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    警察も手を焼く「地面師」 映画のような詐欺の実態

    に処する」 今年1月下旬、東京地裁の法廷に、裁判長の淡々とした声が響いた。量刑の理由が続く。 「この事件は、他人の土地を売却し、2億5000万円をだまし取った『地面師詐欺』の事案である。周到に計画された犯行で、被害額も高額。被告は、ニセ地主を面接で選んだほか、中間買い主の『J』社の専務を務めるなど、刑事責任は共犯者の中でも最も重い」 判決を聞き終わった被告の男は、落ち着いた様子で小さく頭を下げた。 被告は、地面師グループの主犯格の1人だった。東京都杉並区にある約800平方メートルの土地を勝手に売却したとして、共犯者とともに詐欺罪で警視庁に逮捕、起訴された。過去にも同様の地面師事件で服役したことのある、名うての地面師だ。 警視庁の捜査や被告の裁判では、地面師グループの大胆不敵な手口が明らかになった。 被告らは杉並区の土地に目を付けると、その売却に向けてチームを組み、動き始めた。まず、神奈川県横浜市の不動産会社「K」社に、「(被告らが経営に携わる不動産仲介会社の)J社が杉並区の土地を買い取るので、それを売却したい」と持ち掛けた。K社が土地の購入に関心を示すと、土地の所有者と年齢や体形が似た「ニセの地主役」の男をリクルート。男が「報酬目当て」でニセ地主役を引き受けた後、精巧に偽造された土地所有者名義の運転免許証、印鑑登録証、土地の権利証などを手渡した。 偽造の身分証などを受け取ったニセ地主は土地所有者に成り済まし、J社に土地をいったん売却。その土地はJ社を通じ、K社の手に渡った。J社とK社による契約の場には、ニセ地主も同席し、土地所有者のフリをして売却の動機や経緯などを説明。被告らは、書類に指紋を残さないよう指にマニキュアを塗って取引に臨んだという。後日、K社からJ社宛てに、土地の購入代金である2億5000万円分の預金小切手が振り出された。 被告らがK社に直接土地を売却せず、J社を経由した理由について、詐欺や横領などの知能犯捜査を手掛ける警察幹部は「地面師事件で転売は常とう手段。売買が多い方が適切な物件に見える」と説明する。 土地所有者は幸いにもすぐに被害に気付き、東京地裁に提訴、登記簿によると半年後に移転登記は抹消され、所有権を取り戻している。一連の経緯をうかがおうと、世田谷区の高級マンションを訪ねたものの、インターフォン越しに「すいません。もう忘れたい出来事なので……」と断られてしまった。事件増加の背景に空き家率の上昇 「地面師詐欺事件では、その筋のプロたちが犯行時にバッと集まり、ミッションを遂行する。まさに『オーシャンズ11』の世界ですよ」 警察幹部は、地面師グループの鮮やかな手口を、皮肉交じりにそう例えた。オーシャンズ11は、犯罪のスペシャリスト集団がラスベガスの地下金庫から現金を盗み出すアメリカ映画である。 地面師グループは司法書士や不動産ブローカーを巻き込みながら、高く売れそうな土地を探し出して登記簿を取得。偽造の印鑑登録証明書や運転免許証を用意し、被害会社に巧みに話を持ち掛け、ニセ地主役の共犯者を真実の土地所有者と信用させる。 標的となる土地をどうやって探すのかは地面師グループの〝企業秘密〟で、今回の取材で直接の証言は得られなかった。警察幹部は「土地を探す人間がおり、管理が行き届いていない土地や空き家を足で探している。めぼしい土地の登記を取り、『この土地、要りますか』と声を掛け、引きがあれば、詐欺を実行する」と解説する。 地面師詐欺の犯行態様は極めて組織的で、計画的だ。売却しても気付かれにくい土地を探す者、偽造書類を用意する者、ニセ地主役を見つくろう者、ニセ地主、ニセ地主と行動を共にする後見人役─。 地面師グループは複数の人間が細かく役割を分担する。これが警察幹部をしてオーシャンズ11と言わしめる由縁である。仮にニセ地主が捕まっても、他のメンバーは「本物の地主だと思っていた」と、まるで被害者を装って関与を否定するため、全容解明へのハードルが高い。ニセ地主は、言わば末端の使い捨てで、全容を知らされていないケースも少なくないという。(iStock) 警察も全ての案件を解決できるとは限らず、あるベテラン刑事は「地面師事件はプロ(の捜査員)とプロ(の詐欺師)のガチンコ勝負だ」と語気を強める。 今回の事例以外にも、新宿区や港区、練馬区など都内各所で地面師詐欺の被害は報告されている。地面師の暗躍が目立つようになった背景には、「空き家率」の上昇がある。 総務省が5年に一度実施している調査によると、高齢の親世帯が亡くなった後、相続した子どもが住まないなどの事情から、全国の空き家の割合は1998年以降、右肩上がりで上昇している。直近の2013年の調査結果(総務省統計局)では、全国の住宅総数は6062万8600軒で、このうち空き家は819万5600軒。空き家率は13・5%に達する。警察幹部は「こうした土地は無断で売買されても所有者が被害に気付きにくいため、狙われやすい」と指摘する。 2020年の東京五輪・パラリンピック開催を控え、東京都内の公示地価が4年連続で上昇する中、「今後も被害が増える恐れがある。土地の所有者は定期的に登記簿を確認してほしい」と警鐘を鳴らしている。ふじかわ・ひろき 東京新聞記者。東京外国語大学外国語学部卒業。2004年、中日新聞社入社。中日新聞社東京本社(東京新聞)経済部、外報部などを経て、現在は社会部。近著に『ミャンマー権力闘争 アウンサンスーチー、新政権の攻防』(共著、KADOKAWA)がある。

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    積水ハウスが63億円騙し取られた“地面師”男女の仰天手口

    スは“Sさん”から手に入れる好機を得た。正確には、“Sさんになりすました別人”から、だったのだが。 事件の一端をうかがい知ることができる証拠品を入手した。“Sさん”が積水ハウス側へ身分証明書として提出したパスポートだ。名前や生年月日こそSさんのものだが、写真に写っている中年女性はお世辞にも往年の大女優には似ても似つかない。複数の近隣住民に確認してもらったが「別人だ」と口を揃える。 その女性はSさんになりすまして、積水ハウスと売買交渉に臨んだ。そのために用意したのがこの偽造パスポートだったのである。印鑑登録証明書も、同じく偽造のものだったという。 この間、本物のSさんは、拉致されていたという情報もあり、本人不在のうえでなりすましの準備を整えていたのである。この「なりすまし女」は誰なのか。取材を進めると、以前、この女性から土地担保融資を持ちかけられたという不動産業者にたどり着いた。「土地を担保に30億円の融資をしてほしい」という内容で、この時もパスポートを身分証として提出してきたという。“主演兼脚本家”は誰か「念のため、銀行通帳のコピーを要求したんだけど、用意できなかったのか、話は流れた。その後、彼女が不動産関係者の間で『池袋のK』と呼ばれる有名な地面師であることが発覚した」(不動産業者) 地面師とは、本来の所有者のあずかり知らないところで所有者になりすまし、土地の売り手となって購入代金を騙し取る不動産詐欺師である。 今回の事件では、なりすまし実行犯のKだけでなく、計画全体をとりまとめたもう一人の地面師が背後にいたと見られている。積水ハウスとの交渉の場にも同席していたという不動産ブローカーだ。「不動産会社に顔がきき、金融犯罪で逮捕されたこともある。近頃は金に困り、親しい人間に無心しながらサウナ暮らしを続けていたが、なぜか最近、数千万円にものぼる借金を完済し、都内に高級マンションを3軒も購入したと聞いている。鞄にはユーロ、ドル紙幣、キャリーバッグには日本紙幣をぎっちり詰め込んでいるそうだ」(前出・不動産業者) おそらくこの男女が、事件の“主演兼脚本家”と目されているのである。 4月24日に交わされた契約には、偽造書類を携えた「池袋のK」と“相棒”と思われる不動産ブローカーのカップル、そして彼らの委任弁護士が同席していた。一方、積水ハウス側には司法書士と弁護士、仲介業者の代表が同席した。(iStock) 巧妙な手口とはいえ、なぜ積水ハウスは見抜けなかったのか。「詳細についてはコメントできません。開示した資料の通りです」(広報部)と口は重く、詳しい経緯はいまだに謎である。 一方、所在不明だったSさんはその後、亡くなったようで、事件発覚後の6月24日に、弟とされる大田区の男性2人に所有権が相続移転されている。売買契約を結ぶはずだった所有者とは別の人物に所有権が移転したため、積水ハウスがこの土地を手に入れられる可能性は極めて低くなった。今後はいかに損害金を回収できるかが焦点となる。 前述の通り、地面師事件の難しさは、なりすまし犯以外はどこまでがグループに加担しているかが分からない点にある。「私も騙された」と被害者を装う関係者の中に、実際には地面師側に付いている人間がいる可能性は大いにあるのだ。 担当する警視庁捜査2課は、なりすまし犯の「池袋のK」の所在すら、いまだ掴めていない。全容解明までの道程は長い。関連記事■ タイで逮捕の「62才聖子ちゃん」 肌見せミニで近づく手口■ 中国の結婚詐欺 14歳の娘に「三重婚」させる手口まで発覚■ 年齢詐称62才山辺容疑者 「38才か39才」は絶妙すぎる■ 広陵・中村奨成が語る「僕が考える究極のキャッチャー」■ 豊田議員政策秘書の事務所への出勤撮 仕事時間は40分

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    【菅野完独占手記】すべてを失った籠池泰典が私だけに語った本心

    生徒を教壇から𠮟り飛ばす老練な教師のようだ。 「でも実際、籠池はんの言うことは正論やわな。議会で刑事事件を議論したかてしゃーないがな。府議会やねんから府の行政を検証せんとな。しかしなんやあの維新の若い子は。出来が悪いにも程があるやろ」 府議会本会議の様子をネット中継でみていた在阪メディアOBが、半ばあきれるように嘆息する。長年大阪府政を取材してきた彼の目には、今回の籠池氏参考人招致は「府議会の劣化の象徴」のように見えたのだという。大阪地検に向け自宅を出る籠池泰典前理事長 =7月27日、大阪府豊中市(山田哲司撮影) 「そやけど、最近の籠池はん、サヨクみたいやな。180度の変わりようや。あの人の口から『議会制民主主義』なんて言葉がでるとはなぁ」 刑事事件の容疑内容を議会で議論しても意味はないとの当然の指摘をとらまえて、「サヨク」呼ばわりとはいささか恐れ入るが、確かにこの老ジャーナリストの指摘どおり「最近、籠池氏が変わった」とは言えるだろう。 都議選最終日。籠池氏は安倍首相の街頭演説が行われるJR秋葉原駅前に姿を現した。「安倍さんに100万円を返しに来た」というのである。駅前ロータリーに蝟集(いしゅう)する聴衆の最前列に陣取るが、あえなく警察によって排除されてしまう。それでも籠池氏はなんとか安倍首相に食らいつこうと、100万円の札束を振り回しつつ、「嘘をつくのをやめろー!」「本当のことを言えー!」とヤジを飛ばし続けた。きっと安倍首相からみれば、あの日の籠池氏も、あの日あの場で「安倍やめろ」コールを叫び続けたプロテスターたちと同じ、「こんな人たち」の一人ということになるのだろう。 確かに籠池氏は変わった。今年の2月に森友事件が世間を騒がし始めた頃に流布された「ファナティックな愛国者」「狂信的な安倍政権支持者」としての要素は、最近の籠池氏の言動からは一切うかがい知ることはできない。議場で大阪維新の若い議員を𠮟り飛ばし、路上でプロテスターのように安倍晋三にヤジを飛ばす姿は、あの頃と180度路線変更したように見える。 だが、当の本人の認識はいささか違うようだ。 「第一次安倍政権のころのような、鮮烈さはもう安倍さんにない。あの頃はよかった。教育基本法の改正なんぞ、歴史的偉業ともいえるやろう。そやけどあの頃の安倍さんはもういない。いまあるのは、ただ単に地位に恋々としがみつく姿だけや。安倍さんは変わった」 かつてインタビューで安倍政権に対する見解を聞かれた際、籠池氏はこう証言している。どうやら、籠池氏本人は「変わったのは自分ではない。安倍晋三であり、その周囲だ」という認識をもっているようだ。塚本幼稚園の「愛国教育」 繰り返される空襲で壊滅的な被害をうけた大阪の地に、学校法人森友学園の経営する塚本幼稚園が誕生したのは昭和25年(1950年)のこと。私立の学校法人が幼稚園を開設するのはこれが全国初の事例だという。森友学園が運営する塚本幼稚園=大阪市淀川区 塚本幼稚園の経営は、戦後の「子沢山社会」の波に乗り順調に拡大。大阪市住之江区南港、兵庫県川西市清和台にも「支店網」を築くまでにもなった。昭和50年ごろからは各地の自治体から「小学校を作ってはどうか?」との提案が持ちかけられるようになる。しかしどの計画も具体化するたびに、法や規制の壁に阻まれ頓挫した。 平成9年、小学校建設の夢半ばで寛氏は他界する。その後の学園の経営を引き継いだのが、寛氏の長女・絢子氏の夫である籠池氏だ。小学校建設を「先代からの宿願」として引き継いだ籠池氏は、2代目理事長に就任した直後からさまざまな活動を展開するようになった。 転機が訪れたのは平成18年。第一次安倍内閣誕生の年だ。この年の12月、安倍内閣は教育基本法改正を断行する。 「うれしかったね。一人の愛国者として素直にうれしかった。学校法人の経営者としても『これで、ようやく教育現場で愛国心を正面から教えられる』との喜びもあった。で、同時に、文科省の方針としても愛国心をカリキュラムとして扱うというのだから、以前から自分でもやりたいと思っていた愛国教育を学園のカリキュラムとして育てられれば、規制の壁も突破できるんではないかなと思うたんよ」(籠池氏) ご真影遙拝(しんえいようはい)、教育勅語の奉読、軍歌・戦時歌謡の斉唱などの「愛国教育」はかくて誕生した。それは籠池氏が青年期から胸に抱いていた彼なりの「愛国心」と、安倍内閣による教育基本法改正という「時代の風」と、小学校建設という「年来の宿願」がない交ぜになったものだった。 籠池氏の狙いは正しかった。塚本幼稚園が愛国教育に力を入れれば入れるほど幼稚園の評判は高まりつづけた。各方面からの視察が相次いだ。その評判を聞きつけた中山成彬や山田宏など、「愛国心」を売りにする政治家たちが、「人を集めるコンテンツ」としての塚本幼稚園に目をつけるのは時間の問題だった。「愛国論評」で売り出し中だった青山繁晴や竹田恒泰などの保守論壇人たちも同様。彼らが塚本幼稚園で相次いで講演したのは、なにも籠池氏側からのアプローチだけが理由ではない。安倍・籠池「蜜月」のころ 実際にあの当時の保守業界では「塚本幼稚園の愛国教育」が「流行(はや)って」いた。当時のあの界隈(かいわい)の人士が幼児教育を語る際のトレンドは、「愛国教育に邁進(まいしん)する塚本幼稚園を称揚する」ことだった。現に、青山繁晴は当時ネットメディアに出演した際、「塚本幼稚園の籠池園長は立派。塚本幼稚園がんばれ!」と宣伝までしていたではないか。 こうした背景を踏まえれば、籠池氏が安倍晋三夫婦と接近し得たことは、極めて自然だったことが理解できるだろう。「施政方針演説の直後の辞任」という前代未聞の醜態をさらして総理の座をほうり投げた安倍晋三を、保守業界は支え続けた。保守論壇誌には安倍再起論が盛んに掲載され、各地の保守団体のイベントでは安倍晋三をゲストとして招聘(しょうへい)する動きが続いた。 そんな流れの中で籠池氏の周りでも「愛国教育で名高い塚本幼稚園で、安倍晋三講演会が開催できないか」との企画が立ち上がる。籠池氏が安倍サイドと初めてコンタクトをとったのは平成23年暮れのこと。人を介して電話で昭恵氏と会話したのが最初だという。昭恵氏と会話を重ねるなかで講演会の計画は具体化していき、平成24年10月に実現の運びとなったが、突如、安倍は総裁選への出馬を表明。講演会は直前にキャンセルとなり、籠池氏の手元には安倍事務所からの丁寧な謝罪の手紙が届いた。 その後も籠池氏と昭恵氏の交流は続き、「安倍晋三記念小学校」という名称の応諾も、平成26年3月に東京のホテルオークラで行われた籠池夫妻と昭恵氏の会食も、「極めて自然な会話の中で」(籠池氏談)次々と決まっていった。籠池氏によれば、昭恵氏からは「普段から、主人は塚本幼稚園の教育内容に感心しており、いまも総裁選出馬で講演会が取りやめになったことを残念に思っており、いつかはお邪魔してお話したいと言っている」との話を何度も聞かされたのだという。大阪地検に入る籠池泰典氏と妻の諄子氏 =7月27日、大阪市福島区(安元雄太撮影) 確かに安倍首相は今年2月「籠池理事長は大変熱心な教育者だと妻から聞いている」と国会で答弁してはいる。この籠池氏の証言はある程度は信憑(しんぴょう)性を認めてもよいだろう。その後の籠池氏と昭恵氏の交流が、どのような経緯をたどり、あの小学校の土地取引にどのような影響を与えたかに関する籠池氏の証言は、国会の証人喚問や各種の報道でご承知の通りだ。 だが、この「安倍・籠池蜜月関係」も、森友事件が国会で取り沙汰されるにつけ、ヒビが入るようになる。はじめて国有地不当廉売事件が国会で質問された当初、安倍首相は塚本幼稚園の教育内容と籠池氏の教育者としての資質を称賛しさえしていた。 しかし、不透明な土地取引の実態、幼児虐待疑惑、運動会での「安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!」の選手宣誓など、新事実が明るみに出る中で安倍首相は答弁の方向を変更し、ついにはあの「私や私の妻や事務所が関与していたというのであれば、総理も議員もやめる!」と口走る。この不用意な一言で森友事件は一気に政局化し、そして籠池氏の運命も転落の一途をたどった。籠池氏の「信仰回帰」 籠池氏本人の認識にたてば、「先代からの宿願であった小学校建設に邁進(まいしん)するなかで、教育基本法改正という時代の風が吹いた。その風に乗ったところ安倍夫婦と繋がった。その後その風は神風となり、小学校建設一歩手前までこぎ着けた。にもかかわらず、安倍夫婦の変心で神風は逆風となり、いまやすべてを失った」ということなのだろう。 「いまおもたら、ここ数年間は、安倍さん夫婦の一言一言に翻弄されてきたようにさえ思う」 そう語る籠池氏の顔には寂寥(せきりょう)感さえ漂っている。当時の顧問弁護士だった酒井弁護士とともに盛んにテレビに露出していたころの、「大阪のあくどい中小企業者」然とした面影は、もはやどこにもない。 3月末の国会証人喚問の後、籠池氏はある習慣を再開した。毎朝5時に起床。そのまま端座合掌し約一時間ほど瞑想(めいそう)する。「生長の家」の教祖・谷口雅春氏が提唱した瞑想(めいそう)法「神相観」だ。元来籠池氏は熱心な「生長の家」信者。かつては毎朝「神相観」を行っていた。しかし小学校建設プロジェクトが加熱したころからいつしかこの瞑想(めいそう)を行わなくなったのだという。自宅前で取材に応じる籠池泰典氏(左) =7月27日、大阪府豊中市 「いろんなことが次々と起こり、舞い上がっとったんやろうな。神想観(しんそうかん)もやらんようになったし、『甘露の法雨(かんろのほうう)』(生長の家の経典)も読まんようになってた。いまようやくその大切さを思い出し、またやりはじめたところ。まあこんなんでは、雅春先生に怒られるわなぁ」と、籠池氏は自嘲気味に自分の「信仰回帰」を語る。 「僕は何が大切か思い出した。何が根本なのかを思い出したんや。安倍さんはどうやろうなぁ? 第一次政権のころのような、あの混じりけのない愛国心はどこへいってしもうたんやろうな? 地位のため嘘をつき、他人を蹴落とす。あのままでええんかね? あんな人が総理大臣で、日本国はほんまに大丈夫やろうかね?」 籠池氏の問いかけに、安倍首相はなんと答えるのだろうか。

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    籠池夫妻はどうしてこうなった?

    のお騒がせ夫婦が久しぶりにメディアをにぎわせた。学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐる補助金不正受給事件で、大阪地検特捜部による初の取り調べを受けた籠池夫妻である。第一報からはや半年。被害妄想にも似たド派手なパフォーマンスは相変わらずだが、どうしてこうなったのか。

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    森友事件「告発」市議が緊急寄稿 私はこうして安倍政権を追い詰めた

    人物に、しかるべき形で責任を取らせる」。加計学園問題の陰にすっかり隠れてしまったように見える森友学園事件は、この最も重要な課題が残されたままだ。ゆえに大阪地検による籠池泰典前理事長らの聴取はその始まりに過ぎず、言うまでもなく、私が目指すのは嘘をついて責任を逃れようとしている安倍政権を打倒することだ。 事件発覚の端緒は今年2月8日にさかのぼる。大阪府豊中市野田町にある国有地を森友学園に売却した契約書の金額などが黒塗りされていたため、私は非開示決定の取り消しを求める訴訟を大阪地裁に起こした。 これが新聞、テレビといったマスコミで大きく報じられ、その報道を見た国会議員が財務省などからヒアリングを開始。提訴翌々日の10日には、黒塗りなしの契約書が財務省から国会議員に提供され、あの信じられないような売却金額「1億3400万円」であることが明らかになったのだ。 これを受けて早速、翌週から国会での追及が始まった。17日には安倍首相が衆院予算委で「私や妻が関与していたなら、総理も国会議員も辞める」と答弁し、これで一気に政局化した。さらに問題となったのは、森友学園が運営する塚本幼稚園の教育内容だった。森友学園が運営する塚本幼稚園の調査に入る大阪府の職員ら=2017年3月、大阪市淀川区(前川純一郎撮影) 教育勅語を暗唱させ軍歌を歌わせるといった、いびつな愛国主義教育や児童虐待とも思えるような園児への対応、園長と副園長らによる中国、韓国へのヘイト発言など、異様な実態が次々と暴露された。極めつけが、幼稚園の運動会での「安倍首相がんばれ」という選手宣誓だろう。ワイドショーでも連日大きく取り上げられる大問題へと発展していった。 そして問題発覚からおよそ半年が経過した。冒頭で記した通り、今では報道されることもめっきり少なくなり、すっかり「過ぎた話」の感もある。だが、実のところ何も終わっていないのだ。この問題の疑惑の中心は、国有地のタダ同然の叩き売りと、不可解な学校設立認可の2点だが、どちらも「疑惑」=グレーというレベルを超え、もはや完全に「クロ」である。 理由は明白だ。4~5月、籠池氏サイドから、新たな資料が次々と公開されたが、①国有地値引きの根拠とされた「8・2億円のゴミ」などがなかったこと②極端な安値での売却へのレールを敷いたのは財務省側であること③籠池氏らは昭恵氏と頻繁に連絡を取り合い、昭恵氏側も首相夫人付秘書らが財務省などにはたらきかけ、結果的に籠池氏の望み以上の破格の条件となったこと、これら3点が事実をもってほぼ立証されている。市議としての「直感」 学校設立認可については、大阪府私学審議会は条件付ながら「認可適当」と松井一郎府知事あてに答申した。だが、財務面だけでなく、教育内容の面でも認可基準に照らしてあり得ない状況であり、これらは数々の客観的事実によってすでにはっきりしている。 国有地を不当に値引いて売却したのではないか、認可されるべきでないのに学校設立が認可されたのではないか、というこの2点は、繰り返しになるが、もはや「疑問」ではない。不当に値引いたのであり、認可などされてはならなかったのだ。 残る問題は「なぜそうなったのか」、つまり誰が、どういうプロセスを経て、そのようないびつな決定を下したのかである。そこに政治家(首相夫人を含む)の介入があったのか、なかったのか。その点だが、これについても、昭恵氏の関与があったことは、すでに疑いの余地などない。 そうならば「しかるべき人物に、しかるべき形で責任を取らせる」という、まさにここだけが手つかずのまま残されていることになる。 そもそも国有地の売買契約書をめぐって、私が提訴に踏み切ったのは、市議として「直感的」に不正があると確信したからだ。正直に言えば、自分が暮らす豊中市で、児童に教育勅語を暗唱させるような異様な皇民化教育をする小学校ができるなんて「我慢ならん」という思いもあった。「森友学園」が小学校用地として取得していた大阪府豊中市の旧国有地 また、この国有地は、元はと言えば豊中市が国から無償貸与を受けて公園として整備したいと考えていた物件だ。だが、国から「無償貸与などできない、使いたいなら買い受けろ」と強く迫られたため、泣く泣く断念したという経緯も不正を追及しようと決意した理由の一つだ。 ただ、名誉校長が昭恵氏で、理事長の籠池氏は安倍政権の強烈な支援組織といえる「日本会議」関係者であり、いわば「安倍政権」に直結する。これはひょっとすると、土地取得をめぐって何か胡散臭いやり方をしているのではないか。 だとすれば、そこを突けば、開校を阻止できるかもしれないと考えたのだ。この直感は的中したといえるだろう。案の定、「政権中枢と大阪維新が車の両輪となり、極右カルト学園の開校を全面支援した」という事件であることが明確になった。 結果として、開校を阻止できたわけであり、目的を達成できたかのうように見えるが、今はむしろ、歯がゆい思いの方が大きい。それは、一連の森友学園問題を通じて、この国には民主主義がまともに機能していないことを改めて見せつけられたからだ。「打倒安倍政権」と直結した闘い だれもが記憶しているはずだが、国権の最高機関たる国会での正式答弁で、安倍首相は「自分や妻が関与していたなら、総理も国会議員も辞める。間違いない。はっきり言っておく」と述べた。ならば、昭恵氏が大阪府私学審会長の梶田叡一氏と会っていたことも明らかとなった今、安倍首相は政治家を辞めるのが当然なのだ。 ところが安倍首相はいまだ辞めることなく、昭恵氏は国会証人喚問どころか記者会見すら開かず、森友学園問題については完全なダンマリを決め込んでいる。これでは、国会での議論など何の意味もない。戦没者墓地で日本の海軍兵を悼む安倍晋三首相(左)と昭恵夫人=2017年5月、マルタのカルカラ それだけではない。財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は、土地売却をめぐる森友学園側との交渉記録について「売買契約締結をもって事案終了、事案終了と同時に記録は廃棄」と答弁した。「10年分納の契約なのに、契約締結と同時に事案終了なんておかしい」と指摘されたことに対し「一定期間経過すると、自動的に消去されるシステムになっている」との珍答でごまかしている。 「そんなばかな話があるか!」「仮に消去されても復元できるはずだ」と追及されると「間もなくシステム更新作業を始めるので、完全に消去され、復元も不可能」だという。それならばと、東京のNPO団体が証拠保全のためシステム更新作業をしないよう求める仮処分を申し立てたところ、東京地裁はこれを棄却してしまう始末だ。 そして6月1日から予定通り財務省のコンピューターシステムの総入れ替え作業が始まっている。報道によると、この作業にかかる費用は52億円にものぼるらしい。つまり、莫大な血税を投じて証拠隠滅を図っているのと同じではないか。 森友学園事件と「政治の私物化」という点で共通する加計学園問題も大疑獄事件に発展しているが、政権の対応はほぼ同じだ。完全否定し、情報を秘匿する。要は、どんな追及を受けてもひたすら「知らぬ存ぜぬ」を決め込み、やり過ごそうということだ。 そのようなふざけた態度を取り続ける安倍政権が「話し合っただけで罪になる」共謀罪を委員会採決をすっ飛ばすという禁じ手で強行成立させた。さらに、安倍首相は抗議行動に出た市民に対し「あんな人たち」呼ばわりしたのである。 最期にもう一度言っておく。「しかるべき人物に、しかるべき形で責任を取らせる」。これなくして民主主義は健全に機能しない。今や私にとって、森友学園事件とは、民主主義を守る闘いに他ならない。そして、その闘いは「打倒安倍政権」と直結しているのである。

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    籠池夫妻を「捨て身の行動」に走らせた引き金は何だったか

    上久保誠人(立命館大政策科学部教授) どうしてこんなことになってしまったのか、というのが率直な思いだ。少し前まで、各種世論調査での安倍晋三政権の支持率は60%を超えていた。2012年12月の衆院選で勝利し政権の座に復帰してから、昨年7月の参院選まで国政選挙で4連勝した。安倍首相が目指す憲法改正を支持する勢力が、国民投票の発議可能となる衆参両院3分の2以上の議席を占めるまでになった。まさに「安倍一強」であり、向かうところ敵なしの勢いだった。 ところが、安倍政権の支持率が急落した。学校法人森友学園、加計学園問題への批判や、度重なる閣僚・所属議員の言動への反発、「共謀罪」などの国会審議で、強行採決を多用した強引な手法への批判が政権に大打撃を与えたのだ。都議選では、首相の街頭演説に「内閣退陣」などの横断幕を掲げる100人以上の集団が現れ、「安倍やめろ」のコールを繰り返す異様な光景となった。都議選では、自民党が大幅に議席を減らし、過去最低の23議席という壊滅的な結果となった。 安倍首相の街頭演説に対して、「安倍やめろ」コールを繰り返した集団の中に、1人の男が現れた。森友学園の籠池泰典前理事長であった。わずか3カ月ほど前には、自ら経営する塚本幼稚園で、園児に教育勅語を朗読させたり、運動会で「安倍首相がんばれ」と叫ばせたりする教育を行っていることが明らかになり、国民に衝撃を与えていた。また、設置申請中の小学校に「安倍晋三記念小学校」と名付けようとするなど、首相に心酔していたようにみえた籠池氏が、首相に退陣を迫る集団の中で、「安倍はうそつきだ」と叫んだことには、驚かされた。都議選候補者の街頭演説会場を訪れた森友学園の籠池泰典前理事長=7月1日、東京・秋葉原 籠池氏が、確固たる保守思想に基づいて行動してきた人物ではないことは、明らかだろう。森友学園への国有地売却を巡る一連の騒動の中で、首相に裏切られたと感じて切れたということは理解できる。だが、突然「敵」であるはずの共産党の小池晃書記局長らと一緒に記者会見し、共闘関係になるというのは、あまりにも行動が極端すぎる。 これは、籠池氏が実は何の思想信条も持っておらず、保守思想は彼にとって「ファッション」でしかなかったということを示している。換言すれば、保守思想を学校という金もうけの場での「道具」として使ったに過ぎなかったのだろう。だが、安倍首相はそんな人物の取り扱いを誤ったことで、「反安倍運動」の想定外の広がりを許してしまった。 森友学園への国有地売却問題が表面化したとき、安倍政権に大きなダメージを与える問題になるとは思っていなかった。これは、日本の地方政治で日常的によく行われていることに思えたからだ。しつこく繰り返された「普通の陳情」 一般的に、籠池氏のような学校経営者と政治家の間に、日常レベルでさまざまな接触があったとしても、別におかしな話ではない。運動会など学校行事に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すのはよく知られていることだ。自民党や日本維新の会のような「保守」が塚本幼稚園に顔を出し、「教育方針が素晴らしい」などリップサービスを交えた来賓祝辞をしたことは、容易に想像できることである。 そんな日常的で気楽な付き合いの延長線上で、籠池氏が「小学校を設置したい」と、言い出すようになったのだろう。最初は地方議員に陳情を繰り返し、話がなかなか進まないと鴻池祥肇元防災担当相のような国会議員に陳情をしていったということだ。「学校の認可・設置に関する政治家への陳情」というだけならば、どこの地方でもよくあることだ。「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」程度のことなら、別に珍しい話ではない。 実際、鴻池事務所に対する籠池氏の「陳情報告書」の記録が明らかになっている。そこには、鴻池氏の元秘書・黒川治兵庫県議会議員(自民党)や、中川隆弘大阪府議会議員(大阪維新の会)らの名前が出てくる。彼らは、再三再四に渡って、籠池氏から「鴻池事務所につないでほしい」と依頼を受けていた。そして、「相談に乗ってあげてよ」という形で、鴻池事務所につないだという。ここまでも、まだ通常の陳情の範囲内だ。3月1日、森友学園の籠池泰典理事長との面会について説明する自民党の鴻池祥肇参院議員。口利きなどの関与を強く否定した しかし、2016年3月に森友学園が、くい打ち工事を行う過程で新たな地下埋蔵物が発見されたことをきっかけに、資金不足のために土地を賃貸することから、突然購入に方針転換してからは、陳情攻勢のしつこさが尋常ではなくなった。報告書には、「うちはコンサルタント業ではありませんので」「うちは不動産屋と違いますので。当事者同士で交渉を!」「どこが教育者やねん!」「大阪府の担当者は、土地以外(の生徒募集)を一番懸念されているようですが」などと、籠池氏のあまりにしつこい陳情に、鴻池事務所があきれかえっていた様子が記されていた。 そして、籠池氏は、要求に応じない近畿財務局を飛び越えて、財務省理財局を訪れて直談判に及んだ。その際、理事長は鴻池事務所にアポイント取りを依頼したが、断られていた。しかしアポイントなしで理財局に乗り込み、ゴミ処理代を8億1900万円とする内諾を得て、評価額9億5600万円の国有地を、1億3400万円で購入したのである。 要するに、籠池氏は地方・国のさまざまな政治家に接触し、近畿理財局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。彼が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのだ。つまり、地方議員も鴻池氏も、ルールに従って事務的に対応していた近畿理財局を動かすことはできなかったのだし、そもそも動かす気がなかったように思われる。ここまでは全て通常の「陳情」であり、何も違法性はない。首相が「口利き」するはずがない理由 結局、財務省理財局で何がどのように決められたかが問題であり、そこに政治家の関与、それも鴻池元防災相を超える「大物」、はっきり言えば安倍首相が関与したかだけに焦点が絞られることになる。 だが、基本的に安倍首相が「口利き」をしたはずがない。首相は、2006年9月に発足した第1次政権をわずか「365日」の短命政権に終わらせるという失敗を経験している。その一因は、年金未納問題や度重なる閣僚のスキャンダルなどで支持率が低下し、求心力を失ったからだ。スキャンダルが頻発したに背景には、教育基本法改正など、首相が保守的な信念を貫こうとして、左翼勢力を本気で怒らせたからだと考えている。5月9日、学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題を巡り、昭恵夫人のメールの記録などを手に答弁する安倍首相 安倍首相は、2012年12月に政権復帰するにあたって、この第1次政権期の失敗からさまざまな教訓を得ていたはずだ。それは、政敵に隙を与えないために、「守り」を固めるということだ。例えば、首相は、自身の保守的な思想信条を表明するのに非常に慎重だった。もちろんその間、特定秘密保護法、安保法制などを実現してきた。それでも、愚直に政策実現を目指した第1次政権期と比べれば、「アベノミクス」による経済重視を打ち出し支持率維持を図るなど、相当に慎重に振る舞ってきていた。 そんな慎重な安倍首相が、保守系の学校法人の土地取得に関与するなど、危ない橋を渡るはずがない。本人ではなくても、スタッフが関与したというかもしれないが、本人以上にスタッフが慎重なはずで、ありえないことである。 そのことを考えれば、結局、財務省理財局が籠池氏の直談判を自らの判断で受け入れてしまったと考えるべきだ。要は、籠池氏が安倍首相と「近い関係にある」と思い、安倍首相の意向を「忖度(そんたく)」して、理財局の判断だけで話を通してしまったのではないだろうか。 これも一般論だが、日本社会では「うるさい人」がやってきたら、いちいち理屈で抵抗しないで、できるだけ触らない、関わらないということで話を通してしまうということがよくある。まして、権力を持つ人がバックにいるとなれば、なおさらである。 籠池氏が財務省理財局に直接乗り込んできて、「安倍首相がバックにいる」とか、あることないことを言って圧力をかけたことは容易に想像できる。理財局からすれば、本当に首相がバックにいるのかどうかはわからない。しかし、杓子(しゃくし)定規に断った後で、本当に首相が出てきたら面倒な話になってしまう。事態を一変させた証人喚問 当時、麻生太郎財務相が国会で「適切に処理した」と再三答弁しているように、国有地の売却自体は、財務省理財局の権限でできるもので、違法ではないのだろう。だから、首相などに確認することもなく通したということだ。それならば、至って「日本的な話」だということになるのではないだろうか。 もちろん、14億円相当の国有地が森友学園に実質200万円で売却された経緯は不可解であり、真相が明らかにされなければならない。だが、この仕事はスキャンダラスな報道を続けるメディアを背景にした野党の追及では限界がある。学校法人「森友学園」が小学校用地として取得していた大阪府豊中市の国有地=7月27日 安倍首相はこの問題が発覚した当初から、「会計検査院」に調査を委ねるとしたが、それは別にこの問題から逃げたかったわけではないだろう。強い調査権限を持つ会計検査院の調査結果がないと、内閣は行政の誤りを認められないからだ。 繰り返すが、麻生財務相が国会で再三説明したように、国有地の売却については財務省に権限があり、その範囲内で処理したものには「違法性」はない。違法性がなければ、いくら野党が追及しても、財務省は誤りを認めようがない。それ以上に踏み込んで、国有地売却の不適切さを指摘しようとするならば、第三者機関である会計検査院の調査結果を待たなければならないということになる。実際、会計検査院は国有地売却の不適切性の是正に関して、多くの実績がある。 仮に、野党の追及に耐えられず、安倍首相や麻生財務相が不適切であったことを認めたら、それは、国有地の売却の決定に政治介入できるということになり、むしろ問題が大きくなる。役所の権限で決定し、第三者のチェックを受けるというシステムのほうが、政治的な影響を受けず、オープンで公平なのだ。ここまでは、安倍政権は野党とメディアの追及にいらだちを見せながらも、まだ冷静さを保っていた。 ところが、3月23日に籠池氏への証人喚問が行われたことで、事態は一変した。証人喚問の実施をずっと否定してきた自民党が一転、実施を決めたのは、籠池氏が「安倍昭恵夫人から『安倍晋三からです』と言って、100万円の寄付を受けた」と発言したからだ。「売られたけんかは買う」とばかりに「そこまで言うなら、『偽証罪』に問われる証人喚問で白黒つけてやろう」ということだった。正直、これは余計なことだった。 籠池氏は証人喚問で、昭恵夫人が森友学園の経営する塚本幼稚園で講演会を行った際、籠池氏と2人きりの状態で「安倍晋三から」として「寄付金として、封筒に入った100万円をくださいました」と、偽証罪を恐れることなく、事前にメディアに話した通りに証言した。また、籠池氏からは、大阪府の小学校設置基準緩和について、政治家に協力を求めたとして、以前から名前が出ていた鴻池氏に加えて、東徹氏(日本維新の会)、柳本卓治氏(自民党)らを挙げた。「捨て身の転向」で繰り返された暴露 だが、証人喚問で籠池氏が証言したことは、前述の通り、運動会など学校行事に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すという「日本政治・社会の日常」の範囲を超えるものではなかった。証人喚問で明らかになったのは、その政治家の実名だけだった。しかし、政治家に役所を動かす力があったことが明らかになったわけではない。「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」という通常の陳情があっただけだ。名前が挙がった政治家も、陳情があったこと自体を否定していないし、そこに違法性はない。 結局、籠池氏が地方・国のさまざまな政治家に接触し、近畿財務局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。籠池氏が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのであり、政治家はルールに従って事務的に対応していた近畿財務局を動かすことはできなかったという、既に明らかになっていたことを超える事実は出てこなかったのだ。参院予算委員会の集中審議で、質問に答弁に立つ元近畿財務局長の武内良樹財務省国際局長(前列右)と元財務省理財局長の迫田英典国税庁長官(同左)=3月24日(斎藤良雄撮影) 一方、昭恵夫人はフェイスブック上で「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料をいただいたこともありません。私は講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません」と完全否定した。昭恵夫人の主張が事実なら、籠池氏は偽証罪に問われることになる。ただし、そもそも安倍首相が寄付金を渡すこと自体は問題ない。政治家が学校に寄付をするという行為自体は、自らの選挙区外であれば違法ではないからだ。 仮に、寄付が事実だとしても、首相のプロセスへの関与を疑うならば、それは首相が「カネをもらった」ケースだろう。今回は、首相が「カネをあげた」のであり、そこから「首相と森友学園は深い関係だ」と推測することはできても、首相の関与との因果関係の証明は極めて難しい。今回の森友学園を巡る問題の中で、これは本質的に重要な問題ではなかったはずだ。 結局、「首相が100万円を寄付した」という籠池氏の発言に対して、「売り言葉に買い言葉」的に証人喚問を実施したものの、そもそも確固たる思想信条がなく、いわばファッション的に保守陣営に加わっていただけの籠池氏は、偽証罪におびえておとなしくなるどころか、「捨て身の行動」に走ってしまった。籠池氏は、右翼から左翼にあっという間に「転向」し、森友学園問題に関して暴露を繰り返すことになった。その結果、証人喚問によって、問題の本質ではないはずの「首相の寄付」「昭恵夫人のメール」に国民の関心が過度に集中してしまうことになったのである。軽率な権力行使を露呈した安倍政権 その後、森友学園をはるかに上回る深刻な問題として、加計学園問題が明らかになり、「お友達」に便宜を図るために批判されることなった。また、首相の「お友達」のジャーナリストの犯罪をもみ消したとされる騒動の発覚や、テロ等準備罪成立のあまりの強引さなど、「首相の権力の乱用」に、国民の厳しい視線が集中することになった。籠池氏を偽証罪に訴えると脅して逆切れさせた証人喚問実施は、安倍政権にとって、取り返しのつかない判断ミスだったといえるだろう。 「首相の権力強化」は、90年代以降に取り組まれてきた政治・行政改革の成果なのだ。逆に言えば、「首相の指導力欠如」は日本政治の永遠の課題といっても過言ではないものであった。小選挙区比例代表並立制という選挙制度改革によって権力は派閥の領袖から首相に移った。内閣府の設置と省庁再編によって、官僚支配は「首相官邸主導」に変わった内閣人事局の設置によって、首相官邸は各省庁の幹部の人事権を掌握した。首相官邸に入る菅義偉官房長官=6月8日 この改革は、自民党よりも、むしろ現在の民進党幹部が民主党の若手議員だった時代に強く実現を迫ったものだった。今、安倍首相を「独裁者」と批判する彼らは、かつて英国流の二大政党制の導入を目指した。英国政治の特徴は「交代可能な独裁」であり、その肝は「政権は任期の間、独裁的に物事を決められるが、失政を犯せば選挙で交代させられる」というものだ。「安倍一強」とは、「交代可能な独裁」そのものであり、民進党がかつて実現を望んだ改革が成功したことを示しているのは、皮肉なものである。 つまり、首相の権力が強化されたことは、日本政治の長年の課題を解決したことであり、それ自体は問題がないといえる。ただし、安倍首相の権力の使い方は問題が大きいと言わざるを得ない。「友達に便宜を図るため」「官僚のプライバシーを首相の御用メディアに流させるため」「首相の友人の犯罪をもみ消すため」に権力が使われたといわれている。もちろん、その真偽はわからないのだが、安倍政権には、それが事実だと思われても仕方がない「軽率さ」がある。 本来、強力な首相の権力は、財政再建・規制緩和のような各省庁・族議員の強い抵抗が予想される政策の断行に用いられるべきであり、究極的には「有事」において、首相が指導力を発揮するためにあるはずだ。ところが、安倍政権の「軽率さ」によって、首相の権力に対する国民の支持・信頼が失われてしまうことは深刻な問題だ。 重要政策の決断や有事の際に、首相の指導力が国民に信頼されないならば、それは国益を損ねることになる。強い権力を持つからこそ、何をしてもいいのではなく、普段はその扱いには慎重になるべきだ。そうでないと、いざというときに権力を使えなくなってしまうのだ。安倍政権は都議選の惨敗を機に、権力行使のあり方を厳しく反省する必要があるだろう。

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    籠池泰典氏長男「この先、加計さんも父みたいな目に遭うはず」

     学校法人を巡る「疑惑」の渦中にいる加計学園の加計孝太郎理事長に、ぜひ“先輩”からのアドバイスを──。そう森友学園の籠池泰典・前理事長に取材を試みたところ、「父の代わりに答える」と大阪の取材会場のホテルに現われたのは長男の佳茂氏だった。「父は秋葉原で(都議選の)安倍さんの街頭演説を見に行っただけなのに、警察に両脇を抱えられて連れていかれた。それもあって今は出ないようにしています」 沈黙を守る加計理事長に対して、証人喚問にも応じた籠池前理事長としては思うところがあると言う。「学校法人の理事長という意味では同じですが、経営の規模も学校の種類も違います。決定的な違いは、加計は経営が先にあり、森友は理念が先にあること。父は小学校設立のために奔走して無理な資金繰りもやってきて、借金もかなりある。父は日本のための人材を育てる教育者だが、加計さんは金儲けをする経営者なのでしょう」家宅捜索中の籠池泰典氏の自宅前で、報道陣に囲まれ厳しい表情で話す長男の佳茂氏=6月19日、大阪府豊中市(彦野公太朗撮影) 森友学園は業務停止になり、補助金適正化法違反などの疑いで大阪地検特捜部の家宅捜索も受けた。「森友の先行きは暗いばかりですが、加計さんは日本のエスタブリッシュメントで、根っからの権力側なのでしょう。だから、今回の“躓き”があっても安泰で、だんまりを決め込むことが得策だと思っている。でも本当にやましいことがなく、教育者という自負と理念があるのなら、事実を全て国会で話したほうがいい。初めは父も大変叩かれたが、事実をすべて話したことで、今はメディアや一般の人からも応援されていますよ」 最後に、安倍首相との“お友達関係”について忠告した。「安倍さんは、父と理念でつながっていたはずなのに、いきなり手の平を返した。そういう人ですから、この先、“腹心の友”の加計さんも、父みたいな目に遭うはずですよ」関連記事■ 稲田朋美氏を籠池氏に“応援”させるという落選運動■ “総理のご意向文書”作成女性課長補佐 異動→辞職懸念する声も■ 加計学園グループの敷地内に自民党支部が存在した■ 高須院長が都議選総括「反安倍派が喜ぶのはとんだ見当違い」■ 田村英里子 伝説の「半裸カレンダー」写真リバイバル公開

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    籠池泰典氏は首相周辺の空気をうまく利用した「魔術師」か

     数年前、場の雰囲気に合わせないことを「KY(空気が読めない)」などと避難する意味をこめた言葉が流布した。そしていま再び、「忖度」という似たような言葉が脚光を浴びている。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、「空気」をうまく利用する人たちについて考えた。* * *「忖度」という言葉が、一躍脚光を浴びている。発信源はもちろん、国有地格安払い下げ問題で証人喚問された森友学園の籠池泰典理事長(当時)の発言だ。 小学校の建設のための用地として、9億5600万円の土地を、1億3400万円という破格の額で購入した。その際、安倍首相の口利きがあったかどうかを問われた籠池氏は、「忖度をしたということでしょう」と答えた。5月8日、衆院予算委員会の集中審議を傍聴する籠池泰典氏(斎藤良雄撮影) 忖度とは、「他人の心を推し量ること」という意味だ。それ自体は悪いことではない。むしろ、相手の身になって考える風潮は、日本の「おもてなし文化」などを発展させてきた。 でも、忖度も、行き過ぎると害になる。そのことは、1977年に出た山本七平の『「空気」の研究』に詳しい。山本七平は、人の意思決定に、得体の知れない「空気」というものがかかわっていると指摘している。「結論を採用する場合も、それは論理的結果としてではなく、『空気』に適合しているからである。採否は『空気』がきめる」 圧倒的に力の差があるのを理解しながら、アメリカと開戦してしまったのも「空気」だ。その結果、負け続け、艦隊や戦闘機を失い、裸になった戦艦大和を、敵機動部隊が跳梁する外海に突入させていく。それが、作戦としては考えられないと認識しながらも、「空気」に逆らえなかったというエリートたち。「空気」というあいまいなものに支配され、判断や結果に対しては、だれも責任を取らない。 ぼくたちは、いまだその「空気」に支配され続けている。見えない同調圧力のなかで、みんなが小さく縮こまってしまうことに危機感をもったぼくは、2010年『空気は読まない』(集英社)を書いた。当時、「空気が読めない人」は「KY」などと呼ばれ、のけものにされる風潮が目立った。最近は、目立つ発言をした人たちが、「不謹慎狩り」の総攻撃のやり玉にされている。やっていることは、相変わらずだ。 森友学園の国有地払い下げが、籠池氏の言うように「忖度」でなされたのだとしたら、氏は、安倍首相周辺の「空気」をうまく利用した「空気の魔術師」だ。財務省までが、土地払い下げの経緯を示す「資料はない」と言っている。与党にも「ダメといえる」勇気を アメリカは、トランプ大統領就任以来、突風が吹き荒れている。だが、トランプ大統領の方針は、良識によって次々と覆されている。 オバマケアを廃案にし、新制度に置き換える法案を出したが、共和党内に異論が出て、法案を取り下げた。「空気」に流されない人たちがいるのだ。敗北を喫したトランプ大統領は、ツイッターに「オバマケアは破裂するだろう。国民のためのすばらしい医療保険制度案をつくるため、われわれは結束していく。心配は無用だ」と悔しい投稿をした。 イスラム系7か国の一時入国禁止を命じた大統領令に対しても、司法省のトップが異を唱えた。このトップはクビになったが、それでも勇気をもって、おかしいことにはおかしいと言える人間がいることが大事だ。その後、イラクを除いたイスラム系6か国を一時入国禁止とする新大統領令が出たが、再び、ハワイ州のホノルル連邦地裁は発効の一時差し止めを命じる仮処分を出した。 山本七平は、その場を支配する「空気」に、「水を差す」ことの重要性も訴えているが、アメリカではこの「水を差す」という機能がうまく働いている。 森友学園では、幼稚園の子どもたちに教育勅語を朗誦させるエキセントリックな教育方針でも、注目された。教育勅語とは、緊急事態の場合、皇国のために奉仕するというものだった。それを子どもたちに唱和させている大人の意図とは何だろうか。 安倍内閣が、教育勅語について、憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用を認める閣議決定をした。閣僚が、教育勅語を肯定しはじめるこの動きは、いったい何なのだろうか。 この国の「空気」は、おかしな方向に行こうとしている。一強になった首相の思いを、みんなが読み合っている。自分がいい思いをするために、より激しく右へ動く競争をはじめたように思えてならない。志の高いホンモノの保守に、ニセモノの保守を駆逐してもらいたいものだ。 この流れを止めるために、ダメなものはダメと言える勇気が、与党のなかにもっとあっていいはず。 ぼくたち国民も、マスコミも、顰蹙を買ってでも、自由に発言することを忘れてはならない。少なくとも、明るみに出た問題は、忖度せず、きちんと事実を解明してもらいたいものだ。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『遊行を生きる』『検査なんか嫌いだ』。関連記事■ 激ヤセのクリントン氏 1回数千万円の講演料で年収10億以上■ 【ジョーク】イラン大統領「オバマ無能」への対立候補の反応■ 【ジョーク】ヒラリー・クリントン氏が大統領目指すのはなぜ?■ 「徳川家康は教育パパだった」等歴史上人物の逸話満載した本■ 【ジョーク】オバマ米大統領とプーチン・ロシア大統領の違い

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    「性犯罪の中でも小児性愛は別格である」私が見た依存症治療の現実

    リンさんが通学していた小学校で保護者会会長をしていた男性が逮捕された。 私も含め、多くの人がこの類の事件の報道を耳にすると、2004年11月にあった奈良小1女児殺害事件を思い出す。実は、この奈良の事件をきっかけに2006年からわが国では初めて矯正施設や保護観察所で「性犯罪者処遇プログラム」が始まった。これと同時期に、榎本クリニック(以下、当院)でも社会内処遇の枠組みで、民間医療機関では日本で初めて「性犯罪者の地域トリートメント」に関する取り組みが始まった。そして時は流れ、現在明治時代から110年ぶりに性犯罪に関する刑法が改正される矢先、リンさんの痛ましい事件は発生した。 リンさんの事件に関しては、推定無罪の原則から刑が確定していない現段階で断定的なことは言えない。ちなみに国際的な診断ガイドラインであるDSM-Ⅴ(精神疾患の分類と診断の手引き)では、児童に対する小児性犯罪を「小児性愛障害」と呼んでいる。以下、診断基準を簡単に紹介する。【小児性愛障害(Pedophilic Disorder)】A 少なくとも6カ月にわたり、思春期前の子どもまたは複数の子ども(通常13歳以下)との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。B これらの性的衝動を実行に移したことがある、またはその性的衝動や空想のために著しい苦痛、または対人関係上の困難を引き起こしている。C その人は少なくとも16歳で、基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である。※青年期後期の人が12~13歳の子どもと性的関係をもっている場合は含めないこと。 小児性犯罪は他の性倒錯に比べ再犯率が高いといわれている。また、先ほど述べたように合意に関するルールについても児童の場合は成立しない。これは相手がどのように受け止めていても全て犯罪とみなされる。そして、被害児童は成人してからもずっとその被害の後遺症に悩まされ苦しむ。これは家庭内性虐待の被害も同様である。 以上のような点で、リンさんの事件を見ても分かるように小児性犯罪は被害児童や社会に与える影響、マスコミの報道の仕方など、性暴力の中でも際立った存在であるといえる。学校などに潜む小児性愛者 小児性犯罪者には、大まかに幼い子どもにのみ性的欲求を感じるタイプと、成人女性にも性的欲求を感じるタイプとに分けることができる。筆者が出会ってきた小児性犯罪者は前者が圧倒的に多く、まれにではあるが男児への性的嗜好を持っている者にも臨床の場で出会ったことがある。男児の場合、加害者に同性愛的傾向があるため治療はより困難を極める。 彼らの頭の中はどのようになっているのだろうか。典型的パターンとして、職業選択や社会的役割を自らの小児性愛的嗜好を基準に選択しているケースがある。つまり、小学校の先生や保育士、本事件のように児童と接することができる学校の役割を担うなど、児童に関わることを何らかの理由を付けることで合理化し意図的に選択している者である。 彼らは口をそろえてこう言う。 「いずれ大人になったら経験することなのだから教育的な観点で性的接触を行っただけだし、相手もそのことについて好意を持っていたはずだ」 「可愛いからついついかわいがるつもりで一線を越えてしまった。決して傷つけようと思ったわけではないし相手もそれを受け入れていた」リンさんも歩いた通学路付近で保護者と下校する児童ら=4月14日、千葉県松戸市(宮崎瑞穂撮影) とんでもない認知のゆがみだ。ここでいう、認知のゆがみとは性的逸脱行動をくり返すための本人にとって都合のいい認知の枠組みと定義できる。児童にとって教師や身近にいる大人は拒否や反発が困難な絶対的存在である。また、大人側が「やってない」と否定すれば当該児童から根掘り葉掘りされたことを聞くことはあまりない。絶対的な立場を利用した卑劣な性暴力。現在ではこのような学校内での性暴力を「スクール・セクシュアル・ハラスメント」というが、被害児童は親にも打ち明けられず不登校になったり、自傷行為でSOSを出すなどのさまざまな後遺症に苦しめられる。子どもの性被害はよく「性的いたずら」と表現されることがあるが、そんな軽い言葉で表現できるほどこの問題は生やさしいものではない。「いたずら」という言葉にはそこまで大したことはないというニュアンスが含まれるため被害児童に使うべきではないし、やはり明確に小児性犯罪というべきだろう。  次に、そんな小児性犯罪の治療について迫っていきたい。 米国ではエイブルの研究があり「未治療の性犯罪者が生涯に出す被害者の数は380人」というデータがある。ところが、筆者が国内の某刑務所で性犯罪のプログラムに参加する受刑者にこの話をしたところ、「その数字は少ない」という反応が多数を占めていた。これは、小児性犯罪を繰り返す受刑者が多い治療グループでの反応だった。ということは、表面化(逮捕)しているのは氷山の一角である。性犯罪者の治療内容 被害者に与えるダメージを考えると、性犯罪者は厳罰に処すべきという意見が根強い。性犯罪は、今回の刑法改正案で厳罰化・非親告罪化されることになる予定だが、果たして再犯は減るのだろうか。実は、厳罰化だけでは再犯率は低下しないという明確なエビデンスが存在する。近年では、加害者臨床の分野にもEBP(Evidence‐Based Practice)のパラダイムが当たり前になり、性犯罪者を罰するだけのアプローチや、GPSによる電子監視だけでは再犯防止にほとんど効果はなく、医療モデル・教育モデル・社会福祉モデルを統合的に加えたアプローチこそが、再犯防止に最も効果的であるということが明らかになってきた(Andrews & Bonta,2010)。 そして、当院では反復する性的逸脱行動を嗜癖モデルで捉え、性依存症という疾病モデルからやめ続けるには専門治療が必要な病であると考え、日々再犯防止のためのプログラムを行っている。 性犯罪者の治療はある程度確立されている。当院では、約10年前から性犯罪および性依存症からの回復のための再発防止プログラムを実施している。性犯罪の治療プログラムは、世界的に共通する「RNRモデル(リスク・ニーズ・治療反応性の原則)」が確立されている。まず、リスクアセスメントの質問シートで低・中・高のリスク判定を施行し、各リスクに応じた密度のプログラムを受講する。高リスク群と低リスク群が共に治療を受けると、低リスク群の再犯率が上がるといわれていることから、いかに正確なリスクアセスメントが重要なのかということがわかる。 さらに、痴漢なら満員電車、盗撮ならエスカレーター、小児性犯罪なら学校のプールなど、各対象者の性的逸脱行動を起こしやすい状況をピックアップし、回避・対処行動を助言し、再犯防止計画(リスクアセスメントプラン)に加えていく。そして、本人の問題に応じた、最も治療効果を引き出せるプログラムパッケージを選択する。集中して治療を行う期間は、低リスク群は半年、中リスク群は1年、高リスク群は3年である。その後はメンテナンスプログラムに移行し、再発防止のための取り組みを継続する。男のサディズムと小児性愛(イメージイラスト) 日本ではグループワークが主で、本人の能力に応じたプログラムパッケージの選択がまだまだ不十分だが、当院では集団療法と個人療法を併用して再発防止のための治療を行う。場合によっては薬物療法も実施している。睡眠不足が引き金になって対象行為に至ってしまう人には、睡眠不足にならないスケジュール管理指導と並行し、睡眠薬を処方する場合もある。抗酒剤、向精神薬、SSRIなど、患者の状態によって薬の種類は異なる。 次に、この問題を理解している治療の協力者であるキーパーソンの立場も重要である。基本的には親、パートナー、友人などで、だれもいなければクリニックのスタッフがキーパーソンを務める。治療内容などの情報を共有し、再発防止のストッパーになってもらう。性犯罪者の常套句 通常、依存症の治療では「再発(リラプス)」は回復のプロセスであると考える。しかし、性犯罪に関しては被害者が背景にいるため、再発を回復のプロセスと考えるのは理論的に無理がある。従って、再発防止に最も重点を置く。このように、加害者臨床は他の心理臨床と異なる視点をいくつか持っている。ここでこの問題を考える際のヒントとして、私が加害者臨床で重視している視点を2つ紹介したい。 まず1つ目は、『従来の心理療法は「自分の行動や症状に対して責任を取る」という範囲にとどまっていたが、加害者臨床では「他者の行動や症状に対して責任をとる」という点を重視する。つまり自分の言動や生き方について被害者が聞いたらどのように感じるかを常に思考し被害者感情に少しでも近づく努力をし続けることである。しかもこの取り返しがつかないことをしてしまった責任性は人権侵害、すなわち「人格的な生存を破壊させてしまいかねないほどの、決定的苦痛を与えた」という、究極の責任性であることを前提としたものでなければならない』と考えている。 2つ目は、『加害者の加害行為の克服は、被害者の回復を促進する方向で進められるため、従来の心理療法とは異なる方針を数多く持つ。加害者は被害者とは非対等であり、問題解決のための負担を被害者に求めない方針をとる』という視点である。この2つの重要な視点をもとに治療プログラムでは「加害行為に責任をとる」とはどういうことかを深めていく。性犯罪はどんな理由があっても再発してはいけない。これはDVなどの加害者臨床でも同様であると私は考えている。 もう一点、近年日本にも導入されてきている新しい治療モデルが「グッドライフ・モデル」である。従来のプログラムでは、「回避する」「~しない」など禁止事項が中心であった。前述のRNRモデルや、依存症治療に用いられる認知行動療法はある程度効果はあるものの、禁止事項が多ければモチベーションが下がり治療継続率も低い。 彼らは「幸せになるための手段」として性犯罪をくり返すという誤った方法をとってきた。グッドライフ・モデルでは、「性犯罪以外の方法でどうなれば幸せな人生を送れるか」に注目し治療動機を高めていく。私は、性犯罪者に理解をという気持ちは毛頭ない。しかし、彼らを社会から排除するだけでは性犯罪はなくならないのだ。 彼らは反省しながらも、また再犯を繰り返すことがある。一見、深い反省をしているようだが、その数日後再犯することもある。そして裁判で同じような発言をする。さらに刑務所では非常に模範囚である。これは性犯罪の前科者だと周囲からいじめられるということがあるからおとなしくしているのかもしれないが、それにしても妙に静かである。彼らの常套(じょうとう)句は「もう絶対にやりません。今度こそ自分の力でやめることができます」である。 確かに一時的にやめることは可能かもしれないので、この発言はあながち嘘でない。しかし、この問題は「やめる」ことよりも「やめ続ける」ことが重要なのである。彼らに「あなたはやめ続けることはできますか」と質問すると、即答で返事は返ってこないことが多い。つまり、彼らは心底から児童への性的接触を悪いとは思っていないのと、この強力な性的欲求はずっと消えないことをどこかで知っているのである。そして、その行為がどれほどの深い傷を与えるのかという想像力が働かない。小児性犯罪は、被害児童の未来を奪う。そして、人間としての尊厳を深く傷つける。悲しいかなそれが小児性犯罪の現実である。

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    「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁

    下限が低すぎて執行猶予判決が多かったこと。3つめは、暴行・脅迫要件のハードルが高すぎて、立件されない事件が多すぎたことである。 まず、1つ目であるが、親告罪であること自体、被害者に二次被害を与えていた。被害者は、警察に相談に行くことだけでも相当な勇気を振り絞っている。そして、警察に行きさえすれば、後は警察が捜査してくれて犯人は逮捕され、裁判になると信じている。しかし、警察や検察で「事件にするかどうか自分で決めて」と言われてしまう。このことは、被害者にとって苦痛以外の何者でもない。そこで、加害者からの逆恨みを恐れ、告訴を断念した被害者も多い。 また、ほとんどの刑事弁護人が被害者に対し、「告訴を取り下げるなら被害弁償を支払う」と持ち掛けるし、「告訴を取り下げないなら、被害弁償はしない」とか「今ならそれなりの金額を支払うけど、起訴されたら金額は下がる」などという交渉をする。すると、被害に遭って心身ともに疲弊し、仕事やアルバイトができなくなって経済的に困窮した被害者は、泣く泣く告訴を取り下げて示談金を受け取るしかなかった。本来であれば、罪を犯した者は刑事責任を負い、損害賠償という民事上の責任を負うのが当然である。ところが、強姦罪などは親告罪であったがために、被害者は刑事か民事かという二者択一を迫られ、それ自体が二次被害となり、被害回復に多大な悪影響を及ぼしていた。 しかし、今回の改正によって非親告罪となったことから、被害者の負担はかなり軽減されると思われる。今までの刑罰は軽すぎた 2つ目の問題は、強姦罪の下限が懲役3年であり、強制わいせつ罪の下限が懲役6月であるなど、法定刑の下限が極めて低かったことである。これまで、強姦罪は強盗罪とよく比較され、暴行・脅迫により犯行を抑圧され財物を奪う強盗と、性的自由を奪われる強姦とで、なぜ強姦の方が刑が軽いのかなどと批判されてきた。 また、法定刑の下限が低いことから、検察官の求刑も低めであり、そのために執行猶予付き判決が出やすかったという現実もあった。特に、肛門性交や口腔性交などの悪質な犯行態様でも、これまでは強制わいせつ罪にしかならなかったことから、法定刑の下限は6カ月であり、前科がない場合はほぼ執行猶予判決になるという極めて理不尽な結果に終わっていた。性犯罪被害に遭うと、被害者は学校や会社に行けなくなってやめてしまったり、異性と交際できなくなり結婚を諦めたりする人が多く、被害結果は極めて重大である。それにもかかわらず、被告人が執行猶予判決を受けることは、被害者にとっては無罪放免に他ならない。そのことが司法に対する不信感となり、被害回復を阻害していた。 しかし、今回の改正により、強制わいせつ罪でしか処罰されなかった肛門性交や口腔性交が従来の強姦罪と同様の強制性交等罪とされ、刑の下限が懲役5年に引き上げられたことで、強制性交等罪では基本的に実刑となることから被害者救済に資するようになる。また、性犯罪を犯すと刑務所行き、ということが国民意識として定着すれば、抑止力も期待できる。 3つ目の問題点は、「暴行・脅迫」要件のハードルが極めて高いことである。被害者が問題としているさまざまな論点の中で、おそらく最も問題視されている点であるのに、今回の改正から外れたことは極めて遺憾である。 強姦罪・強制わいせつ罪などの「暴行又は脅迫を用いて」は、「被害者の反抗を著しく困難ならしめる程度」であることが必要というのが判例である。そのため、検察官が不起訴にする事件は非常に多く、検察官が相当絞って起訴しているのに無罪判決が出ることも少なくない。 この「暴行・脅迫」要件は、加害者側の「合意があったと思った」との弁解とも関連する。具体的な事例を紹介すると、まず被害者が行きずりの被害に遭った場合、加害者が被害者に殴る蹴るの暴行を加えたり、刃物を突き付けたりすれば、「暴行・脅迫」は認められやすいが、そこまでいかないケースが圧倒的に多い。現実問題として抵抗できない 例えば、人気のない夜道でいきなり声をかけられたり腕をつかまれたりすると、普通の女の子は驚きと恐怖で固まり、声も出ない。よほど訓練を受けた人か、日ごろからイメージトレーニングをしている人でない限り、逃げたり抵抗したりできない。まさに「反抗を著しく困難にされた状態」である。しかし、取調べや裁判では、「なぜ大声を出さなかったのか」「通りかかった人がいたのに助けを求めなかったのか」などと聞かれ、それをもって合意の証であると言い張る加害者もたくさんいる。 しかし、そのような目に遭った人が誰かに助けを求めることはまず不可能である。仮に助けを求めたとして、その人が助けてくれる保証はない。特に都会では、面倒なことに巻き込まれたくないと思い、その場を立ち去る人が多いのではないか。また、助けを求めたけど、その人に聞こえなかった場合、加害者が激昂して殺されるかもしれない、という恐怖心を抱くのは当然である。相手は行きずりで強姦してくるような人間なのだから。 さらに、被害者は服を脱がされていたりするから、恥ずかしくて助けを求めることができないということもある。それをもって助けを求められるのに黙っていた、だから加害者が合意と思っても仕方ない、よって立件できないなどというケースが非常に多い。これはあまりにも被害者の置かれた立場を顧みない残酷な実情である。 また、夜の時間帯だと、お酒が入っていることも多いので判断力が鈍っており、何が起こったのか分からずにあぜんとしていたら服を脱がされ、抵抗しようにも力が入らなかった。泥酔ではなく意識はあるので、準強姦罪にもならないといったケースも多い。 次に、被害者と加害者が顔見知りだった場合は、立件のハードルはより高くなる。特に難しいのは、上司と部下、先輩と後輩のようなそもそも被害者と加害者の立場が上下関係にあるような場合である。日ごろからパワハラを受けている上司から、仕事の話があると言って呼び出されると、被害者は上司が怖いので、その時点で萎縮している。仕事を失いたくないので上司に迎合せざるを得ない面もある。一度誘いを断ったら、翌日から仕事で嫌がらせを受け、職場にいられなくなったという人もいる。家計が苦しいため、絶対に仕事は辞められないと思い、泣く泣く上司からの求めに応じ続けていたという女性もいた。被害者が救われない現実 このような立場の女性は上司から仕事名目で呼び出され、2人きりになることを余儀なくされて迫られると、応じなければクビになると考える。その場面の写真や動画を取られていれば、「逆らえばネットにばらまかれるかもしれない」とおびえる。そのことが犯行を著しく困難にされた状態といえる。しかし、性体験がある大人の女性の場合、性行為を強要されると、「早く終わってほしい」という強い気持ちから、加害者が早く射精するように協力したり、せめて妊娠だけは避けたいと思って「避妊してほしい」と頼んだりする。それをもって合意と主張されてしまうことも多いが、合意ではなく、最悪の結果を避けるための苦肉に過ぎない。学校や部活の先輩・後輩の関係にある場合も、同じようなことが起きやすい。  以上のようなケースが何の罪にも問われないのは極めて理不尽である。したがって、被害の実情に即し、暴行・脅迫要件を緩和するとか、現在の強制性交等罪よりも暴行・脅迫の程度が弱い罪を創設することが必要である。そうしなければ、性的被害に遭っている多くの人々は全く救われない。この点は、性犯罪被害に関するさまざまな団体・個人から強い要望が出ていたにもかかわらず、先日の国会ではほとんど議論もされずに終わってしまった。今回の法改正で、最も残念な点である。 次に、今回議論の俎上に上らなかったが、性犯罪に関し、緊急に解決すべき課題について述べる。 まず、盗撮規制が必要である。現在、盗撮は各都道府県条例の迷惑防止条例で一定の規制があるに過ぎないことから、次のような問題が生じている。 今や性犯罪と盗撮はセットであるといっても過言ではなく、性犯罪の場面を動画や写メで撮られていることが非常に多い。被害者にとっては性犯罪に遭ったこと自体の被害はもちろん、その写真や動画があることに著しい不安を抱く。警察が画像を削除しても、他にコピーがあるのではないか、既に知らないサイトに流れているのではないかなど、一生不安を抱き続けることになる。その不安が解消されない被害者は、別人になろうとして、髪形や髪の色を変えたり、これまでとは違うファッションをしたりする。これでは自分らしく生きることはできない。つまり、盗撮は直接性的自由を奪う犯罪よりもダメージが大きいともいえる。ネットに流される恐怖 例えば、オイルマッサージ店を経営する男が複数の女性客に対して次々と強姦罪などを犯し、5件が起訴された事件がある。この男は犯行状況をビデオで撮影しており、検察側が任意提出するように促しても拒否した。そこで、裁判所が提出命令を出し、最高裁まで争ってようやく原本が没収された。また、刑事事件でも、ビデオ原本を没収する判決が言い渡されたが、これを被告人は争い、現在もまだ確定していない。 この事件は、性犯罪行為の撮影自体を禁止する法律がないことから生じた不都合である。提出命令や没収判決で対応できるが、あまりにも時間がかかり過ぎる。被害者はそうする間にも、ネットに流されるのではないか、という恐怖心にさいなまれ、刑事事件が終わっても気持ちが安らぐことがない。 また、都道府県条例に盗撮規制があるが、「公共の乗り物、場所」での盗撮しか規制されない条例も多く、私的領域の他、駅のトイレや会社の更衣室の着替えの盗撮などが野放しになっている例が多い。例えば、会社内のトイレの盗撮の場合、条例で規制できないと建造物侵入罪の成否のみ問題となる。建造物侵入罪の被害者は建物の管理者だから、盗撮された人は被害者にもなれないのである。 そもそも都道府県条例は、市民生活の平穏を守るという風紀を保つ観点から定められたものであり、個人の性的自由を守るものではない。誰もがスマートフォンを持つ時代になり、SNSが発達した現代では、盗撮は容易である一方、インターネットに流れると被害回復はほぼ絶望的である。 以上のように、盗撮行為自体を犯罪とする法律の制定が急務といえる。 次に、性犯罪の起訴状に被害者の名前を載せていいのかという問題がある。刑事訴訟法には、起訴状にはできる限り罪となるべき事実を特定しなければならない旨記載されている。しかし、被害者の名前が必要とは書かれていないことから、起訴状で被害者の匿名が認められた時期もあった。しかし、平成28年6月、強制わいせつ致傷罪の被害者が匿名とされた起訴状について、「実名を記載することで具体的な支障は生じない」として、訴訟手続に法令違反があったと断じた判決が出た後は、起訴状の匿名はほとんど認められなくなったようである。 特に通りすがりの犯行の場合、加害者は被害者の名前を知らないことが多い。被害者は加害者に刑務所に行ってほしいと願うが、自分の名前は絶対知られたくないのが当然である。名前が分かれば、今はFacebookなどで、どこに住んでいるか、結婚しているのか、子どもがいるのかなどの個人情報が簡単に分かる。被害者はSNSをやめろ、というのは時代に即さない。もともと加害者は被害者の名前を知らないのに、司法が被害者の名前を犯人に教えるようなことは許されないはずである。起訴状の匿名は条文に反しないのだから、原則として匿名にする運用を徹底するか、明文化するのか真剣に検討すべきである。

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    性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ

    ければ、犯罪は実行されないと考えるわけだ。 3月に起きた千葉県松戸市のベトナム国籍の女児が殺害された事件で、逮捕、起訴されたのは被害者が通っていた小学校の保護者会会長だった。この会長は、ほぼ毎日通学路で見守り活動をしていたため、保護者は「もうだれも信じられない」と嘆き、住民ボランティアは「ニコニコしながら子供に声をかけられない」と戸惑いを隠しきれなかったという。しかし、この苦悩は、間違った防犯対策による当然の帰結であり、正反対の方向に舵(かじ)を切りさえすれば、すんなりと消えてなくなるものである。 結論から言えば、注意すべき対象を人から場所(景色)へ移動すれば、問題は解決する。詳しく解説しよう。 犯罪機会論では「機会なければ犯罪なし」と考える。犯罪は、犯行の動機があるだけでは起こらず、動機を抱えた人が犯罪の機会に出合ったときに初めて起こる。それはまるで、体にたまった静電気(動機)が金属(機会)に近づくと、火花放電(犯罪)が起こるようなものだ。 海外では、犯罪原因論が犯罪者の改善更生を担当し、犯罪機会論が防犯(犯罪の未然防止)を担当している。ところが日本では、犯罪機会論は全くと言っていいほど知られていない。そのため、防犯への関心を高めた人たちが飛びついたのが犯罪原因論だった。もちろん、その人たちが犯罪原因論を意識していたわけではないが、「なぜあの人が」を連発するマスコミの影響を受けて、自然と犯罪者という「人」に目が向いたのだ。殺害されたベトナム国籍の女児が通っていた小学校正門付近にかけられた、不審者への注意を促す看板=3月27日午後、千葉県松戸市(川口良介撮影) しかし、防犯の分野では、まだ犯罪が起きていない以上、犯罪者も存在しない。したがって、「犯罪者」という言葉も使えない。そこで、苦し紛れに登場させたのが「不審者」という言葉である。 本来、犯罪対策にとっては、「事後」に登場するはずの犯罪原因論が、そのまま「事前」に持ち込まれてしまったために、事前の世界にも、犯罪者が姿を変えて、不審者として現れたわけだ。こうして、海外では使われることのない不審者という言葉が、日本では、誰もが知っていて当たり前に使われるようになったのである。外見だけで犯人特定はムリ 今でも家庭や学校では、「怪しい人に気をつけて」「知らない人にはついていかない」というように、子供たちを「人」に注目させている。しかし、こうした教え方では、「親切そうな人」「知っている人」が犯す誘拐は防げない。 私は時々、小学校で授業を行っているが、子供たちに「どんな人が不審者なのか」と聞くと、「サングラスやマスクをしている人」という答えが返ってくる。しかし、そうした姿の誘拐犯は聞いたことがない。こんな教育をしているから、子供は「サングラスやマスクをしていない人」についていく。実際、宮崎勤事件も、神戸連続児童殺傷事件も、奈良女児誘拐殺害事件も、だまされて連れ去られたケースだ。結局、外見だけでは、犯罪をたくらむ者を特定するのは不可能に近い。 それでも、無理やり不審者を探そうとすれば、平均的な日本人と外見上の特徴が異なる人を不審者とみなすことになる。過去にも、外国人、ホームレス、知的障害者が不審者扱いされ、人権が脅かされることがあった。ベトナム国籍女児遺体遺棄事件を受けて、保護者に付き添われ、集団登校する児童=4月17日、千葉県松戸市 さらに、疑心暗鬼になればなるほど誰でも怪しく見えてきて、子供たちは人間不信に陥る。子供は大人を怖がり、大人から離れていき、助けてくれる大人も拒否するようになる。一方、地域住民も自分が不審者扱いされたくないので、子供から離れていき、見て見ぬふりをするようになる。 このように、「人」に注意するやり方は、防犯面での教育効果がないだけでなく、地域の絆を切断し、犯罪者に狙われやすい環境を作り出してしまう。要するに、防犯の分野に犯罪原因論を持ち込んだ「ボタンのかけ違い」は、「百害あって一利なし」なのだ。 これに対し、犯罪機会論は「人」には興味を持たない。犯罪者が「知っている人」だろうが、誰だろうが、犯行パターンには共通点があり、その共通点を抽出することに犯罪機会論は興味を示す。 その共通点を一言で表すと、犯罪者は景色を見て、そこが「入りやすく見えにくい場所」だと判断すれば犯行を始めるが、そこが「入りにくく見えやすい場所」だと判断すれば犯行をあきらめる、ということだ。 「入りやすい場所」とは、だれもが簡単にターゲットに近づけて、そこから簡単に出られる場所である。そこなら、怪しまれずに近づくことができ、すぐに逃げることもできる。「見えにくい場所」とは、だれの目から見ても、そこでの様子をつかむことが難しい場所である。そこでは、余裕綽々(しゃくしゃく)で犯行を準備することができ、犯行そのものも目撃されない可能性が高い。子供がだまされないで済むには 住民によるパトロールというと、とかく不審者の発見を目的にしがちだが、それは有害無益と言わざるを得ない。そこで海外では、犯罪が起こりやすい場所を重点的に回る「ホットスポット・パトロール」が一般的である。ホットスポットとは、実質的には「入りやすく見えにくい場所」のことだ。残念ながら、日本でホットスポット・パトロールを実施している地域は1割にも満たない。 集団登下校やスクールバスの導入、あるいは防犯カメラの設置を提案する動きもある。しかし、子供が外にいる時間は、登下校時間の数倍に及ぶ。公園や塾の行き帰りの安全は、どう確保しようというのか。 防犯カメラにしても、犯罪機会論に基づくシミュレーションを前提にしなければ、犯人の検挙には役立っても、犯罪を未然に防止することは難しい。現状では、防犯カメラと言いながら、その実態は捜査カメラに過ぎない。 やはり、防犯対策の「1丁目1番地」は、子供が1人になったとしても、自分で自分の身を守れるようにすることだ。子供の性的誘拐のほとんどが、だまされたケースであることを考えると、最優先課題は「だまされないための教育」である。 では、どうすれば、だまされないで済むのか。人はウソをつくから、人を見ていてはだまされてしまう。だまされないためには、ウソをつかないものを見るしかない。それが景色である。景色は絶対に子供をだまさない。 私は、景色が放つメッセージを感受する力、言い換えれば、景色に潜む危険性を見抜く力を「景色解読力」と呼んでいる。景色解読力を高めれば、危険を予測して回避することが可能になる。景色に注意するだけで、人には注意しないので、地域の人間関係を損なうこともない。 では、どうすれば景色解読力を高めることができるのか。その簡単な方法が「地域安全マップ」づくりだ。地域安全マップとは、犯罪が起こりやすい場所を風景写真を使って解説した地図である。具体的に言えば、(だれもが/犯人も)「入りやすい場所」と(だれからも/犯行が)「見えにくい場所」を洗い出したものが地域安全マップだ。 ここで注意しなければならないのは、マップづくりとはいうものの、実際には能力の向上という「人づくり」であって、正確な地図の作製という「物づくり」ではない、ということだ。なぜなら、犯罪者は地図を見ながら犯行場所を探しているのではなく、景色を見ながら犯行を始めるかどうかを決めているからである。それは子供たちにとっても同じこと。地図を見ながら学校や友達の家に行ったりはしていないが、景色はいつも見ている。つまり、安全と危険は、地図の中ではなく、景色の中で判断すべきものなのだ。 景色を見ながら、安全と危険のポイントを解説した「写真集」として、『写真でわかる世界の防犯-遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)があるので、ぜひ参考にしていただきたい。そうした知的チャレンジを通して、通学路だろうが初めての場所だろうが、どこに行っても、景色からのメッセージをキャッチし、注意モードをオンにする景色解読力を高めてほしい。

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    性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力

    原田隆之(筑波大教授) 「小児性犯罪を減らす、たった一つの方法」。千葉県松戸市の女児殺害事件を踏まえ、フェイスブックで発信されたこの提案が議論を呼んでいる。提案したのは、子育て支援などに取り組むNPO法人「フローレンス」代表理事で、全国小規模保育協議会理事長を務める駒崎弘樹氏だ。一つの方法とは「子どもに関わる教師や保育士の採用時、またPTA等のボランティア参加時において、性犯罪歴をチェックできる仕組み」をつくることだという。 これに対し、子供を持つある父親が駒崎氏の提案に懐疑的なコメントを寄せた。その理由として、教育関係者による性虐待は全体の1%もないこと(大半は父親によるものである)、教育関係者への不要な疑念を増大させるだけであること、現状でも禁錮刑以上に処せられた者は教職に就けないこと、などを挙げている。私もこの意見に概(おおむ)ね賛同している。レェ・ティ・ニャット・リンさんの遺体が発見された現場で花を手向ける男性=千葉県我孫子市 両者とも子供を残虐な犯罪から守りたいという熱意による意見であり、その目的では一致しているが、対策の有効性に関しては見解が分かれている。また、類似の事件が起きるたびに、怒りや不安からヒステリックで過剰な反応を求める声が起きることはこれまでも度々経験してきたことだ。 このように性犯罪をめぐっては、われわれはとかく感情的、過剰防衛的になりやすく、そのせいで多くの事実とは異なる見解がまかり通っているのも事実だ。その例として、「性犯罪者は再犯率が高い」「性犯罪が増加している」という指摘は、事件が起きるたびにメディアでも繰り返される論調で、これはどちらも事実に反している。 犯罪白書によれば、性犯罪者の同種事件の再犯率は約5%であり、これは窃盗や薬物事犯など他の罪種と比べると「相当に低い」と法務省は述べている。また、刑務所の統計を見ると、刑務所収容人口のなかで、性犯罪者が占める割合は何年もの間一貫して約3%であり、増加しているという事実はない。 もちろん、どれだけ数が少なく、再犯率が低くても被害者や社会に与える影響は計り知れないほど重大で、性犯罪対策は重要な社会的課題でることは間違いない。しかし、だからこそ過度に感情的になったり不安を煽(あお)ったりすることは慎むべきで、どのような対策を講じるべきか冷静に議論すべきであろう。人権上問題も多い米国の対策 いずれにしても、子供を犯罪から守ることは社会の責務であり、それは性犯罪であってもそれ以外の犯罪であっても同じである。しかし、ここで重要なことは、私がたびたび主張していることであるが、「その対処に効果があるのか」という点について、冷静に科学的な視点から考慮したうえで判断すべきだということである。 つまり、科学的エビデンスに基づいた真に効果のある対処を講じなければ意味がない。感情的に反発することは、一時的に溜飲(りゅういん)を下げることには効果があっても、本当に大事な「犯罪予防」には効果がないことが多い。 そこで、一般的な性犯罪を例に取れば、世界的に見てもさまざまな対策が講じられている。駒崎氏が提案するように性犯罪者を登録しチェックする仕組みのほか、GPSによる電子監視、刑務所出所後も病院に監禁する民事拘禁などが代表的なものだ。 性犯罪者の登録について、アメリカの例を見てみると、子供を対象とした性犯罪が起きたことを契機に、1996年に性犯罪者を登録し公開する法律が施行され、それは被害者の名前を取って通称「メーガン法」と呼ばれている。 この年までに全米で数十万人の性犯罪者が登録されているが、その効果には大きな疑問が寄せられている。コネチカット州の矯正当局は、メーガン法の効果を検証した結果、法施行の前後で再犯率にも被害者数にも有意な変化が見られなかったことから、法には何の効果もなかったと結論づけている。 さらに、実際的な問題として、制度の実行は州単位であるため、別の州に移動して犯罪に至るようなケースではチェック機能が働かず、このような「犯罪の転移」を防ぐことはできないという問題なども指摘されている。 GPSによる電子監視についても、その効果は疑問だ。電子監視が犯罪抑制に及ぼす効果を膨大なデータを基に検証した研究者は、「現存するデータでは、電子監視が犯罪を抑制するツールとなることは支持されなかった」としている。 また、民事拘禁は最も極端な手段であり、人権上の懸念も大きい。カリフォルニア州では、刑務所の刑期が終了した後も、複数のメンタルヘルスの専門家によって再犯の危険が残っていると診断された場合、州立病院に「拘禁」することが可能となっている。※写真はイメージ 私もこの「病院」を訪問したことがあるが、病院とは名ばかりで、高い塀と鉄格子、高圧電流の電線で囲まれた重警備刑務所そのものであった。拘禁されている間は、当然再犯に至ることはなく、その効果は確実である。 しかも、大多数の者は事実上、一生涯釈放されることはない。ただし、その経済的コストは膨大で、カリフォルニアでの民事拘禁のための年間総予算は4200万ドル(約42億円)、年間1人当たり20万ドル(約2千万円)かかるとのことである。性犯罪を減らすたった一つの方法 このように見ると、どの対策にも効果がなかったり、コストが膨大であったりすることに加え、人権上の問題もあり、現実的な対策とは言い難い。しかし、悲観するのはまだ早い。ここで再び、膨大な研究データに目をやると、一つだけ確実に効果のある方法がある。 それは「性犯罪を減らすたった一つの方法」の正解であり、つまり「性犯罪者治療」である。具体的には、「認知行動療法」と呼ばれる心理療法や薬物療法がある。前者は、強い性衝動が起きた際にそれをコントロールするスキルを教えたり、女性に対する歪んだ認知を修正したりする。後者は、男性ホルモンの作用を抑制する薬物を投与する。 ケンブリッジ大学のレーゼル教授らの研究によると、これらの治療を受けた性犯罪者の再犯率は、治療を受けていない者に比べると、半分程度になったという。要は50%抑制されたということである。特に、心理的な認知行動療法というアプローチの効果が大きいという。 わが国でも2006年から刑務所で「性犯罪者再犯防止プログラム」が実施され、私もその開発に携わった1人であるが、その効果について法務省は一定の再犯抑制効果があったことを発表している。府中刑務所=東京都府中市晴見町 また、私は民間の精神科クリニックにおいて、性犯罪者の外来治療を行っているが、これまで400人近い人々が治療を受けている。そのほとんどは痴漢や盗撮を行った者であるが、強姦や強制わいせつ、小児性愛などに関わった者もいる。治療成績としては、これまでのところ再犯率は約3%程度である。彼らは受診する前は、再犯を繰り返し、いわば再犯率100%の者たちであるから、その効果は歴然としている。 さらに、われわれの研究グループは性犯罪者の「再犯リスク」を査定するチェックリストも開発し、それはわずか10項目の質問で80%近い正確さで再犯リスクを予測することができる。これを用いれば、まだ軽微な問題行動であるうちに、将来のリスクを予測することができ、ここで適切な治療を行えば、重大な性犯罪へと発展するのを予防することも可能である。 このように、今や科学の力、心理学の力を用いれば、社会的な病気ともいえる犯罪を効果的に「治療」することができる時代となった。もちろん、どんな病気もそうであるように、100%の効果というものは現実問題として不可能である。しかし、一時的な感情で効果のない方法に頼るよりは、よほど賢明であることは言を俟(ま)たない。 被害者の感情などを考慮すれば、今回の性犯罪に関する刑法が大幅改正されたことの意義は大きい。ただ、性犯罪の抑止については厳罰化だけではなく、心理療法や薬物療法といった手法を組み合わせることによって、さらなる効果を生み出すだろう。

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    なぜASKAは再び覚醒剤を使ってしまったのか

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 違法薬物を使うなど、とても愚かなことだと人々は思う。ましてや社会的に成功した人が、そんな悪いことをするなど常識的に考えられないと思う。しかし実際は、社会的成功者たちが次々と違法薬物で逮捕される。しかも、繰り返し。 2年前、CHAGE and ASKAのASKAが逮捕された時は衝撃的だった。判決は懲役3年、執行猶予4年の有罪判決。その執行猶予中に今回の逮捕は起きた。報道によれば、尿から覚醒剤反応が出ているという。普通なら、せめて執行猶予中は静かにするものなのに。多くの人が彼を支え、仕事も再開しようとしていたのに。だが、覚醒剤犯罪の再犯率は7割。彼もその一人になってしまったのだろうか。 人はなぜ薬物犯罪を繰り返すのか、容疑が事実とすれば、ASKAはなぜまた覚醒剤を使ってしまったのだろうか。2014年8月28日、ASKA被告(本名・宮崎重明)初公判で傍聴券抽選の整理券(リストバンド)を求めて並ぶ人々=午前、東京・日比谷公園(撮影・古厩正樹) 前回の逮捕、判決時、ASKAは深い反省を示していた。覚醒剤をやめたいし、やめなければならない。しかし、自分の意志だけではできない。医師の力を借りて、しっかり薬をやめたい。そうASKAは語った。見事な、模範的発言だ。妻も、しっかり夫を支えると語っている。多くの仕事関係者、ファンの支援も期待できた。病院にも入院し、自助グループにも入った。しかし、彼は再び逮捕された。 判決時、ASKAがどのような本心を持っていたのかはわからない。だが、この模範的すぎる発言は、あるいは用意されたものだったのかもしれない。あるいはウソではなかったが、表面的だったのかもしれない。たしかに、薬物使用は本人の意志の力だけでは治らない。意志の力で熱を下げたり、下痢を止められないのと同じだ。 薬物依存者は、自分の無力さを知り、だからこそ医療や自助グループの力を借りなければならない。意志の力だけでは無理なのだ。だが、治したいという強い動機づけは必要だ。ASKAには、どの程度の本気があったのだろうか。 入院したASKAは、優れた治療を受けている。規則正しい生活を送り、体力も取り戻した。薬物依存症者によると、薬物をやめること自体はそれほど難しくはないと言う。入院したり、逮捕されたりすれば、薬はやめられると。しかし、薬を生涯にわたってやめ続けることは、至難の技だと言う。 ASKAは薬物依存症更生施設のDARC(ダルク)にも入っている。ダルクのクリスマスパーティで「SAY YES」を熱唱したなどとも報道された。この報道は、頑張っているASKAに対する好意的報道だろう。薬物乱用を行う2つのタイプの人 だが、有名人が自助グループで良い体験をしていくことは簡単ではないだろう。本来なら、社長でも金持ちでも、他の人と同じように一人の依存症患者として人々と交流していくことが必要だ。しかし、みんなに知られている有名人は、それが難しい。持ち歌の熱唱も、それで本人もみんなが元気になるなら大変結構だが、結局普通の人としてはいられなかったとも言えるだろう。 ASKAは、その後音楽活動やネットでの発言を再開する。しかし、ネットでの発言内容は、何の根拠もないのに盗撮・盗聴されているといった内容だ。スマホやパソコンのパスワードが遠隔操作によって変更させられたとも語っている。彼は専門業者を呼び、盗聴器の有無を調べさせてもいるが、何も見つかっていない。常識的には妄想である。パスワードの件も、薬による記憶障害のためかもしれない。 これが、新たに薬物を使用し始めたせいなのか、以前の薬の影響なのかは断言できない。しかし、明らかにASKAは健康で正常な判断力を失っていた。本来なら、そんな発言は相手にされないだろう。だが、有名人の発言は一定の影響力を持ってしまう。マスコミ関係者なども、あまりむげに扱わず丁寧に接してきたようだ。 彼は、自分の信念を出版しようとしたようである。さすがにこの内容が出版されることはなかったが、やはり有名人として丁重な扱いをされたようである。本来なら、もっと早い段階で治療が開始されるべきだったろう。彼の妄想的言動は、止められるべきだったろう。有名人であることが、それを邪魔したのかもしれない。 薬物乱用を行う人には、2つのタイプがある。一つは、刺激を求めるタイプである。自動車の暴走運転のような刺激を求める人が薬物に手を出すこともある。もう一つのタイプが、正反対の真面目なタイプである。真面目だからこそ悩み、心理的に追い詰められ、薬物を使ってしまう。本当に孤独になっては立ち直れない 芸能人は、一見派手な生活をしているように見えるが、神経質で真面目なタイプの人は多い。浮き沈みの激しい生活で、ストレスもたまるだろう。 依存症者たちは、なかなか自分が依存症だとは認めない。アルコール依存症者も、酒なんていつでもやめられると語る。自分が依存症だと認めなければ、治療は進まない。強制的に酒を取り上げても、また自由になれば酒を飲むだろう。 自分は依存症だと知り、回復への強い動機を保つためには、どん底に落ちる必要もある。どん底に落ちたことで、初めて自分が依存であると深く理解し、人生をやり直す意欲も湧く。11月30日、東京湾岸署を出るASKA容疑者(桐山弘太撮影) しかし、有名人はたとえ逮捕されてもどん底には落ちないこともある。激しい非難は受けるものの、すでに多くの資産を持ち、逮捕されても応援してくれるファンもいる。芸能界であれば、数年で仕事復帰ができることもある。こうしてどん底に落ちないことによって、かえって更生が難しくなり、再び薬物に手を出すこともある。 一度は薬をやめた人々が、薬物の誘惑に負け、一度ぐらいなら、少しだけなら良いだろうと思い、また薬物の地獄へ落ちていく。 さらに、1度目の逮捕の時には支えてくれた家族や仕事仲間も、2度目の逮捕となると離れていく場合も多い。支えようと努力していた人々は、裏切られたと傷つき怒り、去っていく。その結果、実刑を受けて刑務所から出てきた彼には仕事も家族もなく、再び生活が荒れて薬物に手を出し、3度目の逮捕となるケースも少なくない。 薬物依存症者の更生のためには、どん底に落ちたと感じさせることが必要だろう。関係者が心を鬼にする必要もあるだろう。しかし、本当に孤独になっては立ち直れない。犯罪者、裏切り者と罵るのではなく、被害者であり、依存症の患者として治療と支援をしていくことも大切だ。 欧米諸国では、薬物を販売する人は犯罪者だが、薬物の使用者は患者として見ようと考え始めている。有名人の薬物使用、再度の逮捕は、社会的に大きなインパクトを与える。だからこそ、正しい社会の見方と、関係者全員による適切な支援が求められている。

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    ASKAは「極悪人」ではない 彼の過ちより罪が重い断薬治療の失敗

    原田隆之(目白大学教授) ASKAさんが再度逮捕された。執行猶予中の逮捕であるので、実刑は免れないだろう。しかも前回の懲役3年の刑と今回科せられる刑と合わせて、いわゆる「2刑持ち」での受刑となるので、5年近くは刑務所に入る可能性が大きい。 逮捕時のエピソードによると、彼は「盗聴・盗撮されている」という「被害」を訴えて、自分で通報したということである。こうした主張は以前から見られたようで、覚醒剤精神病による幻覚妄想状態にあったことが推察される。盗聴・盗撮されているというのは、覚醒剤による妄想としてはありふれたものである。 それにしても、メディアの狂乱ぶりには呆れ返るしかない。自宅前にはマスコミ関係者が大挙して押しかけ、生放送ではレポーターが得意げに本人に電話してみせた。さらに、タクシーの運転手は平気でドライブレコーダーの映像を売り渡し、局も平気でそれを垂れ流す。まるで国家転覆を目論んだ極悪人か何かのようで、彼には人権の欠片もないと決めつけ、国を挙げて責め立て貶めているかのような有様だ。捜査員に付き添われて警視庁に向かうASKA容疑者(右)=11月28日、東京都目黒区 そしてそこで繰り返されるのは、「なぜ彼はまたも過ちを繰り返してしまったのか」という問いである。一時は日本の芸能界の頂点を極めたトップスターであり、当時ほどの勢いはないとしても、今なお多くのファンがいる大物ミュージシャンである彼が、どうしてすべてを無にしてしまうような愚行を繰り返すのだろうか。 何も失うものがない人間ならば、再犯に至ってもそれはある程度理解できるかもしれないが、支えてくれる家族がいて、まだ辛うじて仕事も社会的な地位もある人間が、なぜあえてそれを失うような真似をするのだろう。 答えは簡単である。それは覚醒剤だからだ。彼が乱用したのは覚醒剤であって、覚醒剤はそのような薬だ。あらゆる違法薬物の中でも、トップクラスの依存性を有し、一度使ってしまっただけでも、「脳が作り替えられる」くらいの破壊的な作用を有するのが、覚醒剤という薬物である。 脳には大脳辺縁系という部位があるが、覚醒剤を使うとそこに強力な「快感回路」が作られ、覚醒剤を求めて止まない脳になってしまう。したがって、ひとたびこの薬物を使ってしまえば、大物歌手だろうが一般人だろうが、有名だろうが無名だろうが関係なく、覚醒剤依存症になってしまう危険性が大きいのである。理性と本能が喧嘩していたASKA 「やめたい」という気持ちももちろんあっただろうが、それは理性の声であり、理性は大脳皮質の前頭前野という比較的新しい部位にその座がある。一方の大脳辺縁系は本能に近い部位である。理性と本能が喧嘩をしても、たいていは本能が勝ってしまう。このように、覚醒剤依存症という「脳の病気」は、理性や意志の力では到底太刀打ちできないのである。 さらに、彼の過ちを説明するもう1つの答えがある。それは「選択」である。前回の裁判でASKAさんは、一緒に薬を乱用して逮捕された女性に対する未練を滲ませていた。「全力で支えます」と言ってくれた妻がいるのに、何と厚顔無恥なと、呆れた方もいたかもしれない。 しかし、彼が口にした未練は、当の女性に向かっている以上に、「薬と別れたくない」と言っていたのと同じである。薬物をやめるために一番の障害になるのは、薬物仲間である。そのほか、当時の記憶と結び付いている場所や状況から悉く距離を置き、新たなライフスタイルを作り直していく選択をしなければならない。 彼がその後その女性と別れたかどうかは知らないが、少なくともこの期に及んでも未練たらたらであった様子から判断するに、薬物に纏わるすべてときっぱりと訣別する選択ができなかったのであろう。 また、本人のブログでは再び楽曲を作るなどして復帰に向けて音楽活動に勤しむ様子が綴られていた。しかし、過去に音楽に行き詰って薬物に頼ってしまっていたのに、このように断薬から間もない時期に以前と同じ状況に身を置くことは賢明な選択ではない。 彼が世間から忘れられてしまった歌手であれば、音楽の道もきっぱり捨てることができたであろうが、まだたくさんのファンがおり、復帰を待ち望まれていたからこそ大きな落とし穴が待ち構えている音楽の道に戻るという誤った選択をしてしまったのだろう。 一生とは言わない。せめて治療が軌道に乗るまでは、しばらくは治療に専念すべきだった。そして最大の選択の誤りは、その治療に関するものであった。彼はあまりにも早期に治療から離れてしまった。ASKA容疑者の自宅から押収物を運び出す捜査員=11月29日、東京都目黒区 執行猶予になった後、一時的に専門病院に入院をしたが、その後ほどなくしてその病院を退院し、いくつかの薬物依存治療施設に入所したという。今年になって妄想状態が再燃したときも、短期的に医療保護入院していた。 現在はほぼ月1回の通院しかしていなかったそうだが、これでは治療をしていないのも同じである。幻覚妄想状態の治療は、長い依存症の治療では最初のほんの1ステップであって、それが収まったからといって治療をやめてはいけない。通常、薬物の作用による幻覚妄想状態や、断薬に伴う離脱症状(いわゆる禁断症状)が落ち着いたなら入院は不要かもしれない。 しかし、その後通院や自助グループなどへの通所を継続し、日常的に何らかの治療サービスとつながっていることが必須である。 依存の程度にもよるが、覚醒剤依存症の治療は少なくとも数年間は継続する必要がある。なぜなら薬物によってダメージを受けた脳の機能は、最低でも2年の断薬を継続しないと回復には向かわないということがわかっているからだ。「負け」を認めれば救いはある つまり「傷」が回復に向かい始める前に彼は早々と治療から離れてしまったのである。これは明らかに時期尚早で誤った選択であった。 さらに、真っ当な治療者であれば治療中の「失敗」(つまりは薬物再使用)は最初から織り込み済みである。通常完全に断薬できるまでには、数回の失敗をするものだ。褒められたものではもちろんないが、このような失敗を繰り返しながら、そこから学びを深め薬物依存克服への道を歩むのである。だからきちんと治療につながってさえいれば、治療者は、治療中の失敗を「再犯」とは見なさず、一層強力な治療の継続を勧めただろう。 なぜ早期の治療終結という誤った選択をしてしまったのか。半分以上はそれを許してしまった治療者側の責任である。そしてASKAさんの側に問題があったとすれば、想像でしかないが、彼の「大スター」というアイデンティティが、治療の継続を許さなかったのかもしれない。総合格闘技「ASTRA」で国歌斉唱をしたASKA=2010年4月25日、日本武道館 病院や自助グループでは、周囲から注がれる目がさぞかし気になったことだろう。また、周りの依存症者と自らを比べて「自分は彼らとは違う。自分はスターなのだ」「自分なら自力で薬をやめることができる」などと考えてしまったのかもしれない。 しかし、それでは到底、依存症の克服はできない。逆説的ではあるが「薬の力にはかなわない」「自分一人ではどうにもならない」と「負け」を認めて初めて薬物依存に「勝つ」ためのスタート地点に立てるからである。 今後、裁判所や刑務所で彼が周囲の好奇の目に晒されるであろうことは想像に難くない。これらの場所は彼にとって一般の人以上に居心地が悪い場所となるだろう。しかし、そこでスターでもなく歌手でもなく、過去の栄光やプライドにすがって自分を取り繕うのでもなく、一人の人間としての自分と向き合うことができれば、まだチャンスはいくらでもある。 これですべて終わってしまったわけではない。今度こそ薬物とかかわりのあるすべてを断ち切る選択をし「負け」を認めて救いを求めるとき、そして新しい生き方の選択をするとき、そのとき初めて「再生」への道が開かれるだろう。 最後に一番強調したいことは、再生へと向かう彼を社会はどう受け止めるべきかという点である。これからも事あるごとにメディアで大々的に吊し上げ、非難し、人権侵害をし、好奇の目を注ぎ続けるならば円滑な社会復帰などできるはずもない。変わらないといけないのはASKAさん一人ではない。

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    ASKAの薬物中毒は犯罪か、病気か

    逮捕直前の不可解な言動に、薬物乱用の怖さを感じた人も多いのではないだろうか。大物ミュージシャン、ASKAが覚醒剤使用の疑いで再び逮捕された。むろん、違法薬物の使用は決して許されるものではないが、一方で彼は薬物依存の「患者」という見方もある。私たちは薬物依存症とどう向き合えばいいのか。

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    ASKAが覚醒剤から解放されるためのヒント

    三浦陽二(日本ダルク本部ディレクター) ASKAさんの再逮捕は残念ですが、覚醒剤をやめる努力が足りなかったという一言に尽きると思います。実は私も、かつて覚醒剤を常用し、二度逮捕された経験があります。 私は小学校のころからいじめにあっていました。中学校に入学してもいじめは続き、中学1年の自分の誕生日に「一発逆転を図ってやろう」と思って、十数人と喧嘩したんです。やっぱり勢いというのはすごいもので、その喧嘩に私が勝ってしまい、そのときから自分の居場所が学校の中にできたような気になっていました。日本ダルク本部ディレクターの三浦陽二氏 ただ、虚勢を張らないとまたいじめられてしまうと思い込むようになり、それ以来、酒もタバコもやり始めました。中学2年のときには先輩からシンナーを勧められ、最初のうちは断っていたのですが、「お前は不良のくせにシンナーも吸わないのか」と煽られ、もしこの誘いを断ったら、自分は仲間外れになるんじゃないかと思って吸ったのがシンナー依存の始まりでした。 ある時、朝起きたら少年課のおまわりさんと両親が立っていて、「病院に行くか、警察に行くか」と突然迫られ、そのまま精神病院に入院しました。そのころはシンナーを吸ったままオートバイで出かけたり、家の中で隠れて吸って大きな声を出してバレたこともありましたから、きっとこのままでは危ないと思ったのでしょう。当時を振り返ると、シンナーは毎日吸っていたと思います。中でも、一番よく吸っていたのは、ウェットスーツを補修するためのゴム糊。値段は7~800円で、中くらいの歯磨き粉くらいの大きさだったでしょうか。それを1日1本くらい吸っていました。シンナーを続けていたせいで歯茎がジンジンと痛み、それを止めるために吸うことも多かったと記憶しています。 私の父はボクシングの日本チャンピオンで、母は皮膚科の医師でした。両親は私に期待をかけていましたが、その期待を裏切るようにグレてしまった。中学卒業後は都内の高校に入ったのですが、「お前は勉強ではダメそうだから、ボクシングをやれ」と父から勧められ、ボクシングを始めました。実は私が通った高校には当時、ボクシング部はなかったのですが、父が校長先生にかけあってボクシング部が創設されたんです。ボクシングを始めるようになってからはシンナーをやめていたのですが、高校1年のときに出場した大会の決勝で負けたことがきっかけで部活をやめました。その後は学校に行くふりをしてはシンナーを吸うようになり、やがて退学しました。初めての覚醒剤 モヤモヤした時間を過ごしていたあるとき、友人から「覚醒剤をやったことはある?」と聞かれ、まだやったこともないのに「あるよ」と見栄を張って嘘をついたことがありました。そして、そのまま先輩のところに行って一発3000円で売ってもらったんです。薬の効果は8時間くらい続くのですが、初めて打ったときの快感が忘れられず、3時間後にまた打ってもらいました。毛が逆立ってパワーアップしたような、何でもできるような感覚でした。人気漫画で言うところの、「スーパーサイヤ人」になったような気分です。それからはシンナーを一切やめて、覚醒剤にハマるようになりました。画像はイメージです 1回目の逮捕は20歳のときです。そのころガンマニアの先輩の家で自作の拳銃作りにハマっていたのですが、実はその先輩も覚醒剤の常習者だったんです。最初に先輩のところに警察の内偵が入り、僕もその後逮捕されました。先輩は前科があったので刑務所に行き、僕は裁判で執行猶予がついたのですぐに出てきました。それから覚醒剤はしばらくやめていたのですが、バイク事故を起こしてやけになり、覚醒剤の他にも大麻やコカインなど、いろんな薬物を乱用するようになりました。そのころは「自分は神に近い」などと口走ることも多く、親に再び精神科に連れて行かれて入院しました。  退院後はホテルマンになるための専門学校に入学しました。2年間で卒業する予定だったのですが、1年目にまた覚醒剤を使って逮捕されました。2度目だったこともあり、裁判では執行猶予がつかず1年間服役しました。服役中は「もう二度とやらない」と心に誓ったはずだったのに、そのうち「二度と捕まってたまるか」という考えに変わっていきました。当時、私の周囲にいた人たちは「自分からクスリを買えば安いよ」とか「一緒にやろうよ」と誘ってくる人たちばかり。自分も弱い人間だったので、警察に逮捕されなければいいやという気持ちになっていたんです。 逮捕された時は「やってない」と言い張りました。それは出所した後、信用をなくしてクスリを買えなくなるからです。私は自分が使うために「売人」もやっていたんです。10グラム買って、そのうち5~6グラム分を買ったときよりも高く売るんです。警察に黙っていることで買った先も売った先も守ったというわけです。服役が終わり出所した初日に、また覚醒剤をやりました。私が取り調べで口を割らずにかばった友人たちが出所パーティーを開いてくれて、そのお祝いに覚醒剤を持って来てくれたんです。「俺はこのままで大丈夫なのか?」 出所後は再び専門学校に通い始めたのですが、そのころにはもう28歳になっていて、さすがにもう覚醒剤はやめようと思いました。同年代には出世している人や結婚して家を建てている人もいて、「俺はこのままで大丈夫なのか?」って不安になったんです。でも、覚醒剤をやめることはできませんでした。画像はイメージです 専門学校卒業後、働く予定だった親戚のホテルで働くことができなくなり、先輩と屋台を引く仕事を始めました。休憩中には裏の公園で大麻やコカインを吸うようなことを繰り返していましたが、些細な喧嘩をきっかけに屋台の仕事も辞め、家で過ごすようになりました。ある日、そんな姿を見かねた母親から「ダルクの近藤さんと会いなさい」と言われたんです。ダルク代表の近藤(恒夫)さんは私が逮捕されたとき、裁判にも来てくれていました。親からは何度もダルクに行きなさいと言われ続け、その都度反抗していたのですが、一度会ってさえおけば、うるさく言われなくてすむかなと思い、しぶしぶ会いに行きました。 近藤さんからは「沖縄のダルクで働かないか」と誘われ、そのときは断ったんですが、その後アメリカのシカゴで開催される薬物依存症者の世界大会への参加に誘われたんです。母親からも「近藤さんと一緒に行くならお金を出してあげる」と言われ、そのときは親のカードを使ってやろうという下心もあり、近藤さんと一緒にシカゴへ行きました。当時の私は、ダルクがある種のカルト宗教のようなもので、自分が洗脳されたり、お金を巻き上げられるかもしれないと不審に思っていました。しかし実際、会場に到着すると、世界50数カ国、5万人もの薬物中毒者が集まっていて、「スッゲエな! 日本のヤクザだってこんなにも人を集められないぞ」となぜか心を動かされたんです。 そこでは参加者たちがクスリをやめた期間をお互いに発表し、喜びを分かち合っていました。5万人の参加者のうち、日本人はおそらく10人ほどだったと思いますが、すごく大切にされて、そのとき初めてクスリのことで苦しむ友人ができたような気がしました。クスリをやっていると、約束は守らない、金も返さない、自己中心的になる、喧嘩っ早い、人のことをすぐ疑う、という感じでしたから、仲が良かった友人ともどんどん離れていくんです。それまではクスリってかっこいいと思っていた気持ちもあったんですが、実はクスリをやめたやつの方がかっこいいかもしれないと思えるようになったんです。「クスリをやめることをやめろ」 帰りの飛行機の中でふと近藤さんを見て、この人も同じようにクスリでつかまった経験があるのに、世界中に仲間がいて、本を書いたり、テレビに出演したり、学校で講演までしている。なんでこんなに自分とは違うんだろう、羨ましいなって思ったんです。同時に、私もひょっとしたら真似できるんじゃないかと、帰国後に自分からダルクに行きました。その後、沖縄にダルクをつくるということでオープニングスタッフとして赴任し、18年ほど務めて現在は日本ダルクの広報を担当しています。日本ダルク本部ディレクターの三浦陽二氏 覚醒剤はダルクに入ってから一度もやっていません。なぜ今もダルクにいるのかっていうと、「ダルクを辞めたらまたクスリをやっちゃうかもしれないな」と思っているからなんです。実を言うと、数年前に自分がクスリを使う夢を見たことがあります。近藤さんに「クスリを使う夢を見ちゃいました」と言ったら、「よかったな。実際にクスリを使ってたらそんな夢を見ないだろ」って笑われました。たぶん、近藤さんも同じような夢を見たことがあるんだと思います。それ以来、私も仲間から同じような話を聞くと、「よかったな」と言うようにしています。 ダルクに来てまず驚いたしたのは、トイレの個室に「決して一人になるな」と書かれたステッカーが張ってあったことです。そして、「お前は意志が強いな」と励ましてくれたことです。刑務所や精神病院に入ろうが、母親が泣こうが、クスリだけは12年間も使い続けたからだと。そう言われ、やっと自分の中で解決の方法が見えた気がしました。私の問題は意志の強さ、弱さではなくて、意志の「方向」だったと。意志の方向を変えるのは、自分の生き方や価値観を変えることだと思いました。ただ意志を強くしろと励まされても、私はずっと悩んだままだったでしょうね。  「クスリをやめることをやめろ」と言われたときも驚きました。クスリをやめようとすればするほど、クスリのことを思い出して、またやりたくなるんです。薬物常習者は心の隙間や痛みから逃れるために何度もクスリを使ってしまう。だから、自分の生活の中でクスリだけを取ってしまっても、また手を染めてしまうんです。ASKAがクスリをやめるためには ASKAさんの件に話を戻すと、彼がクスリをやめるためには、本人がそれを自覚するしか方法はありません。クスリをやるということは、自分を否定しているのと同じなんです。クスリを絶つためには、そういった心の隙間を埋めていく努力が絶対に必要なんです。警視庁の捜査員に連行されるASKA(本名宮崎重明)容疑者 =11月28日、東京都目黒区 彼には類いまれなる才能がある。しかし、過去にもっと売れている時期があって、上から落っこちてしまったわけですから、過去の栄光にすがるような弱い一面もあったのかもしれません。彼に必要なのは、正直に自分の気持ちをさらけ出す場も必要なんだと思います。自分では不安に感じていても、芸能人はカメラの前で「二度とやりません」と誓わなきゃいけない。ダルクでは、同じ立場の人が集まっているから、本当のことを言える。彼にもそういう場が必要なのではないでしょうか。自分が思っていないことを言うのは気分のいいものではないし、どんどん孤立を深めていきます。 ASKAさんの再逮捕は彼のこれからの人生にとって、必ずしも「失敗」ではないと思います。今後の本人次第で、今回の逮捕を成功のステップにすることだってできる。ASKAさんがもう二度とクスリに手を出さない日が来ることを切に願っています。(聞き手・iRONNA編集部、川畑希望)みうら・ようじ 日本ダルク本部ディレクター。1994年沖縄ダルク開設にオープニングスタッフとして就任。沖縄ダルクエグゼクティブディレクターなどを経て、現在、日本ダルクの本部ディレクターとして広報活動等を行う。

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    ASKAが自分で110番したのは「異例」ではない理由

    田中紀子(ギャンブル依存症を考える会代表) 昨日、突然飛び込んできた衝撃的なニュース。歌手のASKAさんが、執行猶予中に薬物を再使用したとのこと。まだ容疑の段階であり、ASKAさんは強く否認しているとのことですので、詳細は不明ですが、一連のマスコミ報道には強い違和感を抱いております。11月28日、ASKA元被告が覚醒剤を使用した疑いが強まったとして、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで警察が逮捕状を請求、自宅には多くの報道陣が詰めかけた(春名中撮影) まず、ASKAさんが自分で110番したことについて、あるTV番組などでは「異例中の異例」などと報道していましたが、これは覚せい剤事犯では、非常によくあるケースです。ASKAさんの再使用の真偽はまだ定かではありませんが、一般論として、覚せい剤事犯が110番通報する多くは、以下のようなパターンがあります。 まず、覚せい剤乱用の幻覚妄想から、「警察に追われている」という考えにとりつかれるパターンです。例えば、ある経験者の話によると、「警察から射殺命令が出された」と思いこんでしまったそうです。そこで、警察に行って、「俺、なんで射殺命令が出されているんですか?」と、聞きに行ったそうです。 また、ある人は「俺は、覚せい剤しかやってないのに、なんで追われてるんですか?」と文句を言いに行ったそうです。すると警察官の方は、薬物事犯に慣れていますから、「そうか、大変だね。じゃあまず、おしっことろうか・・・」ということになって、尿検査され逮捕されるというパターンがあります。 またもう一つよくあるタイプは、「誰かに追われている」「盗聴されている」「見張られている」だから助けて欲しい・・・と言って警察に駆け込む場合です。いずれも薬物の幻覚妄想ですから、挙動不審な点があり、尿検査され逮捕に至ります。 いずれも2日位経って、薬が切れると「しまった!」と思うそうですが、その時は既に逮捕されています。依存症の再発はそれほど珍しくない 今回のASKAさん逮捕では、110番通報やワイドショー放映中のブログ更新などの行動が、さも重症で、奇行に走っているように取り上げられていますが、短期間の間に再発していたとしたら、重症であるかもしれませんが、再起不能な特殊な事例というわけではありません。 前述した経験者の方々も、服役が数回に渡った場合でも、今は、回復し社会人として就労し生活しています。ですから、現在の「ASKA容疑者は、こんなに重症だ!」と煽るような報道は、実情にそぐいません。 ましてや追いかけ回し、社会的に抹殺しようとするのではなく、ここからもう一度、回復の道に繋がれるよう、司法関係者や支援者が連携を作り、そしてマスコミの皆さんも協力し、ASKAさんの回復に適した、静かな環境を提供することが大切ではないかと思います。 また、ASKAさんは、病院で治療を受けたり、回復施設にも1ヵ月ほど入寮したりと、薬物依存症の治療プログラムを受けていましたが、そのことを取り上げ「最新医療も効果がなかった」などと書かれていた所もありましたが、依存症の治療プログラムとはそのように、白黒はっきりつけるものではありません。 プログラムにすぐにのれる人と、なかなかうまくのれない人がいて、回復するまで、再発を何度か繰り返し、もがき苦しむ人もいるのです。だからと言って、なかなか結果を出せない途中経過の段階で、再発してしまったら全くの無駄かと言えば、決してそうではなく、失敗の経験もまた必要なのです。 何度か失敗した上で、「あぁ、もう自分一人ではやめられない」と、周囲の人間、支援をしてくれる団体や仲間達に、素直に「助けて欲しい」と認めることができて、やっとプログラムが効いてきた・・・というパターンは往々にしてあります。 むしろASKAさんは前回の逮捕で、「もう絶対に薬には手を出しません」と声明を出していることから、自分が薬物依存症に罹患していると腹落ちしておらず、心のどこかで「強い意志でやめられる」と思っていたのかもしれません。 いずれにせよ、もし再発していたとしたなら、ここから治療をやり直すしかありません。マスコミの皆さんは大騒ぎしておられますが、依存症の再発はそれほど珍しいものではありません。 どうか過剰な煽り報道は控えて頂き、薬物依存症からの回復を、暖かく見守って欲しいと願います。(公式ブログ「in a family way」より2016年11月29日分を転載)

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    ASKA 更生を支えてくれた妻への背徳行為の数々

    細い路地に100人以上の報道陣が殺到。あるキャスターは「前代未聞の逮捕劇」と大はしゃぎだった。ただ、事件の“本当の現場”はそこではなかった。「警察は証拠隠滅の恐れがあるのに、逮捕翌日になってやっと自宅にガサ入れしました。押収したのは段ボールたった2箱だけ。つまりASKAは、自宅では覚せい剤を使っておらず、それを警察も知っていたんです。ASKA容疑者の自宅で家宅捜索を行い、押収物を入れた段ボールを運び出す捜査員=東京・目黒区 実は、ASKAは都内に別のマンションがあって、ほとんどそちらに住んでいた。いわゆる“クスリ部屋”です。直前までそこで覚せい剤を使用していたと見られ、警察はそこを重点的に家宅捜索して、証拠を押さえたそうです。その証拠品の中に、ASKAの更生を支え続けた妻の洋子さんを裏切る、ある“忘れ物”が見つかったそうなんです」(捜査関係者) 11月28日夜、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いでASKA容疑者が逮捕された。2014年5月に覚せい剤の所持容疑で逮捕されてから2年半──発端は11月25日、ASKAが自宅からかけた110番。「盗撮されているから調べてほしい」という支離滅裂な内容で、不審に思った警察が違法薬物の検査を行い、微量の覚せい剤の陽性反応が出たという。 ASKAは執行猶予中だ。もし今回も有罪判決が出れば、5年程度の実刑になると見られている。「ASKAが盗撮や盗聴の“被害妄想”で110番したのは、今回が初めてではありません。この数か月で、何度も繰り返しあったそうです。知り合いにも、同様の意味不明な電話をしょっちゅうかけていた」(ASKAの知人) ASKAの異常行動に、洋子さんの精神も次第にすり減っていった。洋子さんは元フリーアナウンサーで、ASKAの2才年上。前回の裁判では「夫に寄り添って支えたい」と更生を支えることを誓っていた。「洋子さんは、ASKAさんをなんとか元の居場所に戻そうと必死でした。保釈の身元引受人になり、千葉県内にある医療施設での薬物依存治療を懸命に支えた。ASKAさんが自宅に戻ってから、身の回りの世話もすべて彼女がやっていました。普通、夫がクスリで逮捕されたら離婚ですよ。しかも前回の逮捕前、洋子さんはクスリで錯乱したASKAさんから壮絶なDVまで受けていたわけですから」(洋子さんの知人)妻にはたらいたもうひとつの大きな裏切り だが、ASKAは2度目の過ち以外にも洋子さんに対してもう1つ大きな裏切りをしていた。「警察がASKAの別宅マンションから押収した証拠品の中に、あの“愛人”の所持品と思われるものが発見されたんです」(前出・捜査関係者) あの“愛人”とは前回の逮捕時、ASKAが共にクスリを使用し性行為に及んでいた相手、A子さん(39才)だ。2014年8月の初公判では彼女について、「大事な人です」と答えていたASKA。今年1月、突如としてインターネット上で公開した手記には、《私は、今回何の罪もないひとりの女性を巻き込み、犯罪者にしてしまいました》と綴り、彼女宛に送ったメールの文面を公開した。《A子のためになることならば、証人でもなんでもやる》《すべて、オレがやったことなのに何でA子が罪を問われちゃうんだろう…。神様は一番大事なところを見てないんだな》(※実際のブログには個人名が綴られていた)「精神状態が不安定なので、どこまで本当のことかわかりませんが、ASKAは最近、知人に“また都内のマンションでA子さんと会っている。ふたりで支え合っている”と話しています。ASKAの“クスリ部屋”から見つかったA子さんの持ち物が、最近もふたりの関係が続いていたことを示すものなのか、それとも前回の逮捕前からASKAが持っていたものなのかはわかりませんが、警察は重大な関心を寄せています」(前出・捜査関係者) はばかることなく彼女への思いを吐露する夫を、それでも妻は隣で支えてきた。いつまでもちらつく愛人の存在に、胸中も複雑だったに違いない。「もし関係が続いていたのだとしたらそれは許せないことです。実は今春、ASKAさんと洋子さんの間に大きな衝突があって、彼が自宅を飛び出したことがあったそうです。今思えば、そのとき洋子さんは今回の事態に気づいていたのかも…。前回の逮捕から2年半、洋子さんの努力は水泡に帰してしまった」(前出・洋子さんの知人) この2年間、洋子さんが歩いて出かけることはなかった。用事があれば日が沈んだあとそっと車で出る。ゴミ捨ても、買い物も深夜。自宅前に道行く人あれば、家の周りを何周もしてから戻る。引っ越しもしないまま近所に気を使い、身を隠すように暮らしていたのも、夫の再スタートを信じていたからこそだった。妻の思いを踏みにじった罪は何より重い。関連記事■ 高畑充希が坂口健太郎のマンションに通う姿をキャッチ■ 安室奈美恵、京都移住計画の裏に事務所独立と再婚願望■ ASKA 「もうクスリやめて」と懇願する妻に凄まじいDVをした■ 美食家・長野博と結婚 白石美帆の超高い「食卓レベル」■ ASKAの長男「何度も打つよ残さず打つよ」と替え歌を歌ってた

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    なぜやめられない?薬物、アルコール、高カロリー食の 「快感回路」

    ナの教養 週末の一冊】東嶋和子 (科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師) 歌手のASKA氏の覚醒剤事件や危険ドラッグの横行をみるにつけ、「なぜ手を出したのか?」「なぜやめられないのか?」と、蚊帳の外の人間は疑問に思う。 社会的な、あるいは文化的な説明はもちろん重要だが、それはいったん脇に置き、「もっと根本的な、文化の差異を超えた生物学的な解明」を試みたのが、本書である。快感をめぐる神経生物学分野のめざましい進展 著者のデイヴィッド・J・リンデン氏は、ジョンズ・ホプキンス大学医学部教授を務める神経科学者。おもに細胞レベルでの記憶のメカニズムの研究に取り組むとともに、脳神経科学の一般向けの解説にも力を入れている、と帯にある。『快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』(デイヴィッド・J・リンデン 著、 岩坂 彰 翻訳、河出書房新社) 原書の副題は、「私たちの脳はどのように、高カロリー食やオーガズム、エクササイズ、マリファナ、慈善行為、ウォッカ、学習、ギャンブルをすごく気持ちいいと感じさせるのか」である。ここに示唆されるように、本書は医学的な依存症のみを扱っているのでも、文化的な「悪徳」に焦点を当てているのでもない。 著者によると、「非合法な悪習であれ、エクササイズ、瞑想的な祈り、慈善的な寄付行為といった社会的に認められた儀式や習慣であれ、私たちが生活の中で『日常から外れた』と感じる経験はほとんどの場合、脳の中の、解剖学的にも生化学的にも明確に定義される『快感回路』(報酬系)を興奮させるものである」。 すなわち、買い物であれ、セックスであれ、ギャンブルであれ、あるいは学習や祈りや激しく続くダンス、オンラインゲームであれ、これらは等しく、脳の一連の領域へ収束する神経信号を生み出す。人間の快感は、この小さなニューロンの塊の中――「内側前脳快感回路」と呼ばれる領域――で感じられている、というのである。 「ハレ」と「ケ」という日本人の感覚でいいかえるなら、「ハレ」の経験は善も悪も、脳の同じ回路で快感として処理される、ということか。 こうした現象は、神経機能に関する知識が積み重なってきたことと同時に、脳を精密に計測したり観測したりする技術が開発されてきたことで、わかってきた。脳研究、なかでも快感をめぐる神経生物学の分野での進展はめざましい。本書は、そうした研究成果を数多く紹介しており、研究全体を概観するのにも役立つ。快感はよくも悪くも、人を導く羅針盤快感はよくも悪くも、人を導く羅針盤 私たちは、あらゆる「非日常」の経験から夢心地の快感を引き出せる回路を与えられたわけだが、一方で、この回路は、コカインやニコチンやヘロインやアルコールなどの刺激物によって、たやすく乗っ取られてしまう。「快感のダークサイド」、依存症である。 依存症の特徴である耐性(快感を得るための必要量が増す)や渇望、離脱症状、再発といった恐ろしい側面の根底には、おそらく神経機能の変化があるという。内側前脳快感回路内のニューロンやシナプスの電気的、形態的、生化学的機能の長期にわたる変化で、こうした変化は、脳のほかの部分で記憶を貯蔵するときに用いられる神経回路の変化とも、ほぼ同じものであるらしい。 記憶と快感と依存症はこのように密接に絡み合っているわけだが、経験を通じて快感回路に変化を起こすのは、依存症だけではない。 <私たち人間は、本能から離れたまったく《任意の》目標の達成に向けて快感回路を変化させ、その快感によって自らを動機づけることができるのだ。その目標が、進化上、適応的な価値を持つか持たないかは問題ではない。> クイズ番組でも、スポーツ競技でもかまわない。もっといえば、単なる観念でさえも、人間の快感回路を活性化できるのだ。 <快感に関する限り、人間の持つこの節操のなさは、私たちを素晴らしく豊かで、そして複雑な存在にしてくれている。> なるほど、快感とは必ずしも、コントロール不能なアリ地獄のようなものではない。対象を自由に選び、それに向かって自らを強く動機づけることのできる羅針盤(コンパス)にもなりうる。『快のコンパス』という原題には、快感はよくも悪くも、人を導く羅針盤である、という著者の深い思いが込められている、と気がついた。 依存症の発症は本人の責任ではないが、依存症からの回復は本人の責任である、と著者がいうように、強固につながれてしまった接続に抵抗する別の接続を意識的につなぐことは、けして不可能ではない。 そうしてみると、「何でも望みの対象を(生存や繁殖の必要性とは無関係に)快感刺激にしてしまう柔軟性」は、私たちへの天恵といえるかもしれない。私たちは自らの意思で、この天恵をもっと積極的に活かすこともできるのではないか。 快感の生物学的な基盤を理解することは、依存症に関わる道徳的あるいは法的な側面や、こうした快楽の市場を操る産業について、根本的に考え直す契機ともなる、という著者の指摘に同感である。

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    ASKAが9万5千字ブログに綴った「飯島愛」「盗聴・盗撮」

    あると主張する。《私は、今回何の罪もないひとりの女性を巻き込み、犯罪者にしてしまいました(中略)あの事件が冤罪であることを、少しでも多くの方たちに知ってもらい、彼女の未来のお手伝いをしなくてはならない責任と立場に立っています》 そう綴り、A子とのメールのやりとりを公開した。《A子(※実際のブログには個人名が記されている)のためになることならば、証人でもなんでもやる》《すべて、オレがやったことなのに何でA子が罪を問われちゃうんだろう…。神様は一番大事なところを見てないんだな》《少しでも役に立てたら幸せです》 そこには、A子への思慕ともいえる言葉が並んでいた。「愛人への想いを強く語る一方で、今も一緒に生活を送る妻・洋子さんや2人の子供たちへの謝罪の言葉は、この手記には一切書かれていないんです。そこが何とも不可解で…。彼に反省の気持ちはあるんでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)関連記事■ ASKAに覚せい剤を教えたのは世界的な大物ミュージシャンか■ 飯島直子 スーツ姿の男性と朝までカラオケ&手つなぎ目撃■ ASKA逮捕で芋づる式か 元プロ野球選手や有名歌手も戦々恐々■ 栩内被告追い詰める ASKAの第3、第4のシャブ愛人の存在■ ASKA逮捕で関係者「著名ミュージシャンへ捜査進めたい」

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    ASKAが初犯で受けた「懲役3年執行猶予4年」の意味

    小森榮(弁護士) 9月12日、ASKAさんの覚せい剤事件の判決公判で、東京地裁は、懲役3年執行猶予4年(求刑懲役3年)を言い渡しました。起訴状によると、被告人は覚せい剤と合成麻薬MDMAを使用。また、目黒区内の自宅で覚せい剤0.432グラムと合成麻薬MDMAなどの錠剤計約26グラムを所持したとされています。懲役3年の意味 そもそも、先に行われた第1回公判で検察官は、懲役3年を求刑していました。それに対しては、初犯の末端乱用者としては重いという意見が聞かれました。2014年8月28日、罪状認否で起訴内容を認めたASKA被告=東京地裁(イラスト・井田智康) しかし、薬物事件では、求刑においても、判決においても、刑を決める最も重要な要素は薬物の量で、多量を所持しているほど刑事責任は重いと判断されます。薬物の量が多ければ、社会に及ぼす危害が大きくなるので、制裁も厳しいものになるわけです。 よく、覚せい剤事件では、初犯は懲役1年6か月といわれますが、それは末端乱用者の事件では、所持量が1グラム内外のケースが多いからです。 この事件では、被告人が自宅で所持した覚せい剤は約0.4グラムと、末端乱用者の所持量としては多いとまではいえない量ですが、問題はMDMAの量が約26グラムと極めて多量だという点です。MDMA錠剤は、平均的な1錠が0.3グラムといわれますから、被告人の所持した錠剤の数は80~90錠くらいでしょうか。検察官の論告では、被告人の使い方(1回当り1錠半)で約60回分とされていたと記憶しています。 密売人の所持量に匹敵するほどのMDMAを所持していた被告人に対して、その所持量に相応した、重い刑が言い渡されたということになります。 ちなみに、覚せい剤所持の法定刑はMDMA(通常麻薬)所持よりも重いので、覚せい剤でしたら、所持量が10グラム程度でも、懲役3年の求刑・判決ということもあります。執行猶予「4年」の意味執行猶予4年の意味 今回の判決は「懲役3年、執行猶予4年」だったと報じられています。被告人は3年の懲役刑を宣告されたのですが、現実に刑事施設に収容することが猶予され、社会内での更生の機会を与えられたのです。執行猶予期間は4年間、この期間を無事に満了すれば、刑の宣告そのものが効力を失い、有罪判決を受けなかった状態に戻ることになります。ただし、猶予期間中に有罪判決を受けるなどして、執行猶予を取り消されれば、猶予されていた宣告刑を現実に受けなければなりません。 執行猶予は、前科がない者などについて、3年以下の懲役、禁錮又は50万円以下の罰金を言い渡すときに付けることができます(刑法25条1項)。営利目的のない薬物事件では、初犯者の多くが3年以下の懲役刑が求刑されるので、被告人にとっては、執行猶予が付くかどうかが重大な関心事になります。 執行猶予は「情状により」付されるものとされていて(刑法25条1項)、被告人に対して執行猶予を言い渡すかどうかの判断は裁判所に委ねられています。刑事裁判で言う情状とは、量刑判断にあたって斟酌される事情のことで、被告人の性格や境遇、犯行の動機や態様などとともに、犯行後の状況も重要な要素とされています。 一般に、被害弁償などによって犯罪被害の回復に努めたことは、被告人にとって有利な情状として評価されますが、薬物事件のように直接の被害者がない犯罪では、被告人に再犯のおそれがないことが、とくに重要な情状となります。 さて、実際の公判では、ほとんどの被告人が真剣な表情で反省の言葉を述べ、「もう二度と薬物にかかわりません」と誓いますが、これだけでは再犯のおそれがなくなったとはいえないでしょう。 生活態度、交友関係、時間の使い方・・・いろんなことを変えないといけないのです。なぜ薬物を使ってきたのか、なぜやめられなかったのか、これまでの自分に欠けていたことを直視し、生活を変えてこそ、薬物と縁を切ることができるのです。 専門家による指導や、やめ続けている仲間の支えなども有効です。入院治療を受けたり、回復者施設に入所するなど、これまでと違う環境を選ぶことも努力を確かなものにする近道でしょう。ASKAさんのように、保釈を得て専門医による治療のスタートを切ることもよい方法だと思います。 しかし、何と言っても家族の支えが欠かせません。気がゆるんだり、嫌気がさしたりするときも、そばにいて、時には叱咤する家族の存在は、覚せい剤をやめる長い戦いを乗り越える最大の力なのです。弁護人でも気を使う「家族」の存在 覚せい剤事犯にとって、家族などの監督者の存在がどれほど大きいか、如実に示すデータがあります。 下のグラフは、覚せい剤事件で執行猶予判決を受けた519人について、判決から4年以内の再犯状況を調べた調査結果(平成21年版犯罪白書より)のうち、裁判の際に家族などが今後の指導監督を約束した人がいたかどうかを調べたものですが、指導監督を約束した人がいたケース(519人のうち403人)では、猶予判決を受けた後の覚せい剤再犯はわずか18.9%。いっぽう裁判時に監督を約束してくれる人がいなかったケース(519人のうち116人)では、44.8%が覚せい剤再犯に及び、その他の罪名による再犯も含めると、およそ2人に1人が再犯に及んでいるのです。覚せい剤事犯者の執行猶予判決後の再犯状況(監督誓約の有無別) 平成21年版犯罪白書249頁より転載 刑事裁判に関わる法曹関係者は、家族など身近な監督者の大切さを実感しているだけに、長年にわたる乱用で家族を裏切り、苦しめてきた被告人が、家族と和解し、執行猶予後の生活を共に分かち合える状態になっているかどうかが気になります。被告人が家族の監督に従うか、家族の側に被告人を監督する意欲があるか、こうした点を見極めることが重要なのです。 私が弁護人として事件を担当する際には、被告人本人よりも、むしろ家族に対してより多くの時間を割くことさえあります。 こうした具体的な解決策を丹念に仕上げたとき、公判の席上で、被告人は胸を張って「過去の自分と決別し、再出発します」と誓い、弁護人は「被告人に再犯のおそれはない」と言い切ることができるのです。 執行猶予期間は、裁判確定の日から1年以上5年以下とされています(刑法25条1項)が、私の担当した事件では中間の3年というのが最も多かったようで、これが標準だと思います。2年というケースもありましたが、数件です。2年に比べれば、4年という事件は、結構ありますが、犯情に若干問題があったケースが多かったようです。多いに問題があり、再犯のおそれが強ければ、5年になったり、保護観察が付いたりします。 本件についてみれば、裁判官は、最後に説示したようにASKAさんが人の意見を聞かないこと(マスコミ報道によれば)に不安を持ち、再犯のおそれが若干高いと判断したのでしょうか。もっとも、実務では、宣告刑より短い猶予期間を定めることは行われていないとされているので、その観点からみれば、宣告刑が懲役3年の本件では、4年は標準的な期間で、格別問題はないということもできるかもしれません。[参照]①グラフを引用した、覚せい剤事犯者の執行猶予判決後の再犯状況(再犯ありは154人で29.7%、うち覚せい剤取締法違反による再犯は128人で24.7%)の詳細は下記で読むことができます。平成21年版犯罪白書 第3章 第1節http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/56/nfm/n_56_2_7_3_1_1.html②覚せい剤事犯者の再犯状況については、次の過去記事をご参照ください。過去記事「覚せい剤と再犯」 2012年11月26日http://33765910.at.webry.info/201211/article_16.html(「弁護士小森榮の薬物問題ノート」より2014年9月13日掲載分を転載)

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    私が慶大で出会った広告学研究会という滑稽な「リア充」たち

    鈴木涼美(社会学者) 「すみません、ミス慶応の出場者を募ってる者なんですが、ぜひ出て下さい!」と当時大学に入って間もない私に声をかけてきたのはTシャツにシャツを羽織ってちょっとしたネックレスをつけた男だった。もちろん「あ、でも君の場合は勿論あれです。エントリー写真は顔のアップじゃなくて乳の谷間のアップで」というオチつきで。失礼な。 そういう、大して面白くはないけれどその場は盛り上がるような笑いを彼らは持っていた。その数ヶ月前、入学式の翌日、日吉でも三田でもない辺境のキャンパスで広告研究会の「キャンスト班」の新歓お茶会にも行った。先輩たちが飲めよ食べよその代わりぜひ入ってね、とやる例のやつである。テーブルで話題になるのは去年の海の家で誰と誰がヤッたとか付き合ったとか、一昨日の三田との合同のバーベキューで誰と誰がヤッたとか付き合ったとか、夏は誰々がクルーザーを借りるらしいとか、誰々の親はなんちゃら株式会社の社長だとか。暴行問題で揺れる慶応大学日吉キャンパス=13日、横浜市港北区  どれもこれも別にすごく面白くはないが、場がしらけずに湧く。時は2002年。ちょうど早稲田の有名サークルのトップが逮捕されたことが話題になっていた頃である。慶応の広研はそれよりは随分上品に、けれども若さで想定しうるありきたりなことはすべて内包していた。セックス、恋愛、お酒、オシャレ、不真面目、オカネ儲け、嫉妬、仲間、遊び、遊び、社会、悪意、ノリ、リアル。どれをとっても別に特別なことではない。特別なことではないが、どれも真剣に全うしようとすると結構時間と手間がかかる。 2002年当時はまだ「リア充」なんていう便利なコトバは一般的ではなかった。その代わり、慶応の辺境であるSFCには暗い、マニアック、オタク、真面目っぽい、ダサい、キモいで形容されるような在り方はたくさんあった。その対義語、アンチテーゼとして彼ら広告学研究会らの佇まいはあった。私はここ10年「リア充」というコトバが一般名詞として使用される度に、なんとなく広研の人らを想起する。 この度、そのリア充集団である広研は未成年の飲酒問題で伝統あるイベントのミスコンを中止にしてしまったことを発端とし、集団レイプ疑惑やら美人局疑惑まで浮上し、ポリティカリー・インコレクトな存在として不名誉な脚光を浴びているらしい。私は失礼なミスコンスカウトや入学直後のちょっとした飲み会などの縁しかない同サークルを擁護する義理も愛も何もないし、そもそも法律を破った人らに肩入れする熱意のある異端派でもない。ただ、彼らをただの鬼畜で非人道的な犯罪者集団として説明してしまうような安易さは、後々自分自身の首を締めるのではないかとちょっと懸念しているだけだ。おそらく杞憂に終わるし、おそらく気のせいだが、あまりにコレクトネスにとらわれると、逆に正しさへの自然な敬意を失うこともある。「若気の至り」の境目 「非リア」に対するやや批判的なニュアンスを含んで肯定されていた「リア充」という流行語だが、「非リア」という言葉の利用のされ方が当事者たちによる自己愛的な自虐である場合が多いのに対し、「リア充」は表面的には羨望として、内実はちょっとした嘲笑とともに、あるいは軽い冗談として他者を指す。フェイスブックで「いいね!」の数がものすごい量だとか、土日のスケジュールが3ヶ月先まで埋まっているとか、自分の誕生日に100人規模のパーティーをするとか、LINEの友達数が異様に多いとか。多くの非リアは自分を非リアで非モテだと自虐しながら、リア充の必死さを嘲笑う。確かにちょっと滑稽なのだ。無理して社交的であらんとしている人たちの姿というのは。画像はイメージです なぜだろうか。リアルが充実している、ということ自体は何よりも重要なことに思える。虚構が充実していて助かるのは女優や芸術家であって、この世を生きる多くの人間にとってリアルより重要なことなどないのだ。ただし、社会性をもって都会的であって充実して楽しいというのは作り出すものではなく、演出するものでもない。過剰にそれをアピールしている「リア充」はバランス感覚が悪い。 ヤンキー漫画のヒーローたちがあれだけめちゃくちゃに暴れて殴りまくってもどこか牧歌的なのは、間違いなく子供の頃から暴れて殴り殴られまくっているからだ。どれくらい殴っていいのか、知らぬ間に肌が覚えこんでいる。若さというのはそれだけでとてつもない価値があるが、間違えれば狂気や痛々しさにもなりうる。「若気の至り」の境目を生身の手の感触で探り当てる子供時代は絶対に必要だ。 強制わいせつや美人局を「若気の至り」なんていって許容する社会は危なすぎる。今回の騒動がすべて事実ならそれは糾弾されるに値する罪だ。しかし、その彼らをなぜ若さと犯罪の区別もつかない大馬鹿野郎に育ててしまったのかは一考の余地がある。 私が6歳まで育った中央区月島のマンションには付帯施設の公園があり、タイヤや丸太を駆使したアスレチックの吊橋部分から落下した時に切ったおでこの傷は今も注意深く見れば分かる程度に残っている。私がお酒を飲んで初めて吐いたのは高校時代の体育祭の打ち上げで行った安いサワーを樽で出すような高田馬場の飲み屋だった。店主が「絶対に急アルにはなるな。そうしたらもうこの店で飲み会はできなくなるんだから」と飲み会前に演説するような店だった。月島のマンションも高田馬場の雑居ビルも健在だが、アスレチック遊具もその居酒屋もいつの間にかなくなっていた。 集団レイプを若さなんていう免罪符で許容するような緩みは必要ない。しかし、子どものパックリ割れたおでこや高校生のゲロで汚れたトイレを一切の予断なく切り捨てる緩みのなさは、結果的に若さの許容範囲を理解することもなく美人局をしたり、ひたすらフェイスブックの「いいね!」のために味もわからない店の高い料理を頼む滑稽な若者たちを生み出していることには、もっと自覚的でなければならないと思う。

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    なぜ「ヤリサー」は消えないのか オンナを性の道具と見下す男の心理

    を動画で撮影されたという。これが真実であるならば、まさに「鬼畜の所業」と言わずして何であろう。 この事件の報を聞いて、先月に行われた東京大学の男子学生による性的暴行事件の裁判を思い出した人も多いだろう。この事件でも、女性に飲酒を強要し、前後不覚になった被害者を凌辱した。両事件に共通することは、まるでゲームか何かのように、1人の人間を弄び心身に大きな傷を負わせても平気であったということだ。被害者が受けたはかり知れない傷の大きさを思うとき、これら加害者の「軽さ」に愕然とする。東京大学 これらの事件によって、「名門大学生による性犯罪が増えている」などと言うのは早計である。また、「名門大学生がなぜ」などと言う疑問にもあまり意味はない。確かに立て続けの感はあるが、名門大学生がこの時期に挙って悪党になったわけでもなければ、名門大学の教育が性犯罪者を生んでいるわけでもない。報じられないだけで、名門大学生によらない性犯罪のほうがはるかに多い。 要は、これらの事件では、卑劣な性犯罪者がたまたま名門大学生であったということであり、立て続けに同じような事件が起こったというのは偶然でしかない。確かに、東京大学の事件で犯人は「相手は自分より頭が悪いと見下していた」という内容のことを述べており、彼の歪んだ特権意識が一因であったことも事実である。しかし、それは事件の本質ではない。性犯罪は「ある種」の人間が犯すもの 卑劣な性犯罪は、名門大学生であろうとなかろうと、「ある種」の人間が犯すものであり、今回の男子学生たちにもそれが当てはまる。つまり、この種の性犯罪者の特徴として第一に挙げられるのは、女性に対する著しく歪んだ認知である。彼らは、女性を自分と同じ人格を持った人間として尊重する認知を有していない。そもそもそのように見ることができない。そのため、相手がどれだけ傷つき、苦しむかということが想像できない。 「女性は産む機械」と発言して物議を醸した大臣がいたが、程度の差こそあれ、これも似たような認知の類である。つまり、「女性は性の道具」としか見ることのできない人間が、残念ながら世の中には存在し、彼らがこのような性犯罪を起こす。酒を飲ませ、まさに人格を失わせてから行為に及んだ犯行の態様を見ても、彼らにとって相手の人格は邪魔でしかなかったことが明らかである。 かつて私は痴漢で懲役刑となった性犯罪者に対し、刑務所で調査をしたことがある。その結果からは、彼らの女性に対する露骨な認知の歪みが浮かび上がり、愕然とさせられた。彼らの多くは、「女性のほうも痴漢をされたがっている」「痴漢をされても声を上げないのは、OKの印」などと本気で考えていた。このような認知を有しているからこそ、公共の場である電車内で、誰憚らず見知らぬ他人の体に触れるという行為に出ることができるのである。 痴漢行為が卑劣な性犯罪であることは間違いないが、今回の一連の性犯罪では、はるかに悪質な数々の非人間的行動に至っている。したがって、彼らの認知の歪みもはるかに悪質であることは想像に難くない。 また、このような性犯罪者の特徴として、四六時中「性的妄想」に耽っているということも挙げられる。彼らは、女性を見ればあたかも白日夢のようにすぐさま性的なファンタジーに耽り、次はどのようにして相手を陥れ、どのような行為をしようかということばかり考えている。薬物依存者が、弱い薬物が効かなくなるとより強い薬物を求めるように、より刺激的な性行為を夢想し、エスカレートしていく。報じられているように、被害者に尿をかけたり、動画に撮影したりという倒錯的な性行動に出たのはそのためである。 これらの要因に加え、集団であったからエスカレートしたということも、彼らの心理の一面としては当たっている。ここで重要なことは、リーダー的な「首謀者」の存在である。私はかつて、早稲田大学の「スーパーフリー事件」の際に、主犯の男に面接をしたことがあるが、あの事件は、上述のような性犯罪者の特徴をすべて兼ね備えた男が主導し、周囲の共犯者が同調したものであった。アダルトビデオは要因ではない 本件を含め多くの集団犯罪がそうであるように、1人のきわめて異常な、そしてある意味カリスマ的な首謀者の存在がなければ、これらの事件は起こっていなかっただろう。とはいえ、そもそもそうした反社会的な者に嫌悪感や危機感を抱いて距離を置くのが「正常な」人間だとすれば、逆にそのような危険な人物に魅了され、付き合いを深めていた同調者たちにも、程度の差こそあれ同様の「歪み」があったことは確かである。今回の事件でも同じ合宿所にいながら、これらの行為に加担しなかった男子学生もいたということであるから、同じ状況にあっても、すべての者が同調するわけではないのである。慶大広告学研究会が合宿していた集会所=神奈川県葉山町 しかし、それでは彼らの「歪み」は、どのようにして生じたのだろうか。多くの人は、世に氾濫するアダルトビデオなどの影響を想定するかもしれない。世の中には「強姦モノ」「痴漢モノ」などの性犯罪を扱ったアダルトビデオが数多く存在する。しかし、これまでの研究によれば、こうした性的コンテンツは、そのような性的嗜好を既に有している者たちの逸脱を助長することはあっても、元来そのような嗜好を有しない者に、逸脱した性的嗜好を植え付けるものではないことがわかっている。 代わりにまず挙げられるのは、生理学的な要因である。男性ホルモンであるテストステロンの血中濃度の高さは、攻撃性や性的衝動が強めることが知られているが、このような者が性犯罪者にも一定程度存在する。環境的要因としては、家庭や友人など彼らを取り巻く環境の影響も無視できない。例えば、そこで女性を見下すような価値観が共有されていたという可能性が挙げられるだろう。 しかし、何より彼らの歪んだ心理の根底にあるものは、救いようのないほどの男性としての自信のなさである。彼らは心の底では、女性を下に見ているどころか、実は著しい劣等感を抱いている。そしてその一方で、「男は女より上でなくてはならない」という価値観にがんじがらめになっている。そのため、力で女性を押さえつけ、凌辱することで自分の優位性を得ようとする。しかし、他人を貶め、傷つけることで一時の優越感を得たとしても、当然のことながら現実的に彼らは何も高められてはいない。彼らの「歪んだゲーム」には果てがないのだ。

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    ブスは相手にしないミスコンを「見なくてよい自由」はないのか

    ニュース。被害にあった女子学生はどれだけ苦しかっただろう。 「不祥事」というにはあまりにも卑劣な暴力事件のために、今年のミス慶応コンテストは中止になった。当然というほかないし、もし性暴力を楽しむような「伝統」が同サークルに受け継がれているとしたら、それが「ミスコン」という「女性を容姿(≒性的魅力)によってランク付けするイベント」の主催団体であることに、直感的な嫌悪を感じた人もいるのではないか。大学におけるミスコンが、そのような「伝統」と一切無関係であると言い切れるのか。2006年、ミス慶応に輝いたテレビ朝日の竹内由恵アナウンサー 個人的な立場を明らかにしておくと、筆者は大学で行われるミス・コンテストのすべてには反対していない。が、賛成でもないし、積極的にやるべきではないという立場である。どっちつかずの曖昧さを残しているのは、「自由」をたてにされると何も反論できないからだ。 「ミスコンに参加する女性たちの自由はどうなる」「イベントを開催する学生の自由はどうなる」そのとおり。自由は最上位に置かれるべき価値観だ。やりたい人はやればよい。が、筆者は個人的な意見として、女子大生が容姿によって序列化される品評会がまるで「一世一代のイベント」のように報じられ、場合によっては景品や広告提供などの名目で巨額のスポンサーがつく現実は「あまり見たくない」と思う。 これは好みの問題で、筆者はできるだけ、その喧騒に巻き込まれたくないのである。大学では容姿のことなど忘れて学問に集中したいから、という理由もある。冒頭で述べたように、今回の慶応大サークルのように「性暴力を当然とする風土」をもつ団体が、ミスコンを主催していたという現実もあまり直視したくない。性暴力とミスコンが、どこかでつながってしまう気がするからだ。見たくもないものを、無理やり見せられているような気分になる。 「考え過ぎ」「そこまで言わなくても」という意見もあるだろうが、そういう直感をもつ人間もいるということだ。ミスコンが人気を集める一方で、「ミスターコンテスト」が圧倒的に少ないのは、外見による序列化が男性より女性に優位に働くことを示している。そして、その序列化を当然とする態度が、ときに性暴力を当然とする態度につながる可能性はある。そこに直感的な怖さを感じる人間もいるのだ。国公立大の「ミスキャンパス」に反対の理由 「ミスコンを主催する自由、参加する自由」があるというなら、こちら側の「見なくてよい自由」も保障してほしい。ただし、これは言い換えれば「見なくてよい自由」=「間接的にでもかかわらなくてよい自由」が保障されている限り、ミスコンには反対できないということでもある。大学主催のミスコンが「いちサークルの主催で行われる学園祭のいちイベント」であれば文句は言えない。こちらは、ただ黙って目を背けるだけである。 しかし、これが私たちの税金によって運営される団体によるものであれば、話は違ってくる。たとえば京都大学では度々、ミスコンが企画されては潰れるという「事件」が起きているが、国立大の公認サークルが企画するというのであれば、当然私たちの税金が一部でもミスコンに使われる可能性があるわけで、「関わらない自由」があやうくなる。国公立大学でのミスコンは基本的に反対だ。税金をつぎ込んで女性の外見を品評するくらいなら、奨学金の充実や研究費に充てた方がよほど社会のためになるであろう。 余談だが、この論理からいえば、地方自治体の実質的なミスコンである「何とか美人」「何とか大使」みたいなものもやめるべきだということになる。美しい女性が地方のPRになる、と言いたいのは理解できないこともないが、生身の人間を使うのはやめておくべきだ。どうしてもやりたいなら、2次元の美しいキャラクターに代わってもらえばよい。 筆者の主張は単純だ。民間団体が主催するミスコンには反対こそできないが、「見なくてよい自由」を保障してほしい。こちらが見なくてよいミスコンであれば、どんどんやればいい。成人雑誌のゾーニングのように、あちら側とこちら側を分かつものがあればよい。が、そんなミスコンがありえるだろうか。大学で開催されるミスコンはもはや年中行事と化しているし、特に首都圏のそれは週刊誌やネットメディアから注目を集め、大々的に報道される。 「ミス・キャンパスコンテスト」が、我々の視界から消えることはないだろう。つまりそれを見たくない人の自由は、ギリギリのところであやうい。ここまで肥大化したミス・キャンパスに、成人雑誌のようなゾーニングは難しいだろう。見たくない者は、鼻をつまんで目をそむけるしかない。自由という価値観が最上位にある限り、「ミスコンを廃止せよ」と叫ぶことの正当性は薄い。それでも我々には、「ある種のミスコン」に違和感を唱える権利があるし、女子学生を品評するその土俵がいつかまた、今回のような暴力事件と結びつかないことを祈る「自由」もある。

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    「ヤリサー」主催のミスコンなんてもういらない

    女子アナの登竜門として知られる「ミス慶応コンテスト」の主催サークルに集団レイプ疑惑が浮上した。しかも突然のミスコン中止に波紋が広がった矢先である。関係者の証言からは、その実態がセックス目的の「ヤリサー」だったとの声も聞こえてくる。もう金輪際、バカ学生が牛耳るミスコンなんてやらない方がいい。

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    美人に生まれるのは本当のところ得ですか?

    林真理子(作家)中沢沙理(2016ミス・ユニバース日本代表)美人に生まれるって、本当のところ、得なの損なの? 林真理子さんの最新小説『ビューティーキャンプ』の登場人物は美女ばかり。刊行を記念して開かれたGINGER STYLE セミナーで対談の相手を務めるのも、2016ミス・ユニバース日本代表に選ばれたばかりの日本一の美女・中沢沙理さん。世界に通用する美とはどのように培われるのか。圧倒的な美が周囲にもたらすものとは。(撮影:岡村大輔)ミス・ユニバース・ジャパンが選ばれるまで林真理子(以下、林) こんばんは。今日はお集まりいただきありがとうございます。今年のミス・ユニバース日本代表中沢沙理さんです。中沢沙理(以下、中沢) 皆様こんばんは。3月1日に開かれました日本大会にて2016年ミス・ユニバース・ジャパンに選んでいただきました。今日は皆様と楽しい時間を過ごせたらと思います。よろしくお願いいたします。2016年ミス・ユニバース・ジャパンの中沢沙理さん(南雲都撮影)林 あまりにお綺麗で、今、「おぉっ」と会場からどよめきが起きましたけれども、どうですか? 日本代表に選ばれる自信はありました?中沢 100%の自信はなかったんですが、ずっと以前よりミス・ユニバースに憧れていて、特にこの半年間は集中して取り組んできましたので、自分の可能性を信じてとにかくベストを尽くそう。そう思って臨みました。林 今回私は本を書いた仕上げとして初めて日本大会の審査員を務めましたが、大会は一次審査、二次審査とありまして……。中沢 全国47都道府県からそれぞれの代表が集まり、一次はダンス審査と、大会前に行われた2週間のビューティーキャンプでの生活態度などの結果で、まずは46人から16人に絞られました。林 47都道府県のうち、唯一棄権が出たのが、私の故郷、山梨。それで46人。まぁ、それはどうでもいいんですが。でもミス・ユニバースの苛酷なところは、なんといっても1位が選ばれる瞬間ではないですか。中沢 二次審査で選ばれた5人のうちから、4位、3位、2位と発表されて、最後残されるのが1位と5位。林 二人が手を取り合い向かい合って、その時を待つ。今回、中沢さんと向かい合った方はとても背が高くて。中沢 182センチくらいありました。林 中沢さんがとっても華奢で小さく見えたので、世界大会に行くのは背の高い子かしらと思ったんですけど。選ばれて、どんな思いでしたか。中沢 びっくりしました。身長が高い方が世界大会で有利だと多くの人が思っていらっしゃるでしょうし、それでも「選ばれたい」という気持ちが自分の中にありまして。ひらすら祈ってました。林 最後にああやって二人が向かい合うってイヤなことじゃないですか。中沢 12月から少しずつトレーニングが始まって、ファイナリストはライバルでありながら仲間でもあったので、最後は誰が選ばれても「おめでとう」と言えるようでありたいとはずっと思ってました。実際のビューティーキャンプは小説より苛酷?実際のビューティーキャンプは小説より苛酷?林 『ビューティーキャンプ』はお読みいただいているかしら?中沢 もちろんです。林 この小説はミス・ユニバースの舞台裏を取材して、「ビューティーキャンプ」という2週間の非常に苛酷な、アスリートのような合宿の模様を描きましたが、実際に体験してどうでしたか?中沢 小説と近いものがありました。実際、朝7時のジョギングから始まって夜中までダンスレッスンがある。体力的にも精神的にも大変でした。林 小説にはエルザという美の伝道師が出てきて、美しい人たちに向かって、「あなたたちは今まで美しいことで辛い目に遭ってきたでしょう」と問いかける。小中学生くらいだと「首が長い」「背が高い」と苛められ、高校生くらいになると「色目使ってる」「イヤらしい」と責められる。中沢さんはそうした経験はされたのかしら?中沢 直接的に苛められることはありませんでしたが、身長が高くて目立っていたので男の子は全然来てくれませんし、男の先生と話していると女の先生がイヤな目で見てくるとか、そういうことは確かにありました。林 いくつくらいで、“自分っていけてる"って自覚するものですか?中沢 はっきりした自覚の記憶はないのです。でも自信をもっとつけたいと思い始めたのは中学生の時でしょうか。中1で165センチはありました。林 「沙理ちゃん綺麗」って、みんなから言われたでしょう。中沢 「かわいいね」と言われたことはありますが、「調子に乗り過ぎちゃダメ」と母にずっと言われてまして。褒められた時は、素直に「ありがとう」という気持ちでいました。林 中沢さんは今歯科医を目指していて、勉強にも励んでいる。それはただ綺麗な人と言われるのがイヤだからとか?中沢 そんなことはないんですが、単純に身体や人に興味があったので勉強を続けてきたら、ここまで来ました。美しすぎる女は男からも女からも敬遠される美しすぎる女は男からも女からも敬遠される林真理子氏林 先ほど控え室で意地悪な質問をしたんですよね。ミス・ユニバースのファイナリストレベルに綺麗だと逆にモテないんじゃないかって。私も小説を書くにあたってたくさんの元ファイナリストたちから話を聞いたんですが、みんな本当に綺麗で。ある時、青山で取材して、皆さんが店の外まで見送ってくれたんですけど、他にも女の人がたくさんいる中で彼女たちだけに光が燦々と当たっている感じだった。すごい輝き。でも、彼女たちの半分以上は外国の方と結婚している。これだけ綺麗だと、日本人の男性は怯えちゃうんじゃないかな。だから、ファイナリストレベルになると、男性に対して実はあまり得してないような。中沢 男性からちやほやされた経験は本当にないです。林 モテないなんて、信じられない。高校は共学?中沢 共学で、理系コースだったので3分の2以上が男の子でした。それでもクラス内で付き合うってこともなく。大学も理系で1クラスで6年間ずっと一緒なんですが、やっぱりなにもないんです。林 学校に行く時はヒールを履いたりなさる?中沢 履きます。ヒールを履くと180センチを超えてしまうので、男性と歩く時は履かないようにとも思いますが、気を遣うのもしんどくて。林 このレベルでの美しさだと、声をかけづらいのかしら。小説『ビューティーキャンプ』のエルザは「美しさは不当に貶められている」と言います。聡明さや優秀さは努力して身につけたものだから賞賛されるけど、「美人」「かわいい」は生まれつきだから評価されにくいと。「どうせ美人だからうまくいったんでしょう?」みたいな言われ方はされたことあります?中沢 「笑っておけばなんとかなるよ」というお言葉をいただいたことがあって。半分は褒めて下さってるのかなと思いながらも、中身をきちんと見てほしいという気持ちもあります。林 ビューティーキャンプでは協調性とか前向きであるとか、そうしたことも審査対象になるんですか?中沢 そうですね。50時間ほどの講義には常にカメラが入ってまして、先生方からの評価もあるので、全く気を抜けませんでした。少しでもイメージが下がると上げるのが難しいので。その他大勢にならないよう、自分のカラーを他の人に伝えるためにはどうしたらいいか、ということをずっと考えていました。林 大会本番ではスピーチ審査もあるんですよね。中沢さんが本番で受けた質問は?中沢 あなたの人生にもっとも影響を与えた人物は誰ですか? という質問だったので、ずっと憧れていた女優のオードリー・ヘップバーンについて話しました。誰が見ても美しい女優ですが、晩年にはチャリティー活動をされてまして。外見だけではなく行動でも多くの人を魅了したところに惹かれています。林 スイスのローザンヌに旅行した時、案内の方がどうってことのないお墓の前で車を停めてくれて。それがオードリー・ヘップバーンのお墓でした。あの方は顔もほとんどいじってなくて。あえてシワなどもそのままにしてて、白人の女性にしては珍しい。ところで中沢さんは女の友達は多いのかしら?中沢 私はかわいい女の子が好きで、みつけるとすぐに声をかける方です。林 かわいい女の子同士でつるむ?中沢 そういうわけじゃないんですけど。いろいろな方と知り合いたくて、キャリアを積んでる方から、専業主婦になってお子さんもいらっしゃる方までいます。林 モデルさんって同じくらいの美しさの人たちと一緒にいるのが楽で、普通の人とは群れないって、ご本人たちからお聞きしたことがあります。中沢 確かに特殊な仕事なので、お互いの環境を言い合えるという意味では落ち着きます。でも私の場合は好奇心の方が勝ってるかもしれません。林 今日びっくりしましたが、まだ22歳? この威厳。この落ち着き。2012年のミス・ユニバース日本代表の原綾子さんにお目にかかった時、彼女も若いのに、辺りを睥睨するような威厳があって。女王のようなオーラを発していた。ビューティーキャンプで身につくものなのかしら?中沢 ビューティーキャンプを始めとするミス・ユニバースの活動を通じて、考えはぶれないようになってきたとは思います。完璧な肉体美は偏見をもはねのける完璧な肉体美は偏見をもはねのける林 この間の日本大会を見てると、舞台上の皆さんがすごく楽しそうで。水着姿だけど、羞恥心なんて皆無。音楽に合わせてリズムにのって、「私を見て」って歩く。ターンする姿も、一朝一夕で作れるものではなくて圧巻でした。 そんなことと比べるなと言われそうですが、昨夜テレビで女芸人たちが、それこそ恥ずかしげもなくお腹を見せて笑いをとっていて。その対極がミス・ユニバースなわけですが。贅肉のひとかけらもないボディに、完璧に伸びた脚とくびれ。イヤらしい目で見ることができないくらいの肉体美。80年代にミスコン批判がありましたけど、そうした偏見をはねのけるほどでした。中沢 私自身、普段は肌をだすことに抵抗があって、女友達と行く温泉さえイヤなんですが、今回ミス・ユニバースに参加するにあたって、水着に着替える時間が限られており、そんなことにこだわっている場合じゃなくて、全員の裸を見飽きるくらいに吹っ切れました。苛酷な2週間の最後の締めくくりだから、舞台の裏で「みんなで盛り上げよう」と円陣を組んで臨みました。林 今後は歯医者さんのお勉強も続けていく?中沢 軸は変わってません。勉強は最後までやりたいですし、それに加えてミス・ユニバースという新しいブランドや知識を取り入れて美容と健康も伝えていけるようになりたいです。もともとファッションが好きなので、メークや服の着こなしなども発信していきたいと思ってます。林 今日のメークはご自分でされたとか? 今日の方が、大会の時より綺麗。中沢 大会時はプロのメークさんにミス・ユニバースらしいメークをしていただきました。今はミス・ユニバースのブランドイメージと、2016年の新しい私にしかない魅力を伝えられるメークを研究中です。強くてゴージャス。世界で通用する美とは林 数年前の日本大会ではたかの友梨さんが審査員でした。「あの子かわいいですね」と言ったら、「確かにかわいいけど、世界大会でどうなんでしょう」とおっしゃって。それが印象に残って小説で使わせてもらいました。難しいですね。世界が求める美しさは強くてゴージャス。日本人はそういうのがわりと苦手のようで。中沢 今回、本を読ませていただき、そのシーンはとても印象に残りました。実際のキャンプ中でも、かわいらしくて日本人が好きそうなタイプの方もたくさんいて、でも目標は世界なので、世界でどうアピールできるかを、私も小柄な方ではありますが、ずっと考えてます。林 中沢さんはアジアンビューティーだからアジアとか日本を前面に出すのはどうですか。中沢 日本人として育ってきましたので、日本の良さをアピールすることは大事だと思ってます。日本と日本人女性の良さを伝えていきたいです。林 これまでだと知花くららさんは日本人だったら誰もが好きなタイプで、その後の森理世さんは強烈な個性を放って世界一の美女になった。世界に通用する美を手にするのは大変なこと。中沢 世界大会は80カ国くらいから集まってきて、国によって美の基準もバラバラ、肌の色も違う。そんな中で単純に日本人が見て顔がかわいいとかスタイルがいいというだけでは世界で目立てない。内面も含めて世界基準で誰もにいいと思っていただけるようにならなくては。林 日本の男性は狭量で、自分よりも背が高い女性とか強い個性を持つ女性を敬遠する傾向があって。そうした男性と合わせ鏡にある日本の女性はいつまで経っても「かわいい」を第一に考えるところがあると、『ビューティーキャンプ』の書評にありました。中沢 日本の男性が望むのは、自分の一歩後ろをついてくる気の優しい女性なのかなと思いますし、そういうふうに実感する場面もたくさんあります。でも世界で、日本でももちろんそうですが、活躍するためには、自分を出していかないといけないと思ってます。そうしないと成長も難しいのかな、と。林 私が取材でお会いした日本人男性と結婚した元ファイナリストたちの多くが離婚されてましたよ。男性側が受け止めきれないんでしょうね。でもいいじゃないですか。世界に羽ばたいて外国の方と結婚するというのも。中沢 そうですね。結婚願望はありますので、世界でいろいろな方と出会える機会が今後あるとすると楽しみです。起き抜けの白湯とストレッチ、フルーツの効用起き抜けの白湯とストレッチ、フルーツの効用3月8日、滋賀県の三日月大造知事(手前)を表敬訪問、談笑する中沢沙理さん林 これだけの美しさを保つために気をつけてらっしゃることがあれば、最後に教えて下さい。聞いても無駄なような気がしますけど(笑)。お肌のためにやっていることとか?中沢 日焼け止めは、春先も冬も、肌に負担のない範囲でつけてます。林 ダイエットはなさったりする?中沢 ビューティーキャンプの時は体力的に厳しくて、一日三食プラス補食を2回とか食べてました。もともと食べることが好きで、東京で美味しいものを探すのが趣味です。小さい頃は新体操と水泳、中学高校はバレーボール部、今はヨガを中心にジムに通ってます。ダイエットをやるというより、運動して食べる感じです。林 この間対談で堀北真希ちゃんにお会いしたら、中学時代にジャージ姿のところをスカウトされたそうで。ジャージ姿から今日の彼女の美しさがわかるなんてすごい。中沢さんもスカウトされたとか。中沢 高校時代にたまたま東京に遊びに来ていた時でした。林 どこを歩くとスカウトされるのかしら?中沢 表参道です。林 ヒエー。やっぱり綺麗だったんでしょうね。普段はお水などにも気をつけてらっしゃる?中沢 水分をたくさん摂ろうとは思ってます。起き抜けに白湯を一杯飲んでから動くようにしてます。その後軽くストレッチして、フルーツを少し食べる。それはこの5、6年続けています。林 世界大会に向けてそろそろ準備も本格的に始まりますか? 数年前に取材の一環で、ラスベガスで行われた世界大会を見に行きましたが、中南米の人たちの応援がすごかった。彼らは世界一になると一族郎党がお金に困らないくらいのお金持ちになれる。日本だと賞金もないそうですけど。プレッシャーをかけるわけじゃないですが、そのくらい国を懸けてやってる人たちとの競争は大変ですね。ぜひ頑張っていただきたいです。中沢 楽しんでやりたいと思います。林 ここにいる皆さんも応援してます。頑張ってください。はやし・まりこ 1954年山梨県生まれ。82年エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でデビュー。86年『最終便に間に合えば/京都まで』で直木賞を受賞。95年『白蓮れんれん』で柴田錬三郎賞を、98年『みんなの秘密』で吉川英治文学賞を受賞。週刊誌や女性誌の連載エッセイも人気で『野心のすすめ』は大ベストセラーとなる。近著は『中島ハルコの恋愛相談室』『マイストーリー 私の物語』など。なかざわ・さり 1993年滋賀県生まれ。2016ミス・ユニバース日本代表。現在、都内の医療大学に通う。身長171センチ。関連記事■ 人はなぜ“苦しい恋愛”にハマるのか?■ 「忙しくて整理ができない」の悪循環から抜け出すには■ 戦争は体験してない。なのに身体に沁み込んでしまった戦争の記憶

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    早大生の停電デマ、慶大生の女性中傷 驚愕の「デジタルネイティブ」たち

    こういった「倫理よりもノリ」を重視するキャンパス内の雰囲気も原因の一つではなかっただろうか。「小女子事件」や内定取り消し騒動を知らないのか「小女子事件」や内定取り消し騒動を知らないのか 少し前に流行ったデジタルネイティブという言葉がある。1990年代以降生まれを指すことが多く、生まれたときからITに触れ合う環境があったことを意味する。デジタルネイティブは「ITを直感的に使いこなす」「SNSでの距離感が絶妙にうまい」「ネット上での自己プロデュースがうまい」など、ポジティブなイメージを持っていた人も多いだろう。 バカッターという言葉があるように、バイトでの不正行為をツイートして若者が次々と炎上する現象もあったが、これもいったん収まり、数々の屍を踏み台としてインターネットの世界は教訓を得たと思われていた。しかし、このような大学生のツイートを見ると過去の炎上や、ネット上の犯行予告で逮捕者が相次いだことを知らない層もいるのかもしれない。 数年前には「小女子を焼き〇す」「おいしくいただいちゃいます」と書き込んだ男が逮捕されたり、立教大学の学生が起こしたレイプ事件について「別に悪いと思わない」「女がわりー」などと書き込んだ同大生が炎上して内定先企業が内定取り消しをしたと思われる発表を行ったりしたことがあったが、今の学生はこういった例を知らないのだろうか。リアルで言えないことを言うのがツイッターであり、悪乗りにノレないユーザーはKY。そんな、かつての2ちゃんねるのような空気を、一部の学生は感じてしまっているのかもしれない。 学生がこういったツイートをしてしまう背景にある他の要因として、狭い世界で周囲から受け入れられていると錯覚してしまう点があるのだろう。普通なら顰蹙を買うようなツイートが、仲間内からは「いいね」されたり、「また言ってるww」と苦笑を返されたりする。本当は画面の向こうで眉をひそめている人がいるのかもしれないが、相手がアクションを取らない限り、それはネット上ではなかったことになる。自分に好意的な反応だけを目にしているうちに、それに応えるために徐々に過激なツイートをしてしまう現象は確かにある。また受け手側も、周囲が「いいね」を押しているからアリなのだと錯覚し、感覚が麻痺していくのだろう。 ツイートが炎上した場合、かつては即刻アカウントを削除する人が多かった。しかし今回紹介した学生たちは皆、すぐにはアカウントを消さずに粘ろうとしていた。さらに「凍結された場合はこちら」と最初からサブ用のアカウントへ誘導していることもある。いったんやり過ごせば、次第に炎上の注目度は下がると知っているのかもしれない。もしくは炎上してもなおアカウントを消せないほど、そこでのつながりにしがみついているのかもしれない。

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    「不当に責められすぎている」 性犯罪者はなぜ反省できないのか

    者への共感も低いなら、加害者が反省できなくても不思議ではありません。裁判、そして示談裁判 少年が強姦事件を起こした場合などは、関係者一同が本人を反省させようとすることが一般的ですが、大人の裁判では違います。検察側と弁護側が戦います。 被害者とされる女性が、いかに普段から性的に奔放だったかとか、事件発生時も男性を誘うかのような行為をとったかなどが指摘されることもよくあるでしょう。 これが例えば路上強盗事件なら、いかに被害者が強欲だったかとか、当日どれほど高価なスーツを着て偉そうに歩いていたかなどは、問われないでしょう。 たしかにケースとしては、女性が同意していたのに、後から男性を訴えることもあるでしょう。これで逮捕有罪となれば、冤罪です。しかし本当に強姦なのに、女性側の責任が問われるような裁判のスタイルは、加害者男性の反省には悪影響でしょう。示談 強姦罪は、親告罪です。強姦致傷や集団強姦は、違います。強姦罪が親告罪なのは、裁判を始めることが被害者にとって不利益になることがあるとの配慮でしょう。 本当は100パーセントの被害者でも、性犯罪被害者は不当に責められ、傷つくことが多くあります。弁護士の中には、その点を強調し、示談を迫る人もいると言われます。 強姦罪で一度は逮捕されても、示談が成立して釈放となれば、反省をしない加害者もいることでしょう。 以前、ある教育系の大学で、6人の男子学生が19歳の女性学生への集団準強姦罪で逮捕される事件がありました。サークルの宴会で、酔った女性を別部屋に連れ込み、6人の男性が次々と襲ったとされた事件です。集団準強姦罪も集団強姦罪も刑の重さは同じです。大学は、彼らを停学処分にしましたが、被害者女性は後に示談に応じました。 この事件を、検察は不起訴としました。不起訴にも種類がありますが、このケースでは、「起訴猶予」でした。起訴猶予とは、被疑事実は明白でも、様々な状況から訴追を必要としない(公判が維持できない、有罪にできる見込みがない等)と判断されたものです。 学生側は、起訴猶予処分を受けて、停学処分を下した大学の処分が不当として民事裁判を起こします。一審は、被害者女性が証言台に立つこともなく、学生側勝訴でした。学生は、疑いが晴れたと喜びの涙を流し、弁護士は「ある意味、刑事事件での無罪にあたる」とコメントしています。 しかし、その後の二審の高裁判決では、大学の行なった処分は教員養成大学の社会的責任として合理的な措置であるとして、地裁の判断を大きく見直す判決が下されています。 この学生らによる事件も、今回の「高畑事件」も、示談や不起訴が絡む事件です。どちらも、様々な推測はできるものの、事実は闇の中です。多くの場合当事者しかいない性犯罪、強姦事件は、事実の解明が困難です。被害者女性が不利益を被りかねない現状では、捜査や裁判への協力が得られなくても、女性を責められません。 示談成立、不起訴でも、深く反省できる人はいるでしょうが、示談と不起訴で、自分はやはり悪くなかったと感じる人もいることでしょう。 「疑わしきは罰せず」ですし、たとえ事実があっても、家族や弁護士が、当人を守るのは当然です。示談を求め、不起訴や無罪判決を願うのは、当然です。しかし、本当に当人を守るとは、事実があるとするなら反省させ、更生させることではないでしょうか。性犯罪加害者の反省と更生のために性犯罪加害者の反省と更生のために 刑事事件としては、不起訴や無罪でも、社会的制裁を受けることはあります。完全に冤罪であるならば、社会的制裁も受けるべきではありませんが、有罪判決は出なくてもルール違反や不道徳な行為はあった場合は、学校や会社が処罰を下すのは、一般的です。 さらに、起訴されれば正式な処分が下され、有罪となれば社会的生命が奪われることも多いでしょう。 問題は、これで加害者が反省するかどうかです。多くの加害者は、自分が不当に責められすぎていると感じています。 彼らの中には、女性蔑視の思いがあったり、男女の人間関係の感覚がゆがんでいたり、世の中全体を見る目がゆがんでいることもあります。大切なのは、彼らの価値観を正し、認知の歪みを取ることです。 犯罪者を甘やかすべきではないと思います。しかし、不当に責められていると思っている人を責め立てるだけでは、彼らの心はさらに固くなり、反省がかえって難しくなったり、形だけの反省になったりします。 彼らに深い罪の意識を持ってもらうためには、時にカウンセリング的なアプローチが必要です。彼らの言い分を一度は傾聴し、その上で、自分の考え方の歪みを自覚してもらう方法です。 このような性犯罪者への更生プログラムは、再犯防止に効果を上げています。 性犯罪者を反省更生させるためには、有罪になってもならなくても、更生プログラムを受けることが大切だと思います。さらにその前提として、罪を憎むと同時に、たとえ罪を犯してもやり直す価値はあると感じさせること、そして社会全体で被害者への共感と支援の思いを強めることが大切でしょう。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年9月13日分を転載)

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    3年夏が山場 女子アナ志望就活生の合言葉は「ミスコン出る?」

     厳しい大学生の就職戦線のなかでも、群を抜いて熾烈なのが「女子アナ」の採用試験である。 民放キー局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビ)の昨年の女子アナ採用人数はわずか7人。少ない“枠”を目指し、競い合う就職活動は過酷だ。 女子アナ就活の最初の山場は、3年の夏に訪れる。各テレビ局が実施する「1日アナウンサー体験」のようなセミナーである。 そして、セミナーが行なわれるのと同じ時期、女子アナ就活生の間では「ミスコン出る?」が合言葉になる。 ニュースキャスターに憧れ、昨年、キー局入社を目指したAさん(23)がいう。「女子アナにはミスコン出身者が多いので、選ばれれば箔づけになる。私はニュースキャスター志望だったので違和感を感じて出なかったけど、周りの子たちは真剣にエントリーするか悩んでいました」 ちなみにミスコン出身者の女子アナは、「ミス慶應」の中野美奈子(元フジ)や青木裕子(元TBS)、「ミス青学」で準ミスだった田中みな実(TBS)など多数いる。

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    大学イッキ飲みの悪習健在「バケツに日本酒、焼酎を配合」も

    ト(アルハラ)として、立派な強要罪に該当する。学生など若者の「イッキ飲み」による急性アルコール中毒死事件が繰り返される度に、大量飲酒の危険性が叫ばれてきたが、十分な抑止力にはなっていないようだ。「こんなに辛い思いをする親はわれわれで最後にしたいと思い、提訴に踏み切った」――。画像はイメージです 2012年、東京大学テニスサークルのコンパで大量飲酒をした息子(高原滉さん)を亡くした両親が、サークルメンバー21人を相手取り、約1億7000万円の損害賠償を求める裁判を起こした。高原さんは同サークルで恒例となっていたラッパ飲みの“儀式”に従い、アルコール度数25度の焼酎原液を1.1リットル飲んだ後に意識不明に陥ったという。 子供を飲酒事故で亡くした親らでつくる市民団体「イッキ飲み防止連絡協議会」によれば、1983年以降で112人、直近10年間でも34人の大学生や専門学校生などが無謀な飲酒で命を落としているという。急性アルコール中毒による救急搬送も毎年1万人を超え、一向に減る気配がない。 全国の大学では、サークルやクラブの代表者にイッキ飲みを強要しない誓約書を提出させたり、「飲めません」を書かれたバッジを配布して飲み会で付けるよう指導したりと、あの手この手の防止策を取っているが、効果のほどは疑問だ。「最近は、『飲め飲め』と皆でイッキを煽るような光景こそ少なくなりましたが、新歓コンパで一発ギャグなどをやらせてウケなければ注がれた酒を自ら飲み干すといった暗黙の“ルール”は生きているので、そのプレッシャーで飲まざるをえない空気が蔓延しています」(神奈川県の私立大学職員) 前出の協議会に寄せられた「こわい飲み会エピソード」には、依然としてこんな悪質な事例が寄せられた。〈大学のサークルでは、両手に瓶ビールを持ち、替え歌を歌いながら2本を空にしなければならず、帰ろうとすると部長から「遠慮はしないで」としつこく言われた〉〈アルコール度数が非常に高いお酒をイッキ飲みさせられた。危険を感じた同級生がお酒のビンを隠すと、激怒した先輩が「ビンを見つけたやつはイッキ飲みを免除する」というルールを設け、全員でビンを探す羽目になった〉〈サークル合宿。数十人の先輩がはやし立てる前で新人は直立不動で大声で挨拶させられ、面白くなければ一気飲み、面白くても褒美として一気飲みさせられた〉 当サイトにも、かつて恐ろしい新歓コンパを経験した記者がいる。「関西の私大で寮に入ったのですが、大学内で行われる新歓コンパは代々『名物』として語り継がれるほどヒドイものでした。 先輩が円形に座り、真ん中で新入生が一人ずつ一発芸を披露します。その前には酒を注ぐバケツが置かれ、面白さの度合いによって中身の“配合”が変わります。面白くてもビール、日本酒、焼酎などがチャンポンされるのですが、面白くなければウイスキーやウォッカも加えられる。 結局、ほとんどの新入生が酩酊し、自ら歩けなくなった人は軽トラックの荷台に押し込まれ寮の部屋に連れ帰される。私は記憶がないまま、翌朝、部屋中が汚物まみれになっていました。今から思えばよく死人が出なかったと思いますよ」 もちろん、いまだにこんな伝統が続いていたら大問題だが、それ以上に各人がイッキ強要の罪悪感を持たなければ取り返しのつかないことになる。「イッキ飲みをさせて誰かが急性アルコール中毒になれば、強要罪どころか傷害罪に該当し、もし死んでしまえば傷害致死罪で3年以上の懲役刑が科される可能性がある。周囲ではやし立てた人も現場助勢罪に問われる。また、今回の東大生のように損害賠償責任を負わされるケースも増えている」(ハラスメント被害に詳しい弁護士) 若気の至り、悪ふざけでは済まされないことを、いい加減、肝に銘じる必要がある。関連記事■ 血中アルコール度0.05~ 0.1%ほろ酔い期 本音出てキス魔にも■ 泥酔期や昏睡期でも複雑な判断を必要としない帰宅などは可能■ 休肝日を作る酒飲みは48% ならどうやって作ればいい?■ 高リスクで肝癌に進展する「非アルコール性脂肪肝炎」とは■ いまどきの大学生に暇人はレア 少人数教室増え代返も困難

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    「人は障害者を差別する」 私たちの心に根強く残るホンネとタテマエ

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 相模原施設襲撃事件。世にも恐ろしい事件だ。19人もの人が殺害された大量殺人だからということはいうまでもない。だが、それだけではない。重度の知的障害者はいない方が良いと語る男性による、大量殺人だからだ。 今回の事件は、海外でも大きく報道されている。治安の良い日本で起きた残虐な大量殺人であること、そして障害者がターゲットとされたことが、報道を世界的に大きくしている。現場となった障害者福祉施設「津久井やまゆり園」では、日没後も報道陣が取材を続けた=7月26日午後、相模原市緑区(早坂洋祐撮影) 私たちの社会は弱肉強食ではない。ルールがあり、マナーがある。順序を守って並ぶ。高齢者には席を譲る。車椅子のためにスロープを作り、視覚障害者のために点字ブロックを作る。 お笑い芸人たちは、しばしば相方の欠点を指摘し笑いを取るが、実際に軽蔑しているわけではない。相手の間違いを指摘する「ツッコミ」も、侮辱ではなく愛情表現だ。 子どもたちは、ケンカをすることもある。ケンカは両成敗が基本だろう。いじめが起きることもある。いじめは、両成敗ではない。被害者を守り、加害者を指導しなければならない。 さらに、障害児に対するいじめなど、絶対に許されない。これは、ただの理想や抽象論ではない。学校現場において、障害児に対して、その障害のゆえのいじめなど起きたら大問題だ。即座に教育委員会に報告され、普通のいじめ問題以上に、加害者は強く指導されることになる。 芸能人や政治家の発言もそうだろう。公の場、ネット上などで、障害者を差別するような発言がなされたら、大炎上するだろう。 しかし、それでも障害者差別はある。人は、障害者を差別する。たとえば、人は見慣れないものに不安や不快感を感じる。手足がない人や、奇妙な歩き方をする人を突然見たら、戸惑う人は多いだろう。 これは、身体障害者に限らない。たとえば外国人を見たこともない人が、金髪青い眼の白人など見たら、やはり戸惑い、不安を感じるだろう。ただし、見慣れれば大丈夫だ。今は、街中で普通に外国人を見る。 パラリンピックなどの機会も大切だ。身体障害のある人々が活躍する様子を始終見ていると、もうその障害の部分にだけ注目することは少なくなり、純粋に競技が楽しめるようになる。人が差別を好む根底にある「歪んだ優越感」 それでも、人は差別が好きだ。人は他の人と比較することで自分自身のイメージを作る。人は、自信があるときには自分より優れた人物と比較して自分を正しく見ようとし、自信がないときには自分より弱い相手を比較して、歪んだ優越感を得ようとする。 自分たちのチームの実力を知りたいために、強いチームと試合することを願うこともあれば、自分より弱い相手と試合し、楽々勝って相手を見下すようなチームもあるだろう。 健常者である自分と障害者である誰かを比較して、歪んだ優越感を得ようとすることもある。相手が経済的にも人格的に優れているとしても、自分のように普通に歩くことができなければ、その部分を侮辱することもあるだろう。 身体障害以上に、精神障害や知的障害は、微妙で複雑な問題を抱えている。以前であれば、街中で車椅子を見れば、奇異な目で見る人もいただろう。さすがに、現代では見慣れてきたために好奇な目で見る人はいないだろうが。 邪魔者扱いをする人はいるだろう。もちろん、車椅子もルールやマナーをわきまえずに、通行の邪魔をしてはならない。しかし、道には様々な人がいる。子どもも高齢者も、ベビーカーも通る。強く速い人だけが他を押しのけて歩いて良いわけではない。そこに車椅子や視覚障害者がいても、同じだ。 むしろ、子ども、高齢者、車椅子などは、道路上の交通弱者である。交通強者としての自動車は、特に交通弱者に注意して守らなければならない。 車椅子が来たからといって、露骨に不愉快な顔をする人は、現代のまともな市民にはいないはずだ。それだけ、私たちは学んできた。しかし、知的障害や精神障害ならどうだろうか。 たとえば、誰かが場違いな笑顔でへらへらと笑いながら近づいてきたらどうだろう。何らかの障害があるだろうと予測ができても、嫌な顔をしてその場を離れる人は、今も少なくないだろう。 近所に内科や外科の病院ができることは、多くの人が歓迎する。だが、精神病院ができることを反対する人は、少なくないだろう。近所に身体的なリハビリ施設ができることに反対する人は、少ないかもしれない。だが、知的障害者の施設ができるとなれば、反対もあるだろう。 「弱きを助け、強きをくじく」。日本人が慣れ親しんできた言葉だ。特に若者たちは、強いものと対決し、伝統を否定し、弱いものを助けようとしてきた。しかし、現代の若者は違ってきている。 若者は保守化し、そして強いものとの対決を避けるものもいる。さらに、弱者を攻撃する若者もいる。校長にも政府にも逆らわないが、弱いものいじめをたり、ホームレスを攻撃するような若者たちだ。弱者への攻撃でストレス発散を行う人もいる。ネット上でのひどい差別的発言をストレス発散で行っている人もいるだろう。「社会のお荷物」という意識は微塵もないのか いじめは、実は自分より優れたものに対して行われる。自分の方が上だと余裕をもって感じるなら、わざわざいじめる必要はない。自分より優れている人が憎く感じ、その人が持つ些細な弱点を突いていくのが、いじめだ。弱点は、ケンカをしないことかもしれないし、苗字が少し変わっていることかもしれない。つまり何でも良いのだ。 だが弱者に対するいじめも当然あるだろう。成績も良く、裕福で、スポーツもでき、外見も良い人が、何をしてもダメな人をいじめることもある。これは、単なるストレス発散ではなく、自分の方が優れているのに、相手の方が愛されたり認められたりしていることが我慢できないと感じるのだ。 自分が虐げられているのに、自分よりも劣っている人が特別な配慮を受けているなどと感じれば、相手への憎しみが増すだろう。こうして、障害者差別や人種差別が起きることもあるだろう。 今回の事件の容疑者は、障害者は家族や施設職員を苦しめるという。障害者がいない方が、経済的に繁栄し、平和になると衆議院議長あての手紙で語っている。施設には、重度の障害者が多かった。今回彼は、コミュニケーションが取れない障害者を狙ったとも語っている。事件のあった津久井やまゆり園前に集まった緊急車両=7月26日午前、神奈川県相模原市緑区(桐原正道撮影) テレビの出演者たちは、許されない犯罪だと異口同音に語っている。その通りだ。テレビを見ている人も同感だろう。しかし、その私たちに障害者、特に精神障害、知的障害者に対する偏見差別はないだろうか。隣に知的障害者施設ができるなら、反対しないだろうか。 重い知的障害に重い身体障害が重なっている人もいる。彼らを、社会のお荷物だと感じる意識は、微塵もないだろうか。 事件に感じる世にも恐ろしさは、そこにある。私たちは殺人はしないだろう。公の場で無配慮に差別的発言をすることもないだろう。だが、私たちの心の中にも、まだまだ精神障害や知的障害に対する偏見差別は根強く残っていると言わざるをえない。 容疑者男性の言動の一部は、おそらく妄想的なものだろう。しかし同時に、現代の私たちがまだ解決できていない障害者差別への思いに通じる部分はある。自分を安全な場所に置き、容疑者男性を責めるだけでは、いけない。犯罪は、社会を映す鏡だ。目を開き、事件の全容を見、そして現代社会と私たち自身の姿をも見なければならない。

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    障害者に向けられた狂った刃 身勝手な「英雄イズム」の暴走

    に金持ちに怒りの矛先が向かない。生活保護問題なども含め、貧しい人へ怒りが向いてしまうのだ。  池田小事件(8人が死亡、15人が負傷)では「金持ちの子が通ってるから」と宅間守元死刑囚=16年9月執行、当時(40)=が大教大附属池田小を襲ったが、秋葉原通り魔事件(7人が死亡、10人が負傷)をはじめとして、大量殺人の類いはどうも自分より弱い者、一般市民にその矛先が向けられてしまっているようだ。  なぜ障害者に対し差別意識をもってしまうのか。僕がアメリカに住んでいたとき、子供が差別を受けたことがある。うちの子が手をつなごうとしても白人の子が手を振り払う。まだ3歳ぐらいのときで、「ひどいなあ」と思って見ていたら、それをかわいそうに思ったのか、今度は黒人の子がうちの子に手をつなぎにきてくれた。そのとき、うちの子が黒人の子の手を振り払った。大人の感覚から言えばもうため息が出ることなんだけど、3歳くらいの子供だから「ああ、こういうもんなんだ」って思ったことがある。障害者に対する差別意識は、そういう意味では精神障害者は別にして多くの場合目に見えるものだから、子供のころは見てて怖かったり、気持ち悪かったりといった生理的な感覚によるものも大きいと思われる。勝手な英雄感勝手な英雄感 被疑者には物事の解決をある種、力による解決に頼ってしまうという発想のパターンが感じられる。障害者施設に勤めれば、障害者は神様だとは言わないがとにかく大事に扱え、言うことを聞こうが聞かなかろうが殴ったり蹴ったりしてはいけないという教育が普通為されるはずだ。  僕が以前勤めていた病棟で、「患者は医者を殴ってもいいけど、医者は患者を殴ってはいけない」というロジックを言う人がいた。女医で自分は殴られた経験がないんだけど、僕は当直のときに躁病の以前学生運動をやっていた患者に思いっ切り殴られたことがある。そういう理不尽さを障害者施設に勤める人で感じている人は多いかもしれない。容疑者の自宅周辺に集まる報道陣=7月26日、相模原市緑区(古厩正樹撮影) 障害者がかわいそうだとか、ナイチンゲール精神で障害者施設に勤める人はいいが、経済的理由や仕事がないから障害者施設に勤め、安い給料で働かされると「なんで入所者や利用者がこんなに偉そうにして、健常者である自分は、こんなに安い給料でこき使われないといけないんだ」と、逆恨みをする人が出てもおかしくない。川崎の老人ホーム転落死事件では、元職員の被疑者が給与水準の低さ、待遇の悪さに対する不満感をずっと口にして、ネットではそのことに納得する書き込みが散見された。 被疑者は事件後「世界が平和になるように」とツイートしたとされる。もう完全に話が妄想レベルだから、この人がこんなことをしたから、これからもこんなことが起きるとは僕も思っていない。どんな妄想で被疑者がこうなったのか分からないが、勝手な英雄感を持っている。  変な言い方だが、ナチスだって私が知る範囲だと、ドイツのハイパーインフレのときに出てきた。ユダヤ人の金貸しがドイツ人に金を貸し、返せないと家を取り上げたり奥さんを売春させた。そういうことへの恨みがあり、ユダヤ人を大量に殺すなかでもヒロイズムみたいなものを持っていたという背景がある。最近の話で言えばイスラム国で、自分たちが異教徒を殺すことでヒロイズムを持つ。この被疑者の中にもそういうものがあった可能性はあるかもしれない。 今の社会構造の何が問題かというと、本来、障害者施設や介護施設に勤めるのはどちらかといえば真面目で心温かい人が多く、今回の被疑者のような人たちは昔だったら違うところで働いていたかもしれない。アベノミクスで企業が多少、景気が良くなったからといって、障害者施設は依然給与水準が低く、慢性的な人手不足だから、現実問題として売り手市場になる。だからもし「こいつ札付きのワルっぽいし柄も悪い」っていう人でも、断る余裕もないのかもしれない。今回の被疑者も、本来ならそこにいるはずの人ではなかったかもしれないのだ。そういう意味では今回の事件はお互いにとって悲劇というしかない。(聞き手、iRONNA編集部 溝川好男)

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    なぜ殺人鬼は生まれたか 「人間らしさ」を奪う障害者施設の現実

    者を支援する必要はないし、お金のムダだという声は、14年前の活動当初からずっと言われ続けてきました。事件のあった「津久井やまゆり園」の前に集まった緊急車両 =7月26日、神奈川県相模原市緑区(桐原正道撮影) 障害者施設で19人を手にかけた元職員の男の行動は決して許されるものではありませんが、起こるべくして起こったという見方もできます。「障害者なんていなくなればいい」と思える環境があったからこそ起きた悲劇で、差別や偏見がまったくない社会だったら彼のような人間は生まれなかったのではないでしょうか。 障害者、高齢者、ニート、引きこもり、ホームレス…。こうした人たちをひっくるめて、「役に立たない」「足手まとい」だと思う感情は、誰でもうっすらとは持っているものではないでしょうか。障害者については、危険な人たちなんじゃないかという声を良く聞きますが、そういった反応は特殊なものではないということを忘れてはならない。 あってはならないことが、なぜ起きたのか。容疑者自身の問題とともに、彼が置かれていた環境についても考えなければいけないでしょう。事件のあった施設では、夜勤の場合、1人で20人ほどの入所者を担当していたという情報もあります。複数の障害がある重複障害者だと徘徊も激しいし、暴言や暴力もあるでしょうから、相当な負担がかかります。 少ない職員でなるべく多くの障害者をみようというやり方自体が問題。本来であれば、重度の障害者1人に対し、常に2人~3人つく必要があるでしょう。容疑者が衆議院議長に宛てた手紙の中に「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております」という記述がありますが、事件のあった施設は重複障害者を含めた約160人もの障害者を収容していました。施設に一括収容というのは国際的にみるとかなり時代遅れであり、それ自体が人権侵害だという指摘もある。収容者は果たして「人間らしい」生活が送れていたのか。容疑者の「動物として生活を過ごす」という表現についても、言い過ぎではない可能性もあります。 一生懸命やっている職員もつらい、家族も苦しいのだったら死んだ方がいい―。彼の正義感は歪んでいるし、肯定できないが、理解できる部分もある。障害者施設に勤めたり、介護の経験がある人ならば「こんな人いなくなればいいのに」と思ってしまうようなことは一度はあるのではないでしょうか。容疑者が感じていた社会福祉の欺瞞 また、手紙の中には「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気を欠いた瞳」という記述がありますが、実際、その通りだと思いますよ。職員たちは疲れきっているし、十分な休みがとれなかったり、どれだけ頑張ってもやりがいが見出せないこともある。重度の障害者となると、感謝の意思とか、気持ちがつながりあうまでに時間がかかります。5年、10年関わって、初めて心を開く人もいる。しかし、障害者施設の職員の給与は宿直を入れても20万円前後が一般的。サラリーマンの平均年収より100万円前後も低い。スキルも不十分で、支援体制も整っていない中で働き続けるというのは厳しく、離職率が高い現実があります。障害者施設の陶芸作業所を見学する関学大の学生ら=2015年11月、大阪府池田市の「三恵園」 ただでさえ給料が低い上に残業代も支払われないケースもありますし、最低賃金ぎりぎりで務めている人も多い。命を預かる仕事ですから、本来は処遇を上げて、処遇に見合う人を募集して集めないといけないのですが、人手がとても足りない。だれでもいいから来てほしい、という状況で、いまや失業者が集まってくるような産業になってしまっている。 労働の内容に比べ、対価があまりにも安すぎるのです。障害者施設の職員だけでなく、介護士や保育士もそうですが、これまで家族に委ね、押し付けてきた分野が、少しずつ社会化しているわけですが、その労働環境があまりにも劣悪で、半分ボランティアのような状況で働かせられている。容疑者が社会福祉というものに対しての欺瞞性を感じていたことは確かです。 悲劇を二度と起こさないためにはどうすればいいのか。課題は山のようにありますが、彼が特殊な人間でないということ。まず誰もが内面に差別なり偏見というものをもっているんだということを受け止めなければならない。ゆとりがない社会であればあるほど、そういう感情は出てきて、弱い人たちに対する攻撃性が出てきてしまう。 差別感情をもつ人はますます増えているように感じます。この背景には、中間層の衰退があって、自分たちの生活だけで精一杯という人が増えてくると、弱い人たちに対するまなざしが厳しくなる。偏見や差別をもたないようにという教科書的な説教じみたことを言うつもりはなくて、自分たちがゆとりをもって暮らせる。できれば障害のある人について思いを馳せられるように日常生活の中にゆとりを持てるようにしたい。 こういう問題があると、必ず障害者の制度を変えろとか支援しろとなるのですが、下から底上げするというよりも中間層から上に上げる政策を優先すべきです。中間層から上げると下も引っ張られますから。社会を構成している圧倒的多数の人たちを上に引き上げないと、結局、障害者も救われないのだと思います。(聞き手、iRONNA編集部 川畑希望)ふじた・たかのり 1982年生まれ。NPO法人ほっとプラス代表理事、聖学院大学客員准教授(公的扶助論、相談援助技術論など)、反貧困ネットワーク埼玉代表、ブラック企業対策プロジェクト共同代表、厚生労働省社会保障審 議会特別部会委員(2013年度)、社会福祉士。著書に、『ひとりも殺させない』(堀之内出版)、『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新聞出版)などがある。最新刊は『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』 (講談社現代新書)

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    「障害者を抹殺せよ」の衝撃

    殺害したとして逮捕された植松聖容疑者は、常軌を逸した身勝手な誇大妄想で尊い人命を次々に奪った。凄惨な事件の背景にあるのは、障害者に対する偏見と差別。事件が与えた衝撃を私たちはどう受け止めるべきか。

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    集団生活施設から浮かび上がる障害者「強制管理」システムの病巣

    佐藤彰一(國學院大学教授、弁護士) 現時点の報道では容疑者の人物像がクローズアップされており、事件があった「津久井やまゆり園」という障害者施設の生活の全容はまだ明らかになっていない。それだけにこの事件を読み解くのは難しい。容疑者は措置入院したというが、医師が2週間程度で退院を認めたということは、重度の精神疾患ではないとの判断だろうが、この点もまだ判然としておらず、詳細な分析はできない。 ただ、容疑者は「障害者を抹殺する」というような強烈なメッセージを発しており、今回の事件で重視すべきは容疑者個人の精神構造だけでなく、なぜこのような考え方を持つにいたったのか、施設で働き始めた後に抱いたと思われるだけに、施設の運営方法や職員と入所者の関係など、内情もきちんと検証しなければ本質は見えてこないと思っている。 このような施設の中で起こり得る事態は、職員が働くうちに、入所者への差別意識が極度に先鋭化し、職員が入所者と対等ではない関係に思えてくる傾向が強くなることだ。 こういった感覚に陥る要因は、施設での障害者は否応なく集団生活をしなければならないからだ。集団生活をするということは、風呂やトイレのほか、食事や外出など、入所者がさまざまな要望を職員に投げかけても、その要望を職員がすべて引き受けることはできず、手間がかかる障害者に支援が集中したり、重度の障害者だけににかかりきりになったりし、その中で一部の入所者の要望は無視されることになる。多数の死傷者が出た相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」=26日 こうなると自分の意向を無視される入所者はあきらめが先行して希望を失い、その一方で無視せざるを得ない職員の方も入所者を対等の人として見えなくなるという悪循環が生まれてしまう。 また、本来障害者施設では就寝時に入居者の部屋の施錠をしてはならないことになっているが、これまで高知県や鳥取県など、いくつかの県立施設で施錠の実態が明らかになっており、職員の数や手間を省くために施錠をしてしまうケースは後を絶たない。 やまゆり園の施設がどうなっていたのかはまだ判明していないが、個別の部屋の施錠は原則として禁止されていても、原則通りに運用されているかはわからない。個々の支援記録に記載されないケースもいくつかの施設で見られ、実態は報道によっても明らかになっていない。施設の玄関や施設内のフロアなど区切れたスペースでの施錠はしていたわけで、これに加えて夜間の部屋の施錠管理が行われていたのかどうなのか、容疑者が「職員から鍵を奪った」行為が何を目的にしているのかなど、これらはこれから明らかになるだろう。強制的な管理が職員を変化させる 施錠によって入所者の行動可能な範囲を限定することは、入所者を閉鎖的・集団的に管理してしまうことになり、職員の感覚を変えてしまう要因となる。一定のスペースを施錠して管理する行為は、特に障害者の受け入れを断れない公立の施設で多いようだ。 こうした環境の中で職員は、結果として入所者が人間らしい生活をしていないと実感する場面に遭遇する。当初はこの状況に疑問を抱く職員もいるだろうし、多くの職員はその環境を人間らしいものに変えようと努力していると思う。だが、日常の仕事の中で入所者が言うことを聞かないことや、意思疎通が思うようにできないなど、仕事自体がうまくいかないようになれば、入所者が「重い」存在になっていき、職員はストレスを溜めやすくなる。最終的には入所者をうっとうしい存在に思えてくる。 だからといって殺人まで起こすケースは異例なことだが、平成25年に起きた千葉県袖ケ浦市の施設で起きた暴行死事件の容疑者は入所者を人間と思っていなかったという趣旨の話をしている。その後に発覚した川崎市の特別養護老人ホームの介護職員が入所者を突き落として殺害した事件などでも、結局は入所者に対して「邪魔者」という感覚に陥っている点で共通しているのかもしれない。 そもそも知的障害者は集団生活が苦手だ。にもかかわらず、集団生活を強いられてるだけに、入所者と職員がともに大きなストレスを感じている現状にも問題がある。理想を言えば、一対一の支援で、個人の意向に沿った対応ができればよいが、人手を十分に確保できない現状ではこういった対応は難しく、解決策を見出すのは容易ではない。改善につながる対策といえば、根底から施設の生活環境を変えるしかない。 今回の事件の容疑者は、薬物依存などといった行動がみられるが、単に施設を辞めた後、無関係なものからの影響で犯行に及んだとは思い難い。容疑者は職員として採用される際に試用期間があったとの情報があるが、おそらくその時点で犯行に及ぶ兆候はなかったからこそ正式に採用されたのだろう。ゆえに容疑者の異常な考えやメッセージは施設環境の中で育まれたといえる。 やはり重要なのは、施設内で容疑者が見た風景というものが、どうだったのかであり、職員や入所者と生活する中で、犯行につながるような出来事があったとみるのが妥当だ。そこに何があったのかは、やまゆり園の施設の運営状態に加え、職員に対する指導やサポート体制といった対策が行われていたのかなども含め、内情をじっくり検証していく必要がある。(聞き手、iRONNA編集部 津田大資) さとう・しょういち 昭和28年福岡県生まれ。立命館大学大学院法学研究科博士後期課程修了。立教大学、法政大学の教授を経て現在國學院大学教授。専門は民事訴訟法と権利擁護。平成12年に弁護士登録し、障害者とその家族の権利擁護活動に従事。20年から全国権利擁護支援ネットワーク代表も務める。

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    清原和博の薬物更生を阻むこれだけの理由

    覚せい剤取締法違反の罪に問われた元プロ野球選手、清原和博被告の初公判が東京地裁で開かれ、清原被告は起訴内容を認めた。「引退で目標をなくした」「心の隙間を埋めるためだった」…。公判で語った清原被告の言葉は、薬物依存の恐怖と苦しみを物語る。かつての球界のスターが更生する日は来るのか。

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    「覚醒剤依存症」清原和博に必要なのは刑務所じゃなく治療だ

    や根性で治るものではない。薬物依存症者に必要なのは刑務所ではなく治療である。 このことを、今回の清原事件を契機にして、マスコミもテレビのコメンテーターも強く訴えてほしいと思う。清原被告は、間違いなくまだ依存症から脱していない。病人である。病気なら治さなければならない。 そうしないと、私たちの社会は麻薬にさらに蝕まれる。覚醒剤使用を、清原被告の個人的な問題で片付けてしまってはならないと、切に願っている。

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    清原被告に高すぎる「壁」 想像を超える中年ドラッグ脱出の困難!

    告の初公判で、傍聴券抽選の整理券を求め並ぶ人たち=2016年5月17日、東京・日比谷公園 薬物絡みの事件は、一部で「被害者無き犯罪」ともいわれる。ある人物が違法薬物を使用したところで、第三者が傷を負うことはなく、不利益を被ることはないからだ。もちろん、ある人物の家族や親族、仕事のパートナーにとってはそう言えないだろうが、薬物事件が一般的な殺人や窃盗などの「事件」とは性質が大きく異なるものであることも確かだ。 私はこれまで覚せい剤やいわゆる危険ドラッグなどの、違法薬物にまつわる取材を続けてきたが、薬物事件においての本当の被害者は、違法薬物にのめり込んでしまった当の本人である、と思っている。その上で、被害者ともいえる清原被告の今後について「更生出来るか」、また「社会復帰出来るか」という点については、いずれも悲観的にしか説明ができない。 その理由は大きく分けて二つある。 一つは「中年の薬物依存者は脱出困難」という、私の取材や当局データに裏付けられた事実だ。以前取材したドラッグ依存者の更生施設において、施設入所者のほとんどが30代以下の若者だった。入所のきっかけはさまざまだが、ドラッグの使用により逮捕や心身に異常をきたし、かつ「親などの強制力」によってそこにいる、という人がほとんどだった。切れない誘惑 施設入居所者に中高年のドラッグ依存者が少ない理由は、彼らには親などの強制力が存在しない、というのが一番の理由である。ドラッグに溺れた自分に嫌気がさし、自ら施設に入所するような中年の薬物依存者はいない。シャブや大麻など、長年の使用歴を誇り「俺は大丈夫」と過信するような中年のドラッグ依存者も存在したくらいだ。 一部報道によると、清原被告は覚せい剤を性行為にも使用していたとされる。いわゆる「シャブセックス」も、シャブの経験も筆者にはないため、何とも言えないが、凄まじい快楽を経験した清原被告が、再びその欲求を自ら断ち切ることができるだろうか。また、高齢で介護が必要だという清原被告の両親、離別した元妻と子供が「強制力」になり得るとはどうしても考えられないのだ。 警察庁が発表した「平成27年における薬物・銃器情勢」でも、30代以下の覚せい剤事犯が右肩下がりであるのに対し、40歳以上の世代の検挙数は今なお右肩上がりを続けている。再犯率に至っては7割を超えるのだ。中高年の薬物依存者にとって「ドラッグから足を洗う」ことの困難さは、数値上でも浮き彫りになっている。 もう一つの理由は、清原被告の特殊性、すなわち彼が有名人であるが故の立場に起因する問題だ。逮捕後の取り調べに対し、覚せい剤の入手先などについて「今は言わない」などと供述していた清原被告。だが、清原被告に覚せい剤を売り渡していた売人の逮捕や、清原被告と売人が知り合うきっかけを作った人物がマスコミに登場し、清原被告に不利とも思えるさまざまな情報をリークするなど、その様相は大きく変化している。清原和博被告が覚醒剤を受け取ったホテル=群馬・太田市  「清原は全て罪を認める」。当局やマスコミ関係者による従前からの見立ては、このような流れを汲んだものと思われるが、清原被告の真摯な反省がそこに存在するのだろうか、疑わしい部分もある。清原被告をよく知る都内の暴力団関係者は、次のように話す。  「キヨは今、本当に後悔しているようだが、とにかくカネがないから、自分の面倒を見てくれる人を探している。 タニマチだった有力者にもそっぽを向かれ、精神的にもボロボロ。退院後の今は”半グレの親玉”みたいな人物に囲われている、という噂もある」 また、ある芸能関係者は次のようにも解説する。 「シャブのマエ(前科)があろうが、清原さんレベルの人を連れて歩きたいという人はゴマンといます。そういう人々との交流の中で”誘惑”がないなどとは考えられません。ドラッグをチラつかせ、清原さんを取り込もうとする輩だっているはずです」 清原被告の「社会復帰」を阻む壁は、世間や、そして本人が想像する以上に高いのかもしれない。

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    薬物依存はなくせるか 「生きづらさ」が薬物依存を生む

    THE PAGEより転載 薬物依存症の人々の再出発を支えるには、社会的な受容度も問われる。薬物依存症にくわしい国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦・薬物依存研究部長は、元プロ野球選手の清原和博被告の薬物問題を例にとり、失敗した人間を容赦なく攻撃する風潮を懸念するとともに、「米国では、麻薬経験のあるオバマ氏だって大統領になれました。もっと病気の人を応援できる社会になれないかと思います」と訴える。 この連載では、薬物依存について日本ダルク本部・近藤恒夫代表の壮絶な実体験と、回復の過程を記してきたが、たとえ違法な薬物をこの世からすべて消し去ったとしても、問題の根本的な解決には必ずしもならない。薬物依存をなくすことは、患者の根本にある「生きづらさ」のケアをすることそのものだ。もし、あなたが清原被告と友人だったら、彼に何をどうやって伝えるだろう?【連載】薬物依存はなくせるか「生きづらさ」を抱える人の心のケアが重要  「薬物依存の問題というと、薬物ばかりにフォーカスが当たりがちですが、それを使う人間の方にもより光を当てる必要があります」と松本部長は強調する。「依存症は決して恥ずかしくはない」と話す松本俊彦・薬物依存研究部長 たとえ、薬物依存の患者が薬をやめたとしても、今度はアルコール依存やギャンブル依存、セックス依存などに移行する場合も多々あるのだという。つまり、世の中に薬物が存在しなかったとしても、それらの人々は別の依存症に陥る可能性がある。 依存症に陥りやすいのは、幼少期に両親の不和で家庭での居場所がなかったり、いじめられた経験があったり、性的虐待を受けた経験があったりするなど、生きづらさを抱えて生きている人。こうした人たちが薬物を摂取した場合、快感の度合いはより大きく、それが繰り返して使用する動機となる。 松本部長に言わせると、依存症に陥る人の多くは意志が弱いのではなく、逆に強い反面、人に頼るのが下手で、むしろ“依存できない病”なのだ。「私たちは、職場や家庭などで、愚痴を言ったり、助けを求めたり、といろんな人に頼って生きていますが、依存症になりがちな人は周囲に何も言えず、自らの生きづらさを薬だけ、酒だけで何とかしようとしてしまいます」。人に助けを求め、愚痴を言っても構わないと、若いうちからいかに浸透させるかも大切と指摘する。 薬物を含む依存症の予防に向けて、生きづらさを抱える人の心をケアする社会資源の充実が必要と松本部長は説く。たとえば学校なら、子供が助けを求めた時に誰かが手を差し伸べられる環境の整備など。「依存症は決して恥ずかしくはありません。適切な支援によって人に頼る大事さや、辛い思いを話しても良いと知って薬物をやめられたら、人生はより深まり、上手な生き方ができる人間として成長していけます」。まず「精神保健福祉センター」へ相談をまず「精神保健福祉センター」へ相談を もし、自分の周りの人が薬物依存症だとわかったら、どうすればいいか。松本部長は、各都道府県および政令指定都市にある「精神保健福祉センター」への相談を勧める。医療機関ではないが、精神科医や臨床心理士など専門資格をもったスタッフを抱える「心の問題に特化した保健所」的存在で、依存症の本人のほか、家族など周囲の人の相談も受け入れる。「依存症は、本人よりも先に、周囲が困る病気なんです。たとえば、覚せい剤の使用を知って家族は心配するけれど、当の本人は『コントロールして使用しているから大丈夫』などと意に介さないなどがあります」。周囲の人が、治療に前向きではない本人への対処法を聞くなどの相談を続ければ、治療開始につながる可能性もある。 松本部長によると、依存症からの回復ステップは、(1)薬を断つ、(2)欲望の分析・制御を学ぶ、(3)自助グループでの活動、の3段階。 (1)では、とにかく原因となる薬物を断ち、体のなかから薬物を排出する。覚せい剤の場合は、幻覚や妄想を抑えるために薬物療法も用いられる。これらは、医療機関で行う。 (2)は、たとえば、覚せい剤を注射していた人は、ミネラルウォーターを見ると薬を使いたくなるケースがあるし、疲労や空腹、寂しさも、薬を欲する要因になりえる。こうした欲望のスイッチが入る条件を知り、避けられる場合はとにかく避け、もし欲しくなったらどう気を紛らせるかを考える。医療機関、精神福祉保健センター、またはダルクなどの民間リハビリ施設で行う。 (3)は、同じ依存症の人々が集まる自助グループ「ナルコティクス・アノニマス」で、自らの体験談などを話し合う。薬をやめたばかりの人の話を聞いて初心を思い出し、数十年薬を絶っている人の姿から自分の未来を想像するなど、他の人の話を通じて自分自身を見つめ直したり、励みを得たりするなどの効果がある。やめがたい気持ちを、安心して口に出せる場であり、正直に薬への欲望を話すと称賛される。「『薬をやりたい』という言葉は、やめ続けたいという気持ちのあらわれでもあるのです」と松本部長は話す。もし、清原被告と友人だったら もし、松本部長が清原被告と友人だったらどう対処するのだろう。冒頭と同じ質問を松本部長にすると、このように返ってきた。 「清原被告は、過去、お遍路にも行っていたと報道されていましたが、あれは薬をやめるためだったのかもしれません。そうした変わりたいと思っている時をとらえて、『あなたを心配している』という思いと、『治療にいってはどうだろうか』という提案を、穏やかに伝えます。それを、間隔をあけて何度も繰り返します。上から目線で責めてはいけません。意地になって余計に反発しますから。時間がかかってまどろっこしいですが、本人が心から変わりたいという気持ちを自発的に持つには、この方法だと思います。強引にやめさせても本人の気持ちがついていかなければ、すぐに再発するんです」(取材・文:具志堅浩二)

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    「怪しいことに惹かれる」運命の清原 復帰への道は?

    田が、旬な有名人の未来を予測するシリーズ「“きゃって”に占い」。今回は、5月17日に覚醒剤所持・使用事件の初公判を控えている元プロ野球選手・清原和博被告について占っていただきました。【プロフィール】清原和博(きよはらかずひろ)生年月日:1967年8月18日 48歳出身地:大阪府岸和田市 1986年、西武ライオンズに入団、新人賞を獲得。西武の黄金時代を支える。1997年、巨人に移籍。2006年、オリックスに移籍し、2008年に引退。その後、主にタレントとして活動するも、2014年に薬物疑惑が浮上。そして、2016年2月3日、覚醒剤取締法違反(所持)の容疑で自宅マンションにて逮捕された。【注目の初公判は5月17日】 * * *──さて、5月17日に覚醒剤使用事件での初公判を迎える清原和博被告ですが、現在の星まわりはどんな状況なのでしょうか?竹田:現時点での星まわりは、特別に悪いわけではないですね。清原さんの場合は、生まれ持ってのホロスコープで「怪しいことに興奮する」という傾向が出ているんですよ。刺激的なことや、怪しいことに流されやすかったり、そういった誘惑に弱いタイプなんです。──まさにドラッグにハマりやすい、というか…。竹田:そうかもしれませんね。だからこそ、ドラッグに近寄らないように生きてくるべきだったんです。ここ数か月の星まわりは悪くはないんですが、怪しいことに溺れて歯止めがきかなくなる傾向は出ていましたね。あとは、「行動パターンが変わりやすい」という傾向も見えます。──「行動パターンが変わりやすい」ですね…。ということは、いままで以上に派手に覚醒剤をやってしまったというか、罪悪感がなくなってきておおっぴらになってきたというか、そういうことだったのかもしれませんね。だからこそ、逮捕されたというか…。竹田:逆にいうと、この逮捕が清原さんにとっての良い変化です。このままでは、結界が外れて、身体的にも人生的にも収拾つかなくなってしまっていましたから。【清原復帰の時期を占うキャメレオン竹田】──そうなんですね。これで、人生が修復されるかもしれないということですね。竹田:あとですね、誇大妄想を抱えやすいタイプで、ちょっと悪いことがあるとまわりが敵に思えてくるんですよ。そして、常にチヤホヤされ続けていないと、すぐに自信をなくしちゃう。だからこそ、現実逃避をしやすい。──そこで覚醒剤に手を出してしまった、と。竹田:それだけじゃなくて、怪しげなものに惹かれやすいタイプでもあるんですよね。だから余計にドラッグなんかにハマリやすかったんだと思います。──おそらく有罪判決は間違いなくて、執行猶予がつく可能性が高いといわれています。果たして、球界や芸能界への復帰はあるんでしょうか?竹田:何らかの形で復帰することはできると思いますが、時間はかかりますね。ホロスコープ的には、早くて2023年。あと6年から7年くらいはメディアには出てこられないと思います。──どんな形での復帰がいいんでしょうか? プロ野球の指導者などは難しそうですが…。竹田:やっぱり常にチヤホヤされて、人々の中心で目立っているのが好きっていうところは、変わらないんですよ。なので、ひっそりどこかで社会復帰するというよりも、「清原」っていう名前を前面に出してメディアに復帰するというほうがいいと思います。──目立っていないと、また被害妄想が出てきて、現実逃避をしてしまう…ということですよね。竹田:たとえば芸術的な何かにハマれば、妄想とか怪しいことに惹かれる体質から開放される可能性もありますね。──なるほど。ドラッグの代わりにハマることができる何かが必要だというわけですね。竹田:もしくは、ドラッグの怖さを伝えていくという仕事もいいと思います。たとえば講演をするとか。やっぱり伝えていく力はすごく強い人ですし、それが才能でもあります。発信力がものすごく高い。そもそもチヤホヤされたいという願望が強い人なので、外に向けてアピールすることが大好きで、人前に立つ仕事が合っていると思います。だから、そのチヤホヤされたい願望を、いかに良い方向にもっていくかということを考えれば、社会復帰もできるのではないでしょうか。 * * * もともと依存体質だということで、判決後もちょっと心配な清原被告。世間の厳しい目もあり、社会復帰への道もかなり険しそうだ。【プロフィール】キャメレオン竹田/占い師、作家、画家、詩人、旅人。株式会社トウメイ人間製作所代表取締役。一般社団法人フォーチュンコーディネーター協会会長。占術は西洋占星術とタロットカードで、現在の鑑定予約は困難。テレビ・ラジオ出演、雑誌、アプリなど複数監修。ANA公式サイトの占いも連載中。著書は計15冊。新刊は『マンガ おもしろいほどよく当たる! 12星座あるある』(アスコム)※LINEで、「キャメレオン竹田」とお友達検索をしてお友達になっていただくと、毎日の12星座占いが配信されます!関連記事■ 勘三郎不在が痛い歌舞伎界 海老蔵の7月復帰で挽回なるか■ 出産早期復帰の木村佳乃 働く女性からの共感得やすいとの声■ 酒井法子 「恩人」の死で芸能活動復帰計画白紙の可能性も■ 板東英二 タレント再生工場「さんまのまんま」に近く出演か■ 三段壁を訪れる自殺志願者を立ち直らせる牧師が書いた命の本

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    「あっ、グリーニーを忘れた!」練習前に叫んだ投手

     [赤坂英一の野球丸]赤坂英一 (スポーツライター) 清原和博容疑者が覚醒剤取締法違反で逮捕されて以来、巨人でチームメートだった野村貴仁氏の言動が注目を集めている。野村氏の言うように、清原容疑者が巨人時代から覚醒剤を使うようになったのかどうかは、私にはわからない。ただ、野村氏が巨人に在籍していた1998~2001年、グリーニーという興奮剤を常用していたことならよく知っている。これを使うたら違うぞふだん眠っとるパワーが出てくるんや グリーニーとはアンフェタミン系の興奮剤で、日本の厚生労働省には医薬品として指定されていない。野村氏はこのグリーニーを釣りの道具箱のような小さなバッグに入れ、大きなショルダーバッグの中に忍ばせて持ち歩いていた。こっそりと使っていたわけではなく、結構大っぴらに選手や関係者の前でグリーニーを服用していたという。iStock 宮崎キャンプでのこと、投げ込みをしようとブルペンに入った野村氏が突然、「あっ、グリーニーを忘れた! おれのバッグ取ってきてくれ!」と言い出し、後輩の若手に使い走りをさせた。その若手が野村氏のバッグの中味を見たところ、グリーニー以外にも筋肉増強剤のアナボリック・ステロイドなど様々な薬物がきれいに整理されて入っており、根深い〝中毒ぶり〟が感じられたという。グリーニーはオリックス時代、元大リーガーの外国人選手から勧められ、その選手のルートを通じて入手していた。「これを使うたら違うぞ。ふだん眠っとるパワーが出てくるんや」という野村氏に感化され、グリーニーに手を出した巨人の選手も何人かいる。私と親しい選手は「すぐやめた」と言っていたが。 巨人や野村氏に限った話ではない。05年夏には週刊朝日が、ボビー・バレンタイン監督率いるロッテの選手10人近くがグリーニーを常用していると報道し、球界全体を揺るがす問題に発展した。ロッテが終始一貫、強硬に否定したことで騒動は収束したものの、球団は週刊朝日を名誉毀損で訴えておらず、灰色決着に終わったという印象は否めない。あいつのナニは馬並みだあいつのナニは馬並みだ 私はそのころ、ある球団の通訳兼渉外担当から、外国人選手たちのクスリの乱用ぶりを聞いていた。パワーヒッターで鳴らしていた複数の大物がグリーニーやステロイドを常用していて、その通訳は実際に目の前で彼らが注射を打つ場面も見たという。元大リーガーの間では経口薬のグリーニーだけではなく、競走馬が出走前に打たれる興奮剤が流行していた。「あいつのナニは馬並みだ」という下世話なジョークを地でいく話だ(失礼!)。iStock メジャーリーグにおけるグリーニーの歴史は古い。元ニューヨーク・ヤンキース投手のジム・バウトンが執筆、1970年に出版されたMLB史上初の暴露本と言われる『ボール・フォア/大リーグ衝撃の内幕』(邦訳は1978年出版、現在絶版)には、大勢の大リーガーたちがまるで現代のレッドブルのようにグリーニーを服用している実態が赤裸々に描かれている。バウトンはボストン・レッドソックスのトレーナーから入手し、「レッドソックスは主力選手のほとんどがこのクスリをやっている」と書いてある。誰もが容易に手を染めてしまいかねない環境 いまの日本プロ野球がそこまで薬物に汚染されているとは思わないが、誰もが容易に手を染めてしまいかねない環境にあるのも確かだ。NPBや各球団のトップは清原容疑者や野村氏の個人的な背後関係ばかりに目を取られていないで、秘かにどのような薬物が流行し、選手たちの手に渡っているかを洗い直すべきだ。清原容疑者や野村氏以前にも、現役引退後に覚醒剤で逮捕された野球人の大物がいた。現状のままではいつ第二、第三の清原や野村氏が出てきてもおかしくはない。 ちなみに、『ボール・フォア』の著者バウトンは出版から8年後の1978年、39歳にしてアトランタ・ブレーブスと契約し、まさかのメジャー復帰を実現。5試合に登板して1勝を挙げている。これほど見事なカムバックはクスリに頼るだけではできないだろう。 興奮剤グリーニー(正式名称クロベンゾレックス)がNPB(日本野球機構)に禁止薬物に指定されたのは、選手のドーピング検査が導入された2007年からである。野村氏や巨人の選手たちが使用していた1998~2001年は、使ってもルール違反にはならなかった。 その後、2004年、グリーニーはWADA(世界アンチ・ドーピング機構)によって禁止薬物に指定される。このため、翌05年にロッテで複数の選手が常用していると報じられたときは社会的な問題にまで発展した。 また、日本の厚労省はグリーニーを医薬品にも禁止薬物にも指定しておらず、「未承認医薬品」と説明。公式HPでは「医師の適切な指導のもとに使用されなければ健康被害のおそれがある」として注意を促している。 ジム・バウトンの著書『ボール・フォア』はMLBで大反響を巻き起こし、当時のコミッショナー、ボウイ・キューンは薬物の乱用を問題視。コミッショナー名義で『ベースボールvsドラッグ』という公式パンフレットを全球団に配布するという措置を取り、薬物汚染に歯止めをかけるきっかけとなった。

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    清原容疑者は更生できるのか?メジャーの社会復帰成功例

    THE PAGEより転載 覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された清原和博容疑者に対する世間の視線が厳しい。今後、彼は更生できるのか? 野球界に復帰できるのか? という疑問の声も大きくなっている。だが、メジャーリーグでは、多くの人間が社会復帰に成功している。日米の社会性に大きな違いこそあれど、そこに清原容疑者が更生するヒントはないかーー。 2010年3月のこと。当時レンジャーズの監督(現アスレチックスコーチ)だったロン・ワシントン監督のコカイン使用が発覚した。前年、大リーグの薬物検査で陽性反応が出たと報じられたのだ。その時点でワシントンは辞任を申し出たそうだが、ノーラン・ライアン(当時レンジャーズ社長)らに慰留され、その後も指揮を執っている。 その理由としては、「1回だけだから」というものだったが、日本の感覚からすれば、1回とはいえ大リーグの監督がコカインを使用していた、ということだけでも十分に衝撃的で、チームが慰留したこともまた、清原容疑者が今、これだけの立場に置かれていることを考えれば、別世界と映るのではないか。あのとき実は、まさかワシントンが!? という声は多くはなかった。清原容疑者同様、ひょっとしたらと囁かれていた。なのに簡単に復帰を認められた理由には、メジャーの時代背景がある。 ワシントンが大リーグでプレイした1980年代は、大リーガーの40%がコカインに手を染めていたといわれ、1986年2月には、パイレーツの選手を中心に11選手がコカインの使用で当時のピーター・ユベロスコミッショナーに処分されるというスキャンダルが起きている。残念ながら当時、大リーグは麻薬にまみれていたようだ。 その際の処分内容も、日本から見れば甘く映る。例えば、デイブ・パーカーら7選手は、1年間の出場停止処分を受けたが、給料の10%をドラッグの更生プログラムに寄付する限り、試合に出場することを許された。もちろん、不定期の薬物検査、薬物に関連した100時間の社会奉仕活動も課されたものの、出場そのものが制限されることはなかった。残りの4選手も60日間の出場停止となったが、やはり給料の5%を寄付する限り、プレイすることができ、薬物検査などの条件はついたが、それだけだった。コカインを使用してもセカンドチャンス では、なぜ、コカインを使用しても、清原容疑者のように逮捕をされることもなく、セカンドチャンスが与えられ、更生の成功例が増えるのかだが、そこにはやはりアメリカ社会と日本社会のコカインなど薬物中毒に対する考え方の差がある。日本ではあくまでも犯罪だが、アメリカでは売る側に回らない限り、薬物に手を染めた人は、中毒”患者”と捉えられる。止めたくても止められないーー。つまり、日本では犯罪者となるが、アメリカでは病人と捉えられるため、リハビリによって更生させることに主眼が置かれる。大リーグの場合でも、ステロイドの使用には厳しい罰則があるが、コカインなどの場合は、更生プログラムが適用され、週3回の薬物検査が課される。 過去、完全なジャンキーとなったエンゼルスのジョシュ・ハミルトンにしても、大リーグ機構は 出場停止処分を下したが、復帰の道を閉ざすことはなかった。1999年6月のドラフトで“いの一番”でレイズから指名されたハミルトンは、2年後にはコカインにはまっていく。翌年から2005年までは、大リーグ機構から受けた出場停止処分も含め、3年間も試合に出場できなかった。その間は無給だったが、2006年にレイズのマイナーで復帰すると、その年のオフにルール5ドラフトでレッズに指名されて移籍。翌年、メジャー初出場を果たし、その初めての試合では彼が打席に入ると、シンシナティの4万2000人のファンが、薬物中毒から抜け出したことに対する賞賛の拍手を送った。ファンらは、後ろ指を差すのではなく、むしろ彼の勇気を称えたのである。 その後、ハミルトンはリーグMVPを獲得するまでになる。実際、そうして薬物中毒から復帰して活躍した選手は少なくない。前出のパーカーは1990年オールスターに選ばれた。同じときに処分を受けたロニー・スミスは、1989年に「カムバック・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。もちろん、ロッド・スカリーのように薬物中毒から抜け出せず、コカインの過剰摂取による心臓発作で死亡したケースもあるが、大リーグ機構もアメリカの社会も、彼らを見つめる目は、決して批判的でなく、社会復帰を念頭に置いたものだ。 現役時代、そして引退後に何度かコカインで陽性反応を示したダレル・ストロベリーという選手などは、薬物患者を救う側に回った。彼もまた1980年のドラフトでいの一番に指名されメッツ入り。1984年から8年連続でオールスターに選ばれたスーパースターだが、紆余曲折を経て2014年、2つ目の薬物中毒専門のリハビリセンターを開設している。自分が救われた経験を生かし、「同じように苦しむ人を救いたい」のだという。彼もまた、社会から排除されていたら、どうなっていたか。 ちなみにそうしたリハビリセンターでは、どういうことが行われているのか。かつて、トム・ウィルヘルムセン(レンジャーズ)が、マリファナの陽性反応が出ると、当時所属していたブルーワーズから強制的に施設に送られたが、その様子を教えてくれた。「毎日、朝食が終ると、グループごとに集まって、過去の過ちを共有する時間が設けられているんだ。家族を失った人の話も聞いた。仕事を失った人、ホームレスになった人もいた。そういう話をすることは、他人に危険性を伝えるというより、自分自身を晒すことで、過ちを自覚し、障害を乗り越えるという狙いがあるようだ。ただ、それよりきつかったのは、プライベートの時間だ。部屋にはルームメイトがいたが、完全なジャンキーだった。20歳ぐらい上かな。薬物中毒になるとこうなるのか、その恐怖と、彼と一緒にいる恐怖で、とにかく早く出たいと思っていた」ウィルヘルムセンはその後、一旦は野球を辞めバーテンダーをしていたが、独立リーグから大リーグ復帰を目指すと、マリナーズでそれをかなえている。あの時もまた、彼が初めてメジャーのマウンドに上がると、スタンドからはスタンディングオベーションが沸き起こり、拍手が鳴り止まなかった。 清原が今後、どう更生の道を歩むかはわからない。覚せい剤に対する社会的な制裁や捉え方に日米の社会で大きな違いがあることは確かだが、日本のトッププレーヤーがこぞって憧れて挑戦を続けているメジャーリーグには、薬物使用から更生した成功例がある。清原容疑者の更生の意思が強いならば、メジャーに習って野球界が、手を差しのべる必要があるのかもしれない。(文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)

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    「清原被告から焼肉弁当、もしあなたなら」 記者たちの弁

    食べることは『貸し』が生じてしまうため」(30代全国紙男性記者)「自分は食べません。取材対象が、刑事事件の被告となれば買収を疑われるような行動は厳に慎むべきだと考えます。清原被告をヒーローに祭り上げてきたのは、ほかでもないマスコミです。彼がスターに駆け上がり、また転落していった一連の流れの中には、ある意味マスコミとの共犯関係があったのではないかと自戒すべきだと思います。もっとも、弁当を食べて伝えるのも、その記者や所属するメディアの切り口であり、その記者個人を責めようとは思いません」(40代全国紙男性記者) 自分は食べなくても、食べる人を批判はしないという人が多い中で、40代スポーツ紙デスクはこう憤る。「食べない。取材対象に借りは作らない。作ると筆が鈍る。例えば食事をごちそうになったら、同額の贈り物をしています。その辺はしっかり線引きしています。『スポニチ』の記者が食べたことで、スポーツ紙記者がみんなクレクレ体質と思われるのが心外です。『スポニチ』の罪は大きい」 また20代男性のテレビ局ディレクターも、「食べない。少しでも相手に借りや弱みを作ると、本気で取材できないためです。批判はしませんが、食べる方たちは取材者との距離感を意識できていない方なんだなと思ってしまいます」 と、なかなか手厳しい。やるせなくて食べる気分になれない 他にも「口に入れるものなので得体の知れない弁当は食べたくない」(50代男性全国紙記者)「あのスーパーヒーローが転落しているその場にいることがやるせなく、とても食べる気分になれない」(30代男性スポーツライター)という意見も。 40代男性出版社編集者は、こういう。「現場で焼肉弁当は腹に重いため食べません。取材対象から焼肉弁当以上の豪勢な便宜供与を受けている取材者(特に政治部)なんて掃いて捨てるほどいますし、これが供応とかいう問題は木を見て森を見ず的な議論だと思う」 一方、「食べる」派の典型は、この30代男性ノンフィクション・ライターの意見だろう。「食べます。食べたうえで『清原の焼肉弁当』でエッセイ一本書きます。特上なのか上なのか、その店の常連だったか否か。なぜ焼肉弁当なのか。どこの店なのか。楽しそう。清原の気持ちに近づく上でも、食べない選択肢はこの場合はないかと」 50代男性コラムニストも、「ここぞとばかりに食べます。どんな弁当か、その中に清原の人となり、もしかしたらその時の心境も語られているかもしれないからです」 と、ノリノリだ。ネタとしてむしろ食い気味に食べたい人が多い。「食べます。それも写真を撮影次第、どの程度温かいかなどの情報も入れておきたいので、できるだけ早く食べます。今回の事件の性格を考えると、拾える材料はすべて拾いたい。食べるのも取材のうちであり、むしろ食べないのは職務怠慢と考えます。ネットであれこれ言われていますが、弁当ひとつで筆が鈍るわけがない。」(40代男性フリーライター)「どういう弁当なのか食べてみないとわからない。食べて、その感想や味について原稿に生かせればいいと思う。供応を受けるのとは違うと思う」(50代全国紙男性記者)「食べます。どんな弁当(味)か知りたいから。食べない理由が見つからない。食べないほうが失礼」(30代男性スポーツライター)「たぶん食べます。弁当の中身もネタになるかもしれないから。ただし、奢られっぱなしは気持ち悪いので、何回もは食べません」(40代男性週刊誌デスク)「個人的には食べたいですね。美味いのかまずいのか、それだけでも分かれば彼の心境を推し量る材料の一つになりそうです。ただ、現場で食えば批判されるのは目に見えていますし、悩むんでしょうね。あと、食べるなら何らかの形で代金を支払うべきだとは思います」(50代全国紙男性記者) 「供応」批判に対しては、こんな感じだ。「スポーツイベントのプレスルームで主催者が振る舞うサンドイッチやお菓子やお茶の類と同じようなものだと思う。あれをいただいたからといって、大会運営の瑕疵を見逃してやったりはしないでしょう。特定の会社や記者個人にあてたものでなければ、『取材相手からの供応』とはいえないような気もします」(50代フリーライター)「食べます。わざわざ返すのも大人げない。2000円程度の弁当では供応にはあたらないでしょう」(30代男性出版社編集者)「食べる。とりあえず、開けて撮影。この場合、食べたとしても便宜を図るような類のものではないので、取材として食べる。食べないと言う方も、例えば記者会見先で出された食べ物とかお土産、受け取ってますよね」(30代男性カメラマン)シャブ中・清原が差し入れた弁当の『中味』 他にも、「食べ物を無駄にしたくないから食べる。代金を清原宅ポストに代入れとけばなおよし」(50代男性全国紙記者)「過去に清原被告と知った関係であれば、ありがたくいただくと思います。人としての関係性として、そんなに悪いこととも思えないです。書くことは書くと思いますけどね」(40代男性ノンフィクション・ライター)なども。 いかにもテレビっぽいのが、50代テレビ局報道部ディレクターだ。「弁当はスタジオに持ち帰ってまず見せる。必要とあらばMC、コメンテーターに食べてもらって感想をいってもらう」 自分ではなく他人に食わせるという発想が面白い。また、かつて清原被告の私生活を撮るために自宅前などを張った経験がある40代男性写真週刊誌編集者は、こう語る。「食べます。他媒体は食べないだろうから。どこの誰がどういう経緯で作ったもので、味はどうなのか?知りたい読者は必ずいるはずです。また、焼き肉弁当というのがミソで、清原といえば焼き肉人脈で知られていますから、支援者につながる可能性もあります。取材後や取材中に差し出されたのならば考えますが、そうではなく、かつ、焼き肉弁当だったから、私ならば食べてリポートします」 本サイトでも大人力コラムニストとして活躍している石原壮一郎さんも「食べる」派だ。「せっかく差し入れしてくれたのに、食べないと相手にも弁当にも失礼です。罪を憎んで弁当を憎まず。そして何より、いいネタになるから。何にでも貪欲に食らいつくのが物書きの矜持では。ありがたくいただいた上で、同額程度のお返しを考えるのが大人のマナーだと思います」 続いて「供応批判」について。「そもそも清原の張り込みをしている時点で、芸能スキャンダルの色が濃い『野次馬取材』なわけですよね。もちろん、メディアにとって『野次馬』になることはとても大事です。だけど、そういう取材なのに、ジャーナリズムとしてのケジメ、みたいなことを言われても、ちゃんちゃらおかしいとしか思えません」 私自身どうかいえば、やっぱり食べて原稿にする。その場にいる報道陣全員に公然と配られたものなので「供応」とまではいえないと思う。ネガティブな取材を仕掛けている刑事被告人からの差し入れに若干後ろめたさを感じつつ、「シャブ中・清原が差し入れた弁当の『中味』」というタイトルを頭に浮かべながらその蓋を開けるだろう。関連記事■ いつでも温かいお弁当が食べられるUSB保温ポーチ■ セレブ系ハーフタレント 楽屋弁当食べず「何様!」の声出る■ 清原和博氏 転職サイトで運転手兼マネージャー募集の理由は■ 戸田菜穂 第2子出産以降、初の連ドラ出演でママの顔見せる■ 駅弁通の東進ハイスクール日本史講師が絶賛「廣島上等弁当」

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    「栗栖事件」に連なる田母神俊雄氏更迭騒動

    文にまとめ上げられた、その勉強ぶりにはほとほと感嘆するより他のない労作である。栗栖弘臣元統幕議長栗栖事件に連なるもの その内容は、平成7年の大東亜戦争停戦50周年の節目を迎へた頃から急速に高まり、密度を濃くしてきた、「日本は侵略戦争をした」との所謂東京裁判史観に対する反論・反証の諸家の研究成果をよく取り入れ、是亦短いながら日本侵略国家説に真向からの反撃を呈する見事な一篇(いっぺん)となつてゐる。 筆者は現職の自衛隊員を含む、若い世代の学生・社会人の団体に請はれて、大東亜戦争の原因・経過を主軸とする現代史の講義を行ふ機会をよく持つのだが、これからはその様な折に、この田母神論文こそ教科書として使ふのにうつてつけであると即座に思ひついたほどである。ここには私共自由な民間の研究者達が、20世紀の世界史の実相は概(おおむ)ねかうだつたのだ、と多年の研究から結論し、信じてゐる通りの歴史解釈が極(ご)く冷静に、条理を尽して語られてゐる。村山談話は破棄すべし そして、さうであればこそ、この論文は政府の見解とは対立するものと判断され、政府の従来の外交姿勢を維持する上での障害と看做(みな)されて今回の突然の空幕長解任といふ処置になつたのであらう。1日付の本紙は、歴史認識についての発言が政府の忌諱(きき)にふれて辞任を余儀なくされた、昭和61年の藤尾氏、63年の奥野氏を始めとする5人の閣僚の名を一覧表として出してをり、これも問題を考へるによい材料であるが、筆者が直ちに思ひ出したのは昭和53年の栗栖統幕議長の更迭事件である。 現在の日本の憲法体制では一朝有事の際には「超法規的」に対処するより他にない、といふのが、国家防衛の現実の最高責任者であつた栗栖氏の見解で、それはどう考へても客観的な真実だつた。栗栖氏は「ほんたう」の事を口にした故にその地位を去らねばならなかつた。その意味で今回の田母神空幕長の直接の先例である。村山談話は破棄すべし 我々が「真実」だと判定する田母神論文と相容(あいい)れないといふのなら、政府の公式見解は即(すなわ)ち「虚妄」といふことになる。実にその通りである。政府見解の犯してきた誤謬(ごびゅう)の罪も中曽根、細川両首相があれは侵略戦争だつたと言明して以来の長い歴史を経てゐるが、決定的な罪過(ざいか)は平成7年の村山富市談話である。 あの年の夏、国会による過去の戦争についての謝罪決議といふ、世界史上未曾有の愚行がすんでの所で実現しかかつたのを、国民運動による506万人分といふ数の決議反対署名を以て辛うじて阻止した。すると村山首相がまさに民意の裏をかく卑劣な手管を弄し、総理大臣談話といふ形で謝罪決議が目指した効果の一半を果すの挙に出た。 それ以来、内閣が交替する度毎に、歴代首相は政府の歴史認識は村山談話を踏襲すると宣言しては、外交上の自縄自縛状態に閉ぢ籠り続けた。この閉塞(へいそく)状態を打開してくれる尖兵(せんぺい)として我々が期待をかけた安倍晋三氏もそれを敢行してくれなかつたし、今度の麻生太郎氏も、田母神論文を排して村山談話に与(くみ)するといふ選択をはつきりと見せつけてしまつた。 この選択の誇示によつて、懸案の同胞拉致も領土問題も、靖国神社公式参拝問題も全て、国民の期待と希望を大きく裏切つて又しても解決が遠のく。国民の名誉と安全が脅かされてゐる事態は解消しない。然し田母神氏の更迭事件は我々に或る大きな示唆を与へてゐる。即ち、今や村山談話の破棄・撤回こそが、国民の安全にとつての最大の政治的懸案となつたのである。(こぼり けいいちろう)(※iRONNA編集部注:肩書き等は産経新聞掲載当時のものです)

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    ネット右翼の終わりが鮮明に 田母神事務所強制捜査の衝撃

    古谷経衡(著述家)共闘から埋めがたい亀裂へ 「―やっぱり(捜査が)入ると思っていた。特段の驚きはない」 3月7日昼過ぎ、元航空幕僚長の田母神俊雄氏の事務所や自宅を、東京地検特捜部が強制捜査(業務上横領容疑)したという衝撃的なニュースが入った直後、筆者の電話取材に対し、田母神選対に深く関わった元関係者のA氏は冷静にこう答えた。 2014年2月、猪瀬都知事(当時)の辞任に伴う東京都知事選挙で、独自候補として擁立された田母神俊雄氏は、主要四候補のうち最下位の4位に終わったものの、約61万票の得票を受けておおむね健闘した。その際、最大の支持母体は衛星放送番組制作会社・日本文化チャンネル桜(以下チャンネル桜)と、同局と一体となっている傘下の政治団体などであった。2014年都知事選で演説する田母神候補(写真:Natsuki Sakai/ アフロ) 非自民で強固な保守層(自民党より右)に訴えた田母神氏は、当時チャンネル桜やそれを包摂した保守界隈が一丸となった応援によって、インターネット上で保守的、右派的な言説を採る「ネット右翼層(ネット保守とも)」から絶大な人気を集めた。ネット上のアンケートやハッシュタグで、「田母神旋風」が吹き荒れた。 選挙結果は既に述べたとおりだったが、選挙後しばらくして、かつて「同じ釜の飯を食った」同志であるチャンネル桜と田母神氏との間に埋めがたい亀裂が表面化した。田母神氏が選挙時に集めた(寄付)約1億3200万円の内、5000万円にも及ぶ巨額の使途不明金疑惑が浮かび上がったのだった(この上で、昨年、田母神氏は秘書による私的流用を一部認めている)。 田母神氏を「東京だけではなく日本の救世主」として候補に祭り上げたチャンネル桜自体が、一転して田母神氏の資金疑惑を追求する、という展開になった。今回の強制捜査は、こうした一連の使途不明金疑惑を受け、地検が本格的に動いたものだ。無論、田母神氏は起訴されたわけでもなく、よって裁判になっているわけでもない。現時点(本稿執筆の2016年3月7日現在)では無罪だ。が、地検による強制捜査という今回の報道は、疑惑に蓋然性があるのではないかという憶測に火が付き、各方面に衝撃が走っている。ネット右翼の象徴としての田母神氏ネット右翼の象徴としての田母神氏 田母神氏が表舞台に立ったのは2008年。ホテルグループ「APA」が主催する懸賞論文『真の近現代史観 懸賞論文(第一回)』に、田母神氏の論考が採用され、大賞を受賞したのだ。この「論文」の内容は一言で言えば「日中戦争はコミンテルンが仕掛けた謀略であり、日本は中国を侵略していない(むしろ防衛戦争であった)」という歴史根拠の一切無いトンデモ・陰謀論を彷彿とさせるものだった。が、当時定年間近とはいえ現役の航空幕僚長が政府見解と真逆のオピニオンを展開したことで、氏は一躍時の人となった。 思えば、田母神氏はネット右翼にとって象徴的存在であった。前記「田母神論文」が世を賑わせるやいなや、一躍スターとして保守界隈に踊りでた田母神氏は、著作・番組出演・講演会などと八面六臂の活躍を見せた。それまで雑誌『正論』と産経新聞という、貴族的な言論空間に自閉し、突飛な物言いを謹んできた旧来型の保守(凛として美しく路線)と、田母神氏は何から何まで異なっていた。田母神俊雄氏 田母神氏いわく、 「(世田ヶ谷で検出された2.7マイクロシーベルトの)1万倍の放射線でも24時間、365日浴びても健康上有益」 「(福島第一原発から)発生する高濃度汚染水は、欧州ではコーヒーを飲むときの水」 「(イスラム国に拉致・殺害されたジャーナリストの)後藤健二さんが在日かどうか調べて欲しい」 「左翼は見ればわかります、体が左に傾いているから」 などと、到底事実とは異なるトンデモで過激な物言いが氏のツイッターやブログから飛び出すことになった。それまで穏健・温和を旨としていた保守系言論人には無い過激な物言いに、ネット右翼は一斉に喝采を送った(これは、現在のトランプ旋風にも似ている現象である)。権威としての「田母神」 現在では、保守系言論人の少なくない部分の人々が田母神氏と同様の発言を行っている嫌いがあるが、ブロガーやユーチューバーなどではなく「元航空幕僚長」という立派な社会的肩書でこのような言説を展開する人物がほぼ皆無だっただけに、これまで既存の大手メディアから黙殺・蔑視され、それゆえに権威からの承認に飢えていたネット右翼は「元航空幕僚長・田母神俊雄」を熱狂的に支持した。 そしてなにより、田母神氏の持つあらゆる世界観こそ、根拠なき陰謀論や空想が寡占的であったネット右翼の世界観を忠実にトレースしたものだった。普通、保守系言論人は、自らの下位に位置するネット右翼に知識を与え授ける「上からの教化」を役割としていたが、田母神氏の登場によって粗悪な陰謀論を縄張りとするネット右翼の言説と、保守系言論人が一体化するという皮肉な劣化現象が発生したのである。 ネット右翼が創りだした根拠なきデマを田母神氏が広い上げ、ツイッターで拡散する。すると「権威から承認された」「田母神さんが言っているんだから間違いはない」などとして、ますますそのデマが雪だるま式に拡散されていく、という悪循環を生んだ張本人が田母神氏であった(その典型が、前述後藤さんの例など)。 無論、「私はいいひとです!」などのジョークを旨とする氏の軽快で個性的なキャラクターも人気の原因のひとつであった。まさにこのように、田母神氏は、我が国のネット右翼史を語るにあたって、避けて通れない最大のキーパーソンなのである。都知事選立候補都知事選立候補 田母神氏の上記のような過激で、時としてトンデモや陰謀論を惹起させる物言いに眉間にしわを寄せる保守系言論人も少なくはなかったのだが、氏が保守界隈の押しも押されぬスターとしてその階段をかけ登っていくうちに、そういった異論は封殺されていった。 2010年2月、チャンネル桜と密接な関係にある政治団体「頑張れ日本!全国行動委員会」が設立されると、その会長として田母神氏が擁立された。同会の実質的な運営は、幹事長に就任したチャンネル桜の創設者で社長でもある水島総(みずしまさとる)氏が指導的であった。この団体の設立こそ、2014年2月の東京都知事選挙に田母神氏を候補として突き進んでいく第一の橋頭堡だったのである。東京都知事選告示後、渋谷駅前で第一声をあげた田母神俊雄氏(右)と応援に駆けつけたタレントのデヴィ夫人=2014年1月23日、東京都渋谷区 2013年12月の忘年会で「きたる来年(2014年)の都知事選挙に立候補して欲しい」という水島氏の説得を快諾した田母神氏が、翌2014年の年明け早々、立候補を公式に表明すると、当然、擁立母体のチャンネル桜を中心として、国家総力戦の如き猛烈な「動員」が実施された。「動員」とは、同局に出演しているキャスターや常連コメンテーターらを片っ端から選挙応援演説に繰り出すことであり、それはまるで「根こそぎ動員」の状況であった。「田母神を支持せぬ者は保守に非ず」 ここから生まれたのが、「田母神ガールズ」と呼ばれた女性陣であった。彼女たちは街頭で田母神氏の応援カー(街宣車)に乗り、高らかに田母神支持を訴えた。彼女たちは全員チャンネル桜の常連出演者と同一であり、ここからも同局が一丸となって田母神氏を応援したことが分かる。それだけ彼らは真剣で必死だった。その燃える心は、本物だったであろうと現在でも思う。 後援団体「田母神としおの会」には、保守界隈の重鎮から末端に至るまで、続々と賛同人が記載されていった(下記)。何を隠そう、当時、同局のネット番組のいち司会を務めていた私も、この賛同人の末席に登場する。当時の保守界隈の空気感は、「田母神を支持せねば保守に非ず」といった風で、田母神氏への異論は完全に封殺されていた。 私はそもそも「田母神論文」の発表時点で氏の言論人としての性質に疑問を持っていたし、あらゆる著作内容を総合しても、到底都知事の器ではあるまいと考えていたが、それを関係者に吐露すると「古谷(筆者)は反田母神の思想を持っている裏切り者だ!」と選対本部に通報されるという、ゲシュタポか中世末期の魔女狩りの塩梅であった。当時の保守界隈の空気感はこんなかんじだった。「あの金はどこへ行った」「あの金はどこへ行った」 選対から何度も何度も「応援演説に来るように」という矢のような催促があったが、私は1回だけ参加した以外は全て断った。そうして選挙が終わり、田母神氏が負けると「敗戦処理」のような状況になり、選挙に貢献しなかった人物が徐々に疎まれるようになった。私は名指しで説教をされ、田母神ガールズの人々からも徹底的に嫌われてしまった。 頑なに田母神氏の応援を拒否した私も人付き合いが下手だったのだろう。もう少し柔軟であれば、現在でも彼らと酒を酌み交わすくらいの仲で在り続けたかもしれない。が、過ぎた日は帰らない。私がこの後、彼らと行動を分かった直接の遠因はこの選挙だった。そして彼らの異論を許さない異様な同調圧力に精神が耐えかねたのもこの選挙だった。その後、チャンネル桜と田母神氏も前述のように離反して、現在に至っている。業務上横領容疑で東京地検特捜部の家宅捜索を受けた、田母神俊雄氏の事務所が入るビル=2016年3月7日午後、東京都千代田区 冒頭に登場したA氏は、しみじみと言った。 「田母神論文の内容を度外視して、ある種の熱気として、シンボルとして田母神氏を祭りあげてしまった、保守側にも原因はあるのだろう。そのせいで、田母神氏のずさんな部分を知りながら、何も言うことのできない強烈な同調圧力が出来てしまった。いま思えば慙愧に堪えない」 かつて「東京のみならず日本の救世主」として保守界隈、そしてネット右翼からスターに祭り上げられた田母神氏が、地検から強制捜査の咎を受けるとは、よもや都知事選挙の際には万人の頭の中になかったであろう。 無論、繰り返すように、田母神氏は現在、なんら罪が確定したわけではない。が、ネット右翼の象徴として君臨し、そして君臨し続けた田母神氏への疑惑が強制捜査となったのは、単にいち候補の選挙資金の使途不明疑惑という枠を超えた意味合いを見つけることができる。 「年金生活者の老人たちが、苦しい生活の中から一万円、二万円を(田母神氏の政治資金管理団体に)寄付していた事実を知っているだけに、やるせない思い」(前述A氏) 「都知事選挙でボランティア、手弁当で参加、協力したのに、裏切られた思い。事実ならお金を返して欲しい」(匿名のB氏) 「秘書が流用しているだけと信じたいが、本当に本人は知らないのか、ますます不信が高まった」(匿名のC氏) このようなやるせない人々の声は、果たして晴れる時が来るのであろうか。「原罪」を背負った保守「原罪」を背負った保守 都知事選挙の時、田母神氏の応援賛同人にあらゆる保守界隈の人々がこぞって名を連ねた。或いは田母神氏の理論の誤謬を見つけながらスターとして祭り上げた。分かってはいるが、知ってはいるが、「保守全体の利益」だの云々、或いは「東京のため、国家のため」を大義として、彼をスターに祭り上げたのは他でもない保守自身だった。これは保守にとって「原罪」として記憶されることになるのではないか。 左の写真は2014年2月の東京都知事選挙の時に作られた賛同人一覧を示すポスターである。保守論壇を飾るきらびやかな人々が重鎮から末端に至るまでずらりと名を連ねている(筆者は、上段四段目右側)。少なくとも田母神氏自身が認めているように、本人の関与は分からないが、秘書による私的流用は事実だ。 支援者からの浄罪、つまり寄付金が私的に使われたという大きな疑惑に、いっときでもお墨付きを与えてしまった保守界隈は、果たして無実でいられるのだろうか。あらゆる意味で田母神氏を利用し、祭り上げ、そしてネット右翼に力を与えてきた保守界隈に、罪なき人など居ないのである。今後の状況は捜査の進展次第になろうが、すまし顔で「私は関係ない」としているのならば、それは潜在的共犯であろう。 私は、氏の政治資金団体に1万5千円の寄付(決起集会参加費)をしたのを、今でも後悔している。 ネット右翼の象徴としての田母神氏は、ネット右翼を映す鏡でもある。氏の言動はネット右翼の集合知そのものであり、またそれはネット右翼に転写され影響力を持つ「合わせ鏡」だ。氏の権力の衰微は、そのまま保守界隈とネット右翼の減衰に直するのは言うまでもない。保守政権下、ただでさえ安倍政権から疎んじられている保守界隈とネット右翼の、本格的終焉が近づいている。 そうならないためにも、保守界隈は「私は関係ない」では済まされない。*参考・出典『ネット右翼の終わり』(晶文社、2015年、拙著)(2016年3月7日 Yahoo!ニュース個人「だれ日。」より転載)

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    元少年Aの「性的サディズム」は本当に解消されたのか

    小宮信夫(立正大学文学部教授) 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)の加害男性(元少年A)が世間を騒がしている。手記「絶歌」の出版、自身のホームページの開設、週刊誌のスクープと続いたからだ。猟奇的犯罪を再び犯すのではないかという不安も生まれている。そこで以下では、犯罪学者の視点から、元少年Aの再犯の可能性と少年法の更生システムの問題点について考えてみたい。殺人の原因と再犯の可能性 神戸家裁の少年審判では、性的サディズムが殺人の原因だったと認定された。これは、通常であれば、女性の身体的特徴(視覚的刺激)によって起こる性的興奮が、相手に苦痛を与えることで起こる性的嗜好である。神戸連続児童殺傷事件、土師淳君の頭部が見つかった友が丘中学の現場を視察する佐藤英彦・警察庁刑事局長ら=1997年6月1日 この認定に基づき、医療少年院では性的サディズムの解消に向けた治療プログラムが行われた。そのかいがあって、少年Aは女性に関心を示すようになったという。治療効果が確認できたので、少年Aは少年院を退院していく。 もっとも、性的サディズム自体は合意があれば犯罪にはならないので、少年Aの場合は、それがエスカレートし、人を殺したり遺体を損壊したりすることで性的満足を得る「快楽殺人」に至った点も忘れてはならない。 エスカレートさせた要素は、単なるキレやすい性格なのか、あるいは殺人さえも表現形態とみなす自己顕示欲なのか。いずれにしても、性的サディズムが解消されたとしても、そうした要素が減退していない限り、再犯の心配がないとは言えない。 元少年Aのホームページには、難解な絵が多数掲載されている。この絵を見たとき、FBI(米司法省連邦捜査局)を訪問したときのことを思い出した。FBIの行動科学課は、プロファイリングを開発したことで有名だが、その一角に、連続殺人犯が描いた絵や彼らが書いた手紙を集めた「邪悪心研究博物館」がある。そこで見せてもらった絵も、不気味なものばかりだった。元少年Aの絵とは明らかに違うと言えればいいのだが、そう言い切る自信はない。 このように、人々の不安をかき立てることが続くと、必ず少年法がクローズアップされる。厳罰で臨むべきだとか、適用年齢を引き下げるべきだといった議論だ。しかし、こうした改正は少年犯罪の抑止力にはならない。なぜなら、犯罪をする瞬間は「絶対に捕まらない」と思っているからだ。逆に言えば、「捕まるかもしれない」「捕まったらどうしよう」と思う人は、犯罪はしないのである。少年法の根拠とその揺らぎ そもそも、少年法のルーツはアメリカの「犯罪原因論」にさかのぼる。犯罪原因論は、生物学的原因、心理学的原因、あるいは社会学的原因を取り除くことによって、犯罪を防止できると考える立場だ。しかし20世紀後半、犯罪原因論に有効性と有害性の両面から厳しい批判が向けられた。 有効性を否定する論調に大きな影響を与えたのが、ニューヨーク市立大学のロバート・マーティンソンが1974年に、「これまでに報告されている更生の取り組みは、再犯に対して目に見える効果を上げていない」と発表した論文だ。 この「何をやっても駄目」(Nothing works)と考える立場は、要するに、犯罪の原因を特定することは困難であり、仮に特定できたとしてもその原因を取り除くことは一層困難である、ということを根拠としている。 更生プログラムに再犯防止の効果が期待できないとなると、刑罰の存在意義が疑われることになる。その結果、「犯罪が行われないように罰する」という未来指向の見方(功利主義的刑罰観)から、「当然の報い」(Just Deserts)として「犯罪が行われたから罰する」という過去指向の見方(応報主義的刑罰観)へと、刑罰の位置づけが変わった。多彩なメニューで柔軟な対応を 一方、有害性を指摘する批判は「犯罪原因論は人権侵害につながる」というものだ。例えば、心理学的原因が取り除かれるまで収容できる少年法の不定期刑の下では、軽犯罪しか行っていない者でも、当局の判断次第で少年院や刑務所に長期間入れておくことができる。再犯防止の役割を刑罰に期待する功利主義的刑罰観に立てば、当然そういうことは起こり得る。その結果、罪刑均衡と量刑の公平性を求める応報主義的刑罰観の方に支持が集まるようになった。 1975年のアカデミー賞主要5部門を独占した『カッコーの巣の上で』も、犯罪原因論の有害性を告発した映画だ。そこで取り上げられたロボトミー(脳の前頭葉を切除する)手術は、今でこそ廃人同然にする「悪魔の手術」として禁止されているが、かつては「奇跡の治療」として大流行し、その考案者であるリスボン大学のエガス・モニスはノーベル賞まで受賞している。 こうして、犯罪者が抱える原因に注目する犯罪原因論は求心力を失うとともに、それまでの決定論的な色彩を薄め、確率論的なリスク論へと変容していった。それは、「原因としての決定因子から傾向としての危険因子へ」という視座の移動である。ここで言う危険因子(リスクファクター)とは、それが多ければ多いほど犯罪へと走らせる可能性を高めるもの。「高血圧や高コレステロールは生活習慣病の危険因子」などという言い方と同じ使い方だ。多彩なメニューで柔軟な対応を この視座の移動は、非行少年の処遇はワンパターンであってはならず、多様なバリエーションを用意すべきことを意味する。なぜなら、決定因子は少数だが、危険因子は多数だからだ。 例えば、日本には、犯罪原因論が当然の前提とした、国家と加害者を主役とした「刑事司法」しか存在しないが、西洋諸国には「修復的司法」と呼ばれるもう一つのシステムが存在する。そこでは、被害者、加害者、そしてコミュニティという三者間の人間関係の修復を目指し、被害者と加害者が直接に話し合い、裁判官ではなく、コミュニティが話し合いをまとめている。 システムの外に被害者が置かれていては、被害者の心の傷を癒やすこともできなければ、被害者の苦痛の大きさを犯人に気づかせて犯人を改心させることもできない、というのが制度導入の理由だ。 また、サウスカロライナ医科大学のスコット・ヘンゲラーが開発した「多重システム療法」(Multisystemic Therapy)も、海外で高い評価を得て実践されている。そこでは、少年の周囲に焦点を合わせ、親のエンパワーメント(能力強化)や、友人・地域のサポートネットワーキング(支援人脈づくり)が図られている。 危険因子を抱えた少年を支援しても、その周囲の人が望ましくない行動をとっていれば、それがコピーされ、支援の効果が消されてしまう、というのが手法導入の理由だ。 日本でも、非行少年の性格や境遇は千差万別だ。それに伴って、犯罪の動機や原因も千種万様である。治療法や支援策が非行少年の個別のニーズにできるだけ合うように、処遇メニューの多様化が必要ではないだろうか。少年法をめぐる議論の中に、このことも取り込んでいただきたい。

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    表現の場が理不尽に奪われたとき、元少年Aの「Xデー」はやってくる

    元少年A」という表現者として、世間に登場したことになる。東京都内の書店に並べられた、神戸連続児童殺傷事件の加害男性が「元少年A」の名前でつづった手記「絶歌」 彼にとっては「書くこと」は「生きる道」だ。もちろん、『絶歌』の出版は賛否両論がある。事件の舞台となった神戸市の図書館では取り扱わないとの方針まで出た。出版という手段だったことも手伝って、表現したことがバッシングがなされた。出版への反対意見が強まれば、「書くこと」が制限され、「生きる道」を閉ざされる心配はあった。 しかし、「週刊文春」や「週刊新潮」、「女性セブン」に資料を送りつけてまで、彼自身はホームページの存在を知らしめた。表現の場を確保したことをアピールしたのだ。さらには有料のブロマガまで発行しようとした。私がメールで取材依頼をしたことへの返答もこのブロマガでなされた。表現するほどの欲求がないのかもしれない さすがに有料での情報発信は、『絶歌』への批判が消えていないタイミングでもあるため、批判が多かった。私は有料かどうかではなく、取材依頼をメールを断りなく、掲載されたことについて、少なくとも事前に公開することは教えて欲しかった。結局、サービス元が彼のブロマガの発行停止をした。 ただ、彼の「書く」場がなくなったわけではない。ホームページも当初から見ると、改良されており、更新されている形跡がある。ただし、『絶歌』出版に感じていた「書くこと」が「生きる道」といったほど、表現欲求に枯渇しているようには見えない。例えば、昨年12月25日のブログのエントリーがそれを物語っている。というのも、7月に美術館に行った話を12月にアップしているのだ。 そのエントリーには、こう書かれている。 物造りを生業とする人にとって、利き手が自由に使えないことはどれほどの恐怖だったろう…… たとえ手足を捥がれようと、常に何かを造らずにはいられない表現者という生き物の業に身震いがした。 彼なりに表現者への理解を示している。「常に何かを造らずにはいられない表現者」というのは、まさに『絶歌』を出版し、ホームページを作った彼自身の欲求に似ている。しかし、なぜ、5ヶ月前の話を書いたのか。想像すると、何かを表現したいという気持ちがないわけではないだろうが、「ネタ」が何もないのではないか。あるいは、表現するほどの欲求がないのかもしれない。 最新のエントリーも1月だ。しかも、読者の質問に答えつつも、12月に行った絵画展のことが書かれている。なぜ、12月に書かなかったのか。少なくとも、現段階では、表現欲求がそれほど高くはない。そして、読者の悩みについて、こう書いている。 あなたも僕と同じ表現者の端くれであるならば、今回のように辛く苦しく理不尽な事態に直面した時に、自らの苦悩の表出を他者に委ねるようなことはせずに、今こそ「チャンス」であると捉えてほしいのです。 自らの苦境を表現することで満たせていくことをアドバイスしている。もし、真にそう感じるのであれば、まさに、彼自身が『週刊文春』にされた行為に対して、「自らの苦悩を表出」すればいいはずだ。しかし、その場では乱暴に振舞っているが、表現欲求が揺さぶられているようには思えない。 彼はかつて、殺害した男児の首を校門に置いていた。彼にとってはそれが表現の手段だったかのような書き方を『絶歌』で書いている。彼の表現欲求が高まるときは、世間を騒がせたい欲求と似ている。だとすれば、ホームページなどで、表現しても表現しきれなくなったときにこそ、あるいは、表現しようとしてもその場が理不尽な奪われ方をしたときにこそ、「Xデー」がやってくるのではないかと思える。少なくとも今は、そこまで表出する何かを感じることができない。

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    元少年Aの「Xデー」はあるのか

    昨年6月に手記『絶歌』を出版した「元少年A」の近況が、週刊文春の直撃取材で明らかになった。取材の是非については賛否があったとはいえ、自己顕示欲がむき出しの彼の奇行からは、更生とはほど遠い一面もうかがえる。一部メディアでは「逮捕情報」まで飛び交う元少年A。Xデーはあるのか。

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    週刊文春の直撃に元少年Aが「命がけで来てんだな」と威嚇した意味

    を直撃」については、疑問も含めていろいろ考えさせられる。 『週刊文春』のその記事は、神戸連続児童殺傷事件の元少年Aを直撃して、目伏せをした顔写真を公開したものだ。元少年Aの近影が公開されるのはこれが初めてだ。 元少年Aについては、昨年、『女性セブン』も直撃を行っているが、相手が否定しているから、それが本当に元少年Aなのかどうか曖昧だった。しかし今回の記事は、昨年の『絶歌』発売前後から250日にわたって彼を追跡してきたという経緯が詳細に書かれており、印象としては本物と考えてよいだろう。 記事によると、元少年Aは昨年9月末までは神奈川県のアパートに住んでいたが、突如そこをバッグひとつで慌てて退去。ウイークリーマンションで数週間過ごした後、12月に都内のアパートに入居した。ここを1月26日に『週刊文春』が直撃したのだが、そこも数日後に退去したという。マスコミの動きを含め周囲に何か気配を感じるとすぐに転居するということを繰り返しているらしい。 『週刊文春』は取材に応じてほしいという手紙を渡すために記者が直撃したようなのだが、相手は自分が元少年Aであることを否定。さらに記者が食い下がると、乗っていた自転車を地面に叩きつけて、こう言ったという。 「命がけで来てんだろ、なあ。命がけで来てんだよな、お前。そうだろ!」 自身がマスコミ報道によって身の危険にさらされるのだからお前も命がけで来てるんだろうな、と記者に詰め寄ったというのだ。これはなかなか象徴的だ。今回の『週刊文春』の記事を読んで思うのは、直撃して顔写真を載せるという行為をするにあたっての報道機関としての大義名分は果たして何なのだろうか、ということだ。それなしに、ただ犯罪を犯した人間を追い回しているだけでは、単なる「報道の暴力」だからだ。 いまの元少年Aというのは、少年法の精神によって更生を図るというのは具体的にどういうことなのか、身をもって示している実例だ。神戸児童殺傷事件について知っている者は誰だって被害者に同情し、犯人に怒りを覚えている。それにもかかわらず刑罰を科さず、元少年が更生することを保証するという試みが少年法で、それは現実社会において果たして有効なのかどうか。彼は刑事罰を免れる代わりに、その少年法の有効性を証明してみせる責任を負っている存在だ。 元少年Aが住居を転々として逃げ回るのは、へたをすると自分が集団リンチにさらされ、抹殺されかねないということを知っているからだろう。正直言うと、彼の怯え方はやや度を越しているようにも思えるのだが、そういう恐怖心を抱くのは決して杞憂ではない。一歩間違えればそうなる危険性はたぶんにあるといえよう。 そんなふうに元少年Aを社会がおいつめ、更生の機会を奪ってしまうのを少年法は戒めている。今回の『週刊文春』は敢えてその危険な領域にまで踏み込んでいるといえるのだが、それゆえにこそ、それなりの「報道する理由」は必要だ。 今回の『週刊文春』の記事においては、そういう問題があることを自覚して、いろいろと「なぜ報道するか」を説明しているのだが、それがどの程度説得力を持っているかについては、若干の懸念は感じざるをえない。たぶん同誌としては、今回、満を持して対象に直撃を行ったのだから、その当面の成果だけでも誌面化したいと思ったのだろう。何を何のために報道するのか 正月以来、連続してスクープを放っている『週刊文春』の進撃ぶりには敬意を表したいが、たぶんいつまでそれを続けられるのか、若干のプレッシャーを編集部は感じていることだろう。そこから、多少無理をしてでも話題性のある記事をという心理状態に陥ることは避けなければならない。 報道機関は、その報道が本当に重要だと思ったら、相手が傷つくのを知っていても敢えて記事にするという覚悟が必要だ。しかし、そのためには、いったい何を何のために報道するのかという自問は重要だ。 元少年Aは出版の話を持ち掛けた幻冬舎の見城徹社長への手紙の中で、本を出すひとつの理由を〈精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらずに死に物狂いで「一番肝心な」三十代を疾走してやろうと決めたのです〉と書いていた。 ただ現実には『絶歌』出版もさることながら、ブログの公開内容などを見ていると、『週刊文春』が今回書いているように、周囲に相談する人もおらず「糸の切れた凧」状態にあるように見える。死に物狂いで疾走していったいどこへ向かおうとしているのか確かに気になるのだが、だからといって放置すると危険だから追い詰めろという理屈が妥当性を持つとは思えない。 今回の『週刊文春』がひとつの問題提起を行ったという意図は認めたい。ただ元少年Aの「命がけで来てんだろうな」という問いに、今回の報道が応えることができているのかどうか。同誌編集部には自問してほしいし、我々も考えてみるべきだと思う。(2016年2月20日「Yahoo!ニュース」より転載)

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    警察は元少年Aを強制捜査できるか 少年法の「呪縛」と事件価値

    ことはだれの目にも明らかだ。 元警察官の経歴を持つ者として、読者諸氏が最も関心のあると思われる、この事件を着手する際の社会的意義、特に警察の判断の背景などを一私人、個人の立場から紹介してみたい。 実は警察幹部が事件を判断する際に「事件価値」というものがある。事件価値というあいまいな概念はなかなかわかりにくい。警察が強制捜査に踏み込む際には、担当捜査幹部による総合的な判断がなされる。今回の事件では兵庫県警本部長に加え、警察庁担当部局にも相談しているだろう。証拠に基づく犯人の特定や犯罪成立に関する教科書的な構成要件、違法、有責といった基本的な逮捕の前提となる諸要素のほか、事件の悪質性、世間への影響、世間の関心の高さなど様々な要素があり、それらをまとめて事件価値という。 同時に事件価値の判断には、警察当局のその時々の考え方・意図が最も鮮明に込められることになる。元少年Aの場合でも警察当局は逮捕に踏み切るべきか否か、事件価値を判断することになる。 警察当局には「少年法の呪縛」というような思いがのしかかっている。今回の事件に関しては、少年法の目指す「少年の健全育成」という理想の呪縛がある。「性格の矯正」「環境の調整」などの保護処分や「刑事事件について特別な措置」を講じて、少年を健全に育成するという理想の追求がうたわれている(少年法1条)。 我が国の少年法制は、占領下、GHQ関係者の理想主義に基づいたある意味で実験的な立法という側面があったといわれる(少年法の制定は昭和23年7月15日、施行は昭和24年1月1日)。 アメリカの少年法制に比べてもわが国の少年法制は理想主義色が濃い。進駐軍はある意味わが国で実験しようとしたのだろう。その根本は、少年は健全に育成できるという「性善説」に基づいている。しかし、現実は犯罪少年の矯正、再教育は困難を極める。どの国でもどうしたらいいのか議論が続いている。 今回の容疑者は、犯行時成人になっている元少年Aということになる。既に成人であるから少年法が影響することはない。成人だから成人として淡々と判断すればいい…と一応はいえるが、現実的には元少年Aの実名などが白日の下にさらされることになることは否定できない。 しかし、元少年Aの再度の犯罪であることで世間の注目度が高く、結果的に少年時代に犯し少年法で守られてきた多くのことが改めて掘り起こされ、暴かれることになる。少年法は成人してから再犯者となった人物の、それまで守られてきた少年時代の情報保護の縛りを解除することを想定していない。新たな立法が必要になるだろう。社会防衛が優先されるのか、個人の自由が重視されるべきか また、重要なことは加害者の矯正が重視され、被害者の立場が考慮されてこなかったという現実がある。今回の元少年Aの出版で、被害者や遺族は改めて深刻な被害にさらされた。 我が国では長らく、犯罪者の矯正や社会復帰などにより重点を置いて、被害者の感情などへの配慮に欠けてきた。平成16年の犯罪被害者等基本法の制定は、犯罪被害者の立場に配慮をする姿勢への転換点であった。 元少年Aに犯行を悔いる発言や謝罪がないことなど被害者の感情への配慮を欠き、遺族の反対を押し切って犯行に関する出版に踏み切ったことなどから、元少年Aへの反感や被害者への同情が世間的に高まっている。「少年法で一方的に守られている少年Aは好き勝手に行動させておいていいのか」といった世間の元少年Aに対する批判的な感情も強まっている。 さらに、社会全体に厳罰化の傾向がある。危険運転致死傷罪や飲酒運転などでの厳罰化で、結果的に交通事故死が半減以下になったことが代表例だ。厳罰化の成果ということができよう。もちろん犯罪防止は厳罰化だけが唯一の手段ではない。むしろ、犯罪を生む原因である貧困や経済格差の解消が犯罪の減少に効果が大きい(相関性がある)。これら経済や教育上のさまざまな手段と、警察などによる厳罰化などの強制手段を最適に組み合わせることで、防犯効果を期待できる。 さて、社会不安の高まりと、盗聴・予防拘束・拘束など警察への強い手法の付与は強い相関関係にある。社会防衛が優先されるのか、個人の自由が重視されるべきか。いずれの国でも最終的には犯罪情勢とのバランスの関係で決まる。 例えば、性犯罪者の身体に位置確認のチップを埋める手法を巡って賛否両論がある。米国や韓国で行われているが我が国ではどうすべきか…などということが議論されている。我が国では、性犯罪者が出獄し隣に引っ越して来ても、地域住民には知るすべがない。そうした情報を公開すべきか否か、犯罪歴を有する者の社会復帰と地域住民の社会安全との調整の在り方が議論の分かれる所だ。結局は、社会不安の程度次第ということだろう。また、元少年Aの凶暴性が復活しているようなら、そういう状況下で元少年Aを野放しにしておいて、社会の安全という観点からいかがなものかという議論もある。  他にも警察のマスコミへの特殊な影響力に関する問題に触れておきたい。警察の行動(強制捜査)が一般のマスコミに報道でお墨付きを与える効果があるからだ。警察として、元少年Aの氏名など、社会復帰に妨げになるようなことを公表しないという少年法に基づいた配慮をすべきという視点があろう。しかし、現実としてはマスコミの報道でそれらは事実上不可能になる。さらに警察が強制捜査に踏み切れば報道機関は縛りが解け、元少年Aの様々なことが集中砲火的に報道されることも明らかなのだ。神戸連続児童殺傷事件、捜索のため集結した警察官=1997年6月7日 最後に、強制捜査に踏み込む場合の警察当局の判断の本音を推測してみよう。今回、元少年Aの旅券法違反等での逮捕に踏み切るとして、その判断には、このまま元少年Aを放置しておくことを世論は期待しているのかいないのか見極めが必要になる。警察が踏み込んだ場合、犯罪の低年齢化、少年犯罪の深刻な状況など、現在意見の分かれる数々の論点で社会的に議論を促進する結果になるだろうと、警察として判断したということだろう。社会防衛への国民の関心を高めたいとの判断もあるだろう。 以上のような理由で、事件価値があると判断するのかどうか。 Xデーはあるのか。私は国民的議論を求めるためにも、警察当局はあえて一歩踏み込む価値は高いと考えるのだが…。