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    私だけが知っている「籾井降ろし」とNHK「腐敗」の真実

    杉江義浩(ジャーナリスト) 不思議なことにリベラル派からは「政権癒着」と国会でつるし上げを食らい、同時に逆の極端な保守派からは「反日」と叩かれることもあるNHK。 NHKについては、あまりにも外側から妄想で語られることが多いので、私はあえてNHKの真の姿と課題を知ってもらうことにします。 2014年1月25日、私は渋谷にある放送センターの自席で業務を続けたまま、NHKの館内共聴回線でテレビ画面に映し出される、籾井勝人NHK新会長の初会見に何げなく耳を傾けていました。就任会見する籾井勝人氏=2014年1月25日、東京都渋谷区のNHK 私が最初の会見で受けた印象は、籾井会長という人はずいぶんとよく喋る人だな、というものでした。私が働き始めたころのNHK会長は、NHK専務理事から昇進した川原正人氏でした。2008年まで20年間、NHKの会長には、NHK内部からの叩き上げの人間が就任する時代が、長く続きました。 だいたいが組織の人間というのは、現場にいるころはよく喋りますが、偉くなって責任が重くなってくると、舌禍を恐れて口が重くなるものです。 それに比べると組織の外部から来た籾井会長のリップサービスは、いささか無防備に過ぎるように感じられました。最初のうちは、僕が注意深く聞いていなかったせいでしょう、籾井会長がよく喋るのは、総合商社でのキャリアが長かったせいだろう、くらいに甘く考えていたのです。 ところがその初会見の直後、報道各社から一斉に籾井新会長の発言内容に対する激しい責任追及の声が高まり、私も新会長の発言を再検証することになりました。事態は2月27日の衆議院総務委員会での質疑応答にまでもつれ込む大騒動に発展したのです。軽はずみすぎた発言 当時は特定秘密保護法が安倍政権により強行採決されたばかり。マスコミ各社が、これは報道の自由を損なうとして厳しく批判しているさなかでした。 その特定秘密保護法に関するNHKの報道姿勢が政府寄りではないか、と指摘された際に、籾井新会長は、「まあ一応通っちゃったんで、言ってもしようがないんじゃないかと思うんですけども」「あまりカッカする必要はない」と発言しました。 報道機関としては特定秘密保護法が施行されると、自由な取材活動が制限されて、真実の報道が難しくなるわけですから、NHKの会長は自らにとって重要な問題と認識して、責任ある発言をすべき立場だったのです。 それにもかかわらず、籾井会長の発言はずいぶんと軽はずみでした。 また時の政権の施策に対して、公正中立な立場からしっかりとした検証を行うという重要な任務が公共放送にはあります。それをはなから放棄しているような籾井会長の姿勢がマスコミ各社から問題視されたとも言えるでしょう。民主党の総務・内閣部門会議に出席し、議員の質問に答えるNHKの籾井勝人会長(左端)=2015年2月18日、衆院第2議員会館 さらに、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」 この発言は衝撃的でした。安倍首相が右を向けと言えば、ハイと無条件に右を向く。そんな政権与党に言われるままの人物に、不偏不党であるべきNHKの舵取りを任せて大丈夫なのか。動揺が走りました。 国のリーダーに言われるままの放送を行うということは、北朝鮮や中国の国営放送と同じような放送局になることを意味しています。 先の大戦の時、日本の報道機関はすべて軍部によりコントロールされていました。NHKから新聞各社まで、軍部に都合の良い片寄ったニュースだけを、そのまま報道するように強要されていたのです。 軍部が率いる時の政権の方針を、国民は正しいものだと信じ込むようになり、いつのまにか洗脳されていきました。そして結果的に報道機関は、悲惨な戦争を長期化へと誘導する旗振り役を果たしてしまったのです。 逆に戦後、サンフランシスコ講和条約が結ばれるまでの7年間は、GHQが決めたプレスコードで管理され、戦勝国側に不都合な報道は禁じられていました。原爆の被害の大きさや、国民の貧窮について語ることさえ許されませんでした。 この苦い経験を生かして今の放送法は作られました。放送局は時の政権から干渉されない独立した編集権を持ち、不偏不党で公正中立な報道をすることを、その精神としたのです。   残念なことに籾井会長の発言は、この編集権の独立という報道の自由にとって重要な概念を、もののみごとに吹き飛ばした感があると思います。安倍政権に追従する 国会に呼び出されて以降は、さすがに饒舌な籾井会長も言葉をつつしむようになり、何を質問されても、「放送法に従って粛々と」としか答弁しないようになりました。しかし一連の発言については、「考えを取り消したわけではないが、申し上げたことは取り消した」と答弁しています。つまり事態が収拾した後も、安倍政権に追従するという籾井会長の考え方そのものは、何ら変化しないことを確認したのです。 籾井会長はさらに、直属の部下である理事たちを全員集めて辞表を提出させ、それを一時的に預かるという極めて異例な儀式を行いました。これにより理事たちは籾井会長に生殺与奪を握られ、事実上の絶対服従を誓わされたのです。 理事たちは直接ニュースや番組を作りませんが、これらを作る現場の管理職トップの人事権を握っているので、その影響はないとは言えません。 そもそもNHKの会長は、経営委員会という会議で選任します。NHKの経営委員会というのは、株式会社に例えれば株主総会のようなものです。委員になるのは衆参両議院の承認を得て内閣総理大臣に指名された有識者など12人です。籾井会長を専任した時の委員は、作家の百田尚樹氏らでした。経営委員会の委員を指名するのが首相ですから、NHK会長の選任が時の政権に左右されやすいのは、今に始まった状況ではないと言えるでしょう。 ただし時の政権の意向が、すぐさまニュースや番組に反映されるわけではありません。NHKの現場で働く記者やディレクターは、会長の指示をそのまま受け入れるとは限らないからです。 2016年4月14日に始まった熊本地震に伴う原子力発電所関連の報道について、籾井会長がNHK役職員らに対して、「(国や電力会社の)公式発表をベースに伝えるように」と指示したことが各紙に伝えられました。これに対し4月25日に、NHKの労働組合である日放労の中央委員長はただちに声明を出し、「公共放送として、報道にあたってベースとするものは、取材してわかった事実であり、判明した事実関係である」とする見解を発表しました。公式発表をただ流すのではなく、記者たちが自らの取材で事実関係を追求していく調査報道の姿勢を強く示したのです。何人からも干渉されず 7月13日には、天皇陛下に遠くないうちに譲位のお気持ちがあることを、NHKは7時のニュースで独自のスクープとして報道し、世間を驚かせました。 これは全く官邸の意向に沿うものではありませんでした。この直後、官邸や宮内庁の高官は憮然とした表情でインタビューに答え、そのような事実はない、と当初は全面否定していました。 しかし実際には8月8日の天皇陛下ご自身のビデオメッセージで、このスクープが事実であることを示されたのです。 NHKには放送法とは別に、内規として国内番組基準というものがあります。そこには「何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論の自由と表現の自由を確保」することが謳われています。 何人からも干渉されずとは、時の政権、圧力団体その他のあらゆる干渉を受け付けず、「事実と己の良心のみに基づいて」判断することだ、と私は教えられました。 視聴者からの受信料で成り立つNHKの番組は、国内の放送に税金を一切使っていません。政府から独立して自主的な取材を綿密に行い、独自に事実関係を検証し、良いものは良い、悪いものは悪いと放送するためです。 取材結果によっては、時には上司はもちろんのこと国家権力からの反発も覚悟の上で、屈することなく真実を述べる存在でなければならないのです。 それが出来るかできないかは、ひとえにNHKで働くスタッフや職員一人ひとりのジャーナリズム精神と矜持にかかっていると言えるでしょう。 報道機関に不当な圧力をかけて萎縮させているのでは、と一部から批判された安倍首相本人は、その批判に対してこう答えています。「私の圧力ごときに萎縮するような頼りないマスコミであっては困る」 実に挑発的な表現ですが、まさに政治権力とジャーナリズムは、常に真剣勝負なのだと再認識する一言でした。 政権による報道への介入を批判する態度はもちろん大切ですが、そもそも国家権力というものはいつの時代も、報道に介入したがるものだという認識を持たなければいけません。その上で政治的な圧力に負けないように、自分の足元を見つめ直し、タフなものへと固めていくことの方がより重要ではないでしょうか。ジャーナリストとしてブレない態度が求められているのです。NHKの次期会長に選ばれた経営委員の上田良一氏  2017年1月24日に、籾井会長は任期満了を迎えます。 籾井会長は解任され、現在経営委員を務める上田良一氏が新しいNHK会長の座に着くことになりました。首相が直接指名した経営委員出身ですから、安倍政権の意向をより強く反映した人物であることが予想されます。 NHKは一歩間違えれば、政権与党あるいは安倍首相の私的な広報組織に成り果てる危険性と、今もなお隣り合わせです。 現場のスタッフや職員一人ひとりが高い志を持ち続ける限り、NHKを健全な報道機関として保ち続けることは可能だと思っています。

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    NHK会長人事のバカさ加減

    NHKの籾井勝人会長が退任する。公共放送のトップとしての資質に欠けた言動で混乱を招きながら、続投に意欲をみせた籾井氏の退任は、事実上の「クビ宣告」に等しい。一連の会長人事をめぐるごたごたは、NHK内部のバカさ加減を露呈したようなものだが、要は会長が誰であれ、公平中立な番組を作ってくれたらそれでいい。

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    NHK会長続投に有識者らがNO 「一般企業ならとっくにクビ」

     受信料の値下げを匂わせたり、年内いっぱいで解散するSMAPに紅白出場の熱烈ラブコールを送ったりと、近ごろ何かと人気取りの政策を口にするNHKの籾井勝人会長(73)。だが、籾井氏が今一番欲しいのは、人気よりも「任期」なのかもしれない──。 籾井氏といえば、2014年の会長就任直後から、数々の言動が物議を醸してきたのは周知の事実。局内の人事を掌握する目的だったのか、理事全員に日付のない辞表を書かせて“モミジョンイル”と揶揄されたかと思えば、政府与党べったりの偏向報道姿勢を堂々と公言し、多くの批判も買ってきた。衆院総務委で答弁するNHKの籾井勝人会長。左は高市総務相=2015年3月 上智大学教授の田島泰彦氏が憤る。「NHKは公共放送といえども、報道機関である以上“不偏不党”を貫き、いかなる政治権力にも縛られずに独自の情報を視聴者に届けるのが基本の『き』です。 にもかかわらず、籾井氏は自ら〈政府が右ということを左とはいえない〉と公言し、慰安婦問題や原発報道でも政府の方針や発表が出るまではNHKのスタンスは決まらないとの暴言を繰り返してきました。公平中立が生命線である報道機関のトップとしてまったく相応しくない資質の持ち主なのです」 10月31日、そんな公共放送らしからぬNHKの体質改善を求めるべく、田島氏をはじめとした学識者やジャーナリスト、児童文学作家、噺家ら17名が呼びかけ人となり、籾井体制にNOを突きつける要望書をNHKの経営委員会に提出した。賛同者は早くも100名を超えているという。 なぜ、この時期に要望書を出したのか。それは籾井氏の1期3年に及ぶ会長任期が来年1月24日に迫り、次期会長選びが本格化しているためだ。しかし、なんと「続投」の可能性も残されているという。「籾井氏は10月の定例会見で続投への意欲を問われ、〈普通の人は『やりますか?』と言われたら『やる』と言うんじゃないですか?〉と答えていた。あくまでも自分の話ではないと断っていたが、まんざらでもない様子だった」(全国紙記者)前述の要望書の呼びかけ人に名を連ねている立教大学名誉教授の服部孝章氏も、こんな見立てをする。「NHKの会長人事は、政府の息のかかった有識者で構成する経営委員会のメンバーが選任することになっていますが、その委員長を務めているのは3年前に籾井氏を強く推薦した石原進氏(JR九州相談役)です。 これまで籾井氏が度重なる暴言や失言、最近では私的ゴルフにNHKからハイヤー代が支払われていた問題が発覚したにもかかわらず辞任に追い込まれなかったのは、石原氏をはじめ経営委員会が独立した最高意思決定機関として機能していないことの表れです。普通の会社ならとっくにクビになっていますよ」 服部氏はNHK会長の人選や選考方法が極めて不透明で“密室”で行われていることも問題視しており、要望書の中では〈視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用し、そのための受付窓口を経営委員会内に設置すること〉を求めている。 前出の田島氏はこんな指摘をする。「NHKは視聴者をパートナーだといっていますし、現にNHKの経営を支えているのは受信料を払っている視聴者です。そんな市民の声や協調関係を無視した経営をこれ以上続ければ、公共放送そのものに対する批判もますます高まっていくでしょう。 もちろん公共放送の役割には大事な点もありますが、それがすべてNHKでなければ果たせないのでしょうか。今はNHKだけが“独占企業”になって視聴者は選びようがありませんが、我々の声が反映されないなら受信料を拒否する選択肢だってあっていいと思います」 2015年度決算でNHKは過去最高となる6625億円の受信料収入を上げた。徴収の義務化やワンセグ受信料の徴収など、今後NHKはさらに肥大化していく可能性もある。ならば、視聴者はなおさら声を大にして、NHKの経営体制や番組づくりに関与してもいいはずである。関連記事■ 高橋真麻 恋人同伴ハロウィンパーティーでホリエモンとハグ■ 有吉弘行と熱愛報道の夏目三久 きっちり筋を通し信頼獲得■ 元TBS枡田絵理奈 カープファンからは心ない声も■ 長期欠席の愛子さま 「お疲れ」レベルは他の中学生と別次元■ NHK籾井会長 「モミジョンイル、モミジョンウン」の揶揄も

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    完全独立とはほど遠い「公共放送」NHKはすでに役割を終えている

    渡邉哲也(経済評論家) NHKの籾井勝人会長ら執行部が2016年11月8日に行われた経営委員会で、50円程度の値下げを提案したが、これが却下され、提案した籾井会長は経営委員会で信任が得られず、会長職を解かれ、経営委員会のメンバーである上田良一氏が新会長に選任された。これはNHK内での政治の結果といえるものだが、この専任には大きな問題も内在している。 まず、なぜ籾井会長が50円の値下げを提案したのか考えてみたい。実は、NHKは現在の受信料でも、年間400億円以上の余剰金が出ていたわけである。これを平成11年から渋谷放送センターの建て替え費用として積み立て、余剰金を見えない形にしていたのであった。定例会見に出席したNHKの籾井勝人会長=東京都渋谷区のNHK放送センター すでにこの積立金は15年度末現在で約1627億円になっており、積み立てが終わる来年度以降はこれが余剰金として表面化することになっていたわけである。籾井会長はこれを利用者に還元すべきとし、値下げを主張したわけなのだ。そして、今回、経営委員会は将来のスーパーハイビジョン投資(4K、8K)などのために温存すべきとこれを否定した構図になっている。 この判断は一般的な民間企業であれば決して間違った判断とは言えないものである。将来の投資計画に合わせ内部留保を行う事はステークホルダーである株主や従業員、取引先に対しても誠実な対応であるといえる。 しかしNHKの場合、一般的な民間企業と違うわけである。NHKは非営利を前提に放送法により受信料収益を保証された団体であり、民間企業と違い競争にさらされていないのである。また、経営委員は執行部を監視するための組織であり、監視組織から経営者である会長を選ぶというのは明確な利益相反(COI)に該当すると考えられるわけだ。 また、余剰金に関しても、それが適切な額であるか疑念が生じる部分もある。なぜならば、NHKの職員の平均給与は1150万円程度(2015年)であり、手厚い福利厚生費などを含めると1700万円を大きく超える水準にあるのだ。また、番組制作費も民放の2倍程度であり、この部分に膨大な数のNHK職員やOBが関係する関連会社が寄生しているのである。本来、経営委員は、経営を監視し関係会社との関係を見直しコストをカットし、無駄を省くのが主たる仕事でなくてはいけないわけだが、これが機能しているとは思えない状況なのである。 NHKの予算は国会の承認案件になっており、予算の適正化を求めるのが国会の役割であるわけだが、これも適正に機能していない状態にある。なぜならば、政治家はスキャンダルなどメディアを恐れる傾向にあり、メディアに手を付けることを嫌うのである。また、監督官庁である総務省も、直接的な天下りはないが関連団体等を天下りに利用しているわけである。だから、監視部分の機能不全が起きているのである。受信料徴収は時代遅れ では、NHKが本当に必要なのか考えてみたい。NHKは国営放送ではなく、直接的な国家の支配を受けない公共放送ということになっている。なぜ、公共放送が必要かといえば、民放の場合、スポンサーや関連企業などの影響を受けやすい構造にあり、国家からも企業からも独立した存在を担保するためである。また、営利を目的とした民放だけでは、人口が少ない地域で難視聴地域や視聴できない地域が生まれるためでもあった。そして、これがNHKの報道以外の娯楽放送が認められてきた要因でもある。東京都渋谷区のNHK放送センター しかし、現在、これはすでに破たんしており、NHKは歴史的役割を終えているともいえる。なぜならば、NHKは紅白歌合戦がその典型であるが大手広告代理店や芸能事務所と密接な関係にあり、完全な独立構造にはない。逆に独立させれば番組を作れない構造にあるといえるのだ。また、難視聴地域対策という側面でも衛星放送とインターネットの普及で不要な存在になってしまっているのである。つまり、すでにNHKは公共放送としての役割を終えているといえるわけである。 さらに、B-CASにより、スカパーのようなペーパービューでの課金が可能であり、受信機を持っているからという理由で課金する今の仕組みは時代遅れであるわけだ。見たい人だけがお金を払い見ればよく、それはすでに可能なのである。 公共放送の役割が問題になっているのは何も日本だけの話ではない。英国でもBBCの存在が大きな問題になり存続を巡り政治的案件になった。英国ではBBCの存続を5年に1度の国民投票で決めるものとし、不要の意見が上回った場合、民営化や解体をするとしたわけである。また、BBCに対する意見を政府が公募し、政府がそれを公表するとともに意見を反映させるものとしたわけである。 これにより、大規模な賃金カットとリストラが行われ、一部事業のロンドンからの移動も行われた。NHKでも、建前上、全国で「視聴者の皆様と語る会」を開催し、経営委員と視聴者が直接語る機会を設けているが、この存在を知る人は僅かであり、それが機能しているように思えないのが実態である。だからこそ、今の存在が許されているといえるのだろう。日本でも大規模な改革と国民の声を問う必要があるのではないだろうか。

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    NHK 国会中継で籾井会長のカンペ映さぬ「モミールール」

     「みなさまのNHK」のニュース番組には公平中立で、民放に比べて内容もしっかりしているという印象があるが、実は視聴者にひた隠しにされる、奇妙な“ルール”が数多く存在する。本当は「報道の不自由」だらけの裏事情を紹介しよう。●籾井会長の“カンペ”は映さない「モミールール」 かつてNHKは、番組制作費の不正支出問題などで海老沢勝二・会長が参考人招致(2004年)された時、国会中継をせずに批判を浴びた。 それを反省してか、現在の籾井勝二・会長の下で発覚した数々の不祥事が国会で追及された際には、籾井氏の答弁の様子を中継している。 しかし、「会長に後ろの席からメモを渡すNHK職員の姿が雑誌メディアに報じられたことがあった。なので答弁待ちの時は会長が映らないように気をつけている」(NHK関係者)というのだ(NHKは「ご指摘のようなルールはありません」と回答)。●「反政府デモ」を放送する時には…… 原発再稼働や安保法制で広がった政府批判デモに対して、NHKはデリケートな対応を迫られている。 当初、NHKはそうしたデモをニュースでほとんど取り上げなかった。だが、籾井会長の「政府が右と言っているものを左と言うわけにはいかない」という発言(後に撤回、謝罪)も相まって、怒った市民約1000人が昨年8月、2回にわたって「デモを報じないNHKを包囲するデモ」を行なうと“報道基準”を一変させた。「今は重要なデモはきちんとニュースで報じている。ただし、同時に番組内で政府の立場・主張もしっかり取り上げることでバランスに配慮している」(30代NHK職員) たしかに3月25日の『ニュース7』を例にとると、保育制度拡充を求める国会前デモの映像を流す一方で、別のニュースとして安倍首相の待機児童問題での国会答弁、つまり「政権の言い分」も報じた。「報道しないで視聴者に怒りを向けられるのは怖いが、政府に睨まれるのはもっと怖い」というのがNHK流のバランス感覚なのだろう。●『日曜討論』の発言時間は秒単位まで計測 一方で、NHKの杓子定規な「政治的公平の原則」が伝わってくるのが『日曜討論』だろう。 司会者が自民党から共産党、社民党まで出席者を順番に指名し、「原則、出演者は秒単位まで同じ時間発言させる」(NHK報道スタッフ)という徹底ぶり。ちなみに「画面には映らないが、『日曜討論』ではスタジオのカメラマンもスーツ着用が原則」(同前)だといい、そのクソ真面目な雰囲気もNHKならではか。関連記事■ 失言のNHK籾井会長に三井物産OB「モミィ、やっちまったか」■ 国会前デモ報道のNHK 報じないことにデモ起こされたためか■ NHK職員「籾井会長居座れば受信料解除・不払い発生」と心配■ 籾井NHK会長「理事総入れ替えだ」で理事大半が反籾井になる■ NHK籾井会長 「モミジョンイル、モミジョンウン」の揶揄も

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    そして誰もNHKを信じなくなった

    軍人が威張り散らし、庶民は誰一人自由を謳歌できない。戦前戦中の日本は暗くて誰も希望を持てない時代だった。そんなシーンを何度も垂れ流し続ける公共放送といえば、言わずもがなNHKである。誤解と偏見に満ちた番組をNHKはなぜ作り続けるのか。「暗黒史観」を無意識に刷り込んでいく巨大メディアの罪を再び考える。

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    旧陸軍の無謀さよりも恐ろしい無責任なNHKの「サヨク体質」

    中宮崇(サヨクウォッチャー) かつて、NHKの戦争関連番組は素晴らしかった。中でも1992年から1993年まで6回のシリーズで放映された「ドキュメント太平洋戦争」は、その最高峰と言える。(Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89) 当時まだ大学生であった私は、放映のたびにそのオープニング曲「漣歌」を聞いただけで胸が熱くなり涙が止めどなく流れ出てきたものだ。飢えと病気で次々と倒れ、歩ける者だけが生き残った「インパール作戦」の敗走路=タイ・ミャンマー国境付近(井上朝義氏撮影) 第1集の「大日本帝国のアキレス腱 〜太平洋シーレーン作戦〜」からして、太平洋戦争中に海上護衛総司令部に勤務され名著「海上護衛戦」(角川文庫)の著者としても知られる大井篤氏が登場する力の入れようで、その後も第2集「敵を知らず己を知らず 〜ガダルカナル〜」第3集「エレクトロニクスが戦を制す〜マリアナ・サイパン〜」第4集「責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜」第5集「踏みにじられた南の島 〜レイテ・フィリピン〜」第6集「一億玉砕への道 〜日ソ終戦工作〜」と、タイトルを見ただけで泣かされる、質の高い放送が続いた。 あまりにも評判が良かったためか、1993年に角川書店で書籍化された後もシリーズ名を「NHK取材班 編『太平洋戦争 日本の敗因』」と変え文庫化され、現在も全6巻が発売中である。 どの集も名作揃いであったが、ここでは特に第4集「責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜」を取り上げたい。 これは1944年に行われた「インパール作戦」の失敗の要因を批判的に検証した回である。悪化した戦局の挽回を狙い、インドの都市インパールを攻略するという野心的と言うよりもむしろ無謀極まりないこの作戦は、戦死だけで2万6千人もの犠牲者を出した挙句、参加した三個師団の師団長全員が無謀な命令に反対し、司令官の牟田口廉也の逆鱗に触れ、作戦途中に解任されるという極めて異常な様相を見せたことでも知られている。 番組では、作戦失敗の責任者である牟田口に対する日本陸軍による責任追及が極めて不十分であったことが詳細に検証される。その「無責任体質」はただこのインパール作戦に限ったことではなく、戦争中のあらゆる場面で見受けられたものであり、それが太平洋戦争敗戦の重大な要因の一つであったと結論する。 そればかりではない。この番組は、そうした軍部の「無責任体質」が敗戦後の日本の官僚機構、企業等あらゆるところで未だ続いており、それが日本の将来を危うくしていると示唆して終わる。NHKが番組関係者や上層部に処分を下したか 当時まだ青臭い学生であった私は、この番組の結論に大いに膝を打って感心したものだ。「なるほど、我が国の未来の為にも『無責任体質』の打破が必要だ。NHKはなんとすばらしいテレビ局なのだろう」と。 ところがその後のNHKの歴史は、彼らの存在そのものが「無責任体質」であったことを証明してしまった。 中でも、小泉訪朝によって北朝鮮による拉致犯罪が白日の下にさらされる前年、2001年1月30日のETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」は、「反日的」だのなんだのという批判では到底収まらぬほど犯罪的である。後に「NHK番組改変問題」と称され、朝日新聞等反日サヨク勢力がこぞって「自民党安倍晋三代議士等からNHK上層部に圧力があった」と騒ぎ立てたこの番組には、よりにもよって北朝鮮の工作員が2名も、その素性を隠して出演していたことが判明している。NHKは「拉致など無い」「拉致は日本による捏造」などと息を吐くように嘘をついていた朝鮮総連やサヨク勢力と結託し、その反日プロパガンダに加担していたわけである。 しかしこの驚くべき事件について、NHKが番組関係者や上層部に相応の処分を下したという話は寡聞にして聞かない。 NHKによる反日プロパガンダとその事実が発覚した後も、ろくな処分が行われぬ「無責任体質」は、その後も何度となく繰り返されており、いまだ根絶される気配はない。 そうした数多の不祥事の中でも特に、2009年4月放送のNHKスペシャルシリーズ 「JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」は、現地の台湾人が日本による台湾への貢献について証言した部分をカットしたインタビューが流された結果、「捏造番組である」として、台湾人等から集団訴訟を起こされるという事態まで招く恥知らずな結果を招いた。 捏造や偏向だけではない。かつて北朝鮮の工作員を番組に登場させて将軍様のプロパガンダに加担した責任がなんら問われぬまま、今もサヨク活動家等をその素性を隠して登場させる番組が横行している。 先日9月3日放送のETV特集「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」においても、バリバリの反日活動家のプロパガンダを垂れ流したとの批判がネット上において多数見られ、登場人物の素性を詳細に調査したホームページも公開されている。 NHKによる捏造・偏向番組は、こうした政治的な内容を含むもの以外についても溢れかえっている。最近では「全ろうの作曲家佐村河内守」を扱った2013年3月31日放送のNHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」が有名であろう。2014年3月、会見中に記者の要望で手話を披露する佐村河内守氏(矢島康弘撮影) はたしてあの番組の責任問題は一体どうなっているのであろうか。企業や行政が不祥事を起こすたびに厳しい処分を求め、時には責任者が自殺に追い込まれるまで追及の手を止めぬのが我が国のテレビ局文化であるが、NHKが自らの不祥事において責任者を解雇したなどということが一体どれだけあったであろうか?他人に厳しく自分に甘い、そういう人間を「卑怯者」と言わずしてなんと言うのか。 幸いにして、NHKには「ドキュメント太平洋戦争」という素晴らしいコンテンツがある。新人教育を始め、定期的にこの絶好の教材を用いて職員のモラル向上教育を行うことをNHKにはお勧めしたい。

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    日本の安全保障の観点ゼロ! 沖縄基地問題で偏向番組を流したNHK

    古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員) NHKが沖縄の米軍基地問題を日本の高校生に解説し、議論させるという番組をみて、驚いた。米軍基地の基礎となる日本の安全保障という観点がゼロ、沖縄の地域住民にとっての環境問題としかみないのだ。その偏向したNHK視点を高校生たちに刷り込むというのは政治的な洗脳工作にもみえた。米軍北部訓練場視察のため自衛隊ヘリに乗り込む菅義偉官房長官(右から3人目)=10月8日、航空自衛隊那覇基地 この番組は1月25日午後5時から放映された「シブ5時」というニュースがらみの総合番組だった。そのなかで15分ほども費やすセクションに「高校生が考える沖縄 イチから学ぶ基地問題」という部分があった。東京都の高校生が沖縄に修学旅行するに際して、沖縄の米軍基地について事前に学習をさせ、そのうえで現地の実態を見学する、という趣旨の番組だった。 その進行役が安達宣正解説委員、そこに芸人の田畑、勝本という人物2人が加わっていた。その安達解説委員の沖縄の米軍基地についての説明はネガティブな側面ばかり、地元の住民が騒音に悩んでいる。米軍将兵が地元の女性を暴行した。沖縄県の基地負担が過剰に大きい。こんな点ばかりのあの手この手の紹介だった。 では沖縄に米軍基地がなぜ必要なのか。この点は安達解説委員は最初から最後まで何一つ述べなかった。日本の安全保障への言及がゼロなのだ。その過程で東京の男子高校生が「日本は憲法などのために戦うことができないから、米軍の強大な軍事力に国を守ってもらう。そのために米軍基地が沖縄には必要なのだと思う」と述べた。この鋭い指摘に対し、先生役の安達解説委員はなにも述べず、また基地の騒音などを語るだけだった。 後半で女子高校生が「日本に戦争をしかけようとするところはどこにもないから、米軍基地は必要ないと思う」と述べた。その結論の適否はともかく、「戦争」という概念と「米軍基地」とを結びつける発言は少なくとも沖縄の基地を日本の安全という文脈で考えようとする態度をみせていた。だがNHKを代表する安達解説委員はこれまたこの発言を無視して、「米軍基地問題は国と沖縄県とが同じ歩調で取り組むべきだ」などと、沖縄知事の安保無視の構えを応援するような言葉を発し、高校生が提起した重要な課題から逃げていた。 日本固有の領土の尖閣諸島は沖縄県である。中国がいま軍事力を使ってでもその尖閣諸島を日本から奪取しようという企図していることは武装艦艇による尖閣至近の日本領海への毎週への侵入をみても明白である。 日本を敵視する北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルを開発している。しかも韓国には実際に軍事攻撃をかけるし、日本に対しても好戦的な言辞を頻繁に発し、日本方向に弾道ミサイルを何度も発射する。中国の軍事脅威、北朝鮮の軍事脅威こそ沖縄の米軍基地の存在理由なのだ。だがNHKはそんな現実にはツユほどの関心も示さない。その象徴がこの高校生洗脳番組のように思えた。 NHKが規制される放送法は番組が「政治的に公平である」ことを義務づけている。「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ことも決めている。沖縄の米軍基地は日本国が求めた結果、起きた現象だといえる。日本全体でみた場合、沖縄の米軍基地の存在には「対立する意見」があることは自明である。であれば、NHKは放送法の規定により、「多くの角度からの論点を明らかにする」義務がある。 だが1月25日放映の番組は沖縄の米軍基地への反対論ばかりを宣伝し、放送法に明らかに違反していた。そんな政治偏向番組に高校生を利用するとは、なんとも卑劣にみえた。

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    村山富市元首相と何も変わらないNHKの解説委員

    西村眞悟(元衆院議員) NHKで「解説スタジアム、戦後70年談話、解説委員が生討論!」というのをやっていた。その番組の後半の10分位を見たが、そのレベルの低さに驚いた。お前達は、中共の解説委員か、日本の解説委員か、どっちだ!村山富市元首相 TV画面をつけると、解説委員達が居並ぶ中央に、村山富市の大きな写真があるので、葬式の献花台の写真かと思いながら、彼らが何をしゃべるのかと聞いていると解説委員達は、もっともらしい顔をして、戦後70年の安倍総理の談話が、   ①我が国の戦争に対する外国の非難に応じたものになりうるかが問題、②村山富市談話を変更する談話であれば問題、③何故なら、内閣の談話は、一貫したものがなければならないから、④「謝罪」という言葉をいれるかどうかがポイント、⑤安倍総理が歴史修正主義者だと思われない方がよい、などと、しゃべっていた。 この、今の時点で、歴史の事実には触れずに、解説委員どもが、安倍総理が、ああ言えば問題だ、こう言えば非難されると、もっともらしく話し合うのを視聴者に見せることは、明らかに、NHKの「報道」ではなく、「世論誘導」、正確には「世論誤導」である。   何故なら、彼らがどこの外国の意向を念頭に置いて、問題だとか、非難されるとか、言っているのかを察すればすぐ分かるではないか。それは、中共である。NHKは、今から安倍総理談話が、中共の意向に合致して、中共から非難されないように我が国世論を誘導しようとしている。従って、解説委員どもは、中共の解説委員であり、日本の解説委員ではない。 歴史の事実は、こうである。 (1)1930年代、スターリンのコミンテルン(国際共産主義運動)の革命戦略は、「内戦から戦争へ、戦争から革命へ」であり、毛沢東の中国共産党の革命戦略も、コミンテルンと同じ「政権は銃口から生まれる」である。つまり、両者は、革命のために戦争を欲していたのだ。しかし、毛沢東の共産軍は、蒋介石の国民党軍の討伐作戦に敗北し延安に逃げ込んで武器も装備も乏しい弱小集団にすぎなかった。 (2)同時期、蒋介石の国民党軍は、ドイツ軍事顧問団により、ドイツ製の武器を装備した近代的軍隊に成長していた。そして、ドイツ顧問団の「敵を日本一個に絞ること」という意見に従い、上海で近代的陣地を構築して対日戦の準備をしていた。その時の蒋介石の軍隊は200万人を超えていた。日本軍は、上海に海軍陸戦隊が5千人で本土などに29万人である。 (3)1936年12月、満州の軍閥張作霖の息子の張学良は西安で蒋介石を監禁する。スターリンと毛沢東は、蒋介石を殺さずに、彼をして日本との戦争を開始させようとする。そして、1937年1月、蒋介石と毛沢東の、第二次国共合作成立。 (4)第二次国共合作の後の同年7月7日、共産党、蘆溝橋で日本軍に発砲して蘆溝橋事件勃発。次に、西安での約束を実行する為に、上海で蒋介石が、育成した正規軍に、日本海軍陸戦隊に対する総攻撃を命令じて第二次上海事変勃発。 (5)戦争を欲したのは中国側である。その戦争の中から、毛沢東とスターリンは、その戦略通り、中国の権力を握り、中華人民共和国が、1949年10月1日、誕生する。 (6)蘆溝橋事件つまり日華事変前の日中の戦力差は、200万人超の中国に対して日本は29万である。日華事変後に急遽増員しても日本の戦力は95万人である。この戦力差から見ても、戦争を欲したのは中国であることが明らかではないか。 (7)我が国が戦っているときには、中華人民共和国は存在しない。我が国は中華民国もしくは蒋介石と戦っていたのである。  NHKの解説委員が、日本の解説委員なら、以上の事実の一つでも国民に「解説」するはずだ。NHKの解説委員は日本人なのか 次に、対アメリカであるが、敵の総大将であったマッカーサー元帥が、斯くの如く告白し、また、証言したと国民に広報すべき責務が日本の解説委員にはある。 (1)マッカーサー、1950年(昭和25年)10月15日、ウェーキ島でトルーマン大統領に対し、「東京裁判は誤りだった」と告白する。 (2)マッカーサー、1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会聴聞会で、次の通り証言する。①「日本がもしこれらの原料の供給を断ちきられたら、1000万人からの失業者が日本で発生するであろう事を彼らは恐れた。従って、彼らが、戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだったのだ・・・」②「アメリカの太平洋でのこの100年の最大の政治的な誤りは、中国において共産主義者に権力を握らせたということだと、全く個人的な見解ながら私はそう考える」  ここでも繰り返す。NHKの解説委員が、日本の解説委員なら、このマッカーサーの告白と証言を国民に「解説」するはずだ。最後に、我が国の國體の観点から導かれる明確な原理を指摘しておく。   天皇が、総理大臣を任命される。よって、総理大臣は、天皇の詔書に反する内容の談話を発表できない。天皇は、「開戦の詔書」、昭和16年12月8日、「終戦の詔書」、同20年8月14日、「新日本建設の詔書」、同21年1月1日、の三つの詔書を発せられ、以後、その内容を一切、訂正も否定もされていない。 天皇の御製、「ふりつもる 深雪にたへて いろかえぬ 松ぞおおしき 人もかくあれ」。諸兄姉、この三つの詔書と御製を拝されよ。詔書には、自虐史観のかけらもないではないか。(西村眞悟公式ブログ 2015年7月20日分を転載)

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    朝ドラ「戦争=人殺し」という描写の薄っぺらさを専門家批判

     数々の名作を世に送り出してきたNHK『連続テレビ小説』(朝ドラ)には、戦時下の日本をテーマにした作品が多い。だが、国史研究家の小名木善行氏は「朝ドラで描かれる日本軍はあまりに恣意的ではないか」と疑問を呈す。* * * NHKの朝ドラは『おしん』の頃からよく見ています。良質な作品が多く、毎朝これを見ないと一日が始まらないという人もいるでしょう。2010年8月、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の最終収録を終えた主演の松下奈緒(左)と向井理 しかし、近年の作品は思想性が色濃く反映されたものが多いように感じます。たとえば、2010年に放送された『ゲゲゲの女房』では、主人公の夫・茂が戦時中に南方の島・ラバウルの最前線に送られた戦争体験を語る場面があります。 壊滅した前線から味方の部隊に命からがらたどり着くと、茂は上官たちから「命より貴重な銃を捨ててよく帰ってきおったなぁ」「なぜお前だけ生きて戻ったんだ!」と責め立てられる。これは、モデルとなった水木しげるさんの実体験です。ただし、その叱責の後には「今回のことは不問に付す。但し、次の戦闘では必ず挽回せい!」という上官の台詞が続くのです。 ちょっとした判断ミスによって命が失われるような過酷な状況では、軍の上官たるもの、常に厳しくあらねばならない。これは仕方のないことです。ただ、「不問に付す」という台詞で上官の愛情を示しているにもかかわらず、映像では上官たちがとても憎々しい表情をしており、憎たらしい存在として描かれている。文章の場合と違って、映像作品ではその“余白”にさまざまな要素を作り手が盛り込めます。旧日本軍とその上層部を「絶対的な悪」に仕立てようとする作為的なものを感じてしまうのです。 2013年に放送された『ごちそうさん』は、戦時下で子の無事を願う母親の気持ちがよく描かれたドラマでした。また、当時の家庭におけるひもじい食生活や、食料を得るための主婦の懸命な姿も描写されています。 一方で、戦争に対する偏向的な思想が描かれた作品でもありました。 その一つが、次男の活男が本格的な西洋料理を学ぶため「海軍主計科に仕官したい」と言い出し、母・め以子が猛反対する場面です。母の思わぬ反対に、活男は「自分もあと3年すれば否応なしに徴兵されてしまう」「戦争に行かなくても空襲で死んでしまうかもしれない」「自分の好きなことをやって死にたい」と食い下がりますが、め以子は、「お母ちゃんを人殺しにするつもりか!」と一喝します。 戦争に行くことは「人殺しに行く」ことであり、また、それを許すことは子を死なせることでもある、というニュアンスで描かれているのです。 もちろん、子を想う母親の愛情は普遍的です。「3年のうちに(戦争が)終わるかもしれんやろ」という、め以子の言葉も、子供への愛情という意味で大変印象的でした。 ただ、当時は軍人だけではなく、民間人も空襲で殺されていく、そういう現実が目の前にあった時代です。愛する家族の命を守るために、自分ができることをしたい、そう考えるのが当時の一般的な国民の気持ちだったのではないでしょうか。「戦争反対」は、戦争のない平和な時代だからこそ叫べるのであり、戦時下で戦争反対を唱えることは、目の前で多くの命が奪われていく現実からの“逃避行為”に過ぎませんでした。そういう時代に生きた当事者の気持ちを察すると、「戦争=人殺し」という単純な構図で描いたこのドラマは、あまりにも薄っぺらなものに見えてしまうのです。【PROFILE】1956年生まれ。静岡県浜松市出身。会社員、会社経営を経て国史研究家として活動。日本の正しい歴史を伝える自身のブログ「ねずさんのひとりごと」が人気に。著書に『昔も今もすごいぞ日本人!』、日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」』(いずれも彩雲出版刊)などがある。関連記事■ 戦争を回避することがでなかった理由を紐解く『昭和史講義』■ 「戦争ができる国作り」が進む日本の現在の状況を分析した本■ 戦犯逃れた石原莞爾再評価に異論「満州事変は彼が起こした」■ 涙なくしては読めない 戦争の残酷さを描く野坂昭如の童話集■ アメリカの原爆投下に戦争責任はないのかを真正面から問う本

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    古舘伊知郎と国谷裕子 去りゆく「名」キャスターたちの罪と罰

    中宮崇(サヨク ウォッチャー) アインシュタインが100年前に相対性理論において予想していた「重力波」がついに観測されたとかで、「天文学における一大革命だ」などと世界中が騒がしい。ところが頭のおかしい反日サヨクたちにとっては、そんな人類史上の大ニュースも、反安倍運動のための燃料でしか無い。試しにツイッターやグーグルで「重力波 安倍」というキーワードで検索してみて欲しい。「重力波の歪みか?安倍歪みは解明出来てるだけど、何とかなりませんかネ?」「安倍政権が歪んでいるのは重力波のせいと把握(笑)」「安倍脳内は重力波による時空の歪みで歴史修正されているのか。いや、そんな複雑な脳内ではないよな」等々。 重力波に限らない。こうしたサヨクの脳内においては、この宇宙におけるあらゆる事件事故は「安倍の陰謀」である。北朝鮮がミサイルを発射した際に「北朝鮮 ミサイル 安倍」で検索すれば「北朝鮮のミサイル発射は安倍の陰謀」と喚き立てるサヨクを大量に観測できるし、台湾地震で死者が出た時は「台湾地震は安倍の陰謀」という意味不明の言説のオンパレード。「市民団体」だの「無党派層」だのを詐称し、「反戦平和」と絶対正義を悪用して振りかざしながら、その実極めて異様な反日、差別活動を行うことがまかり通っているのが我が国の現状だ。しかし、状況は更に深刻である。なにしろ、テレビ局のニュース・報道番組まで「この世の全ての事件・災害は安倍のせい、安倍の陰謀」と騒ぎ立てるサヨク同様の低質なオカルトまがいの番組で溢れているのだから。意外にマシな報ステ 古舘伊知郎がテレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスターを辞めるらしい。2004年4月5日の放送開始から12年に渡り平日深夜の時間帯における他局報道番組を引き離し、視聴率トップを独走して日本の夜のお茶の間を支配してきたお化け番組にとって、大事件である。12年前の放送開始当初から毎回欠かさず録画し放送内容を監視してきた報ステオタクの私としては、極めて残念な降板劇だ。なぜなら、我が国にはびこる「この世の全ての事件・災害は安倍のせい、安倍陰謀」といわんばかりの低質なサヨク報道番組において、報ステは、〝比較的マシ〟であるからだ。NHK放送センター=2011年4月、東京都渋谷区神南 一般に、テレビ朝日の報道ステーションとTBSのNEWS23は、あの時間帯における「反日サヨク報道番組の双璧」とみなされている。ここにTBSの日曜朝のワイドショー、関口宏の「サンデーモーニング」を加え、「三大反日サヨク報道番組」と見る向きもあるし、最近は、国谷裕子が司会を務めるNHKの「クローズアップ現代」を合わせた四番組が、「偏向報道」「反日報道」等の批判を頻繁に受けているといっていい。しかし読者には意外であろうが、これら四番組を十数年間に渡り一々全て録画し監視してきた私に言わせれば、報ステは間違いなく他の三番組よりマシな報道番組だ。 無論、報ステは決して理想的な報道番組などではない。サヨクであることは間違いないし、他の三番組同様、プロにあるまじき幼稚なミスや悪意ある捏造もある。しかし、それでもNEWS23やサンデーモーニング等が「幼稚でモラルに欠けるアマチュア」な上に、一貫して「親北朝鮮・親支那の反日プロパガンダ番組」という、ある意味、筋の通ったサヨクであるのに対し、報ステは親北朝鮮・親支那でも反日でもない。単に「幼稚でモラルに欠けるアマチュア」なだけである。その意味において「マシ」なのだ。 報ステは他の三番組に比べ、良くも悪くも「視聴率至上主義」である。NEWS23やクローズアップ現代等が明らかに視聴率を二の次にすることがあるのとは大きく違う。実際、その方針は成功によって報われており、報ステの視聴率は常に約15%をキープしている。ただし、この視聴率至上主義が、報ステを「反日」「反安倍」に見せる。要するに報ステは視聴者が求めているものを提供しているだけなのである。大衆が求める、無責任ではあるが痛快な辛口床屋談義を投げ与えていることに徹しているのである。大衆が求めるものであれば時に「反日」報道も行うし、同様に求められれば、正当な北朝鮮バッシングも行う。報ステにあるのはイデオロギーではなく商魂なのではないか。少なくとも、私が、NEWS23に感じるような「優秀なオレサマが愚かな大衆を導こう」などという、インテリのサヨクらしい思い上がりは無い。その点が、視聴率に悪影響があっても常に反日反安倍に勤しむNEWS23やサンデーモーニング等と異なっている。公正な三流サヨク?公正な三流サヨク? 故に報ステは、大衆が嫌悪する「ウソ」や「二枚舌」等の批判にも敏感だ。NEWS23やサンデーモーニングとは、一線を画す。 例えば、NEWS23は最近、衆院議員を辞職した自民党の「育休議員」、宮崎謙介をめぐる不倫騒動を取り上げて、安倍政権叩きの格好の材料として非難していたが、一方で06年に山本モナとの不倫を報じられた民主党細野豪志については、非難どころか徹底的にスルーを決め込み、むしろ擁護の姿勢を示した。明らかに矛盾する対応だが、なにがなんでも保守系の政党を叩くという意味では、これは由緒正しい一流のサヨクである。しかし、報ステは、どちらのときも、ひとまず公平に批判していた。〝由緒正しい一流〟のサヨクから見れば、誤った三流の報道であろう。 古舘やスタッフが特に「公正」や「正義」を重んじているのではなく、卑劣なウソや二枚舌は視聴者にそっぽを向かれるという当たり前の常識と処世術をわきまえていれば、そうなってしまうのである。いくら口先だけでは御大層な正義を振りかざしても、その態度がダブルスタンダードであれば大衆の支持は得られないことは、民主党やSEALDs等のサヨクの凋落を見ても明らかだろう。 報ステはサヨクに対しても厳しい態度を示すことがある。15年3月27日には、反日サヨクとしてもてはやされていた元経済産業省官僚のコメンテーター、古賀茂明とバトルを展開した。古賀茂明氏 その日、「サウジ主導の空爆続く 緊迫イエメン〝宗教対立〟」と題したニュースの中で、古舘が古賀にコメントを求めた途端、古賀は突然、電波ジャックともいえる行為を始めた。「ちょっと、そのお話する前に、あの私、今日が最後ということでですね…」。こう切り出した古賀は、ニュースを無視して、自分がテレ朝会長と古舘プロダクション会長の意向で降板させられることになったとか、官邸からバッシングを受けたとか、サウジもイエメンも何の関係もない、自分の恨み辛みを、証拠も示さず滔々とまくし立てた。たまりかねた古舘は「ちょっと待って下さい! 古賀さん!」と強制的に中断させ、「それは違うと思いますよ?」と発言内容を否定した。番組を放送するテレビ局と自分の事務所の会長を批判されたのだから、慌てるのも当然と言えば当然だが、一流サヨクからみれば、「なんで官邸批判を止めるんだ」と不満なはずである。もちろん、常識ある視聴者の信頼獲得には大いに貢献したはずだが…。 支那や北朝鮮に対する態度も、報ステの態度は他の反日報道番組とは一線を画し、「尖閣は日本領」という当然のことも、明確に報じてしまう。これも一流の反日サヨクから見ると、三流の行為であろう。 例えば、11年12月13日、韓国海洋警察の隊員が中国漁船の船長に刺殺されたという事件関連のニュースは、報ステもトップで「中国漁船 船長らに『逮捕状』 韓国デモ〝激化〟…外交問題に『影』」と題し大きく報じたが、古舘は「日本の領土である尖閣諸島にも(中国漁船が)出没している」とコメントし、支那の脅威に警鐘を鳴らしている。一方、同じ日のNEWS23(NEWS23X)は、トップで「海洋警察の隊員刺殺 韓国で反発強まる 中国は…」と報じたものの、報ステと異なり、中国船の日本に対する蛮行には触れず、尖閣が日本領であること等はスルーした。 NEWS23にとっては「反権力」は実は「反日」「反安倍」でしかないのだろう。先に示したように、同じ権力の側でも自民党の不倫は批判するのに、民主党の不倫には甘い。11年の東日本大震災の際には、当時政権を担当していた民主党に配慮したのか、原発放射能漏れ報道や政府批判も極めて抑制されたものだった。日本による過去の「アジア侵略」を口汚く罵る一方で、支那による侵略には甘いというダブルスタンダードを隠そうともしていない。支那によるチベット侵略を肯定するコメントも、VTRなどで多く紹介されている。「中国の行為を悪と決め付けるのは難がある」「中国は侵略したことのない国」等、もちろん番組がこれを全面肯定しているわけではないが、ぶっ飛んだ妄言にはただただ驚かされるばかりだ。 しかし、報ステの「反権力」は、相手が支那でも民主党でも容赦がない。放射能についても11年10月18日に三番目のニュースで「足立区の小学校で3・99μSv 敷地内に土を〝仮置き〟」と報じ、古舘が「政府が出してくる情報の開示の仕方とかが信用されていない。だからこの前の世田谷はラジウムでしたけどそれも市民・市民団体の告発。今回も区民の方の通報」と民主党政権の稚拙な対応を批判した。NEWS23との違いは明らかである。何度も〝謝罪〟に追い込まれ何度も〝謝罪〟に追い込まれ 報ステがなんだか良質な番組だと勘違いされてしまいそうなので、ここでこれまでの数々の不祥事について確認しておくことにしよう。視聴率至上主義故のやり過ぎや、無能故の失敗、政治的無定見などの傾向がみてとれるはずである。 07年11月27日放送において発生した「日本マクドナルド調理日時改ざん問題報道捏造事件」では、マクドナルドをとっくに退職した元店長代理の女性にマクドナルドの制服を着せて「証言」させた映像を流した。しかも、週刊新潮によると、この女性は古舘が経営し報ステの番組制作にも携わる会社である「古舘プロジェクト」のアルバイトだった。まともな取材能力さえあれば本物の証言者や証拠を揃えることができ、避けられたであろう事件である。悪意よりも無能とモラルの欠如が原因と言える。古舘は「視聴者に混乱と誤解を与えるもの。間違ったやり方だった。申し訳ない」と潔い謝罪を行うことで、視聴者の信頼感を繋ぎ止めることにまんまと成功した。高視聴率を取っていた古舘キャスター マクドナルドのようなテレビ局の巨大スポンサー企業を叩くこと自体は、日本の「反権力」を詐称する報道番組としては異例と言える。そんな中において、スポンサーの意向さえものともせぬ報ステの、何にでも噛みつく狂犬的姿勢はある意味においては賞賛に値するかもしれないが、それも所詮、古舘をはじめとするスタッフの無教養で狭い視野と価値観の範囲で行われているに過ぎない。 例えば1月18日の放送ではSMAPの解散騒動について古舘が、「タレントっていうのは、事務所あってのタレント。事務所に対して再度、感謝の念を抱くのも当然」というコメントをした。いかにも日本的滅私奉公的価値観に基づくようだが、芸能事務所への配慮を無邪気に披露している。 報ステの取材能力欠如等の無能さは、放送開始一年後の05年4月18日の放送において既に噴出していた。この日のニュースにおいて、中国深●(=土へんに川)で発生した反日デモの様子と称する映像が流されたが、実はそれは全くの捏造で、実際は香港でおこなわれた反日デモの映像を「誤って」流したのである。きちんとした取材能力があれば実際の映像を入手できたはずであるし、まともなチェック能力があれば映像を「間違える」こともなかったはずだ。「取材する手間暇を惜しみ、バレぬと思って意図的にウソの映像を使用したのだ」と思われかねないとこだが、ただ、反日デモ自体はあったのだろうから、悪意ある反日を意図した捏造報道とは異なるように思える。 イギリス人リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件に関する09年11月9日の放送も、報ステの無能やモラルの欠如故の不祥事と言える。この事件において被疑者は整形手術を行っているのであるが、当日の報ステは実際に施術した病院とは何の関係もない病院看板を垂れ流し、風評被害を発生させ、またも謝罪に追い込まれた。実際の病院まででかけて映像を撮影すれば済むだけの話なのに、手間暇を惜しんだ結果であろう。感想文レベルのコメント感想文レベルのコメント 番組の取材力だけではない。古舘自身の無知無教養無定見による不祥事もある。最近では昨年11月16日の放送が特に物議を醸している。シリア問題やISのテロ問題について古舘はなんと「テロがとんでもないことは当然ですが、一方『有志連合』の空爆もテロ」などと、味噌もクソも一緒にした幼稚な床屋談義的たわごとを披露したのである。内戦で苦しむ難民達を救う解決法もろくに提示せず、無責任に小学生の感想文レベルのどっちもどっち論を展開する。それだけで「報道」を名乗れ、視聴率を稼げるのであるから、誠に気楽でボロい商売である。 この時は何とか逃げおおせたが、番組で謝罪に追い込まれた例もある。05年6月10日の放送がそれだ。参議院北朝鮮拉致問題特別委員会に出席した拉致被害者、横田めぐみさんの両親である横田滋夫妻に対して、自民党議員の岡田直樹が北朝鮮に対する経済制裁の是非を問うたことについて、古舘は「想像ですけれども、北をとっちめたいと思うあまり、まるで非常に苦しい立場にいるご夫妻に、この覚悟はありやなしやと聞いているふうに聞こえちゃうんですよね。本人に確認したわけじゃないですけれども」「無神経な発言」だと発言し、岡田と自民党から「憶測に満ちた発言」と抗議を受けたのである。 議事録をよく確認すると、岡田は「拉致被害者の方々、めぐみさんを始め拉致被害者の方々が、この経済制裁によって状況が好転すればいいですけれども、裏目に出て万が一、不測の事態が生じはしないかということが我々も心配でならない」「本当に言うに忍びないことを言い、聞くに忍びないことをお聞きしますけれども、そうしたおそれを抱きながらもなお今、経済制裁をとお求めになるのか」と、慎重な質問をしており、横田夫妻の気持ちを配慮したうえでの質問だったことは想像に難くない。私なども、古舘の言う通りにすれば、横田夫妻になんの相談もなく勝手に制裁の可否を決定してしまうことになり、それこそ「無神経」だと思う。しかし、古舘にはそういう思慮はない。さすがに、当の自民党からだけでなく視聴者からの批判も勘案したのだろうか、古舘は翌月になって番組中において謝罪している。拉致問題に冷たい番組の顔拉致問題に冷たい番組の顔 ここで、もう一人、降板する有名キャスターに触れておきたい。クローズアップ現代の国谷裕子である。93年の放送開始から23年の歴史を誇るこの番組は、反日偏向報道についてはNEWS23等と同様定評があり、BPO(放送倫理・番組向上機構)や国会等公の場でもしばしば問題とされてきた。良くも悪くも視聴率至上主義に徹してきた報ステに比べ、視聴率など気にする必要性が殆ど無い公共放送の番組である。その反日・反自民の傾向は23年間一貫し、国谷はその看板を務めてきた。国谷裕子氏 番組は北の将軍様の御乱行にも極めて寛大で、当然、国谷も拉致犯罪についての批判等を控えてきた。何しろ、横田めぐみさんの拉致について産経新聞や雑誌アエラ等が伝えたのが1997年だと言うのに、クローズアップ現代が「拉致疑惑」を報じたのはやっとその3年後の2000年4月4日放送の「対話は進むか・日朝交渉きょう再開」が初めてなのだから呆れる。しかもその時の報じ方も、「ところがこの年(97年)、新潟市で行方不明になった横田めぐみさんが、北朝鮮によって拉致されたのではないかという疑惑が浮上しました」などと、それまで拉致犯罪を無視してきたことをまるで他人事のように伝えている。また、当時交渉を担当した槇田邦彦外務省アジア局長が番組中「拉致問題」と発言しているにもかかわらず、番組は一貫して「拉致疑惑」という言葉を使い続け、北の将軍様による犯罪の事実から視聴者の目を少しでも背けようという涙ぐましい印象操作に終始した。 その一方で、国交回復を重視し、当時の外務大臣、河野洋平に、「日本周辺に国交が正常でない状況の2つの国、このまま置いておいてはいけない。何としてもきちんとした話し合いで国交を正常化したい」と語らせている。 親北朝鮮偏重のこうした姿勢は表面的には変化を見せるものの、その核心は殆ど変わっていないのではないか。その証拠に今年1月7日放送の「北朝鮮 突然の核実験はなぜ」においても、静岡県立大学教授の伊豆見元を登場させ、「ピョンヤン市内は相当携帯電話が多い」「平壌市内のタクシーの数は相当多くて、一千台を超えている。タクシーがそれだけ増えるのは需要があるということ。ある種の豊かさを象徴する」となぜか将軍様の経済的成功をヨイショすることに余念がなかった。 無論、こうした放送の数々はNHKと番組スタッフの制作方針に基づくものであり、その責任を国谷だけに押しつけるのは酷だろう。国谷自身は番組でも抑制的で慎重な発言をすることがほとんどであった。ただ、かといって国谷が番組が用意したシナリオを読む操り人形であるはずがない。国谷は2002年には番組制作スタッフと共同で菊池寛賞を受賞しているし、2011年度には「広範なテーマをゲストとの冷静なやりとりで掘り下げ視聴者に分かりやすく提示している」という理由で、日本記者クラブ賞を受賞している。 キャスター降板を含めた体制変更を行うのは当然であり、視聴率重視の報ステの古舘伊知郎の方が、そこにはまだ降板を惜しむべきものがある。 古舘伊知郎と国谷裕子が降板した後も報道ステーション、クローズアップ現代いう番組自体が無くなるわけではない。特に報道ステーションの古舘は、同時期に降板が決定しているNEWS23の岸井成格と比較にならぬほど、日本の報道番組のあり方に大きな影響を与えてきた。ポスト古舘の報道番組がどう変わるのか、今後とも継続的な監視が必要である。 なかみや・たかし 昭和45(1970)年、北海道生まれ。豊橋技術科学大学卒業、名古屋大学大学院経済学研究科除籍。ネットメディア「週刊言志人」を主宰。韓国の反日について積極的に発言する。著書に『天晴れ! 筑紫哲也news23』(文春新書)。

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    商売人に過ぎない護憲派メディアは必ず消滅する

    渡辺龍太(フリーニュースディレクター) 今年の9月に成立した安全保障関連法に関する報道で、護憲派メディアは真骨頂を発揮し、やれ『戦争法案だ!』とか、はたまた『徴兵制になる!』と大騒ぎしていました。そういった、政治に関して無知な読者・視聴者を、過剰に感情的にあおる様な報道に対し、強い疑問を持った人も多くいた事でしょう。中には、日本中の護憲派メディアは連携し、安保関連法を潰そうという意思を持っていた様にすら感じた人もいるかもしれません。しかし、本当はそうではなく、マスコミは政治の事には関心がなく、商売繁盛を願っているだけなのです。 さて、新聞やテレビというと、権力を監視するための正義の味方というイメージを持っている人が多いかもしれません。確かに、私もニュース番組制作の仕事をする以前は、メディアの存在の第一目的は、『多くの人々が知るべき事の真実を伝える』という事だと思っていました。しかし、実際に現場で働き始めて、そうではない事に気付きました。結局は、メディアも商売なんです。だから、一番大事なのは、『売上拡大』なのです。シンプルに言えば、メディアというのは、1人でも多くの顧客(視聴者・読者)が関心を持つ記事や番組を作り、それで売上を1円でも多くあげるという事をひたすら熱心に行っているだけの集団なのです。では、なぜ安保関連法を『戦争法案だ!』と大騒ぎする事が、メディアの商売繁盛につながるのでしょうか。その理由は安保関連法が多くの人にとって理解するには複雑すぎる内容で、かつ、読者・視聴者を感情的にあおる演出を加えやすく、簡単に多くの人に関心を持ってもらえる記事や番組を作りやすいトピックだからです。 実は、人は自分の良く知らない事に対して、積極的に理解しようという意欲を持っていません。そして、そういう自分の理解できない事を、感情的にだけ理解させてくれるコンテンツに、非常に強い興味を持つ性質があります。例えば、肩こりの湿布のテレビCMで『インドメタシン配合』と言われて、どれだけの人がネットでインドメタシンについて調べるでしょうか。おそらく、ほとんどの人は良くわからないまま、きっと肩こりに効く成分なんだろうと受け入れると思います。そして、CMに登場する今まで肩こりで暗い顔をしていた人が、肩に湿布を貼って『インドメタシンだから効果抜群!』と急にニコニコと元気になってしまうのを見たらどうでしょう。きっと、薬品や化学に対する知識がない人ほど、『インドメタシンっていう、肩こりに効くすごい成分があるらしい!』とワクワクして熱狂的に湿布の購買意欲がそそられるはずです。感情だけに訴えるニュースの演出方法は安上がり 護憲派メディアの安保関連法の報道も、この湿布のCMと全く同じ仕組みです。安保関連法について、抑止力とは何かというところから細かく解説しても、興味を持ってくれる人はわずかです。しかし、安保関連法案というのをインドメタシンの様な謎の言葉のままにしておきながら、『戦争につながる危険なものなんだ!』と感情的に強烈に訴えるとどうでしょう。それには、政治や外交に関する知識のない人であればある程、非常に強く安保関連法に関するニュースに食いついてしまうのです。また、この細かい事を伝えずに、感情だけに訴えるというニュースの演出方法は、とにかく安上がりなんです。やはり、安保関連法案の様な複雑な事を、分かりやすく解説しようとしたら、色々な事を調べるために時間とエネルギーがかなり必要で人件費がかさみます。でも、『安保法案は戦争につながる!』と感情的に騒ぐだけなら、圧倒的に簡単に手間いらずなのは想像に難くないはずです。お金をかけて、キチっとした報道をすればするほど儲からないとあれば、手を抜いて感情的な演出して儲けようと考えるのは、商売の鉄則から考ると自然な流れと言えるでしょう。 だからといって、金儲け主義の報道は良くないとメディアを責めたり、何らかの規制を作ろうとしても、護憲派メディアに象徴されるイイカゲンな報道がなくなる事は無いでしょう。あくまで、護憲派メディアも、世の中に需要があるから安保関連法案に異常に反対する報道を行ったにすぎません。言い換えれば、現在の多くの日本人の政治や外交に関する知識が、感情的な護憲派メディアの報道にしか食いつかないようなレベルでしかないという事なのです。しかし、人間は詳しくなるという方向にしか進みません。なので、時が経てば日本人の政治や外交に関する知識は上がり、護憲派メディアも自然消滅するはずです。 それが分かる例として、左翼メディアの権化といっても良い朝日新聞の1959年の天声人語があります。そこには『池のコイや金魚に残飯ばかりやっていると、ブヨブヨの生き腐れみたいになる。パンクズを与えていれば元気だ。米の偏食が悪いことの見本である。』とありました。現在の我々が読むと、ビックリする位に低レベルでインチキで、米を主食とする日本人の危機感をあおるだけの内容が書かれています。一方で、現在の朝日新聞は、ここまでヒドイ文章は決して書きません。では、この記事が書かれた約55年前と現在の間に、いったい何があったのでしょうか。朝日新聞自体には、特に何も変化はなかったはずです。ですが、日本人の栄養に関する知識が上がり、こんないい加減な記事に誰も興味を持たない世の中となったのです。これと同じように、長い歳月が必要かもしれませんが、多くの日本人が政治や外交についてより理解すれば、単なる商売人にすぎない護憲派メディアは需要が無くなって消滅するはずです。わたなべ・りゅうた 1984年大阪生まれ。高校を卒業後に渡米。映像制作や台本構成などを学ぶ。その後、帰国しNHKや民放で、海外向けの英語放送から国内向け 放送 まで、様々なニュース番組の制作に関わる。現在はそれらに加え、ネットニュース、書籍、有名タレントのメルマガやブログの企画プロデュースなどを 行い、商業メディアのマーケティングや売り上げと日々格闘している。また、ブログが各種サイトに転載され、ブログランキングで上位に入っている。

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    「サンモニ」「NEWS23」 護憲派テレビの何が気持ち悪いのか

    潮匡人(評論家)朝日の虚報は今日も続く 先日『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)を上梓した。おかげさまで売れ行きは好調。発売早々、異例の大増刷となった。一般読者のあいだで護憲派メディアへの疑問や反発が高まっている証左でもあろう。拙著の主題は平和安全法制。いわゆる安保法案である。院内での乱闘騒ぎの末、9月19日に可決成立。同月末に公布された。今後、半年以内に施行される。 この法案をめぐり昨年来、護憲派マスコミが誤報や世論誘導を続けてきた。たとえば『朝日新聞』は朝刊1面のトップ記事でこう書いた。「自衛隊員は自らや近くの人を守るためにしか武器を使えなかったが、法改正で任務を妨害する勢力の排除や住民の安全確保にも使用が可能になった」(9月24日付) これでは「法改正」(平和安全法制整備)の意味が伝わらない。訂正しておこう。あえて記事を活かせばこうなる。 「自衛官は自己を守るためにしか武器を使えなかったが、法改正で近くの他人を守るためにも使用が可能になった(以下略)」 護憲派が信奉する新聞の1面トップにしてこの始末。9月22日付朝刊記事「安保法 自衛官OBの懸念」でも冒頭こう書いた。 「成立した安全保障関連法により、日本は集団的自衛権の行使が可能となるほか、海外に自衛隊を派遣して常時、他国軍を後方支援できるようになる。自衛官OBの中には、米国の戦争に巻き込まれる懸念や、リスクの増加を指摘する声がある」 法改正により「行使が可能となる」集団的自衛権は「存立危機事態」に限られる。きわめて限定的である。記事がそう明記しない理由は何か。同様に次の「常時」も針小棒大。最後に至っては論外。もし「自衛官OBの中に」そうした「懸念」や「声がある」としても、そうでない声も多数ある。実際にOBや現場の声を拾いながら「リスクの増加を指摘する」なら、記事の「集団的自衛権の行使」や「後方支援」ではなく、国連PKO(における安全確保業務)を例示すべきである。どう考えても、後者のほうがリスクは高い。事実ほぼ毎年、3桁の犠牲者を出している。 だが『朝日新聞』の「報道」は違う。法案の可決成立を受けた9月20日付朝刊1面のトップ記事でもこう書いた。「歴代政権が認めてこなかった集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更によって容認したことに加え、自衛隊が他国軍を後方支援する際、自衛隊の活動地域をこれまでより拡大させることで、自衛隊のリスクが一層高まるとの指摘もある」 本気でこう勘違いしているなら、ジャーナリズムとして恥ずかしい。そうでなく意図的なら、じつに罪深い。国連PKOへの自衛隊派遣は、いまや国民世論の大半が理解し、賛成している。他方、集団的自衛権行使への理解は少ない。だからPKOを避け、集団的自衛権を指弾した。そういう意図であろう。ならば、本心から「自衛隊のリスク」を心配しているわけではない。 近い将来、自衛官は避け難いリスクに直面すると思う。先般「自衛官OB」として出演した番組でもそう明言した。ただし、私がOBとして(加えていえば、いまも防衛大学校生の父親として)「懸念」するリスクは「憲法解釈の変更」とは関係ない。本来ならいうまでもないが、集団的自衛権より個別的自衛権行使のほうが桁違いにリスクは高い。 護憲派が何でもかんでも「集団的自衛権」のせいにしたり、「戦争法案」とレッテルを貼ったり、「徴兵制の不安」を煽ったりしたせいで、実際の問題点が見えなくなってしまった。現場が抱くリアルな懸念や、実務上のリスクが伝わらなかった。いまなお現場の思いは国民に届いていない。暴走するテレビの演出暴走するテレビの演出 大学入試問題の出題率NO.1を誇る『朝日新聞』の「報道」にして連日この始末。テレビ報道はさらに酷い。とくにTBSが目立った。最近の報道に限り検証しよう。 9月13日放送の「サンデーモーニング」は、姜尚中(東京大学名誉教授)が「近代の歴史にも暴君征伐論があった。君主が酷いことをやったら、ひっくり返していい」と総理を「暴君」に例え「征伐」を奨励した。何の釈明もなく同席していた青木理(ジャーナリスト)が「立憲主義を無視する政権をこのまま存続させるべきなのか。その判断を僕らの側がする」と追従した。 さらに岸井成格コメンテーターが「集団的自衛権という言葉が悪い。一緒になって自衛することだと思っている(国民がいる)が、違うんですね。他国(防衛)なんです。撤回か廃案にするべき」と暴論を振りまいた。念のため付言すれば「集団的自衛権」は国連憲章にも(英語等の公用語で)書かれた世界共通の言葉であり、岸井のコメントは外国語に翻訳不可能である。国際法や世界の常識に反している。「悪い」のは「集団的自衛権という言葉」ではなく、彼の知力であろう。善悪を判断する知性を欠いている。 9月16の「ニュース23」も、藤原帰一(東京大学教授)が「瑕疵がある」と政府与党を批判。ここでも岸井コメンテーターが「審議不十分」と批判した。さらに石川健治(東京大学教授)が「法学的にはクーデター」と断じ「専制主義、非立憲」と断罪。岸井が「日本の民主主義は暗い」と総括した。すべて彼らの主義主張にすぎない。「暗い」のは日本の民主主義ではなく、彼らのコメントであろう。 法案の可決成立を受けた9月19日放送の「報道特集」では金平茂紀キャスター(TBS執行役員)が「過半数の国民が反対するなか、戦後70年『専守防衛』を貫いてきた安全保障政策が大転換しました。立憲主義と国のあり方はどう変わっていくのか。徹底検証しました」と導入した。正しくは政府が説明するとおり、今後も「専守防衛」が続く。べつに「大転換」でも何でもないが、彼らには馬耳東風。 番組は「自衛隊員家族 募る不安」と題し専用ホットラインへの「相談件数は2日間で35件に上った」と紹介した。「現役自衛隊員の両親」が「本当に引き戻したい。ほとんどの親はそうですね」とも語ったが、実態を反映していない。「ほとんどの親」は「引き戻したい」とまでは思っていない。もしTBSが報じたとおりなら、相談件数が2日間で35件に留まるはずがない。現役だけで24万人、両親はその倍もいるのだから。 自衛官と家族が感じているのは、こうした「報道」への反発である。国民の理解や支持なく派遣されることへの不安であり、乱闘騒ぎを起こした政治への不信である。それなのに、番組では山崎拓(元自民党副総裁)が「禍根を残した」が「政権交代すれば修復可能。解釈が戻る」とコメントした。こんな人物が自民党政権下の防衛庁長官だったのだ。正直、皆ウンザリしている。現場には平和安全法制への不満もあるが、誰も「政権交代」は望んでいない。民主党政権を懐かしむ隊員など一人もいまい。 翌20日放送の「サンデーモーニング」も凄かった。まずテロップで「安保法成立 海外で武力行使可能に」。だが、その可能性はまずない。なぜなら「例外なく事前の国会承認」となるからだ。そう与野党で合意され、閣議決定された経緯を無視した断定である(『夕刊フジ』10月第2週連載拙稿参照)。 まず司会者(関口宏)が「平和主義を空洞化させる動き」と導入。寺島実郎(多摩大学学長)が「国民の支持も理解もない法案」、田中優子(法政大学総長)が「長いあいだ議論したというが議論していない」と断じた。いずれも独断ないし偏見である。有名大学の学長や総長が何といおうが、事実は違う。第1次安倍政権以来議論してきたのだ。昨年7月1日の閣議決定以降だけでも1年以上かけた。これでも、まだ足りないのか。「自衛官のリスク」という口実「自衛官のリスク」という口実 さらに半田滋(『東京新聞』論説兼編集委員)が「憲法の制約が取り払われて、ほぼオールマイティで何でもできる。それは抑止力になるかもしれませんが、普通の国としてそのようなことをやるのは、憲法の要請するところなのか。立憲主義国家としていかがなのかと感じざるをえない」と批判した。「ほぼオールマイティで何でもできる」というが、自衛権行使要件は世界一厳しい。「普通の国として」というが、新法制下も日本は「普通の国」になっていない。ザックリいって半分以下である(論拠は月刊『正論』12月号拙稿)。 続けて2004年の「派遣された陸上自衛隊の内部映像」が流れ、元小隊長が「もう一歩踏み込んだ審議をやってもらわないと、派遣された自衛官はほとんど負傷するか戦死するか、どちらかだと思う」と語った。なぜ審議をしたら「戦死」がなくなるのか。意味不明である。ここでも半田が「南スーダンの自衛隊が武器をもって日本人NGOを救出できることになる。安保法案では合法だが、刑法の殺人罪や傷害致死罪で裁かれる可能性がゼロではない」と語った。本気でそう心配するなら、刑法や憲法の改正を主張すべきであろう。自衛隊を軍隊とし、軍法会議を設置すべきと訴えてはどうか。安保法案を批判するのは本末転倒の倒錯である。 さらに細川護熙(元首相)、小林よしのり(漫画家)、小林節(慶應義塾大学名誉教授)、「ママの会」、「シールズ」、佐高信(評論家)ら護憲派が次々登場。最後に岸井がこう締めた。「これが後悔になっちゃいけないなと思うことは、メディアが法制の本質や危険性をちゃんと国民に伝えているのかなと。いまだに政府与党のいうとおり日本のためだと思い込んでいる人たちがまだまだいるんですよ。この法制ってそうじゃないんですよ。他国のためなんです。紛争を解決するためなんです。それだけ自衛隊のリスクが高まっていく(以下略)」 岸井にいわせると、これでもまだ批判報道が足りないらしい。右は法案が「存立危機事態」の要件を明記した経緯を無視した独善である。外国語に翻訳不能な暴論である。もし彼が本気で「自衛隊のリスク」を心配するなら、前述のとおり別のコメントになるはずだ。たとえば国連PKO活動拡大の「本質や危険性をちゃんと国民に伝えて」ほしい。それが直接的には日本自身のためでなく「他国のため」「紛争を解決するため」であり「それだけ自衛隊のリスクが高まっていく」と視聴者に訴えてはどうか。だが護憲派は決してそうはしない。国民がPKOの自衛隊派遣を評価しているからである。受けない論点を避け、「集団的自衛権」や「後方支援」だけを咎める。自らは安全な場所にいながら、「危険(リスク)を顧みず」と誓約した「自衛官のリスク」を安倍批判で用いる。じつに卑怯な論法ではないか。 10月11日の「サンデーモーニング」も司会者が「しっかり議論されないまま法案が通っちゃったという感じですよね」と導入。田中秀征(福山大学客員教授)が「軍事力で貢献しなくてもノーベル賞でこれだけ貢献しているじゃないですか」「あれ(法制)は、はっきり撤回しないといけない。このまま実施なんか、できないですよ」。目加田説子(中央大教授)が「(オバマ大統領が「誤爆」と謝罪したのに)誤爆ではなく無差別攻撃。戦争犯罪に近い」と決めつけ米軍を誹謗し「秀征さんがおっしゃったように、そこに今後、日本が加担していく」「この法案は通ってしまったわけですけど、使ってはいけない。変えていかなければいけないと強く思います」。 日米の制服組(軍人)を犯罪者のごとく評する感覚は正常ではない。法案が与野党による賛成多数で可決された経緯も黙殺する。いったい何様のつもりなのか。 萱野稔人(津田塾大学教授)に続き、金子勝(慶應義塾大学教授)が「いまのご意見と同じ」「平和憲法を使って、したたかに外交を展開しないと日本の国益は守れない」と政権を批判。岸井が「平和国家のイメージが損なわれるだけじゃなくて日本自身が紛争当事国になる」「テロのターゲットになるリスクも抱え込む」と不安を煽って番組は終了した。「TBSは公平・公正」なのか「TBSは公平・公正」なのか 百歩譲って、そのリスクがあるとしよう。ならば聞く。リスクは欧米諸国に負担させ、自らは決して背負わない。そんな卑怯な「平和憲法」とやらに価値があるのか。「したたかな外交」とやらで守れる「国益」など、高が知れている。要するにカネで買えるものであろう。そこに死活的な意味はない。護憲派の説く「平和主義」は美しくない。不潔である。腐臭が漂う。 10月17日放送の「報道特集」は米軍普天間飛行場の辺野古移設を批判的に取り上げ、成蹊大学の教授に「安保法案に続いて、また非常に強引に政府が民意を無視するような形で政策を進めることになる。アメリカを含めた民主主義の先進国から見て『日本は本当に民主国家なのか』という疑問を投げつけられる」(武田真一郎)と真顔でコメントさせた。バカらしいので反論は略す。 後半の特集では、佐世保を「旧海軍の街の特異性」が残り「奇異に映る」街として沖縄と対照させた。翌18日放送の「時事放談」でも浜矩子(同志社大学教授)が安倍政権の「法廷闘争」を「ゴリ押しでいこうという発想自体そもそも政策運営をする資格はない」と毒づいた。同日の「サンデーモーニング」でも前夜の「報道特集」と同じ米総領事への「単独インタビュー」を使いながら日米両政府を批判。姜尚中が「沖縄は呻き声を上げている」。田中優子が「人権問題」。涌井雅之が「興味深く総領事の発言を聞いた」と皮肉を語り、岸井が「民意を無視して強行するのは、ありえない無理筋」と批判した。ならば、普天間問題をどう解決するのか。 以上すべてTBSの看板番組である(他は前掲拙著に譲る)。9月30日、武田信二社長が「『一方に偏っていた』という指摘があることも知っているが、公平・公正に報道していると思っている」と会見した。社長は自局の番組を見ているのだろうか。以上を「公平・公正」とするのは「民意」を無視した「ゴリ押し」であろう。放送事業に当たる資格がない。平和憲法を守れと訴える前に、テレビは「政治的に公平」「事実を曲げない」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を求めた放送法を順守してほしい。 この秋、北朝鮮は弾道ミサイルを発射するであろう。核開発も止まらない。10月3日には、中国が新型弾道ミサイルを軍事パレードで披露。いわゆる「A2/AD(接近阻止・領域拒否)」能力と「対米核抑止力」を誇示した。だが、護憲派の視界は海外まで及ばない。北朝鮮でも中国でもなく、安倍政権を非難する。総理を「バカ」呼ばわりし、「早く病院に行って辞めたほうがいい」とわめく。学生を教え諭すべき教授(山口二郎・法政大)が「おまえ(首相)は人間じゃない、たたき斬ってやる」と叫ぶ。学生が「安倍を暗殺するしかない」とネット投稿する。「良識の府」が聞いて呆れる「良識の府」が聞いて呆れる 護憲派は学生らを持ち上げたが、いずれも侮辱罪(拘留又は科料)や脅迫罪(3年以下の懲役)に当たる違法な暴言である。 発言内容以前に法律上「何人も、国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域において、当該地域の静穏を害するような方法で拡声機を使用してはならない」(法第5条)。民間人に例外として許されるのは選挙運動や災害時の使用だけ(同前)。警察官は「当該違反を是正するために必要な措置をとるべきことを命ずることができる」(第6条)。「警察官の命令に違反した者は、6月以下の懲役又は20万円以下の罰金」が科せられる(第7条)。決して軽い罪ではない。 憲法を守れと叫ぶ前に、法律を遵守してほしい。私も被害者だ。ネット上の「ゴー宣道場」(小林よしのり代表師範)が「潮匡人って男は、見かけはサルだが中身はサル以下!!」と書いた。名誉毀損罪(3年以下の懲役)ないし侮辱罪が成立する。安倍政権や「保守」への批判なら、誰が何をしても許されるのか。 野党議員も例外でない。「平和主義」を語る前に、平和的に審議してほしい。ドサクサに紛れて自民党の大沼みずほ議員を引きずり倒し、投げ飛ばすなど論外。傷害罪(15年以下の懲役)ないし暴行罪(2年以下の懲役)が成立する。その罪は重い。動画で確認できた範囲で、自民党の吉川ゆうみ参議院議員以外、誰も助けようとも、制止しようともしなかった。本人の謝罪もなく両党幹部が“手打ち”。「良識の府」が聞いて呆れる。 民主主義を殺したのは安倍政権ではない。暴力や卑劣な実力(セクハラ作戦)を行使した野党である。安倍批判を合唱したマスコミである。 護憲派メディアの罪は重い。法案や与野党合意を報じるべき時間を割き、学生団体シールズらの絶叫を繰り返し放送した。女子高生の絶叫も垂れ流した。そもそも選挙権すらもたない高校生や10代の大学生らの無内容な連呼に報道価値があったのか。シールズの発起人はマスコミの寵児となったが、彼らに被選挙権はない。国会議員となる法的資格を欠く若造を国会に参考人として呼ぶ政党がある。テレビ番組に出演させる放送局がある。なんとも不思議な感覚ではないか。 もし、護憲派に知性や良識があれば、こうはならなかった。拙著も企画されなかった。もっと理性的な議論が交わされ、法案は継続審議や大幅修正を迫られたはずだ。悲しいかな、彼らはまだ気付いていない。自分たちの間違いに。愚かで幼稚な過ちを犯したことに。なんとも救い難い。 はたして、護憲派の辞書に「悔悟」や「懺悔」の文字はあるのだろうか。(文中敬称略)うしお・まさと 1960年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。第304飛行隊、大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程修了)、航空総隊司令部、長官官房勤務等を経て3等空佐で退官。聖学院大学政治経済学部専任講師、防衛庁広報誌編集長、帝京大学人間文化学科准教授等を歴任。拓殖大学(日本文化研究所)客員教授。公益財団法人「国家基本問題研究所」客員研究員。NPO法人「岡崎研究所」特別研究員。「民間憲法臨調」代表委員。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)、『ウソが栄えりゃ、国が亡びる』(ベストセラーズ)など著書多数。最新刊は『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)。関連記事■ 「反米論」は百害あって一利なし■ 急がれる「安保関連法案」の成立~憲法学者の変節と無責任を問う■ 元統合幕僚長・折木良一が語る いま行われるべき安全保障論議とは■ 中国は本気で「核戦争」を考えている■ 激しく変化する東アジアの安全保障情勢を読み解くには

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    テレビは放送法を守れ!

    放送法第4条には、「政治的に公平」「事実を曲げない」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」とある。しかし、最近の報道番組は、コメンテーターの意見を押し付け、「公平・公正」とはほど遠い内容だ。関係者に、猛省を促したい。

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    本当のタブーは政党批判より支持 前田武彦や高橋ジョージら

     テレビでの失言が世間で問題になるのはよくあること。そのなかには、世間的常識ではなく、あくまでテレビ独特のルールに反したということで、失言扱いされたものも少なくない。たとえば、政党批判はテレビの「タブー」だと言われている。政党批判がタブー扱いされるのは、放送法で「不偏不党」が定められており、政党からそれをもとに攻撃される危険性があるからだ。前田武彦氏 2000年6月の衆議院選挙特番『選挙ステーション2000』(テレビ朝日系)で司会の久米宏が、森喜朗首相(当時)の「無党派層は寝ていて欲しい」を受けて「投票に行かないと自民党が勝っちゃいますよ」と発言したことが、放送法違反ではないかと問題視された。この発言は次回2003年11月の衆院選で自民党幹部が同番組への出演拒否する事態にまでつながった。 とはいえ、このことで久米がテレビから消されたかといえば、そんなことはない。実は、テレビの世界で本当に問題視されるのは、このように政党を批判するよりも、むしろ褒めることなのだ。放送法の「不偏不党」は、特定の政党支持を表明した時のほうが問題視されやすいというのが、テレビ村の「掟」である。 タレント・司会者の「マエタケ」こと前田武彦は、1973年6月の参院選の補選で応援演説した共産党の候補者が当選した暁には、自身が司会する『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で「バンザイ」すると公約し、当選後に決行。それが特定の政党を支持しているとしてフジサンケイグループ内で問題となり、前田は同年9月に番組を「勇退」する事態に追い込まれ、その後他局も含めて出演番組の大半を降板することになった。 同様に、タレント・歌手の高橋ジョージは2010年3月、ニュースバラエティ番組『サンデージャポン』(TBS系)の生放送中に、「俺は公明党支持」と発言。翌週で「卒業」することになった。 本当のタブーは、政党批判よりも政党支持なのである。関連記事■ 「NHK次期会長本命は東芝相談役だった」とジャーナリスト■ 国政政党14になりNHKが悲鳴 「夜は政見放送ばかりになる」■ 視聴率最高記録は『第14回NHK紅白歌合戦』の81.4%■ 「紅白ストリップ合戦」など画期的企画送り出した『11PM』■ 24時間テレビ 計33回の放送で合計募金総額は291億円超

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    リベラル論客 TVで干されたのではなくこれまでの偏重が異常

     「I am not ABE」のフリップを番組中に登場させた元経産官僚・古賀茂明氏の「報道ステーション」(テレビ朝日系)降板に象徴されるように、テレビから安倍政権批判が消えたと言われるが、では現在の状況は政権支持派にとってプラスになっているのか。答えは否だと、フジテレビの番組審議委員を務めるなど、テレビ報道のあり方に詳しい麗澤大学教授の八木秀次氏は言う。いまのテレビが孕むより深刻な問題を八木氏が分析する。 * * * 昨年の総選挙前、自民党がNHKと在京民放キー局に対し、総選挙の報道にあたって「公平中立、公正の確保」を「お願い」する文書を送り、後日、そのことが明らかになると、政治からテレビに対する「介入」「圧力」だと批判された。だが、その批判は的外れだ。 テレビ局が守るべき規律を定めた放送法は、その第1条で「放送の不偏不党」や「健全な民主主義の発達に資するようにすること」を求め、そのため第4条で「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めている。つまり、自民党は改めて「放送法の通りにお願いします」と言ったに過ぎない。 なぜそうした要望を出す必要があったかと言えば、これまでテレビ局がこの原則を無視し続けてきたからだ。 古くは「椿事件」が有名だ。1993年の総選挙で非自民の細川連立政権が誕生したが、その後、民間放送連盟の会合で、テレビ朝日取締役報道局長(当時)の椿貞良氏が「自民党政権の存続を絶対に阻止し、反自民の連立政権を成立させる手助けとなる報道をする方針を局内でまとめた」という趣旨の発言をしたのである(*注)。【*注/椿氏は取締役報道局長を解任され、郵政省(現総務省)が放送法違反による放送免許取り消しを検討したが、最終的には行政指導にとどまった】 実際、「ニュースステーション」の久米宏氏や「サンデープロジェクト」(いずれもテレビ朝日系)の田原総一朗氏が政権交代を積極的に支持し、そのため細川連立政権は「田原・久米政権」と呼ばれた。日本外国特派員協会で記者会見する元官僚の古賀茂明氏=2015年5月16日 民主党政権が誕生することになった2009年の総選挙の際も、自民党のベテランに挑戦する民主党の「小沢ガールズ」が好意的に取り上げられた。私は、ローマ時代に円形競技場のなかで繰り広げられた女性剣士が猛獣を倒すショーを想起した。それほどに扱いは一方的だった。 これらのテレビは、明らかに放送法違反だった。少なくともその精神を踏みにじっている。その構造は、実はいまも続いている。その典型がニュース番組のコメンテーターで、「報道ステーション」(テレビ朝日系)、「ニュース23」、「報道特集」、「サンデーモーニング」(いずれもTBS系)などは、出演するコメンテーターがリベラル、左翼系だけということが多い。 逆に、私のような保守系が単独で出演することはほとんどなく、多くはリベラル側のカウンターパートとしての出演である。最近、リベラル側の論客が次々干されていると言われているが、むしろリベラル側の意見だけが偏重されてきたこれまでが異常だったのだ。   その意味で、自民党の「お願い」は「介入」でも「圧力」でもなく、当たり前の意見にすぎない。昨年11月18日、安倍首相はTBSの生放送に出演し、景気回復について否定的な街頭インタビューが多く流されたことに「選んでますね」「おかしい」と発言したことも批判されているが、これもあくまで首相は、事実に基づく公平を求めたに過ぎない。 実はその背後には、一般国民の同様の声がある。以前は「物言わぬ多数」だった一般国民が、インターネット、とりわけSNSの普及によって自らの意見を表明する手段を獲得し、メディアを批判するようになった。メディアが一番恐れているのはそうした一般国民の声であり、それと対峙する勇気はない。だから、メディアに「お願い」する政権を批判しているにすぎない。関連記事■ 自民政権が50年間達成できず民主政権が2年で達成できたこと■ オウム事件 1週間に40~50時間も各局から報道されていた■ 『報道ステーション』来春打ち切り説広がる 古舘降板発言も■ 皇太子ご成婚で白黒TV1000万台売り受信契約者200万人突破■ 三菱銀行人質事件 犯人射殺までの42時間視聴率42.3%

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    古舘さん、「アリバイ」崩れてますよ

    のれんに腕押し、糠に釘と言いますが、視聴者から「偏向報道」の指摘をどれだけ受けても、全く聞く耳を持たなかった「報道ステーション」ですが、最近少しだけ“アリバイ作り”を始めているような気がします。

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    「報ステ」よりも中国に総選挙を広めたAKBこそ平和貢献している

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 先の国会で安保関連法が成立した。これについて反対勢力は戦争法であると言い続けた。テレビ朝日の「報道ステーション」では、あたかも安保法が戦争法であるとの前提で、報道がなされていた。古舘伊知郎キャスターが「平和安全法制という(参院特別委員会の)ネーミングが正しいのか、甚だ疑問だ」などと述べ、安保法を戦争法と示唆しながら国会から中継をしていた。スタジオのコメンテーターも同じ認識だった。これらの報道姿勢に対して、スポンサーからも抗議があり、CMが打ち切られたという。 こうした左派・反対勢力の言い分をいえば、安保法は戦争リスクを高めるという。この戦争リスクは、戦争とリスクからなる言葉だ。改めて戦争というものを分析して、それが、将来のリスクを高めるかどうかを考えてみたい。東京芸術大で開かれた安保法反対集会=10月14日夜、東京都台東区 左派・反対勢力は戦争リスクが高まるといいながら、誰一人として数量的な議論をしていない。リスクとは将来確率に関することであるので数量的な議論が必要なのに、みんな雰囲気で話している。今日の雨の確率といわれれば、何%ですと数字でいう必要がある。 まず、定性的な話からはじめよう。日本はアジアで最も平和だった国であるが、その経緯を見れば、ある程度納得できる。60年安保や92年PKO協力法の時にも、戦争に巻き込まれるという議論があった。ところが、実際の歴史では戦争に巻き込まれることはなく、日米安保条約は、しっかり抑止力を発揮して、日本を平和に保ってきた。60年安保の反対論をリードした旧社会党は、その34年後、92年PKO協力法成立の後の村山富市政権で安保条約も自衛隊も認めて、結果として安保闘争は間違ったと自ら認めた。 この議論をみれば、今回の安保法での議論とそっくりである。過去には戦争に巻き込まれるという懸念は杞憂だった。だから、今回も杞憂だろうと考えるのは自然だ。 しかし、日本だけの歴史に頼る議論は危ない。そこで世界における戦争の歴史から、平和にするのか、戦争に巻き込まれるのかを考えなければいけない。 戦争についてどこまで知っているのだろうか。筆者の親の世代は戦争体験があるが、筆者は話でしか知らない。誰から聞いても悲惨なものであるのは間違いない。ただし、その知識もせいぜい親の半径1メートルの世界であるので、世界の全体像はまったくわからない。 そこで歴史の出番だ。戦争に関する本は多い。個々の戦争話には興味が引かれるが、それでも世界の全体の戦争の話はカバーできていない。長い間そう思っていたが、筆者は1998年から2001年まで米プリンストン大学に留学している間、「民主主義国家同士は、まれにしか戦争しない」という民主的平和論の権威であるマイケル・ドイル(現コロンビア大)から、素晴らしいデータベースを教えてもらった。1816年からの世界中の戦争が収録されており、ネット上で見ることができる(http://www.correlatesofwar.org/)。 それらを整理すれば、1823年からの世界で起こった95の国家間戦争について、のべ337ヵ国が参加したことがわかる。それらの国の中で、最後の戦争から現在まで最も長く平和の期間を過ごしているのが、デンマークである。プロイセン王国とのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が1864年に終戦になってから、今日まで151年間も、平和を維持している。 アジアの国で、最も長く平和にしているのが日本である。第2次世界大戦が1945年に終戦になってから、今日まで70年間も平和である。日本人として、この平和記録をもっと更新したいと思う。 はっきりいえば、安保法が戦争リスクを高めるのであれば、筆者はもちろん反対である。 筆者がプリンストン大学時代に学んだ国際政治・関係論では、どうしたら戦争をしないようにできるかを研究する。左派・反対勢力のように、憲法第9条だけ唱えていれば、日本だけは平和になるという議論は論外だ。過去の歴史を分析することによって、平和にするために諸条件を探るのだ。 その一つの集大成といえるのが、ブルース・ラセット(エール大)とジョン・オニール(アラバマ大)によって2001年に出版された"Triangulating Peace"(http://www.amazon.co.jp/dp/039397684X)である。 同書は従来の考え方を統合整理している。従来の国際政治・関係論では、軍事力によるバランス・オブ・パワー論に依拠するリアリズムと、軍事力以外にも貿易などの要素を考慮し平和論を展開するリベラリズムが対立してきた。 これに対し、同書では1886年から1992年までの膨大な戦争データについて、リアリズムとリベラリズムのすべての要素が取り入れて実証分析がなされている。するとリアリズムの軍事力も、かつて哲学者カントが主張していた「カントの三角形」(民主主義、経済的依存関係、国際的組織加入によって平和になる)も、すべて戦争のリスクを減らすためには重要であるという結論だった。もちろんドイルのいう民主的平和論も重要な要素として含まれている。 つまり、軍事力は(1)同盟関係をもつこと、(2)相対的な軍事力、カントの三角形については(3)民主主義の程度、(4)経済的依存関係、(5)国際的組織加入という具体的なもので置き換えられると、それぞれ戦争を起こすリスクに関係があるとされたのだ。これが、平和5条件だ。 具体的にいえば、きちんとした同盟関係をむすぶことで40%、相対的な軍事力が一定割合(標準偏差分、以下同じ)増すことで36%、民主主義の程度が一定割合増すことで33%、経済的依存関係が一定割合増加することで43%、国際的組織加入が一定割合増加することで24%、それぞれ戦争のリスクを減少させるという(同書171ページ)。 この平和5条件は、日本の戦後もよく説明できる。日本が戦後70年間も平和でいられたのは、(1)日米安保条約、(3)一貫して民主国家、(4)経済主義で貿易立国、(5)国際機関への強い関与という、まるで絵に描いたように平和理論を実践したからであることがわかる。 今回の安保関連法は集団的自衛権の強化であるが、そもそも(1)同盟関係では集団的自衛権はマストであるので、(1)を補強することになる。なので、安保法は戦争リスクを最大40%減少させることになる。 左派・反対勢力の戦争リスクを高めるという議論は、国際政治から見れば根拠がないといわざるを得ない。筆者はこれまで戦争リスクを高めるか低めるかについて、こうしたデータに基づく議論をしてきたが、具体的な反論はこれまでない。リスクに関わる話なので、数量的な議論が必要であることを強調しておきたい。 これらの5条件を備えた日本だけがアジアの例外であり、アジアの他の国では、(3)民主化されていない国も多く、平和基盤は脆弱である。 こうしたことから、必要なのは安保法に反対だと国内で主張するのではなく、中国の民主化に向けて努力する方が日本の安全保障につながる。 中国は戦後一貫して民主国家ではなかった。中国の憲法には、まず共産党があって人々はその指導を受けるとも書かれている。これは立憲主義ではない。さらに平和憲法条項もなく、中国の軍隊である人民解放軍は共産党の軍隊と明記されている。しかも国のトップが選挙で選ばれないので、独裁国家そのものである。これがアジアの紛争要因になっているのだ。 この選挙制度を中国人に知らせることは立派な平和活動である。この意味で、「総選挙」を広めたAKB48のほうが、冒頭の「報道ステーション」や国会回りでデモした人よりはるかに平和貢献している。「報道ステーション」の行為は、戦争リスクに対して客観的な報道をせずに、日本の平和に貢献しなかったという意味で、報道としての責任は重い。

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    あいかわらずイケてない古舘伊知郎の権威主義

    新井克弥(関東学院大学文学部教授)【プロレス編】 あいかわらず古舘伊知郎はイケていない。報道ステーションでの彼の態度は、ひたすらゴーマンで、中身がカラッポという印象。かつての名調子である例の「おーっと!」に代表される古館節もまったくやらないし(ウリはこれのはずなのだが?)。だから、そのイメージはきわめて悪い(にもかかわらず、そこそこの視聴率を上げているというのも面白い)。 今回、僕は「古館は『権威主義者』=強いものにはすり寄り、弱いものを侮蔑・切り捨てることによって、自らの権威をグレードアップさせていこうとする志向の持ち主=ゴーマンと卑屈の二元論者」という前提で、古館のパフォーマンスと、この権威主義について考えてみた(ただし、これは古館の魅力でもあるのだが)。古館はどうやって現在の階梯にまで上り詰めたのか?これを三回(プロレス編、F1編、報道ステーション編)に分けて分析してみたい。プロレス実況中継でフルタチ節は完成 古館がブレイクしたきっかけはテレ朝アナウンサー時代、新日本プロレスの実況を担当したことにはじまる。ここで大げさな実況をすることで、彼のスタイルは世に知れ渡る。だが古館実況のもっとも特徴的な点は、一般に評価されるこの「大げささ」ではなく、むしろキャラクター設定のわかりやすさにあったといえるだろう。つまり、識別のつきにくいレスラーにすべてワン・フレーズで修飾語句を与え、その文脈でレスラーのキャラクターを組み立てるというやり方だ。アントニオ猪木なら「燃える闘魂」、アンドレア・ザ・ジャイアントなら「人間山脈」といった具合。番組の冒頭には、実況がおこなわれる会場のある都市の特徴を、ほとんどの場合、戦国武将の物語で紹介。さながら街全体が「戦いのワンダーランド」(これも古館が好んで使っていたセリフ)と化しているかのような演出をおこなっていた。これに「おーっと!」という「大げさ実況」が加わる。技の解説についても同様で、ほんとともウソともつかないエピソードを付け加えていた。半面、技術的な内容の詳細についてはほとんど語らなかった。だからプロレス素人のオーディエンスには、きわめてわかりやすい解説と映ったのである。 アントニオ猪木(左)の引退記者会見に同席した古舘伊知郎(中央)=1998年2月18日、東京都内のホテル こうしたやり方が、全体としてきわめて単純化したドラマを組み立てることに成功する。ドラマにたとえれば、一般のドラマではなくかつての大映テレビ室の制作する「赤いシリーズ」(山口百恵が主演していたもの)や「スチュワーデス物語」などの「デフォルメと省略」を全面に展開するやり方。要するに単純化・定型化したキャラクターが、ありえない仰々しい設定の下に、ありえない仰々しい演技をするという演出手法をプロレスに持ち込むことで、プロレスの複雑性を極端に単純化し、実際のプロレス以上に「プロレス的」に演出することに成功したのである。それはプロレス上につくられた、もう一つのフルタチ・プロレス・ワールドに他ならなかった。  古館がプロレス実況をはじめた当初、プロレスファンは彼の実況には批判的だった。「ゆっくり試合を見せろ」「古館はうるさすぎる」「技術をあまりに知らないので、同じことをやたらと連呼している」などなど。しかしながら、古館は経験を積むにつれて知識も増やし、さらにはこういったファンを納得させるレベルにまで技術を向上させていく。 プロレスに飽きた古館 彼はその勢いに乗じて84年、テレ朝を退社、古館プロジェクトを立ち上げ、フリーのアナウンサーとしてスタートを切る。だが、この時点でひとつの逆転が起こる。その逆転とはプロレスと古館の関係だ。プロレスは猪木の全盛期、厳密には新日本プロレスの全盛期が過ぎ視聴率が低下。テレビ朝日金曜午後八時台というゴールデンタイムでの実況中継権も失い、またプロレス自体も他団体が乱立。地盤沈下を起こしていった。一方、古館の方といえば、例の古館節はすっかり世間に定着。他のアナウンサーまでがこのやり方をまねるようになるというほどカリスマと化していた。 すると、それまで猪木を尊敬しプロレスを絶賛していた古館は、次第にプロレス自体を見下すようになる。試合はメインイベントの中継のみしかやらなくなり、実況の回数それ自体が減っていく(変わってプロレスの実況をはじめたのはテレ朝アナウンサー辻義就(現辻よしなり)だった。辻は一生懸命フルタチ節をパクっていた。だが、彼にはフルタチ的なおどろおどろしさが無く、節回しの切れがなかった。また、ワンフレーズによるキャラクター設定もへたくそ、一方、情報量は古館より多かったために、辻の実況は、ストーリー性に乏しく、ともすればわざとらしさを助長することとなる)。こうなると古館自体もすっかりやる気をなくし、プロレスについての積極的な情報収集などは全くやらなくなる。実況は既存の古い情報だけで展開されリアリティを失っていった。その杜撰さは回を重ねるごとに増していき、プロレスファンでなくとも「ああ、こいつ、手を抜いているな」ということがはっきりわかるほど稚拙なものへと転じていったのだ。そして、古館は猪木の退場を理由に、プロレス界から足を洗っていく。  プロレス実況を降りて数年後。古館は「猪木との約束」というタテマエで、久々にプロレスの中継を行った。ただし猪木のタイトルマッチだけ。この試合の実況は、ただただゴーマン、猪木までもを見下した「エライ古館様が、プロレスなどという二流で下卑た、スポーツともエンターテインメントともつかないものの実況をしてやっている」という態度に溢れていた。「ああ、この人は強い人には卑屈に、弱い人にはゴーマンに対応するのだなあ」。  あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)という「フルタチ」パターンはこの時期に形成されたのだった。【F1編】【F1編】 古舘伊知郎というパーソナリティがメディアに上り詰めるに至ったエネルギー源である権威主義について考えている。前回は一介のアナウンサーがブレイクするきっかけ=「ホップ」となったプロレス実況について分析した。つまり、その図式は「あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)」というパターンだった。 第二回目はプロレスを捨てた後の第二弾、古館からすれば権威の階梯を駆け上る次の「ステップ」となったF1実況について考えてみたい。迷走する役所 タレントとして様々な活躍をはじめた古館は、番組のレギュラーを獲得していった。「アッコ・古舘のアッ!言っちゃった」(後の「アッコにおまかせ」)「どっちDOTCH!!」「グッドジャパニーズ」といったバラエティ番組の司会・中心的存在として活躍をはじめるのだ。 ただし、これらはいずれも失敗する。「アッコ」では和田アキ子と全くそりが合わず、それどころか和田にどつかれっぱなしで、古館節のフの字も展開できないほど。つまり芸能界の「ゴッドねーちゃん・和田」の「権威」におされっぱなし。挙げ句の果ては、おべっかばかりをする古館に、和田が「なんで、あんたは、そうコロコロちゃんなの?(「コロコロちゃん」とは、相手の機嫌を読んで、立場をコロコロと変えるの意)とつっこまれる始末。全く掛け合いのできない状態になった古館は、番組から降りた。(この時、古館は和田の失礼な態度に怒ったために降りたと報道されたが、真実は不明)。つまり、和田とのコラボでは古館の「ゴーマンと卑屈の二元論」のうち、その卑屈さだけが助長され、みっともないことこの上ない姿を露わにしてしまったのだ。 「どっちDOTCH!!」はコンセプトが受けず、ワンクールで打ち切り。「グッドジャパニーズ」は身近な問題を視聴者と考えるという報道番組だったが、視聴者との直接意見交換というスタイルに、これまた古館は全く適応できず(電話で自らの心中を告白した視聴者に、みのもんたのように同情することができず、逆に不必要なツッコミを入れ、途中で相手に電話を切られたというシーンもあった。まあ、はっきり言って電話で対応した視聴者を見下していたという感が強い。「したり顔」で同情することもあったが、これも結局は見下しのもう一つの側面でしかなかった)、視聴率もさっぱりで、これまたワンクールで打ち切りとなっていいる。古館自体の行き場が無くなったように思えた。「渡りに船」だったF1中継 そんなとき、古館節がきわめて有効、かつ古館がアイデンティファイ可能な仕事が古館に舞い込んでくる。それがF1の実況だった。88年からフジテレビがF1の中継を開始。古館は翌年の89年から実況担当となる。 これが見事にどんぴしゃり、ハマった。プロレスよりはるかにステイタスの高いF1。ヨーロピアンテイスト溢れ、しかも膨大なカネが投入され、なおかつ世界三大スポーツイベント(残りはワールドカップ・サッカーとオリンピック)のひとつ。ステップアップ、つまり自らの権威の階梯アップには十分のジャンルだった。だから古館は飛びついた。 やり方はプロレスと同じ。まず、F1パイロットそれぞれにキャラクターをワンフレーズで配置。たとえばナイジェル・マンセルは「荒法師」、ジャン・アレジは「スピード・ジャンキー」(”ジャン”の語呂合わせ)、ネルソン.ピケは「快楽ラテン走法」、頻繁に他車とぶつかるA.チェザリスは「サーキットの通り魔」、F1界唯一の女性にしてメチャクチャ遅かったドライバー、J.アマティは「動くシケイン」、そして後にチャンピオンとなるM.シューマッハーは「F1ターミネーター」だった。次に、これらキャラクターに、例によって戦国時代絵巻風ストーリーを展開する。ストーリーの中心に据えたのが当時マクラーレンに所属していたA.セナとA.プロストのバトル、あるいは確執だった。古館は徹底的にセナに加担、だからセナのキャッチは「音速の貴公子」と最大限の賛辞で形容された。一方、A.プロストには悪代官=越後屋の役割が振られた。だからプロストのキャッチは「顔面フランケンシュタイン」「微笑み黒魔術」であり、その走法には「偏差値走法」「勝ちゃあ、いいんだろう走法」などと、やり方の汚さをデフォルメさせるような表現がもっぱら用いられたのだった。 古館の実況はプロレス同様、例によってF1ファンからの非難を浴びる。「ルールを全然知らない」(はじめたばかりで、あたりまえなのだが)、「F1が持っている品を下げる」など。しかし、ここでも古館は勝利を収める。プロレスの時にはアントニオ猪木を神格化し、これを中心に物語を展開したように、F1ではセナを神格化し、セナを軸に実況を展開。そうすることでF1は我が国で空前のブームを迎えることになる。そう、ここでもプロレスと同様、F1とは別のフルタチ・F1・ワールドを展開し、結果としてこれが日本におけるF1ブームを牽引したのだった。セナが国民的なアイドルとなったことは言うまでもない。古館は再び「我が世の春」を迎えたのだ。古館は、プロレスなどという「下品」なスポーツでなく、世界が認めている「高尚」なF1で成功することで、さらにその地位をステップアップさせていったのだ。例の図式でF1と決別  しかし、F1がバブル崩壊とともに、我が国でのピークを過ぎると、古館のいつもの癖が、また、はじまった。F1に飽きたと同時に、見切りをつけはじめたのだ。92年以降、次第に古館はF1実況から離れていき、レースを選ぶようになる。彼が実況するのは開幕戦、モナコ、サンマリノ(フェラーリのお膝元)、イタリア・モンツァ、そして鈴鹿と、おいしいところばかり。間違ってもハンガリーとかブラジルといった「辺境」で実況をするなんてことはしなくなった。そればかりか93年は実況すること自体が減ってくる。変わって実況回数が増えたのは早坂、三宅といったフジテレビアナだった(ちなみに三宅はF1で実況のスキルをどんどん上げていった)。 たまにしか実況しない、実況していないときにはおそらくレースを見ていないんじゃないか、と思わせるほど情報を収集しない。だから、実況内容を解説の今宮純に訂正されるシーンがしばしば現れた。そして94年、彼は、プロレス時と同様、これまたF1から完全に足を洗うタテマエを見つける。A.セナの事故死である。彼が作り上げたF1の主役が死んだのだから、もう義理は果たしたということなのだろうか。95年以降、古館はF1と一切の関係を切ったのだった。 しかし、この後、古館は仕事こそ継続するもののプロレスやF1で繰り広げたパーソナリティを展開できる場所を失っていく。「夜のヒットスタジオ」「おしゃれカンケイ」などで古館節は展開されこそしたが、番組自体がゲスト相手のアドホックな対応を要求されるものであり、そこにプロレスやF1のようなあやしげな戦国絵巻を展開するスペースは設けられていなかった。逆に、ここでは、このアドホックな対応がかえって「したり顔」のイメージで対応するというスタイルを生んでいくことになる。ゲストは常に持ち上げなければならない。その一方で戦国絵巻は繰り出せない。その結果、例の「コロコロちゃん」的な、場当たりなおべっかが連発されることになるのだ。で、その一方でゲストに無礼になってしまうような失言もやってしまうのだが、これは古館節の「デフォルメ」を基調とするスタイル上、どうしても出てきてしまうものでもあった。古館の語りは”上滑り”を繰り返す。番組が成立したのは古館とパートナーを組んだ吉村真理や渡辺満里奈の場所を押さえた、あるいは空気を読んだ対応があったからだったといってよいのではなかろうか(言い換えれば古舘自身は空気が読めていない)。 もちろん、お得意のスポーツ中継はスポット的に取り組んではいた。世界陸上、世界水泳、そして競輪。ただし、これらはあくまでもスポットゆえ、そもそも情報量が多くない古舘がスポットで実況をおこなっても、中身がどんどん薄くなるだけでやはり”上滑り”をしていた。本格的に取り組んでいたはずの競輪も、その「権威」からすると中途半端なのか(競輪は一部の人間にのみ熱狂的に支持されているに過ぎず、全国放送されるような競技ではない)、やっつけ的な仕事という印象はぬぐえなかった。 そんな古館に権威の階梯をさらに上昇させる、つまり「ジャンプ」する格好の転機が訪れる。それが久米宏の長寿番組「ニュースステーション」の後釜としての「報道ステーション」への起用だった。【報道ステーション編】【報道ステーション編】 古舘伊知郎というパーソナリティがメディアに登り詰めるに至ったエネルギー源である権威主義について考えている。今回は最終回。「報道ステーション」の古舘について考えてみたい。報道ステーションの開始 2004年、古館は久米宏の「ニュースステーション」の後釜番組、「報道ステーション」のキャスターに抜擢される。名前こそ「ステーション」で同じだが、スタッフを自分の会社の「古館プロジェクト」のメンバーで固め、実質的に古舘の番組となった。伝えられるところによると、この企画を取り付けたとき、古館は「天下を取った」と叫んだとか。これが本当だとしたら、権威主義者=古館のホンネだったことになるだろう。彼にとってニュース・ショーは最終到達点。一介の局アナからプロレス中継、F1中継とステップアップし、ついに報道というメディアの本丸へ、しかも報道の歴史を変えたといわれる、あのニュースステーションの、そして久米宏の後任である。うれしくないはずはない。まさに「我が世の春」を迎えつつあったのである。 しかし、しかしである。開始された番組は当初、低空飛行で始まってしまう。なにかと久米と比較され、そしてすべてが低い評価。「あんなもん、やるんじゃなかった」と当初は思っていたかもしれない。だが、裏番組のNHKの「ニュース10」が終了とともに競合する番組が消滅したため、次第に視聴率は上がりはじめ、13%程度を維持するようになる(ただし、ニュースステーションは平均視聴率14%超だったので、これに比べると低い)。これで、番組は安定した。 しかしながら「報道ステーション」での古舘の評判は相変わらず悪い。で、批判として指摘される部分が、まさにその権威主義にあるといっていいだろう。本番組では古舘のパフォーマンスの背後に隠れていた権威主義が、結果としてベタに全面展開されるという構造になってしまったからだ。「傲慢と卑屈の二元論」の図式が通用しない報道番組 古舘のパフォーマンスの醍醐味は、権威主義からくる「傲慢と卑屈の二元論」からなる。そのジャンルの権威にすり寄り、これを一方的にヨイショして、それ以外には手下や敵といった脇役の役割を振り、当該世界を極端に単純化、つまりデフォルメと省略を徹底させて、世界の複雑性を縮減し、シンプルでわかりやすい物語に変えてしまうところにある。プロレスの場合はアントニオ猪木とのその他であり、F1はA.セナとその他(悪役としてのA.プロスト)だった(つまり猪木ややセナという権威側に立ち、こちらには卑屈になるが、それ以外にはこれら権威を借りてゴーマンをかます)。こうすることで、そのジャンルについての、古舘によるもう一つのワールドが展開される。これこそが醍醐味だった。ただし、これはあくまでデフォルメと省略。エンターテインメントにはどんぴしゃりとハマるが、報道という事実を踏まえたもの、そして様々なジャンルを取り扱う複雑性を備えたものには適合性が悪い。このスタイルは「事実を恣意的にねじ曲げること」が前提となるからだ(昔からのプロレスマニア、F1マニアには評判が悪かったのはこういった事情による)。 また、お得意の「傲慢と卑屈の二元論」をあてはめる場所がない。誰にすり寄ればよいのかがわからないからだ(まさか首相の小泉や安倍にすり寄るなんて出来ないだろう)。その結果、すり寄る相手は恣意的に選択したポピュリズムに基づいた大衆となった。つまり「さしたる所得もなく、さしたる見解も持たない視聴者」を勝手に設定し、これに迎合するスタイルを取った。しかしながら、この卑屈になってすり寄る相手は猪木やセナのような、ナマの、そして権力を掌握している具体的な人間ではない。だから雛形がない。さらに古舘自身も、元々政治的信条はなく知識も見識も疎いので、このポピュリズムはしばしば偶有する。つまり例の「コロコロちゃん」になる。これに基づき「私はみなさんの味方ですよ」と、したり顔で媚びを売るようなパフォーマンスを展開する(パフォーマンスがこのパターンしかないので仕方がないのだけれど)。で、実際には本人は高額所得者なわけで、こうなるとどうしても「虎の威を借る狐」という偽善的なイメージばかりがクローズアップされてしまうことになるのだ。 また、出演する解説者にべったりというのも、この卑屈さを全面に展開したものと言える。とにかく解説者の言うことには全面的にひれ伏し、そちらの側に「荷担」する。そして、こちらでも虎の威を借る狐のように解説者の権威の立ち位置からドヤ顔でモノを言うのである(しばし解説者の意図をカン違いしているのだが)。古舘のキャスターの資質を他のキャスターと比較してみる こうなってしまうのは古舘のパフォーマンス・スタイルが報道に馴染まないためということだけによるものではない。加えて古舘が報道番組を仕切る「キャスター」としてはその資質を備えていないという側面も踏まえなければならない。 ここまでの古舘の方法論を、今回は他のキャスターたちとの比較で考えてみよう。ここでは村尾信尚、久米宏、大越健介、池上彰をとりあげてみたい。キャスターの資質を以下の四点からそれぞれ考えてみる。1.キャスティング能力:番組のネタを投げる=キャストすること。いいかえれば自らが他の登場人物に役割を振って、その場を仕切ること、2.情報量:取り上げる題材に対する知識量の多さ、3.情報の質:取り上げる題材に対する造詣の深さ、4.パフォーマンス能力。これらの資質をそれぞれに振ってみよう。 村尾信尚:村尾は情報量も多くなく、情報を展開する力も弱く、パフォーマンス能力も凡庸だ。ただしキャスティング能力は抜群だ。そのことを本人も心得ているのか、個人的な論評はきわめて控えめで、専ら担当者に投げる。NEWS ZEROが落ち着いてみられるのは、ひとえに村尾のこのキャスティング能力、言い換えれば本人の「透明性」に依存するところが大きい。これによってZEROのスタッフが一体となったチームに見えてくるのである。一方、古舘の場合、キャスティング能力は低い。とにかく、最終的には自分が仕切らないとおさまらない。それゆえ、他のメンバーを引き立てるという状況を作れない。つまり「独り相撲」。だから古舘以外のメンバーの顔を思い浮かべにくい。久米宏:キャスティング能力は抜群で、小宮悦子、若林正人、角澤照治、川平慈英といった出演スタッフがどんどん出世していった。ただし、情報量は多くはなく、情報質もあまり深くはない。久米が賢かったのは、自分がアナウンサー上がりであることを常に自覚し、ほとんどコメントしなかったことだ。つまり「無知の知」があった。その一方で、確信を持っているものについてはハッキリとコメントした。また、登場する解説者に対して同意できない場合、反論こそしないが、そのコメントをスルーしてしまうと言う「無言の抵抗」も行っていた。また、村尾同様、キャスティングをする中で場全体を盛り上げるというパフォーマンス能力を発揮。こういった美意識が久米宏ワールドを作り上げ、スタッフのチーム性を感じさせ、これが親密性に繋がって視聴者をニュースステーションに引きつけることに成功する。一方、古舘の場合、少ない情報、そして情報判断能力不在であるにもかかわらず、堂々とピント外れのコメントをしてしまう(パワポを知らなかったのは象徴的事件だった)。いうならば「無知の知を知らない」。これがただでさえパフォーマンス的にうるさい古舘の喋りを(まあ、これがウリなのだが)、内容的にもうるさいものにしてしまう。 大越健介:大越はインテリだ。キャスターに必要とされる要素をほぼ満遍なく持ちあわせているバランス型。キッチリ情報を集め、言うときはいい、ふざけるときはふざけ(ウルトラセブンをゲストに呼び、インタビューしたこともある)、それでいて画面全体を久米同様、管理し続ける。東大卒かつ野球部のエースだったことが反映しているのだろうか。知力とキャスティング能力を併せ持っている、ザ・キャスターとでも言うべきパーソナリティだ。一方、古舘にはこういった総合力はない。 池上彰:言うまでもなく「ミスター・ニュース」である。様々な要素を高いレベルで保持している。膨大な情報を単純化し、掘り下げ、わかりやすく、しかも時には危険や誤解を恐れず主張する。いわゆる「黒い池上」だが、古舘と違うのは、この”黒さ”が情報と見識に裏打ちされているところだ。だから視聴者は池上の解説に納得し、積極的にこれに接しようとする。一方、古舘の場合、わかりやすさはもっぱら単純化と繰り返しにある。大仰な口調でこれを繰り返すことだから、池上の理論的かつ要点を押さえたわかりやすい単純化とは質が根本的に異なっている。ちなみに池上に欠けているのは古舘同様、キャスティング能力だ。しかし、情報量と情報質、パフォーマンスを豪快に発揮することで完全に仕切ってしまう。だから、池上は正確にはキャスターではなく、やはり「ミスター・ニュース」なのである。古舘にキャスターは無理 言うまでもないが、もともと古館の個性はアナウンスする中身=コンテンツではなくパフォーマンス=メディア性にある。まとめてみよう。古館の解説は、どんなときでもその情報量が少ない。つまり池上のように情報を頭にバンバン詰め込んで、データベースのように語るというタイプではなく、むしろ少ない情報を仰々しい定型化されたパターンで演出することで情報それ自体を単純化し、視聴者に「古館節」としてフィクショナルに聞かせるところが魅力なのだ。ということは、同じ相手に、同じパターンを何度も繰り返すことで、古館のパフォーマンスは威力を発揮する。だからこそプロレスやF1は見事にハマったのである。 ところがこの図式は基本的にフィクショナルなものに適用することで初めて成立するもの。これを報道でやってしまうと、ウソになる。ということはキャスティング能力×、情報量×、情報質×で唯一秀でている部分であるパフォーマンス能力も報道では生かすことが出来ない。つまり、全部×になってしまうのだ。結局、大衆に迎合したと思うような、それでいてきわめて凡庸というか、月並みな表現によるパフォーマンスが残るのみとなる(「こーいうことって、ほんとうにありうるんでしょうか?」みたいなフレーズが繰り返される)。また、主張したところで見識も何もないのでヘタに喋ると無知をさらけ出すことになる。そのくせ、したり顔がウリなので、結果として視聴者としては傲慢さばかりが鼻につくというように映ってしまうのだ。 僕は今回、古舘を辛口で分析しているが、個人的に古舘伊知郎というパーソナリティが嫌いではない。プロレス、F1ともにフルタチ・ワールドを堪能させてもらった1人である。ただ、これだけは指摘しておきたい。「古舘さん、あなたにニュースキャスターは無理ですよ!かつて渋谷ジャンジャンでやっていたトーキングブルースのような大仰なパフォーマンスに戻って、本領を発揮してください」と。でも、まあ権威好きなので、価値づけとしては報道ステーション>トーキングブルース。だからトーキングブルースには戻らないだろうなぁ。 それにもかかわらず、報道ステーションはそこそこ視聴率を上げている。なぜか?その答えは……なんのことはない。あの時間に競合する番組がない、ただそれだけのこと。実は僕はやむを得ず「報道ステーション」を見ることがあるのだけれど、それはあの時間ニュースがないから。で、見終わると、はっきり言ってウンザリする。同時に、古舘が「もったいないなぁ」とすら思ってしまう。 報道ステーションを潰すのは意外と簡単だ。裏で同じような報道番組をやればいいだけなのだから。たとえば同じ時間帯に池上彰がニュース・ショーを始めたとしたら……報道ステーションは一気に壊滅するだろう。

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    高須クリニック院長が語る「報ステ」スポンサー降板の全真相

    高須克弥(医師、高須クリニック院長) 報道ステーションが安保法制のニュースを取り上げ始めたころから違和感があったんです。もともと僕は安保法制に大賛成で、アメリカという強い兄貴が付いてくれれば、これから日本も北朝鮮や中国になめられることもない。それに日本は長い間占領されていた時代があったので、植民地的な気質が残っていると感じていたんだけど、法案成立で日米同盟が対等なものになれば、日本人としての誇りも高くなるからいいことばかりだし、安保法制に反対する人たちなんているとは思ってなかったんです。 でも朝日新聞もそうですけど、テレ朝の安保法制の報道の仕方は我々を戦争に導く悪い法案で、日本人の大半が法案に反対だとか、徴兵制を安保法制成立で進めようとしているなどと誤解に基づくデマのような意見を初めから取り上げたり、SEALDsの皆さんが正しいと一貫して報じていた。僕たちは法案賛成の運動を続けていたんですが、賛成派の存在を報道しないばかりか、街頭のインタビューでも反対意見ばかりを流すので不快でしたね。高須クリニックの高須克弥院長 番組の中で誰かが少数意見を大事にしろと言っていた記憶がありますが、国会の中で少数の野党の話をよく聞けと言われて衆参両院で200時間も審議時間を費やしておきながら、1億人の国民の中で3万人程度の一般大衆がデモをやっただけで「これが国民の総意だ」と主張することに納得いかないですね。僕は賛成デモに行きましょうと言っただけで、動員したわけでもないのに参加者が500人ぐらい集まりましたし、デモをニコニコ動画で生中継したら1万5千人のユーザーが参加して、一斉にコメントしてくれましたよ。ニコ動の中継に集まってくれた人たちはサイレントマジョリティーだけど、全員動員できたらいい勝負になっていたはずでしょう。意見はあっても沈黙を守っている人はすごくたくさんいるはずなのに、報ステが反対デモについて「見たこともない大きい規模です、法案を通していいのでしょうか」と報じているのを見て、気分が悪くなりましたよ。 スポンサーを降板すると決めたときも、ちょうど9月末の番組改編時期に重なって契約が切れるタイミングで、そのままにしておくと自動更新されてしまうし、途中降板するのも失礼な話だと思っていたので「よしっ、これで降りる」と決めた瞬間にツイートして、すぐに広告代理店に連絡しました。本当に降りちゃいましたから話題になったんですけど、「次期からは付き合わない」と宣言しただけなので、ほんの1秒のつぶやきであんなに大騒ぎになるとは思っていなかったですよ。前から僕は安保法制に賛成で、日本国民がみんな法案に反対だというSEALDsの皆さんのような主張に異議を唱え続けていたので筋は通っていると思いますよ。 ツイッターでは以前から「なんで古舘の応援なんかするのか」「なぜ報ステのスポンサーを続けるんだ」といったお怒りのツイートもいっぱいいただきましたが、スポンサーは番組の内容に文句を言うことはしてはいけないし、スポンサーをやっていることの何が悪いと彼らの意見を突っぱねていたのですが、今回は僕が安保賛成デモに先頭に立って旗を振っている最中、我々のような存在を無視した報じ方をしていた。だから僕はテレ朝に番組内容について直接文句を言って圧力をかけたわけではなくてスポンサーとして報ステは気に入らない。失望したから降りるよ、と伝えただけなんです。 古舘君は30年来の付き合いの友達で、いろいろな意見を広く取り入れるのが上手いインタビューの名人だと思っています。僕は古舘君がテレ朝の中で孤立しつつあるという話を聞いていましたので、彼への応援の意味で自分から手を挙げるかたちで1年間スポンサーを続けました。しかし、安保法制の報道が一番盛り上がっているときにも報ステの報道姿勢は変わらなかったので僕はもういい加減にしてくれと思いましたね。だけど古舘君個人については何か言いたかったわけではありません。 でも古舘君は心にもない報道を押し付けられたわけではなく、現場にいるうちに安保法制に対して信念を持って反対を唱えるようになった可能性はあるかもしれません。でも僕は彼の意見に水を差そうとは思いません。現に僕が付き合っている西原理恵子とは意見が違いますし、政治の話をするとケンカになるので、食事の時間には政治の話題は抜きにしようと決めて仲良くしています。ただ、スポンサーがこの番組が好きじゃないからと降りるのは当たり前で、僕がしていることはどの企業でもやっていると思います。ただ理由をはっきり伝えると反対側のお客さんを失うのが怖いので、理由を言わずに黙って降りていると思うんですよね。 実は僕はカッとなってスポンサー降板することが以前1度ありました。以前東京MXテレビの番組で一社提供をしていて、レギュラー出演していた西原が生放送中に不規則発言をしたことで、番組降板を言い渡されたことがありまして、報復じゃないですけど来週から提供はしないとMX側に宣言したら、契約期間中だから広告料は払っていただきますし、コマーシャルは流させていただきますと言ってきたんですよ。だからお金は払うけど流すなと言ったら、コマーシャル枠を差し替える機能がありませんと言われた覚えがあります。 僕は報ステの番組の作り方には不満はありましたが、イコールテレ朝の体質だと思ってはいません。テレ朝や朝日新聞の中にも僕と同じ安保法制に賛成の意見を持っている人はいると思うんですよ。だから報ステを降板した分の広告予算で10月から「TVタックル」の番組提供を始めています。テレ朝は以前不祥事が起きた時に自局の番組で社長の批判をいっぱい言っていたと記憶していて、わりと独立性のある会社と思っているので、報ステとは反対の意見を持った番組が出来る希望も持っています。 とにかく1回だけの放送事故ではなく、少数意見を潰して強行採決していくという一貫した報道スタンスで安倍政権を批判していたのでいい加減にしろよと思ったわけです。でも僕が降板してから、報ステは急にみんなの意見を取り入れるようになったと感じてるので、もっと早くやれよと言いたいですね。 でももし「番組をもっと中立的にしないとスポンサーを降りるぞ」と言ってしまうと番組への圧力となってしまい悪いことですから、ギリギリのタイミングで「番組に失望したから降ります」と告げたのは究極の紳士的な対応じゃないかと思いますね。(聞き手 iRONNA編集部・松田穣)

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    「報ステ」川内原発報道 不適切編集に至った「反原発」の心理

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 昨夜、テレビ朝日の「報道ステーション」を見ていたら、古舘伊知郎キャスターが九州電力川内(せんだい)原発の「合格証」交付について10日に放映した同ステーションの番組に「大きな間違いがあった」として訂正して謝罪、画面に向けて深く頭を下げていた。 これは原子力規制委員会が「同番組に事実誤認と意図的な偏向編集がある」として訂正と謝罪を要求した結果だ。私はたまたま10日の同番組も見ていた。その時の内容はこうだ。<記者A:火山に対する予測であるとか、影響に関して非常に多くの批判がありましたけれども。記者B:現在の科学の知見をねじ曲げて、これで審査書を出すと、これはいわゆる安全神話の復活になるということは言えないでしょうか。田中俊一委員長:答える必要がありますか?なさそうだからやめておきます> 見ていて、なんとも高飛車な人だなあ、と感じさせた。エリート意識に凝り固まり傲慢で唯我独尊、上から目線でしか庶民を見ていない。そんな印象である。実際、田中委員長の過去の発言にはそう思われても仕方のない点がしばしば見られた。だから、「やはり」「またか」と思わせたのだ。 だが、これは「意図的な偏向編集」だった。規制委員会のホームページとテレ朝の12日の訂正番組によると、実際のやりとりはこうだった。記者会見する原子力規制委の田中俊一委員長=2015年7月15日午後、東京都港区 <記者A:今回、川内原発の審査書に関しては、大きく火山に対する予測であるとか、影響に関して、非常に大きな批判がございましたけれども、この辺については、当初から予測されていたものなのか、それとも全く想定外の批判であったのか。田中委員長:火山については、今回、新しい規制の中で初めて火山の影響というのを取り入れたわけです。それについて、きちっと評価をしていって私どもとしては、川内については、火山の影響というものは運転期間中には及ばないという判断をしつつ、かつ、自然現象ですので、未確定というか、絶対という言い方はできませんので、モニタリングをしながら、その対応についても、安全確保の面できちっと心配のないようにしようということを取り組むことにしました。(中略)記者B:火山についてお伺いします。東大の藤井先生や中田先生の主張に基づけば、分からないことは分からないというスタンスもとり得たのではないでしょうか。あとは判断を政治に委ねるとか、そういうこともできたように思うのですけれども、いかがでしょうか。田中委員長:そういうお考えの方もいるでしょうけれども、私どもとしては、判断は、今、持っている知見に基づいて行ったということです。藤井さんとか中田さんが言っている、分からないというレベルは、多分、ハマダさんが理解している、分からないということとか、予測できないということとは意味が違うのだと思います。記者B:いや、そんなことないです。中田先生に、川内原発運用期間中にカルデラ噴火が起きるかと聞いたら、ないと思うとおっしゃっていました。私もそう思っています、はっきり言って。だけれども、それはそれとして、科学に基づいて審査書を出すのであれば、やはりそこは分からないと言って、残余のリスクについては政治に任せるという方が、かえって原子力規制に対する信頼が増すのではないでしょうか。これは別に川内の例だけではなくて、今後の審査にも影響しかねない話だと思うので、これだけ問題になっているという点もあると思うのですけれども、いかがでしょうか。田中委員長:今、おっしゃったように、姶良カルデラの噴火はないということで、私どもの判断したのは、原子炉の運転期間中、今後、長くても30年でしょうということを私は申し上げているのですけれども、その間にはないだろうという判断をしたということなのです。だから、単に分からないと言っているわけではないのです> この後、記者Bが同様の質問を繰り返して、食い下がったので、田中委員長は「答える必要がありますか。なさそうだから、やめておきます」と質疑を打ち切ったのだ。  10日のテレビでは田中委員長が回答していた部分をすべてカットしたので、高飛車で傲慢な印象を与えたのである。12日の番組はこのカット部分を放送し、謝罪した。 田中氏の発言とかけ離れた編集のひどさに、原子力規制委員会は翌日のホームページで事実経過を流し(本文もそれに基づいている)、「不適切だ」と批判した。 親会社の朝日新聞社が「吉田調書」「従軍慰安婦の強制連行」の誤報で、謝罪し、木村伊量社長が辞任を約束した当日での規制委員会の「抗議」である。テレ朝幹部は震え上がったに違いない。早急に訂正と謝罪をしなければ、自身にも火の粉が降りかかってくると。 朝日新聞が「炎上」していなかったら、テレ朝はこれほど迅速に謝罪に動いていただろうか。  もともと朝日新聞及びその系列下にあるテレ朝は反原発の編集方針だ。その方針に都合の良い事実を大きく取り上げ、不都合な真実は小さく扱い、時に無視する。それが嵩じると、意識的、無意識的に事実を意図的に捻じ曲げる方向に動いてしまう。 私も景気予測や企業経営について新聞記事や雑誌記事を書いてきた記者だったから、わかる。方向性の明確な歯切れの良い記事にするには都合の良いファクトを強調して書き、方向性に合わないファクトを小さく扱うか、無視しがちになる。 もとより不都合なファクツの発見がふえると、修正せざるをえない。その健全な判断力、修正意識を失わないことが大切だが、思い込みが激しいとしばしば視野狭窄状態となり、後で内心忸怩たる思いに至ることがあった。 とりわけ、新聞社全体の方針が例えば「反原発」となると、軌道修正は容易ではない。 東京電力福島原発の吉田昌郎所長(当時、故人)に事情聴取した「吉田調書」の誤報もそうした反原発の大方針のもとで生まれた。 テレ朝は10日のテレ朝番組についても編集の仕方のミスで、意図的な偏向はなかったというだろう。 だが、私は疑っている。反原発という大方針のもと、半ば意識的、半ば無意識に番組内容を作り上げてしまったという疑いだ。事実を捻じ曲げることへの贖罪意識はある。その意識を消し去って行動に移すときの心理状態はこうだ。 <事実を捻じ曲げてなんかいない。だって、我々は田中委員長がしゃべった映像をただ流しているだけだ。放送時間は限られているから、冗長な部分をカットしたにすぎない> でも、あまりのひどさに今回は修正せざるをえなかったということだろう。 ただ、朝日新聞もテレ朝も慰安婦問題について誤報はあったにせよ今も、「基本的な記事の方向性は間違っていない」という姿勢だ。反原発方針も同様だろう。 だから、朝日への批判を怠れば、これからも不都合な真実に目をつぶり、自分に都合の良い点を誇張、歪曲して報道する姿勢は続くと見た方がいい。 「ゴホン!といえば龍角散」というCMになぞらえれば、ゴホウといえば朝日新聞。 そう心得て、朝日の誤報を追及する姿勢を緩めてはならない。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2014年9月13日分を転載)

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    悪辣なテレビショッピングと化した古舘伊知郎と「報道ステーション」

    八幡和郎(徳島文理大学教授、評論家) 「報道ステーション」など左寄りのジャーナリズムは自分たちをリベラルと称したがる。しかし、それは世界的な常識から著しく外れているということを近著「誤解だらけの平和国家・日本」(イースト新書)でも書いた。 リベラルは英国の政治用語で、保守と社会主義に対する概念だ。保守が伝統的なキリスト教道徳、身分制度、自国利益に固執するのに対し、市民的自由、市場経済、国際主義などを主張し、社会主義が台頭するとそれとも対立した。 一方、大陸では右派・左派という分類を好むが、日本の公明党に似たキリスト教民主主義などとともに中道派の一形態としてリベラルが存在する。 戦後は穏健保守と社会民主主義が二大政党というのが普通になったが、近年ではサッチャー的な保守強硬派が台頭する一方、ブレア元英国首相らにに代表される市場経済重視の社会・自由主義(ソーシャル・リベラリズム)の流れが成功してフランス社会党(ヴァルス首相)、ドイツ社民党(シュレーダー前首相)、イタリア民主党(レンツィ首相)でも強くなっている。ただし、これは党内左派から社会主義でなくリベラルだという悪口として使われる呼び名だ。 反社会主義が国民的コンセンサスになっていて、小さな政府を実践しているアメリカでは、人権擁護、貧困救済などに力を入れて公正さを重視すべきであり、外交ではハト派だというオバマ大統領やケリー国務長官など民主党左派あたりがリベラルと呼ばれる。 欧米での使い方を最大公約数的にいえば、社会主義には否定的だが、アメリカ的な小さな政府よりは、ヨーロッパ的な緩やかな福祉社会をベターだと思うような傾向をもってリベラルと理解すればいいのではないか。また、愛国的であるとか、君主制を支持してもリベラルでなくなるわけでない。 私自身もだいたいそんなところが妥当だと思っているから、ヨーロッパ的には社会自由主義、アメリカ的にはリベラル、日本人としては勤皇派だから愛国リベラルといったところだ。 日本では自民党で池田勇人や三木武夫の流れをくむ人をリベラルということがあり、これは欧米での使い方に近いし、現在の民主党の穏健派も同じ範疇に入る。公明党は政策的にはリベラルと共通するが、宗教系政党はリベラルとはいわないのが伝統的な用語法だ。 ところが、日本ではむしろ極左がリベラルを名乗るから困る。日本の自称リベラルは、極端な環境規制、経済成長軽視と高い税負担拒否と福祉充実、自国の歴史の否定と中韓などの国粋主義への迎合、日米の防衛力整備への反対と周辺国の軍国主義化への無警戒、世界のリベラルや左派が最も嫌うイスラム過激派へのエールなど思想的には支離滅裂である。 どうも、自民党政権とかアメリカといった嫌いなものが先にあって、それが嫌がることはなんでも応援するという発想と、どういう国をつくるかへの無定見とが際立ち、非常にユニークな極左(左翼のうち非現実的な反体制思想をいう)というべきだ。 一方、極右とは極端な国粋主義、特定の宗教思想の押しつけ、言論の自由への強い規制、経済統制などが特色だ。靖国神社に公式参拝するとかマスコミ批判したくらいでレッテル貼りしてはおかしい。 さらに、安倍首相まで極右扱いする自称リベラルがいるが、日米安保堅持、TPP推進の安倍首相がどうして極右なのか理解できない。外国軍隊の駐留や経済共同体の形成というのは極右が最も嫌う政策であって、それを支持する安倍首相は普通の保守派だ。 逆に「報道ステーション」にリベラル保守とか自称する学者が出て、「グローバリゼーションは国家主権の目減りで民主主義と相性が悪い」とかいい、古舘キャスターがしきりに頷いていたが、これはヨーロッパでは典型的な極左ないし極右の主張だ。 そこで、気がつくのは、東京の地上波テレビ局では、政府より右寄りの言論はほとんど封じられていることだ。安保法制と不可分の関係にあった戦後70年談話が論じられているとき、「報道ステーション」に出演した朝日新聞の記者が、「誰もが納得できる戦後談話を」といったので驚いた。それなら、日本人の保守派や李登輝さんのような親日的な外国人も納得しなくてはならないはずだ。 ところが、この記者にとっての「みんな」には、国内の保守派も海外の親日派も入らないようだった。自民党議員や支持者には保守派も多いが、現実に自民党政権の取ってきた政策は、野党への配慮や連立与党である公明党の意向を反映して中道左派的でリベラルなものだ。 当然に保守派には不満があるはずだが、そういう意見の持ち主はほとんどテレビ出演の機会も与えられないし、安倍首相の政策に不満が募っているという報道もされることがない。テレビで紹介されるのは、政府の政策とそれに対する左からの批判だけなのだ。 私はネトウヨもヘイトスピーチも嫌いだが、マスコミから排除されている保守派が目立つために極端な主張に走ることは理解できなくもない。彼らは極端な行動をして目立って初めて紹介してもらえるのだ。 個別のテレビ番組が左派的な傾向で構成されていても構わないと思う。大事なことは、さまざまな意見ができる限り広く紹介されることだ。そして、テレビ局の場合は、放送法でも中立性が要求されているのだから、個々の局全体として、あるいはテレビの世界全体としてはバランスが取れていないとすれば法の趣旨にも反する。 また、古舘キャスターがとくに批判を浴びるのも当然だと思うのは、極端な意見に相槌を打ってほかに正義はありえないと言わんばかりの誘導をすることが多いことだ。それは、かなりトリックに近いもので、テレビショッピングの番組のなかで悪辣なものでよく使われる手法に非常に似ている。

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    なぜか萎縮する古舘伊知郎たち

    テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎氏と元通産官僚の古賀茂明氏の番組内バトルが、「権力と報道」という大上段に構えたテーマになって尾を引いています。確かに大事なことなのでしょうが、この人たちってすぐに「圧力」とか「萎縮」とか、言いますよね。情けなくないですか?

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    古賀さんの降板に私が「もったいない」とつぶやいた理由

     テレビ朝日「報道ステーション」で、古舘伊知郎キャスターとコメンテーターの古賀茂明さんが、番組内で「バトル」を繰り広げたことが、大きな話題になった。ツイッターでは江川紹子さんや竹田圭吾さんが批判的見解を表明し、わたしもそれに賛同した。それに対して、藤原新也さんはご自身のブログ「Catwalk」で、降板騒ぎが起きてから古賀さんと数日間いっしょだったという知人から、江川、竹田、有田は「情けない」と電話で言われたと紹介した。藤原さんは古賀さんが官邸などの圧力があったことを示す根拠が弱いことを指摘しながら、「この古賀の発言を“私憤”と一蹴して、せっかくの問題提起を葬り去る動きは同意できかねる。なぜなら私はあれは公憤に見えたからである」と書いた。誤解のないように藤原さんの全文を読んでいただきたい。http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php なぜわたしは古賀茂明さんの言動に強い違和感を感じたのか。個人的なテレビ経験からそう思ったのだ。地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教が強制捜査を受けた1995年3月22日から、「ザ・ワイド」(日本テレビ系)が番組を終了する2007年9月28日まで、わたしは12年半にわたって、テレビに出演していた。とくに「ザ・ワイド」は、1993年の統一教会問題からの付き合いで、地下鉄サリン事件以降は、月曜から金曜までレギュラーで出演していた。キャスターの草野仁さんからは、人間的な挙措についてだけでなく、テレビ番組のありように関しても多くのことを教えられた。 「わたしたちの仕事は日雇いのようなものですよ」 草野さんが番組の合間に何度かわたしにこう語ったことは印象的だった。キャスターには年間契約があるが、基本的にはテレビ局の意向が最優先される。もう必要ないと判断されれば番組は終わるだけだ。ましてやコメンテーターに契約などなかった。そうした意味で「日雇い」仕事なのである。橋下徹さんが弁護士として「行列のできる法律相談」などに出演して活躍していたときのことだ。ある日、「ザ・ワイド」にコメンテーターとして出演したことがあった。ところが橋下さんが「ザ・ワイド」に登場することは二度となかった。何か発言に問題があったということではない。番組としてさらに出演していただく必要はないと判断しただけのことだった。テレビ番組とはそういうものなのだ。 ましてや番組の改編期に、ゲストコメンテーターの変更があるのは当り前のことだ。草野仁さんとの想い出でいえば、番組には草野さんとは国家観の異なるコメンテーターも出演していた。草野さんに思うところもあっただろうと推測したものだ。わたしとてイラク戦争当時は、草野さんとは意見を異にしていた。それでも自分の見解を表明するときに、草野さんをストレートに批判するようなコメントはいっさいしなかった。 視聴者はスタジオでバトルが行われれば画面に食い入るだろう。激論は「面白い」からだ。「ザ・ワイド」でもディレクターやプロデューサーから、スタジオでの「異論反論」といった見せ場としての議論を求められたこともある。しかし「ザ・ワイド」の場合は、「主張のある番組」を視聴者に届けたいという草野さんの強い思いがあった。では、なぜバトルを避けたのか。それは基本的スタンスとして番組を守らなければならなかったからだ。 「ザ・ワイド」はオウム特番で36・7パーセントという驚くべき視聴率をあげたこともある。現場ディレクターやリポーターの地道で精力的な取材をもとに、整理された素材をスタジオで調理し、視聴者に問題のありかを伝えていった。いわば草野仁さんを司令塔とする総力戦だった。多くの関係者が番組に愛情を感じていただろう。番組を継続させるのは、視聴者に対する責任でもあった。 わたしは古賀茂明さんが、問われてもいないご自身の降板について、ルールを壊してまで語り出す姿を見て、まず思ったことは、スタッフが可哀相だなということだった。生放送とは「干物」ではなく「生もの」だ。そうである以上、日々さまざまな問題が生じる。「報道ステーション」とて問題が山積しているだろう。それは現場スタッフがいちばんわかっていることだ。究極の問題は「報道ステーション」が続いた方がいいのか、それとも無くなった方がいいのかである。 「わが亡きあとに洪水は来たれ」――古賀さんの暴発は、番組に対する建設的批判などではなく、ごくごく個人的な、しかも確たる根拠も示すことのない、憶測による発言であり、番組とスタッフへの思いやりをまったく感じさせなかった。 中東問題を問われて、個人的な降板について語るべきではなかった。それを前提として、番組の別の局面で語る機会があったとしても、官邸などからの圧力があって古賀さんが降板されたのならば、それは明確な根拠を持って発言するべきだった。それが公共放送でコメントする者の最低限の責任である。藤原新也さんの指摘するように、古賀さんが「私憤」ではなく「公憤」で発言したのなら、そこには番組スタッフの「良識派」を鼓舞激励するような方法を取るべきだった。 おそらく民放キー局は古賀さんを生番組で起用することを今後は避けるだろう。古賀さんのようなキャリアを持ったすぐれたコメンテーターが、テレビ番組には必要だ。どうして「戦略的撤退」を甘んじて引き受けることができなかったのだろうか。わたしがツイッターで「もったいない」と書いたのは、そうした思いからだった。「公憤」ではないなどと言うつもりはない。「私憤」に見えてしまうだけでも古賀さんだけでなく、番組とスタッフを深く傷つけてしまったのではないだろうか。 自民党は昨年11月26日付で、「報道ステーション」あてに「中立」を要請する文書を福井照・報道局長名で出した。そこには衆院解散後の昨年11月24日の放送が「アベノミクスの効果が大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく断定する内容」と批判し、「意見が対立している問題については、多くの角度から論点を明らかにしなければならないとされている放送法4条4号の規定に照らし、同番組の編集及びスタジオの解説は十分な意を尽くしているとは言えない」とあった。 個別番組に対する要請はきわめて異例である。自民党には「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」とする放送法第3条などまったく視野にない。ここに自民党=安倍政権の強権的驕りがある。安倍晋三という政治家が番組内容にまで立ち入ることがあることは、これまでにもNHKに対して抗議したことなどでもよく知られていることだ。総理となったいま、安倍氏の意向はさまざまな回路で行使されているだろう。NHKでも深化している「忖度政治」が生まれる根拠である。視えるものもあれば視えないものもある。だからこそ「報道ステーション」をふくめて、テレビ局のスタッフは、萎縮することなく、政治からの介入に対して、硬軟取り混ぜて効果的に、断固として闘っていかなければならない。 「蛇のように聡く、鳩のように柔和に」(聖書)。

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    マッド・アマノが激白! 「生本番バトル」古賀氏が明かしたタブー

    当日、ランチで聞いた内実 番組プロデューサーの許諾を得ず、持参した“I AM NOT ABE”というフリップをやおら、手に持ちながら番組降板のてん末について語った古賀茂明氏。3月27日放送の報道ステーション(テレビ朝日系)出演最後に登場した古賀さんは古舘氏の制止を意に介さず持論を話し続けた。安倍首相を批判する古賀さんに対して首相官邸筋から陰に陽に圧力がかかった、と主張する古賀さんに対して古舘氏はあわてて、発言を遮ろうとした。 “生本番バトル”はネットやツイッターなどで場外乱闘となった。といっても、大方、古賀支持だが。著名なジャーナリストがテレビで「古賀さんはやり過ぎ」と批判していたが、果たしてそうだろうか。古舘伊知郎キャスター(左)と古賀茂明氏 実は、生バトルの放送日、3月27日の昼、私は都内某所で複数の人と古賀さんとのランチを共にし、「報道ステーション」の内実などを聞いた。安倍政権の圧力をものともせず番組を制作してきたプロデューサーを古賀さんは高く評価していた。そこで古賀さんはこう言った。「タブーは原発問題です」と。 元経済産業省の官僚だった古賀さんは退職後、執拗に原発と電力会社、政府を批判してきた。権力にとって古賀さんは限りなく邪魔な存在だった。古賀さんへの嫌がらせ・恫喝などがかなり頻繁にあったという。自宅玄関前に動物の死骸が置かれていたともいう。随分と悪質ではないか。いつものテレビでの淡々とした語り口と変わらないから余り堪えていないかに見えるのだが、良く考えてみれば酷い話だ。古賀さんの自宅前にはセキュリティーのための警察官が詰めているそうだ。経済アナリストの植草一秀氏の痴漢冤罪事件ではないが出来るだけ電車を利用しないほうが得策だ。“痴漢容疑”というワナにだけははまらないよう、くれぐれも気をつけていただきたい。パロディーに古賀氏は神妙 2月9日参議院議員会館と25日外国特派員協会で、古賀さんをはじめ憲法学者の小林節氏、作家の雨宮処凛氏、ジャーナリストの今井一氏らとともにとで「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」と題して記者会見を開いた。私も呼びかけ人の一人として参加した。声明の趣旨は《権力側の「圧力」が顕在化するケースが少なくなく、メディアや言論人らの「自粛」が進んでいることに大きな危惧を覚える》、というもの。声明を発表した事務局には言論人ら2500名、一般人2500名、合計5000名を超える賛同の署名が寄せられている。 私は言論弾圧のパロディーを作って特派員協会で公開した。それは、オレンジ色の囚人服を着せられ、口に布テープの猿ぐつわを付けられている古賀さんが「批評の自由 I am Koga」と書かれたフリップを持ち、その横に黒装束の男が今にも処刑せん、とするもの。顔は出さないが、袖口にABEの名があるから正体は安倍首相であることは誰にも分かる。初めて会場でこの作品を目にした古賀さんはにわかには笑みを浮かべず、複雑な表情を見せた。作品を手にした写真を撮ろうとした記者に古賀さんは静かに断ったらしい。安倍首相からのクレームを気にしたのではなく、その場の雰囲気から“茶化し”は不似合いと考えたのだと思う。 古賀さんの“降板騒動”はテレビの裏で言論弾圧が行なわれていることを多くの人々に想像させた。メディアから今後、声がかからないことを覚悟の上の勇気あるパフォーマンスを私たちはどう受け止めるべきか。 原発事故一周年の2012年3月11日に福島の現地から放送された特番「報道ステーションSUNDAY」での古舘氏のメッセージは傾聴に値するものだった。 原子力ムラという村が存在します。都会はここと違って、まばゆいばかりの光にあふれています。そして、もう一つ考えることは、地域で主な産業では、なかなか暮らすのは難しいというときに、その地域を分断してまでも、積極的に原発を誘致した、そういう部分があったとも考えています。その根本を徹底的に議論しなくてはいけないのではないでしょうか。私はそれを強く感じます。そうしないと、今、生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません。私は日々の報道ステーションのなかでそれを追及しています。もし圧力がかかって番組を切られても、それは本望です。 なかなか、勇ましいコメントではないか。しかし、古舘氏は番組存続のため「古賀降板」を受け入れた。「古舘・報道ステーション」が安倍政権の軍門に下るとするなら、もはや「生バトル」も想い出遠い存在になりそうだ。

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    “古賀れたテープレコーダー”は止まらない!

    古賀れたテープレコーダー 「電波の私物化」とはまさにこのことだ。 3月27日放送のテレビ朝日「報道ステーション」での蛮行だ。 その時の放送内容の文字起こしがネット上に公開されているので、詳細はそちらを参照頂きたい。http://news.livedoor.com/article/detail/9941821/ 「サウジ主導の空爆続く 緊迫イエメン“宗教対立”」と題したニュースの中で、キャスターの古舘伊知郎が、その日のコメンテーターであった元経済産業省官僚古賀茂明にコメントを求めた途端に、約10分間にわたるその電波ジャックは始まった。 「そうですね。ちょっと、そのお話する前に、あの私、今日が最後ということでですね」とニュースをぶった切った古賀は、滔々とまくし立てた。その内容たるや、サウジもイエメンも何の関係もない、自らの保身のための思い込みを垂れ流すだけの、ユーチューブやニコニコ動画のオカルト陰謀論動画でさえ裸足で逃げ出すようなシロモノである。 「菅官房長官をはじめですね、官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきましたけれども」 などという私怨を口角泡を飛ばして恍惚としながら自らのノンストップトークに陶酔している古賀にたまりかねた古舘が「古賀さん、あの、ちょっと待って下さい」と割って入っても、壊れたテープレコーダーは止まらない。二度目に「ちょっと待って下さい!古賀さん!」と怒鳴られてからやっと、キョトンとした顔で目をぱちくりさせた古賀れたテープレコーダーは「は、はい?」と異音を発生させようやく停止する。 ポンコツおもちゃが沈黙したことに安心したのか、古舘まで中東のニュースのことなんぞどうでもよくなってしまったらしく、古賀に畳み掛ける。 「今のお話は、私としては承服できません」「古賀さんは金曜日に時折、出てくださって。大変、私も勉強させていただいてる流れのなかで。番組が4月から様相が変わっていくなかでも、古賀さんに機会があれば、企画が合うなら出ていただきたいと相変わらず思ってますし」「古賀さんがこれで、すべて、何かテレビ側から降ろされたっていうことは、ちょっと古賀さん、それは違うと思いますよ?」 しかし、古賀れたテープレコーダーは、再び大音響でがなりたてる。そしてそれに大人気なく真っ向から組み付く古舘。もはやニュース番組でも何でもない。古賀「でも。私に古館さん、言われましたよね。私がこういうふうになるっていうことについて『自分は何もできなかった。本当に申し訳ない』と」古舘「はい。もちろんそれは、この前お話したのは楽屋で。古賀さんにいろいろ教えていただいてるなかで、古賀さんの思うような意向にそって、流れができてないんであるとしたら、大変申し訳ないって、私は思ってる、今でも」 なんと楽屋の裏話まで持ち出す仁義なき戦いだ。ところが腐っても古賀れていてもテープレコーダーだ。こんな禁じ手まで飛び出した!古賀「私は全部録音させていただきましたので、もし、そういうふうに言われるんだったら、全部出させていただきますけれども」 そう言ってテープレコーダーに睨みつけられる古舘も引き下がらない。古舘「いや、こちらもそれは出させていただくっていうことになっちゃいます、古賀さん」 なんと、ある意味関係者がお互いに信頼関係を醸成してお茶の間に質の高いニュース番組をお届けする準備をする場であろう楽屋で、両者がお互い不信感も隠さず録音をしながら会話、いや、バトルをしていたのだと暴露してしまっているのだから、異常である。 その後もテープレコーダーの暴走は止まらない。別のニュースに話題が移行しても、中東紛争の犠牲者や日本の政局なんぞのことはどうでも良いと思っているらしく、自分の保身のみに汲々とする。古賀「(報道ステーションの)プロデューサーが、今度、更迭されるというのも事実です」古舘「更迭ではないと思いますよ?」古賀「いやいや」古舘「私、人事のこと分かりませんが、人事異動、更迭…これやめましょう?古賀さん」 それでも古賀れたテープレコーダーは止まらない。そればかりか、思い上がりも甚だしく、自らをマハトマ・ガンジーと同一視しているのか、ガンジーの名言を記したフリップまで用意してきてこうまくし立てる。古賀「ただ、言わせていただければ、最後に。これをですね、ぜひ。これは古館さんにお贈りしたいんですけど。マハトマ・ガンジーの言葉です。『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである』と」「無意味」ではなく「有害」「無意味」ではなく「有害」 百歩譲って、テープレコーダーが公共の電波を私物化して喚いているオカルト陰謀発言が「無意味」な内容であるならば許そう。しかし、彼のやっていることは「無意味」なのではなく、「有害」なのだ。放送法にも明らかに抵触している。何も悪事を働かない普通の青少年に、万引きという犯罪を働く悪童が「オレサマがする万引きは無意味であるが、それでもしなくてはならない」などと言っているようなものだ。 古賀れたテープレコーダーはまだ止まらない。古賀「つまり、圧力とか自粛に慣れていってですね『ひとりでやったってしょうがない、ただ叩かれるだけだ』ということで、やっていないと、知らないうちに自分が変わってしまって、本当に大きな問題が起きているのに、気が付かないということがあるんですよと。これは私も、すごく今自分に言い聞かせていつも、生きているんですけれども。これは、みんなが考えていただきたいことだな、というふうに思っています。いろいろね、ちょっと申し訳ない、口論みたいになっちゃって。申し訳ないんですけれども、私が言いたかったのは、みんながやっっぱり、言いたいことはそのまま言おうと」 知ったこっちゃない。言いたいことがあるなら、法を犯して電波を私物化して喚くのではなく、ブログでもツイッターでもユーチューブでも、自由に使って一人でやるがいい。ところが古賀れたテープレコーダーにとっては、公共の電波を私物化できないことや、私物化に対して文句が来ることは、言論の自由の侵害ということになるらしいのだから、ただの幼稚な駄々っ子に過ぎない。 ところが、この異常な事件も、古賀れたテープレコーダーを持ち上げて反日に利用するサヨク勢力にとっては英雄的行為に見えるらしい。 例えば、反原発や反レイシズムを騙り全国で暴力テロや言論弾圧を引き起こしているサヨク暴力組織「レイシストをしばき隊」(現在は別の団体名を自称しているようだが、オウム真理教がアーレフだのひかりの輪だのと団体名を変えて摘発逃れを行っているようなものなので、旧称を用いる)は、設立者の野間易通がツイッターでこのように古賀を礼賛している。 「何の問題もないどころかすごいじゃんこれ。こんなもので電波の私物化とか言ってる竹田圭吾とかエガショーってほんとにジャーナリストかよ」 まぁ、図書館や書店に押しかけて脅し、自分たちの気に入らない本を排除してしまうという活動を行っている反民主主義テロ組織の言うこととしてはもっともというべきか。 その後古賀は、そうしたテロ組織や反日団体との結びつきを強め、各所で安倍政権批判を強めているが、そのような御仁が今まで週に一回とはいえ報道ステーションという公共の電波で反日陰謀論を垂れ流す「言論の自由」を与えられていたということ自体が異常である。そしてそうした異常な特権を与えられているサヨク勢力は、何も古賀一人ではないのだ。関連記事■ 卑劣なプロパガンダ「サンモニ」の正体とは■ くっだらねー! 猿芝居にイチャモンつけるクレーマーの正体■ 自らの過ちを省みぬサヨク・リベラル勢力の現状

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    森永卓郎氏 沖縄に米軍基地なぜあるかの解説収録ボツの理由

     『報道ステーション』(テレビ朝日系)でコメンテーターを降板することになった古賀茂明氏が「官邸の圧力があった」などとする発言が話題になり、リベラル派がTVから干されているとの説も出ている。多くの番組でコメンテーターを務める経済アナリストの森永卓郎氏に話を聞いた。* * *森永卓郎氏 私は、テレビやラジオに出る回数はまったく減っていない。現時点でテレビのレギュラーが4本、ラジオが8本あり、これに準レギュラーやスポットの出演を加えると、まったく休みがないほど働いている。ただ、問題は中身だ。かつて、頻繁に出演していた経済番組や討論番組への出演は半分以下になっている。 正直言うと、最近まで、私がリベラルの立場から発言する、あるいは政府批判をするので、干されているのだと考えていた。現に、私の周りで活躍していたリベラル派の論客、例えば森田実さん、落合恵子さん、鳥越俊太郎さんなど、才能にあふれて的確なコメントをする評論家たちも、テレビやラジオに出演する機会が減った。 また、安倍内閣がメディアを厳しく監視して、圧力を加えているという報道もなされている。ただ、私自身は安倍内閣から圧力がかかるということを経験していないし、テレビやラジオのスタッフに聞いても、評論家の選定に官邸が口出しをしているという事実はないようだ。それでは、なぜリベラルが干されているのか。私は、ニーズがなくなってしまったのだと考えている。 先日、文化放送の『大竹まこと ゴールデンラジオ』にゲスト出演した際、タレントの光浦靖子さんが私の相談に乗ってくれるという企画があった。私は、光浦さんに聞いた。「ボク、女性に全然もてないんですけど、何故ですか?」 光浦さんの答えはこうだった。「森永さんは、エロい匂いがするのと、“意見”を言うから嫌。例えば、池上彰さんだったら、世の中のことを分かりやすく解説してくれるから、一緒にご飯を食べに行きたいと思うけれど、森永さんの意見なんて聞きたくないもの」  光浦さんの返答は、ある意味で国民の声だ。国民が誰も論評を聞きたいと思わなくなってしまったのだ。ネットにすでに様々な意見が溢れるなか、わざわざテレビやラジオで聞きたいとは思わない。それよりも、世の中に遅れないように、分かりやすく、丁寧に教えてほしい。それがいまの国民のニーズなのだ。 その証拠に討論番組は視聴率が取れないから、どんどん減っている。一方、池上彰氏は、冠番組をいくつも持っている。池上氏の特徴は、やさしく解説するとともに、自分の意見を言わないということだ。いま求められているのは、意見ではなく解説なのだ。 リベラルが干されているという認識は、被害妄想だ。冷静に考えれば、干されているのは、右翼も同じだからだ。 いまメディアへの露出を増やそうと思ったら、一番重要なことは自分の意見を言わないことだ。ただ、私はそうしてまでテレビやラジオに出続けたいとは思わない。私は意見を言うために、出ているからだ。 もちろん、池上彰氏が売れている理由は、解説の能力が高いからだ。何年か前に「沖縄になぜ米軍基地があるのか」を解説するという収録があった。私はこう言った。「普天間にしろ、嘉手納にしろ、海兵隊の基地です。海兵隊は先遣部隊なので、そもそも日本を守る機能がありません。彼らが沖縄にいるのは、日本がアメリカに逆らった時に、真っ先に日本を占領するためです」。私の収録はボツになり、代わりに呼ばれた池上彰氏は、どこからも文句のこない、実にバランスのとれた解説をしたのだった。関連記事■ 紅白歌合戦 正月特番から大晦日に日程変更された意外な理由■ 元お天気お姉さん・甲斐まり恵の「アバンチュール」撮り下ろし■ さだまさしが愛をこめて描く深夜ラジオ小説『ラストレター』■ ヤ、ヤバ過ぎですって!甲斐まり恵 セクシーお姉さん衝撃撮■ 芸能界でもブーム広がるラジオ体操 永作博美やゆずも実践

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    NHKの化けの皮を剥がす

    先日、NHKの籾井勝人会長が受信料の支払い義務化に言及した。インターネットサービスの拡大を踏まえ、テレビのない世帯からの徴収についても本格的な検討が始まり、NHKの受信料増収計画は着々と進む。公共放送でありながら営利を貪るNHK。その化けの皮を剥がす。

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    スポンサータブーなしの責務を果たせ

    和田秀樹(精神科医・作家) 放送法のもとに受信設備を持つ者への強制徴収権を認められている代わりに、公権力(政府)からも、社会的権力(企業)からも距離をとることで表現の自由を確保するために設立されたはずのNHKが、その本来の機能を十分に果たしているとは到底思えない。とくに、スポンサータブーのある民放にはあまり期待できない「真実」を伝えるのがNHKの責務だと考えるが、それを放棄して国民に害を与え、国力の脆弱化をもたらしている現状は看過できない。NHKの一ユーザーという立場と精神科医としての視点から以下にNHKに対する所論を述べてみたい。「依存症社会」とNHK 精神科医として、スポンサーに逆らえない民間マスコミの姿勢にもっとも苦々しく思っていることは、「依存症」の危険のあるものへの甘い対応である。日本人は概ね依存症の原因となるものに対する認識が甘い。依存症状態になった人は、「意志が弱い人」という形で自己責任のようにみなされる。 覚醒剤のように依存性の強いものまで、再犯を重ねるタレントなどがいると、その意志の弱さばかりが問題視され、治療を受けるべきだという話になかなかならない。 精神科医の立場から言えば、人間の脳は、われわれが思う以上に脆い。ちょっと依存性の強いものに出会うと――例外はあるが――、かなりの確率で依存症に陥ってしまう。それがないと精神的安定が保てない、最悪仕事ができず、社会生活が営めないという状態に陥りかねない。 厚生労働省などの発表によれば、現在、日本ではアルコール依存症が約230万人、パチンコなどのギャンブル依存症が約560万人、インターネット依存が約270万人とされ、ニコチン依存症にいたっては約1534万人に及ぶと推計されている。 依存症は、ある種の薬物によって脳の神経伝達物質の異常分泌や機能変化が起こり、それより以前と同じ摂取量ではその物質によって得られるメリットが少なくなるので、その物質をさらにほしくなる、あるいは、それがない状態では、ひどい不快感が生ずる状態と考えられている。物質によって依存症を誘発する程度はさまざまだが、全米科学アカデミー医学研究所の推計では、使用人口に対し依存症になった人の割合は、ヘロイン23%、コカイン17%で、タバコは32%、アルコールは15%の人を依存症にするという数字が出ている。最近では、物質依存でなくギャンブルやインターネットのような「行為」に対する依存症も問題になっている。 これは、たとえばギャンブルで勝ったときの快感によって大量にドパミンのような神経伝達物質が出るので、前記と同じような脳のメカニズムが働くという説があるが、脳のソフトが書きかえられてしまうという説もある。人間は、躾や教育によって「我慢」を覚える。たとえば、ここで我慢して勉強を続けたら後で成果が出るというふうに今を我慢することで、未来を得るというプログラムが書きこまれる。 ところが、行為に対する依存症が生じてしまうと、そのプログラムが壊されてしまうのだ。要するに、目の前の快楽を我慢することができなくなり、それによって結果的に失うものが大きくなっても、後先が考えられなくなる。意志の力で我慢すればいいではないかといっても、意志そのものを壊されてしまう病気なのだ。実際、タバコにしても意志の力だけでやめられる人はそう多くないが、禁煙外来の力を借りればやめられるという例は少なくない。 依存症になると、きちんとした治療を受けない限り、なかなか治らない。現状の日本では治療施設が少なく、依存症が進行してからでは人生で失うものが想像以上に大きいという国民の認識も薄い。そこで依存症の予防が大切になる。依存症になりやすいものの危険性を啓蒙すること、依存症になりやすいものになるべく接触できないようにすることが必要なのである。 WHO(世界保健機関)はタバコに続いてアルコールへの規制を呼び掛けている。アルコールメーカーに対する広告量規制、若者への販売制限もしくは禁止、公的機関などによるアルコール広告の監視システムの開発などである。広告を契機に若者が飲酒を始めると、将来的に1~2割がアルコール依存になることの告知や、アルコール依存症の人が治療によってせっかく禁酒しているのに、それを阻害するようなCMは許さないという対応で、医師の立場からすればまっとうなものと言える。 日本の民放のCMは、WHOの呼びかけを無視するに近い状態だが、広告料収入に頼らないと経営が成り立たないことに多少の斟酌はできる(それでも公共の電波を安価で利用しているのだから、本来は規制されるべきだと考えるが)。しかし、スポンサータブーのない公共放送であるNHKが、こうした啓蒙活動に積極的でないのはなぜだろう。 ギャンブル依存に対しても同様である。ギャンブルは、接した際の依存性の強さは昔から認識されている。そのため世界の多くの国でギャンブル営業は禁止か、厳しい制限を受けている。勝手にギャンブル営業をさせると、国中がギャンブル依存症であふれ、阿片戦争前の中国のようになりかねないという懸念はけっして荒唐無稽ではない。ギャンブルは麻薬や覚醒剤と同じくらい人間にとって真っ当な人生を歩む上で大きな危険性を孕んでいる。個人の嗜好の問題である、という論点は承知しているが、それでも依存症に陥らせない対策は必要なのである。 たとえば毎日やっていると依存症に陥りやすいので、毎日はできないようにする。競馬や競輪が原則週末のみの開催になっているのはそのためだろう。外国でもカジノ営業を認める場合は大都市や首都圏から離れた地域でしか認めない。ラスベガスもマカオもモナコもみなそうだ。 日本でパチンコをギャンブルと思わない人はいないだろう。少なくとも換金した時点でギャンブルに当たるはずだ。パチンコ依存症の怖さは想像以上である。約1100万人のパチンコ人口で売り上げが19兆円(レジャー白書2013年度版)という巨大な規模は、約200万人の依存症が年間400万円以上を注ぎこむことでもたらされる数字だ。 パチンコが依存症になりやすいのは毎日営業し、都市部でも地方でもどこでもフリーアクセスだからだろう。精神科医で作家の帚木蓬生氏によるとギャンブル依存症の九五%がパチンコかパチスロがらみのものだそうだ。 もちろん、この危険はすでに認識され、隣国台湾では、首都台北市においてパチンコ禁止となり、韓国でも2006年にパチンコの換金を禁止している。それに引き換え、我が国ではパチンコ規制の世論は小さく、民放はパチンコの広告を垂れ流し、NHKも看板番組のひとつ「クローズアップ現代」でパチンコ依存症を取り上げながらも、依存症の危険性に対する認識は薄く、たとえば裁判員裁判が始まる際には、辞退を認めるアンケート調査結果のイラスト入り解説のたった三例の一つに、新台入れ替え時のパチンコ屋の店員を取り上げるというチグハグさである。 民放が不況のあおりを受け、多くの国民を依存症に陥れかねない広告に「依存」しているのであれば、公共放送たるNHKこそが、その危険を食い止める防波堤になってもらいたいと、一人の精神科医として私は強く願う。 私は、このような精神障害レベルの依存症の誘発だけが問題だとは思っていない。ご参照願えれば幸いだが、拙著『依存症社会』(祥伝社新書)で問題にしたのは、国の活力の衰退ということである。不況が長引き、国の債務が増えて将来への不安が高まると、国民は健全な消費を控え、貯蓄性向が高まる。すると、国民の消費の中で依存性の高いものの割合が増える。ワーキングプア状態の若者が、定額料金の施行前に携帯電話に月に10万円も使うとか、ネットゲームやアバターのようなものに月に10万円も使うなどがその例だ。 そうなると、テレビの広告においても、アルコールやタバコ、ギャンブルのような明確に依存症を生じさせるもののほかにも、携帯電話やネットゲームのような依存性の高いものの割合が高まっていく。しかし、そうした消費が増えても、健全な消費の割合は落ち込み、家電製品や自動車産業などの内需が落ち込んで海外依存が高まってしまう(これが間接的に中国などへの過剰な配慮の原因になり得る)。そして、健全な消費への広告出稿が減り、依存性の高いものの広告の割合が増えるという悪循環が生じる。その意味で、依存性への警告は国家経済にとって急務なのであり、スポンサータブーのないNHKこそが啓蒙の先頭に立たねばならない。学力低下とNHK 今でこそ、「ゆとり教育」は、前時代の遺物というふうに思われるようになったが、負の遺産は大きい。最近発表されたOECD(経済協力開発機構)の国際成人(学)力調査(PIAAC調査)でも、35歳以上の日本人の学力はトップを誇ったが、25歳から34歳では、フィンランドに抜かれ、16歳から24歳に関しては、数的思考力(おおむね数学力)の分野で、3位に順位を落とし、韓国に肉薄されている。 この調査は、大学の卒業が難しい国や生涯学習に力を入れている国の順位がふるわず、子供時代の教育が、大人になってからの学力に大きな影響を及ぼすことを予想以上に明らかにした結果だった。今後日本はさらに順位を下げるかも知れない。ゆとり教育の後遺症が将来に影を落とす可能性を示唆している。 ゆとり教育の前提となったのは、識者(多くは左翼的価値観の識者だが、厄介だったのは保守論壇の人でも、多くは受験競争や詰め込み教育に批判的だったことである)による受験競争や詰め込み教育への批判があり、それに世論が誘導され、むしろゆとり教育を歓迎する雰囲気が醸成されていったことである。 その大きな節目となった、あるいは、この手の批判にお墨付きを与えたのが、1983(昭和58)年にNHKで放映された『日本の条件─教育』という特集番組だという説がある。第1回放送は同年2月14日で、「何が荒廃しているのか 偏差値が日本の未来を支配する」というものだった。そこには、当時問題になっていた校内暴力をはじめ子供たちの諸問題、思いやりのなさなどが、すべて「偏差値教育」「学力・点数一辺倒主義」によるものと思わせるつくりがあった。 天下のNHKが、「大型番組」(NHK自らがそう名乗った)で、あたかも客観的事実のように、偏差値教育、詰め込み教育に弊害があると論じたのであるから、それを一般国民が素直に信じたのは想像に難くない。実際には、少子化のために受験競争が緩和されたり、ゆとり教育によって、子供の詰め込みの負担が減ったりしても、いじめ問題を含め、子供の心理的な問題が解決に向かったとはとても思えない。残ったのは深刻な学力低下と意欲のない若者の激増ではないのか。 さらに言えば、点数至上主義を廃すべく、1989年制定・92年施行の学習指導要領から観点別評価というものが導入され、ペーパーテスト学力が内申点の最低25%まで圧縮され、意欲・態度など教師による主観点が高いウエイトを占めるようになった。これは現在も続く評価方法である。 結論的に言うと、この時期と同時に、とくに中学校での校内暴力、生徒間暴力、不登校が激増した。客観的評価であり、努力によってある程度確保されるペーパーテスト学力と違い、教師の目で評価が決まるシステムはむしろ子供たちの心を蝕んだのである。 最近のNHKは、ゆとり教育批判のような番組を作ることもあるし、『テストの花道』のような受験学力を高めるバラエティ番組の制作も行っているが、かつては詰め込み教育や受験が人間性や創造性を歪めるという世論誘導に大きな一役を買ったことは猛省を促したい。 ついでに言うと、民放サイドの受験批判、優等生批判は、スポンサーの意向もあったのではないかと私は見ている。このような批判は70年代後半から急激に高まった。企業経営者の多くが、点取り秀才が創造性や人間性に欠けると批判を始めた。ところが、実際の採用では、東大卒をはじめとする偏差値秀才を優遇するという明らかなダブル・スタンダードが存在した。 ちなみにこの時代は、戦後の新興企業の創業者が息子に跡を継がせる時期と一致する。日本では、とくに中小企業では所有と経営が分離されていないために、創業者が自分の直系の子弟に経営を引き継がせることが多いが、多忙からか教育に十分な時間が割けないために子供に高学歴を与えてやれないというケースが少なくない。また、欧米ではあり得ない、その国を代表する有名私立大学に付属の小学校などがあるため、まったく受験競争を経験せずに、私大に進学するケースも少なくない。このような子弟の経営の引き継ぎを正当化するために、経営者が偏差値秀才批判の方棒を担いだというのは私の僻みだろうか。もし私の疑念が事実であったとすれば、民放は当然、スポンサーの顔色を窺い、受験競争や受験秀才の批判の片棒をかつぐことになる。ここでも、防波堤にならなければいけないNHKがそうならなかったことは、とても残念なことであった。超高齢社会とNHK 私の本業は、高齢者を専門とする精神科医であるが、NHK問題の大きな一つに、超高齢社会への視点、対応が欠けているということがある。もちろん、高齢者福祉や年金問題、あるいは、認知症の最新治療などに意欲的な番組を作ってはいる。ただ同時に、NHKの取材不足と権威主義が、日本の旧態依然とした医療システムにお墨付きを与えているという感も拭えない。 拙著『医学部の大罪』(ディスカバー携書)は、現代の大学医学部の問題点を批判的に考察した。いちばんの問題点は相変わらずの臨床軽視、教育軽視、研究志向であり、その考えに基盤をおく臓器別診療型の専門分化医学である。実際に大学病院に行くと、内科や外科という科は存在しない。あるのは、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、心臓外科といった臓器に特化した専門分化した診療科である。 人口構成において若者が多い時代にはこれは有効に機能した。若者であれば、一人の人間が複数の病気を抱えることが少ないから、一つの臓器の病気を専門的に診る専門医の存在はありがたかった。しかし、高齢者が人口の4分の1を超える現代ではそれが前時代的なものとなりつつある。一人でいくつもの病気を抱える高齢者の場合は、このような専門分化型の医療を受けると、複数科にかからなければならない。それぞれの科で検査を受け、薬物治療を受けるとなると、相当量の薬を飲むことになる。多剤併用は副作用が増えることは医学の常識である。また高齢になるほど薬の副作用が生じやすいことは高齢者を専門にする医師ならだれでもが感じることのはずだ。 だから、高齢者には一人の医師がすべての臓器を診て、薬も必要なものから五つくらいまでを選ぶことができる総合診療医のニーズが高い。実際、地域医療の盛んな長野県は、男性・女性とも平均寿命が全国1位であるが、一人当たりの老人医療費は日本最低で済ませている。 もちろん大学病院にも老人科はあるが、臓器別診療の発想が抜けないうえ、患者の平均年齢がせいぜい70歳代であり、往診もしたことのないような医師が教授を務めるところばかりだ。製薬会社との悪い噂も絶えない。そのため、老年医学会の専門医が少ない長野県は長寿で、老人医療費も安いのに、専門医が多い県は、短命で老人医療費が多いというパラドックスが現実に生じている。 こうした現実があるにも拘わらず、NHKは権威主義のためか、いろいろな番組で論文数の多さで選ばれたとしか思えない医学部教授を重用し、臨床の名医を無視している。この点では民放の人選のほうがはるかにましだ。人口の高齢社会化と逆行する医学部教授の重用は、NHKの権威主義を象徴するとともに、超高齢社会への認識の薄さ、その報道の悪影響は大きい。 もう一つ、NHKの編成が超高齢社会に逆行し、高齢者の老化を進めているという懸念もある。人口構成がこれだけ変わったのに、民放がスポンサーへの〝配慮〟から若者迎合が過剰なのは、コマーシャリズムの観点からはまだ斟酌できる。しかし、NHKまでが同様の編成をする必然性はない。まじめに受信料を払っている高齢者が、たとえば深夜帯に見る番組がないという憂き目にあっているのは承服しがたい。 職業人口も大きな変化を遂げている。農林水産業に従事した高齢者は少なくなり、現在は高齢者の多くがスーツを着て会社に行き、残業を重ね、接待や麻雀で「午前様」が当たり前の生活を送ってきた層になりつつある。これは首都圏や京阪神だけでなく地方都市でも似たり寄ったりだろう。要するに、高齢者が早寝早起きというのは一面的な捉え方で、宵っ張りの高齢者が増えているのだ。高聴取率を誇る「ラジオ深夜便」を放送するNHKがそれを知らないわけはない。 にもかかわらず、テレビでは深夜帯も若者に媚びた編成を続けている。独居高齢者、あるいはパソコン操作に馴染みのない高齢者には、テレビは今も社会とつながる生命線と言える。脳の老化予防のためにも、鬱の予防のためにも、高齢者に向けた健全な娯楽番組や教養番組を放映するのは、やはり民放にはできない、NHKの重要な責務である。 以上、NHKがしっかりすれば、今後の日本国の活力を少しでも高め(あるいは衰退から救い)、日本国民の幸福に寄与すると考えられる点を精神科医の立場から簡潔に列挙してみた。NHKは無視するだろうが、読者諸賢の一考に供し、少しでも共感が得られれば幸いである。 わだ・ひでき 昭和35(1960)年、大阪府出身。東京大学卒。精神科医。受験アドバイザー、映画監督等多彩な顔を持つ。初監督作の「受験のシンデレラ」はモナコ国際映画祭4冠。関連記事■ 亡国の巨大メディア、NHKは日本に必要か■ テレビがつまらなくなった3つの理由■ 女子アナというガラパゴス■ 女子アナ内定取り消し騒動「職業差別」論を嗤う

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    「みなさまのNHK」が泣いている

    反日偏向の報道が長年続いたかと思えば、会長が代わったとたん、今度は権力におもねる番組ばかりが流れる。公共放送として公平、公正に受信者の利益を考えるNHKでゴタゴタが相次いでいる。会長発言の波紋、経営委員の人事をめぐる憶測…。「みなさまのNHK」は一体どこへ消えたのか。

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    先鋭化する沖縄独立論

    元高校教師 本間一誠BPOに告発された「はるかなる琉球王国」 先月11月号の本欄において、9月3日にNHK総合で放送された「歴史秘話ヒストリア・はるかなる琉球王国~失われた南の島の記憶~」に触れた。その後、この番組内容が極端に偏向してゐるとして、沖縄の市民団体「住みよい那覇市をつくる会」(会長・金城テル氏)がBPO(放送倫理・番組向上機構)の「放送倫理検証委員会」への告発手続を執つたことを記しておかなければならない。この告発文は同会の支援者である江崎孝氏が、10月10日付の同氏のブログ「狼魔人日記」に掲載してをり、沖縄在住者でなければ知り得ない、本土にはなかなか伝はりにくい重要な情報を含んでゐるので、江崎氏の許可を得てここに全文を転載し、以てNHKの危険な情報操作を広く知つて頂きたいと思ふ。なほ、同会はこの事案について電波管理の管轄省庁である総務省にも通知してゐる。 《BPO倫理検証委員会殿 平成26年10月7日 住みよい那覇市を作る会会長 金城テル 告発趣旨 日本放送協会(以降NHK)は、平成26年9月3日歴史秘話ヒストリア「はるかなる琉球王国~南の島の失われた記憶~」を放送した。この内容は沖縄の史実を著しく歪めたものであり、現在係争中の住民訴訟の被告側を一方的に擁護するものであること、更に政治的な意図をもって制作された事は番組に登場する識者や久米至聖廟関係者を見ても明らかであることから、BPO放送倫理検証委員会の皆様に、問題番組の録画ならびに検証資料を御精査頂き適切な指導及び処分を要望します。 告発内容 一、平成26年9月3日歴史秘話ヒストリア「はるかなる琉球王国~南の島の失われた記憶~」を放送したが、番組内で数度に亘り登場させた一般社団法人久米崇聖会(以降崇聖会)が所有する久米至聖廟は、那覇市の公用地(市の公園)内に憲法二十条並びに八十九条の政教分離の原則を犯して建設されたものであろう事は、取材者であれば一目瞭然であるはずである。 二、また那覇市は、久米至聖廟の建設を平成23年から使用料の減免通知書の作成も無いまま、崇聖会に無償で土地の提供を行っていたことや、都市公園法第四条一に定める敷地面積の割合に違反していることも含め、現在係争中である。この事はNHKであれば、容易に知り得たはずである。 三、更に、清国と朝貢貿易をしていた琉球王府についての報道の中で、度々久米三十六姓の末裔とされる崇聖会の役員を登場させる場面では、史実を著しく偏向し、反日本政府や反基地の感情に導こうとする印象操作をしたことが強く疑われる。(詳細は検証資料にて) 四、番組作成について歴史学者として登場している琉球大学の豊見山和行教授は、共産党や福建師範大学との関係のある人物であり、大城将保氏は共産党員であることから、この番組の構成は、本年11月に予定されている沖縄県知事選挙に立候補を表明している翁長雄志氏の応援や氏の考え方を正当と印象づけるものとなっていると言っても過言ではない。(詳細は検証資料にて) 以上、放送法違反を告発するとともに、放送した「NHK」に間違いの撤回と謝罪を求める》止むにやまれず―NHKによる日本解体阻止 右は告発文の全文だが、これに添付された検証資料は、江崎孝氏が自らのブログ「狼魔人日記」に載せた9月23日付「NHK反日・偏向番組を糺す!」、同24日付「NHK反日・偏向番組を糺す! 司馬遼太郎版『琉球処分』」の記述を基にしてゐるので、興味のある読者はインターネットで検索して頂きたい。 検証資料が明らかにしてゐるのは、この番組は〈日本=悪玉、シナ=善玉といふ図式に基づく歴史観を視聴者に刷込む〉といふ意図に沿つて制作され、それに都合の悪い史実は全く切捨てられてゐるといふ事実である。検証資料から一例を挙げれば、番組では親シナ派「頑固党」の清への救援要請活動のみを英雄視して取上げ、大田朝敷ら、近代化推進の親日本派「開化党」の活動は全く無視されてゐる。また一例を挙げれば、明治四年の宮古島島民の台湾遭難事件と明治7年の台湾出兵、引続いてこの事件について清国と交渉した結果、琉球国の日本帰属が決定されたこと、この重大事がなぜかこの番組には一切出て来ない。以下、詳細は省略するが、江崎氏が右に上げた2点だけでも、史実を摘み食ひしたこの番組の偏りを衝くことができよう。 NHKは受信料に支へられた巨大組織としての驕りから、どんなことがあつても潰れはしないと思つて来たのだらうし、今もさう思つてゐるに違ひない。東京裁判史観に呪縛された反日偏向の報道をいくら批判されても、NHKの本心はどうせまた右翼が何か言つてゐる程度の認識ではないのか。GHQによる日本弱体化政策の広報宣伝を担はされて以来、骨絡みとなつた反日の自己検閲体質はそのまま温存され、未だに占領指令に従ひ続けてゐる。背後に外国勢力の影も透けて見えるが、容易にその暗部を剔抉することができない。 だがこの8月以来、2つの「吉田」問題による朝日新聞の凋落ぶりは、戦後の精神空間を支配してゐた第4の権力といふものが、根底の所で虚構の歴史と、それと一体の日本への嫌悪の上に成り立つてゐたといふことを、この上なく明瞭に国民の前に暴露した。時々ネットの「朝日デジタル」で「天声人語」を覗いて見るが、思はず苦笑することが多い。もう何を書いても負け犬の遠吠えにしか読めないのは自業自得と言ふべきか。朝日新聞への国民のこれまでにない広汎な批判はいづれNHKに向ふ。「住みよい那覇市をつくる会」がNHKに対して上げた声は、紛れもなくその一つの具体的な表れである。なぜ今、沖縄と本土が営々として築いてきた同胞としての歴史を殊更に歪め、相互の反目を煽るやうな番組を作るのか。なぜシナの脅威が迫りつつある今、それに目隠しをするやうな番組を作るのか。BPOがこの告発をどのやうに扱ふかは分からない。結果はともかく、止むに止まれず、NHKによる日本解体への強い危機感から行動せざるを得なかつたといふ事実が重要なのだ。やはり! ETV特集「沖縄・島言葉の楽園」 先月号でも述べたが、「はるかなる琉球王国」のやうな番組が制作される背景にあるのは、昨今沖縄の論壇やメディアに露はになつて来た「琉球独立論」である。沖縄県民も本土の人間も、多くはそんな馬鹿なと思ふ向きが多いだらう。しかし、これは決して一部の変人活動家が言つてゐるのではない。そこが怖いところなのだ。先日、沖縄県豊見城市在住の読者の方が、「琉球新報」の沢山の切抜きや、久米崇聖会創立百周年記念企画展「久米村~琉球と中国の架け橋」(県立博物館・美術館)のパンフレット、或いは「国立劇場おきなわ」の10月公演「史劇 首里城明け渡し」の宣伝チラシなど、目下の沖縄の状況を伝へる色々な資料を送つて下さつた。これは沖縄の現状を憂慮してのことである。すぐに電話でお礼を申上げたが、沖縄独立論や島言葉復興運動について、沖縄県民がどこまでその意味する所を深刻に受け止めてゐるのか、そこが分からない、そこが不安なのですとのことだつた。 送られた琉球新報の切抜きの中に「道標を求めて~琉米条約百六十年主権を問う」といふ連載記事があり、西里喜行氏、與那覇潤氏、阿部浩己氏、佐藤優氏、松島泰勝氏らが書いてゐる。また「佐藤優のウチナー評論」といふ連載もあつた。ひつくるめて言へば、日本政府による琉球併合以前に琉球は独立国として英米蘭と条約を結んでゐるから、強制による琉球併合は国際法違反であり、従つて沖縄の構造的差別を解消するためには、主権と自己決定権が認められ、回復されなければならない、とする主張で共通してゐる。直ぐか徐々にかの違ひはあつても琉球の自主権拡大、連邦化、やがては独立といふ方向を目指してゐることには変りがないやうだ。 久米島生れの作家・佐藤優氏は「ウチナー評論」でヤマトンチュに対する憎悪も露はに、「日本人の政治家の良識に期待しても無駄だ。なぜなら、その良識は身内である日本人内部にしか適用されず、外部である沖縄人には適用されないからだ。沖縄を軽く見る者に対して、我々は知恵を駆使して必ず報復する」(8月30日付)とか、スコットランドの住民投票に関連しては、「11月16日の知事選挙は、東京の中央政府に過剰同化する政治と訣別し、沖縄のアイデンティティー、自己決定権を確認する住民投票としての性格を併せ持つことになる」(9月13日付)とも述べてゐる。沖縄のメディアが毎日流し続けてゐる情報の危ふさ、凄まじさに改めて驚くばかりだ。 10月4日、NHK総合は11時から「ETV特集 沖縄 島言葉の楽園」を放送した。簡単に結論を言つておくと、これは「はるかなる琉球王国」の続編とも言へる番組で、この中では更にはつきりと、沖縄における島言葉の復興といふ動きの取材を通して、琉球独立、もしくはそれに向けての自治権拡大の主張を強く後押してゐた。先に記したやうな、沖縄のメディアが日々発信してゐる主張をそのままなぞつたのがこの番組である。沖縄県知事選挙も近い微妙なこの時期、やはり!といふ感じだつた。今後11月16日までの間、NHKはまた何らかの暗示的なメッセージを含んだ沖縄番組を放送するのではないかと懸念せざるを得ない。ともかくこの番組を見て、改めてNHKの余りに露骨な偏向姿勢と、番組に込められた政治的メッセージに、事態はここまで来てゐるのかと慄然たる思ひになつた。結局、琉球独立推進のプロパガンダだつた 1時間に及ぶ番組内容の紹介は省く。番組では、国連のユネスコが沖縄方言は日本語とは別の独立した固有の「言語」であると認めてゐると語り、また今年8月、国連の人種差別撤廃委員会も日本政府に対し、沖縄人は「先住民」であるからその権利を保護し、消滅の危機に瀕する言語を守るために島言葉での教育を推進するやう勧告したと述べる。沖縄県民は本土の日本人とは異なる「先住民族」だと聞けば、大方の日本人は異様の感に打たれるだらう。だが既に平成20年、「沖縄市民情報センター」などの人権団体から報告を受けた国連の人権委員会から、日本政府は同趣旨の勧告を受けたのだが、幸ひなことに政府はそれを問題にしなかつた。 人種差別撤廃委員会の委員には数多のNGOが資料を渡して陳情する。日本人活動家が提起して国連を巻込み、情報を世界に拡散し、その情報を殆ど鵜呑みにした国連機関の権威を以て日本政府に勧告する、といふ構図は慰安婦問題の「クマラスワミ報告」と全く同じである。今年、日本からは「人種差別撤廃NGOネットワーク」(連絡先「反差別国際運動日本委員会」理事長・武者小路公秀氏、副理事長・組坂繁之氏=部落解放同盟中央執行委員長)が同委員会に対し、国内の諸人権団体の勧告案を含む報告を取纏めたレポートを提出した。因みに理事の中には沖縄人権協会理事長・福地曠昭氏の名も見える。 レポートの8番目の項目に「琉球民族」があり、これを作成したのは「琉球弧の先住民族会 市民外交センター」なる団体だが、その報告書を読むと一貫して大和民族から琉球民族はいかに虐げられ続けたかといふ記述になつてゐて、とにかく尋常な文章ではない。その内容は昨年5月に発足した「琉球民族独立総合研究学会」(庶務理事・松島泰勝龍谷大教授)の主張と全く同じだ。先住民としての琉球民族の意思を決定するためには、現在琉球諸島に居住する人間の「所属民族」を確定し、その上で純粋の琉球民族のみで選挙を行つて代表者を決定し、日本政府と協議するなど、殆ど唖然とするやうなことが提言されてゐる。何を以て線引きするのか。最新のDNA解析結果を以てすれば琉球民族はみんな大和民族になつてしまふ。久米三十六姓の子孫の所属民族は何か。もしかしたら移住者ヤマトンチュは最下層なのか? まるで北朝鮮の「成分」ではないか。 現在の沖縄で奨励される島言葉復興運動も、実はこのやうな沖縄と本土を分断する、国連をも利用した国際的な謀略戦の深層から生じてゐるのであり、素朴な発想のお国言葉保存運動などとは訳が違ふことを理解しなければならない。「琉球民族」に関する報告の五番目に「琉球の歴史/文化及び言語教育」があり、このテーマに関はる問題として、琉球民族は〔a言語権の否定〕〔b独自の歴史・文化を学ぶ権利の否定〕をされてゐる状況にあることを挙げ、その「背景」を次のやうに述べる。「琉球語が消滅の危機に瀕する事となった最大の原因は、日本政府による同化政策と、第2次世界大戦中の沖縄戦における、琉球語の使用者をスパイとみなし、処刑するなどの強制と脅迫が大きく影響している」。そして「勧告案」として、・日本の教育において、大和民族以外の民族や文化に関する教科を設置し、大和民族の歴史や文化に関する教科と同時間数を配分すること。・先住民族の多く居住する地域では、当該先住民族独自の歴史、文化、言語教育の時間を作ること。 この驚くべき内容のレポートが日本のNGOによつて国連の人種差別撤廃委員会に提出され、それがほぼそのまま日本政府に勧告される。このやうに見てくると、NHKの「沖縄 島言葉の楽園」といふ番組は、日本人を大和民族と琉球民族とに分断し、琉球独立への布石を打つための特殊な一NGOのとんでもない提言と、またそれを是認する沖縄のメディアや左翼学者が醸成する空気に忠実に沿つて作られてゐることが分かる。こんな反日番組の制作に大枚の受信料が投じられていいものだらうか。終盤に至つていよいよ番組の狙ひは明らかになる。地方自治が専門といふ琉球大教授・島袋純氏が「島言葉の日」でもある9月18日、スコットランド独立の是非を問ふ投票日の現地をルポし、沖縄のあるべき姿をスコットランドの歴史と現在に求め、沖縄の「言語」の復興を、一時は禁止されたといふゲール語の復興に重ねる。普通はこれをプロパガンダと言ふ。 琉球独立とか自治権拡大を唱へる人はシナの脅威を言はない。チベット、ウイグル、内モンゴルがシナの民族浄化で今どうなつてゐるかを言はない。NHKもそれを言はない。言語に関して言へば「方言札」どころの話ではあるまい。国がしつかりしてゐなければ方言だつて守れまいに。 大事なことを付け加へておく。天皇陛下は素晴らしい琉歌をお詠みになる。この一事が沖縄方言は日本語から独立した言語だとの内外学者の、言はば極めて政治的な妄言を粉砕してゐる。報道されなかつたこと二題 都合の悪いことは報道しない。9月28日昼から29日夜にかけ、元社会党委員長、同衆議院議長、同社民党党首、土井たか子氏の死去(9月20日)を、NHKも民放も朝から晩まで山を動かした人とか言つて讃美一色で報じた。NHKはほぼどのニュースにも「今まで60年間戦争をしなかつたのは九条があるからであり、改憲を阻止する運動を展開したいと思つてゐる」と語る土井氏の同じ映像を入れた。これだからテレビは信用できない。九条を抱へる無防備な憲法があるから人も攫はれたのだ。折しも29日は瀋陽で拉致問題の日朝協議が行はれてゐた。パチンコ疑惑とは何だつたのか。人道の欠片もないこの独裁国家と通じて、拉致問題解決より米支援を優先し、終始拉致被害者家族に冷たかつたのは一体誰か。土井氏は責任ある立場にゐた公人中の公人だ。やたら褒めればいいといふものではないだらう。 嘗てNHKは沖縄の八重山地区での教科書採択問題については「ニュースウオッチ9」などがかなり熱心に報じた。あれは採択された育鵬社の公民教科書をNHKが問題視してゐたからだ。ところで福岡県柳川市教委幹部職員が、同市小中24校長に集団的自衛権行使容認反対の署名集めを要請した問題をNHKは報じたのだらうか。この幹部職員は反戦団体「戦争を許さない福岡県民委員会」(代表、組坂繁之氏)のネット上での呼びかけに賛同して署名集めを依頼したと報じられてゐる。市教委の組織的な関与の有無は不明なままだが、明らかに教育公務員特例法違反である。この件を最初に報じたのは、事後1カ月以上を経た8月6日付読売新聞筑後版だつた。その後続報なく、福岡県在住の年来の友人S君がこれではならじと産経新聞九州総局に働きかけ、同紙は8月29日、9月1日は「主張」で全国に報じ、やうやく広く知られるに至つた。因みにS君は福岡県の公立学校の教員として、強固な日教組支配の中で教育正常化に奮闘してきた。柳川市では中学校長を勤めたから、かの地の状況や空気は知悉してゐる。9月1日には柳川市議会において、緒方寿光市議が市長、教育部長に対し、徹底して事実関係を質し、口頭注意で済ませてゐたところを再調査するとの回答を引き出した。地方議員の行状が何かと話題になる昨今だが、かういふ使命感に満ちた人もゐて日本を支へてゐる。反戦団体や日教組の存在にも絶対に臆しない。柳川市議会のホームページを検索すれば、この時の緒方市議の粘り強い奮闘ぶりが見られる。民間団体「教育正常化推進ネットワーク」の側面からの活動もあり、10月1日の新聞各紙は関係者が懲戒や文書訓告などの処分を受けたことを報じた。この重要なニュースをNHKは報じたのだらうか。全国ニュースでは見た覚えがない。S君にNHKのローカルでは伝へたかと尋ねたが、報じたのを見たことがないと言ふ。多分2人とも見落としたのだらう。(10月17日) 本間一誠氏  昭和20年生。東京都出身。皇學館大学文学部国文学科卒。国語科教師として鹿児島県、千葉県、三重県の高校に勤務

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    知事選に向けての情報操作か! NHK沖縄番組の偏向

    元高校教師 本間一誠沖縄県知事選に向けての情報操作が始まった 足かけ4年に亘つて注視して来たNHK番組の中でも、特に関心を払つて見て来たのが沖縄関連の報道である。そこに、沖縄メディアと軌を一にした歪んだ歴史観、露骨な反日反戦の姿勢が如実に窺へるからだ。もう何度も書いてきたが、今回も沖縄関連番組に絞つて書くことにする。それといふのも来たる11月16日には、日本の将来にとつて死活的に重要な沖縄県知事選挙が行はれるからだ。これまでの報道姿勢から考へると、必ずNHKは、沖縄の被害者意識を一層煽るやうな形で、普天間基地の辺野古移設にブレーキをかけて来るだらう。そして、実際は大幅な規模縮小を伴ふキャンプ・シュワブへの「移設」なのに、殊更「新基地建設」反対と言ひ募る勢力、或いはシナの意を迎へる「龍柱」建設を推進してゐる那覇市役所内外の反日勢力の後押しをするに違ひない。実際、それはもう露骨に始まつてゐる。本土と沖縄の分断を図るNHKの情報操作は、既に随分早くから始まつてゐるが、今後は11月の県知事選から来年の敗戦70年に向け、一層その傾向に拍車がかかるのではないかと思ふ。 NHKが沖縄県知事選挙の争点を、敢へて辺野古移設の是非に持つて行きたいことは明白だ。さりげなく印象操作を始めてゐる一例を挙げておく。8月14日は基地移設作業のため、名護市の辺野古沿岸で関係者以外立入禁止を示すブイの設置が開始された日だつた。この日、「おはよう日本」は制限水域のブイ設置開始を報じ、無断で入つた場合は日米地位協定に伴ふ刑事特別法で検挙対象になることにつき、反対派の市民グループから抗議活動を抑圧するものだとの批判が出てゐることを伝へた。その日の夜7時半から75分にわたり、「コロッケぱらだいす・ごきげん歌謡笑劇場~夏休み!沖縄・名護スペシャル」なる娯楽番組を放送した。内容は出演者らによる地元紹介や歌、名護を舞台にした他愛のない人情笑劇ではあつたが、全国数多の市町村の中で、わざわざこの日に名護市である。どうにも素直になれない。余り意識の高くない視聴者の意識を名護市に向ける効果はあつただらう。こんな穏やかで平和な所に、無理に海を埋立てて基地を作るなんて、といふ訳だ。 この番組のすぐ後、「ニュースウオッチ9」はボートやカヌーで抗議する「市民グループ」と海保の睨み合いの状況を映し、キャンプ・シュワブ前で「新基地反対」のプラカードを持つて、移設反対の拳をあげる人々の抗議風景を映す。更に沖縄戦の聞き取り活動をして来たといふ「辺野古区民の会」のN氏が、「政府のやり方には憤りを飛び越えて涙も出ない」とか「戦争が起きると真先に狙はれるのは基地がある所。辺野古住民も先の大戦で68名犠牲になつてゐる。基地建設は何としても阻止」などと語る。この理屈で言へば国中丸腰でゐるのが一番安全といふことになる。実情はキャンプ・シュワブのある地元辺野古住民の殆どは移設容認なのだが、結局その声は全く報じられなかつた。お笑ひ娯楽番組と軽く見てはゐられない。かういふニュースの合間に何げなく名護市で催した娯楽番組を嵌め込めば、ある種の宣伝効果はあるだらう。心理戦の手本ではある。基地移設反対を煽る「時論公論」は放送法違反 辺野古移設報道に関してもう一つ挙げておく。9月13日の「時論公論~説明置き去りで進む辺野古移転」(西川龍一解説委員)である。最初から「辺野古沿岸部で準備作業が本格的に始まつて1カ月。この間、移設に反対する人達の抗議活動が継続する中、現場の作業は進み続けてゐる」と、専ら反対派と同じスタンスで語る。西川氏のこのコラムを手短に要約すれば、昨平成25年暮に仲井眞知事が埋立申請を承認したが、その後も反対派の抗議運動は続き、宜野湾市や名護市の民意も移設反対が圧倒的に多い。国は住民が求める負担軽減とは何かに耳を傾けよ、といふ内容。 西川氏は、制限水域を示すブイ設置後の8月23日、埋立地に隣接するキャンプ・シュワブのゲート前で「三千六百人の大規模な抗議集会」が開かれ、その後も移設反対の抗議活動が続いてゐると言ふ。氏は平成24年10月23日の「時論公論」でも、同年9月9日の「オスプレイ配備反対県民大会」を取材し、実際集会を見てゐるのに10万人を越える人が集まつたと述べた。公安筋の情報では約2万人。西川氏は主宰者発表の大嘘をそのまま伝へた訳だ。今回も全く同じで、3600人といふのは主宰者側発表の数字で、翌日の「沖縄タイムス」1面にもでかでかと載つた。 しばしば引用する沖縄発のブログ「狼魔人日記」(管理人・江崎孝氏)によれば、キャンプ・シュワブのゲート前はせいぜい入つて千人程度、当日もそんなものだつたらうとのこと。放送法四条三は「報道は事実を曲げないですること」と明記してゐる。事実とかけ離れた誇大な数字で、反対集会が盛り上がつたと印象づけるのは放送法違反だらう。自分の目で見よとは前にも書いた。 普天間基地移設問題を考へる時の大前提は、日本の存立にとり、現在も将来も沖縄が持つ地政学上の絶対的な重要性は変らないといふこと、そして、普天間基地の危険除去と北部振興、及び即応性ある堅固な国防体制の構築、これらを満たすには辺野古への移設しかないといふこと、この二点であらう。だが西川氏の解説は専ら基地撤去、もしくは移設反対派の立場に身を置いて己の心情を吐露し、政府は反発する地元住民に説明責任を果たせと言ふばかりだ。この稿を執筆中の現時点で、シナ海警の船が連続39日も尖閣諸島の接続水域を遊弋してゐる。時に平然と領海侵犯もする。西川氏はこの危機の常態化には全く言及しない。「クローズアップ現代」同様、実に奇異としか言ひやうがない。この厳しい現実を抜きにして沖縄の基地移設問題は論じられないではないか。沖縄県市議選――NHK出口調査結果に疑問 では西川氏自身は危険な普天間基地をどうせよと言ふのか、どうやつて沖縄や本土をシナの侵略から守れといふのか。それは語らず、次のやうに言ふ。「移設に肯定的な人の中にも、辺野古への移設は新たな基地機能の強化、基地の固定化であり、負担軽減には繋がらないのではないかと疑問を持つ人もゐる」と。移設容認派の人にも色々ゐるだらう。だがこの発言も西川氏の心情に沿つてピックアップされ、移設容認の人でさへかう言つてゐるとの印象操作をしてゐるとしか思へない。国外、県外への移設は不可能なのだから、西川氏のコラムの方向を延長すれば、結局残る道は移設の中止、普天間基地は閉鎖撤去といふことになる。既に工事に入つた現在、それはあり得ないことだが、安倍政権は民意を無視して移設を強行してゐるとのアピールにはなる。一番喜ぶのは心理戦、世論戦をしかけてゐるシナ共産党だらう。 西川氏は「抗議活動の根底にあるのは国への不信感」と言ふが、この番組に映つてゐる抗議活動をする人々をよく見よ。幟に記された言葉や団体名を見ても地元の一般住民ではない。県内外の左翼活動家か日当目当ての老人達である。例の辺野古テント村の住人と同類の人々であり、それを恰も地元住民であるかのやうに言ひなすのは殆ど詐術としか思へない。それはもう通用しない。西川氏は9月9日に現地取材し、「平日にも拘らず」反対派の人々が20艘ほどのカヌーでボーリング調査を止めろと訴へてゐた(映像あり)と共感の口吻で語る。普通の人間は平日には勤めがある。平日の白昼にカヌーで海保のボートに突つかかるのはバックがあるプロ市民でないとできまい。 どうしても疑義を呈しておきたいことがある。また数字の問題だ。このコラムで、9月7日の沖縄県市議会選挙に際し、NHKが宜野湾市と名護市で辺野古移設に賛成か反対かの出口調査を行つた結果を紹介してゐる。宜野湾市では反対68%、賛成32%、名護市では反対78%、反対22%であつたといふ。西川氏は負担軽減になる筈の宜野湾市でもこんなに反対が多い、これは移設が負担軽減、危険除去には繋がらないと見てゐる市民が多い結果だと言ふ。数字の印象効果は大きい。だがどうも変だ。宜野湾市(定数26人)では移設容認の与党15人は全員当選してゐる。名護市(定数27名)では選挙前に県外からの住民票移動が約1600人以上(「チャンネル桜」惠隆之介氏談)といふ異常事態の中で、移設反対、基地撤去を掲げる稲嶺進市長の与党14名が当選、公明党2名を加へ過半数を反対派が制したが、実は与党は前回より一議席減らしてゐる。宜野湾市の選挙結果とNHKの出口調査結果は、その数字が余りに乖離してはゐないか。また名護市への左翼と覚しき大人数の住民票移動が実際にあつたとすれば、それに言及しないのはフェアではない。出口調査はどのやうに行はれたのか。何より選挙結果が出たのに、今更出口調査の数字を詳しい分析もなしで強調することに強い疑問を感じる。これも印象操作ではないのか。「歴史秘話ヒストリア」は琉球独立工作だ 9月3日放送の「歴史秘話ヒストリア・はるかなる琉球王国~失われた南の島の記憶」はとにかく酷かつた。昨年、この「歴史秘話ヒストリア」が伊勢の遷宮を扱つた時も、根底に流れる反日史観に強い憤りを感じたものだつた(本誌昨年八月号)が、今回もまた同様の気分になつた。近年の東シナ海の海空の状況や、仄聞する沖縄への工作活動の浸透を考へれば、この番組は殆ど外患誘致、琉球独立工作を公共の電波を使つて堂々と実行してゐるとさへ思はれる。 冒頭のナレーションはこんな具合である。「日本列島の南に位置する沖縄の島々。嘗てここに琉球王国と呼ばれる独立国がありました。海を通じ、日本や中国をはじめ、アジアの国々と繋がつてゐた琉球は独自の文化を育んだ海洋国家でした。(中略)明治を迎へ、近代化を進める日本政府を前に琉球は存亡の危機に立たされます。強引に進められる日本への併合。さらには琉球を分割する計画まで。そんな中、琉球を守るために立ち上がつた若者達がゐました。時代の荒波に翻弄されながらも、必死に抗ひ続けた琉球王国の知られざる奮闘物語です」云々。冒頭のこの語りが簡潔にこの番組の内容を語つてゐる。 番組では、嘗て琉球王国はシナと日本といふ大国の間にあつて、その巧みな外交術と中継交易により大いに栄えたこと、幕末のペリー来航時には通訳の板良敷朝忠の巧みな交渉術で王国の危機を乗り切つたことなどが語られる。琉球王国はシナとも日本とも異なる独自の文化伝統を持つた平和で輝くやうな国といふイメージを演出する。日本の「琉球処分」がいかに理不尽な蛮行であつたかといふことを印象づける仕掛けである。 琉球王国の華やかな文化は冊封使節をもてなすところから生まれた宮廷文化であり、王族や上級士族の奢侈を支へた民衆は、重税と天災のために常時塗炭の苦しみの中にゐたことは全く語られない。明治になつても続いた宮古、八重山の過酷な人頭税のことや土地が私有できなかつたこと、農民には教育は施されず、従つて識字率がほぼゼロであつたことも全く語られない。それなのにひたすら琉球王国が美化されるのは、そこに琉球独立への情報工作が込められてゐるとしか思へない。最後のシーンで現れたCCTVの馬脚 番組中の「エピソード3~琉球を守れ! 若者たちの奮闘」が眼目の部分である。明治政府が派遣した内務官僚松田道之による「琉球処分」は、武力の威嚇のもとにいかに強引に行はれたかが語られ、明治政府の動きに抗して清国に救援を求めて奔走する幸地朝常らの活動や、救援要請の事ならずして自殺した林世功らは極めて同情的に語られる。特権階級だつた帰化人の子孫達が、琉球王国存続のために清国に救援を求める姿を過度に英雄的に描くのには強い違和感を覚える。全ては「琉球処分」によつて日本が独立国であつた琉球王国を滅ぼしたとの俗流左翼史観から来てゐる。 明治12年3月27日の首里城明け渡しの強制執行(但し一人の死者も出てゐない)、直後の四月四日の沖縄県設置布告に至るまでの過程を仔細に見れば、当時の東アジアの状況から何としても国境を画定して早急に近代化を図らなければならなかつた明治政府が、それでも能ふ限り琉球の処遇に配慮しつつ事を運んだことが見えて来る。この番組のなかで批判されてゐる清国との間の琉球分割交渉も、当時に戻つて様々な要因を丁寧に見なければ、大国の横暴であり明治政府は酷かつたといふだけの話になつてしまふ。事実、番組の印象はさうである。そんなに冷酷な政府なら、沖縄統治に当つて所謂「旧慣温存策」を長期に亘つて忍耐強く続けただらうか。改めて言ふまでもないが、「琉球処分」とは「廃藩置県」を推進する明治政府が、頑固に近代化を阻む独裁の「琉球王府」を解体したことであり、琉球の民衆をも何か専制的に処断したといふことではない。にも拘らず、そのやうな誤つた印象が意図的に振りまかれてゐることはこの番組に見る通りである。 「やがて日本語教育が徹底されて、本土との同化が進められて行きます。琉球王国は記憶の彼方に追ひやられて行きました」といふナレーションの後、この番組の最後に、今から30年前、帰化人の子孫が住む久米村の人々が祖先の出身地、福建省福州を訪ねて墓参した時の映像を流す。戦争中は敵国に通じる恐れがあるとして、久米村は厳しい監視下におかれたとの説明の後、ナレーションはこの訪問を機に琉球を救はうと尽した人々の功績を見直す動きが始まつたとも語る。更に現在の映像に戻つて、嘗ての久米村に昨年完成したといふ孔子廟(久米至聖廟)を映し、ここでも念入りに、琉球王国を支えた人々の歴史を再確認する場所になつてゐるとの説明を入れる。この廟の前でコメントをするのは「久米崇聖会」なる団体の男性。因みにこの至聖廟設置については、那覇市が特別な便宜を図つた疑ひがあるとして住民監査請求が出てをり、目下審査中である由。エンディングの映像は、空撮映像で首里城から普天間飛行場、更に駐機してゐるオスプレイと軍用機の地上映像を念入りに流して、最後は移設予定地の辺野古となる。ここまで露骨な反本土、反基地のメッセージを流すのは異常としか言ひやうがない。 制作統括・木道荘司、ディレクター・森下光泰とあるが、実際はCCTVが作つたに違ひない。笑えない「お笑い米軍基地」が好きなNHK 平成24年6月16日に「沖縄慰霊の日」関連番組として再放送された〈Eテレセレクション「基地を笑え~人気舞台で見る沖縄のホンネ」〉、今年7月10日にこれも再放送の〈プレミアムアーカイブス「笑う沖縄・百年の物語」〉をいずれも録画で見た。後者は最初に「嘗て沖縄は琉球王国と呼ばれ、アジアの海洋貿易で繁栄を極めた。しかし王国の富は四百年前、薩摩藩の武力によつて奪はれた。更に1879年、明治政府の侵攻によつて琉球王国は滅亡、沖縄は大日本帝国に組込まれた」とのナレーションが入る。先に述べた「歴史ヒストリア」と全く同じ琉球王国美化史観であり、これは則ち沖縄被害者史観、沖縄捨石史観とそのまま通底してゐる。NHKの流す沖縄関連番組には全て判で押したやうにこの歴史観が張り付いてゐるが、さういふNHKが今、贔屓にしてゐるのが沖縄で人気のコント劇団「お笑い米軍基地」であり、右の二つの番組にも登場する。主宰者は小波津正光氏。沖縄の中学や高校はこの劇団の公演を学校ぐるみで見せに行く。右の番組の中で、高校生が公演を見た後、女子生徒は「基地ハンターイ」と楽しげに声を上げ、男子生徒は「自分も米軍基地に石を投げたことがある」と言ふ。 この劇団は例へばこんなコントをする。題は「歴史教科書」。教科書の赤い表紙と黄の表紙に穴をあけ、それを顔にはめた夫婦が掛け合ひをする。教科書検定で集団自決への軍関与が削除されたことを風刺してゐるコントだと言ふ。黄の表紙には伊藤博文、聖徳太子、福澤諭吉の顔が見える。 赤「あなた最近変つたのね!」 黄「急に何を言つとるんか、お前」 赤「私に何か隠し事あるんぢやないの」 黄「ないよ、別に」 赤「嘘よ、あなた私に内緒で歴史変へたでしよ」 黄「変へてないよ、そんなもん」 赤「あなた、私が何か知らないとでも思つてるの。隣の奥さんに聞いたわ。あなた私に内緒で沖縄の歴史、変へたでしよ」 黄「ギクッ!」 赤「沖縄県の集団自決は日本軍の指示ぢやなかつた、さう書き換へたさうぢやないのよ」 黄「いやいや、それはその言葉のアヤと言ふか、ま、その…」 赤「ひどい! ひど過ぎるわ、あなた。結婚する時は事実だけを載せる、さう誓つたぢやない。ねえ、取消してよ、あなた。ちやんとした歴史、書き換へてよ。もう、バカバカバカ」 黄「うるさいなあ」(と蹴飛ばし、妻は転ぶ)  全く笑へないコントだが、NHKや日教組には受けるらしい。7月25日付の「八重山日報」に、この劇団が舞台で皇室揶揄のコントを演じ、そこに出演してゐた役者をCMに起用してゐた企業に市民から問合せがあり、その企業はCMを打ち切つたとの記事が載つた。NHK殿、それでもまだ贔屓にするのですか。(9月17日)本間一誠氏 昭和20年生。東京都出身。皇學館大学文学部国文学科卒。国語科教師として鹿児島県、千葉県、三重県の高校に勤務。

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    古舘伊知郎様 お尋ねしたいことがあります

    今夏発売された「AERA」誌上で、「報道ステーション」キャスターの古舘伊知郎氏が「口にさるぐつわをはめた状態で10年たった」「ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えない」などと自身の番組を含むメディア批判を口にした。

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    朝日の責任逃れのお先棒を担いだ「報道ステーション」

    サヨクウオッチャー 中宮崇(なかみや・たかし)「朝日が捏造して何が悪い!」 【アホの古舘】報道ステーション慰安婦特集反省会「朝日新聞は関係ない、日本は性奴隷20万人に謝罪を」 その日、ネット掲示板2ちゃんねるには、こんなトピックが立てられた。「要約 吉田証言は河野談話にもクマラスマミ報告にも影響を与えていない/強制的に連行したかどうかはもはや問題では無い。家に帰りたい女性を慰安所に管理していた事が問題だ/日本は20万人の慰安婦を管理し、殺戮した事をしっかりと受け止めて、韓国と仲良くしよう/これがTV朝日の結論です/酷すぎ」 まぁそういう番組であった。ネット民を大いに憤慨させたのも当然だろう。 報道ステーション(以下「報ステ」)である。ことの詳細について、「『吉田証言はでたらめだった』テレ朝・報道ステーションが朝日新聞報道を検証」と題する産経の報道を引用してみよう。  《テレビ朝日系「報道ステーション」は(9月)11日、朝日新聞の謝罪会見を受け、吉田証言や慰安婦問題に関する朝日新聞の報道について検証した。番組の中では、同局が平成3~5年の報道番組などで「慰安婦の強制連行」を証言した吉田清治氏を計5回、取り上げたことも明らかにした。キャスターの古舘伊知郎氏は「吉田証言はでたらめだったということが明確になった」と述べた。 番組では朝日の訂正内容を伝えたうえで、吉田証言が国内外に与えた影響を約40分にわたって特集。石原信雄元官房副長官や韓国外務省元幹部らへのインタビューを通じ、河野談話の成立過程や国連報告書(クマラスワミ報告)の内容などを伝えた。 古舘氏は特集終盤で「クマラスワミ報告に吉田証言が盛り込まれている事実はある。日本国内や韓国、国際社会への影響があった点を考えると、朝日新聞がもっと説明し、きちっと謝ることが大事だ」と述べた(以下略)》(14年9月12日) 武士の情けなのか、この産経新聞の記事は、報ステの姿勢に対して実に慈悲深い。そもそも、朝日新聞が慰安婦問題における吉田清治証言を虚偽であり記事は誤報であるとの訂正が8月5日の朝刊に掲載されてから9月11日に報ステがこの特集を放送するまで、実に37日が経過している。その間、各メディアが朝日の責任を厳しく追求する中で、報ステはこの大事件についてただの一言も視聴者に報じてこなかった。司会の古舘伊知郎は、この隠蔽や情報操作と言われてもやむを得ない呆れた番組の姿勢について、その意思決定者についても責任についてもひと言もなかった。古舘は、「『なぜお前は報道しない』と毎日頂きました。毎日取材を続けていました」と、プロの報道関係者とも思えぬまるで幼稚園児のような言い訳だけでお茶を濁し、追求逃れを図ったのである。 テレビ朝日が、報道機関にあるまじきプロパガンダ団体にすぎないことは1993年、テレ朝報道局長椿貞良が「なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」と発言した「椿事件」ですでに明らかだ。報ステの特集に呆れるというのも今更感はある。ジブリアニメ「天空の城ラピュタ」の登場人物である海賊のドーラに「当たり前さね。海賊が財宝を狙ってどこが悪い!」という名言があるが、さしずめ「当たり前さね。朝日が捏造してどこが悪い!」というところだ。 報ステが過去、「捏造」や「偏向」との批判を受けたことはまさに数知れない。07年9月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、実際の参加者数を数倍に水増しし「11万人が参加」と報じ批判を受けた際には、10月4日に古舘自ら「仮に2万人だったとして、なにがいけないんですかねぇ」と、反日のためなら嘘をついてもかまわぬとのまるで支那や北朝鮮そのままの恐ろしい本音を吐露している。 そもそも、この日「朝日新聞社長が謝罪会見 原発特ダネ記事を取り消し」とのトップニュースから始まった報ステは、朝日新聞の「ガキの使い」とでも言わざるをえない程度の杜撰なシロモノであった。社長の責任問題について古舘は「社長自身に関しては会社内の改革を終えた後に進退を決めるという〝ニュアンス〟を発表」などという戯言が登場する始末。社長への批判など一切なく、新聞社のトップとして責任をどう取るのかどうかの重大事を「ニュアンス」などという曖昧模糊とした言葉でごまかし、それを〝発表〟ともっともらしく取り繕う。とてもではないがニュース原稿とは言えない。2万人の参加者を11万人に水増ししたニュースも「ニュアンス」として垂れ流しただけだったのかもしれない。 08年、報ステの番組関係者が逮捕された際には、同年8月14日の放送で河野明子アナが「東京都内のテレビ番組制作会社の社員らが、社内で大麻を譲り渡しているなどとして逮捕されていた事が分かりました」と、身内が犯人であることを隠蔽して他人事のような態度を貫き通したことさえあった。政府や企業などの他人に対しては異常に厳しく雪印に至っては廃業にまで追い込みながら、自分や身内には甘いという卑劣な体質は、今に始まったことではないのだ。 大体、世間では「あの朝日新聞が、さらにはあの報道ステーションが謝罪した!」と驚く向きもあるようだが、事実は謝罪からは程遠い。報ステの「謝罪」にしても、朝日新聞の「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」との謝罪文を紹介した程度にすぎない。旧日本兵を強姦魔扱いし、旧日本軍を女衒か置屋であるかのようなプロパガンダを行ったことも、それによって日本人全体の名誉を傷つけ日韓関係を毀損したことにも、なんら謝罪していないのだ。 それどころか、特集中では、いわゆる国連人権委員会の「クマラスワミ報告」(1996年)で知られるスリランカ人の特別報告官ラディカ・クマラスワミにインタビューを行い、彼女のこんな主張を紹介しているのだ。 「吉田証言はほんの一つの証言にすぎません。独自に行った聞き取り調査などに基づき、慰安婦には逃げる自由がなく性奴隷と定義したのは妥当。報告書の修正は必要ありません」 つまり、朝日新聞の誤報など大したことではない、日本人が強姦魔だったという「事実」には何の変わりもないというわけだ。悪質! 印象操作を暴く このような、「ニュアンス」だけで日本を悪魔化し謝罪とも言えない言い訳とごまかしに終始した番組づくりについては多くの批判が出ている。「報ステ・古舘氏の『慰安婦検証報道』批判 論調は朝日が検証記事で主張した中身と同じ」と題した9月12日付のJ‐CASTニュース(ニュースサイト)でも、「番組の論調は、朝日が検証記事などで主張していた通りになっていた。番組では、強制連行があったとまでは言えないものの、広義の意味における慰安婦への強制性はあったということを繰り返し紹介していたのだ。古舘氏は、強制性があったとする河野談話を擁護する立場も明確に宣言しており、これに対し、ネット上では、慰安婦問題はどの国でもあったのになぜ日本だけが悪いということになるのか、などと疑問が出ている」と批判的に報じている。慰安婦問題を取り上げた朝日新聞の記事(手前が昭和58年10月19日付、奥が同年12月24日付)  報ステの謝罪や反省とは無縁な卑劣さは、古舘の「私としても、番組としても、元官房副長官である石原信雄さんの証言は非常に重いという立場を取っております。従って、強制的あるいは強制性と表現できる様々なことがあったという立場を取っております」という発言からも明らかだ。 特集中、「性奴隷」の「強制連行」を事実であると認定したクマラスワミ報告についてクマラスワミ本人の弁明を紹介しその正当化に加担したばかりか、その直後に93年のいわゆる「河野談話」作成に携わった石原のインタビューを持ってきて「最終的には慰安所の運営につきまして深く政府が関わっておったと、それから慰安婦とされた人たちの輸送とかについても政府が関わったと。輸送について安全を図ってほしいとかあるいは慰安所の運営について衛生管理あるいは治安の維持をしっかり頼むという趣旨の文書は出てきたわけですね」との石原の発言を取り上げた。そこに古舘は「強制性があった」と強弁したのだ。あたかも石原が吉田証言そのままの「性奴隷」の「強制連行」を認めて河野談話を作成したかのように視聴者を混乱させようと意図していたような番組構成だ。そればかりかわざわざテロップで、河野談話当時の政府関係者の「河野談話の焦点は〝日本軍が強制連行したかどうか〟ではなかった」との発言を強調した直後、「女性たちが〝意に反して集められたかどうか〟が焦点」と表示した。どのように「意に反して集められたか」については何ら証拠を紹介することなく、あたかも「意に反して日本政府や軍が性奴隷を奴隷狩りのように狩り集めた」と視聴者が勘違いするように仕向けていたのである。 問題はまだある。韓国ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に行われている韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺身協)によるデモを紹介し、挺身協の元代表で慰安婦問題を作り上げた責任者である尹貞玉(ユン・ジョンオク)にインタビュー映像で「吉田氏の著作は読んだし会ったこともあるわ」と語らせた直後、「91年に初めて名乗りでた元慰安婦金学順さん」の映像を流し、さらにインタビュアーの「吉田さんの本が出たことによって慰安婦の方が名乗り出やすくなったか」との質問に、尹が「それは違うと思います」と答えるやりとりを放映したのだ。吉田証言と韓国の慰安婦問題への受け止めはまったく別ものだと視聴者に印象付けるイメージ操作である。吉田の著作は92年7月に韓国政府が公表した慰安婦の実態調査報告書にまで引用されている。吉田証言は韓国の対日非難・攻撃の材料だったのである。この悪質さは、北朝鮮のテレビ番組と見まごうばかりだ。 特集の最後を、朝日新聞論説委員恵村順一郎はこう締めくくった。「朝日新聞の慰安婦報道に誤りがあり、それを長く正してこなかったことについて、私自身もお詫びしなければならないと思っています。同時に、目を背けてはならないことがあると思っています。それは、慰安婦の問題というのは消すことのできない、歴史の事実であるということです。旧日本軍の管理の下で、自由を奪われ、人権や尊厳を踏みにじられた女性がいたことは確かなことなんです」 真摯を装い、会社(朝日新聞)を擁護する。こんな醜悪な言い逃れを真に受ける者は、もはやおられまい。報道ステーション、いや、テレビ朝日に羞恥心だけでも残っているのであれば、「報道」の看板を自ら下ろし、「妄動ステーション」とか「騒動ステーション」とでも改名してはいかがであろうか。

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    朝日よりたちが悪いサンデーモーニング

    捏造慰安婦など日本を貶める報道の一義的な責任はもちろん朝日新聞にある。ただ、そのような報道を国民の共有財産である電波を使って垂れ流してきたテレビ報道についても検証の必要はあるのではないか。

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    卑劣なプロパガンダ「サンモニ」の正体とは

     「馬鹿だ」。自分たちのずうずうしい街頭インタビューに足を止めて答えてくれた日本国民に言い放つテレビ番組がある。「東京オリンピックは辞退すべき」。五輪招致に喜ぶ日本の人々に向かって公共の電波で口角泡を飛ばしてプロパガンダするテレビ番組がある。 「日本のロケットはゴミになる」。打ち上げ成功に湧き立つ人々をあざ笑うテレビ局がある。それが、 「捏造の人民公社」として定評があるTBSの中でも最先端を行く紅衛兵、関口宏の「サンデーモーニング」である。  注目されないサンモニ 1987年の放送開始以来27年間、日曜の朝8時から放映されているTBS「サンデーモーニング」の放送内容は酷い。どれくらい酷いかというと、捏造・歪曲報道の代名詞として以前からよく批判されている、「NEWS23」に負けないぐらい酷い。  2008年に長年キャスターを務めた筑紫哲也が死去して以来、NEWS23の捏造・反日体質は相当に影を潜め、かつての「捏造のツートップ」であったサンデーモーニングは今や「捏造のトップバッター」と成り上がった。 ところが、サンデーモーニングはNews23に比べてあまり注目されて来なかった。今や5%さえ割っているほど凋落したNews23の視聴率であるが、全盛期は15パーセント近くをキープしていた。それに比べサンデーモーニングはほぼコンスタントに15%超を維持しているから、見ている人間の数で言えばサンデーモーニングの方が多く影響力も上のはずなのであるが、03年に例の石原発言テロップ捏造事件が発生するまでは、ほとんど取上げられることはなかった。現に私も、NEWS23の放送を毎日録画し捏造・ 反日度合いをチェックしまとめ上げた「天晴れ!筑紫哲也NEWS23」(文春新書)など、NEWS23について書いてくれとの依頼を受けたことは数限りなくあるが、サンデーモーニングについて書いてくれと 言われたことは、石原発言テロップ捏造事件まで一度もなかった。 日曜の朝8時という時間帯の関係上、視聴者は働き盛りの中年層よりも、子育てに忙しい壮年層や高齢のリタイア組が多かったものと思われる。しかも当時は現在と違い、ツイッター等のインターネットツールの普及も限定的で、例え捏造の事実に気付いても即座にそのことを全世界に向かって発信することは比較的難しかった。しかも、現在のようにHDDレコーダー等の手軽な録画手段が存在せず、かさばるビデオカセットに一々番組を録画し保存・管理せねばならなかった時代である。NEWS23とサンデーモーニングを毎回録画し、過去2年分のカセットを保存していた私のような物好きはそうはいなかったはずだ。 現在は、そうした技術的な進歩のおかげもあり、証拠を確認しにくいため困難であったテレビ番組批評も格段にやりやすくなった。サンデーモーニングも、捏造等のおかしな放送をした途端ユーチューブやニコニコ動画等の動画共有サイトにおいて証拠映像が広く流布される世の中になっているおかげで、毎回自分で録画をしなくてもある程度の番組批評が可能になっている。  しかし敵もさるもの、かつてのような好き放題の捏造・反日放送に邁進すべく、そうした行為を「違法」と決めつけ、金と労力をふんだんに投入し動画を削除させたり内容証明を送りつける等の言論弾圧活動に大忙しなのが、自称「報道のTBS」の実態である。本当に「国民の知る権利」 とやらを大切に考えているのであれば、自ら率先して過去の放送のアーカイブを公開する等いくらでもやれることがあるはずなのだが、何しろ自分たちに捏造・反日報道に賛同しない視聴者を公共の電波を使って「バカ」と誹謗中傷して憚らないような連中である。こんな邪悪な嘘つきどもに良識なんぞ求めるほうがバカというものだ。  サンモニの癒着体質 サンデーモーニングでは支那や北朝鮮の虐殺や独裁をスルーどころか時には応援しつつ、「日本の民主主義は終わった」「安倍独裁政治」などと罵ることが大好きである。しかし関口宏のサンデーモーニングに匹敵する異様な「独裁」「癒着」番組を私は知らない。 サンデーモーニングには、司会の関口以外にも、 レギュラーのゲストコメンテーターが毎回数名、 ローテーションで顔を連ねるが、なんとそうした「ゲスト」コメンテーターのほとんどは、比喩的な意味でなく文字通り司会関口宏の配下なのだ。  関口は、自ら社長として「タレントマネージメント、テレビ番組企画プロデュースなど」を主な業務 とする「株式会社三桂」(資本金一千万円、本社東京都港区南青山)を経営している。「ゲスト」コメンテーターの多くは、実はこの会社に所属しているのである。浅井信雄(国際政治学者)、浅井愼平(写真家)、中西哲生(元サッカー選手、スポーツジャーナリスト)、涌井雅之(桐蔭横浜大学教授)。レギュラーコメンテーターだけでもこれだけの人間が、関口の会社に所属しているのだ。 範囲を女性アシスタントと女性レポーターにまで広げると、その数はさらに増加する。TBSサンデーモーニングは文字通り、関口とその配下の私腹を肥やすための番組と化しているのである。 このような、他のニュース・報道番組に類を見ない異様な体制こそが、サンデーモーニングの異常と言って良い捏造・反日姿勢を決定付けているのだ。  ところで、サンデーモーニングの報道姿勢の一つに、政治家の世襲批判がある。09年4月26日の放送に至っては、関口が「ずーっと世襲の総理大臣」といつもの世襲批判だけでは飽き足らず、「よほどいい職業なんだなー」と羨んで見せている。そんな関口の父親は俳優の佐野周二であり、関口のドラマデビュー作「お嬢さんカンパイ」では、なんと父親と共演までしている。そればかりか息子の関口知宏も俳優であるうえ、関口の会社の社員でもあるのだ。俳優ってのはよほどいい職業なんだなー。  石原発言テロップ捏造事件 サンデーモーニングによる毎週繰り返されるこうした卑劣なプロパガンダには枚挙にいとまがないが、そうした個々の事例を見ていく前に、なぜこの番組がここまで異常な行為を飽きもせず繰り返すのか、その原因となる体質を探るのが適切であろう。 その際どうしても避けて通れないのが、03年に発生した石原発言テロップ捏造事件である。  事件の三年後にようやく石原との和解に至った際、関口の言い放ったコメントを見れば、彼に反省の意図があるのかどうかは大いに疑わざるを得ない。日頃他人の失敗にはヒステリックにまで厳しく、それどころか成功したことにまで「宇宙のゴミにまたなるの?っていう心配……。ねぇ?だって結構ゴミが多いんですよ。ねぇ?」などとこじつけて噛み付くことに何の躊躇もない関口であるが、自らの不祥事には甘いことこの上ない。06年6月25日の放送で何とこうのたまったのだ。 「(ミステロップが)出ちゃうときがありましてね。まぁそりゃ都知事には大変申し訳なかったとは思いますが」 素直に「都知事、申し訳ございませんでした」と謝罪することは、日頃他人を公共の電波で「馬鹿」だのなんだのと差別しまくる選民思想に凝り固まったこの男には、よほど困難なことであるようだ。  そもそも「石原発言テロップ捏造事件」がいかなるものであったか、インターネット上の百科事典ウィキペディアから引用してみよう。 「2003年11月2日の放送で、当時東京都知事の石原慎太郎の「私は日韓合併100%正当化するつもりはないが、(以下略)」という発言に「私は日韓合併100%正当化するつもりだ」という正反対のテロップをつけ、音声・映像もテロップに合わせるように 「…つもりは…」と切って編集し、放送した。コメンテーター達もその映像、テロップに沿って都知事を批判した。しかし一方では、後枠『サンデージャポン』では普通に「つもりはない」と、石原の発言を出していた(岸井成格はこの発言の翌日に石原と面会したと発言していたが、テロップミスに気付いていなかった)。翌週の番組内にこの放送に関しての謝罪があったが、あくまでも「テロップミス」に対する謝罪であり、意図的ともいえる編集、及びそれらに基づいてなされた都知事批判に対する謝罪はなかった」 付け加えると、この事件の前に石原の息子宏高が衆院選に出馬しており、事件が起きたのは「偶然にも」投票日7日前という実に反石原陣営にとって「都合の良い」タイミングであった。左がサンデーモーニングで流れたテロップ。右が直後に放送されたサンデージャポンで流れたテロップ  このウィキペディアの記述を普通に読めば、事件が単なるミスではなく悪意ある意図的なものであるか、サンデージャポンに比べてコメンテーターは不勉強なバカぞろいかのどちらかである。日頃からサンデーモーニングの異常さを観察している者から見れば、その両方である可能性も高いと言わざるを得ない。もっとも、人間誰でも間違いはあるのであるから、ミスに気づいたら素直に謝罪し訂正すれば済むことだ。しかしサンデーモーニング関係者には、自らのミスを改める意志など毛頭なく、隠蔽体質と居 直り強盗気質が染み付いていると見える。そうでないのであれば、翌04年3月7日に「風をよむ」のコーナーで、自らの「失敗」を差し置いて図々しくも「”失敗”から見えるもの…」などという特集は組めなかったはずだ。  それがどれほど厚顔無恥で自分の失敗を棚に上げた非道徳的な内容であったか、少し詳しく見ていこう。コーナーでは、雪印集団食中毒事件、動燃によるもんじゅナトリウム漏れビデオ編集事件当時世間を騒がせていた事件のいくつかが「隠す… 失敗 不適切な対応…」とおどろおどろしい字幕で紹介される。鳥インフルエンザの発生を隠蔽し被害を拡大させた養鶏場浅田農産もバッシングの対象だ。ちなみに浅田農産の経営者夫妻は、この放送の翌日に自殺している。 驚くべきことに、石原発言捏造についての謝罪は全く見られず、ひたすら他者の「失敗」のみをそれこそ死に追い込むまであげつらい、工学院大学教授畑村洋太郎を引っ張り出してきて「想像力の乏しさ、専門知識の不足」などと批判させ、街頭インタビューでは一般市民に「倫理観がおとろえているんじゃないですか?」などと言わせ、関口に至っては 「失敗は恥じだという感覚も強いでしょ、日本人ってねー」などと醜悪極まりない発言をしてコーナーは終わった。  ついでながら、放送日より十日ほど前の2月27日には、オウム真理教の麻原彰晃被告に死刑判決が下されていたが、わざわざこの時期に「隠す… 失敗 不適切な対応…」などと特集を組むのであれば、 坂本弁護士一家殺害事件のきっかけとなったTBSビデオ事件についての「隠す」「不適切な対応」も当然取り上げるのが、正常な感覚というものであろう。もっとも、自分たちの失敗を隠したくなるのは 人間の性であるから、私も「サンデーモーニングが自らの不祥事を反省するまでは他人の失敗を批判する資格などない」とまで言うつもりはない。しかし、他の時期ならともかく、死者まで出した自分たちの不祥事が関連するニュースが二つまでも存在するこの時期を狙ってわざわざ他人の失敗のみをあげつらう特集を組むような連中に、「邪悪」や「異常」以外の相応しい言葉をみつけることは難しい。関係者全員、精神科医の診断を受けるべきレベルであろう。

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    「政治的公平」とかけ離れた偏向テレビが国民を惑わす

     集団的自衛権行使のための憲法解釈変更は、安倍晋三首相が今年5月、政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」から報告書の提出を受けて、記者会見で「政府の基本的方向性」を表明し、いよいよ本格的な議論が始まりました。 政府が憲法解釈で「保有しているが、行使できない」としてきた集団的自衛権を行使できるようにするということですから、国の安全保障、国のあり方に関わる重要な問題です。それだけにマスコミが国民にどう伝えるかは極めて重要な問題だと思ったので、このコラムでは3回にわたり、朝日、毎日両新聞の主張への反論という形で見解を述べてきました。 新聞だけではなく、国民に伝える役割の大きさはテレビも同じです。ただ、新聞とテレビはメディアの性格として決定的な違いがあることは踏まえておかなければなりません。それは新聞がそれぞれ独自の主張を掲げていいのに対し、テレビは「政治的な公平」が法律で義務づけられているということです。 しかし、私からみると、たとえばテレビ朝日の「報道ステーション」と、TBSの「NEWS23」、「サンデーモーニング」の内容は「政治的に公平か?」と感じるので、今回はとくにこの3つの番組を取り上げて、テレビの政治報道のあり方について考えたいと思います。 まず、報道ステーションは2014年5月20日の放送で、自民、公明両党の与党協議が始まったことを受けて、公明党の山口那津男代表をスタジオに招いてインタビューをしました。問題は質問の仕方と内容です。 山口氏は集団的自衛権行使についてはまださまざまな疑問点があり、「しっかりと議論していきたい」という内容の発言をしたのですが、キャスターの古舘伊知郎氏は「だとすると憲法解釈変更というのは無理で、やっぱり正面突破の憲法改正でいくという順序立てはないですか」、「公明党は徹底的に納得できないと戦う決意はおありですか」、「どうも流れが逆にきているので、山口さんも幹部の方も頑張っていただいて、自衛隊員が死ぬかもしれないということと(戦後の)70年間の重みというものを前面に出そうと、会議の中で言ったらどうですか」などと質問しました。 これらは明らかに「集団的自衛権行使のための憲法解釈変更には反対だ」という古舘氏自身のスタンスが打ち出されており、それを山口氏の発言で裏付けようとする意図が働いています。ましてや公明党に「頑張っていただいて」と発言するのは、キャスターとして「政治的に公平な伝え方」をしていると言えるでしょうか。 また、NEWS23は5月19日の放送で、アンカーの岸井成格・毎日新聞特別編集委員が集団的自衛権行使のための憲法解釈変更に向けた政治スケジュールを説明したのですが、その中で今夏に内閣改造が行われると見られていることについて「うがった言い方をすると、(自民党の)野田聖子さんなんかの総務会にも慎重論、反対論があるんですよね。それから閣議決定するには公明党の太田昭宏国土交通大臣をどうするか、彼が反対したらできない。そういうことも含めて人事が焦点になってくるということなんです」と解説しました。 夏の内閣改造が報道された直後から言いふるされてきたことで、ここで改めて解説することかと思ったのですが、「安倍首相は人事で反対論を封じ込めようとしている」と視聴者に印象づけたかったのでしょう。問題だと思ったのはこれに続く発言で、岸井氏は「だけども一番大事なことは、これだけ重要なことを何で一内閣の閣議決定だけで決めちゃうんですか。それでいいんですか。いまだになんで急ぐのか分からない」と述べました。つまり、安倍政権で集団的自衛権行使のための憲法解釈変更はやるべきではないと主張したわけです。 古舘氏の質問も岸井氏の解説も、明らかに政治の、それも国民の意見が分かれているテーマについて、一方的な立場からの主張をしています。問題はこうした放送内容がテレビのニュース番組で許されるのかということです。 というのは、テレビの放送内容は放送法という法律で規制されているからです。同法4条はテレビの放送内容について「政治的に公平であること」と、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を定めています。公正・中立な放送が義務づけられているのはNHKだけでなく、民放も同じなのです。 新聞は誰でも発行しようと思えばできるので、憲法21条の表現の自由(報道の自由)に基づいて、それぞれの社が独自に政治的な主張を掲げることを認められています。これに対して、テレビやラジオは限られた電波を国から割り当てられた事業で、誰でも放送できるわけではありませんから、法律で報道の自由に一定の制約が課され、政治的な意図をもった主張は掲げてはいけないことになっているわけです。活字と映像・音声という受け手に与える影響の違いも背景にあります。 しかし、古舘氏の質問や岸井氏の解説は、こうした放送法の規定に沿って政治的に公平な内容と言えるでしょうか。私は明らかに逸脱していると感じます。 「選挙で特定の政党や候補を応援しているわけではなく、集団的自衛権行使という政策についての主張だから問題はない」というかもしれませんが、集団的自衛権の行使については報道各社の世論調査でも明らかなように、国民の意見は「賛成」と「反対」に分かれています。政党の意見も分かれており、どちらかの主張にたって放送することは、結果的に特定の政党を応援したり、批判したりすることになります。 また、世論調査の結果を見ると、「どちらか分からない」という国民が多いようですから、それこそテレビの報道に求められているのは、特定の主張を打ち出すことではなく、「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」によって、国民に理解を深めてもらうことであるはずです。 そもそも報道ステーションとNEWS23の放送内容は、集団的自衛権に限らず、原発や特定秘密保護法、首相の靖国神社参拝など、国民の意見が分かれる問題について「政治的な公平」を保って伝えているとは思えない点が多々見受けられます。 その大きな要因は、報道ステーションがコメンテーター(月~木用)に恵村順一郎・朝日新聞論説委員、NEWS23がアンカーに岸井氏を起用していることにあります。政治のニュースについて、前段部分でいくら賛成、反対両論を紹介して中立的な報道をしたとしても、締めくくりでコメンテーターやアンカーが特定の主張をすれば、視聴者に強い影響を与えることになります。 私が見ている限り、恵村、岸井両氏のコメントは、多角的に論点を明確にするというより、それぞれの新聞社の主張に沿った内容であることが多いように思えます。新聞社はそれぞれの主張を持っているわけですから、特定の社の記者1人がコメントを述べればそうなるのは明らかで、そうした番組構成そのものに問題があるのではないでしょうか。 新聞社の記者をコメンテーターにするなら、政治的な公平を考えて複数にするとか、どうしても1人をコメンテーターにするなら、新聞記者ではなく、有識者らに中立的な立場から論点の明確化にとどめて論評してもらうといった手法をとるべきでしょう。 一方、ニュースではなく、ワイドショーではありますが、もうひとつテレビ番組で政治の放送内容に問題があると感じるのは、TBSの「サンデーモーニング」です。 5月18日の放送ではやはり集団的自衛権行使の問題が取り上げられたのですが、コメンテーターとして出演した河野洋平元衆院議長は「総理はわが国を取り巻く環境は厳しいとしきりにおっしゃる。地球儀外交と称して世界中を飛んで歩かれるが、一番肝心の中国と韓国にだけは行かない、話もしない。どれが危機なのかを話し合う必要があるのに、そういうことをしないでただ危機をあおって、憲法の解釈を変えるという突拍子もない提案をするというのは理解できない」と反対意見を述べました。 慰安婦問題に関する河野談話について一切語らない河野氏の事実誤認に満ちた能弁ぶりには唖然(あぜん)としましたが、それはいいとしましょう。問題は他のコメンテーターもそろって集団的自衛権行使反対の立場からコメントしたことです。 その日の放送に限ったことではありません。この番組には毎回6人程度のコメンテーターが出演しているのですが、政治問題では全員がほとんど同様のスタンスでコメントをしています。こうした放送は視聴者にそのコメント内容が多数意見で、正しいと感じさせてしまう懸念があります。ワイドショーも国民の意見が分かれている政治問題についてコメントしてもらう場合は、賛成、反対のバランスをとって出演者を考えるべきではないでしょうか。 テレビ局側には「権力が暴走しないようにチェックするという観点から、放送内容が政権に対して批判的になるのは当然」という思いがあるのかもしれません。しかし、そればかりが先行して放送内容が偏ってしまったら、本来あるべき「政治的な公平」に反します。間違っても「世論を特定の方向に誘導しよう」という意図があってはなりません。 日本の政治は今、さまざまな問題で答えを出さなければならない時を迎えており、国民もそれらをどう考え、どう判断すべきなのか迫られています。それだけにマスコミがどう伝えるかが重要なのです。国民的な議論を深め、日本があるべき方向に進むために、新聞は情緒論ではなく、しっかりした取材にもとづいて論理的な主張を展開すべきですし、テレビの報道は、視聴者が問題の本質を正確にとらえて自由な立場から考えられるように、公平で多角的な論点を提供すべきではないでしょうか。 今回取り上げた3つの番組の放送内容や構成には、特定の政治的な意図が反映されていることは明らかです。「この程度なら問題ないだろう」という判断なのかもしれませんが、「問題だ」と思っているのは私だけではなく、すでにそう感じている視聴者も少なくありません。 3つの番組に限りませんが、各テレビ局は難しい政治状況を迎えた今こそ、政治報道のあり方について考え直してみる必要があるのではないでしょうか。「民放の公共的使命達成」を目的としている「日本民間放送連盟(民放連)」も政治報道がどうあるべきか、改めて基準を検討してもらいたいと思います。(高橋昌之)