検索ワード:反日/57件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    『帝国の慰安婦』問題に見る韓国の異常な言論空間

    、正直言って、恐ろしく野蛮だと感じた。言論の自由という自由民主主義国家の最低限の条件すら、無視して「反日」を優先する韓国とは、冷静な議論が出来ない。そう思わざるを得なかった。別にこちらが議論を拒んでいるわけではない。韓国には議論のための土台である言論の自由が存在しないのだ。公判準備手続きのためソウル東部地裁に入る朴裕河教授=1月29日(共同) 加藤氏の手記だけでそう確信させるに十分だろうが、『帝国の慰安婦』を巡る韓国の騒動を眺めていても、やはり異常だと思わざるをえない。 『帝国の慰安婦』を執筆した朴裕河教授は、韓国を貶め、日本を過剰に賛美するような人物ではない。「慰安婦」の存在が、日韓であまりにもかけ離れて偶像化されていることを批判しているのだ。韓国では悲劇的な「性奴隷」とされ、日本の右派からは単なる「売春婦」とされた「慰安婦」の実情とは、どのような存在だったのかを探り、そうした慰安婦が存在した構造を探ろうという試みこそが『帝国の慰安婦』の執筆の意図だろう。 日韓で引き裂かれ、偶像化された「慰安婦像」のそれぞれについて、それらは虚像であると主張しているのだから、決して単純な「親日派」というわけではない。むしろ、日本の保守派が読めば怒りだすであろうような記述も少なくない。 例えば、朴教授は指摘している。 「数百万人の軍人の性欲を満足させられる数の『軍専用慰安婦』を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある」(『帝国の慰安婦』32頁) 彼女は決して日本軍、そして大日本帝国が無謬であったと主張しているのではない。 だが、韓国側が主張も極端だとして、韓国人が触れたくない事実も指摘している。 例えば、次の指摘だ。 「朝鮮の貧しい女性たちを戦場へ連れていったのは、主に朝鮮人や日本人の業者だった」(前掲書、28頁)「挺身隊や慰安婦の動員に朝鮮人が深く介入したことは長い間看過されてきた」(前掲書、49頁) 要するに、『帝国の慰安婦』は、日韓の極端な「慰安婦像」を問い直し、本来、「慰安婦」とはいかなる存在であり、そうした慰安婦を生み出した構造を問うという内容の本なのだが、こうした研究が韓国では禁忌とされたようだ。 朴教授を元慰安婦の女性たちが名誉棄損で訴え、ソウル東部地裁は1月13日9000万ウォンの支払いを命じる判決を言い渡した。そして2月には、給与の差し押さえが認められたという。 慰安婦とはいかなる存在であったのかを虚心坦懐に研究しようという試みそのものが名誉棄損とされてしまうという野蛮。 慰安婦問題の真の解決を妨げているのは、日韓のいずれの国家なのか。それは火を見るより明らかではないだろうか。 韓国の言論空間が成熟しない限り、この問題が解決することはない。(「岩田温の備忘録」より2015年2月23日分を転載)

  • Thumbnail

    テーマ

    「なぜ私は韓国に勝てたか」をどう読んだか

    産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の手記「なぜ私は韓国に勝てたか-朴槿恵政権との500日戦争」は1月末の発売以来4刷を重ね、版元である産経新聞出版には約10日間で200通を超える読者の感想が届いています。その中には、本書に登場する「ある人物」に対する意見が予想外に多く含まれていました。

  • Thumbnail

    記事

    韓国によるいじめを生き抜く 孤独な日本人の戦いの記録

    歴史認識のテーマで日本いじめを開始。2000年代になると、政府とメディアと市民運動が三位一体となって反日キャンペーンを展開するが、ここにも相手方に対する道徳的蔑視の態度があり、弄ぶ態度がある。 この時期は韓国が経済大国になった時期であるとともに、日本が経済的に落ち目になった時期であり、韓国はいつになく自信満々だった。そして近年、いじめの主要な標的となっているのは安倍晋三首相であり、彼には「極右」や「軍国主義者」という烙印が押され、その道徳的劣等性は国内のみならず国外でも語られるのである。 だが、安倍晋三は憎くても、韓国にいるわけではないから直接打撃を加えることはできない。しかし、ここには便利な代替物があって、ソウルに支局をもつ産経新聞は、「慰安婦強制連行説」にもっとも従順ではないメディアであり、「嫌韓メディア」であるともされる。今回、狙われたのはそのソウル支局長をつとめて3年ほどになる加藤達也氏であった。加藤達也前支局長の判決を報じる地元テレビ=2015年12月17日、韓国・ソウル駅(大西正純撮影) 加藤氏は2014年4月16日、自社のインターネットサイトにコラムを出稿。300人以上の犠牲者を出したあのフェリー転覆事故直後、韓国の大統領がどこでなにをしていたのかについて、韓国紙「朝鮮日報」の記事等を引用、レポートを作成したのだが、それに大統領府が「民事・刑事上の責任を問う」として脅しをかけ、それに呼応するかのように、右翼団体が告発状を提出・受理され、3回の事情聴取を経て、やがて韓国検察は、大統領等の名誉を傷つけたとして起訴したのである。 だが、この程度のレポートで、国家権力が外国人記者を訴追するというのは異常であり非常識ではないか。引用元になった「朝鮮日報」記者にはお咎(とが)めなしというのもいかにも公平さに欠ける。にもかかわらず、加藤氏が狙われたのはなぜなのか。産経新聞に対する偏見やステレオタイプの問題産経新聞に対する偏見やステレオタイプの問題 そんなことは『なぜ私は韓国に勝てたか』を読むとよく分かるが、多分、重要なのは、韓国社会には産経新聞に対する「極右」とか「軍国主義者」という偏見やステレオタイプがあって、この偏見やステレオタイプこそがいじめを生みだしているのである。産経新聞を「とっちめてやろう」という悪意は以前からあったし、そんな嫌がらせもあった。加藤達也氏は、幸か不幸か、この社会ではまことにヴァルナラビリティ(攻撃誘発性)の高い職場に特派員として赴任してきたのだが、この人には明晰に文を書くという才能があって、当然なことだが、韓国に批判的なことも書く。おそらく彼は目をつけられていたのであり、「狙い撃ち」されたのであり、脅したり、すかしたりすれば、そのうち謝罪するに違いないと彼らは考えたのであろう。彼は生贄(いけにえ)に供されたのである。しかし彼はそれに立ち向かうことを選択したのである。 日本人であるゆえに韓国で理不尽な扱いを受けた日本人というのはときどきいるし、そんなエッセイもある。しかし、本書は韓国劇場の被告席に立たされながらも、被告席に立たされているのは本当は韓国ではないのかという信念をもち続けた男の体験記であり、そんな体験をした日本人は加藤氏がほとんど初めてなのだから、それだけでも本書は注目に値するが、この本にはそれ以上の価値がある。 この本は韓国人にとっては、自国の政権や司法やメディアが外部の目にどのように映じているのかを知ることのできる本であり、また日本人にとっては、隣国を知るよき手引書になると同時に、韓国人との交流で注意すべきこととはなにかを教えてくれる本でもある。 「いじめ」の視点でいうなら、この本は「いじめ」というものが、いじめる人やその社会をも下品にするのだということを教えてくれる本であり、また日本人には、韓国人との関係でいじめにあったときどのように対応すればよいのかを教えてくれる本でもある。 それにしても、韓国における日本人の戦いは孤独なのだなと思う。むろん加藤氏の戦いには、家族や会社や母国からの支援があり、「国境なき記者団」のような国際世論からの支援があり、また身近にいる韓国の知人や隣人たちからの声援もあった。 しかし、それでも韓国劇場での戦いにおいて、加藤氏に連帯して戦う韓国人の姿が見えてこなかったのは寂しい。これは加藤氏の力不足や責任の問題ではない。韓国は単に反日国家であるというだけではなく、文字通りの「民族国家」(ethnic state)に近い国であり、したがって日本人が韓国で韓国の政権やメディアや司法を相手にする戦いは、はじめから孤独な戦いを強いられるのである。 「朴槿蕙政権との500日戦争」は加藤氏に恐怖や疑念や混乱や誘惑との葛藤の日々を強いたのだろうが、よくも毅然と戦ってくれたなと思う。これは称賛に価する。これが逆に、日本の法廷で戦う韓国人であったら、ここには日本の進歩派のメディアや市民団体からの支援があり、在日からの支援もあるだろう。 韓国で戦う日本人にはこれからも援軍は少ないだろう。日韓は今や歴史戦の関係にあるが、韓国人は日本に援軍をもつが、日本人は韓国に援軍をもたない。そんなことも含めて、私たちにいろいろなことを教え、考えさせてくれたこの本の著者に心からの敬意を表したい。

  • Thumbnail

    記事

    法を超越して反日を優先する 韓国は「その程度の国」

    氏のみであり、『朝鮮日報』の記者は訴えられていない。 加藤氏を起訴したというこの事件の問題の核心は、反日のための行為であれば許される、反日行為は法を越えてでも許されるべきだという異常な論理が韓国には存在していることだ。仮に、加藤氏の記事が名誉棄損に相当するというのであれば、『朝鮮日報』の記事も名誉棄損で訴えられるべき記事だということになろう。 裁判で加藤氏を告発した人物が問われる。 「具体的にどの部分が朴大統領の名誉を毀損したと思い、告発したのか」 「今ははっきり思い出せないが、覚えている部分はセウォル号事故当日7時間、鄭氏といたということ自体が問題だと思う。それ以外はよく思い出せない」 これでは、『朝鮮日報』を訴えるのが筋という話になってしまうが、『朝鮮日報』は読んでいなかったから、訴えないという。何とも、杜撰な、論理とも呼べぬ理屈で裁判を始めているのだ。 恐らく、彼らの本音は次の言葉にある。 「韓国国民の70%以上には反日感情がある。反産経も多い」(張氏の発言) 「とんでもない虚偽事実で大韓民国の大統領が非常に良からぬ男女関係で、大韓民国がその程度の水準の国だ、そのようなニュアンスの記事だと判断し、韓国国民の一人として、不快な心情を隠せなかった」(朴氏の発言) 要するに、日本が嫌いで、気分が悪かったから訴えた、ということにしか過ぎない。法とは懸け離れた個人的な反日感情で告訴が可能であるというのは、おかしな話だ。糞尿、「爆食闘争」…呆れかえる品のなさ この人物の主張を嗤わざるをえないのは、大統領の男女関係で「大韓民国がその程度の水準の国だ」と思われるのを深く憂慮しながら、全く法に基づかない反日感情によって、日本人を訴えることこそが「その程度の水準の国だ」と思われてしまうということに全く気づいていないからだ。正当な言論活動の範疇にある加藤氏の「言論の自由」を、無理矢理司直の手によって封じてしまおうとする点こそ、韓国が「その程度の水準の国」と思われる原因に他ならない。 なお、こうした裁判を応援する団体の中には、産経新聞ソウル支部に糞尿を投げつける団体もあったという。そして、驚くべきことに、この裁判で韓国の名誉を守ろうという人々の中には、セウォル号の遺族が「ハンスト」を行っている最中に、「爆食闘争」を展開した人々もいるという。「爆食闘争」とは、「ハンスト」をしている人たちの前で、ピザやチキンを大いに食べ、ビールを飲む「闘争」とのことだが、この品の無さには呆れかえる。産経新聞ソウル支局が入るビル前で、記事の訂正を求め集会を開いた韓国の保守団体メンバーら =2014年10月7日、ソウル(共同) 救いとなるのは、韓国の中にも良心のある人々が存在したことだろう。まずは加藤氏の弁護を引受けた弁護士だ。政府を敵にまわす可能性を否定できない裁判で弁護を引受けた彼は次のように語っている。 「この裁判で弁護の依頼を断り続けるようなことがあったら、韓国や韓国民が笑いものなっていた」 また、加藤氏を見て、加藤氏本人だと気付いたクリーニング店の店長は語ったという。 「外国に来てこんなにひどい目にあって大変でしょう。私は応援していますから」 店長は加藤氏に果物をくれたという。 我々が韓国という国家全体、韓国国民全体を反日一色で野蛮な人々だと断ずるのは、間違いだ。だが、法を越えてでも反日感情を優先させるべきだと思い、考え、行動する人々が一定多数存在する国家であることを忘れるも間違いだ。我々はあくまで冷静にあるべきだろう。そして、異常な主張と闘い続けた加藤氏の著作こそ、韓国とは何かを考える際の必読のテキストといってよいだろう。

  • Thumbnail

    記事

    産経・加藤達也氏 出国禁止→解除を井沢元彦氏と語り合う

     実に500日。執筆したコラム記事が「朴槿恵大統領への名誉毀損」にあたるとして起訴された産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長は、17か月にわたり法廷闘争を繰り広げた。昨年末ようやく無罪が確定したが、記者の仕事と朴政権との「500日戦争」を通じて韓国を“体感”した加藤氏は、慰安婦問題に関する日韓合意について懐疑的だ。そして、長く韓国を見てきた作家の井沢元彦氏も、「また蒸し返してくるのではないか」と懸念を示す。韓国に通じた2人が日韓関係の行方を語り合った。井沢:このたびは本当に大変でしたね。長い間、お疲れ様でした。 はじめに事件を整理させてください。韓国の大手紙・朝鮮日報がセウォル号沈没当日(2014年4月16日)、朴槿恵大統領が男性と会っていたという噂をもとに記事を掲載した。加藤さんはこの記事を引用してコラムを書いた。 しかし検察が、朴大統領への名誉毀損で起訴したのは加藤さんだけです。発端である朝鮮日報はお咎めなし。まずそこが腑に落ちません。加藤:朝鮮日報は朴政権と関係が近いから、検察としても切り分けたい思惑があったようです。もうひとつ、私のコラムを無断で韓国語に翻訳した「ニュースプロ」という媒体も同時に告発されました。これは海外メディアの朴政権批判のニュースを翻訳する韓国のネット媒体です。しかし一度家宅捜索をした後、捜査はうやむやになりました。井沢:つまり「日本人が」韓国政府を非難するのはけしからんということですね。それはあからさまな差別です。どのくらいの期間、出国禁止措置を受けていたんですか?出国禁止処分が解除され羽田空港に到着、記者の質問に答える産経新聞の加藤達也前ソウル支局長=2015年4月14日、東京・羽田空港(早坂洋祐撮影)加藤:約8か月です。はじめに出国禁止措置が出たのは2014年8月7日でした。延長が繰り返され、解除されたのは2015年4月14日です。食事の現場に監視員井沢:生活や移動は自由だったんですか。加藤:それは自由でした。が、初めの頃は明らかに監視がついていました。 実は出国禁止について韓国政府から私に対して通知がなかったんです。私は出国禁止措置が出た2日後の夜、それを知らないままソウルで日本大使館幹部と食事をしていました。チヂミなどをつまんでいると、周囲にあった3つのペアシートのうち、1組が明らかに普通のカップルではありませんでした。入れ替わり立ち替わりで、挙動がおかしい。おそらく検察当局ではなく、情報機関の人間が私の動向を把握して、大統領府に伝えていたのだと思います。 その食事の最中に日本のメディアの記者から電話がかかってきて「加藤さん、出国禁止になったとニュースで報じられているけど、本当ですか?」と聞かれて、初めてそんな事態になっていることを知りました。井沢:出国禁止を本人に伝えないとはずいぶんいい加減ですね。監視はずっと続いたのでしょうか。加藤:それもいい加減で、しばらくすると、監視が付く日があったり付かない日があったり。基準は分かりませんが、徹底されていませんでした。井沢:伝え聞いた所では、高齢のお母様をお見舞いするために出国が許されたとか。加藤:そこには韓国のお国柄を象徴する話があります。外国人特派員である私に対する出国禁止措置が出たあと、欧米のメディアは韓国の対応を激しく非難しました。井沢:表現の自由を侵しているだけでなく人道的な問題でもありますから、当然です。加藤:国際世論の高まりに、朴政権は、私という“荷物”を背負い続けるのが苦しくなってしまったんです。そして政権内で「加藤を出国させる手はないか」という動きが出てきた。しかし面子があり簡単に出国を許可できない。起訴を取り下げるなんてもってのほか。出国を許すため韓国内向けの言い訳が必要だった。 ある日、検察が私の弁護士を通して「どうしても日本に帰らなければならない事情はないか」と打診してきた。日本で仕事をしなければならないと伝えたら「その程度の理由ではダメだ」という。次に「あなたのお身内の状況は」と聞かれたので「84歳の母は、一応元気だけれども、膝が痛むことがある」というと韓国政府はうまい具合に解釈してくれました。井沢:「“悪人加藤”も母親への情は捨てがたく孝を尽くしたいと言っている。だから出国を許そう」というわけですね(笑)。韓国は親を敬う「孝」を第一とする儒教社会ですから、これなら韓国内向けにも十分な理由になる。加藤:韓国は建前を重んじて何事にももったいぶる国なんだな、と実感しました。【PROFILE】いざわ・もとひこ 1954年生まれ。週刊ポストで『逆説の日本史』を連載中。2月5日、『逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道』(小学館文庫)が発売。【PROFILE】かとう・たつや1966年生まれ。1991年産経新聞東京本社入社。社会部、外信部などを経て、2010年からソウル特派員。2011年、ソウル支局長。現在は社会部編集委員。裁判の経験を綴った『なぜ私は韓国に勝てたか』(産経新聞出版)が発売中。関連記事■ 韓国国民 何よりも恐れているのは「親日派」のレッテル貼り■ 産経支局長を起訴した韓国に外務省は売られた喧嘩を買う構え■ 韓国人作家「産経前ソウル支局長起訴で韓国は世界から嘲笑」■ 韓国社会 親日派は裏切り者としてあらゆる手段で社会的制裁■ ミランダ・カー ファン大集合の空港でおヘソが見える衣装着用

  • Thumbnail

    記事

    加藤ソウル前支局長「無罪判決」から何を学ぶか

    門田隆将 「(無罪判決は)予想できなかった」。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長(49)が、記者会見で漏らしたこの言葉が、四面楚歌の中での裁判の厳しさを表わしていた。 本日、ソウル中央地裁において、加藤氏は韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を傷つけたとして名誉毀損に問われていた刑事裁判で、「無罪判決」を勝ち取った。 私は、昨年8月から「1年4か月」にわたる、これまでの加藤氏と産経新聞の「闘い」に注目してきた一人だ。本日は、その当の産経新聞から無罪判決へのコメントを求められ、思いつくまま、感想を述べさせてもらった。 「いったい、この裁判は何だったんだろう」と私は率直に思っている。なぜなら、そもそも加藤氏のコラムは、どこにも問題を見出しようもない、つまり、最初から裁判で争われるようなものでは「全くなかった」からだ。 ことは、韓国の有力紙『朝鮮日報』が、咋年7月18日、「大統領をめぐるウワサ」と題して興味深いコラムを掲載したのが発端だ。そこには、セウォル号事件の当日、パク大統領が「7時間も所在不明」だったこと、さらに「世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」ということが書かれていたのだ。 “秘線”とは、密会する異性のことを指すのだろうが、加藤氏はこの『朝鮮日報』のコラムを引用しながら、「噂の真偽は不明だが」ときちんと断わった上で、こんな噂が流されるほどパク大統領は追い詰められており、「権力基盤が揺らいでいる」ことを指摘したのである。 加藤氏のコラムは、さまざまな点に配慮した上で書かれており、一読すれば、大統領を誹謗中傷するようなものでないことは、すぐにわかる。公人中の公人である大統領の動静をもとに、日本の読者に「韓国の政治情勢」をわかりやすく伝えたものだった。 だが、周知のように韓国は、「言論の自由」も、「報道の自由」も、およそ存在しない国である。権力者の前では、民主主義国家で共有されている、これらさまざまな基本原則が“有名無実化”されており、要は、権力者の怒りを買えば、どんなものが「名誉毀損」とされ、どんなことで「刑事責任」を追及されることになるのか、まったくわからないのである。恐ろしい国だと思う。 それも、発端になった韓国の有力紙『朝鮮日報』のコラムは不問に伏した上で、産経新聞だけを起訴したのだから、もう目茶苦茶である。 ちょうど起訴の2日前に、加藤氏は、雑誌『正論』に「性搾取大国韓国の不都合なる真実」と題して、名乗り出て訴訟沙汰になっている米軍相手の慰安婦「ヤンコンジュ(洋公主)」たちのことを記事にし、慰安婦問題で日本を批判する韓国政府を舌鋒鋭く批判していた。そのことも、パク大統領には許せなかったのかもしれない。「これは当然の判決であって、特別に感慨を抱くということはありません。公人中の公人である大統領に関する記事が気に入らないとして起訴する構図。このあり方は、近代的な民主主義国家の姿としてどうなんでしょうか。いま一度、考えてもらいたいと思います」 本日、判決後にそんな怒りの記者会見をおこなった加藤氏の気持ちはよくわかる。一方、加藤氏を起訴し、「懲役1年6か月」という求刑までおこなっていた韓国の検察当局は、最後に政権からも梯子(はしご)を外され、世界に「恥を晒した」と言える。 この事件で失墜した韓国の「国家的信用」が回復されるのは極めて難しいだろう。民主主義国家の根幹を成す「言論・表現の自由」がこの国に存在しないことは、先月、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)・世宗(セジョン)大学教授を在宅起訴して、世界を唖然とさせたことでもわかる。 起訴の理由は、驚くべきことに、「秩序の維持などのためには、言論の自由や学問の自由は制限される」というものだった。「気に入らない言論は叩きつぶす」「都合の悪い研究はやめさせる」というのが、韓国の際立った特徴であり、基本姿勢なのだ。まさに“独裁国家”である。無罪の判決を受け現地で会見に臨む加藤達也前ソウル支局長=2015年12月17日、韓国・ソウル(撮影・納冨康) 一連の出来事は、韓国が先進国と「価値観の共有」ができるような成熟した国家になるまでには、まだまだ長い歳月が必要であることを教えてくれる。 それにしても、今回の裁判は最後まで驚かされた。これまた近代国家、民主主義国家の原則である「三権分立」も韓国には「ない」ことがわかったからだ。 韓国外務省が判決を前にして、裁判所に対し、「日韓関係などを考慮し、(判決に対して)善処するよう要請した」というのである。つまり、韓国では、「司法の独立」もなく、政府が判決の中身に干渉したり、要望を出したりすることができるのである。 もともと加藤氏の起訴が、大統領の“意向”であったことは間違いなく、事件は最初から司法への政治介入から始まり、最後も政治介入で「決着させる」という極めて特異な経過を辿ったことになる。「三権分立」さえない国には、「民主主義国家とは何ぞや」と聞くことさえ憚られる思いだ。 本日、李東根(イ・ドングン)裁判長は、3時間もの判決文朗読でこう言及した。 「韓国は民主主義制度を尊重しなけければならない。憲法でも“言論の自由”が保障されている」 「外国記者に対する表現の自由を差別的には制限できない。本件も、言論の自由の保護内に含まれることは明らかだ」 「大統領の公的地位を考慮すれば、名誉毀損は認められない。私人、朴槿恵に対する誹謗目的もあったとは認めれない」 そして、「判決は、次の通りである」と前置きして、「無罪」を宣言したのである。3時間もの間、着席も許されず、立って朗読を聞き続けた加藤氏は、ついに「無罪」という言葉に辿り着いたのだ。 それは、「三権分立」もなく、最初から「有罪」という結論が決まっていた中での、まさに「予想外」の判決だった。 私は、この無罪判決は、ひとつの大きな「道」を示したと思っている。それは、加藤氏も、産経新聞も、そして官邸も、一度も韓国に譲歩せず、毅然とした姿勢を貫き通したことにある。 そして、日本政府は、あらゆるチャンネルを通じて、「この裁判がどういう意味を持っているか」を韓国に伝えてきている。一種の“脅し”である。 それは、「やれるものなら、やってみろ」という気迫が伴うものでもあっただろう。私は、一貫したこうした毅然とした姿勢が、今回の「無罪判決を生んだ」と思っている。 韓国のような国家に対して「譲歩」では何も生まれないことを日本人は知るべきだろう。それを「教えてくれた」という意味では、この裁判もそれなりの意義があったと言える。 今後、今回の国家的信用失墜に対して、韓国は長く苦しむことは間違いない。民主主義国家としての価値観が共有できない「弾圧国家」としてのレッテルが貼られた韓国は、その払拭(ふっしょく)のためには長い歳月が必要だろう。 この無罪判決で、「両国の関係は改善される」などという楽観的な観測が早くも出ている。しかし、日本側からすり寄る必要は全くない。 韓国は、民主主義国家ではないことが証明されたのだ。今後は、その“根本”に目を向けさせるために、日本は、毅然として「距離」を置き、同じ価値観を共有できるまで、じっと「待てばいい」のである。そのことを日本人は肝に銘じるべきだと、私は思う。※2015.12.17 門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」より転載。

  • Thumbnail

    記事

    裁判で苦しめられた産経記者「今後も韓国取材する?」に回答

    しました。井沢:その最大の原因であり、韓国の大きな過ちであるのが、戦後に国民を団結させるスローガンに反日を持ち出したことです。彼らは国内の矛盾を反日感情に託す。すると歴史の事実認識が違ってくる。加藤:十数年前、私は社命でソウルの延世大学で語学研修を受けました。そこで知り合った通訳志望の女子学生たちに、西大門刑務所の歴史展示館(*注)に連れて行かれました。すると、日本統治時代がいかにひどかったかという展示がされている。【*注/1908年に「京城監獄」として開所。ここで「日本統治時代に独立運動家に対し残虐な拷問を行った」と称して、拷問具や拷問の様子を模した人形などを展示している。現在はその一部が撤去されたが、今も当時の「日本の圧政」をアピールする拠点となっている】井沢:お決まりの日本人に贖罪させるツアーですね。加藤:そうなんです(苦笑)。「それを見た日本人は普通、謝罪する」というんです。「どう思いますか」と質問された私は「これを堂々と展示する根拠はなんですか?」と聞き返しました。彼女たちは「展示されている事実が真実で、実際に何が起きたかは問題ではない」というんです。驚きました。井沢:私は、自己中心的で他の文化を認めない朱子学の影響が強いと考えています。歴史的事実よりも「韓国にとってどうあるべきか」が大切だから、でたらめな展示物が成り立ってしまう。 加藤さんはそんな韓国に苦しめられましたが、これからも韓国取材をするのですか?加藤:現在は東京本社社会部に籍がありますが、社命があれば、もちろん続けるつもりです。でも、韓国には入国できないかもしれません。なにしろ出国禁止を本人に知らせない国ですから(笑)。【PROFILE】いざわ・もとひこ 1954年生まれ。週刊ポストで『逆説の日本史』を連載中。2月5日、『逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道』(小学館文庫)が発売。【PROFILE】かとう・たつや1966年生まれ。1991年産経新聞東京本社入社。社会部、外信部などを経て、2010年からソウル特派員。2011年、ソウル支局長。現在は社会部編集委員。裁判の経験を綴った『なぜ私は韓国に勝てたか』(産経新聞出版)が発売中。関連記事■ 韓国の「吉祥寺」はヨン様も訪れた知られざるパワースポット■ 深夜にお腹がすいたら「キムチ納豆がお勧め」とみよこ明洞さん■ 男も韓国へ KARAニコルの美人母経営の高級焼き肉店inソウル■ 韓国の性風俗取締強化で食い詰めた女性 大挙して日本や米国へ■ 韓国“美容整形の街”ソウル・江南区の屋外広告に日本語表記

  • Thumbnail

    記事

    メディアに法的措置を乱発する大統領 韓国の国際イメージに大打撃

    社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。近著に『韓国「反日」の真相』(15年、文藝春秋)。

  • Thumbnail

    記事

    やはり「非韓三原則」が一番 約束をすぐ破る韓国を見限ろう

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 日本と韓国が協議していた「従軍慰安婦」問題が(一応)決着した。決着へと導いた原動力はいくつかある。最大なのは、米国の強い意向だ。中国の軍事力が拡大し、GDPも世界第2となる中で、韓国の中国傾斜が強まり、東アジアでの米国の安全保障、自由主義陣営の結束が危うくなっている。北朝鮮の脅威も高まっている。 米国としてはなんとしても韓国を自陣につなぎとめ、中国や北朝鮮との対抗力を強めたい。それには日韓の離反、反目を解消させ、関係改善を進めねばならない。歴史的に中国、ロシア、日本と、その時々で力のある国家になびくコウモリ外交を展開してきた韓国を自陣につなぎとめることが米国にとって不可欠と見ているのだ。 その際、つなぎとめるコストは最小限にしたい。はっきり言えば、日本に韓国の面倒を見させたい。自分は極力、韓国から手を引いて、在韓米軍も早々に撤退したい。 しかし、慰安婦問題などで日韓がぎくしゃくして、それがうまく行かない。昨年までは日本は「お詫び」でも「償い金」でも支払って、何でも譲歩して韓国と関係を改善せよ、と日本側にほぼ一方的な譲歩を要求していた。 米国にとっては、日本の名誉や過去の日韓国交正常化時の「完全かつ最終的に決着した」事情など基本的にはどうでもいいことなのだ。 ところが、日本側の説明を聞くうちに、外交条約上、日本の言い分に十分な理屈があることがわかってきた。しかも、韓国は米中双方から「こちら側の陣営に加われ」という要求を突きつけられ、その板ばさみに困っていた。 そこで韓国は米国の要求を受けられないのを日本のせいにした。「日本が慰安婦問題で誠意ある態度を示さないので、日米間の安全保障の枠組みに入っていけなのだ」と。例えば、北朝鮮情勢をめぐる情報共有を密にするための日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結に踏み切れないのも、日本が非誠実だからだ、と。  実際には、中国から「日米との関係を断ち切り、中国側に付け」と要請されて、困っているからなのだった。 米国はある時期から、その辺の事情を読みきり、いつまでも慰安婦問題にこだわる韓国に「いい加減にせよ」と最後通告をした。 一方で、中国の脅威が高まったことから、日本は集団的自衛権の行使容認に踏み切り、日米関係が急速に緊密化した。 また、中国は経済の失速と環境汚染の悪化から、日本との関係改善に舵を切ってきた。結果として、気が付くと、韓国が孤立化していた。 おまけに、ウォン高と、最大の貿易相手国である中国経済の悪化が加わって、韓国経済も厳しさを増している。90年代、2000代と韓国に金融危機が発生した際日本は韓国を金融支援した。だが、それを「日本は冷たかった」「十分支援してくれなかった」として、恩を仇で返してきた。今年2月には「もはや金融支援はいらない」とばかり日韓通貨交換協定を打ち切った。 だが、韓国経済の悪化を懸念する韓国の財界人は「イザという時また通貨スワップを実施してほしい」というのがホンネだ。韓国政府も「恩を仇で返した」過去をコロッと忘れ(忘れたふりをして)日本に協定の再締結を求めそうな雰囲気になっている。 要するに、またしても、日本は韓国に譲歩して「慰安婦」問題の妥結を余儀なくされた、というのが実情なのだ。重ねて言えば、その最大の背景は米国の「韓国と仲良くしろ」という要求にある。 日本は今のところ、この要求を呑まざるをえない状況にある。なぜか。日本の国防力が脆弱で、米国の軍事支援に頼らざるをえないからだ。したがって、現状では今回の合意は日本にとってやむを得ない、一定程度妥当な決着というべきだろう。 だが、そうした中でも日本の主張を貫ける余地はある。例えば、韓国との通貨交換協定は最大限、日本側の要求を受けれさせる形で実施することだ。「恩を仇で返すような事を言ったら、即廃止する」という具合に。 長期的には韓国なしの日米同盟だけで、東アジアの安全保障を保てるように日本の軍事力を増強する。それを米国に認めさせ、アジアで最も頼りになるのは日本であることを米国に示す。すでに、そういう条件が整いつつある。 日本は、コウモリのような外交行動をとり、約束をすぐ破り、また言論の自由や民主主義に難のある韓国はそろそろ見限った方が良い。 今回の日韓合意では「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認」『慰安婦少女像の扱いは、韓国政府が関連団体との協議を通じ解決に努力する」となっている。だが、おそらく過去もそうだったように、韓国政府は簡単に手のひらを返してくる懸念が強い。冒頭で「慰安婦問題」が(一応)決着した、と「一応」をカッコ書きしたのも、そのためだ。 いろいろ屁理屈をこね回し、「日本に誠意がないから、最終決着できない」とか「少女像は関連団体との協議がなかなかつかない」とか言ってくる公算大である。 こうした韓国には極力関係を持たず、相手を見限ることが肝腎なのだ。学者やメディアの世界では「一衣帯水の韓国とは関係を断てない。日本は引越しできない。仲良くするしかない」という声が多い。 だが、関係を最小限のものにとどめて、日本に困ることがあるだろうか。過去の歴史を考えれば、日本は韓国との関係を深めて大いに迷惑を被った方が多い。 日本は韓国との関係を薄くしても経済的、安全保障面で何の支障もない。こちらが手を切れば、向こうからすり寄って来ると考えて間違いない。福澤諭吉が「悪友(中国と韓国)との関係を謝絶せよ」と脱亜論を唱えた卓見に従うべきである。 最近では筑波大学大学院の古田博司教授が「韓国を助けるな、教えるな、関わるな」という「非韓三原則」を唱えているが、賢明というべきだろう。 日本は、中国や韓国、北朝鮮は悪友なのだと、米国に粘り強く説得する必要もある。重ねて言えば、中国や韓国に嫌気が差しつつある米国政府は、日本のそういう説得を受け入れる用意が整いつつある。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2015年12月29日分を転載)

  • Thumbnail

    記事

    甦る「脱亜論」 「反日」ばかりの中韓とは離れたほうがうまくいく

    屋山太郎(政治評論家)日本の側に立つ米国 安倍晋三首相が4月29日、米上下両院合同会議で行なった演説は、日米間のゆるぎない同盟関係を築き直し、アジア諸国の不安を拭う効果をもたらした。また中国が企む覇権をもくじいたのではないか。 安倍政権誕生の時点では、米国の政界や行政府内における安倍氏の評判はあまりよくなかった。初訪米は1泊2日という扱いで、両首脳の共同記者会見はステイトメントだけで終わった。オバマ氏の初来日は夫人を伴わず、訪日のあと一週間もかけて訪中する差の付け方だった。 米政界で安倍氏の評判が必ずしも良くなかった原因は、日本が近隣の中国、韓国と揉(も)め事ばかり起こしている。それも戦争中の慰安婦をめぐって、謝らず、補償もしない。一方で戦後秩序を否定するために憲法を改正しようとしている右翼政治家だというものだった。 オバマ氏の対日感情もそれを基礎としたものだった。太平洋のバランスは日米対中国でとれるはずだったが、日本が中国と揉め事ばかり起こすのでは、米国が直接中国と仲良くしたほうが良いとでも考えるようになったのだろう。 中国も「新大陸関係」(新しい米中関係)という造語で米国を誘ったが、実態は太平洋を半分ずつ“管理”しようというものだった。そうなると日本は中華圏に入るのか。 中国という国の本質、日中両国の二千年近くにもわたる関係は当事者以外にはわからないだろう。韓国の朴槿惠大統領は米国をはじめ、欧州主要国を歴訪して、ひたすら、日本の悪口をいって廻った。この告げ口外交は「いまから思うとひどかった」と各国共に感じているようだが、当初は日本の外交にダメージを与えた。しかしセウォル号の沈没や軍内部の利権のつながり、政治家の汚職などが表面化してきて韓国が丸裸になると、日本の主張のまともさが際立ってきた。 軍が強制して慰安婦をかき集めてきたという醜聞も、それを書き立ててきた『朝日新聞』が昨年、32年間にわたる記事を取り消したため、韓国政府の立場が、一挙に怪しくなった。そもそも韓国はありもしない〝慰安婦〟事件で騒いで日本から何をとろうとしていたのか。 韓国は「慰安婦は性奴隷だ」と主張したが、その根拠は国連人権委員会のクマラスワミ報告書だけだ。同報告書で20万人の性奴隷と証言しているのは日本の左翼学者だけで他に正当な根拠はなにもない。従って日本政府はクマラスワミ氏に正式に訂正を申し入れた。一方、慰安婦達が戦中であっても“商行為”として正当な支払いを受けていたことは、米国の裁判所でも行政府でも認められている。 安倍訪米を控えて米国では韓国の言い分が成り立たないことが徐々に判明しつつあった。 片や、友好を深めようとした中国が箸にも棒にもかからない国であることを、オバマ氏は理解してきた。南シナ海の強盗のような岩礁地の埋め立てや基地造りを見れば、中国には力で抑止力を発揮するしかないと悟ったろう。日本の尖閣諸島についてオバマ氏は「日米安保条約の適用範囲だ」とわざわざ述べた。このことは米国ははっきりと日本の側に立つことを明らかにしたことにほかならない。中国とは力で対決する以外に身を護る方法はない。こういうと、所詮、暴力を使うのかと護憲論者はいうのだが、土俵上で四つに組んで横綱同士が動かないのはなぜか。両者が必死の力を込めているからだ。力を込められる自衛隊にしようというのが、国会で審議中の安保関連法案なのである。理解を深める騎士道と武士道 オバマ氏は中国を知るにつれ、日本ほど律義で頼りになる友好国はいないと悟っただろう。 安倍首相の米議会での演説は秀逸だった。 抜きんでていたのは第二次大戦について「痛切な反省」(deep remorse)を表明したことだろう。それまで中、韓両国に加えて米政府内にも河野、村山談話で述べられた同じ文言を使うべきだとの主張が強かった。しかし安倍氏は「アジア諸国に苦しみを与えた」と述べたうえで「痛切な反省」を述べた。「お詫び」とか「侵略」を入れろという周囲の声が一気に軽くなった。会談を前に握手するオバマ米大統領と安倍首相=2015年4月28日、ワシントンのホワイトハウス(共同) 首相は議場に硫黄島で生き残った米軍の老司令官と玉砕した日本側守備隊長の孫を紹介し、二人が固く握手する場面を演出した。「痛切な反省」と敵味方の握手があれば、騎士道と武士道では理解し合えるだろう。もう一つ良かったのは首相が前夜の夜会で、ナンバー2が手練手管を使ってナンバー1を追い出す米国のハウス・オブ・カードというドラマを紹介し、「このドラマをナンバー2の麻生副総理には見せないことにしたい」と述べて爆笑させた。米国人はこの手のユーモアをこよなく好み、安倍晋三という人物の印象を心に刻んだことだろう。 『読売新聞』の世論調査(5月11日)では安倍首相とオバマ大統領との間で、新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)を通じて日米同盟の強化を確認したことを「評価する」と答えた人は70%に達した。「評価しない」はわずか19%だった。 下院本会議場は500人を超える両院議員で埋め尽くされ、2階の傍聴席もほぼ満員だった。議員は頻繁に立ち上がって拍手も含めてスタンディングオベーションは35回重ねられたという。安倍氏の演説は40分の予定だったが、拍手によって5分間延びた。 安倍氏は日米同盟は、「法の支配、人権、自由を尊ぶという価値観を共同している」ことで成り立っていると定義し、自ら「希望の同盟」と名付けた。 同盟というのは力の均衡や戦力補充といった権謀術数を狙って行なわれるのが常だ。しかし単なる軍事的利害損得による離合集散は、事件が終われば疎遠になって解消する。米英ソは日独の軍国主義、全体主義を潰すといって同盟したが、日独が破滅したあとは中ソの共産主義と米国を中心とする西側の対立となった。米ソの冷戦が終わると、世界は米国一極となって米国は世界の警察官といわれた。 その米国一極体制が相対的に弱体化し、米国は三つの戦争ができなくなった。欧州、中東、アジアの三つの戦争を同時にできなくなって、欧州はNATO欧州諸国にまかせている。中東では戦争への介入失敗を続け、完全撤退はいまのところ無理だ。この時点でアジアが不安定になれば、米国一国では対中抑止力が効かなくなるだろう。中国への抑止力の一部として日本の軍事支援体制が不可欠になった。日本の側だけからみても、オバマ体制の初期に中国が「新大陸関係」と称して米中の“直接対話”を持ち出してきた時に、米国が乗り気になった時がある。米国が頼りにならなければ、日本独自で中国と対立せねばならなくなる。だからこそ米国との同盟関係を一段と強化しなければならないというのが安倍氏の考え方だ。同盟の動機、目的は自由、民主主義、基本的人権といった「希望」である限り、目的が陳腐化して同盟が崩れることはない。 世界情勢の変化に合わせて日米の軍事ガイドラインを仕切り直す必要がある。 安倍氏はとりあえず、軍事面での不備を補強、補正する必要があった。歴代内閣がことごとく避けてきたものを洗いざらい取り上げた。豪州との軍事協力体制は着々と進んでおり、潜水艦技術の供与も可能になった。これまで武器輸出三原則によって武器の輸出や共同製作ができなくなっていたのが昨年、防衛装備移転三原則に改められた。 訪米に当たって安倍内閣は国家安全保障会議(NSC)の設置、防衛計画大綱の改定、集団的自衛権の限定的容認を決めた。集団的自衛権をめぐる法律は恒久法にまとめられて国会に提出された。 野党は国会承認の前に安倍首相が米国で「夏にはまとめる」と約束したことをとらえて非難しているが、民主主義国の同盟というのは、内容を世界に発信することも必要なのだ。中国の「力の外交」に屈するな中国の「力の外交」に屈するな 戦後70年の日本の節目にふさわしいのは「集団的自衛権」を容認する安全保障関連法を成立させることだろう。国会審議は5月下旬から始まる予定だが、当分、国政選挙も地方選挙もない。国会で何十時間でも実のある審議ができる。この際、日本人は“軍事”について聡明になってもらいたい。 軍備は要らないという人達は憲法九条があったからこそ70年の平和が保てたという。あるいは9条を掲げるが故に軍備は持つべきではないという。この無手勝流の論理を掲げた旧社会党は最盛期の166議席から名を変えて存続する社民党2名(衆院)にまで転落した。九条の思想は実態的には消滅した。もはや宗教といっていいのではないか。 圧倒的に強かった米国の保護国並みの頃は、「戦さ」は米国まかせの気風が強かった。そのオバマ米国が頼りない感じを漂わせる一方、隣国、中国が力の外交をやるようになった。南シナ海の岩礁に飛行場やら軍事基地を造り出すやり方はまさに中国式だ。2014年の世界の軍事費は米国が前年比6・5%減らすなか、中国は9・7%増。第3位のロシアも8・1%増となった。 10年前に比べると米国が0・4%減らしたのに対し、中国が167%と伸びて世界最高を示している。日本はインド、ドイツを下廻り9位である。日米の軍事費に比べて中国の増加率はけたたましい。日米の側がこれに対抗するには日本の自衛力を動員できるようにするか、軍事費を注ぎ込むしかない。 9条派は以上のような国際情勢の変化を一顧だにせず、「解釈改憲」「戦争法案」反対だと切り捨てようとしている。民主党の岡田克也代表は憲法改正について「安倍さんの時代には議論しない」という。安倍首相の改憲論は厳しいだろうから「議論したくない」という論法である。相手がどのような思想であれ、議会というものは、議論を戦わせて勝負をつけるのがしきたりだ。岡田氏がいっているのは「あいつは人相が悪いから議論したくない」といっているのに等しい。それも国家にとって最重要な問題についてだ。 日本の憲法はもともと自衛権を否定してはいない。国連憲章には自衛権には「個別的」と「集団的」と両面あると規定してある。日本が勝手に「集団的自衛の権利はあるが行使はできない」と解釈してきた。これは内閣法制局の明白な誤りである。そもそも内閣法制局があらゆる法律について〝絶対的〟な解釈権をもっているのはおかしい。憲法四一条には国権の最高機関は国会であると規定してある。あらゆる法律が国会でつくられるのに、その解釈権を内閣法制局がなぜもつのか。内閣法制局は官僚内閣制を創るに当たって、法解釈の最高機関として設置された。国会を最高権力と決めた新憲法を制定するに当たって、内閣法制局は消滅した。これは当然の措置だが、それでは官僚内閣制が不備になるといって、数年後に復活誕生させたのである。安倍晋三氏は内閣の最高決議は閣議であるべきだとの考え方で、安保関連法は国会提出に当たって閣議で決定された。これが真っ当な形だ。 安保法制の具体像は簡略化していえば次の通りだ。(1)日本防衛活動をしている米軍や他国軍の支援(グレーゾーン事態への対応)(2)日本に重要な影響を与える事態への対応(周辺事態法の改正)(3)国際的な平和協力活動(PKO法改正)(4)集団的自衛権の行使(自衛隊法、武力攻撃事態法の改正)(5)相手国が同意した場合の邦人救出(自衛隊法改正)日米同盟は中東と中国で共通認識をもて 日米同盟は世界政策をも共有するほど重いものだ。共通の認識をもつに当たって、重要な点が2点ある。 中東と中国政策である。まず中東について米国はアラブ諸国に民主主義体制を植えつけるのを最善と考えているようだが、少なくともアラブ圏に先進国並みの民主主義体制を導入するのは無理だ。 私もイランのホメイニ革命の頃、アラブ諸国に入り浸っていたが、正直いって殺し合うほどの宗派の差は外部の人間には理解できない。現在、シリアでスンニ派と「イスラム国」という過激派が強烈に争う形になっている。そのシリアは強権的とはいえアサド大統領によって少なくとも治安は維持されていた。それが崩れたのはチュニジアでジャスミン革命と呼ばれる“民主化”革命がきっかけだった。その動きを世界中がほめそやして全アラブに広まった。エジプトでは過激派のイスラム同胞団が担いだモルシ氏が新大統領に当選した。モルシ氏が憲法改正案を準備したところで、軍部がクーデターを起こし、実質的にムバラク体制を復活させた。イランでホメイニ革命が成功したのはホメイニ師が政権をとってすぐに軍を掌握し宗教独裁の憲法制定に成功したからだ。 エジプトでムバラク大統領に仕えていた軍部はモルシ氏がホメイニ革命の二の舞いを演じ始めたのを悟って直ちに反革命を起こした。アラブ内で治まっている国の体制は軍部独裁、宗教独裁、王制、酋長(しゅうちょう)制など“独裁国家”に限られる。理論が1、2ミリ食い違っただけで殺し合いに発展する社会では、力で押えている政治体制のほうが安定的だと認識すべきだ。キリスト教の世界では宗派の違いを越えて共存するのに2千年かかった。アラブ世界に民主主義を導入するにはあと700年かかる勘定になる。イスラエルとの関係を抱えて、日本のように傍観するわけにはいかないが、米国が内戦を助長しているように見える。 第二点は中国の扱いである。 中国が突如、持ち出してきたAIIB(アジアインフラ投資銀行)構想は、中国が米国と太平洋を分割しようという“新大陸関係”の延長線上の戦略だろう。太平洋を分けるという軍事上の狙いに加えて、国際金融の面でもアジア・太平洋地域における覇権を強める狙いだ。 そこで中国がひねり出した手がAIIBという新手だ。国際金融機関としてはIMF(国際通貨基金)とADB(アジア開発銀行)がある。共に米国と日本が仕切っている銀行で、中国の思うような投資ができない。そこで資本金の50%を出資し、総裁も中国、本部も北京、理事会は設けないという中国国営銀行のようなものを編み出したのである。 中国はシルクロードの復活を目指して周辺国に“一帯一路”を呼びかけている。近隣各国に巨大な公共投資を行なわせれば、景気浮揚にもなるとあおっている。 中国はAIIBをテコに人民元を国際通貨の座に押し上げることに懸命になっている。 中国の李克強首相はIMFの特別引出し権(SDR)の構成要素に人民元を採用するようラガルド専務理事に申し入れた。人民元の資本取引を活発化させ、人民元が国際通貨に採用されることで、金融の維持や人民元の国際化により国際社会のなかで中国が大きな役割を担うことになると力説したという。 しかし中国のAIIB設立もSDRの構成要素に入れろというのも、別の意図が透けてみえる。中国は2008年のリーマンショックの際、莫大な公共投資を行なって中国や世界の窮地を救った。その後遺症で中国は国民総生産4、5%の域に落ちているという見方もある。本来の中国流なら莫大な国費を注ぎ込んで、同様の対策を試みるはずだが、実は中国には金がない。 中国の債券証券発行額は増加する一方で、これ以上の借金ができない。そこでAIIBを設立して、そこから金を出して周辺国に公共投資をやらせる腹なのではないか。下手をすると国内投資の不足分をAIIBの名でかき集めて、自国の公共投資に当てる算段かもしれない。 欧州諸国が参加したのはIMF、ADBでは物品の輸出入には便利でも、大規模なインフラ投資に不利だったということがあるだろう。安倍首相は「ガバナンスをみてみる」と述べたが、妥当な判断だろう。忘れてならないのはAIIBが正真正銘の中国共産党の銀行だということだ。三権分立もなく、不公正を訴える場もない銀行は国際社会の信を得られない。その本質を直視しつつ矛盾点を指摘し続ければ、不正な銀行は破綻する。 日本では教養人で漢詩をたしなむ者が多く、中国コンプレックスが強い。中国人を“大人”と見なし、話し合えば争いの片がつくと思っている官僚、政治家が多い。完全に中国人を買いかぶっているのだ。 戦後、中国に対して贖罪意識を抱いていた政治家は日米同盟があるのに、中国やソ連とも等距離で付き合おうという首相(三木武夫氏)まで出た。中国と付き合うこと自体が自民党内のステータスにもなった。 これは官僚も同じで、与党の外交方針が固まっていないため、外務省の各局が独自の方針で相手国に臨んだ。その典型が中国を専門とする「チャイナスクール」の誕生だ。チャイナスクールは中国や韓国の機嫌を損ねてはいけないというのが、第一義の任務で、その典型が慰安婦問題だ。つい何年か前まで日本の中学校教科書には「従軍慰安婦強制連行」という単語があった。しかし「従軍慰安婦」という単語自体存在しなかったというので「慰安婦」だけが残された。さらに「強制連行」した事実もない。そこで「従軍」と「強制連行」を削除すると「慰安婦」だけになる。とすればこういう“商売”があるということを中学校段階の教科書に使うことはない。当然、教科書から記述が落ちたのだが、これを落とすと「歴史認識」で中国、韓国両国は日本を攻めることができない。「慰安婦」問題で攻められたら、政治家はもちろん、外交官はそれが誤りだったことを説明しなければならない。 ところがファクトを勉強していない外交官はこの問題を持ち出されると、「河野談話で詫びたし、もう補償も済んでいます」と答えるのだ。米国大使だった加藤良三氏は韓国の謝罪申し入れに強烈に反論すべき立場なのに「いまからではもう遅すぎますよ」とうそぶいていたものだ。『朝日新聞』が32年経って「事実は確認できない」といって取り消したのが立派に見えるほどだ。中世も近代も経験しなかった中韓中世も近代も経験しなかった中韓 官僚、政治家、教養人がどうしても一目置くのは5千年という中国の古さである。5千年の間に国家は財や知識を積み上げているはずだと錯覚する。2300年も前の孔子や孟子の教えを日本では江戸時代の寺子屋で農民の婦女子にまで教えていた。寺子屋時代は250年続き、その後百年孔子の論語は生命を得た。日本人の知識に「古い国」という意識を植え込んだのは司馬遷の『史記』だと中国史の泰斗・岡田英弘氏はいう。 実際の中国は洛陽のそばの「華山」という山の近くで栄えた商業都市で、紀元前221年に始皇帝が「秦」を起こして、そのあと「漢」「唐」「元」「明」「清」の五つの異種族王朝が興亡した。秦以前の「夏」「殷」「周」は神話の世界である。 五つの大国があったのは確かだが、五つとも人種も言語も違い、共通するのは商売のやり方ぐらいのものだった。韓国銀行の調べでは200年以上続いた老舗企業は世界41カ国で5586社が確認されているが、日本は3146社(全体の56%)と断トツ。2位はドイツ837社で、中国は第6位だが、9社しかない。商売が長続きするには社会が安定しなければならない。長期、安定してこそ技術も芸術も栄える。 中国は大地の上に入れ替わり立ち替わり、支配民族が交代したにすぎない。しかし商売するためには共通の符帳や共通の文字が必要だ。そこで使われたのが漢字で、7世紀頃から科挙の制度を創設して、商売や行政命令書を漢字で書かせた。国が交代しても科挙(役人)が必要なわけで、科挙の給料は自分で決めた。現在でも、市長が交代したら税金が5割上がるなどは当たり前だが、これは清の時代に廃止されたはずの科挙の伝統なのだ。 「中国」とは洛陽を中心にした「マーケット」で近所に華山があったから中華と呼ばれたが、中国とか中華という国が2千年続いたわけではない。中国という土地に国を建てたのは漢族、満州族、蒙古族、回(ウィグル)族、チベット族の五族だ。朝鮮民族が中国の主になったことはなく、日本併合までの500年間、中国の属国だった。彼等は漢字を操るのが最高の価値だと考えて、職人を卑しんだ。 帝国主義の時代、西欧列強は中国を侵食しはじめ、中国は朝鮮を併呑しようとした。日本はこれを食い止めるため日清戦争を起こして勝った。日清戦争の講和条件を決めた下関条約の第一条をみると、日本の戦争目的がよくわかる。普通、第一条は戦勝国に対する賠償金や分捕った領土が書いてあるが、下関条約の第一条には、これにて「朝鮮の独立を確認する」旨が書いてある。朝鮮がこれに従って独立を確保すれば、東アジアの安定につながったはずだが、属国根性の抜けない朝鮮はロシアの支配下に入ろうとしたのである。 朝鮮戦争のあと韓国は米韓条約を結んで“西側陣営”に自らをつなぎとめたが、朴槿惠大統領をはじめ韓国全体は元の中華圏に入って中国の属国に復帰したいようだ。 韓国にとって致命的なのは、中国の属国になって儒教を信奉したことだ。儒教というのは宗教ではなく社会や家庭の秩序を保つために、長幼の序を決めることだ。その社会で最も大切なのは漢字で、支配階級は漢字を書く以外のことを蔑んだ。したがって技術者は育たず、国民の30%が奴隷となった。日清戦争の結果、朝鮮の奴隷は解放された。中、韓とも中世も近代も経験せず、日本にいきなり現代に引きずり込まれたようなものだ。当時、敗れた清から孫文や魯迅ら2万人前後が日本に留学し、日本語に訳された西洋文化や科学を学んだ。 哲学、主義、科学といった単語はみな日本語で、現在、中国で使われている単語の6割か7割は日本語であるという。中華人民共和国などは日本語表記だと岡田英弘先生はいう。「東亜の悪友」と離れるとき 西欧と日本に共通しているのは長い中世の時代、封建時代を経て、社会に共通のモラルが醸成されたことだ。騎士道と武士道は似ているが、永い戦いが続いて、戦さの作法ができ上がったことがわかる。日本では最後は大将同士が戦って勝敗を決めた。戦争の簡素化が続くうちに戦国時代が終わって、文明の時代が築かれた。 明治時代、孫文や岡倉天心は「アジアは一つ」とか「黄色人種の団結」を叫んでいたが、これに断固、異を唱えたのは福沢諭吉で、中、韓を「東亜の悪友」と断じ、日本は西欧と交わるべしと「脱亜論」を書いた。 福沢は中国や韓国と組んでいると、西欧諸国から同類とみられるぞと戒めている。日本と中国、韓国との違いはいまも明らかだ。嘘をつくとか偽物を造るなどを、中・韓両国では「悪徳」と思っていないのではないか。あらゆる製品の偽物は瞬時にできる。中・韓両国では知的財産権などまったく認められていない。 ある大会社の社長にこの偽物をどうすれば成敗できるのかと聞いたところ、偽物が出たら、向こうがしこたま在庫が出たところで、こちらが新製品を出す。向こうは在庫を抱えて日本に「爆買い」に来るしかないと呵々大笑したのには驚いた。 中・韓の致命傷は新製品を造り出せないという発想と技術の粗末さにある。この欠点は中世と近代を経なかった彼等の歴史上の欠陥にある。「歴史認識」とはこういうことをいうのだと自戒せよ。 ややま・たろう 1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任。81年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。87年に退社。2001年に正論大賞を受賞。著書に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 日米vs中韓~歴史修正主義批判を問う■ 日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国■ [歴史に背く韓国]第二の安重根が生まれる日■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき

  • Thumbnail

    記事

    記憶遺産「慰安婦」「南京」登録なら日本はユネスコに金を出すな

    あった。ところが、中国は、オランダが2009年に「アンネの日記」を登録してから、ユネスコのこの事業を反日プロパガンダに利用できると思いついたようだ。中心になって推進したのは、南京市にある南京大虐殺記念館の朱成山館長だとされる(9月8日付産経新聞)。「南京大虐殺・慰安婦性奴隷の記録」ユネスコ記憶遺産への中国政府の申請に反対する表明。(右から)阿羅健一氏、高橋史朗氏、藤岡信勝氏=2015年9月7日、東京・内幸町の日本記者クラブ(長尾みなみ撮影) 中国の申請には、次のような重大な問題点がある。 第1に、最も根本的なことだが、中国の申請はユネスコ憲章の精神に反する非常識な申請だということだ。 ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という有名な書き出しの一節がある。締めくくりは、「平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない」となっている。 ところが、今回の中国の提出している南京大虐殺なるものは、戦時プロパガンダとして捏造された事件であり、史実ではない。戦時プロパガンダをユネスコ記憶遺産に登録しようとすることは、国民の間の旧敵国に対する憎悪と憎しみを助長し、「人の心の中に戦争を起こそう」とする行為であるといっても過言ではない。中国のしている行為は、国連憲章の理念に反することが明白な、非常識なものである。日本はもう金を出すな 第2に、ユネスコ記憶遺産の事業目的にも反している。「記憶遺産はそもそも戦争や災害で紛失の危機にある文書などを保存し、後世に残していくための制度だ。政治的に利用されることを想定していないのだが…」と、政府関係者はもらしているという(前掲産経記事)。 第3に、南京大虐殺に関して提出されている写真資料は、すでに日本側の研究で、何ら南京事件について証拠能力のないものであることが証明されているものばかりである。ただの一枚も、南京虐殺を裏付けるものはない。 第4に、提出された写真資料の中には、著作権を侵害したものもある。中国で民家を利用した慰安所の写真が提出されているが、その著作権は、写真の撮影者である旧日本軍人から、その娘に当たる福岡県在住の医師に引き継がれている。その写真が許可無く使用されているのである。 このように、一つひとつの史料は、中身のない、虚偽を重ねた、全く文化的価値のないがらくたの山である。しかも、遺憾ながら提出された各種の写真は多数の日本の出版物に掲載されており、希少性もない。 10月上旬にアブダビで開かれる最終の審議会では、14人の委員の多数決をとり、ボコバ事務局長が最終判断をして決定することになる。 韓国政府は、早くも強制動員された人々の口述記録など33万余点を記憶遺産に申請することを検討しているという(9月14日付朝日新聞夕刊)。もはやとどまるところを知らない。 最後まで日本政府は中国の申請の登録阻止に力を尽くしてもらいたい。しかし、ここでハッキリ言おう。もし中国側の申請が通るようなら、日本はユネスコへの資金の拠出を一切拒否すべきである。それは理念的にも資金的にも、ユネスコの死を意味するだろう。ふじおか・のぶかつ 昭和18(1943)年、北海道生まれ。北海道大学教育学部卒。東京大学教授などを経て現職。平成7年、自由主義史観研究会を組織、「新しい歴史教科書をつくる会」前会長。著書・共著に『教科書が教えない歴史』(扶桑社)、『汚辱の近現代史』(徳間書店)、『国難の日本史』(ビジネス社)など多数。 

  • Thumbnail

    記事

    呉善花の警告 韓国は「北朝鮮化」したと思ってかかれ

    いう気持ちがとても強いのです。 それともう一つは、今の韓国の背後には北朝鮮がいるということです。特に反日の裏で北朝鮮がうごめいていることを見逃してはいけません。なぜ北朝鮮がうごめいているのか。複雑な問題なのですが、今の朴槿惠政権は日本をなんとか孤立させようと─簡単に言えば中国と米国を仲良くさせ、北朝鮮とも和解を図ろうと─躍起になっています。 その背景には国民情緒法というものがあります。私は8月に朴大統領に関する書籍を出しますが一番のポイントがこの国民情緒法です。国民情緒法というのは韓国独特の法論理で、国民情緒に合致すれば、司法は実定法に拘束されずに判決を出せるというものです。 常識的にいえば、そんなことを許せば罪刑法定主義を否定してしまうことになってしまいます。しかし韓国ではそういう法理が現にあります。そしてそれは法律より国民感情が優先するという韓国独特の風潮にもなっています。この国民情緒を優先する風潮が朴政権をどれだけむしばんでいるのか、そして韓国がどれだけ親北化しているのか。そうした動きを読み解く書物です。 もともと、韓国には反日という対立の火種がありました。李承晩などはその典型です。しかし彼は、政治や外交の場には─どんなに教育の場で反日が根付くべく激しい反日教育を続けていても─そうした感情的で情緒的な要素は、あまり持ち込まなかった。そうした国民情緒をいったん棚上げして表に出さない。それで日本と向き合ってきたのです。 特にそれは朴槿惠の父、朴正煕に顕著でした。反日教育はするが日本の協力を受けながら韓国の経済発展を遂げる。そういう選択をしてきたのです。プロに徹した姿勢といってもいいと思います。 細かくいえばいろいろなことはありましたが、これは全斗煥や盧泰愚までの軍人出身の大統領に基本的に受け継がれ、事をあまり荒らげたりはしない。韓国も良好な関係を築くことを望んでおり、日本の良識が比較的通じる出来事が多かったのではないかと思います。韓国における「民主化」という多義語韓国における「民主化」という多義語 これが変わったのは金泳三のときからでした。民主化大統領と呼ばれた金泳三の時代から日本とのこじれた関係が始まる。それは今やこじれにこじれています。 金泳三時代には慰安婦問題が俎上に上るようになりました。金泳三、金大中、盧武鉉と民主化大統領が続くなかで今の最悪ともいえる日韓関係への流れがつくられていったのです。 金泳三時代に民主化という言葉は「反軍事」を意味していました。民主という言葉は民主主義の民主ですが、当時の韓国では盧泰愚まで三代続いた軍事政権の反語として用いられたのです 軍事政権は在韓米軍とも密接に結びついていました。「反軍事」から出てきた「民主化」という言葉は「反軍事」に「反在韓米軍」という意味を帯びます。それは「反米」という文脈に転化していき、やがて「反米」は「民族主義」とも結びついていくのです。 今でもそうですが、当時の韓国も深刻な社会問題をたくさん抱えていました。それを韓国国内では、米国と結びついて西洋化が図られたために、だんだん個人主義がもたらされた結果である、と読み解くのです。 西洋化によって今まで民族が大切にしてきた伝統的な儒教的価値観は崩れ、家族関係も核家族化が進んで崩れ、それが今日の荒廃を生んだ─というわけです。そうして「民主化」という言葉は「民族主義」とも結びついていきます。 今度はそれが「親北」へとつながっていくのです。北朝鮮はとても貧しい。独裁国家でもある。とてもあんな国にはなりたくない。しかし、少なくともわれわれと同じ民族である、われわれのように米国に頼って生きているのではない。貧しくても主体的な思想を持って民族として誇り高い生き方を続けている─というわけです。 こうして「民主化」という言葉は様々な意味が付加されたり、変容を重ねながら「親北」という意味も帯びるようになっていくわけです。なぜ親北が反日と結びつくのか 金大中元大統領の時代には太陽政策が掲げられました。金正日との南北首脳会談が実現し、金大中はノーベル平和賞を手にしました。太陽政策はイソップ寓話『北風と太陽』になぞらえ「北朝鮮の頑な態度を改めさせるためには、圧力ではなく温情が必要である」という考えから融和的な政策をとりました。 これは盧武鉉政権にも引き継がれました。軍事力での統一よりも人道援助、経済援助、文化交流、観光事業を深める。それで将来の南北朝鮮統一を図ろうとする外交政策ですが紛れもなく親北の政策です。 こうして「親北=民主」という構図ができ、盧武鉉時代に「反日」であることも「民主」であることだとなって、「親北=反日=民主」というイデオロギーが国内に根付いていったのです。 盧武鉉は「過去清算」というスローガンを掲げました。そして「過去清算」の矛先は日本に向きます。北朝鮮では親日派、つまり「何らかの形で日本統治政策に協力した者たち」は、悪逆な犯罪者・売国奴としてことごとく粛正されました。韓国も北朝鮮同様に反日国家ではあるものの、「日本統治時代の親日行為は当時の事情では仕方なかったこと」だとして不問に付すのを社会一般の習いとしてきました。盧武鉉は、それでは「過去清算」にはならないとして、親日派を一掃しはじめたのです。これでもともと韓国にあった反日が鮮明に顕在化していきました。 盧武鉉時代に「親北=民主」が確立されていったのは、金大中時代から北のスパイが韓国国内に大勢入ってきたことが関係しています。そうした層は「従北」と呼ばれるのですが、国内に12万とも15万とも言われています。直接的なスパイもいれば、間接的なスパイなども含めて「従北」「親北」勢力が広がり、こうした人達はマスコミ、大学、専門家や裁判官などあらゆる分野に浸透を図っていったのです。朴槿惠は親北の政治家である そして今の朴槿惠大統領ですが、韓国の政治家の例にもれず、親北姿勢の政治家です。彼女は野党党首時代に、北朝鮮に行って、金正日と握手しています。そのときに彼女が言った台詞が「二世同士うまくやりましょう」でした。 そのさい金正日は謝ってきたそうです。朴槿惠のお母さんは文世光という北朝鮮のスパイによって殺されました。金正日はそのときの事実関係を認めて「自分の意志じゃなくて、下の人たちがもう勝手にやってしまって申し訳なかった」と謝罪したというのです。 朴槿惠の本などを見ると、彼女は金正日をかなり評価しています。実際、それ以来、彼女は北朝鮮に対してあまり激しいことは言わないのです。朴槿惠自身がかなりの親北で、これまでも北朝鮮を刺激しないように努めているというわけです。 それに朴槿惠の場合、自分の今の大統領という立場が実はぎりぎりの辛勝で得られているという事情もあります。「反北」では票が得られない。だから政治生命を維持するために親北を取り込まなければいけない。韓国社会の親北化は相当広がっていて特に若い人ほど親北の傾向が強いのです。 たとえば、朴槿恵が大統領となった2012年の大統領選挙では、太陽政策の再開を掲げた親北の対立候補は、敗れたものの実に48%を超える得票率を獲得しています。 朴槿惠の支持層は年配の方たちが中心です。彼女には若いほど反朴槿惠の傾向が強いというジレンマがあります。 一方で韓国内の保守派たちは頑張ってなんとか反北を維持しなければならない、親北の浸透を何とか防がなければならないと考えています。ですが、この数が決定的に少なく力にならない。それで与党の中では朴槿惠離れ─今の与党内では反朴槿惠となっています─が起きています。日本の良識が通じない国となった、韓国 冒頭の世界遺産の話のなかで私は韓国人がどのように考える傾向があるのかという点について日本人は知らなさすぎるといいました。なぜ、民主化という言葉が、民主主義発祥の地である米国に反旗を翻す「反米」とつながるのか。それがなぜ反日と化すのか。さらにそれがどう親北となっていくのか…など日本人から見るとこうした点はなかなか、理解しづらいようです。 ただ、かつては比較的良識が通じていた韓国は過去のものとなっています。親北、従北勢力の浸透とともに大統領までが親北色が強まっていること、親北勢力の顔色をうかがうまでになっていること、従って朴槿惠の反日的な行動は単なる人気取りや一時的な奇策ではなく、根の深い問題であって日本人的な良識は今後、同じようには通用しないでしょう。 対応を誤ると、今回の世界遺産の出来事のように足元を救われかねない出来事は今後も続くでしょう。あそこは韓国ではない、少し極端な言い方をすれば韓国は北朝鮮と同じなのだ、くらいに警戒しなければならない。そういう認識と覚悟をしっかりともって韓国に臨まなければならないと考えています。お・そんふぁ 1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学大学院地域研究科修士課程修了。外語大大学院時代に発表した『スカートの風』がベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第五回山本七平賞受賞。著書に『虚言と虚飾の国・韓国』など多数。 

  • Thumbnail

    記事

    豪州発 日本人よ目覚めよ! 慰安婦像計画完全阻止を緊急報告

    た市長 結論からいえば、それは、2014年9月に市長となった自由党所属のジュリアン・バカリ氏が、中韓反日団体に有利になるように、とことん時間稼ぎを行ったからだ。実は、バカリ市長は「この問題は市のレベルを超えた国際問題であり、市民を分断してしまうことだとよく認識している」と発言している。にもかかわらず、2015年3月に慰安婦像反対派のヘレン・マクルーカス市議会議員が「この問題が市に悪影響を及ぼしていることは明らかなので、さっさと片付けてしまおう」と動議を発した際、「もっと時間をかけて考慮する必要がある」との理由でさらなる先送りを主張し、慰安婦像設置の申請者で、利害関係者として投票できないはずの韓国系のサン・オク議員に投票を許可して否決に持ち込むことまでしている(これには我々から間髪入れずに抗議し、当該議員は以降、本件に関する投票権を失った)。慰安婦像の設置を否決した豪ストラスフィールド市議会の議会棟(共同) さらに今年6月、慰安婦像に関する住民の意識調査を行う決定をした際も、「慰安婦像に、女性に対する家庭内暴力反対の趣旨も加えよう」と、中韓反日団体の戦術に沿った方向に誘導しようとし、反対派の議員から猛反発を受けて撤回するということまであった。中立を装っていたバカリ市長が、中韓側に傾いたことが暴露された瞬間だった。同じ自由党のステファニー・ココリス議員と、副市長の席と引き換えに、無所属ながらバカリ支持に動いたアンドリュー・ソロス議員は、完全にバカリ市長に追随していた。バカリ市長が市長に与えられたキャスティングボートを使えば、強行採決することが可能な状態が続いた。しかし、さすがにそれはせず、時間稼ぎをして、好機が到来するのを待つ作戦と見えた。言い訳探し 2014年4月、当時のダニエル・ボット市長は、「この問題は市のレベルで判断できる問題ではない」として、州や連邦の大臣にアドバイスを求めた。上位者の誰か、特にアボット首相が「こんなものは止めろ」と言ってくれるのを期待したのだ。そうすれば、中韓の選挙民に言い訳ができる。しかし、アボット首相、ビショップ外相をはじめ、全員が「これはあくまでも市の問題である」として逃げた。誰も火中の栗を拾いたくなかったのだ。この時点で、「これは我々には判断できない政治的な問題である」として破棄するべきだったが、それもできず、9月にバカリ市長へと交代。この問題は迷走を続ける。誰もが「言い訳」を探していた。 最も良識的なマクルーカス議員は、早くから市民に賛否を問うアンケートの実施を主張していた。ストラスフィールド市民の多くは慰安婦像などに反対であるとの確信があったからだ。しかし、私は嫌な予感がしていた。アンケートの結果は質問の内容に大きく左右される。我々は質問内容を予め開示するよう、再三市に求めたが、完全に無視された。反対派の欧米人男性が直接バカリ市長に尋ねると、「アンケートで賛成が多数を占めたら慰安婦像を建てるつもりだ。調査がいつ始まるかは知らない」と答えたという報告があった。はたして悪い予感は的中する。悪意ある電話調査 市内に住む、AJCN日本人メンバーの自宅に調査会社から電話がかかって来たのはその直後だった。「慰安婦とは何のことか知っていますか?」と聞かれ「いや、よくわからない」と答えると、「日本軍は第二次大戦中、20万人から36万人の女性を拉致して売春を強要しました。中国と韓国系コミュニティが慰安婦像を建てることを希望していますが、あなたは賛成ですか?」と質問され、男性が唖然としながら「反対です」と答えると、「なぜですか?」とさらに聞かれたという。ここまで露骨な誘導がなされるとは驚きを禁じ得ない。 ただちに、欧米人メンバーが市の行政サイドに抗議の電話を入れ、再度質問内容の提示を求めた。電話を受けた市の女性職員は「でも、本当の出来事なのよ!」と答えてメンバーを驚愕させた。市はこちらの再三の要求にしぶしぶ応じ、約束の期限に大幅に遅れながら質問内容を開示した。しかし、そこには前述の誘導質問や数字の記載が一切無かった。また更なるメンバーの質問に対し、市のサーベイ責任者から、前述のバイアスがかかった説明内容が反日組織から提供された一方的な情報に基づくものであるとの回答を得た。2回目のサーベイの内容として、「この問題について判断すべきは、市、州、連邦のどのレベルの政府だと思いますか」というような質問も追加されていた。一週間ほど遅れて、別の日本人宅にも電話がかかって来た。この時の質問は、開示されたものに近かったという。慌てて説明と質問を差し替えた可能性がある。中韓反日団体最後の攻勢と市長の思惑中韓反日団体最後の攻勢と市長の思惑 7月7日、マクルーカス議員が再度、問題の決着を促す動議を市議会に提出した。9月には市長改選が行われる。自分の任期中に解決すると公言していたバカリ市長も後がない。8月11日に特別会議を開催して票決することを全員一致で決めた。マクルーカス議員の動議はあくまでも慰安婦像設置の否決が目的であったが、中韓反日団体はこれを最大の好機と捉え、なりふり構わない攻勢に出てきた。彼らはストラスフィールド駅前広場にテントを張り、ビラ配りなどのキャンペーンを開始した。 中韓反日団体の戦略は明確だった。大きなバナーに「Stop Violence against women during war time and peace time」(戦時と平時における女性への暴力に反対する)の文字がでかでかと踊る。その下に小さく「オーストラリアでは毎年55人以上の女性が家庭内暴力で殺されている。第二次大戦中には、20万人以上の女性が、いわゆる慰安婦と呼ばれる性奴隷にされた」と書いてある。つまり、強引に慰安婦問題を今日の家庭内暴力に結び付け、女性の人権全般の問題にすり替えることで、幅広い支持を受けようという魂胆だ。そして、通行人に署名を求めると共に、別のリーフレットを手渡す。そこには、スリーシスターズと名付けられた慰安婦像のスケッチが印刷されており、「第二次大戦中、20万人以上のアジア人とオランダ人女性が日本帝国陸軍によって人権侵害されました。この銅像を建てれば、このような悲劇の再発を抑止する一助となるでしょう」と書いてある。銅像の三姉妹は中国人、韓国人、豪州人女性のはずだが、そのことには一言も触れていない。 我々がモニターしていたシドニー韓国人会のホームページに、反日団体リーダーの興奮したコメントが躍った。「8月11日は5対5のスピーチが行われることになった! 外部から虐殺の研究者や、女性の人権活動家を呼ぼう!」、この期に及んで、まだスピーチ合戦をするというのか? 明らかに、市議会の誰かが情報を流している。韓国系の市議か、バカリ市長か? AJCN副代表のダレンがバカリ市長に電話して状況を質すと、市長は軽口をたたいた。「スピーチは、(賛成と反対)それぞれ4人ずつか、8人ずつか、それはわからない。外部からも歓迎だ。部外者が、どういう経緯で関心を持つようになったのか、それも聞きたいと思うよ。君、不安そうな声じゃないか? 心配することないさ、私もまだ賛否を決めてないんだ。当日決めるつもりさ!」 これでバカリ市長の目論見がわかった。慰安婦問題を女性の人権問題にすり替える反日団体の方針は、住民の意識調査の実施を決めた際に市議会で否定されている。にもかかわらず、その方針に基づいた反日団体の駅前キャンペーンを黙認し、再度公聴会を開いた上で、多人数のスピーカーの参加を許す。特に、人権活動家など、外部のスピーカーの参加を容認して、女性の人権問題にすり替えて可決を目指す。そうすれば、自分が強行採決しなくても、民主的な手続きを経たように見える。 私から市に対し、家庭内暴力に結び付けたキャンペーンは当初の趣旨と異なる欺瞞であること、16か月を経て公聴会を開催することの矛盾、部外者の干渉を避けるためにアンケート調査を実施したのに、非居住者のスピーチを許すことの矛盾、などを指摘した手紙を送ったが、無しのつぶてであった。カウンター・ナラティブを作れ! メンバーからスピーチの準備を始めるべきだ、との声があがった。「山岡さんの頭の中には構想ができあがっているんじゃないですか?」。私は答えた。「スピーチには絶対の自信がある。しかし、このまま、相手が準備する戦場に出向いて戦うのは賢くありません。スピーチを聞いてから意思を決める議員はいないでしょう。決戦のポイントをずっと前に設定すべきです。まんまとその場で可決されたらそれで終わりではない、その後に新たな次元の戦いが継続されることを市と市議会にしっかり認識させてから投票させるのです」。それはすなわち、カウンター・ナラティブ(Counter Narrative)を再構築するということだ。こちらがコミュニティの融和の大切さを訴えたのに対し、相手は、慰安婦問題を「家庭内暴力を含むすべての女性人権問題」にすり替える作戦に出て来た。それならば、こちらはさらに一歩踏み込んだナラティブ(物語)を用意して、相手の矛盾を露呈させるまでである。構想はあるが、決定的な証拠が欲しい。 そんなある日。元一部上場企業の海外事業統括だった江川事務局長は朝の3時半に突然目が覚め、何かに突き動かされたかのようにコンピュータに向かい、シドニー韓人会のサイトをくまなくチェックしはじめた。これまで注視していなかった、ハングルで書かれた投稿記事を片っ端からGoogleで翻訳し、私に送り続けた。私は重要な箇所を韓国研究者に頼んで丹念に翻訳した。それらから反日団体リーダーの本音が、ものの見事に浮き出てきた。そのひとつを紹介しよう。「日本人たちも住んでいるこのストラスフィールドで、決して再び日本人に負けはしない。我々は、反省しない彼らを、軍国主義の復活を夢見る安倍晋三の日本人たちを撃破して、女性の人権を蹂躙する獣じみた歴史を終結させるだろう。20万人の元慰安婦の涙を拭いてあげよう、そして、外国に支配され続けた、惨めで悲しい朝鮮半島の歴史に終止符を打つ」 もはや、日本の政権批判を飛び越えて、慰安婦像に反対する日系の地元住民までも「軍国主義復活を夢見る反省しない敵」として、「撃破」を叫んでいる。ここに彼らの真の動機とメンタリティーが露わになっている。さらになんと、反日団体による駅前キャンペーン開始当日にバカリ市長が、慰安婦像推進のパンフレットを掲げた反日団体代表と、日本食レストランで歓談している写真まで掲載されている。バカリ市長は我々からのメールにも手紙にも、一回も回答しなかったが、陰でこんなことをしていたのだ。バカリ市長のこのような一連の行為は、市議に対して適用される行動規定(Code of Conduct)に抵触する可能性がある。そして、反日団体リーダーのネットへの投稿は、法律で禁じられている他民族への誹謗中傷に該当する。 もし、市がこれらの事実を知りながら慰安婦像設置を許可すれば、その瞬間に市はこれらの行為を容認したことになり、自ら加害者に転ずるのだ。市への最後通牒の作成は江川事務局長と法曹界に人脈があるRikaさんに託した。急いだのは、市に考える時間を与えるためだ。素晴らしく迅速な仕事だった。矢は深く静かに放たれた。それを見届けて、私は全メンバーに通告した。「さあ、スピーチの準備をしましょう!」運命の特別会市の責任回避 市の行政サイドの反応は想像以上に早かった。ほんの数日後に、Recommendationという形で市の認識を大々的に発表した。市のウェブサイトに掲載された他、地元紙の一面も飾り、最終面にはわざわざ日本語と韓国語の翻訳まで載せる徹底ぶりだ。慰安婦像が、いかに市のモニュメントポリシーに反しているか、16項目に及んで詳述し、市民のアンケートでも、33%しか賛成していないと書いてある(33%は多すぎる印象だ。誘導尋問の影響だろうか? 全く解説がないのも不自然だ)。したがって、市の行政サイドは、市議会に対し、これ以上慰安婦像について審議しないことを推奨するという結論になっている。最後の最後に、市は身をひるがえした。慰安婦像が可決されて、法律に抵触する事態となっても、自分たちは一切責任を負わないと高らかに宣言したのだ。この状態で市議が慰安婦像に賛成票を投ずることは政治的自殺行為に等しい。勝負はあった。結局のところ、人を動かすのは正義や理念ではなく、保身だということだ。慰安婦像が市のポリシーに反することなど、最初からわかっていたではないか。江川事務局長が言った。「これでも彼ら(反日団体)はやってくるでしょうか?」。私は答えた。「必ずやってきますよ。何事もなかったかのようにね」。事実、会場は当日、日系人約100人、中韓他約200人で満杯となる。 市は結局、4対4のスピーチ合戦になることを通告して来た。スピーチ希望者は当日の朝、公開抽選で選ばれるという。昨年と違って時間的余裕があるので、我々は様々な角度から4つのスピーチを用意し、スピーカーを登録した。しかし、最後までドラマが残されていた。 8月11日の朝9時半、江川事務局長から電話が入った。「今抽選が終わりました。AJCNからひとりしか入りませんでした。後の3人は外部の人たちです!」。なんと、慰安婦像反対派は、我々以外にも4人が応募していたのだ。対して中韓側は4人のみの応募で、そのまま決まったという。唯一AJCNから選ばれたのは、一番重要な地元オージーのダレンだったから、これは良かった。しかし、後の3人が外部からの応募とは驚いた。ブライアンという欧米人男性は、事前に独自に応募してもいいかとの問い合わせがあったので、想定内ではあった。もうひとりの日本人女性は完全に想定外だったが、幸い、連絡が付いた。正義感から応募したが、まだ原稿は用意していないという。残る一人は謎の白人男性だったが、こちらも地元オージーのネットワークですぐに確認できた。なんと、ストラスフィールドに何十年も住む長老で、父親は元市長。敬虔なクリスチャンで、慰安婦像に心から反対しているという。天佑神助とでも言うべき援軍だ。 相手側のスピーカーについても即座に調査した。案の定、ユダヤ人のホロコースト研究者とギリシャ人のジェノサイド研究者が入っている。慰安婦問題をホロコーストやジェノサイドに結び付けようという魂胆が見え見えだ。後の二人は、中国人と韓国人団体の代表らしい。 私は車を走らせてブライアンに会いに行った。彼のスピーチで、慰安婦問題はホロコーストとは全く類似性がないことを強調してくれるように頼むためだ。彼は笑顔で快諾してくれた。運命の特別会 午後6時30分、市議会特別会が始まった。ブライアンは偶然にも、第一スピーカーに選ばれ、多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝の話を紹介し、次のホロコースト研究者のスピーチを大幅に無効化した。 二番手のダレンは地元の父親として、全ての移民は豪州の価値観を受け入れ、自国のいざこざを持ち込むべきではないと主張し、反日団体は地元の中国人コミュニティを代表していない、という中国系住民の声を紹介した。 中韓側のジェノサイド研究者の大学講師は、「慰安婦は売春婦ではなく、奴隷だった。河野洋平が認めた。イスラム国は少女に売春を強要しているので、慰安婦像はその象徴にもなる」と主張したが、ストラスフィールドに建てる必然性は説明できなかった。 反対派のストラスフィールドの長老、ジェフ・ボイス氏は、高齢ながら、絞り出すような声で毅然と言い放った。「ここはオーストラリアだ。中国や韓国やアメリカの支店ではないのだ。みな、オーストラリア人なのだ」。名スピーチだ。 中国系代表の男性は、中華系ビジネス団体を代表する名士のようだが、戦争に関する男性の銅像はあるから、女性の銅像も作ろう、という主張は全く新味のないものであった。 反対派のアンカーは想定外の日本人女性となった。彼女には、私が自分用に用意した原稿を託していた。私はあえて、この問題は、中国が日米、日豪関係を分断するため、韓国の反日感情を利用して仕掛けている情報戦の一環であり、慰安婦像を建てることは豪州の安全保障に係わるという主張を入れておいた。彼女は英語が堪能で、堂々としたスピーチをしてくれた。おかげで翌日の新聞にはこの問題で初めて安全保障の観点が記載された。 そして韓国の最終兵器は、20代前半と思しき容姿端麗な女性だった。ミニスカートに高さ10センチ以上ありそうなハイヒール。スピーカー席に着くなり、足を組んで、ペンで市議たちを指すようにしながら、強い韓国語アクセントで話し始めた。「私みたいな、若い娘が強姦されて殺されたりしちゃったのよね…わかる? だから慰安婦像を建てたほうがいいのよ」。韓国側は、彼女を映画「氷の微笑」のシャロン・ストーンに見立てたのだろうか? 韓国系のサン・オク議員は、自ら利害関係者であると宣言して退場し、市長を含めた6人の全員一致で慰安婦像設置は否決された。バカリ市長は、何事も無かったかのように、淡々と否決に賛成した。会場に、反日団体のリーダーの姿は無かった。貫いた「非敵対的合理主義」 16カ月に亘る長期戦を経て、当然すぎる帰結にたどり着いた。我々は、AJCNという、日豪混成チームを作り、中韓反日団体対全ての住民という構図を作り、コミュニティのために戦い、コミュニティのために勝利した。地元オージーから元駐在員まで、見知らぬ同士だった様々な人々が最後まで一致団結して戦えたのは、相手がどんなに横暴で卑劣であろうとも、品格を保ち、理知的に行動し、コミュニティの平和と融和、そして、母親と子供たちを守るために戦うという設立理念(非敵対的合理主義)を堅持したからだ。この理念に共感する人しか参加して来なかったので分裂することもなかった。また、対照的に反日団体の暴力性を浮き立たせることに繋がり、良識ある市議会議員や一般市民の支持を得ることに成功した。我々は反日団体を論破しようとなどせず、良識の輪を広げることに注力していたのだ。 その一方で我々は、決して相手の土俵に上がって戦うことはしなかった。常にカウンター・ナラティブを創り出し、相手のオウンゴールを誘発した。非敵対的で紳士的であることは弱さを意味しない。逆に、アグレッションは強さを意味しない。相手のアグレッションをそのまま利用して投げ返す、合理性と戦略性こそが強さの源泉となる。目的は慰安婦像を建たせないこと、その一点に集中し、多元的な論点を繰り出して、歴史認識論だけで防戦することはしなかった(防衛二元論)。実の所、私が最も労力を注いだのは、論争ではなく、適材適所で多様な人材を適宜活用する組織運営だった。AJCNの活動を補完するように外部の人材や団体からも協力を得た。慰安婦像設置案が全会一致で否決された夜、韓国系のサン・オク議員がメディアのインタビューに答えて言った。「中韓の協業は素晴らしかったが、日本の組織的妨害に屈した」。我々に強力な組織も資金もありはしない。あるのは良識の輪と、各人が戦略に沿って長所と才能をフルに発揮する緩やかなネットワークだけだ。日本人へのWake up call これは民主主義の勝利だろうか? 民主主義とは、自らの権利を守るために、戦う手段を提供するシステムのことだと学んだ。自存自衛の決意無き正義など、フェンスの無い花畑のごとく、踏み荒らされてしまう宿命なのだと痛感した。相手の善意に自らの安全を託していたら、命がいくつあっても足りはしない。それが国際社会の現実なのだ。 8月16日日曜日、これまで反日記事が多かった有力紙「シドニーモーニングヘラルド」に、慰安婦像が全会一致で否決されたこと、中韓反日団体が如何に暴力的だったか、が強調された記事が載った。潮目は変わった。やればできる。我々がシドニーモデルともいうべき手法で勝利したという報告は、南半球から全ての日本人に送るWake up callである。この場を借りて、ご支援頂いた全ての方々に厚く御礼申し上げる。やまおか・てっしゅう Australia-Japan Community Network(AJCN、旧JCN)代表。ストラスフィールド市における中韓反日団体による慰安婦像設置推進運動に遭遇、地元の母親を率いてAJCNを結成。地域社会融和の大切さを訴えて市議会に設置可決を見送らせた。 

  • Thumbnail

    記事

    太地町イルカ問題 静岡・伊東市長をだまし、交通事故起こした大物活動家

    佐々木正明(産経新聞社外信部記者) 9月1日、和歌山県太地町で地元の食文化を支えてきた追い込みイルカ漁が解禁された。この日にあわせ来日した米国籍のイルカ保護活動家、リチャード(リック)・オバリー氏(75)が、行く先々で騒動を引き起こしている。 静岡県伊東市の親善大使に任命されたとうそぶき、太地町では飲酒運転の末、旅券不携帯で摘発され、翌々日には懲りずに車を運転し自損事故を起こした。世界のイルカ保護運動に影響力を持ち、昨今の水族館イルカ問題でも主要プレーヤーとなったオバリー氏の言動は、太地町の漁師らが生活の糧としてきた営みを貶め、彼らの誇りや尊厳を傷つけている。オバリー氏は自らが招く摩擦が、日本社会とイルカ保護運動全体に大きな亀裂を起こしていることを把握しているのだろうか? 太地町は、追い込み漁をスパイ映画のようなタッチで隠し撮りした米作品「ザ・コーヴ」(入り江の意味)が2010年にアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞して以来、世界のイルカ保護活動家にとって、悪名高き「聖地」になった。 オバリー氏は1960年代、水族館で飼育されたイルカの調教に従事していたが、その後、テレビ番組に一緒に出演したイルカが死んだのを契機に、イルカ保護の立場に身を転じた。ザ・コーヴでは主役として登場し、世界的に名を馳せた。かつては反捕鯨団体シー・シェパード(SS)と協調路線を取っていたが、今は一線を画し、自らの団体「リック・オバリー・ドルフィンズ・プロジェクト」を組織して、国内外の活動家たちを束ねている。活動資金は、支持者から集めた寄付金だ。 2003年から追い込み漁の反対キャンペーンを始めたオバリー氏にとって、漁解禁前の毎年8月末に訪日するのは定例だった。今年も8月27日に来日した。オバリー氏が伊東市の親善大使に任命!? オバリー氏は到着するとその足で、静岡県伊東市にいる元イルカ漁漁師の元を訪ねた。同市富戸漁港はかつてイルカ漁を行っていたが、国内外からの批判が高まり、イルカを殺す漁をやめ、イルカを愛でるウォッチングビジネスを始めた。保護活動家にとっては、漁師らにイルカ漁を諦めさせる好例の手法を示す場所でもあった。静岡県伊東市の佃弘巳市長と握手するリック・オバリー氏。「親善大使に任命された」とうそぶいた(オバリー氏のサイトより 削除済み) 28日夕方、オバリー氏の団体はツイッターで「オバリー氏が伊東市の大使に任命された」と速報をうった。オバリー氏と元漁師、そして伊東市の佃弘巳(ひろみ)市長が笑顔で3人並ぶ記念写真が添付された。 自身のフェイスブックページでも、オバリー氏は佃市長とがっちり握手する2ショット写真を掲載し、「ワオ、なんという嬉しい知らせだ。市長が私を伊東市の親善大使に任命した。日本人と敵対するのではなく、一緒に働くことは報われるのだ」というメッセージを流した。 この知らせはまたたく間に世界中のオバリー氏の支持者らの間で広がっていった。 「おめでとう。大きな名誉だ」「伊東市長に感謝を申し上げる」「あなたは、本当にレジェンドな人だ」 ネット上の反応はあっという間に数千に膨らんだ。支持者たちは誰もがアカデミー賞作品主演のカリスマの言葉を信じた。 ところが、3日後の週が明けた月曜日、大使就任は真っ赤なウソだったことがわかる。31日朝、佃市長は声明を出し、「親善大使に任命した事実はありません」と完全否定した。市側はオバリー氏と元漁師に抗議して、公式サイトから「大使任命」の誤った情報の即時削除を要請した。 佃市長は相当に脇が甘かった。オバリー氏の言われなき非難に悩んできた太地町の住民だけでなく、永田町や霞ヶ関の関係者にも多大なる不信感を抱かせた。どんなに弁明してもオバリー氏を市役所に招き入れ、記念写真を撮影したことは明かな事実だからだ。少し調べれば、オバリー氏がこれまでも何度も騒動を引き起こしてきた「要注意人物」(治安関係者)であることがわかったはずだ。 問題はオバリー氏サイドが情報の削除には応じたものの、なぜ削除したかの説明責任や混乱を引き起こした謝罪を一切していないことだ。この騒動は表面上まるでなかったかのようになっている。 しかし、英語のサイトでは9月に入ってからも「オバリー氏、伊東市大使就任」の情報は出回っている。伊東市側も「英語での声明を発表するつもりはない」としており、積極的にこのスキャンダルの火消しを行っているようには見えない。 イルカ漁問題はこれまでもこうして、オバリー氏のような活動家が横のものを縦にするような虚偽の情報を流布し、その情報を海外の人々が正しい情報として受け入れ、漁師に対する非難のボルテージを上げるという負のサイクルが続いてきた。支持者はカリスマが物事を歪めて伝える情報に、煽動された。 オバリー氏がなぜ「親善大使任命」などと高らかにうたったかは不明だが、伊東市長との面会を利用して、自身の行動に箔をつけようとした意思があったことは間違いない。和歌山では飲酒運転 そうして、オバリー氏は9月1日の漁解禁にあわせて太地町に乗り込んできた。毎年9月1日には、追い込み漁が行われる入り江で支持者らと一緒に「イルカを救え」パフォーマンスを行うことになっている。常宿は近接する那智勝浦町の高級温泉ホテルだ。「オバリー氏は、豪華な宿泊費さえもイルカ漁の漁師を虐めて得た寄付金から払っている」。オバリー氏の行動を煙たがる漁業関係者はこう揶揄する。 前日の夜、オバリー氏は自らレンタカーを運転して、那智勝浦町内の居酒屋に1人で出かけた。翌日のパフォーマンスのための景気づけだったのだろう。ビールを飲んで食事をして、2軒目の中華料理屋にも出向いた。そうして、ほろ酔い気分でホテルへ帰ろうとした。 ところがその様子を見ていた地元民がいた。「オバリー氏が酒を飲んで、車を運転している」。この情報を和歌山県警新宮署に通報した。 9月1日は、警察にとっても警戒を強める日だ。海外から訪れる活動家が不測の事態を起こす恐れがある。米国や英国などでは動物を守るためなら人間に危害を加えることも厭わない「環境テロ」が社会問題化していた。警察や海上保安庁は海外での事例を研究し、毎年、訓練を行って警護態勢を強化していた。 通報を受けた新宮署の警察官はオバリー氏に職務質問した。すぐに呼気検査を実施した。だが、摘発するレベルのアルコール分は検出されなかった。警察官は身分証明書の提示を求めた。しかし、このとき、オバリー氏は運転免許証も旅券も所持していなかった。 治安が悪化している国ではこの時点で不審人物と判断され、署に連行されるケースも多いだろう。しかしここは日本だ。警察官はオバリー氏に、ホテルにいったん戻って旅券や運転免許証を取ってくるようやんわりと促した。 ところが、オバリー氏はこの提案を拒否した。頑な態度をふまえ、新宮署は厳格に法を執行することを決めた。出入国管理法違反(旅券不携帯)の現行犯逮捕。そうして「オバリー容疑者」は署に連行された。警察幹部は「オバリー氏には遵法精神がみられない」と語った。 米アカデミー賞作品主演活動家の逮捕のニュースは国内外の通信社が「速報」で報じた。支持者たちは警察の姿勢に反発した。「なんと馬鹿げたことだ!」「警察は即座に釈放せよ」「むかつく。だから日本はきらいなんだ」 自らも「イルカ漁について明確に反対する」と言う脳科学者の茂木健一郎氏も不快感を示した。「オバリー氏逮捕」のニュースを目の当たりにし、ツイッターでこうつぶやいた。茂木氏のツィッター 「『ザ・コーヴ』の監督(★ママ)の逮捕、形式的には違法なのかもしれないが(旅行者に常に旅券の携帯を求めるという法律自体問題で、提示を求められたら近隣の警察署で二日以内に示す、といった条文が妥当だと思う)、諸外国に対しては日本の市民的自由について、むしろネガティヴな印象を与えると思う」 茂木氏はさらに「京都を歩いている家族連れの外国人旅行者が、旅券不携帯で逮捕されることはないでしょう」ともつぶやき、和歌山県警の姿勢を暗に非難した。 しかし、交通事故が多発し、飲酒運転には厳格な取り締り規制を敷いている日本で、運転免許証も持たずに居酒屋に行き、酒を飲んで帰りも平気で車を運転している人がいるのであれば摘発するのは当然ではないか。この時のオバリー氏の態度は、「京都を歩いている家族連れの外国人旅行者」とは違うのである。 オバリー氏は警察署でお灸を据えられて、1日後の9月1日夜に釈放された。入り江でのパフォーマンスは主役抜きで行われていた。娑婆に出た後、オバリー氏は吠えた。団体のHPにはこんな声明が掲載された。 「オバリー氏は、高まる太地町への圧力と『日本の過激で、極右でラジカルな政府』が相まって、西洋人を危険な立場に追い込んでいると考えている。オバリー氏は『彼らは西洋人をすべて懲らしめようとしている。命令はもっと上の方からやってきた。地元警察ではない。私達はいつも地元警察の人たちと仲良くしているからだ』と言った」 オバリー氏の息子、リンカーン・オバリー氏は米3大ネットワークのNBCニュースの取材に対して、こう答えた。釈放後、父親と電話で事情を聞いていた。 「(酒を飲んだという)耳よりな情報は、父を夕食の席で見つけた地元のレポーターからもたらされたのかもしれない。パパラッチに仕組まれたのだ」 リンカーン氏はNBCに対して不満をぶちまけ、「75歳の父は警察官から尋問される留置場で落ち着かない一夜を過ごした」とも訴えた。 しかし、オバリー氏は元気だった。ホテルへと帰り、翌日の2日、早朝から太地町に出向き、漁師たちの様子を監視した。度重なる騒動に地元住民はあきれ果てている オバリー氏は懲りずに自分でレンタカーを運転した。波止場内の駐車場に車を止めようとした際、段差があることに気付かずに、そのまま前へ突っ込み、タイヤが段差に乗り出して、運転不能になった。オバリー氏は、警察署から釈放された翌日の9月2日朝、太地町で自損事故を起こした(地元住民提供) 自損事故。オバリー氏はつい数時間前まで滞在した警察に通報した。当時、周りに車や歩行者がいなかったことが幸いした。本人にも他の人にもケガはなかったが、一歩間違えば、大けがを負う危険性もあった。オバリー氏は、事故った車の前で、ピースポーズをした(地元住民提供) 現場で事故処理が行われ、レンタカーはレッカー車で運ばれた。何事かと周囲に人が集まりだし、オバリー氏はピースポーズを示して住民におどけて見せた。 イルカ漁が始まり、のどかな町には警察官と外国人活動家が往来し、住民らはこの時期、タダでさえナーバスになる。オバリー氏が引き起こした度重なる騒動について、地元住民は「もうほとほとあきれ果ててる。はやく出て行ってほしい」と嘆いた。 オバリー氏を一躍有名にした「ザ・コーヴ」は公開後すぐに事実誤認にまみれていることがわかった。日本語版上映の際、日本の制作会社が明らかに間違いの部分を省くという修正を行ったほどだ。あらゆるシーンの検証の結果、ルイ・シホヨス監督らは、撮影された時期も場所も異なる映像素材を組み替えて編集してあるはずもない場面を生み出したり、CGを駆使して虚像を作り出したりした疑いも浮上した。 当の本人のオバリー氏はそうしたトリックのあるザ・コーヴの弱点があることを見越し、一切制作には関与していないという立場を取り続けた。「私は漁師に自分の価値観を押付けたことは1度もない。私は映画の出演に応じただけだ」と逃げをうち、さらに住民らの不信感を増幅させた。 オバリー氏が太地町を訪れるようになってもう12年になる。しかし、もう何年も太地町の住民はオバリー氏とまともな会話をしていないのではないか。あの手この手で漁を止めさせようとしたが、漁師たちは合法で持続的可能な捕獲量で行われている漁を決して止めるつもりはない。むしろ、地元の漁師たちはオバリー氏やシー・シェパードのような「外敵」がいるからこそ結束し、食文化を守るための営みを次世代にもつなごうとする気概にあふれている。 しかしながら、オバリー氏が派手な立ち回りをすればするほど、支持者たちからの寄付金が彼の懐に落ちるビジネスモデルが成立してしまっている。支持者たちは、太地にこだわるオバリー氏の執念を褒め称える。しかし、住民たちは「オバリー氏はイルカ保護という利権を守っているのだ」と非難している。 イルカ漁をめぐる不毛な騒動は今後も続いていく。太地を訪れ、パフォーマンスを行う活動家たちは自分たちの行動が反発を呼ぶだけで、むしろイルカ漁の停止から遠のかせてることに気付いていない。

  • Thumbnail

    記事

    反捕鯨運動の酷さを伝える「ビハインド・ザ・コーヴ」に期待

    洗脳映画そのものですが、いったん洗脳されると洗脳を解くことは容易ではありません。 反捕鯨だけでなく、反日でナショナリズムを煽って中国や韓国が国内の不安や不満を逸そうとし、ロシアもそれに乗って北方領土問題や、シベリア抑留という不法行為を覆い隠そうとしていますが、こちらも理性的な反論だけでは通じず、「見て」「感じてもらい」「共感してもらう」努力が必要なのでしょう。 いずれにしても、「ビハインド・ザ・コーヴ」はぜひ見たいものです。ネットで寄付すれば見ることができるようになればと切に望みます。※この記事は「大西宏のマーケティング・エッセンス」より転載しました。

  • Thumbnail

    記事

    炎上する「首相官邸」 FBサイトを荒らすシー・シェパード

    佐々木正明(産経新聞社外信部記者) 海外への情報発信強化を図るために開設された首相官邸のフェイスブック(FB)英語版ページ。安倍政権発足後の2013年1月に現在の形態になって海外に読者数を伸ばしているが、開設当初から異変が続いている。意見を書き記すコメント欄では、「荒らし行為」が横行。広報された情報とはまったく関係のない不適切なメッセージや支離滅裂な語句が書き込まれ、事実上、放置されたままとなっている。その中核となっているのが、日本のイルカ漁や捕鯨を批判する、病的とも思えるユーザーたち。過激団体シー・シェパード(SS)のメンバーやその熱烈な支持者たちが、「首相官邸」を炎上に導いている。荒らし行為が目立つ首相官邸のフェイスブック英語版ページ https://www.facebook.com/Japan.PMO?fref=tsパリテロ事件への哀悼の意に大量のイルカ漁、捕鯨批判コメント 世界を震撼させたフランス紙「シャルリー・エブド」本社銃撃事件。1月9日、首相官邸は、フェイスブック上で「言論の自由、報道の自由を妨げる暴力行為はいかなる場合でも容認できない」とする安倍総理の公式声明を発表し、遺族に対して哀悼の意を示した。 しかし、コメント欄では最初から、このテロ事件とはまったく関係のない日本への「攻撃メッセージ」で占められた。 2番目に投じた「Heal Yourself Mind body and spirit」という名のユーザーの英語メッセージには、「Charlie Hebdo」(シャルリー・エブド)の文字も、ましてや、Franceもterroristの文字も出てこない。のっけから「日本では年間2万頭のクジラやイルカの大量殺りくが行われている」と日本批判で始まる。テロ事件とは関係のない、捕鯨やイルカ漁に対する長文のコメント 長文の文章には、和歌山県太地町で行われているイルカ漁に対する非難が滔々と記されている。写真やFBサイトの内容からすると、欧米諸国出身の女性とみられるこのユーザーは「2003年のシー・シェパードが暴露するまで日本のイルカ漁は世界的に知られていなかった」とも述べ、SSの熱烈な支持者であることがわかる。 いまも、和歌山県太地町には、SSの活動家が来日し、漁師らへの悪質な嫌がらせが続いている。年々増加傾向にあり、和歌山県警の調べによると、昨年度は100人を突破したという。「イルカに対する残酷で破滅的な殺りくを止めさせるために、われわれは、日本に圧力を与え続けなくてはならない」。SSの宣伝文句のような彼女のメッセージには、太地町の反イルカキャンペーンに加わるためのSSの連絡先まで明記されている。育児支援の話題にも、「恥を知れ、シンゾウ。イルカ殺しは子供殺しと一緒だ」 「イルカ教の信者」とも揶揄されるユーザーの攻撃メッセージはさらに続く。 ロンドン在住のPeter Baldwinというユーザーは、フランスの言論テロにひっかけて「じゃあ、あなたがたはクジラやイルカに対してのテロはまったく気にしないのか」という。論理の展開が破綻している。 サンパウロ在住のTatiana Lambauerは「どんなにイルカに対しての暴力が行われていることか。恥を知れ!」と容赦ない。女性ユーザーからのメッセージが多いのも特徴だ。 日本国民のためにと、わざわざ自動翻訳で日本語に訳したものの、ほとんど意味が通じない文章を載せる者。ネット上にあふれるイルカ漁、捕鯨批判の動画のURLを添付する者、さらにはスペイン語、フランス語で書き込む者もいる。全体の4割ほどが、クジラ・イルカ関連の投稿である。 翌日、2組の若いお母さんと赤ちゃんの親子と安倍総理が交流するほほえましい写真とともに、育児支援に対する安倍総理の声明が記されたエントリでも、状況は同じだった。またもや関係のないコメントが… やはり、Peter Baldwinがイルカ漁ネタで口火を切る。執拗なメッセージはもはや病的にさえ映る。低俗な文面やスパムも露見され、メッセージは「日本をボイコットせよ」「恥を知れ、シンゾウ。イルカ殺しは子供殺しと一緒だ」とどんどんエスカレートしていく。 シー・シェパードがネット上で更新している、反イルカ漁キャンペーンの活動報告も転載され、もはや、日本の育児支援対策などはまったく関係ない。コメント欄だけを抽出すれば、まさか首相官邸の公式FBサイトに添えられているメッセージとは、誰も想像できないだろう。 攻撃ユーザーらの個人サイトを詳しく見てみると、ネット上でカオス状態を繰り出す主になっている「ネチズン」が実行者であることが浮かび上がってくる。イルカ教の信者はネット内で生息していると言ってもいいかもしれない。日本人ユーザー「何とか出来ませんか」と訴えるも、改善みられず 何人かの日本人がこうしたメッセージに立ち向かっている。 ある男性は、フランス言論テロのエントリで、「弔意のコメントなのに、クジラがどーのこーのの場違いなレスポンス。そういう事が平気で出来るような輩が捕鯨反対している訳ですな」と嘆く。 中傷だらけのひどい状況に心を痛める、ある女性は「このページの係員さん、何とか出来ませんか?このページのコメントはスパムだらけです!…ブロックしてください」と訴える。 他の日本人女性は流ちょうな英語で、反イルカ漁・捕鯨ユーザーらに果敢に反論しているが、状況はまったく改善されていないのである。 シー・シェパードと首相官邸FB荒らしの関連性でいえば、FBにコメントした英国人女性が実際に昨年10月ごろ、和歌山県太地町を訪れ、漁師に対する嫌がらせ行為に直接参加していることが確認されている。攻撃ユーザーの行動は、実際のSSの活動と連動していることは注目に値する。 読者が増えているとはいえ、英語版の首相官邸FBサイトの「いいね!」読者ユーザーは5万人弱にすぎない。対して、シー・シェパード創設者、ポール・ワトソン容疑者の個人FBサイトは50万人、和歌山県太地町のSSキャンペーンのFBサイトは25万人以上を数え、日本の捕鯨、イルカ漁はネット上では圧倒的な多数から批判を受けている状況にあるのだ。 放置しているのも炎上状態を和らげる1つの手かもしれない。しかし、日本人ユーザーが指摘したように、すでに、日本の顔とも言えるFBサイトの管理に何らかの対策を加える時期にきているのではないだろうか? シー・シェパードは日本の捕鯨やイルカ漁をダシにして、どんどん勢力を拡大している。そうした実態が、首相官邸サイトの状況に如実に表れている。

  • Thumbnail

    記事

    イルカ漁は日本の文化 外圧や声高な環境保護論で崩壊させるな

    山田吉彦(東海大学教授)単なるショービジネスか 水族館のプールで調教師の指示通りに泳ぎ回り高く跳びはねるイルカの姿を見てイルカの知能の高さを知り、海洋生物の生態に興味を持った人は多いだろう。多くの子供たちは、イルカとの出会いが海洋環境に興味を持つ契機となっている。2頭のイルカの息のそろったジャンプが観客を魅了してきた高松市・新屋島水族館のイルカショー イルカの展示は単なるショービジネスではなく、生物を通し環境のほか、海をめぐる人々の生活、歴史、文化を含めた海洋教育や海の価値を考える海洋思想の普及の役割を持っているのである。 日本の伝統的食文化からみても、いくつかの地域においてイルカは貴重な食料であった。現在でも沖縄、和歌山、静岡、岩手各県などでは、マグロやサバなどの魚類と一緒に、鮮魚店の店頭に並ぶ食品である。 歴史的にみても縄文時代の真脇遺跡(石川県)や中世の井戸川遺跡(静岡県)からイルカ漁の痕跡が出土しており、日本人の文化としてイルカ漁が存在していたことを知ることができる。 この伝統的なイルカ漁が、欧米の動物保護団体の活動により誹謗(ひぼう)中傷を受け、実施が困難になっている。保護団体の主張の押し付けが、日本の文化を崩壊させる一例ともいえよう。 和歌山県太地町は、古来、捕鯨の拠点として栄えてきた。現在でも、21人の漁師が「いさな(クジラの意)組合」に加盟し、イルカを含む鯨類を捕獲し生計を立てている。太地町で捕獲されたイルカの一部は、日本国内のみならず世界中の水族館に配給され、海洋教育の主人公となっている。また、町はクジラ博物館を運営し、小型鯨類の飼育研究と展示による海洋教育を進めている。太地町は、鯨類と人間が共生している数少ない町である。 ところが世界動物園水族館協会(WAZA)は、太地町で行われているイルカ追い込み漁は残酷であり、水族館が追い込み漁で捕獲されたイルカを取得するのは不適切であるとしてきた。太地町はかねてこうした批判にやむなく対応し、捕獲頭数を少なくするとともに、イルカが苦しまず血も流さない処理方法を工夫してきた。存続意義失う反対運動 さらに昨年夏、WAZAから指示を受けた日本動物園水族館協会(JAZA)からの申し入れにより、イルカの追い込み漁を食用のための捕獲と水族館に提供するための捕獲とに、完全に分離している。水族館用の捕獲は傷つけないように丁重に扱い、対象外となったイルカは逃がしているのである。要するに太地町は、WAZAが指摘したイルカ追い込み漁の問題を解決したのだ。 そこで困ったのは、調査捕鯨やイルカの追い込み漁を反対活動の対象として活動する環境保護団体である。彼らは、派手な反対活動をアピールして多額の寄付金を得ることで団体を維持し、また、攻撃的な活動をテレビ番組や映画にして「環境保護をビジネス化した」とも言われている。しかし昨年の調査捕鯨の自粛やイルカ追い込み漁の改良で、それらの団体は存続意義を失いつつある。 一部の環境保護団体は、WAZAに圧力をかけ、日本の水族館が太地町からイルカを獲得することを全面的に禁止することを求め、さもなければWAZAから除名すると、新たな問題を起こした。JAZAは今年5月、WAZAを通した環境保護団体の要求を「無理難題」と感じながらも受け入れ、JAZAに加盟する動物園、水族館が太地町の追い込み漁でとったイルカを取得することを禁じる措置をとった。 現在、日本国内ではイルカの繁殖はあまり進められておらず、唯一、追い込み漁により生体を捕獲している太地町からの取得が禁じられると、実質的に日本の水族館からイルカの姿が消えることになりかねない。JAZAの決定を受け、数カ所の水族館はJAZAからの脱退も視野に入れ、太地町からのイルカの購入を続け、新たなイルカ研究の組織づくりをめざす方針を示した。共生へ研究が不可欠だ 米国の水族館で展示されているイルカは、ほとんどが繁殖させたものであるというが、繁殖させているのはバンドウイルカだけである。また、現在の繁殖イルカの個体数では、20年程度で繁殖不能になると想定されている。 イルカは、音で仲間同士のコミュニケーションをとることができる知能の高い動物であると言われている。捕鯨文化、イルカ漁文化を持つわが国は、イルカの海洋環境教育に果たす役割にも鑑み、イルカの本格的な研究を進めるべきである。自然と人間が共生してゆくためには、知能が高いイルカのような動物の研究が不可欠であり、イルカ漁を禁止するだけでは、海洋生物の保護はできない。 そのためには、イルカなど小型鯨類を飼育しながら研究する施設、機関が必要である。外圧や声高な環境保護論のみに惑わされず、海洋生物や海洋環境と人間の共生を考えるのが、海洋国家日本の使命と考える。やまだ・よしひこ 1962年千葉県生まれ。学習院大学経済学部を卒業後、金融機関を経て、日本財団に勤務。多摩大学大学院修士課程、埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。現在は、東海大学海洋学部教授。博士(経済学)。公益財団法人国家基本問題研究所理事。海洋基本計画「竹富町海洋基本計画」策定委員長、「石垣市海洋基本計画」策定委員会会長、国土交通省海洋政策懇談会委員、東京都専門委員などを歴任。

  • Thumbnail

    記事

    日本の新聞によるデマや誤報が中国の攻撃材料に利用される状況

     中国や韓国が仕掛けてきている対日歴史戦を考える時、見逃してはならないのは日本の新聞が書き立てたデマや誤報が攻撃材料として利用されていることだ。どんなものが利用されているかについて、麗澤大学教授で法学者の八木秀次氏が解説する。* * * 戦後、日本の首相が靖国神社を参拝しても中国は特段、問題視しなかった。ところが1979年4月に朝日新聞は、〈A級戦犯14人靖国神社合祀 賛否、各界に波紋〉(4月19日付)と火種を投じた。同月21日に大平首相が靖国参拝すると、〈「A級戦犯」合祀が大きなニュースとなったため、外国人カメラマンを含む約50人の報道関係者が首相を待ち受けた〉と炎上用の油を注いだ。 しかし、当時の中国は無反応だった。同年10月に大平首相が靖国を参拝した際も中国からの批判は皆無だった。当初は“炎上作戦”は失敗に終わったのだ。だが、繰り返し日本のメディアが靖国参拝を問題視する報道を続け、「靖国」は外交問題に発展していく。戦後70年の節目の年として靖国神社で行なわれた「みらいとてらす」=2015年9月25日(三尾郁恵撮影) 状況が大きく変わったのは、中曽根康弘・首相が公人としての靖国参拝を明言した1985年だった。この時、朝日新聞は再び「反靖国」の一大キャンペーンを始めた。〈靖国神社は戦前、戦中を通じて国家神道のかなめに位置していた。(略)軍国主義日本のシンボルだったことも見逃すことのできない歴史的事実である〉(1985年8月4日付)〈靖国問題が今「愛国心」のかなめとして再び登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している〉(1985年8月7日付) それでも中国政府は、終戦記念日に中曽根首相が靖国を参拝しても目立った反応をしなかった。畳みかけるように8月末には社会党訪中団が北京に飛び、「中曽根内閣は軍事大国をめざしている」と「告げ口外交」に勤しんだ。 朝日新聞と左派政党の「ご注進」に釣られた中国の要人やメディアはここから靖国参拝批判を開始。中曽根首相は同年秋の例大祭での靖国参拝を断念せざるを得なくなった。つまり中国が靖国で騒ぎ出したのはここ30年の話なのだ。こう見ると、靖国参拝が中国の外交カードとなったことに果たした朝日の“役割”が大きいことがよくわかる。 朝日だけではない。1982年6月には、教科書検定中の文部省が高校日本史の教科書にあった日本軍の「侵略」という文言を「進出」に書き換えさせたと日本のメディアが一斉に報じた。〈日本の中国に対する「侵略」は「進出」である、といった変更を求めるのは、歴史を正しく認識させる上で、決してプラスにはなるまい〉(読売新聞・1982年6月26日付社説) 実際は、書き換えの事実はなく、日本テレビ記者の勘違いが生んだ明らかな誤報を新聞各紙が広げたのだった。しかし中韓はその(虚偽)報道をもとに日本に激しく抗議した。 当時の鈴木善幸内閣は中韓に配慮し、宮澤喜一・官房長官が「政府の責任で教科書の記述を是正する」と約束した。その結果、教科書を作成する際、近隣のアジア諸国に必要な配慮をするという「近隣諸国条項」が設けられた。関連記事■ 櫻井よしこ氏 首相の靖国参拝妨害者の存在はおかしいと指摘■ 渡辺恒雄氏 安倍首相靖国参拝に「オレも失望した」と話す■ 韓国紙デスク 韓国メディアが朝日新聞を大好きな理由を解説■ 中国 ソ連の脅威消滅で靖国利用し日本に圧力と櫻井よしこ氏■ 神社本庁、新宗連、幸福の科学等首相の靖国参拝への見解紹介

  • Thumbnail

    テーマ

    「歴史戦」英訳版は朝日が出すべきでごんす

    産経新聞出版では7月末、『歴史戦』の英日対訳版を出版いたしました。「慰安婦問題」の真実を海外に伝えるための試みですが、本来なら、「慰安婦=性奴隷」という誤報を世界中に広めた朝日新聞がやるべき仕事ではないでしょうか。

  • Thumbnail

    記事

    欧米に浸透した日本糾弾 朝日が作った慰安婦プロパガンダ

    った可能性がある。韓国の盧泰愚元大統領 「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、わが国の国民の反日感情を焚(た)き付け、国民を憤激させてしまいました」というのが当時の盧泰愚大統領の発言である。何か戸惑いのようなものが感じられないか。 しかし、世論を自らにひき付けて日本に臨む絶好の外交カードとしてこれを用いようと韓国の指導者が意を転じたとして何の不思議もない。実際、「歴史問題の政治化」は功を奏し、93年には河野談話、95年には村山談話という韓国の対日糾弾に有力な論拠となる政府見解を日本側から引き出すことに成功したのである。欧米に浸透した日本糾弾 朝日報道は、後に秦郁彦氏や西岡力氏の精力的な実証分析により誤報であることが判明した。朝日自身が昨年8月の検証記事により吉田清治証言を虚偽として記事を取り消し、慰安婦と挺身(ていしん)隊との混同についての検証が不十分であったことを明らかにして、後に社長の謝罪となった。 しかしこの間、韓国は日本糾弾のキャンペーンを欧米で活発に展開、旧日本軍の「悪」は欧米のジャーナリズムとアカデミズムに深く浸透してしまった。日本人の油断に慚愧(ざんき)の思いが深い。 米国マグロウヒル社の高校生用の歴史教科書には、20万人が強制徴用、彼女らは「天皇からの贈り物」(a gift from the emperor)として兵士に供され、戦争が終わった後は証拠隠滅のために殺害されたという、まったく根拠のない、それに非礼この上ない記述が平然となされるにいたった。日本外務省も黙認することはできず、昨年末に訂正を同社に求めたものの記述に変更はない。 あまつさえ、今年2月には米国の歴史学者19人が「われわれはマグロウヒル社を応援するとともに、いかなる政府も歴史を検閲する権利をもたない」と逆襲に出たのである。 今年5月には欧米の日本研究者ら187人が連名で声明文を発表し、日本の「慰安婦」制度は、その規模、軍による組織的管理、植民地・占領地の女性搾取などの点からみて、20世紀の戦時性暴力の中でも特筆すべきものだと難じた。根拠資料は何も示してはいない。連名者の中にエズラ・ボーゲル氏やロナルド・ドーア氏といった名前があって驚かされる。真実は事実の中にのみ宿る 戦後の日本の自由と民主主義は祝福に値するものだが、真の祝福を妨げているのは日本の「歴史解釈の問題」だという。「特定の用語に焦点を当てた狭い法律的議論」や「被害者の証言に反論するためのきわめて限定された資料」にこだわってはならないと諭し、「過去の過ちについて可能な限り全体的、かつできる限り偏見なき清算をこの時代の成果としてともに残そうではないか」と結ばれる。 国家や民族による「歴史解釈」の相違を許さない傲慢を私は強く感じる。無数の民間非戦闘員を殺戮(さつりく)した広島、長崎への原爆投下や東京大空襲について、日米の歴史解釈が異なって当然のことであろう。自分の解釈に従えというのなら、国家関係は成り立たない。96年のクマラスワミ報告として知られる国連人権委員会報告、2007年の米国下院外交委員会での慰安婦決議などの「権威」には逆らうなということか。 慰安婦問題は日本国内では大方の決着が付いたものの、肝心の国際社会では日本は無援の孤立を余儀なくされている。ことは日本自身の歴史解釈に関わる。真実は事実の中にのみ宿ると考えるまっとうな日本の歴史学者を糾合、反転攻勢に出ようと臍(ほぞ)を固めている。

  • Thumbnail

    記事

    朝日だけじゃない 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリ

    著者 田中一成(東京都) 朝日新聞の記者達が自分の属する国の政府を、何故こんなに悪し様に言うのかと、不思議に思ってしまう。但しこの傾向は朝日新聞に限ったことではない。未だに国内で跳梁跋扈している、いわゆるサヨクインテリに共通するものなのである。もちろん朝日新聞が、そのアジテーターであり主唱者であることは周知のことだ。その偏向思想や行動については、いずれ稿を改めて論じたいが、今日は取り敢えずサヨクインテリの思想や思考の内容について考えてみよう。話のきっかけとして、嘗てサヨクインテリのアイドル的な存在であった御三方、すなわち寺山修司、加藤登紀子、村上龍の御三方を取り上げてみよう。劇作家、演出家の故・寺山修司 寺山修司は、いわゆるベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の主導者ではなかった。むしろ、この運動のごく普通の賛同者に過ぎなかった。ただ一般の穏健な賛同者と違っていたのは、詩人としてのナイーブな感性のために、祖国日本に対する屈折した感情をもつに至ったことであろう。その一端を彼の「寺山修司名言集」によって伺うことができる。この本の副題は(身捨つるほどの祖国はありや)となっている。このセンチメンタルな惹句が、日本嫌いのサヨクインテリの琴線に触れたのであろう。しかし、そんなに値打ちのない国ならば、どうして国外に出て行かなかったのだろう。 加藤登紀子は反戦歌手として、サヨクインテリのアイドルであった。最近は平穏な日本で生活費を稼ぐために、古寺巡礼などの番組に出たりしてお茶を濁している。しかしその信条は、あくまで確信犯的なサヨクである。いみじくもその本心を「週刊朝日」のエッセイ欄で次のように述べている。「日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動に駆られる」と。この奇妙な考え方をどう理解したらよいのだろうか。それほど嫌いならば、出て行けばよいのである。余計なお節介かもしれないが、日本のほかに嫌悪感を催さない国があるのだろうか。たとえば中国か、韓国か、或いはロシアか。それとも無国籍人間になろうとでもいうのだろうか。そんなことが、簡単にできないことは本人もご承知のはずだ。その上で、このような言辞を弄するとは、甘えるな!としか言いようがない。 村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞を受賞した。この作品が芥川賞に値するかは、かなりの論議があったという。私の読後感としても、高い評価を与えることはできなかった。以来、この作家は大した作品を生むこともなかった。それが原因かどうかは知らないが、いつしか政治や経済の分野に関心を持ち始め、この分野で積極的に発言したり行動したりするようになった。メールマガジン『JMM』を発刊したのも、その一環であろう。それには、明らかに村上の政治思想が表明されている。彼もまた、私が言う「サヨクインテリ」なのである。その考え方は、著作を通して容易に読み取ることができる。 たとえば『希望の国のエクソダス』では、登場人物の一人に「日本には何でもある。しかし希望だけがない」と言わせている。これは村上自身の考え方でもあろう。まさにサヨクインテリの考え方そのものではないか。それに加えて現実感覚の欠如を、小説家らしい感傷的な文章で飾っているのである。敢えて私は、この作家に尋ねたい。「貴方は、アフリカやアラブ更にはインドにおける貧民の生活を体験したのか」と。雑誌やテレビ、とくに新聞で知ったからと言って、それにどれ程のリアリティがあるのか。もちろん私は、それ以上に無知だ。であるが故に、日本には希望がないなんて、とても言えない。ほんの少しの想像力があれば、これらの貧窮国で生活する人達の絶望感を察することができるはずだ。それと比べるとき、日本には希望がないなどの言辞は、まさに寝言ではないか。 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリの例として、御三方の言辞を取り上げたが、このような例は数え立てればキリがない。サヨクインテリ達は、現実感覚を何時の日か取り戻すことができるのだろうか。そうしない限り、永遠に自らの母国を罵り続けることになるのであろう。

  • Thumbnail

    記事

    ワシントンで「いかに日本人が理解されていないか」を痛感した

    葛城奈海(キャスター、女優) 「韓国や中国のロビー活動がすごい」という話は、よく耳にする。だが、日本にいる限り、一民間人がそれを体感する機会はなかなかないのではないだろうか。 私は昨年12月、米ジョージタウン大学「日米リーダーシッププログラム」という研修に参加するため、ワシントンDCを訪れた。ブッシュ政権時代にホワイトハウス高官だった面々を講師に迎え、安全保障やリーダーシップについての講義を受けた。連邦議会議事堂特別ツアーや、シンクタンクでのランチミーティングなど、硬軟織り交ぜたプログラムは刺激も充実感もたっぷりだった。 そんな中、特に印象的だったのが、「いかに日本人が理解されていないか」を実感したことだ。 ヘリテージ財団で昼食会が行われたときのこと。われわれが案内されたのは、皮肉にも「韓国ルーム」だった。壁には寄付者とおぼしき韓国人の肖像画が掲げられ、米韓の友好を示す写真もたくさん飾られていた。 そこで、ホスト役の米国人は「何かあったとき、われわれは韓国人が何を考えるかは分かるが、日本人がどう思うかは分からない」と語った。日本人との人材交流も、日本からの寄付も極めて限定的だという。 その言葉を裏付けるかのように、こんな質問を受けた。 「野田佳彦前首相は、愛国心に目覚めて尖閣諸島(沖縄県)を国有化したのではないですか?」 ヘリテージ財団といえば、石原慎太郎元都知事が「日本人が日本の国土を守るため、東京都が尖閣諸島を購入することにした」と宣言した場所である。そこで、このような質問を受けたことに、尖閣への思い入れも強い私としては少なからず衝撃を受け、こう応じた。 「それは違います。野田前首相は、東京都が購入したら中国と大騒ぎになると恐れ、事なかれ主義で国有化を決めたのだと私は理解しています」 米国の知識人にさえ、これほど日本が理解されていないのだと痛感した。一般の米国人に至っては、日本人と中国人、韓国人の区別がつかない人も多いという。 ちょうどDC赴任中の通信社勤務の友人とも会ったが、彼女も「中国人は嫌われているけれど、何を考えているかは理解されている。日本人はニコニコしているだけで何を考えているのか分からないと思われている」と話していた。 白状すれば、私はそれまで米国の覇権主義が鼻につき、積極的に米国と関わろうとはしてこなかった。だが、この訪米でそれを猛省した。交流することと、媚びることは違う。 「ロビー活動」というと、日本人は何かオドロオドロしい印象を抱いてしまいがちだが、そんな大げさものでなくてもいい。一民間人が自分の思いを伝えるだけでも、何も伝えないのとはまったく違うのだ。

  • Thumbnail

    記事

    人気漫画「ワンピース」展を中止した韓国の反日病診断

    ている。 日本人にとって、餅を奪い取るためにギャンギャンと泣き喚く隣国の国民性を理解するには、日頃の反日行為の数々を見るだけで十分であろうが、最近その症例集にまたひとつのページが追加された。日本の大人気漫画「ワンピース(ONE PIECE)」をテーマにした特別展が、韓国で中止とされたのである。 7月11日の朝日新聞デジタル版は「ソウルの『ワンピース』展は中止 原作に「旭日旗」登場」という見出しで報じている。《ソウルにある戦争記念館は10日、12日から予定していた日本の人気漫画「ワンピース」の特別展を中止すると発表した。原作に「旭日旗を思わせるイメージ」が数回登場するためで、日本の植民地支配を伝える記念館としてはふさわしくないと判断したという。 韓国で旭日旗は「日本の軍国主義の象徴」とする見方が根強い。…(中略)…原作に日本の旭日旗が登場するとの指摘を受け、「展示内容には含まれないが、原作の一部に旭日旗を思わせるイメージが数回登場する」と確認…(以下略)》 韓国の驚くべき理不尽な反日ぶりを指摘する前に、常日頃、韓国の反日を擁護し続けている朝日新聞の記事の問題点を指摘しておこう。はっきりいって、この記事には情報操作が読み取れる。「原作に『旭日旗』登場」という見出しだが、これでは事情をよく知らない読者に「ワンピースという漫画には旭日旗が登場するのか。なら韓国人が反発するのも仕方がない」と感じさせる。ところが、正確に言うと、ワンピースには旭日旗は出てこないのである。似た図柄が出てくるだけである。記事もよく読むと、「展示内容には含まれないが、原作の一部に旭日旗を思わせるイメージが数回登場する」というコメントが紹介されているだけなので、展示内容にも、原作にも旭日旗など登場しないということを理解することができるが、見出ししか読まなかったり、軽く読み流したりすると読者は誤解する。実に狡猾である。読者から抗議されても、「あなたが勝手に勘違いしただけでしょ?」と言い訳できるわけだ。 これに対して前日の産経新聞(msn産経ニュース)は「ワンピースの展示会中止 韓国、旭日旗図柄理由に」と正確な見出しで、報じている。《韓国政府が運営するソウルの「戦争記念館」で12日から予定されていた日本の人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」の展示会が、旭日旗に似たデザインが原作に登場することを理由に、取りやめになったことが10日分かった。 記念館が中止を決め、主催するイベント会社への展示室貸し出しを取り消した。韓国で旭日旗は日本の「侵略の象徴」と見なされており、展示会への抗議が多く寄せられたため「不必要な騒ぎを招きかねない」と判断したと説明している。韓国のメディアによると、イベント会社側は中止決定に反発している。…(中略)…展示会は漫画のキャラクター人形などが置かれる予定だったが、展示物に旭日旗を思わせる作品はなかった》 産経は記事中に、問題とされたのが旭日旗そのものではなかったこと、展示品にもなかったことを示し、「韓国では最近排斥の動きが強まり、公共の場所での使用に罰則を科す内容の法案も国会に提出されている」と他の同様の反日行為も指摘し、韓国側の反日行為の一例に過ぎないことを示している。朝日とは対照的である。世界的エンタメの何が問題かソウルの戦争記念館で始まった「ONE PIECE」展で、キャラクター人形を撮影する韓国のアニメファン=2014年7月26日(共同) 本題に戻ろう。ワンピースはそれほど、韓国人の反日感情を刺激する作品なのだろうか。原作者は尾田栄一郎氏で、1997年から少年ジャンプにおいて連載している。単行本は74巻を数え、累計発行部数はなんと3億部を超える。いまや日本一どころか世界一の人気漫画といえよう。韓国でもワンピースは人気で、アニメーションが2003年から4年間にわたりKBSテレビで放送されたが、これは韓国国内におけるアニメーション地上波放送の最長放映期間記録を誇っている。その人気は現在も衰えを知らず、ケーブルテレビでは、放映が続いていた。 主人公の少年ルフィが海賊となり、友情で結ばれた仲間たちとともにお宝を求めて世界中を冒険するこの「少年漫画」が、大人をも魅了し、グッズ販売やコンビニ等のコラボレーションを通じてビジネスシーンにまで影響を与えていることには理由がある。単純な子供向けフィクションに留まらず、現実世界における大懸案と言える社会問題、たとえば領土問題や差別問題等を取り上げるが、最終的にはハッピーエンドの笑いあり涙ありの一大エンターテイメントなのである。 7月10日付J-CASTニュースによると、韓国でもネットでは「ワンピースは、極右の漫画ではない!」「一度ワンピースを見ていただきたいんですが。そこには人生があり、夢があり、希望がありますよ」などと中止に反対する冷静な声が出ているそうである。 しかし、一方で「猿たちはどこにでも待ち伏せしている」「最初から戦争記念館で日本人の漫画を展示すること自体が腐った考えではないか」といった反日差別発言も横行している。韓国の特徴は、こうした極端な言論が、冷静な声を完全にかき消してしまうというところにあるのではないだろうか。ここが日本と決定的に異なるところであると私は思う。 たとえば、日本では過激な反朝鮮・韓国デモに対してサヨクによる「カウンターデモ」と称する無届暴力集団が押し寄せて「ヘイトスピーチ反対」が叫ばれる。私から見れば、どちらも極端過ぎて与することはできないが、少なくとも両サイドがバランスをとり、その間で、穏健な人たちによる議論がなされる。 ところが、韓国では「ワンピースは、極右の漫画ではない!」と言っただけで「親日派」と罵倒され、暴力を振るわれ社会から抹殺されかねない。今回のワンピース展も、ネット上で擁護論が出はしても、現実社会でワンピースを擁護する大きなムーブメントにはならないのである。朝鮮民族の特異な思考 過激な反日が良識を押しつぶす韓国の風潮は、文明国とは思えないほどだが、実は朝鮮民族、特に韓国人は日本の文化を愛してやまない。ワンピースだけではない。宇宙戦艦ヤマト、ドラえもん、ガンダム、ドラゴンボール、ポケモン…。サブカルチャーだけではない。日本武道である剣道をする韓国人もいる。 しかし、それをなぜか自分たちが本家本元のように言い始める文化もある。「剣道は朝鮮起源」「ドラえもんは韓国製であり日本人がパクっている」と言って憚らない。それを最近は「ウリジナル」と揶揄する言い方もあるが、要はパクリ癖があるということである。何しろ、「孔子は朝鮮人」とまで言い始める民族である。以前はそういう特徴もあまり知られていなかったが、最近は有名になってきた。ネット上で「韓国 パクリ」のキーワードでグーグル検索したところ、一千万件のヒットがあった。 実はワンピース(one peace)もパクられていて、ワピース(Wa peace)などというパクリゲームが存在している。こういう精神構造では、日本が作り出した素晴らしいコンテンツや製品を、そのまま「日本も良い物を作る」と受け入れることは不可能なのである。必ず、どこからか「あれは実は日本製ではなく韓国製だ」「優秀な朝鮮人が、サルの如き低劣な日本人に教えを説いてやったから良い物を作れた」という発想が生じるようなのである。 これは単なる反日感情だけの問題ではない。学術的には、韓国人、朝鮮人には「小中華思想」という精神構造があると言われている。他民族の文化・文明を自分たちに取り込んでおいて、やがて逆に自分たちが本家本元を継承していると思い始めるわけだが、私に言わせれば、「パクリ癖」である。実は最近の韓国人たちは、自分たちにそういうやみがたい傾向があることに気づいており、自己嫌悪すら催し始めていると私は思う。 無論そんなことを公言すれば、たちまち「親日派」と批判され、命を失う憂き目にあう恐れもあるから、誰も口にしないが、韓国国内における各種アンケートや調査結果がそのことを示唆している。 たとえば、朝鮮日報が2001年11月5日に報じたところでは、韓国高麗大学学生に対するアンケートで、半分以上(51・4%)が「今度生まれてくるとしたら、韓国に生まれたくない」と答えたと言う。また、韓国の大手求職サイト「ジョブコリア」が韓国内の男女会社員932人を対象に行ったアンケートによると、「移民が可能であれば韓国を離れたい」との回答が実に76・1%に達したという。しかも笑止なことに、「自由に移民できれば、もっとも行きたい国は」という質問では、一位がオーストラリア(14・3%)、二位がスイス(10・9)%、三位はなんと日本(9・7%)であったという(「サーチナ」11年2月23日)。 日本人は、こういう特異な精神構造を持つ国民が隣人だということを十分に踏まえておく必要があるのだ。なぜ反日犯罪がなくならないのかなぜ反日犯罪がなくならない ワンピース事件と同日の7月10日、もう一つの“反日事件”がニュースとなった。韓国ソウルの日本大使館がロッテホテルで行う予定だった自衛隊創設記念日レセプションが、ホテル側から開催日前日になって一方的に予約をキャンセルされ、中止に追い込まれたというものだ。産経によると、韓国の有名紙・東亜日報の記事が直前に「(慰安婦問題をめぐる)河野洋平談話の検証、集団的自衛権行使容認などで韓日関係が極度に冷え込む中で開かれる」と批判し、ホテルには抗議電話が殺到したのだという。中には爆破を予告する電話もあったそうである。 こういう犯罪的で過激な行動をする国民が韓国人の主流だと言うつもりはない。しかし、先ほども述べたが、日本では、こうしたあからさまな差別や暴力に対しては、まず反対側の過激な国民から反発が出て、その間の良識派も出てきて、抑制するのが常である。ましてや主要なマスコミが、一部の過激な行動を煽るような報道することなどありえない。 しかし韓国においては違う。東亜日報という主要メディアの反日プロパガンダともいえる報道が、率先して問題をたきつけたのである。メディアだけではない。政府もその片棒を担ぐような行動に出たのである。産経によると、日本政府は韓国政府に厳重なる抗議をしたのだが、韓国政府は何と15日になって「日本政府が抗議や懸念を伝えてきたことはない」と、抗議自体を否定したのである。まことに、上から下まで息を吐くように嘘をつく非常識な行動としかいいようがない。 さらに情けないことに、日本の大メディアである朝日新聞は韓国政府の嘘について全く報じなかったのである。産経記事においては同時にワンピース展中止についても触れることで、これが突発的事件ではなく、ヘイトクライムとも言われても仕方がない韓国の反日差別行為の一例であるという事実に注意喚起がなされていたのと雲泥の差である。 爆破を予告する電話等の強迫行為について韓国警察は本格的な捜査を行っているのだろうか。ソウルの日本大使館は毎週のように韓国人による「抗議集会」の攻撃目標となっており、卵や糞尿を投げつけられ落書きされるのは当たり前、時には火炎瓶や爆発物まで投げつけられることもあるのだ。そういう蛮行に対して、韓国の警察や司法当局は断固たる措置を講じるべきだが、重罰が科せられたという話は聞いたことがない。 それもやむを得ない。韓国の司法も政府と同様の反日ぶりで、法の不遡及という法治国家の大原則を無視して親日派の財産を没収するなど、人権弾圧を行っている。そればかりか、日本のアニメである機動戦士ガンダムの商標権を「ガンダムは韓国の普通名詞である」という言い分を認めて、登録を拒否したこともあった。 さすがに、後になってその決定は無効になったようだが、韓国の司法当局が機能しているのか、疑わざるを得ない。 ワンピース展や自衛隊創設記念日レセプション中止のようなことが、法治の行われる普通の文明国で起きれば、中止に追い込んだ側は賠償請求を受けても不思議はない。ソウル西部地裁がワンピース展開催の仮処分申請を認めたそうだが、韓国が文明国家であるならば、司法は法を無視できないのだから、この仮処分は最終結論になるはずだが…。 韓国最大の新聞である中央日報は7月12日付で、「ロッテホテルの自衛隊行事拒否騒ぎを見て」という社説において、こうした狂乱的反日行為を諌める主張を行った。常識的な言論だが、しかしその論旨たるや、日本に対する道徳面での優位を失わないことが何よりも重要であるというものだった。自分たち韓国が正義だが、やり過ぎると諸外国に悪いイメージを与える可能性があるから自重したほうが良いと言っているに等しいのだ。 こうした事件が逆に日本で起きていれば、朝日新聞など反日サヨクメディアが「差別だ」と大騒ぎし、ほかのメディアもかばうことはせず、中止にした施設側は謝罪に追い込まれていただろう。W杯ユニフォームが戦犯旗? 偶然にも同日に発生したこの二つの“事件”が注目されているものの、同種の反日差別事件は韓国では日常茶飯事である。特に近年においては、旭日旗や日章旗を「戦犯旗」と呼び、似たデザインに対するヤクザも顔負けのいちゃもんが頻発している。 先日のサッカーワールドカップにおいては、日本代表のユニフォームのデザインが「戦犯旗だ」とするいちゃもん広告がニューヨーク・タイムズに掲載され、韓国忠清北道の歴史記念公園に建設された花壇が「戦犯旗に似ている」との抗議を受けたこともあった。 こじつけにも程があるが、要するに、こじつけであってもいいのである。日本を叩く口実があれば、それでいいのであり、ワンピース展も口実として利用されたに過ぎないのである。日本人がどう気をつけても今後、同じようなことは何度となく起きる。これはどうしようもないのだから、日本も、そういうものだと思って、韓国という隣国と一定の距離を置きながら、つきあうしかないのである。なかみや・たかし 昭和45(1970)年、北海道釧路市生まれ。豊橋技術科学大学卒業、名古屋大学大学院経済学研究科除籍。学生時代から反朝日新聞、反サヨクを主張。ネットメディア「週刊言志人」を主宰。サブカルチャーや韓国の反日についても積極的に発言する。著書に『天晴れ!筑紫哲也news23』 (文春新書)がある。

  • Thumbnail

    記事

    「ランドセル」にまで目くじら立てる韓国人

    べると、きまって韓国人から「それは極論である」「韓国人全部がそうではない」「韓国にはそうした感情的な反日感情は存在しない」などという反論が提起される。ならば、日本に対する非難や糾弾に対して、反論が提起できる雰囲気が韓国にあるのか問い返したい。そうした反論を試みた場合、反論の内容や妥当性に関わらず「親日派(=売国奴)」と見なされて、旭日旗よろしく糾弾の対象になるのは、過去の事例から見て明らかである。なぜか「日章旗」や「君が代」には目くじらを立てない韓国人 かくして、韓国における旭日旗糾弾はどんどん拡大し、とりあえず旭日旗のように見える意匠なら何でも糾弾の対象になる、という段階にまで至っている。2012年には京畿道高陽市の駅前広場の設計が旭日旗に似ているとかで問題となった。昨年は、人気アニメ「ワンピース」に「旭日旗」のような旗が登場するという理由でイベントが中止になりかけたりした(結局、イベントは実施)。今年に入っても釜山市民公園にある歴史館の天井の模様が「旭日旗」に似ているとして変更されたりしている。 さて、「旭日旗」を非難する韓国人も、なぜか「日章旗」や「君が代」には目くじらを立てない。冷静に考えれば、国旗である日章旗のほうが、軍旗であった「旭日旗」よりも、よっぽど「大日本帝国」を象徴するものだったはずである。かつて植民地だった朝鮮にも日章旗は翻っていたわけであるし、植民地下の朝鮮人は「君が代」を歌わされていたわけである。 しかし、彼らは日章旗を掲揚し、君が代を歌う日本人を非難しようとしない。ソウルの日本大使館の前などで日章旗を焼いている過激な市民団体の示威行動が報じられることがあるが、そうした韓国人はごく一部である。イベントなどに用いられる万国旗にも日章旗が含まれているし、公式の場で日章旗が掲揚される場合も多いが、これに文句をつける韓国人はいない。 日本には学校行事における日章旗の掲揚や君が代の斉唱に反対している教職員がいるが、韓国人はそうした運動にもまったく無関心である。彼らは「自国の国歌や国旗を敬愛するのは当たり前である」という(日本とは異なる)教育を受けているため、日本人が日章旗を掲揚したり、君が代を斉唱しても、ある意味、当然と捉えているのである(ただし、韓国人が同じような行動をとれば非難の対象になるだろう)。こうした理由から、彼らが「日章旗」や「君が代」を敢えて「日本帝国主義の象徴」と見なそうとしていないのである。このことからも、韓国人が何らかの事象を「日本帝国主義の象徴」と見なす基準が、かなり恣意的であることがわかる。 韓国では「〇〇は日本帝国主義の残滓である」「〇〇は日本帝国主義の象徴である」といった「糾弾対象探し」が常に行われている。最近でも朝鮮日報(6月11日付け)に「日本の小学生が背負っているランドセルは帝国主義の残滓である」という内容のコラムが掲載された。コラムを執筆した記者は大真面目に「帝国主義日本の陸軍歩兵が担いだカバンをまねた(ものが)ランドセルだった」「(ランドセル)日本軍国主義精神を小学生に教えることにあった」などと書いている。 まあ、韓国人が何を「日本帝国主義の象徴」と見なそうが韓国人の勝手であると言われれば、それはそうであると言うしかない。ただし、いつ何時、予想もしなかった文物が「日帝の象徴」として韓国人の糾弾の対象になる可能性があるということは知っておいたほうがいいだろう。

  • Thumbnail

    記事

    韓国人学生 米名門大で旭日旗ステンドグラス撤去要求も却下

     アジアから遠く離れた米国で「反日」の狼煙を上げ続ける韓国系ロビー団体。カリフォルニア州グレンデール市では「票」の力により慰安婦像が設置されてしまったことは本誌が報じてきた通りだ。しかし、米国の「本流エリート」相手には彼らの無理筋な主張は通じなかった。ジャーナリストの高濱賛氏が報告する。* * * フィラデルフィア市郊外にある全米屈指の名門校、ペンシルベニア大学。広大なキャンパス中央部には古いレンガ造りの芸術文化研究ホール(ARCH)がある。その食堂のステンドグラスが”告発”されたのは今年3月中旬のこと。同大に通う韓国人学生が「旭日旗のデザインが施されている」として写真をフェイスブックに投稿したのだ。 言い分はこうだった。 〈あれはどう見ても日本帝国主義のシンボル。韓国人だったら見ただけで吐き気を催す「戦犯旗」だ。そんな旗が世界でも有数の最高学府にあるとは驚きだった〉 食堂内のステンドグラスの一つには、確かに旭日旗によく似た意匠が施されている。白地に太陽の光を表わす赤い線をあしらった「陸軍御国旗」(1870年制定)をモチーフにしたデザインだ。 フェイスブックに投稿した学生は韓国系学生会幹部らと共にウィリアム・ギプソン副学長(学務担当)ら大学側と面談、問題のステンドグラス撤去を申し入れた。 この出来事を学生新聞「デイリー・ペンシルべニアン」が報じると(書いた記者は韓国系アメリカ人)、同紙ブログには一般学生から「今、なぜこの旭日旗が問題視されなければならないのか」「コリアンよ、少し頭を冷やしたらどうか。伝統ある最高学府であまり非常識で偏狭な態度をとるなよ」と韓国人学生を戒める意見が殺到。ブログを読んだ大学関係者の一人は「アメリカのエリートたちの率直な気持ちが表現されていたと見ていい」と筆者に語った。 数日後、撤去しない方針を固めた大学当局は韓国系学生らを招いて説明し、その理由を伝えた。ギプソン副学長ら大学側はこう述べたという。 「指摘されたステンドグラスにある旗(旭日旗)は1928年に設置されたもので、当時、キリスト教学生協会が世界中に宣教活動を広げたことを示すシンボルの一つである。 この問題について大学側が君たち学生と議論することはやぶさかではない。大学側としては学生諸君の問題提起に関心を持っている。すべての人が満足するような解決策が出ることを期待するが、そのような解決策が出るのは難しいとも思っている。我々が最大限理解している限りでは、ARCHに取り付けられたすべてのステンドグラスにはそれなりの目的があった。こうした経緯についてはステンドグランス周辺に何らかの形で明記したい」 そこへキャンパス外から介入してきた団体がある。ニューヨークに拠点を置く「韓国系アメリカ人保護者協会」だ。 「保護者協会」と名乗っているが、実はペンシルベニア大学の韓国系学生とは全くの無関係。設立当初、韓国移民の児童たちの面倒を見る「保護者」的役割を始めたところからこの名称が用いられている。ニューヨーク州に慈善事業団体として登録されているが、実態は韓国系のロビー団体。 今年1月には、店内に長時間居座る韓国系高齢者たちを「商売に影響が出る」として警官に排除させたニューヨーク市クイーンズ区のマクドナルド店舗に抗議、謝罪を引き出した。2月と3月には「旭日旗反対闘争」をそれぞれ展開するなど、行動派の団体だ。 同会共同会長のチェ・ユンヒ女史は次の書簡をエイミー・ガットマン学長に送りつけた。 「アメリカ社会では日本の帝国主義とアジア侵略のシンボルである『戦犯旗』に関する認識が欠如している。この旗はナチスのハーケンクロイツの旗と同じだ。世界屈指の最高学府であるペンシルベニア大学には『ヒューマニティを助長させる知識』という校風がある。その大学のキャンパス内に『戦犯旗』のデザインが飾られている事実は極めて衝撃的だ。速やかにこれを撤去することを期待する」 大学当局は韓国系学生たちに回答した経緯を説明する返書を送り、問題はすでに解決済みとの見解を示している。「建国の祖」の一人、ベンジャミン・フランクリンが創設した伝統校。新参者の韓国人学生やその支援団体に270余年の歴史を書き換えさせるほど馬鹿ではなかった。関連記事■ 米カリフォルニアで慰安婦像レプリカ設置の動きが最終局面に■ 中韓反日現地組織 豪シドニー近郊で慰安婦像設置を仕掛ける■ 韓国人学生 日本人学生を「ありがたいくらい馬鹿」と評す■ KARA、少女時代、キム・ヨナを通じて日韓の違いを理解する■ ハーバード大の日本人留学生数 韓国人の1/8、中国人の1/7

  • Thumbnail

    記事

    韓国メディア 今度はランドセルを“攻撃”「軍国主義の象徴だ」

     「クール・ジャパン」アイテムとして外国人に人気の日本製ランドセルが韓国にも上陸、7万円を超えるブランド商品が飛ぶように売れているという。このブームに韓国紙は「日本軍国主義の象徴だ」と警告するコラムを掲げ、待ったを掛けた。日本文化の流入となれば、ことあるごとに難癖を付けてきた韓国メディアだが、日本発のアニメやグルメが市民権を獲得したいまなお、その“お説教”姿勢は健在のようだ。(桜井紀雄)7万円超でも一瞬で売れ 「『ランドセル』と呼ばれる日本から輸入した今年の新製品は70万ウォン。このデパートの売り場だけで100個余りが瞬く間に売れ、追加注文しました」 韓国のテレビ局MBCは今春、ニュースで、日本製ブランド・ランドセルの人気をこうリポートした。 この商品の価格は正確には、69万8千ウォン(約7万6千円)。別のメディアは「子供が転んでも頭を打たず、水に落ちても安全に救助できるように設計されているため高額だ」との業者側の説明を伝えた。 聯合ニュースは、小学生用通学かばんがベルギー製の人気ブランドでも約15万~30万ウォン、韓国製なら約4万~23万ウォンの価格帯のなか、約70万ウォンの日本ブランドまで登場し、「保護者の負担を増大させている」との消費者問題研究所代表の言葉を報じた。 MBCは、高額学用品が飛ぶように売れる背景として、少子高齢化で一人っ子世帯が増えるなか、両親と双方の祖父母の計6人が子供への出費を惜しまず、子供はいわば「6つのポケット」を持つためだと分析した。CMの一場面にお説教 日本製ランドセルの人気にあやかって、韓国の大手通信会社は、ランドセルを背負った子役を登場させた子供用スマートフォンのCMを放映した。 このスマホの売れ行きも上々だというが、韓国最大手紙、朝鮮日報は最近、コラムで、同社が「ランドセルの由来を知ったら、テレビ画面に日本軍国主義の象徴を映すことはなかっただろう」と指摘し、ブームに冷や水を浴びせた。 コラムは、日本の初代首相の伊藤博文が皇太子当時の大正天皇に帝国陸軍の歩兵が背負っていたかばんを模した「ランドセル」を贈ったとの逸話を紹介。「ランドセルの由来は、日本軍国主義の精神を小学生に教えるところから来ている」と論じた。 ランドセルの横に付いた上履き袋などを提げる輪が「もともと手榴(しゅりゅう)弾をつるすためのものだった」との日本のバラエティー番組で耳にしたとする説明も加え、「ランドセルを背負った日本の子供たちを見るたび、軍国主義が重なってみえる」と吐露した。 最後は「韓国には、韓国人が知らない日本軍国主義の残滓(ざんし)がある」とし、戦後70年を迎える今、「日本と日本人の軍国主義について、韓国人が何を知らずにいるのか一度、考えてみるのはどうだろう」と結んだ。宿敵、伊藤博文が由来 社団法人「日本かばん協会 ランドセル工業会」のホームページによると、幕末に西洋式の軍隊制度が導入された際、布製の背嚢(はいのう)も輸入されたのがランドセルの始まりという。 語源は、オランダ語の「ランセル」にあり、明治時代に開校した学習院が、背嚢に学用品を詰めて通学させるようになった。当時は、リュックサックに近かったが、伊藤博文が大正天皇の入学に合わせ、特注したものが現在の箱型ランドセルの原形。戦後になって、それが全国的に普及したという。 由来は軍の背嚢にあっても、丈夫で子供が背負いやすいものをと、日本独自の発達を遂げたかばんといえる。 これが最近、「キュート」だとして、ハリウッドのセレブをはじめ、欧米でもヒット。外国人観光客が日本土産として購入するなど、「クール・ジャパン」の一角を占めるブームとなっている。お隣の韓国に上陸するのも自然な流れといえた。 それでも、日本発で、韓国が日本による支配の元凶と恨む「伊藤博文」が由来に関わっているとなれば、一言いわねば気が済まないのが、韓国メディアの“悲しいさが”でもある。 「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録をめぐっても「韓国人が強制徴用された」という自国の言い分が通らなければ、登録そのものに反対し、外交関係をこじらせたのと相通じる独善性が漂う。日本隠しの裏で「何でも韓国発祥」 日本の映画や歌謡曲は1990年代後半まで長らく韓国での放映・放送が禁じられてきた。半面、日本由来であることを隠したまま、模倣したアニメや菓子が量産され、子供たちの心をつかんできたのも事実だ。 ただ、この“日本隠し”が、もとは日本製のコピーにもかかわらず、「わが国は、すばらしいアニメや菓子を作ってきた」といびつな自意識を醸成させてもきた。 逆に、由来の「正統性」への頑固なこだわりから、漢字や漢方医学、活版印刷など、何でもかんでも「韓国が発祥だ」といったトンデモ歴史観がまかり通り、中国との間でも文化摩擦を生んでいる。 韓国はいわば、文明の通り道として、古くは中国から多くの文化を受容し、日本にも伝えた。近代以降は、日本経由で多くの文化や技術を取り込み、発展もさせてきた。 チーズなど斬新な具材を巻き込み、独自に進化した韓国版のり巻き「キンパプ」や、日本にも逆輸入された辛い韓国式インスタントラーメンなどがいい例だ。 韓国が文物の由来をめぐる儒教的「正邪論」へのこだわりを脱ぎ捨て、「文化の発展は伝播(でんぱ)にある」という当然の摂理を鷹揚(おうよう)に受けとめる余裕を持てば、韓国文化は、いっそう花開くと思えるのだが。日本原作の漫画を、ためらうことなく次々「韓流ドラマ」化し、コンテンツの海外輸出を成功させたように…。

  • Thumbnail

    記事

    朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし

    の襲撃を試み、日本人女性職員を負傷させる事件を引き起こしました。ケント 日本大使襲撃事件の際、韓国の反日メディアはこぞって金容疑者のテロ行為を「英雄的である」と報じたそうです。結局、金容疑者に対しては執行猶予付きの判決しか下りず、のちに本まで出版する人気者になった。韓国はメディアや世論だけでなく、司法までもが未熟です。欧米や日本などの先進国では、他国の要人を暴力で襲撃した人物を英雄視するなど考えられません。法治国家の根底を覆す重大な違法行為を称賛しますか? 韓国人がもっとも尊敬する歴史上の人物の一人は、ハルビン駅で伊藤博文を暗殺したテロリストの安重根ですが、このこと一つ取っても、韓国はテロリストを礼賛する国だと思われても仕方ありません。 ――安重根という人物は、いまの韓国人が信じているような、たんなる抗日運動家ではありませんよね。ケント 韓国人は安重根を理解していません。安が殺害した伊藤博文は、日韓併合にきわめて慎重でした。だから、安が伊藤を殺したことで日韓併合は一気に加速しました。駐韓米大使を襲った金容疑者と同様、自らの短絡的な行動によって、自分が最も望まない結果を導いてしまった。「論理的に自爆した」という意味において、これら二人のテロリストには大きな共通点があるといえます。これこそ本物の「自爆テロ」ですね。 ――安重根は、じつは刑務所の日本人看守や日本国内の一部民族主義者らから支持されていました。ケント そもそも安重根は明治天皇に対して大きな敬意を抱いていました。そんな安が伊藤博文を襲ったのは、「伊藤が天皇陛下の意思に反した政治を行なう大逆賊である」と考えたことが最大の理由です。 また、安が日本人の看守や、一部の民族主義者のあいだで支持された理由は、安自身が欧米列強の有色人種に対する帝国主義的植民地支配に異議を唱えていたという点にもあります。天皇に敬意を示し、欧米の植民地にされたアジアを解放しなければならないとする安重根の思想は、やがて日本が提起することになった「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」の思想と同じです。 つまり、安重根を英雄として奉ることは、いまの韓国人が忌み嫌っているはずの、戦前の日本の政治思想をそのまま敬っていることにほかなりません。歴史を知らない韓国人は、ここでもまた論理的に自爆しているのです。歴史的ファクトを無視すると、必ずこういう自己矛盾が生じることになります。 韓国人がしっかりと歴史を学ぶことができないのは、ある意味で仕方ないともいえます。なぜなら、彼らは「漢字が読めない」からです。戦後、日本統治時代の業績をすべて否定するという韓国ナショナリズムが盛り上がった結果、韓国政府は漢字の使用を廃止し、ハングル文字のみの使用を推進しました。その結果、今日ほとんどの韓国人が漢字を理解できなくなりました。ハングル文字を導入した李氏朝鮮第4代国王の世宗像=ソウル 一方、李氏朝鮮第4代国王の世宗が導入したハングル文字は、長いあいだ、漢文を読みこなす教養のない女子供が使う文字として蔑まれていました。国として教育や使用を禁じた時代もあります。いまとは真逆の状況です。 ――歴史的に軽んじられていたハングル文字を朝鮮全般に広めたのは、皮肉にも統治時代の日本ですが、現在、ハングル文字は「朝鮮民族の誇り」になっています。ケント 日韓併合に際して、日本政府は一般朝鮮人の教養レベルのあまりの低さに驚きます。そこで、朝鮮人の識字率向上のために各地で新たに学校を建設しました(20世紀初頭の小学校は40校程度→40年ほどで1000校以上増加)。小学校では、日本語のみならず、ハングル文字を普及させ、数学や歴史(朝鮮史を含む)まで子供たちに教えたのです。そんな努力の結果が今日のハングル文字の民族的普及に繋がりました。 私は、19歳から最初はローマ字で日本語の学習を開始して、ひらがな、カタカナ、漢字と学びました。そんな私が間違いなくいえるのは、日本語の「漢字かな(+カタカナ)交じり文」は合理的な上に素早く読めて、しかも表現の自由度が高いということです。ですから「漢字ハングル交じり文」は片方の文字種の単独使用よりも確実に優れた表記法だと思います。読書速度や学習効果にも差が出るはずです。やめたのはじつにもったいない。韓国人は永遠の「中二病」武士と両班は真逆  ――明治維新を経て欧米列強の力に触れた日本人は、欧米的な政治や社会の概念を日本語(漢字)に翻訳した結果、多くの「造語」が生まれました。その造語が日本から中国、韓国に流れていった結果、向こうの人たちは初めて欧米文明を理解し始め、近代化に成功しました。ケント 民主主義や自由、共和制、交通、情報、経済、銀行などの言葉は、すべて日本人の発明です。日本人がいなければ「中華人民共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」という国名はありませんでした。 長いあいだ、旧態依然とした時代遅れの「中華思想」のなかで呑気に生きていた韓国・中国人は、日本人が必死になって努力したおかげで今日の近代的な生活を享受しているのです。そのことを忘れるなといいたい。 私が最も指摘したい日本の業績の一つは、朝鮮半島において、李氏朝鮮時代から厳しい階級格差と差別に何百年間も苦しんでいた人びとの「身分解放」を日本政府が行なった事実です。日本は韓国人のために、本当に正しく立派なことをしたと思います。 ――朝鮮半島での「身分解放」は日本でもほとんど語られていませんね。かつての朝鮮人は、両班という階級を頂点とした「良民」と、奴婢や白丁、僧侶などの「賤民」に分けられていました。ケント 両班階級は、汗をかくような労働を嫌悪し、「箸と本より重いものは持たない」ことを誇りにしました。自分より下層の者を徹底的にいじめ、金品を差し出させ、いうことを聞かなければ自宅に連れ帰って拷問しても、罪に問われない特権を何百年も維持したそうです。 一方、上の階級から非人間的な仕打ちを受けていた賤民階級は、住居や職業、結婚などで激しい差別を受け奴隷として市場で人身売買され、白丁に至っては人間とすら認められていなかった。当然、文字など読めません。 もちろん、日本も過去に階級差別はありましたが、日本は中世以降、事実上の統治者となった武士階級は、兵士であると同時に、有能な官僚でした。さらに江戸時代になると、「武士は食わねど高楊枝」で言い表される「清貧」と「誇り」を維持する日本の武士は、庶民の期待と憧れを一身に受けました。だから『忠臣蔵』などの歌舞伎の演目が人気だったのです。同じ支配者層でも、庶民の恨みと憎悪の対象だった朝鮮の両班とは真逆です。武士の起源は、天皇を頂点とする朝廷の警護役です。じつは将軍、貴族、農民などの身分や、年齢にもいっさい関係なく、日本人は全員が天皇の下にいる臣民です。朝鮮や中国大陸だけでなく欧米でも当たり前だった奴隷売買の習慣が日本にだけなかった理由はそこにあると思います。 両班を頂点とする当時の朝鮮の激しい身分差別と、悪しき因襲は、誇り高き武士道精神をもった元下級武士らがリーダーとなり、明治天皇の下で文明開化を実現してきた当時の日本人にはとても受け入れ難く、朝鮮半島近代化の最大の足かせになることは明白でした。このため日本政府は劇的な「身分解放」を行なったのです。 ――「身分解放」は韓国近代化の第一歩となったということですね。ケント 朝鮮人を厳しい階級差別から解放した日本は、若者たちを教育するため、学問の機会を広く提供しました。おかげで、白丁の子弟でも学校に行けるようになりました。日本の朝鮮半島政策が、搾取目的の「植民地化」ではなく、自国の一部として迎え入れる「併合」だった事実がわかります。奴隷に勉強は教えません。 日本政府による朝鮮人の「身分解放」は、1863年にリンカーン大統領が行なった「奴隷解放宣言」に匹敵する先進的な政策であり、これが韓国近代化の第一歩だったことは疑う余地のない歴史的ファクトです。今日の韓国人はこの点だけでも、日本に大恩があるはずですが、それに対する感謝の言葉は聞いたことがありません。韓国人は永遠の「中二病」 ――日本政府は、日本国民から集めた血税の多くを朝鮮半島に注ぎ込み、そこで上下水道や電気、道路や鉄道などの近代的なインフラを導入しました。ケント 現在でも、北朝鮮には水豊ダムという巨大なダムがありますが、これもまた、日本政府が最新の土木工学技術と労力を投入して建設したものです。その予算たるや、当時としては莫大なものだったはずです。 ――当時日本政府が構想していた東京と下関を結ぶ「新幹線計画(弾丸列車)」に匹敵する額でした。ケント それだけでも当時の日本が朝鮮半島の近代化にどれだけ尽くしたのかよくわかりますね。 水豊ダムは、水量や発電規模も、そうとう大きかったと記憶しています。 ――資料によると、琵琶湖の約半分に及ぶ湛水面積を有し、完成した1944年当時としては、発電規模において世界最大級を誇りました。構造自体も要塞のように堅固だったようです。ケント じつは朝鮮戦争中、アメリカ軍はこのダムと「喧嘩」をしているのです。当時アメリカ軍は、北朝鮮に対する電力供給を遮断する作戦を行なっていましたが、その攻撃目標の一つがこの水豊ダムでした。アメリカ空軍は何度もダムを空爆し、最後には大型の魚雷を何本も撃ち込みましたが、それでもダムが決壊することはなかった。その後もほとんど改修を加えられることなく、今日もなお当時と変わらず発電を継続し、北朝鮮最大の電力源の一つとなっています。メイド・イン・ジャパンの底力は、当時から健在だったのです。 このように朝鮮半島の発展のために努力した日本を、いまの韓国政府とマスコミ、そして真実の歴史を調べもしない多くの韓国人が口汚く罵っている。まさに「恩知らず」であり、永遠の「中二病」みたいです。世界各国でささやかれる「芳しくない評価」も理解できます。ちなみに外国人による日本人の評価は、「正直」「誠実」「親切」「勤勉」「冷静」「寛容」「トラブルを起こさない」などですが、韓国人は見事にこの真逆です。 知り合いの外国人は、知れば知るほど韓国から気持ちが離れていきますが、私のようにどんどん日本が離れ難くなる外国人は多いです。正義感は強いが感情的にならず、穏やかに国を運営していく日本人の平和的な態度は嫉妬されないかぎり好感をもたれます。半島国家の悲しきサバイバル術半島国家の悲しきサバイバル術 ――戦後に成立した大韓民国では、「日本憎し」のあまり、ありもしない歴史が教えられています。 日本政府が今年の4月6日、中学校で使われるすべての社会科教科書に竹島領有権の主張を含めたことに対し、韓国政府は「日本政府は、韓国固有の領土である独島(ドクト)について不当な主張を強化し、歴史的事実を歪曲している」などと強く反発し、日本側に抗議しました。ケント 日本政府の提案で教科書問題を2カ国間で話し合えばいい。「韓国側の教科書と根拠資料をすべて出してください。日本側も出します。内容が妥当かどうか話し合いましょう」と呼び掛けるのです。2002~10年まで二度にわたり行なわれた日韓歴史共同研究は残念ながら非公開でした。次は公開でやりましょう。 ――なぜ韓国の歴史認識がここまで歪んでしまったのでしょうか。2014年2月、ソウルの「朴正煕大統領記念図書館」を訪れた朴槿恵氏(共同)ケント 韓国は戦後一貫して自国を「戦勝国の一員」だと主張し、「連合国側だった」と自己洗脳する努力を重ねてきました。しかし1945年の大東亜戦争終結まで、朝鮮半島は「日本領土」でした。これは歴史的ファクトです。いま韓国人と呼ばれる人たちの先祖は「日本人」として連合国と戦い、敗戦の日を迎えました。戦後に建国された大韓民国の国民ではなかったのです。存在しなかった国がどうして「戦勝国」になれますか。 戦時賠償の件も同じです。いまになって韓国は慰安婦問題などで日本政府に対する個人補償を求めていますが、もともと日本は個人補償をするつもりでした。 1965年に日韓基本条約を結ぶとき、かつての朝鮮人の軍人や軍属、役人らの未払い給与や恩給などに対する補償を求めた韓国政府に対して、日本政府は、「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行なう」と提案しました。日本は、韓国政府の提出資料を個別に検討し、個人に対する補償として支払うべきは支払って、将来の友好関係へ繋げようとしたのです。日本政府の対応は、法律に適合した真摯なものでした。 しかし韓国政府は日本の提案を拒絶しました。彼らの主張は、「個人への補償は韓国政府が行なう」ので、それらの補償金は「一括で韓国政府に支払ってほしい」というものでした。日本政府は相手の要求に従い、「独立祝賀金」という名目で、無償3億ドル、有償2億ドル、そして民間借款3億ドルの供与と融資を行なったのです。 ――日本が支払った金は、当時の韓国政府の国家予算の2倍以上だったといわれています。ケント 法律論でいえば、日本は韓国に対して、オランダがインドネシアに対して行なったように、過去に投じたインフラ整備費用を請求できましたが、当時の日本政府は請求権をすべて放棄したのです。日本は日韓基本条約において、当時の韓国政府の国家予算の2倍以上の金を支払ったばかりか、莫大な金を投じて朝鮮半島に整備した近代的インフラなどをすべて無償で贈与し、韓国の以後の飛躍的な発展を大いに助けたのです。 そればかりではありません。日本は日韓基本条約後も、韓国政府に大金を支払い続けています。1997年に発生した韓国通貨危機や、2006年のウォン高騰に対する経済支援、そして08年のリーマン・ショック後の混乱を軽減するための支援など、日本は毎回韓国に兆単位の資金を提供し続けてきました。02年の日韓ワールドカップのときはスタジアム建設費用も提供しています。 にもかかわらず、これまでに韓国に貸し付けたお金は、まだ一部しか返還されていませんし、日本人が本当に苦しんだ東日本大震災のあとには、サッカーの試合で「日本の大地震をお祝いします」という横断幕を掲げた韓国人サポーターまで出る始末です。 ――実際に韓国では日本に降りかかった不幸を喜ぶ声が多かったようですね。ケント 強い者には媚を売る事大主義。強い相手が複数だと二股三股。弱いとみた相手からは「ゆすり」「たかり」で金を巻き上げ、罵詈雑言を浴びせ、酷い仕打ちをする。それが伝統的な「両班」の精神です。大国に翻弄され続けた半島国家が身に付けた悲しきサバイバル術かもしれませんが、政府や国民が両班のような対応をしていたら、国際社会で評価や尊敬をされるはずがありません。良識ある韓国人は、声を上げるべきです。漢字の勉強をやり直せ漢字の勉強をやり直せ ――日本は正式に韓国や中国に謝罪していないと思っている欧米人も多いようです。ケント 先日、ジャーナリストの櫻井よしこさんの番組に出演した際に、「日本は合計で約60回も謝罪している」と櫻井さんがいわれたので、「もう謝罪しなくていいですよ」と答えました。謝罪するたびに金を要求される悪徳商法にいつまで付き合うつもりですか。 韓国人に対しては、ひたすら歴史的なファクトを出すだけでいい。謝罪はもう何度もしたし、日本国の見解はこれまでの謝罪で十分示せました。謝れば謝るほど、「もっと謝れ」「もっと金出せ」といわれるだけです。 ――今年は戦後70年です。忍耐強い日本人も、「そろそろいい加減にしろよ」という具合になってきました。ケント 日本人は忍耐強いですが、じつは戦いはもっと強い。いったん怒ると、一刀両断で一気にカタを付けるか、相討ち覚悟で徹底的にやる。高倉健さんが主演する任侠映画と同じです。ナメた態度で挑発して怒らせたほうが絶対に悪いんです。だから、誰か韓国人に教えたほうがいい。「いい加減にしないと、死ぬほど痛い目に遭うよ」と。 とにかく韓国人は、戦時中の慰安婦問題や日本軍の蛮行なるものを持ち出して日本の過去を責める権利も資格もいっさいありません。彼ら自身がかつて「日本人」であったという事実もさることながら、当時慰安婦を管理した大半は朝鮮人経営者でしたし、違法に若い娘たちを売り飛ばしていたのも朝鮮人でした。そんな悪い連中を、日本政府は取り締まる側でした。 一方で、大韓民国の独立後、外貨を稼ぐために在韓米軍を対象にした慰安所を多く整備したのは、韓国政府です。それをやったのは、現大統領(朴槿惠)のお父上である朴正熙です。朴槿惠大統領は、日本にとやかくいう前に、まずは自分の父親の行為を糾弾すべきです。 さらに、韓国軍はベトナム戦争で、韓国兵専用の慰安所を運営していましたし、ベトナムの民間人に対し、目を覆いたくなるような残虐行為を数多く働いています。ベトナム人女性をレイプした韓国兵が異常なほど多かったのに、その事実に対してまともに向き合っていません。 ――アメリカでは慰安婦像の設置が行なわれていますが、これも強い者や先生に「いいつけてやる」という事大主義の精神ですね。米グレンデール市の慰安婦像の横に座る元慰安婦のイ・ヨンスさん=5月6日(中村将撮影)ケント アメリカに住む韓国人は、もう収拾がつかなくなっています。慰安婦像の設置は、人種や宗教、国籍による差別を禁じたアメリカの公民権法違反の疑いがありますよ。ただ、大半のアメリカ人は日本人と韓国人の区別さえついていませんし、歴史問題などまったくわかっていません。慰安婦問題の認知度は10%程度だそうです。オバマ大統領もちゃんと理解していないと思います。面倒くさいけど、日本はアメリカに対してはっきり説明していかないといけない。 私は何度もいっていますが、誤報問題を引き起こした『朝日新聞』は、見開きで『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』『ロサンゼルス・タイムズ』などに、自分たちの過ちを広告掲載すべきです。その上で、載せてくれないでしょうが、韓国の新聞にも掲載すれば、わかる人にはちゃんと伝わります。韓国にも、日本のことを理解して、敬意を抱く立派な人はいるはずです。日本も、そういった意識の高い親日派韓国人の味方になってあげて、何か支援ができればいいですね。 ――レベルの低い感情的な言い掛かりに対しては、まさにファクトを提示し、しっかりと議論で返すことが必要ですね。ケント 「韓国人こそ歴史を学べ」の一言に尽きるのですが、そのためには、ハングル文字だけの現代の資料では歴史的ファクトを見詰め直すことができません。要するに、漢字の勉強を一からやり直してもらいたい。韓国はそれだけで間違いなく国力が上がります。ちなみに私が漢字を学び始めたのは20歳ごろです。「自分たちのご先祖様が書いたものを自分の力でちゃんと読んでみろ」といいたい。議論はそれからですよ。 本当は放っておくのが一番です。日本は韓国と国交がなくなってもじつは何も困らない。日本に見捨てられたら生きていけないのは韓国のほうですが、引っ越し不能な隣人だからまったく付き合わないわけにもいきません。 一方、日本人の皆さんには、沈黙せずにはっきりと論理的に主張してほしいと思います。ただし、その反論の姿勢はあくまでも冷静かつ紳士的であるべきです。 ――品性を欠けば、たんなる罵り合いになり、みっともないですからね。ケント いろんなブログのコメントを見ていると、韓国人は酷い言葉を使って相手を罵るのが得意です。そんな韓国人に向かって、日本人が同じレベルに堕ちて、汚い言葉で感情的に罵れば、外国人の大半は、「ああ、日本も韓国もどっちもどっちだな」と思うでしょう。 とくに、一部のヘイトスピーチや、問題があると何でも「在日」のせいにする風潮などは、見ていて情けないし残念です。日本人には、そのような低い土俵に下りてほしくないし、下りる必要がない。その点には注意しつつ、韓国からの言い掛かりに対しては、歴史的ファクトを示し、大いに反撃してほしいと思っています。ケント・ギルバート 1952年、米アイダホ州生まれ、ユタ州育ち。71年に初来日。80年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。83年、TV番組『世界まるごとHOWマッチ』に出演し、一躍人気タレントに。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」で論陣を張る。近著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)がある。関連記事■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ トンチンカンな左派マスコミ

  • Thumbnail

    記事

    韓国はなぜ謝罪にこだわるのか?

    uver/)より5月13日、14日分を転載)関連記事■ 朴槿恵大統領の呆言、妄言、妄言録■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ ドローンの恐怖 加速する進化についていけない日常社会

  • Thumbnail

    記事

    100回謝罪しても当たり前とは やっぱり韓国とは付き合いきれない

    、「ディス・イズ・コリア」(同)などがある。関連記事■ 朴槿恵大統領の呆言、妄言、妄言録■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 一色正春が説く なぜ韓国は日本を許さないのか

  • Thumbnail

    記事

    折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか

    政には暗雲が垂れ込めている。若干持ち直していた朴大統領の支持率は再び急降下、30%台に急落している。反日外交にも疑問の声 そんな朴政権で唯一、国民の支持を受けていたのが「反日外交」だった。だが、この評価も最近怪しくなってきた。韓国の有力メディアに「別次元に進化した米日同盟、韓国は対応できるのか」「対米外交で日本がリード」「日本よりの姿勢みせる米国」などの見出しが目立つようになったのは、日本が安倍首相の所信表明に続き外務省のホームページ、外交青書のそれぞれで、これまで韓国に関して使ってきた「基本的な価値や利益を共有」との文言を外してからだ。ソウルでは、折しも駐韓米大使を親北分子が襲撃、重傷を負わせる事件も発生した。米韓関係への韓国の不安は一気に高まった。 一方、安倍外交の日米関係強化の成果は、ようやく形となってきた。昨秋の集団的自衛権容認の閣議決定に基づき、安保法制の準備が本格化し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)改正も間近だ。経済連携政策でも日米は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対する慎重姿勢や、環太平洋戦略経済連携協定(TPP)交渉で対中政策の歩調を合せてきた。 そうした日米関係が韓国世論を刺激している。「米国との関係で日本にリードされてしまった!」というわけだ。 安全保障問題だけではなく、慰安婦問題でも米国は安倍首相の歴史認識を評価した。米紙ワシントンポストの取材に安倍氏は慰安婦が「人身売買の犠牲となり、筆舌につくしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べた。慰安婦は米国で通常「人身売買の被害者」と表現されていることから、米国務省は安倍氏の発言を「歓迎」したが、これが韓国は気に入らない。「人身売買」とされて強制連行のイメージは薄れてしまった。セックス・スレーブ(性奴隷)は金銭で買われていた。慰安婦に対する日本の歴史認識が「正しくない」と、日韓首脳会談に「日本の正しい認識」を求めてきた朴外交の土台は、米国の安倍発言の評価で揺らいでしまった。 朴大統領の原則主義が放置してきた日韓関係について、韓国の知識人がようやくモノ申すようになった。韓国の著名な日本研究者は有力紙にこう寄稿している。『日米は韓国の安保の支えだ。日本との関係が改善しなければ米韓関係にヒビが入る可能性があると見抜く眼力が必要だ』。保守政治家もこう書いた。『対日外交、安全保障と歴史認識を切り離せ』『外交の舞台では悪魔と踊ることもためらってはならない』朴槿恵氏の目は覚めるのか 朴槿恵大統領は6月にも訪米を予定している。米韓関係は、中国が強く牽制する米国の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)配備問題が最大テーマとなる訪米だ。AIIB参加を表明した朴政権は、米中両国の顔を立てることに懸命である。 日韓の戦後を総括する機会となるはずだった国交正常化の記念日、6月22日を両国首脳がどう迎えるのだろうか。日本では朴槿恵政権が醸成してきた嫌韓ムードも一段落の観である。いま日本人は「韓国にはもう疲れた」と言いコリア・パッシング(韓国は無視)といった雰囲気が漂う。 朴槿恵氏に問いたいところだ。日韓関係は「父の遺産」であったはず。それは正の遺産ではなかったか? 負の遺産であったのですか?関連記事■ 朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか■ 呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

  • Thumbnail

    記事

    韓国人はドイツ人を全く知らない

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国では日本の「正しい歴史認識」不足を指摘する声が強い。その一方、日本と同じ第2次世界大戦の敗北国ドイツの戦後の償い方を称え、日本に対して「ドイツを見習え」といってきた。最近では、ナチス・ドイツのホロコーストなど過去の歴史について謝罪してきたドイツのアンゲラ・メルケル首相が第12回ソウル平和賞に選出されている、といった具合だ。 相手の「過去の歴史」への対処を称える以上、韓国はドイツの歴史、特に第2次大戦時とその戦後について学んできたことが前提となる。知らないのに相手を称賛できない、と通常は考えるからだ。特に、日本の過去の歴史対応と比較する以上、なおさらそうあるべきだ。ドイツのどこが優れ、どの点が日本の歴史清算には不足しているのか、といった一連の具体的な歴史認識が求められるからだ。 ところが、実際は、韓国人のドイツの歴史に対する学習はそれほどではないことが明らかになった。韓国の少女4人組ポップグループ「Pritz」がナチスを想起させる衣装を着て舞台で歌い、ドイツで大きな議論を呼んだばかりなのだ。 韓国の中央日報日本語版によると、「Pritzは11月2日に釜山で開かれた公演で、ナチスの象徴であるハーケンクロイツを思い起こさせる腕章をはめてステージに立ち議論を巻き起こした。メンバーが左腕に付けた赤い腕章には白い円が描かれ、その中にXの文字が書かれていた」と報じている。  同グループの衣装姿が国際メディアで報道されると、Pritzの所属事務所は「少女たちの衣服はナチスの紋章を彷彿させるというより、一種の交通信号のようなイメージを与えるだろう」と述べ、「話題作りのため意識的にナチス・ドイツ軍の衣服を真似たのではない」(ドイツ日刊紙ヴェルト)と弁明している。 中央日報はナチス議論に対する非難よりもグループを擁護するコメントを紹介し、「Pritz公式ユーチューブチャンネルのコメントを見ても、むしろ『70年過ぎたことだ。しかもナチスの紋章でもない』『韓国でなんのネオナチか』『めげずにがんばれ』などの反応も多かった」と報じている。日韓首脳会談を終えて帰国する韓国の金泳三大統領=1997年1月、大分空港 終戦から70年が経過する今日、ナチス・ドイツ軍の衣服に似ている云々の議論は意味がない、という論理は理解できる。しかし、日本の歴史認識問題ではあれほど詳細な点に拘り、批判し続ける韓国人、韓国メディアが日頃から称賛してきたドイツ国民の歴史への感情、繊細さに対して理解が不足していることに少々驚かざるを得ない。 そういえば、韓国の金泳三大統領(在位1993~98年)が海外訪問で飛行機のタラップから降り、歓迎する人々に手を挙げて挨拶する時、その手を挙げる姿がナチス式敬礼ハイル・ヒトラー(独語 Heil Hitler、ヒトラー万歳)を彷彿させるということで話題になった、そこで大統領側近が「タラップから手を振る際には決して腕を真っ直ぐに伸ばさず、手を左右に軽く振ってほしい」と助言したと聞く。韓国大統領となった人物が側近から助言を受けなければ、ドイツ人の歴史的感情、痛みに気が付かなかったのだ。 「ナチス制服姿の少女バンド」というタイトルの記事(11月24日)を書いた日刊紙ヴェルト紙のSoeren Kittel記者は、「ドイツと韓国間には8000キロの距離がある。ナチスの紋章に対する受け取り方はドイツ人と韓国人では違うのかもしれない」と、少女グループのナチス紋章に対して寛容な姿勢だが、「Pritzというグループ名は独語のBlitzを思い出すばかりか、Pretty Rangers in Terrible Zone (独語 Huebsches Ueberfallkommando in schlimmer Gegend )を想起させる呼称だ」と指摘することを忘れていない。すなわち、ドイツ人の耳には、4人組のポップグループ名はナチス・ドイツ軍を彷彿させるとはっきりと述べているのだ。 日本に「正しい歴史認識」を求め、ドイツの歴史認識を無条件で称賛してきた韓国国民、メディアは、ドイツの歴史を少しは学ぶべきだろう。相手の歴史を学んでこそ、批判し、称賛もできるからだ。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)関連記事■ 戦争犯罪と歴史認識■ 日韓歴史問題 「ゴール」を動かす韓国■ 80年代に突然大衆化 「強制連行」という魔術語

  • Thumbnail

    記事

    プロパガンダ映画にはうんざりだ!

    スター俳優のブラッド・ピットだ。そして現在、妻のジョリーが監督を務めた最新映画『アンブロークン』が「反日的」であるとして話題になっている。  この映画は、元陸上オリンピック選手で、第二次大戦において日本軍の捕虜となったイタリア系アメリカ人、 ルイス・ザンペリーニ氏(2014年に死去)の半生を描いた同名のノンフィクション本を基にしている。  内容は、捕虜であるザンペリーニ氏が日本の収容所で偏執狂的な看守から凄まじい虐待を受けた結果、帰国後も心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症してアル中になり、暴力を振るった妻からも離婚を言い渡されるが、あるとき「神」に出会って救われ、ついには憎らしかったあの日本人看守を赦す境地に至る、という「感動巨編」である。著者のローラ・ヒレンブランド女史は有名なベストセラー作家であり、2010年11月にアメリカで発売されるや、たちまち300万部の大ベストセラーとなった。  しかし、この本における日本軍の行為を説明する箇所には、あまりに大げさで「どう考えてもありえない」と思えるような表現や、大戦当時から変わらない「低俗な戦争プロパガンダ」の丸写し的記述が非常に多い。たとえば、日本軍は「捕虜を生きたまま食べ」「各占領地で幼児にまで人体実験をした」とする驚くべき記述のほか、ザンペリーニ氏自身が90人ほどの日本の潜水艦乗組員に襲われて、次から次へと一人当たり30秒ずつ殴られたというものや、捕虜収容所において「220発」も連続で顔面を殴打された、などという記述が満載なのだ。そのほかにも、氏の乗る爆撃機が墜落した際には、500m以上の水深に向かって沈み行くなか、肺が水で充満して気絶したのに、そこから目を覚まして海上まで浮上したとか、太平洋を漂流中には動きの鈍い日本軍爆撃機に8回も超低空で撃たれ、最後には対潜爆弾まで落とされた(運良く不発であった)というほか、3人の大男が乗るシングルベッドより小さい救命筏に、巨大な鮫が何度も飛び込んできて大立ち回りを演じた、などというのである。つまりこの本はアンブロークン(不屈)というよりは、アンビリーバブル(信用できない)といったほうがよい代物なのである。 五輪と戦争の英雄=「元泥棒」  さらに驚かされるのは、この著者自身、本の発売から1年後まで主人公のザンペリーニ氏とは面識すらなかったということだ。にもかかわらず、ザンペリーニ氏はこの本の内容が全面的に「正しい」と納得している。すでにザンペリーニ氏は故人となっているのであまり批判はしたくはないが、残念ながら私には、どうしても氏が自らの過去を正直に、脚色せずに語る類の人物だったとは思えない。  氏は子供のころから「悪ガキ」として有名であったというが、ただのやんちゃ坊主ではなく、他人の持ち物は何でも恥じることなく奪い取り、時には人家に侵入してまで盗みを働くという「末恐ろしい子供」として有名だったのだ。  氏の「手癖」は大人になってからも遺憾なく発揮され、5000m走のアメリカ代表として出場したベルリン・オリンピックでは、ヒトラー総統主催の晩餐会会場からナチスの旗を盗んで新聞沙汰になっているし、日本国内でも盗みを働いている。つまり氏はたんなる「泥棒」であったわけだが、このような人物と一度の面識もないままに書かれた本の信頼性など、推して知るべしであろう。  もっとも、戦後「語り部」となった氏の体験談は以前から有名であり、配給元のユニバーサル・ピクチャーズは50年も前から氏の体験談を映画化する権利をもっていたという。にもかかわらず今日まで映画化しなかったのは、つまり氏の体験談に対して「それは違う」と反論しかねない戦争中の同僚たちがまだ生きていたからではないか、という邪推もしたくなる。  こんな同書に対し、私は2014年12月に『日本軍は本当に「残虐」だったのか』(ハート出版)という本を出版し、そこでいくつかの反論を加えるとともに、こんな「感動巨編」を基にした映画がどのように日本軍を描いているのかが心配だと書いた。  映画『アンブロークン』自体は、14年クリスマスに全米で公開されたものの、15年2月現在、日本ではまだ公開されていないため、原作本の記述がどのくらい反映されているのかはわからない。しかし、そんな「元泥棒の半生」をありえない与太話で脚色し、もって数百万のアメリカ人読者を大いに感動させた作品が原作なのだから、観る前から心配になるのは人情というものだろう。ハリウッドでは総スカン ハリウッドでは総スカン しかし、こんな心配も杞憂に終わるかもしれない。14年12月12日の『シネマ・トゥデイ』によると、アカデミー賞の前哨戦となる「第72回ゴールデン・グローブ賞」において、作品賞や監督賞などでのノミネートが有力視されていたこの映画は「まさかの0ノミネートとなり、海外で大きく報じられている」ことを伝えた。ジョリー監督の腕がよっぽど悪かったのか、「ハリウッド外国人映画記者協会から総スカンを食らうかたちになった」わけである。このほかにも、ある有名映画プロデューサーがジョリーさんについて「ほとんど才能がない」「甘やかされて育った子ども」「エゴむき出し」と評していたことも報道された。  14年12月21日の『ニューヨーク・ポスト』紙は、「『アンブロークン』に描かれた個々の詳細は事実なのか?」という懐疑的な記事を掲載、前述の信じ難い体験談に対してサバイバルや拷問の専門家による大きな疑念を示したが、翌々日の記事では、日本人看守が延々とザンペリーニ氏を虐待するシーンに関して「無意味な拷問マラソン」と評したうえで、「そもそもこれはあのアンジーの作品なのだから、話の筋が通っているかどうかに疑問をもつこと自体、意味がない」と強烈に皮肉っている。いまだに東京裁判史観を奉じるアメリカの主要メディアからしても、さすがにこの映画は「駄作」と映ったのだろう。  一方、ジョリー監督の夫、ブラッド・ピットも頑張っている。 ドイツ兵を殺しまくる映画『フューリー』  昨年ピットは、第二次大戦時のアメリカ軍戦車兵らを題材とした『フューリー』という映画に主演したが、日本でも公開されたこの映画は徹頭徹尾ドイツ人を殺しまくるという内容だ。ピットは以前にも『イングロリアス・バスターズ』という、ドイツ人を拷問し、殺しまくり、その頭皮を剥ぎ取ることを痛快に描く低俗な娯楽映画で主役を演じている。  『フューリー』の冒頭では、アメリカ軍の戦車に踏み潰されてペタンコになり、あるいはブルドーザーで掻き集められ、ミンチのようになって穴に放り込まれる無惨なドイツ兵の死体が多く映し出される。  ピット演じる主人公はドイツ人を殺すことに異常な執念を燃やしており、「ウォーダディ(戦争オヤジ)」という寒気がするようなあだ名で呼ばれている。こんな戦争オヤジは、まだ戦場に慣れない新兵の腕をつかみ、目の前で家族の写真を出しながら命乞いをする無抵抗のドイツ人捕虜の射殺を強要するかと思えば、通りがかりの民間人の家に押し入り、持参した卵を渡して食事を準備させ、その家の若い女性をして件の新兵に対する「筆下ろし」まで強要する。まさに男の風上にも置けぬ輩であるが、かと思えば、話の途中でほんの数秒だけ苦悩するような表情を見せ、わずかに「人の心」をもっているのだと匂わせる。  当初こんなオヤジを憎んでいた初心な新兵は、上官がドイツ少年兵に撃たれ、また卵をくれたお礼に「愛の手ほどき」までしてくれたドイツ美人がナチスの砲撃で殺されるのを見て目覚め、わずか半日後には「殺戮マシーン」に変身、ドイツ兵らを機関銃で薙ぎ倒すのだ。  ドイツ軍の本物の「ティーガー戦車」が出演するということで、マニアを中心に話題となったこの映画を観た多くのアメリカ人は「じつにリアルだ」と感動したようだし、日本でも一部映画評論家が同じような感想を漏らしていた。  一方、戦車に詳しくない私は、この映画を観てひたすら吐き気を催したクチだ。リアルな残虐シーンに対してではなく、人間性の堕落について開き直ることしかできないその未熟な精神に対してである。  敵国の女性を捕まえて我がものとし、わずか数個の卵で「愛」まで芽生えさせるといった脚本家の石器時代的発想にも恐れ入ったが、それ以上に、無抵抗の捕虜を違法に殺害したピットが、話の途中でほんの少し苦悩する表情を見せることで、自らが犯したすべての戦争犯罪が理解され、許容される(べき)という感覚は、あまりに傲慢であり、甘えている。挙げ句の果てにピットは「歴史は残酷だ」という台詞を吐いて自己正当化の念押しをするのだ。  一方、『アンブロークン』に登場する日本人看守(捕虜を虐待するだけで殺してはいない)には、そんな苦悩とか自己正当化のチャンスは与えられない。もし件の日本人看守が、ピットよろしく苦悩の表情を見せて観客の理解を求め、挙げ句の果てに「収容所は残酷だ」と開き直ったら、それこそブーイングの嵐が吹き荒れるに違いない。なぜなら、われわれは正義のアメリカ白人ではなく、「野蛮で残酷な敗戦国の黄色劣等人種」だからだ。  アメリカによる無差別空襲と原爆投下という「衝撃と畏怖」作戦で対米恐怖症に陥り、占領統治で精神的にも骨抜きにされた戦後日本人の一部は、 あの男らしいサンダース軍曹が機関銃でドイツ兵をバタバタ薙ぎ倒すドラマ『コンバット』を見て育った。だから、同盟国であったはずのドイツ人が無惨に殺される『フューリー』を見て無邪気に感動できるわけだが、自分たちもまたあの戦争オヤジに殺される側にいたのだ、ということにさえ気付かないのだから、おめでたいことこの上ない。日独の「アラ探し」が大好き 日独の「アラ探し」が大好き  アメリカ政府は冷戦後、「ナチス戦争犯罪開示法」や「日本帝国政府開示法」といった新法を制定し、国防総省やCIA、FBIまでを総動員して一生懸命に日独両国の「アラ探し」に取り組んできた。そしてハリウッドはそれを掩護射撃するかのごとく、戦後70年も経った今日でも反日・反独プロパガンダ映画の製作に励んでいるが、その動機の根底には、日独両国の「強さ」への恐怖感がある。この両国はかつてアングロサクソンに反抗し、最後は国土の隅々まで焦土にされたにもかかわらず、戦後は不死鳥のように復活し、持ち前の勤勉性と規律、技術力と頭脳を駆使して再び大国化したからだ。  たとえば、実質的な植民地であったはずの日本はここ数年、東京裁判史観の呪縛から自らを大きく解き放ちつつあり、これまで日本人の心を支配してきたはずのアメリカにとっては、うかうかしていられない状況になりつつある。  一方のドイツは、低迷する欧州連合(EU)を独り支えることで欧州の経済的覇者となっており、また以前と違って自らのパワーさえ主張し始めている。  EU創設のもともとの発想は「ドイツは強すぎて近隣諸国と安らかに共存できない」と見る旧連合国が、「ドイツ的な欧州ではなく、欧州的なドイツ」(『フィナンシャル・タイムズ』紙、2013年3月26日)をめざすことで、統一ドイツの大国化を防ごうと考えたことに起因する。フランスはそれに乗じて、EU(=ユーロ)の強化を通じ、アメリカ一極集中体制(=ドル基軸体制)への対抗軸としようとさえ考えていた。  そんなドイツでは、最近「バカバカしいEUから脱退すべき」という感情的な声が強まっている。ドイツはこれまでスペインやイタリア、ギリシャなどの財政危機に陥った南ヨーロッパ諸国に対し、数千億ユーロもの支援をしてきたが、相手は何かあるとすぐにドイツを「ネオナチ」と呼び、そのくせいまでも、いざとなればドイツの納税者こそが自分たちを救うべきだと開き直っているように見えるからだ。  むろんEUから脱退などすれば、その新通貨(恐らくマルク)は周辺諸国に対して強くなりすぎ、ドイツは工業製品を輸出できなくなるだろうから、これはあまり得策とはいえない。ならばいっそのこと、通貨ユーロを支配して事実上の「マルク」とし、もってEUにおける経済覇権を確立するほうが手っ取り早い。  これは、いまであれば実現可能かもしれない。なぜなら、かつて欧州的知性の代表者を自負し、仏独同盟がEUを牽引すると信じて疑わなかったフランスが、ここに来て急に影響力を失いつつあるからだ。あとに残った国々など、ドイツにとっては大した相手ではない。最近、ドイツが破綻寸前のギリシャに対して冷淡に見えるのも、腹の中では、あんな余計なお荷物はできれば切り離したい、と考えているからだろう。 大国化し、反米化するドイツへの「警告」?  こんな状況に焦燥感を抱いたのか、ギリシャはドイツに対して突然、第二次大戦の賠償として22兆円ものカネを要求した。だらしなくも強欲な外国からカネをせびられるあたりも日独の状況は酷似しているが、強いドイツはそれを一蹴した。  一方、脱原発のドイツは、大量の天然ガスを供給してくれるロシアとも経済的な面で深い関係をもっており、ウクライナ問題に絡む対露制裁では、表面上はアメリカに追随してはいるが、実際にはそうとうの経済的損失を出して困り果てている。だから、ウクライナにおけるロシアの影響力を排除するため、密かに米系民間軍事会社の戦闘員まで投入してくるアメリカに対し、一定の距離を置き始めているのである。  今年1月1日、アメリカやEUに対抗するため、ロシアは新たな新経済圏「ユーラシア経済連合(EEU)」を発足させたが、かつてアメリカの情報機関によって自らの携帯電話を盗聴されていたことに怒っているメルケル首相は、そんなEEUと自らが率いるEUとでつくる共通の経済圏構想を支持するとまで言い出している。そしてウクライナ停戦協定では、フランスを引っぱり出し、調停役として奔走した。  一方のアメリカは、表面上この停戦協定を「歓迎」しているものの、腹の中はまったく逆であり、それどころか親露・反米的にさえ振る舞うドイツに対し、明らかに苛立っている。  『フューリー』とは「激しい怒り」という意味だが、画面のなかでミンチのように切り刻まれるドイツ人たちを見ていてふと感じたのは、これはもしかしたら、いまやEUを制覇してユーロの支配権を握るだけでなく、米英系資源メジャーと激しく対立する仇敵ロシアにエネルギーの多くを依存し、かつ共通の経済圏まで構築して対抗するようにも見えるドイツに対し、激しい怒りを感じるアメリカからの「警告」なのかもしれないということだった。  実際『フューリー』では、ブラッド・ピットとメキシコ系兵士を演じた以外の俳優は、ほぼ全員がユダヤ系であるが、ここにも「ドイツ人よ、自らが犯したユダヤ人虐殺という大罪を努々忘れるな。あまり調子に乗っていると再び痛い目に遭うぞ」というメッセージが隠されているような気がする。ドイツには、弱くなってもらっても困るが、強くなりすぎても困るといったところであり、ときどき「反独プロパガンダ」という金槌で出すぎる杭を叩いておこう、というところだろうか。誰でもできる国家防衛のかたち 誰でもできる国家防衛のかたち  話を『アンブロークン』に戻そう。前述のとおり、この映画の日本公開日時は未定であるが、その理由は日本国内における反発や、一部で盛り上がる上映ボイコット運動に配慮したからだそうだ。  しかし、私はこの映画の日本公開には大賛成である。早く公開して多くの日本人に観てもらえばよいし、私も当然映画館にまで出向いて見に行くつもりだ。そのうえで、「心配したわりに、それほどでもないな」と胸を撫で下ろし、アンジェリーナ・ジョリー監督を見直すもよいし、否、あんな描き方はケシカラン!と憤慨してみるのもよい。日本には言論の自由があるのだから、品格と度量をもって大いに知的な議論を楽しめばよい。  感情的になって「日本公開反対」と叫べば、また向こうの思うつぼになるのは明白だ。欧米のメディアは、そうやって怒声を上げる人たちの真っ赤な興奮顔をカメラに収め、「日本は右傾化し、軍国賛美の風潮が増している」といって、鬼の首を取ったかのようにそのイメージを世界中に配信するだろう。そうなると、今回の情報戦もまた「先方さんに軍配」という具合になる。  異論、反論があれば、酒を片手にでも外国人と正面から向き合って、 冷静に言うべきは言い、また聞くべきはじっくり聞けばよい。これによって日本の言い分を理解する外国人が増えれば、そんな彼らがそれを海外でも拡散してくれるだろう。  そうなれば、いまだに流される反日戦時プロパガンダが、もはや完全なる過去の遺物と化していることにやがて世界中が気付き始めるに違いない。これこそが、一般国民が誰でも参加可能な本当の意味での国家防衛(ナショナル・ディフェンス)のかたちだと思うが、いかがだろうか。 まるたに・はじめ 1974年生まれ。オーストラリア国立大学卒業。同大学院修士課程中退。オーストラリア国立戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、長年、通訳翻訳業務に従事。現在は、講演や執筆活動、テレビ出演などもこなす、国際派ジャーナリストとして活躍中。著書に『ココダ・遙かなる戦いの道』『日本軍は本当に「残虐」だったのか』(以上、ハート出版)などがある。関連記事■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ 「女子力男子」の消費力……女子化する男子の実態を徹底分析!

  • Thumbnail

    テーマ

    反日・反独はいつまで続くのか

    来日したメルケル首相は「ドイツは過去と向き合った」と言った。日本だって何度も過去と向き合ってきたのに、日独はいつまでも「悪者」「悪役」の役回りだ。戦勝国の都合のよい秩序が戦後70年も続いたが、日本は辛抱強く世界平和に貢献してきた。自信をもって、大きな声で世界に発信するべき時ではないか。

  • Thumbnail

    記事

    日本人の歴史認識に物申す

    ケント・ギルバート(米カリフォルニア州弁護士・タレント) 日本人の歴史認識に必ず文句を言う国がある。実は、米国人である私も、日本人の歴史認識には不満がある。今日は私の歴史認識を書く。 「アジア唯一の国連常任理事国は?」と質問したら、日本人の大半が「中国」と答えるだろう。不正解とは言わないが、正確には中華人民共和国である。英語は「People’s Republic of China」。PRCは同国の略称だ。 国連常任理事国とは本来、第2次世界大戦の戦勝5カ国だった。しかし、PRCは1949年10月建国で、終戦時には存在しない。国連加盟は71年である。 大戦時の「中国」とは、蒋介石率いる中華民国(国民党政府)である。だから貴重な文化財は現在も台湾の国立故宮博物院にある。PRCを建国した毛沢東率いる中国共産党軍(八路軍)は当時、ゲリラ組織のようなもので、国民党軍と国共内戦を戦っていた。 PRCの歴史はわずか65年、米国の3割未満だ。世界一歴史の古い日本と比べるとかわいそうだが、3%未満になる。 そんな短い歴史の中でチベットとウイグルに侵攻し、朝鮮戦争と中印戦争にも参戦した。国内では大躍進政策、空中核実験、文化大革命や天安門事件などで甚大な犠牲者を出したとされる。 米国人の1人として、PRCに戦勝国を自称されると腹が立つ。米英仏ソ4カ国は、日本やドイツと戦い、多大な犠牲を払って戦勝国になった。ところが、中国大陸の国民党軍は非武装の日本人居留民は殺しても、日本軍からは逃げ回った。同胞の中国人を殺し、日本軍の仕業にしたものも多いという。共産党軍は散発的なゲリラ戦だけだ。 まともに日本軍と戦うことなく中華民国は政治的理由で戦勝国扱いされた。その後、PRCはロビー活動の巧みさで中華民国を国連から追い出し、常任理事国の地位を得た。中国4000年の謀略史は侮れない。 ところで、ゲリラ組織だった共産党軍が大戦後に軍隊らしく整備され、国共内戦に勝てた理由が意外と知られていない。 中国大陸の日本軍(関東軍)は敗戦で武装解除され、ソ連に全装備を接収された。ソ連はこの装備を共産党軍に与えたのだ。残留日本人のうち、軍人や医師、看護婦らが強制連行され、軍事戦略や飛行機の操縦技術、医療などを教えた。これによって共産党軍は航空隊や砲兵隊、医療班を持つ近代的軍隊になり、国民党軍に勝った。 PRCは建国時から日本人の世話になり、後に日本のODAと民間投資を得て発展した。ところが、今は最大の恩人である日本をプロパガンダで貶め、自然を破壊し、軍事的に脅かしている。 私が、日本人の歴史認識に不満があると言った理由が、ご理解いただけただろうか。 ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。関連記事■ 日本がサンドバッグから脱するとき■ 「戦勝国」史観との対決■ 戦後70年 落ち着いて歴史を語れる国に

  • Thumbnail

    記事

    「敗戦国」の枠組み突き崩すには

    阿比留瑠比 (産経新聞政治部編集委員) 東京・九段北の靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインド代表のパール判事の顕彰碑がある。そこには、パール判決文(意見書)を引用した次の有名な言葉が碑文として刻まれている。 「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡(へいこう)に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう」東京裁判で全被告の無罪を主張したインド代表、パール判事の偉業をたたえる顕彰碑が靖国神社境内に建立され、インド大使館関係者らを招き除幕式が行われた=2005年6月25日(撮影・小松洋) 戦後、すでに70年近くがたった。本来ならば熱狂と偏見の時代はとっくに過ぎ去り、先の大戦をめぐるさまざまな経緯は、もう「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)」となっていいはずだ。 そうであれば、日本のこれまでの平和の歩みはもっと正当に評価されていただろう。集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しも、理性的で落ち着いた雰囲気の中で議論されていたのは間違いない。 ところが現実は違う。中国や韓国は歴史問題を既得権益のように振りかざし、謝罪と反省を強要し続けている。「戦勝国」として優位な立場を維持したい一部の欧米諸国も、それに安易に同調する傾向がある。 戦勝国や、日本の敗戦で利益を受けた国々は、彼らの歴史観に沿った河野談話や村山談話の順守を求め、それに疑問をはさむことも許さない。日本が歴史問題のささやかな検証を試みると、「危険な歴史修正主義者」のレッテルを貼って非難してくる。 戦争に負けるとは、自らの歴史を奪われ、他国の歴史を押し付けられることだ。日々のニュースを追いかけつつ、今さらのようにそう痛感させられている。 「歴史は、ほとんど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは『公平ではない』と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない」 平成18年2月、インタビューで栗山尚一元駐米大使がこう語るのを聞いたときには、「いつまで日本は頭を下げ続ければいいのか」と少々反発も覚えた。とはいえ、これは一面の真実ではあるだろう。 「戦後の世界秩序」と美名で言い換えようとどうしようと、「戦勝国と敗戦国の枠組み」が今も強固に世界を支配しているのは否定できない。 ただ、いかに戦後の枠組みが堅牢(けんろう)だろうと、日本はそれに甘んじるのではなく、少しずつでも突き崩していく努力をしていくべきだと思う。作家の江藤淳氏が、月刊誌「文芸春秋」(9年6月号)で問いかけた次の言葉に深く共感する。 「敗戦国とその国民を、蔑視し、差別し、その心を不当に傷つける『正義』を、勝者はどこから得たのでしょうか?」 パール判事もまた、判決文にこう記している。 「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫(れんびん)から復讐(ふくしゅう)まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である」 安倍晋三首相が周囲に「歴史問題は匍匐(ほふく)前進で行くしかない」と語るように、この問題は長期戦を覚悟する必要があろう。 問題はむしろ、自ら敗戦国の枠組みに閉じこもりたがる国内メディアにあるのかもしれない。A級戦犯容疑者とされた岸信介元首相は昭和21年11月、パール判事の判決文を日本タイムスの記事で知り、同紙以外が一部しかこの事実を報じなかったことについて「獄中日記」にこう記した。 「之は各新聞社の卑屈か非国民的意図に出づるものである。之等の腰抜け共は宜しくパール判事の前に愧死(きし)すべきである」 後世の歴史家に腰抜けと呼ばれたり、恥ずかしさのあまり死んだりすることのないよう、肝に銘じたい。関連記事■ 「戦勝国」史観との対決■ 戦後70年 落ち着いて歴史を語れる国に■ 韓国よ、あなたがたの父祖はそんなに臆病だったのですか

  • Thumbnail

    記事

    豪州の慰安婦像はこうやって阻止した

    ら、私は決して自分の子供をストラスフィールドの学校には行かせないでしょう」 「これは明らかに政治的な反日キャンペーンであり、慰安婦像はその象徴に過ぎないということです。慰安婦三姉妹と言っていますが、女性の人権をとりあげるならば、他の国の女性も含めなければ差別にあたるのではないのですか?」「これまでのところ、ストラスフィールドは、多文化主義が最も成功した町です。その評判を維持しなくてはなりません。慰安婦像によって分断された町として記憶されてはいけません。市議会の皆さんもきっとそう思うのではないでしょうか!」と言った途端、まるで測ったように時間終了のベルが鳴った。これは偶然である。 日本人応援団の拍手を背に一礼して、私は席に戻った。これでスピーチ合戦は終わりだ。市議たちが協議のために別室に移った。 内容はこちらが凌駕していたと確信した。相手をけなしたり、攻撃したりするのではなく、淡々と終始一貫、理を説いたのだ。我々は感情に支配されることなく、しかし、情感を持ってコミュニティの融和の大切さを訴え続けた。 ざわめく会場で45分が経過した。市議たちがやっと戻って来た。市長が静かに話し始めた。「この問題は市で判断できる問題ではないので州や連邦の大臣に意見を求めます」 一瞬意味がわからなかったので、近くに座るオーストラリア人に尋ねると、彼は腕を組みながら答えた。「自分たちで判断せず、州や連邦に投げて、棚上げにするという意味さ」 却下しなかったのはおおいに不満である。しかし、とりあえず強行突破はされずに済んだ。9回裏10対0から同点に追いついたのだ。市議会は明らかに我々のスピーチに軍配を上げたのだと思う。しかし、中韓団体のゴリ押しの政治力を考慮して、即時却下はできなかったのだろう。 中韓応援団は皆、ポカンとしている。やがて事情が呑み込めると、「信じられない」「こいつらは何者だ」という目でこちらを見つめてきた。日本側が毅然とした態度で反論した。そんなことは筋書きにはなかった、と顔に書いてある。 一方、こちらは見知らぬ人々から握手を求められた。親日派韓国人から握手を求められた仲間もいたらしい。 公聴会ではなんとか防戦したが、これからが本格的な戦いになるのは明らかだ。我々は依然としてお互いをよく知らぬまま、健闘を称え合って帰路についた。 今回、像設置に動いた反日団体「日本の戦争犯罪を糾弾する中韓連合」(以下、中韓連合)はあくまでも慰安婦像設置に向けて活動を継続しようとしていることから、我々もその週末、公聴会参加のメンバーが集合し、既存の日本人会とは別に、慰安婦像阻止活動のためのグループを結成することになった。JCN(Japan Community Network)の誕生だった。 集まったメンバーは、地元の母親たち、スピーチに立ってくれたオーストラリア人、引退した日系企業の元駐在員など、こんなことでもなければ知り合うこともない様々な背景の顔ぶれだ。国家とローカルコミュニティの「防衛二元論」 日米豪の一夜漬け混成チームで臨んだ公聴会でのスピーチは、切り口は様々ながら、全体を貫く一本の芯があった。嫌韓、嫌中という言葉があるが、我々はそこに雪崩れ込むことはしないよう心掛けた。なぜならば、地元の母親たちは地域に溶け込んでおり、子供たちは中国人や韓国人の友達とも遊んでいるからだ。 守るべきは、この地域共同体の融和と平和な生活であり、特定の政治的イデオロギーとは一線を画すよう努力した。 日本人の母親たちは、韓国系から攻撃されている被害者の立場なのに、地域社会では波風を立てないように常に気を遣っている。そこまで気を遣う必要はないと思うものの、彼女たちの意向は最大限尊重されるべきだ。彼女たちが勇気を持って立ち上がらなければ、JCNが発足することもなく、慰安婦像設置はあっさり可決されていただろう。 公聴会のスピーチを組み立て、アンカーに立った私が、成り行きでこのJCNの代表となった。最初の作業が「活動理念」を明確にすることだった。というのも、慰安婦像設置に反対する我々の意見に地元の市議会が賛同してくれるよう、活動のスタイルと理念を明確に定義して言語化し、皆の連帯を維持しなくてはならないからである。 最初に提示した理念は、「非敵対的合理主義」である。 我々は公聴会でも、敵対的な言動は慎み、感情的にならず、ひたすら論理的合理的な反論に終始した。簡単に言えば、ヘイトスピーチで敵を作らない、ということだ。これがJCNの基本理念であり、その後の参加希望者もこの姿勢を貫ける方に限ることにした。 英語ではnon-confrontational rationalismと訳しつつ、欧米人メンバーと共有する。これは、中韓反日団体の挑発に乗らず、常に、より高次元の議論に徹する、という決意表明でもある。 次に、JCNの戦略の基盤となるのが、「防衛二元論」である。 国家レベルの防衛と、コミュニティレベルの防衛は、当然戦略が異なる。 国家レベルの防衛は、汚名を払拭して、名誉を取り戻すことが目的だ。沈黙もしくは「謝罪済み」と言って逃げるのは、国際社会では最悪の、不適切な対応である。この間違った対処を長年続けた結果、歪曲した歴史が既成事実化してしまっているが、それを解消しなければならない。 慰安婦問題に関して言えば、これまで少なくとも30年は放置してこの事態に至ったのだから、目的を達成するのに30年かかってもおかしくない。強力に、かつ地道に対外発信を続けるしかない。それが国家レベルの防衛だ。 一方、我々民間による、コミュニティレベルの防衛は、あくまでも目の前の慰安婦像設置を阻止し、地域の融和的共存を守ることが目的である。国家レベルとは目指すものが異なる。それをまず認識すべきだ。 公聴会での我々のスピーチは、切り口を変えながらも、全員がそこにぴったりと照準を合わせていた。我々の相手は常に日本を残虐非道と非難してくるから、「捏造だ!」と反論したくなるが、そもそも話し合ってわかり合える相手ではない。反論しても泥仕合となり、相手は事実の検証など無視して、「無反省の歴史修正主義」などと声を荒らげるだろう。いわゆる慰安婦問題に関する歴史戦に深入りして、被告席から反論するような不利な状況をつくってはならない。 もちろん歴史戦を戦う準備と覚悟は常にできていなければならないから継続的な勉強は必須ではあるが、基本は別次元で優位の議論を展開すべきだ。これが防衛二元論の骨子である。 具体的に言えば、我々は当初、オーストラリアの国是である「多文化主義の尊重」を掲げて論陣を張った。慰安婦問題をことさらにクローズアップし、特定の国家を非難するような活動は、オーストラリアの国是である「多文化主義の尊重」に反する、と批判したのだ。これは、我々が希求する嘘偽りのない主張である。他の民族とも連携できる永遠のテーマだ。女性の人権とは無関係!慰安婦像建立の本当の目的 だが我々は中韓連合の攻撃の中に、さらなるヒントを見出した。 彼らは派手なパフォーマンスが好きだ。4月1日の公聴会で、我々は「慰安婦像の建立は、人道問題や人権問題ではなく、日本を非難するための政治活動だ」と指摘したのに、9月になって再度わざわざ韓国系メディアに以下の活動方針をぶち上げている。1.我々は、日本政府の安倍首相及び政治家が靖国神社に参拝したことに強く抗議し、韓国と中国に謝罪することを要求する。2.我々は、日本の軍国主義復活、歴史修正主義、慰安婦や南京大虐殺のような戦争犯罪を豪州人、および豪州在住の韓国系中国系の第2世代に伝えるため、展示会、フォーラム、セミナーなどを行う。3.我々は、日本軍が朝鮮人、中国人、その他のアジアの若い女性を拉致して性奴隷にしたことを広く知らしめるために「3姉妹」の像を豪州に複数建立する。4.我々は、世論を興し、日本政府に圧力をかけ、物言わぬ良心的日本人を目覚めさせ、日本が嘘の歴史を次世代に伝えることを阻止する。5.我々は、アボット豪首相に、第二次大戦中、日本が侵略し、女性の基本的人権を蹂躙したことを認めるよう、日本がアジアの中で最良の友人だという認識を変えるよう、要求する。6.我々は、豪州政府に、日本を同盟国とみなすのをやめ、韓国と中国を日本と同等に待遇するよう、現在の日本重視の外交政策を変更することを要求する。7.我々は米国政府に、日本に騙されずに、安倍の狡猾な悪魔のような本音を直視し、日本が再び軍国主義に戻るのを阻止し、日本を韓国や中国より尊重する外交政策の転換を求める。8.我々は、韓国と中国両国の利益のため、両国人民が共闘し、以上の目的が達成されるまで活動を続けることをここに宣言する。米カリフォルニア州グレンデール市内に設置された慰安婦像 実に正直な人たちである。これなら誰が読んでも、彼らの真の目的は、反日、反安倍であり、慰安婦像はその政治的道具に過ぎないことがはっきりわかる。 当初は「慰安婦像は女性の人権の象徴で、敵対的なものではない」などと言っていたのに、ここでは「日本軍の残虐性を広く知らしめるのが目的だ」と明記している。これだけでも十分、慰安婦像がローカルコミュニティにふさわしくない代物だとわかる。ここまでは我々もすでに4月1日の公聴会の時点で指摘した。 その上、この9月の記事は、はっきりと、アボット豪首相に、日本をアジアにおける最良の友人とみなすことをやめさせる、と書いてある。それは日豪関係の分断ということだ。 記事はさらに日米関係の分断にまで言及し、米国政府に、安倍の狡猾な悪魔のような本音を直視するよう求めるとしている。なぜ活動方針に、米国まで出てくるのか? この反日団体の目的は、韓国人の慰安婦センチメントを利用し、「日豪・日米を分断し、日本を孤立させる」という中国共産党のアジェンダを遂行することだと自ら明かしているのである。 韓国政府は、慰安婦問題で対日批判を繰り広げているが、中国共産党の噛ませ犬として利用されていることに満足なのだろうか。中国及び北朝鮮と対峙して日米と同盟を結んでいることを韓国はすっかり忘れているようだ。 中国共産党の世界戦略に沿って世界中の大学に設置されている孔子学院という組織が、文化交流の皮をかぶったプロパガンダ組織に過ぎないことがわかって、米国やカナダの大学で孔子学院を閉鎖する動きが出ている。日本ではどうだろう。 最近では米国国防総省も、中国共産党によるサイバー攻撃だけではなく、対米宣伝工作の横行にも危機感を持ち始めているとも聞く。 オーストラリアでも最近、中国人留学生を使ったスパイネットワークが構築されていることがわかり、衝撃が走った。中国人の講師がオーストラリアの大学で民主主義について論じると、いつの間にか本国政府がそのことを知り、中国に帰国した際、何度も当局の尋問を受けたという。教え子の中国人留学生が密告していたのだ。 どうみても慰安婦像は、女性の人権の尊重とは無関係で、却ってオーストラリアの移民社会に分断と対立をもたらすとしか考えようがない。そればかりか、日豪関係や日米関係を分断破壊する目的の国際的謀略行為の道具と言っても過言ではない。 中韓連合の活動方針の最後には明確に「中韓の国家利益のために共闘する」と書いてあり、オーストラリアのためとは一言も言及していない。コミュニティの調和を破壊するだけでなく、これではオーストラリアの国益を損ねることは自明の理である。 従って、これからの戦略として、中韓の仕掛けるこうした工作を、オーストラリアや米国で広く周知させ、米豪の国益に反すると認識させる活動を慰安婦像対策の中心的戦略とすべきである。 すなわち慰安婦像の建立問題は、韓国や中国共産党の国際的謀略活動にどう対処すべきか、という日米豪共通の問題である。日米豪3カ国が共闘することを視野に入れたパラダイムを作ることが最も合理的な対応である。外務省は邦人保護任務に傾注すべき JCN第3の理念が「邦人保護優先論」である。 外務省は従来「この問題を政治外交の問題とはしない」と発言してきた。これはどういう意味なのか? こちらがどう考えようと、相手は執拗に政治外交の問題にしているように見えるのだが。そう言い続けていれば中韓は慰安婦問題攻撃の矛を収めるのだろうか? 我々は、地元の日本人の母親と子供たちを護るために立ち上がった。豪州人の副代表も「僕らの目的は、純粋に母親と子供を護ることなんだ」と言っている。すなわち、慰安婦像問題には、根本的に国内外の邦人保護の要素があると理解すべきだ。いうまでもなく、在外邦人保護こそ外務省の最重要任務のひとつであり、存在理由と言ってもよいだろう。 5月に中丸啓衆議院議員(次世代の党)にお会いした際にこの観点をお話ししたら、早速、国会質疑で取り上げてくださった。その模様もネット上で動画として公開された、JCNメンバーは「ようやく日本の国会議員が、オーストラリアに在住する自分達の安全を考えてくれた」と感激した。 第4の理念が「小異を捨てて大同につく」である。JCNは前述したように、多種多様な人々の集まりである。意見が違うのは当たり前だ。欧米人メンバーの間でさえ、意見の食い違いがよくある。しかし、共有する理念と大義があれば、共に戦える。高次の目的の為に、小さな差異を乗り越えて、一致団結することが極めて重要だ。 以上は、南半球で戦う我々JCNの理念と戦略のご紹介である。 我々は平凡な母親と父親の集団であるが、静かに、しかし合理的に戦っている。この慰安婦像の問題をどのように論ずるにせよ、本来、右も左もない、日本全体の問題であり、だからこそ、多種多様な人々が手を携えて取り組めるはずだ。 だが日本国内では、この日本全体の問題が、リベラル左翼対保守という対立構造の中で論じられ、慰安婦像に反対すると、右だとレッテルを貼る風潮がある。それは日本社会の病理だ。日本人全体がイデオロギーを超え、一丸となって日本の名誉のために戦わずして、どうやって海外で慰安婦像建立を阻止できるのか? 日本国内での戦いも大変だが、海外では普通の母親やサラリーマンが日々、反日謀略組織の攻撃にさらされている実態がある。 海外各国での民間の戦いを組織化し、体系的で統一的な戦略を全世界で展開していくことができれば、我々の戦いは飛躍的に発展するだろう。そのためにも、我々JCNが、ひとつの参考モデルを提示できれば、まことに幸甚である。山岡鉄秀氏(やまおか・てっしゅう) Japan Community Network(JCN)代表。シドニー在住豪州ストラスフィールド市における中韓反日団体による慰安婦像設置推進運動に遭遇し、地元の母親を率いてJCNを結成。地域社会融和の大切さを訴えて市議会に設置可決を見送らせた。関連記事■ 「売れますよ、ふふふ」…『呆韓論』20万部に朝日が目くじら■ 韓国はどうして日本を許さないのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 日清戦争前夜と酷似する日中韓関係■ 「超限戦」目に見えない戦争はもう始まっている

  • Thumbnail

    テーマ

    朝日だけじゃない「反日地方紙」の正体

    々にとっては、まさにゆりかごから墓場までお世話になる新聞なのです。それほど影響力のある紙面がまさに「反日一色」というのはなぜでしょうか?

  • Thumbnail

    記事

    読者が知らない共同通信の強大な影響力

    安藤慶太(雑誌「正論」編集委員)(平成23年8月発行『誰も書かなかった「反日」地方紙の正体』より) 新聞には朝日、毎日、読売、日経、産経などの全国紙や都道府県ごとに地元紙と呼ばれる地方新聞がある。北海道の北海道新聞(本社・札幌市)や東北地方に拠点を置く河北新報(本社・仙台市)、中京圏を基盤にする中日新聞(本社・名古屋市、東京では東京新聞を発行)や中国新聞(本社・広島市)、西日本新聞(本社・福岡市)などのブロック紙といった分類を含め、これらを一般紙と称する。 本稿で取り上げる共同通信というメディアは、これら様々な新聞社にニュースを提供する通信社である。もうひとつ日本には時事通信という通信社もあるが、ニュースの配信量、その影響力ともに共同通信が時事通信を抑えており、文字通り日本を代表する通信社といえるだろう。 通信社のニュースといえば多くの読者は外電や海外ニュースをイメージしがちだ。むろん共同通信も世界各地に幅広く記者を派遣し、配信されたニュースにはこうした海外の出来事に関する記事も多数ある。だが、共同通信の配信記事はそれだけではない。 多くの読者は自分の読んでいる新聞記事が、実はその新聞社の記者ではなく、共同通信の記者が取材、執筆し、出稿、配信した記事であるとは知らずに読んでいることが多い。共同通信という存在は一般読者には意外に知られていない。 最近では、新聞社のインターネットサイトも多い。インターネット検索サイト、グーグルにはニュースの検索機能があり、キーワードごとのニュースを自在に集めることが可能である。検索で集められたニュースを眺めていると、別々の新聞社であるにも拘わらず、最初から最後まで全く同じ文章のニュースだったりすることがある。その大半が、実は新聞社のオリジナル原稿ではなく、通信社による配信記事なのだ。 映像メディアからラジオ局まで、共同通信が配信するニュースは活字のニュースばかりではなく実に幅広い。 本稿ではまず共同通信というメディアがどんなメディアで、新聞からみた存在感や影響力について紹介したい。朝日や読売しのぐ部数 《共同通信社は1945年、正確公平な内外ニュースを広く提供し、国民の知る権利に応えるとともに国際相互理解の増進に貢献することを目的に、全国の新聞社、NHKが組織する社団法人として設立。創立以来、国内、海外のニュースを取材、編集して新聞社をはじめ、民間放送局や海外メディアに記事、映像を配信している。日本語だけでなく英語や中国語でも配信し、アジアに軸足を置く日本を代表する総合国際通信社である》 共同通信が自らこう説明するように、共同通信は公益法人として新聞、テレビなど様々なメディアを支える裏方のような役割を担ったニュース供給メディアである。ニュースの配信を受けるためには共同通信に加盟料を支払い「加盟社」となる必要がある。つまり、顧客であると同時に、共同通信のメンバーであり参加構成員といっていいだろう。現在、加盟社はNHKを含め56社、加盟社が発行する新聞は67紙に及ぶ。顔ぶれをみると、産経新聞社や日本経済新聞社のような全国紙や経済紙、それに、県紙と呼ばれる地方紙が都道府県ごとにほぼ1社ずつ加盟している。ただし、沖縄の琉球新報と沖縄タイムズのように同一県内の2紙がともに加盟しているケースもある。 朝日新聞と読売新聞は共同通信の加盟社ではないが、加盟社以外に外信記事と運動記事の一部の配信を受ける「契約社」があり、朝日、読売のほか東京スポーツなど10社13紙を発行している。またフジテレビやテレビ朝日、TBSなどのキー局をはじめ地方の主要な民間放送局108社が契約社として共同の配信を受けている。記事を配信する媒体の数、その発行部数や放送局の場合の視聴エリアを考えると、共同通信の影響力は朝日新聞や読売新聞といった巨大部数を発行する全国紙を凌ぐといえるかもしれない。 共同通信はニュース供給のメディアだと述べたが、地方紙に供給されるニュースは海外ニュースだけではない。むしろ、地方紙にとっては国内ニュースの供給源という役割のほうが重く大きい。その意味で、共同通信は自ら発行媒体を持たないものの、地方紙への影響力は絶大といえそうである。 地方紙はおおむね県庁所在地に本社を構え、県庁に手厚い取材部隊を置くのが常である。県下一円に広く取材網を広げ、郷土のニュースをどこよりも速く、さらに手厚く詳しく報じることを全国紙と競い合う。 県政記者クラブの取材統括役、県政キャップといえば、いわば県庁の表裏を知り尽くし、知事や県幹部とも顔なじみで、地元政財界にも顔が利き、いずれはその地方新聞社の幹部になることが期待されている…こういう将来の重鎮または重鎮候補、エース記者が務める場合が多い。毎年、3月ごろになると、県庁の幹部人事を寸分の狂いなくいち早くスクープする。これが地方紙の大事な役割になっており、郷土に地盤を置く県紙の矜持であり、全国紙では追随できない典型的な報道である。 ところが多くの地方紙は、首都東京での取材体制が極めて脆弱である。東京支社を構えて記者を数人配置しているが、彼らは全国ニュースを追っているわけでは必ずしもない。地元出身の政治家を回ったり、地元ゆかりのニュース発掘だったりもするが、全国ニュースは共同の配信記事に頼るのがほとんどである。 選挙になると、選挙区ごとの当落判定が必要になる。地方紙にしてみれば、自分の都道府県の選挙区ならば、全国紙の手が届かない裏の裏の情報まで見据え、開票動向を占うことは可能だろうが、県境をひとつ超えると、そうはいかない。選挙の開票作業同様、選挙報道にミスは許されない。こうした全国規模での開票作業を束ね、集約し、処理していくのも共同通信の重要な仕事である。 さらにプロ野球やサッカー、大相撲などのスポーツイベントを例に取れば、様々なスポーツイベントごとの記事や写真、記録の処理に至る細かなところまで共同の配信に頼ることになる。デスク必見の出稿メニュー 夕刊を発行する新聞の場合、午前8時過ぎには共同通信社から夕刊に提供するニュースの配信予定が全国の加盟社に配信される。その日、何時にどこで、どんな予定があるか。そのニュースバリューはいかなるものか。写真は配信できるか、原稿は予定では何行くらい予定しているか。新聞発行の締め切りを踏まえて、共同から「使っていい」との知らせがあれば、直ちに使用できる「予定稿」と呼ばれる原稿の配信もある。 そうした克明なメニュー表を眺めながら、新聞作りの作業は進んでいく。予定に入れることのできない予測になかった突発的な事故、事件などが起こると、直ちにその「お知らせ」が加盟社に伝達される。共同からの出稿をめぐる連絡事項や伝達事項というのは例えば、こんな具合である。 「共同通信から社会番外です。人気アイドルグループ○○のメンバー××が港区内で警視庁に○○容疑で逮捕されていたことがわかりました。記事三十行を○○時ごろ配信します」 「外国人からの政治献金を受けていた○○衆院議員が議員辞職する意向を関係者に伝えたという情報があり、現在確認中です」  「先ほどお伝えしました○○氏の記者会見は予定された時刻になっても始まっていません」 こうした連絡は四六時中続く。それは朝刊の編集時間帯になっても何ら変わらない。いったん配信した原稿でも状況がリアルタイムで進めば、手直しした原稿「差替」が再配信されてくる。 また一つの事件であっても新聞に掲載する原稿は一本だけとは限らない。何本もの記事が必要な場合がある。 例えば、平成23年春に京都大学で起こった入試不正事件で、仙台市の予備校生が逮捕された場面ではどんな原稿が必要となるか。 まず一面には総括的な事実関係を伝える原稿「本記」が載るが、それだけでは物足りない。 「一体、携帯電話でどのように入試問題をネットの掲示板に投稿できたのか」という観点でまとめた原稿も欲しい。また、捕まった人物がどんな予備校生だったのか、という観点の原稿も欲しい。関係者がどう受け止めているのか、表情をまとめた原稿も欲しい。京大だけでなく、早稲田、立教、同志社などの予備校生の受験した大学での合否をどうするのか、といった原稿も欲しい。 事件にはネット社会の発展という背景があると思われるが、実はこれまでも似たようなカンニングが行われていたのではないか、という予測に立って取材してみる必要もありそうだ。また、このようなネットカンニングへの対策はいかにあるべきか。事件を識者はどのように見ているのか、という観点もあれば、使ってみたい。 あるいはこういう観点もあろう。警察当局が発生から短時間で逮捕に踏み切った理由は何か。偽計業務妨害容疑での逮捕となったが、一体、偽計業務妨害とはどういうもので、立件に無理はないのか…。内幕ネタもあれば、検証記事もあろう。あるいは問題点を提起する原稿もあれば、予備校生が19歳の未成年である以上、少年事件という扱いになると考えられるため、これから予備校生の刑事処罰が具体的にどのように流れていくのかといった観点から観測記事を作ることも可能だろう。 これら思いついたことを瞬時に判断しながら、新聞社のデスクは記者達に段取りをつけて取材を命じ、原稿を発注し、出稿が可能かどうかを見極め、紙面に何を盛り込むかを決めていく。当然、似たような作業は共同通信でもやっていて、一定の時間が経過すると、出稿メニューが配信される。多くの地方紙がそれを待っているからで、翌日の新聞を見て全国紙に見劣りがないように記事のクオリティや分量にも気を配っている。 いずれにしても、新聞社のデスクはこのような共同からの出稿連絡に耳をそばだて、メニュー表を見ながら常に過不足がないかを判断し、実際に原稿を見ながら手直しすることで日々新聞を作っていくのである。彼らが決めるニュースバリュー 共同通信を「ニュース供給のメディア」「裏方の役割」と表現するのは一面を表してはいるのだが、必ずしも正確ともいえない。共同通信は、裏方ではあっても、決して下請けのような存在ではないからである。むしろ、共同通信がなければ新聞づくりはたちどころに行き詰まってしまうような存在であり、また本来、各社が独自に持つ編集方針にしたがって判断すべきニュースの価値づけ、軽重を決定づけるキャスティングボードを共同通信が握っている面があるからだ。 霞ヶ関のある役人から「情報を流すなら共同通信一社に流せばいい。そうすれば結局は全ての新聞に同じ情報が載るからだ」とまで打ち明けられたことがある。 共同通信が配信した記事が加盟社である産経や日経、東京新聞に載り、ほとんどの地方紙に載るというのであればそれは全く当然の話だが、朝日や読売は共同の国内ニュースの配信を受けていない。にもかかわらず、くだんの役人は「情報を流すなら共同通信一社に流せば全ての新聞に同じ情報が載る」というのである。それはなぜか。 読売も朝日も共同通信の国内配信は受けてはいないが、様々な形で見ることは可能だからだ。例えば、霞ヶ関なら、多くの官庁が共同から配信された速報ニュースの端末を設置していて記者クラブに所属している記者が共同の記事を見ることは可能だし、また隈無く見るのは彼らの使命である。 さらにいえば全国紙向けに配信してはいなくても、関係する新聞社が国内ニュースの配信を受けている場合もある。携帯端末を使って共同通信はごく手短に速報ニュースを配信しており、これによって共同がどんな記事を配信したのかを(細かくはわからなくても)知ることができる場合がある。 配信された記事を見ながら、自分の新聞に記事を入れるか、入れないかを判断するのは加盟社ばかりではないのである。加盟していない社も加盟社と同じ様に、共同がどんなニュースを配信してくるか。それだけでなく共同がどの程度に扱うか、といった点に目を光らせているのである。 東京本社から離れて、地方支局の勤務をしていると、しばしば頭を痛めるのがこの「共同配信」と「NHK」の動向である。支局レベルで全国ニュースとして処理せずに地域ニュースとして県版にニュースを載せようと判断したあとになって共同通信がにわかに騒ぎ出すことがあるのだ。 配信された記事を見た本社から「共同から以下の内容の記事が配信されてきたが…」と問い合わせが入ることがある。本社にとっては共同配信が紙面作りのパイロットであり、羅針盤のようになっているからだが、共同の記事は迅速かつコンパクトで無駄がない反面、記事にするさい、こちらが頭を悩ませた微妙なニュアンスが捨象されていたり、逆に深入りを避けたりした部分をめぐり「針小棒大ではないか」「飛ばし気味ではないか」「一刀両断が過ぎるのではないか」「ずいぶん、思い切り良く書いたなあ」などと感じる場合がある。 いずれも「間違いではないのだが…」という点が大前提の話だが、取材体制で見る限り、自前の支局の方が共同よりも手厚く、取材も網羅的だったりする(単なる独り善がりな思いこみである場合やこちらの取材不足だったということも無論ある)のだが、本社から見ると、共同の配信記事を先に見ているから、どうしてもそれに思考が支配される。 本社からの問い合わせには支局が説明するのだが、あれこれ共同の記事にケチを付けてニュースバリューがそれほどでもないような言い訳に明け暮れる場面となることがままある。支局の取材内容を説明してもそれが、なかなか本社には受け容れてもらえないことも起こる。記事の中身にもよるのだが、共同の配信記事を黙殺するという判断は本社にとってはなかなか勇気がいるのだ。 というのも、共同の配信記事は全国の多くの地方紙に掲載されるだけでなく、NHKや日経新聞などの大手メディアも目を通しているからである。結局、共同の原稿が採用されたりすると、「身内よりも共同を信じるんだな」と共同通信の影響力の大きさにあらためて恐れ入るのである。 本社と支局とで判断がしばしば分かれる典型は、例えば気象をめぐって起こる様々なアクシデントだ。「○○で積雪のため、車両が国道に取り残されてしまった」などという場合だ。第一報がNHKだったりすると間違いなく大変な事態になる。時間が経つとやがて共同通信から「共同通信から社会番外です。○○で積雪のため、車両○台が国道に取り残されて立ち往生しています」などと連絡が入ってくる。すでにNHKはヘリコプターを飛ばして空撮を始め、それがスポット的なニュースとして全国に流れている、となると、もうこれは大変な事案である。 ところが、これが支局から見れば「雪が降って道路がふさがるなど日常的に起こる光景だ。冬季には大量積雪で命を落とす人だっている。なぜ今回だけ、大騒ぎするのか。それは東京の勝手な感覚であって、そんなに騒ぐほどのことか」と至って冷静なニュース判断だったりする。 その感覚もわからないではない。私自身も群馬に赴任したことがあるが、群馬にいる人にとっては、例えば、雷は日常的な気象事象である。ところが雷が予測を超えた場所に落ちたり、被害者が出たりするとたちまち大騒ぎとなる。「なぜ群馬に落雷が多いのか」という謎説きから始まって、地元で雷について研究をしている「雷博士」に取材したり、電力会社の雷対策などを盛り込んだりの原稿作りも余儀なくされる。地元の人にとっては周知の話であろうが、既に県版で何度も取り上げた同じ話であろうが出稿を求められる。「共同さんが騒ぎ過ぎなんですよ」という説明は、本社から見ればサボりの口実にしか聞こえない。それも癪(しゃく)の種である。湯水のようにニュースが送られる共同通信の原稿を目の当たりにして「それはニュースじゃない!」と言い張ったところで、とても本社としては同調できる気分にはなれないだろうし、地元にとってニュースでなくても地元でない人から見ればニュースなのだ。 こんな具合で日々、ニュースの軽重を判断するさい、共同通信の判断で実質的に決まるケースは非常に多いというのは実感でもある。キャスティングボードを握っていると述べたのは、端的に言えば「共同が動くか否か」。これがニュースの扱いを決める決定的な要因となることもあるからだ。配信される“要注意原稿” 共同が配信した同じ記事が一斉に多くの地方紙に掲載される。このことの持つ意味は案外大きいのである。海外からのニュースには特派員名を記したり、記事の末尾に「共同」と表記したり、共同の配信とわかることがあるのだが、国内ニュースの場合、それはない。読者にすれば、共同の配信記事か新聞社の独自取材による原稿なのかわからないのである。 新聞社の社説にも共同は大きな影響力を与えている。あくまで参考資料という扱いだが、社説の元になる記事についても共同は配信しており、そのまま使うことだって可能だ。現にそれぞれの社の社説原稿の枠(行数)にあわせて共同の原稿を下敷きにリライトしながら新聞社の主張が掲載されることは珍しくない。これは、共同よりも地方紙の見識が問われる事態なのだろうが、全国ニュースのニュース素材について取材の足場や機会が乏しい地方新聞にとっては社説に至るまで共同なしには成り立たないようである。 しかし、共同配信のニュースのなかには明らかに首を傾げてしまうものがあるのも確かである。特に次のような記事については要注意で臨むことにしている。○北海道はじめ教育行政に関する記事、特に国旗国歌問題や道徳教育、教職員組合をめぐる様々な原稿○教科書問題や歴史認識をめぐる記事○領土問題をめぐる記事○北朝鮮関連、最近では高校無償化策のうち、朝鮮学校への適用の是非をめぐる記事 事例を挙げればきりがない。教育行政に関する原稿は、必ずしも文部科学省だけでなく、裁判所から出稿されるケースもある。 いくつか実例を示そう。共同通信(朝日新聞などもそうだが)は竹島について、「日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)」という表記で配信している。決して「日本固有の領土でありながら、韓国に不法占拠されている竹島」という事実は表記しないのである。国会では今竹島に関する答弁を求められたさい「不法占拠」という表現を避ける閣僚が民主党政権下で続出、日本の立場を口にできないのは不見識ではないかと批判を受けている。 「日韓両国が領有権を主張する竹島」という表記には国会における民主党閣僚同様、自分の立場をどこに置くか、という根本的な問題が横たわっている。決して間違いではないし、一見公平さを装っているが、その実、我が国の立場とはあえて距離を置いている態度でもある。我が国の立場というのは同胞の願いを踏まえて存在するもので、それと異なる場所に自分の身を置く態度は、所詮、他人事としてこの問題に向き合っているということである。 ちなみに島根県の山陰中央新報は竹島についてどう表記しているか。 「島根県は竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島)の領有権の早期確立を目指し…」「日韓両国で主張が異なる竹島(韓国名・独島)の領有権の早期確立に向け…」「【ソウル共同】韓国教育科学技術省は3日、日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)に関し、小中高校で韓国の領有権を体系的に理解させるための教育指導書を作成し、全国の学校などに送付したことを明らかにした…」 ざっとこんな具合である。自社原稿の場合、竹島が「島根県隠岐の島町」であると表記はしているが、基本的には共同が流す「日韓両国が領有権を主張する竹島」という表記もそのまま掲載されている。山陰中央新報にとって竹島はいかなる存在なのだろうか。「糾弾造語」を散りばめて 歴史認識に関する原稿にも気がかりな言葉遣いが度々出てくる。「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」といった戦後の造語が歴史的事実として表記されるのはもはや当たり前になりつつある。南京大虐殺はさすがにあまり見かけなくなったが「日本の植民地支配」という表記は依然出てくる。これは実に気がかりな言葉で、正しくは「朝鮮統治」であり、「台湾統治」だろう。こうした日本の名誉を貶めるために作られた「糾弾造語」がいとも簡単に新聞で表記される背景には、おびただしい左翼による裁判闘争を通じて法廷に持ち込まれてきた経緯があるからだが、メディア(この点についていえばもはや共同だけの問題ではない)だってこうした裁判闘争を盲目的に肯定し、むしろ自ら近づき、彼らの裁判闘争を事実上、後押ししてきたことは紛れもない事実である。彼らの使う「糾弾造語」のいかがわしさを嗅ぎ分けることなく、全く無警戒に歴史的事実として広めた責任は重いはずだが、その検証はなされているとは言い難い。 同様の旧悪は、北海道教職員組合(北教組)の問題にもあてはまる構図といえる。北教組がいかに北海道の教育をダメにしてきたかという事実から意図的に目を背けてきたのはほかならぬ、メディアだったからである。 道教委が学校現場を牛耳る北教組の横暴について不正は道教委に通報するよう定めた制度などを打ち出すと「密告制度」などと北教組と一緒になって批判的に取り上げる。露骨な組合への肩入れ、卒業式や入学式での国旗掲揚、国歌斉唱にメディアも一緒になって反対し続ける。文部科学省や道教委といった文教当局を頭から敵視し、教育政策を骨抜きし一律に挫くことに精を出す。そういう歪んだ見方こそが学校をダメにし、子供をダメにしてきたのではないか。 共同の配信記事を見ていて気になる点を指摘したが、自衛隊や原発などに対しても「?」と思う記事は少なくない。平成23年3月、東日本大震災が発生し、多くの自衛官が被災地で復興のために奮闘しても、それを正面から取り上げる記事の配信量は至って少ないのである。原発の危険性を説く記事や東電の批判は湯水のように配信されても、文字通り、エネルギーのない日本のなかで原子力発電が国力を支えてきたという紛れもない事実が公平に伝えられているとは言い難い。 計画停電に対する国民の不平不満はそのまま記事になる。が、なぜ計画停電をせざるを得ないかといえば原発が稼働できないことに端を発している。原発が動かなくなり、生産活動や経済活動に支障が出れば、それはそのまま日本の国力の減退に反映され、雇用や私たちの所得にも跳ね返る。地方紙のなかで経営が立ちゆかなくなるところだって出てくるかもしれないし、地域経済や国の経済が停滞することを余儀なくされる。 ところが(この点については共同だけではないが)メディアのスタンスは原発や東電への批判的な報道ばかりが目立つ。東電の対応は私から見ても首を傾げる出来事はある。それは事実である。また被災者のなかには「もう原子力発電などこりごり」と思っている方も多数いるだろう。だが、そうした人であっても、これまで原子力発電の恩恵を受けていたのは紛れもない事実である。 国民の原子力発電への不信やアレルギーを増幅させるための記事ばかりが新聞に掲載されていいはずはない。どこかに福島で失った電力源を今後、どうやって確保するのか、という視点があるべきだと思う。 仮に日本で原発を止めると決断したとする。では然るべき規模で電力供給を保証できる有効、有力な代替エネルギーはあるのだろうか。あればそれを使えばいいだろう。だが、私には思い浮かばない。原発事故の怖さを目の当たりにしつつも、私たちは地震前の国力を取り戻すためには国力の源である電力をいかにして確保するか、という視点が不可欠であって、依然、原子力に頼らざるを得ない気がしてならないのである。原子力発電を葬れば済むほど簡単な話ではないはずであるが、そういう観点に立った共同の配信記事には未だ出会っていない。関連記事■ 亡国の巨大メディア、NHKは日本に必要か■ 秘密保護法でバカ騒ぎ 左翼媒体と堕した進歩派マスコミ■ あの日を境に変わった私のメディア認識

  • Thumbnail

    テーマ

    反日プロパガンダを許すな!

    韓国系団体が慰安婦小説を全米の図書館に送付するのだという。ナチスと旧日本軍、ホロコーストと慰安婦問題を同列に論じ、世界に広めたいようだ。歴史修正主義者はどちらか、と問いたい。いまや強制連行20万人説を主張しているのは韓国人だけ。歴史をちゃんと勉強してほしいものだ。

  • Thumbnail

    記事

    韓国・鬱陵島の反日博物館 日本人叩き潰す内容のゲーム存在

     2013年10月、日本海に浮かぶ韓国・鬱陵島(ウルルンド)に新たな“反日”博物館がオープンしていた。「独島(竹島の韓国名)を朝鮮領と認めさせた」として、韓国人がヒーロー視する安龍福(アン・ヨンボク *注1)の記念館である。 捏造と虚構がちりばめられた展示の実態を、国防問題に精通する某大手紙の名物記者、金正太郎(かねまさ・たろう)氏が現地レポートする。* * *中国で1882年に作られた韓国の歴史や地理などをまとめた書物「東藩(とうはん)紀要」。「江原道図」では、鬱陵島(右下)のすぐ東に小さく「于山」とある。韓国側は竹島と主張するが、実際はもっと遠い 最新の反日プロパガンダ施設「安龍福記念館」は、2007年ごろに建設の構想が浮上し、昨年10月にオープン。総工費は150億ウォン(約14億9000万円)、地上2階、地下1階で延べ床面積は2090平方m、敷地は2万7000平方mと、かなり立派な箱物である。 館内にある史料はというと、1696(元禄9)年の江戸幕府による「竹島渡海禁止令」のコピーが展示されていた。 鬱陵島に朝鮮人が姿を見せたと報告を受けた幕府は、対馬藩に朝鮮側と交渉させた。話し合いは難航したことから竹島(現在の竹島ではなく鬱陵島を指す。現在の竹島は松島と呼ばれていた)への日本人の渡航を禁止することを示した書面だが、コピーの解説には「鬱陵島と独島への渡航を禁止した」と、勝手に「独島」が加えられていた。 また、1837(天保8)年に越後高田藩(新潟県上越市)で掲示された木製の高札(御触書)のレプリカもある。 江戸幕府は元禄期に鬱陵島への渡航を禁止したが、天保期に日本人が密航した事件が発生。このため「(鬱陵島は)朝鮮領に属しており、渡航を禁じる」とするお触れを出して全国に周知した。 この中で竹島については一切言及されていないが、韓国側は「幕府は鬱陵島と独島への渡航を公式に禁じた証拠」と勝手な解釈をして紹介している。 実は、高札は2009年3月に日本国内の美術品オークションに出品され、当時、産経新聞が国外流出の危機を報じて問題となったものだ。結局、韓国人の手に渡り、現在は釜山市の国立海洋博物館が所蔵し、曲解した観念で竹島領有の主張に活用されている。 記念館にある史料のほとんどが、日本の博物館や資料室が所蔵する文化財だが、「複製」とは一切表記せず、しかも無断でコピーや加工をして本物らしく展示していた。念のため、係員に「これらは複製か?」と確認したが、口をつぐんだまま立ち去ってしまった。 子供向けの展示も充実していた。「4D映像館」は可動型の座席に座って、特製のメガネをかけて立体映像で安龍福拉致事件や江戸幕府の関白を説き伏せるという“歴史物語”を楽しめる。 タッチパネル式のゲーム「私たちの国土の守護者 独島はわが領土だ」もひどい内容で、内蔵マイクの前で手を叩くと、竹島の周辺海域にいる日の丸入りの陣笠をかぶった日本人を、蚊を潰すように駆逐できる。 いかに多くの日本人を叩き潰すかでランクが決まり、“功績”が大きいと内蔵カメラで自分の顔をモニターに当てはめて「将軍」気分になれるという仕組みだ。 展示の締めくくりには、朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領が1967年の在任時に筆を執った「国土守護 其功不滅」の揮毫が飾ってあった。「安龍福が独島と鬱陵島を守った史実は『国土守護』に当たる」とし、功績は永遠に不滅だと評価したと説明書きにはある。 安が不法入国者だった(*注2)という「史実」はどこにもなく、「不滅の功績」は子の代に受け継がれる--。 結局、はるばる訪れた安龍福記念館に日本側を驚かせるような目新しい史料はなく、韓国側が繰り返してきた歴史の創作と誇張を都合よく解釈する史料が置いてあるだけだった。そのほとんどが複製品というお粗末ぶりは、日本に「歴史認識を問う」以前の、韓国社会の問題点を象徴していた。 【*注1】伊藤博文を暗殺した安重根に次ぐ“抗日英雄”。江戸幕府に竹島を韓国領と認めさせたと伝えられている。 【※注2】江戸幕府は1661(寛文元)年より、米子(鳥取県米子市)にいた町人グループに竹島での漁業や中継地としての利用を許可していた。1693(元禄6)年、前年から鬱陵島に姿を見せていた朝鮮人が増加していたことから、鬱陵島を日本領だと考えていた町人らは彼らを“不法侵入”と見なし、日本語が話せる朝鮮人と漁夫の2人を鳥取藩に連行。この日本語ができる朝鮮人が、安龍福だった。関連記事■ 反日博物館がある韓国・鬱陵島 日本人は上陸手続きで尋問も■ 韓国鬱陵島行きの船に乗った日本人報道写真家「緊迫の一瞬」■ 「独島は韓国領」とする韓国の主張は矛盾だらけと報道写真家■ 韓国の嘘バレる日迫る今こそ手を差し伸べる包容力見せるべき■ 日本人カメラマンが語るわずか20分の「竹島上陸体験記」

  • Thumbnail

    記事

    日本がサンドバッグから脱するとき

    戦略が下手な気がします。その点では、中国のほうがしたたかで狡猾だと思いますね。 では、日本はこうした反日プロパガンダに対して、ただ手をこまねいているだけでよいのでしょうか。むろんいけません。対策の一つは、外電の力を利用することです。具体的には、この小説の従軍慰安婦に関する認識がいかにデタラメで事実誤認に基づくものであるかを証明するような記事を、たとえば『産経新聞』に掲載し、それをロイター通信などに拾ってもらう。内閣府にも外電担当がいますし、日本に好意的な外国人は必ずいます。このように、海外メディアの力を借りながら日本の主張を発信していくことが大切です。先ほど例に出た『JFK』公開時は、新聞のレビューや論説に史実の誤りを指摘する文章が目に留まりました。同じ事に日本メディアが取り組めばいいのです。 ここで、忘れてはならない情報をお伝えしましょう。日本の代表的な英字新聞『ジャパン・タイムズ』のことです。あの天下の『朝日新聞』さえ「慰安婦の強制連行はなかった」と認めたのに、『ジャパン・タイムズ』はいまだに「慰安婦問題を引き起こしたのは日本のせい」の一点張りです。極左とでもいうべきか、まったく日本側の立場を取材して書かない。もはや読む気が失せますが、『ジャパン・タイムズ』が海外から見ると、「日本の声」として判断されてしまう。この現実から目を背けてはいけません。 映画といえば、アンジェリーナ・ジョリー監督の『アンブロークン』も昨年末に米国で公開され(1月末日段階で日本での公開は未定)、反日的な内容が含まれていることが話題を呼んでいます。1936年、ベルリン五輪の陸上5000mに出場し、太平洋戦争で日本軍の捕虜となったルイス・ザンペリーニ氏の半生を描いた作品です。同氏が捕虜収容所で看守の日本兵に虐待を受けるシーンが、正しくない歴史認識のもとに描かれています。この場合は、日本政府がムキになって反論してもアメリカは無視するでしょう。自国の軍隊に関わる話だからです。 私はこの作品のレビューをたくさん読みましたが、幸い日本が悪い、憎い、許せないという方向には進んでいません。ほんの一場面、事実無根の日本軍による悪行を描いているだけで、そこまで深刻に抗議するほどではないでしょう。むしろ、アンジェリーナ・ジョリーがこの騒動で日本のファンを失い、ほかの彼女の作品の評判まで落としてしまったと思います。そちらのほうが残念ですね。 万が一、この作品によって日米の国民感情が過剰に煽られることがあれば、そのときは日本が誇るスポークスマン――たとえば渡辺謙さんのようなハリウッド俳優をPR役に立てて、日本のポジティブな印象を出すべきでしょう。政府が関与する問題ではありません。私も何かしてあげたいですが、残念ながら米国では無名ですからね……。有罪が証明されるまでは無罪ケント・ギルバート氏 正直にいうと、昔は私も戦時中、日本軍が韓国人女性を強制連行したと信じていました。深い根拠があったわけではありません。新聞の報道や関連書籍のストーリーを漠然と正しいと思い込み、わざわざ事実を確認するまでに至らなかったのです。「約20万人の被害者数は多すぎないか」とは思いましたが、日本軍が悪行を働いていたという先入観が働き、慰安婦の強制連行を疑ったことはありませんでした。 昨年8月に、『朝日新聞』が慰安婦問題の誤報を特集した記事を目にして衝撃を受けました。それから私は自戒を込めて、日本人が外に向けてきちんと反論できるよう手助けがしたい、と決意したのです。 慰安婦自体は、あらゆる戦争において例外なく存在します。戦後の日本や韓国にも、米兵を相手にした慰安婦が働いていました。ドイツやイタリアでも同様です。そもそも「慰安婦は必要なのか」という問いに女性の人権の観点から応えれば、答えは“NO”でしょう。しかし、善悪を抜きにして「戦争に慰安婦あり」というのはいまも昔も変わらぬ世の習いです。日本だけが責められる理由は何もありません。 日本の慰安婦問題の唯一の争点は「日本軍が本人の意思に反して女性を強制連行し、性奴隷としたのかどうか」にあります。 1942年に日本軍によって占領されたインドネシアでは、軍令を無視した一部の日本軍人がオランダ人女性を「性奴隷」にしました(白馬事件)。この件に関しては明白な証拠があり、当事者は日本軍でも処罰され、戦後はBC級戦犯として有罪になっています。ところが韓国においては1991年になって初めて名乗り出た元慰安婦数名の証言だけで、客観的証拠は一件もありません。 民主主義国家には「推定無罪」の原則があります。「有罪が証明されるまでは無罪」なのです。 最近、私がブログに翻訳を掲載したところ大好評を得た米国人ジャーナリストのマイケル・ヨン氏は、テキサス州と韓国を比較検証した論文を書いています。論文内でヨン氏は、両者の興味深い共通点を挙げています。一つは、かつて独立国だったテキサスが1845年、アメリカ合衆国に自発的に編入された経過と、独立国だった韓国が1910年の日韓併合を通じて自発的に日本と併合した経緯とよく似ているという点。もう一つは、テキサス人と韓国人はそろって 感情的である点です(たとえ感情があっても、内に溜め込みすぎて過労死してしまう日本人とは大違いですね)。 ヨン氏の論文を翻訳したブログ記事には、2万5000人以上の「いいね!」が押され、たくさんの人にシェアされました。慰安婦問題の嘘を周知するのにかなり役立ったと思います。この誌上を借りて、ヨン氏に深く御礼申し上げます。IWG調査の誤算 今年に入り、もう一つ驚いた新聞記事があります。米国で最もリベラルな新聞『ニューヨーク・タイムズ』と『ワシントン・ポスト』がそろって「20万人という従軍慰安婦の数字はありえない」と記したことです。いまや強制連行20万人説を主張しているのは韓国人だけです。『朝日新聞』の慰安婦をめぐる記事は、韓国の新聞でも見開きで紹介されました。人びとの感情を焚き付け、日本政府からカネをふんだくれると皮算用していた人たちはともかく、純粋な感情で騙された韓国人の皆さんには謝罪すべきでしょう。 日本政府は慰安婦の強制連行の存在を一度も認めていません。「河野談話」も同様です。それは過去に多くの歴史学者が調査しても、有力な証拠が何一つ見つかっていないからです。いまだに「強制連行された慰安婦が性奴隷にされた」と言い張るような人たちは、IWG(The Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group)の報告書を読めばいい。間違ってはならないのは、IWGの調査はけっして合衆国政府の意向で行なわれたものではなく、米国の抗日華人ロビー団体による圧力のもとに実施されたということです。要するに、日本のアラ探しをするために反日中国人が焚き付けて調査を敢行したのです。日本の戦争犯罪資料を調べるために、米国納税者の約3000万ドルを費やし、移民局やFBI、CIAなど、全米の省庁を巻き込む大調査となりました。 ところが、IWGは慰安婦強制連行の証拠を何一つ見つけられなかったのです! この調査報告は2007年4月、米議会に提出されましたが、抗日華人ロビー団体が望んでいた結果ではなかったので、とくに話題にはなりませんでした。それでも「強制連行された慰安婦が性奴隷にされた」と断言する人びとの思考回路がまったく理解できません。中国と韓国は戦勝国ではない 最近はアメリカ人も少しずつ、一部の韓国人が非理性的に日本を叩いている構造に気付いてきました。昨年、韓国で朴槿惠大統領の名誉を傷つけたとして、産経新聞前ソウル支局長が在宅起訴されました。どう対応すべきか尋ねてきた『産経新聞』の記者に対して、私は「何もしなくていい」と答えました。拘束されて日本に帰れない支局長はお気の毒ですが、とりあえず彼が殺されることはありません。それならば、しばらく放っておいて韓国当局の愚かな振る舞いを世界に晒したほうがいいのです。 私が中国と韓国を見て理解に苦しむのは、両国が第二次世界大戦における戦勝国だと自称することです。そもそも、この二国は戦争に参加していません。朝鮮半島は日本の一部でしたから韓国という国家は戦争中に存在しません。いま韓国人と呼ばれる人たちの先祖は、日本人として敗戦の日を迎えたのです。そして現在の中国(中華人民共和国)を支配する中国共産党は背後からゲリラ活動をしていただけで、実際に日本と戦ったのは国民党です。しかし国民党は、日本に対しては負けてばかりで、第二次世界大戦後に再開した国共内戦では共産党にも敗北し、中国大陸を追われました。はっきりいって、世界の歴史を見て、日本に勝ったのは米国だけです。彼らが日本戦に関係する「記念日」を祝う権利がどこにあるのでしょうか。 韓国は戦後、独立国として日本と日韓基本条約を結び、莫大な額の賠償金も得たわけです。国際法の約束として、条約に調印した。つまり結論が出た以上はもう二度と蒸し返さないのが当然です。そもそも、父親である朴正熙大統領の大きな功績を踏みにじり、世界中に恥を晒し続ける朴槿惠大統領は何を考えているのでしょうか。やられたら「やり返せ」 日本人に求められるのは、もっと積極的に各国に対して自らの主張を訴えることです。日本は戦争の責任を重く受け止め、謝罪ばかりしていますが、そもそも世界を見渡して、日本のほかに謝罪をした国がありますか。たしかにドイツはユダヤ人の虐殺に対して謝罪しましたが、これは当然です。しかし英国が植民地化したインド、香港に対して謝罪した話は聞いたことがありません。 では、なぜ日本にだけ謝罪を求めるのか。端的にいって、弱々しく見えるからです。日本は世界から見ると叩きやすいサンドバッグなのです。この状態から脱するには、憲法を改正して「竹島に手を出すな」「尖閣諸島に近づくな」「小笠原近辺でサンゴ礁を不法乱獲したら、砲撃して沈没させるぞ」と宣言しなければなりません。 以前、私の息子が学校でいじめられたことがあります。私は息子に「やり返せ」といいました。私がいったとおり、いじめっ子に反撃した息子は学校の規則で停学処分を受けました。それは規則だからべつに構いません。父親の私にこの件で怒られるのではないかと息子は恐れていたようですが、私はまったく怒りませんでした。むしろ息子が自分の権利のために立ち上がったことが嬉しかった。日本も、そろそろ祖国の尊厳のために立ち上がるときだと思います。 具体的には、日本は政府主導で「戦争における女性の人権を研究する会」を発足させ、各国に参加を呼びかけるような活動も考えるべきです。反省の意は忘れず、諸国と共同研究して「今後の女性の人権のために貢献したい」と呼びかけてはいかがでしょう。ベトナム戦争で民間人へ残酷な行為を犯した韓国は参加できないと思います。その現実を海外に発信すればいい。この研究に参加しない韓国の姿勢をニュースにすればいいのです。「歴史の真実に正面から向き合いたい」という日本の誠意も全世界に伝わります。 ちなみに、私が知るかぎり、レイプや虐殺が世界で最も酷かったのはソ連赤軍です。極論すれば、ソ連の戦争犯罪が酷いのは、慰安婦が存在しなかったからでしょう。慰安婦がいないから、前線で手当たり次第に婦女を暴行する事例が多いのではないでしょうか。 つい最近、クリントン政権の一員だったロバート・シャピロ元米商務省次官が韓国の朴槿惠大統領に宛てたビデオメッセージがYouTubeで公開されました。経済学者の観点で韓国経済に提言をするだけでなく、日本への敵対的な態度やベトナム戦争での韓国軍の蛮行にも触れています。「(日韓関係の)古傷が治癒しない理由がここにある」と、慰安婦問題についても言及しています。一部に事実誤認もありますが、大筋は事実に基づく内容です。私の記憶を辿っても、一国の大統領にこういった公開レターが出されるのは前代未聞です。それだけ韓国の最近の振る舞いは目に余る、ということです。憲法9条は米国からの「制裁」 私はタレントとして知られていますが、じつは法学博士でカリフォルニア州弁護士の資格ももっています。その観点から日本国憲法についても考えたいと思います。1988年に書いた『ボクが見た日本国憲法』(PHP研究所)で、私は日本の憲法9条を称賛しました。すでに事実上の軍隊である自衛隊が設置されていたので、9条の条文自体はそのままでも構わないと考えたからです。でも、いまは考えが180度変わり、すぐに改憲すべきと思っています。理由は明白で、27年前といまでは日本を取り巻く情勢が大きく変わったからです。日中関係が安定していた当時は、9条に書かれた理想論にも一定の価値があると考えていましたが、強硬な中国の姿勢を見て、考えを改めました。 中国の経済力がいまほど高くなく、愚かな振る舞いが国内に留まっていたあいだは、米国の監視下で、日本は国防のことは考えず、経済発展のみに集中できました。ところが、2000年代半ばから社会主義市場経済が軌道に乗った中国が国力を伸ばし、帝国主義的振る舞いが目に余るようになりました。しかし米国も、かつてほど「世界の警察」の役割を担えなくなってきたのです。 日本国憲法にはおかしな点が二つあります。一つ目は、国家元首が明示されていないことです。天皇は日本の象徴であって、代表者ではない。他国の憲法ではありえないことです。二つ目は、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という憲法9条・第1項の条文です。日本国の憲法を起草したアメリカ人はどうしてこの条文を盛り込んだのでしょうか。日本が平和国家になることを心から願っていたからか、それとも自分たちの理想を追いかけようとしただけなのか。どちらも違います。これは米国に刃向かった日本に対する制裁措置・ペナルティなのです。9条のような条項を含む憲法は世界のどこを探してもありません。 戦後のGHQによる占領政策のなかで、日本の今後について書かれた報告書があります。民主化や財閥解体、教育改革などの政策は書かれていますが、「平和憲法」に関する項目はありません。9条が、あくまで米国からの「制裁」でしかなかった何よりの証拠です。 憲法の作成自体はじつは難しい作業ではありません。法学を学んだ私からすれば、憲法の全条文など3時間で書ける代物です。アメリカ建国のときは前例がなくて大変だったと思いますが、二百数十年が経ち、古今東西さまざまな憲法が制定されたので、民主主義国家のものなら容易に書けます。独裁国家の憲法は別として。 そろそろ、平和ボケしていた日本人も目を覚ましたほうがいい。日本人は「いまの時代にそぐわないなら、変える必要もあるのではないか」という疑問を抱くべきです。憲法を時代や環境に合わせて手直しすることは、世界標準の考え方なのです。今年は戦争終結70周年の節目の年です。だからこそ、政府だけに頼らず一人一人の日本人が自国を取り巻く外交の現状や史実を理解し、外に目を向け主張することを始めるべきです。周辺国の執拗な言い掛かりに屈せず、日本の主張がより世界へ広まる年になることを心から願っています。関連記事■ 米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日■ 中韓とリベラルが主導する「反日」報道を許すな!■ 呉善花<緊急寄稿>さよなら、幻想の国・韓国

  • Thumbnail

    記事

    ナショナリズムという「病」

    化させた自民族中心主義(エスノセントリズム)は、世界各国で紛争や戦争をもたらしている。極東における、反日プロパガンダも例外ではない。関連記事■ 卑劣なプロパガンダ「サンモニ」の正体とは■ 「日本の価値」発信の海外拠点を■ 内も外もよく知る「二本」人たれ  

  • Thumbnail

    記事

    2001年の反日団体による慰安婦「法廷」 NHKが真面目に報道

    」で「証言」に立ったが、強制連行によって従軍慰安婦にされたと証言した人はひとりもいなかった。 そんな反日団体による反日プロパガンダにすぎないものが「法廷」と称され、最終的に「天皇裕仁及び日本国を、強姦及び性奴隷制度について、人道に対する罪で有罪」とする「判決」が下されたのである。 しかも、それをNHK(教育テレビ)が大真面目に取り上げたのだから、今更ながら呆れざるを得ない。「女性国際戦犯法廷」は、韓国政府の姿勢と歩調を一にするものとはいえ、形の上では民間団体による運動だ。しかも、連携しているのはせいぜい北朝鮮、中国である。関連記事■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 日本が国際社会から「性奴隷国家」の屈辱を浴びせられた原点■ 米在住日本人子供“無実の韓国人女性強姦した子孫”と白眼視■ 米国内20か所に慰安婦の碑を建立する計画を韓国人が進行中■ 米で「慰安婦の碑」建設の反日宣伝拠点 住民の52%が韓国系

  • Thumbnail

    記事

    桑田佳祐は中途半端な「アナーキー」

    体制を気取るならそもそも紫綬褒章を受け取ってはいけない 16日付け日刊スポーツ記事から。サザン桑田「反日」にFAX800字で謝罪2015年1月16日 サザンオールスターズの桑田佳祐(58)と所属事務所のアミューズは15日、桑田が昨年末のライブやNHK紅白歌合戦での中継で見せたパフォーマンスについて、謝罪した。「年越しライブ2014に関するお詫び」と題し、約800字に及ぶ書面を報道各社に送付。「反日」「非礼」などと一部で批判を受けたことを受け、「配慮が足りなかった」「不備があった」などと謝罪した。 昨年末に横浜アリーナで行った4公演。桑田は昨秋に受章した紫綬褒章をファンに披露した。ステージ上で、白い手袋をはめたスタッフが、うやうやしく桑田の元に届けた。 ところが、WOWOWで生放送された31日のライブでは、桑田がズボンの後ろポケットから取り出していた。関係者によると、これは桑田の元に届けるタイミングが、進行よりも早すぎたことが原因だという。紫綬褒章の披露は、観客と視聴者へのサプライズ演出のため、桑田は手に持っているわけにいかず、一時保管するためにポケットにしまっていたという。ただ、桑田はこの流れで、褒章のオークションを観客に呼びかけるパフォーマンスもしていた。ジョークで、演出の一環だったが、紫綬褒章は、天皇陛下から授与されるものであり、後に「非礼」「失礼だ」と一部から指摘を受けるに至った。 これらを重くみた桑田とアミューズは、書面で、紫綬褒章公開などを「日頃の感謝の気持ちをお伝えする場面を作らせていただいた」と前置きしながらも、「取り扱いに不備があったため、不快な思いをされた方もいらっしゃった」「感謝の表現方法に十分な配慮が足りなかった」などと謝罪した。(後略)http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cpettp01501160005.html?iref=andM_kiji_backnum(イラスト・不思議三十郎) うーむ、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが「反日」批判にFAX800字で異例の謝罪と相成りました。 天皇陛下からいただいた紫綬褒章をズボンのポケットから出して「5000円から」などと発言したようです、その行為が一部から不敬であると「反日」的だと批判されているわけです。 60年代生まれの当ブログとしてはサザンの曲にはそれぞれ同じ時代を過ごしてきた世代としての思い入れのあるものも多いのですが、まあ考えることいろいろなのです。 はたして桑田佳祐は「反日」なのか、読者の皆さんにも各人思うところがあると思いますが、今回はこの件を取り上げたいと思います。 そもそも桑田さんは「ライブで日の丸に×印」を付けていたそうです。2015年01月07日12:05サザン桑田、ライブで日の丸に×印!!中國の領土釣魚島の映像をあえて流す演出にファンも唖然・・・http://blog.livedoor.jp/abenomikususokuhou/archives/20103094.html 国旗を否定する、「旗」を否定しているわけですね。 すこし脱線します。 そもそも「旗(はた)」の起源はどこから来ているのでしょうか。 当ブログには旗の起源に関する正確な知識はありませんが、想像するにおそらく古代から洋の東西を問わず戦さのときの敵・味方の区別に使用されてきたことに由来するのではないでしょうか。 そもそも旗の役割は、ある価値観(ときに部族、ときに民族、ときに宗教、ときに国家、ときにイデオロギー)に基づく味方集団の象徴的な印・記号としての役目だったのでしょう。 ある人間集団を特徴付け、その集団の内なるモノと外なるモノ、敵・味方を区別するための閉鎖的側面を「旗」自体が有しているのでしょう。 作家、城山三郎氏の次の詩は、まさにそのような旗の持つ「閉鎖性」を喝破しています。「旗」 旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため 社旗も 校旗も 国々の旗も 国策なる旗も 運動という名の旗も ひとみなひとり ひとりには ひとつの命(後略)「支店長の曲り角」城山三郎著よりhttp://www.bk1.co.jp/product/863099 ここでは「国旗」も「社旗」も「運動という名の旗」もすべて否定されています。 具体的に例えば、「日の丸」も「朝日新聞社旗」も「あか旗」もと言い換えるとまたおしかりいただきそうですが・・・ 旗を掲げるという行為には、ある種の集団を記号化した旗のもつ宿命的属性としてのその閉鎖性を指摘することは間違ってはいないでしょう。 では、国旗を否定する城山は左翼なのかといえば、それは間違いで、左翼・右翼のイデオロギー的なカテゴリーではくくれない、ディメンジョン(次元)の違う考え、あえてカテゴライズするとすれば、アナーキストといえましょう。 アナーキズムつまり無政府主義は、「未来に於て国家の存在することを否認する」だけでなく、あらゆるヒエラルキーと呼ばれるような階統的な秩序に対して反対する概念です。 無権力ないし無支配を追求し人間個々が階級を持たず自由であるべきとの考えであるアナーキズムは、平等を追求するという意味では左翼思想と親和性はあるのですが、城山の詩にもあるように「運動という名の旗」も否定している点で、共産主義とは一線を期しています。 群れるな、群れたらそこには必然的にくだらない階級が生まれてしまう、強烈な個人主義が根底にあるわけです、それがアナーキーな人々の主張の特徴です。 さて、こんな城山三郎は紫綬褒章の内示をいただいたときこれを拒否しています。 紫綬褒章を断った城山さんは、九二年に著した詩集「支店長の曲り角」で、「勲章について」と題し、褒章を断ったエピソードをつづっています。 その詩の中ほどで、城山さんは妻にこう言っています。「読者とおまえと子供たち、それこそおれの勲章だ。それ以上のもの、おれには要らんのだ」 勲章を受けるも、受けないも、個人の考え方です。・・・ 昔からロックバンドは反体制、アナーキーと相場が決まっています。 桑田佳祐は「反日」なのかと問われれば、当ブログとしては、彼は中途半端な「アナーキー」だと突き放しましょう。 反体制を気取るならそもそも紫綬褒章を受け取ってはいけないでしょう。 天皇陛下から紫綬褒章をありがたく受け取ったならば、その扱いに敬意を示すのは受賞者の当然の義務です。(「木走日記」より転載)

  • Thumbnail

    記事

    くっだらねー! 猿芝居にイチャモンつけるクレーマーの正体

    に喚いているサヨク連中の本性が、ただの下劣な差別主義者であることを端的に示す事件であろう。 そんな、反日・反天皇制のためなら平気で「ヘイトスピーチ」をするような邪悪な連中であるから、当然今回の騒動でもサザン桑田を「言論の自由」の名のもとに擁護し、桑田を謝罪に追い込んだ連中を「言論の自由の弾圧」だとして騒ぎ立てることに忙しい。 そんなお偉いおサヨク様たちであるが、今年1月にフランスのパリで発生した、イスラムテロリストによる政治週刊誌襲撃テロについては呆れた二枚舌を弄している。イスラム教を揶揄する風刺画がきっかけとなり引き起こされたこの凶事について、サザン騒動で「表現の自由」を偉そうに喚き立てて来たお歴々がなんと、「イスラム教を冒涜するような奴らが襲われても仕方がない」などと「言論の自由」を踏みにじる凶暴なことを平気で主張し出したのだ。 「反ヘイト」を唱えながら常日頃「ネトウヨ」や書店等を襲撃するなどしているサヨクテロ組織「しばき隊」に至っては、ツイッターにおいて「在日の人が怒って桜井誠を惨殺しても「まあしょうがないか」みたいな気分になる」と、テロリストを擁護する始末だ。この連中は普段からやかましく「日本は欧米のような反差別法が無い遅れた国だ」などと喚き立てているので、テロを賛美した言動によりすでに50名以上が逮捕されているおフランスを見習い、我が国も彼らサヨク連中を彼ら自身の望み通りに逮捕できるよう法整備を進めていこうではないか。それこそが、このくだらぬ騒動から得られる数少ない知見と言えよう。関連記事■ 卑劣なプロパガンダ「サンモニ」の正体とは■ 自らの過ちを省みぬサヨク・リベラル勢力の現状■ 橋下市長vs在特会にみるエンタメ報道

  • Thumbnail

    テーマ

    サザンを「反日」と煽る懲りない面々

    に欠けてたとはいえ、本当にここまで大騒ぎするほどの行為だったのか。いささか首をかしげたくなるサザン「反日」騒動をいま一度考える。

  • Thumbnail

    記事

    サザン桑田氏、抗議団体が問題にしない部分まで踏み込み謝罪

    ともかく「チョビヒゲ」がヒトラーと安倍首相をかけたものと“解釈”できる。 ステージで上映された中韓の反日デモは、安倍政権のタカ派的姿勢に反発するものだ。 ゆえにだろうか。桑田氏側の謝罪文は、安倍政権に配慮し過ぎた内容なのである。右翼や政治家からの圧力なし 安倍政権の好戦的な姿勢を揶揄したとの指摘がある「ピースとハイライト」の歌詞についても、アミューズの広報担当者によれば、批判的な意見が電話で何件か寄せられたという。 普通の人々が「ピースとハイライト」の歌詞について、わざわざ事務所まで抗議の電話を入れたりするだろうか? ネトウヨであることは容易に察しがつく。 前出の広報担当者によれば、右翼や政治家からの圧力はなかったという。だとすれば桑田氏と事務所は、安倍政権の意向とグループの抗議を忖度し過ぎたことになる。 桑田氏ほどの大物が、取るに足りぬ揚げ足取りに屈したことの影響は小さくない。他のアーチストの表現の自由が、この先奪われないことを祈るばかりだ。(「田中龍作ジャーナル」より転載)関連記事■ 橋下市長vs在特会にみるエンタメ報道■ 「右翼」「排外主義」狂奔するレッテル貼り■ 在日外国人はエセ反差別提唱者とは距離を置くべきである

  • Thumbnail

    記事

    謝りつづけるサザンの桑田さん、その必要はあるのか?

    レビュー」より)波紋を広げるパフォーマンス サザンオールスターズの桑田佳祐さん(58)が、ライブで「反日的」な振る舞いをしたとする抗議に対し、謝罪を繰り返している。サザンオールスターズ公式サイトに掲載されたお詫び 昨年大晦日の横浜での年越しライブで、桑田さんが披露したパフォーマンスが波紋を大きく広げた。昨秋に受章した紫綬褒章をポケットから取り出して観客にみせ、オークションにかけるまねをした。 「みなさんのおかげでねえー、まず5000円からいきましょう。ほしい人、8800円で……」 しかし、一部の人はこれをジョークと受けとらず、ネットなどで「皇室に対する冒とくだ」「反日的である」と激しく抗議をはじめた。 ライブにはNHK紅白歌合戦の中継もはいり、ちょび髭をつけた桑田さんが31年ぶりに出演。「ピースとハイライト」を歌った。 「都合のいい大義名分で争い仕掛けて」「裸の王様が牛耳る夜は……狂気」という歌詞が響いた。 これにも視聴者が反応。「都合のいい大義名分」を集団的自衛権の行使容認のための解釈改憲への批判、「裸の王様」を安倍晋三首相への揶揄、さらに独裁者ヒトラーを連想させるちょび髭姿を安倍首相への風刺と受けとめ、猛反発した。 これに先立つ昨年12月28日、安倍首相と昭恵夫人が訪れたサザンのライブでも、桑田さんが「爆笑アイランド」を歌い、歌詞にない「解散なんてむちゃをいう」という一節をアドリブで盛りこんだ。これも直前にあった衆院選を批判しているととられた。 桑田さんは食道がんがみつかった2010年以降、社会問題に強く関心を示すようになったともいわれる。一昨年のライブでは、「×(バツ)」印のついた日本国旗が映りこんだ反日運動のニュース映像を流している。寛容さのない住みにくい社会に ネットでのバッシングだけでなく、1月11日には都内の桑田さんの所属事務所アミューズに「桑田は反省せよ」などと書いた横断幕を掲げた右派団体が押しかけ、警察官も出動する騒ぎになった。 このことが新聞の一般ニュースには書かれておらず、桑田さんがいやにナーバスになっているな、と思っていた。しかし、東京新聞1月18日朝刊の特報面「週刊誌を読む」で知り、合点がいった。たとえば、「女性セブン」1月29日号で「桑田佳祐 火だるま! 陛下と国旗で大誤算」と報じられていたという。 新聞も右派が事務所にまで押しかけていることを、きちんと報じるべきだろう。桑田さんが、なぜ繰り返し謝罪をするのか、理解しづらい。 アミューズは1月15日、年越しライブで桑田さんが十分な配慮をせずに紫綬褒章を取り扱ったなどとし、「深く反省するとともに、謹んでおわび申し上げます」「貶めるなどといった意図は全くございません」と謝罪のコメントを連名で発表。16日朝刊で各紙がいっせいに報じた。 さらにこれだけでなく、17日深夜、「TOKYO FM」のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」で、「不快に思われた方にはおわびを申し上げないといけない」と謝罪した。 朝日新聞1月16日朝刊によると、おわびを表明した直後からツイッター上では驚きや賛否の声が続出したという。「『お下劣なロックミュージシャン』を演じただけじゃないの? お詫びすることもない」「洒落のわからない窮屈な世の中になっちゃたのかなあ」と嘆く声もあったとする。 しかし、一方で激しい桑田バッシングがあり、世の中が急速に右傾化、寛容さのない住みにくい社会になってきたと思えた。 お笑いコンビの爆笑問題は1月7日未明に放送されたTBS番組で、NHKの番組に出演した際、用意した政治家に関するネタを局側に没にされたと明らかにしている。 右へ右へと旋回し、保守中道が占める部分がポッカリと空いてしまった。「そこを埋めなければならない」というのは、18日に民主党の新代表になった岡田克也氏だ。 表現には節度と思慮がいる。しかし、「反日」「売国奴」「国賊」といった、ふつうでは使わないきつい言葉で、当然のように非難する昨今の社会をどう考えたらいいのだろうか。(2015年1月21日)※この批評は東京本社発行の最終版をもとにしています。関連記事■ 宮司がブログでヘイトスピーチ?■ 橋下市長vs在特会にみるエンタメ報道■ メディアの「中韓叩き記事バブル」 映し鏡としてのヘイトスピーチ

  • Thumbnail

    記事

    他人の気持ちを想像する力

    著者 栗林元(愛知県) 小説内で描くキャラクターの心は、すべて作家の想像である。男も女も子供も大人も、場合によっては人間以外の生物ですらすべて作家の脳内の産物だ。だからこそ、作家は他人の気持ちを想像できる能力が必要なのである。 常々感じていることがある。この他人の心を想像する力が、今の日本では衰えているのではないか? さて、桑田佳祐氏である。昨年の紅白歌合戦の曲を中継される前のパフォーマンスで、紫綬褒章をジーンズの尻ポケットから取り出してオークションにかけるような発言をした、として大きな非難を受けている。 桑田氏は私の2歳年上のはずで、あの年代の人の天皇制や保守政党に対する感覚、平和観は理解できるし、一部共有もしていた(←過去形・苦笑)。だから私は、桑田氏が「叙勲を拒否」していればなんら問題はなかったと思う。叙勲をした上で、あのパフォーマンスは無いだろうと思うのだ。 そもそも日本人にとって叙勲とはどのようなものなのか。 私の父は77歳で他界したが、晩年は公立高校の校長を務めていたので、死後ではあるが、瑞宝小綬章を受けている。母は、父と一緒に苦労してきたので、その叙勲をことのほか喜んだ。「父さんの人生が報われた」とまで言った。よほどうれしかったのか、会う人毎に「叙勲、叙勲」と話すので、私は「先生がすべて叙勲するわけではない、大多数の人は叙勲とは無縁の人生を送っている。嫌みになるから、こちらから叙勲の話をするな」と少し手厳しい忠告をしたほどである。母も父も学校の教員で、いわゆる「リベラル」だった人である。その母にとってすら叙勲とは特別なことなのである。 桑田氏が尻ポケットから出した勲章を、母は額装してテレビモニターの横のサイドボードに飾っている。そのテレビで、桑田氏の振る舞いを聞いた時、母は小さくため息をついた。 権威を小馬鹿にするポーズを取って、アーチストとして受けを狙ったのであろう。だが、それは、名声とも富とも無縁に、社会に貢献する人生を送ってきた、無名の市井の叙勲者たちの人生そのものを小馬鹿にしていることになると、なぜ気づかなかっただろう。 これは桑田氏だけの問題ではない。1970年代、平和を訴え自衛隊を違憲と主張する知識人・教員・芸術家たちの振る舞いは、自衛官の家族、特に子供たちがどのような気持ちになるかという想像力を欠いたものだった。 体制に反対する知識人・ジャーナリスト・マスコミ・芸術家達に共通するのは、「目覚めている自分たちが、だまされている大衆を啓蒙してやる」という上から目線の傲慢さである。それが、他人の気持ちを想像する力の欠如につながっているのではないか。 野党に票が入らないのは、投票率や選挙区の問題だけでなく、「リベラル」の傲慢さに対して多くの国民が反感を持っているからであると気づいてほしい。 私は桑田氏の音楽が嫌いではないし才能も認めている。ただ、富と名声を得た彼が、無名の市井の日本人の感覚とは遠いところに立っていることがわかり、残念な気持ちになった。関連記事■ 恐るべし、マスコミ■ 恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト■ 朝日は「左派メディア」として有志で再出発すべきである

  • Thumbnail

    テーマ

    反日」が支配する哀しき国と対話できるか

    韓国の朴槿恵大統領は、今年の年頭会見で「日韓首脳会談の開催には困難がある」と述べ、改めて日本側に姿勢の変化を求めた。日韓は今年、国交正常化50年の節目でもある。歴史認識のズレが埋まらない中で「対話による新しい関係」を築くことができるのか。