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    核のごみ、小泉純一郎の放言はここがおかしい

    原発は再稼働させれば核のごみが増える。最終処分場が見つからないなら、すぐゼロにした方がいい」。今や「脱原発」の急先鋒となった小泉純一郎元首相。原発は善か悪か。お得意の二元論で物議を醸し、反対派からは拍手喝さいを浴びるが、では小泉さんにお尋ねしたい。行き場を失った核のごみはどう処分すればいいのですか?

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    核のごみの地層処分「安全神話」よりもリスクを語れ!

    、地震や活火山の数が世界の1割を占める地震大国、火山大国である。土地の隆起や浸食が大きい地域もあり、原発利用大国の中で、地質環境の安定性の条件は非常に劣る。降水が多いことから地下水も豊富で、プレートが押し合う力のため地下深くの岩盤にも地下水の水みちとなる亀裂が多く、この点でも有利な条件にはない。処分地が決まっているフィンランドやスウェーデンがバルト楯状地と呼ばれる安定な地質環境にあるのとは対照的である。 地震の発生や火山の噴火には一定のメカニズムがあり、同じ場所で繰り返し起こりやすい。そのため、処分場に大きな影響を与えるような過去の活動の記録があれば、絶対に処分地に選ぶべきでない場所として除外できる。たとえば地震については、震源で生じた断層が地表にまで届き、今後も繰り返し活動する可能性が高いと判断されて「活断層」と認定された付近は、処分地に選定しないことになっている。「活断層を避ければ大丈夫」は通用しなくなった熊本県益城町内で地表に出現した断層。4月16日未明にM7・3の地震を起こしたとみられる=2016年4月 しかし、現に活断層として知られていなかった場所で大きな地震が起きているように、マグニチュード7弱程度の規模の地震では、過去に起きたときには断層が地表まで達していなくても、将来、処分場の深さまで断層が届くように地震が起きる可能性はある。すなわち、処分地に選ぶべきでない場所は過去の記録だけからはわからないし、現時点で認定されている活断層を避けても、処分場が断層直撃を免れるとは言い切れない。 日本では、2000年に高レベル放射性廃棄物を地層処分することを法律で定めた頃から、一般向けに地層処分が広報されるようになり、「わかっている活断層さえ避ければ大丈夫」といった言い方で安全性が強調されてきたが、これこそが福島第一原発事故に至った道である。安全性の確保にベストを尽くす取り組み方をしているという信頼を得るには、不確実な部分があることをきちんと伝えるべきである。 高レベル放射性廃棄物は厚い金属容器に格納して埋設され、周囲には粘土の緩衝材を配置する。これらの人工物(地層処分関係者は「人工バリア」と呼ぶ)は、高レベル放射性廃棄物が埋設後1000年程度の早期に地下水と接触し、放射性物質が漏れることを防ぐ。地質環境の面で有利な条件にない日本では、人工バリアに期待する役割も大きい。 人工バリアはいずれ劣化するが、地下で放射性物質が漏れてもすぐに地表付近に到達するわけではない。これは放射性物質の中には地下水に溶けにくいものもあり、また地下深くの地下水の流れが遅く、さらに地下水中の放射性物質が岩盤にくっついて移動が遅くなるなど、地層処分関係者が「天然バリア」と呼ぶ地下深くの地質環境の働きによる。しかし、高レベル放射性廃棄物の中には、セシウムやヨウ素など地下水に溶けて移動しやすい放射性物質ものもあり、こうしたものが安全性の上で問題となる。また仮に現時点で理想に近い処分地を選べたとしても、将来、地震などによる地質環境の変化によって、天然バリアの適性が低下する恐れもある。地層処分前の作業で大地震が起こったら? 安全性の判断材料である将来の人類の被ばく線量は、放射性物質が処分場からどれだけ漏れ、そのうちのどれだけが地表付近に届き、その地域の住民が生活環境に広がった放射性物質をどれだけ摂取するかといった要因すべてが組み合わさって決まる。これらの要因に影響を与える地質環境などの条件の組み合わせには無数のパターンがあり、現実にそのうちのどれが起きるのかを予測することは不可能である。 地層処分の安全性の説明で、将来の被ばく線量が最大になるのは80万年後で、1年あたり0.000005ミリシーベルト(後述のTRU廃棄物を考慮すれば1万年後に1年あたり0.002ミリシーベルトと言うべき)にすぎず、現在の自然放射線による被ばく(1年あたり約2ミリシーベルト)より何桁も低いといった具合に示されるのは、無数の仮想的な試算の中の標準例の1つにすぎない。悪い条件が重なれば、確率的には低くても、そうした標準例の100倍や1000倍以上の被ばくになることもある。 特に最悪の想定が重なったようなケースとして、地震を起こした断層が処分場を直撃し、埋設された廃棄物が金属容器もろとも破壊され、漏れ出た放射性物質がその断層に沿って非常に速く移動し、放射性物質の濃度が濃い水源を利用する生活環境というような極端な想定では、福島第一原発事故での特定避難勧奨地点にあたる被ばく(1年あたり20ミリシーベルト)に近い値も計算上は出てくる。起こりうる可能性が天文学的に低くても、悪い想定をこのように機械的に重ねた上限のようなものも示しておいたたほうが、長い目で見れば、信頼を得られるように筆者は考えるが、関係者の考え方は分かれるようである。幌延深地層研究センター。エレベーターで地下350メートルへ。 地下300メートルより深くにつくられる処分場は、20年程度の調査のあと、建設から埋設開始まで10年程度はかかる。6~10平方キロメートルの広さに、総延長が200キロメートル以上にも及ぶ坑道を段階的に掘削し、50年ほどかけて廃棄物を埋設し、埋め戻しにも10年程度を要する。こうした工程が、すべてトラブルなく進むとは限らない。岐阜県瑞浪市の日本原子力研究開発機構の地下研究施設では予想外の湧水が続き、当初計画の深さまで立坑を掘ることができていない。筆者は以前に地層処分関係者から、坑道の掘削で湧水が生じても、地下水が運ぶ鉱物などで亀裂はふさがれ、湧水は自然に止まると聞かされていたが、瑞浪の現実はそうではなかった。 このような湧水は、坑道の埋め戻しをすれば掘削前の地下水の流れが遅い状態に戻るとされているが、これだけの規模の坑道をきちんと締め固めてすべて埋め戻すことは、前例のない工程である。きちんとした埋め戻しによって、放射性物質は地下水によって移動しにくくなり、地下が酸素の少ない環境に保たれ、金属容器の腐食を防ぐなどするので、不十分な埋め戻しは天然バリアと人工バリアの機能を低下させかねない。警戒すべきは埋設後だけじゃない 地層処分については埋設後の安全性に関心が集まるが、操業中の地上施設では、放射能が強い高レベル放射性廃棄物を遠隔操作によって格納容器から取り出す工程がある。このような作業中に、大地震などによって施設が大きなダメージを受け、高レベル放射性廃棄物を遠隔操作可能な状態に復旧できないようなことがあれば、施設内部に人間が立ち入れず、修復に手をつけられない事態に陥る。そのことで直接、近隣住民に健康上の影響を及ぼすわけではないが、地域にとっては有難くないものが長期にわたって残されることになってしまう。後戻りはできるのか 地層処分の安全性には、地質環境の安定性、人工バリアと天然バリアの機能など非常に多くの要素が関係し、これらが複雑に絡み合っている。そのため、どれか1つの要素で想定が破れても、それだけで安全性が大きく低下するわけではない。また、ある要素が劣っていても、総合的な性能が優れていることもありえるので、個別の要素ごとに合格基準は設けない。 これまで大多数の地層処分の関係者は、絶対に避けるべき地域以外は、より好ましそうな地域や、より好ましくなさそうな地域について具体的な本音を語ってはいない。一般論として、適切な処分地選定と適切な工学的対策によって、一定の安全基準をクリアする適切な処分場が構築されればよいとしている。各国の地層処分関係者も、ベストの場所を選ぶという発想は不要としている。敦賀原発で行なわれた専門家による断層調査 =2014年6月、福井県敦賀市(矢田幸己撮影) ある候補地が一定の安全基準を満たすということが、100点満点中の何点で、どれだけ余裕のある合格なのか、他の場所と比べてどうなのかは、関係者でも専門分野が異なれば意見が分かれそうである。仮にギリギリ合格レベルであったとしても、反対運動を利することは言わないとばかりに、そうした本音は語られないであろう。このような姿勢では、社会が安全を確信することは難しい。今回の科学的有望地の提示にあたって、高レベル放射性廃棄物の処分地への輸送は海上輸送が好ましく、港湾のある沿岸から20キロメートル以内を「より適性の高い地域」の目安とした点は、良し悪しは別にして、珍しく公けにされた本音であると筆者は受け止めている。 処分地の選定は3段階の調査によって段階的に進められ、地元の意見も聴き、後戻りが可能とされている。筆者が危惧しているのは、処分地選定や操業の段階が進めば進むほど白紙に戻すことが難しくなるため、その途中で、条件が悪い点が見つかっても、総合的に評価すれば一定の安全基準を満たすというかたちで事業が進められてしまい、少しずつ安全性がないがしろにされていくことである。例えば、活断層がないとされていた場所が断層に直撃される可能性は、地下の調査が進めばわかるとされている。このことは必ずわかるとは限らないのだが、仮にわかったとしても、これまでの原子力発電所の立地や稼働の進め方からすると、「活断層ではない」と押し切ってしまう可能性が高いように思えて仕方ない。地層処分は魔法の杖ではない 政府は「高レベル放射性廃棄物の最終処分は、将来世代に負担を先送りしないよう、現世代で取り組むべき問題」として、前面に立って取り組むとしているが、地層処分の処分地が決まっても、将来世代の負担がなくなるわけではない。 高レベル放射性廃棄物は埋設用の金属容器に格納されても、ある程度の強さの放射線が出ているため、一時的に人間が近づくことはできるが、基本的には遠隔操作で埋設される。しかも金属容器を含めて5トン以上もの重量物を地下深くにまで運ぶので、1日に数本程度しか埋設できない。福島第一原発事故以前の原発の稼働体制であれば、日本が約50年かけて貯めてきた高レベル放射性廃棄物を約50年かけて埋設する計算に相当する。すなわち、処分場が決まったからといって、現存する高レベル放射性廃棄物がすぐに消え去るわけではないのである。 そもそも高レベル放射性廃棄物は、放射線がある程度弱くならなければ埋設ができず、原子炉から取り出して50年程度は待たなければならない。これは人工バリアの粘土の緩衝材の機能の確保のため、高レベル放射性廃棄物の放射線で発生する熱がある程度まで小さくなることが必要なためである。したがって、我々がこれから原子力発電で発生させる高レベル放射性廃棄物は、50年以上あとの世代に埋設を頼ることになる。あまり語られない「TRU廃棄物」の危険性 ここまで使用済み核燃料イコール高レベル放射性廃棄物として述べてきたが、フィンランド、スウェーデン、米国などが使用済み核燃料をそのまま高レベル放射性廃棄物として埋設する(直接処分と呼ばれる)のに対して、日本は使用済み核燃料からウランとプルトニウムを化学的に分離する再処理をしたあと、その残りをガラスで固めたガラス固化体を高レベル放射性廃棄物として埋設する。九州電力川内原発で、低レベル放射性廃棄物保管容器の固定状況を調べる作業員=9月27日午後、鹿児島県薩摩川内市(九州電力提供) 再処理の工程では、使用済み核燃料の放射性物質のうち一部は、ガラス固化体にされる高レベル放射性廃液とは別に分離されてしまい、再処理工場で発生する放射性廃棄物(TRU廃棄物と呼ばれ、分類上は低レベル放射性廃棄物)として扱われる。こうした使用済み核燃料に由来するTRU廃棄物は高レベル放射性廃棄物と同様に扱う必要があるため、地層処分の対象となり、ガラス固化体と同じ処分地に埋設される可能性が高い。その中にはヨウ素など地下水中を移動しやすい放射性物質が含まれているため、TRU廃棄物を地層処分した場合の将来の人類の仮想的な被ばく線量の試算の標準例は、ガラス固化体を地層処分した場合の100倍以上大きく、放射性物質が漏れだす時期もかなり早い。しかし、地層処分を進める側の説明では、このことがきちんと示されていないことが多い。 地層処分されるTRU廃棄物には、燃料集合体の末端部や被覆管の断片など強い放射能をもつ部分ばかりを集めた廃棄体がある。これらは埋設時に人間が近づいて作業できる程度にまで放射線を遮れないほど放射線レベルが高く、完全に遠隔操作で埋設される予定である。こうした廃棄体の埋設時にトラブルが生じたときの復旧は、非常に困難を極めることになる。 そもそも再処理はプルトニウムを核燃料として利用するために行うのだが、プルトニウムを含む核燃料(MOX燃料)を既存の原子炉で使うこと(いわゆるプルサーマル)は採算性が低く、実施も進んでいない。そのため使用済みのMOX燃料をさらに再処理する可能性は非常に低く、そのまま直接処分の対象となる可能性が高い。ところが使用済みのMOX燃料は、通常のウラン燃料の使用済み核燃料とは放射性物質の組成が違い、原子炉から取り出して100年程度では埋設が可能になるほどまで発熱が弱まらず、非常に長期にわたって地上保管を続けなければならない。地層処分を選択するのなら、再処理・プルトニウム利用は大きな負担を将来世代に残すことになる。 実は、これまで再処理は、使用済み核燃料を地層処分する直接処分に対して、地下の処分場に必要な面積が小さくできると宣伝されてきた。これは、再処理でプルトニウムを分離するため、ガラス固化体の放射線による発熱量が小さくなるためである。しかし、取り出したプルトニウムを核燃料として利用したあとまでを考えると、再び再処理できない場合、上に述べたように処分場の面積低減以上のデメリットをもつ大変な厄介物になってしまう。将来、どの程度の規模で原子力利用を続けるのかは、現在では不透明であり、下方修正も迫られている。こうした現状を踏まえれば、高レベル放射性廃棄物の地層処分という観点から、再処理やプルトニウム利用の核燃料サイクル政策の進め方も見直すべきである。「費用が足りない」 地層処分に必要な費用は、福島第一原発事故以前の稼働ペースで、日本の50年程度の原子力発電で生じる約4万本のガラス固化体について約3兆円、それらの再処理によって発生するTRU廃棄物のうち地層処分するものについて約8000億円と見積もられている。筆者はNUMO発足当初の頃に、NUMOの技術部門のしかるべき立場にある人物が、きちんとした処分をやるには費用が足りないと主張されていたことが強く記憶に残っている。 処分費用は、発電時に発電量に応じて電力会社から徴収される。当初計画のスケジュールどおりなら、埋設が始まるよりも早く徴収が終わってしまうので、事業を進めながら積立金を運用益で増やしていく前提で徴収額が決められている。当初は複利2%を想定し、20年間で総費用の約半分の額を徴収すれば、その後、何十年もの操業期間を終え、処分場を閉鎖した後、300年程度の簡単なモニタリングまで運用益で賄うという計算になっていた。現在では運用益は低下しており、それに応じて徴収額も改定されてはいるが、徴収終了後、運用益がますます低下し、事業が進むにつれ大幅に費用が足りなくなり、安全性が削られることが強く懸念される。他の方法は本当にないのか 地層処分はうまくいけば、人間の生活環境からある程度遠いところに高レベル放射性廃棄物を隔離できるという面はあるが、地下で何が起きているのかわからないという不安が常につきまとう。遠い将来の人々が、足元に高レベル放射性廃棄物が埋まっていることを知っていたほうがいいのか、知らないほうがいいのかも、関係者の中でさえ意見が分かれる。 地層処分に頼らないで済ますために、科学の力で放射性廃棄物を放射能がない物質に変えられないかと考えたくなるが、そうした研究は何十年も続けられているにもかかわらず、現実的なものにはなっていない。これは、高レベル放射性廃棄物には様々な種類の放射性物質が含まれていて、これらすべてを共通の方法で効率良く放射能がない物質に変えることが難しいためである。仮に可能になったとしても、発生するそばから次から次へと放射能がない物質に変えることは難しいし、高レベル放射性廃棄物のうち一部の物質にしか適用できず、大半は地層処分される。この他の方法として、宇宙への廃棄は、それ自体の良し悪し以前に、頻繁にロケットを打ち上げなければならず、事故のリスクが非常に大きく、途方もなく費用がかかる。他国に埋設をして原子力発電を続けるというのはもっての外であろう。 これに関連して、2016年12月に政府が廃炉の方針を決定した高速増殖炉もんじゅや、引き続き計画されることとなった新たな高速炉の役割として、近年では、プルトニウム増殖よりも高レベル放射性廃棄物の低減が前面に出されているが、これはかなりの誇大広告である。高速炉にできることは、高レベル放射性廃棄物のうちマイナーアクチノイド(原発でウランが中性子によって核分裂せずに、中性子を吸収して生じる)と呼ばれるごく一部の特殊な放射性物質を、高速の中性子によってウランやプルトニウムのように核分裂させることである。上から目線で国民から信頼されるわけがない マイナーアクチノイドはエネルギーの大きい放射線を出すため、発熱も大きく生物への影響も大きいので、マイナーアクチノイドが減ると処分場の面積や有害度と呼ばれるものは減る。しかし、核分裂によって新たに高レベル放射性廃棄物が生み出され、そのうちの一部はマイナーアクチノイドと違って地下水に溶けて移動しやすく、しかも長寿命の放射性物質になるので、地層処分にとっていいことずくめでもない。そもそも1基の高速炉で処理できるマイナーアクチノイドの量はそれほど多くなく、このようなことを実施するには、現状でうまく進んでいない再処理よりも、更に手の込んだ再処理を軌道に乗せることが必要である。つまり高速炉による高レベル放射性廃棄物の低減は絵に描いた餅であり、高速炉開発を継続するための口実にすぎない。フィンランドの放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」の内部。地下約450メートルの最深部に使用済み燃料を埋める穴が試験的に掘られていた=2016年4月、オルキルオト島 高レベル放射性廃棄物を地下に埋設するのではなく、地上や浅い地下で保管することは、将来の人間社会がどうなっているのか予測できないため管理の継続に不確実さがあり、またテロや戦争、災害などの脅威にもさらされるとして、原子力利用を推進する立場からは却下されている。しかし、高レベル放射性廃棄物が地表付近にあることがどれだけ危険なのか、具体的に示されているわけではない。 人間がテロや戦争を起こすのならば、そもそも原子力発電所の存在はどう考えるのか。また原子力利用から撤退しても、最後に発生した使用済み核燃料の地層処分まで50年もの時間を必要とする。地層処分をしながら大々的に原子力利用を推進することは、こうした矛盾を抱えている。そうした意味でも地層処分は消極的にしか選べない選択であり、こうした課題に真摯に向き合わなければ、原子力利用の賛否が分かれている現状で、国民的な合意を得るのは難しい。 筆者の経験では、原子力への批判的な意見を聞く度量のある関係者であっても、たいていは「わかっていて反対するのはいいが、よくわかっていないのに反対するのはダメ」という言い方をする。これは裏を返せば「よくわかっていなくても賛成ならOK」ということになる。原子力発電を稼働し、処分事業も進める以上は、社会から信頼を寄せられる姿勢であたってほしいと筆者は願っているが、福島第一原発事故を経験しても、このような上から目線の姿勢でいるならば、国民から信頼されるということについて、真の意味で向き合っているとは言えないであろう。

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    知らなきゃ危ない、どこまでも膨らむ原発コストの「現実」

    それぞれ1年延長するための費用を試算しておく。「中間貯蔵」1年間でこれだけかかる①再処理前の中間貯蔵 プール貯蔵(湿式貯蔵)を1年間行うことに要する費用:年間35億円…概算値として、使用済燃料5000トンに係るプール貯蔵の運転費1395億円を40年で均等で支出するものと仮定すれば、年間35億円(=1395億円÷40年)となる。数値の出所:総合エネルギー調査会原子力部会中間報告(H10.6.11)中の「参考10 貯蔵施設の経済性試算について」) キャスク貯蔵(乾式貯蔵)を1年間行うことに要する費用:年間6億円…概算値として、使用済燃料5000トンに係るキャスク貯蔵の運転費1200億円を5施設、保守的に40年で均等で支出するものと仮定すれば、年間6億円(=1200億円÷5施設÷40年)となる。数値の出所:総合資源エネルギー調査会電気事業分科会コスト等検討小委員会報告書(H16.1.23)中の資料2〔使用済燃料の中間貯蔵(キャスク貯蔵)費用の内訳〕)②再処理後の中間貯蔵 ガラス固化体の貯蔵を1年間行うことに要する費用:年間96億円…上記の試算の前提とした使用済燃料5000トンと同等のガラス固化体は約6300本と試算されるので、ガラス固化体2880本と同規模の施設は2.5ヶ所必要になると仮定。管理費用のうち「貯蔵費 運転保守費」と「貯蔵費 その他諸経費」の合計1540億円が対象となるので、ガラス固化体約6300本を1年間貯蔵する費用は、年間96億円(=1540億円×2.5施設÷40年)となる。数値の出所:総合資源エネルギー調査会電気事業分科会コスト等検討小委員会報告書(H16.1.23)中の資料3〔返還高レベル放射性廃棄物管理費用の内訳〕) 以上は、政府資料に基づいて行った一つの試算でしかない。政治や行政はうかうかしていてはいけないが、最終的に必要となる費用を確保するための手段を臨機応変に用意しておくべきである。こうした超長期的視野に立った幅のある政策運営を行うことが、もっとも現実的な『原発ゴミの正しい処し方』となろう。 日本の原子力発電の稼働率は、諸外国に比べて相当に低いと言わざるを得ない。特に震災以降はほぼゼロで推移してきている。ここ10年程度での概ねの推移を見ると、欧米や韓国での稼働率は80~90%台だが、日本は震災前の2003~2010年までを見ても、70%未満でしかない。日本の原子力発電の稼働率を欧米並みに引き上げることで、これまで遅れに遅れてきた再処理や最終処分に係る費用に充てるための原資を捻り出すことを検討していくべきだ。 こうした追加費用の総額は、使用済燃料を再処理するまでの期間や、ガラス固化体の中間貯蔵の期間を、最終的にどの程度にまで見込んでおくかにもよる。原子力発電からの収益をあらかじめ引き当てておくことで凌いでいける水準だと思われる。 いわゆる「トイレなきマンション」説は、政府を急かす材料にはなるだろうが、本質的な危機を招くものにはならない。使用済燃料を再処理する前と後で、それらの貯蔵に係る時間軸をどのように設定するかが鍵となる。

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    原発はトイレなきマンション」のいい加減な批判に徹底反論する!

    とのうわさがあるが、「こんなもの出来っこない」とばかりに高レベル廃棄物の処理を困難視して、いきなり脱原発を唱えだしている。しかし、素人の考え休むに似たりである。 小泉元首相の知識の想定外と言えるほど、我が国も世界の技術も、ずいぶん進んでいる。原発の議論をすると、必ず放射性廃棄物の問題を持ち出してくるが、フィンランドやスウェーデンなどはかなり着実に技術開発を進めて、国民への理解も進んでいる。原発は「トイレなきマンション」だとか、「廃棄物を地下深くに埋設し、10万年もの間、保管しなければならない。これは子孫に対する冒涜だ」と批判されているが、まず、このあたりの誤解をわかり易く解説する。この点を明確に説明し、これが技術的に解決できると示すことが、原発に対する理解を得るためにも必要と思う。 使用済核燃料の処理法は、4つある。まず、①キャスクという容器に使用済み燃料を入れて、そのまま保管する方法と、②再処理してプルトニウムとウランを分離し、メルターという装置で電気を流してガラスを溶かし、高レベル廃棄物を均一に混ぜて、キャニスターというステンレス製容器に流し込んで固化体するもの、そして、③高速炉で毒性の高いアメリシウムなどを消滅させてから、ガラス固化体にする方法がある。保管期間でいうと①が10万年、②が2万年、③が300年となる。政府が「もんじゅ」を廃炉にすると言っているが、これは世論迎合もいいとこで、まったくの誤りだ。高速増殖原型炉もんじゅ=福井県敦賀市 「もんじゅ」の役割は人類2500年のエネルギーを供給可能とする技術開発と、高レベル廃棄物の削減と保管期間の大幅短縮になる技術の2つがあり、まさに一石二鳥の優れた技術で、既に技術的には十分実用化可能な範囲にある。④は、加速器の中性子ビームで、高レベル廃棄物を無害化するもので、現代の科学技術を持ってすれば、原理的に可能であるが、ビームを発生する装置とその運転コストを考えると、捨てるゴミに大金をつぎ込むことになり、経済性が全くない。 中性子ビームで無害化するには、核融合炉が実用化する100年後くらいまで待っていればよい。核融合炉のブランケット(毛布)として、外周に並べておいて核融合反応で漏れてくる中性子を使えばよいのだ。いずれ人類の知恵が解決する。極めて安定した「ガラス固化体」 なぜ、我が国の使用済燃料の再処理技術の開発に時間がかかったかについて説明する。原子炉の中で燃料が燃えていく間に白金族というプラチナの親戚みたいなものがたくさんできる。それらは不溶解残渣(ざんさ)としてメルターの下の方に沈殿してたまってしまう。メルターは電気を流してガラスを溶かす(メルトさせる)装置である。ここに電気を通すと白金などの金属のほうに電気が流れてしまって、ガラスが均一に溶けない。このことが安定的な運転ができなかった最大の理由である。 フランスの再処理施設についていた不溶解残渣を取り除く沈殿槽を省略してしまったことがつまずきのもとで、気付いた時点で追加すべきであったが、国も地元自治体も「計画通り」の開発を要求したため、産みの苦しみとなってしまった。フランスの場合には、沈殿槽を使って白金を沈殿させ、残りの部分をガラスと混ぜる。ところが、日本ではコストダウンのため、この沈殿槽を省略してしまった。原子力研究開発機構の東海村の小型の研究施設では上手く行っていたのだが、大型化すると不均一になりやすいにもかかわらず、不溶解残渣と高レベル廃棄物の溶液を分離しないで、いっしょに投入するといういささか乱暴な処理装置にしてしまったのだ。 沈殿槽を省略した形で計画書を出し国の認可を得ているので、後になって、やはり沈殿槽を設けたほうがよいとわかって、「日本原燃が沈殿槽を設置させてください」と言っても、地元も国も認めない。オリジナルの「計画どおりにやれ」というわけで、ずっと苦労しながら、試行錯誤を繰り返し、沈殿槽なしで白金も一緒に混ぜながら処理する技術の開発に何年もかかってしまったのである。 次に、ガラス固化体がなぜ良いかについて説明する。鉛ガラスという放射線の遮蔽能力の高いガラスがあるが、これは金属の鉛を高温のガラスに均一に混ぜてできたやや黄色の透明なガラスである。鉛が均一に溶け込んで透明になったガラスなので、放射線の遮蔽能力が高く、放射能が非常に高い施設の窓ガラスに使われている。この鉛ガラスの鉛の代わりに、高レベル廃棄物や不溶解残渣をガラスに溶かし込んで「キャニスター」と呼ばれるステンレスの容器のなかに流入させる。透明なガラスがステンレス容器のなかで固まり、極めて安定した「ガラス固化体」ができる。 フィンランドやスウェーデンでは、使用済み燃料をそのままステンレスや銅のキャスクと呼ばれる容器などに密閉して、地下300m以下の深地層に保管するが、使用済み燃料の被覆管などの腐食が進むと、キャスク内に放射性物質が漏れだし、キャスクも次第に腐食していくので、途中で掘り返せるようにとの要求もついてしまった。ウランの鉱脈レベルにもどるまで10万年かかるので、その間の保管に一抹の懸念があるという主張だ。埋設処分地は「北方領土」が適地 そもそも高レベル廃棄物は、最初は放射能が非常に強いのであるが、再処理して、半減期の長いウランやプルトニウムなどを取り除くと40年で千分の1、150年で1万分の1になる。8百年で10万分の1、 3千年で百万分の1である。いつまでも減らない地球温暖化ガスと違って、どんどん減衰して毒性が低下していくのである。それでも、ウラン鉱石と同じレベルになるのは2万年といったオーダーになるから大変だが、300年ぐらいなら、江戸時代からある老舗もあるので、ガラス固化体もきちんと管理できると思う。空冷であれば、すでに鉄筋コンクリートの建屋のなかで、安全に保管されている。 私は1千分の1になるまでの40年間で、しっかり方向性と地元理解を得るように議論すべきと思う。その議論をしながら、再処理と高速炉の技術を堅持して、埋設処分の技術をしっかり開発するのがよいと思う。 高レベル廃棄物の埋設処分場の候補地の選定も必要である。筆者は、スウェーデンの岩盤研究所ASPO(エスポ)を訪問した。使用済み燃料を収納した大型トレーラーがらせん状のトンネルをぐるぐる回りながら、地下450mまで降りていける。地下には、トンネルが枝分かれしていて、大きなキャスクを岩をくりぬいた穴に差し込んで、岩石と粘土で蓋をする。このための大型のマシンがすでに開発されている。我が国のトンネル技術とロボットなどの遠隔操作技術を以てすれば、今、すぐにでも建設が開始できる。使用済み燃料を入れた容器をトンネルの穴に挿入する作業マシン=スウェーデンの岩盤研究所 日露平和条約を締結したら、北方領土を経済特区とし、長年の運転実績があるロシア型の高速炉を建設する。日本に向けて送電するとともに、高レベル廃棄物の削減と保管期間の短縮を可能としたうえで、高レベル廃棄物の埋設処分場も建設すると良い。六ケ所の再処理施設とも比較的近いし、高速炉の使用済み燃料を処理する第2再処理工場を建設するのも良い。福井県にはシンもんじゅを建設し2つの炉型で、徐々に高速商業炉の稼働を高めていく。 高速炉は我が国の年間電力売り上げ20兆円を2500年にわたって供給できるので、5万兆円(5京円)の価値がある技術開発である。高レベル放射能を減容して、保管期間を大幅低減できる。我が国の骨太の活力ある社会の未来への存続に向けて1兆円や2兆円の投資にガタガタ言うなと言いたい。冷静に考えれば、全て実現可能である。

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    小泉元首相「核のごみの地層処分も3・11でウソだとわかった」

     小泉純一郎元首相と産経新聞の長辻象平論説委員が日本のエネルギー政策などをめぐり対談した。「原発ゼロ」を掲げる小泉氏は「原発に頼るより、さまざまな自然エネルギーに頼る社会を実現できるチャンスだ」と述べ、原発をすぐに止めるべきだとの持論を強調した。長辻氏は「完全に原発ゼロではなく、今後は新しく安全な原発を造っていこうという考え方があってもいい」と主張。2人の対談は予想外の方向に着地する。(以下、敬称略)2016年4月、原発やエネルギー問題について対談する小泉純一郎元首相(右)と長辻象平論説委員(寺河内美奈撮影)長辻 エネルギーについて今日、話すことになると思いますが、エネルギーというのはずいぶん不思議な言葉なのですね。というのは、日本語になったことが一度もないのです。小泉 そうかぁ。長辻 実に不思議なんですよ。明治から使われている文献をいろいろ調べてみたのですけど、一度も翻訳されたことがない。小泉 不思議だねえ。長辻 成功していないのですよ。つかみどころがないんですね、この言葉の概念が。小泉 そうかぁ。長辻 熱になったり、力になったりですから。現代のもろもろのエネルギー問題の難しさも、やはり言葉にひとつ端を発しているんじゃないかなと私、ずっと前から思っているんですよ。小泉 それは初耳。長辻 でも、中国はうまく訳しています。漢字しかないから。小泉 何て言いました?長辻 能源(のうげん)。能力の源。小泉 あ、そう!長辻 非常にいい言葉でしょう。小泉 ふ~ん。能力の源ねぇ。長辻 では、本論の原発問題に移って、私から質問していいですか。小泉 いいよ、もちろん。長辻 3・11(東日本大震災)を機に小泉さんの原子力に対する考え方は変わったと思う。さらにその後、フィンランドのオンカロ(使用済み燃料の最終処分場)をごらんになって、日本ではこういう地下処分場を造るのが難しいと。だから即、原発ゼロの方がいいんだよ、ということをおっしゃり始めたんですよね。小泉 うん。長辻 具体的には、どういう部分でそう思われました?2016年4月、「原発ゼロ」社会の実現を訴える小泉純一郎元首相(寺河内美奈撮影)小泉 フィンランドってのは、岩盤でできている国ですよ。その岩盤から下まで約400メートル掘ってね、その下に2キロ四方の広場を作って、そこに原発の廃棄物を埋めるんだけど。そのオンカロもね、(原発)2基分の核の廃棄物しか埋める容量ないんだよ。それでね、400メートル掘って10万年保管するっていうのは、まず日本で探すの、ほとんど不可能と。長辻 と、思われた。小泉 うん。それと同時に、安全、コスト安い、クリーン、全部ウソだと分かった! これが一番。専門家がずっと説明していたのが全部ウソだと分かった。第一ね、あの事故以来5年たった。事故から2013(平成25)年9月まで2基しか動いてなかったが、東京も大阪も停電が起きない。やっていける。5年間ゼロで。長辻 それは、運が良かったということもあるんでしょう。小泉 運が良かったって、現実、できちゃったんだ、5年間。長辻 綱渡りですよ。小泉 やればできた。長辻 政治が方向を示せば、知恵のある人が英知を出してくれる、と小泉さんはおっしゃった。小泉 出てくる。その証明ですよ、この5年間は。ドイツは原発ゼロを宣言したけども、まだ何基か動いてる。日本は実質ゼロでやっていけるということを、証明しちゃってるんだ。長辻 でも6年、7年になると無理かもしれない。小泉 それはね、あなたの議論でいいよ。それ、書いてくれればいいや。一般庶民、一般国民がどう判断するかだから。まさに世界に冠たる自然エネルギーを電源にしてね、経済発展できる姿を見せる。原発に頼るよりも、太陽光、風力、地熱、さまざまな自然エネルギーに頼る社会を実現できるチャンスだ。長辻 でも、ドイツは脱原発ですけれど、中国がすごい勢いで今やろうとしてますよね。小泉 それは非常に、日本にとって懸念があるんですよね。事故起こしたら日本に来るから、放射能が。長辻 来ます。それと、中国大陸だけでなく、世界中に建設しようとしていますからね。小泉 あれは非常に懸念材料ですよね。長辻 中国が、安全性に疑問を抱える原子力プラントを、いろんな所に建設するんだったら、日本がきちっとした技術で造った方が…。小泉 そういう懸念材料は、やんない方がいいね。自然のエネルギーをやればできるんだから。原発に投じた金を、自然エネルギーに向ければ、日本は必ずゼロにできます。そして太陽光、風力、地熱とかね、やっていける。長辻 でも、原発は危険だとおっしゃいましたけれど、日本に実は高温ガス炉という安全性の極めて高い原子炉があるんですよ。平成10年に臨界に達していて、大洗(茨城県)にあるんですけれど、ほとんど存在が知られてない。非常に先進的な原子炉で、一切水を使わないんですよ。小泉 うん。長辻 水が不要なので砂漠の真ん中にも造れます。それから全電源喪失でも、炉心溶融が起きません。普通の原発のように海岸に造る必要はなく、津波の心配もない。過酷事故が起きないので大規模な避難計画も必要ないということで、3・11(東日本大震災)以降、にわかに注目され始めてまして、日本が今、トップ技術を持っている。小泉 うん。長辻 こういう新タイプも含め、完全に原発ゼロではなく、軽水炉にある程度の区切りをつけるとしても、今後は新しく安全なものを造っていこうという考えがあってもいいんじゃないかと。小泉 それは民間が自分のカネでやるなら、どんどんやってもらえばいい。長辻 究極の原子力エネルギーは核融合ですよね。しかし、核融合発電には今のところ技術的に乗り越えられない壁がある。 太陽光や風力などの再生可能エネルギー利用拡大に当たっては、高温超電導技術を電気の貯蔵に使いたいのだけれど超電導の高温化が壁に当たっています。小泉 それは、原発よりは易しいと思いますよ。長辻 どういう理由でですか?小泉 原発を乗り越えた日本人の知恵でね。今までできないことを、ピンチをチャンスに変えてきた。長辻 しかし、再生可能エネルギーは太陽光にしても風力にしても、今の技術では、安定的に使うのが難しいですよ。小泉 そうでもないよ。今アメリカなんかね、高速道路で太陽光発電をやろうと実験が始まった。自動車が走る舗装面を太陽光発電に使おうと。もし日本でこれやったら、高速道路だけで全部電源まかなえちゃうんじゃないか?長辻 あとは安全保障。日本は世界から核の潜在保有国とみられている面があるので、その元になっている原発をなくした場合は安全保障上、不利でないかという考えがありますが、その辺りはどうですか。小泉 それは私は全く違う。核兵器を持って安全かと。私はそうは思わない。原発を造っていれば安全かと。そうは思わない。日本に原発もない、核兵器もないから不安かと。そうは思わないね。原発ゼロにという国民の意見が政治を変える長辻 日米原子力協定の問題がありますよね。2018(平成30)年が更新時期で、核燃料サイクルが動かない、もんじゅが動かない、再稼働も進まないということになってくると、アメリカは「日本は大丈夫か」とみると思う。そこで協定が更新されずにキャンセルされたら、ものすごく重大な影響が日本に及ぶでしょう。小泉 うん。それは日本の方針、ゼロに決めればできますよ。話せばできる。アメリカは理解する。大統領は、日本の首相がそうだと言えば、日本の意向を尊重します。この原子力の問題というのは、カネがかかってしようがないんだよ。長辻 でも、首相のときはそうは思われなかったわけでしょう。小泉 信じてたよ。みんな「これは大丈夫です」「安全です」「コスト安い」って言っていたんだよ。コスト安いなんてよくも…。俺も知っていたらな。ほんと悔しいよ、ウソを信じていたのが。あぁ、過ちだったなと。長辻 しかし、小泉さんの思いは、後継の安倍(晋三首相)さんには伝わっていない。小泉 うん。長辻 参院選がありますね。今の思いをどう政治に生かしていこうと思われているんですか。小泉 そのうち反映されるね、自然に。原発は高くコストがつく、安全じゃない、クリーンでもないというのが。そういう首相が出るよ。そしたらね、推進論者も役人も経済産業省も、ガラっと変わる。長辻 しかし、安倍さんは、そうはならない?小泉 安倍さんでは無理だ。もうここまでいっちゃってるんだから。いま変えられない。変わったらブレだといわれるし。長辻 新しい政治のうねりを、郵政民営化のときのように起こそうというお考えはありますか。小泉 いや、いずれ分かると思うんだ。多数意見だもん。国民がゼロがいいという。だから時間がたてばたつほど、ゼロでやっていけるというのが、分かるから。そうすると、国民の意見が政治を変えていくと思う。長辻 国民的な議論をうねりにするには、参院選の大きな争点にすべきだというふうに…。小泉 民進党とかしないのがおかしいね。電力総連の意向に左右されちゃう。いわゆる利権団体。原発やエネルギー問題について小泉純一郎元首相と対談する、産経新聞の長辻象平論説委員(寺河内美奈撮影)長辻 原子力発電環境整備機構(NUMO)は、発電で生じた高レベル放射性廃棄物を地下深くに埋設する法人ですけれど、ここが全国の市町村に対して手を挙げてくださいと処分地探しの公募を始めたのは2002(平成14)年で、小泉さんが首相のときです。その頃のことは覚えてますか?小泉 いやいや。任せてた。技術的には分からないから。専門家がいいと言ってやっていると。それが3・11でウソだと分かったから今、「過ちを改むるに、はばかることなかれ」といって、やっているんだよ。長辻 その言葉は、将軍の徳川綱吉が好きだったんですよね。小泉 あの綱吉が?長辻 そう。面白いですね。綱吉と一緒なのは、ちょっと微妙ですね(笑)小泉 あれは、生類を憐れもうというのはね、あれは行き過ぎだよ。長辻 生類憐れみの令がなぜ可能だったか分かります? あれはエネルギーの問題なんですよ、実をいうと。あの時代に房総半島の方でイワシの大漁があったんですよ。イワシを犬に与えることで大量の犬を養うことができました。小泉 あ、そうかぁ。長辻 元禄時代は文化としては非常に華やかですよね。あれはイワシのエネルギーなんですね。イワシから魚油が採れるでしょう。それと肥料もです。肥料に使うことで木綿栽培が発達したんですよ。小泉 ふ~ん。長辻 着物が華やかになりました。麻はうまく色が染まらないけど、木綿は非常に染色性がいい。だから草木染で、庶民が草花の色を着られるようになったんですよね。小泉 ふう~ん。長辻 気分も高揚して。それまでは高い菜種油だから夜は寝ないといけなかったんですけど、イワシの油は魚油で安いので…。小泉 あの行灯用の?長辻 そうです。ですから、夜の時間が使えるようになったんです。小泉 へえ~。長辻 江戸時代の元禄文化というのは、イワシエネルギーの世界。だから、エネルギーというのは非常に大事なんですよね。小泉 そりゃそうだよなぁ。だから忠臣蔵の討ち入りさ、大変だったと思うよ。あの暗い中さ、吉良上野介を探すのにね。長辻 おっしゃる通りなんです。なぜ2年近くを赤穂浪士が江戸で生きられたかというと、イワシを食べていたからです。小泉 イワシを…イワシは庶民の魚じゃないの?長辻 赤穂浪士が食べていたイワシはさらに下の干鰯という、肥料にするようなものを食べていたんです。小泉 はあ~。長辻 イワシの豊漁期でなかったら赤穂浪士は飢え死にしていますよね。小泉 そうかあ。綱吉の時代だよな、忠臣蔵。 《後で知ったのだが、小泉さんは、大の忠臣蔵好きだった》長辻 そろそろ、時間ですね。いろいろ、ありがとうございました。小泉 はははは。長辻 小泉さんはもっと怖い人かと思っていましたよ。この本を持ってきたので差し上げます。私が書いたものです。小泉 『元禄いわし侍』か。面白いなぁ。ありがとう。

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    小泉純一郎の「脱原発」発言で、何がどう変わるのか?

    田原総一朗(ジャーナリスト) 小泉純一郎元首相の「脱原発」論が話題を呼んでいる。小泉さんは、今年の8月にフィンランドを訪問してきた。世界初の核廃棄物の最終処理処分場、「オンカロ」を視察するためだ。オンカロとは、フィンランド語で「洞窟」「隠し場所」を意味する。 この「オンカロ」でしていることは何かというと、いわゆる「地層処分」である。原発の使用済み核燃料を10万年の間、地中深く保管し、無害になるまで置いておくのだ。 10万年後、どんな社会になっているのか、誰も想像つかないだろう。いま、僕たちが話をしている言葉さえも通じない可能性がある。そんな遠い未来まで放置するしかない。こんな処理方法しかないゴミを生み出していく原発を、これ以上、続けていっていいのだろうか。そう、小泉さんは考えたのだ。原発は「トイレのないマンション」と、長年、言われてきた。まさに、そのことである。 小泉節は健在だ。あの明快さで「脱原発」を語るのだから、おおいにウケる。原発をなくせばハッピー、という気分にさせられるのだろう。小泉純一郎元首相 だが、大事なことが抜け落ちている、と僕は思う。「こんな処理方法しかないゴミ」である使用済み核燃料は、すでに膨大な量が存在しているのだ。もし原発をやめたとしても、これらの「ゴミ」をどうするのか。小泉さんはその部分を語っていない。ただ「脱原発」を語るのみである。 他にも、語っていないことがある。日本もフィンランドと同じく、「地層処分」を採用する方針を、1976年に決めている。ところが、建設どころか、候補地さえまだ決まっていないのだ。実は、フィンランドは地盤が安定している。一方、日本には火山がたくさんあり、地震の多い国土である。そのような場所で「地層処分」をして、果たして大丈夫なのか。そのような議論さえ、充分に尽くされていないのだ。 小泉さんは、脱原発発言をして、さらに社民党党首と会談までして、自民党を慌てさせている。こうした小泉さんの言動が、自民党の原発に対する態度を、変える可能性があると、実は僕は思っている。 現在、政府の原発に関する行政は、驚くほど縦割りだ。原発を推進してきたのは経済産業省だ。一方、除染については、本来環境省担当なのだが、実質、復興省が行っていると聞く。また、高速増殖炉「もんじゅ」や、放射能の分散を予測する「SPEEDI」は、文部科学省の管轄だ。こんな縦割りで、弊害がないはずがない。 実際、福島第一原発事故の際も、「SPEEDI」が活用されなかったことは周知の事実である。だから、みんなが「木を見て森を見ず」。誰も責任感がないのだ。総合的に日本の原子力政策を考える、省庁を超えた組織が必要なのだ。 安倍内閣は現在、国家安全保障会議の設置を進めている。いわゆる日本版NSCだ。この日本版NSCができれば、官邸の司令塔機能を強化される。つまり、官邸主導で外交や安全保障の問題を迅速・適切に意思決定できるようになるのだ。 僕は、この「原子力版」を作るべきだと思っている。そして、小泉さんの言動が、そのきっかけになるのではないか、と願っているのだ。(田原総一朗公式サイトより2013年11月4日分を転載)

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    2022年までに脱原発のドイツ 珈琲豆店が水力発電の電力販売

     小泉純一郎元首相の「脱原発」発言が物議を醸しているが、小泉元首相の言う「脱原発」を日本に先駆けて実施した先進国がある。 原子力17基を所有し、原発に電力の約2割を依存していたドイツは、法案で2022年12月までに原発の完全廃止を決定した。東日本大震災からわずか4か月後のことだった。 物理学者で、原発推進派だったメルケル首相だが、福島原発の事故をきっかけに「脱原発」へ舵を切った。『脱原発を決めたドイツの挑戦』(角川新書)著者で、ドイツ在住のジャーナリストの熊谷徹さんは言う。ドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州で演説するメルケル首相「ドイツ人は日本をハイテクノロジー国家だと信じていた。そんな日本でも事故が起こって、原発をコントロールできないことに非常にショックを受けたんです。それはメルケル首相も同じで“原子力使用に対して国民に責任を持てない”と思い知らされ、180度立場を変えたんです」 ドイツ国民は環境意識が高いことで知られている。自宅で使う電気は、1000を超える電気販売会社から選べる。なかには、風力、バイオマス、太陽光、水力など、再生可能エネルギーだけを販売しているところも。「例えば、ドイツ人なら誰もが知っているチボーというコーヒー豆販売店では100%水力発電で作られたエネルギーを売ってます。日本でいえば、お茶を販売する伊藤園が電力を売り始めたようなものです」(熊谷さん) また、原発を選択する家庭の毎月の電気料金の明細書には、1キロワット時あたりの核廃棄物量が記載されている。こうした意識の高い国民の後押しもあって、メルケル首相は、脱原発の道を突き進んだ。「さらにメルケル首相は、2011年5月から2つの委員会に提言を求めました。ひとつが原子炉安全委員会という原子力のプロ集団。もうひとつが倫理委員会です」(熊谷さん) この倫理委員会のメンバーに原子力のプロはいない。社会学者や哲学者、教会関係者など。そして2か月後、彼らが出した答えは「福島事故によって、原子力発電のリスクは大きすぎることがわかった」というものだった。 一方の原子炉安全委員会の報告は「ドイツの原発は航空機の墜落を除けば、洪水や停電などに対して比較的高い耐久性を持っている」という結論で、倫理委員会とは真逆だった。「メルケル首相は、倫理委員会の提案を優先しました。この委員会の人選は政府ですが、委員会には原子力に反対していた人が多く含まれていました。このため、メルケル首相が最初から脱原発をめざしていたことは明白です。倫理委員会は、首相が考えていた通りの提言を行ったのです」(熊谷さん) とはいえ、国民の生命や財産を守ることが国の第一の意義とすれば、脱原発がもたらすリスクを考慮に入れてもあえて原発を存続させる必要はないと考えたのではないだろうか。関連記事■ 原子力安全委員 最短週10分の会議出席で年収1650万円■ 総選挙控える独 反ユーロ、マルク復活掲げる政党支持の声も■ ギリシャ危機に対処するEU首脳に関するジョークを3つ紹介■ 短期間で脱原発宣言の菅総理 ドイツは10年以上で結論出した■ 「原発の『想定外』は責任逃れのために作った指針」と専門家

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    最近の小泉純一郎氏 白髪増えるも元気で軽口叩いて意気軒昂

    た。再生可能エネルギー普及を目指す電力会社が主催し、約1000人が耳を傾けた。約60分間、小泉氏は脱原発の持論を展開した。「原発推進論者は、原発は安全だ、コストが一番安い、クリーンだという。しかし、4年前の事故を見て自分なりに調べるうちに、全部ウソだとわかった! よくこんなウソを政府はいまだにいっているな」 細川護熙氏を擁立した昨年2月の都知事選中に行なわれた講演会では老人ネタのギャグを織り交ぜて会場を沸かしたが、この日はいたって真剣。やはり、軽口をたたけないほどに都知事選大敗が尾を引いているのか……と思いきや、“鉄板ネタ”が飛び出した。小泉純一郎元首相「オンカロ(フィンランドの核廃棄物処理施設)の担当者たちが頭を悩ませているのは、何千年、何万年後に生きる人たちにどうやって危険な場所だと伝えるかということ。言葉の変化は早いですからね。 最近私が理解できない言葉が結構あるんですよ。たとえば『キモい』。キモ(肝)というくらいだから何か大事なことなのかと勘違いしていました(場内笑い)。30年くらい前まで『あの人はキレるね』というと、頭のいい人のことをいったものです。ところが今は怖くて使えません」 石油ショック時のトイレットペーパー不足から日本人の清潔さに話が及ぶと、「外国人は日本の家に入るとき靴を脱いでスリッパを履くことを知っています。日本人はなんてきれい好きかと感心します。ところが、お座敷に入るとスリッパを脱がなくてはいけない。これには外国人も驚かされるそうです(場内笑い)」 としっかり笑いをとり、「『年寄りも大志を抱け』でいきたい」と締めくくった。 今回の講演は昨年5月に設立した自然エネルギー推進会議の活動の一環だ。小泉氏と親交のある経済ジャーナリストの須田慎一郎氏が語る。「小泉さんは首相退任後、経団連の中心企業が出資したシンクタンクを拠点に活動していたが、2013年夏に脱原発に動き出すと関係が切れた。入れ替わるように関係を深めたのが楽天の三木谷浩史氏を中心とする新経連(新経済連盟)。彼らの支援でできたのが自然エネルギー推進会議です。 最近の小泉さんは白髪こそ増えたが元気そのもの。先日も体調を尋ねたら、軽口を叩いて意気軒昂としていました。今後も同会議を拠点に発信を続けていくようです」 ライオンヘアの咆哮はまだまだ止みそうにない。関連記事■ 小泉純一郎氏 11月の福島県知事選に進次郎担ぎ出すプランも■ 小泉元首相が小沢氏と新党結成も 東京五輪時に進次郎首相へ■ 中曽根康弘「私も小泉君もポピュリスト」「変人のまま」■ 都知事選脱原発争点化を批判の読売 東京都の尖閣購入は高評価■ 憶測飛び交う小泉元首相の「脱原発宣言」は財界の総意ありか

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    もんじゅ廃炉と「シン・ゴジラ」

    映画『シン・ゴジラ』は、核の脅威を象徴するメッセージ性の強い作品だ。くしくも、この大ヒットの最中に政府が高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉方針を決めた。エネルギー小国にとって、核燃料サイクルの「夢」はまた遠のくことになる。日本に巣食うリアルゴジラの正体を突き止めれば、課題は自ずとみえてくる。

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    知られざるもんじゅの底力、感情論の廃炉が導く技術立国日本の「死」

    奈良林直(北海道大学大学院特任教授) 9月21日、政府は閣僚会議を開催し、プルトニウムを利用する新たな高速炉開発の計画を年内にまとめる方針を確認した。会議には菅義偉官房長官、松野博一文部科学相、世耕弘成経済産業相らが出席。菅官房長官は「もんじゅについても本年中に廃炉を含めて抜本的見直しを行う」と語った。今後、地元の意向を踏まえながら扱いを最終的に決める方針。同日夜には、松野文科相が福井県で西川一誠知事と面会した。「約1兆円の国費を投じながら20年以上ほとんど運転していない実態を重くみており、もんじゅは事実上、廃炉に向かうことになる」等の報道があるが、「ちょっと待った」と言いたい。原子力関係閣僚会議であいさつする菅官房長官(左から2人目)=9月21日、首相官邸 今回の問題は、もんじゅの運転保守をしている検査について、昨年11月に規制庁から厳しい勧告が出たものであるが、これは人的なマネージメントの問題点を指摘しているのであって、高速増殖原型炉「もんじゅ」の設備とは切り離して考えるべきである。「保守点検が満足にできないから、国家プロジェクトで建設されたもんじゅを廃炉にしろ」というのは、論理的に飛躍している。「方広寺大仏の鐘の銘文「国家安康」の字句が,家康の名を分割しているので、徳川氏を呪詛し「君臣豊楽」の文字が豊臣家の繁栄を祈願している」と難癖をつけて、最後は大阪城を大砲で砲撃し、豊臣家を滅亡に追いやった論理と全く同じである。 松野文科相は「説明不足があった。これからは福井県や敦賀市のみなさんに説明、調整させて頂きたい」と述べたが、地元の福井県の西川知事は「政府の無責任極まりない対応であり、誠に遺憾だ」と批判したとのことであり、我が国で唯一、西川知事が正論で主張されている。経産省は、もんじゅに代わる炉として、燃料を増やせない高速炉で、フランスで計画中の「ASTRID(アストリッド)」への協力を通じ、日仏共同研究を軸にした計画をつくろうとしている。 今後、この方針に沿った技術開発計画が続く見込み。もんじゅと同じ、冷却材にナトリウムを使う原子力機構の実験炉「常陽」(茨城県)の活用も検討するとしているが、フランスの原子炉はタンク型炉といって、大きなナトリウムのタンクに原子炉の炉心や熱交換器、ナトリウムのポンプなどを吊り下ろしている構造で、耐震に弱く、日本では建設できない。国際協力は、単にお金を出せばよいといった安易な協力では、立場が弱くなり、我が国から実験結果などの十分な成果を提示しなけれれば、軽くあしらわれるだけである。「常陽」にもどってしまうと我が国の高速炉開発は、1978年まで戻ってしまう。 規制庁はもんじゅの運営に対してレッドカードの勧告を突きつけたが、これは組織としてしっかりした組織にするようにということで、もんじゅを廃炉にしろとは一言も言っていない。西川一誠知事は「規制委員会のこれまでの助言も親切さが欠けている。運営体制は、JAEAと文科省、規制委の3者が当事者として責任を持つべきだ」と述べられており、地元企業からも、「規制委の対応を「規制委がJAEAの言い分に耳を傾けず、強い権限を背景に一方的に“判決”を言い渡した」と「弁護士不在の裁判」の実態を批判している。 私は、昨年12月12日に第三者としての客観的な立場で、それが本当なのか、自分の目で確認に行って、記事にまとめた。12月12日は土曜日であったが、敦賀に行って、朝から、もんじゅを見学した。格納容器内や開放点検中のAループのセル内にも運良く入れた。ご案内いただいたのは20年前のナトリウム漏えい事故を対応された方で、このようなプラント全体を熟知された方は、もう極くわずかとのこと。引き継がれる「もんじゅ」の技術 格納容器内には、炉心真上の回転プラグ、燃料交換機などが一望できる。中間熱交換器室、循環ポンプ室、セル内には熱応力を逃げるためにタコベントのように曲がりくねって引き回された配管と、それを支持する堅牢なV字型サポートや熱膨張を避けて耐震サポートとなるメカスナッバーやオイルスナッバーなどが取り付けられ、分厚い保温材とラッキングが被された配管は、内部に漏えい検出器の電極や、ナトリウム漏洩の際に生じる気体を吸引して漏えいを検知する系統、ナトリウムが凍結しないように加熱するおびただしい電気ヒータや熱電対などが整然として取り付けられていた。 補助建物内の蒸気発生器(エバポレータと過熱器)も含め、プラント内には塵ひとつ落ちていません。とても20年間経ったプラントとは思えない。世界中の約百基のプラントを見ているが、メンテナンス状況は、運転中の軽水炉と比較して、決して遜色がない。保安規定違反とされた、保安規定対象外の監視カメラ180台も新品に取り換えられていた。中央制御室もガラス越しに見ましたが、中操の人たちは、真剣にプラントの状況を把握して働いていらした。 メーカの技術者で、開発当初から高速炉をやっていた方は、もうほとんど退職するか異動になっている。初期の方々の大部分は引き上げて、もうもんじゅにはおられないのだが、現在も技術を引き継いた、メーカや電力会社からの出向者の方と共に機構の方がおもりをしている。もんじゅは当初、機構と電力の方が各50%ずつで運営されていたが、現在は40%の機構の方と10%強の電力出向者、残りは数年で交代するメーカや、もんじゅを支える地元企業等で運営されている。30年前のもんじゅ建設当時からもんじゅに関わり、プラント全体を熟知された方は、もう極くわずかである。それでも、新人を採用し、2直、5班で、運転を経験させてプラント全体系統を理解させて、それから保全活動に就くようにして人材育成をしている。もんじゅのプラントとしての運営自体は、他の組織を持って代えがたい。 仮に、今から次世代高速炉の設計をして20年後に建設できたとしても、その新鋭設備の運転保守ができなければ、現在と同じことが繰り返されるだけである。新設の高速炉を設計して建設するには、コストも1兆円以上かかる。現在のもんじゅを廃炉にするとナトリウムを使った原子炉なので、おそらく数千億円かかる。つまり、1兆数千億円かかることになり、「現時点で、そんな大金をはたいてまで、高速炉を開発する意味はあるのか」という主張が出て、我が国の高速炉開発がとん挫してしまうことは、ちょっと考えれば、すぐわかることである。有馬委員会が作られて、熱心に活動されたが、具体的な組織のビジョンが描けていなければ、このような結果になることも、また当然である。 さて、では、どうすればよいのか。私は、現在のもんじゅの運転の組織に加えて、機構の高速炉の研究者や管理部門やさらに退職したOBも加えて組織をしっかりし、20年間のもんじゅの事故やトラブル、運転保守の課題を、徹底的に調べ上げ、次の世代の教訓や次世代高速炉の設計上の留意点とすべきだと主張したい。これができなければ、田中委員長の勧告に応えたことにならない。20年後にまた同じことを繰り返すだけだ。 歴史を紐解いてみよう。1995年のナトリウム漏えい事故であるが、これは熱電対という温度センサーを収めたステンレス製の鞘管が、流体の渦で共振して、その振動で折損し、その割れ目からナトリウムが漏えいしたのだ。専門的には、「流体弾性振動によるロックイン現象」と呼ぶ。次いで残念なのは、2010年に再稼働を始めた途端に、燃料を出し入れする大型円筒金具が落下したことだ。円筒内の平板金具が回転すると、吊り上げのための爪が外れてしまう構造上の問題と、5年で交換が必要な回り止めのゴムの劣化が原因であった。事実誤認があるNHK「クローズアップ現代」 NHKがクローズアップ現代で放送していた非常用DGの点検先送りについては、放送内容にいくつかの事実誤認がある。まず、発端は平成22年12月に12気筒のうち1気筒のシリンダーライナに割れが発生し、12気筒全てのシリンダーライナを交換している(この間6か月)。非常用ディーゼルの点検周期は16か月で、ちょうど16か月目がB号機とA号機の点検期間と重なっていて、保安規定上2台同時に点検できないため、C号機の点検ができなくなっていたのだ。この時は、点検期間延長申請を行うか、B号機の前に点検を済ませて置く等の保全計画があれば回避できた。この件は、C号機の簡易点検が問題にはなったが、保安規定違反にはされていない。 また、2015年の7月に非常用ディーゼル発電機のメンタナンス中にシリンダーヘッドを誤って落下させ、シリンダーヘッドに取り付けられた小型の弁(インジケータコック)と潤滑油配管が変形した。これは、法令報告事例で、速やかに、規制庁に届けられた。この件は、点検作業を行っていた業者に対する調達管理について、保安検査で保安規定違反の判定を受け、業者の現場作業に関する品質保証計画書を提出させていたものの、業者の全社的な品質保証計画を提出させていなかったこと、業者の選定に係る基準を定めている「競争参加者資格審査要領」が、「もんじゅ」の保安規定に基づく文書として管理されていなかったことなどにより、品質保証による判定で保安規定違反とされた。「本事象はディーゼル発電機1 台の故障であるが、別の2 台のディーゼル発電機が動作可能であり、直ちに安全上の問題はない。」と原子力規制庁の文書に明記されているが、再発防止策が重要なのは言うまでもない。福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」 さて、多数の未点検設備の保安規定違反は、どうかというと、規制庁時に、点検期間の変更を届出ておらず、ここからがボタンの掛け違いとなっている。それまで軽水炉に要求していた保全プログラムの導入を、規制側(当時は保安院)がもんじゅにも適用することとした。もんじゅは準備期間もなく導入したことから、保全プログラムを使って保守しながら保全プログラム(特に点検計画)を改善しようとしたところ、改善しながら直すということが許されなかった。規制側は保全計画を厳しく遵守することを求め、それができない場合は、保安規定違反とされたのだ。 とくに保安規定違反の根拠がひどいと感じたのは、配管点検である。6万個もの支持構造物があり、全てが外観検査の対象になっており、その多くの目視点検が、保安規定違反にされている。配管の外観点検は、「配管を保温材が施された状態で、視認できる範囲を確認した」というやり方で実施したのであるが、特にナトリウム配管はナトリウム漏えい検出器で常時監視していることから、保温材に凹み等がなければ健全であることを確認できる考え方である。詳しい「もんじゅ」の視察をしていない規制委 配管に見えないところがあるのは自明で、しかも保温材が設置されていて配管を直接見ることができない。そのような配管に外観点検をするというのは、巡視点検程度の状態監視を行うことと考え、保温材の外から視認可能な範囲で目視点検を行うこととして実施したとのことであるが、目視可能範囲の外観点検は、主に人的要因の外力による保温材上の変形を確認するため、(歩廊等から)見える範囲・方向の確認を行ない、高所の配管は配管下から確認するか、歩廊上から配管上側や側面から目視点検(VT)を実施したところ、目視点検一式と書いてあるから、全部を見ること、やっていなければ保安規定違反だと判定された。1万件の未点検箇所は、その後、一旦は解消されているが、また三か月後に規制庁が検査に来て、未点検箇所が数千件となってしまうのである。 このような検査がどのように安全上寄与するかというと、むしろ状態監視に必要な漏洩検知の電極や、ナトリウムの水分との反応生成物を検出するサンプリング配管の機能検査や、炉内点検機器のゴムの劣化などが、より重要と思う。一目で分かる配管構造物の損傷に6万件の書類を作らせることよりも、もっと安全上重要な検査を優先すべきである。この膨大な書類検査によって、本質的な問題点を炙り出す本来の保全プログラムを阻害している。安全文化の検証には、規制庁全体の保全プログラムの実施が最も有効と思う。状態監視保全、傾向監視保全、365日に亘って緻密に実施されるオンラインメンテナンスは欧米では当たりまえのように実施されている。旧態依然とした我が国の検査精度、書類ばかり作成される形式主義の品質保証(QMS)精度は、抜本的に見直すべきと思う。 規制委員会発足後、規制委員は、だれ1人、もんじゅの格納容器や補助建屋内の機器や配管をご視察されていない。そして、レッドカードが出されている。これでは、規制庁の検査プロセスのQMSが必要だと思う。米国原子力規制委員会(NRC)には、NRCを監視する組織があるのに、規制委員会・規制庁には、それが無い。保安規定違反の報告書を第3者組織が、全て、精査すべきと思う。海外の専門機関に依頼しても良いと思う。 数千件の未点検箇所が国際的な規制の考え方で、本当に妥当で、安全上重要なものに関係しているのであろうか。IAEAの規制レビューサービス(IRRS)では、規制委員会の規制が、まだ発展途上である。規制の体系化・ドキュメント化ができていないと指摘されている。2時間かけてもんじゅのセル内を視察したが、太い配管の下をくぐり、ときには膝をついたり、腰を曲げて、ヘルメットが、サポートにぶつかってゴツゴツ音を立てながら移動して現場を確認した。床には塵1つ落ちていなかった。白い手袋も白いままであった。 原子力規制委員会では、今年3月のIRRSの指摘や勧告を受けて、5月30日に「検査制度の見直しに関する検討チーム」の第1回会合を開催し、8月4日の第4回委員会では、検査制度見直しの基本的考え方が示された。さらに8月25日の第5回委員会で、検査制度の見直しに関する中間取りまとめ(案)が審議され、検査制度の方向性がほぼ定まった。ここに重要な方針が示されている。 「規制機関は、事業者の保安活動全般を包括的に監視して、その実態を把握し、事業者が的確に改善点を抽出し、改善活動を安全性の向上に結びつけていることについて評価していく。また、監視・評価の結果、規制基準への適合性が十分確認されていない等、保安活動に不十分な点が見つかった場合は、不適合、違反の是正の実現に留まらず、事業者の保安活動が改善され、より高い安全確保の水準が実現するよう促していく」とあり、国際的にみても、西川知事がおっしゃる、もんじゅに対する優しさ、安全性向上を促す規制が欠けているのである。 30年、40年と時間と国費を投入されて開発されてきたもんじゅ、それを規制委員長の判断だけで、廃炉に追い込むことは、技術立国日本の根幹に係わることで、許されることではない。我が国全体の原子力の専門家と行政や政府が一体となって、もんじゅや核燃料サイクルの未来をしっかり議論すべきである。「文殊の知恵」が今こそ必要とされている。

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    中露に先を越された核燃料サイクル、技術供与が「裏目」に出た日本

    以は、まさにこの燃料の「増量」にあるのだ。 実は、この高速中性子の照射を使うことで「減量」もできる。原発の使用済み核燃料の中に含まれる高レベル放射性廃棄物には半減期が数万年単位の「高寿命核種」がある。これに対して、高速中性子の燃料照射を行うと、ウラン238がプルトニウム239になったのと同じ反応が起こり、高寿命核種を短寿命核種や非放射性核種に分離・変換することが可能だ。「増量」に使うのか、「減量」に使うのかは、その国の置かれた状況次第ということになるだろう。 ただ、ここに一つ技術的な課題がある。ウラン238に中性子をぶつけるためには、中性子を減速せずにそのまま使わなければならない。そのため、通常の原子炉にあるような制御棒では中性子を吸収してしまうので不適格だ。よって、高速増殖炉は冷却材として、中性子を減速・吸収しにくいナトリウムを使用している。中国やインドまでもが高速増殖炉の開発に勤しんでいる ナトリウムは外気に触れただけで発火するため、常温では極めて取り扱いの難しい物質である。日本が開発した高速増殖炉「もんじゅ」は、ロシアに先じて1994年には臨界を迎えたが、翌年にナトリウム漏出火災事故を起こしそれ以来運転が止まってしまった。そして、このたび政府はもんじゅを廃炉にするという。本当にそれでいいのだろうか? 世界各国は長年の原子力発電で生じた使用済み核燃料の再処理に困っている。特に、その過程で大量に生成されたプルトニウムをどうするのかというのが喫緊の課題だ。 2000年に米露の核兵器削減交渉が合意したことにより、ロシアには34トンのプルトニウムの余剰が生じた。これを処分するためには、廃棄物として捨てるか、ウランと混合して混合酸化物(MOX)燃料にして原子炉で燃やすか2つに1つしかない。報道陣に公開された高速増殖原型炉もんじゅの 原子炉上部=2015年11月、福井県敦賀市 ロシアはプルトニウムを「資源」だと認識している。そのため、後者を選択したのだ。しかし、ロシアは実はこの時点でMOX燃料を作る技術がなかった。では、誰がその技術を教えたのか? 毎日新聞は次のように報じている。 《問題解決を図ろうと、「もんじゅ」などで実績がある核燃料サイクル開発機構(現・日本原子力研究開発機構)が99年5月から米国の要請を受けてロシアの研究所と共同研究を始めた。製造したMOXを原型炉「BN600」で使う試験を繰り返し、年1トン以上のプルトニウムを消費する計画にメドがたった。今回、その成果が生かされた形で、「BN800」には、2種類のMOXと高濃縮ウランが燃料に使われているという》(毎日新聞 2015年12月18日)http://mainichi.jp/articles/20151217/mog/00m/030/023000c なんと、その技術を教えたのは日本なのだ。日本では高速増殖炉は廃炉される予定だが、一部で日本の技術を利用したロシアの高速増殖炉は商業運転まであと一歩となった。 日本はもんじゅの廃炉だけでなく、六ケ所村の核燃料リサイクル事業も安全審査の遅延により未だに稼働できない状態が続いている。こうしている間に、ロシアに続き、支那やインドまでもが高速増殖炉の開発に勤しんでいるのが現状だ。原子力に頼らず、国のエネルギーが賄えるならそれはそれで素晴らしい。しかし、現実はどうだろう? 中東情勢は混迷の度合いを深めている。そして、南シナ海、東シナ海において支那海軍が日本のシーレーンを脅かしている。もう少し広い視点でエネルギー問題について考えてみれば、違った結論も見えてきそうな気もする。しかし、これが政府の決断であるなら仕方あるまい。日本は大きなチャンスを棒に振ったかもしれない。  

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    もんじゅ廃炉で誰が一番得をしたか?弱すぎる日本のエネルギー政治

    び与えてしまうだろう。そして、現在の原子力発電の主流である軽水炉そのものまでも否定し、非常に乱暴な反原発・反サイクルの空気がまたぞろ醸成されるかもしれない。数名の元首相たちが「原発即ゼロ」を盲目的に唱えているような状況でもある。 だからと言って、エネルギーという一国の経済・生活・文化・安全・環境保全の全てを左右する基幹インフラの在り方を「空気」で決めて良いはずはない。現実を直視しながら、将来も見据えた賢察が切に求められている。今の原子力発電の主流は軽水炉。昨年末のパリ協定で、日本は2030年度に2013年比で温室効果ガスを26%削減すると約束した。そこでは、電源構成の20〜22%を原子力(軽水炉)で賄うことが大前提となっている。福島第一原発事故当時に46基を数えていた国内の商用原子炉のうち、6基の廃炉が決定し、26基について原子力規制委へ『再稼動の申請』がなされている。現在までのところ、川内原発1・2号機、高浜原発3・4号機、伊方原発3号機の計5基が新規制基準に適合するなど原子力規制委の審査に合格している。 「原発がなくても大停電は起こっていない。電力供給の安定は保たれている。だから、原発は電力の安定供給には必要ない!」 ——— 脱原発・反原発を叫ぶ勢力には、こういう論調は歴然とある。だが、それが大きな誤解であることを証明する事態が最近起きた。9月8日正午過ぎ、愛知県西三河方面、岐阜県岐阜、西濃、中濃方面で大規模な停電が起きた。東海地域で発生した落雷により、中部電力の送電網に障害が発生したのだ。落雷の被害を受けたのは幸田碧南線。中部電力の大型石炭火力発電所である碧南火力発電所で発電した電力を東海地域へ供給する役割を担っている27.5万Vの超高圧送電線だ。 幸田碧南線の回線は2つだが、どちらも落雷で機能が損傷。それに伴って碧南火力発電所1〜5号機の総出力410万kWも瞬時に停止した。その影響で中部地方では電力供給力が不足し、需給バランスが崩れて周波数が低下し、大規模な停電が発生した。愛知県内22万世帯、岐阜県内14万世帯の合計36万世帯が約35分間も停電。周波数が低下した影響で、北陸新幹線に信号トラブルが発生し、多くの列車の運行が遅延。落雷による停電は、その後も三重県内などで続いた。停電それ自体は同日中に全て解消したが、電力供給安定面での不安はしばらく拭い切れなかった。電力需給上のリスクに直面しているという事実 震災による福島第一原発事故後、明快な安全上の理由はなく、また、法的な根拠もなく、菅直人首相(当時)の要請だけで停止を強制され、それが今も続く中部電力・浜岡原発電所3〜5号機の計362万kW。加えて、今回の碧南火力発電所410万kWというたった1カ所の石炭火力発電所の停止。これらにより、電力供給力は大きく損なわれ、大停電が発生する危険性が高まったため、他の大手電力会社に大量の応援融通を求めた。不測の事態が起これば電力供給がすぐ綱渡り状態になってしまうことが、現実に起こったのだ。「原発は電力の安定供給には必要ない!」という脱原発・反原発を叫ぶ勢力の主張が大嘘であることが示された。中部電力の碧南火力発電所 9月8日午後2時、全国的な電力需給調整を行う「広域的運営推進機関」は、東京電力パワーグリッド、北陸電力、関西電力、中国電力の4社に対し、同日夜遅くまで3回に分けて数百万kWに及ぶ電力の応援融通を指示した。翌日、碧南火力発電所では全基の運転が再開したので、一応無事な結果となった。この間、中部地方では、運転開始から40年超の「老朽火力発電所」が400万kWにも上り、それらを酷使して安定供給を確保していた。つまりこうした綱渡り状態は、送電網の障害と大型火力発電所の停止が発生すると電力需給に大きな悪影響が生じることを改めて浮き彫りにした。同時に、大型の安定電源でもある原発が停止し続けていることで、電力需給面での脆弱性を招いていることが図らずも明らかになった。 こうした実情は、中部地方だけのことでない。原子力規制委の新規性基準適合性審査の長期化や、地方裁判所の民事訴訟・仮処分決定などによる悪影響で、原発の再稼動はなかなか進んでいない今の日本。一方で、そのために電力需給上のリスクに直面しているという事実を直視していくことが不可欠である。どうであれ、既設の原発(軽水炉)をフルに活用していくことは、現に必須である。 その更なる活用を進め、資源として再利用できるという核燃料の利点を現在の技術水準で実現させる仕組みが「軽水炉サイクル」。これは、軽水炉で利用した使用済燃料をそのまま廃棄するのではなく、①再利用可能な資源(プルトニウムとウラン)と廃棄物に選別する「再処理」を施し、②プルトニウムとウランの混合燃料(MOX燃料)を「再利用」するとともに、③廃棄物だけを安定的な状態にして「最終処分」するという仕組み。海外にも数多くの先行例がある。ロシア、インド、中国が実用化目指す「高速炉サイクル」 軽水炉サイクルの利点は大きく3つある。第一に、ウラン資源の節約である。使用済燃料を再処理してできたMOX燃料に加工して利用するとともに、再処理して取り出された回収ウランを濃縮して低濃縮ウランとして再利用すると、ウラン資源全体として約26%を再利用できることになる。石炭・石油・天然ガスなどの化石燃料と同様、ウランも限られた資源であり、その点でも軽水炉サイクルには大きな意義がある。 第二に、高レベル放射性廃棄物の減容と安定化だ。使用済燃料を再処理すると、直接処分する場合に比べて、廃棄する体積が1/3〜1/4にまで小さくなる。また、廃棄物に含まれる放射性物質の毒性がより早く低減するので、天然ウランの毒性と同じ程度に減衰するまでの時間が1万年以下と、直接処分に比べて1/10くらいに早くなる。しかも、高レベル放射性廃液を『ガラス固化体』という安定した状態に加工するため、以後長期間に亘って安定的に保管できる。即ち、高レベル放射性廃棄物の最終処分が格段に施されやすくなるわけだ。 第三に、核燃料のリサイクル利用による化石燃料消費量の削減。その分だけCO2排出量を抑制できるので、地球環境保全に寄与できる。 軽水炉サイクルでは、高レベル放射性廃棄物の最終処分地は未定だが、原子力発電環境整備機構(NUMO)が科学的有望地を近々選定する予定。NUMOは、原発事業に伴って発生する放射性廃棄物の地層処分事業を実施する国内唯一の公的機関。他の軽水炉システムに係る施設・設備は、六ヶ所再処理工場(青森県六ヶ所村)を始めとして、殆どが既に国内に立地している。 高速炉サイクルとは、ウランを高速炉で利用することによって、消費した燃料以上の燃料を生み出すことができるもの。軽水炉でのウラン利用効率は0.6〜1.1%だが、高速炉でのウラン利用効率はその約100倍に高まり、数千年分のエネルギーとして使うことができる。軽水炉サイクルでのウラン資源の寿命は、石油など化石燃料と同等でしかない。使用済燃料に含まれるネプツニウム、アメリシウム、キュリウムなどのマイナーアクチニドと呼ばれる半減期の長い廃棄物を高速炉で再利用・燃焼させることによって、高レベル放射性廃棄物を大幅に低減することができるし、天然ウランの毒性と同じ程度に減衰するまでの時間が約300年と大幅に短縮化できる。その分、環境負荷を低減させる利点が大きい。 こうした数多くのメリットが期待できる次世代技術である高速炉サイクルについて、世界では資源小国のフランスや韓国が研究開発を進めている。ロシアやインド、中国では、より早期の実用化を目指して、既存技術をベースに積極的な技術開発を行っており、2010年代に原型炉・実証炉を建設し、2020年代には商用炉を導入する計画となっている。もんじゅ運転を正常化できなかった本当の要因1995年12月、もんじゅで起きたナトリウム漏れ事故=福井県敦賀市 日本では、原型炉であるもんじゅを1983年に旧動力炉・核燃料開発事業団が開発し始めた。1994年に初めて臨界を達成。世界で唯一のループ型というタイプで耐震性に優れ、西側諸国で現存する唯一の『ナトリウム冷却炉』として、世界中から注目を集めていた。翌1995年には初発電に至ったのだが、年末に二次主冷却系配管からのナトリウム漏洩事故が発生した。この配管に取り付けられていた温度計の鞘管からナトリウムが漏れたのだ。 原因は、温度計の鞘管の形状に係る重電メーカーによる設計ミス。ナトリウム漏洩量は640kgで、このうち410kgは屋内で回収され、残りの230kgは屋外に放出された。もちろん、環境への影響は認められなかった。この過程で、ナトリウムの温度はそれほど上昇しなかったので、ナトリウムを迅速に回収し、適切に処理することは、本来は可能であった。 しかし、当時の規制当局であった旧科学技術庁や原子力安全委員会は、『現場の保全』を指示した。このため、ナトリウム回収と処理に関する所要の対応が遅れに遅れた。しかも、二次系のナトリウム漏れ程度のことを重大事故と決め付けた上に、いわゆる「ビデオ隠し」が二度も起こってしまった。もんじゅ運営を正常に戻す機会が失われたのは、こうした規制当局の後手後手の対応や、マスコミによる煽動といった外的な複合要因による。 その後、旧動燃事業団は別の原子力事業を行う特殊法人と統合され、JAEAへ改組された。JAEAは複数の原子炉を保有することになり、型の異なる新型炉の開発や放射性廃棄物の処理など幅広い研究を手掛けるようになった。その結果、もんじゅはJAEAが擁する数多ある研究部門の一つとして、JAEAの中で埋没した形になってしまった。こうした情勢変化の中で、もんじゅの運営責任の所在も曖昧となり、そんな状況が今にまで至っている。 原子力規制委は昨年11月、JAEAにはもんじゅを運転する能力がないとして、所管する文科省に対して、もんじゅの新たな運営主体を決めるよう勧告をした。これを受けて文科省は、昨年12月から広くヒアリングや現地調査を行った上で、もんじゅの運営主体が備えるべき要件を抽出した報告書を今年5月末に取りまとめた。そうした混沌とした状況の中で、冒頭に紹介したような早計な報道が多発。ぜひとも拙速な結論だけは避け、じっくりと時間をかけて検討すべきである。 ある代議士が先日、「もんじゅを今やめたら、喜ぶのは中国だ。日本の国力低下を手放しに喜ぶに違いない」と語っていた。理解している人には、焦眉の急が呑み込めている。政府は9月21日、原子力関係閣僚会議を開き、もんじゅについて『廃炉を含め抜本的な見直し』を表明した。そこでは、高速炉開発会議という会議を立ち上げ、具体策を年内にまとめていくことが決定された。 しかし、先ずは、将来技術である高速炉サイクルと、既存技術である軽水炉サイクルを混同せず、明確に切り分けて考えることが必要不可欠だ。それができていない今の日本の『エネルギー政治』は、あまりにも弱すぎやしないだろうか。

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    第3次オイルショックに現実味 重視すべきは核燃料サイクルだ

    井上政典(歴史ナビゲーター) イスラム教シーア派とスンニ派の争いがとうとうイランとサウジアラビアの断交にまで発展しました。どちらでも同じだろうというのが、長い間神仏習合で培ってきた精神文化を持つ日本人ですが、宮崎正弘先生のブログを読むとそうはいかないようです。一神教は、神様は一つだけとなっていますので、それ以外の神様(真理)を認めることがありません。同じヤーウェの神様なんだからどんなアプローチでもいいだろうと思うのが日本人の常ですが、一つ正しい事を決めると他は邪な事になるのが一神教の考え方です。 デジタル思考とでも言いましょうか、「1」と「0」しか存在しない世界です。日本のようにアナログなどっちかというとこっちによっているんだけどという考え方は通用しないのです。童話に「泣いた赤鬼」というものがありますが、これを英語に概念まで訳すことは不可能だと思います。というのは「鬼=悪魔」と考えると、悪魔にやさしいやつなんかいるもんかという考えです。 自分が正しいと思えば相手が間違っているという考えにもなります。これは朱子学が主流の韓国でも言えることで真理は一つで、自分たちが正しいから日本は間違っているというとんでもない論理となります。日本人には厄介ですが、日本人が世界では少数派ということを理解せねばなりません。中東で起きている問題はISIL問題も含めてますます混沌として行くのが平成28年はそれに対処していかねばならないという年になるでしょう。 ここまでは99%の人が同意されると思います。では具体的にどう対処するのかとなると意見が分かれます。というのは、中東情勢が不安定ということは日本経済の血液というべき石油の大部分が止る恐れがあるということです。いやいやインドネシアやマレーシアがあるじゃないかという方もいますが、現在の日本の状況ではそんなに甘い状況ではありません。石油ショックで、ガソリンの値上げをするガソリンスタンド=1974年3月 なんせ原子力発電所が稼働しているのが未だに川内の二基だけであり、高浜原子力がもう少しで稼働すると思いますが、まだまだ日本のエネルギーの大部分を担うだけの再稼働はめども立っていません。もし震災前と同じ原子力による発電量が4割あれば、通常の電力は原子力だけで賄えます。現在の日本の原子力発電の能力から言えば十分にそれを賄えるだけのものがあります。 ただ、原子力規制委員会が邪魔をしてそれをさせていないのが現状です。その委員長の田中俊一氏は原子力研究機構(原研)時代から代々木系労組の強い影響を受けていたと言われています。つまり、社会党系の労働組合で要は左巻きなのです。政府が原研の影響を受けさせたくないために別に動力炉核燃料開発事業団を作ってそこにやらせたために、もんじゅの開発からはずされ恨みを持っていると思われます。 ただ三条委員会という強力な委員会で政府も介入できない特権を持っています。田母神閣下曰く、「原子炉が暴走したらというが、暴走しているのは原子力規制委員会だ!」。もしこれが人権擁護法などが成立し、人権委員会が三条委員会になったら考えるだけでも恐ろしいことになります。 電力会社の再稼働申請にも誤字が見つかるとすべてが不備として突っ返され、電力会社の担当者の大部分が本来の原子力発電所の安全とは全く関係の文字の校正で人力と時間を取られています。例えば、長さが3センチというとそれを計った定規がメートル原器で保障されたものかの証明書作りからしなければならないという嫌がらせとしか思えないものです。 旧原研が赤い左翼組合に牛耳られていたために、政府が嫌い自分の立場を不当なものにしたと思っている節が随所に見られます。核燃料サイクルは国家の安全保障上特に重要な事案であり、左翼系の労組が力を持っているところに託せるはずもありません。  数百ページの書類も誤字がひとつでもあれば、不備として突き返すようなことをしていては、本来の電力の安定供給と原子力の現場での安全確認におろそかになるのです。そういう状況の中でもし中東不安が表面化し、石油や天然ガスが入らなくなった場合、日本はいったいどうなるのかとどれだけの人が危惧しているのでしょう。 テレビ朝日の玉川という記者は、地球の気候変動が激しくこれは膨大な化石燃料によるものだとしながらも、自然エネルギーで賄うという趣旨の発言を今朝の番組でしていました。家庭の電気はそれで賄えるかもしれませんが、産業用は不可能だということがまだわからないのでしょうか?東京に行くと地上と地下を縦横無尽に電車が走っています。これらを自然エネルギーで安定的に動かすことができるのでしょうか。 高層ビルにたくさんのオフィスがあり、そこの電気や空調やエレベーターの電気はどうやって安定的に供給するのでしょうか。工場でベルトコンベアーを動かすエネルギーが太陽光発電でまかなえると本気で思っているのでしょうか。 すぐに点検を終えた原子炉から再稼働し、電力供給度合を原子力にシフトしないと第三次の石油ショックが起こったら、今の日本経済はいっぺんにマヒし、せっかく順調な日本経済もいっぺんに吹っ飛び、そのしわ寄せは私たち国民を直撃するのが想像できないのでしょうか? 今ある施設を有効に活用しながら、将来の問題を考えていくのがバランスのとれた方法論だと思うのですが、中東問題と日本のエネルギー供給は全く別物と考えている人の考えを聞いてみたいものです。(2016年01月05日「井上政典のブログ」より転載)

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    日本に溜まるプルトニウムを消化してくれるトリウム原子炉

    殖炉の実用化のめどが立たないなか、核兵器転用に対する諸外国の懸念も払拭できる。 ウランの需給は、福島原発事故が起こってもなお、逼迫している。天然ウランに含まれるウラン235が、唯一の天然の火種だからだ。トリウムの利用は─今後もウラン軽水炉を使うのであれば─、ウランの安定確保にも貢献する。さらに溶融塩炉であれば、安全性を飛躍的に向上できる。(第2回へ続く)かめい・たかし 立命館大学衣笠総合研究機構・研究員。1970年大阪生まれ。94年京都大学工学部原子核工学科卒業後、99年同大学院工学研究科博士課程認定退学、工学博士。99年天理大学非常勤講師、02年ロームなどを経て11年より現職。著書に『核なき世界を生きる~トリウム原子力と国際社会~』(高等研選書)、『平和のエネルギー トリウム原子力 ガンダムは“トリウム”の夢を見るか?』(雅粒社)ほか

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    再処理特権はパワーゲーム、「井の中の蛙」たちは歴史を学べ

    【WEDGE REPORT】金子熊夫(外交評論家・エネルギー戦略研究会会長) 日本国内で原発再稼働や核燃料サイクル(六ヶ所再処理工場、もんじゅ問題等)をめぐる議論が沸騰している一方、国際社会では、新興国における原発問題、とりわけ再処理や濃縮問題が重要なテーマとして関心を集めている。 周知のように、使用済み核燃料の再処理(及びそこから出てくるプルトニウム管理)とウラン濃縮は核兵器製造に繋がりやすい機微な技術であるので、二国間原子力協定で特別に厳しく規制されている。さらに、国際原子力機関(IAEA)の査察や「原子力供給国グループ」(NSG)の輸出規制の対象にもなっている。そして、その結果、諸々の複雑な国際・外交問題が生じており、各国とも対応に苦慮している。 従来日本では、こうした核拡散をめぐる原子力外交上の問題が一般市民の関心を惹くことはなかったが、これからの日本国内の原子力政策や原発輸出、原子力技術協力問題等を考える上で必要な知識であるので、この機会に原子力外交の歴史的背景やその仕組み、問題点などをごく簡単に概説してみたい。動力炉核燃料開発事業団もんじゅ発電所(産経新聞社ヘリより)米国の核不拡散政策の大転換 原発の世界的普及に伴う核拡散問題に最も神経質なのは核兵器(原爆)を最初に開発した米国である。第二次世界大戦後米国は、アイゼンハワー大統領の「Atoms for Peace(平和のための原子力)」(1953年)構想の下、日本を含む世界各国に原子力平和利用を熱心に勧奨し、積極的に技術支援を行ってきた。 ところが、20年後の1973年に突発した第一次石油危機をきっかけに、各国で原子力発電所の建設が急増し、また、新しく原子力を導入する国が次々に出現したため、核の拡散、すなわち核物質や技術の軍事転用の危険を懸念し始めた。「核兵器の不拡散に関する条約」(核不拡散条約=NPT)は1970年に発効していたが、当時同条約に加盟しない国も多かったので万全とは言えなかった。 そのような折も折、NPT非加盟のインドが、1960年代にカナダから輸入した研究用の小型重水炉の使用済燃料からプルトニウムを抽出し、それを使って核実験を行った(1974年)。重水は米国が供与したもので、米加両国は大きな衝撃を受けた。インドはNPT非加盟国であり、しかも核実験は「平和目的」であると主張したので、必ずしも国際法違反を犯したわけではなく、それだけに対応が難しかった。ちょうどそのころ発足したばかりの先進国首脳会議(サミット)参加国は急遽ロンドンに集まって対策を協議した。日本を含む7カ国によるこのロンドン・グループこそ現在の「原子力供給国グループ」(NSG)の前身で、その主目的は機微な原子力機器、資材、技術の輸出規制であった。 こうした状況の中で、若き日に海軍士官として原子力潜水艦の設計に携わった経験を持つジミー・カーター氏(民主党)が1977年1月に米国大統領に就任した。就任するや否や彼は、従来の原子力政策の大転換を断行した。すなわち、米国内の民生用原発の使用済み燃料の再処理と高速増殖炉の開発の中止を決定すると同時に、返す刀で、世界各国に対し再処理、プルトニウム利用等の禁止を含む厳格な核不拡散政策を適用すると発表したのである。日米が激突した再処理交渉と原子力協定改正交渉日米が激突した再処理交渉と原子力協定改正交渉 そして、この新政策の適用第1号として槍玉に挙がったのが、当時操業開始直前にあった日本の東海再処理施設(六ヶ所工場の約10分の1の規模)であった。かくして1977年夏、同施設の運転、英仏再処理委託、プルトニウム利用等を含む日本の核燃料サイクル計画をめぐって日米が真正面から激突した。日本国内では「国難来る!」の危機感が溢れ、マスコミも「日米原子力戦争」と一斉に書き立てた。 東京で行われた日米交渉では、日本側は、宇野宗佑・科学技術庁長官兼原子力委員長(その後外相、首相を歴任)を中心に、官民一体のオールジャパン体制で徹底抗戦した。当時外務省の対米交渉担当者だった筆者らは、米国を説得し再処理権を獲得するために連日連夜、文字通り骨身を削る苦労をした。その結果、東海再処理施設については、なんとか運転開始を認められたものの、「2年間限り99トンまで」という厳しい条件付きであった。期間の制限はその後小刻みに数回にわたって延長されたが、その都度延長交渉は困難を伴った。動力炉・核燃料開発事業団(動燃)東海事業所の再処理工場=1993年1月、茨城県東海村 結局日米交渉は断続的に10年の長きに及んだ。途中で1981年に米側の政権交代で、原子力推進派のロナルド・レーガン氏(共和党)が大統領になったため、以後の日米交渉は比較的スムーズに行くようになった。そこで、再処理問題を含む本格的な日米原子力協定の改正交渉に移行し、両国の行政府同士の交渉は事務的に順調に進んだ。しかし、米議会には民主党を中心に強固な核不拡散論者や反原発論者がかなりいて、様々な“難癖”をつけたので、最後まで気を緩めることはできなかった。 このような様々な紆余曲折を経て、1988年に発効した新日米原子力協定(2018年まで30年間有効)では、日本は再処理、濃縮(20%以下)、第三国移転について「長期包括的承認」を与えられることになった。それ以前の「ケースバイケースでの承認」ではなく、一定の条件下で一括して事前承認するという方式を確立した結果、日本の原子力平和利用活動は安定した法的基盤におかれることとなったわけである。ちなみに、このような形で再処理、プルトニウム利用などを行うことができる権利は、核兵器国(米露英仏中の5カ国)を除くと、日本とユーラトム(欧州原子力共同体)加盟のドイツ、イタリア等だけに認められた非常に貴重な権利である。 このような歴史的経緯から見ても、日本は1日も早く六ケ所再処理工場を稼働させ、もんじゅ、プルサーマル(MOX燃料)などの核燃料サイクル活動を軌道に乗せる必要がある。さもなければ、現行日米原子力協定が期限満了となる2018年以後に不安定要因を抱えることになるだろう(この問題は別の機会に詳しく論ずる予定)。インドの対米粘り腰交渉インドの対米粘り腰交渉 ところで、日本以外でも、米国との間で困難な再処理交渉を経験した、あるいは経験しつつある国が2つある。いずれもアジアのインドと韓国である。 NPT非加盟のインドは、アジアでは最も早くから原子力研究開発に着手し、現在世界有数の高い原子力技術を有する国であるが、前述のように、1974年の核実験以来各国の制裁措置により、国際原子力市場から締め出された状態が長く続いていた。インドの西海岸にあるタラプール原発には、1960年代末に米国から輸入された軽水炉2基があるが、米国は、NPTに加盟せずに核実験を強行したインドとは原子力関係を断絶。タラプールの取り換え燃料の供給を拒否し、同炉の使用済み燃料の再処理も認めなかった。1998年のインドの第2回核実験で、日本はじめ各国は対印制裁措置を一段と強化した。 しかし21世紀になって国際政治状況が大きく変わり、ブッシュ(息子)政権時代に劇的に発表された米印原子力合意が難産の後に成立。「原子力供給国グループ」(NSG)の承認を得て、米印原子力協定締結が実現した(2009)。その過程で、インドは、数年に及ぶ実にしぶとい対米交渉の結果、事実上再処理権を米国に認めさせることに成功した。行き詰まる韓米再処理交渉日本を羨む韓国 他方、世界第5位、アジアで第2位の原発大国である韓国は、現行の韓米原子力協定を改正してぜひ日本のように再処理権を獲得したいと、朴槿恵大統領以下必死に対米交渉を行っているが、北朝鮮との関係もあり、米国政府は頑として応じない。米国としては、もし韓国に認めると他の新興国にも認めなければならなくなり、歯止めが効かなくなることを懸念しているわけだ。ちなみに、現行の韓米原子力協定は旧日米協定と同タイプで、再処理については「ケースバイケースでの承認」を必要としている。 同協定は本年3月で切れたので、暫定的に2年間延長して交渉を継続しているが、見通しは非常に暗い。韓国側は、同じ同盟国なのに日本だけを優遇し、韓国を「二流国」扱いしていると憤懣やるかたない状況だ。こうした韓国問題については次の拙稿で詳しく解説してあるので、関心のある方は是非参照されたい。「韓国が羨む『再処理特権』 六ヶ所の稼働を急げ」イラン核問題をめぐる交渉の行方イラン核問題をめぐる交渉の行方 もう一つの問題国は、いうまでもなくイランだ。周知のように、イランの場合は、再処理よりもウラン濃縮が問題となっている。現在遠心分離工場が2カ所で稼働中で、すでに原爆数発分の高濃縮ウランを持っているとされる。イラン側は、「ウラン濃縮は平和目的である。昨年から稼働中のブシェール原発(ロシア製軽水炉)の燃料のほか、今後さらに原発を増設する計画なので大量に必要だ」と主張し、濃縮活動自体をやめる気配はない。軽水炉用なら3~4%の微濃縮で十分なはず。核兵器開発の疑惑は一向に晴れない。 とはいえ、現状のままでは西側諸国による経済制裁で苦しいため、昨年夏誕生した穏健派のロウハニ新政権は、交渉による解決に踏み切った。オバマ米政権も、現在の中東情勢下での軍事的解決(つまり米イラン戦争)は危険が大きすぎるので、外交交渉による解決の道を選んだ。もし戦争になれば、イランがホルムズ海峡を封鎖するのは必至で、そうなれば日本も石油輸入が途絶し、大変なことになるだろう。 かくして昨年秋、スイスのジュネーヴで、イランと6カ国(米英仏露中プラス独)が協議をした結果、問題解決のための「第一段階の措置」について合意が成立。今後6カ月かけて本格合意を目指して交渉が続けられているが、果たして今後どうなるか、予断できない。なお、イランも、韓国同様、日本が米国から再処理、濃縮権を認められていることを不公平だと批判している。ベトナムやトルコの再処理問題日本はどう対応するか? 韓国やイラン以外にも、新興国の中には、将来自国で(または第3国に委託して)濃縮や再処理をしたい、そのための権利を確保しておきたいという国がある。例えば、日本がすでに締結した日ベトナム原子力協定(2012年に発効済み)や、昨年夏署名済みの日トルコ原子力協定(今国会に提出中)では、将来日本の事前同意が得られれば再処理できるという形になっている。 実は、まさにこの点が現在日本の国会で問題視されており、自民党・公明党のほか、民主党、日本維新の会など野党でも一部の議員が反対ないし難色を示している。これらの議員たちは、最初から再処理を禁止する条項を協定に入れておくべきだと主張している。このような批判に応えて、岸田外務大臣は「日本は再処理をトルコに認めることは考えてない」との国会答弁を行っている。 しかし、再処理技術のイノベーションにより将来核拡散に繋がらない方法での再処理が可能となることも考えられ、さらに、日本でも言われているように、再処理によって使用済み燃料を減容し最終処分がしやすくなるという利点もありうるので、現時点でアプリオリに再処理禁止を協定で明記しておくのは得策ではなく、必要でもない。いずれにせよ、ベトナムやトルコが仮に再処理を希望するとしても、それは20、30年先のことで、将来諸々の状況や要因を考慮して合理的に判断するべきものである。 他方、アラブ首長国連邦(UAE)のように最初から自前の再処理、濃縮を断念している国もある。米国は、UAE方式をゴールド・スタンダード(モデル協定)にしたい意向で、日UAE協定(今国会で審議中)もこの方式を踏襲している。再処理をめぐる不平等性再処理をめぐる不平等性 当然のことながら、新興国にもそれぞれの事情や計画があるから一律に論ずることはできない。UAEのように自発的に再処理・濃縮の権利を放棄する場合は問題ないが、相手国がその権利を熱望するときに、供給国の政策として一方的に再処理禁止を押し付けるのは必ずしも賢明ではないと思われる。現時点であまり厳しい規制をかけると、新興国は日本や米国を避け、もっと規制の「甘い」国(ロシア、中国など)との原子力協力に走る惧れが多分にあるが、それは、単にビジネスチャンスを失うというだけでなく、核不拡散のための国際秩序維持というより高い視点からみて決して望ましいことではない。 いずれにせよ、このように国によって差別が付き、不公平が生ずる根源的な原因は、核不拡散条約(NPT)で明記されている「原子力平和利用の権利」(第4条)の中身が曖昧なためである。すなわち、「本条約は、全ての締約国の原子力の平和利用のための権利に影響を及ぼすものではなく、全ての締約国は、原子力の平和的利用のため、設備、資材及び情報の交換を容易にすることを約束し、その交換に参加する権利を有する」とあるが、実態としてこの条約ができた1960年代には、各国の関心事は原子炉(主に軽水炉)による発電の技術であった。再処理・濃縮の技術は米露など一握りの先進国しか持っていなかった。しかし、その後原子力発電が進み、現在ではいくつかの先進国(日本を含む)がこの技術を持っており、新興国の中でも、将来大規模な原子力発電を計画している国の場合、再処理の権利を確保しておきたいと考えるのは自然だろう。核燃料サイクル機構の高速増殖炉「もんじゅ」 元々NPTには「核兵器を持ってもよい国」(5大国)と「核兵器を持ってはいけない国」(5大国以外のすべての国)の差別があり、本質的に不平等条約と言われる所以であるが、それに加えて、NPT加盟の新興国や開発途上国の間には、「もう一つの差別」を指摘する声が強い。すなわち「再処理をしてもよい国」(5大国のほか日本や一部のユーラトム加盟国)と「再処理をしてはいけない国」の差別で、これに対する不満は年々大きくなってきている。日本の原子力外交に求められるもの 日本は、1970~80年代に必死に対米交渉をした結果、非核兵器国ながら再処理、濃縮の権利を獲得した、いわば既得権者、特権階級である。それだけに、韓国やイラン、北朝鮮だけでなく、多くの国から羨ましがられ、あるいは問題視されている。だから、自らの既得権に胡坐をかいて、安閑としていると、どこで足を掬われるかわからない。 これまで長い間日本は、米欧の先進国との原子力関係では、原子力資材・技術の輸入国として、もっぱら「規制される側」の立場で対応してきたが、今後は新興国との関係において、供給国(輸出国)として「規制する側」の立場で判断しなければならなくなっているわけだ。まさに発想の転換が必要になっているのである。 そうした2つの立場の違いをよく弁えて、適切かつ能動的に対応しなければならないが、そのためには、再処理・濃縮問題や原子力協定問題を単なる技術問題やエネルギー問題としてではなく、より広い外交的、戦略的な観点からしっかり考える姿勢が平素から必要なのである。これを筆者は、外務省の初代原子力課長としての長年の経験から「原子力外交」と呼んでいるのであるが、国会や論壇においても、是非そのような広い視野と高い視点で徹底的に議論してもらいたいと強く願っている。*関連記事:「日本は原発を輸出すべき 本質を歪める『5つの論点』」

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    「核」「原子力」をマジックワードにしてしまった罪

    を、ポピュラー文化から追っていった話題の著は、開沼さんも絶賛。フクシマとヒロシマ、日本人にとって核や原発はどういった存在であり続けたのでしょうか? 社会学者と歴史学者による熱い議論が始まりました。3・11の議論は、戦後日本が長い間に練り上げて来たものの延長上山本 震災後に、核の問題への関心が高まりました。しかし、文系の研究者や論者で、核・原子力の問題を扱っている人は意外と少ない。その中でも、いちばん有名な開沼さんと、このような場で話せるのはありがたいです。開沼 山本さんは2012年に最初の本『核エネルギー言説の戦後史 1945~1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』(人文書院)を、博士論文を単行本にする形で出しています。それは、大江健三郎の被爆や核への問題意識や対応等を解き明かす内容はじめ、文系の核・原子力研究にとって新しい地平を開く、読者に多くの知見を与えてくださるものでした。ぼくと山本さんとは、そのタイミングで、朝日新聞大阪版で対談してからのつながりです。その記事は東京版でも少し字数が少なくなった形で載りました。 前作に比べると、本作『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書)の特長は、まず一般向けに読みやすい。あらゆるサブカルチャーやポップカルチャーにおいて、日本人が戦後、どのように核、原子力、被爆を描いてきたのかということを軽やかに書いています。山本 開沼さんの『はじめての福島学』では、「福島県から震災後、どのくらいの割合の人が県外に避難しているか」などの質問を通して、原発事故後の福島に対する「イメージ」と「実態」が大きくかけ離れているという話がありました。私が取り上げたのは、そのうちの「イメージ」のほうです。実態とはかい離しているかもしれないけれども、例えば被爆者から奇形児が生まれるかもしれないとか、放射性物質で汚染された土地には何十年も植物が生えないなどのイメージがどのように形成されてきたのかということを、この本に書きました。実は3・11以降の議論は、ある意味では日本が戦後の長い時空間の中で練り上げてきたものの延長線上にあるという話です。もちろん、3・11以前と以後で変わった点もたくさんあると思います。しかし基本的には延長線上にあります。居住制限区域内に積み上げられた除染廃棄物が入った袋=6月10日、福島県葛尾村開沼 ご指摘の通りのこと、つまり、3・11以前からの延長の中に現在の私たちの認識があるという、前から薄々感じていたことが『はじめての福島学』を執筆する過程で、そして、山本さんの『核と日本人』を拝読する中で明確になりました。つまり、戦後日本の中で核・原子力に対する、ある面では非常に現実離れした、超越的・宗教的と言っても良いようなイメージを私たちは持ってきた。私たちは、意識しないうちに、それを脳裏に刷り込まれてきているということです。例えば、「放射線浴びる=モノが巨大化する」、とか、実際は核・原子力がもたらすものと言うのは、そんな、教祖様が起こす奇蹟、あるいは、ドラえもんの「ビッグライト」みたいなものではないんですが、私たちはそういうイメージを持っているわけですよね。これは、日本に核・原子力がもたらされた段階で構築された物語です。先天性疾患や鼻血もそうで、そういう事前に刷り込まれたイメージがまずあって、それが実社会の中で「発見」されていったりもする。いまにも影響を与えている。3・11以後の福島に向けられるイメージ、もっと言えば、誤解・デマを考える際にも様々なことを考えさせられました そもそも、山本さんはどのようなことを明かしたいと思って調べ始め、どのようなことが明らかになったんですか。チェルノブイリ事故に比べて文化的ムーブメントの終息が早かった理由チェルノブイリ事故に比べて文化的ムーブメントの終息が早かった理由山本 私は奈良県生まれです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、奈良県は比較的平和教育に熱心な土地です。私が保育所に通っているとき、8月6日が登所日で広島の歌を歌いました。小学校の修学旅行は広島で、被爆者の話を聞きました。学校教育で習う核は原爆であって原発ではありませんでしたが、平和教育で教わるような「しかめ面」で話す真面目な話題として、核がありました。 ただ「ちょっと待てよ」という気持ちもありました。一方で、さまざまなポピュラー文化や映画などの中で、私たちは核を「楽しんでいる」ではないかと思いました。最初に強く印象に残ったのは、小学校から帰って来たときにテレビで再放送していた「北斗の拳」です。「北斗の拳」の第1回目に、「199X年、世界は、核の炎に包まれた」とあるのです。核戦争後の世界から始まっていることが非常におもしろかった。核は、学校教育や新聞や書店の雑誌ではしかめ面で語られます。一方で、同じ書店でも、漫画ではおもしろおかしく設定に使われます。恐れながらも楽しむという二面性がどこから生まれたのかということを解き明かそうとして、『核と日本人』を書きました。 開沼さんの話ともつながります。3・11以降の日本社会で原発に関するメディア上の表象、文化、表現がたくさん出ましたが、意外と早く引く傾向にあったと思います。何をもってそう言えるのかというと、1986年にチェルノブイリ原発事故が起きました。そのあと、一種の流行といえるほどの大きな文化的ムーブメントとして、例えばロック歌手が反原発を歌ったり、雑誌がたくさん出たり、朝まで生テレビで取り上げられたりしました。それと比べると、終息が早かったのではないかと思います。開沼 その認識は同意しますね。なぜだと思いますか。山本 仮説なので間違っていたら訂正してください。ぼくは、日本社会における表現への自粛の圧力が、昔よりもやや上がっている気がするのです。それは決して悪いことではありません。たとえば、自分の言ったことが、意図しない結果で相手を傷つけてしまうかもしれない。悪質なものがハラスメントです。よくコンプライアンスと言います。それが社会問題化し、自分の行為や表現が人を予期せぬ結果で傷つけてしまうことを過剰に恐れて、先回りして自粛する傾向がある。1990年代ごろから、コンプライアンス社会の圧力が顕著になったのではないかと思います。それは成熟した社会である一方で、表現が弱りかねないのではないかと思います。「遠くで起きている他人事」だったチェルノブイリ開沼 なるほど。私の仕事で言えばちょうど2年ほど前の2013年3月に刊行した『漂白される社会』(ダイヤモンド社)を貫く背景仮説は同様の問題意識に基づきます。漂白とは色のことです。「色」には、黄色とか桃色とかいう直接的な「色」の意味以外に、二つの意味があります。一つは「偏り」のこと。例えば、「あの人と関わると色がつく」とかいう時がありますよね。もう一つは色町や色恋沙汰という時の、「猥雑さ」のことです。偏りや猥雑さとは、誰かを傷つけかねないような、暴力性や残酷さと隣り合っている。それらが社会から一掃されていく社会現象が現代には確かに存在する。東京なら歌舞伎町浄化作戦とか、新宿西口からホームレスの方を一掃して「きれいな道ができました」とか。これが「漂白される社会」と私が呼んだ現象です。 言葉や文化の面では、Twitter文化でも今の話に共感する部分が非常にあります。例えば、政治的な課題に対するTwitter上の議論を負っていると、あたかも皆が「どっちが正義の側に立てるかゲーム」を繰り返しているように見える。「我こそは正しい」と「笑点」のように言い合う儀礼が始まっています。表面的には右と左に分かれているように見えるけれども、構造的にはどちらも「正義の側に立ち」たい、そして「偏り」や「猥雑さ」を駆逐していくプロセスに邁進している、という点で同じなのかもしれません。 話を戻します。3・11以降の日本において、原発に関するメディア上の表象、文化、表現が意外と早く引く傾向があった。それはなぜか。 私たちは表現について、無意識の中で、人を予期せぬ結果で傷つけてしまうことを過剰に恐れて、先回りして自粛する傾向が強まっているからだ。これが山本さんの仮説であり、ぼくも同意します。 同時に、もう一つ付け加える必要があるかもしれません。チェルノブイリと比較した時に、チェルノブイリ以降ほど核・原子力に関する議論が持続しなかったのは、おそらく3・11の場合は私たちが当事者になってしまったからです。 チェルノブイリは、「遠くで起きている他人事」でした。当時はチェルノブイリがあるウクライナがソ連の一部であり鉄のカーテンの向こう側は覗きにくかった。さらに、もし、チェルノブイリが英語圏ならば、もう少し情報が入ってきて、心理的距離感も近づいたのかもしれないが、そうではないので通訳できる体制も極めて限られていたなど、根本的に情報不足と誤解があった。 では、そこで表現があまり出てこなかったのかというとむしろ逆です。情報不足と誤解ばかりが流通する中で現実が分からない分、イメージが様々な形で発達・活性化していった。社会心理学などで発達する「流言・うわさ研究」では、「オルポートとポストマンの法則」というのがあって、R(流言の量)=i(重要性)×a(あいまいさ)と言われます。まさに、あいまいだけど重要な話だったんで、イメージはものすごく活性化していった。 要は、皆が好き勝手に言ってきて、「核・原子力を楽しむ」という点では、大いに盛り上がっちゃった歴史があったわけです。私は昨年度、チェルノブイリにも2度現地調査に行きましたし、福島の問題も常に現地調査をしている。その観点から、山本さんのご著書を読んで、改めてその距離感の差を強く感じました。 チェルノブイリは文化的に「楽しめる」対象であった一方、福島はそうではなかった。誰でも行けるし、日本語も通じる。文化的に「楽しめる」かというとネタにはできない。「お前は行ったのか」「ちゃんとデータはあるのか」と健全な事実検証も行われる。その中で、文化的な盛り上がりがなかった側面もあるのではないかと思います。 ただ、核を「楽しむ」という話と「当事者性」という話の関係性を議論するのならば、当然、広島・長崎のことも踏まえて議論しなければなりません。つまり、いまの私の話は「チェルノブイリ原発事故後の核・原子力についての文化的表現が盛り上がったのは当事者性が薄いから」で「3・11後の核・原子力についての文化的表現が盛り上がらなかったのは当事者性が濃いから」という図式をだしました。 だとすると、山本さんの『核と日本人』にも書いてありますが、広島・長崎への原爆投下については日本は当事者だったのだから、もしかしたら「文化的表現が盛り上がらない」というシナリオになっても良さそうですが、歴史をみれば、そうはならなかったわけですね。これは、なぜ盛り上がったのか。いかがですか。初期の広島・長崎の被爆者のイメージは、とてもポジティブだった初期の広島・長崎の被爆者のイメージは、とてもポジティブだった山本 戦後すぐは、アメリカの占領軍による検閲がありました。広島がひどいことをされたとあまり言うと占領軍にとって不都合なので、被害を表に出すような報道は基本的にほとんどなされていません。そのような状況を前提にお話しします。 たとえば、1946年に出た広島を書いた阿川弘之の「年々歳々」という短篇小説で、登場人物が「被爆した女の人と結婚すると三つ目の子どもが生まれるんだって」などと言う。これはネガティブな例です。この部分は検閲により削除されてしまいました。ポジティブというか「楽しい」例もあります。広島が原爆を受けた年に、大きなカボチャが採れた。地元新聞がこれをアトミック・カボチャとして取り上げている。 3・11以降の福島では、基本的に「楽しい」はおそらくほとんどないと思います。その点は違う点ですが、広島でも、現実を踏まえる前にイメージが先行してしまった例が広く見られました。オバマ米大統領広島訪問から一夜あけた平和記念公園(撮影・山田耕一)開沼 原爆投下後、初期に占領軍が被害の有無の情報を独占した。そのことで、「当事者になりきれなかった」ということですね。つまり、日本国民からしたら、あとから「実はそうだった」と知ったことがけっこうあった。5年以上経ってみてから「これは確かにひどいことが起こっていたんだ」と、遅れて、被爆国の当事者に「なって」いったわけですね。山本 そうです。東京大学、京都大学、九州大学の学者が調査団として入りましたが、調査の内容が明らかになったのは占領が終わったあとでした。広島・長崎の被爆に関する情報はGHQが握っている状況でした。被爆者も、自分たちの状況をあとから再発見していく。そこが違います。開沼 それが具体的にポップカルチャーに影響を与えたわけですね。山本 そうなんです。そのことは、本の最初に書きました。占領下におけるポピュラー文化に出てくる核は、『超人アトム』や『アトム少年』のように、力士も倒せるような能力をもっているアトムという名前の主人公が登場する。なぜそんな能力があるかというと、「広島や長崎で被爆したからだ」というSF設定があります。手塚治虫の『鉄腕アトム』よりも前です。開沼 最も初期の「被爆者」のイメージについて、とてもポジティブだったわけですね。山本 戦後、一貫してありました。漫画の『8マン(エイトマン)』では、敵役が被爆して超能力を身につける。被爆という言葉が、荒唐無稽な物語の説明になってしまうわけですね。開沼さんの本にもありますが、放射線被曝は専門家にしかわからない内容だから語りにくいしわかりにくい。だからこそ一種のマジックワードになってしまい、それを楽しんでしまう状況が、戦後の日本に一貫してあった。開沼 そういった出始めの科学技術にまつわるマジックワードというのは、いつの時代でもその都度あるんですよね。たとえば最近なら「IT」。出始めは、これがあれば何でもできるみたいに言われていた。企業名にもやたら「サイバー」とか「インター」とか「インフォメーション」とかいう言葉が使われてきた。それと構造的には同じです。1940、50年代の、科学の最先端には「アトム」があって、そこに多くの人が夢をみる一つのメディア(媒介)となっていたわけですね。省庁再編後に無くなってしまいましたが、戦後成立した科学技術庁という省庁がかつてありました。ここが扱った大きな軸が2本あって、原子力開発と宇宙開発です。日本の国策としても核・原子力は最も秀でたマジックワードなのかもしれない。そう捉えてよいですか。山本 ぼくはそう捉えてよいと思います。もちろん宇宙や、一時期の日本では南極探検隊も科学技術の華々しい成果として取り上げられました。開沼 最近では、STAP細胞事件あったわけですが、生命科学系ですね。山本 まさに「何でも解決できる」かのような連想を与えてくれる科学技術。しかもそれは一般人にはわかりにくいから、専門家に任せておかなければならない。そのような感じで社会に浸透していく。「薄幸の被爆者」から「憎む被爆者」への転換「薄幸の被爆者」から「憎む被爆者」への転換開沼 なるほど。文化論を離れて、政治や外交の話としてみれば、核・原子力は常に外交の力関係を見る上で欠かすことができない要素にもなっていますね。山本 そうです。安全保障外交に関わる人や政治家にとっても、「隣国が核を持ったらどうするのだ」と、最強兵器としての核を話題に持ってくれば、何でも論破できるような大きい話になる。その意味でも、日本で戦後から現代を生きている人たちにとって、マジックワードというかキーワードです。多くの人が言論の場で利用できる「資源」として、核は有用だったと言えると思います。開沼 マジックワードとしての核・原子力は今後も続くと思いますか。山本 再稼働の問題や、隣の中国がどんどん作っているということを取り上げながら、おそらく続いていくのでしょうね。開沼 北朝鮮が最も先鋭的な例ですが、これから新興国が力をもつにつれ、北朝鮮のような手法は使わないにせよ、核・原子力に関わりたい、関わる中で国際社会の中で存在感を確立しようとする、そうせざるを得ないという状況がある。これは核保有国・原発保有国として私たちが認識しているところだけを議論していても足りないレベルでの普遍的な話です。例えばスリランカでは、原発はもっていないが原子力技術を育てようとする動きがあって、日本に留学生が来ていたりするんですね。なぜなら、隣のインドがこれから原発たくさん作るからです。中国と台湾みたいなもので、インドとスリランカでは常に権力のバランスの均衡が調整されています。例えば、もし原発事故が起きたときの自分たちへの影響などを考えて、潜在的に原発に関する技術や知見をもっておかなければという話も出てくるわけです。 やはり、人類の近代化と、核・原子力の関係は非常に密接です。そうであるが故に、科学者でも非常に難しいといっている問題なのにも関わらず、私たちはマジックワードのようにそれを使い、文化的な表現をしたがる状況があるのですね。 そして、その中で生み出されるステレオタイプ・紋切り型が常にある。例えば、山本さんのご著書の中では、「薄幸の被爆者」という定型パターンが使われるという話が印象的でした。大量に生み出された「薄幸の被爆者」山本 そうですね。1950年代以降、映画の「難病もの」の系譜に、「薄幸の被爆者」、つまり、弱々しい被爆者が位置づけられている。イメージとしては、観客はわかっていて観に行くのに、吉永小百合が死んでかわいそうと皆で泣くような状況です。1950年代の貸本漫画にも、「薄幸の被爆者」のパターンは大量にあります。貸本漫画は一つが流行ると雨後の筍のように同じパターンで出てくるからです。1984年11月、「夢千代日記」のレコーディングで記者会見する吉田正氏(右)と吉永小百合、左は作詞の早坂暁氏開沼 それがおさまるのはいつごろですか。山本 1960年代に転換があると思います。「薄幸の被爆者」ではなく、原爆を落とした側を恨むとか、補償してくれない日本政府を恨むという被爆者。そういったものの代表例として『はだしのゲン』を思い浮かべる人が多いと思いますが、それ以前にもいくつかの作品があります。 弱々しい女性の被爆者から、力強い、恨む被爆者へなぜ転換が起きたのか。ひとつ言えるのは、貸本漫画のメディア的な特性だと思います。貸本漫画のメインターゲットは、ハイティーンの男性労働者です。小林旭などが演じていた、悪党が出てきて殺し合うようなガン・アクションの世界を描くのが貸本劇画でした。その貸本劇画が被爆者を取り入れるとき、弱々しく死んでいくのだけれども、敵の造形としてはそれほど弱々しくてはいけない。貸本劇画に出てくる敵は怒っている必要がある。その中で「憎む被爆者」像が生み出された。開沼 なるほど。「憎む被爆者」フレームは3・11以後の福島にも「憎む被曝者」に転換する形で押し付けられてきた部分があったでしょう。まさに、テレビ・新聞は「福島の人よ立ち上がれ」的な、紋切り型なフレームで福島を捉え、強制しようとさえする。それに自らを同一化して便乗していく当事者もいますが、「そういう話じゃねーよ。おめえ自身の脱原発・被曝回避の願望、反体制運動の論理押し付けてくんじゃねーよ」という反発の声も徐々に大きくなってきている。 いずれにせよ、1960年代、そのあたりから、日本における核の問題は、原水協・原水禁運動のように社会運動が意識化されることなど含めて、声が大きい被爆者たちの存在が可視化してもきたわけですね。山本 全国的に政治運動があった。そこに『はだしのゲン』が出た。『ゲン』の掲載誌は、最初は『少年ジャンプ』だったというのも面白いですね。開沼 『はじめての福島学』で扱った問題に引き寄せるならば、その系譜の上で「薄幸の被曝者」や「薄幸の避難者」を位置づけて捉え直していくこともできるでしょう。やはり、無意識のうちに核・原子力を「楽しむ」よう、歴史の中で刻み込まれた日本人のメンタリティがよみとれる。山本 「おいしいコンテンツ」になっている。醒めてしまった「脱原発+再エネでみんなハッピー」という夢醒めてしまった「脱原発+再エネでみんなハッピー」という夢開沼 私たちは、ステレオタイプ化によって理解した気になれる。ただ、それによって「福島は面倒くさい、わからない、いつも同じ話」になってしまう側面も大きいでしょう。山本 難しい話です。いつも同じ話であっても、飽きずに同じことを言い続ける必要性もある。これについては、当事者側、ジャーナリズムや研究者側、私たちもジレンマを感じている。「この話って何回も話したなあ」、「何回も聞いたなあ」と思ってしまう。これを乗り越えるのは難しい。開沼さんが言うように、ステレオタイプ化が風化を進めているのかもしれない。開沼 そうですね。『はじめての福島学』では、まさにこの3・11以後に流布する様々な表現のステレオタイプへの批判をしています。例えば、本の冒頭にも書きましたが、「原発」「放射能」「除染」「避難」「賠償」「子どもたち」。この6つのキーワードを「福島問題6点セット」と読んでいますが、これを使うと、取材しないでも、知識なくても、頭使わないでも福島の記事を書けたような雰囲気が出せます(笑)。 「原発事故によって多くの人が避難をし続ける福島。除染・賠償・放射線への対策など課題は山積する。復興が遅れている。子どもたちの笑顔を取り戻すために、私たちは福島を忘れてはならない」みたいな。「どうですー、福島に寄り添っているでしょー」みたいな空気になる。でも、なんにも語ってないんですよ。そんなことは4年前から繰り返させている話であって、キーワード埋め込んで筋通る文作れば点数もらえる小論文の入試問題問いてるんじゃないんだから。 『はじめての福島学』で明らかにしたとおり、イメージと現実には大きな乖離がある。今必要なのは、そこをどう埋めていくのかということですよ。そこで先ほどの話ですが、どこで「薄幸の被曝者・避難者」が転換、スイッチチェンジしていくタイミングがくるのか、という点には興味があります。原爆は、1960年代前半ということは、実際の原爆投下から20年くらい経ってイメージが変わったということですよね。それを考えると、まだ原発事故からは4年しか経っていない。今後も福島問題のイメージは、くるくると変わっていく可能性がある。山本 そうですよね。福島の原発災害を描いたヒューマンドラマ、映画、漫画がこれからどんどん出てくると思いますが、私もその描かれ方に注目しています。 傾向としては、原発災害直後に、例えばしりあがり寿が再生可能エネルギーに舵を切った未来の日本社会などを描いているが、そういう「原発の問題」として福島の問題を描こうとするポピュラー文化自体は数としてはあまり多くない。むしろ、マンガ『はじまりの春』のような、福島の農家の高校生の話など、福島に根差した、「地方の問題」として福島の問題を描く構造のものが目立つようになってきています。それもうなずける。ただ、個人的には、震災直後にあった「ぼくたちは原発とどう付き合っていくのか」というような「そもそも論」も大事なので、どちらも続いていくといいと思っています。 まさに、『はじめての福島学』は、この「原発の問題」と「地方の問題」との橋渡しをするような作業ですよね。その点で、今回は「核・原子力問題としての福島」について禁欲的に書くことを控えている側面もあるんだと思いますが、福島学と銘打つ中で、核をどうするのかという「そもそも論」について開沼さんはどうお考えなのか。「福島の話」=「原発の話」で語り続けた大御所知識人開沼 おっしゃる通りです。ご指摘の点は、今回の議論の戦略でもありました。つまり、福島の問題=原発・放射線の問題と語り続けることで、福島の問題の本質から目を逸し、福島の問題をなかったこととしたがる無意識的な心性自体を相対化する必要があった。 震災直後、東京の大御所知識人は「福島の話」を「原発の話」とイコールで結びながら語り続けた。最近も、吉永小百合が、彼女自身の反核・脱原発イデオロギーに絡める形で福島の問題を言あげることに対して福島県内からも具体的な反発の声が上がっています。要は、「原発事故によってとんでもなくダメになってしまった福島はかわいそう=>だから、絶対に脱原発を達成すべき」という、ありがちな論理で活動を続けるんですが、ろくに事情も知らないのに「原発事故によってとんでもなくダメになってしまった福島はかわいそう」などと勝手な認識を押し付けられることに対して「『だから、絶対に脱原発を達成すべき』っていうあんたのイデオロギーのために福島ネタを利用すんじゃねーよ。『かわいそう』とか何様だ。うぜーよ」と反感を買うのは当然のことです。 ただ、この話自体、構造としては、これまで4年間、知識人が繰り返してきたパターンを踏襲しているだけではあります。吉永小百合だけが悪いわけではないのでサユリストもご安心いただきたい。 他にも、「文明の反省をして再エネルギーを」と、ろくに再エネの一長一短ある性質を勉強することもなく前のめりに語り続けるパターンとかもありました。実際に、再エネ導入はテクノロジーとしても、あるいは制度・政策としても一筋縄ではいかない実態が明るみに出るにつれて、その人たちは無責任にも今黙っている。これらのパターンが結局、生産性のない同語反復の中で陳腐化し、反発を受けたことはあっても、何ら被災当事者のためにならなかったのは「4年後」の結論にせざるを得ないと思います。 そういう大きな話に対して、冒頭に私がお話ししたような細かい話があります。つまり、山本さんにご指摘頂いた「地方の問題」です。福島の問題は日本が抱えるこまごまとした問題の集積だということ。帯にも書きましたが、放射線や原発の問題ではなく、もう少し地方の問題として見ていかないと、この問題は解決しないことは自明です。もちろん、どちらの視点で見ていくことも重要です。ですが、問題解決志向でいくなら地方の問題として見ていくべきだというのがこの本の視点です。 とはいえ、本にない話をすることで、この本がより立体的になるとも思いますので、あえて「原発・放射線の問題」として福島の問題を見ていくこともしてみましょうか。『はじめての福島学』では、扱う範疇外でしたので粗い分析のままにお話しますし、山本さんの今後のお仕事かと思いますが、例えば、2011年から2013年くらいにかけて、新聞ならば朝日新聞、東京新聞を中心に、ご研究されている「日本人と核」の系譜に並べられる新しい「夢」が繰り返し表現されましたね。つまり、「脱原発+再エネでみんなハッピー」的な「夢」です。この「夢」は、震災直後からでてきて、散々強調され、しかし、2014年頭くらいから、急速に退潮していった。理由は色々あるかと思います。FIT(固定価格買取制度)の不整合が指摘されてきたこと、飯田哲也さんら再エネ系のオピニオンリーダーが政治活動に強くコミットする中でメディアへの出演の機会が減っていったこと、そして、2014年初頭の都知事選で「脱原発+再エネ」を表看板に掲げた細川護煕・小泉純一郎連合の惨敗。そんなことが、2011年から数年間のモラル・パニックに陥っていた日本社会を「夢」から醒めさせていった。2014年9月、反原発ライブに登壇し、あいさつする小泉純一郎元首相(右)と細川護熙元首相(宮崎裕士撮影) 元より、原子力にもとから詳しいリアリティズムの論者は、再エネは使えない、それが使えるならもとから広まっていると話していた。FITにも変に政治が介入すると失敗するということが海外の事例からわかっていると言っていた。そうやって「夢」に「現実」をぶつけて醒めさせようとする言論はスルーされていた。ただ、やっぱりあれ夢だったよねと感じ始めている人も出てきているという現状はあります。 ただ、社会はいつでも夢をみたがるものです。なぜあんな大きな夢を語ったのか。そして、そこから数年とたたずに、すぐに醒めざるを得なかったのかというと、先ほどの結論から、当事者として現実に向き合わざるを得なかったというのは大きいでしょう。チェルノブイリの話ならもう少し夢を語り続けることもできたのだろうが、そうではない。(「後編/みんな福島を語っていい」につづく)かいぬま・ひろし 社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年~)。主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。やまもと・あきひろ 神戸市外国語大学専任講師。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。 著書に『核エネルギー言説の戦後史1945-1960』(人文書院 2012年)、『核と日本人』(中公新書 2015年)などがある。関連記事■ 夏だ! 海だ! 沖縄だ! 青春だ! ……でも男2人。 ■ 「関白」の座ゲット! 九州の超強い大名「島津」攻略! 絶好調にしか見えない秀吉でも、官兵衛コワイ……!?■ ぼーっとしたいときは高速バスに乗る(前編)<移動時間が好きだ>

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    原発の即時停止を求める日本共産党の浅はかな「科学的判断」

    たい。 そんななか、この週末あたりから、私の元にもソーシャルネットワーク(SNS)などを通じて『川内原発を止めて欲しい』という嘆願の声が届くようになった。 16日、政府の原子力防災大臣を兼任している丸川珠代環境大臣は、原子力規制委員会が川内原子力発電所を停止させる必要なしと判断している旨、公に報告した。まことに正しい判断に基づく情報発信である。 熊本の地震が頻発している地域の断層の動きが、その先の鹿児島方面の断層の動きを誘発する可能性を否定できないとテレビで解説する地震学者も目にした。こうなると、一般の人々も心の中に恐怖が芽生えてくるのは想像に難くない。しかし、ここは今一度冷静になって考えてみることが大切だと思う。 ポイントは3つある。(1)規制委員会が新しい規制基準のもとで川内原子力発電所に課している基準地震動は620ガルである。(注:ガルは地震による加速度の単位)(2)原子力発電所は、地震による大きな揺れを感じると自動的に停止する仕組みになっている。(3)福島第一原子力発電所が3・11の際に受けた地震動は550ガルであった。 まず、熊本県の一連の地震で川内原子力発電所の敷地内で観測された最大の揺れは、12.6ガルである。これは、耐震設計の基準地震動である620ガルに比べると、はるかに小さいのである。原子炉建屋など安全上重要な施設はこの〝とてつもなく大きい〟地震動に耐える設計になっていなければならない。 地震の大きさを表現するもので私たちがよく耳にする「震度」というのがあるが、これは気象庁が「震度階級」というランク付けを発表しており、地震による揺れ方の強弱を感覚的に表す目安である。震度0から7まである。8以上の震度はない。例えば、震度7は次のように表現される。震度7・立っていることができず、はわないと動くことができない。揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある。・固定していない家具のほとんどが移動したり倒れたりし、飛ぶこともある。・壁のタイルや窓ガラスが破損、落下する建物がさらに多くなる。補強されているブロック塀も破損するものがある。人の体感・行動、屋内の状況、屋外の状況(気象庁による)なお、この震度7に相当する目安の地震動は400ガル以上とされている。 ちなみに、阪神大震災は震度7で、その時の地震動は場所によって異なるが、600〜800ガルであったとされている。 川内原子力発電所に限らず、どの原子力発電所でも大きな地震の揺れを感じた際には、原子炉が自動停止する仕組みになっている。福島第一原子力発電所が、3.11の地震の揺れを感じて、問題なく安全の裡に自動停止したことはよく知られている。あの悲惨な原子力事故、シビアアクシデントを招いたのは、地震の後約50分後に襲来した巨大津波であった。合理性より情緒性を選んだのか さて、川内原子力発電所は、次のような大きさの揺れ以下で自動停止するようになっている。【川内原子力発電所の原子炉自動停止の設定値】水平方向 160ガル以下鉛直方向  80ガル以下 これらの地震動は、原子炉建屋に隣接する補助建屋の最下階(-21.0m)で観測されるようになっている。つまり、未だに遠く離れた熊本で発生している程度の地震動では、原子炉自動停止はしない仕組みになっている。自動停止する必要がないのである。九州地方で発生した地震を受け、被災者救援のための募金を呼び掛ける共産党の志位和夫委員長(中央)ら=4月17日午前、東京・新宿(酒井充撮影) 市民のなかには『あの人身事故ゼロを誇る新幹線でさえ、今次の地震では九州新幹線が脱線したではないか』と声を荒げるものもいる。しかし、新幹線と原発はこの場合比較対象にはならない。新幹線の線路は盛土や高架橋の上に設置されている。一方、原子炉建屋など安全確保上重要な建物や機器は、いずれも「岩(がん)づけ」されている。硬くてビクともしない岩盤の上に直付けされているのである。岩盤に直付けし耐震補強されているので、いわば岩盤と一体化している。東日本大震災の際、大地震の影響を受けて宮城県にある女川原子力発電所は、岩盤とともに1メートル地盤沈下した。そして、原子炉やそれに関連する安全上重要度の高い施設や機器は、無事を保ったのである。また、平均海水面から14.8メートルの高台に設置されていたので、女川原子力発電所への津波による浸水の影響は炉心や使用済み燃料貯蔵プールを脅かすものにはならなかった。   丸川大臣の発信と同じ16日、日本共産党は、「新幹線や高速道路も不通で、仮に原発事故が起きた場合に避難に重大な支障が生じる」として、予防的に川内原発を止めて、国民や住民の不安にこたえるべきだと政府に申し入れたとされる。 これは物理学者・不破哲三がかつて書記局長を務めた頃以来、科学的思考を標榜する日本共産党にしては、一体どうしたことかと言いたくなる。科学的かつ論理的判断に基づけば、川内原発を止めることを政府に申し入れるとは、愚の骨頂である。加えて、東日本大震災の折、女川原子力発電所の近隣住民300名以上が、発電所敷地内の体育館に避難したという事実ももうお忘れなのであろうか。なお、女川原子力発電所が3・11時に受けた最大地震加速度は、1号機で540ガル、2号機で607ガル、3号機は573ガルであった。それぞれ耐震設計上想定していた地震動は、532ガル、594ガル、512ガルである。当時であっても、設計上想定した値を超えても建物が揺れに耐える〝余裕〟を持っていたことがわかる。そして、3・11後に成った新しい規制体制のもとの新しい規制基準下では、耐震上の規制要求はよりいっそう厳しいものになっている。そのことを忘れないようにしておきたい。 最後に耐震上の規制要求がより一層厳しくなったがために起こってしまった可笑しなお話でこの論を締めくくりたい。 川内原子力発電所では、福島第一原子力発電所の事例に倣って新たに免震重要棟が3・11後に建造されていた。それは緊急時の各種対策を実行するためであったことは言うまでもない。しかし、その後勃発した『震源を特定せず策定する地震動』をめぐって、事業者である九州電力と規制当局の県会が擦り合わなかった。その結果、事業者が規制当局に歩み寄って決められた地震動が620ガルである。事業者がそもそも手の内に持っていた540ガルを620ガルに引き上げざるをえなくなったのである。 ちょうどその頃、同じ問題をめぐって関西電力は大飯原発の基準地震動に関して規制当局と戦う姿勢を見せたが、当局の強権のもと最終的に返り討ちにあうような形になった。規制当局が突っぱねれば、いかに論を重ねようとも事業者には分がない。そのことを横目で見ていた九電は、規制当局の暗黙の意向を忖度せざるをえなかったのではないだろうか。ところが、この620ガルの地震動を先の免震重要棟に適用し、耐震計算を行ったところ、重要棟から岩盤まで打ち込んでいる支柱にひび割れのような損傷が生じる可能性が完全には否定できない結果となった。そうすれば、もう事業者には緊急時対策用の建屋は炉心建屋同様に岩づけして、免震ではなく、耐震補強するしか道は残されていないのである。 震源を特定せず策定する地震動の震源深さの議論は奇妙である。事業者がそれなりの根拠を持って示した深さに対し、規制当局はさらに1キロメートルくらい浅いはずだと言い始めるのである。 福島第一原子力発電所には、震災後何度も足を運んだ。その度に免震重要棟に入るが、未だ健全そのものである。世の中の建造物の地震への備えは、耐震構造から免震構造に向かっている。新規制基準のもとでの原子力規制は、世の中の一般的な趨勢に逆行しているかに見えるのである。 『川内原発を止めて欲しい』という世の中の情緒的な感情、そして共産党が示し続ける非合理性———これらは、東日本大震災以来継続しているようにも思える。それに対して、政府と規制当局はオーソリティーを維持しつつ、合理性と科学的根拠に基づいた対応を示し続けて欲しいと願うばかりである。 政府と規制当局にとっては、今大きな試金石が訪れている。

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    火事場泥棒に気をつけよ! 原発停止を煽る「中央構造線のウソ」

    た皆様に心よりお見舞い申し上げます。 東日本大震災が発生した翌日に、当時首相であった菅直人が福島第一原発に乗り込んだことは記憶に新しい。それによって現場を大混乱し、被害を拡大させたが、本人には未だにその自覚がないようだ。誰がどう見てもあれは政治パフォーマンスであり、問題解決には一つもプラスにならなかった。皮肉にも、民主党政権はこのパフォーマンスで点数を稼ぐどころか、大量失点してしまい、翌年の総選挙の大惨敗の原因を作った。 民主党が民進党に変わってもやっていることは変わらない。熊本地震の発生直後、Twitterユーザーが民進党の公式Twitterアカウントにあてて「東日本大震災時の自民党のような対応を望みます。」とツイートしたところ、民進党公式Twitterが「それじゃあダメでしょうね。」とケンカ腰で返信した。民進党公式Twitterは続けて、「多くの議員が与野党なく災害対応に協力した中で、一部の自民党の有力議員が原発対応についてデマを流して政権の足を引っ張ったのも有名な話です」などと事実無根の自民党批判を展開した。当然これは一般の人の怒りを買い、民進党のアカウントは大炎上した。 事態を重く見た民進党は、4月15日に謝罪し、一連の逆ギレツイートを削除した。「担当者の私見の入った不適切なツィートを削除させていただきました。今後は公式な情報提供につとめてまいります。申し訳ありません。」と歯切れの悪い言い訳をしているが、もうあとの祭りである。 4月16日には共産党から次期衆院選に立候補予定の香西かつ介氏が、熊本地震の義援金の名目で募金活動を行いながら「熊本の被災地救援、北海道5区補選支援、党躍進のためにありがたく使わせていただきます。」などとツイートして大炎上した。募金を集める封筒に小さい注意書きがあったそうだが、ネットでは「詐欺だ!」という批判が噴出した。当たり前である。 民進党も共産党も、震災の被害に遭われた方の救援や復興などにはまったく関心がないのかもしれない。一連の騒動から見るに、彼らはパニックを利用して党勢を拡大することしか考えていないのではないか?そのためには人を騙したり、嘘の情報を流したりしても、良心の呵責を感じないばかりか、きっとなんとも思わないのだろう。人の不幸に便乗して、自分の勢力拡大に利用しようとしているなら、まさに最低な連中と言わざるを得ない。 最近、パワーの低下が著しい反原発勢力も今回の地震で調子に乗り始めた。共産党や民進党と同じく、デタラメな情報を流して人々を混乱させ、あわよくば勢力拡大に利用しようとしている。地震発生直後から鹿児島県の川内原発を停止せよという主張がSNS上に流れてくるが、どれもが事実無根の雑な内容ばかりだ。熊本地震で安全性が確認された川内原発=鹿児島県薩摩川内市 極めて単純な話だが、もしいま九州全域が電力不足に陥れば、震災の復興が遅れる。そして、被害はむしろ拡大し、その悪影響は九州全域ばかりか、日本全国に広がる。彼らは菅直人のように被害を拡大して日本を経済的に動揺させ、勢力拡大に利用できればそれでいいのだろう。しかし、大多数の日本人にとってそれは極めて迷惑な話だ。 まずは、事実関係を確認しておこう。そもそも、川内原子力発電所よりも震源に近い熊本県天草郡に苓北発電所(70万kW×2、140万kW)、大分県大分市に新大分発電所(275.44万kW)がある。これら大型火力発電所が、今後発生する大きな余震などで停止した場合、どうやって電源を確保するのだろうか?被災地となった九州地域の電力供給で、今、頼れる電源の1つが川内原子力発電所であることは間違いのない事実である。 しかも、今年はラニーニャ現象による猛暑が予想されており、川内原発の178万kWがすべて失われると、電力の供給および予備力が大幅に低下する。今回の熊本地震では多くの工場が被災し、日本全体のサプライチェーンが止まりかけている。そんな中、厳しい電力不足をわざと発生させる原発の停止は、復興支援という観点から考えてもあり得ないことだ。ウソの中央構造線ウソの中央構造線 今回の地震では九州電力管内の変電所や送電線なども甚大な被害を受け、現在九電のみならず、全国電力各社の支援を受けながら、停電解消に全力で作業を進めている。この復旧作業には、送配電部門の社員だけでなく、お客さまへの対応として営業部門、広報、総務など九州電力が全社体制で取り組んでいる。もちろん、発電所にも非常災害体制が敷かれた。こうした中で、川内原発の停止と代替する火力発電所の立ち上げを行えば、人的リソースが不足することは必至である。いまそんなことをやっている余裕はないのだ。 ところが、反原発勢力は、それでも川内原発が危険だから止めろという。彼らが根拠として挙げているのは、ウソの中央構造線を書き込んだニセ日本地図だ。http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/15598 まるで川内原発が中央構造線の真上にあるかのような書き方である。しかし、実際に中央構造線はそんなところを通っていない。中央構造線博物館のHPによると、実際には次のようになっている。 もう少し拡大した地図を見てみよう。新規制基準の適合検査に提出された資料によれば、川内原発に最も近い活断層でも30km近く離れていることが分かる。http://www.nsr.go.jp/data/000147517.pdf 川内原発の原子炉は160ガルの揺れを観測すると自動停止するように設計されている。現時点で今回、最も大きい地震は、4月16日1時25分頃に発生したものだ。この時、川内原発での揺れは8.6ガル、基準値の1割以下だった。それゆえに、原子炉は停止せず、今、この瞬間も被災地を含めた九州エリアに電力を供給している。原子力規制委員会の田中俊一委員長は、稼働中の川内原子力発電所について、「不確実性があることも踏まえて評価しており、想定外の事故が起きるとは判断していない」として、今のところ運転を止める必要はないという考えを示したのは極めて妥当な判断である。 では、もし最も近い活断層がズレて大規模な地震が発生したときにはどうなるだろう。揺れが160ガル以上になれば原子炉は自動停止する。福島第一原発ですら東日本大震災の時には自動停止した。この点については、他の大地震でも実績があり問題はないだろう。 福島第一原発の事故は、自動停止の後、電力の供給が止まって炉心の余熱を冷やしきれず、燃料棒が解けてしまったことによって発生した。事故後、新規制基準が制定され、全電源停止状態でも炉心を冷やし続けられるよう、様々な対策が講じられている。川内原発の原子炉は加圧水型(PWR)と呼ばれるもので、福島第一の沸騰水型(BWR)とは構造が違う。端的に言うと、全電源停止状態でも、二次冷却水を循環し続けることで炉心を冷やし続けることができるのだ。水を継ぎ足す手段はポンプ車でも、給水車でも、サイフォン管でもなんでもいい。しかも、給水は原子炉建屋の1階から可能だ。詳しい内容については、いちど九州電力のHPをご覧いただくのがいいだろう。http://www.kyuden.co.jp/torikumi_nuclear.html やはり、何をどう考えても川内原発を止める理由は見当たらない。避難している人にとって、夜に明かりが点灯することでどれほどの安心が得られるか考えてみてほしい。どうしても川内原発を止めたい人は、被災地復興への思いを共有していないのかもしれない。ウソの情報を拡散して、火事場泥棒的に勢力拡大を図ろうとする邪な集団には注意したいものである。

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    原発を止めたい人たちがまた騒ぎ出した!

    「かもしれない運転」のすすめ。朝日新聞の天声人語に、熊本地震の震源に近い鹿児島県の川内原発の即時停止を求めるコラムが掲載された。「想定外に備えよ」という趣旨だが、過度に不安を煽る言説は相も変わらない。大災害やテロが起これば必ず騒ぎ出す「原発アレルギー」。もうこの手には乗りません!

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    朝日新聞もやればできる! 熊本地震と川内原発の「デマと嘘」

    要各紙の社説の抜粋は、以下の通り。◎毎日新聞(4月16日付け社説):「新規制基準では、活断層の真上に原発の重要施設を建設することは禁じられている。活断層は、日本列島に2000以上走っている。いつ、どこで直下型地震が起きてもおかしくない。こういう地震列島の中で原発を維持していくリスクを改めて考えた人も多かっただろう」◎朝日新聞(4月17日付け社説):「日奈久断層帯方面の地震拡大も引き続き心配だ。こちらも先には九州電力川内原発がある。一連の地震は、規模と連続性などが通常とは違う展開になっており、予断を許さない」◎読売新聞(4月21日付け社説):「運転中の九州電力川内原子力発電所に関する情報発信も大切だ。被災地域への電力供給を担っている。原子力規制委員会は、原発の揺れは小さく、安全上の問題はないと判断している。現状を丁寧に説明し、不安軽減に努めたい」地盤を全く考慮しないデマや嘘 ところで、ネット上では案の定、熊本地震と原子力発電所の関係などについて、最初の地震の日からデマや嘘が飛び交っている。これは、東日本大震災時の経験からも、ある程度は予想されたことではあるが…。  私はTwitterやFacebookなどを頻繁に更新しているが、その範囲で最も多く見られたのが、「今回の熊本地震で観測された最大地震動(1580ガル)は、川内原子力発電所の自動停止設定値(160ガル)を大きく上回っている。だから、川内原子力発電所を停止すべきだ!」というような趣旨の意見だ。 確かに、今回の熊本地震では、4月14日に熊本県益城町で1580ガルという大きな揺れが観測された。この大きな揺れは、軟らかい地盤の影響によるもの。他方で、川内原子力発電所は、大きな揺れになりにくい硬い岩盤上に設置されている。大きな被害が出た熊本県益城町=4月22日午前(産経新聞社ヘリから、竹川禎一郎撮影) 同一地点の地表と地下それぞれに観測点がある熊本県益城町では、軟らかい地盤の地表では1580ガルだったが、地下の硬い岩盤の中では最大で237ガルだった。 因みに、平成9年5月の鹿児島県北西部地震の際には、軟らかい地盤上の川内市(当時)中郷では470ガルの揺れが観測されたが、硬い岩盤上の川内原子力発電所では68ガルの揺れだった。<資料3:実際の地震における軟らかい地盤と硬い岩盤の揺れの違い> (出所:九州電力資料「平成28年熊本地震における川内原子力発電所の安全性について」(平成28年4月21日)) 余談だが、上記で紹介した朝日新聞社説の最後段では、「被災者らの不安をよそに、デマがネットなどに出回っているのは見過ごせない。災害の中では何よりも情報が安全を左右する。被災者や関係者は、公的機関などからの確かな情報の入手に努めてほしい」と書いてある。 朝日新聞も、なかなか善いことを書いているではないか!! 朝日新聞は、この社説を奇貨として、従来のような偏向報道姿勢を完全に払拭し、公正かつ中立かつ正確な記事だけを発してもらいたい(たぶん、無理ではあろうが…)。

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    未だに「福島の原発不安」をあおる二次被害

    って実態を見ると――。 福島の惨事に便乗する言説によって、2次被害と呼べる問題が明確に出ています。(原発)事故直後の「急性期」には、避難する過程で多くの人が命を落としました。放射線の危険性を過剰に煽る報道によって、農業や漁業に従事する人の中に自殺したり、将来への悲観から廃業したりする人が出ました。しかし、……「慢性期」の現在も惨事便乗言説による実害は発生し続けている。 避難を続けて心身が不調となり、亡くなった人は2000人を超え、福島の地震・津波で亡くなった約1600人を上回っている。相馬・南相馬で避難経験を持つ人の糖尿病は1.6倍となり、福島の子供の肥満は一時、全国1位になった。廃炉作業が続く東京電力福島第1原発の原子炉建屋。左から1号機、2号機。その右は建屋上部のがれき撤去がほぼ終わった3号機=2月15日午後 現在、被曝による健康被害の可能性は極めて低いと科学的に勝負が付いている。「過剰反応を煽り続けることは明らかに有害です。今は(行政などが)過剰反応に適切な対応をとって来なかったことの問題を議論すべき時期です」と開沼氏は憤る。 誤った言説の周辺には、経済的利得を得ようとする怪しげな業者や得体の知れない「専門家」と称する人物が存在する。彼らが組んで被害者につけ込み、特殊な食物や薬を売り込んでいる。 有名なニセ科学の「EM菌」。放射能を排出できるなどともっともらしいデータをでっち上げている。有名どころでは「通販生活」。ひたすら不安を煽る論者を並べ立て客を囲い込む。「DAYS JAPAN」もデマを流して、地元紙にとりあげられたら逆ギレして誹謗中傷記事を出す始末。 こうした2次被害はなぜ続くのか。開沼氏の分析は鋭い。 NPO、法律家、自称ジャーナリスト、自称専門家などの「支援者」側に責任がある。彼らの共通点は勉強していないことです。放射線に関する知識をほとんど持っていないにもかかわらず、自分達は正義だと自己正当化する。原子力ムラならぬ「不安寄り添いムラ」が形成されています。 正義の味方を実践していると思いたいのだろう。専門家が科学的な問題点を指摘すると、「弱い被害者と支援者を潰そうとしている」という言説を大々的に外部に流して圧力をかけ、「自分たちは正義の味方」なのだ、と自他を信じ込ませようとする。それにより自己の利得を得続けて行く。 それだけなら、まだいい。「支援者」は地元を復興しようと努力する人たちを罵倒し、その行為をやめさせようとする。 福島の農家や漁師が「安全でおいしいので食べてください」と売り歩くと、「毒売るな!」という非難が漁協などに殺到。地元のNPOが子供たちと一緒に幹線道路を清掃しようとすると、「子供を傷つける殺人者」などという誹謗中傷の非難を浴びせる。 「支援者ムラ」には法律家や学者が入っているのに、そうした根拠のない「差別行為」を黙認している。もはやカルト的人権侵害行為がまかり通っているのだ。 そうしたカルト集団は今や福島では圧倒的に少数派なのに、朝日新聞やテレビ局などの大手メディアが彼らを支援し、「少数派」に見えないようにしている。 メディアは(まともな)サイレントマジョリティを無視しようとする。(福島から)自主避難する人は取り上げるけれども、その何倍も存在する自主避難から戻ってきた人……は取り上げない。福島から震災後自主避難して県外に移った人って20~40%いると思っている記者が多いですが、正確には2%に過ぎません。 事態がわからないときは安全サイドに立って判断するのはやむを得ないとしても、状況が分かってきたら、「安全だ」という情報を正しく大きく伝えるのがメディアの役割だ、と開沼氏は強調する。 大体、反原発者は反安保で反安倍首相。今回の熊本震災では米軍の輸送機オスプレイが投入されたが、朝日や毎日はその効果よりも「オスプレイの危険性」ばかり過剰に報道する。フィリピンの台風時にオスプレイがいかに活躍したか、は報じない。 そうした偏った報道では困るのだ。 もう1つ、開沼氏らが指摘するのは、行政や政治家の無責任な態度だ。自分たちが「被害者」に対して冷たいと見られまいとして、明らかに科学的に決着がついた今でも、少数の「支援者」をおもんぱかって、結論を先延ばしする。政治家と役人は科学的なデータを元に、福島の安全性をもっと強調すべき時なのだ。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2016年4月21日分を転載)

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    「現代の戦争」を知らずに反戦を唱えるリベラルの弱さ

     2012年夏には20万人の脱原発デモが、去年夏には12万人の反安保法案デモが国会前で起こった。だが、その盛り上がりにもかかわらず原発は再稼働し、法案は通り、しかも安倍政権の支持率は高い。これはリベラルの敗北である。『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(浅羽通明著・ちくま新書)はリベラル系知識人の言動から敗北の理由を考察した論考である。著者曰く、リベラルは敗北を直視せず、「バーチャルな脳内観念世界」へと逃げ込み、「デモのある社会になった」ことを勝利と称している、思想が宗教と化し、「原発止めろ」「戦争するな」「憲法守れ」といった言葉が単なる念仏やお題目になっている……。 著者は挑発的で辛辣、ときに冷笑的な言葉でリベラルの抱える矛盾、欺瞞、劣化を炙り出す。気鋭の若手保守論客・古谷経衡氏はこれをどう読んだか。(インタビュー・文/鈴木洋史) ──著者はリベラルでもなく保守でもない「封建主義者」を自称し、通常の「右」とは異なる立場でリベラルを批判しています。古谷:僕は安保法案に賛成で、微温的な安倍政権支持者です。だからというわけではありませんが、「我が意を得たり」です。その一方、著者の姿勢に共感できず、SEALDsの奥田愛基さんらを擁護したい気持ちも起こりました。──賛同するのはどの部分ですか。古谷:まず「リベラル系知識人はセカイ系だ」と看破した点ですね。日常を生きる普通の主人公がある日突然、危機に立たされた世界を救う救世主となるのが「セカイ系」と言われる物語の系譜で、アニメだと『新世紀エヴァンゲリオン』や『コードギアス』『交響詩篇エウレカセブン』が典型。それに倣えば、デモ参加者たちは戦争の危機から日本を救う主人公のつもりなんですかね。「セカイ系」の特徴は、平穏な日常と「最終戦争」との間に中間過程がないことです。現実世界では、唐突にヒトラー政権が誕生するのではなく、画家志望だった青年の挫折からはじまり、一次大戦とミュンヘン一揆、ナチ党内部の抗争などといった中間過程がある。 でも、リベラルは法案ひとつ通っただけで、すぐにでも安倍さんがヒトラーのような独裁者になり、どこかに戦争を仕掛け、徴兵制を復活させる、などと話を進めるわけです。中間過程を無視した荒唐無稽な言説です。立て看板などで封鎖された京大・吉田南1号館の入り口=2015年10月27日、京都市左京区の京大吉田南キャンパス──確かに「セカイ系」じゃない人にはピンときませんね。古谷:ただ「セカイ系」は右にもいるのです。ある自衛隊関係者から聞いた話ですが、3.11のとき右系の知人が彼に電話をかけてきて「自分に一個大隊を任せて欲しい。東北を救うために俺が出る」と言ったそうです。「ただの市民が日本を救う」。これは右版のセカイ系ですね。──著者は、朝日新聞などのリベラル系メディアは何十年も前から、ことあるごとに「この法案が通ったら日本の民主主義は死に、戦争が始まる」と煽ってきた「オオカミ少年だ」と批判していますね。古谷:それに関連して、著者が触れていないことを指摘すれば、リベラルは「安倍は戦争をやりたがっている」と批判する割には自衛隊の装備など軍事知識に疎すぎです。例えば1998年に「おおすみ型」輸送艦が就役したとき、見た目が全通甲板(甲板が艦首から艦尾まで平らであること)だから、すわ「空母だ」と言い立て、「侵略の準備だ」などと騒ぎました。 しかし、甲板に耐熱処理を施しておらず固定翼機の離着陸は不可能です。格納できるLCAC(エアクッション艇)も2隻だけで、その定員は五十人程度。一個小隊程度の人数でどうやって他国を侵略するのか。日本は戦略爆撃機も原潜も中距離弾道弾も保有していません。F-35の調達も予定通り行くかどうか……。装備を仔細に検討すれば、専守防衛すら危ういというのが僕の考えです。 また、社民党は一昨年、「あの日から、パパは帰ってこなかった」という赤紙を連想させるポスターを作って集団的自衛権に反対しましたが、先進国の潮流は徴兵廃止です。リベラルはいまだに70年前に終わった日米戦争を想定しているようですが、今後あんな総力戦を日本が戦うことはあり得ません。現代戦の主役はドローン(無人機)とサイバー空間です。反戦を唱えるなら、もっと現代戦を研究し、それを抑止するためにはどうするかを考えるべきでしょう。──著者は本書の最後のほうで〈リベラル派が「言葉への信頼」を腐らせている現状〉を指摘したい、と述べています。古谷:リベラルはよく「安倍はヒトラーだ」と言いますが、成蹊学園から内部進学した温和な安倍さんは、良くも悪くもヒトラーほどの大物ではない。僕からするとヘスやボルマンですらない。そうやってすぐ「ヒトラー」を多用し、言葉をインフレさせるので、言葉の信頼性がなくなるのです。──著者の姿勢に共感できなかった部分とは?古谷:著者は最初のほうで「楽しさを強調し、敷居を低くしないと人が集まらないデモではダメだ」と批判していますが、奥田さんたちはそんなことを言われなくても承知のはずです。また、奥田さんたちのデモには勝つための戦略がないと批判していますが、負けると分かりつつも気持ちを抑えきれないという……まあパッションとでも言いましょうか。それが周囲に伝わり、あそこまでの広がりを持ったと思います。「勝つための最強メソッドを俺は知っている」と言われても虚しいです。 僕は自分の著書の中で奥田さんと対談したことがあるので余計に思いますが、彼は中学で不登校になり、全寮制のキリスト教系高校に進み、震災のときには被災者を支援し、映画を制作するなど「才能豊かな変人」です。僕と政治的立場は違いますが、彼のように既存の常識の枠外にいる人を僕は評価します。著者はそうした人を突き放していますが、それは寛容さに欠けるのではないかと感じました。関連記事■ 総理候補・玉木雄一郎議員 反権力だけのリベラル脱せよと指摘■ 日本のネット言論成熟に必要なことを在米ジャーナリスト提言■ 護憲派が守ろうとしているのは憲法ではなく古い解釈改憲だ■ 戦争責任に識者 「国として誠意を見せた数少ない例が日本」■ 左翼は原義と異なる リベラルと称して差し支えないとの指摘

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    原発説く坂本龍一に「三味線で『ライディーン』を」の意見

    ゃない、あんなもの(SEALDs)は。中川:しかし、いまは何が右で何が左かよくわからなくなっている。原発に反対したらリベラルとか、一つのイシューに反対したらリベラルだといっているだけじゃないかと。呉:その通り。何にもわかってないんだよ。俺は原発には反対なんだよ。ただ、脱原発って簡単じゃない。まず財界が安く電気を使いたいから原発を支持してるよね。一般民衆も、原発がなくなったら楽な生活ができなくなるとわかったうえで、やめる覚悟があるかどうか。どこの山の村でも海の魚が食えるけど、冷凍して運ぶロジスティックスにものすごく電気を使っているわけでしょ。中川:坂本龍一は「たかが電気」っていってたけど、電気がなければエレキギターもキーボードも弾けないだろって。呉:そう、そう。お前ら、昔みたいにハープシコードでも弾くのかと。中川:「YMO、新たな始動」とかいって、全員、三味線で『ライディーン』を弾けばいい。呉:ただ、10年、20年たてば、科学の進歩で脱原発できる可能性はあるわけですよ。そのために「お前ら、ちょっと我慢しろよ」と強権発動する人が出てきたら、それは右なのか左なのか。中川:結局、「自分はリベラルだ」といったらリベラルになるんでしょうね。消費税の問題でも、増税反対派が左翼っぽく見られているけど、消費税が社会保障に使われるのだとしたら、格差是正につながるかもしれないわけですよね。 で、何が気持ち悪いのかというと、旧来の知識人が、「どっちの側に身を置けばリベラルで進歩的な人物に見られるか」という原理だけで動いていて、学生の運動を取り込めば、自分たちも急進派になれると思って支持していることですよ。呉:その通りだね。外国人労働者の問題も同じ。みんな外国人労働者を受け入れるのは国際派でリベラル派だと思ってるけど、とんでもない間違い。外国人労働者を入れるというのは、国内に植民地をつくることなんだよ。外国に農園や工場をつくり、安い労働力を使って宗主国が豊かになるというのはわかりやすい植民地だけど、安い労働力を現地で使うか、国内で使うかというだけの違いでしょう。だから、絶対やめなきゃいけない。日本は朝鮮統治で懲りてるはずなんだよ。中川:それしか日本が生き残る道はないという人もいますね。社会学者の橋爪大三郎さんは、今の状況だと、単に肉体労働者がいっぱい来ることしか考えてないんだけど、弁護士とか医師とか、そういった職業の人も育てて、きちんとその国の人がコミュニティをつくれるようにしろという「逆植民地化」を唱えています。呉:そこまでいうなら、一理あると思うけど、それでも積極的には賛成しませんよ。やっぱり、朝鮮統治の失敗から教訓を学んでないからね。国内で労働力をうまく回して、生産効率をあげることに力を注ぐべき。関連記事■ 音楽家が原発労働者を訪ね歩いて知られざる現実を記したルポ■ 小林よしのり氏「左翼=脱原発、右翼=原発推進は思考停止」■ 総理候補・玉木雄一郎議員 反権力だけのリベラル脱せよと指摘■ 日本のネット言論成熟に必要なことを在米ジャーナリスト提言■ 戦争責任に識者 「国として誠意を見せた数少ない例が日本」

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    福島の被ばく報道はデマだらけ

    福島の低線量被ばくをめぐる報道は、実に嘆かわしい。日本社会の知的劣化と言わざるを得ない状況だ。活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。

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    大手メディアも信用できない 福島にまつわるエセ科学記事の見分け方

    生労働省は東京電力福島第一原子力発電所事故後の作業員に対し、がんで初めて労災が認定されたと発表した。原発の業務に従事したのは1年あまり、累積被ばく量は約20ミリシーベルトという40代男性が、血液のがんである白血病を発症したという(職業被ばくの制限は5年で100ミリシーベルト)。 各紙はどう報道したか。 作業に伴う被ばくと疾病に「因果関係がある」としたのは朝日新聞(その後「一定の因果関係」に修正)だ。「因果関係が否定できない」と書いたのは日経新聞と時事通信。厚労省の発表に沿って「因果関係は明らかではないが労働者補償の観点から認定された」と正確に書いたのが毎日新聞、産経新聞、共同通信だ。 国立がん研究センターの調査によれば、40代前半の男性の年間白血病罹患率は10万人あたり4人(2011年のデータ)である。福島第一原発の作業員は事故後約4.5万人を数えるため、数名程度の白血病患者が発生しても自然発生率と変わらない。こうした比較なしに「因果関係がある」(朝日)と書き切ってしまう記者は不思議だ。歩道沿いのごみを拾う高校生ら。「故郷をきれいにしたい」との思いから大勢の人が参加した=10月10日、福島県広野町(野田佑介撮影) 「因果関係が否定できない」という言葉も要注意だ。そもそも、どんな病気でも因果関係がはっきり「ある」と肯定できたり、「ない」と否定できたりする例はなく、多くが「因果関係があるかないかわからない」のである。その意味で因果関係が否定できないという表現は誤りではないが、厚労省が「明らかではない」と言っているのをわざわざ「否定できない」と書くのは何らかの意図があるということだ。 問題はメディアだけではない。専門家であれば信用できるというわけでもない。 「福島で18歳以下の甲状腺がんが多発」とする分析を発表したのは津田敏秀・岡山大学教授だ。10月8日に外国人特派員協会で行われた津田教授の会見を受け、朝日新聞と提携するハフィントンポストは「福島の子供の甲状腺がん発症率は20~50倍」と記事を打ち、ネット上に広く拡散された。 「20~50倍」の比較対象は、国立がん研究センターが調査した罹患率なのだが、これは自覚症状があって病院に行き、エコー検査を受けて甲状腺がんと確定した人の率である。 一方、福島の県民調査は自覚症状のない人もしらみつぶしにエコー検査した結果だから、スクリーニング効果という“掘り起こし”が起きる。津田教授は根拠も示さずに「20~50倍はスクリーニング効果では説明できない」とするが、幅広いエコー検査を導入した韓国では検査率が15~25%に上がっただけで罹患率が15倍になったというデータがある。 なにより、仮に福島で甲状腺がんが多発しているとしても、被ばくとの因果関係は立証することができない。実測や環境から推計される甲状腺の被ばく量は十分に低いからだ。外部被ばくや内部被ばくの実態については、前篇記事をご覧いただきたい。 前篇記事では、「放射線管理区域」という概念を用いたトリックを紹介した。本稿で紹介した白血病や甲状腺がんの「言い回し」に共通しているトリックは、適切な比較対象がないことだ。 賢明なる読者の皆さんは、放射線管理区域を持ち出す記事や、適切な比較対象のない記事の取り扱いにはくれぐれも注意されたい。

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    福島の人々にありもしない放射能問題をぶつける活動家たち

    間の積算値が1マイクロシーベルトに満たないという測定結果は、記者の線量計の測定値とも符合している。 原発事故によって追加される被ばく線量は年間1ミリシーベルト(mSv=1000マイクロシーベルト)以下とするというのが国の掲げる長期的な目標だが、今回の被ばく量はその1000分の1にも満たない量だったということである。 これがどの程度の値なのか、福島県外の人にはピンと来ないかもしれないが、不幸なことにおそらく放射線量に世界で最も詳しくなっている浜通りの人たちは、0.23マイクロシーベルトを基準に考える。 住んでいる地域の空間線量が毎時0.23マイクロシーベルト以下であれば、原発事故によって追加される被ばく線量が年間1ミリシーベルトに収まるというのが、国が示した換算式だからだ。※詳しく説明すると、0.23から自然放射線0.04を除いた0.19マイクロシーベルトを基に、1日のうち8時間が屋外で16時間が屋内で暮らすと仮定し、さらに屋内は遮蔽効果で屋外の4割の被ばくで済むと考えて、0.19μSv×(8+16×0.4)×365=998.64μSv≒1mSv) 同じように考えて、除染目標も毎時0.23マイクロシーベルトとなっている。だから、3時間の積算が1マイクロシーベルト未満(つまり毎時0.33マイクロシーベルト未満)という値なら、地元の人のほとんどは心配しない。 それでも「ゼロ」でないと心配だ! そんな方は、震災前の日本各地の自然放射線量のばらつきを示した図を見ていただきたい。もともと年間1ミリシーベルトに近い、赤色のエリアは結構存在する。有馬温泉などラドンの温泉は放射線が出ているので、細かく見ていけばもっと放射線量の高いところはたくさんある。 原発事故後5年が経過し、多くの実測データも集まっている。各市町村がガラスバッジ(個人線量計)を配布し、個人ごとの被ばく量を調査しているが、この個人線量実績値がほとんどの場合、空間線量から想定されていた被ばく量を下回っていることも分かってきている(1日のうち8時間が屋外で16時間が屋内、さらに屋内は遮蔽効果で屋外の4割の被ばくという仮定が厳しすぎたということ)。 例えば、南相馬市の結果をみると、配布後は約9割が年間1ミリシーベルト以内に収まっている。ガラスバッジ配布前の初期被ばくの推定結果も99%が累積2ミリシーベルト以内である。また、屋外クラブ活動への参加、通学時間といった屋外活動に関連する生活様式は、被ばく量と有意な関係は認められないことも分かってきている。 つまり、そもそも、避難指示が出ているエリアを除いた、人々が生活している地域において、福島の外部被ばくは全く問題になるような値ではないのだ。だから国道の清掃活動をすることにも、地元の人は多くが抵抗を感じない。 いやいや土ぼこりによる内部被ばくが心配だという人々には、10月9日に発表されたある喜ばしい事実を挙げておきたい。事故後、世界にない小児用のホールボディカウンターをメーカーに開発させて、徹底的に福島の人々の内部被ばくを検査してきた研究者グループによるものだ。「Babyscan」で多くの福島の子供たちの内部被ばくを検査した坪倉正治医師(Wedge) 「福島第一原発事故後、Babyscanを用いた内部被ばく検査では2707名の小児、乳幼児全員から放射性セシウムは検出されず」(東京大学大学院の早野龍五教授、南相馬市立総合病院の坪倉正治医師ら)。この論文タイトルが内部被ばくの実態を端的に言い表している。ちなみにBabyscanの検出限界は全身で50ベクレルという恐るべき低さである(1ミリシーベルトの内部被ばくのためには万ベクレル単位のセシウムの摂取が必要)。放射線管理区域のトリック放射線管理区域のトリック しかし、国道6号清掃活動をとりあげた週刊誌の記事タイトルはこうなっていた。「子どもがセシウムを吸い込む“被ばくイベント”が福島で決行された」(光文社「女性自身」10月27日発売号)「放射能に汚された福島“6国”清掃活動は美談でいいのか」(集英社のウェブサイト「週プレNEWS」) こんな記事を見た地元の人々のショックの大きさを、外部被ばくと内部被ばくの実態を知った賢明な読者の皆さんなら、理解することができるだろう。 タイトルに問題はないのだろうか。弁護士に聞いてみるとこんな解説が返ってきた。「どんなに小さな量でも、このイベントでちょっとは追加的にセシウムを吸い込んだり、被ばくしたりしたでしょうからねえ……、被ばくイベントという表現は間違いとはいえないですよね……。原発事故によって、放射能に汚されたというのも事実ですし……」。 裁判とはそんなものと言うべきか、編集部もそこは弁えていると言うべきか。事は裁判に勝てるかどうかという詮ない話ではなく、「integrity(品格)の問題である」(澤昭裕・国際環境経済研究所所長)。 両記事が依拠する理屈は、原発事故で売れっ子になった元・京大原子炉実験所助教の小出裕章氏らがいつも持ち出す「放射線管理区域」のロジックだ。 週プレ流に言うと「放射線管理区域の基準は1平方メートルあたり4万ベクレルだから、それ以上の汚染土壌がある場所には、放射線管理区域と同じように一般人が立ち入ってはいけない」となる。 法令では、原発作業員や放射線技師など、仕事で追加的に受ける放射線量を「5年で100ミリシーベルト」という線量制限に収めるために、放射性物質を扱う人と場所と扱い方に制限がかけられている。放射性物質等を扱う場所を限定するために定められた区域を放射線管理区域という。 「1平方メートルあたり4万ベクレルというのは管理区域を設定する際の基準であって、極めて安全サイドのシナリオに基づいて定められたもの。その数字を安全と危険の境目のごとく言うのは誤りで、誤解を引き起こすトリックだ」(放射線安全の専門家、多田順一郎・NPO法人放射線安全フォーラム理事)。 女性自身と週プレの記事には、東京から駆けつけた「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」なる団体のメンバーが登場する。 お揃いの蛍光色チョッキを身に付けた彼らは、線量計が先についた長い棒を金属探知機のように扱いながら、ボランティアの脇を歩いていた。その線量計が指し示した最高値は毎時1.3マイクロシーベルト。最高値といっても、ゴミ広いだからずっとその場所で暮らすわけではない。仮に10秒そこにいるとすれば、1.3÷3600×10で、たった0.004マイクロシーベルト追加的に被ばくすることになる。これがどの程度の値かはもう説明する必要はないだろう。福島・浜通り地区で開催された国道6号の清掃ボランティア活動に対し、「高線量で危険」と東京から駆けつけた活動家たち(Wedge)「毎時1マイクロシーベルトを超えた! 離れて!!」わざわざ東京から駆けつけて、そう中高生に声かけする「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」のメンバーの様子は熱心にも映る。 しかし、記者は、空き時間にタバコを吸い、N95マスクと口元の間がきちんと塞がっていない彼らの姿を目撃してしまった。これは、発がんリスクを真面目に考えている人たちの行動とはとても言えないだろう。 低線量被ばく問題は難しい。福島の被ばく量が先述の通り小さかったとしても、数十年後の晩発性障害を現時点で完全に言い切ることはできない。科学者たちは誠実であればある程、確たること以外は語りたがらず、「言い切ることはできない」「今のところはわからない」という言いぶりになる。 そして、その不確実性を悪用して、自らの反原発イデオロギーを補強する専門家も存在する。専門家であれば、親・原発だろうが反・原発だろうが、原発へのスタンスとは切り分けて、福島の被ばくの現実に向き合った発言をしてほしいものだが、世にいろいろな人がいるのと同じで、専門家にもいろいろな人がいる。彼らの言葉をうまくつなぎ合わせれば、いわゆる「エセ科学記事」はいくらでも作れてしまう。 これが「エセ科学記事」がはびこる温床なのだが、まともな科学者の間で一定の相場観は共有されている。記者は科学者ではないからその相場観を書いておきたい。――福島の被ばくはチェルノブイリに比べケタ違いに小さい。とくに内部被ばくはあったとしてもごくわずかでゼロに近い。将来、事故由来の晩発性障害が起きる可能性はかなり低い。放射線を気にするなら交通事故から生活習慣病まで、もっと気をつけるべきリスクが山ほどある。福島は「避難が足りない」のではなく「避難させすぎた」。だから、老人ホームなどで1000人を超す関連死を出してしまった―― 本来、いまの福島について語らなければいけないことは放射能ではない。避難による故郷の喪失や賠償金の多寡による軋轢。分断されたコミュニティの再生という問題である。 国道6号の脇によく落ちているゴミで目立つのは、尿が入ったペットボトルや、便入りのビニール袋だという。国道6号は住民たちが行き交うかつての姿はなく、原発廃炉や除染の作業に従事するダンプカーだらけになっている。トイレで下りるのが面倒な運転手たちがそういったゴミを捨てていくのだろうか。住民の多くが避難したまま帰還せず、廃炉や除染の作業員ばかりが目立つ故郷の姿に、どれだけ地元の人々が悩んでいることか。そして、そんな浜通り地区に、外野からありもしない放射能問題をぶつける活動家たちは本当にズレている。 デマは排除できないが、偏見をもたらし、人々を傷つける。迂遠な取り組みかもしれないが、デマに騙されないリテラシーを多くの人が身につけるしか悪意ある活動家に対抗する術はない。

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    福島のエセ科学者による科学信仰の罪

    いし、空き家が増えてネズミが増えただけかもしれない。別の桶屋が倒産したかもしれない。東京電力福島第1原発事故による避難指示が9月5日に解除された福島県楢葉町の木戸川で5年ぶりにサケ漁が再開された=福島県楢葉町(鴨川一也撮影) 同じように、今例えば福島県の住民がんになった場合、それが「原発の放射能による増加なのか」ということを証明することは難しい。特にがんは色々な要因で起きるため、もし原発の後に起きても、「原発のストレスによって起きたがん」かもしれないし、「原発後にやけ酒を飲んだせいで起きたがん」「外へ出ず運動をしなくなったせいで起きたがん」かもしれない。また、まったく関係なく「日本人の2人に1人ががんになるから」という可能性も十分にある。これを放射能のせい、と断定することは非常に難しいのである。  少し難しい話になるが、疫学の世界では、A(原発事故)という事象の後にB(甲状腺がん)という事象が起きたときに、因果関係はどのように証明されるのか。 因果関係の判断基準で一番有名なものは「Hillの基準」というもので、以下の9項目を検討するものだ。1. 関連の強さ :原発事故と甲状腺がんがどの程度強力に関連しているか2. 一貫性:色々な手法でデータが集められているか3. 時間的関係4. 生物学的容量反応勾配:量が増えた時に効果も大きくなっているのか5. 特異性:Bの原因としてA以外のものが考え難いか6. 生物学的説得性:AがBを起こすことは生物学的に納得がいくか7. 整合性:AがBを起こすことは論理的に矛盾しないか8. 実験・データの質9. 類似性:過去に類似した報告がなされているか このHillの基準を用いて福島のがんを検討するとどうなるだろうか。事故の前と今とでは何倍増えているかわからないので、事故とがんの関連の強さを判定できないため、1や3の項目は満たさない。住民の被ばく量データが正確ではないので、4も証明は難しい。放射線以外にも癌の誘因があるため6も困難。がんのデータベースすら作られていないので、2や8はこれからの課題である。  とすると、因果関係があると「科学的に」主張するためには、6の生物学的説得性(放射能でがんになりえる、という理屈)と9の類似性(チェルノブイリの先例がある、という事実)で勝負するしかない。つまり、既存のデータは、福島の放射線ががんを引き起こしたという因果関係を示すには十分でないのである。   誤解のないように言うが、「因果関係を示すに十分な情報がない」ということと、「因果関係がある・ない」ということは別物である。つまり、たとえば福島の子供たちの間で原発事故による甲状腺がんが増えているかどうか、ということに関しては、今どんなに議論を尽くしても、結論は出ないのである。「実験科学派」と「症例重視派」のすれ違い「実験科学派」と「症例重視派」のすれ違い このように科学の限界がある中で、何かを断言しなくてはならない、と焦る「専門家」の間では、かみ合わない議論続けられている。中でもかみ合わないのが、再現性と普遍性を重視する「実験科学派」と、1例でも先例があれば事実とする、「症例重視派」(いずれも筆者の勝手な命名である)が互いを論破しようと争う議論だ。 「実験科学派」は、再現性と客観性を重視する人々だ。この人々は、「普遍的真理は条件が代わってもまた真」である、という前提に基づき、再現性と普遍性を重視する。統計学的有意差が好きなのもこのグループに多い。しかし実験科学は、統計学を用いて未来に対する予測を行う学問にすぎず、今現在の事実を端的に説明するものではない。人間社会においては全く同じ条件で再現性を確かめられることは少ない上に、そこには意味がないこともあるため、実験科学のみでは現実社会に対応することには限界がある。  一方、「症例重視派」は1つでも事例があることに重きを置き、因果関係の証明はあまり重視しないない人々である。例えば福島のがんであれば、がんで苦しむ人がいるかどうかを問題とし、それが日本人の2人に1人がかかる一般的ながんであっても、放射能の影響によるがんであっても「福島のがん」である以上俎上に挙げる、という立場をとる。例えば差別の問題などでは、例があるかどうかが問題であるので、1例の症例は確率よりも重視される。しかし、当たり前だが症例をいくつ見つけても「増えていること」の証明にはならない、という限界がある。  つまり「実験科学派」ががんのリスク因子、発がん率、放射線の(一般的な)身体影響を挙げて「今の福島の放射線量ではがんのリスクが上がることは考えづらい」という言い方をする一方で、「症例重視派」は甲状腺がんの数例を提示して 「実際に甲状腺がん患者がいるのになぜそこから目をつぶるのだ」と反論する。まったくもって水掛け論である。症例重視派の「領海侵犯」 この二派がお互いを説得する必要はない。むしろ異なる視点から福島を眺める、というメリットがある。  原発事故が実際にどの程度の健康影響を及ぼしているのか、住民という集団へのインパクトを探り、エビデンスに基づいた対処を政府に求めていくのが「実験科学派」の役割である。一方、人権擁護的な立場から、実際に福島で実際に困っている人がいるのだから因果関係やエビデンスなど待たずにそこに救いの手を差し伸べるべきである、と訴えるのが「症例重視派」のスタンスだ。つまり実験科学派がエビデンスを蓄積するまでの間、人道的な観点から速やかな対処を求める、そのように、2つの「派閥」は時間的にも理論的にも住み分けられるはずである。  しかし今の福島で一番問題を引き起こしているのが、一部の「症例重視派」による「領海侵犯」である。本来個人の体験を重視し人権擁護の視点を持つ人々が、本分を外れてエビデンスを追い求め、自分の求めるようなエビデンスが出なければ科学者を誹謗する、という本末転倒な事態が、ここ福島ではしばしば起きている。  つまり、付け焼刃の知識をもって 「チェルノブイリではXXXなのに、福島では違うというのはおかしい」 「福島で甲状腺がんが100例以上出ているのに、増えていないとはどういうことだ」 と聴衆を煽り、科学者が相手にしなければ 「証拠隠ぺい」「御用学者」と非難する。 先述のように、今現在は科学的知見に基づけば、がんの増加は実際に証明できていない。しかしそれに対し、何で証拠が出ないのだ、と詰め寄るに至っては、一歩間違えれば捏造教唆である。政府に対して声が届かないもどかしさは分かるが、それは科学を歪める理由にはならないはずである。見捨てられる多くの健康被害見捨てられる多くの健康被害 もう一つの問題は、本来個人を救う症例重視派の人々が福島の放射能ばかりにばかり捉われることで、実際に原発事故によって起きた多くの健康問題が看過されていることだ。  実際に福島で起きている健康問題の多くは、放射能の直接影響ではない。むしろによるそれよりも遥かに大きく、複雑である。以下に例を挙げよう。1)大量避難による健康被害 原発事故の直後、屋内退避指示の出た原発20-30㎞圏内では、住民は住むことが許されたものの、外からの支援は一切張り合ない状態となった。震災後2週間、この地域の住民を悩ませたものは、一も二もなく食べ物であった。食料も移動のためのガソリンも手に入らない中、多くの独居老人が衰弱死によりご自宅で命を落とした。 一方、避難することもまた安全ではなかった。20㎞圏内から強制退避となった病院患者のうち数十名が、避難中、あるいは避難直後に環境変化に耐えられず命を落としている。 2)避難生活による健康被害 そればかりではない。避難後の生活もまた住民の健康リスクを挙げた。福島県では、今でも長期の避難生活や失業状態が続いている人が多くある。避難による精神的ストレスは発がん率の増加にもかかわるし、喫煙や飲酒の増加にもつながりうる。あるいは放射能の懸念による食生活の変化、引きこもり、運動不足などにより、肥満・高血圧・糖尿病などの慢性疾患が悪化し、その結果脳卒中や心筋梗塞などの急性期疾患リスクが高くなっている人がある。  福島では震災の直接死1600人に対し災害関連死が1900人と、関連死数が直接死数を超える状況だ。その背景には、このような放射能以外の膨大な健康影響があるのである。 このような「事実」に、本来ならエビデンスは要らない。もし原発に反対したいのであれば、このような方々の声を丁寧に拾い、 「このような被害に対して、再稼働している原発は対策を立てていないではないか」と、非難すればよい。 その手間を惜しみ、話題になるからといって子供につきまとい、「甲状腺がんが増えている」「危険だ」「逃げろ」などと騒ぎ立てる。これは人権擁護を模しながらも実際行っていることは差別であり、虐待である。 説得という名の暴力 このような被害にあっているのは子供だけではない。たとえば私の住む相馬市では乳幼児から高校生まで、数千人という子供が生活している。しかしすべての家庭で完全な安心が得られているわけではない。今でも魚は産地に限らず1匹も食べていない、という高校教師もいれば、洗濯物は外に干さない、という母親もいる。  そのような人達に対し、「これだけ説明したのに何で安心して普通に生活できないのだ」と説得しようとする人も、「危険だと思っているのに逃げないなんて、子供を殺す気か」とわざわざ言いに来る人も間違っている。 ちなみにこの「間違っている」は、科学や理屈云々ではなく、「人殺しはいけない」というのと同じく人の心を傷つける行為として間違っている、という意味だ。専門家であろうがなかろうが、人としての最低ルールは守ってほしいものである。歪んだ科学信仰からの脱却を歪んだ科学信仰からの脱却を そもそも症例を重視する立場ならば、今更エビデンスなどに頼らず、なぜこのような事例もとに正々堂々と戦わないのか。因果関係が証明できないのであれば、「証明に必要ながんのデータベースを作る気がないのは、何かを隠したいからではないか」と科学者を糾弾すればよい。誤った検証を持ち出してまで何かが「証明された」かのように主張する必要は全くないのではないか。 私は、誤った科学を振りかざす人々の中にこそ歪んだ科学偏重があると思っている。科学的論証のないものは社会的に認められない、という誤った劣等感が、似非科学者たちを生んでいるのではないだろうか。  繰り返すが、福島に対し、科学でできることには限界がある。 「…出来事の場合には、まったく予期しない事が最も頻繁に起こるから…『結果を計算する』形式で推理するということは、予期せざるもの、すなわち出来事そのものを考慮の外に置くという意味である。なぜなら『無限の非蓋然性』に過ぎないものを予期するのは非理性的であり非合理的であろうから。…」(ハンナ・アーレント) 私自身、このアーレントの言葉には深く共感する。社会で起きていることは計算などできない。科学的エビデンスの確立を待てない人は、人道を掲げ、事実と考察をもとに堂々と戦えばよいのではないか。  福島では、妙に「科学かぶれ」した人道主義者の捏造に近いエビデンスが住民に甚大な迷惑をかけている。ぜひとも自分たちの本分に専念し、福島の人々を幸せにしていただきたいものである。

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    〝モグラたたきモデル〟が覆した低線量被ばくのドグマ

    澤田哲生(東京工業大学 原子炉工学研究所助教)低線量被ばくの影響をどう捉え,どう受け止めるかは極めて難しい問題である。その背景には、科学的データに基づいた論理と政治的政策的決断に基づいた施策が交錯している現状がある。原爆症 2006年8月9日。長崎の原爆犠牲者慰霊平和記念式典に出席した後、時の総理大臣安倍晋三は、被ばく者の代表の方々と面談し「被ばく認定の範囲をより広くする(認定基準を緩める)」と公言した。これなどが、政治的決断に基づいた施策の代表例である。その結果かどうかは定かではないが、被ばく医療に詳しい碩学から「澤田さん、いまや医者の目にはどうみても単なる胃潰瘍なのに、被ばく認定されたようなケースまでありますよ」と聞いた。2011年のことである。夢の島の展示館に展示の為東京都に寄贈されるビキニ環礁で被爆した第五福竜丸のエンジン ことの発端は、『原爆症』というそら恐ろしい病名がつくられたことにある。それは、1954年に大きな社会問題になった第五福竜丸事件が引き金になった。マグロ遠洋漁船第五福竜丸は米国がビキニ環礁で行った水爆実験のあおりをくって被ばくした。これを、メディアは、日本にとって広島と長崎に続く第三の被爆とした。第五福竜丸の乗組員は、水爆実験によって吹き飛んで空中に舞い上がった珊瑚礁の微粉を雨のように浴びた。核爆発によって生じた放射性物質を含む微粉である。その結果、乗組員達は被ばくした。多くの乗組員に、やけどの症状等被ばくによる急性障害が見られた。入院し加療を受けた乗組員の一人が、約半年後肝臓障害によって死亡した。つまり、被ばくの影響が半年かけてじんわりと身体を蝕んでいったのだと解釈された。同様の行状に合ったもので、その後回復した方もいた。ひとりの船員が死亡したことは事実である。しかし、被ばくと肝臓障害との科学的医学的な因果関係は定かではなかった。そこから、原爆症という呼び名がうまれた。因果関係や正体は不明。しかし、原爆で被ばくした事実がある。そこから生まれた原爆シンドロームである。がまん量 この問題に、社会とむきあう物理学者として当時取り組んだのが京都学派の勇武谷三男である。その編書『安全性の考え方』(1967、岩波新書)に興味深い記述がある。 利益と有害のバランスが許容量 それでは、「許容量」という、ものはどういう量として考えたらいいのであろうか。米原子力委員のノーベル賞学者リビー博士は「許容量」をたてにとって、原水爆の降灰放射能の影響は無視できると宣伝につとめた。 日本の物理学者たちは、討論を重ねた。こうして日本学術会議のシンポジウムの席上で、武谷三男氏は次のような概念を提出した。 「放射能というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないこともある。(中略)そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、〝どこまで有害さをがまんするかの量〟が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益のバランスをはかる社会的な概念なのである。」 この考えで、ようやく「許容量」というものが、害か無害か、危険か安全かの境界として科学的に決定される量ではなくて、人間の生活という概念から、危険を「どこまでがまんしてもそのプラスを考えるか」という、社会的な概念であることがはっきりしたのである。(同書、p.123-124。下線は筆者) こうして当時、〝原因不明〟であったがために、原爆症に加えて〝がまん量〟というディスクールが考案されたのである。この背景には、許容量をもってある量以下の影響を切り捨てようとする功利(公益)主義的な考えと、それはないだろう?そうはさせまじという人道主義的な考えの相克があるのである。公益か人道か公益か人道か 今日多くのメディアの二分法的な価値対立の背景には、公益主義の立場に立つのか人道主義に寄りそうのかという立場の違いがある。 両者はなかなか相互理解、相互受入が難しいのである。この相互理解の問題に実践的に取り組むべく、昨年から『原子力ムラ境界線上の「哲」人―“あほ&アホ”―対話』を飯田哲也氏とはじめたが、双方の溝はなかなか埋まる様子は無く、日暮れて尚道遠しの感が弥増している。 さて、『がまん量』という考えは、それから半世紀以上たった今なお健在なようである。2011年3月11日に起こった福島第一原子力発電所の事故(3.11)を受けて国会事故調査委員会が発足した。その委員のなかに高木学校に在籍したことのある崎山比早子氏があった。氏は、当時ことあるごとにメディア上で〝がまん量〟を発信し、そのことをもって低線量被ばくは恐ろしいものであると警鐘したのである。武谷が断じた〝放射能というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。〟というドグマが今世紀的意義をもって再び流布されたのである。 この武谷ドグマは、放射線を本能的に恐れる心(radiophobia)に火をつけ、福島からの自主避難者やその支援者らをノードとするネットワークを広く形成していった。新しい理論 そんななかで、ポスト3.11の時代この武谷ドグマに疑問をもった京都学派の物理学者らがいた。問題提起の根源は、武谷が原爆症やがまん量を吹聴した後に、遺伝子が2重螺旋構造をもっていることがワトソン?クリックらによって発見された。その後、放射線によって損傷を受けた遺伝子が修復する機能をもっていることや、いよいよとなれば細胞が自死して(アポトーシス)その影響を他に伝播させない仕組みがあることが生物学的・医学的に発見されている。医者や生物学者の間では、ある一定量以下の放射線被ばくは、事実上身体に重大な影響を及ぼさないことが常識として共有されている。それなのに、一方では武谷ドグマが生き続けて無辜の市民の心と身体を痛め続けている???おかしいではないか。 こうした疑問のなかから、自分たちで一から考えてみようと取り組まれて生まれたのが〝モグラたたきモデル〟である。このモデルによれば、低線量被ばくの領域では、放射線による遺伝子の損傷はモグラたたきのモグラに喩えられ、私達の身体に本来的に備わっている修復機能がモグラを叩くハンマーである。モグラが顔を出す頻度はいわば放射線の影響による損傷の頻度である。モグラたたきモデルは実験データによって検証されている。このモデルがたたき出したのは、低線量被ばくに対しては、モグラがいくら頻繁に顔を出そうとも、ハンマーを打つ早さがやがて追いついてことなきを得るという姿である。身体が生理的にそのように反応する仕組みになっている。つまり、〝放射能というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる〟という武谷ドグマは葬り去られるのではないか。つまり、ある被ばく線量以下ならば心配しなくても良いというしきい値があるようだ。 そのしきい値は具体的には、モグラたたきモデルからは『100mSv/年を超える模様である』と見えてくる。しかしながら、モデルの開発者らは極めて慎重である。今の段階ではハッキリとした数値は言えない。たださまざまな生物種に関する低線量被ばくに対する修復機能を統一的にモデル化できたことは事実。しきい値に関して具体的なことがいえるためには、さらなるモデルの検証と実験が必要とのことである。 ただし、このモデルが語るもうひとつのもっと重要なことは、低線量被ばくの影響はモグラたたきのようにキチンと潰されていって、時間経過とともにその影響が蓄積しては行かないということである。武谷ドグマは、低線量被ばくの影響が蓄積していくことを前提としている。また、現行の被ばく線量管理の考え方も同様である。 今私達が気をつけなければならないのは、このように新しい科学的知識によって、従来当たり前とされていたことが覆される可能性があるということである。 もうひとつ。さらに大きな枠組みのなかでは、私達は公益主義vs.人道主義を背景にした二分法的価値判断に踊らされてはならないということである。ひとりの人間のうちには、公益的考えも人道的考えも共存して日々私達を突き動かしているはずである。ところが、集団やコミュニティになれば、勢い二分法的煽動に乗せられかねない。そのことを自認し自省することこそが未来を拓いて行くのではないだろうか。 なお、第五福竜丸事件の約半年後に亡くなった乗組員の方については、当時の医療データが後年再度綿密に分析された。その結果、死の原因は輸血の結果感染したC型肝炎であると断定的に公表された。この結論は日米の医療関係社の間では今や共有されている。1954年当時、C型肝炎はまだ発見されていなかったのである。 新しい理論や発見は過去の謎を解き、同時に過去の事実も覆すのである。それは私達が囚われているドグマから、私達を解き放ってくれる可能性がある。

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    「報ステ」川内原発報道 不適切編集に至った「反原発」の心理

     昨夜、テレビ朝日の「報道ステーション」を見ていたら、古舘伊知郎キャスターが九州電力川内(せんだい)原発の「合格証」交付について10日に放映した同ステーションの番組に「大きな間違いがあった」として訂正して謝罪、画面に向けて深く頭を下げていた。 これは原子力規制委員会が「同番組に事実誤認と意図的な偏向編集がある」として訂正と謝罪を要求した結果だ。私はたまたま10日の同番組も見ていた。その時の内容はこうだ。<記者A:火山に対する予測であるとか、影響に関して非常に多くの批判がありましたけれども。記者B:現在の科学の知見をねじ曲げて、これで審査書を出すと、これはいわゆる安全神話の復活になるということは言えないでしょうか。田中俊一委員長:答える必要がありますか?なさそうだからやめておきます> 見ていて、なんとも高飛車な人だなあ、と感じさせた。エリート意識に凝り固まり傲慢で唯我独尊、上から目線でしか庶民を見ていない。そんな印象である。実際、田中委員長の過去の発言にはそう思われても仕方のない点がしばしば見られた。だから、「やはり」「またか」と思わせたのだ。 だが、これは「意図的な偏向編集」だった。規制委員会のホームページとテレ朝の12日の訂正番組によると、実際のやりとりはこうだった。記者会見する原子力規制委の田中俊一委員長=2015年7月15日午後、東京都港区 <記者A:今回、川内原発の審査書に関しては、大きく火山に対する予測であるとか、影響に関して、非常に大きな批判がございましたけれども、この辺については、当初から予測されていたものなのか、それとも全く想定外の批判であったのか。田中委員長:火山については、今回、新しい規制の中で初めて火山の影響というのを取り入れたわけです。それについて、きちっと評価をしていって私どもとしては、川内については、火山の影響というものは運転期間中には及ばないという判断をしつつ、かつ、自然現象ですので、未確定というか、絶対という言い方はできませんので、モニタリングをしながら、その対応についても、安全確保の面できちっと心配のないようにしようということを取り組むことにしました。(中略)記者B:火山についてお伺いします。東大の藤井先生や中田先生の主張に基づけば、分からないことは分からないというスタンスもとり得たのではないでしょうか。あとは判断を政治に委ねるとか、そういうこともできたように思うのですけれども、いかがでしょうか。田中委員長:そういうお考えの方もいるでしょうけれども、私どもとしては、判断は、今、持っている知見に基づいて行ったということです。藤井さんとか中田さんが言っている、分からないというレベルは、多分、ハマダさんが理解している、分からないということとか、予測できないということとは意味が違うのだと思います。記者B:いや、そんなことないです。中田先生に、川内原発運用期間中にカルデラ噴火が起きるかと聞いたら、ないと思うとおっしゃっていました。私もそう思っています、はっきり言って。だけれども、それはそれとして、科学に基づいて審査書を出すのであれば、やはりそこは分からないと言って、残余のリスクについては政治に任せるという方が、かえって原子力規制に対する信頼が増すのではないでしょうか。これは別に川内の例だけではなくて、今後の審査にも影響しかねない話だと思うので、これだけ問題になっているという点もあると思うのですけれども、いかがでしょうか。田中委員長:今、おっしゃったように、姶良カルデラの噴火はないということで、私どもの判断したのは、原子炉の運転期間中、今後、長くても30年でしょうということを私は申し上げているのですけれども、その間にはないだろうという判断をしたということなのです。だから、単に分からないと言っているわけではないのです> この後、記者Bが同様の質問を繰り返して、食い下がったので、田中委員長は「答える必要がありますか。なさそうだから、やめておきます」と質疑を打ち切ったのだ。  10日のテレビでは田中委員長が回答していた部分をすべてカットしたので、高飛車で傲慢な印象を与えたのである。12日の番組はこのカット部分を放送し、謝罪した。 田中氏の発言とかけ離れた編集のひどさに、原子力規制委員会は翌日のホームページで事実経過を流し(本文もそれに基づいている)、「不適切だ」と批判した。 親会社の朝日新聞社が「吉田調書」「従軍慰安婦の強制連行」の誤報で、謝罪し、木村伊量社長が辞任を約束した当日での規制委員会の「抗議」である。テレ朝幹部は震え上がったに違いない。早急に訂正と謝罪をしなければ、自身にも火の粉が降りかかってくると。 朝日新聞が「炎上」していなかったら、テレ朝はこれほど迅速に謝罪に動いていただろうか。  もともと朝日新聞及びその系列下にあるテレ朝は反原発の編集方針だ。その方針に都合の良い事実を大きく取り上げ、不都合な真実は小さく扱い、時に無視する。それが嵩じると、意識的、無意識的に事実を意図的に捻じ曲げる方向に動いてしまう。 私も景気予測や企業経営について新聞記事や雑誌記事を書いてきた記者だったから、わかる。方向性の明確な歯切れの良い記事にするには都合の良いファクトを強調して書き、方向性に合わないファクトを小さく扱うか、無視しがちになる。 もとより不都合なファクツの発見がふえると、修正せざるをえない。その健全な判断力、修正意識を失わないことが大切だが、思い込みが激しいとしばしば視野狭窄状態となり、後で内心忸怩たる思いに至ることがあった。 とりわけ、新聞社全体の方針が例えば「反原発」となると、軌道修正は容易ではない。 東京電力福島原発の吉田昌郎所長(当時、故人)に事情聴取した「吉田調書」の誤報もそうした反原発の大方針のもとで生まれた。 テレ朝は10日のテレ朝番組についても編集の仕方のミスで、意図的な偏向はなかったというだろう。 だが、私は疑っている。反原発という大方針のもと、半ば意識的、半ば無意識に番組内容を作り上げてしまったという疑いだ。事実を捻じ曲げることへの贖罪意識はある。その意識を消し去って行動に移すときの心理状態はこうだ。 <事実を捻じ曲げてなんかいない。だって、我々は田中委員長がしゃべった映像をただ流しているだけだ。放送時間は限られているから、冗長な部分をカットしたにすぎない> でも、あまりのひどさに今回は修正せざるをえなかったということだろう。 ただ、朝日新聞もテレ朝も慰安婦問題について誤報はあったにせよ今も、「基本的な記事の方向性は間違っていない」という姿勢だ。反原発方針も同様だろう。 だから、朝日への批判を怠れば、これからも不都合な真実に目をつぶり、自分に都合の良い点を誇張、歪曲して報道する姿勢は続くと見た方がいい。 「ゴホン!といえば龍角散」というCMになぞらえれば、ゴホウといえば朝日新聞。 そう心得て、朝日の誤報を追及する姿勢を緩めてはならない。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2014年9月13日分を転載)

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    「核のごみ」から目を背ける日本人

    いま日本には原発から出る「核のごみ」がどれだけあるのかご存じだろうか。福島原発事故以降、原発再稼働をめぐる議論は活発だが、既に生じた核のごみをどう処分するのか、この議論が決定的に欠けている感は否めない。日本人よ、もうこれ以上核のごみから目を背けてはならない。

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    核のごみの地下処分、一番のリスクは地下水

    原発のごみ、日本に埋める場所ありますか?2.地下環境とその機能(THE PAGEより転載) 日本科学未来館で2015年1月17日に行われた、サイエンティスト・トーク「原発のごみ、日本に埋める場所ありますか? ― 高レベル放射性廃棄物の地層処分」の全文書き起こしをお届けします。 日本ではこれまで原発を使用してきたことで核のごみである高レベル放射性廃棄物が大量に生まれていますが、その処分の手段を未だ持ち得ていません。本イベントでは地質学者の吉田英一氏を講師にお招きし、日本独自の地質現象を踏まえて、地層処分が可能な場所が日本にあるのかを科学的に見ていきます。 第2部は「地下環境とその機能」です。動画はページ内のプレイヤーでご覧いただけます(32分45秒~45分35秒)吉田:はい。で、先ほど出てきたウラン鉱床なんですけど、細かいこと言ってもあれなので、だいたい大きさは実はこれが2キロ×2キロぐらいの、そういう大きさで、堆積岩の中にできています。そして、今から約2000万年前のものなので、先ほどのオクロ天然原子炉っていう20億年のものに比べると、ずっとずっと若いですが、それでも2000万年前という、それくらいのものが形成されて、現在もそこに残っているという状態があります。 あと、そこからどういったものが得られるかと、またこのスライドのあとにお見せしますが、そういうものと併せて実際の日本の地下環境がどうなっているかっていうのの研究も、近くの瑞浪超深地層研究所っていうところでも行われています。ここでは地表から地下500メーターぐらいのところまで穴を掘って、そこで例えばどういう割れ目とか、どういう岩石がどういうふうになっているかというような研究がなされているということです。 ここで、じゃあ、そういったもので言える地下と、地下っていうのは何か、地下環境とは何かというと、基本は岩石、鉱物と地下水のみです。で、岩石はいろいろ皆さん安山岩、花崗岩とか、いろいろ昔聞いたことがあると思うんですけど、基本3つしかないです。火成岩、変成岩、堆積岩ね。これですね。そして地下は地下水が流れますので、その水みちとして、水が流れるのはどこかっていうと断層と割れ目と、微細な空隙と。こういう岩石の周辺にある微細な空隙ということですね。これらを調べることによって、どれくらいこの周辺、あるいはこういったところに元素が吸着するかとか、そういったことを知ることができると。 ちなみにそれを実際のものとして写真で見せると、例えば断層。これは花崗岩の中にできた断層なんですが、皆さんは断層というイメージ、どういったように持っておられるかっていうのはあると思うんですけど、断層っていうとぱかっと開くわけではなくて、断層っていうのはすりつぶしますので、ここに入ってるのはこういう粘土鉱物、粘土状のすりつぶされたようなものが詰まります。一方、割れ目っていうのは、逆に言うとこちらのほうがぱかっと割れる状態のものがありますので、こういうところに割れ目があって、それが開いたりしていると。  ちなみにこれ、地下の800メートルから採取した実際の割れ目と周辺の岩石、これは花崗岩なんですけど、これをお見せしますが。さらにその周辺の部分を岩石のマトリクス、基質というんですが、そこにも微細な空隙があります。こういったところにも地下水は入り込んでいるということです。 そこを、例えば割れ目においては、じゃあ、その割れ目の周辺はどうなっているかというと、これは水が流れる割れ目なんですが、そこを見ると岩石の周辺からこういう、なんて言いましょう。のこぎり状の鉱物、結晶が成長しています。ただ、これが全て開口しているかというとそうではなくて、中にはシーリングされているものもちゃんとあります。こういった開口している、していないっていうのが、どれぐらいの割合であるのかっていうのもちゃんと調べる必要があると。 そういったものを先ほどの瑞浪の超深地層研究所では実際の坑道を逐一、もうつぶさに見て、で、全ての割れ目を引っ張り出して、そこからどれくらいの割れ目が広がっているかとか、そういった研究もなされています。 その成果ですけど、最近やっと分かってきたのは、透水性割れ目っていうのは、水を通す割れ目っていうのは約1割ぐらいだと。これ花崗岩の事例ですが、そういったことが分かってきました。こういうのは実際、この目的のために研究しないとそういう成果っていうのは得られないと。実際地下に、鉱床も何もないところに穴を掘って、それだけのお金をつぎ込んでやるっていうのは、今回初めてやられてきているということですね。ただ、この割れ目の1割ぐらいだっていうのは、実はほかの研究事例でも得られてはいるんですけど、今まではそれを具体的に提示したことはなかったということですけど、こういうのが初めて地下研究の事例からも分かってきているということです。地下水とともに流れて拡散することが一番怖い地下水とともに流れて拡散することが一番怖い じゃあ、実際そういう割れ目の周辺からどういう物質、元素の移動が起こっているのかというものですけど、これは割れ目の周辺にこういう、おそらく皆さんも石材とかで見たことあると思うんですが、こういう染みになったようなもの。ここが割れ目があるんです。これは、ここから元素が岩石の基質のほうに移動しているっていうことが分かったもので、そこの部分の岩石の状態も、こういうふうに色が変わったりしています。 で、ここの部分を割れ目からどういうふうに元素が移動しているか、特に先ほどもお話をしました、ウランっていうものに着目してみると、割れ目から岩石の中に入るに従ってウランの濃度が高くなって、一番ウランが濃集しているのはこの赤い部分の先端の部分なんですね。岩崎:先生、ちょっといいですか。ここに今、割れ目があって、さっき縦に割れ目が出ていましたよね。吉田:ああ、そうですね。ちょっとこれを。岩崎:で、ここ、さっき、前の写真で縦に割れ目があって、左右に色が変わった部分があって、ここで地下水が。吉田:そうです。ここを地下水が流れていって、こっちからも浸透して。岩崎:こう、浸透していっているという。皆さん、図、分かるでしょうかね。吉田:なんでこんなことをやっているかっていうと、将来、もし、放射性元素が溶けた地下水が岩石の中を流れるとなると、こういう割れ目を通るはずです。この割れ目を通りつつ、周辺にどれくらい拡散してって、この周辺がどれくらい放射性元素を吸着してくれるのかっていうことを知っておく必要がある。あるいは、もしこれを吸着する力がないんであれば、それは、やっぱりここを通る放射性元素がより遠くまで流れていってしまうことになると。 その辺の割合、量、それを働き、機能と私は言っているんですが、吸着量っていうのを岩石ごとにちゃんと認識しておく必要があるだろうと。それは最初の岩崎さんの質問じゃないですけど、果たして日本で処分することが可能なのかどうかということの、いわゆる1つの科学的データ、裏付けにもなる。 で、もしこういう吸着量がないんであれば、なかなかそれは地下では処分できないよねと。でも吸着ができるんであれば、それは岩石もそれだけのバリア機能っていうのをちゃんと持っているんだよねっていうことが理解できるということですね。 そういう意味で、これで見ると、この先端の部分では、先ほどの鉄酸化物、赤茶色い鉱物なんですけど、そういったところにウランが濃集している箇所というのが見受けられるということですね。そういう現象っていうのが、ちゃんと岩石の中にもありますので、もしこういうところをウランが流れてって、地下水とともに流れてって、広がった場合には、こういった酸化物とかがあれば、こういうところに吸着されることになると。 じゃあ、地下の中って酸素がないのに酸化物ってあるのかっていうことなんですけど、これらを放射性元素が流れる前に、もし放射性元素が流れるとなると、先ほど言っていた鉄のオーバーパックっていうのは溶けているはずですね。で、オーバーパックが溶けてどこを流れるかっていうと、オーバーパックもここを最初に流れているはずなので、そうするとこの流れている周辺には、鉄の酸化物も広がっている可能性があります。となると、鉄の酸化物が広がったあとに、地下水に溶け込んだウランとか放射性元素が流れることになりますので、こういった天然の事例は鉄酸化物があっても、それは吸着材として働くということを示してくれているということです。 で、同じように堆積岩の中、これは先ほどの示したウラン鉱床の話ですが、これも白い部分、これが実は岩石の、これは堆積岩ですけど、白い部分の中にウランが濃集しています。どういったところにウランが濃集しているかっていうと、皆さんも知っていると思うんですけど、黒雲母っていう鉱物、黒い、薄く割れる鉱物の中にウランっていうのはより、あるいは放射性元素っていうのは、より吸着しやすいっていうことが分かってきています。 この黒雲母とかいう鉱物は岩石には非常に、普遍的に入るような鉱物です。今、回している岩石試料の黒い部分、そういったところが鉱物です。そういう意味でも、こういう鉱物があるから2000万年間もウランが堆積岩の中に保持されてきているっていうことが言えるということになります。 もう1つの、今度は地下水の話ですが、地下水は、じゃあ、地下は地下水として動くだろうということですけど、確かに地下水は動くんですが、実は地下水は最終的には海面のレベルに向かって地上から、いわゆる山の高いところから流れてくることになります。例えば2点間の部分を調べると、勾配が高ければ高いほど、角度があればあるほど地下水って流れやすくなりますね。ところが海面をゼロメーターで、基準で考えた場合に、それよりも深いところに地下坑道を造れば、地下水の流れっていうのは基本的に非常に遅くなることになります。ちょうどお風呂の中に入ってるような状態ですね。 そういう地下水の流れの動きを利用して、実は今、瀬戸内海の海底下には液体ガス、LPGっていう、例えばガスコンロで使うコンロのカートリッジですね。あれにはしゃかしゃかと振るとその液体が入ってますが、それを地下の岩盤の中、花崗岩の中にそのまま保存しようという仕組みがあります。この深さは海底下、瀬戸内海の海底下200メーターぐらいなんです。この上は瀬戸内海ですね。 で、岩盤の中に、大きさとしては400メーターで、高さが25メーターとか、40メーターというものですけど、これ、掘削途中のものですが、こういう状態。で、この周辺はコンクリートを若干吹き付けていますが、基本は花崗岩っていう岩盤の中に、地下水のある岩盤の中に気圧を高めることによって気体を液体にして保存すると、そういう仕組みがあります。 これも要は地下だから水が動きやすいから駄目だということではなくて、地下の海底下、あるいは地下の深いところであれば、水があっても、その水の流れっていうのは非常に遅くなって、その圧力でもっていろいろなものが保存できるような状態っていう働きっていいますか、物理的な状態も作れるということですね。実際、放射性廃棄物は個体でそこに廃棄体を入れますので液体とかいう状態ではありませんので、そういう地下には物性っていいますか、それが備わっているという事例として、ちょっとお知らせしました。 最後に皆さんがちょっと関心のあるところと思いますが、じゃあ、その処分の環境、場所はあるのかということについてお話をしようと思いますけど。岩崎:はい。まずここまでで地下ってどういうところなのって、地下ってどういう機能が持っているのって、お話があったんですが、ちょっとあれですね。結構多くの内容が、ばっと詰め込まれていたので理解がなかなか追いつかないところもあるかもしれませんが、一番怖いのが地下水に触れて、それが地下水とともに流れて拡散していってしまうということが、地下のリスクとしてあって、ただ、流れる道にある岩石の種類とか、岩石の機能というものがあって、吸着する岩石の機能と、吸着したままそれを拡散させないようにしているというところもあるので、その岩石がどういう種類だとどういう性質を持っているか。それを日本の岩石で見ていくということが非常に重要だというお話だったかと思います。 で、いよいよ、では日本で処分場を選ぶとしたらどういう条件が必要なのかというところにお話を移していきましょう。■ 『処分場選定にどういう条件が必要か』につづく

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    核のごみ、処分場選定にどういう条件が必要か

    原発のごみ、日本に埋める場所ありますか?3.処分場の選定条件は?(THE PAGEより転載) 日本科学未来館で2015年1月17日に行われた、サイエンティスト・トーク「原発のごみ、日本に埋める場所ありますか? ― 高レベル放射性廃棄物の地層処分」の全文書き起こしをお届けします。 日本ではこれまで原発を使用してきたことで核のごみである高レベル放射性廃棄物が大量に生まれていますが、その処分の手段を未だ持ち得ていません。本イベントでは地質学者の吉田英一氏を講師にお招きし、日本独自の地質現象を踏まえて、地層処分が可能な場所が日本にあるのかを科学的に見ていきます。 第3部は「処分場の選定条件は?」です。動画はページ内のプレイヤーでご覧いただけます(45分35秒~1時間10分30秒)吉田:はい。それで、この長期的な安定な場所。じゃあ、地下の状態は分かったよと。それはバリア機能もあるかもしれないと。でも、それ自体がひっくり返ったり断層で壊れたり、あるいは火山が噴いたりしたらどうすんの、それ自体が隆起したらどうするの、それも、もう皆さん、あるいは私自身も含めて、そこもちゃんと把握しておく必要のある部分でしょうと。 そういうのを現在、ここにちょっと書いてありますが、日本列島と地質環境の長期安定性という形で書いてありますが、実はこの、今、地質図を見せていますが、こういう、あ、引っくり返してもらったほうがいいかもしれないですね。マップ、データをまとめたものが日本の地質学会から出されています。これは一般の方も購入することができます。 これは何かっていうと、日本の実際の地質状態がどういったものなのかっていうのをまとめたものっていうか、できるだけ分かりやすく、現在の最新の知見等に基づいてまとめたものです。日本はご存じのように、プレートが沈み込んで、こういうフィリピン海プレートとか、あるいは日本海プレート、そういったものがこちらのユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。 で、それこそ今日も神戸の地震のちょうど20年の節目っていいますか、日に当たりますが、例えば福島の地震なんかも基本的にはこういうプレートの運動によるものっていうことが分かっているということなんですけど、そういった現象から、日本の実際の状態、例えば地層処分に影響を及ぼすものは何かということを考えたときに、地質、活断層、隆起沈降、火山活動と、そういったものの状態を把握しておく必要があると。 それが、例えば地層処分であれば地層が古いほうがいいでしょうと。あるいは活断層であれば、それはサイトにはないと。で、隆起速度はもちろん遅いほうがいいと。10万年後に地表に出てきてもらっては困りますので。そして火山活動もやっぱりないほうがいいと。そういった状況のものが、いわゆる日本に存在するかどうかということですよね。 それを、そういう観点から見たときに、例えば日本列島の地質であればこういうふうに、ちょっと色がパッチ状に表せていますが、どこにどういう地層が、古い地層があるのかっていうのはちゃんと分かっています。で、これはもう日本の地質調査、明治時代から地質調査の積み上げで分かってきていますので、そこにはやっぱり200万年前よりも古い地層っていうのが、どういうところに分布しているかというのも分かる。日本も意外と古い地層はあって、一番古いのでは4億年とか、そういった地層もあります。 そういう地層がやっぱりどれくらいの広がりで、どういうふうにあるのかっていうのが分かっていますので、それらが次の、例えば今度は隆起しているか、してないか。で、これも隆起量のマップっていうのが、現在の測地で、データで、まだ完全にデータがそろいきれてないところもありますが、かなり分かってきていると。 それを見たときに、例えば10万年間で30メートル以下のところで示すと、これくらいあるんですが、10万年、基本的には300メートルっていうふうに言っていますので、もっと500メートル、800メートルっていうふうに深くすれば、さらに隆起しても可能な場所っていうのは広がることになります。 あるいは活断層があるかないかということですね。今、活断層もいろいろな観点で注目を得ていますが、どこでもここでも全て活断層があるっていうことではなくて、その偏りがあるということですね。 先ほども言いましたが、プレートはこちらとこちらから押されていますし、そのときにこういう例えば活断層の、いわゆる分布の形態とか、そういったものがどういうふうに配列しているかとか、そういった傾向も分かってきています。もちろんこれが全ての日本の地表にある、あるいは確認できている活断層ではないというふうにも言えます。それはある場所がもし選定された場合に、さらに詳細な調査を行うというのは、もちろん重要なことになります。 そして、地温勾配とか火山フロントということなんですけど、これは何かっていうと、日本の火山列島の配置っていうのも、実は偏りがあります。これはどうしてかっていうと、こちらからプレートが沈み込みますので、実はそのプレートの沈み込みに従って、ある地域、ある線から日本海側でしか火山っていうのは発生しないということも分かっています。この線上の配列のこの部分のところを火山フロントというふうに言っています。ちょうどフロントガラスのようなフロントになっているという意味ですね。 このフロントに応じて、実は赤い、あるいは黄緑とかいうところは、地温が高いところです。地温っていうのは地面の温度ですね。これは温泉地域とも一致していると。で、東北日本とかにいい温泉場所とか、そういったものが多いのは、こういう地下の状態によるというものです。 こちらが実は火山を、地温の低いところと火山をクローズアップしたものですが、基本、もし15キロっていうと、どれくらいは排除しないといけないかっていうと、この円がちょうど直径15キロになります。こういうところはやっぱり選べられないということですね。ただ、青いところは地温の低いところなので、そういう地域はもちろん火山があるところは地温が高いので、白いところになりますが、そうでないところは青い、地温の低いところだということになります。 で、そういう意味では、これらの知見を踏まえた上で科学的に選定するっていうことは可能であろうと。これはより安定、より地温の低いところって、そういう意味で、それが最終的にベストかどうかっていうのは、またその地域に行って調査・研究をする必要があると。ということで、そういう意味では日本の状態は地質が古いとか、活断層がないとか、火山活動がないとか、そういう隆起速度が速い地域ではないというような知見も踏まえて、重要なことは日本の地質は不均一だということです。どこもかしこも同じように火山が噴くわけではなくて、火山が噴くところは決まっていて、それは過去500万年間とか、そういったオーダーで、もう予測する、予測というよりは調べられているということですね。 あるいは地温とか、あるいは地質の分布とか、そういったことも分かっているので、そういった認識を経た上で、やっぱり日本の場所でどういうところが最初に言った地層処分場も踏まえた上で、広さも踏まえた上で適切な場所と言えるのかっていうことのサイト選定はできるだろうと。「処分できない」という知見に出会ったことがない「処分できない」という知見に出会ったことがない ちょっとまとめますが、地層処分っていうのは、最初にお話ししましたが、オクロの天然原子炉、アフリカのガボン共和国のことも含めて、実際は自然に学んだ方法だと。で、地下の状態もバリア機能っていうのは一応存在しそうだと。あと、日本の地質環境も不均一性があるので、その生い立ちはちゃんと理解しうる状況にあるということで、そういう意味では日本の地下環境に合致した選定は可能であろうと。 逆に言うと、最初に私は、だから、日本で地層処分ができうるのかっていうことの疑問に立って、今ももちろんやっていますが、やる中で、これは処分できないなっていう知見に出会ったことが、今までは正直言ってありません。 それはもちろん活断層とか、火山の場所は駄目ですよ。あそこはできません。あんなところに入れるっていうんであれば、それは絶対反対します。ただ、そうでない場所を選定した残りの場所で、もし適切にやる、まあ技術もあります。地下に、海底下に液体を保存する技術もわれわれはある。 あと、今からだと例えばリニアもそうですが、80%、90%トンネルであるというような状態のリニアを造る技術もあると。そういう技術と併せた上での選定と実施っていうのは、今の私の認識においては可能かなというふうには考えます。ただし、それが将来においてもどうかっていうことは、常に技術としては追っていく必要はあるだろうというふうには思います。ちょっとオーバーしてしまいましたが。岩崎:はい。ありがとうございます。吉田先生は日本の地質環境の評価研究に関しては第一人者でいらっしゃいますので、その最新の知見も示しながら、今日は皆さまにお話をいただいたんですが、結構専門的なお話の部分も入ってきたり、それが結構たくさんの内容が紹介されたので、なかなか、まだちょっとそこのところがよく分からなかったなっていう部分もあるかと思います。 残り時間が少なくなってしまったんですが、まずは今、お話しいただいた内容の中で先生に質問したいことを、会場の中でどなたか聞きたい方いらしたら挙手でお願いしたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。今、お2人挙がっていますので、じゃあ、先に、はい。ごめんなさい。時間が短いので手短かにお願いいたします。A:貴重な講演ありがとうございます。とても分かりやすかったです。先ほど割れ目の地層とかが、なんて言えばいいのかな。割れ目とか、あと断層とかの、流れてる地点や、そこについても、そこの周辺の地層の特性についてもしっかりと研究していかなくてはいけないとおっしゃっておりましたが、それを確かめる方法というのはどのようにすればいいのでしょうか。岩石はエックス線とかそういうものは基本的に通さないと聞いたんで。吉田:地下の状態を調べるっていうのは、まずボーリングっていって穴を掘りますよね。そうそうそう。それで出会った割れ目とか、そういうのが分かるので、そういったものの特性を調べつつ、この岩体、まあ地層には、どういう割れ目があるか。どういうふうにしてできて、それがどういうふうになってるかっていうのが、だいたい分かるということですね。 ただ、最終的に細かいことを調べるためには、やっぱりそこに、穴、穴っていうか、実際の地下を掘って。そうですね。そういうのを段階的に調査することによって、その地域の地層とか岩体を調べることができるということです。A:ありがとうございます。岩崎:ありがとうございました。ではもう一方、手を挙げていたのでお願いいたします。B:すいません。2つございます。1つは先ほどの直前のスライドで火山から15キロ以内は駄目だとおっしゃってましたけども、例えば活断層とか、地震とかいうのがよく起こると考えられるようなところがありますね。そこもやっぱり避けるべきじゃないでしょうか。吉田:はい、はい。B:それが第1点ですけども。吉田:はい。まず断層からどれくらい避けるべきか、特に活断層からどれくらい避けるべきかっていうことについてはおっしゃるとおりで、活断層によって岩石が動いたことによって、岩石が壊れている範囲っていうのがだいたい分かりますので、その地域は避けると。 今、ただ、断層は全ての断層が同じ性質かっていうと、それは違いますので、一概には言えないんですが、基本、だいたい断層の長さの100分の1ぐらいのところ、100分の1。断層の長さの100分の1。例えば10キロだと100メーターぐらいですね。それくらいの範囲が壊れているので、そういった地質調査の結果も分かっていますので、そういうところは避けるっていうふうに考えているということですね。 それと、もう1つはなんでしたっけ。あ、地震動ですね。B:地震が起こりそうな場所ですね。吉田:で、地震動については、揺れに関しては、地下のほうがより揺れは減衰といいますか、少なくなります。というか、最終的には全部埋め戻します。ですので、埋め戻した状態っていうのは、あるパックの状態になりますので、極端な話、全部を詰めた状態でいくら揺らしても壊れませんよね、中身はね。 地表にあるものは、いわゆる空間として空いているので、どうしても地上にあるものは壊れてしまいますが、地下に全部パッケージとしてなっているものは、周辺が揺れても、それはそのままとして残るということです。B:直下型地震で、過去最大のものがきても大丈夫だということですね。吉田:直下型地震で、例えば、もう処分場が分断されるというような状態になったときに、じゃあ、それがどれくらいの、処分場をどういうふうに横断するか、そのときに1回の、例えば断層でもって、もしそういう最悪なケースが起こったとして、ですよね。 さっき言っていた2キロ四方の処分場が切れる範囲とか、そういったものを計算したりすることはできますので、ただ、それであっても、極端なことを言うと、さっき言っていた2万本とか、そういったものが全てが壊れるわけではないので、線上に切ったとこで、例えば数十本とか、そういったものが切れたとしても、壊れたとしても、ガラス状になっていますので、それがすぐ溶けるっていうことはあり得ません。 要するにまずはガラスがどういうふうに溶けるかっていうことが重要になってきますので、そのガラスの溶解速度っていうんですけど、溶ける速さに基本的には制限されるということになります。B:すいません。2番目の話が今出ましたんですけど、処分場の広さですね。それは現在もうすでに発生をしておる、2万5,000本分に対して2キロ四方。吉田:2万5,000本分より若干。そのときの計算は、今も原子力発電所は今、止まっていますので、福島の稼働、福島が起こる前は、原子力発電はだいたい二十数%から30%がやっていましたよね。で、それがずっと継続するという考えのもとで、2030年とかそれくらいまでのときの広さとして考えていますので、この2キロ×3キロ四方はですね。B:じゃあ2万5,000本よりも少し多いということですね。吉田:であればもうちょっと狭くなる。そうですね、だいたい4万本ぐらいを想定したときの広さだっていうふうに今、認識していますが、そうであってもそんなに、じゃあ2キロ×3キロが、いきなり500メーター×500メーターになるかっていうと、そういうことはないと思いますので、およそだいたいこれくらいの広さが必要だというふうにはなると思います。B:分かりました、ありがとうございました。岩崎:ありがとうございます。ここでせっかくなので、ニコニコ生放送を視聴の皆さんから寄せられたコメントの中からもいくつか質問を先生にしてもらいたいと思うんですが。お願いします。未来館スタッフ:はい。ニコニコ生放送から任意でコメントをお寄せいただきまして、ありがとうございます。質問は特に大きなものは来ていないんですけれども、いくつかコメントが来ておりますのでそれをご紹介したいと思います。まず、やっぱり安全な管理場所というのはやっぱり地上で、建物内で見えるところにあって、見えたところで保管したほうが安心じゃないのかというご意見が複数寄せられておりました。 それから、1万年後というようなタイムスケールで考えると、国が存在しないというようなレベルの未来なので、そういう将来世代に対してわれわれが何かの行為をするということは許されるかというご意見。 それからやはり掘り出してしまうと危険ですよねと、温泉というのはやっぱりまだそのときもあるだろうから、そういう業者がぶち抜くっていうことが起きるとどうなるんだというようなことで、そこのところは今、お答えいただけますでしょうかね。誰かが掘ってぶち抜いたらどうなるのかっていうところですね。吉田:今おっしゃられた部分で、例えば温泉だけでなくて資源はそうですよね。今、鉱山っていうのは日本で非常に稼働は少ないですが、石炭とか、石油は若干、新潟とかあっちのほうにありますけど、昔、鉱山として稼働していたところ、あるいはその周辺、あるいはそういった可能性のあるところは、やっぱりこれも排除されることになると思います。要は、それだけの資源を将来の世代が活用する可能性は当然あるわけなので、それは今、知る限りの地質学的な情報に基づいてたぶん除外される。 あと温泉もそうですが、温泉自体の出るところは先ほど言ったように地温勾配の高いところなので、地温勾配っていうのは100メーター地下に行ったときに何度上昇するかっていうところです。で、実際、温泉が出るようなところは、地下だいたい100メーターで5度も10度も上がりますので、そうすると300メートル以上になると、そこで作業する人たちはほとんどサウナの状態の中で作業するっていうようなことにもなりかねませんので、そういう場所はおのずと排除されることになるということで、温泉に関してもその可能性は低いんではないかというふうに考えます。 もう1点はなんでしたっけ。地上に置くか、地下に置くかっていうことですよね。これはよく、いろんなところでもご意見をいただきます。ここから先は私の本当に個人的な意見ですが、1万年後に今の日本っていうか今の世代、社会自体がどうなっているか私には予測はできませんので、一方で私は地質学者ですけど、地下は1万年後も今の状態であり続けるとは言うことはできます。 なので、私は地上か地下かって言われたら、将来世代の社会像が見えない地上よりは、予測のできる地下に処分することのほうが安全、安心だというふうに思います。ここはもう完全な私自身の個人的な意見なので、それについては個人的に議論していただければというふうには思います。未来館スタッフ:はい、以上です。ありがとうございます。岩崎:はい、ありがとうございます。今、社会の話とか、それから未来世代の責任といった倫理の話とかっていう論点もどんどん入ってきたんですが、このあと希望者の方には残っていただいて、もっと幅広い視点で地層処分っていうのを考え、意見を交換するという場を設けておりますので、お時間があるという方はさらに残って自分の思いを伝えたり人の意見を聞いたりということで、ぜひご参加ください。 どうしても今日のお話の中でまだ聞いておきたいことがあるっていう方、いらっしゃいますか。もし個別に先生に聞きたいということであれば、そのディスカッションが終わったあとで、少しでしたら先生にもお時間を取っていただけると思うので、そのときにもお聞きください。それでは、ここまででニコニコ生放送の配信とイベント本編を終了とさせていただきます、本日はサイエンティスト・トーク「原発のごみ、日本に埋める場所ありますか?」にご参加いただき……。 失礼いたしました。私、1つ重要なものを飛ばしてしまいました。終わったあとにお聞きするっていうお話をしておりましたね。ごめんなさい、終わりかけたところでもう一度戻してしまうんですが、始めに聞きました質問、「原発のごみ、日本の地下に埋めることはできると思いますか?」。お話を聞いたあとであらためてお聞きするとして、どうなるかっていうのをちょっと見ていきたいと思います。 まず会場の皆さんにお聞きします。最初と同じ3択です。あると思う、ないと思う、分からない。よろしいでしょうか、皆さんもう答えは決まりましたでしょうか。では、お聞きいたします。できると思う方。11。ありがとうございます。できないと思う方、ありがとうございます。7。では、分からないという方、ありがとうございます。12、はい、ありがとうございます。 最初に採ったときはできると思うが7、できないと思うが13、分からないが12でした。今数えたところ、ちょっと人数の変動あると思うんですが、できると思うが11、できないと思うが7、分からないが12ということで、まだまだ分からないという方がたくさんいらっしゃるので、その分からないでいる理由なんかもこのあとのディスカッションのときにぜひお聞きできればと思っております。 ちなみに、ニコニコ生放送を視聴の皆さまの結果はいかがだったでしょうか。未来館スタッフ:はい。ニコ生のほうは、思うが48%、思わないが35%、分からないが18%ということで、約半分が思うという感じになっております。岩崎:はい、ありがとうございます。視聴者の皆さんだと、結構最初と比べて数値が変わっているなんていう傾向もありましたね。では、分からないというお答えになった方もぜひこのあと引き続き議論にご参加いただいて、分からない気持ちなんていうのを皆さんと一緒に明らかにしながら、地層処分というのを幅広い視点で見つめていきたいと思います。 それでは、以上をもちましてサイエンティスト・トーク「原発のごみ、日本に埋める場所ありますか?」を終了とさせていただきます。ニコニコ生放送をご視聴の皆さま、どうもありがとうございました。そして、会場にお越しの皆さまもどうもありがとうございました。吉田先生に拍手をお願いいたします。

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    「核のごみ」最終処分 原発に恩恵受けた現世代が政治的意思を示せ

    澤昭裕(国際環境経済研究所所長)トイレなきマンション論は誤解を招く 「トイレなきマンション」というのは、原子力発電を批判する際によく使われる比喩である。つまり、原子力発電は豪華かつ先端的な設備かもしれないが、そこから生じる使用済み核燃料をどうするのかという点が不明確であり、持続可能な電源とは言えないという批判である。 しかし、この比喩は誤っている。トイレは、廃棄物の処理や処分を行ってくれるものではない。トイレというのは廃棄物を一旦収容したのち、処分場に送るために介在する施設や設備をいうのであって、それは原子力発電システムにおいてもすでに整備されているのだ。 日本では、原子力発電所において燃やされた燃料は、使用済み核燃料として再処理工程に回され、まだ使えるウランやプルトニウムを取り出して、核燃料として再利用することになっている(核燃料サイクル)。こうした核燃料サイクルを回すために、原子力発電所のサイトには、使用済み核燃料を一定期間冷やすために水に浸しておくプールが整備されている。さらに、使用済み核燃料が再処理工場に移送された後は、燃料として再利用可能な核物質を取り出した後、高レベル放射性廃棄物がガラス固化され、空冷の冷却施設に保管される。使用済み燃料プールから出した後、再処理工場に移送するまでの時間がかかる場合には、金属製のキャスクに格納し、空冷の倉庫のような施設に中間貯蔵されることもある。すなわち、「トイレ」は一応、整備されているのだ。 問題は、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体を最終的にどう処分するかということについて、国民の理解が深まっていないという点にある。つまり、トイレを通って浄化施設に送られた汚物が、最終的にどこにどう処分されるべきなのか、またそれが安全なのかどうかという点などについて、まだほとんどの国民は説明を受けていないと感じているのだ。さらに、高レベル放射性廃棄物以外にも、線量が低い低レベル放射性廃棄物(例えば原子力発電所の日常作業で消費される作業服などから、廃炉の際に出る解体構造物など)も存在し、その処分についての課題もあるが、本稿では最近国が前面に立って解決の方向を見出そうとしている高レベル放射性廃棄物の問題に絞る。高レベル放射性廃棄物の地層処分とは 高レベル放射性廃棄物の処分方法については、1950年代ごろから米国や国際機関などの検討が行われた。この間、処分方法の選択肢としては、宇宙処分や海洋処分などが検討されたが、前者はロケットの失敗のリスク、後者は国際条約上禁じられていることなどの問題もあり、地層処分が最も現実的で有望な方法だとされている。 よくある誤解は、高レベル放射性廃棄物は長期間にわたって人間が「管理」しなければならないが、そんな長期間管理することは不可能だというものである。実は、「地層処分」とは、逆に、長期間にわたる人間の「管理」という概念を否定するものなのだ。 むしろ、人間は「自然」に比べて信頼度が低い。戦争もすれば、テロも起こす。また資源の探索にも余念がない。こうした予測不能な人間の行動に高レベル放射性廃棄物の「管理」を任せるのはリスクが極めて高い。 したがって、長期間にわたって安定している地層の中に高レベル放射性廃棄物を定置・埋設することによって、人間と接近可能な生物圏から「隔離」することが地層処分の本質なのだ。最終的には地下水などに放射性物質が溶け込んで自然界に放出されることがあっても、当該放出される量が、自然界に存在する放射線量との相対的な比較などの基準で十分安全だと評価される程度に抑えられるよう、廃棄物のパッケージングの工夫や地層の選定を行うこととする、という考え方である。現世代の責任か、未来世代に先送りするのか 昨年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画や総合資源エネルギー調査会放射性廃棄物WGなどでは、可逆性や回収可能性を担保しつつ地層処分を進めること、国が科学的に適性の高い地域を示すこと等が盛り込まれた。前者は、将来新しい技術が開発されたら、施設の閉鎖前であれば安全性を確認した上で、ガラス固化体を回収し、別の処分方法をトライする選択肢を未来世代に残すという考え方だ。最終処分関係閣僚会議で挨拶する菅義偉官房長官(右から2人目)=5月22日、首相官邸(酒巻俊介撮影) この考え方は一見もっともらしく感じるかもしれない。学術会議も、合意形成に至るまでは一定期間、暫定保管を行うことにしたらどうかという提言を行っている。これも未来世代への配慮という趣旨だ。しかし、筆者は、本当にそれでいいのか?という強い疑念を持っている。こうした「未来世代への配慮」は、実は「現世代の怠慢」の同義語になりかねない。 そもそも一旦処分作業をし始めれば、新たな技術開発に誰がどの程度の規模で投資を行うインセンティブを持つのか。暫定保管を最初から織り込んでしまえば、その保管期間が終了するまでの間の世代が、どうして政治的に難しい処分地選定を一生懸命やると考えることが可能なのか? そもそも暫定保管を決めた世代が、そうした政治的な困難を乗り越えることを諦めたがゆえに、「暫定保管」という概念に甘えただけではないのか。 そうした点を考慮して、国際的には回収可能性を認めることには相当慎重な意見が多い。上記の諸機関での検討に当たっては、こうした批判を未来世代から受ける可能性を十分に議論したのだろうか、疑問である(そもそも、メディアは「学術会議」をアカデミア全体の代表組織のように報道することが多いが、専門的な学術的検討を行う場=学会ではなく、政治的・社会的存在としては、ある種のアドボカシー団体のように機能する場合もあることに留意する必要がある)。適地選定プロセスの加速化が必要 もう一つの「科学的に有望な地域」を国が選定して示すという点についてだが、これは数年前に高知県の東洋町が調査対象として名乗り出た際、地元で政治的に大きな問題となり、最終的にその当時の町長が選挙で破れるということがあったことを受けて、これまでの自治体の主体性に配慮した「公募方式」では、政治的リスクが大きすぎて物事が前に進まないという反省に立った方針転換だ。 ただ、科学的有望地は、実際には1億年は動いていない地層は日本には多くあり、火山や活断層も避けることは段階的調査を行う中で可能となるため、相当の幅広い範囲になることが見込まれる。実際には、そこから絞り込んでいくことが求められるわけだが、そのプロセスにおいてはやはり公募方式でもあった政治的リスクが生じることは避けえない。 結局、原子力発電による電気によって恩恵を被ってきた現世代が、腰を据えて最終処分地選定に向けてのプロセスを断固として進めるのだという強い政治的意思が、政権及び政権与党に必要とされるのである。地層処分についての正しい知識の説明、科学的な情報の頒布など基礎情報を、これまで以上に国民に伝える努力を行うとともに、処分地選定プロセスを一歩一歩進めていくことが重要だ。適地選定までには、3段階の法定調査(概要、精密、詳細実証)を経る必要があり(20年程度)、そのうえ操業開始までの施設建設にはさらに10年程度は見込まれている。それゆえ、明日明後日の問題ではないにせよ、これまで後回しにしてきたこのプロセスを加速的に進めること、これは待ったなしである。

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    原子炉より「超安全」な核のごみ処分場が決まらない理由

    核廃棄物からの放射線で被曝する可能性はほとんどない。まして地上で現実に「動いている=核分裂している」原発と比較するとまったく問題になることではない。 原発が危険なものであることは、2011年に起こった福島第一原子力発電所の爆発事故でよく分かった。爆発によって日本列島や近海に放出された放射性物質の量は日本政府発表で約100京ベクレルで、もしこの放射性物質が日本人の頭の上にそのまま降ってきたら、日本民族が絶滅する量である。 なぜ、原発は危険なのか? それは単に放射性物質を大量に保有しているということだけではなく、「原子炉内に大量に存在する放射性物質が一気に周辺にまき散らされることがある」から危険なのだ。 第一に、原子炉内に存在する放射性物質は「核分裂中」なので、短寿命核種が多く放射線は極めて強く発熱も膨大だ。 第二に、「核分裂反応をしているか、ちょっと前まで核分裂をしていた」から原子炉内には膨大な熱があり、爆発したり、メルトダウンしたり、さらには水蒸気爆発をするからだ。 仮に、原子炉を止めて数10年を経過した原子炉は爆発しない。すでに短寿命核種は崩壊して強い放射線を失っており、分裂せず熱も発生しないからだ。 では「原子炉」と「核廃棄物の最終処分」を比較してみよう。第一に、原子炉は「熱い=核分裂中か直後」であり、処分場は「冷たい」。第二に、原子炉は爆発する力があるが、処分場には無い。第三に、原子炉は地表にあるので地震やテロなどで打撃を受けるが、処分場は地下なので揺れが少ないところに格納できる。そして第四に、事故が起こって放射性物質が漏れると、原子炉はそのまま住民が被曝するが、処分場は地上に住む人には影響がない。 だから、現在は日本列島に30基ほどの運転可能な原子炉があるが、たとえそれが1基でも処分場とは比較にならないほど危険である。仮に「地表にある原発を運転することが日本にとって安全」なら、地下に格納された処分場は「超安全」であり、何の問題も無い。 日本は火山国で地震も多いので地下の埋設に不安を持つ人がいるが、地下の浅いところを除けば地層は安定している。 しかし、日本ではこれまで原発を1963年から動かしてすでに50年以上にもなるのに、まだ原発から出る核廃棄物を格納するところも決まっていないという異常な事態が続いているのは、「技術上の安全の問題」ではなく、「別の社会的要因」による。 一言でこの「社会的要因」を言えば「政府の信頼性がない」と言うことに尽きる。この場合の政府は日本政府自体と原子力の専門家、電力会社などの全体で、失った信頼性は「長年の言質と政策」にある。あまりにも当然の結果だが、当事者はまだ気がついていないか、気がついていてもどうしたら良いか分からないということだ。新潟県中越沖地震の影響で火災が発生、煙が上がる東京電力柏崎刈羽原子力発電所=2007年7月16日(第9管区海上保安本部提供) 新潟の柏崎刈羽原発が地震で破壊され場内で黒煙を上げる火災が発生しているのに地元になにも連絡しないで「安全です」というとか、高速増殖炉「もんじゅ」で燃料棒を引き上げられないという事故が起こったにもかかわらず「事故ではない」と強弁して、結果的に自殺者を2名出したりする。 こんなことが続けば国民が原子力に対する不信感が増大するのは当然なのに、個別の担当者は日本全体の長期的な原子力の信頼性を失うより、目の前の事故をいかにして小さく見せるかに全力を注ぐということをやり続けた。 電力会社は原子力で収益を上げたいと思うので、研究開発費を年間5000億円ほど国庫から応援を受け、電源三法で地元への資金を供給し、政治家、原子力専門家などにいろいろな名目で支払うお金は1000億円にも上ると噂されている。事実がどうかというより日本人の多くがお金の点でも不信感を持っていること問題である。 2006年には「原子力発電所は安全と言えない(残余のリスクがあるという表現)」という文書が政府部内に回り、同時に国民には「絶対に安全」という説明をした。さらに福島原発事故のあとは法令の被曝限度が1年1ミリシーベルトと決まっているにもかかわらず、政府とメディアでそれを隠すということを行った。 政策やお金のためには国民にウソをつくという体質が固定し、それに乗じて理不尽で非合理的な論拠を掲げる原発反対派の専門家や思想家、政治運動の力が強くなり、どうにもならなくなったというのが実情である。 筆者は「原子力反対派」の執拗で激しく、どうにもならない攻撃に大きな被害を受けた一人であるが、それは反対派側の問題ではなく、推進側のウソが原因していると認識している。 そして、日本国民が原子力政策に不審を抱いていることが、危険な原子炉ではなく、より安全な核廃棄物の処分場にでるのは、「正当化の原理」が働いているからである。 人間社会で行われることは「実利=損害」(正当化の原理)で決まる。原発は電気を安く供給してくれるという実利があるから、危険性は我慢しようということになるが、処分場は損害だけあって実利がない。そして処分場は電気も何も生じないので、実利としては「お金の供与」だけになり、それでは大義名分を失って社会の合意を得られないからである。 まず、核廃棄物処分場の問題は「不誠実」の問題であることを認め、すでにある使用済み核燃料を次世代に引き継がない誠意を示すことだろう。

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    核のごみ、なぜ地下に埋めるのか?

    原発のごみ、日本に埋める場所ありますか?1.なぜ地下に埋めるのか(THE PAGEより転載) 日本科学未来館で2015年1月17日に行われた、サイエンティスト・トーク「原発のごみ、日本に埋める場所ありますか? ― 高レベル放射性廃棄物の地層処分」の全文書き起こしをお届けします。 日本ではこれまで原発を使用してきたことで核のごみである高レベル放射性廃棄物が大量に生まれていますが、その処分の手段を未だ持ち得ていません。本イベントでは地質学者の吉田英一氏を講師にお招きし、日本独自の地質現象を踏まえて、地層処分が可能な場所が日本にあるのかを科学的に見ていきます。 第1部は「なぜ地下に埋めるのか?」です。動画はページ内のプレイヤーでご覧いただけます(0分0秒~32分45秒)岩崎:それではこれより、サイエンティスト・トーク「原発のごみ、日本に埋める場所ありますか? ―高レベル放射性廃棄物の地層処分」を進めてまいります。本日は日本科学未来館、そしてこのイベントにようこそお越しくださいました。それから、ニコニコ生放送の中継をご覧の皆さまも、ご視聴ありがとうございます。今日、これから司会進行を務めます、当館の科学コミュニケーターをしております、岩崎と申します。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。 今日、講師としてお招きしている先生をご紹介いたします。名古屋大学教授で、地質学者でいらっしゃる、吉田英一先生でいらっしゃいます。皆さま、拍手でお迎えください。先生、よろしくお願いします。先生、じゃあ自己紹介をお願いいたします。吉田:今、紹介にありました吉田といいます。名古屋大学で地質学を専攻といいますか、専門にしております。ここに書いてあるような状況ですが、もう大学からすでに25年ほどこの地層処分に関連するような研究をずっとやってきています。そのなれそめといいますか、そういったものもこのあとちょっと簡単に紹介できたらと思っておりますが。 今日は、タイトルは非常に堅苦しいことではありますけど、できるだけ皆さんに分かりやすくお話ししたいということと、もう1つは、私は別に推進派でも反対派でもなくてっていいますか、皆さんを今日、説得するために来ているとか、そういうものでもまったくありませんので、できるだけその辺は客観的に皆さんとコミュニケーションできて、で、逆に言うと何が分かって、何が分からないのかが皆さんと共有できれば、皆さんと私のあしたからの研究の題材にも反映できますので、その辺は率直に1時間プラス、議論の時間もありまして1時間半ほどありますが、お付き合いいただければと思っています。よろしくお願いします。岩崎:先生、ありがとうございました。それでは本日の内容をお示しいたします。本日3つのテーマに分かれておりまして、まず最初に「高レベル放射性廃棄物と地層処分」ということで、なぜ地下に埋めるのかというお話をしていただきます。その後、「地下環境とその機能」。地下っていったいどんなところなの、っていうのがありますので、地下の岩石の放射性元素の吸着や保持といった、地下が持つ機能についてお話しいただきます。そして最後に、「日本には、長期的に安定な地下環境はあるのか?」ということで、ご存じのとおり日本は地震が多く、火山も多いという地質学的な状況がある中で処分場の選定をするための条件としては、いったいどんなことが挙がるのかというところをお話しいただきます。 で、お話に入る前なんですが、今、皆さん、お話を聞く前の現時点で率直にどのように思っているのかというのをアンケートでお聞きしたいと思っています。こちらにあります。「原発のごみ、日本の地下に埋めることができると思いますか?」。これに対して、今、どのようにお考えかというのを、これから3択で手を挙げてお答えいただきたいと思います。できると思う。できないと思う。今の時点では分からない。この3つのうちのどれかに手を挙げてください。 お考えはまとまったでしょうか。では、聞いてきますね。できると思う方。ちょっと数えさせていただきます。ありがとうございます。7名、いらっしゃいます。ありがとうございます。では、できないと思う方。ありがとうございます。13。はい。ありがとうございます。今の時点で7名と13名いらっしゃいました。では、分からないという方。一番多いでしょうか。ありがとうございます。12、はい。ありがとうございます。ということで、会場で聞いたところ、あ、ごめんなさい。進んでしまいましたね。はい。 できると思う方が7名、できないと思う方が13名、分からないとお答えになった方が12名いらっしゃいました。ちなみに、同じ質問今、ニコニコ生中継の皆さまにも聞いているんですが、結果って出ていますか。教えていただいてもいいですか。未来館スタッフ:はい、こちらからレポートいたします。思うが24%。岩崎:24%。未来館スタッフ:はい。思わないが47%、分からないが29%と。だいたい3割が分からないと。5割弱、思わないと。思う方は4分の1というぐらいという感じですね。岩崎:はい。ありがとうございます。という結果が出ていましたが、のちほど話を聞いていただいたあとで、また同じ質問を皆さまに聞いてみたいと思います。 それではいよいよお話に入ります。まず、一番初めの「高レベル放射性廃棄物と地層処分 なぜ地下に埋めるのか?」というところで先生にバトンタッチをしてお話をいただきます。先生、よろしくお願いいたします。吉田:はい。では、話のほうに入りたいと思います。私も、大学で大学院生とか学生にその授業をしていますので、話としてはどちらかというと、あちこち飛んだり、横道にそれたりはするんですが、今日は時間も限られていますので、できるだけそういうことのないように努力したいと思います。 あと、ここにタイトルをいただきましたが、「日本に埋める場所ありますか?」ということなんですけど、なぜ私がその地層処分のことを25年もっていうか、大学院のときに、名古屋大学で地質学をやって、それでこちらのほうの研究に移ったかっていうことなんですけど。ちょうど私が大学院のときにあった事件が、チェルノブイリの事故でした。その事故のときに、結局そのチェルノブイリは石棺といいますかふたをして、今はそれが地上にずっと残っているという状態で、結局その周辺、半径30キロぐらいでしょうかね、そこは未だに住めないとか、そういう状況が今も続いているのではあるんですけど。そのときに、やはり、すでに放射性廃棄物っていうのはあって、それをどうするのかっていうような研究、あるいはその議論っていうのはもうすでにされていました。 で、そのときの私の恩師といいますか、先生が、「君、吉田くんね、地質学をやる、なんのためにやるんだろう、よく考えたほうがいいよ」っていうことを、そのときに薫陶をいただいたっていうのを今でも覚えてますが、正直言って私のモチベーションはそこにあります。今、岩崎さんからもちょっとありましたが、日本で地層処分をする。本当にできるんだろうかっていうのを自分で知りたいというのが正直に、そのときから今もこの研究をやっているモチベーションになっています。 で、極端なことを言うと、私はたまたま地質学をやっていましたが、要は自分でやっぱり判断したい、あるいは自分で何が分かればそれが理解できたと言えるのか、あるいは何が分からないことが問題なんだろうかということを、やっぱり知りたい。あるいはそれを研究して、できれば分かっていることは論文とかそういったものを著して、そして皆さんと共有化していきたい。それがもう1つのモチベーションになっているということです。 そういう中で今日、話の中身は、全てをお話しすることはできませんが、これまでの研究の内容とか、日本の地層、地質ってどうなっているのかとか、自分がこの25年間、30年間ぐらいかけて分かってきた部分。あるいは私だけではないですけど、私の同僚や共同研究者ともやってきて、分かってきたことをベースにお話をします。なので、それでもし、分からない部分もあるかもしれませんが、そういった部分は質問の時間とかそういうときにお話、あるいは聞いていただければと思います。岩崎:今日、終了後に10分ほど質疑応答の時間を設けていますので、分からないことがありましたら、ぜひそのときにお聞きください。ではお願いいたします。地層処分はどういう仕組みなのか地層処分はどういう仕組みなのか吉田:はい。ありがとうございます。で、それで早速じゃあ、中身に入りますが、先ほど岩崎さんからもちょっとご紹介ありましたけど、地層処分というのはどういう仕組みなのかということですが、ここにありますように、まずはガラス固化体、これが一番のその、放射性廃棄物に当たるものです。 で、ガラスの中に放射性、いわゆる核燃料ですね。使用済み核燃料の中から、もう使えない放射性物質、元素、例えば、放射性元素は何を今、発熱の原料に使っているかというとウランです。皆さん、ウランっていうのは聞いたことがあると思うんですね。で、ウランをこの原子力発電所で核分裂させたときの熱を使って、水蒸気を作って、それでもってタービンを回して、電気を起こしていくと。 で、核分裂をさせますので、あとでもちょっと話をしますが、ウランが分裂するともう、ウランではなくなるので。で、要は廃棄物になってしまうわけですが、核燃料の中に使われているウランが、全て100%分裂するわけではありません。分裂するウランと、分裂しないウランというのがあります。その辺もあとで、簡単にですが仕組みはお話しします。 その分裂したウランを取り出す。それが実は六カ所村っていう青森県の再処理工場でおこなわれていることですね。そこで再処理して取り出す。取り出すときは核燃料を、硝酸溶液に溶かし込まして、その溶液の中で、要らない、使えない放射性元素をガラス、このホウケイ酸ガラスというものと混ぜ込んで、そしてガラス化します。それが高レベル放射性廃棄物です。 実は今、ここにそのホウケイ酸ガラスを持ってきてます。これはもちろん放射性元素が含まれてないものですね。で、これを溶かします。溶かしたものに先ほどの放射性元素を混ぜ込んで、そして冷やして固めるというものです。非常に固いもので、だいたい数百度で溶けるんですが、皆さんにお回ししますので、どんなものかちょっと見ていただければと思うんですけど。 で、これは、シリカをベースに。ガラスですので、シリカがベースになった物質ですね。ですので、地下にそれをそのまま持っていって、持っていくこともできますし、要するにそれが冷えて固まれば、それがすぐに溶け出すとかいうこともあり得ないっていうか、ないというものですね。 で、それを、このキャニスターという容器の中に入れといて、さらにそれをこの鉄の容器、これ、オーバーパックといいます。で、オーバーパックの中に入れたものを、さらに地下に持っていって、こういう縦穴、今、これ縦穴ですけど、横穴にするか縦穴にするかまたその都度考えないといけないですが、これは一応、縦穴方式といわれるものの中で、ここにガラス固化体、そして金属の、鉄製のオーバーパックがあって、そして周りをさらにベントナイトっていう粘土鉱物なんですが、それで覆ったものが300メートルよりも深い場所に埋設処分されるという、こういう仕組みが地層処分というふうにいわれるものです。 ちなみに、なぜガラスを使うのかとか、なぜ金属、鉄を使うのかとか、なぜ粘土、いわゆるベントナイトを使うのかっていう、これも実は理由があります。ガラスは先ほども言いましたが、まずは地下水っていうか、水に溶けにくいという性質ですね。で、地下水は、皆さん温泉に行ったりすることもあると思いますので分かると思いますけど、ガラスはアルカリ性、pH12とかそれ以上になると非常に溶けやすくなります。ですが、地下の水は、地下水は基本的にはせいぜい高くてもpH10。pHって皆さんご存じですよね。オレンジジュースだとpH3ぐらいとか。酢だとpH、それぐらいですね。3もいかないかな。酢だと3点いくつとか、それぐらいかもしれませんが、そういう、酸、アルカリっていうものですね。 地下水は、だいたいそのpHがだいたい10から4とか、それくらいなので、それで温泉に入って気持ちがいいというのがあるんですけど、そういう状態では基本的にはガラスは溶けない。溶けにくいので、そうするとそこの中に閉じ込められている放射性元素も溶け出さないということですね。 で、あと、金属を使う理由は何かというと、ここから放射線が出ますのでそれを遮蔽するっていう役割もありますが、ここのガラス固化体に入っている放射性元素っていうのは、還元状態だと溶けにくいという性質があります。還元というのはどういう状態かっていうと、酸素がない状態ですね。地下は基本的に酸素がない。ありませんよね。 で、ちょっと、少し分かりにくいかもしれませんが、例えば、金魚鉢で金魚が口を開けて水面にこう、ぷかぷかやっているっていう状態は、水の中の酸素が消費されてしまって、その量が少なくなったので口を開けてぱくぱくしている。そういう状態が還元状態に近い状態になっているということですね。 で、そういう地下水の状態では、ここの中に入っている元素は非常に溶けにくいっていう性質もありますので、で、さらにそれを鉄で覆うっていうことは、鉄は酸素を消費します。つまり酸化するんですよね。「さびる」ということです。さびるという状態の意味は、もし万が一、酸素が入ってきた水がここにやってきても、その地下水の中の酸素を食って自分がさびることによって回りを還元しますので、そういう性質もあって、オーバーパックという鉄を日本では選んでるわけです。 さらに周りをベントナイトっていう粘土鉱物をなぜ使うかというと、粘土鉱物はいろいろな元素を吸着してくれる働きがあります。吸着剤としてよく使われると。そういう仕組みも活用して、それぞれの人工的な素材、もともとは天然の素材を利用しているんですが、そういったものをいくつも組み合わせて、地下に処分するという仕組みを取っていると。 これを、ここに書いている多重のバリアのシステムというふうな、ちょっと専門的なんですけど、なぜ多重のバリアなのかっていうのを、ガラスだけではなくて、オーバーパックもベントナイトも、そして地下は距離的に隔離されていると。で、さらに周辺には岩石、つまり鉱物があると。で、それらがまた、その放射性元素を吸着してくれたりするという役割を持ってくれますので、そういったもので多重バリアシステムというふうにいっているということですね。 こちらのものを人工的に閉じ込めることを、人工バリアというふうによくいいます。で、こっちのものは天然の岩石、鉱物ですので、これを天然のバリアということで天然バリアというような言い方をしているわけなんですが、こういった複合システムで放射性元素を外に漏らさないようにしましょうというのが基本的な考え方です。 それはどうしてかというと、先ほど岩崎さんの話にもありましたが、この放射性元素は、だいたい数万年ぐらい寿命を持っているので、その数万年間、人間界からやっぱり隔離しなきゃいけないというのが基本的なコンセプトになっていますので。 ただ、その数万年後、私たちがいるかどうか分かりませんよね。で、実際後ろを見ると、というか過去を見れば、二万数千年前にネアンデルタール人は、滅びているっていうそういう事実もありますが、将来の世代に対してそういった負担をできるだけ軽減しようというようなこともありで、地下に処分してしまって、もし、もしですよ、地上の社会、環境、国がどうなっているかも分かりませんが、人類がどうなっているかっていうのもありますけど、とか、地表環境が変わっても、地下環境が維持してくれるだろうというのが基本的な考えになっています。 そのときに、私がやっている研究は何かというと、こちらですね。これらはじゃあ、果たして数千年、数万年も持つのかという、こう、考え方がどうしても出てきちゃいますが、そういう情報はなかなか得にくいです。金属が数千年も持つかどうかっていう実験を私たちなかなかできません。そういったものを、あとでちょっと類似現象ってことでお話はしますが、こっちも、こっちは、数千年、数万年あったのか、持っていたのかというのは、実は岩石はそういう調査ができます。 どうしてかというと、岩石鉱物の中に化石が入っているとか、あるいは年代測定をすることによって、この岩石がどれくらい古いものであったのかということを知ることができるので、そういう観点ではこちらはある時間を入れることができるということですね。ただ、これがどれくらいのバリア機能を持っているかっていうのは、これをやっぱり調べないといけない。実際の地下の状態を含めて調べる必要があるので、そちらのほうを私は研究としていろいろやってきているということです。 最初、ちょっとイントロなので長く時間を取りましたが、これをベースにして、基本的には地質環境、地層処分というのは、これらが数十万年、数万年も持つとは今のところ考えにくいので、最終的にはこの地下環境の、いわゆる地質岩石に、隔離機能を持たせる、こういうバリア機能を活用した方法であるというふうに考えればいいと思います。 その際の、もう1つ重要な最初の初期情報とした場合、どれくらいの処分場の広さが必要なのかということですね。今、先ほど1万7,000トンぐらいの廃棄体があって、それをガラス固化体換算にしたときに、2万5,000本相当のガラス固化体が出てきます。それを地下300メートルよりも深いところにもし全て埋設したとした場合にはどれくらいの施設の、広さの施設が要るかというと、だいたい2、3キロ四方の広がりが必要だということになります。ですので、極端に言うと何十キロ掛ける何十キロとか、そういう広さのものが必要ではないと。 で、2、3キロ施設とあと、地上の施設も廃棄物を入れたりするような搬入の施設ということで、だいたい1平方から2平方キロメートル。だから数百キロメートルくらいのあれで、意外と地味なたぶん、施設。なんて言うんでしょうね。原子力発電所でなんて言いますか、原子力の、いわゆる原子炉があるとか、そういったようなものではないということですね。 こういったものを地下坑道だとか、実際、これは300メートルよりも深い場所に埋設されるということですね。ここに線上になっているのが処分坑道というふうに言われるものです。で、実際はこういう縦置き。で、ここがだからさっき言っていたガラス固化体、ベントナイト、そういったものがこういう形で埋設されると。で、周辺には緩衝材が入れられる。粘土鉱物が入れられるということですね。 それで、金属がどれくらい持つかという知見がなんかで得られないかというので、いわゆる考古学的な資料を活用した研究も得られています。これは何かというと、ローマ時代に鉄くぎが、ローマ軍とかが入ってきたときに奪われないように、実は地下に埋設した事例があります。これ、スコットランドで見つかったんですが。そのときに、得られた鉄くぎがどれくらい腐食しているかと。 で、実はこれは2000年前っていう時間も分かっていますので、その2000年前から今までどれくらいが腐食したかっていうのを調べることによって、その腐食速度が分かると。実際に2000年間かけるような実験っていうのは大学でもできないので、こういったものを活用して、さっき言っていたオーバーパックがどれくらいで溶けるのかっていうのが、換算できるというのですね。 これ、実際2000年前のそのローマ、このくぎです。ここで発見されたくぎなんですけど。私も調査に加わって、そして地元の学芸員の人から譲ってもらったんですが。こういったものからどれくらいの腐食量があるかと。ただ、これが1万年も10万年も持つかというと、なかなかそれは厳しいものはあります。なので、そういったものの知見と併せて地層処分のバリア機能というのを把握しようとしているというところです。20億年前から存在していた天然原子炉20億年前から存在していた天然原子炉 そういった中で、地層処分以外の方法ってじゃあ、ないのかということもやっぱり、知識として知っとく必要があると思うんですね。これは1960年代からかなり検討されてきていまして、例えば海洋底に処分する。あるいは南極だとかグリーンランドの氷の中に処分する。あるいは、宇宙に処分する。こういった議論っていうのはされてきています。ただ、宇宙なんかでは、これも私の大学院のときの現象であったんですけど、1986年にこのチャレンジャー号というのが飛んでいる最中にばんと爆発しちゃってもう、飛び散っちゃった。もし、こういったものに廃棄体が入っていると、もう大気圏といいますか、大気中にばらまいてしまうことになりますし、1回上げるのに相当なコストもありますので、そういった意味でかなり厳しいと。 あるいはほかのものについても、基本的には、南極は誰の国の土地でもありませんし、海洋も公海条約、あるいは現在は海洋底の堆積物からいろいろなレアアースだとか、そういう元素なんかも得られています。そういう有用性なんかも含めると、やっぱりある1つの国の廃棄物をそこに処分するというのはちょっと違うだろうということを、その国際原子力機関とかいろんなところで議論された上で、基本的には現在は、自分の国の廃棄物は、自分の国で処分しましょうということになっているということです。 で、そういう中で、地球科学的な取り組みについては、ちょっと英語ですいませんけど、お見せしたかったのは、この「The geology of nuclear waste disposal」。これ、geologyっていうのは地質っていう意味です。nuclearっていうのは放射性廃棄物、の処分っていう意味ですね。これは『Nature』っていう雑誌に1984年、もうだいぶ前ですが、もう30年も前ですね。そのときにいろいろな国際的な地球科学的研究者が集まって議論したのは、海溝、いわゆるプレートが沈み込む海溝に処分すれば、そのまま海溝の、プレートの中に乗っていって、地球の内部に運び込まれるだろうという、そういうアイデアを出したことがあります。 これは、ある意味では非常に地球科学的には真剣に考えていて、一番地球上で安心で、長期に関してもいい方法っていう、当時考えられたわけなんですけど、現在は海溝から、皆さんもまた聞いているかもしれませんが、いろいろな生命体、生命っていうか、生物新種、あるいはさっき出た資源に相当するようなものも出てきているっていうようなこともありで、その辺の有用性とかも考えると、なかなか難しいものもありますし、またここに処分したことを確認する、安全性とかいう意味で確認するって、なかなか難しいものもありで、で、また先ほどの、海溝っていうとだいたい、いわゆる経済海里とか、そういう200海里とかの制限もあり、そういう意味ではなかなか難しいものがあると。 ただ、その中で彼らがもう少し言っているのは、ちょっとここにも「Natural Analogies」って言っていますけど、自然の現象にもっと学ぶべきでしょうと。で、その自然の考え方、そういったものをもう少し地層処分にも応用させるべきではないかということを、きちっと言っています。 で、実は、もともと地層処分っていうもの自体が自然から学んだ方法であるということなんですね。どうしてかっていうとここにありますけど、天然原子炉というのがあります。これは天然の環境下で原子炉反応、つまり臨界反応が起こったということなんですね。 それはどこなのかっていうと、アフリカのガボン共和国にあるウラン鉱床の中、ウラン鉱山の中で発見されたんですけど、どういうことかっていうと、ここに黒い焼け跡のようなものがあります。これは今は地表に出ていますが、ウラン鉱山として開発される前は、地下400メートルぐらいのところに位置していました。で、ここのところにあったウラン鉱床、ウランの濃集部分のところが、今から20億年前に実際の現在の原子炉と同じ核分裂反応を天然の状態で起こしていたんですね。 それを1970年代に、このウラン鉱山とか、そういったものを研究してた国際原子力機関が見つけまして、で、これはここにもしそういう原子炉反応があった場合に、ここから漏れ出た、あるいはここで精製された核分裂、先ほど言っていた放射性廃棄物に相当する元素が、もしここに残っているんであれば、20億年間ずっとここに閉じ込められたっていうことになりますので、もしそういう、ここではガラス固化体もベントライトも何もないですね。ただ、それが残っているっていうんであれば、まさに天然が行った地層処分現象に近いよねっていうことで、天然の類似現象っていうことで「ナチュラル・アナログ」っていう言葉が使われているということです。 これがじゃあ、なんで、天然原子炉っていうか、そういう反応が起こったかっていうふうに分かったかっていうと、ここから実はプルトニウムが見つかったんですね。現在プルトニウムは原子炉の中でしかできません。それはどうしてかっていうと、簡単に言いますが、ウランっていうのは235っていうのと238っていう、この2つの同位体っていう元素の違うものがあります。核分裂に使われるものはこの235っていうものです。これが分裂すると中性子が出て、これがこっちに吸収されます。吸収されるとこれはウランの239ですが、1個足しますので。 で、239っていうのは、これはウランではなくて、これがプルトニウムになるということです。これは今の原子炉の、原子力発電所の中の反応としてわれわれが活用しているものですが、それが実際20億年も前の地下環境で行われたということですね。で、ここで実際プルトニウムも見つかっているし、ほかの、これが、ウラン235が分裂したあとにできたものも、一応ここで確認されているということで、これが天然の類似現象だということですね。それに学んで実際の地層処分というのも可能ではないかということで、1970年代から地下処分っていうものを本気で考え始めたということです。 そういう事例は日本でも、そういうっていうのは天然原子炉っていう意味ではないんですが、日本ではもっと若い地層の中にウラン鉱床っていうのがあるところが分かっています。それは岐阜県の土岐市から瑞浪市にかけてのところなんですが、そこの部分でも、じゃあ、どういう地下の状態の鉱物のところにウランが濃集しているかっていうことを、もし調べられれば、将来、地層処分した場合に、あるいは万が一漏れていた場合にどういう鉱物がそういうバリア機能として働いてくれるかっていうことも分かるだろうという形で研究がされています。そういったものもある種の類似研究なので、ナチュラル・アナログ研究というふうに言っていると。あとでそれがどこに濃集しているかっていうのもお見せしたいと思います。 で、こういう、いわゆる地層処分っていうのは、私は1つの人工鉱床を造るに等しいっていうふうに思っていまして、日本でどういうレベルの、どういう濃度の鉱床が残っているかっていうことがある程度見えれば、その状態をこの地層処分場にも応用して、そして逆に言うと、日本の地下環境の保持能力を超えないような地層処分場(つまり人工鉱床)っていうのを造るっていうことも可能ではないかっていうふうには思っています。もし、そのためにはただし、この天然の鉱床、あるいは実際の状態としてどういうところに放射性元素が濃集しているかとか、そういったことをきちっと調べておく必要があるというふうに考えています。 なので、これは逆に言うと、日本の地下環境には日本の地下環境に合った地層処分の仕方っていうのがあるだろうというふうにも思っています。それは実際の日本の天然鉱床とか、そういう元素が濃集しているような状態から学び取って、こちらに応用してやる必要があるだろうというふうにも考えています。 これまで地層処分について、なぜ地層処分なのかとか、そういったことも含めて今お話をしましたが、次にその地下環境とその機能。実際じゃあ、岩石の中にそういう放射性元素を吸着する力がどれぐらいあるのかということについてお話ししようと思いますが、いいですか。何か。岩崎:今のテーマの1については皆さんお分かりいただけたでしょうか。地下に埋めるっていうのが、臭いものにはふたをしろという発想で、人間界から遠ざけようという、そういう単純な発想ではなくて、地下のその現象について、天然で似たような類似現象があって、それに倣って、それに学んで行うというふうな、まず、発想もとがあるということで今、お話をいただきました。 先ほど地層処分の基礎の話で、還元という言葉が出てきたり、地下水というキーワードが出てきたと思うので、次には地下って、じゃあ、どういうところで、どういう機能を持っているのかっていうのを具体的にお話をいただきたいと思いますが、皆さまよろしいでしょうか。ではお願いいたします。■ 『一番のリスクは地下水』につづく

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    田原総一朗が考える「どうする? ニッポンの核のごみ」

    あってどうするんだという議論が続いている。 実は、福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」は、普通の原発の燃料がウランなのとは異なり、プルトニウムを燃料として稼働する。しかも、もんじゅでプルトニウムを燃やすと、燃やした以上のプルトニウムが抽出できるという、まさに「夢の原子炉」になる計画だった。(瀧誠四郎撮影) でもね、もんじゅは計画から半世紀近くが経とうとしているのに、いまだに稼働してない。いや、稼働できる当てすらないんだよ。当てがないのになんとなく、国はもんじゅを使うつもりでいるの。この辺りのいいかげんさというか、総合戦略のずさんさ。というより、何か起きるとみんな怖いから、誰も責任を取りたくない。はっきり言って、責任体制が全然明確じゃないんだよ。 ちょっと前に問題になった国立競技場の話だってそう。当初の総工費は1300億円だったのに、なんで2520億円にも膨らんでしまうんだって、誰もが思ったはず。責任省庁は文部科学省なんだけど、最後まで責任を擦り付け合うように逃げ続けた。原発もそうなの。僕はね、ここに一番の問題があるんだと思う。はっきり言って、使用済み核燃料の再処理はもうやめた方がいいと思ってる。日本は核燃料サイクルを国策として掲げているけれども、こんなことはさっさとあきらめて、原発から出た核のごみは埋めてしまえばいいんだよ、とりあえずは。再処理からプルトニウムをつくって、もんじゅで再利用するっていう夢のような話があまりにも曖昧だから、みんな核のごみについて異常な拒否反応を示してしまう。こんなことだから、原発再稼働も反対とかいうムードになってしまうんだよ。 もちろん、埋める場所の選定は難しいだろうけど、国がその気になれば絶対に決まる。核のごみをどうするのか、実は政府も本気になって考えていない。絶対に埋めるっていう覚悟がない。まだ、もんじゅを動かそうとどこかで思ってる。いま、アメリカなんかは頑丈な鉄の容器でいったん地中に埋めておいて、40年、50年先になるかは分からないけど、いつか使用済み核燃料を安全に処理できる技術を確立する可能性があると信じている。 日本では、原発アレルギーが極端だから、地層処分自体に反対する声も大きいけど、それは感情的な反対であって、現実的な問題から目をそらしているに過ぎない。それと、もう一つは、国に総合戦略がないから、反対派の人たちに痛いところ突かれるとみんな曖昧に答えて、及び腰になってしまう。要するに、この問題はすべてが曖昧なんだよ。 つまり、東京電力の福島原発で事故が起きた。これがすべての問題なわけでしょ。2008年に、1100年前の貞観地震のときには福島の浜通りでも15メートルの津波が襲ったという歴史的事実が明らかになった。それでも、福島原発は10メートル以上の津波を想定した対策を取れなかった。分かってはいても、そのうち何とかしようっていってるときに、東日本大震災が起きた。あのとき自家発電装置を15メートル以上の高さに置いておけば、実は何とかなったかもしれない。 核のごみについては、国民の理解が深まらないっていう話をよく聞くけど、そもそも責任体制ができてないのに理解が深まるわけないんだ。誰も説明できないんだから。いまやらなきゃいけないことは、とにかく核のごみをこれからどうするんだということをまず検討しなきゃ。たとえば、2030年の電力エネルギーの比率をどうするんだって経済産業省が試算したけど、再生可能エネルギーの比率を多くしようと決めたのは結局、経産省でしょ。でも、さっき言った核燃料サイクルの肝心なところは文部科学省の管轄だよね。日本の原子力政策のいま一番の問題はね、繰り返しになるけど、やはり総合戦略がないことなんだ。(聞き手 iRONNA編集長、白岩賢太)

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    日本人に原子力を扱う資格はない

    4年3カ月ぶりに再稼働した九州電力川内原発1号機が、原子炉内で発生する熱出力を100%に保つ「フル出力運転」を始めた。これほど歳月を要した原因は、過剰で不合理な「世界一厳しい規制」にある。私たち日本人に、原子力のような複雑で高度な科学技術を扱う資格はあるのか。

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    「総理、あなたがお花畑ですよ」 原発政策、どうして誰も突っ込まないのか  

    」 現実を直視せず、夢の国で生き続ける、桃源郷的世界観に住む人々に投げかけられる言葉。鹿児島県の川内原発が、本日、再稼働。我が国にある原子力発電所が1基も稼働せず、695日経った、今になって。  「電力の為には、仕方ない」と、未だに思ってる人っているの? 川内原発が営業運転となり、電力を供給できるのは、9月上旬以降。我が国で、最も電力を必要とするのは、真夏の数日、数時間。これだけの猛暑の中でも、節電要請すらされていない事が、全ての答え。 電力は、余っている、原発が動かなくても。電力の為の再稼働でない事は、多くの人々が知るところ。東電事故後、4年も経ってこんな事言ってる、自分が恥ずかしくなるが、念のため。 2年近く原発が動かなくても、電力会社は、黒字経営だ。現在、我が国の発電の主力、火力。その中でも、近場であるアジア圏からの輸入が可能な、天然ガス、しかも値を下げている。 電気料金を値上げした電力会社はその分、儲かってる状態。じゃあ、何の為に再稼働するのか? お金だよ。 税金と電気料金から原子力発電を通して、儲ける関係企業の利益の為にのみ、再稼働は強行された。 安全性は? 川内原発はフィルター付きベント設備はまだ、ない。万が一には、特濃の毒物がバラまかれる。免震重要棟もまだ、建設中。有事に、落ち着いて現場を指揮する場所もないって事。 最低限、これらが出来てから再稼働、って話が出てくるんじゃないか、普通。 火山の巨大噴火の可能性を多くの専門家が指摘し、九州電力の火山に対する監視能力にも規制委員会の会合で専門家が九電の手法を批判した程。 もし、重大事故が起きて、大量の放射性物質が放出された時に、誰が責任をとるのか。いまだに、はっきりしてない。ってか、とれないからハッキリさせない。 安倍総理は、おととい長崎で、「世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合しない限り、再稼働させない」と言った。その新規制基準を作った、田中規制委員長は、国会での山本太郎質問に対して、川内原発は重大事故が起こっても、放射性物質の放出量は東電福島の1/1000 以下、って超・楽観的な答弁。「最悪の事態に備える」というのが、危機管理の大原則。 でも彼らがやっている事は、真逆。「何も起こりません様に」「1000分の1で済みます様に」 これって、科学とかじゃなく、神頼みの世界だわ。危機管理に必要なのが、万が一の時、どうやって、人々の命を守るか。その為に必要なのが、「避難計画」。 川内原発から30キロ圏内の、医療機関85施設のうち、避難計画 策定済みは、たった「2つ」。159もある社会福祉施設で、避難計画を作ったのは、たった「15」。 これが意味する事? 有事には、お年寄り、身体の不自由な方など、弱いものは切り捨てる宣言だよ。 避難する為に必要なのが、「避難ルート」。避難ルートに指定した道路が県道で、片側1車線、道幅が狭く、歩道がないところもある。海に近く、事故と同時に津波が襲ってきた場合、道路が壊れたり水に浸かったりして避難できなくなる可能性もある。 だから、薩摩川内市やいちき串木野市など原発から、30キロ圏内の道路11か所を改修することを決めたらしい。県は道幅を広げ、歩道を整備、津波に備えて堤防を強化し、海に近い道路を山側に、う回させる、などの工事が一部で始まっているけど、すべての改修が完了するのは、今後、7年から8年程度かかる見込みだと。 避難ルートが完成するのが7~8年? その間に何も起こらない、起こらないでくれって話。まあ、起こっても「想定外」でOK。これって、危機管理と呼べる? これでよく再稼働できますね。お花畑かっ! 「万全の体制」という言葉をよくお使いになる、我が国の裸の王様。「万全の体制」って言葉の使い方、間違ってますよ。「総理、お花畑ですよ」って、与党議員たちは、どうして、誰も総理に突っ込まないんだろう? 話はシンプル。原発の既得権に属する企業からの、組織票や企業献金などで、議員にして貰ったのに生意気言える訳ない。一部の官僚も、天下り先など数々の便宜をはかってもらう為に、一生懸命。参院平和安全法制特別委員会で質問する山本太郎議員=7月29日午後、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) 前からお伝えしている通り、政治を動かしているのは、大企業、その集合体の経済団体。あなたから色んな名目で巻き上げた税金を、どう、お世話になった企業たちに横流し出来るのか、が政治の1番のテーマ。 人々の暮らしは? 「国に頼るな!」「貧乏人は死ね!」って事。東電事故原発の収束の仕方も解んない、だってスリーメルトダウンだぜ。 行けるとこまでトコトンいって、ペンペン草も生えない位に儲けてやろう。今だけ、金だけ、自分だけ。というお話。 日本国民の生命、財産及び幸福追求の権利の為に! と声高に叫びながら安全保障法案を強行する一方、国内の安全保障、この国に生きる人々の、あなたの暮らしの安全保障は、再稼働1つ、とってみても穴だらけ。その場しのぎ、御都合主義まっしぐら。この先、安倍政権が倒れたとしても、踊り子が変わるだけ。 リベラル臭がチョッピリする柔和な雰囲気の踊り子に、交代させて、今までと大して変わらない、この国の切り売りを、続ける。 原発再稼働も消費税増税も、派遣法改悪や残業代ゼロ法案など労働問題も、安全保障問題も、社会保障問題も、全て、大企業が金儲け出来る方向に、加速していく。組織票と企業献金で飼われてるんだから当然。 これを止める方法は1つ。まずは野党が1つになり、自民・公明の連立政権を引きずりおろす事。まずは、来年の参議院選挙で、野党連合が多数当選し、ネジレを作る以外にない。そうすれば、衆議院を通っても参議院で潰せる。変な動きをする政治家や政党がいれば、有権者でプレッシャーをかける。これが、政治参加、政治への監視、民主主義っていうらしい。 おまかせじゃ、政治家は好きな様にするに決まってる。みんなで緊張感を持たせよう。政治をコントロールするのはあなた。 気に喰わない政党、政治家でも、選挙区の支持者が操縦を続ける事が大切。いつでも、選挙区の2、3万人が動くぜ、ってビビるよ。 脳内、選挙の事だらけ、っていうのが政治家の大半だから。これに異を唱える政治家や政党がいたなら、要注意。何故なら、世の中を変える、ファーストステップは、政権政党を引きずり降ろさなきゃ、始まらないのだから。 1つや2つの政党でやれる事じゃない。10年~20年掛けるなら、話は別だけど。悪い方向に、加速度が増す現在、それだけの長期間は掛けられないって、皆さんも感じてるよね?  やりたい放題やりまくってる、今の理不尽な政治に関心を持って貰えるよう、周りの人々と横に繋がって下さい。 あなたの一票が三票に、それ以上に増えるように。政治をコントロールするのはあなた。 人々がコントロールする政治家の集合体が政権を取れば、全部ひっくり返せる。どうか、あなたの力、貸して下さい。

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    見えぬ責任の所在 原発再稼働は政府が最終判断を行うべきだ

    馬淵澄夫(衆議院議員) 11日、鹿児島県の川内原発1号機が再稼働し、我が国で約2年間続いていた「原発稼働ゼロ」状態が終わりを告げた。国内の原発が再稼働するのは、福島第一原発事故後に制定された新規制基準の下では初めてだ。見えぬ責任の所在 原発の再稼働については、まず、事業者の申請に従い原子力規制委員会が規制基準に適合しているかどうかを審査し、適合すると判断されれば、地元自治体の同意等を経て、電力事業者の自主的判断によって再稼働がなされるという流れになっている。しかし、このような仕組みでは、誰が最終的に安全性に責任を持って再稼働の判断を行うかが明確ではない。 宮沢経産大臣は、「事業者が…最終判断をして再稼働に至る」と述べ、田中原子力規制委員会委員長は、「規制委員会が再稼働しなければいけない理由は何もない」と述べ、さらに九電の瓜生社長は、「引き続き国の検査に真摯に取り組む」と述べるなど、それぞれが再稼働の判断は自らの責任では無いという押し付け合いを行っている。 これでは、国民の間に再稼働についての不安が増すのも当然だ。事実、世論調査では今も過半数の国民が、川内原発再稼働に反対している。本来、福島第一原発の過酷事故を受けての原発再稼働については、その重大性から政府が最終判断を行うべきであり、併せて国民への説明責任も果たすべきだ。臨界に達した川内原発1号機(奥左)=2015年8月11日午後11時23分 政府は、原発再稼働の最終判断は事業者にあるとして、表面上は見守る立場であるとの姿勢を示している。しかし、実態を見ると、エネルギーミックスで出された2030年における原発比率20~22%を何としても達成するため、再稼働を進めようという強い意思が垣間見えり。 例えば、経産省は、現在停止中の原発が立地する自治体への交付金を、引き下げる方針を固めたと報じられており、減額を恐れた自治体が、今後、再稼働に同意していく間接的な圧力につながることが危惧される。 また、使用済み核燃料再処理事業を行っている日本原燃を認可法人化して、国の関与を強めようとする動きも始まった。これらは、実質的には原発事業への支援にあたる。 政府は、再稼働は民間事業者の判断だとしながらも、さらなる原発再稼働のための環境を着々と整えようとしている。教訓忘れぬ原発政策を 現在、全国的に危機的な電力不足は起きておらず、コスト高ではあるが、安定供給が続いている。また、川内原発に関しては、桜島に大規模噴火の予兆が見られるなど、災害へのリスクが高まっている。 こうした状況下で、安全性や事故時の対応についての説明が不十分なまま再稼働を進めることは、福島第一原発事故の教訓を踏まえて、「原発依存度を可能な限り低減」するとした政府決定に自ら反するものだ。政府は原発の安全神話から決別するという原則に立ち返り、山積みの課題に対してひとつひとつ責任ある説明を行う必要がある。 予算委員会が、8月中にも開かれる運びと聞いているが、再稼働の問題点についても質していきたい。(公式ブログ『まぶちすみおの「不易塾」日記』より2015年8月20日分を転載)まぶち・すみお 昭和35年奈良市生まれ。横浜国大工学部卒。民間企業役員を経て、平成15年に民主党から出馬し初当選し、連続5回。耐震偽装問題の追及で注目される。22年9月、国交相兼沖縄北方対策相として初入閣したが、11月に参院で問責決議案が可決され、23年1月の内閣改造で退任。同年と24年の民主党代表選に出馬するも敗れる。趣味は筋力トレーニング。愛称は「ターミネーター」。自らを鼓舞する言葉は「アイル・ビー・バック(俺は戻ってくる)」。6児の父。

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    川内原発再稼働!安倍政権、トイレのないマンション販売開始!

     川内原発が先週火曜日(8/11)、再稼働した。核のゴミの処分場も決まっていない中での「見切り発車」で、無責任極まりないと思う。 あの原発事故以降、電力需要は節電等で10%以上減少し、太陽光発電の大幅な普及(震災前の10倍)等で、この猛暑の中でも電力逼迫は起こっていない。 たしかに、電気料金は、老朽火力の稼働等のコスト増で、震災前より家庭で2割、産業で3割程度上がっているとはいえ、この程度の負担増は「原発ゼロの代わりに甘受する」というのが国民の意思ではないだろうか。 その電気料金も、原油や天然ガスの値下がり(この一年で▼3割)で今後下がる可能性もある。この4~6月期の電力会社の決算も軒並み黒字だという。電力会社の、再稼働のコスト減はさらなる電気料金の引き上げを回避する程度、という言い訳を信じてはいけない。 維新の党は、国策としての原発推進を全面的に見直し、電力自由化によるコスト競争を通じた原発の市場からの退出(自然淘汰)、すなわち「原発フェードアウト」を基本方針としている。九州電力川内原発の1号機(右)と2号機=鹿児島県薩摩川内市(共同) このため、当面の原発再稼働にも厳格な条件付けを法定することが必要だと考えており、「原発再稼働責任法案」の国会提出を準備中だ。 その内容は、 ①再稼働の最終責任は国であることの明確化 ②避難計画の実効性確保と国の関与の明定 ③周辺自治体の同意の法制度化 ④核のゴミの最終処分の道筋の策定 以上の条件を満たさない限りは、再稼働を認めないこととしている。したがって、事実上、今後の原発再稼働には反対していくこととなる。 それにしても、この川内原発が再稼働して途端に、桜島の噴火警戒レベルが4、すなわち「避難準備」に引き上げられた。重大な噴火が切迫しているという。あまり科学的でないことを言いたくはないが、私は、あの原発事故以降、自然の摂理の中で生かされている人間が、その自然への畏敬の念を忘れた時、その自然から強烈な報いを受けるという思いを持つようになった。 この川内原発の安全性審査では、火山噴火の影響について、「川内原発の運用期間中に巨大噴火が起こる可能性は十分に小さい」「モニタリングを行うことで巨大噴火を予知でき、さらに予知してから噴火までに核燃料を搬出する十分な時間がある」として、問題ないと結論づけた。  しかし、火山噴火予知連絡会会長の藤井敏嗣・東京大学名誉教授は、この「巨大噴火が起こる可能性は十分に小さい」という根拠は十分ではないとし、東京大学地震研究所の中田節也教授も「巨大噴火の時期や規模を予測することは、現在の火山学では極めて困難、無理である」「核燃料の冷却・搬出に必要な数年~10年程度より前に噴火がわかるとは限らない」としている。 過去、姶良大噴火の火砕流が、川内原発サイトに及んでいたという痕跡もあると、九州電力さえもが認めている。この再稼働が、あの過酷深刻事故を再び起こさないように心から祈るばかりである。もう「想定外」という言い訳は断じて許されない。※江田けんじホームページ「今週の直言」2015.08.17より転載。

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    「世界一」の原発安全規制 ここがおかしい

    始を目指す。 再稼動に先立つ7月8日、記者は同発電所で原子炉に燃料を装荷する作業を見学した。すると、原発構内では不思議な光景があった。九州電力川内原発1号機の原子炉容器に装荷される燃料集合体 プラント設備に新しいワイヤーなどが取り付けられていた。そして巨大な金属製の檻(おり)があった。これは何か。別の機会に現地を視察した東京工業大学の澤田哲生原子炉工学研究所助教に聞くと「竜巻対策、地震対策の設備。おそらく邪魔になるだけだろう」と解説してくれた。 原子力規制委員会が求めた新規制基準では天災への対応が強化された。ワイヤーや檻は地震や竜巻で主要設備が壊れないようにするためのものだ。同原発では国内で観測された最大規模の風速毎秒100メートルの竜巻に耐える対策を行ったが、発生確率は極めて低い。 公開された審査資料を読むと、規制委の事務局である原子力規制庁の担当者は、対策を九電に「やれ」とは明示していない。また法律の規定もあいまいだ。どこまで対策が必要か具体的な範囲を設定すると事故時に責任問題になるために、原子力事業者側が「自発的に」対策したことになっている。 他の原発でも、規制委は明確な指示を出さないことがある。中部電力浜岡原発(静岡県)では津波対策として巨大な防波壁を作った。規制委側の指示はなかったが、自主的に決めた。高さは14~16メートル、海抜22メートルで「万里の長城」を連想させるほど壮観だ。この対策を規制委側は高く評価したが、同社内部からは「やりすぎ」(営業幹部)との声が聞こえる。この費用は約3000億円以上という。浜岡原発の防波壁。高さは14~16メートル、海抜22メートルで「万里の長城」を連想させるほど壮観だ 「ゴテゴテプラント」。規制対応で過剰な設備がつけられた今の日本の原発を専門家はこう形容する。「リスクゼロを求めるおかしな規制が多すぎる。工事の手間、費用と時間のコストを考えなければならないのに」と、澤田氏は批判した。 「原子力発電を使いたくない。けれどもすぐゼロは難しいので、当面は安全に運営してほしい」。これが福島原発事故を経験した日本人の平均的な考えだろう。しかし規制の内実を見ると、首をかしげることだらけだ。10万ページの申請書類 福島原発事故の反省から、原子力規制委員会は2012年9月に発足。政治の介入を受けない「独立行政委員会」となった。そして規制をめぐる約180もの法改正、政令、省令、規則の改正を行った。これらは総称「新規制基準」と呼ばれ、従来規定になかった重大事故や天災への対応などの規制も整備された。川内原発では覆水タンクなどを竜巻から守るため金属製のネット(中央左の格子状の建物)が設置された 新基準に基づく審査は遅れ、混乱している。規制委の田中俊一委員長は、「審査は原子炉1基、半年で終わる」と当初述べたが、2年経過して終わったのは1基のみ。法令上は稼働しながら審査することが原則だが、規制委は法的根拠のないまま、基準に合格した原子炉から再稼動を認めると表明した。 再稼動の遅れで電力各社の経営は悪化し、電力料金は2~3割上昇した。震災以降、火力発電の燃料代は14年度で余分に約4兆円かかったと推計される。また10電力の新基準の対応費用は推計2兆5000億円だ。一連の巨額負担によって得られる安全と支出のバランスを、負担者である私たち電力消費者は検討する必要がある。 審査の状況も、おかしさを感じるものだ。「事業者と私たちは対等ではない。こちらの決定を受け止めるべきだ」。規制庁の定年間際のノンキャリアの管理官(課長補佐クラス)が、記者説明で感情的に吐き捨てた。活断層をめぐり、事業者の反論を受けた後の言葉だ。 「人員も予算も限りがある。審査を続けられない」。規制部長がこう述べて、「もっと話を聞き、慎重に判断してほしい」と要請する事業者との会合を打ち切る場面が頻繁にある。許認可権を持つ当局側がコミュニケーションを拒否し自分の意見を押しつける。上から下まで規制庁には、奇妙な「お上意識」があるようだ。 日本の官僚機構の宿痾(しゅくあ)は、書類好きの形式主義とされる。規制委・規制庁も同じだ。事業者が規制委に提出する書類は正式なもので8~10万ページになる。扱う書類はその数倍になり、それを各社社員がトラックを連ね運ぶ。規制庁の役人は書式の間違い、誤字脱字があると、書き直しを求める。どの会社でも社員が総出で、書類の読み直しをしている。 書類は電子化すればいいし、他国ではそうだが、日本は紙にこだわる。「書類で原子炉が安全になるとは思えない。ばかばかしくなる」と、ある電力会社の社員はつぶやいた。非科学的な審査の実態 事業者と規制当局は、立場は違えど「原子力の安全」という目指す方向は同じであるはずだ。ところが両者は不幸な対立関係に陥っている。東日本大震災から原発再稼動までの道のり 規制庁と事業者のやりとりは、非科学的なものが多い。当局が事業者に何をすればいいのか明確に言わないことが頻繁にある。そこで業を煮やした事業者が自ら災害レベルの想定を引き上げ、過剰対策をすると、規制庁は認めることがある。 特に基準地震動の設定が長引いている。これは原発やその周辺で想定される地震の最大の揺れだ。規制委はこの問題で、過剰な安全性を求める。 関西電力は7月、美浜原発3号機(福井県)の安全審査で、基準地震動の前提となる震源断層の深さを「4キロより深い」から「3キロより深い」に見直した。深度が浅いと、地震の想定振動は大きくなる。 関電は同社の3つの発電所共通の手法で震源断層を推定。美浜だけは「4キロより深い」と導いたが、規制委は「他と同じ深さになるべき」と主張。科学的な根拠は示されなかったが、関電は結局、規制委の意向に従った。九電川内原発の審査でも同様に基準地震動の引き上げを求め、同社が応じたところ、ここが優先審査の対象とされた。 意図を明確にしない規制行為は、細かな事でも存在する。ある原発では火災対策で、重要な場所に火災報知器を設置している。すると規制庁は「この場所につけない理由は何だ」と聞いてきた。そこは安全に関わる重要な設備が置かれていない場所だった。しかし、電力会社は言外に「ここに置け」と命じられたと推量し、設置場所を増やしたという。「責任逃れ」と「朝礼暮改」 原子炉は現代の工業技術の粋を集めた設備だ。原子炉、地震、配管、発電設備、防災・防火などの専門が細分化し、審査も各分野ごとに行われる。ところが審査担当官の能力差が著しい。優れた担当者もいれば、「素人で一からこちらが原発の構造を教えなければならなかった。規制庁は寄り合い所帯で、初めて審査を担当する役人もいる」(ある電力会社)という例もある。注水ポンプ車は竜巻に備えてワイヤーで固縛されている そして事業者が規制庁の審査の特徴として挙げるのは「責任逃れ」だ。上司の言うことに過剰に反応し、責任を事業者側に押しつけ「朝令暮改」が繰り返されるという。福島事故の後に規制当局は「規制の虜(とりこ)」、つまり専門性のある事業者に取り込まれたと批判された。それゆえに今は事業者に厳しい態度を示しているのだろうが、その審査には安全性を合理的に追求したとは言い切れないものも多い。判断が審査官の裁量で左右されて行政が権力を振り回しているように見える。 結果、事業者に規制当局への不信感が広がる。「基準を示してほしい。それに合わせる」。ある電力会社の担当者は不満を訴えた。しかし、これは危険な考えだ。原子力の運営で、規制に合わせることが目的になってしまうと、安全を向上させる意識が薄れてしまう。 事業者側にも問題がある。規制委・規制庁のおかしな主張に対し、現場の実態を理解してもらう取り組みを尽くしていない。米国では1979年のスリーマイル島の原発事故の後で事業者が業界団体をつくり、技術情報の共有、規制当局との交渉、原発の安全性評価など国民への情報公開を行った。それがきっかけで規制内容は修正されていった。しかし、日本の事業者の動きは鈍い。規制側に主張するという発想が現場にも経営陣にもないのだろう。 規制庁をマネジメントするのが規制委、つまり5人の規制委員の役割だ。民主党政権の人事で田中委員長が任期5年で選ばれた。炉の安全性審査は更田豊志委員長代理、地震関係は石渡明委員が担当する。彼ら3人は研究者で民間の原子炉を運営、管理したことはない。各委員は事務局の行動を追認、そして規制の混乱を放置している。 田中委員長は、審査の遅れと混乱について、政治家やメディア、事業者から批判を受けているが、具体的な改善に動かない。彼は「原子炉の安全性のみを考える」「判定は安全について保守的に行う」と繰り返す。 規制委側も状況のおかしさは認識しているようだ。退任した元幹部に非公開の勉強会で話を聞いた。この人は「素人が多く審査に慣れていない」「法律上の根拠がない規制が行われている」「審査の遅れは深刻だ」と、現状を正確に分析した。「では、なぜあなたは問題を正さなかったのか」と聞くと「自分の担当ではないし、スタッフがいなかった」などの弁解をした。高級官僚によくある責任逃れの体質を持つ幹部が、規制委の運営にかかわっていた。 日本の規制の混乱は国際的に連携する原子力専門家の世界でも不思議がられている。福島事故前から日本の規制行政は、米国の追随が多く、科学的な分析が足りず、国際的な評価は低かった。今回の長期停止も「動かしながら新基準の工事をすればいいのに」と不思議がられているそうだ。長期停止によって事業者は損害を受けるし、運転員の技量低下や動かしてわかるプラントの不具合の見落としなど安全に関わる問題が発生しかねないためだ。 日本の規制をめぐる国際的な評価の低さを示す例がある。日本原子力発電の敦賀発電所2号機の下に活断層があるとした規制委の判定に、同社は猛反発し、地質学の世界的権威である英国シェフィールド大学のニールチャップマン教授に審査を依頼した。同教授は「原電の主張が正しい」「日本では専門家と事業者と行政の対話が必要だ」とした上で、世界の地震研究の中心的な学会誌である米国地球物理学連合学会誌「EOS」(14年1月発行)に論文を掲載した。 ところが規制委はこれを無視した。ある地震学者は「一流の学者におかしいと言われたのに日本というガラパゴスにいる規制委と周辺の学者は自分の姿に気づかないのだろう」と嘆いた。安全文化を醸成するには 「過剰に設備をつける」「リスクゼロを求める」。規制委が行う取り組みは一見良く見えるが、専門家が見ると安全性は必ずしも高まっていないそうだ。 ある研究者は「稼働3年後に事故が起こるかもしれない」と警告した。新規制基準によって監視の必要な設備が増えた。しかし長期に亘りすべての管理などできないはずで、監視の緩くなった機器が壊れるかもしれない。そして「ゴテゴテプラント」が緊急時の対応を混乱させる可能性があるという。 一つのリスクを減らす行為が別のリスクを発生させる。また「想定外」は常に起こり得る。規制委の新規制基準には、こうした当たり前の発想がない。 東京大学大学院工学系研究科の岡本孝司教授は、規制委の活動について手厳しく批判する。「行政訴訟や事故時に責任を逃れるためという方針は一貫している。国民の安全を確保するという発想ではない」。 岡本氏は機会あるごとに、世界の原子力工学で強調される「セーフティーカルチャー」という考えを提唱する。日本では「安全文化」として訳されるが、英語の「Culture」は、日本の「文化」という単語よりも意味が広く「態度」「社会的規範」も含む。 「安全には終わりがない。規制をクリアするのは最低限。自発的に事業者がより高い安全を目指し、たゆまぬ努力を続けることが必要で、それを促すのが規制当局の本来の役割だ。今の日本の規制では事業者が向上する動機が欠ける」と懸念する。保守的に考えて、事業者に厳しく対応すればよいと考える規制委の態度では、「常に安全のために改善し続ける」という安全文化は醸成されない。 また岡本氏など多くの研究者が、米国をはじめ世界の原子力プラントの設計、安全管理、規制で導入されている「確率論的安全評価」(PSA:Probabilistic Safety Assessment)の考えを日本に取り入れることを提唱している。これは様々な事故のケースの確率を推計し、そのリスクを総合的に分析し、対策に活かすものだ。 日本の安全規制は、いまだにリスクの大小にかかわらず一つ一つの事象に対して個別に最大限の規制を行うという発想を続けている。リスクはもっと総合的に捉えなければならない。 現在の原子力規制の問題は、「不適切な規制によって、原発がなかなか活用できない上に、国民の安全確保の観点からも疑問がある」ということだ。ところがメディアも社会も、原子力の賛成、反対の意見表明ばかりに熱心で、議論すべき論点がずれている。 原子力に対する世論は厳しい。将来的に原子力を維持するか卒業するかについては意見が分かれるとしても、現時点では原発を使ってエネルギーの安定供給と経済合理性の両立を図らざるを得ないことは多くの国民が理解している。原子力規制委・規制庁の混乱した行政活動を是正することは、私たちの経済の安定と安全な生活につながる。   

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    原発ゼロ解消で考えるべきこと~経済合理性に基づいたエネ政策を~

    安倍宏行(Japan In-depth 編集長/ジャーナリスト) 遂に「原発ゼロ」が約1年11か月ぶりに解消した。九州電力は11日午前、川内原発1号機をほぼ4年ぶりに再稼働させた。来月には本格的な営業運転が始まる見込みだ。2号機も10月中の再稼働も目指す。不思議なことにあんなに再稼働問題を取り上げていたメディアも今回は淡々とした報道ぶりだが、改めてこの問題を考えてみたい。 まず、再稼働の条件としてどのような安全対策が施されているのか、よく知らない人も多いだろう。東京電力福島第一原発事故後設立された原子力規制委員会が新規制基準というものを作った。(2013年7月施行)その基準にもとづき、重大事故対策が義務付けられた。川内原発は、最大規模の地震、津波、竜巻などの自然災害への備えを万全にしたという。福島第一で起きた、全交流電源喪失や水素爆発に対応しており、こうした安全対策費用は実に3,000億円超に上る。(玄海原発分含む)川内原発の中央制御室で1号機原子炉の起動操作をする運転員ら=2015年8月11日、鹿児島県薩摩川内市(代表撮影) 同様の安全対策は他の電力会社の原発でも当然取られており、かかっており費用の合計額は優に1兆円は超すだろう。そうしたコストは電気料金に跳ね返る可能性があることを忘れてはならない。震災後の電気料金の値上げによる負担増は、一般家庭のみならず、中小企業にずしりとのしかかり、限界に近づいている。 加えて、原発停止に伴い輸入が増加している火力発電用化石燃料費も膨大だ。特にLNGの需要は震災前の2010年度の約7,060万トンから2014年度には約8,900万トンと3割近くも上昇している。LNGの価格高騰もあり、 調達費は、2010年の3.5兆円から2014年の7.8兆円へと大幅に増えている。原油輸入量は増えてはいないがやはり価格高騰で、その輸入額は同じく2010年と2014年では、約9兆4,059 億円から約13兆8,734億円へと上昇している。(エネ庁調べ) こうした、火力発電稼働増に伴う追加燃料費は、2011年度から14年度の累計で12.7兆円に上るとの試算がある。(2014年10月23日、経済産業省電力需給検証小委員会の発表による)これは消費税5%分に相当する額である。こうした燃料費の増加は貿易収支を悪化させ、2013年は11.5兆円の赤字、2014年は過去最大の12.8兆円の赤字となった。原油安などで2015年上半期の経常収支は8兆円の黒字に転換してはいるが、経常収支にまで影響が及べば日本経済にとって悪影響は避けられない状況だった。又、CO2の排出量も増加した。(2014年以降低下傾向にある)こうしたことを考えると原発再稼働が日本経済にとって必要であることがわかる。 再生可能エネルギーの問題も忘れてはならない。再エネがベースロード電源になりえないことは読者諸氏は重々承知であろう。そして、再エネを支えているのは私たち消費者だ。再エネは固定価格買取制度に支えられ、私たちは毎月の電気料金に加え、“再生可能エネルギー発電促進賦課金”を払っているのだ。再エネ発電比率を大きくすればするほど私たちの負担が増えることをしっかりと認識する必要がある。 そうした背景を理解したうえで、今回の再稼働を評価しなければならない。新規制基準をクリアしたからといって安全が100パーセント確保されるものでもない。しかし、新規制基準をクリアしたものから順次再稼働していくことは、我が国にとって現時点で考えうる最善の施策だろう。無論、各電力会社は、あらゆるリスクに対応できる不断の訓練を絶やさぬことが最低限の条件である。また今回問題だと指摘されている自治体の避難計画なども実効性のあるものにしなければならないのは言うまでもない。 既に政府は40年経過した原発の廃炉を決めている。ベース電源としての原発を漸次減らしていき、その間に高効率の火力発電所を増やすとともに、再エネも経済合理性を勘案して一定比率まで増やしていくことが、我が国が進むべき方向だということを、今一度再確認したい。

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    川内原発の再稼働が必要な4つの理由-もたらされるリスクと利益

    再稼働の必要がないと思っている人が多くいるようだ。 現状の発電設備の詳細を見ると供給力に問題があり、原発からの電気が必要なのだが、再稼働が必要な理由は他にもある。電気料金の上昇を抑制すること、日本の安全保障を高めること、温暖化問題に対処することだ。日本においてエネルギーを調達する際には、コスト、供給の安全保障、温暖化、安全性を考慮する必要があるとエネルギー政策では考え、4要素を最も満足させるようにエネルギーの種別、地域を分散した調達を目標とする。 日本のエネルギー政策が以前からこの4要素を考え、実行されていたわけではない。国が様々な経験をする過程で辿り着いた結果が、今のエネルギー政策だ。日本のエネルギー政策がどのような過程で成立したのか振り返り、再稼働により原子力が加わることで、現在の政策にどのような影響があるのか考えてみたい。エネルギー政策の成立 第二次世界大戦後経済を立て直す必要に迫られた日本は、復興に最も必要とされた鉄鋼とエネルギーに生産資源を集中的に投入する。傾斜生産と呼ばれたこの政策で重要とされたエネルギーは国産の石炭だった。国内炭の生産は急増するが、やがて中東において大規模生産が開始された安価で扱いやすい石油に徐々にシェアを奪われる。 石油との価格競争を迫られた国内の石炭会社は合理化を開始し、1959年から60年の三井三池争議のころの年間5000万トンの生産をピークとし、採炭条件が悪く価格が高い国内炭の生産は減少の一途を続ける。エネルギー政策で重視されたのはコスト、価格だったために、国内のエネルギー供給は石炭から輸入される石油に急速に切り替わる。 1973年秋に発生した第一次オイルショックは、コスト重視の政策に冷や水を浴びせることになった。石油の価格が4倍になったのと同時に、中東にエネルギー供給の大半を依存している危うさに気づかされることになった。日本は一次エネルギー供給の約4分の3を石油に依存していた。発電でも石油の依存度は高かった。図-1が1973年の日本とドイツの発電源のシェアを示している。ドイツの石炭は国内炭が主なので、日本と事情は異なる。 エネルギー安全保障、分散の重要性を認識した日本企業は、石炭へ回帰する。採炭条件が悪く価格が極めて高かった国内炭ではなく、石油より価格競争力があった豪州、米国、カナダなどの石炭だ。国内炭から石油に使用燃料を転換していた発電所が、海外炭使用に再度転換し、さらに、海外炭を使用する発電所の計画が相次いだ。石油、石炭のような化石燃料を燃焼させると窒素酸化物、硫黄酸化物が発生し大気汚染の公害問題を引き起こすことは知られているが、1980年代になり燃焼により排出される二酸化炭素が地球を温暖化させている可能性が注目され始めた。燃料の環境性能が大きな要素になってきた。 福島第一原子力発電所の事故以降は、安全性も要素の一つとなり、経済性、安全保障、環境性能、安全性を考慮し、燃料を選択することになった。原発の再稼働が不要という意見は、このうち安全性のみを考えたことからでてきたものだろう。電源の最適構成を考えるにはそれでは不十分と言わざるを得ない。川内原発が再稼働した九州電力を例に問題を考えたい。電気は足りているのか 川内原発が再稼働するまで、この夏原発からの電気は全く供給されていなかったが、電気は足りていた。だが、かなり無理をして供給力が確保されているので、停電を避けることが可能だったのだ。無理の内容は二つある。一つは、老朽化した設備の稼働率をあげていることだ。もう一つは、コストが高いため本来稼働率を抑えなければいけない設備の稼働率を上げていることだ。 図‐2は、九州電力の東日本大震災前と後の火力発電設備の稼働率を示している。原発の稼働が停止してからは、火力の稼働率が当然上昇している。 震災前には夏場の最需要期を除きほとんど使用されていなかった石油火力の稼働率も上がっているが、石油火力の運転開始時期は表-1の通りだ。 昭和のプラントしかないが、9基のうち5基が70年代前半の運転開始。実に40年以上使われている。今後長期間使えるプラントではない。建て替えれば、コストが上昇し、電気料金が上がる。 今年の夏の九州電力の最大電力需要を賄う供給力の内訳をみると、揚水発電が活用されている。揚水発電は夜間の電力需要が低い時にポンプで下池の水を上池に揚げ、電力需要が高い昼間に水を落とし発電する仕組みだ。 大型蓄電池のような設備だが、大きな設備投資が必要な割に稼働率が低くなることから発電コストは高くなる。原発が稼働していれば夜間原発の安い電気(発電コストが安いことについては後ほど説明する)で水を上に揚げることが可能だが、今は夜間に燃料を余分に使用しコストの高い火力発電で水を上池に揚げていることになる。 揚水の利用は可能な限り抑制しないと電気料金の上昇につながるが、夏場にはコストが高い揚水を準備しなければ電力需要を賄えない状況にあるのだ。例えば、8月16日の九州電力の供給力1333万kW(うち自社分1089万kW)のうち183万kWが揚水発電だ。 老朽化した設備とコストが高い設備を利用し、夏場の需要を満たす状況をいつまでも続けることはできない。安全保障の強化は不要か オイルショック時一次エネルギーの4分の3を石油に依存していたが、石油から他のエネルギーへのシフトを行った結果、2010年度には、石油の比率は40%を切るまでになった。しかし、原発の停止により石油への依存度は上昇し、13年度は約43%となった。さらに、天然ガスの比率も震災前との比較では約5%上昇し、24%となった。 石油の約85%、天然ガスの約30%は中東から輸入されている。即ち、全エネルギーの44%は中東から供給されており、この大半はホルムズ海峡を経由し輸送が行われている。高い中東依存率を引き下げることが安全保障強化になることは言うまでもなく、そのためには、原子力の利用による化石燃料依存度の引き下げが必要になる。原発のコストは高いのか 今年6月に発表された2030年の電源構成を考えるために、電源コストの試算が政府の委員会で行われた。原発の発電コストは10.1円以上(2014年モデルプラント)とされ、電源の中で最も低コストであるものの、石炭火力の12.3円以上に近い数字だった。原発のコストには廃炉などの様々なコストが含まれていないと誤解があるが、核燃料の処理費用、廃炉費用、立地交付金、もんじゅの研究開発費用、事故処理費用、追加で必要な安全対策費まで必要な費用が全て含まれている。もちろん、ある想定のもとでの数字なので増減はあるだろうが、現時点で最もありえる想定に基づいている。 それでも原発のコストが安いのは、設備投資などの初期投資が必要なものの、運転するための費用が他の電源より安いためだ。初期投資が大きいが、既にこの費用は既存の原発については使用された資金であり、稼働に関係なく必要な費用だ。要は、原発は建設すると運転に拘わらず費用が掛かるが、運転のために追加で必要な経費は小さい。核燃料サイクル費用1kWh当たり1.5円、追加的対策費0.6円が主な費用だろう。  一方、火力発電所の建設費は原発より相対的に安いが、燃料費は高くなる。今年1月から6月の輸入実績に基づく石油、LNG(液化天然ガス)、石炭の1kWh当たりの燃料費を表‐2が示している。原発を停止しても削減可能な費用は小さいにもかかわらず、火力発電所の運転により必要な燃料費が増加したことから、電気料金は図‐3の通り、震災後全国平均で、家庭用が25%、産業用が38%値上がりしている。エネルギー白書によると、純増の燃料費は14年度で3兆4000億円だ。この一部を電力会社が吸収したが、14年度の国民負担は震災前との比較で2兆9000億円増加している。 再稼働により、核燃料などのコスト負担が生じるが、それよりも大きい金額の化石燃料のコストが削減される明らかなメリットがある。川内原発1基の稼働により、削減可能な燃料費は現状の価格を基にすると年間約600億円だ。やがて、電気料金の引き下げにつながっていく筈だ。温暖化にどう対処できるのか 2030年の電源構成で、原発比率は20%から22%とされた。この理由の一つに温室効果ガスの排出抑制があるのは間違いない。政府は既に国連事務局に、30年の温室効果ガスの排出を13年比26%削減する目標を届けている。電源構成で低炭素電源と呼ばれる原発と再生可能エネルギーが排出抑制に果たす役割は大きい。 しかし、再エネの比率をあまりに上げることは難しい。電気料金の上昇につながるからだ。今年度の再エネの買い取り額は1兆8000億円、賦課金額1兆3000億円、電気料金での負担は1kWh当たり1.58円に達している。標準家庭で月額約500円の負担だ。2030年時点の再エネ比率22%から24%での固定価格の買い取り費用は、3兆7000億円から4兆円とされている。大きな負担が消費者に生じることになる。電源別の二酸化炭素排出量は表‐3が示している。電気料金を抑制しつつ二酸化炭素の排出を削減するには、原子力の利用が必要になる。リスクと利点 原発の再稼働は、エネルギー政策上は3つの利点をもたらす。日本において再稼働反対が多いのは、安全性がなによりも大切と考える人が多いからだろう。安全保障、コスト、温暖化対策より絶対的な安全性が大切と考えるか、事故のリスクはあるが、原子力を利用するメリットが大きいと考えるか、立場により異なるのかもしれない。 熱中症を心配しながらも冷房用の電気を潤沢に使用できない2000万人といわれる貧困層を日本が抱えている状況があっても、再稼働する必要はないと言い切る自信がある人はどれほどいるのだろうか。97年をピークに平均給与が下がり続けている状況に終止符を打つには、電気料金の上昇が日本企業から競争力を奪っている現状を改善する必要もある。 福島第一原発の事故後の英国の調査では、エネルギー安全保障と温暖化対策に寄与するのであれば、原発を新設すべきという人が50%を超えている。原発のあるリスクよりないリスクの方が大きいと考える人が過半数ということだ。日本ではその比率は20%だ。私たちはリスクとベネフィットをよく考えているのだろうか。好きか嫌いかで物事を判断していないだろうか。    

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    原発ゼロリスクは達成できるという「安全神話」こそ危険である

    8月11日、九州電力川内原子力発電所が再稼働した。東京電力福島第1原子力発電所の事故以来、順次全国の原発が停止してから約2年ぶりの稼働となる。川内原子力発電所自体では約4年ぶりだ。「応急手当て」から脱却はかれ 原発が動いていなくても、電気は足りているから原発は不要だという議論がある。まるで「高速道路を猛スピードで走っても、事故さえ起きなければシートベルトは要らない」と主張しているかのようだ。エネルギー政策の根幹である安定供給のためには、特定のエネルギー源が入手困難になっても、常に他のエネルギー源でバックアップできる態勢を維持しておかなければならない。 原発が停止していても停電にならなくて済んでいる理由は、エネルギー政策の根幹であった「電源多様化」に成功してきたからだ。原子力というオプションが十分に回復していない現状で、他のエネルギー源の調達(輸入)に問題が生じた場合には、一挙に危機的状況になることは間違いない。深い切り傷に絆創膏(ばんそうこう)で応急手当てをしている状態からは、早急に脱却しなければならないのだ。川内原発では覆水タンクなどを竜巻から守るため金属製のネット(中央左の格子状の建物)が設置された 第2に、原発の代替電源は短期的には化石燃料、特に稼働率に余裕があった天然ガスや石油火力しかなかったため、燃料の輸入増加で年間3兆円強の国外流出を余儀なくされている。消費税1%を増税したに等しく、国内総生産(GDP)を0・6%程度低下させる要因になる。その上、脱原発のためという理由で、固定価格買い取り制度によって再生可能エネルギーを大量に導入してきたため、消費者が支払う賦課金も1兆円を超えている。これではアベノミクスに必要な賃金上昇・消費活性化の好循環は達成できない。 各電力会社はこれまで料金設定において、もっと早い時期に自社の原発が再稼働することを前提としているため、今後再稼働が続くにしても電気料金が下がるかどうかは保証されないが、少なくとも固定価格買い取り制度以外の主要な上昇要因は取り除かれる。安全の本質的な考え方の説明を 第3に、再稼働によって原発停止に起因する二酸化炭素排出の増大にストップがかかる。100万キロワットの原子炉を1基再稼働するだけで、(石油火力代替として)年間0・4%程度の排出削減がもたらされる。温暖化対策のために、オバマ米大統領は石炭火力規制を強化する一方で、原子力を推進する姿勢を示しているし、英国でも再生可能エネルギーと原子力をともに政府が支援していく方針を打ち出している。深刻化する温暖化の中で、原子力は依然として重要な選択肢として位置づけられているのだ。 原発再稼働は、安全性の確保が前提だ。ところが、原子力安全規制に関する基本的な考え方が国民に浸透しているとはいえない。安全神話からの脱却、すなわちゼロリスクはないという前提に立ち、事故事象が生じる確率とその事象が生じた際の汚染などの影響を、総体として最小化するという考え方で、原子力規制委員会が新たな規制基準を策定し、事業者の安全対策がその基準に適合しているかどうかを審査する、というのが基本だ。 したがって、新たな規制基準をクリアしても、事故のリスクはわずかながらでも残る。これが、規制委員長が「基準をクリアしても安全とはいえない」という趣旨だ。しかし、こうした片言隻句だけが浮遊してしまえば、正しい理解は得られない。規制委には、安全規制の考え方の本質を丁寧に説明していくことが求められる。中長期的な議論に取りかかれ わずかながらも残るリスクは、発電所の現場におけるハード・ソフト両面での不断の安全対策の改善によって顕在化しないよう、また顕在化した場合にも適切に対応できるよう、事業者が継続的な取り組みを進めていく責任を負っているのだ。安全確保の第一義的責任は事業者にあることは、原子炉等規制法にも明確に規定されている。 避難計画も完璧なものは存在しない。100%の備えができている計画しか認めないといった考え方もあるが、それではゼロリスクは達成できるという安全神話への逆戻りだ。70点でも80点でも、まず避難計画を立案して、定期的に訓練し、明らかになった問題点を継続的に改善していくというプロセス(いわゆるPDCAサイクル)が重要なのだ。 原子力問題の真の焦点は、短期的な再稼働問題を越えて、新設やリプレース問題にある。日本のエネルギー安全保障に必須の選択肢として、国産化技術開発や人材育成に大規模な投資をしてきた。今後もそのレベルを維持するためには、技術や人材を磨く現場が国内に存在しなければならない。 2年後にはエネルギー基本計画の見直しがある。使用済み燃料の再処理・再利用を軸とする核燃料サイクル政策をどう維持・修正するのか、研究開発体制はどう再構築するのかなどを、深く検討しておくことが再稼働後の課題だ。(さわ あきひろ)

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    原発再稼動は経済的にマイナス?

    貿易振興機構ロンドン事務所長) 言論アリーナ「アゴラ」に池田信夫氏が、川口マーン恵美氏の「ドイツの脱原発がわかる本:日本が見習ってはいけない」の書評が出た。http://agora-web.jp/archives/1641822.html 脱原発を選んだドイツに対する一部マスメディアのナイーブともいえる礼賛論には辟易していたこともあり、「昔陸軍、今反原発派。ドイツを見習え、バスに乗り遅れるな、という点で同じ」とコメントしたところ、ネット上で反論をいただき、何度かコメントのやり取りをするうちに、原発再稼動の適否に関する議論に発展した(具体的なやり取りは上記のサイトでご覧いただける)。 ちなみに反論された方々はいずれも、温室効果ガス削減が必要という立場に立っておられる(温暖化なんか問題ないという意見であれば、わざわざ原発の再稼動などせずとも、安価で豊富な石炭を使えばよいと言う結論になり、そもそも議論がかみ合わない)。やり取りの中で、私が「原発全停止による化石燃料輸入増による国富流出、エネルギーコストの上昇、対外依存度の上昇によるエネルギーセキュリティ上の問題、温室効果ガス上昇という問題に対処するために、安全性の確認された原発の再稼動は最も費用対効果の高い手段」と述べたところ、以下のような反論をいただいた。1.原発全停止によって、年間3.7兆円の国富が流出している俗説があるが、これは誤りで、実際には7-8000億円の増加。http://oceangreen.jp/kaisetsu-shuu/Boueki-Akaji.html つまり3.7兆円の燃料費の増加は確かに認められるものの、増加分の大部分は、円安と燃料価格の高騰によるもの。現在は原油価格、LNG価格ともに大幅に下落しているので原発停止による燃料費の増加は、わずかなもの。2.再稼働は無償で出来るわけではない。安全対策費は膨大であり、核廃棄物の最終処分や廃炉のコストも、十分に確保されているとは言えない。安全対策費を考えると原発再稼動による経済効果は現時点ではゼロまたはマイナス。 この反論の興味深いところは、「原発は危険な技術なのだからやめるべきだ」というドグマチックなものとは一味違って、「経済面で考えても再稼動はメリットがない、むしろマイナスである」と論じているところである。立命館大学の大島堅一教授も「石油などの輸入費が高いのは、アベノミクスによる円安の影響。そろそろ限界に近いだろうし、原油価格は下落傾向にある。安価なLNGの発電比率を増やすことも可能なはずだ」と主張している。http://blog.livedoor.jp/fmv2103/archives/44094174.html しかしこれらの議論には多くの点で疑問がある。 「化石燃料輸入額増大のうち数量要因はごく一部」ということだが、だから何だと言うのだろう。確かに現在の貿易赤字の原因を全て原発全停止による燃料費の増分に帰するのは間違っている。円安によっても輸出が伸びない構造的要因も大きいだろう。しかし、3.7兆円が原発全停止による化石燃料輸入増加によって生じたことはまぎれもない事実である。それを数量要因、価格要因(更には為替要因、燃料価格要因)に分解して、数量面の貢献分はそのごく一部であると論ずるのは論理のすり替えだ。そもそも全停止がなければ化石燃料の輸入増は不要だったのであり、負担しなくても良いコストであった。むしろアベノミクスにより円安が進み、化石燃料価格も上昇しており、化石燃料輸入国にとって不利な材料がある中でも電力安定供給のために輸入せざるを得なかったという事実を重視すべきである。再稼働前に重大事故を想定した訓練を行う川内原発の作業員ら=7月27日午前、鹿児島県薩摩川内市(代表撮影) 「石油価格も低下しているのだから、再稼動によって節約できる費用はわずかである」という議論も理解に苦しむ。天然ガスの輸入量は2010年度の7000万トンから2013年度には8700万トンに約25%増大した。再稼動によってその増分を少しでも減らすことができれば、化石燃料価格が低下しているとしても、経済的メリットが発生することは自明である。「再稼動で貿易赤字が解消する」というのは間違っているが、価格低下により節約額が目減りしたからといって、貿易赤字を構成している諸要因を緩和できるオプションを放棄せよということなのだろうか?しかもこの議論の決定的な落とし穴は化石燃料価格の低下を所与のものとしていることだ。昨年から生じた原油価格の低下が今後も続くと誰が保証できるのだろう。既に原油価格低下に底打ち感も出てきている。また中東を含め、日本への石油供給ルートでクライシスが生じないと誰が保証できるのだろう。日本の天然ガス輸入価格は原油価格とリンクしており、原油価格が上昇すれば間違いなく天然ガス輸入価格も上昇することになる。「再稼動で節約できる費用はわずかだ」という議論は、化石燃料の輸入増が国富流出のみならず、エネルギーセキュリティ上の問題でもあることを矮小化している。 「原発の発電コストは上がっているのだから、再稼動の経済効果はむしろマイナス」という議論は更に理解に苦しむ。確かに原子力の発電コストは総合資源エネルギー調査会発電コスト検証グループが行った試算では、原子力に追加的安全対策、廃炉費用、事故対策費用、再処理費用等を上積みし、更にそれぞれのコストを倍増する感度分析も行ったが、2014年、2030年いずれの断面で見ても、発電量の膨大な原子力の発電コストは依然として化石燃料火力よりも低い。しかもこのコスト比較はモデルプラントによるものであり、既設の原発が再稼動されることになれば、そのコストは更に低いものになる。したがって原発再稼動の経済的効果としては、化石燃料輸入代替効果と、以前より上昇したとはいえ、依然、化石燃料火力よりも、そして当然ながら再生可能エネルギーよりも発電コストが低いことによる電力コスト節約効果がある。http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/cost_wg/pdf/cost_wg... しかし一番理解できないのは、温暖化防止が必要という立場に立っていながら、再稼動には反対というロジックだ。上記の「再稼動の経済的メリットはマイナス」を主張された方は、他方で「温暖化防止のために再生可能エネルギーを推進すべき」との立場を取っておられる。再生可能エネルギーを推進する論者は、例外なく、温暖化対策のみならず、将来の化石燃料輸入依存の低下、燃料費節約効果への貢献を指摘している。現在はコストが高いが、将来の化石燃料価格上昇のことを考えれば、現在のコストを将来のコスト節約で相殺できるというロジックだ。しかし、化石燃料価格の低下を理由に、再稼動の経済的メリットを否定するのであれば、原子力よりもはるかにコスト高の再生可能エネルギーを推進する経済的理由など皆無になる。それとも原子力を論ずるときと再生可能エネルギーを論ずるときで化石燃料価格の想定を変えているのであろうか。だとすればダブルスタンダードに他ならない。 ・・・・というような反論をしたところ、それに対する直接の答はなく、「原子力は安全性に問題があり、事故があれば日本はおしまい。再生可能エネルギーは温暖化対策、化石燃料枯渇のためにコスト高でも導入すべき」という、よく聞かれる意見が返ってきた。「化石燃料が枯渇するというならば、化石燃料価格は上昇するはずであり、原発全停止の国富流出効果や再稼動の経済的メリットを否定する議論と矛盾するはずなのだが・・・・」と思いつつ、こうなると冒頭の水掛け論になってしまうので、丁重に議論を打ち切らせていただいた。 ロンドンに身をおいて日本でのエネルギー政策議論を見ていると、エネルギー安全保障、エネルギーコストの低減、温室効果ガス低減という、往々にして両立の難しい政策目的を実施するために、再生可能エネルギー、原子力を含め、いろいろな手段を組み合わせるという発想ではなく、原子力を手段から排除するということが自己目的化しているような議論がしばしば目につく。燃料価格上昇を理由に原発全停止の影響を小さく見せる一方で、原油価格低下を理由に再稼動のメリットを否定するという珍妙な議論も、脱原発から全ての議論が始まるからであろう。日本で再生可能エネルギー推進を唱える人々の間で「原子力をやめて再生可能エネルギーに」という議論がしばしば見られることは残念なことだ。ちなみに原子力オプションを支持する論者に再生可能エネルギー不要論を唱える人はいない(少なくとも私は承知していない)。本来、どちらも化石燃料依存を低下させ、温室効果ガス削減にも役立つ技術なのに、どうして両方使おうという発想ができないのだろうか。 脱原発がある種の宗教になっているドイツでは望むべくもないのかもしれないが、英国には「パンドラの約束」製作に関与したマーク・ライナースや、元英国グリーンピース事務局長のスティーブン・ティンダールのように「温暖化対策のためには再生可能エネルギーだけではなく原子力も必要」という環境関係者がいる。そういう議論は日本では望めないのであろうか。

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    福島から何を学んだのか 当事者意識欠く再稼働議論を憂う

     8月11日、川内原発が再稼働された。約2年ぶりの再稼働である。 原発のコスト、安全性についてはここでは論じない。専門家でも意見が分かれる問題だ。おそらく、誰も本当のところがわからないのだろう。私のような素人が、したり顔で解説しても意味がない。 再稼働反対派、および多くのメディアは「十分な避難計画と避難訓練がない」ことを問題視している。そして政府に対して、再稼働の中止を求めている。 確かに、もっともらしい意見に聞こえる。ただ、これでいいのだろうか。 政府が十分な避難計画を立て、避難訓練の機会を提供すれば、原発災害への備えは十分なのだろうか。そもそも、十分な避難計画や避難訓練とは何だろうか。 私はこのような議論を聞いていて、当事者意識が欠けていると感じる。それは実際に原発事故が起こった場合、政府が出来ることには限界があるからだ。これこそ福島の教訓だと思う。 例えば、福島では、事故発生後、相当時間が経つまで、誰も正確な状況を掴めなかった。政府はとりあえず、原発から20キロ圏内に避難指示、30キロ圏内に屋内退避指示を出したが、この判断は不適切だった。 もっとも汚染された地区の一つに、原発30キロ圏外の飯舘村が含まれる。汚染は原発からの距離より、事故当時の風向きや天候が影響するからだ。結果論だが、政府の指示に従わず、独自の判断で避難した人が被曝を避けたことになる。結局、誰も被害を予想できなかった。 結果的に政府の対応は不適切だった。ただ、これは政府が意図的にやったわけでも、怠慢だったわけでもない。原発事故後の現地の状況は流動的で、現場から遠く離れた霞ヶ関や県庁の人には原理的に分からないのだ。 私が福島で活動して感じるのは、現地の人はマスコミが報じるほど、政府を信頼していないし、あてにもしていない。誰もが「実力がある人」を頼ろうとし、結果的にはそれが正しいことが多い。相馬市の立谷秀清市長 例えば震災直後、南相馬市の医療機関の経営者の中には、隣町の相馬市の立谷秀清市長にサポートを依頼した人が少なくなかった。 立谷氏は実力がある政治家だが、同時に臨床医・病院経営者でもある。政府や県庁の役人よりも、現場の問題点を把握していた。 例えば、政府からの支援が公立病院や避難所に偏る中、取り残された民間の医療機関・介護機関を重点的にケアした。この中には、立谷氏自身が経営する病院・介護施設も含まれる(そもそも相馬市の大病院は立谷市長が責任者を務める公立病院と、彼が理事長を務める民間病院しかない)。 相馬地方で津波被害を受けた地域は、基本的に国道6号線の海側にある。この地域に住んでいるのは、主に漁業・農業・観光業の関係者だ。行政機関、学校、病院などは、国道6号より山側に位置し、津波被害を受けていない。震災後、国道6号や平行に走る高速道路が津波を食い止める防波堤の役割を果たしたためだ。江戸時代初期にこの地方を襲った慶長・元和の大津波からの復興のとき、ときの当主相馬義胤が山側、つまり現在の国道6号の山側への移転を推奨したと言われている。 このため、震災直後、多くの医療機関や介護施設は通常通り営業した。ところが津波被害などで出勤できない職員がいたため、業務は困難を極めた。立谷氏はこのことを熟知しており、ボランティアでやってきた医師を、このような施設に配置した。現地を知り尽くした立谷氏ならではの対応だ。『相馬市老健施設体験記』岩本修一(都立墨東病院麻酔科後期研修医)http://medg.jp/mt/?p=1326 立谷氏の活躍はこれだけではない。震災当時に立谷氏が下した指示の中には「棺桶と空き部屋の確保」だった。3月12日の朝までには旧知のネットワークを使い、確保出来たという。 立谷氏は「この地域は山と海に囲まれて平地が狭い。空き家も多くない。双葉郡からの避難者、特に看護師などの復興に必要な専門家を受け入れるための住居を確保する必要があった」と言う。 私たちが東日本大震災以降、相馬市内での活動の拠点としている「星槎寮」も、立谷市長が空室となっていたアパートを確保したものだ。東日本大震災以降、坪倉正治医師をはじめ、現地で活動を続けている医師の多くが、ここを住処、あるいは活動の拠点としている。『相馬の星槎寮』細田満和子(星槎大学副学長)http://medg.jp/mt/?p=1978 これが原発災害後の被災地の実情である。結局、原発事故が起こったら、地元の人が頑張るしかない。 物資の補給、自衛隊などの派遣、さらに復興予算措置など、政府の対策が比較的画一的であることと対照的に、現地では「あの寝たきりのお婆さんを避難させるべきか」、「いつ、どこから、どのようなルートで避難させるべきか」など、きめ細かい対応が求められるからだ。それが出来るのは、現地に精通した人々だけだ。 相馬市の場合、それは立谷市長がリードする相馬市役所だった。ではなぜ、このような人材がでてきたのだろう。それは、この地域の歴史と深く関わっている。 立谷という姓は、福島県浜通りと宮城県南部に多い。ルーツは相馬郡立谷村だという。そして、その祖は桓武平氏の流れを汲む千葉氏に仕えたという。千葉氏は、常胤(1118-1201)の時代に躍進する。石橋山の合戦で敗れ、安房に逃れた源頼朝に加勢し、鎌倉幕府の大御家人となったからだ。 その後、常胤(1118-1201年)の次男である師常(1139-1205)は、現在の千葉県松戸から我孫子にかけての相馬御厨(荘園)を相続し、相馬氏と称した。1323年、一族の相続争いに敗れた相馬重胤が一族郎党を引き連れ、源頼朝から領有を許されていた陸奥国行方郡(現在の相馬地方)に入った。これが陸奥相馬氏である。この頃、立谷一族も相馬地方に入っている。そして、約800年かけて相馬の土地に根付いた。 立谷家をルーツとする人々の集まりを紹介する「立谷ファミリー」のホームページによると、「江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。立谷するが分業して、『材木』『米』『雑貨』『海産物』およびその他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。」という。立谷市長の実家は、相馬市原釜地区で醸造業を営んでおり、典型的な「立谷ファミリー」だ。「立谷ファミリー」http://blog.livedoor.jp/tachiyafamily/ 廻船問屋は物資とともに情報を流通する。上意下達では生き残れず、独自で判断することが尊重される。まさに、震災後の立谷市長の行動と被ってくる。 話が随分と脇道にそれた。では、川内原発の再稼働はどうすればいいのだろうか。政府が再稼働を希望する理由はわかる。多くの知識人が反対するのも理解できる。 このような状況で、私が重視すべきだと思うのは、地元の意向だ。少子高齢化が進む多くの地方都市の将来は暗い。原発を再稼働することで、地元経済を活性化したいと願う人がいるのは自然なことだ。 ただ、福島第一原発の経験から、原発はときに事故を起こすことが明らかだ。最新式の原発でも、その可能性はゼロにはならないだろう。東京電力福島第1原発事故で、福島県浪江町から避難した人らが暮らす仮設住宅=7月6日、福島市 では、一旦、事故が起こったときに、どうやったら被害を最小限にし、いち早く復興できるのだろうか。それは地域力に依存する。つまり、地域の人材に依存する。 その象徴が相馬市だ。原発事故被害にあった浜通り地方の中で、復興は圧倒的に速い。例えば、飯舘村の北に位置する玉野地区は高度に汚染されたが、住民は避難することなく震災前の暮らしを続けている。放射線による健康被害はなく、地元産業も復旧しつつある。政府の意向に従い、一斉に避難した地域とは対照的だ。結局、避難の是非は総合的トレードオフの判断だ。それは、当事者がすべきだし、当事者しかできない。 そのためには、判断力がある人材の存在が不可欠だ。立谷市長は「地元の生き残りは人材育成にかかっている」と言う。 つまり、原発再稼働を認めるか否かは、不慮の事故に対応できる人材を確保できるかにかかっている。そのためには教育に投資せねばならない。実は、人材育成は原発事故対策に有用なだけではない。地域再生にも結びつく。川内原発の再稼働は、このような視点も加えて議論すればどうだろうか。 もう一度、繰り返す。原発再稼働のリスクをどうヘッジするか、さらにそのリスクに対して支払われる補助金を如何に活用するか。それは原発が設置されている地元住民が考えることだ。果たして川内原発の周辺では、どのような議論がなされたのだろう。我々は彼らの議論を待ち、その判断を最優先すべきではなかろうか。

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    原発再稼働、今でしょ!

    日本の原発ゼロが2年ぶりに解消した。11日、九州電力川内原発の原子炉が起動し、東日本大震災後の新規制基準下では初の原発再稼働となった。電力の安定供給か、事故リスクか。議論は対立を増す一方だが、日本経済の再生に原発再稼働はどうしても欠かせない。やるなら今でしょ!

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    日本は絶対に原発を放棄するな

    著者 ハイポセシス(九州在住) 先日、原子力規制委員会は四国電力伊方原発3号機について、新規制基準に適合し安全審査に合格したことを示す「審査書」を正式に決定した。新規制基準に基づく審査に合格したのは、九州電力川内原発1、2号機、関西電力高浜原発3、4号機に続いてこれで3例目となった。原発が徐々に再稼働される運びとなってきていることを私は歓迎する。原子力規制委が九州電力川内原発1、2号機の事実上の「合格証」を九州電力に交付。許可証を受け取り報道陣の質問に答える九州電力の中村上席執行役員(中央)=2014年9月10日(寺河内美奈撮影) 2011年に東京電力福島第1原発事故が発生してから、日本社会の空気はいっきに「脱原発」へと向かった。だが、私は日本は半永久的に「脱原発」してはならないと考える。その理由は大きく2つある。 まず1つ目は、経済的な観点から。東日本大震災やそれに伴う各原発の停止によって、震災前は約6割だった火力発電への依存度は、震災後約9割にまで急増した。資源エネルギー庁の「エネルギー白書2014」によれば、原発分の電力量を火力発電で代替していると仮定した場合、海外に流出する燃料費は2013年度で約3.6兆円になる。2013年度の原油、液化天然ガス(LNG)、石炭などの鉱物性燃料の輸入額は約27兆円で、震災前の2010年と比べ、約10兆円、率にして約6割の増加となる。 原発が停止していることにより、各電力会社は再三にわたって電気料金を値上げし、それが家計や中小企業の懐を圧迫している。また、原発停止の影響によって2011年に貿易収支は31年ぶりの赤字に転落し、2012年にはその赤字幅が拡大、さらに2013年には過去最大となる約11.5兆円の貿易赤字を記録した。震災前の2010年と比べると18.1兆円の貿易収支の悪化となった。石油火力発電所の約8割は運転開始からすでに30年以上経っており、火力発電は現在綱渡りの状態が続いている。老朽化した火力発電所を無理矢理稼働させていることによる大気汚染も深刻な状況だ。 日本は原油の約8割、LNGの約3割を中東地域に依存しており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過して日本にやってくる。中東情勢が依然として不安定ななか、もし同海峡で偶発的な衝突が起きたら、日本は生命線を断たれたも同然となる。備蓄が6ヵ月分あるなどと悠長なことを言っている場合ではないだろう。 次に、安全保障の観点から。2014年3月にオランダ・ハーグで核安全保障サミットが開かれた。同サミットでは、日米韓の3ヵ国首脳会談にばかり注目が集まったが、サミットでは日本が数百キロにのぼるプルトニウムと高濃縮ウランをアメリカに返還するという合意もなされた。この返還の背景には、核兵器に転用できるプルトニウムなどの物質がテロリストに盗まれる懸念が世界中で高まっていることが挙げられよう。 だが、私は返還理由はそれだけではないと考える。原発再稼働が遅々として進まない日本が大量のプルトニウムを保有することにより、「日本は核保有を企図しているのではないか」という疑いの目を世界から向けられる可能性がある。現に中国は日本が大量のプルトニウムを保有していることに敏感に反応していた。返還の主な目的には、そういった疑念を振り払う意図があったのではなかろうか。 原子力の平和利用を目指し、「核燃料サイクル」政策を掲げる日本は、核を保有する五大国(国連常任理事国)以外では唯一、核兵器に転用可能なプルトニウムや高濃縮ウランの保有を日米原子力協定によって正式に認められている。日本のプルトニウムや高濃縮ウランの保有は、使用済み核燃料を再処理して利用する「核燃料サイクル」政策の実施が前提となっているため、原発が再稼働されないと保有しているプルトニウムを使用することができず、「日本は核保有を企図しているのではないか」という疑いの目を向けられるだけとなる。そのため、脱原発へ拙速に舵を切ると、日本が五大国以外で唯一認められているプルトニウムや高濃縮ウランの保有を見直される可能性がある。 高純度のプルトニウムが8キロ程度あれば核爆弾がひとつ製造できるとされている。内閣府によれば、日本が2014年末時点で国内外で保有するプルトニウムは47.8トンである。単純計算すると日本が保有するプルトニウムは核爆弾およそ6000発分に匹敵する。 核安全保障サミットで日本のプルトニウムや高濃縮ウランがアメリカに返還されることが発表されると、中国の工業情報化相は早速「歓迎」の声明を出した。このことから、中国が日本のプルトニウム保有を懸念していることは明白である。またそれは、日本の「核武装」を警戒していることからきているだろう。とするならば、日本が原発政策を維持し、プルトニウムや高濃縮ウランを保有し続けることが日本の核抑止力を高めることに直結するのだ。 日米原子力協定の有効期間は30年で、次の満期は2018年に迎える。日本が原発を放棄するという決断をした場合、日米原子力協定で認められているプルトニウム保有という特別な権利と、中国への核抑止力の保持という大きなカードを同時に失うことになる。日本は絶対に原発を放棄してはならない。 既述したように、日本は原油の約8割を中東に頼っており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過する。ホルムズ海峡通過後はマラッカ海峡を通って日本にやってくるが、超長期的に見た場合、この輸入ルートもリスクとなり得る。 中国人民解放軍は国防方針として、九州を起点に沖縄、台湾、フィリピン、マレーシアに至るラインを第一列島線とし、伊豆諸島を起点に、小笠原、サイパン、パプアニューギニアに至るラインを第二列島線として、それら地域の制海権確保を目論んでいる。日本の原油輸入は、マラッカ海峡通過後、中国が勝手に指定している第一列島線を通るため、この地域で中国の海上覇権が確立すると、日本の存立を脅かす事態になる。そんな時に、現在と同じように電力の約9割を火力発電で賄っていたら、中国は日本の生殺与奪の権を握ったも同然となる。中国が日本のシーレーンを封鎖し、化石燃料の輸入をストップさせれば、まさに戦前のABCD包囲陣の二の舞といえる状況になる。「備蓄が6ヵ月分ある」などと呑気なことを言っている場合ではないだろう。 2013年4月、共同通信は中国が発表した国防白書に、核兵器を相手より先に使用しないとする“核の先制不使用”が“明記されていない”ことを報じた。これは、中国が場合によっては核の先制使用すら辞さないという態度を暗に示したとも言えるだろう。 中国は1964年の東京オリンピックに参加せず、また、それを隠れ蓑にして五輪開催中に核実験をし、核保有を開始した国である。中国共産党による一党独裁が未だに続き、少数民族への弾圧もやめる気配がない。日本やアメリカと価値観を共有する国ではけっしてない。そういう国が近くにあり、かつその国が核を大量に保有している以上、核武装ができない日本は原発の維持によって核の抑止力を高めていくしかない。 もし万が一、経済面で原発が必要なくなったとしても、安全保障面(特に核抑止力の観点)を考えれば原発は半永久的に日本に必要だ。 加えて、その時の空気によって拙速に「原発ゼロ」へと舵を切ることの恐さや、「原発ゼロ」を決めた場合、原発の廃炉作業にあたる次世代の人材はちゃんと育つのか、大学で若者は原子力を専攻しなくなるのではないか、といった懸念も拭えない。 以上のことから、現実的、合理的に考えて原発を手放すことは得策ではなく、また、核抑止力の観点から見れば、例え1基だけでもいいから日本は原発を半永久的に保持しておくべきである。政府には現実に即した原発政策を期待したい。

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    これ以上の電力料金アップは避けたい ドイツの脱原発はマジック

    上がることが心配されている。コストについてどのような議論があったのかA:電源構成のバランスからみて、原発はどれくらい必要かという中で20~22%という数字になった。いまある原発原発の寿命が40年という説を踏襲すればよいという考えの人がいるが、そうすると原発比率は15%程度にしかならず、足りない。これを再生エネルギーで埋めようとすると、1%当たり年間2180億円余分にかかるので合計で1兆数千億円の負担増になる。CO2は増やしたくないので、一番の「逃げ道」はコストになる。委員の中には「コストはいくら掛かってもよい」という人がいるが、これ以上、電力コストが上がったら国民の省エネ意欲がそがれる。省エネについてはエネルギーミックスの外数として、70年代の石油危機の後と同じレベルのチャレンジングな目標を前提にしている。最も大事な省エネが進まなくなると、CO2が増えてコストも上がるという最悪のパターンになる恐れがある。【図1】2013年度と30年度の電力コストの比較 (出所)資源エネルギー庁 大震災以降、家庭用電力料金は2割上がり、産業用はドイツと並んで一番高くなり、産業界から悲鳴が上がっている。電力コストが過度に高くなれば、海外に工場を作った方がいいとなって、国内の設備投資意欲をそぐ。そうすると、省エネ技術も進歩しない。電力コストは省エネと密接に絡んでいるので、少なくとも現状以上の電力コストアップは抑えたい。Q:日本は既にかなり省エネをやってきたが、さらなる省エネは可能かA:コマツの石川県にある工場は、電力7割減、生産効率2割向上で、電力購入費を生産量当たり9割減らすことができた。40年以上たった古い工場でも問題ないと考えていたが、東日本大震災の後に見直したら、工場を一から建て直した方がはるかにいいことが分かった。省エネは国全体でもまだまだできる余地がある。そのためには白紙からの省エネ投資をさせる気持ちにさせなければならない。この時に電力コストをこれ以上上げたら省エネの意欲が起こらなくなると私が言ったら、「再生エネルギーもあるし国民は電力コスト上昇を受け入れますよ」という意見があった。ではドイツの例を見てほしい。ドイツ国民は再生エネルギーの利用を促進するために、最初は電力料金の値上げを受け入れたが、料金が高くなりすぎたため、料金値上げに大反対が起きている。日本では一般国民よりも産業界の方が問題で、委員の方に「電力コストは逃げられない問題だ」と理解してもらうのが難儀だった。Q:原発のコストをどうみるかA:福島原発のような事故は二度と起こしてはならないし、もう一度起こると、それこそコスト比較の問題ではなくなる。原発は一度事故が起きるとものすごく大きなお金がかかるので、「原発は安くない」と言う人もいるが、この一時コストを含めて発電する電力量当たりのコストはそれほど大きくはない。心理的には高くつくように思えるが、単純に数字の比較だけなら再生エネルギーを増やす方が高くつく。いま再生エネルギー買い取り制度(FIT)で認められているものだけでも、すべて実行されると1年で3兆円近い出費になる。Q:原発の「安全神話」が蘇ろうとしているがA:原発を再稼働させるときに、「100%安全」でないと地元住民は納得しないという人もいるが、どれだけ安全でも「絶対安全」はあり得ない。「絶対安全」という「安全神話」が蘇ってきているのはおかしい。日本では100%かゼロかという議論が多過ぎる。現時点で最良のものを選択し、より良い技術が出てきたら改良するからリスクをとって稼働する、という考え方がないと、これからも新しい技術や知恵が出ても、今のもので安全といったではないかとなってしまう。Q:ドイツが再生エネルギーで成功したといわれているがA:ドイツは現在9基の原発を動かしているが、2022~23年を脱原発の期限にしている。ドイツは再生エネルギーで成功したといわれているが、マジックがある。北部では風力発電などを盛んにしているが、一方で自動車など電気を多く使う産業は南部に集積している。北部で発電した電気を4つの送電網で南部に送ろうとしたが、送電ルートになる周辺住民の反対でひとつもできてない。このため、どうなっているかといえば、北部で発電した電力を隣国チェコに売り、代わりにチェコがCO2の多く出る石炭火力や原発で発電した安い電気を南部の工業地帯に送っている。ドイツは見た目は再生エネルギーを多く利用してCO2排出量を抑えているように見えるが、実際にはチェコが代わりに排出している面もある。ドイツの再生エネルギー政策は形骸化しているが、なお再生エネルギーを増やそうとするのは、そうしないと選挙に勝てないからだとも言われている。【図2】電力構成(総発電電力量12780億kwh)【図3】電力構成(総発電電力量10650億kwh)(出所)資源エネルギー庁石炭火力の新規計画について環境相が「ノー」を突きつけたが…?Q:石炭火力の新規計画について望月義夫環境大臣が「ノー」を突きつけたがA:原発の停止以降、全国に小規模の石炭火力発電がどんどん作られようとしている。最新技術を使った石炭火力への投資ならCO2排出量が少ないから良いが、一般の人が電力自由化を当て込んで作ろうとしている石炭火力はCO2を増やすことになる。私には個別事例の評価はできないが、全体論として環境大臣の指摘はもっともだと思う。Q:政府は30年度の温暖化ガス排出量を13年比で26%削減する目標を決定し、今年の12月にパリで開かれる国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)に提出するがA:26%という数字は、省エネ期待によるものが大きいが、この数字は1次エネルギーでみた場合で、電力でみると35%の削減になる。これは国際的にみても恥ずかしい数字ではない。これまで日本はCOPなどの国際会議の場でも「まず削減率の数字ありき」で目標を出してきたが、同じ過ちを繰り返してはならない。民主党政権下の2009年、鳩山由紀夫元首相は「2020年までに温暖化ガス排出量を1990年比で25%削減」という国際的な公約を掲げた。東日本大震災の前で原発の拡大というカードが残されており、政府は原発比率を50%とするエネルギー基本計画を打ち出したが、今やこの前提は非現実的なものとなった。今回は年末のCOP会議の前に数字を積み上げたことを踏まえて温暖化ガスの削減目標が出せたのはよかった。 年末の会議もこれまでのCOP議論と同じように、悪いのはこれまで成長のために温暖化ガスを排出してきた先進国だから、先進国は途上国に対して環境対策に必要なカネを出せということになるのではないか。国際会議ではCO2削減目標などをめぐって先進国と途上国の間でもめるので、先進国と途上国は断ち切って議論すべきだ。途上国とは、先進国との2国間で排出量の削減を相互にオフセットできるCDM(クリーン開発メカニズム)スキームをより効果的に見直しを進めることで世界のCO2削減ができる。 コマツが2009年にインドネシアの代理店と石炭鉱山のお客と、鉱山の埋め戻しをした跡地にジャトロファを植林し、それを原料にバイオディーゼルを使えるプロジェクトを立ち上げた。鉱山で稼働する100台のダンプにバイオディーゼルを使用しCO2を減らすことが目的だが、これをCDMで認めてくれるように国連に申請しようとしたところ「今回のスキームが経済的に合うというのであれば、通常の営業活動で行えばよい」と言われた。国連の言い分は「経済的に持ち出しになるようなスキームなら、CDMとして認める」というもので、あきらめざるを得なかった。日本の環境技術を使って世界のCO2が削減でき、さらに経済的にも合うのであれば良いこと尽くめではないかと思うのだが、国連の言い分は「経済的に持ち出しになるようなスキームでなければCDMとして認められない」というおかしな理屈だ。仮に、このようなスキームが認められなくても、日本の技術を使って2国間同士でやればいいと、経団連を通じて主張してきた。日本はインドネシアなど既に十数カ国と2国間クレジット制度に関する二国間文書に署名している。日本こそそういった世界のCO2を削減する具体的活動に重点を置くべきである。Q:削減排出量を比較する際の基準となる年を何時にするかによって変わってくるが【図4】温室効果ガス排出実績の国際比較(2012年)(出所)資源エネルギー庁A:基準年の話の前に、日本は欧州連合(EU)と競うようにして削減目標を決めてきたが、これも繰り返してはならない。大小様々な経済規模の28カ国からなるEUと日本1国が同じ土俵で議論するのは間違っている。ベンチマークは国とすべきだ。 基準年については、EUは東西ドイツの統合があった1990年で比較すると有利だから、いまだに90年比較を持ち出したがる。京都議定書の第一約束期間が2012年に終わって13年からは第二期間に入ったのだから、これからは直近の実績データをもとに、13年をベースに削減目標をつくるべきだろう。13年は大震災後で日本の排出量が多くなった時だから、これを発射台(比較年次)にすると日本にとっては有利になる。だが、これは日本が削減数字をごまかそうとしているのではない。GDP当たりや、1人当たりのCO2排出量の少なさでは、原発中心のフランスは別格として、日本のレベルは米国よりは圧倒的に優れており、同じく世界最高水準にあるドイツにも決して劣ってはいないのだから、堂々としていればよい。日本の交渉団には国際会議の舞台でほかの国をギャフンと言わせるくらいの説得力をもって交渉してほしい。さかね・まさひろ 1941年生まれ。島根県出身。63年に小松製作所に入社、01年に社長、07年に会長を経て、13年6月から相談役。10年から14年まで経団連副会長、14年まで経団連の環境安全員会の委員長を務め、エネルギー、環境問題に詳しい。14年から総合資源エネルギー調査会会長。なかにし・とおる 経済ジャーナリスト。1948年岡山県生まれ。1972年共同通信社に入社、経済分野を取材し編集委員などを経て2010年に退職し、現在は経済ジャーナリスト。

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    原発再稼働、今でしょ!

    ければ経済成長どころか、日常生活すらまともに送ることはできない。 2つ目の問題は国民負担だ。福島第一原発の事故から1年足らずで日本の原発はほぼ停止した。例外的に稼働していた大飯原発が2013年の9月から定期点検に入り、再稼働できないままである。つい最近まで日本で稼働している原子炉はゼロだった。 再生可能エネルギーによる発電量は極めて小さい。そんな中で原発を止めてしまったということは、必然的に日本は火力発電によって電力を賄わざるを得ない状態に追い込まれている。火力発電の構成比は約65%から約85%に増加している。その結果、LNG、石油、石炭などの燃料代が3.7兆円増加してしまった。しかも、エネルギー価格は乱高下している。最終的にこの増加分は利用者が負担しなければならない。出典:経済産業省原子力小委員会http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/denkijigyou/genshiryoku/pdf/008_s02_00.pdf 電気代の高騰は消費税の増税と同じく、私たちの財布の中から無理やりお金を奪っていく。そのお金は産油国に届けられる。もし、原発が稼働したとしたら、この3.7兆円は別の目的に支出することができた。これが3つ目の問題だ。 さらに言うなら、原発停止がむしろ再生エネルギーの実用化を妨げている。なぜなら、もし原発が再稼働していれば、3.7兆円分の予算は様々な目的で支出することができた。大半は電気代を下げることに使われたとしても、その一部を再生エネルギーの実用化に向けた研究費として支出するという選択もある。 現在、全く使い物にならない風力や太陽光による発電だが、長期的に研究開発を進めるための資金として浮いた燃料代を使ってみてはどうだろう。電力会社直接出資して、再生エネルギー専門の投資会社を作り、民間で知恵を出す人のスタートアップを支援するといった方法も考えられる。再生エネルギーの推進と産業振興、そして投資リスクの分散や民間から大量のアイデアを集めて絞り込むといった一石三鳥、四鳥の効果が見込めるのではないだろうか。 では、最後に原発の最大のリスクである放射能について触れておきたい。私はこの問題について誰よりも語る権利を持っている。なぜなら、私は「ヒバクシャ」だからである。 まだ私が母の胎内にいた1968年、私の母は大量の死の灰をかぶった。体内に取り込んだセシウム137は約100ベクレル。放射能で汚染された胎内で育った私は、翌1969年に生まれた。もちろん、赤ん坊だった私の周りにも大量の放射性物質が降り注ぎ、それを大量に摂取している。放射性物質のフォールアウトは私が小学校5年生になるまで止むことはなかった。 1963年から1980年まで支那共産党は公式には46回、実際には50回以上にわたる核実験を続けてきた。この時に大量の放射性物質を含む塵が大気中に巻き上げられ、偏西風に乗って日本に振ってきた。当時、この件で反核運動の活動家たちが毛沢東に抗議したという話は聞いたことがない。リンク先のグラフをご覧いただきたい。これは日本国内で観測されたストロンチウム90のフォールアウトを表したグラフだ。 1963年から1980年までに生まれた日本人は例外なく私と同じ「ヒバクシャ」である。ストロンチウム90のフォールアウトだけで比較すれば、その汚染の程度は福島第一原発の事故とは比較にならないぐらい深刻なものだった。もし、「原発事故でガンが増える」という話が正しいなら、それ以上に大量の放射線を浴びた私と同年代の日本人は相当なガン発生リスクに晒されていることになる。ならば祖父の世代にくらべてさぞかしガンによる死亡率が高いはずだ。 しかし、ここに不都合な真実がある。40代日本人のガンによる死亡率は激減している。あれほど放射能が含まれた死の灰を浴びたにも関わらず、10万人当たりの死亡者数は祖父の世代のほぼ3分の1なってしまった。なぜ、そんなことが起こるのか? 実は我々が考えている以上に人間は放射能に強いのだ。 放射線を大量に浴びることによって、人間の細胞の中にあるDNAに傷がつく。もし、この傷が修復されなければその細胞はガンになる。しかし、人間の体にはDNAの傷を修復する能力が備わっている。つまり、放射線によってDNA傷がつくスピードより、その傷を修復するスピードの方が遅ければガンが発生し、その反対の場合はガンが発生しない。私と同世代の日本人が自らの肉体を人体実験に供して証明したことは、今回の原発事故の何倍もの放射線を浴びても、人間の体はそれを十分に修復する能力があるということだ。 これらの事実を総合すると、原発は世間で喧伝されるほど危険なものではなく、あらゆる可能性を想定してもそのコストは限定的だ。しかも、エネルギー源の分散という点で、エネルギー安全保障上のメリットもある。 いま電力会社の発電容量はほぼ限界に達し、老朽化したポンコツの火力発電所を無理やり動かして何とか乗り切っている。しかも、これら老朽火力を止められないため、定期点検を延期して回し続けるという危険な状態が続いているのだ。夏のピーク時に故障が頻発すれば、たちまち停電などの問題が発生する。そうならないための分散投資、それがエネルギーミックスなのだ。 何も原発で100%電力を賄う必要はない。水力、火力、原子力、その他の発電方式も含めてエネルギーのベストミックスを進めていけばいいのだ。そもそも、脱原発を前提としたエネルギー源のポートフォリオは、単に火力発電への依存を強めることに他ならない。しかし、それでは化石燃料への過度の依存を作りだすだけであり、エネルギー安全保障の観点からは大いに問題がある。 そういう意味で今回の川内原発の再稼働の意義は大きい。やっと日本のエネルギー政策の正常化に向けた動きが始まった。今後の展開に期待したい。