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    誰が「靖国問題」をつくったのか

    戦後、歴代内閣総理大臣が靖国神社に参拝しても関心を示さなかった中国と韓国にありもしない「靖国問題」を突き付けたのは他ならぬ日本人だった。国のために戦って亡くなった方々を私利私欲のために利用した日本のマスコミ、政治家、偽善的な自称知識人。罪深き彼らの行動を決して許してはならない。

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    日本人も知らない靖国神社「A級戦犯」合祀のウソ

    一色正春(元海上保安官) 靖国神社を敵視する人たちによる「靖国神社に戦争犯罪人が祀られている」という理屈ですが、実はこれも根拠がありません。特にA級戦犯が合祀されたからうんぬんと言うのは全く理屈になっていません。2016年8月15日、71回目の「終戦の日」を迎えた靖国神社には、祈りをささげるため早朝から参拝者が訪れた そもそも戦争犯罪が国家間で議論されるようになったのは18世紀後半からです。それまでは、そういう概念自体がなく、相次ぐ戦争で疲弊したヨーロッパ諸国の間で何とか戦争を防ごうという動きに伴い、戦争自体を禁止できないのであればせめて一定のルールを課そうと「非戦闘員に対する攻撃や捕虜虐待の禁止」「非人道兵器の使用禁止」などの決まりを定め、それを破ったものを戦争犯罪と呼ぶようになったのです。 逆に言えば、それ以前は、やりたい放題だったということで、戦争犯罪の定義は時代とともに変わってきており、重要なのは問題とされる行為が、その時代に禁止されていたのかどうかということです。その大前提を踏まえず、過去の行いを現在の基準で裁けば、ナポレオンなど祖国で英雄と讃えられている王や将軍のほとんどが「戦争犯罪人」になってしまいます。 これがいかにむちゃくちゃなことか。身近な例で表現するならば、時速60キロ制限の道路に対して、ある日突然「この道を30キロ以上で走った者は懲役刑に科す」という法律をつくり、過去その道を30キロ以上で走った人々を次々と捕まえていけば、車を運転するほとんどの人を刑務所に送ることが可能になってしまいます。 ですから、普通の法治国家では、刑を定めてから罰する「罪刑法定主義」を原則としており、その法を遡(さかのぼ)って適用すれば不利益を被る人間がいる場合、法の遡及(そきゅう)を禁じているのです(ただし、有利になる場合は認められる)。 そこで、彼らが特に問題視している、いわゆる「A級戦犯」が行ったとされる行為が、その時代に禁止されていたのかどうかということを見てみようと思いますが、その前にA級戦犯とは何なのかという話をしておきます。戦勝国が定義した戦争犯罪 順を追って説明しますと、第二次世界大戦の戦勝国がドイツに対して懲罰を加えるために協議した結果、米英仏ソの4カ国が1945年8月8日にロンドンで国際軍事裁判所憲章(ニュルンベルク憲章)に調印し、その中で以下のように戦争犯罪を定義しました。第6条a項-平和に対する罪侵略戦争あるいは国際条約、協定、誓約に違反する戦争の計画、準備、開始、あるいは遂行、またこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画あるいは共同謀議への関与。b項-戦争犯罪戦争の法規または慣例の違反。この違反は、占領地所属あるいは占領地内の一般人民の殺害、虐待、奴隷労働その他の目的のための移送、俘虜(ふりょ)または海上における人民の殺害あるいは虐待、人質の殺害、公私の財産の略奪、都市町村の恣意(しい)的な破壊または軍事的必要により正当化されない荒廃化を含む。ただし、これらは限定されない。c項-人道に対する罪犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、あるいはこれに関連して行われた、戦争前あるいは戦争中にすべての一般人民に対して行われた殺害、せん滅、奴隷化、移送およびその他の非人道的行為、もしくは政治的、人種的または宗教的理由にもとづく迫害行為。 これが、そのまま極東軍事裁判に適用され、マスコミなどが「項」を「級」に代えて用いるようになったといわれています。つまり、戦勝国がつくった罪の定義をマスコミが呼びやすいように作り出した造語でA、B、Cというのは罪の重さをランク付けしたものではなく、簡単に言えばA級 侵略戦争を始める罪B級 従来定義されていた戦争犯罪C級 ホロコーストなどの非人道的な罪という区分けにすぎません。 しかもc項に関しては、第一次世界大戦終了後に適用が検討されましたが、国際裁判自体が否定され、ドイツ国内で形式的な裁判が行われただけで、第二次世界大戦が終わるまで厳罰に処された人間はいませんでした。a項に至っては、この時初めて定義されたものであり「いわゆるA級戦犯」の方々が罪として裁かれた行為を行った時点では違法行為でも何でもなかったのです。極東国際軍事裁判が東條英機元首相以下、25被告に判決を下す日の法廷全景=昭和23年11月4日 そもそも戦争を始めることが罪になるのであれば、ドイツに対して一方的に宣戦布告し第二次世界大戦を始めたイギリスとフランス、日本に対して先に宣戦布告したオランダは、なぜ罰せられないのでしょうか。曖昧すぎる「侵略」の定義米バージニア州ノーフォーク市役所の旧庁舎を改装したマッカーサー記念館前に立つマッカーサーの銅像 こう言うと日本が起こした戦争は「侵略戦争」だからだと反論する人がいると思われますが、ではいったい何をもって「侵略戦争」と「そうでない戦争」とを分けるのでしょうか。 おそらくそういう人たちは、国連が1974年の国連総会で決議した「国連決議3314」(侵略の定義に関する国連決議)をもって「侵略」を定義しているではないかと主張されるのでしょうが、確かにそこには一応「侵略」の定義らしいことは書かれていますが、よく読むと机上の空論でしかありません。 事実、湾岸戦争のきっかけとなったイラクによるクウェート侵攻でさえも「侵略」と認定されておらず、現在の日本政府の見解も「侵略」の定義は定まっていないとしています。仮に国連が明確な定義を定めたとしても、当時に遡って適用できないことは言うまでもありません。 実際のところ、いまの時代でも、アメリカのような力のある国がアフガンやイラクへ侵攻しても「自衛戦争だ」と強弁すれば罷り通り、ロシアがクリミヤに侵攻すれば経済制裁を受ける現実を見れば、侵略戦争か否かということは国の力関係によって決まるのが実情です。そんな中でも、盧溝橋事件は極東軍事裁判においてさえ侵略戦争と断定できなかったという事実は重く受け止めるべきです。 当時、日本は開戦以来、終始一貫して大東亜戦争は自衛戦争であると主張していました。アメリカ極東軍司令官として日本と戦い、戦後はGHQの総司令官として約6年間日本に滞在したマッカーサー元帥は、朝鮮戦争で日本が感じていた共産主義の脅威を肌で感じ、戦前の日本の立場を理解するようになりました。そして、退任後にアメリカ上院議会で「日本が戦争を始めたのは経済封鎖に対する自衛のため」と証言しました。実際に戦った敵国の大将でさえ認めた日本の主張の正当性は明白であり、日本は決して侵略戦争など行っていないのです。 日本が米英蘭相手に戦争を始めた1941年当時には、自衛戦争を認めた不戦条約しかなかったので、日本は当時の国際法には一切違反していないのです(詳しい日本の戦争目的に関しては、米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書《開戦の詔勅》と帝国政府声明をお読みください)。 さらに言えば、ドイツと同時期にポーランドに侵攻し、その後、1939年11月と1941年6月にフィンランド、1945年8月に日本へと国際法に違反して一方的に攻め込んだソ連はニュルンベルク裁判、極東軍事裁判のいずれにおいても被告席に座ることはありませんでした。つまり「いわゆるA級戦犯」とよばれる人たちは、戦勝国が後から自分たちの都合のいいように作った法令(事後法)と裁判により敗戦国の人間であるという理由で裁かれた人たちで、裁判の名を借りた復讐(ふくしゅう)劇の被害者なのです。 これに対しても「日本は戦争に負けて無条件降伏したのだから仕方がない」「誰かが責任をとらなければいけない」「ドイツを見習え」「サンフランシスコ平和条約で極東軍事裁判を認めた」などと反論される方がいますが、それは日本の立場を無視した戦勝国の言い分です。 まず、多くの日本人がいまだに日本が「無条件降伏」したと誤解していますが、戦争末期に政府が崩壊したドイツとは違い日本は終戦時にも政府機関が機能しており、その日本政府がポツダム宣言という連合国が提示した条件を受け入れたのであって、その条件は後に連合国によって破られましたが、日本の降伏は条件つきだったのです。詳しくはポツダム宣言をお読みください。「ドイツを見習え」なんて見当違い 確かに日本は戦争に負けたのですから、一定のペナルティーを受けるのは仕方がないのかもしれませんが、法治国家において犯罪者にも人権があるように、国際社会も法による支配を目指すのであれば戦争に負けたからといって何をされても仕方がないということはありません。誰かが責任をとるべきであるというのは、その通りなのですが、それは当時の政府首脳が対外的にではなく日本国内に対して「負けた責任」や「多くの命や領土を失った責任」をとるべきで、本来であれば戦後、日本人による日本人のための東京裁判を行わなければならなかったのかもしれません。 「ドイツを見習え」というのは全くの見当違いで、ドイツは戦争を始めたことに対して謝罪しているのではなく、ナチス党員などの一部のドイツ人がホロコーストなどの人道に対する罪を行ったことは同じドイツ人として申し訳ない、とその人たちに罪をかぶせているだけのことです。 そもそも日本は、特定の民族に対して国家単位で迫害を行ったことはなく、むしろ当時、世界で一番多くユダヤ人を助けた国で、そのことに対してナチスドイツが日本に猛抗議してきましたが、いわゆるA級戦犯の代表格である東條英機大将は毅然とした態度でそれを一蹴しました。おそらく、日本も「軍部などの一部の人間が勝手に戦争を始めた」「その人間だけが悪い」と一部の人間に罪をかぶせれば当面の非難を避けることはできるかと思いますが、そういう卑劣な行いは人間として正しくありません。 日本もドイツもマスコミに煽られたとはいえ国民の大半が戦争を望んだという側面もあり、それを今になって一部の人間だけの責任にしようとする行為は卑怯(ひきょう)としか言いようがなく、命を懸けて祖国のために戦った先人に対する冒涜(ぼうとく)に他なりません。 また、日本は下記の「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)第11条で「裁判を受諾」しているではないかと言う人もいますが、それは誤解(誤訳)です。 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(後略) そもそもこの条約は当時の公用語である英仏西の三カ国語で作られており、日本語で書かれているものはそれを訳したものでしかなく、意味が微妙に異なる場合は英仏西語の正文の方が正しいとするのが道理です。 そこで問題の部分の英文を見ると「accepts the judgments」(判決を受諾する)となっています。「裁判を受諾する」と「判決を受諾する」は一見同じように思えるかもしれませんが似て非なるものです。裁判の名に値しない「東京裁判」 「裁判を受諾する」というのは裁判そのものを認めることですが、それに対して「判決を受諾する」というのは裁判全体を認めることではなく判決のみを認めるということで、たとえ身に覚えのない犯罪容疑でも有罪判決が下され、それが確定してしまえば法治国家に住む以上、判決に不服だとしてもそれに従わねばなりませんが「冤罪(えんざい)だ。自分は無実だ」と訴えるのは自由だということです。 だいたい「いわゆるA級戦犯」を裁いた極東軍事裁判は・裁判の根拠法令が極東国際軍事裁判所条例という国際法を無視したマッカーサーの命令・恣意(しい)的な被告の選定(満州事変の首謀者石原莞爾は逮捕すらされていない)・事後法による法の不遡及(ふそきゅう)の原則に反している(前述)・法の公平性に反している(戦勝国の原爆投下や無差別爆撃などの民間人大量虐殺は不問)・裁判官11人全員が戦勝国の出身(中立国出身の人すらいなかった)・裁判官の出身国、英仏蘭は裁判中もアジアを再侵略していた・同じくソ連は国際法に違反して多くの日本人をシベリアなどに強制連行強制労働・11人のうち法律家は2人(国際法の専門家はインドのパール判事のみ)・裁判長が事件の告発に関与(ウェッブ裁判長は日本軍の不法行為を自国に報告)・ポツダム宣言違反(宣言の範囲外の行為を裁いた)・被告側の証拠のほとんどを採用しない一方で、検察側のでっち上げの証拠を採用・結果、ありもしなかった共同謀議や南京大虐殺という虚構を認定 というようなもので、とても裁判の名に値するものではありませんでしたが、当時の日本は敗戦国ゆえに抗弁することができなかったのです。 仮に彼らが本当の戦争犯罪人だったとしても、従来の国際法に従えば戦争犯罪というのは講和条約発効時に無効になり、獄中にいる戦争犯罪人は釈放されるのですが、サンフランシスコ平和条約発効時に限り、そうさせないように作られたのが、この11条の条文なのです。 つまり、この条文は連合国の復讐(ふくしゅう)心を満たすため、あえて従来の国際法の趣旨に反して懲罰的な意味を込め、講和条約発効後も日本独自の判断で受刑者を放免してはならないという趣旨を盛り込んだもので、軍事裁判を認めるとか認めないとかという意味合いのもではないのです。極東国際軍事裁判の際、戦犯容疑者が多数勾留された巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)=昭和27年8月2日(産経新聞社機から撮影) 連合国が、それほどまでして許さなかった、いわゆる戦争犯罪人ですが、当時、大多数の日本人は彼らのことを犯罪者であると思っていませんでした。まず日本が主権を回復したサンフランシスコ平和条約発効直後の1952年5月1日、当時の木村篤太郎法務総裁により戦争犯罪人の国内法上の解釈についての変更通達が出されました。 そして、戦争犯罪人として拘禁されていた間に亡くなられた方々すべてが公務死として扱われるようになったことを皮切りに、全国各地で戦争犯罪人として扱われている人たちの助命、減刑、内地送還を嘆願する署名運動が始まりました。日本に戦争犯罪人と呼ばれる人は一人もいない 日本弁護士連合会も「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出するなど、運動は盛り上がりを見せ、それに呼応して国会でも次々と社会党や共産党を含む全会一致で戦犯受刑者の釈放に関する決議などがなされ、1953年には遺族援護法が改正され拘禁中に亡くなられた方々の遺族に弔慰金と年金が支給されるようになりました。 つまり、彼らの死は戦死であると国権の最高機関である国会が正式に認めたのです。署名は最終的に当時の全人口8千万人の半数である4千万人に達し、これに後押しされた日本政府はサンフランシスコ平和条約第11条にもとづき関係11カ国に働きかけ、その結果、1958年には戦争犯罪人として勾留されていた、すべての方々が赦免されたのです。 このような当時の日本人の戦争犯罪人と呼ばれた人たちへの熱い思いを知らない世代の日本人が、今になって「A級戦犯が~」と息巻いているのを見ると、日韓併合時代を直接知っている人間より知らない世代の方が、反日感情が強い韓国と重なり、情けない思いになります。 近代法では刑罰の終了をもって受刑者の罪は消滅するというのが理念ですから、百歩譲って仮に彼らが本当の戦争犯罪人であったとしても、この時点から日本には死者を含めて戦争犯罪人と呼ばれる人は一人もいないのです。それは、以下のいわゆるA級戦犯のリストを見ていただければ、よくわかるかと思います。 ほかにも、下記のように逮捕勾留されたものの不起訴になった、戦後の日本を牽引してきた方々もおられます。帝国石油社長 鮎川義介首相 岸信介日本船舶振興会会長 笹川良一読売新聞社社長 正力松太郎朝日新聞社副社長 緒方竹虎 そして、この流れの延長線上で1959年に「いわゆるBC級戦犯」が、1966年に「いわゆるA級戦犯」が靖国神社に合祀されたのであり、それをもって軍国主義復活などとは誤解曲解も甚だしい話なのです。

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    韓国人にとって靖国神社とはいかなる存在なのか

    一色正春(元海上保安官) 今回は前回に引き続き大日本帝国軍人軍属として日本のために戦った朝鮮半島出身者についての話から始めます。 先の大戦において動員された朝鮮半島出身者は軍人軍属合わせて約24万人、そのうち還らぬ人となったのが約2万人です。その中には特別攻撃隊に自ら進んで参加した人や、いわゆる戦犯として刑死した人もおられ、さまざまな思いで亡くなられたことと思います。ですから、この方たちの最期を単に非業の死と一口でくくることはできませんが、すべての方に共通するのは、自ら進んで戦地に赴き、大日本帝国のために戦ったことと、現在は靖国神社に神として祀られ多くの人にお参りされていることです。 そのことに対して日本人の多くは「日本人として戦いに参加してもらった以上、靖国に祀るのは当然だ」として異議を唱えることはありません。台湾出身軍人軍属も同様に3万人弱の方々が靖国に祀られていますが、台湾において、そのことに抗議しているのは極少数の人たちだけです。夕方以降も多くの参拝客でにぎわう靖国神社(財満朝則撮影) それに比べて、現代韓国人の多くは靖国神社そのものの存在に対して不快感をあらわにし、日本国の首相をはじめとする政治家が靖国神社に参拝することに対して抗議するだけではなく、参拝中止を求めるという重大な内政干渉を平気で行い、中には実際に靖国神社まで出向いて爆発物を仕掛ける人間までいるくらいです。 彼らの言い分は「朝鮮民族を無理やり戦わせた人間が祀られている」「植民地支配を行った日本軍国主義の象徴だ」「戦争犯罪人が祀られている」というものですが、いずれも明らかな事実誤認で、日本の立場としては言いがかりをつけられているとしか言いようがありません。 まず「朝鮮民族を無理やり戦わせた人間が祀られている」という理屈は、前回の「もし、今も朝鮮統治が続いていれば、日本はどうなっていたか」をお読みいただければわかるように、無理やり徴兵されて実際に戦地に行った朝鮮系日本人がいないのですから、完全な誤解です。 次に「植民地支配を行った日本軍国主義の象徴だ」という理屈で、あたかも日本が武力により平和で豊かな朝鮮半島を侵略して搾取したかのような印象を与えようとしていますが、日本の朝鮮統治は西欧型の植民地支配ではなく主権国家双方が合意のもとに締結した日韓併合条約という国際条約に基づく併合であり、同条約により大日本帝国と大韓帝国は武力を用いずに一つの国になったのです。日清戦争勝利で独立できた韓国 そもそも19世紀末、朝鮮という国は清国の属国で完全なる独立国ではありませんでした。それを日本が日清戦争に勝利したことにより大韓帝国という独立国となったのです。それは日清講和条約(下関条約)の第一条「清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼などは永遠に廃止する」を見れば明らかです。伊藤博文、李鴻章が会談した春帆楼2階大広間を再現した日清講和記念館 日清戦争後、日本は清の冊封体制を脱し独立国となった朝鮮に対して自立を促しましたが、彼らはこともあろうか当時の日本にとって最大の脅威であるロシアの支配下に自ら進んで入ろうと、王宮ごとロシア公館に逃げ込むありさまで、その結果ロシアは朝鮮半島におけるさまざまな利権を手に入れ、次第に日本とロシアは朝鮮半島の主導権をめぐって対立するようになっていきました。 満州だけではなく朝鮮半島がロシアの支配下に入れば「力のある白人国家が力のない有色人種国家を支配する」という当時の国際情勢に鑑みて、次に超大国ロシアに侵略されるのは弱小日本の番であることは火を見るより明らかですから、日本としては何とかそれを阻止しようと外交努力を重ねました。しかし当時、世界一の陸軍国といわれたロシアが弱小国日本に譲歩するはずもなく、日本は座して死を待つか、勝てる見込みは少なくとも打って出て戦うかという選択を迫られることになったのです。 戦うことを選んだ日本は、局外中立を宣言していた大韓帝国の防衛および領域内での軍事行動を可能にするため日韓議定書を締結し、それに応えた進歩会などの大韓帝国改革派は鉄道施設などの工事に数万人を動員するなど日本に協力的でしたが、皇帝を中心とする守旧派の腰が定まらないため、外交案件に日本政府の意向が反映されるよう、さらに第一次日韓協約を結びました。 ところが大韓帝国皇帝は、これに違反してロシアだけではなくフランス、アメリカ、イギリスに密使を送ったので、辛くもロシアに勝利した日本は後顧(こうこ)の憂いを絶つため「日本が大韓帝国の外交権を完全に掌握する」とする第二次日韓協約を締結しました。 しかし、その後も大韓帝国皇帝はオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送るなど迷走を止めず、日本の国家安全保障に重大な脅威を与え続けました。(密使は、会議参加国から「大韓帝国の外交権が日本にある」ことなどを理由に門前払いにされています) 日本は、この状態を放置して大韓帝国が植民地拡張政策を続ける欧米諸国の支配下に入れば再び日本は重大な危機に陥ると危機感を抱き、外交だけではなく内政も掌握するため、やむなく併合に踏み切ったのです。日韓併合と靖国神社は無関係 日本としては自主的に独立した大韓帝国と同盟を組んで西欧諸国に対抗することを望んでいたのですが、肝心の大韓帝国にその能力や意思がなく、朝鮮時代からの事大主義を改めることなく大国に擦り寄る政策を続ける姿勢を見て、今の大韓帝国には自主独立する力がないと判断し、他国の保護下になるくらいであれば日本の保護下に置く方が自国のためになると考えたのです。 このように、日本が大韓帝国を併合した最大の理由は自国の安全保障のためで、西欧諸国の搾取を目的とした植民地支配とは異なり、朝鮮半島には搾取するものはなく、併合後は搾取どころか内地から資金や物資を半島につぎ込んだため、内地に住む日本人の生活が苦しくなるほどでした。 しかも併合前は、そうなることを予見した人たちが併合に反対していたため、当時の日本の世論は併合賛成派と反対派が拮抗しており、日本人全員が朝鮮を併合しようと思っていたわけではありません。同様に大韓帝国内も併合賛成派と反対派に意見が分かれており、現在の韓国のようにほぼ100%反対ではありませんでした。 ちなみにアメリカとイギリスは併合に賛成、その他の主要国である清国、ロシア、イタリア、フランス、ドイツなどからの反対もありませんでした。つまり日韓併合は両国の国内に反対派がいたとしても両国政府が話し合いで合意し、かつ当時の国際法上何ら問題のないことで、今の韓国人が反対しているのは後付けの理屈でしかなく、百歩譲って日本の統治を非難するのであれば、その象徴である統監や総督を非難するべきなのですが、下表を見ればわかるように歴代10人の統監と総督のうち靖国神社に祀られているのは、朝鮮統治とは無関係の罪状で服役中に病死した小磯國昭ただ1人でした。 そもそも日韓併合に際して戦争は行われておりませんので戦死して靖国神社に祀られた将兵はいません。したがって日韓併合と靖国神社は無関係なのです。次回は靖国神社に「戦争犯罪人が祀られている」という韓国人の理屈がいかにおかしいかということについて説明をいたします。

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    もし、今も朝鮮統治が続いていれば、日本はどうなっていたか

     今回は日韓併合時代における朝鮮半島出身者の社会的権利のうち参政権について考えてみます。 参政権とは読んで字のごとく選挙権と被選挙権に代表される政治に参加する権利で公民権とも言い民主主義国家の根幹をなす権利です。それは多くの国において自国民に限定され、一定年齢以上の国民に同等の権利が与えられています。また、一般国民に参政権が与えられているか否かが、その国が民主国家か否かを判断する重要な基準であるとも言えます。 戦前、日本の議会構成は選挙によって選ばれる代議士で構成される衆議院と、皇族、華族、勅任議員によって構成される貴族院の二院制でした。衆議院選挙の選挙権は、当初、納税額による制限がありましたが、1925年から25歳以上の日本国籍を持つ男子であれば本籍や納税額に関係なく投票が可能になり、被選挙権(立候補する権利)も本籍(出身地)による制限はなく、日本国籍を有する30歳以上の男子であれば誰にでも代議士への道は開かれていました。ただし、選挙区は内地に限定されていたため、住む場所によって選挙権は制限されていたと言えます。衆院本会議 それはどういうことかと言えば、朝鮮や台湾などの外地は、日本と同じ国になったといっても、ついこの間まで違う国であったため、内地とは経済や教育の水準だけではなく、生活慣習、ものの考え方や言語が根本的に違いましたから、当初から憲法をはじめとする日本の法律は一部しか適用されていませんでした。ですから外地は日本の法律を作る議員を選ぶ場ではないと考えられ、今のように在外投票というシステムがなかったため外地に住む人間は内地出身者であっても選挙区がないため選挙権や被選挙権がなく、反対に内地は日本の法令が適用されているわけですから、そこに住む日本人は出身に関係なく法律を作る議員を選んだり選ばれたりするということです。 つまり日本と朝鮮は併合により同じ国になったため両国の国民は同等の参政権を持つようになったのですが、法律の適用範囲の問題で出身を問わず外地居住民は国政選挙に投票できなかったということです。そして、内地における参政権は、どこかの国のように空手形ではなく、選挙権に関しては日本語の読み書きができない朝鮮半島出身者にはハングルによる投票も認めており、被選挙権に関しても朝鮮半島出身者の朴春琴が朝鮮名のまま東京の選挙区から衆議院議員選挙に4度立候補し、そのうち2回当選して通算9年間代議士を務めています。 このような選挙制度に対して現代の常識を当てはめれば色々と不備があることは確かですが、アメリカで1970年代まで黒人に事実上の選挙権がなかったことを考えると、この時代としては、かなり先進的であったと評価できるのではないでしょうか。 更に、1945年4月には改正衆議院選挙法と改正貴族院令が公布され朝鮮半島から7人、台湾から3人が貴族院議員に選ばれ、衆議院についても朝鮮、台湾、樺太に新たな選挙区を設け、それぞれ23人、5人、3人の定数を定めました。確かに内地に比べて人口当たりの議員数は極端に少ないですが、順次増やしていく予定であり、彼我の経済や教育の水準の違いなどを考慮すれば開始当初としては妥当だったのではないでしょうか。本気で朝鮮半島出身者の政治参加を進めた日本 これに対して、終戦間際のアリバイ作りだという人もいるでしょうが、それは後知恵というもので、8月15日が来るまで日本が負けると思っていたのは詳細に戦局を知り客観的に判断できる極少数の人間だけでした。それに当時は大多数の日本人が内鮮一体を固く信じており、たとえ戦争に負けたとしても台湾はともかく朝鮮が日本から分離するなどとは夢にも思っていませんでしたから、歩みは遅くとも日本政府は本気で一歩一歩、朝鮮半島出身者の政治参加への道を開く努力をしていたのです。 また、朝鮮半島においては朝鮮出身の日本人に政治家だけではなく高級官僚への道も開かれており、朝鮮総督府では知事13人中5名程度は朝鮮系日本人で主要局の局長クラスにも多数の人間が登用されており、1943年ころになると内地の中央官庁にも朝鮮系日本人が採用されるようになりました。 これらのことは、当時の日本政府が将来的に朝鮮半島出身者であっても政官両面から国政に深く携わることができる様な政策を推し進めていたということで、こういった流れを見ると日本と朝鮮は、いずれ内地外地の区別や本籍地による差別がなくなり完全に同じ国になる方向を目指していたのではないかと思われます。その考え方に対して賛否はあろうかと思いますが、日本の朝鮮統治は当時世界中で欧米列強により当たり前のように行われていた現地を搾取対象としか見ない植民地政策とは明らかに一線を画していたことは否定できません。日韓併合後の朝鮮を統治した旧朝鮮総督府庁舎 もし、今も日韓併合が続いていれば国会議員の半数は外地から選ばれ、霞が関にも多数の朝鮮半島出身者が勤務し、朝鮮総督府は北海道や沖縄の開発庁のようなものになり、最終的には自ら解体していたかもしれません。こういう話をすると、「日本人は朝鮮人を差別していたのだからありえない」と条件反射的に否定し、思考が止まってしまう人がいますが、はたして当時の日本人と朝鮮人の関係は本当にそのように単純なものだったのでしょうか。確かに、言語、習慣、歴史、文化、伝統などが異なる民族がいきなり同じ国民になるわけですから当初は軋轢が生じ、その結果として差別が行われていた事は容易に想像する事ができます。 しかし、問題はそれを国家がそのまま放置するなどして固定化しようとしたのか、それとも差別を否定して解消しようとしていたのかということですが、日本政府は併合当初から李王家の当主は王、その親族を王公族として皇族に準ずるとし、朝鮮貴族も日本の華族に準ずる待遇を与え、生まれたときから人権のなかった人たちを救うために奴隷制度を廃止し、かつてないほど学校を増設して教育機会の均等化を図り、創氏改名により名前に基づく差別の解消を試みるなど、一貫して朝鮮民族をなるべく同等に扱おうとしていました。 確かに現在の基準に比べると不十分な点もあり、一部の不心得者が差別をしたかもしれませんが、少なくとも当時のアメリカが日本人移民を排斥する法律を作るなど国をあげて人種差別を行っていたような事実はなく、この問題も他の問題と同様に個人ではなく国家が何をしたのかを見るべきではないでしょうか。何しろ日本は第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、連盟規約に人種差別の撤廃を明記するべきだと世界史上初めて提案しているのですから、当時の欧米列強とは違い自国内で人種差別を容認できるはずがありません。日韓併合以来、一貫して差別解消を目指した日本 これらの事実を踏まえて当時の流れを振り返れば「日本政府が朝鮮系日本人に参政権を与える政策は終戦前に突然思いついたものだ」という批判がいかに的外れであるかということが良くわかります。そして日本政府が朝鮮系日本人に参政権を与えたのは日韓併合以来一貫して漸進的に取り組んできた差別解消を目指した政策の延長線上にあるものだと言えるのではないでしょうか。 おそらく、このような話を現在の韓国人にすれば、十中八九怒り出し「我々は、そのようなことは望んでなかった。」と言うでしょう。しかし、当たり前のことですが、今の日本人が当時の日本人と考え方が違うように、今の韓国人の考え方と当時の朝鮮系日本人の考え方は違います。日本政府のそのような政策に対して当時の人々の心境は本当のところはどうだったのでしょうか。韓国の朴槿恵大統領(聯合=共同) また、参政権と表裏一体である徴兵制はどのように行われていたでしょうか。徴兵制というと、私が子供のころから繰り返し聞かされてきたのは「朝鮮は力ずくで日本の植民地にされ、徴兵で兵隊にとられて無理やり戦争に行かされた」というような類の話ですが、はたして本当に朝鮮半島の人たちは命ぜられるまま己の欲せざる戦争に行くような主体性のない人間ばかりだったのでしょうか。 自称「他国を侵略したことのない平和国家」の朝鮮半島には地位や名誉を失い投獄されても徴兵を拒否した、カシアス・クレイのような人は1人もいなかったのでしょうか。その答えが、当時の人々の心境を推し量るヒントになると思いますので、まずは日本の軍隊と徴兵制度について簡単に振り返って見ます。 いつ日本に近代的な軍隊ができたのかと言うことについては諸説色々とありますが、戊辰の役が始まりだとすると、その時、実際に幕府側と戦ったのは各藩の藩兵で、実態は諸藩連合軍でした。また、政府直属であった御親兵も実態は長州藩の諸隊の一部と浪人の集まりでしかなく、明治政府設立当初は名実ともに国軍と呼べるものがありませんでした。 当時のアジアは欧米列強の草刈り場と化しており、日本にも何時侵略の手が伸びてくるかわからない状況であるだけではなく、国内的にも各藩がそれぞれ兵を持っているため全国的に治安が安定しているとは言えず、一刻も早く国軍の創設が望まれる状況でした。当時の政府首脳の大半は元々武士であり、しかも薩英戦争や馬関戦争で欧米列強の実力を、身を持って体験した薩摩藩や長州藩出身が多かったので、この状況に危機感を抱き国軍創設のため国民皆兵制度を実施すべく努力していましたが、それにより自らの特権を失う士族の反対が強く難航しました。 紆余曲折を経て日本政府は1872年にようやく徴兵規則を制定し各府藩県に対して1万石につき5人の兵士を拠出するよう求めることができるようになり、これに応えて一部の府藩県から出身階級に関係なく数十名の若者が兵部省に入りましたが、それだけで戦力となりうるには程遠い人数でした。「徴兵制」を始めると何がどれほど必要になるのか そこで翌年、日本政府は戊辰の役の主力であった薩長土から約6000名の献兵を受け、東北と九州に鎮台を設置し各藩の士族兵を解散させたうえで志願者を募り、兵部省に陸軍部と海軍部を発足させて何とか国軍としての体を整えましたが、その時点ではそれが精一杯で本格的な徴兵開始は1873年の徴兵令の発布を待たねばなりませんでした。何とか1873年に始まった徴兵制度も開始当初は、予算などの関係上、召集する人間を抽選で選ぶうえ、「一家の当主」「跡継ぎ」「養子」「役人」などは対象外とされていたため国民皆兵とは言い難い実態でした。 それは、今まで軍事を独占していた士族だけではなく、自分たちが戦の主役になることなど考えたこともなかった百姓や町人出身の人たちの反対が根強かっただけではなく、何しろ徴兵というのは候補者名簿の作成、入所前に行う身体検査、入所に際しての事務的な手続き、入所後の生活費、訓練費用や給与などなど多大な費用と手間がかかるため、当時の日本の国力では一気に制度を整えるのが難しかったからです。 どうも昨年の安保法審議の時に反対派の人間が「徴兵制は戦争を始めるための準備」「実施すれば戦争が始まる」と人々の恐怖心を煽り、「法案が可決すれば、すぐにでも徴兵制が始まる」と、荒唐無稽な理屈を並べ立てていたにもかかわらず、一時的とはいえ少なくない人間が、その出鱈目を信じていたのを見ると、今の日本人の多くは「徴兵制」と聞いただけで条件反射的に反発し、正しく中身を理解していないように思われます。そこで、具体的に今、徴兵制を始めるとなると何がどれくらい必要なるのかを簡単に試算してみます。5野党と安保法制反対諸団体との意見交換会で挨拶する枝野幸男氏(中央)=3月9日 この間の参議院選挙で新たに選挙権を得た18歳と19歳の合計人数が240万人と発表されていましたから、単純計算で一学年の男子は60万人ですが、この人たちの名簿を作り身体検査の案内を発送して、医師等の人材や設備を整えて全員に検査を受けさせるだけでも一苦労です。そのうち8~9割の50万人が検査に合格し20歳から29歳の10年の間に2年間の入隊義務が生じ、彼らが毎年均等に入所すると仮定すれば毎年5万人が入所し、2年任期とすれば自衛隊は常時10万人の徴兵隊員を抱え込むことになります。 現在の自衛官の定員が24万7千人(実際の隊員数は22万7千人)ですから、いかに多い人数であるかということがわかるかと思います。そして彼らのために宿泊や教育訓練のための施設等を新設または増設する必要があり、更に増加した徴兵隊員に関する事務、教育訓練、賄等の支援に携わる人間も増員しなければなりません。公務員は法律や規則がなければ動けませんから、それを作る作業も必要です。 費用の方も徴兵隊員1人当たりの給与(ボーナスを含む)、食費や光熱費等の生活費、福利厚生費、消耗品代などの費用を1日1万円、その他、被覆や訓練教育資材等が年間15万円(計算しやすいように)かかると仮定すれば1人頭1年間で380万円、10万人だと3800億円になります。徴兵制に伴う人員増加を1万人(徴兵隊員10人に1人)、彼らの年間給与を平均600万円、年金保険退職金や福利厚生費、装備品等にかかる経費が年収と同額とすると1人頭年間1200万円、総額で年間1200億円となり、徴兵制に伴う費用の増加は合計で年間5000億円程度となります。(かなり大雑把な計算なので一応の目安として考えてください)現在の防衛予算が年間約5兆円ですから、その数字がいかに大きいかということがわかるかと思います。 徴兵制と聞くと、誰彼構わず出来るだけ多くの人間を集めるというイメージをお持ちの方が多いとは思いますが、人数を集めれば集めるほど前述のように手間や費用が掛かるため平時においては優秀な人間から順番に入所させる方向で行っていたのが実態です。そして忘れてはならないのが徴兵には戸籍と教育が不可欠であるということです。徴兵制の適用なしに不満を抱く朝鮮系日本人 このため開拓に若い労力が必要であったという事情もあったのでしょうが、本土で1873年に発布された徴兵令も、北海道と小笠原諸島はその14年後の1887年、沖縄は更に遅れること11年の1898年になるまで施行されませんでした。そうやって制度的にも地域的にも少しずつ日本全土に徴兵制が定着していった過程に鑑みれば日韓が併合したからといって朝鮮半島で簡単に徴兵制が実施されるはずもなく、徴兵制は長い間朝鮮系日本人に適用されませんでした。また、当初は一般兵士の募集も行われていませんでしたから、当時の朝鮮系日本人が軍人になる道は陸軍士官学校に入校するしかありませんでした。 今の韓国人男性に徴兵制の是非を問えば十中八九「兵役を課せられないのは良いことだ」と答えるでしょうが、当時の朝鮮系日本人たちは「同じ日本人である自分たちだけが徴兵されないのはおかしい」と、自分たちに徴兵制が適用されないことを不満に思い、併合から23年たった1933年には、朝鮮半島出身者に対しても徴兵制を適用するよう帝国議会に請願書が出されるほどでした。しかし日本政府としては、もしかすれば自分たちに反旗を翻すかもしれない何万の若者に軍事訓練を施して武器を与えることに慎重になったのか、兵員が充足していたからなのか「時期尚早」と、彼らの願いは退けられました。 しかし、そんな彼らの願いに応えようとしたのか、支那事変が勃発したからなのか、翌1938年度から徴兵制ではなく陸軍特別志願兵制度が実施され朝鮮系日本人にも一般軍人(高級将校や憲兵補助員などの軍属になる方法は以前からあった)になる道が開かれました。徴兵制は6年後の1944年9月に朝鮮系日本人にも適用されることが決まりましたが、実際の入所が翌年の1月からだったので、全員が訓練期間を終えることなく終戦を迎え、朝鮮系日本人の徴兵兵士は1人も戦地に出征しておりません。 つまり、戦地に赴いたのは志願兵だけだったということで、無理やり戦地に行かされたという心の中の話はともかく、少なくとも「徴兵された」という話は、まったくの出鱈目ということになります。そして、徴兵制開始3ヶ月後の1945年4月に衆議院選挙法が改正され朝鮮半島に選挙区が割り当てられたことは、国家が国民に対して義務だけを課すのではなく、国民が国家に権利だけを求めるのではない、国家と国民の正常な関係の表れで、徴兵制と参政権の両者とも終戦により日の目を見ませんでしたが当時の日本政府の本気度合いを読み取ることができます。  では、実際に戦地で戦った志願兵の実態がどうであったのか、各年度の志願者数と入所者数を見てみます。年 度     志願者数   入所数   倍 率1938年度   2,946     406    7.31939年度  12,348     613   20.11940年度  84,443   3,060   27.51941年度 144,743   3,208   45.11942年度 254,273   4,077   62.31943年度 303,394  約6,000   50.5 初年度こそ倍率は約7倍でしたが年を重ねるにつれ志願者数と倍率はうなぎのぼりに上がっています。志願した理由は様々で、己の立身出世のため、朝鮮民族の地位向上や独立のため、食べるため等々、中には武装蜂起のために入所した人間もいたかもしれません。しかし、約30万人の若者が入隊を希望したにも関わらず、そのほとんどの人間の希望が叶わなかった事を表す、この数字を見れば「無理やり兵隊にされた」という話の真偽がわかるのではないでしょうか。大東亜戦争を共に戦った韓国人に敬意を しかもこの数字は戦争中のもの(入隊=戦場へ行く)であるという点も見逃せません。昨年、徴兵制が始まると風説を流布していた人たちの論法では「集団的自衛権を容認すれば戦争が起こり、入隊希望者が減るから徴兵制が始まる」という幼稚なものでしたが、実際に戦火が激しくなればなるほど志願者が増えています。このことは当時の人たちが、今「戦争反対」と叫んでいる人たちとは、戦争や平和に対して異なる考え方をもっていたということで、彼らが当時の人たちの心境を代弁しても説得力はありません。 こういうことを言えば、当時の人たちは「皇民化教育で洗脳されていた」「騙された被害者だ」などと言って反論する人がいますが、はたして昔の朝鮮民族全員が何年間も騙され続けた愚鈍な人間だったのでしょうか。中には、そういう人もいたかもしれませんが、国力がないばかりに他国に併合され、苦しい生活の中で懸命に生きていた人たちを、今の時代に生きる自分たちの都合のために馬鹿にするのはいかがなものでしょうか。 30万人もの多くの若者が祖国のため死地に赴くに等しい入隊を希望したという事実は消し去ることはできません。人それぞれの意見はあるでしょうが、彼らの中には特別攻撃隊に志願した人もいる訳で、彼らは国が変わっても己にできることを出来る限りやろうと、自らの意志で日本人として西欧諸国の植民地支配に対抗すべくアジア諸国解放のために大東亜戦争を戦った誇りある立派な軍人だったのだと私は思います。八重桜を振って特攻機を見送るなでしこ隊の女学生たち =昭和20年4月12日、旧陸軍知覧基地 そして、そのような彼らに応えるべく日本政府は彼らに参政権を与えて将来的には完全に同じ国になることを目指し、朝鮮民族の中にも日本人になりきろうと努力していた人も少なからずいたはずです。そんな彼らは大韓民国設立後、長年にわたり軍隊で主要な地位を占め、朝鮮戦争においても勇敢に戦い祖国を守りぬきました。そんな祖国の恩人たちを、自分たちの主張を正当化するために「日本に騙された愚か者」「祖国を裏切った親日派」などと売国奴扱いをするのはどうかしているとしか言いようがありません。 同様に、大東亜戦争を日本人として一緒に戦ったにもかかわらず、日本に対して「戦犯国」と恥ずかしげもなく言い、先人たちが命を懸けて戦った象徴である旭日旗の真の意味を知らずに「戦犯旗」とわめき散らすのは、天に向かって唾を吐くようなもので自分たちの先祖を愚弄しているのと同じです。とは言うものの日本人の中にも彼らが日本のためアジアのために戦ったということを知らない人が多いのが実情です。 日韓両国の国民はともに「歴史を直視」して、日本人はかつて同胞として大東亜戦争を共に戦った韓国人に敬意を払い、韓国人は欧米諸国の植民地支配と戦った自分たちの先祖に誇りを持ってもらいたいものです。

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    韓国人が言い逃れ続ける「慰安婦」の嘘

     前回の「韓国人が目を背ける「強制連行」と「強制労働」の真実」に、引き続き日韓双方の主張が大きく異なる主な出来事のうち、今回は「慰安婦」の問題を取り上げます。 この問題を語るにあたり最初に確認しておかなければならないのは、日本軍が朝鮮の若い女性を従軍慰安婦という名の性奴隷として集め、虐げていたという話は事実ではないということです。そう言うと「慰安婦は一人もいなかったと言うのか」などと咬みついてくる人がいますが、そういう人たちは自分たちに都合の良いように話を、すり替えているにすぎません。 要は当時、慰安婦と呼ばれた兵士相手に春を鬻(ひさ)ぐ女性がいたことは事実ですが、日本という国が若い女性を拉致監禁し奴隷のように拷問や強姦した事実はないということです。このようなロジックは「虐殺はなかった」と言うと「戦争なのに人が死なない訳がない」と、微妙に言葉を変えて意図的に誤解させようとする悪質なもので、メディアで繰り返し聞かされると予備知識のない人たちはすぐに騙されてしまいます。ソウル日本大使館前の少女像(中央)の周辺で開かれた「水曜集会」=6月1日(共同) そもそも「従軍」というのは読んで字のごとく軍に従う人たちのことで、軍隊と戦場を共にした記者や看護婦を「従軍記者」「従軍看護婦」と呼びますが、軍隊相手に戦場から遠く離れた場所で商売している人たちに使われる言葉ではありません。「従軍慰安婦」というのは、事実に反して軍との関連性を強調するために戦後に創られた言葉で、その言葉を使うこと自体が虚偽だと言っても過言ではありません。 彼らは、この「従軍慰安婦」に限らず、状況に応じ巧みに言葉を変えて自己の立場を正当化しようとします。例えば強制連行の嘘がばれるといつの間にか「強制売春」、元慰安婦の年齢が若すぎて辻褄が合わないと指摘されると慰安婦像から「少女像」に、慰安婦ではインパクトが弱いと考え「性奴隷」というふうに、自分たちにとって都合の良い言葉に言い換え嘘を取り繕っています。 しかし本当は、慰安婦という言葉には別の意味で、ある思いが込められているのではないかと私は思っています。本来、彼女たちは「売春婦」と呼ばれてしかるべき存在でしたが、若い兵士にとっては初めての女性だった人もいたかもしれません。戦場に散った兵士の最後の夜の相手となった人もいたでしょう。そのように彼女たちは兵士の心の支えとなる形で、ある意味、銃を持たなくとも日本のために戦っていたのです。そのような女性たちに対して「売春婦」と呼ぶことに抵抗があったが故に、先人は「慰安婦」なる言葉を生み出したのでしょうが、残念ながらそのような感覚は日本人以外には理解できません。そこを日本に敵意を持つ人間たちが利用して「慰安婦」というのは、ただの売春婦ではなく奴隷のような扱いを受けた女性たちの呼び名であるかのように宣伝した結果、日本のことを良く知らない人たちが「慰安婦」という言葉に対して誤った負のイメージを持ようになったのです。「世界中に約10万人いる」韓国人売春婦を救うのが先だ 彼らは慰安婦たちに、ある程度の自由があり、彼女たちが多額の金銭を受領していたことを知りません。この慰安婦=「sex slave」という誤解は長い間、日本政府が放置してきた結果、看過できないほど世界に広まり日本のイメージを損なっています。斯くなる上は日本のために戦っていただいた方々に対して甚だ遺憾ではありますが、取り返しのつかない事態になる前に今後、我が国が対外発信する際においては、持って回ったような言い方で誤解され易い「comfort women」という表現を使用することをやめ、彼女たちの実態を端的に表現する「prostitute」に改めることも検討していかなければなりません。 とにもかくにも彼らは御都合主義で、慰安婦問題に限らず前回話した強制連行や強制労働に関しても、最初は奴隷狩りのように集められ強制的に連れて行かれて働かされたという主張をしていましたが、それが通用しないと見るや「民間業者や末端官憲が詐欺まがいの行為で連れて行った」と言うようになり、最近は、その証拠もないとわかると、「たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果である」などと言い出す始末です。そんなことを言い出せば、家のローンを抱えて事実上、職業選択の自由がないサラリーマンが、行きたくない会社に行くのも国家による強制労働になってしまいます。 仮に彼らの主張通りに売春行為を行っていた女性の人権を守れというのであれば、はるか昔の真偽不明の話よりも、今、夜の街で春を鬻ぐ女性たちを、その環境から救い出すことこそ喫緊の課題ではないでしょうか。ところが彼らは、韓国の国会議員が世界中に約10万人、そのうち日本には5万人いると国会で明言した韓国人売春婦を無視し、多額の費用を費やしてジュネーブまで出かけ「慰安婦の問題は女性の人権問題だ」などと、70年以上前の存在自体に疑問が呈されている問題を虚実取り混ぜながら国連人権理事会などに訴え、ただでさえ多忙な国連職員の業務を増やし、その結果として中東やアフリカで本物の性奴隷として囚われている切に救済が必要な人たちを見殺しにしているのです。 百歩譲って、もし何らかの理由により、それらの問題を差し置いて慰安婦問題にかかわらなければならないのだとしても、どうして一番数の多かった日本人慰安婦を無視するのでしょうか、朝鮮人という人種にこだわるのだとすれば、どうして韓国国内で韓国兵やアメリカ兵を相手にしていた慰安婦を無視するのでしょうか。それは、彼らが人権とは違う何か別の目的で運動を行っているからではないでしょうか。そもそも年老いた女性に思い出したくない過去を衆目の前で語らせて晒し者にした挙句、彼女たちを公衆の場において平気で「奴隷」と呼ぶ人たちが彼女たちのことを本気で考えているとは思えません。二十万人の婦女子連れ去りを誰も知らないなんてありえない ただ、私は何も証拠がないからと言って、己の意に反して体を売らなければいけなかった女性や現代の生活と比べれば奴隷のような生活を送った人が、全くいなかったなどとは思っておりません。現代日本でも借金苦のために風俗店で働く人もいれば、少女をさらって監禁する人間もいるわけで、そのことをもって今の日本が犯罪国家だと言う人はいないでしょう。 問題は、国家として日本が、そのような行為を行ったのかということで、それは証拠がない以上は認めることはできません。それにクマラスワミ報告書(インターネットで探せば出てきますので、是非読んでみてください)に書かれているような、口に出すのもはばかれるような残忍な拷問や殺害の方法は、私の知る限りでは日本の歴史上、元寇のときに元と高麗の連合軍が対馬の住民に対して行った以外に記録はありません。私には、そのような日本人が、先の大戦の時だけ無抵抗の婦女子に対して鬼畜のような行為を行ったとはとても信じられません。むしろそのような証言は、彼らが終戦後、日本人に対して行った残虐行為の裏返しではないかと思われます。私は、日本軍兵士にとっての慰安婦というのは一緒になって欧米列強と戦った戦友のようなものであったと思っており、その点では感謝しています。ですから、なおのこと彼女たちを己の欲望のために利用する人間たちを許し難く思うのです。 では、なぜ性奴隷が事実ではないと言えるのかというと、それは「証拠がない」の一言に尽きます。一昨年に日本政府が行った、河野談話作成過程等に関する検討過程において、当時、事務方のトップであった元官房副長官が、日本の強制連行を裏付けるため関係省庁に調査を要請したところ何も出てこなかったので、アメリカの図書館まで探したが「それでも何一つ資料が見つからなかった。」と国会で証言しており、韓国側もソウル大学の名誉教授が3年の歳月を費やして韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査をおこなった結果「客観的資料は一つも見つからなかった」と発言しています(その後、同教授は韓国国内で厳しく糾弾されたためか発言を微妙に変えています)。2014年2月、衆院予算委員会で答弁する石原信雄元官房副長官(左、酒巻俊介撮影) このように日韓を代表するような官僚や学者が多大な労力を費やして証拠を探したにもかかわらず何一つ出てこなかった以上、客観的な証拠は何もなかったと結論付ける他ありません。それでもいまだに日韓基本条約締結時には慰安婦の存在が明らかでなかったなどと言う人がいますが、二十万人もの婦女子が連れ去られた大事件を、その時代を生きていた当時の政府関係者の誰一人知らなかったということがありえるでしょうか。しかも当時の大統領は、元帝国陸軍将校であるというのに。この一点だけでも、この話が後から創られた話であることが分かるかと思います。証拠の提示を求めるのは当然の行為 慰安婦問題で日本を非難する人たちは、自分たちが如何に酷い目にあったのかということを老女に語らせ、「ハルモニ(お婆さん)の言葉が信用できないのか」「彼女たちが証拠だ」などと、老婆を晒し者にして感情に訴えますが、一部の軍人が占領中のインドネシアでオランダ人女性に対して行った蛮行(処罰済み)などの個人的な犯罪以外は、何一つ具体的な証拠を提示さず、肝心なところは「プライバシーの問題だから、答えられない」と逃げを打って誤魔化します。彼らが「軍の関与があった」と提示する資料は、犯罪行為の取り締まりや衛生環境の保持など軍政下では当然行われるべき行為を記録したものでしかなく、現代日本で警察が風営法でいかがわしい店を指導し取り締まっているのと同じことです。我々は確たる証拠もなしに先人が犯罪を行ったと言われて「はいそうですか、すいません」と謝ることなどできる訳もなく、証拠の提示を求めるのは当然の行為です。3月11日、ニューヨークの国連本部で、元慰安婦と会談する潘基文国連事務総長(共同) 例えば、自分の親の死後、突然、隠し子を名乗る人物が現れ財産を要求すれば、ほとんどの人がDNA鑑定を要求するのではないでしょうか。もっと言えば、父親や祖父が死んだ後に、老婆が現れ「私は、あなたの父親(祖父)に性奴隷にされたので、謝罪と賠償を要求する」と言い、近所や自分の勤め先に、そのことを言いふらされたら、どうしますか。おそらくほとんどの人が、その行為をやめさせ、その老婆の証言の信憑性を確かめようと思うはずです。そして、その証言が虚偽だとわかれば詐欺や名誉棄損の罪で訴えるのではないでしょうか。ところが我が国では、何が何でも過去の日本は悪かったと思い込んでいる人たちが、老婆の証言を盲信したのか何か別の理由があるのかわかりませんが謝罪してしまいました。 その結果、欧米諸国からも「日本が罪を認めた」と白い目で見られるようになってしまったのです。つまり、この問題は何らかの意図をもって虚偽の事実を世界に向けて広めようとしている人たちの宣伝活動と、それに対して何も反論してこなかったばかりか自己保身のために謝罪した日本政府により、世界中にあたかも事実であったかのように広まり、事実でないと認識しているのは日本(日本国内にも事実であると信じている人は少なくない)だけで、国際的には非常に不利な状況におかれているということです。そして韓国は、日本が客観的事実に基づいて抗弁しても、それが自分たちに不利なことであれば「妄言だ」と取り付く島もないような態度で話し合いすらできないのが現状です。 だいたい、この問題で日本が守ろうとしている「先人の名誉」を、韓国はこの問題を利用して逆に貶めようとしているのですから二国間で話がまとまる訳がありません。このような場合は直接交渉するのではなく、まずは周りの国の誤解を解いていくことが肝心です。日韓関係が悪化して誰が一番得をするのか 今のところ日韓関係は昨年末の合意を受けて小康状態を保っていますが、慰安婦問題の火種は完全に消えておらず炭火焼の炭が下の方で燻っているようなもので、表面上は燃えていないので一見すると火が消えているかのように見えますが、本当は下の方にある炭は以前より熱を持ち、その炭をひっくり返して下の方から風を送れば一気に燃え上がる状態です。そして、隙あらばその炭をひっくり返して、この問題を再び炎上させようと狙っている人間が日韓両国に少なからずいることをしっかりと認識し、日本政府はそうなった場合に備えることが必要です。 この慰安婦問題を考えるにあたり、この問題は創られたものであることを認識する必要がありますが、そこで考えなければいけないのは、いったい誰が何のために創ったのかということです。誰が創りだしたのかは今更言うまでもないことですが、我々と同じ日本人です。嘘の本を書いたのも、それを真実として報道したのも、その嘘にもっともらしい理屈を並べ立てて権威付けしたのも、年老いた老婆を金で釣って晒し者にしたのも、出鱈目な談話を発表して謝罪したのも皆日本人で、当初、韓国は、その尻馬に乗って大騒ぎしていたにすぎませんでした。ところが、面白いように日本が謝罪するので、調子に乗ってしまい気が付いたら降りられなくなっているのが現状です。 では、いったい彼らは何のために、そのようなことをやったのでしょうか。金のため?売名行為? 偽善的な欲求を満たすため?・・・色々と思いつきますが、結果から推測すれば、やはり最大の目的は日韓関係を悪化させるとともに日本の名誉を棄損するためではないでしょうか。そこで疑問がわいてくるのが、なぜ日本人である彼らが、そのような目的のために多大な労力を費やしているのかということです。 そこで考えなければいけないのは日韓関係が悪化して誰が一番得をするのか、逆に日韓が友好的な関係になれば誰が困るのかという犯行動機ですが、それを素直に考えれば、自然と二つの国の名前が思い浮かんでくるでしょう。日本人は意識していないかもしれませんが、そのうちの一つの国とは現在も戦争中と言っても良いくらい敵対関係にあります。昭和25年に始まった朝鮮戦争、日本は後方基地として補給を支えただけではなく、機雷掃海部隊を戦地に送り、戦死者を出すほどの貢献をしており、北朝鮮から見れば立派な交戦国です。2010年11月、北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃を受け、建物が激しく焼け焦げた そして日本人の大半は、そのことを知らないか、忘れているようですが、朝鮮戦争はまだ終わっておらず、戦争が再開されれば、日本は再び韓国の後方基地となり在日米軍が対北攻撃の主力となることは間違いありません。だから彼らは平気で何百人もの日本人を拉致するだけではなく何百発のミサイルを日本に向けて配備し、沖縄などの反基地運動に水面下で関わるなど、多様な工作活動を日本国内で行っているのです。対する日本も北朝鮮に対して経済制裁という名の攻撃を行っているのですが、大半の日本人にはそのような自覚はありません。しかし、やられている側としては「自分たちが貧しいのは経済制裁を行っている日本のせいだ」と思い、日本に敵対心を抱いていることは想像に難くありません。日本人は経済制裁の意味をを軽く考えている どうも日本人は経済制裁に耐え兼ねて日米開戦に踏み切った経験があるにもかかわらず、経済制裁が持つ意味を軽く考えている節があります。経済制裁というのは一種の戦争行為であり、相手がいつ反撃してきてもおかしくないのですが、日本人全般にその自覚がなさすぎます。しかし、その一方で日本は拉致事件に深く関わっている団体に対して長年税制上の優遇措置を与え、その団体に数多くの卒業生を送り出している学校に公金を補助し続けてきただけではなく、今はつぶれた信用組合の不正融資などを原資とする不正送金や、国立大学教員などによる核やミサイルをはじめとする軍事技術の漏洩を半ば容認するなど、国交がないにもかかわらず、ある意味アメリカ以上に優遇措置を与えてきました。その成果が核やミサイルの実験につながっているにもかかわらず、マスコミをはじめ、その事実を指摘する声は小さく、誰も責任を取っていません。そしてスパイ活動を防止する法令の一つも作らず、拉致問題は何の進展も見られないままいたずらに時が過ぎていくだけで、今も拉致事件にかかわった人間が日本国内で大手を振って堂々と暮らしているのが現状です。国家安全保障会議を終え、北朝鮮に対する独自制裁について話す安倍首相=2月10日午後、首相官邸 我々日本人は北朝鮮に対して不必要に過剰な敵対心を持つ必要はありませんが「何百人もの日本人が拉致されたままであること」「北朝鮮が日本に敵意を抱き日本国内で様々な工作活動を行い、それに多くの日本人が関わっていること」「何百発のミサイルが日本を狙っていること」などの事実をしっかりと認識し、我々は拉致被害者奪還、核やミサイルの開発阻止という目的のために経済制裁という名の戦争行為を今も北朝鮮に対して行っていることを自覚する必要があります。そして、そんな北朝鮮が最も恐れるのが日米韓の軍事同盟です。この三国が、がっちりと手を握れば北朝鮮が単独で軍事的経済的に立ち向かえる可能性はほとんどなくなり、北主導による南北統一は、ほぼ不可能になるのですが、慰安婦問題などによる韓国の反日感情により日本と韓国は秘密情報保護協定すら締結できていないのが現状です。 このように慰安婦の問題は日本に対してダメージを与えているだけではなく、アメリカの東アジアにおける総合的な軍事力の低下を招き、韓国にとっても安全保障上の問題だけではなく日本との経済的なマイナス要因を生じさせるなど、結果として日米韓の弱体化を願う中朝二国の思惑通りの展開になっています。ここで今一度、誰がこの問題を創り広めたのかを検証してみると「自ら奴隷狩りをして慰安婦を集めたという嘘の本を出したのは1947年に日本共産党から地方議会選挙に立候補した人物。それを大々的に取り上げたのが、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業を積極的に宣伝し、一貫して北朝鮮寄りの報道姿勢を貫いている新聞社。元慰安婦を韓国に行って引っ張り出してきたのが朝鮮労働党の友党であった日本社会党の弁護士。韓国において老婆を利用して、この運動の中心的役割を果たしているのは親北団体。」といった感じで、明らかにある一定の傾向が見られます。慰安婦問題、本当の被害者は? そしてこの問題が、いつごろからクローズアップされるようになったのかを見てみると、1970年代から既に慰安婦に関する捏造本は出版されていましたが、現在とは違い日韓ともに今一つ盛り上がりに欠けていました。そんな中、1990年、韓国において韓国挺身隊問題対策協議会が設立され、日本政府に謝罪と賠償を要求し始め、それに呼応する形で日本おいても社会党が国会などで、この問題を取り上げるようになり、徐々にこの問題がマスコミにも取り上げられるようになってきました。そして何と言っても1991年に実在の元慰安婦が名乗り出て、それを朝日新聞が報道したことにより一挙に慰安婦というものの存在が多くの日韓両国民が知るところになったのです。ちなみに韓国挺身隊問題対策協議会という団体は日韓和解のために設立した「女性のためのアジア平和国民基金」に反対し、元慰安婦を脅迫して基金の受け取りを拒否させた反日親北団体で、記憶に新しいところでは韓国の日本国大使館前の公道に無許可で慰安婦像を設置したり、「戦争と女性の人権博物館」という慰安婦に関する嘘の展示を公開する建物を建てたり、一貫して韓国人の反日感情を煽っています。 そんな今から四半世紀前の慰安婦問題が脚光を浴び始めたころといえば1989年に東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊し、次々と東ヨーロッパ諸国の社会主義政権が倒れ、ルーマニアのチャウシェスク大統領が民衆に処刑されるなど、栄華を誇った独裁者たちが没落し、1991年には東側の盟主であったソビエト連邦までが崩壊した時代です。ソウル市街。手前を流れるのは漢江 一方の韓国は漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長の最中で1988年にはオリンピックを成功させるなど国際社会からも認知され全てが上り調子でした。日の出の勢いの敵国を横目で見ながら、盟友であった仲間たちの訃報を聞く、当時の北朝鮮指導部の人たちの心境は、いかばかりであったでしょうか。それに韓国では1987年に軍事独裁政権が終焉し民主化とともに対北強硬路線が緩んできていた時代でもあり、娘を売り飛ばした親や、それを買った業者が他界していなくなった頃でもあります。何の確証もなく、まったくの推論でしかありませんので断定はできませんが、ここまで状況証拠がそろえば慰安婦問題を創った日本人の黒幕は誰なのか、容易に想像できるのではないでしょうか。 真犯人が特定?されたところで、次は本当の被害者は誰なのか、どうすればこの問題が解決できるのかということを考えてみます。確かにこの問題で日本は名誉を傷つけられ、外交問題の足枷となり、アメリカだけではなく日本でも日本人の子供が中韓の子供にいじめられているという話もあり日本国民が看過できないほどの実害を受け、何よりも先人の名誉が傷つけられています。しかし、見方を変えてみれば、今まではともかく、これから真実が明らかになれば嘘つき国家として名誉を失うのは韓国の方ではないでしょうか。おまけに日本に敵対することによって安全保障や経済面で計り知れないマイナス効果を被るのは他ならぬ韓国です。アメリカも今のところは第二次世界大戦で直接戦った相手の日本が悪の帝国でなければ、自分たちの戦争犯罪を正当化できないため韓国の嘘に目をつぶっていますが、中国の脅威が高まり日米韓の協力の方が重要だと思えば簡単に態度を変えるでしょう。実際に昨年の「いわゆる日韓合意」を主導したのはアメリカなのですから。日本は韓国に毅然たる態度で示せ このように冷静に考えれば、韓国にとっての慰安婦問題というのは日本にダメージを与え短期的に国内はまとまる効果はあるのかもしれませんが、ただ単にそれだけのことです。日本にダメージを与えて韓国が何か得することがあるのでしょうか。ただ単に反日教育によって育まれた反日感情を満足させるだけのことで何ら実利があるとは思えません。それどころか、長い目で見れば韓国にとってマイナス効果しかもたらすものはなく何一つ良いことはありません。 ただし、これには日本が韓国に対して卑屈になって何事にも譲歩しない、金銭等の援助を行わないという前提があります。逆に言えば日本がそれさえ守っていれば韓国に打つ手がなくなるのです。そして、そのことに韓国が気付かない限り慰安婦問題が本当に終わることはないでしょう。そのため日本は、その場しのぎの謝罪を繰り返すのではなく「この問題に関して二度と謝罪はしない、金は払わない」という意思を態度で示し、このまま日本を敵に回していると、今までの様に謝罪ではなく反撃を食らうかもしれないと思わせることが大事です。そして時間はかかっても韓国に対して周りの国を通じて慰安婦問題のデメリットを気付かせていくしかありません。 具体的にはまず、この問題の根本的な原因である日本国内の発信源を絶たなければならないので、慰安婦問題の発生から拡散までのプロセスを調査する委員会を国会内に設置し、この問題にかかわってきたマスコミ、弁護士、学者などを招致して徹底的に調べ事実を明確にし、日本人の誤った贖罪意識を払しょくすることから始めます。当然、「強制連行はあった」と世界に向けて発信した元官房長官にも真実を語っていただかなければなりません。そして、元慰安婦の聞き取り調査の内容を含む河野談話作成過程等に関して検討した内容も広く公開すべきです。 その上で日本政府は、20世紀初頭から世界各国で行われてきた「軍隊と性」の問題について検証する委員会を国連に設置することを提案し「当時の日本国家が朝鮮半島において若い娘を20万人さらって強制的に慰安婦にしたという証拠があるのであれば、国家として謝罪(賠償問題は別)する用意があるので証拠を示されたい。」(嘘の証言は当然含まない)と広く世界に訴えます。そしてそれとは別に世界各国が行ってきたことも検証するために日本はベトナム等と協力し1945年以降、日本やベトナム、朝鮮半島などでアメリカ軍や韓国軍などが行った行為を徹底に調査すると宣言すればどうなるでしょうか。日韓最大の問題は竹島だ アメリカ軍はヨーロッパ戦線においてシシリー島のドイツ軍が管理していた慰安婦施設を働いている女性ごと引き継いでいます。日本でも戦後、日本政府に特殊慰安施設協会(RAA)の設立を命じただけではなく、アメリカ軍兵士が日本各地で乱暴狼藉を行ったことや、その後、韓国で慰安所を公然と利用していたという記録も残っています。韓国も自国内で軍の組織として慰安所を運営していたことや、ベトナム戦争の時にベトナム女性に対して行ったことが記録として残っています。 そんな彼らが日本の呼びかけに応じることができるでしょうか。普通に考えれば応じることはないでしょうが、もし応じるのであれば徹底的に真実を追求すれば、非が何れの国にあるのかがはっきりすることでしょう。いずれにしても、そのような過去を暴いて断罪し謝罪を強要することの無意味さを、彼らに理解させなければなりません。この問題は日本政府の一部が考えるように放っておけば沈静化するような性質のものではなく日本自身が積極的に誤解を解いていく必要があります。 最近、中国がアメリカに慰安婦像を建てる運動を資金面でバックアップするなど裏から手を回すだけではなく、この慰安婦問題も南京の話と同様に日本叩きの良い道具になると思ってか世界記憶遺産登録などで表に顔を出し直接韓国の尻を叩くようになってきている状況を考えると、今後も日本は防戦一方の戦い方を続けていれば、じり貧になり厳しい展開が予測されます。日本は、もうそろそろ「日韓基本条約で解決済み」という甘い態度ではなく「事実そのものがなかった」「嘘を吐いて日本人を貶めるな」「国際社会で反日行動をするな」「内政干渉は止めろ」「反日教育を止めろ」と日本人に対する名誉棄損を非難する方向にかじを切るべきではないでしょうか。そして、日韓基本条約の内容や、それ以降の韓国に対する援助の内容を広く両国民に周知徹底させるべきです。レーダー基地が設置された竹島=2015年5月 相手は何しろ反日が国是と言ってもいい国ですから、かなりの困難が予想され、絶望的な気持ちになるかもしれませんが、この道を避けては日韓両国の正常な関係は成り立ちません。しかし、あきらめることはありません。韓国の中国に対する態度を見れば良く分かりますが、彼らは自分より強い国にはどんなに嫌っていても従うのです。日本は強くならねばならないのです。我々はいつまでも、嘘の話に振り回されているわけにはいきません。そもそも、この「慰安婦」の問題が日韓間の最大の問題とされていますが、本当の問題は竹島なのですから。

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    韓国人が目を背ける「強制連行」と「強制労働」の真実

     前回の『韓国人こそ「歴史を直視せよ」と言いたい!』に、引き続き日韓双方の主張が大きく異なる主な出来事のうち今回は「強制連行と強制労働」を取り上げます。高島炭坑の供養塔。韓国の大学生らが「強制連行」の言葉を盛り込んだ案内板設置を求めていた おそらく、多くの日本人は「戦前の日本政府は朝鮮人を日本に強制連行して強制労働に従事させた」「だから日本には在日韓国人が多いのだ」という話を聞いたことがあるかと思います。強制連行や強制労働と聞いて思い浮かべるのは、ある日突然、官憲が自宅に押しかけてきて、有無を言わさず連れていかれた人たちが、暗い洞窟のようなところに集められ、現場監督に鞭を打たれながら重労働を強いられているようなシーンではないでしょうか。 そのようなシーンを頭に思い浮かべ 「なんと昔の日本人はひどいことをしたのだ。」「だとすれば、今は韓国人が多少無茶苦茶しても仕方がない」と思った( 思っている)人は少なくないと思われます。ところが、実際は日本の官憲が組織的にそのような行為を行ったという記録はなく、本当はそれがただの作り話だったとしたら、日本人が抱く韓国や北朝鮮に対する印象が、かなり違ってくるだけではなく、韓国人が日本を憎む理由が一つ減り、相互理解が多少なりとも深まるのではないでしょうか。 逆に言えば、この強制連行や強制労働に対する日韓両国の認識の違いが真の日韓友好の大きな妨げになっていると言えるのですが、そのような重大な問題にもかかわらず、私の知る限り日本政府が強制連行を行ったという証拠は本人の証言しかなく、日韓双方ともに感情論が先行し、確たる証拠もなしに何となく日本が悪いことをしたという結論で纏まっており、数年前までその結論に少しでも異論を挟もうものなら、人種差別の大合唱で袋叩きにあい、議論すら許されなかったため、十分な検証や議論がなされてきたとは言いがたいのが実情です。 記録がないと言うと「日本が都合の悪いものを破棄したからだ」と反論する人がいますが、役所が仕事を指示する際には必ずと言って良いほど、指示するところから実際に仕事をする部署に命令書のような書類が作成され、実際に仕事を行った際には、その部署が日報などの記録を残します。もし本当に彼らが主張するように日本の国家が何百万人の人間を強制的に日本に連れてきたのであれば、連れ出した部署、輸送した部署、受け入れた部署などなど、いたるところに命令書や日報などの膨大な数の書類が作成されたはずで、そのようなものを完璧に処分できるなどとは到底考えられません。そのようなことは第二次世界大戦終了後、ソ連が行った国際法違反の非人道的行為であるシベリア抑留と比較してみれば容易にわかることです。強制連行による労働を主張するため資料を捏造する韓国団体韓国の民間団体が作成し、配布した資料(右)の写真は、大正15年9月9日付「旭川新聞」(左)に掲載されたものと同一。記事は北海道の道路工事現場で働く日本人労働者が、一滴の水も与えられずに酷使された事件を報じたもので、時代も異なり、朝鮮半島出身者とはまったく関係がなかった。 また韓国側にも記録がないことは、昨年、日本が軍艦島をユネスコの世界遺産登録に申請した際、彼らが捏造した資料を世界遺産委員会の委員に配り、組織的に日本の登録を妨害していたことからもわかります。本当にあったことであれば資料を捏造する必要などないわけで、私は韓国側が主張する「強制連行」や「強制労働」は徴用や単なる出稼ぎを奴隷狩りのようなイメージの行為と混同させ日本を非難するための政治的な道具として利用しているだけであると考えています。 それに、徴用といっても命令を受けた人間は徴兵と同じように、原則として拒否する自由はありませんでしたが、終戦のどさくさを除けば労働に対する賃金は支払われ、当時の一般労働者と同じ待遇であったと記録されています(少なくとも奴隷のような待遇ではなかった)。当時の労働条件を今と比べて「酷使していた」という人もいますが、当時の社会常識と国全体が総動員で戦争していることを勘案すれば、良い悪いは別として過酷な生活環境での重労働になるのはやむを得ないことで、朝鮮系に限らず日本人全体が過酷な環境に耐えていたのです。 だいたい、嫌がる人間を無理やり連れて行こうとすれば、連れて行こうとする人間の何倍もの人間が必要になり、戦争中で人手の足りない日本が、そのような人員を朝鮮半島に送ることは物理的に不可能であり、百歩譲って仮に力ずくの強制連行が行われたのであれば、当時朝鮮半島における警察官の半数以上を占めていた朝鮮系日本人が行ったことになります。そして、その際に抵抗や暴動が起きたという記録がないということは、当時、何百万人もいた朝鮮半島の男性が誰一人として抵抗せずに黙って連れていかれたということになる訳で、それでも「強制連行」があったと主張するのは、当時の人たちが一人残らず臆病者の腰抜け揃いであったと言っているのと同じ事で、まったくもって朝鮮民族を侮辱した酷い話です。それに徴用工は、もともと日本人であった人間にも平等に適用されており、別に朝鮮系日本人だけが対象にされたわけではありません。日本へ渡ってきた人間ほとんどを強制連行と言いたいのか 韓国側の主張を聞いていると日本は韓国を併合してから好き放題に内地へ労働者を送り込んで搾取していたかのような印象を受けますが、実際はどうだったのか、当時の様子を振り返ってみると、日韓併合から10年ほどは朝鮮半島から日本に働きに来るのは自由であったため、次第に朝鮮半島出身者が増加し、それに伴う問題に対応を迫られた日本政府は1919年から段階的に朝鮮半島から日本への渡航を制限していきましたが、それにもかかわらず日本での職を求める人間は減るどころか法の網をかいくぐってでも日本へ行きたいという人間による密航事件が多発し、1934年には内閣が密航取り締まり強化を閣議決定するほどで、ここまでは、朝鮮半島から労働者を連れて来る必要がないどころか、反対に流入を制限していました。という話をすると「同じ日本なのに移住の制限があるのはおかしい」とツッコミが入りそうですが、当時の内地と朝鮮半島の経済格差を考えると妥当な措置であったと言えるのではないでしょうか。 しかし状況が変わり始めたのが支那事変勃発から2年たった1939年ころで、労働力不足のため渡航制限が解除され民間業者による募集が行われはじめました。この時に、おそらく朝鮮半島の比較的安い労働力獲得のために様々なことがあったと思われます。何しろ日本は今でもブラック企業なるものが存在するくらいですから、騙された人や搾取された人は少なくなかったと容易に想像できますが、その責任を日本政府に求めるのは筋違いです。 その後、大東亜戦争開戦後の1942年には政府自身が朝鮮半島で民間業者へ労働者の募集斡旋を行うようになり、徴用も1944年9月から実施されるようになりましたが、その7か月後には海路の安全が確保できないため日本への渡航は事実上中止になりました。 このように朝鮮半島から内地への移住は、日韓併合35年のうちの20年間は制限されており、問題の徴用工は実質7か月ほどしか行われていないわけで、これだけ見ても彼らが日本に来た理由が一律でないにもかかわらず、「日本が朝鮮半島から強制連行した」というようなことを言っている人たちの多くは、そのことには触れようとせず、「とにかく日本が無理やり連れてきた」の一点張りで、日本政府が本当に多額の費用を費やして朝鮮半島から内地に労働者を強制的に連れてくる必要があったのかどうかということすら考えようともしません。 彼らは、とにかく戦前に朝鮮半島から日本へ渡ってきた人間のほとんどが強制的に連れてこられたと言いたいのでしょうが、当時から比べると、かなり豊かになった今の韓国から、いまだに日本へ密航してでも来る人や不法就労している人が少なくないのですから、当時の貧しさを考えると真実は推して知るべしでしょう。韓国の主張がおかしいことを証明する外務省の資料 これらのことを裏付けるのが、日本外務省作成発表した、「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」(記事資料 昭和34年7月11日:昭和35年2月外務省発表集第10号より抜粋)という資料です。以下全文(高市早苗総務大臣のHPより転載)1、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。 実情は次のとおりである。1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達していた。 そして、この間に増加した約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。 しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。  元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であつた)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに1939年7月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施された。 かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運航が杜絶したためその導入は事実上困難となつた)までの短期間であつた。2、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。(1)まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。(2)ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に北鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。  北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。 こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。3、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。 そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。【在日朝鮮人の来住特別内訳表】 登録在日朝鮮人数 611,085人 《内訳》 (1) 所在不明のもの 13,898人 (1956年8月1日以降登録未切替) (2) 居住地の明らかなもの 597,187人(100%) ・・・(2)の内訳・・・ (A) 終戦前からの在留者 388,359人(65・0%)    うちわけ (イ)1939年8月以前に来住したもの 107,996人(18・1%)(ロ)1838年9月1日から1945年8月15日までの間に来住したもの 35,016人(5・8%) (ハ)来住時不明のもの 72,036人(12・1%) (ニ)終戦前の日本生れ 173,311人(29・0%) (B) 終戦後の日本生れおよび入国者 208,828人(35・0%)外務省の資料から分かること この資料によってわかることは・終戦直前には、朝鮮半島からの渡航者が約200万人いた・そのうちの半数は1939年に徴用令が施行される前に渡航・それ以外の半数100万人のうち7割は個別渡航と出生による自然増加・残りの30万人の大部分は自由契約にもとづき内地に渡来・国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少数・彼らに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている(終戦時のどさくさを除く)。・国民徴用令は、(朝鮮半島出身者を含む)日本国民全般が対象・日本内地では1939年7月に施行、朝鮮への適用は1944年9月から・1945年3月以後は朝鮮から日本への渡航が困難となった・1945年8月から1946年3月までの間に140万人が朝鮮へ引揚げた・その際、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた・1946年3月の調査の結果、帰還希望者50万人中、実際に帰国したのは約8万人・1947年3月350人が北鮮へ帰国・朝鮮戦争休戦成立後、1958年末までに数千人が韓国へ帰国・資料発表当時、登録されている在日朝鮮人の総数は約61万人・そのうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人・資料発表当時、日本に居住している者は全員が自分の自由意志によって日本に留まった・資料発表当時、日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。・資料発表当時、在日朝鮮人のうち終戦前から日本にいるのは全体の65%(これらの調査には密入国者や不法滞在者は含まれていないものと思われます)。 私が、これを読んで一番注目したのは「したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない」というくだりです。これを素直に読めば、「母国に帰りたくとも帰れなかった」と言っている(言っていた)人たちは、嘘を吐いている(吐いていた)若しくは、当時は犯罪者であったということになります。 私も、お役所の文章は一般の人よりは良く読んだ方だと思いますが、このような人の名誉にかかわるような内容の文章で「1名もない」という断定的な表現はめったにお目にかかりません。あれだけ多くの証拠がありながら小泉訪朝まで拉致問題に関して「疑い」という言葉を使い続けた事と比較すると、余程入念な調査を行ったのだろうということが推察されます。「請求権は消滅するものではなない」法治国家とは思えない判決 そういう前提で、この資料を読むと日本政府が行ったと言われる大規模な強制連行など荒唐無稽の話に思えるでしょう。しかし、そう言うと「だからと言って民間業者や末端官吏が、まったく行っていなかったという証拠にはならない」と反論する人がいますが、そうなると、どこまで日本政府が個人の行った行為に対して謝罪や保証しなければいけないのかという話になり、彼らの言い分が通るのであれば、日本も戦後の混乱期に日本人に対して行われた乱暴狼藉に対して韓国に謝罪と補償を求めなければならなくなります。日韓条約調印式。左から金首席代表、李東元外相、 椎名悦三郎外相、高杉晋一首席代表 =首相官邸大ホール、1965年6月22日 そのようなことがないように日韓基本条約などの条約を結んで過去を清算しているのですが、韓国においては反日の大義の前には条約も霞んでしまうようで、いまだに元徴用工や遺族が日本企業を訴え、記憶に新しいところでは昨年11月ソウルの地方裁判所が日本企業に一人頭一億ウォンの支払いを命じる判決を下しています。ここで確認しておかなければいけないのが、いわゆる強制労働自体に対する謝罪や賠償と未払い賃金との違いです。 前者は、いわゆる強制労働自体が違法であったとするもの、後者は労働に対する対価を求めるもので同じ金銭の要求であっても異なる性格のものです。私は日本政府が前者の要求に対して、謝罪したり賠償したりする必要はないと思いますが、当時日本人として懸命に働いてくれた人たちに感謝するくらいのことはしても良いのではないかと思います。後者については「韓国の国内問題なので日本政府は関与しない」の一言で終わりです。 そもそも条約締結交渉において、あえて面倒な未払い賃金等の個人補償を提案した日本政府に対して「個人への補償は韓国政府が責任をもつ」と、国への一括支払いを要求したのは当時の韓国政府です。日本はその言葉を信じて韓国政府に経済協力金を支払い、条約に「両締約国およびその国民の財産、権利、および利益ならびに両締約国およびその国民の間の請求権に関する問題が(中略)完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」との文言を入れ日本が韓国に残した莫大な財産権を放棄したのです。 つまり、今なお日本政府に賠償を要求している人たちが本来受けとる権利(時効でなくなったという説もある)のある金銭は、その時日本政府から韓国政府に支払われているのです。それなのに2012年になって韓国の最高裁判所は、「条約によって日本に対する個人的な請求権は消滅するものではない」と、とても法治国家とは思えない判決を下し、それに対して韓国政府は「司法の判断だ」と、とぼけています。 おまけに韓国の裁判所は日本相手になら何でもありのようで、日本から盗んだもの(仏像)は返さなくてよいという窃盗を容認するかのような仮処分まで行っています。このような韓国の無茶苦茶な外交姿勢に対して、我が国は一体何をやっているのでしょうか。このような韓国の日本に対する無礼な態度と日本政府の無気力な対応が、日本国民をして嫌韓にはしらせ、結果として両国の国益を損ねているのです。3月31日、会談前に握手を交わす朴槿恵韓国大統領(右)と安倍首相 =ワシントン(内閣広報室提供・共同) 日韓両政府とも「これは韓国司法の問題だ」と責任逃れをしていますが、韓国の司法は日本に比べると世論や権力者の意向に迎合する傾向が強く、韓国国内の反日世論に押されての判決であることは明白です。そして、ここまで韓国の反日世論を手におえないくらい大きくして司法をねじ曲げてしまった責任は2005年まで日韓基本条約の内容を自国民に対して非公開にしながら反日教育を続けてきた韓国政府と、それに歩調を合わせてきた日本政府及びマスメディアにあるのではないでしょうか。この問題を韓国司法の問題だと放置することは日韓関係の基礎である日韓基本条約をないがしろにするということで、それは今まで本当の日韓友好に尽力してきた人たち、特に日本における真の親韓派の人たちの努力を無にするのと同じことです。 今までの日韓関係は、韓国がいくら日本に対して傍若無人な振る舞いをしてきても、日本国内における韓国に好意的な人たちが何とかとりなしてきたからこそ日韓両国は表面的には有効な関係でいられたのです。そんな彼らの堪忍袋の緒が切れ日本が韓国を見捨てるようになってしまえば両国の関係は行きつくところまで行ってしまいかねません。日韓両国政府は真に友好を願うのであれば第三者に調停を乞うなどの方法で早急に解決を図るべきです。 私は、今の韓国の発展を見ると当時の韓国政府が日本からの経済協力を個人補償に回すことなく、公共インフラや重工業の基盤づくりに投資したことは正しかったと思いますが、「もはや韓国経済は日本と肩を並べるようになった」などと言えるようになった、今から10年ほど前に、近代法における「法の不遡及」という大原則を無視して「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を作り、百年近く昔の行為を罰している暇があったのであれば、韓国政府は日韓基本条約締結時に行えなかった個人補償を行うべきであったと思います。それに元徴用工の方々も国が豊かになったことにより、自分自身も多少の恩恵を受けたわけですから「自分たちが個人補償を受けなかったから、今日の大韓民国の発展があるのだ」くらいの誇りを持ってもらいたいものです。 話は当時の強制連行に戻りますが、やっていないことを証明するのは「悪魔の証明」とも言われるくらい難しいもので、我が国に限らず、近代法治国家と言われる大半の国においては、被疑者が犯罪を行ったことは国家が証明しなければなりません。つまり「お前は悪いことをしたのだ」と相手に言う以上は、言った人間が責任をもって証明しなければならないということで、それが逆になると、気に入らない相手を容易に訴えることが可能になり、ある日突然身に覚えのない名誉棄損で訴えられるというような事になりかねません。訴えられた方は、自分がその人間の名誉を棄損していないことを証明しなければいけないわけですから、多大な負担を強いられるだけではなく、証明できなければ刑罰を受けなければならないという理不尽な話がまかり通ってしまいます。普通で考えればありえない話なのですが、そのような理不尽な話がまかり通ってきたのが戦後の日韓関係なのです。何度も戻るチャンスがあったのに  百歩譲って、仮に自らの意思ではなく民間業者や末端官吏が強制的に朝鮮半島から連れてきていたのだとしても、この資料を読む限りは何度も戻るチャンスがあったわけで、そのことを棚に上げて哀れな被害者を演じ続けることは自らを貶めることに他なりません。彼らには哀れな被害者ではなく他国で立身出世した人間として「自分たちは、己の意思で力の限り異国で頑張ったのだ」と誇りをもっていただきたいものです。日本政府も、昔、朝鮮半島から日本に来た人たちに対して日本に責任があるから特別な永住許可を与えているというふうに誤解されないよう、それ以外の国からの出身者との間に差をつけるのは、そろそろ止めるべきではないでしょうか。 ちなみに韓国は自称先進国であるにもかかわらず非常に移民希望者の多い国です。韓国紙の世界日報によれば、今年1月に民間業者が成人男女約1600人を対象に「移民希望のアンケートを取ったところ約8割が「可能であるならば行きたい」と答えているそうで、実際、平成26年に韓国国籍を放棄した人(移民の数ではない)は約1万8000人、海外への移住者総数は2012年時点で約700万人(永住者約440万人)です。 これに対して日本は同じ年の国籍離脱者数は約1500人、同じく海外移住者総数は120万人(永住者約40万人)で、韓国(約5000万人)と日本(約1億3000万人)の人口比を勘案すれば、いかに韓国人が自国から他国に移住しているのかということが良くわかるかと思います。つまり、このような問題を考えるにあたり、彼らが他国に移り住むという感覚が我々日本人と違うことを割り引いて考えなければいけないということで、韓国人の海外移住者が多いのは様々な理由があり何が原因かは断定できませんが、一つはっきりしているのは自分たちの意思で移住したということです。 日本人は強制連行の加害者だと言われますが、むしろ第二次世界大戦に関連して起こった強制連行の被害者は、我々日本人で朝鮮半島のケースとは違い、はっきりとした証拠が山ほど残っています。1941年の開戦以降にアメリカやイギリスをはじめとする連合国が、何の罪もない日系移民を強制的に収容所に入れて終戦まで隔離したのを皮切りに、終戦間際のどさくさに日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連が、日本の降伏後も戦闘行為を続けただけではなく、おとなしく武装解除した兵士や一般人70万~200万人を、国際法に違反してシベリアをはじめとする自国領に強制的に連れ去り、劣悪な居住環境のもとで過酷な労働を強い、そのうちの何十万が帰らぬ人となりました。支那大陸においても、逃げ遅れた女子供を含む日本人居留民が中国共産党軍に強制的に連れ去られ国共内戦のために働かされました。ちなみに、今なお中国や北朝鮮では、政府機関による強制連行が日常的に行われ、北朝鮮には切に帰国を願う何百人もの同胞が現在も拉致されたままです。 残念ながら今の国際社会は、真実とは違い力関係によって加害者と被害者が決まってしまうのが現状です。だからこそ我々は真実を発信していかなければならないのです。

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    韓国人こそ「歴史を直視せよ」と言いたい!

     前回「韓国が日本を見下す理由」で述べたように、日本は朝鮮との併合までに日清日露の戦争をはじめ過酷な道のりを歩んできたのですが、その道のりに対する解釈の違いが現在の慰安婦問題をはじめとする日韓両国が争いのもとになっています。両国の主張は以下の通り日本側日本は極東アジアに迫りくる西欧列強による侵略の魔の手に対抗するため、近代国家へと変貌を遂げ、隣国の朝鮮とともに対抗すべく努力したが、朝鮮は華夷秩序の序列にこだわり日本との話し合いすら拒み、自国内での権力争いに没頭していたため近代化に遅れ、自力で当時の激烈な国際社会の荒波を乗り越えられず、やむなく日本との併合という道を選ばざるを得なかった。韓国側朝鮮に先んじて近代化に成功した悪の帝国日本が、世界征服の手始めとして平和に暮らしていた朝鮮の豊かな富を奪うため武力により侵略し植民地にした。それまで多くの文化文明を教えてやったのに恩を仇で返された。 というふうに両国は全く違う解釈をしています。なぜ、そうなるのかというと両国の歴史に対する考え方が根本的に違うからです。11月2日にソウルで行われた日韓首脳会談=韓国・ソウルの青瓦台 日本では様々な資料に基づき歴史の事実を認定しますが、韓国では最初から自国に都合の良い結論があり、それに合わせて資料を集めるなどして筋書を作るため、同じ事象でも全く違った話になるのです。特に日本に関することは、長年の反日教育により韓国=善、日本=悪という絶対的な方程式が創られ、それは変えることのできない大前提となっているため、かなり強引な解釈を重ねた無茶なストーリーに出来上がっています。 彼らは、ことあるごとに日本に対して「歴史を直視せよ」と言いますが、それは、日本の善行を無視して虚実とりまぜ韓国に都合の良いように作られた話を認めて日本が一方的な悪役になれということです。普通に考えれば、そのような話を認めることなどできるはずがないので、日本から歩み寄る余地はありません(歩み寄りたい人が永田町や霞が関に少なからず存在していますが)。逆に、彼らも極端な反日教育によって作られた世論に逆らって日本を擁護しようものなら社会的に抹殺されてしまうため、例え自分たちが間違っていたことに気が付いたとしても日本の行為が正しかったとは公式的に認めることなどできません。 特に慰安婦に関しては神聖視されており、彼女たちの証言に少しでも疑義を挟めば「帝国の慰安婦」を執筆した世宗大学の朴裕河教授のように訴えられて、裁判所に給料を差し押さえられてしまいかねません。そのような社会で本当のことを言えるはずもなく、いくら両国で日韓の歴史を共同研究したとしても現段階で両者の溝が埋まることは考えられず、日本としてはありもしなかったことを認めて謝罪などせずに、淡々と事実を主張し、決して彼らに迎合することなく何百年かかろうとも彼らが反日教育を止めて事実に向き合える社会になるのを待つしか方法がありません。 そのためには、彼らが作り出した偽りの物語に惑わされないよう、正しい歴史を知る必要がありますが、残念ながら我が国の公教育の場では、日本の立場に立った本当の歴史を教えてはくれません。そこで、その一助になるべく日韓双方の主張が大きく異なる主な出来事を取り上げてみようと思いますが、その前に当時の朝鮮人が日韓併合を、どのように受け止めていたのかということを整理してみたいと思います。なぜ血を流すことなく併合できたのか いかなる社会体制の変革であっても、万人が喜んで受け入れることなどありません。特に社会システムが急激に大きく変わる場合はなおさらで、日本でも明治維新に不満を持った士族が各地で反乱を起こしています。 まして日韓併合というのは、いくら自らが望んだこととはいえ他国の人間、しかも自分たちが一段下に見ていた日本人に事実上支配されるのですから不満を抱く人がいるのは当然なのですが、だからと言って全国民が反対していたというのは針小棒大な話で、本当に全国民が反対していたのであれば、あのように血を流すことなく併合することなどできなかったはずです。 今の感覚で考えると、国がなくなることに賛成する人間などいないと思いたくなる気持ちもわかりますが、そもそも当時の朝鮮は日清戦争が終わるまでは清の従属国で独立国ではなく、その後も権力者たちが己の権力の保持のために日清露の間を渡り歩きながら国益そっちのけで争い、国王自らがロシア公使館に逃げ込み一年間も引きこもり生活を続けながらロシアに権益を切り売りするなど、とても自力で独立を保てなかったことに鑑みれば、とても現代の常識が通用する世界ではなかったと考えるべきでしょう。 それに当時の朝鮮は厳しい身分制度により明確に階層が分かれており、一旦その身分に生まれたからは原則として死ぬまでそこから抜け出すことはできず、その制度によって分けられた人たち同士は結婚もできなかったくらい住む世界が全く違っていたため、現代の国民国家のような一体感や愛国心を持つことは難しく、併合に対する考え方も、それぞれの階層や立場によって違ったと考えるのが妥当です。 当時、全国民の2~4割いたとされる、死ぬまで奴隷としてこき使われる運命にあった未来に何の希望もない奴隷階層の人たちにとっては、国のことよりも自分たちが日々生きるのに精一杯で、朝鮮がどこの国と併合するかなどという問題より、奴隷として扱われている自分たちの待遇が改善されることの方が重要だと考えるのが普通で、日本と併合することにより身分制度が廃止されて自由が得られたことに対して不満を抱く人は、あまりいなかったかと思われます。 これは現代の北朝鮮の人たちの心境を想像してみれば良くわかる話で、金一族をはじめとする労働党や軍の支配階層に属し権力をほしいままにしている人たちは体制維持に懸命で自分たちの地位が脅かされるような形での南との統一には決して賛成しないでしょうが、同じ支配層でも主流から外れた人間は自分たちが権力を握れるのであれば、日々食うや食わずの境遇にある人や収容所に入れられている人たちは自分たちの暮らしが楽になるのであれば、現体制が崩壊しようとも南との統一を望むでしょう。そして統一後、本当に自分たちが権力を握り、暮らしが良くなったとすれば、国がなくなったことに対して不満を述べる可能性は低いと思われます。併合に賛成だった大韓帝国最大の政治団体「一進会」 同じように、当時、支配層をはじめとする奴隷以外の階層に属していても日韓併合により官位や特権を得るなど、何らかの新たな利権を手にする人たちが日韓併合に反対していたとは考えにくい反面、併合によって既得権益を奪われる人たちは、猛烈に反対したことは想像に難くありません。今、日韓両国のマスメディアが当時を振り返るとき、いわゆる独立運動家は大きく取り上げますが、逆に大韓帝国最大の政治団体「一進会」が併合に対して積極的賛成であったことなど、賛成派が少なからずいたことについては、ほとんど語られることがありません。私は何も、多くの国民が諸手を挙げて日韓併合に賛成していたという極端なことを言いたいわけではありません。ソウルの大使館前で開かれた抗議集会=1月27日(名村隆寛撮影) 要は、今の韓国が主張するような「一部の親日派=売国奴以外の大多数の国民は併合に対して猛烈に反対していた。」という話ではなく、併合に反対した人、賛成した人、賛成反対と簡単に割り切れなかった人などなど、様々な立場の人がいたであろうという話です。それを理解せず、真に国を思い日本との併合しか祖国の生きる道はないと断腸の思いで日韓併合を推進した当時の政権担当者を、今なお売国奴扱いしている韓国の現状は見るに忍びないとしか言いようがありません。 そこで本稿では、そのようにさまざまな考え方の人がいたという前提で、出来る限り客観的に過去を検証しようと思いますが、ただし何事にも裏と表があり、同じ事象でもどちら側から見るかによって受け止め方に大きな違いが生じることもある訳で、そのような場合、私は日本の側から見ますので、韓国側から見た受け止め方とは違う場合もあるでしょうが、そこはご理解ください。身分制度1884年に朝鮮国内で発生した農民の反乱に乗じて清が出兵しようとしたことに対抗した日本が日朝修好条規を理由に、朝鮮政府に対して自国の独立の確認と近代国家になるための内政改革を促しました。これを受けた朝鮮政府は身分制度の廃止を含む改革を推し進めるようになり奴隷制度は廃止され、1909年には近代戸籍制度を導入して、それまで姓を名乗ることを許されなかった人たちも姓を名乗ることができるようになりました。土地政策1910年から1919年の間、朝鮮総督府が土地の測量調査を行い、それまであやふやであった土地の所有権を確定しました。原則、地主の申告通り所有権を認め、申告のなかった土地や国有地と認定された土地は国有地として朝鮮総督府が接収しました。そうやって朝鮮総督府が接収した土地は国土面積の1割にも満たないと言われています。文字1443年に世宗大王が開発した訓民正音という文字は、長年、女子供が使う文字として公的に使われていませんでした。1886年、諺文を呼ばれていた、その文字を井上角五郎が初めて漢城周報という新聞で使い普及に努め、後にハングル(偉大なる文字)と呼ばれるようになり、現在、朝鮮半島全域で公用文字として使用されています。分け隔てなく日本人と同じ教育を教育朝鮮時代、知識は支配層が庶民を支配するためのものとして独占されていましたが、教育こそが国家の力の源泉だと考えていた当時の日本政府は朝鮮の国力を養うべく教育を広く一般に開放し、併合前に100校程度だった小学校を最終的には4000を超えるまで増やしました。高等教育についても1924年に大阪、名古屋、台湾に先駆け日本で6番目の帝国大学として京城大学(現在のソウル大学の前身)を設立しました。皇民化政策一言で言えば併合により日本国民となった人々にも、同じ国の同じ国民として分け隔てなく、内地に住む日本人と同じ教育をしたということです。明治維新以前、約400の藩に分かれていた日本が中央集権国家をつくり天皇を元首とした統一国家としての同化教育を行った延長線上にあるもので、中には国旗国歌や教育勅語などを強要されたという人もいますが、同じ国であるからには当然のことであり、教育勅語についてはここで詳しく述べませんが、現代社会の常識に照らし合わせてみても至極まっとうなことが書かれており、日本のみならず世界に通用する内容ですから、読まれていない方は是非一度読んでみてください。創氏改名いまだに日本が朝鮮人の名前を奪ったなどと言う人もいますが、1911年の時点では一部の朝鮮系日本人が日本内地風の姓名を役所に届け出たことを受けて、朝鮮総督府は内地人と紛らわしい姓名の届け出に対する制限を行うよう通達を出すくらい内地出身者と朝鮮系日本人が名前で識別できるようにしていました。 そもそも、現代日本では家の名前である「苗字」と本人固有の「名」の二種類しかないので、「氏」と「姓」が混同されおり、そのため「氏」を新たに創り「名」を改めるという意味が今一つ理解されていないようです。日本における「姓」というのは、本来、天皇から名乗ることを許されたもので、限られた人しか名乗ることを許されていませんでした。しかし時がたつにつれ同じ性の人間が増えてくると個人の識別が難しくなってきたため、自らの住む土地の名前などを姓とは別に家の名前として名乗るようになったのが「氏」というものです。 例をあげると徳川家康の場合、姓は「源」で、氏は「徳川」となります。大雑把に言えば「姓は」血筋を表し「氏」は家の名前を表すものであり、江戸時代までは、このような「苗字」を名乗ることが許されていたのは支配階層である貴族や武士など限られた人たちだけで、人口の大半を占める百姓町人は「苗字」があっても名乗ることを許されていませんでした。しかし、日本政府は明治維新を経て近代国家として国民すべての戸籍を明らかにする必要に駆られたため、全国民に対して「姓」と「氏」を一本化して「苗字」を役所に届け出ることを義務付けました。この時、姓を届け出た人、氏を届け出た人、自分で考えた名前を届け出た人、皆がそれぞれ思い思いの「苗字」を届け出たため、今の日本には「苗字」が10~30万種類あると言われています。(同じ漢字でも読み方の違うものもあるため)朴正煕は「高木正雄」という名前だった 一方の韓国は朝鮮時代から今に至るまで一貫して「姓」を名乗っています。では日本の「氏」に相当するものがないのかといえば、そうではなく「本貫」というものがあります。本貫も、一族発祥の地の地名に由来するものが多く、普段は名乗りませんが(最近まで同姓同本同士は結婚できなかったため、初対面の人同士で確認することはよくある)戸籍に記載されており重要視されています。これを日本に置き換えてみれば徳川家康の子孫も武田信玄の子孫も源氏の血筋を引くすべての人間が「源」と名乗っているようなもので、だから韓国は「苗字」の数が300弱しかないのです(本貫は約4000種類)。朴槿恵大統領 ちなみに朴槿恵大統領の「本貫」は「高霊朴氏」です。それにしても、朝鮮も日本と同様に日韓併合前の1909年に本人申請による戸籍の登録を行っているのに関わらず、なぜこんなにも日本と苗字の数が違うのでしょうか。韓国では、今なお族譜と呼ばれる家系図のようなものが重宝されているくらい家系を重んじる社会であり、韓国人に先祖のことを尋ねるとほとんどの人から「先祖は両班だった。」という答えが返ってくることから推測すると、おそらく近代戸籍制度発足のどさくさに紛れて、姓を持たなかった人たちの多くが両班といわれる貴族の姓や昔からある姓を名乗り、新たに姓を作る人がほとんどいなかったのではないかと思われます。(それ以前に身分を金で買った人も多かったという一面もあります) この日本と朝鮮の似て非なる名前を日本式に統一しようと、1939年、朝鮮に本籍のある日本国民(日韓併合により日本人となった人)に対して、新たに「氏」を創らせ、希望すれば「名」を改めることを許可したのが「創氏改名」で、これにより朝鮮出身の日本人は先祖代々の「姓」に加えて新しく作った「氏」の2つの「苗字」を持つことになったのです。ただし、従来の姓名がなくなったわけではなく、その証拠に日韓併合解消後には、すべての韓国人は元の名前に戻っており、現大統領の父親も、日韓併合時代は「高木正雄」という名前でしたが、昭和20年に「朴正煕」という名前に戻っています。なぜ創氏改名が行われたのか なぜ、当初区別していた内地人と朝鮮系日本人の名前を同じようにする創氏改名が行われたのかと言いますと、朝鮮式の名前だと中国人に馬鹿にされたり、何かと都合が悪いので日本式の名前を名乗りたいという朝鮮系日本人の要望に応えたからです。実際に当時の内務官僚で後に自民党国会議員になった奥野誠亮代議士が「朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。私が内務官僚として判子をついた」と発言しています。 そしてこれは、任意の届け出であったため、届け出なかった場合は、元の「姓」がそのまま「氏」になるだけで特に不利益はなかったと言われており、朝鮮名のまま陸軍中将になった「洪思翊」や衆議院議員の「朴春琴」など、高位の公職に就いた人間は多数いました。 そもそも差別をするのであれば、差別する側とされる側を区分けしなければなりません。最も簡単なのは肌の色による区別であり、これは隠し様がありません。では肌の色が同じ人間同士を差別するときは、どうするのかと言えば、入れ墨を入れる、住む場所を隔離する、など差別する側とされる側に明確な違いを人工的に作り出すのが普通です。名前による区分けも一つの方法で日本や朝鮮でも昔は支配階層以外の人間は姓を名乗ることは許されず、また、その姓により、ある程度は家の格式が分かるような仕組みでした。 当時の日本政府が朝鮮半島出身者を差別しようと思うのであれば、日本名を名乗ることを許さず朝鮮式の名前を使い続けさせて区分けするはずで、それが良いのか悪いのかは別問題として、名前を同じにするのは同じ日本人として扱おうという意思の表れであり、差別を助長するものではないということは少し考えればわかるかと思います。(つづく)

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    平和ボケから目が覚める! 一色正春のニッポン自衛論

     私がiRONNAで執筆している連載の前回の記事『国家の独立と安全を「警察」に委ねる日本の非常識』では、なぜ警察権では国防の任を担えないのかということを説明いたしました。今回は、現行憲法で禁止されているとまで言われている集団的自衛権を中心に自衛権について考えてみたいと思います。衆院平和安全法制特別委員会で可決された安保法案。鴻池祥肇委員長に詰め寄る野党議員ら =9月17日午後、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) しかし、それにしても先日の安保法制にかかる馬鹿騒ぎを見て、いまだに「安全や平和はタダで手に入る」と思い込み「いかにして国を守るか」ということを現実的な問題として考えられない人が少なくないという、我が国の厳しい現実を改めて実感しました。まあ、政治や国防と無縁の人たちに関しては分からなくもないですが、世論をリードするはずのマスコミや国政を担うべき国会議員のあまりにも無責任な態度には怒りを通り越して呆れかえるほどでした。 特に短い間とはいえ政権与党として国防の任を担った民主党に至っては対案も出さず前向きな議論も行わずに、ひたすら反対するという小学生でもできることしかせず、挙句の果てには国会の外でデモに興じる始末、最後は国会内でプロレスまがいの乱闘騒ぎ。あの光景を見て日本の政治に絶望感を抱いた人は私だけではないでしょう。 彼らの言っていることは、国家の存立が脅かされ、国民の生命などの権利が根底から覆される明白な危険があったとしても、これを排除するための自衛権を制限しなければならないということです。いったい国の存立や国民の生命より大事なものとは何なのでしょうか?  普通に考えれば、国家はそのような事態に陥れば、ありとあらゆる手段を用いて全力で事に取り組むのが当然で、そうあらねばならないのですが、そのような危急存亡の秋においても国家国民を守るための自衛権を制限しなければならないのは何故なのでしょうか。憲法をまもるためですか? いざというとき、彼らは国民に対して「憲法の制約により、あなた方を守れません」とでも言うつもりなのでしょうか。  おそらく彼らの理屈は、集団的自衛権は「必要最小限度の実力行使」の範囲を超えるから憲法違反だということなのでしょうが、本来は自衛権に個別とか集団の区別はなく「最小限」にこだわるのは、敵を利し自国民の不要な犠牲を増やすだけの結果しかもたらしません。もっと言いますと「必要最小限」の実力行使では、まともに国を守れないのです。いったい自衛隊の実力を、どれだけ高く評価しているのでしょうか。恐るべき自己中心的かつアメリカに甘えた考え方 自衛隊は他国を侵略する能力はなく、その能力を制限しながら日本を守ることなどできません。だから日本は日米安全保障条約を結んでいるのです。そもそも昔とは違い、これだけ兵器の発達した現代では一国のみで自衛することは難しく、世界一の軍事大国と言われるアメリカでさえ各国と同盟を結んでおり、集団的自衛権を否定し自国のみで防衛している国などスイスくらいのものでしょう。ではそのスイスのように国民皆兵制度を導入し、各家庭に銃を配るのかと言えば、それは否定する。では憲法を改正して「自衛隊を軍隊にして防衛力を強化しましょう」と言っても反対する。そして日米安保については何も言いません。本来、集団的自衛権を否定するのであれば、日米安保や集団的自衛権の行使を肯定している国連も否定するのが筋なのですが、不思議なことに彼らは、その問題に触れようとはしません。フィリピン・マニラで、日米首脳会談を前に握手を交わす 安倍晋三首相(左)とオバマ米大統領(11月19日) そんな彼らの理屈を整理すれば「日本に危機が迫ったときはアメリカが集団的自衛権を行使して日本を守るべきだが、いくらアメリカが困っている時でも日本は憲法の制約により集団的自衛権を行使してアメリカ人を助けることはできない」ということで、彼らは他国が日本に攻めてきたときは、とりあえず不十分な法整備の自衛隊員が犠牲になり、そのうちにアメリカが助けてくれるとでも思っているのでしょうか。自ら努力することもせずに憲法を順守するだけで国家の防衛が可能であると本気で考えているのであれば、どうかしているとしか言いようがありません。  このような、恐るべき自己中心的かつアメリカに甘えた考え方では、日本国憲法前文の「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という願いは永遠に叶わないどころか、人として軽蔑の対象になることでしょう。  そもそも彼らが、そこまでしてこだわる必要最小限は、どうやって決めるのか、日本政府の見解を見てみましょう  わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があり、毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断されます。憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められます。 しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています。(防衛省H.P.より抜粋) この文言通りに実行するというのは   毎年、国会が仮想敵国の戦力を見積もり、それを必要最小限上回る装備を整える為の予算を配分する。おまけに、相手国の国土を破壊する兵器は持たず、専ら相手からの攻撃を排除する。ということです。   はたして、ろくな諜報機関も持たない日本が、相手国の戦力を正確に把握できるのでしょうか?たとえ、いくら優秀な諜報機関を持っていたとしても、そのようなことは実現不可能な机上の空論であるだけでなく、そのような面倒なことをする意味がありません。ですから、実際のところは防衛予算をGNP(国民総生産)の1%以内に抑制するという「GNP1%枠」というものを1976年に三木内閣が閣議決定し、以降それを歴代内閣が踏襲しています。日本人に憲法を変えさせない工作活動 しかし、これでは防衛予算が世界情勢や他国の脅威などに関係なくGNPの変動にあわせて変化し、景気が悪くなれば防衛予算が減ってしまいます。これは本末転倒な話で、戦争は景気が悪化したときに起るという過去の教訓を無視しています。要するにGNP1%枠というものは、ただ単に「これくらいが、最小限だろう」という程度の、いい加減な自己満足でしかないということです。しかも、必要に応じて予算を決めるのではなく、最初に予算の上限を決めてしまえば、役人の習性として予算を使い切る事を最優先にするため、無駄遣いが増え、本来の目的から逸脱する予算の使い方がなされる可能性が高くなります。  そもそも、自衛力を「必要最小限度」に抑えなければならないのは、なぜでしょうか? 日本人は凶暴な民族だから、必要以上の自衛権を持つと他国を侵略するからでしょうか? いいえ、日本が二度とアメリカに逆らわないようにする為です。だから、アメリカが国際法を無視してまで日本国憲法を押し付けたのです。そして、日本を仮想敵国とする国は、それに便乗して、日本にまともな防衛力を持たせないため、スパイ行為やプロパカンダなど、ありとあらゆる手段で、日本人に憲法を変えさせないような工作活動を行っているのです。日本に敵対する国が、そのような工作活動を行うことは国際社会の常識からしてみれば当然のことなのですが、残念なのは、それに同調する日本人が少なくないことです。  だいたい自国の防衛力を制限するということは、自国及び自国民にとって何のメリットもなく、敵対する国を利するだけです。おまけに日本は世界に向けて「相手国の国土を破壊する兵器は持たない」「相手国には攻め込まない」と宣言しているのですから、日本を狙う国にとっては、こんなありがたいことはありません。彼らにとってみれば日本は常に日本の領域の中で、自分たちの戦力にあわせて対応してくるのですから、その動きは容易に予測可能で自分たちの思い通りに行動できるのです。実際に中国が尖閣諸島に海警(中国の海上保安庁のような組織)の船を派遣して示威行動を起こしても、日本は海上保安庁の巡視船でしか対応しませんから、日本から退去命令を発しても、逆に「ここは中国の領海だから出ていけ」などと言い返される始末で、やりたい放題やられています。 これが普通の国であれば、相手をはるかに上回る性能の船、つまり軍艦や航空機で対応するでしょう。そうなれば、侵入者は尻尾を巻いて退散するしかありません。万が一、武力衝突が発生したとしても、彼らにとっては、いくら負けても自国が戦場になる心配がないため、ノーリスクで日本を攻撃できるのです。たとえ日本対して何をしたとしても、都合が悪くなれば自ら矛を収めた時点で紛争が終わるわけですからこんなに攻めやすい国はないでしょう。他にも竹島強奪や不審船、拉致事件が良い例で、普通の国であれば戦争になってもおかしくない話です。  一般的な話に置き換えても、見るからに強よそうな人と弱そうな人では、後者の方が暴力的な犯罪の被害者になるリスクが高くなるだけではなく、実際に被害に遭った場合でも被害が大きくなることは、ごく普通に考えれば小学生でもわかることです。自国の軍事力が明らかに他国を上回っている場合は、よほどのことがない限り相手から攻められることはありませんが、逆の場合は往々にして侵略行為を誘発することは歴史が証明しています。そのような誤解を与えないためには、経済大国である日本が十分な軍事予算を費やして、経済力に見合った防衛力を備えることこそ国際紛争の防止に資することになるのです。その際には、憲法改正を含む十分な法整備が行われなければいけないことは言うまでもありません。   これは先の大戦が終わってからの中華人民共和国による侵略の歴史です。  中国は核兵器を含む強大な軍事力を持っていたソ連や大国のインドとは大規模な軍事衝突を起こしましたが、全面戦争に至る前に矛を収めています。ベトナムに対しては、海戦はともかく陸戦においては、一旦は攻め入ったものの強烈な反撃を受け撤退しています(一部占領された地域もある)。一方、まともな軍隊を持たなかったウイグルやチベットは、どうなったでしょうか。植民地にされた挙句、今や中共のホロコースト政策により、民族滅亡の危機に陥っています。また、米軍撤退直後に岩礁を奪われたフィリピンやベトナムを見ればアメリカの後ろ盾が抑止力として重要なことも解かります。アメリカの戦争に巻き込まれるという理屈について  また、個別的な自衛権はよくて集団的自衛権はよくないという人たちが、よく口にする「アメリカの戦争に巻き込まれる」という理屈ですが、はたして英独仏豪加などのアメリカの同盟国は、いついかなる時でもアメリカの戦争に参加しているでしょうか? 自国の国益に資する場合だけ参加しているのではありませんか。日本も、これらの国のように是々非々でアメリカと付き合おうと思えば出来るのですが、いかんせん日本は他国に比べて国家の防衛を心の底からアメリカに頼りきっているためアメリカの言いなりになりがちです。 ですから、本来はアメリカの言いなりになりたくないのであれば、まずは自国の防衛を独力で賄うことができるようにするべきなのですが、彼らは「憲法は変えるべきではない」「日本は軍隊を持つべきではない」と言い、日本が自国の防衛を自力で行えるようになることに反対しています。結局のところ彼らは「日本はいつまで経ってもアメリカの言いなりのままでいろ」と言っているのです。確かに、我が国がアメリカの戦争に巻き込まれないことは非常に重要なことですが、そのために日本が、今後もアメリカの従属国のままでいるというのでは本末転倒としか言いようがなく、むしろ日本は国益のために自国の防衛にアメリカを巻き込んでいくことこそ考えるべきでしょう。  日本が真の意味でアメリカから自立し、独自に地域の安全保障に対して責任を持つことは両国のためだけではなく、アジアの平和にとっても必要なことなのです。フィリピンやベトナムなどの南シナ海で中国の脅威にさらされている国々は、一国で中国と対峙するには、あまりにも非力であるため、日本との連携を望んでいます。そんな彼らに対して「日本は憲法があるから他国を助けることができない」と言って見捨てておいてよいのでしょうか。単に道義的な問題だけではなく、フィリピンや台湾など、日本のエネルギー輸送航路の沿岸国が中共の軍門に下れば、日本の安全保障上大問題となります。中国は南シナ海のミスチーフ礁で埋め立て作業を行うなど 海洋進出を強引に進めている=2月(フィリピン政府当局者提供・共同) ただ、闇雲に助け乞われたからといって何が何でも助けろという話ではなく、いつでも助けることができる様な状態にしておくことが大事なのです。中国は、あっという間に南シナ海の岩礁を埋め立ててしまいました。いざという時に法律を作り始めるのでは遅いのです。単純に考えて何をやるにしても選択可能な手段が多い方が良いに決まっています。個別的にしろ、集団的にしても自衛権はあくまで「権利」であり、集団的自衛権の行使を容認すれば、必ず行使しなければいけないというものではありません。 国家が持つ国民を守る権利なのですから法令上、行使が可能な状態にしておき、あとは時の政権が都度、日本の国益を考え的確な判断を下せば良いだけなのです。核保有国は安易に核を使いませんが、憲法にそんなことを記載しません。相手に「もしかしたら核を使ってくるかも」と思わせるだけで十分なのです。 これは通常兵器の場合でも同じことで、そのためには相手に、この国を攻撃すれば何をしてくるかわからないと思わせることが大事なのです。いちいち「この場合は攻撃する」「このケースは攻撃できない」などと自らの手の内をご丁寧に曝すのは、愚の骨頂で百害あって一利なしです。軍事力というものは相手の行動を抑止するだけにとどめ、実際に行使しないのが最良の使い方なのです。そのためには日本の国軍創設は不可欠であり、日本が他国に頼らず自力で防衛可能になることこそが、沖縄の人たちの願う米軍基地の撤退、延いては沖縄問題の解決にも繋がるのです。  とはいえ今の段階で、迫りくる中国の脅威に対抗するには、国民の覚悟もなく法整備もままならない現状の日本一国だけでは甚だ心もとない限りで、やはり現実的な解決策としては、世界最強のアメリカ軍との同盟が必要です。各国の軍事力を数値化する  戦争という大量消費を伴う戦いにおいては、兵力や資金力、資源などの量が多い方が有利であることは説明するまでのことでもないでしょう。つまり一国で戦うより、できるだけ多くの国と連携して戦う方が有利であるということです。逆に言えば、相手にとっては多数の国と同時に戦うより一国ずつ戦えば、多方面作戦を強いられることなく兵力の分散は避けられ各個撃破しやすくなります。つまり、侵略国にとって、攻めようとする相手国が集団的自衛権を行使するか否かは非常に重要な問題なのです。これは日本の法改正に、どこの国が反対しているのかを考えれば良く分かるでしょう。  それにしても相手と戦うとき(実際に実力行使をしなくとも)は、普通に考えれば味方が多い方が有利であることは子供でも分かる理屈で本来は説明不要な話なのですが、頭の固い人にもわかるよう少し整理してみます。 仮に各国の軍事力が以下ように数値化できたとすれば A国(日本の同盟国) 150B国(敵対国)    120 日本         100C国(A国の同盟国)  50D国(B国の同盟国)  50E国(A国の同盟国)  60  B国が日本に攻めてきたとき、確かに日本一国で戦うことができますが、軍事力が20上回るB国の方が勝つ可能性が高く、たとえ日本が勝ったとしても多大な犠牲が出ることは避けられそうもありません。しかしA国と日本が連携して戦えば250対120と、その差は二倍以上になり極めて日本が勝つ確率が高くなるうえ、日本単独で戦う場合より犠牲者の数は少なくて済みそうです。更に、E国やC国も日米側につけば360対120と、その差は三倍になり、普通に考えれば圧倒的な軍事力の差がある場合は、よほどのことがない限り他国に攻め入ったりすることはしませんので、B国は最初から勝てないと思い日本に攻めてこない可能性が高くなります。 逆にD国とB国が手を組み、日本に何があってもA国が助けないと分かったときは170対100となり、これなら勝てると思い日本に攻めてくる可能性が高くなります。これは、あくまで仮の話で、実際はこのように単純な数値差で戦争の勝敗が決まるものではありませんが、第二次世界大戦においてもドイツがソ連やアメリカに対して戦いを挑まずにイギリスが降伏するまで1対1で戦うか、ドイツがソ連に侵攻した時に日本も極東ソ連に侵攻していれば、戦争の結末は大きく変わった可能性は高く、あながち的外れな見方ではないと思います。  このように世界各国は、自国が有利になるようできるだけ味方の国を多く獲得しようとする一方で、敵国をなるべく連携させないように外交を行っていますが、はたして日本の外務省は、そういう努力をしているのか、甚だ疑問です。いずれにしろ、平時における普段の軍隊の在り方の話ではなく、有事の際に自国の防衛に関していろいろと制限を課すのは、どういう理由で何をまもりたいのか分かりませんが、そのために自国民の犠牲が増えることだけは間違いありません。米印主催の海上共同訓練「マラバール」に参加する海上自衛隊の隊員ら (アメリカ太平洋艦隊ホームページから) 10月13日  他にも日本には憲法解釈により「専守防衛」という縛りがありますが、これも遵守すれば敵の先制攻撃により、日本側に被害が発生する、または発生しそうになるまで、こちらから何もできないというおかしな話で、著しく不利な条件です。しかも、戦場は必ず日本の領域で行われるため、国民に多大な犠牲が生じることは必至です。さらに、敵の先制攻撃を前提としているため、相手の性能をはるかに上回る高価な兵器を装備しなければならずコストが嵩みます。 例えばミサイル攻撃を、どうやって防ぐのかという話ですが、一番確実で簡単なのは敵のミサイル基地を発射前に破壊してしまうことです。それに比べて相手がミサイルを発射してから撃ち落とすというのは高性能の迎撃ミサイルを搭載したイージス艦などの高価な兵器を、その目的のために全国展開しなければならないので非効率的であるばかりか、確実に防げるとは限りません。相手が数に任せて打ち込んでくれば、100%防ぐことはかなり難しく、かなりの犠牲を覚悟しなければならないでしょう。 国際的には相手が自国を攻撃する意図を持ってミサイルに燃料を注入し始めた時点で、狙われた国がミサイル基地を攻撃しても先制攻撃ではなく自衛手段として認められますが、攻撃用レーダーの照射を受けて何もできなかった自衛隊に、そこまでのことが出来るでしょうか?「相手が本当に日本を狙っているのか」「人工衛星ではないのか」とか言い出す人間が、必ず反対するでしょう。本当の「専守防衛」というのは、スイスのように国土を焦土と化し国民全員がゲリラとなっても国を守り抜く決意が必要なのですが、はたして今の日本にその覚悟があるでしょうか。 今や日本人の大半は、物心ついたときには現行憲法が施工されており、ずっとその影響下で生きてきました。だから、自分たちが主体となって国を守るという意識が薄くなっているのか、アメリカ政府高官の「尖閣諸島は日米安保の適用対象である」という発言を聞けば、なんとなく安堵し、本来、日本防衛の要は自衛隊であるべきなのですが、日本政府高官が「日本の防衛の基軸は日米安保である」などと発言しても何ら疑問を持たない人が多すぎます。また、我々日本人は拉致問題や尖閣諸島の問題などに関して、何もできていないことに対して憲法を言い訳に利用していないでしょうか。我々日本国民は知らない間に日本国憲法の毒に侵されていないか、今一度、真摯に自分を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。  とかく日本の安全保障のために防衛力を強化しようとすれば「日本は世界で唯一の平和憲法を守ってきたから、ずっと平和だった。」「戦後70年間戦争もせず、一人の戦死者も出さなかったのだから、このままで良い。」などと、反論をされる方がおられますが、これらはいずれも事実誤認です。  「日本国憲法9条は世界で唯一の平和憲法でノーベル賞を受賞すべきだ」などという人もいますが、実際は憲法学者、西修先生の著書「世界地図でわかる日本国憲法」によれば、世界の188か国の憲法典を調べた結果、158か国(84%)の憲法典に何らかの平和に関する条項設けられており、日本国憲法第9条のいわゆる平和条項は、決して日本だけの特異なものではありません。ただ、日本と、それらの国との大きな違いは「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」などと謳う一方で兵役の義務規定を設けるなど、日本のように最小限の自衛力しか持たないとして軍隊の保持を禁じるのではなく、自衛権の行使=軍隊の存在を一切否定していないことです。つまり侵略戦争は禁止するが自衛のための戦争は断固行うということで、それが戦争放棄を謳う条文に対する国際標準の憲法解釈なのです。  また、多くの国は武力攻撃を受けた場合や大規模災害などの緊急事態が発生した場合、それに対処するための「国家緊急事態対処条項」を設けていますが、日本は東日本大震災のとき津波で流された車や瓦礫が救助活動の妨げとなったのに、所有権等の問題で容易に排除できなかったというような苦い実体験があるにもにもかかわらず、いまだにそのような規定がありません。国家の最大の任務は独立を守り、国民の生命及び財産を保護することなのですが、日本国憲法には緊急事態や国防に関する条文が第9条、ただ一つしかないという現実が、この憲法の性質を如実に表していると言えるでしょう。   更に日本は昭和20年8月15日以降、戦争をしていないと言いますが、組織的な戦闘行為が終わったのは同年の9月2日で、本当に戦争が終わったのは昭和27年4月28日です。(奄美群島は昭和28年12月25日、小笠原諸島は昭和43年6月26日、沖縄県は昭和47年5月15日、北方領土は現在も戦争中)日本が降伏の意思表明をした8月15日以降もソ連軍や現地人に民間人を含む何万人もの人が殺されただけではなく、大陸や北方の島では一説によると100万人以上の人が国際法に違反して不当に拘束連行され、長い人で10年以上も極寒の地で過酷な強制労働に従事させられ、その結果、何十万人もの人が、そこで命を落としました。日本国内や南方の島々においても、裁判の名を借りた私刑が行われ多くの罪なき人々が殺されました。この事実を知っても「相手が攻めてくれば降伏する。そうすれば殺されない」などと言えるのでしょうか。  それに日本は、昭和25年に勃発した朝鮮戦争に1000人以上の機雷掃海部隊を送り参加しており、戦死者も出ています。それだけではなく韓国の竹島侵略の際には44名もの死傷者が出ております。もっと言えば、今、この瞬間も何百人もの日本人が不当に拉致拘束されています。これらは、すべて日本国憲法施行後の出来事で、憲法9条があっても戦争は起こり、領土や国民の命は奪われるのです。たまたま自分の周りが何もなかったからといって「日本は戦後一貫して平和だった」などと言えるのでしょうか。このような事実を踏まえない平和運動など、まったく意味がありません。国会前で行われた安全保障関連法案への反対デモで 声を上げる大勢の人たち=9月18日  私は第9条のように現実とかけ離れている条文は改正すべきだと思いますが、その一方で第一章の天皇についての基本的な考え方は変えるべきではないと思います。いずれにしても大事なのは我々日本国民が、憲法に対して意思表示をすることです。今の憲法は成立の過程を含めて施行されてから約70年間、一度も国民の意思を反映していません。変えないのであれば「変えない」という意思表示を、はっきりと目に見える形で示すべきであり、自称護憲派の方々は、本当に現行憲法が素晴らしいと思うのであれば、国民投票によって信任すればいいのです。その結果が「憲法は今のまま一字一句変えなくて良い」というものであれば改憲論は後退せざるを得ないでしょう。  それとは逆に「とにかく変えさえすれば良い」という意見は、一応理解しますが、あまりよくない方向性であると思います。それは、憲法を変える本来の目的は、日本国が真の独立国となり、他国に領土を侵略されたり、国民を拉致されたりしない国になることであり、憲法を変えることは、その手段にすぎないからです。違う言い方をすれば憲法が変わっただけで国民が変わらなければ国は変わらないということです。これは、行政の仕組みを変えさえすればすべて上手くいくといった話にも通じるものがあり、形を変えただけで中身が変わらなければ同じだということです。確かに憲法を変えることは単なる手段とは言えないくらい容易ではなく非常に大事なことではありますが、「とにかく憲法が変われば、すべて良くなる」ではなく「より良い国にするために憲法を変える」という考え方であるべきだと思います。一番大事なのは日本人が変わることです。

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    国家の独立と安全を「警察」に委ねる日本の非常識

     前回は日本国憲法の欠陥についての話を簡単にしましたが、今回はもう少し具体的に何が問題なのかについてお話します。  まずは、我が国が具体的にどうやって自衛権を制限しているのかを見てみましょう。   日本政府は、武力行使が可能な条件として 1 わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること2 これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと3 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと という三要件を昨年に閣議決定しています。  国会という開かれた場において野党議員が政府に対して、この三要件の具体的例示を求めていましたが、そんなことをすれば敵に日本侵略の具体的手段を教えるようなもので、利敵行為と言っても過言ではありません。そもそも抑止力というものは、相手に「少しでも手を出せば、相手から何をされるかわからない」と思わせることにより攻撃を思いとどまらせるものです。それを最初から、どのような条件がそろえば武力を行使するのかということを公表し、しかもその反撃は必要最小限しか行わないとまで言えば、その効果は著しく低下することは言うまでもありません。 仮に、他国が日本を侵略しようとしたときに、この三要件の具体的な例示を参考にして、それを満たさないよう巧妙に攻撃を仕掛けてくれば、日本は法的に反撃ができないため、その国のやりたい放題になってしまいます。そのような事態を防ぐため、具体的に何がこの要件に該当するのかは明言せずにぼかしておくのは当たり前のことで、「相手がこう来たら、どういうふうに反撃するとかしないとか」軍隊の詳細な行動指針を公表している国など、私の知る限り世界のどこにもありません。  さて、それはともかく、この三要件についての話ですが根底となる考え方を一言で表せば「正当防衛」です。刑法第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。 前述の三要件と上記の条文を見比べてみれば、武力行使が可能になる三要件は刑法における正当防衛を骨格とした警察官が犯罪者に対して武器を使用する要件をベースにしたものであることが解るかと思います。つまり日本は警察力で国を守ろうとしているのです。自衛隊は警察予備隊を祖とし、法令上は軍隊ではないとの位置づけなので、そうなるのかもしれませんが、近代国家においては警察と軍は明確に区別すべきであり、いくら装備が立派でも警察権により自国の防衛を行うのは無理があります。  警察権の何が問題かという話の前に「警察」と「軍隊」との違いを押さえておきましょう。この二つの組織はともに武器を装備し、最終的には力で相手を制圧すること許されている数少ない組織であるため、両者を混同し、その違いを装備や組織の規模のだと思っておられる方も少なくないようですが、それは結果的にそうなるだけのことで、そもそも組織としての目的や性質が根本的に違うのです。  警察は「個人の生命、身体及び財産の保護など公共の安全と秩序の維持」 軍隊は「国家の独立と安全、侵略に対する防衛」を目的としています。 同じように国民の生命財産を脅かすような行為でも 警察は「生命財産の保護、犯人の逮捕および犯人の有罪を立証するための証拠の収集等」 軍隊は「脅威の排除、場合によっては敵の殲滅」 を主な目的として行動します。これは、ハイジャックなどの人質事件での対応方法の違いを思い出していただければ良くわかるかと思います。 陸上自衛隊相浦駐屯地海岸湾内でボートでの上陸訓練をする隊員ら=長崎県佐世保市(鈴木健児撮影)   警察は平時に起こるイレギュラーな出来事に対応するため、人々の日常生活にできるだけ支障がないよう、あらかじめ厳格に定められた要件のもとに限り権力を行使するよう定められています。武器の使用に関しては、犯人をなるべく傷つけないように比較的殺傷能力の低い武器を警察官職務執行法や警察比例の原則などに基づいて限定的にしか使用できず、犯人逮捕に際しても刑事訴訟法などにより人権尊重のための厳格な手続きが定められており、それに則った行動をとらねばなりません。 一方の軍隊が主に対応するのは他国から攻撃を受けた場合など、そのまま放置すれば多数の人命が失われ、最悪の場合は国がなくなってしまうというような、回復不可能な損害を被る可能性の高い事案であるため、いかなる手段を用いても、その被害を未然に防がねばなりません。おまけに、そのような事案は、予測不可能かつ緊急性を伴うものが多いので、あらかじめ手続きを定めておくことが困難であり、また、厳格な手続きに沿っていれば手遅れになるため、手続きはできるだけ簡略化し、部隊の行動基準はなるべく行動を縛らないよう、多くの国では国際法による最低限のルール(例:捕虜の虐待、民間人の殺傷等)以外は、いかなる手段を用いても目的を達成するために行動できるようにしており、そのためには国民の権利が多少制限されることも止むを得ないとされています。  少し話がそれますが、これに対して軍隊が動かなければならないような非常事態においてさえ国民の権利を少しでも制限することに対し、憲法などを根拠に反対する人もいますが、過度な権利の主張は東日本大震災のときに救助活動の妨げ(例:流された車や瓦礫には所有権があるため勝手に処分できない)となった事例に鑑み、現行憲法における「個人の権利」と「公共の利益」とのバランスがこのままで良いのか、改めて考えなおす必要があるのではないでしょうか。  話を本題に戻すと、武器の使用に関しても、軍隊は国家同士で行われるルール無用(国際法により最低限のルールはある)の戦いにおいて、国そのものを守らなければならないため、最高水準の兵器を最大限性能が発揮されるよう効果的に使用するのが当たり前で、自衛隊のように最初から武器の使用を必要最小限に制限している国はありません。だいたい、相手の国が全力で攻撃してきているのに、こちらが必要最小限の反撃しかできないというのは最初から勝つ可能性を否定しているのと同じことで、例えて言えば相手陣内に入れないサッカーのようなものです。いや、サッカーの試合であれば可能性は低いですがロングシュートでの勝利や時間切れ引き分けという結果も期待できるので、まだましな方かもしれません。国際紛争の場合は試合時間が決まっておらず、日本は長距離ミサイルをはじめとする相手国の領域を直接攻撃する兵器の所有を自粛しているため最終的には必ず負けることになります。  そもそも軍隊というのは非常事態に対応する組織であるため、その行動が平時の一般的な法令の枠内で収まらないケースが多々あります。それを一般的なルールの範囲内で収めようとすると無理が生じるので、各国には一般社会では通用しない特別なルール(軍法)があり、それに基づいて軍人を裁く軍事裁判所があるのですが、我が国は憲法により、その設置を禁じられています。日本国憲法第七十六条第二項  特別裁判所は、これを設置することができない。 行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。 以上、警察と軍隊の違いを簡単に説明しました。そこで、我が国の自衛隊は如何なる組織なのかと言いますと、自衛隊法に「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務(後略)」と定められており、軍隊としての役割を担わされている一方で、同法などにより行動規範があらかじめ厳格に定められており、それ以外の行動を禁じられています。つまり自衛隊は他国の軍隊と同様に国防の任を負わされているにもかかわらず、他国とは違い警察のような厳格な行動基準に基づいて行動しなければならないという過酷な条件を課せられているのです。   これを人間同士の喧嘩に例えるならば、文字通りルール無用の喧嘩として攻撃してくる相手に対して、自ら「先制攻撃禁止」「投げ技禁止」「蹴り技禁止」などのルールを課し、しかもそれを相手に教えているようなもので、このような過酷な条件下での戦いを強いながら、いわゆる集団的自衛権にかこつけて自衛官のリスクを心配するなど本末転倒としか言いようがありません。現行憲法を変えることなく「自衛隊は自衛隊のままで良い」などと言っている人たちは「自分たちが憲法を守る限り日本の平和はまもられる」というようなナイーブな認識で、「自分だけは平和を愛する良い人間でありたい」という自己満足に酔いしれたいがため、自衛官に対して世界に類を見ない過酷な任務を強いているのです。彼らは、ある意味、自衛隊にとっては敵よりも厄介な存在だと言えますが、そのような身勝手な人たちをも守らねばならないのが自衛官なのです。  そして、この問題は自衛官だけではなく、国家や国民を不要なリスクに晒し続けています。自衛隊は法律により任務を定められ、それ以外の行動を禁じられているため、国際情勢の変化などにより法令に定められていない新たな任務を行う必要に迫られたときは、その根拠となる法律を作ってから対応しなければなりませんので実際に部隊が動き出すまで、長い時間を必要とします。過去、PKO、インド洋給油、海賊対処などを初めて行うときは、その都度、立法措置に約1年という歳月を費やしました。このままでは突発的に予期せぬ事態が発生した場合、自衛隊が迅速に動くことができず、いたずらに国民の命が失われることになりかねません。実際、過去にポジティブリストの弊害により多くの日本人が犠牲になってきました。ポジティブリストの弊害ポジティブリストの弊害福島第一原発の30km圏内で捜索活動をする陸上自衛隊員 =福島県(陸上自衛隊提供) 今でこそ改善されましたが、昔は自然災害が発生し救助を必要とする人がいたとしても自衛隊は独自の判断で救助することができず、阪神淡路大震災の時、日本政府や地方自治体のトップが的確な判断を下さなかったため自衛隊の救助活動が遅れました。  また、海上自衛隊は通常業務として領海警備という任務がありませんので、通常航行中は目の前に不審船がいても海上保安庁に通報することしかできず、その結果、数多くの不審船を逃がしています。  そして今においても、北朝鮮に拉致されたままの何百人ともいわれる人たちを取り返しに行くことは、自衛隊の任務とされていませんので、その可能性を検討することすら許されていません。  斯様に自衛隊の行動を過剰に縛ることにより日本国民の生命や人権を蔑ろにしてきたことに何ら反省もないまま、ただ単に憲法を守ってさえいれば日本は平和だというのは、いかに現実離れした話かということです。  では、様々な事態に対応できる法律を作れば良いではないかということを言われる方もおられますが、はたして世の中の森羅万象を予測して立法化することなどできるでしょうか。オレオレ詐欺や脱法ドラッグなどの事件を見てもわかるように、世の中には法律の裏や抜け道をかいくぐる人間がごまんといるのです。はたして、国民の生命財産を守る国家の安全保障に、そのような抜け道が存在する余地を残しておいて良いのでしょうか。  大ざっぱに言えば日本では軍隊が警察のように運用されているわけですが、逆に警察が軍隊のような運用の仕方をされるとどうなるかと言いますと、それはそれで恐ろしい話になります。日本では憲法33条により禁止されていますが、どこかの国のように犯罪を行う可能性があるという理由で身体を拘束したり、犯罪の予防という名目で個人のプライバシーの侵害が堂々と行われたり、国民の人権が日常的に制限されかねません。だからこそ「警察」と「軍隊」は明確に区別し、それぞれの役割に沿った任務を行うべきなのです。  では最後に、もう少し具体的な例として侵略者に対する警察と軍隊の違いを見てみましょう。まず、戦争映画に出てくるようなジャングルを想像してください。敵を待ち伏せしているのが軍隊の場合、敵に気づかれないよう息をひそめ相手を十分ひきつけてから、いきなり自動小銃などで攻撃を仕掛けるのが普通です。 しかし警察の場合は、たとえ相手が明らかに武器を所持していたとしても、こちらから相手に声をかけることなく一方的に武器を使用するなどもってのほかで、日本には瀬戸内海シーハイジャック事件のように人質籠城事件で警察が人質の安全のために止むを得ず犯人を射殺しても殺人罪や特別公務員暴行凌虐罪で告発する人たちがいますので殺人未遂等で訴えられかねません。原則としては、まず、警察手帳を提示するなど警察官であることを相手に告げてから相手が何者であるかを確かめなければなりません。そして相手が銃を持っている場合は、相手に対して銃を捨てるよう警告し、相手が従わない場合は相手に銃を向け「撃つぞ」と警告し、それでも従わない時にはじめて威嚇射撃を行うことができます。しかも相手が攻撃してこない限り不法入国や銃刀法違反の容疑だけでは、警察官職務執行法の規定により相手に危害を加えることはできません。  これは法令通り杓子定規に動くと仮定した極端な例ですが、基本的に守らなければいけないことは同じです。はたして、時々刻々と変化する状況にあわせて違法か適法かを瞬時に判断し、躊躇することなく発砲してくる相手から自己を守りつつ、相手を傷つけずに逮捕できるでしょうか。相手の弾は絶対に当たらないが、自分の撃つ弾は百発百中命中する映画やテレビドラマの主人公でもない限り不可能な話です。相手は、こちらの配慮など考慮するはずもなく、こちらの存在を悟った瞬間に発砲してくるでしょう。このケースとは逆に相手が待ち伏せしている場合はなおさらです。つまり、警察が侵略軍に対する場合は、いくら訓練を積んだ優秀な人間が最新鋭の武器を装備していようとも警察側に何らかの被害が発生することは避けられないのです。要は敵味方どちらの生命に重きをおくのかという話で、はたして味方に不要な犠牲を強いてまで、悪意をもって我が国に攻撃を仕掛けてくる人たちの生命や安全には配慮しなければならないのでしょうか?  沖縄の島に相手の軍隊が上陸してきた場合、仮に相手が投降してきたとしても、警察は逮捕しなければなりませんが、そもそも相手が一個師団であれば少なく見ても五千人以上いるわけで、片や沖縄県警は内勤を含めても半分の2千五百名程度しかいません。だいたい、そのような数の手錠などないでしょう。仮に、他省庁の助けを得て、なんとか全員逮捕したとしても、留置場はどうするのか?通訳や弁護士はどうするのか? 48時間以内に調書を作って送致できるのか?72時間以内に拘留請求できるのか?領事館通報はどうするのか?などなど、どう考えても物理的に不可能なことばかりで、結局は強制送還という形しか取れないでしょう。そうなれば強制送還された人間が再び日本に攻めてくるというエンドレスな戦いが続きます。警察が他国の軍隊に対応するというのは、こういうことなのです。  そろそろ我が国も、これらのことを踏まえたうえで、自国の防衛がこのまま警察権によるもので良いのかどうか、本気で考える時期に来ているのではないでしょうか。続き→「平和ボケから目が覚める! 一色正春のニッポン自衛論」

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    「戦争反対」と叫ぶなら改憲を訴えるべきだ

     すったもんだの挙句に、ようやく安全保障法案が可決されました。その是非はともかくとしても日本の安全保障に関心を持つ人が増えたのは結構なことなのですが、相変わらずマスコミはピントのずれた話ばかりで問題の本質を論じようとしないため、いまだ巷には的外れな意見が散見されます。 ここで確認しておかねばならないのは、日本国憲法には国防に関する条文は戦争の放棄を定めた第9条以外はなく、その憲法のどこにも「自衛権」などという文言は記されておらず、昨年から急に注目を浴び始めた「集団的自衛権」や、我が国の国是とされる「専守防衛」などの言葉は憲法解釈によって生み出されたものだということです。つまり、「専守防衛」や「集団的自衛権の限定行使」という我が国防衛政策の基本方針は政府の憲法解釈に基づいて決められているのです。憲法記念日に横浜市で開かれた憲法集会に参加する作家の大江健三郎さん(前列中央)ら=5月3日、横浜市西区 法令の解釈というものは時代の移り変わりとともに変わるものですから、現在のところ日本政府は、先制攻撃を禁止し集団的自衛権は一部しか行使してはならないとの立場をとっていますが、将来、現行の日本国憲法のまま解釈を変更して先制攻撃や集団的自衛権の全面行使ができるようになる可能性はゼロではありません。 本来、「戦争反対」と声高に叫ぶのであれば、そのような事態を防ぐため解釈の余地を残さない形に改憲するしかないのですが、護憲派を名乗る自称平和主義者の大半は「何が何でも憲法を一字一句変えてはならない」と現実から目をそらし続けてきました。 このため今回に限らず、時の政府は自衛隊の任務が増えるたびに、なんとかそれを正当化しょうと、苦しい解釈改憲を重ねながら、その場しのぎを繰り返してきましたが、今やそれも限界に達しようとしています。 現在、日本への侵略の意図を持った隣国が、その意図を隠そうともせずに我が国領海への侵犯を繰り返すようになり、他にも同朋を拉致して返さない国や領土を不法に占領したままの国に囲まれ、しかもその内の3か国が核兵器を保有しているという、我が国の非常に厳しい現実を鑑みれば、最早、部分的な、その場しのぎの解釈改憲では対応できないことは明白です。  まずは、この日本が置かれている状況を正しく認識する必要があります。そして今の憲法や、その解釈が現代日本の現実に照らし合わせて正しいのか、今一度、我々はそこから考える必要があるのではないでしょうか 国際法の観点からみれば、人が生まれながらに人権を持つように日本国は国家の成立とともに自衛権を備え持っており、国連をはじめとする国際社会もそれを認めています。現在の政府見解においても、「憲法9条は自衛権を否定しない」としていますから、本来であれば憲法の内容いかんに関わらず、誰はばかることなく国防に関して様々な政策等を実行できるはずなのですが、一方で日本政府は自衛権について「必要最小限」のみ認められるとして、憲法が自衛権を制限しているという立場をとっています。 具体的には第9条における「武力」や「戦力」には自衛権を含まないとする解釈により自衛隊を合憲とし、それは自衛権ゆえに必要最小限の武力行使しかできないという理屈で、実質的に自衛権を制限しているのです。つまり日本政府は、憲法は自衛権を否定こそしないが必要最小限に制限しているという中途半端な解釈を行い続けているのです。 また、政府は憲法9条が自衛権を否定しえない理由として、第9条が第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を否定するものではないとしていますが、そうすると第13条で、その「国民の権利」を最大限補償しておきながら、片や第9条で、その「国民の権利」を守るための自衛権を必要最小限に制限するという、おかしな話になってしまいます。 このように、現行憲法には相矛盾する条文が混在しているため、その辻褄合わせに無理な憲法解釈が必要となるのです。そもそも第9条が、すべての国家が保有する、人間に例えれば人権に相当するほど重要な国家の自衛権を真っ向から否定するかのような内容であることが問題の根源なのです。もっと言えば「自衛権」=「国民が自由に幸福かつ平和的に生きる権利」なのですから、その自衛権を必要最小限に制限することは、これら国民の権利を制限することに他ならず、我々日本国民は、具体的な事象が生じていないので気が付いていないだけで「自由に幸福かつ平和的に生きる権利」を制限されているのです。 そして、我が国が武力行使可能な「必要最小限」の範囲も時の政府の解釈次第で拡大縮小する可能性があります。このように国防政策の基本的な重要事項が憲法解釈により大きく変わるという問題は、日本国憲法が国防に関する条文をたった一つしか持たず、しかもそれが国の守りを否定していることが原因であり、そして、それは非常に危険なことなのです。 現行憲法のもと自衛隊は合憲であるという政府の憲法解釈により存在していますが、逆に政府が違憲だという解釈に変更すれば憲法を改正(国民に直接信を問うことを)しなくとも自衛隊を解体することが可能であり、もしも自衛隊廃止を党の綱領に掲げる政党が政権を掌握し自衛隊法などを改正又は廃止すれば、日本は一夜にして丸裸になってしまいかねません。確かに現実味に欠ける話ですが、そのような政党が合法的に存在し、一定数の議席を得ていることを鑑みれば可能性はゼロとは言えません。 また、憲法は「国家権力を縛るためのもの」というのであれば、本来は憲法に国民の生命、自由及び幸福追求に対する権利を保護するため、国家に対して国防の義務を課す条文がなければならないはずです。いずれにしても憲法に国家の重要課題である国防に関する明確な定めがないというのは法律として致命的な欠陥であるといっても過言ではないでしょう。 (つづく)

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    憲法が日本を骨抜きにする

     今回は、この憲法の最大の特徴であり最大の問題点である第九条について考えてみます。  まずは、その条文を読んでみましょう。第一項  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 この第一項だけを素直に読めば、単に「二度と戦争はしない」という意味ではなく、たとえ戦争のように大掛かりでなくとも他国に対して一切の武力を行使することはおろか、威嚇すなわち抑止力を持つことすら禁じられています。しかも「永久」にです。ここに当時のアメリカが、如何に日本軍を恐れ、それを封じ込めようとしていたのかということが良くわかります。 そして我々日本国民は、この条文のために(条文だけが原因ではありませんが)他国が領土を侵略しても、同胞が殺され連れ去られようとも何もできませんでした。 今も、その問題は続いていますが、偽りの平和にどっぷりとつかっている人達は、その現実に目を塞いだままです。 続く第二項では「戦力」の不保持と「交戦権???」を否認するという念の入れ方で、徹頭徹尾、日本軍の復活を封じようとしています。ちなみに「交戦権」というのは今も昔も国際的に定義は確立されておらず(ただし、現在、日本政府は日本国憲法の交戦権について独自の見解を発表しています。)憲法起草の実務的な責任者で当時民政局次長であったチャールズ・ケーディス氏ですら、昭和56年に行われた日本の新聞社のインタビューの中で「交戦権ということが理解できなかった。正直なところ今でも分からない」と答えています。  おまけに、占領軍がいかに大雑把に日本国憲法を作り、それを日本に押し付けたかということを認め、日本国民が主権回復後も自分たちが占領中に適当に作った日本国憲法を、いまだに使い続けていることが理解できないようでした。防衛力を持たない国家は存続可能? 普通の人間が、この第二項を素直に読めば「日本は軍隊どころか、いかなる戦う力をも持たない。従って、いついかなる時も戦わない」と解しますが、果たして独立した国家が戦う力=防衛力を持たずに存続可能なのでしょうか? 前文解説の繰り返しになりますが、この憲法を作った時、日本はアメリカの占領下であったため軍隊はなく大幅に主権が制限された状態でしたから、この問いに関して、さして問題意識はなかったのでしょう。しかし、憲法公布から3年後に朝鮮半島で戦争が勃発すると、この問いが現実問題として日本憲法を作ったアメリカに突き付けられました。 それは、それまで日本を占領しながら内外の敵に睨みを利かせていた占領軍が朝鮮半島に出兵する必要に迫られ、そうなると日本列島に、ぽっかりと力の空白ができてしまうからです。 そして、その答えは簡単にでました。当時は冷戦が既に始まっており、力の空白は新たなる紛争を生む危険性を高めるため、アメリカは日本に治安維持部隊の創設を命じ、その結果できたのが、今の自衛隊のもととなる警察予備隊です。当初は、その名前の通り日本国内の治安維持を主任務とする警察のような組織でしたが、国際情勢の変化に合わせて徐々に軍隊のような国家防衛のための組織へと名称と共に変貌を遂げ、それに合わせて武装も強化されていきました。 本来は警察予備隊創設時や組織変更の度に、その都度、憲法改正を含め、しっかりとした議論を行わなければいけなかったのですが、左翼陣営の感情的な反対論に対して、責任を取りたくない政府与党が正面切っての対決を避け、その場しのぎの策を弄して妥協し問題を先送りしながら、反対陣営の批判をかわし続けてきた結果、日本が主権を回復したにも関わらず、物事の本質が占領中と変わらないまま60年以上の歳月が流れ、今に至っているのです。 そして今、日本を守っているアメリカの国力が低下していく中で、逆に日本を敵視する国の軍事力が大きくなってきているため危機が表面化し、今までアメリカに庇護されていることすら気がつかず、国防について考えることがなかった人たちも、ようやくそれに気が付くようになってきたのです。しかし、それにもかかわらず、現在の日本は抜本的に有効な対応策を見いだせていません。緊急発進で航空自衛隊那覇基地を離陸するF15戦闘機=4月13日 それは、今までアメリカに頼りきりで、いかにして国をまもるのかということを考えてこなかったツケが、ここにきて一気に回ってきているため、日本国民の思考回路が現実に追いついていないからです。そろそろ我々日本国民は、この憲法に代表される国際社会では通用しない戦後日本の誤った常識を捨て去り現実を直視しなければなりません。そうしなければ日本は国際社会の荒波に飲み込まれ、国家としての存続すら危うくなるでしょう。  さて抜本的な話として第9条の何が問題かと言いますと、自衛隊が事実上、第二項で保持を禁じられている「戦力」であることです。もっとはっきりと言えば、自衛隊の存在自体そのものが憲法違反の疑いがあるということです。物事には様々な解釈があるとはいえ、最新鋭の戦闘機、イージス艦、戦車を保持した20万人以上の訓練された隊員が所属する部隊を「戦力」ではないと強弁するのは相当無理があるのではないでしょうか。 だとすれば、違憲状態を解消するには「自衛隊を解体するか」それとも「憲法を変えるか」という二者択一の話になるはずなのですが、不思議なことに日本の憲法学者の大半が自衛隊は違憲であるが憲法解釈の必要はないと言い、このまま違憲状態を続けるべきであるという目茶苦茶な話をしております。彼らは現実世界の話などはどうでもよいと考え、永久にこのまま難解な日本語で書かれているが故に、専門家の解釈を必要とする憲法が存続することだけを目的としているのではないかと疑ってしまう程です。 現実問題として考えれば、日本は「軍隊を持たない国が、どんな悲惨な目に遭うか」ということを北方領土や竹島で体験済みですから、普通は軍隊を持たないという選択肢はあり得ず、憲法を改正するしか方法はないはずなのですが、なんと日本政府が、この問題を解決するために編み出した方法は、言葉や解釈を変えるというものでした。  まずは、その政府解釈を見てみましょう  わが国が独立国である以上、この規定(憲法9条)は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。  相変わらず、分かりにくいですね。  要は、 ・日本は主権国家であるので国家の成立時から自衛権を持つ、それは独立国家と不可分な自然権であるため憲法により武力の行使を禁じていたとしても行使が可能・故に憲法で戦力の保持を禁じていたとしても、自衛権を行使するために必要最小限度の実力を持つことは可能・それが自衛隊で、その基本方針は専守防衛であるということです。  つまり、憲法で「国権の発動たる戦争」や「武力による威嚇又は武力の行使」と「戦力の保持」を禁じていますが、それは「主権国家が当然の権利として保有する自衛権を否定するものではない」という解釈によって自衛隊が合憲であるとしているのです。もし、逆に憲法が「自衛権」をも否定するという解釈が成り立つのであれば、たちまち自衛隊の存在自体が違憲となってしまいます。 斯様に国家の安全保障の根幹に関わる重大事が、解釈一つで引っくり返る様な憲法で、果たして良いのでしょうか。実際、解釈変更は過去に何度も行われており、憲法制定当時の吉田首相は昭和21年に憲法改正草案の審議が行われた衆議院本会議において、共産党の野坂参三代議士の「自衛権は認めるべき」という質問に答えて「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以であると思うのであります。(一部抜粋)」と自衛権そのものを否定する答弁をしており、当時の政府見解は自衛権を否定するものでした。(ちなみに当時、自衛隊は存在しなかった。)個別は良くて集団はダメという屁理屈個別は良くて集団はダメという屁理屈 私は、独立した主権国家が自衛権を保持するということは自明の理であるという説に対して異論はありませんが、第三章で、あれほど国民の権利について色々と定めているのに比べて、国家の基本的かつ重大な権利について明文化していないのは、片手落ちという他ありません。肝心なことを明記していないがために「解釈改憲」の余地が生まれ、自衛権について様々な解釈が罷り通るようになり、個別は良くて集団はダメなどという屁理屈をこねる人たちが出てくるのです。 軍隊を持つか持たないか、いずれにしろ分かりにくい文言を止め、誰が読んでもわかりやすく、肝心なところに様々な解釈が入り込む余地がないようにするのが、本来の憲法があるべき姿ではないでしょうか。 今のように、屁理屈をこねくり回して「軍隊は認めないが必要最小限の自衛戦力は許される」というような中途半端な状態で、日本が保持する実力行使のための組織が「戦力」にあたらないと言いたいが為に、組織の名称を「軍」ではなく自衛「隊」とし、階級も帝国陸海軍の「大佐」「少佐」から「一佐」「三佐」に変え、「駆逐艦」を「護衛艦」、「歩兵」を「普通科」と呼ぶのは、「自分たちが『軍』ではないと言っているのだから、自衛隊は『軍』であるはずがない」と強弁しているようなもので、何か舌先三寸で黒を白だと言いくるめているような、いかにも姑息な印象は免れず、これでは、いつまで経っても日本は健全な独立国とは言えません。 また、これらの議論は日本国内でのみ通じる話で、海外では議論の余地なく自衛隊は「軍」として認知されており、自衛隊は一歩国外に出れば軍として扱われるにも関わらず、国内においては「軍」ではないという縛りにより雁字搦めになっています。このことは非常に大きな問題で、国際法では軍隊以外の者が戦闘行為を行えば違法行為となり処罰の対象となるだけではなく、捕虜となる権利をはじめとする様々な権利を享受できません。つまり実際に戦闘行為を行った場合、自衛官が国内法に従えば国際法に抵触し捕虜になることすらできず、かといって国際法に基づけば国内法に違反するという、どちらにしても非難を受ける恐れがあるのです。 それを避けるには都合よく国際法と国内法を使い分けるしかありませんが、実際の戦闘中にそんな複雑なことが行えるのでしょうか。また仮に、そのような都合のいい話が国内的には通用したとしても対外的に通用するのかは甚だ疑問です。このような自衛官の生死を分けるかも知れない大問題を、そのままにして自衛官のリスクを語るなど笑止千万としか言いようがないのですが、残念なことに、それを問題だと感じる人が少ないのが今の日本の現状です。そして、それ故に真面目な自衛官ほど、そのギャップによるストレスに苦しんでいます。 具体的な話として、イラク復興支援部隊に参加していた人から、現地で行われた複数国による合同訓練に自衛隊だけが集団的自衛権を理由に参加できず、「当日は、恥ずかしくてキャンプから一歩も出ることができなかった」と聞いたことがあります。他にも外国人の目には、自衛隊が軍であるにもかかわらず決して紛争地域に足を踏み入れないことや、ひとたび紛争が起これば無条件に退却するという話は奇異なものとしてしか映らず、このような二重基準(ダブルスタンダード)はなかなか理解されません。そもそも危険を忌避して輸送作業や土木作業だけを行うのであれば、運送会社や土建会社に任せれば良いだけの話であり自衛隊が行く意味がありません。  今後、自らが望むと望まざるにかかわらず、我が国が国際紛争の第一線に立つ日が来ることが避けられそうにもないという現実を直視すれば、このままこのような二重基準を続けていくことは、国際的にも国内的にも許されません。他国がうらやむような装備を持つ自衛隊が、憲法を理由に「他国のためには血を流さない」というのは、もう通用しないのではないでしょうか。そのようなことを続けていれば、いずれ日本は国際的な信用を失い孤立するでしょう。 逆に、国際社会の圧力により、中途半端な法改正で自衛官に手かせ足かせをはめたまま海外に送り出すのは、あまりにも無責任な話です。一国を代表する軍事組織が政治家の都合のいいように、軍隊になったりならなかったりするというのは他国では決してありえない話であり、「自衛隊が軍になれば危険だ」と言う人もいますが、使い方を誤ると国家の存亡にかかわるような自衛隊という実力組織を法的に中途半端な状態にして解釈次第でどうとでもなるという状態のほうが余程危険です。 日頃、いわゆる平和活動を行っている人たちの多くは憲法を変えてはならないと言いますが、これらの問題を根本的に解消するためには、憲法を改正するしか方法はないでしょう。 また、世界中の国では軍人に対して、自らの命を賭して国家を守るという任務の重さに比例した名誉と地位が与えられていますが、我が国自衛官は厳しい任務を課せられても、それに相応しい名誉や地位が与えられていません。これも自衛隊が法的に中途半端な組織だからです。  さて、我が国は、なぜ国防という国家の最重要任務に従事している人たちが、軍隊と名乗ることすらできず卑屈な態度をとり続けなければいけないのでしょうか。それは第二次世界大戦の敗戦国だからでしょうか? 確かに、それも理由の一つでしょうが、同じ敗戦国でもドイツには国軍があります。ドイツと日本との違いは何か。それは憲法です。第二次世界大戦直後、アメリカは国際法により禁じられているにも関わらず、恐るべき強敵であった日本が二度と自分たちに立ち向かってこないよう、日本人の精神を骨抜きにするため自分たちに都合の良い憲法を押し付け、それを崇め奉るよう報道機関を検閲するなどして巧妙に日本人を洗脳しました。 そして公職追放により学会や教育界を含む日本の主要なポストに就いていた人たちが大量に排除されたことにより、それまで日の当たらなかった人たちが棚ぼた式に要職に就くようになりました。彼らは、それを恩義に感じてか自らの地位を守ろうとしてかアメリカ占領体制=日本国憲法の維持に全力を傾けるようになり、主権回復後も反日勢力と一体となり長い間、占領軍の言い付けを守り、大半のマスコミが、それに協力してきた結果、多くの素直な日本人が、この異常な状態に疑問を持たなくなってしまったのが今の日本です。 一方のドイツは占領軍から新しい憲法を作るように命令されましたが、将来、占領軍が去った後、自らの手で自主憲法を制定すべく「憲法」と名乗らず基本法を制定し、それを施行後50回以上も改正しています。日本では幼いころから教師やマスコミが、日本が平和なのは憲法第9条のおかげであるという幻想を子供に刷り込んでいますから、素直な人ほど信じてしまうのは、ある意味、仕方がないのかもしれませんが、それにしても思考停止している人が多すぎます。 だいたい今の憲法が、本当に日本人自身が自分たちの国や家族そして仲間などのことを考えて作ったものであるならば、領土領海が侵略され同胞が殺され連れ去られても、憲法の定めによりどうすることもできないというような馬鹿げたことにはならないでしょう。 終戦から70年の歳月が流れ、強烈な戦争体験やアメリカの洗脳工作も冷静に判断できる環境が整ってきた今こそ、我々日本人は、誰が何のために、この憲法を作ったのかということを踏まえたうえで、日本の国が進むべき道を虚心坦懐に考え、この憲法をどうするかという結論を出すべきではないでしょうか。(つづく)

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    日本国憲法のここがおかしい

     我が国は、明治23年(1890年)に近代憲法を施行して以来、125年の長きに渡り一度も自らの手で憲法を変えた事がないという、とても特殊な国です。 アメリカが現在の形に憲法を変えてからでも約70年、その間一度も国民レベルで改正の論議すら行われて来ませんでした。 本来、現行憲法は我が国の主権が大幅に制限された状態下で、アメリカから来た法律の素人が日本を服従させるために考えたものなのですから、昭和27年4月28日の日本(沖縄など一部島嶼地域を除く)が主権を回復した日に、改正若しくは追認(独立しても、この憲法を使い続けるという意思確認)など、日本国民自らが何らかの意思表示をすべきでした。 しかし、占領軍に検閲を強いられ、それが習い性になったマスコミ、公職追放によって棚ぼた式に要職に就いた官僚や学者など、日本の敗戦により得た自己の利権を守りたい人たちの手により、長らく日本国憲法は不磨の大典として扱われ、本来、国民が持っているはずの「改憲」の権利は奪われ続けてきました。 何しろ10年くらい前までは「改憲」と一言発するだけで、条件反射のように「軍国主義者」呼ばわりされるくらい憲法は神聖視されていましたから、改正は疎か批判すること自体が禁止されていたようなものでした。与野党7党が鬼塚誠・衆院事務総長(左から4人目)に国民投票法改正案を提出 2014年4月8日、国会内(酒巻俊介撮影) 驚くのは平成22年に日本国憲法の改正手続きに関する法律(国民投票法)が施行されるまで、60年以上も憲法を変える手続きが定められていなかったことです。これは、日本国民の大半が憲法を変える気がなかった、あるいは変える事が不可能と思い込んでいたとはいえ、法治国家としてはあまりにもお粗末です。 この責任は、主権者である日本国民全員が負うものですが、中でも「新憲法制定」を結党の理念に掲げ、誕生してから約60年の間、ほとんど政権を担っていたにもかかわらず何もできなかった自由民主党をはじめとする国会議員の職務放棄に近い怠慢は特に非難されてしかるべきでしょう。  このように戦後利権という分厚い氷に守られていた日本国憲法ですが、ここ数年で改憲に関して具体的な話ができるようになり、早ければ来年にでも国会で改憲の発議が行われる可能性が高くなってきました。そうなれば、我国において初めての国民投票が行われるわけですが、多くの国民が長らく憲法について考えることを避けてきた為、今一つ憲法に対する理解が足りないような気がします。 今後、憲法改正の国民投票が行われたとき、憲法をよく知らないまま投票するのは、あまりにも勿体無いとしか言いようがありません。そこで、今一度日本国憲法を見直してみようと思います。まずは、前文です。 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 ざっと読んだ感想を一言でいえば「分かりにくい」というものですが、それもそのはず原文が英語なのですから日本語の表現になじまないのは当然です。それに表現の問題だけではなく内容自体も首を傾げたくなる様なところも多々ありますので、特に気になる個所を抜き出してみます。 『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする』 いったい、どこの国の政府のことを指しているのでしょうか? 日本だけが何もしなければ戦争が起こらないのでしょうか? 『人類普遍の原理』 西欧的価値観の押しつけである、日本には日本の価値観もある。 『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』  確かにこの憲法が作られたときは、日本はアメリカの占領下にあり、軍隊は廃止させられていたので自身で自国の防衛はできませんでした。そのため「平和を愛する諸国民」=アメリカにまもってもらうのは当然であったと言えるでしょう。しかし、独立国となった昭和27年4月28日以降も他国に自分たちの安全と生存を委ねるというのは国家の重大な責務を放棄しているとしか言いようがありません。そして、この文言をそのまま読めば、自分たちの安全と生存を他者にゆだねているのですから、自衛隊の存在自体を問いなおさなければなりません。この前文の精神が浸透した結果、当時のアメリカが、そこまで意図していたのかどうかわかりませんが、多くの日本国民は自分で自分の身をまもることを止め、他人にまもってもらうのが当たり前だと思うようになってしまいました。  とはいえ、ここに記されていることのすべてが、間違いというわけではありません。例えば『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』という部分です。名誉ある地位という表現は抽象的で分かり辛いのですが、おそらく、例示されているような人権侵害を撲滅するために努力するという意味なのでしょう。だとすれば至極当然のことなので、それ自体は問題ないのですが、実際の行動が伴っているかというと、そうではないと言わざるを得ません。本当に、そうであるならば、日本はこれらの人権侵害を現在進行形で行っている国家などに対して積極的にそのような蛮行を止めさせるように働きかけるべきなのですが、残念ながらそのようなことはなされていません。国益を考えて直接言うのが難しいとしても、せめて援助などの人権侵害の助けとなるようなことは行うべきではないでしょう。他にも『自国のことのみに専念して他国を無視してはならない』とありますが、これも言っていることは正しいですが、実際の行動はどうでしょうか。この憲法の殻に閉じこもりながら「日本だけが平和であれば良い」と、国際社会からの危険を伴う人的支援の要請を断り、他国を無視してはいませんか。ただ単に金をばらまくだけでは、他国からの尊敬を受けることなど難しく、ましてや名誉ある地位などほど遠いでしょう。(続く)

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    韓国が日本を見下す理由

     前回、韓国がなぜ反日活動を執拗に行うのかを説明し、その問題を根本的に解決するためには、歴史を直視する事が必要であると結びました。そこで今回は、日韓の近代史を振り返って見ましょう。 西暦1392年、それまで朝鮮半島を支配していた高麗王朝の王位を李成桂という男が簒奪しました。彼はすぐさま明に使者を送り皇帝に国名を選んでもらいました。それが二十世紀初頭まで続いた朝鮮という国です。 19世紀中頃になると、当時、世界を覆いつくさんばかりの欧米列強の魔の手が、とうとう北東アジアにも伸びてきました。まず、清国が阿片戦争で血祭りにあげられ、その後、西欧諸国は日本や朝鮮に対しても、首都の近くまで船を進めて開国を迫るようになってきました。日本における、その典型的な事件がアメリカのペリー提督率いる黒船来航でした。 当初、日本では、外国人を国内に入れるなという意見が大勢を占めていましたが、欧米の科学力に裏打ちされた軍事力を知るにつけ「これは、とてもかなわない」と思う人間が増えはじめ、更に清国の現状を知り「日本も欧米の植民地にされるかもしれない」という猛烈な危機感を抱いた人たちが、欧米に対抗すべく中央集権体制の国家を樹立したのが明治維新です。 そして西欧列強国に対抗するには、彼らから学ぶしかないと考えた日本政府の要人たちは、なりふり構わず西洋の社会システムを模倣しました。また、彼らの軍事的脅威に対抗するために隣国の朝鮮と同盟を結ぼうと考え、国の統治体系が変わったこともあり、改めて国交を結ぶべく使者を送ったのが西暦1868年です。 当時、欧米の軍事力は圧倒的に日本を凌駕していたのですから日本の立場としては少しでも仲間が多い方が良いと思うのは当然のことであり、また、朝鮮が日本を狙う侵略国に占領されてしまえば、その地理的位置から自国の防衛が非常に困難になるため、日本としては、何としても朝鮮と同盟関係を結ばねばならなかったのです。 ところが朝鮮は、長らく華夷秩序体制(中華皇帝を中心とした国際関係。周辺諸国を夷狄の王として中国より格下に位置付けた冊封体制)の中にいたため自分達より中華から遠い日本を蔑視していただけではなく、西洋人を夷狄として忌み嫌っていました。その外国と条約を結んだ日本から中華皇帝以外に使用を許されない「皇」の字が入った親書が来たものですから、親書の受け取り自体を拒否したのです。 本来、日本は中華冊封体制の外に位置し、独自の天皇を頂く国ですから「皇」の字を使用したとしても何の問題もないのですが、朝鮮側の一方的な思い込みにより国交樹立のための交渉のテーブルに着くことすらかないませんでした。(高まる中国や北朝鮮の脅威に日韓が連携して対抗しなければならないというのに、日本にとっては言いがかりの理由で会談すら拒否する、今の大統領を見れば、こういうところは何も変わっていないことが良く分かるでしょう)     西郷隆盛 そこで、日本国内に巻き起こったのが、朝鮮に出兵して武力で従わせようとする「征韓論」です。しかし、当時、参議であった西郷隆盛は自分が全権大使として朝鮮を説得し、平和的に同盟を結ぶと言い張り、西郷大使の派遣は実現まであと一歩の段階まで迫ったのですが、日本国内の政変により日の目を見ませんでした。簡単ではなかった朝鮮の独立 その後、日朝両国は互いに国内の政変などの紆余曲折を経た後、江華島事件を契機として「日朝修好条規」を締結しました。この条約は、この時代における他の条約と同様、ご多分に漏れず不平等条約でしたが、一つ大きな違いがありました。 それは第一条において「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める」と、わざわざ朝鮮が独立国家であると謳っていることです。しかも日本は、この日朝修好条規締結の5年前、清との間に両国が対等である事を確認した「日清修好条規」条約を結んでいました。つまり日本=清、日本=朝鮮という対等関係になれば長年主従関係にあった清国と朝鮮も清=朝鮮という対等関係になるという理屈です。 しかし、ことはそう簡単に行くはずもなく朝鮮の独立には、それからも歳月を要しました。とはいえ、この条約をきっかけに、建国から約500年の時を経た朝鮮が、ようやく独立への第一歩を踏み出したことには間違いありません。ただし、ここで確認しておかねばならないのは、日本は善意だけで朝鮮を独立させようとしていたのではないということです。 例えが適当かどうかわかりませんが、自分の二軒隣の家が燃えている場面を想像してください。隣の人は、そんな大変な時だというのに、自分の住んでいる家は借家なので、燃えても仕方ないと思って逃げ出そうとしているようなものでした。当時の国際社会には消防局もなく、しかも日本は新しい家の建築中で他家の消火活動を行う余裕がなかったのですから、隣の朝鮮に住んでいる人たちに、本当は借家ではなく自分の家であるとの自覚を持ってもらい、自分の家は自分で消火してもらおうと懸命だったのです。 そのために日本は朝鮮の自主独立派に軍事顧問を送るなどして援助し、清からの独立を後押しした結果、その独立派が政治の主導権を握り、そのまま朝鮮も近代化への道を歩むかと思われましたが、従来通り清の冊封体制を維持しようとする守旧派がクーデターを起こしたため、一転して独立派は窮地に陥りました。 朝鮮では古来より外国勢力の助けを借りて政敵を倒すのが常套手段でしたから、この時も独立派は遅滞なく外国勢力に助けを求めたのですが、問題は、その相手です。この時、独立派の頭目である閔妃が頼ったのは従来から付き合いがあり独立を支援してくれる日本ではなく、対立する守旧派の後ろ盾である清の軍人袁世凱でした。 結果、従来からの親清派でクーデターの首謀者である大院君(国王の父)は清に捕らえられ、その一派と対立していた日本寄りの閔妃が、一夜にして親清派に転向したのです。もはや国家国民や政策など関係なく、ただ己の権力を維持するための争いでしかなかったというわけです。日本の努力は水泡に中華民国の初代総統・袁世凱 このような行動は我々日本人には理解しにくいところですが、もともと裏切りによってできた国であり、事大主義政策が国是とも言える朝鮮にとっては当たり前のことで、また一方の袁世凱にとっても朝鮮を牛耳る、またとない機会なので断る理由はなく、結局、割を食ったのは朝鮮独立のために援助し続けてきた挙句、いともたやすく裏切られた日本だけだということです。  朝鮮の基本政策である事大主義を日本の諺で言えば「長い物には巻かれろ」という意味で、長年、大国に隣接してきた小国としては、ある意味当然の選択だったのかもしれません。当時の清は大国でしたが、一方の日本は、まだまだ弱小国だったのです。弱小国の日本は、この動乱で自国の公使館が襲撃を受け、軍事顧問や外交官が殺傷されましたが何も出来ず、朝鮮独立のために尽くした日本の努力は水泡に帰したのでした。 こうして朝鮮は王の外威である閔氏一族が近代国家への道を閉ざし、再び国民の生活を顧みない政治を行うようになりました。しかし、朝鮮にも心から祖国を憂う骨のある人間がおり、この二年後にクーデターを起こして閔氏一族を追放し、国王を皇帝と改め朝鮮の独立を宣言しました。ところが、またも閔氏の要請により出動した清軍によって独立派が駆逐され朝鮮の独立はわずか三日で終わってしまいました。まったく自国の独立運動を自国民が妨害するのですから、どうしようもありません。 結局のところ、この時代の朝鮮の権力者たちは己の権力を如何に保持するのかという事しか頭になく、国家の独立、ましてや民の暮らしの事などは全く考えていなかったのです。そして、この動乱の際にも、また多くの日本人居留民が犠牲になりました。このような私利私欲のための裏切り行為や反対派に対する鬼畜のような残忍な所業を目の当たりにして、忍耐強い日本人の中にも朝鮮や清に愛想を尽かす人が多くなり始め、その意見の代表的なものが、このころ発表された福沢諭吉の「脱亜論」です。 日本としては自身が関与しなくとも朝鮮が名実ともに独立してくれさえすれば良く、あえて手のかかる朝鮮半島から手を退きたかったのですが、その後に清が居座るようになっては困るので、天津条約を結び両国が同条件で撤兵することとしました。このとき日本は外国からの侵略などの特殊なケースを除き朝鮮半島から永久に撤兵すべきであると主張しましたが、清としては属国である朝鮮の内乱などに「宗主国が出兵するのは当然だ」と一歩も譲らず、最終的に互いの国が、今後、朝鮮半島に派兵する場合は相互通知することで合意しました。ロシアにすり寄る朝鮮 ようやく日清両国が兵を退き、平和になるかと思われた朝鮮半島でしたが、相変わらず朝鮮は自立するでもなく、新たな後ろ盾を求めて今度はロシアに接近し始めました。そんなことをすれば宗主国の清が黙っているはずもなく、袁世凱は閔氏一族のライバルである大院君を伴って朝鮮に乗り込み朝鮮政府を指導する立場に就任しました。 しかし、それでも朝鮮国王はロシアへの接近を止めませんでした。その心境は「自分で独立するのは面倒なので誰かに頼りたいが、特定の誰かには支配されたくない」という感じなのでしょうか、清の顔色を伺いながら、あちこちの国に色目を使うさまは、なんとも哀れとしか言いようがありません。 それでも朝鮮政府は一定の開化政策を試み、欧米諸国から借金をしようとしますが、朝鮮独自の発展を望まない宗主国の清が許すはずもなく、様々な政策が、ことごとく失敗に終わり、それでも王侯貴族たちは民衆の生活を顧みなかったので、庶民の間にどんどんと不満が高まっていきました。 そして1884年に朝鮮国内で大規模な反乱が起きたのですが、事態を収拾する能力がなかった朝鮮政府は、またも清に派兵を要請しました。それを受けた日本も過去の動乱で自国民が虐殺された経験から、天津条約に基づき居留民保護のために派兵しました。そして反乱が収まっても日清両国が一歩も引かず、とうとう戦争になったのです。それが日清戦争です。 この戦争は詰まる所、朝鮮における日清両国の権力闘争でしたが、その影響は朝鮮半島にとどまらず、広く、その後のアジアの運命を大きく変えました。もし、清が勝利していれば、朝鮮はもとよりアジアの多くの国は、今でも欧米の支配下にあったかもしれません。 何故ならば、日本が朝鮮の独立のために戦ったのに対して、清は現状維持=植民地支配肯定が戦争の目的だったからです。事実、日本は「宣戦ノ詔勅」から「講和条約」に至るまで終始一貫して朝鮮の独立を謳い、そのために戦いました。日清講和条約が締結された割烹旅館。日清講和記念館には会議の様子を描いた画なども展示している それは、日清講和条約(下関条約)第一条を見れば良く分かることで、そこには「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」と明記されています。 講和条約=戦争の目的=朝鮮の独立ということで、しかも条約において一番重要なことを定める第一条に明記されているのですから、これ以上の説明は不要でしょう。なにも日本が純粋に朝鮮の独立のためだけに戦ったと言うつもりはありません。当然、自国の利益のために戦ったのですが、いくら自国の利益のためとは言え、古今東西、当事国が何もしないのに、勝てる見込みの少ない戦争を他国の独立のために多大な犠牲を払って戦った国があったでしょうか。 そして、その言葉通り朝鮮は、日本の勝利により有史以降初めて独立したのでした。その象徴が、それまで建っていた属国の証である「迎恩門」(歴代朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるために建てられていた門)を取り壊し、文字通り朝鮮の清からの独立を記念して、その隣に建てられた「独立門」です。歴史の事実を知らない韓国国民 独立門は、現在も韓国の首都ソウルにある西大門に建っていますが、多くの韓国人が、この門について日本から独立したときに建てられたものだと誤解しています。普通に考えると、この門が完成した1897年11月20日という日付を見れば、直ぐその間違いに気が付きそうなものですが、それすら分からないということは、韓国において歴史は事実である必要がないということなのでしょう。 もう一点、韓国の歴史観を教えてくれるのが、この「独立門」の扁額は李完用の作品だということです。彼は日韓併合条約に調印した人物で、本当のところはともかく韓国国民からは親日派=売国奴ナンバーワンとも言われ、2007年に作られた事後法により、彼の子孫は財産を強制的に没収されるくらい憎まれています。 それなのに、その彼の作品が史跡として登録され、そこに多くの人が観光に訪れているのを見れば、いかに韓国国民の多くが歴史の事実を知らないのかということが良く分かります。 さて、それはともかく日本と清の講和条約により、目出度く独立国となった朝鮮。日本としては多大な犠牲を払って獲得した独立ですから、彼らが自力で国家発展の道を歩んでくれるものと期待していましたが、そうはいかないのが朝鮮という国です。 彼らは、口では独立と言っていましたが、とても当時の国際社会の荒波を乗り切っていけるだけの力はなく、彼らも本心は独立が現実的ではないことを理解していました。ですから、当初は単に宗主国を、戦争に負けた清から勝った日本に乗り換えるくらいのつもりだったのでしょう。 しかし、日清講和条約締結のわずか6日後に起きた「三国干渉」により、事態は一変します。三国干渉とは、日清戦争において日本の勝利が濃厚になり、自国の満州や支那における権益に対して危機感を持ったロシアがドイツとフランスを巻き込んで日本に圧力をかけ、日本に日清戦争で血を流して獲得した大陸における権益を放棄させた事件です。 その大義名分が、日本が遼東半島を所有すれば「極東平和の妨げになる」というものでした。しかし、日本が放棄させられた権益は、その後、彼ら自身があの手この手で清から奪いとったのですから無茶苦茶という他ありません。しかし、この時代は力こそ正義であり弱小国日本としては黙るしかありませんでした。一つ言える事は、いつの時代も臆面もなく「平和」という言葉を使う人間や国は信用出来ないということです。 その結果、朝鮮は宗主国を日本からロシアへと乗り換えました。朝鮮としては、宗主国は強いことが第一条件ですから、より長いものにまかれることは当然の行動でした。しかし、日本としては多大な犠牲を払って獲得した朝鮮の独立や日本の権益が失われることを座視できるはずもなく、それに呼応した日本派とロシア派の争いが朝鮮政府内で勃発し、しまいには国王がロシア公館に逃げ込む事態にまで発展しました。 その後、国王を手の内に取り込んだロシアは朝鮮での権益をどんどんと拡大させていきます。日本としては日清戦争で多大な犠牲を払ったにもかかわらず大陸での権益を三国干渉で横取りされたうえ、また朝鮮での権益を横取りされそうになっているわけですから、たまったものではありませんでした。 しかも、前述したとおり朝鮮をロシアにとられるということは権益云々というより国家としての死活問題なわけですから、これだけは譲れなかったのです。当初、ロシアに対して大幅に国力が劣る日本は懸命に外交努力を重ねましたが、力(軍事力)なき外交はみじめなものでした。日本の世論は併合賛成へ 当時、世界一の陸軍国であるロシアは東洋の島国のことなど歯牙にもかけず、だんだんと交渉の余地はなくなり、とうとう日露戦争が勃発してしまいました。結果、辛くも日本は勝利をおさめましたが、相変わらず朝鮮は大韓帝国と名を変えてもシャキッとしません。 日本としては、二度の戦争を行い朝鮮半島や満州におけるロシアの影響力を排除したものの、相変わらず大韓帝国が、またふらふらと他国にすり寄ってはかなわないので、保護国としました。しかし、彼らは相変わらず密使を送るなど、ちょろちょろとした動きを止めませんでした。そのような彼らの行動に対して日本国内では「朝鮮併合すべし」という意見が強くなってきました。伊藤博文 しかし、一方で財政上の理由などで反対する人も沢山おり、この問題は文字通り賛成派と反対派で国論を二分していましたが、その状態にけりをつけたのが現在韓国で英雄と崇められている安重根その人です。彼が併合に慎重だった伊藤博文を暗殺したため、日本国内の世論は、一挙に併合賛成へと傾いたのです。「英雄視」の疑問 この事件についても現在の韓国では、韓国義勇軍による戦闘行為だったと教えていますが、当時の法令や常識に照らしても理解不可能な話です。第三国の領土において軍服を着用せず、非戦闘員に対して、いきなり銃口を向けるという卑怯な手段により殺害した行為を独立戦争と呼ぶのはあまりにも常軌を逸しています。 さらに彼の主張は、暗殺後に行われた裁判での陳述や彼が唱えた東洋平和論を読めば分かるのですが、特段、反日思想に凝り固まっているわけではなく、欧米列強の侵略に対する日中韓の連携を呼びかけているだけで、暗殺は当時の朝鮮人が持つ伊藤博文個人に対する誤った認識に基づくものであったと考えるのが妥当です。安重根義士記念館敷地内に建立された安重根像=韓国・ソウル市内 いずれにしても、自国が日本に併合されるきっかけを作った人物を、彼の本心を理解せぬまま、ただ単に日本の偉人を殺害したという理由だけで英雄視しているというのは実に皮肉なものです。まあ、客観的に見れば日本と併合して初めて朝鮮が近代化したわけですから、ある意味祖国を救った英雄とも言えますが・・・。 少し話はそれますが、他にも、韓国では上海天長節爆弾事件で日本人2名を殺害し、中国国民党から大金をもらったとされる尹奉吉も英雄視されています。とにもかくにも、現代韓国においては手段や動機にかかわらず日本の要人を殺害した人間が英雄視されているのが現実なのです。 普通に考えれば他国の要人を暗殺した人物を国家が英雄として崇め奉るというのは、その国のことを見下していなければできない行為で、韓国人が日本人には何をやっても構わないと思っている証拠です。 話しを日韓併合に戻しますが、現代韓国では日本が武力で大韓帝国を植民地にしたと信じている人が少なくはありません。しかし、日本は国対国として朝鮮に武力を行使したことはなく(正当防衛等の突発事案は除く)、日韓双方が平和裏に話し合った合意に基いて、国際法に則った手続きにより大日本帝国が大韓帝国を併合したのです。 また、植民地と併合では全く意味が違います。イギリスを例に挙げれば、イギリスはアメリカやインドを「植民地」として支配しましたが、北アイルランドやスコットランドは「併合」して同じ国になり、現在もそのままです。 また、日韓併合を会社に例えるならば、業績が悪化した会社(朝鮮)をベンチャー企業(日本)が、子会社にするのではなく吸収合併したようなものです。その結果、日本が朝鮮の借金を棒引きし、インフラ整備などに莫大な資金を費やしたのは、同じ国になったのですから当然のことです。 そして、その過程で新会社の方式を取り入れて従来の方式を廃止することもあれば、人事の面でいろいろと差が出たりするのは会社合併でよく見られる光景と同じです。そんな中でも日本は朝鮮の王家に敬意を払い、王族や一部の貴族を併合後も、その地位にとどめました。 にもかかわらず、何が何でも日本が無理矢理朝鮮を植民地にしたというのは、当時、韓国最大の政治団体「一進会」が併合に対して積極的賛成であったという事実をも無視し、当時の人たちが無能で無為無策だったために併合されたと言っているのと同じことで、実に彼らを馬鹿にした話です。 ちなみに、当時の弱小国日本は、三国干渉の苦い経験から事前に日韓併合について主要国に打診しており、その結果、米英は賛成し、清国を含む、その他の主要国から反対の声は全くありませんでした。(それどころか米英から「韓国の面倒を見るように」と、押し付けられたという説もあります) こうして、新生日本が朝鮮に親書を送ってから42年の歳月をかけて、ようやく日本は朝鮮半島の住人とともに西欧列強と戦うスタートラインについたのでした。

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    なぜ韓国は日本を許さないのか

     日本がいくら韓国に対して謝っても、彼らは、いつまでも謝罪や賠償の要求を繰り返します。そのことに対し、多くの日本人が疑問に思うとともに辟易としているのが現状ではないでしょうか。なぜ彼らは日本を許そうとしないのか、どうすれば彼らの要求が終わるのか? それを理解しないことには日韓友好も何もあった物ではありません。 日韓両国は1965年に締結された日韓基本条約の付随協約により、当時の国家予算の二倍強の協力金(日韓は戦争しておらず賠償義務がないため賠償金とは呼ばない)を日本が韓国に支払うことにより日韓両国間の請求権問題が「完全かつ最終的」に解決されたことを確認しています。 本来であれば、その時点で両国の過去は清算され対等の付き合いを始めるべきなのですが、日韓それぞれの事情により、その後も日本は韓国に対して何度も謝罪や援助を繰り返してきました。それにもかかわらず、韓国は日本に対して、いつまでも謝罪と賠償を要求しています。そんな韓国という国が、我々日本人の目には理解不可能な国に映るのも当然と言えば当然でしょう。韓国人の理屈日韓条約調印式 調印後握手する椎名悦三郎外相(左から2人目)と李・韓国外務部長官(左) しかし、これは日本から韓国を見た感想であり一面的な物の見方でしかありません。では、反対に韓国から日本を見た場合はどうなのでしょうか。当たり前のことですが、彼らには彼らなりの理屈があります。そして、それを理解しないことには韓国人の日本に対する言動の本質は見えてきません。 その理屈を簡単に言うと「日本の植民地支配に起因する出来事は、すべて日本政府の責任であり、それに対して時効の概念はない」というものです。少し大げさに言えば、日韓併合時代に起こったことは、例え交通事故でも「日帝が道路を拡張したから事故が起こった」と言えば日本政府の責任になるということであり、しかもそれは永遠に請求できる権利であるということなのです。日本人からすれば「そんなアホな」という話ですが、韓国では裁判所も認める当たり前の話として通用しています。 ちなみに、日韓基本条約の交渉時に日本政府は未払い賃金等の個人債権は直接個人に対して保証すると提案しましたが、韓国側がそれを断った経緯があるので、条約締結後の個人補償義務は韓国政府にあります。しかし、韓国政府が意図的に自国民に条約の内容を知らせないでいたため、いまだに多くの韓国民が、その事実を認識していません。もう一つ付け加えれば、この時、韓国は朝鮮半島を代表する国家として北朝鮮の分も受け取っています。ですから百歩譲って日本が北朝鮮に協力金を支払う義務があるとしても、日朝の国交が開始された時点で支払い義務は日本にではなく韓国にあるのです。 なぜ韓国は日本が何度となく謝罪や賠償を行っても、許さないのか それを一言でいえば「そういう国だから」という答えになります。ふざけた言い方に聞こえるかもしれませんが、一言で言いあらわそうとすると、本当にそうなるのです。これで話を終えれば本当に「ふざけるな」といわれるのは間違いないので、今から順を追って説明いたします。韓国はどういう国なのか その国がどういう国なのかを知ろうと思えば、その国民性を見る事も重要ですが、何と言っても、国家の成り立ち(歴史)や統治形態(法令等)を見るのが一番の近道です。特に憲法、中でも「前文」を読み解き現実と対比させれば、その国が、おおよそどの様な国であるのかという様な事がわかります。一例をあげると、いわゆる日本国憲法は前文で「(前略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)」と謳い、まさに「自国の命運を他国に委ねる」という無責任国家の本質を端的に表しています。 では「大韓民国憲法」の前文はどうなっているのかというと、 「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動で大韓民国を建立し(中略)檀紀4281年7月12日に憲法を制定する」 ※注となっています。 ここで、韓国の歴史を多少なりとも知っている人は、何かがおかしいと感じるはずです。韓国=大韓民国の独立の宣言は1948年8月15日に初代大統領の李承晩が行っているのですから、おかしいと思うのは当然の事です。では、大韓民国が建立されたという「己未三一運動」とは、一体何なのでしょうか? それは、1919年3月1日、日韓併合時代の朝鮮半島で起こった、反日暴動のことです。「大韓民国臨時政府」の史跡前で記念撮影する韓国人観光客。内部は改装され記念館になっている。=2013年8月15日、中国・上海(河崎真澄撮影) この運動自体の評価は諸説いろいろとありますが、要約すると、33名の宗教家が独立宣言書を作成し、それに共鳴した民衆がデモを起こしたという事件です。デモに参加した人数は多いものの運動は約2か月で収束し、処罰された人数の少なさや量刑の軽さ、何の成果もあげられなかったことを客観的に見ると「建国」とはほど遠いのが実情ですが、彼らに言わせると宣言書を読み上げただけで、大韓民国臨時政府ができたということらしいです。  彼らの歴史では、その後、大韓民国臨時政府は上海、重慶と場所を移しながら光復軍を創設し、それをもって連合国の一員として日本と戦い、最終的に勝利したことにより自力で独立を勝ち取ったという話になっています。つまり、大韓民国という国は自国の建立の歴史を、国際社会が認めた李承晩の独立宣言ではなく、自分の都合のいいように書き換えていることが、この前文から分かるわけです。 このことを、分かりやすく書けば 朝鮮(清の属国)→大韓帝国→大日本帝国→アメリカ軍政→大韓民国 という本来の歴史を 朝鮮→大韓帝国→日本植民地→臨時政府→大韓民国 というふうに書き換えているということです。 以上、韓国が自国の都合のいいように歴史を書き換える国であるという説明です。日韓の歴史認識の違い 次に、日本と韓国の歴史に対する認識の違いを整理しておきましょう。 日本において歴史というのは過去に起こった事実を客観的に検証し事実に迫ろうとするものですが、韓国においては事実とは関係なく「こうあってほしい」「こうあるべきだ」という結論をもとにストーリーを作ります。そして、その結論を決めるのは戦いの勝者、つまり時の権力者ですから、話がおかしいと思っても誰も文句は言いません。 彼らは往々にして、自分たちに都合の良い結論をもとに歴史をつくり、自分たちが政権の座から引き摺り下ろした過去の為政者を否定します。それは自分たちが新しく作った政権の正当性を担保するため、政権が交代する度に繰り返し行われる行為で、昔は一族皆殺しなどの残虐行為も珍しくありませんでした。民主化された今は、残虐行為こそ行われませんが、歴代大統領の末路を見れば、韓国の歴史に対する考え方が良くわかるかと思います。 ちなみに政権の正統性というのは、その政権が国を統治する根拠のことで、多くの国では国家設立の過程にその淵源を見ることができます。具体例を挙げると「アメリカ」は、植民地支配により自国を搾取していたイギリスに戦争で勝ち国民を救ったことを、「フランス」は、民を顧みない王家を革命によって倒し国民を救ったことを、根拠としています。 李氏朝鮮の場合は、高麗の将軍であった李成桂が、明との戦いのために集めた兵を己のために自国の王家に向け、いわゆる謀反により政権を簒奪したのですが、彼の国の歴史では高麗王朝は腐敗して民から見放されていたため、李成桂がやむなく高麗王家を討ったという筋書きになっています。 このように事実はともかく、新しく政権に就いたものにとっては、以前の政権が民を苦しめるダメな政権でなければならず、仮にそうでなければ現政権がおこなった行為(特に武力行使)が、君臣の秩序を乱した、ただの権力奪取になり、政権の正統性が疑われてしまいかねません。 大韓民国の場合はどうかというと、憲法前文で「三・一運動により建立された大韓民国臨時政府(後略)」と謳い、1919年に建国したことになっているので、現在の大韓民国にとっての前政権は日本であり、かつ彼の国の歴史では「光復軍」というものにより日本から武力で独立したという話になっていますから、先ほどの「政権の正当性」の話に当てはめれば、歴史の事実がどうであれ日本は民を苦しめる、倒されて然るべき政権であったという話でなければならないのです。 ですから日韓併合時代に朝鮮王国が近代化し、圧政に苦しんでいた民衆の生活が向上して民が暮らしやすい世の中になったという本当の歴史では、韓国政府としては非常に困るのです。まして大韓民国の建国後には国民の生活レベルが日韓併合時代より下がっているのですから、そんなことを認めれば日韓併合時代の方が良かったという話になりかねず、ひいては自分たちの政権の正当性が揺らぐため、何が何でも日本を悪者にしなければないのです。 そのため韓国政府は、歴史を書き換え、自国民を年端もいかない子供の頃から虚実交えて日本に反感を持つように教育しており、その成果とも言えるのが、平成25年にソウルで起きた「日本統治はよいことだった」と発言した老人が若者に殴り殺された事件です。 20代後半で終戦を迎えた日韓併合時代を実体験として良く知る95歳の老人が、自らの体験に基づいて述べた率直な感想に対して、それが真実か否かは関係なく、朴正煕政権末期に生まれた実際の日韓併合時代を直接知らない38歳の若者が日本をほめたという理由だけで殺意を抱くほどの怒りを覚え、それだけではなく、それを実行に移し、なおかつその行為を称賛する人が少なくないという事実は、実際の歴史である日本統治体験よりも、虚構をもとに行われている反日教育の方が、韓国人が日本を憎む原動力となっているという韓国社会の病根を如実に表していると言えるでしょう。 おまけに裁判所が、この若者に対して下した判決が懲役5年であるいうことと、韓国の裁判所が慰安婦訴訟やセウォル号事件で分かるように国民世論の影響を受けやすい体質であることを、重ね合わせて考えてみれば、韓国社会における、この反日無罪のような風潮は一部の人たちだけではなく広く世間一般の人々が容認しているという結論にならざるを得ません。まともな人もいたがまともな人もいたが では韓国人すべてが反日思想の持ち主かというと、そうではありません。このように日本人から見れば絶望的な韓国社会ですが、そんな中でも事実を捻じ曲げた一方的な日本悪玉論に異を唱える希望の光のような人がいるにはいました。 金完燮という作家は「親日派のための弁明」という日韓併合に肯定的な見解の書物を出版しましたが、その結果、本は事実上の発禁処分、本人は逮捕されました。(ちなみに日本ではベストセラーとなっています) また、韓国で国民的人気を誇った趙英男というタレントが「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」という本を出版しましたが、その後は親日派(=売国奴)として激しく糾弾され、芸能活動は休止に追い込まれました。 韓国社会において社会的地位の高い学者とて例外ではありませんでした。ソウル大学で韓国経済史を研究する李栄薫教授は「従軍慰安婦は売春業」と発言したため、元慰安婦らの前で土下座させられ、長時間にわたり罵倒を浴びせられ続けました。 このように韓国社会で日韓併合時代を良く言うことは自殺行為なのです。どんな人気者でも社会的地位の高い人でも、ひとたび日本寄りの発言をすればマスコミをはじめ司法に至るまで、ありとあらゆる方面から圧力を受け、集団リンチで社会的に抹殺されてしまうのです。韓国にも日本のことを正当に評価する人はいるのですが、怖くて声をあげられないというのが本当のところなのです。  このような社会に真の言論の自由などあるはずもなく、今この瞬間にも公教育により反日韓国人が生産され続けられているのです。彼ら韓国政府にとっては日韓併合時代こそが不都合な真実であり、特に日清戦争で日本が勝利したことによって初めて朝鮮が独立したことや、日本人として大東亜戦争を戦ったなどという歴史の事実は、彼らにとっては消し去りたい悪夢なのです。 ですから日韓併合時代に建設された建造物を「日本が建てた」という理由だけで取り壊し、日本に協力したとされる人たちを、親日(韓国では親日=売国)リストに載せ、子孫の財産を没収するなど、近代法の常識である「法の不遡及の原則」を捻じ曲げてまで、過去を消し去ろうとするのです。悲しいことに韓国は日韓併合時代を全否定しなければ国が成り立たないのです。反日の理由ソウルの在韓日本大使館前で慰安婦問題の解決を訴える抗議集会に参加した韓国の若者たち また、今なお戦争状態(南北間は休戦中であり、国際法上の戦争は終わっていません)にあり領土の北半分を占領しながら、韓国と朝鮮半島における政権の正当性を争っている北朝鮮の存在も見逃せません。北朝鮮建国の父である金日成は、日本軍と勇敢に戦い勝利した(事実かどうかは問題ではない)ことを政権の正当性としていますから、そのような歴史的事実がない韓国としては、何が何でも光復軍が日本軍に勝ったという話を創らなければならず、そのために日本人を殺した人物を英雄に祭り上げるなどして組織的な戦闘行為を行わなかった本当の歴史を、暗殺=戦争という歴史に書き換えるなどの作業を行っているのです。 つまり、国家として最も大事な政権の正当性のためには、彼らにとって事実がどうであれ日本が悪の帝国でなければならないのです。そのために彼らは、自分たちが一方的な被害者であると捏造した物語を武器に、国内では自国民に対して幼少期から徹底的に反日教育を行い、国外では諸外国(特にアメリカ)に対して、陰に陽に日本を非難し、日本が悪い国であるかのような印象を与えようとしているのです。 以上、ここまで述べてきたように韓国における反日の根本的な原因は、彼ら自身にあるのですが、それを大前提としたとしても、ここで忘れてはならないのが日本の責任です。言うまでもなく自己の保身のために歴史を書き換えて他国を非難する方が悪いのですが、それを助長してきたのが日本の政治家、官僚、マスコミ、学者、弁護士、市民活動家を名乗る人たちなどである事を忘れてはいけません。 政治家や官僚は保身のために目先のトラブルだけを回避しようとして、韓国の嘘を半ば認めるかのような対応を繰り返してきました。マスコミは日本が悪かったという話を捏造してまで日韓の両国民を洗脳し、時には日本の何気ない出来事を、悪意を持って韓国に伝え、反日感情を煽る一方、韓国の不都合な真実は日本で報道しません。学者は学問ではなく政治活動に走り日本を非難し、弁護士は海外に出かけ被害者を金で釣って集め、その人たちを自身の政治活動のために利用し、市民活動家を名乗る人たちはこれらの人たちの尻馬に乗って騒いでいます。 これでは韓国に対して「どうぞ日本を叩いてください」と言っているのと同じようなもので、実際に現在の日韓関係悪化の最大の原因と言われる慰安婦問題を創り出し育てたのも、これらの人たちです。この人たちは口先では「日韓友好」を唱えていますが、実際にやっていることといえば日韓両国民が互いに反発するようなことばかりで、結果的に日韓関係を悪くしているのです。 中でも日本政府は、今まで韓国の言いがかりを放置しただけではなく、さしたる根拠がないのにも関わらず、ただ単に日本が悪かったという内容の談話を発表するなど国家の責務を放棄したかのような振る舞いを続けてきました。 そのため「日本も自身の非を認めている」などと他国から誤解され、韓国には「日本は嘘でもなんでも大声を出せば、謝り金を出す」と馬鹿にされ、都合のいいように反日カードを使われてきたのです。いわば韓国を傍若無人な国に育てたあげた責任は日本にあるといっても過言ではありません。 そして、もう一つ忘れてはならないのが、日韓両国が友好な関係になれば困る国の工作活動です。典型的なのが、韓国でアジア女性基金を受け取ろうとした元慰安婦の老婆を脅迫して金を受け取らせず、問題の解決を妨げた親北団体の「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)で、彼らは事あるごとに「慰安婦」問題を持ち出し、無理難題な要求を突きつけて問題の解決を妨げてきました。 彼らのように表立って行動する人間は、まだ分かりやすくて良いのですが、本当に気を付けなければいけないのが、日韓の政府中枢やマスコミに深く潜り込んでいる人間です。スパイを取り締まる法令のない日本は言うまでもありませんが、金大中、廬武鉉と従北政権が10年も続き、国家の屋台骨であった国家安全企画部が縮小された韓国は昔では考えられないほど食い込まれています。日韓の主要なポストにいる人間の中にも、日々、日韓両国が離反するような活動を行っている人間がいる事を忘れてはいけません。 いずれにしても韓国は、国策として反日政策を行っているわけですから、そのような相手に対して共通の歴史認識など模索しても無意味な話です。あえて日韓共通の歴史認識を確立するとすれば、日本が韓国の言い分を丸呑みするしか方法がないでしょう。 また、単に嫌韓と言って感情論だけで対抗しようとしてもかなうはずがありません。日本も国家が中心となって戦略的に対抗しなければ、この先も彼らは日本に対しての謝罪や賠償を要求するだけではなく、執拗に反日工作を続けてくるでしょう。 この問題を解決するには彼らが言うように「日韓双方とも歴史を直視して、是は是、非は非と認めることから始めなければならないのです。ただし、それには長い長い時間が掛かるでしょう。※注韓国は1948年の憲法制定から現在に至るまで9回、改憲されています。上記は制定時のものですが、現在においても(中略)より前の文言はほとんど変わっていません。関連記事■呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■韓国好きの私が韓国を批判するワケ■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■「大韓ナチズム」に堕ちた韓国