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    「醜いアメリカ人」に堕ちた競泳のスター

    米競泳界のスター、ライアン・ロクテが告白した強盗被害は捏造だった。ウソを認めて謝罪したロクテだったが、米メディアは「醜いアメリカ人」として一斉に批判した。米・ブラジル両国の関係を悪化させかねない事態を招き、五輪4大会で12個のメダルを獲得した英雄は一転、地に堕ちた。

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    競泳のスターは「KY男」 ロクテが払う高すぎるウソの代償

    仲野博文(ジャーナリスト)【リオ五輪短期連載 5回目】“強盗”証言の矛盾を追及した地元警察の意地 アメリカ人競泳選手のライアン・ロクテは、初出場した2004年のアテネ五輪で2つのメダルを獲得したのを皮切りに、北京大会では4つ、ロンドン大会では5つのメダルを獲得し、競技者としては最後のオリンピックとなる公算が高いリオデジャネイロ大会でもマイケル・フェルプスらと出場した男子4×200mリレーの決勝で見事に金メダルを獲得した。4大会で12個のメダルを獲得したロクテは、アメリカ水泳界におけるスター選手で、ツイッターには120万人近くのフォロワーもいるほどだ。 アメリカ国内ですでに自身が主役となったリアリティ・ショーが放送されたこともあるロクテは複数の有名企業とスポンサー契約を結んでおり、ロンドン大会直前に経済誌「フォーチュン」はロクテのスポンサー収入が約2億5000万円に達したと報じている。有名ファッション誌の表紙を飾ったこともあり、現役引退後はスポーツ界だけではなく、ショービズの世界やビジネスの世界でも活躍できるのではないかという声もあったほどだ。しかし、リオ五輪期間中に報道陣に対して語った強盗被害の話が捏造されたものであったことが判明し、選手生活の晩節を自ら発した言葉で汚してしまった。競泳男子金メダリストのライアン・ロクテ選手=8月9日、リオデジャネイロ(AP=共同) 8月14日、ロクテと3人の米代表競泳選手は、銃を持った4人組に銃を突き付けられ、そのままタクシーから引きずり出されて現金を奪われたと訴えた。翌日にロクテはリオデジャネイロ市内で米NBCテレビの取材に対し、路上強盗を行った4人組は警察官の制服を着ていたと語った。ロクテは16日に早々とアメリカに帰国している。 リオデジャネイロの治安が極めて悪いという指摘に異論はない。今年1月から5月の間にリオデジャネイロ州で発生した殺人事件は2083件。昨年の同時期と比較して、13パーセントの増加だ。 単純に計算しても、1カ月の間に400人以上が殺害されており、ニューヨーク市や日本全体で1年間に発生する殺人事件の件数を超えている。国連薬物犯罪事務所が発表した統計によると、2014年にブラジル全土で発生した殺人事件は5万674件で、他国を大きく引き離す形で世界ワーストとなっている。年間1万件以上の殺人が発生する11カ国の中で、約半数となる5カ国がアメリカ大陸(アメリカ、ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、コロンビア)にあるのも悲しい現実だ。警察官が犯罪に加担するブラジルの現実 もう一つの現実として、警察官が犯罪に加担するケースが珍しくない国内事情がある。ブラジルを含めたラテンアメリカの国々では、現職警察官が誘拐や麻薬ビジネス、契約殺人などに手を染めるケースがたびたび報道されている。先月24日にはニュージーランド人柔術選手が、リオデジャネイロ市内で警察官に銃を突きつけられ、しばらく拉致される事件も発生している。複数のメディアによると、自家用車でリオ市内のハイウェイを走行中、複数の警察官から停車を求められたこの選手は、停車後すぐに銃を突きつけられた。警察官が用意していた別の車に乗せられると、市内にある数カ所のATMに連行され、総額で約8万円を引き出して手渡したところで解放された。警察官は「今起きたことを他言するな」と言って立ち去ったのだという。 リオの犯罪事情などを考えると、ありえない話ではないため、当初はロクテの話に同情を示すメディアやファンも少なくなかった。しかし、ロクテらの話に疑問を抱いたリオ警察は捜査を開始。それぞれの選手の話に矛盾点が存在することを見抜き、ロクテ以外の3選手をブラジルから出国させず、事情聴取を続けた。男子4×200mリレーの予選でロクテと共に出場していたガナー・ベンツとジャック・コンガーの2選手は、18日にブラジルを出国しようとしたが、警察によってすでに搭乗していた旅客機から離陸寸前におろされ、パスポートを押収されていた。2人は「目撃者」として証言することを求められ、証言を終えた同日夜にブラジルを出国している。リオデジャネイロ近郊のレブロンの警察署を出る米男子競泳代表のガナー・ベンツ(左)とジャック・コンガー両選手=8月18日(AP) ロクテと共に虚偽の証言を行った容疑で地元の捜査当局から事情を聴かれていたジェームズ・フェイゲン選手は、18日になって事件当初とは異なる説明を行った。担当の弁護士がAP通信に語ったところによると、約1万ドルの罰金を支払ったのち、フェイゲン選手はパスポートを返却してもらい、アメリカに帰国する予定だ。 防犯カメラの映像や、目撃者の証言から、ロクテら4人が選手村に戻る直前にリオ市内西部のガソリンスタンドに立ち寄っていたことが判明した。4人はタクシーで移動していたが、トイレを借りる目的でガソリンスタンドに立ち寄った。酔った状態でガソリンスタンドに立ち寄った4人のうち、何人かが(詳細は不明だ)トイレの鏡や扉を壊し、床に放尿した。ロクテがトイレの外で広告を破り捨てると、4人は再びタクシーに乗り込もうとした。しかし、4人は店員と警備員に呼び止められる。ベンツは19日に発表した声明によると、警備員につかみかかろうとしたロクテをベンツらが制止する一幕もあったのだという。結局4人は現金を手渡し、その場を去ったのだという。ロクテはなぜ嘘をついたのかロクテはなぜ嘘をついたのか リオ五輪では選手村で盗難事件が相次いで発生し、ナミビアとモロッコの代表選手がそれぞれ選手村で女性の清掃員に対する性的暴行容疑で逮捕されている。アスリートが被害に遭うケースもあれば、逆にアスリートが加害者となったケースも発生した。しかし、アメリカの有名アスリートがリオ市内で破壊行為を行った挙句、地元の警察官らしきグループに銃を突きつけられて現金を奪われたとメディアに訴えたケースは前代未聞で、米メディアは「醜いアメリカ人」という表現でロクテらを強烈に批判している。 「醜いアメリカ人」とは、主にアメリカ国外で地元の人とトラブルになるアメリカ人旅行者を指す言葉で、英語を話すことのできない地元民を大声で罵ったりする、視野が狭く傲慢なアメリカ人のステレオタイプとなっている。ロクテらが関与した事件では、通常の「醜いアメリカ人」とは異なるケースだが、自らの不祥事を覆い隠す為に、地元の治安や警察官による犯罪を利用したことに同情を示すメディアはない。 スポーツ界のスターが海外でトラブルに巻き込まれたケースは過去にも存在する。オリンピックではないものの、有名な話ではサッカーのイングランド代表の主力選手がコロンビアで宝石を盗んだ容疑で逮捕された事件がある。1970年5月、イングランド代表はワールドカップ・メキシコ大会直前に高地トレーニングをコロンビアのボゴタで行っていた。練習が終わってホテルに戻ったキャプテンのボビー・ムーアと攻撃陣の主力であったボビー・チャールトンは、チャールトンの妻へのプレゼントを探す為にホテルのロビーの近くにあったギフトショップに足を運んだ。買いたいものが特に無かったため、店を出ようとしたムーアらに対し、ギフトショップの店員がブレスレットを盗んだと主張。 ムーアとチャールトンはその場で身体検査をしてもらってもいいと反論。結局ブレスレットは見つからなかった。イングランド代表はその後、コロンビアと親善試合を行い、エクアドルでも親善試合を行った。2試合を終えて、イングランドはコロンビア経由でメキシコ入りするため、ボゴタで約5時間の乗り継ぎ時間を過ごすことになった。その際に、ムーアが窃盗の容疑でコロンビア警察に逮捕され、当局によって拘束された。結局、その後の取り調べでもムーアがブレスレットを盗んだという証拠は見つからず、起訴が見送られたムーアはメキシコ大会に出場している。この事件には現在も不明な点が多く、チームの精神的支柱であった主将のムーアを狙い撃ちにしてチームに揺さぶりをかけようとした者が仕組んだという陰謀論まで語られる始末だが、真相は謎のままだ。 ロクテらが関与した事件でも、なぜ捏造した話をメディアに伝える必要があったのかは不明だ。ガソリンスタンドで破壊行為を行ったことを隠ぺいしたかったという説に加えて、ロクテらが2人の女性とパーティー会場を後にしていたという話も地元メディアによって報じられており、ガソリンスタンドでの一件が公になることでガールフレンドに2人の女性の存在を知られることを恐れた4人の誰かをかばうために話をでっち上げたのではないかという指摘もある。こちらも真相は不明だが、ガソリンスタンドのトイレなどが4人によって壊されたことだけは事実だ。4年後の東京目指す?無神経さに非難集中4年後の東京目指す?無神経さに非難集中 俗にいう「KY」という言葉が、ロクテの性格を形容するのに最も適しているのかもしれない。路上強盗の被害に遭ったと主張する他の3人が、リオデジャネイロで地元警察から事情聴取されていた16日夜、すでにアメリカに戻ったロクテはツイッターに「髪の毛の色を普通の色に戻そうと思うんだ」と投稿。のちに路上強盗そのものが虚言だったことが判明すると、仲間をブラジルに残したまま、アメリカで髪の毛の色についてツイートするロクテの無神経さに非難が集中した。リオ五輪の米競泳代表、ライアン・ロクテ選手の強盗狂言について報じた米ニューヨークの地元紙=8月19日(ロイター) ロクテは18日にインスタグラムで、事件について謝罪。自身の非を認めながらも、「違う国で、違う言葉が飛び交う中で銃を向けられる経験はトラウマを引き起こしそうです」と釈明し、再びネット上で炎上騒ぎを起こしている。リオ五輪の開幕前、女子サッカーの米代表ゴールキーパーとして日本でもよく知られる存在のホープ・ソロが、インスタグラムに虫よけの防護服を着て虫刺され薬を手にする写真を「あなた方も忘れずに」というメッセージを付けて投稿。ソロにとってはジョークのつもりだった写真は、ジカ熱が大きな問題となっていたブラジルで、ブラジル人を侮辱する投稿として受け止められた。アメリカ代表の試合でソロがボールに触れるたびに、会場からは「ジカ!」というチャントがソロに浴びせられた。ソロの写真とは異なるケースとはいえ、自ら起こした不祥事をブラジルの治安の悪さにすり替えようとしたロクテの行動に憤るブラジル人は少なくない。 米オリンピック委員会と米水泳連盟は、ロクテを含む4人の競泳選手に対し何らかの制裁も検討していることを明らかにしたが、リオ五輪が現役生活最後のオリンピックになるだろうと思われたロクテは、2020年の東京五輪にもアメリカ代表の一員として出場を目指したいと報道陣に語っている。こちらは虚言ではないようだ。肉体の衰えはトレーニングでカバーできるかもしれないが、今回の事件で崩壊してしまったロールモデルとしてのイメージや、チームメイトや関係者から失った信頼を取り戻すには、4年という時間は短すぎるだろう。

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    「絶対王者」が失った父という道標 吉田沙保里の孤独な戦い

    小林信也(作家、スポーツライター) 吉田沙保里が銀メダルにとどまった。日本中が大きなショックに沈んだ。「お父さんに怒られる」 負けた直後、母親の胸で泣き、小さく叫んだ彼女の言葉に、声を失った。吉田と父・栄勝さんの絆、目指し続けた一途な道は、他人にはわからない覚悟の強さがあるだろう。それでも、吉田を今日まで衝き動かしてきた心の原動力、その本音の核心を垣間見て、「もっと自分の心を解放してくれてもいいのではないか」。そんな思いを抱いたのは筆者だけだろうか。レスリング女子53キロ級決勝戦、試合後に母親の元で泣きじゃくる吉田沙保里=カリオカアリーナ(撮影・森田達也)「取り返しのつかないことをしてしまった」「日本選手団の主将として、絶対に金メダルを獲らなければいけなかったのに、本当にすみません」 次々と吉田の口から絞り出される言葉に、彼女の強い思いを感じると同時に、彼女の思いと周囲の期待には少しずれがあるような感じも否めなかった。 吉田は、幼い頃にレスリングを始めてからずっと、「オリンピックの金メダル」が目標だった。まだ女子レスリングが五輪種目でなかったにもかかわらず、「必ず五輪種目になる」と予言した父親の言葉を信じ、競技に打ち込んできた。その予言通り、アテネ五輪から女子レスリングが採用され、ちょうど21歳になり、ずっと勝てなかった宿敵・山本聖子さんをしのぐ実力をつけていた吉田は日本代表となり、念願の金メダルを獲得した。それから北京五輪、ロンドン五輪で3連覇を果たし、金メダルは吉田の代名詞のようにもなり、また宿命にもなった。 オリンピックの成果はもちろんメダル獲得、中でも金メダルに集約されるのは言うまでもない。 今回のリオ五輪でも、大会序盤から始まった日本選手たちのメダル獲得ラッシュが、リオ五輪への日本中の関心を盛り上げた。吉田が金メダルを獲っていれば、さらに熱狂のボルテージが高まっただろう。けれど、吉田が銀メダルにとどまった意義の大きさをいまは感じている。 もし4連覇を果たしていたら、彼女の重圧や体力・心理の年齢的厳しさを実感できない無邪気な応援者たちは、2020年東京五輪での5連覇を求めただろう。それは、今回以上のストレスを彼女に与えることになっただろう。「加齢に対する答えを持たない」深刻な課題 ここ一年の吉田の行動や決断を振り返れば、すでに彼女自身がリオ五輪での4連覇の難しさを相当、現実的に自覚していたように思われる。昨年の全日本選手権で優勝し、リオ五輪代表の権利を確定してから、「大会にはもう出ない。リオ五輪では一発勝負で金メダル獲得を目指す」という、異例の決断をする。ずっと彼女の戦いをいちばん身近なところで見つめ支え続けてきた母親でさえ、「それで大丈夫?」と、思わず聞き返したという。その背景には、迫り来る世界の若いライバルたちへの怖さがあったのではないだろうか。 「金メダルを獲ったアメリカのヘレン・マルーリス選手はずっと『吉田沙保里さんに勝つ』と宣言し、それだけを目標に研究し、練習を重ねてきた」。元世界チャンピオンの山本美憂さんが教えてくれた。試合後、あのダルビッシュ有投手がツイッターで、美憂さんの妹で妻の山本聖子さんがマルーリス選手の指導をしていたことを伝えている。漠然とした不安は現実の脅威になっていた。加えて、絶対の信頼を寄せていた父・栄勝さんの思いがけない死。 レスリング女子53キロ級決勝 ポイントを奪われる吉田沙保里=カリオカアリーナ(撮影・甘利慈) 上り調子時期ならまだしも、競技生活の最も厳しい終盤の時期に、道標を失った吉田の心に、行く末の見えない暗闇が広がっていたのではないかと想像される。 スポーツの深刻な課題は、「年齢(加齢)に対する答えを持たないことだ」と言われる。 若い頃なら、練習が積み重ねとなり、日々成長している手ごたえも感じる。ある年齢に達した時、あるいは大きなケガなどをきっかけに、それまでどおりの感覚で心身が動かない自分を感じ、選手たちは上っていく階段を見失う。吉田も、これ以上自分がどうすれば成長できるのか、強くなれるのか、その明快な道が見えなかったのではないだろうか。父親がいれば、何か心に火をつける言葉があったかもしれない。その父はいない。我々が想像する以上の厳しさに吉田は直面し、孤独な戦いを続けていたのではないだろうか。 銀メダルに終わって、吉田を責めたのは吉田自身だけだった。落胆はしたが、彼女を責める気持ちなど、誰が抱いただろう。 吉田は、ずっと「金メダル」を唯一の目標にし、そこを唯一の価値のように感じて戦ってきたけれど、彼女が培ってきたもの、彼女が日本中に与えてきたものは、金メダルだけではなかった。それを多くの日本人たちが実感したように思う。まずは吉田自身にそれを感じ、スポーツに打ち込む意義の深さ、広さに気付き直してほしい。応援する私たちは、「スポーツの目的、オリンピックの意義が金メダルだけではないこと」を今回の銀メダルで学んだ。それこそが、日本選手団の主将として、2020年東京五輪に向けて大切なメッセージを与えてくれたと感じる。吉田は、主将として充分な役割を果たしてくれたのである。

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    貧民街シルバ涙の金!ブラジルを熱狂させる逆境のアスリートたち

    仲野博文(ジャーナリスト)【リオ五輪短期連載 第4回】中傷で引退寸前、苦悩を超えてつかんだ「金」 8日に行われた女子柔道57キロ級で、地元リオデジャネイロ出身のラファエラ・シルバ選手が金メダルを獲得した。24歳のシルバ選手は、リオデジャネイロのファベーラ(貧民街)出身。今大会でブラジルに最初の金メダルをもたらしたのが、カリオカ(リオっ子)というのはリオ市民にとって非常に嬉しいニュースではないだろうか。柔道女子57キロ級で優勝を決め、喜ぶブラジルのラファエラ・シルバ=リオデジャネイロ(共同) 少女時代の8年間をリオデジャネイロで最も治安が悪いとされるファベーラで過ごしたシルバ選手は、小学生時代に柔道を習い始めた。彼女が暮らしていたファベーラは、世界的にヒットした2002年のブラジル映画『シティ・オブ・ゴッド』の舞台にもなったエリアで、暴力事件や麻薬がらみの犯罪は日常茶飯事だ。シルバ選手の父親のルイス・カルロスさんは、娘が犯罪に巻き込まれないようにという思いから、シルバ選手と姉のラクエルさんに柔道を習わせることにした。 7歳で柔道を始めたシルバ選手は、少年少女にスポーツを教える非営利組織のサポートを受け、柔道家として上達を続け、2008年にタイのバンコクで行われた世界柔道ジュニア選手権大会で57キロ以下級に出場し、見事に優勝を果たしている。ロンドン五輪にブラジル代表として出場したシルバ選手は、2回戦で反則と判断され、敗退した。この時、シルバ選手はまだ20歳だったが、引退を真剣に考えていたのだという。彼女が引退を考えた理由は、柔道家としての限界といったものではなく、試合後に浴びせられた多数の中傷であった。 試合後、シルバ選手の敗退に憤慨したブラジル人がツイッターなどでシルバ選手を誹謗中傷する書き込みを繰り返した。これらの書き込みには、柔道の試合内容ではなく、黒人のシルバ選手に対して人種差別的な言葉を投げかけたものも少なくなく、あるユーザーはシルバ選手に対し「檻に入った猿め。お前なんかオリンピック選手ではない」とツイートし、ブラジルのオリンピック委員会が差別発言の投稿者に対して法的措置を検討する事態にまで発展した。 シルバ選手は引退という選択をせずに、地元リオで開催されているオリンピックで見事に金メダルを獲得した。金メダルを手にして間もない10日に、シルバ選手は人種差別に関するフォーラムに出席し、その後の記者会見で「私が檻の中に入れられるべきと言った人たちがいましたが、このメダルが彼らへの私からの回答です」と涙ながらに語った。シルバ選手は記者会見の中で、ファベーラで暮らす黒人は日々の生活の中で人種差別に直面しているとも語り、ブラジル国内に現在も存在する人種差別や女性差別を社会から無くすことを訴えた。しかし、シルバ選手にとって金メダルは人種差別へのカウンターパンチというだけの存在ではなく、将来への希望を象徴するものでもあるようだ。シルバ選手は「このメダルは、ファベーラで暮らす子供達の模範にもなるのです」とも語っている。身体的なハンデも武器に変えたスターたち身体的なハンデも武器に変えたスターたち ファベーラ出身のシルバ選手による金メダル獲得は、間違いなく今大会で最も感動的なシーンの1つだ。経済的なハンデに加えて、身体的なハンデを逆に武器に変え、多くのファンを魅了したアスリートがブラジルのスポーツ界にはまだいる。サッカー選手のガリンシャとジジは、50年代と60年代のブラジルサッカー界を代表するスター選手だった。ガリンシャはドリブルで、ジジはパスやフリーキックで非凡な才能を見せ、ペレにとって初めてのワールドカップとなった1958年のスウェーデン大会では、ブラジル代表の主力選手として活躍し、ジジはスウェーデン大会の最優秀選手に選出されている。リオ五輪柔道女子57キロ級で金メダルを掲げるラファエラ・シルバ。(左から)銅メダルのモンテイロ、松本薫=8月8日午後、カリオカアリーナ(代表撮影) スタミナがあまりなく、運動量の多い現代サッカーではジジは大活躍することはなかったかもしれないが、個人のスキルが試合を大きく左右した50年代、ジジの試合の流れを読む力とパスの正確性は他の追随を許さず、文字通りピッチを支配する選手だった。リオデジャネイロ州東部の町で生まれ育ったジジは、14歳の時にサッカーの試合中に右脚を負傷。傷口が菌に感染したため、医師は右脚の切断をすべきと家族に伝えたが、ジジと家族は切断を行わない治療を希望。1年近いリハビリを経て、ジジは再びサッカーをプレーすることが可能となった。 やがてジジはフルミネンセやボタフォゴといったビッグクラブで活躍するスター選手となるのなだが、古傷をかばう目的で身に付けた独特のフォームから繰り出されるボールは通常とは異なる軌道を描いたため、ジジはこれをフリーキックで活用することにした。ジジのフリーキックは、野球のナックルボールのように無回転のまま急に落下することから「枯れ葉」という呼称で知られるようになり、多くのゴールキーパーを苦しめた。ペレと並び称される「曲がった脚をもつ天使」ペレと並び称される「曲がった脚をもつ天使」 ドリブルの名手であったガリンシャはリオデジャネイロ州西部の小さな集落で誕生した。6歳の時に小児麻痺にかかるが、家庭が貧しかったために病院での治療は行えず、医大を出たばかりの若い医師がボランティアとしてガリンシャに手術を施した。しかし、十分な医療機器がないまま行われた手術によって、ガリンシャの背骨は歪曲し、両足が同じ方向にねじ曲がってしまった。左足が右足よりも5センチ以上短かったという記録も残っている。 バスの運転手として生計を立てていこうと考えたガリンシャだが、知能テストの結果が低かったために、バスの運転手になる夢を断念している(小児麻痺の影響で、ガリンシャには軽度の知的障害があった)。サッカー選手として生活できないかと考えたガリンシャは、リオデジャネイロ周辺の幾つかのクラブチームの入団テストを受けに行ったものの、曲がった足を見たクラブ関係者からテストを受けることすら断られたり、サッカーシューズを持っていなかったためにテストを受けられないといった経験をしている。しかし、19歳の時の転機が訪れる。 工場で働きながら地元チームでプレーしていたガリンシャのドリブルの才能に目をつけたのが、リオデジャネイロのビッグクラブとしてブラジル代表の選手が何人もプレーしていたボタフォゴだった。トライアル期間中のある日、ガリンシャはブラジル代表のディフェンダーとしても活躍するニウトン・サントスと一対一の勝負を繰り返し行い、ブラジル屈指のディフェンダーとして知られたサントスをガリンシャは何度も簡単に抜き去り、無名の若者に恥をかかされたサントスはすぐにクラブの幹部に「じっとしていないで、すぐにこいつと契約すべきだ」と直談判しに行ったという逸話が残っている。1962年、チリでのサッカーW杯に出場したガリンシャ=左(Wikimedia) ボタフォゴで頭角を現したガリンシャは、ブラジル代表にも選出され、前述のジジやペレらと共にブラジルの黄金時代を作り上げた。ガリンシャは身体的なハンデを逆手にとって、トリッキーなドリブルを仕掛けることで相手ディフェンスを恐怖に陥れた。ある時はディフェンダーを置き去りにし、ある時はディフェンダーの股下にボールを通して突破する。誰がディフェンスをやってもガリンシャの幻想的なドリブルを止めることはできず、いつしかブラジルのメディアは相手ディフェンダーを「ジョアンたち(ジョアンはポルトガル語でよくある男子の名前で、誰がやっても同じという皮肉が込められている)」と呼び、ガリンシャは「脚の曲がった天使」と呼ばれ愛された。ブラジルでは現在でもペレとガリンシャのどちらがより優れていたのかという論争が存在するが、実際に現役時代のペレとガリンシャのプレーを見た筆者の知人のブラジル人は、「ペレは最高のアスリートで、ガリンシャは最高のアーティストだった」と語る。 晩年のガリンシャはアルコール依存症に苦しみ、49歳の若さでこの世を去ったが、身体的なハンデを武器にして、芸術的なプレーでブラジル最高のサッカー選手の1人になったガリンシャの生き様に敬意を表するブラジル人は少なくない。今回のリオ五輪でも、選手の置かれた環境は競技や出場国によって大きく異なる。最高の練習施設を使うことができ、トレーニング方法やスポーツ医学の分野で知識の高いスタッフに囲まれたアスリートもいれば、そうでないアスリートもいる。ある意味で、先進国のアスリートや、国際的な企業にバックアップされているアスリートと、そうでないアスリートとの間には、経済面から練習環境まで様々な部分でハンデが存在する。しかし、そういったハンデを乗り越えたアスリートが活躍を見せた時、世界中のスポーツファンはそのパフォーマンスに歓喜するのだ。ファベーラ出身のラファエラ・シルバの活躍が、暗い話題の続くブラジル社会で芽が出始めた希望の種なのかもしれない。

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    ネイマールを憂鬱にさせる? ブラジル真の「10番」

    仲野博文(ジャーナリスト)【リオ五輪短期連載 第3回】ブラジル代表、真の「10番」はどちらだ 5日に開会式が行われたリオ五輪も、すでに後半に突入し、アメリカやイギリス、中国といったスポーツ大国は、いつものように多くの競技でメダルを獲得している。今大会では日本人選手の活躍も目立ち、すでにメダルを27個まで増やした。南米では初めてとなるブラジルのリオデジャネイロで開催されている五輪では、ブラジル人アスリートの活躍も注目の的となっているが、ブラジルが獲得したメダルは8月15日(現地時間)の時点で9個のみとなっている。 ブラジル人選手があまり活躍しないことや、南米特有のファンによる相手チームへの挑発が原因となって、リオ五輪ではブラジル人ファンによる他国の代表選手に対するブーイングの方が目立つ格好となり、リオ発のニュースとして世界中に配信されている。 アルゼンチンのマクリ大統領は、かつてディエゴ・マラドーナもプレーしたアルゼンチンの強豪ボカ・ジュニオールズの会長をつとめていた事でも知られるが、14日に自身のフェイスブックページに「アルゼンチンとブラジルのファンはフットボールのライバル関係を、リオ五輪に持ち込むべきではないと思う」と投稿。様々な場所でアルゼンチン人選手に対するヤジが酷いとの指摘を受け、大統領自らがフェイスブック上で自制を求める展開へと発展した。アルゼンチンとポルトガルの選手が対戦したテニスの試合では、会場のブラジル人観客からアルゼンチンを罵るチャントを含んだブーイングが繰り返され、興奮しすぎた2人のファンは殴り合いまで始めてしまい、試合会場から追い出されている。テニス男子シングルス準決勝でスペインのナダルに逆転勝ちし、喜ぶアルゼンチンのデルポトロ。決勝進出を決めた=リオデジャネイロ(ロイター=共同) 他国のチームや選手に対するブーイングを、自国のアスリートがメダルを取れない現実に対するフラストレーションだと指摘する声もあるが、あまり格好のいい話ではない。五輪が終了するまでにこの種のブーイングが鳴りやむ可能性は低く、ブラジル人選手が生まれ変わったように各競技でメダルを次々と奪取する可能性はさらに低い。しかし、全土でブラジル人が金メダルの獲得を期待し、「絶対に取ってもらわなければ困る」と考えるスポーツが1つだけ存在する。ブラジル人が「フチボウ」と呼ぶ競技、つまりサッカーのことだ。2人の絶対エースにブラジル人がつけた人気の差 サッカーのブラジル代表は男子・女子ともに準決勝に進出し、女子代表は16日にスウェーデン代表と、男子代表は17日にホンジュラス代表とそれぞれ対戦する。スペインのFCバルセロナですでに世界的な名声を手にしているアタッカーのネイマールがオーバーエイジ枠でチームに加わった男子代表は、五輪開催前に圧倒的な攻撃力を期待されたものの、グループリーグの最初の2試合をスコアレスドローで終え、国民から大きなバッシングを受けた。勝ち点2で挑んだグループリーグ最終戦では、4-0でデンマークを粉砕し、結局グループリーグを首位で通過。準々決勝のコロンビア戦も2-0で勝利し、ようやくエンジンがかかってきたように思われる。女子サッカー1次リーグのスウェーデン戦、この試合4点目を決めて、飛び上がって喜ぶブラジルのマルタ=マラカナンスタジアム(ロイター) 女子代表はグループリーグの最初の2試合で8ゴールをあげ、早々に準々決勝進出を決めている。準々決勝ではオーストラリアにPK戦の末に勝利し、準決勝ではグループリーグで5-1で勝利したスウェーデン代表と再び対戦した。女子代表のエースは30歳のマルタだ。2006年から5年連続でFIFA世界最優秀選手に選ばれており、テクニックの高さからロマーリオやロナウジーニョといった選手と比較されることもある。フォワードとして102試合で102ゴールを決めており、得点率の高い選手として間違いなく後世に語り継がれる選手だ。 マルタとネイマールはそれぞれ10番を背負ってリオ五輪での優勝を目指している。それぞれが甲乙つけがたい、チームの中で絶対的な存在のタレントだが、ブラジルの国内メディアが人気投票を行ったところ、マルタを支持する声が圧倒的に多かったのだという。加えて、ブラジル国内ですらマルタの名前の入ったレプリカユニフォームがほとんど売られていない現状に憤慨した一部のファンが、ネイマールと名前が入ったブラジル代表の10番のレプリカユニフォームを購入。ネイマールの名前に油性ペンで横線を引き、その下にマルタの名前を書き込み、それを着て女子サッカーの試合を観戦した。その様子がSNSで瞬く間に拡散し、ネイマールからマルタに名前が書き替えられたユニフォームを着たファンは増加傾向にある。 ネイマールにとっては気分のいい話ではないが、高給取りの集まる男子代表とは異なる環境でプレーする女子代表に声援を送るファンが多いのも事実だ。ブラジル国民の悲願でもあるオリンピックでの金メダル獲得。マルタとネイマールにかかる期待は大きい。「フチボウ・アルチ」は遠い昔の話か「フチボウ・アルチ」は遠い昔の話か ブラジルが「フットボール大国」であることは紛れもない事実だ。これまでに行われた国際大会での優勝回数や、ペレやジーコ、ロナウドといった世界的な選手を常に輩出している国はおそらくブラジルのみだろう。また、世界のフットボールシーンにおいても、ブラジルは最大の選手供給源だ。フットボールを学術的に調査・研究するスイスのシンクタンク「CIES」は2013年に、ヨーロッパ31カ国のトップリーグでプレーするブラジル人選手が毎年500人以上にのぼると発表している。これらの国の下位リーグや、これらの国以外でプレーするブラジル人選手を含めると、世界中でプレーするブラジル人選手数は膨大なものとなる。 ヨーロッパでは過去にフェロー諸島のリーグで得点王に輝いたストライカーがブラジル人選手であった記録が残っていたり、アジアでも日本や中国で活躍するブラジル人選手は多い。サッカー人気が上昇を続けるアメリカでも、メジャーリーグ・サッカー(MLS)でプレーするブラジル人選手は少なくない。ここまで書くと、まるでフットボールがブラジルで誕生したようにすら思えてくるが、他国同様にブラジルにサッカーを伝えたのはイギリス人であった。準々決勝でコロンビアを下し、喜ぶブラジルのネイマール=サンパウロ(AP=共同) ブラジルでは長年にわたって、スコットランドとイングランドから移住した両親のもとにサンパウロで誕生したチャールズ・ウイリアム・ミラーが、「ブラジル・フットボールの父」と考えられてきた。1874年生まれのミラーは10歳の時にイングランドの寄宿学校に送られ、1894年にブラジルに戻ってきた。学生時代にイングランドでフットボールとクリケットをプレーし、その魅力の虜となったミラーは、ブラジルに戻る際にスーツケースに2個のサッカーボールとルールブックを入れて持ち帰り、主にクリケットなどがプレーされていたサンパウロ・アスレチック・クラブでサッカーの試合を始めて行った。 1894年にサンパウロで行われた試合がブラジル初のサッカーの試合で、そこから各都市でサッカーが行われるようになったという説は今も根強く残っている。しかし、2011年3月にスコットランドの歴史家らが新説を発表した。スコットランドからブラジルに渡った移民の歴史について研究していた地元の歴史家らが、スコットランドとブラジルに残っていた資料などに細かく目を通した結果、サンパウロで試合が行われる約半年前に、スコットランド出身の鉄道技師トーマス・ドノヒューがリオデジャネイロでサッカーの試合を主催していたことが判明したのだ。諸説あるものの、ブラジルでサッカーが行われ始めたのは1894年頃というのは間違いないだろう。もし、ドノヒュー説が正しければ、サッカーの決勝戦はブラジル・フットボール発祥の地で行われることになる。 かつてブラジル人は自国のサッカーを「フチボウ・アルチ(芸術のフットボール)」と呼び、ペレやガリンシャ(彼については、次回の記事で紹介したい)、リベリーノといった選手が個人技でファンを魅了した。多くのトップ選手が若くしてヨーロッパでプレーする現在、フチボウ・アルチは遥か昔のおとぎ話のようにすら考えられるようになった。他の産業と同じように、ブラジルのサッカーもグローバリゼーションの影響を受けたのではないだろうか。マーケティング戦略の成功によって一部の選手は莫大な富を得るようになったが、選手間の経済格差は大きくなり、スター選手が一般のブラジル人にとって昔ほど身近な存在ではなくなったという話も耳にする。ブラジル国内でネイマールではなくマルタに人気が集まるのも、そういった「変化」に対する民衆の不満が起因しているのではないだろうか。

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    「体操ニッポン」はなぜ復活できた? 内村航平を強くした宿命の力

    小林信也(作家、スポーツライター) 体操ニッポンは、期待どおり、いや期待以上の成果を収めた。 男子団体ではアテネ五輪以来の金メダルを獲得した。予選は4位。決勝の滑り出しでも落下があり、厳しい状況から勝ち取った勝利だった。体操男子決勝 内村航平の床運動=8月8日、リオ五輪アリーナ(撮影・桐山弘太) 男子個人総合は、内村航平が最終種目で大逆転。加藤沢男以来の五輪連覇を果たした。さらに女子も団体総合4位に入り、2020東京五輪に向けて大きな希望を抱かせた。 内村航平は、5種目を終えた時点で、ペルニャエフ(ウクライナ)に0・901点差をつけられ2位。大逆転を現実にするためには、内村が最終種目の鉄棒で完璧な演技をするしかなかった。その重圧、追い込まれた状況で、王者・内村航平は高難度の演技を感動的に演じきった。後になって、演技の途中でぎっくり腰にも似た痛みを発症するアクシデントに見舞われていたと知らされたが、まったくそれを感じさせない勢いでフィニッシュも決めた。 あるテレビ番組で、「宿命」という言葉で、内村が自分自身の挑戦、なぜ体操に打ち込むかの理由を表現したのを見たことがある。 かつては体操ニッポンと呼ばれた時代があったが、長く低迷する時期もあった。そんな中、両親が長崎県諫早市で始めた体操教室で体操を始めた。内村が3歳の時だった。中学卒業と同時に上京し、朝日生命体操クラブに入る。内村は、両親はもとより、体操ニッポンの歴史を築いた先輩たちの情熱や期待をも一身に担う存在だった。内村自身がある時からそれを自覚し、それを喜びに感じていたように見える。それは想像を絶する苦しさでもあるだろうが、それだけの可能性を与えられた者だけの特権であり、見事にその宿命を開花させ、歓喜に変えた。常に金メダルを争う強さを得た背景 団体総合でも内村が中心を担ったのはもちろんだが、団体金メダル獲得を実現した要因として、床運動のスペシャリスト・白井健三の存在も大きかった。 体操の団体競技は、ルール変更が頻繁だ。かつて団体競技は選手全員が全種目を演技していた。今大会は、選手6人のうち3人が各種目に出場すればいい。そのため、白井のようなスペシャリストの五輪出場が可能になった。白井は得意の床運動でポイント・ゲッターになったばかりでなく、若く天真爛漫な白井がチームに明るさを注いだ。すごすぎる内村がともすれば孤高の存在になりがちな中、チームが一つになる上で貴重な存在だったという。体操男子団体決勝 白井健三の床運動の演技=8月8日、リオ五輪アリーナ(撮影・桐山弘太) 一時は低迷していた「体操ニッポン」が復活し、五輪でも世界選手権でも常に金メダルを争う強さを得た背景に「個人の情熱」の集積があることを改めて伝えておきたい。 先に書いた通り、絶対王者・内村航平を生み出した原点は両親が始めた体操教室だった。白井の両親も体操選手。体操を愛し、体操に情熱を燃やす人たちが、我が子に体操を勧め、ジュニアを育成する環境づくりに人生をかけた、献身と努力の賜物と言えるだろう。 もっと直接的な表現をすれば、金メダリストを育てたのは、国でも協会でもなく、選手たちの父母である。 アテネ五輪のメンバーであり、いまは強化本部長を務める水鳥寿思の実家は静岡の水鳥体操館。内村航平の実家も長崎県諫早市で体操教室を開いている。自分の家が体操教室、父母が元体操選手という境遇に育った子どもたちが現在の強さの源になっている。この状況は、卓球とよく似ている。2020東京五輪に向けて、国を挙げての強化が叫ばれているが、実績的には国より個人、熱心な親に任せた方が成長の確率が高い。この点は真剣に見つめ、支援の方法を模索すべきテーマではないだろうか。 ジュニア育成のシステムが日本中に整っている態勢も、選手を輩出する要因だ。 テニスやサッカーに比べたら数は少ないが、世界的に見て、これだけ全国的に体操競技にチャレンジできる受け皿が整っている国は珍しいという。 我々日本人にとっては当たり前のように感じる「街の体操教室」が、国際的にはそれほど定番ではないらしい。スイミングクラブも同様、こうした体操クラブが生まれたルーツには1964東京五輪がある。鈴木大地スポーツ庁長官が所属していたセントラルスポーツクラブは、東京五輪の水泳選手だった後藤社長が、メダルを獲れなかった悔しさから後輩に夢を託すため設立した。そうした成果がいま生きている。

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    卓球の神様が微笑んだ! メダルをもたらした水谷隼の使命と情熱

    小林信也(作家、スポーツライター) 卓球男子シングルスで、水谷隼が銅メダルを獲得した。銅メダルを手に笑顔を見せる水谷隼=11日、リオ中央体育館(撮影・桐山弘太) オリンピック卓球の個人種目で日本男子が獲った史上初のメダル。それだけでも充分に価値があるが、この勝利はそれ以上の重みと意義を持っている。 2012年のロンドン五輪でメダルを獲得できなかった水谷隼は、大きな決断をし、勇気ある行動を起こした。卓球界では公然の秘密となっていた補助剤(ブースター)を一掃し、公平な競技環境を取り戻すための問題提起をしたのだ。 ご存知ない方のために概要を説明しよう。数年前まで、卓球選手たちの多くはスーパーグルーという接着剤を使用してラバーを張り替えていた。これはただ貼るだけの目的でなく、この溶剤を使って接着することでラバーが化学反応を起こし、ラバーの反発力などが変わる。回転数や球速が劇的に増加する効果を狙ってこの接着剤を使っていたのだ。ところが、有害な物質ゆえに、ある選手が中毒症状を起こし重体になった。それをきっかけに使用が禁じられた経緯がある。それで卓球界が健全になればよかったが、次に選手たちが採り入れたのが補助剤だった。ラバーを貼るとき、補助剤を塗るとスーパーグルー同様にラバーが変質し、回転数と球速が飛躍的に増すという。一度そのたくましい打感を経験すると、それなしではいられないほどの違いだという。 この補助剤も規則で禁じられているが、使ったかどうかを検査する方法がないこともあって、多くの選手が違反を承知で使っている実態がある。水泳で言えば、話題となった高速水着が禁止になったにもかかわらず、無視して使い続け、しかもお咎めなしで、順位も記録も正式に認められる状況が続いている。実際には野放しの状態なのだ。ロンドン五輪のころは、補助剤を使っていないのは水谷隼をはじめとする日本選手とその他ごく一部の選手だけで、海外の選手はほとんどが使っているのではないかと思われる状況だった。選手によれば、試合で打ち合うと一発でわかるという。打つ音がまるで金属音のように響く。信じられない回転数で、威力のあるボールが飛んでくるからだ。 このような不正、そして不公平が放置されたら、卓球競技は健全さを失う。いやすでに失っている。それに対して声を上げたのが水谷隼だった。世界に向けて、卓球選手の間では公然の秘密になっている不正の横行を伝え、改善を呼びかけ、公平性が回復するまで「国際大会には出場しない」と宣言したのだ。 その行動に対して、「ロンドン五輪でメダルを獲れなかった言い訳をするな」といった批判も向けられた。そういう出来事があってのリオ五輪だけに、銅メダル獲得の重さは、格別だ。卓球を変える使命を担って戦う 3位決定戦の大事な局面、水谷隼が3ゲーム目を取るポイントで、エッジボールが決まった。実況アナウンサーが思わず「神様が水谷隼に味方をした」といった表現をした。他にも随所に神がかり的なショットがあった。水谷隼が逆に相手のエッジボールを難なく拾うシーンもあった。まさに、卓球の神様が微笑んでくれたようにも感じる。男子シングルス3位決定戦 ベラルーシのサムソノフと対戦する水谷隼=リオデジャネイロ(共同) リオ五輪が始まって早々にメダルラッシュが続いただけに、いつにも増してお祭り騒ぎが盛り上がっている。一方、メダルに大騒ぎする風潮を批判する声も起こり始めている。私自身、メダル獲得ばかりを話題にするのは違うと思っているが、今回は新たな潮流を感じ、少し感銘も受けている。 卓球界を変える使命を担って戦う水谷と同じように、競技生活を「宿命」と表現した体操の内村航平もしかり。体操が超競技化し、一般の子どもたちが日常的に触れ、親しむ競技ではなくなりつつある現状をどう打破できるか。そのことに意識を深く持っている内村の2連覇も、ただ個人の栄誉ではない意義を感じる。カナディアンカヌー男子スラロームで銅メダルに輝いた羽根田卓也はまさにそうだ。 その競技を愛し、その競技の未来を拓く使命を担う情熱に衝き動かされた選手たちにメダルが授与される。3位決定戦で敗れメダルには届かなかったが、卓球女子シングルスで快進撃を演じた福原愛にもそれを感じる。 彼らを見つめ直すと、共通点がある。いずれもその競技に情熱を燃やしていた父母の勧めや影響で、幼い頃から競技に親しんでいる。 水谷隼は5歳のとき、父親が始めた卓球スポーツ少年団の一期生として卓球を始めたという。「天性のボールタッチ」と形容される水谷隼の最大の魅力そして武器は、文字どおりボールタッチのやわらかさ。これは技術だけでは生まれない。卓球への愛情ややさしさから生まれる。彼らの両親が育んだのは、技術ばかりでなく、競技に対する底深い愛情だったのではないだろうか。それこそがメダル獲得の原動力のように感じる。

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    もはや他人事ではない!五輪初「難民選手団」はリオ最大の遺産

    仲野博文(ジャーナリスト)【リオ五輪短期連載 第2回】難民オリンピックチームは不寛容な時代に一石を投じるか  開催前にロシアが国家ぐるみでドーピングを行っていたとして、多くのロシア人選手が出場を果たせず、観光客や選手が窃盗や暴行の被害にあったというニュースが連日伝えられるリオ五輪。選ばれたアスリートが見せる最高のパフォーマンスに、世界中のスポーツファンが一喜一憂する一方で、大会運営や治安といった競技以外の面では、これからの五輪に残していくべき「レガシー」をあまり見いだせないのが現実だ。しかし、この時点ですでに「レガシー」として今後もぜひ残してもらいたいものが1つある。それは今大会が初の参加となった「難民選手団」の存在である。オリンピックの旗を先頭に、初めて結成された難民選手団が入場行進を行った(ロイター) 今年3月、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は難民で構成された5人から10人程度の選手団がリオ五輪に参加し、各競技に出場することを発表した。参加選手は「難民オリンピックチーム(ROT)」のメンバーとして、リオデジャネイロでオリンピックに参加するが、チームシンボルは出身国の旗ではなく、五輪旗となっているのが特徴だ。最終的にメンバーに選出されたのは10人。国籍の異なるメンバーは、それぞれが内戦などによって住む場所を奪われており、現在は祖国から離れた場所で生活している。 10人のアスリートの出身国はシリア、南スーダン、エチオピア、コンゴ民主共和国の4カ国で、祖国を離れた彼らは現在、ドイツやベルギー、ケニアといった国々で暮らしている。バッハ会長による難民選手団創設の発表から間もなくして、43人の候補がリストアップされた。選考基準は他のアスリートとは異なり、スポーツの技術的な面に加えて、選手個人の生活環境や、国連に難民として認定されていることの証明も必要であった。IOCは昨年10月、日本円で約2億円規模となる難民アスリート支援基金を設立。同時に各国のオリンピック委員会に対し、それぞれの国でオリンピックの出場基準に達していながら難民として暮らしているアスリートを推薦するよう要請していた。 その中から最終的に選ばれた10人は、陸上、競泳、柔道の選手で、その中には18歳のユスラ・マルディニ選手も含まれている。シリア国内で女子水泳選手として将来が期待されていたマルディニ選手は、シリアオリンピック委員会の援助を受けながらトレーニングに励み、14歳で世界大会にシリア代表として出場した。しかし、シリアの内戦が激化し、マルディニ選手は姉のサラさんと故郷のダマスカスを離れてヨーロッパに向かうことを決意。ダマスカスから陸路レバノンを経てトルコに入国し、密航業者の用意したボートで海を渡りギリシャを目指した。もはや「対岸の火事」ではない難民問題 しかし、ボートのエンジンが途中で故障するトラブルが発生。マルディニ姉妹と、水泳経験のある他の数名はすぐに海に飛び込み、3時間半ほど泳ぎながらボートを押し、ギリシャにたどり着いている。ギリシャ到着後、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアと移動を続け、昨年9月にドイツに入国したマルディニさんはベルリンで暮らし始めた。それから約1カ月後、IOCは難民オリンピックチーム設立に向けて動き出した。候補に選ばれたマルディニ選手はベルリン市内の水泳クラブの協力のもと、トレーニングを続け、難民オリンピックチームのメンバーに選ばれたのだ。残念ながら、リオ五輪ではメダルを獲得できなかったマルディニ選手だが、4年後は難民ではないステータスで再チャレンジしているだろう。 13日に行われる男子陸上400メートルで、日本代表のウォルシュ・ジュリアン選手と同組に入ったジェームズ・チェンジェック選手は南スーダン出身で、13歳でケニアに移り住み、カクマ難民キャンプで暮らしながらトレーニングを続けた。チェンジェック選手の第二の故郷ともいえるカクマ難民キャンプでは18万人以上が暮らし、英ガーディアン紙によると、キャンプ内には160以上のサッカーチームと、60を超えるバスケットボールチームも存在する。難民か否かに関係なく、スポーツがどの地域でも多くの人々を魅了し、日々の生活のモチベーションとなっていることが分かる。-男子81㌔級の3回戦で敗れ、引き揚げる「難民五輪選手団」のポポル・ミセンガ(右下)に大声援を送る観客=リオデジャネイロ(共同)もはや「対岸の火事」ではない難民問題代表チームは人々の意識を変えられるか 大量の難民が押し寄せ、一部の難民がテロ事件に関与したことも明るみになり、ドイツやフランスでは難民受け入れに対する議論がヒートアップしている。ドイツ同様に、北欧諸国も大挙して押し寄せる難民への対応に頭を抱えている。充実した社会福祉制度で世界的に知られるスウェーデンでは近年、反移民を政策に掲げる右翼政党「スウェーデン民主党」の支持率が上昇。加えて、昨年夏には難民の受け入れに積極的だったスウェーデン政府も、難民政策にかかるコストが重荷となって、難民申請者の受け入れに対する規制を大幅に規制し始めた。この1年で約15万人以上の難民がスウェーデンに入国しており、今年は難民対策に600億クローナ(約8000億円)支出が見込まれている。人口1000万人足らずの国にとっては、非常に大きな支出だ。 一方、デンマークでは1月に難民申請者の財産を没収する法案が成立し、波紋を呼んだ。この新法では、デンマーク政府は難民申請者が保有できる財産や現金を日本円で約15万円に設定。限度額を超える財産は政府が没収し(結婚指輪などは対象外)、没収した財産を難民申請者の生活費に充てるというものだが、実際にはデンマーク入国に対する抑止となっている部分もあり、国連などから批判を受けている。デンマーク国内では難民の受け入れは大きな話題となっており、1月に成立した財産没収法に反対する声も多いが、スウェーデンよりも少ない人口(約550万人)で、高齢化という問題も存在するなか、難民よりも自国民のケアを優先させてほしいという声は少なくない。代表チームは人々の意識を変えられるか 難民問題はアメリカ大陸にも飛び火した。昨年11月に新政権が発足したカナダでも、難民受け入れで軌道修正が行われた。カナダ政府は2月、今年中に受け入れるシリア難民の数を2万5000人から1万人に変更すると発表。残りの1万5000人については来年2月末までを目標に受け入れを進めていく計画を明らかにした。トルコで難民申請希望者の登録や身元調査を行い、その後カナダに入国する。国内の36都市が難民受け入れに同意しており、シリアからの難民は政府や民間からの支援を受けて、新生活をスタートさせる。カナダ政府は難民の受け入れ数や時期が変更した理由については、支援体制をさせるために時間が必要だと説明し、昨年11月に仏パリで発生したテロ事件との関連性は否定。しかし、安全上の理由から、「独身男性(同性愛者は対象外)」の難民受け入れには難色を示している。競泳女子100mバタフライ予選に出場し、残念ながら予選落ちとなった難民五輪選手団のユスラ・マルディニ=8月6日、五輪水泳競技場(川口良介撮影) アメリカでは難民問題が起点となって、国内の反イスラム団体の活動が活発化している。テキサス州では、以前からデモを実施してきた反イスラム団体が、フェイスブック上でイスラム系住民らの名前や住所といった個人情報を公開した。「アメリカのイスラム関係局」と名乗るこの団体は、顔をマスクで隠したメンバーがアサルトライフルを手にして、ダラス市内にあるイスラム教センターの前でデモを行ったことでも知られており(テキサス州では公共の場所でも銃の携帯は法律で認められている)、イスラム系住民の間では襲撃の対象にされるのではないかという不安の声が少なくない。 世界的規模の難民問題への対応に各国が頭を抱えるなか、アメリカではゴーストタウンと化していた町にイスラム系の移民や難民が定住し、町の再生における大きな原動力となった例もある。米中西部デトロイトに隣接するハムトラムクは、人口2万2000人の小さな町だ。約100年前に自動車メーカーのダッジがハムトラムクに工場を建設した際には、職を求めて多くのポーランド系移民がハムトラムクに集まり、1930年代には人口が5万6000人にまで達していた。その後、周辺の治安の悪化や米自動車産業の衰退なども影響し、1990年には人口は1万8000人にまで減少していた。 長年にわたって、ハムトラムクはポーランド系移民の町として知られ、1987年には訪米中のヨハネ・パウロ2世がハムトラムクを訪れている。1940年代から50年代にかけてハムトラムクの市会議員をつとめていたジョン・ヴォイティオ氏はヨハネ・パウロ2世のいとこでもあった。町の中心部に大きなヨハネ・パウロ2世像が建つハムトラムクは、ポーランド系住民の存在もあって、カトリックの町であった。しかし、ゴーストタウンになりかけていた町にイスラム系住民が住みはじめ、現在では市民の約半分はイスラム教徒に。この30年でハムトラムクは「アメリカのポーランド」から、アメリカ国内でも屈指のダイバーシティを実現する町へと変化した。ハムトラムクでは、これまでに大きな人種問題やヘイトクライムは発生していない。 国連難民高等弁務官事務所が6月に発表した統計によると、昨年末時点で世界の難民や難民申請者は6530万人にのぼり、第二次世界大戦後では最多の数字となった。このうちの約半数が、シリア、ソマリア、アフガニスタンの三カ国で占められているものの、内戦や政治的理由、社会不安などが原因で生まれ育った国を離れる人は世界中に存在する。難民が大挙してやってくる日常や、難民が生まれる背景について我々は普段知る機会がほとんどないが、難民に対する理解や、難民と共生していく社会を作る第一歩として、オリンピックに難民選手団が参加したことはリオ五輪の最も大きなレガシーではないだろうか。

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    リオ五輪の鳴りやまないブーイングと高まるフラストレーション

    仲野博文(ジャーナリスト) 【リオ五輪短期連載 第1回】低コストでも印象に残る開会式 5日の開会式も無事に終了し、リオ五輪が本格的にスタートした。『シティ・オブ・ゴッド』や『ナイロビの蜂』を手掛けた映画監督のフェルナンド・メイレレス氏が総合演出として参加した開会式では、ブラジル建国の歴史から地球温暖化問題まで、幾つものテーマがパフォーマンスによって表現され、リオのファベーラ(スラム街)で暮らす子供達による合唱はブラジルに暮らす多くの貧困層もコミュニティの一員なのだというメイレレス氏の主張を感じ取ることができるものであった。また、移民国家ブラジルの歴史を紹介するパフォーマンスで日系移民について触れてくれたことも、多民族国家ブラジルらしい演出であった。 開会式にかかった費用に関して、現時点で詳細は出ていないものの、複数のメディアは2012年のロンドン大会の半分程度と伝えており、前回よりも低いコストで印象に残る開会式の演出を手掛けたメイレレス氏の手腕を評価したい。前回のロンドン五輪でも、『トレイン・スポッティング』や『スラムドッグ・ミリオネア』といった代表作を持つ映画監督のダニー・ボイル氏が総合演出を担当。こちらもイギリスらしさをユーモラスに表現した開会式であったが、メイレレス氏の演出も甲乙付け難い完成度であった。開会式で入場行進する日本選手団。旗手は陸上の右代啓祐=5日、マラカナン競技場 五輪開催前に大きく懸念されていたものの1つが大会期間中のテロであった。欧米諸国やイスラエルとは異なり、ブラジルが国としてテロの標的になることはこれまでほとんど存在しなかったものの、世界中からアスリートや観光客が集まるリオ五輪が狙われる可能性は十分にある。過去にオリンピックを含めた大きなスポーツイベントがテロの標的になったケースは少なくない。 国際的なスポーツイベントにおけるテロといえば、最近では2013年4月に発生したボストンマラソン爆弾事件が有名だ。ボストンマラソンでも警備は敷かれていたが、ゴール地点近くで観衆に紛れて爆発物の入ったリュックサックを持ち込んだ実行犯を事前に見つけるのは不可能だった。また、昨年11月にフランスのパリで発生した同時テロ事件では、複数の政府要人がフランスとドイツの代表チームによるサッカーの親善試合を観戦していたパリ郊外のスタット・ドゥ・フランスの入場ゲート付近で、自爆テロが発生。不安に駆られた多くの観客が試合後もしばらく、ピッチの上で時間を過ごす様子が世界中に報じられている。 ボストンマラソン以上に厳重な警備が敷かれるオリンピックだが、大会期間中に大きなテロ事件が発生したケースは意外に少ない。開催国は国の威信をかけて警備を行うが、それでも全てのテロ行為を防ぐことは困難だ。また世界最大のスポーツイベントであるがゆえに、注目度も高く、1つの事件が普段以上に大きなニュースとして取り上げられてしまう。 オリンピックの大会期間中に発生したテロ事件で最も有名なものといえば、ミュンヘン五輪で発生した人質事件だろう。1972年9月5日、武装したパレスチナゲリラ8名が選手村に侵入。その後イスラエル選手団の宿舎が襲撃され、イスラエル人選手ら9人が人質となった。犯行グループはイスラエル国内に収監されているパレスチナ人の釈放を要求し、その後国外へ脱出するために旅客機が用意された空軍基地に人質を連れて向かったが、基地に配置されていた警官隊と銃撃戦になり、人質全員が死亡している。この事件では籠城する犯行グループの姿などがテレビで生中継され、全世界に配信された。事件後、大会の中止を求める声も相次いだが、30時間以上の中断を経て、大会は再開された。選手を悩ますブーイング 1996年のアトランタ大会では、大会期間中にアトランタ市内にあるセンテニアル五輪公園で手製のパイプ爆弾が爆発。2名の死者と111名の負傷者を出し、パニック状態で逃げ回るアトランタ市民の姿が世界中に伝えられ、五輪におけるテロが改めてクローズアップされた。容疑者は2003年にノースカロライナ州で逮捕されている。容疑者は保守派キリスト教徒の男性で、同性愛や人工中絶に寛容的だとしてオリンピック前から米政府を批判しており、五輪を中止に追い込む目的で爆発物を仕掛けたことが判明している。 これまでにリオ五輪を狙ったテロ事件は報告されておらず(大会前には、テロ準備容疑で若者が逮捕されたが、イスラム国などとの関係は無しと判断された)、テロよりもリオの日常と化している犯罪の方はより深刻な問題だ。選手団や報道関係者の持ち物が盗難に遭ったり、メディア関係者を乗せたバスが銃撃されたというニュースも、連日リオから発信されている。五輪報道関係者用バスの割れた窓ガラスを見る記者たち=9日、リオデジャネイロ選手を悩ますブーイング テロの脅威や犯罪よりも、選手を悩ます一番大きなものはこれまでの五輪ではあまり見られなかった大歓声とブーイングかもしれない。とりわけ、ブーイングに関しては開会式からサッカーやバスケットボールの試合まで、様々な場所で行われており、英BBCが「リオ五輪における6種類のブーイングのパターン」として報じたほどである。フェンシングや体操の会場で大きな歓声が沸き起こった際には、「選手が競技に集中できるのか」と心配する声がツイッターなどのSNSには数多く投稿されていたが、歓声と同じくらいブーイングが響き渡るのもリオ五輪の特徴だ。 リオには行かず、サンパウロで五輪をテレビ観戦している筆者の友人家族に話を聞いたところ、「相手チームへのブーイングや、選手をからかうチャントは、フットボールの試合と同じ感覚で行われていると思う。今回はホームチームがブラジルで、ブラジル以外の国は全てアウェーという図式で考えているブラジル人ファンは多いはず」と、ブラジルのチャント文化について語ってくれた。「ヨーロッパのような差別的なチャントではなく、権威といったものに対する反発心が、ブーイングやチャントを生み出すんだ」と、欧米との違いを強調した。ボールに触れるたびに「ジカ!」と叫ぶ観客 五輪が開幕してまだ6日。ブーイングの洗礼を受けたアスリートはすでに何人もおり、それぞれの国籍はバラバラだ。ブーイングを発したのはブラジル人だけではないが、少なくともその多くはブラジル人だと考えられている。開会式ではアルゼンチンの選手団がさっそくブラジル人の観客からブーイングを受けた。理由はシンプルで、ブラジルとアルゼンチンはフットボールを含めた多くの分野でライバル関係にあるからだ(余談になるが、ブラジル対アルゼンチンの試合が行われると、南米のほとんどの国はブラジルを応援する)。 女子の競泳では、禁止薬物の使用で16カ月間に及ぶ出場停止処分を受けていたロシアのユリア・エフィモワが、女子100メートル平泳ぎで決勝に進出。しかし、スタート台に上がった瞬間に会場から凄まじいブーイングが沸き起こった。エフィモアは銀メダルを獲得している。男子テニスでは、ドイツのダスティン・ブラウンがブラジルのトーマス・ベルッチと対戦した際にかかとを負傷してコートに倒れこむ一幕があった。倒れこんだブラウンにブーイングが発せられ、ブラウンが病院に向かうためコートを離れる際には歓声が起こるという後味の悪いシーンもあった。女子サッカーのアメリカ代表ゴールキーパーのホープ・ソロは五輪前にブラジルのジカ熱に対する懸念をSNS上で表明していたが、開会式に先立って行われたグループリーグのニュージーランド戦では、ボールに触れるたびにスタジアムの観客は「ジカ!」とチャントを繰り返した。女子サッカーの試合があった五輪スタジアムで「テメルは出て行け」と書かれた紙を掲げる観戦客ら=6日、リオデジャネイロ 選手へのブーイングも目立つ今大会だが、大会を象徴するブーイングを1つ挙げるとすれば、開会式でテメル大統領代行に浴びせられたものだろう。弾劾裁判の渦中にいるルセフ大統領と、国営石油企業の汚職に関与した疑いが浮上しているルラ前大統領は開会式には出席しないと早々に表明。2人にかわって登場したのがテメル大統領代行だった。テメル大統領代行に対するブーイングは開会式の数日前からネット上で呼びかけが行われており、テメル氏の演説中にブーイングが止むことはなかったが、演説終了後に爆音が鳴り響く花火を使った演出が施されたのは、組織委員会による最大限の配慮だったとも報じられている。景気の低迷や政府関係者の汚職、減る兆しを見せない凶悪犯罪など、多くの問題を抱えたままリオ五輪は開幕したが、リオ五輪のレガシーが「ブーイング」のみで終わってしまうのは悲しすぎる。

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    神童から金メダリストへ 萩野公介に見る「天才」の育て方

    小林信也(作家、スポーツライター) 萩野公介が400メートル個人メドレーに優勝。メドレー種目では日本男子初の金メダルを獲得。さらに9日には競泳の男子800メートルリレーの第1泳者で出場し、この種目で1964年東京五輪以来52年ぶりのメダルとなる銅を獲得した。 小学生時代から「天才」と呼ばれ、将来の活躍を嘱望されていた逸材が五輪の舞台でついに頂点に立った。早くから頭角を現したジュニア選手が必ず順調に育つとは限らない。むしろ競技から離れていく選手も少なくない中、萩野公介はなぜ才能を開花させることができたのだろう? ライバル・瀬戸大也も大きな刺激になっただろう。東洋大では競泳界のレジェンド、北島康介の恩師であり、いまや海外の金メダリストも指導し実績を重ねる平井伯昌コーチが味方についた。多くの勝因が挙げられるほか、次の要素も大きいだろう。競泳・男子400m個人メドレー決勝で優勝し、萩野公介は力強くガッツポーズ=8月6日、五輪水泳競技場「天才」を味方につけた 萩野公介は、「2歳のころからスイスイ泳いでいた」(母親の証言)という。つまり萩野は、コーチに教えられて速くなったスイマーでなく、自分の中に元々、速く泳ぐ感覚を持っていた。その感覚を自分主体で伸ばしてきた。大人の理屈に邪魔されない、自然児的な強さが萩野を伸ばし続けてきた。 日本経済新聞のインタビューによれば、萩野を小学校1年の夏から2年の終わりまで指導した八木未来コーチは「スクールに入ってきた当初から泳ぎは完成されていたので、変にいじらないようにした」と語っている。萩野公介(左)と練習について確認する平井伯昌監督=8月1日、ブラジル・リオデジャネイロの五輪水泳競技場 どんな種目でも、多くの有望選手たちが「いじられてダメになる」例が多い。萩野はいじられることなく、少年時代を過ごすことができた。それは、「いじらせないオーラ、それだけのレベルの高さ」をすでに持っていたからだろう。 同じ記事で、転校した先の栃木で小学校3年から高校卒業まで指導した前田覚コーチは語っている。「背泳ぎで肩が水の上に出て泳いでいる小学生なんて後にも先にも公介以外、見たことがない」 肩が水面より出ていれば、水の抵抗が少なくなる上、肩の動きもスムーズになる。普通は経験を重ねてそれができるようになる。萩野は最初からできていた。 私も、現在スポーツ庁長官を務める鈴木大地選手(当時)の練習を初めて見たとき、身体がまるでイカダのように水面に浮かんでいる感じがして目を丸くした記憶がある。身体が沈んでいない。水の上にポカッと乗っている感覚。 萩野は小学校3年生になったばかりで、その感覚を身につけていた。そして、それだけのレベルの高さを見せたことで、コーチたちに逆に畏敬の念を抱かせ、余計な邪魔をさせなかった。前田コーチは、上から目線で指図するのでなく、水泳を嫌いにさせないよう配慮し、萩野の感覚を必ず確かめることを基本にしていたという。小学生とそのように付き合えるコーチが、他の競技も含めてどれほどいるだろう。コーチの謙虚さも素晴らしい、コーチをそういう姿勢にさせる魅力が萩野にあった。「天才」という次元の高さを武器にして、萩野は自分の世界を築いて来た。筋トレや猛練習に束縛されなかった筋トレや猛練習に束縛されない 規格外れに速かった萩野少年だが、腕立て伏せは2、3回しかできなかったという。小学校の低学年のころから、50メートルを何本泳がせてもケロッとしていたという。ふたりのコーチの証言は、「現在のスポーツ常識」と「実際の強さのカギ」のズレを浮き彫りにし、同時に萩野の強さの一端を窺わせる。 腕立て伏せと水泳の速さは関係がない。コーチも本人もそれを実感していたから、過剰な筋トレに走ることもなかった。水泳選手が速く泳ぐために必要なことを萩野は身体で知っていて、それを磨き続けてきた。大切なのは、筋力を鍛えることでなく、いかに水と調和し、心技体をひとつにして水をつかめるか。50メートルを何本泳いでも疲れないのは、「体力があったから」と理解されがちだが、「泳ぐことが自然なことだから、とくに疲れる心配もない」というのが近いのではないだろうか。 日本の現在のスポーツ観では、「疲れる練習をどれだけやれるか」「厳しさを重ねた分だけ強くなる」と信じられている。果たして本当だろうか。萩野は自然体で泳いでいるから、それほど疲れない。力に頼るのでなく、身体をひとつにして泳ぐ。全身の調和が重要だと萩野は身体で知っていた。男子800メートルリレーで銅メダルを獲得し、手を上げ喜ぶ(左から)松田、小堀、江原、萩野=8月10日、リオデジャネイロ科学と感性を融合させた日本水泳陣 ひところの日本のスポーツ界は、科学を妄信し、科学を頼りに強化を進めてきた。ところが、選手自身の感性と科学の誤差は明らかに存在する。水泳陣は日本のスポーツ競技の中でもいち早く科学的な研究を進め、競技に反映させる努力を重ねてきた。その経過の中でわかったのは、「天才的な選手の感性は科学を超える」という現実を体験した。例えば北島は、2個目の金メダルを獲得する過程で、「平泳ぎにストロークの速さは必要ない」と確信する。 理屈で言えば、「一回のストロークでより多く進み、そのストロークの反復速度を速くして、繰り越せばタイムは短縮できる」ということになる。できれば明らかに強くなりそうな気がする。しかし北島は自分の泳ぐ感覚から、それは違うと感じていた。むしろ、ストロークはより遅く、一度のストロークで気持ちよく水に乗ることが重要だと。実際にその方向を究めてみると、よりタイムが伸びること、そして、自分の中にある泳ぎの感覚と一致していくことをつかみ、スランプから脱出し、五輪二連覇につながっていく。こうした先輩たちの積み重ね、日本水泳陣のチームとしての伝統と実績も萩野の強さの基盤を支えている。いつの五輪でも目立つ通り、水泳はリレーがあるとはいえ、基本的には個人競技。それなのに、日本水泳チームの結束はいつも固い。チームの雰囲気も萩野の背中を押す大きな力だったろう。

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    なぜ手倉森ジャパンは逆境に強いのか

    河治良幸(サッカージャーナリスト) 初戦でナイジェリアに5−4と敗れて迎えた2試合目のコロンビア戦。絶望的とも言えるオウンゴールでコロンビアに2点目がもたらされたのは後半20分だった。相手のスローインをマイボールにしたところから、速いパスワークで敵陣に攻め込もうとした日本だが、遠藤航の縦パスを浅野拓磨が受けたところでセンターバックのデイビ・バランタにチェックされ、ボールを拾ったマチャドを起点にカウンターのピンチを迎えた。藤春廣輝のオウンゴール=8月8日、マナウス 左サイドのドルラン・パボンが素早くボールを運び、その外側に流れたにパスをミゲル・ボルハに渡すと、そのままペナルティエリア内に侵入。シュートは飛び出した中村航輔の足に当たりゴール前にこぼれたが、それをカバーに入った藤春廣輝が拾った・・・かに思われたところで直前に躓き、右足におかしな角度で当たったボールが、植田直通の咄嗟のクリアもむなしくゴールラインを割ってしまった。 藤春自身そこからすぐに切り替えられていたかは分からないが、少なくともチームメートは下を向くことなく攻撃を仕掛けた。交代出場の大島僚太と南野拓実が右サイド寄りでパスを交換し、その外側を追い越した室屋成がトップスピードのままパスを受けようとする。この場面は相手の左サイドバックであるデイベル・マチャドにクリアされたが、ラインを押し上げていた植田が得意のヘッドでボールを跳ね返す。 “俺たちは諦めていない”という意欲を前面に押し出す様な攻撃。思い返せば今年1月に行われた、リオ五輪の予選を兼ねたU—23アジア選手権の決勝でも後半の立ち上がりに一度は0−2とリードを許しながら、浅野拓磨と矢島慎也のゴールで同点に追い付き、最後は浅野が再び逆転弾を決めて勝利している。5失点を喫したナイジェリアとの初戦も2−5から2点を返す意地を見せている。 U—20で世界を逃してきた世代ではあるが、手倉森誠監督に率いられたチームは決して諦めないメンタリティを備えた集団であり、この試合でも失点の直後から示した。そこから間もなく日本にとって最初の得点がもたらされる。塩谷のグラウンダーパスをFWの興梠慎三が正確なトラップから右横の南野に渡すと、大島、室屋とつなぎ、ボランチの遠藤航、再び大島、興梠、大島。そこから南野がワンタッチで絡み、最後は一瞬DFの裏を突いた浅野が左足でゴール右隅に蹴り込んだ。 この鮮やかな仕掛けの間に、7人もの選手がアタッキングサードに入り込んでおり、この時間帯はリスクをかけても点を取るという意志がそのまま表れたゴールだった。1点差に追い上げられたコロンビアも直後に鋭い仕掛けからミゲル・ボルハが惜しいシュートを放つなど、日本の勢いに飲まれない様に堅守から攻勢をかけたが、さらに同点を狙う日本の圧力は凄まじいものがあった。同点はポジティブに評価すべき そして後半29分の同点ゴールは南野のボール奪取から。自陣で大島、遠藤、中島翔哉と左方向につなぎ、リターンパスを受けた遠藤を起点として興梠が浅野に縦パスを送る。これは惜しくもセンターバックのウィリアム・テシージョに阻まれたが、こぼれ球を拾った興梠のショートパスを受けた中島がMFのミルマル・バリオスを内側にかわしながら右足を振り抜くと、弾道がGKクリスティアン・ボニージャの頭上を破り、クロスバーの手前で落ちてゴールに吸い込まれた。日本-ナイジェリア。ゴール前に攻め込む大島僚太=8月8日、マナウス 残り時間15分以上を残して同点。逆転勝利の展開が期待されたところで手倉森監督はすでにイエローを一枚もらっていた藤春に替え亀川諒史を投入。その亀川が右サイドバックに入り、左には室屋が回る形を取った。そこから何度も勝ち越しのチャンスを迎えた日本だが、後半ロスタイムに浅野がロングパスから得意の飛び出しでGKと1対1のチャンスを得たが、シュートはGKボニージャに阻まれた。 試合の流れを考えれば逆転まで持ち込めなかったことは残念だが、よりホームに近い環境である難敵のコロンビアを相手に2点のビハインドを挽回できたのはメンタルを含めたチーム力の表れであり、ポジティブに評価するべきだろう。前半のチャンスを決めきれなかったこと、カウンターから中央を破られた最初の失点、そして藤春のオウンゴール。反省材料はあるものの、五輪の雰囲気とナイジェリアの高い個人能力の前に浮き足立ち、持ち前の組織的な守備が崩壊した初戦から見違えるパフォーマンスだったことは間違いない。 18人の選手のうち試合に出ていないのはセンターバックの岩波拓也ただ1人だ。23人が登録されるワールドカップと違い、日程も中2日で進んでいく五輪は総合力も問われてくる。初戦で2つの大きなミスをおかしてしまい、ディフェンスを後方から統率できなかった櫛引政敏に関しては厳しい評価をせざるをえないし、オーバーエージのDF塩谷司と藤春は国際経験の不足もあってか、チームを力強く支えるほどの働きはできていない。FWの興梠は随所に“らしさ”を見せ6得点の多くに貢献しているが、自身の得点は南野が相手のファウルで得たPKのみであり、流れの中でのゴールが待望される。ゴールを狙う浅野拓磨=8月8日、マナウス ここまでの2試合で、あえてMVPをあげるなら持ち前のスピードと集中力を発揮して2得点をあげている浅野か。ナイジェリア戦でクロスに被るなど低調だった室屋が、相手が違うとはいえ初戦とは“別人”の様なディフェンスを見せた。大島は初戦で攻撃面こそ目立ったものの、守備では中盤のチェックがしばしば浮いてしまい、最初の失点シーンでもミケルのマークを逃したことで、守備の連動が崩れるきっかけを作ってしまった。しかし、コロンビア戦では正確なパスで攻撃のリズムを作りながら、何度もカウンターのピンチを摘み取るなど、守備での貢献も目立った。 リオ五輪という舞台で、2試合の中でもチームは確かな成長を見せているが、泣いても笑ってもスウェーデン戦で結果を残さなければ大会が終わる。勝ち点3を獲得したとしても、もう1つの試合でコロンビアがナイジェリアに勝利すればグループリーグ敗退が決まってしまうのは事実だが、スウェーデンを相手に組織力と個の奮闘を結集してベストのパフォーマンスを発揮できるか、そして勝ち切ることができるのか。そこに注目したい。