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    名古屋繁華街の飲食店をまとめあげた山口組若頭の「経営手腕」

     司忍・六代目山口組組長、高山清司・若頭を輩出した組織としても名高い名古屋の「弘道会」。暴力団を40年にわたり取材してきた溝口敦氏の新刊『抗争』(小学館101新書)には、弘道会が名古屋で力を持った背景に高山の手腕があるとの地元組長の証言が紹介されている。(文中敬称略)* * *弘道会会長の高山清司被告=平成22年11月、京都市内 名古屋の繁華街である栄や錦には風俗店が密集し、地元勢のいい費場所だったが、おおよそバブル期には弘道会の管理下に入ったという。 「弘道会の若頭だった高山清司が考え出したことだが、飲食店や風俗店から月々組合費を集める。それをもともとその地を費場所にしていた地元組織に分ける。地元勢としては集める手間もトラブルも要らない。これはいいとなった。弘道会としても組合費からカスリを取れる。一挙両得のわけで、栄や錦三(錦三丁目)も弘道会の手に落ちたわけだ」(地元組長)※溝口敦/著『抗争』より関連記事■ 暴力団幹部 犬をバカにされ「わび入れろ」と怒鳴り逮捕される■ 司忍・六代目山口組組長が語っていた「弘道会の強さの秘密」■ 愛知おでん名店 絶品大根は八丁味噌つゆで煮込み1人1個まで■ 東北の避難所で暴力団が3万円入りの茶封筒配り住民を懐柔■ スガキヤ冷しラーメン 「マヨネーズと相性抜群」と同社広報

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    皆で考えましょう。子供の深夜外出、親の責任

     全容は分かっていませんが、痛ましい事件が私たちの心を痛めています。 大阪府寝屋川市の中学生の男の子と女の子、2人が巻き込まれている事件です。すでに女の子は、13日に高槻市内で無残な姿で見つかりました。もう1人の少年については、まだ行方が分からないというのが現状です。 こうした事件が起きても、私たちはこれからの捜査を見守っていくしかできませんが、なぜこのような残忍な犯行になったのかについては、警察が犯人をしっかりと検挙をして、そして今後の社会の教訓にしていく必要があると思います。 当然、事件は犯人が悪いわけです。これが大前提で、その上でこうした機会に考えなければならないことがあります。 テレビコメントなどでは遠慮されてなかなか発言は無いようですが、中学生などまだまだ小さな子供が真夜中に出歩くということについて、家庭も社会もそして地域も考える必要があると思います。 過去をあえて持ち出しますが、横浜市長を務めていた平成15年に”夜間外出禁止令”を提案したことがあります。 これは、当時の東京都・石原知事、埼玉県・上田知事など首都圏八都県市の首長が集まる首脳サミットで「子供達が夜間に出歩いて事件や事故に巻き込まれたりすることについて、親はもっと責任を持たなければいけない。そのためには親が子供をきちんと保護することについて罰則化も検討すべきではないか」と発言したものです。 これには伏線があります。 神奈川県や他のほとんどの自治体には当時から青少年保護育成条例というものがあり「午後11時から午前4時まで保護者は子どもを外出させてはならない」とされていました。 (ただし、例えば社会的慣例の盆踊りや、指導者がいるキャンプ、夜間学校の通学、早朝の行事などは例外にしています)ところが、この条例の存在は私の感覚ではほとんど誰も知りませんし、また、親の規範が崩れてきてもいました。 実際に、次のような例も多くありました。 子供が真夜中にうろうろしていたので警察官が保護する ↓ 保護した警察官が、親に電話を入れる 「お宅の息子さん(あるいは娘さん)を保護しています。ぜひご家庭で迎えに来てください。」 ↓ 親が電話口で答える 「こっちは今寝てるんです。うちの子がなんか悪いことしましたか?してないんだったらそのままにしておいてください。」 このような例は明らかに親としての責任を放棄しています。 私はこのような実態をよく見聞きしていたので、あえて八都県市首脳会議で「青少年の深夜の外出に対する保護者への罰則規定」を議題として挙げたわけです。結局、罰則などは設けることはありませんでしたが、私は罰則化が目的ではなく問題提起することによって世の中がもう一度、意識しなおすきっかけにしたかったのです。 今回の高槻市の事件がこのようなケースに該当するはわかりません。そして事態はこれからしっかりと解明していくしかありません。 ただし、私たちはこの事件も教訓に、まだまだ保護が必要な未成年を抱えている家庭、また地域のおいて、子供に外を出歩く時間でない時はしっかりとそう伝えていくことが必要だと思います。 今回私が本ブログで申し上げていることは、この事件で悲惨な状況に巻き込まれている保護者を責めるものではありません。 私には事件の全容はわかりません。 その上で私たち皆が、こうした機会に再度考えましょうと申し上げておきたいと思います。 まだ犯人は捕まっておりません。警察には一刻も早い逮捕をお願いします。※「中田宏公式WEBサイト」2015年8月21日より転載。

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    大阪中1殺害、なぜ事件は防げなかったのか

    痛ましい事件が起きるたびに、考えさせられることがある。なぜ事件は防げなかったのかと。大阪府寝屋川市の中学1年の少年少女が遺棄された事件もまた、社会に重い課題を突き付けた凄惨な事件だった。

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    無関心が問題、社会全体で子供を見守るべき 寝屋川事件の教訓

     大阪府寝屋川市で発生した2人の中学生殺害事件──。中学1年生の平田奈津美さん(享年13)と星野凌斗くん(享年12)の遺体が見つかり、契約社員の山田浩二容疑者(45才)が逮捕された。 山田容疑者と2人は8月13日明け方5時の京阪寝屋川市駅周辺で接触したとされる。そして、防犯カメラには、事件に巻き込まれる直前の2人の様子が映っていた。深夜の商店街を行ったり来たりしている奈津美さんと凌斗くん──。 子供の外泊や夜間外出は現代では決して他人ごとではない。事件を知って、「ウチも…」と感じた親は少なくないのではないか。国立鳴門教育大学の阪根健二教授(学校教育学)はライフスタイルの変化が大きな要因だと指摘する。「24時間営業のコンビニやファミレスの登場で子供のライフスタイルも変わり、子供が夜中に集う場所ができた。子供が夜中に外出しても社会的な違和感がなくなりつつある」 携帯電話やLINEの普及も環境を大きく変えた。「昔は一家に一台の固定電話しかなく、子供同士が連絡するには相手の自宅に電話をする必要があった。今は携帯やLINEで夜中でも手軽に連絡が取れるため、子供同士で集まれ、親が子供の動向を把握しきれない」(阪根教授) 今回の事件でも奈津美さんは深夜3時過ぎまで友達とLINEをしていたが、今時の中学生としては決してめずらしくない行為だ。今年2月に起きた神奈川・川崎の中1殺害事件でも、少年少女はLINEを駆使し、大人の知らないところで複雑な関係を築いていた。 女性の社会進出が進んだことやシングルマザーが増加したことも一因だ。40代のシングルマザーが証言する。「働きながら中学生の息子と小学校低学年の娘を育てていますが、夜9時を過ぎるなど帰りが遅くなる時にお金を渡して、“妹を連れてご飯を食べて先に寝てなさい”と言うこともあります。子供には悪いけど、働かないと食べられないので…」 塾通いなどで一般家庭でも子供の深夜外出のハードルが年々、低くなっている。「子供は中学生ですが、高校受験のために夜10時まで塾に通っています。普段は送り迎えしていますが、1人で帰らせる時もあります。本人が集中できるというので、深夜近くまでファミレスで勉強することも…。夜間に子供が外出することの抵抗感は少なくなっている」(40代主婦) 最大の問題は「大人の無関心」だと阪根教授は強調する。「コンビニ、携帯電話など、さまざまな要因が重なり、親が子供の深夜の外出に関知しづらくなり、子供が深夜徘徊していても、周囲の大人が注意しなくなった。今回の事件でわかるように、大人の無関心が最大の問題です。親だけでなく、社会全体で子供を見守る必要があります」 悲劇を繰り返さないためにも、今回の事件から学ぶことは多い。関連記事■ 小中学生 携帯電話の代金が最も高いのは中学2年生の5395円■ ママ友LINE事情 大企業夫持つ美人ママには即レスの傾向あり■ 名簿情報 30代、40代より、50代以上の高齢者が人気を集める■ 大人とは違う子供のうつ病の症例 暴力的になることもある■ 体中に絵の具塗る人間魚拓 持ち帰り可で一生の思い出になる

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    大阪中1殺害 子供保護強化の法整備を

    大西宏(ビジネスラボ代表取締役) 寝屋川市の平田さんと星野くんが山田容疑者に殺害された事件はほんとうに痛ましく、犯人の残虐さには怒りがこみ上げてきます。テレビに繰り返しおふたりの画像が流されていましたが、まだほんとうにあどけなく、そのことがなおさら事件の痛ましさを感じさせます。若くして命を奪われたおふたりに心からご冥福をお祈りします。 寝屋川市といえば、「火花」で芥川賞を受賞された又吉直樹さんや米国のレッドソックスで活躍している上原浩治投手の出身地です。「火花」のなかで頻繁にでてくる方言はまさに寝屋川市近辺でつかわれる北河内弁を感じさせています。もうずいぶん昔の話になりますが、この地域の子どもたちにラグビーを教えていたこともあって身近な地域で、肩肘の張らない、庶民的な土地柄でした。 それだからよけいに、心の隙も生まれたのでしょう。まだ幼いふたりが、無邪気に深夜の商店街を歩く姿、また近隣で子供たちが日常的に深夜に群れている様子が報道され、また猫爺なる人物も登場していましたが、そこに映されていたのは安全を信じきっている子どもたちの姿です。 しかし、この事件は、ほんとうに身近な、ごく日常の世界に潜んでいるという現実を思い知らせたのです。しかも、山田浩二容疑者は、2002年に同じ寝屋川市で、手錠をかけ男子中学生を車中に監禁し逮捕された過去、また男子高校生を粘着テープで縛り監禁し再逮捕された過去を持っていたとなると、誰もが安全だと信じている街に、ほんとうは危険が潜んでいたのです。大阪・高槻の中1殺害:容疑者、中高生監禁で02年に逮捕歴 - 毎日新聞 この痛ましい事件の詳細は今後の捜査であきらかになっていくのでしょが、子供の安全保護に対する対策強化の動きにつながってくれればと思います。今回の防犯カメラ画像を解析する捜査はたいへんな手間がかかったと思いますが、平田さんの遺体発見からは速いといえる逮捕につながりました。警察の捜査力が示されたと感じます。事件の全容もおいおい判明してくるのでしょうが、やはり事件は未然に防がないといけません。星野凌斗くんの遺体が発見された現場=8月24日午後、大阪府柏原市(甘利慈撮影) まだ幼い子供が深夜に保護者なしに街を彷徨するというのはどう考えても異常です。この種の事件だけでなく、炎天下の車中に子供を放置し、命を落とすという事件もありますが、親や社会の保護責任をより明確にする法律を整備する必要があるのではないでしょうか。諸外国にくらべ、保護責任を果たさなかった時の処罰も明確でないように感じます。 すくなくとも、深夜に子供だけで外出させることは親の保護責任の放棄でしょうし、深夜に子供がたむろしているのを目撃して通報しないのは社会の保護責任放棄じゃないかと思います。 しかし、法律でルール化しておかなけば、近隣の友達と一緒なら大丈夫と思ってしまいがちでしょうし、また深夜に子供を目撃してもおそらく通報する人はないと思います。 かつて中高生の監禁事件があり、その犯人がいまだに近辺に住んでいることを、おそらく周辺住民にどれだけ周知されていたかも疑問で、行政に周知徹底させる義務を追わせれば、また子供の保護強化につながります。ぜひ国と地方が連携して、家庭と社会が子供をまもることにとりくんでいただきたいものです 。(「大西 宏のマーケティング・エッセンス」2015年08月22日より転載)

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    中1殺害 お仕着せの安全では子供は守れない

    赤木智弘(フリーライター) 大阪府高槻市で女子中学生の遺体が遺棄されているのが発見された事件は、行動を共にしていたと思われていた男子中学生も、同府柏原市で遺体で発見されるという悲しい結末となった。 今回の事件は、そもそも中学生の男女が家を出て深夜に出歩いていたことを発端にしている。報道などによると、女子中学生はこれまでも友人たちとテントを張ったり駅前のベンチで夜を過ごすなどの外泊行為が常態化していたと言われている。学校の側も事態を把握はしていたが、特別な指導などはなかったという。 容疑者の男も逮捕され、今後事件の概要がハッキリして行くにつれ、徐々に「親や学校は何をしていたのか!」「子供が夜に外出なんてとんでもない!」という被害者や関係者批判の声が大きくなってきている。メディアではしたり顔の識者が「もっと家庭や学校が子供たちを守らなければいけない」などと話すのだろう。 しかし、そうした場当たり的な対応が、むしろ子供たちを危険に晒すのではないか。今回の事件を受けて、同じような状況にいる子供たちの安全安心を守れとばかりに、深夜の見回りなどによって、子供たちが無理矢理、家に連れ返されるようなことがあるのではないかと、僕は心配している。 まず、今の子供たちを取り巻く現状を簡単に説明しよう。 大前提として、殺人による被害者数は昭和30年ごろと比べれば大幅に減っている。戦後の統計を見ると、昭和30年の殺人事件被害者数は2119人だが、平成24年では383人となっている。人口10万人あたりの数値で見ても、昭和30年頃は2人以上が殺されていたが、ここ最近は0.4人以下になっている。 この傾向は子供(13歳未満)でも同じで、子供が殺人事件の被害者になる件数も、一貫して右肩下がりである。したがって、マスメディアでささやかれるような「私たちの子供の頃はこんな事件はなかった、最近の子供はいつも危険に晒されている」などというような事実は存在しない。中1女子殺害・遺棄事件で、大阪府警高槻署に集まった大勢の報道陣=2015年8月21日午後7時57分、大阪府高槻市(共同) また、今回の事件の容疑者は、被害にあった中学生男女とは面識がなかったと思われる。こうした事件が起きると必ずと言っていいほど「知らない人が子供を殺す。親の近くにいれば子供は安全なのだ」と主張する人が現れるのだが、平成25年の殺人における被害者と被疑者の関係性を見るに、53.5%が親族によって行われている。一方で面識無しなのは10.3%と、ほぼ1割である。また平成25年に殺人被害となった子供(13歳未満)は68人。うち、32人が両親等の虐待によって殺されている。 つまり、子供を一番殺しているのは両親であり「親元にいれば子供は安全」などということは、全く言えないのである。 さて。少し想像力を働かせてみて欲しいのだが、人が人を殺す理由とはなんだろうか? 少し考えてみれば「相手に強い恨みを持つから」という平凡な答えを導くことができるはずだ。そしてそれは子供を取り巻く環境においても同じである。子供に対して強い憎しみを抱きやすい人間は誰か。それは当然、いつも子供のそばにいる「親」である。だから、子供が親に殺される。 もちろん、いきなり殺すという段階などに飛ぶことはほとんどない。たいていの親は一時的に子供を嫌ったとしても、そのストレスを食事やショッピングで解消したり、自分のパートナーや周囲の信頼できる大人に相談して、子供のことを好きになったり、もしくは嫌いなままでも社会的役割として子供を育てていくことを選ぶのである。 じゃあ、一方で子供はどうか。今回の被害者の女子生徒も家庭内でうまく行っていなかったのだろう、小さな家出を繰り返して、親友たちと語らうなど、親や先生たちには話せないことを相談したりしていた。ただし、親友たちは決して適切なアドバイザーではなかった。問題は十分に解消されないまま、彼女は家出を繰り返し、やがて今回の不運に出会ってしまった。 こうした時に必要だったのは、決して彼女を家に帰すことではなかったし、学校が彼女に対して聞き取り調査をすることでもなかった。必要だったのは、親でもなく、学校でもない、信頼できる第三者としての大人であった。親や学校におもねるのではなく、必要とあれば親や学校に対峙して子供の側に立つことができる、そんな大人がいれば、彼女たちはもっと安全に家族との距離を保つことができたのではないかと思う。 しかし、こうした事件が起きてしまうと、たいていは「子供を親元や学校に閉じ込めろ!」という世論ばかりが大きく響く。その結果、家や学校と適切な距離を保つことのできない子供は、家出のような過剰な対応をしないと、逃げることができなくなってしまう。 近年では国や自治体でも、学校にスクールカウンセラーを配置するなど、子供の悩みを早いうちに聞き取り、解決しようと動いている。しかし、それはそれでやはり行政や学校寄りの大人にしか思えないという感は強いし、また制度として配置された大人を、子供が信頼してくれるかどうかといえば、保証などできるはずもない。 「信頼できる大人」は結局、子供たち自身が探すしかない。 そのためには、子供自身が別の大人と数多く接触することで、自分自身にとっての「信頼できる大人」を選別していくしかない。そうした反復をするには「子供を親元や学校に閉じ込めておけば安全安心」という風潮は邪魔である。子供を閉じ込めれば閉じ込めるほど、子供は限られた大人としか接触できなくなってしまう。その中に適切な大人がいなければ、子供は大人に恨みを貯めるしか無くなってしまう。それでは元の木阿弥だ。 そうならないためにも、大人たちは子供たちのために、子供たちが親や学校を含めたより多くの大人と会話できる環境を生み出していくしかないのである。 そうした中で、当然子供たちが信頼に値しない大人と出会うこともあるだろう、時には犯罪の被害に合うこともあるかもしれない。しかし、そうして多くの大人と接触する中で、子供自身が経験を積み、他人を見る目を養う事こそが、最終的に子供が納得した形で安全安心な応対を、自分の周囲に保つことができるようになれば、誰かの生み出したものではない、子供たち自身にとっての「自立した安全安心」という最良の状況に行き着くことができるのではないだろうか。 他人が考えたお仕着せの安全安心では、本質的な意味で子供を守ることなどできないと、僕は考えている。参考資料・殺人事件被害者数・平成26年版 犯罪白書 被害者と被疑者の関係・平成26年版 犯罪白書 児童虐待犯罪

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    肥大した欲望を抑えるだけの社会との絆はなかったのか

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 不可解な部分が多い事件である。逮捕された山田浩二容疑者は、容疑を否認している。ここでは、容疑者が二人の中学生を殺害、遺棄したと仮定して、いくつかの点について考えられる可能性について述べてみたい。 なぜ二人の中学生を殺害したのか。殺人事件で最も多い動機は、人間関係のからみである。怒りや恨みによる犯行である。しかし、容疑者と被害者に人間関係はなさそうである。金銭目当てでもない。何か別の重大な犯罪を目撃されたわけでもないだろう。強姦目的でもなさそうである。 そうすると、殺すこと自体が目的だったのではないかと考えられる。容疑者は、以前にも少年を誘拐し、拘束する事件を起こして逮捕されている。被害者を苦しめること、殺すこと自体に、何らかの快感があったのかもしれない。いわゆる「快楽殺人者」は、殺人や遺体損壊に性的快感を感じる殺人である。今回の事件が、快楽殺人だったのかどうかはまだわからない。平田奈津美さんの遺体が見つかった現場には、メッセージの書かれた花束が供えられた=2015年8月22日午前、大阪府高槻市(安元雄太撮影) 被害者の男子中学生の遺体は、林の中に遺棄しているにもかかわらず、女子中学生の遺体は人目につきやすい駐車場に遺棄されている。彼は、通常の犯罪者のように全力で犯行発覚を防ぐ気持ちはなかったのだろう。二人の被害者の遺体の扱いが大きく異なるのは、連れ去った最初の段階から、男女二人に対する思いが違ったからなのかもしれない。 男子中学生の遺体は発見を遅らせたいと考え、女子中学生の遺体はむしろ早く発見して欲しいと願っているかのような遺棄の仕方である。可能性としては、遺体を早く発見させ遺族に返したいと思ったのかもしれない。あるいは、深い傷跡が残る遺体を見せつけたかったのかもしれない。 怒りや金銭目的など通常の動機とは異なる、異様な動機で行われる猟奇的殺人事件。これらの犯人たちの多くは、歪んだ空想を膨らませすぎた人々である。たとえば、殺人や血が噴き出す場面に快感を感じる。あるいは、少女を誘拐してまるで夫婦のような生活をする。このような想像をしながら、彼らは楽しんでいる。 さらに想像だけではもの足らなくなると、写真やビデオで満足しようとする。この段階で止まっているならば、大きな犯罪にはならないのだが、異様な空想が膨らみすぎると、犯行を実行しないではいられなくなってしまう。 多くの異様な欲求を持つ人々は、自分の異様な欲求を飼い慣らし、自分の行動をコントロールしている。そして、社会的に認められる範囲内で、欲求を満たしている。しかし、欲求が強すぎる場合、あるいは社会の中で地道に生きていく意欲を失った場合、そして狙いやすい被害者の登場など犯行を実行できる環境が整った場合に、犯罪は実行される。 今回の容疑者は、前科があるものの仕事をして、社会生活を営んでいた。彼のフェイスブックを見ると、一見楽しそうな日常生活が浮かび上がってくる。しかし、たとえば先月彼が母校の中学校を訪問した際の投稿がある。そこで彼は、次のように述べている。 「卒業してからメッチャ波瀾万丈の人生を歩んで来た俺!!(卒業前までも普通じゃないくらいメッチャ波瀾万丈やったけど)。俺は思いもしない生き方を送るようになる。当時の俺はこんな人生になるとは夢にも思わなかったはず。どこで間違ったんだろう」 彼は、高校には進学していない。投稿文では、元気すぎる中学生だったようにも読めるが、同級生たちの印象では、変わった子どもであり、危ないタイプに映っていたようである。彼は、中学校で上手くいかず、高校生進学もせず、大人になった後は逮捕されている。彼にとっては、不本意な人生だったことだろう。「自分の人生はこんなはずではなかった」という思いを持っていたのではないだろうか。 大きな犯罪を犯す犯人には、「こんなはずではなかった」と感じている人も多い。人は、幸せにななって理想に近づくために、努力して一歩一歩目標に近づいていく。しかし、その地道な努力ができないと思い込むと、絶望して引きこもったり、自殺を考えたり、あるいは最後の「一発大逆転」を考える。それは、大それた犯罪であることもある。 大きな事件を起こし、満足な逃亡計画も立てないような犯罪者の行動を、重罰だけでは抑えられない。大切な仕事や家族といった社会との絆(ソーシャル・ボンド)が、犯罪のブレーキとなる。彼には、肥大した自分の欲望を抑えるだけの社会的絆がなかったのかもしれない。 彼は、幸せになりたかったのだろう。フェイスブックの文章は、明るく元気で、周囲から高く評価されたいと願っているように感じられる。彼は、子どもの頃、親から盗んだ金や、万引きした品物を友人に配っていたとの証言もある。何とかして周囲に良く思われたいと願っている様子は、子どもの時も大人になってもあまり変わっていないようにも感じられる。 犯行後も彼のフェイスブック投稿は続いている。有名なカレー店に行き、とても美味しかったと写真付きの投稿をしている。これらの行動は、疑いを持たれないために平静を装い、今まで通りの行動を続けていたとも考えられる。 あるいは、通常の殺人者なら感じるはずの良心の呵責を感じていなかったのかもしれない。普通は、乱暴な殺人者も、殺害後は眠れなくなったり食事が取れなくなったりするという。しかし彼は、睡眠も食欲も問題なかったのかもしれない。平静を装ったのではなく、本当に平静だったのかもしれない。彼は、女子中学生の腕に何十カ所もの深い傷をつけている。彼は、平静な状態どころか、殺害後にむしろ高揚感があったのかもしれない。 あるいは、フェイスブックの投稿に毎回少数ながらもらっていた「いいね」を、殺人実行後も、もらいたかったのかもしれない。 彼の行動は、よく言えば若者のようであり、悪く言えば幼児性を感じる。事件の隠蔽を図っているように思える点もあれば、まるで早く見つけて欲しいかのような行動もとっている。 被害者の「LINE」なりすましも、すぐに本人ではないと見破られている。事件後に、知人に「大変なことをしてしまった」と語っている。遺体遺棄現場に舞い戻ってもいる。 単に稚拙な隠蔽工作なのかもしれない。あるいは、彼は捕まりたくないと思いつつ、同時に早く捕まえて欲しいと願っていたのかもしれない。たとえば、性犯罪者の多くは、逮捕を恐れながらも、自分で自分がコントロールできないことに悩んでいる。異様な欲望から犯罪を繰り返す加害者は、犯行を隠蔽し逮捕されることを恐れつつ、同時に心の底では誰かに早く止めて欲しいと願っていることもある。 今回の容疑者がどんな動機で殺害し、どのような思いで遺体を遺棄したのか。供述を待たなければわからないことも多い。いや、供述が始まり供述調書が出来上がっても、彼の心の底はまだ見えないかもしれない。刑事とは異なる立場の、鑑定医のような人が、彼の立場に立ってじっくりと話を聞かない限りは、彼の心の中は見えないかもしれない。今はまだ、彼自身さえ、わからないのかもしれない。 加害者を安易にかばうつもりはない。しかし、加害者の心を知ることが、類似事件の防止につながるだろう。容疑者は、13年前にも少年に対する事件を起こしている。このとき、もう少し彼の内面に立ち入り、治療的なアプローチができていれば、今回の事件も起きなかったかもしれないのだ。

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    中1が深夜に出歩くことの異常さ─子供を守る大人の責任とは

    石井昌浩(教育評論家、元国立市教育長) 夏休みが終わろうとする時、何とも悲しい事件が起きてしまいました。顔を粘着テープで何重にも巻かれ、両手を縛られた寝屋川市立中学1年の男女生徒の痛ましい遺体は、凄惨な犯行をもろに示しています。これからの長い人生を一瞬にして奪われた、年若い二人の無念と、残された家族の悲しみを思うと心が痛みます。 犯人は、なぜこんなむごたらしい事件を大都会の街中で起こせたのでしょうか。まだ警察の捜査と容疑者の取り調べが進行中ですから推測の域を出ませんが、多分、犯人は優しそうな物腰で言葉巧みに声をかけて車に乗るのを誘ったのだと思います。リラックスした雰囲気のまましばらく乗り回してから、突然本性を現して鬼のような恐ろしげな形相と野太い声で脅し上げ、恐怖で二人を身動きできなくさせ、抵抗不能な状況に追い込んだのではないでしょうか。星野凌斗(りょうと)くんの遺体が発見された現場で献花し、手を合わせる人ら=2015年8月24日午後、大阪府柏原市(甘利慈撮影) 死者に鞭打つようなことになるのですが、中学1年の子供二人が深夜に外を出歩くことの異常さが、犯人に付け入る余地を与えてしまったことは否定できないと思います。二人は、簡易テントを持ち出して何度か野宿をしていたと言います。24時間灯りの消えることのない街に慣れ親しんだ若者には、自らの身を危険にさらす闇が見えにくくなっていたのかも知れません。また、残された家族を責めるような形になるのですが、中1の我が子の深夜徘徊を日頃見過ごしていた家庭にもかなり問題があったのではないかと思います。今の時代、子供たちは無防備のまま雑多な情報にさらされ、矛盾に満ちた社会の本当の姿を教えられることもなく、いわば「お客様扱い」されたままで過ごしています。子供たちは、いきなり社会の荒波に投げ出され、もがくことになりはしないでしょうか。何と言っても子供の教育の基盤は家庭にあります。 このような悲しく卑劣な事件を繰り返させないために学校に何が出来るでしょうか。事件のアフターケアとして、いつも提案されるのは「心のケア」です。しかし、この考えに私は疑問をもっています。子供は大人が案ずるほどにはひ弱ではありません。癒し系の心のケアと並行して犯罪から身を守る心構えが大切ではないでしょうか。犯罪から身を守るすべを子供に教えるといっても容易なことではありません。防犯対策には大人に騙されない心構えを具体的に教えるのが効果的だと思います。その心構えを先生が担当するのは難しいと思います。先生という職業は普段、怪しげな人を相手にすることが少ないからです。普通の人を相手にしている先生が子供に注意を促したところで所詮パンチに欠けます。危ない人、時には犯罪者も相手にする警察の防犯係の専門家に教えて貰うのが一番でしょう。その際、何百人も体育館に集めてというスタイルではダメです。教室ごとにきめ細かく伝える必要があります。学校には、子供たちが自分の頭で筋道を立て、事態に即応してどうしたらいいかを考える、自立できる力を与えて欲しいのです。 防犯カメラ、特に時刻機能の付いた防犯カメラの映像の効果が犯罪捜査に有効なことは今度の事件でも立証されました。しかしまだ、抑止力としては必ずしも十分とは言えません。防犯カメラの抑止力の及ばないところは人間に頼って子供を犯罪から守る以外にないと思います。「家庭・学校・地域の連携」とお題目のように言われ続けていながら、家庭も学校も地域もそれぞれに難題を抱えていて自分の守備範囲だけで手一杯で、連携がうまく進んでいません。おまけに学校が知り得る情報は、昨今の個人情報保護の壁もあって制限が多く、家庭での子供の生活状況が把握しにくくなっています。プライバシー保護を理由に、最近では表札の無い家庭も珍しくありません。かつて一般に行われていた家庭訪問すら実施できない地域が増えています。地域の大人が子供に声をかけようという動きも高まってはいますが、しかし、下手に声をかけると「オヤジ狩り」にあって命まで奪われかねないケースもあり、情けないことに気軽に声をかけられないのが実態と言えましょう。 この2月、川崎市立中学1年の上村亮太君が多摩川べりで殺害された事件がありました。上村君の場合にも、「安全な居場所」がどこにも用意されていませんでした。携帯電話の無料通信アプリ「LINE(ライン)」などを活用してネット社会の中では濃密に子供同士がつながっているのですが、肝心の直接心を通わせる交流は乏しくなっています。おまけに、子供同士の交友関係は、大人が簡単に入り込めるほどのヤワなものではありません。子供同士の情報空間は外部に閉ざされ、密室化しています。小学生には「学童保育」などのそれなりの受け皿がありますが、中学生になるとまるで盲点のように、気軽に入れる居場所や施設が地域のどこにも見当たりません。今は、塾や稽古ごとにも通っていない中学生にとっては「ネット依存症」になりがちな誘惑に満ちた社会と言えます。 子供を守るのは大人の責任です。悲しいことに大人の社会には、油断するとトンデモナイ目に合う危険な落とし穴が隠されていることを子供に伝えなければなりません。子供にも危険を察知して身を守る覚悟を求める必要があります。「人間とは何か」「社会の一員としてどう生きていくのか」「何を求めて人生を生きるのか」について、自ら問いを立て、自ら考え、自ら答えを見いだす力を授けるのが子供を守る大人の責任ではないでしょうか。

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    猟奇性に目を奪われるな 山田容疑者の心理を推察する

     私はこの事件について、今の段階で書くのはまだ早いのではないかと考えています。警察発表と関係者や知人からの情報が錯綜し、事実の把握にまだ流動的な部分が残り、それに基づくプロファイルにはリスクが伴うからです。そのような条件の下で、今回は事件日の出来事の推移から、容疑者の心理を推察してみたいと思います。平田奈津美さんと星野凌斗君の姿が防犯カメラに写っていた、京阪寝屋川市駅前の商店街=2015年8月25日午前、大阪府寝屋川市 振り返ると、まず8月12日から13日にかけて平田さんと星野君が自宅に帰らず、繁華街にいたということは明らかです。午前5時10分ごろ、2人が商店街の防犯カメラに映った直後に山田容疑者のものとみられる車が複数回映り、それ以降2人の姿を捕捉していません。5時11分と17分の直後、少なくとも1時間以内に2人をなんらかの誘い文句で車に乗せたと考えられます。誘い方について、山田容疑者が2002年の前歴では脅迫めいた言葉を使っていましたが、今回は2人の様子をうかがっている点があり、時間も考慮すると、困っている2人を助けてあげる優しいおじさんを装った可能性もあると思っています。最初から脅迫的な態度で臨めば、中1生の2人を同時に車に乗せることは難しいのです。「泊まるところはないの?」、「どこか行きたいところがある?」などの言葉をかけて車に乗せた可能性があります。 1時間以内に車に乗せたというのは、6時半頃に平田さんの端末から、LINEで友人に「今から星野と電車で京都に行く」と書いていることから導き出されます。これが山田容疑者の作文ではないかと考えるのは、行き先と移動方法など必要事項が一文で網羅されているからです。中1生なら、「京都行くで」、「なんで行くんや?」、「電車で行く」など短文のやり取りの中で書かれるのが一般で、この一文は子どもらしくありません。この時点で容疑者の偽装工作、アリバイ工作が始まっていると見ています。ただし、この一文を平田さんに指示して書かせたのか、容疑者自身が書いたのかはわかりません。強制的に書かせたのかもしれないし、それとも良好な関係を保ちつつ、「『おじさんに連れってもらう』と書くと怪しまれて、心配をかけちゃうから、『電車で行く』って書いたほうがええんちゃう?」というように促したのかもしれません。この辺りの実際は、本人の供述でしか把握しようがありません。 午前11時半ごろ、山田容疑者は堺市の大阪刑務所に行き、義父に5秒間だけ面会をしたとされています。刑務所の受刑者への面会は親族なら可能ですが、月に数回の制限があります。頻繁に行けるわけがないにもかかわらず、2人を乗せた状態でその日に面会に行く合理性に欠ける点から、この行動もアリバイ工作ではないかと思います。実際に面会に行ったという客観記録が残ります。その日に撮ったという刑務所の外観写真とともに、「面会に行った」というコメントをLINEで知人にわざわざ知らせています。アリバイ工作は平田さんにLINEを送らせたところから始まっているとすると、2人を乗せた時から山田容疑者は事件を起こそうという決意が固まっていたと見ますが、殺人まで含まれていたとは考えにくいものです。 その後山田容疑者は午後0時40分ごろに柏原市のコンビニで粘着テープを購入しています。私は当初、縛ったりしないで2人を自由な状態にさせていたと考えていたのですが、すでに手持ちの粘着テープなどを利用して2人の自由をある程度奪っていたかもしれません。ところが乗せていたのが2人だったこと、平田さんがナイフで切られていたことから、非常に暴れたり、大声を出す状態が続いたりしたために、テープが足りなくなり、補充のために買った可能性もあります。ここで、この時点までの容疑者と少年らとの関係性に、二つの可能性が浮上します。一つは山田容疑者が少年らと良好な関係を装っていた、つまり京都に行くまでにあちこち寄ったあと、コンビニでも「ジュースを買ってくる」などと言って外へ出て、2人は車から外へ出ないで待っていたということ。もう一つは手、足、口などをある程度縛った上で、ドアのチャイルドロックも掛けておき、少年たちは逃げたくても外に出られなかったということ。いずれにしても、コンビニ立ち寄り後にテープで拘束を補強したに違いありません。 平田さんの死亡推定時刻は午後7時ごろで、司法解剖の結果、死因は窒息死と判明しています。警察は平田さんの顔をテープでぐるぐる巻きにされて窒息したと考えているのですが、では、なぜ切り傷があったのかという疑問が生じてきます。いまのところ星野くんの死因や遺体の傷の有無は特定できていません。平田さんの切り傷は肩から腰のあたりまで左半身だけ30カ所以上あったということです。ここで刺し傷ではなく切り傷だということは、ポイントの一つとして挙げられます。私は、平田さんが抵抗し、暴れて、後部座席の下に落ちたのではないかと推測しています。山田容疑者は、運転席側から後部座席に向かって、左側が上になって横たわり、暴れる平田さんをおとなしくさせるために、ナイフで切りつけたのではないかと見ています。もし平田さんの殺害を目的として刃物を使うとすれば、致命的となる首を狙ったり、胸や腹を刺したりするはずです。山田容疑者が過去に起こした事件では、脅すと大人しく従うという傾向がありました。ところが今回、脅したもののおとなしくならず、山田容疑者の興奮状態が高まり、切るに至ったのではないか、それが左側だけに切り傷がある理由だと考えています。猟奇性に目を奪われるのは誤っている猟奇性に目を奪われるのは誤っている 午後3時ごろ、星野くんの自転車が寝屋川市駅前の駐輪場に止められています。警察は山田容疑者が駅前に戻ってきて移動させたと見ているようですが、これは粘着テープを買った3時間後で、平田さんの死亡推定時刻の4時間前にあたります。平田さんを幾重にも縛った上で刃物を行使したのがこの行動の前か後かどちらなのかわからず、推測になりますが、死亡推定時刻が午後7時ということから、3時前に窒息死するというのは早すぎる気がします。山田容疑者は少年らに電車で京都に行くことにすると伝えていますので、「自転車を置いておくことで親や友人たちが安心するから」と2人に言い聞かせて、自らが自転車を置いた可能性は否定できません。そうなると、山田容疑者は自転車駐輪の時点ですでに粘着テープを用意していますが、拘束するなどの険悪な関係には陥っておらず、協力的な関係が保たれていた可能性があるのです。反対に、もし自転車駐輪が2人をテープでぐるぐる巻きにした後だとすれば、「今から京都に電車で行く」とLINEを送った事実と整合性を保つために行ったことになりますが、どちらかはわかりません。 私の推理では、自転車移動の後に、山田容疑者は殺害と遺棄に走ったわけです。容疑者の軽ワゴン車の左右と後部の窓には黒のスモークフィルムが貼ってありましたが、前席の窓から見ようと思えば2人が見えるので、明るいうちに実行するのは避けたかったと思われます。ですから、外が暗くなる午後6時過ぎに、人気のない場所に行き、犯行に及んだのではないかと考えました。過去の事件の場合、山田容疑者は、縛って監禁状態にしたうえで現金を奪い、それで満足してしまえば拘束状態のままで被害者を解放していましたが、今回は初めて殺害に至りました。2人だったこともあり、少年らの抵抗が激しく、必要以上にテープを巻き、結果として窒息死させてしまった。つまり、確定的な殺意を持っていなっていなかったのではないかと考えているのです。殺意があれば、当初から刃物で殺害していたでしょう。平田さんの切り傷について、当初は猟奇性を感じさせましたが、前述のようにおとなしくさせるためのものであったとすれば、猟奇性に目を奪われるのは誤っているでしょう。猟奇性は、遺体の一部を切断したり、下腹部を狙ったりすることで犯人の欲求が充足されることで見てとれますが、そのような兆候は見られません。山田容疑者の目的は、思春期の少年を拘束状態に置き、自分のいいなりにさせる、つまり完全支配下に置くことで満足を得る、そこにあったのではないかと考えるのです。 過去に、同様の目的で逮捕された山田容疑者は昨年10月に出所したそうです。13年前の監禁等の事件で十数年間服役するというのは考えられず、公にされていませんが、おそらく別の事件も起こしているためだと考えられます。服役中に知人に宛てた手紙には、自分は獄中結婚していて、子供がいることが書かれていました。子供は被害少年と同年齢になるのですが、13年前に獄中結婚した人との間で設けた子供であれば、生まれた時期が合致しません。もしかすると、13年前のその事件の前で知り合った人なのかもしれません。つまり、公になっている13年前の事件の前にもすでに前歴があり、その時に何らかのかたちで知り合った相手との獄中結婚だった可能性もうかがえます。あるいは、手紙を送った知人に、子供思いの優しい父親をアピールするために書いた、虚偽であるかもしれません。 平田さんの死亡推定時刻の約3時間後、山田容疑者は午後10時に枚方市のガソリンスタンドで給油しています。山田容疑者は平田さんの遺体を捨てた約15分後に帰宅したとみられています。従って、給油の前に、比較的遠方の柏原市の竹林まで行って星野くんの遺体を遺棄し、その後に自宅の近くへ戻り、平田さんを遺棄したことになります。私は星野くんの遺棄のほうが、山田容疑者にとっては重要度が高かったと考えていて、これは数々の謎を解く重要な鍵になるポイントです。山田容疑者は、思春期の頃から男の子に関心が高いと噂されていましたし、過去の犯行やいたずらも男子生徒に対するものが中心でした。実際にマスコミが報じた前歴も、男子中高生が被害者です。同性愛傾向を持つとか、男子少年に対して興味を抱いている者の犯罪ではないかと警察がみれば、星野くんの遺体が見つかることで、自分が警察の捜査線上に浮上するのではないかと考え、こうして星野くんの遺体を発見されにくい場所に置いたと考えられます。平田さんの遺体も一緒に置くのが合理的なのですが、自分が疑われないために、少女に対する性癖を持つ人間の仕業だと思い込ませるために、あえて平田さんの遺体はその場に遺棄せず、竹林から30キロ近くも離れ、視界の開けた駐車場に置いたのではないかと考えます。発見してもらうために平田さんの遺体をわざと人目に付きやすいところに置いたというわけです。こう考えれば、2人の遺体遺棄現場の差異が理解できます。 以上、指摘してきた点をまとめると次の通りになります。・犯行を思い立ったのは、13日午前5時に山田容疑者が2人の少年少女を発見した時点である・死亡してしまったのは予想外だったかもしれない。その前後を含めてアリバイ工作に走っている・刑務所への面会や自転車の駐輪など、あちこちでアリバイの工作をしており、遺体遺棄についてもなんらかの工作が推察され、平田さんの遺体はあえてすぐに見つかる駐車場に置いた 13日夜に平田さんの遺体が発見されたとの報道を耳にした山田容疑者は、内心焦りながらも想定通りだと思ったことでしょう。社会も女子中学生あるいは少女に関心のある性癖を持った者の猟奇的犯行であろうと捉えました。そこで山田容疑者が次に行ったことは、自分が事件と無関係であることを示唆する様々な行為の証拠残しでした。除染作業のために福島に戻ったり、道中で立ち寄った千葉のカレー店での食事様子をFacebookに書き込んだりしていました。高速道路の通行証や領収書を撮影して友人に送っていますが、普通はこんな無意味なことはしないでしょう。これは、犯人であれば普通は隠れたり逃げたりするのではないかという心理の逆をついたつもりでいるものです。 しかしそのうちに山田容疑者にとって心配なことが起きます。防犯カメラが公開されて、実は平田さんは星野くんと一緒にいたことが明らかになり、星野くんは一体どこにいるのかということが捜査当局や社会の関心になっていったからです。もし星野くんの遺体が見つかったら男子中学生に関心のある者の犯行だと思われるようになり、自分がマークされる不安が持ち上がります。その不安、つまり星野くんの遺体がすでに警察に発見されていないかどうかを確認するため、山田容疑者は21日、星野くんを遺棄した竹林に確認しに戻ったのではないでしょうか。よく遺体を再度見に行くことで欲求が満たされたりすると言われます。1997年の神戸連続児童殺傷事件では、加害少年は殺害した男子児童の遺体を隠した場所に戻って、遺体に対して手を加えています。しかし、山田容疑者は刃物や拘束器具、撮影道具など一切持たずにただ見に行き、数分いただけで戻ってきたということです。星野くんの遺体があることだけを確認して戻ってきたからでしょう。そして、警察は星野くんを見つけていないので自分と直結することはまだないと、山田容疑者は一時的に安堵したかもしれません。 この間、山田容疑者は尾行されていることに気づかなかったと思いますが、この点も今回の事件で重要な特徴です。山田容疑者は一本線のような行動ルートの計画は立てられますが、この線から外れてしまうと、視野を向けることができない、すなわち多角的に物事を捉えることが苦手なのではないでしょうか。例えば、車を動かしていれば、商店街やコンビニ、ガソリンスタンドなど至る所にある防犯カメラに映るのですが、そのリスクを全く考えていません。竹林に行く際にも、警察が自分を尾行しているかもしれないという警戒心が欠けています。山田浩二容疑者が取り押さえられた現場。山田容疑者のグレーの軽ワゴン車がバス停の前に止まっている=2015年8月21日午後8時40分ごろ、大阪市城東区(住民提供、一部画像処理しています) 竹林に戻るという行動により、警察が星野くんの遺体を発見し、山田容疑者は逮捕されたわけですが、当初の供述では平田さんのことだけを話していました。「星野くんがやったのかもしれない」とも言いました。ここでも、男子中学生に関心のある者の事件であることを出さないようにと意識する傾向が伺えます。その後、星野くんの遺体が、自分が見に行ったことで発見されたという予想外の展開で、言い逃れができない状況に追い込まれ、完全黙秘に転じたのだろうと考えます。山田容疑者は黙秘をしばらく続けていますが、私はいずれ正直に話す時期が訪れるのではないかと思っています。和歌山毒物カレー事件の林真須美死刑囚のような強靭なパーソナリティを持っているか、黙秘を勧める強力な弁護士がつかない限りは、取調べ状況で黙秘を維持することは困難なのです。(聞き手 iRONNA編集部 松田穣)

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    少年Aは本当に更生したのか

    神戸連続児童殺傷事件の被疑者だった元少年Aの手記『絶歌』の出版をめぐり、賛否が渦巻いている。「被害遺族への配慮を欠く」「出版の自由は守られるべき」…。ベストセラーとなった本書は、本当に彼自身の「自己救済」が目的だったのか。またも社会を揺るがせた元少年Aと出版騒動について考える。

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    誰か僕を止めてください!

    各地で小型無人機「ドローン」を飛ばし、トラブルを起こした「ノエル」こと横浜市の15歳の少年が逮捕された。少年が挑発的な言動を繰り返した背景には、「囲い」と呼ばれる無責任な大人の存在も浮かぶ。無法地帯と化すネット世界。歪んだ暴走を止めることができるか。

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    わが師、麻原彰晃への「訣別状」

    上祐史浩(「ひかりの輪」代表) この機会に、改めて、事件で被害に遭われた皆さまに、深くお詫びを申しあげます。取り返しのつかない被害の深刻さを思えば、お詫びの言葉も見つかりません。 その中で、まずは2009年から、私が代表を務めるひかりの輪が締結した賠償契約のお支払いを今後とも履行していきたいと考えております。なお、3月18日にも、その一環として、賠償金の一部を振り込ませていただきました。地下鉄サリン20年「大きな変化の予感」 数字を見れば事件から20年ですが、内実を見れば高橋克也被告の裁判が継続中で、まだ麻原の死刑執行も未了であり、一つの節目に過ぎないと感じています。外国特派員協会で会見した上祐史浩氏(当時・オウム真理教外報部長)。一連のサリン事件などの疑惑を否定した=1995年4月3日、東京・有楽町 今から3年前に、平田信・菊地直子・高橋克也といった逃亡犯がすべて収監されました。その結果、来月4月までに、最後のオウム裁判とされる高橋被告の裁判の一審が終わる予定です。そして、向こう数年のうちに麻原彰晃の死刑が執行されると思います。こうしたより大きな節目に対して、今年は、その始まりの年のように思います。 また、オウム真理教は10年、20年単位で変化してきました。1985年にオウム真理教の前身団体「オウム神仙の会」が発足し、87年にオウム真理教が発足しました。95年にサリン事件が発生し、97年までに宗教法人としてのオウム真理教が破産し、2005年に後継団体である宗教団体「アレフ」(旧オウム真理教)の分裂が始まり、2007年には私と信徒65人がアレフから脱会し、「ひかりの輪」として独立しました。 そして今年、事件から20年の年に、アレフの内部では、麻原の後継者の在り方を巡って、教団が再分裂していると言われています。この意味でも、遠くない麻原の死刑執行に向け、今年はより大きな変化の始まりと感じています。麻原の精神病理とカリスマ性 私が麻原とその教義に関して、大きな疑問を持ち始めたのは、その終末予言が実現せず、麻原が不規則発言を始め、教団と連絡を取らなくなった1997年前後でした。その後、麻原への信仰は相対化していきましたが、様々な呪縛が残っており、完全に抜け出したのは、10年後の2007年(アレフを脱会した年)となりました。逮捕され、拘置請求のため東京地裁に向かうオウム真理教の麻原彰晃容疑者=1995年5月、警視庁 いま現在は、麻原は一言でいえば、誇大妄想・被害妄想を伴う精神病理的なカリスマだったと解釈しています。その精神病理は、幼少期の身体障害(弱視)、盲学校への不本意な入学と親への恨み、学業・事業・人間関係などでの相次ぐ挫折と深いコンプレックスの苦しみを背景としていたと思います。それが、その後にヨガの教師としてブレークした際に、「自分が不遇だったのは、自分が弾圧される救世主だからだ」という妄想として現れたのだと思います。 再発防止の視点から、誤解を恐れずに、なるべく実態を率直にお伝えすれば、一党一派を率いる能力やカリスマ性を有しつつ、その一方で深い精神病理を抱え、一世風靡したと思えば、たちまち犯罪者や極悪人に転落するケースは、他にも事例が見られるそうであり、心理学上では「誇大自己症候群」などの人格障害と位置づけられるそうです。 今後、再発防止の観点から、こうした人物の扱いには、よく注意すべきであり、こうした事実をなるべく社会全体に、次世代に伝えていきたいと思います。それは単に、若者が騙されないようにという意味だけでなく、麻原のような人間自体が育つことを予防したいという願いによるものです。ひかりの輪は宗教団体ではなく学習教室 ひかりの輪は2007年にそれまでアレフにいた私と私の友人たちが、麻原・オウム信仰を払しょくして、アレフから脱会・独立して発足させた団体です。これは、何か特定の人物・神・経典などを絶対視して崇拝することはなく、宗教団体ではなくて思想哲学の学習教室です。 学習の対象は、西洋の心理学もありますが、東洋思想、特に仏教の人生哲学・心理学が多いので、一言でわかりやすく言えば、仏教系哲学サークルと言えるかもしれません。以前のような集団居住の出家教団はすでに解消されており、学ぶ際に入会する必要もありません。その詳細は、ひかりの輪のHPにご報告しています。 オウムは、自分たちを善、既存社会を悪とする善悪二元論に基づいて、暴力手段を正当化して狂信的・自滅的な末路に至りました。私たちは、このオウムの問題は、オウムに限らず、歴史上の多くの宗教・思想団体が繰り返してきたと考えていります。そして、その心理状態を予防するための必要な思想や実践(いわばオウム的なものへのワクチン)を自分たちの経験を活かして、提供したいと考えています。 たとえば、宗教を盲信して呪縛される要因となる1.現代社会の人々が抱えるコンプレックスや自尊心の渇き2.死や死後・来世の恐怖3.霊性・霊能力・陰謀説・終末予言などの盲信といった問題に対して、宗教に依存せずに、それを乗り越える人生哲学・実践法を提供しています。 そして、こうした私たちのあり方は、これまでに多くの識者やメディア関係者の理解を得てきたと考えていますが、公安当局は、私たちを依然としてアレフと同じ、麻原を信仰する団体と位置づけているという状況があります。 これについて、私は過去の深刻な事件のイメージと、それによる国民の不安に対処するための当局の政治的な対応だと考えていますが、当然、事実に反するものです。とはいえ、仮に私が公安当局であったならば、同じように対処する可能性もあると思う面もあり、今後とも、落ち着いて社会の誤解を解く努力を継続したいと思います。麻原回帰するアレフ麻原回帰するアレフ 私たちが8年前にアレフを脱会して以来、アレフは麻原を絶対とする思想に回帰したといわれています。その中で、事件を知らない若者を中心として新しい仲間を増やすために、アレフであることを明かさない覆面ヨーガ教室などで勧誘を始め、死後の恐怖や、オウム事件は陰謀であるという嘘説を吹き込んだ上で、アレフと明かして入会させることを繰り返しています。 地下鉄サリン事件で有毒ガスにより倒れ、路上で手当てを受ける乗客ら=1995年3月20日、東京都中央区築地 これに対して、私たちは、専用のHPを立ち上げて、その実態・手口や、アレフ・オウム信仰の問題点・裏表、脱却方法などを紹介するとともに、個人相談に応じています。これまでに100人以上の方の脱会をお手伝いしましたが、残念ながら、アレフに入る人の方が多く、今後とも、報道機関と協力しながら、今後とも努力したいと思います。 しかし、教祖や主力幹部が去ったアレフに、多くの若者が入会する事実は、社会側にも弱み、すなわち、アレフの信者が増やえる基本的な土壌があると言わざるを得ないのではないでしょうか。繰り返しになりますが、コンプレックス・自尊心の悩み、死・死後の世界の不安・恐怖、さらには、霊能力・終末予言・陰謀説に関する多くのメディア情報が広がっています。 よって、こうした問題の解決は、アレフに限らない、カルト問題全体の枠組みの中で、社会全体として、いっそうの取り組みが必要かと思います。 また、アレフに関しては、被害者団体との法的なトラブルがあり、今現在、東京地裁で調停が行われています。それは、アレフ側の賠償契約の不履行(および賠償契約更改の拒絶)や、今は被害者団体の財産となったオウム真理教著作物をアレフが無断使用している(著作権侵害)という疑いです。 そして、これらの法的な問題は、今後のアレフに大きな影響を与えると思われますが、この解決に関しても、過去の経験を活かして、なるべく協力させていただきたいと考えています。じょうゆう ふみひろ 1962年福岡県出身。78年に早稲田大学高等学院入学、87年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程卒業。宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発構)入団。87年5月同事業団を退社、オウム真理教に出家。94年オウム真理教のロシア現地法人設立、同代表に就任。95年10月偽証罪で逮捕・起訴、有罪判決(懲役3年)を受け広島刑務所に服役。99年12月出所し、オウム真理教に復帰。2000年2月オウム真理教を「アレフ」に改名。02年1月アレフの代表に就任。04年11月アレフ内で、改革を目指す代表派を形成。07年3月麻原・オウム信仰を捨て、アレフを脱会。07年5月 新しい智恵の学びの場を目指し、「ひかりの輪」を設立、その代表に就任、現在に至る。関連記事■ 戦後50年を襲った恐怖 「阪神大震災」と「オウム事件」■ 無秩序時代の到来と米国の役割■ 日本人よ、この覚悟が理解できるか

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    あの時、なぜ私は「死刑」と言えなかったのか

     地下鉄サリン事件の実行犯5人のうちで唯一、無期懲役判決となった林郁夫受刑者。1998年5月、その判決を言い渡したのが当時の東京地裁裁判長、山室惠氏。後の実行犯の裁判でも、極刑が不当である理由として、自身が言い渡した判決を引き合いに出されることがあったという。地下鉄サリンから20年。あの時、なぜ死刑を言い渡さなかったのか。その問いを山室氏にぶつけた。(iRONNA編集部 川畑希望) 林郁夫の1審の裁判長を引き受けた時は、当然死刑だと思っていました。地下鉄千代田線にサリンを散布した実行犯でしたから。1997年の12月10日、林被告が証言台の下に身を潜り込ませて大泣きした有名な「慟哭の法廷」の時も、泣いたってしょうがないだろうと思いました。泣こうが騒ごうがわめこうが、彼がやったことを考えたら死刑だと、冷めた目で見ていましたね。 地下鉄サリン事件など6事件で殺人などの罪に問われたオウム真理教元幹部、林郁夫受刑者。 慶大医学部を卒業後、米国の名門病院などで勤務し、国立病院の医長を務めた経歴を持つ元心臓外科医。誠実さと手術の技量の高さが評判だったという。昭和の大スター、石原裕次郎さんの治療に当たったこともあった。 麻原死刑囚の著書を読んで平成元年に教団に入信し、翌年に家族4人で出家。優秀な医師としての手腕を買われて「治療省」大臣を務めた。脱会や戒律違反を摘発するため、麻酔薬で半覚醒状態にした信者に尋問する「ナルコ」という方法を考案。頭部に電流を流し、教団に都合の悪い記憶を消す「ニューナルコ」も考え出した。 地下鉄サリン事件では実行犯グループの一人として、地下鉄千代田線内でサリン入りのビニール袋を傘の先端部分で刺し、サリンを発散させた。 私は、林に同情したから無期懲役の判決を下したのではありません。そもそも同情はしていません。基本的に裁判は「理」のもの。感情というのは反対に属するものだから。感情的にどんなに許せなくたって法律的に許さなきゃいけないこともあるし、その逆もある。私は、許さないと思っていたし、許したから無期、というわけではありません。林郁夫被告の判決傍聴券の抽選結果を見る希望者たち=1998年5月26日 ただ、法廷を通じて、林被告の反省の色はあらゆるところから感じました。演技だという人はいるが、演技だと思わせるような材料はなかった。泣き方といい、泣くタイミングといい、使っている言葉といい、反省は本物だと思いました。 検察の求刑が無期懲役だったことはやはり重かった。それをひっくり返して、死刑というのはなかなかできるものではない。それは勇気があるかないかの問題で済む話ではありません。検察側とすると、司法取引を認めるような、先取りするような形で事案解明に貢献したと。しかし、それを裁判所として正面から理由づけにするわけにはいかない。そこで、被告が非常に強く反省しているということ、そして地下鉄サリン事件の遺族である高橋シズヱさんと、菱沼美智子さんが必ずしも死刑を望んでいないことを強調しました。 無期懲役の判決理由は下記の通りです。 「本件はあまりにも重大であり、被告の行った犯罪自体に着目するならば、極刑以外の結論はあろうはずがないが、他方、被告の真しな反省の態度、地下鉄サリン事件に関する自首、その後の供述態度、供述内容、教団の行った犯罪の解明に対する貢献、教団による将来の犯罪の防止に対する貢献その他叙上の諸事情が存在し、これらの事情に鑑みると、死刑だけが本件における正当な結論とはいい難く、無期懲役刑をもって臨むことも刑事司法の一つのあり方として許されないわけではないと考えられる」元東京地裁裁判長の山室惠氏 私は、林受刑者は一生出てはいけないと思っています。判決からまだ17年です。いまは有期刑は最長で30年ですから。ずっと入っていなければという気持ちは強い。林受刑者がほかのサリン事件の実行犯だった死刑因と比べて罪が軽いものであるとは思っていません。 今後も、しっかり事件を検証する作業は怠ってはいけない。簡単ではないけど、二度と起こさないようにするにはどうすればいいかというのは考えつづけなければならない。 いまになっても、若干の疑念というのはずっと引きずってはいますが、いま、あの当時に戻ることができても、あの判決しかないと思っています。リクルート事件をはじめ、さまざまな裁判を担当してきて、林被告の裁判もあくまでその中の一つです。しかし、自分の下した判決が正しかったのか、正しくなかったのか、これほど自問自答し続けた裁判はほかにありません。 林受刑者は逮捕後、完全黙秘の姿勢をみせたが、取調官から「人の命を救うのが医師ではないか」と言われ、泣き崩れた。その後、「私が地下鉄でサリンをまきました」と供述し、サリン事件の全容解明の突破口となった。 平成10年3月、東京地裁での論告求刑公判で検察側は「被告人の自首によって真相の究明がなされ、その全容解明等に果たした被告人の役割は大きい」と判断、死刑でなく無期懲役を求刑。5月26日の判決で山室裁判長も自首を考慮し、求刑通り無期懲役を言い渡した。 林受刑者も控訴せず、判決通り無期懲役が確定し、現在は千葉刑務所で服役中だ。地下鉄事件の散布実行犯として唯一極刑を免れている。山室 惠(やまむろ めぐみ)日本の元裁判官、弁護士(弁護士法人 瓜生・糸賀法律事務所顧問)。男性。裁判官としては、主に刑事事件を担当した。警察庁「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」委員。関連記事■ 戦後50年を襲った恐怖 「阪神大震災」と「オウム事件」■ 少年事件を前にして私たち大人は何をすべきか■ 日本人よ、この覚悟が理解できるか

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    わが師、麻原彰晃への「訣別状」

    日本の犯罪史上例を見ない無差別テロとなった地下鉄サリン事件からきょうで20年を迎えた。わが国の社会秩序を根底から覆した事件の戦慄は今も消えない。オウム真理教とは何だったのか。かつて、教祖・麻原彰晃を尊師と仰いだ元教団最高幹部、上祐史浩氏がiRONNA編集部に独占手記を寄せた。

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    なぜ若者は今もオウムに取り込まれていくのか

    世間が持ち続けている大きな誤解 1995年3月20日に都心で起きた地下鉄サリン事件は死者13人、被害者6000人を超える被害を出した。あれから20年がすぎた。いまでも当日の朝から夜までの記憶は鮮明だ。遅くに池袋のバーに行った。カウンターにいた知人たちの話題も地下鉄で起きた事件のことばかりだった。わたしが「あれはオウム真理教による犯行ですよ」と言ったが、誰も信用しなかった。問題ある宗教団体として知られていても、まさか地下鉄で事件を起こすとまでは思われていなかったのだ。麻原被告の初公判を終えて地裁を出る有田芳生氏=1996年4月24日 いま最後の逃走犯・高橋克也被告の裁判員裁判が続いている。この裁判が終われば、1995年秋からはじまったオウム裁判はすべて終了となる。法務当局には麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚に対する刑執行の強い意思がある。そのときオウム報道は最後の盛り上がりを見せるだろう。しかしそれでオウム問題は終わるのか。決してそうではない。 世間には事件発生からいまにいたるまで大きな誤解がある。それは地下鉄サリン事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺人事件などなど、一連の非道は、特殊な集団に、特殊な人物たちが入り、起こしたものだという理解である。もしそうならば、事件を起こした教祖をはじめ実行犯が逮捕、起訴され、判決を受け、さらに教団が消滅すれば、すべて解決ということになる。そうではないのだ。たとえばオウム残党で麻原彰晃を絶対化するアレフなどの組織に入る者は、いまでも北海道、近畿を中心に年間で約150人もいる。いちばん多いのは35歳以下の世代だ。このこと一つをみてもオウム問題はいまだ続いている。 何が問題なのだろうか。それは日本社会がオウム問題を事件のレベルでのみ捉えてきたことである。どこにでもいる若者たちが人生のふとした狭間でオウム真理教に入信し、教祖によるマインドコントロール(社会心理学の適用によって精神を支配すること)によって凶悪事件に関わってしまったのだ。ちなみにマインドコントロールは物理的に精神を変容させる洗脳とは異なる。マインドコントロールには定まった概念がないといまでも言われているが、一般的了解というものはある。親切にされたらそれに応えるといった「返報性の原理」など、人間心理を利用して行動をコントロールしていく手法である。カルト(熱狂集団)は、他者を巻き込むために、人間心理を効果的かつ巧妙に利用している。オウム真理教もまたそうした組織のひとつだった。 山梨県の旧上九一色村で「サティアン」と呼ばれる宗教施設を建設する際に集められたとみられる信者たち。コンテナのような狭い空間で窮屈そうに寝入っている。1990年前後の撮影とみられる(顔をモザイク加工しています) そのオウム真理教とて、最初はヨーガのサークルだった。地下鉄サリン事件当時、オウム真理教の信者は、出家、在家の総計で1万人を超えている。入信の動機はさまざまだ。1984年に麻原彰晃が東京・世田谷で立ち上げたのは、オウムの会というヨーガのサークルだった。そこに集った者は、多くがヨーガの修行を通じて健康を維持したい、あるいは回復したいというものだった。やがて麻原彰晃の「空中浮遊」が雑誌で紹介されると、超能力を身につけたいという動機を持った会員が増えていく。のちに滝本太郎弁護士が試み、麻原彰晃よりも高く「浮かんだ」ように、「空中浮遊」とは、いわば胡座をかいてのジャンプだった。若者たちはそれに魅かれてしまった。たとえば坂本弁護士事件やサリン事件にかかわった中川智正死刑囚(京都府立医大時代に入信)も、関心を持ったきっかけは「空中浮遊」だった。 オウムの会から名称を変更したオウム神仙の会は、1989年に東京都の認証を受けてオウム真理教という宗教法人に発展する。教祖となった麻原彰晃は、仏教、密教、さらにはキリスト教など、さまざまな宗教を混合していく。それにともない入信の動機も広がっていった。たとえば地下鉄サリン事件で死刑判決を受けた井上嘉浩の場合は、高校生のときにオウムに関わる。動機は社会変革である。歌手の尾崎豊に惹かれた井上は、レールに乗ったような人生に疑問を覚える。進学し、社会に出て、サラリーマンとなり、満員電車に揺られて暮らすことに疑問を抱いたのだ。そうではなく修行をすることで悟りを開く。そして他人を勧誘し、その相手が悟りを開く。こうして悟った人間が増えていけば、この濁った社会は徐々に、あるいは急激に変えることができる。そう思ったのだ。 しかしこのようにさまざまな動機で麻原彰晃に接近していった者も、教団の変質に巻き込まれていくことになる。そのきっかけが教団施設における信者の死亡である。脱会を試みた信者の殺人事件も起きる。1989年8月に宗教法人となったオウム真理教だが、強引な勧誘が問題となり、坂本堤弁護士たちが、教団の問題点を指摘するようになる。信者の死亡事故や事件を隠していたことがわかれば、宗教法人の認証が取り消される恐れがある。麻原彰晃はそれを避けなければならないと判断した。そして1989年11月3日未明に坂本弁護士一家殺害事件が6人の信者によって実行された。 こうして秘密の共有という一部信者の秘密結社化とともに、麻原彰晃の攻撃性は強まっていく。松本サリン事件まであと5年である。ここまでくれば、事件に関与した信者はもはや「どこにでもいる」人間とはいえない。しかし信者が殺人を犯すことを目的としてオウムの会やオウム真理教に入ったのではないことを再度強調しておくのは、オウム問題は過去の問題ではないからである。何が日本社会の課題なのか。それはカルトに入る者には、一般的な傾向があることを知り、対策を取る必要があることだ。 まず家族問題だ。多くの信者は入信の背景として父親あるいは母親との軋轢を抱えている。かつて上祐史浩に、麻原彰晃とはどういう存在かと問うたことがある。いつもは冗舌で「あー言えばジョーユー」と揶揄されるほどだった彼が、しばし黙り込んだことをいまでも覚えている。口を開いて出てきた言葉はこういうものだった。「尊師は目標であり、父のような存在です」。坂本弁護士事件の実行犯のひとり、岡崎一明死刑囚は、麻原彰晃について「父や母のような存在でした」と裁判で語っていた。「両親の代わりとしての教祖」である。上祐は、父のような教祖は「わたしが何をしなければならないのかをテキパキと指示してくれる」と語った。社会的価値観を教えてくれる存在としての父性の欠如だ。 家族問題だけではない。結論だけをいえば、反抗期の欠如、社会性の欠如などが背景に存在していた。井上死刑囚の父にこう聞いたことがある。「息子さんに反抗期はありましたか」。即座に戻ってきた言葉は「ありませんでした」だった。一般的に人間は成長の過程で反抗期を通っていく。霊感商法や合同結婚式で知られる統一教会の元信者たちにも、反抗期を経験しなかった者が多いように思える。オウムにしても統一教会にしても、わたしが知るかぎり、親や兄弟姉妹に優しい人物が多い。反抗期がないことは、対人関係において抵抗感がないことなのかも知れない。この問題もオウム=カルト問題を解く課題のひとつなのだ。「酒鬼薔薇聖斗」に作用したオウム事件「酒鬼薔薇聖斗」に作用したオウム事件 こうして細かく入信の背景を見ていけば、オウム真理教の信者は、わたしたちとそう遠くない存在であることがわかるはずだ。ところが人類史ではじめて都市部でサリン散布の経験をした日本では、特殊な問題として置き去りにしてきた。神戸・連続児童殺傷事件の現場となった竜の山(通称・タンク山)にある慰霊碑に花束を供え、手を合わせる大学院生=2007年5月24日(撮影・山田哲司) オウム事件から2年後の1997年。神戸ではいわゆる「酒鬼薔薇聖斗」事件が発生した。2人の子供が殺害された猟奇的事件で、日本を震撼させた。逮捕されたのは、当時14歳の中学2年生だった。わたしは少年を精神鑑定した専門家に取材した。「オウム事件の影響はありましたか」と聞いたところ、すかさず「ありました」と言われてしまった。では何が影響したのか。テレビの影響である。少年は「あの程度のことは許される」と思い込んだそうだ。なぜか。それはサリン事件を起こしたに違いないと思われている教団幹部が、テレビに出て堂々と発言しているからであった。 ことはそれで終わらなかった。1999年から2000年にかけて、日本全国で「17歳の犯罪」が続発した。「人を殺す経験がしたかった」と供述する少年がいた。名古屋で最近起きた殺人事件で逮捕された19歳の女子大生の供述と同じである。なかには生徒手帳に「酒鬼薔薇聖斗」事件の少年の顔写真(写真誌に掲載された)を貼っている者がいた。またある少年は犯行前に神戸市須磨区にある「酒鬼薔薇聖斗」の自宅を訪れていた。オウム事件の影響で神戸事件が起き、さらに「17歳の犯罪」へと連なっていった。神戸事件の少年と同世代の犯行である(詳細は有田芳生『メディアに心を蝕まれる子どもたち』角川SSC新書)。 なぜオウム真理教だったのか。若者たちがカルト集団に取り込まれていく社会的要因を分析し、公教育や家庭にまで教訓が浸透し、生かされなければ、これからも同じような問題は起きていくだろう。日本社会の遅れだ。とくに最近のネット社会の広がりと深まりは、それに反比例した判断力の低下とともに深刻な問題を引き起こしている。 わたしがここ数年取り組んでいるヘイトスピーチ(差別の煽動)問題では、ありもしない「在日特権」を振りかざし、ネットから街頭へと跳び出してきた在特会(在日特権を許さない市民の会)も、架空の「現実」を信じ込み、たえず人を傷つけている。評論家までがネットやラジオなどで根拠のないデマを振りまき続けている。しかも事実でないと具体的に批判されても訂正も謝罪もしないから、ネット上では誤った言説がいまでも流通している。メディアリテラシーといった言葉がしばしば使われるが、充分な判断力を持たない者が、ネットの言説に躍らされている現実は変わらない。 オウム真理教の残党であるアレフがいまだ新規の信者を増やしている背景にはこうした現実がある。主たる方法はネットを通じた勧誘である。若い世代の入信が多いのは、もはや20年前の事件ゆえに実感としてのオウム真理教ではないからだ。しかもヨーガのサークルなどなら、そこには警戒感も生じない。やがて麻原彰晃を教祖としていることを知らされても「事件は陰謀で、オウム真理教によるものではない」と教えられれば、それを無批判に信じてしまう。陰謀論は現実の背景に隠れている「真実」を知ったとして、むしろ積極的な信じ込みの動機となる。1995年の地下鉄サリン事件に至る、オウム真理教に入信した者たちと内面は変わっていないのだ。日本の現実を批判するオウム真理教に対して、日本政府やアメリカ政府は攻撃を仕掛けてきている。その後ろにいるのはフリーメーソンという秘密結社だーーそう教えこまれれば、基礎的な社会科学的判断力を持たない者は、社会の秘密を知ったと思い込み、のめり込んでいった。ネット時代にあって根拠なき言説はかつてと比較にならないほど膨大に流通している。地下鉄サリン事件から20年。オウム真理教はなくなったが、それを生み、拡大させた社会的要因は変わっていない。(敬称略)関連記事■ 日本人の「社会の心」はどこへ■ いま少年法の理念が揺らいでいる■ 日本人よ、この覚悟が理解できるか

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    オウムの失敗に学んだ「イスラム国」と失敗に学ばない日本

    紀藤正樹(弁護士) 本年2015年3月20日は、地下鉄サリン事件から20年目の節目です。 最後のオウムの刑事裁判である高橋哲也の刑事裁判も、東京地方裁判所で審理が進み、4月中にも判決が出る見通しとなっています。 世界を見渡せば、20年前のオウム真理教の失敗に学んだのか、まず先に、兵站を伸ばさずに、領土を確保し、領土内に住む人間を人質としていく中で、国家組織を作り上げた、IS(イスラム国)なるテロカルトも出てきました。 仮にですが、20年前、オウム真理教が、地下鉄サリン事件を引き起こさず、サリンを保有して、上九一色村(当時)の住民を人質として立てこもるという判断をしたたら、まさに20年前の日本で、既に1994年6月には、省庁制をとっていたオウム真理教という”国家内国家”と、日本国との全面戦争となり、我が国の当時の体制では、簡単に、強制捜査はできなかったと思いますし、さらに警察官、住民、さらには投入された自衛官も含めて、さらに多くの犠牲者を生んだ可能性があります。ヘッドギアと呼ばれる器具を着けたオウム真理教の出家信者。山梨県の旧上九一色村にあった教団施設が、1995年3月の強制捜査を受けた際の写真とみられる(信者の顔をモザイク加工しています) 20年前、IS(イスラム国)と同様、省庁制まで引いていたオウム真理教が、兵站を伸ばして首都東京に対して、地下鉄サリン事件というテロ行為を引き起こしたことは、まさに松本智津夫被告らの思い付きに基づく、歴史的偶然にすぎない感を強くします。 このインターネット時代、このオウム真理教の失敗を、ISは学んだのか、まずISは、先に住民たちを人質として、国家組織を作り上げました。住民が人質ですから、米欧が、簡単に、ISを空爆で攻撃できないのは、それが理由です。 そのため、ISを解体するには、陸戦しか方法がない状態です。しかも子どもたちも含む人質の命を守りながら陸戦を展開するのは非常に難しいのが、戦争という現実です。 テロの論理を許してはいけないのは当然の前提ですが、今の日本は、政府を含めて、オウム真理教事件から20年をたっても、カルトの存在理由やカルトの信者の論理や思考方法を学ぼうとしていません。 この歴史的偶然について、僕以外に指摘する見解がないのも、カルトの思考方法についての理解が、一般のテロの評論家と呼ばれる人たちにないのが、その理由です。テロの評論家にないのだから、政府や国会議員にないのもやむを得ないのかもしれません。「イスラム国」が公開したビデオ声明。前列右がアヤト・ブメディアン容疑者と指摘されている人物(動画投稿サイトより) オバマ大統領は、ついにこの2月、IS=ISIS=ISILに対し、はっきりと「カルト」と評するようになっています⇒.. http://fb.me/77V6X5nYA 紀藤も、ISは、メンバーの勧誘形態(現実のISの実態を教えずに、イスラム教の理想だけを教え込んでいく手法)、そのメンバーに対する支配方法、及び、命令一下の組織の構造、こうした実態を命を賭して従うメンバーの思考形態が、いわゆる破壊的カルトと同じと評価できると考えています。 今や、我が国のみならず、世界において、カルト問題はさらに深刻化し、その現状は深刻であり、あまりに憂うべきものがあります。 対し、日本政府(国会議員も含めて)は、このオウム真理教事件の反省や教訓を検証できないままにあります。 いまだに世界が驚いた化学兵器テロである。20年前のオウム真理教事件について、政府報告書や議会報告書がないのが、日本の不幸な現実です。 ひるがえって2011年に起きた原発事故については、政府も議会も民間も、事故調査報告書を出しているのに、です。 したがって我が国において、当然に、ISのようなテロリストカルトの論理や思考方法への理解は遅れ、対策が遅れるのも当然です。 今からでもとにかく、できるだけ早く、オウム真理教事件の全容について、なぜ事件が引き起こされてしまったのか、今後このような事件を引き起こさないためにはどうすればよいのか、一般人をカルト信者にしてしまう勧誘方法、カルト信者の思考方法等について、そのメカニズムの解明に関し、政府や議会による調査報告書を作成し、世に問い、政府も議会も国民を、再発防止策を真剣に検討する時期に来ていると思います。 そしてこの時期、マスコミの検証番組が相次ぐ中、市民もマスコミも、もっと政府に意見をいうべき時期に来ているのだろうと思います。 僕のような提言がほとんどないこと自体、我が国=日本国の平和ボケのような現状を反映し、とても寂しいことです。(弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWS-BLOG版 『地下鉄サリン事件20年の節目にテロとの戦いに思う!=「オウム真理教事件(1995年)」の失敗を学んだ「IS(イスラム国)」と、失敗に学ばない「日本国」』より転載)関連記事■ 日本人よ、この覚悟が理解できるか■ 戦後50年を襲った恐怖 「阪神大震災」と「オウム事件」■  「アル=カーイダ3.0」世代と変わるグローバル・ジハード

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    「今日、いいことが起きている」麻原は四女に告げ、笑った

     オウム真理教による一連の事件を首謀した教祖、麻原彰晃(60)=本名・松本智津夫。その四女(25)が地下鉄サリン事件の発生から20年を控え、産経新聞の取材に応じた。麻原彰晃死刑囚が逮捕された山梨県旧上九一色村の教団施設「第6サティアン」(中央の写真は逮捕時、平成7年5月16日撮影)。現在の跡地は草が生い茂り、世界を震撼(しんかん)させた現場を想起させるものは残されていない=3月14日、山梨県富士河口湖町(奈須稔撮影)  平成7年3月20日、教団最大の拠点があった山梨県旧上九一色村。その建物群の一つ、麻原ファミリーが暮らす重要施設「第6サティアン」の麻原の部屋の前で、四女は父と立ち話をしていた。 「今日はいいことが起きているんだよ」 麻原はこう言い、冷たく笑った。その直後、教団幹部らが緊張した面持ちで現れた。「向こうに行っていろ」。四女は父に追い払われ、父と幹部らは部屋の中に消えていった。 この日朝、東京都心で地下鉄サリン事件が起きた。このとき、四女は5歳。父との立ち話は、幼少期の鮮烈な記憶となっている。“最後の別れ”はせず その2日後、警視庁などによる強制捜査が始まる。「麻原、どこだ!」。連日のように捜査員の声がこだました。約2カ月後の5月16日、第6サティアンにあった隠し部屋で、現金を抱えた麻原が発見された。「尊師(麻原)が捕まる」。近くにいた信者に“最後の別れ”をしに行くよう促されたが、なぜか足が動かなかった。 「逮捕される父の姿を見たくなかったのか、立ち話のときの父に嫌悪感を抱いていたのか」。今も四女は父に会いに行かなかった理由を整理できていない。 事件については「父にとって自己保身。自分に迫る強制捜査を攪乱(かくらん)したかった。一般人や信者がどうなっても構わなかった。自分と自分を神聖化する教団を守りたかったに違いない」と理解している。「子供は親選べない」 四女は元年に静岡県富士宮市の教団施設で生まれた。2歳ごろに旧上九一色村に移り、3歳で立位礼拝(りついらいはい)=立ち上がったり体を床にはわせたりする修行=を2時間こなすなど、幼少期は修行三昧の日々だった。 「子供は親を選べない。私がオウムを選んだこともない。ただ、昨日生きていた人が今日死んでいる状況はつらかった。洗脳される以外に生き残る道はなかった。『ここはおかしい。いつか脱出しよう』と思っていた」 麻原逮捕後、家族は関東の教団施設などを転々とする。行く先々で就学拒否など住民の反対にあった。 「宗教弾圧だ」。信者らからそう聞かされてきた四女は、15歳になるまで地下鉄サリン事件をはじめ教団の犯罪をまったく知らなかった。テレビや新聞、雑誌を見ていなかったからだ。麻原彰晃死刑囚 1審で麻原に死刑判決が出た後のことだ。中学校で法律について学んだ際に「宗教弾圧で死刑になるのだろうか」と疑問に思い、インターネットなどで調べて初めて事実を知った。 教団関係者から生活費が出ていた一家。「父の娘であることで生きていくのが、いやになった。被害者の賠償に充てられるべきお金で生活したくない」。固く決意し、16歳で家出した。その後、職を転々としながら自活している。 麻原の四女は家出した際、幹部信者から父の「獄中メッセージ」と呼ばれる文書を手渡された。弁護士が接見で聞き取り、教団へ伝言したもので、必要に応じて信者に伝えられた。一定のステージ(位)以上の者はその全文を見ることができる。 「父は逮捕後も教団に指示を出していた」。麻原が平成7年5月から約2年の間に発したメッセージに、教団は従ったという。 産経新聞が四女から入手した文書によると、7年11月には、教団が任意団体に移行するとした上で「尊師は新しい任意団体の名称を下記の通り指示」とし、続いて「『アレフ』とする」という文字が記されている。教団がアレフに名称を変える4年以上前のことだ。 8年2月には「取調官の言葉の意味そのものを全く理解しない(中略)、音としてすら認識しなかったとしたら(中略)、一切の苦しみから解放されることになる。これが解脱です」とのメッセージを発し、逮捕された幹部を黙秘に転じさせた。 8年6月には「教祖-長男、次男」の記載がある。教団は同月、当時3歳の長男(22)と同2歳の次男(21)を「教祖」とする新体制を発表した。ただ、アレフに名称を変更したと同時に「教祖を置かない」と規定しており、表向きには「教祖」と位置づけていない。 アレフは昨年3月、麻原の生誕祭を過去最大規模となる700人以上で行った。麻原への帰依心が強まる一方、教祖の世代交代を模索する動きも出ている。 公安調査庁によると、アレフ内では昨年、成人した次男を正式に教祖に迎えようとする動きがあったが、三女(31)が反対した。これを機に、三女に同調した幹部が除名されるなど、教団運営が混乱しているという。 後継者待望論には、理由がある。麻原が拘置所にいるため高位の信者をステージアップできず、出家信者の教団離れにつながっている。元アレフ幹部は「代わりを務められるのは後継指名を受けた長男か次男しかいない」と言い切る。小学生向けに教材…信者の若返り図る小学生向けに教材 アレフは「教祖」の世代交代を意図する一方、信者の若返り、若年層への教育に力を入れているようだ。オウム真理教主流派「アレフ」の小学生向け音声教材「小学生の真理」=平成26年(公安調査庁「内外情勢の回顧と展望」から) 「こんにちは。小学生の皆さん。麻原彰晃です」。アレフの小学生向け音声教材「小学生の真理」は、麻原の肉声によるこんなフレーズで始まる。「君たちは『カルマ』という言葉を知っているかな」「1日1円でもいいからお布施をすると、半年後にはきっといいことが返ってくる」。麻原がやさしい言葉遣いで教義や修行について語りかける。 公安庁によると、主流派アレフと分派したひかりの輪の昨年11月末時点の国内の信者数は3年前より150人増え、計1650人。このうちアレフだけで1450人を占める。増加した信者の6割以上が35歳未満の若い世代だった。 公安庁は、信者となった親に連れられ、アレフの施設を訪れた子供たちが修行している姿を確認している。年端もいかない子供たちの口から「教祖に帰依する」「出家するしかない」といった言葉が出るという。 さらに低年齢向けの「よい子の真理」もあり、オウムの次世代は着実に育っている。公安庁幹部は「過去の事件を知らず、純粋培養された世代が育てば、同じ惨事を繰り返す可能性がある」と懸念する。 一方、ひかりの輪は代表の上祐史浩(52)がテレビ番組に出演したり、書籍を出版したりするなどして、麻原からの脱却をアピールしている。しかし、公安庁は、麻原の影響力を払拭したかのように装う「麻原隠し」であることは明らかだとしている。四女「父は詐病だ」 麻原が1審で死刑判決を言い渡された半年後の16年夏、四女は初めて東京・小菅の東京拘置所で父と面会した。面会は6回ほど重ね、19年3月には自分の名前を呼ばれた。最後の20年6月には「きょうは寒いですけど、体は大丈夫ですか」との問いに、麻原は「きょう、けっこう寒いね」と答えたという。 弁護側は麻原が精神的に病み、訴訟能力がないと主張していたが、四女は今でも「父は詐病(さびょう)だ」と信じている。 「父は人間そのものを憎悪していたのではないか。誰も愛することができなかった。一方で、自己愛が強く、詐病で自分を守っているのだろう」。四女は今後も教団から離れ、「贖罪(しょくざい)」の気持ちを抱きながら生きていくという。(敬称・呼称略)関連記事■ 日本人よ、この覚悟が理解できるか■ 戦後50年を襲った恐怖 「阪神大震災」と「オウム事件」■ 「共謀罪」でテロに備えよ

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    語ることは「命拾った者の務め」 現場で被害の元鑑識課係長

     オウム真理教による地下鉄サリン事件から間もなく20年。「オウムって何ですか」と真顔で聞いてくる新人警察官がいるという。警視庁鑑識課係長として現場に駆けつけ、被害に遭った杉山克之(71)は表情を曇らせ、そんな現状を憂う。「事件の教訓を次世代に伝えていく」と語る元警視庁鑑識課係長の杉山克之さん 「時代の流れでは済まされない。俺たち警察は失敗したんだから。警察は『オウムの影』に気付きながら情報共有できず事件を防げなかった。被害者のためにも、その思いは絶対に忘れてはいけないんだ」 平成7年3月20日午前8時過ぎ、東京都千代田区の警視庁鑑識課の一室で、杉山は霞ケ関駅の異常事態を知らせる無線を耳にした。現場は目と鼻の先。すぐに地下3階の同駅ホームに降り立った。 無人の先頭車両内に新聞紙の包みを見つけた。ドロリとした液体が染みだし、かすかに甘い臭いを放っている。特徴を書き留めようとペンを握ったとき、異変に気づいた。腕が動かない。首から下の感覚がない。目の前が真っ暗になり、自分がどこにいるのか分からなくなった。サリンの症状の一つ、瞳孔が極端に縮む「縮瞳(しゅくどう)」だった。 わずかな視界の中で、蛍光灯の淡い光が出口から差す日の光のように見えた。「あそこまで行けば助かる」。おぼろげな意識の中で、部下が叫ぶ声が聞こえた。「係長!」。中学生と高校生、大学生の3人の子供の顔が浮かんだ。「死ねるものか」。そう思ったのを最後に意識が途絶えた。 約2時間半後、杉山は病院のベッドにいた。体の汗をふいたタオルが顔にかかったとき、臭いに息がつまって吐いた。後遺症だった。 新聞で「サリン」「地下鉄」という文字を見る度に吐いて胃の中が空になり、死者が手招きする悪夢に幾度となくうなされた。 それでも、事件から約1カ月後、静岡県富士宮市のオウム真理教関連施設の現場検証に参加した。「自分の手で証拠をつかんでやる」との思いからだ。 16年3月に退職して以降も、幹部を養成する警察大学校などで教壇に立ち、経験を語った。「事件を忘れるな」「苦しみを忘れるな」。17年から23年まで計約30回講義し、被害者を代弁するように3千人以上に自らの経験を伝えた。 「同じ苦しみを味わった自分が語らなければ、犠牲者の苦しさは分からない。命を拾った者の務めだ」。まなざしはなお鋭い。崩れた安全神話 《日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ちが悪くなったもの。あるいは事件事故等やもしれませんが、詳細判然としません》 平成7年3月20日午前8時21分。警視庁の通信指令本部に入ったこの無線連絡が死者13人、負傷者6千人を超える未曽有のテロ事件の始まりだった。無線情報が錯綜地下鉄サリン事件が発生し、地下鉄八丁堀駅から続々と運び出され、救急隊員から手当てを受ける乗客ら=平成7年3月20日、東京都中央区 各駅からは続々と負傷者の報告が入った。30、40、50と人数は増え、すでに脈拍がない人もいた。「ガソリン」「シンナー」「薬品」「爆発物」…。警視庁の無線情報は錯綜(さくそう)した。 まもなく、警視庁の鑑識課員が発見した不審物が科学捜査研究所に持ち込まれた。科捜研第2化学科主査だった服藤(はらふじ)恵三(57)は午前9時ごろ、白バイ隊員が持ってきたサンプルの鑑定に入った。脱脂綿は薄黄色にぬれていた。隊員は「築地駅の3両目の車両の床を拭き取った」と話していた。 屋内は危険が高い。屋上に部下と向かった。ピンセットで脱脂綿をつまみ、溶媒が入ったフラスコに放り込んだ。溶媒からの抽出液を質量分析計に注入。午前9時34分、コンピューター画面にアルファベットと構造式が示された。 《サリン検出》 「大変なことが起きた。誰が何の目的でこんなことを…」。高まる鼓動。服藤は心を落ち着かせた。「治療にあたる医師らにいち早く伝え、処置に誤りがないようにしなくてはならない」。別の現場から持ち込まれたサンプルも同様の鑑定結果。間違いない。 警視庁はすぐさま原因物質は「サリンの可能性」と発表した。化学兵器サリンによるテロが、日本の中枢部で起きたことが全世界に伝わった瞬間だった。化学部隊を設置 「数々の教訓を残した。警察も意識、組織の両面で大改革を迫られた」。警察幹部は一連のオウム事件の影響をこう振り返る。「テロやカルトの脅威を体感した。安全神話が崩れ、日本もテロの標的となることが浮き彫りになった」とも。 長野県松本市で起きた6年6月の松本サリン事件に続く、サリンを使用した犯罪。核(Nuclear)、生物(Biological)、化学(Chemical)のテロ対策が急務となった。 地下鉄サリン事件から5年後の平成12年、警視庁公安部は、公安機動捜査隊の中にNBCテロ捜査隊を創設した。事件を教訓に物理、化学、生物学などを専攻したエキスパートが、不審物や異臭など、NBCテロの可能性がある事案の初動捜査にあたる。同様の組織は、全国の警察にも配備された。 自衛隊には、化学物質の分析・特定に最先端のノウハウを持つ陸上自衛隊化学学校の「化学教導隊」があり、地下鉄サリン事件で現場を除染した部隊を前身にした「中央特殊武器防護隊」も擁する。十数万種の化学剤を識別する偵察車や、NBC汚染に耐える装備は、素早い対処や被害軽減の武器となる。 テロに対応する“実行力”も強化された。国内外での破壊活動なども想定する陸自の「特殊作戦群」は極めて高い練度を誇るとされる。海上自衛隊も「特別警備隊」を有している。 原発のテロ対策も強化され、東京電力福島第1原発を含む計17カ所の原発には、サブマシンガンなどで重装備した警察の部隊が24時間体制で警備にあたる。知らない世代も 事件後、装備や組織は強固なものになりつつある。だが、それを運用するのは人だ。「オウムが何をしたのか。どういう存在だったのか。実体験として当時を知らない若手が増えていることに危機感もある」。警察幹部はこう話す。 国内のカルト集団が水面下で増幅し、暴発したオウム事件は深い傷を残しながら、記憶の風化も浮き彫りになっている。 一方、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が日本をテロの標的と名指しするなど、日本は新たな脅威にも直面している。元警視庁鑑識課の杉山克之は「テロの最大の脅威は海外にある。最も重要なのは徹底的に海外のテロ組織の情報収集をして対策を立てることだ」との懸念を示す。 国際テロに詳しい公共政策調査会の板橋功(55)は、この20年でテロ対策は進んだとした上で「国際テロリズムの脅威は明らかに高まった。国民全体がテロに敏感にならないといけない。想定されるテロのリスクも多様になった」とし、「風化」「対岸の火事」との意識を改めることを強調した。(敬称略)関連記事■ 日本人よ、この覚悟が理解できるか■ あの日を境に変わった私のメディア認識■ 戦後50年を襲った恐怖 「阪神大震災」と「オウム事件

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    マスゴミよりたちが悪い私刑化社会

    「晒す」という言葉がネットで使われるようになって久しい。何か事件が起きれば、犯人捜しや個人情報を勝手に公開し、私的に制裁する「ネット私刑」も広く知られるようになった。川崎市の中1殺害事件でも、加害少年らの私刑が物議を醸したが、私刑化が進むネット社会に潜む落とし穴とは。

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    少年法の「壁」を考える

    少年による凶悪事件が止まらない。川崎市の中1殺害事件の容疑者も少年グループだった。更生と保護を理念とする少年法の厳罰化の流れが進む中で起きた今回の事件。「18歳選挙権」の成立が確実となった今、20歳を成人と扱う少年法との整合性をどうつけるのか。少年法の「壁」を考えたい。

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    戦後50年を襲った恐怖 「阪神大震災」と「オウム事件

    し、瞬く間に広まったのである。いわば、「携帯元年」と呼んでもいいだろう。 もう一つ、忘れてはならない事件がある。この年の3月20日午前8時ごろ、東京で発生した地下鉄サリン事件のことだ。新興宗教団体のオウム真理教(現・アレフ)が、営団地下鉄(現・東京メトロ)の丸ノ内線、日比谷線、千代田線の3路線の車両内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンを散布し、乗客や駅員13人が死亡した事件である。負傷者数は約6300人にのぼった。 首都圏の地下鉄を舞台に実行されたテロ事件として世界中の注目を集めた。また、一般市民に対し、化学兵器が使用されたことでも衝撃的だったとされる。しかし、それでもまだ日本では無差別テロ事件という認識は希薄だった。おかしな思想にとらわれた新興宗教団体による犯罪という側面でしか、捉えなかったのではないか。第六サティアンを「殺人予備」の容疑に切り替えて捜索が新たに行なわれた=上九一色村 1995/ 03/ 31  この事件を契機に、メディアは震災報道からオウム報道一色に様変わりした。メディアも事件の詳細から、オウムの教祖だった麻原彰晃(本名・松本智津夫)のことや、オウムが起こした坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件などを掘り下げる内容になっていった。 個人的なことで恐縮だが、当時業界紙記者だった私は建設省(現・国交省)担当で、妻は団体職員として神谷町に勤務していた。たまたま2人ともこの日は休暇を取っていたため事件に巻き込まれなかったが、もし普段どおり勤務していたらどのような事態に遭遇していたか分からない。そんな恐怖感に包まれたことを、今も鮮烈に覚えている。逮捕され、拘置請求のため東京地裁に向かうオウム真理教の麻原彰晃容疑者=警視庁1995/ 05/ 18  さらに、地下鉄サリン事件の1カ月後、私は縁あって元読売新聞大阪社会部長の黒田清氏(故人)の黒田ジャーナルに転職し、約10カ月におよぶ震災取材を経験した。当初、「いまごろ東京から来て何が分かんねん」と面罵されることもあったが、被災者と共に歩き、共に涙しながら被災者の心情の一端を報じられたと思っている。 戦後50年に、この大災害と大事件が発生したことは、この国の大きな転換期だったと、今振り返ってみて改めて感じている。戦後生まれ、平和な時代に育った者として、この2つの出来事は初めて目の当たりにした“戦争”だったからだ。このような事態に遭遇した際、国はどのように動くのか。もちろん、その都度、政府は法整備を進めていった。 たとえば、5年間の時限立法として阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織に関する法律をはじめ、被災者生活再建支援改正法など、さまざまな法律ができ、復興支援に向け動いた。 また、破壊活動防止法以外に、オウム新法(団体規制法、正式には「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」)が出来たり、サリンの所持や製造を禁止するサリン防止法などが成立した。 いつ大災害に見舞われるか、どこで無差別テロ事件が起きるか、つまり身近に危険が潜んでいることがはっきりしたのが、95年だった。平和で豊かな国ではない現実を突きつけられた年だったといっていいだろう。 しかし、戦後70年を迎えるいま、防災立国をめざすでもなく、テロ防止が万全といえる状態ではない。その一方で、特定秘密保護法は一般市民やメディアまでも巻き込むことも可能な危うさを孕み、集団的自衛権の憲法解釈容認は時の政権によって大きく舵取りが変わる危険性を持っている。あの20年前のこの国の姿を思い出すと、違う国づくりの必要性が改めて浮かび上がってくるように思えてならない。