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    ブラックバスと肩を並べる「侵略的外来種」の恐るべき“被害”

    木寅雄斗 (Wedge編集部) 日本文化の象徴、ニシキゴイ。見る人の目を楽しませようと、全国各地で放流が行われている。だがその安易な考えの放流は、生態系破壊や感染症蔓延など、不可逆の事態を招きかねない。 富士川水系の一つ、荒川。山梨県甲府市を南北に貫く一級河川だ。その支流、貢川(くがわ)の堤防から水面を眺めると、色鮮やかなニシキゴイが優雅に泳ぐ姿が目についた。遊歩道に設けられた掲示板には、ニシキゴイを川に放つ小学生の写真。こののどかな場所が、ゴールデンウィーク中に起こったインターネット上の「炎上」の舞台となった。 5月2日、NPO法人「未来の荒川をつくる会」が貢川に300匹のニシキゴイを放流した。地元の小学生53人がこのイベントに参加し、甲府市長や国会議員も立ち会った。山梨日日新聞など地元メディアも微笑ましいイベントとして好意的に報道した。同NPOが開催したニシキゴイの放流は今回で9回目だ。これまで通りであれば、ささやかな地方のイベントとしてお茶の間を和ませて終わっただろう。 しかしこの後、山梨日日新聞電子版に記事が掲載されたことをきっかけに、ニシキゴイ放流の是非を問うインターネット上の書き込みが相次いだ。その多くは、ニシキゴイが環境に及ぼす悪影響を懸念するものだった。 ニシキゴイはコイを品種改良して生まれた観賞魚であり、そもそも自然環境には存在しない。 コイそのものも大きな問題を孕(はら)んでいる。IUCN(国際自然保護連合)が定める「世界の侵略的外来種ワースト100」のうち、魚類は8種。そこにコイはブラックバスなどと並び指定されている。ユーラシア原産のコイは世界各地に広まっており、北米のミシシッピー川や五大湖では中国産のコイが繁殖して生物多様性を脅かし、重大な問題になっている。オーストラリアではコイにより年間400億円の経済損失が発生しているとの報道もある。※写真はイメージ もちろん、日本の自然環境にとってもコイの危険性は他人事ではない。コイの生態に詳しい国立環境研究所の松崎慎一郎主任研究員は「コイは自然環境に甚大な影響を及ぼしかねない」と指摘する。 一つは生態系への影響だ。コイは食欲旺盛で、在来魚の餌である貝類や水棲昆虫、水草の芽を食べる。また水底から餌を探す際に泥を巻き上げ、日光をさえぎってしまうため、池や沼では水草を枯らしてしまうことが松崎氏の実証実験で示唆されている。また成体になれば目立った天敵もおらず、長寿のため(一説には100年以上生きるとされる)、長期にわたって影響を及ぼす可能性が指摘されている。 遺伝的撹乱(かくらん)の懸念もある。最近の研究によって、日本に生息するコイの多くがユーラシア原産の外来種、あるいは外来種と日本在来のコイの交雑個体であることが確実視されている。在来のコイは琵琶湖北部などで細々と生き残っているのみとされ、環境省レッドリストにも掲載されている。専門家によると「在来のコイは近々学名がつき、日本固有種になる」ようだ。一方、遺伝的にみれば、ニシキゴイは中国ルーツであるという。安易なニシキゴイの放流は、古来、日本に生息している残り少ない在来のコイの遺伝子を消滅させる可能性がある。 最後に感染症蔓延(まんえん)の危険性だ。1990年代からコイのみが罹る致死性の感染症・コイヘルペスウイルス(KHV)が世界各地で猛威を振るっており、日本でも甚大な被害が出ている。都道府県の条例などによってKHVに感染したコイの放流は禁止されているが、危険性はつきまとう。加えて「高密度の環境で養殖された魚がどのような病気を持っているかはわからない」(業界関係者)のが実態だ。 冒頭の放流イベントが炎上したのは、こうした理由があったからだ。放流をやめられない事情 貢川の堤防から川の中に目を凝らすと、黒いコイに混ざって泳ぐ数匹のニシキゴイが、泥を巻き上げながら水底をついばんでいた。十数人の地元住民に話を聞くと、口をそろえて「あまりニシキゴイを見たことはないですが、いたとしたら優雅できれいな感じはしますね」と語る。ニシキゴイの放流イベントはこうした「良い印象」を地元住民に与えるため、地元の盆踊りに顔を出すような感覚で、政治家は放流イベントにも参加するのだろう。 しかしこれは本来の自然には存在しない光景だ。教育として小学生に放流をさせたことは、河川に親しみを持ってもらうというメリットはあるかもしれないが、本来の自然環境を誤認してしまうという意味ではデメリットは大きい。甲府市環境部の担当者は「法律には抵触していないが、今回の件を受けて考えないといけない。今後は適切に対処していきたい」と話す。 では何故、NPO法人「未来の荒川をつくる会」はニシキゴイを放流したのか。事情を聴くため、NPOの代表と、放流に際してニシキゴイを提供したとされ、NPOの理事にも名を連ねるニシキゴイの販売業者の会長に再三取材を申し入れたが、NPOの代表は一切の音沙汰がなく、販売業者は「この件についての取材には応じられない」という返答であった。甲府市にある販売業者の店舗を直接訪ねて取材を申し込んだが「会長は現場に出ている」の一点張りで、残念ながら当事者から話を聞くことはできなかった。コイを放った現場には放流時の写真が掲示されていた (写真・WEDGE) 山梨県内の観賞魚関係者によると「ニシキゴイは模様などによって価格差があるためどうしても『ハジキ』と呼ばれる売れ残りが出る。これを処分すると、産業廃棄物のためお金がかかる。一般論だが、放流のために買い取ってくれるとなれば、お金を払うどころか収入になるので、業者としてはありがたいもの」と語る。 今回、NPOに販売業者が無償提供したのか、NPOが有料で買い取ったのかは不明だが、維持管理だけで餌代など経費がかさむことを考えれば、少なくとも観賞魚業者にとって放流は悪い話ではなさそうだ。 このようなニシキゴイや金魚といった観賞魚の川への放流は、岐阜県高山市や大阪府泉佐野市など各地で行われており、珍しいことではない。泉佐野市では昨年、インターネット上で起こった「炎上」によって金魚の放流イベントが一時は中止になったにもかかわらず「30年近くの伝統がある」「下流にネットを張るなどの対策をした」としてすぐ再開された。放流すれば再び物議を醸すリスクをおしての再開からは、なかなか放流を止められない事情が垣間見える。 昨年12月に神奈川県川崎市にある多摩川の支流・五反田川で行われた放流イベントでは、800匹のニシキゴイが放流された。ニシキゴイを無償提供したNPO法人「おさかなポスト」の山崎充哲代表が取材に応じてくれた。 「ニシキゴイ放流がベストの選択肢とは思っていないが、ニシキゴイ放流によって住民や行政が川に関心を持ってくれる。それが環境改善につながる。放しているのはニシキゴイの幼魚で、すぐにカワウやサギなどの天敵に食べられてしまうため生き残れない。また、今回放流した川は堰(せき)で区切られているため、多摩川にニシキゴイが流れ着くことはほぼあり得ない。そもそも多摩川は高度経済成長期に一度死の川になったため、本来の生態系は破壊されている。ただ、今年はニシキゴイを放流する予定はない」と説明する。 なお、山崎氏は『タマゾン川』の著者として知られ、多摩川の外来種問題についてかねて警鐘を鳴らしており、飼い主が飼いきれなくなった観賞魚を引き取る「おさかなポスト」を創設、自費で運営している人物だ。山崎氏ほど考えずに放流している例も全国には数多くあるだろう。 湖沼と異なり、河川での調査は難しくニシキゴイの放流が川の生態系に悪影響を与えるという確たるエビデンスはない。だが放流するのであれば少なくとも「たぶん大丈夫だろう」ではなく、科学的な知見を基に行うべきだろう。「予防原則」の下、生態系に影響がないことを確認してから放流を行うべきではないだろうか。ニシキゴイや金魚のような美観目的の放流に限らず、漁獲量向上を狙った放流についても効果を疑問視する意見は根強い。規制する法律がない放流 アユは放流のリスクが表面化した好例だ。川や湖などの内水面では、漁業法により「獲ったら増やす」の増殖義務が漁協に課せられている。義務履行の手段として大部分を占めるのが放流だ。釣り人から徴収するアユの遊漁料が経営の柱という内水面漁協も多く、琵琶湖産のアユが友釣りに適しているとして人気を集め、戦前からこぞって全国の川に放流されてきた。 しかし90年代に入ると、アユの漁獲量が激減した。サケ由来の致死性の感染症・冷水病が湖産アユに伝染、放流によって全国に拡散したのが原因とされる。さらにある業界関係者は「冷水病のパンデミックは90年代からだが、むしろよくここまで何事もなかったなという印象。エドワジエラ・イクタルリ症など、第二の冷水病になりうる病気はアユで確認されている」と警鐘を鳴らす。 またアユは回遊魚であり、川で卵からかえり、稚魚の間を海岸近くの海で過ごした後、遡上する。しかしアユの生態に詳しい長崎大学の井口恵一朗教授は「湖産アユは琵琶湖の淡水環境に適応した『陸封アユ』であり、在来アユと比べると海水への耐性で著しく劣る。湖産アユ同士の仔はもちろん、湖産と在来の交雑個体も海水環境では多くが死んでしまうと予想される。少なくとも海から遡上してきた個体に湖産の特徴は現段階で見出されていない」と指摘する。ヤナ漁で捕れた琵琶湖のアユ この反省から、最近では川のアユを卵から育てた人工アユ種苗が放流量の過半を占めている。しかし養殖場で育った“温室育ち”の人工アユ種苗はカワウなどの捕食者を天敵と認識できず、野生では生き延びられないとされる。井口教授は「湖産アユ放流も人工アユ種苗放流も、再生産に資する増殖効果はほとんどなく、放流でアユを再生産することは期待できない。産卵場や魚道の整備によって天然アユを増やすのも、やり方によっては増殖義務の履行になる。そちらの方が良いのではないか」と語る。 海への放流で最も大きな割合を占めるのがヒラメだ。2015年現在で放流量の3割を占める。しかしこの放流も、ヒラメの再生産に寄与しているかは疑問符がつく。1999年をピークに放流量は右肩下がりであり、2015年にはピーク時の半分以下になったが、それ以後も漁獲量は6000トンから8000トンの周辺で増減を繰り返しながら横ばいに推移している。 一方、震災でヒラメの種苗生産施設が被災し、放流量・漁船数が共に激減した宮城県では、11年の漁獲量288トンに対して12年は197トンと減少したものの、13年は987トン、15年には1644トンと急増している。自然に任せることが何よりの漁獲量向上につながる方策のようだ。 話をニシキゴイに戻すと、ニシキゴイの放流を規制する法律はない。では全国各地で行われている放流を防ぐ手段はあるのだろうか。 放流を規制できるのはブラックバスなどが指定されている外来生物法のみだが、運搬や飼育なども禁止されてしまうため、産業として成立しているニシキゴイを同法の対象にするのは実質的には不可能だ。そうなると、都道府県レベルでの条例や漁業調整規則、内水面漁場管理委員会指示での放流規制が最も現実的である。 しかしこれを実現できている自治体は存在しない。ブラックバスのキャッチアンドリリース禁止など生物多様性保護では先進的と専門家から言われている滋賀県でも同様だ。愛知県では10年、既存の条例に盛り込む形で外来種の放流禁止を規定したが、指定対象選定の際にコイを加えるかどうかが議論になった。だが「コイ放流に歴史と文化がある」「広くなじまれている」など愛着を理由に指定を見送った。

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    大阪市版「豊洲問題」だ! デタラメ行政が生じさせた医療空白地

    著者 宇山卓栄 東京都のデタラメな行政運営の象徴が「豊洲市場移転問題」である。だが、大阪市にも、この問題に劣らないくらい大きな問題が発生している。「市民病院跡地問題」である。両者に共通するのは、デタラメな行政が住民に大損害を与えているということだ。  今年3月、大阪市では、とんでもないことが明らかになった。ごく簡潔に、この問題の経緯を説明する。 老朽化した市民病院(「大阪市立住吉市民病院」、大阪市住之江区)の統廃合に伴い、民間病院がその跡地に誘致されることが決まっていた。2013年の橋下徹前市長時代の話だ。ところが、この民間病院の新病棟建設ができなくなった。日影(日照権)規制に引っ掛かり、既定の病床数(209床)を満たす大規模病棟建設が法的に認められなかったからだ。 平成30年3月末をもって閉院する大阪市立住吉市民病院=2016年10月28日、大阪市 毎日新聞などでは、「民間病院側の設計ミス」で日影規制に引っ掛かったと報じているが、これは事実と異なる。民間病院のミスではなく、市行政の過失が原因である。  大阪市健康局は、跡地の指定区域に、日影規制で209床もの大規模病棟を建てられない予見可能性を持ちながら、この民間病院の提案スキームを2015年8月に受け入れた。日影規制の障壁があり、新病棟建設ができないということを、健康局が吉村洋文市長(橋下氏の後継者)に報告したのがなんと、1年後の2016年9月である。「1年間、いったい何をやっていたんだ!」という話である。議会には、11月まで報告はなかった。  この1年間、厚生労働省の認可を得たり、市民病院の府立病院への統廃合の予算を通したりしている。しかし、結局、指定区域に新病棟が建てられないという結果となり、当初のロードマップに大きな狂いが生じはじめたのだ。 こうしたゴタゴタの中で、5月17日、民間病院側が誘致計画そのものから撤退することを表明した。民間病院としても、市のズサンな対応に業を煮やしたというところだろう。市は跡地の病院誘致を断念し、跡地の売却などを検討している。 この病院は大阪市の地域(住之江区など)の小児・周産期医療の主要な部分を市民病院が担っていた。今後、医療空白が生じ、それらの小児・周産期医療を代替する医療機関はこの地域からなくなってしまう。これは地域住民にとっての大きなリスクだ。  3月の市議会で、自民党の山本長助市議がこの問題を徹底追及した。山本市議の調査によって、市健康局が市民病院の跡地で、タイトな日影規制が掛かっていることを以前から認識していたことを裏付ける書類も出てきた。  当初、吉村市長も健康局も、上記の民間病院の建設スキームの選定に対し、日影規制を認識していなかったと主張していた。しかし、山本市議の手厳しい追及もあり、3月17日の市議会民生保健委員会では、吉村市長が「日影規制を知り得る機会があった」と答弁。  また、市は一連の経過について内部調査を実施し、その報告書で「選定段階で図面提出が義務づけられていなかったことに起因する」として、上記民間病院を選定した市に過失があることを認めた。  今後は、この行政過失がどのような背景から生じたのかを情報開示させるとともに、どこに責任が帰属するのかを明らかにしなければならない。  東京をはじめ、他の府県の方々に、われわれのこの大阪の問題が分かっていただきたいと思う。大阪府庁は「森友学園問題」、大阪市役所は「市民病院跡地問題」をそれぞれ抱えている。今、大阪はメチャクチャである。 行政が怠慢で不作為、意思決定がズサン。こうしたことは豊洲問題を抱える東京都庁も同じであろう。行政機構におけるガバナンスがまるで利いていない。怠慢な文学者気取りの知事やポピュリズム市長に加え、行政のチェックもできない無能議員を選んだ有権者が結局、こうしたツケを払わされる。そして、役人たちは大手を振って、「役人天国」を満喫し続ける。 

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    沖縄の民意に裏切られた「翁長王国」崩壊の危機

    篠原章(評論家・批評.COM主宰) 昨年12月20日、翁長雄志沖縄県知事による「埋め立て承認取り消し」をめぐる訴訟の上告審で、知事側の上告が棄却され、国(沖縄防衛局)による辺野古沿岸埋め立ては適法とされた。翁長知事側の全面的な敗訴である。 知事はこれに反発し、今年3月24日にキャンプ・シュワブのゲート前で開かれた抗議集会で「埋め立て承認を撤回する」と明言した。以前から「撤回」を求めていた琉球新報、沖縄タイムスなどの地元メディアは、この撤回発言を大きく報道している。 「取り消し」は、過去の行政行為(この場合は、2013年12月の仲井眞弘多前知事による埋め立て承認)に違法性があったと判断する場合に行われるものだが、「撤回」は、その後の諸事情の変化を受けて、過去の行政行為が正当性を失ったと判断する場合に行われるものである。 簡単にいえば、「取り消し」は前知事のミスを根拠とするものだが、「撤回」は現知事の「意思」を根拠とする。翁長知事側は、辺野古移設に反対する県民の「民意」が強まったこと(すなわち自分自身が知事に選ばれたこと)を「諸事情の変化」に挙げて、「埋め立て阻止」のための闘いを続けるつもりだといわれている。 ところが、3月の撤回発言から3カ月経っても、翁長知事は埋め立て承認を撤回する気配はない(6月20日現在)。一説では、翁長知事の発言を受けた菅義偉官房長官が3月27日午前の定例記者会見で、「(知事個人に対して)国家賠償法に基づく損害賠償請求を検討中」と述べたことが、翁長知事や県当局を慎重にさせているという。だが、翁長知事が撤回に踏み切らない理由はそこにはない、というのが筆者の見立てである。沖縄県の翁長雄志知事 たしかに国家賠償法には、「第1条  国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。第2条  前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する」と定められている。 筆者の推計では、翁長知事の法的手段を駆使した抗議行動のために、警備費用や一部工法変更のための経費としてすでに50億円以上の国費が失われている。これはあくまで直接的な経費であり、移設遅延に関わる総経費を算出すれば、おそらく数百億円にのぼる「遅延損害金」が発生しているだろう。このうちどの程度の金額が翁長知事個人に請求されることになるのかはわからないが、少なくとも数億円に上ることは十分予想される。 しかしながら、国が知事個人に直接損害賠償を求めた例はこれまで見あたらない。手続きとしては、(1)国が沖縄県に対して損害賠償を要求する(2)沖縄県が国に対して支払った賠償額を、翁長知事個人が負担するよう求める訴訟を起こす、という2段階のプロセスを経るのが常識的である。だが、沖縄県が翁長知事に対する求償権を行使しない(訴えない)可能性もある。この場合は、国家賠償法や地方自治法に基づき、住民が求償を求めて提訴する必要が生ずる。最終的には住民訴訟になる可能性が高いということだ。 たとえ県当局による求償権の行使や住民訴訟で賠償金を払うことになっても、翁長知事はその資金を十分調達できる。調達先が、一般支援者からの寄付になるのか、支援企業からの借り入れなるのかはわからないが、支援者は翁長知事を支えるだろう。ただし、資金調達の方法によっては、その合法性・適法性が問われる可能性はある。「オール沖縄」は3連敗 いずれにせよ、賠償金云々の話はまだまだ先のことであり、実際に訴訟が行われるかどうかもわからないのだから、「翁長知事は菅官房長官の恫喝に怯えて撤回に踏み切れない」という観測は必ずしも適切ではない。 菅官房長官の賠償発言に、沖縄県の財政当局は大きな不安を抱えているだろうが、知事個人には「自分は沖縄県民の民意を後ろ盾に闘ってきた」という思いがあろうから、「賠償請求の可能性がある」程度の話で弱腰になるとは考えにくい。 だが、問題はその「民意」だ。「沖縄県民の民意」が翁長知事を支えているという構図は大きく揺らいでいる。しかも、その揺らぎを生みだしたのは、翁長知事自身と「オール沖縄」なのである。その証拠はいくつもある。 証拠の一つ目として挙げたいのは、沖縄における首長選の連敗である。沖縄県政界は、目下翁長派(オール沖縄)と反翁長派に大別されるが、今年に入ってから行われた3つの首長選(宮古島市長選、浦添市長選、うるま市長選)で、「オール沖縄」は3連敗を喫している。 市長選の場合、当該自治体固有の課題や地域固有の政治力学が色濃く反映するので、「翁長派VS反翁長派」という対立の構図がそのまま当てはまるわけではないが、「翁長支持・オール沖縄」で凝り固まった地元メディアが対立の構図をいたずらに強調しすぎたきらいがあり、県民のあいだに「翁長派敗北」が必要以上に強く印象づけられてしまった。その結果、県民の「翁長離れ」が進み始めている。いわば「自殺点」である。沖縄県民大会でメッセージボードを一斉に掲げる参加者=2016年6月、那覇市(竹川禎一郎撮影) 第2に、翁長知事やその支援者、そして地元メディアなどが繰り返し述べてきた「沖縄VS日本」という構図もまた「沖縄の民意」を動揺させている。「沖縄は差別されている」「沖縄は虐げられている」という彼らの主張は一時県民を刺激し、反対運動も盛り上げたが、辺野古や高江などの闘争の現場で、県民以外の活動家が次々に逮捕される現状が明るみになるにつれ、翁長知事を支援する保守層のあいだにも、「一体誰のための反対運動なのか。『沖縄VS日本』ではなく『反政府運動VS政府』が実態ではないのか。沖縄はその構図に巻き込まれているだけではないのか」といった疑問が浮上している。 第3に、辺野古埋め立て承認訴訟での翁長知事の敗訴も民意に影響を与えている。敗訴に直面して、「やっぱり国にはかなわないのか」という諦めを感じた県民も多いというが、県民のあいだには「知事は勇ましいことをいってきたが、成果は何もない」といったように翁長知事自身の責を問う声も少なくない。敗訴によって、保守層から共産党まで広く支持を集めていた「オール沖縄」に大きな軋みが生じたということだ。 第4に、国による「懐柔策」が功を奏しているという側面がある。実はこれがもっとも重要なポイントである。「埋め立て承認」を撤回しない理由 菅官房長官は、5月に入ってから沖縄に対する特例的な財政支援の枠組みである「沖縄振興計画」の延長を数回にわたり示唆した。1972年の復帰以来、計画期間10年の沖縄振興計画は5度にわたり実施されており、これまで投入されてきた沖縄振興予算は累計12兆円に上るが、政府はこれを現行計画が終了する2022年度以降も継続するというのである。 振興計画延長は翁長知事の「悲願」だった。私見だが、翁長知事はそのために日の丸保守という立場を捨て、「辺野古反対」まで訴えて政府に圧力をかけたと推量している。筆者は、振興計画の継続は沖縄経済を蝕むだけの愚策だと考えているが、翁長知事を始め、振興計画こそ沖縄経済の屋台骨だと考える政治家・財界人はいまだに数多い。菅官房長官が延長を示唆したことで、「振興計画継続」の旗頭だった翁長知事は、これまでのように強力な「反政府姿勢」を取れなくなってしまったのである。 知事が「埋め立て承認」を撤回しない最大の理由はここにある、と筆者は読んでいる。要するに「辺野古反対」は、翁長知事にとってあくまで振興計画継続を勝ち取るための手段にすぎなかったのだ。 もっとも、自身の体面を保つために、知事が政府に対する「矛」を完全に収めることはないだろう。実際、翁長知事は、勝ち目の薄い「訴訟合戦」をまだまだ続ける意向を持っているようだ。が、すでに目的は達してしまったのだから、知事の「矛先」は以前よりもはるかに鈍いものになるに違いない。 誤解を恐れずにいえば、翁長知事は事実上政府にすり寄ったのである。共産党、社民党などの移設反対派からみれば、これははっきりいって「裏切り」だが、彼らはまだその事実を認めようとしてはいない。とはいえ、翁長派のあいだでも翁長知事に対する不信感が広がり、「民意」は大きく揺らぎつつある。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」=2017年5月 以上見てきた通り、翁長知事はもはや求心力を失い、「翁長王国」は音を立てて崩壊し始めている。基地負担の問題、日米同盟の問題、沖縄経済の脆弱性の問題など複数の問題をきちんと整理しないまま、「辺野古反対」だけに県民の民意を集約させようとした「オール沖縄」の戦略は、ここにきて完全に破綻したといえる。 翁長派・反翁長派を問わず、沖縄の政治的リーダーの中にも、「オール沖縄は終わった」「辺野古は終わった」という認識を持つ者は少なくない。両派ともすでに「ポスト辺野古」の県内政局を睨んだ生臭い動きに関心を寄せ、2018年11月に行われる沖縄県知事選に焦点は移り始めている。崩壊しつつある「翁長王国」 反翁長陣営からは、西銘恒三郎衆院議員(自民党)、安里繁信シンバホールディングス代表取締役会長、古謝景春南城市長、我喜屋優興南学園理事長(元興南高校野球部監督)などといった候補者名が聞こえてくるが、候補者選びは始まったばかりだ。反翁長陣営から複数の候補が正式に名乗りを上げる可能性も否定できない。演説する沖縄県の翁長雄2016年6月、那覇市 いちばん問題が大きいのは、翁長知事以外に有力候補が見あたらない翁長派だ。政府との「対決」で事実上力負けしてしまった翁長知事は、健康問題も抱えているといわれ、出馬を見合わせる可能性がある。二階俊博自民党幹事長は、翁長派・反翁長派に分かれている保守を「手打ち」させようという思惑を抱いているようだが、翁長知事と仲井眞前知事のあいだの根深い確執もあり、今のところ先行きは不透明だ。 これまで翁長知事を載せた御輿を、保守系翁長派とともに担いできた共産党、社会民主党、社会大衆党(沖縄の地域政党)の動きも大いに気になる。彼らは表面的にはまだ「オール沖縄の崩壊」を認めていないが、崩壊を認めたとしても候補者探しは難渋しそうだ。 行き過ぎた抗議活動で逮捕された山城博治沖縄平和運動センター議長の名前も浮上しているが、山城氏のように保守票を集められない候補では苦戦を強いられることになる。彼らが「民意の揺らぎ」を正面から受けとめながら、仕切り直す意思があるのかどうか不明だが、少なくとも「辺野古反対」だけでは県民生活の安定は得られないことをしっかり認識すべきである。 波乱はまだまだ続くだろうが、現状では、あれだけ盛り上がったかのように見えた「辺野古反対」「オール沖縄」とは一体何だったのかという反省や総括を欠いたまま、「県内政局」への関心だけで次の知事が選ばれることになりそうだ。 誰が当選しても、それは県内の利害対立と利害調整の結果にすぎず、「基地」に対する県民の意思とは異なるレベルで雌雄が決するという意味である。「普天間飛行場の辺野古移設」が決着に向かい、基地縮小プロセスが着々と進むのは結構なことだが、県民・国民を翻弄し、莫大な税を投入してきた「辺野古移設」をめぐる大混乱が、責任者不在のまま「政治的駆け引き」のようなものによって幕を引かれるとしたら、何か釈然としない思いが残される。 要するに「何事もなかったかのように曖昧に済ませてよいのか」というのが筆者の疑問である。県民や国民を不幸にするだけの、あのような混乱は二度と起きてほしくないが、曖昧に済ませれば問題は必ず再燃する。「翁長王国」は崩壊しつつあるが、火種はまだ残されたままなのである。

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    怒声は関西弁ばかり 「ウチナーンチュ」不在の基地反対運動の真実

    仲新城誠(八重山日報編集長) 今月、沖縄のある自民党関係者と話す機会があり「『オール沖縄』はもうそろそろ終わりでしょう」という話題で盛り上がった。「オール沖縄」は翁長雄志知事を支持し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する勢力だ。翁長知事が誕生した知事選以降、沖縄でのあらゆる国政、県政選挙を制し、沖縄の政界を席巻した。 しかし、ここへ来て明らかに潮目が変わりつつある。政府が4月、辺野古の護岸工事に着手したためだ。今後、移設工事は後戻りできない段階まで進む。「オール沖縄」には共通の政治理念もなく、さまざまな政党や団体が移設反対という一点だけで結集しているに過ぎない。今後も民意をつなぎとめられるか、正念場である。 だが、当の沖縄で「オール沖縄」の終焉(しゅうえん)を感じている県民は、どれほどいるだろうか。沖縄メディア、全国メディアを問わず、相変わらず辺野古移設問題で「沖縄が政府にいじめられている」と印象操作する報道があふれかえっている。 県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」を開けば、正義の「オール沖縄」が負けるはずがない、と言わんばかりの強気の記事ばかりだ。最近では、近く工事の差し止め訴訟を起こす翁長知事の主張が、法的にいかに正当であるか力説する記事をよく見かける。しかし、実際のところ移設反対運動は、現場レベルで県民にどこまで支持されているのか。 辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前では、工事を実力で阻止しようと反対派が座り込んでおり、機動隊から連日のように排除されている。私の見たところ、反対派は20~30人と言ったレベルであり、機動隊を押し返すほどの勢いはない。米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、機動隊員に排除される普天間飛行場の辺野古移設反対派=2017年4月 反対派リーダーは、辺野古での集会で「現場に多くの人が集まることで工事を遅らせることができる。毎日200人、300人集めたい」と呼びかけているが、一般県民が平日の朝から、仕事を休んでまで反対派に呼応するはずがない。 過激な反基地運動が一般県民のレベルで広がるきざしはなく、最前線で活動しているのは一握りの特殊な人たちである。多くはリタイヤ組と思われる高齢者たちだ。話すと一応は沖縄出身者だが、現役時代から労働組合運動に打ち込んできたような、バリバリの思想傾向の人たちが中心のようだ。「職業的活動家」がほとんど 沖縄という土地の特徴は、現地の住民と少し話しただけで、この人が沖縄出身の「ウチナーンチュ」か、本土出身の「ヤマトーンチュ」か、容易に判断できるケースが多いということだ。言葉のイントネーションが大きく違うからだ。 辺野古で機動隊による強制排除の現場を取材すると、明らかに本土出身者のイントネーションで「美(ちゅ)ら海を守れ」「警察権力の乱用だ」などという絶叫が聞こえる。叫ぶ元気がある比較的若い世代は、県外から流入したと思われる職業的活動家がほとんどのようだ。 辺野古に行って反対派の話を聞いたり、リーダー格の演説に耳を傾けると、それは歴然となる。最前線の反対運動は間違いなく、本土出身者が一翼を担っている。沖縄出身者はもちろんいるが、辺野古住民はほとんどいない。しかし、それは反対派もメディアも決して発信したがらない「不都合な真実」だ。 反対派のリーダーというと公務執行妨害容疑などで逮捕、起訴された山城博治氏が有名だが、彼がやたらと表に出るのは、恐らく沖縄出身だからだろう。本土出身者は用心深く、スポットライトに当たらないようにしている。メディアもそこは心得ており、新聞やテレビを見ると基地反対運動の現場で、意識的に沖縄出身者を取材する傾向があるように見受けられる。スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で演説する沖縄平和運動センター議長の山城博治氏=2017年6月 沖縄出身者と本土出身者の微妙な関係をめぐっては、沖縄メディアにも同じような状況が存在する。実際、反基地を発信する県紙の基地担当記者には、本土出身者が目立つ。 沖縄の人材の市場はもともと狭い。県紙のように、ある程度大きな企業になると、沖縄出身者だけでは到底支えられず、優秀な本土出身者が登用されるのは当然だ。八重山日報は中小零細企業だが、本土出身者はいる。 沖縄の基地反対運動の現場で飛び交う「クソ」「ボケ」などという反対派の怒号は関西弁。「これが沖縄の民意だ」と県紙に書く記者も関西人、「辺野古住民の多くは移設容認」と、県紙とは違う視点で取材する八重山日報の記者も関西出身、というコメディのような事態も現実に起こっている。 ついでに言うと、沖縄に駐在して基地問題の記事を書いている全国紙の記者も、もちろん数年単位で転勤を繰り返す本土出身者である。こうした記者たちの特徴は「ステレオタイプの記事を書く」ということだ。印象操作を重ねる地元メディア 安倍政権に不祥事が起きれば「安倍一強の緩み」という決まり文句の記事が氾濫するように、彼らに沖縄の記事を書かせれば、ほとんど「政府が沖縄の民意を踏みにじり、基地建設を強行している」という例文通りになる。本質的に、当事者ではなく傍観者なのである。 もう一つ、現場に行くと一目瞭然なのは、辺野古移設の反対運動というのが一般県民のレベルで浸透するような平和運動ではなく、特定の政治勢力に奉仕する政治運動だということだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる集会の参加者ら=2017年5月 私は4月以降、辺野古で開かれた抗議集会を3カ月足らずで3度取材した。登壇した国会議員や県議は共産党、社民党、自由党など、いずれも国政野党である。参加者が手にするのぼりはほとんどが労働組合の赤旗であり、参加者に配布されるチラシには「革マル派」と明記してある。沖縄では「オール沖縄」と称しても、国政では「反自公」「反安倍政権」を掲げる野党連合の運動に過ぎないことは、これだけでも明らかだ。 しかし、全国メディア、沖縄メディアを問わず、辺野古反対が平和運動であるかのように報道されているのが、私には奇怪なのである。沖縄は6月23日に「慰霊の日」を迎えたが、この日に向け、地元のある民放テレビ局がニュース枠で特集を組んだ。 それは辺野古で座り込む一人の高齢者に焦点を当てた番組で、彼は「戦争につながるすべてのものに反対する」と言い切る。アナウンサーは「辺野古には、この人のように戦争を体験した多くの高齢者が座り込みに参加しています」とナレーションを入れる。県民の負担軽減策である辺野古移設が、戦争準備の新基地建設であるかのような印象操作番組だ。 とはいえ、沖縄ではこのような番組に対する批判の声を全く聞かない。作り手も受け手もあまり違和感がないようだ。沖縄では県紙2紙の寡占状態となっている新聞をはじめ、あらゆるメディアがこうした状態であり、おそらく慣れてしまっているのだろう。

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    なぜ日本人は信仰を聞かれて「無宗教」と答えたがるのか

    島田裕巳(宗教学者) 日本人は自分たちのことを「無宗教」だと考えてきた。 それを裏づける資料もある。アメリカのギャラップ社が2006年から08年にかけて行った世論調査では、日本人のなかで信仰を持っている人間は25%で、対象となった世界143カ国のうち136位という結果が出た。 日本より信仰率が低いのは、香港や北欧諸国などわずか7カ国しかない。たしかに、日本は無宗教の国であるということになる。 しかし、これが果たして正しいのかどうか、実は怪しい。 NHKが1996年に行った「全国県民意識調査」というものがあるが、全国平均では、信仰を持っている日本人の割合は31・2%であった。ギャラップ社の調査よりは高いが、7割近くが無宗教であるということになる。 ところが、都道府県別に考えると、かなりのばらつきがある。最も低いのは沖縄の7・8%で、これが飛び抜けて低いが、次いで千葉県の18・1%である。関東はおしなべて低く、一番高い東京でも27・0%である。東北も低く、すべての県が20%台である。他に20%台は、新潟、山梨、高知である。 反対に、最も高いのが福井の58・0%で、広島も53・7%と半数を超えている。40%台は、富山、石川、長崎、鹿児島、香川である。多くの参拝者が訪れる西本願寺=5月31日、京都市下京区の西本願寺(北崎諒子撮影) 長崎の場合には、キリスト教が5・1%で、このことが信仰率を押し上げているが、他に高い県は、浄土真宗の信仰が強い「真宗地帯」である。鹿児島も浄土真宗は強い。 この点は重要で、浄土真宗の信仰が強いところでは、どこでもかなり信仰率が高いのである。平均してしまうと、この地方による違いが見えなくなる。男女別にみるとさらに興味深い結果が  また、2008年にNHK放送文化研究所も加わっている国際社会調査プログラム(ISSP、International Social Survey Programme)が行った調査では、日本人の信仰率は平均で39%という結果が出たが、この調査では、男女別年齢別に集計しており、興味深いことが明らかになった。春日大社に初詣に訪れた参拝者=2017年1月1日、奈良市 16歳から29歳では、女性が20%で男性が17%とかなり低い。ところが女性の場合には、30歳から39歳で28%、40歳から49歳で39%、50歳から59歳で43%、60歳以上で56%と年齢が上がるにつれて徐々に信仰率が上がっていくのだった。 さらに興味深いのは男性の場合である。30歳から39歳で19%、40歳から49歳でやはり19%と、50歳になるまでは若い頃と変わらず低いのだが、50歳から59歳では41%と急に上昇し、60歳以上では56%と女性と肩を並べるのである。 なぜ男性は50代になると、急に信仰を持つようになるのか。おそらくそこには、定年を意識するようになるということが関係していると思われる。私が今教えている女子大生の父親は、ちょうどこの世代にあたるが、急にお寺参りをするようになったとか、私の本を読んでくれるようになったとか、そう答える学生が多い。 この二つの調査結果を踏まえて考えると、果たして日本人は本当に無宗教といえるのかどうか、そのこと自体がかなり怪しくなってくる。 もしかしたら、無宗教は建前であって、宗教を信仰しているというのが本音なのではないか、そうとさえ思えてくるのである。 自分が無宗教であると標榜(ひょうぼう)するのは、他人から信仰を聞かれたときである。そのときには、自分が信仰を持っているとは答えにくい。それだけで警戒されるかもしれないと思ってしまうからだ。 ところが、世論調査の場合には、こっそりと記入するわけで、調査機関にしかそれは分からない。匿名で記入するのであれば、なおさら、自分がどう答えるかを気にする必要がない。だから、世論調査には本音が出る。そう考えられるのではないだろうか。本音で答えない理由は何か? 世の中で宗教のことが話題になるとき、その対象は新宗教であることが多い。女優の清水富美加が出家したというときにも、出家先は新宗教の幸福の科学だった。 新宗教はかつて「新興宗教」と呼ばれることが多く、そこには布教に熱心で、信仰に凝り固まっているというイメージが伴った。特に、高度経済成長の時代に創価学会や立正佼成会などの日蓮系の教団やパーフェクトリバティー(PL)教団が急成長したときにはそうだった。 そこから、新宗教に対する警戒心が生まれ、自分に信仰があると答えれば、そうした新宗教の信者だと思われるのではないかという意識が生まれた。そこで、聞かれれば無宗教と答えるようになった。そうした面がある。 その点で、日本人の無宗教というとらえ方には、自分は怪しげな新宗教の信者ではないというニュアンスが強くこめられている。女優・清水富美加=2016年9月22日東京・港区(撮影・高橋朋彦) しかし、日本人は無宗教と言いながら、日常的に宗教の世界と深くかかわっている。初詣には大勢の日本人が出掛け、そのなかにはかなりの数の若者が含まれている。葬式離れは進んでいるものの、仏教式で葬られる人はまだ少なくない。 それが真宗地帯ともなれば、「門徒(浄土真宗の信者のこと)」としての自覚は失われていない。四国地方などは、真宗地帯に属する各県に比べれば信仰率は低いが、それは、この地域で根強い真言宗と深くかかわりを持っていても、それを信仰や宗教としては意識していないからだ。 奈良や京都で古寺がいくつも残され、他の地域でも名だたる寺や神社がきっちりと守られてきたのも、日本人には強い信仰があるからだ。無宗教化が進むヨーロッパでは、古いキリスト教の教会でも維持できなくなり、モスクに売られたりしている。 そして、年を重ね、人生の終わりや老後を意識するようになると、日本人ははっきりと自分の信仰を意識するようになる。それしか、死に向かいつつある自己を支える基盤を見いだすことができないからだ。 日本人の本音は無宗教ではない。そのことを踏まえた上で日本人の宗教観を見直す必要があるのではないだろうか。

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    「浄土ってどこにあるの?」日本人の宗教離れはこの問いに隠れている

    向谷匡史(作家) 街を歩けば、そこかしこでコンビニを目にする。全国で約5万5千店。過当競争とも聞くが、「これだけあって、よくメシが食えているな」と、経営努力に頭が下がる。 ところが宗教団体の数はそんなものではない。仏教系単位宗教法人だけで約7万7千、これに神道系やキリスト教系など諸々を合わせれば18万余りが全国に散らばっている。宗教離れが指摘され、「日本人は無宗教」と言われながら、これだけの数が存在していること自体が驚きである。「よくメシが食えているな」という感慨どころか、目をむいてしまう。不謹慎かもしれないが、晩年に至って僧籍を得た私の、これが率直な感想である。 日本人が無宗教であるかどうかはともかく、宗教に対して一定の距離を置いていることは、一般の人でも皮膚感覚でわかるはずだ。 「私は××宗の熱心な信者なんです」 初対面でこう言われれば、 「それはそれは」 と当たり障りのない応対をしながら、「この人、ちょっと変わっているな」と距離を置きたくなる。 反対に、「人間、死ねば粗大ゴミ」「葬式なんかするわけがないでしょう」「地鎮祭? バカなこと言わないでください」―と鼻で笑う人に対しても、「ちょっと変わっているな」と距離を置きたくなるだろう。 宗教に対するこの「微妙な間合い感覚」が、現代日本人の「宗教観」ではないか。宗教心について各種調査を見れば、「自分は無宗教だ」と公言する日本人は少なくないが、そのうちの大半が「宗教心は大切だ」と答えている。この矛盾と「精神的なゆらぎ」に、私は現代日本人の実相を見る。 儒教が日本に入ってきたときから、すでに日本人の無宗教化が始まったともされるが、浅学の私に大所高所からの考察はできない。道俗―すなわち、物書き(俗)と僧侶(道)のはざまに立つ「小所低所」から私見を述べたい。 去る4月8日、全国のお寺で「花祭り」(灌仏会[かんぶつえ])が行われた。釈迦(しゃか)の生誕を祝うもので、子供たちがお寺に集い、白い像を引き、稚児行列が行われるのだが、「それは大きなお寺だけですよ。うちなんか、子供の参加者が年々減ってきて、今年は10人足らずでした」と、知人の住職がボヤきながら、子供が「寺離れ」する理由の一つとして、境内を遊び場として提供できなくなったことをあげる。画像は本文と関係ありません 「いまの時代、墓石が倒れて大ケガでもしたら訴訟沙汰になりますからね。本堂の手すりから落っこちてでもすれば管理責任を問われかねない。そんなことを考えると、怖くて『遊び場にしてください』とは言えないんです」 本山は地域と密着する場として、末寺に寺の開放を求めるが、「何でも訴訟」という社会風潮は、お寺をも萎縮させているということになるだろう。幼児が遊びに来なければ若いママも来ない。若いママたちは公園に集まり、公園ママ友になっていく。「境内を交流の場とする境内ママ友なんてことになればいいんですが、現状では無理でしょうね」と、この住職は嘆息する。 若いママが「お寺離れ」すれば当然、両親・祖父母の葬儀は簡素化の一途をたどる。「葬儀はしません。納骨だけお願いします」と檀家(だんか)の嫁さんから電話があり、「うちは霊園じゃねぇ!」と思わず叫びたくなったと、別の住職は自嘲する。「宗教心は大切だ」とアンケートに答えはしても、宗教離れは確実に進行していることが、現場では皮膚感覚としてわかるのだ。それでも宗教はなくならない 日本人が「無宗教」を堂々と口にするようになったのは、先の敗戦が大きく影響しているのではないか。天皇という現人神(あらひとがみ)の「人間宣言」によって価値観が一変。論理と科学に代表される西洋文明が一気に押し寄せた。論理的・科学的に証明されないものを排除し、現代に至ってそれがますます先鋭化してきたように思う。 私が僧侶の立場で浄土往生を説けば、「浄土ってどこにあるのよ」と、必ず意地悪い質問が飛んでくる。 「お浄土は人間界から西方はるか10万億の仏土を隔てたところにあり、阿弥陀如来を教主とし…」 説明を始めるが最後まで聞かず、「それって、証明できるんですか?」とツッコミを入れてくる。科学的に証明できるかどうか、これが価値判断の基準であって、「地獄極楽の存るを問うな。わが心に地獄の棲むを問へ」―という生き方論など「坊さんのたわごと」というわけだ。 それに加えて拝金主義。任俠道という精神性を標榜するヤクザですら、バブルを境に「経済ヤクザ」なるものが登場し、「マネー・イズ・パワー」と嘯(うそぶ)いてはばからない。私は空手道場をやっているが、そういう社会風潮にあって、「清く正しく美しく」と説教しても子供たちに通じない。「縁の下の力持ちになれ」と言えば「そんなの損じゃん」と口をとがらせる。「だます人よりだまされる人になりなさい」と言えばキョトンである。 戦後70年を経て、これが日本の行きついた先であり、現代日本人の「無宗教」は、宗教論として論じるよりも、精神世界を失いつつある結果であると私はとらえている。 その一方、宗教離れを論じるとき、スピリチュアルブームが引き合いに出される。「精神世界を失いつつあると言うが、スピリチュアルはブームになっているではないか」という主張で、これは既存宗教の怠慢であるという批判でもある。画像は本文と関係ありません だが、私はこう考える。人間の意識は常に振り子のように揺れているため、科学万能主義に厭(あ)きてくると精神世界へ回帰していく。既存の宗教に回帰しない理由は、赤ちゃんが玩具に厭きて放り投げるとそれには見向きもせず、新たな興味を引くものに手を伸ばすのと同じである―と、いささか乱暴に考えるのである。 時代がどう変わろうとも、死に対する根元的な恐怖、天変地異、そして日々を生きることの不安と苦悩から私たちが逃れられない以上、死後の救済を説き、心の安逸に資する宗教は決してなくならない。「宗派・教団」には経営努力が求められ、ここにおいて「宗教」は一線を画する。「日本人はなぜ無宗教なのか」という問いに対して「無宗教も宗教」と揶揄(やゆ)するのはたやすいが、日本人の少なからざる人が無宗教と公言し、それが戦後の時代風潮のなかで加速してきた現状について、今一度、考えてみるべきではないだろうか。「小所低所」からの私の提言である。 

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    無神論者は「ならず者」? 外国人には理解できない日本人の宗教観

    小島伸之(上越教育大准教授) 初めての海外旅行に臨む日本人が、ビザ申請や入国審査で記入する書類の「Sex」欄に「未経験(Inexperience)」と書いて恥をかいた、という海外旅行が珍しかったころからの古典的なネタがある(戦後日本で海外旅行が一般化したのは1970年代以降である)。 最近はF(astはやい)、M(ediumそこそこ)、それ以外という新ネタもあるようだが、あくまで大人のジョークの世界である。現実的な問題となりうるのは、「Religion」(宗教)の欄にどう書くべきか、ということである。 日本的な普段の感覚をもとに「なし(None)」とか、辞書を引いて「無神論(Atheist)」と書くことは避けるべきとされている。なぜなら、それによって冷笑されたり、不審がられることがあるからである。SNSプロフィールの宗教の欄や、直接の会話で「あなたの宗教は何ですか」と聞かれたときも同様であり、私的な人間関係において「無神論者」は露骨に敬遠・警戒される場合がある。 宗教文化にもよるが多くの外国人から見て、無神論者は、他者の信仰を含めてあらゆる神を認めることを積極的に拒否する者とみなされ、宗教こそが倫理や道徳の基礎となってきた宗教文化圏においては、無神論者は自らを日本語における「無法者」「ならず者」であると宣言する存在と見られる可能性がある。 したがって、こだわりがなければ「仏教者(Buddhist)」と書け、「神道者(Shintoist)」でもよい、本人の自覚はさておきそうするのが無難とのアドバイスが旅行者に対して事前にされることもある。 むろん日本人にとっては、特定の信仰の有無と倫理意識・道徳意識の高さが直結しているという意識は薄く、「無宗教」の人物がすなわち「無法者」「ならず者」であるという感覚はない。 むしろ、阪神大震災や東日本大震災による混乱に際しても、火事場泥棒はあれども大規模な暴動や略奪が生じなかったことを外国人が不思議がったように、日本人の倫理観・道徳観は国際比較の観点から相対的にかなり高いともいわれている。 ここには、相対的に高いとされる倫理観・道徳観が特定の宗教と無関係であることが、少なからぬ外国人には理解しがたいというカルチャーギャップが存在しているのである。 このカルチャーギャップは歴史的にもきわめて大きな問題であった。幕末以降日本が国際社会に積極的に再参加するに際し、非キリスト教国である日本が「文明国」であるということを当時の列強諸国(キリスト教諸国)に理解してもらうことが必要となったからである。 かつて明治期に新渡戸稲造が「武士道」という概念を用いて(『BUSHIDO The Soul of Japan』1899年)、また穂積陳重が「祖先教」という概念を用いて(『Ancestor-Worship and Japanese Law』1901年)、キリスト教国ではない日本も、倫理的・道徳的な「文明国」であるという説明を欧米で試みたのも、まさにこのギャップを埋めるためであった。 ちなみに、伊藤博文は、「帝国憲法制定の由来」(大隈重信撰・副島八十六編『開国五十年史』上、開国50年史発行所、1907年)で近世以来の日本社会の「文明性」を主張しているが、そこで展開される日本社会論の説明には「郷党社会」というキーワードが用いられ、日本社会の特徴は神道や仏教などの宗教とは関連付けられていない。総人口を超える「信者数」 さて、特定の信仰を有しないと考えている日本人は今日確かに多く、このことは社会調査によっても裏付けられている。近年の調査結果を見てみるならば、統計数理研究所による「日本人の国民性調査」(第13次調査、平成25年)では信仰や信心を「もっている、信じている」と答えた人の割合は28%だった。 また、読売新聞による「全国世論調査」(第10回、平成20年)では「何か宗教を信じている」と答えた人の割合は26.1%。國學院大日本文化研究所による「学生宗教意識調査」(第12回、平成27年度)では「現在、信仰を持っている」と答えた大学生の割合は10.2%であり、いずれも信仰を有していると答えている割合は少ないことがわかる。 ところが逆に信者ではなく教団側の視点から見てみると、日本人の宗教信者数はむしろ極めて多いことにもなる。宗教法人をほぼ悉皆的に対象とした文化庁の調査によれば、平成26年12月31日現在のわが国の宗教団体の「信者数」は、神道系9216万8614人、仏教系8712万6192人、キリスト教系195万1381人、諸教897万3675人の計1億9021万9862人である(文化庁編『宗教年鑑 平成27年版』)。 総務省による平成26年10月1日現在の日本の総人口推計は1億2708万3千人であり、文化庁の調査による日本の宗教団体の信者数は日本の総人口をはるかに超えている。この一見奇妙な信者数に関する調査結果は、まず、信者の定義自体が調査対象の宗教団体にゆだねられた自己申告による数字であることによる。 同年鑑は、「信者は、各宗教団体が、それぞれ氏子、檀徒、教徒、信者、会員、同志、崇敬者、 修道者、道人、同人などと称するものの全てを含んでいる。信者の定義、資格 などはそれぞれの宗教団体で定められ、その数え方もおのおの独自の方法がとられています」と説明している。宗教団体によっては、実際の信者数よりもかなり「水増し」した信者数を申告することも少なくない。 しかし、人口を超える信者数については「水増し」申告だけに還元できない要因もある。「家の宗教」および多元的・重層的な日本の宗教文化という要因である。個人的にある宗教の信者であるという自覚がなくても、属する家には宗教があることが多い。 江戸時代の寺檀制度などの歴史的経緯から、家は地域の神社の氏子として、また先祖の墓のある檀那寺の檀家として、それぞれ位置づけられていることが一般的である。つまり、日本人の多くは、本人が自覚的であるか否かに関わらず、地域の神社の氏子であると同時に家の檀那寺の檀家であることが多い。 何らかのきっかけでそれを自覚したとき積極的信仰に目覚めることは少なくとも、そうした位置づけられ方を積極的に拒否する人も少ない。こうして、日本人の多くは、「家の宗教」と多元的・重層的な宗教文化によって、地域の住人=氏子、家の一員である=檀家とみなされ、一人が神道の信者でもあり仏教の信者でもあるということになる。人口を上回る信者数は、こうした要因にもよるのである。日本人はいい加減で無節操? さらに、特定の宗教・教団(宗教組織)への自覚的所属意識にかかわらず、宗教的行動は盛んに行っていたり、宗教的感性は大切に思っていたりすることも日本人の特徴である。先に引いた調査においても、既成宗教に関わりなく「宗教的な心」は大切だと思う人の割合は66%(前記「日本人の国民性調査」)、盆や彼岸などにお墓参りをする人の割合は78.3%、正月に初詣でに行く人の割合は73.1%(前記「全国世論調査」)、「去年のお盆の墓参り」に行った学生の割合は56.4%、「今年の初詣」に行った学生の割合は61.4%(前記「学生宗教意識調査」)と、信仰を有していると答えた人の割合に比してそれぞれかなり高い割合となっている。 お盆や正月の帰省ラッシュの存在は、家族と再会する機会という世俗的目的と宗教的目的が相まって生じている現象なのである。 以上のように、総体的にみて今日の日本人と宗教のかかわりは、①主観的に特定宗教の信仰を有していると自覚する者は少なく、②一方で「形式的に」教団に所属しているとされる人数は多く、③特定の宗教・教団への所属意識がなくとも宗教的感性を有し宗教的行動は行う、というものである。 こうした日本人の在り方が無神論とは異なるとしても、「無宗教」であるといえるか否か。そもそも、大半の日本人が「無宗教」であるか否かという論点について、論理的に考えるならば、「宗教」ないし「無宗教」の定義によって、その結論が決まることになる。 しかし、「宗教」の定義自体が容易な問題でない。『宗教の定義をめぐる諸問題』(文部省調査局宗務課、昭和36年)には、104人の研究者による104通りの異なる定義が収録されているほどである。「宗教」の定義が容易でなければ、「無宗教」の定義も容易ではなかろう。容易に定まらない多様な定義のいずれに依るかにより、日本人は「無宗教」であるともないとも言い得ることになる。 少なくとも、すでに述べたように、こうした日本人と宗教のかかわりは国際比較的にかなりユニークなものであり、戦前から説明が試みられてきたものであるが、戦後においても例えば山本七平や小室直樹の「日本教」論(『日本教の社会学』1981年、講談社[2016年復刻、ビジネス社]など)や阿満敏麿の『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書、1996年)、最近では松島公望・川島大輔・西脇良『宗教を心理学する データから見えてくる日本人の宗教性』(誠信書房、2016年)などがそれぞれ多様なアプローチによってこの問題を考察している。 この問題は、個人的レベル(海外旅行)や国家的レベル(外交)の実践的問題であるにとどまらず「われわれ日本人とはいかなる存在なのか」、というアイデンティティの探求にかかわっているため、時代を超えて関心を引き続けるのであろう。 なお、「特定の宗教を信じているわけではないが『宗教性』は大切だと思っている」という人を、「Agnostic(不可知論者)」と表するのが英語の意味的には一番実態と表現のずれが少ないという。 しかし、実際に書類に記入したりする場合「Agnostic」はよくわからないから、面倒くさいので「Buddhist」でいいや、というのがおそらく大方の日本人の心情であろう。これをおおらかで寛容と評するも、いい加減で無節操と評するも、立場によって可能である。

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    「強運の人」鹿取義隆GM起用は弱すぎる巨人にとって吉と出るか

    小林信也(作家、スポーツライター) 株主総会のタイミングで、巨人のゼネラルマネジャー(GM)が代わった。堤辰佳GM兼編成本部長が再任されたが自ら辞し、かつてのリリーフエース、特別GM補佐の鹿取義隆氏が同職に就いた。就任会見に臨む巨人・鹿取義隆GM兼編成本部長=6月13日、東京・大手町(撮影・長尾みなみ) シーズン前半にもかかわらずGMが代わった。しかも読売新聞社からの出向でなく、「元選手が巨人で初めてGMに抜擢された」という表現などから、全体としては歓迎ムードだ。当面これで球団への批判モードは封印し、新体制を見守ろうという空気が巨人ファンだけでなく、プロ野球報道全体の傾向になっている。世の中というのは、印象だけで大きく変化する。意外と容易にコントロールできるのかなあと、今回の交代劇で改めて感じる。 「選手出身のGMは巨人では史上初」との報道だが、本当にそうだろうか? GMという肩書きではなかったし、GMほどの権限が与えられていたわけではないが、巨人で事実上GMに相当する職務は「編成部長」が務めていた。この職は、元投手の倉田誠さんが長く務めていた印象が強い。その意味で「鹿取が初」というのは、センセーショナルすぎる表現ではないだろうか。倉田さんに失礼だ。 別の表現をすれば、巨人も野球界の流行の中で「GM兼編成本部長」という名称に変えたが、実質的にメジャーリーグでGMが任されている権限を与えているのかどうか、明らかではない。選手と同様、GMは会社員ではない。球団と契約し、成果が求められ、期待に合わなければ職を追われる。それだけに、選手同様、自由な裁量権が保証され、実力を存分に発揮できる条件が与えられなければやっていられない。 今回就任した鹿取GMが、そのような裁量と権限を持っているかどうかの報道は残念ながらされていない。読売本社からの起用ではないが、読売本社の意向を強く反映する読売巨人軍に「就職した」印象も拭えない。 何より「なぜ鹿取義隆なのか?」の理由について、明快なメッセージはない。同世代だけ見ても、「なぜ江川卓ではないのか?」「なぜ西本聖ではないのか?」、誰も問わない。 鹿取は引退後も巨人と近い関係を築いていた。「きちんと球団の意向を聞ける大人」という評価が、鹿取GM起用の大きな理由のようにも感じる。それならば社員と変わりがない。 巨人では初というが、日本プロ野球に導入されてまだ歴史の浅いGMの大半は、「元巨人」の選手が担ってきた。千葉ロッテで初めてGMになったのは広岡達朗氏。言うまでもなく、往年の巨人の名ショート。次いで日本ハムで手腕を発揮した高田繁さんもV9戦士のひとり。いまは横浜DeNAベイスターズでGMを務めている。今年初めに退任した中日の落合博満前GMも「元巨人」。王貞治さんの現在の肩書きは、福岡ソフトバンクホークス取締役会長兼GM。会長でありながら、GMも務めている。 こうして見ると、巨人で初という表現はますます妙な感じだし、各球団のGMを輩出している本家巨人のGMが他球団に比べて「小粒」な印象も否めない。もちろん、GMとしての実力は現役時代の実績と関係ないが、果たして鹿取GMに多くを期待していいのだろうか。不安は拭えない。 鹿取義隆投手の現役時代については、中年以上の野球ファンには説明する必要がないだろう。とくに王監督時代(1984年から1988年)の5年間には、48、60、59、63、45試合と、計275試合に登板。27勝19敗49セーブをマークした。王監督が姿を現すと「ピッチャー鹿取」の声がスタンドから先に上がるほど、王監督の信頼を一身に集めるリリーフ投手だった。生涯成績は、91勝46敗131セーブ。皮肉なことに、最優秀救援投手のタイトルに恵まれるのは、西武ライオンズに移籍した1年目(1990年)だった。「根性」と「強運」の人 筆者はちょうど鹿取GMと同じ年齢だから、巨人に入る前からの活躍も見ている。江川卓投手を中心に一世を風靡(ふうび)した法政大の黄金世代のひとつ下。明治大に入った鹿取は、3年生になるとリーグ戦で活躍。しかし、スター軍団の法政大には勝てなかった。4年になって、同期の高橋三千丈投手と両輪でリーグ戦優勝を果たす。巨人の鹿取義隆選手(当時)=1989年8月、東京ドーム 大学時代の鹿取を神宮球場で見たことがある。174センチと小柄、驚くような球速でもなかったから、まさかその後、プロ野球で活躍するとは想像しなかった。 改めて鹿取のたどって来た道のりを振り返ると、鹿取義隆は「根性の人」であり、「強運の人」でもある。鹿取は明大卒業後、社会人野球の日本鋼管(当時)に入る予定だったという。同僚の高橋三千丈投手は当然のように、ドラフト1位指名を受け、中日に入った。そのドラフト会議で、鹿取の名前は呼ばれていない。プロ野球との縁がつながったのは、ドラフト会議の後だった。 その年のドラフト会議は、いわゆる「江川事件」のために巨人がドラフトをボイコットし、参加しなかった。その巨人がドラフト指名洩れ選手に直接入団交渉をした。その中のひとりが鹿取だった。西本聖の「テスト入団」が有名だが、同期の鹿取もまた「ドラフト外」での入団だった。 当時の巨人には、少しタイプは違うが、サイドハンドの小林繁投手がいた。鹿取にとっては同タイプの先輩。この小林を越えなければ出場の機会は増えないと見る向きもあったが、江川事件の余波で小林繁が阪神に移籍。「サイドハンド枠」がポッカリ空く形となって、鹿取は1年目から一軍登板の機会に恵まれ、期待に応えている。開幕戦に救援登板、計38試合に登板して3勝の成績は、新人の一軍出場の敷居が高かった当時の巨人にあっては上々の1年目と言えるだろう。その意味で、鹿取GMの持つ強運に期待、というところだろうか。 就任発表の記者会見で、鹿取GMは低迷の理由を分析しつつ、「若い選手がなかなか出てこなかった、ということがある。いいスカウティングをして、そこから育てていきたい」と語った。 これを読んで、どう思うだろう? 「GMの就任の言葉ではない」と私は感じた。選手出身者はどうしても「育てる」意識が強い。これはコーチか育成部長の言葉であって、GMの思考ではない。 GMは活躍できる選手、活躍させる監督・コーチをそろえるのが仕事だ。将来の成長も見越して選手を獲得するの当然だが、それは二番目であって、今日試合を見に行くファンを満足させるチーム編成を「いますぐ実現する」切迫感、使命感が感じられない。 日本でも『マネー・ボール』のタイトルで有名になった著書を出版し、ブラッド・ピット主演で映画化もされたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(現上級副社長)は、本にも書かれているとおり、通常の野球観をひっくり返す策を講じて、予算の少ないアスレチックスに生きる道をもたらした。ビリー・ビーンは試合が始まるとトレーニング・ルームにこもり、試合を見ない。データだけで選手を判断する。かえってその方が冷徹な人事を断行できる、というビーンならでは発想。それくらいの大胆さ、斬新さが、「GM」という立場には求められている。そういう勉強や鍛錬を果たして鹿取新GMは積み上げて来たのだろうか? 「全国区」を売り物にしてきた巨人は、地元密着の流れの中で、ファンとの強い結びつきを失いかけている。実は成績以上に、ここに深刻な課題がある。鹿取GMが、グラウンド上にどんな魅力を配置できるか。相当な発想転換を持って取り組んでほしいと願っている。

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    【百田尚樹独占手記】私を「差別扇動者」とレッテル貼りした人たちへ

    百田尚樹(作家) 私の一橋大学の講演中止が波紋を広げています。 講演反対運動を積極的に進めていたのは、同大学にある「反レイシズム情報センター(ARIC)」(以下ARIC)という団体です。 ARICは、「人種差別主義者である百田尚樹に講演させるわけにはいかない」という理由で、実行委員会に対して2カ月にわたって執拗に「講演中止」を要請していました。百田尚樹氏の講演会中止問題に揺れる一橋大学の国立キャンパス(桐原正道撮影) 私はこれまで人種差別発言などしたことはないし、ヘイトスピーチもしたことはありません。にもかかわらず、ARICは私のツイッター上の発言を恣意的に解釈して「百田尚樹はレイシストであり、差別扇動をする者」というレッテルを貼り、そんな人物に講演させるわけにはいかないと言い出したのです。 ちなみに、私の講演テーマは「現代におけるマスコミのあり方」というもので、ヘイトやレイシズムなどはまったく関係のないものです。にもかかわらず、ARICは私の講演そのものが差別扇動になると主張しました。 ARICはこうした勝手な前提を設けて、自分たちで作ったいくつかのルールを実行委員会に突きつけ、これを守らなければ講演させないと言いました。彼らのルールそのものは実に不当なものでしたが、中でも一番驚いたのは、以下の要求です。「百田尚樹氏講演会『現代社会におけるマスコミのあり方』に関しては、百田氏が絶対に差別を行なわない事を誓約したうえで、講演会冒頭でいままでの差別扇動を撤回し今後準公人として人種差別撤廃条約の精神を順守し差別を行なわない旨を宣言する等の、特別の差別防止措置の徹底を求めます。同時にこの条件が満たされない場合、講演会を無期限延期あるいは中止にしてください」 啞然とするとは、まさにこのことです。 「百田尚樹は差別扇動する者」という、まったく事実と異なる前提の上で、講演前に私にそれを撤回させ、さらに今後は二度とそのようなことを行なわないことを宣誓させるとは、呆れ果ててモノも言えません。 実行委員会は突っぱねましたが、ARICはその後、何度も執拗に実行委員会に講演中止を要請し、また大学の教員にも働きかけたようです(彼らは「講演反対」の署名運動も始めていました)。手慣れた「プロの活動家」のやり口 ARICは実行委員会との交渉の場で、「脅し」すれすれの言葉を使っています。たとえば、彼らは交渉の場においてこんな発言もしています。「われわれと別の団体の男が講演会で暴れるかもしれないと言っている。負傷者が出たらどうするんだ?」 これは直接的な脅しではありませんが、暴力をほのめかした恐喝と言えるものです。やくざ映画などで、親分が「わしは何もしないけど、うちの若い者の中には血の気の多い奴もいるのでな」というセリフを連想させます。 また、外国籍のある女子学生が「百田尚樹の講演を聞いて、ショックを受けて自殺するかもしれない。その時は実行委員会としてどう責任を取るつもりなのか?」という発言もありました。これなどは悪質なクレーマーのセリフ以外の何物でもありません。いずれにしても、手慣れた「プロの活動家」のやり口です。 対する実行委員会のメンバーは1、2年生が中心です。19、20歳の学生が、こんな悪質な圧力を2カ月近くも受け続ければ、たいていは参ってしまいます。実際、多くの学生が疲弊していきました。聞くところによれば、ノイローゼ状態になった人や、泣き出す女子学生までいたようです。こうして実行委員会の中にも「もうやめよう」と言い出す学生が次第に増えていきました。 それでも「不当な圧力に屈しない」という思いを持つ委員会のメンバーは講演会を実施するために、万一に備えて警備会社に依頼したそうです。しかし反対派の執拗な圧力に、警備の規模が大きくなりすぎ、他の企画にまで影響を及ぼすほどになったようです(これは実行委員会が講演中止に至った理由として書いています)。 そしてついに6月2日の夜、実行委員会のメンバーのほとんどが(一人を除いてと聞いています)、中止にしようと決めました。 以上がことの顚末です。 さて、ARICという団体ですが、その実態は不明です。代表は35歳の在日朝鮮人三世で、一橋大学の大学院生です。その活動のメインは、出版物や新聞、ネットなどから、「差別発言」を探し出し、それをデータベース化することです。2017年6月現在で、私をはじめとする120名を超える文化人や政治家など2700を超える発言が、「差別発言」として認定され、データベースに載せられています。その中には故人の発言もあります。しかし、そうして挙げられた発言のほとんどは差別とは何の関係もないものです。どこがヘイトスピーチなのか ちなみに私の発言は全部で19載っています。たとえば、次のような発言もヘイトとして認定されています。「悲しいことだが、すでに戦後の自虐史観の洗脳を受けてしまった人の洗脳を解くのは無理。これはもうほとんど不可能…(涙) 私に出来ることがあるとすれば、まだ洗脳を受けていない若い人々を、洗脳から守るということ」(ツイッターより)「特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。戦争否定のためには、彼らをバカとののしれと言うのか。そんなことできるか!」(同)作家の百田尚樹氏(宮川浩和撮影) これらの発言のどこがヘイトスピーチであり、レイシズム発言なのでしょうか。まったく意味がわかりません。他の人たちの発言も同様です。ちなみに安倍総理は31の発言がヘイトスピーチであると認定されています。 ARICのデータベースはネットで見られるので、興味のある方は覗いてみてください。なぜこれがヘイトスピーチになるのかと首を傾げるものばかりです。いったい彼らの目的は何なのか、今のところはまるでわかりません。 ただ、今回の講演中止運動を見てもわかるように、彼らは「差別反対」「ヘイトスピーチ反対」を錦の御旗として活動しています。しかし差別やヘイトの定義は曖昧です。例に挙げた私の発言を見てもわかるように、彼らのヘイト認定は実に恣意的です。 恐ろしいのは、ARICは自分たちが「差別主義者」と認定した人物は、発言を封じて構わないと考えていることです。そこにはヴォルテールの有名な言葉、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という精神はどこにもありません。ARICや彼らに賛同する人たちは今後、「言論の自由」や「表現の自由」を口にする権利はないと思います。 驚いたことに、今回の講演中止が別に問題ではないと言う人もいます。ジャーナリストの安田浩一氏もその一人です。安田氏は近年、対レイシスト行動集団(前身はレイシストをしばき隊)と親密になり、活動家としての発言が多いことでも知られています。彼は東京新聞のインタビューで、私の「沖縄の二つの新聞はつぶさんとあかんのですけど」という発言に言及し、「そのような人たちが言論弾圧というのは、チャンチャラおかしい」と言っています。他者の発言を封じる言論弾圧 ここには巧妙な論理のすり替えがあります。私の発言は自民党若手議員の勉強会の場でのものとはいえ、それはあくまで「私的な会合」です。その発言は公式のものではないし、不特定多数に向けてのものでもありません。私自身が沖縄の二つの新聞に過去、さんざん悪口を書かれてきたことに対して、一言冗談で恨み節を述べたものにすぎません。実際、沖縄の新聞に対してどうするかというようなことは一切言及していません。当たり前ですが、私には沖縄の新聞を潰せる力もありません。2015年6月、自民党の「文化芸術懇話会」であいさつする百田尚樹氏(斎藤良雄撮影) しかし、ARICは実際に実力行使して、私の講演を潰したのです。これを同列に並べることこそ、「チャンチャラおかしい」ものです。 漫画家の小林よしのり氏は、「言論弾圧とは政治権力が民間に対して為すもので、これは言論弾圧にあたらない」という趣旨のことをブログで発表したようですが、これも無理があります。「言論弾圧」は何も政府がするものだけとは限りません。民間の人物や団体が不当な圧力でもって、他者の発言を封じてしまう行為もはっきりと言論弾圧と言えるものです。  公正を期して書いたつもりですが、もしかしたら被害者寄りの書き方になったかもしれません。そう受け取られたならご寛恕いただきたい。 この事件は第三者的には、たいした事件ではないのかもしれません。大学祭での一作家の講演が中止になったというだけのことですから、これ自体は大袈裟に騒ぐほどのことでもないとも言えます。 しかしながら、この事件は危ないものを内包しています。というのは、これが前例となり、ARICのような団体が、自分たちの気に入らない人物の発言を封じてしまうようなことが常習化する危険性を孕んでいるからです。 これは決して大袈裟に言っているのではありません。この事件を多くのマスコミが見逃せば、やがてこういう事例が頻繁に起こることになるでしょう。気が付けば、自由に発言できない空気が生まれているかもしれません。そうなった時、「ああ、あれが最初だったか」と思っても、その時はもう手遅れです。

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    百田氏講演中止を報じないマスコミに「言論の自由」を語る資格はない

    一色正春(元海上保安官) 作家であり放送作家である百田尚樹氏が一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で、「現代社会におけるマスコミのありかた」というテーマで行う予定だった講演会が中止になり、同祭のホームページ(HP)でその理由が以下のように発表されました。 このたび本講演会を中止することになった理由についてですが、「本講演会がKODAIRA祭の理念に沿うものでなくなってしまったこと」が挙げられます。当学園祭は一般の学園祭と異なり、「新入生の歓迎」を第一義とするものです。当委員会の企画のために、新入生の考案した企画や、新入生の発表の場である他の参加団体の企画が犠牲となることは、当委員会では決して容認できるものではありません。 当委員会は本講演会を安全に実施するため、これまで幾重にも審議を重ね、厳重な警備体制を用意していました。しかし、それがあまりにも大きくなりすぎたゆえ、(いくつもの企画が犠牲となり、)「新入生のための学園祭」というKODAIRA祭の根幹が揺らいでしまうところまで来てしまいました。(一部抜粋)東京国立市にある一橋大学のキャンパス 話を要約すると「何らかの理由で講演会の安全が脅かされる事態が予測され、それに対応できないと判断したから中止する」ということのようです。その理由とは何なのかという話の前に、まずは発表方法に問題があったことを指摘しておきます。当初、百田氏はツイッターで上記中止発表画面を「私のところにはまだ講演中止の連絡がないのだが…。」というコメントとともにツイートしていました。 つまり、学園祭の主催者は当の本人である百田氏に何の相談や連絡もせず、一方的にホームページで中止を発表したのです。これは契約不履行云々(うんぬん)というビジネスの話以前の問題で、このような信義にもとるやり方は、一般社会では決して許されません。物事を頼んでおきながら自分たちの都合でキャンセルするのであれば、ホームページで一方的に発表する前に、まずは講演を依頼した百田氏に理由を説明し詫びるのが最低の礼儀です。これに対して世間を知らない学生だからと擁護する向きもあるようですが、ならば学生任せにせず良識のある教員等が社会の最低マナーくらいは指導すべきであり、いずれにしても、この一事だけで大学のイメージを損ねたことは間違いありません。公開の場なら言論で戦え とはいえ、百田氏のツイッター等の言によれば、主催者に対して講演会中止を求めるかなり「強力な圧力」があったようです。中には、暗に当日、物理的に妨害するとほのめかす脅迫ともとれるようなものもあったそうで、安全が脅かされると主催者が心配したのも無理はありません。加えて、度重なる嫌がらせなどによって、学生たちが精神的に疲弊してしまったことも中止に至る背景にはあったのでしょう。 それに対して「学生は根性がない」と言う人もいるようですが、誰がどのような形で圧力をかけたり嫌がらせをしたりしたのかを知る術のない私には、主催者の根性がいかほどであったのかは判断のしようがありません。ただ、結果を見れば、彼らが当初の意思を曲げて中止を決断せねばならないほどの重圧を受けていたことは確かであり、それが不当なものであったことは過去の例から想像に難くありません。最近、不当な圧力により中止になった催し物百田尚樹サイン会(厳重警備のもと決行)はすみとしこサイン会桜井誠早稲田祭千葉麗子サイン会(敬称略) この例を見ていただいてわかるように、これらは一般に開かれた催し物ですから誰でも自由に参加できるはずです。もし、この人たちの意見が気に入らないのであれば、自分も催し物に参加し相手の意見を十分に聞いた上で公開の場で質問するなど、言論で戦えば良いだけの話です。ところが、彼らは自分が相手に議論で敵わないことを知っているのか、言論以外の暴力的な方法で圧力をかけて催し物を中止に追い込み言論を封殺してきました。2016年3月、兵庫県警の捜査員らが警戒に当たる中、作家の百田尚樹氏(中央)によるサイン会が開かれた=兵庫県西宮市(小松大騎撮影) 彼らの手法は、まず自分たちの独断と偏見で「弱者」と「強者」、「被害者」と「加害者」などに社会を二分して対立を煽り、自分たちは「弱者」や「被害者」という批判を受けにくい立場に立ちます。一方で彼らは、対立する相手に「レイシスト」などという誰もが嫌悪感を抱くようなレッテルを張り、弱者や被害者は強者や加害者に対して何をしても許されるという自分たちが勝手に作ったルールにのっとり、相手に議論や反論を許さず一方的に罵倒し、それを執拗に繰り返します。これにマスコミが同調すると、さらに手がつけられなくなり、何を言っても無駄な状態になってしまいます。 そうやって今まで何人もの政治家が餌食になりました。このように相手には容赦のない人たちですが、相手が少しでも反撃してくると「差別だ」と大騒ぎして自分たちの陣地に立てこもり、知らん顔をします。本当に、あきれるくらい卑怯な人たちです。 最近はインターネットの普及により情勢が変わりつつありますが、今まで、このような攻撃が自分たちに向くことを恐れたマスコミが真実を報じなかったため、多くの国民が知らないまま、この方法でどれだけ正論が封じられてきたことか分かりません。 彼らに共通するのは「弱者は強者に何をしても良いが、強者が弱者に力を使うのは許せない」という考え方です。そういう考え方が根底にあるので「言論弾圧というものは権力者が一般国民に対して行うものだから、今回はそれにあたらない」という言い訳が出てくるのです。確かに「弾圧」という言葉は権力で押さえつけるという意味ですが、彼らも他人を力で屈服させることができる権力者ではありませんか。そういうと「権力とは…」という話になり、どんどん話が本筋からそれていくので、この辺りでやめておきますが、問題は言葉の定義ではなく、相手の言論を力で封じ込めることの是非です。弱者ならば何をしてもいいのか また、この「弱者や被害者は強者や加害者に対して何をしても良い」という考え方を突き詰めていけば「権力者が国民に対して危害を加える事はけしからんが、国民が正義のために権力者を殺すのは正しい」というテロ行為容認の極論に行き着きます。 彼らの恐ろしいところは自分たちが絶対的な正義であると思い込み、「それに反する人間の行為を正すことが自分の使命だ」「そのためには何をやっても許される」と思い込んでいるところです。これは地下鉄サリン事件などの凶悪犯罪を引き起こした宗教団体の当時の考え方と同じです。 話を百田氏の講演会に戻すと、彼らは「ヘイトスピーチ」なるものを理由として講演会の中止を求めたそうですが、まったく意味が分かりません。今回の講演のタイトルは「現代社会におけるマスコミのありかた」というもので、大人気テレビ番組の放送作家を四半世紀以上務めた百田氏にピッタリのタイトルです。一体このタイトルから、どうやって差別を連想できるのか理解できません。そもそも、彼らに百田氏の発言の善悪を判断できる能力と権利があるのでしょうか。 20年前、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が「いわゆる従軍慰安婦問題に強制連行はない」と発言したことに対して人権を標榜(ひょうぼう)する団体が「差別だ」と圧力をかけて彼女の講演会を中止させたことがありました。当時、彼らが錦の御旗として振りかざした「差別だ」という主張が正しかったのかどうかということは、吉田清治の嘘を朝日新聞が認めた今は言うまでもないことですが、当時はその嘘を信じる人が多かったので圧力が通用し、「嘘が正しい言論を封じる」という結果になったのです。2014年8月15日、自民党議連「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」で、朝日新聞の慰安婦報道について話すジャーナリスト・櫻井よしこさん(左から2人目)。その右は古屋圭司会長=東京・永田町の自民党本部(早坂洋祐撮影) この教訓から学ぶべきことは、事実が確定していないことに対して安易に「差別」というレッテルを貼り、言論を封殺することは危険だということです。そのような能力や権利は誰も持たないし、持とうとしてはいけないのです。むしろ異なる意見を戦わせることによって真実が明らかになるのが理想ですから、明白な事実誤認でない限り、異論を排除すべきではないのです。勝手な思い込みで人の自由を奪う しかも、百田氏が講演会で話す予定だった内容については、一言も発していないことにも注目すべきです。仮に百田氏の過去の発言が害悪に満ちあふれ人々に危害をもたらしていたとしても、今の時点では誰に何の害も与えていません。これはどういうことかというと、「あいつは過去に盗みをしたから今回もやるに違いない」と断定し、おまけに「泥棒に自由を与えてはいけないから牢屋に入れておけ」と勝手な思い込みだけで人の自由を奪うようなものであり、非常に危険な考え方です。 百田氏の講演会に反対する人とテロ等準備罪に反対する人がリンクしているという前提で話しますが、彼らは今回の法改正で事前の準備段階を捜査するのはけしからんと言いながら、百田氏の発言は内容も把握せず事前に禁止しなければならないと同じ口で言っているのです。自分で言いながら矛盾を感じないのか、それとも百田氏の発言は「テロより恐ろしい」とでも思っているのでしょうか。 そして、圧力や嫌がらせの実態が具体的にわからないので断言できませんが、彼らの行為は下記の法令に違反している疑いがあります。日本国憲法第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。第二十三条 学問の自由は、これを保障する。刑法第二百二十二条(脅迫)第二百二十三条(強要)第二百三十条(名誉毀損)第二百三十一条(侮辱)第二百三十三条(信用毀損及び業務妨害)第二百三十四条(威力業務妨害)  今後、同じような被害者が出ないよう捜査機関には厳正な対処を願いたいものです。もし、現行法で捜査機関が取り締まることが困難であるならば、実際に体調不良などの被害を受けた人間がいるのですから、立法措置による被害防止などを国会で議論すべきです。日本国憲法 どこの世界にも不届き者は一定数存在し、その人間の不埒(ふらち)な言動は社会に害悪をまき散らかします。それは人間が存在する以上、決してなくなることはありません。だから法令により悪事を禁止し、それを破ったものを警察が捕まえて処罰する、それを見た人が事件に関心を持ち、同種の事件発生や被害拡大を図るという仕組みがあるのです。その中でマスコミは事件を広く国民に知らせるという重大な任務を与えられ、社会の正常性を保つ役割の一旦を担っているのです。講演中止を報道しないマスコミ ところが、今回の事件は民主主義の大原則である「言論の自由」にかかわる大問題にもかかわらず、ほとんどの大手マスコミが報じていません。(中には批判にあたらない報道を続けている人たちがいることは重々承知しておりますが、今回はあえて「マスコミ」とひとくくりにして話をします)。どういう理由で彼らが暗闘(だんまり)を決め込んでいるのかは分かりませんが、おそらく被害者が百田氏でなければ大々的に報じたであろうということは、前述した櫻井よしこ氏の講演会が中止になったときと、柳美里氏のサイン会が右翼を名乗る男の脅迫電話により中止になったときのマスコミ各社の報道姿勢の違いを比べて見れば容易に想像できます。 つまり、彼らの「言論の自由」には守るべきものと守ってはいけないものの二種類があり、それを彼らが事件ごと恣意(しい)的に判断しているのです。彼らが最もダメなのは自分たちに都合の悪い事実を報じないところです。情報源をマスコミに依存している人たちにとって、事件が報じられないということは、その事件は発生していないのと同じことになり、その結果、その人たちの「知る権利」は奪われ、さまざまな不利益を被ることになります。 仮に百田氏と反対の意見を持つのであれば、それは堂々と主張すべきであり、「一橋大の学生はレイシストと戦って大学の自由を守った」と報道すればよいだけの話なのですが、彼らは「公平中立」を装うためにそうはしません。テレビは放送法があるので建前上そうはいきませんが、完全中立な報道など不可能に近いのですから、日本の新聞も公平中立を謳(うた)うのではなく、他国のように各社の主張をもっと前面に出すべきではないでしょうか。一見、公平中立を装い、「編集権の自由」や「報道しない自由」を駆使して、自分たちの主張に沿わない事実を報道しないことにより、国民の知る権利を阻害し、自分たちに都合の良い情報だけを流すのではなく、思想的に偏っているのであれば偏っていると正直に言うべきで、それを言わないのは卑怯(ひきょう)です。昔であればいざ知らず、今はインターネットがあるのでマスコミの嘘はすぐばれます。もうマスコミが情報を独占していた時代は終わったのです。そのことに気がつかない、気がついても改善しようとしないマスコミは、これからも凋落していくことでしょう。 いずれにしても今回の事件は、まごうことなき「言論封殺」であり、言論の自由に対する挑戦です。大学はこれに屈するのであれば「学問の自由」や「大学自治」を、この事件を無視するメディアは「知る権利」を、これに異を唱えない言論人は「言論の自由」を、いくら主張しても説得力なんかありません。

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    百田氏の講演中止問題で剥がれ落ちた「護憲リベラル派」の化けの皮

    一例です。(中略)『もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく』(中略)これらヘイトスピーチは、日本も95年に批准した人種差別撤廃条約が法規制の対象としている極右活動・差別の煽動行為に当たる違法行為です。(中略)このような殺人・テロをふくむ差別煽動を繰り返す百田尚樹氏が、学園祭に招かれることで、私たちは学園祭期間中に深刻な差別・暴力が誘発されることを憂慮せざるをえません。(中略)また国立大学法人一橋大学という公共性ある大学の施設で、公式に学園祭のゲストとして招かれることじたい、彼の差別・テロ煽動に大学がお墨付きを与えることにもなります。(後略)」 もし本当に、百田氏の言論が「違法行為」に当たるなら、講談社や新潮社、文藝春秋など大手や老舗の出版社は軒並み捜索対象となろう。もとより産経新聞社も無事では済むまい(笑)、などと本来なら一笑に付すべき署名活動だったが、彼らの目論見は成功した。 百田氏のツイートによると、「講演を企画した学生たちは、サヨクの連中から凄まじい脅迫と圧力を受け続けていたらしい。ノイローゼになった学生や、泣き出す女子学生までいたらしい」。ならば、それら自体が明白な「違法行為」であり、刑法上の犯罪に当たる。それも、「深刻な差別・暴力が誘発されることを憂慮」する団体の扇動によって(笑)…。いや、もはや笑い話では済まされない。警視庁は本件を正式に捜査すべきと考える。リベラル派に「自由」を語る資格はない 本件は憲法上も「表現の自由」に加え、「学問の自由」そして「思想・良心の自由」に深く関わる。ともに「内心の自由」と呼ばれ、「表現の自由などの外面的な精神活動の自由の基礎をなす」(芦部信喜『憲法』岩波書店)。とくに「思想・良心の自由は、内面的精神活動の自由のなかでも、最も根本的なものである」。そう、護憲リベラル派が大好きな教科書にも明記されている。 その「最も根本的な」人権が侵害されたにもかかわらず、護憲リベラル派は「自由を守れ」と声を上げない。彼らに、自由や人権、立憲主義を語る資格があるだろうか。少なくとも「内心の自由」を掲げて「共謀罪反対」を唱えるのは、もう止めてほしい。「共謀罪」に反対する国会前デモの参加者ら=2017年5月、東京・永田町 今回、百田氏を含む「保守」陣営の言論に「ヘイト」のレッテルが貼られ、「差別扇動」されたあげく、「違法行為」の誹謗中傷も受けた。脅迫行為を含む「深刻な差別・暴力が誘発」された。そうした「差別・テロ煽動に大学がお墨付きを与えること」になってしまった。だが、懸念の声をあげたのは保守陣営だけ。いまも護憲リベラル派は沈黙を続ける。最も根本的な人権が侵害されたにもかかわらず…。 彼らは口先で「リベラル」と言いながら、拠って立つべき「自由」を理解していない。問答無用で「保守」を断罪しつつ、守るべき「自由」を踏みにじっている。自身が憎むべき全体主義に加担していることに気づきもしない。 最後に、あえて彼らが大好きな思想家ハンナ・アーレントが残した教訓を借りよう。 「全体主義と闘うためには、ただ一つのことを理解する必要がある。全体主義は、自由の最も根源的な否定であるということをである。(中略)自由の否定は、すべての暴政に共通する。(中略)自由が脅かされるときに闘いに参集することができない者ならば、そもそもどのような闘いにも集うことはないだろう」(『アーレント政治思想集成』みすず書房)

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    天皇家への挑戦状、井沢元彦が読み解く天才信長の「自己神格化計画」

    井沢元彦(作家) 正確に言えば織田信長は天皇になろうとしたのではない、それを超えた存在である神になろうとしたのである。 日本は神の子孫である天皇が治める国である。この絶対的ルールが確立された飛鳥時代以降、中国や西洋のような王朝交代は日本で無くなった。壬申(じんしん)の乱のように天皇家内部の政権争いはあったが、天皇家の血を引かない人間が、天皇を殺して自ら天皇になることは絶対に不可能になったのである。なぜなら天皇家以外の人間は「神のDNA」を継いでいないからだ。 そこで藤原氏は自分の娘を天皇家に嫁がせ、生まれた子供を天皇にするという手段で何とか権力を掌握した。その究極の形が関白で、関白とは本来臣下であるはずの藤原氏が実質的な皇族扱い(敬称は殿下)となり、いわば準皇族が天皇の権限をほとんど代行するという形で天皇家の権限を奪ったのである。 これに対して新興勢力である武士は、天皇から武士団の棟梁(とうりょう)が征夷大将軍に任命されることによって、実質的に日本の統治権を委任されるというシステムを考え出した。これは幕府政治あるいは将軍制と呼ばれるべきもので、だからこそこの制度は幕府の長である将軍、徳川慶喜が天皇家に「これまでお預かりしていた統治権を返還する(大政奉還)」という形で終止符が打たれた。織田信長像(模本、東大史料編纂所蔵) しかし関白にせよ将軍にせよあくまで天皇代理であり、その権限は天皇に由来する。しかも関白は藤原氏の選ばれた家柄(近衛、鷹司など五摂家)、将軍は武士の中でも源氏の嫡流しかなれないというルールも生まれた。だから鎌倉幕府の源氏将軍を実質的に滅ぼした北条氏も、源氏に代わって将軍になることはついにできなかった。 その源氏の嫡流と称する足利氏が北条氏を滅ぼして将軍の座を奪ったのが室町幕府である。だが、さまざまな構造的原因によって室町幕府の統制力は失われ、本来武士の棟梁であるはずの将軍の命令を誰もがきかなくなり、大名同士が勝手に私闘を繰り返したのが戦国時代である。 多くの人が誤解しているが、いくら戦国時代だからといって藤原氏でもない源氏でもない人間がいきなり関白や将軍にはなれない。ましてや、そうした旧来の仕組みを全く利用せず新しい権力体制を築こうと思えば、日本においては「神になる」しか方法がないのである。繰り返せば天皇はなぜこの国の主権者なのか、それは天皇は天照大神という神の子孫であり、その神の子孫がこの国を治めるというルールが古代に定まってしまったからだ。関白あるいは将軍も、その天皇の代理であるからこそ権威がある。権力の源を根本から覆すには金色に輝く織田信長像=JR岐阜駅前(関厚夫撮影) 逆に言えば全くゼロから権威を作るためには、神の子孫である天皇家の権威を超えなければならない。だから、結局「神の子孫」ではなく自ら「神」になるしかない。織田信長は論理的に考えれば当然の結論の実現を目指したのである。 信長が自分を神として礼拝するように命じたということは、彼を近くでよく観察していた宣教師ルイス・フロイスなども記録していることなのだが、一昔前は「信長シンポジウム」などで「信長は神になろうとしていたんです」と言ったら専門の歴史学者の人々に笑いものにされた。そんなことがあるわけないじゃないかとおっしゃるのである。そういう人々に私が言いたいのは信長の後継者が、神になっているということである。 言うまでもなく徳川家康のことだ。日光東照宮の御祭神は東照大権現、すなわち家康である。信長は神になれず、秀吉は死後1度は神になったが(豊国大明神)家康にそれを取り消され(後に明治に復活)、家康だけが完全な神になることに成功した。 確かに日本とは人間が神になれる国である。しかし、それは菅原道真のように死後周囲の人間がその霊威を畏れ神として祀(まつ)り上げた場合だ。生前自ら宣言して神になろうとしたのは織田信長が最初なのである。ただし、どんなことでもそうだが開拓者は最初必ず挫折する。なぜなら誰もやったことのない行為を成功させるためには試行錯誤を重ねなければいけないからだ。フロイスが記しているように信長は自分の誕生日を聖日として、自分を御神体とする宗教施設に礼拝するように命じた。いきなり自分が神だと宣言し「オレを礼拝せよ」と命じたのである。 このころ信長が造った安土城には奇妙な「装置」がある。地下1階に石造りの宝塔があるのだ。大乗仏教最高の経典とされる法華経には釈迦が最高の真理を説いたときに、地下からそれを祝福するために宝塔が出現したという名場面がある。要するに「信長=釈迦」ということである。また、その「信長神殿」である安土城から「上から目線」で見下ろす本丸部分に、最近の発掘調査で天皇の御所とよく似た構造の建物跡が発見された。信長はここに天皇を動座させ、自分が天皇より上の「神」であることを天下に知らしめるつもりでいたのだろう。しかし、本能寺の変ですべての目算は狂い信長は神にはなれなかった。引き継がれた信長の構想 その失敗を近くでつぶさに見ていたのが家康である。まず、この「自己神格化」プロジェクトのために専門家を雇った。天海僧正だ。このブレーンの言うことをよく聞いて、彼は東照大権現の「神学」つまりなぜ家康が神なのかという説明を作らせた。ライトアップされ、宵闇に浮かぶ日光東照宮の国宝「陽明門」。約40年ぶりの大規模な修復作業を終え、金箔や極彩色がひときわ輝く=4月29日、栃木県日光市(飯田英男撮影) 権現とは、そもそも神がこの世を救うために人間の姿を取ってこの世に下りてくるものである。長い乱世で多くの人が苦しんでいるのを見た「神家康」は、その苦しみから人々を救うため人間の姿でこの世に生まれ、苦心の末に天下を統一するという大偉業を成し遂げ役目を果たしたので天に戻られた、今はそこにおられる。というのが東照大権現の神学である。しかも「東照」は大和言葉で読めば「アズマテラス」と読める。つまりこれまでの日本はアマテラスの子孫である天皇家が治めていたが、これからはアズマテラスの子孫である将軍家が治めるという形を作ったのだ。だから徳川の天下は約300年も続いた。 逆に言えば、最初に信長が神になり天皇を超えようと志したからこそ、家康は成功したわけで、それが歴史の連続性ということだ。この点から見ても、信長が本気で神になり天皇を超えようとしていたことはまぎれもない歴史上の事実なのである。 しかし信長の視点から見れば、「家康神学」には大きな弱点があった。それはほかならぬ東照大権現という神号を朝廷に奏請して、つまり天皇からもらってしまったということだ。天皇からもらったのならば、天皇家と徳川家は対等とはいえず、天皇家の権威の方が上であることを認めてしまったことになる。この弱点が幕末に「天皇家の方が尊いのだから将軍家よりも天皇家に忠を尽くすべきだ。つまり討幕は悪ではなく正しいことだ」という勤皇思想の隆盛を生みだすことになり幕府は滅んだ。 家康ですら天才信長の「自己神格化計画」を完全に達成することはできなかったのである。

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    異例の大出世、平清盛の出生に隠された「天皇のDNA」

    渡邊大門(歴史学者) 平清盛(1118-1181)といえば、武家政権を自らの手で樹立し、栄耀(えいよう)栄華を極めた人物として知られる。清盛が強い存在感を示したのは、保元元(1156)年に勃発した保元の乱のときである。清盛は後白河天皇の勝利に貢献し、その軍事力を大いに誇示した。 平治元(1159)年の平治の乱では、ライバルの源義朝を討ち破り、武家政権樹立の布石を築いた。その後の清盛の昇進は目覚ましく、永暦元(1160)年に参議正三位に叙され、武士として初めて公卿(くぎょう)となった。その7年後には、従一位太政大臣にまで上り詰める。その理由はどこにあったのか。 清盛が台頭した背景には、摂関家や天皇家と積極的に婚姻関係を結んだことにあった。関白・藤原(近衛)基実には、娘の盛子を嫁がせた。基実が亡くなると、その遺領は盛子が引き継いだ。基実の子息・基通には、娘の寛子を嫁がせている。こうして清盛は、全国で500余の荘園を手にすることに成功したという。戦前、いかつく狡猾なイメージで描かれた平清盛。『国史画帖大和桜』(昭和10年刊) また、後白河上皇には、妻・時子の妹・滋子を入れ、上皇の皇子の高倉天皇には娘の徳子を入内(じゅだい)させた。治承4(1180)年には、高倉天皇と徳子の間に安徳天皇が誕生する。こうして清盛は外祖父の地位を獲得し、政治権力を掌中に収めた。天皇すらコントロール下に置いたのである。 平氏一門は隆盛を極めた理由として、日宋貿易で巨万の富を築いたことも挙げられる。また、平氏一門は高い官職を得て、「平氏政権」と称される権力体になった。時子の弟、平時忠が「平氏にあらずんば人にあらず」と豪語したのは、その自信の裏付けであろう。 この段階で、清盛は天皇に近づいたと言っても過言ではないであろう。 このようにわが世の春を謳歌(おうか)した清盛であったが、その異常なまでのスピード出世には秘密があるとされてきた。それは、清盛の出生にまつわる理由にあった。 清盛が異例の出世を遂げたのには、その出自にあったという説がある。元永元(1118)年、清盛は平忠盛の長男として誕生した。このことは系譜上明らかなことなのであるが、清盛の出生にはいくつもの謎がある。その一つが白河法皇の御落胤(らくいん)であったという説である。 今の教科書には取り上げられていないが、明治時代の小学校の教科書には、清盛の後白河法皇の御落胤説が堂々と記されていた。これは江戸時代に伝わった説を引き継ぐもので、世の人々に広く伝播(でんぱ)するきっかけにもなった。 実際、忠盛には何人もの妻がいた。その事実は、系図集の『尊卑分脈』で確認することができる。妻の名を列挙すると、藤原宗兼の娘(池禅尼)、源信雅の娘、藤原家隆の娘、藤原為忠の娘であり、彼女たちは子に恵まれた。側室が多数いること自体は、特に珍しいことではない。平清盛の母は誰なのか? 清盛の母について記しているのは、源氏と平氏の攻防を描いた『平家物語』である。『平家物語』は大きく分けて、(1)語り系の諸本(一方(いちかた)流、八坂流など)、(2)読み本系の諸本(延慶本、長門本など)になる。そして、それぞれが清盛の母として記している女性は異なっている。『源平盛衰記』の説も合わせて、次に分類して掲出しておこう。(1)白河法皇の寵愛(ちょうあい)した祇園女御(ぎおんにょうご)であったとするもの。(2)祇園辺りにいたある女房とするもの。(3)祇園女御に仕えた中臈(ちゅうろう)女房とするもの。(4)祇園女御と中臈女房の区別が明確でないもの。(5)宮人である兵衛佐局とするもの。 このように、同じ『平家物語』であっても、それぞれの記載している内容に大きな差異を認めることができる。ところで、白河法皇の寵妃である祇園女御については、ほとんど知られていないが、いかなる人物なのであろうか。 祇園女御は、両親や生没年が不明である。その出自に関しても、源仲宗の妻またはその子・惟清の妻であるとか、宮廷に仕えた女房との説がある。女御とは天皇の寝所に仕える職であるが、祇園女御は正式にその職に任じられておらず、居住した祇園にちなんで名乗っていたといわれている。 このほかの史料では、平安末期の歴史書の一つ『今鏡』が清盛を白河法皇の御落胤とする説を繰り返し述べている。では、ほかに清盛出生の謎を探る史料はないのであろうか。次に、その点をもう少し掘り下げてみよう。 明治26(1893)年、東京帝国大学文科大学(今の東京大学文学部)の教授を務めていた星野恒が、『仏舎利相承系図』を学界に初めて紹介している。そこには清盛の出生について、驚くべき内容が記されていた。ちなみに『仏舎利相承系図』とは、滋賀県多賀町の胡宮(このみや)神社が旧蔵していた史料である。 『仏舎利相承系図』には、清盛の母という女房は、祇園女御の妹であったと記されている。そして、女房のことを説明する注記の個所では、「女房が白河法皇に召されて懐妊し、そのまま忠盛に嫁いで清盛を出生した」と書かれている。 白河法皇は崩御の際に、釈迦の遺骨という仏舎利を祇園女御に譲った。譲りを受けた女御は女房の産んだ清盛を自分の猶子(ゆうし、養子)とし、さらに仏舎利を譲ったという。猶子とは、相続を目的としない親子関係のことである。『仏舎利相承系図』は文暦2(1235)年7月の段階で成立しており、この頃から清盛の御落胤説が流れていたのだ。 『仏舎利相承系図』の記述は、根も葉もないことなのであろうか。これを補強する材料として、当時の公家日記である『中右記(ちゅうゆうき)』の記述が重要視されている。『中右記』は平安時代の公家・藤原宗忠(1062-1141)の日記で、当時の世相を知るうえで極めて重要な日記である。御落胤説を裏付ける証拠とは? では、『中右記』には、いかなることが記されているのであろうか。『中右記』保安元年7月12日条には、忠盛の妻が亡くなったとの記事がある。宗忠はこの妻について、「これ仙院の辺りなり」と説明を施している。 仙院とは、上皇・法皇の御所または上皇・法皇のことを意味する。つまり、当時でいえば、白河法皇を意味するのは間違いない。その点を考慮すると、忠盛の妻が白河法皇に繋がる女性であった可能性が俄然(がぜん)高くなる。 保安元年の時点において、忠盛は25歳で、清盛は3歳の幼子であった。決して年代的にも矛盾しない。また、『平家物語』の語り系の諸本では、忠盛が御所の女房と通じていたことが記されている。そのような理由から、清盛の母が白河法皇に仕えたことは、ほぼ間違いないと考えられる。 このように、長らく清盛は白河法皇の落胤であり、皇胤であるとの説が流布してきた。明治以降、『仏舎利相承系図』という新たな史料の出現もあって、清盛御落胤説=皇胤説は補強され、揺るがぬものとなった感がある。では、星野恒以降、この説はいかに継承されたのであろうか。まずは、清盛御落胤説=皇胤説を肯定する立場から確認しよう。 大正時代に入ると、東京帝国大学史料編纂(へんさん)所の和田英松は『仏舎利相承系図』を史実として受け入れ、さらに先の『中右記』を裏付けの証拠とした、さらに、当時、白河法皇の御落胤が実際に存在した事実、そして清盛が幼い頃から破格の待遇を受けていたことも理由とした。『仏舎利相承系図』の史料的価値を重視したのが特長である。平清盛像(重文、六波羅蜜寺蔵)  和田英松が見解を述べて以降、歴史家を中心として、清盛御落胤説=皇胤説が受け入れられるようになった。特に、戦後になると、日本史の通史が数多く刊行されたが、肯定する説が大勢を占めたのである。むろん、全面的にというわけではないが、若干の疑問を呈しつつも肯定に傾いていったというのが近いであろう。 清盛御落胤説=皇胤説が受け入れられる中で、これを疑問視する考え方も登場した。その中心となったのは、特に『平家物語』を研究する国文学者たちであった。彼らは、どのように考えていたのであろうか。 清盛御落胤説=皇胤説を否定する人々の論拠とは、どのようなものだったのであろうか。代表的なものをいくつか紹介しておきたい。 先述のとおり、『平家物語』(延慶本)は、清盛の母を祇園女御に仕えた中臈女房としている。この延慶本は『平家物語』の諸本の中で、もっとも古い形態を残すものである。したがって、より信憑(しんぴょう)性が高いのではないかと考えられている。未だに解明されない謎 また、別の見解では、『仏舎利相承系図』に記されていた清盛御落胤説=皇胤説が13世紀初頭に広まっていたとし、それが『平家物語』が成立する際に強く影響を受けたと指摘する。清盛在世中は御落胤説=皇胤説の広まりを確認できないが、12世紀末頃から13世紀初頭にかけて流布したのであろう。 『平家物語』(延慶本)は、清盛御落胤説=皇胤説の記事の最後の部分で「この事、信用に足らずという人もあるらしい」と記している。つまり、言外に清盛御落胤説=皇胤説は史実として認められず、作者による創作であることを匂わせているのである。こうして清盛御落胤説=皇胤説を否定したのである。 ところが、近年では『仏舎利相承系図』の史料価値を疑問視し、当該期の史料から裏付けが得られないので、事実として疑わしいと断言する歴史家もあらわれた。同時に、清盛が御落胤であることは、将来の皇統を受け継ぐ可能性があることから、かえって反対勢力の監視にあって不利であったと指摘している。 清盛が破格扱いを受けていたかという点についても、『今鏡』の記事をもとに疑問視している。白河法皇は清盛を昇殿可能な蔵人(くろうど、秘書役)にも任じることなく、これまでいわれたほど厚遇していないのである。ただし、平氏一門が白河法皇から厚遇され、清盛の出世が早かったのは事実である。そうでなければ、異例なまでの大出世はしなかったはずだ。 以上のように、清盛が天皇の御落胤であるか否かについては、古くから歴史学者や国文学者によって論じられてきた。日宋貿易で輸入された青磁の皿や壺が並ぶ特別展「清盛と日宋貿易」=播磨町の県立考古博物館 結論からいえば、清盛の母は祇園女御の妹であった可能性が高いとされている。忠盛の父である正盛は、早くから祇園女御に仕えており、それは忠盛も同じであった。祇園女御に仕える中で、忠盛はその妹と結ばれ、清盛を産んだのである。ただ、清盛が御落胤であるか否かについては、まだ検討の余地があろう。 清盛の御落胤説については決め手となる史料が乏しく、十分に確証を得られたわけではない。通常、歴史研究では同時代の古文書や日記などの一次史料が用いられ、後世に編纂された二次史料は価値が劣るので、証拠としての価値が劣る。ただ今後、清盛の出生にまつわる一次史料が出てくるとは、到底考えにくい。 今後、状況証拠的な史料を収集・検討し、さらに議論を深める必要がある。清盛御落胤説は、いまだ謎といえるであろう。 清盛は出自の問題もさることながらも、天皇家や摂関家と積極的に姻戚関係を結び、天皇を凌駕(りょうが)する権力を保持したのは確かなことである。

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    「日本国王」足利義満の危険思想はこのとき生まれた

    今谷明(帝京大特任教授) 天皇にならんとした人物に、奈良時代称徳朝に弓削道鏡がいる。これに対し、義満は厳密には自ら天皇たらんとしたのではなく、次男義嗣を天皇に、自らは太上天皇として朝廷に臨もうとしたわけである。 このような義満の意図は、当時天皇家において「院政」というスタイルが常態であって、直接天皇の地位を目指すよりも、上皇に収まる方が、ある意味自然な手法であるという事情があった。以下、義満の狙いと意図、その背景について概観する。 1379年の「康暦の政変」によって管領の細川頼之が失脚し、将軍義満の親政が始まるが、まだ二十歳そこそこの若さであり、有力守護大名を統制するのは容易ではなかった。この時にあたって事実上義満の家庭教師の役割を果たし、その政権構想に多大の影響を与えた人物こそ、鎌倉五山から移って建仁寺住職となっていた義堂周信である。  義堂は病により中華留学を果たさなかったが、宋学の意図や四書の新注もよく理解し、当時日本における最高の儒学者であった。1380年8月、紀伝博士の菅原秀長は義満に八朔(はっさく)の祝儀として『孟子』の写本を献じたが、義満は関心すら示さなかった。 それを伝え聞いた義堂は、同年11月、義満に「儒書中、宜く孟子を読むべし」と勧めたので、義満は目が覚めたように孟子に熱中した。孟子は元来、「民を以て重しと為す」とする民本主義を含み、また禅譲放伐を是認するという朝廷にとっては危険思想の面を持つ。公家界の最高権力者になった足利義満(Wikimedia Commons) 理解力の早い義満が孟子に傾倒することを危ぶんだ義堂は、義満を禅宗へ誘導せんとしたものの、時すでに遅し、義満は放伐是認にはまり込み、「力のある者が位も上にあるべきだ」という、歴代武家中にも例がない考えを抱くようになった。 歴代武家で、太政大臣となった清盛を除き、執権北条氏や義満以前の足利二代は、官位が大納言止まりであった。ところが、義満は位階昇進を踏んで清盛も実朝も経験しなかった大臣に昇り、公家界の最高権力者になった。 このような義満の破格は、摂政二条良基はじめ、有力公卿が義満に迎合した故であり、重臣たちに裏切られたかたちとなった後円融上皇の焦慮は深く、一時は自殺を企てるなど、義満との溝は深まった。 一方、幕府の首長としての義満は、美濃の乱、明徳の乱、応永の乱と、次々に有力守護を挑発しては謀叛に追い込ませ、ことごとくこれを弾圧した。このような義満の強勢を見ては、斯波・畠山らの宿老も義満に批判はあっても諫言すらできず、後円融上皇が崩じ、南北朝が合一して以降は、義満の専制権力が確立した。故義満への尊号を拒否した幕府 義満は長子の義持に将軍職を譲り、太政大臣も辞して出家したが、これは天皇の陪臣である限り、明(中国)が入貢を認めないためであり、入道出家後も室町第、のちに北山第において政務を握り続けた。 かくて明国皇帝から「日本国王」に冊封された義満は、公卿界から太上天皇の礼遇を受け、従来宸筆(しんぴつ、天皇の直筆)であった「除目の小折紙」(人事異動の原案)を自ら書き出し、寺社への参詣は後白河上皇や亀山上皇の儀礼にのっとるなど、形式的な人事権を獲得した。 しかし、朝廷には権力・権威とも失ったとはいえ、後円融の皇子であった後小松天皇が在位しており、この天皇を廃立して足利義嗣を皇位に据えるというのは、さすがの義満を以ってしても容易なことではなかった。 1406年末、天皇生母の通陽門院が逝去し、義満の正妻日野康子が「准母」に冊立された。次いで1408年2月、14歳の義嗣が参内して親王元服の準拠として従五位下に叙位された。 同月3月、天皇は北山第に行幸し、義満は繧繝縁(うんげんべり)の畳に座して迎え、天皇が父なる上皇を訪問する朝覲(ちょうきん)行幸の儀礼にならうといわれた。しかし、同年5月、義嗣が参議従三位に叙位されて三日後、義満はにわかに発病し、死亡した。義満が出家後に政務の拠点とした北山第(現鹿苑寺)=京都市北区 義満急死後、朝廷では関白・伝奏(てんそう)らが協議して故義満に「太上天皇」の尊号を宣下し、幕府に伝えた。ところが、案に相違して幕府は尊号を辞退し、朝廷に突き返してきた。これは宿老の斯波義将の主導であったという。 尊号を拒否した幕閣の思惑は、彼ら(有力守護)が尊王思想に傾いていたわけでは決してなく、禁裏仙洞領(上皇の領地)を各地で押領するなど、むしろその逆であった。彼らの本音は、足利氏が天皇と将軍を独占し、しかも国際的に「日本国王」として足利氏が絶対王制となることへの本能的な嫌悪感であったとみられる。 守護家の志向は彼らが封建権力として家職化、すなわち世襲分国を形成することであり、それには足利家が強大すぎるのは望ましくない。そのためには、微弱なりとはいえ伝統のある「天皇家」が存続していた方が、彼らには都合がよいという考え方である。 要するに幕府を支える勢力の政治的思惑から、天皇家は空前の危機を回避することができたといえよう。

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    天皇の子孫だった平将門が自称した「新皇」の謎

    岩田慎平(立命館大学文学部非常勤講師) 桓武天皇の子孫である平将門は、いくつもの戦いを経て関東を支配下に治めた。独自に「新皇」を称したとされる将門のもとへは天慶三(940)年に朝廷から追討使が派遣され、それに呼応した藤原秀郷や平貞盛らの攻撃を受けて討たれた。将門の乱は中世に活躍した武士が登場する画期ともいえるという点でも注目される事件である。中世における武士の特徴とあわせて考えながら、事件の概要を追うことにする。築土神社所蔵の平将門像 天皇の子孫であった将門が坂東で活躍することになったのはなぜか。まずはそこからたどり直してみよう。 平安京への遷都で有名な桓武天皇。その曾孫である高望王は、平姓を賜って臣籍に下った。新たに「平高望」を称することになって与えられた任務は、坂東へ下向することであった。この当時、地位が低下した郡司や、任期切れの後も任地に留まり続けた前任国司、あるいは中央貴族の家人たちが地方での有力者(「富豪層」)として活動し、ときには国司の命令にも従わず、さらには武力蜂起に至るような事件が発生していた。平高望が派遣された坂東は、そうした富豪層による事件がとくに多発していたのである。治安の紊乱(びんらん)が著しい坂東に下向し、地域の安定化という実績を上げることで、藤原氏の優位が確立しつつあった京都の貴族社会での失地回復を図ったのだともいわれる。地方に蟠踞(ばんきょ)する富豪層の反受領武装闘争を鎮圧するために、彼らの武力が期待されたというのである。 しかしこのような見方には問題が残る。 まず、朝廷内において勢力を維持するためには、京都に留まって国政の枢要に関わり続けることが最低条件である。地方に下向すると決めたことは、平高望が朝廷内における主要な地位の維持を半ば放棄したものと見てよい。 また、新たに地方へ下ってゆく彼らにどれほどの武力が期待できたであろう。この時代には、有事において国司が動員・指揮する諸国の兵士も維持されていたとされる。その上で坂東に派遣される平氏に期待されたのは、反受領武装闘争を繰り返す地方の富豪層を、中央との政治的提携を活かして現地の国司らと協力し合いながら支配下に取り込みつつ(「家人化」)、それに従わない者は鎮圧すること(「治安維持」)であった。 平高望は上総介(上総国の国司)であったことに加えて、前常陸大掾(常陸国の前任国司)源護の一族と姻戚関係にあるなど、国家権力の一端を担いつつ、現地の諸勢力とも協調関係を維持しながら活動していた(将門と争うことになる叔父の平国香や平良兼らも源護の一族と姻戚関係を維持していた)。 高望の子・平良将(良持とも)は下総国佐倉に所領を持ち、その子にあたる将門は朝廷に中級官人として出仕する旁ら、太政大臣藤原忠平の家人でもあった。つまり将門は、地方で所領を経営する父親と分担し合うかたちで、在京活動を行っていたのである。 所領を維持するためには、その地方での活動はもちろんのこと、在京活動による政治的地位の保全も欠かせなかった。地方での活動を円滑に行うためには、近隣の国司との関係を良好なものにしておくことが欠かせず、そのために国司との姻戚関係を築いたり、国司の動向を左右しうる有力な中央貴族との提携が必須であった。 つまり関東に下向した平氏は、その当初から朝廷の権威・権力に依存する存在であったのだが、このことはまた、古代~中世にかけての武士の特徴の一つでもある。 ところが、良将が没したため将門は在京活動を休止し、地方の所領を維持するため現地での活動を優先せざるを得なくなる。そして、将門が所領に下向したときには、父の所領の多くは伯父の平国香や良兼、叔父の良正らに横領されてしまっていたとされる。それが将門と一族との間の長い抗争のはじまりとなるのだが、このように一族内部で所領をめぐる争いを繰り返すこともまた、古代~中世にかけての武士の特徴の一つである。朝廷からの追討命令は私戦の延長 叔父たちのなかでも平良兼とその姻戚である前常陸大掾・源護の一族は、とりわけ激しく将門との間で抗争を繰り広げることになる(その原因は、将門の父の遺領をめぐるもののほかに、「女論」によるとも言われている)。平国香の館跡とされる長光寺=茨城県筑西市 この抗争は互いの一族を殺し合い、拠点となる集落を焼き払い合うなど凄惨を極めた。 抗争のなかで将門は叔父の平国香を殺害し、それまでは(かつての将門のように)朝廷に出仕するため在京していた国香の息子・貞盛をも巻き込むこととなる。 貞盛自身は将門との争いに消極的であったとも言われるが、将門が父の死後の所領支配をめぐって叔父たちとの争いに身を投じたように、父を将門に殺された貞盛もまた、一族との戦いへと駆られたことであろう。この貞盛が、後に藤原秀郷の協力を得て将門を討つことになるのである。 先述のように、一族内部で所領をめぐる争いを繰り返すことは古代~中世の武士の特徴の一つであったが、このような抗争は、たとえ坂東の平氏やその姻族も含めた一族を広く巻き込んだものであっても「私戦」であり、それ自体は朝廷の追討(「公戦」)の対象とはならない。この時点では、誰も国家への反逆者ではないのである。 しかし、敵対勢力を「朝廷に仇をなすもの」として訴え出てそれが受理されれば、朝廷による追討(「公戦」)が発動されることとなる。朝廷から追討使が派遣されれば、国司を含む近隣諸勢力の支援も得ながら、それに合流する形で戦いを優位に進めることもできる。そうすればより容易(たやす)く敵対勢力を駆逐することも可能になるのだ。そのため両陣営ともに、相手が国司の命令に従わないなどとして朝廷に訴え出るような工作を行っていたのである。 このような経緯で発せられる朝廷からの追討命令は「私戦」の延長という色合いが強く、朝廷によって実施される追討(「公戦」)のなかには、こうした「私戦」的側面を持つものが少なくなかった。 伯父・良兼や源護一族との抗争も将門優位で終息に向かっていた頃、武蔵国では別の争乱が勃発しつつあった。 新任の武蔵権守・興世王と武蔵介・源経基が、武蔵国足立郡の郡司・武蔵武芝と諍(いさか)いを起こしたのである。将門は「武芝は自分の近親者ではなく、守・介(興世王・経基)も自分の兄弟ではないが、両者の紛争を鎮める」と称して武蔵国に出向き、武蔵国府において興世王と武芝を会見させることに成功した。両者による紛争を調停したのである(経基は京へ逃亡)。 この当時、地方で発生した紛争とそれへの介入の実態は、同時期の史料からもうかがうことができる。 寛平八年(896)の太政官符(朝廷の発する行政命令)には、地方における紛争の当事者双方がそれぞれ別々の貴族に訴え出ることで、もともとは地方で発生した紛争が、中央の貴族同士の対立という形に発展するという弊害が記録されている。 また、延喜五年(905)の太政官符においては、中央の貴族が紛争を私的に裁定することを通じて、地方の人々を支配下に取り込んでゆく様子が描かれている。 このように、地方における紛争の調停には中央の貴族も関与していたとみられる。いずれのケースにおいても、中央貴族より立場の弱い国司や郡司は地方におけるこうした違法行為を制止することができなかった。武蔵国における将門の調停行為も、これと同様のものと見てよい。また、坂東の平氏一族の抗争が将門優位で終息に向かうなか、坂東諸国にあって中央からの強力な政治的バックアップを受け、紛争の調停に当たることができたのは、おおよそ将門だけであったともいえよう。 この興世王と武芝との調停を通じて将門は両者を従属させたとみられ、とりわけ興世王は、将門が後に坂東諸国を制圧した際にはその「宰人」(ブレーン)とも称された。みずからの政治的立場(中央との提携やその地域における広範な支配)を利用して、対立する二者間の紛争に介入し、いずれか(あるいは両者とも)を従属させるという行為もまた、古代~中世の武士の特徴である。文飾に満ちた「将門記」 一方、京都に逃亡した経基は、将門、興世王、武芝らの行状を朝廷に訴え出た。これを受けて太政大臣藤原忠平(かつて将門が家人として仕えていた)は調査に乗り出したが、将門は自らの上申書に坂東五カ国の国司の証明書も添えて提出し、謀反の疑いを晴らすことに成功した。訴え出た経基が、むしろ誣告(ぶこく)として罰せられたのである。朝廷では、坂東における将門の名声を承認し、その功績を評価することなども審議された。 この間の経緯が将門に都合良く運んだのも、将門が中央(とりわけ太政大臣・忠平)との政治的提携を保持していたことが大きく作用したのである。 その後、武蔵国では権守・興世王と武蔵守・百済貞連が対立し、興世王が将門のもとを頼ってきていた。同じ頃、常陸国では富豪層とみられる藤原玄明が常陸介・藤原維幾と対立し、玄明もまた将門のもとを頼ってきた。いまや将門は、坂東の諸勢力から頼りとされる存在となっていたのである。 維幾は玄明の引き渡しを要求するが、将門はこれを承知せず、両者は対立し合戦となる。将門と玄明は維幾を常陸国府に追い詰め、国府の周辺を襲撃し、印鎰(国司が使用する印と国倉の鍵)を奪うに至った。 国府への攻撃は朝廷への攻撃を意味する。将門は、それまでの一族同士の戦いでは国府への攻撃を慎重に避けつつ、戦いを「私戦」の枠内に留めていた。常陸国司である藤原維幾と対立する藤原玄明との「私戦」に介入したことが、結果的に常陸国府襲撃に繋がったのである。この攻撃は朝廷への敵対行為、すなわち「謀反」と見なされて、近隣諸国の国司からただちに京都へ報告された。将門本人に対する調査も行われないまま、将門の乱は朝廷が鎮圧に乗り出す「公戦」と認定され、ついに将門は国家的な追討の対象となったのである。 常陸国府を襲撃した将門は、ブレーンとなっていた興世王の進言(「一国の占領だけでも罪は軽くない。同じことならば、坂東諸国を占領すべきである」)に従って軍を進め、下野国・上野国の国府をただちに占領した。“毒を食らわば皿まで”といったところか。 このときに独自の「除目」(本来は朝廷が行う人事)を行い、坂東諸国の国司を任命するのだが、さらに八幡大菩薩の使者と称する一人の昌伎(しょうぎ/かんなぎ。巫女のことか)までが現れ、将門は「新皇」を称するに至ったというのである。平将門公之像=茨城県坂東市「ベルフォーレ」 将門による「新皇」「即位」を自明視し、そこから将門の居所を「都」とするような見解もある。しかし、そのような見解は妥当なものだろうか。 将門はその存立基盤からみれば、自らの存立のためには中央貴族や国司との政治的提携が必須となる地方の富豪層なのである。いかに将門の支配領域が拡大しても、そのことに根本的な変化はない。 あたかも朝廷に対抗して「新皇」を自称するようになったようにもとれるが、これを伝える『将門記』自体が文飾に満ちた作品であって、事実をそのまま描いているとは言えず、したがってその評価についても意見が分かれるのだ。全体的に、将門の乱はそれに関する史料が限られているため、よく知られている事件であるにもかかわらず、その実態は不明な点が多い。事件の経緯に即して考える限り、「新皇」の自称も突発的なことであったと見られる。たとえ実際に巫女の宣託が行われていたのだとしても、将門と彼の支持勢力(多くは、将門と同様に中央の貴族と結合した富豪層)の存在形態自体に大きな変化はないのだから、宣託(せんたく)を受けての「新皇」「即位」という一連の流れを過大評価することはできない。忠平への恩義も忘れていない 「八幡大菩薩」の使者と称する昌伎の託宣を受けた将門らは、貧者が冨を得たが如くに意気盛んとなり、将門自身は「新皇」を自称するに至ったというわけだが、つづいて朝廷に奏上も行った。 この奏上には、これまでの一族間の「私戦」の経緯の説明と、常陸国衙襲撃において自らに罪はないとする弁明、坂東諸国を占領したことに関する開き直りとも取れる文言が並んでいた。しかしそれに続けて、将門は「傾国の謀」(国を危うくする陰謀)の片鱗を示したものの、その一方で主君である太政大臣藤原忠平への恩義も忘れていないとする文言も明記されている。勢いに任せて常陸・下野・上野の国府を占領したものの、この段階に至ってなお中央との連繋を重視しそれを維持しようとしていたのである。この奏上から“将門が坂東を独立国にしようとした”とった意図を読み取ることはできない。 『将門記』に描かれる将門の「新皇」自称も、将門の指導的立場が坂東の諸勢力のなかで承認されたことを象徴する場面であった、とでも理解すべきであろう。坂東諸国の富豪層もそれぞれが各地で「私戦」の当事者であったとみられるが、朝廷との連繋が良い人物(この場合は将門)と結合することで利権の拡大を図りつつ、勢いに乗じた将門に味方することで、自らと競合する勢力の駆逐を目論んだ者も多かったのであろう。将門を滅ぼすのが同じく坂東にいた藤原秀郷であったように、この段階に至ってもなお将門とその支持勢力は、坂東全域を一元的に支配していたわけでもないのである。 とはいえ、将門の勢いを恐れた坂東諸国の国司らは任国を捨てて逃亡し、将門は武蔵国・相模国なども次々と従え、実効支配の地域を拡大していった。 同じ時期に西国では藤原純友による争乱も報告されており、朝廷ではそれぞれの対応に追われることとなった。比叡山にある将門岩。平将門と藤原純友がここで語り合ったとの伝承が残る=京都市左京区のガーデンミュージアム比叡 純友に対してはひとまず懐柔策を取り、当面は将門追討を優先することが決まった。西国で藤原純友の乱が発生した上に、坂東数カ国の国司を追放したことは、もはや朝廷でも看過できなかったのであろう。 しかし国司相手の紛争で訴えられても、中央との関係次第では罪から逃れられたというケースもあった。先述のように将門自身も一度は朝廷による調査の対象となったのだが、中央政界との連繋を活かしてその時には国家的な追討を回避している。また、たとえば将門の乱から百年ほど後、九州で国司との間で紛争を起こしながら、結局は大きな罪には問われなかった平季基の事例もある。坂東で平忠常が大規模な争乱を引き起こしたのとほぼ同時代のことである。 長元二年(1029)、大宰府の役人であった平季基は大隅国の国司との間で紛争を起こし、国衙や国司の館などを襲撃して、大隅国から大宰府に訴えられた。その裁決が下る前に任期が切れてしまった大隅国司は、やがて直接朝廷に訴え出た。朝廷は事件について大宰府に問い合わせたが、平季基が大宰府の長官に賄賂を贈ってもみ消しを依頼したため、うやむやになっただけでなく、大隅国司が直接朝廷に訴えたのを越権行為であると称して、以後の調査を妨げようとした。それでも平季基は朝廷に召喚されてしまうが、やがて放免され、朝廷の高官には返礼ともみられる大量の贈り物を届けた(野口実『列島を翔ける平安武士 九州・京都・東国』吉川弘文館、2017年)。諸方への賄賂はそれなりの代償ともいえるが、追討を受けて滅ぼされることを考えれば…といったところか。 このように、中央との関係を良好に保った上で巧みに立ち回れば、国司との間で紛争を起こしても国家的な追討を回避することもできたのである。将門の乱は「私戦」の延長線 将門の乱への対応に戻ろう。諸社諸寺には将門調伏の祈祷が命ぜられた。また、以前に武蔵国における将門の行状を密告した源経基は、召し出されて従五位下に叙された。そして天慶三年(940)二月八日には、ついに参議・藤原忠文を征東大将軍とする追討使(単なる使者ではなく、追討を目的とする軍隊とその指揮官である)が進発した。 将門自身はその間も関東にあって、従来敵対していた平貞盛や、それと結んだ藤原維幾の子・為憲らとの戦いを続けていた。やがて貞盛と為憲は下野国押領使藤原秀郷の協力を得て将門を攻撃した。この攻撃は京都を発った追討使が到着する前であったが、追討令が発せられた将門に味方する兵力は少なく、秀郷らとの戦いに敗れた将門は討ち取られ、将門の弟たちや興世王、藤原玄明らも誅殺された。楊洲周延画「総州猿島内裏図」。藤原秀郷は平将門の館に招かれ、飛落するカモを眺めている(坂東郷土館ミューズ所蔵) ところで、この秀郷について当初は将門に同調していたというエピソードもある。将門は新皇と号した上で坂東諸国に自ら国司を任じ、さらには大軍を率いて京都へ攻め上り、日本国の主になると主張して秀郷も当初はその構想を感心して聞いたという。しかしその後、秀郷は将門の立居振舞や食事の様子などを見てその乱雑さに落胆し、やがて将門を討ったというのである。このエピソードは『俵藤太物語』に記されたものだが、物語自体は室町時代に成立したものだから、後世に創作された俗説であろう。 最後の戦いでは、朝廷からの追討使派遣と時期を同じくして将門の勢力は減退したとみられる。これは、将門に味方していた勢力が朝廷からの追討対象となることを恐れて、随時離脱していったからであろう。勢いに乗じて坂東諸国の国府を占領していったが、そもそも国司は任国を平穏無事に運営し、所定の税を滞りなく中央に納めることが任務の第一であった。それを武力で追い出したうえで強引に支配しようとしたとしても、広い支持を集めることはできない。また、手段が強引であればあるほど、強い反発も招くことになる。 この戦いで藤原秀郷という味方を得た貞盛と為憲は、以前から将門や玄明らと敵対する勢力であった。つまり、将門の乱は「私戦」の延長線上で「公戦」と認定されつつも、最後はやはり「私戦」の延長線上で決着がついたのである。 以上が、平将門の乱と呼ばれる争乱の概要である。この争乱の経緯は坂東において幾重にも交錯した凄惨な抗争(「私戦」)が主軸であり、それ自体は朝廷の支配を揺るがすようなものではない。「新皇」を称した将門も、拠って立つ基盤は中央の貴族や国司との結合にあり、地方において朝廷の権威を背景に活動する勢力の一つであった。国府襲撃という事件を起こさなければ、将門は国家的軍事・警察権の担い手として朝廷や貴族から重用されていたかもしれないのだ(その可能性はあった)。 将門の“独立”について、たとえていえば、新たな起業を目指したもののように思われるかもしれない。だが実際には、新たな組合の設立を目指したようなものであって、しかもそれは近隣の支持も失った上で潰されてしまったのである。 将門を支持した富豪層も、程度の差はあれど将門のように朝廷の権威に依存する存在であって、その転覆など考えることはできない。彼らは現行の体制を承認しつつ、そのなかで自らの利益の拡大を図るに過ぎないからだ。自らの利益にかなえば将門にも味方するし、利益に反するようなら一度は味方しても易々(やすやす)と離脱するような“支持者”たちなのである。朝廷に依存する面もあった 将門を討った秀郷には従四位下、貞盛には従五位下の位が与えられ、彼らの子孫はやがて武士の家として発展を遂げることとなる。平貞盛…伊勢平氏(平家政権を立てた清盛などを輩出)、北条などの祖。藤原秀郷…小山・結城・長沼、波多野、山内首藤、平泉藤原氏、佐藤(歌人の西行を輩出)、後藤などの祖。平良文…千葉・上総、秩父平氏(畠山・小山田など)、三浦、大庭・梶原などの祖。藤原為憲…伊東・工藤、二階堂などの祖。 中世は「武者ノヨ」(慈円『愚管抄』)といわれるほど、武士がめざましく社会進出を果たしたことが大きな特徴の時代であった。それ以前の、たとえば将門の乱前後の時代にも武勇に優れた人物を追討使に任じたり、京都の警固(けいご)に徴発したりする事例はみられる。しかしこれらはいずれも突発・散発的な事例に留まり、彼らが恒常的に起用されるというようなことはほとんどなかった。 ところが時代も下って院政期になると、皇統の対立や、寺社強訴の頻発などにより、自らの皇統を武力によってより強固に守護する必要に迫られた院による軍事動員が恒常化する。そのときに麾下(きか)の武力として編成された伊勢平氏や河内源氏などのなかには、将門の乱に関わった人々の子孫で武士の家として発展を遂げた者も含まれていた。また、各地に設置された荘園を預かる下司(げし)などにも、諸国の国衙(こくが)在庁を務めていたような武士が起用されるようになり、荘園領主(院や貴族、寺社)らとの関係をそれぞれ独自に展開するようになっていく。 このように、中世における武士の社会進出は彼らが得意とする武芸を活かした奉仕を中心としたものであった。しかし一方では、ほかの貴族たちのようにさまざまな経済奉仕(荘園寄進の仲介、造寺・造塔・造仏、院知行国の運営実務)も行っていたのである。このことは、武士の政権といわれる鎌倉幕府が成立したあとでも例外ではない。 鎌倉幕府は、内裏や院御所などの警備のほか、その造営の費用を御家人らに賦課するなどして積極的に協力しており、それが彼らの主たるアイデンティティーとなっていたのである(「武芸をこととなし、朝廷を警衛せしめたまわば、関東長久の基たるべし(武芸に専念し、朝廷を警備することが鎌倉幕府の繁栄にも繋がるのだ)」『吾妻鏡』承元三年(1209)十一月七日条)。 将門の活動にもその端緒がうかがえたように、中世社会における武士は朝廷の権威を相対化して「私戦」を繰り返す側面をもつ一方で、そのさまざまな活動を展開する上で朝廷の権威に依存する側面もあるというように、背反する特徴を併せ持っていたのである。武士が天皇や貴族、寺社勢力などと対立し合うといった単純な評価のみでは、中世における武士の存在形態を考えることはできない。まして、将門の乱の舞台となった坂東の“自立性”を過度に重視することはできない。 将門の乱や源頼朝の挙兵という事実をもって坂東の「独立」を過度に重視する風潮が顕著であるが、現代人の価値観に左右されることなく、その当時の状況を冷静に分析し、評価を下すことが重要である。〈参考文献〉岩井市史編さん委員会編『新装版 平将門資料集―付・藤原純友資料』新人物往来社、2002年川尻秋生編『将門記を読む』吉川弘文館、2009年。寺内浩「平安時代中期の地方軍制」『古代文化』62-4、2011年3月。野口実『源氏と坂東武士』吉川弘文館、2007年。野口実『列島を翔ける平安武士 九州・京都・東国』吉川弘文館、2017年樋口州男『将門伝説の歴史』吉川弘文館、2015年元木泰雄『武士の成立』吉川弘文館、1994年。森公章『古代豪族と武士の誕生』吉川弘文館、2012年。

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    先細りする「ご公務」の担い手、女性皇族をいかに皇室にとどめるか

    務をされている。宮中祭祀(さいし)をはじめ、稲刈りなど伝統文化の継承、戦没者追悼式や被災地訪問などの国内行幸、外国訪問や来日使節団の接遇などの国際親善、園遊会と、ご高齢の身にはかなりの負担である。春の園遊会に臨まれる天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と眞子さまをはじめ皇族方 =4月27日、東京・元赤坂の赤坂御苑(早坂洋祐撮影)  天皇以外の皇族も、ご公務があり、皇太子の場合は献血運動推進全国大会、全国障害者スポーツ大会などに臨席される。秋篠宮家の眞子内親王も日本テニス協会名誉総裁などをつとめ、さきごろはブータンを公式訪問した。天皇、皇后はじめ多くの皇族方は、それぞれにご公務があり、そのつとめをすることで、日本の国際的地位の向上や国内的安定に貢献してきた。 これらのご公務は、平素は報道されないので、一般には知られないことも多い。そのため、天皇は宮中でお祈りをしているだけだし、ほかの皇族方はなにもしていないと、誤解されることもある。 しかし、歴史を遡(さかのぼ)れば、明治維新以後、天皇をはじめとする皇室は、国際親善につとめ、国内の諸地域の人々との交流につとめてきた。戦争で大きな打撃を受けて後も、世界の信頼を取り戻し、国民を励ますなど、復興の原動力となった。 戦後70年、日本は世界の信頼を得て、国内も大きく発展してきた。その底力は多くの国民によるものだが、皇室がそれを支えてきたことも否定できない。 このたび、秋篠宮家の眞子内親王の婚約が明らかになり、皇室と国民は新たな喜びに包まれた。一方、女性皇族は結婚すれば皇室を離れるため、それを惜しむ声も聞かれる。とりわけ、男性皇族の少ない現在の皇室にあっては、女性皇族が結婚で減っていくことで、ご公務はじめ多くの活動が停滞する可能性がある。 そして国際親善や国民との交流がおろそかになり、ひいては社会の活力が低下する危険がある。ご公務を減らすのも一案だが、皇族数が大幅に減少してしまえば、最低限のご公務すら担えなくなる。そのため、女性皇族が結婚しても皇室にとどまっていただく、あるいはご公務を担える立場になっていただくなどの案が考えられている。眞子内親王の婚約が、そうした機運を加速させている。男系継承者不在の度に揺れる女性宮家創設 しかし、女性宮家の創設に慎重な意見を持つ人々もいる。女性宮家創設が、将来の女系天皇の容認につながると懸念しているのである。天皇の地位や役割は世襲のものであり、皇室の長い伝統の中で女系、つまり母親は天皇の子でも、父親が天皇の血筋にないものの子の継承はなかった。皇居を出られる秋篠宮ご夫妻、眞子さま、悠仁さま=5月21日午後、皇居・乾門 神武天皇以来、125代連綿と続いた伝統が天皇家への崇敬への源であり、今後もその伝統を継承することが重要である。125代の天皇の中には何人かの女性天皇も存在したが、そのすべてが男系の子であり、その男系を今後も保持していくのが天皇家の長い伝統を保持するための大事な要素であるというのである。 そして、われわれの代に、古来の伝統を安易に変えていいものだろうかという配慮がその背景にある。 一方、現実には近代以降、男系継承は常に危険な綱渡りであった。明治天皇は正室に実子がなく、5人の側室との間に5人の男子と10人の女子をもうけた。そのうち成人したのは1人の男子と4人の女子であった。 成人した1人の男子も心身の状態が十分ではなく、その先の男子継承に大きな不安が残った。その男子がのちの大正天皇である。そのため、当初の婚約を破棄して、男子出産のための健全な母体として別の妃が求められ、結果として4人の男子が生まれて、男系の皇位は安定した。 ところが、次の昭和天皇には当初、女子しか生まれず、男系継承をめぐりさまざまな議論や策謀がなされた。昭和天皇は側室制度を廃止しており、皇后以外の子を求めなかった。そのため弟宮の継承や養子相続などの案も噴出した。昭和8年になって現在の陛下が生まれ、この問題は解消した。このとき多くの関係者や国民は大いに安堵(あんど)した。 現在の陛下は皇太子時代に2人の男子をもうけられ、男系継承の議論はあえて意識されることなく続いた。この2人の男子は、皇位を継承する長男と、継承とは無縁の次男として育ち、長男は婚期が遅かったが、次男は早々に結婚し、だれもが男系男子の不在が訪れるなど意識せずに過ごしていた。 結局、兄宮の唯一のお子さまが女子であり、弟宮の秋篠宮殿下の2人のお子さまも女子、そのほかの宮家の方々の家でも男子が生まれないという状態となった。かつてのような側室制度がなくなった現代では、後継者たる男子の出産確率はかなり低くなったのであるが、側室制度を復活するわけにもいかなかった。女性皇族を皇室にとどめるのか否か このため小泉純一郎首相は平成17年、安定した皇位継承のため、女子の天皇を容認する法案を国会に提出しようとした。しかし、長い男系の皇室の伝統を壊すものとして、反対する声も上がり、平成18年に悠仁親王がお生まれになることで、女性天皇実現の法案は提出されることなく、事態は一応の落着を見たのであった。 あれから10年がたった。悠仁親王は健やかに成長されたが、男性皇族の薨去(こうきょ)や適齢期を迎えた女性皇族の結婚などでご公務を担う皇族数はさらに減少した。今後もその傾向は続く。 そうした中で、女性皇族方を皇室にとどめる法令はない。女性宮家創設はそうした事態への対応策として提示されているが、これすら反対するとなると、ご公務の担い手は限りなく減少し、結果として国際親善や国内安定が損なわれていく。 国事行為や「祈り」のみならず、世界や国内の人々と触れ合うご公務というものがいかに重要で困難なものであるかは、今回の陛下の退位の「お言葉」からも伝わる。ブータン訪問のため、羽田空港を出発される秋篠宮家の長女、眞子さま=5月31日午前、羽田空港(代表撮影) 私は、女性皇族方にはお好きな伴侶を早く見つけて、一般国民には背負いきれない皇統維持とご公務という重荷から解放させて差し上げたいという気持ちが強いのだが、そうなるとご公務の先細りが加速する。 現状では、女性皇族方に皇室にとどまっていただくしかないと思う。他方、女性皇族の婚姻相手に旧皇族の男子を結びつけようという動きがあり、そのために女性皇族が早急に自ら相手を選び皇室を離れようとしているとも伝えられる。必ずしも良い流れではない。少なくとも、女性皇族方をご自分の将来の展望が見えない状態のままいつまでも放置するのは、国民の態度としてふさわしくない。然るべき法整備をするべきだろう。

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    女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」に他ならない

    倉山満(憲政史家) おめでたいことである。秋篠宮眞子内親王のご婚約が明らかになった。お相手は民間人の小室圭さんだ。 しかし、これに乗じてよからぬ企みを抱いている者が、いないか。さっそく、女性宮家創設を目論む者がいる。あえて、自分で書いていて不快な表現をする。世情語られている女性宮家が実現したら、こんな声が出てもおかしくない。「佳子さん、口説こうぜ!」「愛子さん、落とそうぜ!」 女性宮家創設を目論む人たちに聞きたい。それでいいのか?  ここで言う女性宮家とは何か。手っ取り早くたとえさせていただくと、「眞子内親王殿下には皇籍に御残りいただき、女性宮家の先鞭をつけていただきたい」との主張だ。そして、「眞子さんと小室さんの間に生まれた子供に皇族になっていただき、皇族の減少を防ごう」との意図である。ブータンの民族衣装姿で弓技場を訪問された眞子さま=2017年6月3日、ティンプー(共同) それが許されるなら、妹君の「佳子さん、口説こうぜ!」と考える輩が出てきてもおかしくない。あるいは、皇室典範を改正してでも女帝として即位されることを熱望される向きもある、愛子内親王殿下に狙いをつける輩だっているかもしれない。私が皇室乗っ取りを企むよからぬ輩なら、それを考える。それを可能にする策なのだから。民進党の蓮舫代表がさっそく言い出した女性宮家創設とは、ざっくり言えばそういうことなのである。 皇室の問題を考える際に重要な基準が一つある。「先例」である。皇室において、「新儀」は不吉である。たとえば、玉音放送だ。玉音放送という新儀は、敗戦と外国による国土占領という、これ以上ない不吉に際して行われた。古くは、大化の改新である。この際、皇極天皇は史上初の譲位を行った。神話の時代にも先例がない新儀である。これもまた、宮中における天皇の眼前での殺人事件という不吉が理由だった。 もちろん、いかなる場合でも新儀が許されないわけではない。明治維新は「近代化」という新儀だらけの大変革を行った。もし先例にこだわって改革ができなかったら、日本国は地球上で文明国として生存できなかっただろう。必要な新儀であった。しかし、その際も明治政府の首脳は、「神武創業の精神」を持ち出した。初代天皇、神武天皇の先例に従うという意味である。新たな国づくりを目指す明治政府にとっての吉例は、神武天皇であった。ただし、このような先例の持ち出し方は例外中の例外であって、神話や伝説の時代にしか先例がないことは、吉例とはされない。 歴史的存在である皇室は、伝統を貴ぶ。伝統を貴ぶとは、歴史から吉例を探すことである。また、先例とは不文法である。吉例を積み重ねることによって、皇室は守られてきた。 そして、伝説の神武天皇の時代から一貫している不文法が男系継承である。この男系継承を女性排除と勘違いしている向きもあるようなので、皇室の歴史を検証することでいかなる不文法が存在するのかを明示したい。 皇室における男系継承とは、「父親をたどれば必ず天皇に行きつく皇族だけに皇位の継承資格がある」ということである。今上陛下の父上は昭和天皇、その父上は大正天皇…とたどると江戸時代の光格天皇にたどりつく。その光格天皇は閑院宮家出身で、父親は典仁親王だ。父方の祖父は直仁親王、さらに父方の曽祖父は東山天皇である。このように、歴代天皇はすべて男系で継承されている。一回も例外はない。最大の危機は「道鏡事件」 しかし、何度か危機があった。最大の危機として歴史に名を残すのが道鏡事件である。称徳天皇の祈祷僧で愛人とも噂された弓削道鏡を、次の天皇に据えようとの陰謀が行われ、何とか阻止された。 さて、世の中には女性宮家を創設し、その配偶者の民間人を皇族として扱い、さらに女性宮との間に生まれた子供も皇族にしようとの目論見がある。これは「制度化された道鏡」に他ならない。 道鏡のように皇室を乗っ取ろうとする輩が現代に現れたら、女性宮を口説き落として皇室に入り込もうとする輩が出現しかねないと危惧する理由がわかるだろうか。女性宮家自体は先例があるので、絶対にやってはいけないわけではない。しかし、吉例であろうかどうかの検討は必要である。 江戸時代、桂宮家が絶えそうになった時に、淑子(すみこ)内親王がお継ぎになられた。しかし、婚約者の愛仁(なるひと)親王がお亡くなりになられ、生涯を独身で通したので、桂宮家は断絶した。女性宮家を立てるのは良いが、配偶者が皇族でなければ、その子は皇族にはなれない。 皇室の不文法に「君臣の別」がある。わが国の歴史で、民間人の男性が皇族になった例は一度もない。一方で、民間人の女性が皇族となった例は、古くは藤原光明子が光明皇后となられた先例にさかのぼる。今の皇后陛下が正田、皇太子妃殿下が小和田の苗字を持つ民間人から皇族になったように、女性は排除されていない。男系が絶対だからである。男系とはすなわち「男性排除」の論理に他ならない。全国赤十字大会の会場に到着し、関係者の出迎えを受けられる皇后さま=2017年5月 それだけに女帝の運命は過酷である。歴代八方の女帝はすべて未亡人か生涯独身である。推古、斉明、持統、元明の四方は即位された時に未亡人であった。全員、配偶者は皇族である。だから、自分の子供は皇族であるし、皇位を引き継がせてよい。 一方、元正、称徳、明正、後桜町の四方は、生涯独身であられた。自分の愛人を天皇にしようとした称徳天皇のようになられては困る。また、結婚した男が道鏡のような野心を抱いても困る。元正、明正、後桜町の御三方とも、自らを律した。「眞子内親王殿下には皇籍に御残りいただき、女性宮家の先鞭をつけていただきたい」とは、小室さんを道鏡にしようということか。一番迷惑するのは小室さんだろう。 また、「眞子さんと小室さんの間に生まれた子供に皇族になっていただき、皇族の減少を防ごう」などという暴論が許されるなら、摂関政治などと言う迂遠(うえん)なやり方は必要なかったではないか。平安時代に権力を誇った藤原氏は、「自分の娘を次々と天皇の妻に送り込み、その二人の子を天皇に据える」ということを繰り返した。皇室は男系継承が絶対だからである。足利義満が聞いたら卒倒する ところが、一部の者が主張する女性宮家などが許されるなら、藤原道長のような権力者は内親王と結婚し、自分の子供を天皇にすればよかったではないか。なぜそれができなかったか。仮に道長がそれをやって自分の子供を天皇にしようとしたら、それは女系天皇である。皇室の歴史では許されない。平安時代に権力を掌握した藤原道長 藤原道長と言えば、三条天皇をいじめ殺すなど横暴の限りを尽くした。道長のような横暴を行った権力者は何人もいる。しかし、その誰もが「皇族の女性と結婚して自分の子供を皇族にする」などとは考えなかった。自分が皇族と結婚して子供を天皇にしてよいなら、「天皇をいじめ殺す」などという回りくどいやり方をする必要はない。 道鏡以外で自分の子供を皇族にしようなどと考えていたのは、足利義満だけである。確かに義満は自分の妻の康子を国母として扱わせ、息子の義嗣を親王の儀式で元服させた。足利義満は後円融上皇を廃人同様に追い詰めて、治天の君の如く振る舞った。 しかし、後円融上皇から治天の地位を奪い、それを朝廷に完全に認めさせるのに三十年の歳月をかけている。 史上唯一、「皇位簒奪(さんだつ)に肉薄した民間人」と評される足利義満が、現在の女性宮家の議論、「眞子さんと小室さんの間に生まれた子供に皇族になっていただき…」などという議論を聞いたら卒倒するだろう。「そんなことでいいのか?」と。 繰り返す。女性宮家にも二つの議論がある。 一つは桂宮家の先例である。男性皇族が激減している中で配偶者の方はどなたになるだろうか。あえて探すとすれば、旧皇族の方々になるのではないか。旧皇族の適齢期の方々は、男系でたどると北朝第三代崇光天皇にたどりつく。女系でたどっても、明治天皇の五世の孫の世代となる。この血の遠さが旧皇族の皇籍復帰への批判点として上げられる。ならば、その方々よりも女性宮の配偶者にふさわしいのは誰か。難問である。 もう一つは、まったくの新儀である。女性宮家を創設して、その配偶者は民間人の男性で良い、その子が皇族となり皇位を継承しても構わないとする暴論である。論外である。皇室には、神武天皇の伝説以来、「二千六百七十七年」に及ぶ先例がある。それだけに、生半可な知識で議論には参加できまい。 しかし、国民が皇室についての議論を見守る際、一つの明確な基準がある。その議論がいかなる先例に基づいているのか、である。果たして、女性宮家創設とは、いかなる先例に基づいているのか。

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    女性宮家以外にも「皇統の断絶」を防ぐ手立てはある

    八幡和郎(徳島文理大学教授、評論家) 秋篠宮眞子内親王のご婚約は、まことに喜ばしい慶事である。何より十分な交際期間を経て、ご両親の祝福も受けての婚約である。晩婚化が顕著な今、若いカップル誕生は少子化対策としてこれほど効果的な出来事はない。ブータン訪問のため、羽田空港を出発される 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま=5月31日、羽田空港 しかし一方で、女性宮家制度の創設を、来年に予定されるご結婚の前に実現し、皇位継承権も眞子さまやその男女の子供に与えようと政治的な動きをみせる勢力があることは問題である。皇位継承の原則変更という重大な問題を、個人の結婚に合わせて急いで議論するのは筋違いである。逆に言えば、女性宮家創設を前提とするなら、そもそも眞子さまのご結婚が適切どうか別の観点でのチェックが必要になってくるはずだ。 女性宮家の創設という、オブラートにくるまれて語られる問題の中で、それを推進している中核的な人々の考え方は以下のようなものである。 女性皇族が結婚した場合には、(1)新たに宮家を創設し、その配偶者と子孫を皇族とする。(2)その場合に対象となる女性皇族は内親王としての資格を持つ愛子さま、眞子さま、佳子さまの範囲に限る。つまり、三笠宮家と高円宮家の5人の女王は対象としない。(3)すでに結婚された方は対象としない。(4)皇位継承は男女を問わず「長子優先主義」とする。つまり皇太子殿下の後は愛子さま、秋篠宮殿下、眞子さま、佳子さま、悠仁さまの順位になる。 もちろん、バリエーションはある。 (1)については、本人だけに皇族身分を継承させ、その配偶者、あるいはその子供も皇族身分を与えないということが考えられる。ただし、これは家族の中で皇族と一般人が混在することになるのが難点だ。また、配偶者には皇族身分は認めるが殿下の称号を与えないという選択も否定できない。 (2)については、三笠宮家や高円宮家の女王も対象とする考えの一方で、男子がいない宮家の長女に限るという考えもある。そういう考え方だと、三笠宮承子さまは対象になるが、弟がいる眞子さまは対象にならなくなる。しかし、一般的に女系天皇推進の人々の多くは三笠宮家や高円宮家は対象としないと考える人が多いようだ。 (3)で、すでに結婚された方を対象にすると、天皇、皇后両陛下の長女、黒田清子さんだけでなく、昭和天皇の4人の皇女や三笠宮家の2人の内親王も対象にしない理由がなくなるのも難点だ。 (4)に関して、女性宮家を認めることと皇位継承は別問題であるが、後で書くように公務を事実上、結婚された女性皇族や、戦後に臣籍降下された旧宮家の人々にお願いするのはいかようにでも工夫できるので理由にならない。公務の分担を口実に、皇位継承を女系にも認めることが本当の意図である。 ただし、長子優先にするかどうかは別問題で、姉より弟を優先する場合も悠仁さまを排除して愛子さまが皇太子殿下の継承者となる。また、皇族の中で男子の継承者がいない場合のみ女性天皇を認めるという考え方や、すでに皇位継承権者となっている秋篠宮殿下、悠仁さまに限り、順序は変更しないという方法もないわけではない。制度変更を急ぐのは筋違い 私は少なくとも、眞子さまの結婚に間に合わせるように法整備を行うのは反対である。前述のように、制度変更を個人の結婚のスケジュールに合わせるのは筋違いだからだ。また、結婚で皇籍を離脱し、民間人になられた女性皇族方が後で復帰するということは絶対にありえないわけではないから、いま慌てて決める必要はどこにもない。 それに、もし女性宮家を創設して配偶者も皇族にするとなれば、眞子さまの結婚についても皇室会議の議決が必要になる。現在の皇室典範では、皇族男子の結婚は議決対象だが、女子の結婚は対象でない。 さらに、民間人の男子が皇族となる最初のケースになるわけだから、本人の人格や係累などについて慎重な検討が当然必要になる。そうなれば、ご婚約をいったん保留にせざるを得ない論理的な帰結になるが、それを望む人は少ないだろう。 皇位継承の範囲を広げる議論はいずれやらざるを得ない。悠仁さまの後、男子男系が続くとは限らないからだ。しかし、それなりの時間をかけることを排除すべきではない。むしろ、現時点の国民感情にこだわりすぎるのはよろしくない。 仮に現在のルールと異なる皇位継承が行われるとしても、それは30年以上先のことになるだろう。そのときにおける皇室の状況において適切な議論を重ねるのが大事なのであって、いま個々の皇族に対して親しみを感じていたり、好ましい人だと評価していても、その感情が数十年後も同じように維持されているとは限らない。 逆に、現在は違和感があっても、時間をかけて条件を整備すれば問題は氷解するものである。「式年造替」を終えた春日大社をご訪問、秋篠宮妃紀子さまと長女・眞子さま =2月20日、奈良市春日野町 私がかねてより提案しているのは以下のようなことだ。(1)現在のルールで決まっている順位を変更しないことを明確化すべきだ。つまり悠仁親王を廃嫡して女系天皇とすることはしない。(2)旧宮家などの復活と、女系子孫による継承は両方とも可能性を探らなければ国民的合意が得られないので、互いに排除せず両方の可能性を残す。現状は両陣営が自説にこだわりすぎだといえよう。(3)結婚された女性皇族出身者や旧宮家に公務を分担してもらうべきだが、それは宮内庁嘱託などの形で可能だ。(4)皇位継承候補を増やすためには、旧宮家の人々や愛子さまや眞子さまなども含めた明治天皇以降の女系子孫の男子を、既存の宮家か、秩父宮、高松宮など廃絶した宮家に猶子(ゆうし)(養子)という形で継承させればよい。悠仁さまと同世代の男子に成人前後になって継承させることが適当だろう。(5)形式的にせよ実質的にせよ、天皇陛下の子孫に皇位継承権を限定することは大義名分がなく避けるべきだ。なぜなら、ある天皇の子孫に継承権を限定するとすれば、その天皇が「中興の祖」のような天皇である必要があり、あるとすれば明治天皇しかない。古今東西、現在の君主の血統で王位を独占しようとして君主や取り巻きが起こした禍(わざわい)は枚挙にいとまないからだ。 (3)に関しては、現在の制度だと眞子さまには1億円を少し超える一時金が支給されるが、これは結婚する娘に対する持参金のようなものである。これまで女性皇族の結婚は、かなり裕福な相手との結婚が前提になっており、眞子さまのご婚約報道を見る限り、小室家の経済力で眞子さまが元皇族としての体面が保てるかは正直疑わしい。持参金1億円では足りない なにしろ、小室圭氏は銀行を辞めて法律事務所で補助的な仕事をしながら大学院に通っている状況だ。その収入だけで、眞子さまが元皇族としての体面を保てるめどが立っているとは到底言えまい。その補完という意味も含めて、眞子さまが公務を行うことに対して適正な報酬を支出することは現実的な方策だと思う。 また、女性皇族と結婚した相手についても、その能力に応じて、公的な仕事を与えることがあってもよいのではないか。スペインでは王女の配偶者が金銭スキャンダルに巻き込まれたことで、王制存続の危機に陥っている。そういう皇族を利用しようとする輩を排除するためにも、公的な団体などで適切なポストを与えることは、決して悪いことではないと思う。報道陣の取材に応じる小室圭さん=5月17日、東京都中央区(桐原正道撮影) (4)については、眞子さまに公務を続けていただきたいので、お二人の間に生まれた男子を将来の「皇位継承候補」とするのは、一つの可能性である。たとえば、徳川宗家18代目の恒孝氏や、近衛忠煇(ただてる)氏のように、先代の外孫が祖父母や義理の叔母の養子になって当主を継いだのと同じ形になるので、比較的自然である。 しかし、同時に旧宮家など男系男子の可能性も排除すべきではない。旧宮家が皇籍離脱してから70年がたったこともあり、国民になじみがないという人がいるが、それは現在は何も役割を与えていないからである。前述のように宮内庁嘱託などの形で活動していただくことになれば、状況は大きく変わる。だいたい、いま民間人として活動している成人男子をいきなり天皇にしようなどと言っている男系男子論者などどこにもいない。 しかも、悠仁さまと同世代の男子を宮家の猶子にしても、悠仁さまにお子さまがないまま薨去された場合にのみ皇位を継ぐわけである。仮にその人が皇位を継ぐとしても悠仁さまの後だから、皇位継承の時期は21世紀後半のことになる。もっと言えば、新たに皇族となった本人ではなく、生まれながらの皇族として誕生したその子供に継承される可能性が高いので、違和感はあまりないだろう。 さらに「合わせ技」も考えられる。旧宮家の中には、竹田宮、東久邇宮など明治天皇や昭和天皇の女系子孫もかなりの数がいるわけで、当然彼らは南北朝時代に成立した伏見宮家の流れをくむ男系男子である。さらに、現在の女性皇族と非皇族の男系男子の結婚という方法もある。旧宮家に限った議論の中で、候補者が少ないと主張する人がいるが、明治以降で終戦以前に皇籍を離脱した元皇族の子孫や、江戸時代に五摂家の近衛、一条、鷹司家に臣籍降下した親王の男系子孫も数十人いるので、候補者は意外に多い。 いずれにせよ、悠仁さまの後に皇位継承できる男子男系の維持が難しくなったとしても、それは何十年後も先の話である。ただ、そのときまでにある程度の人数の候補者を準備しておくことが大事だ。その際には、今までのルールからは外れるのだから、本人や配偶者、その子供まで含めた皇族としての資質もそれなりに考慮した方が無難であり、単に継承順位を決めればいいわけではない。 また、悠仁さまのお妃選びについても、これまでの反省を踏まえ、今から交友関係の構築など含めて始めるべきだ。悠仁さまと同世代の男系男子の子孫が多くおられたら、皇室とわが国の安定にとって、これ以上の慶事はないのだから。

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    百田尚樹に嫌われる私でも、一橋大「講演中止」の判断は残念に思う

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)一橋大附属図書館=東京都国立市 作家の百田尚樹氏が一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で行う予定だった講演会が中止になったニュースは、ここ数日のネット界の話題となった。まず最初に書いておくが、筆者は百田氏の著作や発言には批判的なほうである。そのためか知らないが、彼のTwitterアカウントからブロックされている。ちなみにブロック行為は個人の自由なので最大限尊重されるべきだ。ただ、百田氏と筆者にはかなり意見の相違があるのだ、ということをまずは注記したい。 話を戻すが、この開催の中止理由について、主催した学生側からは、KODAIRA祭のそもそもの趣旨が新入生歓迎のイベントであり、セキュリティーの確保などでこの趣旨の実現をむしろ損ねてしまうために中止したと、述べている。他方で、講演を行う予定だった百田氏はTwitter上で主催側への嫌がらせや圧力があったことを明記し、その圧力を激しく批判している。念のために書くが、ブロックされていても検索サイトで彼の発言は確認できる。これらの一連の経緯をうけて、ネットでの保守系の識者たちの反応はこの記事にまとめられている。 百田氏が批判しているような、「左派系団体」という特定の人や組織が言論の弾圧に動いたのかどうかは、筆者が確かめることはできない。ただその可能性は排除できないし、実際に学生側は、かなりの重圧を大学の外部から不当に受けていたことは想像に難くない。例えば、同大学のOBである常見陽平千葉商科大学講師は、学生側の取り組む態度が不十分であったことを指摘している。 もちろん、常見氏の発言が後輩思いのものであることは、文章からもよく読み取れる。ただ、彼の意見は学生側にいささか酷だと思う。大学や学生側に対して言論を封殺しようとする卑怯(ひきょう)な手段は、匿名での電話や手紙での攻撃、ネットでの脅迫まがいのものなどを含めて、さまざまあったことは想像に難くないだろう。もちろん面と向かって学生側はそのような「脅し」をうけたかもしれない。これは精神的に非常につらく、個人で対処するには限界がある。批判すべきは、そのような事態を巻き起こした「言論を卑怯な手段で封殺する力」にあることは明白である。これはひとつの深刻な暴力である。独り歩きする百田氏のイメージ ちなみに百田氏の社会的なイメージはいささか過度に誇張されて、その実体とかけ離れて独り歩きしている部分がある。例えば、百田氏の批判者側からみれば、彼の発言はヘイトスピーチまがいのものばかりに見えているかもしれない。だが、そのようなニュアンスのものがあったとしても、それは彼の全発言からいえば極めて例外的な「暴言」である。作家の百田尚樹氏 例えば、最近筆者が読んだ百田氏の発言に、『Voice』2017年5月号での、経済評論家の上念司氏との「トランプの核が落ちる日」という対談があった。対談では北朝鮮情勢を中心に、韓国、米国、中国、そして日本などの周辺国のパワーポリティックスに関して議論されている。地政学と経済学の両面を駆使して専門的に鮮やかに語る上念氏に対して、百田氏は各国の勢力均衡論的な見地に立ったごく普通の語りに徹していた。もちろんそこにはヘイトスピーチ的なものはまったくない。他の評論系の著作をいくつか読んでみたが、それらも特に過激なものはなかった。つまりはごく普通の今風の保守系論客のひとりでしかない。 そして百田氏の「暴言」があったとして、ネットなどでは賛否あわせて自由に議論がなされているではないか。この賛否あわせての自由な議論こそが重要だ。もちろんTwitterでの発言を封殺しようとして、同社に抗議する人たちも目にする。あるいは感情的な誹謗(ひぼう)中傷を吐きかける人も多々目にする。これは個人的には正しい批判の仕方とは思えない。発言する場を奪う「圧殺勢力」だ。まさに一橋大の学生を襲ったものと同類であろう。 百田氏の「虚像」に惑わされることなく、その意見を一度は丁寧に聞くべきだ。私のようにTwitter上でブロックされていてもだ。余談だが、実際に百田氏に会った知人たちはおしなべて彼の人柄の優しさを語っている。天下りあっせんを仕切っていた元官僚の「人格者ぶり」を、会ってもいない人たちが称賛する無責任な風潮もある。このような時流に抗する意味でも、百田氏がどのような人物であるのかを実際に知った方が、より深い人物評価を可能にし、学生側にも大きな恩恵があったかもしれない。それだけに残念なことだ。 19世紀の偉大な啓蒙(けいもう)思想家のジョン・スチュアート・ミルは、古典的著作『自由論』の中で、規制されることのない言論の場こそが人々の満足(効用)を増加することができるとした。意見集約で満足は最大化する ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。1)多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい、2)多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる、3)反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい、4)反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。 そして意見の集約するところで、言論をめぐる人々の満足が最大化することになる。もちろん意見の集約がたとえ達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので自粛すべきなのはもちろんである。 もちろんミルは異なる立場での意見の集約について常に楽観的ではない。言論の自由がかえって意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的・法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねている。 どちらの立場で主張している人であれ、公平さが欠けているか、悪意や頑迷さ、不寛容の感情をあらわにした態度で自説を主張する人を批判する。だが、自分とは反対の意見を持っている人に対して、その立場を根拠として、これらの態度を捨てるはずだと予想することはない。山岡洋一訳『自由論』日経BP社 寛容と賢慮。なかなか難しいものだし、また正解や公式があるわけでもない。筆者も常に失敗を重ねている問題だ。だが、少なくとも今回の百田氏のケースは彼に発言の機会を与え、さらに学生たちはその発言の内容を知るべきだったと残念に思っている。

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    加計学園問題のキーマン、前川氏のどこが「正義の告発者」なのか

    須田慎一郎(ジャーナリスト) そもそも文部科学省の前事務次官、前川喜平氏は「正義の告発者」なのか、それとも「岩盤規制の守護者」なのだろうか。 ここ最近の多くのマスコミ論調には、こうした視点がまったく欠けているように思える。 言うところの「加計学園問題」の本質は、前述の問題提起を明らかにしない限り見えてこない、というのが筆者の基本的な認識だ。 議論を進めていく上で大前提となるのが、日本の大学において獣医学部が新設されたのは、昭和41(1966)年の北里大学(青森県十和田市)のケースが最後、という事実だ。 つまり半世紀以上の永きにわたって、わが国においては獣医学部を新設しなかったというのが実情なのだ。記者会見する文科省の前川喜平前事務次官=5月25日、東京・霞が関 それでは、なぜ獣医学部の新設は封印され続けてきたのか。それは改めて指摘するまでもないことだが、学部開設の許認可権を持つ文科省がそのことを方針として墨守(ぼくしゅ)してきたからに他ならない。その理由として挙げられてきたのが獣医師や獣医学部の「質の確保」だった。そして、全国の7割近い獣医師が加入する日本獣医師会も、こうした「基本方針」を全面的にバックアップしてきたと言っていいだろう。 もちろん、獣医師の数が十分に足りているならば、前述したような「規制」は公共の利益にかなっていると言えるだろう。しかし、そうでない場合はネガティブな意味での「岩盤規制」と化してしまうのだ。 それでは加計学園が運営する獣医学部の誘致に積極的だった愛媛県の場合はどうだったのだろうか。筆者が取材した限り、まったく足りていない、というのがその結論である。具体的には、県内の畜産業振興を目的に県職員として獣医師を募集しても、必要数に満たないのが実情なのだ。このため愛媛県では、定年退職者の再雇用で何とかしのいでいるという。「このままの状態が続いたならば、県の畜産行政に大きな支障が生じることになる」(県幹部)のは必至と言えるだろう。 加えて、実際に獣医学部の誘致に名乗りをあげた今治市はその背景に、ある地域事情を抱えていた。これも実際に現地で取材をして見えてきたことだ。獣医学部新設は岩盤規制? 意外に思われるかもしれないが、今治市は全国的に見ても経済的にかなり豊かな地方都市だと言っていい。それというのも、地場産業がここ近年好調に推移しているからに他ならない。今治市の経済を支えている主力産業は大きく二つ。一つは、全国的なブランド化に成功した「今治タオル」を中心とする繊維業。そしてもう一つは新造船竣工量が全国トップで、世界シェア第2位の座にある「今治造船」を中核とする造船業だ。 このことからも明らかなように経済的には活況を呈する今治市だが、それでも他の地方都市同様に人口減少化という悩みを抱えているのだという。もっとも今治市の出生率は1・8と、安倍内閣が掲げる目標数値(全国平均ベース)1・8についてはもう既にクリアしているのだが、人口増加に転じるレベル(2・04~2・05以上)への到達は、まだ遙かかなたの状況にある。そして今治市の出生率は、現状でもはや頭打ちの状態にあるのだという。 その理由について、今治市在住の企業経営者がこう説明する。 「その最大の理由は、高校を卒業した人が、大学に入学するために市外、県外へ転出してしまい、そのまま就職してしまうことにある。そうした状況を変えるためには、今治市に大学を誘致し、さらにはそのまま就職できる環境を整える必要がある」 そうした意味でも、獣医学部の開設は、今治市にとってはまさに「理想形」だったと言えよう。「加計学園」岡山理科大の獣医学部を新設予定地=5月17日、愛媛県今治市(共同通信社ヘリから) ただ、加計学園を伴った今治市の獣医学部誘致に関して言えば、平成19(2007)年以降の8年間で、実に15回もの申請が繰り返されてきたが、ことごとく申請がはねつけられている。 これは意外に知られていないことだが(というよりも意図的に無視されているきらいがあるが…)、実を言うと第一次安倍政権下でも、この申請は却下されているのである。 もし仮に朝日新聞など安倍首相に批判的なメディアが指摘するように、安倍首相と加計学園との間に特別な関係があり、それをタテに強引に事を進めようとしたならば、とうに今治市の獣医学部開設は認められていたはずだ。 一連の事態が進み始めるのは、第二次安倍政権下で、規制改革などの経済活性化策を進めることを目的とした「日本再興戦略2015」が閣議決定され、国家戦略特区に獣医学部を新設する方針が示されてからだ。 この事実だけをとらえても、それでもなお規制官庁の思惑だけで獣医学部開設を認めないというのは「岩盤規制」そのものと言えないだろうか。 ただ、いずれにしても前川氏が「正義の告発者」ではないことは明らかだ。 その前川氏が、獣医学部開設に絡んで今治市を訪れたという話は、少なくとも筆者は寡聞にして知らない。週に3回も「出会い系バー」に行く時間があったならば、ぜひとも今治市に足を運び、地域の実情に目を向けるべきだったのではないだろうか。残念ながら、筆者の取材では今治市に出会い系バーは見当たらなかったが…。

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    前川氏の「出会い系バー」ネタを首相官邸はどうやってつかんだのか

    有田芳生(参議院議員) 国会で仕事をしていると、世間の感覚とは遠い世界にいるなと思うことがある。「表と裏」が平然とまかり通るからだ。 2010年に初当選したとき、あるベテラン議員にこう言われたことを思い出す。「有田さん、国会議員って平気でウソをついていいんですよ」。あぜんとした。総理が解散時期について事実を言わないことはよく知られている。しかしいま問題となっている「加計(かけ)学園疑惑」については本筋の問題から離れても異常な状況が続いていることに注目するのは、どうも「ウソ」が横行していると思えるからだ。 文部科学省の前川喜平前事務次官が、「総理のご意向」「官邸トップの指示」などが記された内部文書を、実際にあったものと証言してからのことである。菅義偉(よしひで)官房長官は正式の記者会見で、この文書を「怪文書」だと表現した。信じるに足る文書ではないと公式に表明したのだ。しかしその一方で、口外を禁じるオフレコ発言では、前川氏が文書をリークしたと名指しで語っていた。ダブルスタンダードである。しかも発言はさらにエスカレートした。 また、前川氏が事務次官を退職したことに対して「職に恋々としていた」などと語った。そうでなかったことは前川氏の発言で覆させられることになる。さらに新宿・歌舞伎町の「出会い系バー」に出入りしていたことが、読売新聞に大きく掲載された。読売新聞は東京本社、大阪本社、西部本社で印刷する。記事はそれぞれの本社で判断し、当然だがレイアウトもそれぞれの整理部で判断する。ところが出会い系バーの記事は、まったく同じ大きさで同じタイトルで社会面の同じ場所に掲載されている。普通ではありえない扱いなのだ。ここに政治的意図を見るのは当然だろう。大勢の報道陣が詰め掛けた、文科省の前川喜平前事務次官(奥中央左)の記者会見=5月25日、東京・霞が関 しかも菅官房長官は、前川氏がこのバーに「50回も、100回も通っていた」とオフレコで語っている。いかにも怪しいバーに出入りしていたという印象を与えたかったことは明らかだ。昨年秋に前川氏は杉田和博官房副長官に呼び出され「こんなところに出入りしているのか」と注意を受けた。杉田氏が警察庁出身であることに注目したい。 官邸は、いかにして前川氏が歌舞伎町の雑居ビルにある出会い系バーに出入りしていることを確認したのだろうか。私の関心の中心はもちろん加計学園疑惑の真相だが、その周辺で続く情報戦のあり方についても批判的に監視しなければならない。なぜなら、情報によって個人の人格をゆがめ、社会的に抹殺することさえ可能だと思われるからだ。官邸はなぜ出会い系バー通いを知ったのか 官邸はいったいどのようにして前川氏が歌舞伎町の雑居ビルにある出会い系バーに通っていることを知ったのだろうか。その発端と経過はまったく明らかになっていない。ありうることは二つ。前川氏を知っていた記者など誰かが歌舞伎町を歩いていたところを目撃、尾行して出会い系バーに入っていくところを確認し、のちに官邸に報告した可能性だ。 もう一つは前川氏を快く思っていなかった官邸筋が、最初から意図して尾行をしていたのだろう。菅官房長官が「50回も、100回も通っていた」と発言したのは、人格をおとしめるための印象操作だ。しかし、この内容にはある時点から前川氏に尾行をつけたことが十分に伺える。まさに監視国家である。 出会い系バーが違法店でないことは明らかで、しかも前川氏がそこに出入りした目的が現在の貧困状況を知るためのものであったことは6月2日の『週刊文春』に明らかだ。加計学園疑惑をきっかけに浮き彫りになったのは、安倍政権のもとで、監視国家体制がどこまで進んでいるかを示したものである。1995年3月22日に実施されたオウム真理教への強制捜査=山梨県上九一色村(当時) ここまで書いてきて私の経験を思い出した。1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件を取材したときのことだ。それから10年後、事件当時に関わっていた警視庁幹部たちと一献を交わす機会があった。「いまだから言えることを教えてください」。そう言った私に、かつての公安幹部は「有田さんには税金がかかったねえ」と口にした。何のことだかわからなかった。その内容を聞いてびっくりした。1日にのべ50人の捜査員が私の行動確認をしていたというのだ。「どうしてですか」と問うと、「オウムから身辺を守るためですよ」と答えた。多忙な日々に、たまには酒場に行くこともあった。そのときも複数の捜査員が私の安全のために「見守っていた」という。 さらに驚いたのは、妻がスーパーで買い物していたことまで監視していたことだ。「有田さんが今晩自宅に戻るかどうか、食材の数を見て判断するためでした」。こうも言われた。「有田さんの事務所は汚かったねえ」。池袋本町のアパートの四畳半一間を当時借りていた。そこに少なくとも2回入っていたのだ。おそらく「安全確保のため」などと管理人に申し入れて内部を盗み見したのだろう。いまから22年も前の出来事だ。私は自らが行動確認の対象になっていたことにいっさい気付かなかった。 権力が目をつけた者は、その私生活まで監視する。元米国家安全保障局(NSA)職員のエドワード・スノーデンが告発したように、個人情報の収集は、オウム事件当時よりはるかに深刻な水準に達している。加計学園疑惑からひょっこり姿を見せたのは、この日本が行きついた恐るべき地平である。

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    加計学園と天下り「総理の意向」ありきのネタは無理がありすぎる

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 文部科学省の前川喜平前事務次官が5月25日の記者会見で、加計(かけ)学園問題に関する「総理のご意向」などとする文書を「本物だ」と発言した。官僚のトップであった事務次官がなぜこのような“告発”を行ったのか。 筆者は同年代の官僚だったがまったく面識はない。ただ、本当に前文科次官だったの? と思うくらいに、会見の中身は、筆者から見ればボロボロだ。それについては、29日の「前川・前事務次官の記者会見は、官僚目線で見れば『大失敗』だった 致命的なミスがそこかしこに…」を見てほしい。 簡単にいえば、文科省は閣議決定に獣医学部の参入条件を書きながらそれを示せなかったという、許認可権を持つ役所としては情けないお粗末さであり、内閣府との議論に負けただけだ。それなのに、自らの責任を他省庁のせいと責任を転嫁する厚かましさで、文科省の事情を臆面もなく説明する前川氏の会見に対して、筆者が記者であればその場で同氏の間違った考え方を正していただろう。 実際に議論で完勝しただろう内閣府は、「総理の意向」なんて使うこともなかったはずだ。むしろ、例の文書、筆者は文科省の官僚が書いた可能性があると思っているが、むしろ、内閣府に完敗したのをカムフラージュするために、「総理の意向」なる言葉を文科省官僚が自省の文書に書いた可能性すらあると思っている。 そんなことも予感させる会見を行った前川氏はどのような人か。 はっきりしているのは、前川氏が3月に辞任したのは、文科省の天下りを斡旋(あっせん)していたからだ。これは、組織ぐるみで自らが違法である天下り斡旋を当然のように行っていた。他方、今回の加計学園問題では、新規参入阻止、つまり既得権を擁護し、新規参入者を不当差別しながら、新規参入を持ち出す内閣府を「文科省行政の横やり」という。まさに、役人の既得権擁護だけの役人人生だ。 一方、筆者の役人人生は、官邸で天下り斡旋禁止と特区による新規参入を推進しており、前川氏とはまったく真逆だ。天下り斡旋禁止については、第1次安倍政権時代に筆者が企画立案した国家公務員法改正によるものだ。 天下り問題を通して、今回の問題をみてみよう。筆者にはこうした役人時代の経験があるので、天下り斡旋違反については、ことのほか厳しいだろう。以前の論考でも、天下り問題を論じたことがある。天下りの背景にある補助金の私物化 天下りはそれほど悪くないという人もいる。おそらく、前川氏も同僚を助けて何が悪いのかと思っていただろう。しかし、斡旋されて天下った人はいいのかしれないが、その半面、実力がありながら、不条理にも就職できなかった人や昇進が遅れた人は必ずいるはずだ。そうした人の無念に思いがいかないのだろう。 はっきりいえば、まわりに優しいが、天下りの背景にある大学の交付金などの補助金を私物化していることに気がつかないのだろう。 今だから明かすが、40年くらい前に筆者も不愉快な経験をしたことがある。東大数学科を卒業して、文部省所管(当時)の統計数理研究所に勤めることが内定していた。ただし、その当時は内定といっても、きちんとした手続きがあるわけでない。数学科の大学院に行こうと思っていたら、統計数理研究所のある教授が、東大の筆者の恩師を通じて一人採用するからどうかといってくれた。大学院のように学費を払うのではなく給料をもらいながら、研究して、将来は博士号もとれるということで、お世話になることを決めた。個室、秘書もあてがってもらい、毎日論文を読み、時たま研究成果を発表するという恵まれた環境だった。正式採用は、大学卒業後ではなく、ちょっと見習い期間があった。 ところが、正式採用の直前、受け入れ教授から申しわけないが、採用はできないといわれた。筆者を推薦してくれた東大の恩師が事情を聴くと、文科省からの横やりがあり、別の人が採用になったということだった。その当時、筆者は社会の仕組みは難しいなと思ったくらいで、怒った記憶はない。そのおかげで、公務員試験を受けて大蔵省に入ったわけで、筆者に不満はなく、まさに人間万事塞翁が馬である。 今から思えば、筆者もたまたま東大の恩師の推薦という公募ではないし、筆者を採用するのが絶対的に正当ともいえない。ただし、給料なしとはいえ一定期間事実上の研究員生活をしていたので、文部省の横やりが不愉快であったのは事実だ。 ところで、筆者の天下り問題に関する論考で、筆者の独自の表を見てほしい。驚くほど多数の大学が、文科省に限らず天下りを受け入れている。 筆者は、受け入れ大学を気の毒に思っている。官庁ににらまれないようにするために、必要経費と割り切る大学関係者も多い。しかし、そうした大学の弱みにつけ込み、天下りを押し込む官庁は本当にひどい。「新設認可するから、天下りを受け入れろ」 この論考では、2012年4月から2016年3月までの国家公務員退職者を内閣官房が公表する「国家公務員の再就職状況」から集計している。そこには、今回の加計学園も1人、総務省から受け入れている。 論考の表にもあるが、国際医療福祉大は9人で、財務省、警察庁、文科省、厚労省から受け入れている。なぜ、加計学園とともに、国際医療福祉大を取り上げたのかといえば、今回の加計学園とともに、同時期の戦略特区によって、医学部新設が認められたからだ。場所は成田市にあり、多額の補助金を受けている点では、加計学園と同じである。また、加計学園の獣医学部新設が52年ぶりであれば、国際医療福祉大の医学部新設も38年ぶりだ。 役人の再就職について、役人側からみれば、国際医療福祉大は9人で「よくやっている」が、加計学園は1人だけで「認可をもらうなら、もっと採ってもいいだろ」と思うだろう。東京・霞が関の文部科学省 文科省の組織的な天下り斡旋を指示していた前川氏からみれば、加計学園へは過去には文科省からの再就職もあったが、最近はない。文科省が新設認可権を持っているのを知らないのか、総理の友人ということで調子に乗っている、と考えたか、考えなかったかは外部からはうかがい知れないが、そんな邪推もありえる。 そもそも、天下りと許認可には密接な関係がある。許認可を厳しく運用することによって天下りを引き出すというのは、役人の常套(じょうとう)手段である。 今回の場合にも、大学医学部、獣医学部新設に認可が必要であり、文科省は背後の医師会、獣医師会の反対を盾にして、長年新設を認めてこなかった。それが、特区によって風向きが変わり、医師会、獣医師会も柔軟姿勢に転じた。文科省としても、新設認可をしてもいいが、それなら天下りを受け入れろという誠に身勝手な論理で役人は考えるものだ。 加計学園の場合、獣医学部新設の要望は古く、小泉政権下で構造改革特区制度が作られたときからである。民主党政権時に機運が盛り上がり、第2次安倍政権になって、38年ぶりの医学部新設とともに、52年ぶりの獣医学部も実現したというのが経緯だ。もし、加計学園理事長が安倍首相の友人ということで「総理の意向」であれば、小泉、第1次安倍政権時に認可されていても不思議でない。天下りと許認可は切っても切れない関係 特区の議論をみれば、獣医学部の他にも数多くの課題があり、安倍首相が獣医学部の是非なんて言える場面はまずない。それにも関わらず、他の案件や経緯を無視して、加計学園問題のみを、根拠のない「総理の意向」を前提として論じる野党・マスコミのロジックには違和感がある。 獣医師会から1校なら容認するという事実が明らかになっているのにも関わらず、加計学園1校に絞ったのが不自然という議論が再三でてくるのもうんざりする。 むしろ、加計学園は最近文科省から天下りがなかったので、天下りを重要視する前川氏が、天下りなしで認可してしまったが、これは「総理の意向」があったからとデッチあげたというほうが、筆者にはよりスッキリとして納得的な説明である。実際のところは不明であるが、「総理の意向」ありきの話には無理がありすぎ、「総理の意向」は勝手に文科省側で作られた可能性があると思う。これが、筆者の邪推する天下り問題からみた加計学園問題の真相である。2月7日衆院予算委員会で、文部科学省の天下り斡旋問題をめぐる集中審議に参考人として出席した前川喜平前事務次官(右)と人事課OBの嶋貫和男氏(斎藤良雄撮影) いずれにしても、天下りと許認可は切っても切れない関係である。天下りは身内の役人という既得権に甘く、それ以外の人には雇用を奪われる。新規参入の許認可も、既に参入している既得権者に有利で、新規参入者を不当に差別する。こうした意味で、天下り斡旋を行うことは、新規参入阻止と整合的である。 はじめに書いたように、前川氏と筆者は、天下りと新規参入規制緩和の2点についてまったく真逆の役人人生を送っており、どうも筆者には前川氏の行動は理解を超えている。 ただ、文科省の天下り問題で、あれだけ前川氏をたたいていたはずが、この加計学園問題では、前川氏擁護になっているマスコミも、朝日、毎日、東京と一部にある。その点も、天下り問題と新規参入許認可問題をパラレル(平行)に考える筆者にとっては理解できないところだ。

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    西山事件を彷彿させる加計問題、官邸「アンコン」が真実をもみ消す?

    小笠原誠治(経済コラムニスト) 森友学園に対する不当な価格での国有地売却疑惑が今年2月上旬に発覚して以降、すでに100日以上の日時が経過し、今や加計学園疑惑に焦点が移ってきているが、いまだに真実の解明にまでは至っていない。 しかし、森友学園疑惑を含め多くの国民は官邸の言い分に納得できないでいるのではないか。なぜならば、多くの疑惑というか、疑問に対する官邸側の説明はどれも不十分で納得がいくものではないからである。特に資料はすでに処分してしまったとか、そのような文書は存在しないというような言い訳を信じる者はほとんどいないと言っていい。 その一方で、どれだけ疑問が浮かんでも決定的にクロだという証拠がない以上、これ以上の追及はできないとの見方もあり得る。しかし、決定的な証拠は本当に見つかっていないのか? 答えはノーである。いや、これほど多くの証拠が見つかっているような事件はまれであると言ってもいい。しかし、それでも総理が責任を取らずに済んでいるのは、官邸の「アンコン(アンダーコントロール)」が効いていて、そうした有力な証拠が無視されているからなのである。 ところで、「西山事件」をご存じだろうか?  西山事件は、1971年の沖縄返還協定との関係で、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩(ろうえい)した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件で、「沖縄密約事件」や「外務省機密漏洩事件」とも呼ばれる。沖縄密約訴訟で敗訴が確定し、記者会見する元毎日新聞記者の西山太吉氏(手前)=2014年7月 第3次佐藤内閣の1971年、日米間で沖縄返還協定が締結されたが、その際、米国政府が地権者に支払う土地現状復旧費用の400万ドル(約12億円)を日本政府が米国政府に秘密裏に支払うという密約が存在することがばれてしまったのだ。 そうした密約が存在することを野党から追及された佐藤政権はどのような作戦に出たのか? 佐藤政権は検察とタッグを組み、そしてメディアも動員して、西山記者は女性事務官に酒を飲ませて泥酔させ、半ば強制的に肉体関係を持った上で、外務省の極秘電文のコピーを盗み出させたという主張を展開したのだ。 そうしたイメージが世間に広がるにつれ政府を追及する勢いがなくなってしまい、密約の存在はうやむやにされてしまったと言われている。だが、真実はどうであったかといえば、密約は実際に存在したことが40年近く経過した後、明らかになっている。 文科省の前川喜平前事務次官が次官時代に「出会い系バー」に出入りしていたということが事実だとして、どうしてそのようなことがニュースになり得るのか? 官邸はそのような些細な事実を暴露するだけの信じられない記事を読売新聞に書いてもらい、前川氏のイメージをダウンさせ、そのような男の言うことに信ぴょう性はないという作戦に出ているとしか思えない。 現に、官邸関係者はメディアに対して、「前川がパクられたらどうするつもりなんだ。犯罪者の証言を垂れ流したことになるぞ」などと脅かしていたとも噂されている。疑惑を深める官邸の印象操作 西山記者の場合は、外務省の女性事務官と不倫関係にあったのが事実であり、そのことについてはそれなりの社会的責任があったかもしれないが、前川氏の場合は、出会い系バーだ。だが、そこに出入りすること自体は違法でもなんでもないのだから、そのことを記事にすること自体、全くおかしいのだ。報道機関として矩(のり)を超えているとしか思えない。 森友学園疑惑と加計学園疑惑について検証すると、安倍総理夫妻が関与したことを証明する決定的な証拠はいくつもあると思われる。ただし、必ずしも関与イコール違法行為となるわけではない。違法であるかどうかは別の角度からの検討が必要だ。それぞれの疑惑を整理すると以下のようになる。<森友学園疑惑関係>・森友学園の名誉校長に就任していた安倍昭恵夫人が、総理夫人付きの職員を通じて財務省側に様々な照会や要望を出していたことが明らかになっていること(総理夫人付きが籠池氏に送ったファクスでそのことがほぼ証明される)。・籠池夫妻が昭恵夫人の名に言及して財務省に直談判した後、財務省は8億円余りを値引きした価格で国有地を売却したが、値引きの合理的な理由が存在しないこと(値引きの根拠となるゴミの存在が合理的に立証できていない)。・財務省は、国有地売却の関係資料が一部を除いてすでに廃棄したとしているが、それについての合理的説明がないこと。・財務省は、籠池氏側に対し国有財産審議会を開催する以前に国有地の売却までの手続きを説明する詳しい書類を渡していること。・昭恵夫人と親密な関係にあった籠池氏自身が、安倍総理から寄付がなされた他、ある時期から物事がスピーディーに進むようになったと証言していること。<加計学園疑惑関係>・安倍総理が深い関心を有していることを示す文書を含め、文科省の多数の内部文書が発見されていること。・それらの文書は実在のものだと前川氏が証言していること。・加計学園を優先的に扱うような手続きで物事が進められていること。 以上のような決定的とも思われる証拠が存在しているにもかかわらず、官邸側はそれに真正面から反論することをしないで、例えば前川氏は素行が悪く、そのような人の言うことは信ずるべきではないというような印象操作をしているので余計に疑惑が深まるのだ。 それに、前川氏の言うことに信憑性がないと言うのであれば、なおのこと証人喚問をすればいいのに、それを認めようとしないので国民としてはなおさら分からなくなる。 以上から、安倍総理あるいは昭恵夫人が森友学園や加計学園の問題に相当に関与したのは事実と思われるのだが、仮にそれが事実だとして、本来総理を辞任するほどの問題なのかと言えば、何とも言えない。「クロ」と判定するのが常識的感覚 まず、森友学園疑惑については、約8億円の値引きが合理的な根拠のないものであるとすれば、相当重い責任が伴うべきだと思うが、ただし、昭恵夫人の関与はある程度立証できても、総理自身の関与となるとこれを立証するのは、役人が口を割らない以上難しいとも思われる。 それに、仮に総理が直接財務省の幹部に口をきいた事実があったとして、そしてその幹部がそうであったと証言したとしても、総理自身がそれを否定するならば、言った言わないの話になってしまう。 一方、加計学園疑惑については、総理の関与を立証するのは、上に挙げた証拠でそれほど困難なことではないと思われるものの、それまで新設が認められていなかった獣医学部の新設を認めることに総理が熱心であったのが事実だとして、それが即、なぜ問題になるのかという疑問も生じる。 つまり、獣医学部の新設を認めること自体の適不適の問題があるにしても、それ自体が即、違法とは言えないからである。従って、総理に責任があるとすれば、それは加計学園のみを有利に扱ったという証拠が存在しなければならない。加計学園が獣医学部を新設する予定の建設現場=愛媛県今治市 そして、それに関しては、上の証拠だけでは十分でないかもしれない。もう少し積極的に加計学園だけを贔屓(ひいき)していたという証拠が必要かもしれないということだが、ただ全体として眺めれば、多くの国民は「クロ」だと判定することになるだろう。それが常識的感覚である。 そもそも森友学園疑惑のときから言われていたことだが、仮に総理が関与していたとして、総理がもしそれが事実なら辞職するなんてことを言わなければよかったという指摘がある。 私も、それはその通りだと思う。というのも、官庁であれ、民間企業であれ、偉い人の意向をある程度尊重するのは当然みたいなところがあるからだ。社長はそう考えているのだから、大臣はそう考えているのだから、だったら総理がどう考えているかを考慮というか、忖度しても不思議ではないといえる。 しかし、総理は自分や妻は全く関与していないと言い切ってしまった。加計学園についても同じだ。関与していないし、もし関与しているのが明らかになれば責任を取る、と。  だが、昭恵夫人が森友学園の小学校の名誉校長に就任していたのは事実だし、また夫人付きの職員を通じて森友学園の代わりに財務省に照会や要望を出していたのも事実なのだから、全く関与してないと言うのはどう考えても無理である。 加計学園疑惑に関しては、明らかにされた文科省の内部文書の存在についても、そんなものが存在するかもしれない、あるいは自分の意向を内閣府の事務方が文科省に伝えたということがあったかもしれない、という対応もあり得たと思う。獣医学部の新設に自分が熱心であったとして、それのどこが問題なのかという反論がとりあえず可能であったからだ。 しかし、早い段階で自分は一切関与していないと断言してしまったものだから、後の対応の選択肢が狭められてしまった。そして、そのことがさらなる虚偽の答弁を誘発してしまったのである。  官邸は文科省の内部文書の存在を全く否定した。文科省にしても、存在は確認できていないと言葉を濁す。 要するに、総理が格好をつけるから、つまりうそを言うからさらにうそを誘発するという構図になっているのである(仮に総理がうそをついていたとしての話)。そうなると、うそばかりの答弁になり、国民は全く納得がいかなくなってしまう。「偽装国家」の道を進む日本 例えば、財務省が「文書は廃棄済みであるから資料提出要請には応えることができない」と言っても、誰が信じるだろうか。文科省がそのような文書の存在は確認できなかったと言っても同じである。 国有地を売却して1年も経過していないのに、しかも10年分割で売っているような案件なのに関係資料のほとんどを廃棄するなんてあり得ない。それに、まだ会計検査院の検査も済んでいないのだから、会計検査院ですら納得はしないだろう。 そうなると、会計検査院の検査において、不合理な処分がなされた事案として指摘される恐れが出てくる。ただし、資料が不存在であるため、そうした不適切な処理がなされた原因の一つに昭恵夫人の関与があったということは明らかにはならず、その結果、安倍総理を守るという役割を果たすことは可能になる(仮にそうした事実があったとしての話)。 野党の議員が役所の入館記録を開示しろといっても、財務省や内閣府は「即日廃棄するので記録はない」などとバカバカしい答弁をしていたが、誰がそんな答弁に納得するだろうか? 処分する合理的な理由がないからだ。 もし、処分したとして資料の提出を拒否することがあるとしたら、それは資料を提出したくない、つまり資料の提出によって「不都合な事実」が明らかになるからに他ならない。 ということで、仮に安倍総理が身の潔白を証明するにしても、自分は全く関与していないなんて言い方をしていなければ、役所としての対応の範囲がもう少し広がった可能性があるのだ。 5月29日の参議院本会議で、加計学園の問題をめぐって安倍総理は次のように述べた。 「特区の指定、規制改革項目の追加、事業者の選定のいずれのプロセスも関係法令に基づき適切に実施しており、圧力は一切ない」 関係法令に基づき適切にと言ってはいるものの、多くの国民からすれば、個々の疑惑に一つひとつ明確に反論できない以上、納得はできない。圧力は一切ないと言っても、現実に前川氏が圧力を感じたからこそ敢えて記者会見までして自分の考えを世間に訴えているのだ。会見に臨む前文部科学事務次官の前川喜平氏(左)=2017年5月、東京都千代田区(福島範和撮影) 少なくとも前川氏の証人喚問抜きで多くの国民が納得することはあり得ない。 総理及び官邸がうそを言っているかどうかは別にして、多くの国民が、総理がうそを言っていると心の底で思い続ける以上、日本は「偽装国家」の道を進み続けることになり、今後も粉飾決算を続けていた東芝と同じ運命に陥る企業、役所が続出することが懸念される。

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    民進党よ、加計学園問題を追及しても時間のムダである

    渡邉哲也(経済評論家) 国会で籠池問題に次いで、加計学園問題が話題になっている。この二つの問題の共通点は、その違法性が見いだせないことに加えて、重要な憲法違反であり、国民の権利を侵していることにある。 日本国憲法では第16条で「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と請願権を認めており、請願をしたからといって、差別待遇をしてはいけないと規定している。 これは国民の権利の問題であり、気に入らないからといってそれを批判することは間違いなのである。ただし、それが贈収賄など金銭を伴うものであれば別であるが、そうでないならば批判すること自体がおかしい。 5月20日、この問題を追及している民進党の玉木雄一郎幹事長代理は、フジテレビの番組の中で、この問題に違法性はないとの見解を示している。違法性がないのであれば、それをことさらに問題視するのは間違いなのである。加計学園疑惑調査チームの初会合で、発言する民進党の玉木雄一郎幹事長代理=2017年5月 国会での議論として成立するとすれば、加計学園の獣医学部設置が合理的な意味を持ち妥当であるかであり、国が許可するに値するかであって、それを政局の道具として使うのは明らかに問題がある。 ならば、新規の獣医学部の設置が合理的な意味を持つかということが重要になるのだと思う。全国的なペットブームと口蹄疫(こうていえき)や鳥インフルエンザの流行などにより、地域格差はあるが、全国的には大きく不足しているとされており、特に獣医学部が存在せず、農業畜産業の盛んな四国においては、地元での獣医の育成は悲願だったわけである。 実は、日本において1966年以降、50年以上獣医学部の新設が認められておらず、これが大きな既得権益化しているのである。言い換えれば、今回の加計学園の獣医学部設置は特区の制度を利用し、既得権益化した農獣医の世界に穴をあけるものであり、獣医師学校がない四国にそれを作ることで、地元の農業の発展にも役立てようとするものだ。そして、それは愛媛県の悲願なのである。ここに不合理な点は全くないといえる。 ご存じのように、人間の医療費と違い、動物の医療費は保険点数制度のような基準となる料金がなく自由診療であり、その料金を動物病院や獣医師が決めることができる。獣医師会が調査した初診料だけを見ても、千円から4千円以上まで大きくばらつきがある。自由主義国である以上、獣医師が自由に価格を決めることができることは当然であり、これ自身には問題がない。しかし、獣医師の数が国により縛られ限られているとなれば別である。常習的な獣医師不足があるならば正常な市場原理が働かないからだ。怪文書が本物でも法的問題はない 今回問題を追及している玉木幹事長代理は、父親が香川県獣医師会の副会長であり、平成24年に日本獣医師会の政治団体「日本獣医師連盟」から100万円の献金を受けていた事実が発覚している。 また、学部新設に猛反対している日本獣医師会の総会で「おかしな方向に向かいそうになった際はしっかり止める」などと、計画阻止を約束していたこともわかっている。贈収賄などが成立するかどうかは別であるが、獣医師会側の代弁者であることは間違いのないところであろう。 選挙で選ばれる議員に自らの思いや要望を託し、それを政治に反映してもらうことは代議制民主主義の基本であり、そのための代表者選びが選挙であるといえる。そして、選ばれた政治家がその実現に向けて努力するのは当然の話でしかない。そして、その権利調整を行うのが議会であり、議会で決まったことを実現するのが政府の役割なのである。 これをことさらにスキャンダラスチックに扱い、自らの主張を実現するために他人の権利を侵害することは許されるものではなく、それを政局の具にしようとするのは明らかな間違いであるといえる。前川喜平氏(左)の記者会見に集まった多くの報道陣=2017年5月 また、民進党などが一部のマスメディアの出した怪文書ともいえる真偽不明の文書を利用し政権批判を繰り返しているが、たとえ、その文書が本物であったとしても、それ自体には何の法的問題もないのである。 本当に国民のためを思うのであれば、獣医学部設置が必要であるか、そして、その規模などは適正であるかを議論すべきであり、それ以上でも以下でもない。 ちなみに今治市の特区認定引き上げは「民主党政権の間にも7回にわたって要望があり、それまで『対応不可』とされてきた措置を、平成21年度の要望以降は『実現に向けて検討』に格上げされている。そして、それを安倍政権がさらに前進させ、実現させた」(菅義偉官房長官)のであり、自民党ではなく民主党の鳩山政権が必要性を認めたものであるのだ。やはり、この問題に無駄に時間を使うのは間違いであるといえる。

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    私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない

    藤めぐみ(レインボーフォスターケア代表理事) この4月、大阪市の男性カップルが里親に認定され、子どもを育てているというニュースが各種メディアで何度も流れた。関西地域では新聞の一面に大きく取り上げられるなど、全国のほとんどの新聞やテレビで報道された。そしてまた、ネット上では多様な意見があふれた。 私は2013年に任意団体「レインボーフォスターケア」(2015年一般社団法人化、以下「RFC」)を設立した。「同性カップルも里親に」をミッションに掲げて講演会やロビーイングを続けてきたが、今回の報道に対して実はかなり戸惑った。というのも、これまで同テーマに対する人々の反応が薄かったため、これほど大きく取り上げられるとは思わなかったからだ。 近年、LGBTをめぐるさまざまな取り組みは大きな進展を見せている。しかし、今回報道された「同性カップルと里親制度」については、多くの人から関心を持ってもらえなかった。そもそも、児童養護施設や里親制度といった「社会的養護」自体に世間の関心は低く、ある人からは「『同性カップルと社会的養護』ですか。マイノリティーとマイノリティーの話で、『超マイナー』な感じですね」などと言われた。 このように「同性カップルが里親になるなんて、しょせん『超マイナー』な話、到底実現できるわけがない」と世間が思っていた中で、それが実現したからこそ、このような大きな関心を集めたのかもしれない。 なぜ、同性カップルが里親になることが「実現できるわけがない」と思われてきたのか。それは、里親制度があまり知られておらず、養子縁組と混同されることもあり、「同性カップルは『法律上』里親になれない」と思われてきたからだ。要保護児童(保護者のいない児童)のための制度としては、「特別養子縁組」があるが、縁組をするには法律上夫婦でなければならず、民法の改正が必要だ。 しかし、里親制度は、子どもと里親の間に法律上の親子関係を作り出すものではなく、里親になれる人は夫婦である必要もない。実際、私の知人には「成人した娘とその母」で里親になった人もいれば、単身者で里親をしている人もいる。里親制度は「一定期間、お子さんをお預かりする」といった表現をされることもあり、かなり「緩やかな子育て」が行われている。 ところが、RFCの設立以来、「役所に問い合わせたが『(男性と)結婚してから電話してきて』といわれた」という女性カップルや、「偏見にあふれた言葉を口にされた」というゲイ男性の声が寄せられ、「事実上同性カップルは里親にはなりにくい」ことがわかってきた。自治体職員が法律を勘違いしている、あるいは、偏見に満ちあふれていて否定的なことを口にしていたためだ。同時に、自治体職員が勘違いしているということは、里親のなり手である同性カップルもまた、「里親になれない」と思い込んでいると予想された。私はこのような間違った情報や対応によって、里親の人的資源が非常に残念な形で失われていると危機感を覚えた。 今回、同性カップルが里親認定され、子育てをしていることが報道されたことで、このような「断られた」「なれないと思っていた」という状況が各地で起こっていたことが次々と判明しており、4月17日付の北海道新聞では、同性カップルの「私たちは里親になれないと思っていた」の声や法律婚でないと駄目と断られた事例を紹介している。 私は前記のような間違った情報や対応、思い込みといった状況を改善する有効な手段は、まずは自治体から「同性カップルも里親になれる」ということをアナウンスしてもらうことだと思った。認定側である自治体が発信すれば、双方の誤解が解け、同時にマイノリティーも里親の人材として歓迎する、という自治体のメッセージにもなる。そこで、RFCは2015年に大阪市の職員と意見交換を行った。その結果、大阪市の「里親として適任者であれば、差別や偏見でもってLGBT当事者を排除することは絶対にない」というメッセージが淀川区の広報誌に掲載されることとなった。今回報道されたカップルはこのメッセージに応じた形で里親申請を行ったのだ。子どもが欲しいはエゴか 過去には、女性カップルが単身者として同時に里親認定を受けたような例があると聞いているが、今回は自治体がアナウンスし、同性カップルである二人を一つの「世帯」として認定したことが大きなインパクトとなったと感じている。今回、同性カップルが里親認定を受け、子どもを委託されたことは「法律上可能なことが当たり前に可能になった」ということである。 大阪市の吉村洋文市長の言うように「(こうしたことが)ニュースにならないのが在るべき社会だと思う」という言葉が印象的で、「当たり前」に近づく一歩だと感じた。 一方で、ネット上には否定的な意見も見られた。 その一つが「里親制度は子どもの制度。子どもがほしい大人の制度ではない。勘違いしないでほしい」「子どもがほしい大人のエゴだ」といった意見だ。誰に対して「勘違いするな」なのか不明だが、里親制度は子どもたちのための制度であることは間違いない。今回の里親当事者も「『子どもがほしい』大人のための制度ではなく、子どものために『育つ家庭』を用意する、子ども中心の制度です」と述べている。 ただ、現実的に「里親になりたい」大人=「子どもがほしい」大人であることが多いのは事実だ。私のところにも「子どもがほしいんです」という同性カップルの問い合わせが入ることがある(まずは制度を知ってほしいので、社会的養護に関するサイトを紹介したり、勉強会の案内を送るようにしている)。 私は、そういった「子どもがほしい」という動機について、「エゴだ!」と毛嫌いしなくてもいいのではないかと感じている。なぜなら、「子どもがほしい」ということを入り口として、そこから里親制度、社会的養護の現実について学んでいく人が多いからだ。実際に、自治体が行う「里親説明会」に参加する人の大半は「不妊治療をしていたが子どもを授からなかった夫婦」である。テレビ番組で取り上げられる里親も、「子どもができなかったので」というのが最初の動機であると語っていることが多い。 そうした動機で制度に興味を持った大人たちが、里親研修を受け、認定をめざすことになるのだが、里親に認定されるまでの道のりはとても長い。座学の研修、施設の見学や実習、面談などを経て、最後に児童福祉審議会において、その人が里親として適切かどうかが審議される。仕事の休みをやりくりしながら研修に参加する場合、およそ1年の歳月がかかる。 たとえ「子どもがほしい大人のための里親制度」と「勘違い」していた大人がいても、研修の中で「子どものための制度」ということを何度も教えられる。早い段階で「考えていた制度と違った」と、あきらめる人もいれば、社会的養護の現実を知ったうえで「ぜひ子どもたちのために里親になりたい」と考えを変える人もいる。ゆえに、私はことさら「子どものための制度ということを知っているのか」と目くじらを立てる必要はないと思っている。 さらに、報道の反応を見ながら感じたことは、「異性カップルの里親」と「同性カップルの里親」に対しての反応が不均衡だということだ。前述の通り、夫婦で里親の人が「不妊治療で授からず子どもがほしくて」と言ったところで、世間から「エゴだ」「勘違いするな」と言葉を浴びせられることはほとんどない。一方で、同性カップルとなると、途端にそういった言葉が飛び交う。私はそんな現実に対して、「それこそが差別的なのでは」と首をかしげる思いだった。「いじめ」の問題 ほかに、「同性カップルに育てられるなんて、子どもがかわいそう」という意見があったが、それは偏見と差別以外の何物でもない。親元で暮らせない子どもは、現在約4万5000人いる。《厚労省「社会的養護の現状について」(平成29年3月)参照》  その大半が児童養護施設で暮らしており、厚生労働省は「家庭的養護の推進」を掲げて、里親の増加に取り組んでいる。同時に、児童養護施設の小規模化など、環境改善もはかろうとしている。ただ、施設ごとに大きく環境が異なることや、性的マイノリティー児童の中には児童養護施設の集団生活が苦痛となる児童がいるなど(※注)、課題は山積している。児童養護施設の環境を改善していく取り組みと同時に、一つでも多くの里親家庭を増やし、子どもにとっての選択肢を増やすことは喫緊の課題である。 そのような状況の中で、今回の報道は、一人のお子さんに安心して過ごすことのできる家庭が用意されたという喜ばしいものである。「同性カップルに育てられるなんてかわいそう」と言い放つ人は、「嫌がる子どもが無理やり連れ去られた」と想像しているのだろうが、それはとんでもない間違いである。 なぜなら、里親認定を受け、委託の打診がなされた後、すぐに子どもが委託されるわけではないからだ。委託できるかどうか、慎重にマッチングが行われ、小さいお子さんであれば、半年くらいかけて、少しずつ家庭に慣れていく期間が設けられる。4月18日付朝日新聞によると、男性カップルの里親だと説明を受け「抵抗感なく納得していた」という10代男子と引き合わせ、3人は今年2月から仲良く暮らしているという。 と報じられている。お子さんが納得したうえでの委託となっているのである。 「いじめられるからかわいそう」という声もあった。確かに「絶対にいじめられない」とは言い切れないだろう。 イギリスの『Proud Parents』という本には、同性カップルとその里子のインタビューが収められている。同性カップルの里子、ウィル君(17歳)へのインタビューで、「(里親が同性カップルということで)嫌がらせはあった?」と聞くと、彼は「あった」と答えている。以下が、彼のセリフだ。 「生徒たちが、僕がゲイカップルの里親と暮らしていることに気がついたんだ。彼らは僕をからかい、それは学校中に広がった。マークとキーラン(彼の里親)は学校に話をし、このこと(からかわれたこと)について連絡した。その後、その件は落ち着いた。最初にからかった生徒は注意を受けたよ」 彼のセリフから、彼の里親や通う学校が、いじめにきちんと対応していることがわかる。 ウィル君は、以前男女夫婦の里親のところにいたが、彼にとっては今のゲイカップルの里親のほうが自分に合うのだという。以前の里親が合わなかった理由は、「里親の小言が多くって、しかも田舎だったんだよね」だそうで、私はこのセリフを読んで、なんとも若者らしい発言だなと思った。ウィル君は、今の里親と初めて海外旅行に行ったり、日々の生活を楽しんでいる様子を語り、「まるで息子のように接してくれて、家族のようだ」と語っている。 このインタビューは「いじめられるかもしれない」という理由のみで子どもが家庭で過ごすチャンスをつぶしてはいけない、ということを示唆している。また、いじめが起こったとき、子どもが親に自分がいじめられていることを言える環境や、親が学校にいじめについて話し、学校が適切に対応することがとても大切だということが伝わってくる。(※注)RFCは「児童養護施設における性的マイノリティー(LGBT)児童の対応に関する調査」を実施した。集団生活になじめない性的マイノリティー児童の存在が明らかになっている。イデオロギーは関係ない ここで、「いじめ」の本質から「同性カップルの子どもはいじめられるからかわいそう」という意見について考えてみたい。 いじめというのは「マイノリティー性をあげつらう行為」だ。実際に、児童養護施設の子どもや、里親家庭の子どもがいじめにあっているという声を聞く。集団でいじめが行われるとき、子どもたちはそのターゲットの子どものマイノリティー性を見つけ出す。それは「めがね」でも、「デブ」でも、「金持ち」でも、「貧乏」でもいい。いじめのターゲットとなったマイノリティー性は、なんでも「からかい」の言葉に変わりうるのだ。そうだとすると、「●●だといじめられるよ」という言葉自体がいじめに近い言葉なのではないだろうか。「かわいそう」と言い放つ前に、自分自身が誰かのマイノリティー性をあげつらっているのではないか立ち止まって考えてほしい。 私は以前、知人から「同性カップルの里子なんてかわいそうだ。そんな人に育てられるよりも施設で暮らせばいい」と言われたことがある。施設がどういうところか知っているかと聞くと「知らない」と彼女は言った。性的マイノリティーの人に会ったことがあるかと聞くと「会ったことがない」と返ってきた。「AよりもB」と述べる人が「AもBも知らない」と答える姿に私は驚愕した。結局、「かわいそう」と言い放つ人は、子どもたちの状況を何も知らず、知ろうともしていないのではないだろうか。今回の報道を聞いて「かわいそう」と言う人は、ぜひ社会的養護についてもっと関心を持ってほしい。報道のような養育里親だけでなく、季節里親、週末里親、児童養護施設ボランティアなど、大人が子どもと関わる方法はたくさんある。ネット上に「かわいそう」と書き込んだ後、今回の報道を忘れずに、ぜひ社会的養護への関心を深めてほしいと私は願っている。 また、RFCの活動を続ける中で、さまざまな政治家と話をして、非常に興味深いと思ったことがある。それは、今回の報道に関して、政治家のイデオロギー面での思想と、同性カップルの里親認定に対する賛否が一致しなかったことだ。つまり、「保守=同性里親反対」「リベラル=同性里親賛成」というような形では、意見がわかれなかったのだ。 今回の塩崎恭久厚労相の発言のように「子どものための家庭を増やすことだからいいことだ」と応援してくれる保守層の方もいれば、「実現性も低ければ、優先順位も低い」と相手にしてくれないリベラル層の方もいた。塩崎恭久厚労相=4月7日、国会(斎藤良雄撮影) 今回の報道に関して、塩崎氏は「同性カップルでも男女のカップルでも、子どもが安定した家庭でしっかり育つことが大事で、それが達成されれば、われわれとしてはありがたい」と述べている。 私は常に「子どもたちのため、一つでも多くの里親家庭を増やそうとしている中で、マイノリティーへの無理解や偏見がその妨げになっている。そのような構造を変えたい」と訴えてきた。 今回の報道に関し、ネット上では「子どものためならいいがLGBTの人権推進なら反対」という意見も見かけたが、そのような「どちらの人権の問題なのか?」といった無意味な議論を行うのはやめにしよう。 「マイノリティーへの偏見に固執しているうちに、他の誰かのチャンスを摘み取ること」は、「同性カップルと里親」の問題以外にも起こりうることではないだろうか。今一度、社会の課題を振り返り、同じような問題が起こっていないか、皆で考えるきっかけにしてほしいと私は願っている。

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    子供の幸せを奪う同性カップルの「里親」などもってのほか!

    小坂実(日本政策研究センター研究部長)  今年4月、「男性カップル 里親に」という新聞の見出しを見て驚愕(きょうがく)した。虐待などで親と一緒に暮らせない子供を育てる「養育里親」に、なんと大阪市が30代と40代の男性カップルを認定したというのである。4月6日付の東京新聞はこう報じている。 「2人は2月から、市側に委託された十代の男の子を預かっている。厚生労働省は『同性カップルを認定した事例はない』としており、全国初とみられる。/社会が多様化する中、市は2人の里親制度への理解、経済的な安定など生活状況を詳細に調査した上で認定した。/自治体によっては、同性カップルを男女の結婚に相当する関係と認める動きもあるが、里親は夫婦や個人が認定されており、同性カップルに対し慎重な意見もある」 吉村洋文大阪市長は「LGBT(性的少数者)のカップルでは子育てができないのか。僕はそうは思わない。子どもの意思確認もした」とツイートし、市の判断の正当性をアピールした。だが、同市の判断には深刻な懸念を抱かざるを得ない。 というのも、同性カップルの里親認定には、「子供の福祉」の面で重大な疑問が拭えないからだ。論より証拠、同性婚が容認された米国では、同性カップルに育てられることが、子供に及ぼすさまざまな問題が専門家らの調査を通して指摘されている。※写真はイメージ 例えば、テキサス大オースティン校のマーク・レグニラス准教授による18~39歳の男女約3千人の調査だ。同性愛者の親に育てられた人は、結婚した男女の親に育てられた人に比べて、経済的、社会的、精神的問題を抱えている割合が高いことが分かった。 米カトリック大のポール・サリンズ教授が発表した研究結果では、4~17歳の同性カップルの子供は異性の親の子供に比べ、情緒・発達面で問題を抱える割合が2倍前後高いことが判明した(以上は森田清策・早川俊行編著『揺らぐ「結婚」』による)。 実際、同性愛などについての書き込みがあるブログ「ジャックの談話室」には、父母が揃った家庭に生まれ、両親の離婚後に同性カップル(レズビアン)の家庭で育つことになり、成人してから男性と結婚して子供を持った米国人女性たちの、次のような切実な証言も紹介されている。 「結婚して子供を持ってはじめて父親の役割がいかに重要であるか、また母親としての私の存在がいかにかけがえのないものであるかよく分かりました」 「初めて子供とその男親を持ったことは私にとって美しい、畏敬の念に打たれる経験でした。子供には父親と母親の両方が必要であるという信念がますます強まりました」深刻な「同性カップル家族」の認定 もちろん、これらの調査が今度の大阪市の事例に当てはまるということではない。ただ、こうした公開された知見がある以上、いかに里親が足りなかったとしても、同性カップルを里親に認定するのは、子供の福祉の観点から言って、甚だ軽率と考えざるを得ない。 養育里親は、18歳未満の子供を一時的に夫婦や個人が養育する児童福祉法上の制度で、里親認定の基準は、運営主体の都道府県や政令都市によって異なる。東京都は、同性カップルが里親になれない基準を設けているが、他の自治体には同性カップルを除外する規定はないと報道されている(4月16日付毎日新聞)。だが、以上のような知見を踏まえれば、それは同性カップルを容認しているからではなく、そもそも同性カップルを想定していないからだと考えるのが妥当であろう。※写真はイメージ とはいえ、問題はそれだけではない。同性カップルの里親認定の先には、同性カップルの特別養子縁組への参入、さらに同性婚の合法化が見据えられていることも指摘したい。 今回の大阪市の認定の背後には、一般社団法人「レインボーフォスターケア」の活動があったと言われている。事実、同団体の藤めぐみ代表理事はネットメディアBuzzFeedNewsで、最初に区長がLGBT施策に熱心だった淀川区に足を運んだことや、次に大阪市こども相談センター職員と2時間激論を交わしたことなど、実に興味深い「舞台裏」を語っている(「同性カップルの里親」はこうやって誕生した。立役者が語った「舞台裏」)。 見過ごせないのは、同団体の活動方針だ。同団体のホームページには、1 国や自治体に対して、里親・養親の候補として積極的にLGBTを受け入れるよう働きかけます。 とあるが、それに続いて、次のような方針が掲げられている。2 国に対して、特別養子縁組の養親に同性カップルが含まれるよう働きかけます。3 養子縁組あっせん団体に向けて、養親の候補としてLGBTを受け入れられるよう提案・連携をします。 要は、同性カップルの里親認定の先には、特別養子縁組の「養親」に道を開くという明確な目標があるわけだ。これは法律上の「同性カップル家族」を作ることを意味しており、同性カップルの里親認定とは比較にならない重大かつ深刻な意味を持つ。 先に触れたように、養育里親が18歳未満の子供を一時的に養育する制度であるのに対して、特別養子縁組は、養親との間に実の親子と同様の親子関係を成立させる民法上の制度だ。そのため民法第817条の3は、特別養子縁組については、「養親となる者は、配偶者のある者でなければならない」と定めている。この「配偶者」は、法的には「婚姻関係」にあるものに限られており、夫婦共同縁組が原則とされる。危うい大阪市の判断 つまり養育里親とは違い、特別養子縁組は法律上の親子関係を創設するものであり、結婚が条件となる。しかし、日本には同性婚の制度がないので、現状では同性カップルは特別養子縁組の養親にはなれない。同性カップルが特別養子縁組の養親となるには、民法第817条を改正するか、あるいは同性婚を合法化しなければならないわけだ。 いずれにしても、仮に同性カップルが特別養子縁組の養親になれるようになれば、法律に基づく「同性カップル家族」が誕生することとなる。これは「裏口からの同性婚」の容認ともいえ、そうなれば同性婚の合法化に向けた動きが加速するのは明らかだと思われる。 こう考えると、同性カップルの里親認定は、特別養子縁組の議論に進むための「呼び水」でもあり、同性カップルの特別養子縁組への参入は、同性婚合法化への「呼び水」と言うこともできるわけである。「子供の意思確認もした」などと言って、同性カップルへの養育里親を認定した大阪市の判断の「危うさ」は明らかではなかろうか。※写真イメージ  ちなみに、筆者は同性婚の合法化には反対である。同性婚の合法化によって、子供や社会の利益のための制度としての結婚は本質的な変質を余儀なくされるからだ。 長崎大の池谷和子准教授が指摘しているように、同性婚は結婚の定義から「子供の福祉」という視点を完全に抜き去ることで、一夫一婦制や貞操義務を弱め、親が生まれてくる子供を取捨選択する傾向を強め、男女の結婚や血縁に基づく家族の良さを強調できなくなるなど、結婚や家族の制度に重大な影響を及ぼすことが危惧される(月刊『正論』27年12月号)。 今回の大阪市の動きが、同性婚の合法化―つまり、結婚と家族という「子供の福祉」と「社会の持続可能性」を支える最も重要な社会制度の解体へ向けた「アリの一穴」とならないことを願うばかりである。

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    同性カップル里親制度を大学生427人に聞いてみたらこうなった

    水島新太郎(同志社大学嘱託講師) 2015年、オバマ政権下のアメリカで、最高裁によって同性婚を認める判決が出された。それを皮切りに、わが国日本では東京都渋谷区で同性カップルに対して結婚関係に準ずるパートナーシップ証明書が交付された。また、同じ島国で日本と親交の深い台湾では同性婚を認めない民法は違憲とする声が高まるなど、近年LGBT(性的少数者)を取り巻く社会環境が大きく変わろうとしている。 今年4月、大阪市が30代と40代の男性同性愛者カップルを養育里親として認定したことがメディアを中心に大きく取り上げられ話題となっているが、男性同性カップルの里親認定に対して世論は賛成、反対の真っ二つに分かれている。ここでは、明確な「賛成」の立場からセクシュアル・マイノリティーの人たちが生きやすい社会が何なのか、いくつかの点から取り上げ考えていきたい。 2012年、アメリカで公開され話題を呼んだ映画『チョコレートドーナツ』をご存じだろうか。この映画では、男性同性愛者のカップルがダウン症の子供を育てるという、愛に満ちあふれた人間関係が描かれているが、同性愛者であるという理由だけでカップルは裁判で親権を奪い取られ、子供は孤独の中で命を落とすという大変悲しい結末で映画は幕を閉じる。 しかし、この映画は同性カップルの直面する差別問題だけを取り上げているわけではない。作中では、同性カップルの子育てを好意的に受け入れ、理解し、他者からの批判を恐れず彼らのために証言台に立つ心優しい友人たちも描かれている。この作品で同性カップルは裁判に敗れ、自分たちの愛した子供の命まで奪われることになるが、彼らは決して司法に負けたわけではない。なぜなら、彼らには自分たちを受け入れてくれる周囲の優しさあふれる理解があったのだから。映画「彼らが本気で編むときは、」の初日舞台あいさつに出席した(左から)荻上直子監督、柿原りんか、桐谷健太=東京・新宿 『チョコレートドーナツ』のように、海外ではLGBTを主題として扱った映画作品が数多く製作されているが、日本でも数は少ないもののセクシュアル・マイノリティーの人たちを描いた映画作品がいくつか製作されている。今年2月に公開された、トランスジェンダーの男性と異性愛者の男性カップルを描いた映画『彼らが本気で編むときは、』もそんな作品の一つだ。監督を務めた荻上直子氏は、文芸誌『ダ・ヴィンチ』(2017年3月号)の中で自身のアメリカ生活を振り返りながら、日本では「確実に存在するはずのセクシャル・マイノリティの人たちになかなか遭遇しない」と、彼らの存在が見えないことに対する違和感について実直に語っている。「男性同性カップルの里親」大学生は賛成?反対? 政治や司法の在り方を変えていくことも大切だが、荻上氏が言うように、彼らの存在を「見える存在」に変えていく必要がある。近年メディアで活躍するオネエタレントたちの具現する「笑いの対象」としての見える存在ではなく、苦悩の中で必死に生きる、「実話」としてみえる存在の彼らを映画や小説、マンガが描き、大衆に広めていくことで、彼らセクシュアル・マイノリティーに対する理解は深まっていくのではないだろうか。 ここまで、映画の中で描かれてきた同性カップルの里親問題や差別問題について述べてきたが、LGBTの存在が過去にないほど頻繁にメディアで取り上げられる「現代」を生きる若者は、同性カップルの里親制度についてどう考えているのだろうか。彼らの声を聞くべく、ある調査を行った。筆者が同志社大生に行った「男性同性カップルの里親」に関するアンケート結果(氏名と学生ID番号をモザイク処理しています) 5月26日、筆者が同志社大で担当している全学部生を対象とする「国際教養基礎論」の講義の中で、この講義を履修している18歳から23歳までの大学生427人を対象に「男性同性カップルの里親制度を認めることに賛成か反対か?」をテーマに記述形式のアンケートを行った(本アンケートでは、平常点に関係ない協力調査を前提に、学生には自己の主観的意見を実直に述べるようお願いした)。 結果は筆者が予想していた通り、427人中、賛成が344人、反対が83人。反対者の共通意見は、男女の役割を生物学上の「性別」で完全に二分化して捉えたもの、また「差別には屈服して我慢するしかない」と考えるものが多く見受けられた(以下、反対者の共通意見)。「子供が学校でいじめられる」「女同士のカップルは自然だが、男同士はBL(ボーイズラブ)の世界でない限り気持ちが悪い」「自分の腹を痛めて生んでいない子供に愛情を注ぐことは難しい」「男は仕事が忙しくて子育てをする暇がない」「育児や家事は女性の方が得意である」 反対者の中で特に多かったのは、「子供が差別を受ける」とする意見である。これは親側の「エゴ」で子供の将来が大きく変わってしまうことを危惧する世論の声を代弁しているかのようにも思える。また、「休日に男2人が子供を連れて町中を歩いている姿を想像すると違和感を持ってしまう」とする意見も多くあり、「男は外、女は内」といった固定的な性役割を求める社会の声が若者世代にまだ一定の影響力を持っていることが伺える。これまで家事や育児を担ってきたのが主に女性であったことを考えると、女性同士が子供を連れて町中を歩いている姿の方が自然に見えるとする意見はあって当然なのかもしれない。 さらに、反対意見の中で最も興味深かったのは「血縁関係」について「女同士なら精子バンクなどで精子を購入すれば実子を身ごもることができるのに対して、男同士ではそれができない」という意見が多くあったことだ。アンケートで浮かんだ男性中心社会の価値観 日本テレビ系ニュース番組『NEWS ZERO』が5月22日の放送で「女性カップルの子育て」と題して同性カップルの問題を取り上げていたが、この特集からはある解釈ができる。それは、女性を「生殖」や「出産」といった子育てに直結した存在としてみる偏見が社会にいまだ根強くあるということだ。これが男性カップルに置き換えられた場合、「男はそもそも妊娠できない」といった身体観の下、男性カップルに対する「偏見」は女性カップルのそれよりもさらに増大すると考えられるのではないだろうか。 話を学生アンケートに戻すが、男女の違いや性差別に終始した反対側の意見と類似した意見は賛成側からもいくつか上がったが、賛成側の意見の多くからは、人間がいかに柔軟で、多様な生き方を選ぶことのできる生き物であるかを再度考えることを重要視したものが多く見受けられた。ここに賛成側の共通意見もいくつか取り上げてみよう。「男同士の方が経済力があって子供によりよい教育を受けさせられる」「女同士はよくて男同士はよくないのは不平等だ」「異性愛者の親のなかには子供を虐待したり育児放棄したりする親がいる」「他人の目は気になるだろうが幸せを決めるのは他人じゃなくて自分たち」「友人にゲイの人がいるから彼らにも幸せになってほしい」「シングルマザーやシングルファーザーなど1人で子育てしている人たちだっている」「女性同士は連れ子が血縁関係だが、男性同士ならそのようなしがらみがない」「男同士だと子供を産むことができないので、より一層子供に愛情を注ぐはず」「LGBTを否定すること自体、今の時代の流れにそぐわない」 これら賛成側の学生の共通意見で最も多かったのは、「男性同性カップルのほうが経済的な余裕がある」とする意見だった。つまり、賛成側の「男性=経済力」と考える意見は解釈によっては、日本社会が依然「男性中心」であり、そこにおける女性の役割はあくまで従属的であると考えることができるだろう。こうした賛成側の意見からも分かるように、男性カップルの里親問題に対する若者の理解は深まりつつあるように思えるが、彼らの理解のうちにはいまだ「男性=経済力」といった、男性中心社会の価値観が根付いているのだ。 また、賛成者の大半が女子生徒であったのに対し、反対者の大多数が男子生徒であった結果を考えると、男性側の意識を変えていくことがいかに重要であるかが分かる。男性にこれまで期待されてきた性別的役割をいかに流動化し変えていくかが、今後男性同性カップルの里親問題の在り方を考えていく上で重要な課題となりそうだ。里親資格をてんびんにかけるな 筆者は最近、『週刊SPA!』の企画した「女性の専売特許を男性が体験する」特集に論者として参加した。子供の弁当を夫が作って幼稚園の送り迎えをしたり、結婚式で新婦が花束を投げる代わりに、新郎が友人男性に向かって投げる「ブロッコリー・トス」を行うことが日常風景となりつつある現代において、これまで女性だけに限定されてきた性役割を男性が「体験」することは、自分とは違う他者を発見し、理解する上で重要な経験であるに違いないと考える。 しかし、里親制度に関して言えることは、命を預かり育てるという大変重要な役目を担うわけで、「体験」することとはわけが違う。ペットの里親になることですら身辺調査や住宅訪問などさまざまな適性審査がある今日、人間の子供を育てる里親制度の審査基準が厳しく設けられることはあって然るべきである。 ただ、同性カップルであるという理由だけで審査基準を厳しくすることは絶対あってはならない。日本は先進国でありながら6人に1人の子どもが貧困や教育格差という現実に直面している。そんな中、里親資格を異性か同性かだけで、てんびんにかけている場合ではないことを、少子高齢社会に生きるわれわれ国民は自覚する必要があるのだ。 ここまで話してきたように、男性同性カップルの在り方を描いた映画作品や、そういった作品を目にすることで固定概念から解放された場所で彼らを優しく見守ることのできる若者が増える現代、「弱者」が「強者」よりも柔軟で多様性に富んでいることが可視化される動きはより一層広がりを増すに違いない。著書『フラジャイル―弱さからの出発』の中で編集者の松岡正剛氏が示唆しているように、権力を行使する「強者」はその権力を奪い取られることに恐れているだけのつまらない存在で、そんな強者たちからもろく生きることを強いられた「弱者」のほうがとてつもない力、未来の社会を変える力を内に秘めていると信じたい。 数週間前、書店で偶然目に留まり購入したマンガ本がある。鈴木有布子(作画)と北川恵海(原作)の作品『ちょっと今から仕事やめてくる』だ。日々の仕事に疲れ果てた新卒サラリーマンの青年は、駅のホームから身を投げて投身自殺を図ろうとするが、自分を理解してくれる同性の親友に命を救われ、最後は周囲からの批判を恐れることなく会社に自ら辞表を出す。 男性同性カップルであるがゆえに理不尽な批判を受ける方々には、批判を受けることはむしろ自分たちの存在を社会に示す好機であると考えてほしい。「批判を恐れていても何も先に進まない」。そう自分に言い聞かせながら、私は私で男性の新しい生き方を模索し続けたい。

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    日本でも浮かぶ「要人暗殺」の可能性、X国のテロから首相を守るには

    されたという意味で、要人暗殺テロの亜種であるといってよい。これまで一国の首相や大統領などのリーダーが国内の勢力によって暗殺された事例や、命を狙われた事例は数多く存在する。 戦後でも有名な事例として、ケネディ大統領は1963年テキサス州ダラスでパレード中に銃撃され暗殺された。この映像は、初めての国際テレビ中継映像として日本に伝えられた。犯人とされたオズワルド容疑者も警察署内で銃撃されて死亡する展開に、この事件の真相はいまだに議論が続いている。このほかにも81年にはレーガン大統領暗殺未遂事件が起きるなど、アメリカの大統領はリンカーン大統領をはじめ、つねにテロリズムの対象となってきた歴史がある。米バージニア州のアーリントン国立墓地にあるケネディ大統領の墓 そのほかにもエジプトのサダト大統領は81年、戦勝記念パレードの観閲中にジハード団の将校により暗殺された。イスラエルとの和平実現に反対するイスラム原理主義集団による犯行であった。韓国の朴正熙大統領は79年にソウルで殺害された。韓国中央情報部(KCIA)部長による暗殺事件であった。このように、国家権力の中枢にいる大統領や首相が国内勢力のテロリズムによって殺害されるケースは世界各国で発生している。 しかしながら、国家の要人が国外の勢力によって暗殺された事例や、その未遂事件はそれほど多くない。同じく韓国の事例でいえば、83年のラングーン爆弾テロ事件において、ビルマのラングーンを訪問中であった全斗煥大統領が北朝鮮工作員によって狙われた爆破事件が発生したが未遂に終わった。韓国では同様に、68年にも北朝鮮ゲリラによる朴正熙大統領を標的とした青瓦台襲撃未遂事件が発生している。 要人暗殺テロは、時代を超えていつの時代にも発生してきた最も古いテロリズムの形態の1つであるが、現代において要人暗殺テロの発生が減少した要因の1つは、テロ対策など要人の警備が強化されたことにより、テロ組織やテロリストが武器や兵器を持って要人を直接攻撃することが困難になったことである。テロリズムに道徳を見出す日本人 テロリズムという概念が存在しなかった時代から、要人暗殺は歴史的に繰り返されてきた。それは日本の歴史においても同じである。 犬養毅首相が青年将校に殺害された5・15事件は、テロリズムという概念が一般化していなかった当時は使用されていなかったものの、現代的な観点でみれば要人暗殺テロである。青年将校を「話せばわかる」と説得しようとした犬養首相に対して「問答無用」と答えて銃撃した青年将校の行動は、まさに言論を封殺するテロリズムである。陸軍青年将校によるクーデター未遂となった2・26事件も同様に要人暗殺テロに分類できる。襲撃された岡田啓介首相は難を逃れたものの、高橋是清大蔵大臣や斎藤実内大臣ら政府要人が暗殺された。これらはいずれも軍人によるテロリズムであり、当時すでに崩壊していたシヴィリアン・コントロールを完全に破壊する行為であった。しかしながら、これらの要人暗殺でさえも、テロリズムの政治的動機(たとえば「昭和維新・尊皇討奸」というスローガン)に情状酌量や同情の余地があれば、その行動の源にある正義を斟酌するという心的態度が日本人にあることも事実である。 さらに歴史をさかのぼっても、幕末の江戸で発生した桜田門外の変も水戸脱藩浪士による大老・井伊直弼の殺害事件であり、これも現代的に考えれば、政治的目的を達成するための要人暗殺テロである。しかしながら、安政の大獄で吉田松陰や橋本左内など多くの志士を処刑した大老に天誅を下した水戸脱藩浪士に対して義挙として賞賛する立場、明治維新の先駆けとする見方も日本人のなかにあることを忘れてはならない。 さらにいえば「忠臣蔵」で知られる元禄赤穂事件も、取りつぶされた浅野家の赤穂浪士四十七士が幕府の重鎮である吉良上野介を襲撃して殺害するという重大事件であり、現代的な視点で考えれば要人暗殺テロ以外の何ものでもない。しかし主君への忠義と仇討ちという日本人の心の琴線に触れる物語として、歌舞伎やドラマ、映画のキラーコンテンツとして現代まで人びとに親しまれていることは周知の事実である。江戸城、松の廊下で吉良上野介に切りかかる浅野内匠頭を描いた絵馬=兵庫県赤穂市の大石神社 テロリズムを罰する法治主義的態度の観点と、そこに正義や忠義の道徳的態度を見出す観点が分離して相克しているのが日本人のテロリズム、とくに要人暗殺テロに対する心的態度の複雑さを形成している。 日本の初代内閣総理大臣となった伊藤博文も晩年の韓国統監辞任後に、ハルビンで朝鮮の独立運動家の安重根に殺害された。この事件は日本側から見ると明治維新の元勲を殺された要人暗殺テロと考えることができるが、朝鮮から見ると犯人の安重根は日本からの独立運動の英雄として讃えられている。このように政治的動機の伴うテロリズムは、国や民族の立場が変わると、要人暗殺テロというラベリングと、民族解放運動や革命といったラベリングとがせめぎ合う解釈の闘争が発生する現象なのである。現代日本で要人が標的となるリスク このように歴史的に見たとき、日本では数多くの要人暗殺テロが発生してきたことを見落としてはならない。そしてそのテロリズムが発生する政治的風土や、それに道徳的観念や正義を見いだす精神的風土が日本には存在していたのである。 そして、その環境は現在も決して変わってはいない。現代の自民党安倍政権誕生以降も、特定秘密保護法をはじめ安全保障法制、そして現在のテロ等準備罪などのアジェンダ(議題)に対して国会周辺等で大規模な反対デモも発生した。また沖縄を中心とした米軍基地への反対闘争、反原発運動などのイシュー(論点)で局所的な政治的闘争は存在している。こうした政治的闘争は、現代の日本においてきわめて民主的で合法的な手段を用いた社会運動として定着していることも事実である。 しかしながら、最悪の事態を想定する危機管理の観点からみれば、また60年代、70年代において学生運動やマルクス主義運動が過激化して多くの爆弾テロやハイジャックなどの事件を引き起こした歴史的事例をみれば、社会運動が過激化した結果としてテロリズムが発生する可能性は決してゼロではない。本来、民主的かつ合法的であった政治運動から逸脱した一部の「過激化(radicalization)」という現象がテロリズムに結び付くプロセスは現代においても見逃してはならない。 また、国際テロリズムや国際安全保障の文脈においても日本の要人がテロリズムの標的となるリスクは高まっている。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、これまでのオリンピックなど国際的メディアイベントがそうであったように、テロリズムの標的になる可能性が高く、東京五輪に向けた日本のテロ対策の強化が求められている。さらに「イスラム国」による欧米各国へのグローバル・ジハードはまだ終結しておらず、世界のどこでイスラム過激派によるテロリズムが起きてもおかしくない状況はいまだ続いている。北朝鮮の核実験・ミサイル実験や、中国による尖閣諸島、南シナ海への侵出など、東アジアをめぐる国際安全保障環境も緊張状態にある。テロリズムを防止する手だて このような時代状況と国際環境を踏まえたとき、また現代テロの特徴であるソフトターゲットを狙った無差別テロへ意識が向かっている現在こそ、要人暗殺テロへの備えに綻びが発生する可能性がある。いまこそ、本来テロリズムの王道であった要人暗殺テロへの備えと予防策を強化すべきである。 要人暗殺テロを防止するためには、その①「リスク源(risk source)」となる問題や組織の洗い出しが第一歩となる。そしてそれらの問題や原因によってテロが発生する可能性があることを②「リスク認知(risk perception)」し、さまざまな情報分析により③「リスク評価(risk assessment)」を実施しなければならない。そうして得られた要人暗殺テロのシナリオや想定に対して、具体的な④「リスク管理(risk management)」を実施し、国内外に幅広くアピールする⑤「リスク・コミュニケーション(risk communication)」が重要となる。このプロセス全体がテロ対策をめぐる危機管理である。そこで重要な鍵となるのは情報活動、諜報活動とも訳される「インテリジェンス(intelligence)」である。 想定されるシナリオには多様なケースが存在する。しかし日本の要人暗殺テロにおいて、リスクとして可能性が高いのは次の2つのケースであろう。1つ目は「日本国内のメディアイベントで警備状況が手薄になるケース」であり、2つ目は「国外の外遊時に外国勢力に狙われるケース」である。 本来、いずれも警察や治安機関により警備態勢が強化されている状況にあるはずであるが、その警備が一瞬緩むポイント、タイミングが発生したときに要人暗殺テロが発生する余地が生まれる。あえて具体的なシナリオで示せば、とくに危険なのは要人が小規模な文化的催しに参加して一般人と交流し、その様子をテレビや新聞などのメディアに公開してアピールしようとするようなケースである。 そこで使用されるテロの道具は、蓋然性としては爆弾や銃器、刀剣などの一般的に普及していて利用しやすい兵器である可能性が高いが、同時にこれらの道具は金属探知機や手荷物検査で発見しやすく失敗する可能性も高くなる。反対に、サリンやVXガスなどの液体、炭疽菌などのように粉末状にできるもの、放射性物質などのNBC兵器は、入手や製造が困難であったとしても、探知機や手荷物検査で発見しにくいという条件から、こうしたNBCテロやCBRNE(化学・生物・放射性物質・核・爆発物)テロは事前に防止するのが困難であるという理由で大きな脅威となる。インテリジェンス・サイクルを強化せよ 要人暗殺テロを防止するための対策にはさまざまなものがある。まずは、危険団体、危険人物を特定してマークするインテリジェンス活動である。警察庁、警視庁の外事や公安が実施している活動であり、通信傍受などのシギント(SIGINT)や、監視カメラによるイミント(IMINT)などの監視活動も含まれる。また、危険な外国勢力の入国を水際で阻止するための出入国管理も重要な活動である。法務省の出入国管理インテリジェンス・センターは、出入国管理の情報収集と分析をテロ対策に活かすために設置された組織である。外務省は国際テロ情報収集ユニットを結成して、外国のインテリジェンス機関と情報共有し、海外のテロ組織やテロリストの情報分析を強化している。これらの各省庁が実施しているインテリジェンス活動の成果が内閣情報調査室、および国家安全保障会議(NSC)に集約されることで安全保障やテロ対策など危機管理に活用される。こうした一連のインテリジェンス・サイクルの強化が現代の日本に求められている。 またテロリズムの防止には、ほかにも多様なアプローチが存在する。たとえば、企業の研究施設や大学の研究所で使用される化学剤や放射性物質が拡散してテロリズムに利用されないようにするための拡散防止、危険物質の管理が重要である。デュアル・ユース(dual use)と呼ばれる問題であるが、そのために化学剤やバイオ、放射性物質などに関する危険物を保持している企業や病院、大学などのネットワークを強化して管理体制を構築することが必要である。 戦後の日本国内では、オウム真理教による地下鉄サリン事件以降は、大規模なテロ事件が発生していない。むしろイラク日本人人質テロ事件、アルジェリア日本人テロ事件、シリアイスラム国日本人人質テロ事件、ダッカ襲撃テロ事件など、国外の日本人がテロ事件に巻き込まれるケースのほうが増えている状況である。グローバル化した国際テロリズムの時代にこそ、こうした国際的環境のなかで日本のテロ対策の在り方を見直し、国民のなかで議論を行なうべき時期が訪れている。ふくだ・みつる 日本大学危機管理学部教授。1969年、兵庫県生まれ。99年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。コロンビア大学戦争と平和研究所客員研究員、日本大学法学部教授などを経て、2016年4月より現職。関連記事■ 福田充 危機管理学とは何か■ なぜ、イスラム系のテロ組織が多いのか―テロにまつわる4つの疑問■ 難民・テロ・甦る国境……ヨーロッパから民主主義が消える?

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    理想だけでは語れない難民問題、日本はなぜ慎重であるべきなのか

    リズムとナショナリズム。相反するこれらの要素が複雑に絡み合うのが難民・移民をめぐる問題である。いまや国内、国際政治を揺るがすテーマでもある。 世界的な規模で展開している難民問題だが、先進国圏ではEUの苦難が際立っている。欧州に活路を見出そうと中東やアフリカから難民・移民が地中海を船で渡っている。難民を含めた多様な背景の移動者が流れ込む「混在移動」の典型である。 概して密航船の衛生状況は悪く、船の転覆は後を絶たない。密航者の苦境に胸を痛めない者はいないだろう。 EUでの難民申請者は15年だけで128万人に上った。EUの人口は約5億人だから、比率でいえば1%にも満たない。だが、流入してくるのは文化的、宗教的背景の異なる人たちである。お金を落として帰ってくれる旅行者とは異なり、難民は社会の負担となりかねない。やはり重たい数である。 15年9月、事態は大きく展開する。トルコの海岸に横たわるシリア人の幼児の溺死遺体に欧州は動かされた。16万人の難民申請者をEU加盟国間で分担することも決まった。道徳感の強いドイツ、そして欧州委員会が牽引力となった。 そうしたなか、同年11月、フランスのパリで自爆と銃の乱射によるテロ事件が発生する。犠牲者は130人。犯人のうち少なくとも2人は密航ルートを使ってギリシャに入り、パリまでやって来た。欧州で人びとの善意が高まっていたそのとき、テロの計画は進んでいた。 幼児の溺死事件を機にEUは迅速に対応したが、苦悩を背負うことになる。16万人の分担策はEU加盟国を分断させた。反難民・反移民感情が高まり、反EU勢力と化して既存の政治秩序を揺るがしている。「難民に厳しい国」を演出する国々 EU域内では難民受け入れの厳格化が進んでいる。オーストリアは難民申請の受付数に制限を設けた。難民に開放的だったスウェーデンでも難民認定者の権利や恩恵(家族の呼び寄せなど)を縮小している。どの国も「難民に厳しい国」を演出しようとしているのである。 16年3月、EUはトルコと密航者の送還について協定を結んだ。これによってトルコ経由でEUに流入する者の数は減少した。他方で、バルカン半島のルートが閉鎖されているため、数万人の難民申請者がギリシャで滞留している。 すでに285万人ものシリア難民を抱えるトルコは、EUから見れば、難民を手前で堰き止める重要な役割を担う国である。EUが求めた送還協定はその延長線上にある。しかし、汚れ仕事をトルコに任せ、残務処理をギリシャに押し付けた感は否めない。 トルコからの人口流入は抑えられたものの、リビアからイタリアに流入する密航者は後を絶たない。トルコ・イズミルを歩くシリア人とみられる女性と子ども(共同) EUの対応は苦悩に満ちている。難民問題を解決しようと積極的な姿勢を見せたものの、それを上回る勢いで密航者が到達し続ける。理想を裏切る形でさまざまな事件が発生する。人びとの善意は限界を迎えてしまう。 EUに比べれば規模は小さいが、日本も難民問題とは無関係ではない。 日本での難民申請者数は16年、1万901人に上った(17年2月10日付、法務省発表資料)。難民申請者は2000年には216人だったのが、10年には1202人、13年には3260人、14年には5000人、15年は7586人に増えている。 難民申請者が増加する一方で、日本の難民行政は「閉鎖的」といわれる。数だけを見ればそう指摘されても仕方がない。16年は1万901人の申請者のうち難民と認定されたのは28人。認定率にすれば0・26%である。実際にはこれに人道配慮の97人が加わるので、合計125人が保護を認められている。ただ、人道配慮を合わせても申請者全体の1・15%にすぎない。 その一方で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に対する日本の貢献は小さくない。15年の拠出額は1・73億ドル(1ドル=120円の換算で208億円)に上り、アメリカ、イギリス、EUに次いで4位にある。 難民や国内避難民を抱えた国々に対する日本の支援も手厚い。日本人人質事件の際に注目されたが、たとえば15年1月、安倍晋三首相は中東の人道支援に25億ドルの拠出(その9割近くは円借款)を表明している。 対外的には難民・避難民支援に積極的に貢献しているものの、日本国内での難民受け入れは消極的と映ってしまう。ただし、この点は冷静に考察する必要がある。 日本国内では法務省入国管理局が難民認定業務を所管する。「出入国管理及び難民認定法」に基づいて法務省が難民認定の申請を受け、「難民の地位に関する条約」の定義に照らし合わせて申請者を審査し、認定の是非を判定する。 不認定となった場合、申請者は異議を申し立てることが可能である。この場合、難民審査参与員が中立的な立場で異議を審査する。参与員は法務大臣に意見書を提出するが、意見書に拘束力はなく、最終的には法務省が決定を下す。 筆者は13年4月から15年3月までの2年間、難民審査参与員を務めた。かつては日本の難民行政の在り方を批判的に見ていたこともある。しかし、参与員としての体験や、欧州で起きた一連の出来事は、この問題を冷静に見詰める契機となった。イスラム教徒を受け入れるか否か 現在の難民認定制度は事実上の移民制度となっている。申請をすれば在留資格(名目は「特定活動」)と就労資格(申請の6カ月後)が得られる仕組みである。異議審査では1次審査で漏れた難民性の低い、あるいは低いと見なされた申請者が審査を求めてくる。申請者の多くが異議申し立てを日本での在留延長の手段と捉えているようだった。現に制度上、それが可能なのである。 面談した限りでは、申請者は概してサバイバル能力が高かった。「移民」としての資質は申し分ない。彼らも生き残りを懸けている。参与員には保秘義務があるので多くは語れないが、支障のない範囲で言及するなら、アフリカの某国からの申請者に多く見られたのは、「伝統的なチーフを継承することになったが辞退した。毒殺される危険があるので保護してほしい」という主張だった。興味深いことに、この物語にはいくつかのバリエーションが存在した。 難民性の低い申請者が多く押し寄せるのだから、最終的な難民認定率が低くなるのは当然の結果である。偽装難民の問題を直視せずに、認定率の数値だけで難民行政の現状を議論してもあまり意味がない。 認定条件の厳しさを指摘する意見もある。たしかに諸外国に比べれば厳格に映る部分はある。しかし、それゆえに「難民に厳しい国」を世界に示せるならば、日本で難民申請をする動機を抑制することにもつながる。結果的に難民申請者の流入圧力や、流入がもたらす諸々の問題を抑止していると見ることもできる。 日本社会の安寧を考えれば、慎重な難民行政はむしろ望ましいのではなかろうか。葛藤は付きまとうが、この問題に真剣に向き合えば向き合うほど、そう考えざるをえないのである。 難民問題は世界規模の現象である。15年の時点で世界には6000万人に上る難民・国内避難民が存在する。1548万人の難民と500万人のパレスチナ難民、さらには4080万人の国内避難民を合わせた数である。12年以降、世界の難民の数は増加傾向にある。「アラブの春」後のイスラム圏の混乱と軌を一にする動きである。 事実、難民の発生国の多くがイスラム圏に集中している。いまの時代、難民問題はイスラム教徒を受け入れるか否かという問題と重なり合う。 全体を俯瞰すれば、イスラム圏の難民に限らず、世界は大移動時代にある。むろん有史以来、人類は移動によって歴史をつくってきたわけだから、現代に限った現象ではない。ただ、グローバル化とともに人の移動が増幅し、異文化の流入を人びとが肌で感じるようになった現在、さまざまな軋轢が生じている。シリアとの国境に近いトルコ南部、スルチにある難民キャンプでテントの前に座るシリア・クルド人の親子=1月27日 難民現象は縦横無尽に展開する人口移動の一部である。人の移動は継続的な現象であり、流入圧力を抑制することは容易ではない。難民問題を解決しようと受け入れを強化したり、その制度を整備したりすることは、新たな難民を引き寄せる要因となってしまう。根本原因の解決が叫ばれるものの、難民の押し出し要因となる紛争や貧困を根絶することは難しい。 解決が難しく、一面的な正義が通用しないのが難民問題である。安易に唱えられることが多いが、難民の受け入れは付随する種々の問題を招き入れることでもある。いくつか挙げてみたい。 まずは治安の悪化である。繰り返すが、「難民=テロリスト」ではない。社会に危険を及ぼす人物が難民のなかに混入してしまうことが問題なのである。 EUでは密航者や難民申請者のなかに「イスラム国」と接点をもつ者や戦争犯罪者が紛れ込んでいた事例がある(筆者自身、アフリカの難民定住地で元戦闘員の難民に遭遇したことがある)。また、難民キャンプの軍事化や「難民戦士」の問題は古くから指摘されてきた。テロリストや戦闘員のレベルでなくとも、一般犯罪が一定の割合で発生するのも事実である。状況によっては暴徒も生まれる。理念的な美しさの弊害 難民問題は「非伝統的安全保障」の課題ともいわれるが、弾道ミサイルに対処するのとは異なり、武力行使は許されない。人間が対象となるだけに、対応はきわめて複雑なものとなる。 国民の税負担や行政(とくに自治体)の業務負担も考えなくてはならない。先進国では難民を劣悪な状況に留めおくことは非倫理的と認識される。しかし、自国民と同等の生活条件を与えるとなると、住居の供給、言語習得と教育機会の提供、雇用の創出、医療へのアクセスを含めた社会保障など、さまざまな支援や保障が必要となる。先進国となれば外からの援助は期待できない。 貧困にあえぐ自国民の傍らで、難民が手厚い支援を受けるという逆転現象もときどき起きる。難民のなかでも社会関係資本をもつ者の場合、受け入れ側の国民よりもより良い生活条件を手にすることがある。 難民が労働力になることを期待する向きもある。これについては、経済が好調なドイツでも15年以降に来た難民の雇用率は13%に留まるという統計がある(16年11月16日付ロイター)。無理もない結果だろう。ドイツ語の習得は簡単ではない。そもそも同じアジアの人間でも、アフガニスタンの下層の少年とインドの工科大学を卒業した者では資質が異なる。移民ならば相応のルートで適切な人材を調達すべきだった。 人口減少を埋め合わせるために難民の受け入れを唱える論者もいる。ただ、少なくとも日本にとっては、社会制度や技術のイノベーションを通じた内側からの対応が最適解と考えられる。 さらに、難民や移民との関係で問題となるのが社会の景色が変わることである。多文化主義は美しい理念として時に無邪気に語られる。だが、多文化主義は自国の文化と社会が変容を強いられることを意味しかねない。つまりは「庇を貸して母屋を取られる」のである。 中長期的には貧困層が生まれたり、「並立(パラレル)社会」が現れたりすることもある。テロを含めた治安悪化は、移民・難民の2世たちが不満分子となった場合にも起こりうる。ベルギーの首都ブリュッセルにあるモレンベーク地区が有名だが、ひとたび並立社会ができてしまうと解体することは難しく、社会問題の温床となってしまう。人の移動の影響は長いスパンで見なければならない。 ちなみに、2070年以降、世界の宗教別の人口ではイスラム教徒がキリスト教徒を追い抜くとの予測がある(ピュー研究所の予測)。アメリカ国勢調査局によると、2044年にはアメリカの非白人人口(ヒスパニックを含む)は白人人口を超えると見られる。ベルリンの首相府前に到着した難民を乗せたバスを取り囲む、報道陣と受け入れ反対派のデモ隊ら=1月14日、(ロイター) 欧米諸国で見られる反難民・反移民の動きの根底には、肌で感じる治安悪化のみならず、変わりゆく社会に対する不安があるのだと思われる。事実、イギリス王立国際問題研究所が欧州10カ国で行なった調査(17年2月7日発表)でも、イスラム諸国からのすべてのさらなる移民の停止に55%が賛意を示した。慎重な世論が読み取れる。 ナショナリズムは悪として非難されがちだが、21世紀のナショナリズムには、行きすぎたグローバリズムとグローバル化から既存の社会秩序を守ろうとする力学がある。善悪はともかく、越境者に対する人びとの否定的な感情もその文脈で捉えられる。 難民保護の理念は美しい。迫害を受け、母国を逃れた人を別の国家がかくまい、保護を与える。シンプルで力強い理念である。だが、理念的な美しさは、宗教にも似て教条主義を生みやすい。 難民問題は夢想的に論じられがちである。支援者が夢を語るのは構わない。ただ、国家として現実を見据えた方策がなければ、国民を軋轢や危険にさらしてしまう。難民受け入れよりも効果的な支援 国家が入国管理という機能を果たしているからこそ、難民保護の運動論は成立する。EUの事例が示すように、国境管理が崩れ、無尽蔵に人が流入したとき、綺麗な論理は破綻してしまう。 とはいえ、難民のための多国間協調も必要とされている。私たちは難民問題とどう向き合えばよいのか。 日本政府は二国間の援助に加えて、UNHCRに多額の資金を拠出している。国内で難民を受け入れるよりも効果的な支援だろう。日本の財政状況は厳しい。そのなかでの貴重な貢献である。 また、難民認定制度とは別に年間20人程度、第三国定住難民の受け入れを実施している。シリア難民についても国費留学生制度や技術協力の枠内での受け入れが予定されている(16年5月に表明された5年間で150人に加え、17年2月3日付『朝日新聞』によれば、5年間で300人規模の留学生と家族を受け入れるとのこと)。 日本の状況や立ち位置に鑑みれば、十分すぎる支援といえないだろうか。 安易な人道主義は禁物である。難民問題に甘い夢を持ち込めないことはEU諸国が示している。他国の経験を他山の石とすべきである。【補記】この論考から「イスラム嫌い」を疑われかねないが、筆者はむしろイスラム圏の文化に深い愛着を抱く者である。ただし、異なる文化への愛着は、自身が属する文化圏の溶解を認めるものではない。はかた・けい 成蹊大学教授。1970年、富山県生まれ。フランス国立ナンシー第二大学より公法学博士(国際公法専攻)の学位取得。外務省勤務を経て、2005年より成蹊大学文学部国際文化学科にて教鞭を執る。13年から15年まで法務省難民審査参与員。著書に『難民問題―イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題』(中央公論新社)、『国内避難民の国際的保護―越境する人道行動の可能性と限界』(勁草書房)など。関連記事■ なぜ、イスラム系のテロ組織が多いのか―テロにまつわる4つの疑問■ 難民・テロ・甦る国境……ヨーロッパから民主主義が消える?■ 福田充 X国のテロから首相を守るには

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    日本人も知らない靖国神社「A級戦犯」合祀のウソ

    事的必要により正当化されない荒廃化を含む。ただし、これらは限定されない。c項-人道に対する罪犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、あるいはこれに関連して行われた、戦争前あるいは戦争中にすべての一般人民に対して行われた殺害、せん滅、奴隷化、移送およびその他の非人道的行為、もしくは政治的、人種的または宗教的理由にもとづく迫害行為。 これが、そのまま極東軍事裁判に適用され、マスコミなどが「項」を「級」に代えて用いるようになったといわれています。つまり、戦勝国がつくった罪の定義をマスコミが呼びやすいように作り出した造語でA、B、Cというのは罪の重さをランク付けしたものではなく、簡単に言えばA級 侵略戦争を始める罪B級 従来定義されていた戦争犯罪C級 ホロコーストなどの非人道的な罪という区分けにすぎません。 しかもc項に関しては、第一次世界大戦終了後に適用が検討されましたが、国際裁判自体が否定され、ドイツ国内で形式的な裁判が行われただけで、第二次世界大戦が終わるまで厳罰に処された人間はいませんでした。a項に至っては、この時初めて定義されたものであり「いわゆるA級戦犯」の方々が罪として裁かれた行為を行った時点では違法行為でも何でもなかったのです。極東国際軍事裁判が東條英機元首相以下、25被告に判決を下す日の法廷全景=昭和23年11月4日 そもそも戦争を始めることが罪になるのであれば、ドイツに対して一方的に宣戦布告し第二次世界大戦を始めたイギリスとフランス、日本に対して先に宣戦布告したオランダは、なぜ罰せられないのでしょうか。曖昧すぎる「侵略」の定義米バージニア州ノーフォーク市役所の旧庁舎を改装したマッカーサー記念館前に立つマッカーサーの銅像 こう言うと日本が起こした戦争は「侵略戦争」だからだと反論する人がいると思われますが、ではいったい何をもって「侵略戦争」と「そうでない戦争」とを分けるのでしょうか。 おそらくそういう人たちは、国連が1974年の国連総会で決議した「国連決議3314」(侵略の定義に関する国連決議)をもって「侵略」を定義しているではないかと主張されるのでしょうが、確かにそこには一応「侵略」の定義らしいことは書かれていますが、よく読むと机上の空論でしかありません。 事実、湾岸戦争のきっかけとなったイラクによるクウェート侵攻でさえも「侵略」と認定されておらず、現在の日本政府の見解も「侵略」の定義は定まっていないとしています。仮に国連が明確な定義を定めたとしても、当時に遡って適用できないことは言うまでもありません。 実際のところ、いまの時代でも、アメリカのような力のある国がアフガンやイラクへ侵攻しても「自衛戦争だ」と強弁すれば罷り通り、ロシアがクリミヤに侵攻すれば経済制裁を受ける現実を見れば、侵略戦争か否かということは国の力関係によって決まるのが実情です。そんな中でも、盧溝橋事件は極東軍事裁判においてさえ侵略戦争と断定できなかったという事実は重く受け止めるべきです。 当時、日本は開戦以来、終始一貫して大東亜戦争は自衛戦争であると主張していました。アメリカ極東軍司令官として日本と戦い、戦後はGHQの総司令官として約6年間日本に滞在したマッカーサー元帥は、朝鮮戦争で日本が感じていた共産主義の脅威を肌で感じ、戦前の日本の立場を理解するようになりました。そして、退任後にアメリカ上院議会で「日本が戦争を始めたのは経済封鎖に対する自衛のため」と証言しました。実際に戦った敵国の大将でさえ認めた日本の主張の正当性は明白であり、日本は決して侵略戦争など行っていないのです。 日本が米英蘭相手に戦争を始めた1941年当時には、自衛戦争を認めた不戦条約しかなかったので、日本は当時の国際法には一切違反していないのです(詳しい日本の戦争目的に関しては、米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書《開戦の詔勅》と帝国政府声明をお読みください)。 さらに言えば、ドイツと同時期にポーランドに侵攻し、その後、1939年11月と1941年6月にフィンランド、1945年8月に日本へと国際法に違反して一方的に攻め込んだソ連はニュルンベルク裁判、極東軍事裁判のいずれにおいても被告席に座ることはありませんでした。つまり「いわゆるA級戦犯」とよばれる人たちは、戦勝国が後から自分たちの都合のいいように作った法令(事後法)と裁判により敗戦国の人間であるという理由で裁かれた人たちで、裁判の名を借りた復讐(ふくしゅう)劇の被害者なのです。 これに対しても「日本は戦争に負けて無条件降伏したのだから仕方がない」「誰かが責任をとらなければいけない」「ドイツを見習え」「サンフランシスコ平和条約で極東軍事裁判を認めた」などと反論される方がいますが、それは日本の立場を無視した戦勝国の言い分です。 まず、多くの日本人がいまだに日本が「無条件降伏」したと誤解していますが、戦争末期に政府が崩壊したドイツとは違い日本は終戦時にも政府機関が機能しており、その日本政府がポツダム宣言という連合国が提示した条件を受け入れたのであって、その条件は後に連合国によって破られましたが、日本の降伏は条件つきだったのです。詳しくはポツダム宣言をお読みください。「ドイツを見習え」なんて見当違い 確かに日本は戦争に負けたのですから、一定のペナルティーを受けるのは仕方がないのかもしれませんが、法治国家において犯罪者にも人権があるように、国際社会も法による支配を目指すのであれば戦争に負けたからといって何をされても仕方がないということはありません。誰かが責任をとるべきであるというのは、その通りなのですが、それは当時の政府首脳が対外的にではなく日本国内に対して「負けた責任」や「多くの命や領土を失った責任」をとるべきで、本来であれば戦後、日本人による日本人のための東京裁判を行わなければならなかったのかもしれません。 「ドイツを見習え」というのは全くの見当違いで、ドイツは戦争を始めたことに対して謝罪しているのではなく、ナチス党員などの一部のドイツ人がホロコーストなどの人道に対する罪を行ったことは同じドイツ人として申し訳ない、とその人たちに罪をかぶせているだけのことです。 そもそも日本は、特定の民族に対して国家単位で迫害を行ったことはなく、むしろ当時、世界で一番多くユダヤ人を助けた国で、そのことに対してナチスドイツが日本に猛抗議してきましたが、いわゆるA級戦犯の代表格である東條英機大将は毅然とした態度でそれを一蹴しました。おそらく、日本も「軍部などの一部の人間が勝手に戦争を始めた」「その人間だけが悪い」と一部の人間に罪をかぶせれば当面の非難を避けることはできるかと思いますが、そういう卑劣な行いは人間として正しくありません。 日本もドイツもマスコミに煽られたとはいえ国民の大半が戦争を望んだという側面もあり、それを今になって一部の人間だけの責任にしようとする行為は卑怯(ひきょう)としか言いようがなく、命を懸けて祖国のために戦った先人に対する冒涜(ぼうとく)に他なりません。 また、日本は下記の「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)第11条で「裁判を受諾」しているではないかと言う人もいますが、それは誤解(誤訳)です。 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(後略) そもそもこの条約は当時の公用語である英仏西の三カ国語で作られており、日本語で書かれているものはそれを訳したものでしかなく、意味が微妙に異なる場合は英仏西語の正文の方が正しいとするのが道理です。 そこで問題の部分の英文を見ると「accepts the judgments」(判決を受諾する)となっています。「裁判を受諾する」と「判決を受諾する」は一見同じように思えるかもしれませんが似て非なるものです。裁判の名に値しない「東京裁判」 「裁判を受諾する」というのは裁判そのものを認めることですが、それに対して「判決を受諾する」というのは裁判全体を認めることではなく判決のみを認めるということで、たとえ身に覚えのない犯罪容疑でも有罪判決が下され、それが確定してしまえば法治国家に住む以上、判決に不服だとしてもそれに従わねばなりませんが「冤罪(えんざい)だ。自分は無実だ」と訴えるのは自由だということです。 だいたい「いわゆるA級戦犯」を裁いた極東軍事裁判は・裁判の根拠法令が極東国際軍事裁判所条例という国際法を無視したマッカーサーの命令・恣意(しい)的な被告の選定(満州事変の首謀者石原莞爾は逮捕すらされていない)・事後法による法の不遡及(ふそきゅう)の原則に反している(前述)・法の公平性に反している(戦勝国の原爆投下や無差別爆撃などの民間人大量虐殺は不問)・裁判官11人全員が戦勝国の出身(中立国出身の人すらいなかった)・裁判官の出身国、英仏蘭は裁判中もアジアを再侵略していた・同じくソ連は国際法に違反して多くの日本人をシベリアなどに強制連行強制労働・11人のうち法律家は2人(国際法の専門家はインドのパール判事のみ)・裁判長が事件の告発に関与(ウェッブ裁判長は日本軍の不法行為を自国に報告)・ポツダム宣言違反(宣言の範囲外の行為を裁いた)・被告側の証拠のほとんどを採用しない一方で、検察側のでっち上げの証拠を採用・結果、ありもしなかった共同謀議や南京大虐殺という虚構を認定 というようなもので、とても裁判の名に値するものではありませんでしたが、当時の日本は敗戦国ゆえに抗弁することができなかったのです。 仮に彼らが本当の戦争犯罪人だったとしても、従来の国際法に従えば戦争犯罪というのは講和条約発効時に無効になり、獄中にいる戦争犯罪人は釈放されるのですが、サンフランシスコ平和条約発効時に限り、そうさせないように作られたのが、この11条の条文なのです。 つまり、この条文は連合国の復讐(ふくしゅう)心を満たすため、あえて従来の国際法の趣旨に反して懲罰的な意味を込め、講和条約発効後も日本独自の判断で受刑者を放免してはならないという趣旨を盛り込んだもので、軍事裁判を認めるとか認めないとかという意味合いのもではないのです。極東国際軍事裁判の際、戦犯容疑者が多数勾留された巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)=昭和27年8月2日(産経新聞社機から撮影) 連合国が、それほどまでして許さなかった、いわゆる戦争犯罪人ですが、当時、大多数の日本人は彼らのことを犯罪者であると思っていませんでした。まず日本が主権を回復したサンフランシスコ平和条約発効直後の1952年5月1日、当時の木村篤太郎法務総裁により戦争犯罪人の国内法上の解釈についての変更通達が出されました。 そして、戦争犯罪人として拘禁されていた間に亡くなられた方々すべてが公務死として扱われるようになったことを皮切りに、全国各地で戦争犯罪人として扱われている人たちの助命、減刑、内地送還を嘆願する署名運動が始まりました。日本に戦争犯罪人と呼ばれる人は一人もいない 日本弁護士連合会も「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出するなど、運動は盛り上がりを見せ、それに呼応して国会でも次々と社会党や共産党を含む全会一致で戦犯受刑者の釈放に関する決議などがなされ、1953年には遺族援護法が改正され拘禁中に亡くなられた方々の遺族に弔慰金と年金が支給されるようになりました。 つまり、彼らの死は戦死であると国権の最高機関である国会が正式に認めたのです。署名は最終的に当時の全人口8千万人の半数である4千万人に達し、これに後押しされた日本政府はサンフランシスコ平和条約第11条にもとづき関係11カ国に働きかけ、その結果、1958年には戦争犯罪人として勾留されていた、すべての方々が赦免されたのです。 このような当時の日本人の戦争犯罪人と呼ばれた人たちへの熱い思いを知らない世代の日本人が、今になって「A級戦犯が~」と息巻いているのを見ると、日韓併合時代を直接知っている人間より知らない世代の方が、反日感情が強い韓国と重なり、情けない思いになります。 近代法では刑罰の終了をもって受刑者の罪は消滅するというのが理念ですから、百歩譲って仮に彼らが本当の戦争犯罪人であったとしても、この時点から日本には死者を含めて戦争犯罪人と呼ばれる人は一人もいないのです。それは、以下のいわゆるA級戦犯のリストを見ていただければ、よくわかるかと思います。 ほかにも、下記のように逮捕勾留されたものの不起訴になった、戦後の日本を牽引してきた方々もおられます。帝国石油社長 鮎川義介首相 岸信介日本船舶振興会会長 笹川良一読売新聞社社長 正力松太郎朝日新聞社副社長 緒方竹虎 そして、この流れの延長線上で1959年に「いわゆるBC級戦犯」が、1966年に「いわゆるA級戦犯」が靖国神社に合祀されたのであり、それをもって軍国主義復活などとは誤解曲解も甚だしい話なのです。

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    【青林堂社長独占手記】「あんな社員に謝る必要が本当にあるのか?」

    蟹江磐彦(青林堂社長) 青林堂は、現在「東京管理職ユニオン」および、TBSを筆頭に各マスコミから猛烈な攻撃を受けている。これは当社が男性社員に一方的にパワハラを行い、うつ状態にさせたとして提訴され、支援するユニオン側が実施した記者会見に端を発している。 TBSの報道番組「NEWS23」については、男性社員がうつ病にもかかわらず、2度にわたって出演させ、自分がいかに虐げられたかを語らせ、その現状を当社での録音音声をかぶせて放送している。この報道はユニオンだけの言い分を、マスコミが恣意(しい)的に流している点で大きな問題があると思っている。 では、そもそもユニオンとはいかなる労働組合なのだろうか。簡単に言えば、個人で加入できる、業種や会社をまたいだ労働組合だ。大企業にはもともと労働組合があり、労働者はその組合に加入して保護を受ければいいのだが、当社のように正社員3人といった零細企業には、そもそも組合などない。そういった企業の社員が加入できる労働組合がユニオンである。それどころか契約社員やアルバイトまでも加入できるというのが売りでもある。 確かに、社会には「ブラック」とされる企業があり、労働者はこうした企業から守られなければならず、ユニオンの活動がそこに向けられる分には正しい行動である。しかし、今のユニオンは現行の労働法に強く守られ、会社に無法の限りを行っても「良いか悪いかは別として」弱者の労働者としては正しいこととされてしまう。 実際に男性社員のように、会社内で録音盗撮したり、会社の重要な名簿やIDパスワードを無断で持ち出したりしても、労働法に守られた労働者の「権利」なのである。また、辞令を出しても自分が気に入らない仕事は「支配介入」という文言で拒否できてしまう。 男性社員は一日中机の前に座り、社内の動向を探りながら言動を逐一メモし、その情報をユニオンに報告していた。当社は、ユニオンとは思想的には真逆の書籍を発売している出版社である。このような状態が正常であるとは、到底思えない。現に東京管理職ユニオンの鈴木剛執行委員長からは「全力で青林堂を潰しに行く」と宣言されている。 また、不思議なのは、大半のテレビ局が今回の提訴を報道するなど、この裁判がなぜこんなに大きく扱われるのか、ということだ。先にも記したが、当社は社員が3人という、極めて零細な企業である。すさまじいユニオンの要求 しかも内容は、ユニオンが言うところの単純なパワハラである。これにはなんらかの恣意的な意図を感じずにはいられない。先日も、東京新聞からこの裁判について、取材依頼がきた。当社とユニオンしか知り得ない事柄を聞いてきたのであり、なぜ東京新聞がそれを知っているのか? 当社を狙ったマスコミ各社の動きをみれば、ユニオンと何らかのつながりがあると疑ってしまう。 東京新聞の取材の件は、当社が男性社員に直接連絡をとったことが支配介入に当たるためユニオンに陳謝しろという内容だったが、そもそも自社の社員に連絡することが、労働法では違法とされること自体疑問だ。 一方、ユニオンの要求だが、これがすさまじい。勤続半年の男性社員の和解退職金が1200万円である。キャリア官僚が10年勤めても400万円程度なのに。もしくは復職させて昼から5時までの5時間勤務、残業なし。この条件でさらに30万円の給料を要求しているのである。 零細企業である当社としては、「復職」させるしか選択肢はない。ゆえに、この条件を受け入れた。その後も給料を「48万円にしろ」と要求してきたが、さすがにこれは拒否した。他社員との給与格差が大きすぎて不公平になるからだ。 また、男性社員は復職後、初日から守秘義務契約を拒否し、大声で「支配介入だ!」と恫喝(どうかつ)していた。「これは闘いですから」と叫ぶ。辞令を出して編集業務として復職したのにもかかわらず、「営業業務をやらせろ」と要求する。(写真はイメージです) しかも、出版労連の講演で、当社の出版物に対してデザイナーからヘイト本の装丁を断られた経験に触れつつ、「言論の自由を言い募り、差別をあおる本を売ることに目をつぶってきた」と自省を込めながら振り返っているのである。 こんな社員に営業は任せられない。当然、当社としては語気強く毎日のように説得を続けた。だが、一連のやりとりを録音されていたのである。 こういった毎日のやり取りの中、突然男性社員はうつ病の診断書を提出して昨年2月に休職した。健康保険組合から傷病手当を受け取りながら、国会前デモや、安保法制反対デモに元気に参加している。当社にも何度も団体交渉や、中傷ビラをまきに訪れている。うつ病にもかかわらず、休職から一年後になる今年2月、東京地裁に提訴した。「青林堂でパワハラを受けてうつ病になった。損害賠償として2300万円を支払え」という要求である。 訴訟になった以上、判断は司法に委ねるしかないが、このような社員でさえユニオンは手厚く保護し、会社側は労働者に謝罪をしなければならないのだろうか。青林堂は今後もこのような左派系労働組合である東京管理職ユニオンと、これを支援するマスコミや団体とも闘っていくつもりだ。

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    青林堂社長にこれだけは言いたい 「パワハラに右も左も関係ない」

    佐々木亮(弁護士) 今回、青林堂が社員に悪質なパワハラを行った件で編集部より原稿の執筆を依頼された。それは、青林堂の社長にオピニオンサイト「iRONNA」から寄稿を依頼したので反対意見も載せたい、とのことであった。ただ、iRONNAは産経新聞系列企業の運営するサイトである。そして、近年の青林堂は、「ネット右翼」と呼ばれる人々に非常に好かれている企業であるところ、産経新聞もまた「ネット右翼」に非常に好かれている新聞である。 現に、青林堂は、産経新聞に広告を出したことを喜々としてツイッターに投稿しており、そうしたビジネスの関係も青林堂と産経新聞の間にはあるのである。そうなると、iRONNAは青林堂にとっていわば「ホームグラウンド」のような場であり、他方で私自身は思想的にも政治的にも、近年の青林堂の出版物を読むような方々とは真逆にいるので、産経新聞系列企業が運営するサイトにおいては「完全アウェイ」となってしまうのである。 こうしたこともあって、いろいろと考えるところはあったけれども、パワハラを撲滅するためには青林堂の見解だけを垂れ流しにするのは良くないだろうと思い、アウェイではあるけれども寄稿することにした。 しかし、既報の通り、本件は訴訟になっている案件で、かつ、私自身が同社員の代理人をしているところでもある。したがって、本紛争の具体的な内容についてはここでは書かないことにする。もっとも、青林堂社長の投稿内容が、事実に反していたり、社員や所属労組の名誉を傷つけたりしている場合は、別のところで反論をさせていただくし、裁判における請求の拡張に利用させていただくこともあるかもしれないので、その旨はあらかじめ述べておく。出版社「青林堂」でパワハラを受けたと東京地裁に提訴した男性社員(中)。右は佐々木亮弁護士=2月13日、東京都千代田区 以下、青林堂事件にも触れつつ、パワハラの現状や労働者・使用者の取るべき対応、そして政策としてどのような対策がとられるべきかに言及したい。 青林堂パワハラ事件は、そのハラスメント内容のひどさに加え、録音という客観的な証拠があり、それがあまりに生々しいことから、多くのメディアにおいて取り上げられることとなった。パワハラに右翼も左翼も関係ない 青林堂は、これは左翼の陰謀であるなどと言っているようであるが、最初に言っておきたいことは「パワハラに右翼も左翼も関係ない」ということである。もちろん、青林堂からみた「左翼団体」においてもパワハラは存在する。私はその場合でも、特に躊躇(ちゅうちょ)することなく、被害者となった労働者の権利擁護をしたいと考えているし、実際にしてきた実績がある。 したがって、本件は、青林堂が過去にどんな出版物を出していようが、はっきり言って関係のないことである。青林堂はツイッターなどを使って、盛んに「サヨクが」「サヨクが」と言っているようであるが、心の底から、「それは関係ないんだよ」と優しく教えてあげたい気分である。 おそらく青林堂は、自分たちのした陰湿なハラスメントが白日の下にさらされ、批判が集中したことを回避するために、単なるパワハラを「右翼」「左翼」の問題につなげたいのであろう。 そうすることで、味方を得ることができるからだ。しかし、録音に示されるとおり、客観的な記録があり、発言内容自体は動きようがない。もし「右翼の社長なら、左翼だと思った社員に対し、パワハラをしても何の責任も生じない」とでも思っているのだとしたら、それは誤りである。 一口にパワハラと言っても、多くの種類がある。次の分類は、厚生労働省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」が、平成24年3月15日に公表した「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」における分類である。ここでは6類型に分類している。① 暴行・傷害(身体的な攻撃)② 脅迫・名誉毀損(きそん)・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)③ 隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)④ 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)⑤ 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)⑥ 私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害) こうした行為はいずれもパワハラとして企業や行為者が損害賠償請求を受けるリスクのある行為となる。通常の企業では、こうした行為をすることのないように社員を教育・指導するのが一般であるが、中小企業などでは、社長が先頭に立ってこれらを実行してしまう企業も少なくない。青林堂事件では、特に②がクローズアップされていることは周知のとおりである。労働相談のダントツ1位は そもそもパワハラの問題は、青林堂事件だけの問題ではない。実は昨今、労働問題を扱う業界で深刻なのは「いじめ・嫌がらせ」事案の増大である。 たとえば、厚生労働省が毎年6月ごろに公表している全国労働局に寄せられる労働相談では、平成24年度以降「いじめ・嫌がらせ」が1位となっている。平成27年度は、約6万6千件の相談があり、2位の解雇(約3万8千件)に大きく水をあけてダントツである。 相談に行くということは、それだけでハードルがあるのだが、それを差し引いても約6万6千件であるから、この裏にはどれだけ多くの労働者がハラスメントに苦しんでいるかが分かると思う。 こうした状況を踏まえ、厚生労働省は平成23年、先の分類の提言をした「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」を開き、パワハラの定義や対応について専門家の意見を聴取するなどした。残念ながら、この会議は、提言・報告を出すにとどまり、立法などの動きにつながることはなかった。 現在の安倍政権も、パワハラ問題を無視することはできず、「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日閣議決定)には、「職場のパワーハラスメント防止を強化するため、政府は労使関係者を交えた場で対策の検討を行う」として、何らかの対策の検討を行うことを記している。 なお、政策として必要なのは、「パワハラ防止基本法」のような法律を制定して、腰を据えた対策が行われることであろう。そうでなければ、この問題は「当事者同士の問題」として矮小(わいしょう)化されかねない。しかし、セクハラなどと同じように、基本的にパワハラは違法であるとする明確な法規範があれば、企業の取り組みは変わってくるものである。 いずれにせよ、パワハラは社会問題となっており、国の政策として何か対策をとらねばならないところまで深刻化しているのである。 では、労働者はこうした時代にどうやって自分の身を守ればいいのだろうか。(本文とは関係ありません) 青林堂事件のように、暴言などのパワハラを受けた場合、まずは証拠を確保することが何よりも大事である。その際、録音が客観的な証拠として価値が高い。青林堂事件では、パワハラが日常化していたために、多くの録音記録が存在している。 あまりに多くて、訴えの提起にあたり選別するのが非常に大変であった。そのため、普通なら問題とすべき発言が、他のひどい発言に比べてレベルが低いと、「これは大したことないね」となってしまって、感覚がまひしてしまったほどである。 なお、対話者に無断で録音することが違法であるかのような誤解があるが、そんなことはない。職場におけるトラブルがある場合に、証拠保全の意味で録音することは問題ない。むしろ、労働者が取りうる唯一の証拠収集における対抗手段といっても過言ではない。気にせず「録音」を 裁判例でも、録音手段・方法が著しく反社会的ではない限り、これを証拠として認める旨判示している(東京高裁昭和52年7月15日判決)。最近の裁判例でも否定例は極めて例外的な場合のものしかないので、被害を受けている場合は、気にすることなく録音することが必要である。 一方、使用者側に期待されるのは、職場におけるいじめ・嫌がらせは、企業経営にとってマイナスしかないことを自覚することである。 そもそも、そのような問題が発生していること自体恥ずかしいことだという認識を持ってもらいたい。先に挙げた円卓会議において、ある企業の人事担当者の言葉として、次のようなものがある。 全ての社員が家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さんだ。そんな人たちを職場のハラスメントなんかでうつに至らしめたり苦しめたりしていいわけがないだろう。 誰かをいじめてうつにすることは、その背景に多くの悲しみが生まれることを自覚することが必要である。社員は人間であり、ロボットではない。ましてや機械でも道具でもない。その当たり前を自覚することが第一歩である。相手は自分と同じ生身の人間なのである。 近年は、まともな企業や労働組合が機能している企業においては、こうした意識が徐々に高まり、パワハラになり得る行為類型を冊子やパンフレットなどにして全社員に配布し、啓蒙(けいもう)している企業もある。 本来は、こうした取り組みが一般化される必要があるだろう。一方で、社長が先頭に立ってパワハラするような企業は論外である。これについては、一つ一つ正していくほかない。(本文とは関係ありません) 青林堂事件は、ハラスメントの陰湿さと、それを支える証拠が多くあることでたくさんの注目を集めた。しかし、俯瞰(ふかん)的に見れば、これはわが国にはびこるパワハラ事件の一つに過ぎないのである。もっとも、一つに過ぎないとしても、これだけ注目が集まった事件である。青林堂には、パワハラを行ったことについて、しっかり責任を取っていただきたい。 また、労働者はこうした時代であるので、身を守る術を身につけ、何かあれば第三者に相談してほしい。一人で抱えても解決しない。労働組合や公的機関など、相談窓口は多い。 そして、国は「働き方改革実行計画」に記載したのだから、「啓発」「啓蒙」だけで終わることのない政策を実行してほしい。これについては与野党一丸となれるのではないだろうか。パワハラを撲滅するのに右も左も関係ないのだから。

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    なぜユニオンは「ブラック企業」退治の切り札と呼ばれるのか

    鈴木剛(東京管理職ユニオン執行委員長) 現在、「東京管理職ユニオン」は、青林堂による数々の違法行為について、東京地裁と東京都労働委員会に提訴・申立を行い、係争しています。また、これまでに3つの事件で私たちの主張が全面的に認められました。いずれもわれわれのブログで全文を公開しています。 また、本年3月28日に勝利した東京都労働委員会の命令文は、東京都のホームページに公開されています。青林堂関係者がメディアに公開している情報には、誤ったものが多くありますので、本件に関する正確な情報は、これらをご覧いただければと思います。 こうしたいわゆるブラック企業の問題は、近年、社会的な問題になっています。本稿ではブラック企業に対抗するために「ユニオン」と呼ばれる労働組合が有効であるという点について論じたいと思います。 ユニオンとは、合同(一般)労働組合と呼ばれる、一人でも加入することができる労働組合のことで、従来の合同労組の一種として、1970年代以降、新たに誕生したものです。ユニオンは企業内労働組合と全く同じ法的権限を有しています。ユニオンが急増した構造的背景は、経済成長率の低下に伴う雇用形態の変化があります。(写真はイメージです) それまでの男性正社員を中心とした年功型雇用システムから、派遣・有期契約・パートなどの非正規労働者の増大があります。日本の労働組合の多くは男性正社員をメンバーシップとする企業別組合でしたから、こうした非正規労働者は保護の枠外にありました。 また、諸外国と比較して日本の非正規労働者は、時間当たりの賃金が非常に低いという特徴がありました。昨今、政府も推進しようとしている「同一労働同一賃金」は、この構造的問題の解消を目指すものであり、いわば国民的な課題です。この点から、従来の企業別組合が受け入れなかった非正規労働者が数多くユニオンに駆け込んできたのです。 加えて、日本で構成比率が高い中小企業では、法令を無視した職場も多く、必然的に労働者がユニオンに助けを求めてくる実態もあります。そして、労働基準監督署などの公的機関や弁護士によるアプローチと比較しても遜色なく、被害者が納得する内容で解決していることから、ユニオンは増加傾向にあります。 解決内容も、労使双方が和解し、継続して円満な労使関係を確立し、就労を続けるケースも少なくありません。この点でユニオンはブラック企業対策として有効な武器であるといえます。近年、「ユニオン対策本」と題した書籍が出版され、「ユニオンは解決金目当て」などと書かれている場合がありますが、正確ではありません。 ブラック企業に対してユニオンが有効な手段足りえるのは、以下の法的根拠が考えられます。① 団結権に基づく企業内外での広範なネットワークづくり② 団体交渉権に基づく強い交渉力③ 団体行動権に基づく強い行動力たった一人でもこれだけ戦える ①は、企業内で組合員や協力者を拡大することや企業外の支援者ネットワークを活用し、広げることです。同様な被害にあった労働者が同じ目線で励まし、先行する経験からアドバイスすることは有益なことです。労働基準監督署などの公的機関にしても、弁護士を通しての訴訟にしても、被害当事者は一人で孤立しがちです。 また、企業は、経営者の強い権限で違法行為を隠蔽し、従業員に虚偽の陳述書を書かせ、被害当事者を孤立させることもあります。この点でユニオンは、企業内外のネットワークを駆使し、当事者が孤立することを防ぎ、交渉においても有効な証拠収集などを進めることができます。 ②は、法的に企業がユニオンからの団体交渉の申し入れを拒否できないということです。たった一人の労働者でも企業は団体交渉を受諾しなければならず、これを拒否すれば違法行為となります。また企業は、単に交渉すればよいのではなく、客観的資料などを示し、説明しなければならない「誠実交渉義務」が課されています。 そして③は、交渉が企業側の不誠実な態度によって行き詰まった際に、これを打開する手段として、行動することが法的に認められていることです。つまりユニオンは、法的根拠をもって被害当事者の立場で、多様な行動を取ることができるのです。 代表的なものは、ストライキ、抗議行動、取引先などのステークホルダーへの要請行動、SNSやメディアを通しての宣伝活動などです。一個人で行使すれば違法に該当する恐れがある行動に関しても、ユニオンが正当な手続きを踏めば、違法性が阻却されるのです。 もちろん、企業側が誠実な交渉をしている段階でそのような行動を取ることは許されません。従って企業がキチンと法令順守していれば、ユニオンとのトラブルになることはあり得ないのです。 ユニオンにも多様な組織があり、スタイルも異なります。しかし、基本的には労働組合法が定めるように、労働者が企業と対等の立場に立って、団体交渉や団体行動を行い、労働協約を締結するためのものです。ユニオンは、この点で法令に沿った存在であり、違法なブラック企業から被害を受けた人々にとって心強い解決手段です。 また、最近では、ユニオンと企業がセミナーを共催したり、職場環境改善に向けて講師依頼されるケースも増えています。私もこうした取り組みを歓迎し、引き受けています。経営環境が厳しい中小企業にとって、知恵と力を出し合い、労働者も成長し、企業が持続的に発展することを心から願っています。

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    労働者を洗脳し、企業をゆする「ユニオン」の正体

    田岡春幸(労働問題コンサルタント) ユニオンとは、パートであれ誰であれ、企業や職種・産業の枠にこだわらず、個人加入でき、主に中小企業労働者が加入する労働組合である。 では、なぜユニオンが登場してきたのであろうか。 第一は労働者の権利意識が強くなったことが一因だろう。労働者、特に正社員が労働条件に対して給料が右肩上がりで、今まで非正規には関心がなかった。だが、経済が停滞して不況になり、正社員になれない、いわゆる弱者とされている労働者たちが急に権利意識を強く持ち、声を上げ始めた。ここにユニオンは目を付けたのだ。逆に、ユニオンが権利意識をたき付けているところもある。 第二は、市民運動と称する運動の形態の出現があるのではないか。市民運動は、70年代から公害運動や消費者運動を契機に日本で定着してきた。この運動が労働界にも入り、市民運動の形態の一つとしてユニオンが結成されたといえる。 ユニオンの基本的な交渉の流れは、「団体交渉」「不当労働行為」「労働委員会」この3点セットだ。近年は、新たな戦術として「法律の利用・活用」がある。さらに戦術として、街宣活動、関係各所へのビラまきをしかけてくる。 まず、団体交渉で会社が組合の言うことを聞かないと、不当労働行為あるいは法律違反と騒ぎ、必ずと言っていいほど労働委員会を持ち出す。そして、労働委員会は、和解金の提案を必ずしてくる。 本来、労働委員会は、個別的紛争は扱わないはずである。労働委員会という国の機関を出せば知らない経営者は、恐れをなして金を払うという戦略である。公的機関が脅しの道具に使われているのだ。 また、ユニオンは会社側が金を払わない姿勢をみせると、労働組合の交渉とは呼べないようなやり方で攻めてくる。警察や司法機関も手が出せない状況にあり、まさにやりたい放題である。一番多く用いられる方法は、先に記した会社周辺でのビラまきや街宣だ。(本文とは関係ありません) これらは名誉毀損(きそん)罪に抵触しかねない極めて過激な行為である。ユニオンの最終目的は、会社から和解金と称して金を取ることであり、和解金の金額は、軒並み1000万円以上を要求してくる。 これは中小企業にとって、大変な金額である。彼らに金を払ってはいけない。払ったら最後、何度も不当労働行為で労働委員会に申請される。どのような手段を使っても金を払わせようとする。ユニオンは、組合員から和解金から得た金のうち、3~4割をピンはねしている。これが、彼らユニオンの資金源の一つになっているのだ。 そして金を支払わないと、ユニオンの嫌がらせはエスカレートし続ける。例えば「ブラック企業だ!」と名指ししたチラシを会社周辺で配る、取引先にユニオン側の主張を一方的に記した印刷物を配布する。その際に経営者の住所入りの地図を印刷したりする。会社に要求書を手渡す様子を動画で撮影し、それをネット上にアップするなど、ユニオンの要求をのまない限り、手口がエスカレートしていくのである。「街宣」攻撃の次は… 本来は、監督官庁が違法行為や行き過ぎた行為をたしなめなければいけないが、それもない。ほとんどの経営者は、街宣をやられた段階で参ってしまい金を払うことが多いという。このやり方は、経営者の人格権などを無視した卑劣なやり方である。経営者にも基本的人権はあるのである。 また、ユニオンは要求書なるものも会社側につきつけてくるが、この要求書も相手を怒らせようとしていることが見え見えのものである。経営者は、この要求書に対して、決して怒ってはいけない。ユニオンは、怒るのを待っているからだ。あくまでも要求書であることを忘れないでほしい。要求書は会社側がはね返しても問題にならない。 こうしたユニオンに、目をつけられないためにも、法律上のリスク管理を最低限行っておかなければならない。これは、近年ユニオンが法律を利用した労働条件の是正、もしくは救済を打ち出しているからである これをやられると明らかに法律違反の場合は当然アウトだが、グレーな部分についても心証が悪くなると思われる。ユニオンは手法を「労働基準法」的要求から「労働契約法」的要求に変えつつある。 これは、ユニオンが集団的労使紛争へ重きを置きはじめたとみるべきだ。契約というのは入り口の法律であり、これを結んでいないがために、他も全て法律的にアウトとなる印象をユニオンは狙っている。ユニオンは、印象操作に長けているのだ。 ゆえに経営者は、常に新しい労働法制を意識して対応をしていかなければならない。知らなかったではすまされない。無知な使用者に対してユニオンは攻めてくる。ユニオンに攻めの口実を与えてはいけない。ここを突破口に不当労働行為だと指摘し、金を要求してくるからだ。  ユニオンのターゲットになると経営者の損失も大きくなる。横の繋がり、メディアの扱いがうまく、情報が広まりやすいので注意が必要である。小さい組織だからといってなめてかかると痛い目を見る。(本文とは関係ありません) また、ユニオンとしては給与や待遇面は攻撃しやすい。なぜなら不満を持っている多くの労働者の同調を得やすいからである。同調をさせてユニオンは労働者を取り込み洗脳していくのである。洗脳されたユニオン側のことを何でも聞く状態になっている労働者と経営者は対峙(たいじ)しなければならない状況にある。 今後ユニオンは、残業代未払いや解雇など、今まで扱ってきた事案以外にも幅広く関わってくるであろう。すなわち、ユニオンの活動範囲が広くなる。例えば降格など、どちらかというと経営側の人事権の範疇(はんちゅう)であるケースにも関わってくる可能性が高い。現状は、ユニオンが、活動しやすい状況にあると言わざるを得ない。 経営者はやられっぱなしではなく、ユニオンに対して何をされたかもっと声を上げていくべきであろう。会社が潰されてからでは取り返しがつかないだけに、社員とその家族を守る気概でユニオンと対峙(たいじ)してほしい。 

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    『少年ジャンプ』伝説編集長が語る「漫画雑誌は一度壊して作り直せ」

    篠田博之(月刊『創』編集長) 月刊『創』5・6月号マンガ特集を編集するにあたって、昨年、今年と白泉社の鳥嶋和彦社長を訪ねて話を聞いた。鳥嶋さんは2015年8月に同社社長に就任するまでは集英社に籍を置き、以前は『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった。白泉社は集英社の関連会社だ。 この春、白泉社発行の青年誌『ヤングアニマル』の連載『3月のライオン』が映画化されるなど、同社にとって大きな動きが起きているのだが、そうした話題にとどまらず、鳥嶋さんに聞いてみたいと思ったのは、いまマンガが多様化しているなかで、マンガの黄金時代と言われた20~30年前と今を比べてマンガの持つエネルギーがどう変わっているのかということだ。白泉社の鳥嶋和彦社長。『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった(古厩正樹撮影) その話に入る前に、まず白泉社の現状について聞いた。 「僕は社長になる時に目標を二つ言ったのです。営業利益を黒字化させることと、コミックス初版100万を達成すること。前者は昨年達成できたので、もう一つは、『3月のライオン』最新刊が特装版と合わせて80万だからもう一歩、年内に何とかしたい。でも今、マンガの初版100万は簡単じゃない。僕が編集現場にいたころの100万と今の100万は重さが違いますね」  鳥嶋さんは集英社にいた時代、編集現場を離れてからはデジタルやライツをめぐるビジネスに尽力していた。これからはマンガをめぐるビジネスを考える場合、デジタルとライツビジネスをきちっと回していかないといけない、というのが鳥嶋さんの持論だ。マンガ界はこの1年間で、ますます紙の雑誌が落込み、デジタルが伸びつつあるのだが、今の業界の方向性に必ずしも鳥嶋さんは同意しているわけではないらしい。かつてのマンガにはエネルギーがあった 「この機会にマンガ雑誌のあり方をもう一遍再定義してどうするかを考えなきゃいけないと思います。それがやっぱりどの出版社も出来ていない。マンガの作り方も、特に週刊誌がそうですけど、一話一話読ませる、ひいてはその雑誌を買わせる、という作り方がどこまで出来ているか。僕は今、ちばてつやさんやあだち充さんのかつての作品を読み返しているのですが、あの時代はマンガにエネルギーがありましたよね。確かに今は少子化とかデジタルどうのこうのという厳しい環境はあるのですが、でもそれは外部的要因に過ぎないのじゃないか。マンガが力を持っていた頃は雑誌の連載自体にライブ感、読者の反響があって作家がそれに引っ張られて描くといういい意味での双方向性があったと思います」 鳥嶋さんが「あの時代」というのは1980年代だろう。『週刊少年ジャンプ』は90年代前半がピークで、最高部数650万部超を記録した。当時の毎日新聞400万部をはるかに上回る部数だ。それが1995年、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』という三大人気連載が終了したのを機に一気に部数を減らしていった。その後、紙のマンガ市場は一貫して縮小を続けている。『週刊少年ジャンプ』はその中では健闘しているとされるが、部数は今や200万部を切ってしまっている。部数の減少が続くマンガ雑誌  確かに『ONE PIECE』などのように驚異的な人気を誇る作品はあるのだが、そうした一部の作品を除くと、ちばてつやさんやあだち充さんのピーク時のような勢いやエネルギーが失われているのではないか、というのだ。そのあたりについては異論もあるだろう。時代が変わったのだからそんなことを言っても無意味だという意見もあるかもしれない。ただ、マンガの黄金時代に現場でマンガの編集をやっていた鳥嶋さんの言葉だけに、その指摘は考えてみる価値がありそうな気もする。ただ、もちろん鳥嶋さんはこう付け加えるのも忘れなかった。 「言葉で言うのは簡単ですけどね。本当はもう一回その雑誌が必要なのかどうか問いかけて作り直す作業をやらなきゃいけないんじゃないか。今この厳しい時代に、そんなふうに壊しながら作り直すというのは相当難しいとは思いますけれどね」

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    人気連載が続々終了の『少年ジャンプ』はヒット作を育てられるか

     大手出版社の屋台骨を支えていると言われるマンガだが、名実ともにマンガ界のトップを走る『週刊少年ジャンプ』がこの1~2年、直面した危機と、それを集英社がどう乗り切ろうとしているか報告しよう。名実ともにマンガ界のトップを走る集英社の『週刊少年ジャンプ』 同誌が直面した危機とは、この1~2年、人気連載が次々と終了していったことだ。人気連載終了はもちろん本誌の部数にも影響し、『週刊少年ジャンプ』の部数は1年前の250万部から200万部に落ち込んだと言われる。しかし、それ以上に深刻なのは、連載終了した作品をまとめた単行本、いわゆるコミックスの新刊が出なくなることだ。初版360万部を誇る『ONE PIECE』のコミックスが年に何巻出るかで集英社の決算の数字が変わるというほど、大型作品の経営寄与率は高いのだが、『ONE PIECE』は安泰だといえ、それに続く初版数十万部の作品の連載が、この間、次々と終了した。 この1年間だけでも『暗殺教室』『BLEACH』『こちら葛飾区亀有前公園派出所』『トリコ』の4本、その前年には『NARUTO-ナルト-』『黒子のバスケ』が終了している。 つまり集英社の屋台骨を支えてきた人気作品のかなりのものがこの2年間でごっそりなくなってしまったのだ。集英社の次の決算が大きな打撃を受けていることは間違いないといえる。 ジャンプブランドを始め集英社のマンガ部門全体を統括している鈴木晴彦常務が、月刊『創』のマンガ特集の取材に対してこう語っていた。 「正直、かなりこたえました」 実は『週刊少年ジャンプ』は1995年に600万部超という驚異的な部数を誇っていたのだが、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』『幽遊白書』という人気連載が次々と終了したのを機に部数が一気に落ち込んだ。それ以来、一貫して部数減が続いているのだが、この1~2年の人気連載終了は、その20余年前の悪夢を思い起こさせたというわけだ。 「ただ、もっとずるずると落ち続けるのではないかという不安もあったのですが、実際はそうでもなかった。あれだけ人気の連載が終了した割にはよく持ちこたえたと思います。よくふんばったなというのが率直な感想です」(鈴木常務) 一時期、集英社のマンガ部門関係者の顔は一様に暗かったといわれるが、この春、少し明るさが出てきたのは、危機を打開するための施策が少しずつ動き出し、明るい見通しが出てきたからだ。 「今年は『週刊少年ジャンプ』も新しい作品を育てないといけないし、正念場の年になると思います。『ジャンプスクエア』や、春に刊行予定の増刊『ジャンプGIGA』、それにマンガ誌アプリの『少年ジャンプ+』などを、どう連動させてコンテンツを作っていくか。新陳代謝が進むと思います」(同)  不動の地位を誇る『ONE PIECE』に続く作品といえば、不定期掲載の『HUNTER×HUNTER』を除けば、現在2位につけているのが『ハイキュー!! 』だ。そしてこの1年、急速に人気を伸ばしたのが『僕のヒーローアカデミア』だ。2016年春から始まったアニメ化で弾みがつき、2017年も4月からアニメの第2シリーズが放送されている。「『僕のヒーローアカデミア』のアニメは半年間放送予定で、おそらくコミックスが初版100万部を突破するでしょう。先ごろ発表された読売新聞社などが主催の「SUGOI JAPAN AWARD 2017」でも『僕のヒーローアカデミア』が、マンガ部門の1位に選ばれました」(同)期待は異例のゴルフマンガ 同じく4月からアニメが放送された作品としては『BORUTO―ボルト―NARUTO NEXT GENERATIONS』が挙げられる。『NARUTO』の主人公の子どもを描いた作品で、『週刊少年ジャンプ』に月1のペースで連載されている。 そのほか今人気上昇中なのが『ブラッククローバー』『約束のネバーランド』と『鬼滅の刃』。鈴木常務は、2017年中にその3作品を50万部タイトルにしたいという。 それ以外に期待がもたれているのは、『黒子のバスケ』を描いていた藤巻忠俊氏の新連載『ROBOT×LASERBEAM』だ。少年誌には異例のゴルフマンガだが、作品の評価が高く、連載第1回は『週刊少年ジャンプ』の表紙を飾っている。 「今年に入って次々と新連載を立ち上げ、“春の6連弾”と呼んでいるのですが、その6本目がこの作品です。3月に『黒子のバスケ』が映画化されることなどいろいろなタイミングも考えました。 考えてみれば、『週刊少年ジャンプ』はアンケート主義による競争原理を取り入れたり新人発掘のためにいろいろな試みをしてきたのですが、このところ『ハイキュー!!』にしろ『僕のヒーローアカデミア』にしろ、その作家にとって2本目3本目の作品で大ヒットするケースが目立つ。藤巻さんもデビュー作の『黒子のバスケ』が大ヒットしたわけですが、今回の2作目も期待できる。1作目を終えた作家が次をめざしてコンペを行い、2作目3作目でさらにヒットを出すという成長スタイルはこれから増えていくような気がします」(同) 『週刊少年ジャンプ』の今後を支える作品をどう作っていくかという課題をめぐっても今後いろいろな施策を考えているという。そのひとつが春に4カ月続けて発行される増刊『ジャンプGIGA』だ。 「4回の連載で手応えを見ようということで4回分を仕込んでもらっています。昔は『少年ジャンプ』の連載会議で掲載作品を全て決めるという1回勝負だったのですが、今は新人の発表の場として増刊を生かしていこうということです。 また『ジャンプスクエア』からも『プラチナエンド』『憂国のモリアーティ』など好調タイトルが出ています。デジタルの『ジャンプ+』からも、コミックスにして10万部を超える作品が次々と出始めています。それら4つの媒体から新しいコンテンツをどうやって生み出していくか、というのを今後は意識的に取り組んでいこうと思っています」(同)2018年に創刊50周年を迎える集英社の『週刊少年ジャンプ』(中央)  集英社では、2017年は『ONE PIECE』20周年、『ジョジョ』30周年であるほか、来年が『週刊少年ジャンプ』50周年に当たるため、7月から「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展」など、周年企画が始まるという。 ちなみに2017年はライバルの講談社の『週刊少年マガジン』でも、『別冊少年マガジン』連載の『進撃の巨人』がアニメ第2期の放送や舞台化などで大きな期待を持たれているが、それに続く新作の大ヒットをどうやって生み出すかが大きな課題になっている。 また小学館の『週刊少年サンデー』も、一昨年、編集長交代に伴って連載の6割を入れ替えるという大手術を行い、ようやくその後の新連載からヒットの芽が見え始めているとはいえ、『名探偵コナン』に続く作品が出ていない現状は深刻だ。少年マンガ誌3誌とも、2017年は正念場の年といえよう。

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    ブームこそ命『コロコロコミック』が切望する次の「妖怪ウォッチ」

     小学館は以前は学年別学習誌で知られていたが、今は少子化の影響もあって、『小学1年生』以外全て休刊になってしまった。その児童誌市場で圧倒的なシェアを誇っているのが『コロコロコミック』と『ちゃお』だ。『コロコロコミック』は『妖怪ウォッチ』ブームの後、部数も落ちているのだが、この児童誌市場にいま、気になる傾向が目立ち始めている。まだスマホを持たない小学生が読者であるため、デジタルの影響を受けていないと言われるこの市場にも、実はいろいろな変化が出つつあるというのだ。少年児童誌市場で圧倒的なシェアを誇る小学館の『コロコロコミック』(中央) 小学館第二コミック局の佐上靖之チーフプロデューサーに聞いた。 「『コロコロコミック』の主な読者は小学校高学年なんですが、4月号は、新しい読者を迎え入れる大事な時期なんですね。新しい読者がつく一方で上の年齢の子どもたちは卒業していく。入ってくる読者と卒業する読者のどちらが多いかで雑誌の部数が決まるのです。今年は『コロコロコミック』も『ちゃお』も創刊40周年の節目ですので、しっかりと力を入れて楽しい雑誌を作っていこうと思っています」 雑誌が苦戦する出版界だが、子どもたちの間ではいまだにマンガ雑誌が娯楽の中心を占める。スマホの普及も上の世代ほどではないし、お小遣いの額も限られているので、いろいろなマンガが読めて付録もついているマンガ雑誌は貴重な存在なのだ。 児童誌の大きな特徴は、玩具やゲームを含めたブームと連動していることだ。3年前の「妖怪ウォッチ」大ブームの時は『コロコロコミック』も100万部を突破する勢いだった。そのブームが一段落した現状では、雑誌の部数もピーク時に比べると20~30万部落ちているという。 「それは児童誌の特徴であり想定内のことではあるのです。幸い、今の『コロコロコミック』の部数は、『妖怪ウォッチ』ブームの前よりは高いところにとどまっています。本来、編集部としてはブームが一段落する前に次のブームを仕掛けていかねばならず、今は『ベイブレード』と『デュエル・マスターズ』がそれに当たるのですが、残念ながら『妖怪ウォッチ』ほど大きなムーブメントに至っていないのが実情です」(佐上チーフプロデューサー) 「ベイブレード」は、もともとベーゴマをもとにタカラトミーが開発した玩具だが、過去2001年、2008年とブームになり、今回は第3期。「ベイブレードバースト」というシリーズだ。2015年夏にタカラトミーから玩具が発売され、7月から『コロコロコミック』でマンガ連載開始、2016年4月からはテレビ東京でアニメの放送が始まった。  「デュエル・マスターズ」はタカラトミー発売のトレーディングカードゲームと連動したもので、『コロコロコミック』では2014年4月号から現在のシリーズ「デュエル・マスターズVS」の連載が始まった。テレビ東京のアニメも昨年4月から始まっている。 そんなふうにゲームや玩具にマンガとアニメを連動させてブームを作り出し、マンガを読んでいないと学校で子どもたちが話題についていけないという状況を作り出す。そういう独特の手法が児童誌の大きな特徴だ。小学生読者にもデジタル化の波 小学生向けの市場は、中学生より上の世代のようにスマホの影響が見られないと前述したが、実はこの世代にもデジタル化の波は着実に押し寄せてきている。 「小学生は任天堂の3DSというゲーム機でユーチューブを見ているんですね。そこで私たちは2015年末から『コロコロチャンネル』という動画配信を始めました。『コロコロコミック』の編集者が新しいゲームやホビーの遊び方やマンガの描き方を説明するほか、アニメも見逃した子どもたちのために配信しています。毎日最低1本は何らかの動画を配信するという方針です。これが人気になっており、チャンネル登録者数が10万件を超えました。 『コロコロコミック』では20年以上前から、年に1回、1月にビッグアンケートという、設問が100くらいある詳細な読者アンケートをとっているのですが、今年の集計データを見ると、『これからやってみたいこと』の1位が動画配信でした。創刊40周年の節目を迎えた『コロコロコミック』 『将来なりたい職業』の1位が『本やマンガの仕事』で、これは大変嬉しい結果ですが、2位が『ゲームの仕事』、そして3位が『ユーチューバー』でした。ユーチューブは小学生たちにとって相当身近になっているのですね。 親のスマホを借りて子どもたちがスマホゲームで遊んでいるというのも目立ってきています。親も監視下にある場合は、子どもにスマホを使わせているのです。 『コロコロコミック』にとって、これまでウェブはマンガのPRやプロモーションのためという使い方でしたが、これからはデジタルのコンテンツで収益を上げることも考えていくことになるかもしれません。  昨年の夏から始めた『デジコロ』は、3DSのゲーム機の中でコンテンツを販売しているニンテンドーeショップに『コロコロコミック』のマンガ2作品を出品しているものです。『でんぢゃらすじーさん邪』と『ケシカスくん』で、それぞれマンガに着色をし、音声をつけて1話100円で販売しており、すでに20話くらいアップされています。制作に費用がかかって今のところは赤字ですし、子どもたちに課金というのはハードルが相当高い。当面は先々を見据えてじっくりと取り組んでいきたいと思っています」(同) 小学生向けの市場にもデジタルの影響がいろいろな形で出始めている。この傾向が今後ますます拡大していく可能性もある。今後、デジタルの波は、児童の娯楽市場にも大きな影響を及ぼすことになっていくのだろうか。

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    『逃げ恥』『東京タラレバ娘』変貌する女性マンガ

     今年も女性マンガを原作とする映画やドラマが次々と公開されている。さすがに似たような映画が続いてあきられもしているようなのだが、原作がある程度売れていると宣伝もしやすいし、何よりも低予算で作れるとあって、次から次へと量産されているのだ。 そうしたもののヒットの手本とされているのが、昨年秋にドラマが大ヒットした『逃げるは恥だが役に立つ』と、今年に入って放送されヒットした『東京タラレバ娘』だ。どちらも講談社の女性マンガ誌『Kiss』の連載だ。『Kiss』『BE・LOVE』 は、講談社の同じひとつの編集部なのだが、そこから生まれたコミックスが映像化で絶好調なのだ。4月からは『BE・LOVE』連載『人は見た目が100%』もドラマ化されたし。2016年は春に同誌連載の『ちはやふる』が映画化されてヒットした。人気漫画「東京タラレバ娘」 講談社第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長がこう語る。 「女性もののコミックスは前年比で120%くらい行ったのではないでしょうか。昨年春に映画化された『ちはやふる』はトータルで150万部くらい重版がかかりましたし、秋にドラマがヒットした『逃げるは恥だが役にたつ』は120万部くらいの重版になりました。『逃げ恥』はもともとの部数がそう大きくなかったこともあり、ドラマスタートの前段階では各巻3万部くらい増刷をかけていましたが、放映開始以降はかけてもかけても足りなくなる。2週間に1回くらいのペースで増刷をしていました。『東京タラレバ娘』はもともと1巻から30万部を超えるベストセラー作品だったこともあり、ドラマ開始にあわせて各巻10万部増刷をかけました。最新刊の第6巻も初版30万部でスタートし、37万部を超えています」 講談社の少女マンガ誌『別冊フレンド』もこの1年ほど映像化でコミックスが売れている。2016年は『黒崎くんの言いなりになんてならない』が映像化で大きく売り伸ばしたが、今年も『PとJK』が3月から映画公開中で、全9巻それぞれ4万部くらいずつ増刷がかかっているという。 映像化で女性マンガが売れているのは小学館も同じだ。この1年の映像化についていうと、『プチコミック』の連載『はぴまり~Happy Marriage!?~』と『せいせいするほど愛してる』の2本が2016年ドラマ化。2017年に入ってからはフジテレビの月9で『突然ですが、明日結婚します』がドラマ化された。春からはもう1本、『恋がヘタでも生きてます』がドラマ化。また『Sho‐Comi』の『兄に愛されすぎて困ってます』(通称『兄こま』)が映画化される。 小学館第一コミック局の細川祐司チーフプロデューサーがこう語る。  「やはりドラマ化された作品は紙でもデジタルでも売れています。『突然ですが、明日結婚します』は視聴率とかいろいろ騒がれましたが、原作は増刷がかかっています。元々『プチコミック』の中でも人気作でした。『プチコミ』の作品はデジタルとの親和性が高いのが特徴ですが、ドラマの1話が終わった後にデジタルの売れ行きが跳ね上がる。反応は紙よりも分かりやすく出るかもしれません。昨年の『はぴまり』はAmazon プライム・ビデオでのドラマ化、『せいせいするほど』はTBSでした。『はぴまり』は、元々超ビックタイトルだったし、連載が終わっている作品でもあるので、映像化でものすごく増えたというのでなく、堅実に部数が乗ったという感じですね」ドラマや映画と親和性が高い女性マンガ 女性マンガとデジタルは親和性が高いと言われるが、小学館では以前から「エロかわ」と呼ばれる路線をとってきたサイト「モバフラ」のほかに、「&フラワー」というサイトがスタートする。 「今後は紙とデジタル両方に描く人もいれば、例えばデジタルに合っている作品といったケースも考えられます。去年『深夜のダメ恋図鑑』という『プチコミック』の作品が、デジタルのほうで火がついて紙に跳ね返ってきて、というケースもありました。単純に紙のマンガをデジタルに、というだけじゃない展開を今後考えていかなければならないと思っています」(細川チーフプロデューサー) 集英社の少女・女性マンガの映像化については、2016年は『YOU』連載の『高台家の人々』と『別冊マーガレット』連載の『青空エール』が実写映画として公開された。それぞれ原作者は森本梢子さんと河原和音さんだが、集英社の女性マンガの代表的なヒットメーカーだ。 2017年に入ってからは3月24日に『マーガレット』に連載されたやまもり三香さんの『ひるなかの流星』原作の実写映画が公開され、ヒットした。既に連載は終了しているが、13巻刊行されているコミックスを集英社では計50万部以上の重版をかけた。また児童小説「みらい文庫」やライト文芸「オレンジ文庫」からノベライズ単行本を刊行するなど、大きな取り組みを行っている。 また『ココハナ』で森本さんが連載している『アシガール』も人気が高く、映像化が期待されている。『別冊マーガレット』連載の『君に届け』など、コミックスの巻数を重ねても初版60万部を誇るヒット作品もある。 「女性マンガ誌は雑誌の部数は厳しいですが、デジタルが伸びており、紙の雑誌を補完しています。映像化については公開のタイミングもあるし、原作のコミックスに大きく跳ね返るケースもあればそうでないものもあります」 そう語るのは集英社の鈴木晴彦常務だ。  女性マンガ誌は部数も小さく、雑誌はもちろん赤字なのだが、この間、テレビドラマや映画化でコミックスが売れるというパターンが続いている。そうした映画やドラマを観て、原作を読もうという人が1巻からデジタルで読むというので、デジタルコミックの伸びも大きい。なかには紙のコミックスよりデジタルの売上の方が大きいという作品もある。「逃げるは恥だが役に立つ」の完成披露試写会に出席した(左から)大谷亮平、星野源、新垣結衣、石田ゆり子 少女・女性マンガのビジネスモデルは明らかに変わってきた。男性向けマンガももちろん映像化で伸びるというパターンはあるのだが、女性マンガは映像化との関係抜きには市場が成立しないほどドラマ・映画との親和性が高い。さすがに少女マンガ原作の映画は飽和になりつつあるのではとも言われるが、今年も次々と予告編が映画館で紹介されており、この傾向はしばらく続きそうだ。

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    デジタルファーストが功を奏す? 絶好調『ヤンマガ』攻めの戦略

     青年マンガ誌のトップを走るのが集英社の『週刊ヤングジャンプ』で、人気連載『東京喰種 トーキョーグール:re』の実写映画がこの7月、公開される。ヒロイン役の女優・清水富美加さんの突然の引退騒動で関係者はハラハラしたようだが、公開は予定通り。集英社としても、この映画化を機にコミックスの部数をおおいに伸ばしたいと期待しているようだ。青年マンガ誌のトップを走る集英社の『週刊ヤングジャンプ』と、ヤンジャンに次ぐ講談社の『週刊ヤングマガジン』 ただこの1~2年、青年誌で注目されているのは、『ヤンジャン』に次ぐ講談社の『ヤンマガ』こと『週刊ヤングマガジン』だ。一時期低迷していたのだが、このところ映像化やデジタルなど攻めの施策が奏功して次々と話題を提供しているのだ。 転機となったのは2015年に『監獄学園〈プリズンスクール〉』がアニメ化を機にコミックス全20巻で累計370万部という大増刷を成し遂げたことだ。また『新宿スワン』も2017年に映画のパート2が公開された。既に連載が終了しているためコミックスは大きくは売り伸ばしていないが、デジタルがよく売れているという。 「守りに入らず新しいことをやっていこうという姿勢が功を奏しているのでしょうね」 そう語るのは講談社の嘉悦正明・第四事業局長だ。攻めの姿勢とは映像化だけでなく、別冊やウェブサイトなどを次々と立ち上げて作品の掲載媒体を拡大させていることも含まれる。 『ヤングマガジン』編集部では『月刊ヤングマガジン』に続く別冊として2014年に『ヤングマガジンサード』を創刊。『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』などのヒットが出ている。また『月刊ヤングマガジン』連載の『中間管理録トネガワ』もコミックスがよく売れている。 さらに最近注目されているのは、『eヤングマガジン』という無料のアプリに連載された作品から2016年、『食糧人類―Starving Anonymous―』『生贄投票』などコミックスのヒットが生まれていることだ。デジタルファーストのマンガが紙のコミックスでも売れたという事例だ。 第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長が語る。 「『食糧人類』はコミックスの第1巻が初版1万5000部からスタートして累計22万5000部までいっています。これはなかなかないケースですね。第2巻は初版20万部ですが、デジタルを合わせると1・2巻累計で100万部くらい出ているのではないでしょうか。『生贄投票』もコミックス第1巻は初版2万部でしたが、デジタルで火がついて以降、紙のコミックスも第1巻が10万部を超えました」 増刊やデジタルを含め、作品のテイストにあわせたいろいろな媒体に連載を行い、それを紙のコミックスに落としこんでいくという戦略が奏功しているようだ。  別冊を次々と創刊し、さらにウェブサイトでも連載を立ち上げ、基幹雑誌の周辺にいろいろな作品発掘の機会を拡大していこうというのは、講談社のマンガ部門全体の基本方針だ。例えば『進撃の巨人』は『週刊少年マガジン』でなく、『別冊少年マガジン』の連載作品だ。本誌とちょっとテイストの異なるエッジの効いた作品を別冊で、という方針は、マンガそのものの多様化が進む中で、今のところ成功しているようだ。 前述した『ヤンマガ』の『食糧人類』や『生贄投票』もかなり異色の作品なのだが、そういうものがデジタルなどで人気を博し、コミックスで売り上げを伸ばすという状況に至っているのだ。そもそも『監獄学園〈プリズンスクール〉』にしても王道系とは異なるマンガで、深夜アニメで火が付いた。マンガやアニメの嗜好が多様化し細分化しているなかで、いろいろな作品をどう発掘してビジネスとして成立させていくか。いまマンガをめぐるビジネスはそういう時代に至っているといえる。

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    『君の名は。』大ヒット後も続く劇場アニメの世界的ブーム

     2016年は劇場アニメ映画のヒットが目立った年だった。何と言ってもすごかったのが『君の名は。』で、興行収入が2017年3月21日現在で247億円。『千と千尋の神隠し』の308億円に次いで日本映画史上歴代2位の記録を打ち立てた。しかも、公開から半年たった今でも公開されており週ごとの興収ベスト10に入ったりしている。驚異的な実績なのだ。Ⓒ2016「君の名は。」製作委員会 その後、公開されたマンガ原作の劇場アニメ『聲の形』もヒット、さらにこれもマンガ原作の『この世界の片隅に』も異例の大ヒットとなっている。『この世界の片隅に』は、これまで子どもが対象とされたアニメには難しいとされた戦争をテーマにしたもので、それがこれほどヒットしたのは、アニメをめぐるこれまでの常識を塗り替えたとも言われている。 その後、2017年に入ってからも、『ドラえもん』『名探偵コナン』などの劇場アニメが大ヒットしているだけでなく、『モアナと伝説の海』『SING/シング』などのディズニーアニメも予想を超えるヒット。これは世界的な傾向なのだという。 いったいアニメをめぐって、いまどんな事態が起きているのか。 まずは『君の名は。』を製作した東宝の市川南取締役に話を聞くことにした。新海誠監督は根強いファンも抱えていたから、『君の名は。』はもちろん東宝としても期待していた作品だが、そうはいってもこれだけの大ヒットは予想していなかったという。  「私たちは興収目標を20億と立てていました。20億でもりっぱなヒットですよ。でも実際は最終的に250億まで行きそうです。今となっては後付けでここが良かったといった感想を多くの人が語っていますが、昨年は公開時期についても私たちはもう少し弱気で、アニメ映画の競争が激しい夏休みを避けて6月か9月にしてはどうかといった協議をしていました」 「実際には結局、8月末公開にしたのですが、最初は20代前後の、アニメを日常的に見ている人が足を運んでくれて、それがティーンエージャーに広がり、その後、キッズからシニアまで全世代に広がりました。宮崎アニメやディズニーアニメなどと同じ客層の広がりですね」活況の劇場アニメ 新海監督と東宝の関わりは前作の『言の葉の庭』からだが、『君の名は。』は公開も300館で、前作に比べると東宝としても大きな取り組みをしたといえる。 「前作の『言の葉の庭』は公開館数も少なく、興収1億5000万でしたが、東宝の映画企画部の川村元気プロデューサーが企画を進めていき、『次はもうちょっと大きくやりましょう。10倍は行かせないと』 『じゃあ、15億を目指そうか』と話していたんです。それまで関わっていた映像事業部だけでなく、公開規模の大きい作品を手掛ける映画営業部が配給を担当しました」(市川取締役) 前作の10倍という、当時としては大きな目標を掲げたものの、実際にはさらにその10倍以上の興収になったわけだ。その背景には劇場アニメをめぐる環境の変化があった。 「アニメ映画の客層が広がったというのは昨年指摘されましたが、実は以前からそうだったのが顕在化したということかもしれません。考えてみればジブリアニメは全世代が永年観てきた訳ですから、今のシニア層はアニメと実写を区別なく楽しむ時代になっているわけなんですね」(同) 劇場アニメが活況を呈しているというのは、そのほか『ドラえもん』や『名探偵コナン』が興収記録を塗り替えていることでもわかる。 「自分が子どもの頃に観たものに親になってもう一回、子どもを連れて行っている、二世代目に入っている、ということでしょうね。それと『名探偵コナン』などは中高生で来ていた人が大人になっても卒業せずに、ずっと観に来てくださっている。そういう現象が起きているんです。そういうファミリー向けのアニメだけでなく、アニプレックス配給の『ソードアート・オンライン』なども2月に公開して興収20億を超えるヒットです。もうマニア向けアニメとは言えないでしょうね。洋画のアニメについても、3月公開の『モアナと伝説の海』『SING/シング』も大ヒットしています。『アナと雪の女王』をピークに、子ども向けというよりデートで行く映画になっています。アニメを見る層がそれだけ拡大しつつあるというのは世界的傾向のようですね」(同) アニメにとって追い風なのは、日本のアニメが海外でも定評があり、大きなビジネスになりつつあることだ。『君の名は。』も海外展開が成功したという。「海外でも126カ国に配給しました。公開した日本を含むアジアの6カ国でそれぞれ興収1位を記録しています。中国、韓国、台湾などですね」(同) 昨年異例の大ヒットとなったもうひとつの劇場アニメが『この世界の片隅に』だ。『君の名は。』の興収には及ばないが、もともと3億を目標としていたら10億を超えるヒットとなった。アニメで戦争をテーマに掲げるという、それまではヒットするとは思われていなかった常識を覆したという点で特筆すべきケースといえる。Ⓒこうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 真木太郎プロデューサーの話を紹介しよう。 「映画は昨年9月に完成して11月公開でしたが、テアトル新宿は連日立ち見で『入れない』と評判になりました。SNSでのつぶやきが爆発的になって、どんどん口コミが広まっていく。今年1月7日時点で公開は200館近くになっており、300館を超える勢いでした」ゴールデンタイムから撤収したアニメ 「コアなアニメファンというのは、実はあまり来ていないですね。お客さんは幅広い層がまんべんなく来ていますが、中心は30代、40代、50代じゃないでしょうか。60代のシニアも10%弱います」「僕たちのもともとの目標は興収3億円だったんです。『10億行ったら奇跡だね』『目指せ、奇跡の10億』なんて言っていました。でも実際には既に10億を超えています」 大人がアニメを観に映画館へ大勢足を運ぶという光景は、従来は考えられなかった。その意味では『この世界の片隅に』がアニメ映画の歴史にもたらした影響は極めて大きいといえよう。劇場アニメの客層が急激に拡大しつつあるという一方で、テレビアニメをめぐってはやや複雑な状況が起きている。 この何年か、キッズ向けのアニメは、フジテレビの『ONE PIECE』や日本テレビの『アンパンマン』など、ゴールデンタイムや夕方枠から次々と撤収し、午前の時間帯へ移っていった。   そうした流れを象徴する出来事が最近話題になった。毎日放送/TBS系が日曜午後5時に設けていたアニメ枠、いわゆる「日5(ニチゴ)」が廃止になったのだ。この枠は全国放送でクオリティも高く、アニメファンからは高い評価を得ていた。これまで放送された番組も『マギ』『ハイキュー!』『七つの大罪』『アルスラーン戦記』『僕のヒーローアカデミア』など強力なラインナップで、「日5」でアニメ化されるとヒットすると言われてきた。  そのアニメファンに定評のあった枠が突然廃止された。そして2016年4月からその「日5」で放送されていた『僕のヒーローアカデミア』の第2期が何と、読売テレビ/日本テレビ系の土曜夕方にこの4月から放送されている。アニメの1期と2期が異なる局から放送されるという、これは極めて異例の事態だった。 フジテレビとテレビ東京のアニメに顕著なのだが、実はテレビアニメも映画を含めた他のメディアとの連動を仕掛けたりと、戦略的な展開をしないといけない時代になりつつある。いずれにせよ、アニメをめぐる環境がいま、大きく変わりつつあるのは確かなようだ。

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    26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

    小林信也(作家・スポーツライター)  プロ野球が開幕から約40試合を終え、セ・リーグは阪神、広島が好調。巨人はほぼ勝率5割で3位にとどまっている。 オフに「26億円補強」とも形容された巨費を投じ、FAで過去最高の3人を獲得した。日本ハムから陽岱鋼、横浜DeNAから山口俊投手、ソフトバンクから森福允彦投手。さらには新外国人選手として、昨季もメジャーで57試合に登板した「160キロ右腕」カミネロ投手、2013年の楽天日本一に貢献したマギー選手らが入団。 「今年は巨人の戦力が圧倒的だ」と感じた人は、巨人ファンならずとも多かっただろう。蓋を開けてみると、「26億円補強」の3選手はいずれもファーム。カミネロ、マギーはまずまず期待どおりの活躍だが、日本選手の大量補強はいまのところ空振りに終わっている。そのような状況から、「巨人のフロント、スカウトは無能ではないか」との厳しい批判が改めてメディアやファンから上がっている。 広島は、鈴木誠也、菊池涼介、田中広輔、丸佳浩ら生え抜き選手を先発メンバーにずらりと並べ、昨年の勢いをさらに増して強くなっている。阪神は、ドラフトで獲得した20代前半の若手、髙山俊、中谷将大、北條史也らとFA組のベテランらがうまくかみ合って好調だ。こうした明暗を見ると、たしかにフロントやスカウトの資質、チーム編成の巧拙が際立ってみえる。イースタン・リーグ巨人対ヤクルト。移籍後、初実戦に臨んだ巨人・陽岱鋼=3月18日 FA3選手のうち、陽、山口については獲得当時から疑問の声があった。それぞれ故障を抱え、実績どおりの活躍を期待できるのか、不安定な状況だったからだ。加えて、ふたりの髪形やファッション、日頃の振る舞いが果たして巨人の空気に合うのか? 紳士たれという「縛り」の中でのびのび活躍できるのか心配もあった。いまのところ、心配の方が現実になっている形だ。 名前と実績のある選手が欲しい、欲しいから獲得する。その甘さ、冷静な判断をせずに期待ばかりで獲得に走る姿勢は厳しく改める必要があるだろう。「調査不足」というより、調査でケガはわかっていたはずなのに「やれる」と踏んだ判断力の甘さを見つめるべきだろう。 私はこれらの背景に「フロントとスカウトの無能」以上に深刻な「巨人の体質」があるように感じる。 かつて、長嶋監督(当時)に熱心に誘われ、FAで巨人に入団した大物選手にインタビューした際、「長嶋監督は全部の試合に勝とうとする。それは無理」と語ってくれたことがある。彼によれば、巨人以外の5チームは、勝ち試合、負け試合をある程度想定して試合に臨む。自分のチームと相手チームの先発投手の力量や調子から、その日の分の良し悪しは判断できる。巨人は戦力が5倍必要なワケ 最初から負けるつもりで臨むのではないが、前半で試合の趨勢(すうせい)が見え、極端な劣勢であれば無理をしないのが、長いシーズンを戦うために得策だ。ところが、長嶋監督は、どんな試合も勝ちに行く。 たとえ序盤に大量失点をしても逆転を目指す。それが巨人ファンへの責務だ。巨人の監督・選手の使命だと。そのことで選手に負担を与え、夏場やシーズン後半に影響を与える可能性がある。それでも毎試合勝ちに行く。いわゆる「捨て試合」を作れない辛さが巨人にはある。 もう十年以上前の話だが、ある地方球団の主力選手が、こう話してくれたこともある。 「自分たちは楽なんですよ。プロに入ってわかりましたが、巨人戦以外はそれほど注目されませんから、他の4チームとの試合ではある程度、楽ができるんです。ところが巨人戦となるとそうはいかない。どの場面でも息が抜けません。巨人の選手は毎日その状態ですから、大変だと思います」 他の試合にない緊張感が巨人戦にはあるという。 今年、巨人から日本ハムに移籍した大田泰示選手が、サヨナラタイムリーを打ったり、早くも自己最多タイの4号ホームランを打つなど、のびのびと躍動している。大田は巨人の頃にあった緊張から解き放たれて「水を得た」好例かもしれない。これを見れば、巨人に入った選手が活躍できないのは、スカウトの眼力のせいとばかりとはいえない。 「ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です。他のチームは5カードに一度だけジャイアンツ戦があります。ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です」ベンチで厳しい表情の長嶋茂雄監督=1997年8月2日  長嶋監督が話してくれた。だから、戦力が5倍必要なのです、というニュアンスだった。5倍は極端にしても、毎日、巨人戦という看板を背負って戦う実感が伝わってきた。 これが巨人の宿命であり、他チームとは違う重圧だ。 「毎年、優勝しなければならない」「毎試合勝たなければならない」という使命感を巨人のフロント、現場、選手の全員が持っている。現実的には無理なのに、その呪縛から逃れられない。 「無能」という以上に、その呪縛、その矛盾をどう乗り越えるか、球団としての戦略や方向性を明確にし、共有することが課題だろう。いまの巨人は、「毎試合勝つのは無理、だけど勝つことを目指さねばならない」という精神論で覆われ、身動きが取れなくなっているドラフト戦略が消極的になった 近年、巨人のドラフト戦略が消極的になった。そのせいで他チームに優秀な人材が流れている、という指摘がある。 確かに、競合を避け、一本釣りで無難に獲得する傾向が強い。昨年こそ田中正義投手(創価大、現ソフトバンク)を指名したが、その前年は桜井俊貴投手(立命館大)、その前年も岡本和真選手(智辯学園)、といったように競合を避けた形で獲得している。 巨人がここ数年、ドラフト会議という仕組みに負けている、という指摘は正しいかもしれない。 ドラフト以前は、巨人というブランド力を生かし、実績ある選手を次々に獲得した。森祇晶という正捕手がいるのに、森を刺激し続けるため、大橋勲、宮寺勝利、槌田誠、吉田孝司といったアマチュアで実績のある捕手を次々に入団させた逸話は、V9伝説のひとつになっている。 ドラフト制度ができて、そのような新人獲得はできなくなった。その幻想をいまの巨人はFA選手の獲得競争に求めているのかもしれない。FAでは巨人ブランドが生きるからだ。 他球団はどうだろう? ドラフト以降も、ドラフトの制約の中で可能なかぎりの工夫と挑戦を続けている球団はある。名スカウトの逸話もたくさんある。 昨オフ引退した黒田博樹投手が広島への思いを貫いた一因には、無名時代から目をかけ、しばしば大学(専修大)のグラウンドに足を運んでくれた広島・苑田聡彦スカウトの存在があったという。苑田が黒田に注目したのは、まだ公式戦登板経験もなかった大学2年のときだという。 メジャー入りの意志が固かった大谷翔平選手を、「獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りに行くのが、ファイターズのスカウティングだ」という山田正雄GMの方針に基づいて強行指名した上、翻意させた大渕隆スカウトディレクター(現部長)による26ページに及ぶ資料もプロ野球史に残る伝説といっていいだろう。 巨人には、ドラフト後の伝説がないのか? といえばそうではない。燦燦会総会であいさつする渡辺恒雄読売新聞社主筆=3月27日 王・長嶋のON引退後、人気低下が心配された巨人を救ったのは、複数競合をいとわず強行指名し、見事にクジを引き当てて獲得した原辰徳選手であり、松井秀喜選手だった。最近でも、原監督(当時)の甥、菅野智之投手を二年越しに獲得。巨人愛を貫く長野の獲得も二年越しだった。 ドラフトでは外れ1位だった坂本勇人選手を2年目、坂本がまだ19歳のころに大抜擢(ばってき)。夏場には低迷する時期もあったが使い続けたのは当時の巨人としては異例だった。だが、いま巨人の中軸を担っているのは、菅野であり、長野であり、坂本であることは言うまでもない。実は巨人はいまも、大胆かつ独自のドラフト戦略と育成によって、チームをつくっているのだ。 巨人はもう一度こうした成功例、巨人のブランド力をドラフトでも活かせる大胆な姿勢を分析・把握し、FAに頼らないチームづくりを球団全体、そしてファンと共有すべきだろう。

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    「自由」を履き違えたメルカリと情弱ユーザーは最低な組み合わせ

    藤本貴之(東洋大学教授、メディア学者) 不適切な出品や売買が問題となっているフリマアプリ「メルカリ」。現金の売買といったグレーな取引から、キャッシュバック販売や「妊娠米」のような法律に抵触しそうなもの、引いては悪質なジョーク出品に至るまで、その実態はあまりにカオスだ。本稿では、騒動となっている「メルカリ」について、具体的な利用実態の紹介も合わせて、その実像について考えてみたい。 今年4月に就任したばかりのメルカリ社長、小泉文明氏は「『メルカリ』では基本的には自由な出品を売りにしたいので、制限を設けすぎるのは良くありません」と述べてはいるものの、その実態は自由を履き違えた、いわば「無法地帯」というのが一連の騒動を見たほとんどの人の印象だろう。フリーマーケットアプリ「メルカリ」の画面 無法地帯化したメルカリの報道を見聞きし、驚く人がいる一方で、筆者のようないわゆるアラフォー世代から見れば、そこに「懐かしさ」を覚えることすらある。 チケット不正転売(ダフ屋行為)、違法薬物売買、危険物販売、許可が必要なモノの無許可販売、偽物やコピー品(CDなど海賊版)の売買、情報商材販売、不正金券、裏ビデオ、使用済み下着の出品、販売意思のないいたずら出品、それらを全てに関わる詐欺行為…これを見て「メルカリのこと?」と思う人は多いだろう。 しかし、上記はいずれも1999年にネットオークション最大手「ヤフオク!」(当時は「Yahoo!オークション」)がスタートした当初から近年に至るまで、問題になってきた不正の数々だ。古くは「アングラ掲示板で隠語を使った違法売買」などにも遡(さかのぼ)る。そして、それとほとんど同じような行為がメルカリでもなされていたわけだ。 ネットオークションは、近年に至るまで不適切売買の温床として、運営側とのイタチごっこを繰り返してきた。最近になって、露骨な不正は減少しているものの、完全に駆逐したとは言い難く、それらは「ネット売買の永遠の課題」といっても過言ではない。ゆがんだ急成長の背景 メルカリは、「フリマアプリ」という目新しいキーワードを利用しているが、その実態は従来の「ネット個人売買」と全く同じだ。もちろん、それが抱える問題や課題も上記の通り、ほぼ同じである。 目新しいキーワードを掲げることで、昔からある古典的なモノ・コトを新しいサービスや商品のように見せるテクニックは、DeNA騒動で話題となったキュレーションメディアなどでもみられた手法である。近年のネットメディア、ネットビジネスで頻繁にみられる常套(じょうとう)手段だ。 無許可なコピペや既存のコンテンツの切り張りで作られた「キュレーションサイト」は、基本的にはインターネット黎明期から続くいわゆる「アングラサイト」「違法サイト」と同根であり、その変名に過ぎない。 同様に、メルカリもフリマアプリという目新しいバズワード(明確な意味や定義が曖昧な流行語)を標榜することで、その実態を粉飾してはいるものの、決して新しいものではなく、むしろ極めて古典的なネット個人売買サービスに過ぎないのが実情だ。 しかしながら、既存のネットオークションやネット商取引(いわゆるeコマース)と比べ、2013年に創業したメルカリは、わずか3年でフリマアプリとしては単独首位になり、その成長スピードは驚くほど早い。 その反面、「ヤフオク!」誕生から20年近くたった2017年現在においても、メルカリでは信じられないほど危機意識の低い不適切出品や、今やネット業界では表面化しづらくなった違法・脱法売買が堂々と行われている光景には驚かされる。中には簡単に個人特定されてしまうような低い危機管理意識で不適切売買をしている事例も散見された。 このようなゆがんだ急成長の背景にあるのは言うまでもなく、それがスマホ(とアプリ)というプラットホームであったからに他ならない。 スマホの最大の魅力は、消費者と生産者が既存メディアよりもはるかに短い距離で接続された関係を作れることだ。例えば、テレビの場合、視聴者に消費させるためには、以下のように最低6つのステップが必要である。 ①テレビの前に行く→②テレビの電源を入れる→③チャンネルを合わせる→④CMを見る→⑤商材に感心を持つ→⑥購入(消費)行動に出る。 その中でも特に、テレビの前に行く、テレビを見る、といった2つの行動への誘導は今日、大きな課題だ。多様な娯楽にあふれる今、目的なくテレビの前に座らせることはこの上なく難しい。スマホが全てを変えた 一方で、スマホの場合、消費まではステップはわずかに以下の3つである。 ①スマホを起動(見る)→②商材に感心を持つ→③購入ボタンを押す(ポチる) テレビとの最大の違いは、スマホを起動することと「凝視」がイコールである、ということだろう。また、起動したアプリには自動的に広告が入り込み、消費者に選択を求めない。そもそも起動するか、しないかの選択のみであり、テレビのようなザッピングの概念がないので、手軽な広告回避ができない。 さらに言えば、表示された広告に感心を持った段階で、すぐに購入行動(ポチる)ができるので、後になって「買いにゆく」場合とは違い、タイムラグが発生しづらく、「改めて考え直す」という猶予を与えにくいのも特徴だろう。 テレビが若者の中で「娯楽の王様」から陥落した最大の理由は、スマホコンテンツの多様さもさることながら、スマホの急速な普及と、そこにある驚異的なまでの「手軽さ」にある。そして、そのスマホの特徴を最大限に生かしたサービスがメルカリであった、というわけだ。 アプリを含め、フリーマーケットは本来、不要物を売買する空間だ。いわゆる「蚤(のみ)の市」なわけで、原則として、定価よりも安い値段で売買できることが最大の魅力である。売る側から見れば、本来捨てるべきモノ(ゼロ円)が、たとえ安価でも現金化できることはうれしい。買う方も、市価よりもはるかに安く買えるのでお得感がある。これぞ「Win-Win」の関係、そのもののはずである。 しかし、フリマアプリを標榜(ひょうぼう)しつつも、「メルカリ」ではそのフリマの基本構造が完全に崩壊している。筆者の研究室のある学生から意外な話を聞いたことがある。メルカリを使ったことがあるという男子学生に「何をいくらぐらいで、どのように購入したか?」と聞いたときのことだ。 その学生は次のように答えた。 「定価2万円ほどのシルバーの中古アクセサリーを2万円ぐらいで購入した。新品と同じぐらいの価格だが、原宿にある販売店に買いに行くのが面倒くさいので、メルカリで購入した。中古でも『味がある』と考えれば気にならない」 この消費者意識に驚かされるとともに、スマホ利用が生活の中に浸透し、可能な限りスマホの中で生活のすべてを完了させようとする現在の若者たちのライフスタイルを実感させられた。新品を購入するために原宿に買い物に行くよりも、スマホのボタン一つで購入できてしまう「手軽さ」が優先されるのである。ネットに警戒心がない若者 また、ある女子学生は次のように話してくれた。 「バイト先のアパレルで定価4千円の服を従業員割引で1千円で購入した。それを何度か着て、飽きたらメルカリで2500円ぐらいで売っている」 格安で購入した服を楽しんだ上で、それを転売して1500円の利益を得ているというわけだ。おそらく、そこで買われた中古の服も再びメルカリで販売されるはずだ。場合によっては買ったときよりも値上がりしている場合すらある。いずれにせよ、メルカリが不特定多数のクローゼットをシームレスにつなぎ、その中を一定のお金が循環している。メルカリが値崩れを起こしづらい要因の一つなのだろう。 逆に、中古の服をメルカリで定価に準ずるような価格で購入している学生も少なくなかった。メルカリ利用の認識はさまざまだが、いずれの学生にも共通するのは「店に買いにゆくよりも手軽だから」であった。 コミュニケーション(SNS)も、遊び(ゲーム)も、情報(ニュースサイト)も、調べ物(ググる)も、そして買い物(メルカリ)も、すべてスマホの中にアプリとして「一元化」する。それが現在の若者層が求めるライフスタイルであり、メルカリはそのライフスタイルに最適化された「お買い物」の形式であったのだ。 メルカリはキュレーションメディア同様、極めて古典的なネットビジネスである。もちろん、そこで発生する問題や不正も古典的であることは先にも述べた。しかし、そのような古典的なネットビジネスが、今さら亡霊のように「90年代水準のネット無法地帯」まで生み出している。 その原因はメルカリユーザーの中心が10代、20代の若い女性である、という部分にあるように思う。言い換えれば、アラフォー世代(20歳前後の時期にインターネット全盛を迎えた世代)以上のユーザーが不在の空間である、ということを意味する。 アラフォー世代以上は、ネット社会の過渡期を過ごし、そのメリット、デメリットの多くを経験している。必要に迫られ、高いコンピューターリテラシーを持つ一方で、ネットへの警戒感も非常に強いのが特徴だ。 それに対し、現在の20歳前後の若者層は生まれたときには既にインターネットが一般化しているばかりか、初めて手にしたケータイがスマホの世代である。大学に勤務していると痛感することだが、今日の若者層はその生活環境とは裏腹に、驚くほどコンピューターリテラシーが低い。ワープロ作業も十分ではないどころか、自分でパソコンを所有していない人も珍しくない。90年代水準と何も変わらない その理由は、初めて手にしたデジタルデバイスであるスマホがあまりに「万能」であり、パソコンを所有して利用する必要性を感じていない、ということだ。しかも、「財布以上に携帯率の高いスマホ」である。常に座右にあり、パーソナルなツールとして身体化しているため、自分がスマホというデバイスを介してインターネットにアクセスしていること、またそこで個人情報を含めたさまざまな情報を意図せずに行き来させているという実感もない。ネットゲームの経験から、スマホ課金への障壁もない。 そのため、アラフォー世代以上であれば警戒してしまうようなネット個人売買や、課金、個人情報に対する危機意識があまりにも低い。顔や制服、氏名などがはっきり分かる形で不適切な写真をSNSで公開してしまう「おバカな若者ユーザー」が多いのもそのせいだろう。スマホが手軽で身近すぎるツールであるため、悪意なく、意図せず、軽い気持ちでかかわったことが犯罪や犯罪幇助(ほうじょ)になっている場合も少なくない。 ただ、危機意識の高い年配者がいるからといってネットが健全化するとは限らないが、少なくとも問題の探知はされやすい。それが冷やかしや「晒(さら)し」であったとしても、違法な行為や不適切な売買、記述をおもしろおかしく話題にするのも、「それなりのリテラシー」を持った大人たちだからだ。 若者層、特に若い女性が多いメルカリでは、中高年層がメーンを占める通常のネットオークションやネット売買と異なり、ネットの善悪を経験している「大人の目」が届きづらい空間になっている。これもメルカリが「90年代水準の無法地帯」を生み出している大きな要因の一つであるように思う。 DeNA騒動のキュレーションメディア問題のように、いまメルカリで起きている問題は「90年代水準のネット無法地帯」と酷似する。その実態は、同社が主張するような「自由やポテンシャルの広がり」とは到底思えない。 常に座右にあるスマホに生活の全てを一元化させるライフスタイルは確かに便利だ。しかし、それをフリマのような有機的な活動にまで広げるような在り方には「限界」がきている。このことに、そろそろ若者自身が気づくべきではないのだろうか。

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    「メルカリ」の正体見たり! 正直者が馬鹿をみる拝金ベンチャーの闇

    山本一郎(個人投資家・作家) 国会論戦もたけなわの4月25日、日本維新の会の衆議院議員、丸山穂高さんが質問に立ちました。これが、現在スマートフォンを中心に人気のフリーマーケットアプリ「メルカリ」で現金が出品されるという事態について金融庁などの対応を問う内容であったため、かねてから問題視されてきたメルカリほかアプリ無法地帯ともいえる現状がより広く知られるところとなったわけです。 このメルカリの問題については、かねてからSNSや雑誌記事などでも取り上げてきておりますので、経緯についてはそちらをご覧いただければと存じます。もちろん、表題はメルカリが中心となっていますが、実際には「ヤフオク!(旧・ヤフーオークション)」やC2C(消費者間の取引)のフリーマーケットアプリ全般の話が中心となっています。その意味では、昔から適切ではない商品の出品があったことは事実です。・急成長「メルカリ」にはどんな法的リスクがあるか(PRESIDENT)・「やったもん勝ち」ネット業界のイノベーションが世間を犯罪まみれにするまで(文春オンライン)  昨今、とりわけ問題視されているメルカリについては、大きく分けて2つの問題を抱えています。 ひとつは、本人確認が事実上なされず銀行口座などの情報にもひもづけられないため、問題出品をしている人物を取り締まることは容易ではないこと。もうひとつは、売り主から売掛金をメルカリが事実上の預かり金という形で計上しているにもかかわらず、出資法や資金決済法で定めた適法な措置を取ってこなかった点です。さまざまな物が売買されているメルカリ。「トイレットペーパーのしん」など、一風変った出品もみられる(寺河内美奈撮影) これらの問題の根幹には、日本初の大型ベンチャーを育てていくにあたって、多少の脱法的なビジネスもやむを得ない、グレーゾーンをついてこそベンチャー企業だという姿勢を取る経済産業省の特定部署の責任者や、証券会社、ベンチャー界隈独特の「空気」が存在します。 ある高級官僚は、経済産業省の競争促進を担う責任者がベンチャー企業経営者の集まる席上でむしろ脱法的、潜脱的なビジネスも容認する発言を見て、日本のイノベーションは消費者や生活安全の犠牲の上に成り立っていると深く嘆いたといいます。ここまでアプリ関連のビジネスが大きくなったいま、金融当局が「実は違法でした」と立ち入り検査をすることに逡巡(しゅんじゅん)する背景には、日本の経済が停滞から脱却し、力強い成長路線に回帰するためには活力ある創業環境が必要だという安倍政権のリーダーシップに逆らうのではないかという「忖度(そんたく)」があるともされます。同業者が一斉に「ドボン」する日 しかしながら、現状で発生していることは冒頭で述べた現金の出品を行うような事実上のクレジットカードの貸付枠の現金化であり、つまりはモグリの消費者金融と同様の手口です。しかも、これらは「お手軽なフリーマーケットを楽しませる」というメルカリ特有の本人確認のない匿名性の高さをよりどころに適法性が疑われる売買を黙認し、仲介を志したことになります。とりわけ問題視されるのは、この犯罪行為が明らかになるまでメルカリの利用規約が一時的に「現金類似物も出品可能な状態」にわざわざ書き換えられていたことからも伺えます。現金がチャージされたSuica。すでにSuicaも規制されているがいたちごっこが続く=4月27日 どうせやるなら適法にやればいいのに、真面目に本人確認させたって、メルカリほどの勢いであれば問題にならないだろうと思うのですが、これはメルカリに限らず、果物のりんごに見立てた写真で売買されるApple社のiTunesギフトや、返金可能な商品券や交通系ICカード「Suica」などを使っての売買など、いたちごっこは各所で発生しています。 さらには、本やDVDに特化した新しいメルカリのサービスが立ち上がりましたが、これらの商品の中古売買を行うために必要な古物商の資格は仲介するメルカリも確認していません。直接の売買であれば、業として行うわけではないとリーガル上判断したのかもしれませんが、その匿名で本やDVDを出品している人物が業者でないことをメルカリすらも把握していません。 要するに、お手軽さを追求して顧客を集め、本人確認や古物商の資格の有無、預かり金の管理を行うのに必要な「資金移動業者」としての信託など、いままで生活を安全に送っていくために構築されてきた法制度をすべてスルーすることで販売管理費を下げ、その分を広告宣伝費やシステム投資に回すことで他社よりも効果的に成長する戦略がメルカリの狙いであることは言うまでもありません。 これらの問題は、一種のチキンレースのようなもので、ある一定のタイミングで同業種が一斉に「ドボン」することになります。消費者金融の過払い金訴訟問題や、あるいはテレフォンクラブやダイヤルQ2、出会い系サイトといった生活安全の問題も、途中まではグレーゾーンの成長モデルとしてもてはやされた後で事件が起きて当局対応の果てに輝きを失い、結果として潰されたり大手資本系列に逃げ込まなければならないことになります。 それまでの間に、できる限りのことをやって儲けてしまえ、というのが日本のベンチャー界隈の常識だとするならば、いつぞやのライブドアショックで大いに批判をされた拝金主義と何ら変わることなくこの10年が過ぎたということでしょうか。 進歩がない、と言われればそれまでですが、ソーシャルゲーム業界にせよオンライン決済や仮想通貨の取引に使われるブロックチェーンなどの金融とITを組み合わせた「フィンテック」方面にせよ、この世の中は知らないものが馬鹿を見る百鬼夜行なのだと思えばそう間違いはないのかもしれません。

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    善意のスキマからメルカリにやってきた「怪しい人々」の正体

    北条かや(著述家) 国内最大のフリーマーケットアプリサービス「メルカリ」で、「現金が額面以上の値段で売られている」「チャージ済みのICカードや旅行券が売られている」、さらには「妊娠米」など怪しげな物品が散見されるとのニュースが飛び交った。筆者もメルカリの利用者なので見てみると、確かに「1万円札4枚」が4万7000円(送料無料)などの価格で出品されている。今すぐ手元に現金が欲しい多重債務者などが、クレジットカードで購入している可能性もあり、マネーロンダリング(資金洗浄)にもつながる可能性がある。 指摘を受けて運営側は4月末、監視体制を強化し(「メルカリ、安心・安全への取り組みについて」)、「現行の貨幣を出品禁止」とすること、さらにメルカリ側が「24時間体制で監視・削除の対応」を行っていくことを発表した。なぜこのような怪しげな出品が相次ぐのか。筆者もメルカリや同業のフリマアプリ「フリル」などの利用者であり、売る側、買う側それぞれの立場を経験している。本稿ではその経験もふまえ、フリマアプリで行われているさまざまなモノの売買を「優しさのあふれる空間」というキーワードから読み解いてみたい。 メルカリなどのフリマアプリサービスは、2012年頃に誕生したといわれる。それまでインターネットで個人が売買するサービスといえば「ヤフオク」「モバオク」「楽天オークション」など、大手企業が提供する「オークション型」が中心だった。現在は楽天オークションがサービスを中止し「ラクマ」というフリマアプリの提供をスタートしたため、事実上ヤフオク、モバオクしか残っていない状態だ。 CtoC(個人間取引)のみならず、BtoC(企業対消費者)取引のプラットホームとして非常に優れているが、最大手のヤフオクに出品するためには毎月の利用料が400円ほどかかり、売れても売れなくてもサービスにお金を払わなくてはならない。クレジットカードの登録が義務付けられるなど、利用者にとってはややハードルが高かった。すくいきれないニーズがあったのも事実だ。 そこに目をつけたのがフリマアプリだ。最大手のメルカリは、急速に普及したスマートフォンを「フリーマーケット」のプラットホームに変えた。その手法はあざやかだ。ネットオークションに敷居の高さを感じる人や、これまでオークションを利用してみようとすら思わなかった若者や女性、主婦層などでも「使ってみよう」と思えるシンプルなインターフェース(使用感)に加え、「簡単」「安心・安全」のキャッチコピーを売りに急成長したのである。幅広い層に訴えかけるテレビCMも功を奏し、14年頃から認知度が急上昇。現在は国内で3000万ダウンロード数を誇るという。こんなに簡単に不用品が処分できるのか 経済産業省が今年4月に公表した「平成28年度電子商取引に関する市場調査」によると、ネットオークションにおける個人間取引の市場規模が3458億円に対し、フリマアプリは3052億円に達している。わずか数年の歴史で、この成長はすさまじい。昨年時点でのマーケット規模なので、今年はさらに大きくなっているかもしれない。 86年生まれの筆者は学生時代からヤフオク、楽天オークションを経験してきた世代だが、ここ数年は足が遠のいていた。出品してもしなくても毎月の利用料がかかる上、楽天オークションなどは利用者が少なく、そもそも出品しても売れづらいなどのデメリットを感じたからである。フリマアプリがはやっていると聞き、気軽な気持ちでメルカリやフリルをダウンロードしてみたのが昨年夏。これが非常に使いやすく、初心者でも出品しやすい。 筆者は最先端のサービスには気が引けるタイプだが、使ってみると確かに「安心・安全・分かりやすい」アプリだと実感した。スマートフォンのカメラで撮影した衣類を出品するまでにかかった時間は、わずか5分。出品した商品は2日以内に売れ、定形外郵便でポストに投函(とうかん)して受取評価を待つだけだ。 こんなに簡単に不用品が処分できるのかと感動した。リサイクルショップへ持っていけば10円で買いたたかれてしまう古着が、1000円で売れたりする。送料は「出品者負担」を標準設定にするようなインターフェースになっているので、送料と10%の利用手数料を差し引けば、もうけは数百円程度だが、古着屋に10円で売るよりはマシかもしれない。買った人からは「大切に着ます」とコメントが届き、3段階のうち最も高い評価を付けてもらえた。対面して物を売るフリーマーケットのような気持ちのよいコミュニケーションが続き、はじめは楽しかったと思う。 フリマアプリでは、ネットオークションに多いブランド物やコンサートチケットなどの高額品より、古着や使わなくなったアクセサリー、キャラクターグッズなど、やや安価な商品が多く出品されている。カテゴリ別に見ると「レディースファッション」が最も多く、購入者も女性が目立つ。感覚としては、リユースショップへ持っていくような、もっといえば、そのままでは自分にとって「ゴミ」になってしまうような物をかなりの低価格で売り出し、「まだ使っていただける人に買ってもらう」サービスだと思う。いらないものを「欲しい」と言うありがたさ それこそフリーマーケット並みの価格で売らなければ、なかなか買ってもらえないが、自分が不要になったものを「欲しい」と言ってくれる人がいること自体が「ありがたい」のである。筆者もコメント欄で「値下げ」を要求されることもときにはあったが、買ってもらえるならと応じた。 こちらが商品を購入した際も、非常に安く買える上に「ご購入ありがとうございました」というお礼の手紙が添えられていたりして、ほとんど利益は出ていないだろうに「買ってもらえてありがとう」という気持ちが伝わってくる。何の変哲もない服は、多くの人が競り合うオークションでは値段がつかないことも多いが、フリマアプリなら数百円程度で売れる。それ自体が「ありがたい」のだ。 先述の経済産業省によるレポートでも、ネットオークションとフリマアプリの違いは次のように定義されている。 ネットオークションが「できるだけ高い値段で売りさばきたい」という目的が特徴である一方、フリマアプリは「利用しない持ち物を手軽に処分して換金したい」との想いで利用する人が多い「平成28年度電子商取引に関する市場調査」80ページ まさにフリーマーケット感覚で「不用品を(たとえ安い値段でも)他の人が使ってくれるならうれしい」というコミュニケーションが提供されているのが、フリマアプリなのだ。気軽さと、ある種の善意が満ちている。 ネットに限らず通常のオークションでは「買う側」が複数おり、ニーズに合わせてモノの価格はどんどん上がっていく。「売る側」はそれを黙って見ていればよいが、フリーマーケットはやや事情が異なる。出品されるものの「価値」が相対的に低く、「売る側」は利益の出るギリギリの範囲に価格を設定し、低姿勢で「買っていただく」空間である。それなりの「お得感」を提供できなければ見向きもされずに終わる上、フリマアプリではネットオークションよりも「売る側」がより優しく、低姿勢でいることが求められるのだ。 「私の不用品をあなたに買っていただけてうれしい」という善意がなければ、多くの場合は売れない。もうけようと高値をつけるアカウントや、送料を毎回着払いにするアカウントは人気がなく、とにかく「安くて、そこそこ良いものを譲ってくれる人」が評価されるサービスである。善意なきユーザーも簡単に入り込める このサービスは、出品者が徹底して良心的で、「低価格・低姿勢」でいるからこそ保たれる。買う側はただその善意を受け取ればよく、万が一不良品が届いても運営側に通報すればよいので気分はラクだが、売る側としてはストレスも多くなる。 なぜなら、ここ1、2年でユーザーが爆発的に増えたため、いわゆる常識はずれな購入者にも「低価格・低姿勢」で対応しなければならないからだ。説明文を懇切丁寧に書いても読まれていなかったり、送料を明記していても読まずに「高すぎる」とメッセージが来たりする。商品の状態を細かく質問されたので、じっくり答えたらあっさりスルーされるなど、優しく対応する「相手」が増えれば増えるほど、その思いが届かないストレスも大きくなってしまうのだ。善意にあふれたフリーマーケットの空間に、「普通の消費者」が大量に入ってきたようなものである。 フリマアプリのユーザーは右肩上がりで増えている。わずかな期間に莫大(ばくだい)なユーザーが押し寄せたため、「安くてそこそこ良いものを善意で譲りあう」フリーマーケットの精神性のようなものを「乱す」アカウントが出てくるのも仕方がないだろう。「現金」や「チャージ済みのICカード」、果ては「妊娠米」などを出品し、「グレーな手段でもうけよう」というユーザーが増えてきたのは、「不用品を安く処分できてうれしい」というフリマアプリの理想的な利用者層ではなく、ネットオークションに見られるような「できるだけ高く売りさばきたい」タイプの利用者が増えてきたということではないか。(画像はイメージです) 日本人の2人に1人、若年層でいえばほぼ100%がもつスマホをプラットホームに、できるだけ多くの利用者を集めようとしてきたフリマアプリ。サービスが莫大なユーザーを取り込み始めた以上、当初の「フリマ」とはかけ離れた使い方をし始めるユーザーが現れることは想像に難くない。 「不用品ならほぼ何でも売れる」フリーマーケットの空間だからこそ、ある程度良いものを安く売り買いするための「善意」が求められるが、リアルのフリーマーケットとウェブ上のアプリは利用者のケタが違う。善意のないユーザーも、顔が見えないから簡単に入り込める。 運営側が何度取り締まっても、規模が大きくなればなるほど、怪しげなモノ・サービスの売買は続くだろう。ユーザーの多さにともない悪貨が良貨を駆逐することのないよう、今度はシステム側が「フリマならではの善意」をうながすようなアーキテクチャを構築し、一枚上手をいくことが求められている。

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    北朝鮮と同じ「世界の三流国化」を受け入れた江戸幕府の大誤算

    易利益が縮小しても、当面は大丈夫だったのだ。 ところが、この米中心の財政構造は無理があった。今でいう国内総生産(GDP)に対する租税負担率が徐々に下がることが避けられなかったからである。 まず、米の需要には限りがある。ところが、米以外からでは年貢が取れないので、各藩は米を増産する。そうすると当然過剰生産になり米価が下がってしまった。なにしろ、江戸時代後期には全国の人口が3千万人に対し、米の生産量を示す石高は3千万石だった。 つまり1人あたり1石の消費だが、これは1日換算では5合にもなる。つまり、江戸時代の日本人は無理な税収構造の果てに、過剰生産により安かった米のご飯を、みそだ、漬物だ、小魚だといった貧弱なおかずでひたすらかき込んでいたのである。 また、天変地異に弱い米に偏った作付けは、冷害や干魃(かんばつ)による飢饉(ききん)を何度も引き起こし、そのたびに現代の北朝鮮のように膨大な餓死者を出した。しかも、貿易をしないから輸入ができない上、民政を各藩に任せたために、気の利いた「名君」だけがあらかじめ米を買い占めて自藩の領民を救ったので、特定の藩では生き地獄の事態を招いたのである。 飢饉のときには、餓死までいかなくとも栄養不足により人口減が見られた。現代の北朝鮮でも文字通りの餓死以外に同様の事態がしばしば起こっているのである。 また、年貢の取り方としては、当初は検見(けみ)法といって作柄を役人が調査して税額を決めていた。しかし、これでは収入が不安定だし、検査に経費がかかるし、不正の温床となった。 そこで定免(じょうめん)法という定額制に移行していった。これは、導入当初は税収の安定をもたらし、行政経費の削減にもなって領主にとっては有利だった。しかし、時間がたつと、農民は工夫して増産をしても年貢は変わらなかったので、実質的に税率の低下をもたらした。 さらに、鎖国といえども新しい技術や作物がわずかながら導入され、独自の技術発展もあったので、さまざまな商品作物が栽培され、工業製品も考案されたので、米の年貢から上がる税収の対GDP比率はますます下がった。そこで、西日本の雄藩などは商品作物の作付け奨励や、専売制の実施といった政策で、新しい税収の確保に努めたのだが、幕府や東日本の藩は全般的に、税収確保の流れを「体制の危機」ととらえて抑制した。 その結果、幕府は松平定信の寛政の改革(1790年前後)に代表される贅沢禁止などにより、税収が増えないならGDPを減らせば租税負担率は低下しないというとんでもない政策に走った。また、貨幣改鋳は幕府にとって最大の収入増になるはずだったが、道義的に好ましくないと考えられ、実施されるのはいつも時期外れで、しかも稚拙だった。貿易嫌いの江戸幕府 貿易も、鎖国当初は長崎を通じてかなりの規模で行われていた。そのころは金銀の生産が多かったので輸入が容易だったのである。しかし、鉱山開発の最新技術導入ができないまま、生産はどんどん低下し競争力も失われた。主力品だった陶磁器も明の滅亡前後の混乱による景徳鎮の衰退に乗じて、一時的に市場が拡大したが、中国王朝の復活とヨーロッパでのマイセン焼の発展で全盛期は長く続かなかった。19世紀の長崎 そこで、本来であれば幕府が率先して大々的に輸出産業の振興を図らねばならない。実際、江戸中期に田沼意次が「乾隆帝バブル」の清王朝にナマコやアワビ、フカヒレなどを俵に詰めた俵物(たわらもの)を積極的に輸出して莫大な利益を得た。ところが、田沼失脚後の松平定信は、できればオランダとの貿易もやめたいくらいという貿易に後ろ向きの態度に終始して事態を悪化させた。 当たり前のことだが、鎖国して技術交流もせず、まったく代わり映えのしない製品を国内でつくり、変わらぬ生活をしていれば、産業の国際競争力が落ちる。そうすれば、細々と行っていた貿易でも輸入品に対する国産品の格差が大きくなるのは当然だ。 そのツケは、鎖国期も払っていたが、開国したら、長く職場を離れていた病み上がりの人が新しい仕事に適応できないのと同じことになったのである。そして、特に武器の分野では、火縄銃で最新のライフル銃と対峙(たいじ)する羽目になるほど、ひどい目にあったのである。 先に書いたように、江戸幕府や多くの藩は、生活や経済構造をなんとか変えないようにした。しかし、新しい商品が生産されるのを完全に封じるわけにはいかないので、租税負担率が低下し、その結果、武士の生活は惨めになった。 農民は、商品作物のおかげで豊かになることもあったが、主力作物の米に重税を課された上に米価も低迷したので苦しい生活が続いた。それに対して、町民は税金もあまり取られないため豊かになった。だから農民は逃散して都市に出たがる。実際、飢饉などによる人口低迷もあって、耕作する農民がいない田地が続出したのである。そこで、農民の移住はもちろん、旅行すら原則禁止する藩も多かった。 こういう状態を「農奴に近い」と表現しても何もおかしくあるまい。 一方、町民は自由だったし、武士や農民より良い生活ができた。とくに江戸はインフラもしっかりしているのでなおさらだった。時代劇に出てくる江戸の町民が幸せそうなのは、実際に豊かなわけではないが、地方の農民に比べて格段に恵まれていたのだから当たり前で、それは平壌の市民が体制を熱烈に支持しているのと同じような状態だったのである。 また、藩が農民の逃亡を恐れて縛り付けても、江戸や大坂の周辺には、小領地が錯綜(さくそう)していたので統制のしようがなかったし、都市でアルバイトをするチャンスもあったのは事実だ。 いずれにしても、このように、幕府や東国の各藩が財政破綻、農民の不足、武士の窮乏化に悩んでいるときに、西南雄藩では税収も人口も増え、農民も相対的に豊かになっていった。「東西格差」が明治維新の伏線に また、薩摩藩は琉球を支配していた上に、江戸中期以降は、徳川家との縁組を強化し、ついには、11代将軍徳川家斉と13代将軍徳川家定の御台所を出すまでになり、御三家に劣らない治外法権的な地位を確立した。この地位を利用して密貿易や、大坂商人から強引な借金棒引きにも成功した。 言ってみれば、北朝鮮と韓国の国力差が西日本と東日本でも生じたようなもので、その格差が倒幕と明治維新の伏線になったわけである。 最後に、江戸時代の技術や教育水準について簡単に書いておく。鎖国期には独自の工夫で砂糖や綿花に代表される日本の気候に向かない産物を生産したり、ガラパゴスな技術で工業を発展させた。 しかし、そうした製品は、開国した途端に輸入品に駆逐された。それは東西冷戦時代に、西側から揶揄(やゆ)された東ドイツの「段ボール製自動車」や、ポーランドで温室に石炭をたいて生産していたバナナと同じようなものだ。 江戸時代のそうした工夫を褒める人もいるが、ポーランド産のバナナと同様に、鎖国というバカげた政策のあだ花に過ぎなかった。そして何より問題だったのは、軍事技術で大きな遅れを生じさせ、19世紀を迎えても火縄銃とライフル銃で列強と対峙する羽目になり、日本は危うく植民地にされかかったことである。 「鎖国していなければ植民地にされた」などと愚かなことを言う人がいるが、17世紀のスペインやポルトガルは、インドのゴアのような貿易拠点や、フィリピンのように国家が成立していなかった地域を占領したり、金属製の武器を持たなかった南米を征服したわけで、日本のような国を植民地支配することは不可能だった。 また、日本の教育が先進的だったというのも大嘘だ。よく言われる識字率の高さについては、日本では仮名が読み書きできるかどうかだが、中国では数千字の漢字の読み書きで判断していたのだから、そもそも比較基準が大きく違う。 また、寺子屋の普及も藩校がでそろったのも天保年間(1830-44年)のころで、西洋では既に近代的な学校制度ができ上がっていた。しかも、藩校では算術を教えなかったので、武士たちは軍人としても官僚としても役立たずで、戦国時代の先祖の功績による「年金生活者」に過ぎなかったのである。

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    徳川幕府の危機を何度も救った江戸時代版「3本の矢」の真実

    岡田晃(大阪経済大客員教授、経済評論家) 江戸時代は徳川幕府による長期政権が続いたが、決して平穏だったわけではなく、実は何度か幕府存続の危機に見舞われていた。それを乗り切り長期政権を築くことができた理由を経済的な側面から見てみると、①時代の変化に合わせた戦略転換②徹底した危機管理③幕府財政と国民生活を豊かにする成長戦略――の3つが浮かび上がってくる。いわば「江戸時代版・3本の矢」だ。 家康が幕府を開いて以後、最初に危機が訪れたのは、第3代将軍・家光が死去した1651年だ。周知のように家光は祖父の家康と父の秀忠が築き上げた徳川幕藩体制を完成させ、世の中も安定したかに見えていた。しかし、その家光が48歳の働き盛りで亡くなり、4代将軍となった家綱はまだ11歳だった。今日の企業経営になぞらえれば、代々の創業家社長が強いリーダーシップで「徳川株式会社」を大きくしてきただけに、前途に暗雲が立ちこめる事態となったのだ。皇居・東御苑にある旧江戸城の櫓「富士見櫓」=東京都千代田区 しかもそのころ、幕府に対する反感がひそかに広がっていた。関ヶ原の戦い以後、幕府が大名を次々と取り潰した結果、浪人があふれていたためだ。彼らの一部は、大坂の陣や島原の乱などに加わるといった、すでに社会の不安定要因となっていた。 家光の死去直後には、浪人グループが幕府転覆を企てたとされる由井正雪の乱(慶安の変)が起き、その翌年にも浪人が老中を暗殺しようとする事件が起きている。これら二つの事件は未然に弾圧されたが、幕府にとって重大な危機だった。 そこで幕府は、家光の異母弟である保科正之(会津藩主)が幼い将軍、家綱の後見役となり、その下で老中が幕政を執行するという集団指導体制に移行して、この危機を乗り切った。 政策転換も図られた。それまでのように大名を容赦なく取り潰す武断政治から、大名への統制を緩和し一定の配慮をする文治政治に転換した。戦国時代以来、当たり前とされてきた殉死の禁止にも踏み切った。 武断政治から文治政治への転換は、幕府の基本戦略そのものを転換したことを意味する。今日で言えば、時代の変化に合わせて企業がビジネスモデルを変えていったようなものだ。これがあったからこそ、徳川幕府がその後、長期間にわたって続くことができたのである。 2度目の危機は、1712~16年にやって来た。6代将軍・家宣が病死し(1712年)、唯一の後継ぎだった家継が5歳で7代将軍に就任した。しかし、その家継もわずか8歳で病死したのである(16年)。これで家康―秀忠―家光の子孫の男子は事実上だれもいなくなってしまった。 そこで、紀州藩主だった徳川吉宗が8代将軍に就任したのだった。吉宗は徳川家康の十男、頼宣の孫にあたるが、いわば徳川の分家の子孫という存在であり、普通なら将軍になれる立場ではなかった。しかし、家康が構築していた危機管理策のおかげで将軍に就任することができた。御三家体制の確立 では、家康はどのような手を打っていたのか。家康は長年苦労に苦労を重ね、60歳を過ぎてようやく天下統一を果たしたことから、徳川政権が未来永劫に続くことを願い、徳川政権を脅かす芽を徹底的に摘み取った。 大名の容赦ない取り潰しをはじめ、大名の妻子を人質として江戸に住まわせる、参勤交代や普請(現在の公共事業)などで経済力を弱める、外様大名を遠隔地に移封して幕政に参加させない代わりに石高は多くするなど、謀反を起こさせないように何重にも対策を張り巡らせた。 しかし、肝心の徳川家の血筋が絶えてしまっては元も子もない。そこで家康と、その遺志を受け継いだ秀忠が作ったのが御三家の体制だった。家康の11人の息子のうち、九男を尾張、十男を紀伊、十一男を水戸の藩主とした。もし将来、秀忠の子孫の血筋が絶えた場合に備えて、この御三家の中から誰かが将軍を継ぐことができるようにしたのだ。究極の危機管理策である。静岡市にある徳川家康公之像 吉宗の8代将軍就任は、その危機管理策が約100年後に効力を発揮したことを示している。吉宗が将軍になるにあたっては、次期将軍の座をめぐって尾張藩との争いがあったと言われているが、それも幕府存続を大前提とした中でのことであり、それほど御三家という危機管理策が浸透していたことがうかがえる。 吉宗が享保の改革などで幕府を立て直したことは良く知られるとおりで、それが徳川政権のさらなる長期化につながったことは明らかである。血筋の面でも14代将軍まで代々、吉宗の子孫が将軍となっている。もし御三家という危機管理策がなかったなら、名君・吉宗の登場と徳川の長期政権はなかったかもしれない。 第3は、成長戦略である。江戸時代の経済は成長と低迷を繰り返してきたが、大きな経済成長の波は3度あった。最初の経済成長は元禄時代(1688~1704年)、5代将軍・綱吉の時代である。 これは前述の武断政治から文治政治への路線転換がきっかけとなっている。世の中が安定して各藩主は領国経営に力を注げるようになり、農業生産が上昇した。人々の生活が向上すると余裕が生まれ、その中から文化や学問も発展した。いわゆる元禄文化である。今日で言えば高度経済成長、あるいはバブル経済といったところだろうか。 実は、元禄時代より少し前の時代、江戸は未曽有の大災害に見舞われた。1657年の明暦の大火(振袖火事)で、江戸の大半が焼け野原となり江戸城内にも燃え移り天守閣が焼失した。死者は10万人に及ぶと言われる。 幕府は前述の保科正之を中心に、江戸の復興に取り組んだ。延焼を食い止めるため各地の道路を拡幅し広小路を作った。現在も地名を残す上野広小路はこの時に作られたものだ。また、それまで幕府は江戸防衛の観点から隅田川にはほとんど橋を架けていなかったが、そのために大火の際に多くの人が川を渡って逃げることができず焼死したことから、現在のように川に多くの橋を架けた。 江戸はこうしてインフラ再整備と再開発が進み、復興を成し遂げることができた。これが元禄時代の江戸の繁栄につながったのである。しかし、元禄以後、経済は下降し始める。現代風に言えばバブル崩壊だ。 これには、綱吉の後を継いだ6代将軍の家宣と7代の家継時代の政策も影響している。家宣は生類憐みの令を廃止するなど、綱吉政治を否定する政策をとったが、その一環として貨幣の改鋳を行った。元禄時代に発行された貨幣は金銀の含有率を低下させていたため、将軍のブレーンだった朱子学者の新井白石は「公儀(幕府)の威厳を低下させるもの」と非難し、金銀の含有率を幕府開びゃく当初の慶長金貨並みに引き上げることを提言し実行した。アベノミクスの原点 しかし、それは時代に逆行するものだった。金銀の含有率を引き上げ、新貨幣の価値を保つため貨幣発行量を減少させた。いわばデフレ政策で、景気を冷え込ませる結果となった。 そうした中で登場したのが8代将軍・吉宗だ。吉宗の享保の改革は当初は、質素倹約、年貢の強化などで幕府財政の立て直しを図ろうとしており、いわばデフレ政策の継続が中心だった。 しかし、注目すべきなのは、途中から貨幣の金含有率を再び引き下げて貨幣の発行量を増やすインフレ政策に転換したことだ。デフレから脱却して緩やかなインフレをめざす――今日のリフレ政策、アベノミクスの“原点”とも言えるものだ。 吉宗はまた新田開墾、産業振興を奨励した。成長戦略の導入である。その結果、経済は再び上向き幕府財政も好転する。弱っていた幕府の政治的経済的基盤は強化された。これが江戸時代の経済成長第2の波だ。 吉宗の政策は、次の9代・家重と10代・家治にも引き継がれたが、その時代に実権を握ったのが田沼意次だ。田沼は印旛沼開拓や鉱山開発、蝦夷地開発などを進めるとともに、商業の振興や貨幣経済の発展を図った。長崎貿易を奨励して貿易による収入を増やす方針も打ち出した。田沼の政策は当時としてはかなり先進的で、成長戦略のメニューがそろっていたと言える。その結果、幕府の備蓄金は元禄時代並みの水準まで回復する成果をあげた。 田沼意次は「賄賂政治家」と言われるが、それは当時の反田沼派の批判キャンペーンによって過大に作り上げられたイメージだとの指摘が少なくない。結局、将軍・家治の死去とともに田沼は失脚し、成長戦略は頓挫する。 その後を継いだ11代将軍・家斉の下で老中に就任した松平定信は、田沼政治をことごとく否定し、経済政策においてもデフレ政策に逆戻りさせた。松平定信が行った寛政の改革は、3大改革の一つとして必ず教科書に出てくるが、実際には経済を停滞させる結果となったのである。 その松平定信もまた厳しすぎた政策が原因で失脚し、そのあとに3度目の経済成長の時代を迎えることになる。文化・文政年間(1804~30年)のことだ。元禄、吉宗・田沼時代、そして文化・文政の3度の経済成長期を経て、全国の農業生産は着実に増加していた。 ある推計によれば、全国のコメの生産量は元禄時代の2900万石から、1840年ごろには3400万石へと増加している。年率わずか0.1%余りの低成長だが、技術革新などがほとんどなかったこの時代に生産力向上が持続していたことは特筆に値する。このことが徳川長期政権を支える役割を果たしたことは間違いない。 江戸時代の経済繁栄は文化・文政時代が最後となった。文政の次の天保年間に幕府は老中・水野忠邦の下で天保の改革を行うが失敗に終わり、その後は幕末に向かって崩壊の道を歩むこととなる。幕府とは対照的に、同じ天保年間以後に薩摩や長州などの雄藩は藩政改革に取り組んで自力で経済力を向上させることに成功した。それがやがて明治維新につながったのだ。 「江戸時代版・3本の矢」によって長期政権を築いた徳川幕府だったが、最後の最後で、ペリー来航など時代の変化に合わせて戦略を転換することに失敗し、危機管理の効果も発揮できず、成長戦略も挫折してしまったのだった。逆に言えば、その「3本の矢」がいかに重要な役割を果たしていたかを物語っている。 

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    江戸時代が「パクス・トクガワーナ」と世界から称賛される理由

    江戸の達成」という新たな評価である。すなわち、明治維新は、幕府や藩の中下級官僚が政治の主導権を握り、国内の地域や身分など幕藩体制の「壁」を低くし、列島社会の均質化・同質化を進める一方、「開国」により鎖国体制の「壁」を取り払うという国家改造事業と位置づけられるのである。明治維新の今日的意義 列島社会の均質化・同質化に基礎づけられる「江戸の達成」は、明治初年の戊辰戦争(ぼしんせんそう)を、従来の倒幕派=開明的=近代的軍隊と、佐幕派=保守的=封建的軍隊の戦闘ととらえる「西高東低」維新観とは異なる、近代的装備を備えた軍隊同士の戦争と見ることを要請する。戊辰戦争は、同レベルの武器を使って戦われたヨーロッパのクリミア戦争(1853~56、約90万人死傷)や、アメリカの南北戦争(1861~65、約62万人戦病死)に比して、はるかに少ない死傷者(1万3550人)で終わった。江戸城の桜田巽櫓 明治元年(1868)の大政奉還、同2年の版籍奉還、同4年の廃藩置県、という一連の国家制度改革も、武力抵抗なく平和裡かつ短期間に達成され、明治政府は、倒幕派・佐幕派の「壁」をこえたオールジャパンの官僚制による統治機構を構築した。これは、将軍を代表として、譜代大名や上級旗本など幕府上級官僚が主導する幕藩レジームから、朝廷官僚や藩官僚など中下級官僚を加えた「新政府官僚」主導の維新レジームへの移行が、最小のリスクと犠牲(省エネ、省ロス)のもとで実現されたことを意味する。 さて、「江戸の達成」としての「明治維新」から150年を迎えようとする今日、世界ではイギリスのEU離脱、トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」、各地での保護主義・排他主義の台頭が見られる。国内でも、貧困・格差・差別問題など社会の分断が深刻化し、新たな「壁」が作られつつある。しかし、グローバリズムの影響のもと、地球の一地域から起こる戦争、疫病、環境破壊、経済混乱、サイバー攻撃などは、ただちに全世界へと拡大する。一国のみの「壁」に守られた安全・安定・繁栄は、すでに不可能になっているのである。 250年の「徳川の平和」の達成として、「幕藩体制」「鎖国体制」という内外の「壁」を、省エネ・低リスク・短期間のもとで取り払い、近代世界の一員となった体験をもつ日本の国家と社会は、今日、さまざまな「壁」を取り払う意義と役割を自覚し、その重要性を世界に発信する必要がある。「明治維新」の今日的意義は、ここにあるといえるのである。

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    「くさい」差別発言疑惑とボールボーイ暴行にみたJリーグの病巣

    小林信也(作家・スポーツライター) Jリーグで、選手の言動・行動をめぐって選手が処分を受ける事例が続いている。 4月29日のJ2、ジェフユナイテッド千葉対徳島ヴォルティス戦の前半、徳島ヴォルティスのDF馬渡和彰選手がボールボーイに乱暴したとして一発退場となり、後にJリーグから2試合の出場停止処分を科された。 そして5月4日のJ1、浦和レッズ対鹿島アントラーズ戦では、試合中に浦和レッズのDF森脇良太選手が侮蔑的な発言をしたことに対して、Jリーグは緊急規律委員会を開き、森脇選手と、試合中に激しく口論した鹿島アントラーズMFで主将の小笠原満男選手からそれぞれ事情を聴いた上で、森脇選手に2試合の出場停止処分を科した。相次いで起こった二つの出来事を単純に批判するのでなく、自分自身の問題として考察したい。 4日の件は、スポーツ新聞などの報道を総合すると、森脇選手が試合中、鹿島アントラーズのMFレオシルバ選手に対して、口と鼻をふさぐしぐさをしながら「『くせえな、お前』と言った」と、試合後に小笠原選手が語った。ブラジル出身選手に対する差別的な言動があったと明言したのだ。この発言に対して森脇選手は、自分の顔に小笠原選手のツバが飛んできたので、「『口がくさいんだよ』と言った」と反論。レオシルバ選手に向けた言葉ではないと釈明したという。サッカーJ1浦和対鹿島。後半、鹿島の選手にむかって暴言を吐く浦和の森脇良太(右から2人目)=埼玉スタジアム2002(撮影・佐藤雄彦) さらに、この問題を報じた一部スポーツ新聞が、差別は絶対に許されない、とした上で、「ピッチは戦いの場で、言葉のやりとりや駆け引きもサッカーの一部。言った言わないのたぐいは、試合中にその場で消化すべきだろう」「試合後の取材エリアで処分を誘うような事象が出て、“言葉狩り”のような動きが加速しないかも気になる」と報じるなど、新たな議論も生んでいる。 この問題の根底には、「試合中は勝負をかけた駆け引きもあり、何を言っても許される」といった前提がある。 時代は変わり、パワハラ、セクハラなど、「ひとりひとりの心を傷つける言動や行動は許されない」という認識が社会で共有されるようになった。スポーツもその例外ではないはずだが、「勝てば官軍」「勝つためなら、多少の横暴は許される」といった感覚がまだ根強く残っている。 サッカーに限らず、野球でも「乱闘が起こると盛り上がる。それもエンターテインメントの大事な要素だ」という人は少なくない。本当にそうだろうか? 乱闘をどこかで容認する意識がありながら、差別的な発言を厳しく戒めるのは矛盾する。いま社会は、徹底して、新たな価値観と姿勢を持ち直すべき時代に直面している。ネットの世論が無視できなくなった 差別的な発言をしたことが問題なのでなく、普段から、差別的な意識や発想を持っている自分に気づき、自分の潜在意識と向き合い、学び改めることこそが最初にされるべきことだ。スポーツ界全体が、日頃からそれを重要なテーマとして取り組む必要がある。国際親善とはまさに、自分とは違う文化や習慣、肉体や心情を持つ海外の人たちを知り、受け入れることを意味している。スポーツは、身体と身体をぶつけ合い、勝負という高いテンションで交流できるからとくにそれが深くできる。だからこそ価値がある、として社会に歓迎され、奨励されているのだと思う。それなのに、勝負に勝つため、相手を誹謗(ひぼう)中傷し、心を傷つけてでも優位に立とうとする発想は狭すぎる。それは言葉の自由ではなく、本来の姿勢でないことを選手、指導者、ファン、そして報道する人間も共有することが大事だ。 この問題は、先に記したとおり、一部メディアがこうした発言を試合後に問題視する傾向自体に疑問を呈したことで、何か起こった場合の騒がれ方、対応についての議論も起こっている。黒いスーツで謝罪会見を開いた浦和のDF・森脇良太 =5月9日、さいたま市  ネットの普及によって、数年前ならもみ消された問題が、メディア以外の一般の人々の書き込みや問題提起によって公になる事例が増えている。ネットの世論が、無視できない力を持ち、今回の場合でいえば、Jリーグという組織が処分を決める際にもそれに配慮する必要が生じているように感じられる。 森脇選手の処分が重いか、軽いか、といった議論もすぐ起こっているが、この軽重を判断する場合にも、論理的な妥当性より、世論の「気分」という側面がある。多くの人が、「感情的に納得するかどうか」が重要になっている。 その意味で、ネットの世論が、感情的に偏った方向に導かれ、本質とは違う根拠で形成される傾向はあるように感じる。 徳島ヴォルティスの馬渡選手がボールボーイを小突いた件では、とくにそのことを痛感した。本質が棚上げされ、議論が的から外れているもどかしさを感じるからだ。 世論と世論に配慮したチームやJリーグは、「ボールボーイは中立」「中学生のボランティア」「試合は選手だけでなく、ボランティアのおかげで成り立っている」といった綺麗な表現で謝罪し、対応している。結果的に非難の矛先をもっぱら馬渡選手に向けているが、熱心なサッカー・サポーターなら、「語られていない現実」、あうんの呼吸をわかっていて、実は問題の本質が他にあることはわかっているのではないだろうか。何となく、そのことを言い出せない雰囲気がメディアにもネット世論にもあるとすれば、そこは明らかにしたほうが今後のためだろう。ゴールボール騒動の違和感 状況を改めて詳述しよう。ホームチームであるジェフ千葉のゴールキーパーが、徳島の攻撃をクリアするためサイドラインまで飛び出してきてセーブした。ゴールががら空きなのだから、攻める徳島ヴォルティスの馬渡選手がすぐスローインしてプレーを始めたいと考えるのは当然だ。しかし、すぐボールボーイが渡したら、スローインのボールを受けたヴォルティスの選手がゴールに向かって蹴るだけで得点が成立する可能性がある。実際、ボールボーイから素早いパスを受けたホームの選手が一蹴りでゴールを決めたシーンがネット上で見られる。 サッカーでは、ホームチームのサポーターや関係者が、ホームチームの勝利のために最善を尽くすのは当然との認識がある。その点で日本的な考え方と少し違うと感じる場合がある。今回の出来事は、サッカーという風土の中で起こったことでありながら、日本的な価値観や常識をベースに語られることで、核心がずれていると感じる。 ボールボーイがそう指導されていたとは言わないが、サッカーを知っていればいるほど、アウェイチームの選手に素早くボールを渡すことをためらうのは当然というのが、サッカー界の“あうんの呼吸”だろう。もし素早くボールを渡し、アウェイチームの得点に貢献したらそれこそ非難を浴びるだろう。ボールボーイへの非紳士的行為で退場した徳島DFの馬渡選手 馬渡選手は、そんなことは当然わかっているはずなのに、あそこまで強引にボールを奪い取ろうとした、そのことが「プロとしていかがなものか」と非難されているという背景をこのニュースを聞いたサッカーにあまり詳しくない人がどれだけ理解しているだろう。 試合のスピードアップなどを求め、国際的にマルチボール・システムが採用されたのは、Jリーグ誕生以降だ。そのため、ボールボーイが「フィールドの外にいる12人目の選手」のような役割を果たす場面が生まれた。 試合前、幼い子どもが選手と一緒に手をつないで入場する光景は、微笑ましいサッカーの風景として歓迎されている。中高生のボールボーイもその一環として理解し、支持されているかもしれない。だが、実は試合を大きく左右する重要な役割を担う場面がありえるのだ。 そのような矢面に中学生を立たせることが是か非かを本当は問い直すことも、今回の出来事が教えてくれた重要な問題提起ではなかったか。Jリーグが選手を処分することで問題が終わったと考えるのは、本質と違うように感じる。 ネットの世論形成がますます加熱するだろう傾向の中で、メディアやプロフェッショナルな人間の役割のひとつは、こうした視点や本質の提示をきちんとして、世論が多角的に議論する素材を提供することだと思う。

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    日本国憲法が70年間一度も改正できなかったホントの理由

    けの隣国に囲まれているのだ。日本が防衛費をGDP2%に増やしたとて文句を言うのは敵国だけだ。 だが、国内には防衛費増額を拒む勢力がいる。財政支出抑制を金科玉条とする財務省主計局、彼らに唯々諾々と従う防衛省自衛隊、そして安倍首相。 防衛費増額と憲法は何の関係もない。それとも、自衛隊が軽武装をできるだけの人数を充足させる、アメリカ軍楽隊よりもマシな訓練を行えるようにする、自衛官がトイレットペーパーの減り具合を気にしないで済むようになる。これらの予算請求もすべて憲法改正をしなければできないのか。だとしたら、その因果関係を立証できるのか。 憲法改正をしなくてもできることなどいくらでもある。 それを、「憲法を変えなければ何もできない」などと何もしなければ、「憲法の理念を守って何もするな」とする勢力と同じである。それとも、憲法の理念に従って防衛費増額をすべきではないと考えているから、「憲法9条を変えなければ何もできない」と考えているのか。 だとしたら護憲派と改憲派は同じ穴のムジナである。 本気で日本を想うなら、憲法9条を変えなくてもできることを先に全部やるべきではないのか。 昔、阪神タイガースのオーナーは言い放ったらしい。「2位が一番や。優勝したら給料を上げなアカン」 昭和40年から48年まで、読売巨人軍が空前絶後のV9を達成した。阪神タイガースなかりせば、不可能だっただろう。 長期低迷していたころの阪神タイガースを「ダメ虎」と言う。 そもそも「2位が目標」など、目標そのものが間違っている。勝つ気がないのだから、勝てないのは当たり前だろう。そもそもが、「巨人のやられ役で飯を食おう」という負け犬ならぬダメ虎根性なのだ。かつては「ダメ虎」と呼ばれた阪神の金本知憲監督ら=2017年4月、東京ドーム 某オーナー氏の理想は、シーズン最終戦まで優勝争いを展開し、負ける。ファンは最後まで一喜一憂するので消化試合が無い。そして優勝しないので給料は上げなくてよい。そして「今年は良く頑張りました。来年こそ優勝しましょう!」と盛り上がるが、いつまでも勝つ気はない。「やられ役商売」である。 昭和40年代は2位争いの常連だったから、まだいい。最下位争いが指定席となっていた平成時代など、もっと悲惨だった。内輪もめと足の引っ張り合いは絶えず、強力な指導力を発揮した人物は一人もいないが、それでいて真の敗戦責任を感じ改革を成し遂げた人もいない。そうした惨状でもファンは見放さなかった、と言えば聞こえがいいが、要するに甘やかし続けた。誰もがぬるま湯に慣れていたのだ。だから、ぬるま湯から出たくなかったのだし、出ようとする人間を引き摺り下ろし続けたのだ。  政治の世界でも似たような人たちがいる。 日本社会党である。 昭和20年に結成したこの党は、早くも2年後には第一党に躍進し、政権を奪取した。ところが党内の派閥抗争で何もできないまま、あっさり瓦解。以後は「政権恐怖症」とも言うべき状態に陥った。自民党に好都合だった「社会党」 しかし、社会党の国会議員たちも当選はしたい。そこで考え付いたのが「護憲」である。 衆参両院のどちらでも良いから34%の議席があれば、憲法改正発議は阻止できる。つまり、拒否権集団として生きる道を選んだのだ。 34%の議席があれば51%はいらない。政権意欲の全くない、政党としての最低条件すら有していない恥ずべき集団の、最大受益者が自民党である。自民党は何が何でも衆議院に51%の議席が欲しい。そうした自民党にとって、絶対に自分を脅かさない社会党ほど好都合な存在はいない。社会党が野党第一党でいてくれこと、他の野党が伸びない。 ここに自社の野合が成立した。品の良い人は「55年体制」、口の悪い人は「風呂屋の釜の関係」と評した。前者は二派に分裂していた社会党の再結集と、保守合同による自民党結成がいずれも1955年に行われたことに由来する。後者は、男湯と女湯に別れていても、目に見えない釜は一つにつながっていて、同じお湯を使っている関係だとの意味だ。 現に国会で激しく乱闘を繰り広げた両党の議員が、銭湯で背中を流し合うなど、日常的な光景だった。 こうして、政権亡者の自民党と、護憲を飯のタネにする社会党の癒着が続いた。社会党の姿を今の民進党に見る向きも多いだろう。それもそのはず、民進党は社会党の末裔なのだから。民主党時代はまだ政権獲得の意欲だけはあったが、民進党に衣替えしたら社会党に先祖がえりである。 55年体制時代は、「まさか社会党に政権を渡すわけにはいかない」が自民党の合言葉だった。そして自民党のあらゆる腐敗が「社会党よりマシだから」で正当化された。 こうした中で、憲法改正を本気で言う自民党の首相が出てくるはずがない。 最も緊張感を欠いたのが、中曽根康弘だった。国会で「佐藤内閣のような長期政権位なれば憲法改正をしますか」と問われ、「そんな長期政権になりません」と緊張感のカケラも無い答弁をした。その通り、佐藤栄作政権ほどの長期政権にはならなかったが、憲法改正には指一本触れなかった。「戦後政治の総決算」などと掛け声だけは勇ましかったが。中曽根康弘首相(右)とロナルド・レーガン大統領=1983年1月、ホワイトハウス(共同) そもそも自由民主党は、自由党と日本民主党の保守合同によって成立した。自民党は自主憲法制定を党是としており、保守合同はその手段にすぎなかったことは知られている。 しかし、自主憲法制定すら手段にすぎなかったことは、どれだけの人が覚えているだろうか。そもそも、何のための自主憲法制定か。自主防衛のためである。いずれも「目的」になった護憲派と改憲派 昭和20~30年代、日本国憲法や日米安保条約など、暫定的な法律であると認識されていた。保守政党のみならず、社会党をも含めて、政界全体の常識であった。 ところが、自主防衛はおろか、「自主憲法」という言葉そのものが死語になった。憲法改正と言おうが、自主憲法制定と言おうが、言葉はどちらでもいい。問題は中身だ。 現在の改憲論議が、日本国憲法の条文を変えるか変えないかの議論に終始してきた弊害は、各所で指摘してきた。 本来の憲法論議は、先に「日本国をどうするのか」の国家経営の議論があって、後に憲法典の条文をどうするのかの議論であるべきだ。ところが、誤植も含めて一字一句変えたくない護憲派と、日本国憲法(特に9条)の字句を何でもいいから変えたい改憲派。一体何がしたいのか。日本国憲法第7条四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 7条の「総」一字が誤植である。衆参同日選挙でも参議院は半数改選なので、「国会議員の総選挙」は日本国憲法では存在しない。この誤植一文字すら、変えられなかった。 9条をよく読んでほしい。どこに「自衛隊にトイレットペーパーを支給してはならない」などと書いてあるのか。それとも、「そもそも自衛隊は違憲の存在なのだから、トイレットペーパーを1ロール以上支給してはならない」などという解釈でもひねり出す気か。ならば1ロールに限る根拠は何なのか。9条をめぐる憲法論議など、この程度である。 かつて、岸信介内閣は憲法9条下でも核武装は可能との解釈をひねり出した。日本国憲法など、そのような解釈も可能なほどデタラメなのである。 別の例を出す。「憲法9条を変えない限り、北朝鮮拉致被害者は奪還できない」としたり顔で説教する自称改憲派にも、しばしば出くわす。 では、拉致被害者や家族は、百年河清を待つがごとく憲法改正を待てと言うのか。それよりも、憲法典と何の関係もなく拉致被害者を取り返した小泉純一郎のような政治家を望んでいるのではないのか。 なぜ小泉内閣が拉致被害者を取り返せたか、一言しておく。 2001年当時、9.11テロでアメリカは「テロとの戦争」を宣言した。小泉内閣はいち早く応じ、イージス艦をインド洋に派遣するなど同盟の義務を果たした。年末には、北朝鮮の不審船を自沈に追い込み、その上で残骸を引き上げてさらし者にした。「1人も返さないような態度なら、殺すぞ」との国家意思を示したのだ。負け犬根性から抜け出せ! なんでもかんでも日本国憲法、特に9条のせいにして、できることすらやらない。 政界では社会党が「やられ役」だったが、言論界では護憲派は常に多数であり続けている。改憲派が「やられ役」に甘んじているとしたら、社会党やかつての阪神タイガースを嗤(わら)えるだろうか。 社会党の末路は哀れだが、阪神タイガースは一人の傑出した指導者により蘇った。 野村克也監督である。野村監督は、阪神タイガースの完全な外様であり、異分子だった。それだけに、ぬるま湯体質を容赦なくぶち壊し、選手に基礎を徹底的に叩き込み、フロントやファンを教育した。野村監督の時代には成果が出なかったが、次の星野仙一監督の時代からは二年に一度優勝する強豪チームに生まれ変わった。 憲政史家を名乗る私の役目は、野村監督のようなものだと思っている。一、 負け犬根性から抜け出す。二、 何が勝利なのか、明確に目標を定める。三、 憲法学に関する基本的な議論を普及する。四、 小さくても良いから、勝利を積み重ねる。 ここまでできれば、御の字と思っている。 何だかんだと自民党の存在価値は何か。国民を食わせることである。 安倍首相がいかなる失政をしようが、民進党が何をわめこうが、経済で間違わない限り安倍内閣は安泰だろう。 現在の経済状態は、20年に及んだ大デフレ不況から、緩やかに回復しつつある。回復しつつあるのは日銀の「黒田バズーカ」の破壊力の効果であり、「緩やか」でしかないのは消費増税8%の威力である。何とか10%の再増税を阻止し、黒田東彦日銀総裁が追加緩和を行ったので何とか日本経済も回復してきた。 今や失業率は2%を切るまでに減り、都内アルバイトの時給は1000円を下らず、大学生の就職はバブル期並みまで回復した。安倍内閣を支えているのは、少数の熱心な保守ではない。アベノミクスの恩恵を受けている多数の日本国民である。特に若者の支持率が高い。参院予算委員会で答弁する安倍晋三首相=2017年2月 ならば、景気回復を加速させて憲法改正に有無を言わせない世論の支持を得ればよい。詳述はしないが、金融緩和の加速、インフレ目標の引き上げ、消費減税、財務省人事への介入など、いくらでもやることはある。何より最も効果的な財政政策は、防衛費増額である。トランプの望む通り、来年度から5兆円の増額を打ち出せばよい。外為特会を10年切り崩しても、まだ財源におつりがくる。 希望はある。 キーマンは、日銀政策決定員会審議委員に安倍首相が指名した片岡剛士氏である。片岡氏は歴代民主党政権を批判、現在アベノミクスと呼ばれているような経済政策を主張したリフレ派の論客である。その中でも、アベノミクスにはまだまだやれる余地があるとの立場での指摘をしてきたエコノミストだ。安倍首相はその通りやれば良い。 果たして、安倍内閣の生命線である経済政策、国際情勢、そして政局が一つの問題だと考えられるだろうか。憲法改正は、この三つの別の問題に見えて一つの問題の先にあるのだ。 世の人は「安倍右傾化内閣」と言う。あるいは逆に、そうした批判に耐えて政権運営している安倍首相を「良くやっている」と評する人もいる。本当だろうか。では、仮に考えてみよう。 現在、東アジアの緊張が高まっている。現在どころか、ソ連崩壊以来、常に高まりっぱなしである。米中露の三大国に加え、ならず者の北朝鮮までが核武装して睨み合っている。日本と韓国だけが平和ボケして、当事者意識を無くしている。 こうした中で、安倍首相の「緩やかな景気回復」「申し訳程度の防衛費増額」「民進党よりはマシだから高支持率で内閣は安泰」の状態が、後世の評価に耐えられるだろうか。 現実には考えにくいが、まったく無い訳ではない仮定の話をしよう。 何かの拍子で、東アジアで大戦が起きる。その時、ヒトラーやスターリンに侵略された第二次大戦の小国の如く日本が蹂躙されたとして、その時の安倍首相を「よくやっていた」と称揚できるだろうか。あるいは、安倍内閣がそうした最悪の情勢への備えをしていると自信を持って言えるだろうか。 ここまで言って、「北朝鮮のミサイルが落ちるまで日本人は気付かない」などと何もしないなら、それこそ護憲派と同じである。賢明な読者諸氏は、自分が何をすべきかを考えてほしい。 なぜ憲法改正ができなかったか。 憲法改正など目的ではなく、自主防衛への手段にすぎない。こんな基本的な認識すら忘れているのだから、勝てるはずがないではないか。

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    「自衛隊は違憲の軍隊である」 この現実をあなたはどう思いますか?

    べきこと 昭和25年6月に北朝鮮の南進による朝鮮戦争が勃発した。駐留米軍は、この戦争に参戦したため、国内の治安維持のため警察予備隊が創設された。これがその後、自衛隊になっていく。 憲法9条2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されているにもかかわらず、なぜ自衛隊を保持できるのか。防衛省のホームページには、次のようにある。 「平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています」 これが自衛隊合憲の論理立てである。 憲法の専門家などの一部では、芦田修正(憲法改正小委員長だった芦田均による修正)によって、9条2項に「前項の目的を達するため」という文言が挿入されたことによって、侵略を目的とする戦争や武力行使のための戦力は保持できないが、自衛目的の戦力なら保持が可能になったという説もある。ただ歴代政府は、この解釈は採用していない。そのため自衛隊を「戦力」ではなく、「自衛力」としてきた。 自衛隊は、国際的には軍隊と見なされているにもかかわらず、軍隊ではないというのが政府見解である。しかし、この憲法解釈が憲法改正の足かせとなってきた。「自衛のための合憲の実力組織があるのだから、9条改正は必要ない」という理解を生んでしまったからだ。 安倍晋三首相(右)も出席した「新しい憲法を制定する推進大会」であいさつする中曽根康弘元首相=5月1日、東京都千代田区の憲政記念館(飯田英男撮影) 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法9条2項は、普通に読めば軍隊そのものの自衛隊は保持できないとするのが当然だろう。これを合憲だとしてきたことにそもそも無理があるのだ。合憲としてきたことが足かせとなって、逆に憲法改正を提起できなくなってきたのである。 憲法学者の圧倒的多数も自衛隊を違憲としている。だがこれらの人々が違憲の自衛隊の即時解散を主張しているかといえば、そうではない。たとえ違憲の立場にたってはいても、自衛隊の存在意義は認めているのだ。これは憲法学者だけではなく、一般の国民も同様だろう。 だったらこの際、改憲を本気で目指すのであれば、自衛隊は違憲であるという立場から出発すべきなのだ。「自衛隊は違憲です。しかし、米ソが対決する当時の国際情勢のもとで自衛隊を創設するしかなかったのです。自衛隊はいらないという人はいないでしょう。この際、憲法9条を改正して、曲芸のような憲法解釈ではなく、憲法に沿った自衛軍を堂々と持つようにしましょう」というように。 逆に護憲派は、日本共産党のように「自衛隊は違憲の軍隊」というのではなく、「自衛隊は合憲です。だから9条改正の必要はありません」と主張すべきなのだ。 改憲派と護憲派は、主張が逆立ちしているのだ。