭脳明晰ではないボンクラが若干はいるかもしれないが、それはきわめて少数であろう)。しかしだからと言って彼らが財政均衡主義を放棄することはありえない。財政均衡主義の放棄は彼ら自身がよって立つ基盤の崩壊と同義だからである。彼らにとっては、国民の福祉・幸福・安全などということは、二の次のテーマである。どこまでいっても財政は健全で均衡していなければならないのである。積極的な成長政策転換は? ノブレス・オブリージェ(noblesseoblige)という言葉はこの国の第1級のエリートである財務省幹部のためにあったのではないだろうか。しかし彼らの言動を見ると誠に遺憾ながらこうした期待をするのは無駄なことだと諦めざるをえない。もちろん少数ながら国債亡国論が間違っていることを理解してこうした大勢に抵抗したいと考える人もあるだろう。それを信じる。しかし多勢に無勢であり抵抗を続ければ組織からはじき出されるか、左遷されるかが落ちである。どんな組織においても内部からの変革を実現するのはとんでもなく困難なことなのだ。 財務省は財政均衡主義の重要性をあらゆるルートを通じて、国会議員、他の主要官庁、日本銀行・経済界の指導者層、経済学者、評論家・エコノミスト、マスコミに浸透させてきた。また新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアを通じて国民一般に国債亡国論を吹き込んできた。 浸透のメカニズムはこうである。財務省は国会議員に対しては予算編成時などの機会を捉えて「ご説明」と称して繰り返し財政危機について説得をしていく。国債亡国論はある意味で直感的に分かったような気がするテーマである。家計などに比較して説明されると本当らしく見えてしまうのである。とくに民主党の議員は上手に財務省の手に乗らされてしまった。民主党政権時代の鳩山、菅、野田の3氏はすっかり取り込まれてしまい、消費税増税の先鋒に立ったのはそんなに昔のことではない。情けない話である。 他の主要官庁に対しては予算上で絶対的な権限を行使する。日本銀行に対しては日本銀行法および総裁人事(現在の総裁は財務省出身である)などを通じて影響力を行使してきた。 また経済界は多額の受注を財政資金に依存している。税制についても財務省との関連が深い。またかつての石坂泰三氏のように国全体の将来を真剣に論ずる人材が現在の経済界にはなかなか見当たらない。それどころか財界の枢要な地位にある人物が自分の会社・属する業界の利害に敏感な行動を取った例が少なくない。話にならない。 一方、学者やエコノミスト、マスコミのなかには国債亡国論が間違っていることを認識している人たちがここへきて増えつつあるようだ。しかし、それでもまだ依然として少数派である。本来、学者やエコノミスト、マスコミは言論統制・圧力に対して抵抗すべき最後の砦である。しかし総体として見ると財務省からの圧力に対して彼らが十分に対抗しているとは到底言えない。その証拠は数々ある。また彼らが自らフェイバー(favor)を財務省に求めることもある。ひとつだけ例を挙げれば、新聞購読料金が消費税の軽減税率の対象になることは既定路線になっているようである。ギブアンドテイクの関係が成立していると言わざるをえない。このように大変残念な状況にある。 K 墨堤さんの言うとおりとすると困ったことだなあ。なんとかならないものだろうか。 B 遺憾ながらなんともなりそうもない。事態は悲観的である。財政政策が根本的に変更されることは当面期待できそうもない。したがってわが国はいつになっても20年も続いているこのデフレから脱出できないことになる。過去20年間において、わが国経済が年々若干でも成長を遂げていれば、わが国のGDPは累計で1000兆円程度は実績よりも大きかったはずだとの試算がある。当らずとも遠からずであろう。大変な金額である。そして今わが国の現状をつぶさに点検してみると、防災、防衛、インフラの整備、科学技術の振興、福祉・医療、教育などの重要な分野において優れた人材と巨額の資金が強く求められていることが明らかである。その資金の源泉になる経済成長を促す積極的な成長政策への転換の可能性はない。すなわち事態は大変悲観的である。強烈な焦りを感ずる。なんとかならないのであろうか。 K 私も本当に焦りを感じる。安倍内閣が希望の光雑談その2 K やあ墨堤さん、先日はいろいろとありがとう。でも暗い話でしたね。 B そうでした。蝸牛庵さん、なにかいいお知恵はありませんか。未来投資会議で挨拶する安倍晋三首相(右)=12月19日、首相官邸 K そう言われてもなんだが、私なりに考えてみたよ。一つは安倍内閣が希望の光ではないか。安倍さんは財務省の考えや行動をよく理解しているようなので、やすやすと財務省の手に乗ってしまうことはないのでは、と期待したい。でも総理大臣は忙しすぎてこのことばかりに時間を振り分ける余裕がないのが心配だ。ただ与党内には、力もあり見識のある議員も少なからずいるのでそういう人たちのバックアップや独自の活動を期待したいところだ。 それからやはり良識がありかつ度胸のあるエコノミストや学者の活躍を期待したいところだ。なにかと圧力がかかると思うが、今こそそういう方々ががんばってマスコミを動かし、そして世論を動かしていくべき大切な時だと思うよ。あえて言うと東大など体制派の学者や民間大手の研究機関所属のエコノミストには期待できない。むしろこういう人たちは圧力の一端を担ぐ懸念がある。 墨堤さんの話の要点の一つは、現在の支配階級が強固な連帯を形成している点にある。すなわち、官・政・財・学・言論・マスコミなどの各界がそれぞれ役割は異なるが、お互いに弱点を押さえ合い、場合によっては弱点を補い合い、最終的には個々の、そして結局は全体の利益を擁護する構造になっているということだ。大きな利益擁護のための共同体になっている。そして政策やシステムの変革が共同体の利益と矛盾する場合がある。 たとえば「財政均衡主義」や「国債亡国論」を放棄して積極財政を進めようとの正論は、この共同体の利益にとって好ましくないと考えられている。そしてこの共同体の構造はきわめて強固であり内部からの力では到底打ち壊すことはできない。しかしこの体制・構造を打破しなければ新しいパラダイムを築くことは絶望的に困難だ。本格的なデフレ対策の実行を妨げ、邪魔をしているのは、ひとり財務省だけではなく、上に述べた利益共同体でもあるのだ。 近世以降のわが国の歴史を見ると、このような時代遅れの体制が国の変革・発展の壁になっていたことが過去2回指摘できる。その一つは明治維新直前の幕藩体制であり、他の一つは大東亜戦争末期の政・官・財・軍の非常時体制である。いずれの体制も明治維新と敗戦によって完璧に打破され指導層がすっかり入れ替えられ、そして新しい時代への歩みが始まった。 現今のわが国が置かれている状況を見ると、新しい時代を迎えるためには同様の大変革が必要ではないかと思うが、どうかな。 B なるほど、蝸牛庵さんの言われるとおりかもしれない。今思いついたのだが、明治維新(1868年)から大東亜戦争の敗戦(1945年)までが77年、敗戦から今年(2016年)までが71年とほぼ同じ期間になる。かりに敗戦から77年は2022年ということだ。77年という時間はこの国の歴史にとって区切りの一単位、つまり竹の節から節のような期間を表しているのではなかろうか。いよいよ指導層の総入れ替えのタイミングかもしれない。 明治維新の直前も大東亜戦争の敗戦の直前もこの国は袋小路に迷い入って、にっちもさっちもいかない苦境に喘いでいた。今回の「失われた20年」もそういう時期の前段階の到来として受け止めるのが正しいのかもしれない。2022年に拘るわけではないが、2022年までのこれからの6年は一層きびしい最終の受難の時期に当たるのかもしれないな。本当の苦境はこれからなのだ。私どもはそれに気づいていないということなのだろうか。今は平成の爛熟期なのか K 同感だ。私は、次の二つの事象がそのきっかけになるのではと、心配している。一つは地震などの天災の発生だ。とくに首都圏での大地震の発生が心配だ。関東大震災も東京に大きな被害をもたらしたが、今回は首都圏の人口が激増していることに加え、コンピュータ社会になっているので情報網の破壊が社会の致命傷に繋がる。完全な復興には相当長い時間(多分数十年)が必要となる。そして指導層が全面交代し、新しい時代が始まる。破壊と再生である。北京の人民大会堂で、孫文の生誕150周年の式典で講演する習近平国家主席=11月11日 他の一つは中国との戦争の勃発だ。みなさん、そんなことはないと思っているだろうが、10年単位で考えると尖閣列島の占拠は言うに及ばずもっと広範囲な争いが発生する懸念が十分にある。いつまでという時間を区切らなければ、紛争発生の確率は100%だ。なぜなら中国は、アメリカの衰退を見ていよいよ太平洋の覇権獲得に乗り出すからである。第二次太平洋戦争が始まる。アメリカは日本を助けてくれない。安保条約は無効化する。なぜならもうアメリカには他国を助ける余力が残されていないからである。助けたくても助けられないのである。ドルは暴落して紙くずになる。世界経済はほとんど破滅するだろう。逆説的に言うならば、わが国は安保条約の相手をアメリカから中国に変えて置かなければならなかったのである。でもそうもいかないであろう。この場合も指導層が全面交代し、新しい時代が始まる。やはり破壊と再生である。 B テレビの番組をたまには見るが、この国はなんと平和でのんびりした国かと感心している。文化文政期は江戸文化の爛熟期だったと言われる。そんな格好のいい話でもなかろうが、今は平成の爛熟期なのだろうか。今のわが国は戦争だ天災だといった耳にしたくないことは棚に上げて、遊びまくっているように見える。激動の変革期を前にして本当にこんなことでいいのかと心配でならない。 世の中のほとんどの人は戦争や大地震などは当面起こらないと思って毎日を過ごしている。過去においても大多数の人は阪神・淡路の大震災や東北の大震災・福島の原発事故などといったことは起こらないし、起こっても軽微に留まるだろうと思っていた。そのように思っていたのは事実だ。しかし実際に災害は発生した。 地震が発生する確率なるものを学者はいろいろと発表している。でも本当は過去の数字を解説している程度の話だ。所詮今の地震学のレベルでは予測など不可能というのが正しいらしい。でもそれにすがるしかないので、そういう予測を前提にして考えざるをえない。一方戦争が発生する確率など分かるはずがない。これも過去の戦争の歴史などをもとにして適当に考えてみるよりない。 大胆な推定であるが、これから10年~15年くらいの期間に首都圏大地震あるいは中国との戦争のどちらかが発生する確率を50%くらいに見ておいてもいいのではないかということになった。少なくともnegligibleな数字にはならないようである。場合によってはこうした恐ろしい事象が同時に、あるいはきわめて近い時期に起こることだってありうる。 K 10~15年の間に50%の確率でそうした大惨事が起きるとすると、事前の対策には相当の時間と莫大な資金が必要となるだろう。やや楽観的に見て、発生確率が50%まではいかないとしても、墨堤さんの言われるようにネグリジブルな数字にはならないだろうから、われわれはとんでもなく恐ろしいことが起こることを予めしっかりと覚悟し、準備しておかねばならないわけだ。日本人の特質論 B 秋の臨時国会で防災と防衛の予算を10兆円でも20兆円でも追加してすぐにその準備に着手すべきだ。それがまた同時に不況対策になる。「失われた20年」からの脱出につながる。そして急速に景気が回復する。必ずみんながハッピーになる。その結果税収も増えていずれ国債の発行も不要になる。このように申すと、人は私が適当なことを言っていると思うかもしれない。そんなことはない。以上のことは先日名前を挙げさせてもらったエコノミスト諸氏が口を揃えて主張されていることばかりなのである。 K 話をちょっと戻したい。幸いにして大震災や中国との紛争が起こらなかった場合のことだが、その場合には指導層の全面交代は起こりそうもないので経済・財政政策の転換は期待できないということになるのだろうか。 B そうだなあ。震災や戦争が起きないのは本当に喜ばしいが、その場合にはやはり積極政策への転換はきわめてむずかしいと思う。妙案のある人がいたら聞いてみたい。 私の判断の背景には、わが日本人の特質論といったものがあり、その特質が「国債亡国論」の跋扈を許している大きな要因と考えている。その特質の第一は、ごく普通の日本人に共通して見られる根拠なき官僚・官学に対する尊崇・尊敬である。とくに財務省と東京大学はその代表格である。わが日本人の大半はこの両者に対してはいわば盲目的に尊崇の態度を取ってきた。明治期あるいはもっと以前から日本人は官僚(あるいは武士階級)に対して尊敬の態度を示してきた。明治期以降もそういう伝統が延々と今日まで続いている。そうすることが無難だし場合によっては安全であり、また時によっては利得すらもたらしたからであろう。人々は東大教授や財務省幹部の言うことに対してまったく無批判に正しいものだとして受け入れてきたのである。一方東大や財務省の幹部は世間のそういう無批判な支持がほとんど根拠のないものだということを十分に知りつつ、その支持や尊崇を受け止め、利用してきたのである。ガリ勉に明け暮れ、東大から財務省に入ることがどうして尊敬の対象たりうるのか、理解に苦しむ。馬鹿馬鹿しい話ではなかろうか。 その特質の第二は、わが日本人は近隣の人や何かで関連のある人の言うことに安易に同調する傾向がある。これを「和の精神」の表れと言えば聞こえがいいが、はっきり言うと主体性に乏しいということだ。自分の頭で考えることを疎かにする。「国債亡国論」がこれほど流布されたのは好個の例ではないかと思う。新聞が「大変だ、大変だ」とどんどん書く、テレビはこぞって「後世に莫大な借金が付け回される」と騒ぐのでそうかなあと思ってしまう。加えて親しい友人も近隣のおじさんたちも大変だと言う。やっぱりそうなのだと今度は確信するわけだ。偉そうな言い方で気が引けるが、自業自得ということになる。これがわが日本人の器量であり、限界だということになる。遺憾ながらわが国もこの辺で店仕舞いをする運命にあるのかと諦めたくなる。悔しいな。 K いやあ、そんなことを言わないでもらいたいな。諦めずに打開策を考えてみたいな。次回までの宿題として置こうではではないか。 B それもそうだね。では、また。

  • Thumbnail

    記事

    トランプ勝利をポピュリズムの象徴とみる誤り

    著者 河野素山 世論調査上の劣勢やいわゆる有識者達の非難にもめげずに、トランプ次期大統領が歴史的な勝利によって誕生する。トランプ氏を大衆迎合主義、ポピュリズムの象徴として否定的にとらえる人々が多い。しかし、彼はそもそも他人に迎合するような性格とは見受けられないし、富が一部に集中する傾向を増していき1%の富者が富の半分を支配するまでに至った世界において、大衆のための政治を行うのは正しいことである。 選挙戦は、不人気候補者間における非難合戦となり、一見すると政策論争は少なかった。しかし、実はその非難合戦自体が、この四半世紀間におけるPC(ポリティカル・コレクトネス)運動、弱者是正(アファーマティブ・アクション)運動、グローバリズムの流れと、これらに対する地域主義、公平さ、言論の自由、法の支配をもとにした反作用との間で生じたものであって、根本的な価値対立を表した最大の政策論争であった。トランプ氏の勝利は後者らの勝利にほかならない。マイアミ・デード大学で行われた集会で聴衆にウインクする民主党大統領候補のヒラリー・クリントン前国務長官=10月11日、フロリダ州マイアミ ヒラリー・クリントン候補は、平成7年の国連世界女性会議における名演説を経て、男女平等運動やPC運動の体現者となった。PC運動は、狭義では差別的用語を廃絶する運動にすぎないが、その用語ポリティカル・コレクトネス(Politically Correct)が評価形態をとっていることにも表れているように、実際には用語是正だけではなく人々の差別的意識や社会における差別的現状まで是正しようとする運動であって、弱者の社会的優遇を正義とする弱者是正運動と結びついている。そして、PC運動の延伸的性質からして、そこでいう弱者は国内にとどまることがなく、国外における弱者救済にまで結びつき、難民受け入れや不法移民への寛容、国外に対する同質的なPC政策の押し付けを経てグローバリズムとも結びつくこととなった。 ヒラリーを核とするPC運動は、米国初の黒人大統領であるオバマ大統領の誕生に象徴される輝かしい成果と社会変革を成し遂げてきたが、反面において多くの腐敗と抑圧、不正義の温床となった。PC運動は、共通の価値観を広げようとする性質を有するがゆえに、言論の自由や多様な価値観に対する抑圧となりつつあるし、弱者是正運動は、実質的公平さを根拠に一部を優遇するものであって形式的公平さからの逸脱となるが、どの程度の逸脱が公平かについて共通認識はなく、逆に形式的不公平の蔓延が共通かつ透明性のある価値判断を喪失させ、一部の特権階級を生み出しかねない。実際、PC運動と根流においてつながるグローバリズムは、一部の企業に膨大な利益をもたらす一方で、国内における中間層の没落を招いていた。 さらには、PC運動は、正義を根拠に法を犯したベトナム反戦運動の影響下にある世代において再び法を犯す根拠ともなりうるのであって、法の支配すら危うくしつつある状態だった。ヒラリーを核としていた民主党全国委員会などの協力者達は、予備選を通じて多くの選挙不正を冒したし、本選においても不正な工作に手を染めた疑いがある。ヒラリー自体、クリントン財団への献金や多額な講演料を受けていた一方、国務長官時代には便宜供与を行っていたし、私的サーバーを通じて国家機密漏洩すら行っていた疑いがある。彼女の夫ビル・クリントン元大統領による恩赦事例に照らしても、ヒラリーには大統領就任後さらなる便宜供与が一部から期待されていたことであろう。PC運動に異議を唱えたトランプのみ 米国における白人中間層は、四半世紀を通じたPC運動による意識改革を迫られ、弱者是正の標的となり、グローバリズムの犠牲者となってきた。そもそも、将来的に少数者になることが確実視されている白人を、弱者是正を理由に形式的に不公平に取り扱い続けることが現在においても実質的に公平なのかはもはや疑問というべきであるし、経済的現状をみても彼らの中には経済的弱者として保護されるべき者が多い。また、国家元首である大統領がグローバリズムに染まって国家や国民の利益を第一としないこと自体おかしなことであろう。 米国は、今一度形式的公平に立ち返るなり、条件の平等性(レベル・プレイング・フィールド)のあり方について根本的な議論をするなりして、公平さと法の支配を取り戻すべきである。 今回の選挙においてグローバリズムや弱者保護のあり方はもともと論点であったろうが、PC運動自体に異議を唱えたのは、様々な暴言として非難を受けたトランプ氏のみであった。しかし、既存の政治家の枠を超えた彼のPC運動に対する問題提起は正しいものであるし、ヒラリーを含む既存政治家の腐敗を追及するなど体を張って挑戦し続ける彼の態度は、信念に基づくものとして多くの疲弊した米国民の支持を受けた。他の候補よりも多くの支持を受けたのは当然の結果であった。トランプ次期米大統領 大統領選の結果を受けてニューヨークやカリフォルニア州では抗議集会が開かれ、国外に脱出すると言ったり、カリフォルニア州を独立させようという人たちまでいるが、トランプ氏は差別助長を訴えているわけではない。米国は人種からして多様な国であり、差は現にあるものであって、公平さのあり方は状況によって変わりうるものである。また、不法移民に対処するのは国家として当然のことであるし、国民の福祉を充実させるためには難民や移民の受け入れに限界が生じる。勝利宣言の内容やニューディール的な政策への言及をみても、トランプ氏が国民全体を第一として非差別的に中間層を救済する施策を目指していることは明らかなように思われる。また、イスラムとの関係でいえば、表面上の軋轢を離れて根源的に考察すれば、PC運動とイスラム的価値観との対立がこれまでの軋轢を生んでいたのであって、むしろヒラリーよりもトランプ氏の方が多様性をもとにした融和につながりやすいとも言い得る。 PC運動などを巡る今回の対立は、すでに一定程度PCな世界で育ったミレニアム世代には実感のわかないものであったに違いない。ヒラリーは彼女の運動が成果をあげたがゆえに時代遅れとなっていたのであって、選挙不正や違法行為に手をそめるまでもなく女性大統領はいずれ誕生するであろう。 また当選後の抗議運動は、12月19日の選挙人投票日での逆転を目指したヒラリー支持者達が核となり、これに不法移民やその家族による抗議やミレニアム世代の同情が加わったものと思われるが、うちミレニアム世代については、今まで育った価値観からの離脱に対する彼らの戸惑いを示すものにすぎず、どのような価値観に向かっているのかを明示することによって落ち着きを取り戻すことが可能だろう。 トランプ氏は、20年以上前から大統領選への出馬を噂される存在ではあったが、政界では異邦人であって課題は多く、既存政治家達の壁もあるだろう。しかし、就任前から米国内の雇用確保において成果をあげる一方で、台湾の蔡総統との電話会談を行うなど、型破りな手法は健在である。足枷を全く受けていないトランプ新大統領による斬新な政策が楽しみである。

  • Thumbnail

    記事

    プーチンとトランプが惹かれ合う理由

    著者 aoki fumiya 11月9日、アメリカ合衆国大統領選挙にて、共和党候補のドナルド・トランプ氏が当確した。「色物候補」として目されていた男が、アメリカという世界随一の超大国の指揮を執る。早くも国内外からは未来への不安と、彼に対する嫌悪の感情を伝えるメディアの動きが喧しくなってきた。 メキシコ国境にバリケードを築く、イスラム教徒は入国禁止とする…といった現大統領、バラク・オバマ氏なら考えられないような、演説のたびに吐き散らされる暴言。実業家としての放埓さと「力強いアメリカ」を希求する彼に支持を向ける国民は予想を遥かに超える数で存在していた。また、トランプが掲げる「アメリカ主義」、つまりアメリカという超大国がこれ以上他国に口を出し疲弊を被るのはもうごめんだ、それよりも国内の治世に目を向けよう、という一種の不干渉体制に好感を持っている人々は決してステレロタイプな「無教養で流されやすい貧困層」などではない。 トランプ勝利に喜色満面な人物の筆頭が、現在のロシア連邦を牛耳る「皇帝」ウラジミール・プーチン氏だという。トランプ米次期大統領(左)とプーチン露大統領「力」の信奉者 2013年、内戦真っ只中の中東、シリアでは、独裁体制を敷くアサド政権に対しての国際的な風当たりが日に日に高まっていた。ただ、シリアと軍事的、政治的に深いパイプを持つ(シリア西部の港湾都市・タルトゥースには内戦以前からロシア海軍が駐留)。プーチンは一貫してアサド政権を擁護、アメリカを含めた西側諸国との亀裂は深まるばかりだった。 当時、国務長官であったヒラリー・クリントンはオバマ大統領に幾度となく「シリア内の反体制派組織へ、本腰を入れた援助を向けるべきだ」と進言していたという。しかしオバマはそれを頑なに拒み続けた。まるで中東では何もしたくない、と言わんばかりの態度だった。その間に、シリア北東部のラッカ、さらにはイラクをまたいだ地域に過激派組織イスラム国(IS)が勃興、混乱は世界的に広がっていく。プーチンにとってこれは好機だった。西側の不干渉路線を眼光鋭い「熊」が見過ごす訳がなかった。手始めに、東欧のウクライナにおける騒乱に乗じ、クリミア半島を電撃的に自国へ編入して見せた。 ソビエト連邦崩壊以降、初となる国境線の変更が、武力により公然と断行されたのだ。1994年の国際合意は、何の意味も成さなかった(ブダペスト覚書。米、英、露、ウクライナ四カ国によるウクライナの領土保全を文書で確約、旧ソ連時代に残置されたウクライナ領内の核兵器を西側の経費負担で処分する代わり、クリミア半島はウクライナ領として侵してはならない旨明記)。 さらに、特殊部隊を差し向けられたウクライナ東部地域において、「ノヴォロシア連邦」が独立を宣言、政府軍との苛烈な戦闘は未だ継続中である。 プーチンの思惑通りか、アメリカが主導するロシアへの対抗策は経済制裁のみとなり、軍事介入は無かった。そして、先のシリアにおいてはアメリカのIS対応のもたつきを尻目に2015年に、ロシア空軍による本格的な空爆が開始される。 これによる多数の民間人の死者は数え切れないが、それでもISはじめ、ヌスラフロント(アル=カーイダ系の反政府武装組織)といった国際的なテロ組織の脅威が騒がれる中、ロシア介入に賛同する声も多く聞かれる。トランプ候補も、以上のようなユーラシア大陸におけるプーチンの影響力拡大路線に賛辞を送っている。

  • Thumbnail

    記事

    韓国は110年前に竹島の領有権を放棄した? 謎多き「石島」の真実

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人 九州在住)はじめに 日本と韓国との間の竹島領有権問題は、1952(昭和27)年1月に韓国が「李承晩ライン」を設定し、その中に竹島を取り込んだことから始まった。竹島(韓国では「独島」と呼ぶ)は江戸時代には日本人が自由に利用していた歴史的事実があり、さらに1905(明治38)1月に明治政府は閣議決定によって竹島を公式に日本の領土とした。その間、朝鮮・韓国の政府が竹島に関与したことは何もなかった。   しかし今、韓国政府は「独島は、歴史的・地理的・国際法的に明らかに韓国固有の領土です。独島をめぐる領有権紛争は存在せず、独島は外交交渉および司法的解決の対象にはなり得ません」とした上で、「1905年日本による独島編入の試みは長きに亘って固く確立された韓国の領土主権を侵害した不法行為であるため、国際法的にも全く効力がありません」(韓国外務部『韓国の美しい島 独島』)と述べ、国際法上正当な日本の竹島領土編入を、韓国の領土であった島を日本が不法に奪取したものとして非難する。 しかしながら、実は日本の竹島領土編入から約1年後の1906年、韓国政府(当時は大韓帝国政府)は日本が竹島を領土としたことに異議がないと解釈される文書を発していた。このことは一般にはあまり知られていないと思われるので、本稿で紹介してみたい。産経新聞社が昭和28年12月に撮影した竹島。現在ある韓国の工作物は見当たらない「鬱島郡の配置顛末」  1906年7月13日付の韓国の皇城新聞に「鬱島郡の配置顛末」という見出しの記事がある。文面を現代日本語に訳すればおよそ次のようなものである。鬱島郡の配置顛末 統監府から内務部に公函があって、江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡庁の設置年月を示せということなので回答が行われ、光武2年5月20日に鬱陵島監を置いたが、光武4年(1900年)10月25日に政府会議を経て郡守を配置した。郡庁は台霞洞にあり、当該郡の所管島は竹島・石島で、東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里だということである。 この記事によれば、1906年7月上旬ごろ、当時韓国に置かれていた日本の韓国統監府から韓国政府内務部に宛てて鬱陵島に関する照会があった。照会事項は「鬱陵島の所属島嶼」と「郡庁の設置年月」だという。これに対する回答内容は、鬱陵島には1898年から「島監」という名称の行政責任者を置いていたが、1900年に政府の決定によって新たに「郡守」を置くこととなったこと、郡庁の所在地は台霞洞(「洞」は「村」のような意味)にあり、郡の付属島嶼は「竹島と石島」であることを述べ、最後に「東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里」という一読しただけでは何を意味しているものか読み取りにくい説明が付されている。 この回答は、基本的には1900年10月27日施行の大韓帝国勅令第41号を説明したものだ。この当時、鬱陵島には多くの日本人が不法に越境渡航して、勝手に古木を伐採搬出したり韓国人島民を圧迫するなどの行為が行われていたため、韓国政府としては鬱陵島に対する監視を強化する必要性を感じていた。その方策の一つとして制定された法令が勅令41号「鬱陵島を鬱島と改称し島監を郡守に改正する件」で、そこでは鬱陵島を「鬱島郡」に格上げして郡守を置くこととし、「郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島石島を管轄する」と規定された。   このように、前記の新聞記事にある回答内容はほとんど勅令41号をそのまま説明したものなのだが、末尾の「東西が60里・・・・・・」の部分は勅令に規定されたものではなく、回答する際に独自に付け加えられたものと見える。韓国政府の「石島=独島」説韓国政府の「石島=独島」説 ところで、この勅令41号は、現在の韓国政府の竹島/独島領有権主張の大きな根拠とされている。前記『韓国の美しい島 独島』では韓国に竹島/独島の領有権がある根拠として、韓国は古くから竹島/独島を鬱陵島の付属島嶼として認識してきたこととともに、「大韓帝国は、1900年の勅令第41号において独島を鬱島郡(鬱陵島)の管轄区域として明示し、鬱島郡守が独島を管轄しました」と述べ、勅令41号によって竹島/独島を公式に韓国領土として扱うことになったことを強調している。つまり、勅令に管轄する島として明示された「石島」がすなわち竹島/独島のことだというのだ。隠岐・島後の白島展望台にある竹島までの距離標識=島根県隠岐の島町 もう一つの管轄の島である「竹島」は、名称が竹島と同じなので紛らわしいが、これは鬱陵島の東方2キロほどの位置にあって「竹島(チュクト)」と呼ばれる島のことだというのは日韓双方の研究者に異論はないので、これは問題とならない。   問題は「石島」のほうで、実は竹島/独島あるいは鬱陵島の歴史において「石島」という名称はこの勅令においてだけ突然に現れ、その後消えてしまって現在は使われない名称だ。しかも、勅令41号が決定される際の一件書類には地図は添付されていなかったようだし、管轄する「竹島、石島」が具体的にどの島を指すのかという記述も特にないことから、「竹島」については前記したように「竹島(チュクト)」のことだということで日韓双方が一致しているものの、「石島」が何を指しているかは意見が分かれる。「石島」は謎の島なのだ。 韓国側ではこの「石島」とは、独島(ドクト)が方言で「石の島」という意味なのでその意味を取って漢字では「石島」と表記したのであってまさに独島を指しているというのだが、これはいかにも説得力に欠け、日本側研究者の間では石島は鬱陵島の東北部に近接して存在する現在「観音島」と呼ばれている島のことだと推定する見方があり、双方の見解は対立している(現実の地理としては、鬱陵島の近辺で「島」というほどの大きさのものは竹島と観音島の二つなので、勅令でもこの二つを規定したと見るのが最も自然だ)。「石島」は竹島/独島ではない「石島」は竹島/独島ではない ところが、この問題に対して本件新聞記事の中の「東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里」という記述が答えを提供することとなった。この一文を読めば、たいていの人はこれは長方形の四辺について述べたものだと解釈するのではないだろうか。この一文は、統監府の質問のうちの「鬱陵島の所属島嶼」に対応しているように見える。つまり、所属島嶼はどこどこかと質問されて、所属島嶼は「竹島」と「石島」なのだがそういう名前の回答だけでは位置関係が全く分からないから、それは「東西60里、南北40里、合わせて200余里の長方形の範囲にある」と回答したのだと読むのが自然な読み方だろう。つまり、鬱陵島とその付属島嶼の範囲――それはすなわち「鬱島郡」の範囲だが――をそういう形で回答したものと考えられる。 朝鮮の1里は0.4キロという。そうすると鬱島郡の範囲は東西24キロ、南北16キロの枠の範囲であり、鬱陵島自体の大きさは東西・南北ともおよそ11キロ程度なので、鬱島郡の付属島嶼は鬱陵島からそれほど離れていないということになる。ところが竹島/独島は鬱陵島からおよそ90キロも離れている。ということは、勅令に規定された「石島」は竹島/独島ではないことが、言い換えれば、韓国政府が唱えている主張がウソ偽りであることが、この新聞記事から明らかになってしまったという状況がある。 この「鬱島郡の配置顛末」の記事は、「杉野洋明 極東亜細亜研究所」というブログにおいて「本邦初公開?大韓帝国勅令41号の石島は独島ではない証拠」という題の記事で2008年2月2日に紹介され、同月22日付の山陰中央新報でも「「石島=独島」説否定の記述見つかる」という見出しで報道されたことから、竹島問題に関心を持つ人たちの間では一躍有名になった。また、2014年3月に発行された『竹島問題100問100答』(島根県第3期竹島問題研究会編)においても、そのQ37において「・・・・・回答により1900年、大韓帝国勅令の「石島」が竹島ではないことが確認された」と紹介された(このように韓国政府の主張を正面から否定する史料があるとなると、さすがに韓国側の研究者たちも無視できなかったようで、いくつかの反論らしきものが提出されているが、いずれも説得力のあるものではない)。   以上のように、「鬱島郡の配置顛末」の記事は韓国政府の竹島/独島領有権主張の大きな柱である「石島=独島」説を否定するという重要な意味のあるものだが、そのこととは別に、この記事にある照会と回答が行われた経緯を探っていくとさらに重大な意味が浮上する。統監府がなぜ1906年という年に、鬱島郡の設置という一見したところではどうでもいいようなことを韓国政府に質問したのか、ということだ。1906年のできごと1906年のできごと 日本の竹島領土編入決定は1905(明治38)年1月のことだった。編入に当たって、明治政府は竹島を領土とすることについて韓国政府に対して事前通知も事後通知もしなかった(国際法上、そういうことが求められていたわけではない)。そうして約1年が過ぎた1906年3月28日、島根県の神西由太郎部長一行が新領土となった竹島を視察した後に鬱陵島を訪問するという出来事があった。部長一行は郡庁に郡守沈興沢を表敬訪問したのだが、そのとき一行は「このたび竹島が島根県の管轄になったので視察したのだが、そのついでにここ(鬱陵島)に立ち寄った」という趣旨のあいさつをしたという。このことによって、竹島が日本領となったことが初めて韓国側に伝わることとなった。 これに対応した郡守沈興沢は、竹島/独島が日本領になったということを聞いても特段の反応を見せなかったが、その翌日付で上司に宛てて有名な次のような報告書を発した。 本郡所属独島が本郡の外洋百余里外にあるが、本月四日に輸送船一隻が郡内の道洞浦に来泊し、日本の官人一行が官舎に来て自らいうに、独島がこのたび日本領地となったので視察のついでに来訪したとのこと。その一行は、日本島根県隠岐島司東文輔及び事務官神西由太郎、税務監督局長吉田平吾、分署長警部影山巌八郎、巡査一人、会議員一人、医師・技手各一人、その外随員十余人だった。まず戸数、人口、土地生産の多少について質問し、また人員及び経費の額など諸般の事務を調査して記録して行った。以上報告するのでよろしくお取り計らい願う。(注:「本月四日」は旧暦によっている) 報告の冒頭にあるように、郡守沈興沢は理由は不明ながら独島/竹島は「本郡所属」だと認識していた。この報告が政府に届いた後、その報告に接した内部大臣李址鎔は、「独島を日本領土というのは全然理がないことで、甚だしく驚愕する」と反応し、参政大臣朴斉純は「報告は見た。独島が日本の領地になったというのは事実無根のことだが、その島の状況と日本人の行動を更に調べて報告せよ」と指示したりしたが、複数の新聞もこの報告を報道した。韓国が不法占拠を続けている竹島(聯合=共同) 1906年5月1日付大韓毎日申報は「無変不有」(変無きにあらず)という見出しで「鬱島郡守沈興沢が政府に報告したところによれば、日本の官員一行が本郡に来到し、本郡所在の独島は日本の属地だと自ら称し、地界の広狭・戸口結摠をいちいち記録して去ったとのことだが、内務部からの指令によれば、遊覧の際に地界・戸口を記録して行くのは容或無怪(理解できないでもない)だが、独島を日本の属地と云うことは必無其理(全く理が無い)ことなので、今こういう報告を聞いて甚渉訝然(非常に疑念を感じる)であるという」と報じた。 また、同月9日付皇城新聞は、「鬱倅報告内部」(鬱島郡官吏から内務部への報告)という見出しで「鬱島郡守沈興沢氏から内務部への報告によれば、本郡所属の独島は外洋百余里の外にあるが、本月四日に日本の官吏一行が官舎に来ていうには、独島が今日本の領地になったので視察のついでに来到した。一行は、日本島根県隠岐島司東文輔及び事務官神西田太郞と税務監督局長吉田坪五、分署長警部影山岩八郞と巡査一人、会議一人、医師・技手各一人、その他隨員十余人で、戸数人口、土地の生産の状況と人員及び経費の状況、諸般の事務を調査記録して帰ったという」と報じた。 二つの記事のいずれも、沈興沢が報告したとおりに「鬱島郡の所属である独島が日本の領地になった」という報道をしている。加えて、大韓毎日申報のほうは内部大臣が「独島を日本領土というのは全然理がないこと」と反応したことも伝えている。つまり「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という意味のニュースが世に出たことになる。 そして、その後に、統監府から韓国政府に対して鬱島郡に関して照会があり、これに対する韓国政府の回答が出され、その回答が同年7月13日付皇城新聞に掲載されたという経過になる。 このような経過を見れば、統監府がなぜ鬱島郡の設置に関して質問したのかは明らかだろう。「大韓帝国の領土が日本の領土になった」という意味のニュースが出たことに対して、日本が領土編入した竹島は本当に鬱島郡の管轄下にあったのかどうかを確認しようとしたのだ。 そういう動機から照会したのだということは何かの史料によって立証できるわけではない。しかし、そう考えればつじつまは合うし、逆に、そういう動機を除外して、他に過去の鬱島郡設置の決定について質問する理由というものは見当たらない。だから、統監府の照会の動機・目的は竹島/独島が本当に鬱島郡の管轄下にあったのかを確認するためであったと見てまず間違いないと言える。照会を受けた韓国政府としてもそういうことを感じただろう。   仮にそうでないとしても、韓国政府としては「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という認識でいるところに、統監府から「鬱島郡の範囲はどこまでですか」という意味の質問が来たということになるから、いずれにしても、回答するにあたっては沈興沢の報告を十分に念頭に置いて回答をするということになったはずだ。決着していた竹島問題決着していた竹島問題 ところがその回答は、鬱島郡の付属島嶼は「竹島、石島」で郡の管轄範囲は付属島嶼を含めても「東西24キロ、南北16キロ、合わせて80キロの長方形の範囲にある」という意味のものだった。これは、問題となった竹島/独島は鬱島郡の管轄範囲にはないことを認めたものだ。「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という認識でいたはずなのに、現実には独島は管轄下にはないという意味の回答をしたのは、おそらく鬱島郡の設置を定めた勅令41号を改めて点検した結果、その勅令には「外洋百余里」にある独島に関する規定など何もないことを確認したからなのだろう。独島は鬱島郡の付属島嶼だというだけの根拠がなかったのだ。 そして、独島/竹島が日本の領土となったことを知った上で、その独島は鬱島郡の管轄下にはないことを認めたということは、すなわち日本の竹島領土編入には韓国政府として異議がないことを表明したことになる。1905年の日本の竹島編入は、沈興沢の報告のために、韓国の官民に一時的に「日本が韓国の島を奪った」という間違った理解を引き起こしたものの、その後の韓国政府の再検討によって、その理解は間違いであり韓国政府として異議を唱える話ではないという形で了解されたのだ。つまり、日本の竹島編入には韓国政府も異議がないという形で竹島問題は1906年に既に決着していたことになる。 なお、そもそも沈興沢がなぜ竹島/独島を「本郡所属」と思っていたのかその理由は不明なのだが、その当時、鬱陵島に住む日本人が鬱陵島の韓国人漁夫たちを連れて竹島/独島に出漁することが行われていたので、郡守である沈興沢は当然そういうことを知っていて、鬱陵島から竹島/独島に行って帰って来るのだから竹島/独島は鬱陵島の付属の島だと考えるようになったのではないかと筆者は推測している。   そういう考えを持つのは現地の責任者としては自然なことかも知れないが、中央政府において竹島/独島を領土として支配管理するための何かの措置が取られていたことはないし、それどころか、中央政府は沈興沢から報告を受けるまで竹島/独島という島があることすら知らなかったのが実情だ。だから、鬱島郡守個人が竹島/独島についてどういう認識を持っていても、国家としての領有権には全く関係のないことだった。おわりに 現在、韓国人たちは大統領からマスコミ、さらにはネットで発言する個人に至るまで、日本人に向かって「歴史を直視せよ」と繰り返し言う。だが、本当に歴史を直視できていないのは韓国のほうであることを今や多くの日本人が知っている。「鬱島郡の配置顛末」も韓国人たちが歴史を直視しないことの一つの現れだ。韓国政府は今から110年も前に日本が竹島を領土とすることに異議がないという姿勢を表明していた。しかし今はそういうことも忘れ去り、「独島は日本による韓国侵略の最初の犠牲である」などと言いながら日本の正当な領有権主張を非難する。だが事実はそうではない。歴史資料をまじめに見ていけば、竹島問題に関する韓国側の主張は嘘ばかりであることが明らかになるものなのだ。 ただ、「鬱島郡の配置顛末」は新聞記事だ。そして、そこで報道されたところの韓国政府からの回答文書そのものは確認されていない。だから、事実関係を確定させる上での証拠力という点では若干劣るかも知れない。しかし、この新聞記事が虚偽ないし間違いであると言える根拠もないから、日韓間で竹島/独島をめぐって論争を行う上で無視できるものでもない。この記事の「東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里」の解釈について、これは鬱島郡の範囲を述べたものではないという趣旨の反論が韓国人の論者から提起されている。筆者は3人の反論を読んだことがあるが、そこでは、3人が一致して同じ点を指摘するのでなく、3人三様の説明がなされているのは、この記事に対して有効な反論がないことを示唆しているように見える。 「鬱島郡の配置顛末」の記事は一般にはそれほど知られていないようだが、実は二つの面で大きな意味のある史料だ。本稿が竹島問題に関心を持つ人の論点理解に多少なりと役立つならば幸いに思う。 (平成28年6月26日 記)

  • Thumbnail

    記事

    竹島は「わが国固有の領土」ではないのか

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)教科書における竹島記述の強化 平成26年1月の中学校学習指導要領解説及び高等学校学習指導要領解説の改訂によって、中学・高校の教科書における竹島問題を含む領土問題の記述が強化されることとなった。例えば中学校の社会「地理」では、「竹島について、我が国の固有の領土であることや韓国によって不法に占拠されていること、韓国に対して累次にわたり抗議を行っていること等を扱うこと」とされ、これに沿った教科書が平成28年度から使用されることになっている。2015年春から小学校で使われる教科書。竹島や尖閣諸島について政府見解に沿った記述が盛り込まれた 筆者は、竹島問題に多少の関心を持っていて、竹島が一日も早く日本に帰って来ることを願っているが、そのためにはまず、問題自体が広く国民に知られることが重要で、教科書の記述強化の動きも必要なことだろうと思う。日本政府の主張を批判する本 右の改訂学習指導要領解説では、竹島は「我が国の固有の領土である」という文言が見えるわけだが、最近、この「竹島は日本固有の領土」という日本政府の説明に辛辣な批判を加える『竹島―もうひとつの日韓関係史』(池内敏氏著、2016年1月、中公新書) という本が出版された。この本は、古代から現代に至るまでの日韓両国の竹島関連の歴史史料を多数引用し、竹島(韓国では「独島」と呼ばれる)領有権に関する日韓両国政府の主張の妥当性を検証したもので、「誰が分析しても同一の結論に至らざるを得ない、歴史学の到達点を示す」と紹介している(表紙裏)。 この本の大きな特徴は、日韓両国の主張のいずれに対しても否定的なことである。著者(池内敏氏。以下同)は、韓国政府の主張に対しては、例えば、朝鮮の古文献・古地図にしばしば現れる「于山(ウサン)島」が竹島(独島)であって朝鮮は古くから竹島(独島)のことを「于山島」として認知して朝鮮の領土として扱って来たのだとする韓国側の主張(「于山島説」)についてはそれは成り立たないとし、また韓国政府が1900年の大韓帝国勅令第41号で竹島(独島)を「石島」という名前で公式に行政管轄権の範囲にあるものと規定して官報で公示したとする主張(「石島説」)についても、いまだそれが直接的に証明されたことはないとし、韓国側の重要な論拠をいずれも否定する。 一方、日本政府の主張に対しても、まず、「日本は17世紀半ばには竹島の領有権を確立しました」(外務省「なぜ日本の領土なのかがハッキリ分かる! 竹島問題10のポイント」)という説明に対して、日本人が今の竹島(竹島は江戸時代には「松島」と呼ばれていた)に行き来することに中央政府である徳川幕府から公式の許認可があったことは論証不可能なので、この外務省見解は「致命的な弱点を抱えている」という。 また、元禄9(1696)年に幕府が鳥取藩あてに発した元禄竹島渡海禁令(江戸時代の日本では朝鮮の鬱陵島が「竹島」と呼ばれていたが、その竹島への渡海を禁ずるもの)においても、また天保期に幕府の指示で全国各地に高札が立てられた竹島(鬱陵島)への渡航を禁ずる指示(天保竹島渡海禁令)においても、今の竹島への渡海を禁止することを明示する文言はないが、これら禁令が発された経緯を詳細に見ていけば今の竹島への渡航も禁止する趣旨が含まれていたのは明らかで、これら禁令によって我が国は竹島(今の竹島)の領有権を放棄したことは否定できないという。 さらに、明治10(1877)年、ときの最高国家機関である太政官が、島根県から提出された質問について朝鮮の鬱陵島とともに今の竹島についても「日本領外」と判断する指令を下したという。つまり、著者の見方では、日本のそのときどきの中央政府が今の竹島は日本領ではないことを何度も確認してきたということになる。 明治38(1905)年に明治政府が今の竹島を「竹島」という名称で公式に島根県の区域に領土編入する手続きを取ったことは、日本側の竹島領有権主張の最重要ポイントなのだが、著者は、日本政府は編入決定の前に韓国に対して事前照会をしておらず、仮に事前照会をしていたならば、韓国としてもそのころには竹島(独島)に対する領有意識を芽生えさせていたのだからおそらく紛糾が生じたはずだと推測する。そして、戦後の日本の領土範囲を決定したサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領として残ったのだが、このことに関しても著者は、もし1905年時点で竹島編入をめぐって日韓両国間に紛糾があったとすれば、サンフランシスコ講和条約の起草に際してもその紛糾が考慮され、条約で竹島が日本領として残ることにはならなかったかもしれないという推測を述べる。 以上のような検討を経て、著者は「日本側・韓国側の主張には、どちらかが一方的に有利だというほどの大きな格差はない」と結論付けた上で、「日本人・韓国人を問わず、自らの弱点を謙虚に見つめ直し、譲歩へ向けて勇気をふるうことが、いま求められているのではないか」という提言で本をまとめる。 このような主張を載せた『竹島―もうひとつの日韓関係史』は、メディアにおいても、ネットに現れた個人の感想においても、「竹島問題を感情論を排して理解するのに最適」(週刊エコノミスト、2016年2月16日号)などのようにかなりの高評価を得ている。確かに、さまざまな歴史史料を引用しつつ細やかな議論を展開――それも、日韓両国政府の主張に対して共に批判的な観点から――する本書は、一見すれば、本のオビにあるように「思い込みや感情論を排した歴史学による竹島の史実」を書き表したもののような印象を与える。しかし、実際はそうではない。欠けている国際法からの観点欠けている国際法からの観点 竹島問題とは竹島の帰属をめぐる領土問題であり、現代の領土問題というものは国際法にしたがって解釈される。そして、国際法では、ある土地がその国のものかどうかというときに、その国家の統治権(立法権、司法権、行政権)が実際にその土地に対して継続的かつ平穏に及んでいる(いた)かどうかが基本的な判断基準になる(「平穏に」というのは他国からの異議や抗議を受けることなしに、ということを意味する)。竹島が日本固有の領土であることを訴える看板=島根県隠岐の島町布施 そういう国家としての現実の合法的支配という観点から見た場合、竹島は1905年に日本政府が日本領とすることを決定し、その後、隠岐島庁の管轄とする決定、官有地台帳への登録、官有地の貸付け及びそれに伴う使用料の徴収など日本の統治が韓国からの異議・抗議を受けることなく現実に行われてきたという史実がある(つい最近では、昭和9年~13年にかけての竹島一帯でのリン鉱石試掘権の認可に関する資料が確認されたという島根県の発表もあった)。 これに対し韓国側には、独島(竹島)を領土としていたという主張はさまざまあるものの、何一つ証明されるものはない。すなわち、日本には竹島の領有権を主張できるだけの国際法上の十全の根拠があるのに対し、韓国側には全くそういうものがない、という決定的な差がある。加えて、サンフランシスコ講和条約で竹島は日本領であるということが確定している。竹島領有権論争は終わったも同然といえるほどの状況にあるのである。 しかし、本書『竹島―もうひとつの日韓関係史』においては、日本による1905年の竹島領土編入決定について一応の紹介はなされるものの、日本と韓国にはそういう国家による統治の有無という重大な差異があることに着目することなく、日韓の主張に「大きな格差はない」と論じたり、「もし事前照会をしていたならば」という仮定に立って考察を進めるのである。 歴史史料を正確に解釈することは無論大切なことだが、竹島問題が領土問題である以上、その考察は国際法に基づいた検討を軸として進めるべきであり、歴史史料もその中で活用されるべきだろう。本書ではそういうことがほとんど考慮されず、竹島にまつわるさまざまな歴史的出来事が紹介されているものの領土問題とは関係のないことがらも多く、領土問題の解説書としてはピントが外れている。 加えて、本書でさまざま述べられる歴史的事実の解釈や評価それ自体にも、明治10年太政官指令の意味をはじめとして指摘できる問題点は多々ある。この稿でいちいち触れることはできないが、一つだけ、先にも述べた天保竹島渡海禁令の例を挙げておこう。渡海が禁止されていた竹島(鬱陵島)へ密航する者が現われた事件の再発防止策として幕府から全国に指示された禁令には、渡海を禁止する対象として「異国」のほかには「竹島」(鬱陵島)のみが記されていた。高札に書かれたこの指示を見た全国の民は、誰しも禁令の意味を「竹島(鬱陵島)というところには行くなと言っているのだな」と理解したはずである。 しかし、著者は、禁令が発された経緯を詳細に見ていけば、高札に明記されていなくとも今の竹島(当時は「松島」)への渡海も禁止されていることが明らかであるという。このように、通常の常識で考えて理解しがたい考察が本書には見られる。「誰が分析しても同一の結論に至らざるを得ない、歴史学の到達点を示す」というキャッチ・コピーがあるものの、本書は著者の独自の観点からの考察に満ちている。自らの「弱点」を見つめて互いに「譲歩」をという提言もあるが、実際には「譲歩」すべしということに結びつくような「弱点」が日本側にあるわけでもない。「固有の領土論」に対する批判「固有の領土論」に対する批判 外務省の広報文「なぜ日本の領土なのかがハッキリ分かる! 竹島問題10のポイント」を見れば、冒頭の「竹島の領有権に関する日本の一貫した立場」という見出しのもとに、一番に「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です」と述べている。この表現が教科書にも記載されることになったわけだ。この「竹島は日本固有の領土」という説明に対する批判を行うことが『竹島―もうひとつの日韓関係史』のメインテーマと思われるのだが、そこにおいても著者の独自の観点からの考察という色合いは強い。本書の終章「固有の領土とは何か」に述べられる著者の主張を要約すれば、およそ次のようなものであろう。8月15日、島根県の竹島に上陸し、万歳する韓国の国会議員ら(聯合=共同) かつて、日本政府は竹島問題が発生した直後の1950年代から韓国政府との間で数次にわたる文書往復による竹島領有権論争を行った。そのうちの1962年の日本政府の文書に「日本政府は、竹島が古くより日本固有の領土であると従来から明らかにしてきた」という文章で竹島は「日本固有の領土」という表現が初めて現われるが、そのころはこの言葉は「歴史的に古い時代から日本のものである」という意味で用いられていた。しかし、この主張は歴史的史料から論証することは不可能なことであって、既に破綻している。そして、近年においては、1905年1月の竹島日本領編入が国際法に基づいて正当になされたという前提に立って、それより前に韓国によって支配された史実が証明されない限り、竹島は「日本固有の領土」なのだという用い方がなされている。同じ「日本固有の領土」という言葉であってもその意味は変化している。 しかし、日本政府(外務省)は中身の異なる二つの「固有の領土」論の「併存」を「放置」している。それは、一つには、「歴史的に古い時代から日本のものである」という古い用法を残すことは、「固有の領土」という言葉によって「過去よりずっと自分たちの領土でありつづけてきた」という印象を国民に容易に与えることができるし、一方、近年の用法は、韓国側が明治政府の竹島日本領編入は日本帝国主義の侵略行為の一環であったと批判してくることに対してその議論を回避できるからである。二つの「固有の領土」論の「併存」は国内用と対韓国用として役割分担をしており、竹島をめぐる歴史、ひいては日韓の近現代史から日本人の目をそらせる役割をしている。 本書のこういう批判の下敷きとなった同じ著者の論文『「竹島は日本固有の領土である」論』(一般財団法人歴史科学協議会会誌『歴史評論』785号=2015年9月号)では、右のような論を展開した最後に、「日本固有の領土」という主張は「放棄すべき対象でしかない」という結論が述べられている。本書にはその言葉はないが、論旨は同じであるから結論としてはやはり「放棄すべき」という気持ちが込められているのだろう。 とすれば、日本の政府は放棄すべきほどの間違った有害な概念を国民に広報し、また教科書に反映させているのだろうか。「竹島は日本固有の領土」の意味「竹島は日本固有の領土」の意味 「固有の領土」という言葉の定義については、「衆議院議員鈴木宗男君提出南樺太、千島列島の国際法的地位などに関する質問に対する答弁書」(平成17年11月4日 内閣総理大臣小泉純一郎)というものがあって(衆議院のホームページで読める)、そこでは「政府としては、一般的に、一度も他の国の領土となったことがない領土という意味で、『固有の領土』という表現を用いている」「竹島は、我が国固有の領土である」という答弁が行われている。この二つの答弁を組み合わせれば、「竹島は、一度も他の国の領土となったことがない我が国の領土である」ということになる。この言い方に何か不自然なところがあるだろうか? これは史実の通りのことなのだ。韓国が不法占拠を続けている竹島=島根県隠岐の島町(聯合=共同) ただ、「固有」という言葉からは「元々の」とか「本来の」あるいは「昔からの」という意味が自然に連想されるし、実際、前記のとおり1962年に日本政府は韓国政府に対して竹島は「古くより日本固有の領土である」という主張も述べているのだが、日本政府のいう定義が前記のようなものだとすると、そこに「古くより」とか「本来の」という類いの意味はないということになるのだろうか。著者が言うように日本政府の意味づけが変化したのだろうか。 実はそうではない。政府が使う用語は意味がはっきりしていないといけないので「一度も他の国の領土となったことがない領土」という定義づけが行われているものと考えられる。これなら、ある土地が「一度でも外国の領土になったことがあるかないか」という判定で「固有の領土」に該当するかしないかが明確に判別できる。だから「定義は何か」と問われればそういう回答になるのだろう。しかし、「一度も他の国の領土となったことがない領土」というものは、その間にそれなりの歴史を持っているものだから、その歴史の限りではあるとしても「元々の(古くからの)日本の領土である」と表現できるのもまた当然なのである。 「元々の」とか「古くからの」という類の表現は定義に明確性を欠くので政府の公式定義には採用されないとしても、意味としては「一度も他の国の領土となったことがない領土」という定義と表裏一体のものであり、本質的には同じものなのだ。竹島の場合は江戸時代(17世紀)に日本人が竹島を利用していた史実が確認されているので、「竹島は日本の固有の領土」という意味は「竹島は、17世紀以来の、一度も他の国の領土となったことがない我が国の領土である」ということになる。これは竹島領有権紛争に関する日本政府としての主張の最終結論なのであって、そこには相異なる二つの意味など存在しようがないし、したがって場面に応じた役割分担などできるものでもない。『竹島―もうひとつの日韓関係史』で展開されている批判は、著者の独自の観点に基づくものにすぎない。竹島の歴史竹島の歴史 「固有の領土」ということに関わる範囲で、ごく簡単に竹島の歴史を振り返っておこう。 前記の外務省「竹島問題10のポイント」では、江戸時代の竹島について、日本人が利用していたことを根拠として「日本は十七世紀半ばには竹島の領有権を確立しました」と述べる。これに対し、著者は、そういう主張は歴史的史料から論証することは不可能であって立論に「致命的な弱点を抱えている」と批判する。このことについてまず触れておきたい。 著者がそう主張する理由は、江戸時代に日本人が竹島(今の竹島)を利用していた事実はあるが、ときの中央政府である徳川幕府に竹島を日本の領土として支配するという意思があったことを示す歴史史料はないから、「領有権を確立しました」という説明は全く成り立たない、ということのようである。だが、支配するという幕府の意思があってもなくても、日本人が朝鮮国からもその他のどこの国からも何の異議も受けることなく約七十年間にわたって竹島を利用してきたという史実が存在している。その状態を素直な目で見るならば、それはまさに「日本の領土」であったわけだ。外務省はそういう状態を指して前記のような説明をしているのであって、その論理に別に「致命的な弱点」など抱えているわけではない。「竹島」(現在の鬱陵島)が記されている「日本国図」 ただし、そのときに「領有権を確立した」と表現されるものは、近代国際法上求められる領土要件――先に記したが、国家の統治権が実際にその土地に対して継続的かつ平穏に及んでいる(いた)かどうか――という観点からは必ずしも万全のものとは言えず、日本人が利用していたという史実のみを根拠として他国と領有権争いをするとなると、現代においては通用しないおそれもある。 しかし、日本は後に1905年に至って竹島を国際法に則って公式に領土に編入して実効的な支配を開始したことによって、国際法上も十全の根拠を有することとなった。その間、日本という国が竹島に対して積極的な関わりをしなかった時期はあるが、著者や韓国側の研究者たちがしばしば主張する「日本の中央政権は三度にわたって竹島は日本領ではないと確認した」という史実はない。一方、韓国については、韓国政府の1952年李承晩ライン宣言によって竹島紛争が発生するまで韓国が竹島を統治した実績はなく、また日本の支配に対して抗議したという事実も確認されていない。 以上を要すれば、竹島は17世紀に事実上日本の領土となり、20世紀に入っては改めて国際法上の根拠をも備えることとなったもので、その間韓国の領土となったことは一度もない。だから「竹島は日本固有の領土」すなわち「竹島は、17世紀以来の、一度も他の国の領土となったことがない我が国の領土」と説明しても何の矛盾もない。日本政府が何かをごまかすために「固有の領土」という言葉を用いているというような批判は当たらないのである。「固有の領土」は「強調」「固有の領土」は「強調」 最後に一つ付け加えたいのだが、実は「竹島は日本固有の領土」という表現には韓国の主張に対する反論の意味が込められている。竹島について韓国が「独島(竹島)は韓国の領土である」と主張することに対して、「そうではない。韓国の領土であったことなど一度もない純然たる日本の領土である」と反論し、明らかな日本の領土であることを強調する表現なのである。竹島紛争がないならば「竹島は日本固有の領土」などと言う必要はそもそもないのであって、おそらく「固有の領土」という用語が用いられる実際上の意義はこの点にあるのだろう。そして、そういう強調をするだけの領有根拠は日本側にはあるが韓国側にはない。 ただ、これを逆に言えば、「竹島は日本固有の領土」という結論は正しいものだが、それは竹島が純然たる日本の領土であることの強調表現なのだから、そういう語句を知ることはもちろん大事であるとしても、より重要なのは、竹島が日本固有の領土であると言えるその根拠が確実に理解されることのほうだろう。その根拠とは、繰り返しになるが、江戸時代に日本人が利用していたという事実、そして1905年以降の国家による公式の領土支配の事実である。 「日本固有の領土」という言葉の日本政府の定義によるならば、この表現に反対したい人たちは竹島が一度以上日本以外の国の領土となったことがあるという論証をすべきだが、そういう論証はできない。なぜならば、そういう史実がないからだ。「竹島は日本固有の領土」という強調表現を批判することによって日本政府の竹島領有権主張が何かいかがわしいものであるかのような印象を与える論評に惑わされることなく、領土教育が着実に進められることを望みたい。(平成28年7月19日 記)

  • Thumbnail

    記事

    誰のための政治なのか 桜井誠が自民党に突きつけたもの

    著者 KeroChan(東京都) 7月31日に投開票が行われた東京都知事選挙は、小池百合子氏が291万票を獲得し、大勝した。この選挙では過去最多の21人が出馬し、候補者選びの過程や選挙戦において、混乱やハプニングが相次いだ。私にとっても印象に残る選挙だった。 この選挙では、行動する保守運動代表の桜井誠氏が出馬し、11万票を獲得した。桜井氏は今回の出馬にあたって、外国人生活保護の廃止や反日ヘイトスピーチ禁止条例の制定などを盛り込んだ「日本を取り戻す七つの約束」を公約に掲げた。 都内各地で行われた街頭演説では、各会場によって異なるテーマで演説を行い、多くの都民が耳を傾けていた。また、主要三候補ばかりを取り上げるマスメディアの姿勢を批判したり、妨害に対して徹底的に応戦するなどこれまでの常識を覆すような選挙運動が展開されたことにも注目が集まった。東京都知事選、街宣車の上で演説する桜井誠氏=7月23日、東京都新宿区 こうした桜井氏の11万票を支えたのは、祖国を守りたいと願う保守層である。こうした層は本来、自民党に一票を投じてきた。現在の安倍政権もこうした人々の支持によって支えられている。 しかし、現在の自民党の動向を見た際に、「本当に我が国のための政治を行っているのか?」と疑いたくなることがある。今回の都知事選で自民党が推薦した増田寛也氏は、岩手県知事時代に永住外国人への地方参政権の付与に賛成する発言をしている。国政においても、日韓合意や外国人労働者の受け入れ拡大、ヘイトスピーチ規制法の制定など、我が国にとって、不利な政策が立案・実行されている。こうした中で、外国人の利益ではなく、国民の利益を優先させるべきだという都民の怒りの声が、桜井氏への11万票につながったのではないか。 こうした意見を「ヘイトスピーチ」や「時代遅れ」などとレッテルを貼って、無視するのは簡単だ。しかし、こうした従来の対処の仕方では何の解決にもつながらない。そのことは、現在のEUの混乱やアメリカ大統領選挙でトランプ氏とサンダース氏が躍進したことからも明らかだ。レッテル貼りと数の力で抑えこんだとしても、怒りの声はますます高まるだけだ。自民党はこの11万票を直視し、国民の利益につながる政治や経済運営を本当できているのかを真剣に見つめ直すべきである。安定勢力を確保しているからといって、コアな支持層の影響力を過小評価してはならない。 桜井氏は産経新聞とのインタビューの中で、来年の都議選に10~20人程度の候補者を出馬させる計画を表明した。おそらく今回の「七つの約束」を基にした公約を掲げると思われるが、その他の政策の決定、人材の育成や資金の確保など乗り越えなければならない課題は多い。こうした高い壁をどのように乗り越えるのかについてもぜひ注目したい。

  • Thumbnail

    記事

    子供を虐待リスクから救うには? 地域を活かす子育てのススメ

    著者 プリン 昨今さまざまな事件や出来事が社会問題としてテレビのニュースや新聞に多く取り上げられている。それらは環境、食料、宗教など世界的規模の問題から、いじめ、虐待、自殺そして貧困問題といった我が国の社会的構造やシステムの弱点がそのまま浮き彫りになった問題まで、種類も対象も多様化し一朝一夕には解決できない難題である。 私たち国民はこれらの問題を誰が解決してくれるのかと、ニュースからの情報や統計による数字に一喜一憂し、選挙では少しでもそれらが改善し解決されるよう大きな望みを一票に託し候補者に投票する。しかし、それでどれくらいの問題が解決されてきたのか、そしてこの世の中がどれほど良くなったのか、疑問に思う。これらの問題を一つでも多く解決し、みんなが住みやすい世の中を築いていくために一体どのような人材が社会に必要とされているのだろうか。そしてそのような人材を育成するためにどのような教育が役に立つのだろうか。 数年前、同じ町のアパートで虐待によって幼児の尊い命が奪われる事件があった。普通なら友達と公園など外で遊びたい盛りのころだが、新聞には幼稚園どころか外にも出してもらえなかったようだったとあった。本来なら親や周りの人間から愛情をたっぷり注がれて育たなければいけない時期に、心も体も散々痛めつけられ死に至った。誰も助けてあげられなかったことに無念さを覚えた。 私たちが認識している虐待の数は氷山の一角で、実際にはかなりの数の子供たちが虐待に遭っているといわれている。虐待を受けて歪められた人間の根幹を元に戻すのはかなり難しい。社会にうまく適応していける可能性も低いのではないかと思う。幼児期という人間形成の大事な時期に周りの大人とうまく信頼関係が築けてこそ、成長して社会に出たときに充実した社会生活を営むことができ、そして個々の充実した営みがより良い世の中を築いていく力になるのではないかと思う。 充実した社会生活を営む力とは何であろうか。職業に就くための専門的な能力や知識、困難を乗り切る精神力、他人とうまくやっていく協調性、思いやりの心などが挙げられるが、これらを育むために共通するものがコミュニケーション能力である。互いの心が意味するところを理解し合い、より良い人間関係を築いていく能力をどう育てるか、多くの親が頭を悩ませている。それは、多くの人間と直に接することでしか築けない能力でかなりの時間と労力を要するからである。核家族化で人間関係が希薄になり、密室での子育ては親も子も不幸にする。そしてそれが虐待を招くケースが往々にしてある。 コミュニケーション能力を築くには、大人と作業を共にする工程が子供の成長段階で多く必要とされ、地域の人をどう利用できるかが重要なポイントになる。地域には、環境保護団体や障がい者をサポートする団体やNPO、地域の産業の一端を担う農家や加工工場、福祉施設やシルバー人材センター、公民館での活動など大人がいる環境は多数ある。これらと子供たちをうまく結び付けるため、仲介センターを設けてはどうかと思う。 例えば、母親がシルバー人材センターの清掃活動に子供を参加させたいといった場合、仲介センターに参加可能日を伝えて日程調整を行ってもらい手間を省き参加しやすくする。また、仲介センターは地域の保護者すべてに参加可能な団体の活動内容と日程を配信し、参加を促す。こうすることで参加する子供も団体の方も人間関係が固定されず、多様なコミュニケーション能力が築かれやすくなる。子供は他人と一緒に、清掃という活動を通じた何気ない会話や触れ合いの中から人の温もり、人と接する喜びを感じる。 一人で解決出来る社会問題はない。問題解決には他人と話し合い妥協点を探りながら相手の意思を尊重し、自分の意図も理解してもらうことが必要になる。このようなコミュニケーション能力を豊かに備えた人材が多く育ち、いかなる社会問題も知恵を出し合い解決する、そのような世の中が来ることを願いたい。

  • Thumbnail

    記事

    ユーザー投稿】消費増税で増える貧困層 最低でも凍結、できれば減税を

    著者 中村竜也 消費税の増税を巡り、与野党問わず日々様々な情報が飛び交っている。一つ気になるのが、今回の増税に関する「選択肢」だ。消費税の変更では通常、「増税」「延期」「凍結」「減税」の4通りのパターンが考慮されなくてはならないはずだ。 ところが、政治家達の言い分を聞くと「増税」「延期」の2パターンしか議論されていない。恐らく、大多数の国民も同様なのではないか。 経済財政諮問会議、産業競争力会議の合同会議であいさつする安倍晋三首相(右側中央)。右から2人目が麻生太郎財務相=6月2日、首相官邸 そもそも現在の日本は「延期」の最中なのだ。本来であれば今頃日本は消費税10%になっていたはずなのだが、経済成長を考慮し「延期」された。にも関わらず、日本経済は引き続きデフレだ。理由はもちろん国内GDPの60%を占める個人消費が落ち込んでいるからだ。 個人消費が落ち込めば、平均賃金が下がる。平均賃金が下がれば使えるお金が減る。そこに「いずれ増税するのだから」というデフレマインドが重なれば誰でも将来を不安に思い貯蓄に勤しむのは当たり前の話だ。 つまり、今の政府の議論のままではいずれにせよ、デフレからの脱却は見込めない。消費税増税を延期しても結局は現在の同じことの繰り返しになる。日本国の個人消費を伸ばし、実質賃金を増やすためには少なくとも凍結、もしくは減税が必要だ。 そもそも消費税とは富裕層にとってはさほど大きな痛みではないが、中間層・低所得層に関しては大きな痛みを伴う出費だ。その一方で増税の度に法人税は下がり続けている。結果として富裕層と低所得層の格差は更に拡大しているのが現状なのだ。(にも関わらず1億何たら社会とやらを掲げているが)それが証拠に野村総合研究所が過去に発表した国内富裕層の推移を見て欲しい。 ご覧のように国内の俗に言う富裕層の数は右肩上がりで伸び続けている。日本国内がデフレでGDPが伸びないにも関わらずだ。念のため、補足しておくがGDPとは国内で生産された付加価値の合計だ。それはすなわち購入する側にとっては消費、売る側にとっては所得となる。この三つは必ず=になる。これはGDP三面等価の法則といい誰にも変えられない普遍の法則なのだ。 そしてこちらが、国民の平均賃金の推移だ(名目賃金であり物価を反映した実質でないことに注意) つまり、GDPが下落している=国民の所得が減っているにも関わらず、なぜ富裕層が増えているのか?という問いの答えがこれだ。中間層以下が更に貧しくなり、その分の所得が富裕層に移転しているのだ。そこに前述の消費税増税という更なる負荷が控えてるとあって一体誰が消費を増やすだろうか。 政府の役人(主に財務省関係者)は「少子高齢化に伴う医療福祉のため」などと寝言を言っているが、であればなぜ消費税増税時に必ず法人税が減税されるのか説明する必要があるだろう。挙げ句の果てに国民の平均賃金が下落を続けている現状にも関わらず、規制撤廃、グローバル化、民間資本の投入、外国人労働者の緩和など、「国民を貧しくする政策」を延々と進めているのが安倍政権なのだ。 断っておくが、筆者は決して「延期派」などではない。経済は安倍首相が言う通り生き物であり、その都度の状況で何が正しいかは変わってくる。もし、今の日本がインフレで物価の上昇が凄まじいのであれば(要するに国民の需要が供給を上回れば)筆者は迷うことなく増税が必要だと答えるだろう。増税により国内の消費を抑制し過度なインフレを防ぐのは国家の役目だからだ。  しかし、現実のところ、日本はデフレだ。賃金が下がり消費が増えない現状でインフレ対策である増税に意味はない。そして、現状維持となる延期も同じことの繰り返しだ。まずは国内のデフレマインドを払拭するために最低でも凍結、できれば減税が求められる。そこで個人消費が上がった段階で初めて増税について議論が必要になるのである。 安倍政権を始め、政府の人間は今一度、考えるべきだろう。政府は何のために存在するのかを。筆者としては政府の役割とは国民を豊かにし国家の安全保障を守ること、極論としてこの2点に集約されると信じている。

  • Thumbnail

    記事

    社会で輝く!いま現代女性が求めていることは何か

    著者 吉沢尊文(兵庫県) いまや女性が社会に出て働くことは、ごく普通のことになりました。また近年、女性の意識は大きく変わりつつあり、「働くならやりがいがあって成長できる仕事に就きたい」と望む女性が急増しています。 典型的なものが「女性管理者・女性管理職」で、テレビや雑誌などのメディアで大きく伝えられてきました。「男性顔負けの活躍」が現代の象徴になりつつあると言っても過言ではありません。それを、後押しするのが今の日本の政府であると言えます。 2014年3月28日に首相官邸で「輝く女性応援会議」が開催されました。「輝く女性応援会議」はすべての女性が輝く社会を目指す活動です。輝く女性、輝こうとする女性たちを応援する各界のリーダーたちの輪を広げ、どんな分野でもどんどん結果を残せるように、そして家庭での経験も活かし、またいつからでも働けるように。そんな社会を実現することを目的としたのが「輝く女性応援会議」であります。 そこで私は、女性が輝くためには、いま仕事に就いている女性の労働に対する現状を知る必要があると考え、実際に大阪市内で20~30代の女性50人に無作為にアンケートをとりました。  アンケートは「あなたが仕事を選択するとき最も重視しているものは何ですか?」という内容で、回答は「賃金」「労働時間」「やりがい」「人間関係」「その他」の5つの選択肢から選んでもらいました。結果は「やりがい」と答えた方が20人、「人間関係」17人、「賃金」11人、「労働時間」2人でした。(回答者の職業は、アパレル関係、飲食関係、画廊勤務、ミュージカル女優、保育園の先生、寿司屋店員、銀行員、営業職、歯医者受付、コールセンター勤務、パチンコ店員、法律事務所勤務ほか)。 「やりがい」と答えた方では、「毎日、同じ仕事をすることを考えると自分が好きな仕事でないと出来ない」「例え賃金が高くても、やりがいがないと毎日同じ仕事をやっていくのは難しい」と、人生を長期的な目線で考えている人が多くいました。「人間関係」と答えた方では、「嫌な先輩(男女問わず)がいる職場では毎日ストレスがたまるので絶対に勤務は無理」と全員がはっきり答えてくれました。さらに「人間関係さえよかったら賃金の高さは求めない」とさえ語る方もいました。 そして、「賃金」と答えた方では、結婚するまでの貯金やマンション購入といった明確な目標を強く語っていました。彼女たちの意見から感じたのは、目標を定め前進するんだという強い気持ちでした。しかし同時に、今の仕事は目的を達成するための仕事であることも強く伝わってきました。 最後に、「労働時間」と答えてくれた方は、「資格取得を目指している」「結婚したい」といった願望がある方々でした。前者の方は「大学卒業資格を取るため、勉強時間が必要だから労働時間が一番重要で、残業がないことが前提である」、また後者の方は「仕事ではなく、あくまで結婚が人生の一番の目的であるから、労働時間は短時間で良い」と強く話していました。この点は、限定正社員という制度が生かされるのではないかと考えます。 これらの結果から言えることは、女性がいかに仕事に対してやりがいを求めているか、賃金が高くてもやりがいがなければその仕事は彼女たちにとって決して満足のいく仕事ではないという事実でした。 つまり、やりがいがあり人間関係は良好というのが、現代の女性の求めるライフスタイルであり、女性がもっと輝ける社会の始まりではないかと考えます。したがって、現代の女性が生きやすい社会・仕事環境をつくることこそが、いまの社会で求められている本質ではないか。この「やりがい」を求める女性がいかに仕事場で活躍できるかは政府の方針にかかっていると思います。そういった意味では、女性か活躍する社会をつくり出そうとしている安倍総理は正しい方向に向かっていると考えます。  そのために、例えば、職場で女性への暴力(セクハラやマタハラ・言葉の暴力など)、がある場合はそれを一切根絶していかないといけません。また、女性の敵は男性ではなく、女性の味方は常に男性であるといった社会をつくっていかなければいけません。今、女性が仕事にやりがいを求めている時代こそ、皆で明るい未来を作りましょう。

  • Thumbnail

    記事

    国債政策のレジーム大転換こそが「失われた20年」脱却のカギになる

    著者 daponte(東京都) 某月某日、大学(経済学部)卒業以来久方ぶりにゼミの同窓会があった。卒業以来約30年の月日が経っていた。会が予定より早く終わったので、L君がP君を誘ってもう一軒寄って行こうということになった。まあ二人とも期待していた成り行きであった。 L君はMという上場会社の管理部門の部長である。一方P君はQ大学の経済学の先生である。二人は昔からの友人であり、また議論仲間でもあった。今日も早速始まった。画像はイメージです景気がいまいちだ(L)元気のようで、なによりだね。ところで、自民党の第2次安倍政権が発足して早や3年が過ぎてしまったが、景気が今一つで困っているよ。会社の売上も横ばいが続いていて、利益もさっぱりだ。アベノミクスは失敗だったのではないだろうか。(P)まあ、結果から言うと、成功しているとは言えない。でもいくつか成果もあるので、失敗というのはちょっと酷のようにも思っているよ。ただ今のままでよいかというとそうではなく、早急に打開策を実行して行かねばならない。GDPは1997年度の521兆円(名目)をピークとして、2015年度は500兆円くらいであったとみられる。したがってこの間成長していないどころか20兆円も少なくなっている。これでは山積する諸問題は解決できない。どうしてもパイをある程度大きくしないと各方面の難しい問題に対処できない。(L)いろいろな問題があるが、身近な例から考えてみたいと思う。 わが国の自殺者数は減ってきているが、まだ年間2万人もある。国際的にみても決して少ない方ではない。このうち経済的な理由で自殺した人は4,000人位とみられている。すべてが不況のため自殺に追い込まれたとは言えないだろうが、この不況がもっと早く終わっていれば、多くの人命が救われていたと思われる。先日も乗っていた電車に飛び込みがあり痛ましい結果になってしまった。胸が痛む。 3月10日の産経新聞の「朝の詩」という投稿覧にこんな詩が掲載されていた。  オレのヨイトマケの唄            盛岡市 小笠原 敏夫(83)村一番の貧乏で粥に水足して食っていた三度の飯もままならず体の弱い母ちゃんが暑い日照りの工事場で必死にひいてたヨイトマケオレは見ていた母ちゃんを握った拳ふるわせて母ちゃん哭くな今オレは白米の米を食っている三度の飯も食っている きっと大東亜戦争直後の大変な時代の一場面だったと思われる。しかし、読むのも辛い詩だなぁ。作者は本当に悔しくて悔しくて拳をふるわせて泣いていたに違いない。でもこの作者は今では白米の飯を三度食べている。ところが、現在わが国では6人に1人の子供が満足に食事を与えられていないという信じられないような事態が起きている。P君、どうかね。GDP世界第3位の国でこんな馬鹿なことがあってもいいものだろうか。 この国のデフレが20年も続いているのは偶然でも何でもない。われわれ国民一人ひとりが関わって起きていることだ。とくに政治家を始めとして官僚・中央銀行幹部などの為政者、さらには経済界の重鎮・幹部、経済学者、エコノミストなどの責任は重い。(P)まったく同感だ。経済の話をしているとついつい現実を忘れていることがある。君の言うとおり、経済は「生きる」という人間のもっとも根源的なことを支えていることをいつも頭に置いていることが大切だ。関係するそれぞれの人や組織が知恵を絞って対策を練り、実行していかなければならない。どんな事情があるにせよ毎日の食事に不自由する子供がこんなに沢山いるのは絶対放置できない。こんなことは一日も早く終わらせなければならない。 このように不況のために何十万、何百万の人々が悩み、苦しんでいる現実は関係者の無知および属している組織の利益擁護・追求からくる無策あるいは施策の誤りの結果だという見方もできる。もちろんわれわれ学者も関係者の例外ではない。「失われた20年」の脱却は不可能なのか(P)マクロで言うと、この20年にわたるデフレ・不況でわが国経済が被った損失額はざっと1,000兆円にもなる。過去のGDPのピークは1997年度の521兆円だった。この521兆円という水準は90年代のバブルの影響が残っている水準なので、スタートを500兆円として試算する。それから年率1%(金額で5兆円)の成長を続けたと仮定すると、20年後の2016年度には600兆円になる。1997年度以降のGDPの実績はならしてみると、ほぼ年500兆円前後である。したがってこの実績値合計と1%成長による推定値合計との累計差額は、なんと1,000兆円にもなる。GDPの2年分だ。国民一人当たりに換算すると、8百万円、総額では国債の現在残高に匹敵する。この失われた20年がいかに大きいものだったかが実感できる。 もちろんこの推計は大変ラフな計算によるものではあるが、政策に大きなミステイクなかりせば、1%成長は十分達成可能な水準である。国際的にみても高すぎることはない。なんとしてもこの不況から一日も早く脱出し適正な成長軌道に戻すことが強く要請されている。画像はイメージです(L)よく「失われた20年」という言い方をするが、どういうことかな?(P)1990年からバブルの崩壊が始まり地価や株価が急落した。これが契機となって経済全般が低迷を続け、失われた10年と言われた。しかし失われた10年はいつの間にか20年になり、25年に及ぼうとしている。名目GDP(国内総生産)の最高が1997年であることが何よりもそれを物語っている。国際通貨基金(IMF)によれば、わが国は2009年には中国に抜かれて世界第2の経済大国の地位をゆずり、2014年には名目GDPで中国の半分になってしまった。 また一人当たり名目GDPでみると、1988年から2001年までは日本が世界のベスト5から落ちることはなかったが、2010年に世界17位、2014年では27位にまで落ちてしまった。こうした状況のなかで、このところ成長悲観論、脱成長論あるいは反成長論が経済論壇やメディアで盛んに取り上げられている。(L)日本人は悲観論が好きだから分からないではないが、この国はまだまだ発展の余地がある。またインフラの整備や老齢化の進展への対応、貧困の拡大への対処、教育・人材の育成、防衛力整備など、取り組むべき課題に事欠かない。脱成長論・反成長論などには到底与し得ない。「豊かさを享受」などしてはいられない(P)先日も財務省OBの榊原英資氏が「先進国はゼロ成長時代を迎えた」という所論を書いていた(2016年4月6日 産経新聞 正論欄)。 この記事によると「人類発展の歴史上必然の結果として、21世紀に入ると、欧米や日本などの先進諸国は成熟局面に入り、低成長、低インフレへの時代へ移っていくことになる」とし、「先進諸国の1人あたりGDPは4~5万ドルに達し、それぞれ豊かさを享受している。2010年から14年の平均成長率は日本が1.61%、アメリカが2.16%、イギリスが1.60%、ドイツが2.02%、フランスが1.01%と、1%~2%前後に収斂した」としている。 また「近代資本主義の発展はより遠くへより速く進展することで展開してきたが、もはやフロンティアは消滅した。また産業面においてもフロンティアは開発し尽くされ、新たな分野はなくなり、利潤率は低下し、利子率を大きく減少させることになった」と述べている。そして「『豊かなゼロ成長の時代』とでもいうのだろうか。人々の関心は『モノ』から、次第に環境や安全、そして健康へと移ってきている」と結論づけている。 しかし前述したように、わが日本はこの20数年の間に一人当たりGDPで大幅に順位を落としていて、とても成熟した豊かな国などと言っていられない。榊原氏は2010年と2014年のGDPを比較しているが、この期間の設定に疑問がある。実は2000年と2014年とで比較してみると、日本が0.97倍、アメリカ1.68倍、イギリス1.90倍、ドイツ1.98倍、フランス2.06倍となっている。わが国の低迷ぶりが突出している。しかもこの間に中国のGNPは1,205(十億ドル)から10,356(十億ドル)へと8.59倍の高度成長を遂げた。加えて購買力平価によるGDP(2014年)では、中国が18,088(十億ドル)、アメリカが17,348(十億ドル)となっている。今や中国が世界1位のランクを誇っている。これではわが国が「豊かなゼロ成長の時代」を是とし「豊かさを享受」などしてはいられないのは自明であろう。(L)榊原氏は本気でこうした低成長容認論を書いているのだろうか。(P)そういえば先日私の同僚の某教授いわく「榊原氏はこれからは低成長が続くのは当然であると主張することによって、財務省の財政均衡論・財政緊縮論を支持すると同時に、日本銀行によるインフレ率2%公約の達成は不要であると間接的に主張したいのではなかろうか」と言っていた。ちょっと穿ちすぎかと思うが、そうとも受け取れるね。デフレ・低成長の原因と背景(L)率直なところ、この20年間の不況対策は失敗の連続だったようにみえる。失敗という言葉が言い過ぎならば、政策・対策がtoo late, too little であった。そしてそのもっとも重大で致命的な原因は、政府とくに財務省と日本銀行の 考え方のなかにあると思う。端的に言えば、財務省は財政健全化という名分のために適切な財政政策の遂行を怠った。そしてそれは今でも変わっていない。一方日本銀行はインフレ忌避に関して戦後ずっと続いてきた伝統から逃れられず、事実上デフレを容認してきた。2013年以降黒田体制になって大きな変化を遂げたが、当初予定した結果が得られていない。昨今の情勢から判断すると、そもそも金融政策には限界があること、すなわち財政政策と金融政策とが一体となって運用されることが不可欠であるという当然のことがはっきりしてきているようにみえる。君の意見はどうかな?(P)ずばり言ってしまえば貴君の言うようなことかもしれないが、財務省も日本銀行もそれぞれ懸命に努力してきていると考えている。ただ前にデフレの長期化は「関係者の無知および属している組織の利益擁護・追求からくる 無策あるいは施策の誤りの結果」だという見方を申しあげたが、残念ながらそのとおりだ。ただ大きな組織のなかである個人が現在認められている政策と異なった考え方を抱き、それを主張・実現していこうとすることはきわめて困難だし、いずれ組織からはじき出されることになる。想像を絶する困難さだと思う。日本銀行の白川前総裁もそうした苦渋を舐めさせられた一人であったとみている。 なお政策に関してもっとも重大かつ最終的な責任は政権与党にあることを看過してはいけないのではないか。この20年間の実績から言うと、自民党、民主党とも経済政策に関して必ずしも及第点を取ってきたとは言えない。政策の内容・方向が間違っていたり、内容・方向は妥当であってもその実行についてなにかと問題を残したことがある。画像はイメージです(L)君の言うとおりかも知れないが、それでは、不況脱出は不可能ということになってしまわないか。政党も役所も中央銀行も職場放棄みたいな話だ。現在のようなデフレ状態をいつまでも放置して置くわけにはいかない。この国は何しろ20年もこうしたことを続けているわけだからね。この罠から抜け出すためには、この際どんなに困難でも腹を決めて対策を打ち抜かなければならないと思う。安倍政権は頑張っていると思うが、さらなる健闘を期待したい。これからどうすべきかについて、かねて具体的に考えていることがあるので、君の意見を聞かせてほしいな。 その第一は、思い切った額による財政政策の出動を継続的に行なうこと。その第二は、その実行を可能とするために国債政策のレジーム(regime)を大転換すべしという2点である。思い切って実行することによって不況からの脱出が確実になるし、また財務省の悲願である財政健全化への道が開けてくる。第二について言えば国債発行の累積はなんら危険ではないし、避けるべき事柄でもない。またこうした考え方は現在では次第に少数意見ではなくなってきている。(P)そのことについては私も関心がある。君の考えをぜひ詳しく聞かせてほしいな。リフレ策は賞味期限切れ(L)まず財政政策なかんずく公共投資を大いに復活させるべきである。その財源は国債増発である。曲折を経てリフレ派による金融政策が日本銀行を通じて進められてきた。当初株価・為替に好影響を与えたように見受けられたが、ここへきてその効果が疑問視されるに至っている。企業業績も上向きであるが、賃金にはほとんど反映していない。もともとtrickle効果などを期待するのが甘い。その結果消費は依然として低迷を続けており、デフレ圧力は減少していない。日銀による物価の公約も到底果たせそうにもない。民間企業はお金を貯め込むばかりで投資には向かわない。投資をしても売上も増えないし利益も稼げないことが 分かっているからである。リフレ策は賞味期限切れである。アベノミクスは立ち往生している。本来第2の矢である財政政策がもっと活躍すべきであったが、財務省の策略か、第1の矢にほとんどすべての期待が寄せられてきた。画像はイメージです 18年前にリフレ策をわが国に最初に勧めたかのクルーグマン先生も2015年10月のニューヨーク・タイムズ紙で「Rethinking Japan」と題して今の日本経済ではリフレ策に限界があることを認めざるをえなかった。そして確実にインフレを起こす唯一の方法は爆発的な財政刺激を加えることだと述べている。ここでクルーグマン先生は「重力圏を脱する速度(escape velocity)」が必要との表現を使っている。中途半端な速度では不況からの脱出は不可能であると主張したいのだろう。その額はGNP比6%(30兆円)だとしているようだが、こうした拡張策は財政赤字をますます大きくするので実務的な政策になるのは絶望的だとも言っている。無責任な話だ。 小野盛司氏によれば、日経紙の日本経済モデルNEEDSで試算したところ、日本経済復活のためには少なくとも30兆円規模の対策を数年間続ける必要があることが分かったと述べている。計量経済モデルはなにかと問題があるが、他のデフレギャップの試算等から推してもこの程度の額が必要と想定されよう。財源の捻出については次に述べるが、必要とされる額の財政投資を実行する以外に他に道はないのではなかろうか。それとも座して死を待つのか。(P)L君、忙しいのによく勉強しているね。リフレ派に関しては同感するところも多々ある。ただ30兆円の公共投資を数年続けるのは大変なことだよ。国債政策のレジーム大転換が必要(L)そうなんだ。大変なことだと思うよ。財務省が猛烈に抵抗するだろう。だからこそ国債政策のレジームの大転換が必要だと考えているのさ。 まず表を見てほしい。この表は国債の発行から償還までの流れを中央政府 (財務省MOF)、中央銀行(日本銀行BOJ)、市中銀行、家計(個人)の4部門に分けて示したものである。取引が行われるとそれぞれの部門の貸借対照表上で資産と負債に仕分けされ記帳される。表はその動きを示している。金額単位は別に必要ないが、億円でも百万円でもよい。 StageⅠでは、家計が通貨(現金)を100(億円)所有しているとする。これがスタートである。この通貨はBOJでは負債として記帳される。言うまでもなく通貨はBOJ以外では資産として記帳される。 StageⅡでは、家計がこの通貨を市中銀行に預金として預入したとする。市中銀行は資産に通貨を、負債に預金を記帳する。家計は資産に預金として記帳する。 StageⅢでは、市中銀行が通貨をBOJに対して預金として預入する。その結果BOJの通貨勘定に発行と還流とが同時に発生するので両者は相殺される。 StageⅣでは、MOFが国債を発行して市中銀行がそれを引受ける(購入)。その代金はBOJにあるMOFの勘定の預金として記帳される。発行された国債はMOFの負債勘定に記帳される。 StageⅤでは、BOJが買いオペレ-ションを実施し、国債はBOJの資産勘定に記帳される。 StageⅥでは、MOF(実務上は国土交通省)が国債発行で得た通貨によって公共投資を行なう(道路で60、橋で40)。支払われた通貨は民間企業(建設会社等)の資産勘定に記帳される(この表には表示されていないが)。 StageⅦは、StageⅥと同じ内容であるが、整理して表記したものである。 ここで注目されることは、BOJの負債勘定から右にある市中銀行、家計までの勘定がStageⅢと同じになっている点である。一方、国債発行、買オペ、公共投資が行われた後のMOF、BOJの資産・負債が示されている。すなわち結果として市中銀行と家計にまったく影響を与えないで(徴税などによって民間から資金調達をせずに)、MOFは公共投資を実施したことが示されている。民間企業(建設会社等)は100の仕事を得て、100の所得(収入)を得たのである。その分GDPは増加する。これが不況期(供給力に余裕がある場合)における  景気対策の内容を財務諸表のうえで具体的に示したものである。 次に将来国債の満期が到来した時にはMOFは同額の別の国債を発行(借換債の発行)すれば同じ資産・負債を保持することができる。民間から税金を徴収して償還する必要はない。この点が重要なポイントである。 またStageⅦに示したようにMOFの負債勘定とBOJの資産勘定を相殺することも可能である(MOFはBOJの株式の55%を所有している。すなわちBOJはMOFの子会社であり、財務諸表を連結することができる)。黒田総裁の最大の功績(L)日本銀行による既発国債の買いオペレーション(StageⅤ)については、従来日本銀行は消極的であると言われてきた。大東亜戦争時における日本銀行の国債引き受けが激しいインフレを招来した歴史があるためである。しかし2013年以降、新体制となった日本銀行は異次元金融緩和政策の一環として、市中の金融機関等からの買いオペレーションにより大量の国債を保有するに至った。2015年12月末の国債発行残高1,036兆円のうち日本銀行の保有額は331兆円(32.0%)である。数年前までは考えられなかったことが起きている。これはリフレ派が日本銀行の中枢に席を得た必然の結果である。白川氏の辞任を受けて日本銀行総裁に就任した黒田氏およびその同調者の最大の功績は国債の買いオペレーションを日常化させた点にあると言っても過言ではない。記者会見する麻生財務相(左)と黒田日銀総裁=5月3日、フランクフルト(共同) 現在日本銀行は新発国債を政府から直接引き受けることはできないことになっているが、上記の事実は若干のラグを経て直接引受けを可能にしたことと同義である。そしてさらに重要なことは、この結果政府(財務省)は日本銀行が保有する国債残高に関しては、事実上償還義務から開放されたと解することが可能になったことである。すなわち現在の国債残高を700兆円と観念することができる。 ここで想起されることは、シニョリッジ(seigniorage 通貨発行益)である。現在わが国では政府が直接通貨を発行することはできないことになっているが、かりにそれが可能であれば、シニョリッジによって財源を得ることができる訳である。そして日本銀行の買いオペレ-ションの実行は事実上同じ効果を生んでいる。 その他に、買いオペの価格(金利)と経理処理の仕方、金利高騰時におけるオペについての問題点、市場や外国からの国債の売り浴びせへの対応、国債残高の対GDP比率の捉え方(アメリカの格付け機関への対応)等々の問題が考えられるが、それぞれ十分に解決あるいは対応可能である。ただしここでは省略する。 通貨や国債の信用は一体何に立脚しているかを考えてみると、実務的には政府の徴税権の存在である。徴税権が確保されていなければ、通貨や国債は唯の紙切れになりかねない。そして徴税権の実行を可能にするのは、課税の対象である民間企業と家計(個人)の存在であり、究極的にはその経済力の強さと大きさの存在である。そう考えるとわが国の通貨・国債の強靭さが納得できよう。ギリシャとはまったく異なる。 これらのことから断言できることは、国債の累積によってなんら困難な問題を引き起こすことはないということである。以上について政府中枢、財務省、日本銀行が理解・納得すれば、従来の財政均衡主義とは異なったスタンスで、新規国債発行によるデフレ対策を強力に 推進することが可能になると考えられる。もちろん現時点においてすでに理解・納得している関係者も若干はあると思われるが、それが大勢を占めている訳でもなく、またこうした考えが公式見解になっている訳でもない。しかし今こそ大胆かつ異次元の財政政策の出動が待たれている。広く理解が得られる日が一日も早く到来することを切望したい。(P)なるほど、一応君の考えていることは分かった。ただどうも直感的には納得できにくい内容だ。学者仲間にはそういう主張をする人は見当たらない。 物理学(力学)の世界の話だが、ピサの斜塔からの自由落下実験にしても最初はだれも認めなかったと言われている(重い物ほど早く落下するとしたアリストテレスの公理を否定したガリレオ・ガリレイによる実験)。別途ゆっくり考えてみることとしたい。

  • Thumbnail

    記事

    デフレを続け地方を食いものにする民間議員を名乗る一般人

    う。 日本はデフレ脱却の名目で地方の財政をさらに貧困化させているが、お隣の自称共産国はどうだろうか。<中国、北東部の経済再生に向け金融支援拡大へ> 中国は、北東部の経済再生を促すため、今後5年間に追加金融支援を行う方針。国家発展改革委員会(NDRC)で北東部の再生を担当する周建平司長が10日、明らかにした。 同司長によると、政府は今後3年間に同地域で130以上のインフラ事業の立ち上げを計画している。 また、「資源が枯渇した」多くの都市が経営破綻やレイオフに対処し、多額の環境浄化費用を負担するのを支援するため、金融支援を拡大するという。 具体的な金額には言及せず、最終的な額はニーズに左右されるとした。 中国北東部は鉱業や重工業の中心地としてかつて栄えたが、近年は資源枯渇と景気低迷にあえいでいる。(2016年5月11日、ロイターから引用) デフレにも関わらず地方の経済力をより奪い続けてる日本と、明確な投資での支援を行う中国。どちらが正しい経済政策か一目瞭然だろう(中国は中国で供給過多に悩まされているが)。中国の場合、いくら嘘で塗り固めようとも国民の貧困はごまかせない。ただでさえとてつもない格差が存在する中国で(この時点で共産国家ではないが)これ以上貧富の差が拡大しようものなら、天安門事件並みの暴動が起きかねないため、政府はやらざるを得ない事情もあるが、少なくともデフレ脱却のためには正しい政策を行っていることになるわけだ。 こうなると、いったい誰が日本の経済を長いデフレに浸からせたままにしているのか誰の目にも明らかだ。しかも信じられないことに、重要政策に関する会議は一般に公開されず内容も議事録を通してしか伝わらない。これが民主主義なのだろうか。 昨今、多くの老若男女が安保や原発で国会前でデモをしているが、彼らは考えるべきだろう。いったい誰が今得をしているのかを。

  • Thumbnail

    記事

    紛争はひたすら回避 外交無策の外務省が国を亡ぼす

    著者 長尾勝男 近年、米国内では中国系を中心とする「世界抗日戦争史実維護連合会」が連邦・地方議会をはじめ首都ワシントンなどを舞台に、日本の戦時行動を糾弾し訴訟や宣伝工作を展開しており、慰安婦や南京虐殺にとどまらず、尖閣諸島や竹島領有まで日本たたきが行われている。にもかかわらず、火消し役であるはずの外務省は無策のまま、やられっぱなしの現状である。 なぜなのだろうと思うのは私一人ではあるまい。今まで公表されている書籍や各種メディアを通して得た情報をもとに、その理由について考えるとともに想起される状況について述べることとしたい。紛争回避が我が国外交のスタンス 2010年9月に起こった魚釣島近海で違法操業の中国漁船が我が国巡視船に体当たりした事件は、中国の加害漁船船長を無罪放免にし、犯行現場を撮影した映像を非公開としたことで明らかなように、できる限り波風を立てず、事を穏便に済ませようとしたのがうかがえる。 これらは政府、とりわけ外務省の意向を汲んだ措置である。背景には自国船長の逮捕を知った中国政府による日本向けレアアースの禁輸制裁、日本企業社員をスパイ容疑ででっち上げ逮捕拘留するなどの報復、我が国国民の反中感情が沸騰するのを恐れたことなどによるのは明らかである。 これには過去に幾つかの先例がある。1970年3月に起こった赤軍派によるよど号ハイジャック事件の際には、犯人グループの言うがまま北朝鮮に亡命させた。人質をとり日本政府を脅した、いわゆるテロであったが、極度に人命をおもんぱかったため、やすやすと相手の脅しに乗ったのである。身柄を拘束され、強制退去のため、成田空港に姿を見せた金正男=2001年05月04日 2002年5月、中国の瀋陽事件では、日本領事館に助けを求めてきた脱北者を現地外交官が見殺しにし、中国の官憲に領事館内への侵入を許したあげく逮捕させた。2001年5月の金日正の長男、正男の密入国事件では、成田空港の入国管理局が拘束したものの小泉首相・田中真紀子外相の強い意向で国外退去処分として全日空機を用意しわざわざ北京まで送った。 また「朝鮮王室儀軌」は、韓国の要求にこたえ、返す必要がないのに言われるまま返還、一方で対馬の寺院から盗まれた仏像(銅像観世音菩薩坐像)は、いまだ韓国が日本から略奪されたものだと主張し返還を渋っている。 これらのことを思い起こせば、問題が起きたとき相手を極力刺激しないように配慮するあまり相手の圧力に屈し、予見される紛争をひたすら回避することが外交の基本的スタンスであるとうかがい知ることができる。省内に巣食う反日分子の存在省内に巣食う反日分子の存在 歴史非難に関して、慰安婦問題および世界遺産問題を事例にみると、現在50人の日本の学者たちが'慰安婦'問題に関し、マグロウヒル社および米国学会に抗議を行っているにもかかわらず、外務省は外交手段を用いようともしない。 中国による南京大虐殺文書の記憶遺産登録で問題化したユネスコ審査部は、日本人の審査員を小人数しか置かず、3月7日に国連女子差別撤廃委員会が出した「最終見解」には、慰安婦問題について極めて不当な見解が出されている。その原案には、「皇室典範」の「男系の皇位継承」が女子差別にあたり、改正を求める趣旨の記述まであった。 同委員会委員長の林陽子氏を国連に推薦したのは、ほかならぬ外務省である。1996年、性奴隷と認定したクラスワミ報告書に対し明快な反論文を作成しながら、なぜか別文書にすり替えた件などを考え合わせると、省内に我が国をおとしめようとする勢力が存在するのは明らかである。 平成19年、アジア女性基金解散後、外務省独自にフォローアップ事業と称して毎年度、韓国の元慰安婦と称する人々に1500万円の予算を付け生活必需品を支給したり、中国緑化運動に支援金90億円を計上したりするのは、相手国側に忠節を尽くす意図の表れにほかならない。明らかに君側の奸が存在することの証しである。無責任な体質の継承 1941年12月8日、日本時間の午前8時までに行うべき最後通告が、在米日本大使館員の不手際で間に合わなかった結果、日本は米国に対してだまし討ちをしたことになった。 このことに対し外務省の直接の担当者及びその上司が責任をとったという話を聞いたことがない。在米一等書記官の奥村勝蔵は開戦前日の最後通告解読文をタイプに打ち込む担当であり、最後通告の手交遅延の直接責任者であった。当日遊びに出て大使館を留守にした。その彼が戦後マッカーサーと天皇の通訳を長らく務め、講和条約発効後は外務省の外務次官になっている。 井口貞夫・在米参事官は真珠湾攻撃の前日、本省からあらかじめ万端の準備指示があったにもかかわらず、緊急態勢を敷かなかった。その後彼は1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約締結時外務次官として列席した。結局、外務省は真珠湾だまし討ちの謝罪を公には全くしていないのである。なぜなら自分たちの責任に及ぶからである。 真珠湾50周年に際し、時の外相、渡辺美智雄がワシントンポストに「旧日本軍の無謀な判断で始まった」と述べており、悪いのは軍部で外務省に責任はないと言っているのである。 2年前の2014年7月、北朝鮮とのストックホルム合意に基づき制裁の一部を解除したその後拉致被害者に関する進展はなく交渉に当たった責任者(伊原純一アジア大洋州局長)は何らおとがめなしであるところを見れば、省内に延々と受け継がれていることが分かるのである。つまり、結果に対し責任をとらないでよいことになっていると考えざるを得ない。札束外交の虚しい影響力札束外交の虚しい影響力 昨年11月マレーシアで行われたASEAN国防相拡大会議では、南シナ海問題で意見の一致が見られず共同宣言が見送られた。背景にあるのは中国のASEANに対する経済的、軍事的圧力であり、中国の了解なしには何も決められない実態が明らかである。 安倍首相は福島県いわき市で開催された「太平洋・島サミット」で、パラオなど南太平洋の島しょ国に今後3年間で550億円以上の財政支援を表明した。首相は、「力による威嚇や力の行使とは無縁の太平洋市民社会の秩序」の構築を呼びかけ、名指しは避けたが、中国を牽制した。要するに、島しょ国が“中国寄り”にならないように、カネを渡して日本シンパにしようということだった。「太平洋・島サミット」の首脳会議に臨む、太平洋島しょ国14カ国の首脳ら=2015年5月23日、福島県いわき市 これは、当初から外務省がお得意のODAや各種支援金と軌を一にしたやり方である。なんと、この2年半で、アフリカ支援に3兆円、バングラデシュ支援に6000億円と、ODAや円借款を積み上げると26兆円に上る。支援がすべてムダとは思わないが、いったい、どれほどの成果があったのか。だから手の内を読まれ、足元を見透かされている。外国にとっては、格好のカネづるになりかねない。資金援助してもらえる国はニコニコして、表面上は日本をチヤホヤしてくれるだろうがそれだけのこと。支援が途切れたらソッポを向かれるのは明らかである。亡国への道筋を避けるには はっきり言えば、外務省がやろうしている外交が全く機能しないから、バラマキや軍事的抑止力に頼らざるを得なくなってしまうのである。仮にこのままの外交姿勢を続けていくと、徐々に国家主権を奪われ、いずれ日本は詰んでしまうことになる。 既に首相の靖国参拝参拝がはばかられる事態をはじめ、国連人権理事会や差別撤廃委員会による人種差別撤廃(ヘイトスピーチ)の法的規制や皇室範典の違法性、竹島など主権侵害の進行がそれを物語っている。手を替え品を替えて国民の手足が縛られていくのを、亡国と言わずして何と表すればよいのであろうか。 クラウゼヴィッツの言を待つまでもなく、戦争とは意思を敵国に強要するための暴力行為である。あくまで暴力行為は手段であり、目的は意思の強要である。意思の強要さえできれば、暴力行為は必ずしも必要ではない。外交が血を流さない戦争といわれるゆえんである。外交官はじめ外務省職員がこのような自覚を持たない限り、日本は亡国への坂を下り続けるに違いない。 国際社会は指摘されたことを"素直に認めて謝罪すれば、それで相手は矛を収め、真の和解につながるというほど甘くはない。逆に日本が受け入れられないと拒否する姿勢を示したことで、国連が微妙にスタンスを変更した例が、それを証明している。  例えばクラマスワミ報告に対して、ラディカ・クラマスワミの出身国であるスリランカを、今後、ODAを一切提供しないと恫喝すれば多分採択されなかった可能性が大きい。"良い、悪い"ではなく、国際社会とはそうした力学によって動いているのである。 北朝鮮政策では対話と圧力といわれる。対話については幾度となく行われているが、相手が音を上げるまで圧力をかけたことは一度も聞いたことがない。かけすぎると暴発の恐れがあるとの脅し文句が必ず浮上する。それではいつまでたっても拉致被害者は帰っては来ない。相手の反撃を恐れて手をこまねいていては問題は一向に解決はしないのである。 ただし、ここで忘れてはならないことは、国連詣でを繰り返し、職員を焚き付け、日本をおとしめる勧告を採択させているのは、日本人だということである。何しろ、真の敵は反日日本人なのである。外交の健全化にはまず、このような反日分子及び圧力団体を一掃することが先決である。(海自OB)

  • Thumbnail

    記事

    弱小ニッポン農業、TPP契機に欧米列強を迎え撃て!

    著者 谷重彦(三重県) 農業に限ったことではないが、競争力を高めるためにするべきことは、消費者ニーズに合った高品質なものを安く、かつ早く提供し、そのことを継続していくことである。そのためには市場調査を行い、消費者ニーズに合った物を生産・流通の合理化によって低価格・高品質で販売し、市場を拡大していくことが必要になる。ただ、これらは一定のビジョンを持ち、戦略的に行われることが最も重要だ。 日本の農業について考えてみると、このビジョンと戦略を持つことが国の農業政策と言えるであろう。だが、今のわが国の農業政策は競争力を高めるものと言えるのだろうか?   私はそうは思わない。建前はともかくとして、現状は国民全体ではなく一部の農業関係者の利益を目的に、あらゆる規制、保護によって閉塞状態となっていて、国際化どころではない。例えば「損・得」で言うと、すべての政策はそれによって損をする人と得をする人を生む。一部の人が損をするからといって、例え多くの人が得をしてもその政策を採用しないとすれば、全体を向上させることはできない。ここで言う一部の人とは農業協同組合職員30万人、農協組合員500万人、そして農政に関係する官僚、政治家であり、全体とは日本国民全てである。これから日本農業が国際競争力を高めるためには日本国民全体の将来を第一に考えた政策が必要である。  そこでまず、日本農業の現状の中から以下6つの事実を押さえておく。 (1)「全農家に占める第二種兼業農家は6割」  第二種兼業農家とは役所・農協・民間企業などに勤務しており、農業からの収入を期待するよりは、将来の転用益を期待するなどの理由で土地を持ち続けるために農業をしているサラリーマンたちである。(2)「兼業農家はサラリーマン世帯よりも高所得」  2002年のデータとして兼業農家の平均所得が792万円、サラリーマン世帯は646万円である。(3)「兼業農家はコメ作に集中」  生産額シェアとして兼業農家が占める割合は野菜18%、牛乳5%に対してコメは62%。コメはサラリーマンが片手間に農業しても生産できるということである。(4)「狭い耕地面積、低いコメの単位土地面積当たりの収穫量」  一戸当たり農地面積の国際比較として、日本1.8ha、アメリカ181ha、EU16ha、オーストラリア3407ha(平成20年度「食料・農業・農村白書」)。又、コメの単収についていうと、コメ農家の占める農地面積は農家全体のおおよそ6割あるのに、農業生産額では2割しかない。これはコメ作が兼業農家によって非効率に行われている結果である。(5)「GDPに占める農業の割合は1%、農林水産業で1.1%であるが、政府予算に占める農水省予算の割合は4.7%」(平成22年度一般歳出予算)(6)「2008年、日本の農業総生産額8.4兆円のうち、コメが1.9兆円、野菜2.1兆円、畜産2.6兆円」補助金漬けになっているコメよりも野菜や畜産の方が生産額が多い。改革による一定の痛手は覚悟を これら6つの事実からわかることは、日本の農業は零細で非効率的であり、その大半を占めるのが主にコメを作る比較的裕福な兼業農家である。そして国内生産額が少ない割に多くの国の予算が付けられているということである。 さて、このような非効率的、非合理的な状況になっている原因は何であろうか。それは農協・自民党・農水省によって「小規模兼業農家戸数」の維持が図られてきたためである。 具体的に例を挙げると、(1)米価維持(高関税と生産調整)、(2)農地法(一般企業の参入制限、農地利用・流通の制限)、(3)農協の優遇(銀行等の農協金融への参入制限、金融・経済の兼業が認められている) 私は日本農業が国際競争力を高めるためには、まず農協改革、具体的には農協団体の持つ優遇面の大幅な撤廃により金融・経済両活動の分社化を行い、それぞれ税制や監査制度を一般企業・銀行等と同じ基準に合わせるべきであると考える。もちろん銀行等の市場参入を促すために貸付時の信用保証も付けられる仕組みにする。次に農地法改正により株式会社をはじめ一般営利企業の市場参入の自由化。農地転用や農地売買の条件緩和を行い、農地の集約化、大規模化をはかり生産性向上など、生産や流通のコスト低減を実現する。そして状況に合わせて関税、生産調整の見直しを行うことであると考える。 もちろん、これらの改革によって一部の人といえども大きな痛手を伴う点は覚悟しなくてはならない。そこで、最終的なソフトランディング策として、戸別の所得補償制度や転職に際してさまざまな特別優遇措置を講ずる必要があるだろう。 私は幕末のペリー来航から始まった日本の開国と今の日本の農業が重なって見えて仕方がない。ペリー来航の後、日本の開国は多くの日本人が正しかったと認識していると思うが、相当な困難が伴ったのも事実だ。今回のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をきっかけにした農業の国際化でも、関係する人々が一定の大きな痛手を負うことになるだろう。  だが、競争力が高まることで、それ以上に日本の国益に叶うものであると信じている。 今、農協改革は始まったばかりである。一部の人が損害を被ることもあるだろうが、国民全体が得をする政策を実現するためにも、日本農業の発展に向けた支援をしていくことが求められている。※参考文献 『日本の農林水産業』日本経済新聞社、八田達夫・高田眞(2010年11月22日発行)

  • Thumbnail

    記事

    慰安婦合意で見せた「日本らしさ」 首相の意志に希望はある

    著者 河合芳典〈例えば外国人相手の日本人の教師は、外国人学生に対して、日本語の発音、文法だけでなく、語用論的な問題、たとえば日本の社会での言語行動の特徴について、日本語は相手の気持を察する高文脈言語であるといったことなども教える、つまし結果として学生をタタミゼ化する教育を積極的にしていることになります〉 『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』(新潮選書)の著者、鈴木孝夫氏によると、tatamiser(タタミゼ:畳の動詞化)とは、最近使われるようになったフランス語で、 良い意味で「日本かぶれ」「日本贔屓になる」、悪い意味では「日本ボケする」というような意味だそうです。〈これに反して日本にいる外国人(語学)教師の多くは、むしろ彼らの文化を基準として、日本人学生がアメリカ人やフランス人のように考え行動するようになることを目標にして、学生を教育するため、自分のほうが言語的文化的に日本的になることが少ないように思われます〉 なるほど、そうかもしれません。揉め事になると、とりあえず謝ってしまう。自分自身に非がなくても、諍(いさか)いを起こしていること自体、世間を騒がしていること自体に謝る。疑問を感じつつ、ご親切にも認めてやれるところを探してしまう。そういう子こそが、日本国内では「いい子」です。そうであれと育てられました。 ところが大人になり、殊に海外に出てみると、それじゃダメだと叱られることになりました。国内で美徳とされたものが、国際社会においては悪癖であるかのように言われます。実際海外で暮らし彼の国の人々と渡り合うには、否が応でも日本人らしさを捨てなければならないのかもしれません。 良い悪いではなく、そうして外国で戦ってきた人々にとって、先般の日韓合意は信じていた人に裏切られ、はしごを外されたと映っているようです。決して謝ってはいけなかった。相手の言い分を一寸たりとも認めてはいけなかった。事実、日韓外相共同記者発表にある「軍の関与の下に(with an involvement of the Japanese military authorities)」 との文言がもとで、「日本政府が、ついに軍による強制連行・性奴隷を認めて謝った」式の報道がなされたではないか、自分たちの努力は何だったのか、ということのようです。日韓首脳会談を終え、記者の質問に答える安倍首相=2015年11月2日、ソウル市内のホテル(共同) けれど今、この情勢の中、首相や外相の地位にある人が「従軍慰安婦というのは戦地売春婦で高給取りでした」と「本当のこと」を言えば、どうなるでしょう。そんなことをしても、誰にも届かないし、「歴史修正主義者」のレッテルを貼られ、信用を失い、ますます話を聞いてもらえなくなるだけではないでしょうか。政治家が自分の心情に忠実になりすぎて、世論や空気から浮いてしまっては、結局何もできなくなります。 首相も政府も「少女達を強制連行し性奴隷にして後に20万人を殺害した」なんてことは決して認めていません。そこを押さえたうえで、精一杯アチラ側に「歩み寄って」みせ、韓国系の「運動家」たちに対する疑問が出始めたところに、それでもコチラ側から「謝って」みせました。 人は理性だけではなく、感性というものを持ちあわせています。比重はともかく、それは人類共通です。 首相は、理の通らぬことを飲み込み堪えて、それでも慰安婦がらみの反日運動は何としてでも終わらせるんだという、政府としての意志を示しました。その成り行きを世界が見ていたというところには、絶望だけではなく希望もあるのではないか。私はそう思っています。

  • Thumbnail

    記事

    普通の人生を送ったほうが良さげな若者たちの「幕末の志士」ごっこ

    著者 KeroChan(東京都) 大学生や高校生が政策を考えて、有識者に提言を行う団体が増加している。このような団体は、日本の将来を担う人材の育成を一番の目的としており、選挙権年齢が18歳以上からに引き下げられたことをきっかけに注目されている。 先日、とある団体に所属する大学生とその幹部が、BS放送のニュース番組に出演していた。大人では思いつかないような新しい議論を期待したが、それは見事に裏切られた。この日のテーマは少子化問題と地方創生。どれも一刻も早い解決が求められる重大な問題である。二時間の議論の末、提言されたことは、「同一労働同一賃金」「男性の育児休暇の拡充」「地方に関わる当事者を増やす」というものであった。どの提言もすでに世の中で議論されているものであり、彼らの提言に新しさと深みを感じることはできなかった。 学生達が求められていることは、大人達が気付かない、または目を背けているような、制度の欠陥や罠を指摘し、それをできる限り解消するような政策を提案することである。それが満たされてはじめて、彼らの目指す日本の将来を担う人間になれるのではないか。こうした感覚を持つには、自分自身の人生経験を基に、自身の思想や哲学を持ち、それを活かそうとする姿勢である。今回の番組に出演していた学生達は、大人達(団体幹部や講師)からあらかじめ教わった価値観に拘束され、世の中において「新しい」「革新的」とされるものをひたすらコピーしているだけなのである。番組内でのキャスターとのやりとりにおいても、このような傾向が感じられるシーンが多数見受けられた。 「若者にこのような能力を求めることは酷なことではないか」、あるいは「厳しい声を浴びることによって、学生達が委縮してしまうのではないか」と思われる読者の方もおられるだろう。しかし、現在の日本経済を支える人材が団体の幹部であり、政界や財界の中心人物から直接レクチャーを受けるという大変貴重な機会に恵まれている以上、それなりの政策立案能力を求められるのは当然のことである。とりわけ、被選挙権年齢の引き下げが検討されている現状においてはなおさらだ。 今回取り上げた団体に限らず、どの団体も、明治維新で活躍した「幕末の志士」を目指そうとしている。「坂本龍馬のように日本を変えたい!」といったものだ。今回の番組に出演していた彼らもそのことをよく口にしていた。しかし、何の思想や哲学を持つこともなく、単なる憧れで「幕末の志士」になりたいと思っているのであれば、何もせず、普通の人生を送った方が彼らにとって余程有益である。

  • Thumbnail

    記事

    国民が正しい日本の歴史を取り戻す時期が来ている

    著者 石原秀和(兵庫県) 「戦争法案」「徴兵制」などレッテル貼りに騙されている主婦や学生に目を覚まして欲しい。 我国日本国の存立を脅かしつつある周辺事態の更なる悪化に備えて国民の生命・財産を守る目的で万全の防衛体制を整える為の安全保障関連法案に反対の為の反対をしている野党やマスコミによる「戦争法案」「徴兵制」などという反日プロパガンダに動揺している主婦や学生に目を覚まして欲しいのですが、戦後70年を迎えるにあたり発表された談話で安倍首相が述べておられるように、「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならない」と思います。 我国は、ロシアの南下によって植民地支配をされないため、国の存亡を掛けて日露戦争を戦いました。「戦争」というものは、当時軍隊を持っていた日本でも、簡単にできるものではありません。日英同盟という当時世界の覇者であったイギリスの助けがあった事以外に、高橋是清が戦争に必要な1000万ポンドもの外債を英国で半分、残り半分を何とかアメリカのジェイコブ・シフから賄えてやっと可能であったのです。これはギリギリの金額ですが、とてつもない金額です。その返済は、何と開戦(1904年)後82年経った1986年(昭和61年:今から僅か29年前)の事です。 そうです、戦争はただで出来るものでは無く、何よりも戦費が必要なのです。それを調達するためには、大義名分が必要です。大義の無い戦いには先ず日本国民が同意するはずがありません。もう一つ重要な点は、国連(英語で連合国という意味)では、2億7650億円(世界第2位、10.833%)もの分担金を支払い多大な貢献をしている日本は、いまだに敵国条項の対象国です。戦争の準備を始めていると判断されただけで、攻撃して良いとされている日本に対して、どの国も戦争国債を買ってはくれないでしょう。 先の戦争は、日露戦争の2年後、当時台頭してきた日本を叩くために立てられたアメリカのオレンジ計画に沿って資源の無い日本が最終的にABCD包囲網によってあらゆる資源の供給を断たれた上、突きつけられたハルノートの要求で戦争回避が不可能であると判断するしかなく、座してみすみす征服され辱めを受けるどころか、絶滅をも覚悟しなければならない降伏を選ぶよりは、民族の誇りをかけて最後の存亡の戦いに賭けようとしたもので、決して自分から戦争を仕掛けたものではありません。 もともと鎖国で平和に暮らしていた日本を不平等条約で無理矢理開国させたのは、アメリカをはじめとするアジアを侵略し、植民地としてきた欧米列強です。日本はそれ以来、何とか完全な植民地にはならないように文明開化の道を欧米に習って必死に進めてきました。日清日露の戦勝でようやく不平等条約を解消しましたが、それも僅か40年、先の大戦で敗れて以来、再びアメリカの軍事力に支えられ、擬似鎖国に入ってしまったようです。自分からした鎖国では、我国の歴史は誰からも歪められることは無く、しかも外国からの情報は入ってきていたので、日本はある程度対応することは出来たのですが、戦後70年間、果たして日本の歴史は学校教育で正しく教えられてきたでしょうか。 今こそ、国民が正しい日本の歴史を取り戻す時期が来ているし、その努力をしていかなければならないと思います。本当に正しい歴史認識を持てば、「戦争法案」「徴兵制」などのレッテル貼りに騙されることは無くなると思います。歴史を失った民族は滅亡に向かうだけで、輝く明日はありません。我が祖国日本は我々日本人が知恵を絞って守って行かなければならないと思います。

  • Thumbnail

    記事

    大学生が考える 「戦争法案」という主張は本音かタテマエか

    著者 竜太(東京都、中央大学法学部2年) 2015年、平和安全法制がようやく成立した。しかし、成立までのプロセスを振り返るとおぞましい記憶がよみがえる。国会内外にて感情的な運動が「一部」の運動家の中で発生し、それをマスメディアが煽るように報道し、あたかも反対派しか存在しないかのような印象操作が行われた印象がある。中でも憲法学者をはじめとする他の分野の学者や弁護士、評論家には失望した。政治家は立場上言いにくいことがあり、そもそもさほど博識でないから、意義深い議論が行われることは期待していなかったが、他の集団は民意を背負ってるわけではないから、「本音」で議論する姿勢を見せてほしかった。というのも、学者らは、なにやら怪しげな集会を開き、各自でプラカードを掲げ、平和安全法制に賛成する勢力を「反知性主義」と断定した。あたかも自分たちは博識みたいな傲慢な態度であった。 賛成派は本法案が合憲とする論理は、現行の安全保障体制の延長であり、ドラスティックな解釈はしていないと主張する。そもそも、今回の法案は集団的自衛権の行使ではないが、既に日本は何度も一般国際法上集の団的自衛権を行使してきた歴史を持つし、日米安保を破棄していないことが、集団的自衛権自衛権容認に他ならない。憲法には条約は順守しなければならないという旨が明記してある事について反対派はどう説明するのか。また、今回の法案の論点であった集団的自衛権が違憲であるならば、日本政府がとるべき行動は3つあり、反対派はそれを大声で主張しなければならない。1 国連憲章に対し留保をつける2 日米安保が憲法に反していることになるので、基地提供(国際法上の見解は集団的自衛権に含む場合が少なくない)をやめ、米国に対し条約破棄を一方的に通告する3 現行の安全保障に関する法律の抜本的改正 国連憲章の51条には国家の自然権として集団的自衛権を認めているが、日本の憲法上禁止されているならば、留保の旨を通告しなければ国際政治で大きな誤解を生む。基地提供に関しても、ベトナム戦争時に嘉手納基地から米軍が出撃している時点で集団的自衛権行使である。さらに自衛隊法でも、公海上であっても米艦隊が攻撃を受けた場合に武力行使が可能な事態が明記されている。(自衛隊法88条、95条等)国会前で行われた安保法案反対デモには多くの女性が参加した=8月30日(早坂洋祐撮影) ゆえに、繰り返しになるが、憲法違反だと主張するならば上記の3つのことを主張しなければ論理的整合性はない。しかし、反対派が叫んでいる事は、「打倒安倍政権」、「廃案」、「立憲主義の破壊」など様々で感心すらする。こういう人達が「反知性主義」とか言うのだから滑稽である。実際のところ、憲法学者の解釈はごまかしであり、ご都合主義で、「マスコミが騒いでいるから目立っておこう」的な意図を感じてしまう。だから、私は憲法学者の主張はあくまでタテマエであり、本当は分かっていると信じている。もし、本音であるならば、日本の憲法学者に存在価値は無い(タテマエでもタチは悪いが…)。 実は、少数であるが論理的な主張をしている人もいる。代表的な人は伊藤塾塾長である。彼は現行憲法に則り、行政を行うならば非武装中立しかないと言う。思想的に「正常」かは抜きにして考えれば彼の主張自体は筋が通っている。ただし、筋が通っていれば正しいことにはならない。チベット、ウイグル、東南アジアの現状を見れば彼の主張がいかに愚かであるかは一目瞭然である。 よって、今回の法制は必須であり、まだ不十分であるくらいであるし、将来的にはフルスペックの集団的自衛権の行使を容認した方がリスクは軽減される。憲法学者や一部の愉快な人たちはゲーム理論や国際関係学、統計学を知らないかリスクは増えると言うが、あくまで条件付き確立の想定であり、本質でない(※詳しいことは嘉悦大学教授の高橋洋一氏の記事を参照)。 今後、日本が国際平和に貢献していく気があるならば、経済大国に相応しい軍事力を備え、抑止力を増大させるべきである。一人の学生として日本がより安全になることを願っている。

  • Thumbnail

    記事

    安保法案賛否「わからない」は立派な選択肢!

    著者 村沢智治(神奈川県) 毎日のように国会前や地方でデモが行われており、若者を中心とした多くの一般人の政治的関心の向上が評価されている一方で、「反対」及び「賛成」を明示することが意識の高さを象徴しているかのような扱われ方をしている風潮を感じる。だが実際のところ、政治は複雑系だ。東京大学をトップクラスで卒業したような官僚であっても、全てが見通せる筈はない。 何故だろうか、どうやら、安保法制に関しては単純系だと思われている方が多く見受けられる。インターネット上でも、集団的自衛権=戦争が起こる(反対派)や、集団的自衛権=他国からの侵略を防げる(賛成派)など、結果と端的に結び付けた意見が散見される。だが、レッテル張りを始めとした二元論はこの際、無意味であると言わざるを得ない。 例えば、「大戦の反省をするならば、9条を守り通すべき」という声があるが、大西洋戦争の原因の一つには、日本が国際社会で孤立した事実がある。当時枢軸国と呼ばれた日独伊は国際連盟を抜け、大戦への道を歩んで行った。しかし、このたびの安保法制では、米国との軍事同盟が前提にある。米国と言えば、国際連合の常任理事国であり、NATO(北大西洋条約機構)の初期加盟国でもある。米国との同盟の強化は、むしろ敵国条項の対象国とされる日本の国際社会からの孤立を防ぐ一つの役割を担っていくと考えられる。だからといって、現在の憲法9条を守り通すことが大戦の反省にならないということにもならない。当時の大日本帝国やナチス・ドイツが「国防」や「存立危機事態」と称して侵略を開始したのも紛れもない事実なのだ。すなわち、どちらも有効な「大戦の反省」なのである。 また、よく見られる主張に国際世論の賛否がある。国際社会においては、本法案を「評価する」など肯定的意見を述べた国は英仏をはじめとした44ヶ国で、反対を表明した国は中国・韓国の2ヶ国に留まる。これを以て安保法案を通すべきであると述べる声も多いが、これはさしたる根拠にはならないように思われる。日本が集団的自衛権を導入した際、「彼らにとって都合が良い」だけの可能性を否定できないためだ。我々日本人が、他国民のために防波堤の役割とした犠牲になる必要はない。夕方前から人が集まる、国会前の安保法案反対デモ=9月16日、国会前(早坂洋祐撮影) では日本人にとって本当に良い結果とは何だろうか。それは無論、戦争を未然に防ぐことだ。国際政治・関係論では一般的に、きちんとした同盟を結ぶことで、戦争のリスクは最大で4割減らすことが可能であると証明されている。逆に言えば、個別的自衛権しか持たない国では、集団的自衛権を持つ国の6割以上戦争の発生率が高いということになる。 この統計結果は、「一般的に」述べられた話であり、「日本において」もそういった結果になるとは断定できない。つまり議論の争点となるべきは、「日本の特異性」なのである。わが国におけるイレギュラーは例えば、同盟相手国である米国が世界でも指折りの好戦的な国であることや、隣国である中国が急成長を遂げる一党独裁国家であることなどだ。この点に関しては議論だけでなく、社会学的研究が必要となってくる。専門家ならぬ一般人が一言で「賛成」「反対」と述べるのは難しい問題だろう。 ただし、それらとは関わりなく反対できる一つの理由がある。例えば近年多くのテレビ番組でも取り上げられているように、日本は多くの発展途上国から良いイメージを持たれている。米国と緊張状態にあるイランですら、実は親日国である。この理由には、日本のベンチャー企業が長年現地に技術供与をしてきたことなどの他に、日本とは対立したとしても戦争になることだけはあり得ない、と思われているという側面がある。断言は出来ないが、安保法制施行後は、状況が変わることもありえるかもしれない。 より長くなるため合憲/違憲についての議論はここでは省略させて頂くが、以上のように安全保障関連法案の是非は簡単に答えを出せるものではない。「わからない」は立派な選択肢なのだ。争点は「日本の特異性」にあり、一般人の知り得る域を超越している。賛成派と反対派の明確な対立構造が生じている今の日本では、一度立ち止まって、考え直してみることが必要だろう。

  • Thumbnail

    記事

    成立後でも考える なぜいま安保法案が必要なのか

    著者 中井知之 安保法案が成立しても、反対派からは「若者を戦場に送るな」「安倍は人間じゃない」などと激しい言葉も飛び交っている。確かに戦後、集団的自衛権を認めてなくても平和が保たれてきており、安保法案によってアメリカの戦争に巻き込まれるという懸念があること自体は当然だ。しかしなぜ今、集団的自衛権が必要とされてきているのか、行使できないままだとどうなるのかもよく考える必要がある。 現在、日本の安全保障上最も差し迫った危機は、中国が「核心的利益」とまで位置づける尖閣諸島である。中国は急速な軍備拡大を背景に海洋進出の姿勢を鮮明にし、実際に南シナ海でも強硬姿勢を見せている。 中国に武力行使をしても利益にならないと思わせるために最も重要なことは、日本が確固たる防衛力を持ち、武力による尖閣奪取が不可能だと思わせることだ。そのためには、米軍の支援の有無が重要なポイントとなる。支援を取り付ける意味でも、米軍と自衛隊の連携を高める意味でも、集団的自衛権の容認は非常に有効である。 第二に国際社会を味方に付けることである。日本だけでなく欧米各国からも非難を受け経済制裁を受けるならば中国にとっても耐えがたい打撃となり、不利益が上回ることとなる。そのため中国も尖閣問題を歴史問題とリンクさせるなど国際世論工作に懸命だ。「国家の存立の危機」が発生したときでも危険な仕事は他国任せ、後方支援すらしないというのでは、欧米の積極的な支持を得ることは到底望めない。国際社会では集団的自衛権は当たり前のものであり、有事の際に常識的な行動を取れるようにしておく必要がある。 これらの抑止力が不十分だと、中国はいつでも武力行使によって尖閣を手中にできるという状態になる。そうなると日本が話し合いで平和を守りたいと思っても、中国からすれば戦争によって尖閣が手に入るのだから、合意や譲歩など全く期待できない。日本が大人しく尖閣を明け渡さないなら、戦争が始まるのは時間の問題となってしまう。米中を筆頭に国際社会は現在でも軍事力に依存していて、それぞれにとっての「正義の戦争」が存在している。中国が台頭した中において、日本だけがその現実を無視していては外交も平和も成り立たなくなるのだ。 実際に軍事的優位を狙う中国は、アメリカに対して「太平洋は二つの大国を受け入れる十分な空間がある」と新大国間関係を提唱している。これは「米軍が東アジアに介入し中国とにらみ合うのは互いのためにならない」とアメリカに促すものだ。くしくも、内向き傾向のアメリカは「世界の警察官をやめた」とも言われており、米軍の活動を削減する分、同盟国に負担増を求めている。日本がこれに応じなければ、アメリカがこの「新大国間関係」に乗ることは十分ありうる。アメリカを東アジアにつなぎとめておくには同盟国としての日本の価値を高める必要があり、このタイミングで安保法制の整備は、戦略的に見て全く理に適ったことである。 このような国際情勢の変化に対応しなくとも日米安保が将来に渡って維持されるというわけではない。在日米軍基地の存在価値がさらに低くなり、その時点で日本は基地を提供してきただけの存在で同盟国として確かな実績がないならば、あっさり見捨てられてしまうだろう。現在でもアメリカ政界では日米安保の片務性に対する不満が渦巻いているのだ。日本の厳しい安保環境で自主防衛となると気の遠くなるような予算が必要となり、現在の日本の財政状況では相当厳しい。そのときにギリシャのような財政危機にでもなっていれば全くどうしようもない。 そうなると尖閣だけでは話は済まない。武力衝突が起きても勝利が見込めるとなれば、中国は日本との戦争を恐れることはなくなる。世界各国が中国の顔色をうかがい、アメリカに見捨てられた日本の言うことなど聞く耳を持たないという状況であれば、中国としては自己正当化もしやすいし、挑発的行動も取りやすい。反日同盟を組む韓国は対馬を本気で狙い始めるだろうし、ロシアや北朝鮮も何をしてくるか分からない。戦争発生のリスクは飛躍的に高まり、そのときに自衛隊員がさらされるリスクの大きさは後方支援どころの話ではない。また、そのような状況では日本はまともな外交が成り立つはずもなく、何もなくともアジアにおいて中国が断然有利の仕組みが構築されていくだろう。 一方で中東などでアメリカの戦争に加担すればテロのリスクが高まる、という懸念もある。確かに、こちらも事態の推移によっては大きなリスクになりうる。明らかに筋が悪いような場合には参加しないということも必要だろう。ただ中東に関して言えば、地理的に言っても、歴史から言っても、後方支援という役割から言っても、日本の持つリスクが欧米よりはるかに小さいことは間違いない。潜在的なリスクの大きさを比較すれば、日米同盟が弱体化したときの外交・安全保障上のリスクの方がはるかに大きいと言える。周囲に野心的な大国や気ちがいじみた反日国家を抱える日本としては、ある程度アメリカの求めに応じていく他、選択の余地はないのである。

  • Thumbnail

    記事

    朝日だけじゃない 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリ

    著者 田中一成(東京都) 朝日新聞の記者達が自分の属する国の政府を、何故こんなに悪し様に言うのかと、不思議に思ってしまう。但しこの傾向は朝日新聞に限ったことではない。未だに国内で跳梁跋扈している、いわゆるサヨクインテリに共通するものなのである。もちろん朝日新聞が、そのアジテーターであり主唱者であることは周知のことだ。その偏向思想や行動については、いずれ稿を改めて論じたいが、今日は取り敢えずサヨクインテリの思想や思考の内容について考えてみよう。話のきっかけとして、嘗てサヨクインテリのアイドル的な存在であった御三方、すなわち寺山修司、加藤登紀子、村上龍の御三方を取り上げてみよう。劇作家、演出家の故・寺山修司 寺山修司は、いわゆるベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の主導者ではなかった。むしろ、この運動のごく普通の賛同者に過ぎなかった。ただ一般の穏健な賛同者と違っていたのは、詩人としてのナイーブな感性のために、祖国日本に対する屈折した感情をもつに至ったことであろう。その一端を彼の「寺山修司名言集」によって伺うことができる。この本の副題は(身捨つるほどの祖国はありや)となっている。このセンチメンタルな惹句が、日本嫌いのサヨクインテリの琴線に触れたのであろう。しかし、そんなに値打ちのない国ならば、どうして国外に出て行かなかったのだろう。 加藤登紀子は反戦歌手として、サヨクインテリのアイドルであった。最近は平穏な日本で生活費を稼ぐために、古寺巡礼などの番組に出たりしてお茶を濁している。しかしその信条は、あくまで確信犯的なサヨクである。いみじくもその本心を「週刊朝日」のエッセイ欄で次のように述べている。「日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動に駆られる」と。この奇妙な考え方をどう理解したらよいのだろうか。それほど嫌いならば、出て行けばよいのである。余計なお節介かもしれないが、日本のほかに嫌悪感を催さない国があるのだろうか。たとえば中国か、韓国か、或いはロシアか。それとも無国籍人間になろうとでもいうのだろうか。そんなことが、簡単にできないことは本人もご承知のはずだ。その上で、このような言辞を弄するとは、甘えるな!としか言いようがない。 村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞を受賞した。この作品が芥川賞に値するかは、かなりの論議があったという。私の読後感としても、高い評価を与えることはできなかった。以来、この作家は大した作品を生むこともなかった。それが原因かどうかは知らないが、いつしか政治や経済の分野に関心を持ち始め、この分野で積極的に発言したり行動したりするようになった。メールマガジン『JMM』を発刊したのも、その一環であろう。それには、明らかに村上の政治思想が表明されている。彼もまた、私が言う「サヨクインテリ」なのである。その考え方は、著作を通して容易に読み取ることができる。 たとえば『希望の国のエクソダス』では、登場人物の一人に「日本には何でもある。しかし希望だけがない」と言わせている。これは村上自身の考え方でもあろう。まさにサヨクインテリの考え方そのものではないか。それに加えて現実感覚の欠如を、小説家らしい感傷的な文章で飾っているのである。敢えて私は、この作家に尋ねたい。「貴方は、アフリカやアラブ更にはインドにおける貧民の生活を体験したのか」と。雑誌やテレビ、とくに新聞で知ったからと言って、それにどれ程のリアリティがあるのか。もちろん私は、それ以上に無知だ。であるが故に、日本には希望がないなんて、とても言えない。ほんの少しの想像力があれば、これらの貧窮国で生活する人達の絶望感を察することができるはずだ。それと比べるとき、日本には希望がないなどの言辞は、まさに寝言ではないか。 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリの例として、御三方の言辞を取り上げたが、このような例は数え立てればキリがない。サヨクインテリ達は、現実感覚を何時の日か取り戻すことができるのだろうか。そうしない限り、永遠に自らの母国を罵り続けることになるのであろう。

  • Thumbnail

    記事

    日本は絶対に原発を放棄するな

    著者 ハイポセシス(九州在住) 先日、原子力規制委員会は四国電力伊方原発3号機について、新規制基準に適合し安全審査に合格したことを示す「審査書」を正式に決定した。新規制基準に基づく審査に合格したのは、九州電力川内原発1、2号機、関西電力高浜原発3、4号機に続いてこれで3例目となった。原発が徐々に再稼働される運びとなってきていることを私は歓迎する。原子力規制委が九州電力川内原発1、2号機の事実上の「合格証」を九州電力に交付。許可証を受け取り報道陣の質問に答える九州電力の中村上席執行役員(中央)=2014年9月10日(寺河内美奈撮影) 2011年に東京電力福島第1原発事故が発生してから、日本社会の空気はいっきに「脱原発」へと向かった。だが、私は日本は半永久的に「脱原発」してはならないと考える。その理由は大きく2つある。 まず1つ目は、経済的な観点から。東日本大震災やそれに伴う各原発の停止によって、震災前は約6割だった火力発電への依存度は、震災後約9割にまで急増した。資源エネルギー庁の「エネルギー白書2014」によれば、原発分の電力量を火力発電で代替していると仮定した場合、海外に流出する燃料費は2013年度で約3.6兆円になる。2013年度の原油、液化天然ガス(LNG)、石炭などの鉱物性燃料の輸入額は約27兆円で、震災前の2010年と比べ、約10兆円、率にして約6割の増加となる。 原発が停止していることにより、各電力会社は再三にわたって電気料金を値上げし、それが家計や中小企業の懐を圧迫している。また、原発停止の影響によって2011年に貿易収支は31年ぶりの赤字に転落し、2012年にはその赤字幅が拡大、さらに2013年には過去最大となる約11.5兆円の貿易赤字を記録した。震災前の2010年と比べると18.1兆円の貿易収支の悪化となった。石油火力発電所の約8割は運転開始からすでに30年以上経っており、火力発電は現在綱渡りの状態が続いている。老朽化した火力発電所を無理矢理稼働させていることによる大気汚染も深刻な状況だ。 日本は原油の約8割、LNGの約3割を中東地域に依存しており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過して日本にやってくる。中東情勢が依然として不安定ななか、もし同海峡で偶発的な衝突が起きたら、日本は生命線を断たれたも同然となる。備蓄が6ヵ月分あるなどと悠長なことを言っている場合ではないだろう。 次に、安全保障の観点から。2014年3月にオランダ・ハーグで核安全保障サミットが開かれた。同サミットでは、日米韓の3ヵ国首脳会談にばかり注目が集まったが、サミットでは日本が数百キロにのぼるプルトニウムと高濃縮ウランをアメリカに返還するという合意もなされた。この返還の背景には、核兵器に転用できるプルトニウムなどの物質がテロリストに盗まれる懸念が世界中で高まっていることが挙げられよう。 だが、私は返還理由はそれだけではないと考える。原発再稼働が遅々として進まない日本が大量のプルトニウムを保有することにより、「日本は核保有を企図しているのではないか」という疑いの目を世界から向けられる可能性がある。現に中国は日本が大量のプルトニウムを保有していることに敏感に反応していた。返還の主な目的には、そういった疑念を振り払う意図があったのではなかろうか。 原子力の平和利用を目指し、「核燃料サイクル」政策を掲げる日本は、核を保有する五大国(国連常任理事国)以外では唯一、核兵器に転用可能なプルトニウムや高濃縮ウランの保有を日米原子力協定によって正式に認められている。日本のプルトニウムや高濃縮ウランの保有は、使用済み核燃料を再処理して利用する「核燃料サイクル」政策の実施が前提となっているため、原発が再稼働されないと保有しているプルトニウムを使用することができず、「日本は核保有を企図しているのではないか」という疑いの目を向けられるだけとなる。そのため、脱原発へ拙速に舵を切ると、日本が五大国以外で唯一認められているプルトニウムや高濃縮ウランの保有を見直される可能性がある。 高純度のプルトニウムが8キロ程度あれば核爆弾がひとつ製造できるとされている。内閣府によれば、日本が2014年末時点で国内外で保有するプルトニウムは47.8トンである。単純計算すると日本が保有するプルトニウムは核爆弾およそ6000発分に匹敵する。 核安全保障サミットで日本のプルトニウムや高濃縮ウランがアメリカに返還されることが発表されると、中国の工業情報化相は早速「歓迎」の声明を出した。このことから、中国が日本のプルトニウム保有を懸念していることは明白である。またそれは、日本の「核武装」を警戒していることからきているだろう。とするならば、日本が原発政策を維持し、プルトニウムや高濃縮ウランを保有し続けることが日本の核抑止力を高めることに直結するのだ。 日米原子力協定の有効期間は30年で、次の満期は2018年に迎える。日本が原発を放棄するという決断をした場合、日米原子力協定で認められているプルトニウム保有という特別な権利と、中国への核抑止力の保持という大きなカードを同時に失うことになる。日本は絶対に原発を放棄してはならない。 既述したように、日本は原油の約8割を中東に頼っており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過する。ホルムズ海峡通過後はマラッカ海峡を通って日本にやってくるが、超長期的に見た場合、この輸入ルートもリスクとなり得る。 中国人民解放軍は国防方針として、九州を起点に沖縄、台湾、フィリピン、マレーシアに至るラインを第一列島線とし、伊豆諸島を起点に、小笠原、サイパン、パプアニューギニアに至るラインを第二列島線として、それら地域の制海権確保を目論んでいる。日本の原油輸入は、マラッカ海峡通過後、中国が勝手に指定している第一列島線を通るため、この地域で中国の海上覇権が確立すると、日本の存立を脅かす事態になる。そんな時に、現在と同じように電力の約9割を火力発電で賄っていたら、中国は日本の生殺与奪の権を握ったも同然となる。中国が日本のシーレーンを封鎖し、化石燃料の輸入をストップさせれば、まさに戦前のABCD包囲陣の二の舞といえる状況になる。「備蓄が6ヵ月分ある」などと呑気なことを言っている場合ではないだろう。 2013年4月、共同通信は中国が発表した国防白書に、核兵器を相手より先に使用しないとする“核の先制不使用”が“明記されていない”ことを報じた。これは、中国が場合によっては核の先制使用すら辞さないという態度を暗に示したとも言えるだろう。 中国は1964年の東京オリンピックに参加せず、また、それを隠れ蓑にして五輪開催中に核実験をし、核保有を開始した国である。中国共産党による一党独裁が未だに続き、少数民族への弾圧もやめる気配がない。日本やアメリカと価値観を共有する国ではけっしてない。そういう国が近くにあり、かつその国が核を大量に保有している以上、核武装ができない日本は原発の維持によって核の抑止力を高めていくしかない。 もし万が一、経済面で原発が必要なくなったとしても、安全保障面(特に核抑止力の観点)を考えれば原発は半永久的に日本に必要だ。 加えて、その時の空気によって拙速に「原発ゼロ」へと舵を切ることの恐さや、「原発ゼロ」を決めた場合、原発の廃炉作業にあたる次世代の人材はちゃんと育つのか、大学で若者は原子力を専攻しなくなるのではないか、といった懸念も拭えない。 以上のことから、現実的、合理的に考えて原発を手放すことは得策ではなく、また、核抑止力の観点から見れば、例え1基だけでもいいから日本は原発を半永久的に保持しておくべきである。政府には現実に即した原発政策を期待したい。

  • Thumbnail

    記事

    安保関連法案は再び同じ間違いをしないための第一歩だ

    著者 石原秀和(兵庫県) 武器の使用の必要がなかった縄文時代から、出雲の国譲り、十七条憲法、自然の力によって元寇から守られ、最高の武力を保持した状態での鎖国など、平和な暮らしが当たり前であったこの日本国を、否応なくその平穏な眠りから叩き起したのは、欧米によるアジア侵略であった。 日本とタイ以外の国は、悉く欧米列強によって侵略され、日本はその侵略から自国を守る為、不平等条約をのみ開国、明治維新を果たし、一刻の猶予もなく欧米のルールに沿った近代化を成し遂げなければならず、貧しい予算を割いて富国強兵にがむしゃらに突き進んできた。 幸い日清戦争を経て更に国家存亡を掛けた日露戦争へと辛うじて勝ち進む事が出来たのは、当時世界を制する英国との同盟があり、米国も扶けてくれたからであり、日本には力強い味方が居たという事実があったからだ。おかげで不平等条約の解消も叶えることが出来た。昨年4月の日米首脳会談で日米同盟の結束を確認した安倍首相(右)とオバマ米大統領=東京・元赤坂の迎賓館(代表撮影) ところが、連戦連勝に舞い上がり、その後の第一次大戦で、それまで加勢をしてくれていた同盟国のイギリスが危機に瀕して要請した軍事援助を断るという大きな間違いを犯した得手勝手な日本は、先生であるイギリスからは愛想を尽かされた。 人種偏見を受けるアジアの国として、国際連盟の常任理事国にまで仲間入りをさせて貰っていた日本は、声高らかに人種差別の撤廃を提案したが、それは英米のルールには相反するものであったので退けられた。 人口増加で食糧難に喘ぐ日本がそれまで未開発の地である満洲へ開拓の手を伸ばした事も英米の気に入らない事であり、日本の努力を無にする要求が突きつけられた。その要求が呑めない日本は遂に国際連盟を脱退し、孤立への道をまっしぐらに突き進んでしまった。当時の日本国民は、その破滅への道を憂えるどころか、なんと大歓迎したのだった。 日露戦争で台頭した日本が目障りになったアメリカはその2年後に日本を叩きつぶすためのオレンジ計画を作成したが、第一次大戦では日英同盟が邪魔をしてうまく実行にうつせなかった。そこで、日英同盟を解消する策を練ったが、同盟国を扶けようとしない日本に愛想をつかせていた英国を日本から引き離すことは比較的容易であった。 かくして、日本は全く孤立状態になり、アメリカのオレンジ計画は着実に進み、経済封鎖を経て、結局最初から勝ち目の無い大東亜戦争に引きずり込まれる事になった。結果敗戦、GHQにより、日本が二度と刃向かう事の出来ないようにするための日本大改造が矢継ぎ早に推し進められた。 その効果は絶大で、特に日本国憲法の第九条は、もともと多神教で性善説に立ち、平和を愛する日本国民の心に嵌まり込んでしまい、アメリカの巧みな日本属国化政策と相まって、一神教で性悪説が当たり前の世界情勢にも拘らず、一種の九条平和教とも言える信奉者で日本を埋め尽くしてしまった。 戦後70年の現在、日本を取り巻く状況は日に日に悪化しており、また日本に駐留するアメリカの軍事力も衰えてきている。日本を危機から守る為には、現在唯一の同盟国であるアメリカとの関係強化が必要で、アメリカが望む集団的自衛権の行使は、先の日英同盟の時の大失敗を教訓に、早急にその環境を整備し、万全なものにする必要があると思われる。 日露戦争後は、日本を潰そうとするアメリカが日英の同盟関係を分断する事に成功し、日本を敗戦に導いた。今現在は、日本を侵略しようとする中国が日米の同盟関係を分断しようと画策しているのだ。日本を守る道は殆ど崩れかけている日米同盟の再構築とその強化しかない。 経済交流だけでは弱い他国との繋がりも、集団的自衛権の行使によってより緊密な関係を築く事が出来、日本の孤立を防ぎ、抑止力を高める大きな力となるのは間違いないであろう。 現内閣で安倍首相が世界中を駆け巡り、諸外国との関係強化を行い、そのうえでの集団的自衛権行使の為の法案に力を入れているのは、この平和を愛する日本国、例え軍隊があっても武士道精神と隠忍自重で極力戦力の使用を抑え、肝心な時でも兵力を出し渋って大失敗をしてきた日本国が、再び同じ間違いをしないための第一歩だと思う。

  • Thumbnail

    記事

    何もしないで欧米が日本の側には立ってくれない

    著者 中井知之 安保法案の議論で、反対派からは「戦争」が絶対悪であるかのような論調が目立つ。しかし、世界を見渡せば、現在でも、某国家や某組織のような、武力によって自らの権益を拡大しようとする輩がうようよしている。「戦争」や「武力」を全否定していれば、悪がのさばる暗黒の世界が到来してしまう。反対派の政治家たちは「若者を戦場に送るな」「血が流れる」と言っているが、その嫌な仕事も誰かがしなければならないのだ。 グローバル化が進んだ現代では、昔に比べ世界の平和と安定は日本の国益に直結するようになっており、欧米からは日本も軍事的役割を果たすことを求められている。日本の国益や「国家の存立」に関わる事態が海外で発生したときでも後方支援すらしないというのでは、前面に出て血を流している欧米からは不満に思われても仕方ない。 中国が尖閣諸島を軍事侵攻したときや、異なる主張が衝突したとき、わざわざ日本を支援、支持しようとも考えないだろう。欧米と日本を離反させ、尖閣問題での武力行使を可能にするというのは中国の基本戦略である。いざ日中開戦となれば、後方支援どころではない血みどろの殺し合いの末、尖閣を奪われてしまうことになりかねない。結局、それを避けるために、日本は中国の不当な要求も次々のまざるをえなくなってくる。 日本は中国、ロシア、韓国、北朝鮮という、友好的でも紳士的でもない国に囲まれており、安全保障環境は極めて厳しい。特に日本の経済力が低下し中国が台頭した現在では、アメリカの国力・軍事力という後ろ盾なくして外交は成り立たないし、何もしないで欧米が日本の側に立ってくれるわけでもない。中国の不興を買ってでも支持するだけの価値が日本にあるのかが問われる。その意味では、価値観を共有していて、かつ実際に貢献できるということを示さなければならない。日本が軍事的に期待できないと見れば、東南アジア諸国も中国に傾斜していくだろう。離島防衛のための共同訓練を行う陸上自衛隊と米海兵隊の隊員 この日中のパワーバランスの変化やグローバル化の中でも「一国平和主義」を貫いていくというならば、有事のときでも他国に頼らず自分の身は自力で守るという覚悟と能力が必要だ。実際、「永世中立国」をうたって集団的自衛権を認めていないスイスは、現在でも国民の7割の支持の下で徴兵制を保持し、有事の際の民兵を確保している。 しかし、日本の安保環境では、徴兵制の導入や軍備増強による独力での防衛は非現実的である。時代の変化に対応して日本の平和と安定、外交力を保つには、集団的自衛権を認めて、米軍との連携強化や、欧米が求めている軍事的貢献を行っていくしかないのだ。憲法改正の見通しが立たない以上、憲法解釈の変更という手段を取ることもやむを得ない。今回の安保法案では活動の拡大はかなり限定的だが、姿勢だけでも見せておく必要がある。 現に、集団的自衛権の行使容認による日米同盟の強化が進められて以降、日中首脳会談や財務対話が開かれるなど、中国は軟化してきた。民主党政権下で日米同盟が弱体化したときには尖閣問題が浮上し、韓国大統領の竹島訪問、ロシア大統領の北方領土訪問が強行された。このような現実が無視され、非合理的な精神論がはびこり、国際的に孤立し、中国に叩きのめされるというのでは、戦前の過ちの繰り返しである。叩きのめされてから日米同盟の重要さに気づいてももう遅い、アメリカに高い代償を払わされるか、完全に見捨てられ中国・韓国・北朝鮮・ロシアに好き放題にやられるか、どちらかとなるだろう。

  • Thumbnail

    記事

    世界とは全く異質の「日本のサヨク」

    著者 田中一成(東京都) 結論を先に言うと、日本のサヨクは特殊というべきだろう。世界のサヨクとは全く異質のものだ。何故そうなったかは後述するとして、サヨク先進国での語源は次の通りだ。団体: the left又は the left wing個人: a leftist又は a left-winger いずれもたんなる議会における座席の配置から生まれた呼称に過ぎなかった。それが何時しか特殊な意味を持ち始めたのは、その位置に座席をとる人たちが、特定の思想に偏っていたからである。この点までは日本の場合もよく似ている。しかし、日本のサヨクが、現在の特殊な思想傾向にいたる背景や内容は、世界のそれとは大いに異なっている。その最大の原因は、日本の“知識人”といわれる人たちに由来する。 しからば日本の知識人には、どのような特徴があるのか。それについては以前に、私のブログで、「日本人に自虐精神を植え付けたのは誰か」と題して触れておいたが、その内容を繰り返すと次のようになる。 加地伸行大阪大名誉教授によると、論語では知識人を小人と言い、教養人を君子と称するらしい。私は知識人には真正と似非の二タイプがあると考えていたが、この分け方は間違いだった。要するに知識人はすべて小人なのである。さらに言えば、文明の成果を重視するのが知識人で、文化を重んじるのが教養人ともいえよう。 この分かりにくさを解くには、まず文化と文明の違いを理解しなければならない。文化とは、特定の民族がもつ感性と理性のすべてを駆使して創り上げてきた歴史的な成果の全てである。一方の文明は、理性によってのみ構築された成果であるから、文化のすべてをカバーすることはできない。ただし文明は、自らの成果である文字と文章およびその翻訳によって、自らの文化圏を越え、異なる文化圏にまで及ぶようになった。 日本では幕末の門戸開放によって、欧米の文明を吸収したが、それも欧米の文字を媒介にして可能になったのである。そして欧米文明の内容を知るほどに、その異質性とレベルの高さに大きなショックを受けた。かくして欧米語に堪能になることは、異文化のうちの文明を知る大切な手段となり、欧米語の翻訳者には高い評価が与えられるようになった。そのあげく日本の知的エリートの大半は、すべて翻訳技能を通じて欧米文明の追随者となった。新しい日本型知識人の誕生である。この流れは明治から現在まで続いている。 以上の背景のもとに現代日本の知識人は、すべて欧米の語学に堪能であり、さらには欧米文明の虜になった。いわゆる語学エリート=知識人の図式が形成されたのである。但しこの段階では、まだ教養人と知識人の区別はないし、文化と文明の区分もはっきりしていない。しかもこの図式は、敗戦によって一段と強まった。結果として日本の知識人の殆どが、欧米思想に基づく欧米文明にかぶれることになった。 具体的な名前を挙げると、南原繁、丸山真男、大内兵衛、都留重人など社会科学系学者の殆どが当てはまる。社会科学は理性に基づく西欧型文明の精華であるが、同じ文脈上にある法学や商学もこれに該当する。さらには西欧文学も、この系譜すなわち西欧型理性の産物である。その意味では評論家の加藤周一や、フランス文学の泰斗とされる渡辺一夫についても同列に論じることができるだろう。したがってこれらの西欧かぶれの「一流!の知識人」が、敗戦を契機にして祖国である日本の全てについて、深刻な自国嫌悪の気分に犯されたのは無理もない。やがて祖国に対して、厳しい批判と反省の矢を放ち始めたのは、けっして偶然ではないのである。 問題なのは、その自国嫌悪の言説を強引に注ぎ込まれた学生たちである。彼等は思想的には白紙の状態であったから、まるで吸い取り紙のように、何の抵抗もなく濃色の反日インクや自虐インク、更にはアナーキーインクを吸い込んだ。こうして戦後間もなくから団塊世代に至るまでの数十年間、自虐精神を植え付けられた反日知識人が大量に生み出されたのである。卒業後の彼等は、知的エリートとして政治家、産業人、教育者、官僚、マスコミなど社会のあらゆる分野で活動を開始した。しかしその実践の場では、いかなる著名な知識人の言説であっても、それが借りものの空論である場合は、インチキ性はたちまち露呈する。こうして祖国否定に染め上げる濃色のインクも、次第に色あせることになる。 学生時代に洗脳された残滓を今なお引きずっている教え子の数は、たぶん少ないだろう。それでも絶滅したわけではない。とくに祖国否定の言説を拠り所にしている職業人には、他に生活の術がない。たとえば進歩的を自称する大新聞やその他のマスコミ関係者、特定のイデオロギーを固守する原理主義政治家、教育という職業の本分を放擲して自らの地位向上と保全だけに力を注ぐ日教組かぶれの教育者はその典型である。 戦後の日本人に自虐精神を植え付けた西欧文明一辺倒の一流知識人は、功なり名を遂げることが出来たが、後発の二代目知識人はこの先も自らの職業的命脈が尽きるまで、自虐精神を拠り所にして祖国を誹謗し続けることができるだろうか。 さて、この特殊な環境で育った日本の知識人の多くが、現在も知的職業といわれる仕事に就いたままである。列挙すると学者、評論家、高級官僚、教育者、マスコミ業、労組職員などである。もちろん彼等の中には、それぞれの職業の現場において、次第に現実に目覚める者がないわけではない。しかし、それ以外の多くは、現実とは無縁の思考と行動のままである。この実態こそ、日本のサヨクが特殊扱いされる所以である。関連記事■ 当たり前のことを言える時代 風向き変わり萎縮する左派言論人■ 「紀元節は嘘だらけ」日教組教師発言に見る左傾■ 「タカ」も「ハト」も不毛だ

  • Thumbnail

    記事

    参考人全員「違憲」は改憲へのチャンスである

    著者 KeroChan(東京都) 6月4日に行われた衆院憲法審査会において、参考人として招致された憲法学者3人全員が安保関連法案に対して「違憲」としたことが話題となっている。とりわけ、与党側が招致した学者が「違憲」としたことは各メディアにおいて大きく報道され、与党内にも衝撃が走ったそうだ。これを受けて、安保関連法案の改正に反対する護憲派や左派系マスコミは「憲法学者の声を無視するのか」「長谷部教授(与党側が招致した早稲田大学法学学術院教授)はよくやった」などと述べ、この法案の廃案に向けた動きを強めている。衆院憲法審査会に出席した参考人の(左から)早稲田大の長谷部恭男教授、慶応大の小林節名誉教授、早稲田大の笹田栄司教授=6月4日午前 普段、「学歴や職業で人を区別するのはよくない!」と叫び、原発問題の際には「専門家や大学教授を絶対視してはいけない!」と語る人々やマスコミが、「憲法学者」という権威に頼っている姿は何とも滑稽である。また、自分たちが招致した憲法学者が「違憲」の述べたことを大げさに騒ぎ立てる与党も情けないと思う。 私は、今回の事件をきっかけに与野党は、堂々と憲法改正の議論を行うべきであると思う。この法案における大きな問題は、憲法9条と矛盾し、我が国の安全保障の根幹を変えるような話題にも関わらず、これを解釈と法律のみで変えるということである。また、自衛隊がいつ、どこまでの実力を行使できるのかについての議論もまだまだ不十分であることも問題だ。こうした応急処置的で中途半端な議論で終わっては、この法案が目的としている安全保障の強化がむしろ後退してしまうのではないかと私は危惧する。 このようなことを防ぐためにも、「ネトウヨ」や「戦争法案」などと情けないレッテル貼りで終わるのではなく、堂々と改憲議論を行い、論戦を繰り広げることが我が国の安全保障と発展に向けた道になるはずだ。参考人全員「違憲」の騒動を改憲へのチャンスにできるかは、今後の改憲派の実力にかかっている。関連記事■ 左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか■ 政治学者が考える憲法論議 政争の具ではいけない■ 文官が総理より偉い? 懲りずに安倍政権を中傷するメディア

  • Thumbnail

    記事

    憲法改正は次世代のために

    著者 Tohgou(静岡県) GHQ主導で制定された憲法だから改正する。という観点から、論を展開する改憲派の主張は、至極真っ当である。私は、ごく普通の一般人だが、改憲派の主張に賛同している。 現憲法の継続は、おかしな現状維持か悪化かの二択であり、好転の可能性は全く感じられない。また、自信を持って次世代へ継承すべきものでもない。皮肉にも、護憲派の行動や主張に接し、その思いを深めるケースが多い。憲法記念日に横浜市で開かれた憲法集会に参加する作家の大江健三郎氏(前列中央)ら=5月3日、横浜市西区 5月3日、憲法記念日に合わせ護憲派の大集会が開かれた。主題は「平和といのちと人権を!」。「平和」を目指す思いは私も同じである。しかし、現憲法で平和が保たれているなど、悪ふざけも甚だしい主張だ。そんな嘘は、われわれ市民であっても見抜ける。そして彼等の主張を真面目に聞けなくなる。  日本は米軍庇護下にあり、また東西冷戦の核による緊張状態があったことで、たまたま戦争がなかっただけではないか。その恩恵を現憲法に見出すのは意味不明である。その恩恵はどう考えても、在日米軍と自衛隊の存在だ。そう考えた時、自衛隊と矛盾する憲法九条は害でしかない。  憲法前文の「平和を愛する諸国民」を「平和を愛する世界各国」と解釈するならば、これ程愚かな憲法はないとも言える。それは自明な筈であるが、護憲派は耳を貸さないのだろう。 彼等もその位は理解できる筈だ。ただ、矛盾があろうとも、妙なイデオロギーに突き動かされ、黙殺し決して相容れることがない。であれば彼等の行動は、日本の為ではない。妙なイデオロギーの為である。護憲派という分類すら誤りであるが、とにかく彼等の主張は、背後に隠れた本意がある限り、まともに聞けないのである。 55年体制は保守が連合し、憲法改正を掲げて始まった。もう60年も経過していることを考えると、憲法改正論議の始まった現在は当時よりも落ち着いているのだろうか? 妙なイデオロギー汚染は沈静化に向かっているのだろうか? しかし、GHQに植えつけられた戦争の贖罪意識を想起させるためなのか、日本の周辺は騒がしい。そして、これらに呼応する日本人が少なくない。憲法だけではなく歴史や基地問題にも絡めて騒いでいる。病的に見えてならない。 私は、こういった日本人の存在を見かけるたびに、憲法改正の必要性を痛感する。彼等の声が大きいほど、現憲法の危険さを感じるのである。戦後70年経過した現在でも、この手の勢力が存在し続けるのは、そういう日本人を育ててきた、という誤りの証明に見えてならない。 そういう意味で、教育は憲法に影響を受けると言っても良いと思う。国柄の表記である憲法を基にし、教育を行うのは当然といえる。これ以上、妙な日本人による妙な活動を拡大させない為にも、教育の視点で憲法改正を考えていくことが重要だと思う。 平成18年に教育基本法は改正されているが、これが功をなす為には、その根幹である憲法改正は欠かせないものだろう。改正教育基本法と憲法改正。教育視点では、これらをまとめて考え、行動することで、真価を発揮するものと思う。 勿論、憲法には教育に直結しない条文も多くあるが、全ては次世代の日本人を念頭に議論すべき問題であることは揺ぎ無いだろう。今われわれがなすべきこと、それは、次世代の日本人育成を考え、次世代へ自信を持って継承できる憲法へ改正することではないだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    国家と憲法と私たち

    著者 一大学生(東京都) 「憲法」は英語で”Constitution”であり、これは「国体」をも意味する。憲法はその国の最高法規であるとともに、国柄を表すものでもある。大日本帝国憲法においては、告文や憲法発布勅語の中で、神武天皇より代々受け継がれてきた皇位を継承し、伝統文化を保持すること、歴代天皇が常に臣民と共に国を作り上げてきたことなどが記されており、天皇を中心とする日本のあり方が示されていた。 一方、現在の日本国憲法の前文には何が記されているか。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することを堂々と謳っている。世界には平和を愛する心優しい人や国しか存在しないと信じるのは勝手だが、そんな曖昧なものに「われらの安全と生存」まで委ねてしまうのは看過できない。現に日本はテロの恐怖を味わったばかりであり、その脅威は今もなお拭いきれない。また、中国の習近平国家主席は「中華民族の偉大な復興」を標榜しており、防衛費を年々増大させ、南シナ海では基地建設を始めている。これは明らかに覇権主義であり、この事例を考えるだけでも、現行憲法の前文がいかに非現実的なものであるかが理解できる。そのような現状も踏まえた上で、他力本願な幻想じみた前文は廃し、自立した国としての日本のあり方を明確に記すべきである。 昨年7月、集団的自衛権の限定的な行使容認の閣議決定が行われた。これを機に、各種報道で憲法9条に関する話題が大きく取り上げられるようになったと感じている。的外れな批判も多いが、まずは9条に対する問題意識を国民が共有しなければならない。 そもそも現憲法制定当時は、個別的自衛権すら認めないという解釈であった。解釈はその時々によって変化してきたが、そういった流れを無視して昨年の閣議決定だけを抜き取り、立憲主義の否定だと大騒ぎするのは不思議である。しかし、解釈改憲だけで済ませて良い問題ではないことも確かだ。時の政権のさじ加減で解釈の変更を行い、ある時は集団的自衛権を認め、ある時は認めない、といった状態になれば、国際的な信用を著しく損ない、私たち国民も安心して暮らすことができなくなる。最終的には憲法改正によって9条が抱える矛盾を解消し、自分の国は自分で守るという当たり前のことを記す必要がある。 日本が戦後70年間平和の歩みを続けてきたのは、9条があったからだと豪語する人がいるが、それは明らかに見当違いである。日本が平和国家として続いてきたのは日米同盟、在日米軍という抑止力が働いていたからに他ならない。フィリピンから米軍が撤退した後に中国が南シナ海へと進出したこと、イラクから米軍が撤退した後にテロ組織が跋扈するようになったことなどを考えれば、米軍の影響力が如何ほどのものかは自明である。アメリカの庇護の下で平和を享受している現実には目もくれず、9条の理念を信奉し続け、平和国家だと胸を張っている姿はあまりにも滑稽に映る。そんな態度は内輪でしか通用しない。 日本国憲法が制定された時、日本はGHQの占領下にあり、主権を持っていなかった。主権を持たない国が憲法を制定することなどできず、この憲法の正当性はあまりにも脆弱である。現実離れした条文を含み、正当性すら危うい憲法は一刻も早く改正されるべきである。主権を回復した現在、再び日本人の手によって日本の憲法を作り上げなければ、真に独立した国家とはなりえない。戦後に目覚ましい復興を遂げ、経済大国へと成長した日本だが、国柄すら明記されていない憲法をいつまでも大切に抱え込んでいては、精神的な成熟を見込むことはできない。 衆院の向大野新治事務総長(右)に、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる公選法改正案を提出する自民党の船田元・憲法改正推進本部長=3月5日 以上、僭越ながら憲法に対する拙い私見を述べたが、憲法問題で最も危惧していることは、国民の間でこの問題意識が十分に共有されているか、ということである。早ければ来年の参院選から、選挙権付与の対象が18歳以上に引き下げられる見通しだが、今の若者は政治に無関心な層がほとんどである。憲法問題などのテーマで話し合う雰囲気はほとんど無く、ファッションやドラマ、誰かのゴシップなどの話題が大半を占める。学生の身である私自身、日本の根幹に関わる重要な問題を共有し、話し合える友人は片手で数えるほどしかいない。また、昨年の12月に行われた衆院選での投票率が戦後最低を記録したことからも、国民の政治に対する無関心さが読みとれる。これでは議論を交わすことすら難しい。 だが、国民の無関心さを憂いてばかりもいられない。ある野党の党首は、総理は憲法を軽視しており、現政権下で議論をすること自体が危うい、といった趣旨の発言をしており、議論を拒否する姿勢を見せている。これでは一体何のために立候補したのか甚だ疑問である。有権者に選ばれたからには、そういった問題に対する論議を重ねて国を導くことこそが責務ではないのか。総理の憲法観が危険だと感じているのなら尚のこと、与党を牽制するような議論を行い、野党としての存在感を高めるべきである。 憲法問題の是非を論ずる前に、有権者も議員も責任を自覚しなければならない。特に新しく選挙権を得る世代への教育は肝心である。問題を論じるための土俵づくりを疎かにしてしまっては、日本が変わることはできない。戦後70年という節目を機に、憲法問題が広く共有され、活発に議論が交わされることを期待したい。

  • Thumbnail

    テーマ

    寄稿募集「私が日本国憲法に思うこと」

    iRONNAではユーザーの皆さまから、サイトに掲載する記事・論文の寄稿を募集しています。4月からはテーマ別募集も始めました。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ誰も「無投票当選」を問題視しないのだろう

    著者 G-3(鹿児島県) 統一地方選挙の前半が終わって「総括」記事がぼちぼちでてきている。「自民勝利」「民主壊滅」等々と並んで「低投票率」が見出しに踊っている。 前回の総選挙に関して「一票の格差」を問題にして「選挙無効」を訴えた「プロ市民団体」の皆様方は、このような事態をどう捉えるのでしょう。せっかく政権に対する異議申し立てができたと言うのに、その権利を放棄する有権者が2人に1人なのです。しかも、今回の統一地方選挙で「5人に1人が無投票で当選 「なり手不足」深刻」(4月3日 産経新聞)なのだという。 『3日に告示された41道府県議選は、総定数に占める無投票当選の比率が過去最高の21・9%に上り、香川では全41議席の約3分の2(65・9%)に当たる27議席が決定した。地方政治の「なり手不足」は深刻な状況を迎えている。 無投票率が高かったのは、香川に続いて山形(45・5%)、宮崎(43・6%)の順。無投票当選がなかったのは大阪、山口の2府県だけだった。』 無投票当選が5人に一人。香川では全41議席の約3分の2(65・9%)に当たる27議席が決定した。無投票率が高かったのは、香川に続いて山形(45・5%)、宮崎(43・6%)の順。ということはそれぞれの有権者に「投票の機会」すら与えられなかったという事だ。 これは「日本国憲法」に定められた参政権を奪われたのも同然だ。在日外国人への地方参政権を訴えて来た勢力は、「日本人の投票権」が蹂躙されたこの事態に何もしないのだろうか。 しかも全選挙区ではないということは「参政権そのものの格差が生じたこと」になる。「一票の」格差どころではない。完全に「参政権の格差」なのだ。一票の格差を主張する向きはぜひ「無投票当選者の当選無効」を全面的に争うべきだろう。 住民の参政権を奪う「無投票当選」制度を争うべきではないのか?それを何故しない?「日本人の」権利など、どうでもよいという事のようだ。 さらに棄権ということは権利を放棄したのも同然だ。しかし投票率が長期低落傾向にある。この問題に対する提言が「人権を主張する勢力」の誰からも出てこない。「争点がぼやけていた。」と総括しているのだけれども、民主党が公認候補を擁立できずに不戦敗という状況で、共産党は極力候補者を擁立しているのだ。十分に争点があったはずだ。なぜならば過去4年間の都道府県政が全て合格点であったはずが無い。 住民の意見が割れている事例が数多くあったはずだ。それに対して外野から文句を言う事が良いとは思えない。直接異議を言える「議会議員」に何故誰も挑戦しようとしないのだろう。直接的に「無投票当選阻止」を立候補の旗印でも良いではないか。自分たちがそういう努力もせずに結果に対してのみ文句を言う事が正しい建設的な議論ではないと思う。 風前の灯火の社民党とも協力して無投票当選選挙区に対抗候補者を擁立するべきだろう。少なくとも当面、無投票当選者を0にすべき努力をすべきだ。もちろん落選「供託金没収」の憂き目にあうことだろう。しかし某宗教団体の政党はそれを覚悟で総選挙を戦ったではないか。そして予想どおりすべて没収された。それぐらい自分たちで努力をして初めて「一票の格差」を問題に出来るのではないのか。 国政での一票の格差を問題にするのであれば地方選挙での無投票当選を問題にすべきだ。まさか「我々は~大都市部での~メディアに注目される~行動しかしないのであって~メディアに注目されない~田舎者の~権利など~知ったこっちゃないのである~~。」ということなのだろうか。 結局「メディアに注目されること」が彼らの唯一の行動指針なのだ。彼らにとって地方の人権など関係ないのだ。そんな(彼らにとって)小さいことをやるよりはメディアが集中している大都市部でさっそうと活動することが彼らの目的なのだ。 これは某自然保護団体と根っこが一緒なのだ。先日、イルカが多数海岸にうちあがった。地元民は協力をしているかを海に返そうと努力していた。しかしそこにはグリーンピースなどの自然保護団体の姿はない。そんな地味な活動をしてもメディアが取り上げないからだ。そんな汗をかく仕事は「地元民にさせておけばいい」のだ。 そういうエセ政党、エセ団体を認めていいわけがない。この国が第三国に侵略、攻撃される手先になるだけだろうから。関連記事■ 負のスパイラルに陥った地方議会■ やっぱり若者はダメだ…広がる失望を払拭できるか■ 「無理をした」議員と「無理をさせた」国民の悲劇

  • Thumbnail

    記事

    太政官指令「竹島外一島」が示していたもの

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争における争点の一つとして語られる「太政官指令」、すなわち明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官が内務省からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文は、現在、多くの学者・研究者によって明治10年の時点で日本の政府が朝鮮の鬱陵島と共に今日の竹島に当たる島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されていて、それはほとんど「定説」となっているような状況にある。 しかしながら、筆者は「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」と題する前回の寄稿においてこれに異議を唱え、その解釈は単に島根県が提出した書類である「磯竹島略図」を説明しているに過ぎないものであって太政官の意思としては全く証明されていないことを指摘すると共に、太政官指令が発出された際の一件書類からは太政官がどの島を想定して指令を発したのかを明らかにすることはできないので、したがって指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に指令が何を示していたかを探るべきだという主張を述べた。 本稿では、その主張の最後の部分、すなわち太政官指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に太政官指令が何を示していたかを明らかにする検討を具体的に行い、指令は果たして今日の竹島を想定して「本邦関係無し」としたものであったかどうか、その結論に迫って見たい。 なお、本稿の理解のためには前回の寄稿を先にお読みいただくのがいいのだが、とりあえず前回の寄稿のうち本稿の検討のポイントとなる三つの点を簡単に記しておく。 すなわち、一つは、江戸時代の日本では朝鮮の鬱陵島は「竹島」と呼ばれ、今日の竹島に当たる島は「松島」と呼ばれていたこと。二つ目は、太政官指令が発される端緒となった島根県の質問書「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に添付された絵図面「磯竹島略図」と説明書「原由の大略」によれば、島根県の質問にある「竹島外一島」とは「竹島」という名前の島と「松島」という名前の島のことであり、その「竹島」と「松島」とは地理を知る者が見ればまぎれもなく朝鮮の鬱陵島と今日の竹島を指しているのは明らかであること。三つ目は、一方でその当時に西洋から流入した地図では、測量の誤りに起因して、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに「竹島」(アルゴノート島)という島があるように表示され、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置には「松島」(ダジュレー島)という名前の島が表示されていた。そして今の竹島は描かれていなかったり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなかった。そういう、現実の島の配置とは異なる誤った地理情報が存在していた。以上の三点である。 こういう状況の中で、太政官(及び太政官の指示を請求して回答を受け取った内務省)が、指令文にある「竹島外一島」というものを島根県が提出した磯竹島略図に描かれているとおりに鬱陵島とその手前にある岩礁―今日の竹島に当たる島―のことと正しく認識していた (以下「多数説」という) と見るのが妥当か、それとも当時存在していた誤った地図のために間違って認識していた (以下「少数説」という) と見るのが妥当かを、太政官指令以後の関係文書等を通じて明らかにするのが本稿の趣旨である。「華夷一覧図」の日本部分。隠岐諸島の上方に「松シマ」「竹シマ」と記された竹島と鬱陵島が日本領として赤く塗られている(島根県提供)検討対象一覧 明治10年太政官指令というのは、日本海にある「竹島外一島」すなわち「竹島」と「松島」についてどう取り扱うべきかを明治政府が示したものだ。したがって、その内容を他の資料を通じて明らかにするとすれば、その資料というものは、指令と同じように政府、特に指令の当事者である太政官若しくは内務省が日本海にある「竹島」と「松島」についてどう取り扱ったかを示すものを取り上げるのが適切だろう。そういう観点から筆者が選んだ史料ないしできごとを、それを選んだ理由も含めてまず列挙して見たい。いずれも、筆者が竹島領有権論争に関連して見聞きする中から該当するであろうと考えたものである。(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成)内務省が作成した地図であり「竹島」と「松島」が描かれている。(2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書 内務省の書記官が明治10年太政官指令を変更するような政府決定があったかどうかを外務省の書記官に質問したもの。 イ アに対する外務省の権大書記官の回答書 ウ 明治14年(1881年)内務省指令 島根県からの「松島に関して明治10年太政官指令は何か変更されたのか」という問いに対して内務省が「変更なし」と回答した指令(3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」内務省が作成した地図であり「松島」が描かれている。(4)明治16年全国通達  内務卿から各府県長官あてに「松島」への渡航禁止を指示するもの。(5)中井養三郎のリャンコ島編入及び貸下げ願いに対応した内務官僚の反応  リャンコ島(=江戸時代に「松島」と呼ばれた島。今日の竹島。)を日本の領土としてほしいとの申請に対する内務省官僚の反応。 以上の5件(細かく言えば7件)について以下検討する。検討(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成) 明治14年に内務省は『大日本府県分割図』と題する地図を発行している。内容はその題名が示すように日本全国の府県をいくつかに分割して地理情報を表示した府県地図が中心だが、「大日本全国略図」という日本全体とその近隣地域をも含めた全体図も作られている。その全体図には「竹島」と「松島」が描かれているのだが、どのように描かれているだろうか。それは、実際には島は何もない位置(アルゴノート島の位置)に島を描いて「竹島」という名を付し、実際には鬱陵島が存在する位置には「松島」という名で島を描いている。今日の竹島はというと、全く描かれていない。そして、それら「竹島」と「松島」は全体図には描かれていても、府県地図のうちの地理的に近い「鳥取・島根・山口三県図」には描かれていない。つまり日本の領土とは認識されていないわけだ。 この事実が多数説と少数説のどちらに符合するかは明らかだろう。「竹島」と「松島」の位置はまさしく西洋の間違った地図と同じだ。もし多数説が正しいのだとすれば鬱陵島の位置にある島を「竹島」とし、今日の竹島の位置にも島を描いてそれに「松島」という名を付してあるべきだが、実際は全くそういうことになっていない。 この地図は明治14年に、すなわち太政官指令から4年後に内務省が作成した地図だ。指令から4年後の時点で内務省は「竹島」と「松島」に関しては西洋の誤った地図と同じ認識を有し、かつそれはいずれも日本領土ではないと考えていた。これはまさに少数説の状況だ。これに対して、内務省は明治10年には「竹島」と「松島」に関して正確に把握していたものの明治14年時点で西洋の誤った地図の影響を受けるに至ったと考えるのは難しいだろう。明治10年時点で既にこのような認識であったと考えるほうがよほど自然だ。 (2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ここでは検討対象一覧の(2)に掲げた3件の文書が検討対象なのだが、その前提となる経緯を確認しておく必要がある。重要な部分なので、少し長くなるが資料を引用しながら説明したい。 明治14年に、大屋兼助という人物から島根県令あてに「松島開墾願」が提出された。それをもとに、島根県令が内務省に質問したのが次の文書だ。(読みやすいように、原文を筆者が現代の言葉使いに改めた。これ以降の書類も同じ。なお、原文は島根県庁ホームページの「Web竹島問題研究所」の中の『「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考』の記事で読むことができる。)日本海内松島開墾の儀について伺い 当管内石見国那賀郡浅井邨士族大屋兼助ほか一名から松島開墾願いが提出されました。その対象の島は同郡浜田より海上の距離およそ83里の北西の方向にあり、無人の孤島でありますが、東京府の大倉喜八郎が設立した大倉組の社員片山常雄という者が木材伐採のため海軍省の第一廻漕丸にて本年8月にその島に渡航した際、右大屋兼助が浜田から乗り込んで同行して実地調査をしたところでは、東西およそ4~5里、南北3里余、周廻15~6里、ほとんどは山で海岸から山頂までは約1里半、雑木林や古木が密生し、その間には多くの渓流と平坦地があります。 土地は肥沃で水利も良く、どこかの一部を開拓するだけでも数十町歩の耕地が得られ、その他にも海藻採取や漁業の利益など全島の経済的価値は大であります。移住開墾に適した地ですので浜田地方で賛同者を募って資金を集め、私財をもって荒れ地を開き眠れる利益を開発すべしとの志を抱いているようですが、その島は、去る明治9年の地籍調査の際に本県の地籍へ編入すべきか内務省ヘ伺いましたところ、同10年4月9日付けで書面竹島外一島の義は本邦関係無きことと心得るべしとの御指令がありました。ところが、前述したように、このたび大倉組が渡航して材木伐採をしているとのことですので、推察しますところ、明治10年4月の御指令はその後判断が変更されて本邦の領土内と定められたのでしょうか。その島がもし本邦の領土であるならば、大屋らの願いにつきましては、事業の予算の見積り、資金支出の方法及び一同の規約などを詳細に調査して改めてお伺いしたいと考えますので、別紙添付の上この件お伺いします。  明治14年11月12日島根県令 境二郎 内務卿 山田顕義 殿 農商務卿 西郷従道 殿 島根県令からすれば、松島は4年前に内務省から本邦版図外という指示を受けていたのに、今、日本人がそこに行って木材伐採をしているという話なので、これはもしかしたら指令が変更されたのだろうかと疑問を感じ、内務省に質問をすることにしたわけだ。ところで、質問の対象は「松島」なのだが、その松島は上の文書中の説明を見れば現代の私たちはそれが今日の竹島(小さな岩礁)ではなくて鬱陵島(比較的大きな緑豊かな島)であることが分かる。ということは、県令自身が気づいているかどうかは別として、県令は実際には鬱陵島である島についてそれを「松島」と呼びながら「明治10年に内務省から本邦関係無きことと心得るべしとの指令を受けた島」と説明していることになる。これは島根県令が「松島」を西洋の誤った地図の表記に従って理解している可能性を示唆するものだが、太政官指令問題において解明すべきは太政官(及び内務省)の認識であって島根県令の認識ではないから、この事実は決定的なものとして引用することはできない。 ところで、島根県からの質問を受け取った内務省でも、自分のところでは指令は何も変更していないから、ひょっとして外務省ルートで何か朝鮮国との新しい取り決めがあって松島は日本人が利用できるようになったのだろうかとの疑問を持ち、次の質問文書を外務省に送った。検討対象一覧の(2)アに掲げた文書である。ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書島地第1114号 日本海にある竹島松島の義は、別紙甲号のとおり去る明治10年に本邦とは関係無きものと定められ、以後そのように心得ておりましたところ、このたび島根県から別紙乙号のとおり申し出があったところによれば大倉組の社員が渡航して木材伐採をしているとのことです。ついては、その島について最近朝鮮国と何らかの交渉決定があったのか、一応承知いたしたく照会いたします。明治14年11月29日内務権大書記官 西村捨三外務書記官 御中 この質問文書には、状況をきちんと説明するために、明治10年太政官指令が「別紙甲号」として、また島根県令からの照会文(上述)が「別紙乙号」として添付された。このときの別紙甲号は次のようになっている。別紙甲号  日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島は松島なり) 竹島の所轄の件について島根県から別紙の伺いが提出されたので調査したところ、この島の件は、元禄5年に朝鮮人が島に来たことを契機として、別紙書類に要約したように、元禄9年正月の第一号「旧政府評議の趣旨」に基づき、二号「訳官へ達書」、三号「該国来柬」、四号「本邦回答及び口上書」などのように、結局、元禄12年までにそれぞれ協議が終了し、本邦とは関係無いものとされているようですが、領土の取捨は重大な案件でありますから別紙書類を添えて念のためにこのとおり伺います。  明治10年3月17日  内務少輔    右大臣殿       (添付書類は省略する)指令 伺いの趣旨の竹島外一島の件は本邦と関係無きものと心得るべし  明治10年3月29日(下線は引用者=筆者による) これは、明治10年に内務省が太政官の確認を受けるために提出した伺文書の控えに、その回答として出された太政官指令を書き足したもの(正確に言うならそういう文書の写し)で、質問を受ける側の外務省が太政官指令とはどういうものなのか理解できるように添付された。ところが、本来の書類とは異なる点が2点ある。下線をひいた部分がそうなのだが、一つは「添付書類は省略する」とされたこと、もう一つは、本来の件名である「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の後に「外一島は松島なり」という説明が書き加えられていることだ。この一言が書き加えられたのは、本物の太政官指令の一件文書には添付されている磯竹島略図その他の書類を省略したので、伺文書だけでは「外一島」が何という名前なのか分からなくなってしまうからそれを補うために書き加えられたわけだ。だから、内務省の照会文書の書き出しは「日本海にある竹島松島の義は、……」となっているのだがこの「竹島松島」は「竹島と松島の二島は……」という意味で書かれていることが分かる。 ここに明治10年太政官指令の「竹島外一島」(竹島と松島)とはどの島を想定していたかという問題の答えが現れていることに読者は気づかれただろうか。 内務省の書記官は外務省の書記官に対して、明治10年の太政官指令は「竹島」と「松島」を日本領外と指示していることを説明した上で「松島」について何か変更があったのかを尋ねた。ということは、ここで質問の対象となっている「松島」が内務省が太政官指令の「松島」と考えていた島だ。そしてその「松島」は、島根県の質問書に書かれていることから分かるように朝鮮の欝陵島だ。内務省が考えていた「松島」は鬱陵島だった。とするならば、「竹島」というのは実際には存在しない位置に描かれていた「竹島」(アルゴノート島)のことだったということになる。内務省は島が実在しない位置に「竹島」を表示し鬱陵島を「松島」と表示する西洋の誤った地図情報に従って「竹島」と「松島」を見ていたことが分かる。太政官指令の「竹島外一島」の答えはこんなところにあった。 このように、現代の我々、特に鬱陵島や今日の竹島の地理情報を知る者は内務省が見ていた「竹島」と「松島」が何であったかを知ることができるのだが、このときの内務省自身の認識はどうだったのだろうか。「松島」というのは鬱陵島だということを知っていたのだろうか。「竹島」というのは実際には存在しないということを知らなかったのだろうか。そういう疑問を感じた読者もおられるかも知れない。その答えはこれまでの文書からは必ずしも明らかではないが、それは意外にも外務省の回答文書から明らかになる。イ アに対する外務省の権大書記官の回答書公第2651号内務権大書記官 西村捨三 殿外務権大書記官 光妙寺三郎 朝鮮国の蔚陵島すなわち竹島松島の件に関する質問を拝見しました。この件は、先般、その島へ我が国から渡航して漁撈をする者があるとの趣旨で朝鮮政府から外務卿へ照会があったので調査したところ、実際にそのような事実が確認されたので既に撤収させ、今後そのようなことが無いよう禁止措置を取ったことを朝鮮政府に回答してあります。 以上のとおり回答します。明治14年12月1日 外務省書記官の回答は、その島は日本人渡航禁止という取扱いで変更はないということ-つまり太政官指令を変更するようなことは生じていないこと-を伝えるものだが、ここではその結論もさることながら前置きの部分に注目していただきたい。 内務省の書記官が、「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年指令によって本邦領土ではないとされていることを示しながらそのうちの「松島」について質問したのに対して、外務省の書記官は「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島の儀についての御質問を拝見しました。」という書き出しで回答を返して来た。「竹島」と「松島」のとらえ方が変わっていることがお分かりいただけるだろう。「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島」というのは、「日本では竹島と言ったり松島と言ったりする朝鮮国の蔚陵島」という意味だ。なぜそう読めるかというと、その根拠の一つは文章自体だが、「蔚陵島」という一つの島がすなわち「竹島松島」だというのだから「竹島松島」も一つの島だと読むしかない。もう一つの根拠は-こちらの方が実質的な根拠だが-この時点で外務省は朝鮮の鬱陵島は日本では松島と呼ばれたり竹島と呼ばれたりしている島だということを確認して知っていたという事実だ。 太政官指令は島根県~内務省~太政官というルートによるものだが、その当時、これとは別に外務省でも、「松島開拓の議」という「松島」開拓の建白書が提出されたことなどにより「松島」の開拓を許可していいものかどうかを、言い方を変えれば「松島」は日本のものなのか朝鮮のものなのか、それともいずれのものでもないのかを検討していたが、答えが分からない状況が続いていた。それが、最終的に海軍の「松島」実地調査によって「松島」とは朝鮮の鬱陵島であり日本ではもともと「竹島」と呼ばれていた島であること、つまり「松島=竹島=鬱陵島」という三名一島であることが確認されて、外務省はその事実を把握していた。(その経緯は外務省の北澤正誠という人物が明治14年(1881年)に取りまとめた『竹島考証』という冊子に詳しく紹介されている。『竹島考証』は現代の竹島領有権論争においてしばしば引用されるが、そこに記されている鬱陵島確認に至る経緯は、外務省は当時存在していた誤った地図に従って「竹島」と「松島」を把握していたが実地調査によってそういう地図が誤っていたことを知ったことを示している。ただし、外務省が太政官指令に関与していた形跡はないので、外務省の認識によって太政官や内務省の認識を直接に推定するわけにはいかない。) 外務省がその事実を確認したのは明治13年のことだった。それで明治14年に内務省から質問を受けたときに上のような回答ができた。しかし、その回答の仕方は実に奇妙なのだ。内務省の書記官は別に「竹島」と「松島」の関係などを尋ねたわけではない。しかし、外務省の書記官は問われてもいないことをまず説明した。しかも、それは内務省の書記官が言ってきた内容を勝手に変えながら「あなたが尋ねたのはこの島のことですが」と言ったようなものなのだ。 これが何を意味するかは明らかだろう。外務省の書記官は、質問に答える前に質問の前提を訂正したのだ。質問にある「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島ともいうのが現実であって、内務省が認識している「竹島と松島」という二島認識は間違っているということを内務省にまず教えたのだ。  内務省はこのときまで松島は鬱陵島であるという事実を知らなかった。これが外務省の回答文書から読み取れる真実だ。また、内務省は「松島」のほかに「竹島」という島があると思っていたわけだが、なぜそう思っていたのかというと答えは一つしかない。その当時の地図に描かれていたアルゴノート島に当たる「竹島」がその地図のとおりに実際にあるものと考えていたということになる。(また、内務省は、太政官指令を求める前の文献調査で竹島というのは朝鮮の鬱陵島であるという事実だけは確認ずみだったので、アルゴノート島に当たる「竹島」が実際にあると考えていたのであれば、同時にその竹島が朝鮮の鬱陵島だと思っていたことになる。) 結局、内務省もその少し前までの外務省と同じように、「島名の混乱」を含んだ間違った地図に従って「竹島」と「松島」という島を理解していたこと、逆に言えば、現実の鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことを想定していたのではなかったということが外務省の回答文書からも証明される。  説明が長くなった。要点のみを繰り返す。明治14年に、内務省は「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年太政官指令によって本邦領土外とされていることを説明した上で、そのうちの「松島」について何か変更があったのかと外務省に質問した。外務省は、内務省が質問した「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島でもあるという事実をまず指摘した上で取扱いに変更はない旨を回答した。この回答によって、内務省は指令の「松島」は実は鬱陵島であったこと、そのほかに別に「竹島」という島は無いことを知った。このことは、内務省は、太政官指令の「竹島外一島」というのは実在しない「竹島」(アルゴノート島)と実際には鬱陵島である「松島」を(それと気づかずに)想定していたことを明らかにしている。ウ 明治14年(1881年)内務省指令 上記イの回答を受けて、内務省は島根県に(おそらく)明治15年の1月に「書面松島の義は最前の指令の通り本邦関係無きものと心得るべし」との回答を送った。「質問のあった松島の件は明治10年太政官指令のとおり本邦関係無しであることに変更はない」ということだ。明治10年指令の時点では、内務省(及び太政官)は「松島」というのは「竹島=鬱陵島」とは別の島でありそれも本邦の版図外と考えていた(その理由は明らかではない)が、今回の回答指令を発する時点では、外務省の教示によって「松島」というのは「鬱陵島」であるという事実を分かっていた。しかし、どちらにしてもその「松島」が本邦版図外であることは何ら変わりはない。だから、前回の指令のとおりに本邦関係なしと心得よと指示したのは実に自然な回答だ。 (3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」この地図でも、実在の鬱陵島の位置の島が「松島」とされている。一方、(1)で述べた 『大日本府県分割図』(明治14年作成)では存在しない「竹島」も描かれていたが、それは消えている。つまり、内務省はこの二つの地図が作成されたその間のどこかで「アルゴノート島」の位置の「竹島」という島は存在しないことを知ったことが分かる。それまでは「竹島」と「松島」というものを西洋の誤った地図情報に従って理解していたのだ。この内務省の認識が変化した時期は、(2)イで述べたこと-内務省は明治14年12月1日付の外務省の回答文書によって「竹島」と「松島」に関する正しい知識を得た-という分析と矛盾しない。(4)明治16年全国通達太政官指令から6年後の明治16年3月31日付けで、内務卿から各府県長官あてに次の通達が出された。北緯37度30分西経8度57分(東京天守台より起算)に位置する日本でいう松島(一名竹島)朝鮮でいう蔚陵島については、従前、日朝両政府の議定もあって日本の人民がみだりに渡航上陸することはできないので、心得違いの者無きよう各管下へ諭達するよう内達する。明治16年3月31日内務卿各府県長官宛 親展 これは、鬱陵島ははっきりとした朝鮮領土であるにも拘わらず多くの日本人が押しかけて山林の伐採や漁を行っていることに朝鮮政府から抗議が来ていたので、その対応として太政大臣三条実美の指示に基づいて内務省が全国の府県に向けて発した通達だ。 この通達に関して太政官指令との関係でとりあえず注目すべきは、渡航禁止の対象が鬱陵島の一島であるという事実だ。もし多数説が正しいのであれば、本邦領土外(=朝鮮のもの)と判断した二つの島のうち鬱陵島だけを渡航禁止として今日の竹島のことに一切の言及が無いのははなはだ不自然である。多数説の見解に従うならば、今日の竹島を「松島」と称してそれも渡航禁止とすべきだったはずだが通達は今日の竹島にはふれておらず、「松島」という名前も鬱陵島に充てられている。 少数説の立場からはこのことの説明は容易だ。かつて太政官指令は存在しない「竹島」と実際には鬱陵島である「松島」をそれと知らずに版図外と指示していたが、この通達を発する時点では「竹島」は存在せず「松島」こそが鬱陵島であることが判明していたので、改めて渡航禁止の通達を発するとすれば鬱陵島一島を対象とするのが当然である。この通達も明らかに少数説と符合するのであり、多数説とは全く合わない。(5)中井養三郎の申請に対応した内務官僚の反応(明治37年) 中井養三郎は島根県隠岐の漁師で、明治37年(1904年)に、その翌年の竹島領土編入のきっかけとなる「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」を日本政府に提出した人物である。今日の竹島は、この当時はフランスの命名による「リアンクール」という名前に由来して日本ではリャンコ島と呼ばれていた。中井養三郎はリャンコ島でのアシカ猟を自身が統制したいとの考えから上記の申請を内務大臣、外務大臣、農商務大臣に提出した。 中井の回顧によれば、出願先の一つである内務省の反応は、「内務省の当局者は、日露戦争を行っているこういう時期に韓国領地の疑いがある小さな不毛の岩礁を領土にして、事態を注目している諸外国に我が国が韓国併呑の野心を持っているのではないかという疑念を大きくさせるのは、領土に編入する利益が非常に小さいことに比べて決して簡単なことではないとして、何度説明しても願いは却下されそうであった。」というものだった。 ここで「韓国領地の疑いがある」という言葉に注目してほしい。内務省の当局者は「その島は韓国の領土だ」とは明言せず、「韓国領地の疑いがある」という認識を示したわけだ。このことは多数説と少数説のどちらに合うだろうか。 多数説によれば、リャンコ島は太政官指令で外一島(松島)として「本邦関係無し」と指示されていたことになる。「関係無し」と言う言葉ではあるがその実質は、徳川幕府が朝鮮国との交渉の末にその島は朝鮮のものだということを了承したので明治政府もそれを踏襲するという意味であることは、太政官指令を知る内務省の官僚なら分かっていただろう。つまりリャンコ島は明らかに朝鮮のものだということのはずだ。そういう指示を内務省は太政官から受けている。だから誰かが「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」などというものを持ち込んで来たならば、それは明治十年に右大臣の御指令によって朝鮮領と決着ずみである。却下!」と門前払いにすべきだったろう。ところがこの内務官僚は、朝鮮の領土である可能性があるというあいまいな認識を示し、太政官指令を全く持ち出すことなく、領土編入が困難な理由をあれこれと説明している。申請を拒否したいのならば太政官指令を持ち出せば話はすぐに済むはずなのに、だ。こういう状況は、多数説とは矛盾している。これに対して、少数説から見れば話は簡単だ。太政官指令は現在の竹島を想定したものではなかったのだから、内務省としては「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」はこれまで所属の検討などしたことのなかった島について初めて持ち込まれた話だということになる。したがって門前払いをすることなく一応話を聞いたことは自然な対応だし、その中で「韓国領地の疑いがある」と思ったとしても別に不思議ではない。この件も少数説のほうが合うのである。結論 以上5件の文書あるいはできごとを見れば、これらはいずれも多数説では全く説明ができず、少数説であれば無理なく説明できる。いや、無理なく説明できるというにとどまらず、(1)で見たように内務省自身が誤った地図を作成していたし、(2)のイの外務省書記官の回答文書では、内務省が太政官指令の「松島」と捉えていた島は鬱陵島であったことが明示されている。これが答えなのだ。太政官指令にいう「竹島外一島」(竹島と松島)とは、鬱陵島と今日の竹島のことではなく、その当時の誤った地図に描かれていた「竹島」と「松島」、すなわち実在しない島と鬱陵島のことをそれと知らずに想定していたのだった。太政官指令の解釈の主流をなしている多数説はとんでもない間違いなのだ。 それに、そもそも多数説というものは、内務省と太政官は、当時存在していた西洋の情報に基づく地図が誤りであること―具体的にいうと、そこに描かれている「竹島」というものは実際には存在しないこと、また「松島」とされているのが鬱陵島であることーを明治10年の時点で知っていたという前提に立つものだ。内務省と太政官は明治10年には正確な地理を知っていたというわけだ。外務省が実地調査によって明治13年に知るに至った真実を内務省はその3年前には知っていたということになるわけだが、多数説を唱える学者・研究者は誰も、内務省あるいは太政官がいつどのような調査・検討を経て正確な地理を知るに至ったのか全く説明しないし、これからも説明することなどできないだろう。なぜならば、そういうことが分かる資料など(少なくとも現在明らかになっている史料の中には)ないからだ。前回の寄稿で述べたように多数説を唱える人々はそもそも立証できないことを個人的な思い込みだけで主張しているのだが、それはまたそもそも立証できないことを前提とした主張でもある。 以上のように明治10年太政官指令の後に明治政府が取った行動をつぶさに見ていけば、「外一島」とは今日の竹島ではなく鬱陵島であったのであり、多数派の主張は全く間違っていたことが明らかになる。太政官指令のことが初めて公に論じられたのは1987年のことだったとされるが、そのときの論文も磯竹島略図などを根拠として太政官は鬱陵島と今日の竹島を版図外と指示したという立場で書かれている。以来二十数年、そのような解釈が通説化し、韓国側ではもちろん一も二もなくこの見解を採用し、日本側でも多くの追従者が生まれた。だが、事実は異なる。明治10年太政官指令は今日の竹島について述べたものではなかったのだから、現在の竹島領有権論争には何の関係もない史料なのだ。太政官指令があるから日本の固有領土論は矛盾しているとか、日本の外務省は自己に不利な太政官指令には一切ふれずに都合のよい資料だけを紹介しているなどという批判は、それをいう者たちの前提自体が誤っているのだ。 彼らのために、竹島領有権論争には本来テーマとする必要のないテーマが持ち込まれ、無用の混乱が引き起こされ増幅されて来た。だが、上記検討(2)でも引用したが、近年になって島根県竹島問題研究会の関係者からは新たな視点での見解も示されている。もう真実を理解すべき時期だろう。根拠のない主張を繰り返している多数派の人々が書く文章からは、島根県が提出した磯竹島略図や原由の大略に書かれている内容を自分が詳細に読み解くことが「歴史資料に忠実な解釈」であると自負しているような印象をしばしば受けるのだが、歴史上の事件を解釈するに当たっては自分ではなくてその時代の当事者たちが何をどう考えたのかを解明することこそが重要だということをもう少し考えて、本当の意味で歴史資料に真摯に向き合ってこの問題を再考されることを望みたい。関連記事■ 太政官指令「竹島外一島」の解釈手順■ 政治的過激主義としての韓国の反日主義■ 韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

  • Thumbnail

    記事

    新聞マニアが分析 朝日新聞とは何か

    著者 田中一成(東京都) 朝日が長年にわたり主導してきた新聞のあり方について、いま改めて是非が問われている。マスコミ、とくにその中心的存在である新聞の報道は、客観性と中立性を具備するものと信じられてきた。しかし、実際の記事や論評はどうであったか。私は新聞マニアとして、朝日、産経、日経の3紙を数十年にわたり購読してきた実感から、率直な感想を述べたい。1)紙面を構成するページ枚数 試みに平成26年12月17日に於ける、朝日新聞の紙面構成を見てみよう。当日の総頁数は38頁であるが、各頁は12段になっている。したがって全ページを段数に換算すると456段になる。またA5版の書籍に換算すると、頁数は304になる。つまり朝日の朝刊だけで、新書1冊分の大量情報が、毎朝配達されていることになる。では、その大量情報の内容はどうなっているのか。次の表は、それを分析したものである。 この表を作成しながら私は、大きな疑問を抱いた。新聞は何故に、このような広い領域をカバーしなければならないのか?しかもその大半は、新聞本来のミッションであるニュース性を必要としない。例を挙げれば、生活、教育、文化、福祉欄だ。その一方では、専門紙と重複する分野もある。経済・株式、番組、地方、スポーツの各欄だ。これらを除いて新聞本来の特徴を発揮できるのは、わずかに総合、社会、国際およびオピニオンの4欄であろう。しかしこの4欄については、読者として大いに不満を表明しなければなるまい。 第1の総合欄では、最も期待されるのが政治関連のニュースであろう。当然ながら記事の内容は、視野の広さと中立性が期待される。まず視野の広さについては、政治を政策の見地で報道し、政局的な見解を控える態度が望ましい。しかし、これに関する新聞の記事はどうであったか。嘗ては派閥や政治家の人事に関する政局記事が中心であった。そのため特定の政治家をマークする番記者というスペシャリスト?が、存在したほどだ。最近はかなり改善されているが、それに代わって、特定のイデオロギーや政党に肩入れする態度が顕著になった。先年、民主党が大勝した総選挙がその好例である。この選挙キャンペーン記事で見せつけた、朝日新聞社全グループを挙げての偏向ぶりは凄まじかった。朝日グループの政治偏向ぶりは今に始まったことではない。少なくとも政治に関心を持つ人たちは、この選挙で1993年に全国朝日放送(現・テレビ朝日)が引きおこした放送法違反の椿事件を想起したに違いない。 第2の社会欄については、情報の多くを警察に依存している。そのくせゼスチャーとしては警察国家化への懸念を示さなければならない。最近でこそ影を潜めたが、嘗ては事件発生で警官が発砲したとき、記事の見出しは先ず「警官拳銃発砲!」であった。そもそも1億3000万人が生活する社会において、日常発生する事件の数は無数としか言いようがない。僅かな紙面でそれを網羅することは不可能であろう。当然ながら記者は、それを取捨選択して記事にする。それは一種の特権とも言えるであろう。その特権の行使に於いて、特に朝日には独自の思想に基づく偏りが見られる。 第3の国際欄の記事については、朝日のみならず全ての新聞社に共通する問題がある。国際社会という極めて広範な領域での出来事を、一企業に過ぎない新聞社がカバーすることなど、とても出来ることではない。したがって記事の大部分を、国内外の通信社に依存せざるを得ない。社内で出来ることは、その取捨選択と若干の取材記事を付加するだけである。但しこの作業には、偏向記事を偽装するためのトリックを潜ませることができる。嘗て中国で、文化大革命が行われたときの朝日新聞の紙面には、「中国の街角には蠅が一匹もいない」と書かれていた。 第4のオピニオン欄では、発言の自由を装いながら、特定の考え方を読者に押し付ける場合がある。とくに朝日は、その特権!をフルに活用している。特権の行使にもトリックが用いられる。例えば少数意見の扱い方である。対立する意見があって、その一方の極小の意見を支持したい場合は、両論を併記する。しかし構成比は隠蔽される。逆に自社意見への同調者が多い場合は、その人数と構成比が示される。また看板にしている『声』欄への投稿採択では、露骨なフィルターがかけられる。かつて私は、この新聞の偏向記事について意見文を投稿したことがある。しかし、それは二度とも採択されなかった。 このほか、自説に副わない事件や事実を、記事にしないという”消極的な偏向”もある。この事例は極めて多いが、紙幅が足りないので省略する。2)新聞の性格 上述したように、新聞の編集で目立つのは記事項目の多様さである。この朝日新聞の事例では14項目に上るが、たぶん他紙も大同小異であろう。この多様さは、文藝春秋や中央公論などの月刊”総合雑誌”とよく似ている。違いは月刊ではなく日刊であることだ。その点を強調するならば、新聞紙というよりは、むしろ“雑紙”と称すべきだろう。 本来の新聞、とくに一般紙を特徴づけるものは、この表でいえば総合と、社会、国際およびオピニオンの4欄に過ぎない。他の項目については、それぞれの専門紙があるのだから、一般紙が割り込む必要はあるまい。しかし、それではボリュームが足りない。不足の理由は、総合、社会、国際の三大分野に関する取材能力が不足しているからであろう。能力には質と量の両面があるが、とくに問題にすべきは質である。中でも総合欄については、主筆や編集長と称する看板記者が大いに腕をふるわなければならない。私の感想を言えば、この面に於ける朝日・産経の記事は大いに読み応えがある。ただし朝日については、特定のイデオロギーへの偏向が目立ちすぎる。国籍不明のコスモポリタリズムやアナーキズムに、毒されているのではないかと危惧させられる。3)新聞の編集と解説 購読者としては、本来は事実だけを知りたい。しかし事実の背景には、複雑な事情がある場合が多い。また金融経済や国際関係、法規など専門知識を要する場合も少なくない。従ってそれらについては、たんに事実だけでなく背景や前提となる知識が必要だ。その意味で、新聞が編集や解説をやってくれるので、大いに助かることになる。但しそれには、客観性と中立性を守って欲しい。実は私は、その面で朝日を充分に信用することが出来ない。前に述べたように、特定の政治グループやイデオロギーへの偏向を感じさせられるからである。 このような不信感を取り除くにはどうしたらよいか。参考例として、私はインターネットで配信されるグーグルのニュースを挙げたい。この画面では、項目が発生順に羅列されるだけである。読者はその項目を選んで、クリックすれば詳細を読むことが出来る。グーグルは、新聞がやるような、印象付けの編集手法を用いない。ここで言う編集手法とは、見出しの表現、活字の大きさ、スペース、紙面のレイアウトなどである。これらの手法を用いることによって、新聞は巧みに自らの主観や価値観、イデオロギーを押し付けてきた。然しその一方では、報道の客観性や公平さをアピールするのである。私は朝日新聞が引きおこした今回の事件を好機にして、新聞編集と記事のあり方を見直すべきだと考える。4)日本の新聞の特殊性 欧米諸国の新聞と日本の新聞を比べると、かなりの相違を認めることができる。そのうちの幾つかを指摘したい。 (1)商業性の隠蔽 新聞は営利企業であるから利益を求めるのは当然だし、実際にその目的に副った経営を行っている。例えば上で示した朝日新聞の「紙面を構成するページ枚数」では、広告の全紙面に占める割合は48%である。つまり購読者は、料金を払って広告を読まされている。そのダブルプレイを認めるとしても、気になるのは、報道の公益性だけを声高にアピールするゼスチャーである。この傾向がとくに目立つ朝日新聞の経営実態をみると、以下の通りである。       売上高 約4700億円       経常利益 約170億円       従業員数 約4640名 一般に経営と従業員の緊張関係を緩和し忠誠心を維持する手段として、高賃金と福祉システムが用いられるが、上で見る朝日の実態もそれを如実に示している。つまり事業経営や経営管理の側面でみる限り、朝日は典型的な優良会社である。 (2)読者の知的怠惰をもたらす宅配システム 私の知人は、朝日と日経を半日かけて隅々まで読むという。それだけで、世の中の動きが全て把握できると思い込んでいる。しかし、新聞は自らのイデオロギーや偏向思想を巧みに隠蔽して、ひたすら公平さをアピールする場合が多い。それを信じる読者は、他紙と比較する気にもならないのだ。しかもその新聞は毎朝宅配されるので、わざわざ買いに行く必要がない。この日本独特の宅配システムは、新聞社と読者の両方に便利さをもたらす。しかし反面では、情報選択という知的行為を怠らしめるのである。この怠慢が続くと、読者はいつの間にか「習慣病」に冒される危険がある。肉体面での習慣病はよく知られている。しかし精神面での「習慣病」は、もっと恐ろしい。考える意思と能力を衰弱させるからである。それは一種の麻薬効果というべきであろう。 (3)奇妙な思い込み 嘗て朝日の編集者はニューズウイーク誌に、自社の編集方針を「反権力と啓蒙」と述べたことがある。しかし現在の民主主義国家の政治で、行使されている権力とは何だろう。それは特定の行政現場で行われている、意思決定機能と執行機能に過ぎない。何はさておき、意思決定のない行政があり得ないのは自明のことである。それに対し、反権力という大げさな表現で反対するのは、あまりにも幼稚な妄想であろう。嘗てのスターリンやヒトラーなどによる独裁国家の権力を、イメージしているのだろうか。もう一つの啓蒙については、思い上がりも甚だしい。この考え方に基づいて記事を書いているとすれば、それ即ち読者を見下していることになるではないか。 (4)客観性を装う情報操作 産経を除く日本の有力紙は、信奉するイデオロギーや政治的な偏向を、隠蔽する場合が多い。しかし記事を読めば意図は明らかになるのだから、隠す必要はないではないか。たとえば民主党が大勝した前々回の総選挙に於いて、朝日が露骨に行った民主党支持のキャンペーンは今なお記憶に新しい。また少数派意見の尊重という詭弁も多用される。たとえば朝日は自社説を強制するために、屡々このキャッチフレーズを用いて記事を書く。例えば、あるアンケートで回答者数が賛成100名、反対10名であったとする。それでも朝日が少数派に与する場合は、両者の意見を併記する。しかし賛成者と不賛成者の数は示されない。 この他でも、いろいろな手段で情報の操作を行っている。嘗て私は、朝日批判の文章を二度にわたり声欄に投稿したが、何れも採択されなかった。また、意図的に記事にしない方法もあるらしい。嘗て私は、文京シビックホールで催された「新しい歴史教科書の会」の会合に出席したことがある。この時の参加者はおそらく1000名を越えていた筈だ。日本の歴史教育のあり方を憂慮する人たちの、素朴で熱気溢れる集会であった。しかし当日の朝日新聞は、そのことに全く触れていない。その代わり片隅の小さい囲みには『教科書の会に反対するグループのデモ』として、数十名の参加者があったことが記されていたのである。 (5)エリート意識と特権意識 文藝春秋2014年12月号の『朝日新聞若手社員緊急大アンケート』を読むと、この質問に応じた18名の回答は概ね謙虚で反省的であり、好感をもつことができる。しかし問題は、回答者が僅か18名に過ぎないことだ。役員や管理職を除いても社員の数は、3000名に達するはずだが、アンケートへの回答はこの程度である。実質的には、無視したことになる。全社に漲るエリート意識は、今なお健在ということなのか。嘗て取材に赴く記者達は、社旗を翻す社用車で事件現場に乗りつけていた。それはまるで、除け!除け!といった感じであった。まさか今なお、そのような特権意識をお持ちとは思えないが…。5)朝日新聞のノウハウ (1)独特の表現手法 朝日新聞の記事文章には、独特の臭みと味わいがある。一部の読者にとっては、それが好ましいらしい。その典型が「天声人語」であるが、嘗ては模範文として入試に出題されるほどであった。しかしこの新聞の主張や論旨は、しばしば韜晦そのものである。その点を鋭く指摘する泰郁彦氏は「歴史から目をそむけまい」とか「○○問題は柔軟な発想で」式の表現を、真意が汲みとれぬ曖昧で空疎な修辞だと批判している。 (2)巧みな詭弁術 朝日の記者達は、詭弁術ともいえる独特のノウハウを身につけている。事例としてWiLL-2015年1月号と2月号に連載された『「朝日問題」で問われる日本のジャーナリズム:大闘論4時間』を挙げてみよう。これはジャーナリストの櫻井よしこ氏と、元朝日新聞編集委員の山田厚史氏との間で行われた討論のうち、「吉田調書」を巡る部分である。やや長文になるが、問題の部分(2月号の54頁以降)を引用しよう。(敬称略)山田 記事そのものについては、取り消しに値する誤りはなかったと思います。確かに「所長命令に違反 原発撤退」という見出しは誤解を招きましたが、内容は事故で指揮系統が乱れて所長の指示に反する集団行動が起きてしまった、という事実を書いたものです。(中略)櫻井 あの記事は、記者の反原発イデオロギーに沿う形で書かれたものであるとの疑惑を強く抱かざるを得ません。同じ日の二面に、担当記者が「再稼働論議 現実直視を」として次のように書いています。 「暴走する原子炉を残し、所員の9割が現場を離脱した事実をどう受け止めたら良いのか」 「吉田氏は所員の9割が自らの待機命令に違反したことを知った時、『しょうがないな』と思ったと率直に語っている」 「命令違反」で「現場を離脱した」無責任な東電社員や下請け企業の従業員は信用できず、彼らが動かす原発の再稼働など絶対に許さない、という強い意思が読み取れます。山田 櫻井さんがおっしゃるような「無責任な東電社員や下請作業者は信用できない」など、記事にはどこにも書いていませんよ。(中略)櫻井 山田さんのおっしゃることは朝日知識人の典型的な騙しの論理で、私はいま、お話を伺っていて正直、腹が立ちました。たしかに言葉のうえだけを見ると、「東電は信用ならない」とは書いていないかもしれません。しかし紙面全体を読めば、明らかに「東電は信用ならない。そんな彼らが動かす原発など絶対に許してはならない」との印象を受ける書き方をしています。9割が現場から逃げたという…。山田 「逃げた」なんて書いていないじゃないですか。この記事のどこにそう書いてあるんですか?櫻井 朝刊一面のトップで「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一所員の9割」、二面では「葬られた命令違反」などの見出しを大々的に掲げ、「11年3月15日朝、第1原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していた」と書いた。事実上、「逃げた」と紙面全体で言っている。山田さんは言葉の字面だけを追って「書いていない」とおっしゃいますが、これはきわめて悪意のある印象操作だと断じざるを得ません。山田 それは印象であって、印象で人を批判するのはよくない。(後略)月刊『WiLL』2015年2月号 『「朝日問題」で問われる日本のジャーナリズム』より 以上のようなやり取りが延々と続く。実はこの山田氏の論法こそ、私が先に3)新聞の役割で強調した「排除すべき編集手法」なのである。結び 長年にわたり疑問を抱きながらも私は、新聞とくに朝日を熟読してきた。しかし最近になって、この新聞が行ってきた記事・編集の実態を知った。そして今更ながら、なぜ朝日新聞がこのような偏った記事や論説を続けることができたのか、不思議でならない。その理由を解明しなければ、再び同じ過ちを犯すかも知れない。この不思議をもたらしたのは、何であったか。この短文を書き終えて私の脳裏に浮かんだ戯れ唄は、次の通りである。幽霊の 正体みたり 枯れ尾花関連記事■ 1カ月間、朝日新聞だけ読んでみた■ 「新聞人の責任」はどこへ? 反日偏向が根付く朝日の戦後史■ 朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

  • Thumbnail

    記事

    他人の気持ちを想像する力

    著者 栗林元(愛知県) 小説内で描くキャラクターの心は、すべて作家の想像である。男も女も子供も大人も、場合によっては人間以外の生物ですらすべて作家の脳内の産物だ。だからこそ、作家は他人の気持ちを想像できる能力が必要なのである。 常々感じていることがある。この他人の心を想像する力が、今の日本では衰えているのではないか? さて、桑田佳祐氏である。昨年の紅白歌合戦の曲を中継される前のパフォーマンスで、紫綬褒章をジーンズの尻ポケットから取り出してオークションにかけるような発言をした、として大きな非難を受けている。 桑田氏は私の2歳年上のはずで、あの年代の人の天皇制や保守政党に対する感覚、平和観は理解できるし、一部共有もしていた(←過去形・苦笑)。だから私は、桑田氏が「叙勲を拒否」していればなんら問題はなかったと思う。叙勲をした上で、あのパフォーマンスは無いだろうと思うのだ。 そもそも日本人にとって叙勲とはどのようなものなのか。 私の父は77歳で他界したが、晩年は公立高校の校長を務めていたので、死後ではあるが、瑞宝小綬章を受けている。母は、父と一緒に苦労してきたので、その叙勲をことのほか喜んだ。「父さんの人生が報われた」とまで言った。よほどうれしかったのか、会う人毎に「叙勲、叙勲」と話すので、私は「先生がすべて叙勲するわけではない、大多数の人は叙勲とは無縁の人生を送っている。嫌みになるから、こちらから叙勲の話をするな」と少し手厳しい忠告をしたほどである。母も父も学校の教員で、いわゆる「リベラル」だった人である。その母にとってすら叙勲とは特別なことなのである。 桑田氏が尻ポケットから出した勲章を、母は額装してテレビモニターの横のサイドボードに飾っている。そのテレビで、桑田氏の振る舞いを聞いた時、母は小さくため息をついた。 権威を小馬鹿にするポーズを取って、アーチストとして受けを狙ったのであろう。だが、それは、名声とも富とも無縁に、社会に貢献する人生を送ってきた、無名の市井の叙勲者たちの人生そのものを小馬鹿にしていることになると、なぜ気づかなかっただろう。 これは桑田氏だけの問題ではない。1970年代、平和を訴え自衛隊を違憲と主張する知識人・教員・芸術家たちの振る舞いは、自衛官の家族、特に子供たちがどのような気持ちになるかという想像力を欠いたものだった。 体制に反対する知識人・ジャーナリスト・マスコミ・芸術家達に共通するのは、「目覚めている自分たちが、だまされている大衆を啓蒙してやる」という上から目線の傲慢さである。それが、他人の気持ちを想像する力の欠如につながっているのではないか。 野党に票が入らないのは、投票率や選挙区の問題だけでなく、「リベラル」の傲慢さに対して多くの国民が反感を持っているからであると気づいてほしい。 私は桑田氏の音楽が嫌いではないし才能も認めている。ただ、富と名声を得た彼が、無名の市井の日本人の感覚とは遠いところに立っていることがわかり、残念な気持ちになった。関連記事■ 恐るべし、マスコミ■ 恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト■ 朝日は「左派メディア」として有志で再出発すべきである

  • Thumbnail

    記事

    政治的過激主義としての韓国の反日主義

    アンドレイ・石井(米国) 数多くの主権国にも当てはまる事実だろうが、アメリカ合衆国は多民族、多思想国家ゆえ極右系、極左系を問わず多くの政治的過激団体が存在する。 白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」や「アーリアン・ネイションズ」、アストラン・チカーノ(チカーナ)全国学生運動「メチャ(MEChA)」、黒人民族主義政治団体「ブラック・パンサーズ」など有名な団体はもちろんだが、その他の団体も数多く存在している。もちろん、特権を狙う支援・監視団体によってその存在感は誇張されるケースが多いのだが、違法活動やテロも行なったことのある組織も多く、アメリカ合衆国の暗部のひとつであるのは事実である。米中西部ミズーリ州ファーガソンでの暴動で、放火された後、崩壊した建物(黒沢潤撮影) 2014年8月、アメリカ合衆国のミズーリ州ファーガソン市で18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが白人警官ダレル・ウィルソンによって射殺された事件が起きた。11月24日に大陪審が警官の不起訴が決定され、全米の主要都市で大規模な抗議運動が起きた事件は記憶に新しい。ファーガソン市でも暴動とも形容できるような大規模な抗議運動も起きた。そこにはアメリカ社会の矛盾に対するもっともな不満がそこにあるのは事実であるだろうが、この一連の抗議運動を隠れ蓑として利用して精力的に活動をする極左系団体があるのも事実である。 「シカゴ革命クラブ」も「共産進歩的労働党」もその存在がファーガソン市やニューヨーク市の抗議で確認されており、ファーガソン市での暴動行為はそれらの組織が中核となって行なわれたと報告されている(『クリスチャン・サイエンス・モニター』2014年8月19日付)。8月13日の平和的抗議運動で警官を狙いモロトフ・カクテル(火炎瓶)を投げつけ挑発したのはその種の組織員だったのだ。 この件に代表されるように、過激主義団体には社会改善の裏に隠れて私的な目的を果たそうと画策する組織が多くある。異民族同士で癒しと理解を広め、法律を守りながら社会を公平にしようと活動する正当な「人道的反人種主義」の他に私的な目標達成するには手段を選ばない「イデオロギー的反人種主義」を貫く組織が存在する。 アメリカ合衆国でこの分野の発展に大きな功績をもたらした専門家のひとりに「レイヤード・ウィルコックス」がいる。若い頃から社会の中で虐げられている人に対して同情を持っており、17歳に「全米黒人地位向上協会(NAACP)」に入会し、カンサス大学での学生時代に公民権運動にも参加し「アメリカ自由人権協会(ACLU)」の支部長としても活動。「国際アムネスティ」の一員としても活動した経緯を持っている専門家である。 しかし、彼はやがて「人道的反人種主義」の崇高な意図は私的な政治経済イデオロギーを持つ諸団体に巧みに利用されていると気付き、付きあっていた組織の多くから距離を置く決断に至った。それらの団体は「反人種主義」の性格ゆえ操作されやすいのである。全てを説明でき、殆ど何の過激的なイデオロギー行動でさえ正当化できるという使い道が豊富な媒体なのだという認識に彼は至ったのである。ウィルコックスは「反人種主義」の思想自体を批判しているわけではないのだが、彼は次のように語る:「アメリカ合衆国内では反人種主義的“産業”が充満しており、それらは自己認識や生活が特定の種類の被害者意識に依存しており、虐めや道徳的な話を蒔く過激主義者たちを引き付けている。ある点においては反人種主義運動は大規模な恐喝商売になっている(中略)これは公民権運動の初期の意図から大きく外れている」(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups) いずれにせよ、極右極左を問わず過激主義運動を研究してきたウィルコックスは1965年、米国カンサス大学所属の「ケネス・スペンサー図書館」に『現代政治運動のウィルコックス全集』を創設。1986年から89年にかけてアメリカ連邦政府(教育省)の支援のもとで目録作業された経緯がある莫大な資料集である。 「H・L・メンケン賞」も受賞した経緯があるウィルコックスは研究の成果のひとつとして政治的過激主義には普遍的な特徴を持っていると分析しリストを書き上げたのだが、このリストを最初に読んだとき、ウィルコックスが掲げる特徴のほぼすべてが韓国の反日活動も網羅していることに筆者は驚きを隠せなかった。 これからそれらの特徴を見て行きたいと思う。特徴とその説明はウィルコックスの述べたものをほぼそのまま載せた。レイヤード・ウィルコックスの「政治的過激主義」の特徴(1)誹謗 : 過激主義者はよく相手・批判者が提出する事実と問題を論点を論争するよりも批判者の性格を攻撃する傾向にある。連中は彼らの動機、資格、過去の団体関連、価値論、性格、精神健康を疑問視し、これらを巧みに利用し問題から目を逸らそうとする。韓国の反日活動例:「野蛮な日帝」「戦犯国」「日本の36年強制占領」「日本の右翼傾向」などの主張のオンパレード。(2)侮辱とレッテル貼り:過激主義者は侮蔑の言葉を発し、レッテルを貼り、相手を非難。これは相手の論点から目を逸らし、他人を論者の言うことに耳を傾けさせないためである。韓国の反日活動例: 韓国側の主張を批判する者を「極右」「国粋主義者」「歴史修正主義者」「否定論者」、または「日本人=猿」などのレッテルを貼り、第三者を思考停止させ事実の検証を脱線させようと試みる。(3)無責任で大ざっぱな概括:過激主義者は証拠が少ない、あるいは皆無であるにもかかわらず、大ざっぱな主張や判断を下す傾向がある。彼らは類似性と同一性を混同する傾向がある。もしふたつ(あるいはそれ以上)のものが類似しているのなら、すべての点で同じであると決めてかかるという傾向を持っている。韓国の反日活動例: 証言が変わり事実が定かではない一握りの元慰安婦の証言によってあたかも何万人もの全慰安婦が「性奴隷」だったかのように主張される(これを「早まった一般化の誤謬」という)。また、「大日本帝国はナチス・ドイツと同盟を組んでいたことから両国は同質であった」という主張も同じ特徴の類で、それと共に旭日旗に関するプロパガンダが流されている昨今だ。また、感情をベースにした容赦ない「独島」キャンペーンを世界中で繰り広げるのに、事実と論理を必要とする国際法事裁判所に行くのを拒否するのもこの特徴に含むことができる。(4)主張に不十分な証拠:過激主義者は彼らの主張の証拠として構成要素とするものはかなり曖昧である。それに加え、彼らは論証の際に誤謬を利用する傾向がある(たとえば「前後即因果の誤謬」など)。彼らは「希望されている」結論を投影し、過激主義者らの偏見を確証すると見られる情報の重要性は誇張され、彼らの主張に矛盾する情報は損じられたり無視されたりされる。韓国の反日活動例: 特徴3と同じく慰安婦の問題などでは顕著であるが朝鮮併合時代の主張にも見受けられる(強制労働、ハングル禁止など)。カリフォルニア大学バークレー校の心理学教授ダッカー・ケルトナーは人間はイデオロギー的に反対している者の考えを大きく誇張して主張する傾向があると述べている。(5)ダブルスタンダードの唱道:過激主義者は自分たちは気前の良い「意図」で正当性判断するが、相手は「行動」をもとに判断する傾向がある。過激主義者は彼らの主張を鵜呑みにしてもらいたいが、相手からは証拠を要求する。また彼らは特権、過去の迫害、あるいはこんにちの不利な立場を利用し、自分たちのグループのために手前勝手な主義や特権を主張する傾向がある。韓国の反日活動例: 日本関係の慰安婦問題は問題にするがベトナム戦争時代の韓国軍による現地での蛮行は「戦争だった」と屁理屈を発したり、中国の朝貢国として女性を送っていた事実は問題視しない。(6)過激派は相手や批判者を本質的に悪であると見なす傾向がある:過激派の主張によると彼らの批判者たちが彼らに反対する意見をもつのは批判者たちは悪人であり、不道徳であるというもので単に他の観点から問題を見て違う意見を持っているという考えは通じない。韓国の反日活動例: 小中華思想において「日本は韓国の下のランクにあり、韓国の教示と指導、懲らしめを受ける立場にある」という主張がこれに近い。呉善花女史はこの事件で産経の加藤記者が置かれた立場について「したがって加藤氏については、彼ほどの知韓派知識人ならば我が国(身内)に見方すべきなのに、我が国の恥をこともあろうに日本に向けて発信した、そんな敵対的な行為は絶対に許せないという気持ちになるのである」と分析している(『月刊正論』2014年12月号)。また大韓民国憲法で抗日思想が国是として取り入られているとも呉善花女史は著作で述べている。これが「われわれ」対「彼ら」のメンタリティーを形成し、日本は韓国の「善」に対する「悪」であるという考えを生み出しているのかもしれない。(7)二元論的世界論:過激主義者は世界を絶対的な善と悪に分けて見る傾向があり、その間のグレーゾーンは存在しない。韓国の反日活動例: 特徴6と同じく、韓国には中華主義から外れた日本を批判と侮蔑の対象に置く伝統があるのみならず、「正しい歴史」を認識しない日本は悪の権化である。また、韓国は中国の「易姓革命」の思想を継承し、現政権は以前の政権を批判し断罪する伝統があり、現政権の正当性は前政権の「悪」にあるという思想がある。これも「善と悪」に分ける傾向に当てはまるという考えが出来なくもない。この前政権の政策や功績の否定も日韓関係に影響を及ぼす。(8)過激派は常にある程度の検閲と彼らの相手や批判者を抑制するよう唱道する:メディアに流される情報を規制したり、ブラックリスティング、反体制者の隔離、「禁断」な情報拡散を食い止める抑圧的な法律制定のためのロビー活動など。過激主義者らは特定の書物、資料を書店や図書館などから締め出そうと試みたり、報復の威嚇を通して広告を牽制したり、電波から都合の悪い意見を持つスポークスマンをブロックしたり新聞のコラムニストを締め出そうとする。韓国の反日活動例: 韓国の親日的な著者(たとえば呉善花女史)などがブラックリストに載せられ、売国奴として迫害を受ける。欧米の図書館の資料・地図の「日本海」に「東海」のシールを張る。また産経新聞の加藤達也記者の起訴や親日派の末裔に対する後事法的な特別法の制定などもあげられる。(9)過激派はその敵との関係で自己を認識する:過激主義者らは彼らの憎む対象、そして誰に憎まれているかを通して自分の存在意義を確認し、敵に感情的に縛ってしまうこともしばしば。敵である存在も模範にするケースもある。韓国の反日活動例: 反日的な行動を国を挙げて実行しているにもかかわらず、日本文化や産業品をパクる。自国を日本と比較して国際社会での立場を確認するという行動も見られる。日本を貶める行為をしているにもかかわらず、奇妙な共生関係にあるのだ。 (10)威嚇を利用しその主張を通そうとする:過激主義者は彼らの前提と結論を受け止めてくれるように威嚇を利用して主張をまとめる傾向がある。彼らに異論を提示することはあたかも敵に慰めを与えることになると見なされる。これには論争の範囲を定め、主張の都合の悪い部分を切り捨て、相手を守勢の立場に置き続ける意図がある。韓国の反日活動例: 日本を弁護、あるいは日本に同情する親日系の韓国の社会人は社会抹殺の対象にある傾向にある。(11)スローガンや思考停止を狙う決まり文句の利用:簡素なスローガンを複雑な抽象概念の代わりに用いり、都合の悪い事実や反論を牽制しようとする。韓国の反日活動例: スポーツの会場で掲げられる「歴史を忘れる民族は未来が無い」というスローガンの件がある。(12)終末論的な考え:過激主義者は特定の行動方針を果たさなければ破局的な結果が出るという考えを持つ傾向を持つ。韓国の反日活動例: 慰安婦像を「平和の像」と呼び、「慰安婦像を建てるのは平和的な目的だ。日本がまた未曾有の戦争を起さないようにするためであり、世界人民に対する奉仕である。」という言い訳がある。ウィルコックスによると過激主義者は私的で個人的な恨みや特権の追求の理論的根拠を「公共のための福祉」の美名の下で実行しようと試みる傾向があるとも述べている。(13)常に他グループに対する道徳的、または他の面での優越性を主張する:最も顕著なのは民族優越主義であるが、宗教的、哲学的な優越性の主張もある。しかし、比較的に明らかではないという種類の優越性では、被害者であるという申し立ての主張、神の選民意識などもあり、批判者がそれらの主張の事実性を論じようと試みると「鈍感だ」と非難される。韓国の反日活動例: もちろん北朝鮮と共有する朝鮮民族優越主義であり、小中華思想などがこれに当てはまる。また「被害者である」というところでは朝鮮併合時代の「過酷な時代」の主張がこれにあたる。また1960年代後半以降の経済活発化(いわゆる「ハンガンの奇跡」)により韓国は神の選民国であるという主張もある。(14)「良い」大義のためには悪事を行なっても大丈夫、という考えを持つ傾向がある:過激主義者たちは故意的に嘘をついたり、事実を捻じ曲げたり、不正確的に引用したり、批判者たちを名誉毀損したりする。願う結果を得られるのなら正当化され、批判者を打倒するのが優先され、他の価値論は全てそれに従属される。韓国の反日活動例: 悪事といえば、最近の例では「対馬仏像盗難事件」がある。また、日本を侮辱するために設置された韓国の日本大使館のそばにある慰安婦像は外交の基本である「ウィーン条約」に反した行いであると水間政憲氏は指摘している。国内、日本に問わず韓国の歴史的事実の歪曲もこれに当たるだろう。まさに目的を達成するならば不正をやっても良いという考えだ。(15)過激派は感情的な反応に大きな価値を置く傾向がある:まさにプロパガンダ主義であり、教育とも意識高揚ともいわれる。結果的に彼らは大義を愛国心の御旗、正義、または被害者意識に絡める。彼らの批判者に対する活動で感情的な反応を生み出す象徴を利用し、無批判に他人の同情を得ようとする傾向があり、これを通して彼らの提示する前提と結論の検証を食い止めようと画策する。プロパガンダと教育の違いは前者は「何を考えるか」であり、後者は「どう考えるか」である。韓国の反日活動例: 「旭日旗はナチス党旗と同じ」という主張。また、欧米で「慰安婦像」を建てて「(性)奴隷」という感情的な反応を狙うプロパガンダ工作もこれに当たる。小学生時代から徹底的に叩き込まれる侮日・反日教育(歴史教育のみならず、音楽などのアーツなどにも反日思想が反映されると指摘されている)。(16)過激主義者には超自然的、神秘的、あるいは神的な理論的根拠を主張することがある:過激主義者には何らかの宗教運動、または団体に属するケースもあり、彼らの活動は天的な存在のお墨付きであると主張する者もあり、信教の自由のもとで批判から防御しようと試みる。韓国の反日活動例: 儒教は絶対神の存在を説く思想ではないが、儒教に浸っている韓国社会は中華主義の国際ヒエラルキーに浸っており、基礎的な思想から侮日の伝統を持っている。伝統的な思想が侮日・反日主義のセメントとして機能しているといえるのではないか。(17)曖昧さと不確定さへの不寛容性:過激主義者たちは不確定な世界において確定性を見出そうとする傾向があり、これが個人的、政治的に操作的な行動に動かす要素となる。韓国の反日活動例: ケースは思い浮かばないが日本人は曖昧さには比較的寛容的であるが、韓国人は断言するのが好きだという指摘がある。呉善花女史も「何事につけても、こうあるべきだ、こうあることが正しいという理念が第一になって、そこから現実の物事をみていこうとする傾向が強いということである」と述べている(『反日・愛国の由来 韓国人から見た北朝鮮』参照)。これも反日キャンペーンの凄まじさに影響を及ぼしている可能性は否定できない。(18)集団思考への傾向:過激主義者は内向きの集団思考に動く傾向があり、団結と一致を守るために事実を捻じ曲げたり、矛盾する証拠を伏せたり、共有している憶説に疑問を投げかけてしまう観察を抑えつける。これによって共有している正義の幻想や道徳の優越性、迫害などが維持されそれらの考えを挑戦する者は懐疑と敵意を持って応じられる。韓国の反日活動例: 日本の前で韓国批判をする韓国人ジャーナリストは叱責、批判され、時には売国奴として扱われる傾向がある。(19)敵意の個人的化:過激主義者は“敵”に個人的な不幸を望み、不幸が起こった際には祝う傾向にある。韓国の反日活動例: 2011年の東日本大震災の惨事に日本が見舞われたときに韓国スポーツ競技ではそれを「祝う」垂れ幕が飾られた件や2005年、韓国の仁川市の地下鉄駅で子供たちが描いた日本に不幸・災難を願うポスターが展示された件などが挙げられる。(20)「勝たなければ社会はダメだ」という思想を持つ:例で言えばもし過激主義者が選挙で落選したら不正が行なわれたと主張し、もし世論が彼らを批判をし始めると民衆は洗脳されたと主張する。政治・社会システムの善悪は自分たちへのインパクトで判断される。韓国の反日活動例: 韓国の「敗北を認めたがらない文化」の影響もあるだろう。もし第三国の政府が日韓問題をめぐり親日的な処置を執行すると証拠も無いのに「日本がロビー活動した」と噂される。韓国反日主義において自国において都合の悪い事件や状況は「日帝36年強占支配」の悪影響として主張、誇張されるケースがある。◇2014年7月23日、ソウルの日本大使館前で従軍慰安婦問題に抗議する集会の参加者(共同) いかがだろうか。もちろんこれは韓国社会における傾向、トラジェクトリーの分析であり、韓国の国民のひとりひとりがこれに当てはまるというわけではない。提示した反日の例は一握りのサンプルであるが、読者はこれらに当てはまるさらに数多くの適切なケースを思い浮かべるかもしれない。 述べるまでもなく、韓国の反日傾向は幾多もの角度から分析されている。文化的、政治的、歴史的、そして経済的な分析などがある。何百年にわたって徹底された儒教の影響がいまだに濃いのでそれに起因しているのも大きい理由だろう。しかし、結果としてウィルコックスがいう「過激主義者に見られる特徴」のほぼすべてに韓国反日主義の特徴が当てはまるというのは一体、何を物語っているのだろうか。 民族が違えば文化も違うのも当たり前だが、この現象もシンプルに「文化の違い」で済まされるものなのだろうか。朱子学という儒教思想は「過激的」な文化を生み出してしまうものなのか。問題は複雑である。 また、ウィルコックスが掲げる点の要素のすべてが韓国の反日主義に何らかの形で見つけることが出来ても、侮日・反日主義の実行者ら自らが「過激主義者」であると認識して実行しているとは考えることは殆ど無いと思う。 彼らの立場から見れば正義のために戦っているから、それが「過激」とは思いもしないだろう。韓国ではそれが当然であり、文化的に正しい行為と見られているのは幾多の研究者に指摘されてきた。しかしウィルコックスは過激主義は必然的に「主張の内容(Content)」ではなく「やりかた(Style)」であるとも述べている:「過激主義者の振る舞いは内容を超越する“やりかた”によって特徴付けられる。たとえ正しい大義であっても、激しく不寛容的で復讐的な唱道によって危うくされる可能性もある。(中略)『鼠を捕まえるために小屋を焼き払う』という古い格言がこの問題に当てはまる」(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups) 自国の利権、国際的な信頼をも危うくしてまで侮日・反日を繰り返す韓国。この視点からも見れば、やはり韓国の反日主義はある意味、立派な「過激主義」であるという見方も可能なのではないのか。上記の特徴が社会内の特定の過激主義組織だけではなく、主権国家自体に当てはまるとは実に恐ろしい現象だといえるだろう。 2015年は第二次世界大戦の終焉の70年にあたる年である。また「日韓基本条約」締結の50年にあたる年でもある。第一次世界大戦勃発100年記念に踵を接する今年には世界中で多くの行事が行なわれ、書籍が出版され、ドキュメンタリー番組が制作されるだろう。この歴史的な年に当たって韓国を含む「東アジア反日3兄弟」は日本に対して心理的に露骨な宣伝工作と情報戦を繰り出す意図でいるのは明らかだ。 日本はウィルコックスの分析も参考に、歴史的事実としっかりとした論理を手に首尾一貫した戦略を練ったらどうだろう。エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使が2014年春に助言したように、日本人は総力を挙げて戦うべきだ。 ウィルコックスは歴史家でもある哲学者アーサー・ケストラーの次のことばを引用している。「神話中毒者との対話のほとんど全ては失敗に帰する。論争は最初から客観性から離れ、主張は長所によってではなく思想体系に適するか否かで考慮される」。もしそうなら、日本は反日に染まった韓国をダイレクトに相手にするよりも、精力的に事実を世界各国に発信するという戦略をとったほうが実を結ぶことができるのかもしれない。まさに情報の総力戦だ。 いずれにせよ感情を煽り歴史を歪曲する相手の戦略に対抗し、日本の命運と未来のために立ち上がり、戦うべき年。それが2015年なのである。関連記事■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 「右翼」「排外主義」狂奔するレッテル貼り■ 反日の根底には「恨」の感情がある

  • Thumbnail

    記事

    朝日は「左派メディア」として有志で再出発すべきである

    著者 Dean 先日行われた朝日新聞・渡辺社長の会見は読むに堪えない内容だった。あくまで“今後も”朝日新聞が存続するという前提での会見であり、第三者委員会の結論として「廃刊すべき」ということにはならないとみなしてのものだ。それは本来、検証される側の態度としておかしい。下駄を預けた筈であるので、その結論が出てから言及すべきところだ。 現在はどうかは知らないが、かつては「朝日新聞の『天声人語』を読まなければ大学入試に合格できない」といったことが平然と言われていた。大学入試の国語問題に天声人語が使われていたことも事実だ。 また、90年代当時大学生だった私は歴史研究サークルに入部希望した際に「従軍慰安婦についてどう思うか?」と尋ねられ、「本当にそんなことがあったかどうか疑わしい」と答えたところ入部を拒否された。今となってはそのような左翼系サークルに在籍せずに良かったと思うが、朝日新聞の報道はそうしたごく身近なところにまで影響を及ぼしていたのだ。 韓国に与えた影響も大きい。反日を掲げる彼らは雪だるま式に従軍慰安婦問題を誇張して、ありもしない幻想を信じているが、その発端となったのは明らかに朝日新聞の報道だ。 日本の反保守を掲げるNew York Timesも「朝日新聞は不当なバッシングを受けている」などと見当違いも甚だしいことを述べているが、もし仮に従軍慰安婦の強制連行などという戦争犯罪が事実なら、それを追求しなかった連合国側にも重大な問題があるわけで、NYTの主張も結果的には「戦争犯罪を告発せず、その証拠を見つけられなかったアメリカ軍が無能」と言っているのも同じ事である。そのように指摘したならば記事を書いたNYTの記者も相当慌てることだろう。 そもそも従軍慰安婦を誰がどのように強制連行したりしたのだろう?我々の父親・祖父・曾祖父の誰かが「犯人」ということになる。具体的な人名、連隊名まで朝日新聞は追求しなかった。さもあろう。実際にそんなことが行われておらず、当時の公娼制度に則って慰安婦はいて慰安所はあったが、それは新聞などで公然と募集され高級で待遇されていたのだから。 大体、当時の朝鮮半島は日本の統治下で、金日成の率いた反日活動家はともかくとして、ほとんどの朝鮮人民は日本側で戦争に参加しており、当時の朝鮮人は大日本帝国民であったわけだ。すると、帝国軍は「自国民」の婦女子を慰安婦として強制連行したことになる。 当時、大日本帝国軍には多くの朝鮮人士官もいた。韓国初代大統領で朴槿惠現大統領の父、朴正煕も日本軍士官だった。朝鮮人女性のみを性奴隷として徴用したら彼らの反発を招かなかっただろうか? 朝鮮半島統治に深刻な害をもたらすそのようなことを政府が許したろうか? 答えは「否」だ。だから、どこをどう探したところで強制連行を裏付ける証拠は出てくるわけがない。 むしろ逆説的に人身売買、売春目的で女性を騙したり掠ったりする斡旋業者が日本国内でも朝鮮半島でも官憲に摘発されたという報道は当時の新聞記事に書いてある通りだ。勿論彼らは日本軍ではないし、軍の関与を裏付ける証拠もない。また当時の新聞にも「恥ずべき事」と書いてある。残念ながら当時の朝日新聞を確認していないが、当時の朝日新聞でも「恥ずべき事」との報道をしたであろう。当時の朝日新聞が強制連行の事実を軍からの検閲により報道規制されていたのなら、戦後すぐに事実を公表することも出来たし、吉田証言などという人づての話を根拠にせずとも良かった筈だ。そこに大きな矛盾がある。 すなわち、朝日新聞が慰安婦報道をするまでに30年かかっていることだ。なぜ、当事者が存命していた当時に告発しなかったのだ?それを妨げるものがなんだったというのか?もし仮に朝日新聞が告発していたような人権蹂躙をした人間がいたとしたら、生きているうちに捕まえて裁けば良いだけのことだったのだ。ホロコーストに関与して戦争犯罪人となったナチスの将兵たちと同様に当事者が当事者として裁かれてさえいれば、国民の連帯責任というような事態にはならなかった筈だ。 それに事は人の命にも間違いなく関わっている。戦時中の日本軍の蛮行や虐殺行為を歴史教育を通じて信じ込まされた世代には「こんな国に生まれなければ良かった」と本気で思った人もいた筈だ。私自身、「生まれながらに敗戦国民」であるという事実に悩んだし、そういう日本人としてどう振る舞うかに悩んだ。中には自身のままならない境遇と合わせて自死した人もいるだろうかと思う。事はそれほどまでに大きく深刻だ。 今、様々な点で世界から日本が見直されて魅力ある国として評価されていることを嬉しく思うのも、そうした屈辱感や絶望感が少しでも癒やされたと感じるからだ。 同じく吉田なのでややこしいが、吉田調書問題についてもどこをどう読めばああした記事が書けるのか疑問でならない。悪意を持たない人間ならば、たとえ小学生でももっと納得の行く記事が書ける。つまり、そこに「悪意」があって悪意に基づいて都合良く記事を書いたとしか思えない。 朝日新聞の見解通りに記者の国語力に問題があったというなら、その程度の読解力しかない記者が入社試験をパスし、天下の朝日新聞の記者として我々一般人が立ち入ることが出来ない場所まで記者章をつけて「取材」出来ることが心底恐怖に思われてならない。 今回の誤報問題は朝日新聞の一企業としての在り方そのものに問題があるものだ。そもそも大本営発表を垂れ流しにした反省から現在のように体制に批判的な左翼メディアになったので、今後今回の誤報問題の反省から体制に迎合的なメディアになったらなったで我々は困る。 一度廃刊して、新しい社名で出直すべきではないのか。当然ながら、現在の読者に対しては違約金を支払う必要があるし、法的措置を受けてからのことになる。 左派メディアは左派メディアとして必要だ。体制に批判的な意見は必要だ。今の日本人はそうしたバランス感覚に長けている。だから、先の総選挙でも日本共産党が躍進した。自民党に対して常に対論を用意する政党の必要性を国民が肌で感じているからこそ、あの党は存在するし支持もされる。 大政党による安定政権は国民の希求だが、一党独裁の弊害は中国を見るまでもなく、55年体制後の自民党が辿った腐敗、派閥、金権政治を我々は散々目にしてきた。そして嫌悪している。だからどこの政党だろうが一党独裁は許さない。それが日本人の多くが抱く本音だと思う。 特定秘密保護法案も出来ることなら、「わけのわからない批判議論」にして欲しくなかった。日本の国益を損なう情報を漏洩する公務員を裁くための法律なのに、「報道の自由が損なわれる」とかいうのは明らかにおかしい。新聞記者は公務員ではないし、国民の知る権利を保障した憲法に明らかに違反する。違憲の法律なら違憲立法審査にかけられる筈だが、そんな話にはなっていない。朝日の主張は明らかに正常な議論を妨害してしまった。もし抜け道があったとしたらそれは特秘法反対の論陣を張った側にある。 体制に批判的なのは結構だが、反日的では困る。それが海外メディアなら仕方の無いことだ。だが、日本のメディアとして反日的態度をとるということは、読者も含めた日本人全員に対して敵対的ということになる。一連の誤報騒ぎは「そこ」に…つまり、朝日新聞の持つ反日的姿勢に問題の核心があるように思えてならない。 だから、朝日新聞を愛読し、支持する読者さえも裏切れたのではないのか。根拠の曖昧な記事を掲載し、誤報の事実を認めようとせず、挙げ句に問題がのっぴきならない段階に入ってから社長の首切りで事を収めようとする。朝日新聞のしたことは我々日本人全員を戦争犯罪人とその協力者に仕立て上げた。その罪は法廷で争うとして、こうしたことが起きた以上は廃刊はやむを得ない。 有志で新しい新聞社を作り、左派メディアとして再出発することが正しい道だと思われてならない。それはインターネットが普及した今日、スポンサーに都合が悪いことが書けず、特定の団体からの圧力に弱く、公務員の不祥事は書き立てるのに自社職員の不祥事は書かず、「報道しない自由」などというものを平然と掲げるマスメディアがその必要性や意義、報道姿勢を問われている今だからこそ必要な措置だと思う。 朝日だからではなく、読売・毎日・産経・日経でも同じ事が起きたら同じような処分にすべきだと思う。サンゴ問題でも椿問題でも尻尾切りで逃げてきた朝日だが、今度ばかりは許されることではない。

  • Thumbnail

    記事

    2014年の日本経済を振り返る ~アベノミクスを取り巻く諸問題

    著者 mekuriya(東京都)  東日本大震災・福島原発事故から3年、日本経済はその打撃を克服しつつもあり、克服しつつもないかのように思える。ここで「2014年の日本経済を振り返る」 と題して、アベノミクスを取り巻く諸問題を論点整理し翌年の日本経済を展望することで、アベノミクスが2015年に解決すべき課題が見えてくるように思う。いわば日本経済の「見える化」である。僭越ながら本稿をその一助として捧げたい。諸兄の賢明な議論を誘発できたなら、本稿の役目は果たしたと考えたい。(1)上期停滞するも下期上昇基調に転じた日経平均株価日経平均資料室:日次・月次・年次データ - 日経平均プロフィルhttp://indexes.nikkei.co.jp/nkave/archives/data 1月6日(月)約239円安の15,908円で引けた日経平均株価は、昨年末の過熱感を調整し、その後もアベノミクスに対して懐疑感を示すかのように停滞を続けたが、下期に上昇基調に転じ、2014年は1万8千円台を窺う水準で終われそうである。株価自体がアベノミクスの目標にならないのは当然としても、それがアベノミクスに対する市場の評価であると受け取っても間違いではあるまい。株価上昇は、個人投資家に直接の恩恵があるばかりでなく、銀行・証券・投信・生損保・公的年金・年金基金・事業法人など株式を投資有価証券勘定に組み込む機関投資家の財務状況を改善させることで、誰にも間接的な恩恵があるものである。また「起業大国 No.1の実現」を掲げるアベノミクスに対し東証を始めとする日本取引所グループが起業教育イベント『JPX起業体験プログラム2014』を開催するなど力強くアジャストする姿勢を見せているのは心強い。2015年は、株式市場のそうした機能が改めて評価される年になるのではないか。持続的な好循環が生まれるかどうか。来年も注視すべき指標となるだろう。1万8000円台にまで回復した日経平均株価を示すボード=12月8日午前、東京都中央区(2)円安進行が止まらない為替レートUSドル/円の為替レートの推移 ? 世界経済のネタ帳http://ecodb.net/exchange/usd_jpy.html 2011年10月頃の76円/ドルを円高のピークとして揉み合い期と加速期を繰り返しながらも円安進行が2014年も一貫して継続している事実は否定しようがない。為替レートは2014年8月まで揉み合った後、一気に円安を加速させ12月は120円前後の狭いレンジで揉み合っている。為替レート変動の要因は非常に多岐に渡るものであるが、2011年10月以降の円安トレンドに原発再稼働遅れに起因する燃料費増大が大きなウエイトを占めていると考えられる。その微変動には多くの市場参加者が関わっているといえど、大きなトレンドを決するのは輸出業者・輸入業者の実需売買なのである。政府・日銀とも為替レートを直接的に操作するのは不可能であり、また政策目標にも掲げてはいない。しかし、その変動が何に起因するのか、その変動が日本経済にどんな影響を及ぼしているかが極めて重要なテーマである事に違いはない。円安はアベノミクスの功罪ではなく、円安がアベノミクスの追い風か逆風かという視点が重要だと指摘しているつもりだ。吉野家が12月9日に牛丼値上げを発表したことで消費者も円安の弊害に気づきつつあるだろうと思うが、多くの原材料を輸入に頼る日本にとって円安が福音である訳がない。オイルショック克服後の日本は長く円高基調が続いただけに円高の弊害ばかりが過度に宣伝され、消費者は円高=悪と刷り込まれてしまっていたようである。原油急落を奇貨として外為市場は踊り場局面に入ったかのように見えるが、翌年はどうなるか。論壇のその評価は錯綜しているかにも見えるが、より仔細な分析を続けなければなるまい。円安進行に関する筆者の見解は本稿末尾に補稿【「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」は間違いだ!」】として掲載させていただく。1ドル=121円台まで下落した円相場を表示するモニター=12月5日夜、東京都港区(3)拡大一方の貿易赤字に歯止めはかかったか時事ドットコム:【図解・経済】貿易収支の推移(最新)http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_trade-balance オイルショック克服後の日本はリーマン・ショックなどの一時的影響を除いて、ほぼ一貫して貿易収支は黒字であった。ところが東日本大震災・福島原発事故を契機に一転して貿易赤字に転落し、しかも赤字額が単調に増加し続けた。これまた原発再稼働遅れに起因する燃料輸入増が大きく影響している。一方、財務省12月25日報道発表用資料・平 成2 6年1 1月分貿易統計によると前年同月比で輸出増・輸入減が示され輸出入均衡には遠く及ばないものの単調な赤字額増大には歯止めがかかったかにも見える。それが一時的なものか長期的な趨勢となるか翌年も注視せざるを得ない。経常収支は黒字だといった論調で貿易赤字を軽視している向きもあるようだが、筆者は同意できない。それは日本の貿易構造の非対称性を見落としているのではないか。筆者は貿易赤字→円安進行→(始めに戻る)のスパイラル現象の発生を強く疑っている。それについては稿を改めて詳しく論じてみたい。(4)消費税率が5%から8%に~その影響は? 4月1日から消費税率が5%から8%に増税されたことは改めて指摘するまでもなかろう。消費税増税を機に主に中小小売業者に便乗値上げの動きがあったかのように喧伝されているがそうではない。それは増税前の円安進行に起因する原材料価格高騰の消費者価格への転嫁と捉えるべきである。くだけていえば赤字に泣いていた中小業者が消費税増税を好機にようやく立ち直りのチャンスを掴んだということなのである。また増税以前の住宅・自動車に代表される高額消費財の駆け込み需要の反動で、増税後はその分個人消費が落ち込んだが、それは当然のことであって、ただちに消費税増税の悪影響とは捉えられない。いずれにせよ消費税増税の悪影響ばかりが過度に喧伝される一方で貿易赤字・円安の弊害が軽視されている現状は奇怪千万。消費税増税実施の成否に議論の余地があるといえど、視野狭窄は許されない。なお今回の増税の評価に関しては筆者はまだ時間がかかると考えている。拙速に成否を論じる意義も感じない。(5)逆オイルショック!?原油急落の影響は?「逆オイルショック」が再来?シェールオイルがもたらすエネルギー情勢の激変http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41687?page=1 2014/07頃まで2011福島原発事故を契機とした世界的な反原発感情盛り上がりの影響による需要増を主因として原油価格は100ドル/バレルを超える高値圏を推移していた。ところがここに来て(12/28現在)、WTI原油先物は55ドル/バレルまで急落(暴落というべきか)しているのである。消費者への還元が無い、または遅いといった声も聞かれるがそうではない。オイルショックを教訓とした日本は3ヶ月前後の備蓄体制を完備した上に、安定供給を重視した長期相対取引化、調達ルートの多様化などの施策を実施しているので逆オイルショックであってもその反映にはタイムラグが生じるのである。それゆえにサウジアラビア・アラブ首長国連邦などが日本の輸入相手国上位に定着している訳だ。ここでは急落の背景はあえて論じないが、必ずしも一時的要因とも言い切れないことは指摘しておく。直近に見られる貿易赤字の縮小、円安進行の停滞といった現象に原油急落が影響している可能性が大である。もしこれが一時的でないなら、翌年は原油急落の影響がより広範囲に観測されると思われる。それは日本経済にとって福音であるに違いないが、その背景も考え合わせればそうともいえまい。もし中東動乱が日本の輸入相手国にまで再燃・波及すれば日本とて無事では済まないからだ。ここでも国内問題だけに囚われず、国際情勢に広く眼を向けなければならない。12月16日に翌1月の中東歴訪を表明した安部首相もそうした問題意識をお持ちなのではなかろうか。首相、来年1月に中東歴訪へ 「地球儀俯瞰外交」再開 ? 産経ニュースhttp://www.sankei.com/politics/news/141216/plt1412160058-n1.html(6)完全失業率・有効求人倍率の改善と裏腹に低下する実質賃金時事ドットコム:【図解・経済】最近の完全失業率と有効求人倍率http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_jobless-rate「実質賃金」が16カ月連続で減少、前年比2.8%減 - 10月 | マイナビニュースhttp://news.mynavi.jp/news/2014/12/02/179/ 「良いニュースと悪いニュースがあります」といったジョークを連想する。労働市場の需給は概ね改善傾向と捉えられるのに対し、名目賃金はわずかに上昇しつつも実質賃金は下落しているというのである。この現象をどう理解すべきか。筆者はただちに説明する準備はないが、労使間になんらかのミスマッチが生じていると考える。例えば使が求める技能と労が提供できる技能が合っていないといったことである。バスケットボールに例えれば、コーチはセンターが欲しいのに入部希望者はガードばかりといった話だ。政労使それぞれにミスマッチを解消する努力が求められているように思われる。時が解決する問題ではあるまい。有識者による詳細な分析が待たれる。アベノミクスの本格浮揚を妨げる問題となりかねないからだ。(7)期待はずれのGDP成長率2014(平成26)年7-9月期・2次速報(2014(平成26)年12月8日公表) http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/gaiyou/pdf/main_1.pdf 内閣府が12月8日に公表した四半期別GDP速報(2014(平成26)年7-9月期・2次速報)は、我々を失望させる数値であった。いや11月17日の1次速報でもそうであった。特に目立つのが民間住宅の落ち込みである。これが消費税増税に前後する需要先食いの反動現象で説明できるのかどうか直ちに判断することはできない。また民間在庫品増加も大きなマイナス値を示している。これは消費税増税前の駆け込み需要効果を本格的景気回復と見誤った生産者の判断ミスによる過剰生産として説明可能とも思えるが、これも直ちにそうだと断言する準備がない。アベノミクスの観光立国政策による訪日外客が余剰在庫を購入してくれれば話は旨すぎるが、なんともいえない。いずれにせよ期待はずれのGDP成長率を消費税増税の失敗に結びつける議論は余りにも短絡的であり、為にする為の議論に思えてならない。たかが3%の増税率よりも、はるかに大きなレンジで動いている為替レートの存在を見落としてはならない。化石資源・鉱物資源・食料品といった国内産品で代替不可能な必須原材料を海外からの輸入に頼る日本経済の根本的構造をいまさら指摘しなければならないのだろうか。逆に言えばアベノミクスがフォーカスすべき課題は、日本の貿易構造の構造改革ではあるまいか。国内産品で代替不可能とは書いたが、本当にそうだろうか。所与の条件と決めつけず、大胆にメスを入れる取組が必要であることをGDP成長率が示唆しているのではなかろうか。なんにせよ、それみたことかと囃し立てるだけなら猿にでもできることだ。また多くのエコノミストが、このGDP成長率を予想も説明もできなかったことは付記せざるを得ない。もっとも人様を論うつもりは全くない。それだけ日本経済は複雑怪奇で難解だと改めて認識する他ないというまでだ。2014年7~9月期の国内総生産(GDP)速報値の発表を受けて記者会見する甘利明経済再生担当相。消費増税について「再増税によって景気が失速し、デフレに戻ってはいけない」と述べ、慎重な姿勢を示した=2014年11月17日(蔵賢斗撮影)(8)消費税増税先送りとアベノミクス解散 ここでの消費税増税先送りとは、11月17日のGDP1次速報を受けた安部首相の消費税率10%への引き上げを18カ月延期するという判断のことである。消費税増税先送りに関しては、先立って賛成論・反対論の論議が喧しいものがあったが、ここでは委細に触れない。また本稿ではその是非を論じるつもりもない。とにもかくにも、かくして安部首相は国民の信を問うべく衆議院解散に及んだ。安部首相の真意を詮索する向きもあろうが、本稿ではそれに与する意義を認めない。ここで指摘しておきたいのは、アベノミクスに対峙すべき野党が日本経済に対する問題意識を何ら示すことができなかったということだけだ。対案を提出するどころか、アベノミクスに瑣末な批判を加えるだけで精一杯ではなかったか。打ち出の小槌じゃあるまいし、経済政策というものは「一振りすれば、ほらご覧のとおり」とは参らぬ。また選挙対策で取ってつけたような思いつきで国民に迎合すべきものでもない。解散になってから慌てふためくとは余りにも情けなさすぎる。少々筆が過ぎただろうか。(9)第47回衆院選と第3次安倍内閣発足~有権者はどう審判したのか【安倍首相会見(上)】「この道をぶれることなく進む」(1/3ページ) - 産経ニュースhttp://www.sankei.com/politics/news/141215/plt1412150228-n1.html かくして第47回衆議院議員総選挙は、大きな変動もなく自民党公明党連立政権が引き続き政権運営を担う結果を導いた。庶民には恩恵が無いという不満感を否定できないまでも、そうはいっても安倍政権に託すしかあるまいといったところが国民の総意ではなかっただろうか。その低投票率は、選挙戦の有り様が有権者の期待に応えられなかったという事実を意味しているようにも感じられる。しかしそれは「国民が主体者意識を持つ契機になれば良いが」と密かに考えていた筆者の期待が失望に終わったことも意味する。国民の意識革命なくしてアベノミクスの成功は覚束ないと考えるからである。ともあれ今回の選挙結果は、ごく一部の近隣諸国を例外として海外からは日本の有権者は判断を誤らなかったと一定の評価を得たもののように思える。とはいえ、やはり第三次安倍内閣が乗り出す海は決して平穏な内海ではない。ともあれ安部首相が決意を新たに経済政策のかじ取りに意欲と自信を示してくれたのは喜ばしい。(10)2015年度予算編成本格化第3次安倍内閣発足 2015年度予算編成本格化 医療・介護の歳出抑制は必至 | 国内ニュース | ニュース | ミクスOnlinehttps://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/50976/Default.aspx 選挙を挟んだ関係で、例年なら年内に目処がつく翌年度の予算編成作業が越年することとなった。本稿では日本地下鉄協会が掲載した記事を示すに留める。平成27年度予算編成の基本方針(案)http://www.jametro.or.jp/upload/country/pxyUaBIlZcQD.pdf補稿「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」は間違いだ!企業や家計にとって朗報の原油安を円安で打ち消す日銀の愚策|野口悠紀雄 緊急連載・アベノミクス最後の博打|ダイヤモンド・オンラインhttp://diamond.jp/articles/-/64286  これなどは、その主張自体は健全に見えるが隠された前提に間違いがある、演繹における非形式的誤謬の典型である。隠された前提が「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」である。野口氏に限らず、今般の円安進行が日銀の金融緩和政策に因るものと思い込んでいる論者が少なくないようである。 アベノミクスはデフレ基調脱却を課題の一つに掲げ、日銀はアベノミクスに協力的姿勢を取っている。この基本認識に輸入デフレ論(安価な輸入品によってデフレが起こる)を組み合わせれば、「輸入インフレによってデフレ基調脱却は可能なので日銀は円安誘導を図っている」といった命題を抽出可能なように思える。また安倍政権も当初は円安の進行を歓迎すべき事態だと認識していた節があり、それが間違った命題を図らずも裏打ちしてしまったといえる。 しかし日銀は輸入デフレ論に与する認識はなんら示していないのである。2%の「物価安定の目標」と「量的・質的金融緩和」 :日本銀行 Bank of Japanhttp://www.boj.or.jp/mopo/outline/qqe.htm/ 日銀は円高にするとも円安にするとも言明したことはないし、金融緩和政策によって円安になるとも円安にするとも宣言したこともない。日銀が言明しているのは、2%の物価安定目標を達成する為の手段として金融緩和政策を実施するということだけである。 では今般の円安進行は何に起因するのか。それは外為市場における実需円買い・実需円売りのバランスが実需円売り優勢(一方的な実需売り増大基調)に変わったことに起因するのである。日銀の金融緩和政策が間接的に為替レートの短期的微変動に関わっていないとまではいえないが、だからといって日銀によって円安が進行したとは到底評することはできない。 特集 貿易赤字が拡大中!!! その原因と影響は?? | 三井住友信託銀行株式会社http://www.smtb.jp/personal/saving/foreign/feature/201403.html 銀行さんだけに外貨預金がオススメという話に展開されているが、グラフで示されているように、東日本大震災・福島原発事故を契機に’11年下期辺りから輸出金額が伸び悩む反面、輸入金額が単調増加基調にあり、それゆえ貿易赤字も単調に増大し続けているのが現実なのだ。USドル/円の為替レートの推移 ? 世界経済のネタ帳http://ecodb.net/exchange/usd_jpy.html第3次安倍内閣が発足。記念撮影に臨む安倍晋三首相(前列中央)ら=12月24日夜、首相官邸 2012年10月頃から明白に円安が進行している。一般に輸出企業は、ドル建ての輸出商品販売代金から円建ての費用原資を捻出しなければならないので、ドル売り円買いの経済主体となり、すなわち円高圧力要因となる。逆に輸入企業は、円建ての商品販売代金からドル建ての輸入原材料代金を捻出しなければならないので、円売りドル買いの経済主体となり、すなわち円安圧力要因となるのだ。  なお財務省貿易統計が物流基準で税関が計上するものであるのに対し、為替レートは資金の流れに基づく外為取引の結果変動する値であり、さらに一般に貿易会社は為替リスクをヘッジする為に為替予約といった取引や通貨オプション・通貨スワップといったデリバティブ取引を絡ませることがほとんどで、貿易収支の動きと為替レートの動きには当然にしてタイムラグが生じることは理解されたい。 ちなみに輸出企業の代表格がトヨタ自動車で、輸入企業の代表格が東京電力である。輸出企業と輸入企業は為替レートに関しては利害が反対で、輸出企業が円高局面で悲鳴をあげる一方で円安局面では沈黙を守り、輸入企業が円高局面で沈黙を守り円安局面では悲鳴をあげるという具合に、その言動も正反対の関係にある。 以上、論じたように「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」という命題は誤りであり、誤った命題から議論を発展させても誤った結論にしかならない。

  • Thumbnail

    記事

    太政官指令「竹島外一島」の解釈手順

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争において語られる争点の一つとして「太政官指令」と言われるものがある。明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官を代表する右大臣岩倉具視が、内務省(内務卿大久保利通の代理として内務少輔前島密)からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文がそれである。 この指令は、現在、韓国と日本の多くの学者・研究者によって、明治10年の時点で日本の政府が今の竹島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されており、それはほとんど「定説」となっていると言うような状況にある。 本稿では、しかしながらその解釈は全く根拠のないものであり未だ証明されていないものであることを指摘することにより、太政官指令をめぐる論争に一石を投じて見たい。太政官指令が発された経緯  竹島領有権論争におけるこの太政官指令の問題は、先般出版された島根県竹島問題研究会編の『竹島問題100問100答』において問題の難易度三段階区分の「難易度3」に分類されていることからも分かるように、いささか難解である。おそらくこの問題の経緯や関係資料を詳しく知っているという人はそれほど多くはないであろう。しかし、指令の正しい解明に向かうためには太政官指令が発された経緯やその関係資料を一通りは見ておく必要があるので、なるべく簡単に説明したいとは思うが、しばらくお付き合いを願いたい。 明治新政府が発足して全国的な地籍調査が行われることになったが、その過程で、明治9年(1876年)10月、島根県が「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と題する伺文書を内務省に提出した。その内容は、隠岐の彼方にある「竹島外一島」を島根県の地籍に入れたいと考えるがそれでよろしいか、というものだった。 島根県の伺文書には、その「竹島外一島」を図示する絵図面である「磯竹島略図」と「竹島外一島」の様子や来歴を説明する「原由の大略」という説明文書が添付されていた。これらを見れば、島根県の伺文書の題名では「竹島外一島」という表現が用いられているが、それは「竹島」(磯竹島ともいう)と「松島」という二つの島を指すものであることが分かり、また、ここが一つのポイントになるのだが、その「竹島」というのは韓国の鬱陵島であり「松島」というのは現在日韓間で紛争が生じている竹島であるということは、見る者が見れば一目瞭然である。 島根県の隠岐と朝鮮半島の間の日本海中には韓国の鬱陵島と現在日韓間で紛争が生じている竹島の二つの島があるが、かつて江戸時代の日本では鬱陵島は大きな竹が多数植生しているところから「竹島」と呼ばれ、今の竹島はおそらく「竹島」と対をなすというような意味合いからか「松島」と呼ばれていた。島根県が提出した資料は江戸時代の商人が鬱陵島に実際に往来していたときの記録に基づくもので、島の形その他の書きぶりがかなり正確であるために、現代において竹島問題を研究する者はそこに書かれた二つの島が現実のどの島であるかを間違うことはまずないと言える。 島根県はそういう書類を内務省に提出した。そして、内務省はそれら書類を見た上で独自調査(古記録の調査)も行い、「竹島」という島は、かつて元禄時代に日本(徳川幕府)と朝鮮との間で領土争いが生じたが最終的に徳川幕府がそれは朝鮮のものだということを承認した鬱陵島であるという事実を確認した。「元禄竹島一件」と言われる事件のことである。 その結果、内務省は、徳川幕府の決定は維持するべきであり島根県が質問して来た「竹島外一島」(竹島と松島)は日本の版図外として扱うことを変更する必要はないであろうとの判断を固めたが、ただし、ことは領土問題なので内務省限りで判断するのもどうかとの考えから、そういう方針で良いかどうか上部機関である太政官の判断を仰いだ。その際には島根県が提出して来た伺文書(「磯竹島略図」や「原由の大略」が含まれる)と内務省の独自調査の結果を併せて太政官に提出した。その結果として出された太政官からの回答が冒頭の指令文である。太政官指令の解釈をめぐる状況 そういう経緯のもとに発出された指令であるから、日本と韓国との間で竹島領有権論争が進行中の現在、多くの学者・研究者から、太政官は島根県が図示して来た「竹島」と「松島」すなわち鬱陵島と今の竹島を「本邦関係無し」(=朝鮮のもの)と指示したのだとする解釈が強く主張されていて、それは圧倒的な多数説を形成している。この解釈は、ふつうに考えて竹島領有権論争において「韓国有利、日本不利」の材料となるから韓国人の学者・研究者で太政官指令について言及する者はほとんど全員がこの解釈である(韓国政府も同じ)のは当然のことかも知れないが、日本人の学者・研究者の間でもこの解釈が多数派である。日本においては、これに対して、そうではない可能性を指摘する研究者も存在するが、全くの少数派である。 そういう現状は、単に竹島領有権論争の争点の一つについての議論の優劣というレベルを越えて、次の二つの点で現在の日本政府の竹島領有権主張の根幹に大きな疑問を投げかける結果となっている。一つは、日本政府は明治38年(1905年)に竹島を公式に領土に編入したのだが、そのときの閣議決定では竹島は「無主地」(どこの国の領土でもない土地)であると前提されているけれども、その28年前に日本政府は竹島を朝鮮の領土であると公式に認定していたのだから、1905年の竹島領土編入は朝鮮領土であることを知りつつ決定した不当なものであったということになる。もう一つは、現在の日本政府は竹島を日本の「固有の領土」と主張しているが、政府がかつて朝鮮領であることを認定していたものを日本の「固有の領土」と主張することは自己矛盾も甚だしいということになる。この二点はいずれも、竹島(韓国では「独島」と呼ばれる。以後、韓国側の主張について述べるときは「独島」ということがある。)の領有権について絶対の自信を持っている韓国の学者・研究者、さらには報道機関においても、日本政府の竹島領有権主張を非難するための格好の材料となっている。 しかも、現在の日本政府の竹島問題の担当部署である外務省が日本に不利のように見えるこの「太政官指令」問題について沈黙している(かつて韓国の新聞社が太政官指令についての見解を外務省に問い、内容調査中であり現時点では回答できない旨の回答を得たことがあるという。また、外務省の竹島問題広報資料にはこの問題が一切触れられていないことが韓国側の研究者などからしばしば指摘される)ことが、韓国側の独島領有権主張に一層の自信を与えているようである。韓国においてこの「太政官指令」問題が広く知られているとまで言えるかどうかは分からないが、近年、報道などで取り上げられることは多くなっていて、太政官指令の存在を知る者たちはまず例外なく「太政官指令によって日本政府の主張が虚偽であることが明らかとなった」と見ていて、太政官指令は竹島領有権論争で日本政府を打ち負かすことのできる決定的な資料であると考えているようである。 一例として、これは先般韓国の一地方紙(ネット版)に掲載されたものであるが、ある大学教授が次のように述べているのを見れば、彼らの自信のほどが窺える。 大統領は1877年に日本政府が発表した「太政官文書」を持って独島を訪問して、世界の言論の前で「日本政府自らが独島は日本領土でない」とした太政官文書を公布することだ。日本政府は韓国大統領の独島訪問に対して強力に抗議するだろうが、大韓民国の大統領が自国領土としての最も強力な証拠を持って自国領土を訪問するのなら、世界の言論の前で日本の抗議はすぐに影が薄くなってしまうだろう。「太政官文書」は近代国民国家に成長した日本政府が国際法に基づいて自ら「独島は日本領土ではない」と領有権を否認した文書だ。 (下線は引用者=筆者が付した。相手国の内部文書を「自国領土としての最も強力な証拠」とする考え方が面白かったからであるが、ともかくも彼らはそういうふうに考えている。)実は根拠のない解釈 上記のような状況にある太政官指令問題だが、一般に流布している多数派的解釈―太政官は竹島=鬱陵島と松島=今日の竹島を日本と関係無しと指令したとする解釈―には実は全く根拠がないと言えば読者はにわかに信じられないと思われるだろうが、太政官指令の解釈にはいくつかの問題が存在していて、多数説が言うほど単純に結論を言うことはできないのである。 その事情を順に述べていくこととするが、まずは、多数派的解釈の理由ないし根拠を確認しておこう。二つの例を挙げる。 太政官決定に言う「竹島」と「外一島」がどの島を指し示しているかは、付属文書の中で明らかにされている。「磯竹島 一ニ竹島ト称ス……次ニ一島アリ松島ト呼フ………」(乙第二十八号) 当時、日本では、現在の欝陵島は付属文書が記すごとく「磯竹島」あるいは「竹島」と呼ばれ、現在の竹島(独島)は「松島」と呼ばれた。これら二島が、現在の欝陵島及び現在の竹島(独島)を指していることは「磯竹島略図」によって決定的に確証される。 しかるに、この決定の言う「竹島外一島」がはたして鬱陵島と竹島のことか否か確認が必要であるが、「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と名付けられたこの資料の末尾に略図が添付されており、そこでは隠岐の島からの方角と距離の書き込みとともに二つの島が描かれており、鬱陵島と竹島であることが明確に示されている。 (下線はいずれも引用者=筆者による) この二つの例に共通すること、それは、「島根県が提出した資料に書かれていること」が太政官の判断の証明になるという考え方だ。 (1)太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは別のもの 上記のように、端的に言えば「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実が多数説の理由ないし根拠なのである。上の二つの例だけではない。他の学者・研究者の説明も筆者が見た限り全てこれと同趣旨である。ここで太政官指令の解釈において存在する問題の一つ目を指摘したいのだが、それは、「太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは全く別のものである」というごく当たり前の事実だ。 太政官指令の解釈において問題とされているのは、太政官(及び内務省。以下同趣旨。)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。つまり、太政官の認識(あるいは判断、思考、主観というような言い方もできる)を明らかにすることが課題なのである。そのときに、内務省あるいは太政官が作成したものであればともかく、太政官とも内務省とも全く別の機関である島根県が作成して提出した資料に書かれていることが果たして太政官の判断の証明となり得るものなのか。答えは否である。太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは互いに別のものなのだから、島根県が提出した磯竹島略図に客観的に見て正しい事実が描かれているとしても、それは太政官の判断の基礎となった前提情報に過ぎないのであって、それを説明したことで直ちに太政官の判断を説明したことにはならない。太政官がその磯竹島略図を見てどういう判断をしたのか―磯竹島略図に描かれているとおりの正確な判断をしたのかどうか―の説明が必要なのである。ところが、上記の主張の事例に見るように、多数派の人々は一切そういう説明はしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描かれているという事実を強調するだけなのである。彼らの論理では判断の材料(磯竹島略図)と判断結果(太政官指令)との間は断絶しているのだが、彼らはそれが断絶していることに気づかないまま結論だけを主張している。太政官指令の解釈を示したいならば太政官の判断(思考)に言及することは必須なのにも拘わらず、である。 (2)磯竹島略図に何が描かれているかは誰にでも分かることではない 上の(1)の指摘を読んで、読者はどう思われただろうか。「そんなところをつっついても、結局は太政官は磯竹島略図に描いてあるとおりに判断したのではないのか、筆者は多数説の形式的な説明不足を無意味に指摘しているだけではないか」と思われただろうか。もしそう思われたとしたら、それは多数説と同じ誤りに陥っていることになる。 多数説が「論理の断絶」などということに全く無頓着なのには相応の理由がある。それは「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という客観的事実は「誰が見ても明らかだ」と思っているからなのだ。次の文章は、ある韓国人学者のものである。 「指令文に添付された「磯竹島略図」を見ても「竹島外一島」が現在の欝陵島と独島であることは一目瞭然で誰にでも分かる。」 この例だけでなく、先に挙げた二つの例でも「誰にでも分かる」という考えが前提として存在していることは感じ取れるだろうし、その他の多数派の説明も「誰にでも分かる」という前提に立つものばかりである。 「誰にでも分かる」と思っているので「当然、明治9年の内務省も分かった、太政官も分かった、そのことに議論の余地はない。」ということになる。したがって、太政官はどう判断したのかなどということをことさらに取り上げて説明する必要性を全く感じないのだ。だが、ここで太政官指令の解釈において存在する問題の二つ目を指摘したいのだが、「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は、実は「誰にでも分かる」ことではない。 この文を読んでいただいている読者の中にもいらっしゃるかも知れないが、世の中には鬱陵島も竹島もあのあたり一帯の地理も知らないという人は多いことだろう。そういう人たちが磯竹島略図を初めて見たときに「なるほど、ここには鬱陵島と今の竹島が描いてあるな」という判断が下せるものだろうか。そんなことはできない。磯竹島略図を初めて見てそこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島であると分かるのは、それが分かるだけの基礎知識を有している者に限られる。朝鮮半島と隠岐の間の日本海には鬱陵島と竹島の二つの島がある(その二つの島しかない)という事実、その二つの島のおよその位置や大きさ、大体の形、そしてかつては鬱陵島は竹島と呼ばれ竹島は松島と呼ばれていたという歴史的事実など、鬱陵島と竹島に関するある程度の知識をあらかじめ有していればこそ、それらの知識と磯竹島略図や原由の大略に書かれた内容とを照合して正しく判断することができるわけだ。そういう知識が何もなければ磯竹島略図に描かれている「竹島」と「松島」が現実のどの島であるかを判断することなどできない。「そうか、こんなところにこんな形の竹島という島と松島という島があるのか」と思うだけだろう。 つまり、世の人は磯竹島略図を見た場合にそれが何を表しているか分かる者と分からない者に二分されるということになる。そうであるならば、明治9年に島根県からの質問を受け取った内務省の官僚たちは、そしてさらにその内務省から説明を受けたであろう太政官の官僚たちは、いったいどちらに属する者であったのかが問われなければならないことになる。それを検証しなければ、内務省や太政官が磯竹島略図を正確に理解したかどうかは言えないのである。しかし、多数派の人々はそんな説明は何もしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描いてあるからそれで太政官の判断が分かるというだけである。いかにずさんな考え方かお分かりいただけるだろうか。 もっとも、磯竹島略図を正確に理解するには、そのための基礎知識を有していることが絶対の条件だというわけでもない。基礎知識を有していないから見た時点では分からなくとも、何か他の資料を調べてそれと突き合わせた結果、そこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島に当たる島だと分かるということでも別に差し支えは無い。要は判断を下す時点で必要な知識があれば良いわけだ。ではそういう「他の資料」としては何が考えられるか。それはほぼ一種類に限られるだろう。地図である。 現代でも、磯竹島略図を初めて見てそこに描かれている竹島と松島がどういうものか分からない人がそれを確かめようとするならば、そのときに取る行動は「地図を見る」ということに尽きるだろう。137年前もそれは同じだったはずだ。 つまり、多数説のようなことを主張したいのであれば、指令に関与した者たちが鬱陵島と今の竹島に当たる島について既に必要な知識を持っていたことを証明するか、それができないならば、当時において正しい判断を下すための参考として使用可能なこれこれの資料があった、内務省や太政官はその資料を参照して正しく判断した、というような説明をしてそれを証明すべきだということになる。しかし多数説の人々はそのようなことはしない。何も証明せずに結論だけを主張するのである。それもやはり磯竹島略図に何が描かれているかは「誰が見ても明らかだ」という思い込みがあるからなのだろう。 (3)当時の地図は間違っていた 上の(2)の指摘を読んで、今度は読者はどう思われただろうか。「筆者はくどくどと検証が必要だというが、そこに鬱陵島と竹島の二つしか島が存在しないのならば何か間違える要因があるのか、これもまた単に多数派のちょっとした説明不足を指摘しているだけのことではないか」などと思われたかも知れない。ここで、太政官指令の解釈において存在する問題の三つ目を指摘したいと思う。当時は「竹島」と「松島」を描く地図には大きな間違いが生じていた。少し長くなるが、そのことを御説明したい。 当時(幕末から明治初期)の多くの地図では、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに竹島(鬱陵島)とそれほど変わらない大きさの一つの島が描かれ、それに「竹島」という名前が付されていた。そしてそういう地図の場合、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置にはもちろん島が描かれているのだが、その名前は「竹島」ではなくて「松島」と表示されていた。今の竹島はどう表示されていたかというと、竹島は相対的にはごく小さな島なのでそもそも全く描かれていない地図もあり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなく、西洋諸国がつけた「オリウツ・メネライ」とか「ホーネット」あるいは「リエンコヲルトロック」というような名称が付されていた。つまり、この海域にはもともと竹島(鬱陵島)と松島(今の竹島)の二つの島しかないところを三つの島があるように描かれたり、数は二つのままであっても「竹島」と「松島」の位置が実際よりも島一つずつ朝鮮半島寄りにずれて表示されているという状況にあった。「島名の混乱」と言われる状況が生じていたのである。 そういう状況は二つの理由が組み合わさって生じた。一つはイギリスの船が鬱陵島を「発見」してその位置を測量したときにミスがあり、鬱陵島が実際の位置よりも西北の方向に離れた位置にあるように把握されたことである。その結果、島は何も存在していない位置に島(鬱陵島)があるかのように間違って地図に表示されることになった。この島には「アルゴノート」という名前が付された。一方、現実に存在する鬱陵島もフランス船の測量によって地図に表示され「ダジュレー島」という名称が付された。一つの島が二つの位置に表示されるという誤りが生じたわけである。 もう一つの理由は、シーボルトが「アルゴノート島」を竹島と見て、「ダジュレー島」を松島と見て、そういう地図を作成したことだ。シーボルトとは江戸時代末期に長崎の出島のオランダ商館の医師として勤務していた有名なドイツ人シーボルトのことで、彼は後に帰国後に日本地図を作成したが、その地図には当時の西洋の知識に基づいてアルゴノート島とダジュレー島が描かれた。一方で、彼は隠岐の彼方には「竹島」と「松島」という二つの島があるということを知っていたのだが、その知識をアルゴノート島とダジュレー島にあてはめてしまった。アルゴノート島(実は存在しない島)が「竹島」でありダジュレー島(実は鬱陵島)が「松島」ということにしてしまったのだ。 そういう間違いを含む地図がヨーロッパで一般に使われ、幕末以降の日本にも輸入され使用されることとなり、日本人の知識のみによって描かれた旧来型の地図は別として、近代文明を代表する西洋から入って来た新しい地図は「竹島」と「松島」に関しては大きな誤りを含むものだった。一例を挙げる。勝海舟は1867年に「大日本国沿海略図」という地図を発行したが、その地図では西洋の地図の情報に従ってアルゴノート島の位置に島を描き、それに「竹島」という名前を付した。実際の鬱陵島の位置にも島を描き、それには「松島」の名を付した(「鬱陵島」という名前が付されているわけではないということに御注意いただきたい)。今の竹島は正確な位置に小さな二つの点で表示されたがその名は「リエンコヲルトロック」となっている(つまり「松島」とはなっていない)。 江戸時代に竹島、松島と呼ばれていた島は幕末以降の地図の上では違う島を指すように変わってしまった。現実に、そういう地図を見て、実際は鬱陵島である島をそうと知らずに開拓したいとして「松島開拓の議」という申請を出す者も現れるという状況だった。 島根県から質問を受けた内務省や太政官が磯竹島略図を見た上で判断を下そうとするときに有力な参考資料となったであろうと考えられるそのころの時代の地図は、基本的にそういう状況にあった。だから、内務省や太政官が磯竹島略図に描かれた「竹島」と「松島」を見てこれは実際にはどの島とどの島だろうかと見当をつける際に、これら誤った地図の影響によって判断を間違えた可能性―誤った地図に描かれている竹島と松島が島根県が言って来た竹島と松島だと思ってしまったという可能性―はないのか、という一応の疑問が生じてもおかしくはないのである。 しかし多数説の人々はそのようなことはほとんど考慮しない。彼らも「島名の混乱」の影響を受けた誤った地図が存在していたということ自体は認めている。しかし、そのことと太政官指令とを関係付けて論ずることはない。間違えた可能性があることもないことも何も論証せず、ただ太政官の結論は磯竹島略図から明らかだということだけを主張するのである。それも、結局は「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は「誰が見ても明らかだ」という思い込みが強すぎるから、それが間違って理解された可能性があるかも知れないなどということは考えないのだろう。 要するに多数派の主張は勝手な思い込みに基づくものに過ぎず、現時点ではまだ何も証明されておらず、その意味で全く根拠のない主張なのだ。 (4) 小括 ここで誤解を避けるために申し上げておくが、筆者は「当時は誤った地図があったのでその影響によって内務省や太政官は磯竹島略図を間違って理解した」というような結論をここで主張しているのではない。今述べたいのは、あくまで太政官指令の解明に至る方法論ないしは手順の問題である。 磯竹島略図と原由の大略という資料に「竹島」と「松島」として描かれているのは鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことだというのは客観的事実であっても、それが誰にでも分かることではない以上、明治10年の政府官僚が正確にそれを理解できたというためにはいくつかの越えなければならないハードルがあるということを御理解いただけただろうか。官僚たちは書類を見てすぐに分かったのか、すぐに分かるほどのどのような知識を持っていたのか、あるいは地図か何かを参照した結果として分かったのか、地図を参照したとして間違った地図に惑わされることはなかったのか、などである。これらを論理的に説明・立証した上で多数派のような結論になると主張するのであれば、それは筆者も尊重したいと思う。しかし現状はあまりにもひどい。多数派の人々の分析はいまだ島根県が提出した資料の段階にとどまっているのであって太政官の判断にまでは及んでいないのだが、御本人たちは太政官指令を解釈し終えたつもりなのだ。 そうなってしまうのは分からないでもない。竹島領有権問題を調べている学者・研究者たちは鬱陵島や竹島(独島)の位置や大きさ、形、島の歴史などの資料を飽きるほど見て来たはずで、何でも頭の中に入っているだろう。そういう人たちは、磯竹島略図を一目見ただけで、あるいは原由の大略を一読しただけで、そこに描かれているのは鬱陵島と竹島(独島)だと理解する。それは彼らにとって誤読の余地が全くないあまりにも平易な史料なのだ。だからそれは誰でも自分が分かるのと同じように分かるのだと錯覚してしまう。だから磯竹島略図に描かれていることイコール太政官の判断ということになってしまうのだ。だが、結局それは勝手な思い込みに過ぎない。誰にでも分かることではないのだ。 太政官指令というのは137年前の明治政府の首脳が発したものだ。137年前の他人が発した指令の解釈を示したいのならば、自分の解釈を優先させるのでなく137年前のその当事者の立場に立って考察するというのが歴史研究の基本ではないだろうか。多数派の方々は太政官指令問題を解説するときに、たいてい磯竹島略図には間違いなく鬱陵島と竹島(独島)が描かれているのだということを力説するのだが、そんなことよりも、それを見た137年前の政府首脳の眼にそれがどう映じたのかこそが重要であり考察すべき対象なのだということを理解して、果たしてどういう説明ができるものなのか改めて考えていただきたいと思う。直接解明は不可能 では、仮に誰かが筆者のいう手順に沿って太政官の意思を解明しようとした場合、どういう結論が得られるものだろうか。実は、筆者の見るところ結論は何も得られない。解明は不可能だからである。 繰り返しになるが、太政官指令で問題とされているのは、太政官(及び内務省)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。それは、間違った地図情報がある中で正確に判断したのか間違ったのかという問題でもある。ところが、島根県が提出した伺文書から太政官指令の発出に至るまでの書類をまとめた一件資料(11点の文書・図面)の中には、内務省や太政官が島根県が説明する「竹島」と「松島」を最終的にどの島と考えたのかを示す資料は何もない。その位置とか島の形などについて何と判断したかを示すものは何もないのである。資料が何もないから実際のどの島と考えたのかなどということは、現代の我々は知りようがない。明治9~10年の太政官指令の一件資料から指令を解明するのはもともとできない相談なのだ。「いや、できる」という方がいれば上で指摘したようないくつかの論証に取り組んでいただければいいだろう。その場合に何を材料として考察されることになるのかは筆者には見当がつかないが。筆者の見解としてはそれは不可能であり、多数派は立証できないこと(控えめに言うなら、まだ立証していないこと)をいかにも不動の真実であるかのように言いつのっている。それが太政官指令をめぐる論争の現状だ。他をあたる 以上述べて来たとおり、明治10年太政官指令の一件文書から太政官指令の意図を明らかにするのは無理なのだ。そうだとすれば、太政官指令の解釈というものは不可能なのだろうか。 筆者はそれは不可能ではないと思っている。太政官指令というのは日本海内にある「竹島」と「松島」の取扱いに関する政府の方針だ。そうであれば、太政官指令が発出されたときの一件書類のほかにも、「竹島」や「松島」の取扱いに関する政府の方針に関係のありそうな文書やできごとは存在する。そういう太政官指令に関連のありそうな文書やできごと―それは当然太政官指令の以後に生じたものであるが―から逆にたどって明治10年の太政官指令はどういう内容であったかを推定するという方法は考えられるだろう。 太政官指令がどの島を想定していたかは不明といっても、可能性は二つ、すなわち太政官は磯竹島略図を正しく理解したか間違って理解したかの二つに一つだ。だから太政官指令に関連のありそうな文書やできごとを一つ一つ取り上げて、太政官が磯竹島略図を正しく理解していた(=鬱陵島と今の竹島を版図外と判断していた)と考える方がつじつまが合うかそれとも間違って判断していたと考える方がつじつまが合うか、という観点から見ていけば答えは見つかるかもしれないのである。終わりに この文の3において多数説に対する少数派のことを述べた。少数派というのは島根県竹島問題研究会の関係者のことなのだが、彼らは、上に述べたような太政官指令に関連のありそうな文書やできごとから太政官指令は何を想定していたのかに逆に接近する方法を取っている。正しい方向だと筆者は考える。 もちろんその過程でも議論はあるだろう。「太政官指令に関連のありそうな文書やできごと」として何を取り上げるべきかも問題だし、またその一つ一つについて太政官が磯竹島略図を正しく理解していたと考える方がつじつまが合うかそれとも間違っていたと考える方が妥当かを判断するに当たっても見解はいろいろあるだろう。しかし、とにかく太政官指令の解明はこの方向で考えるしかない。できるならば、少なくとも日本人の学者・研究者にあっては、現在の多数説のような思い込みに基づく非学問的な姿勢を改め、この方向での研究に踏み出していただきたいものだと思う。 なお、筆者自身はこの方向でひととおりの検討を行った結果、結論に到達したと思っているが、その結論を述べることはこの文の趣旨から外れるので控えることとする。 長文を読んでいただいた方に御礼を申し上げる。(平成26年12月3日記)

  • Thumbnail

    記事

    問われるべきは「信念外交」の成果

    Mich Maruyama(新潟県) 14日の投票日に向け、衆院選各候補の選挙活動は活発化している。 安倍首相は主に消費増税延期の判断、そしてアベノミクスについて国民の信を問いたいとして衆院を解散したが、安倍内閣によって劇的に変化した外交政策も有権者の評価の対象とされるべきだろう。 これまでの外交では、中国、韓国などが日本の政治家の言動、政策等に不満を抱き、首脳会談が開かれない状態に陥ると、特定の政治家、メディアなどが騒ぎ立て、首相の責任を追及するのがお決まりのパターンだった。それに抗しきれず、首相も相手国に言われるがまま土下座外交を繰り返すのが日本外交の歴史だったと言えよう。 しかし安倍首相は、外交においては「友好は手段であり、目的ではない」という持論のもと、首脳会談開催に際して条件を付ける中国、韓国の主張を受け入れず、一方で「対話のドアは常に開かれている」とし、日本は対話に前向きだが、相手国が頑ななのだ、という点を世界に発信してきた。 中国は日中首脳会談開催の条件として、尖閣諸島の領有権を巡る論争が存在すること、靖国神社には参拝しないと公の場で発表することを求めていた。しかし安倍首相は譲らず、逆に中国側は、APECで首相が中国を訪れるにも関わらず、首脳会談を拒み続ければ、中国は国際社会から「失礼な国」と見られることを恐れ、結果として、11月10日、日中首脳会談開催へと至った。中国メディアは、安倍首相からの再三の会談要請を中国側が「聞いてやった」と報じたが、中国が事実上、日本側に突き付けていた条件を取り下げ、首脳会談に応じたのは紛れもない事実だと言える。 ここで重要なことは、第一に、第2次安倍内閣成立以降、上述の首脳会談が開催されるまで約2年間、首脳同士の交流がなかったことで何か不都合があったのか、ということだ。これは対韓国に関しても同様だが、首脳会談が開催されなくても全く問題は生じなかった。 第二に、中韓がいくら日本を非難しようとも、日本が筋の通った対応さえしていれば、理不尽な主張は国際社会では理解されず、逆に国際世論から非難の対象となり得ることも明らかになりつつある。こうした点を浮き彫りにした安倍外交。有権者はこの点も衆院選における評価の対象に加えるべきだろう。 このような安倍首相による「信念外交」と対極にあるのが、尖閣諸島中国漁船衝突事件の際、司法への介入まで行って中国に迎合した、当時の菅首相、仙谷官房長官らによる「売国外交」だろう。そうした愚かな行為は、結局、国益に何ら寄与することなく、むしろ特アを増長させる結果を招いたことは明白だろう。 民主党がいかなる主張を行おうとも、このような政党に国家の安全保障を託せるはずがないということは自明であり、もしこうした勢力に再度この国の舵取りを任せたならば、間違いなく日本国崩壊へと導かれることになるだろう。 民主党はそうした事実には頬かむりをして安倍内閣を攻撃し、あるいは甘言を弄して国民を取り込もうとしているが、主に自身の現状への不満などから、残念ながら一定数はそれを支持するナイーブな有権者がいることも事実だろう。 民主党、あるいはそれに類する左翼政党が政権与党になったとしても、彼らが語るようなバラ色の未来が訪れることは決してない。万一ある個人の生活が多少改善されることがあったとしても、国が外国勢力によって支配され、主権国家足り得ないのであれば、純粋な日本国民が幸せになることはあり得ない。 よく「外交は票にならない」と言われるが、魑魅魍魎が跋扈する国政政治の中で、日本の確固たる地位を維持・拡大していくことこそが、真の意味で日本人の幸福に繋がるものと考える。そういう意味で、有権者は地元の、あるいは目先の利益のみを考えるのではなく(もちろんそれも重要ではあるが)、国益に資する外交を行うことができるのはどの政党、政治家なのかを見極める必要があるだろう。我々の一時の判断が、将来を生きる子供たち、そしてこの国の将来を左右するのだということを忘れてはならない。

  • Thumbnail

    記事

    韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

    PACO(東京都) 最近、日本では、所謂「嫌韓本」がベストセラーになっており、韓国では、それを非常に問題視されているようですね。 でもね、一つ分かってほしいことがあるんです。こうした本はただの悪口を書いている品のない本ばかりじゃないんです。「韓国ってこういう国」という数多の出典付きのエピソードの紹介があり、その批評や、批判が加えてついているものが大半なのです。読む人の大半はそうした韓国のエピソードに興味を惹かれて読み始めるんです。だって、日本人も韓国の皆さんの「本当の姿」を知りたいのですから。 日本人も他の国に興味がありますから、日夜TVでは遠い海外の国の文化や習慣を面白おかしく報じる番組が花盛り。その一方で隣国韓国のことをこんなに知らなかったなんて!こんな驚くべき国が隣国にあり、それについて全く無知だったなんて!日本人は、韓国についてだけ、「びっくり情報」があまり報道されてこなかったということを知ってしまったので、今、驚いて知識を吸収しようとしているのですよ。 心配しないでくださいね。もし、理屈に合わない悪口が書いてあっても、良識ある人々はちゃんとそれをスルーしていますよ。普通の日本人が知りたいのは、韓国についての真実なのです。 だから、韓国の皆さんが、嫌韓本で気にしてほしいのは「韓国について嘘や誤解が書いてないか」ということなのです。不思議なのは、「嫌韓本はケシカラン!」との意見は多いようですが、「○○という嫌韓本に△△という事実に反することが記載されている」という批判が見られないことです。 おかしいなあ。私はずっと待っています。数多の嫌韓本の「△△は事実じゃない」「△△は経緯を無視しているけど、それを勘案すれば特に矛盾はない」「これは前提が違う」等、内容についての指摘を。納得できる反論があれば、「そういうことだったのね!」と、相互理解が深まるでしょう?「だったら、この批判は言いすぎでしょう。」とか。真実じゃないことがたくさん出てきたら、そうした本の著者も読者の信頼を失いますよ。 誇り高き韓国の皆さん。ここは国内で不満をいうんじゃなくて、威信をもって日本に対して、理論的に反論するところでしょ?私、待ってます。ぜひとも嫌韓本の内容について、「理論的に」「根拠に基づいて」反論した嫌・嫌韓本を出してくださいな。読んでみたい日本人、きっとたくさんいますよ。誤解が解けて納得なのか、さらにびっくりなのか、いずれにせよ、今までよりももっと相互理解が深まりますとも。離れたところで、にらみ合うんじゃなくて、もっと建設的に分かりあいましょうよ? ホント、お待ちしています。

  • Thumbnail

    テーマ

    ユーザーの皆さまからの寄稿を募集します!

    iRONNAではユーザーの皆さまから、サイトに掲載する記事・論文の寄稿を募集しています。

  • Thumbnail

    記事

    産経新聞の加藤達也前ソウル支局長起訴について

    著者 一市民(愛知県) 私は根っからの日本人ですが、日本の法律すらよく知りませんし、韓国のとなればなおさらです。しかし、このことについて思うところがありますので意見を申し述べます。 韓国の「情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律」の内容は全く知りませんが、同法律により韓国の地検が名誉毀損罪で起訴できるものかどうか疑問に思っています。理由は二点あります。一.直接の利害関係が全くない市民団体が告発 私が報道を見逃しているのかもしれませんが、朴槿恵、チョン・ユンフェ、チェ・テミンの三氏は告訴していません。この三氏が告訴していないにもかかわらず、韓国の地検は直接利害関係のない市民団体の告発を受理し、かつ起訴できるものなのでしょうか。 日本の法律では名誉毀損で罪を問えるのは、直接の当事者による告発の必要があるのではないのでしょうか。韓国も日本と同じ自由民主主義陣営に所属してるのですから、法律の基本というものは大きな違いはないものと考えています。 そうであるなら、市民団体による告発は法律上の利益がないということで、本来、受理すらできないものである、というのが私の考えです。二. 韓国の「情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律」は韓国の国内法 あくまでも韓国内に適用されるものであって、国外にまで適用されるものではないでしょう。このようなことがまかり通ってしまえば、日韓だけの問題ではなくなり、世界中が混乱に陥ります。自国の法律が他国の法律に縛られてしまうことになるからです。地球上に独立国は存在しくなります。 以上、二つの理由により、このたびの起訴は根本において不当であると考えます。 私は、法律を意識して日常生活を送っているなんてことはありません。法律なぞ知らなくても全く問題ありません。ですので、法律内容は知りませんが、自分なりにごく普通に考えたつもりです。 知識不足による意見でありましたらご容赦ください。

  • Thumbnail

    記事

    恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト

    著者 SlowdownStand(北海道) 9月末の「朝まで生テレビ」にて朝日新聞OBは一様に差し障りの無い発言であったが、戦前の世論誘導によって、戦争への加担したことの贖罪意識が戦後の朝日新聞の方向性=反戦を決めたと言うことらしい。これは「PTSD」と診断されてよいのではないか?そう仮定すれば、朝日新聞の不可解さを理解できる。戦前の反省を踏まえ、「真のジャーナリズム」を出発点とする事がなかったのだ。 同日の朝生テレビで時事通信の青木氏や、東京新聞の長谷川氏も、公衆の面前にて堂々と臆することなく、「真の事実報道」をせせら笑っていた。 もちろん彼らの表情には「恥の兆候」が映し出されている。どんな業種業界であれ、現場の本音と建前がある。しかしそのことに居直る事が武士道に悖る、恥ずかしい行為であるのだ、まさに「現場」の人間にとっては。 彼らが言うところの報道は、まず始めに「スタンス」があり「センセーションナリズムの篩(ふるい)」が在るとのことだ。スタンスはバイアスともとれるし、ジャーナリズムが陥ってはならぬ所がセンセーショナリズム、と認識していたが、朝日に限らず「左翼」とはこれほどまでに醜悪な唾棄すべき輩であったとは残念。 正しい5W1Hがあれば、事実のストーリーは書けるはずだが。 さて、朝日新聞不買・廃刊運動も良いのだが、事実報道、真のジャーナリズム(せめて間違いに対する潔さ)とは、との議論があっても良いだろう。「不当にも強制連行された従軍慰安婦」が「戦時における性暴力」とすり替えられた今となっては、わが日本は、「世界に冠たる人間性と社会」を誇りに、「理不尽に強制される女性そのもの」とか「売春そのもの」などと究極地点での哲学とその救済にのりだすしか、この問題の根本解決にはならないと考える。