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    李登輝氏「安保法制は台湾、東アジア安定に寄与する」と指摘

     台湾統一を狙う中国。その後は、「尖閣諸島、沖縄へと触手を伸ばしてくる」と李登輝元台湾総統は警告する。李登輝氏は、安倍政権が昨秋成立させた安保法制についてどう見ているのか。* * * 中国はこれまでも東シナ海の資源開発を進めてきたが、最近、それをいっそう活発化させてきた。東シナ海では少なくとも計16基の構造物が確認されているという。これは地理的、経済的な目的だけでなく、軍事面での目的があるのは明らかだ。南シナ海での岩礁埋め立て問題も同様である。 中国が軍事増強を進める背景にある最終的な目標は台湾の統一だ。台湾が中国に侵略されたら、最も打撃を受けるのは日本であることを忘れてはならない。台湾の次は尖閣諸島、沖縄へと触手を伸ばしてくる。 中国は弱い相手にはとことん押しまくってくる。一方で、相手に強く出られた場合には黙る国だ。南シナ海の南沙諸島を一方的に埋め立てるなど、フィリピンとの間で紛争を激化させてきたが、米国は「航行の自由作戦」に踏み切った。 このとき重要なのは安倍首相が「国際法にのっとった行動であると理解している」と即座に米国の行動を支持したことだ。また、安倍首相がリーダーシップを発揮して成立させた安保法制は日本のみならず、台湾や東アジアの安定に大きく寄与するだろう。【PROFILE】 1923年台湾生まれ。旧制台北高校、京都帝国大学農学部で学び、戦中は志願兵として高射砲部隊に配属された。終戦後台湾大学に編入し卒業。台北市長、台湾省主席、副総統を経て1988年に総統就任。1996年、台湾初の総統直接選挙で当選し、2000年まで務める。著書に『指導者とは何か』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 尖閣問題で中国“漁民”を釈放すべきではなかったと李登輝氏■ 金美齢氏 馬英九政権続けば台湾は中国に吸収との危惧広まる■ 李登輝氏 橋下氏の竹島・尖閣「共同管理」提案は極めて危険■ 3000名もの中国漁民のゴミや糞尿が五島列島の海を汚している■ 李登輝氏 日本は自衛隊を軍隊化し沖縄を自らの手で守るべき

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    大勝でも台湾新総統、蔡英文氏が歩む「茨の道」

    ョン作家) 一夜が明け、昨夜の興奮が嘘だったかのように台北は静かな「雨の休日」を迎えている。先週から台湾総統選の取材に来ている私は、つい10時間ほど前までの“地響き”のような熱狂と興奮が「ひょっとして夢だったのではないか」という錯覚に陥ってしまった。 行政院や立法院など、台湾政府の中心組織が集中するエリアに近い北平東路の民進党本部は、投票が締め切られる午後4時前頃から、続々と詰めかけた支持者たちによって、うねりを伴った凄まじい熱気に包まれていた。 交通を完全にシャットアウトし、本部前のステージに設(しつら)えられたオーロラビジョンに開票速報が映し出されると、群衆の大歓声がその度に湧き起こった。記者会見を終えて、蔡英文新総統(59)がステージに上がったのは、午後9時を過ぎてからだっただろうか。 「この(選挙)結果は世界に台湾の自由と民主を示した」。彼女がそう語ると群衆の興奮は最高潮に達した。予想された勝利だったとはいえ、689万票という大量得票と、国民党の朱立倫候補(54)に300万票以上の差(朱氏が獲得したのは381万票)をつけるという圧勝に、現場のボルテージは上がりつづけた。「新しい未来、新しい台湾」「ありがとう台湾人、ありがとう台湾人!」 オーロラビジョンに映る言葉が、喜びの大きさを表わしていた。たしかに、この結果は、測り知れないものがある、と私は思った。 国民党の馬英九政権が2期8年にわたって押し進めた中国との接近政策は、昨年11月、習近平―馬英九という初の中台首脳会談となり、「ひとつの中国」をお互い認め合う事態に至っていた。 中国に併呑される危機感が台湾全土を覆った中、有権者がどんな判断を下すか、世界中の関心が選挙に集まった、と言っていいだろう。台湾総統選の投票所を訪れた人たち=1月16日、台湾・新北市(共同) しかし、中国との急接近策ではなく、「現状維持」を訴え、台湾人のアイデンティティを前面に打ち出した蔡女史が、「史上最大の勝利」を得たのである。露骨な中国の干渉と闘わなければならない 一昨年3月、馬英九総統が進めた中台間の「サービス分野の市場開放」をおこなうサービス貿易協定に反発した若者が立法院を占拠した「ひまわり運動」をきっかけに、反国民党の空気が台湾の主流となっていた。そして、その半年後の2014年11月、統一地方選で民進党は圧勝し、馬政権は事実上のレームダック状態となっていた。 それは、今回の総統選と同時におこなわれた立法院選挙でも、過半数を遥かに超える68議席(過半数は57議席)を得たことでもわかる。まさに“うねり”のような民意が示されたのである。しかし、これほどの大衆の支持を基盤とするとはいえ、民進党政権がこれから歩むのは、“茨(いばら)の道”であることは間違いない。 露骨な中国の干渉と闘わなければならない蔡英文政権は、今や貿易の40%を中国に依存するようになった台湾経済の舵(かじ)取りの手腕が問われる。中国からやって来る年間400万人もの観光客が、これから中国政府の締めつけによってどうなるのかが、まず注目される。 民進党が党の綱領に掲げる台湾の「独立」は、実行の素振りを見せたら中国が2005年に制定した「反国家分裂法」適用への格好の口実になるだろう。 今回の取材で、多くの有権者が「今回勝っても、結局、いつかは中国に併呑される」という悲観的な予想を私に語ってくれた。低迷する経済と、大きくなる一方の台湾人のアイデンティへの意識が強く私の印象に残った。また「アメリカと日本が頼りです」と悲痛な思いを伝えてくれた人も少なくなかった。 台湾併呑を目指す中国と、それに真っ向から対決する政権の誕生で、日本の“生命線”である台湾海峡の波はますます高くなる。西太平洋の支配を目指す中国にとって、台湾併呑は既定路線であることは言うまでもない。台湾台湾海峡へのそれぞれの思惑が交錯する「日・米・中」3か国の今後の出方が注目だ。 アメリカによる「航行の自由作戦」で、米中が南沙諸島で一触即発の状態にあるのは周知だが、すでに昨年末、アメリカはフリゲート艦2隻を含む18億3000万ドル(約2240億円)相当もの台湾への武器売却を決定している。 中国への刺激を回避するために台湾への武器売却をストップさせていたアメリカが「4年ぶり」に売却を再開したことで、「台湾関係法」に基づき、アメリカは“台湾を守る意志”を明確に中国に示したとも言える。 それらの事情や、台湾人の本音、あるいは今回の選挙の裏舞台については、複数の雑誌から原稿を依頼されているので、そこで詳しく書かせてもらうつもりだ。 いずれにせよ、茨の道を歩む蔡英文女史をどこまで支えることができるか――それはアメリカと日本の「覚悟」と「決意」が問われるものでもある。 中国の動向が、さまざまな意味で世界の懸念となっている中、大海に漕ぎ出す蔡英文新政権の行方について、私たち日本人が無関心でいることは許されない。 日本は果たして台湾をどう支援していくのだろうか。一転して静かな雨の休日となった台北で、私はそんなことを考えていた。

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    中国の「台湾悪魔化」計画が始まった

    台湾総統選で民進党の蔡英文氏が圧勝し、8年ぶりの政権交代が実現した。中国と距離を置き台湾独立も示唆する蔡氏に対し、中国紙は「台湾と外交関係にある国を懲罰として奪い取る」と早くも圧力をかける。台湾を貶め、国際的に孤立させる中国のプロパガンダ。「台湾悪魔化」計画はもう止まらない?

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    実は親日とは言えない! 台湾「左派」政権で日台関係は後退するのか

    藤井厳喜(国際政治学者) 1月16日の台湾総統選挙ならびに立法委員選挙で民進党が圧勝した。民進党の蔡英文候補は約689万5000票、得票率で56.1%を獲得し、国民党の朱立倫候補の約381万3000票、得票率31.0%に大差をつけた。又、立法委員(国会:全113議席)の選挙においても、民進党が圧勝し、68議席(得票率で約60.2%)を獲得。国民党は35議席(得票率で約31.0)にとどまった。 民進党の大勝利は日本にとっては朗報である。台湾国民は、中華人民共和国との併合を拒否し、独立を維持する意志を民主的選挙によって極めて明確に示した。これは、チャイナの脅威に直面する日本、アメリカ、並びに周辺諸国にとっては極めて歓迎すべき台湾国民の選択である。米中新冷戦は激化している。日本は、尖閣列島への侵略を初めとして、チャイナの脅威に直面している。安倍外交は対チャイナ包囲網を作り、これに対抗しようとしている。このような時に、台湾国民が独立と民主政治を守る意志を世界に堂々と示した事は、日本の国益にとって一歩前進であった。蔡英文候補の勝利により、日本は対チャイナ包囲網に台湾を加え、チャイナの脅威に対抗していくことが可能となった。大敗し、分裂必死の国民党 国民党は総統選挙で大敗を喫したばかりではない。立法院選挙でも、予想外の壊滅的敗北となった。台湾立法院は全113議席だが、この3分の1、つまり38議席を下回ると、重要法案に関する発言権を確保する事が難しくなる。そこで今回の立法院選挙では、国民党が38議席できるのか、それとも37議席以下になるのかは、国民党の将来を上回る重要な分水嶺と言われてきた。流石に底力がある国民党なので、40議席は確保できるのではないかという声が、選挙アナリストの間では有力であった。しかし結果は予想外の35議席の獲得に留まった。党内の責任追及は必至で、国民党の分裂は不可避であろう。言い換えれば、現在まで維持されてきた中華民国体制の中での「疑似的な二大政党制」が、いよいよ崩壊の時期を迎えているのである。 中華人民共和国が台湾との併合を主張できるのは、あくまで国民党が作った中華民国体制が存続しているからである。この中華民国という国名が廃棄されて、台湾共和国と名称が変われば、中華人民共和国が「1つの中国」を建前に台湾を併合するという正当性は全く消滅してしまう。今後の政界再編の眼目は、中華民国のまま留まるのか、それとも、台湾国民が独立建国の方向を明確に選び、台湾共和国を創建するかどうか、の選択であろう。日本国民の大多数が台湾共和国の誕生を支持している事は言うまでもない。民進党の選対本部前で開かれた集会で盛り上がる蔡英文主席の支持者=1月16日、台北(共同) 現状では台湾世論の6割が中台関係の現状維持を望んでいると言われている。これはこれで1つの事実だが、それは台湾独立を望んでいても、それを公に口に出した途端に、中華民国体制と中華人民共和国の双方から、激烈な批判を受ける為である。内心はそう思っていても、それを恐れて、台湾独立を言い出せない国民が多いのであろう。しかし、近年の「ひまわり学生運動」などで明らかになったように、若年層では、明確な「台湾人意識」が益々強まっており、それは反チャイナの台湾ナショナリズムと表裏一体の関係にある。台湾人意識の高揚は当然の事ながら、台湾共和国の独立と建国を希求するのである。日本版の「台湾関係法」一日も早く立法化を こういった台湾の新動向に日本が応える一番の道は、日本版の「台湾関係法」を一日も早く立法化する事である。台湾関係法の原案は既に、李登輝友の会を中心として準備されている。アメリカの台湾関係法のように、兵器の供給までは約束できないが、台湾を事実上の独立国、中華人民共和国とは無関係な政治的実体として認識し、これとの関係を日本の法体系に織り込もうとするのが、この台湾関係法である。現在、多数の台湾人が日本に居住し、又、日本人が台湾に居住しているにも関わらず、台湾に法的な位置づけが与えられていないのは、法治社会日本の1つの汚点となっている。実務外交を進める上でも、あるいは今まで進めてきた実務外交の正統性を確保する為にも、台湾関係法の制定は日本政治の急務である。予断を許さぬ蔡英文政権の船出 蔡英文候補と民進党は圧勝したが、蔡政権の前途は多難である。圧勝した理由の1つは、現在の台湾経済の苦境である。多くの平均的な台湾国民は、蔡新総統に派手な外交的パフォーマンスではなく、経済を好転させる事を望んでいるのだ。世界経済の現状を考えると、4年間で台湾経済を、誰が見ても分かる様な形で好転させる事は、極めて難しいと言わざるを得ない。 又、国内には、国民党が育てた官僚制度・司法制度・マスコミ体制が厳然として存在し、この体制との戦いは、熾烈を極めるであろう。陳水扁政権は、自ら国民党と同様の内部腐敗を起こし、国民に見限られてしまった。これが馬英九政権の2期8年という危険な時代を招く結果となった。蔡英文総統個人に、汚職や政治腐敗の可能性は少ないが、民進党政権全体としてみれば、国民党の腐敗体質に汚染されている政治家も少なからず存在する。 蔡英文新総統としては、特に軍事と外交の内実を引き締め、台湾の独立維持を可能とするような新体制を作らなければならない。これは非常に地味だが重要な仕事である。なぜならば、馬英九総統は、外交と軍事を骨抜きにするサボタージュ行為を行なってきたからだ。 日本人として気を付けなければならないのは、民進党が必ずしも党をあげて親日であるというわけではない、という事である。これは国民党員の全てが必ずしも反日ではない、という事と表裏一体である。確かに台湾は世界一の親日国である。しかし民進党は基本的に左派・進歩派的傾向の政党であり、自由・民主・人権などの左派的普遍的価値観に基づいて作られた政党である。又、国民党独裁時代は、国民党は中華民国体制を前提として、日本に親・中華民国の政治家を育成してきた。今まで対日関係を強化してきたのは、主に国民党であったので、民進党と日本の間には、太いパイプが存在しないのである。 蔡英文新総統を含め、民進党の政治家の中には日本の政治家と信頼できるコネクションを持っている人物は極めて少ない。日本としては、民進党勝利は、全体として極めて歓迎すべき事態ではあるが、日本の保守層と台湾の民進党支持層の間には、かなり意識の格差もある。こういった事も十分、認識しておくべきだろう。

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    台湾は日米と「対中包囲網」を強化するしか道はない

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長) 注目されていた台湾総統選挙は、1月16日に投開票され、予想通り最大野党・民進党の蔡英文主席が与党・国民党候補の朱立倫主席と野党・親民党の宋楚瑜主席を大差で破り、初当選を果たした。また立法院の選挙においても民進党が68議席を獲得し、過半数を確保した。大勝利である。民進党が選挙協力を行った新政党「時代力量」も5議席と初陣で大躍進した。「台湾独立志向」の強い政党が6割以上の議席を獲得したことは大きな注目に値する。民進党と時代力量を合わせると実に73議席。安定した議会運営が可能になり、蔡英文新総統は極めて政策展開がしやすい政治環境を得たことになる。台湾の制度では4年任期の2期まで可能である。蔡英文政権は次の8年という長期政権を担う可能性がある。 国民党は35議席にとどまり、存在感を失ってしまった。親民党も3議席にすぎない。親中政党が大きく議席を減らしたことになる。 こうした結果を受けて、これから台湾はどのように進むのか、考えてみたい。中国との距離 民進党は台湾の独立志向がある。どこまで具体的に考えるかはばらつきがあるものの、中国からは距離をおきたいのである。とはいっても台湾は今すぐ独立できるような状況にはない。中国依存の政策を持っていた国民党の馬英九政権が敗れたわけだから、蔡英文政権は中国には距離を置く政策を取ることになる。当面は蔡氏が繰り返し言うように中国とは距離を置きながらも現状維持の範囲での政策展開を行っていくとみられる。つまり独立はしないが、中国傾斜はしない、という政策をとるのであろう。 しかし、中国情勢、世界情勢は大きく変化しつつある。中国自体が経済低迷により大きな経済、社会政策の変更を求められる。また中国が近年行ってきた強引な外交戦略は隣国の反発をかっている。アメリカもこうした政策には強硬策も辞さないといっている。状況によってはもっと積極的な脱中・反中政策をとることが求められる場面が来るだろう。こうした状況の時に強い民進党政権ができたことは大きな意味がある。馬英九政権の時のような状態にはならないことは確かだ。 これは中国には経済政策においても、国内問題・国際関係においても大きな打撃ではある。台湾企業は中国に相当進出して良好な関係を持ってきたが、経済低迷もあり、今台湾企業は、今後の方向性を決断しなければならなくなっている。こうした台湾企業の今後の戦略に今回の選挙結果は大きな影響を与える。また大きな意味があるのが、香港などへの影響だ。香港でも中国政府と距離を置きたい、という若者が多くなっている。新政党「時代力量」は台湾の若者の力が大きな原動力となった。今回の選挙で打ち出された台湾の方向性は香港の若者の心を動かしうる。台米日のライン強化台米日のライン強化 かつて台湾は、アメリカの対中国戦略の重要な拠点で、台米日の関係は強力であった。しかし、中国経済の発展とともに、次第に台湾への関係は薄くなってきた。1995年~96年の第三次台湾海峡危機の時には、アメリカは空母を台湾沖に送るなど徹底的な台湾擁護の姿勢を示してきた。しかしそれ以降は、中国への配慮が目につくようになった。日本も同様だ。 蔡英文氏は、日本に対しては親日的な発言をしており、日台関係は良好になると予想される。日本への訪問も何度かあり、要人とも会談をしたことがあるようで、さらに両国間関係は強化される。山口市の元料亭「菜香亭」で、安倍首相の書の前に立つ来日中の台湾野党、民主進歩党の総統選候補者、蔡英文主席(左から2人目)と岸信夫衆院議員(左)=2015年10月7日(田中靖人撮影) 台湾の問題は日台関係よりも台中関係、この舵取りの方が難題だ。台湾の政治情勢が民進党の安定政権となると想定できるし、日本も自民党の安定政権である。アメリカ大統領選挙も、私の予想では次は共和党候補者が大統領になると予想している。さすがにトランプ氏ではないだろうが、その他の有力候補も中国に厳しい姿勢を示している。となると、アメリカ=日本=台湾の対中国トライアングルができあがる。 これは台湾の民進党にとっては、「過ぎた」対中包囲網となるかもしれない。あまりに反中路線が過ぎると、中国を刺激しすぎる可能性がある。1995年-96年の台湾海峡危機はまだ記憶に残っている。あの頃の中国とは比較にならないほど、今の中国は経済力も軍事力も格段に上だ。どのような行動にでるのか分からないところがある。 蔡英文氏はアメリカのコーネル大学ロースクールで法学修士を取っているし、その後イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士を取得している。アメリカやヨーロッパのネットワークがある。また日本のネットワークもある。アメリカ=日本=台湾の連携がうまく機能し、中国と良好な関係となればいいのだが、そうはならない可能性の方が高いのが気がかりである。特に中国に距離をおく反中国的な台湾とみられると、中国が経済的な制裁も含めて様々な対応を行う可能性があるので、むしろ東アジアは不安定になるかもしれない。 クリーンでリベラルな政治 蔡英文氏の人気の要因の一つはクリーンなイメージである。もともとが大学教授。アメリカとイギリスに留学の後、国立政治大学及び東呉大学の教授に就任している。専門は国際経済法で、経済、法律、国際関係に関する専門的な知識をもっていることも強みである。台湾政治、台湾選挙の問題の一つは、収賄である。中国大陸ほどではないにしても、かなりの賄賂が求められる社会である。これが政治を歪めてきたとも言える。蔡英文氏のクリーンなイメージは、台湾のこうした政治文化を変革してくれるのではないかという期待がある。これは台湾がさらに発展をしていく上で重要なポイントとなるはずだ。 台湾は中国の凄まじい経済発展に引きずられる部分も大きく、貧富の差の増大が社会問題化してきている。確かに全体としては経済成長したのであるが、貧富の差も大きくなり、貧困者を生み出した。特に若者の失業や貧困化への不満は強く、それが民進党の躍進につながった。民進党はこうした行き過ぎを批判してきた。また蔡英文氏は女性の視点からも平等な社会を目指すことを目標の一つにしている。どこまで現実化できるかはわからない部分が大きいが、これまでよりはリベラルな政治が展開されると思う。 日本にとっては歓迎すべき展開ではある。しかしあまりに極端になると中国と台米日の溝を深め、危険な状態になる可能性もある。むしろ慎重に状況を見ながら関係を強めることが大切だ。過激に走らず、ゆっくりと関係強化を進めることが必要であろう。 台湾との落ち着いた強い関係の構築は、不安定化する東アジアの平和と秩序を守る上で重要な役割を果たすだろう。今回の選挙結果が、そのためのプラスの要因として、アジアの新たな繁栄が築かれることを祈る。

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    中国政府高官に単独取材 台湾民進党圧勝を中国はどう見ているか?

    れた立法院(国会。定数113)の選挙においても民進党が68議席を得て、初めて過半数を占めた。5月には台湾史上初の女性総統が誕生する。8年ぶりの政権交代だ。議会にもねじれ現象が無く、蔡英文氏の意向が通りやすい形で台湾政治は運営されていくだろう。台湾総統選で圧勝した蔡英文氏(ロイター/アフロ) 1月15日付の本コラム「台湾、初の女性総統が誕生するか?――そして中国は?」では、台湾国民の心情や中国人民解放軍の元高官の発言などに関して書いた。今回は、中国政府がどう考えているのか、今後どのような行動を起こし得るのかに関して中国政府高官を単独取材した。中国政府公式見解とともに、ご紹介したい。中国政府公式見解 16日夜10時、中共中央台湾弁公室(中台弁)および国務院台湾弁公室(国台弁)の責任者は中央テレビ局CCTVおよび人民日報のウェブサイトを通して、「台湾地区における選挙結果移管する談話」を発表した。 談話内容の概略を示す(両岸とは中台を指す中国大陸側の呼称)。 ――この8年来、両岸双方は「九二共識(コンセンサス)」を固く守り台独(台湾独立)に反対するという大前提のもとに両岸関係の平和にして良好な交流関係を維持してきた。この方針は一貫しており、台湾地区の選挙結果に左右されることは絶対にない。いかなる形式の台独分裂活動に対しても断固反対する。われわれは、両岸が一つの中国に属すると考えている全ての政党、団体との交流を強化し、両岸の政治の基礎を守り、両岸関係の平和的発展と台湾海峡の平和安定を守り、中華民族の偉大なる復興をともに創っていく。 筆者注:「九二コンセンサス」とは、中国大陸が言うところの「一つの中国」を原則とするが、「中国とは何か」という定義に関する解釈は台湾側が言うところの「それぞれの解釈による」とする考え方を、中国も暫定的に受け容れて中台が交流を深めること。中台双方が「共通認識」を持ったと位置づけている。中国政府高官単独取材のQ&A中国政府高官単独取材のQ&A 日本からの推測で書くのは正確さを欠くので、蔡英文氏の当選が確定したあと、中国政府公式見解が発表される前の時間帯に、思い切って中国政府高官を単独インタビューした。  その回答を以下に記す。なお、中国では「~さん」のような敬称を付けずに人名を呼ぶので、回答をそのママ記し、敬称はつけない。筆者の説明は( )内に書く。 Q1:蔡英文氏の当選をどう思っているか? A1:民進党は党規約に台独(台湾独立)を書いているので、蔡英文がどんなに「現状維持」と言っても、中国は信じていない。ただし、5月までは馬英九が総統なので、決定権を持っていないため、何もできないだろう。しかし陳水扁(2000年から2008年まで総統に就任)より、蔡英文の方が台独に関しては強固な意志を持っている。能力も高い。だから中国は決して安心してはいない。 Q2:「九二コンセンサス」に関しては? A2:蔡英文は「九二コンセンサス」を受け容れてないので、両岸交流はスムーズに進むはずがない。「九二コンセンサス」を認めなければ、蔡英文は必ず窮地に追い込まれる。台湾経済は破綻し、すぐに下野せざるを得なくなる。なぜなら台湾経済は大陸への投資と市場によって成り立っており、これなしに台湾経済は存続しえないからだ。中国はこの日のために、早くから中国大陸における台商(台湾商人)に便宜を図り、「九二コンセンサス」を認めれば優遇し、認めなければひどい目に遭うことを(思い)知らせてある。 Q3:「九二コンセンサス」を認めない場合は、中国は具体的にはどういう行動に出るのか? A3:数え上げればキリがない。・たとえば福建省にある両岸自由貿易区は、国共(国民党と共産党)両党の協議の下で行なわれているものだが、民進党が国民党の意思と政策を引き継がなければ、大陸は台湾地区に便宜を図らないだろう。・航空や旅行に関しても、大陸は同じように台湾地区に制限を設けることになる。それにより、台湾経済がどれだけ困窮するかは、一瞬でわかるはずだ。・さらに亜投行(アジアインフラ投資銀行、AIIB)への参加に関しても不可能になるだろう。台湾は中国の一地方政府なので、「創始国」の仲間入りをすることは許されなかったが、正式に成立した後なら、「国」としてではなく、一地方として加盟申請をすることができる。しかし「九二コンセンサス」を認めなければ加盟申請を受け付けない。台湾も馬英九のときとは違い、申請してこない可能性もある。TPPに入れば、これで決裂だろう。・サービス貿易協定に関しても、大陸は台湾に開放しているが、台湾は大陸に開放していないという、いじつな「一方向性」でしかない。台湾の若者の抗議により台湾立法院で批准されないままになっているが、これぞまさに民進党が進める非協力的姿勢に若者が乗っかったもので、こういう事態があらゆる分野で起きるということだ。(筆者注:この因果関係は逆で、大陸に呑み込まれるのを嫌った若者が自主的に行動し立法院を占拠して「ひまわり運動」を展開した。民進党も声援を送っただけで、民進党が組織したものではない。その若者の「本土意識(台湾人アイデンティティ)」こそが、今般の民進党の圧勝を招いている。) Q4:民進党は密使を北京に派遣したように聞いているが…。 A4:もちろんだ。昨年の早い時期に台湾弁公室に民進党の人物を派遣して相談にやってきた。だから大陸は絶対に「九二コンセンサス」を堅固しなければならないと言ってやった。そのことは民進党も分かっているはずだ。昨年シンガポールで習馬会談(習近平国家主席と馬英九総統の会談)を行なったが、あれが何のためだったと思っているのか! あれはあくまでも蔡英文に対して与えた授業だ。彼女に授業に出させて、天下を取った時にはどうすればいいかを思い知らせてやるためだった。大陸は早くから台湾の民進党が優位になるだろうことは分かっていた。だからこそ、去年の9月3日に、あえて軍事パレードを行って、台湾に「教訓」を与えたのだ。それでも島民(台湾の国民)は目覚めなかった。愚かなことだ。 Q5:では、もし台湾が独立に向けて動いた場合は? A5:反国家分裂法は、なんのためにあると思っているんだい?中国人民解放軍がたちどころに台湾海峡を封鎖して台湾を「孤島」いや、「死島」にしてしまうだろう。両岸問題は中国にとって最優先課題であることは、知っているはずだよね?(筆者注:反国家分裂法は「もし台湾が独立に向けて動いたら、中国は武力を行使してそれを阻止する」という趣旨の法律で2005年に制定された。中国語では「反分裂国家法」と称する。) Q6:もちろん承知している。しかし紛争が起きたらアメリカが台湾関係法を行使するのでは? A6:アメリカは台湾の独立も大陸による統一も願っていない。アメリカもなかなかずるくて、現状維持が一番アメリカに有利だと思っている。だから蔡英文をしっかり教育しているはずだ。アメリカは大陸とも水面下では交渉に来ており、中米関係を重んじている。中国との間に争いが起きることをアメリカは望んでいない。 (筆者注:「台湾関係法」とは1979年1月1日に米中国交正常化が正式に樹立されたときに、中華民国との国交を断絶に伴い、「米華相互防衛条約」の内実を維持するために同年4月に制定された国内法。アメリカはダブルスタンダードを取っており、同法により台湾防衛のための台湾への武器輸出を容認するとともに、「台湾の安全を脅かすいかなる武力行使あるいは他の強制的な方法に対抗し得る防衛力を維持し、(アメリカは)適切な行動を取らなければならない」となっている。) 政府高官との問答はおおむね以上だ。この高官の話は、「中国政府側としての個人の意見」ではあるものの、明らかに習近平政権の意向と一致していると、みなすことができる。なぜなら、政府側の者は、絶対に中共中央の指針と異なる意見表明はしないし、してはならないからだ。 ところで、Q&Aのうち、最後のアメリカとの関係に関して補足する。 つまり、馬英九路線などにより中台が平和統一されたときには、アメリカの台湾関係法は行使できない。台湾が大陸に吸収されるのを黙って見ているしかないのである。 しかし、民進党政権において、万一にも台独の気配が生じて台湾海峡武力封鎖のような事態が起きれば、アメリカは台湾関係法により台湾を防衛する手段に出る。そのときには日米同盟により、日本も動かないわけにはいかなくなる。 中国だけでなく、日米もまた「台湾有事」のような事態が生じることは望んでいないし、好ましくない。 そういう事態を招かずに、きたるべき「蔡英文総統」が、どのような舵取りをしていくかが、今後の注目点となろう。 長くなり過ぎたので、台商や台湾の若者の新しい情報あるいは中国ネットユーザーの声などに関しては、また追って考察することとする。(『Yahoo!ニュース個人』より2016年1月17日分を転載)

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    李登輝氏「中国の脅威に対し今こそ台湾と日本は団結すべき」

     1月に総統選が行われる台湾。1988年から2000年まで台湾の総統を務めた李登輝氏は、南シナ海や東シナ海で中国の脅威が増す中で、日本と台湾が団結すべきだと指摘する。* * * 日本も台湾もともに人権、平和などの価値観を共有する民主主義国家であるとともに、同じ島国国家である。また、領土的野心をむき出しにする中国と対峙するなど、多くの点で利害が一致している。 安全保障面にかぎらず、日本と台湾の連携は非常に重要であり、台湾は日本の生命線と言える。安倍首相は、「台湾は大切な日本の友人」と発言し、多くの台湾人の感動を呼んだ。昨年の戦後70年談話でも中国や韓国と列記して台湾の名が挙げられ、日本が台湾を平等なパートナーとして位置付けていることを感じる。台湾と日本は運命共同体であり、この関係をよりいっそう強化することが東アジアの平和と安定に繋がるものと信じている。 地政学的リスクが大きく変化した現在においても、日本の安保法制整備を「戦争法案」などと批判する人がいることには疑問を感じる。軍隊や安保法制を整備することが即ち戦争になるということではない。戦争するかしないかは、ひとえに指導者にかかっていることであり、安保法制の整備とは何ら関係のないことだ。2014年9月、札幌市内のホテルで、同行記者団の質問に答える台湾の李登輝元総統(田中靖人撮影) 一昨年、東京を訪問した際、私は「人類と平和」というテーマで講演したが、そのなかで私は「人類の歴史は異なる国や組織、権力間の興亡の繰り返しである」と述べた。集団的自衛権や安保法制の問題を忌避する人々は、こうした歴史を無視していると言わざるをえない。いかにして平和を保つのか、具体的手段を考えるのが指導者の務めであり、決断した安倍首相の勇気に敬意を表したい。 台湾と日本が協力すべき分野は安全保障だけにとどまらない。経済分野で注目しているのが、「IoT(Internet of Things)」だ。IoTとはパソコンやスマートフォンだけでなく、身の回りのあらゆるモノに埋め込まれたセンサーをインターネットに接続し、相互通信を可能にすることで新しいサービスや付加価値を生み出す技術だ。私は一昨年からこの技術に注目していたが、ここ最近で急速に認知されてきたと感じており、今や世界の先端企業が開発を競い合っている。 ただ、IoTビジネスを日本だけで成功させることは難しいだろう。日本企業の開発や研究は、閉鎖的な部分があり、グローバルな市場展開に繋がりにくい。その点、台湾は半導体などのコンポーネント(部品)を大量につくる生産技術に優れている。今こそ日本の研究開発力と台湾の生産技術を結びつけ、IoTに活用できる新しい半導体の開発に協力体制を築くべきだ。 その結果、台湾はIoTの生産によって日本経済をバックアップすることができ、GDP成長率のプラスにも貢献できるだろう。 中国の脅威に立ち向かうため、今こそ台湾と日本が固く団結すべき時だ。【PROFILE】 1923年台湾生まれ。旧制台北高校、京都帝国大学農学部で学び、戦中は志願兵として高射砲部隊に配属された。終戦後台湾大学に編入し卒業。台北市長、台湾省主席、副総統を経て1988年に総統就任。1996年、台湾初の総統直接選挙で当選し、2000年まで務める。著書に『指導者とは何か』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 金美齢氏 馬英九政権続けば台湾は中国に吸収との危惧広まる■ 李登輝氏「安保法制は台湾、東アジア安定に寄与する」と指摘■ 中国大陸の侵食から台湾守るために台湾総統交代をと李登輝氏■ 李登輝氏 続けても恥かくだけだから馬英九総統は辞任すべし■ 金美齢氏 総統選後の馬英九氏「台湾は中国の一部」宣言懸念

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    李登輝氏「馬英九は習近平と握手しにのこのこ出掛けただけ」

     2015年は中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が会談するなど、中国と台湾が接近しているようにも見える状況にある。しかし、1月に行われる総統選後の台湾について、李登輝元総統は、「中国と距離を置くことが重要」と指摘する。李登輝氏は台中関係についてどう分析しているのか。* * * 昨年11月7日、66年ぶりに台中首脳会談が行われた。しかし、馬英九総統は何もわからず、自分の功績のために習近平主席と握手しにのこのこと出掛けていったにすぎない。習主席はかなり手強い相手だ。ゆえに馬総統は事前に彼がどういう人物かきちんと研究していくべきだった。 1分半もの間、握手していたことが報じられたが、台湾の総統として言うべきことも言わずに帰ってきた。自分のことを「台湾の総統」とさえ言わなかった。一国の指導者であるならば勇気を持って言うべきことを言わなければならない。結果的に海外メディアからは「過去の人」と書かれる始末だ。 馬総統が首脳会談でとったやり方は、非民主的かつ台湾をないがしろにするものだ。誰が自分を総統に選んだかを分かっていない(有権者の存在を忘れている)。昨年5月、総統就任7周年の記者会見で馬総統は「毎日よく眠れている」と答えていたが、私は総統在任中の12年間、毎日が闘争で一日たりとも安眠したことなどない。この8年、庶民の生活は困窮し、台湾が直面する問題もますます増えた。馬総統はそれらを検証し、対応していかなければならないのに、国家の指導者としての責任を何ら果たしていない。日本外国特派員協会で講演する台湾の李登輝元総統=2015年7月23日、東京都千代田区(寺河内美奈撮影) 国民党は、1月16日に行われる総統選挙でも立法委員(国会議員)選挙でも、これまでにない大敗を喫する可能性がある。一昨年11月の統一地方選挙に続く大敗となれば、党勢の凋落が加速度的に進むだろう。それを立て直すためには、国民党本土派のリーダー格である王金平・立法院長が率先して、台湾の主体性を重視する本土派を中心とした「台湾国民党」に生まれ変わらせるべきだ。 民進党の蔡英文主席は、台中関係について「現状維持」と主張しているが、民進党内からも「曖昧だ」との批判が出た。しかし、私は「現状維持」という主張が曖昧とは思わない。 そもそも現状を維持するとはどういうことか。台湾台湾であり、中国は中国であって、それぞれ中華民国と中華人民共和国を維持する、それこそが現状維持である。中国と距離を置いて台湾の主体性を維持し、発展し続けることが重要だ。【PROFILE】 1923年台湾生まれ。旧制台北高校、京都帝国大学農学部で学び、戦中は志願兵として高射砲部隊に配属された。終戦後台湾大学に編入し卒業。台北市長、台湾省主席、副総統を経て1988年に総統就任。1996年、台湾初の総統直接選挙で当選し、2000年まで務める。著書に『指導者とは何か』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 金美齢氏 馬英九政権続けば台湾は中国に吸収との危惧広まる■ 香港で中台首脳会談計画浮上 習主席、馬総統双方の思惑一致か■ 李登輝氏「安保法制は台湾、東アジア安定に寄与する」と指摘■ 李登輝氏 橋下氏の竹島・尖閣「共同管理」提案は極めて危険■ 李登輝氏 続けても恥かくだけだから馬英九総統は辞任すべし

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    台湾総統選、民進党の「勝ち方」を注視する中国

     [WEDGE REPORT]小笠原欣幸 (東京外国語大学准教授) 1月16日に台湾で行われる選挙にて、国民党から民進党への政権交代が確実視されているが、新政権の前途は多難である。「アメ」も「ムチ」ももつ中国ともたざる台湾。新政権に対して日本ができることとは─。  1月16日に台湾で、総統と立法委員を選出するダブル選挙が行われる。大統領と国会議員を一挙に選ぶ選挙で、その結果が今後の台湾のゆくえを大きく左右する。 総統選には3人立候補しているが、事実上、与党の国民党(中国国民党)・朱立倫主席と、野党である民進党(民主進歩党)・蔡英文主席の一騎打ちとなる。総統には蔡英文氏の当選が、立法院も同じく民進党の過半数の議席獲得が確実視されている。 民進党が総統職も立法院の過半数議席も獲得すれば、史上初の出来事となる。2014年11月に行われた統一地方選挙でも民進党が圧勝しており、「国民党時代の終焉」を迎えつつある。00年に民進党の陳水扁が総統選に勝利したときは、国民党が連戦と宋楚瑜に割れたことによる漁夫の利だった。今回立法院の過半数を伴う勝利になれば、インパクトがまるで異なる。 なぜここまで国民党は凋落したのか。これには「台湾アイデンティティ」が多数派になりつつあることが大きい。台湾アイデンティティは「台湾の独立」と同義ではない。台湾独立を主張するナショナリズムも増加傾向にあるものの、台湾の民衆の圧倒的多数は「現状維持」を望んでいる。台湾人の大多数は「現状維持派」 (出所)「聯合報」2014年9月15日の民意調査をもとに筆者作成 国民党は中国大陸で誕生した党であり、そのもともとのイデオロギーは中国ナショナリズムである。馬英九はそれでは勝てないと考え、08年総統選前に「国民党の台湾化」を試み、一定の評価を得て当選を果たした。 だが、政権を担わせてみると、内政は停滞したまま、中台関係の改善だけが突出した。台湾で高まりつつある台湾アイデンティティとはやはりギャップがあることに民衆は気付いた。特に12年の再選後の馬英九が習近平との中台トップ会談に向けて走り出したため、そのギャップは拡大していった。 台湾の政治大学選挙研究センターが行った14年の調査では、自らを「台湾人」と認識している民衆の割合は60%を超え、「中国人」だと認識しているという3・5%を数の上で凌駕している。「台湾人と中国人のどちらでもある」という割合も減少傾向にある。 もちろん国民党はこの長期的トレンドを知っており、中国人アイデンティティを押し付けることは少なくなったが、党の根幹にある「自らは中国人で、台湾も含めて中国である」というイデオロギーとのギャップは埋めることができない。そうした姿勢が折に触れて出て、一時は国民党の総統候補となった洪秀柱などは、「中華民国憲法は本来統一であり、(中台は)最後は統一しなければならない」と発言するなど、その傾向が非常に強かったので、総統選前から拒否反応を突き付けられ、異例の候補者差し替えに至った。 馬英九総統は台湾を強調し国民党の統一色を薄めることに注力したが、かえって台湾アイデンティティが広がり、国民党が政権を維持し続けていくうえでマイナスとなった。 一方の民進党は、中台関係の安定化が重要であることを理解しているので、独立の主張を控える方向に舵を切った。陳水扁政権時代は台湾ナショナリズムの言動を繰り返し、中台関係を緊張させたが、今回の選挙で蔡英文は現状維持を公約に掲げている。これにより台湾の多数を占める「現状維持派」の取り込みに成功した。中国が一方的に保有する交渉カード中国が一方的に保有する交渉カード 選挙後に注目されるのは、蔡英文政権の対中政策、そして習近平政権の出方である。実は「中国は交渉カードを大量に保有するが、台湾は交渉カードをほとんどもたない」状態にある。中国の軍事力・政治力・経済力は圧倒的で、台湾に対する「アメ」も「ムチ」も用意しているが、台湾側には対抗できる手段は少ない。 馬英九政権が発足した08年、台湾を訪れる中国人観光客は24万人に過ぎなかったが、14年にはなんと384万人を超えた。観光客のみならず、貿易も拡大した。13年の台湾から香港を含む中国へ向けた輸出額は08年と比べて約1・5倍にまで増加した。台湾の総輸出に占める中国の比率は4割を占め高止まりしている。 一方、中国にとっては、台湾との貿易は、中国全体のわずか4・6%に過ぎない。中台の経済格差は年々拡大し、GDPは20倍もの開きがある。台湾経済にとって中国は欠かせないが、中国経済にとって台湾は必ずしも必要でないという一方的な関係にある。中国にとって、観光や貿易の蛇口を閉めることはたやすい。民進党政権発足後、これまでの中台交流拡大戦略と逆行する政策を採ることも考えられる。 また、中国大陸へ進出している台湾企業は多数存在し、大陸で用地取得や税制面などで様々な優遇を受けている。これも中国共産党の匙加減ひとつでどうにでもなる。 11月7日に突如、史上初となる中台トップ会談が実現した。習近平国家主席と馬英九総統が握手を交わすシーンは日本でも驚きをもって報じられた。この会談を行った習近平側の意図については様々な憶測を呼んでいるが、民進党政権登場に備えて「国民党政権時代は首脳会談を行うなどして中国と良好な関係を築き、経済が好調だった」という台湾の民衆への「刷りこみ」をしておき、蔡英文に対し「一つの中国」を受け入れさえすれば良好な関係に戻れると迫る布石であろう。 外交面では、中国は馬政権に「気遣い」をみせてきた。中華人民共和国と中華民国はそれぞれ世界各国に対し、どちらの国と国交を締結するかを迫ってきた。大多数の国は中華人民共和国と国交を締結し、台湾、つまり中華民国と国交を結んでいる国は、太平洋島嶼国や中南米など22の小国しかない。 台湾の国交締結国に対し、中国はその国交を断絶させ、新たに自国と国交を結ぶ、ということを歴史的に繰り返してきたが、馬政権登場後、この動きを控えてきた。こうした「気遣い」も新政権が反中の姿勢を見せれば即座に見直し、台湾を国際的に孤立させる動きを加速させる可能性がある。 胡錦濤国家主席時代は、民進党の支持基盤である台湾中南部の農村、漁村地域を取り込むため、中国の各省から大規模買い付け団を次々に派遣し、農産物や養殖魚を「爆買い」することをはじめた。主に余剰分を買い付けたのだが、これは農産物や水産物の価格下落防止に繋がるため、農家や水産業者に恩恵をもたらす政策と見られた。実は台湾で生産されている農産物はほとんど中国でも生産されていて、しかも安価であるが、それでも台湾での支持を得るために買い付けているのだ。日本の重要な「隣人」台湾 選挙結果を見ると買い付け地域の民進党支持が揺らぐことはなく、中国の目的が果たされているとは言い難い。志のある農家は政治的目的の中国市場より、消費者の眼の厳しい日本などの市場に売り込み評価されることを念願しているのが実情であるが、この政策がなくなれば、一部の恩恵を受けていた人々の不満は出てくるだろう。 もともと食品事業を営み、中国大陸で多額の利益を上げていたグループという台湾企業が、08年にテレビ局や新聞社を傘下にもつ中国時報グループを買収した。台湾で大きな影響力をもつメディアグループであるが、買収後に中国を称賛する論調が目立ちはじめ、「共産党のプロパガンダが行われている」との批判が高まった。多くの民衆が危惧していることもあり、メディアを使った情報戦もうまくいっているとは言い難いが、経済が落ち込めば、効果を発揮する可能性もある。「台湾経済が不景気に陥ったのは中台関係を悪化させた民進党のせいだ」という理屈は宣伝しやすいからだ。次期総統が確実視される民進党の蔡英文主席。民衆の期待は大きいが政権運営は容易ではない(THE NEW YORK TIMES/AFLO) 日本の重要な「隣人」台湾 翻って、交渉カードをほとんどもたない蔡英文政権は前途多難である。 唯一ともいえるカードは「民意」である。台湾は中華圏で唯一選挙により直接トップが決められる国・地域である。蔡英文が中国に抗していくためには、僅差の勝利では不十分で、ダブル選での圧勝が不可欠だ。 民進党が圧勝し、これから長きにわたり台湾の政権を担っていくのが確実となれば、中国も民進党に向き合わざるを得なくなる。よって「民進党と国民党のどちらが勝つか」ではなく、「民進党がどのくらいの差をつけて国民党に勝利できるか」がポイントとなる。 日本にとって台湾は、自由と民主主義の価値観を共有する重要な「隣人」であり、民間交流も活発である。東日本大震災の後、台湾から多額の義援金と手厚いサポートがあったことは記憶に新しい。歴史認識においても日本のこれまでの歩みを客観的に評価してくれる貴重な存在である。台湾は安全保障上、敏感なエリアに位置し、その動向は日本にとって重要な関心事だ。 日本は13年に日台漁業協定を締結し「日台間のトゲ」を取り除いたが、関係強化に向けてやれることは多い。例えば、台湾はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加意志を表明しているので、日本が後ろ盾になり積極的にサポートすることは効果がある。 日台FTAの締結など、双方の優れた農産物や工業製品・部品が流通しやすくすることも、互いにメリットが大きい。また、日本企業が台湾企業と組んで中国大陸でビジネスを展開することは、日本企業が単体で大陸進出するよりリスクを軽減できる。農漁業協力、環境・生態保全の協力などの実務的関係の強化は日台双方にとってプラスとなる。東アジア安定化のためにも、日本は台湾の新政権を見守り、実務関係を強化することが必要である。

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    民進党の「歴史的大勝」 中国も匙を投げた台湾総選挙

     [WEDGE REPORT]野嶋 剛 (ジャーナリスト) 4年に一度、行われる台湾の総統選挙には、いささか、常軌を逸した熱気がある。投票率はいつも7割を超える。一種のお祭りであり、選挙ビジネスと言われるような、選挙集会の出し物や音楽、屋台などを含めた膨大な経済効果を生む。台湾の選挙は寒いときに行われることが多い。そうなると、南方の台湾といえども、夜はかなり冷え込んでくる。 選挙集会の取材は、完全防寒の出で立ちで臨み、現場では、屋台で売っている熱々の「杏仁茶(アーモンド茶)」を飲みながら、生ニンニクのついた「香腸(中華ソーセージ)」をかじって暖をとりながら、熱い戦いを観戦するのが台湾選挙の楽しみ方である。熱気のない総選挙 しかし、今年1月16日に行われる総統選は、肝心の熱気がそこまでは感じられない。その理由は、すでに大勢が判明しているからに外ならない。 民進党候補の蔡英文の勝利がほぼ確実で、同日に行われる立法院選挙でも、民進党は史上初の単独過半数をうかがっている。この流れは、突発的な大事件でも起きない限り、覆らないだろう。「歴史的会談」と大騒ぎになった昨年11月の馬英九総統と習近平・国家主席の中台トップ会談も、民進党有利、国民党劣勢の選挙情勢には、ほとんど影響を与えることはできなかった。 いまは、民進党の勝ち方が、「歴史的」と呼べるほどの大勝になるのかならないのかという点に、台湾社会の関心は集中している。 ここまでの世論調査の結果は、かなり衝撃的である。台湾の世論調査は投票日前2週間で打ち切られるが、蔡英文の支持率は終止、40%以上を維持し、20%ほどで頭打ちする国民党の朱立倫を20%前後引き離している。民進党蔡英文候補(Getty Images) 第三の候補で主張は国民党に近い親民党の党首・宋楚瑜の支持率がかえって伸びており、国民党が分裂して民進党の陳水扁に敗北した2000年の総統選挙に似た構図になっている。2000年と違うのは、陳水扁が得票率39%で当選した「漁夫の利」だったのに比べて、今回はこのままの世論調査を反映したと仮定した場合、蔡英文の得票率は過半数どころか、過去で最高得票率を得た08年の馬英九の58%までも超えてしまいかねない可能性が生まれている。 過去の選挙と比べても、世論調査でもここまで差が開いたことは珍しく、リードしている蔡英文が冷静沈着、優等生で知性派というキャラクターで安全運転に徹していることもあり、盛り上げ役がいないのである。 もともと民進党の実力は、総統選においては、だいたい40〜45%であり、国民党の固い地盤を突き崩すには、04年のときのように現職という有利さと、投票日前日の陳水扁への銃撃事件のような、何らかの「加点」が必要であるということが、伝統的な台湾選挙観察の基本条件だった。中国の敗北宣言 しかし、今回は、そんな既成概念を崩すような結果になりそうだ。民進党の蔡英文は現職ではなく、直近の台湾で民進党に何か大きな得点があるような問題が起きたわけではない。蔡英文は08年ごろの馬英九のようにカリスマ的に光を放っているわけでもない。では、いったいどうして民進党がここまで有利に戦いを進めているのか。自分たちを「台湾人」と考える人々の台湾アイデンティティーの成熟や中国への過度の接近を恐れる気持ち、14年のヒマワリ運動で大きく変わった人々の政治意識の影響など、選挙結果を見たうえで詳しく分析されるべきだろう。 それにしても、現時点ではっきり言えるのは、本来は優勢である地力を持っているのにもかかわらず、その力を発揮できないでいる国民党の不甲斐なさである。まるで8年前の民進党を見ているような思いにとらわれてしまう。 13年に起きた馬英九総統と立法院長の王金平との間で起きた「9月政争」と呼ばれる内紛に始まり、今日まで、国民党が一致団結して民進党に戦えるようなムードが作られることは一度もなかった。総統候補選びでは、本来出馬の候補となるべき朱立倫・党主席、呉敦義・副総統、王金平の大物3人がそれぞれ相手の出方をうかがったり、不利な戦況に怖じ気づいたりするなどして誰も声を上げず、予想外の形で、女性の洪秀柱・立法院副院長が候補に躍り出た。 その洪秀柱が中国問題などで従来の国民党の路線を逸脱するほど中国寄りと取られる発言を連発すると、朱立倫は「洪おろし」を仕掛けて自らが候補に取って代わった。しかし、選挙戦は最終盤ともいえる10月に入っていたほか、朱立倫が選んだ副総統候補のスキャンダルが話題になったこともあって、劣勢を回復させる形にはほとんど至っていない。中国の敗北宣言 国民党の影の支援者である中国も完全に諦めムードで、何か選挙に影響を与えるような行動を取ることはあり得ないだろう。年末には高名な台湾研究者である上海東亜研究所の章念馳所長が「民進党が勝ったからといって、世界の終わりが来るわけではない。独立ができるわけでもなく、台湾は(経済的に)大陸にここまで依存しているのだから、必ず大陸に近づいてくるはずだ」と語っているが、一種の負け惜しみ、あるいは、敗北宣言に等しい。 蔡英文も「現状維持」を掲げており、一定程度、馬英九政権の対中融和路線を引き継いでいく考えを示しているが、それにしても、中国から台湾に多くの「善意」を提供し続けた馬英九政権の8年間はいったい何だったのかと思わせるような負け方をすれば、経済によって台湾を引き寄せるという中国の従来の戦略は、抜本的な見直しを求められることは避けられないだろう。

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    李登輝氏×安藤忠雄氏対談「日台の未来―地球の未来」

    対談 李登輝前総統・安藤忠雄氏(肩書など掲載時のまま) 総統選挙によって8年ぶりに政権が交代する台湾。この政権交代の制度を打ち立てた前総統の李登輝氏と、日本を代表する建築家の安藤忠雄氏が台北郊外にある李氏の私邸で対談を行った。二人は初対面だったが、作家の故司馬遼太郎氏にかかわる思い出話から打ち解けた。話題は日本や台湾にとどまらず、情報化社会の進展、地球環境など人類全体が直面する問題に及んだ。(司会 長谷川周人台北支局長)■I 偶然歴史学び「脱古改新」 長谷川 お二人は初対面だそうですね。 李登輝氏 そうそう。けれど、先生の講演は読みましたよ。フランス建築アカデミー大賞を受賞(1989年)した時の話は素晴らしかった。それに台湾で先生は一番人気の建築家。実はね、うちの孫娘(李坤儀さん=26)も先生の大ファンなんだ。英国留学の後にイタリアで設計やデザインを勉強して、台湾に戻ってからは家や家具に興味を持った。政治屋にはならないというんだなあ(笑い)。李登輝氏 安藤忠雄氏 光栄です。ぜひ今度、お孫さんと大阪方面においでください。私が設計した司馬遼太郎記念館をご案内します。 李氏 司馬先生の記念館、まだ見ていないんだな。昨年の訪日に続く「奥の細道」をたどる旅もあるが、大阪と京都にはもう一度行きたい。その時に司馬先生のご自宅にお邪魔し、記念館も見てみましょう。 安藤氏 司馬さんの紀行文「台湾紀行」に李登輝さんのことが書いてありますね。しかも司馬さんは、李さんがアジアの指導者として重要な役割を果たしていると評価していた。今日のテーマにもなりそうですが、李さんは今、これからの国際社会が、特にアジアがどう歩んでいくべきだとお考えですか? 李氏 司馬さんとの出会い、懐かしいなあ。台湾に生まれ、台湾に育った台湾人は、400年にわたって外来政権に統治されてきた。だからこそ、台湾の人には「われわれが台湾の主でありたい」と願う気持ちが強くあります。そこにいくつかの偶然が重なり、今の「民主台湾」がある。蒋経国(蒋介石元総統の長男)という総統がいたからこそ、私が(台湾人初の)総統になれたのです。 この偶然を利用して、台湾の民主化と経済発展を進め、日本との関係も再構築したい。そう考えたときに司馬さんとの出会いがあり、おかげで私は台湾政治をひっくり返す考えを対外的に発表できた。結局、司馬先生との出会いがあるまで、私は外に向かって新しい台湾を訴えることができなかったのですよ。 長谷川 偶然、ですか? 李氏 そうだよ、偶然だ。台湾の過去を振り返れば涙が出る。だが私は歴史を学ぶが、批判はしませんよ。見るのはいつも将来。私のいういわゆる「脱古改新」だな。副総統時代、過去の過ちに学んで将来に向かうべきだ、そう考えていたところ、幸いにして総統になった。ただ、なぜ蒋経国が私を選んだのか、今もよくわからないなあ。 正直にいうと、僕は彼をよく知らない。ところが、彼は僕を気に入っていたようだ。なぜか。僕の仕事のやり方は中国式ではなく日本式だからかな。まじめくさってなんでもきちっとやり、彼の前では手を膝(ひざ)に置いて背筋を伸ばして座る。取り巻きの中国人とは少し違う、と思ったのでしょう。 安藤氏 司馬さんが台湾を訪れたことは、単に作家が取材に来たという以上の大きな意味があったわけですね。司馬さんはアジアの将来を一生懸命に考えていました。特に日本、中国、台湾、そして韓国がバラバラにならぬようにと。李登輝さんとは、お年だけでなく、考え方も近いものを感じます。 李氏 西田幾多郎哲学のいう「場所の論理」でしょ。でもちょっと待って。その司馬先生がね、台湾にやってきたときのことを思いだした。(東海岸の)台東などを回るというので、私がガイド役を申し出たことがありました。私なら台湾の隅々まで知っているからね。ところが彼は辞退した。「台湾に関する資料は貨物列車1台分はあります。どうぞご心配なく」と。彼は本当に台湾をよく知っていましたよ。勉強しているんだなあ。■II 教育人を愛すること 哲学的に物事を考えること 安藤氏 司馬遼太郎記念館を設計したとき、世界中を歩いた司馬さんが小説執筆に向けて集めたという膨大な量の本を壁面一面に展示することで、物事を考えて生きてきた軌跡を感じるものをつくりたいと考えました。15年ほど前に司馬遼太郎記念室がある姫路文学館(兵庫県姫路市)を設計したことが縁で、司馬さんの記念館の設計者に指名されました。安藤忠雄氏 姫路文学館は哲学者の和辻哲郎など姫路地方に縁の深い文学者を紹介した博物館ですが、李さんが学生時代に親しまれたという西田幾多郎の哲学館(石川県かほく市)も設計を担当する機会をいただきました。 李氏 2005年の暮れ、その哲学館に行きましたよ。西田の「善の研究」は旧制台北高校時代から何度も読み返した本で、西田哲学は今も私の精神の根幹を成しているのです。哲学館では自分の学生時代を懐かしみながら、当時の自分と現在の台湾を重ね合わせ、胸が熱くなりました。 安藤氏 設計者としてうれしく思います。設計に入るとき、若いころに読んだ西田と和辻をもう一度読み直し、二人を理解しようと努めることから始めました。よく相手を知り、理解する必要があるからです。 その時に考えたのですが、西田と和辻はアプローチの仕方は違うものの、彼らが到達しようとしたのは、「場所の論理」ではなかったか。書斎にこもって自らの内面と向かい合う西田。対する和辻は逆に意識が外に向かい、旅することで何かを発見し、真理を得ようとした…。 李氏 その通りですよ。そこに教育という問題が出てくる。教育には、建築をやったりする専門教育と、教養の二つがある。哲学も歴史も芸術も科学も、基礎教養として専門以外にある程度知っておく必要が人間としてあります。プラス、国を愛し、人民を愛すること。昔の日本教育はこうだった。私は22歳まで日本籍ですよ。その日本教育を受けたから、今も私なりの考えが出てくるんだ。 日本全国、そして世界を渡り歩き、歴史的な小説を書こうとした司馬さんも、行き着くところは「場所の論理」なんだな。人が集まれば場所ができる。これが大きくなると国になる。つまり、若いときに教養を教え込まれてこそ、歴史を土台に哲学的に物事を考えることができるのです。民主とは何か、人はなぜ人を愛せるのか、という問題を理解してこそ、新しい将来へと突破することもできる。ところがね、人々が技術ばかりに目を奪われる今の社会は、どうもへんてこになってきた。そうは思いませんか。 安藤氏 同感ですね。経済至上主義が世界を画一化し、その弊害が叫ばれていますが、彼ら(西田、和辻)の哲学には先見性があった。先人が卓越した哲学を残してくれたにもかかわらず、日本人は1960年代以降の高度経済成長の中で、経済の論理を重んじるあまり、何かを失い、随分と変わってしまった。そう、今や西田も和辻も、見向きもしませんよ(笑い)。 だから、技術の発展が世界で同時進行する中、よほど確立した自己を持っていないと、精神構造がバラバラになってしまう。ところが、人々の実生活には確立した自己を持つような時間がなく、瞬間的な情報を山のように抱え込むばかり。つまり心のよりどころを見失い、世界中の人たちの精神がバラバラになっている、と案じます。

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    なぜ李登輝は日本を愛するのか

    固有の領土である」。いま国際社会でこう公言できる指導者がどれだけいるだろうか。親日家として知られる元台湾総統、李登輝氏は、中国の覇権が拡大し、わが国を取り巻く危機的情勢を誰よりも憂慮する一人である。なぜ李登輝は日本をこれほど愛するのか。その素顔に迫る。

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    李登輝氏が語る新時代の台湾人とは

    李登輝・元台湾総統会見(講演編)  23日、日本外国特派員協会で台湾の李登輝・元総統が会見を開いた。冒頭、「台湾の主体性を確立する道」として、台湾や中国の歴史を俯瞰、新しい時代の台湾人とは何か、「託古改制」から「脱古改新」へと、自らの思想を語った。質疑応答では、世界情勢が変化する中、アジアにおける日本の役割に期待するとし、安全保障法案は必要だとの認識を示した。安倍首相についても"日本への貢献を高く評価"すると述べた。本記事では、冒頭の講演部分について全文をお届けする。 "新しい時代の台湾人"とは 日本外国特派員協会のPeter Langanさんはじめ、会場にお集まりの特派員の皆さま、こんにちは。台湾から参りました李登輝です。今回、国会における講演のご招待を頂き、昨日は多く国会議員の先生を前にお話することが出来ました。そして今日は、2007年6月以来、8年ぶりにこちらに伺い、再び講演する機会が得られましたことを大変光栄に感じております。  8年前は、念願だった奥の細道を訪ねる旅の最終日に、こちらの協会で講演したと記憶しています。その時私の隣に座っていた中嶋嶺雄先生も今では故人となられ、年月の流れを感じずはいられません。  その一方、この8年間で中国は経済的にも発展を遂げ、国際社会における発言力を増してたと同時に、ますます領土拡張の野望をむき出しにして来ています。これは、それまで世界の政治の方向性を主導する立場にあった米国の発言力が落ちてきていると無関係ではありません。  かつてはアメリカを先頭に、日本などせ先進5カ国、いわゆるG5が世界の経済や政治の進むべき方向性を決めていましたが、先進国の力量が軒並み落ち込み、新興国の発言力が強くなってきたことで、国際秩序が多様化し、その結果、アメリカの用にグローバルなリーダーシップを持てる能力、経済力を持つ国、もしくは組織が無くなりました。言い換えれば、グローバルなリーダーの不在、つまり国際秩序が崩壊したとも言えるでしょう。アメリカの政治学者、イアン・ブレマーは、はこうした状況を"G0の世界"と呼んでいますが、私としては、"国際社会に戦国時代が到来した"、と呼びたいところです。  こうした混沌とした時代に直面し、常に私の頭を離れることがないのは、我が台湾の行く末についてです。そこで今日は、「台湾の主体性を確立する道」と題して、皆さまにお話ししたいと思います。  台湾は移民で構成された社会です。有史以前から、台湾の平地や山地に暮らしていた原住民、対岸の福建などから海をわたってやってきた漢人、中国人、客家と呼ばれる人々、そして戦後になって中国大陸から渡ってきた外省人たちを主として構成されています。  ただ、その一方で、400年に6つの外来政権によって統治され、清朝時代には"化外の地"として、版図にさえ組み入れられない時代さえありました。  1895年、下関で日清戦争の講和会議が開かれ、台湾の割譲について話し合われましたが、日本側の代表である伊藤博文に対して、清朝側の李鴻章はこう言ったといいます。「台湾は非常に治めにくい所です。3年に1回、小さな乱が、さらに5年に1回、大きな乱がおきる。清朝の管理の行き届かない、"化外の地"です」。それに対し伊藤博文は「台湾は日本が引き受ける」と割譲を受け、そして、その言葉通り台湾はその後の日本統治50年によって、前近代的な農業社会から、現代的な社会へと変貌を遂げることになります。  ただ、現代においても、台湾が移民社会であることは変わっておりません。とはいえ、総統時代の私には、このような移民社会を生きる上で、エスニック・グループの対立は何としても解消しなければならない問題でした。それまでのように、本省人や外省人、または原住民などと、台湾人自らが区別していては台湾人としてのアイデンティティの確立など不可能です。当時の私は、これから台湾は、こうした、祖先の生まれた場所が異なる人々の枠を取り去り、新しい国を作り上げていくよう導いて行かなければならないのだと、背筋の伸びる思いがしたものです。  1994年の春、私が現役の総統だった頃ですから、もう20年以上昔のことです。作家の司馬遼太郎先生が『台湾紀行』の執筆がひと段落ついたということで、台湾を再び訪問されるということがありました。その前の年にお会いした時の「来年の4月にはまた来ますから」という約束どおり、私を訪ねてくれたのです。  その際、対談をしましょうということになり、私が「どんなテーマで司馬先生とお話したらいいだろう」と家内に相談したところ、「"台湾人に生まれた悲哀"」というテーマはどうだろうか」ということになりました。400年以上の歴史を持つ台湾の人々は、台湾人として生まれながら、台湾のために何もできない悲哀がかつてあったのです。  私は台湾に生まれ、台湾で育ち、台湾のために尽くしてきました。そんな私にとって、故郷・台湾への思いは尽きることはありません。同時に、台湾の人々がこれまで長期にわたり、外来政権によって抑圧されてきた悲哀を思うと、憤慨せずにはいられないのです。台湾がいつの日か主体性を確立させ、台湾の人々の尊厳が高まることだけを望んできました。  後に私は政治の世界に入り、最終的には総統を12年務めるという偶然のチャンスを得ることになりましたが、そこで私は、台湾のために全力で働こうと決心したのです。台湾を傀儡政権の統治から解き放って、自由な国へ。そして、"台湾人として生まれた悲哀"を"台湾人として生まれた幸福"へ。これこそ、私が人生を賭けてきた目標なのです。  1945年、台湾を統治していた外来政権たる日本は大東亜戦争に敗れ、台湾を放棄しました。台湾は勝利者である米英などによって占領下に置かれることになり、中国国民党という、別の外来政権による統治が始まったのです。ただ、50年に及ぶ日本の統治によって著しく近代化された台湾にとって、文明水準の低い新政権による統治は、台湾人には当然の如く、政治や社会におけるい大きな負の影響を及ぼしました。二・二八事件の原因は、台湾と中華民国という、2つの異なる文明の衝突だったと言えるでしょう。  数百年来、ずっと外来政権の統治下にありました1996年に、初めて国民が選挙で総統を直接選んだことによって、やっと傀儡政権の呪縛から逃れることができたのです。  日本時代、学生が教室で日本語を話すと運動場で正座させられる罰を受けました。しかし日本の統治が終わり、国民党の時代になっても、それは何ら変わることはありませんでした。こうした状況下で、台湾人の間には、"新しい時代の台湾人と何か"、という問題が沸き起こってきました。  それまでの外来政権、例えば日本時代には、台湾人は日本人と比べ差別待遇を受けていました、しかし中華民国は、"台湾が復帰した"と讃え、"台湾人の同胞"と呼びつつも、やはり"二等国民"として取り扱っていたのです。  その後、二・二八事件の発生を受け、台湾人自身、"台湾人とは何か"という反問を徹底的に繰り返すと同時に、外来政権によらぬ、自分たちによる主体性を確立しなければならないと悟ります。そうでなければ、尊厳ある台湾人としての、独立した存在になることはできないからです。こうして、新しい時代の台湾人としての自覚が覚醒していったのです。  そうした意味では、台湾人による強固なアイデンティティの確立は、外来政権による統治下の産物と言えるのかも知れません。思うに、まさに台湾人が自身の独立した台湾人とする絶対意識を確立する契機となったのは、外来政権による統治なのです。  当時、台湾人は二つの外来政権の境界線上に立っていたとも言えます。そうした状況は、私の自我意識の形成にも非常に大きな影響を与えました。自分は最初は日本人、その後は中国人という二種類の姓、二つの世界、二つの時代という、境界に生きる人間なのだと意識せざるを得なかったからです。  数年前、台湾で出版された「新しい時代の台湾」という本の中で、私は次のように述べました。  既に民主改革を成し遂げ、民主国家となった台湾は、再び民族国家に立ち戻るべきではない。大中華思想というまやかしから脱しなければならない。台湾の国民による共同体意識は、民主的であるべきで決して民族的であってはならない。  そうしたことから私が提唱する、"新しい時代の台湾人"というのは、民主社会において国民意識をもった国民の総称なのだ。"新しい時代の台湾人"とは、決して総人口に占める割合が多い民族グループが主体となって台湾民族を構成するのではありません。一視同仁の考えに基づき、すべての人々が平等な公民である、とみなされるべきです。  この新しい時代に台湾で生活する2300万の人々が精神改革に取り組み、新たな意識を持たばければならないと自覚しなければなりません。そして、主体的な思想変革を実現させなければならないのです。新しい時代の台湾にいる、という自覚を持つことによってはじめて、自分とは何者か、台湾人とは何者かというアイデンティティを確立することが可能となります。自分自身が一人の独立した台湾人だと絶対的に認識することによって、過去の自我が救われます。新たな思想を持つことで過去を否定し、新しい未来を建設するのです。  その結果、台湾の民主化はより一層深まり、さらに新しい、民主的かつ自由な台湾が作り上げられることになるでしょう。「託古改制」から「脱古改新」へ 続いて、中国の「託古改制」についてお話したいと思います。「託古改制」とは、"古に照らして制度を改革する"という、旧態依然とした制度を重んずる考えです。中国の歴史を紐解けば5000年の歴史上脈々と帝国体制が受け継がれてきました。こうした体系こそが中国史の朋党です。この法灯という体系から外れたものが、化外の民であり、夷狄の国々なのです。それゆえ中国人の特徴では、ひとつの中国の概念があって、5000年の歴史、ひとつの中国の歴史で、現在の中華民国も中華人民共和国もともに中国5000年の歴史の延長に過ぎず、ここから見て取れるのは、中国は未だに進歩と退歩を絶え間なく繰り返している政権に過ぎないということです。  となると、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、中国をして"アジア式の発展停滞"と論じていますが、これは決して誤りではありません。孫文が建国した中華民国は、理想を宿した新しい政体ではありましたが残念ながら政局の混乱によりその理想は夢と終わり、基本的には中国式の朋党の延長線上にある政体に成り果ててしまいました。  中華人民共和国は、その源をソビエト共産党に発するものの、中国という土地に建国された以上、中国文化の影響から逃れられずにはいられません。  毛沢東に始まり、以後の鄧小平、江沢民に続くまで、表面上は共産党であるものの、その統治政策をみても、共産党は早々と中国化していったのです。一国二制度という香港もまた中国固有の産物であり、決して鄧小平が発明したものではありません。  ここで指摘しておかなければならないのは、共産革命が中国にもたらしたのは、中国をアジア主義の発展停滞から脱出させるものではなく、中国は抜け出せませんでした。それはまさに、中国伝統の覇権主義の復活であり、誇大妄想を有する皇帝制度の再来だったのです。  中国5000年の歴史は、一定の空間と時間の中でで、ひとつの王朝から次の王朝へ連結する歴史であり、新しい王朝といえども、前の王朝の延長に過ぎません。歴代の皇帝は権力の座の維持、国土の拡大、富の搾取に汲々とする以外、政治改革への努力を払うことは稀でした。これこそが、まさに"アジア的価値"と言えるものです  今年3月、"シンガポール建国の父"と言われたリー・クアンユーが亡くなられた。私と同じ歳ということもあり、何かと比較の対象として引き合いに出されましたが、はっきり申し上げたいのは、リー・クアンユー氏と私の思想は全く異なるということです。  『文明の衝突』を著したハーバード大学のハンティントン教授は、「李登輝が死んでも台湾の民主主義は残るが、リー・クアンユーが死ねばその制度は失われる」と評しました。まさに、リー・クアンユー氏が採ったのは、アジア的価値である"同族支配体制"であり、私が推し進めたのは、自由と民主を尊重する世界的価値だったからです。  中国の歴史上、政治改革と言えるものが何度か起こりましたが、惜しむらくは、どれも成功しなかったことです。歴代皇帝の統治を見てみると、どの王朝も疑いなく「託古改制」のゲームに終始していると言わざるを得ません。「託古改制」とは言うものの、実際は「託古不改制」という方がより事実に則したといるでしょう。  5000年の、閉鎖された皇帝制度に対し、魯迅は次のような見方をしています。「これは閉ざされた空間で亡霊が入れ替わり演じる劇であり、この国がよたよたと歩みを進める、つまらない輪廻の芝居である」。  魯迅の表現は、中国人の民族性を的確に表しています。中国人とは、「騒ぎは率先して起こさず、災いの元凶にならないのみならず、率先して幸福にならずの民族である。これでは、あらゆる物事の改革を進めることはできず、誰も先駆者や開拓者の役割を担おうとしない」。私はこの魯迅の観察はかなり正鵠を射ていると思います。  ここで私は、新しい改革の方向性として、「脱古改新」という新しい思想を提唱したいと思います。 「脱古改新」とは、古を脱し、新しく改める。つまりはアジア的価値からの離脱ということです。中国の朋党による「託古改制」が、もはや近代の民主化の潮流に見合わないことは明らかです。「脱古改新」の目的は、「託古改制」のアジア的価値を捨て去り、一つの中国主義、朋党よる地獄から逃れ、台湾の主体性ある民主国家にすることにあるのです。  台湾にとって「脱古改新」が必要なのは、取りも直さず台湾自身の問題であり、中華人民共和国がら派生 する問題があります。  1988年、私が総統の任に就いた時、台湾という国家の戦略を描いた背景は次のようなものでした。  この当時の国民党政権における独裁的な統治は、まさにアジア的価値観の見本とも言えるような状況にありました。政権内部には保守と革新の対立、閉鎖と開放との対立、国家的な民主改革と独裁体制の衝突、台湾と中華人民共和国の間における政治遅滞の矛盾など、深刻な問題が山積していました。  特に、民主化を求める国民の声は日増しに大きくなっていたのです。全体的に見ると、これら問題を抱える範囲は非常に大きく、その根本的な問題は台湾の現状に即していない中華民国憲法にあったと言えます。そのため、私はこれらの問題の解決のためには、憲法改正から始めるしか無いと考えたのです。  当時、私は国民党主席を兼務しており、国民大会では国民党が絶対多数の議席を有していました。言い換えれば、当時の国民党は絶対的に優勢な政治改革マシーンでありました。  ただ問題は、党内部の保守勢力でした。保守勢力は時代遅れの憲法への執着を隠さず、その地位を放棄することにも大反対でした。民主改革を求める民衆の声には耳を貸さず、ただ政権維持だけに固執したのです。さらに、国民党を牛耳る有力者たちは"反攻大陸"、つまり、いつの日か中国大陸を取り戻すという、時代遅れの野望を捨てきれずにおりました。  そこで私は一計を案じ、国家統一綱領を制定して、中国の民主化、自由化、所得配分の公平化が実現された際には、統一の話し合いを始めるという厳格な規定を設けました。私は、中国が自由化・民主化されるような日は半永久的に来ないと思っていましたし、仮にそうなった場合にはその時にお互い再び話しあえばよいと考えたのでした。ただ、国家統一綱領をを作ったおかげで、それまで私に猜疑心のあった有力者たちも、安心して総統の私を支持してくれるようになったのです。  こうした一連の民主化の過程において、私は幾多の困難にぶつかったとはいえ、終始国民からの支持を受けながら、経済成長の維持、社会の安定を背景に、ついに一滴も血を流すことになく、6度にわたる憲法改正によって、"静かなる革命"を成就させました。  憲法改正の主な目標には、「動員戡乱時期」を終わらせ、「動員戡乱時期臨時条款」を廃止すること、地方議員全てを台湾の有権者による選挙により選出すること、有権者の直接投票による総統選挙などが含まれ、これらを相前後して実現させていきました。  そして民主主義という大きなドアを開けたのみならず、中華民国は台湾にあり、というステージへ押し上げたのです。長らく推し進めてきた台湾の主体性を有した政権はこの頃に完成されたと言ってよいでしょう。  1999年、ドイツの放送局によるインタビューで、私はより明確に、台湾と中国は「特殊な国と国との関係」と言い切りました。この"特殊な"という言葉は、国際的には非常に多様な特殊な立場に置かれていると。台湾と中国との境界をこれによって鮮明にしたのです。半世紀以上もの間、台湾問題とは、すべからく中国との関係においてでした。中国との関係をきちんと整理することで台湾に長期の安定がもたらわせれるようにしたのです。  さらに、台湾が主体性を有する国家となるためには、文化建設もまた重要でした。そのために、私は政治活動を進める一方で、教育改革、司法改革、そして精神改革を唱えることも忘れませんでした。中国的文化の色彩を弱め、様々な分野で主体性を有した台湾の文化を確立させたのです。台湾の国家的基礎を固めるため、この改革を私は当時「新中原文化の確立」と呼んだのです。  台湾の民主改革の成功、新しい文化の確立、対中関係の成立は、「託古改制」から「脱古改新」へのプロセスによって実現されました。そしてアジア的価値を否定するという目標を達成し、「新しい時代の台湾人」という新概念を確立させたことは、あらゆる価値の転換だったのです。  本日は、「台湾の主体性を確立する道」として皆さんにお話しました。ご清聴いただき、ありがとうございました。 ・「安倍総理の日本に対する貢献を高く評価」〜李登輝・元台湾総統が会見(質疑応答編)はこちら

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    李登輝氏、安倍総理の日本に対する貢献を高く評価する

    李登輝・元台湾総統会見(質疑応答編) 23日、日本外国特派員協会で台湾の李登輝・元総統が会見を開いた。冒頭、「台湾の主体性を確立する道」として、台湾や中国の歴史を俯瞰、新しい時代の台湾人とは何か、「託古改制」から「脱古改新」へと、自らの思想を語った。質疑応答では、世界情勢が変化する中、アジアにおける日本の役割に期待するとし、安全保障法案は必要だとの認識を示した。安倍首相についても"日本への貢献を高く評価"すると述べた。  本記事では、1時間余りにわたって行われた質疑応答のうち、日本に関連する質問についての部分をお送りする。 質疑応答 ──台湾が多様な民族で構成されているというお話でしたが、日本に目を向けますと、人口減少の問題を抱えている中で、なかなか移民を受け入れません。どう思われますでしょうか。  おそらく日本における現在の人口の減少は移民を入れたことによって解決されるとは思いません。  今の経済問題や、いろんな政治の問題は、別の方向で改めて行くべきだと思います。アベノミクスで大きな問題になっているのは、結局、いわゆる経済成長がなかなか伸びないということです。それをどうして伸ばしていくか。私は一にイノベーションにかかっていると思います。今の政策では、おそらく解決はできません。イノベーションを実行することによって、日本の経済は伸びます。経済が伸びれば、おそらく失業率も低下し、生活も良くなり、若い人もできるだけ結婚して子どもを産みたいという気持ちが出てきます。経済成長率が日本にとって今、大切なことだと私は思っております。  ──今年は第二次大戦が終わって70年という特別な年です。元台湾総統として、この70周年をはどのように扱われるべきだと思いますか。たとえば安倍首相が中国、韓国、台湾の元慰安婦に対して、何か謝罪の言葉を出すべきだと思いますか。また日米安保について、対中国の観点からどう思いますか。  慰安婦の問題については、私としては実情はよく知っておりますけれども、これは当然日本として韓国、中国に対してよく説明していくべき問題で、私としてはこの問題に対しては何も言いたくありません。私の考えです。  そして、今の安倍首相のいわゆる安保法案については、私は非常に日本に対する貢献を肯定します。  そして、日本に希望することは、日本と台湾の間における関係、交流を強化し、そしてもう少しお互いに協力しあうという密接な関係を持つべきだと思っております。この点では、私は安倍首相のアベノミクス、あるいは日本に対する貢献を高く評価しております。安保法案も私としては、これはアジアの平和、世界の平和に貢献するものだと信じております。  ──台湾の人たちにとって、日本の統治は幸せだったと思いますか。また、安保法案が議論されているこの時期に先生が日本に来たその意味と目的はなんでしょうか。安倍政権に招待されたのでしょうか。  まず第一に、台湾人がなぜ東日本大震災で、あれだけの貢献をやりましたかということ。これは、基本的に台湾における日本の植民地政策が、台湾をして非近代的な社会から近代的な社会に持ち上げたということ。台湾の人民は、長い間における日本の政策が影響したと考えています。そして、それが真実であることは間違いありません。  今回の日本訪問、国会におけるお話しは、安倍首相に招聘されたからではありません。全然関係ありません(笑)。台湾が、日本が良くなっていく、そしてアジア全体の平和のために努力していく、その足跡ははっきりています。二十数年来の不景気を回復し、そして国を正常なかたちに持っていく、安倍総理の日本に対する貢献を非常に肯定しております。  この点においては、間違いないように。私は安倍政権に招待されたのではありません。安倍総理とは関係ありません(笑)。  ──中国の領土拡張意欲これはとどまることを知らない状況です。日本およびアジア諸国はどうすればよいでしょうか。核兵器を持つとか、ものすごく軍事予算を増やすとか、こういうことをやれば悪循環だと思いますが、これはどういうふうな解決策があるでしょうか。  現在、残念ながらアメリカの力が非常に落ちてきている。その時に、どうしても日本がアメリカを援助する形で集団的自衛権を行使する、そしてアジアのために和平的な国としての形を取ることは当たり前のことと私は思います。  まず、自分の国は自分で自分で守る、アメリカに頼るという一方的なところから、世界は変わってきた。日本の今までの指導者の中には、日本が持っている任務を忘れてきたような気がします。はっきりと、日本としてどういう態度を取るべきか、アジアの平和のために、世界の平和のために独立した国としてのあり方を持つべきだと、深く信じております。  その点で、安倍総理の貢献を高く評価しております。結局、日本がこういうかたちでやっていくには、アジアの平和というものが基礎になります。でないかぎりにおいては、例えば尖閣諸島の問題、南シナ海における問題、それから東シナ海における石油の問題。結局、領土を侵略され、これをなんとかできないということは残念なことではないでしょうか。  自分の国は自分で守っていく。これが非常に大切なことです。根底において、長い間、日本の指導者においては、こういう考え方が欠如していたと思います。それが安倍総理によってはじめて、はっきりと、世界の状態が変化する中で、国としてどうやっていくかと示されたことに対しては、私は高く評価しております。  ──尖閣諸島について、あれは日本のものでしょうか、それとも台湾のものでしょうか。  この尖閣諸島については、私は何回か発表しました、はっきりと、尖閣諸島は日本のものであると。台湾のものではありません。  ──(会場で配布された栞に刻まれた「我是不是我的我」の言葉について)解釈を教えていただけないでしょうか。  「私は私でない私」。つまり、自我の否定。個人的な我の否定。他己です。私はクリスチャンです。クリスチャンに必要なのは、私の心のなかにあるイエス・キリストに従って物事を処理していくと。だけど、政治の面で言えば、個人的な考え方、自分の個人的な利益を中心にしないで、人民のため、国のために奉仕すると。それが私の考え方です。心の中に台湾の国民を入れます。  実を言いますと、若い時から座禅も組みました。一番大切なのは、いわゆる夏目漱石のいう「私の個人主義」。私をまず固めなくてはならない。国の指導者は、能力とそれから素質によって変えていかなければならないんです。私の安倍総理に対する高い評価は、国のために奮闘しているから。台湾でも、党のためだけに奮闘する代議士がいます。日本では、戦後の教育改革、日教組による教育の仕方、それが日本に非常な過ちをもたらしております。  こういう面を理解しつつ、台湾でも、主導性をを持った文化のある国に、精神的なものを持った国民として努力していきたいと考えております。それが「私は私でない私」。  私に残された時間はおそらく5年位じゃないですか(笑)。この5年間は台湾のために奮闘します。これが私の考え方です。  ──韓国の朴大統領や、韓国の方々の意見を聞いていると、日本統治時代は本当にひどいものだったという方が多いわけですが、実際に台湾で日本統治を体験された生き証人でもありますので、ぜひ先生から、本当に酷いものだったのか、いいところもいっぱいあったのか、本当のところお伺いしたいと思います  韓国と台湾はともに日本の植民地でありましたけれども、韓国は明治43年に国として日本と合併しました、台湾は、李鴻章が言ったように「"化外の地"として日本に上げますからどうですか」という状態でした。台湾はそんなかわいそうな状態でしたので、私は日本の統治の仕方については、高く評価しております。  台湾を非近代的な農業社会から近代社会に持ち込むときに、一番大きな問題は司法と行政が分割しない中国社会でした。これを日本ははっきり司法は司法、行政は行政と分けました。  私がよく言います後藤新平、私の先生ですよ。本当に台湾のために奮闘しました。こういう人たちがいるからこそ、台湾人は永久に日本を忘れません。そして15万町歩を灌漑した八田與一先生。こういう人たちに対して、台湾では依然として神様みたいにして大事にしておりますよ。おそらく日本の皆さんに知られていない、祀られている日本人もおりますよ。  むしろ国として韓国は日本と合併しましたから、韓国に対する待遇は台湾より良いんですよ。台湾人は日本からの差別を受けていましたが、社会全体が伸びてきていると、差別はあっても、そういうようなところでは台湾人は日本のやり方に対して高い評価を与えております。その証拠に、東日本大震災に台湾人が寄付しするような感情、態度を見ればはっきりするわけです。  ──台湾では、抗日戦争70周年ということで反日イベントも企画されていますが、日本の台湾の関係はどうなるでしょうか。反日色を強めていってしまうでしょうか。  この問題は、馬英九総統の考え方に強く影響されている。馬総統は結局台湾人ではない。それが総統になっている。高雄でのガス爆発事故の問題など、人民が苦しんでいるのに無関心であると。人民の生活がわからないんじゃ政治としてやっていけないんですよ。  これは正直に言いますとね、東日本大震災において、一体あのときの総理は人民が苦しんでいることを承知していたかどうかという問題にもなります。指導者として一番大切なことは安易か、自分を忘れて国のために奮闘、そして人民のために奮闘すること。これが長い間日本でも忘れられております。なんとかして日本を昔のような国に取り戻せるよう、戦後におけるこの状態から脱することが非常に大切であります。  ──靖国神社を訪問されますか?  訪問しません。  ・「台湾の主体性を確立する道」〜李登輝・元台湾総統が会見(講演編)はこちら

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    折も折、李登輝氏の来日をどう受け止めるか

     昨夜は、台湾の李登輝・元総統を歓迎する会があり、永田町のキャピトル東急ホテルに行ってきた。主催は、日本李登輝友の会である。李登輝氏は日本の国会議員有志に招聘されて、国会議員会館で演説し、日本外国特派員協会で記者会見、そして東日本大震災の見舞いに現地を訪れるため来日した。 私は、まだ現役の週刊新潮デスク時代にジャーナリストの櫻井よしこさんと共に、李登輝氏が総統時代にも、また総統を下りたあとの陳水扁時代にもお会いしたことがある。1999年と2005年である。 1度目は総統公邸で、2度目は私邸で、ともに会食を挟んで数時間にわたる取材だった。いずれも奥様の曾文惠さんもご一緒で、奥様を大事にされている李登輝氏の優しさと人柄を感じた面会でもあった。そんなこともあって、この日の歓迎会では、私はご本人を前にしてスピーチもさせてもらうという栄誉に浴した。 久しぶりにお会いする李登輝氏は、さすがに92歳というお歳を感じさせた。李氏は、1923(大正12)年生まれである。私は台湾関係だけでなく、戦争ノンフィクションを数多く書いているが、その大正生まれの方々が、ここ数年、幽冥境を異にすることが多い。 戦争ノンフィクションの中でも書かせてもらっている通り、私は大正生まれの方は“他者のために”生きた世代だと思っている。たとえば、日本では、大正生まれの男子は1348万人いるが、その内およそ200万人が戦死している。実に7人に1人である。 戦争で多大な犠牲を払い、戦後はビジネス戦士となって復興と高度成長の担い手となったこの世代は、本当に“他者のために生きた世代”だと思う。日本の統治下にあった台湾でも、多くの若者が戦死している。 李登輝氏の2つ年上のお兄さんも、フィリピン・ルソン島のマニラ攻防戦で海軍の陸戦隊の一員として戦死している。李登輝氏自身も、名古屋の高射砲部隊の陸軍少尉として敗戦を迎えている。 李登輝氏はこの日、昼間に国会議員会館で講演をし、そして夜はこの歓迎会に出席されるという、若者でもハードなスケジュールをこなしていた。「台湾パラダイムの変遷」について講演する台湾の李登輝元総統%u3002大勢の議員が詰めかけた=7月22日午後、衆院第1議員会館(酒巻俊介撮影) 堂々たる体躯の李登輝氏がキャピトル東急の1階「鳳凰の間」に疲れも感じさせずに、SPや秘書を従えて現われたのは午後7時のことだ。たちまち会場は李登輝氏を取り囲んで“握手攻め”となったが、李氏は笑顔で応えていた。一国を率いてきたリーダーだけに、見る人に疲れなどを微塵も感じさせない様子はさすがだった。 私が直接、李登輝氏の姿を見たのは、3年半ぶりのことだ。2012年1月13日、それは李登輝氏自身が憲法を改正してまでスタートさせた直接選挙による第5回目の「台湾総統選」の最終日だった。 翌日の投開票を控え、民進党の蔡英文女史の応援演説に李登輝氏が現われたのである。新北市の中心部・板橋にあった総合競技場。ここに10万人近い支持者を集めて、蔡英文陣営は、最後の訴えをしていた。 夜の帳(とばり)が下りる中、「ドンスワン! ドンスワン!」と民進党支持者たちは、必死に叫んでいた。ドンスワンとは、台湾語で「当選」という意味だ。その時、紹介のアナウンスと共にステージに最後に登場したのが李登輝氏だったのである。 総合競技場のオーロラビジョンに映し出された89歳の李登輝氏に民衆はどよめいた。つい3か月ほど前に、李氏がガンの手術をしたということを皆が知っていたからである。 長身の李氏は、そこで蔡英文女史の肩を抱き、「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」と訴えた。一瞬にして、競技場は独特の雰囲気に包まれた。私の目は、まわりの台湾人たちの様子に吸い寄せられた。 彼らは涙ぐんでいた。手で目をこする若者がいた。ハンカチで目頭を押さえる女性もいた。物も言わず、ただステージを、そしてオーロラビジョンを凝視する人もいた。 それをもし「求心力」と表現するのなら、凄まじい「求心力」というしかないだろう。あるいは、それは、政治家としての「オーラ」と表現すべきかもしれない。その時、私が思ったのは、大衆にこれほどのインパクトを与える政治家は果たして日本にいるだろうか、ということだった。 台湾の行く末を国民党に託してはいけない――国民党の元主席でもある李登輝氏自身のその姿勢は、どれだけ台湾の本省人に影響を与えただろうか。残念ながら、陳水扁時代の“負の遺産”を清算しきれなかった民進党は、選挙に敗れた。 しかし、その蔡英文女史が、ふたたび国民党に挑む台湾総統選が半年後に迫っている(総統選の投開票は、2016年1月16日)。李登輝氏が、あの新北市の総合競技場で訴えた「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」という言葉の意味が、あらためて問われる選挙を迎えるのである。 私は、自分がいるパーティー会場にその李登輝氏が目の前にいることが少し、不思議な感じがした。朝の新聞(産経新聞)に台北から日本に向かう時に記者たちに「日本の国会の中(議員会館)で演説することに対して、中国が反発する可能性はありますか」と聞かれ、「私は客人であって、私を招いたのは日本の国会議員です。中国が反対するなら、それは皆に笑われるだけのことだ」と言ってのけたことが報道されていたのを思い出した。 日本の政治家が、与党も野党も、そしてマスメディアも、中国のご機嫌ばかり窺ってきた中で、李登輝氏は長くアジアで異色の政治家だったと言えるだろう。1988年に総統就任以来、本省人出身の初の総統として李登輝氏は孤軍奮闘してきた。 郝柏村や李煥といった国民党内の外省人の大立者をひとりひとり排除し、次第に本省人として「民主国家」を実現していく“静かなる革命”は、前例のないものだった。台湾と言えば蔣介石の白色テロ時代のイメージを持つ私たちジャーナリズムの人間には、それは大きな驚きだった。 そして、李登輝氏は92歳となっても、いまだに大変な“発信力”を持っているのである。パーティーに来る前におこなわれた国会議員たち約300人を前にした議員会館での「台湾パラダイムの変遷」と題した日本語による講演内容も、すでにパーティー会場に伝わっていた。 李氏は「戦後台湾を統治した中国・国民党政権は“外来政権”である」と指摘し、さらに「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ないと思っていた」と明言したというのである。 講演を聴いた足でそのままパーティー会場に来た人も少なくなかった。私が注目したのは、講演で李氏が「“ひとつの中国”という原則について、われわれは決して同意できない」と語ったことだった。 李氏は、「あくまで台湾は、中国の一部ではない」ということを日本の国会のひとつの施設の中で明言したのである。講演後の質疑でも、「私は、(日本の)安全保障関連法案を高く評価する。日本が主体的に安全保障に対して意識を持つことが、アジア全体の平和につながっていく」とも、述べたという。 それは、長く中国の脅威と対峙してきた政治家ならではの感想だった。パーティーのスピーチでは、李登輝氏は、「我是不是我的我」という言葉の意味を語った。この言葉は、直訳すれば、「私は、私でない私である」ということである。 難解で、かつ、さまざまに解釈できる言葉だが、素直に受け取れば、自分は個人である自分ではなく、さまざまなものに尽くすために存在する、という意味だろう。 これは、李登輝氏が傾倒する日本の武士道が説く「無私の精神」と関連がある。李登輝氏はある雑誌で、後年にキリスト教に入信することで、「私とは何か」という問題に「一つの答えを見出せた」と語ったことがある。 それは、自分の命は、いつなくなっても構わない、台湾のために死力を尽くして働き、いかなる栄誉も求めない、これまでも、そして、これからもそうしていく――それが、「我是不是我的我」という言葉だと李登輝氏は言うのである。 人間が持つ「使命感」や「責任感」への思いが、いかに李登輝氏の内面に強いか、ということを感じさせる言葉だ。パーティーのスピーチでも、李氏はその言葉を語った。私は、3年半前の新北市の競技場に現われた李登輝氏の姿を思い出しながら、そのスピーチを聴いた。 私は、パーティーの最後に、これらを踏まえて、「他者のために生きた」大正生まれの男たち、そして李登輝氏について、個人的な考えをスピーチさせてもらった。そして、南シナ海をはじめ、さまざまな場所で現実の脅威となっている中国という存在についても、話をさせてもらった。 歴史的経緯も含めて、「尖閣は日本の固有の領土だ」と言いつづけた92歳の李登輝氏が、折も折、来日したことをどう受け止めるか。 そして、台湾で昨年起こった「太陽花学運(ヒマワリ学生運動)」によって、馬英九政権の中国への傾斜をストップさせた台湾の人々をどう思うか。彼らは、日本人以上に、大きな関心を持って、日本の安保法制論議を見守っている。 私は、さまざまな意味で、参議院では、現実に立脚した有意義な安保法制論議を国民の一人として期待したく思う。

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    李登輝氏の口から出た「台湾人に生まれた悲哀」

     台湾にもし、日本の「流行語大賞」のような賞があるなら、今年の一位は「生為台湾人的悲哀」に決まりだろう。いや、ひょっとしたら、この言葉は今後、何年かにわたって台湾海峡両岸の政治的命運を占うキーワードとなるかもしれない重大性も帯びている。* * *  「台湾人に生まれた悲哀」といっても、日本人にはいまひとつピンとこないだろうが、年配の台湾人にいわせると、これを聞いただけで、胸にググッと迫りくるものが去来し、堪(こら)え切れなくなる、という。 それは戦前、日本人として生まれながら、本土出身の日本人とは差別され、たとえ成績が一番でも級長は日本人に奪われた悔しさであったり、就職しても給与は日本人の六割にすぎなかった屈辱であったり、あるいは同級生の日本人マドンナへ淡い恋心を抱いたとしても、台湾人であるがゆえにかなわぬ夢とあきらめざるを得なかった少年時代の甘酸っぱい無念な思い出であったりする。 そして、祖国に復帰したという歓喜もつかの間、二・二八事件(一九四七年に起きた暴動事件)を契機に祖国から来た同胞に戒厳令の下で支配された戦後の長い日々。今度は自分より無学な者にこき使われねばならなかった無念さがインテリたちの悲哀となる。「生為台湾人的悲哀」という一言の中に、こうした歴史や人生の一こま一こまが走馬灯のように浮かぶらしいのだ。 だが、今回、この言葉が特別に意味を持ったのは、何よりも李登輝総統本人の口から出たことに尽きる。戦前、京都帝大に学び、戦後は台湾大学で教鞭(きょうべん)をとり、良家の令嬢と結婚し、米国コーネル大学から農業経済学博士号を授与され、台北市長、台湾省主席、副総統、総統と権力の階段を上りつめたスーパーエリートが、庶民と同様に「台湾人に生まれた悲哀」を感じていたのか、という驚きがいま全台湾を覆っている。 ことの経緯はこうだ。この春、作家の司馬遼太郎氏が台北で李登輝総統と対談した。司馬氏は「場所の苦しみ」をテーマに考えていた。李総統は曽文恵夫人と相談した末に「台湾人に生まれた悲哀」を語りたい、と司馬氏に言った。孫娘らと司馬遼太郎氏の墓前に参り、頭を下げる台湾の李登輝前総統=2005年1月、京都市東山区の大谷本廟 その一問一答は日本の週刊誌(週刊朝日五月六・十三日合併号)に載り、それが台湾の「自立晩報」「民衆日報」に転載されて、一躍「生為台湾人的悲哀」が台湾での流行(はやり)言葉になったのである。 この中で李登輝総統は「かつてわれわれ七十代の人間は夜もろくろく寝たことがなかった。子孫をそういう目には遭わせたくない」と戦後の戒厳令下の政治状況を語り、戦後教育についても「台湾のことを教えずに大陸のことばかり教えるなんて、ばかげた教育でした」「私はいま率先して台湾語で話すんです」などと台湾人の琴線に触れる発言を繰り返した。              * * *  この文化論的な対談は政治的な副産物を生んだ。二千百万の人口のうち一千八百万を占める台湾人のなかで、初の台湾人総統である李登輝総統に対する支持率はもともと高かった。しかし、野党・民進党の支持者からは「大陸系の外省人政治家に身を寄せて権力を獲得した人」という批判が付きまとっていたのも事実だった。 それが「生為台湾人的悲哀」発言で、一気にこの層にも李登輝氏の支持者が増えた。こんな李登輝さんなら、一九九六年に初めて有権者の直接投票で実施される見通しとなった次回総統選挙にぜひ再選出馬してほしい-こうした声が超党派的に日々充満し、最近の調査では六四%に達した。 「台湾人に生まれた悲哀」の名文句を生み出した司馬氏との対談の中で、李総統は「(台湾は)台湾人のものでなければいけない」とも言い切っている。こうした発言に、大陸系の外省人の中には台湾を大陸から分離させる企てだ、との批判が出ている。有力紙「聯合報」に非難の投書が載ったり、台湾海峡を越えた香港でも週刊誌「亜洲週刊」が“台湾人悲哀発言”は台湾独立の前兆ではないか、と警戒する論調の特集を組んだりした。それによると、北京の高層人士も深い関心を寄せているという。              * * *  が、台湾ではこうした声も圧倒的な歓迎の空気にかき消されている感じだ。 「大陸との統一ばかりを言っている総統だと思っていたが、台湾人として生まれた苦しみを知り、台湾人の台湾にしたい、というのが真意なら、私はもう何も言うことがない」 これは対談を読み、「台湾人に生まれた悲哀」の表現にくぎ付けになって、中国語への翻訳を一晩で成し遂げたある老台湾人の独白だ。「あんなエリートですが、あの人も昔、農業復興委員会に務めていたときは、ノーネクタイで、ぼろ自転車にまたがって走り回っていたんです。忘れていなかったんですねえ」 問題は悲哀を知らぬ、豊かな若い人たちがどう反応するかであろう。(台北支局長・吉田信行)※肩書など掲載時のまま

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    【特別寄稿】李登輝より日本人へ「日台の絆は永遠に」

    李登輝(台湾元総統)新渡戸稲造との出会い 台北高校の一クラスの定員は40人。そのうち台湾人の生徒は3人か4人だったと記憶している。在学中、とくに差別を感じたことはない。むしろ先生からはかわいがられたほうだと思うし、級友たちも表立って私におかしなことをいう者はいなかった。自由な校風の下、私は級友たちとの議論を楽しみ、大いに読書に励んだ。 本を読むには時間がかかる。そこで私はノートにどんな分野の本を読んだか、いつまでに読むかを逐一メモしていた。哲学、歴史、倫理学、生物学、科学。ほんとうに、ありとあらゆる分野の本を読んだ。高校を卒業するまでに、岩波文庫だけで700~800冊はもっていた。私の人生観に影響を与えた本は多いが、1冊を選ぶとするならば、19世紀の英国の思想家、トーマス・カーライルの『衣裳(衣服)哲学』を挙げる。しかし、カーライルの英文は格調が高すぎて、読み進めるのがなかなか難しかった。そんなとき、台北の図書館で新渡戸稲造の『衣裳哲学』についての講義録に出合った。これに大いに助けられ、またその内容に感銘を受けた私は、『武士道』を座右の書とするようになる。京都帝国大学で私が農業経済学を学んだのも、農業経済学者であった新渡戸の影響を受けたことが理由の一つである。 新渡戸は『武士道』のなかで、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」を武士の徳目として挙げている。しかし『武士道』でなにより重要な点は、それらの実践躬行を強調していることであろう。一回しかない人生をいかに意義あるものとして肯定するか。そのために「私」のためではなく、「公」のために働くことの大切さや尊さについて『衣裳哲学』や『武士道』から学び、若き日の私は救われたのである。 「決戦下の学徒として」 学問好きが高じて私は最終的には歴史の先生になるつもりでいたが、戦争の余波は台湾にも及んでおり、私は台北高校を半年間繰り上げて卒業することになった。卒業まであと少しというとき、私は『台湾日日新報』の取材を受けることになった。同紙は日本統治時代の台湾で最大の発行部数を誇っていた新聞で、1943年(昭和18年)6月28日発行の同紙に私のインタビュー記事が掲載された(現在、台湾の大学の図書館などで、記事が検索、閲覧可能である)。 “決戦下学徒の決意”といふ問に答へ、臺北高校3年文科の本島人学生岩里君は左の如く語つた。 決戦下の学徒として僕達の切實の感情は何と言つても大東亞戦に勝ち抜くと云ふことだ。学問をするといふことが要するに國家目的の為であつて、これまでのやうな学問の為の学問といふ考へ方は絶対にあり得ないと思ふ。 学園内のこれまでの弊衣破帽の風も現在としては一時代の遺物とも言ふべきもので、吾々には新しい立場が必要だと言ふことは痛感してゐる。唯高校生は内省的な傾向が強いので外部に余りはつきり自己の立場を示すことがないが、外部に於てはさうした氣持は相当強いと思ふ。 今や臺湾にも陸海軍の特別志願兵制度が施行され、私も大学の法科を出たら志願をしたいと父母にも語つてゐるのであるが、軍隊の制度は吾々が自己の人間を造る所であり、色々と苦しみを忍んで自己を練磨し明鏡止水の窮地に至るに是非必要な所だと信じてゐる。近くに内地に行くこととなつてゐるが内地に行つたら日本文化と結びつきの深い禅の研究をしたいと思ふ。 過渡期の知識層といはれる面に一番欠けてゐるものは力であり、指導力であつて現在でも國民をひきづつてゐるのは哲学でも理念でもなく、國民の氣力であり学問はその國民の氣力に立遅れた感があるが國民の力の原動力となる学問が必要だ。 現在の哲学が軍人に讀まれてゐぬといふ所に現代の学問の危機があるのではないだらうか。本島では大東亞戦の認識がまだ最末端まで徹底してゐない所がある。さう言ふ人達に對する啓蒙は私としては本島人に對する義務教育が一番有効に働くものではないかと思ひ義務教育の施行された事は尊い有難いことだと思つてゐる。結局教育と徴兵制が本島人が日本人として生まれ変わつて行く大きな要件ではないかと思ふ。 1行目に岩里君とあるが、これは私の日本名である。当時は岩里政男と名乗っていた。また、「決戦下の学徒として僕達の切實の感情は何と言つても大東亞戦(大東亜戦争)に勝ち抜くと云ふことだ」とあるが、実際に私は京都帝国大学に入学後、学業をわずか1年2カ月ほどで切り上げ、陸軍に入隊した。召集ではなく、自分の意志で志願したうえでのことである。 私がクリスチャンになったのは戦後のことであり、当時は日本の教育の影響で徹底した唯心論者であったが、「死」がどういうものか、わかっていたつもりである。「武士道とは死ぬことと見つけたり」。『葉隠』の精神そのままに、国のために戦って死んでも惜しくはないと考えていた。日本統治時代の教育を受け、志願兵となった当時の台湾人青年にとって、それはごく普通の感覚であった。 大阪師団配属後、私はすぐに台湾・高雄の高射砲部隊に派遣された。一歩兵として最前線をさまよい、少年期から私を悩ませてきた生と死の問題に決着をつけるつもりだったが、学徒兵であった私の希望は受け入れられなかった。高射砲部隊というのは爆撃がなければ暇なもので、日本では禁書だったレマルクの『西部戦線異状なし』などを読んでいた。「帝國海兵としてお役に立つ」「帝國海兵としてお役に立つ」 先の記事にも触れられているが、1943年に台湾で海軍の特別志願兵制度が発表された際、入隊希望者が殺到した。私の兄は晴れて第1回目の志願兵となる。次に紹介するのは、『台湾日日新聞』(昭和18年9月22日付)に掲載された兄(日本名:岩里武則)のインタビュー記事である。 岩里武則君(22)臺北市下奎府町4丁目=武則君は大正10年臺北州三芝庄新少基隆に出生、淡水で高等小学校卒業後家業を手伝つてゐたが昭和17年8月台北州巡査を拝命、北署管内太平町3丁目の派出所に勤務する明朗溌剌な青年巡査であるが、海兵第一番乗りの喜びを下奎府町の自宅に訪へば武則君は妻女奈津惠さん(22)、愛兒美智子ちやん(4つ)、憲昌ちやん(2つ)の前で感激の面持で次の如く語つた。 私が海軍特別志願兵を受験した時から必ず合格すると信じてをりました。しかしそれが本當に實現してこんなに嬉しいことはありません。勿論銃後にあつて治安保護の戦士としてお國に盡すこともご奉公ですが、出來る事なら第一線でお國のために華華しく活躍したいと思つてをりましたがそれが本當になりました。しかも無敵帝國海軍の一員として名譽ある軍艦旗の下で米英撃滅に働くことが出來るのです。自分としてこんな感激に浸つた日は今日までありません。これからは立派な帝國海兵としてお役に立つ日の一日も早く來ることを願ふばかりです。李登輝元総統(右)と兄・李登欽氏。1943年撮影(写真提供:日本李登輝友の会) 1944年、高雄から程近い左営の海軍基地に初年兵として配属された兄は、日曜の休みに私を訪ねてきてくれた。そして2人で一緒に記念写真を撮ったのが、生前に会った最後となった。 そのとき、兄が私に言い残した言葉は「南方のある港に駐在になる。おまえも近く日本に行くだろう。会うのは今日が最後だな」ということだけだった。南方というのはフィリピン・マニラのことである。しかし軍機に触れるという理由で、兄は私に具体的な行き先を告げなかった。 当時、兄は最優秀の巡査として、台湾でいちばん大きな派出所に勤めていた。そんな立場をなげうっての出征である。しかも、若い妻と幼い子供を残して行くのである。いったい、どんな気持ちだったのか。兄の戦死から70年経ったいまでも、私の心の整理はついていない。だが、「立派な帝國海兵としてお役に立つ」と語った兄の気持ちに偽りはなかったと思う。兄も私もほんとうに若かった。国のために立派に戦って死ぬという理想に燃えていた。いま言えるのは、それだけである。東京大空襲で奮闘 高雄で兄と別れたあと、私は輸送船に乗って台湾・基隆を出発した。潜水艦の雷撃を避けるため、輸送船は中国大陸、そして朝鮮半島沖の浅瀬を進みながら、日本をめざした。門司港(福岡県)に着いたのは、基隆を発ってからじつに21日後のことだった。 1945年2月、私は千葉県稲毛にあった陸軍高射学校に入り、いわゆる予備士官教育を受けた。早速、3月10日には大きな戦いが待っていた。東京大空襲である。帝都に侵入するB-29の大編隊に対して、われわれの部隊は高射砲を撃ちまくった。台湾の防空戦で実戦慣れしていた台湾出身者は、日本人幹部候補生が慌てるなか、大いに奮闘した。焼夷弾の破片が私の鼻をかすめたが、軽傷で済んだのは幸いであった。この戦闘では高射学校直属の小隊長が戦死。私はたちまち飛び出して、代わりに指揮を執った。 翌日、軍命で東京東部に出動し、被爆地の整理、被災者の救済に当たった。現場をみて指揮する大切さを知り、このときの経験が1999年の台湾大地震で役に立った。 その後、私は名古屋の部隊に配属になったが、この地域も米軍による空襲が激しかった。米軍が最後に名古屋を爆撃に来た日の戦闘では、付近の工場を片っ端から爆撃していったが、いま思い出してもほんとうに悲惨な光景だった。すでに米軍の爆撃で名古屋城一帯は焦土と化しており、われわれはお城の裏にテントを張って野営をしていた。 8月15日の玉音放送はたしかに聞いたが、音が小さすぎて内容がよくわからなかった。あとで日本が降伏、戦争が終わったと聞き、正直、ほっとしたのを覚えている。これから日本がどうなるのか、そのときはまったく見当もつかなかった。2、3日後、京都に帰りたいと申し出てみたら、あっさり許可が下りた。京都帝国大学に戻ってみたら、数日後に通知が出て、退職金を取りに来いという。日本で1年は暮らせるぐらいの額の金はあったと思う。しかし、すでに故郷の祖父からは「早く帰れ」と矢のような催促が来ていた。私も故郷のことが心配でたまらなかった,。 京都周辺では台湾人による帰国準備があまり進んでいなかったが、同じころ東京では、台湾の友人たちが集まって浦賀から帰国する計画を進めていた。そこで私は東京に向かい、新橋駅近くにあった台湾出身の陳さんの家に住ませてもらい、出発の船を待つことにした。辺り一面焼け野原のなか、陳さんの家だけがポツンと建っている状態だった。 1946年4月、故郷の三芝庄に無事帰ることができた私は、祖父母や両親と再会したが、兄の行方についてはまったくわからずにいた。しかも、使用人として雇っていた親戚の女の子が不思議なことをいう。軍刀を持った血まみれの兄が蚊帳の外に立ち、兄嫁が大事に育てた子供たちを見ていたというのだ。その使用人の女の子は実家に帰ってしまったが、程なくして亡くなったと聞いた。 私は、兄が家に来たのは戦死した日ではないかと思った。どうしても兄にもう一度会いたかった私は、毎晩、寝ずに兄の霊が現れるのを待っていた。72kgあった体重はみるみるうちに60kgまで痩せてしまった。しかし、いくら待っても兄の霊は現れない。心労からか、半年も経たないうちに母は癌で亡くなり、祖父までもが肝臓を悪くして死んでしまった。父は95歳の天寿を全うしたが、遺骨が還らないことから、兄が死んだことを最期まで信じなかった。父が兄の墓を建てなかったため、私の家族は兄の霊を弔うこともできなかった。1943年に撮影された家族の集合写真。後列右から李登輝元総統、兄・李登欽氏。前列右から父・李金龍氏、祖父・李財生氏、母・江錦氏、兄嫁・奈津恵氏とその子供たち(写真提供:日本李登輝友の会)大好きな兄との再会 靖国神社で兄に再会したのは、兄が戦死してから62年経った、2007年6月7日のことだった。兄は海軍陸戦隊員としてマニラでしんがりを務め、散華していたのである。 靖国神社で兄の霊の前に深々と頭を垂れ、冥福を祈ることができたことは、私に大いなる安堵の気持ちをもたらした。仲のよかった兄の霊とようやく対面し、私は人間としてなすべきことができたと感じた。内外の記者が私を取り囲んでいろいろなことをいってきたが、「私の家には兄の位牌もなければ、墓もない。自分のいちばん大好きな兄貴が戦争で亡くなって、靖国神社に祀られている。もうこれだけで、非常に感謝しております。もし、自分の肉親が祀られているとしたら、あなたはどうしますか」というと、みな黙ってしまった。彼らも私の心情を理解してくれたのだと思う。 靖国神社への参拝はあくまで家族として、人間としてのものであり、政治問題や歴史問題の次元で捉えてほしくなかった。そもそも、靖国神社に祀られているのは、国のために命を落とした者ばかりではないか。その一人ひとりに家族がおり、また生きていれば、国のために立派な仕事をしたかもしれない。その霊をいま生きている家族や国を預かる指導者が慰めないで、誰が慰めるのか。政治的に騒ぎ立てること自体が人の道に外れている。安倍総理へ3つのお願い安倍総理へ3つのお願い 大東亜戦争に出征して散華し、靖国神社に祀られている台湾人の英霊は2万8000柱。現在、このことを多くの日本人が知らないのは残念である。 もし、先の戦争における台湾人の死を無駄にしないために、日本は何をすべきかと問われれば、私からは次の3つのことをお願いしたい。 1つ目は、昨年4月に締結された日台漁業協定に従い、尖閣諸島周辺における日台間の漁業権の問題を円滑に解決することである。この協定は安倍総理のリーダーシップによって結ばれたもので、私は高く評価している。「水面下で私が反対派を説得した」という論文も目にしたが事実無根で、私はいっさい何もタッチしていない。ひとえに安倍総理の決断のおかげだ。実務レベルではまだまだ解決すべき課題は多いだろうが、引き続き安倍総理の指導力に期待したい。2007年5月、3度目の来日で東京を訪れた台湾の李登輝元総統 2つ目は、中性子を使った最先端の癌治療技術を台湾の衛生署を通じて台湾の病院に売ってもらうことである。前ページに掲載したのは、1943年、私と両親、兄の家族が一緒に写った集合写真である。兄の嫁やその子供たちを含め、現在でも生きているのは私だけだ。戦死した兄を除くと、ほとんどが癌で亡くなっている。日本と同じように、台湾でも死因の1位は癌である。日本がこの技術を台湾の病院に売らないのは、中国への技術流出を恐れている事情があるのかもしれないが、私、李登輝がそのような事態が起きないよう責任をもつ。 3つ目は、「日本版・台湾関係法」の制定である。1979年、アメリカは国内法として台湾関係法を定めて台湾との関係を維持し、中国を牽制した。しかし日本では、72年の日中国交正常化にともなう日台断交以来、台湾交流の法的根拠を欠いたままである。 近年、私は台湾に来た日本の国会議員に必ず「日本版・台湾関係法」の制定について尋ねるようにしている。すると、反対する人はほとんどいない。しかし一部には、中国が反対するから難しいと囁く人がいる。中国が口を出す権利がいったいどこにあるのか。台湾は中国の一部ではない。台湾台湾人のものである。 日本が中国の対応を恐れて台湾との義を軽んじることは了解できない。歴史的経緯を顧みれば、台湾の未来について日本にも一定の責任があると考えるのは当然であろう。安倍総理はしっかりとした国家観の持ち主であるようにみえる。直接、お会いして頼むわけにはいかないので「日本版・台湾関係法」の制定についてはこの誌面を通じて深くお願いすることにしたい。 ちなみに、72年の日台断交は、前から予想していたこともあり、当時の私は淡々と受け止めた。そのころは政務委員として農業問題を担当しており、台湾の農民のことで頭がいっぱいだったこともある。ただ国民党政府は2.28事件(1947年2月28日、台北市で闇タバコを販売していた女性への暴行事件を機に、台湾全土に広がった騒乱。以後、約40年にわたり、台湾は戒厳令下に置かれた)で多くの台湾人を虐殺した張本人であり、心のなかではけっして支持していなかった。戦後のある時期、私は仲間数人と古本屋を開いて生計を立てていたが、そのうち一人を2.28事件で失っている。遺児である息子が父の面影を求めて会いに来たのは、総統を辞めてからのことだった。 1994年に司馬さんが再び台湾に来て、私と対談したときのことである。どんなテーマがいいか、妻と相談したら、「台湾人に生まれた悲哀」にしようということになった。400年以上の歴史をもつ台湾の人びとはいま、自分の国ももっていなければ、自分の政府ももっていない。国のために尽くすことすらできていない悲哀を抱えている。そんなことを司馬さんに話した。いまでも台湾は国連に加盟できていない。中華民国なのか、台湾なのか、国号の問題もある。私は総統時代に台湾の民主化のために全身全霊で取り組んだが、いま再び国は混乱に陥っている。ただ、若い学生を中心に、真の民主化を望む声が全土に満ちているのは、台湾の未来にとって希望であるとも感じている。台湾のために十字架を背負って 昨年、私は大病を患い、いよいよ生命の残り時間を意識するようになった。だからであろうか、兄のことを思い出す機会が増えた。なぜ、兄は妻と幼い子を残して、死ななければならなかったのか。どんな顔をして死んでいったか。なぜ死んだのが兄で、私ではなかったのか。そんなことを思い、ふと夜中に目が覚めて涙を流すことがある。両親を慕う気持ちよりも、兄を慕う気持ちのほうがずっと強いのは、自分でも不思議である。ほんとうに仲がよい兄弟であったと思う。 兄の霊がいまどこにいるか。いくら考えても、簡単には答えは見つからない。あなた方日本人は、この霊魂の問題をどう考えるのか。米国のアーリントン国立墓地とは異なり、靖国神社には遺骨はない。あるのは魂だけである。これは世界でも特異な例ではないか。「神道は心の鏡」(新渡戸稲造『武士道』)という。ならば兄の霊はいま日本人の心の中にいるというべきかもしれない。靖国神社に兄を祀ってくれて、ほんとうに感謝している。 私は今年で91歳になった。台湾のためなら、もういつ死んでも構わないと思っている。結局、「生」と「死」というものは表裏一体の関係にある。一回しかない生命をどう有意義に使うか。「死」をみつめて初めて、人間はそれが理解できる。これは私の確信である。しかし、確信は行為に移さなければ、何の役にも立たない。 なにぶん老齢の身である。身体はなかなかいうことを聞いてくれない。まことに情けない限りだ。しかし、台湾こそ私の生きる国なのだ。台湾のために十字架を背負って、誰を恨むことなく、牛のように一歩一歩、国土を回り、果てる所存である。李登輝(り・とうき)台湾元総統。1923年、台湾・台北州淡水生まれ。台北市長、台湾省政府主席、台湾副総統などを経て、1988年、総統に就任。1990年の総統選挙、1996年の台湾初の総統直接選挙で選出され、総統を12年務める。著書に、『新版 最高指導者の条件』(PHP研究所)ほか多数。関連記事■ 李登輝・元台湾総統が語る 指導者とは何か(1)■ 李登輝・元台湾総統が語る 指導者とは何か(2)■ 李登輝・元台湾総統が語る 指導者とは何か(3)■ 李登輝・元台湾総統が語る東アジアの未来(1)

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    【特別対談】李登輝×魏徳聖 KANO精神は台湾の誇り 

    日本統治時代の台湾から甲子園をめさず球児たちの不屈の青春を描いた映画『KANO』が日本で公開される。この機会に、台湾を代表する映画監督であり、『KANO』の製作総指揮を務めた魏徳聖氏と李登輝元総統の対談が実現。台湾野球の原点にあるもの魏 今回は李登輝元総統(以下、李元総統)と対談する機会をいただき、まことに光栄です。もうすぐ92歳の誕生日を迎えられるとのことで、おめでとうございます。李 ありがとう。私は魏さんが手掛けた『KANO』をみたあと、感動のあまり泣いてしまって、そのことは台湾でもニュースになりました。子供たちと真剣に向き合うことで、弱小だった嘉義農林学校(以下、嘉農)を甲子園の決勝まで導いた近藤兵太郎監督は、真の指導者だと思いました。日本人、本島人(台湾人)、そして原住民からなるチームを一つにまとめ上げた手腕は、じつに優れている。ちなみに嘉農が甲子園の決勝に進んだ1931年、私はまだ9歳の子供でした。ただ、台湾から選抜されたチームが甲子園で強豪を次々と破っている、との報道を聞いて、大人たちに交じって嬉しかった記憶があります。魏 当時まだ子供だった李元総統が嘉農の活躍をご記憶とのことで、少々驚いています。当時、台湾人の野球に対する知識は、それほど深いものではありませんでした。嘉農の活躍は、まさに台湾に野球が広がるきっかけとなったんです。 当時のチームのエース、呉明捷選手は嘉農を卒業後、早稲田大学に進学し、六大学野球で活躍(通算7本の本塁打記録は、1957年に立教大学の長嶋茂雄選手が8本の新記録を出すまで、20年間破られなかった)。大学卒業後も台湾に帰ることなく日本でビジネスを手掛け、日本人女性と結婚し、1983年に病死しました。私は呉明捷選手の息子を探し出しましたが、日本では呉氏がどんな人物だったかを知る人は少なかった。これは意外に思うと同時に、残念に思いました。李 あなたがいいたいことはよくわかります。戦後の日本人は、台湾と日本の歴史について知らない人が多いですから。『KANO』に登場する陳耕元(日本名:上松耕一)選手も実在の人物で、台湾原住民のプユマ族の出身でしたね。93年、作家の司馬遼太郎さんが台湾を訪れた当時、総統だった私の紹介で、司馬さんは陳耕元選手の次男、建年氏に会っています。陳建年氏はのちに私の推薦で、台東の県長(知事)を務めた人物です。司馬さんは建年氏の家族と会食した際、陳耕元選手の夫人で、建年氏の母にあたる蔡昭昭さんから二度も「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」と問われ、答えに窮してしまった。そんな場面を司馬さんは『街道をゆく 台湾紀行』に書いています。「なぜ日本は台湾を捨てたのか」という問いの意味がわかる日本人が現在、はたして何人いるか。 『KANO~1931海の向こうの甲子園~』 (C)果子電影監督:マー・ジーシアン 製作総指揮:ウェイ・ダーション 出演:永瀬正敏/坂井真紀/ツァオ・ヨウニン/大沢たかお ほか ◆2015年1月24日(土)より、新宿バルト9ほか、全国公開 配給:ショウゲート魏 私が映画『KANO』の原形となる史実を見つけたのは、じつは『セデック・バレ』(2011年)の脚本を書いているときでした。李 『セデック・バレ』は、いわゆる霧社事件(1930年に起こった台湾原住民による最大規模の抗日事件)のことを描いた映画でしたね。あなたの処女作『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)に加え、私はあなたがつくった映画3本を全部みていることになる(笑)。魏 ありがとうございます(笑)。私は成長するにつれ、台湾原住民にどう接したらいいのか、悩むようになりました。「原住民のほうも、軽々しく情けをかけられたくないだろう」との思いがあったのです。だからこそ、台湾原住民の知られざる、そして尊重すべき歴史が描けると考え、この史実を映画にしようと決意しました。霧社事件の直接の原因は、日本人巡査が原住民の若者を殴打したことにありました。文化的な行き違い、摩擦。日本人と台湾人という異なるエスニシティ(民族性)の対立です。李 私の父親は一時、巡査を務めていて、霧社事件に動員されそうになったことがあります。事件の背景には、日本人の台湾原住民に対する民族的な優越感があり、それに原住民が反発したことがあるのは間違いない。魏 セデック族の300人ほどの男子は、近代兵器で武装された日本軍相手に死を覚悟して徹底抗戦しました。彼らは何のために戦ったのか。自らの誇りを守るためです。降伏を潔しとせず、自決する者もいた。こうした彼らの武勇、誇りの貫き方をみて、われわれの武士道精神と変わらないではないか、と捉えた日本人もいました。 霧社事件は、嘉農が甲子園で決勝を戦った1年前に起こっています。嘉農の近藤監督は、民族的な差別をしない人でした。それぞれの民族の特長を生かして、甲子園優勝という同じ目標、夢に向かって、チームをまとめ上げた。霧社事件が起こった当時、原住民を管理していた巡査とは対照的な姿勢だったと思います。李 あなたは『海角七号』でも、日本人と台湾人の交流を描きましたね。「日本人であろうが、台湾人であろうが、あるいは原住民であろうが、お互いを想う気持ちに民族など関係ない」「たとえ使う言葉は違っても、またお互いの価値観、習慣は違っても、気持ちを通じ合うことができる」。このようなテーマでつくられた映画だと感じました。 私が台湾民主化、本土化の過程で打ち出したのが「新しい時代の台湾人」というコンセプトです。外省人(日本敗戦後、中国大陸から渡ってきた住民)と本省人(それまで台湾に住んでいた住民)の対立はもうやめよ。あるいは、エスニック・グループ(民族集団)の違いによる差別をやめよ。この民主台湾に住み、生活を営み、公のために尽くそうとする人は、すべてが等しく台湾人である、という思想です。私は、あなたの映画には、こうした思想がまさに描かれているような気がするんです。それは台湾の古い思想を打ち破り、台湾人の新しい文化を生み出すことにとても寄与していると評価しています。なぜ日本が好きなのかなぜ日本が好きなのか魏 (データを見ながら)どうしてこんなにも多くの台湾人が日本を好きなのか、という編集部からの質問ですが、文化的な考え方が似通っているからだと思います。それはやはり日本が台湾を50年間統治したことによる影響が大きいでしょう。私自身、どこか旅行に行くのなら、まず日本を訪ねたいですね。日本は安全で清潔、そして自然が美しいというイメージがあります。 先日、中国の映画監督と話をしていたとき、日本の北海道に雪が降るシーンを撮りに行く、といっていました。中国でも雪が降るのに、なぜわざわざ日本まで行くのか、と聞くと、「中国では雪と人間の関係が荒っぽい」というのです。ちっともロマンチックではない、と。中国の人間は、雪に対してどこか心を閉ざしている面がある。しかし日本の場合、雪と人間の関係が優しくて美しい。彼はそういうんです。日本人は自然と合わせることがとても上手なんですね。雪景色のなかでも、環境に溶け込んで人間らしい愛を発揮している。 もっとも、日本もいいところばかりではありません。映画『KANO』をつくるに際し、技術的なことに関して日本側の協力をかなり得ました。そのことには感謝しています。ただ、日本人は非常に細かい。あれも心配、これも心配。あまりにも小さなことを考えすぎる気がします。李 日本人はよくいえば、丁寧。悪くいえば、細かすぎる。私の家内がまさにそう(笑)。家内も私同様、日本式の教育を受けたのですが、きっとその影響でしょう。家庭内の話なら笑い話で済むかもしれませんが、政治の指導者がそうしたことでは困ります。 2014年9月、私が日本を訪問したのは、「これからの日本は進路を自分で決める時代が来た」ということを伝えるのが目的の一つでした。安全保障の面に関して、これまで日本はアメリカに完全に委ねた状態だった。「憲法9条があるからこそ、日本は平和を維持している」といった意見も、少なくない人びとのあいだに根強くあるようです。しかし、60年以上にわたって憲法が一字一句も改正されていないことのほうが、私にはむしろ異常に思えます。アメリカの弱体化、中国の台頭という現実から目を背け、安全保障や憲法の問題を放置したり、無関心でいることは、日本という国の安全を著しく脅かすものと感じているのです。 これまで日本はアメリカを頼りにしてきましたが、いまやアメリカのほうが日本を同等に、もしくはそれ以上に頼りにしている。こうした現実を日本は直視すべきであると考えています。「嘉南大シュウの父」八田與一魏 私が八田與一という日本人技師について知ったのは、霧社事件について調べているときでした。霧社事件の原因を追究するのは、簡単なことではありませんでした。1930年前後の警察の制度、山間地の部族の関係、あるいは国際的にみて台湾や日本の関係はどうなっていたのか。さらにその前の20年、その後の20年にわたって歴史を調べました。こうした過程で八田技師の功績を知り、ほんとうにびっくりしました。私の中学時代には、まだ台湾の教科書で八田與一のことについて教えていなかった。ほんとうは彼のことを映画にしたかったのですが、スケールが大きすぎて私の手に負えないと断念しました。李 「嘉南大シュウの父」と呼ばれる八田與一について台湾の教科書で教えるようになったのは、じつは私が96年の総統直接選挙で選出されてからのことでした(大シュウは大きな水路の意)。従来の台湾では中国の歴史ばかりを教えていましたが、台湾の歴史を教える必要があるという意図から編纂されたのが『認識台湾』という教科書です。日本統治時代のことも客観的な視点から触れていますが、初めて八田技師に関する記述が載った。残念ながら、この『認識台湾』という教科書は陳水扁総統時代、2003年の教育改革でなくなってしまいました。いずれにしても、あなたが中学生のときは、八田與一について授業で教えておらず、彼の功績について知らなかったのも無理はありません。魏 そうだったのですね。いまでは台湾で八田與一に関する本は何冊も出版され、図書館で閲覧することもできます。李 映画『KANO』にも八田與一が登場しますね。台湾にダムと灌漑用水路を建設し、当時は不毛の土地であった嘉南平原を台湾一の穀倉地帯に変えた八田は、台湾にとって恩人ともいえる人物です。彼が手掛けた烏山頭ダム(1930年完成)は当時世界最大。このダムに加えて、八田は嘉南平原に“蜘蛛の巣”のように張り巡らせた約1万6000kmの水路工事を行なった。地球の全長が約4万kmであることを考えれば、工事の規模が想像できるでしょう。嘉南平原に住む台湾農民60万人は八田がつくった新しい水路から水が流れてきたとき、「神の水が来た」といって涙を流したそうです。 台湾人が好んで用いる言葉に、「日本精神(リップンチェンシン)」があります。これは日本統治時代に台湾人が学び、日本の敗戦によって大陸から来た中国人が持ち合わせない精神として、台湾人が自ら誇りとしたものです(「勇気」「勤勉」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を表す)。私は八田こそ、こうした「日本精神」を代表する人物だったと考えています。魏 李元総統がいわれた「日本精神」と八田與一との関係について、正直、私にはわかりません。私が八田に感じるのは、とても技術肌であるということ。また彼は人間にとって何が必要であるかを考え、その実現に向けて行動したということです。李 八田與一の最期は、南方開発要員としてフィリピンに向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて船が沈没し、遭難するというものでした。その妻・外代樹は日本敗戦の3年後、夫のつくった烏山頭ダムの放水口に身を投じて夫の後を追いました。八田夫妻に対する台湾人の感謝と哀惜の念がいかに強いか。それを物語るのが、次の逸話です。 工事に携わった人びとが烏山頭ダムの畔に建てた八田の銅像は、戦時中の金属供出令から逃れるため、倉庫に隠されました。また、日本敗戦後、大陸から渡ってきた国民党は日本統治時代の銅像や碑文を破壊して回りましたが、そうした災難からも守られました。そして現在、八田の命日にあたる5月8日には、その銅像の前で毎年慰霊祭が行なわれ、日台の絆の象徴となっているのです。「私とは何か」という問題魏 李登輝総統時代(1988~2000年)、私は10代後半から20代の多感な時期を過ごしました。ご本人を前にして恐縮ですが、当時の私にはあなたの大きさがわからなかった。政治に関心が少なかったせいもあるかもしれません。しかし、陳水扁総統時代(2000~2008年)や馬英九総統(2008年~)になって初めて、李元総統が求めた理想がわかる気がしました。人間というのは、ただ頭がいいだけでは用をなさない。さらにいえば、ブルー(国民党のイメージカラー)を支持するか、グリーン(民進党のイメージカラー)を支持するか、そんなことよりも大切なものがある。すなわち、心です。いまの台湾人には同理心(人を思いやる気持ち。共感)が欠けているように思います。李 生きるうえでいちばん肝心なことは、「私とは何か」という問題です。現在の私の一部を形づくったのは、紛れもなく戦前の日本の教育です。『KANO』をみたあと、「日本の教育は素晴らしかったね」と家内と語り合ったほどでした。しかし、台湾を統治していた日本人に対して、不満がなかったわけではありません。日本人は台湾人のことを少々見くびるところがあった。私自身、何回もそういうことに遭遇しました。 私の母親は田舎の女性でしたが、ある日、菊本百貨店(台湾に開業した最初の百貨店)に連れていってあげたんです。当時、私は旧制台北高等学校の生徒で、その制服を着てね。「台湾人の俺だって、これぐらいのことはできるんだ」という気持ちからです。 日本統治時代の台湾では、日本語が強制されていましたから、台湾語は厠に隠れて勉強しました。まだ9歳か10歳だったと思います。そのころ、祖父と『論語』の素読をやりました。「先進」篇に「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん(生を知らないで、どうして死を理解できようか)」という言葉があるのを知り、子供ながらにイヤな感じがしたことを覚えています。生を肯定しすぎることは、利己主義や享楽的な人生をめざすことにつながりかねない。他方、日本の武士道は「武士道とは死ぬこととみつけたり」(『葉隠』)という有名な言葉が示すように、まず死を前提としたうえで、有意義な生を考える哲学があります。 日本の武士道が説く無私の精神に加え、後年キリスト教に入信することで、私は長年自分を苦しませてきた「私とは何か」という問題に、ようやく一つの答えを出すことができた。それは「我是不是我的我(私は私でない私)」というものです。自分の命はいつなくなっても構わない。台湾のために死力を尽くして働く。いかなる栄誉も求めない。こうした気持ちで仕事をしてきました。もちろん、これからもその覚悟です。魏 李元総統の書かれた『台湾の主張』(1996年)を私も読みました。この本に書かれていることには、おおむね同意いたします。しかし、台湾のメディアはその記述の一部分だけを捉えて、批判している。それは政治的意図によるものにすぎない、と感じました。李 昨年も、いわゆる中国寄りとされる新聞の虚報によって、ちょっとした騒動が起こりました。日本の敗戦後、台湾大学に編入学した時期に関することで、私が共産党に二度入党し、二度脱党した、という虚報を流したのです。台湾大学で私は学生運動のリーダーの立場にありました。学生運動をしていたのは事実ですが、台湾独立運動を展開していたわけではないし、ましてや共産党に入党したことはない。そもそもマルクスの『資本論』によれば、共産革命は高度に資本主義が発達した国で起こることになっている。しかし、当時の中国はそんな状況には程遠く、革命の担い手となるような労働者階級も育っていない。中国共産党がマルクス主義を謳うのは、古代の専制政治を行なうための手段にすぎないと当時、気付きました。そんな恐ろしい党に二度も入って、一度たりとも無事に出てこられるはずがないでしょう(笑)。魏 そうですね(笑)。日本への思いは「片思い」立法院で特別上映される総統府の周りを50万人のデモが囲んだ日、運動の象徴となったヒマワリを手に集まった参加者たち。2014年3月30日撮影(写真提供:片倉佳史)李 2014年3月、台湾で東アジアを揺るがす大事件が起きました。「太陽花学運(ヒマワリ学生運動)」です。学生たちが占拠していた立法院(日本の国会議事堂に相当)で、『KANO』が特別上映されたそうですね。学生たちにどのようなメッセージを送ったのですか。魏 何か特別に言葉を伝えたわけではありません。太陽花学運が起きたとき、学生たちによる立法院の占拠はいつまで続くのか、そもそもなぜこの運動が起きたのか、社会は理解できていないと感じました。私自身、学生たちにいうべき言葉が見つからなかった。私は映画人です。だから、自分の映画をみてもらうのがいいと思いました。『KANO』をみてもらうことで、球児たちの不屈の精神に学んでほしかった。自分たちの信念を貫け、と。李 立法院での上映後、期せずして「台湾加油(台湾ガンバレ)」という声が巻き上がったそうですね。涙を流した女学生もいたとか。学生たちが占拠していた立法院から退去して数週間後のことです。私は学生たちの希望に応えて、立法院内のレストランで今後の台湾に必要なことについて話をしました。その一つが先の「新しい時代の台湾人」というコンセプトです。台湾に来た時代や時期、エスニック・グループにとらわれることなく、民主台湾の建設に進む重要性をあらためて強調しました。魏 私の周りには、以前のように、外省人や本省人という区別をしている人は少ないように思います。誰でも「自分は台湾人である」といいます。李 じつは日本統治時代を経験した高齢の日本語世代は、「自分は台湾人である」という意識をもつ人がほとんどです。民主化以降の台湾で育った人も同様です。しかし、戦後に中国大陸から渡ってきた人間のなかには、自分は中国人であるという意識を捨てきれない人がいまだにいるのが事実です。日本人にとって、自分は日本人であることは自明ですが、台湾はこの認同(アイデンティティ)の問題を解決しきれていません。日本への思いは「片思い」李 『KANO』は、日本人が台湾との絆を考える1つのきっかけを与えるでしょう。私は日本に対して、とても残念に思っていることがあります。東日本大震災のとき、われわれは交流協会台北事務所(正式な外交関係がない日本と台湾において、大使館の役割を果たす窓口となる)を通じて、すぐに救助隊の派遣を申し出ました。民間のNGO組織、中華民国捜救総隊です。1999年の台湾大地震の際も、倒壊した建物のなかに危険を顧みずに突入し、生存者の救援活動を行なうなど、まさに台湾精神を代表する義の男たちです。 ところが、同隊の被災地派遣に関して日本側はすぐに承諾しようとしなかった。日本政府の協力が得られなかったため、同隊は日本のNPOと連携して、自力で被災地に向かうしかありませんでした。なぜ、当時の日本政府は台湾からの民間救助隊の即時受け入れを躊躇したのか。日本の報道によれば、「台湾は中国の一部」とする中国共産党の意向を気にした、とされます。人道的な援助というものは、政治やイデオロギーによって判断するものではない。台湾人としてこれ以上の屈辱、悲しみはありません。魏 李元総統がお感じになった心の痛みは、よく理解できます。私にも似たような経験があります。香港で開かれたある映画祭に招かれたときのことです。会場には中国人や香港人、台湾人、日本人など、大勢のアジア人がいた。日本の代表者が演壇に立ち、東日本大震災の支援に関する感謝を述べたのですが、台湾への言葉はありませんでした。私は聞いていて、とても腹が立ちました。東日本大震災のとき、台湾からの援助は巨額で世界一だったともいわれます。私はその日本人の代表者に抗議しようとする気持ちを抑えるのに必死でした。李 2001年、持病の心臓病の治療のために訪日した際のことです。中国の意向を気にした当時の外相や外務省の反対で、なかなかビザが下りないということがありました。それ以外にも、日本政府の対応について我慢しなければならないことが多くありました。私の日本びいきは度が過ぎていると、台湾ではしばしば批判の対象になっているのに、これではまったく割に合わない(笑)。『海角七号』は、戦後約60年ぶりに日本人男性から台湾人女性にラブレターが届くという物語でしたね。しかし、私たち台湾人から日本へのラブレターはいっこうに届かない時代が長く続いた。私はよくいうのです。戦後、日本に対する私たちの思いはずっと「片思い」だったと。ただ、安倍政権が誕生して以来、ようやく日台関係は対等の関係になりつつあると感じており、安倍首相にはこれからも期待しています。東日本大震災の被災者救援のため、雪中を急ぐ中華民国捜救総隊。李登輝元総統いわく、「台湾精神を代表する義の男たち」(写真提供:中華民国捜救総隊)日本人よ、歴史に学べ魏 『KANO』を通じて私が日本人に知ってほしいのは、台湾というところは、いろんなエスニック(民族)が集まってできている社会ということ。そして、かつて多くの日本人がこの台湾に住み、共に同じ時代を生きていたということです。日本統治時代の台湾には、よいことも、悪いことも、たくさんあった。日本人と台湾人の衝突もありました。しかし歴史的にみて、われわれの提携は、見事に成功したではないですか。いま振り返っても、それは素晴らしいことだったと思います。甲子園をめざした嘉農の球児たちは、その象徴です。 私は、台湾に対する世界からの差別にとても心を痛めています。私はなにも日本に対して、台湾とグルになってくれという気持ちはありません。台湾はほんとうに小さな国なのです。一方、いまの日本は台湾からみれば大国です。なのに、なぜ日本は台湾を国として公平に扱ってくれないのか。日本はどこかの国の属国なんですか。どこかの国に管理でもされているんですか。繰り返しますが、われわれ台湾人と日本人は、同じ土地で、同じ時代を生きた経験がある。どうしてそれを日本人はわかろうとはしてくれないのか。私がいま述べたことは、少し過激すぎたかもしれませんが。李 現在の台湾は、れっきとした民主国家です。私はその実現のために、全身全霊で取り組んできました。もちろんこれからも、台湾のために尽くします。でも、魏さん、これからは、あなたのような若い人たちの時代だ。あなたの映画はどれも「台湾人の主体性」をうまく描いていると思います。自分の道を信じて、これからも突き進みなさい。 最後に日本人にいいたいのは、台湾の民主改革は、日本の明治精神、あるいは戦後の改革に学んだものである、ということです。『KANO』をみたあと、私は映画館の外で待っていた記者たちにこういいました。「台湾人はこの映画をみるべきだ」。これと同じように、日本人にいいたいと思います。「日本人はこの映画をみるべきだ。そして歴史に学びなさい」と。(通訳:張文芳)魏徳聖(ウェイ・ダーション・Wei Te-Sheng)映画監督。1969年、台湾台南市生まれ。2008年に初の監督作『海角七号 君想う、国境の南』を発表。台湾で歴代2位となる興業成績を収め、注目を集める。2011年、『セデック・バレ』を発表。2014年に台湾で公開された『KANO』では製作総指揮を務めた。李登輝(リー・テンフェ/Lee Teng-hui)元台湾総統。1923年、台湾・淡水郡生まれ。台北市長、台湾省政府主席、台湾副総統などを経て、88年、総統に就任。90年の総統選挙、96年の台湾初の総統直接選挙で選出され、総統を12年務める。著書に、『新・台湾の主張』(PHP新書)ほか多数。関連記事■ [李登輝・特別寄稿]日台の絆は永遠に〔1〕■ 李登輝・元台湾総統が語る 指導者とは何か(1)■ なぜ人類は戦争を繰り返すのか~李登輝・緊急寄稿〔1〕■ 李登輝・元台湾総統が語る東アジアの未来(1)

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    なぜ、台湾の若年層は韓国を嫌うのか~現地座談会から

    古谷経衡(評論家・著述家) あまりに激しく、そして根が深い台湾の嫌韓。いったいなぜなのか? 台北市内のレストランを借り切り、座談会を開催。若者層の声を聞いた。「台韓国交断絶」の衝撃 今秋、私は自身にとって初の本格的な歴史概説書となる『知られざる台湾の「反韓」』(PHP研究所)を上梓した。私たちは普段、「日韓関係」「日台関係」のことはよく見聞きする。韓国の反日感情とか、台湾の親日感情などの情報には、日本にいながらにして毎日のように接する。しかし「日本と相手国」という関係性を離れ、台湾と韓国という他国同士の関係性である「台韓関係」となると、途端に馴染みがなくなる。台湾と韓国は共に日本の隣国でありながら、いつもこの二国に対する切り口は日本を基軸とした関係性の視座がほとんどだった。台湾は韓国とどのような関係にあるのか、あるいは台湾は韓国をどのように捉えているかといった視点は、これまであまり存在していない。 2013年3月に開催された第3回WBC(ワールドベースボールクラシック)で、共に出場国であった台湾と韓国はB組で対戦した(台中インターコンチネンタル野球場)。台湾は韓国戦には敗北したものの、予選リーグを突破した。しかしこのとき、韓国選手のラフプレーが大きな問題になり、台湾国内で「反韓」の感情が沸き起こったことは、日本でも話題となった。「棒打高麗(韓国人を棒で叩き出せ)」のプラカードや、You Tubeにアップロードされた太極旗を破り捨てる女学生の動画が紹介され、このとき初めて私は「台湾には根深い嫌韓感情がある」という事実を知った。 WBCにおける一連の騒動についてある韓国紙は「台湾と韓国のあいだには恩讐がある」と表現した。前述のとおり、日本では嫌韓が激増しているものの、それを「恩讐」という言葉で表現する人は少ない。「恩讐」という表現には、表層的な感情とは違う、もっとシリアスなニュアンスが含まれている。この言葉の裏に存在する台湾と韓国の関係とは何か。台湾はなぜ、激しい「嫌韓」の国になっているのだろうか。私はそれを探るべく訪台した。 「台湾における嫌韓」を調査すると、まずこの二国の奇妙な国際的立ち位置が浮き彫りになった。冷戦下、台湾と韓国は軍事独裁(蒋介石=朴正熙)、反共主義、国連非加盟国、分断国家(両岸=南北)、日本統治時代を経験、という5つの項目で見事に共通している。この時代における韓国はアジアで唯一、台湾を国家として承認していた。「お互いに孤立した共通項をもつ国家」という親近感が背景にあった。 台湾政治大学で国際関係学の専門家である蔡教授に話を伺うことができた。教授はこのような冷戦期の「台韓関係」をきわめて友好的なもの、としたうえで、「恩讐」の原因となった大転換が訪れたと指摘する。1992年に行なわれた「台韓国交断絶」である。当時、韓国の盧泰愚政権は「北方政策」と呼ばれる容共姿勢に転換していた。冷戦時代に敵対していた中国、ロシアなど共産圏の国々との国交を確立し、それまで「反共の砦」とまで謳われた国策を大転換したのだ。つまりこの年、韓国は台湾を切り捨てて中国を承認するのだが、ここには台湾人にとって忘れられぬ屈辱的エピソードが存在している。 「台韓国交断絶」の直前まで、韓国政府要人は台湾を訪問し「韓国が台湾を見捨てることは断じてない。われわれの友好関係は続く」と公式に表明し、台湾人は「ならば安心だ」と胸をなで下ろした。にもかかわらず、実際の断交は同年8月24日に電撃的に行なわれた。とくにソウルにある駐韓台湾大使館は、韓国政府から「即日の強制退去」を言い渡され、大使館職員が泣く泣く青天白日旗を降ろし、着の身着のまま国外退去処分になった。国際慣習や礼儀を無視した韓国政府の強権によって、いっさいの台湾外交員が韓国から突然追放されたのである。トンデモ説への怒り 92年以降、台湾人の反韓感情は最悪の状態が続いたが、若い世代では徐々に当時の記憶は薄れている。蔡教授によれば「台湾の嫌韓」には、衝撃的な「台韓国交断絶」を記憶している中年以上の世代と、それを経験していない若年世代のあいだで同じ「嫌韓」とはいえ認識に違いがあるという。 これを受けて私は、台湾在住の日本人教師の方の協力を仰ぎ、台湾の青年層における嫌韓感情の実態を調査すべく大規模な座談会を開催した。6月某日、台北市内のレストランを貸しきって行なわれた座談会には、総勢18名の台湾人青年が集結した。台湾師範大学、台湾大学、台湾科学技術大学など、台湾で最もレベルの高い国立大学の卒業生や大学院在学生たちであり、22歳から32歳までの男女である。まさに「台湾の若手頭脳」ともいえる彼らの目に、韓国はどう映っているのか。 台湾師範大学大学院在学中の范嘉恩さん(24歳・男性)は、台湾においては韓国の整形文化が不気味に映る、と前置きしたうえで、台湾における韓国のイメージは、やはりWBCでの韓国側のラフプレーに対する不快感が大きいと語る。范さんが挙げたのは、中でも台湾野球界のスターでニューヨーク・ヤンキースでも活躍した“台湾のイチロー”こと王建民に対する韓国ネチズンの頓狂な主張だ。王建民は片親の祖先を韓国人にもつが、それを根拠に「王建民は韓国人である」とのトンデモ説に対し、国民的スターを侮辱されたような感じを受け、怒りを禁じえなかったという。このほかにも、「孔子は韓国人」などという無根拠な韓国ネチズンの「韓国起源説」が、台湾人の嫌韓感情を後押ししている、と分析した。対中輸出で争う台韓企業 同じく台湾師範大学大学院在学中の柏さん(30歳・女性)は、「台湾に留学している韓国人には良い人が多いが……」としたものの、台湾と韓国の産業競争問題に触れた。柏さんがとくに問題視するのは2010年に起こった「韓国三星(サムスン)電子による台湾企業密告事件」である。 日本ではあまり報道されなかったが、事件の概要はこうだ。サムスンがEUから、液晶ディスプレイパネルの価格談合(カルテル)を指摘されたのだが、リニエンシー制度(談合やカルテルに加わった企業において、最初に不正を自己申告した場合、その者だけがペナルティーを免れる内部告発制度)を利用し、同じくカルテルに参加した奇美電子など台湾電子企業4社を告発、自らはカルテルを主導したにもかかわらず、EUからの課徴金を逃れた、という事件である。要するにサムスンがEUと司法取引をして「共謀した」台湾企業を保身のために売った、という経済事件で当時、台湾メディアはサムスンを「モラルのない密告者」と非難したのである(奇美電子は台湾を代表する大企業だが、この事件でEUから330億円の制裁金支払いを命じられた)。 台湾と韓国の経済的ライバル関係については、台湾大学中華経済研究院主任研究員の馬道教授からも同様の話を聞くことができた。馬教授によれば、台湾はEMS(受注代行生産)で世界的な地位を確立しているが、近年はとくに最大の貿易相手国になっている対中輸出で、猛追する韓国企業と熾烈な争いを演じているという。サムスンによる台湾企業密告事件は、このような台湾と韓国の国際競争を背景としたものだが、それにしても「仲間を売る」という不義理を犯してまで自己の保身に走ったサムスンの事例は、台湾人のなかに根深い「反韓」意識を植え付けるに十分であった。実際、台湾では韓国企業がネット上での商品レビューで、善意の第三者に成り済ましたレビュアーが自社製品を過剰に持ち上げ、ライバルである台湾企業の製品を貶める投稿をし、虚偽の宣伝工作(ステルスマーケティング)を行なったとして大問題になった。 2013年には、前述のサムスンとその取引会社である「鵬泰」が台湾公正取引委員会からステマの罪科で、罰金の支払いを命じられるなど社会問題化した。商慣習やモラルを踏みにじる行為を繰り返す韓国企業に対する不信は、台湾社会のなかで臨界点を迎えつつある。「韓国のナショナリズムは怖い」 台湾師範大学大学院在学中の鄭さん(24歳・女性)は、とくに韓国にある男尊女卑的傾向に強い憤りを覚えるという。台湾はきわめて強い学歴重視社会で、若年層にとってはスキルアップと学位取得のための海外留学は珍しいことではない。留学先はヨーロッパが多く、その影響で台湾の若年知識階級はリベラル的発想が主流を占めている。女性の人権問題や男女の不平等といったイシューにとくに敏感になりがちな鄭さんにとっても、韓国における女性の地位の低さは、同じ女性としては看過できないという。 また台湾師範大学在学中の黄さん(23歳・女性)は、2014年4月に起こったセウォル号転覆事故のあと、韓国国営放送(KBS)のスタッフらが「韓国政府(青瓦台)から事故報道で政府批判を抑えるよう圧力を受けた」として一斉にストライキに入った事件を挙げ、「韓国には民主的報道倫理観が確立されていないのではないか」と両断する。大事故の際に政府が事故報道に都合の良いように介入するのはジャーナリズムそのものを歪める行為であり、先進国ではありえない現象である。台湾のメディアにも政府に配慮した報道はあるが、さすがに韓国のような情報統制はない。韓国人は彼の国の政府によって情報統制され、それが過度な反日の一因にもなっているのではないか、と分析する。これはきわめて正鵠を射た指摘といえよう。 台湾科学技術大学卒業後、現在メーカー勤務の呉さん(25歳・男性)は、韓国の異様なナショナリズムを問題視した。呉さんは「韓国をみていると、昔のナチスと同じだと思う」と述べた。国際的なスポーツ大会で沸き起こる韓国の異様なサポーターの興奮や、国を挙げた国威発揚は、明らかに行きすぎたナショナリズムであると断言する呉さんの意見には、多くの座談会同席者が賛同した。いわく「韓国のナショナリズムは怖い」「全体主義的で危険な感じがする」等々である。 一方で、韓国のそのような「民族の団結」が逆に羨ましいという意見もあった。韓国に比して台湾ではナショナリズムや愛国心は薄く、ヨーロッパ帰りの若年知識層にはリベラリズムの観点からそのような風潮を半ば警戒し、他方「ないものねだり」で肯定する声も少なくはなかった。 台湾師範大学大学院で美術講師を務める簡さん(31歳・男性)は、冒頭に記した「太極旗を破り捨てる台湾人女学生」の動画を引き合いに出し、「このような行為はたいへん幼稚な行動」と指摘する。嫌韓をことさらに報じるメディアの背景や歴史などをまず自己解析し、客観的な視点で韓国に対する評価を決定するべきであり、ネットの風潮や意見を軽々に信ずるべきでない、という簡さんの見解は、台湾の若年知識層の教養水準の高さを物語っている。 ともあれ、彼らが韓国に対してもつイメージは、「不公正な競争」「モラルの欠如」「非民主的な社会や制度」などに対する怒りと違和感である。この延長線上で彼らが中国にもつイメージは、「韓国のナショナリズムや不道徳をさらに増幅させた存在」として激烈な嫌悪の対象になっているのだ。 1992年の「台韓国交断絶」は、台湾社会に計り知れないほどのショックを与え、台湾が世界で最も先進的で最大の「反韓国家」に変わる直接の分岐点となった。その後、ゼロ年代に入り現在に至るまで、当時を直接知らない若年層に、国際的なスポーツ大会や企業競争などでの「韓国のモラル違反」によって新しい「嫌韓第2世代」が生まれ、その勢いは拡大を続けている。 日本の隣国である台湾は親日国であることに疑いはないが、この国のもう一つの側面である「反韓という恩讐」の背景を知るにつけ、私は東アジアの大きな歴史のうねりと、友邦から仇敵に変わった台湾と韓国の関係に深い感慨を覚えるのである。関連記事■米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日/テキサス親父トニー・マラーノ■中国のこれからと日本が果たすべき役割/丹羽宇一郎■オバマの嘘・「尖閣を守る」を信じてはいけない/日高義樹