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    東シナ海は「世界の火薬庫」 日中軍事衝突は現実に起こり得るのか

    邱海涛(ジャーナリスト)《徳間書店『中国大動乱の結末』より》 南シナ海問題では、2016年7月、仲裁裁判所がフィリピンの提訴に対して、「中国が主張する領有権は認めない」という裁定を出した。 中国の地方都市ではいくつか小規模の対米抗議デモがあったものの、まもなく取り締まりによって姿を消した。おもしろいことに、翌日になってアメリカ、日本、中国の株市場では株価がいっせいに大きく値上がりした。 フィリピンが仲裁裁判所に提訴したのは2013年1月で、同裁判所は2015年10月に本格審理入りすることを決めた。そのときから中国が悪戦苦闘を強いられることになった。 中国政府は最初から不利な結果が出るだろうと予測していたため、あの手この手でフィリピン側の提訴を阻止しようとした。南シナ海に人工島を造成、中国の実効支配が進む 中国はWTOなどの経済分野での国際訴訟については、一応、対応する姿勢を見せているが、人権や領土などをめぐる国際裁判への提訴には、いっさい応じない立場をとっている。基本的に中国は国際裁判所を欧米の傀儡だと決めつけており、まったく信頼していないからだ。 そのため、フィリピンを原告とする南シナ海紛争の国際裁判について、中国は「4つのしない」を貫いてきた。すなわち、「裁判に応じない、相手の提訴を認めない、判決の結果を受け入れない、判決の処罰に従わない」という外交姿勢である。 だから、中国側は裁定が出る前から「裁定は紙くず」だと宣言していた。中国は国連安全保障理事会の常任理事国であり、国際裁判所が判決文1枚で巨大な特権を持つ常任理事国の勝敗を決めるなどということは、中国にとってとても考えられない不面目なことなのである。 加えて、中国が国際裁判を拒否するのは、次のような懸念があるからである。まず、フィリピンが主張している島の領有権の範囲は、南シナ海の約3分の1にもおよんでいるので、南シナ海の全体を支配しようとしている中国にとって当然、受け入れられない。 また、中国はファイアリー・クロス礁、スビ礁、ミスチーフ礁などに莫大な投資をして7つの人工島を建設しているが、裁定に従うならば、そのうちのいくつかの島をフィリピンに返さなければならない。 南シナ海問題は、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイなど、7~8カ国が権利を主張している複雑さがあり、フィリピンが勝訴すれば、フィリピンの真似をする国が現れる恐れがある。これを中国は非常に警戒しており、そのために仲裁裁判所自体を否定しているのである。ASEANの切り崩しに動く中国 中国は紛争の解決案について当事国としか交渉しないと主張し、アメリカの介入を批判・阻止してきた。それはルールの制定や交渉の主導権がアメリカ側に渡ることを心配しているからである。一方、当事国側はアメリカが中国に働きかけ、公正平等な秩序をつくってもらおうとアメリカの介入を強く希望している。 たしかに、仲裁裁判所が下した裁定に強制力はないが、判決が出た以上、やはり中国に常にマイナスのイメージがつきまとう。国際舞台でのリーダシップをとりにくくなるし、欧米からは「仲裁裁判所の裁定を守れ」と要求される。実際、2016年9月のG20において、オバマ大統領は習近平主席との米中首脳会談で仲裁裁判所の裁定受諾を迫ったとされる。中国・杭州で開かれたG20サミッ=2016年9月ASEANの切り崩しに動く中国 こうした懸念から、中国はこれまでも、ASEAN(東南アジア諸国連合)各国が南シナ海問題で一致団結することを恐れ、切り崩し工作を進めてきた。 実際、関係各国は対策がばらばらで、必ずしも思惑が一致しているわけではない。カンボジア、ラオス、ミャンマーのような親中派と、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどの反中派、そしてシンガポールやタイなどの中間派に分かれている。さらに、反中派の国でも中国とは緊密な経済関係にあり、徹底的に対抗することには躊躇があり、常に態度が変わったりしている。 そのうえ、自国も南シナ海で埋め立てや空港建設、施設軍事化を進めているので、立場が曖昧だ。 こうした背景が、アメリカの対中外交を弱めている一因だといわれてきた。2015年11月4日にマレーシアのクアラルンプール近郊でASEAN拡大国防相会議が開かれたが、南シナ海問題をめぐって混乱し、共同宣言の採択には至らなかった。続いて11月23日にASEAN首脳会議が開かれ、議長声明を発表した。南シナ海問題に関し「軍事プレゼンスの強化やさらなる軍事拠点化の可能性について、複数の首脳が示した懸念を共有する」と明記したものの、紛争場所を特定せず曖昧な表現にとどまっていた。 2016年2月17日にアメリカ・カリフォルニア州パームスプリングス近郊で開かれたアメリカとASEANの首脳会議では、南シナ海情勢を念頭に「航行と飛行の自由」「紛争の平和的解決」などを盛り込んだ共同声明が発表されたが、相変わらず紛争場所は特定しなかった。中国を援護するカンボジアの狙い 2016年7月12日に仲裁裁判所の裁定が出た直後ですら、ASEANは南シナ海での中国の主権を否定した仲裁裁判所の判断を支持する内容の共同声明採択を断念している(7月13日)。議長国ラオスが「コンセンサスが得られなかった」と加盟各国に通知した。カンボジアなど親中派の加盟国が反対したためと見られる。 さらに、7月25日にはASEAN外相会議が開かれたが、ようやくまとめられた共同声明ではやはり仲裁裁判所の裁定のことは触れられず、当事国同士の話し合いによる解決が望ましいという文言が盛り込まれることになった。このニュースが中国国内に報じられると、世論は外交上の大勝利だと沸き上がった。仲裁裁判所の裁定について触れられなければ、国際世論の圧力が和らぐからだ。 当事国同士の話し合いというのは、中国以外の当事国が消極的だった。彼らはアメリカかASEANに調停に入ってほしいと思っていた。交渉で中国に強く出られることを警戒していたからだ。 しかし、中国は、それを頑なに拒否してきた。中国側の理由としては、「関係のない第三者が入ると、問題がより複雑化する恐れがある」ということだが、アメリカ在住のある中国問題専門家は、「それは建前で、実際には、中国は経済援助も含めて当事国の弱みを握っており、対策に長じているため、個別交渉のほうが圧倒的に有利だからだ」と語った。中国を援護するカンボジアの狙い しかも、ASEANでは「全会一致」の原則がとられており、1カ国でも反対なら共同声明は発表できないことになっている。2016年7月のASEAN外相会議では、カンボジアが中国に不利な内容が盛り込まれることに強く反対したため、各加盟国は妥協案を探るしかなかった。 このことについて、「産経新聞」(2016年7月25日付)はこう分析する。 「カンボジアは、過去に採択した声明文までも引っ込め、中国に配慮するよう迫った。背景には、30年以上にわたりカンボジアの実権を握ってきたフン・セン首相が、軍事的にも経済的も中国へ依存を深めざるをえない事情が指摘される。国内でも強権体質が強まり、2018年の総選挙を控え政治対立が激化している。南シナ海問題では、ASEAN内部でも、親中のカンボジアなどと、フィリピンやベトナムなど対中強硬派が対立している」カンボジアの親中姿勢 中国のほうでは、カンボジアをどう評価しているのか。「人民日報」傘下の「環球時報」(2016年7月27日付)には、「世間ではフン・セン首相の夫人の先祖が中国人(海南島出身の林氏家族)であることは言い伝えられているが、それは事実だ。ある日、内閣会議が開かれているところ、フン・セン首相は突然、翌日が中国の旧正月にあたるのを思い出して急いで会議を終わらせ、家に帰って夫人の傍で正月料理の準備を手伝った。家ではかかあ天下であることを披露している」という記事が掲載された。 カンボジアの親中姿勢は、中国がカンボジアへ巨額の援助をしているからではないか、という問いに対して、記事は、カンボジアに対する援助は日本が長い間トッブを占めており、20年間で総計30億ドルの援助があった。にもかかわらず、フン・セン首相が中国を支持してきたのは、絆が強いためだと述べる。アメリカもTPP加盟をカンボジアに持ちかけて誘惑したが、それでも功を奏することができなかった。西側と比べて中国の経済援助は無償で、カンボジアは中国人民に感謝しているという。カンボジアのフン・セン首相=10月7日、首都プノンペン そのため、フン・セン首相はカンボジア在住の華僑たちと良好な関係を持ち、いままで禁止されていた中国語の使用を広げるようにした。華僑たちも積極的にカンボジアの経済建設に力を捧げている。 記事は最後にフン・セン首相の性格に触れ、彼は恩返しを知る男だと評価した。ちなみに、カンボジアはいま中国で「柬鉄(かんてつ)」と呼ばれている。「柬」はカンボジア国名の略称で、「鉄」は永遠の友達の意味である。 記事は中国の無償援助がカンボジアに感謝されていると書いているが、筆者はやや疑問である。かつて中国はベトナムに大量の軍事的、経済的援助を行ったが、現在では敵対関係にある。 問題の本質は、カンボジアの外交戦略にあり、宿敵のベトナムに対抗するために中国の力を必要としているからだ。言い換えれば、中国とカンボジアが互いに利用し合っているわけだ。 カンボジアと中国は国境を接していないから、国境紛争で悩まされることがない。それに対して、ベトナムは隣国であるため、長い間、紛争が繰り返されてきた。カンボジアに言わせれば、現在のベトナムの国土の多くはカンボジアから略奪したものだという。アメリカが中国に譲歩 フン・セン首相はもともとベトナムへ亡命した過去もあり、1978年のベトナムによるカンボジア侵攻により樹立したベトナム寄りの政権で外務大臣になった人物である。また、政権を取る際にもベトナムの支援があったとされている。だが、首相に就いてからは、傀儡政権にならないようにずっとベトナムを警戒している。南シナ海問題で対中強硬派のフィリピンやベトナムと対立しているのもそのためである。 東南アジアにおいてベトナムは、もっとも実力のある国である。だから、フン・セン首相は小国カンボジアの安全のために軍事的にも経済的にも中国に依存しなければならないのだ。 2016年10月13日付の「ロイター」の報道によると、習近平主席は同日、カンボジアを訪問し、高速鉄道建設やシェムリアップ州での空港建設などに対する中国の投資を促進させることを約束したうえで、中国政府が約8900万ドルの債務を免除することも表明した。また、融資合意など合わせて31件の合意が成立し、カンボジア首相側近は「合意や約束の数という点で歴史的」と述べた。中国は1400万ドルの軍事支援も約束したという。「中国は国際秩序と規則に挑戦するつもりはない」 2016年7月25日、アメリカと中国の間で2つの会談が行われた。いずれの会談も非常に興味深く、日本のメディアも報道していたが、なぜか大事な内容を書き漏らしたり、あるいは事実を隠したりしていた。 まず、1つめの会談を見てみよう。ラオスのビエンチャンで開催中のASEAN外相会議に出席したアメリカのケリー国務長官は25日、中国の王毅外相と会談した。南シナ海をめぐる仲裁裁判所の判決後、初めての米中外相の会談であったが、ケリー長官が中国の主権主張を退けた仲裁裁判所の裁定を遵守するよう要求したのに対して、王外相は裁定を拒否する中国の立場をあらためて伝え、南シナ海問題へのアメリカの介入を牽制した。 日本のメディアが伝えたのは、ここくらいまでだった。しかし、大事な内容が報じられなかった。中国メディアの「新華網」(2016年7月26日付)は、会談の中身をこう伝えた。 「ケリー国務長官は中国とASEANが関連の共同声明を発表したことを歓迎し、米国側は南中国海の仲裁結果に対し立場を持たず、中国・フィリピンによる二国間対話の再開を支持し、仲裁案というページを速やかにめくり、南中国海情勢の温度を下げさせるべきだとの見方を示した」 中国にとって都合のいい表現が織り込まれてはいるが、ポイントは「米国側は南中国海の仲裁結果に対して立場を持たない」というケリー国務長官の意思表明である。これは作り話ではなく、事実である。アメリカが中国に譲歩したと見られる。 2つめの会談は、習近平国家主席とライス大統領補佐官の間で行われた。7月25日、習近平国家主席は訪中したライス大統領補佐官と会い、「互いに核心的利益を尊重しなければならない」と述べ、南シナ海問題で譲歩しない立場をあらためて表明した。一方で、「中国は国際秩序と規則に挑戦する意図はなく覇権は求めない」と強調した。 ここのポイントは、「中国は国際秩序と規則に挑戦する意図がない」という習近平の意思表明である。外交上の策略であるかもしれないが、いままで習近平はどんな場合でも、このような言葉を一度も口にしたことがない。言い換えれば、「中国はアメリカをはじめとする国際秩序と規則に挑戦する意図がない」という意思表明であり、中国も一歩下がったと解することもできよう。 仲裁裁判所の裁定が出てから、米中関係はさらなる緊張が高まることもなく、逆に歩み寄りそうな言動が見られた。全面対決はアメリカの国益に背くことになるからであり、また、オバマ政権の終わりが近づき、アメリカ人の関心は南シナ海ではなく大統領選挙に注がれている。こんなときに戦争を発動することは考えられない。 加えて、仲裁裁判所の裁定はアメリカにとっても不利な影響が広がる恐れがある。今回の裁定は国際法上の「島」の要件を厳格化した。裁定は、島で人間集団が安定した共同体(コミュニティ)を維持できることや、外部に依存しないで経済的生活が保てることなどを要件として示した。 ただし、この基準を敷衍(ふえん)していけば、アメリカにとっても厄介なことになるかもしれない。中国メディアは専門家の話を引用して、「アメリカには『島』と呼ばれる領地が多くあるが、この基準で認定すれば島とは呼ばれなくなり、ただの岩礁にすぎないことになるケースが出てくる」と報道している。東京都小笠原村の沖ノ鳥島=2005年4月 日本にしても、すでに国内で議論されているように、日本最南端の沖ノ鳥島の法的地位が揺らぎ、EEZ(排他的経済水域)の設定などが難しくなるだろう。だから、アメリカは、南シナ海の仲裁結果について立場を持たないと言って、曖昧な態度を示したのである。 中国にもいくつか譲歩の姿勢があった。外電には、仲裁裁判所の裁定が出る前日に、中国は南シナ海のウッディ(永興)島に配備された地対空ミサイル「紅旗(HQ)9」を本土に移動させたという報道があった。 また、中国とASEAN外相会議の共同声明では、関係国がこれから無人の島、礁、浅瀬などでの入植をいっさいしない義務が定められた。もちろん、これは主に中国を制約するものだ。むしろ危ないのは日中の衝突 次の章で詳しく触れるが、南シナ海が紛争・戦争状態になることでもっとも困るのは、中国である。海上輸送が封じられると、中国経済は計り知れない損失をこうむるからだ。そのため、仲裁裁判所の裁定以降、中国は南シナ海で目立った活動はしていない。 その裏で、アメリカをはじめとする欧米世論への対策、ASEANの切り崩しなどを静かに進めているのである。G20首脳会合で中国の習近平国家主席(右)と 握手する安倍首相=2016年9月4日、中国・杭州むしろ危ないのは日中の衝突 2016年8月に入ってから、東シナ海では日本と中国の関係が急変し、日本のマスコミが頻繁に「中国船侵入事件」を報道するようになった。「産経新聞」(2016年8月9日付)は次のように伝えた。 「中国の公船が尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海への侵入を繰り返していることに対し、北京の日本大使館の伊藤康一公使は8日『現場の緊張をさらに高める一方的な行動』として、中国外務省に抗議した。日本大使館が明らかにした。中国の公船と漁船が尖閣諸島周辺の接続水域や領海での航行を活発化させた5日以降、北京の日本大使館から中国側への抗議は4日連続」 2012年9月、日本政府は尖閣諸島(中国名は釣魚島)を国有化した。中国側は再三にわたって日本政府にこの「誤った」決定を撤回するよう求めた。そして、日本側が「島に上陸しない」「島の開発はしない」「海洋調査は行わない」という3つのことを守れば、中国は日本の国有化を黙認してもいいという秘密交渉が行われていたとも囁かれた。 実際、日本はこの「3つのしない」に対しては、そのとおり実行している。一方で、中国政府は月に十数回も監視船、海警船および監視用の飛行機まで繰り出して、国土保全の意志がいかに堅いかを国内に示してきた。 しかし、2016年8月からはかなり違った展開となった。それは、これまで日中双方にあった暗黙の了解が破られたことを意味する。 まず、船の量だ。中国が尖閣諸島の周辺海域に漁船約230隻を集結させた。これは過去の最大規模の集結より2倍も多い数であった。加えて、日本領とされる水域にまで入ってきたのである。これまでは中国漁船が入ったことはあるが、監視船などの公船が入ったのは初めてだという。 なぜ、中国は、日本に対して急に強硬な態度をとるようになったのだろうか。 日中両国のマスコミには、それを分析した記事が多い。安倍晋三政権が右翼思想の稲田朋美氏を防衛相に起用することへの反発との説もあれば、公船によるパトロールの常態化を強化し、世界の目を南シナ海の紛争から東シナ海に逸らす狙いだという説もある。日中戦争はいつでも起こりうる 筆者は、南シナ海問題でアメリカに追随する日本に対する報復措置という面が強いと考えている。中国では、日本は部外者だという認識であり、それだけに余計な口をはさんで中国の邪魔をする日本を憎む気持ちが強い。 中国政府は、仲裁裁判所の裁定について、「一部に事態をかき乱そうとする者がいた」と強く主張している。2016年7月25日、岸田文雄外務大臣と中国の王毅外相が会談を行った際、王毅は「これ以上介入を続ければ、別の意図があると証明することになる」などと高圧的な態度を見せたという。中国政府の日本に対するいらだちは、日本人が思う以上に強い。南シナ海の南沙諸島で訓練する中国人民解放軍の海軍兵士日中戦争はいつでも起こりうる 中国の国際問題専門家(シンクタンク)は、中国のアジア政策を「穏北、保東、争南」という言葉で説明している。以下、それぞれの説明である。 ・穏北:北とは朝鮮半島を指し、バランスをとりながら韓国と北朝鮮との外交を展開する。「穏」は安定化を図るの意である。 ・保東:東とは釣魚島(尖閣諸島)と台湾を指し、それを奪回することが目標である。「保」は取り返すの意である。 ・争南:南とは南シナ海を指し、国益を確保しながらも、ASEAN諸国にも利益を残す。「争」は交渉するの意である。 中国最高指導部は、外交政策を調整しながらアジア各国や地域との関係を維持している。上層部の詳しい情報は知らないが、前記のシンクタンクの考え方はかなり反映されていると思われる。 1つの裏づけがある。中国外務省はいま、多くの場で南シナ海を「共同家園」(皆の家)と呼ぶようになった。たとえば、2016年3月8日に第12期全国人民代表大会第4回会議が開かれ、王毅外相が記者団の質問に答えたとき、彼は、「南シナ海は中国と周辺諸国の『共同家園』だ」と語った。 一方、東シナ海や釣魚島について「共同家園」という言葉が使われることはない。これからも使わないだろう。なぜなら、取り戻さなければならないからだ。 こうした中国の対外政策の違いからすると、紛争や戦争が起こる可能性があるのは南シナ海よりも、むしろ東シナ海をめぐる日中間のほうだと考えられる。 香港・台湾の軍事専門家には、次のような中国の戦略シナリオを描く人が多い。 尖閣諸島所有権紛争でアメリカを介入させないように、中国はまず海上武装警察という準軍事力を使うだろう。海上武装警察の海警船には銃器・火砲などの武器が装備されているので、戦闘力が結構ある。このままでは日本に勝ち目がない 中国側はしつこく挑発し続けるが、第一砲は撃たない。そして日本側から攻撃を受けたら、ただちに全面的に反撃に出る。もし、日本の海上自衛隊が出動したら、中国の正規軍も登場する。中国はあくまで「応戦」という形をとるから、アメリカが出にくくなる。 戦いは一進一退すると思われるが、日本政府が尖閣諸島の領有権について双方が係争中であることを認めれば、中国は撤退していく。領有権交渉の余地が出てくれば、第1戦の目的は達成される。これで将来、島を取り戻す正当な理由ができるからである。いつかアメリカと日本の軍事同盟の関係がゆるみ、隙間ができるのを待って、この理由をもって島を奪回することができる。 日本メディアのなかにも、中国軍事専門家たちの作戦シナリオの実効性を認める見方がいくつかある。日本のあるメディアは、次のように指摘する。 現在、海上警備では日中間のパワーバランスが崩れはじめている。1000トン級以上の船艇の数が日本の倍にまでになるなど、中国の優位性がかなり目立つようになってきた。 2016年1月1日現在、海上保安庁は合計454隻の船艇を保有している。2013年前後には海上保安庁が保有している1000トン級以上の船艇は中国より多かったが、中国が急速に保有数を拡大して逆転した。2014年は日本54隻に対して中国82隻、2015年は日本62隻に対して中国111隻と、驚くべき伸張ぶりを見せた。 2016年以降は、その開きがさらに大きくなると予測される。このままでは日本に勝ち目がなくなることは明らかであろう。訓練のため南シナ海を航行する中国初の空母「遼寧」(右中央)=1月2日 しかし中国の官製サイトには、海上警備では日本の実力のほうが中国をはるかに超えていると紹介する記事もある。そのきっかけは、2016年8月11日に尖閣沖で中国漁船がギリシャ船籍の貨物船と衝突し、海に転落した漁船の乗組員6人が日本の海上保安庁の巡視船によって救助されたという事件だった。 中国公船の救助対応が遅かったため、中国のインターネットでは「肝心なときにどこへ行った」など、海警局を批判する書き込みが相次いだ。中国官製サイトはこの件についての記事を発表したが、それによると、海での上空パトロールや海難救助について中国と日本ではかなりの差がある、ということだった。 中国では海上警備や漁業保護にあたっては、海監、漁政、海事、税関、公安、国境警備隊など複数の管理部門がそれぞれ行っているが、職権の範囲が曖昧なために、公務執行上、多くの支障が生じている。職責不明で放任のままということである。2013年にはこれらの部門を1つに統合するという中央政府の決定がなされたが、いまだにばらばらで1つになっていない。 要するに、命令系統や設備などがまちまちで、実力は想像以上に乏しいということであった。中国の軍事専門家の分析 一方、中国の軍事専門家たちは、米中衝突よりも日中での紛争・戦争の確率がかなり高いと見ている。いつでも不測の事態が起こる恐れがある、としている。 その理由として、日中間では、米中のような危機管理連絡メカニズムが1つもできていないということである。日中間では海空連絡メカニズムの構築について数年にわたって協議されているが、いまだに合意には至っていない。その裏には、相互不信のために日中首脳会談がほとんど行われていないという重大な事情があげられよう。海上自衛隊が東シナ海で撮影したルーヤンII級 ミサイル駆逐艦=12月24日(防衛省提供) 2016年8月15日付の「産経新聞」は、中国の海洋戦略を研究するアメリカ官民の複数の専門家の見解を紹介した。それによると、2016年8月に中国が見せた動きは、尖閣の奪取にとどまらず、東シナ海全体への覇権を目指す野心的目標への新展開だと見ている点で、ほぼ一致しているという。 「中国の最近の尖閣海域での動きは明らかに日本を威圧する作戦の新たなエスカレーションであり、日本を領土問題での2国間協議に引き出すことが当面の狙いだろう」 アメリカ海軍大学の中国海洋研究所のピーター・ダットン所長はこう述べたうえで、「米国の当面の役割は軍事衝突を抑止することだ」という表現で、現在の尖閣情勢が軍事衝突に発展する危険性が高いことを示唆した。 日中の軍事的な衝突の可能性は、ますます現実味を帯びてきているといえるだろう。

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    習近平の権力闘争、経済停滞 中国の混乱が止まらない

    邱海涛(ジャーナリスト)はじめに《徳間書店『中国大動乱の結末』より》 ここ数年、日本では中国の報道について、かなり悲観的なものが目立つようになってきた。経済の落ち込み、南シナ海をめぐるオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所の裁定、国内の権力闘争など、さまざまな問題が取り沙汰されている。 一方で、「AIIB(アジアインフラ投資銀行)の加盟国が100カ国まで増えそうだ。中国が世界経済を制する」という報道もあれば、「AIIBはうまくいっていない。確実に失敗する」というものもある。その時々や立場によって、かなり論調が異なるものも多い。はたしてどちらが正しいのか。 筆者の実感では、日本の中国報道については、そのとおりであるものもあれば、現地の実情からしてかなり誇張されているものもある。 逆に、中国ではあまりネガティブな報道はされない。報道規制で報じられないようなニュースもある。とくに官製報道は、中国の国民もそれほど信用していない。米大統領選後の11日、北京の人民大会堂で、孫文の生誕150周年の式典で講演する習近平国家主席。 たしかに、中国は大きな転換点を迎えようとしている。さまざまな矛盾が顕在化し、混乱もあちこちで起こっている。それだけに情報が入り乱れるのも無理からぬ話なのだろう。 本書は、筆者が目にしている中国の国内事情、国内メディアや香港メディアの報道、日本のニュースなどとも照らし合わせながら、中国の現状を分析し、今後を予測したものである。 さまざまな中国報道でも、内外で一致しているのが中国経済の落ち込みについてである。国内は経済の減速がますます目立つようになり、輸出入も低下の一途をたどっている。とくに輸出の落ち込みは深刻で、中国の税関当局が2016年10月13日に発表した9月の貿易統計は前年同月比の10%減で、6カ月連続で前年を下まわった。 中国政府もこれ以上の経済停滞を避けるべく、さまざまな手を打っている。国内では「城鎮化」という農民政策、対外的には「新シルクロード構想」(一帯一路)やAIIB、あるいは高速鉄道の海外輸出など積極策に出ている。2015年にはインドネシアの高速鉄道建設において、中国が日本に競り勝って受注した。ただし、この高速鉄道については、うまくいっていないという報道が日本でさかんに出ている。 はたして、これらの経済政策は、今後、うまくいくのだろうか。今後の中国経済に明るい展望があるのか否か。 また、2016年6月には仲裁裁判所が、中国が主張する南シナ海の領有権について「歴史的根拠なし」という裁定を出したが、これによって中国はどこまで追いつめられているのか。しかも、仲裁裁判所に提訴したフィリピンでは、ドゥテルテ新大統領が選ばれてから急速に中国への接近が進んでいる。このようなきわめて流動的な国際情勢は、どう見るべきであろうか。中国はアメリカとの衝突を想定しているのか。加えて東シナ海では日本に対して何をしようとしているのか。 さらに混沌としているのが中国国内の権力闘争である。反腐敗運動をてこに、習近平主席はかなりの領域で権力を掌握したと思われるが、2017年秋の中国共産党第19回全国代表大会(党大会)に向けて、はたして思いどおりに改革が実施できるのだろうか。政局が逆転する可能性はないのだろうか。 本書では、こうした複雑かつ情報が錯綜しがちな問題について、中国国内で入手した情報も交えながら論評を加えている。 筆者は仕事の関係で、長年、日中の間を行き来し、両国の国柄から民族性、政治、社会制度などの違いについては、よく知っているつもりである。それだけに、日本人が中国の何に関心があるのかということも理解しており、それを誇張なく正確に伝えることができるとも自負している。 本書が読者の中国理解、現状把握、そして未来分析に役立てば本望である。 2016年10月中旬 邱海涛

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    実は身近にいた中国共産党スパイ

    月刊『Voice』最新号に掲載された。執筆した作家、拳骨拓史氏によれば、日本国内には現在、5万人もの中国共産党員が滞在し、工作活動を展開しているという。わが国に根を広げる中国共産党の情報網。隣のスパイにくれぐれもご用心を。

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    中国の独裁体制崩壊を見据えた習近平の野望

    丹羽宇一郎(公益社団法人日本中国友好協会会長)「両刃の剣」の留学生 習近平は「欧米の風俗、価値観に感化された人びとが指導層に増えてくると、中国本来の美点が失われる。留学生を早期に戻すといったコントロールが必要だ」と言ったとされる。 もともとアメリカなど、人権意識の高い国々に多くの留学生を送り込むのは、中国の指導者層にとって「両刃の剣」の側面がある。米大統領選後の11日、北京の人民大会堂で、孫文の生誕150周年の式典で講演する習近平国家主席(ロイター) 先端技術などを学び、中国に導入するためには必須となる海外留学だが、中国社会の異質ぶりに気づいて帰国しなくなるケースも少なからずある。技術の蓄積のためにはある程度、目をつぶっていたのだろうが、すでに許容範囲を超えてしまったのかもしれない。 国民の基本的人権を抑圧する国家は、長い目でみれば必ず衰退していく。恐怖政治を強いた独裁国家がいずれ滅んでしまうことは、歴史が証明している。世界に受け入れられないというだけでなく、優秀な人材が母国から流出してしまうからである。中国に戻りたがらない留学生が少なからずいるという現実に、その兆候が表れている。 留学経験のある優秀な科学研究者が、中国の技術力底上げのカギを握ることは間違いない。たんに処遇を手厚くするだけではなく、個人の自由をある程度認めなければ、簡単には中国に戻ってくれなくなる。 そのことは指導部も、十分にわかっているだろう。実際、若い世代のリーダーほど国民の声をもっと尊重しなければいけないという思いは強い。ということは、民主化は中国の未来にとって必須の課題ということだ。留学生をはじめとする人材確保という問題がきっかけとなって、中国は徐々に新しい方向へ変わっていくのは必然の流れだろう。少数民族や人権活動を弾圧少数民族や人権活動を弾圧 中国ではチベット族、ウイグル族などの反政府・分離独立運動が続いており、これに対して中国当局はアメとムチを基本としながらの弾圧政策をとっている。 チベット自治区では抑圧的な統治に対する僧侶らのデモが以前から繰り返され、抗議の焼身自殺による死者は2009年以降で120人を超えている。ウイグル族への圧政は苛烈を極め、頻繁に起こる自爆テロや暴動に対する当局の弾圧と鎮圧が続いている。 習近平政権発足後は、反スパイ法や国家安全法、反テロ法などを次々と施行し、記者や人権活動家への圧力を強め、言論・報道統制も厳しくなった。2015年7月には、公安当局が北京、上海、広州など中国各地で、人権派弁護士や人権活動家ら100人以上を拘束したほか、メディアや非政府組織(NGO)に対する規制も強化されている。 中国ではかたちのうえでは三権分立をとっていても、実態としては裁判所に司法権はなく、中国共産党の政法委員会が実質的に判決を下す。「審議する者は裁かず、裁くものは審議せず」という言葉が不文律として定着している。 アムネスティ・インターナショナルによれば、2015年には、世界で少なくとも1634人の死刑が執行され、前年比で五割以上増えた。中国では死刑に関する情報が公開されていないため、この数字には含まれていないが、アムネスティは「世界で最も死刑執行が多い国は依然として中国」と指摘し、2015年には数千人が処刑されたと推定している。 アメリカなどの欧米諸国は国連人権理事会で、習近平体制下での人権活動家の拘束、インターネット利用の制限、少数民族への弾圧などを指摘して、「集会、結社、宗教、表現の自由」などを抑圧する政策をとっていると中国を非難している。 国内の反体制派とその家族、友人らに対する拘束、監禁、拷問などの人権侵害の指摘について、中国側はそのたびに否定しているが、国内に急速に民主主義的な価値観が広がることを警戒していることは確かだろう。 あるいは香港では、トップの行政長官選挙(2017年実施)で、中国政府が自由な立候補を阻はばむ選挙制度を決めたことに対する大規模な民主化要求運動が2014年9月に起こった。警察の催涙スプレーに民主派のデモ隊が雨傘を開いて対抗したことから、「雨傘革命」と呼ばれた。 歩み寄りの姿勢を見せない中国政府を欧米諸国は批判したが、民主派への妥協は中国本土の反政府運動や分離独立運動に飛び火しかねない。今後も時が来るまで政府が決定を撤回することはないだろう。従来の民主主義国は教訓にならない従来の民主主義国は教訓にならない 人権問題も含めて中国が民主化、あるいは民主主義体制に移らないかぎり、中国の存在は国際社会の脅威となる、そんな指摘を少なからず耳にする。 現在の中国について、元北京市長で中国の最高指導部たる中央政治局常務委員の王岐山とは、互いの立場を離れて一対一で議論したことがある。私が「現在の中国は日本を含む先進国の資本主義や民主主義を学ぶべきだ」と話したところ、王岐山は「それはちょっと違う」と異論を唱えて、おおよそ次のように語った。「民主主義的資本主義体制にある先進国の教訓は、中国にはそのまま教訓にならない。中国はこれだけの巨大な人口を抱えている。いままでの資本主義社会は、せいぜい数億人の規模にすぎない。そういう国の資本主義、民主主義体制と、14億人の民主主義体制はまったく違う。経済の規模、深さ、あらゆる意味で同じことをやって統治ができるとは思えない。この巨大な国を、雇用から環境問題まで、すべての面にわたって多数決の民主主義で統治することができるだろうか」 アメリカやユーロ圏の人口は3億人、日本は1.2億人。それに対して人口14億人、92%の漢民族と55の少数民族を抱え、日本の25倍以上の国土を持っている中国で、どうすれば自由と民主主義を実現できるのか、という問いである。アメリカや日本の例は、参考にはなっても教科書にはならないという。私は、彼の意見に一定の説得力があることを認める。 たとえば、全人代(全国人民代表大会)に所属する3000人の議員が、いかにして日本やアメリカのように熟議を尽くして審議していくのか。全員が議論して多数決で決めることなど、とうてい無理だ。ある程度、民主的な手続きを飛ばした独裁的な決定がなければ、何も決まらないだろう。習近平国家主席が大型画面に映し出された全人代=北京の人民大会堂(共同) 国家の統一が担保されなければ、その国の発展も繁栄も安定もない。そう考えると、現在の経済力の下での国家体制を考えるかぎり、中国という巨大な国家を統治するには、共産党の一党独裁以外の選択肢は考えられないのではないか。 もちろん、言論弾圧や人権侵害は厳しく批判されてしかるべきである。しかし、欧米と同じ民主主義体制では14億人の民を統治することはきわめて難しいというのが、長年のあいだ中国とつき合ってきた私の実感でもある。にわ・ういちろ 公益社団法人日本中国友好協会会長 1939年、愛知県生まれ。前・中華人民共和国駐箚特命全権大使。名古屋大学法学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。98年に社長に就任すると、翌99年には約4,000億円の不良資産を一括処理しながらも、翌年度の決算で同社の史上最高益を計上し、世間を瞠目させた。2004年、会長就任。内閣府経済財政諮問会議議員、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画(WFP)協会会長などを歴任ののち、10年、民間出身では初の駐中国大使に就任。12年の退官後も、その歯に衣着せぬ発言は賛否両論を巻き起こす。現在、早稲田大学特命教授、伊東忠商事名誉理事。著書に、『中国の大問題』(PHP新書)など。関連記事■ 丹羽宇一郎が語る、人類と地球の大問題■ なぜ中国はいつまでも近代国家になれないのか?■ 中国が仕掛けるオンナの「歴史戦」に断固対抗せよ

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    日米同盟の分断を目論む中国の挑発を止めろ!

    鈴木馨祐(衆院議員) 中国海軍とロシア海軍の艦艇が、我が国の尖閣諸島の接続水域に侵入したということです。領海内ではないとはいえ、極めて憂慮すべき事態であり、厳重な警戒が必要です。これは当然のことながら偶然やミスではなく、意図的な行動と考えなければなりません。米軍機への中国軍機の異常接近なども発生していたことを考えれば、考えられる背景としては次のようなものかと思われます。南シナ海の西沙諸島付近の海域で実弾演習する中国海軍=7月8日(共同) まず第一に、アメリカにおいて大統領選挙の構図が固まる中で、またいわゆる「トランプ現象」で明確となったアメリカ国民の間で強まりつつある孤立主義的傾向というトレンドの中で、アメリカのアジアへのコミットメント、日米同盟へのコミットメントを試す動きというものです。 中国にとっても、ロシアにとっても、アメリカが東アジアで軍事的な影響力を維持することは、非常に邪魔なことです。アメリカとそのアジアにおける最大の同盟国日本の関係を揺さぶり、またアメリカの地域における影響力を長期的に低下させることが、中国、ロシアにとっては最も望ましいシナリオです。 その一番のテストケースが尖閣諸島であり、またおそらく台湾海峡の問題ということになります。中国とロシアが連携しているのか否かはわかりませんが、少なくとも中ロ両国が、「共通の利害」を持っているということは客観的に見て妥当な分析だと思われます。 そして、第二に、南シナ海については「航行の自由」などの観点から、伊勢志摩サミットでも大きな議題となり、その他の国際会議でも議論され、国際社会全体として、問題認識を共有してきているますが、一方で東シナ海の問題がその陰に隠れてしまって国際社会での問題認識の共有ということでは一歩遅れを取ってしまっているという点があるのではないかと思われます。挑発をエスカレートさせる中露 国際法的には南シナ海以上に東シナ海の状況のほうが明確で、日本の中間線の主張に100%理があるが故に、そして実効支配を日本がしているが故に、日本は国際社会で問題が存在していないという立場を取り続けています。実際、日本政府として国際社会に対しても、南シナ海の問題に言及することのほうが多いかもしれません。 その結果として、私も最近いくつかの国の高官・トップリーダーと話す機会がありましたが、日本以外の国においては、南シナ海の問題のほうが東シナ海の問題よりもはるかに認識されていて、「東シナ海については、日本もあまり一生懸命主張していないので問題が深刻ではないのだろう」といった誤解が生じてしまっている現実があります。その間隙をついて、中国やロシアが今回の行動を起こした可能性が高いと思われます。 このような背景で引き起こされた今回の事案ですから、おそらくこれから、中国やロシアはさらに挑発行為をエスカレートさせていく可能性が高いと言わざるを得ません。 中国の艦艇が領海内に侵入する、あるいは民間人が尖閣に上陸するといった挑発行為が今後起こる可能性が高まっているという認識の下で、日本としても、あらゆる可能性に対応できるよう、自衛隊・米軍の警戒レベルを上げ万一の時の対応ができる体制を作っておくというハード面、万一の場合に対応できる法的整備と世論形成、トップリーダーの覚悟といったソフト面、その両面での備えを強化することが必要です。 「太平の眠りを覚ます蒸気船」ではありませんが、米国の動向も世界的に注目される中で、国際社会との連携強化とともに、われわれ日本人が日本の国を海外の侵略的行動から護るということを真剣に考えるきっかけにせねばならないくらい深刻な事態、それが今回の中国海軍の艦艇の初の尖閣諸島接続水域侵入事案なのではないでしょうか。(鈴木馨祐公式ブログ 2016年6月9日分を転載)

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    仲裁裁判所判決を「紙くず」 無法中国への最大の反撃

    櫻井よしこ(ジャーナリスト)国際法を巡る闘い中国、完全敗北(7月13日付産経新聞1面) 国際法を守る陣営と国際法を破る陣営との闘いが始まった。オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所の判決が斬り出して見せた現実である。同裁判所は七月十二日、南シナ海での中国の無法な主張や行動について、中国の主張をほぼ全面的に退ける裁定を下した。 当初から中国にとって不利な判決になろうことはある程度、予測されていたが、仲裁裁判所は現在できうる限り最大限に踏み込んだ判決を示し、中国が独自に設定し、領有を主張してきた「九段線」について、「法的根拠なし」と断じたのである。 これにより、中国が南シナ海の全域にわたってその領有を主張する根拠はすべて崩れ去った。中国の完全なる敗北である。 フィリピンが仲裁裁判所に仲裁申し立てを行ったのは、二〇一三年一月だった。国際海洋法裁判所や国際司法裁判所と異なり、仲裁裁判所は相手方の当事国が提訴に応じなくとも手続きを進めることができる。中国は、これに反発した。 「当事国同士の協議で解決すべき」「仲裁裁判所にこの問題を扱う権利はない」と主張して、彼らは昨年十一月の口頭弁論にも参加しなかった。一方、フィリピン側は中国の活動に関して十五の申し立てを行い、一万ページにもわたる資料を提出して裁定に臨んだ。 裁定は、前述のように中国側の言い分をすべて退けるものだった。内容を要約すると、以下のとおりだ。 ①中国の主張する「九段線」に国際法上の根拠なし ②中国が埋め立てた人工島は「島」ではなく「岩」であり、排他的経済水域や大陸棚の権利は主張できない ③スプラトリー諸島には国際法上の「島」は存在せず、岩にどのような構築物を建設しても領海や領空は生じない ④中国の埋め立てや中国船による漁業が、周辺海域の生態系を破壊している ⑤中国船がフィリピンの石油探索や漁業を不法に妨害している ⑥仲裁手続きが始まっているのに、なおも大規模な埋め立てや造成を行ったことを非難する 内容を見る限り、裁定はハーグ仲裁裁判所の固い決意を示している。それは国際社会は徹頭徹尾、互いに法に従い、法に基づく秩序によって治められるべきとする考えだ。中国のような“大国”が、国際法遵守という二十一世紀の人類のあるべき原理原則を破壊しようとしていることに対する警戒心、さらに憤りさえも垣間見せるものだ。中国は暴言吐いて猛反発中国は暴言吐いて猛反発 仲裁裁判で中国が一方的に造成した建造物等の取り壊しを求めなかったことに対し、一部からは「踏み込みが足りない」との指摘もあるが、取り壊しの指示に関しては仲裁裁判所の範疇を超えるものであろう。判決内容は、むしろ驚くほど踏み込んだものであり、裁判所はできうる限りの十分な裁定を下したと言うべきだ。 仲裁裁判所の裁定に異議を唱えることは許されておらず、これが最終決定であることも考えれば、裁定がいかに重大かつ決定的な意味を有することか、そのことの深刻さを一番よく理解しているのが中国であろう。 彼らは、当初から仲裁裁判による解決を拒絶しており、当然のことながら、この判決にも激しく反発している。中国外務省は十二日、「法的拘束力のない判決を受け入れることはない」 「中国の権利を著しく侵害した」とする声明を発表、中国政府も「南シナ海における活動は二千年以上の歴史がある」と主張した。 習近平国家主席も同日、EUのトゥスク大統領との会談で「裁定に基づくいかなる主張や行動も受け入れない」と述べた。中国政府は一体となって絵に描いたような横暴、法の理念を覆す発言を繰り返す。 七月十三日付の朝日新聞にコメントを寄せた北京大学国際関係学院の帰泳濤副教授は〈裁判で争う問題ではない〉と題し、次のように述べている。〈中国には、領土問題について歴史的に欧米主導の国際法体系から「被害を受けた」という潜在意識がある。中国は近代史の中で領土や権利を失ってきたが、いずれの場合にも条約があり、「合法的」とされてきた。既存の国際法が形成される過程で、中国の意見はほとんど反映されなかった〉 中国の強硬姿勢の背景にある思想が凝縮されているではないか。つまり現在の国際社会で遵守すべき国際法は、先んじて先進国となった欧米に有利な内容であり、後発の中国には不利なものだから受け入れないというのだ。 だが、中国は国連海洋法条約(UNCLOS)を批准した。批准したからにはそのルールを守らなければならないというのが、私たちの原理原則である。批准によるメリットを受けながら、一方で自国に不利な部分のみ無視する勝手は許されない。中国はそうした西側陣営の基本的価値に真っ向から挑戦しているのである。“無法者国家”そのもの“無法者国家”そのもの2010年10月、中国で拘束されていた社員が解放されたゼネコン「フジタ」の本社には多くの報道陣が集まった(松本健吾撮影) 中国との価値観の闘い、国際法を守る側と破る側との究極の対立は、しかしいまに始まったことではない。これまでも中国は、“無法者国家”の振る舞いを見せてきた。それが明らかになったのが二〇一〇年だった。 いまさら指摘するまでもなく、中国はWTO加盟国である。加盟国として中国は、海外からの投資をはじめ、多くのメリットを享受してきた。 にもかかわらず、中国は為替操作や鋼管にかけていた反ダンピング関税など、ルールを無視したWTO違反を繰り返している。 そうしたなかで二〇一〇年、尖閣沖中国漁船衝突事件のあと、中国は在中日本企業・フジタの職員を拘束しただけに留まらず、レアアースの禁輸を発動した。尖閣諸島は自国領だと主張する中国漁船が、海保の巡視船に体当たりで突っ込んできたうえ、船長を拘束した日本政府に抗議するために、事件とは無関係の企業社員を拘束し、加えて中国が独占しているレアアースの禁輸を宣言したのである。明らかなWTO違反である。 その時その時で、国際法など容易に破り捨てるのが中国である。事実、同件はのちに明確なWTO違反が確定している。 中国の利己主義は国際法違反の行為を生むだけではない。歴史の解釈にも同様の現象が生じている。中国が近現代において欧米先進国から被害を受けた、という被害者意識を強く抱いていることは、先述の北京大学帰副教授のコメントが示すとおりである。 中国は自身を被害者だと言い募るが、自身が加害者であることには口を噤んでいる。 チベットもウイグルも、もともと中国の一部などではなかった。それを力ずくで奪ったのが中国共産党である。もともとの民族の主張を尊重すべきだというのであれば、中国はチベットとウイグルの人々が有していた国土を放棄すべきであろう。 また、南モンゴル(現在の内蒙古自治区)は米英ソ三国のヤルタ会談で中国に属すると決められた。南モンゴル出身の楊海英静岡大学教授は、このヤルタ協定こそ、南モンゴル人の悲劇の元凶だと語る。仮に、中国が先んじて先進国となった国々のルールに異議申し立てをするのであれば、現在の内蒙古自治区の独立をも了承すべきだろう。 中国はしかし、そのようなことは決してしない。彼らは自国に都合の良いところだけをつまみ食いするように利用するだけである。「判決は紙屑」の横暴「判決は紙屑」の横暴 中国は文明国でもあり、文化大国でもある。私はそのような中国への尊敬も抱いている。しかし、共産党支配の中国の「法の支配」を否定する非常識は断固受け入れられない。 胡錦濤政権時代、外交の責任者だった戴秉国は、判決が出る直前の七月五日、アメリカのワシントンで行われた米国カーネギー国際平和財団と中国人民大学重陽金融研究院主催の南中国海問題対話の開幕式で講演を行った。 そこで「仲裁裁判所の判決は重大なものではない、ただの紙屑だ」と述べた。裁定後の七月十三日には中国の外務次官も同様の発言をしたが、戴秉国の講演は全体にわたって驚くべき暴言、虚言の連続である。中国外務省は戴演説の全文をホームページに掲載した。つまり、戴氏の暴言は中国政府の主張そのものだということだ。一部を引こう。〈南沙諸島の中国復帰は、(第二次世界大)戦後の国際秩序と領土の取り決めの一部であり、国連憲章など国際法によって守られている。 その後フィリピンやベトナムは中国の南沙諸島の一部の島や礁を不法に武力侵略・占領した。国際法に基づき、中国は自己保存権と自衛権を完全に有し、こうした島や礁を取り戻す能力もある。 だが中国は地域の平和・安定維持の観点から、長年高度の自制を保ち、交渉による平和的解決を探り続けてきた〉〈フィリピンが中国との南中国海紛争について一方的に仲裁を申し立てたことは、南中国海における関係国の行動宣言や、中国側との一連の二国間合意、および国連海洋法条約の規定に背き、始めから不法だ。 仲裁裁判所が近く示す裁定は紙くずに過ぎない。中国がこのような仲裁を受け入れず、いわゆる裁定を認めず、執行しないのは、国際法に基づき自らの権利を守ることであり、国連海洋法条約の完全性と権威を守ることでもある〉〈近代以降、中国は西側列強にさんざん虐げられてきた。これは中国人の記憶に新しい。中国が領土主権の問題における命運をしっかりと自らの手に握り、いかなる第三者の解決案も断じて受け入れないのはこのためだ。当面の急務は、いかなる挑発的行動も取らないようフィリピンを厳しく制約することだ〉〈中米は世界最大の発展途上国および最大の先進国として、世界経済の発展、国際平和・安全の維持などの面で一層の共同責任を担っている。中米は共に知恵と先見性に富む偉大な民族だ。共通利益の観点から、相互尊重を堅持し、率直で誠意ある意志疎通を行ないさえすれば、双方は溝を適切に管理・コントロールし、協力のチャンスを見出すことが必ずできる〉(人民網日本語版、二〇一六年七月七日付記事より) 驚くべきことに、「仲裁を受け入れないことこそが国連海洋法条約を守る態度である」と述べているばかりか、「いざとなれば力尽くで島や礁を奪い返すだけの力はあるのだ」と誇示しているのである。 さらに西側に虐げられてきたとする被害者、後進国としての主張と、米国と並ぶ大国になったという二つの立場を使い分けながら、〈中国の平和的台頭及び覇権争いをしない戦略的意図を明確に認識〉するようアメリカに要求している。中国の身勝手なダブルスタンダードが鮮明に読み取れる。戴秉国とヒラリーの蜜月戴秉国とヒラリーの蜜月2009年7月、米ワシントンで「戦略・経済対話」を終えた中国の戴秉国国務委員(左)とクリントン国務長官(ロイター) この発言が、戴秉国という人物のものであることは大いに注目すべきだろう。戴秉国は、キッシンジャー時代からアメリカの政治家たちの心を掴んできた人物だ。 キッシンジャーはヒラリー・クリントンが国務長官になった際、戴秉国は〈中国政府高官の中で、最も開放的で魅力的な人物の一人〉とわざわざ申し送りをした、と彼女の著作(原題『Hard Choices』、翻訳版は『困難な選択』日本経済新聞出版)に綴られている。 本書に描かれた戴秉国とヒラリーの関係は、これ以上ないほどに親密である。ヒラリーと各国とのかかわりが一章ずつ記されているなかで、日本については「アジア」とまとめられた章のなかでわずかに触れられたのみである。対して、中国については「中国」 「北京」と二章割かれており、その中心人物が戴秉国である。〈私と戴秉国は即座に意気投合し、その後何年にもわたって多くを語り合った。彼は時折、米国がアジアでやる何もかもがいかに間違っているかを、皮肉たっぷりに、しかしつねに笑みを浮かべながら懇々と説いた〉〈まだ出会ってすぐのころ、彼(注・戴秉国)はまだ生後間もない女の子の小さな写真を取り出して、「私たちはこの子のために、こうしているのですよ」と言った。その思いに私は共感した。(中略)この情熱の共有が二人の揺るぎない絆の中心にあった〉 国務長官まで務めたアメリカの政治家、それも大統領候補として最も有力視されている人物が、中国の政治家に対してこれほど入れ込んで、はたして大丈夫か。そう思わせる表現の連続だ。戴秉国との面会時の写真を口絵に掲載するほどの惚れ込みようなのである。 ヒラリーにここまで信頼を抱かせる「開放的で魅力的」な人物が、国際法に基づく裁定を「紙屑」と呼んで憚らないこのギャップを、私たちはどう考えるべきだろうか。「中国はもとよりそのような国だ」と言うだけで終わりにはできない。 中国はアメリカの政治状況を見ているのだろう。レームダック化したオバマ大統領はもとより、大統領選のさなかでアメリカが活発に動くことができない現状で、中国が強く出たとしてもアメリカは実行力を伴う行動には出られまい──。そう睨んでいるのではないか。 いまはむしろ強く出て押し込んでおき、新政権ができたら対話に応じてほんのわずかな譲歩の姿勢を示す。そうして「話の分からない中国ではない」と印象づけ、責任ある大国としての姿勢を強調し、米側の新政権に「中国の譲歩を引き出した」とのお土産を渡す算段ではないだろうか。中国が考える「次の手」中国が考える「次の手」 むろん、その譲歩は、南シナ海一帯をわがものとする中国にとってはもはや痛くも痒くもない程度のものに留まるであろう。現在の言動は、その効果をより大きく見せるための布石と見えなくもない。そう考えれば、現在の習近平政権の常軌を逸した強い反発も、戦略的な計算ゆえであると推察できる。 中国の横暴さに慣れてしまった私たちは、ともすれば「またやっている」「恥も外聞もない」と一蹴してしまいがちだ。なかには、「中国の暴言は中国の焦りだ」と見る人もいる。中国が焦るのは当然としても、その先に日本もアメリカもアジア諸国も何をすべきかを考えなければならない。中国が焦っているとして、こちら側が優位にあるなどと安心するのではなく、中国の長期的・戦略的思考に備えなければならない。 情勢は、実は中国の思惑どおりに事が進むほど甘くはない。中国の南シナ海支配は外交問題だけではなく、内政や共産党内の権力闘争にも大きくかかわってくるからだ。仲裁裁判所の判決を「紙屑」とまで一蹴しておきながら、それを受けて習近平政権が退いたとなれば、習近平政権、ひいては共産党支配の正統性にかかわる問題となる。 南シナ海の問題は、国際世論と国内世論のゼロサムゲームになってしまっているのである。強く出て国内世論の支持を得れば得るほど、国際世論からの信頼を失う。中国自身が始めたこのゲームは、自らを縛ることにも繋がっている。 中国が南シナ海支配を目に見えて活発化し、行動に移し始めた二〇一四年早春以降、国際会議の場では中国への非難が相次いだ。顕著なのは毎年、五月末から六月頭にかけてシンガポールで行われるIISSアジア安全保障会議(通称・シャングリラ会合)である。 二〇一四年の第十三回会合では安倍晋三総理が基調講演を行い、中国の動きを次のように牽制した。〈世界が待ち望んでいるのは、わたしたちの海と、その空が、ルールと、法と、確立した紛争手続きの支配する場となることです〉〈南シナ海においては、ASEANと中国の間で、真に実効ある行動規範ができるよう、それも、速やかにできるよう、期待してやみません。 日本と中国の間には、二〇〇七年、私が総理を務めていたとき、当時の温家宝・中国首相との間で成立した合意があります。日中両国で不測の事態を防ぐため、海、空に、連絡メカニズムをつくるという約束でした。 残念ながら、これが、実地の運用に結びついていません〉 このように中国を名指しで批判し、法の支配に基づくアジア地域の繁栄を、と説いた安倍演説は、各国の安全保障担当者からスタンディングオベーションを以て迎えられる画期的なものだった。 これに対し、中国の王冠中人民解放軍副総参謀長は用意してきた原稿を脇に置いて、安倍総理と、同じく中国を牽制したヘーゲル米国防長官を「中国を敵視している」 「覇権主義と威嚇の言葉に満ちた非建設的な内容」 「(日本の)冷酷なファシスト的、軍事的侵略の復活を許さない」と猛烈に批判した。 さらには中国のやり方は平和的であり、周辺国と「ウィンウィン」の関係を保っていると断言。「南シナ海は二千年前から中国のものであり、現在の国際法が遡及できるものではない」と述べた。 王氏の演説はあまりに非論理的な内容で失笑を買ったものの、以来、中国は南シナ海について「二千年前からの領有権」をずっと主張し続けて今日に至る。米国が怠った初期対応米国が怠った初期対応 二〇一五年の会合では、中国の孫建国人民解放軍副参謀長が「武力では平和を実現できず、強権では安全を保証できない。ウィンウィンの関係が大事。中国は積極的に国際的な責任と義務を履行し、世界と地域の安全・安定の維持のなかで建設的な力を発揮している」と述べている。 さらに、シンガポールのリー・シェンロン首相に講演をさせる「代理戦争」を展開し、リー首相はなぜか歴史問題で日本を批判。過去を乗り越える必要があるとしたうえで、「米国と中国のどちらかの味方につくかを選びたいと思う国はない」としながらも、南シナ海問題は日本やアメリカなど第三国が介入するよりも、中国とASEANの「当事国が解決すべき」とアメリカよりも中国の思惑に沿った講演を行った。 そして今年のシャングリラ会合では、アシュトン・カーター米国防長官が〈中国がいまの行動を続けるなら、中国は孤立した万里の長城を築いて終わるだろう〉と厳しい言葉で中国を批判したうえ、公演中に「principle(原理・原則)を重んじよ」と三十七回も述べたのである。 これに対し中国側は前年同様、孫建国氏が登壇し、「南シナ海の問題は完全に解決されている」 「ウィンウィンだ」 「フィリピンの主張は国際法違反である」などと述べたうえ、アメリカを名指しはしないながらも「某国が南シナ海で『航行の自由作戦』を展開し、中国に圧力をかけている」などと述べた。 こうした中国の強気の姿勢とは裏腹に、今年はASEANの小国を含めて一国たりとも中国の味方をする国がなかった。ASEAN諸国はアメリカ側に付くとは明言しなかったけれども、開かれた海、つまり「航行の自由」こそが大切だと述べたのである。 それにしてもなぜ、アメリカは国際社会の常識である「航行の自由」をあえて声高に叫ばなければならない状態に至るまで、南シナ海における中国の一方的な暴挙を許してきたのか。 二〇一三年九月、オバマ大統領がシリアへの軍事的不介入を決めて「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言したことを契機として、中国は南シナ海での埋め立て、軍事基地の建設を活発化させた。ロシアもすばやく動き、シリア問題で巧みにリーダーシップをとった。この時、アメリカを軸に保たれてきた冷戦後秩序に異変が生じ始めた。パックス・アメリカーナの崩壊の始まりだったと言えるだろう。日本が先頭に立つべし日本が先頭に立つべし オバマ大統領の軍事的不介入政策を奇貨として、中国が南シナ海をわが物とする主張や行動を見せ始めたにもかかわらず、アメリカは初期対応を怠ったのである。南シナ海の南沙諸島で警備する中国人民解放軍の海軍兵士=1月(新華社=共同) 中国の埋め立て、軍事施設の建設がどうにも止まらない、もはや後戻りさせることなどできないことが明白になって、二〇一五年六月、オバマ大統領は初めて南シナ海の実情を、映像を通じて公表することを許した。世界は南シナ海がどのように中国の海と化しつつあるかを見せつけられて驚愕した。 アメリカは「航行の自由作戦」を展開すると宣言した。しかし米軍がスプラトリー諸島周辺にイージス艦・ラッセンを派遣したのは、それから五カ月も過ぎた昨年十月末だった。 米国は三カ月に一度、米艦船や航空機を南シナ海に派遣すると発表し、今年一月にはパラセル諸島にイージス駆逐艦カーティス・ウィルバー、五月に再びスプラトリー諸島周辺に米海軍のイージス駆逐艦ウィリアム・P・ローレンスを派遣した。七月には、空母ロナルド・レーガンが警戒監視活動を行った。 三カ月に一度の監視活動で、中国を抑止できるとは思えない。ただその一方で、アメリカは直接的な衝突を避けながら、中国を第一列島線内の行動に制限すべくオフショア・コントロール戦略を取っている。 これに対し、高い潜水艦技術を有する日本が協力できる部分は大きいのではないか。日本にはアメリカの基本戦略を支える行動と決断が求められるが、その第一は、軍事的提携のために警察力による南シナ海の秩序維持のための監視体制を支えることである。 二〇〇六年に作られた枠組みとして、「アジア海賊対策地域協力協定」がある。同枠組みはASEAN諸国に日米、韓国、オーストラリアなども加わった多国間の協力システムである。こうした枠組みをより強化する先頭に日本が立つのがよい。 日本はすでにコーストガード(沿岸警備)の分野では、フィリピンやベトナムに航空機の派遣や巡視船の無償供与など、多大な貢献を行っている。同じことは東シナ海でも同じことは東シナ海でも もう一点、日本が最も警戒しなければならないのが東シナ海である。南シナ海で起きることは、必ず東シナ海でも起きる。現に中国は、尖閣諸島の久場島周辺に海軍のミサイル駆逐艦を入れてきた。鹿児島の口永良部島では、同様のミサイル搭載のフリゲート艦が領海に侵入した。 軍艦が日本の接続水域や領海にまで入ってくるようになったことは、中国の対日戦略が新しい、より緊迫した局面に入ったということである。 南シナ海では警察力を主軸とする監視体制を強化するとともに、東シナ海も含めたアジアの海を守るために海保と自衛隊の協力、他国との共同パトロール体制も推進しなければならない。 なぜこのような防衛努力を日本がしなければならないか、なぜ日本が指導力を発揮しなければならないかは、アメリカをはじめとする国際社会が、かつてないほど孤立主義に向かっていることを見れば明らかである。 オバマ大統領の「アメリカは世界の警察官ではない」という宣言とシリアに対する軍事介入否定、それに続く南シナ海での中国に対する軍事介入の否定は、アメリカの孤立主義を際立たせる。こうしたアメリカの内向き志向は、トランプ氏によってさらに強調されつつある。 国際社会を広く眺めれば、アメリカのみならずEUからの離脱を決めたイギリスをはじめ、自国中心主義、孤立主義の連鎖が起こり始めている。 イギリスのEU離脱に追随するかのような動きが、マリーヌ・ルペン党首率いるフランス極右政党「国民戦線」をはじめ、オーストリア、ドイツ、ポーランド、チェコ、スロバキア、オランダなど多数の欧州諸国で見て取れる。 EUを離脱したイギリスの存在感が失われれば、英米を中心とするNATOの枠組みにも影響を及ぼすだろう。その時、ほくそ笑むのはクリミア併合などの動きに見て取れるように、「法を重んじない側」のロシアである。中国に“反撃”せよ! 日本は昨年夏に安保法制を通過させたが、国際情勢を見れば、それに続いて憲法改正を急ぐ必要がある。これからの国際社会では、警察力、軍事力の双方で多国間の協力システムが作られていくだろう。日本だけが「ここから先はできません」と憲法を理由に動かないわけにはいかない国際情勢が出現するだろう。何にもまして、東シナ海が危機に見舞われるとき、多国間の枠組みによって守られるのは日本である。米大統領選の結果を受け、トランプ氏について発言する安倍晋三首相=11月9日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影) こうした軍事協力の枠組みを構築しながら、日本は二十一世紀の国際社会の価値観も、自信を持って提唱するのがよい。「法の支配のもとの繁栄」を謳いあげ、国際法に基づく国際秩序を守ることこそが二十一世紀の世界にとって何よりも重要だとの理念を、日本が先頭に立って説くのである。 これこそが、中国の覇権を支える「三戦」(心理戦、世論戦、法律戦)を逆手に取った、中国が最も苦手とする最大の“反撃”となるに違いない。さくらい・よしこ ベトナム生まれ。米ハワイ大学歴史学部卒業後、「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局勤務、日本テレビ・ニュースキャスター等を経て、現在はフリージャーナリストとして活躍。『エイズ犯罪血友病患者の悲劇』(中央公論社)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞、『日本の危機』(新潮社)など一連の言論活動で菊池寛賞を受賞。近著に『日本の敵』(新潮社)、『戦後七〇年 国家の岐路―論戦2015』(新潮社)など。

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    【現地レポート】人民解放軍と習近平、軋轢の深層

    矢板明夫(産経新聞中国総局記者)軍の暴走が招いた“敗北” オランダ・ハーグにある仲裁裁判所は七月十二日、南シナ海を巡る中国の主張を全面的に否定する判断を出した。習近平政権は、外交上で大きな“敗北”を喫したといえる。中国が実効支配する南シナ海・パラセル(中国名・西沙)諸島のウッディー(永興)島=2015年10月(共同) この結果を招いたのは、中国海軍が強引に同海域に進出し、フィリピンやベトナムといったほかの国が領有権を主張する離島で、軍事拠点建設などを始めたことがきっかけだった。中国外交は後手となり、フィリピンが提出した仲裁裁判に対応できなかった。軍の暴走によって中国の国益が損なわれた構図といえる。 あるベテラン外交関係者は、こう証言する。「情報を共有せず、勝手なことばかりをする軍に対し、外交交渉の厳しい矢面に立たされる外交官たちは大きな不満をもっているが、文句が言える雰囲気ではない」 二〇一二年秋に発足した中国の習近平政権は、三十万人軍縮や軍の組織再編を実施するなど、軍の掌握に力を入れてきた。しかし、軍組織はバラバラとなって結束力が低下し、現場から指導部への不満も高まり、各部署は勝手な行動をすることが多くなったという。「改革は決して成功したといえない」と断言する軍関係者もいる。 南シナ海に限らず、最近は、東シナ海でも中国軍の艦船による尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の接続水域への侵入や、中国軍機が空自機に攻撃動作を仕掛けるなど、日本に対する挑発も頻発している。これらの行動は、必ずしも軍中央から指示を受けていないという見方もある。利権拡大を目指す中国軍の現場を、中央がコントロールできなくなりつつあるようだ。四人の上将が揃い踏み 中国海軍は七月五日から十一日にかけて、南シナ海の西沙(英語名・パラセル)諸島付近の海域で大規模な実弾演習を実施した。仲裁裁判所が南シナ海をめぐる問題の裁定を示す十二日の前に、軍事力を誇示するとともに同海域への実効支配を国内外にアピールする狙いがあったといわれる。 演習には南シナ海の防衛を担当する南海艦隊のほか、ロシアや朝鮮半島方面を担当する北海艦隊、さらに日本や台湾方面を担当する東海艦隊からも複数の主力艦が参加し、計百隻以上の軍艦に数十機の航空機とミサイル部隊が、赤と青のチームに分かれる形で対抗演習を展開した。 赤は中国人民解放軍、青は米軍を想定しており、赤チームが守る海域に青チームが侵入を試みたが、空、海上、水面下でさまざまな打撃を加えられ、最後は赤チームが完勝するというシナリオだ。 国営中央テレビ(CCTV)記者は、昨年十二月に配備されたばかりの最新型のミサイル駆逐艦で、赤チームの指揮艦となった合肥艦に同乗。ミサイルや魚雷などを発射する場面を撮影したほか、同艦内に設けられた赤チームの司令部の内部の様子も伝えた。 司令部のなかには、海軍司令官の呉勝利氏、海軍政治委員の苗華氏、軍事委員会連合参謀部副参謀長の王冠中氏、南部戦区司令官の王教成氏の四人の上将が揃い踏み、海図を前にして相談しながら命令を出す様子がテレビの画面に映し出された。 中国軍の最高階級は元帥で、その次は大将だが、この二つの階級は日中戦争と国共内戦に参加した軍指導者、計二十人にだけ授与された。すでに全員が物故しているから、現在の実質的最高階級は上将だ。 日本メディアは、中国軍の「上将」を「大将」と訳す場合が多い。現役上将は約三十人いるが、軍組織各部署のトップやナンバー2などの要職を占めている。 中国の軍関係者は、「通常の軍事演習の最高指揮官は現場責任者の少将か中将が務める。上将が参加するのは極めて異例だ。しかも、四人もの上将が同時に第一線に出てくることはこれまでありえなかったことだ」と話した。 中国メディアは、四人の上将が肩を並べて陣頭指揮をとることを大きく伝え、党中央と軍本部が今回の演習を重要視している証拠だと強調した。 しかし、「船頭多くして船山に登る」という言葉があるように、四人もの軍首脳が同時に演習を指揮することに対し、軍関係者の間では「現場を困惑させるだけ」といった冷ややかな意見が聞かれた。「習近平政権による軍改革後の混乱ぶりを象徴している」と指摘する声もあった。騒然となった海軍人事騒然となった海軍人事 習政権は昨年末から今年はじめにかけて実施した軍改革で、長年、伝統がある軍中枢部門を構成する「四総部」と呼ばれた総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部を解体し、その機能を「連合参謀部」 「政治工作部」 「訓練管理部」 「国防動員部」など十五の部局に分散した。軍権を細かくわけることで、軍トップである習氏が全面掌握を進めたい狙いがあるといわれる。(AP) しかし、この改革の評判はよくなかった。「会社でいえば、四人の部長を全員解任して、社長が直接十五人の課長に指示を出すシステムになったようなもので、全体像が見えるのは社長一人だけとなり、現場は大混乱している」といった声が聞かれた。「演習に複数の上将が参加したのは、各部門の代表がいないと組織を動かせなくなった事情があるからだ」と軍事に詳しい中国人ジャーナリストは説明した。 昨年までなら、このような演習は南海艦隊の司令官が陣頭指揮をとり、北京にある海軍司令部を通じて各部署との調整を行えばよかったが、組織機能が細かく分散してしまったため、そうしたことがしにくくなったという。 四人の上将のなかで最年長は、海軍司令官の呉勝利氏だ。習近平氏と同じく、元党高級幹部を父親にもつ太子党の一人として知られる。今年で七十歳、すでに定年を過ぎているが、習氏には信用して任せられる人材がほかにいないため、何度も引退時期を延期した経緯がある。 副参謀長の王冠中氏は北京の中央軍事委員会本部との調整役で、南部戦区司令官の王教成氏は海南島などにある陸、空軍基地との調整役を務めた。しかし、四上将のうち海軍政治委員の苗華氏の役割については「分からない」と首を傾げる人が多く、さまざまな憶測がある。 共産党の軍隊は、司令官と政治委員のツートップ制を採用している。司令官は軍事訓練など、政治委員は人事や思想教育などを担当する。苗氏が演習に参加したことは、会社の人事部長が営業の現場に出てきたようなもので、違和感を覚えた人が多い。 苗氏は福建省に駐屯する陸軍三十一集団軍の出身で、若い時に同省に勤務した習近平氏と交流があったため、ここ数年、最高指導者の側近としてにわかに出世した。海軍の経験が全くないにもかかわらず、海軍政治委員に任命されたため、人事が発表されたときに一時騒然となり、大きな反発も起きたという。 苗氏は赴任してから一年半が過ぎたが、いまだに部下から警戒されており、海軍内で浮いた存在だといわれる。今回の演習は自ら希望して参加したというが、その目的について「自分自身の露出度を増やして存在感を示すほか、習氏の目付役としてほかの将軍たちを監視する役割があるのではないか」と囁かれている。  このような憶測があることは、組織として異常。習近平氏がいまだに多くの軍幹部を信用しておらず、軍幹部たちもまた習氏に対して大きな不信感を抱いていることが窺える。夜眠れない軍幹部夜眠れない軍幹部  南シナ海における軍事演習が行われていた最中の七月九日、中国軍の士気に大きく影響を与えるニュースが流れた。国営新華社通信などが、「元空軍政治委員の田修思上将が重大な規律違反の疑いで党の規律部門に拘束された」と報じたのだ。 習指導部が発足してから、軍内で実施された反腐敗キャンペーンのなかで、軍制服組トップの党中央軍事委副主席だった徐才厚氏と郭伯雄氏に続き、田氏は三人目。香港紙によれば、田氏は七月五日早朝、妻と一緒に北京市内の自宅から連行された。別の都市に出張していた田氏の秘書も、同じ日に拘束されたという。 田氏は一九八〇年代、連隊長として中国とベトナムとの国境武力紛争に参加したことがあり、中国軍のなかで数少ない実戦を経験した将軍である。成都軍区政治委員を経て、二〇一五年夏まで空軍政治委員を約三年間、務めた。引退後は、全国人民代表大会(国会)で外事委員会副主任を務めていた。 徐才厚氏と郭伯雄氏が失脚したあと、それぞれの元部下ら数百人が連座する形で粛清されたが、田氏が拘束されたことで今後、その周辺者や関係者のなかにも逮捕、または職を追われる人が多くいると見られる。「元成都軍区と空軍のなかに、夜眠れなくなった幹部が急増した」といった話が聞かれた。「虎もハエも叩く」と宣言する習近平政権が主導する反腐敗キャンペーンは、二〇一四年に徐才厚氏、二〇一五年に郭伯雄氏、二〇一六年に田修思氏と毎年一人ずつ「軍のなかの大虎」として上将を摘発した。このことに大きな不満をもつ軍幹部は多い。 ある幹部は、「まとめて摘発するならまだいいが、一人ずつやることで現場に恐怖を植え付けようとしている。このままでは、誰も安心して仕事できない」と語った。 田氏が失脚した表の理由は、現役時代の巨額な贈収賄などの汚職にあったとされるが、本当の理由は習氏主導の軍区改革に反対したことだといわれる。田氏はほかの軍長老と連携して、自らの出身である成都軍区の撤廃に最後まで抵抗した。それが、習氏の逆鱗に触れたとされている。習近平の「マージャン改革」 中国人民解放軍は、二〇一五年まで計七つの軍区があった。習指導部は今年二月、済南と成都の両軍区を廃止し、北京を中部、瀋陽を北部、蘭州を西部、南京を東部、広州を南部にして、名称も軍区から戦区に変更した。 ところが、この変更について「各司令部の配置バランスが極めて悪い」と首を傾げる軍事専門家がいる。七軍区は小平時代に定着した区分けで、各方面に起こりうる戦争や軍事衝突を想定し、その性質、規模などを考量したうえで対応する軍種を配置、それぞれの軍区には違う使命があった。しかし、これを五つにしたことで、チベットやインド方面を担当する司令部がなくなり、東沿海部の防衛も手薄になった。「中国地図の形と仮想敵を一切無視して、強引に東、西、南、北、中の五つに分けた。語呂合わせとして良いかもしれないが、それ以外に七つを五つにする意味がわからない」といった不満の声が、軍の現場から聞こえた。マージャン牌には東西南北中があることから、今回の戦区再編を「マージャン改革」と揶揄する声もある。 軍関係者によれば、習氏は当初、戦区を五つにしたのは、瀋陽軍区と蘭州軍区を廃止したかったためだという。瀋陽軍区は徐才厚氏、蘭州軍区は郭伯雄氏の出身軍区だった。習指導部は、胡錦濤時代を支えたこの二人の実力者を排除し、その勢いで二人の出身軍区も廃止して、二人の影響力を軍内から一掃することを狙ったのだ。 しかし、現在の軍指導部内には瀋陽、蘭州両軍区の出身者が多くおり、反対が強く、同時に両軍区の戦略的位置が極めて重要であるため、激しい攻防の末、当初の構想になかった成都と済南の両軍区が廃止されたという。司令官を“国替え”司令官を“国替え” これに対し、成都軍区出身の田氏らが猛反発した。方針が決まってからも決定を覆そうとして、ほかの軍長老と連携して活動をしたことが問題視されたという。汚職よりも、習氏に逆らったことが失脚の本当の原因といわれている。田氏の拘束はほかの幹部に対し、「中央の指示に従え」という見せしめ効果を狙った側面もある。 また、習指導部が任命した新しい戦区の司令官もサプライズ人事だった。五人の司令官のうちに四人もAからB、BからC、CからAといった形で“国替え”させたのである。「上官とその部隊を強引に切り離すことが狙いで、現場を信用していない表れだ」と指摘する声がある。 ある元軍幹部は、現在の軍内の上将クラスのほとんどが郭、徐両氏に登用された幹部で、習氏は彼らを信用していないが、ほかに使える人材が手元にいないため、「このような形で使うしかない」と説明した。しかし、「こんな無茶苦茶な人事をすれば、現場の志気が低下するに違いない」とも指摘した。リストラされた将兵たち 昨年末頃から、「このままでは解放軍は共産党の軍隊でなくなり、習家軍(習近平個人の軍隊)になってしまう」と危惧する声が軍長老の間で聞こえ始めた。軍内でいまでも大きな影響力を持つ江沢民元国家主席も軍長老たちと同じ意見だ、との情報もある。 二〇一五年九月三日に行われた抗日戦争勝利七十周年の軍事パレードの際に、習主席が「三十万人の軍縮」を突然発表したことに対しても、軍内で大きな不満が噴出したという。 軍縮案は習氏とその側近だけで決めており、軍現場への事前の根回しが不十分だったため、多くの高級将校はテレビ中継で初めて知ったという。「自分たちも削減対象なのか」と疑心暗鬼に陥り、部下から聞かれても何も答えられないなど、現場は大混乱したという。 習氏が軍事パレード演説のなかで軍縮を発表したのは、世界中に高まる「中国脅威論」を払拭する目的のほか、自身が「平和を愛する指導者」をアピールする狙いもあった。情報が事前に外国メディアに漏れないように、極秘扱いにしたという。 削減される三十万人の中身について、習氏に近いとされる元陸軍少将の徐光裕氏が中国メディアに対し、各軍区の陸軍を中心に二十万人の将兵のほか、医療、通信、芸術、宣伝工作団など計十万人を加えると説明した。国営新華社通信が配信した解説記事では、三十万人の人件費は年間約六百億元(約一兆二千億円)で、浮いた金は兵器・装備の一層のハイテク化に使われると説明したが、リストラされた将兵たちの処遇には言及していない。軍の暴走を黙認する習近平 削減対象となる高齢の陸軍将校らの再就職は難しい。それだけではなく、中国では近年、復員軍人に対する社会保障も不十分で、地元政府の財源不足のため復員軍人手当を支給しない事態も各地で起こり、元軍人による抗議デモが頻発している。「政府は私たちの面倒を見てくれるのか」といった軍現場での不安の声が多いという。(ロイター) 軍掌握を狙った習近平氏による強引な軍改革がさまざまなハレーションを起こし、組織の機能不全をもたらして指導部への不満を募らせた。最近になって、それが外国への挑発行為にも繋がったという。 軍改革実施後、南シナ海で中国海軍の艦船がフィリピンやベトナムの領海などに侵入し、これらの国の軍艦と対峙することが増えている。六月上旬には、中国が領有権を主張し、インドの実効支配下にあるインド北東部アルナチャルプラデシュ州にも二つの中隊(約三百人)の中国軍兵士が侵入した。数時間後に中国国内に戻ったが、インド軍が一時、戦闘準備態勢に入るなど緊張が高まった。 ほぼ同じ時期の六月九日には、中国の軍艦がロシアの軍艦とともに尖閣諸島沖の接続水域に侵入した。これらの挑発行動について、中国国防省は国内外のメディアの問い合わせに対し、「関連する報道を注視している。中国の主権範囲内での行動なので問題はない」といった趣旨のコメントを発表した。 軍に詳しい中国人ジャーナリストは、「国防省のコメントにわざわざ『報道を注視している』という文言が入っていることは、国防省が承知した計画的な軍事行動ではないという意味だ」と指摘し、「いずれも現場の判断のはずだ」と主張した。軍の暴走を黙認する習近平 いま、南シナ海問題が国際社会の焦点となったことで、担当する南海艦隊や南部戦区が注目され、最新兵器も予算も優先的に配分されることに対し、ほかの部隊の間で不満が高まっている。こうしたことから、自らの存在感を示すために勝手に挑発的な行動をとったといわれる。  軍現場による度重なる他国への挑発行為は、「中華民族の偉大なる復興を」といった民族主義を煽るスローガンを掲げる習政権の政権方針と一致していることから習政権は黙認する側面があり、そうした風潮が軍の強硬姿勢をますます助長する結果となった。 南シナ海問題をめぐる仲裁裁判所の判決で中国が全面敗北となったことを受け、軍内の強硬主張はますます台頭し、今後、さらなる挑発行為に出る可能性もある。尖閣問題などをめぐり、日本は中国外務省との交渉だけではなく、軍改革で統率がとれなくなりつつある軍の暴走にもしっかりと備える必要がある。

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    総力大特集 中国は本気だ!

    南シナ海を巡る仲裁裁判所で完全敗北を喫した中国。しかし、反省の色は全くない。判決を「紙くず」と呼んではばからないその横暴の裏で進める習近平の“次の手”とは。

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    習近平の現代版「国盗りゲーム」が長続きしない理由

    言われればそれよりも資金を投入し、自分の色に染め、俺のBホテルのほうがもっと良いと自慢します。彼らは中国人社会の中で自慢し、多くの人が「Bさんのほうが凄い」と言わしめる為に金を使い、影響力を使い、人を買い、力づくの勝負をします。 ホテルの話題だけではありません。1986年にバンクーバーという「新開地を発見した」香港人はリーカーシンをはじめ香港主要デベロッパーがこぞって上陸するきっかけをつくり、激しい不動産開発競争を繰り広げました。では彼らの生み出したコンドミニアム群はどの程度の評判か、といえば今一つローカル受けしないのであります。理由は様々で、出来が悪いという基本的な問題からアフターサービスが良くないなどでありますが、カナダ人と「価値観のコミュニケーション」が通じ合わないところが最大の問題点ではないかと思います。 これはアジア人と欧米人という仕切りよりも中華系のビジネスに対する姿勢の問題ではないかと思います。中華系にとってビジネスとはマネー、マネー、またマネーであって良い仕事をするとか、新たに価値を生み出すといった「面倒な」ことはせずに模倣でもなんでもよいので目立てばよい、という発想は少なからずとも私には強烈な印象として残っています。シャープを欲しがった鴻海のテリーゴウCEOの目的はシャープの商品開発能力だった点においてなるほど、中華的思想だな、と思ってしまいます。 南シナ海の人工島問題についてハーグ仲裁裁判所が国際法違反であると断じました。報道にあるように中国の完敗であります。もともと海洋進出のために尖閣をはじめ、太平洋に抜けるルートを模索し続ける中で力関係で圧倒できるフィリピンやベトナムが関与する南シナ海に力づくの勝負をかけました。米シンクタンク「戦略国際問題研究所」が公表した中国が南シナ海で埋め立てを進めるスービ礁の写真 習近平国家主席はその独裁化を進めるため、国内では粛清を進め、海外ではAIIBなどを通じて世界への影響力を駆使し続けました。巨大国家と巨額マネーというあたかもクジラが小魚を追うがごとく戦法で「俺のほうにすり寄らなければ様々な影響が及ぶ」と脅し続けました。アメリカ企業もネット企業が中国内で自由にビジネスができないなどの弊害が出ていました。 中国の南シナ海進出の理由づけはどう逆立ちしても論理的ではなく、国際法に乗っ取れば完敗することはわかっていたはずです。現代において世界大戦をしていた頃のような領土の奪い合いをする非常識観はどこから来るのか、といえば根本的な中華思想による拡大主義もありますが、過去10数年の世界における中国の立場を中国政府が過大評価したような気もします。 ビジネスを成長させるには何が大事か、といえば従業員に幸せを、という経営者は多いと思います。中華系の企業においてビジネスの目的は金儲けをして、自分が人から「凄い!」と言われることであります。では中国という国家運営において何が最も大事か、といえば民を幸せにすることを置いて他に何を優先するでしょうか?大きな曲がり角にきた中国 ところが今の中国の体制は現代版国盗りゲームで習近平氏がいったん勝ち抜いたように見えます。「見える」というのは長く続かないのは目に見えているからです。強固な体制は反体制派を余計勢いづかせることになります。反体制派はそのチャンスを虎視眈々と狙っていることでしょう。その習体制は綻びが目立ち始めました。習近平国家主席 中国の鉄道会社、中国南車は北車と合併し、世界最大の鉄道会社となり、海外進出を図ったもののインドネシア、メキシコ、アメリカと大どんでん返しが続き、鉄道輸出事業は完全に行き詰ってしましました。そのすべては着工前の段階で頓挫していますが、理由は中国スタイルの押し付けそのものであります。 AIIBを含め、英国との関係強化でEU圏へのビジネス拡大戦略を狙った中国ですが、同国のEU離脱問題で今後の道筋は全く描けない状態となりました。ホトケのオバマ大統領を怒らせたのも習近平国家主席との意見の相違からでありました。多くのアフリカ諸国は中国からの金融支援を嬉しく思ったものの中国人労働者が大挙して押し寄せ、中国からの製品を押し付け、多くのアフリカ諸国ではギスギスした関係となっています。 私は「栄枯盛衰」という言葉を時々使わせていただいています。中国については今世紀初めごろから世界の工場としての認知度が高まり、WTOが2005年にクォータ制度(輸入数量割当制度)を撤廃したころから世界の貿易が中国を中心に栄えます。また08年には北京オリンピック、10年には上海万博で世界の目が中国の様々なところにも向けられます。08年のリーマンショックの直後には56兆円規模の緊急経済対策を打ち出し、世界の中の評価はステップアップしました。反対に当時、日本は海外からJapan Passing、Japan Nothingと揶揄されていました。 個人的には10年ごろが中国のピークだった気がします。何年か前にオリンピック10年後説というのをこのブログで紹介させていただきました。オリンピックから10年前後経つとその開催国は非常に大きなトラブルに巻き込まれるというものです。日本(石油ショック)、韓国(IMF援助)、ソ連(崩壊)、ギリシャ(国家危機)などであります。中国が大きな曲がり角に来ていることは疑いの余地がありません。中国政府が声高々に反発する声はむなしく空に響くだけでしょうか?(ブログ「外から見る日本、見られる日本人」より2016年7月13日分を転載)

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    中国の空母を飛躍させる?「電磁カタパルト」は米中関係を変えるのか

    【チャイナ・ウォッチャーの視点】小原凡司 (東京財団研究員・元駐中国防衛駐在官) 中国や韓国が、海上自衛隊の「いずも」を、空母だと警戒しているという。「いずも」は、2015年3月25日に就役した、ヘリコプター搭載護衛艦だ。さらに、日本が、「いずも」を護衛艦だと呼称していることを、欺瞞だと非難しているとも聞く。 中国では、「護衛艦」という言葉は、フリゲートの意味で用いられる。その他に、空母、駆逐艦といった区分があり、一般的な海軍艦艇の区分と同様である。一方で、日本の防衛省では、駆逐艦やフリゲートといった区別はしない。簡単に言えば、戦闘艦艇は全て「護衛艦」に分類される。ここには、言葉の用法による誤解もあるかもしれない。多機能艦「いずも」各機能は限定的 「いずも」は、基準排水量が19,500トン、14機のヘリコプターを搭載可能で、5機を同時運用できる。個艦防御能力を抑え、ヘリコプター運用能力を集中的に高めているということから言えば、「いずも」はヘリコプター空母だと言える。しかし、実のところ、ヘリコプター空母という言葉に明確な定義はないのだ。海上自衛隊護衛艦「いずも」 「いずも」は、戦闘機及び爆撃機を運用できず、正規空母ではない。それよりも、一定規模の陸上兵力の輸送及び揚陸支援が可能であることから、強襲揚陸艦の性格に近い。さらに海上自衛隊は、「いずも」に指揮艦としての機能も持たせている。 これが、「いずも」が多機能艦とも呼ばれる所以であるが、同艦の各機能は限定的だ。海兵隊を展開するための米海軍の強襲揚陸艦は、40,000トン以上の大きさである。さらに、艦隊の指揮を執る第7艦隊旗艦ブルー・リッジ等の艦艇は、指揮通信情報機能だけで20,000トン以上の大きさを必要としている。「いずも」は非常に大きな艦であるが、それでも、こうした機能を全て詰め込もうとすれば、とても容量が足りないのだ。 「いずも」は、飛行甲板の耐熱化等、若干の改修を加えれば、F-35戦闘機の運用が可能であると言われる。確かに、垂直離着陸ができるF-35は、「いずも」艦上で飛行作業を行うことはできる。 しかし、垂直離着陸は大量の燃料を消費する。離着陸に燃料を使うということは、航空機の行動半径が小さくなるということだ。近接空中戦闘(これも大量の燃料を消費する)の可能性を考慮すれば、艦隊の上空から離れることも難しいかもしれない。 しかし、日本が他国に攻撃を仕掛ける意図がない以上、海上自衛隊に他国領土を空爆する能力は必要ない。艦隊のエア・カバーさえできれば良いのだ。中国の空母「遼寧」の問題点中国の空母「遼寧」の問題点 一方の中国の空母はどうだろうか? 中国メディアは、米国における報道を引用し、中国が保有する艦上戦闘機J-15は、空母「遼寧」から発進させる場合、搭載できる武器の重量が2トンであり、陸上基地から離陸する場合の12トンよりも極めて少ないと報じた。陸上から運用する時の約6分の1しか、ミサイル等を搭載できないということだ。中国初の空母「遼寧」=2012年10月14日、青島(AP) これは、離陸重量の制限によるものである。離陸距離が十分に取れれば、離陸のための加速が十分にできる。離陸速度を上げられれば揚力が増し、機体が重くても離陸できるという訳だ。しかし、問題は、巨大な空母であっても、陸上飛行場の滑走路のような飛行甲板の長さを確保できないことである。 「遼寧」には、さらに艦載機の問題もある。中国が、ロシアの戦闘機をベースに開発した艦載機のエンジン出力が不足しているのではないかと思われる。エンジン出力が不足しているために、飛行甲板上で、十分な加速が得られないのだ。 前出の記事によると、中国は当初、遼寧に搭載するため、ロシアからSu-33を購入する予定であった。しかし、中国がロシアのSu-27を違法にコピー生産していることを知り、ロシアがSu-33の売却を拒否したとされる。 そのため、中国は艦載機としてJ-15を開発せざるを得なくなった。J-15は、外観はSu-33に酷似しているが、電子装置やエンジンなどは中国の自国開発だとされる。 「遼寧」は、元々、ソ連海軍のために建造された重航空巡洋艦「ワリヤーグ」である。因みに、ソ連が「ワリヤーグ」を、空母ではなく重航空巡洋艦に分類したのは、ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の空母通峡禁止を定めたモントール条約に対する政治的処置である。空母に分類したのでは、黒海から地中海に入れなくなってしまうからだ。 ソ連海軍が、搭載武器の搭載量を6分の1に制限されるような設計をしたとは考えにくい。中国が空母として修復した「遼寧」の艦載機が搭載武器を制限されるのは、「遼寧」の速力及び航空機の性能に問題があると考えるのが妥当だろう。中国が開発に成功か 「電磁カタパルト」とは中国が開発に成功か「電磁カタパルト」とは 発艦重量を上げようとすれば、発艦速度を上げなければならない。この問題を解決するのがカタパルトだ。カタパルトは、艦載機を拘束して高速で移動し、艦載機に発艦可能な速度を与えるものである。 米海軍の空母は、蒸気カタパルトを装備している。米海軍の空母は原子力を動力としているため、原子炉から十分な蒸気を得ることが出来る。しかし、蒸気タービンを動力とする艦艇では、余分にカタパルト用の蒸気を発生させる必要があるために、蒸気カタパルトを後から装備すると、空母の速力が落ちる可能性もある。 こうした状況を考慮すれば、ただでさえ本来の出力が出せないであろう「遼寧」は、蒸気カタパルトを装備するとは考えにくい。 実際、中国が考えているのは、蒸気カタパルトではなさそうである。中国が電磁カタパルトの開発を行っていることは既に知られていたが、100メートルあまりの長さを持つ試験用電磁カタパルトの写真が公開された。 電磁カタパルトは、原理的にはリニア・モーターカーと同様で、磁場の力で物体を移動させる。蒸気カタパルトのように蒸気用の複雑な配管が必要ではない上、速度のコントロールができ、離陸滑走距離を短縮できる可能性もある。 また、2015年3月には、中国海軍動力・電気工学専門家の馬偉明少将が、「中国のカタパルト発艦技術には完全に問題がなく、実践もスムーズに進められており、実用化の自信を深めている。中国が把握している技術はすでに米国に遅れておらず、より先進的なほどだ」と述べた。 電磁カタパルトが装備されれば、中国空母艦載機の作戦半径と搭載弾薬量が大幅に拡大されることになる。現在は米国のみが保有する、半径1000キロメートル以上の空爆可能な作戦範囲を世界中の地域に展開する能力を、中国も保有する可能性があるのだ。 実は、日本ではあまり認識されていないが、米国が主張する「航行の自由」は軍事的な意味合いが強い。米国は、空母艦載機の作戦半径が陸上の目標をカバーするまで、空母戦闘群を陸岸に近づけなければならない。その位置まで自由に航行できなければならないのだ。 中国が実際に空母を運用できるようになり、米空母戦闘群の中国への接近を実力で阻止できる自信を持てば、米国とともに「航行の自由」を主張するようになるかもしれない。米中関係はどのような局面を迎えるか米中関係はどのような局面を迎えるか 中国は複数の空母を建造中であるが、電磁カタパルトを装備するかどうかは明らかにしていない。前出の馬少将も、国産空母が電磁式カタパルトを使用するかという記者の質問に対して、「どのような案を採用するかは、軍高官が決めることだ」と、明言を避けている。 いずれにしても、中国が、米国同様に軍事力を世界中に投射する能力をつけつつあることは事実である。米国は、中国の軍事力増強を注視している。しかし、現段階では、中国との軍事的対立を避ける努力をしている。 2015年4月10日には、米軍と中国軍が直接連絡を取り合うテレビ電話が開通し、米軍制服組トップのデンプシー統合参謀本部議長と中国人民解放軍の房峰輝総参謀長が、同電話を使った初めての会談を行った。 軍事力を強化する中国に対して、当面の間、米国は衝突を避ける努力を続けるだろう。中国側も、米国との軍事衝突を避け、協力を呼び掛けている。 実は、「いずも」就役に関する中国メディアの報道は、2013年8月6日の進水式に関する報道に比較して、極めて穏やかである。現在は、日本も刺激したくないのだ。 しかし、中国の軍事力がさらに増強され、米国が、自国の安全を脅かす可能性があると認識した時には、米中関係は新たな局面を迎えるかも知れない。中国の空母の出来が、米国の認識を変える可能性があるのだ。

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    相互不信を高めるアメリカと中国、3つの脆弱性とリスク

    【世界潮流を読む 岡崎研究所論評集】岡崎研究所 中国の国際協調派の代表格である北京大学国際研究学院院長王緝が、China US focusに9月19日付けで掲載された論説で、米中関係の本質と難しさを指摘しています。論旨、次の通り。3つの脆弱性とリスクiStock 中米関係は徐々に成熟しているが、依然として脆弱であり、戦略的判断ミスのリスクを孕んでいる。脆弱性とリスクは三点にまとめられる。 1)経済や貿易、文化、グローバルガバナンス面では相互協力は深化。だが、アジア太平洋地域の安全保障面では、戦略的競争が高まっている。 2)メディアは、戦略的な競争の側面をポジティブなニュースよりも多く取り上げ、ソーシャルメディアが普及したことにより、大衆の関心を高めている。 3)多くの中国人にとって、米国は最大の戦略的脅威であり、容易に米国も中国を同様に脅威と見なしていると考えてしまう。中国の台頭は米国が世界で直面している大きな挑戦のうちの一つに過ぎない。長期的には、米国が中国を最大の戦略的脅威とみなすことを防止することが中国の対米政策の目標となるべきである。 中米関係は「新常態」に入った。競争と協力の双方が同時に大きくなり、国内要因が外交に大きな影響を与えるようになった状態である。しかし、だからと言って、中米関係が「量的変化から質的変化へと変わった」、「負のスパイラルに入った」などと結論づけるのは間違っている。 多くの分野において、中米は同じルールを堅持している。だが、新常態においては、原則やルールをめぐる争いが中米対立の焦点となり始めている。政治面において、中国は「国際関係の民主化」を支持している。それは国際システムの中での国レベルでの民主化である。一方米国は「リベラル国際秩序」を支持し、「世界の民主化」を推し進めている。これは個人の自由と権利に関するものであり、両者は異なる考え方である。 経済面において、米国は国有企業の制限、労働基準の向上、情報の自由化、環境の保護、知的財産権の保護などの国際ルールの強化を目指している。しかし、国有企業の制限など一部のルールは中国にとって受け入れられないものである。米国がやろうとしているのは、中国の国内および対外経済政策を統制し、米国のみが得をするルールを作り守ろうとしていることである。両国の経済モデルの不一致はかつてよりも大きな障害となっている。 国際安全保障面において、中国の人たちは南シナ海を「先祖伝来の自分の海」だと考えている。南シナ海は中国の主権、領土保全に直結する問題だと考えている。それに対して米国は南シナ海が国際的な海であり、国際法に基づく航行の自由があると主張する。地政学的な闘争が論争の背後に隠れている。サイバーに関しても両国の焦点はずれている。 新常態においては何がなされるべきなのだろうか。筆者(王)はかつて2012年にリバソールとの共著で“中米戦略的不信”に関する報告書を執筆している。その中で、政府、シンクタンク、市民社会が対話をし、相互疑念を緩和すべきだと論じた。しかし、4年経った今日、互いに対する疑念や不信は緩和されるどころかより増幅され、深刻になっている。戦略的相互不信の増大は中米関係の新常態に埋め込まれているようである。 2012年の報告において、相互不信を緩和する手段が有効でない場合でも、両国の指導者は、相手の長期的な意図に関する深い不信の下で、それでもなお、協力を最大化し、緊張と対立を最小化しなければならないと結論した。新常態において、両国は自らの国民に対して、対立を回避し、協力を追求するという戦略的な意図を明らかにすることに努めなければならない。それは両国政府が幾度となく互いに確認したことであり、混乱した世論の干渉を抑え、国内の政治的な合意を形成することにつながる。 キッシンジャーは『中国』という本の中で、中米両国が「共進化(co-evolution)」の関係を築くべきだと提案している。筆者は、「共進化」は「平和的な競争」をも意味していると考える。どちらがより国内問題を上手く処理し、国民を満足させられるかというのが最も意味のある競争である。出典:Wang Jisi,‘China-U.S. Relations Have Entered A “New Normal”’(China US focus, September 19, 2016)http://www.chinausfocus.com/foreign-policy/china-u-s-relations-have-entered-a-new-normal/中国側とのすりあわせ バランスのとれた意見であると言えるでしょう。しかし、何をなすべきかについては弱いと言わざるを得ません。「自らの国民に対して、対立を回避し、協力を追求するという戦略的な意図を明らかにすることに努めなければならない」と言っているだけです。最後はキッシンジャーのco-evolution に逃げ込んでいます。そして「どちらがより国内問題を上手く処理し、国民を満足させられるかというのが最も意味のある競争である」ということで締めくくっています。これが、中国の国際協調派の限界でしょう。中国側とのすりあわせ 米中の戦略的対立が、ますますルール作りに集約されているという判断は正しいです。現状は、それぞれが自分の意見の言いっ放しで終わっています。中国は、どこをどう変えたいと思っているのか整理して、国際社会に自分の考えを問う必要があります。中国自体が未整理の部分も多くあります。例えば国有企業について、国有企業改革はほとんど進んでおらず、むしろ大型合併を進め、寡占化が進んでいます。それは「市場に資源配分の決定的役割を与える」という党の決定との整合性の面で疑問符がつきます。国際社会としては、具体的事項についてすりあわせを行うことで、中国の真意を探ることが不可欠になりました。 習近平は、ようやく人民解放軍をほぼ掌握できたようです。対日関係を含む対外関係は、少しは落ち着いてくるでしょう。来秋の中国共産党の党大会後には、中国側との「すりあわせ」ももっと意味のあるものとなるでしょう。

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    中国が尖閣諸島の侵略的攻勢強める狙い 米海軍大所長解説

     尖閣諸島周辺に、姿を現す中国漁船に国防関係者が警戒心を募らせている。漁民を装った中国の武装民兵が包囲しているからだ。この状況を、アメリカはどう見ているのか。産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏が、アメリカの専門家が分析する「中国の狙い」をリポートする。 * * * 尖閣諸島(沖縄県石垣市)に対する中国の侵略的な攻勢が急に強まってきた。今年8月初旬から、「中国海警」の武装艦艇十数隻が尖閣周囲の日本領海にこれまでにない頻度で侵入を始めた。数百隻の民兵「漁船」団が同様に迫っている。従来の攻勢からの大規模なエスカレーションである。東シナ海上空から臨む尖閣諸島 中国のこの新攻勢の意図はなにか。日本はどう対応すべきか。 これら課題への見解を、アメリカ側で中国の海洋戦略や軍事動向、対外政策を一貫して追う官民の専門家たちに尋ねた。ワシントンでのこの一連のインタビューで明確になったのは、いまの尖閣事態を切迫した危機と見る認識だった。日本の反応とは決定的に温度の異なる深刻な懸念でもあった。 本来、日本が考えるべき尖閣問題をアメリカ側に問うのは、アメリカが同盟国として尖閣防衛の誓約を言明していることに加え、中国の近年の海洋進出全体に対処してきた当事国だからである。 元国防総省日本部長で現在は民間安保研究機関「グローバル戦略変容研究所」所長であるポール・ジアラ氏は中国の新攻勢を「新しいタイプの戦争手段」と呼んだ。 「中国海警艦艇と民兵『漁船』を組み合わせた攻勢はいかにも最近の中国らしい異色で挑発的な攻め方だ。日本が対処に苦しむ不正規、非対称の戦法だと言える。『漁船』が実は軍の指揮下にある民兵で、武装して尖閣上陸の能力を持つことへの認識が日本側では不足している」 ジアラ氏は中国側の最終目標は尖閣占拠であり、現在の新攻勢はその目標に向けての演習や日本側の出方の探査だろうとも述べた。米海軍大学中国海洋研究所のピーター・ダットン所長は、中国の当面の狙いは「日本を領土問題での二国間協議に引き出すことだろう」と語った。日本が圧力に屈して二国間協議に応じれば、それだけで中国側の大きな勝利となる。日本政府は「尖閣は日本固有の領土であり、領土紛争は存在しない」との立場を保っているからだ。 ダットン氏は「アメリカのいまの役割は軍事衝突を抑止することだ」とも述べた。いまの尖閣事態が日中の軍事衝突をも生む危険を懸念する発言だった。同海軍大学教授で中国海洋研究所の研究員トシ・ヨシハラ氏は「中国はまず日本側の尖閣の施政権を突き崩そうとしている」という。 中国は尖閣の日本領海にいつでも入れることを誇示して恒常的な存在を確立することで日本の施政権の空洞化を図る。その間、尖閣上陸が可能な軍事能力を築きながら日本の出方をうかがっている、というのだ。 日本の施政権は尖閣防衛の上で極めて重要である。日米安保条約はアメリカが「日本の施政の下にある領域」を守ることを規定している。だからオバマ政権は尖閣諸島も日米安保条約の適用範囲だと言明したのだ。その施政権が崩れれば、アメリカの防衛誓約も揺らいでしまう。 以上、ジアラ、ダットン、ヨシハラ三氏は中国が究極には軍事力の行使をも辞さずに尖閣奪取を目指す一方、日本やアメリカの反応を事前の揺さぶりで探っていると見る点で共通していた。 ※SAPIO2016年11月号関連記事■ 中国「尖閣諸島を奪取しても、米は経済制裁まで」と想定か■ 中国の軍拡事情を産経新聞論説委員・古森義久氏が分析した本■ 中国 尖閣に異議唱えたのは石油埋蔵指摘された1970年代から■ 【中国人のジョーク】尖閣でTwitterやFB開かなければ中国領■ 尖閣問題 日本はアメリカからすでに見捨てられている

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    中国海上民兵 自衛隊が手を出さぬうちに尖閣武装占拠も

     尖閣諸島周辺に、姿を現す中国漁船に国防関係者が警戒心を募らせている。そこには軍事訓練を積んだ海上民兵が乗船しているのだ。国防問題に精通するジャーナリスト・織田重明氏が、「海上民兵」の正体に迫った。 * * * 8月5日に尖閣諸島周辺の接続水域に現れた200~300隻にも上る中国漁船。その後、5日間にわたってこの海域にとどまり操業を続ける様子を、警戒にあたった海上保安庁の航空機がしっかりと映像に捉えていた。沖縄県の尖閣諸島周辺海域の領海警備で、中国公船(左)と並走する海上保安庁の巡視船(同庁提供、撮影日:2013年7月24日) 尖閣の海は、もはや一触即発の状況といっても過言ではない。現場からはさらに驚くべき動きが伝えられた。 「尖閣諸島周辺海域に押しかけた中国漁船に多数の海上民兵が乗船していたというのです。その数は100人を下らない。多くは漁船の船長として、乗組員である一般の漁民らを指揮していたと見られています」(海上保安庁幹部) そもそも海上民兵とは、漁民や民間の船会社の船員などのうち、軍事的な訓練を施され、必要に応じて漁船などで軍の支援活動をする者たちをいう。漁業繁忙期には漁にいそしみ、漁閑期には国防を担うことで日当を政府からもらう、パートタイムの軍人というべきか。民兵(Min Bing)の略である、MBのワッペンや記章が付いた軍服を着て活動する。 海上民兵が乗り込む漁船には、「北斗」と呼ばれる中国独自のGPSが設置されている。タブレット付きの最新式のもので、中国海軍の艦船や海警局の公船と文字情報のやりとりもできる。 公安関係者によると、漁船に乗り、海上民兵としての活動に従事すると、政府から日当や燃料費の補助も支給される。尖閣諸島に最も近い浙江省からでも20時間以上かかるため、燃料代はバカにならないが、日当と燃料代あわせて年間に数十万元もの支給を政府から受け取れるというわけだ。 「海上民兵としての活動に参加すれば、勲章をもらうことができ、本業である漁業で違法操業をしても取締当局からお目こぼしをもらえるという。 遠隔地への出発にあたっては、軍や政府が壮行会を堂々と開くそうで、8月上旬に大挙して尖閣諸島周辺に駆けつけた漁船の出発時期にあたる7月末には常万全国防部長が浙江省の海上民兵の部隊を訪れ激励していた」 常万全氏は、中国の国防大臣を務める高級軍人である。中国軍の海上民兵への期待のほどが窺える。 問題は海上民兵が軍人ではないということだ。自動小銃や連装機関銃などで武装した海上民兵が攻撃をしかけてきた場合、海保の対応能力を上回る事態とみなされ、自衛隊は海上警備行動として武器を使用することが認められている。 「ただし、それは相手の能力や事態に応じて合理的に必要と判断される限度において、との制約がかけられています。いわゆる警察比例の原則というものですが、軍人ではなく民間人と位置づけられる民兵には手出ししにくい。中国側はこれを熟知しており、自衛隊が指をくわえて見ているうちに尖閣諸島の武装占拠などの挙に出ることも十分に想定される」(防衛省関係者) 相手の盲点を把握し、ゲリラ的に勝利を勝ち取るのは人民解放軍が得意とするところ。海上民兵はまさにその先兵役なのである。※SAPIO2016年11月号関連記事■ 尖閣問題で中国“漁民”を釈放すべきではなかったと李登輝氏■ 尖閣に侵入する中国漁民は武器を操る「海上民兵」だ■ 【中国人のジョーク】尖閣でTwitterやFB開かなければ中国領■ 漁船衝突の前に中国は270隻の大船団を尖閣に送り込んでいた■ 尖閣諸島を襲う中国漁船に乗船する「海上民兵」の正体

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    国連も一蹴した中国の政治宣伝 自民党が明らかにした南京の捏造

    常の戦場以上でも以下でもなかった」とする『南京問題小委員会の調査検証の総括』を発表した。 同議連は、中国側が主張する〝大虐殺〟などなかった根拠として、「第百会期国際連盟理事会(一九三八年一月二十六日―二月二日)の議事録」などの一次資料に当たった。 その結果として、①日本軍による南京陥落直後の昭和十三(一九三八)年、当時の国際連盟で中国の顧維鈞代表が「日本軍による二万人の虐殺と数千の女性に対する暴行があった」と報告し、国際連盟に「行動を要求」したが、「日本非難決議」として採択されなかった②南京戦の総司令官、松井石根大将は、残虐行為を阻止しようとする義務を怠ったとして東京裁判で死刑判決を受けたが、「平和に対する罪」「人道に対する罪」の訴因は無罪だった―ことなどを挙げた。 記者会見にはAP、AFP、ロイターなど海外のメディアを含む、内外の三十数社が出席し、この問題に対する関心の高さをうかがわせた。 朝日新聞は、その「調査検証の総括」を同八月二十三日付『南京事件議論再燃』の記事で、〝日本側の主張〟として、南京問題小委の調査結果を引いた上、「日本 虐殺否定の動き活発化」「中国『犠牲30万』見直し論争も」と小見出しを付け〝両論併記〟で報じた。 いかにもバランスを取っているようだが、当時の中国の顧代表の国際連盟での演説を、「中国の政治宣伝の原点」としたことには触れていない。実は、それこそが最も重要であり、現在に至る、この問題での中国の対日非難プロパガンダの始まりだったのである。 調査検証に際し、我々は中国側が〝南京大虐殺〟があったと主張する昭和十二(一九三七)年十二月十三日から翌十三年二月までの公文書を重要な一次資料と判断して、入手に努めた。その一つが前述した「第百会期国際連盟理事会(一九三八年一月二十六日―二月二日)の議事録」である。 それを見ると、一九三八年二月二日正午から開催された第六回会合(非公開会議、次いで公開会議)において、中華民国の顧(こ)代表は、確かに「南京で二万人の虐殺と数千人の女性への暴行」があったと演説し、国際連盟の「行動を要求」している。デマ援用で日本非難宣伝を開始デマ援用で日本非難宣伝を開始 当時、日本はすでに国際連盟を脱退しており、〝反日的なムード〟に支配されていたと思われる。それにもかかわらず、国際連盟は、「行動要求」について、一九三七年十月六日の南京・広東に対する「日本軍の空爆を非難する案」のようには採択をしなかったのである。 しかも、国際連盟議事録にある「二万人虐殺」は、蒋介石軍からの報告ではなく、アメリカ人のベイツ教授やフィッチ牧師の伝聞を記事にした米ニューヨーク・タイムズなどの新聞報道に基づくものだった。ベイツ教授もフィッチ牧師も、単なる公平な「第三者」ではなかったのである。 フィッチ牧師は、反日活動をしていた朝鮮人の金九を自宅に匿った前歴のある人物であり、ベイツ教授は、中華民国政府の顧問だった。 蒋介石軍の将兵は、一九三八年一月になると、南京城内安全区から脱出して蒋介石に南京城陥落に関した軍事報告をしている。その時点で、「戦時国際法違反」を実証できる報告を蒋介石が受けていたならば、顧維鈞(いきん)代表は、国際連盟での演説に取り入れていたであろう。だが、そうした事実を確認できなかったために、「デマ」に基づく新聞記事を援用せざるを得なかったのだ。 この「二万人」という数字は、東京裁判での「二十万人」や中華人民共和国が主張している公式見解の「三十万人」とはケタが違うことが分かるだろう。民国時代の一番、事実を正確に把握していたであろう時に出した主張が「二万人の虐殺」なのである。繰り返すが、それすら、国際連盟で「否定」された。この議事録は、中国側の主張を覆す上で、「白眉」の資料と言っていい。 南京陥落直後から、中国国民党は、約三百回もの記者会見を行ったが、その中で一度も、「南京虐殺があった」とは言っていない。 この国際連盟議事録はまさに、そのことを裏付けることができる決定的な資料である。国際連盟の会議の場で、顧代表が〝南京虐殺〟を訴えて、無視されたことを、中華民国は再度、記者会見で訴えられなかったのである。 ここで当時、この問題を討議した国際連盟の動きを詳しく振り返ってみたい。 中国の顧代表が演説をした国際連盟理事会の第六回会合は、一九三八年二月二日水曜日正午から、本部のあるスイスのジュネーブで開催されている。だが、その理事会の前の一月三十一日に、一つの重要な会議が開かれていた。決議案の草案を検討した「四国(英、仏、蘇、支)会議」がそれである。 我々が発見した、昭和十三年二月十八日付外務省機密文書「第百回国際連盟理事会に於ける日支問題討議の経緯」の「四国会談に於ける決議案作成事情」によると、「…顧(代表)が第一に提出したる対日制裁の点は英仏の拒絶に依り(略)」とある。つまり、中国側が、決議案に対日制裁を盛り込むことを求めたのに対し、英仏がこれを拒否したのである。 当時、日本は、国際連盟を脱退していたが、第百会期国際連盟理事会終了後、約二週間で理事会の内容は翻訳され、当時の広田弘毅外相に報告されていた。だが、この文書は機密扱いとされ、いまだに公開されていない。狡猾な中国を批判した理事国狡猾な中国を批判した理事国 そして、中国の主張が決議案に盛り込まれないまま二月二日の理事会が開かれた。出席したのは、ベルギー、ボリビア、イギリス、中華民国、フランス、イランなど十五カ国。議題は四〇一三、中華民国政府によるアピール・議事運営手続きの問題である。顧維鈞中華民国代表の対日行動要求が無視された国際連盟本部。現在は国際連合のジュネーブ事務局になっている 議事録を見ると、理事会前の四国会議で、決議案の草案がすでに固まっており、それをめぐって各国の代表が不満や異議を唱えていることが分かる。◇ 議長 「―議事手続きについて何か意見がありますか?」 ポーランド代表 「私は決議案の投票を棄権すること、その際に棄権の理由を説明することを提案しなければなりません」 ペルー代表 「私もまた、私の投票について公開で説明することを提案します」 中国代表 「…この議事手続きの問題は公開の会議ではなく、非公開の場で話し合うようお願いします(略)」 ペルー代表 「全世界の報道陣がこの問題に寄せている注目度のことを考えた場合、議事手続きの問題は公開セッションで議論されるべきだと思います。(略)中華民国代表を含む理事会の諸メンバーによって起草された提案の知らせを、私は数日前に受けました(略)」 エクアドル代表 「報道されているステートメントについて、理事会のどのメンバーも賛成していないと私は思います」 ペルー代表 「…理事会は予備草案を検討するために、数日前に会合することもできたはずですが、そうではなくて、私たちは間際になっていくつかの点で曖昧な、またいくつかの点でそれに内在する不明瞭さの故に気がかりなところが残る草案を与えられました。昨日、私たちが文言のすべての明細については合意に達しなかったことを、理事会は知っています。それらの理由から、遺憾ながら、私はこうした態度を取らねばなりません」 中国代表 「…私は決議の作成者の一人として引用される名誉に値しません。決議は意見の交換の結果で、理事会による決定の基礎としてできあがるものです。私は討議に参加しました(略)」◇ そして、英仏の反対で修正された決議案が議長によって報告された。◇ 議長 「本議題に関して作成した決議案の文言は次のとおりです」 『本理事会は、極東における情勢を考慮し遺憾ながら、中国における敵対行為は継続し、本理事会の前回会合の時よりも激化したと認め、政治的また経済的復興期にある中華民国政府の努力と成果に鑑(かんが)みれば、この状況悪化を一層残念と認め、総会は、一九三七年十月六日付決議により、中国に対する道徳的支援を表明し、国際連盟加盟国が中国の抵抗力を弱体化し、またそれにより現在の紛争にあってその困難を増幅する効果をもつ、いかなる行動も慎み、またどのようにして諸国が個別に中国に支援を提供できるかを検討すべきであることを勧告したことを想起し、上記決議の文言に対してもっとも深甚な注意を払うことを国際連盟に求め、この状況に特別の関心を有する理事会に出席する諸国が、他の同様の関心をもつ諸国と協議して、極東における紛争の公正な解決に寄与するさらなる措置の可能性を調査する機会を失わないと信じる』◇ この決議案が提案された後、ポーランド代表は「私は評決を棄権することを提案します」とし、ペルー代表は「決議案を作成した国が、決議案作成にあたり、他国の日常的な参加もなく、日々の意見の交換も行わなかったという事実にあります。参加や意見交換は、決議の正確な範囲を理解するための欠かせない前提条件です。(略)私は私が言及した手続き上の理由により、棄権する意思を表明いたします」として、棄権した。 一方、フランス代表は、決議案作成に参加したことを自ら明らかにして「フランス政府の考えや憂慮を誠実に反映して、弾力的なものとなっています」と述べ、決議案に賛成している。演説で連盟の対日行動を要求演説で連盟の対日行動を要求 そして、決議案はポーランドとペルーの二国が棄権し、採択されるのだが、その前に、中国の顧代表の問題の演説が行われた。当時の外務省が広田外相に送った報告書には「日本の侵略の事実、日本軍の暴行、第三国の権益侵害、等を述べ連盟の行動を要求する趣旨の演説を為せり」とある。 顧演説の内容は次のとおりである。◇ 議長、私が皆様の前で決議案についての中国政府の見解を表明する前に、国際連盟理事会がこの状況にあって為し得ること、また私どもがぜひ希望することに関して、この数カ月間に発生した変化(註・日本軍の南京攻略)の状況を私が皆様に説明することをお認めいただけると私は信じます。 日本軍航空隊は、世界各国一致の非難を無視して無防備都市の無差別爆撃を継続し、中国市民の大量虐殺を行っています。(略)しかもその大部分は婦女子です。また、軍規厳正を常に誇りとしていた日本軍が占領した地域での残虐かつ野蛮な行為は、戦争に巻き込まれた人々の苦しみと困難を増幅し、良識と人間性の感覚に衝撃を与えました(註・ここまでは中華民国政府としての見解)。 その多くの例が中立的な目撃者によって報道され、外国の新聞に公表されていますので、その証拠をここで示す必要もほとんどありません。 説明としては、ニューヨーク・タイムズ紙の特派員の描写を引用すれば十分でしょう。これは日本軍が南京を占領下の同市で起きた恐怖の光景で、一九三七年十二月二十日にロンドンのタイムズ紙に報道されたものです。記者は言葉少なくこう述べています。「大略奪、婦女暴行、市民虐殺、住居強制立ち退き、捕虜の大量処刑、頑健者には焼き印」 日本軍が南京と杭州で犯した残虐行為につき、アメリカの大学教授や宣教師たちの報告に基づいた信頼のおける記事がもうひとつ。一九三八年一月二十八日付のデイリーテレグラフ紙とモーニングポスト紙にも掲載されています。反日プロパガンダの〝原点〟たるデマの国連演説をした顧維鈞。このような人物が台湾逃亡後の国民党政権でも要職に就き、1957年から10年間も国際司法裁の判事を務めた 日本軍が南京で虐殺した中国市民の数は二万人と推定され、また若い娘を含む何千という女性が陵辱されました。(略)日本陸海軍およびその他いくつかの英米両国の船舶への砲撃、駐南京米国大使館館員への襲撃、それにいくつかの欧米諸国の国旗に対する侮辱などが挙げられます。これらの事件は「暴行、謝罪また暴行」という日本の政策に見られる欧米諸国への軽視であるばかりでなく、極東における欧米諸国の重要な権益の存在そのものを巻き込んだ重大な問題であります。 これは「中立国の権利および利益の尊重」を保障するという日本の宣伝の重要性に対して、世界の眼を荒々しくかつ苦悩を持って開かせることになりました。蒋介石日記に凄まじい自軍の暴虐蒋介石日記に凄まじい自軍の暴虐 演説にあるニューヨーク・タイムズなどの「大略奪、婦女暴行、市民虐殺…」について、歴史議連の総括では、国民党軍の軍紀の乱れを記述した蒋介石の日記を引用した。 それは「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(略)敗れたときの計画を先に立てるべきだった。撤兵時の略奪強姦など軍紀逸脱の凄(すさま)まじさにつき、世の軍事家が呼称を考えるよう望むのみだ」と自軍兵士の犯罪を嘆いているのである。 演説ではまた、諸外国の同情を引く為に、パネイ号、レディバード号とアリソン領事殴打事件まで持ち出したが、この三事件を分析することで、逆に〝南京大虐殺〟は虚構だったことを証明することになった。 歴史議連の総括によれば「ニューヨーク・タイムズとロンドン・タイムズの一九三七年十二月と一九三八年一月の記事を検証すると、一九三七年十二月は両紙ともパネイ号(米)の撃沈とレディバード号(英)が攻撃された記事が最大のニュースである。ニューヨーク・タイムズでは、その関連記事を同十三日から三十日まで連続十八日間報道。ロンドン・タイムズでも同十三日から三十一日まで四日間の休刊以外、連続十五日間報道していた」。両紙とも、市民が〝大虐殺〟されたなど、記者が確認した記事として報道していない。 また、「第百会期国際連盟理事会」が開催された一九三八年一月二十六日―二月二日までの間、ニューヨーク・タイムズとロンドン・タイムズの重大ニュースは、一月二十六日のアリソン領事殴打事件である。この期間は、戦後〝南京大虐殺〟が実行されていたと喧伝されている時期と重複している。 アリソン殴打事件とは、事件調査に日本軍憲兵と同行してきたアリソン氏が、日本軍中隊長の制止を無視して、無理に家屋内に進入しようとしたため、憲兵隊伍長にアリソン氏と同行のアメリカ人一人が殴打された事件である。日本軍の陳謝に対して、アリソン氏も「検察官的不遜な態度と領事としての立場を逸脱していたこと」を詫びている。 このアリソン事件は、ニューヨーク・タイズムが、一月二十八日―三十日まで三日連続で、ロンドンータイムズでも一月二十八日、二十九日(三十日休刊)、三十一日と同じく三日間報道していた。現在、中国が「ホロコーストと比肩される南京大虐殺が実行されていた」と喧伝している期間内に、「約一週間もの間、ロンドン、上海、マニラのラジオニュースで大々的に報道された(略)」のがアリソン殴打事件だった。この事実は、一九三八年一月二十六日以降、一週間、アリソン殴打事件を上回る強姦、殺人事件がなかったことを示す。 顧代表の政治宣伝は尚も続く。極めつきは「田中上奏文」である。「田中上奏文」とは、南京で出版された『時事月報』に漢文で初めて掲載され、英文パンフレットとなって世界に広がった。日本政府は当初から偽書と断じ、現在では世界でも本物と見る者はいない。偽書まで持ち出し欧州を恫喝 偽書「田中上奏文」を引用した顧代表の演説に戻る。◇「日本による中国の軍事占領の強化とその地域の拡大は、その支配征服という悪意ある政策を明らかにしています。(略)これは中国の征服、アジアの支配および最終的には世界の支配を目指したプログラムの概要を記載した田中上奏文に明らかになっています。(略)田中上奏文は、中国に対する日本の継続的侵略行為のみならず、日本軍が中国における第三国の外国公館、外国の財産、および民間人に加える用意周到な攻撃を理解するに必要な背景になっています。(略)中国は、規約第十条、第十一条および第十七条に基づき連盟に提訴しました。連盟の忠実かつ献身的な加盟国として自国の領土の保全および政治的独立に対する外部からの侵略に対する保障を求める権利を十分に有します。満洲国をめぐる連盟の介入に常任理事国だった日本は反発し、昭和8年2月の特別総会で脱退演説をする松岡洋右全権代表。5年後、反日的なムードの中でも顧維鈞のデマと姑息な工作は理事国に見抜かれていた この三カ条は、それだけで侵略国を抑制し、侵略の犠牲となった国を支援するための広範囲の行動を認めています。中国政府は、そのため、この義務を遂行するために必要な措置を取ることを理事会に対し、要請します(註・中国は演説のここで、連盟の「行動を要求」。また一九三七年九月二十八日と十月六日の日本非難決議は効力がないとして、再度連盟「行動を要求」している)。 連盟に対する信頼を回復しその権威を取り戻すような効果的な措置をとることが義務でもあり機会でもあることを、中国政府は心から信じます。極東における破廉恥な侵略に対処するにあたり、断固とした建設的な政策を採用することは、世界の平和愛好国家の何億人という人々の承認と支持を受けるでしょう」◇ そして、顧代表は、日本製商品の世界的なボイコットを組織的に実行することを求め、最後まで、日本を制裁することは、「世界的な重要性」とか、「欧州の平和の要因」などと述べて、「日本の対中侵略が野放しに放置されているかぎり、欧州の平和も危機に瀕し、欧州全体の和解も実現が難しくなります」と恫喝まがいの弁説をふるい、連盟の行動を求めて終了したのである(連盟議事録の翻訳は衆議院翻訳センター)。 ちなみに、この議事録は『ドイツ外交官の見た南京事件』(石田勇治編集・翻訳、大月書店、平成十三年)でも要約され、紹介されている。しかし、「二万人の虐殺」と「何千人もの女性が辱めを受けた」という中国側の主張は掲載されているのに、顧代表が国際連盟に行動を要求した最重要部分を「以下、略」として削除しているのだ。このため、議事録の資料価値を低くみる研究者がいるが、それは最重要部分が明らかにされていなかったからなのである。見せかけ見抜いた当時の外務省見せかけ見抜いた当時の外務省 中国の顧代表の演説は、理事会での決議案採択前に行われた。だが、中国は理事会の前に行われた「四国会議」にも参加しており、英仏の反対で「日本への制裁」が拒絶されたことも十分に承知しての会議で日本非難決議が通らないことを承知していたのにも拘わらず、顧代表が執拗に国際連盟の「行動を要求」していたのである。 これは中国による「政治宣伝」にほかならない。中国の〝南京大虐殺〟の政治宣伝の原点が、顧代表の国際連盟の演説にあり、まさにここからすべてがスタートしていたと見ることができるのだ。 こうした中国側の狙いについては、昭和十三年二月十八日付外務省機密文書「第百回国際連盟理事会に於ける日支問題討議の経緯」でも触れられている。 その分析の中では、「二月一日午後零時半ヨリ秘密会議ニ於テ一月三十一日ノ四国会談ニテ作成セル決議案ヲ上程シニ時迄審議セルガ、波乱ハ理事会外ニ於テ少数大国ノミガ勝手ニ協議シテ其ノ結果ヲ理事会二押付ケントスルガ如キ方法ニハ同意シ得ズトノ趣旨ニテ棄権ノ旨ヲ述べ披露、『エクワドル』モ本件ヲ理事会以外ニテ審議シ来レル手続ニ関シテ異議ヲ唱へ政府ニ請訓ノ要アル旨ヲ述ベタル為手続問題ニ付種々論議アリ結局一先ヅ散会シテ此等代表ニ請訓ノ余裕ヲ与フルコトト為リタリ」と理事会が紛糾したことがまず報告されている。 その上で、中国側の演説について、「今次理事会ノ決議ハ国民政府支援ノ方針ヲ維持シヌ極東ニ特殊ノ利害関係ヲ有スル諸国間ニ於テ紛争ヲ解決スル機会ヲ検討スルコトヲ期待シテ紛争解決ニ付国民政府ヲ見離サザル『ジェスチュア』ヲ示シタルハ注意ニ値スルモ大体ニ於テ昨年十月総会決議ノ範囲ヲ得出テズ、右決議中特殊利害関係アル国家卜云ヘルハ米国ヲ引入レントスル為ナルベク、今後共所謂特殊利害関係国間ニ於テ連盟二依リ又八九国条約ニ基キテ極東問題ヲ協議セントスル建前ハ崩サザルモノト認メラル」としているのだ。 つまり、当時の外務省は、顧代表の「日本非難演説」を「ジェスチュア」と見抜き、注意を喚起していたのだ。また、中国がアメリカを引き込む狙いがあった点も分析していた。つまり当時の外務省は、これが、中国の政治宣伝であることを把握していたのである。国民党も共産党も変わらぬデマ体質 ただ、肝心の「南京で二万人の虐殺」という数字が報告されていない。もしこの時点で、中国が主張した「二万人」を日本側が論破していれば、今日の〝南京大虐殺〟論争などなかったであろう。自民党歴史議連・南京問題小委員会の調査検証総括として「大虐殺」が捏造であることを発表する委員長の戸井田徹衆院議員=平成19年6月19日 これまで〝南京大虐殺〟の政治宣伝は、英マンチェスター・ガーディアン紙記者、ティンパーリーによる『戦争とは何か=中国における日本軍の暴虐』(一九三八年七月、中国語に翻訳)が原点とされてきた。その中では、政治宣伝としての虐殺数は「四万人」となっていた。今回、歴史議連の総括で〝南京大虐殺〟の原点が「二万人」と判明したことは、中国の政治謀略を解明する上で、決定的な意味がある。 中国の政治謀略は、政権が国民党から共産党に代わっても本質は何ら変わることがなかった。 この点について、歴史議連は総括の中で、「国民政府政治部は陳誠を部長に、周恩来を副部長とし、その下に四つの庁を置いて抗日宣伝、情報収集等を行っていた。『戦争とは何か』は、一九三八年七月、中国語に訳され、郭沫若が序文を書き、抗日宣伝の教材として頒布された」と明らかにした。 南京戦当時、抗日宣伝をしていた周恩来と郭沫若は戦後、中国共産党政府の首相と副首相に就任しているのだ。これを見ても、中国の政治謀略の一体性が分かるではないか。 この国際連盟の議事録の問題は、平成十九年二月二十一日の衆院内閣委員会で取り上げられ、自民党の戸井田徹議員の質問に対し、外務省は、「(当時)中国代表の顧維鈞という人物が、南京における旧日本軍兵士による殺害や略奪行為について言及した(略)。一方、決議においては明示的な言及はなかった」と明確に答弁しているのだ。不可解な調査検証時の外務省不可解な調査検証時の外務省 しかし、そこに至るまでの歴史議連・南京問題小委員会の調査に対し、外務省は〝資料隠し〟とも言える不可解な行動に終始した。 戸井田議員が今年二月九日、南京問題小委員長に就任した直後、外務省に対し、南京戦前後の国際連盟決議および議事録の提出を求めたが、同省は戸井田議員が質問に立った同月二十一日の衆院内閣委員会までに、〝読める状態〟での資料提出をしなかった。このため、戸井田議員は内閣府を通じて、「第百会期国際連盟理事会」議事録の原文を入手したのである。 しかも、中国が主張する「南京での虐殺と暴行」が決議に採択されたか否かについて、戸井田議員が外務省に問い合わせたところ、担当者は、「私の一存では答えられない」の一点張り。戸井田議員が再度「二十一日の内閣委員会で質問するから答えられるようにしておいてください」と申し入れると、ようやく観念したのか、同日の午前四時半になって和文タイプで打った旧字の「決議文」がファクスで送られてきた。彼らはいったいどこの国の公務員なのだろうか。 さらに、戸井田議員が「旧字の決議文」だけでなく、口語文に翻訳された全文の提出を求めたところ、外務省は「これだけしかありません」と回答している。ところが、再び、内閣府に問い合わせてみると、「第百会期国際連盟理事会」の議事録を翻訳した当時の外交文書が出てきたのである。これでは、「外務省を信用しろ」という方が無理であろう。 「歴史議連」の南京問題の調査は、さまざまな角度から検証を試みた結果、「南京攻略戦は、通常の戦場以上でも以下でもない、と判断するに至った」と総括したのである。 この総括文書の反響は、常識的に判断できるところに説得力があった。 それは、「世田谷区よりも狭いところに、朝日新聞一社だけでも約八十人(毎日は約七十人)の取材班が出入りしていたとなると、電信柱一―二本が倒れても気が付く取材精度を維持していたと推察される。(略)戦後、新聞労連の活動を熱心にしていた朝日と毎日の数人以外、南京で〝虐殺〟があったと語ったものはいない」との記述だけでも、「やっぱりなかったんだよね」と言ってくれた方もいる。 平成十九年六月十九日の歴史議連記者発表の挨拶で、当時会長だった中山成彬元文部科学相は「嘘と欺瞞が世界を席巻することになれば、近代国家の宝である自由と民主主義にとって危機的状況になる(略)。いま米国、カナダなどで作られている南京に関係した政治宣伝映画を見過ごすことはできない」と指摘した。 さらに「明治五年、横浜に停泊中のアメリカに向かう奴隷船マリア・ルーズ号の船長を裁判にかけ、監禁されていた中国人苦力二百三十人を解放して、中国に送り返した」ことなどを実例に示して、十九年当時に米下院で審議中だった慰安婦に関する日本非難決議案に苦言を呈した。繰り返される過ち断ち切るために繰り返される過ち断ち切るために 私は不思議に思ったことがある。南京問題小委員会の勉強会で、戸井田小委員長が次々と提示してくれた資料の中に、東京裁判の判決で日本軍が「南京で二十万人の虐殺(松井総司令官個人の判決では十万人)」をしたという数字を根底から覆す「スクープ記事」の存在だ。衆議院予算委員会で「南京」など反日プロパガンダが教科書や入試に実害を与えている事例を示しながら、是正を訴える西川氏=平成25年4月10日 例えば〈〝南京虐殺〟数の積算根拠は、「『南京事件』後四カ月間に十一万二千二百六十六人の遺体を処理したという崇善堂の埋葬記録を検察側が加算した結果である。しかし、南京事件後四カ月間、崇善堂が活動していなかった事は、昭和六十年八月十日付産経新聞が報道した阿羅健一氏のスクープ記事で証明されている〉と総括文書に記載されていたのである。 ところが、この「スクープ記事」は〝南京大虐殺〟否定派の著書で、それまでほとんど紹介されたことがなかった。それぞれの立場で検証し、明らかになったことは、互いにフェアに認め合い、積み上げて行くことが大切だと思う。 歴史議連の総括は、一次資料を中心に、戸井田衆院議員が、阿羅健一氏、佐藤和男氏、水間政憲氏の協力によって客観的にまとめられたものである。 現在、北東アジアの政治情勢は、「南京戦」以前に戻りつつある感がする。 さらに、共産党政権の中国は、反日宣伝を一層強化し、南京攻略戦から七十年後の平成十九年には、アメリカ下院本会議「従軍慰安婦非難決議」を実現させ、二十七年には国連のユネスコをも籠絡し「南京大虐殺文書」を世界記憶遺産に登録させた。 それゆえ「南京戦」を詳細に調査検証することは、非常に重要なことである。 繰り返される過ちを、断ち切るためにも。(平成十九年十一月発行「別冊正論8」掲載のものを若干加筆した)にしかわ・きょうこ 昭和二十年東京都生れ。昭和四十三年早稲田大学教育学部卒業。翌年結婚と同時に熊本県津奈木町に移る。平成八年自民党熊本県連女性部長となり、十二年の比例九州ブロック初当選以来衆院議員を四期務める。三期目は郵政法案造反者の対立候補として地盤のない福岡十区でミカン箱に立って街頭演説を続け勝利した頑張り屋。厚生労働副大臣、文部科学副大臣、党政調副会長などを歴任。党「日本の前途と歴史教育を考える会」事務局長だった十九年六月に同会南京問題小委員会が調査総括を発表。戦後歪められた日本の歴史や伝統を見直す活動を続け、過度の男女共同参画や夫婦別姓などに反対し、日本の「良き家庭」堅持に努める。二十六年衆院選で敗退したが、九州を中心に憲法改正論の普及など政治活動を続け、歴史や伝統の啓発を続ける。夫の裕氏は津奈木町長。

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    日本軍「残虐行為」はどう創作されたか? 中国に洗脳された日本人

    別冊正論26号「『南京』斬り」(日工ムック) より田辺敏雄(昭和史研究家)「中国の旅」で集団ヒステリーに わが国をめぐって中国が喧伝する「歴史問題」をつきつめれば、日本軍による残虐行為、残虐事件の存否と程度の問題に帰着すると思う。となれば、これらを乗り越えないかぎり問題の好転は期待できない。 中国における残虐行為は二つの経路でわれわれ国民にとどいた。一つは朝日新聞を筆頭とするメディアによる現地ルポであり、一つは終戦後、中国に囚われた日本人いわゆる中国戦犯の「証言」であった。昭和四十年代後半、両経路による日本軍断罪が同時にはじまった。朝日の本多勝一記者による「中国の旅」と「天皇の軍隊」である。著者自ら中国の言いなりの内容を検証もせず書いたことを認めた『中国の旅』 昭和四十六年八月から十二月まで、朝日は本多記者の「中国の旅」を約四十日間にわたって連載。「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」など手持ちの媒体も総動員して、日本軍断罪の一大キャンペーンを開始したのである。いずれも読んでいて気持が悪くなったという人もいるほど、日本軍および民間人が行った残虐非道な行為であふれかえっていた。 連載は平頂山(へいちようざん)事件にはじまり、万人坑(まんにんこう)、南京事件、三光政策とつづいた。このルポは日本側の裏づけ取材がなく、中国の説明を鵜呑みにしたものにもかかわらず、いずれも事実とされ高校用歴史教科書(一部は中学校用も)、百科事典に採用された。 連載は単行本、文庫本となり、さらに『中国の旅』の写真版という『中国の日本軍』(創樹社)が出版された。人骨累々の写真が教育に有効として『中国の日本軍』を「必読文献」に推薦した高校用教科書もある。連載に触発されたのだろう、メディアは競うように中国に出かけては日本軍の悪行を聞き出して報じた。 山本七平は「『中国の旅』がまき起こした集団ヒステリー状態は、満州事変直前の『中村震太郎事件』や日華事変直前の『通州事件』の報道がまき起した状態と非常によく似ているのである」とし、日本人の受けた衝撃の大きさを記している(『日本はなぜ敗れるのか』 角川書店)。「中国の旅」連載とほぼ同時期、月刊誌「現代の眼」に「天皇の軍隊」と題した取材報告が連載された。著者名は熊沢京次郎とあるが、筆者は本多勝一と長沼節夫(時事通信記者)である。連載は同名の単行本(現代評論社)となり、後に二人の実名をもって朝日文庫に加えられた。発行当初は話題になったが現在では「悪書」の一言で片づけられる『天皇の軍隊』 内容はといえば、中国山東省に駐留した第五十九師団による数々の残虐事件、残虐行為を「日本兵の証言」をもって糾弾したものである。軍紀は死語同然、やりたい放題の日本兵の姿があった。討伐作戦とは「女あさりにカッパライ」、女と見れば強姦は日常茶飯事、あげくに異様な手段での殺害も珍しくない。男の方は拷問、菜切り庖丁で胸から腹まで断ち割るといった凄まじさである。『中国の旅』に加えて『天皇の軍隊』を読めば、国民はかつての日本軍に嫌悪感をつのらせ、同師団にとどまらず日本軍全体が同様であったと考えるだろう。ところが「日本兵の証言」というのが曲者で、登場人物を調べたところ予想どおり、残虐行為の証言者はことごとく中国戦犯だったのである。「中国戦犯」と「洗脳」について「中国戦犯」と「洗脳」について 六十万人といわれるソ連抑留者のうち九百六十九人が選別されて中国に送られ、撫順(ぶじゆん)戦犯管理所という名の監獄に収容された。昭和二十五年七月のことであった。引き渡しはスターリンと毛沢東の合意という見方がある。 一方、中国山西省では日本降伏後も国民党系の閻(えん)錫山(しやくざん)軍と共産八路(はちろ)軍とが戦闘状態にあった。閻は「日本人居留民を帰国させる」などの条件で、日本軍(第一軍)に残留を要請、受け入れた日本軍は閻とともに八路軍と戦うことになった。結果は八路軍の勝利に終わり日本軍は投降、第一軍関係者ら百四十人が太原(たいげん)戦犯管理所に収容された。撫順組と太原組を合わせた千百九人が中国戦犯といわれる人たちである。 軍関係では師団長四人(いずれも中将)、内訳は藤田茂師団長以下二百六十人という最多の第五十九師団、佐々眞之助師団長以下二百人の三十九師団、ほかに鈴木啓久(ひらく)第百十七師団長、岸川健一第六十三師団長(抑留中死亡)であった。文官の方は満州国高官・古海忠之らが含まれた。 六年後の中国共産党の軍事法廷で、軍上層部を中心に四十五人が有罪(有期の禁固刑)となり、残る約千人は起訴免除となって昭和三十一年に帰国した。したがって、ソ連の分と合わせれば十年以上も捕虜の身となった人が大部分だったのである。 この六年の間に彼らは洗脳されたのではないかと帰国当時から言われた。帰国時の発言と中国に書き残した手記を集めた『三光』(カッパブックス、昭和三十二)の出版が影響したものと思われる。描かれた行為が異様なほど残忍だったからである。 撫順戦犯管理所に日本語通訳として勤務、日本人の指導・監督にあたった金源所長は、総括とも呼べる日本兵の残虐ぶりを次のように記している。「あるひどい者は、吸血鬼のように、中国人を撲殺した後、その肝と脳味噌を食べたのである。このような人間性の一かけらもないような野獣のごとき実例は、枚挙にいとまがない」と。 彼らは帰国後に「中帰連」 (中国帰還者連絡会)を組織し、初代会長に藤田茂第五十九師団長が就任した。藤田は「自筆供述書」の最後に「私は私に斯かる罪行を犯さしめたる裕(ひろ)仁(ひと)に対し、心よりの憎恨と斗争を宣言するものであります」と書いている。呼び捨てにされた「裕仁」は昭和天皇のことである。 心理学が専門の小田晋・元帝塚山学院大学教授は、洗脳について以下のように説明している。 〈広い意味での「洗脳」は、他人の意思を屈従変更させるための精神操作の手法をいいます。つまり、宗教的、政治的、商業的(販売の手段としてのコマーシャル)、犯罪的な手法を総称して「洗脳」といいます。(略)狭い意味での「洗脳」は、旧共産圏の秘密警察や特務機関が捕虜または政治犯を告白させたり転向させたりするためにもちいた手段を指します。〉(「歴史と教育」平成十五年三月号) 「中国側は洗脳なんて言葉の存在も知らないと否定する」(小田氏)が、「洗脳」は中国の造語である。「ブレイン・ウォッシング」は洗脳の英訳であり、洗脳の技術を中国が保有していたことに間違いなかろう。米ジャーナリストのエドワード・ハンター著『洗脳 中共の心理戦争を解剖する』(法政大学出版局、昭和二十八)は、このことを含め、説得力のある説明が実例をもって示されている。収容所の思想改造過程とは…収容所の思想改造過程とは… 撫順戦犯管理所に収容された日本人は三カ月後の昭和二十五年十月、朝鮮戦争の激化に伴いハルビンと呼蘭の両収容所に移動、前者は佐官級以上、後者は尉官級以下が入所した。そして六カ月後、少尉以下六百六十九人が撫順に復帰し、残りは二十八年十月までハルビンにとどまった。〝日本人を使った中国の宣伝書〟であった『三光』。中帰連自らが新編や完全版も出している 呼蘭収容所で思想改造のための基礎づくりが進行していた。思想改造は「坦(たん)白(ぱい)(自白)」を促す前の過程である。尉官以下七百余人の思想改造教育にあたった呉浩然によると、まず学習を望んだ八十余人で六つの学習組を作り、国友俊太郎、大河原孝一、小山一郎ら六人を学習組長に選び先行教育を行ったという。六人はソ連時代、捕虜の上に君臨したアクチーブ(積極活動分子)で、撫順でも思想改造の推進役となった。 一方、ハルビンに残った組からも尉官十四人が選ばれ、先行教育が行われた。彼らの大部分もまたアクチーブであり、帰国後は「中帰連」で中心的役割を担ったのである。 まず学習。教材はレーニンの『帝国主義論』や日本共産党編纂の資料などが選ばれた。狙いは階級闘争理論の習得で「その基本精神をのみこんでから、実際と結び付けて討論」するのだという。討論は週一回、当初の議題は朝鮮戦争関連が多かったようだ。学習者たちは「資本主義帝国主義の反動的本質をある程度認識し始め」ると、なかの一人は討論中「日本の社会は、資本主義から帝国主義社会に到達したので、国外にむけての拡張となり、中国に対する侵略戦争を引き起こした。この歴史発展の過程は、レーニンの本と同じだ」と述べたという。 もどった撫順戦犯管理所は収容棟が七棟、尉官以下を収容する棟は十五程度の小部屋からなり、十七人が一組になって収容された。呼蘭で先行学習した八十人を意識的に各部屋に配置したと呉浩然は書く。以下、学習、坦白、認罪と進むが、重要と思われる事項に触れておきたい。 ①強調された「二つの態度と二つの道」 「罪を認めれば寛大な処置が受けられ、罪を認めなければ厳しい処置を受けなければならない」と絶えず強調された。同時に、罪の大小で処分が決まるのではなく、「罪行は重くとも完全に共産主義思想になった者は許す。罪行は軽微でも、思想を改造できない者は重く処分する」と強調されつづけた。 恐ろしい論法と思う。身に覚えのないことでも、取り調べる側が「事実」だという心証を持つなり、あるいは何らかの意図を持てば「自白」を引き出すことが可能だからである。死刑になるかもしれない恐怖、故国へ帰りたいという熱望、これらを背景に「二つの態度と二つの道」が使い分けられれば、どのような結果を生むかおおよその見当はつく。 ②「自白」中心の取り調べ 取り調べにあたって、検察側が具体的な犯罪事実を提示することはなく、ほとんどが「自白」といってよい。有罪者の一人、横山光彦・元ハルビン高等法院次長の記述からもうかがえる(『望郷』 サイマル出版会)。〈「お調べがついているでしょうから、それをお示しください。そうすれば私も思い出せることもあるでしょう」というのだが検察員は聞き入れない。「中国は、お前が自らの記憶に基づいて述べることを要求する。誠実な態度であれば思い出せるはずである。今日は監房へ帰れ」となんべん言われたことか〉 ③下を落としてから上位者へ 取り調べは階級の低い方を先に、上位者は後からが原則であった。下位者の「罪行」を得ることによって、上位者の「罪行」を追及しやすくなるからである。相互批判と誘導「告白」で総崩れ相互批判と誘導「告白」で総崩れ 星野幸作軍曹(六十三師団独立歩兵第八十七大隊)の記録が残る。軍曹は同大隊の戦友会によくでていたというが、私が参加したときは体調不良とのことで会えなかった。 呼蘭収容所の生活は不潔の一言で「水の不便と南京虫には泣かされ」、皮膚病に手を焼いたという。これといった取り調べもなく、退屈な日々を手製の麻雀などで過ごす。撫順にもどって嬉しかったのは一年ぶりの風呂だった(以降、入浴は週一度)。最初のうちは高粱(コーリヤン)と粟、二年目頃より米の飯が与えられた。ソ連時代のように「空腹を抱えて」といったことはなく、腹一杯食べられたのは嬉しいことだったと記している。かわら生産など軽作業(佐官級以上は免除)と学習をしながら過ごしていく。現在も建物が保存、一般公開されて反日プロパガンダの舞台になっている旧「撫順戦犯管理所」 二年余が経過したある日、全員が屋外に集められた。壇上に上がった所長から、中国人民を何人殺し、どんな被害を与えたのか、「即ち、『焼く』『殺す』『犯す』等々を何処でどうして行ったか」を書いて出すよう指示がでた。「やっぱりくるときがきた」と思ったものの、所長の態度から深刻に考えなかったという。 昭和二十八年九月中旬、再び全員が集められ所長が壇上に立った。いやな予感がしたという。「中国人民は君達のような帝国主義思想の持ち主は絶対に許さない。(略)中国人民は君達を招待したのではい。勝手に中国に乱入したのだ。そして我々の同胞を殺し、極悪非道の犯行を平気でやってきた。(略)その重大な犯罪を中国人民は許すと思うか。お前達を殺すも生かすも中国人民の権利であり、自由意志である」。 話し終わった所長の顔は真っ赤だったと星野軍曹は記している。先々を思うと目の前が真っ暗になる。無言のまま部屋にもどると集会が開かれ「民生委員」が選出される。そこで、「認罪運動」を秘めた学習方法が提唱されたというのである。ソ連抑留と違って、見たこと聞いたことなど「事実の晒しあい」で、いつ自分が槍玉にあがるかわからないため命の縮まる思いをしたという。「学習」「討論」「認罪」の繰り返し、これが自分の運命を決する問題と知りながらも、その心境をどう表したらいいか「言葉さえ見つからない」と書いている。数カ月後、再び「供述書」の提出を命ぜられ、紙切れ一枚残さず提出した。 二十九年四月、抑留者にとって忘れられない日が訪れた。その日の所長は「今日の私が閻魔様に見えるか、それとも仏様に見えるかは、君たち自身が決めること」だといい、真面目に学習し思想改造している者には仏様に見えるはずだと話す。 また、認罪とは素直に自分の罪行を認め、「焼く」「殺す」「犯す」の重大犯行を具体的に書き出すことだというのである。そして、真面目に学習したという数人が壇上に立ち、みずからの「犯行」を告白した。 初めに立ったのは宮崎弘中尉(三十九師団二百三十二連隊、機関銃中隊長)。ハルビンで先行教育をうけた十四人の一人でアクチーブであった。宮崎は全身を震わせ、涙とともに自らの残虐行為を告白する。内容は、部落襲撃のとき、老人子供を銃剣で刺殺、逃げ遅れた妊婦を裸にして皆の前で刺殺したというのであった。 呉浩然は、認罪態度のよい宮崎弘に「全所の戦犯の前で、認罪・告白・摘発の模範的発表をさせた」とし、「身をもって説く典型的な発言は、強烈な影響力があり、その他の戦犯認罪にしっかりした推進作用を引き起こした」と書いている。 この告白は他の日本人にとって衝撃であった。宮崎の告白は機関銃中隊長のできる所業ではないという醒めた見方もあったが、大勢は一気に「認罪」へと向かったのである。二カ月後、「徹底した綿密な工作によって」、尉官級以下四千余件の摘発資料、上司や他者の罪行一万四千余項目を摘発したと呉は記している。 こうして上官や他者の犯罪資料をも獲得し、個人の認罪から「グループ認罪」へと進めていった。二十九年五月頃のことである。グループ認罪は同じ部隊の者十余人一組となって行う。各自が順に「坦白」を行い、「自己批判」と「相互批判」を通じて共通の「認罪」に到達させるものであった。こうしてグループに共有された罪行をもって佐官、将官級に認罪を迫るのである。 この過程を富永正三中尉(二百三十二連隊第十中隊長、元中帰連会長)は次のように説明している。 仲間から「まだ隠している」「殺される被害者の無念の思いがわかっていない」等の声があがり、食事もノドを通らぬ状況も出、自殺者まででた。「この深刻な命がけの自己批判と相互批判の学習が数か月」つづき、将官、佐官の場合はさらに長くつづいたという。そして「内容が検察官の資料と一致し、改悛の情が認められてやっとパスする」のだといい、この命がけの学習を経て「鬼から人間に立ち帰った」と強調する。こうして告白したものを「ウソ」とは何事かと言うのである。「自筆供述書」「手記」の内実「自筆供述書」「手記」の内実 こうした経過の後、彼らが残した「証言」を三分類するとわかりやすいかもしれない。 第一は、検察官による取り調べの末に書いた「自筆供述書」である。供述書は中国と折り合いのいい新聞社や学者らを通して散発的に日本で紹介されてきた。 平成十年四月、有罪となった四十五人分の「自筆供述書」を、中帰連とつながりの深い報道写真家・新井利男が中国から入手、朝日新聞社と共同通信社に持ち込んだ。新井の目論見どおりだったろう、朝日を含めた四十五紙が報じ、十七紙が一面トップ扱いの報道だったという。 この時点における生存者はわずか四人と朝日は報じている。わけても、すでに他界していた鈴木啓久中将の供述書に、「慰安婦強制連行」の記述があったため注目を集めた。 そして十六年経過した平成二十六年七月、中国中央公文書館はネット上に四十五人全員の「自筆供述書」を全ページ写真版で公開した。さらに二十七年八月、金子安次(五十九師団機関銃中隊、伍長)ら三十一人の供述書(一部)を公表した。 三十一人は女性を見ると見境なく強姦、輪姦し、多くの兵士が彼女らを殺害する残忍さだ。この供述書公開は韓国との共闘が視野にあってのことだろう。また世界記憶遺産登録の狙いもあるだろう、八百余人分、百二十冊、二万六千㌻の『供述書選集』を発行すると中国メディアは報じた。撫順戦犯管理所で有罪とされた日本軍将兵45人の「供述書」について、3面にわたり大々的に報じる平成10年4月5日付朝日新聞。共同通信も「供述書」の内容をそのまま報じ、地方紙などに大きな影響を与えた 二番目は「手記」である。手記は取り調べが終了し、判決を待つ間に「有志」が書いたとされ、昭和三十一年に十五人の手記を編んだ『三光』が発行された。三光とは殺光、焼光、奪光(搶光)を指す中国語で、「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす」の意である。「生体解剖」「細菌作戦」「毒ガス攻撃」「労工狩り」などあらゆる犯罪行為を当事者として語っていた。編者の神吉(かんき)晴夫は想像を絶する行為だと言い、「いくら戦争といっても、私たちの同胞が、こんなことまではたしてできるのだろうか。しかし、残念ながらこれが事実なのです」と書き、疑う様子はない。 だが、書名となった手記「三光」からして、部下が読めば「作り話」とわかるように書いた小田二郎少佐の苦心作なのである。「問題の手記『三光』の隠されたシグナル」(月刊「正論」平成十年十一月号)に報告してある。 時をおいた昭和五十七年、中帰連は現状を「急激な右傾の道をたどる情勢」と認識、自らの手で『新編三光 第一集』(カッパブックス)を発行した。前回の『三光』と同様、十五人の手記を掲載したもので、銃剣で妊婦の腹を裂く「胎児」、農民の生き胆を取り出して食う「群鬼」など、相変わらずのものであった。本多勝一が「まえがき」を書き、作家の野間宏は「胎児」を信じ込み、井上ひさしも「日本民族を鍛え直す研(と)石(いし)である」とする推薦文を寄せている。 この年は「教科書誤報問題」が起こり、文部省の教科書検定の是非などをめぐって騒がしかった。前後して吉田清治の『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』、ベストセラーとなった森村誠一の『悪魔の飽食』も発行され、この後も手記集の出版はつづいた。 帰国後の「証言」と同調する学者帰国後の「証言」と同調する学者 三番目は帰国後の「証言」である。平成元年八月、NHKは「撫順・太原戦犯管理所 1062人の手記」を放送した。中帰連の知名度は一気にあがり、取材やら学校からの講演依頼やらが舞い込んだ。「アサヒグラフ」も取材のうえ「いま戦争を問い直す」とした特集を組んだが、相変わらず彼らの言を鵜のみにし、裏づけをとった様子は見えない。 中帰連は「反戦平和部」を強化、番組に出演した小島隆男中尉(五十九師団機関銃中隊長)が部長に就任、とくにマスコミの取材に積極的に応じる一方、出版活動も強化していった。中帰連はメディアの有力な情報源の地位を確立したのである。 小島中尉は自ら範を示そうとしたのか、後述の「八千人強制連行」、七三一部隊「コレラ作戦」などを積極的に証言する。また、中国に出かけては聴衆の前で強制連行を告白・謝罪する。それを朝日新聞が写真入りで「元機関銃中隊長、しょく罪、告白の行脚」(平成五年七月十五日付)などと大きく報じた。中帰連が組織された当初は、抑留中の補償を日本政府に求めるなど経済問題が中心であったが、この時点では「日本の右傾化を阻止する」ため、天皇の戦争責任追及を含めた政治活動へと変質していたのである。 四十五人の供述書が朝日と共同通信社に持ち込まれたことは既述したが、月刊誌「世界」に三人の師団長を含む八人の供述書が公開された。藤原彰・元一橋大学名誉教授が冒頭「史料の意義について 『三光政策』の実態」とした解説を加えている。藤原教授といえば、南京事件による犠牲者二十万人以上を主張した大虐殺派の大御所であった。 まず供述内容について「本人が事実をすべて認めているだけでなく、その内容がきわめて詳細でかつ正確なのである」と総括。日本側の「戦闘詳報」などの史料と照合しても明らかだとも言い、手放しの傾倒ぶりである。そして、抗日根拠地に対する燼滅(じんめつ)掃討作戦、遮断壕の構築、無人地帯などをあげて「三光政策そのもの」だとし、さらに「慰安所の設置と『慰安婦』の強制連行などが、軍による組織的行為として行われていたことも明らかにされている」など、供述書を全面肯定した。 これらは『侵略の証言』(岩波書店、平成十一)になった。藤原は解説「『三光政策』の実態」を書いているが、「史料の意義について」という表題は消え、おかしなことに右に引用した部分がことごとく消えているのである。批判の前に「うまくない」とでも思ったのだろう。中帰連は「すべて事実だ」とし、少なくない学者が藤原同様の見方をしている。 となれば、多くの虚偽例を示すことこそが、藤原らの主張が見当違いだと言うために必要であろう。以下、「中国の旅」の検証結果と中国戦犯証言の信憑性について略記する。「中国の旅」の検証結果は…「中国の旅」の検証結果は… 連載で最初に報じられた「平頂山事件」は昭和七年九月、撫順炭鉱が襲撃されたことに端を発した日本軍による住民殺害事件である。中国のいう犠牲者三千人が、検証抜きで教科書、百科事典などに載った。だが、資料、証言はことごとく六百人前後を示している。事件は軍の蛮行で非難は免れない。ただし、中国の報告書『平頂山大屠殺惨案始末』は創作部分が多く信頼性は低い。「平頂山事件」が捏造であることを田辺氏が検証し、著書としてまとめた『追跡 平頂山事件』(図書出版社、昭和63) 「万人坑」とは、主に満州の日本経営の鉱山や大規模な工事現場で、労働者にろくな食事も与えず過酷な労働を強要、ケガや病気などで使いものにならなくなると、生きながらも捨てた「ヒト捨て場」だと説明されている。犠牲者二十五万―三十万人の撫順炭鉱、一万七千人の南満鉱業が取りあげられた。後者は人骨発掘現場に記念館が建つ。 本多はアウシュビッツ収容所を見たことはなく、「だからこの万人坑のような恐ろしい光景は、生涯で初めてであった」とし、その衝撃は「脳裏に終生消えることのないであろう擦痕を残した」と書いている。 中国は大同炭鉱、豊満ダムなど二十カ所近く、人骨の展示館を開設している。だがこれらは中国のでっち上げである。証明はそれほど難しくない。「万人坑」と検索のうえ、大量の写真を集めたサイトを見てほしい。もしこのでっち上げが事実とされたら、日本の異議など世界は相手にしなくなるだろう。「南京事件」については、「百人斬り競争」を蒸し返し、「三十万人大虐殺」を流布したとだけ記しておく。田辺氏㊥の質問に「慰安婦狩りなどなかった」ときっぱり否定した炭江秀郎㊨、森友衛㊧の両副官=平成10年10月「三光政策」について、本多は「南京大虐殺」は市民や捕虜多数を無差別に殺害したが、それでも「軍の最高方針による計画的虐殺ではなかった」とし、八路軍の活躍が目立ちはじめた昭和十五年頃から「三光作戦」としての皆殺し、「三光政策」としての計画的虐殺が本格化したというのである。根拠のあやふやなこの解釈が幅を利かした。 だが、「三光作戦」という作戦名はもちろん、「三光」という言葉さえ前線の日本兵は聞いたことがないのである。ただ、「三光政策の村」として取りあげられた「潘家峪(はんかよく)」の出来事は存在する。例によって死者数など違いは大きいが、現場にいた下士官(複数)から話は聞き取ってある。慰安婦強制連行と人肉食のデタラメ慰安婦強制連行と人肉食のデタラメ  中国は鈴木啓久中将の強制連行を認める供述を「決め球」としているようだ。中将は帰国後、『中北支における剿共(そうきょう)戦の実態と教訓』『第百十七師団長の回想』という長文の手記を残している。この二編は供述書の検証に貴重な資料となる。「強制連行」は二カ所でてくるが、ほぼ同一内容なので第二十七歩兵団長時代(少将)の方を紹介しよう。「私は各所(豊潤、砂河鎮其の他二、三)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約六〇名であります」 二十七歩兵団は支那駐屯歩兵一―三連隊を主力に構成された。第一連隊の戦友会会長・内海通勝は「軍が慰安婦狩りなどやるわけがないよ」といって戦友会ともども調査に協力してくれた。当時、鈴木少将の副官であった炭江秀郎は、慰安婦狩りを行ったとする冀(き)東(とう)作戦の作戦命令すべてに目を通してきたとし、「歩兵団長の意向を受けて作戦命令を起案、裁可を得る。副官の側印がなければ作戦命令は出せない。だから、慰安婦狩りが事実なら知らないわけがない」と否定する。「冀」は河北省の別称である。炭江の次に副官をつとめた森友衛も「その事実はない」と否定し、他の十九人も結論は同じであった。 鈴木中将は「謹厳実直」「古武士風」であったと森副官は形容し、酒、タバコとは無縁、夜の食事前に謡をうたうのが常だったという。また、習字や読書で過ごすことが多かったと炭江は百十七師団史『大黄河』に思い出を寄せている。撫順戦犯管理所で撮影されたとみられる鈴木啓久中将 中将は会津若松出身、義和団事件(北清事変)で連合国から賞賛された柴五郎中佐(後に大将)と同県人であり私淑していたようだ。二編の手記に慰安婦記述はない。 平成二十七年八月、中国国家档案局は特集「慰安婦 日本軍性奴隷文書選」をネット上に公開した。その一つに文献テレフィルム「『慰安婦』 日本軍の性奴隷」と題した十五分ほどの動画がある。英語のナレーションと字幕がついているから、アメリカなど英語圏で流すのが目的だろう。ここに「強制連行の証人」二人が登場する。鈴木中将と絵鳩毅軍曹(五十九師団独立歩兵四十四大隊)で、中将は供述書、絵鳩は本人の録画証言である。絵鳩は語る。 「それは捕虜の中の一名の女性が、ある下士官の慰安婦に連れていた。それが索格荘の駐在が長くなって、食べ物に若干苦しむようになったとき、彼はその女性を殺害しその肉を食べ、自分で食べたばかりでなく中隊に、今日は大隊本部から肉がわたったから(と)ごまかして、それを中隊の全兵隊に食べさせたという噂をききました」 この証言は、噂話を聞いたものだが字幕に訳されていない。中国はこうした尉官、下士官級の証言を丹念に記録していて、絵鳩証言は他の七人とともに最近公開された。「ある下士官」というのは榎本正代曹長(旧姓新井、同師団百十大隊)である。 この話は『天皇の軍隊』(朝日文庫)と『私たちは中国でなにをしたか』(中帰連編、新風書房)の双方にでてくる。榎本は『天皇の軍隊』の主要な証言者で、強姦など当たり前、満期除隊になる兵士の土産話にと農夫を捕まえ「野菜包丁で胸から腹まで絶ち割って見せた」といった猟奇的告白が目立つ。証言の真偽は両者の記述の違いから与太話と見当がつく。およそ、実体験では起こりえない相違があるからである。 ―終戦も近い昭和二十年四月の秀嶺作戦中、伊藤誠少尉の率いる第二中隊はある山村に宿営する。宿営三日目、指揮班長の榎本曹長は誰にともなく「今日はもう肉類が全然なくなっちゃったんでどうするかなあ」というと、伊藤少尉は「そうだなあ、オイ、ひとつやっちゃうか」と榎本をのぞき込むようにいう。少尉は宿営中の部落から娘を連れてきた。少尉が後ろから娘を「突き飛ばすのと、曹長の短剣が娘の胸を刺すのと、ほとんど同時だった」と本多勝一は書く。二人は短時間で処理できる太ももを切り取り、スライスして油で炒めると全隊員七十人に配った―以上が『天皇の軍隊』の記述である。人民日報ネット版の絵鳩毅軍曹の記事を2015年8月15日に転載した香港・蘋果(りんご)日報系ニュースサイト。「1956年に中国が釈放した日本戦犯の絵鳩毅は、2013(平成25)年に訪ねた中国の研究員に対し『山東である下士官が一人の少女を無理やり自分の慰安婦にし、後に殺してその肉を食べた。大隊本部から肉が支給されたと言って中隊の全員に食べさせた』と語った」などとある。 後者になると話が違ってくる。まず、娘は榎本が二日前から慰み者に連れていたのだが、何とか処置しなければと思っていた。「このまま殺してはつまらない」と思い娘を裸にして強姦、包丁で刺し殺すと手早く肉を切り取る。それを動物の肉のように見せかけて盛り上げ、指揮班を通じて全員に配る。兵隊は人間の肉とも知らず久しぶりの配給に喜び、携行していた油で揚げたり焼いたりして食べた―というのである。 伊藤中隊長の姿が、後者にはでてこない。二人で密かに殺害、料理をしたというのにである。短剣と包丁の違い、娘についての違いも明らかだから説明は省く。大体、中隊長が隊員の副食をつくるなど、軍隊経験者なら信じやしない。 念のため百十大隊の隊員にあたった。秀嶺作戦に参加した工兵の萩原広松は「娘を食ったなどとんでもない。『天皇の軍隊』など誰も信用していない。自分たちが一番よく知っている」と歯切れよく話す。伊藤中隊に所属したことのある第三中隊小隊長・都筑健一は「無辜の人間を食用にすることは如何に隠密裡に処理しても必ずわかります」とし、噂にも人肉食の話は聞いていないという。 ばかばかしい話と一笑に付してはいけない。ある著名な精神科医は「信じ難い残酷さだ」としながらもこの話を信じてしまい、日本人の「罪の意識」を感じる能力の乏しさを嘆く例もみられるのである。米欧人が信じないわけがない。創作「労工狩り」「うさぎ狩り」創作「労工狩り」「うさぎ狩り」 平成五年五月、NHKは行方不明だった「外務省報告書」発見とトップニュースで報じた。つづく八月十四日、NHKスペシャル「幻の外務省報告書─中国人強制連行の記録」を放送し、同名の本を出版している。いわゆる「河野談話」が八月四日で、新聞もテレビも「慰安婦強制連行」であふれた時期である。国民はまたかと思ったことだろう。もっともこの報告書は知られていたもので、例えば『草の墓標─中国人強制連行の記録』(新日本出版社、昭和三十九)などで取り上げられていた。 昭和十七年十一月、東條内閣は国内の労働力不足を補うため中国人労働者の移入方針を閣議決定した。これにより「約三万九千人が日本国内に連行され、炭鉱などで過酷な労働を強いられるなど約六千八百人が死亡、連行の際に強制半強制という事実が浮かび上がった」という。歴史教科書の「四万人強制連行」はこうした記述に基づいたものである。『中国人強制連行』(西成田豊、東京大学出版会)はこの報告書を含め多角的に言及した分厚な研究書である。まず、強制連行の証言者として大木仲治、大野貞美、榎本正代(前出)の三人が登場し、「労工狩り」「うさぎ狩り」などと呼ぶ日本軍の悪逆な作戦が語られる。この「労工狩り作戦」は労働力調達のほかに目的があったとし、「作戦展開地区を無人地帯に近い状態につくりあげ」ることによって、抗戦主力である華北民衆の力を根こそぎ奪うことだったと著者は断定する。「無人地帯」は三光政策の一環で、「中国人皆殺し作戦」だと主張する日本人学者もいる。三人の証言は多くの本に引用される。だが、三人が中国戦犯であった事実を書かない本があり、この書もその例にもれない。私の知るかぎり「うさぎ狩り作戦」の証言者は十四人を数えるが、ことごとく中国戦犯であった。 大野貞美曹長(六十三師団)の証言を見ると、昭和十七年十月頃、北支部隊の一万人以上が山東省の一角に集まって包囲網を作り、部落に放火し「十八才から四十五才ぐらいまでの男という男を」全部ひっくくったのだという。 ところがである。「私は中隊にいて実際作戦に参加していなかったが」と大野は証言しているにもかかわらず、肝心のこの部分が引用されてないのである。「うさぎ狩り作戦」が事実かどうか、小島隆男中尉(五十九師団独歩四十四大隊、機関銃中隊長)の「八千人強制連行」が創作と証明された例をあげれば、あとは見当がつく。「私はね、この強制連行では実際に中隊長として山東省で作戦をやったんです。この作戦では八千名の方を捕まえたんです」とし、意の向くまま虫けらのように捕らえては殺したと証言する。秋田放送「風の叫び─中国人強制連行のいま」の一コマで、平成六年一月末に日本テレビ系列で全国放送された。NHK「〝戦犯〟たちの告白 撫順・太原戦犯管理所1062人の手記」(平成元年8月15日放送)で「日本軍の悪事」をかたる小島隆男中尉。NHKもこうした話を事実であるかのように垂れ流した 小島によれば、「うさぎ狩り作戦」は総勢数万、一個中隊が四㌔横隊になり、直径三十二㌔の包囲網を作る。機関銃や大砲を撃って包囲を縮め、各隊の進み具合を調整するために飛行機を飛ばす根こそぎ作戦という。 これに反発したのは四十四大隊の戦友会である。会長の千葉信一中尉(第四中隊長)は小島と盛岡予備士官学校の同期で戦後も行き来があったが、そのような命令を受けたことも作戦に参加したこともないと明言する。千葉が小島と連絡をとり、小島側三人と千葉側七人が面談した。小島側から大河原孝一(元中帰連副会長)、千葉側からは小島が中隊長であった全期間部下だった内田行男軍曹も同席した。「八千人の強制連行が中隊長のときとあるが、そのようなことを私は知らないが」と千葉が問うと、小島は「それは四十四大隊のときではなく、第十二軍予備隊付きのときである」とアッサリ証言を翻す。「それではウソではないか」と糺(ただ)すが答えはない。「八十人の間違いではないか」と言う千葉に対して、八千人は第十二軍が流したものだと小島は説明した。 八千人という数は、おそらく第三次魯東作戦(昭和十七年末)の戦果「遺棄死体千百八十三、俘虜八千六百七十五」(防衛庁戦史室、『北支の治安戦2』)から得た知識だと推測するが、これは武器を持つ兵と兵との戦いであった。包囲作戦は日本軍がよく使った戦法で、証言者が農民狩りに作り替えたのだろうと思う。 大木仲治軍曹については、抑留中に「労工狩り」と題した手記を書き、手記集『三光』に収められた。このため引用される頻度が高い。昭和十七年の博西作戦で、大木軍曹が所属する池田第三中隊長の「土百姓(どんびやくしよう)どもを一人も残さず全部捕まえる」の怒号のもと百五十人の農民を、大隊で二千人を捕らえ日本や満州に送った―というのである。 大木証言に対して、同じ千葉県出身で同年兵の染谷鷹治は「我々は承知しているからいいが、一般人が読めば真実と受け取ります。正すべきです」と調査に協力してくれた。染谷は平成二十六年八月放送のNHKスペシャル「いつまでも夢を」に出演、シベリア抑留で苦労を共にした作曲家、吉田正の想い出を語っている。染谷は中国送りを免れ帰国した。「強制連行や万人坑問題は、華北や『満州国』に関して論じられることが多いが、華中にも視野を広げることが求められている」(杉原達『中国人強制連行』 岩波新書)とあるように、強制連行は万人坑と結びつけられる危険性が大きい。中国は満州への強制連行数を三百万人とも四百万人とも言っている。「三光政策」と城野宏の〝詐話〟「三光政策」と城野宏の〝詐話〟 「中国の旅」が報じた三光政策(作戦)は歴史教科書に早速反映された。〈中国共産党の指導する軍民の抵抗に悩まされた日本軍は、一九四〇~一九四三年にかけて、華北の抗日根拠地に対する攻撃のなかで、「焼きつくし、殺しつくし、奪いつくす」いわゆる「三光作戦」をおこなった〉(実教出版「高校日本史」)に見られるように、内容は本多解釈と瓜二つである。「三光」は中国語なのだから、日本軍が「三光作戦」という名称を使うわけがないくらい誰にでもわかる。それに、同作戦に参加したはずの華北駐留の将兵に確かめたが、三光作戦という作戦名を誰一人として知らなかった。その場にいた将兵の知らない作戦が後の世代に教えられるのは異常である。 念のために記しておこう。一九三一(昭和六)年十一月、江西省と福建省の境、瑞金に毛沢東を主席とする中華ソビエト政府が成立、敵対する蒋介石軍はソビエト地区を数次にわたって攻撃する。形勢不利となった共産軍は瑞金を脱出、「長征」がはじまる。この攻撃を指して共産党は「三光政策」と非難した。 ほかにも例がある。アメリカに亡命した中国社会科学院政治学研究所の厳家其と夫人の共著『中国文化大革命』に、林彪(りんぴよう)一味は「意見を異にする幹部に対して、『三光政策』(殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす政策)に近い中傷迫害を実行した」とする記述がある。要するに、三光政策とは相手を非難するための用語であって、それを真に受ける日本の学者らがおかしいのである。 城野(じようの)宏は終戦後も山西省に残留した「太原組」の一人で、帰国がもっとも遅かったために「最後の戦犯」といわれた。城野は証言する。戦犯管理所で日本から面会に訪れた妻子と面会する城野宏中尉 昭和十五年、北京で開かれた北支那方面軍の兵団長会議で決定された晋西北作戦の記録に、敵地区に侵入したさい食料は輸送か焼却、家屋も破壊または焼却、また人を残すななどと記してあったとし、「男は見つけしだい殺す。命令には女は殺せとは書いてないが、これはわざわざ書くまでもないというだけのこと」で、慰みものに使ったあとは殺してしまうのが普通だった―というのである。  そして具体的な残虐行為の証言に移る。一例をあげると、独立混成第三旅団のある部隊が山西省楼煩鎮(ろうはんちん)で酷いことをしたと話す。 ―ある民家に踏みこむと妊娠中の若妻がいた。裸にして椅子に縛りつける。好奇心にかられた一人が陰部に唐辛子を突っこむ。女は痛さに泣き叫ぶ。ある下士官が腹の中はどうなっているかとばかり「銃剣を陰部にさしこんで、下から徐々に裂いていったんですな」とその場面を説明。そして、腹から胎児を取り出すとしばらく観察し「〝あっ汚い〟とばかりに庭の石にたたきつけて殺してしまったというんです」―というのである。目撃したものか伝聞なのかはっきりしない。 この「証言」は月刊誌「潮」に「日本人と三光作戦」として掲載され、加筆の上『日本人は中国でなにをしたか』(潮出版社、昭和四十七)と題し出版された。単行本『中国の旅』と同時期で、内容は城野証言で占められている。 この話、多くの人が信じたことだろう。城野の肩書きが高級軍人を思わせる「山西野戦軍副司令官」であり、東京帝大法学部(政治学科)の卒業者だからだ。だが、「副司令官」は正規の日本軍の階級とは無縁である。終戦後、日本軍に山西残留を要請した閻錫山が見返りに三階級特進などを提示した結果、あらたにできた職位、階級だからである。 城野は昭和十三年十二月、東京目黒の輜重(しちょう)(輸送)兵第一連隊入隊、幹部候補生となって十五年十一月少尉に任官、十六年一月、山西省運上の輜重兵三十七連隊に転任する。最終階級は陸軍中尉であった。この間、運上特務機関(政治班長)、第一軍参謀部(政治課)ほかに勤務している。 となれば、階級と時期から彼が証言する昭和十五年の北京における兵団長会議の資料を見る機会はありえない。独立混成第三旅団の戦友会(福島)に出席するなどして、楼煩鎮での残虐行為を当地に駐留経験のある下士官などに確かめたところ、「聞いたことはない」「ありえない話だ」など反発の声があがった。戦犯法廷に立つ城野中尉。中国当局が2014年7月明らかにした自筆供述書によると、昭和18年から4度にわたり1500人の機動兵力を派遣して食料15万㌧、鉄20万㌧を日本軍のものとした。21~24年には閻錫山の反共作戦に加わり、人民解放軍に2千数百人の損害を与えるなどしたとあるだけで、「三光作戦」など一言も触れていない 公表された自筆供述書は百二十枚の長文で読むのも一苦労だが、前半が戦中の、後半が山西省残留後の記録である。問題の前半を見ると、三光作戦はもとより「三光」という言葉がどこにもない。自ら最前線で戦った記録もなければ、強制連行や残虐行為の記述もないのである。すると城野の「罪行」とは何なのだろう。それは保安隊の組織化に力を入れたことであり、地下組織の活動を鎮圧するために住民戸籍簿をつくったことなどである。要するに、最前線の戦闘とは関係ないのである。城野証言には首をひねらざるをえない。 最後のページに「自分の敵は裕仁等の戦争販売人であり」、吉田茂売国政府を打倒、美帝を追い出し、中国やソ連の道を歩むべしとある。三光作戦と鈴木中将の「ためらい」三光作戦と鈴木中将の「ためらい」 鈴木中将は二編の手記のほか、母校の仙台陸軍幼年学校の会報「山紫に水清き」のインタビューに昭和五十四年六月応じた。「どんな裁判だったのですか」の質問に、「軍事裁判で一審だけですからな。(略)そして、ありもしないことを住民がなんだかんだと言いますからね〝鈴木部隊が、ここにこういう風に入って来た〟と住民がいうので〝そんな所に私の兵隊を配置したことはありませんよ〟といったって〝住民のいうことに間違いはない〟と言うんだから(略)罪を犯した本人が居らなければ、そこにおった司令官が罪にされるのは当然だと思って〝ああ、そうですか〟って」と発言している。 鈴木啓久中将が帰国後に防衛庁戦史室(当時)の依頼で書いた回顧録「中北支における剿共戦の実態と教訓」 三個連隊を率いて河北省東部と中部の警備に当たった第二十七歩兵団長時代の二年三カ月間が、鈴木中将のもっとも苦労した時代であった。蒋介石軍の大部分は重慶にあったが、傍系軍は多く徹底抗日を叫ぶ。日本軍が彼らを駆逐するとかならずそこには共産軍が進出したという。 密偵などから敵集結の報を受けて出動してもほとんどが空振りに終わる。中将の表現である「空撃」が手記に頻繁に顔を出す。戦闘の実態はゲリラ戦であって、相手が知悉(ちしつ)した土地での闘いに翻弄される日本軍の様が詳細に記述されている。 南京、河南省を含む在中五年間で、唯一の成功例が魯家峪(ろかよく)の闘いであったと書いている。その戦果は「約三百殲滅(せんめつ)」。「魯家峪で殲滅したような成果を挙げたのは全く例外」で、ほかはほとんど空撃であったと説明している。供述書を見ると「魯家峪部落付近の山地に避難せる中国人民の農民二三五名を、中にも妊婦の腹を割り等の野蛮なる方法を用いて惨殺し、(略)尚且つ婦女の強姦百名にも達したのであります」とある。帰国した鈴木中将の歓迎会の様子 この作戦に参加した数人から話を聞きとっている。部落付近は荒涼とした地帯で、日本軍がしばしば伏撃に遭い、ときには大打撃をこうむる。追尾してこの付近にくると足跡を見失う不思議な所とされていた。ここに秘匿陣地のあることがわかり討伐が行われる。 洞窟内に逃げこんで頑強に抵抗する八路軍との戦いであった。後にわかったことだが、洞窟内には機関銃、地雷はもちろん山砲、迫撃砲まで備えていたという。鈴木中将は「逮捕者中、八路軍兵士は捕虜として後送せしめ、他は釈放することを命じて成功を賞して戦斗司令所に帰った」と手記に書いている。 NHKのETV特集「日本人 中国抑留の日々」(平成十一年十二月七日)は、未公開フィルムとして昭和三十一年六月に開かれた軍事法廷の模様を報じた。大物戦犯がぞくぞく登場、自らの罪状を「告白」し謝罪する。「鈴木啓久中将はいわゆる三光作戦を中心になって指揮した将軍です」と断定するナレーションにつづいて中将の告白場面に移る。一部を再現すると、「申しあげますれば、母の所にあった赤ん坊をもぎとって、地べたに叩きつける(と)、妊婦の腹を裂く(と)、生き埋づめを果たす、その上に芝草をかけて焼き殺す。あるいは、銃剣、機関銃あらゆる武器を以って、一時にして、(略)千二百八十余名という大勢の平和人民を三光政策の犠牲としたのであります」 「申しあげますれば」と言ったまま一瞬、中将は間を置く。躊躇しているように見える。さらにナレーションは、「三光作戦が徹底して行われたのは、かつての満州と中国の境界線付近でした」として「無人地帯」をあげる。無人地帯を「住民抹殺作戦」というのである。 結論だけ記すと、日本側の呼称「無住地帯」は部落に敵が紛れこみ、武器など物資の保管場所になるのを防ぐために取った住民の強制移住策である。でなければ、中将が記すように二十日間の猶予を与え、運べるかぎりのものを持って立ち退くよう命じるわけがない。以降いかなる理由があっても帰住は認めないとし、家屋は焼却した。だが、追い払っても追い払っても舞いもどる住民が少なくなかったという。鈴木中将は「之等の処置を中国は『三光政策』と呼んだ」と記しているだけである。強いられた偽証「コレラ作戦」強いられた偽証「コレラ作戦」 各人の「認罪」がおおむね終った後、「グループ認罪」へと移る。グループ全員が認めた事件がまったくの虚偽と証明されたら、多数の証言は何を物語るのだろうか。 ―昭和十八年九月、五十九師団独歩四十四大隊が駐留する山東省の臨清(りんせい)一帯は連日の雨つづきであった。八路軍に手を焼く日本軍は絶好のチャンスと捉え、「衛河(えいが)」と呼ぶ幅数十㍍の運河を決壊させ、農民を根こそぎ抹殺しようと企てた。これに先立ち、日本軍はコレラ菌を付近一帯に散布した。狙いどおりコレラが流行すると大部隊を動員し「コレラ作戦」を開始した。村に行ってはコレラ患者を追いたて、コレラが発生していない村に患者を追い込む作戦である。そうすればコレラが蔓延し農民を根こそぎ絶やせるからであった。衛河決壊作戦とコレラ作戦の結果、犠牲者は二万人とも二十万人ともいう膨大な数に上った― 以上は『三光』所収の難波博少尉の「手記」と『天皇の軍隊』が描く事件の骨格である。数人の部下とともに、哀願する農民の目の前でみずから円(えん)匙(ぴ)(小型シャベル)をもって堤防を決壊させたと証言するのは小島隆男少尉(機関銃小隊長)で、「八千人強制連行」を証言した小島中尉と同一人物である。この出来事の証言者として、少なくとも十四人が供述書に書き残している。 この話はでっち上げである。衛河が決壊したのは事実で、コレラ発生も事実である。だが、決壊は増水による自然決壊で、それどころか日本軍は決壊を防ごうと奮闘したのである。この年はコレラが大流行、山東省各地から満州に向かった労働者を通して、撫順や他地区に飛び火した。 矢崎賢三見習士官(歩兵砲中隊)の供述書で、大隊長から決壊命令を受けたと書かれた蓮尾又一第二中隊長は「全く噴飯もので天地神明に誓って『ノー』である。そのような話は聞いたこともない。命令を受けたことは絶対にない」と否定、同じように名指しされた中村隆次第五中隊長も「とんでもない嘘で笑止千万である」とし、望楼付近の水漏れを発見したため兵士が防ごうとしたのだという。日本軍が衛河を決壊させたなどとする偽証を「噴飯ものだ。そんな命令はなかった」と証言する蓮尾又一第2中隊長(右から2人目)ら独歩44大隊のOB。左端は田辺氏=平成10年4月 決壊を防ごうとしたことは、小島少尉の部下である金子安次(兵長)が『天皇の軍隊』ではからずも証言しているのである。金子ら二十人は望楼の周囲に掘った壕を補強するため、土嚢(どのう)を作り、飯も食わずにフンドシ一つで作業をする。三時間の後、「川が切れたぞ」という日本兵の叫び声を聞き、「やっぱりカーブに当たるところがやられたんだな」と金子の脇でだれかが言ったというのである。だが、機関銃隊員の金子は大隊長の命令で「破壊活動に参加し、円匙で五十㌢堤防を切り崩した」と書き、「コレラ菌を散布せよとの命令を受けた」とも供述書に書いている。 小島の長年の部下で、「八千人強制連行」に関わる両者会談に同席した内田行男軍曹(前出)は、『天皇の軍隊』の小島証言に対し「なぜ、そんな証言をするのか」と電話で抗議した経験を持つ。話が全然違うからだという。「いくらなんでもそんなことやりませんよ」と同様に否定するのは、同じ中国戦犯だった新村隆一兵長(大隊本部)である。何度か会って直接話を聞いた。このほか作り話とする根拠は数多くある。 だが、小島中尉は「私たちは七三一部隊とも協力しました。コレラ菌を対象地域にまきました」と茨城県つくば市で講演するなど、とどまることがなかった。その要旨が『証言・731部隊の真相』(ハル・ゴールド、廣済堂出版)に取り上げられ、世界に拡散していくのである。虚偽を逆手に歴史イメージ回復を虚偽を逆手に歴史イメージ回復を 南京事件に簡単に触れると、中国戦犯の関係者は三人と思われる。 佐々木到一旅団長(十六師団)は昭和三十年獄死、認罪を拒否したのか供述書の類は残っていないようだ。太田寿男少佐については平成二年十二月、〈「南京虐殺」の供述書入手 「十五万体処理」克明に〉と毎日新聞が一面トップで報じたが、見つかった梶谷健郎軍曹の日記により供述書の信頼性は崩壊した。 もう一人は東口義一一等兵で秦郁彦論考「『撫順戦犯裁判』認罪書の読みかた」にでてくる。東口は難民区で六百人殺害と「上官罪行検挙書」に書いたが、佐々木旅団長を「告発」する材料だったようだと秦は推測している。 事実とかけ離れた残虐行為がわれわれ日本人の歴史イメージを決定づけたばかりでなく、世界にまで拡散し浸透している。さらに、中国と韓国の攻勢に事態は深刻度を増す。中国との人口比を考えれば、将来の日本人の安全にとって由々しい問題と思う。この窮地を脱出するために、究明された事実を内外に発信すべしとよくいわれる。 では、具体的にどうする。 以前から考えていたことを記しておきたい。 まず、メディアを通して知ったであろう日本軍の残虐イメージは、虚偽あるいは極端に誇大化されたものかもしれないと、米欧人に疑問を起こさせるわかりやすい事実の提示からはじめる。イメージ回復作戦である。その先陣となりうる打ってつけの材料がある。万人坑である。 なぜ中国が大々的にとりあげ、日本を非難しないのか不思議に思っていた。理由があるはずである。 まず、主だった展示館と内部の人骨を写真と動画に撮り、それらが「真っ赤なウソ」であることの説明をつけ、ネット上に乗せる。視覚に訴えるだけにわかりやすくインパクトもある。米欧人に理解するための証明も可能である。中国では古代からの戦争、そして国共内戦でも大量殺戮・餓死が繰り返され、そのたびに人棄て穴が形成された。それを日本軍民の仕業に仕立てるなどしている。写真は大同炭鉱の万人坑記念館 その上で南京問題等を加えるのがいいのではないか。「五万七千四百十八人」の殺害を目撃した魯甦証言、また「二千八百七十三人」がいつのまにか「二万八千七百三十人」に増えた上新河の殺害、むろん崇善堂の十一万余体の処理も加える。『THE RAPE OF NANKING』に掲載された女性の陰部に棒を突き刺した写真を、通州事件と関連づければ説得力があるだろうし、慰安婦連行写真も候補になる。 これらの組み合わせ方一つで、中国の主張に疑問を持ち、虚偽を見抜く人もでるはずだ。希望的と思わぬでもないが、真面目にそう考えている。 万人坑を事実とする日本人学者(ほとんど大虐殺派)、また炭鉱職員の抗議に対し、中国の代弁をしただけだから「抗議をするのであれば、中国側に直接やって」と言い放った本多勝一、それに口先だけで行動しない朝日新聞に対して、改めて責任を問う契機にもなるのではないか。  たなべ・としお 昭和十三年東京生まれ。東京理科大学中退。会社勤務を経て五十一年に企業の業務改善を進める経営コンサルタントとして独立。一方で支那事変などでの日本軍をめぐる「残虐行為」記述・報道に疑問を抱き、独自に調査を始める。特に中帰連の「証言」宣伝については、該当する部隊などの生存者を一人一人尋ねては真正証言を集め、デタラメであることを実証し続けた。著書に『「朝日」に貶められた現代史―万人坑は中国の作り話だ』(全貌社)、『追跡 平頂山事件 満洲撫順虐殺事件』(図書出版社)、『検証 旧日本軍の「悪行」 歪められた歴史像を見直す』(自由社)。平成十七年からネット上に「脱・洗脳史講座」を開設し、中共による反日洗脳工作や日本での同調組織・人物の実態を究明し、逐一そのプロパガンダを検証し、虚偽であることを実証している。

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    大虐殺は「中華のファンタジー」  娘と見続けた南京の虚像と現実

    。南京はあなたを待っています。成田空港と関西空港からは二時間半ほど。あっという間に着きます。 南京は中国の大都市の中でも美しい街の一つで、歴史的にも由緒ある街です。 市の真ん中には、「玄武湖」という美しい湖があり、あの雄大な「長江(ちようこう)」も流れています。湖の周囲にはウェスティンホテルなどのラグジュアリーホテルが立ち並び、滞在型の観光が楽しめます。「明孝陵(みんこうりよう)」という世界文化遺産もあります。ここには、あの明王朝をつくった朱(しゆ)元璋(げんしよう)と皇后が眠っています。孔子を祀る「夫子廟(ふうしびよう)」という昔の学問所もあります。廟は合格祈願に訪れる若者でいつもにぎわっています。また、その周辺一帯は繁華街で、川魚をメインにした南京料理も楽しめます。 でも圧巻は、やはり「南京大虐殺記念館」(中国名・侵華(チンホア)日軍(リーチユン)南京(ナンチン)大屠殺(ダートウーシヤー)遇難(ユイーナン)同胞(トンパオ)紀念館(チーニエンクアン)」)でしょう。ここには、大虐殺の被害者の遺骨や元日本兵から寄贈された資料、パネルなどが展示され、日本軍が起こした惨劇を目の当たりにすることができます。 ここもまた世界遺産で、二〇一五年十月にユネスコにより世界記憶遺産として登録された素晴らしい「テーマパーク」です》 もし、私が旅行社の社員なら、このような日本発の南京観光ツアーを企画するだろう。「百聞は一見にしかず」というが、日本で文献や資料にあたり、「南京大虐殺は幻だ」と言ってもみても、なんの効果もないからだ。なぜなら、南京大虐殺は歴史認識問題ではなく政治問題だからだ。日本軍攻略で敗残国民党軍が街を破壊し尽くした南京にも、今や中心地の新街口周辺には摩天楼が林立する 政治問題であるなら、いまさら論争する必要はなく、単にその現場を見ればいいだけだ。娘の留学先だったナンチン これまで私は何度も南京に行っている。ただ、記念館に足を運んだのは一度だけで、その時は家内を連れて、当時、南京で暮らしていた娘に案内してもらった。 二〇〇六(平成十八)年の初夏、南京の中心街、新街口(シンチエコウ)から記念館までタクシーに乗った。タクシーに乗り込む前から、娘は「日本語を使わないほうがいい」と、家内と私に釘を刺した。 中国では二〇〇五年に最初の大規模な反日デモが起こっていて、南京はとくに反日感情が強いと言われていた。当時、娘はジョンズ・ホプキンス南京センター(中国名・中美文化研究中心=ジョンズホプキンス大学SAIS大学院が南京大学と提携して開設した中国研究所)に留学していて、すでに何度か記念館に行っていた。 南京に留学した当初、「大学の中はいいけど、街に出たら日本人とわからないようにしている」と言っていたので心配していた。しかし、その心配はいらなかった。というのは、娘はいっさい日本語を使わなかったからだ。南京大学と提携して開設しジョンズ・ホプキンス南京センターには英語圏からの留学生も多い ジョンズホプキンス南京センターは、アメリカからの留学生と地元の中国人学生が半々で、一緒に中国経済、文化、歴史について学ぶ。一九八七年に設立されており、アメリカの大学のアジアでの提携プラグラムとしては、もっとも古いものの一つだ。 アジアでの進出先として、最初は日本を考えたというが、日本の大学から断られ、南京大学になったという。南京大学(ナンチンターシュエ)は、中国では、北京大学、清華大学、中国科学技術大学、復旦大学に次ぐ五番手の大学だ。 娘のルームメートは南京大学の職員の一人娘で、日本への留学経験があり日本語も話せた。それで、ただ一人の日本人留学生である娘のルームメイトになったが、二人は常に英語か中国語で話していた。ほかのアメリカ人留学生も同じだった。中国語で話していれば、娘は中国人に見られる。また、英語で話していれば、今度はアジア系アメリカ人に見られる。 中国人はとくにアメリカ人には弱い。これは、アジア人ならみな持っている抜きがたい白人コンプレックスで、中国に行くたびに私は、「この点だけは日本人と同じだ」と思ってきた。 たとえば、留学中のアメリカ人学生は街に出ると、中国語ができても英語で通す。そうすると、買い物でも飲食でも中国人はじつに親切に応対してくれる。彼らが中国語を使うのは、なにかトラブルが起こった時だけだ。そうすると、中国人は「中国語が話せるのか」と驚き、それ以上文句を言わなくなる。日本で常識の捏造写真を堂々展示日本で常識の捏造写真を堂々展示 記念館のチケット売り場で、娘は英語でチケットを買った。そうして、中に入っていきなり目についたのが、「犠牲者30万人」の掲示だった。これには、正直驚いた。 記念館は二〇〇七年に大幅リニューアルされているので、ここからの記述は現在とは異なっているかもしれないが、資料館に入ると、まずガラス張りの「万人坑」遺祉の遺骨の展示があった。これは、大虐殺で殺された人々の遺骨ということだが、全部レプリカだった。そして、延々と日本軍の残虐行為や抗日戦争に関するパネルと資料の展示が続いていた。 日本人なら誰もが知っている〝捏造写真〟も堂々と飾られていた。百人斬りの展示もあった。そういう展示を見ながら、娘は英語で「ウソばっかりでしょ」と言った。私は、気分が沈み、返す言葉も失っていた。建物の外側だけでなく内部にも「これでもか」と「300000」の数字が迫りくる=「南京大虐殺記念館」 記念館には、大勢の観光客にまじって、近所の小学生の一団が、教師に連れられて見学に来ていた。展示物の前で、教師が子供たちに何か説明している。 それで、娘に何を言っているのか聞くと、「あなたたちのおじいさん、おばあさんの中には、このように日本軍に殺された人もいますと言っている」と言う。さらに、見学者が記帳するノートに何か書いていたので、あとからそれを見ると、「日本人は鬼だ」「日本人は皆殺しにせよ」と書いてあると娘が教えてくれた。「こんなのもう見慣れているから、驚かない」と、娘は続けたが、私はますます落ち込んだ。 その後、資料館を出て広場に出ると、先ほどの小学生たちが、お弁当を食べたり記念写真を撮ったりしてはしゃいでいた。遠足といえばそれまでだが、少なくともワシントンDCにある米国国立ホロコースト記念博物館では、こんな光景は見たことがなかった。「大虐殺」「靖國」絡めた朝日 南京大虐殺記念館が建てられたのは、一九八五(昭和六十)年の夏である。それまで、南京市がある江蘇省の小中学生たちは、春の清明節(日本のお盆にあたる)に、国民党との内戦で死亡した共産党員を祀る「烈士霊園」を訪れていたという。 つまり、あの戦争が終わって四十年間、南京大虐殺という歴史認識問題は、日中間には存在しなかったのである。毛沢東は「共産党が国民党に勝てたのは日本軍のおかげ」と言っていたし、彼の記録を読む限り南京大虐殺に関する記述は一行もない。 八五年の夏といえば、私がまず思い出すのは、御巣鷹山に墜落して死者五百二十人を出した日航機事故である。当時、私は週刊誌の編集部にいて、この事故の取材に忙殺されていたので、南京に記念館ができたことなどまったく知らなかった。 これを知らせてくれたのは朝日新聞で、しかも朝日新聞は、突如として総理大臣の靖國神社参拝を批判する論陣を張った。それまで、日本の首相は計五十八回も参拝しているというのに、なぜかこの年から靖國参拝は問題化し、南京大虐殺と併せて日中間の歴史認識問題になってしまった。 ついでに書くと、従軍慰安婦問題にしても平成四(一九九二)年に朝日新聞が捏造記事を書くまでは存在しなかった。つまり、歴史認識問題というのは、ほぼ日本側がつくり出したもので、それに乗って対日批判、反日政策を取る中国・韓国に「歴史の誤解だ」と反論しても意味がない。 私は四十年ほどメディアの仕事をしてきたが、自国民をこれほどまでに貶(おとし)め、しかも捏造を平気で行う大メディアがある国を知らない。これをやるから、外国メディアも興味津々で取り上げる。プロパガンダに踊らされる欧米プロパガンダに踊らされる欧米 私は、日本にいる欧米メディアの記者の何人かと親交があるので、彼らがどのような経緯で日本の記事を書くのか知っている。簡単な話、彼らは日本語があまり得意でない。そこで日英バイリンガルの日本人アシスタントを使い、日本の報道をリサーチさせる。 そうして、その中でいかにも日本的、東洋的なトピックで本国の編集者や読者に受けそうな部分を強調して伝える。要するに、日本の報道をコピーするわけで、これをやると論調まで同じになることが多い。 日中、日韓の歴史認識問題は、こうした記者たちの格好のテキストになる。欧米にとって日本は異質の国であり、「日本異質論」は欧米読者が好むからだ。しかも、問題は時代錯誤の「大虐殺」「靖國」「慰安婦」である。日本女性を妻にしたり恋人にしたりしていない限り、彼らの日本史理解は浅薄だ。 そのため、南京大虐殺は史実の検証などされずに、ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と同じ扱いにされ、英語でそのまま「Nanjing Massacre」(南京大虐殺)となる。靖國神社は一般の欧米人に「Yasukuni」と言ってもわからないうえ、神社などに興味はないから「war shrine」(戦争神社)となる。従軍慰安婦も同じで、これは単純に「sex slave」(セックス奴隷)と書かれる。 このような英語で表現されると、日本のイメージは抜きがたく悪化する。日本軍は戦争神社にお参りし、戦地ではセックス奴隷を使い、住民を虐殺したということになってしまう。日本の研究で捏造と実証されている多くの写真が堂々と展示される館内。若者や家族連れが見入っている=同 いったんこうしたイメージができてしまうと、もはやひっくり返すことは難しい。ただ、記者なら、私が次のようなことを言えば耳を傾ける。「当時、日本軍は中国の目ぼしい都市のほとんどを占領した。それなのに、なぜ南京でだけで虐殺を行ったのか、誰も合理的に説明できないし、ナチスのような記録も残っていない」「当時、南京には海外メディアの人間も多くいた。その誰もが虐殺の目撃記事を書いていない。南京陥落を伝えたNYタイムズの記者も書いていない。また、陥落と同時に日本人記者も百人以上入ったが、戦後、誰も虐殺を証言していない」「中国政府は虐殺で三十万人が殺されたと言っている。しかし、当時の南京市の人口は二十万人ほどだ」先入観で事実歪曲した米映画 欧米人の南京に対するイメージが、いかに単純かということを、さらに書き留めておきたい。 私が南京虐殺記念館に行った翌年の二〇〇七年は、「大虐殺七十周年」にあたった。日本軍が南京に入城したのは昭和十二(一九三七)年十二月十三日。それから約一カ月間にわたって虐殺が繰り返されたことになっている。ならば、この壮絶な〝史実〟をドキュメンタリー映画にしようと、あるアメリカ人が考えた。その人間は、AOLのテッド・レオンシス副会長。彼がスポンサーになり、昔の資料や証人を当たり、史実を忠実に再構成するというのだ。 この報道を最初に耳にした時、これはもしかしたら、本当のことが描かれるかもしれないと、私は思った。しかし、レオンシス氏がこの映画を思いついたのはアイリス・チャンの自殺を知ったからだと聞いて、自分の考えが間違っていることがわかった。アイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』を下敷きにしているのは明白だからだ。 実際、日本軍が進駐した南京市内に安全区を設立して、住民を虐殺から保護したという欧米人たち、とくにドイツ人のジョン・ラーべを〝中国のシンドラー〟と位置づけていた。つまり、ユダヤ人をホロコーストから救ったオスカー・シンドラーが、南京にもいたというわけだ。 実は、この映画を制作することになったハリウッドのパープルマウンテン・プロダクションは、二〇〇六年の春、ロケ隊を組んで南京を訪れた。南京には虐殺記念館の他に、虐殺を記録する記念碑がいくつも建っている。南京大学は、当時、安全区になっていて、避難民が何千人も収容されていた。そして、ここでも虐殺が行われたとされ、記念碑が建っている。 そんなこともあり、娘は英語と日本語、中国語ができるということで、ロケ隊のアシスタントとして駆り出された。   娘によると、ロケ隊は、当時の日本の資料(雑誌や新聞など)を持ってきて、「この記事の内容は?」「この写真は?」と聞いてきたという。 そこで、娘は正確に訳して伝えたが、「そんなはずはない」と取り合ってもらえなかったという。彼らが持ってきたのは、たとえば、ほかの中国戦線で撮られた写真のキャプションを捏造して南京大虐殺の写真としているというような、日本人なら〝やらせ〟とわかるものばかりだったという。「企画書の導入部に〝日本軍は二十万人以上を虐殺して、何万人もの中国女性をレイプしました〟とあったので、本当に嫌な気分になった」と、娘は言ってきた。 ロケ隊が帰った後、娘は、ルームメートの中国人学生と、南京大虐殺記念館の訪問記と意見を、南京のタウン誌『城市指南』に寄稿し、素直な感想を述べて、日中友好を訴えた。 映画『南京(NANKING)』は、二〇〇七年一月にアメリカのサンダンス映画祭(インディーズ映画の世界最大の映画祭)で初上映された。その後、中国全土でも封切られた。しかし、大した反響を呼ばなかった。まだ現代中国人監督の方が柔軟まだ現代中国人監督の方が柔軟 この話にはまだ続きがある。 平成十九(二〇〇七)年九月、友人の国際政治学者の藤井巌喜(げんき)氏が、こう言ってきた。「チャンネル桜の水島総社長が、映画『南京』を見て憤っている。それで、『向こうがそうならこっちは〝南京大虐殺は幻だ〟という映画をつくろう』と言っている。そのために、南京関連の一次資料を徹底的に当たりたいという。ついては、娘さんにアメリカに行ってもらえないか?」「アメリカのどこに?」「米国国立公文書館(ナショナルアーカイブス)だ」 米国国立公文書館(新館)はメリーランド州カレッジパークにある。ここには、アメリカの歴史・政治などに関するあらゆる資料が保存されている。東京裁判や南京に関連する資料も、実はすべてここにそろっている。 娘にこの話をすると、バイト代をくれるなら行くというので話は決まった。こうして〇七年十月、娘はカレッジパークに行き、モーテルに泊まりながら毎日、米国国立公文書館に通った。そうして、資料フィルムの概要が書かれたインデックスカードを一枚一枚検索し、松井石根、マギー牧師など、関連人物のカードを片っ端から探し出し、そのカードに記載されているフィルムのコピーを下請け業者に発注した。 帰国後、娘が言うには、資料の量は膨大で、最初はいつ終わるかわからないと思ったという。娘は、この作業を一週間以上繰り返し、ほぼすべての資料のコピーを日本に持ち帰った。しかし、この映画はまだ制作されていない。 ところで、南京大虐殺は、その後も映画になったり、テレビ向けのドキュメンタリーになったりしている。最近では、二〇一五年十二月に、江蘇省ラジオ・テレビ総局が製作したドキュメンタリー『外国人から見た南京大虐殺』が、中国中央テレビ(CCTV)と江蘇衛星テレビで放映された。映画「南京!南京!」を制作した陸川監督 これは、中国政府が十二月十三日を「南京大虐殺犠牲者の国家哀悼日」にしてしまい、中国全土で式典が開かれるようになったこと、世界記憶遺産になったことを記念してつくられたもので、中国政府のプロパガンダである。だから、見る意味はない。 見る意味があるとしたら、二〇〇九年に封切られた映画『南京!南京!』(City of Life and Death)である。これは、中国の第六世代、陸(ルー)川(チユアン)監督の作品でドキュメンタリーではないが、はるかに史実に忠実で、真実が描かれている。 モノクロ映画で、南京戦が日本兵の視点から描かれていて、そこには日本兵の人間としての苦悩も中国側の葛藤も織り込まれている。陸川監督は、この映画の制作にあたり「日本軍兵士の日記など資料を徹底的に読んだ」と語っているが、ステレオタイプのアメリカ人より中国人の若手・中堅のほうが、より柔軟に歴史をとらえているのだから、本当に皮肉だ。外に出れば、より強く日本を意識外に出れば、より強く日本を意識 実は私の娘は、幼稚園から高校まで日本のインターナショナルスクールに通ったため、一度も日本の学校教育を受けていない。高校卒業後はアメリカ東部メーン州のべイツカレッジに進学し、その後、ジョンズホプキンズ大学のSAIS大学院で学んだ。そして、前記したように約二年を南京ですごしたので、この間、友人知己によく聞かれたことがある。「それでは日本人として育たないのではないか?」 これに対する私の答えは、こうだ。「日本の中で日本人だけに囲まれて育つより、よほど日本人らしい日本人になる。それは外側から日本と日本人を見られるからだ」「東は東、西は西」(East is East, West is West)という有名な言葉を残した『ジャングル・ブック』の作者、作家ラドヤード・キップリングは、こういう言葉も残している。「イングランドしか知らない人に、イングランドの何がわかるか」 キップリングはインド生まれの英国人だった。それゆえに、もっとも英国人らしい英国人となり、英国のことをこよなく愛した。 一般的に、インターのような国際学校に通うと、日本人としてのアイデンティティーは希薄になると思われがちだ。しかし実際は逆で、インターに通ったり、海外留学をしたりしたほうが、日本人としてのアイデンティティーは強化される。 とはいえ、日本の学校教育を受けないのだから、日本の歴史や伝統文化に関して学ぶ機会は少ない。とくに歴史は、親が教えなければならない。 私が学校で学んだ歴史は、ただの詰め込み式の暗記教育だった。極論すれば、たとえば「いい国つくろう鎌倉幕府」というように、年時とイベントをセットで暗記するだけ。しかも、たいていは明治で終わってしまった。三学期はテストが多くて現代まで行かない。行ってもせいぜい昭和の初めぐらい終わっていたので、あの戦争から現代までの事がすっぽりと抜け落ちている。 それで私は、自分が受けた歴史教育の反省もあって、娘には、とくに現代史を中心に教えた。そのなかに「日中戦争」も「南京大虐殺」もあったのはいうまでもない。また、現代史ということは、家族が歩んだ歴史でもある。家族の歴史こそが、日本の現代史だからだ。 小さいころから私が娘に言ってきたのは、私の父と母が、あの戦争のとき何をしていたかである。 戦争の悲劇に国境はなし戦争の悲劇に国境はなし 私の父は昭和十九(一九四四)年、十九歳で招集され、北支那(きたしな)派遣軍第五十九師団に配属され満洲で戦った。そして、終戦時、侵攻してきたソ連軍に捕まり、シベリアに輸送されることになった。ところが、発疹チフスに罹(かか)り、チチハルで輸送列車から放り出された。その後、満人に助けられて新京(長春)まで下り、その後、復員船に乗って帰還した。 「もしあのとき、発疹チフスに罹らなかったら、シベリアへ行って死んでいただろう」と、父はよく言っていた。 また、私の母は昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲の時、当時暮らしていた南区通町の家から近所の防空壕に逃げた。このとき、火の手が迫っていたので大岡川に逃げた家族もあったが、B29の次に来たP51の機銃掃射でみな死んだという。 「あとから行ってみると、川が真っ赤に染まっていた。あのとき川に逃げたら、私も死んでいた」 と、母はよく言っていた。  だから私は、娘にこう言った。「おじいちゃんもおばあちゃんも、いま生きているのは偶然だよ。おじいちゃんとおばあちゃんが生きていなければパパも生まれなかったし、お前もいないんだよ」  娘はジョンズホプキンス南京センターを修了した後、アメリカ人の親友と満洲の旅に出た。 私がいつかは行こうと思っていて行けなかったハルピン、チチハルに行き、満洲を一周して帰ってきた。長春では旧満鉄の大和ホテルに泊まり、瀋陽や大連の日本軍の史跡を訪ね歩いた。  このとき娘は、私の父が書いた小説を手にしていた。私の父は作家で、満洲での体験を『日本工作人』(現代社、昭和三十三=第三十九、四十回直木賞候補作)という長編小説に書き残している。 「死ぬまでにもう一度、満洲を見たい」と言っていたが、五十八歳の若さで心筋梗塞で逝ってしまった。  今日まで、娘も私も、多くの中国人と付き合ってきた。とくに娘が南京にいた時は、ルームメートの両親によくしてもらった。彼らは私たち夫婦と同年代で、聞いてみると両親は戦争中相当苦労したと言う。また、戦後も「大躍進」「文化大革命」と苦労続きだったと言う。 ただ、日本に対しては何の恨みも持っていなかった。北京政府と、一般の中国人との間には大きな温度差があることを私は知った。 それでも、時として、中国人と戦争の話になることがある。私は極力そういう話題を避けているが、たまたま向こうが同年輩で、酒が入ると「じつは、私の叔父は杭州で日本軍に殺された」というようなことを言われることがある。そう言われると戸惑うが、それならと私も父の話をすると、不思議と話は収まる。 国家や政治という大きな枠組みを離れれば、結局は、日本人も中国人も、歴史の流れに翻弄されて生きてきたのである。反日で「中華帝国復興」狙う習近平反日で「中華帝国復興」狙う習近平 二〇〇七年七月、娘は再び南京に行った。 南京大学とジョンズホプキンス大学の提携が二十周年を迎え、記念式典が開かれることになったからだ。 来賓にはアメリカからヘンリー・キッシンジャー元国務長官が招かれた。この式典は、南京市長から共産党幹部まで、南京市の有力者がすべて出席し、彼のスピーチに盛大な拍手を送った。 キッシンジャー氏は、日本より中国が好きで、とくに周恩来を高く評価していた。米中国交樹立の立役者だから、中国にとっては大恩人である。だから、彼が市内を移動するときは厳重警備態勢が敷かれた。新街口の道路の両側には公安がずらっと並び、道路は封鎖された。キッシンジャー氏の南京訪問は、翌日の新聞もテレビニュースもトップ扱いだったという。見学の小学生はニセモノ展示を信じ込まされて熱心にメモを取る。シナ数千年の愚民政策は今も続く そうした厳戒態勢の中、式典後、彼のクルマが向った先は宴会場。そこには、ジョンズホプキンス南京センターの卒業生が出迎え、南京料理が並び、名物の餃子が山盛りになっていた。 そうした様子を見ていた娘は「こんなに中国とアメリカが仲良くなったら、日本は困る」と思ったという。それで、アメリカ人学生にそれを伝えると、こう言われた。「実は、キッシンジャーは中国は好きだけど、中華料理は嫌いだ。見ろよ、餃子をひとつも食べていないだろ」 一時あれだけ接近した米中は、いまは対立姿勢を取るようになった。 習近平は「中国の夢」を唱え、二〇四九年、つまり中華人民共和国の建国百年までに民族の偉大なる復興を成し遂げようとしている。アヘン戦争で英国に負け、列強の半植民地となり、日本に侵略されて戦い続けた一九四九(昭和二十四)年までを「屈辱の百年」、その後の百年は「復興の百年」と定義している。 このように定義するのは勝手だが、「復興の百年」に反日政策を使うのは、迷惑このうえない。汚濁と混沌の現実汚濁と混沌の現実 いまの私は、中国に対する興味をすっかり失っている。娘が中国にいた頃までは、プライベートや取材で度々行ったが、ここ四年はまったく行っていない。 なぜなら、「この国では人間らしい生活はできない」と結論したからだ。空気、水、油、この三つが徹底的に汚染されているのだから、とてもではないが、まともに暮らせない。最近、北京のPM2・5汚染が大きく報道されるようになったが、もう何年も前から冬の北京はマスクなしに歩けなかった。こうしたことは拙著の『「中国の夢」は100年たっても実現しない』(PHP研究所、平成二十六)に書いたので、興味のある方は是非読んでいただきたい。 汚染と言えば、南京でも進んでいる。南京市の北西側を悠久の大河・長江が流れている。この長江の風景は、たとえば、李白が七言絶句「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」(黄鶴楼(こうかくろう)にて孟(もう)浩然(こうねん)の広陵に之(い)くを送る)で描いた「孤帆遠影碧空盡 唯見長江天際流」(孤帆(こはん)の遠影碧空(へきくう)に尽き 唯(ただ)見る長江の天際(てんさい)に流るるを)になっていない。「遠ざかる帆影はやがて碧空の彼方に消え、そこには、長江の碧水と碧空が溶け込んだ世界がある」などと思って行ってみると、完全に裏切られる。 長江には「南京長江大橋」という、一九六八年に完成した道路と鉄道が両方通る橋としては当時世界一の長さを誇った橋が架かっている。観光スポットで展望塔もあるので行ってみたが、長江の水は「碧水」ではなかった。赤茶けた土色で、よく見ると、表面にはゴミなどの浮遊物が山のように浮いていた。まさに、長江は巨大すぎるドブ川と化していた。 長江大橋は、北岸にある浦口区(プーコウチユ)と南岸の南京城側にある下関区(シアクアンチユ)とを結んでいる。この下関には、南京陥落時、かなり大規模な停車場と波止場があり、ここで「中国兵の処刑が行われ、その遺体は長江に流された」という。それが本当なら、長江は真っ赤に染まっただろう。 ところで、この長江大橋は、中国一の「自殺スポット」としても有名だ。一九六八年の完成から現在まで、なんと約二千人がここから長江に飛び込んで死んでいる。中国人にとって長江は母なる大河で、母の元に帰ろうと身を投げるのだという。  自殺者の多くは若い農民工(農村出身の労働者)で、都市に出て懸命に働いても将来が開けず、絶望すると、長江大橋にふらりとやってくる。そして、身を投げる。まさに、経済成長、経済成長だけで拡大してきた中国の〝負の側面〟である。虐殺記念館は幻想のテーマパーク これからも、南京大虐殺に対する歴史認識問題は、日中間でもめ続けるだろう。いくら論争しても埒(らち)が明かないだろう。それなら、いっそのこと沈黙してしまえばいいと私は思っている。政治問題なのだから、相手を言い負かしてもけっして解決しない。 それに、これに火を点けたのは、元を正せば日本側である。洗脳でなければ幼稚な正義感なのか、それに染まったメディアのせいで、私たちは背負いきれない重荷を背負わされてしまった。 しかも、日本政府の公式な立場も最悪である。「日本軍による民間人(非戦闘員)の殺害または略奪行為があったことは否定できない。しかし、その人数はわからない」「孤帆の遠影碧空に尽き…」は今やファンタジー。空は汚れ河は濁り、人々は絶望して濁流に身を投げる…それが中華の現実 これでは、曖昧すぎてどうしていいかわからない。 否定するか肯定するか、それとも沈黙するかの三通りのどれかに絞るべきだった。「殺害または略奪行為があったことは否定できない」では、あったと認めたのと同じである。 つまり、いまさらこれをひっくり返せない。 たとえば、英国は植民地支配時代にあらゆる搾取、略奪を繰り返した。しかし、彼らはそれを認めず、けっして謝らなかった。だから、時を経てそれを問題にする国はなくなってしまった。 要するに、歴史は常に書き換えられることができる。中国の王朝の歴史を見れば、勝者になった者は必ず自分に都合のいい見方で歴史を書き換えてきた。現在の北京も同じである。彼らは日本に勝ったわけでもないのに、勝ったとして「抗日戦争勝利記念式典」を毎年行っている。 ただし、この問題が解決する時は必ずやってくる。それは、何十年、何百年先になるかわからないが、人類がタイムマシンを発明した時だ。タイムマシンに乗って、一九三七年の南京を訪れれば、そこで何があったかは誰の目にも明らかになる。 そうなると、南京虐殺記念館は、実はテーマパークで、ディズニーランドと同じような〝ファンタジーの世界〟であることがわかるだろう。 それで、最後にこう言いたい。《さあ、南京に行こう! 行って世界記憶遺産として登録された素晴らしいテーマパーク「南京大虐殺記念館」を見てみよう!成田空港と関西空港からたった二時間半で着きますよ》やまだ・じゅん 昭和二十七年横浜市生まれ。立教大学卒業後の五十一年光文社入社。週刊誌『女性自身』や新書「カッパブックス」の編集部を経て平成十四年「光文社ペーパーバックス」初代編集長。二十二年から独立し編集プロデューサーも務める。経済・ビジネス分野の取材・執筆の一方、近年は日本の近現代史について、歪曲を排した事実の発掘に心血を注ぐ。主な著書に『出版大崩壊 電子書籍の罠』『資産フライト「増税日本」から脱出する方法』『円安亡国 ドルで見る日本経済の真実』(いずれも文春新書)、『永久円安 頭のいい投資家の資産運用法』(ビジネス社)、『本当は怖いソーシャルメディア』(小学館新書)などのほか、『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP研究所)、『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)など。父親は作家の津田信。

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    メディア報道は、もう少し両論併記できないか?

    でいただけなのか?もちろん、全部ウソとは思わないのですが…私には、少し疑問に感じる部分があるのです。中国で出版された「南京大虐殺辞典」第1巻(新華社=共同) 有名なのが「南京大虐殺」の話。こちらのデータを見てください。◆広島原爆投下による死亡者数→297,684名(H27原爆死没者名簿登録) ◆長崎原爆投下による死亡者数→168,767名(H27原爆死没者名簿登録) ◆太平洋戦争全体でのアメリカ合衆国民間人死亡者数→1,704名  (英タイムズ・アトラス『第二次世界大戦歴史地図 コンパクト版』/2001年発行)  これは正式に発行されている資料のデータをハンドルネーム「お節介オヤジ」さんが送ってくれたものです。広島における原爆投下による「民間人」の大量虐殺。この犠牲者の数が30万人近かったことから、東京裁判において、アメリカが数値を改ざんして「南京での大虐殺というストーリー」をでっち上げたことはあまりに有名です。日本が「最低のクソ国家」というストーリーを作り上げたアメリカ 『人類に対する罪』という名目で、終戦後に戦勝国たちの手で一方的な裁判(東京裁判)を始めるわけですが、東京大空襲でも10万人の女性や子供を焼き尽くしたアメリカは、それまで全くニュースにすらなったことのなかった南京大虐殺という話を作り上げました。ご丁寧に、日本の朝日新聞はそれをでかでかと宣伝して、売り上げを伸ばすことに成功しました。 1937年12月。南京を日本軍が占領しました。その直前に公式に行われた南京政府の手による人口調査が20万人。日本軍の占領直後…1か月後に行われた人口調査の結果が25万人。 戦争中なので、何らかの犯罪行為はあった可能性がは否定しません。全く物的証拠もないですが、そこは戦争中ですしね。しかし、30万人はないわ。いまだに朝日新聞が必死になって宣伝した「南京大虐殺」を信じている人の脳ってどうなっているのか逆に興味がある。 アメリカは戦争に勝ったことをいいことに、日本を「最低のクソ国家」だというストーリーを作り上げました。クソ国家だったから我々は大量虐殺をしてもよかったのだ、と。自分たちの戦争犯罪をごまかす為に。ま、パフォーマンスです。偉そうに言ってますけど、我々メディアもよくやる手口なんですけど。 私は、第2次世界大戦におけるアメリカの「民間人の大量虐殺行為」は許されるべきではない「非人道的行為」だと思っています。私は「一人の日本人」としてアメリカの大統領が来るのであれば、それは「謝罪」はしなくていいけれど、「間違いは認めるべき」だと考えていました。民間人の大量虐殺は戦争犯罪だ。アメリカは間違いなく、戦争における大犯罪者だと思うのです。 補足しますが、私は、日本の総理も真珠湾に行くべきだと思っています。そして「宣戦布告もせずに不意打ちで基地を破壊した行為」を間違いだったと認めるべきだと考えています。こちらも「謝罪」は必要ないと思っています。でも両者ともに、ナァナァにせずに「認めるべきは認めるべき」だと考えていました。 何か違う、と思う点があるなら…誰か『論理的』に「物証」とともに反論してもらえるかな?出来るなら。 今回の広島訪問。癒された人々もいるのでしょう。それは悪くはなかったと思いますし、その救いはきっと必要だったのでしょう。でも、冷静に冷たくてもジャッジする必要もあると思うのです。 本当に評価するだけでいいのか? あんなレームダックにナァナァにされただけの訪問を、そんなべた褒めだけでいいのか? 頼むからメディアにいる正常な人間は、もうちょっとだけでいいので深く掘り下げる報道もしてくれ。突き放さなくていい。両論の併記をお願いしたいのです。(2016年05月29日 長谷川豊公式ブログ「本気論 本音論」より転載)

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    中国のチベット人虐殺こそ世界記憶遺産に登録せよ!

    む必要があるのか?」という疑問しかもっていません。 そもそも、日本との戦争でほとんど戦ってすらいない中国共産党が、いったい何様のつもりでしょうか。一党独裁政権が日本を指さして「反ファシズム」と叫ぶのは悪い冗談でしかありませんが、軍事パレードへの参加は諸外国に対して、「おまえたちはどちら側に付くのだ」と迫る「踏み絵」でもありました。2015年9月、「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事で閲兵する中国の習近平国家主席(ロイター=共同) 今回の軍事パレードを見ていて思わず笑ってしまった「笑点」が、二つあります。一つ目は、式典冒頭で人民解放軍が「抗日の狼煙を上げろ」「日本を東方に駆逐せよ」と合唱していたことです。おそらく、戦時中に自力で日本に勝てなかったことが、中国人にとっては、よほどのトラウマになっているのでしょう。 もう一つの「笑点」は、この軍の合唱を報じた中央電視台(CCTV)の映像です。この映像には、第2次大戦中に撮影された、プラカードを持ってデモ行進をする中国の人びとの古い映像が挿入されたのですが、映像の途中で「服従 領軸訓示(指導者の訓示に従おう)」と書かれたプラカードの前に、共産党最大の仇敵だった国民党のリーダー、蒋介石の顔を描いた別のプラカードが掲げられていたのです。 つまりこれは、「蒋介石の訓示に従おう」という映像です。何度も見直しましたが、間違いありません。歴史をまったく知らないのか、あるいはかなり深刻な健忘症を患っているのかはわかりませんが、これでよく日本に対して「正しい歴史認識」を迫れるものです。 「胸に手を当てて自問せよ」という有り難いお言葉は、熨斗を付けてお返し致します。ユネスコへの対応が遅れた外務省にも落ち度 ところで、今回の軍事パレードの参加者のなかに、その場にいるべきではない出席者が3名いました。ユネスコ(国連教育科学文化機関)のイリナ・ボコバ事務局長と、潘基文国連事務総長、そして韓国の朴槿惠大統領です。 国際平和と人類の福祉促進をめざすはずのユネスコのトップが、いったい何の理由があって軍事パレードに参加したのでしょうか。じつは、女性初のユネスコ事務局長として知られるブルガリア出身のボコバ事務局長は、ブルガリア共産党機関紙の編集長を父にもち、自身もモスクワの大学を出たバリバリの親共産主義の人物です。 今回の軍事パレードの直後、ユネスコはPRCが申請した「南京大虐殺文書」を世界記憶遺産に登録するという決断を下しました。しかしその手続きの詳細はおろか、登録された資料の中身さえ明らかにされていないなど、すべてが不透明なままです。PRCから裏金でももらっているのではないかと、誰もが疑いたくなります。日本人は「性善説」の妄想から目覚めるべき 一方で、土壇場になるまでユネスコへの申請を問題視しなかった日本政府にも大きな落ち度があります。古森義久氏も指摘していますが、外務省はこの問題にタイムリーな対応をとらず、また、ユネスコという国連機関の特殊性や世界記憶遺産の登録システムの特徴を十分に把握していなかったのです。 ユネスコの内情に詳しいある関係者は「日本側はボコバ氏が自分たちと同じ価値観を持つと思って働きかけていたが、それは間違いだった」(『産経新聞』2015年10月11日)などと、信じ難いまでの「お人好しぶり」を晒しています。つまり政府も国民も、国際機関というだけで、ユネスコ側の判断や発言すべてを頭から信用し、疑わなかったのです。これはじつにナイーブで恥ずかしい姿だといわざるをえません。 さすがの日本政府も今回の事態に対しては怒り、ユネスコ分担金の拠出停止をも検討するといっていますが、これについてPRCは「日本がユネスコを脅迫した」と非難しました。まったく、「どの口がいっているんだ」といいたいところですが、率直にいって、拠出を完全停止する必要はありません。分担金をゼロにすると発言権を失うからです。ユネスコに対する2014年度分の国別分担金は、1位のアメリカが22%。日本は2位で10・834%を占めています。ところが偉そうなPRCは6位、比率では日本の約半分の5・14%にすぎません(『産経新聞』2015年10月14日)。日本はPRCと同じ金額だけ拠出すればいいのです。日本人は「性善説」の妄想から目覚めるべき 今回の軍事パレードには、潘基文国連事務総長も参加しました。この人も相変わらず自分が置かれた立場を理解しているとは思えませんでした。潘氏の参加に対して菅義偉官房長官は「国連は中立であるべき」「きわめて残念」と批判しましたが、これに対し潘氏はCCTVのインタビューで「一部に、国連事務総長や国連組織が中立であるという誤解があるようだ」と反論しました。 潘氏は、韓国での人気も高く、次期大統領候補とも噂されているので、ある意味、近い将来の日韓関係が思いやられます。しかし、この潘氏の主張は「正しい」といわざるをえません。なぜなら、国連は設立当初から、けっして中立な機関ではないからです。 国連はそもそも、第2次世界大戦のあと、「戦勝国」が中心となってつくり上げた機関であり、日本やドイツを引き続き「敵」と見なす「敵国条項」を今日までその憲章に残しているような偏った組織です。それにもかかわらず、戦後の日本人は、国際機関というだけですべてが公平・平等だと勝手に思い込み、盲目的に国連を崇め奉り、深く信仰してきたのです。 英語の“United Nations”を普通に和訳したら、「連合国」です。「国際」を意味する単語は無い。「国際連合」という名称は意図的な誤訳でしょう。ちなみに「世界記憶遺産」という翻訳もおかしい。“Memories of the World” のなかに「遺産」なんて単語はありません。 キッシンジャー元米国務長官は以前、「中国は伝統的に世界的な視野をもち、日本は部族的な視野しかもっていない」と指摘しましたが、残念ながら、それも「正しい」といえます。国際社会全体がじつはルールなき「性悪説」に支配されている現実から見れば、何でも「性善説」的な思い込みで他者に接する日本人に比べ、他者を信頼せず、横柄でずる賢く立ち回るPRCのほうが「世界的な視野」をもっているといえるからです。それほど、国際社会なるものの現実は厳しいのです。 話は少しそれますが、『森のくまさん』という有名な童謡があります。これはもともとアメリカの歌ですが、日本語に訳され、多くの子どもに歌われています。ところが、じつはアメリカの原曲と日本語の歌詞はかなり異なっていることを、多くの日本人が知りません。「公平不偏」の国連事務総長 日本語の歌詞では、森のなかで熊に遭遇した女性に対し、熊は「お逃げなさい」とやさしく諭してくれます。しかし熊はその後、彼女が落としたらしいイヤリングを拾い、それを返すためそのあとを追いかけるのです。しかしアメリカの原曲は、熊が森のなかで遭遇した人間に向かって、「おまえ、銃を持ってなさそうだなあ。だったら逃げたほうがいいんじゃないのか?」という警告を発した上で、しつこく追いかけ回すという内容です。 日本人はそんな厳しい内容の歌を、底なしの「性善説」に改変してしまうのですが、このような平和的なメンタリティこそが、国連を公正中立と信じる勝手な「思い込み」や、憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して、自分たちの命の安全まで委ねようと「決意」し、「憲法9条が戦後の日本を守った」という危うい妄想を信じてしまう原因でしょう。この辺りも日本人は、早急に目覚める必要があります。「公平不偏」の国連事務総長 国連では、潘氏の事務総長就任後に、韓国人の登用が急増しましたが、そのほとんどが「コネ登用」だといわれています。一方で、激変した職場の雰囲気に嫌気が差して、退職する他国の国連職員が続出したそうです。潘基文国連事務総長(AP=共同) また、今回の軍事パレードには、「ダルフールの虐殺」を行なった戦争犯罪人として国際刑事裁判所(ICC)から国際指名手配されているスーダンのオマル・バシル大統領も出席していました。習近平はバシル大統領をして、「中国人民の古くからの友人だ」として熱烈歓迎、潘事務総長もこのバシル大統領と一緒になり、核弾頭を搭載して日本の大都市に狙いを定めている長距離ミサイル部隊の行進観覧を大いに楽しみました。しかし、以前国連加盟国に対して、このバシル氏の逮捕状執行に向けた手続きを取るように要請したのは、何を隠そう潘事務総長自身なのです。さすがは、「公平不偏」の国連事務総長というべきでしょうか。 ただ私は、潘基文国連事務総長や、前述したユネスコのイリナ・ボコバ事務局長らには、心から「感謝」したいとさえ思っています。なぜなら、今回の一連の問題で、日本人の多くが、ようやく馬鹿馬鹿しい国連信仰から目覚め、国際機関の看板がいかに胡散くさいものであるかに気付き始めたのですから。 日本政府も、片山さつき参院議員がまず抗議の声を上げ、その後に菅官房長官が厳しい口調でユネスコや潘事務総長を非難しましたが、それを見て、「あ、日本もちゃんと反論するようになったのか」と意外に思いました。これまではつねにやられっ放しだったのに、それにやっと気付いたのだなと思い、嬉しくなりました。中国とアメリカの「踏み絵」を踏んだ韓国 今回の軍事パレードに参加した各国首脳のなかで、ロシアのプーチン大統領を除いてとくに目立ったのが、韓国の朴槿惠大統領でした。しかし韓国は朝鮮戦争の際、突如、北朝鮮軍側に付いて参戦した100万人ものPRCの義勇軍によって、甚大な被害を受けたはずです。中韓のユネスコへの申請は「諸刃の剣」 朴大統領本人の言葉を借りれば、「加害者と被害者の関係は一千年経っても変わらない」はずですが、PRCから受けた被害は、珍しく水に流したのでしょうか。 韓国は「日本に勝利した仲間」というPRCの虚言に目が眩み、もはや冷静な判断がつかなくなっています。大日本帝国の一員として共に戦った民族によって戦後に建国された韓国が、日本と真正面から戦ったことすらないPRCと一緒になって「日本に勝った」と連呼しているという、じつに滑稽な姿を世界に晒したのです。 朴大統領に対して憐みすら感じるもう一つの問題は、自身の行為がPRCに利用されているだけという現実に気付いていない点です。PRCは日本を攻撃する仲間を増やしたいのと同時に、自分たちの手先となって動く国がほしい。韓国を完璧な「操り人形」にしたいのです。ですから、PRCは朴大統領の軍事パレード参加にそうとうこだわり、また、参加に向けた早期の返事がなかったことに対してかなり焦っていたらしい形跡があります。 今回の軍事パレード参加について、アメリカ政府は朴大統領に自制を求めたのですが、朴氏はそれに耳を貸さないまま飛び出し、自らPRCに忠誠を誓うという「踏み絵」を踏んでしまいました。朴大統領は、慰安婦問題と南京事件を世界に広めるという点で、いまやPRCと共闘しているつもりなのでしょう。しかしPRCは韓国をたんなる「手駒」だとしか見ていません。 ユネスコはPRCが登録を求めた2件のうち、慰安婦問題の登録を見送り、南京事件の文書だけを登録しました。次回は中韓で共同申請するという「エサ」に食いつけば、あと2年は韓国をアゴで使えます。朴大統領は習近平の思惑に嵌まってしまったのかもしれませんね。 このような朴大統領の外交姿勢に対し、アメリカ国内では、韓国のあまりの親中ぶりを警戒する声が上がっています。このまずい状況にようやく気付いたのか、朴大統領は今年10月に訪米して、16日には米韓首脳会談を行なったものの、オバマ大統領からは「中国が国際規範に反する行動を取ったときは、アメリカと行動を共にしろ」と対中関係での米韓の連携強化を迫られてしまい、こちらでも「踏み絵」を踏まされることになりました。 ちなみに、希望した米議会演説は設定されず、公式晩餐会も開かれないなど、歓迎ムードはまったくありませんでした。右に左にあたふたする事大主義も、ここまで来ると滑稽さを通り越して、悲哀すら感じます。中韓のユネスコへの申請は「諸刃の剣」 一方、論理的な側面から見てみますと、今回のユネスコによる南京大虐殺文書の採択と慰安婦問題の不採択は、じつは中韓両国にとって「諸刃の剣」になりうるということに気付きます。 PRCの主張によると、いわゆる「南京大虐殺」というのは、大昔の戦争の最中、1カ所で限られた時間内に行なわれた事件とされていて、一応の被害者も「南京にあった女子供を含む民間人30万人」と限定されています。しかしこういった大虐殺と見なされる事例は、ほかにも似た事件があり、南京大虐殺とPRCがいっているような事件は「ワン・オブ・ゼム」でしかありません。習近平に呆れたオバマがついに軍艦派遣 そもそも南京大虐殺は、1937年12月に起きたはずですが、国民政府を率いた蒋介石は終戦までこの件で日本を1度も非難したことはなく、またアメリカ政府が日本の戦争犯罪を徹底的に叩くつもりで全力を尽くして調査した「IWGレポート」でさえ、資料がいっさい発見できなかった根拠薄弱なものです。評論家の石平さんはPRCに住んでいた当時、南京大虐殺の話など聞いたことがなく、教科書にも載っていなかったそうです。 事実認定できる証拠がこれだけ乏しい事件が登録されるのであれば、数千万人単位の死者を出した「大躍進政策」や「文化大革命」、あるいは現在も進行中のウイグル人、チベット人虐殺こそ、はるかに世界記憶遺産に登録される価値があります。いずれ問題提起する人も現れるでしょう。つまり、歴史問題でユネスコを利用した今回のPRCの戦略は、自らにとってはいつか「やぶ蛇」となって返ってくる可能性があるわけです。 一方で、慰安婦問題はまったく別です。慰安婦のような戦場売春婦は今日までのすべての戦争に存在します。慰安婦を世界記憶遺産登録に採択すると、対象となる被害者は世界人口の半分を占めるすべての女性となるだけでなく、貧富の差や格差の問題にまで飛び火してしまう可能性があります。いくらユネスコといえどもこれを採択することはできなかったのだと思います。PRCの提出した根拠資料がいい加減だったこともあるのでしょうが。 一方、今回ユネスコが慰安婦問題を不採択とした事実を日本が利用することも考えられます。今後海外のどこかで慰安婦像を建てる動きが出れば、「ユネスコも拒否したではないか」との議論を展開できるからです。 つまり、南京大虐殺や慰安婦問題のユネスコへの申請は、中韓にとって良いことばかりではなく、自らの首を絞めることにも繋がりかねないわけです。 10月の朴大統領の訪米中に、在米ベトナム人権団体が、ベトナム戦争時の韓国軍によるベトナム女性への性暴行への謝罪を朴大統領に要求した件はまさに象徴的です。 これからの日本は、こうしたPRCと韓国にとって不都合な状況を、戦略的にうまく利用して戦っていくべきです。ロビイストも積極的に使いましょう。習近平に呆れたオバマがついに軍艦派遣 去る9月22日、習近平はアメリカを訪問しましたが、同時期に訪米していたカトリック教会の最高指導者であるローマ法王への歓迎ムードに溢れたアメリカ国内では、驚くほど注目されませんでした。2015年9月、米ホワイトハウスの公式夕食会で乾杯するオバマ米大統領(右)と中国の習近平国家主席(AP=共同) さらに米国防総省は、習近平一行がシアトルに到着したその日に、「9月15日に中国軍機がアメリカの偵察機に異常接近した」という、1週間以上前に黄海上空で発生した事件の発表を行ないました。わざわざ習近平訪問のタイミングにこの種の発表を行なったことからも、アメリカがいかにPRCを警戒しているかがわかります。 かつてあれほどの親中ぶりをアピールしていたオバマ政権も、いまやPRCに信頼を置いていません。その大きな理由は、PRCによるサイバー攻撃と、南シナ海における覇権拡大の動きです。全世界的には「大成功」だった反日軍事パレード 今回の米中両政府は、互いにサイバー攻撃を容認せず、閣僚クラスの対話メカニズムを構築することで合意しましたが、自らも「被害者だ」と開き直る習近平に対して、オバマ大統領は珍しく、「問題は実行するかどうかだ。場合によっては経済制裁も辞さない」と強く迫っています。じつは、現在米中間で繰り広げられているサイバー戦争の実態は凄まじいものがあり、PRCもまた、アメリカから仕掛けられる情報戦争を極度に恐れています。なぜなら、アメリカとの情報戦争に敗北すれば、共産党政府が必死に隠しているあらゆる「秘部」が公になってしまい、人民の猛烈な怒りに火がついて、共産党による一党独裁体制の崩壊すら招きかねないからです。 また、人工島の埋め立てと戦闘機用滑走路を急ピッチで建設している南シナ海の問題では、米中はまったく合意に至ることができず、アメリカの深刻な懸念表明に対し、習近平は「南シナ海島嶼は中国古来の領土であり、中国は合法、正当な海洋権益をもっている」と強気の姿勢を崩しませんでした。さすがにオバマ大統領も呆れ返ったらしく、ついに軍艦派遣を決断しました。 ロイター通信は10月27日、米国防当局者の話として、横須賀基地に配備しているイージス駆逐艦「ラッセン」を南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島で中国が建設している人工島の12カイリ(約22キロ)内に派遣したと報じています。米軍が2015年5月に公表した、南沙諸島のミスチーフ礁の画像(ロイター=共同) ちなみに、今回の訪米で面白かったのは、シアトルで財界人らが参加した習近平歓迎のための歓迎晩餐会のメニューです。まず、前菜のサラダには大根が使われたのですが、その英語表記は「ラディッシュ」ではなくて「DAIKON」、続く主菜で出された「ワサビ入り」のマッシュドポテトには「WASABI」と記載されていました。また、ベジタリアン用のメニューには「EDAMAME(枝豆)」の記載もあり、極めつきは、習近平に出されたワインが1本1500円程度の「超お手頃価格」の品であった、ということです。 到着早々シアトルのボーイング社で旅客機300機を爆買いした「国賓」に出すべきメニューにしては質素に感じられますが、あるいはこんな「辛口メニュー」も、PRCに対する日米初の「集団的自衛権行使」であったとしたら、ワサビとウィットが効いた、なかなかのメッセージであったといえるでしょう。全世界的には「大成功」だった反日軍事パレード もちろん、習近平もコワモテばかりではいけないことは百も承知です。訪米後の9月27日、軍事パレードで手なずけておいた潘基文国連事務総長と共同主催した「ジェンダーの平等と女性の地位向上」のためのサミットにおいて、「中国指導部は女性の権利を尊重している」と強調しました。アメリカ国内の女性に向けたイメージ戦略のつもりだったのでしょうが、これを聞いてひっくり返った人も多かったに違いありません。 なぜならPRCでは、今年3月8日の国際女性デーを前に、公共交通機関でのセクハラ抗議イベントを計画していた5人の女性活動家を当局が拘束するという事件が起こっており、また、2010年のノーベル平和賞受賞者で、現在投獄中の民主活動家・劉暁波氏の妻も、今日まで5年間、自宅軟禁状態にあるからです。善良な日本人に国際機関の胡散くささを気付かせた 習近平の国連での発言に対して噛みついたのは、自らもフェミニストであるヒラリー・クリントンでした。次期大統領選を控え、共和党候補の不動産王ドナルド・トランプ氏に対する牽制もあるのでしょうが、彼女は自身のツイッターで、「女性の権利を主張する人たちを迫害しながら、国連で女性の権利のための会議を主催する?この恥知らず!」と、習近平を強烈に批判したのです。 今年4月の米議会演説において、安倍総理は、「女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません」と女性の権利向上に言及し、スタンディング・オベーションを受けました。安倍総理を意識した習近平の試みは失敗しましたが、そもそも訪米自体が大失敗だったというべきでしょう。アメリカはもはや、自らの言行不一致を恥とも感じない「二重人格」と、軍事面での「好戦性」、法律の運用や経済における「不透明さ」を解決できないPRCを信用できないのです。約束の履行さえ期待できない国家と、TPPのような国際協定を結べるはずがなく、「人民元」の国際通貨化もありえません。 今後のさらなる市場開放を求めていく上で、アメリカはPRCの社会を民主化したいと願っていますが、それは中国共産党による一党独裁体制の崩壊に直結しますから、彼らには受け容れられないでしょう。 PRCのように、公にできない「袖の下の怪しい関係」で物事を推進する国は、透明性を最も嫌います。しかし、透明性を確保しないかぎり、PRCが本当の意味での先進国の仲間入りを果たし、また日米をはじめとする諸外国から本物の信頼を得ることはありません。  反日軍事パレードと習近平の訪米は、PRCの「二重人格」と「好戦性」、および「不透明さ」を世界にアピールし、善良な日本人に国際機関の胡散くささを気付かせたのみならず、親中一辺倒だったあのオバマ大統領に、人工島への軍艦派遣を決断させたという点で、全世界的に見れば「大成功」だったといえるでしょう。関連記事■ 韓国は日本のストーカーだ!■ 韓国人こそ歴史を学べ!■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき

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    記憶遺産に「南京虐殺」?ヘタ外交はどうすればよいか!

    る国宝「東寺百合文書」の登録が決定し、喜ばしい限りです。しかし今回、問題になっているのは、ユネスコが中国が申請していた「南京大虐殺文書」の登録をも認めたことです。 そもそも南京大虐殺についてはその人数も諸説紛々ありますが、中国の申請内容である30万人以上は事実ではありません。当時の南京の人口は最大で約20万人で、仮に「全員」としても30万人はありえません。この一点でも、間違った数字の申請をユネスコがやすやすと認めるのは大問題と言わざるを得ません。「南京大虐殺記念館」を訪れる人たち(共同) ユネスコそのものですが、予算分担率と順位は、1位のアメリカ22%に次いで日本は11%・2位です。金額は分担金と任意拠出金を合わせて4494万8000ドル(日本円で54億円)にもなりユネスコに大変貢献しているわけです。こうした予算でユネスコは職員約2200人を雇用し運営しているのです。 今回、ユネスコに対する日本の措置を見直すべきという意見が出ていますが、私は賛成です。ユネスコはそもそも政治的な場ではないと前提にされつつも中国は明らかに政治利用して歴史的根拠が不明なものを申請しました。これをユネスコがやすやすと認めるのであれば、政治の場として活用してよいとユネスコ自体が認めるようなものです。 アメリカの分担率は22%だと前述しましたが、実はここ2年、アメリカは拠出を見合わせています。理由は、パレスチナがユネスコに加入したことにアメリカは反対をしているからで、極めて政治的な理由でアメリカは分担金・拠出金の支払いを停止しています。 日本もユネスコのあり方に問題提起をするために、そして南京大虐殺のように事実でない申請は認めさせないためにも、拠出金支払いを見合わせることには賛成です。すでに自民党の二階総務会長や菅官房長官も同様に言及しています。ただ今回も教訓とすべきは、こうした事案の結果が出てから事後に分担金をやめるのではなく、起こる前に見合わせておくべきだったということではないでしょうか。事の後で分担金を見合わせるぞ・止めるぞというのは圧力としては弱いですし、しかも一国の官房長官まで言及してしまうと、今度は本当に見合わせなければそのことそのものが今後のマイナスになってきてしまいます。 横浜市長時代、国から羽田空港の再整備に協力を求められ、横浜市は6年間かけて計100億円の無利子貸付けを行いました。しかし貸付けが始まると横浜市が条件にしていた羽田空港の「国際化」について国は明言しなくなり、単なる「再拡張」だと言い出したことがあります。 横浜市は約束を違えるのであればお金を出せないとして、予定していた年度の24億5千万円の貸付けを実際に停止させました。その後、政権が変わったこともあり羽田空港は国際化路線に戻り、今の羽田があります。 このように結果に実を結ぶためには、先に見合わせるなどより効果的な方法やタイミングがあるはずです。国内と国際問題でも、根本的な違いはないでしょう。日本の国際政治の立ち振舞いとして支払い停止に賛成ですし、そもそもユネスコへの供出金54億円は全て国民の税金です。国はしっかりと主張してください。(2015年10月14日「中田宏公式ブログ」より転載)

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    中国の軍事力はどこに向けられているのか

    小原凡司(東京財団研究員・政策プロデューサー)《徳間書店『世界を威嚇する軍事大国・中国の正体』より》「抗日戦勝70周年」はなぜ「世界反ファシスト戦争勝利」なのか 2015年9月3日、「中国人民抗日戦争および世界反ファシスト戦争勝利70周年記念軍事パレード」が挙行された。この軍事パレードを控えた8月22日深夜から23日にかけて、さらに24日にも、式典の予行演習が北京の天安門前の長安街で行われた。 日本では、22日深夜に「厳戒態勢下で」予行演習が行われたと報じられたが、中国の報道では、24日の予行演習に多くの市民が見学に詰めかけた様子が窺える。民衆に比較的人気のある軍事パレードに、今年は、特別な意味が込められていたからだ。軍事パレードで行進する中国人民解放軍兵士=2015年9月、北京(ロイター) この軍事パレードは、社会の安定化を図る絶好の機会だ、という中国人研究者もいた。中国国内では、習近平主席が展開する反腐敗キャンペーンや改革によって中国社会が不安定化している、と認識されているからだ。 戦勝70周年を記念する軍事パレードに、不安定化した社会を一つにする効果が期待されていたのである。国民の気持ちを一つにする効果があると考えられていたのはなぜだろうか。それは、国民に「明日は今より豊かになれる」と信じさせ、中国共産党にその力があると信じさせることができると考えられたからである。 中国が、単に「抗日戦争勝利70周年記念」と呼ばず、「世界反ファシスト戦争勝利」を加えたのは、中国が第二次世界大戦の勝者であることを誇示したいからだが、なぜ「反ファシスト」なのだろうか。それは、過度に日本を相手にすることによって、中国指導部の本来の目的を損ねることになりかねないと考えられているからだ。 中国が示したいのは、国際社会における自らの地位である。今や、中国が相手にすべきは、同じく大国である米国である、ということである。理論的には、日本は大国ではないのだから相手にしなくともよいとすることで、国内の「反日」感情が指導部批判の火種となることを避けたいのだ。 また、実は中国共産党は日本軍とはほとんど戦っていない。日本と戦った主役は蒋介石の国民党である。そうなると抗日戦争勝利70周年を祝うべきは台湾の国民党だということになってしまう。軍事パレードにおける習近平主席のスピーチでも、共産党とも国民党とも言わず、「中国人民の勝利」とされている。 中国は、連合国の一員として、世界と協力してファシストを倒したとすることで、中国が国際社会の中で勝者の側にいる大国なのだということと、一党統治の正統性を確保したいのである。軍事パレードはアメリカに向けられていた そして、重要なのはここからだ。中国は、第二次世界大戦の勝者として本来、国際規範を作る側にいるはずだったが、国力の低さゆえに欧米に好き勝手に国際規範を作られてしまった。「国際社会は、不公平と不平等が突出している」という中国外交部などの発言には、こうした意識が表れている。これは、「これから中国の番なのだ」という意識の裏返しでもある。 軍事パレードに先立つ演説で、習近平主席は、「協力とウィン・ウィンを核心とする『新型国際関係』を積極的に構築する」と宣言した。協力とウィン・ウィンを核心とするのが「新型」であるという表現は、「現在の国際関係は中国にとって協力的でも公平でもない」と言っているに等しい。習近平は、この現在の国際関係を変えてやる、と言ったのである。国際社会における地位向上を狙った「国際観閲式」 具体的に、中国がどのように国際規範を「中国にとって公平」なものとしていきたいのかは、中国が自ら答えを示している。米中「新型大国関係」である。米中両大国が、国際社会のルールを決めていくということだ。 軍事パレードは、「中国には今やその能力がある」ことを示す機会でもあった。そのためにパレードでは、その能力を効果的に示す新型兵器がお披露目されたのである。その能力とは、「米国と対等な能力」という意味だ。 軍事パレードが行われる前の中国の報道では、J-15戦闘機、J-20戦闘機、H-6K爆撃機、KJ-500空中警戒管制機、IL-78空中給油機、高新-6号対潜哨戒機、Y-20大型輸送機といった航空機の名前が挙げられていた。 いずれも新型航空機であるが、米国を強く意識した陣容である。J-15戦闘機は、空母艦載機だ。J-20は、中国が、米国のF-22ラプターに匹敵するとするステルス戦闘機である。H-6Kは、約3500kmの作戦半径を持ち、搭載できる東風10巡航ミサイルの射程と合わせて、グアム島の米軍基地を制圧できると豪語する。KJ-500は、南シナ海など中国周辺で活動する米軍機を監視できる。IL-78は、戦闘機の滞空時間を延ばすために不可欠だ。 しかし、航空機は、ヘリコプターを除いて、通過速度が速い。各国首脳を始めとする観客に印象深いのは、目の前をゆっくり移動する地上の大型兵器である。特に、米国と対等な立場を誇示したい中国が見せたかったのは、大陸間弾道ミサイルだろう。核抑止こそ、米国との対等な力を示すものだからだ。 米国本土を攻撃できる大陸間弾道ミサイルでは、これまでもTEL(Transporter Erector Launcher:輸送起立発射機)に搭載されたDF-31が軍事パレードに参加している。そして、中国は今、新しい大陸間弾道弾の試験を繰り返している。DF-41だ。この新しいミサイルがパレードに参加する可能性もあると考えられていた。米国や国際社会に対して、中国の軍事力を誇示するには最適の兵器であるからだ。軍事パレードの前には、DF-41とされる写真が、インターネット上に出回っていたのである。国際社会における地位向上を狙った「国際観閲式」でもあった しかし、パレードに実際に参加した兵器を見ると、サプライズはなかった。J-20もDF-41も姿を見せなかったのだ。それよりも中国が演出したかったのは、各国が参加する「国際観閲式」だったようだ。各国軍にパレードへの参加を呼びかけたのはそのためだ。ファシストに対する勝利を世界が祝う祭典である。中国は、その祭典を主催し、戦勝国の中でも主導的な地位を見せることができる。中国の言う、「国際社会における地位の調整(この場合、「向上」の意味に近い)」である。 日本では、日米を含む多くの西側諸国が、首脳級の出席を見送ったことが話題になったが、中国外交部副部長は、8月25日、49カ国の元首、政府首脳、高官が軍事パレードに出席すると発表した。同日付の『環球網』は、中国が9月3日に行う抗日戦勝記念の軍事パレードに招待した51カ国のうち、日本とフィリピンだけが招待に応じなかったと報じている。欧米諸国の元首と首脳は出席しないが、フランスとイタリアの外相は自国政府代表として出席するとし、欧州連合(EU)加盟国としてはチェコのゼマン大統領が、また、オランダとオーストラリアも閣僚級の政府代表が出席すると報じた。 「中国は、『外交戦』という形で出席者の肩書きを求めない」というのは言い訳がましいが、日本で考えられているほど、国際社会が中国を冷遇した訳でもない。中国としては、首脳でなくとも、元首脳や代表団の参加があれば、その国名を挙げることができる。世界の式典であると誇示できるのである。習近平は中国皇帝のイメージを演出した習近平は中国皇帝のイメージを演出した 中国が、国民と国際社会に見せたいのは、国際社会を主導する正当な権利とその能力を有する中国の姿なのだ。軍事パレード当日の朝、パレードの観閲に訪れた各国首脳を出迎える習近平夫妻の姿も、中国国内でテレビ放映された。その姿は、まるで、朝貢を受ける皇帝のようであった。 場所は、天安門から故宮の午門(ごもん)へ向かう通りである。天安門から故宮に向かって赤いカーペットが敷かれ、その端に習近平夫妻が立つ。各国首脳は、一人(夫妻の場合は夫妻一組)ずつ、赤いカーペットを習近平夫妻の下に歩いていく。習近平夫妻と握手をした後、習近平夫妻の隣に立って写真撮影をする。その後、習近平に促されて、その場を離れ、控室に向かう。習近平夫妻はその場に残り、次の首脳が挨拶に歩いて来るのを待つ。 故宮を背にして各国首脳一人一人の挨拶を受ける習近平の姿は、中国国民の目にはどう映っただろうか? まさに、中国王朝の皇帝ではないだろうか。世界の中心にある中国を率いている皇帝のイメージである。習近平は、中国の、世界の中における位置づけを、国民に印象づけようとしたのだ。中国中央電視台は、ご丁寧にも、天安門の下で、習近平夫妻への挨拶を待って列を作る各国首脳の様子まで映し出していた。 ところで、このとき、韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は、黄色い洋服を着て挨拶に訪れた。これには驚かされた。なぜなら黄色という色は、紫禁城を宮廷とした清朝では、皇帝だけが用いることができる色だからだ。日本には、「朴槿恵大統領はそんなことも知らないのか」と批判する人もいたが、朴槿恵大統領は、もちろん知らなかったはずはあるまい。わかっていて、わざとやったのだ。ただでさえ批判の多かった訪中で、中国に朝貢するような姿を見せては、韓国大統領としては立つ瀬がない。皇帝のみが着ることが許されていた黄色の洋服を着ることによって、中国皇帝に朝貢に来た蛮族の長ではない、ということを示そうとしたのだ。朴槿恵大統領の抵抗である。記念行事に臨む(左から)プーチン大統領、習近平国家主席、朴槿恵大統領=2015年9月、北京(新華社=共同) 朴槿恵大統領は、これ以外にも、同様の抵抗を見せている。例えば、習近平が各国首脳を導いて天安門の階段を上る際、朴槿恵が、一人だけ習近平の左前を颯爽と上る姿が、テレビ画面に映し出された。また、軍事パレードの最中、習近平、ロシアのプーチン大統領他、各国首脳等が立ち上がっていたにもかかわらず、一人だけ、サングラスをかけて座ったままだった。朴槿恵は、中国の手下ではないことを示そうと、苦労していたのである。 もう一つ、この挨拶の状況を途中まで見ていて心配したのは、プーチンが怒らないだろうか、ということだった。常に中国を目下に見るロシアは、中国に朝貢させられるような振る舞いは許さないだろうと思ったからだ。ところが、習近平は、そのことはしっかり考えていた。プーチンの登場は、最後だったのである。プーチンは、列を作って待ったりはしなかっただろう。プーチンも、赤いカーペットを歩いて習近平夫妻に挨拶して記念撮影をしたが、そこからが他国の首脳とは違った。習近平夫妻は、プーチン大統領と並んで、談笑しながら一緒に控室に向かったのである。談笑しながら歩くというのは、対等な関係であることを示すばかりでなく、二人が良い関係であることを示すことにもなる。プーチンの顔を立てつつ、中露の良好な関係もアピールしたのだ。潘基文国連事務総長に対して何の配慮もなかったのとは対照的である。誰の目にも、潘基文は、ただ、習近平に摺(す)り寄っただけに見えただろう。習近平は言っていることとやっていることが違う習近平は言っていることとやっていることが違う この、2015年9月3日に北京で挙行された軍事パレードは、中国国外から観る者にとっては矛盾を孕むものだった。中国は、言っていることと、やっていることが違うだろう、ということである。 軍事パレードに先立つ演説で、習近平は、「中国は永遠に覇を唱えず、永遠に拡張しない」と述べた。中国の平和的台頭を主張しているのだ。『2015年国防白書「中国の軍事戦略」』の前言にも全く同様の表現があるが、実は、この表現は新しいものではない。「中国は永遠に覇を唱えず、永遠に拡張しない」というフレーズは、2002年の中国共産党第16回全国代表大会において江沢民元主席が使用して以降、胡錦濤前主席も使い続けてきた。 しかし、これまでの中国の南シナ海における行動等を見て、これを簡単に信じる国はない。最近でも、中国は、南シナ海においてサンゴ礁を埋め立てて人工島を建設し、軍事施設と思しき建造物の建設を進めている。 さらに、このフレーズは、軍事パレードの場で述べられたのだ。そもそも軍事パレードは、軍の威容を示すものである。しかも、中国が、今回の軍事パレードにおいて、米国に対抗できる能力を誇示したことは明らかだ。軍事パレードにおける兵器の披露の仕方が、米国を意識したものだったからである。 航空部隊を率いたKJ-2000は、南シナ海や東シナ海で活動する米軍機を監視し、戦闘機を管制する。1機300億円とも言われ、5機しか装備されていないと言われる。一方、KJ-500は価格が安く、大量生産が可能だとされる。機数が揃えば南シナ海等における監視能力が飛躍的に向上する可能性がある。 また、東風10(長剣10から改名された)巡航ミサイルを発射可能なH-6K長距離爆撃機は、グアム島の米軍基地を制圧できると中国は宣伝している。この東風10巡航ミサイルは、射程1500~2500km、50~150mの巡航高度を、マッハ0・75の速度で飛行する。中国は、このミサイル一発で、7000~1万トンのミサイル巡洋艦を海底に葬ることができると豪語する。東風10は、本来、DF-21Dと並んで、対艦ミサイルとして開発されたミサイルなのだ。 J-15戦闘機は、わざわざ、空母着艦時にアレスティング・ワイヤーに引っ掛けるフックを下ろして飛行した。空母艦載機であることを誇示するためである。中国が、正規空母を運用できることを示したかったからだろう。J-15は、中国人民解放軍海軍の策定した中国の空母建造計画のために開発された艦上戦闘機である。本機は、ロシア製のSu-33をベースに用い、国産の兵装とレーダーを装備している。 中国は、本来、空母艦載機として、ロシアからSu-33を購入する希望を持っていたが、中国のJ-11がSu-27から技術を無断コピーし、知的財産権協定に違反しているとの理由で、ロシアが中国へのSu-33の提供を拒んだのである。そのためSu-33の試作機を、苦労してウクライナから入手したとも言われる。 そして、弾道ミサイル群も、上記の航空機群とともに、西太平洋およびアジア地域における米軍の活動を無力化できることを誇示する、バラエティーに富んだ陣容となった。射程1000kmとされるDF-16は、第一列島線をターゲットにしていると言われる。沖縄から南西諸島に所在する米軍基地や、自衛隊基地を狙うと言うのだ。 DF-21D対艦弾道ミサイルも披露された。中国の対艦弾道ミサイル(ASBM:Anti-Ship Ballistic Missile)は、単純な放物線を描いて飛翔するのではなく、最終段階で飛翔経路を変えられるという。各国は、その技術に疑念を抱きつつも、その能力を否定することもできない以上、これに対処する方策を考えなければならない。中距離弾道ミサイルの射程は、3000~4000km この技術が確立しているとすれば、現有の弾道ミサイル防衛(BMD:Ballistic Missile Defense)で撃墜することは極めて難しい。BMDは、放物線を描いて飛び、最終段階では高速で自由落下する弾頭を破壊するようプログラムされているからだ。現在の武器は、砲弾やミサイルの弾着の精度を上げるため、コンピューター・プログラムに頼っている。弾道ミサイル撃墜も例外ではないのである。DF-21Dが「空母キラー」と呼ばれる所以である。中国指導部は、米国の空母打撃群が中国に進攻して来ても、次のDF-26による攻撃を含め、中国本土から1500~3000㎞離れた海域で廃滅させる能力を示したかったのだ。 中距離弾道ミサイルDF-26の射程は、3000~4000kmと言われ、日本、韓国およびグァム島に所在する米軍基地をすべて射程に収める。また、今回の軍事パレードでは「対艦弾道ミサイルである」と紹介された。 そして、中国では、米国と対等な立場を示すものは、やはり核抑止力だと認識されている。大陸間弾道ミサイル(ICBM:Inter-Continental Ballistic Missile)である。 中国の大陸間弾道ミサイルの射程は、米国のほぼ全土をカバーできると言われる。TEL(輸送起立発射機)に搭載された、巨大なDF-31Aは、ゆっくりと、各国首脳および代表団が居並ぶ観閲台の前を通り過ぎた。天安門前をパレードする対艦弾道ミサイル=2015年9月(ロイター) その後ろを、DF-5B大陸間弾道ミサイルが、トレーラーに搭載されて行進した。DF-5Bは、ミサイル自体は新しいものではなく、液体燃料を使用しているが、多弾頭化され、1基のミサイルに3発の核弾頭を搭載できると言われている。 古い弾道ミサイルが液体燃料を使用しているのは、燃焼をコントロールしやすいからである。弾道ミサイルは、打ち上げる角度と燃料の燃焼による推力によって、その弾道、すなわち弾着点が決まる。野球のボールを投げるときに、投げる力と角度によってボールの落下点が決まるのと同様である。いったん発射された弾道ミサイルは放物線を描いて飛び、基本的には弾道を変えることはできない。 燃料の燃焼がコントロールできず、計算されたとおりの推力が得られなければ、狙ったところに落とせないということである。以前は、固体燃料を安定して燃焼させ一定の推力を保つことが技術的に難しかった。そのため、特に大きな推力を必要とし、大量の燃料を燃焼させなければならない大陸間弾道弾には液体燃料が使用されることが多かった。 しかし、液体燃料には欠点もあった。品質を保つのが難しく、ミサイルに搭載したままにすると燃料が劣化してしまうからだ。そのため、ミサイルを発射する前に燃料を搭載する必要があった。ミサイル発射の兆候を晒してしまうということである。ただ現在では技術が進歩し、固体燃料を安定して燃焼させることができるようになり、固体燃料を使用した大陸間弾道ミサイルが多く登場している。一方で、液体燃料の品質維持もできるようになり、発射直前に燃料を搭載する必要がなくなっている。双方の利点と欠点は、さほど明確ではなくなっているのだ。中国は対米軍事力を誇示すると同時に平和を言う必要があった中国は対米軍事力を誇示すると同時に平和を言う必要があった ところで、この軍事パレードに矛盾を感じるのは、習近平が、軍事力を誇示しておきながら、平和を強調しているからである。この矛盾は、中国指導部が、異なるメッセージを軍事パレードに込めたから生じたものだ。習近平指導部が中国の軍事力を誇示したかったのは、実は中国国民に対してである。 軍事パレードは、中国国内に向けて、中国が第二次世界大戦の勝者であり、国際社会を主導する資格と権利があり、今や中国にはその能力があると示す場だったからである。中国国民に、中国の経済発展を信じさせ、社会を安定させるためだ。「これから中国が発展する番なのだ」というイメージを国民に与えることが重要だったのである。 また、中国が米国の軍事力を意識した兵器を披露したのは、今後、国際社会のルールを決めていくのは米中両大国であると示したかったからだ。しかし、中国が米国との戦争に勝利できない以上、本当に軍事衝突するわけにはいかない。国際社会、特に米国に対しては、中国が平和の支持者であると示す必要もあったのである。 中国は、米国が中国の発展を妨害するのではないかと恐れている。その手段には、軍事力も含まれる。近年、中国が主張している米中「新型大国関係」は、極端に言えば、中国が自由に国益を追求しても、米国が軍事力を行使しない関係である。 中国は、米国との軍事衝突は何としても避けたい。なぜなら勝てないからだ。中国は、米国が中国に対して軍事力を行使しないぎりぎりの落としどころを探りながら、国際ルールを変えていこうとしているのだとも言える。 しかし、当の米中関係は、中国の思いどおりに進展している訳ではない。2015年5月20日に、米国が、中国の南シナ海における人工島建設の状況をCNNに報道させたのは、中国が力を以て国際規範を変えようとしていることを、世界に知らしめるためだ。 米海軍が監視飛行を繰り返しても、米国と水面下で決着できると考えていた中国にとっては衝撃だっただろう。米中間の問題ではなく、中国が国際社会に挑戦するという構図になったからだ。米国および周辺各国との対立の構図が鮮明になる中で、中国はその軍事力を誇示することになってしまった。 不安定化した中国社会を安定させ、共産党に対する求心力を高めるために、軍事パレードは必要なイベントだった。しかし、中国の平和的な台頭を信じられない各国は、ますます警戒感を高める結果になってしまった。 習近平訪米を控えたこの時点で、米国から種々の問題について非難され、対立ばかりがクローズアップされることは、中国にとって好ましい状況ではなかった。中国は、現在の国際社会に対抗する新しい政治・経済ブロックを構築しようとしている訳ではないのだ。中国は、現在の国際社会のルールを変えたいのである。そのためには、国際社会から孤立する訳にはいかない。中国の軍事力は何のためにあるのか そうした状況の下で、中国が、平和の支持者であると主張できるのは、日中関係の改善くらいしかない。中国では、8月14日に発表された「安倍談話」は極めて不評であった。それでも、非難を抑制したのは、日中関係の改善を期待したからだ。 中国の報道を見れば、9月3日の安倍首相の訪中に期待していたのは明らかである。抗日戦勝記念式典が開催されているさなかに安倍首相と習主席の首脳会談が実現していれば、習近平が訪米した際にも、東アジアの安定に寄与していると主張することが出来ただろう。70年談話を発表し、記者会見する安倍晋三首相=2015年8月 しかし、安倍首相の訪中は中止された。中国は、減速する経済を再浮揚させるためにも日本との関係改善が不可欠であったが、外交面でも大きなダメージである。 日本政府には、安保法案の国会審議等、安倍首相が日本を離れられない理由があった。しかし、日中関係は、日中二国間だけの問題ではない。 中国と韓国は、軍事パレードに先立って行われた中韓首脳会談において、日中韓首脳会談の開催を決定した。韓国側から提案したと言われるが、中国が日中韓首脳会談に賛成したのは、自らが北東アジアの平和のために努力していると主張したいためだ。 また、日中関係には、米国も関わってくる。さらに、もう一国、注目しなければならない国がある。米中二極に対抗して、第三極として生き残るゲームをアジアで展開しようとするロシアだ。 現在の日本と中国は、ロシアにとって扱いやすい。日中間がほぼ断絶状態だからだ。イランの核開発問題で存在感を見せたロシアに対して、米国は態度を軟化させたと言われる。こうした状況が、ロシアにとって日本の利用価値を下げさせた。 北方四島返還の議論のテーブルにロシアを着かせるためには、ロシアに、日本が必要だと認識させなければならない。日中が種々の問題について直接協議できるようになれば、中ロ関係にも影響を及ぼし、日本のロシアに対するオプションが増えるかも知れない。日本は、中国との関係を考える際にも、米国やロシアといった他の大国の意図を見ながら難しいかじ取りを迫られる。中国だけに目を奪われれば、さらに大きな盤でゲームを試みる他の大国に、駒扱いされることになりかねないということである。中国の軍事力は何のためにあるのか 中国人民解放軍が米国に対処する能力を見せようとしつつ、実際には米国との軍事衝突を避けたいと考えているならば、中国の軍事力は何のために存在しているのだろうか? その理由は、2012年末以降、習近平が、「戦えるようになれ、勝てる戦いをしろ」と人民解放軍に檄を飛ばしていることからも理解できる。習近平の戦闘準備の指示は、他国との戦争を企図したものではない。他国と戦争できる能力を身につけろと言っているのだ。裏を返せば、現在の中国人民解放軍は、他国と戦える状態にはないということだ。習近平は人民解放軍の土着化を恐れている 現在の中国で最も腐敗しているのは、人民解放軍であると言われる。朱鎔基首相(当時)が人民解放軍の商売を禁じて以来、人民解放軍は表向き、ビジネスができなくなった。それでも、予算の着服や武器装備品購入時の賄賂、基地や宿舎を整備する際の不動産取引に関する不正等、腐敗と無縁になった訳ではない。特に、1989年6月4日の天安門事件の結果、政治的に色がついていないという理由で党総書記・国家主席となった江沢民は、鄧小平が進めようとしていた軍改革である「制度化」の流れをひっくり返した。 中国では、最終的に自らを守るのは軍や警察といった武装力量であるという考えが指導者たちに強く残っており、反対に、自らの勢力を広げようとする際にも、武装力量を取り込もうとする。軍の支持を得たい江沢民は、人民解放軍が江沢民を支持するかわりに、不正を見逃したのだ。 一方の軍は、政治権力者と結ぶことによって、利権を維持しようとした。胡錦濤元総書記は、この流れを断ち切り鄧小平の路線に戻そうとしたが、人民解放軍の主要幹部は江沢民に抜擢された腹心たちで固められており、ほとんど効果を上げることができなかった。 習近平は、胡錦濤の努力を引き継いでいる。それは、習近平が胡錦濤に近いからでも、同情したからでもない。それが必要だからだ。人民解放軍の各軍区やその下の部隊が、地方の権力者と結びついている状況は、人民解放軍を戦争ができない軍隊にしているばかりでなく、中国指導者に対して武力が使用される危険を秘めたものなのである。 もちろん、人民解放軍の第一の任務は、表向きは中国の領土と主権を守ることである。しかし、これまでの人民解放軍は、実質的に、毛沢東に権力闘争の道具として利用され、江沢民の時代には地方のボスと結びついて利権を得る代わりにボスの手下になった。人民解放軍は、他国の侵略から自国を防衛するための軍隊として機能していなかったのだ。習近平は人民解放軍の土着化を恐れている 中国人民解放軍が、2014年7月から行った演習では、8月15日までの間、上海や浙江省杭州など沿岸部を中心とする12カ所の空港で発着フライト数を25%削減するよう要求したことから、演習の規模が大きく、高度な内容を伴うものであったのではないかという分析もあった。しかし、実際のところ、人民解放軍各部隊が行ったのは、地元を離れて別の訓練場に行って射撃等の訓練を行うというものであった。 射撃訓練自体は、基礎的な訓練である。決して難しい応用訓練を行ったわけではない。では、何が重要だったのかというと、地元を離れるということだったのだ。それほど、人民解放軍の各部隊は土着化していたということである。各部隊が土着化してしまったのでは、各地域においてゲリラ戦を展開することはできるかもしれないが、他国から攻撃があった際に、中国本土防衛のために陸軍全体として対応することはできない。 さらに、土着化するということは、地方の有力者と癒着しやすくなるということでもある。実際、習近平が潰した薄熙来は、2個集団軍を掌中に収めていると豪語していた。成都軍区には第13集団軍と第14集団軍の2個集団軍があるが、薄熙来は、成都軍区を掌握していると言っていたのである。薄熙来は、当時、重慶市党委員会書記、すなわち重慶市のトップであった。 また、中央が地方のトップを拘束する際、まずその地方の軍隊、武装警察等の指揮官や政治委員の首をすげ替えるが、これも地方の軍の部隊や警察が、その地方のボスに掌握されていることを示すものだ。中国中央の権威とはその程度のものなのだとも言える。人民解放軍30万人削減のほとんどが文職人民解放軍30万人削減のほとんどが文職 現在の中国人民解放軍陸軍全体は170万人、その内、戦闘部隊は155万人を擁し、85万人の機動部隊と70万人の地方守備部隊から構成される。中国陸軍は、全体で18個の集団軍を有しており、これが、7大軍区にそれぞれ配置されているのである。集団軍は、歩兵、機甲、砲兵、高射、工兵、電子戦それぞれの部隊を有しており、第13集団軍の人員は4万5000人、第14集団軍の人員は4万人とされる。習近平主席(ロイター) ちなみに、習近平は、軍事パレードにおけるスピーチの中で「人民解放軍の人員の30万人削減」を明らかにしたが、このほとんどが文職であると言われる。文職とは、戦闘には参加しない軍人で、歌や踊り、あるいは映画といった、主として文化や芸能活動に携わる軍人も含まれている。 中国には、各軍区にも、賓客をもてなすための「歌舞団」があり、歌手やダンサー、さらには雑技を行う人員擁している。この中には、大量の美女も含まれていて、過去には、軍の高級幹部の愛人も多く輩出している。こうした文職について、習近平は、いち早く縮小するよう命じている。自身の夫人である彭麗媛・少将が、人民解放軍総政治部歌舞団団長であり、文職軍人の大ボスであるにもかかわらず、である。 習近平が、陸軍の土着化に危機感を抱いているのは、2015年の『国防白書』にも見て取れる。「陸軍は、小型化・機動化を進める」としているのだ。一般に、中国陸軍は精鋭化を進めると言われるが、それは、これからスリム化して、中国陸軍として中国全土で戦闘できる状態にする、という意味である。7大軍区の統廃合と合同作戦司令部の設立 中国人民解放軍には、具体的な計画もある。軍区の改編と合同作戦司令部の設立だ。これらの計画を最初に報じたのは日本のメディアである。2014年1月1日付の読売新聞は中国軍の制度改革案を報じている。現在の7大軍区を5大戦区に改変。さらに陸軍、海軍、空軍、第二砲兵部隊(戦略ミサイル部隊)の4軍種を統合する合同作戦司令部が設立されるとの内容だった。合同作戦司令部とは、統合作戦を指揮する司令部である。 中国国防部は中国英字紙『チャイナデイリー』の取材に答え、合同作戦司令部設立を大筋で認めた。合同作戦司令部は情報時代に対応したもので、すでに試行業務に着手しているという。ただし正式な改組がいつになるかは未定だという。軍区から戦区への改変案についてはコメントしていない。 しかし、この後、中国では、合同作戦司令部の設立計画を否定する報道も見られた。これらの記事によれば、2013年11月に北京で開催された中国共産党18期三中全会において、「軍隊の体制編制の調整改革を進化させなければならない」と公言されたことが、合同作戦司令部設立計画が取り沙汰される原因になったとされるが、実際に、統合作戦が重要であることは人民解放軍自身も認めている。 合同作戦司令部の設立や、7大軍区から4~5戦区への改編については、土着化した人民解放軍各指揮官や各部隊から不満の声も上がるだろう。不満の声を表面上は抑え込んでも、不満は陸軍の中にたまり続ける。不満の圧力が高くなることは危険なのだ。習近平指導部は、部隊の不満を軽減しながら、陸軍の改編を進めなければならないのである。「統合作戦指揮体制」を本格導入する 中国はもちろん、米国の中国本土攻撃を想定して、装備品を調達し作戦計画を立てていると言うだろう。しかし、実際のところ、これまでの中国人民解放軍は、本気で戦争する気はなかったように見受けられる。各部隊は、自らの懐(ふところ)を肥やすことに邁進し、自らの権益を守るために、地方の権力者とそれぞれに結びついていたのだ。 中国人民解放軍という統一された名前がありながら、各軍区や各部隊は、地方の権力者が向く方向に、同様に向いていたのだ。たとえ、党中央からの命令があったとしても、地方の権力者の意向に従ったのである。2006年に失脚した上海党委書記(上海のトップ)陳良宇や、薄熙来の事案を見ても、中国共産党中央が、地元の軍や武装警察、警察等が、地方の権力者の意のままに動くことを警戒していたことがわかる。 そして、中国人民解放軍の改編がいよいよ実施される。習近平が、北京で2015年11月26日に閉幕した中央軍事委員会改革工作会議において、1949年の新中国成立以来初めてとなる軍の大規模改革に着手すると表明したのだ。米軍をモデルに、縦割りの弊害が指摘されていた命令系統を集約する「統合作戦指揮体制」を本格導入するという。 国営新華社通信は、習近平が24日から開かれた同会議において、「軍の最高指揮権は共産党中央、軍事委員会に集中させる」と強調するとともに、「統合作戦指揮体制の構築を進め、戦闘力を高めるため部隊の規模・編成を見直し、量から質の重視へ転換する」と述べたと報じた。また、習主席が、これを「革命的な改革だ」とし、「2020年までに改革を反映した体制を確立させる方針を示した」とも報じている。 地方の指導者との癒着の原因ともなっていた、軍区の再編にも取り組む。中国では、2015年に入ってから、人民解放軍の改革に関わる噂が多く聞かれた。先述の中央軍事委員会改革工作会議における「重要講話」において習近平は、「(軍区に替えて)新たに戦区を設定し、戦区統合作戦指揮機構を構築する」と述べたのである。 作戦指揮系統は大きく変わる。「中央軍事委員会-戦区-部隊の作戦指揮体系と政治委員-軍種(陸・海・空・ロケット軍)-部隊の指導管理体系」という指揮系統だ。中央軍事委員会は、総参謀部を通さず、戦区を直接指揮する。また、戦区の作戦は統合作戦になる。戦区統合作戦指揮機構は、いわゆる、統合作戦司令部であろう。人民解放軍全体に対する統合作戦司令部ではなく、戦区ごとに統合作戦が行われ、それぞれの戦区は、中央軍事委員会が直接指揮するのだ。その中央軍事委員会の主席が習近平である。 中央軍事委員会が、2016年1月1日に公表した、「国防と軍隊改革の深化に関する意見」によれば、人民解放軍改革の原則は、「中央軍事委員会がすべてを管理し、戦区は戦闘し、軍種は建設する」であるという。自衛隊でも採用されている、フォース・ユーザーとフォース・プロバイダの明確化である。フォース・ユーザーとは、部隊(力)を使用する、すなわち作戦指揮の系統であり、戦闘の指揮系統でもある。フォース・プロバイダとは、戦闘能力を有した部隊(力)を建設(人員、武器装備)して、フォース・ユーザーに提供するものだ。陸、海、空、ロケット軍(新設)の4軍種は、主として部隊建設を担い、原則として作戦指揮の系統には入らないということである。中国防衛白書が示す中国人民解放軍の変化 一方で、7大軍区をいくつの戦区に改編するのかは、2016年1月10日現在、まだ明確に示されていない。2015年に飛び交った情報では「4戦区になる」と言われていたが、同年12月には、「4戦区の予定であったが、国防の観点から5戦区の区分が最良とされた」という報道等も出始めた。国防の観点もさることながら、戦区の区分が、これまでの既得権益と衝突するために、難航しているのかもしれない。 さらに、総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部の4総部の統廃合も行われる。人民解放軍の中でも、腐敗の温床となっていたのが、装備部と後勤部、特に、不動産を扱う後勤部である。4総部の権限を制限し、党中央および中央軍事委員会の管理を強化して、人民解放軍の腐敗を根絶しようというのだ。人民解放軍の改革により、4総部は廃止され、中国中央軍事委員会の言う「実行多部門制」に移行する。4総部が持っていたそれぞれの機能は、いくつもの部門に細分化され、純粋に参謀組織として中央軍事委員会を補佐することになる。4総部が持っていた権限は、すべて中央軍事委員会に吸い上げられるのだ。 こうした改編が実施されれば、中国人民解放軍の運用が効率化され作戦能力が向上する可能性がある。また、これまで、不満や反発を恐れて実施されてこなかった改編が行われるということ自体、習近平の軍の掌握が進んでいることを示すものでもある。中国防衛白書が示す中国人民解放軍の変化 中国の軍事戦略を公に示すものとして、概ね2年に一度発表される中国の国防白書が挙げられる。2015年5月26日、中国国防部が発表した『2015年国防白書』のタイトルは、まさに、「中国の軍事戦略」である。前回、2013年に発表された国防白書のタイトルは「中国武装力量の多様化運用」であった。 中国国防部は、2013年の国防白書から、テーマ型の国防白書に変更したとしている。テーマ別の国防白書になって2回目となる今年の国防白書のテーマが「中国の軍事戦略」という訳だ。訓練を受ける中国人民解放軍の新兵ら(ロイター) テーマが異なるのだから、当然、内容も異なる。「具体性を特徴とした」と中国国防部が言う『2013年国防白書』とは異なり、『2015年国防白書』には、具体的なデータは記載されていない。分量も減っている。しかし、何も読み取れないという訳でもない。『2015年国防白書』を見れば、中国人民解放軍が大きな変化を遂げようとしていることが理解できる。 まず、全体から受ける印象として、中国が自信を前面に出そうとしていることが挙げられる。これは、これまでに見られなかったことだ。中国の自信は、前書きの最初の文章から現れている。 『2013年国防白書』は、「現在、平和と発展はチャンスと挑戦に面している」という書き出しで始まる。それに比べて、『2015年国防白書』は、「現在の世界は未曽有の大変局に面しており、中国は改革発展の鍵となる段階にいる」という文章から始まる。 「未曽有の大変局」をもたらしているのが、「中国の台頭」である。その上で、中国がさらに発展するために、現在の人民解放軍の活動が重要であると言っているのだ。 「1章安全保障環境」の中にも、中国の自信を見て取れる。最初に国際社会全体の状況を述べる中で、2013年は「経済のグローバル化、多極化」の順番であったものが、2015年は順番が入れ替わり、「多極化」が「経済のグローバル化」より先に来ている。中ロ蜜月を演出してみせた習近平 中国もロシアも、「多極化」という表現を、米国一極型の国際社会に対抗するものとして使用する。2015年5月9日にモスクワで実施された、第二次世界大戦の対ドイツ戦勝70周年記念式典において、プーチン大統領が「一極支配の試みがみられる」と米国を批判したのは記憶に新しい。このときの軍事パレードでは、中国の習近平主席がプーチン大統領の隣に座り、中ロ蜜月を強調して見せた。 この自信を基にして、米国の一極支配に対抗するために、中国軍の活動範囲および機能等の拡大を示すのである。中でも目を引くのが、海軍の重視だ。「3章積極防御戦略の方針」の中で、「戦争の形態の変化および国家安全保障情勢に基づき……海上軍事闘争および闘争準備を最優先にし……」と述べ、「4章軍事力量建設発展」では、「伝統的な陸重視・海軽視の考え方を突破し、海洋に関する経済戦略と海洋権益の保護を高度に重視しなければならない」とまで述べている。 元々、中国人民解放軍は陸軍である。最近でこそ、「人民解放軍陸軍」という表現を用いるようになったが、中国の海軍、空軍、第二砲兵は、陸軍の一部という位置づけであった。軍の編成がこの事実をよく表している。海軍、空軍、第二砲兵のトップである司令員(官)は、人民解放軍(陸軍)の7大軍区の司令員と同格なのだ。これまで人民解放軍には、陸軍司令員という職は存在しなかった。 実は、中国軍に陸軍司令員がいないことが、他国の陸軍との交流の阻害要因になっていたことも事実である。中国人民解放軍は、他国の陸軍司令官が訪中した際に、あてがうべきカウンターパートがいなかったのである。中国側が提示するカウンターパートは、例えば、大軍区の司令員等、海空軍司令員と同列の陸軍軍人であり、立場的に中国陸軍を代表することはできない。対等な立場の交流を求める他国の陸軍は、陸軍司令官に当たるのは、7大軍区の運用を統括する総参謀長であると考えるが、格にこだわる中国としては、これが受け入れられないのだ。現在、中国人民解放軍は、その生い立ちによるいびつな編成から、近代戦を戦える軍隊の編成へと移行しようとしていると言える。 この状況にも変化が生じる。2015年12月13日に、陸軍指導機構が新設され、陸軍司令員が任命されたからだ。人民解放軍改革の一部である。陸軍指導機構とは、いわゆる陸軍司令部だ。改革の一部とは言え、中国では、「大陸軍主義の放棄」であるとも言われる大改革である。陸軍司令部が創設されるということは、陸海空軍を同列に扱うということであり、海空軍が大幅に格上げされたとも言える。国防思想の根本的な転換なのだ。 陸重視から海重視へのシフトは、急激に起こっている訳ではない。実は、海空軍重視は、胡錦濤も進めてきたものだ。2004年9月の第16期四中全会において、海軍、空軍および第二砲兵の司令員が、初めて中央軍事委員に選出されたのはその一例である。しかし、海空軍重視の具現化は、軍内の反応を見ながら、少しずつ進められている。軍内の既得権益者を過度に刺激しないようにするためである。中国では、一部のグループに不満をためないように、バランスをとりながら変革を進めるのが常なのだ。 「4章軍事力量建設発展」でも、陸軍、海軍、空軍、第二砲兵、武装警察それぞれについて、戦略の変化が述べられている。しかし、明らかな活動範囲の拡大を示しているのは、海軍と空軍である。中国海軍はどのような戦略的目標で動いているのか中国海軍はどのような戦略的目標で動いているのか 海軍は、「『近海防御』から『近海防御と遠海保護の結合型』への転換」が求められている。近海防御は、1980年代から、中国海軍の父とも呼ばれる劉華清が指示してきたものだ。中国海軍の定義によれば、近海とは、第1列島線内外までの海域を指している。この海域には、西太平洋の一部も含まれる。中国の本土防衛に直接関わる部分だ。 一方の遠海保護は、中国の経済活動の拡大に伴って、社会経済の発展を保障するために、世界規模で戦略的任務を遂行するものである。こちらは、主として、軍事プレゼンスによるものだ。すでに、中国海軍は、ソマリア沖アデン湾において、海賊対処活動に参加し、これを足掛かりに、ヨーロッパ諸国に親善訪問を実施し、地中海において中ロ海軍共同演習も実施している。 海軍運用の二分化が、国防白書にも明記された形である。中国の本土防衛とともに世界各地に空母戦闘群を展開するために、引き続き、多くの予算が配分されることになる。ちなみに、米海軍では空母戦闘群と呼ぶのを止め、空母打撃群と呼んでいるが、中国では未だ空母戦闘群という呼称が用いられることもある。 この海軍運用の二分化は、中国の海洋に対する認識に、矛盾を引き起こしているように見受けられる。中国は、本土防衛のために、南シナ海で見られるような海域の囲い込みを行い、「海洋領土」という表現さえ用いる。開かれた海洋の利用こそ国益である海洋国家なら用いない表現である。しかし、一方で、中国は経済活動を世界に広げ、これを保護するために海軍の活動も拡大している。中国は、「航行の自由」の重要性を理解しつつあるのだ。 こうした認識の矛盾は、中国の経済活動等がさらに国際化するにつれて解消していく可能性もある。中国が米海軍に対抗できる十分な海軍力を持ったとき、中国は、米国同様、「航行の自由」を声高に主張するようになるかもしれない。中国空軍は宇宙での戦闘力も視野に入れている 国防白書の中で、海軍とともに、活動範囲の拡大が明記されているのが空軍である。空軍は、国土防空型から攻防兼備型への転換が求められている。 また、空軍がカバーする範囲が、空中と宇宙を一体化した範囲であると明記された。『2013年国防白書』では、空軍は「空中作戦行動の主体」であるとされているが、『2015年国防白書』には、2014年4月に、習近平主席が空軍に対して行った講話の中の、「空軍は、空中および宇宙における戦闘力を向上させなければならない」という指示が反映されているのだ。南シナ海上空で米軍機に異常接近したことが明らかになった、中国空軍の戦闘機「殲11」(共同) ところで、「攻防兼備」の「攻」は、現段階では、必ずしも米国本土を攻撃する能力を含んでいない。国防白書の中で、空挺作戦能力や戦略的兵力輸送能力の向上が指示されているが、輸送されて陸上戦闘を展開する陸軍に関する記述の中に、それだけの能力が含まれていないのだ。 陸軍に関する記述は、主として陸軍内の統合作戦能力の向上を指示するものだ。「地域防衛型から全域機動型への転換を実現する」という「全域」は、世界ではなく中国全土を意味している。2014年7月から3カ月にわたって行われた軍事演習は、部隊を全国に展開する訓練を重要な演習項目としていた。 さらに、国防白書は、「小型化、多機能化、モジュール化の歩みを加速する」としている。陸軍は、拡大ではなく、効率化を求められているのだと言える。しかし、モジュール化して機動力を向上させることは、他国に展開する能力の向上にもつながる。より専門化すると予測されているロケット軍 戦略ミサイル部隊である第二砲兵は、特に顕著な拡大や変化が求められている訳ではない。毛沢東は、すでに1950年代には核抑止の重要性を説き、核兵器や戦略原子力潜水艦の開発・配備を指示している。 第二砲兵は、1984年までその存在が秘密にされ、他の軍種が、中央軍事委員会が指導する4総部(総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤部)の管理・指揮を受けるのに対し、中央軍事委員会の指揮を直接受ける。そもそも、核兵力は特別に扱われてきたのだ。対米核抑止を担うその地位に変わりはない。 人民解放軍の改革によって、第二砲兵はロケット軍に改名された。2015年12月31日、習近平は、八一大楼において、陸軍指導機構、ロケット軍、戦略支援部隊に対する軍旗授与式を実施した。八一大楼は、元々、中央軍事委員会の執務のために建設された巨大なビルだが、現在では、主として、軍事外交のための行事(儀仗、表敬訪問、会見・会議、晩餐会等)を実施する人民解放軍接待所のようになっている。 これまで、第二砲兵は「軍」とは呼称されず、正式名称は「第二砲兵部隊」であったが、改革によって「軍」に昇格したのである。第二砲兵は、実際には、その戦略性の高さから、これまでも実質的には一つの軍種として扱われていたが、正式に軍種の一つになったのだ。 格上げされただけではない。ロケット軍は、より専門化すると予測されている。戦略打撃機能に特化されるということである。主として大陸間弾道ミサイルを運用するロシアの戦略ミサイル軍のような軍になることが予想されるのだ。 国防白書の中に「軍事闘争準備」が挙げられていることから、中国が武力行使を考え始めたと捉える向きもある。しかし、内容を見ると、2012年末に習主席が人民解放軍に対して行った「戦えるようになれ、勝てる戦いをしろ」という指示を実現しろ、という意味であることが理解できる。 「戦争準備」は、2013年の国防白書にも明記されている。習主席の指示が2012年であるから、当然、反映されているのだ。 しかし、たとえ中国が今すぐに戦争を起こす意図がないからといって、安心していて良いわけではない。中国は、もはや、自らが台頭していることを否定しない。今後、国際社会の中で主要な位置を占めることを自認し、他国にも認めさせようとしている。戦後70周年の軍事パレードも、国際社会において中国が主導的位置を占めることの正統性を示すためのものだった。 改革が成功すれば、中国人民解放軍は、戦闘能力を向上させることになる。 実力をつけつつある中国は、南シナ海で米国との衝突コースにいる。米中とも、南シナ海における双方の主張が自国の安全保障の根幹に関わるものだけに譲ることはできない。台頭する中国は、米国との対立を鮮明にし、周辺諸国を巻き込んだ衝突を起こすかもしれないのである。 おはら・ぼんじ 東京財団研究員・政策プロデューサー。1985年3月、防衛大学校卒(29期)。筑波大学大学院修士課程修了、修士論文「中国の独立自主外交」。海上自衛隊第101飛行隊長(回転翼)、2003年3月~2006年4月、駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊副長~司令(回転翼)、防衛研究所研究部などを経て退官。2011年3月、IHS Jane's 入社。アナリスト兼ビジネス・デベロップメント・マネージャーを務め、2013年から現職。中国通の軍事アナリストとしてテレビ出演も多数。著書に『中国の軍事戦略』(東洋経済新報社)がある。

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    中国は「強さ」からではなく、「弱さ」ゆえに軍事力を振り回す

    小原凡司(東京財団研究員・政策プロデューサー)《徳間書店『世界を威嚇する軍事大国・中国の正体』より》 中国人民解放軍の活動が、ますます活発になっている。 特に、南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)では、暗礁を埋め立てて人工島を建設し、その上に滑走路やビル、さらにはレーダー施設まで建設している。しかも、1カ所ではない。2015年5月に公開された南シナ海・スプラトリー(中国名・南沙)諸島のファイアリークロス礁(同・永暑)の画像 (米海軍提供・ロイター) 南シナ海で、少なくとも7カ所の人工島を建設し、その面積は、東京ドームの170個分以上に及ぶ。 中国は、九段線で囲まれた南シナ海のほぼ全域に主権が及ぶかのような主張をしているが、これら人工島をベースにして、実際のコントロールに乗り出したのだ。これを可能にしたのが、中国の急速な軍事力の増強である。特に、中国海軍の増強は目覚ましい。少なくとも2隻の空母を建造中で、中国版イージスと呼ばれる大型の駆逐艦も大量に建造されている。やはり大量に建造されている最新型のフリゲートとともに、日常的に、南シナ海や東シナ海、さらには西太平洋で任務行動を行うようになった。数の上では、同地域にある米海軍艦艇を圧倒している。 空軍の増強も目が離せない。2013年11月には、東シナ海にADIZ(防空識別圏)を設定し、自衛隊機や米軍機の監視を強めた。現在の空中戦では欠かすことのできない、空中警戒管制機の整備も進めている。さらには、新たに最新型のロシア製戦闘機Su-35の導入も決まった。航空優勢の確保が海上および陸上での軍事作戦の成否を左右することから、中国空軍力の増強は、地域のパワー・バランスに大きな影響を与える可能性がある。中国の軍事力はどの程度なのか「なぜ、中国が軍備増強に熱を上げ、挑発的な態度をとるのか、理解できない」 確かにそうかもしれない。しかし、その疑問こそが、現在の中国を読み解く鍵になる。なぜなら、現在の中国指導部は、実力の不足を認識しながらも、その認識を国内外に示すことが出来ず、一種の「強がり」とも言える態度を示さなければならないからだ。その原因は、中国社会の不安定化にある。 中国は、高度経済成長の段階から、安定経済成長の段階に移行しなければならない情況にある。しかし、タイミングが早すぎた。まだ、多くの国民が豊かになる前に、高度経済成長が終わろうとしているからだ。現段階で経済成長が過度に鈍化すれば、貧しい者が豊かになる機会を失われて格差が固定され、あるいはさらに拡大する。シンガポールでの海上防衛関連国際展示会に参加した、中国のミサイルフリゲート艦「玉林」 経済成長の減速は、中国国民の目にも明らかだ。妬みの眼差しで金持ちを見ながら、自分には豊かになる望みがないと思えば、大衆は、現指導部やその統治に不満を募らせる。権威主義国家では、暴力以外に、この不満を政策に反映させる方法がない。 現在の中国指導部は、中国国民に「偉大な中華民族の復興」という「中国の夢」を信じさせなければならない。経済発展とともに軍事力を増強してきた中国は、「これからは、米国と中国という二大国が、中国にとって公平な世界秩序を決定していく」ことを、身をもって示さなくてはならないのだ。 一方で、中国は、米国が「中国の世界秩序への挑戦」を妨害すると考えている。また、戦争になれば米国に勝利できないことも理解されている。「弱い」からこそ、力こぶを見せて威嚇し、ときには、こぶしを振り回さなければならない。しかし問題は、中国が「弱い」のは、米国やロシアに対してであって、他の周辺諸国にとってみれば中国はすでに「強大」であることだ。その「強大」な中国がこぶしを振り回せば、周辺諸国は実害を被ることになる。 そして、米国は「中国の世界秩序への挑戦」に懸念を抱き始めた。中国が米国を威嚇してこぶしを振り回す、すなわち軍事力を使うからだ。しかも、実際に米国に損害を与えている。それも、米国が許容できない部分で、である。 本書では、中国が軍事力を用いて何をしたいのか、その軍事力はどの程度のものなのか、そして、日本および米国、さらには国際社会がどのように中国の行動に対処していくのかを考えてみたい。おはら・ぼんじ 東京財団研究員・政策プロデューサー。1985年3月、防衛大学校卒(29期)。筑波大学大学院修士課程修了、修士論文「中国の独立自主外交」。海上自衛隊第101飛行隊長(回転翼)、2003年3月~2006年4月、駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊副長~司令(回転翼)、防衛研究所研究部などを経て退官。2011年3月、IHS Jane's 入社。アナリスト兼ビジネス・デベロップメント・マネージャーを務め、2013年から現職。中国通の軍事アナリストとしてテレビ出演も多数。著書に『中国の軍事戦略』(東洋経済新報社)がある。

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    「反日国家」中国と韓国の劣化が止まらない!

    宮崎正弘(評論家)、室谷克実(評論家)《徳間書店『突然死の危機に陥る中国と韓国』より》宮崎 2015年12月28日、岸田文雄外務大臣が渡韓して尹炳世(ユンビヨンセ)外交相と会談し、慰安婦問題の解決に向けての合意がなされました。 その主な内容は、(1)「日本政府は責任を痛感し、安倍晋三首相が慰安婦に対して心からのお詫わびと反省の気持ちを表明する」、(2)「韓国政府が元慰安婦の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府が資金を拠出する」、(3)「これらの措置を着実に実施することで、この問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、両国政府は国連などの国際社会でこの問題について互いに非難、批判することは控える」というものでした。 (2)の日本政府が拠出する資金は10億円程度とされていますが、結局、これは日本政府が譲歩したということになります。しかし日本政府が望んでいたソウルの日本大使館前にある慰安婦像の撤去については、確約はなく、「努力目標」になっていました。それと、韓国側が慰安婦問題を蒸し返さないことを確約したといいますが、本当に守られますかね。韓国側の要請で合意文書を作成しなかったという話もありますし、口約束で金だけ受け取って、またいつの日にか蒸し返す可能性が高いのではありませんか。 元慰安婦の団体などは「この合意を全部無視する」と言って、猛反発しています。日韓外相会談の共同発表後、握手を交わす岸田文雄外相(左)と韓国の尹炳世外相=2015年12月28日、ソウルの韓国外務省 (共同)室谷 狸(たぬき)と狐(きつね)がオンブにダッコの合意ではないか。そう私は最初に思いました。しかし、ちょっと考えてみると、これはとても良い合意ですよ。“アベ狸”のほうが、“クネ狐”より一枚上どころか数枚も上だった。 もちろん、大きな不満があります。そもそも解決済みの案件に、なぜ10億円も出すのか。これまで韓国が官民挙げて国際社会に向けて吹きまくってきた悪宣伝をそのままにして、フタをしてしまうのか……といろいろあります。 それでも、韓国の悪宣伝をこれで封じ、国際的には「慰安婦問題? もう完全に終わったことですよ」と言えることは大きい。韓国政府は「慰安婦問題は日韓協定の枠に入っていなかった」と言ってきたわけですが、今回の合意は、枠外だったとしても、もう終わったことを「不可逆的に」確認したわけです。 さらに、慰安婦問題を中心に据えた中国と韓国の「反日歴史共闘」に楔(くさび)を打ち込んだことが大きい。 ただ、これで韓国が中国と切れて、日米の陣営に来るかとなると疑問ですね。尹炳世外交相は「世界でアメリカと強い関係を維持しながら中国とも最上の関係を維持する国はいくつもない。戦略的な資産として、これを活用しなければいけない」と、〝コウモリ国家〟であることを公然と誇りにしているのですから。 しかし、北朝鮮の核実験があるという「兆候」をアメリカから教えてもらえなかったことが明らかになり、あわてて中国に電話したら、首脳に〝居留守〟を使われた。哀れなるかな、コウモリ外交です。 宮崎 それにしても、なぜこの時期に、しかも年末のギリギリのところで、この合意が行われたのでしょうか。直前の12月17日に産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の名誉毀損裁判で無罪判決が出て(12月22日に確定)、さらにその後(24日)、日韓基本条約の請求権放棄は違憲だとする元徴用工の親族の訴えも、韓国の憲法裁判所は棄却しました。これらによって雪解けムードが促進されたことが大きかったという論調もあります。やはり、韓国に対するアメリカの圧力が強かったのでしょうね。2015年3月にシャーマン国務次官が、「政治指導者が歴史問題で過去の敵を非難することによって、安っぽい拍手を得るのは難しくない」と言って暗に韓国を批判していましたし、後でも述べますが、2015年10月中旬に行われた米韓首脳会談では、事前にラッセル国務次官補やリッパート駐韓大使らが日韓関係の改善を求める記者会見を行ったことで、朴槿恵大統領はオバマ大統領に対して日本批判の「告げ口外交」ができなくなってしまったという経緯がありました。朴槿恵大統領の誤算室谷 朴槿恵大統領は、日韓妥結はないと見ていたのだと思います。また、妥結したくもなかった。だから、直前まで「被害者と国民が納得する内容でなくてはならない」と言っていたのです。被害者と称する人々が納得する内容なんて、日本が吞のめるはずがありませんからね。 そう読んだうえで、「日韓国交正常化50周年の今年中に妥結をすべきだ」と息巻いてきた。韓国政府が、被害者と称する老女たちの意向を聴取する作業をしなかったのも、日本が成案を出してくるとは予想もしていなかったからでしょう。 ところが、日本は年末に突然、妥結に向けた案を持ってきた。妥結後のアメリカのはしゃぎようを見れば、アメリカは「日本が出すのはギリギリの案なのだから絶対に吞め」といった圧力をかけたのでしょうね。韓国は「今年中に妥結をすべきだ」と自ら言ってきたのだから、カウンターパンチを食らったようなものでしょう。いまさら「被害者の意向を聴く作業がまだです」なんて言えるはずもない。 それで妥結後、韓国では保守系紙まで含めて「合意を無効にしろ」の大合唱となりましたが、その大きな論拠は、大統領自身が何度も語った、「被害者と国民が納得する内容」というマジノ線が守られていないどころか、被害者の意向を聴取することすらしていなかった点にあります。日本と韓国のどちらに不満が多いかの一点だけ見ても、この合意の勝者がどちらであるか明白です。宮崎 この合意によって、中国や台湾が日本に対して「われわれの慰安婦問題も解決しろ」という声を上げ始めています。ただ、日本としてはこの合意については、「法的責任を含まない」という見解ですし、基本的にこれまでの立場とまったく変わっていない。そもそも慰安婦の強制性を認めたわけでもなく、慰安所の運営に日本軍が関与していたことへのお詫びで、これは1993年の河野談話の踏襲(とうしゆう)ですから、中国や台湾の要求を吞む必要はない。 とはいえ、河野談話も本来は全否定しなければならない問題ではありますが。いずれにせよ、この合意については、本当に韓国が約束を守るかどうかがポイントであって、もし守らなければ、日韓関係はこれまで以上に悪化することは確実です。そうなればその責任は韓国側にあるということで、ボールは韓国側に投げられている。加えて、中国と韓国との「反日共闘」に楔(くさび)を打ち込む意味もあったともえいるでしょう。実際、中国の新聞は「日本は中国を孤立化させることに成功した」と書いていましたからね。 私としては、「一歩後退、二歩前進」という言葉もあるように、この安倍外交は中国と韓国の反日同盟を壊すための「戦術的後退」と見ています。室谷 アメリカの圧力がどんなものだったのかは厚いベールのなかですが、2016年1月4日付の「中央日報」に載った外部筆者の意見は面白かった。「アメリカの圧力でこうなったのだから、アメリカの責任を追及して実利を得るべきだ」という趣旨で、実利の内容としては3000トン級原子力潜水艦(製造技術)とか米韓通貨スワップとか、いろいろ挙げています。その外部筆者が「元国連大使」なのですから、上から下までタカリの精神が満ちている。靖國爆破未遂事件の真相宮崎 2015年の年末にかけて、日韓関係に影響をおよぼすような事件や出来事がいろいろ起こりましたね。 2015年11月23日に、靖國神社のトイレに手製の爆発物が仕掛けられ、それが爆発したという事件がありました。その容疑者である全昶漢(チヨンチヤンハン)は、約2週間後(12月9日)に再来日したところを逮捕されました。すでに日本ではその前から、部品にハングル文字が書かれていたとか、監視カメラに容疑者が映っていたなどということで、来日した韓国人が怪しいと報道されていた。 全昶漢は再来日の理由を「日本の記者から質問されたから、靖國神社のトイレがどうなっているか確認しに来た」などと言っていましたが、どうも話としておかしいですね。 勘ぐると、日本と韓国には犯人引き渡し協定があるため、日本の警察が犯人だと断定すれば、韓国に対して身柄引き渡しの要求をすることになる。しかし、靖國神社を爆破しようとしたとなれば、韓国ではヒーロー扱いになるので、世論を気にする政府としては引き渡し要求があっても拒否したい。とはいえ、犯罪者だから、そういうわけにもいかない。 だから、「自首に行ってこい」というように容疑者に圧力をかけた、ということではないですか。ソウルの日本大使館前の慰安婦像。足元に追悼プレートが新たに設置された= 4月7日、ソウル(名村隆寛撮影)室谷 そういう説を唱える人がいますけれども、私はちょっと半信半疑ですね。それが本当だとすれば面白いけれど、あまり信憑性(しんぴようせい)がないと思います。 最初は否認していた容疑者も、「前回がうまくいかなかったから、再度、仕掛けようと思った」と供述していますし、荷物には火薬らしきものが入っていたとも報じられています。 その日のうちに帰るための航空チケットも持っていたようですしね。宮崎 来た日のうちに帰国するための航空チケットということは、割引チケットではないですよ。割引チケットには、最低2泊しなければならないという規定がありますから。そうなると正規料金ということになりますが、その資金はどこから出たのかという疑問が残ります。 また、初回、再来日時と、2回も爆発物の原材料となるようなものを機内に持ち込めたということも、不思議ですよ。もしかして、爆破事件そのものも、韓国政府筋の差し金ということはないですか?室谷 さすがに、それはないでしょう。だいたい、韓国では、出国の際の手荷物検査が緩いのです。もちろん、X線検査はやっていますが、きちんと見ているかは疑わしい。何事も、「ケンチャナヨ(大丈夫)」の国ですから。 一方で、入国審査は厳しいのです。呉善花(オソンフア)氏が「反韓的な活動をしている」ということで入国禁止になるくらい厳しい。 だから、容疑者が機内に火薬を持ち込めたのも、それほど不思議ではないのです。この全昶漢という男は、韓国空軍に5年半在籍して、下士で除隊したばかりでした。空軍下士というのは、旧日本軍でいえば伍長です。 韓国では2年間の徴兵で、最初は2等兵、3カ月で1等兵、それから7カ月で上等兵、そして最後の2年目には全員が兵長になります。伍長というのはその次の上の位なのですが、徴兵終了後3年半も軍に在籍していたのに伍長のままだったということは、かなり出来が悪いと思いますよ。靖国爆発犯は英雄になろうとしたのか宮崎 だから、靖國神社を焼き討ちして、国の英雄になろうとしたのかもしれませんね。裁判で有罪判決を受け、国外追放になって韓国に戻ったら、一躍、ヒーローでしょう。 2011年には靖國神社に放火して韓国に逃げた中国人がいましたが、日本側の引き渡し要求に対して、「政治犯だ」という理由で韓国側が拒否し、結局、犯人を中国に逃がしましたからね。 中国では、2012年に尖閣(せんかく)諸島へ上陸して日本の海上保安庁に逮捕され、強制送還となった香港の活動家が、帰国後に英雄扱いされたことがありました。尖閣の海域でわが海上保安庁の船に体当たりした暴力船長も、福建省に帰ると英雄扱いでした。 そういう前例があるだけに、この全昶漢容疑者も、帰国したら大々的に褒めたたえられる可能性がある。実際、韓国国内でのネットなどでは「よくやった」という声が多いそうですから。靖国神社の爆発事件で、麹町警察署を出る全昶漢(チョン・チャンハン)容疑者 =12月09日、東京都千代田区(鴨川一也撮影)室谷 少なくとも、愛国者として扱われるでしょうね。そうすると、いろいろなところからカネをもらえる。 韓国では昔の抗日テロリストたちを褒めたたえて、その孫や曾孫に政府が法律に基づいてカネを支援したり、利権を与えたりしているのです。たとえば、1932年の天長節(天皇誕生日)に上海の虹口(ホンキユウ)公園で行われた祝賀式典で、尹奉吉(ユンボンギル)という朝鮮人が演壇に爆弾を投げつけ、多数の死傷者を出した事件がありました。「上海天長節爆弾事件」です。後に外務大臣となる重光葵(しげみつまもる)はこの爆発で重傷を負いますが、演壇には民間人もいた。まさに無差別テロです。 尹奉吉は逮捕されて死刑となりましたが、戦後の韓国政府はこのテロリストを「義士」として顕彰(けんしよう)し、その子孫に電柱広告の総代理店としての独占権を与えました。 日本人を殺傷したテロリストを「偉い人だった」と持ち上げる反日教育を行い、子孫に利権まで与えるのですから、「それなら俺もやろう」と思う人間も出てきますよ。 大学を卒業しても半数しか職にありつけない韓国で、「伍長で除隊」した者が職を得るのは大変なことです。犯行の底流には、そうしたことも確実にあると思います。 それに、おかしいのは日本のマスコミですよ。大手マスコミはこの事件を、なぜか「靖國爆発音0 0 0 事件」などという名称で報じています。 しかし、現実には4本の鉄パイプ爆弾があったわけです。実際には爆発しませんでしたが、まず爆発音を響かせ、人を誘い込んでから爆発するように仕掛けられていた。 だから明らかに、「靖國無差別テロ未遂事件」と呼ぶべきですが、日本のマスコミはどうしたのか、「爆発音事件」などと矮小(わいしよう)化した名称で呼んでいるのです。しかも、検察にしても、起訴は建造物侵入容疑です。宮崎 手口を見れば、かなり悪質ですよ。検察は「余罪の捜査に支障がありうる」として認否や動機について明確にしていないため、今後、新たな罪状が加わる可能性はありますが、このまま建造物侵入罪だけであれば、犯罪容疑としては非常に軽い罪です。2016年1月中旬の時点で言えることは、前科がなければ、いずれ釈放されるでしょう。起訴猶予にはならないとしても、略式起訴くらいで終わるのではないでしょうか。朴槿恵大統領が「教育の問題」と発言する矛盾室谷 捜査はまだ継続中ですから、どのような結果になるのかはわかりません。しかし、確実に言えることは、韓国の70年にわたる反日教育がこうした犯罪の要因になっているということです。 1980年代前半に韓国紙が報じた世論調査では、日本統治時代を体験した高齢者世代ほど「反日」度合いは薄く、若い高学歴者ほど「反日」の度合いが高いという結果が出ていました。要するに、韓国の「反日」は教育によってつくりだされていることが、そのころから表れていたのです。 すでにその時代には、幼稚園で「独島(トクト)(日本名・竹島)はわが土地」という歌を園児に合唱させていましたし、地方自治体の支所(町役場)の掲示板には、小学生が描いた「韓国空軍が日本を爆撃する絵」が貼ってありました。 当時の私は、今後、実際の日本統治時代を知る年齢層がいなくなり、戦後の反日教育を受けた世代だけになったら、韓国の反日はどうなるのかと思いましたが、その懸念が現実になった感じがしますね。宮崎 そうそう、1970年代の韓国の知識人には、かなりの知日派がいましたから。室谷 戦後間もないころの韓国の教師たちは、「反日」を説かなくては教壇に立てなかったと思いますが、それでも内心では忸怩たるものがあったでしょう。しかし、戦後15年も過ぎれば、自信を持って「反日」を語る新世代の教師が登場してきます。そうして「反日」が純化していって、日本統治時代は何でも悪い、この時代をちょっとでも肯定する者は悪人だという意識に国中が凝り固まってしまった。 日本でも日教組全盛時代に、社会科の担当ではない教師までもがマルクス主義史観に基づく〝史実〟を教えたり、「反米」を説いたりしましたが、その時代にも、ごく少数ですがアンチ日教組の教師がいました。これに対して、韓国では、「反日でない教師」は存在できなかった。 日本の新聞が反米論調で埋まっていた時代にも、日本のテレビはアメリカのホームドラマを流し、ラジオではアメリカのポピュラーソングがオンパレードでしたが、韓国では1990年代前半まで、日本の映画、テレビドラマ、歌謡曲の放送が禁じられていました。しかも、韓国人が制作するドラマに登場する日本人は、極悪非道の立ち回りを演じると決まっていたのです。 韓国では、テロリストが天皇に爆弾を投げている姿がそのまま銅像になっています。「李奉昌義士(イボンチヤン)」の銅像がそれですが、そのようなものを毎日見せられてきたことで、戦後韓国の病的な反日が醸成されたのです。「靖國無差別テロ未遂事件」の背後に歪んだ反日教育があることは疑いようがない。 朴槿恵は2015年11月に起こったフランス・パリの同時多発テロ事件に触れて、「これは教育の問題だ」と言いました。つまり、「教育によって防げる」という意味なのですが、自分の国はどうなのかと呆れてしまいますよ。「日本統治時代は良かった」と言った殴り殺された宮崎 韓国では、日本統治時代のことを知っている高齢者が下手に本当のことを言うと、殴り殺されてしまいますからね。2013年に、95歳の男性が「日本統治時代は良かった」と言ったら、居あわせた38歳の男に殴り殺されるということがありましたね。だから、下の年齢ほど反日が先鋭化しているということなのでしょう。 そこは中国と違うところです。中国では各地に「反日教育基地」、つまり南京大虐殺記念館や抗日記念館といった施設があるのですが、ほとんど誰も見ていません。だいたい、中国共産党のいうことを本当に信じている人など少ないし、プロパガンダであることはわかっているのです。 だから、反日暴動がすぐに政権批判の暴動になる。後述しますが、現在の中国の経済状況は日ごとに悪化していますし、環境問題も命が脅おびやかされるほどひどい状況です。つまり、政権に対する潜在的な不満が高まっているわけですが、それを共産党は力で抑え込んでいる。 2012年に北京や上海で大規模な反日暴動が起こりましたが、あれは完全な官製暴動でした。ところが、これが大規模になってコントロールがきかなくなると、政権批判が噴出するようになった。このまま放置すれば、あっという間に反政権暴動に変わることを、中国共産党もわかったのです。 だから最近は、反日デモや暴動がぱったりとなくなってしまった。下手に煽動すると、自分たちの立場が危うくなるからです。ですから、私はよく冗談で言うのですが、「“反日”は“半日”でやめる」と。 このように、中国人の反日はポーズです。だから日本に来ると、「こんなにいい国はない」となる。2015年1~10月の訪日中国人は約430万人で、2014年通年の約240万人の2倍に迫る勢いです(JTB総合研究所)。 ただ、韓国人も同期約320万人で、2014年の約275万人を大きく上回っています。70年間にわたる反日教育の割には、なぜこれほど日本に来たがるのでしょうかね。竹島室谷 国家・政府が嫌いであることと、その国の産業製品・工業製品が好きか嫌いかということは、別の問題だと思っているのでしょう。 日本を旅行した中国の若者が、「日本はすごい」「日本を見る目が変わった」といったことをブログで書いていることがよく報じられますが、韓国人は反日感情を抱いたまま日本中をまわる人が多いと思いますよ。それで、「やっぱり靖國神社には右翼が多かった」とか「日本は思ったとおり悪い国だった」といったようなことを書いている。 あるいは、日本の観光地で「独島はわが領土」といった横断幕を掲げた記念写真や、靖國神社で放尿している写真をブログに掲載したりしている。産経前支局長の無罪判決と中韓の言論弾圧手法宮崎 まあ、日本を賞賛するような内容を掲載すると、韓国ではすぐに親日(売国奴)扱いされてしまうから、したくてもできないということもあるのでしょう。 でも、韓国は曲がりなりにもOECD(経済協力開発機構)加盟国、つまり先進国で、言論の自由があるはずなのに、国民はこぞって反日史観でしかものが言えないという状況が、なんともやっかいですね。 とはいえ、最近は、本当に先進国なのかという疑念も湧いてきています。産経新聞・前ソウル支局長の加藤達也氏を起訴した事件もそうでしたね。 朝鮮日報の記事を引用して朴槿恵大統領に関するウワサ話を書いたら、検察から名誉毀損で起訴されて、出国禁止を命じられてしまった。 これに世界中のジャーナリストが呆れかえったわけですよ。結局、2015年12月17日に無罪判決が言い渡されたわけですが、同日の米紙「ニューヨークタイムズ」(電子版)は「朴政権は、望まない報道を沈黙させようとして法的手段を使い、批判されてきた」と指摘しています。室谷 そうした国際世論の反発で、加藤氏を有罪にはできなかったわけですが、韓国司法の国家元首への従属はどんどん進んでいます。象徴的なのは、裁判長が延々3時間にわたって読み上げた長い判決文でした。その内容は、加藤氏を有罪にできなかったことに対する朴大統領への言い訳でしょう。 現在の韓国では、朴槿恵大統領の名誉を汚したということで、連行、根拠不明の長期勾留、さらには起訴を次から次へ行っています。 たとえば韓国国内では、2015年11月に大規模な反政府デモが起きたのですが、そこでデモ参加者が朴槿恵大統領を批判するポスターに「独裁者の娘」という文言を入れていたところ、警察が「名誉毀損だ」と言って撤去させたということがありました。 韓国国内だけではありません。「ザ・ネーション」というアメリカの週刊誌が、韓国で起きたこの反政府デモについての記事を掲載(2015年12月1日付)したのですが、そのなかで朴槿恵大統領のことを「独裁者の娘」と書いたところ、やはり韓国の総領事館から猛抗議を受けました。 また、日本でも産経新聞のウェブサイト(2015年8月30日付)が、米中に対して二股外交を続ける韓国のことを「事大主義の国」と書いたところ、韓国の駐日大使が産経新聞に乗り込んできて、「取り消せ」と抗議したのです。 一国の大使が民間の新聞社に抗議のために乗り込むなどということは、ありえないことですよ。 北朝鮮ではよく「われらの首領様の尊厳を汚した」という理由をつけて、外交交渉を打ち切ったりしますが、韓国も同じですね。やはり同じ民族ですよ。加藤前支局長を最初に訴えたのは「自称市民団体」宮崎 産経新聞の加藤前支局長の場合、最初に訴えたのは検察ですか? 朴槿恵大統領が直接、被害届を出したり告訴したりしたわけではないですよね。日本では名誉毀損は親告罪ですから、本人やその親族が「名誉を汚された」ということで訴えるというのが普通ですが、韓国では本人ではない者が、名誉毀損で訴えることができるのですか?室谷 韓国の名誉毀損罪は、第三者が訴えることが可能なのです。加藤前支局長を最初に訴えたのは、「自称市民団体」ですね。それで韓国の検察がこの告発を受理して起訴したわけです。 あくまで市民団体が訴えたのであり、国は関与していないという立場なのですが、産経の前支局長を訴えた団体は「朴槿恵の私兵」と嘲笑されている団体で、この団体が訴えるや、検察は即時受理するのです。ソウル中央地裁に入る加藤達也前ソウル支局長 =2015年12月17日、韓国・ソウル(納冨康撮影)宮崎 そうしたやり方は、中国と似ていますね。明らかに政府や公安当局が資金を出しているのだけれども、民間の反日組織がやったことにするという手口です。最近、戦時中に強制労働させられたということで、かつての中国人労働者が日本企業を訴える動きが中国で頻発しています。 これなども、なぜいまになって次々と起こるようになったのかを考えれば、政府当局の差し金であることは明らかです。しかし表向きは、「善良な一般市民が涙の訴えを起こした」ということになるわけです。 黒竜江省ハルビン市にある方正県は、旧ソ連の侵攻から逃れてきた満州開拓団がたどり着いた地として日本の残留孤児がもっとも多いところですが、そこに、約5000人の日本人犠牲者を祀る中国で唯一の「日本人墓地」があります。数年前に仲間とともにそこへ行って花を供え、線香をあげて、「海行かば」を合唱しました。 地元は非常に親日的な地域なのですが、2011年、北京から中国人活動家が5人やって来て、日本人墓地の慰霊碑にペンキを塗って破損するという事件が起こりました。彼らは「愛国英雄」と称えられましたが、わざわざ飛行機でやって来て、タクシーをチャーターしているところからも、政府なり公安なりの息がかかっていることは明らかです。 しかし、「民間団体が愛国的行為でやった」ということになる。室谷 韓国では、VANK(Voluntary Agency Network of Korea)という反日団体が有名ですね。日本海を「東海と呼べ」という運動や、竹島、慰安婦問題で韓国の主張をしきりに世界に発信して、「ディスカウントジャパン」(日本叩き)を行っている組織ですが、韓国政府は「民間団体がやっている」というスタンスです。 しかし、韓国政府はこの団体に対して補助金を支給し、代表者を表彰しています。韓国ウォッチャーの間では国家情報院(旧KCIA)の指導下にある団体という見方が有力ですが、「民間団体」という隠れ蓑みを使って、政府ではできないような過激な反日運動を展開しているのです。宮崎 産経新聞の加藤前ソウル支局長が在宅起訴されたことについて、アメリカの民間団体「ジャーナリスト保護委員会」は、「こういう名誉毀損罪は廃止されるべきだ」と訴えていました。 民主主義の促進などをめざして国際的に組織されている「民主主義共同体(コミュニティ・オブ・デモクラシーズ)」も、「事態改善に向けて早急に行動すべきだ」と主張していました。この民主主義共同体には、韓国も主要メンバーとして入っています。 こうやってアメリカのジャーナリスト団体が抗議行動を起こしているのに、日本のジャーナリストはほとんど何もしていない。保守論壇のなかには、産経新聞を支援する動きはかなりあるけれど、普段から言論の自由を声高に主張している日本ペンクラブや日本文藝家協会などは、何をやっていたのでしょうかね。 日本ペンクラブは、一応は抗議声明を出してはいますが、声明を出したのは「国境なき記者団」よりも後ですからね。自国の問題なのに、国際的に韓国への批判が高まるのを見届けてからようやく出したという感が否めない。それに、こうした会に加盟している作家やジャーナリストたちが、韓国政府に対して抗議デモを行ったという話も聞かない。室谷 もともと、これらの組織はいわゆるリベラル色が強いですからね。本来、リベラルとは左右の全体主義イデオロギーから解放された人々だったのに、いまや左の全体主義者の巣窟になりつつありますね。 それにしても、この裁判の判決公判は、一度、延期されていますよね。もともとは11月26日に開かれるはずだったのが、その3日前に裁判所が急遽、延期を決めたわけです。しかも、その理由が「熟慮する必要があるから」というのだからお笑いです。 延期した間に外交部が寛大な措置を求める公文を提出して、それが無罪判決の決め手になったわけですから、これまたお笑いです。 1891(明治24)年の大津事件(来日したロシア皇太子ニコライが滋賀県大津町で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件)の際、「犯人を死刑にすべし」という内外の圧力に屈せず、法治国家として当時の法が定めるとおりの無期徒刑の判決を下した児島惟謙のような気概もない。児島惟謙を基準にすると、韓国の司法は日本より100年以上遅れていますね。宮崎 韓国には、司法の独立は本当にないですね。中国も司法の独立というのは、あるように見えて、実は全部、共産党の命令のもとに判決が出ているわけですが。ユネスコに飛び火した中韓の歴史戦争への反撃宮崎 2015年10月、中国が申請していた「南京大虐殺事件」の資料がユネスコの記憶遺産に登録されました。いうまでもなく「南京大虐殺」なるものは、中国がでっちあげた日本軍による30万人もの中国人虐殺ですが、そのような捏造された歴史が認められてしまうということは、非常におかしな動きですね。 これはやはり日本の外務省の失態ではないかと思いますが、どうでしょうか。 韓国は、同じくでっちあげの「従軍慰安婦問題」をユネスコの記憶遺産に申請していましたが、こちらの登録は見送られました。しかし、この中国の登録成功で、韓国も再申請するのではないでしょうか。南京大虐殺記念館で資料を見る人たち =2015年9月、中国江蘇省南京市(共同)室谷 先述した2015年12月末の「慰安婦問題に関する日韓合意」の後、岸田外相が「韓国政府が慰安婦関連資料のユネスコへの登録申請を見送ることで合意した」と発言したところ、韓国政府は「そんなことは言っていない、事実無根だ」と即座に反論しました。やはり反日カードとして使うつもりなのでしょう。 南京大虐殺関連資料の登録については、韓国も陰に陽に中国を応援していましたし、登録が決定した後に、朴槿恵大統領が「客観的で民主的」などと評価していました。宮崎 しかし、「南京大虐殺」と韓国とはまったく関係がないのではないですか?室谷 いや、彼らにいわせると、関係があるのです。戦時中、済州島にアルトゥル飛行場という中国大陸爆撃用の日本軍基地があったので、「われわれも黙っているわけにはいかない」と言って、2015年12月13日、済州島の旧日本軍飛行場で追悼式典をやっています。宮崎 日本では「南京大虐殺」の資料登録に対抗するため、「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって10くらいの保守系団体を集め、「通州事件」をユネスコの記憶遺産に申請しようという動きが始まっています。 通州事件とは、1937年7月29日に、通州の日本人居留民や通州守備隊が中国人部隊に襲撃され、残虐な方法で200人以上が殺されたという、明らかな国際法違反の事件です。私は2回、現地を歩いて、写真入りのルポを書いたことがありますが、中国側はあらゆる証拠を消しています。 これに対して韓国では、「つくる会は通州事件を世界記憶遺産に登録して、歴史論争で中国を圧迫し、南京大虐殺の悪行を希薄化する材料にしようとしているとみられる」(聯合ニュース2015年12月12日付)などと批判していますが、通州事件の被害者は朝鮮人(当時は日本国籍)のほうが多かったのですよ。日本叩きのためには、そういうことも無視するんですね。 ただ日本側にしても、記憶遺産の登録審査は2年に一度で、申請できるのは一国2件までと決められており、すでに文部科学省内の日本ユネスコ国内委員会は2017年の登録候補2件を選定しているということで、通州事件をまともに申請する気持ちはないようです。 制度上は国内委員会を通さないで直接ユネスコに申請することも可能なため、「つくる会」はそうするようです。文部科学省の怠慢・ユネスコの欺瞞室谷 私は、どうも文部科学省のなかに韓国のスパイがいるのではないかという気がして仕方がないのですよ。 たとえば2015年7月5日、ドイツのボンで開かれていたユネスコ世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されることが決まりましたが、その会議の席上で韓国側から軍艦島などでの徴用工の表現をめぐって異議が出され、決定が紛糾するということがありました。 すでにその前段階で日韓双方の外務大臣が話し合い、お互いが協力することで決まっていたはずなのに、突然、韓国側が裏切ったということで、日本国内の嫌韓意識がさらに高まりましたが、実際の事前折衝は文部科学省がしていた。 しかし、ギリギリのところを詰めずに決定の場に臨んだのです。そんなことをしたら、韓国側にやられることは目に見えているわけです。少なくとも韓国ウオッチャーなら、誰もがそう考えます。 そして予想どおり、韓国がいちゃもんをつけてきた。それで「韓国が裏切った」などと言っていたわけですが、いちゃもんをつけられるお膳立てをしたのは文部科学省ですよ。宮崎 そういう利敵行為になるような、いわば「第五列」(自国内におけるスパイのこと)のような存在は、文科省にかぎらず日本には多いですね。 日本のマスコミにしても、第三者を装って、「日本政府がこう言っているが、中国、韓国政府はどう思うか」といったご注進報道を繰り返してきましたからね。 だいたい、教科書検定の中身について、われわれより先に韓国メディアのほうが知っているというのは、おかしな話ですよ。日本のメディアが国内での議論を深めるより、まず中国と韓国にご注進するほうを優先させているからでしょう。 まあ、こういうご仁は日本だけにかぎりませんが。ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長にしても、2015年9月3日に北京で開催された抗日戦争勝利70周年記念式典の軍事パレードに出席して、中立性を疑われました。中国から相当の便宜を図ってもらっているのかもしれないですし、彼女は次期国連事務総長に立候補する意向を表明しているため、中国の票欲しさでご機嫌とりに行ったともいわれていますが、どちらにしても中立の立場とはとてもいえない。 いずれにしても、「南京大虐殺資料」の記憶遺産登録は、日本がユネスコ対策を怠っていたということが大きな問題です。すでに決まってしまったものを、いまさら取り消すのはなかなか難しい。 そうすると日本側の対応としては、通州事件などをどんどん申請していかなければならない。相手が政治目的の申請をするなら、こちらもやる。ユネスコの世界遺産はそういうものだということになれば、世界の見る目も変わるでしょう。私は前から提案しているのですが、ついでに日本にも「天安門事件記念館」をつくって、それを申請するという手もあります。室谷 だいたいユネスコの世界遺産認定なんて、地方の信用組合の表彰状みたいなものですよ。日本の名誉を犠牲にしてまでもらう必要はない。アメリカで変化する中国の反日活動宮崎 この「南京大虐殺の資料」が記憶遺産に登録されたことを機に、アメリカでの中国の反日活動が変化し始めています。 これまでアメリカにおける中国の「南京大虐殺」キャンペーンは、アイリス・チャンが書いた歴史捏造書『ザ・レイプ・オブ・南京』を中心に展開されていました。ところが、この方針が変わったようで、現在ではアイリス・チャンを持ち出さなくなったというのです。 これはチャンネル桜代表の水島総さんがアメリカで取材してきてわかったことで、サンフランシスコのチャイナタウンにある抗日戦争記念館が2015年8月15日に改装され、再オープンしたのですが、これまで展示してあったアイリス・チャン関連の資料はほとんど撤去されたというのです。 その代わりに、当時の国民党を支援したアメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)の展示などが前面に出され、記念館の名前も、漢字では「海外抗日戦争記念館」ですが、英語名は「パシフィック・ウォー・メモリアルホール」(太平洋戦争記念館)としているそうです。 つまり、アイリス・チャンの役目はもう終わったので縮小し、今度は、中国の抗日戦争はアメリカとともに戦ったことを強調する展示内容に変わったということなのです。 もちろんこれは、北京の指令に基づいているはずです。これから世界中で、中国の反日活動はこういう形に変わっていくのではないかと思います。 日米を離間させるための計略ですが、ある意味では、中国から離れつつあるアメリカを中国側に引き戻したいという意志の表れだと思います。南京大虐殺記念館を訪れる人たち =2015年10月5日、中国江蘇省南京市(共同)室谷 それは韓国のやり方を学んだのかもしれません。慰安婦問題を「全人類の共通問題」にすり替えて世界にアピールしていますから。 そういう論点のすり替えは、非常に長けていますからね。前述の靖國神社での爆破テロ事件のときも、韓国外交部は「訪日韓国人は靖國神社に近づくな」「右翼団体に気をつけろ」といった注意を出していました。 自分たちが不利な立場になったら、いつの間にか加害者が被害者になりすますという、お得意のやり方です。2015年3月に駐韓アメリカ大使が韓国人の暴漢によるテロにあった際も、朴槿恵大統領は「これは韓米同盟に対するテロだ」と言って、被害者の立場になってしまった。日本人には真似ができない才能です。宮崎 日本でも以前、北朝鮮に対する批判が高まると、登下校中の在日朝鮮人の民族衣装がナイフで切られるといった、いわゆる「チマチョゴリ切り裂き事件」がよく起こりましたね。 それで朝鮮総連やその尻馬に乗った朝日新聞などが、「他民族への憎悪をこういう形で表すのは卑劣だ」などと、いかにも日本人が犯人であるかのように論じた。しかし、これまで犯人が検挙されたことはほとんどないし、検挙されたとしても単なる学生同士のケンカが理由だったりと、排外主義などとはまったく関係がなかった。 いまでは、日本人の世論を転換させるために仕組まれた自作自演だったのではないかとさえ疑われています。中国・韓国で言論弾圧が激化する本当の理由室谷 すでに韓国の政府内では、朴槿恵大統領にものが言えないどころか、おもねるような輩ばかりが出世しています。 たとえば、2015年、韓国は42年ぶりともいわれる深刻な干ばつ被害に見舞われました。そこで6月に、朴槿惠大統領は地方に行って、水田に消防車で水を撒まくというパフォーマンスをしました。 消防車のホースはすごい水圧ですから、朴大統領は一人では持ちきれず、田んぼの土がV字型にえぐれてしまい、消防士が慌てて横から支えたということがありました。まあ、そこまではいいのです。 収穫の時期になったとき、韓国の農林大臣が米の試食会の席で、「大統領様が水を撒かれた田んぼは大変に育ちがいい」と、わざわざ言ったのです。まるで北朝鮮そっくりですが、韓国の違うところは、民間のテレビ局が実際に見にいったわけです。 そうしたら、たしかに朴大統領が水を撒いたところの稲は立派に育っていたのですが、その周辺の水田はひどく荒廃していた。つまり、農林大臣は一言ゴマをすりたいがために、朴大統領が水をやったところに毎度、公務員を派遣して水を撒かせたのだと思います。北では一昔前まで、何かにつけて「首領様の現地指導により……」でしたからね。宮崎 本当に北朝鮮そっくりですね。中国でも、習近平主席による言論弾圧がしだいにエスカレートしてきています。人権派弁護士の逮捕・拘束は2015年だけで数百人におよび、中国政府の新疆ウイグル政策を批判した人権派弁護士の浦志強(ほしきよう)は12月22日に、懲役3年、執行猶予3年の実刑判決を受けています。 また、12月25日には、同様に中国のウイグル政策を批判したフランス誌の女性記者が国外退去処分となりました。 これは別の章であらためて解説しますが、2015年12月27日には「反テロ法」が成立し、テロ事件に関する報道の制限や、通信事業者にデータ解析に必要な暗号化キーの提供を義務づけました。 さらに12月31日になって、人民解放軍のなかに3つの部隊が新設されました。そのうちの一つが「戦略支援部隊」という意味不明なフォースでしたが、これがサイバー専門部隊なのです。 こうした言論弾圧が強化される背景には、権力闘争なども絡んでいると思いますが、一方で国民の不満が確実に高まっていて、しかも、以前であれば反日によってそれらの不満を外部に向かわせることができたのですが、それがもはや効かなくなっている、あるいは、それではすまないほど大きな鬱憤が噴出し始めているということではないかと思います。室谷 韓国でも、先に話したとおり、「大統領の名誉」を軸に据えて、ネット監視や、ビラの取り締まりといろいろやっています。民主主義の前に法治主義がいまだに確立されていないのだから、言論の自由が認められないのも当然かもしれませんね。しかし、韓国ではデモはできる。教科書国定化反対、労働問題……掲げるテーマはあふれすぎていますからね。 みやざき・まさひろ 1946年、石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている。著書に『世界から嫌われる中国と韓国 感謝される日本』(徳間書店)、『日本と世界を動かす悪の孫子』(ビジネス社)など多数。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。評論家。慶応義塾大学法学部を卒業後、時事通信社入社。政治部記者、ソウル特派員、宇都宮支局長、「時事解説」編集長などを歴任。2009年に定年退社し、評論活動に入る。著書に『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)、『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(共著、PHP)など。

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    まもなく起こる非常事態! 追い詰められた「裸の王様」習近平

    宮崎正弘(評論家)《徳間書店『突然死の危機に陥る中国と韓国』より》 中国の動きで2016年早々から気になるのは、株価暴落の陰に隠れているが、軍事情勢の剣呑さではないだろうか。2015年の師走、大晦日に中国人民解放軍が、新しく「陸軍指導機構」「ロケット部隊(火箭隊)」「戦略支援部隊(サイバー部隊)」という3つの部隊を新設したことは本文でも述べた。  発会式には習近平がじきじきに出席し、それぞれの責任者に部隊旗を自ら下げ渡す儀式まで執り行った。つまり、この新設3部門に象徴される人事に、習近平の軍権掌握への並々ならぬ野心が隠されているのである。陸軍指導機構のトップには、成都軍区司令員の李作成が任命されたが、習近平が陸軍大将の辞令を交付した過去がある。ロケット部隊トップには第二砲兵から横滑りした魏鳳和(ぎほうわ)。こちらも大将昇格は習が任命した。そして、サイバー部隊長の高津(軍事科学院長)は、習が近く大将に任命する。  これらは、軍事改革のプログラムに最初から謳われていた部隊だから少しも驚きではないが、7つの軍区を5つの「戦区」へ改変するという既定の計画については、具体的な発表がなかった。代わりに、政治工作部など15の部門が新設された。同時に、中国国防部は、海軍が中国初の国産空母を建造中であることを公式に認めた。この新空母は、現有するソ連製を改良した「遼寧」に酷似した旧式で、スキージャンプ方式、ディーゼル駆動で、速力は不明。排水量は5万トンという。中国人民解放軍の統合作戦指揮センターを視察する習近平国家主席=2016年4月20日、北京(新華社=共同) だが、はたして、習近平の野心でもある軍事改革はうまくいくのか? 「愛国主義による中華民族の復興」などと虚ろに呼びかけても、経済的苦境に喘ぐ国民はそっぽを向いており、習近平は「裸の王様」ではないのかと訝しんでいるのである。軍はすでに徐才厚、郭伯雄ら江沢民人脈の失脚により、部隊によっては不満が爆発寸前となっており、これ以上の粛清はごめんこうむりたいというムードにある。 険悪な情勢のなか、じつは新3部隊の発足発表の前に、「習近平の軍師」といわれた劉源が辞職するというニュースが流れ、こちらのほうがチャイナウォッチャーを慌てさせた。劉源は劉少奇の長男であり、解放軍の腐敗撲滅を推進した中心人物だ。汚職に浸り、各地に豪邸を建てて美女を十数人も愛人にするなど豪華な生活を送っていた腐敗軍人の谷 俊山(こくしゅんざん)を最初に血祭りにあげ、ついで江沢民系の軍トップだった徐才厚と郭伯雄を失脚させる原動力となった人物だからだ。  劉源は、軍では総後勤部政治委員だった。上海系軍人から恨まれ、宿泊したホテルが放火され、自動車事故(運転手は死亡)などの暗殺未遂に数回も遭遇した。習近平に対しては適宜適切な数々の助言をなし、習がもっとも頼りにした兄貴分だった。その劉源が潔く、次のポストも見返り条件もなく退役するというのだから、中南海の共産党上層部が慌てたのも無理はない。いや劉源の退任を防げなかった習近平の失態ともいえ、人民解放軍は次の党大会までに玉突き人事が行われるだろう。  2017年の第19回党大会で、現在、副主席の范長龍が引退、その後釜として太子党の張又峡が有力視されており、総参謀部長の房峰輝の勇退が確実視されていることはすでに述べた。 また、空軍司令員の馬暁天と海軍司令員の呉勝利も勇退を余儀なくされ、海軍トップには孫建国、空軍は乙暁光という大将が就任するだろうことも、本文で述べたとおりだ。孫は「ミスター潜水艦」の異名をとるが、訪米団に随行し、あるいはアメリカ軍との交流でも名前を売った。2015年5月のシャングリラ会合では南シナ海問題で強硬路線を堅持し、タカ派で鳴らした。いずれにしても軍の上層部は大異動が予測される。  こうした人事異動によって、軍改革はより迅速に進むのか、はたまた挫折するのか、あるいは劉源の退任は上海派からあがっていた不満のガス抜きなのか、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。軍政改革という名の政敵失脚戦術 習近平が2015年9月3日の軍事パレードで宣言したように、「軍の近代化」「人民解放軍30万人削減」という大目標は、従来の7軍区を4つないし5つの戦区に改変し、さらに総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤部の4総部体制を撤廃し、西側の軍にあるように統合幕僚本部を設置して、全軍一致、命令系統の統一、地方軍閥の希釈化を図る壮大な軍再編をめざすものだったが、この人事が成功すれば、これがやりやすくなるかもしれない。  折しも軍内で反日派の頭目とされる劉亜洲(国防大学政治委員。空軍大将)が論文を書いて「この軍改革は『革命』であり、譚嗣同の精神を継承してやり遂げなければならない」と主張していた。彼のいう「譚嗣同の精神」とは、清末の洋務派(改革派)が流血なく改革をやり遂げようとした方法論を指す。また、彼の論文は「この軍改革をやり遂げなければ軍は死ぬ」としている点に特徴がある(「軍改之一場革命」)。劉亜洲もまた太子党であり、岳父は李先念(元国家主席)だ。軍事パレードで行進する中国人民解放軍兵士=2015年9月、北京(共同) こう見ると、習近平がいまやっている「軍改革」なるものは、信頼できる部下を軍に置いて重宝し、それで軍権を掌握しようとする中国の伝統的手法に則っていることがわかる。 「打老虎 下餃子」(大ボスを撃ち、雑魚も退治せよ)こそ、習近平が政敵を失脚させるための戦術モデルであり、習近平は次の標的を絞り込み失脚させる前に、必ず標的の側近(副官クラス)を拘束し、落馬させてきた。 たとえば2015年11月6日、中国共産党中央紀律検査委員会は、寧夏回族自治区の副主席だった白雲山を「重大な規律違反があった」として取り調べ中であると発表した。 翌週には、北京市党委員会副書記の呂錫 文が「重大な規律違反」という名目で拘束され、ついに汚職追放運動の手が首都圏におよんだかと関係者に大きな衝撃を与えた。彼女は北京のナンバー2である。中国語新聞は、これを「北京官界地震」と伝えた。同日、上海副市長の艾宝俊(がいほうしゅん) が同じ理由で落馬した。  北京市書記は郭金龍、上海市書記は韓正で、つまり、団派と上海派である。習近平と王岐山のねらいは、もはや言うまでもない。最終的に北京と上海のトップをねらい撃ちにしているということであり、「重大な規律違反」などととってつけたような理由で「副」クラスを失脚させたのは、権力闘争の宣伝道具でしかない。  周到に慎重に、団派と上海派を締め上げ、中国を代表する両都市のトップも、習近平気に入りの人物と交替させるのが目的である。中国の政治通は「このやり方は朱元璋に似ている」と分析する。明の太祖である朱元璋は、いうまでもないが白蓮教徒の乱を利用して貧乏僧侶から皇帝に成り上がった。そして、権力を掌握するや、忠臣、側近を次々と粛清した。  2015年8月12日に起きた天津大爆発にしても、雑魚を捕まえてはみたが、天津市前書記だった張高麗はそのまま、天津市長兼書記代理の黄興国への責任追及は何もなされないうえ、爆発原因も情報公開がない。張高麗は現職の政治局常務委員、黄興国は習近平の子飼いだからである。  中国政治にとって権力のトップは政治局常務委員会だが、地方政府は土地使用の許認可権をもち、さらに上限はあるにせよ、省をまたがない企業の進出認可、経営監督、工場の設置許可なども地方政府がもつ。経済繁栄を象徴する富は、北京、上海、天津、広州に集中しており、1人あたりのGDPランクでいえば、広州、上海、天津、北京の順となる。これらの党委員会トップは、これまでは派閥のバランスによって配分されてきた。  広東省の書記は、団派のライジングスター、胡春華である。習近平は掌握する宣伝機関などを使って、さかんに胡春華のスキャンダルを追求させ、いずれ失脚をねらっている。 北京と上海は伝統的に中国を代表する都市であり、この両市を政敵やライバルが牛耳ることに習近平が焦りを感じていることは明白だ。それゆえに側近たちを拘束し、じわりじわりと政敵を葬ろうとしているわけである。  習近平の黄金の片腕として、反腐敗キャンペーンの先頭に立つのが王岐山である。政治局常務委員でありながら、つねに王岐山は姿を隠し、ときに神出鬼没。次の標的は金融界の大物だろうと推測されていたが、なんと拘束、取り調べの標的は、証券取引の監査を行う責任者である姚剛だった。  姚剛は証券監督管理委員会副主席という立場を悪用して、上場審査の権利を巧みに利用し、とりわけA株(国内投資家専用の株式市場銘柄)のIPO(新規株式公開)を操作し、巨額の賄賂を受け取っていた。北方集団(北京大学関連のベンチャー企業)の怪しげなインサイダー取引の黒幕は、同社CEO(最高経営責任者)、李友という男だったが、彼らとつるんで株価操作や、怪しげな会社の上場認可などを行い、以前から黒い噂が絶えなかった。  手口はIPO許可のインサイダー情報を太子党や側近に教え、あらかじめ株式を大量に購入し、売り抜けるというものだ。高級幹部の子弟や親戚名義で大量の株式を事前に買い集め、数千億元の不当な利益を得ていたと見られており、部下のなかには公文書偽造、印鑑偽造などに手を染めた豪傑もいた(「東方新報」2015年11月26日付)。次いで、証券、保険、銀行の3つを監査する「三会」の主任だった肖鋼がスケープゴートとなって更迭され、後任には黄奇帆が選ばれた。  王岐山は全国を潜行行脚し、地方当局が手をつけられない市政府、県役場などに乗り込み、マフィアがらみの党幹部らを逮捕してきたが、なかには白雲山のような大物が含まれていた。第18回党大会以後だけでも摘発は31の省にまたがり、59名の幹部が拘束され、失脚した。山西省7名、内蒙古4、江西省4、黒竜江省3、四川省3、雲南省3、河北省3、江蘇省3、広東省2、広西、湖南、海南、福建省、湖北が各2など、全土的な汚職の広がりには唖然とするばかりである。犠牲者数百人の大事故も党幹部の汚職が原因 人災も党幹部の汚職が原因である。2015年12月20日午前11時42分、夏の天津大爆発に続き、今度は広東省深圳郊外の工業団地(光明地区紅幼村柳渓工業団地)で大規模な地滑りが起きた。ガス管が爆発、またたく間に付近は泥に埋まり、 33棟の高層ビルが倒壊し、100名近くが行方不明、犠牲者は数百名に達するとされた。  事故現場は、泥沼、湿地帯にパイルを打ち込んだだけのずさんな地盤改良が行われ、その上に高層ビルを建てていた。被災面積は10万平方キロメートルにもおよび、東京ドーム2個分が泥に沈没。現地紙は、これを「山体滑波」と表現した。日本語なら「山津波」だ。  深圳は香港に隣接する新興都市で、人口は1000万人を超える。新幹線が乗り入れ、地下鉄も走る。街は高層ビル、急造したマンション、工場がひしめく大都会。印象としては、急遽、バラックを継ぎ足した映画のロケ現場のようで、全国から無数のギャングも入り込み、治安は乱れている。日本人相手のぼったくりバーも多く、土地の速成、でたらめな工事による造成団地の土地は柔らかく、液状化現象や道路陥没などが頻繁に報告されてきた。  日本企業も数百社が進出しており、居住者も多い。香港よりマンションが安いので、ここにマンションを買って香港に通うビジネスマンだけで30万人もいる。日本人の場合、単身赴任で、家族は香港に住み、子どもを日本人学校に通わせるケースも目立つ。事故現場には、西気東輸計画のガス・パイプラインが通っている。これは中国石油天然気(ペトロチャイナ)が推進した国家プロジェクトだ。しかも、このパイプラインは途中の新疆ウイグル自治区などで過去に何回も爆発事故を起こしているいわくつきである。壮大な汚職も取りざたされてきた。  ネットの書き込みなどでは、パイプラインの爆発が大崩落を招いたのではないかという疑問が持ち上がっていたが、中国石油天然気は爆発原因説を否定し、「土砂崩れが爆発を引き起こした」とした。爆発した西気東輸のガス・パイプラインは国家発展改革委員会元副主任、国家エネルギー局元局長の劉鉄男が責任者で、巨大な利権を漁り、24億元をちょろまかしたが、反腐敗キャンペーンによって摘発され、2014年12月の一審で無期懲役の判決が出ている。 さらに中国では、地元の党幹部とマフィアがぐるになっての犯罪が多く、地下経済には武器のブラックマーケットがある。ネット時代、素人の起業家が銃の密造に励み、しかもそれをネットで売る。アメリカの銃器通信販売は合法だが、中国では非合法である。ISがネットを駆使して世界各地から戦闘員を集めたように、中国ではSNSを活用したブラックビジネスが登場していたのだ。  中国では黒社会(マフィア)ばかりか、素人にも武器の所持が拡大している。公式の武器貿易はNORINCO(中国北方工業公司)など、国有企業が取り仕切っているうえ、中国の法律では軍と警察以外、個人が武器を所持することは許されていない。近年は猟銃さえ規制が厳しくなった。ましてや武器の密造など、認められているはずがない。NORINCOの輸出は1億6000万ドルとされる。  ところが、国内にある武器市場は地下経済で猖獗を極めるようになり、ネットで製造方法を取得し、部品をばらばらに仕入れて、ネットで通信販売というニュービジネスに治安当局が振り回される事態となった。ネットでの助言者は「QQ集団」と呼ばれる。  むろん、ネットでは暗号が使われ、「狗友」(密売仲間)、「狗食」(銃弾)といった符丁で頻繁に通信が行われ、お互いがハンドルネームを名乗るため、実態は不明。密造工場の大規模なものは貴州省の小都市で見つかり、部品工場は広東省が多いという。当局が最近手入れした安徽省のグループは、700件以上の取引を成立させていたという(米ジェイムズ財団「チャイナ・ブリーフ」2015年12月21日号)。  これまで武器の地下市場はマフィアが取り仕切り、軍の横流し武器などを取引してきた。怪しげなマッサージパーラーなどの売春組織、ナイトクラブのボディガードたち、石炭の経営者などが顧客で、地下経済の主力である麻薬、博打、売春などの「防衛」のために、武器は欠かせない。  ところが、ネットで取引される武器の顧客はといえば、銃マニアが主力で、密造も素人がネットで製造知識を仕入れ、部品を特注し、しかも性能は軍が使用する武器に遜色がない。まさに異次元の空間から出現したのである。  ことほど左様に、いまの中国はメチャクチャな状況であり、本書で述べてきたように、中国経済は逼迫し、「公式発表」ですらGDP成長は6・8%に落ち込んでいる。表面に現れない地下の動きや権力の舞台裏から推測しても、近い将来、未曾有の混乱に陥ることは確実であろう。みやざき・まさひろ 1946年、石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている。著書に『世界から嫌われる中国と韓国 感謝される日本』(徳間書店)、『日本と世界を動かす悪の孫子』(ビジネス社)など多数。   

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    「アジアのトラブルメーカー」中国にどう対峙すべきか

    黄文雄(評論家)《徳間書店『世界に災難をばら撒き続ける 中国の戦争責任』より》はじめに 二〇一五年十月二十七日、アメリカはイージス駆逐艦を南シナ海に派遣し、中国が自国の領土だと主張し人工島の建設を進めているスービ(渚碧)礁の一二海里以内を航行させた。いわゆる「航行の自由作戦」(FONOP)である。 中国は南シナ海を一方的に「自国の領海」とし、ベトナムやフィリピンなどの周辺国と衝突を繰り返してきたが、防空識別圏を勝手に設定するなどやりたい放題の状況に、アメリカの堪忍袋の緒がついに切れたのである。 数年前には東シナ海の尖閣諸島をめぐり日本とも一触即発の事態となったことは記憶に新しいが、もちろん中国による東シナ海への侵略行為と日本に対する挑発は現在も進行中である。 思い返せば、一九四九年の中華人民共和国の成立から、中国はチベット侵攻、中印国境紛争、中ソ国境紛争、中越戦争などを引き起こし、朝鮮戦争に介入するなど、戦争ばかりしてきた。そして現在も新たな紛争・戦争の種を撒き散らしているのだ。 だが、それは共産党一党支配の中国に限ったことではない。歴史的に中国は、つねにアジアにおけるトラブルメーカーとなり続けてきた。とくに近代におけるアジアの紛争は、ほとんどが中国が原因となっている。中国が日本の「戦争責任」を執拗に追及している日中戦争も、実際にはその元凶は中国側にあった。 列強の植民地となったアジア諸国の独立を妨げてきたのは華僑であり、そのために東南アジアでは華僑排斥運動が何度も繰り返されてきた。 本書はそうした実態と「中国の戦争責任」を明らかにするとともに、中国はなぜこれほどまでに戦争をしたがるのか、中国人の伝統的な戦争観、侵略観、領土観などを解明し、これから日本、世界はどのように中国に対処すべきかを論考したものである。世界のものはすべて中国のもの 領土紛争において、中国はつねに「歴史的には中国のもの」という「決まり文句」や主張を掲げるが、これは単に中国人の「口癖」というだけであり、国際法的な「領土主権」とは関係がない。それはただ古代中国の「天下王土に非ざるものなし」という「王土王民」思想である。言ってみれば、「世界のものはすべて中国のもの」という思い込みにすぎない。 清の乾隆帝の時代の『皇清職貢図(こうしんしょっこうず)』にイギリスやオランダまでも「朝貢国」と書き込んだが、同様に、現在の中国の領土主張はただの思い込みである。要するに「かつて交遊があった」だけですぐに「自分のもの」という錯覚を起こしているだけのことだ。 中国政府はよく「古典に書いてある」と主張するが、この「書いてある根拠」も、せいぜいこの類のものだ。しかし、「お笑い草」で「話にならない」と反論をすれば、中国はすぐに逆上して「戦争だ」と喧嘩腰に出る。これも国民性の一つである。 私もかつて、インド政府関係者から、「『歴史的に中国のもの』という主張に、なにか『確実』な記録でもあるのか」と確認されたことがある。あの遠い天竺には、せいぜい支那僧が取経に来たくらいのもので、インド仏教が支那だけでなくユーラシア大陸東半分に伝え広がったことはあっても、支那の文物が天竺に入ったことはほとんどなかった。 中国がインドにまで国境紛争を仕掛けたのは、ただ「農奴解放」という口実だけでチベットを軍事占領した後、「チベットのものは中国のもの」という「三段論法」を用いて、印パ紛争の隙につけ込んでケンカを売ったにすぎない。「有史以来、中国人は一人としてヒマラヤを登ったことはない。それなのに、よく『ヒマラヤは中国のもの』などと言えるものだ」とネパール政府が皮肉ったのは正論である。 私が高校生のときは、軍事教官から地図を広げて「シベリアは中国の固有領土」と教えられたが、そこにはなんの根拠もない。アラスカまでが中国の領土だという主張は、ただ上海語(呉語)において、「アラ」は「われわれ」と、「スカ」は「自家」と発音が似ているから、「われわれの家」というこじつけであり、ただの小咄にすぎない。 中国では、アメリカは中国人が発見したという話もある。二万年前に中国人が発見したとはいうが、二万年前に中国人はまだこの地上に現れていない。そのとき米州にいたのは、せいぜいネイティブ・アメリカンか、もっと以前の石器時代の人類かもっと前の原人か猿人ぐらいのものである。 コロンブスの新大陸「発見」以外には、古代フェニキア人やら北欧のバイキングなどが来たという説も多々ある。中国では明の時代に艦隊を率いてアフリカまで航行したとされる鄭和(ていわ)がアメリカを発見したという説まである。だが、鄭和は去勢された西南のイスラム教徒である。南海遠航(「下西洋」ともいわれる)の主役は、むしろモンゴル系のイスラム教徒であった。たったそれだけのことで、すぐに「アメリカは中国人が発見したもの」「BC兵器でアメリカを叩き潰して回収する」とまで主張する者たちすらいるのだ。 ネット世代は月まで中国の固有領土と言うが、その根拠はただの中国の伝説「嫦娥奔月(じょうがほんげつ)」だ。これは日本の『竹取物語』に似たお伽話である。そこからすぐに「宇宙戦争」まで空想妄想し空理空論を振り回すが、これは中国国内にしか通用しないことである。 これらは単なるホラ話の域を出ないが、笑い話で済まないのが中国の厄介なところだ。そうした神話や伝説、古典を利用して、時には「新事実の発見」までを捏造し、既成事実を積み重ねて勢力拡大を狙ってくることだ。 東シナ海については、中国船が「釣魚臺列嶼中国領土」(尖閣諸島は中国領土)と刻まれた石碑を、尖閣近くの海域に何本も沈めていることが明らかになっている。南シナ海の島礁においても、古い貨幣をわざわざ地中に埋めたり、古石碑を海中に沈めていたことが判明している。いずれそれを掘り返して「やっぱり中国の土地だ」と言い張ることは目に見えている。 しかも、現在ではモンゴルのチンギス・ハーンまでも中華の「民族英雄」と見なしている。これに対してモンゴル政府は猛烈に反発している。 そういう中国人のこじつけについて、旧ソ連のフルシチョフ元書記長は「中国は有史以来、最北の国境である万里の長城を越えたことはない。もし古代の神話を持ち出して理不尽な主張を続けるならば、それを宣戦布告とみなす」と警告した。ベトナムは「漢の時代からずっと管理」 ベトナムは七世紀ごろにすでに南沙諸島(ベトナム名・黄沙、長沙諸島)を発見し、領有を主張していたのに対し、中国ではもっと以前、二千余年も前の漢の武帝の時代にすでに発見し、宋の時代に領有を宣言したと言い張った。しかし、そこにはいかなる論拠もない。中国が「核心的利益」(絶対に手放せない利益)として、「絶対不可分の固有の領土」としているのが台湾である。一時、古代からすでに中国のものだったと語るために、最初の書『尚書(しょうしょ)』(『書経(しょきょう)』)・禹貢(うこう)篇にある「島夷卉服(とういきふく)」というたった四文字を根拠にしたことがある。この四つの文字をもって、卉服を帰服と読みかえ、台湾が四千年前にすでに中国の朝貢国であったと主張したが、しかし、南洋に浮かぶ当時の南沙諸島は「島夷」がいないどころか無人の島ばかりであり、しかも満潮時にはすっかり海面下に水没してしまう暗礁だらけの海であった。そんなところに「島夷卉服」のたった四文字だけを根拠にして主権や固有領土を主張するのは、荒唐無稽である。 そのため、中国政府の公式の主張としては、「漢の時代からずっと管理している」というのみが正式な見解として残っている。 習近平主席は自らアメリカ政府に対し、南シナ海の諸島は太古から中国の固有領土だと主張した。中国人民解放軍の統合作戦指揮センターを視察する習近平国家主席=2016年4月20日、北京(新華社=共同) その習近平だが、文革中に正式な学校教育を受けていなかった。なのに博士号までもっていることに対し、ネット世代の真相探りによって、学歴詐称との話まで出ている。 習は中国史でさえ一知半解であり、正確な知識はないので、勝手に言っているだけである。勝手に「太古から」と言い、「ずっと管理している」とする中国の公式の主張には、はたして根拠があるかどうか。 このように、ときには捏造までして領土主張をする中国中国人のメンタリティはどうなっているのか。中国の拡張主義や恫喝行為をどう受け止め、処理すべきなのか。 それを考えることは、緊迫の度合いを増しているアジア情勢の中で、日本がいかにして中国に対峙すべきかを考えることでもある。 本書が中国理解と今後のアジアを考えるうえで参考になれば幸いである。 二〇一五年一二月中旬 黄文雄黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界が憧れる天皇のいる日本』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    戦争と殺戮ばかりの国・中国

    黄文雄(評論家)《徳間書店『世界に災難をばら撒き続ける 中国の戦争責任』より》戦争がない時代はなかった中国 中国ほど戦争をしてきた国はない。また、自国民を含めた殺戮を行ってきた国もない。 共産主義の中国になってからでさえ、チベット侵攻(一九四八─一九五一)、中印戦争(一九六二)、中ソ国境紛争(一九六九)、中越戦争(一九七九)を行い、加えて南シナ海の東沙諸島、西沙諸島を略奪し、現在は南沙諸島を自国領土に編入しようと目論んで、フィリピンやベトナムと衝突を繰り返している。『共産党黒書』(ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト著、恵雅堂出版)によれば、二十世紀において中国の共産主義によって犠牲になった人々は六千五百万人にのぼるとされている。 しかし、それはなにも二十世紀にかぎってのことではない。台湾の歴史家であり作家でもある柏楊(はくよう)氏は、中国史上「戦争のない年はなかった」とまで言っている。 中国はそもそも、歴史が連続した国ではない。現在の中華人民共和国は一九四九年の成立だが、その前は清朝であった。中国は秦の始皇帝による統一から、易姓革命(皇帝の姓が変わる、つまり王朝交代)を何度も繰り返してきた。元、清のように異民族によって支配された時代もあった。「万世一系」の日本人にはわかりづらいかもしれないが、易姓革命ということは、まったく違う国に取って代わられるということだ。それは改革でも変化でもない。だから「革命」という言葉が使われる。 王朝交代時に戦乱を伴うのはもちろんのこと、謀反や反乱、内乱、農民蜂起などが日常的に頻発しており、そのため中国は「一治一乱」(治めたと思えばすぐに反乱が起こる)だと言われてきた。南シナ海・スプラトリー諸島のヒューズ礁に建設された施設と監視塔(右)=4月14日(タインニエン紙提供・共同) 太古から資源や領土の奪い合いを繰り広げてきた中国は、現在もなお、他国領土に対する侵略を続けている。東シナ海、南シナ海での中国の身勝手な振る舞いはその典型である。 もちろん戦争は一騎討ちから総力戦に至るまで、戦争の型はさまざまである。後述するが、唐の玄武門の変のように兄弟の戦争から、明の靖難(せいなん)の変の叔父と甥、漢の武帝と皇太子との長安の都での親子の決闘もある。無辜の「難民」も出る。 私の小学生のころに国共内戦後に追われた中国から数十万人の難民と学校の教室を生活の場として共有共生したこともあった。決して遠い昔々の話ではない。 自国民虐殺だけでなく、異民族虐殺も中国では現在進行形の「犯罪」である。儒教の国である中国では、中華の民とそれ以外の民を厳しく峻別(しゅんべつ)してきた。中華以外の国は夷狄(いてき、未開の野蛮人)であり、獣と等しいと考える。そのため獣偏や虫偏をつけて「北狄」「南蛮」などと呼んできた。これを中華の徳によって文明人に変えることが「徳化(王化・漢化ともいわれる)」なのである。そして、儒教の発展理論である朱子学や陽明学では、天朝(中華の王朝)に従わない異民族は天誅を加えるべしという論となり、正当化されている。 十九世紀末から現在に至るまで延々と続くイスラム教徒(ウイグル人)の大虐殺、十六世紀の明末から十九世紀の清末に至るまでの西南雲貴高原の漢人による少数民族のジェノサイド、辛亥革命後の満洲人虐殺、通州(つうしゅう)事件などの日本人虐殺、人民共和国時代の文革中の「内モンゴル人民革命党員粛清」に象徴されるモンゴル人大虐殺、チベットに対する数百万人の虐殺と文化抹殺、台湾人に対する二・二八大虐殺など、近代中国人によって行われた民族浄化の大虐殺……近代中国では、こうした人類に対する犯罪がまかり通っているのである。「すべて自分たちのもの」と考える中華思想 後述するが、こうした異民族に対する優越意識、さらにはすべて自らが世界の中心であると考える中華思想が、現在の中国においても、かつての王朝が統治していた場所のみならず、「歴史書に記述があった」くらいの場所までも、すべて自分たちのものだと主張する大きな要因となっている。 だが、これらについてはまったく根拠がない。後の章でも詳しく説明するが、それについて簡単に述べると、①中華歴代王朝は、漢の時代からだけでなく、春秋戦国時代まで遡(さかのぼ)っても、城や関による国禁(入出国の禁止)が厳しく、戦国時代に築かれた長城や秦時代の万里の長城がそのシンボルである。それ以外にも、明時代には南方の苗(ミャオ)族を防ぐために建設された「南長城」まで発掘されている。それほど中原より外の世界との関わりあいは避けてきたのだ。 漢以後の歴代王朝も陸禁(陸の鎖国)と海禁(海の鎖国)がますます厳しくなっていった。たとえばもっとも開放的で国際色豊かとされる唐でさえ、その国禁については、鑑がん真和上の日本への密航や、渡唐僧の空海らの入につ唐、三蔵法師玄奘和尚が陸禁(関所越えの禁止)を犯して天竺に取経に行った故事がその真相を物語っている。②海洋的思考や海上勢力、航海力、海の英雄譚さえなかったのは、史前から典型的なハートランド国家であったからである。 宋は陸のシルクロードのすべてを北方雄邦に押さえられ、江南まで追われた。明は北虜南倭(ほくりょなんわ)(北のモンゴル人と北の倭寇)に悩まされ続け、清は広州十三洋行という海の窓口しかなかった。海については、海岸から五十里の居住禁止や「寸板不得入海」(一寸のイカダでさえ、海上に浮かべることは禁止)など、海に出たら「皇土皇民」を自ら棄すてた者、「棄民」とみなされた。華僑も例外ではない。帰国断禁どころか、厳しい場合は一族誅殺、村潰しまでの悲劇が避けられなかった。③宋の時代の海への知識は、華夷図が代表的で、海南島はあっても台湾の存在さえ知らず、南海は未知の領域であった。④東亜大陸の民は、原住民の原支那人の先祖たちも、華夏の民・漢人も、基本的には農耕民か城民としての商人、それ以外に、満洲人も狩猟採集民だった。モンゴル人などの遊牧民を除いては、土地に縛られる陸の民と言える。古代東アジアの北から南洋、さらにインド洋に至るまで、河川、湖沢、海岸に暮らし広く分布していた倭人は、不可触賤民として、中国人どころか天民や生民とさえみなされていない。 陸の民は太古から海を忌避し、暗黒の世界とみなしていた。字源にしても、黒は海と同系の発音である。海は有史以来、中土、中国としては認められていなかった。陸を離れてなおも「絶対不可分の神聖なる固有領土」とする与太話は、正常な人間なら絶対に認知すべきではない。⑤今の中国人は「近代の国際法は西洋人が勝手につくったものだ。中国はもうすでに強くなったので、一切認めない」と主張するが、大航海時代以後の海洋に関する諸法を認めるとか認めないとか、あるいは勝手につくるとかしても、それはあくまでも中国だけの都合である。 そもそも太古から海洋をずっと忌避してきた中国人は、海洋とは無縁であり、法をつくる能力もない。海洋に関するかぎり、中国がいくら理不尽な主張をしても、ただ強欲を口にしているだけで、そこにほとんど説得力はない。「中華民族」とは何か「中華民族」とは何か 中国は「南シナ海は漢の時代の二千年前から中国の一部だった」などと主張し、習近平国家主席は「中華民族の偉大なる復興」を掲げている。では、この場合の中華民族とは、どこまでの人たちを指すのか。 そもそも中原の漢人の「華夏」と称される原中国人(支那人)の祖先であるはずの夏人、殷人、周人は、今現在の自称中国人とはいったいどこまでつながっているのか。かつて北方の雄だった匈奴(きょうど)をはじめ、五胡(ごこ)などの子孫たちは今現在、いったいどの民族で、どこにいるのか。「自己主張」だけではなんの証拠にもならない。 国家と民族の歴史をあまり区別しない人が少なくない。ことに「民族」は、近代になってから近代国民国家とともに生まれた人間集団の用語で、客観的な存在というよりも心理的かつ意識的な存在としての近代ナショナリズムの歴史的産物である。「民族」というのは生理的や心理的な概念として、法的な概念である「国民」とは違う。たとえば南ヨーロッパのラテン人は、中南米のラテンアメリカに至るまで新旧大陸に広く暮らしている。共有の文化と言語をもっていても国が違うというのは決して稀有なことではなく、違和感もない。そもそもヒトラーはオーストリア人で、ドイツ国籍を取るためにドイツ軍に入隊した。ナポレオンももとはといえばコルシカ人である。 同一語族や民族でも、多くの国々に分かれているのは、決してヨーロッパにかぎらない。たとえば、同じくモンゴル人でも、現在モンゴルと中国・ロシアに分かれている。コリアンも北朝鮮・韓国のみならず、中・露など多くの国々に分かれている。アジアの南のタイ系やマレー・ポリネシア系の人びとも同様だ。 だから民族の歴史をいくら遡っていってもきりはない。数万年前まで遡ってDNAから見てみれば、それは第二の「出アフリカ」に突き当たる。 中華民族がいるところが中国ならば、華僑のいる東南アジアやアメリカでさえ中国となってしまう。華人が伝統的に海を忌避していたことは述べたが、そうした歴史や伝統を踏まえれば、南シナ海も東シナ海も中華民族のものではないことになる。 ギリシャ文明の歴史は、中国の三代(夏・殷・周)から春秋戦国時代とほぼ同時代だったが、ギリシャの北のブルガリアは六千年前の人類最古の黄金文明がのこっている。いったい彼らは、このバルカン半島でどう暮らし、どう活躍していたのか。 地中海域のヨーロッパ文明の先駆の地は有史以来、北からはフン族やゲルマン人、スラブ人が南下してきて、東の砂漠からはモンゴル系やトルコ系の人びとが入ってきたので、特定の民族が「われわれの祖先の地」などと称するのは、じつに難しい。さまざまな異民族に支配された過去がある中華の地にしても、同様である。 人類史上において、民族や種族による分別が先で、国家は後で生まれたのだ。 もっとも、現在では太古の「部族国家」は「都市国家」に比べ、あまり国家らしくなくても、「××国家」と称される。「封建国家」や「天下国家」(世界帝国)、「近代国民国家」は歴史的に国家として認知されている。 だが、ことに近現代になって、すべての国家の条件をそなえても、国際法的には認知や承認が必要とされるようになった。たとえば、わが祖国の台湾はその一例で、中国が「自分たちのものだ」との主張を譲らないために、いくら中国より進んだ民主主義や経済、技術を持っていても、世界的には独立国家として認められていない。 日本人にとって、国家とは神から生まれたものとして「記紀」の国生み物語にある。もちろん「国」は神から生まれたものだから、私から見れば、じつに夢の夢として羨ましい。たいていの近代国民国家は生まれたものよりもつくられたものがほとんどである。「生まれた」ものは血の繋がりがあるため、「つくられた」ものとはまったく違うのである。「アイデンティティ」だけでも天と地の差があるのではないだろうか。「国家と民族」についての中国の主張のでたらめ「国家と民族」についての中国の主張のでたらめ だが、現在の中国中国人の「国家と民族」についての主張はじつに矛盾だらけで、ご都合主義だらけである。 「悠久の歴史」があっても、「一治一乱」と分離集合を繰り返してきたことを無視して、あくまで中国という国家が太古から存在していたかのように主張している。華夷が交代して中華世界に君臨した事実も無視しており、つまりミソもクソも一緒なのである。 加えて、「人の世」と「神の代」を区分せずに、「神の代」まで擬人化し、伝説と歴史が混合、混乱。民族史や国家史のスパンだけでなく、中国史の時間と空間の設定も確定もできていない。 だから、同じ中華人民共和国であっても、時代によって主張がころころ変わって、一定していないのだ。ここで、現代中国の歴史観の変化とその問題点について、箇条書きにしてまとめてみよう。①中国史の長さについて、始皇帝の統一からではなく、春秋戦国から、さらに遡って「三代(夏・殷・周)」、そして伝説時代の「三皇五帝」から「推定」四千余年を「四拾五入」して「五千年の悠久なる歴史」と小学校から教えてきた。 習近平の時代になってからは、さらに「五千余年」と膨らませている。②中華世界には、国家としては、「一治一乱」の歴史法則にしたがって、国家と天下とが揺れ動き、「易姓革命」だけでなく、華夷などの主役交替も時代によってあった。 二十世紀初頭前後に起きた、清朝において大中華民族主義(異民族も含めて中華民族として扱う)と大漢民族主義(漢民族こそが中華の中心であるとする主義)との論争があり、辛亥革命後、大中華民族主義が主流となりつつあったが、毛沢東の人民共和国時代になると、「世界革命、人類解放」を目指し、「民族」は否定され人民の敵とみなされるようになった。 だが、一九九〇年代からは中華民族主義がマルクス・レーニン主義、毛沢東思想に代わって強く説かれるようになった。 習近平政権になると「中華民族の偉大なる復興」を連呼絶叫するようになったが、その「中華民族」の実態は、チベットやウイグルなど異民族の文化を抹殺することで創作しようとしているだけである。③漢族と五十五の非漢族を一つの中華民族に強制創出することは、なおも模索中である。目下は民族の同化と浄化の手しかない。「五千年の歴史」をかけても、なおも五十五の非漢族が存在すること自体、漢化・華化=徳化=王化の限界を如実に物語るものである。 そもそも、元帝国のモンゴル人、清朝の女真人まで中華民族だというならば、従来、歴史教科書に救国の英雄として載っている南宋の岳飛(がくひ)、文天祥、明末に元に抵抗した史可法など、女真人、モンゴル人、満洲人に反抗した「民族英雄史」は、「中華民族史観」の下で再編、書き換えざるをえないはずだ。④異民族による征服王朝である遼・金・元・清について、あるいは夷狄が中国を征服、君臨した歴史を、中国は階級闘争史観にもとづいて、「支配的階級の交替」のみで書き換えようとしてきた。だが、中国史の全史を改編しないかぎりそれは無理だ。だから本当の歴史は語れない。⑤中華世界の「征服民族」や「支配民族」の変更については、「易姓革命」だけでなく、民族ことごとくの変更である。大元時代のように、モンゴル人、色目人、漢人(北方漢人、女真人、高麗人)、南人などの人種による階級規定まであった。また、「反清復明」(清に背いて漢人の明朝を再興する)のような、「反胡(はんこ)」の民族的抗争もあった。 中華民族主義史観をナショナリズムとして成熟させ、史論、史説、史観として確立することは、空想妄想のファンタジーでしかない。⑥歴代王朝は、主役民族の違いや交代のみならず、国家と天下の歴史循環も時代によって異なり、領土範囲のスケールも時代と国力によって異なっていた。空理空論、空想妄想で国家と民族の歴史を説くのは、きわめて非現実的である。⑦イタリアがローマ帝国の正統なる継承国家、ギリシャ人が「東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の正統なる相続人」と主張し、そのかつての領土を要求したら、ヨーロッパはいったいどうなるのだろうか。「天下大乱」が待っているだろう。心のなかではそのような矜持を持っていたとしても、実際には要求などしないのが、近代国家、近代国民である。だから中国は永遠に近代国家にはなれないのだ。 このような「チャイナの振り子」のような歴史時間と空間の変化の下で生まれた歴史観、史説と歴史意識は、じょじょに中国人のものの見方と考え方として、歴史観から世界観、人間観、人生観、そして価値観として定着していった。 では、具体的に、それらはどのようなもので、どうやって中国人に定着していったのだろうか。以下、要約して簡略にとりあげる。①歴史観については、以下の史書が史観として定着していった。 ・『史記』──皇帝中心史観。 ・「二十四正史」──『漢書』をはじめとする歴代王朝の明滅亡までの「正史」であり、易姓革命の正当性と正統主義により、新たな王朝は前の王朝の後継王朝だと自己主張する。 ・『春秋』──尊王攘夷、華夷の分、春秋の大義。 ・『資治通鑑』──中華思想の確立。②新儒学としての「朱子学」と「陽明学」が、華夷の分と別、そして夷狄の排除と虐殺を「天誅」として正当化し、理論的、学問的基礎となった。③勝者が歴史をつくり、敗者が歴史を学ぶ優勝劣敗の歴史法則の確立。④「有徳者」が天命をうけ、天子となる「徳治(人治)主義」の正統性の主張が、「道統」(道徳的正統性)から「法統」(法的正統性)へと拡大解釈されていく。変わる中国人の戦争手法変わる中国人の戦争手法 戦争の定義については、字書、辞典、百科全書、政治用語辞典などなど、それぞれの概念規定、注釈があっても、時代とともに概念が変わり、歴代の戦争論や戦争観が変わるだけでなく、時代とともにますます追いつかなくなってきている。 では、内訌(ないこう)や内乱、朋党(官僚がつくった党派)の争い、政争、村と村の決闘である「械闘(かいとう)」、さらに今現在進行中のサイバー・ウォーが戦争かどうか、「経済戦争」や「貿易戦争」が「戦争」かどうかが問われる。そればかりか、戦争の字義だけでなく、命名も論議され、対立までしている。 「大東亜戦争」か「太平洋戦争」かだけではない。日本で通称「アヘン戦争」については、英国では「Trade War」と称されるので、名称も異なる。 六〇年代に、私と同じ大学の院生たちが夏休みに帰国した際、「経営革命」や「マーケティング革命」などの専門書が税関に没収された。中国共産党が「世界革命」を唱え革命の輸出を目論んでいたあの時代には、台湾の政府は「革命」という文字に神経を尖らせていたので、専門書であろうと政治とはまったく関係ない書籍であろうと、「革命」という文字を目にしただけで、すぐ「造反」と思い込み、没収された。なにしろ、あの時代は歌曲まで三百余曲が公式に禁唱されていたので、精神的ななぐさめは、トイレの中で、小さな声で唄い、あるいは心の中だけで楽しみ、声を出さずに済まさなければならなかった。あの時代には三人以上でひそひそと話をしたら、「造反の密議」とみなされたので、友達をもたないことが最高の生活の知恵となっていた。 インドネシアでビジネスをしている大学時代の友人は、日本に来るたびに日本語の著書をそれぞれ選んで持って帰っていた。インドネシアは一時、反華僑、反華人の国策を断行し、漢字をすべて禁止した。漢文や中国語書籍まで持ち込みが禁止されていた。国によっては文字や言語についての考え方がそこまで違うので、「戦争」や「平和」、「侵略」についての解釈は狭義から広義までそれぞれ違う。学者だけでなく、民衆の意識に至るまで、ことに概念からイメージに至るまで、共有するのはじつに難しい。 人類史にはさまざまな戦争(平和も)についての論議がある。たとえば、世界で有名なクラウゼヴィッツの『戦争論』をはじめ、『韓非子(かんぴし)』やマキャベリの『君主論』もそれに含まれると言える。「孫呉の兵法」をはじめとする「武経七書(ぶけいしちしょ)」(『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子(うつりょうし)』『六韜(りくとう)』『三略』『李衛公問対』)だけでなく、トルストイの『戦争と平和』をも含めて、純理論からハウツー本、そして小説に至るまで、戦争についての考え方、兵法に至るまで、戦争についてはさまざまな異なる考えがある。もちろん今でも新著が続けて出ている。戦争と平和については、異なる考えがあるだけでなく、対立するものも多い。「春秋に義戦なし」と孟子は言っていても、「十字軍の東征」について、キリスト教徒とイスラム教徒の考えはまったく対立的にして両極端である。 それでも、今では西洋の正義と中洋(イスラム)の大義、そして東洋の「道義」があって、対立もしている。中国の「超限戦」の限界 クラウゼヴィッツは、戦争は政治の延長と説き、毛沢東はレーニンの戦争観を受け入れ、クラウゼヴィッツの戦争論について、「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」と言い換えた。しかし、レーニンは戦争を「正義」の戦争と「不義」の戦争に二分し、プロレタリアの革命戦争、植民地の解放、独立戦争こそ「正義の戦争」と戦争の「正義」を説いた。「毛沢東の戦争論こそマルクス・レーニン主義の戦争論を最高峰にまで発展させたもので、それは矛盾論、実践論をも含めてまさしく、戦争をもって戦争を否定する最高の『仁』だ」とべた褒めし、礼賛する日本の進歩的文化人もみられる。 このように、戦争の定義はいろいろな意見があるが、現在の中国が採用している戦争の定義とその手法は、「超限戦」というものだ。 これは、一九九九年に中国軍大佐の喬良(きょうりょう)と王湘穂(おうしょうすい)が共著で出版した戦略研究書の名前であるが、現在の中国および中国軍の戦略は、これに則っていると思われる。 私はかつて台湾大学の歴史学教授の友人から「ぜひ一読を」と勧められ、台北で買い求めて大学の研究室に持ち帰り、研究者たちと共同研究会で勉強したことがある。 この著書は、通常戦のみならず外交戦、情報戦、金融戦、ネットワーク戦、心理戦、メディア戦、国家テロ戦など、あらゆる空間や手段による戦争を提唱したものである。外国人漁業規制法違反の容疑で海上保安庁に停船させられた中国サンゴ漁船=2014年11月21日、小笠原諸島嫁島沖(第3管区海上保安本部提供) 実際に現在、中国によるサイバーテロや、日本のメディアを利用した情報操作や世論撹乱、アメリカでのロビー活動、アジアインフラ投資銀行(AIIB)による金融戦などが展開されている。 当時、私は「超限戦」の戦争観について、 「特定の戦争はなく、正面対決もない。武器、軍人、国家、技術、科学、理論、心理、倫理、伝統、習性などにも、限界や境界はない。そして多くの場合は戦火も砲火も流血もないのだが、その戦いが引き起こす破壊力は軍事戦争に劣ることはない。 『超限戦』にはまた、陸海空、政治、軍事、経済、文化などの境界もない。孫子、呉子の兵法やクラウゼヴィッツの戦争論を超え、無限の手段で敵を服従させるのが超限戦の真骨頂である」 と分析した。そしてすぐ討論に入った。 しかし、まずイスラム学者から、「いくら超限戦といっても、イスラムのようなジハードは不可能なのではないか」と、中国人の考えている「超限戦」の限界が指摘された。 考えればそのとおりである。いくら超限戦と言っても、中国人には日本人のような「特攻」や「割腹」はない。イスラムのような信仰もない。 それが極端に利己的で現実主義の中国人の限界ではないのか。中国は海外の島々に対して、「歴史的に中国のもの」と主張し、「心理戦、世論戦、法律戦」という「三戦」を繰り広げているが、それでも核ミサイルの増強といった「力」に頼ることに必死になっている。 そこにも中国の「超限戦」の限界が見られる。黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界が憧れる天皇のいる日本』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    パナマ文書で暴かれた件数は世界一! 「金権」中国の深すぎる闇

    遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士) パナマ文書が中国政治の中枢、中南海に衝撃を与えている。なぜならその中に習近平の親戚を始め、党内序列ナンバー5の劉雲山やナンバー7の張高麗など、チャイナ・セブン(習近平政権における中共中央政治局常務委員会委員7名)が3名も含まれているからだ(説明が必要なとき以外は敬称略)。また、かつての指導層の血縁者の名前もある。件数は中国が世界一だという。 4月の初期では、中国以外の国でリストアップされた指導者の名前の一部を公開したりなどしたが、それも削除され、五月に入ると中国大陸のネット空間で「パナマ文書(巴拿馬文書)」と入力すると、なんと、ヒット数は「ゼロ!」という徹底ぶりになってしまった。完璧封鎖なのである。 それはそうだろう。5月10日にはパナマ文書名簿の第二弾が発表されるとあって、中国政府は必死だ。万一にもチャイナ・セブンで腐敗取締りに辣腕を振るっている党内序列ナンバー6の王岐山(中共中央紀律検査委員会書記)の名前でもあったらお終いだからだ。 そのようなことにでもなったら、習近平政権の看板である反腐敗運動も挫折しかねない。ひょっとすれば、一党支配体制を揺るがす事態に発展する可能性だってある。 だから、これは西側諸国の陰謀だと言いながらも、完全封鎖なのだ。第一弾公表で名前が挙がった中国の新旧指導者たち それでは、いったいどういう人たちの名前が挙がっているのかをみてみよう。1.習近平(国家主席、チャイナ・セブン党内序列ナンバー1):習近平の姉の夫、鄧家貴が、オフショア会社2社の董事長で株主。2.劉雲山(チャイナ・セブン党内序列ナンバー5、イデオロギー担当):息子・劉楽飛の妻・賈麗青(エール大学MBA)が、オフショア会社1社の董事長で株主。3.張高麗(チャイナ・セブン党内序列ナンバー7、国務院第一副総理):娘婿の李聖溌がオフショア会社3社の董事長および株主。4.李鵬(元国務院総理、1987年~1998年):娘の李小琳がオフショア会社1社の董事長および株主。5.曽慶紅(元国家副主席、2002年~2007年):実の弟・曽慶淮がオフショア会社1社の董事長。6.賈慶林(元チャイナ・ナイン、党内序列ナンバー4、2002年~2012年):孫娘の李紫丹がオフショア会社1社を所有。(チャイナ・ナインは胡錦濤政権における中共中央政治局常務委員会委員9名を指す。)7.薄熙来(元中共中央政治局委員、2007年~2012年):妻の谷開来がフランスの弁護士(Patrick Henri Devillers)とともにオフショア会社を利用してフランスに別荘を買い、2000年からは代理人を通してオフショア会社を開設していた。8.胡耀邦(元中共中央総書記、1982年~1987年):三男の胡徳華がオフショア会社1社の董事長で株主。9.毛沢東(建国の父!):孫の娘婿・陳東升がオフショア会社1社の董事長で株主。 以上だ。本稿では、現役のチャイナ・セブンに関してのみ分析する。習近平の姉と「犠牲になった」その夫習近平の姉と「犠牲になった」その夫 パナマ文書に書いてある習近平の親族とは、習近平の姉・齋橋橋の夫、鄧家貴のことである(習近平の姉なのに苗字が違うのは、父親の習仲勲が文化大革命時に投獄されたため、娘が虐められるといけないので、母親の姓を名乗らせたためである)。 しかし齋橋橋が雲南の商人だった鄧家貴と知り合ったのは1990年ごろで、結婚したのは1996年。鄧家貴は1980年代に香港で金儲けをして、すでにリッチになっていた。習近平とは全く無関係な場所と時間で富裕になっていたのである。このころの習近平はまだ福建省の福州市でウロウロしていて、まったくの無名だ。 齋橋橋が持っている不動産などの財産は、すべて夫の鄧家貴からプレゼントされたものだ。それも1991年とか90年代初期のことである。鄧家貴は90年に知り合った時から齋橋橋が気に入り、何度もプロポーズしているが、齋橋橋はどうしても振り向かない。そこで彼女の心をつかもうと、貢いだのだと言われている。こうしてようやく96年に結婚するが、それでも齋橋橋が商売を始めるのは2003年で、習近平はまだ浙江省の書記に着任したばかりだ。 齋橋橋は2002年までは父親の習仲勲の面倒を見ており、2002年5月に他界したので、商売を始めたという形である。 習近平が2007年にチャイナ・ナインに選ばれると、習近平は突如、姉に「商売から手を引いてくれ」と頼む。この頃までに姉夫婦の商売は大きく広がり、二人で10社以上の会社を持っていた。その中の一つだけを残して、齋橋橋は商売から手を引く。 このとき習近平はチャイナ・ナインの党内序列ナンバー6(国家副主席)で、李克強はナンバー7(国務院第一副総理)。5年後の2012年の第18回党大会では、習近平が中共中央総書記に(2013年には国家主席に)上り詰めるであろうことは既に予測されていたからだ。 ただ、文革時代、父親の習仲勲が投獄されていた16年間、姉が献身的に一家の面倒を見て苦労していたのを知っているので、習近平は、少しくらいは姉に楽をさせてやろうと思っていたという。だから全ての会社を手放してくれとは言わずに、1社だけ残して、と譲歩したと言われている。 今般、パナマ文書で発見された鄧家貴のオフショア会社の一つは、2012年11月に習近平が中共中央総書記に選ばれたときから、休眠状態にあるという。それも実は鄧家貴の才覚により6年間もかけて成長させてきた企業で、手を引かなければ莫大な利益を手にすることができたのに、習近平が総書記などになったために、閉鎖させてしまった。そのため鄧家貴は莫大な損失を被ることになり、「習近平の犠牲になってしまった」と、中国大陸以外の中文メディアは書いている。「こんな人のお姉さんと結婚したばかりに、商売を縮小するしかなくなり、財産を失ってしまった」と、周りにぼやいているとのことだ。 こうなると、少なくとも習近平に関しては、この件に対して果たして責任があるのか否か、判定が難しい。党内ナンバー5の息子の複雑な利権関係党内ナンバー5の息子の複雑な利権関係 劉雲山の息子・劉楽飛は逃れられないと見ていいだろう。複雑な利権と腐敗関係の中、昨年すでに辞職に追い込まれている。中南海に走る激震の最も大きな震源地が見える。 1973年生まれの劉楽飛は、95年に中国人民大学で経済学を学んだあと、中国社会科学院の研究生院(大学院)で学び、工商管理で修士学位を取得。2004年から中国人寿保険投資管理部総経理を務め、2006年から中国人寿主席投資執行官(CEO)に就任している。 ところで2012年の薄熙来失脚にともなって重慶市書記に任命された孫政才は、吉林省の書記であった時代(2009年~2012年)に、吉林省の大きなプロジェクトを中国人寿に発注し、劉楽飛に儲けさせている。そのお礼だろう、当時まだ中宣部(中共中央宣伝部)の部長をしていた劉雲山(劉楽飛の父親)は吉林省を訪問し、孫政才に会っている。この時から、劉雲山と孫政才の利権はつながっている。 中国人寿をスタートとして金権世界でのし上がってきた劉楽飛は、その後「中信産業投資基金管理公司(中信資本)」傘下の投資会社「中心証券」などを掌握してアリババ集団の株主の一人となり、ボロ儲けをした。中信資本の運用資産90億元(13億2000万米ドル)。 2014年9月20日(ニューヨーク時間19日)、アメリカのニューヨーク証券取引所に上場したアリババ集団には、劉楽飛以外に江沢民の孫で薄熙来と関係のあった江志成(博祐資本)や、元国務院副総理・曽培炎の息子・曽之傑(中信資本)、胡錦濤政権時代のチャイナ・ナインの一人で中央紀律検査委員会の書記だった賀国強の息子・賀錦雷(国開金融)、守旧派で薄一波と仲良かった元国務院副総理だった陳雲の息子・陳元、そして、あの温家宝(前国務院総理)の息子・温雲松(新天域資本)などが株主として参入していると、7月21日付の「ニューヨークタイムズ」が報道している(詳細は『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』)。 その間、劉楽飛は元最高検察院検察長だった賈春旺の娘・賈麗青と結婚している。これは不正摘発を逃れるための政略結婚だと言われたものだ。習近平政権の反腐敗運動の網に引っ掛かる習近平政権の反腐敗運動の網に引っ掛かる 習近平政権が誕生してから、反腐敗運動が本格化し始めた。 実は胡錦濤政権の時から反腐敗運動は行っていたのだが、何と言っても集団指導体制の中で多数決議決をしようとするときに、チャイナ・ナインの構成メンバーが良くない。ほとんどが江沢民派によって占められ、胡錦濤が出す提案はほぼ毎回否決されて、身動きが取れなくなっていた。 習近平政権になってからは、チャイナ・セブンのほとんどが習近平の息がかかっている上、チャイナ・セブン入りする際に、反腐敗運動に賛同するか否かの誓約を要求されている。その上で第18回党大会の初日である2012年11月8日に胡錦濤が最後のスピーチで「腐敗問題を解決しなければ党が滅び、国が滅ぶ」と叫び、中共中央総書記に選ばれた11月15日、就任の挨拶で習近平も胡錦濤とまったく同じ言葉を使って反腐敗運動を誓った。 反腐敗は胡錦濤政権から習近平政権に移るときの最も大きな約束事であった。 二人とも、腐敗問題が解決しなければ、これで共産党による一党支配体制は崩壊することを知っていたのだ。 そこで習近平政権が誕生するや否や凄まじい反腐敗運動が始まった。その業務は「中共中央紀律検査委員会(中紀委)」が担う決まりがあるので、チャイナ・セブンの中の王岐山が中紀委・書記として大鉈(おおなた)を振い始めた。 中紀委は定期的に中国の全ての組織や機関を巡回し、不正がないかを調べている。 2015年9月、その一環として金融界にメスが入った。特に株の乱高下があまりに不自然で激しいので、捜査当局は背後に空売りをしている犯人がいると見定めていた。 フォーカスが絞られたのが、中国証券最大手である「中信証券」だ。 程博明・総経理や中国証券監督管理委員会の張育軍・主席補佐などが取り調べを受け、中信証券の副理事長・劉楽飛にフォーカスが絞られた。 その父親で、チャイナ・セブンの党内序列ナンバー5で中共中央精神文明建設指導委員会主任としてイデオロギー界に君臨する劉雲山は、チャイナ・ナイン時代にやはりイデオロギー担当として君臨していた李長春(党内序列ナンバー5)の腹心で、李長春は江沢民派。 習近平自身、江沢民の後ろ盾があってこそ、今日の地位を獲得できた経緯がある。 しかし反腐敗運動は、腐敗のトップにいる江沢民の安全を脅かす。そこで捜査当局は、株式市場の乱高下の裏には、元をたどればこれら江沢民から派生する派閥の結託による株式市場の弱点への攻撃に原因があると見ていた。具体的にはインサイダー取引や情報漏洩である。中信証券は、表向きは株式市場の危機に対処する救済機構を標榜しながら、裏では空売りをして株式市場を乱していたのだ。 結果、劉楽飛はこれらを操ったとして辞職へと追い込まれている。劉雲山系列は、パナマ文書以前からクロなのである。それでもチャイナ・セブンの息子が逮捕されるということになれば、そうでなくともぐらついている一党支配体制に大きな打撃を与えるとして、そっと静かにしていたというのに、パナマ文書という外からの強打を受けては、抵抗のしようがなく、情報封鎖の度合いも尋常ではないのである。党内ナンバー7から見えた恐るべき金権政治党内ナンバー7から見えた恐るべき金権政治 パナマ文書には張高麗の娘婿・李聖溌がオフショア会社3社を所有しているとある。張高麗の関与がどれくらいあるのかを考察してみよう。中国の恐るべき金権政治の世界が見えてくる。 1946年、福建省晋江(しんこう)市で生まれた張高麗は、1970年から1984年まで石油部「広東茂名(もめい)石油公司」におり、言うならば「石油閥」の一人である。広東省茂名市党委員会の副書記や広東省副省長などを経て、1997年に広東省深圳市(中国共産党委員会)書記になるなど、ひたすら広東で31年間にわたって仕事をしてきた地味な前半生だった。 しかしこれが出世のきっかけを作ったのだから、人の運命はわからないものである。 2000年2月、国家主席だった江沢民が広東省茂名市に来て、ここで「三つの代表」論を初めて公開した。 「三つの代表」論は「中国共産党は無産階級(プロレタリアート)の先鋒隊を代表する」という伝統的な中国共産党理論を真っ向から否定するものであり、「有産階級(資本家階級)を入党させる」という「金持ちと権威」を結び付けるものとして、北京では保守派長老や伝統を守ろうとする党員たちから激しい反対を受けていた。そこで江沢民はこの「三つの代表」の最初の意思表明を、北京から遠い改革開放発祥の地、広東省に来て、しかも本丸の「深圳市」を避けて、ちょっと離れた「茂名市」で行なおうとしたのである。 この選択によって張高麗の運命が決まる。このとき広東省の副書記をしていたのは張高麗。深圳市の書記でもあり、特に茂名市には1970年から1985年まで15年間もいた。したがって江沢民の「三つの代表」講話の主たるお膳立てと接待はすべて張高麗が担った。 張高麗はすっかり江沢民に気に入られ、やがて山東省書記、天津市書記へと、出世階段を上っていくが、そこには後半で述べる李嘉誠との関係が絡んでいる。張高麗と習近平の関係も「深圳市」 習近平との関係において決定的だったのは「深圳市」だ。 習近平の両親は、習仲勲の政界引退後の80年代末、風光明媚な広東省の珠海市に住もうと決めていた。ところが珠海市の書記は、そこは一等地だとして、当時はまだ田舎だった深圳に習近平の両親を追いやった(詳細は『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』)。 習近平はその頃まだ無名で、福建省寧徳市の副書記などをしており、どこにでもいる普通の地方幹部に過ぎなかった。 97年から深圳市の党委書記となった張高麗は、深圳迎賓館に習仲勲夫妻が住んでいることを知ると、早速自宅を訪問し、「なにかご不便なことがあったら、なんでも申し付けていただきたい」と挨拶に行っている。春節や中秋節など、季節の折々にも必ず習仲勲夫妻のもとを訪れ、何くれとなく世話をした。 習近平が出世するかどうか分からない時期に、すでに政界を引退している習仲勲に敬意を表して足しげく訪れた張高麗を、習近平は非常に信頼し感謝したため、張高麗の現在の地位があるという側面も否めない。 なんとも「美談」に見える。ところが―張高麗には別の顔があった。ナンバー7と娘婿の「金権関係」張高麗と娘婿・李聖溌との「金権関係」 張高麗は妻との間に子供に恵まれず、父方のいとこが70年代にフィリピンで他界したので、その娘・張暁燕(ちょう・ぎょうえん)を引き取って養女として育てた。1989年になってようやく男の子が生まれはしたが、張高麗は養女の張暁燕を可愛がっている。やがて彼女が年頃になった1997年、張高麗は張暁燕を香港商人で同郷(隣り村)の李賢義の息子・李聖溌(り・せいはつ)と結婚させた。 1952年生まれの李賢義は、貧乏から逃れるために香港に渡り、ゼロからたたき上げてそれなりの成功を収めていた。1989年には、深圳に「信義集団有限公司」を設立している。自動車の窓ガラスを中心として成長し、香港の大陸への返還が実現しそうだという「政治の風」を読み取り、深圳に渡る。香港商人として大陸に進出したのだ。 そして香港の大陸返還が実現した1997年、張高麗は深圳市の書記に赴任してきた。 このときには、李賢義の工場は37万平方メートルの広さ、累計資金10億元、2000人の社員を抱える大企業に発展していた。車のガラスだけでなく、ビルのガラス窓のガラスや防弾ガラスなども生産し、「ガラス大王」と呼ばれるようになっていた。 深圳市の書記と深圳市の大企業のオーナーが接触を持つのに時間はかからなかった。同郷のよしみが加わり、結婚は一瞬で決まった。 金と権力。まさに金権関係による婚姻だ。中国では「官商婚姻」と言っている。 香港の中国返還に伴う香港商人への優遇策という大きな流れの商機を、二人は見逃さなかった。ここから江沢民を巻き込んだ闇の世界が広がり始める。華人世界最大の資産家・李嘉誠が仲介 小さいころに福建や広東から香港へと逃れた華人華僑は多く、中でも有名なのが李嘉誠(り・かしん)だ。彼は1928年に広東省潮州市に生まれたが、1940年、香港へと逃れた。香港フラワーと呼ばれた造花で大成功し、その後、香港最大の企業グループ長江実業を創設している。華人としては世界最大の資産家だったが、最近ではアリババの馬雲(ジャック・マー)や大連万達(ワンダー)集団の王健林などが頭角を現し、やや陰りが見えてきた。 しかし当時は絶大な財力を誇っていた。香港で成功した大陸生まれの商人の一人として、張高麗の娘婿の父親・李賢義は、李嘉誠とも仲がいい。そこで李嘉誠を張高麗に引き合わせ、張高麗はすぐさま李嘉誠を江沢民に引き合わせた。江沢民が喜んだこと、喜んだこと! 李嘉誠は、江沢民の息子・江綿恒の「中国網絡(ネットワーク)通信集団公司」に500億元を投資した。すると江沢民はそのお礼に、北京の王府井(ワンフージン)周辺にある一等地を李嘉誠に提供し、「東方広場」なる巨大な商店の地を提供している。お蔭で昔の情緒豊かな「汚い」王府井は姿を消してしまった。その陰には張高麗がいたのである。一党支配体制を信じていないという「烙印」一党支配体制を信じていないという「烙印」 江沢民と李嘉誠を結びつけたキューピットが娘婿・李聖溌の父親・李賢義だとすれば、パナマ文書に名前が載るまでに李聖溌を成長させたのは張高麗であるということができよう。 張高麗は江沢民の覚えめでたく、2001年に山東省の副書記に、2002年11月には書記に昇進。2007年に天津市の書記に抜擢されている。 それに伴って、娘婿の李聖溌は香港に17社もの上場企業を持つに至り、不動産業に手を付け始めたので、父子が得た莫大な利益は尋常ではなく、フォーブスの中国富豪ランキングに名前が載ったほどである。 李聖溌は、張高麗が李嘉誠と江沢民を結びつけたことから、李嘉誠から投資を受けるようになり、2001年に「匯科(かいか)系統」というIT関係の会社を共同で深圳に設立した(李嘉誠側が70%の株)。 しかし2008年になると、「匯科系統」の株の70%を「信義科技集団」の董事長になっていた李聖溌が持つようになり、同時に李聖溌は「匯科系統」の董事長にもなった。さらに「民潤」というスーパーマーケットのチェーン店を運営するようになる。 「匯科系統」にしても「信義科技集団」にしてもコンピュータのソフトウェア関係を主たる製品として生産するだけでなく販売、サービス分野においてもマーケットをつかんでいたため、李聖溌は総合的なハイテク科学産業で活躍する存在となっていく。 張高麗と江沢民が背後にいれば、怖いものなし。張高麗が天津市書記として力を発揮するにつれ、信義科技集団の顧客は個人から「中共公安系列」へとシフトしていき、「公安情報化と監視カメラ」「人相識別技術」「バックグラウンド・チェックシステム(学歴の真偽、犯罪歴の有無、過去の就職先における問題発生の有無などをチェックするために入力されているソフト。身分証番号を入れると一瞬で出てくるようになっている)」「ネット上の作戦シミュレーション」「財富(財産)分析システム(腐敗問題における犯罪摘発のため)」など、数多くのソフト開発を行うようになった。 これらのソフトは、「公安、武装警察、軍隊、金融、石油、飛行場、監獄、電力、通信、学校のキャンパス」など、非常に広範な領域をカバーするに至る。 残念ながら、自らの会社が開発した「財富分析システム」は、自分自身の情報を入力しない「特殊な」システムになっていたのだろうか。 パナマ文書によって、タックスヘイブンに少なくとも3社ものオフショア会社を持っていることが明らかになった。チャイナ・セブンのうち、3人もの最高指導層の名前がひっかかり、そのうち劉雲山と張高麗は、詳細に見れば見るほど「アウト!」だという実態が浮かび上がってくる。 反腐敗を叫び党紀粛正をアピールすることによって人民の求心力を何とかつなぎとめようとしてきた習近平政権だが、これまで説明してきた部分だけでも、いかに一党支配体制の危機が迫っているかが見えてくる。 そこに広がっているのは、金権政治の巨大な闇だ。 チャイナ・セブン関係者が資産を海外に移している事実は、統治者自身が一党支配体制を信じていない証拠だ。そう長くは続くまいと思っているからこそ、いざとなった時に自分の資産を守ることができるように海外に移してしまう。それが人民に知られることを習近平政権は最も恐れているのである。 国家資本主義と化してしまった「特色ある社会主義国家」中国は、パナマ文書の激震に堪えられるのか。これからが見ものだ。

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    テーマ

    南シナ海が中国に汚される

    工島をつくり、領有権を主張する。南シナ海の安全保障バランスが崩れようとする今、日本は何ができるのか。中国の「毒」に汚染される南シナ海のタイムリミットは、もうそこまで来ている。

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    日本よ、南シナ海の対中警備包囲網をリードせよ

    上警備能力の向上のため新造の巡視船や巡視艇を供与する方針を表明した。巡視船は南シナ海のパラセル諸島(中国名・西沙諸島)の海域で紛争を未然に防ぐための警戒にあたることになる。日本は既に6隻の中古巡視船(漁業取り締まり船)を供与しているが、安倍首相はさらに同国の海上警備体制を支援する姿勢を明確に示したのだ。 いうまでもなく、これは南シナ海を自国の海にしようとする中国への対抗と見るべきである。パラセル諸島は1974年に中国軍がベトナム軍(旧南ベトナム)を駆逐し、以降、諸島の全域を支配下においているが、地理的にはベトナムにも近く、ベトナム漁民の生活の海ともなっている。周辺海域はベトナムと中国、台湾が領有権を主張しており、武装した中国船とみられる船舶にベトナム漁船が襲われ、漁獲した魚や漁具、航海計器などが奪われる事件が頻発している。ベトナム国内の報道では、今年に入り8月までに約40隻のベトナム漁船が、中国船とみられる船から攻撃を受けているという。今年7月には、操業中の漁船が3隻の中国船らしき船に体当たりされ、沈没する事件も起きている。11名の漁師は僚船に救助されたが、体当たりした船は救助もせず逃亡した。中国海警局の警備船ではなく、民間船を使って、ベトナム漁船をパラセル諸島周辺海域から排除するという中国の戦略がうかがえるのだ。 南シナ海をはじめとしたアジア海域では、密輸、密航、密漁、海洋環境破壊などにより海洋秩序が乱れているのが現状だ。国家間では海底資源の開発の競合、漁業管轄権を巡る対立など、紛争の火種となる事象が山積している。この混沌とした情勢の中、中国の海洋侵出は、フィリピンやベトナムなどアジア諸国の脅威となっている。南シナ海においては、中国がスプラトリー諸島(中国名・南沙諸島)で7つの人工島建設を強行するなど「力による現状の変更」が進められ、紛争の気配が見え始めている上、民間船を使った中国による海域支配の既成事実化も進められているのだ。これらは脅威としかいいようがない。脆弱なASEAN諸国の力脆弱なASEAN諸国の力 中国とASEAN諸国の間では、2002年に「南シナ海行動宣言(DOC)」を合意し、領有権紛争の平和的解決、事態を悪化させる行為の自制、協力事業の推進などを確認しているが、中国が合意を守らず強引に海洋侵出を進めるため、ASEAN諸国は、DOCに法的拘束力を持つ「南シナ海行動規範(COC)」の策定を求めている。一国対一国の紛争解決を求める中国に対し、多国間のルールづくりにより中国の横暴に対峙しようというのだ。今年8月、マレーシアで開催されたASEAN地域フォーラムにおいて、ASEAN諸国と中国の間ではCOC協議を加速することで合意したようだ。 しかし、妥協する素振りを見せながら、一切本質を変えず、国家すなわち共産党の意思を貫き通すのが中国である。協議を引き伸ばしながら、着実に中国海警局の態勢を充実させるなど、自国の海洋管理を確立させる動きを進めている。 2014年にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議に中国の代表として参加した王冠中・人民解放軍副参謀長は「南シナ海は2000年以上前から中国の支配下にある」という趣旨の発言をした。中国が、習近平国家主席の指導の下、「中華民族の偉大なる復興」を目指して「海洋強国」となる戦略を進めているのは周知の事実だ。 中国は、南シナ海海域全体を「九段線」の考えに基づき、中国の領海と位置づける。九段線は、南シナ海に点在する島々を囲い込むように九つの線を引き、その内側の海域全体を管理下に置こうとするものである。1994年に発効した国連海洋法条約では、領土である陸地を基点として、その陸地から最大12海里(約22・2キロ)の領海と200海里(約370キロ)までの排他的経済水域の設定が認められているが、九段線内側にあるスプラトリー諸島には20ほどの島や岩礁があり、中国、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどの国々の領有権の主張が重複し、簡単に領海や排他的経済水域を設定できる状態にない。そのために中国は島の領有問題を無視し、海域全体を支配しようというのだ。 これに対抗するアジア各国の海洋警備力はまだまだ脆弱であり、中国には太刀打ちできないのが実情である。中国とフィリピンやベトナムなどの国々が、偶発的に武力衝突を起こす可能性も高く、紛争を事前に抑止するためにも、一刻も早くCOCを合意しなければならないのだ。 それと並行して進めなければならないのが、アジア各国の海上警備力の強化における国際協力体制の構築である。COCにより、海域の安全確保のための法的拘束力ができたとしても、現状ではそれを管理する機関はない。そのため、各国の海上警備機関の能力向上と連携、協力体制の構築が求められるのだ。「海賊対策」で支援に実績「海賊対策」で支援に実績 まずは、各国の海上警備機関の人材育成と能力向上が課題だが、ここで重要になるのが日本の役割だ。先にも述べたように、中国は軍事力や自国の警備船の力を背景にしながらも必ずしもこれを表面に出さず、民間船を使うなどして、支配の既成事実を進めている。これまで「海賊対策」として、アジア各国の海上警備能力の向上を支援してきた我が国の役割に対する国際的な期待は大きくなっているのだ。 日本の積極的関与のきっかけはマラッカ海峡における海賊事件だった。マラッカ海峡を中心とした東南アジア海域において海賊が多発し、問題になっていた1999年、日本人の船長、機関長と15人のフィリピン人の船員の乗った貨物船アロンドラレインボー号が海賊に襲撃され、積荷のアルミニュームインゴットを乗せたまま行方不明となる事件が起きた。アロンドラ号の17人の船員は、海賊により救命いかだに乗せられてマラッカ海峡に放置され、11日間漂流したうえ、通りかかったタイの漁船に救助されたが、この事件は日本人の生命財産を守るためには国際的な海洋安全施策が必要であることを教えたのだった。マラッカ海峡で海賊の襲撃を受けたアロンドラ・レインボー号 その後、日本が中心となり、海賊対策でアジア各国の海上警備機関が協力する枠組み構築へ動き出したのである。2000年、東京において海賊対策国際会議が開かれ、それに続き、東南アジア各国が持ち回りで海賊対策長官級会議、専門家会合などを開催し、情報の連携、共同訓練などを実現した。日本は、アジア各国で開催される会合の支援、フィリピンコーストガードの人材育成やマレーシアの海上警備機関「マレーシア海事法令執行庁」の創設サポートなど、各国の能力向上に貢献したのだ。 アジアにおける海上警備協力の成果として、2009年には、アジア海賊対策地域協力協定(ReCAAP)が結ばれた。現在、この協定はアジア諸国のみならず、英国、米国、ノルウエー、オランダなどの国々が参加し、加盟国は20ヶ国に上っている。インドネシア、マレーシアは条約に加盟していないものの、オブザーバーとして協力関係にある。ReCAAPの締結は、アジア海域の凶悪な海賊事件を減少させるとともに、アジア各国の海上警備機関の相互連携を促進させる役目を果たした。この日本が中心に進められた海賊対策は、「マラッカモデル」と呼ばれ、国際的な海上警備協力の成功例として高く評価され、後年ソマリア海賊対策にも応用されている。 こうした実績を踏まえ、アジア海域における海洋警備を中心とした安全保障体制の構築に寄与することが日本に求められているのだ。実際、日本はアジア各国の海上警備能力の向上を装備の面でも支援してきた。2008年、インドネシアに対し、海賊対策のため3隻の巡視船を供与したのを始めとして巡視船、巡視艇の供与を進めている。当初、武器輸出三原則に抵触するのではないかと議論されたが、2011年12月、「平和貢献、国際協力に伴う案件は、防御装備品の海外移転を可能とする」という当時の野田佳彦首相(民主党)の方針により武器輸出三原則が緩和され、巡視船供与は円滑化されることになった。平和安全保障法制の成立に反対した民主党だが、当時、海外において展開する安全保障協力に積極的であった。NEATで日本主導の提案 最近も、冒頭に紹介したベトナムへの中古巡視船、新造船の供与のほか、2013年安倍首相がマニラを訪問した際に、フィリピンに対して政府開発援助(ODA)の資金を使い、10隻の巡視船を供与する方針を表明している。そして今年6月には10隻のフィリピン向け多目的船の新造が開始された。長さ44メートル、25人乗りの多目的船は、2016年から2018年にかけて、フィリピン当局に引き渡され、現地で改装されコーストガードの巡視船として活躍することになる。NEATで日本主導の提案 最近、アジアの海上警備に関する協力関係構築に向け、新たな外交的な動きが始まった。インドネシアのバンドンにおいてNEAT(東アジアシンクタンクネットワーク)の代表者会議があったのだ。この会議はASEAN+3(日中韓)に参加する国々のシンクタンク代表者が集まり、ASEAN+3首脳会議に上程する議題を決める会議だが、参加者は各国の外務省関係者も含まれていた。この会議が開催されるにあたり4つのワーキンググループが設けられ、代表者会議にそれぞれのプランが提出された。その4つのプランは首脳会議に上程される議題の候補としてこの会議で審議されるのだが、中国も含む全参加国が満場一致でなければ、廃案となるという厳しい条件も課される。 4つのワーキンググループのテーマは、中国が中心となった「貧困の削減」、シンガポールが取りまとめた「持続可能な開発とより質の高い生活に向けた都市計画」、タイにて作成された「交通システムのシームレスな連続性の構築─経済回廊における多様な交通システムへの移行」、そして、日本が中心となり提案した「東アジアの海洋安全協力」である。この日本中心の提案は、いわば海洋安全保障の問題であり、国家の主権の枠組みを超え、国際法に基づきアジア海域の海洋管理を行おうとするものだ。当初から白熱した議論が展開されることが予想されていたが、実は筆者も関わっていて、会議にも参加した。 一概に海洋安全保障といってもそれに関わる分野は、多様であり複雑化している。アジア各国ごとに重視する点が微妙に異なる。ベトナムは経済発展を重視し、その阻害要因となる中国の軍事的脅威を問題視している。マレーシア、ミャンマーは密輸、密航。特にロヒンギャ族などの難民の流入、流出の問題。インドネシアは、密漁を中心とした漁業管理の問題を重視している。今回の会議には参加しなかったが、フィリピンは中国による領土、領海の侵略を重要な問題として意識している。シンガポールや日本は、自由航行の保証と安全確保を前面に打ち立てている。さらに、各国からは海洋環境の保全を求める声も強い。 何よりASEAN諸国と中国の間では、COC南シナ海行動規範の策定を巡る意見の対立もあり、海洋安全保障に向けた動きは、各国ともに必要であることを認識していても、動き出すことが難しい。そこで、海賊対策における国際協力関係の構築で原動力となった日本が中心となり、新たな海洋安全保障のフレームづくりを進めようというのだ。日本外しで対抗? 中国の暗闘 日本の提案は「総合海洋管理」という考えに着目し、アジア海域における航行安全の確保、海洋犯罪の根絶、海洋環境破壊の防止などを推進するため、アジアの国々が連携し国際的な海洋安全保障のためのフレームづくりを進めるものである。そして、エリアケーパビリティと呼ばれる「国」という枠組みを超えた「地域力」の強化を目指す。 海洋管理に関する情報共有センターの設置も求めるものだが、・国際法に基づく海洋管理に関する人材の育成、・ASEAN+3参加国による海洋関連大臣会合の実施、・海洋に関し総合的に情報共有するための専門家会合の実施、・海洋の生物多様性の保全、海洋資源開発などアジア海域の「地域力」を付けるための共同研究─などが提案の中に盛り込まれている。日本外しで対抗? 中国の暗闘 提案を通すための最大の障壁は、他国を無視して海洋侵出を進める中国の存在といっていいだろう。実際、事前に行われたワーキンググループの会合では、マレーシア、フィリピンから中国の戦略への非難があり、アジア海域の海洋管理、海洋警備協力の難しさを感じた。 中国との調整は本会議の前夜、「場外」において行われた。中国の要望は、COCを今回の提案には織り込まないというもので、COCの協議に日本を絡ませたくないという意思が透けて見えた。結局、COCに関しては今回のプランで上程しなくても、COCだけでも議論が可能なので触れないことで合意したが、中国の要望には海洋のみならず上空の安全の問題も含まれており、この点は警戒しなければならない。会議からの日本外し、さらに米国の影響力排除につながる恐れがあるのだ。 海上では、船は他国の領海でも自由に通航できる無害通航権を持つが、領土と領海の上空である「領空」の通過は、国家の主権の範囲にあり、自由に行うことはできない。つまり、南シナ海の海洋安全確保の議論であれば、自由通航が許されているため日本も海域利用者としての意見を述べることができるが、上空の問題となると南シナ海に領土を持たない日本は発言権を持たないことになるのだ。海洋と上空の議論を一体化することにより、日本と、そしてアメリカを「域外国」として、議論の場から排除しようというのが中国の狙いと考えられる。今回のプランでは海洋問題に絞り提案することになったが、今後も警戒が必要であることはいうまでもない。 アジアの海洋安全保障協力は、本格的に動き出そうとしている。大国の力による現状の変更を阻止するためにも関係国の協力することは重要である。総合海洋管理のフレームづくりが進められ、海上警備機関の協力体制が確立すれば、いずれ、アジア諸国による合同海洋警備船隊の創設も可能となるだろう。海は人類共通の財産である。海の安全を守るためには国家の枠組みを超えて活動することが不可欠である。日本は、海洋国家日本はその中心となり、海洋アジアの地域力の強化のために貢献する必要があるのだ。やまだ・よしひこ 昭和37(1962)年生まれ。学習院大学経済学部卒業。埼玉大大学院経済科学研究科博士課程修了。第15回正論新風賞受賞。著書に『国境の人々 再考・島国日本の肖像』(新潮社)など。

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    国防も国益も頭になし 南シナ海「報道・発言」狂騒曲

    潮匡人(軍事評論家、拓殖大学客員教授)なぜ南シナ海なのか 中国による南シナ海の“聖域化”は許さない。それが米軍「航行の自由」作戦の主眼であろう。なぜ、南シナ海なのか。 中国は二〇一一年、南シナ海を望む格好の要衝に位置する海南島の南端「三亜」に海軍基地の建設を完了させた。ここは空母の運用に加え、射程約8000キロ(防衛省)の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)JL―2を搭載するジン級原子力潜水艦(SSBN)を配備できる。基地には、潜水艦が出入りするための地下施設があり、米軍に追尾されるリスクが低い。 海南島は深度の深い南シナ海に面しているため、潜水艦の行動の秘匿に適している。新たなSLBMを搭載したジン級原潜がこの基地を拠点に運用可能となれば、中国の対米核抑止力が飛躍的に向上する。日本の防衛省も「JL―2が実用化に至れば、中国の戦略核戦力は大幅に向上するものと考えられる」(白書)と警鐘を鳴らす。 アメリカの超党派諮問機関「米中経済安全保障再検討委員会」は「すでにJL―2が配備可能な初期運用能力に達した」と米議会に報告した。米国防省も「JL―2搭載のジン級SSBNが二〇一五年に核抑止パトロールを実施する」との見込みを議会に報告した(二〇一五年五月「中華人民共和国の軍事及び安全保障の進展に関する年次報告」)。 今後、中国にとって“虎の子”のJL―2ミサイルを搭載した原潜を米軍から防護・温存させることが海軍最大の任務となろう。そのために暗礁を埋め立て、人工島をつくり、滑走路まで建設している。運用となれば、航空戦力のプレゼンスが増大する。南シナ海全域に及ぶ中国の航空優勢が強化され、戦力投射能力が増す。いずれ艦艇や作戦機が常態的に展開し、警戒監視や作戦遂行の能力が大幅に向上する恐れが高い。米海軍が昨年5月に公表した、P8対潜哨戒機が撮影した南沙諸島のファイアリクロス(中国名・永暑)礁の画像(米海軍提供・ロイター) 南シナ海の沿岸国たるフィリピンやベトナム、マレーシアら各国と、中国との質的量的な戦力差は歴然としている。南シナ海の東に位置するスカボロー礁、西の西沙諸島、南の南沙諸島、そして北の海南島。これら東西南北の要衝を押さえ、南シナ海全域を手中に収めるつもりであろう。 原潜を配備する南シナ海を聖域化すべく、米軍の接近を阻止し、海域への侵入を阻む。米軍の行動の自由を奪う。文字通りの「A2/AD(接近阻止・領域拒否)」戦略である。水深3000メートル以上の海域を持つ南シナ海こそ、中国にとって「核心的利益」である。南シナ海を聖域化すべく、東シナ海へも触手を伸ばす。そう考えれば、近年の中国の動きが理解できよう。「JL―2が実用化に至れば、中国の戦略核戦力は大幅に向上する」(前掲白書)。淡々と描かれているが、実は一大事だ。それは中国が核の第二撃能力、つまり報復力を手にすることを意味する。地上配備の核兵器と違い、もしアメリカから核の先制攻撃を受けても、原潜なら海中から確実に報復できる。言い換えれば、アメリカは中国に手出しできなくなる。日本の立場で言えば、アメリカの核抑止力の信頼性が低下する。分かりやすく言えば「核の傘」に穴が開く。いや、そもそも傘が開かない(かもしれない)。日本の安全保障にとり死活的な問題を孕んでいる(拙著『日本人が知らない安全保障学』中公新書ラクレ)。 だが、なぜか日本人はそう考えない。自民党の野田聖子・前総務会長は十一月四日放送の「深層NEWS」(BS日テレ)で「南シナ海は直接日本には関係ない」「南沙(諸島)で何かあっても、ここは冷静に独自路線で日本らしい外交に徹するべきだ」「南沙の問題を棚上げするぐらいの活発な経済政策とか、お互いの目先のメリットにつながるような2国間交渉をやっていかなければいけない」などと語った。米軍の作戦を支持した安倍晋三政権への批判であろう。実際、安倍総理が掲げた「出生率1・8の実現」を「保育料をタダにします、全ての女性が働けますなどのお膳立てがなければ無理な数字だ」とも批判した。悪いのは、緊張を高めた米軍?悪いのは、緊張を高めた米軍? 出生率はここでは論じないが、南シナ海に関する彼女の発言は誤解と不正に満ちている。 まず前述のとおり南シナ海問題は日本の安全保障に直結している。加えて日本の命綱とも言われる海上交通路(SLOC・いわゆるシーレーン)上に位置する。あえて朝日記事を援用しよう。「日本の原油輸入量の約8割は中東から運ばれている。万が一、南シナ海で紛争が起きてタンカーが通過できない事態になれば、日本のエネルギー問題に発展する恐れがある」(十月二十八日付朝刊)。当然、日本との関係は死活的に重要である。「独自路線で日本らしい外交」と言うが、そもそも日本は独自の核抑止力を持たない。アメリカの「拡大抑止(核の傘)」の下で「独自路線」を掲げても滑稽千万。(核武装でもしない限り)日米協調路線を歩む以外に道はない。「南沙の問題を棚上げ」すれば、中国を一方的に利する。中国の主張に法的根拠はない。国際法を蹂躙して「目先のメリット」を求めるなど、卑怯な商人の所業であろう。 総理総裁を目指す有力政治家にして、この始末。マスコミ報道はさらに酷い。東京キー局の地上波で、JL―2に言及した報道番組は一つもない。今回どう報じたか。フィリピン・スービックの港に停泊する米海軍の補給艦(吉村英輝撮影) 作戦実施を受けた十月二十七日のNHK「ニュース7」は「中国が南シナ海で人工島を造成している問題で、これに反対しているアメリカ政府は27日午前、中国が主権を主張する人工島から12カイリ以内の海域でアメリカ軍のイージス艦を航行させ、今後、米中間の緊張が高まることが予想されます」と報じた。同夜の「ニュースウオッチ9」も同様の報道に終始。中国の人工島を説明したうえで「これに対し『人工島は領海の基点にならない』とするアメリカ。中国の主張を認めないことを明確に示すため、今回この海域に入ったのです」と作戦目的を“解説”。続けて中国外務省報道官らの抗議を動画で紹介し「今後、中国との間で緊張が高まることが予想されます」と総括した。 これではアメリカが勝手に「人工島は領海の基点にならない」と主張しているかのように聞こえる。(中国ではなく)米軍が緊張を高めたような印象を抱く。十月二十八日付「朝日新聞」朝刊記事のタイトルも「中国人工島に米が強硬策 緊張高まる」(朝日メルマガ)。なんとも巧妙な印象操作ではないか。 驚いたのは十月二十九日放送のBS1(NHK)「キャッチ!世界の視点」である。豪ABCテレビのニュースを「イージス艦 中国の“領海”に侵入」(テロップ)と報じた。だが英語を聞くと、そうは言っていない。侵入とは「(他国の領土、他人の家など)立ち入るべきでない所に、無理にはいり込むこと」(『岩波国語辞典』)。国内でも犯罪を構成する(刑法130条)。米軍を犯罪者のごとく報じるのは不適切きわまる。日本の公共放送と違い、豪ABCは正しく「国際法で人工島に12カイリの領海は適用されません」と報じたが、NHKは「米中の軍事的緊張が高まる恐れがあります」と解説(?)し、ぶち壊した。 NHKだけではない。十月二十七日放送の「あしたのニュース」(フジテレビ)も「アメリカは領海と認めていない」。十一月一日放送の「新報道2001」(同前)も司会者が「(アメリカは)中国が埋め立てた人工島を領海の基点とは認めないといったような姿勢を見せている」と解説した。 他の民放はさらに酷い。十月二十七日放送の「ニュース23」(TBS)は「しばらく目が離せない。緊張状態が続く」(岸井成格アンカー)との解説(?)に終始。同夜のニュース「zero」(日本テレビ)に至っては、スポーツコーナーの後に短く触れ、村尾信尚MCが「新たな局面に入った」と解説(?)しただけ。翌二十八日放送の「スーパーJチャンネル」(テレビ朝日)は大谷昭宏コメンテーターが臨時国会を招集しない安倍政権を批判して一丁あがり。なんとも、お気楽な商売である。「人工島」は「島」ではない「人工島」は「島」ではない 公共放送以下マスコミがなんと言おうが、真実は一つ。人工島は領海を持たない。アメリカが勝手にそう言っているのではなく、国際法で決している。たとえば国連海洋法条約(海洋法に関する国際連合条約・以下「国連条約」)でこう明記されている。「人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない」(60条8項) 右条文を読んだうえで意図的に右の報道を繰り返したのなら、もはや卑劣な売国奴である。なお、アメリカが国連条約の当事国でないことを挙げ、「米政府に右条文を援用する資格はない」と主張する者もいるが、法的な妥当性はない。なぜなら国連条約の成立以前から「領海及び接続水域に関する条約」が伝統的な解釈を採用して「島」をこう定義したからである。「島とは、自然に形成された陸地であつて、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。2島の領海は、この条約の規定に従つて測定される」(10条)米海軍のイージス駆逐艦「ラッセン」 右の「自然に形成された」(naturally-fomed)とは「人工的な関与がまったくない」こと。もちろん人工島はこの要件を欠く。ゆえに「島」ではない。過去「人工島についても限定的な要件の下、領海を持ち得る」と(中国以外からも)主張されたが、右のとおり明記され、加えて国連条約が同要件を踏襲したことで、この論点は「実定国際法上の解決をみた」(山本草二『国際法』有斐閣)。 それは中国当局もご承知であろう。だからこそ埋め立てを急ピッチで進めてきた。今後「漁民」など民間人の入植を促進し、彼らの居住や経済活動を定着させていくつもりであろう。国連条約は「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」と規定する(121条3項)。つまり「岩」は「島」ではない。したがって強引に「人間の居住又は独自の経済的生活を維持」して「島」と主張するに違いない。 だが中国政府(と日本のマスコミ)がなんと言おうが、真実は一つ。人工島は「島」ではない、いくら埋め立て、大勢の中国人が居住しようが領海を持たない。 今回、米軍が航行した海域は中国の領海ではなく国際法上の公海である。公海は、沿岸国であるか内陸国であるかを問わず、すべての国に開放される。そう「公海に関する条約」(87条)が明記している。国連条約もそう明記した。この公海の自由は「航行の自由」と「上空飛行の自由」を含む。その他「科学的調査を行う自由」などもあるが、条約はそれらに留保を加えた。他方「航行の自由」と「上空飛行の自由」に留保はない(これを同視した外務省公式サイトの説明は不正確)。 分かりやすく言えば、航行と上空飛行については完全に自由。「公海は平和的目的のために留保されるが、それによって公海での軍事演習や兵器実験をはじめ武力紛争または軍事行動が当然に禁止されるとはいえない」(前掲山本)。つまり、やりたい放題。実際、核保有国は白昼堂々、公海上で核実験を繰り返してきた。もちろん「戦略上の抑止任務」も自由かつ合法。だから核大国は戦略原潜などを公海に配備している。これでも「航行の自由」作戦と呼べるのかこれでも「航行の自由」作戦と呼べるのか 今回の作戦名「航行の自由」が、以上の国際法原則に由来することは言うまでもない。アメリカに限らず文明国が共通して尊重遵守してきた原則である。日本も例外でない。「わが国はかねてより公海自由の原則を重んずる立場」を守ってきた(筒井若水『現代資料国際法』有斐閣)。日本政府が米国を支持したのはこの点からも当然である。 日米は国際法とともにある。マスコミは米中対立の構図を描くが、南シナ海では国際法と中国が対立している。文明と野蛮が対峙している。緊張を高めた原因はアメリカの「強硬策」(朝日)ではなく中国の海洋進出である。 二〇一四年八月には、南シナ海上空で米海軍哨戒機に対し中国戦闘機が異常な接近・妨害を行った。二〇一五年四月には、スビ礁周辺で定期的な哨戒飛行中のフィリピン空軍機に中国艦船が強力な光を照射し退去を要求した。これらは公海における「上空飛行の自由」を侵害する違法かつ危険な行為である。「航行の自由」作戦を決行した米海軍の駆逐艦「ラッセン」=2009年11月(米海軍提供・ロイター=共同) 中国は一九九二年「台湾及び釣魚島を含むその附属諸島(尖閣諸島)」とともに南沙諸島や西沙諸島などを自国の領土と明記した「領海および接続水域法」を制定(2条2項)。「外国の軍用船舶は、中華人民共和国の領海に入る場合には、中華人民共和国政府の許可を得なければならない」と規定した(6条2項)。一九八四年の中国「海上交通安全法」も同様の規定をおいている(11条)。 いずれも中国の勝手な主張に過ぎず、国際法上の根拠を持たない。尖閣はもとより、南沙諸島や西沙諸島は中国領ではない。百歩いや百万歩譲って、南シナ海が中国の領海だとしても、中国の主張は国際法に反する。なぜなら外国の領海を航行するに当たり、沿岸国の許可など不要だからである。 だが中国に国際法など馬耳東風。二〇〇九年には、国連宛口上書にいわゆる「九段線」の地図を添付。南シナ海のほぼ全域に自国の「主権、主権的権利および管轄権」が及ぶと主張。いまもその姿勢を変えていない。先日の米中首脳会談でも、習近平主席が「南(シナ)海は古来より(中国)の領土」と公言した。 米軍は南シナ海周辺におけるプレゼンスを強化してきた。二〇一五年五月には、沿岸域戦闘艦(LCS)フォートワースがLCSとして初めて南沙諸島周辺での哨戒活動を行った。今回の作戦もその延長線上にある。 ただし報道された限りなら「航行の自由」作戦と呼ぶのは無理がある。国際法上「航行の自由」は公海において認められる。前述のとおり軍事演習も自由。(他関連条約の制約はあるが)核実験も自由。自衛権行使要件を満たすなら武力行使すら自由である。 だが報じられたのは、米軍が人工島の12カイリ内を通航したという事実だけ。それは領海内でも認められる。国際法上「すべての国の船舶は、領海において無害通航権を有する」。「領海及び接続水域に関する条約」がそう明記する(14条)。国連条約もそう規定する(17条)。右の「無害」要件を満たす限り、中国領海内の「通航」は認められている。中国は「領海における外国船舶の無害通航を妨害してはならない」(国連条約24条)。つまり米艦が「無害通航」したのなら、中国の領有権を否定したことにならない。 人工島は領海を持たない――そう示すためなら「無害通航」では足りない。“有害通航”する必要がある。たとえば条約が禁止する「停船及び投錨」。あるいは「徘徊、滞留その他」(前出山本)。だが米艦が「停船」した等の報道はない。せめて人工島を周回するくらいの姿勢はみせるべきであろう。朝日論説副主幹の呆れた放言朝日論説副主幹の呆れた放言 ラッセンが「駆逐艦」と報じられたこともあり、その通航を「無害」と感じない日本人が少なくないが、たとえば艦船が戦闘配置についたまま通航しても無害性は認められている(国際司法裁判所判決)。反対に「無害」でないのは「兵器を用いる訓練又は演習」や「沿岸国の防衛又は安全を害することとなるような情報の収集を目的とする行為」あるいは「航空機の発着又は積込み」(国連条約)。 たとえば空母を派遣し、艦載機を発艦させる。そうすれば、明らかに「無害通航」ではなくなる。国際法上、潜水艦は領海内で「海面上を航行し、かつ、その旗を掲げなければならない」。 今回はどうだったのか。私は、米イージス艦ラッセンに随伴した潜水艦が12カイリ内を潜没航行したと信じたい。そうでないなら「航行の自由」作戦と名乗るのはおこがましい。 なお今回その12カイリ内を通航したとされるスビ礁は中国が領有を主張する(暗礁ではない)島(砂州・Sand Cay)の12カイリ内に位置するため、かりに同島(ないし南沙諸島)の領有権を認めれば、スビの人工島も領海基線を持ち得る。中国がそう主張する可能性がある。そう認めるなら、なおさらのこと今回は「航行の自由」作戦ならぬ「無害航行」作戦でしかなかった。 米海軍は通常、艦隊行動をとる。そもそもイージス艦は空母を護衛するためにある。空母機動部隊として潜水艦や哨戒機とともに行動する。だが今回、米軍は空母を派遣しなかった。中国を刺激すると判断し自制した結果であろう。哨戒機の派遣は報じられたが、潜水艦の行動は報道がない。もし潜水艦が潜没航行しなかったのなら、「航行の自由」作戦ならぬ「無害通航」でしかない。中国の領有権主張を認めたに等しい。 他方で十月下旬、中国の潜水艦が米空母「ロナルド・レーガン」のすぐ近くを航行したと報じられた。その直後の二十七日には、ロシア機2機がレーガンに接近し、艦載機が緊急発進(スクランブル)した。本来なら米潜水艦が中国を威嚇すべきところ、逆に中国潜水艦の威嚇を受けている。ついでにロシアも威嚇している。 アメリカ人も同様の疑問を持ったのであろう。十一月四日、米国防総省のデービス報道部長が記者会見し「無害通航ではなかった」と釈明したが、証拠は示さなかった。後から「実は米潜水艦が潜没航行していた」などと公表しても遅い。二〇一六年には人工島の滑走路が使えるようになってしまう。そもそも名実とも「水面下の戦い」であり、真否を検証できない。「航行の自由」を示すためには「無害」でない航行や活動が必要であった。南シナ海・スプラトリー諸島のスービ礁=2015年8月(デジタルグローブ提供・ゲッティ=共同) オバマ政権の腰が定まっていないから、現場が腰を引く。その結果、作戦は腰砕け。要するに、そういうことではないのか。あえて英語で皮肉を言えば「トゥーリトル、トゥーレイト」であろう。 NHKの報道を援用しよう(10月28日のニュース7)。「アメリカ政府は、ことし5月ごろから今回の作戦の検討を始め、それ以降、中国政府との間でも非公式な意見交換を行った」「こうした意見交換を通して中国側は、作戦が攻撃的なものではなく主権を脅かすものでないことを明らかに理解するようになった」 これでは米中の出来レースではないか。 米軍はその後、人工島周辺の空域も、B52戦略爆撃機2機に飛行させたが、このときは12カイリにも入らせなかった。領海と異なり領空には無害通行権は認められないから、入れば、中国の理屈では「領空侵犯」になったはずだが、やはりそうはしなかった。 しょせん、この程度の「作戦」なのに、緊張を高めたと非難する輩がいる。反対に拍手喝采する者がいる。どちらもおかしい。 ただし日本政府に米国を批判する資格はない。なぜなら日本はなんのリスクも負っていないからである。シーレーンの安全を守っているのは米軍であって自衛隊ではない。日本政府は現行法上いつでも可能な警戒監視活動すら躊躇している。そんな国に、オバマ政権を批判する資格などなかろう。 最低最悪だったのは十月二十七日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日)。立野純二(朝日論説副主幹)が以下のとおり、中国ではなく、なんと安倍政権を批判した。それも作戦が実施された日の夜に。「安保論議ですよね。大いに南シナ海情勢は心配されていたんですが、心配されていたにもかかわらず、ほとんど論議されなかったというのが、まさに南シナ海の問題だったと思いますね。(中略)もし自衛隊が南シナ海まで出張るということになれば、いま日本はすでに尖閣諸島のある東シナ海で中国と向き合っているわけですから、その緊張を一気に南の海まで広げようということになるわけですよね。今回、自民党と公明党(が)強行して成立させた安保法制。これをもってですね、遠い海のことのように思えるこの南シナ海の火種が実は日本に一気に近づいたんだという意識が国民にどれだけ持てただろうか。政権はどれほど説明しただろうか、というのが私には気がかりです」 古舘伊知郎キャスターが「そうですか」と追従し、自衛隊派遣の可能性に触れ「説明不足だし、ありえない感じがしますね」。立野が「そうですね」と同意してコーナー終了。海自版「航行の自由」作戦を海自版「航行の自由」作戦を 以上すべて間違い。先の国会で南シナ海は何度も議論された。NHKが何度も中継した。翌朝の朝日記事を借りよう。「安倍晋三首相は、安保法の国会審議で、重要影響事態が起こりうる地域について、南シナ海も例に挙げた」。国会中継を見ていない立野は知らないようだが、「安保法制」は実質的に大幅修正され、三つの野党と自公による賛成多数で可決成立した。「強行」でもなんでもない。「説明不足」と言うが、政府は何度も答弁した。メディアでも説明した。私は聞き飽きた。立野は五月二十六日放送の同番組でも同様のコメントを述べたが、南シナ海問題は「安保法制」と直接関係しない。そう拙著『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)で指弾したが、彼の眼には留まらなかったようである。是非に及ばず。みたび朝日記事を借りよう。「現在でも自衛隊の護衛艦や航空機の警戒監視活動の範囲に法的制約はなく、南シナ海でも可能だ」。もう拙著はいいから、せめて朝日新聞くらいキチンと読んでほしい。「アメリカは世界の警察官ではない」――二〇一三年九月十日、オバマ大統領がシリア問題に関する米国民へのテレビ演説でこう明言して以降、中国による埋め立てが急ピッチで進んだ。ロシアもクリミア併合に踏み切った。もはや取り返しがつかない。 菅義偉官房長官は十一月五日「米軍の航行の自由作戦に自衛隊が参加する予定はない」と述べる一方、南シナ海での自衛隊の活動について「今後検討していくべき課題だ」と警戒監視活動の可能性を示唆した。 日本はどうすべきか。何ができるのか。前出朝日記事は「南シナ海まで行く余力も利点もない」と語る自衛隊幹部のコメントを援用しつつ「仮にP3C(海自哨戒機)が沖縄の基地から南シナ海に向かうとすると、飛行時間は片道約4時間。P3Cの平均的な航続時間は8~10時間で、現地での飛行は数時間に限られる」と書いた。事実その通りだが、後継機の最新哨戒機P1は航続時間や巡航速度が大幅に向上している。さらに言えば、東南アジアに給油ポイントをつくれば問題は解決する。十一月六日付朝日朝刊記事も借りよう。「海自が保有する護衛艦は47隻。一見、多いようだが、海自艦艇は尖閣諸島周辺の警戒、ロシアの動向の監視、北朝鮮のミサイル対応に加えインド洋・ソマリア沖の海賊対処も行う。訓練や定期修理もあり、やりくりに苦慮しているのが実態だ。/それでも海自は、現有の装備や能力で、米国の要請に精いっぱい応えようとしている。ソマリア沖で海賊対処に当たる護衛艦や哨戒機が日本と往復する際や、練習艦隊が定期的な遠洋航海に出向く際などに南シナ海に入り、自衛隊の存在感を示したり哨戒活動をしたりする。海上幕僚監部は、そんな案を検討している」 そのとおり。右の案は私も提案してきた。南シナ海を航行する際、わざとスピードを落とす。あるいは警戒監視に当たる米艦と併走する。せめてそれくらいしてほしい。 さらに停船や徘徊。日米共同軍事演習。あるいはヘリ搭載型護衛艦から哨戒機を発艦させる。もちろん「人工島」の12カイリ内で。そう実行できれば、名実とも海自版「航行の自由」作戦となる。 いずれも実施しないのなら、日本国はみたび「卑怯な商人国家」と堕する。「美しい国」とは程遠い。海賊対処に当たる護衛艦や哨戒機は南シナ海を通る。今後「人工島」12カイリ内を通航しないのなら、誰の目にもあえて避けたと映る。それでは中国の領有権を認めたに等しい。 現場の事情はそれなりに承知しているつもりだが、朝日の記者に泣き言を語るのは止めてほしい。工夫し努力して「余力」をつくるのが仕事であろう。「利点」がなくとも任務を遂行するのが使命ではないのか。 海は一つ。南シナ海で起こることは東シナ海でも起こる。日本政府は事態を傍観すべきでない。海自が南シナ海で活動すれば、間違いなく中国軍は対抗措置をとる。中国海空軍の高官が私にそう明言した。中国軍は自衛隊の動向を注視している。だからこそ、中国と世界の目に見える活動をすべきなのだ。今やらなければ、取り返しがつかない。 うしお・まさと 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒業。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。早大大学院研修(法学研究科博士前期課程修了)、長官官房などを経て3等空佐で退官。帝京大准教授など歴任。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)など著書多数。

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    「東シナ海さえ平和なら全てよし」は短絡だ 南シナ海にも積極的に関与せよ

    井上和彦(ジャーナリスト) 地対空ミサイルをはじめ戦闘機を配備するなど、中国は西沙(パラセル)諸島の軍事拠点化を進め、南シナ海は一触即発の度を高めている。 昨年11月、フィリピンでオバマ米大統領と会談した安倍晋三首相は、アメリカによる「航行の自由作戦」に対して支持を表明し、自衛隊の南シナ海への派遣について「日本の安全保障に与える影響を注視しつつ検討する」とした。「存立危機事態」への誤解 日本は石油の83%、天然ガスの30%を政情不安定な中東に依存しており、これら化石燃料は1万2千キロもの長大な海上交通路(シーレーン)を通って運ばれてくる。 シーレーンは国民生活と日本経済の生命線である。しかし昨年の安保法制をめぐる議論では、ペルシャ湾にあるホルムズ海峡の機雷除去に対して、日本から遥(はる)かに離れた場所にあり、集団的自衛権行使の前提となる「存立危機事態」に該当しない、などと反対の声が上がった。 さらに南シナ海への自衛隊派遣についても、自民党有力議員からでさえ、南沙(スプラトリー)諸島で何が起ころうが日本には直接には関係がない、といった発言が飛び出す始末だ。 安全保障は“日本からの距離”で判断すべきではないことは言うまでもない。また東シナ海さえ平和であれば全てよしとする思考は、あまりにも短絡である。新編された「第9航空団」 シーレーンの問題を東海道新幹線にたとえてみる。新大阪-京都間で強風のために新幹線が止まれば、当然その影響で品川-東京間のダイヤも乱れる。新横浜-品川間で列車故障になれば、間近な東京駅にもたどり着けない。 新大阪-京都間を「ペルシャ湾」、新横浜-品川間を「南シナ海」、品川-東京間を「東シナ海」と見立てれば、シーレーンのどこで問題が生じても、中東からの石油は日本に届かないことがおわかりいただけよう。 つまりシーレーン上に発生するいかなる武力衝突も、実質的に日本の存立危機事態となるのだ。新編された「第9航空団」 中国の力による強引な現状変更が進む南シナ海は、周辺各国の領有権主張がぶつかり合うため、武力衝突の危険性は高く、場合によっては日本が存立危機に陥る。 東シナ海も同様に危機が高まっている。領空へ接近する外国軍機へのスクランブル発進回数は急増しており、平成27年度第3四半期までに567回、そのうち、中国機に対するものは66%を占めている。平成23年度から4年間で中国機への発進回数は約3倍に増えているのだ。 こうした事態に対応すべく1月31日、航空自衛隊那覇基地の南西航空混成団隷下に「第9航空団」が新しく編成された。これまでの1個飛行隊(F15戦闘機20機体制)から、2個飛行隊(同40機体制)に増強されたのである。これによって抑止力は格段に向上し、領空侵犯の対応にあたるパイロットの任務の負担も軽減された。第9航空団の記念式典後、那覇基地上空を編隊飛行する自衛隊機=1月31日午後 士気もすこぶる高い。「全ては国民の生命財産を守るため」「南西域の空の守りは任せてください」-団司令の川波清明空将補をはじめ、隊員の表情は実に頼もしく、彼らの発する忠恕(ちゅうじょ)にあふれた言葉と決意には胸打たれるものがある。 ところがそんな空自の増強に対しても、懸念の声が上がっているのだ。現在、沖合に第2滑走路が建設中だが、那覇空港の滑走路はわずか1本。民間旅客機がひっきりなしに離着陸する合間を縫って、空自機が舞い上がってゆく。 地元紙は自衛隊機の増強によって那覇空港が一層混雑し、民間機の離着陸への影響を危惧する。 しかし、それこそ本末転倒ではないか。那覇空港が過密化する原因は中国の挑発行為にある。非難すべき相手は中国にあるのだ。島嶼防衛は喫緊の課題 鹿児島南端から、日本最西端の与那国島までの島嶼(とうしょ)部は1300キロほど、ほぼ本州と同じ長さだ。しかし、沖縄本島には空自第9航空団の他にはP3C哨戒機を有する海自第5航空群はあるものの、護衛艦は1隻も配備されていない。陸自も総員2100人の第15旅団のみで、戦車部隊も野戦特科(砲兵)もない。 そんな南西方面の抑止力を高めるため、目下、防衛省は島嶼防衛を「喫緊の課題」として取り組んでいる。 この3月末には与那国島に150人規模の陸自の沿岸監視部隊が配置される。これまで無防備だった奄美諸島や、5万人の人口を抱える石垣島や宮古島への自衛隊配備も必要だ。 武装海警船による領海侵入で、いまや東シナ海の危険度は南シナ海と変わりがなくなっている。 もとより、東シナ海も南シナ海も、中国の軍事戦略目標ラインである第一列島線の内側にあり、そこには安全が保障される境界線など存在しない。だからこそわが国は、東シナ海のみならず南シナ海に対する積極的関与が必要なのである。南西方面の防衛力強化を急がなければならない。いのうえ・かずひこ ジャーナリスト。昭和38年、滋賀県生まれ。法政大学卒。軍事・安全保障・外交問題などをテーマに、テレビ番組のキャスターやコメンテーターを務める。航空自衛隊幹部学校講師、東北大学大学院・非常勤講師。著書に『ありがとう日本軍』(PHP研究所)、『日本が戦ってくれて感謝しています2』(産経新聞出版)など多数。

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    南支那海での振る舞いを「侵略」と呼ばない媚中報道の罪

    記者が応える毎日新聞の「なるほドリ」欄。十二月二十一日のテーマは「南シナ海問題 日本どうするの?」。中国は南シナ海のほぼ全体の領有権を主張しており、南沙(英語名・スプラトリー)諸島で岩礁を一方的に埋め立てて「人工島」建設を進めました。これに対し、米国は10月、イージス駆逐艦を人工島の12カイリ(約22キロ)内に派遣しました。中国が人工島の「領海」だと主張できる12カイリ以内にあえて派遣することで、中国の主張を受け入れず、埋め立てを認めない姿勢を示しました。「航行の自由」作戦と呼び、当面継続する方針です。 記者はまず、このように南支那海での米中対立の状況を紹介した上で、「日本はどうするの?」との読者の質問に対し、次のように説明する。安倍晋三首相は11月のオバマ米大統領との会談で作戦支持を明言し、南シナ海での自衛隊の活動について「情勢が日本の安全保障環境に与える影響を注視しつつ検討する」と伝えました。 そして「自衛隊を南シナ海に派遣するの?」との問いに対しては、具体的な計画はありません。米軍側からは継続的に海域をパトロールする警戒監視活動への参加を期待されていますが、現状ではそちらに部隊を割く余裕はありません。沖縄県・尖閣諸島がある東シナ海の監視や、アフリカ・ソマリア沖に海賊対処として艦船などを派遣しているからです。また南シナ海は遠く離れており、給油ができる拠点がなければ十分な活動はできず、防衛省幹部も「現実的ではない」と否定的です。ただ、首相は将来的な活動の可能性までは否定しておらず、政権の判断次第といえます。 次いで「安全保障関連法が成立して自衛隊の活動が拡大したんじゃないの?」との質問には、 具体的な計画はありません。米軍側からは継続的に海域をパトロールする警戒監視活動への参加を期待されていますが、現状ではそちらに部隊を割く余裕はありません。沖縄県・尖閣諸島がある東シナ海の監視や、アフリカ・ソマリア沖に海賊対処として艦船などを派遣しているからです。また南シナ海は遠く離れており、給油ができる拠点がなければ十分な活動はできず、防衛省幹部も「現実的ではない」と否定的です。ただ、首相は将来的な活動の可能性までは否定しておらず、政権の判断次第といえます。 このような説明に、「日本までがプレゼンスをします必要はあるのか」「米中対立問題に日本まで関与する必要はない」「すべては安倍政権の『判断次第』。安倍さえいなければ」といった声が、読者の間から聞こえてきそうだ。安全保障関連法への反対の声がそうだったように。国民を平和ボケさせるメディア国民を平和ボケさせるメディア そうした一国平和主義者達の特徴は、中国の脅威を見て見ぬ振りをすること。そうすれば日本は安泰でいられると思い込んでいる(思い込みたがっている)ようだが、そもそもそうした思潮を作り上げた元凶の一つが、中国の寛大な(中国に迎合した)毎日新聞を含むマスメディアである。 これらが拡大一方の中国の脅威の深刻さを明確に伝えていないため、国民はいつまで経っても平和ボケから覚醒できないでいるのだ。南シナ海・スプラトリー(中国名・南沙)諸島のファイアリークロス(中国名・永暑)礁を埋め立てて建設した飛行場で、着陸した中国の航空機の前で記念写真に納まる関係者ら=1月6日 では中国の脅威の「深刻さ」をいかに報じればいいのか。実はこれは簡単なことである。 たとえば今回の「なるほドリ」は「中国は南シナ海のほぼ全体の領有権を主張しており」とは伝えているが、それに加えて「領有権の主張」は虚偽であることを国際法の観点(歴史的経緯も含め)から解説すればいい。 そして「岩礁を一方的に埋め立てて『人工島』建設を進めました」との説明で終わるのでなく、それがアジア全体の平和を脅かす危険で不法な領土拡張、侵略の動きだと指摘すればいいのである。 そのようにすれば読者は、より問題の深刻さを理解することができることだろう。中国の島の接収の不当性を指摘しなければ意味なし もっとも毎日は、実はそうしたことをまったくやっていないわけではない。 十一月二十五日に掲載のコラム「木語」は次のように書き、中国が南支那海の島々の領有宣言を行ったのは戦後のことであると伝えている。中国が「南沙」の実測地図を作ったのは戦後、1947年以後だ。蒋介石政権が日本軍の占領していたパラセル(中国名・西沙)諸島や、日本領「新南群島」(スプラトリーの日本名)に軍艦を派遣して接収した。初めてこの地の島々を測量して南沙と命名した。主要な島には軍艦の名前から「太平島」「中業島」など中国名をつけた。このころ、南シナ海全域に「十一段線」(後に九段線)という線引きをして領有宣言した。 これであれば、中国側の「南海諸島(パラセル、スプラトリー諸島など)は古来中国領土であり、先祖が残したものであり、いかなる者であれ中国の主権や関連権益を犯そうとしても中国人民は承諾しない」(習近平主席)といった類の主張に対する反論にはなりに得る。 しかし、それでもまだ不十分なのだ。戦後の中国による「接収」が領有権の根拠たり得ないことを書かなければ、何の意味もないのである。自国を「侵略国」と断罪しても中国へは物言えないメディア 中国はもちろん「接収」は合法だと主張する。たとえば王毅外交部長は次のように説明する。 「中国はカイロ宣言、ポツダム宣言を根拠に、日本に不法に占領された南沙、西沙諸島を回収した」 要するに日本は「中国から盗取した領土を返還すべし」と謳うカイロ宣言の履行をポツダム宣言の受諾を通じて誓約したことで、これらの島々は中国領土に復帰したと、いう国際法上の主張である。 中国は台湾についても全く同じ主張をしているわけだが、しかしいずれも捏造宣伝だ。 事実を言えば日本は、スプラトリー諸島にしても台湾にしても、中国へは「返還」(割譲)していないのだ。実際には一九五二年に発効のサンフランシスコ講和条約に基づいてそれらを放棄しただけであり、その後の新たな帰属先は確定されなかったのである。 マスメディアは、この事実を明確にすればいいのである。ただそれだけで中国の「主張」は完全な作り話であることが実証されよう。 しかし、日本のメディアはそれができないのである。 なぜなら中国は、台湾とともに南支那海もまた「核心的利益」だと位置付け、それら問題に各国が容喙することを断じて許さない構えだ。そのような中国の怒りを恐れる日本メディアは、従来台湾に対してそうだったように、南支那海の島々についても「中国の領土ではない」と明言できないのだろう。 日本の過去の戦争については、自衛戦争という側面を無視して「侵略」と断罪したがるメディアだが、中国が現実に行っている領土拡張の動きに対しては、以上のような理由で「侵略」と報じないのだから有害極まりない。(「台湾は日本の生命線!」2015年12月22日分を転載)

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    中国の南シナ海での活動が止まらない ジレンマに悩む米国

    辰巳由紀(スティムソン・センター主任研究員)  中国による南シナ海の軍事化が止まらない。中国は2014年以降、南シナ海においてファイアリークロス礁での人工島の建造や、この人工島に滑走路、港湾施設の建設などを行ってきた。が、これまではこのような建設工事は軍事目的ではないと言い続けていた。 しかし、ここにきて、先週、米国の保守系メディアであるフォックス・ニュースが、西沙諸島のウッディ島に地対空ミサイルが配備されたという報道を行った。2月22日には、この島にレーダー施設も設置されていることが衛星写真から判明したことが米戦略国際問題研究所(CSIS)の報告により明らかになった。 さらに、2月23日には中国がウッディ島に戦闘機の仁7号及び仁11号を配備したことが確認された。事態の緊迫化を招いているのは中国ハリー・ハリス米太平洋軍司令官(Getty Images) 米国は14年以降、中国の南シナ海での動きに強い懸念を表明し続けてきた。今年に入ってからは、1月23日にダボスの世界経済フォーラムに出席したアシュトン・カーター国防長官は、スピーチの中で「私は、米中間の衝突が不可避だという立場には与しない。そのような事態が望ましくないことは確実だし、衝突の可能性が高いとも思わない」としつつも「中国が現在取っている措置は、自らの孤立を深めるだけで、我々の誰もが望んでいない方向に事態を動かしている」と述べ、事態の緊迫化を招いているのは中国であることを暗に批判している。今年1月末には、昨年10月末の護衛艦ラッセンに続き、アーレイ・バーク級の護衛艦カーティス・ウィルバーが「航行の自由作戦」のために南シナ海に派遣されている。 今月に入り中国のこの地域における活動が軍事的性格をますます強めるにしたがって、米国の態度も一層、硬化している。さらに今般、中国がウッディ―島に戦闘機を配備したことが確認されたことで、米国ではにわかに「なぜ今まで米国は中国の行動に影響力を行使することができていないのか」「どうすれば中国の行動に制限をかけられるのか」についての議論が活発に行われるようになってきている。 中国がウッディ島に地対空ミサイルやレーダーサイトを配備したことが確認された直後の2月23日に米連邦議会の上院軍事委員会で17年度の国防予算について開催された公聴会では、出席したハリー・ハリス太平洋軍司令官が証言の中で「中国は南シナ海を東アジアから第2列島線にかける地域における支配を確立するための戦略的最前線とみなしている」と言い切り、「(中国が南シナ海の施設を軍事化していないと考えるのは)地球が平らだと信じているようなもの」とも発言し話題を呼んだ。米中外相会談前に異例の公聴会米中外相会談前に異例の公聴会 注目すべきは、この公聴会が開催されたタイミングと、ハリス司令官の証言の内容だ。この公聴会は23日の午前中、ワシントンで、ジョン・ケリー国務長官が中国の王毅外相と会談する直前に行われた。通常、閣僚級の会談のような重要な外交行事が行われる場合、会談相手の国が関係する政策上の問題が議論される可能性があるような公聴会を開催することは、阿吽の呼吸で議会は控える。たとえ公聴会を開催したとしても、政府側から公聴会に出席する高官は、自分の発言が会談に悪い影響を与えないように一定の配慮をすることが多い。共同記者会見後、言葉を交わすケリー米国務長官(右)と中国の王毅外相=2月23日、ワシントン(共同) しかし、今回は、もともとの目的が「2017年度国防予算に関連してアジア太平洋地域の安全保障情勢について聴取すること」であったとはいえ、米中外相会談がワシントンで行われる直前に、米太平洋軍司令官と在韓米軍司令官が登場する公聴会が予定どおり開催された。しかも、公聴会を主催した上院軍事委員会の委員長は、オバマ政権の対中政策を「弱腰」と厳しく批判しているマケイン上院議員である。公聴会の席上でマケイン上院議員から中国に対して厳しい発言が行われることは十分に予想できた。 さらに、この公聴会に出席が予定されていたハリス太平洋軍司令官も、中国に対して厳しい見方をしていることで知られており、公聴会の質疑応答の際に中国について質問されれば、彼が中国に批判的な発言をすることも十分に予想できた。ハリス司令官の証言の内容は、少なくともカーター国防長官は事前に承知していたはずで、公聴会前に「米中外相会談当日の公聴会でもあるし、少し配慮できないか」といって、暗にトーンダウンを求めることもできたはずだ。 しかし、2月23日の公聴会では、委員である議員からも、政府側の出席者であるハリス司令官からも、中国に対する厳しい発言が出ることが十分に予測できたにもかかわらず、公聴会は予定どおり開催され、ハリス司令官の、中国に対する厳しい発言が含まれた証言も、事前に議会に提出された証言の内容から大幅に変更されることなく行われているのである。 そして、肝心の2月23日の米中外相会談では、ケリー国務長官、王外相の両者が「協力できる幅広い問題があることを確認した」と、米中が全面対立しているわけではないことを強調する一方で、議論に最も多くの時間が割かれたのは北朝鮮問題と南シナ海問題であった。また、王毅外相は訪米中にカーター国防長官との会談を望んだが、カーター国防長官が拒否したともいわれている。これまでにないオバマ政権の冷めた対応これまでにないオバマ政権の冷めた対応 つまり、今回のオバマ政権の中国に対する対応は、これまでにないほど冷めたものだったのである。これまで民主党政権でも共和党政権でも、アメリカは基本的に中国を「アジアの大国」として扱ってきた。その根底には、「中国を大国として扱うことで、中国に大国としての自覚を促し、大局観に立った判断をしてもらう」すなわち、「中国の行動の形を作る(shape)する」ことを目指したいという期待があった。 その理由は米中関係が抱える複雑さにある。世界経済の安定、地球温暖化問題やイランの核開発問題など、米中が協力しなければ問題解決に向かうことが難しい問題も多いが、その一方で、北朝鮮問題、台湾、人権など、考え方が全く相いれない問題も存在する。考え方が相いれない問題で全面対決すると、協力しなければいけない問題で協力できなくなってしまい、米国の国益を損なう結果となる。であれば、考えが相いれない問題でいかに、全面対決を防ぎつつ、中国の暴走を封じながら協力できる分野で協力をしていくか……これが、歴代のアメリカの政権が抱えている対中政策におけるジレンマだった。 しかし、最近の中国は、そんな米国の期待を大きく裏切り、経済力の強さを背景に軍事力の近代化を押し進めるだけではなく、力に物を言わせて自国の主張をゴリ押しする行為を続けている。そんな中国に戸惑い、どうやれば中国の行動パターンを変えることができるのか、試行錯誤しているのが、ここ1、2年の米国の対中政策だったように思われる。昨年、習近平国家主席が訪米する直前まで、オバマ政権内でサイバー窃盗を理由に中国に対して厳しい経済制裁を科すべきかどうかが真剣に議論されていたが、あれは、アメリカのそんな試行錯誤の一つの現れだろう。日本などにはわかりにくい対中政策 「中国の行動を変えるには、中国が理解する方法でわからせるしかない」。これが米国の、少なくとも、国防当局がたどり着いた結論だろう。しかし、国防予算の大幅な増加が期待できない中、米国一国でできることは限られている。ガイドライン見直しに代表される日米同盟の強化に向けた努力、日米豪安全保障協力の活発化、東南アジアとの安全保障協力の推進、などはいずれも、米国が「アジア太平洋リバランス」政策の下で追求している政策だ。「地域の不安定化につながる」という中国の反発に対しては「中国の行動が、周辺諸国を米国との関係強化に向かわせているのだ」と意に介していないのも、最近、米国に顕著にみられる反応である。 そうはいっても、軍事衝突のような極端な事態はやはり避けたいのが米国の本音で、そこは中国も同じだろう。なんといっても世界第1位と第2位の経済大国同士である。正面衝突してしまった場合、お互いの経済だけではなく、世界経済全体に与えるダメージは図り知れない。また、中国とロシアが共同歩調を取られては困る問題があるのも事実だ。よく指摘されることだが、一つの問題で全面対決してもかまわないと思いきれるほど、米中関係は単純ではない。今後も米国は日本や韓国、東南アジア諸国などにとってはわかりにくい対中政策を続けることになるだろう。そしてその傾向は、今年11月の大統領選で誰が次期大統領に選ばれても、おそらく、それほど大きくは変わらない。たつみ・ゆき スティムソン・センター主任研究員。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。東京生まれ。国際基督教大学卒業後、ジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究大学院で修士号取得。在米日本大使館専門調査員、戦略国際問題研究所(CSIS)研究員などを経て2008年より現職。2012年よりキヤノングローバル戦略研究所主任研究員を兼任。専門は日本の防衛政策、日本の国内政治、日米安全保障関係、米国の対アジア安全保障政策。

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    水面下では思惑が合致 米中南シナ海の睨み合いは出来レース

     南シナ海・南沙諸島の岩礁を続々と埋め立てて要塞化する中国に対し、米国は軍事的措置も辞さない強硬な姿勢をとっているかのように見える。だが、財団法人「ディフェンスリサーチセンター」専務理事の杉山徹宗・明海大学名誉教授は、南シナ海の覇権争いは「米中の“出来レース”に過ぎない」と警告する。* * * 2015年10月下旬、中国の人工島建設で緊迫する南シナ海を米海軍のイージス艦「ラッセン」が遊弋(ゆうよく)、同11月8~9日には米空軍の戦略爆撃機B 52が人工島の周辺空域を飛行した。これを見た多くの日本人は「傍若無人な中国に対し、堪忍袋の緒が切れた米国がついに動いた」との印象を受けたのではないか。 しかし、当地で米中が本格的に戦火を交える可能性は極めて低いだろう。米軍の作戦は米中が演出する「出来レース」に他ならないからだ。 そもそも米中は過去100年にわたって友好関係を保っており、朝鮮戦争やベトナム戦争はあっても直接的に干戈(かんか)を交えたことはない。 中国の大国化とともに両国の関係はより緊密となり、世界最大の外貨準備高を誇る中国は現在、約1兆2000億ドル(約147兆円)の米国債を保有している。中国の不安定化は米国経済にとって死活的な問題であり、あえて軍事衝突を引き起こすとは考えにくい。 今や中国は米国にとって必要不可欠な巨大市場である。2015年9月に米国を公式訪問した習近平・国家主席はボーイング社から300機、計380億ドル(約4兆6900億円)分の航空機を購入すると表明。アマゾン、マイクロソフトなど米国を代表するIT企業のトップと面会して「相互依存関係」をアピールした。オバマ大統領も「中国からの投資が米国の雇用を支えている」と最大限のリップサービスを送った。 さらに中国は、反米色の強い中南米諸国との貿易拡大や経済援助により、米国の「裏庭」への影響力を強めている。 2014年暮れに中国は、中米地域で太平洋とカリブ海、大西洋をつなぐ全長278kmの「ニカラグア運河」の建設に着工した。40万t級の船舶が航行する運河の管理権を中国が握る。護衛のためとして人民解放軍を常駐させれば、米国の喉元に匕首(あいくち)を突き付けることになる。危機感を抱いた米国は急遽、長年不仲だったキューバとの国交回復交渉を始めた。巨大運河が建設される予定のニカラグア湖では、ビーチバレーや水浴びを楽しむ大勢の若者らの姿があった(黒沢潤撮影) 経済力と軍事力を背景に急速に増長する中国と正面から衝突するより、揉み手で懐柔するほうが米国としても得策だ。ゆえに両国は表面上、正面衝突の危険を煽りながら、テーブルの下では固く手を握り合っているものと見て間違いないだろう。 今回の南シナ海のケースでは2016年秋に大統領選を控える米国の内政事情も働いた。「自由・平等・民主・人権」を国是とする米国のオバマ大統領は南シナ海での中国の横暴に対抗し、「強い大統領」と「頼れる民主党」を国民にアピールする必要があった。ただし、大規模な艦隊の派遣がなかったことからも、今回の対立がジェスチャーに過ぎないことは明白である。【プロフィール】杉山徹宗(すぎやまかつみ):東京都出身。1965年慶應義塾大学法学部卒。米・ウィスコンシン大学大学院修士課程修了。カリフォルニア州立大学非常勤講師を経て明海大学教授に就任(現・名誉教授)。(財)ディフェンスリサーチセンター専務理事、自衛隊幹部学校講師。著書に『中国の軍事力 日本の防衛力』、『「米中同盟」時代と日本の国家戦略』(いずれも祥伝社刊)など多数。関連記事■ 中国 南シナ海の領土主張と同手法を尖閣に適用する可能性も■ 中国が最も嫌がるのは日本、インド、ASEAN合同軍事演習■ 中国軍 海南島に原潜秘密基地建設で南シナ海での対立激化か■ 中国による他国領支配の常套手段は漁船に偽装した軍艦派遣■ あまりに強引な中華帝国的侵略手法を櫻井よしこ氏が危惧

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    中国崩壊を恐れるのは誰だ!

    年明けの上海株暴落に象徴される中国経済の崩壊ぶりは、まさに底なしの様相をみせている。この事態を日本は悲観すべきなのか。振り返ってみれば、日本をはじめとする東アジアの安全保障環境を著しく悪化させてきた元凶が、有り余る「チャイナ・マネー」であったことは論を待たない。

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    人民元「国際通貨化」の脅威に立ち向かえ

    (産経新聞特別記者)異形の党支配経済、延命は決定的!? 国際通貨基金(IMF)は11月末の理事会で、中国の人民元を来年秋から特別引き出し権(SDR)の構成通貨(現在はドル、ユーロ、円、ポンド)への追加を決める。元は国際通貨としてのお墨付きを得ることになるが、単なる経済事案ではない。通貨とは基軸通貨ドルが示すように、国家そのものであり、経済のみならず政治・外交・軍事すべてを根底から支え、運営を誤れば揺るがす。 中国の場合、元は共産党通貨であり、それを世界で通用させることは、破綻しかけた共産党指令経済を延命させることはもとより、対外的な膨張を助長させる。日本にとっては脅威の増大を意味する。 共産党中央が指令する中国経済は事実上マイナス成長に落ち込んでいる。習近平党総書記・国家主席の中国は手負いの巨大怪物も同然だが、愚かではない。習氏は米英が仕切る国際金融市場の総元締め、国際通貨基金(IMF、本部ワシントン)に元を国際準備通貨として認定させる道を付けた。 現在の代表的な国際通貨はドル、ユーロ、円、ポンドであり、IMFの国際準備通貨単位である特別引き出し権(SDR)を構成している。SDRは帳簿上で記載されるだけで、流通するわけではないが、各国中央銀行は通常、SDR構成通貨建ての金融資産を準備通貨として保有するので、民間はSDRを構成する通貨での支払いや決済に安心して応じる。 これまでの人民元は、韓国のウォンや東南アジア各国の通貨同様、ローカル通貨であり、これらの各国は外貨準備を積み上げながら、外貨の流出を防ぐと同時に、外資が流入するように金融、財政政策を調整しなければならない。 元の国際通貨化が党支配経済存続の鍵になるという切実な事情は2つある。現在の中国は、外貨の流入が細り、資本の流出に加速がかかり、外貨準備が急速に減少している。もう一つ、元資金を使った対外融資や投資を増やす対外戦略上の必要性である。中国は固定資産投資主導による高成長路線が限界に来ており、このままでは経済崩壊してしまいかねない。それを打開するためには、国有企業の再編成など合理化・競争力強化策が必要だが、党幹部の既得権益調整に手間取るので短期間では実現不可能だ。手っ取り早いのは、対外投資を増やして、輸出を増強することで成長率を引き上げる方法だ。その決め手とするのが、中国とユーラシア大陸及び東南アジア、インド、中近東・アフリカを結ぶ陸と海の「一帯一路」のインフラ・ネットワーク整備構想である。 習近平政権はその投融資を行うための基金や国際開発金融機関を相次いで発足させようとしている。代表例が、年内設立をめざす多国間のアジアインフラ投資銀行(AIIB、本部北京)である。AIIBは国際金融市場でドルなど外貨を調達してインフラ資金とする計画で、英独仏など欧州や韓国、東南アジア、ロシアなどが参加したが、世界最大の債権国日本と国際金融シェアが最大の米国が参加しないこともあって、AIIBの信用力は弱い。このために、国際金融市場での長期で低利が必要となるインフラ資金の調達は困難だ。それを打開するためには、中国が元資金を提供するしかない。しかし、元がローカル通貨である以上、元による決済は限られる。翻って、元が国際通貨になれば、その障害は少なくなる。 元が国際通貨になるためには、ドル、ユーロ、円、ポンドと同様、SDR構成通貨への組み込みをIMF理事会が認定することが前提となる。IMF理事会審議の鍵を握るのは英国など欧州と、IMFの唯一の拒否権保有国米国である。厳密に言うと、SDR認定事項は最重要案件とはみなされず、議決権シェアで7割以上の賛成があれば、米国の拒否権を無効にできるが、SDRの新規発行は米国の賛同が必要だ。したがって米国の同意がないと、元が加わった後のSDRの追加配分に支障が出る。習氏は米欧各国に対し、実利を提示することで、抱き込みを図ってきた。日本は対米追随なので、対日工作の必要はなかった。足元をみられた欧州 詭弁にやられる米国の甘さ足元をみられた欧州 詭弁にやられる米国の甘さ 10月下旬の習氏の訪英は大成功だった。キャメロン首相の発表によると、習主席訪英中に決まった中国の対英投資案件の総額は約400億ポンド(約7兆4000億円)。さらに、習氏は、ロンドンに人民元建ての国際決済センターの特権を提供し、元建て国債の発行を表明した。これに応えて、キャメロン政権は「国際通貨元」支持を表明した。ドイツ、フランスなど残る欧州主要国も自国市場に元の国際決済業務の拡大を期待して、なだれを打つように元のSDR組み込みへの支持を表明した。 米国はどうか。ルー米財務長官は3月時点では元のSDR認可には反対表明したが、習氏の訪米後の10月6日には、「IMFの条件が満たされれば、支持する」と表明した。6月の上海株暴落後の中国当局による市場統制や8月の元切り下げは金融市場自由化原則に逆行する。ところが、オバマ政権は態度を軟化させた。上海株式市場の統制は緊急措置であり、元切り下げについて「元の市場実勢に沿う改革の一環」とする北京の説明を大筋で受け入れたのだ。 習政権は6月の上海株暴落以降、党・政府指令による経済支配を強化している。これだと、だれが見ても国際的に自由利用可能であるというSDR通貨認定条件に反するはずだが、IMFはそう見ない。フランス出身のラガルド専務理事は3月下旬の訪中時に、「元のSDR通貨承認は時間の問題だ」と習氏に約束している。IMFは8月、上海市場の統制を当面は容認すると同時に、元をより大きく市場実勢を反映させる改革案を示せば、元を来年9月からSDR通貨に認定してもよい、というシグナルを送った。市場原理とはおよそ無縁な小出しの自由化でよしとする、対中国だけのワシントンの二重基準である。 習氏は9月訪米時、ワシントンの甘さにつけ入った。「中国は輸出刺激のための切り下げはしない。元を市場原理により大きく委ねていく改革の方向性は変わらない」「中国政府は市場安定策を講じて市場のパニックを抑制した。今や中国の株式市場は自律回復と自律調整の段階に達した」「外貨準備は潤沢であり、国際的な基準では依然として高水準にある」「人民元国際化に伴って、外貨準備が増減することは極めて正常であり、これに過剰反応する必要はない」 中国伝統の白を黒と言いくるめてみせるレトリックである。8月11日の元切り下げは過剰設備の重圧にあえぐ国有企業が背後にあるが、4%台半ばの元安にとどめざるをえなかったのは、資本逃避が加速したためだ。元相場を市場実勢に反映させると言うなら、外国為替市場への介入を抑制すべきなのだが、実際には元買い介入によって元の暴落を食い止めるのに躍起となっている。株式市場は自律的に回復しているというが、当局が市場取引を制限しているために、上海株の売買代金は6月のピーク時の4分の1まで雌伏したままだ。 外準減少が正常、というのも詭弁である。資金流出は加速し、元買い介入のために外準を大幅に取り崩す。国内の資金不足を背景に対外債務は膨張を続け、「高水準の外準」を大きく上回る。外準を支える対中投資の大半は香港経由であり、そのうちかなりは外資を装った中国の投資家で、ほとんどが党幹部に直結している。建前上は厳しい資本流出入規制を実施している中国で、特権を駆使する党幹部だけがその網の目をくぐれる。言い換えると、中国は党支配体制だからこそ資本逃避が慢性化する構造になっている。習氏が党総書記就任前の12年前半にわずかずつ人民元を低めに誘導すると、資本逃避が起きた。あわてて元を高目誘導したらデフレ圧力が高くなったので、14年前半には再び元安方向に修正したら、やはり資本逃避が再発する。 景気の方は14年初めから停滞感が強くなる一方である。中国当局発表では14年は7%台半ば、15年も7%弱の実質成長を続けているが、モノの動きを忠実に反映する鉄道貨物輸送量は前年同期を下回り、以来マイナス幅は拡大するばかりである。その場合、金利を下げ、元安にするのが景気対策というものだが、すると資本逃避で国内資金が不足する。元のSDR通貨認定は、北京にとってまさに焦眉の急である。人民元帝国誕生で軍拡も加速人民元帝国誕生で軍拡も加速 米英の国際金融資本にとって中国はグローバル金融市場の中の巨大なフロンティアである。小出しでも中国の金融市場の対外開放や自由化は、米金融界にとって中国市場でのシェア拡大を有利に進められる。北京は特定の米金融大手を一本釣りにして特権を与えるからだ。ゴールドマン・サックス、シティグループなどは江沢民政権時代以来、とっくに党中央と気脈が通じあっている。ニューヨーク・ウォール街代表者が政権中枢を担うオバマ政権では、グローバル金融市場に中国の元金融を取り込むことが国益とみなされるだろうし、元そのものが脅威となる日本と利害が微妙に異なる。日中財務対話のフォトセッションを終え、握手を交わす中国の楼継偉財政相(中央左)と麻生財務相=2015年6月6日、北京の釣魚台迎賓館(共同) 中国の対外貿易規模は日本のそれの3倍以上であり、すでにアジアでの元建て貿易は円建てを超えている。中国は「国際通貨」元を振りかざしながら、アジア全域を元経済圏に塗り替えるだろう。日本の銀行や企業は元金融や元建て決済を認可してもらうために、北京の顔色をうかがうしかない。それは、日本外交の手足を縛る。すでに金融界は浮き足立ち、「中国嫌い」で評判の麻生太郎財務相ですら、中国側に東京に元決済センター設置を要望する始末だ。中国との通貨スワップに頼る韓国はますます北京に頭が上がらなくなる。 国際通貨ともなれば、中国は刷った元で戦略物資やハイテク兵器を入手できるようになり、軍拡は一層進む。これでは日本は立ち上がれぬ 危機意識なき財務官僚たち 日本としての今後とるべき策は、何が何でも元の完全自由変動相場制移行と資本市場の全面自由化を早期に実行させることだ。国境を越える資本移動の自由化は、外国資本や金融機関による対中証券投資や融資の制限の撤廃、さらに中国市場からの引き上げを自由にすることを意味する。元の自由変動相場制は、元の対ドルや対円相場の変動を自由にし、中国当局による市場介入や管理を取り払う。 中国が元を乱発すれば、元相場は暴落不安が起き、中国からの資本逃避が起きる恐れがある。SDR通貨として認定されても、通貨の国際的な信認は国内の政策次第で失われる。そんな懸念から、北京は金融や財政政策で自制せざるをえなくなる。つまり、市場のチェック機能を持たせることで、元の暴走にブレーキをかけられる。党による市場統制力は次第に弱まるだろう。 考えてみれば、これまでの中国の人民元管理変動相場制は中国のとめどない膨張を支えてきた。管理変動相場制のもとでは、自由変動相場制とは全く異なって、対ドル相場は人為的に安定させられる。 元の安定を背景に、中国にはこれまで順調に外資が流入し、その外資の量に応じて中国人民銀行は元を刷り増しし、国有商業銀行、国有企業、地方政府に資金を流し込んで、不動産開発を進めて、投資主導による高度成長を達成した。国有企業は増産しては輸出を増やしてきた。ところが、不動産投資も国有企業の増産投資も過剰となり、景気は急降下し、地方政府や国有企業の債務は膨張を続けている。鉄鋼などの過剰生産は、安値での輸出攻勢を引き起こす。半面で、鉄鉱石など一次産品の国際商品市況は急落し、産出国経済を直撃している。市場需給を無視した党主導による金融は世界経済不安の元凶になっているのだ。 来年は米大統領選挙だ。日本としては米国のまともな勢力と組み、元の変動相場制移行と金融自由化の早期実行を北京に迫るしかない。仮に北京が為替や金融の自由化を約束したところで、実行するはずはない。 何しろ中国の国際ルール無視ぶりは目に余る。中国は2001年末、難交渉のうえに世界貿易機関(WTO)に加盟したが、ダンピング輸出、知的財産権無視などが横行している。国内総生産(GDP)統計は偽装の産物だというのが国際常識だ。外交・軍事では南シナ海の砂地埋め立てと軍事拠点化、絶え間のない外国に対するサイバー攻撃と、あげればきりがない。人権の尊重、言論・表現の自由は、自由で公正な金融市場ルールの下地のはずだが、党中央にはその意識のかけらもない。 米国とはそれでも、日本の危機意識を共有できる余地はある。正式候補に決まるとは限らないが、民主党のヒラリー氏はウォール街に批判的で対中警戒派だし、共和党のトランプ氏は「大統領になれば、中国を為替操作国として罰する」と息巻いている。日本として、元のSDR化で習近平政権は軍事を含む対外膨張路線をひた走るだろう、と伝えるべきだ。 問題は通貨・金融を自省の専管事項とする財務官僚だ。IMFにおいて中国のSDR通貨工作のなすがままにした。そればかりか、IMFで精を出しているのは、消費税増税をIMFに対日勧告させて安倍晋三政権を予定通りの増税に追い込む根回しだ。語るに落ちる裏切りぶりである。たむら・ひでお 昭和21(1946)年生まれ。早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社に入社し、ワシントン特派員、米アジア財団上級フェロー、香港支局長などを歴任。平成18年に産経新聞社に移籍し、編集委員、論説委員を兼務する。著書に『アベノミクスを殺す消費増税』(飛鳥新社)、『人民元の正体』(マガジンランド)など多数。

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    中国バブル崩壊を招いた「共・共内戦」の実態とは…

    の退屈なショーだった。経済損失などお構いなしで中山服姿の本人一人、さぞかし自己陶酔できたのだろうが、中国はいよいよ「伏魔殿国家」の様相を呈している。 胡錦濤前国家主席の元側近中の側近で、巨額収賄などの容疑で党籍剥奪と公職追放の処分が下った令計画(前党統一戦線工作部長)の弟、令完成らに中国機密資料2700余りが米国へ持ち出されたとされる亡命事件、上海A株市場の大暴落となりふり構わぬ株価維持対策、天津で起きた大爆発、中国人民銀行(中央銀行)による人民元の切り下げなど-世界に異様な姿を晒し続けている。 人口13億の巨大国家を牛耳る「チャイナセブン(中国共産党政治局常務委員の7人)」は共産主義青年団(団派)、太子党、江沢民派(上海閥)といった派閥だけでは語れない七人七党の総称である。地方の高級幹部なども含め、この瞬間も各自の野望が蠢き、陰謀を企て牽制し合う関係にあると私は考えている。中国共産党の第18期中央委員会第5回総会で挙手する習近平国家主席(中央)ら=北京(新華社=共同) 鄧小平が掲げた改革開放政策以降、中国共産党幹部は各々、一族を手足に「紅い財閥」として醜く肥大を続け、人脈&金脈&利権を国内外に構築してきた。「紅二代(太子党やその子女)」や「官二代(党・政府等の高級幹部の子女)」が国内外で少なからず台頭・暗躍している現実に鑑みても、政権内部の派閥闘争という単純かつ矮小化した見方では、中国の権力構造の実体を表現しきれない。 歴史的にもそうだったように、それぞれが、米英の国際金融資本家、欧州経済を牽引するドイツ、ロシアといった大国、さらにはアジアの超大物華人財閥と密接なつながりをもっている。そしてそれは諸刃の剣であり、中国の支配体制そのものを破壊する力にもなり得る。 習政権にとって目下、凶器となりつつあるのが紅・官二代を中心に米国ウォールストリートや香港のシティを主舞台にノウハウを培ってきた金融という“時限爆弾”である。七月に起きた中国A株市場の大暴落について、国内外のメディアや有識者からは、「このような操作が可能なのは、内部の政治状況や中国特有の金融事情に精通している国内の専門家集団」「権力闘争の一環。反習近平派である江沢民・曾慶紅一派の陰謀」などの声が上がっている。 中国A株市場は、いわば共産党が胴元の「博打場」だ。中国はこの1年余り、「人民日報」をはじめ官製メディアを通じて「AIIB(アジアインフラ投資銀行)、一帯一路プロジェクトなどは株価上昇の材料」と株式市場ブームを煽り立てていた。過熱する不動産市場の抑制策を次々と導入する中での株式市場へのマネーシフトと言われてきたが、ジリ貧の人民の不満の鉾先が習政権へ向かわないようにする思惑もあったはずだ。景気減速下で所得や貯蓄が伸び悩む中、銀行融資は前年比で15%近く増加しており、闇金融も貸しまくり、知識も経験もない十代の個人投資家(股民)すら激増し、個人投資家の大多数が信用取引(借金)でマネーゲームをやっていた。 挙げ句、億単位の“無知で裸の個人投資家”を巻き込み、「株価と地下が逆連動」という不可解な動きとなり、昨年7月から6月中旬までの1年間で260%まで高騰した上海総合指数は、その後の3週間ほどで40%前後も乱高下した。焦った習政権が公安まで動かし、「悪意ある空売り」を禁じ取締まる体制を整えたことからも「株価暴落は陰謀」説は絵空事と言い切れまい。 中国へのマネー流入を支えてきたのは香港で、2008年のリーマンショック以降、その傾向は強まっており、「2014年には全体の流入額の7割強を占める」とのデータもある。習主席の政敵、江沢民派の拠点の一つが香港で「江沢民派は2011年から準備を進めてきた。動かせる資金は数兆元に上る」との情報もある。「ハエも虎も叩く」「狐狩り(海外逃亡者を連れ戻す)」と宣戦布告された反習近平勢力が、「中国経済をコントロールできるのはオレたちだ」とその力を誇示すべく反撃に出たのがこのたびの株価暴落だ、との見方だ。あるいは、9月に迫っていたIMF(国際通貨基金)の「特別引き出し権(SDR)」の構成通貨に人民元が採用されること(人民元の国際通貨化)を絶対に阻止したい米国などの国際金融資本の一部が、紅・官二代と結託して仕掛けた「金融クーデター」だったのかもしれない。 五年前のSDR構成通貨の見直しでは、上海の外国為替市場で事実上の為替管理を続けていることなどが問題視され、辛酸を舐めた経緯がある。ただ、IMFのラガルド専務理事は、この数年、「加えるかどうかの問題ではなく、いつ加えるかの問題だ」と人民元のSDR入りに肯定的な発言を繰り返してきた。ラガルド体制で副専務理事に昇格していた“ミスター元”の異名を持つ朱民(中国人民銀行の周小川頭取と並ぶ中国金融界のエリート)の陰が見え隠れするが、主要7カ国(G7)の欧州メンバー(英独仏伊)も中国依存症に陥りSDR入りに前向きだった。 確かに近年、アジア周辺国は人民元経済圏として膨張を続けており、香港やシンガポールのみならず欧州やカナダなどでも人民元オフショア・センターが設立され、昨年には英独仏などで人民元決済の銀行も決定している。国際銀行間通信協会によると、2014年12月の世界の資金決済比率で、人民元はカナダドルも豪ドルも抜き、日本円に次ぐ5位に急浮上していた。しかしながら、8月4日に公表されたIMFスタッフ報告は、「現在のSDR構成通貨を2016年9月30日まで維持すべき」との見解で、人民元が早々に採用される可能性はほぼ消えた。 昨年11月からは上海と香港の両証券取引所による株式越境取引制度も始まり、中国の個人投資家が人民元で本土以外の株式を売買できるようになり、金融規制緩和のステップを具体的に踏んでいるかに「見せて」きた中国だったが、土壇場で再び墓穴を掘ったのだ。「紅二代」は金融覇権を目指す「紅二代」は金融覇権を目指す 江沢民派の超大物、周永康(前政治局常務委員・序列9位)が、収賄と職権乱用、機密漏洩などの罪で無期懲役と政治的権利の終身剥奪、個人財産の没収を宣告されたことは記憶に新しい。江沢民自身は軍事パレードに出席し健在ぶりを示したものの、かなりの高齢である。そういった中でここ数年、急浮上してきたのが江沢民の長男で還暦を過ぎた江綿恒、ではなくその彼の息子で江沢民の直系の孫に当たる1986年生まれの江志成だ。 ハーバード大学を卒業後、ゴールドマン・サックスに入社し投資手腕を磨いたとされる江志成は、2010年に博裕投資顧問(Boyu Capital)を創設した。投資者にはシンガポール政府系投資会社テマセク・ホールディングス、フォーブス誌の長者番付の常連(2015年度は世界17位・アジア1位)である長江実業グループの総帥・李嘉誠などの名前も並ぶ。博裕は創業翌年、北京や上海の国際空港にある免税店を運営する日上免税行の経営支配権を取得し、「祖父の七光り」を見せつけた。 一躍、彼の名を世界に知らしめたのは昨年、アリババ・グループ・ホールディングス(阿里巴巴集団/馬雲会長/浙江省杭州の電子商取引企業/1999年創立)の新規株式公開(IPO)に関わり、NY証券取引所に上場した際に莫大な富を得たと報じられた時だ。ニューヨーク・タイムズ紙(2014年7月21日)は、「アリババの背後にある、多くの紅二代株主が米国上場の真の勝者」との論評を掲載した。 複数の香港メディアも江志成の他、劉雲山政治局常務委員(序列5位)の息子・劉楽飛らがアリババに投資したことを報じている。「アリババの馬雲会長と江沢民の孫や劉雲山の息子などの紅二代らは、尋常でない政治的野心を持っている」「江沢民の孫ら一部の紅二代の同盟は単純なものではなく、北京当局が警戒している」などの記述も散見する。 それにしても中国A株の大暴落が「金融クーデター」だったとして、いかなる方法で仕掛けたのか? 専門用語でダークプール(代替執行市場とも呼ばれる)だと考えられる。証券取引所を通さず、投資家の注文を証券会社の社内で付け合せて取引を成立させる取引所外取引の一種で、一般的に機関投資家やヘッジファンドが参加者となる匿名証券取引である。 このダークプールについて、「市場の透明性を阻害している」との批判もあるが、米英そして香港の機関投資家の間で盛んだ。中国のA株市場も、借金してまで株に群がる裸の個人投資家以外、このダークプールに似た構造で動いているはずだ。つまり紅・官二代の一部は、庶民には数えきれないほどの「0(ゼロ)」が並ぶ巨額な資金を、匿名性も担保しつつ数字上で瞬時に動かす“新型兵器”を所持している。江沢民の長男の別称は「中国一の汚職王」江沢民の長男の別称は「中国一の汚職王」 博裕の創業者・江志成が20代でひのき舞台に躍り出た背景として、その父であり、江沢民の長男である江綿恒の国内外での「働き」は無視できない。1991年に米ドレクセル大学で博士学位(超電導を専攻)を取得し、ヒューレット・パッカードで勤務していた時代に米国の永住権(グリーンカード)を手にしたとされる江綿恒は、帰国後、親の七光りで冶金研究所の所長、中国科学院の副院長などを務めた他、通信関係を牛耳り「電子大王」の異名を持つ存在になった。 胡錦濤国家主席の時代も、江沢民は院政を敷きながら息子の政治局常務委員入りを画策してきたが、共産主義青年団(団派)はもとより、太子党の多くにすら忌み嫌われ果たせなかった経緯がある。なぜなら江綿恒の別称は「中国第一貪(中国一の汚職王)」。銀行融資は、「パパの鶴の一声」で無尽蔵に与えられていたためだ。中国海南島にある東山(海抜184メートル)の中腹に家族と共に姿を見せた江沢民元国家主席のようすを伝えた2015年1月4日付の香港紙「明報」の記事(河崎真澄撮影) 拙著『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』(産経新聞出版・2011年刊)でも詳説したが、江沢民の息子や孫に限らず、中国共産党幹部の子孫たちは、この十数年、華麗な「紅色貴族」の人生を歩んできた。多くは北米や英国の名門大学へ留学して修士や博士号を取得し、クリスチャンネームを持ち、北米や豪州の永住権もしくは市民権(帰化)を取得し、国内外に豪邸と超高級車を幾つも保有し、妻子に加え二桁の愛人まで囲いと、グローバルかつ金満で奔放な生活を送っている。 たとえ相当に出来が悪く素行すら悪かろうと、親の威光を背中に米国ウォールストリートのJPモルガン・チェース、ゴールドマン・サックス、モーガン・スタンレー、クレディ・スイス銀行、ドイツ銀行、シティ・グループといった世界的な銀行や証券会社に身を置き、中国の経済発展を追い風に、政企不分(政治と企業が分かれていない)の特性も最大限に悪用しながら桁違いなカネを扱う方法を覚えてきた。元来博打好きで覇権主義のDNAも包含する紅・官二代は、ハイリスク&ハイリターンを追求する金融という魔力に取りつかれたのだろう。 ウォールストリート・ジャーナル紙をはじめ、国内外のメディアがこの数年、紅・官二代のウォールストリートへの灰色就職について、ウィリアム・デーリー(1997年1月~2000年7月、クリントン政権で商務長官を務め、2011年1月よりオバマ政権で大統領首席補佐官に任命された)の関与などを報じており、米ホワイトハウスの一部と中国共産党の一部勢力との癒着は否めない。 また、中国の外貨準備を多元的に投資する目的で、2007年9月に2000億ドルで創設した中国投資有限責任公司(CIC)が最初の投資先に選んだのは、ニューヨークに拠点を置くプライベートエクイティファンド(未公開株、PE)大手のブラックストーン・グループだった。CICから30億ドルの投資を受けたブラックストーンは、同年に上場。リーマン・ブラザーズを退職した金融のプロが1985年に設立し、今や世界最大規模の投資運用会社とされるブラックストーンの主要株主には、今日もCICが名を連ねる。 そして「ブラックストーンのような評価の高い会社に、最初の投資が行えることは大変に喜ばしい」と語ったCICの初代董事長・楼継偉は、習政権で財務部長(大臣)を務めている。米中金融機関の「灰色」な癒着米中金融機関の「灰色」な癒着 近年、共産党幹部による汚職問題が日常的に報じられるようになったが、中国の金融業界は20年以上前から問題山積だった。1993年11月、朱鎔基首相(当時)は自ら中国人民銀行の総裁に就任し金融改革を宣言したが、人事刷新するため任命した上層部も、次々と犯罪に手を染め失脚している。温家宝が首相に就任した2003年3月、早々から力を注いだのは金融システムの整備により国際金融市場に適応する金融体制を構築することだった。だが、同年8月に関係当局が国務院に提出した報告書には、「全国金融業界の不良債権を審査したが、正確な数字の提示が困難」「各金融機関の会計が大変に不透明であり、資金の不正流出が継続している」「政府機関の裏口座の残高が上昇している」などと記されていた。 2005年10月には、失笑事件も起きた。「中国四大銀行の支店長・副支店長ら42人が香港経由で海外に集団逃亡。不正に持ち出された資金は、最低740億元と22・3億ドルに上る」と報じられたのだ。香港金融機関の視察や研修を理由に、支店長らが各々のグループで香港に渡り、その後、国慶節の休暇と偽り海外に出国してそのままトンズラ。逃亡先は豪州やニュージーランド、北米などで、逃亡者の家族の大半は現地で待機しており、金融官僚らによる組織的かつ計画的犯行とされた。100億円近く横領してカナダへ逃げ込んだ中国銀行哈爾浜支店の元支店長の身柄の引き渡しを巡り2国間の政治問題へと発展したが、カナダ市民の間でも侃侃諤諤となった。 十数年前からすでに「工商銀行、建設銀行、農業銀行、中国銀行の四大国有商業銀行の累計不良債権額は天文学的数字」とされ、金融エリートはごっそり持ち逃げ。日本の常識からすれば「経済犯罪者集団」「腐敗者集団」でしかないが、4大商業銀行の株式上場を目指していた中国は、米国の銀行に主幹事の担当を依頼するなど、「手取り足取り指南」してもらうことで株式公開にこぎつけている。一体全体、どんなウルトラCを使ったのか?  しかもそれ以来、銀行株の時価総額番付の上位の常連となった。2006年5月にゴールドマン・サックスから26億ドルの出資を受け、その他アメリカン・エキスプレス他から出資を受けて同年に上場した中国工商銀行は、ランキング1、2位が定位置である。今年7月に『フォーチュン』が発表した世界企業番付「フォーチュン・グローバル500」でも、「利益ベース」で中国工商銀行(447億ドル)がトップだった。2位アップル社(395億ドル)に、中国建設銀行、米エクソン・モービル、中国農業銀行、中国銀行と続き、上位6社のうち4社を「中国四大商業銀行」が占めた。 現在進行形で膨らんでいるはずの巨額の不良債権はどこに? 人民元は中国に「管理」された通貨である。とすれば、少なくとも米中の金融業界は「灰色の癒着」をしている。歴史は繰り返す歴史は繰り返す 昭和16年の『神戸新聞』(4月26日付)に、興味深い記事を見つけた。表題は「ユダヤ財閥頻に暗躍 南方資源の買占めに狂奔 サッスーン、香港で反日策動」。その内容を一部抜粋する。 --(前略)ユダヤ財閥の暗躍は熾烈を極め東亜におけるユダヤ財閥の巨頭フリーメーソン東洋部長サッスーンは我が大東亜共栄圏建設妨害の一行為としてこのほど仏印における米の買占めに成功したといわれているが、上海よりの情報によれば5月中頃香港において開催される重慶支持の南洋、蘭印、仏印、印度華僑の代表者会議はサッスーンと蒋介石政府との談合により我が南方政策の先手を打って物資の買占めをせんとするものであり、これが資金は一切サッスーン財閥によって支弁される、これはサッスーン財閥がアメリカユダヤ財閥と緊密なる連絡の下にかく反日行動に出たもので、ユダヤ研究者間の定説でありまたサッスーンと蒋介石、仏印当局との深き関係等々、陰に敢行されていた聖戦妨害行為は漸く表面化し、各方面の憤激の焦点になりつつあり、このサッスーン財閥の動向は聖戦貫徹の上から重視されている- 昭和12年からの支那事変(日中戦争)は約8年に及んだが、国民党・蒋介石軍の戦費の大部分はユダヤ財閥サッスーン(当時、英ロスチャイルド家の東アジア代理人で、アヘン密売で莫大な富を築いたとされる一族)が援助してきたこと、孫文や蒋介石の妻となった宋家(浙江財閥)がユダヤ資本と入魂の関係にあったことは周知の事実だ。 20世紀初頭に「魔都」「東洋のニューヨーク」などと呼ばれたサッスーン家の富の象徴、上海の外灘(バンド)の摩天楼は、1世紀を経た今日まで中国の繁栄を象徴する顔だ。鄧小平復活とワンセットで1979年に創設されたのは国策投資金融会社、中国国際信託投資公司(現・中国中信集団公司CITIC Group)で、「紅い資本主義」路線で外資導入による経済発展への道のりを歩んできた中、国際金融資本との緊密な関係により「紅い財閥」が群雄割拠する時代となっている。 ちなみに江沢民の実父(江世俊)は汪兆銘政権の官僚、つまり戦時中に日本に協力した「漢奸(売国奴)」であり、国民党特務機関の一員だったことも暴露されている。共産党の「皮」を被っただけの一部勢力の「成果」が汚職による巨万の富の蓄財と、国内外を震撼させかねない「金融爆弾」のノウハウだとすれば、「ハエも虎もキツネも退治」の大号令で、粛清に躍起になる習政権を支持する海外勢力が存在していてもおかしくはない。 大胆かつ大雑把に言えば、中国共産党内の熾烈なバトルは、米国VS英独仏国などとの代理戦争の意味合いが大きいと考えている。国共内戦ならぬ「共・共内戦」だ。江一族は米国の国際金融資本と少なからず近い関係にあり、周永康を手足に長年培ってきた石油利権を通じてロックフェラー財閥との繋がりも強い。ASEAN諸国を主軸に大中華経済圏を形成していくためにも、欧州列強との経済関係の強化に邁進してきた団派を含めた習近平一派と、英王室チャールズ皇太子による「おぞましい、古びた蝋人形」との酷評に激怒したとされる江沢民を主軸とする米国利権派という構造だ。 中国は紛れもなく、進みつつある国際秩序の大転換の主役(悪役)である。一方で中国は、国共内戦時代どころか清朝末期に先祖帰りしているようだ。「抗日戦争勝利70周年」の式典でも、習主席は天安門広場でなく故宮の太和殿の中庭に赤絨毯を敷いて、各国の来賓を迎えていた(清朝までの皇帝スタイル。時代劇にも良くあるシーン)。 9月末、習主席は初の米国公式訪問に臨み、年内には「江沢民の天敵」英国を公式訪問してエリザベス女王にも謁見する予定だ。習政権の存続は現状、五分五分だろう。だが国共内戦に敗れた国民党・蒋介石軍が台湾へ逃げ込み、今日に至るまでまがりなりにも政権与党であり続けてきたように、「共・共内戦」に敗れた中国共産党幹部も、どこかで延命していくはずだ。危惧するのは、中国国内が混乱を極め国防動員法が発令され、日系企業とその資産が事実上、接収されるなどの経済的な大ダメージを受けること。そして、かつての国民党軍のように中国共産党幹部や野蛮な人民解放軍が「沖縄」になだれ込むことだ。その可能性はゼロではない。かわそえ・けいこ 昭和38(1963)年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学を卒業。86年より北京外国語学院、翌87年から遼寧師範大学へ留学。主に中国、台湾問題をテーマに取材、執筆活動を続ける。『中国人の世界乗っ取り計画』『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』『だから中国は日本の農地を買いにやって来る』(いずれも産経新聞出版)、『国防女子が行く』(共著、ビジネス社)など著書多数。

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    軍事パレードで分かった習近平「反日」外交の挫折

    矢板明夫(産経新聞中国総局特派員) 中国の首都、北京で9月3日に抗日戦争勝利70周年の軍事パレードが世界中で注目されるなかで行われた。「パレードブルー」と呼ばれる快晴の下、北京市中心部を東西に走る長安街の大通りを約1万2千人の人民解放軍の兵士たちが軍靴を響かせて行進した。戦闘機200機あまりの飛行や、初公開の武器など500点強の軍装備を披露し、中国の軍事大国ぶりを内外に誇示した。 しかし、この日の主役である習近平国家主席は始終、さえない表情をしていた。車に乗って解放軍の隊列を検閲したときも、高揚感はまったくなく、ひどく疲れた様子だった。国内のメディアを総動員して宣伝し、長い時間をかけて準備した大きなイベントにも関わらず、内外から多くの批判が寄せられ、欧米などの主要国に参加をボイコットされたことは習氏にとって想定外だったに違いない。習氏の表情には、その悔しさが出ていたのかもしれない。 一方、習氏と比べて、一緒に天安門楼上に並んだロシアのプーチン大統領や、久々に表舞台に登場した江沢民元国家主席ら党長老たちは、最後まで、リラックスした表情で手を振り、元気な姿をみせ続けた。脇役であるはずの彼らは、今回の軍事パレードを通じて習氏よりも多くのものを手に入れたからかもしれない。「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事に臨む(左から)ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、韓国の朴槿恵大統領=2015年10月3日、北京(新華社=共同) クリミア併合問題で欧米や日本などから経済制裁を受け、国際社会から“村八分”にされたプーチン大統領には、自身の存在感を示す大きな晴れ舞台が提供された。軍事パレードのメインゲストとして習氏の隣に立ち続け、中露の蜜月ぶりを演出し、国際社会の孤立と国内経済低迷を払拭し、ロシア国内の支持者を勇気づけようとする思惑もあったとみられる。 また、これまで失脚説が何度も流された江沢民氏にとって、自身の健在ぶりを示す最高の場面となった。習国家主席が主導する反腐敗キャンペーンで、江氏の側近だった周永康・前政治局常務委員や、徐才厚前軍事委員会副主席らが次々と拘束されたことで、習派と江派の対立が深刻化したといわれる。式典の約2週間前の8月中旬、米国を拠点とする中国語ニュースサイトには、「江沢民氏が天津市の爆発に関与したとして拘束された」との情報が流れた。北京の当局関係者はすぐに否定したが、習派が江氏の影響力を低下させようとして流した偽情報の可能性が指摘された。 この日の軍事パレードで、江氏は強い日差しの中を約2時間立ち続ける壮健ぶりを見せた。また、親族の不正蓄財で調査を受けていると香港メディアに伝えられた曽慶紅元国家副主席や、李鵬元首相、温家宝前首相らも楼上から笑顔で手を振った。党長老たちは、習氏が最近、官製メディアを使って自身への個人崇拝を進めていることや、反腐敗の名目で政敵を次々と倒していくやり方に不満を募らせている。今夏に開かれた、共産党内の現、元最高幹部による北戴河会議でも、習氏らに対して長老からは批判が集まったとされる。 ある共産党関係者は、「今回の軍事パレードは習氏にとって権力集中を誇示する晴れ舞台であり、長老たちに出てきてほしくないのは本音だ」と説明した。中国で10年ごとに行われる建国記念日を祝う軍事パレードに、党長老を招待する慣習はあったが、今回は抗日戦争をテーマに行われた初の式典。しかも約30人もの外国首脳を招待した。場所が狭いことなどを理由に、天安門楼上ではなく、長安街沿いに長老たちのために特別観覧席をつくるという選択肢もあった。 しかし、結果として98歳の宋平・元政治局常務委員を含めて、存命中の約20人の長老は全員、天安門に上った。共産党関係者は「それを阻止できなかったことは、習氏にとって大きな誤算であり、政治力がまだ不十分であることをも内外に示す結果となった」と指摘した。 習陣営にとって一つだけ“朗報”があった。今回の軍事パレードに出席した、胡錦濤前国家主席の手が微かに震え続けていたことがテレビを通じて流れたことだ。「パーキンソン病など病気を患っているのではないか」といった憶測がインターネットに次々と書き込まれた。習派にとって間もなく90歳を迎える江氏よりも、3年前に引退した72歳の胡錦濤氏の方が大きな脅威になっている。胡氏の健康不安が国民に広く知られることになれば、その影響力が低下することは必至で、現在の指導部による政権運営がやりやすくなる可能性もある。軍事パレードの効果軍事パレードの効果 ロシアは第二次世界大戦後、10年ごとに対ドイツ戦勝利を祝う軍事パレードを実施してきたが、これに対し中国は昨年まで対日戦争を祝う軍事パレードを一度も行ったことはなかった。 日中戦争を戦った経験者はほとんどいなくなり、100周年ではなく70周年という中途半端の時期に、なぜこんなに大規模な行事を行うのか。その目的は三つあると考えられる。 一つ目は、習氏の個人の威信を高めることである。2012年11月に発足した習指導部は、外交、経済面などで目立った実績がほとんどない。しかも、反腐敗キャンペーンの中で、強引な形で軍制服組元トップだった郭伯雄と徐才厚両氏を失脚させた。軍を掌握しているように見えても、軍の中で自分を敵視している勢力があるのではないかという不安を抱えている。今回の軍事パレードを通じて、自分が軍のトップであることを改めて強調する必要があった。 二つ目の目的は、共産党による一党独裁の指導体制の正当性をアピールするためである。共産党は選挙によって選ばれた政権ではないため、その合法性について疑問が持たれている。毛沢東や小平ら革命世代の指導者らが亡き後、官僚出身の指導者が続き、彼らは国民に本当に支持されているのかについて不安になることがある。軍事パレードのようなイベントを開催し、国民を結束させる必要があった。 とくに抗日戦争について、共産党指導部は「共産党軍が中心となり、侵略者である日本軍を中国から追い出したため、中華民族の独立が保たれた」と主張している。このことを国民にアピールすることも軍事パレードの主要目的といわれる。 もちろん、これは事実ではない。日中戦争における中国側の主役は中国国民党軍であることは言うまでもない。中国当局は歴史を歪曲し、小学校の教科書から、日中戦争は共産党軍が戦ったと強調して、国民党が果たした役割をほとんど教えていない。軍事パレードで行進する中国人民解放軍兵士=2015年9月、北京(共同) 三つ目の目的は国民の不満を外に向けさせることである。具体的に言うと、貧富の格差や、景気低迷、それから最近の株価の暴落、さらに天津の爆発に代表されるようなずさんな管理、深刻な環境問題など、多くの国民は今の政府に対し大きな不満を持っている。 そうした不満をかわし、国民の関心をほかの方向にそらす必要があった。ほかの方向とは、日本である。習政権発足後、日本叩きをしつづけたことで政権の求心力を繋いできたのが実情だ。今回の軍事パレードの前後に、メディアなどを使って、旧日本軍が中国人を虐殺した蛮行が強調され、安倍政権の安全保障政策を批判した。「日本で軍国主義勢力が復活しつつある」との印象を国民に植え付けようとした。 では、軍事パレートを終えて、以上の目的は達成できたかどうかを検証してみたい。まず、若者や貧困層の間で一定の効果があったと考える。レストランの店員や、タクシー運転手、農民工たちに軍事パレードの感想を聞くと、「習主席の格好がよかった」「兵隊さんの行進が美しかった」といった反応が多かった。普段、下層社会で厳しい生活を強いられている彼らは、軍事パレードを見ることで中国が強くなったことを実感し、中国の一員である自分への自信をいくらか取り戻した効果があったかもしれない。 インターネットを見ても、とくに大学生ら若者が集まる掲示板などには「祖国万歳」「習近平主席万歳」といった内容の書き込みが多かった。中国に招待されたにもかかわらず、欧米や日本がボイコットしたことに対し批判する声も多かった。 一九〇〇年の北清事変で清国の都北京に攻め入った日、英、米、仏、独、露、伊、墺の八カ国連合軍の歴史に触れ「ロシアを除き列強が中国を再びいじめはじめた」といった書き込みもみられた。 しかし一方、富裕層と知識人たちの間で、今回の軍事パレードに対し「金の無駄遣い」「冷戦時代の発想だ」といった批判が多かった。香港紙の試算によれば、今回の軍事パレードの予算と経済損失は合わせて、215億元(約4000億円)に達した。 政権に強く失望した知識人もあった。ある大学教授は「日米欧をみな敵に回してしまい、小平以来、中国が30年以上も続けてきた善隣友好外交が台無しとなった」と嘆いた。 当局は今回の軍事パレード前後の3日間を休日に決めたが、この期間を利用して、日本に観光にきた富裕層も多かった。彼らは政府の日本批判キャンペーンを全く気にしていなかった。 また、青空を実現させるために、周辺数千の工場の操業を停止し、経済活動が停滞した。企業の経営者からは恨み節が聞かれた。ある製鉄会社の社長は「うちの溶鉱炉は一旦止めると壊れてしまう。昨年のAPECの時に止まって、新しく設備を入れたばかりだ。まだ一年もたたないうちにまた操業停止となり、大損だ」と嘆いた。 しかも、これらの操業停止はすべて行政命令の形で行われ、法的根拠がない。習政権が昨年秋の党中央総会で「法による支配」という執政方針を打ち出したのに、早くも自らがその方針を否定した形となった。 貧困層や若者は人数的に多いけれど、富裕層と知識人の方がより社会的に影響力を持っている。軍事パレードで富裕層と知識人の政府に対する不満が高まり、批判を浴びたことは、習政権にとって大きなマイナスといえる。パレード外交でも失敗したパレード外交でも失敗した 今回の軍事パレードに対し国際社会の反応も決して良くなかった。習政権にとって外交成果もマイナスだった。今年2月、軍事パレードの実施を決めたとき、習氏の脳裏でイメージしたのは、米国をはじめ、世界中の主要国のリーダーがみんな北京に集まり、出迎える自分のところに一人ずつやってきて握手する場面だったかもしれない。 しかし、ふたを開けてみれば、日本や米国など先進7カ国(G7)の首脳は全員参加を見送った。太平洋戦争の戦場となったフィリピンやインドネシアの首脳も姿を見せなかった。 習政権発足後、唯一関係が良くなったといわれた韓国の朴槿恵大統領でさえ、直前になるまで、態度をあきらかにしなかった。30人の出席者のなかに、朴大統領とロシアのプーチン大統領以外に、ほとんど国際社会で知名度も影響力も低いリーダーばかりだ。 人民解放軍の隊列に続き行進したパキスタン、キューバ、メキシコなど11カ国の外国軍の部隊のほとんどは、旧日本軍と戦ったこともなければ、日中戦争中に中国を支援したこともない。むしろ、中国から支援を受けている国が大半を占めた。 ベネズエラ軍代表も行進に参加したが、派遣された兵士はわずか9人だった。軍事パレードのあと、中国がベネズエラに対し50億ドルを融資することを発表した。中国の外交関係者の間で「一人当たり5億ドル弱、史上最高の出場費を中国が支払った」などと揶揄された。 1980年に独立し、人口わずか20万人あまりのバヌアツ共和国のロンズデール大統領は夫人とともに参加した。同国は今年3月、サイクロンの被害に遭ったとき、中国から3千万元(約6億円)という破格の支援を受けた。「お礼のための出席ではないか」と話す欧米記者もいた。 また、別の理由で国際社会に注目された出席者がいる。スーダンのバシル大統領である。バシル氏はダルフールでの虐殺に関与した疑いで、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出されており、現在、国際指名手配を受けているからだ。「反ファシズム勝利を祝うイベントなのに、ファシストのような犯罪者を呼んでいいのか」と複数の人権団体から抗議の声が上がっている。 5月にロシアで行われた対ドイツ戦勝70周年の記念式典には25カ国が参加した。このことを受け、中国が苦心してそれを上まわる30カ国を集めた感が否めない。モスクワでの軍事パレードを観閲するロシアのプーチン大統領(右から2人目)と中国の習近平国家主席(その左)(ロイター=共同) 国の数では、クリミア併合問題で国際社会から制裁を受けているロシアには勝ったようにみえた。しかし、2008年夏に北京でオリンピックが行われたとき、その開幕式に、米国のブッシュ大統領、日本の福田康夫首相、フランスのサルコジ大統領(肩書はいずれも当時)ら世界中から86人の首脳と王室関係者が参加した。 胡錦濤政権当時と比べて、いまの中国の外交環境が著しく悪化したことがうかがえる。そういう意味で、習政権が展開した軍事パレード外交は完全に失敗したといえる。 ただ、一つだけ成果があるとすれば、中露が主導する国際組織、上海協力機構のメンバー全部が出席したことだ。中央アジアの旧ソ連に加盟していた国々を中心に構成している組織だが、最近、欧州でNATO(北大西洋条約機構)と対抗して、東アジアで日米同盟と対抗する構図がいよいよ鮮明化した。 これらの国々は中国の習政権が推進する、欧州やアフリカまで結び、新しい経済圏を生み出そうとする「一帯一路」構想と深く関わっており、今後、中国のこれらの国々に対する影響力はますます高まる可能性がある。上海協力機構が中露中央アジア軍事同盟の雛形になりつつあることを、日本をはじめ、国際社会は注目する必要があるかもしれない。左手で敬礼の波紋左手で敬礼の波紋 今回の軍事パレードで、思わぬところで話題になったことがある。習主席が自動車に乗り、立ち上がって閲兵した際に、左手で敬礼したことが注目された。中国軍の規定では、けがや障害など特別な理由がなければ、「右手で敬礼する」と決められている。習氏がこれを守らず左手で敬礼したことに「兵士たちはあれだけ必死になって練習したのに、上司は常識も覚えようとしない」といった批判がよせられた。このことが習氏の人気にマイナス効果をもたらす可能性もある。 3日午前、中国のテレビのほぼ全チャンネルが軍事パレードを生中継した。習主席は車上で、緊張していたせいか、ほとんど無表情だった。長安街をUターンして天安門方向に戻ろうとしたとき、部隊の方を眺めて左手を顔の横まで持ち上げ、「敬礼」をした。不自然な感じがあり、インターネットには「習主席は左利きなのか」「いや左利きでも右手で敬礼しなければならない」といった書き込みが殺到した。 「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事に出席した(左から)韓国の朴槿恵大統領、ロシアのプーチン大統領、習近平国家主席、江沢民元国家主席、胡錦濤前国家主席=3日、北京の天安門(共同) その後、各ネットメディアはそれぞれ、独自の解説をし始めた。あるメディアは中国の古典「老子」のなかに、「吉事は左、凶事は右に属する。君子は左を貴ぶ、用兵は右を貴ぶ」を紹介し、習主席が左手で敬礼をしたのは、「軍事パレードは戦争ではなく、武力を使用しない吉事である」と解釈した。 また、別のメディアは、「軍服を着たものが敬礼をする場合は右手だが、私服の習主席は左手でするのは当然だ」とも説明した。 その後、共産党の機関紙、人民日報(電子版)で「実際には撮影の角度で(敬礼との)誤解を招いただけ。本当は、習近平主席が軍の将兵に左手であいさつをしただけだ」と説明した。これが共産党の公式見解となり、その後、すべての中国メディアは「敬礼」という言葉をつかわなくなり「単なるあいさつ」と報じはじめた。 しかし、これまで、毛沢東、小平、江沢民など軍事パレードで閲兵した指導者はみな、敬礼も挨拶も右手をつかったのに、習氏だけが左手を使うのは明らかに不自然だ。「緊張しすぎたため手を間違った」とみる共産党関係者がいる。現場の近くにいた同関係者によると、テレビ画面に映らなかったが、実は習氏が敬礼する直前に、陳情者と思われる男性が習氏に近づこうとして長安街に一瞬突入し、警察に抑えられた場面があった。「それをみた習主席が動揺したのが、あげる手を間違った原因ではないか」と推測した。 米国在住の民主化活動家の胡平氏も「単純ミス」と見ている。胡氏は米国メディアに対し、米国大統領も就任宣誓の時に言葉を間違ったことがあるのを指摘した上で、「人間は誰でもミスをする。しかし、ミスをしてもそれを認めず、官製メディアを使ってそれを正当化するのは独裁国家の特徴だ」と指摘した。 ある軍関係者は、「習氏の左手による敬礼について、兵士の中に『失礼だ』と思っている人もいる」と紹介したうえで、「習氏が翌日に、自分の言葉で左手をあげた理由を説明すべきだった。ミスであっても兵士たちに謝罪すれば、好感度は上がるかもしれない」と指摘した。 しかし、毛沢東のような偉大な指導者を目指している習氏は、メディアを使って、自分自身をミスのない神様のような指導者に仕立てようとしているため、謝罪はしないだろう。情報を完全にコントロールすることは不可能のいま、「こういうことをすればするほど、習氏に対する国民の信頼がうしなわれていく」と指摘する声もある。発行されなかった取材証発行されなかった取材証 今回の軍事パレードで、筆者(矢板)も珍しい経験をした。外国人記者の中で唯一、取材する取材証が発行されなかったことだ。思わぬ形でニュースの当事者となり、菅義偉官房長官が会見で「記者の扱いは平等に行うことは民主国家として当然だ」と中国を批判するなど意外な展開となった。 経緯を簡単に説明する。8月中旬、中国で外国人記者を管理する外務省記者センターに軍事パレードの取材証の発行を申請したが、同月下旬に同僚記者と支局の二人の中国人スタッフの分が出ただけで、筆者の分は降りなかった。当初は手続きミスだと思い、何度も問い合わせをしたが、9月になってから担当者は「審査を通過しなかった」と回答してきた。北京にある日本大使館に報告すると、大使館は中国外務省に対し「遺憾の意」を表明してくれた。 取材証が発行されなかったことで、取材に支障が出た。軍事パレード当日は、管制区域内にある支局にもいけなかった。自宅でテレビと電話取材だけで原稿を書かざるをえなかった。 取材証が発行されなかった理由はいまもはっきりしない。日々の原稿で中国当局を批判することが多いため、中国当局が不満を募らせたのかもしれないが、北京駐在になってからすでに8年が過ぎた。これまで電話や呼び出しなどで抗議を受けることはよくあったが、取材証の発行拒否は初めてだ。 心当たりが一つだけあった。8月中旬に北京郊外で軍事パレードに参加する予定のヘリコプターが墜落した事故があった。ある軍関係者が情報を教えてくれてすぐ現場にかけつけたが、すでに周辺が封鎖され、目撃者にも厳しい緘口令がしかれた。 なかなか厳しい取材だったが、翌日になってようやく全容がつかめた。しかし、軍の秘密に絡む話で、中国当局が否定する可能性もある。記事にすれば情報提供者にも迷惑をかけるかもしれないと思いすぐには書かなかった。その後、共同通信が北京市関係者の話としてこのニュースを配信したため、後追いの形で記事にし、共同電よりかなり踏み込んだ内容を盛り込んだ。 今から思えば、へリ墜落後、現場に到着した時から軍からマークされていた可能性があった。軍からみれば、ヘリの墜落の現場を駆け回る記者は、軍事パレードの成功を邪魔しようとしているようにみえたかもしれない。外務省に対し、取材証を出さないように圧力をかけた可能性もある。 今回、取材証のことで、日中間の外交問題に発展したことは、中国は産経新聞と筆者に対し大きな不快感を覚えたに違いない。今後、取材妨害などの嫌がらせが増える可能性がある。私たち北京に駐在する外国人記者にとって、もっとも大きな嫌がらせは年末に記者証更新が拒否され、国外追放されることだ。 2007年末、産経新聞中国総局の福島香織記者がブログで、当時の胡錦濤国家主席ら中国の指導者を批判する記事などを連続して掲載したことを、中国外務省が問題視し、年末の記者証を更新しないことを示唆したことがあった。しかし、これを受けた福島記者がまたブログで、「私が追放されれば、元日号の一面トップにそれを書く」とブログで宣言した。 その後、当時の産経新聞の伊藤正総局長が粘り強く交渉した結果、北京五輪を控えた中国は態度を軟化させ、記者証の更新を認めた。しかし、当時は温厚な胡錦濤政権だったが、今は日本に対する態度がもっとも厳しいといわれる習近平政権である。同じようなことになれば、厳しい結果になるかもしれない。 もっとも、中国当局からどんな嫌がらせがあっても、筆者は中国報道の姿勢を変えるつもりはない。

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    もはや「中国崩壊」を恐れる理由はどこにもない

    田村秀男(産経新聞特別記者) 上海株バブルの崩壊、人民元切り下げをきっかけに、中国経済は自壊プロセスに入った。習近平総書記・国家主席の体制延命策は経済・軍事両面での対外膨張であり、決め手は国際金融の総本山、国際通貨基金(IMF、本部ワシントン)に元を国際通貨として認定させ、自前でふんだんに刷れる元を世界中で使えるようにすることだ。安倍晋三政権は北京に甘い財務官僚に任せず、IMFとオバマ政権に対し、元の変動相場制移行と徹底的な金融市場自由化を認可条件として北京に呑ませるよう説得すべきだ。ワシントンはこれまで、元の変動相場制移行が中国市場混乱の引き金になるとみて、北京の小出しの変動幅拡大策を容認してきた。その結末こそが高まる一方のチャイナリスクだ。もはや「中国崩壊」を恐れる理由はどこにもない。中国膨張の最大の協力者はワシントンだ 体制崩壊を恐れてきたのは、当の中国共産党指導者たちばかりではない。金融資本主義の本家、ニューヨーク・ウォール街とその利害代表者が牛耳るワシントンは以前からそうだ。エピソードを紹介しよう。 2001年1月に発足したブッシュ共和党政権はクリントン前民主党政権の露骨なばかりの親中国路線を撤回し、発足当時は対決姿勢をあらわにした。同年4月1日、海南島沖合の南シナ海で偵察活動をしていた米軍機と中国軍戦闘機が空中衝突する事故が発生した直後、国家主席の江沢民がホワイトハウスに電話したが、ブッシュは電話に出ない。6月までに2度目、3度目の電話がかかったが、やはりとらなかった。 この対決路線には当然、国内の産業界やウォール街から修正を求める声が出る。そこで、まず北京に飛んだのはオニール財務長官(当時)である。同年9月初旬、いわゆる「9・11」同時中枢テロの前日、10日にオニール長官は人民大会堂で江沢民国家主席、項懐誠財政部長と会談した(いずれも当時)。 オニール長官の回想録“The PRICE of LOYALTY”(「忠誠の代償」)によれば以下のようなやりとりが交わされた。ドルに固定されている人民元制度の改革を求めるオニール長官に対し、項財政相は「人民元はいずれ変動が許されるようになるでしょうが、ちょっとだけ、大幅になり過ぎないほどにと考えている」と打ち明けた。すると、オニール氏は「しょせん中国はまだ統制経済だ。市場資本主義の力にまかせると中国は分裂してしまう」と内心思った。そこで、オニールと江沢民は口をそろえて言った。「忍耐強くしましょう、そして一緒にやりましょう」 人民元は1997年末以来1ドル=8・27元以下の小数点でしか「変動」しない。米国はその後もことあるごとに人民元改革を求めてきたが、その肝はあくまでも漸進主義による制度改革であり、時間をかけながら「変動を柔軟にする」というわけで、円やユーロなど先進国通貨のような自由変動相場を要求しない。ブッシュ政権2期目には閣僚級の「米中戦略経済対話」が年に1、2度の割合で開かれ、オバマ民主党政権の「米中戦略・経済対話」(年1回)に引き継がれた。人民元問題は絶えず主要テーマになるものの、変動相場制移行を急がない「オニール・江沢民合意」では一貫している。1月13日、中国海南省海口市の証券会社で、頭を抱える個人投資家(共同) 変動相場制がなぜ、中国分裂につながるのか。小平が打ち出した「社会主義市場経済」は党による指令で成り立ち、毛沢東以来の「5カ年計画」をベースにしている。党中央委員会が決める5カ年計画の目標達成に向け、毎年秋に開かれる党中央全体会合で翌年の経済成長率を決議し、翌年3月の全国人民代表大会(党主導の国会)での承認を経て行政府(国務院)が成長率達成に向けて経済政策を実行する、という仕組みだ。この場合、元相場はできる限りドルに対して固定、または一定の水準で安定させる必要がある。変動相場制で元相場が大きく振れるようだと、中長期の経済計画の作成は困難で、毎年大幅修正を迫られる。 変動相場制になれば、市場の需給関係に相場形成がゆだねられるので、カネの自由な流れが前提になる。つまり株式市場を含む金融市場全体の自由化が変動相場とセットになる。すると党が中央銀行の中国人民銀行や国有商業銀行に指令し、金融市場を支配することは無意味になる。カネの創出と流れを決めることができなくなり、党指令型経済は消滅する。独裁政党がその権力を裏付けるカネの支配権を失えば、政治的影響力を喪失する。権力を握ろうとする複数のグループが政党を結成して競争し、複数政党制へと変革されていくが、「流沙の民」と孫文が嘆いた国である。多様な考え方、民族、地域、階層を一つにまとめる民主主義に収斂する可能性は少なく、大陸は分裂して大混乱に陥るとは、西側の専門家でも多数を占める見方だ。 民間資本にとってみても、米国に次ぐ巨大な市場である中国の分裂や混乱はまずい。米企業の場合、自動車のビッグ3からアップル、マイクロソフト、デルなど情報技術産業にいたるまで、中国市場にどっぷり依存している。ゴールドマン・サックス、シティ・グループなど金融資本は北京から与えられる証券発行の幹事や米国債ディーリングなどの巨大特権を享受してきた。政情不安はもとより、党指令による市場経済だからこそ獲得できる権益が金融自由化で失われることを恐れる。前述したオニール氏の見方が共産党指導者たちと共有されるはずである。 北京は現行の人民元制度を「管理変動相場制」と呼んでいる。オニール会談のあともしばらくドル相場に固定する「ペッグ(釘付け)」を続けたあと、管理変動相場制に移行した。基本的なやり方は、外為市場を操作してドルに対してごく小さな幅の中で変動、安定させるわけで、2005年7月に2%余り切り上げた後、人民銀行が前日終値を翌日の基準レートとし、その上下各0・3%までの変動幅を許容するようにした。以来、小刻みに切り上げ、元相場が安すぎるという米議会の不満や柔軟な制度を求める米政府の要求をかわし続けてきた。2008年9月のリーマンショック後はいったんペッグ制に戻したあと、10年6月に再び管理変動制に戻し、変動許容幅を上下1%にした。14年3月にはさらに幅を同2%に広げ、15年8月11日に元切り下げに踏み切ったが、小幅に変動をとどめるやり方を堅持している。 ワシントンもIMFも是認してきた管理変動相場制は中国の高度成長の主軸となってきた。ドルに対して安定し、しかも小幅に上昇する元は中国市場に進出する外資にとって魅力的で、先端技術を携えた外資による直接投資が活発に続く。中国企業は香港に別会社を設立し、さらに帳簿上だけの法人をカリブ海などのタックスヘイブン(租税回避地)に設立し、今度は外資を装って本土に投資して優遇措置を受ける。東南アジアなどの華僑系資本、日本や米欧、韓国、台湾の企業も香港を経由して大陸に向かう。大軍拡と海洋覇権もなだれ込んだドルが支える大軍拡と海洋覇権もなだれ込んだドルが支える 安定した元の威力が最も発揮されたのはリーマン後である。グラフ1を見て欲しい。米連邦準備制度理事会(FRB)は昨年秋まで3度にわたってドル資金を大量発行する量的緩和政策に踏み切った。すると、人民銀行による元資金供給量もドルに連動する形で急上昇している。米国からあふれ出たドルが中国市場になだれ込んでくる。人民銀行はそれを外為市場で買い上げて外貨準備とし、その相当額の元を金融機関に供給する。国有商業銀行などはそこで元資金を企業や地方政府の不動産開発事業向けに融資する。不動産開発投資を中心とする固定資産投資は中国の国内総生産(GDP)の5割を占め、経済成長率をたちまちの間に押し上げる。もとはと言えば元を党の手で安定させる管理変動相場制あってこその離れ業だが、中国は世界でいち早くリーマン後の世界不況から立ち直ったばかりか、2ケタ成長まで取り戻した。GDPの規模は2010年に日本を抜き、世界第2位の経済超大国として国際的地位を高め、アジアにおける影響力を飛躍させた。 人民銀行はリーマン後のドル資金増加量にぴったり合わせて元資金を発行してきた。元は言わばドルの裏付けを持つわけで、中国内外での信用が高まり、貿易面を中心に元の国際決済が広がる。アセアン、韓国、台湾に限らず日本の企業も金融機関も元資金を持たないとビジネスにならない。日本政府はともかく、各国政府が北京にすり寄る背景である。グラフ1 グラフ1で注目して欲しいのは、中国の軍事予算規模である。それは元の資金供給量の増勢によって引き上げられ、ドル資金供給の増加と連動している。中国の資金力の膨張は軍事予算を支え、豊富な外貨で空母を含む強力な兵器の調達を支えてきた。南シナ海や東シナ海での中国軍の増長、高度な海外の土木技術を必要とする南沙諸島の埋め立てを支えるのはマネーである。膨張システムは破綻外貨準備は実質カラだ膨張システムは破綻外貨準備は実質カラだ 中国膨張の方程式が狂ったきっかけは2012年から13年に起きた不動産バブル崩壊である。不動産開発投資は低調になり、成長の減速が始まった。すると、それまで流入を続けていた資金の流出が始まる。12年秋の党大会で党総書記に就任した習近平の政権は元を小刻みに上げて、国内からの資本逃避を防ぐとともに、海外からの資本流入を促そうと試みる。もとより、対中投資の大半は香港経由であり、そのうちかなりは外資を装った中国の投資家で、ほとんどが党幹部に直結している。建前上は厳しい資本流出入規制を実施している中国で、特権を駆使する党幹部だけがその網の目をくぐれる。言い換えると、中国は党支配体制だからこそ資本逃避が慢性化する構造になっている。総書記就任前の12年前半にわずかずつ人民元を低めに誘導すると、資本逃避が起きた。あわてて元を高め誘導したらデフレ圧力が高くなったので、14年前半には再び元安方向に修正したら、やはり資本逃避が再発する。 景気の方は14年初めから停滞感が強くなる一方である。中国当局発表では14年は7%台半ば、15年も7%の実質成長を続けているが、モノの動きを忠実に反映する鉄道貨物輸送量は前年同期を下回り、以来マイナス幅は拡大するばかりである。その場合、金利を下げ、元安にするのが景気対策というものだが、すると資本逃避で国内資金が不足する。 窮余の一策が株価引き上げである。14年後半、習政権は党・政府総ぐるみで株価引き上げキャンペーンに乗り出した。人民銀行は利下げし、幹部自ら株式投資を勧める。証券業界に資金を流して、個人投資家の信用取引を奨励する。党機関誌、人民日報は株式ブームをあおり立てる。株価上昇で外からの資金流入を促そうとして、11月には香港証券取引所経由による外国人の上海株投資を上限付きで解禁した。株価は急上昇起動に乗ったが、実体景気は鉄道貨物輸送量が示すように事実上はマイナス成長であり、株価とのかい離が広がる。典型的なバブルである。そして6月中旬、香港経由の上海株売りが口火を切って、株価暴落が始まった。習政権は政府・党・国有企業・金融機関総ぐるみで株価押し上げを図り、公安当局まで動員して市場統制を強める。株価は小康状態を取り戻したかのように見えたが、8月11日に人民銀行が元の基準レート切り下げに踏み切ると、資本逃避が一挙に加速し、人民銀行はあわてて元の買い支えに追われる始末である。人民銀行はさらに景気刺激と株価てこ入れのために追加利下げすると、資本逃避にはずみがついた。 人民銀行は元を買い支えるために外貨を売って元資金を吸収する。資金の対外流出額はことし6月時点経常収支黒字と外貨準備の増減からみて、年間で6000億ドル近い。外準は8月には昨年6月から4300億ドル以上減少した。 外貨準備はそれでもまだ3兆5000億ドル以上あり、日本の3倍以上になるとの見方もあるが、対外債務は5兆ドルを超えている。いわば、外から借金して外準を維持しているわけで、外国の投資家や金融機関が一斉に資金を引き揚げると、外準は底を突く恐れがある。北京の「強気」に騙されるな北京の「強気」に騙されるな それでも、中国当局は強気一辺倒である。9月5~6日、トルコ・アンカラで開かれた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で、人民銀行の周小川総裁は株式バブルを認めたうえで、「市場の調整はほぼ終わった」と大見えを切った。「安定」とは、当局が株式市場への介入や統制を全廃したあとの市場動向をみて、初めて判定できる。乱高下は収まっていない。つまり調整局面がほぼ終わったとは真っ赤な嘘である。 中国は8月下旬に預金金利を追加利下げしたが、短期金融市場では銀行間融通金利上昇が止まらず、翌日返済融通金利は預金金利より高くなった。資本逃避が加速したためで、金融緩和が収縮を招いている。 9月13日に北京は大型国有企業への党支配を強化する形での再編成方針を発表した。産業部門の過剰生産能力を党主導で温存するつもりだ。鉄鋼は余剰能力が日本の年産規模1億1000万トンの4倍以上、自動車産業の総生産能力はことしの販売予想の2倍以上、年間4000万台を超える。それでも党内の実力者たちが利権拡張動機で、影響下に置く国有企業各社を保護するだろう。 輸出を大幅に伸ばそうとして、人民銀行がもう一段の元安に踏み出そうとすれば資本逃避はさらに加速する。中国は通貨安競争で世界を混乱させる前に自滅しよう。グラフ2 グラフ2(P101)は国際商品市況と中国の鉄道貨物輸送量の推移である。同輸送量は「北京当局のファンタジー」とまで多くの専門家から評される国内総生産(GDP)に比べ、信頼度がかなり高い経済指標である。中国景気は昨年はじめから下降局面に入り、連動する形で鉄鉱石、天然ゴム相場が下がり、後を追うように原油相場が急落した。 国際商品市況の低迷は世界景気不安につながるとの見方がメディアでよく報じられるが、変な話である。確かにロシア、中東など資源輸出国にとってみればマイナスだろうが、世界景気を引っ張るのは日米欧など消費国にとってみればチャンスである。日本の実質成長率は、消費税増税による後遺症から抜けきれず、前年度に続きこの4~6月期もマイナスが続いている。輸入コストの下落は内需振興に向けた財政・金融をフル稼働させるゆとりをもたらしたのだから、この機をいかせばよいだけだ。インドなど新興国も対応策を急いでいる。安倍政権は円資金を活用して東南アジアやインドなどとさらに緊密に協力するチャンスだ。あの独裁政権を破綻させたワシントンコンセンサスの出番あの独裁政権を破綻させたワシントンコンセンサスの出番 残るは、中国自壊に対する国際金融社会の出方だ。習近平の体制延命策に手を貸すのは最悪である。では、どうすべきか。鍵を握るのは「ワシントンコンセンサス」である。 それは、世界的に構造改革と金融市場自由化を促す見えざる連合体のことで、ワシントンに本部を持つ国際通貨基金(IMF)とニューヨーク・ウォール街出身者が牛耳る米財務省・米連邦準備制度理事会(FRB)が1990年代初旬に確立した。いかなる国であろうと市場原理を浸透させてグローバル金融市場に組み込む狙いがある。現在のワシントンコンセンサスの相手は北京である。 東南アジア各国と韓国は90年代、ワシントンに誘導されるまま金融市場の自由化に踏み切ったが、投機資金の流入で不動産や金融市場がバブル化し、資金の逃避とともにバブル崩壊した。となるとIMFの出番だ。救済融資を受けるため、各国はIMFが突きつける急激な緊縮財政・金融引き締めおよび市場統制撤廃など自由化策の受け入れを余儀なくされる。 98年1月、IMFのカムドシュ専務理事(当時)が見下ろす中で緊縮策に署名させられたスハルト大統領(同)の独裁政権はその後まもなく崩壊した。インドネシアの混乱を防ごうと奔走した日本政府や日本輸出入銀行(現在の国際協力銀行)はIMFに批判的だった。その輸銀幹部に対し、フィッシャーIMF副専務理事(当時、現在のFRB副議長)は「処方が間違ってもいいじゃないか。政治が変わったんだ」とうそぶいたと聞いた。新自由主義がもたらすショック療法は、金融グローバル化についていけない政治の無力化を白日の下にさらし、政治制度の変革につなげられるという一種のドクトリンであり、市場原理という名の破壊装置だ。今回は、共産党指令経済の中国にまで適用するかどうかが今後の焦点になる。 中国は人民元をIMFの特別引き出し権(SDR)構成通貨にしようと、IMFと米財務省に強く働き掛けている。これに対し、ワシントンは、金融市場の門戸開放など自由化と人民元改革を認定条件としてほのめかしているが、どこまで本気かは定かではない。 習近平政権の厳しい市場統制や元相場の管理強化など、もはや元は「自由利用可能な通貨」というSDRの条件に合わないはずだが、IMFはソフトムードだ。スタッフレベルでは、今年末までに北京が金融市場自由化や元の実質的な変動相場制移行の計画を示せば、元を来年9月からSDR通貨に認定してもよい、というシグナルを送っている。実際には、今後の北京とワシントンの間のトップレベルでの駆け引きで決着するだろう。 大幅な金融自由化に踏み切ると、中国の株式や通貨市場はヘッジファンドに翻弄されて、98年のインドネシアの二の舞いになるかもしれないという警戒心は北京にある。だが、年内設立予定のアジアインフラ投資銀行(AIIB)で「国際通貨元」を利用したい。習近平政権としては、できる限り小出しの自由化・改革でIMFから妥協を引き出し、SDR構成通貨に元を組み込ませたいところだろう。 IMFのラガルド専務理事は北京に前のめりで知られ、「元のSDR通貨化は時間の問題」という持論である。IMFがここで生半可な変動幅拡大でよしとするようだと、習近平政権は現行路線を変えず、「国際通貨・元」を武器に政治経済、軍事両面で増長し、チャイナリスクをますます世界にまき散らすだろう。 北京に弱腰と評判のオバマ政権も中国の粗暴極まる海洋侵攻と度重なるサイバー攻撃に直面し、対中強硬路線に転じつつある。ウォール街のほうは、上海株暴落を機に金融市場自由化と元の変動相場制移行に伴う利益機会に着目し始めた。安倍政権はこの際、これまでの中国への米国の金融・人民元制度容認路線こそが中国脅威を醸成してきたという観点をオバマ大統領に提起し、かつてインドネシア・スハルト政権にとったような改革・自由化路線=ワシントンコンセンサスで、IMFが対中政策を一貫させるよう迫るべきだ。何よりも、中国の崩壊・分裂よりも、党体制温存こそが世界の脅威なのであるという認識の共有が重要だ。たむら・ひでお 昭和21(1946)年生まれ。早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社に入社し、ワシントン特派員、米アジア財団上級フェロー、香港支局長などを歴任。平成18年に産経新聞社に移籍し、編集委員、論説委員を兼務する。著書に『アベノミクスを殺す消費増税』(飛鳥新社)、『人民元の正体』(マガジンランド)など多数。

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    中国の混乱が日本に退潮もたらすという悲観論はあてはまらず

     年明け早々、中国市場では7%超の株価下落で取引を強制停止する「サーキットブレーカー」が4日間で2度にわたって作動し、市場は大混乱に陥った。制度運用を一時停止する安定化策が取られたが、それも束の間、1月11日も5%を超える下落が起き、今年から導入されたばかりのサーキットブレーカーは早くも廃止された。 そしてこの中国株ショックは世界の市場に波及し、東証の6日続落の主要因となった。昨年末に始まった米国の利上げも人民元安を招き、中国の混乱に拍車をかけている。 しかし、中国株の暴落は、中国経済の実態を反映しているのか。三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部研究員の野田麻里子氏は、中国の株式市場の特異性を指摘する。「中国株式市場は取引の8割以上を個人投資家が占めるため、感情で動きやすい投機相場の色合いが濃い。年明けからの急落も、サーキットブレーカー制度が設けられたことで“売り遅れたら損が膨らむ”という焦りから売りが殺到し、下げ幅が拡大した結果です」 中国経済の減速は事実だが、株価が示すほど悪化しているわけではなく、逆にプラスの材料もある。 「中国は内需拡大によって過度の投資依存型経済から脱却するという構造転換の真っ只中にあり、今の経済減速はその必然的な帰結です。最新の主要経済指標を見ると、2015年1~9月期の実質GDPは6.9%成長を遂げ、消費も前年比10%以上のプラスが続いている。サービス業など順調な伸びを確認できる指標も少なくありません」(野田氏) 日本の主要エコノミストによる将来予想をまとめたESPフォーキャスト調査でも、中国景気に対して楽観的な見方が示された。三井住友アセットマネジメント理事・チーフエコノミストの宅森昭吉氏がいう。 「昨年12月に実施した特別調査では、エコノミストの6割以上が、代表的な指標である製造業PMIが今年第3四半期以降は上昇すると回答しました。中国経済はゆるやかに回復し、年後半に行くほど持ち直すというのが専門家のコンセンサス。私も年央には回復すると見ています」 それでも一部では、中国経済の失速は深刻になるとの見方もある。武者リサーチ代表の武者陵司氏の話。「株安、通貨安、資本流出の悪循環に歯止めがかからず、むしろ加速している。放置しておけば1997年のアジア通貨危機の再現になるが、それでは支配体制そのものが危うくなる。中国政府はマーケットを事実上封鎖し、市場経済から統制経済に回帰するところまで追い込まれるのではないか。1997年のマレーシアがそうだった」 ただし、武者氏は中国がそんな事態に陥っても、世界経済、あるいは日本市場の好況には影響を与えないと指摘する。「株式と人民元売り投機の道が断たれるため、世界金融市場の不安の連鎖が遮断され、世界全体の株式は底入れに向かう。当然、中国経済は弱体化するが、どの国がそのポジションに取って代わるかの問題。長期的に見れば中国の統制経済化で世界経済は悪材料を払拭する形になり、日本の株価をより一段と上昇させる要因になる」(同前) 中国市場の混乱が日本市場の退潮をもたらすという悲観論はあてはまらない──それが識者の共通見解なのだ。関連記事■ 中国不動産バブル崩壊の影響はドバイ・ショックの1000倍説■ 中国株暴落で同時株安 堅い日本株は絶好の仕込み場と専門家■ 今後10年間、経済大国中国が握る「米国を黙らせるカード」■ 中国東北部で企業の倒産が相次ぎヨーロッパ目指す移民が増加■ 最近の韓国の異常な中国依存 経済的に不可避だが隷属への道

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    国際金融界が予測 2016年中に65兆円の資金が中国から流出する

    小笠原誠治(経済コラムニスト) 国際金融協会(IIF)が、中国からの資金流出が2016年には5520億ドル(約65兆円)になるとの予測をとりまとめました。 もっとも、この流出規模は、過去最大だった2015年に次ぐ高水準だとありますから、既に起こっている資金流出が2016年もほぼ勢いを弱めることなく継続するという風に理解する必要があります。 いずれにしても、そうなると、今後も人民元には下げ圧力がかかり、また株価も弱含みで推移することが容易に想像されるのです。 案の定というべきか、本日もまた上海総合指数は下げ続けています。米国や日本のマーケット反は発しているにも拘わらず、です。 ところで、この予測をとりまとめた国際金融協会とは何ぞやと言えば… The Institute of International Finance, Inc. (IIF) is a global association or trade group of financial institutions. It was created by 38 banks of leading industrialized countries in 1983 in response to the international debt crisis of the early 1980s. 1980年代の累積債務問題に対応するために、1983年に先進国の38の銀行によって創設された組織である(Wikipedia)、と。 2015年7月現在、79の国と地域から商業銀行・投資銀行・証券会社・保険会社・投資顧問会社など459社が参加している、とも(デジタル大辞泉) ということで、その構成メンバーの層の厚さからして、今回の予測は単なる一機関の予測というよりも、国際金融界の最大公約数的な予想であると言うべきでしょう。 つまり、国際金融に携わる多くの人々がそのような予想をしている、と。言ってみれば、中国からの資金流出は今や常識である、と。 ただ、予想は予想であり、必ずしもそうなるという保証はない訳ですが、しかし、中国に流入していた資金の主な出所は先進国側であって、その先進国側の金融機関が主なメンバーであるIIFがそのような予想をする訳ですから、その予想の意味は大変に重いと言わざるを得ません。 如何でしょうか? 要するに、少なくてもこの先1年は、中国からの資金流出が継続し、株価も弱含みで推移するという可能性が高いということなのです。 では、そうした動きが続く中、日本の経済や日本の株価にはどのような影響を与えると考えられるでしょうか? 少なくても日本の実体経済にプラスの影響を与えることはないでしょう。否、相当な影響を与えると覚悟しておいた方がいいかもしれません。 では、株価に対してはどうでしょうか? ここ暫く、中国の株価に引っ張られっぱなしの感のある日本の株価ですが…例えば、米国経済が、中国経済の減速にも拘わらず力強く回復しだせば、そして、株価も再び回復するようなことになれば、日本の株価もむしろ米国の株価に追随する可能性の方が大であるのではないでしょうか。 その意味では、日本の株価は必ずしも中国の株価に引っ張られる運命ではない、と。 いずれにしても、国際金融協会が、今年も中国から大量の資金流出が続くと断言した訳ですから、基調としては人民元と上海株は軟調であると考えていた方がいいと思います。(オフィシャルブログ「経済ニュースゼミ」より2016年1月27日分を転載)

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    石炭産業の破綻 中国経済崩壊の導火線に火がつくか

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長) 中国が世界の工場となり得た一つの要因は豊富な石炭にありました。安価な石炭は経済的にモノづくりをするのに適しており、巨額の資金が石炭産業に注ぎ込まれ、またそれはその産業自体にも大きな利益をもたらしましたし、他の産業にも相乗的な効果を与えました。2000年から2012~3年までは原油価格は急激に上がりました。 WTIでの1バレルあたりの価格をみてみましょう。1998年の原油価格は14.42ドルだったのが、2013年には97.93ドルにまで上がっています。実に7倍近くにまで跳ね上がったのです。これが資源国の経済を引き上げたことも確かです。日本などは高くなった原油価格にも足を引っ張られました。原油価格の高騰に伴って石炭価格も上がりました。1999年に1トンあたり25.89ドルだったのが、2009年には136.18ドル、2011年には130.12ドルとなっています。5倍を超える値上がりです。 中国は自国で石炭が取れますから、石炭開発に取り組みます。石炭は環境破壊をしやすいエネルギーですが、環境よりも経済の論理が勝ち、石炭大国となったのです。 2014年の石炭生産量の順位を見てみましょう。単位は1000トンです。1.中国 3,874,0002.アメリカ 906,8683.インド 643,9764.オーストラリア 491,4795.インドネシア 458,000…32.日本 1,308   中国は2位のアメリカの4倍以上の生産量なのです。日本と比較すると実に3000倍ですね。比べ物にならない状態です。 中国は原油価格の高騰のもとに起こった石炭価格の高騰で、一種の石炭バブル繁栄を得たのです。安い労働力、安いエネルギー、安い資源をもとに、海外からの豊富な資金が入り、世界の工場となりました。 しかし、アメリカのシェールガス革命などもあり、原油価格が落ち込みます。それにつられて、石炭価格も下落。石炭はおいしい産業ではなくなってきています。1.石炭価格の下落 原油価格は、2016年1月16日現在、29.70ドルです。2013年の97.93ドルから比較すると3分の1以下です。驚く程の低価格となりました。015年12月現在で、石炭は1トン56.04ドルです。2009年の136.18ドルからすると、約4割の価格になっています。消費量も落ちていますから、石炭産業はかなりの痛手を受けています。これからさらに価格は低下すると予想されます。2.環境問題による石炭離れ 環境問題も石炭には逆風です。地球温暖化などにおいても石炭は槍玉に挙げられるエネルギー源です。それとともに、中国ではPM2.5問題が顕在化しています。北京をはじめ大都市ではスモッグが社会問題にもなっています。この主要な原因としてあげられるのが石炭です。これから中国でも世界でも石炭の活用は控える方向に進みます。原油価格の低迷で石炭価格も下がる中、消費量も減るということになります。売上は大きく下がることになり、石炭関連企業の倒産などが起きつつあります。大投資をして石炭の生産能力はあがりました。これが過剰生産を引き起こし、身動きができない状態なのです。3.大量失業の可能性 石炭産業は、かなり労働集約的な産業です。かなりの数の雇用があります。この産業の衰退は、地域によっては決定的な意味を持ちます。特定の地域で大きな失業が生まれたとき、治安などの問題もでてきます。地域の崩壊にもつながるものです。これは日本でも炭鉱の町が衰退した時に経験したものです。中国はさらに大規模にこれが起こる可能性が高いのです。4.シャドーバンキングの問題 中国の石炭産業では国の資金も大量に投じられましたが、民間での事業も多く、シャドーバンキングに頼ったものも少なくありません。相当に高い利率をうたい、資金を集め、その資金で運用していました。石炭産業は好調でしたから問題もわからなかったのですが、産業自体が不調になると、一気に問題が顕在化します。シャドーバンキングシステムが崩壊する可能性があるのです。その引き金は石炭産業と見られています。5.腐敗 石炭産業が大きな利益を得ていたので、賄賂も相当に行われていたようです。中国山西省呂梁市の張中生・元副市長は、当局の調査を受けて収賄事件として逮捕されました。6億元(約112億円)を超える賄賂を受け取っていたといわれます。山西省は有数の石炭産地です。張元副市長は呂梁市の石炭事業を担当しており、石炭の業者から多額の賄賂を受けていたとされます。おそらくこれは氷山の一角でしょう。状況が一変した今、こうした腐敗が顕在化しつつあります。 このまま行けば、中国の石炭は、中国経済の崩壊の火薬にもなりかねない状態です。10年~20年先を見越した新たな産業政策が必要なのでしょう。石炭産業の行方をみることは、中国経済の今後を占う上でも重要です。(「児玉克哉のブログ『希望開発』」より2016年1月16日分を転載)

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    満州の歴史に見る「破壊者」支那の流儀

    る康熙帝(こうきてい:在位1661年~1722年)です。康熙帝は、清代のみならず、唐の太宗とともに、中国歴代最高の名君とされいます。自ら倹約に努め、明代の1日分の経費を1年分の宮廷費用として遣ったり、使用人の数を1万人以上から数百人にまで減らすなど国費の無駄遣いを抑え、さらに治安の維持を図って、支那全土の物流を盛んにし、内需を拡大し、民の生活の向上を図ったとされています。 また「康熙字典」、「大清会典」、「歴代題画」、「全唐詩」、「佩文韻府」などを編纂し、「古今図書集成」の編纂を命じて文学の興隆を図り、また朱子学を尊重し、自ら儒学者から熱心に教えを受けて血を吐くまで読書を止めなかったともいわれています。「朱子全書」、「性理大全」など、朱子に関する著作をまとめ、明史を編纂し、イエズス会宣教師ジョアシャン・ブーヴェらを用いて、支那で初の実測による支那全土の地図「皇輿全覧図」を作成させたりもしています。 要するに、歳費の無駄を省き、自ら質素倹約を旨とするとともに、国内経済の振興を図り、民を豊かにし、文化の興隆を図った立派な皇帝だったわけです。 康熙帝が行った重要な命令に「封禁令」というものがあります。どういう命令かといいますと、「漢人は清国皇帝の聖地である満洲国に入るべからず」としたのです。 要するに康熙帝は、自らの出身地である満州地方を聖地とし、漢人の立ち入りを禁じたのです。これが今日のお話の最大のポイントです。清の第四代康熙帝 康熙帝は、漢人(支那人)の立ち入りを禁じただけでなく、支那と満洲の国境である山海関に、関所を設け、支那人の入国を規制しました。 要するに明代末期に支那の治世が乱れ、漢人に平和と安定を脅かされた女真族が、ついには漢人の本拠地を占領して皇帝となり、自らの出身地である満州を聖地化して、漢人の立ち入りを禁じて、故郷の平和と安定を図ったわけです。 逆にいえば、女真族(満洲人)が、自国の平和と安定を図るためには、暴虐極まりない支那(漢人)たちの本拠地を制圧し、そこに首都を移転して漢人たちに君臨し、自国(満洲)の平和と安寧を図るしかなかったということです。ロシアの南下と蛮行 万里の長城の出発点には「山海関」という城門があります。康熙帝は、封禁令によって、満洲国と支那との間の交通は、この関所以外、一切認めませんでした。立ち入れば、即、死刑です。おかげで、満洲地方は、この後約二百年にわたり、平和と安定を得ています。 ところが、清の治世が乱れ、欧米列強が支那の大地への浸食を始めると、満洲地方の安定が損ねられてしまうようになりました。何が起きたかというと、ロシアの南下です。 義和団事件(1894~1901)の後、乱の当時はろくな働きをしなかったロシアが、勝手に南下をはじめ、ついには大連のあたりまで浸食してしまうのです。 ロシア人も漢人と同じです。武力を用いて一般人を脅し、富と女を収奪します。 ロシア人たちが南下したとき、どれだけヒドイ仕打ちを現地の人にするかは、戦後、満洲から引き揚げようとする日本人達に、彼らがどのような振舞をしたかを見ても明らかだし、カザフやその他、何何スタンと名のつく国々が、ロシアや旧ソ連によってどれだけ酷い仕打ちを受けてきたかの歴史をみれば、なお一層明らかです。 ベラ・ルーシー(白ロシア)という名称があります。これはモンゴルの騎馬軍団がモスクワからポーランドへと侵攻していくとき、湖沼が多い白ロシアの地を避けて通った。だから「レイプがなかったルーシー(ロシア)」という意味で「ベラ(白、純潔)」ルーシーと呼ばれています。 どういうことかというと、13世紀のモンゴル軍というのは、支配地における強姦が将兵の職務となっていた。だからモンゴルの正統な継承国であるロシアは、それが現在にいたるまで不変の文化として残っていて、そうした文化は、そのまま旧ソ連に引き継がれた。ソ連軍による無制限の強姦については、数限りないほどの証言が残っています。 「ドイツ人の女性は老女から4歳の女児に至るまで、エルベ川の東方(ソ連占領地区)で暴行されずに残ったものはいなかった。あるロシア人将校は、一週間のうち少なくとも250人に暴行された少女に出会った」(「スターリン」ニコライ・トルストイ著) 「ベルリンの二つの主要病院によるレイプ犠牲者の推定数は9万5千ないし13万人。ある医師の推定では、ベルリンでレイプされた十万の女性のうち、その結果死亡した人が1万人前後、その多くは自殺だった」 「東プロイセン、ポンメルン、シュレージェンでは、すくなくとも2百万人のドイツ女性がレイプされ、繰り返し被害を受けた人も、過半数とまでいかなくても、かなりの数にのぽる」(「ベルリン陥落1945」アントニー・ビーヴァー著自水杜) こうしたロシア兵が、満洲に南下し、さらに朝鮮半島を経由して日本に襲いかかろうとした、というのが明治の中頃の日本の持っていた危機感です。日本は、国を守るために、朝鮮北部から満洲にかけて(当時は朝鮮は日本の一部です)南下するロシア軍との戦いに臨みました。これが日露戦争(1904~1905)です。 日露戦争が終わると、日本は、ロシアが満洲に持っていた権益を合法的に手に入れました。ところが当時の満州は、「馬賊と阿片は満洲の花」といわれるくらいの、盗賊王国、麻薬王国です。 そりゃあそうです。清の国力が弱まり、ロシアが南下して暴行のし放題。田畑は荒らされ、仕事はなく、飯も食えない。女房や娘は強姦され、子供たちは虐殺されたのです。 ある程度元気の良いものは、馬賊になって徒党を組んで強盗団にでもならなければ生きていけなかったし、馬賊となった人々を食わせるためには、馬賊の頭領は、アヘンを売り捌くのがいちばん手っ取り早かったのです。リットン調査団ですら日本を賞賛 日本は、混迷を続ける満洲で、きわめて生真面目に馬賊を退治し、法を定めて治安を保ち、産業を興し、農業を活性化し、道路や街を作り、あのリットン調査団ですら賞賛せざるを得なかった街づくり、国づくりを行いました。 下の図は、全満洲の発電量のグラフです。当時の満州は、発電機、変圧器、送電線など、世界水準を超えるものとなっていた。 これだけではありません。日本は、満洲に「国道建設10か年計画」を策定し、道路や橋梁を築いた。昭和12(1937)年頃には、全満洲の全国道は、1万キロを超え、四季を通じて自動車の運行が可能にしています。 なにもない荒野に、新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルピン、吉林、チチハル、承徳、営口、錦洲、牡丹江といった近代都市を次々建設しました。鞍山製鉄所では、年間20万トンもの鉄鋼資源が製造され、大連発電所、豊満ダム他、数々の近代工業設備投資が行なわれました。 満州人、朝鮮人、支那人にわけへだてなく諸学校を作り、近代的医療を施し、司法・行政機関を作り、支那大陸の歴史始まって以来、初の法治が行われました。近代的警察制度を行い、軍閥や匪賊を討伐し、街を整備してアジアの奇跡と呼ばれるほどの近代化を促進したのです。要するに、日本が行ったことは、現地人を教育し、彼らの生活水準を日本の内地と同じ水準に引き上げるというものです。これは、欧米列強による植民地化・・・富の収奪を目的とするものと、その心得がまるで違うものです。 このため当時の満州は、治安は日本の軍が守り、街は建設の息吹に燃えました。そこには旺盛な労働需要が発生し、農業も振興され、日本の指導によって、きちんと灌漑が行われて土地が肥沃になりました。 つまり満洲は、食えて、働けて、安心して住むことができる土地になったのです。 断っておきますが、ここまでの満洲の国家的インフラ整備は、満洲事変前、つまり、満洲国が起こる前の出来事です。いまでもそうだけれど、支那人という人種は、そこが食えて、働けて、住めるということがわかると、大挙して押し寄せます。 マンションの一室に、ある日、支那人が住み始める。気がつくと、その支那人の親戚やら友人といった連中が、次々と支那からやってきて、そのマンションに住み始める。気がつくとそのマンションは、ほぼ全棟、支那人ばかりという情況になる。こうした行動パターンは、古来、支那人(漢人)の特徴です。 当時の満州は、日本が介入して後、わずか20年ほどの間に、もとは満蒙人しか住んでいなかったのに、なんと9人中8人までもが漢人(支那人)になってしまいました。【昭和5年当時の満洲の人口】満蒙人   300万人支那人  2600万人朝鮮人   100万人日本人    23万人 このことを、左翼系に偏向した歴史教科書などは「清王朝の政策によって支那人の満洲地方への入植が行われた」などと書いていますが、とんでもない大嘘で、当時の清朝政府には、それだけの指導力も資金力もありません。要するに、南京において、日本が統治を始めたわずか2ヶ月後には、南京の人口20万が、25万人に増えたのと同様、民衆は、治安が保たれ、仕事があり、食えるところに人が集まったのです。毎年100万人規模で支那人達が満洲へ 支那全土が軍閥や共産主義者、窃盗団等によって、好き放題荒らされ、農地が荒廃し、建物が破壊され、惚れた女房は強姦され、旦那や息子が虐殺されるという無法地帯と化した中にあって、多くの人々が、治安が良くて仕事があり、安心して暮らせる土地を目指したというのは、ごく自然な行動です。 その結果、昭和になると、なんと毎年100万人規模で、支那人達が満洲に流入しました。満州事変勃発前の昭和5(1930)年には、ついに全人口の9割が支那人になりました。支那人が増えるとどうなるか。これも昨今の日本の各所でみることができるけれど、彼らは彼らだけのコミュニティを作り、平気で暴行を働き、治安を乱します。そしてついに、満洲国内で、支那人たちによる主権をも主張するようになりました。 これは支那人のいわば習い性のようなもので、彼らの行動は、時代が変わってもまるで変化しない。いまでも支那共産党が、チベット、東トルキスタン、南モンゴルなどで異民族を統治するに至る方程式は、まるで同じです。これからはアメリカが危ないかもです。1 まず漢人が入植する。はじめは少数で。次第に大人数になる。2 漢民族との混血化を進めようとする。はじめは現地の人との婚姻で。次第に大胆になり、果ては異民族の若い女性を数万人規模で拉致し、妊娠を強要する。3 現地の文化財を破壊する。4 天然資源を盗掘し、収奪する。5 漢人だけの自治を要求し、国家を乗っ取る。 昭和のはじめの満洲がそうでした。人口の9割が漢人になると、自分たちで軍閥を営み、満洲の自治を奪いました。これをやったのが、張作霖(ちょうさくりん)です。 張作霖は、もともと匪賊(ひぞく・盗賊集団)の頭で、勢力を伸ばして軍閥となり、ついには、満洲国に軍事独裁政権を打ち立てました。昭和4年、全満洲の歳入は、1億2千万元だった。そのうち、1億2百万元を、張作霖は自己の利益と軍事費に遣っています。なんと歳入の8割を軍事費にしたのです。 いまで言ったら、汚沢一郎が支那の人民解放軍を率いて日本の政府を乗っ取り、95兆円の歳費の8割にあたる76兆円を軍事費に振り向けた、というに等しいことです。しかもその軍事力の矛先は、なんと自国に住む満州人です。ありえないお馬鹿な話です。 要するに、せっかく都市インフラが進み、みんなが豊かに生活できるようになったと思ったら、その富を横から出てきた漢人で、まるごと横取りしたのです。         張作霖 張作霖が、実質的な満洲の支配者となって行った政策の、一端が、次に示すものです。1 財産家の誘拐、処刑2 過酷な課税  なんと5年先の税金まで徴収した。農作物や家畜にまで課税し、収税の名目はなんと130種類。3 通貨の乱発  各省が勝手に紙幣を乱発。当然通貨は大暴落した。4 請負徴収制度  税吏は、税額を超えて集金した分は、奨励金として自分の収入になった。 いま日本では、友愛などというゴタクを並べる総理がいたり、大喜びで支那に朝貢する売国議員などがいて、支那人達に労働力1000万人受け入れを約束したり、彼らの最低時給を1000円にしようだとか、ついでに参政権まで与えようなどと言い出す、ボンクラがいるけれど、そういう行動がもたらした結果がどうなるかが、当時の満洲に見て取れるわけです。支那人の「人治主義」 日本人は、道義主義の国家です。だから規則があればそれに従います。日本人のマインドは、常に相互信頼が基本にあるから、信頼に応えるためには、リーダーであっても規則があればそれに従うのが常識です。 ところが支那人は、人治主義です。法より人が偉い社会です。法をどれだけ無視することができるかが、大人(だいじん)の風格として尊ばれます。先日来日した習近平の行動もその典型で、日本に1ヶ月ルールを破らせることが、大物としての風格(あるいは貫禄)の証明とされています。法よりも人が偉いから、権力を持った人間は、なんでもかんでも好き放題できるし、それをすることが偉い人を偉い人たらしめる理由となります。 張作霖は、満洲国を軍事制圧すると、国民から税金として金銭をむしりとり、自身は老虎庁と呼ばれる豪邸に住み、贅沢の限りを尽くしました。そしてついに張作霖は、日本を追い出して満州を完全に自己の支配下に置こうとしたのみならず、支那までも征服し、支那皇帝にまでのぼりつめようと画策しました。張作霖の公邸「老虎庁」 そんな折に起こったのが、張作霖の爆殺です。この張作霖爆殺は、長く日本の河本大佐の仕業と言われ続けていたけれど、公開された旧ソ連の外交文書には、ソ連の陰謀であったと書かれているともいいます。 すなわち、張作霖を爆死させ、それを日本軍のせいにすることによって、日本を糾弾し、さらに日本と支那最大の軍閥である蒋介石を戦わせることで、両国を疲弊させ、最後にソ連が、支那と日本の両方をいただく・・・というシナリオであったという説ですが、実態は藪の中です。 張作霖が爆死したとき、満洲の一般市民がどういう反応を示したかというと、これが拍手喝采して喜んでいます。当然です。むごい税金の取り立てで、国内を泥沼のような混乱に陥れたのです。その張本人がいなくなれば、みんな大喜びになる。ごく自然なことです。 張作霖が死ぬと、その息子の張学良が後継者として奉天軍閥を掌握し、蒋介石を頼って反日政策を進めました。ところが張学良は、満州事変で満洲から追い出されます。すると支那共産党と結び、蒋介石との国共合作に引き入れる西安事件を起こしています。 朝鮮半島でも、支那、満洲でも同じなのだけれど、いわゆる反日・侮日政策を採った者たちには、「民衆の幸せ」という観念がないという共通点があります。。どこの国にも、多くの民衆がいて、誰もが家族の幸せ、生活の安定を求めて生きているのです。それは昔も今もなんら変わることのない、人々のごく普通な、普遍的な思いです。 日本が統治した国は、いずこもそこに平和と安定と建設の息吹が芽生えています。台湾、朝鮮半島はいうにおよばず、インドネシア、パラオ、タイ、ビルマ、シンガポール、マレーシア、カンボジア等々。満洲人の不幸は、内乱が続く支那と陸続きでかつては同一行政単位の国だったということです。 満洲の政治が安定し、工業や農業が盛んになり、学校や医療設備ができ、治安が良くなると、そこに内乱が続く支那から、こぞって漢人たちがやってきた。そしてこの漢人という種族は、大量にやってくるだけでなく、放置しておけば、その国の国民の数をはるかに凌駕するだけの人を呼び込む。そして自分たちだけの自治を要求する。その国のや文化や伝統を破壊する。そしてひとたび政権を取るや否や、権力を利用して、普通の神経では考えられないような暴政をひき、逆らう者、邪魔になるものは、かつての恩人であれ、平気で奪い、殺し、足蹴にする。 これが過去の歴史が証明している支那・漢人の流儀です。いま日本は、きわめて親支那寄りの政権が誕生し、実際にあった過去の真実の歴史を踏みにじり、日本の庶民が築いてきたありとあらゆる文化・伝統を破壊し、企業活動を損ね、経済を壊そうとしています。そして支那から1000万人の労働力を呼び寄せ・・・1千万人で終わるはずがない・・・彼らに最低時給1000円を保障し、日本の戸籍を与え、ついでに参政権まで与えようとしています。その先にあるものは、どのような日本なのでしょう。 京都に青蓮院というお寺があります。このたび青蓮院は、1200年ぶりにはじめてのご本仏、青不動尊の御開帳を行いました。しかも京都近郊の不動尊を一堂に集めての御開帳でした。 なぜそのようなことをしたのかというと、我が国の道徳心の荒廃があまりに顕著であり、まさにいま、「1200年来最大の国難のときにある」からだからなのだそうです。辛い事件があまりにも多すぎます。「この混迷の世の中で、青不動の強いお力をいただいて、いろいろな問題を少しでも良い方向に導いていただきたいと考え、ご開帳を行うことにいたしました」のだそうです。 日本を護るということは「庶民の幸せこそ国家の幸せである」という人類共通の理念を護るということなのではないかと、思います。 その日本がいま、貶められ、解体されようとしています。私たちは、わたしたちの手で、この日本を護りぬかなければならない。 そうしなければ、この国を、そして「民の幸せ」を希求して亡くなっていかれた英霊たちに申し訳ない。そのように思います。(「小名木善行 ねずさんの ひとりごと」 2011年2月2日より転載)おなぎ・ぜんこう 1956年生まれ。大手信販会社にて債権管理、法務を担当し、本社経営企画部のあと、営業店支店長として全国一の成績を連続して達成。その後独立して食品会社経営者となり、2009年より保守系徳育団体「日本の心をつたえる会」を主催、代表を勤める。ブログ「ねずさんのひとりごと」は、政治部門で常に全国ベスト10に入る人気ブログとなっている。

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    戦争求める中国軍 ミャンマーへの宣戦布告を建議したことも

     今や粛清の嵐は、中国人民解放軍にまで吹き荒れるようになった。怨嗟と不満が渦巻く軍をこのまま放置していれば、予期せぬ叛乱が勃発する可能性すら指摘され始めている。ジャーナリストの右田早希氏がレポートする。* * * 習近平主席は現在、「軍の汚職追放キャンペーン」を展開中である。要は汚職追放にかこつけて、230万人民解放軍の掌握を図るべく、権力闘争を仕掛けているのだ。 その過程で、江沢民元主席が抜擢し、江沢民・胡錦濤時代を通じて人民解放軍に君臨した徐才厚・郭伯雄の両元中央軍事委員会副主席を粛清した。徐才厚上将は昨年3月に拘束され、今年3月に死去。郭伯雄上将は、息子の郭正鋼浙江省軍区副政治委員ともども、今年3月に拘束された。「徐才厚と郭伯雄の両巨頭を粛清したことで、習近平は軍全体を敵に回してしまった」海外メディアはそのような憶測記事を飛ばしているが、こちら北京で人民解放軍関係者に話を聞くと、事実とはまったく異なる。 ある海軍中堅幹部は、次のように述べた。「徐才厚と郭伯雄が支配した江沢民・胡錦濤時代の解放軍は、まるでシロアリに蝕まれた倒壊寸前の家のようなものだった。出世のための賄賂が全軍に横行し、軍人の仕事はビジネス&宴会と化していたからだ。 それを習近平主席は、『軍人の本分は戦争して勝つことだ』と檄を飛ばし、毛沢東時代の人民解放軍に戻してくれたのだ。そのため今は賄賂漬けになっていた幹部たちを除けば、軍の士気は高まり、戦争への準備は整っている」 この海軍中堅幹部は、一つのエピソードを明かした。「軍内部で2012年以降、毎年夏に、『いかにして日本軍(自衛隊)に勝つか』というテーマで、多方面から中日両軍の比較検討を行うセミナーを開いている。昨年の結論は、『わが軍がいくら空母を建造しても、内部の腐敗を一掃しなければ日本軍には勝てない』というものだった。だが今年は違う結論になるだろう」 この中堅幹部に南シナ海の埋め立て問題について聞くと、次のように答えた。南シナ海のパグアサ島の沖合に停泊する中国海警局の「海警2305」=18日(提供写真・共同)「習近平主席や呉勝利司令員が唱える『新たな大国関係』を構築するには、『不動の空母』とも呼ぶべき埋め立て地が絶対に必要だ。これはわれわれ現場サイドからの要請なのだ。 4月29日に呉勝利司令員がグリナート米海軍作戦部長と行ったテレビ会談で、『(滑走路を建設予定の)用地は米軍に貸してもよい』と述べたが、あの発言も同様だ。要は、中国軍が東アジアの海を管理できていなければ、戦争ができない」 陸軍の中堅幹部にも心情を聞いたが、答えは大同小異だ。「人民解放軍は1979年の中越戦争以降、戦争を経験していない。『戦争しない軍隊は腐る』とは習近平主席の言葉だが、まさにその通りで、われわれ中堅若手は戦争を求めているのだ。 3月13日にミャンマーの爆弾が誤って国境を越え、雲南省に落ちて中国人5人が死亡する事件が起きたが、われわれは上層部に、ミャンマーへの宣戦布告を建議したほどだ。北朝鮮の金正恩政権も、物騒な核ミサイル実験を止めないのであれば、解放軍が介入して政権を転覆させるべきだと具申している」 ここで強調しておきたいのは陸軍と海軍の中堅幹部が共に、次のように結んだことだ。「もしも習近平主席が対外戦争を躊躇するならば、われわれは『戦争できる指導者』に代わってもらうまでだ」関連記事習近平氏 腐敗、堕落の解放軍に危機感で大粛清に動く可能性習近平副主席妻 軍芸術部門トップ就任でやり過ぎを懸念する声中国人民解放軍 腐敗蔓延で4万5000人処分、佐官級760人も中国人民解放軍サイバー部隊は約40万人所属 精鋭部隊は2000人習近平が3大権を掌中にしたのは共産党の歴史でも希有の事態

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    今や「戦国時代」の様相 中国の目先の利益に乗るな

    石平(評論家) 今月(編集部注:2015年11月)に入って中国は、アジア太平洋地域において一連の慌ただしい近隣外交を展開してきた。 1日、韓国のソウルで李克強首相は3年半ぶりの日中韓首脳会談に参加し、日本の安倍晋三首相との初の公式首脳会談を行った。5日には、今度は習近平国家主席が就任後初めてベトナムを訪問し「関係の改善」を図った。10日、王毅外相はマニラを訪れてフィリピンの大統領、外相と相次いで会談した。 この一連の外交活動の対象となった3カ国が抱えている共通問題といえば、やはり南シナ海だ。同海での中国の拡張戦略に対し、当事者として激しく反発しているのはベトナムとフィリピンの両国である。一方の日本もまた、自国のシーレーンとなる南シナ海の「航海の自由」を守るべく、中国の戦略に強く反対する立場を取っている。こうした中で中国がこの3カ国に急接近してきた意図がはっきりと見えてくる。 10月末の米海軍による南シナ海哨戒活動の展開によって米中対立が一気に高まった中、中国政府は南シナ海問題の当事者諸国との緊張を緩和させることによって、中国批判を強める米国を牽制(けんせい)するつもりであろう。当事者同士が話し合いで問題解決に向かうのなら「部外者」のアメリカは口出しが難しくなる計算である。 さらにAPECの前に、関係諸国を取り込んだ上でアメリカの攻勢を封じ込めておくのが一連の中国外交の狙いだったろう。 要するに、アメリカを中心とした「有志連合」が中国の拡張戦略に立ち向かおうとするとき、「有志連合」の参加国と個別に関係改善を図ることによって「連合」の無力化を図る策略なのだ。それは中国で古来使われてきた伝統的得意技である。 中国では紀元前8世紀から同3世紀まで戦国という時代があった。秦国をはじめとする「戦国七雄」の7カ国が国の存亡をかけて戦った時代だったが、7カ国の中で一番問題となったのが軍事強国で侵略国家の秦であった。 いかにして秦国の拡張戦略を食い止めるかは当然他の6カ国の共通した関心事であったが、その際、対策として採用されたのが、6カ国が連合して「秦国包囲網」を作るという「合従策」である。 6カ国が一致団結して「合従」を固めておけば、秦国の勢いが大きくそがれることになるが、一方の秦国が6カ国の「合従」を破るために進めたのが「連衡策」である。6カ国の一部の国々と個別的に良い関係をつくることによって「合従連衡」を離反させ、各個撃破する戦略だ。 この策で秦国は敵対する国々を次から次へと滅ぼしていったが、最終的には当然、秦国との「連衡」に応じたはずの「友好国」をも容赦なく滅ぼしてしまった。秦国の連衡策は完全な勝利を収めたわけである。 それから二千数百年がたった今、アジア太平洋地域もまさに「戦国時代」さながらの様相を呈している。中国の拡張戦略を封じ込めるために米国や日本を中心にした現代版の「合従連衡」が出来上がりつつある一方、それに対し、中国の方はかつての秦国の「連衡策」に学ぶべく、「対中国合従連衡」の諸参加国を個別的に取り込もうとする戦略に打って出たのである。 その際、日本もベトナムもフィリピンも、目先の「経済利益」に惑わされて中国の策に簡単に乗ってしまってはダメだ。あるいは、中国と良い関係さえ作っておけば自分たちの国だけが安泰であるとの幻想を抱いてもいけない。 秦国によって滅ぼされた戦国6カ国の悲惨な運命は、まさにアジア諸国にとっての「前車の轍(てつ)」となるのではないか。

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    中国によるチベット族・ウイグル族への弾圧 イスラム国との戦闘も

    0元の罰金は高額である。また、母語であるチベット語を使用できないのは不便きわまりないだろう。これは、中国共産党によるチベット族に対する抑圧政策に他ならない。言うまでもなく、言語と民族のアイデンティティは密接に関係しているからである。  かつて、2010年10月、同仁県では数千人のチベット人中高生が街頭に出て抗議デモを行った。中学・高校の授業は、英語とチベット語の授業以外、中国語の教科書で行うという。  その時、生徒らは「文化的平等を要求する」というスローガンを掲げた。そして、中国当局の“教育改革”政策は、チベット民族の言語と文化を滅ぼそうとしていると訴えた。実際、大学入学試験は中国語で行われる。高等教育を受ける際、チベット族は不利を被るに違いない。  さて、大多数のチベット族はチベット仏教を信奉している。チベット仏教の真髄は「不殺生戒」である。生きとし生けるものを慈しむ。たとえ虫ケラでさえ、不殺生の対象になる。ましてや、人殺しなどタブーである。  だから、多くのチベット族には、中国共産党の同族への弾圧に対し、「目には目を、歯には歯を」という発想を持たない。そのため、原則、共産党へ暴力による“報復”を行わない。チベット仏教は、どんな人間に対しても殺傷することを厳しく禁じているからである。したがって、チベット族は、政府に対し暴力という手段に訴えることは極めてまれである。  一般に、彼らの中国共産党への抗議は、僧侶や尼僧らによる焼身自殺という形を取る(チベット仏教では自殺さえも奨励されているわけではない)。2009年以降、現在に至るまで、チベット族による焼身自殺は、約140人にのぼる。その中で亡くなったのは約120人である(インド・ダラムサラのチベット亡命政府、ロブサン・センゲ首相による)。  一方、北京は、ウイグル族(大半がイスラム教を信仰する)に対しても、抑圧政策を採る。例えば、18歳以下のウイグル族は、コーランの学習やラマダン(日の出から日の入りまでの断食)への参加を禁止されている。  しかし、よく知られているように、イスラム教には「ジハード」という概念がある。この言葉は、本来「奮闘努力する」という意味だが、ムスリムを抑圧する異教徒に対して、「聖戦」を容認しているふしがある。そのため、ウイグル族は中国共産党の苛酷な支配に対し、しばしば敢然と立ち上がる。  近年、まず、2013年10月、ウイグル族の親子3人(夫婦とその親)がジープで天安門金水橋で自爆テロを行っている。容疑者の3人を含む5人が死亡、38人が負傷した。ただ、警備の厳しい天安門広場に、どのようにジープが入ったかが謎である。その約1ヶ月後、「トルキスタン・イスラム党」が“犯行声明”を出した。  この事件が契機となり、その後、新疆・ウイグル自治区を中心にテロ事件が頻発している。 最も記憶に残るモノを挙げるとすれば、次の2つの事件ではないだろうか。  1つは、2014年3月1日、雲南省昆明駅でウイグル族によるナイフ等を使った無差別テロ殺傷事件である。結局、テロ容疑者4人を含む35人が死亡、141人が負傷する大惨事となった。  もう1つは、翌4月末に起きたウルムチ南駅爆破テロ事件だろう。その日、習近平主席が側近らと新疆・ウイグル自治区を視察した最終日だった。ウイグル族と見られる容疑者が自爆し、テロ容疑者2人を含む3人が死亡、79人が負傷している。習主席を狙ったテロだった可能性も捨てきれない。  実は、ISIS(「イスラム国」)には、約300人の中国人が参加しているという。恐らく、ほとんどがウイグル族に違いない。そのISISが、2015年12月、中国国内にいるイスラム教徒(約2000万人)へ中国語で、習近平政権に対し「ジハード」を起こすようインターネットで呼びかけた。今後、中国国内で、ISISと習近平政権の戦闘が開始されたとしても何ら不思議ではあるまい。 (日本戦略研究フォーラム『澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」』より転載)

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    中国侵略」の肝といわれる満州事変はなぜ起きたのか

    『満州事変はなぜ起きたのか』(中公選書)です。   この時代、各国から不平等条約を押しつけられていた中国には大きな不満がたまっていた。一方、日本の側には、当時の国際法によって認められた範囲で当然のことをしているという思いがある。そこに両者の根本的な見解の相違がありました。そういう日中関係にアメリカ、イギリス、それにドイツ、ソ連などの思惑が絡んで、非常に複雑な国際関係が展開していた。最終的には、中国はターゲットを日本一国に絞って欧米諸国とうまく関係を取り結び、対日包囲網を形成しました。そうしたなか、日本の行動は色々な意味で単純に過ぎたと言わざるをえません。 これは現代にも通じるところがあって、イギリスは最近中国中心のアジアインフラ投資銀行AIIBに突然入って驚かされましたし、訪英した習近平国家主席を「大歓迎」しましたが、イギリスが中国に対して抜け駆け的行動をとる傾向があるのは、一九二六年に「十二月メモランダム」という中英提携を突然発表して日本から「ワシントン条約の精神を無視し」たと強硬に抗議された時と変わっていません。 また、中国と最初に平等な条約を結び、日中戦争時に蔣介石を軍事支援していたドイツは、現在のメルケル首相に至るまで非常に親中的です。 こうした大国間の複雑な関係の中でワシントン条約体制という国際協調関係に一番忠実だったつもりの日本は気が付いたら孤立していた。日本が国際社会において失敗を繰り返さないようにするためには、こうした孤立に陥らないようにすることが大事ではないかと思います。「国際中間地帯」等松 日本の近現代史を国際的文脈の中に置いてケース・スタディとして見ると、国際連盟を脱退した日本が、なぜそれ以降も国際連盟規約で規定されていた委任統治を南洋群島において続けられたのかという疑問がわきます。一九三〇年代には満洲問題と南洋群島の問題がパラレルで出てくる。英仏豪のような国際連盟の委任統治に関わっている国々、あるいは米ソ独のような南洋群島に関心のある国々はそれをどう見ていたのか。満洲事変は日中間の問題であると同時に、誰が実効支配しているかよくわからない曖昧な地域を巡る紛争、つまり世界的に存在していた問題の一つでもあったのです。 そのことに一部の先覚者は当時から気づいていて、たとえば神川彦松という著名な国際政治学者は、複数の国家が権利を主張する地域を「国際中間地帯」と呼んでいました。ヨーロッパでいえばバルカン半島やクリミア半島やシレジア地方がそれにあたり、帝国主義の時代には列強のせめぎ合いの場になっていた。のみならず現地のローカルな勢力もそれぞれの思惑のもとに蠢いている。ご承知のように第一次世界大戦はバルカン半島というヨーロッパの国際中間地帯を巡る争いから始まりました。いま現在でもクリミア半島では同様のことが生じています。これは普遍的な、現在でも解決されていない問題です。東アジアにおいては満洲がまさに「国際中間地帯」でした。満洲は日中間だけの問題ではなかった。 第一次世界大戦後に国際連盟が作られ、委任統治制度が設けられた目的の一つも、国際中間地帯における武力紛争を避けるためでした。そういう観点から満洲事変を見ると、帝国主義批判、あるいは日中関係のみで見るのとはずいぶん違う景色が見えてきます。 一九三二年秋に発表された「リットン報告書」を読み直してみると、満洲をどのようなかたちで国際管理下におくか、治安をどう維持するかに関して、公表されていない部分では、連盟主導の暫定統治であるとか、現在で言う多国籍の平和維持軍のようなものまで、複数の構想があったことがわかります。ところが日本がリットン報告書を不服として早々と国際連盟からの脱退を通告してしまったため、そこから先の議論が進まなかったのですが、蔣介石は中国の権利さえ保障してもらえれば満洲をしばらくのあいだ国際管理下におくことに基本的に賛成でした。 実は日本でも、「リットン報告書」が発表されたときには、外務省や陸軍の一部には国際連盟の提案を受け入れて考え直そうという意見があった。しかし、満洲国に対する世論の熱狂的な支持があったり、満鉄や関東軍が権益を手放そうとしなかったりで、「リットン報告書」の構想は幻に終わりますが、実は国際的な正統性を獲得できれば満洲国も生き延びることができたのかもしれないのです。安易に使われすぎる「侵略」安易に使われすぎる「侵略」北村 「満洲事変」は満鉄の線路が爆破された昭和六年(一九三一)の柳条湖事件に端を発し、日本の〝侵略戦争〟の出発点とされるわけですが、「侵略」というのは、単純に考えれば他人が住んでいるところへ一方的に攻め込んでいって勢力下におくようなものでしょう。しかし、日本にそんなつもりはなくて、むしろ中国人のほうが戦争をする気満々だった。そもそも「侵略戦争」というのは“aggressive war”の訳語ですが、東京裁判で道義的、犯罪的な意味で使われるまでは、「先に攻撃を仕掛けた」という戦争の開始状態を示すだけで特別なニュアンスはなかった言葉だから、安易に使うべきではありません。 もともと日露戦争に勝った日本はロシアから賠償金を取れずに、遼東半島の旅順・大連(関東州)と東清鉄道南部支線の一部(後の南満洲鉄道)および附属地を譲り受けることで講和しました。しかし、これはもちろん領土の割譲ではなく、期限付きの借地のまた貸しみたいなもので、主権は〝地主〟の清にある。だから、十年後の「対華二十一カ条」(一九一五)で租借権の期限延長をめぐって揉めますね。しかも、「対華二十一カ条」要求に怒った中国人がやがては日本人を襲い、現地の日本人居留民は中国人にたびたび暴力をふるわれ、ひどい目にあわされることになる。日本人は最近ようやく中国人の乱暴さや無法さを知ったようですが(笑)、それは昔から変わらない。 だから、満洲国をつくったのは、ある意味しかたのないことだったのかもしれませんね。いつまでも近代化しないし、法の支配が及ぶ国にならない。しかし満洲には日露戦争後の一九〇七年に清朝が省制度を導入し行政区画を万里の長城の内外で一体化していた。また二千万人といわれた住民の九割は漢人種です。清朝が倒れそのあと国民党による国民革命が唱えられて久しい一九三〇年代に、旧満洲人皇帝の権威で新国家を作る建国理念は、五族協和(満、日、漢、蒙、朝鮮の各民族の協調)を唱えても説得力に欠けます。張作霖も張学良も、みな漢人種です。満洲国とイラク等松 仮に日本人が中国に居留するとしたら、どうやってガバナンスを確立するか、どうやって安定した状態を保つかというのが大きな課題でした。清朝末期から民国初期の中国は混乱状態で、軍閥が割拠する力の世界だから法の支配さえ怪しい。匪賊とさして変わらないような軍閥が勝手に税金を取ったり住民を酷使したりする。 そういう状況を安定させるには、帝国主義の全盛期ならば武力で支配すればよかったのですが、第一次世界大戦を境にして、ベルサイユ会議以降、植民地主義への反省から「民族自決主義」という潮流が生まれました。そのあたり、イギリスなどは新しい時代の流れの中でうまく立ち回っています。狡猾というか賢明というか、逆に自国の行動を〝合法化〟していくのです。日本の場合には旧式の外交から新時代の外交、つまり帝国主義から反帝国主義への切り替えがうまくいかず、中国だけでなく中国に利権を持つ列強と衝突してしまう。イギリスなどと比べて明らかに日本は立ち回りが下手だったと言えます。 実は満洲事変とほぼ同じ時期にイギリスはイラクの問題を抱えていました。第一次世界大戦中にイギリス軍はオスマン=トルコ軍をメソポタミアから追い出してイラクを占領した。満洲以上に治安が悪い地域で、北部にはクルド人がいるし、アラブ人もスンナ派とシーア派に分かれて争っているから、イギリスは強権で支配した。しかし、第一次大戦後の潮流のなかでは、そのまま植民地にしてしまうと帝国主義であるとの批判を浴びますから、それはできない。とはいえイラクは石油も出るし中東支配の要だから、ぜひとも確保したい。そこでイラクを国際連盟のA式委任統治領にして自らが受任国となるのです。こうして事実上イラクはイギリスの保護国となったのですが、国際連盟のお墨付きですから、合法性があります。将来は独立させて有利な条約を結ぶ。いわば「名を捨てて実をとる」戦略です。 奇しくも満洲国建国と同じ一九三二年にイラクは独立して国際連盟に加盟し、そして独立国としてイギリスと条約を結びます。しかし、独立国とは名ばかりの虚構の国家で、イギリス人顧問があちこちにいて、英国軍の駐留も認め、イギリスに最恵国待遇を与えるなど、その内容は日満議定書と大差ないものでした。ただ国際連盟の委任統治制度を経ての「独立」ですから、合法性・正統性という点ではまったく問題がない。 日本の場合は、出発点であからさまな軍事力の行使という形で国際連盟規約を破っていますから、イラクにおけるイギリスと同様のことをしていても国際的に非難され、国家としての実態はイラクとさして変わりなかったのに、満洲国はついに広範な承認を得られませんでした。既存の制度や国際秩序を巧みに利用したイギリスに比べ、われわれには関係ないとそれを頭から否定してしまった日本は率直と言えば率直ですが、早まったとしか言いようがありません。このように、満洲国もイラクも、まさに国際中間地帯の管理をめぐるテーマだったわけです。「幣原外交」と「田中外交」「幣原外交」と「田中外交」幣原喜重郎北村 満洲事変が起こった頃、雑誌『文藝春秋』に掲載された世論調査をみると、ほとんどの人が軍の行動を全面的に支持しています。協調外交、いわゆる「幣原外交」でいくべきだと言っている人はほんのわずかで、「満蒙は日本の生命線である。弱い女子供まで襲う憎き中国人を懲らしめるのは当然だ」という意見が圧倒的多数を占めている。筒井 再検討しなければいけない史実の一つは、加藤高明・若槻禮次郎内閣の外務大臣、幣原喜重郎の国際協調外交、いまおっしゃったいわゆる「幣原外交」ですね。 中国人労働者の大規模なデモと発砲が起きた五・三〇事件(一九二五)ではイギリスの再三の日本軍出兵要請にも幣原外相はなかなか動かず、第二次南京事件、漢口事件でも「不干渉政策」の方針に基づいてイギリスの共同軍事行動の呼びかけを拒絶し、日本だけが砲撃に加わらなかった。イギリスも怒りましたが、日本人居留民の出兵要請にも応えなかったから、国内でも幣原外交に批判が集まった。田中義一 若槻内閣に代わって組閣した田中義一首相は、居留民保護のため第一次山東出兵を行います。これはイギリスとアメリカに大歓迎され、とくにイギリスは田中外交に大きな期待を寄せました。戦後、田中メモランダムがあったせいもあり田中外交は強く批判されていましたが、これが偽書であったこともはっきりしています。 そうすると幣原外交と田中外交をどう見直すかという問題が出てくる。ただし、幣原外交であまりに隠忍自重しすぎた結果、不満がたまって関東軍や世論が暴発したように見えるのですが、それなら、一々小刻みに反撃していたら、そうはならなかったのかというと、一概にはそうとも言えないような気がします。そのあたりは難しいところですね。等松 当時の国民感情がそれだけ反中的になってしまった理由の一つには、日本も不平等条約に苦しめられた過去があったからではないでしょうか。日本の場合は徳川幕府という前政権が安政年間に結んだ不平等条約を、明治新政府が鹿鳴館の舞踏会のような涙ぐましい努力までしながら徐々に改正し、五十年以上かけて明治時代末期の一九一一年にようやくすべて改正することができた。 ずっと屈辱に耐えてきた日本人の国民感情からすれば、蔣介石が「革命外交」と称して実力行使に訴えることに反発する気持ちはわかります。石橋湛山は、「われわれにもかつては欧米列強の横暴に対して激昂した尊皇攘夷の時代があった。いまの支那はそれと同じなのだから、もう少し静観すべきだ」と言っていました。結果的には正論だったと思うのですが、「そんな甘いことを言っていられるか」というのが自然な国民感情だったという気はします。東京・日比谷公園で講和条約反対を訴える民衆によって開かれた 決起集会を発端に日比谷焼打ち事件が起こった(1905年9月5日)筒井 明治の末期から、群衆・大衆というものが日本の政治に大きな影響力を持つようになります。その最初の事件が「日比谷焼打ち事件」(一九〇五)でした。新聞は連日「日本の大勝利」という報道をしていたのに、国民から見ると賠償はほんのわずかだったから、国民の不満が爆発して暴動が起こった。日本で最初の戒厳令が敷かれ、死者十七名、負傷者約二千名、検挙者約二千名を出す大事件になりました。 その後、桂太郎内閣を倒した護憲運動(一九一一)、日本最大の民衆反乱だった米騒動(一九一八)、反排日移民法運動(一九二四)など、群衆騒擾事件が相次ぎます。統治する方から見れば、恐るべきことだったでしょう。米騒動以降、元老の山縣有朋は米相場の指数を毎日見ていたといいます。反排日移民法運動では反米の歌までつくられ、アメリカ大使館の前で切腹する人が出たり、幕末の攘夷運動のように横浜でアメリカ人が襲撃されたりした。この運動はなぜかよく研究されていませんけれど。北村 「排日移民法」以後、アメリカは日本をどんどん追い詰めていった。一九三二年の満洲事変直後には、米国務長官のスティムソンが、日本の大陸における領土拡張はいっさい認めないという声明を出している。いわゆる「スティムソン・ドクトリン」です。筒井 日中関係と日米関係はつねにリンクしています。日露戦争の直後、アメリカの鉄道王ハリマンが南満洲鉄道の共同開発をもちかけたときから、アメリカは日中間の問題に関わってくる。日露戦争で疲弊したいま、米国資本を満洲に導入したほうが国益にかなうと判断した時の桂太郎首相はこの提案を受け入れ、覚書が交わされます。 ところが、ポーツマス講和条約を終えて帰国した外務大臣の小村寿太郎が共同開発に猛反対し、白紙撤回させる。異説もありますが、国民が日露戦争の賠償が少なすぎると騒いでいるところへ、さらに満洲の権益をアメリカと分け合うようなことをしたら国民は絶対に納得しないだろうというのが小村の考え方だと見られています。ここにも世論がはたらいているのです。「日比谷焼打ち事件」で日本の政治シーンに初めて「大衆」が登場し、デモや暴力によって世論が表明されるようになった。以後、湧き上がる大衆世論の支持なしには政治や外交の方向が決められなくなった。そして、そうした世論とそれを煽動するマスメディアとが、大正から昭和初期に中国との関係を悪化させる一つの大きな要因になったのです。国際連盟脱退北村 国際連盟総会に日本主席全権として派遣された松岡洋右は、西園寺公望に「連盟を脱退するつもりはない」と言っていたようですね。にもかかわらず、松岡は「欧米諸国は日本を十字架上で磔刑に処そうとしているが、キリストが後世において理解されたように、日本の正当性も後々必ず明らかになるだろう」という有名な大演説をして国内で喝采され、「リットン報告書」が圧倒的多数で採択されると、脱退を宣言して退場してしまいました。その要因も大衆世論と国民感情でしょうか。等松 大衆社会的な現象が現れ、日本の政党政治がまだ十分に成熟していなかったこともあって政府が世論に振り回されてしまった。正統的なエリートではなかった松岡は世論を味方につける必要もあり、ポピュリストにならざるを得ないところもありました。筒井 罰則規定はないのだから、日本は脱退する必要はなかった。リットン調査団の勧告が出たと言われたら、「そうですか」と受け流しておけばよいと東大国際法の立作太郎教授なども言っており、そうするはずだった。日本は時間を稼いで情勢の変化を待つべきだったのです。 その後、イタリアがエチオピアに侵攻し、ソ連はフィンランドを侵略して国際連盟を除名されている。国際情勢はつねに流動的で、国際連盟をめぐっていろいろな問題が起こり、日本の位置も変わっていくのですから脱退しなければよかったのです。そうすればまた国際社会に復帰できた。が、「ゆきつくところ戦争も辞さない」(朝日新聞)などという圧倒的な世論の脱退論に松岡らは迎合してしまったのです。等松 これは意外に忘れられがちですが、一九三三年三月の時点で日本は連盟脱退を通告しただけで、実は通告から二年後まで発効しないという規定がある。言い換えれば通告後も二年間は加盟国としての義務を果たさなければならないのです。だからその間に脱退通告を取り下げることもあり得た。英米仏などの列強が日本に対する道徳的な非難以上のことはせずに事態を静観していたのは、「満洲国」という新国家の建設は容易なことではないし、いずれ頓挫するだろうと考えていたからです。そうなると連盟に戻って「リットン報告書」を基に満洲の国際管理を認めるかもしれないから、あまり日本を刺激せずにしばらく様子を見ようとしていた。すなわち、一九三三年から三五年という二年間は、実はいろいろな可能性があった時期だったのです。 逆に言えば、列強が強硬な態度をとらず、対日経済制裁も行わなかったために満洲国建国が順調に軌道に乗り、日本もこれで行けるぞと思ってしまったのではないか。筒井 私は、松岡は後藤新平的大風呂敷ラインにつながっていると思います。後藤新平という人は何かといえば大風呂敷を広げるから、マスメディアには人気があった。 アメリカに対抗するための「ユーラシア大陸ブロック連合」構想のような後藤の大風呂敷に影響を受けた松岡は、日本・中国・満洲を中核とした「大東亜共栄圏」をつくるなどと言ってマスメディアと大衆を喜ばせました。世界を四つのブロック(アメリカ、ロシア、西欧、大東亜)に分けるというのです。当時日本のやるべきことは泥沼に陥った日中戦争を解決することに専心するしかなかったはずです。そういう地に足が着いていない大風呂敷が亡国につながったと私は思いますね。 日露戦争の終結後も陸軍が満洲に留まって「軍政」を敷き続けたため英米が強硬に抗議してくるという国際的紛議が起こったときの当事者の中にも後藤がいました。児玉源太郎参謀総長とその配下だった後藤は、軍政を長期化させ、そのまま統合的植民地支配にもっていこうと考えていたようです。児玉・後藤コンビは一九〇〇年にも、義和団事件に際して厦門占領を企てて英米列強の批判を浴びています。 この厦門事件は伊藤博文がことを収めたのですが、在満陸軍に対する英米の抗議を受けて開かれた政府首脳会議でも、当時は韓国統監だった伊藤博文がリーダーシップを発揮して、満洲の軍政を排し、日本の権益の明確化、限定化を行ってことなきを得ました。この会議で伊藤は、「満洲における日本の権利は、講和条約によってロシアから譲られた遼東半島租借地と(南満洲)鉄道のほかには何もない。満洲はわが国の属地ではない。純然たる清国領土の一部である」と発言しています。この伊藤の見識は何度でも見直されるべきでしょう。重光葵の言葉重光葵の言葉等松 わが国は国際社会の中でどの程度の国なのかという明治以降の日本人の自己イメージの問題もあったのではないでしょうか。何も明治が素晴らしくて昭和がダメだったという司馬史観のような単純なことを言うつもりはありませんが、明治維新の第一世代、第二世代までは弱小国日本が欧米列強による植民地化の危機にさらされ、不平等条約を押しつけられたことを実体験していますから、慎重な人たちが多かった。ただ、その次の次の世代ぐらいになると、日本の国力増進と自らの精神形成期がほとんど重なっていますから、実力以上に国力を過信したところがあるような気がします。 これは単なる「if」ですが、もし日本が第一次世界大戦に本格的に参加して悲惨な目に遭っていれば、もう少し堅実な帝国になったかもしれません。実際には第一次世界大戦のとき、日本陸軍は非常に熱心に戦争を研究しているのです。調査員を何百人も欧州の戦場に派遣して研究させ綿密な報告書を大量につくっている。しかし、堅実な道を選ぶのではなく、将来の国家総力戦に備えなければならないという結論になった。場合によっては米中ソと同時に戦争になるかもしれないから、資源を押さえて防衛線をなるべく外側へ延ばしておきたい、それには満洲を確保する必要がある。そういう思考をたどったと思います。そういう意味では、満洲事変は第一次大戦の結果の一つだったと言えるかもしれません。重光葵筒井 この時期の日本は世界の五大国、三大国のひとつとまで言われるようになっていましたが、重光葵は、「日本の地位は躍進したが、日本は個人も国家も謙譲なる態度と努力によってのみ大成するものであるという極めて見やすい道理を忘却してしまった」と言い、結局、日本はまだ大国として成長していなかったと結論づけています。等松 江戸時代まで三千万人足らずだった日本の人口が、医学の進歩や産業の発達によってどんどん増えていって、先の大戦のころには本土だけで八千万人ぐらいになった。戦時中のスローガン「進め一億火の玉だ」というのは植民地朝鮮・台湾の人口を含めての数字でした。農業中心の自給自足で養える本土の人口は三千万ぐらいが限度であるにもかかわらず、幕末からたかだか七十年で二倍半になってしまった。そこで、人口爆発に対処するために朝鮮や台湾、さらには満洲に出て行こうということになるのです。北村 ただ満洲移民は二十三万人くらいだからそんなに大きな数ではありませんね。実際問題としては国内で人が余ってどうしようもないという状況ではなかったのに、数字に惑わされてしまったということでしょうか。「のらくろ」開拓団等松 たしかに宣伝されたほどには移民していない。メディアが発達した弊害かもしれませんが、人口問題について人々が情報を鵜呑みにしてしまう、あるいは何らかの意図があって国民に信じさせたところがあると思います。工夫すれば国内産業だけでも十分食べていけると冷静な主張をする人が多ければ、安易な移民政策は取らなかったかもしれませんし、ましてや悲惨な結末に終わった満洲への武装開拓移民などせずに済んだと思います。昭和37年(1962)に復刻された普通社版『のらくろ二等兵』。後ろはブル連隊長 ところで、戦前に大人気を博した「のらくろ」という田河水泡作の漫画がありますね。野良犬の黒吉が「猛犬連隊」という軍隊に入って活躍し、二等兵から徐々に出世していく話ですが、日本の世論のバロメーターの一つとして見るとおもしろい。昭和六年、ちょうど満洲事変勃発の年に『少年俱楽部』で連載が始まるのですが、実は同年の年末号が「満洲事変特別号」で、子供向けにわかりやすく書かれた「満洲事変はなぜ起こったのでしょうか」というイラスト入り記事が掲載されています。「日本は合法的に権利を持っているのに、暴虐なシナ人が日本を貶めようとしているから、ついに正義の日本は立ち上がって、国際社会での孤立も恐れずに悪いシナ人を懲らしめているのだ」というような内容です。 一方、「のらくろ」はその後大尉で退役して大陸に渡り、歓迎してくれた朝鮮半島出身の白犬「金剛くん」を従え、大陸のブタ、羊、ヤギとともに開拓団をつくって資源を開発するという展開になる。そうして見つけた金鉱や炭坑を現地の動物たちに譲ってしまって、さらに奥地の開拓に旅立つところで終わります。 そういうものを読んで育った子供は、昭和六年の連載開始当時十歳くらいとすると、ちょうど昭和十六年の日米開戦のころは軍隊へ行く年齢になっています。『少年俱楽部』や「のらくろ」はメディアとして子供たちに大きな影響を与えたのではないでしょうか。さきほどの「大衆とメディア」の話につながる気がします。ソ連への警戒心ソ連への警戒心北村 満洲事変の二年前に、ソ連が持っていた権益を国民政府が回収しようとして中ソ戦争が起こっていますね。ソ連も同じことをしていたからといって、日本の行動をすべて正当化するつもりはありませんが、やはり満洲を侵略したというより日本は面倒に引きずり込まれたという印象を受けます。等松 中ソ戦争といっても、その実態は張学良軍と極東ソ連軍との戦いでしたが、北満洲でソ連に対してさまざまな嫌がらせをしていた張学良の軍隊はさんざんにやられて惨敗を喫し、利権回収はできませんでした。 これは関東軍にとって、いろいろな意味で教訓になったと思います。ソ連のように強権を発動し、軍事力で断固として利権を守るべきだ。極東ソ連軍は、およそ三十万人の張学良軍を約三万の兵力で破っていますから、一万程度の関東軍でも装備と戦略次第では烏合の衆の張学良軍には勝てるだろう。同時に、極東ソ連軍の脅威に対処するため、いまのうちに南満洲をしっかり固めておかなければいけないという発想にもなったはずです。 それから、一九二四年に外モンゴル、いわゆる外蒙がモンゴル人民共和国となります。一九二一年にモンゴル人民の要請を受けたと称してソ連が軍事介入し、やがてモンゴル人民革命党による一党独裁の傀儡政権をつくった。一九七九年のアフガン侵攻と同じ論理です。 満洲事変に先立ってソ連がまさに満洲国建国と類似のことをしていたと言えるわけで、関東軍は、同じことが南満州でできないかと考えたと思います。これも満洲事変の伏線となりました。 ですから中ソ戦争やモンゴル人民共和国の成立は、満洲事変の前史としてきちんと位置づけなければならない。愛新覚羅溥儀北村 モンゴル人民共和国ができるまで、清朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀は一九一二年に清朝が滅んで退位したあとも、ラストエンペラーとして袁世凱政府から歳費をもらって紫禁城に住んでいました。清の皇帝はモンゴル人にとっては大ハーンだったし、チベット人にとってはチベット仏教の大施主だったから、モンゴルやチベットを自分たちの側につなぎ止めておくためでした。 ところがモンゴル人民共和国ができてしまうと、モンゴルと歴史的に深いつながりのある溥儀が邪魔になる。それで、ソ連から援助を受けていた、いわばソ連の手先である馮玉祥が紫禁城に乗り込んで溥儀を追い出してしまった。それがまさにモンゴル人民共和国が誕生した一九二四年のことです。 その溥儀を日本人が担ぎ出して満洲国の皇帝にした。もともと満洲は愛新覚羅氏の故地で、溥儀は満洲人の皇帝だったわけですから、それなりの筋は通っています。等松 先ほどのイラクの話ですが、実はイギリスも、日本が溥儀を連れてきたのとまったく同じことをしている。外部から王朝を移植しているのです。愛新覚羅氏とハーシム家北村 ほかの国から王様を連れてきたのですか。ハーシム家のファイサル一世等松 第一次世界大戦、例の「アラビアのロレンス」の時代ですが、聖地マッカやマディーナなどアラビア半島の西岸を支配していた名門のハーシム家をイギリスは支援して中東に介入していった。ところが、ハーシム家は大戦後の勢力争いでサウド家という新興勢力に敗れ、アラビア半島がサウジアラビアという別の国になってしまったため、イギリスは手が出せなくなった。 そこでイギリスはハーシム家の人々を強引にイラクとトランスヨルダン(現在のヨルダン)の王として連れてきたのです。 イスラーム世界では預言者ムハンマドの子孫であるハーシム家は大変な名門で権威もあるのですが、しかし、イラクやヨルダンの地元にもそれなりの有力者たちがいるわけで、両地域の住民にとって所詮はよそ者ですから、大きな反発を買いました。それをイギリスは軍事力で抑え込み、イラク国王にファイサル一世、トランスヨルダン国王にアブドゥラー一世を据えたのです。 満洲事変を正当化するための議論と思われては困るのですが、イギリスも、アラビア半島の西岸、紅海の近くにあった王朝の一族をメソポタミアやパレスチナに連れてくるなどという強引なことを実はしているのです。北村 天津の日本租界にいた溥儀を連れてきて、もともと満洲人の皇帝だった人間を元首にした日本はまだかわいげがあった。筒井 当時の日本政府・外務省には多様な意見があったこともよく理解しておく必要がありますね。 代理駐華公使だった重光葵は、中国の激しい利権回収・排日運動は「民族解放主義思想」に基づくもので、人為で阻止することは不可能だから、日本は不平等条約の根本的な改定に先鞭をつけて好意を示すべきだとして、蘇州・杭州の居留地の返還を提議しています。そうすれば決してどこまでも帝国主義的ではない日本の立場を明示することにもなり、列国の理解が得られるだろうと重光は考えたのです。 しかし、幣原は、いまの政府にその力はなく、とうてい実現不可能だと重光の提案を受け入れなかった。そこで重光が主張したのは、軍部に慎重な態度をとらせて衝突を起こさないように努め、そうした方向で日本の世論を導くとともに、国際連盟のような国際的な場所に出ても外国を納得させられるよう公明正大なものに日本の立場をはっきりとさせておくべきだということでした。つまり、日本の方から暴発しないようにしつつ中国の条約上の違法行為については英米などが納得するようにあらかじめ理解させておく必要があるというわけです。 そのために重光は国民政府の要人と通じ事態の解決に勤しんでいたのですが、その努力が実を結ぶ前に、残念ながら満洲事変が勃発してしまった。だから、中国と協調関係を確立することに力を尽くした重光葵のような人間がいたことにも目を向け、尊重するようにしなければいけませんね。 冒頭でも言いましたが、満洲事変に限らず、この時期の歴史について先進国で日本ぐらい不正確で実証的でない歴史がまかり通っている国はありません。その点でマスメディアの責任は大きいと思います。清沢洌が言っていますが、昭和の前期もそうでした。これでは敗戦から何も学んでいないことになります。最近『昭和史講義』(筒井清忠編・ちくま新書)という正確な歴史研究の成果に基づく研究者・一般向けの昭和史書を出しましたが、これを第一弾にして、こうした努力を続けていき、二、三年中には、不正確なものはなくなるというようにしていきたいと思っています。みなさんのご協力をお願いしたいですね。 不正確なものを見つけたらどんどん声を上げて行きましょう。つつい・きよただ 1948年大分県生まれ。帝京大学文学部日本文化学科教授・文学部長。東京財団上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。著書に『昭和戦前期の政党政治』『二・二六事件とその時代』『近衛文麿』『二・二六事件と青年将校』『西條八十』『満州事変はなぜ起きたのか』など。きたむら・みのる 1948年、京都府生まれ。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程中退。三重大学助教授を経て、立命館大学教授。法学博士。著書に『第一次国共合作の研究』(岩波書店)、『「南京事件」の探求』(文春新書)、『中国は社会主義で幸せになったのか』(PHP新書)、共著『日中戦争』(PHP研究所)など。とうまつ・はるお 1962年、米カリフォルニア州生まれ。防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。オックスフォード大学大学院国際関係学研究科博士課程修了。博士(政治学)。専門は政治外交史、比較戦争史。著書に『日本帝国と委任統治』、共著に『日中戦争の軍事的展開』『日英交流史1600-2000 3 軍事』『昭和史講義―最新研究で見る戦争への道』など。

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    一人っ子政策を廃止しても中国が背負い続ける「罪と罰」

    富坂聰(ジャーナリスト、拓殖大学海外事情研究所教授) 2015年が終わろうとする中国では、なぜか慌てて婚姻届を出そうとするカップルが急増した。その理由は、1月1日から正式に「一人っ子政策」が廃止され、それにともない生育計画にからむ「晩婚手当」も廃止されることが決まったからである。 女性23歳、男性25歳が晩婚の条件だから都市では平均的な結婚年齢である。結婚を意識していたカップルが、「どうせ結婚するなら奨励金や長期休暇の制度があるうちに」と民生局に殺到したのである。 それにしても子供を増やさせないために晩婚を奨励する制度を設けているなど中国の徹底ぶりがよく分かるが、ここにきて人口ピラミッドの歪みに起因する問題は、すでに人口爆発の問題を一旦横においても対処せざるをえないほど深刻化したということなのだろう。 人口ピラミッドの歪みから生まれる問題といえば、最初に思い浮かぶのが高齢化であり、それにともなう社会保障の負担である。 これが深刻な問題であることは言を俟たないが、高齢化や社会保障の財源不足問題は産児制限をしてこなかった国にも存在する。だが、中国にはこれらに加え「一人っ子政策」という世界でも例を見ない実験の結果生じてしまった問題も多い。 その一つが男女比の歪みである。2012年の統計によれば中国の男女比は女性100に対して男性が117・7となっている。通常、自然の状態であれば女性を100とすれば男性が102~107の範囲であるとされることを考えれば、これがいかに異常なことか理解できるだろう。 この状況を踏まえ中国では、2020年には3000万人~3500万人の男性が「結婚できなくなる」と専門家が警告しているほどなのだ。毎年約1300万件以上の「人工流産」手術 自然状態では起きえない男女比が生まれた原因として胎内で男女の診断をして女性だと分かると人工流産によって処理したことが指摘されているが、農村部では生まれた女児を捨ててしまったり売ってしまったケースも多かったという。 国家衛生・計画生育委員会(国家計生委)は「医学的必要のない胎内での男女診断」と「医学的必要性のない人工流産」をともに禁じてきたが、問題がなくなることはなかった。 2013年9月29日に配信された新華社の記事によれば、中国では毎年約1300万件以上の人工流産の手術(うち1000件は薬物によるもの)が行われたというのだ。 適齢期の男性が最大で3000万人から5000万人もあぶれるとすれば、それ自体が犯罪圧力になりかねない。事実、中国南部では国境を越えて誘拐されたベトナムの女性が、お嫁さん候補として農村に売られてしまうという問題も起きている。 農村で女児が捨てられたのは労働力として男性を必要とすることが背景にあるのだが、一人っ子政策の範囲で対応できなければ出産したことを隠して育てるという問題も拡大したのだった。 中国で戸籍を持たない子供たち、いわゆる“黒戸口(黒戸籍)”の問題だ。 2014年7月から8月にかけ中国国家発展改革委員会は“黒戸籍”の実態把握のための人口調査を行っている。その結果、戸籍の無いまま暮らしている子供の数は、分かっているだけで約1300万人に上り、全人口の1%にも達したというのだ。 そして“黒戸籍”に関する目下の心配は犯罪への影響だ。1%の人口が、生まれながらに反社会的な生き方を運命づけられてしまう。つまり政府からすれば1%の犯罪予備軍を抱え込んでしまったことになる。社会に与えるインパクトは凄まじい。 この1300万人の“黒戸籍”のうち約60%が生育計画に違反し、罰金が払えなかったことが理由だというから「一人っ子政策」の罪は重いといわざるを得ない。 さらにここ数年、社会で大きな声になりつつあるのが「失独」問題である。これは1人しかいない子供を事故などで失った両親が直面する老後の不安という問題である。 2014年4月21日、全国の「失独」父母ら約240人が上京し、国家計生委まで行進しながら自らの窮状を訴えるという動きを見せた。 2015年10月14日付『中国青年報』は、〈中国老齢事業発展報告2015〉の数字から、現状ですでに中国では、「失独」家庭が100万世帯に広がり、今後は毎年7万6000戸ずつ増えていくと報じている。 こうした中国が抱える問題を第2子までの出産を解禁した「二人っ子政策」がすぐにでも解決してくれるかといえば決してそうではない。 今後中国が直面する社会保障の負担増という問題も含め、少なくとも20年は効果が期待できないとすれば、やはり大きな頭痛の種を背負ってしまったというべきだろう。

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    中国よ、日本に学べ! 一人っ子廃止の功罪

    中国で36年間続いた「一人っ子政策」が完全撤廃され、今月からすべての夫婦が2人目の子供まで認められるようになった。近年、中国社会で急速に進む超高齢化の阻止が歴史的な政策転換の背景にあるが、「もう手遅れ」と指摘する専門家も多い。中国よ、今こそ「超高齢化先進国」の日本に学ぶべきだ。

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    結婚できない「剰男剰女」 二人っ子政策でも解決しない現代中国の悩み

    遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士) 今年1月1日を以て中国の「一人っ子政策(独生子女政策)」は終わり、二人目の子供を産んでよいことになった。昨年12月27日、全国人民代表大会常務委員会で最終的に決議された。ただし無制限に生んでいいというわけではなく、二人までは産んでもいいという「二人っ子政策」が始まったということになる。福建省福州市で幼児を連れて歩く女性  一人目を産む場合も、また二人目を産む場合も、今までどおり産休やその他の優遇(奨励)を享受できる。また一人っ子政策に沿って一人しか子供を持っていなかった家庭の子供が他界した場合の「失独(独生子女を失った)」家庭も従来の法律どおり扶助を受けることができると、この委員会で決議された。会議は同時に、「晩婚晩育(遅く結婚して遅く子供を産む)」という「できるだけ子供を産む年齢を遅くする」ことに対するこれまでの優遇策は撤廃したと伝えている。 1月13日になると、また新しいニュースが入ってきた。 「二番目の子供に関する産休を延長するか否か」ということに関する民意調査を政治協商会議の代表(議員)らが始めたという情報だ。「二番目の子供を産むときは年齢が高くなっているし、二人も育てなければならないので育児負担が大きくなるから延長すべきだ」という意見と、「いや、そうでなくとも女性は職場で有給産休を取るために性差別を受けている。延長などしたら、差別の目がもっとひどくなる」などの意見もあり、働く女性たちの話題をさらっている。3月初旬に開かれる政治協商会議(代表:3000名)で論議あるいは決議され、立法機関である全国人民代表大会に建議されるかもしれない。一人っ子政策はなぜ始まったのか? 一人っ子政策というのは、正確には1980年9月に開催された人民代表大会第三次会議で20世紀末に中国の人口を12億人内に抑えるために打ち出された政策だ。同年、新華社が「このママの出生率を続けていると、2000年には中国の人口は14億人に、2050年には40億人になる」という学者等による「百年人口予測報告」を公布したことがきっかけだった。文化大革命で壊滅的打撃を受けた中国経済を成長させるためには、国家全体のGDPだけでなく一人当たりGDPの成長も重要であるとして、当時の指導層は何としても人口抑制を図ろうと考えた。そこで出てきたのが一人っ子政策である。 最初は「提唱」程度だったのだが、やがて「強制」になり、たとえば山東省の農村で実施が十分でないことが分かると、その村の全ての妊婦に強制堕胎をさせるという残酷なものとなっていく。以来、どれだけ多くの懐妊した女性が泣いて来たかしれない。 90年代に筆者が訪れた西安のバイオテクノロジー関係の某研究所では、中国人民解放軍の医院と提携して、堕胎した胎児の臍の緒を用いたES細胞(胚性幹細胞)の研究をしていた。その病院の廊下には大きなバケツが置いてあり、バケツの中には強制堕胎された胎児の亡骸(なきがら)が無造作に投げ込まれている。その現場を見てしまった筆者にとっては、「一人っ子政策」というのは他人事(ひとごと)ではない。 一人っ子政策が、わがままな小皇帝や小皇女を生み出したりしたといった表面的現象に関しては、日本人も馴染みがあるかもしれないが、そこにはもっと深刻な問題が潜んでいる。高齢者の扶養比率は50%一人っ子政策はなぜ終焉したのか? 一人っ子政策にピリオドを打たなければならなくなった最も大きな理由は、「高齢化問題と労働人口の減少」という、非常に深刻な中国の社会問題である。 まず論じやすい高齢化問題から見てみよう。 2015年2月26日、国家統計局は「2014年の国民経済と社会発展に関する統計公報」を発布した。それによれば、60歳以上の人口は2.12億人(21242万人)に達しており、総人口の15.5%を占めている。65歳以上の人口は1.4億人(13755万人)で全人口の10.1%を占める。この統計分類によれば、「60歳以上の人口」は「60歳から65歳未満」を指しているものと解釈できる。1950年代に45歳だった平均寿命は、今や74歳にまで延びた。 一人っ子政策で若者の人口が激減し、年齢構成を危うくしているため、高齢者の扶養比率は50%。一人っ子政策を打ち切らなかったら、2065年には100%に達すると試算されている。ところで、2014年末における中国大陸の総人口は13.7億人(136782万人)だ。中国全土の「人戸分離人口」(戸籍があった場所には住んでいない人口)が2.98億人で、そのうち流動人口(定住地がない人口)は2.53億人である。 これは何を意味しているかというと、養老年金の積み立てができない人口が少なく見ても2.5億人はいるということである。一方、中国の年金は2048年には枯渇する。そのため習近平政権では農民工が都会に飛び出してきたときの元の農村を都市化して、そこで就職先を創出し、定住先や戸籍を登録した上で年金や医療保険などの積み立てを行なってもらい、養老年金や福利厚生を確保しようという国家戦略を2014年から始めた。これを「国家新型城鎮化(都市化)計画」と称するが、そのようなことをしても若者がいないことには労働力の補填さえできない。 では次に労働人口に関して考察してみよう。  ここ3年間、中国の労働人口は連続して減少している。先述した国家統計局は、同時に労働人口の減少に関して具体的数値を公布した。それによれば、労働可能な人口分布が「2012年(15歳~59歳):9.37億人」「2013年(16歳~60歳):9.19億人」「2014年(16歳~60歳):9.16億人」で、減少傾向にある。 興味深いのは、そのうち2014年末における全国の就職者人口(実際の労働人口)は7.7億人(77253万人)だということで、これは22歳くらいまでは勉学している者が多いことを示唆しているのである。一人っ子政策が生み出した「剰男剰女」これからの課題 今になって一人っ子政策をやめ「二人っ子政策」に切り替えても、実は時代はすでに変わってしまっている。低学歴のブルーカラーが「世界の工場」としての中国経済発展を支える時代は過ぎ去っているのである。世界がいま中国に求めているのはマーケットしての「消費してくれる中国」だ。となればホワイトカラーが重んじられる。しかし自分の子供に高学歴を求める家庭は、あまりに嵩(かさ)む教育費のために、一人を大事に育てようという方向に動き始めた。強制堕胎に泣いた女性たちはもういない。いや、一人っ子どころか、結婚さえしようとしない世代が生まれつつある。中国上海市の公園で、過去最大規模の約6000人の男女が参加して開かれたお見合いパーティー 中国には「剰男剰女(センナンセンニュイ)」という言葉がある。一人っ子政策が生んだ「結婚できない男と結婚できない女」を表す言葉だ。日本語的には「剰余」の「剰」を連想して頂ければ理解しやすく、「売れ残った男女」ということになる。 農村には「男の子ばかりの村」がある。女の子だったら生まれる前に(あるいは生まれた直後に)殺してしまうか、売り飛ばしてしまう。男子こそが畑を耕してくれる重要な労働力なので、男の子ばかりになってしまった。これでは結婚相手が見つかるはずもないから、農村には「剰男」が満ちている。 都会では高学歴の女性たちがひたすら働き、ホワイトカラーの高収入女性として独り生きているケースが増えてきた。筆者はかつて何年にもわたって彼女たちを取材し「中国A女の悲劇」というネット記事を連載したことがある(『拝金社会主義 中国』に所収)。人間をランク付けするのは良くないが、女性を学歴や収入、ホワイトカラー度により「A、B、C、D」と分けて、この女性群像を「A女」と命名したのである。 このA女たちは結婚できない者が多い。男性が一般に自分より学歴や収入の低い者を選びたがるからだ。特に「ふん、私すごいでしょ?」といった、一部のA女の特性を嫌う。女性はA男しか選ばないから、結果、A女は結婚できないで「剰女」の隊列に入っていくのである。こうなると開き直って、「自ら結婚しない道」を選ぶ男女も出てくる。もっとも最近では年下の若い男性がA女と結ばれる場合もあるが、経済構造だけでなく、精神性においても、世相はすっかり変わってしまったのだ。 中国政府としては、「二人っ子政策」に切り替えても、1年以内に出生率の改善が見られない場合は、「二人っ子」ではなく、「二人以上」という開放型にすべきではないかと考えている。 いずれにしても、人口ボーナス(労働人口増加による経済成長)の時期は過ぎている。国策が後手に回ってしまったことは否定できないだろう。 なお、1月14日に国務院が新しい情報を発信した。それによれば「無戸籍人員の戸籍登記問題」に関して、一人を越えて産んだ子供、未婚出産で産んだ子供および出生届を提出していない「黒戸口(ヘイフーコウ)」者の戸籍問題に関して、合法的な権益を与えることにしたとのことである。つまり戸籍を与えて、教育や医療保険などの福利厚生享受権を与えるという意味である。この後しばらくは、二人っ子政策に切り替えたことに対する行政改善が発信されていくことと思われる。

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    一人っ子政策廃止と日本の少子化、憂うべきは生産力の低下だ

    増えるということになれば、その子にとっても不幸です。 あくまで子育て環境を充実させるべきものです。 中国では、一人っ子政策が廃止され、2人までは許容されることになりました。労働人口の減少と急激な高齢化社会を危惧してのことのようです。 しかし、中国の場合、露骨な男子偏重の思想がありますから、最初に生まれた子が女の子であれば必ず2人目は生まれます。 中国ではもともと共稼ぎが当たり前、また祖父母が育児に関与することが当然の前提となっていますので、その意味では産休さえ取れれば仕事に支障がなく、子どもをもつことができるわけです。 もっとも祖父母の関与は別の意味での社会問題にもなっていますから、このような子育てのあり方がそのまま参考になるわけではありません。日本は悲壮感漂う「一人っ子政策」 少子化にあえぐ日本もある意味では「一人っ子政策」です。中国とは異なり、「せめて夫婦1組1人の子をもうけてくれ」という悲壮感漂う「一人っ子政策」です。 日本では、今はやりの「育児休暇」ですが、これを取ってもそのまま戻るところがあるような特権層の人は別ですが、普通は取れません。特に夫が「育児休暇」を取れば、いくら給与所得者としての所得保障があるとはいえ、元の場所には戻ることはかなわず、一線からは外れていくことになります。中小企業であれば居場所はなくなります。 それがいいかどうかは別にしても現実はそのような社会であるし、他方で全での夫が当たり前のように育児休暇を取るなど現状では想定し得ないことです。 妻が専業主婦であるにも関わらず、夫が育児休暇を取得することが当然ということが想定されているとも思えず、あくまで女性(妻)も職を持っているからこそです。それぞれ交代で取るなりして分担することが想定されているわけです。 他方で、専業主婦という型であれば、子が増えるかというと、そもそも専業主婦願望が子育てをしたいからというよりは、楽だからという発想を強く感じざるをえません。それは日本も中国も変わらないでしょう。中国でも北京を中心とした都市部では専業主婦願望の強い女性が増えているようですが、そこには勤労意欲は全く感じないわけです。 日本において以前、専業主婦が当たり前だった時代は、まさに分業そのものであり、家電製品(冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど)が当たり前に家庭に普及するまでは、それこそ主婦が多忙だったわけです。これでは到底、女性の社会進出など困難な状態でした。それが電化製品の普及によって一変したわけです。 それにも関わらず若い層の業主婦願望というのは、単に社会に出たくないことの裏返しに過ぎず、このような発想の中で子育てに励みたいという発想があるとは思えないわけです。 このような状況は何も女性に限ったことでもなく、男性でもきつい職場と言われているところが露骨に敬遠されていく状況とも付合するわけです。「介護だけじゃない トラック運転手が不足 日本はあらゆる分野で劣化している」 中国でも都市部の重労働は地方からの出稼ぎ労働者によって担われており、都市部の住民はやりたがりません。 この問題は、中国だけでなく、日本でも根本的な価値観の変化が訪れているようにも思います。子育てをしたいのにできない、ではなくそもそも子育てをしたくないという価値観への変化もあるのではないかということこそが最大の問題です。 豊かになればなるほど、生まれながらにして豊かであればそれだけ自分からは何もしないという状態です。「今時の若者は~ は間違い?」「現代の若者像 今も昔も変わりない?」 何よりも結婚そのものへの否定的価値観が漂う時代です。勤労に対する意義、そしてその喜びを享受できるような社会でない限り、この劣化は止まりません。また少子化も止まりません。 私自身は人口減少自体は、決して悲観されるべきものではなく、地球規模でみれば人口過剰状態と思われますし、今後も地球規模で人口が増え続けていかなければ経済が発展しないなどと考えているようでは、経済発展の前に地球環境が破滅します。 人口増に頼るような経済発展の発想は危うく、早晩、破綻を来すのは必至です。「人口増に依存する政策はマルチ商法と同じ!」 人口減少を憂うよりも、全体の労働力、生産力の低下こそ、私は憂うべき状況と思います。 (「弁護士 猪野 亨のブログ」より2016年1月1日分を転載)