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    安倍政治ってなんだ!?

    2度目の首相就任から4年目を迎えた安倍政権。「新しい国」を目指し、異次元緩和による経済強化を基盤に、祖父・岸信介の後を追うような安保と改憲への情熱は一貫して変わらない。憲法、安保、アベノミクスの三点から安倍政治の今を読み解く。

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    消費再増税をすればアベノミクスの息の根はとまる

    金子洋一(民進党参議院議員)金融緩和は成功したが、消費税増税が景気に悪影響 私は、政府が予定している消費税再増税反対を主張している。今年1月にはこれを聞きつけた与党議員がわが党に「けしからん!」と怒鳴り込んできたそうだ。私は野党議員だから、読者のみなさんは私が「アベノミクスは終わった!」と金切り声をあげて批判すると思われるかもしれないが、そうではない。エコノミスト出身の議員として、ここは理路整然と、アベノミクスと現下の日本経済の問題点を説こうと思う。 一番強調したいのは、わが国経済の将来を考えれば、消費税再増税はとめる以外の選択肢はないということだ。増税を強行すればアベノミクスは、「生活者の消費」という最大の基盤から崩れ落ちるだろう。 ありがちな『アベノミクス崩壊論』は、最近の個人消費の剥落への消費増税の悪影響については目をつむり、原因を日銀による「異次元の金融緩和」の副作用に押しつけるものだ。たとえば、金融緩和をしても、日本経済の「経済の実力」というべき潜在成長率が上がらないからダメなのだという「量的緩和は偽薬のようなものだ」とするもので、主に財政を切り詰めることしか考えていない霞が関官僚からくる批判だ。私は黒田日銀総裁にはあまり高い評価ができないのだが、彼を含む政策担当者はだれも金融緩和で「成長率の天井」や「経済の実力」を上げようとしていない。だから、実はこの議論はまったくあてはまらない。それゆえ与党にとってもまったく痛くもかゆくもない批判だ。12月26日に政権発足3年を迎えるにあたり報道陣の取材に応じる安倍晋三首相=2015年12月25日、首相官邸 実態はこうしたありがちな批判とは逆だ。金融緩和は2013年春以来、なんとか機能しているのだが、2014年4月からの消費増税が原因となって国内で深刻な消費不況が起きてしまった。だから来年4月の消費税の再増税などもってのほかだということが事実だ。 まず、私自身の立場をあきらかにしよう。私は民主党内で政権交代直後の2010年3月に「デフレ脱却議員連盟」を事務局長として結成し、そこで「量的緩和と2~3%程度のインフレ目標の実現」を提唱していた。また、党内の消費税論議では「消費増税を慎重に考える会」の事務局長として、景気が悪くなると予想されるときには消費増税を延期できるという「景気条項」を法案の中にいれるために活動をした。もともとは、経済企画庁やOECDなどで景気動向指数作成や、経済対策の取りまとめなどの仕事をしていた霞が関の役人であった。 さて、アベノミクスをどう評価するのか、この間の経済の動きをみてみよう。経済は、金融緩和に伴う円安がもたらした「円安メリット」で回復した。政府が景気動向指数に基づいて世界的に標準化された方法で定める「景気の谷」(最悪期)は2012年11月。これはちょうど円高が終わった月だ。そこを境に景気が回復しつつある。有効求人倍率、失業率などの雇用状況も改善している。株価にしても、日経平均はいまでこそ世界経済の混乱を反映して1万7千円台をきっているが、昨年夏には15年ぶり2万円に乗せた。これはわが国経済のためにまずは喜ばしいことだ。 やはり債券を主に買い入れ、株式を含む実物資産に民間資金をシフトさせる日銀による金融緩和の力は大きかったというのがすなおな評価だろう。少し以前の話だが、主要122社に対して行われたアンケートでは、安倍政権に対する政策評価の中で最高評価を受けた項目は「金融緩和」だった。われわれが民主党デフレ脱却議連として再三提言したとおり、民主党政権でこの政策を実現していれば、わが国経済の回復はより早かった。この間に失われた国富は少なく見積もっても10兆円以上の莫大な損失となるだろう。慚愧に堪えない。 では、国会で今の野党が政府に対して行っている批判は、全部まとはずれなのだろうか。そうとはとても言えないのだから物事は複雑である。 今、景気がいいというのは半分本当で半分ウソなのだ。確かに従来からの景気動向指数で測れば明らかに景気はよい。雇用も堅調。しかしこれは主に製造業中心に生産する側である企業の好不況をとらえた指標だ。サービス業の動きはこうした指標ではとらえきれない。そしてまた製造業は、のちほど述べるが国内で空前の「消費不況」がおきていても、輸出によって大幅な利益を生むことができる。だから企業の生産が順調であることだけ見て、「日本経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)は良好」などと政府がうそぶいている余裕はない。 ここで目を転じて、個人消費を見てみたい。実は2014年4月からこのかた厳しい「消費不況」が続いている。もちろんその原因は、その月から行われた消費税の5%から8%への引き上げである。 消費税は、本来、消費に対するペナルティである。消費税は最終的に消費者が負担するものである以上、その最大の悪影響は消費者がこうむることになる。だから消費税再増税はとめなければならないし、同時に消費へのてこ入れが絶対に必要となるというのが私の結論だ。空前の「消費不況」の実態空前の「消費不況」の実態 私が、消費税再増税に反対する第一の理由は、2年前の消費増税がすでにサラリーマン・消費者のふところを直撃し、賃金が目減りしてしまったことだ。 まず、今、日本を覆っている「消費不況」がどのようなものであるかを述べよう。今、特に自動車、住宅、家電などの耐久消費財が国内で売れなくなってしまった。 105円出して買えていたものが増税で108円出さなければならなくなった。その一方で、われわれの給料はどうなったのだろうか。いい例を挙げよう。昨年2015年の春闘で、日産自動車は大手製造業最高の賃上げを記録した。そのベースアップ(基本給の賃上げ分)を含む1人当たり平均賃金改定額は1万1千円、年収増加率は3・6%。しかしベースアップ分だけなら、月5千円であり、2%を切る。他にも物価上昇が起きている中で、これでは消費増税分すらまかなえない。大手最高の賃上げでもこういう状況だ。日本中のサラリーマンの給料が実質的に目減りをしてしまったのだ。これが「消費不況」の原因だ。 データで見てみよう。増税から一年半以上たった昨年10~12月期の実質GDPは前期比0.4%減。個人消費が同0.8%減で年額換算額304兆円。これは消費税引き上げ直後の14年4~6月期の305兆円をも下回ってしまった。 もっと細かく「消費者が使うお金(個人消費支出)」をみる。総務省「家計調査」をみてみよう。(表参照)この統計は、全国約9000世帯を対象に、家計簿と同じように購入した品目、値段を詳細に記入させ、毎月集めて集計したものだ。増税から一年半以上たっても消費税引き上げ直後の“反動減”の時期に当たる4月95.5、5月92.5とほとんど変わらない。特に2015年11月は91.8と増税後最悪を更新した。グラフを見ていただければ、L字型となっていて、数値が底ばい状態であることが判るだろう。これは反動減などではなく、構造的な減少だとしか考えられない。 今、国会では来年度予算が審議されている。霞が関によるマスコミや政治家への根回しもさかんだ。最近のはやりの言い回しは「消費増税からもうすでに二年たっているので、反動減の影響は終わった」とするものだ。また、最近の個人の消費の弱さは、経済財政担当相によれば「記録的な暖冬が原因で、景気の先行きは緩やかに回復する。」としている。「暖冬だから冬物衣料などの季節商品がうれない」というのだ。 騙されてはいけない。彼らは国内の消費に大きな変化が起きているのを覆い隠そうとしているのだ。前に書いたとおり、私も旧経済企画庁出身でエコノミストの末席に連なっていたのだが、昔から天候不順を景気が悪い理由にするときはほとんどがこじつけだった。今回も決して例外ではない。それとも政府は消費税増税後一年半もずっと気候不順だったとでもいうのだろうか。 こうした弱い消費の動きは、来年4月の消費税再増税を織り込んでいるのかもしれない。重ねての消費税引き上げは、わが国消費者を奈落の底に叩き落とすことになりかねない。ここでは論じないが軽減税率は低所得者対策になるどころか、高所得者優遇であることはすでに明らかになってきている。われわれが地元活動の途中で吉野家によって、牛丼並盛380円を注文してもそれは消費税10%、その一方で100グラム数千円する高級牛肉は軽減税率の対象となって税率が低いというのは本末転倒、極めて不公平ではないか。 だからこそ私はいち早く『軽減税率の導入を前提にした消費税再増税には絶対に反対』であると、与党が反発する中でも唱えているのだ。景気条項:自公政権の増税判断のミス景気条項:自公政権の増税判断のミス 自民公明政権、財務省や一部の学者は2014年4月の消費税8%への引きあげ前に『消費増税は景気に悪影響がない。一時的な反動減はあってもすぐ元に戻る。なぜなら増税で社会保障が安定化するので消費を下ざさえする非ケインズ効果が働くから。』としていた。この非ケインズ効果とは、われわれの常識とは正反対に、財政削減や増税が景気にプラスの影響を与えるとする現象である。ただし、過去のほんの一時期に北欧の小国でそういう現象が起きたことは確かだが、本当に日本でそういう効果がおきる可能性があるのかどうかは極めて疑問だ。実際に、当の財務省官僚に「今後の日本で非ケインズ効果がでると思いますか?」と党内の部門会議などでたずねても、「そうだ」という明快な返事がもどってきたことはない。彼らも保身に巧みなので、表の場ではしっぽをつかまれないようにしていて、目の届かないところで自分で考える力のない政治家たちに盛んに振り付けていたことは明らかだ。 私は6年前の私自身の参議院選挙でも、菅直人総理が、なんら党内手続なしにいきなり「消費税の増税が必要です。」と発言し、増税に前のめりになる中、「景気が悪い状況での消費税増税は経済に大ダメージを与える」と反対を明言した。暑い夏の選挙戦の中で有権者に訴えかけたときから、私の考えはまったく変わらない。給料が伸びない中での増税は悪であることは現在のヨーロッパの例を見るまでもない。 消費増税法には成立当時、通称「景気(判断)条項」があった。これは民主党政権時、党内の法案審議のなかで、「デフレ不況から脱却していない今はまだ消費増税をすべきではない」と考えたわれわれが、当時の前原誠司政調会長に直接申し入れるなどして採用させたものだ。 その内容は、「一年間の名目経済成長率で3%程度かつ実質経済成長率で2%程度の経済成長を目指し経済運営を行う」ことと、消費増税を決定する前に「経済状況などを総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる」ものだ。つまり、景気がよくないと判断される場合には、増税を見送るという仕組みだった。 この数値目標は、名目成長が実質成長を上回るという形にもなっている。つまり、デフレ脱却が増税の前提となっていた。実は、われわれが党内で提案したときには、この経済成長率を満たすことを「条件」にはじめて増税できるとするきわめて拘束力が強いものだった。その後、当時の政府・執行部の反対で、「条件」ではなく、「努力目標」になってしまったが、この「景気条項」が本来の趣旨に沿ってその当時の政権担当者によって運用されれば、デフレ不況下での増税は避けることができたはずだった。このことは、その後2014年11月18日に行われた安倍総理の解散表明記者会見で「社会保障・税一体改革法では、経済状況を見て消費税引き上げの是非を判断するとされています。今回はこの『景気判断条項』に基づいて、延期の判断をいたしました。」としていることでも判る。増税を停止することができる法的効力を持つことから、マスコミからは「増税派への時限爆弾」と言われたこともあるが、まさにその名称通りの働きを前回果たしたことになる。 この自公民三党協議でも、現在の私の消費税再増税凍結の提案に対してと同様に与党からの反発が厳しかった。「法律で時の政権の判断を縛るべきではない」というのが自民党側からの反論だった。しかしそれは建前であり、「経済の状況がどうであろうと増税をしたい」というのが本音だったのだろう。残念だがわれわれの力が及ばなかったことはお詫びするしかない。しかし2013年秋、そして2014年秋、総理官邸にエコノミスト、学者、団体関連の代表などが集められて行われた、増税の賛否をヒアリングする「消費増税点検会合」が開かれたのも、この「景気条項」の縛りがあったからである。 ノーベル経済学賞学者であるクルーグマンもこう指摘している。彼は、2014年11月、マスコミによるインタビューに答えて「私としては『インフレ率が2%程度に達してから引き上げる』といった条件付きの延期の方が望ましいと考えるが、そうした可能性がないことも理解している」と述べた。彼が述べたこの「条件」こそが、まさにわれわれが提案した「景気条項」の本来の姿である。 しかし、2015年3月31日、税制改正法が可決成立し、われわれが心血を注いだ「景気条項」は廃止されてしまった。それにしても安倍総理はなぜ「景気条項」を霞が関の要求に屈して唯々諾々と削除してしまったのだろうか。「景気条項」があったからこそ、霞ヶ関に対して交渉力を維持できたのではなかったか。『いつでも増税を止められるんだぞ。』という脅しがなければ相手に言うことを聞かせることができなくなるはずだ。今、野党側からは、まさに野党5党の共闘によって、政府与党に対して『景気条項』の復活要求をすべきだ。復活すれば今の消費不況では消費再増税は中止するしかなくなる。これに応じなければ自公民三党合意を与党が破棄したことが再度明らかになる。民主党は三党合意が守られないのだから、晴れて堂々と増税に反対できることになる。 なお、「消費増税を決定したのは民主党」と宣伝なさる与党びいきの方がいるが、2012年6月15日の自公民三党協議合意文書「税関係協議結果」をご覧いただければ、増税は「その時の政権が判断すること」と明記してある。つまり前回の消費増税は「自公政権が引き上げの判断を下した」ということだ。実際に安倍総理も2015年2月5日の参議院予算委員会での私の質問に対して、「今回の消費税の引上げでございますが、もちろん、最終的には私の判断で引上げを行ったところでございますが、(以下略)」と答えている。財源は「自然増収」でまかなえる財源は「自然増収」でまかなえる 皆さん方の中には、消費税再増税をしなくて一体、国の財源は大丈夫なのかと心配される方もいるだろう。安心していただきたい。日本経済の中で調子のいい分野がある。それは企業、会社である。そこからの納税は極めて順調である。 2年前の消費増税はサラリーマンの懐を直撃した。これは先にも述べたように、消費税が最終的には消費者が負担する税だからである。一方で企業にはサラリーマンと比較すればダメージは小さかった。それどころか、金融緩和の副産物である円安ドル高はわが国企業に大きな円安メリットをもたらした。一時は1ドルが80円を切るほどの円高が、120円となった。実に5割も円安になったのである。これで輸出ができる企業、海外に子会社があるような大企業は好調となった。例を挙げれば自動車産業だ。2015年度上半期は、自動車産業大手が相次ぎ最高益を記録した。景気が回復しつつある北米市場が好調であることと同時に円安効果も影響があった。トヨタの2016年3月期の連結営業利益は過去最高の2兆8千億円となる見通しだ。少し以前の試算になるがSMBC日興証券の予測によれば東証一部上場企業の今年度経常利益は28.9兆円。これは史上最高益を昨年度に続き更新することになる。実際には、世界経済の混乱の影響が出るだろうが、国内の消費の動きに比べれば、ほぼ史上最高益に近い状態にある法人企業分野は経済的に恵まれていると表現して問題はないだろう。 だからまず財源は、「好景気の企業からの法人税」などの税収を中心とした、いわゆる「自然増収」を頼りにすべきである。安倍総理がよく「10兆円国債の新規発行額を減らした」と発言するが、この約半分が消費増税分、のこり半分が自然増収分だと考えられる。法人税は基本的に赤字企業は納税しない。景気回復に伴う大手企業の業績回復で法人税収は経済成長率をはるかに超えて大幅に増加するのだ。 実際に、政府の試算によると、これまで消費税率を10%にすることが赤字半減の大前提だったが、円安、株高、大手企業の業績回復で法人税収は大幅に増加する見込みとなることから、いわゆるプライマリーバランス(財政の基礎的収支)は消費増税延期でも赤字半減が達成可能だという。もちろん中国経済の急減速、新興国経済の不振は今後、わが国の輸出に影をおとすことだろう。世界の景気が回復しないことは政府の責任ではないが、わが国のGDPにしめる比率が約17%である輸出をはるかに超え約56%を占める生活者の消費が消費増税で打撃を受けている今、政府とるべき経済政策の第一は、まず消費税再増税をとめるアナウンスではないだろうか。逆走する経済政策 金融緩和は成功したが、消費増税が今の「消費不況」の原因となっていることを述べた。ここからは公平の観点から現政権の政策は誤りであり、政策を転換して消費不況対策として「国民のための金融緩和」を行わなければならないことを述べたい。 ここまで説明してきたように、「企業は調子がいいが、消費者のふところ具合が問題」というのが今のわが国の経済だ。こういう状況でとるべき政策はただ一つ、「所得の再分配」だ。つまり企業から法人税、社長や役員のみなさんから所得税としておさめていただいた税金を、教育、子育て、社会保障といったわれわれサラリーマン・消費者にとって役に立つ分野に活かすことが、景気回復の手段としても絶対に必要となる。 しかしアベノミクスの欠陥は体系だった所得再分配政策がないことだ。私を含めて何回も国会質疑で取り上げているはずだが、政府は所得再分配にはかなり否定的だ。 それらしい政策も最近少し見られるようになったが、残念ながらすべてが付け焼き刃だ。 現政権は法人実効税率を現行の32.11%(標準税率)から2%強引き下げて20%台とすることを決めた。「法人税20%台は世界標準だ。世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します。」と胸をはられても、一方で、われわれ消費者に対しては消費税増税というのでは困る。しかし、それが実際の政府与党の方針だ。これはどう考えてもサラリーマン・消費者にとっては不公平なやり方だ。改めなければならない。消費税再増税をとめることはその第一歩ともなる。同時に「所得再分配政策」(教育・子育てや給付金、賃上げや低所得者層への直接補助など)が必須だ。 もう一つの財源は国債発行だ。「国民のための金融緩和」を実現しなければならない。日銀のいわゆる「マイナス金利」政策や、国債金利がマイナスになったことなどを財政破綻などとかんちがいしている人も多い。しかし、実際は、「国がほとんど金利をつけなくても借金できるようになった」わけである。日本経済が異常な状態であることにはかわりないが、起きた現象でいうならば、いくら高い金利をつけても国債が売れなくなってしまう状態である財政破綻とはまったく正反対のことだ。日本経済の根本的欠陥は、実は企業が、能力増強などの設備投資も従業員への賃上げもせずお金をただ貯蓄に回していることなのだ。いわゆる内部留保がどんどん貯まる現象がこれの結果だ。このままだと国内で誰もカネを使わないので、政府は国債を発行して銀行を通じてカネを吸い上げ、景気対策などで民間のかわりにカネを使って、国内の需要を下支えしている。政府が財政赤字になったのはその結果。企業が積極的にカネを使わないという構造があるかぎり、政府が国債を発行しないと、日本経済自体の回転自体が止まってしまう。例えば、企業が銀行に預金しても、貸出先がなければ利息が付かなくなってしまう。 今起きていることは、世界経済の混乱によるリスク回避先として円が買われていること、つまり国債が投資家から大人気になっているという意味だ。その結果、国債がマイナス金利となった。ここは日本政府としてはありがたく国債を新たに発行し、これまでどおり日銀に市場から買い上げてもらって長期間保有してもらうのがトレンドにのった対処法だ。日銀が持っている間に償還期限を迎えた国債は、政府から日銀に元本が支払われる。日銀はいくら利益をあげても法人税は取られない。そのかわり、日銀は広い意味で政府の一員なので最終的には政府が日銀に支払ったカネはその95%が国庫納付金という形で政府にもどってくるから心配はいらない。これが今採るべき政策、「国民のための金融緩和」だ。 長期国債の金利はわが国史上初めてマイナスとなった。もし政府がマーケットのシグナルを重視するならば今、借金しなくていつするのか。市場は「どうか国債を発行してカネを借りてくれ」と切実なメッセージを発しているのだ。まさに国からすれば絶好の借りどきだ。そこでこの際、十数兆円の単位で超長期国債(仮称で教育・生活扶助国債とする)を発行して特に低所得者の子弟を意識した教育の基金としてはどうか。子どもの教育は社会的意義も大きく、また利回りが8〜15%とされる。このチャンスに格差是正の資金を調達するのだ。長期金利の指標となる利付10年国債が、史上初めてマイナスになり、一時マイナス0.025パーセントに低下。日経平均株価も終値の下げ幅は今年最大となった=2月9日、東京都中央区 繰り返すがこれは国内でお金を借り入れて事業を拡大しようとする企業がないことから起きている異常な状態であることは確かだ。しかし、これは将来の展望が開けず景気が悪いことから起きている。この状況で財政危機への対応を優先する人は政策の順番がおかしい。 今の日本に必要な経済対策はなにか。まずは日銀による追加緩和。次に、三党合意を無視して削除された景気条項を復活させ、それにもとづいて消費税再増税をとめること。さらには家庭の消費不況対策を最優先し、教育・子育てや給付金の形で低所得者層への所得再分配をめざす、10兆円以上の国債の新規発行を伴う経済対策だ。先に述べたように、国債の増発を伴わない形での経済対策は、今の状況ではナンセンスだ。 今年1月の総額3.3兆円の補正予算は、2014年度から消費税の8%引き上げにあわせて支給されていた子育て世帯への給付金をスクラップ財源とすることによって編成された。なぜこんなことをするのだろうか。 今、日本の子どもの6人に1人が相対的に貧困とされ、そのうちひとり親家庭の貧困率は50.8%と先進国で最も高い。日本の母子家庭の問題は特異だ。他の先進国の母子家庭は福祉の対象になっており無職というのが典型的だが、わが国ではほとんどのお母さんが働いている。それにもかかわらず貧困状態にあるのは彼女たちが非正規、低賃金で働かざるをえないからだ。わが国が先進国であるのならばこうした状態の解消にはぜひ力を入れなければならない。また、困窮家庭の学童に給食費や学用品費を補助する「就学援助」を利用した小中学生は約150万人で過去最高レベルだ。しかしその国の予算はわずかに年間8億円。こうした子どもの貧困対策にも更に予算を投入すべきではないか。 その一方で、低所得年金受給者へ3万円を給付することを決めた政府与党。低所得年金受給者に対する給付を頭ごなしに否定するつもりはまったくない。が、なぜ子育て世帯はその犠牲にならなければならないのか。すべての政策の財源をスクラップアンドビルドで求めようとすることは「ペイアズユーゴー原則」といって霞が関の悪しき習慣だ。確かに投票率でいえば子育て世帯より高齢者の方が高い。が、政治家の決断がそんなことに左右されていいのか。新規国債を発行して両方とも給付するという選択肢を検討すべきではなかったか。 国債発行をともなう補正予算を組んで、こういう人々のために使うことができる。発行した国債は、現在の「異次元の金融緩和」政策を日銀が続けている限り、市場から日銀が買い切りオペとして買い入れることになる。 低所得層こそお金に欠乏しており、需要を作り出すという面での景気対策としての効き目も大きくなる。また、「企業が高い利益を上げているのに、なぜ国内で設備投資が出ないのか」とよく議論されているが、国内需要がこれだけ弱ければ国内で設備投資が行われる(=国内の工場のラインを増強する)わけがない。低所得者層への給付は、それ自体が社会的に善であると同時に、まわりまわって日本全体の景気をよくするための最初の手段であるべきだ。財政再建への早道とは財政再建への早道とは では、財政再建をどうするのか?国の財政再建を考える上で、有害な議論は、財政を家計に例えることだ。あなたのお宅にはお札を刷ってくれる銀行はないだろう。しかし、国には発券銀行である中央銀行があり、金融政策が行える。これは本質的なちがいだ。 クルーグマンも緊縮財政を批判するコラムでこう書いている。「(ギリシャ危機によって)本当にユーロがダメになったら、その墓碑にはこう記されるべきだ。『国の負債を個人の負債になぞらえるというひどいたとえによって死去』と。」家庭では節約が有効だが、国の経済全体としては、合成の誤謬という問題があり節約は解決策にならない。だからこそ財政・金融政策で介入するというマクロ経済のマネジメントが必要となっている。 ではどうするのか。これは簡単なことで、難しい最新の経済理論は必要ない。「景気が十分立ち上がるまで、財政も金融も引き締めないこと」の一言につきる。1997年の橋本増税も、2000年の日銀によるゼロ金利解除も、2006年の量的緩和終了も、2014年の消費増税もすべてが早すぎる政策の引締めであり、防げたことだった。金融政策決定会合を受けて、記者会見する日銀の黒田東彦総裁=3月15日、東京都中央区 私も財務省の官僚に、『増税は絶対ダメだといってるんじゃない。景気がよくなってから、つまり豚は太らせてから喰えといっているんだ。』といつも言っている。それでもまったく反応はないのだが、彼らは経済成長しても税収は増えないと本気で考えているのだろうか。 増税しても景気が悪くならないなどという夢物語に基づく財政再建計画ではなく、具体的にここまで述べた最近の世界の金融やわが国の経済情勢をふまえた戦略を作る必要がある。そしてそうした戦略はこれまでみてきたとおり霞が関からは出てくるはずがない。だからこそ、消費税再増税回避にあわせて、財政再建戦略を見直し、信頼するに足る戦略を策定することが必要だ。これまで1997年の橋本増税の時代から20年間繰り返されてきた増税のみによって財政再建を実現しようとする試みは失敗の連続であったことを認め、かつてわれわれ民主党デフレ脱却議連が行った提言にあるような経済成長を優先する財政再建戦略に切り替えることが必要だ。  増税しなくても大丈夫だと書いた。増税回避をしても国債の信認は損なわれないのか、金利は上昇しないのか、疑問に思う方も多いだろう。 前回の2014年の例をみてみよう。増税の判断時期がせまるにつれて、霞が関の息がかかった人々が「消費増税は国際公約。延期なら国債の信認が失われ、長期金利が上昇し、さらなる円安も」などと発言しはじめた。ところがときに増税延期の観測が流れ、ときに予定通り実施の噂が出ても、国債や為替市場はまったく反応しなかった。本当に国債市場が増税延期をマイナス要因として受けとめていたならば、市場は報道に一喜一憂したはずであったにもかかわらずである。逆に、増税延期の立場にたつ内閣官房参与の本田悦朗静岡県立大学教授は、10月に入って欧米で接触した約70社の機関投資家の7割弱は、消費増税を延期しても国債の信認に問題はないとの見方だったと発言していた。本田氏によれば残りの2割程度について、増税を延期する場合の国債の信認に関し「自分は心配しないが、他の市場関係者の見方が心配」とのことだったという。もちろん増税延期が決定されても国債価格は暴落しなかった。消費増税は国際公約だと主張していた人々が、今に至ってもこういう現象に対してきちんとした説明責任を果たしたという話は聞かない。この件に関してはやはり増税に反対したわれわれの議論が正しかったということだろう。その後も順調に国債金利は低下(=国債価格が上昇)し、現在、長期国債の金利がマイナスになっている。今も、増税延期の噂が出ているが、金利は上昇などしていない。つまり杞憂に終わったわけである。「国民のための金融緩和」を実現しよう! 数々の世論調査の結果をみても、野党は「国民のための金融緩和」つまり「金融緩和プラス所得再分配」というスタンスをとらなければ与党には歯が立たないだろう。とはいっても一般の理解は、「金融緩和政策=金持ち優遇」というくらいのものでしかない。これは的外れの理解だ。なぜか。資産家でもなく不労所得がなく、働く以外に収入を得るすべのないわれわれにとっては、金利を引き下げることによって景気を刺激する金融緩和には大きなメリットがある。かりに金利が高くなったとしても、それはすでに銀行預金をもっている人にとっては受け取る利息が増えてメリットがあるだろうが、一文無しの人間にはメリットはない。むしろ景気が悪化することによって、働いている会社の売上げや収益が落ち、受け取る毎月の給料も下がるだけだろう。金融緩和政策が欧米では労働者陣営の政策であることもこうした性質が原因だ。 今、民主党を中心とした野党再編の真っ最中だ。私も民主党神奈川県連の代表として少しでも有権者の皆さんに期待していただけるように力を入れている。そこで新党に対して提案だが、昨年、コービンという新たな党首が選ばれた英国労働党が、スティグリッツとピケティをブレーンにすると発表した。新党もこれにならって、御用学者などではなくクルーグマン、スティグリッツなど海外の経済学者を招いてアベノミクスなどものともしない経済財政戦略を作ってはどうだろうか? 新しい野党第一党の党首は、自分自身のプリンシプル、思想を持っていなければならない。霞が関の言いたいことをオウム返しにするような人間では絶対ダメだ。そしてそうした人の考え方に国民の間に共鳴現象が起きてはじめて野党は再生できるのではないかと思う。その最初の一歩となる政策が、「消費税再増税はとめよう!『サラリーマンへの不公平税制』をなくそう!」ということだと私は信じてやまない。

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    改憲はこの条文から始めよ!倉山満が評す安倍内閣の憲法論

    倉山満(憲政史家)はじめに~安倍内閣はどの条文の改正からすべきか 戦後レジームとは何か。日本を敗戦国のままにさせておく体制の事である。その総本山が日本国憲法であるのは言うまでもない。 安倍晋三首相は戦後レジームの脱却を掲げ、憲法改正に意欲を燃やしている。戦後政治の常識では改憲勢力が衆参両院で三分の二以上の多数を得るのは不可能に近いと思われてきたのにだ。しかし、ここに救世主が現れた。 岡田克也氏である。現民主党代表で、維新の会との合併で予定されている新党でも党首に擬されている人物だが、後世の歴史家は間違いなく首相官邸が機密費を使って傀儡に仕立てたスパイであると疑うだろう。真相は同時代を生きている我々には知りえない。また、岡田氏本人も知りえない。なぜなら無能なスパイは、自分が誰のスパイなのか理解できないからだ。そもそも、岡田氏が自発的にスパイと同じ動きをしているのか、それとも誰かに操られているのか、小生のような浅学菲才の身には計り知れない。ただし、これだけは言える。年頭の記者会見をする民主党の岡田克也代表=2016年1月5日午後、東京・永田町の民主党本部 岡田克也氏ある限り、安倍自民党内閣は安泰である。 詳細は省略するが、安倍内閣は多くの政治的失敗を繰り返してきた。それも、三角大福の時代なら政権即死に至るような致命的な失敗を。最近でも甘利経済産業大臣辞任は記憶に新しい。だが、その機会を悉く岡田氏はわざと見過ごしたか生かせなかったのか知らないが、いずれにしても安倍自民党内閣は支持率を向上させ、「一強」状態である。それでいて護憲派野党結集のための新党で、引き続き不人気の岡田氏が参議院選挙まで党首を務めるという。 もはや、安倍首相に「憲法改正をしてください」と言わんばかりではないか。よほどの変わり者でない限り、いくら現状の政策に不満があっても、岡田氏との二択ならば迷うことなく安倍自民党を選ぶであろう。 夏の参議院選挙では、連立与党の自民党と公明党に加え、おおさか維新の会と日本のこころを足せば、三分の二の議席を超えるのではないかとの観測まで出ている。 岡田克也氏のおかげで、敗戦後初めて憲法改正が現実味を帯びているのである。 本稿では、参議院選挙後の政局で予想される憲法論議に関し、戦後レジーム打破勢力としてどの条文の改正から入るべきかを検討することによって、安倍内閣の憲法論を評すこととする。第一案 争点にしない第一案 争点にしない 逆説的な意見から論じよう。安倍自民党内閣は憲法改正など口にすらすべきではないとの意見である。 もちろん、本稿では護憲派など眼中にない。「アベ政治を許さない」「戦争法案」「戦争したくなくて震える」「安倍に戦争をさせるな」などと現実を無視した扇動をしている勢力を相手にすること自体が、利敵行為である。将棋の格言に「遊び駒を相手にしてはいけない」とあるが、「働き場を無くしている敵を攻撃することは、相手を活発化させ味方を疲弊させるだけ」との意味である。そもそも、護憲派の総大将が岡田克也である以上、彼らが多数の国民の支持を得ることはない。よって、歯牙にもかける必要が無いのだ。むしろ昨年の安保法制論議では、「護憲派は狂ったことを言っている。護憲派よりもまともな事を言っている我々改憲派は賢いのだ」という態度が多数の中間的な国民の反感を買わなかったか。「安倍自民党改憲案への批判者は護憲派」のような態度は厳に戒め、我が国にふさわしい憲法とは何か、それを実現するにはどのような戦略戦術が必要かを論じるべきであろう。 自民党改憲案に反対する論者の中にも安倍内閣の支持者は多いのだから、耳を傾けるべきだろう。こうした立場から第一案に立つ論者の要旨をまとめると、「長期計画を持て」「急がば回れ」「玉砕的な無謀な戦いはしてはならない」である。憲法改正を求める集会で、安倍晋三首相はビデオメッセージを通じ「国民的コンセンサスを得るに至るまで(議論を)深めたい」と訴えた=2015年11月10日、東京都千代田区の日本武道館(野村成次撮影) 安倍首相は再起に当たり、「まず経済」を強調した。第一次内閣の退陣後、日本経済は悪化の限りをたどり、バブル崩壊以前からの不況と合わせ「失われた二十年」とも称された。憲法問題を普及する運動を広めようと集会を開いても、若者などは生活が苦しく、そんな集会に参加する余裕が無い。そもそも選挙で憲法が争点になることなどありえなく、圧倒的多数の国民の関心は経済である。たかが経済問題ごとき軽く解決できなくて、何が戦後レジームの脱却か。されど経済問題すら解決できなくて、他の何がなしえようか。 安倍首相は不況の原因が当時の日本銀行だと看做し、自らの意を汲む黒田東彦総裁と岩田規久男副総裁を送り込んでアベノミクスを開始した。適切な金融政策を行えば株価は上がる、株価が上がれば支持率が上がり選挙に勝つ。選挙に勝つから与党自民党議員は安倍内閣についてくる。安倍内閣が「株価連動政権」と呼ばれるゆえんである。平成二十六年三月に就任した当時の岩田副総裁は「二年でデフレ脱却」を公言していた。安倍首相の周辺には「戦後レジーム脱却への施策を急げ」とする保守層と、「デフレ脱却までは経済に専心すべきだ」との非保守層の二つの路線が介在していた。 後者の立場からは「憲法問題など争点にすべきではない」との結論が導き出される。選挙で票が逃げるばかりであり、景気回復はいまだに達成できていない。そもそも、なぜ景気回復が遅れているのか。自らの命綱であるアベノミクスを、消費増税八%によって破壊したのは安倍首相その人ではなかったのか。たかが財務省との権力闘争に負けたような総理大臣に憲法改正のような大事業など可能なのか。八%増税の悪影響はいまだに強いが、経済に専念しなくてよいのか。八%増税で失ったものを取り返すには、消費税を五%に戻す以外にないのではないか。憲法改正など、不況から完全に脱却してからでも遅くないのではないか。第一案の「憲法改正を今次参議院選挙で争点にすべきではない」との論者には、説得力がある意見が多い。少なくとも、安倍自民党の改憲案に反対だからと、護憲派如きと十把一絡げにするような愚をおかしてはならない。 この論に対する反論は一つだ。憲法改正とは、根回しを積みあげる行政行為ではない。究極の政治である。政治とは戦いである。戦いに勝つのに最も肝要なのは、戦機を掴むことである。これを孫子は「己を知り、敵を知らば百戦して百勝す」と述べた。確かに安倍内閣の体制は盤石ではないかもしれない。しかし、敵を見よ。選挙の相手は岡田克也なのだ。この千載一遇の好機を逃してよいのか。 現実の政治論をもう一つ加えれば、安倍首相は公明党や自民党護憲派の抵抗にもかかわらず、再三再四「任期中に憲法改正をやり遂げる」と明言している。それには参議院選挙の勝利が不可欠であり、ここを逃せば、もう勝つ機会はない。すなわち不戦敗はレイムダックなのだ。 アベノミクスを主張する論者の中には様々な観点から改憲論への批判もあろうが、その主体である安倍内閣が死に体になっては、景気回復すら覚束ないのだ。 本稿でも以上の政治的状況を踏まえ、どのような改憲論を打ち出すべきかを論じているのである。第二案 七条と五十三条第二案 七条と五十三条日本国憲法第七条四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。第五十三条内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、【要求があった日から二十日以内に】、その召集を決定しなければならない。【 】内は自民党改憲案に基づき、補足。 多くの日本人は、日本国憲法に誤植があることを知らないだろう。天皇の国事行為を列挙した七条の四号を見よ。「国会議員の総選挙」とある。衆議院の解散とは「代議士を全員クビにすること」であり、必ず総選挙となる。ところが参議院は半数ごとの改選であり、衆参同日選挙となっても、国会議員がいなくなることはありえない。現に参議院選挙は「通常選挙」と呼ばれる。つまり、日本国憲法ある限り「国会議員の総選挙」などありえないのだ。 憲法なのに誤植がある。その誤植一文字すら日本人は変えられずに七十年もすごしてきた。そして、この恥ずかしいこと極まりない事実を、どれほどの日本人が知っているだろうか。むしろ多くの日本人は、「内容が時代に合わないけれど、平和憲法にも効用があった」と思っているだろう。だから、改憲派は言論戦で負けっぱなしのマイノリティーであった。 日本国憲法は完全無欠ではない。この無謬性の打破こそが突破口である。 そもそも、誤植一文字削れなくて、他の何ができるのか。 また、反対するとしたら理由は何なのか。第二次安倍内閣が元気だったころ、三年前の参議院選挙で九十六条の厳しすぎる要件の改正を打ち出したが、産経新聞フジテレビ以外のすべてのマスメディアがいっせいに反対し、公約にすらしなかった。不戦敗である。その時の論拠が「要件を緩和すると、憲法改正がたやすくなる。戦争をする国になる」であった。少しでも憲法学をかじった人間からすると噴飯ものの主張だが、憲法のことなど知らなくても生きていける多数の国民を不安がらせるには十分なアジテーションだった。 では、七条改正に際して護憲派は同じ主張をするであろうか。するならば、やってもらえればよい。「七条の誤植を削ると戦争になる」 社民党の福島瑞穂氏あたりなら言いかねないが、使い方は間違っているだけで地頭(ぢあたま)はいい共産党はプライドが邪魔して反対できまい。また、護憲派ながら論理に拘る公明党にも反対する理由が無い。 仮にその状況で、日本国民の多数が誤植一文字の削除も許さないような狂信的護憲派に与するようならば、いかなる憲法改正もあきらめるしかないではないか。 日本国憲法に誤植があるという事実を知らせること自体に意味がある。そして狂信的護憲派が「誤植を削れば戦争になる」と絶叫してくれれば、それ自体が“曝しあげ”になるではないか。 もう一つ、今次参議院選挙でのみ使える争点がある。五十三条である。 昨年末、岡田克也氏率いる野党は憲法の規定に従い臨時国会の開催を要求した。野党が衆参いずれかの四分の一の数を集め臨時国会の召集を要求した時は、内閣は応じなければならないとの規定に従っての事だ。しかし、五十三条の規定には期限が明記されていない。安倍内閣は外交日程などを理由に拒否し、一月からの通常国会の開会を早めることで対応した。 当然、岡田氏は憲法違反をなじり、自民党改憲案にも「内閣は、臨時国会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」とあるではないかと迫った。 つまり、野党第一党党首である岡田克也氏が指摘する日本国憲法の不備であり、改正を要求している条文なのである。改憲派にとって幸いなことに、どうやら岡田克也氏は新党結成になっても参議院選挙まで党首の地位に留まるらしい。これを奇貨とせず、何とするか。 安倍内閣は、五十三条を「岡田さんが言い出したことなので一緒にやりましょう」と打ちだすべきだ。まさか岡田氏も自分の言い出したことに反対するほど非常識では無かろう……とは自信を持っては断言できぬが……仮にそのような態度をとった場合でも与党や改憲派に損はない。 こうした政局論、現実論から離れて、本質的な憲法論をする。 我が国に限らず、野党第一党が反対する状態での憲法改正は避けたほうが良い。文明国の憲法運用は、「憲法観の合意」を重視するからだ。 たとえば、オーストリア憲法は繁雑なので有名である。数えようによっては一四〇〇条にものぼると聞く。たとえば「健全財政条項」などは二大政党が合意しただけであるが、憲法に含んでいる。日本で言えば「三党合意」のようなものまで「憲法」に含めているのである。戦前のオーストリアでは政争が激しく、オーストリア・ナチス党に付け入る隙を与え、最後はドイツに併合されて亡国の憂き目を見た。この反省から、戦後は二大政党の合意を憲法として扱うようになっているのだ。 また、我が国と同じ敗戦国のドイツでは憲法に当たる基本法を五十回以上改正していると語られることが多いが、これには前提がある。 ドイツ憲法第二十一条第二項  政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは、違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する。  内容は、戦前日本の治安維持法と同じである。国家秩序を危うくする政党、すなわち極右のナチスと極左の共産党を禁止しているのである。そして一番右と一番左の両端を切り捨てた圧倒的多数のドイツ国民の合意により発議するので、我が国と同じ三分の二条項であっても、必要に応じた憲法改正が可能なのである。 そして、憲法政治の母国である英国でも、二大政党の合意は重要視される。英国の憲法は「日本国憲法」「○○国憲法」のような形で、文字でまとまっていない。英国憲法の中心は、慣例の蓄積である。小さなことでは、衆議院議長を輩出した選挙区に反対党は対抗馬を立てない。大きなことでは、「政争は水際まで。国益に反するような反対党への攻撃は慎む。特に国際問題を政局に利用しない」などがあげられる。これらの合意は、どこにも明文化されていないが、英国憲政数百年の歴史の蓄積の上で、憲法習律と呼ばれる慣例として憲法体系に組み込まれている。英国は常にアイルランド問題を抱え、伯仲議会では彼ら少数派の発言力がまし、連合王国の存続を脅かすような危機を何度も経験し、乗り越えている。その知恵が、二大政党の合意により憲法体系を維持することなのである。 このように、二大政党制だろうが少数分立制だろうが、憲法とは国家的問題である以上、主要政党(特に二大政党)の合意に基づいて憲法を護る(立憲主義)、あるいは改憲を行うのは、世界の文明国の常識なのである。 逆を考えよう。野党第一党が反対の中で憲法改正を強行した場合、その多数がひっくり返った場合にどうなるのか。革命に近い状況が発生し、法的安定性が損なわれる。何が何でも野党第一党のご機嫌をとれと言っているのではなく、憲法改正は主要政党の合意に基づいて行うのが常道なのである。 我が国では、長らく日本社会党が野党第一党を占めていたので、想像しにくいかもしれない。この政党は「日本は共産主義者に支配されるべきだ」と企む左派と、「共産主義者の侵略から日本を守るためには改憲が必要である」と主張する右派の野合により結党された。 徐々に左派の勢力が強くなり、「与党になって責任をとりたくないので衆議院の五〇%の議席はいらないが、憲法改正阻止を訴えて当選したいから衆参どちらでも良いので三四%の議席は欲しい」とする護憲政党と化した(その過程で、右派は離党し、民社党に流れた)。これでは「自主憲法、自主防衛」を党是とした自民党との間で、二大政党の合意など成立するはずがない。 そして現在の野党第一党党首の岡田克也氏の体質は、往時の日本社会党そのものである。政界の常識に照らせば、二大政党の合意など夢物語である。ところが、岡田氏本人が五十三条改正を言い出してくれたのである。これに乗らない理由があろうか。 憲法は決して変えられないものではなく、日本国民の手によって変えたという実績を作ることが重要であるとの主張がある。また、九条のような対立的な論点ではなく、合意が形成しやすい条文から改正すべきだとの意見もある。 五十三条改正は、野党の権限を強化する改憲である。えてして憲法改正と言うと、政府与党の権力を強化するためであるとの扇動がなされるが、ならば野党少数派の意見を無視しない運用をするための改正ならば良いのではないか。少なくとも多数派の横暴との批判はできない。 七条と五十三条の改正を今次参議院議員選挙で議論すべきだと表明しているのは、日本のこころを大切にする党である(二月十八日中野正志幹事長記者会見)。 論壇にでも、七条に誤植がある事実を取り上げる向きがある。『正論』平成二十八年四月号で「参院選まで残された時間は少ない。憲法改正派の多くが一致して納得できる戦略が早期に打ちだされ、改正機運がさらに高まるよう願っている」との趣旨で、「緊急大アンケート」が行われた。 最も明確に「七条改正」を打ち出したのは、江崎道朗氏である。西修氏、八木秀次氏も言及している。改憲派は江崎氏の戦略の下で一致団結、日本のこころを政界への突破口とし、国民的合意をいち早く形成すべきだろうと思考する。 五十三条と合わせれば、二点突破になるわけだが、一点突破は一か八かの危険な策であるし、三点ではわかりにくい。七条と五十三条ならば絶対に改悪にならない。よって重要な条文と妥協的な条文の両方を出した場合に懸念される、いわゆる「食い逃げ」の心配もない。第三案 緊急事態条項 第三案 緊急事態条項 自民党は「緊急事態条項」の改正から憲法改正をしたいとの報道がなされている。東日本大震災時に統一地方選が予定されていたが、あの時は東北地方での選挙は法律に従い延期された。しかし、国会議員の任期は憲法で規定されているので、もし大災害が起こっても延期できない。だから憲法改正で緊急事態条項を設け、改善しようとのことである。しかし、それこそ大山鳴動してネズミ一匹の類にならないか。 ついでに言うと、国会議員の任期延長は帝国憲法下で一度だけある。悪名高い「翼賛選挙」である。昭和十二年総選挙で当選した代議士の任期は「非常時」を理由に一年延長され、昭和十七年に「翼賛選挙」が行われた。誰がどう考えても、朝日新聞の見出しが目に浮かぶようではないか。 別に緊急時における国会議員の任期延長が必要ないとは言わないが、下手な打ちだし方をすれば攻撃材料を与えるだけだとの認識は持つべきだろう。 そもそも、「緊急事態」とは何なのか。 二年前に書いた小書『間違いだらけの憲法改正論議』(現在は版権終了による絶版。古本で買い求めるか、図書館で読まれたい)から抜粋引用する。自民党など5つの政党が緊急事態条項の新設に言及した衆院憲法審査会=2015年5月7日改憲派が想定する「緊急事態」とは何なのでしょうか。自民党改憲案では「外部からの武力攻撃、内乱などによる社会秩序の混乱、地震などによる大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」となっています。すでにツッコミどころが四点あります。  第一に、「外部からの武力攻撃」など真の有事ではありません。たしかに平和が破られているから平時ではありませんが、ほかの国と交戦になったときのことは、別に憲法で定める話ではなく、法律で対応可能な話です。問題は「終戦のご聖断」のような、何も決められないときに、誰がどうするのか、です。憲法で想定しなければならない真の有事とは、あの敗戦直前のような状態に陥ったときのことです。  第二に、「内乱等による社会秩序の混乱」は、確かに有事にあたります。二.二六事件では、総理大臣が行方不明になり、閣議ひとつ開けず、政府や軍の高官が多数殺され、誰も何も決められない状態です。やはり、このようなとき誰がどうするのでしょうか。  第三に「地震などによる大規模な自然災害」です。これはもう、皆さんの記憶に新しいでしょう。東日本大震災の時の総理大臣が誰だったか、彼が何をして、何をしなかったかを思い出して下さい。阿鼻叫喚の地獄絵図でした。菅直人氏が総理大臣だったらあきらめるしかない、というのは真面目な憲法論ではありません。真の憲法論とは、この地獄絵図に、総理大臣が菅直人氏だったらどうするのかを考えることです。  第四に「その他の法律で定める緊急事態」とは、なんのことでしょうか。あらかじめ法律で定められた緊急事態に対処できるのは当たり前です。真の有事とは、想定もできないような事態のことです。それこそ東日本大震災では「想定外」が連発されましたが、「想定外」の事態に対処するからこその危機管理です。危機管理の基本は、「何が起きるかわからないから万全を期す。想定もしていないようなことが起きるときのことこそ普段から考えておく」です。その意味で、自民党改憲案などは不真面目きわまりないと言えるでしょう。  自民党改憲案を支持する人に問いたい。あなたが支持する憲法案で、菅直人氏が総理大臣でも大丈夫なのですか。いまの日本国憲法を守りたい護憲派の人にも問いたい。あなたは、いざというときに、菅直人氏が総理大臣でもいいのですか。日本国憲法は、敗戦のような大混乱や二.二六事件のような無秩序状態や、大震災のときに菅直人氏が総理大臣であるような状態から守ってくれるのですか。 現状では、ここに書いたことを何一つ変更する必要を認めない。 真の緊急事態とは、内閣機能が麻痺した状態の事である。自民党改憲案の緊急事態条項を見よ。 第九十八条(緊急事態の宣言)第一項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。 第二項 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。 第三項 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。 第四項 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。 第九十九条(緊急事態の宣言の効果)第一項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。 第二項 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。 第三項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。 第四項 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。 緊急事態に対処する主体は内閣総理大臣である。関東大震災のような首相不在、二.二六事件や終戦の御聖断のような内閣機能不全のとき、自民党案は無力ではないのか。 また、「内閣独裁をうむのではないか」との懸念もある。護憲派の粗雑な議論に与する必要は認めないが、帝国憲法の条文と運用は検証する必要があるだろう。 ただ、改憲論をリードしてきた百地章氏の論考が発表された。「現行憲法では危機を乗り切れない 反対派の詭弁に惑わされず緊急事態条項を」(『産経新聞』平成二十八年二月十一日)。ここでは、関東大震災の例が挙げられ、「参議院の緊急集会すら召集できないと…。 この点での論評は、夏に向けて安倍自民党がどのような案を出してくるのかを待ちたい。第四案 前文と九条 第四案 前文と九条 これには絶対に反対である。 思い出していただきたい。第二次安倍内閣は、「まず経済」を掲げ、十五年も歴代政権が手を付けることができなかった日本銀行人事で勝利し、すべての選挙に勝利。さらに戦後レジームの象徴とも言うべき内閣法制局人事にも介入できた。その後、財務省との権力闘争に敗北し、自らの命綱であるアベノミクスを殺しかねない消費増税八%に追い込まれた。いまだに、その悪影響に苦しめられている。相手が弱すぎるから「一強」だが、財務省と公明党が手を組んだ場合、安倍首相にはなすすべがない。だから、増税再延期に向けて、菅官房長官が公明党に日参せんばかりの頭の下げ方をしているのは周知の通りである。 この歴史を振り返ると、平成二十五年三月の日銀人事から七月の参議院選挙勝利までが、間違いなく安倍内閣の絶頂期だろう。この権力は、安倍首相が自力で勝ち取ったものだった。 その時、安倍首相は「九十六条の厳しすぎる改正手続きの改正」を訴えた。返り咲いての代数が九十六代であるので、相当の意気込みであった。ところが前述の通り、産経新聞とフジテレビ以外のすべてのメディアがバッシングをはじめ、不戦敗となった。 今の、岡田克也氏による敵失だけで政権を維持しているに等しい安倍内閣に、九十六条改正より難しいことができるのか。安倍晋三首相が施政方針演説を行った衆院本会議場。首相が憲法改正など「戦後以来の大改革」を訴えると、与党席から大きな拍手がわいた=2015年3月12日 もちろん、日本国憲法前文がいかにおぞましいかは、小書『帝国憲法の真実』(扶桑社、平成二十六年)で一章をかけて書いた。文法の誤りなどを直せとの意見もあるが、小修正よりも全面削除がふさわしかろう。あれを要約すれば、「私たち日本人は悪いことをしました。二度と逆らいませんから、殴らないでください」である。「占領軍への詫び証文」とも言われるのも当然だ。内容があまりにもひどすぎて、「てにをは」を直すレベルではない。全面削除が然るべきだ。現時点で争点化するべきとは思わないが、自主憲法を謳う前文は天皇のお言葉でなければならない。では、どのような前文がふさわしいか。これは、長くなるので『帝国憲法の真実』をご参照されたい。一言で言うなら、帝国憲法の前文にあたる。 しかし、「前文の字句を修正しよう」と言っても、どこをどう修正するのか、改憲派の合意すら、今からでは不可能だろう。やるなら、全面削除だが、代案も難しい。現時点で「天皇のお言葉にしよう」などと訴えることが通るとは思えない。 憲法改正の本丸を九条に位置付ける論者は多い。その是非は、今回は論じない。だが、間違いなく断言できるのは、「九条で一点突破」など、玉砕するだけだと言うことだ。やってみる価値すら、無い。繰り返すが、九十六条ですら絶頂期の安倍内閣が不戦敗なのである。また、去年の安保法案がどうだったか。特に大した内容の法案とも思えなかったが、あの騒ぎである。 では、自民党の九条改正案が、玉砕してでも価値があるほどの法案か。一つだけ挙げる。自民党憲法案第9条の2(国防軍)1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。 緊急事態条項のところでも説明したが、総理大臣不在、内閣機能不全の場合はどうなるのか。総理大臣に関しては、内閣法で継承順位が五位まで決まっているので、誰か一人くらいは生き残るだろうとの楽観論を唱えられるかもしれない。 では、現代戦では極めて普通にありえる、「閣議中の首相官邸にミサイルが撃ち込まれて閣僚全員が死亡」などという事態になったらどうするのか。 帝国憲法下では「宮中序列」があり、総理大臣・枢密院議長を筆頭に、元老から衆議院議員全員に至るまで順位が決まっていた。ここで、いきなり「天皇の統帥権」などと、絶対に受け入れられない議論をしようなどとは思わない。ただ、帝国憲法下では、議会と内閣だけでなく枢密院があり、そして究極の安全保障機関として天皇が存在した。また、いかに緊急事態といえども、政府が「陛下の赤子」である国民の権利を侵害しないような仕組みでもあったのだ。四重の備えであった。実によくできていた。 緊急事態への対処を含めた安全保障の問題と権利尊重のバランスは難しい。 要検討であろう。 少なくとも、今次参議院選挙までに、九条改正の機運が盛り上がるとはとても思えないし、安倍内閣を無意味に危険にさらすだけであろうから、反対である。おわりに~保守陣営よ、戦略を持ておわりに~保守陣営よ、戦略を持て 改憲の機運が盛り上がっているなどと上滑りすべきではない。これすべて、岡田克也氏が与えてくれた僥倖にすぎないのだから、むしろ気を引き締めるべきである。 かつて、コミンテルンは言論界の乗っ取りを手始めに、遂には世界に冠たる大日本帝国を滅ぼした。最近の研究では、当時の日本で勇ましい発言をする者の九割は何の戦略もない思いつきで行動していただけであり、一割のスパイは偽装右翼として潜伏、正論が通りそうになる時だけ全力で潰していたことがわかってきた。 この反省無くして、戦後レジームの脱却などありえない。戦後レジームとは敗戦体制なのだから、昭和二十年八月十五日に始まったのではない。その前に原因があるのだ。我々は負けた反省、特に正しい言論が通らなくなった反省こそ、命懸けで行うべきだ。 党首に返り咲いてからの岡田克也氏の言動を目にするにつけ、安倍内閣を支え、戦後初の改憲を軌道に乗せようとしているとしか思えない。 ここで頭の体操をする。もし私が岡田氏を操る黒幕だったとすれば、何を考えてそれをやるか。毒にこそなれ、薬にはならない改憲案を安倍内閣に発議させ、大騒ぎをしてレッテル張りをした上で通す。そして、まともな改憲案を二度と出させないようにさせる。 かくして、日本が敗戦国のままの体制は、改憲前よりも強固になる。 何の証拠もない頭の体操だが、このような事態が絶対に起こりえないと言えるだろうか。黒幕が居る、居ないにかかわらず。 私が七条と五十三条の改正を参議院選挙で打ちだすよう求めるのは、そのような悪意をも想定しての事なのだ。

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    安倍内閣を待ち受ける南シナという第2の「キューバ危機」

    鍛冶俊樹(軍事ジャーナリスト)第2のキューバ危機か 昨年の春、国立公文書館で米国の大統領だったケネディの展覧会が開催された。言うまでもなく、ケネディは日本でも人気の高い大統領だったし、今の駐日米大使キャロライン・ケネディはその長女に当たる。まさに日米親善のために絶好の企画であることは論を待たない。 しかし、なぜこの時期か、私はそこに安倍総理のある種の決意を強く感じた。というのも本展覧会の開催が発表されたのは、一昨年12月9日だが、その7カ月前の5月には、中国が南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島で人工島を造成し、その上に滑走路の建設を計画していることが明らかになっている。同年10月には、パラセル(西沙)諸島に滑走路が完成し、11月にはスプラトリー諸島での建設中の滑走路が衛星画像で確認された。1月24日に撮影された南シナ海・クアテロン礁の北部。左上にレーダー施設があり、右下にも建設中のレーダー施設がみえる(CSISアジア海洋透明性イニシアチブ・デジタルグローブ提供、共同) そんな状況で、ケネディと聞けば安全保障通なら反射的に思い浮かぶのはキューバ危機である。1962年、旧ソ連は米国に近接したキューバに核ミサイル基地の建設を開始し、偵察機が撮影した航空写真でそれを察知した米ケネディ政権は、基地の撤去を求めてキューバを海上封鎖した。 当時キューバはソ連の衛星国であり、そこに核ミサイルが設置されれば、米国を含むカリブ海沿岸諸国は核攻撃の射程範囲になる。現在、スプラトリー諸島に戦闘機が配備されれば、南シナ海の制空権は中国のものとなり、沿岸国は従属を強いられる。ならば、これを阻止する手立ては半世紀前と同様、海上封鎖ということになろう。 展覧会では、キューバ危機にまつわる数々の資料が展示されており、そこには当時、訪米していた佐藤栄作自民党幹事長(後に総理)の日記も公開されていた。佐藤氏は安倍総理の大叔父であり、その日記を敢えて公開するのは、国民にキューバ危機を身近に感じて貰いたいとの総理の意向であろう。 展覧会が開催される直前の2月には、人工島が異常に拡大しているのが報道された。ヒューズ礁は2004年2月に380㎡だったのが2015年1月には7500㎡と200倍に拡大していたのだ。 展覧会が開催されている最中の4月にはスプラトリー諸島のファイアリークロスで滑走路の建設が始まったことを示す衛星画像が公開され、フィリピンのアキノ大統領が強い懸念を示した。バンドン会議で見せたリーダーシップバンドン会議で見せたリーダーシップ 同月、安倍総理はバンドン会議60周年首脳会談で「国際紛争は平和的手段によって解決する」べきと演説し、南シナ海問題でリーダーシップをとる姿勢を明確にした。 そもそもバンドン会議とは、1955年にインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ首脳会議で、そこで植民地解放が宣言された。ところが、この会議には欧米列強やソ連は招かれなかった中で、日本だけが優先的に招かれたのである。 つまり当時のアジア・アフリカ諸国は欧米やソ連を植民地帝国として非難していたが、日本は植民地解放の盟主として評価されていた訳だ。いうまでもなく第2次世界大戦のさなか1943年(昭和18年)東京でアジア初の首脳会議「大東亜会議」が開かれ、そこで植民地の解放が高らかに宣言されたことを、各国の指導者は鮮明に記憶していたのである。 ところが、戦後は戦勝国側の歴史観ばかりが喧伝されたため、いつの間にか解放者であった日本が侵略国にされてしまい、2005年のバンドン会議50周年のアジア・アフリカ首脳会議では、当時の小泉総理は、「日本の侵略」を謝罪するという愚挙を犯し、バンドン会議や大東亜会議を記憶していた東南アジアの人々を失望させたのであった。 この謝罪を機に東南アジアの主導権は日本から中国に移り、中国は南シナ海侵略を本格化させることになったのである。 60周年に際して、安倍総理は、「日本の侵略」とか「謝罪」などの表現は一切用いず、「国際紛争は平和的手段によって解決する」というバンドン10原則の一節を引用する形で、中国の南シナ海侵略を批判した。 これに励まされた形で同月末、マレーシアで開かれたアセアン首脳会議では、中国の南シナ海埋立てを非難する議長声明が出されたのである。米中確執 高まる南シナ海危機米中確執 高まる南シナ海危機 この翌月すなわち昨年5月には、米国防総省は中国の南シナ海スプラトリー諸島の人工島の面積が4か月間で4倍に膨らんでいると発表した。同時期に米軍はオバマ大統領に同島周辺海域に米軍艦艇を進入させ、工事を阻止しなければ滑走路が完成してしまうと警告したが、許可されたのは偵察機による周辺飛行だけだった。 もし、このとき米軍艦艇が進入していればスプラトリー諸島に滑走路は完成しなかったであろうが、オバマの不決断の結果、9月に同諸島ファイアリークロス礁に戦闘機離発着可能な3000m級の滑走路の完成が確認され、同諸島の他2カ所でも同様の滑走路が建設中であることも確認された。南シナ海・スプラトリー(中国名・南沙)諸島のファイアリークロス(中国名・永暑)礁を埋め立てて建設した飛行場に着陸した中国の航空機=1月6日(新華社=共同) オバマが米軍艦艇の進入すなわち「航行の自由」作戦を許可したのは10月である。いかにも遅すぎるの感が否めないが、なぜ10月まで動かなかったのか?一体オバマは何を待っていたのか? 米国は常に同盟国の意向を重視する。もし戦争になった場合、味方になって共に戦ってくれるかを確認しなければ、軍事的行動を取らないのが歴史的通例だ。キューバ危機ではケネディはフランスに使者を送り時の大統領ドゴールに確認を取っている。 ならばオバマも同盟国の確認を取っていたのであろう。同盟国の確認とは集団的自衛権を行使するかの確認である。その確認をとるのに、そんなに時間の掛かる国は、世界に一つしかない。日本である。 平和安全法制いわゆる安全保障関連法が国会で成立したのが9月19日のことである。集団的自衛権の行使を一部容認したこの法制は、反日勢力によって骨抜きにされてしまったが、少なくとも米国とともに戦うことを明言することはできるのである。 だが法制が施行されるのは、4月以降である。米国は4月以降に南シナ海における軍事作戦を本格化させるべく下準備に入っている。2月にカルフォルニアで米アセアン首脳会談を開き、航行の自由を声明したのも、キューバ危機のとき、米国が中南米諸国の同意を得るべく米州機構を開催したのに酷似する。対する中国も南シナ海西のパラセル諸島には戦闘機を配置し、中央部であるスプラトリー諸島に戦闘機を配備する時期を伺っている。 4月以降、第2のキューバ危機ともいうべき南シナ海危機が勃発する公算は極めて高いのである。

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    憲法に関し、ご都合主義的なのは安倍総理ではなく「東京新聞」だ

    岩田温(政治学者) 安倍総理が日本国憲法と自衛隊の関係について、次のような踏み込んだ発言をした。 「実は憲法学者の7割が、9条1項・2項の解釈からすれば自衛隊の存在自体が(憲法違反の)恐れがある、という判断をしている。自衛隊の存在、自衛権の行使が憲法違反だと解釈している以上、当然、集団的自衛権も憲法違反となっていくのだろう」 この安倍総理の発言は正当である。 拙著『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)で繰り返し、繰り返し論じたように、「集団的自衛権の行使容認によって、立憲主義が破壊された」と叫んでいた憲法学者の多くが「偽りの立憲主義」者だった。何故なら、彼らは、自衛隊の存在そのものを「違憲」の存在と見做しているからだ。彼らの解釈に従えば、自衛隊の存在こそが「立憲主義」を破壊するのであって、「立憲主義を破壊する自衛隊を廃絶せよ!」と主張するのが正当な主張であったはずだ。衆院予算委員会で自民党の稲田朋美政調会長の質問に答える安倍晋三首相 =2月3日、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) だが、自衛隊廃止論を展開すれば、多くの国民が、「ああ、この憲法学者たちの主張はあまりに極端な人だ」、「この人たちは現実を無視した空理空論を玩ぶ空想家だ」と気づき、彼らの本性が露呈してしまう。 そのために、国民が十分に理解できていない「集団的自衛権の行使容認」によって、戦後初めて「憲法の破壊」が行われるという詭弁を弄し始めたのだ。国民を欺く主張だったと言っても過言ではない。 安倍総理の指摘はこうした人々の極端な見解、そして欺瞞を暴く発言だった。 だが、こうした発言に猛反発するマスコミが存在する。  『東京新聞』は「首相9条発言 ご都合主義の改憲論だ」と題した2月3日の社説で次のように指摘している。  ちょっと待ってほしい。 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法をめぐり、多くの憲法学者らが憲法違反として反対の声を上げたにもかかわらず成立を強行したのは、当の安倍政権ではなかったのか。 自衛隊は、日本が外国から急迫不正な侵害を受ける際、それを阻止するための必要最小限度の実力を保持する組織であり、戦力には該当しないというのが、自民党が長年、政権を担ってきた歴代内閣の見解である。 自衛隊を違憲とする意見があるのは確かだが、国会での議論の積み重ねを通じて定着した政府見解には、それなりの重みがある。 安倍政権が憲法学者の自衛隊違憲論を理由に九条二項の改正を主張するのなら、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定や安保関連法についても、憲法違反とする憲法学者の意見を受け入れて撤回、廃止すべきではないのか。 都合のいいときには憲法学者の意見を利用し、悪いときには無視する。これをご都合主義と言わずして何と言う。それこそ国民が憲法で権力を律する立憲主義を蔑(ないがし)ろにする行為ではないか。 この社説がおかしいのは、安倍総理は、あくまで憲法学者がこういう意見を持っていると紹介しているだけで、歴代内閣の見解を否定するなどと主張していないのに、あたかも安倍総理が歴代内閣の見解を否定するかのように主張している点だ。これは、端的に間違いで、安倍総理は自衛隊を違憲だとはいっていない。多くの憲法学者が違憲だといっていると紹介しているだけだ。ご都合主義としか捉えられない「東京新聞」 面白いのは『東京新聞』が次のように主張している点だ。 「自衛隊を違憲とする意見があるのは確かだが、国会での議論の積み重ねを通じて定着した政府見解には、それなりの重みがある。」 この社説を読む限り、『東京新聞』は、「自衛隊」の存在を「合憲」とする政府解釈には賛成しているようだ。 それは大変結構な話だ。 だが、考えて頂きたいのは、憲法学者の多くが自衛隊の存在そのものを「違憲」だと解釈していることだ。『東京新聞』はこうした憲法学者の意見には大した重みがないと考えているようだ。 それではなぜ、その同じ憲法学者たちが唱える「集団的自衛権の行使容認は憲法違反だ」という主張には諸手を挙げて賛成するのだろうか。 もう一度、確認してみよう。 安倍総理は、憲法九条を根拠として多くの憲法学者が自衛隊を「違憲だ」と主張していることを紹介している。そして、そうした憲法学者の主張に基づいて、「自衛隊を廃絶せよ!」などとは主張していない。自分自身ではそう解釈していないものの、祖国を守る自衛隊の存在を「違憲」だと解釈されてしまう余地のある憲法は改正した方がいいのではないか、というのが安倍総理の主張だろう。 これについて、『東京新聞』は次のように云っている。 安倍政権が憲法学者の自衛隊違憲論を理由に九条二項の改正を主張するのなら、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定や安保関連法についても、憲法違反とする憲法学者の意見を受け入れて撤回、廃止すべきではないのか。 都合のいいときには憲法学者の意見を利用し、悪いときには無視する。これをご都合主義と言わずして何と言う。それこそ国民が憲法で権力を律する立憲主義を蔑(ないがし)ろにする行為ではないか。 「ご都合主義」なのは、安倍総理ではなく、『東京新聞』の方だ。 安倍総理は「集団的自衛権」の問題に関しては、多くの憲法学者たちの見解とは反した立場に立っている。そして、自衛隊は「違憲だ」という憲法学者たちの主張に対して賛同していない。何故なら、彼らの主張に従えば、憲法に従って、自衛隊を廃絶せよということになってしまうからだ。こうした極端な主張が為されないために改憲すべきではないかと主張しているのだ。2014年5月16日付の東京新聞 「自衛隊の存在を違憲」「集団的自衛権の行使容認も違憲」とする憲法学者たちと一貫して対峙しているのが安倍総理であって、こうした姿勢を批判するのは構わないが、これは別に「ご都合主義」ではない。寧ろ一貫した姿勢である。 逆にご都合主義としか捉えられないのが『東京新聞』の方だ。 『東京新聞』は、集団的自衛権の行使容認に関しては、多くの憲法学者たちの主張に賛同して、「違憲だ!」と説く。しかしながら、自衛隊の存在に関しては、多くの憲法学者の「違憲だ!」という主張を無視して、「自衛隊を違憲とする意見があるのは確かだが、国会での議論の積み重ねを通じて定着した政府見解には、それなりの重みがある」という。 先程の安倍総理への批判をもう一度読み返してみよう。 「都合のいいときには憲法学者の意見を利用し、悪いときには無視する。これをご都合主義と言わずして何と言う。」 何とも嗤うべきことに、ご都合主義なのは、そう批判している『東京新聞』の方なのだ。 多くの憲法学者が自衛隊の存在そのものを「違憲」と捉えている事実を指摘されると周章狼狽し、自分たちが都合のいい解釈をしてきたことを糊塗し、あたかも事実を指摘した人間が間違っているかのように論ずるのは、不適切だ。(「岩田温の備忘録」 2016年2月8日掲載分を転載)

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    日銀は失敗を認めるべき 決断求められる安倍首相

    [WEDGE REPORT] 日本の経済政策にも転換点到来倉都康行 (RPテック代表取締役、国際金融評論家) 世界経済の失速感が強まる中で、先月OECD(経済協力開発機構)は各国に財政政策への検討を促す報告書を発表し、IMFも同様の要請を行った。その直後、G20財務相・中銀総裁会議では「政策総動員」といった勇ましい声明を通じて金融政策偏重の傾向を修正する方向性が打ち出されたが、具体的な中身は何もなかった。日本にも求められる金融政策の進路変更(iStock)変化する英米の金融政策の方向性 だが確実に変化しているのは、英米の金融政策の方向性である。米国FRB(連邦準備制度理事会)は利上げ路線が修正を迫られ、追随すると見られていた英国中銀の利上げ傾斜姿勢も完全に崩れた格好になっている。特に興味深いのは、米国における主流派エコノミストの内部分裂である。 具体的には、インフレ率はいずれ上昇に向かうとの期待を抱き続けるイエレン議長、フィッシャー副議長、ダドリーNY連銀総裁らと、長期停滞期におけるデフレを懸念すべきだというサマーズ前財務長官やクルーグマン教授らの、真っ向勝負の対立である。 昨今では債券市場を味方に付けた後者の勢いが優勢であり、前者は追い詰められつつある。景気動向には不透明感もあり、その論戦は終わった訳ではないが、FOMC(連邦公開市場委員会)メンバーの中でもセントルイス連銀のブラード総裁のように、積極的な利上げ派から慎重派に転向宣言する向きが現れた。3月以降のFOMCは見ものである。 日本でも、安倍晋三政権誕生以来リフレ派と反リフレ派が金融政策論戦を続けている。前者の代表として黒田東彦総裁は2%のインフレ目標を掲げ、物価が上昇すれば執拗なデフレマインドが払拭されて日本経済を成長軌道に乗せることができる、と主張してきた。それに対し、無理にインフレを起こしても成長につながる訳ではなく、デフレ・スパイラルになるような状況でなければ深刻な問題ではない、と見るのが旧来の日銀を代表する反リフレ派であった。いつブレーキはかけられるのか? 現状を見れば、リフレ派の劣勢は明らかだ。マネタリー・ベースを膨らませればインフレになる、といった議論は完全敗北を喫した。また日本経済にとっての恩恵である原油価格の下落を目標未達の主犯に挙げてあたかも災いのように語る姿は、一般国民には異様に映るだろう。 だが、依然として日銀の緩和強行路線にブレーキはなかなか掛からない。その金融政策決定会合では、現行の政策方針への賛成・反対構造が5対4で事実上固定化されており、FRBのような柔軟性は乏しいからだ。 黒田総裁の論調は明らかにダッチロールの様相を強めている。1月の国会で「マイナス金利は想定していない」と述べた1週間後にマイナス金利を導入し、2月には「マネタリー・ベースの拡大では期待インフレ率は上昇しない」と、就任時の主張をまるで180度転換させるような発言をしている。 市場には「日銀の信用力に警戒信号が灯り始めた」との見方が出てきた。そして先般のG20の席上でも「日本の金融政策は通貨切り下げ競争を加速しかねない」と指摘されていたことも明らかになっている。 筆者は黒田総裁が投入した派手な量的緩和には反対の立場だが、急激な円高圧力に対して非常手段としてのマイナス金利を導入することには賛成であり、2011年12月号の「ウェッジ」誌上でも、マイナス金利導入を提唱したことがある(『マイナス金利で円高阻止を』)。また、日本のリスク・テイク意識を覚醒させるためにも、一時的なマイナス金利は必要悪かもしれない、と思っている。 ただし、その金融政策の単なる延長上に日本経済にとって最大の命題である「潜在成長力や一人当たりGDPを向上させる姿」を描くことはできないだろう。2%という全く理論的根拠のない物価上昇率目標と非現実的な目標時期を掲げる限り、財政ファイナンスに直結する量的緩和と市場機能を破壊するマイナス金利の二本立ての金融政策が、精査されることなく延々と継続される可能性は高い。アベノミクスの結果を直視するアベノミクスの結果を直視する 昨今の安倍政権の立場は、経済問題は日銀に任せておくという、一見日銀を信頼しているように見えて、実は責任をすべて日銀に追わせようとする、逃げの姿勢である。財政出動の余力がなく、面倒な規制緩和への意欲を失っているからだ。そして経済ペースの低迷の原因を、中国経済や原油市場など外部要因に押し付けている。 いま必要なのは、政府が3年間のアベノミクスの結果を真摯に直視し、過ちを認めて経済政策を転換させることである。具体的には、日銀の迷走を止めること、財政政策に知恵を絞ること、そして規制緩和へのエンジンを再開することだ。民間では、金融機関がマイナス金利の時代に見合った新しい融資手法を開発することも必要である。 日銀に関しては、インフレ目標を長期的な目途に戻し、その数値や期限に関する固定的な概念を放棄して、金融政策の自由度を取り戻す必要がある。それを黒田総裁に強く要請出来るのは、アベノミクスの責任者でありかつ日銀総裁を任命した責任者でもある安倍首相以外にいない。日銀のマイナス金利がスタート。黒田総裁の異次元緩和策は三度目の正直となるか 株式市場や為替市場は一時的に動揺するだろうが、現行政策を続けたとしてもいずれ市場は大きな衝撃に見舞われる可能性が高い。それは、アベノミクスが当初から胚胎していた必然の代償でもある。傷は早いうちに治療した方が賢明だ。 また、財政赤字削減が急務の日本に財政政策発動の余力は小さいが、既存国債を超低金利の超長期や永久債などに借換えしたり、GDP連動利子の永久国債発行で成長分野へのファイナンスを支援したりすることは出来るだろう。先進国の財政問題の本質とは、新興国と違って元本のGDP比ではなく、歳出に占める利払い費用の割合であるからだ。民間金融にも必要な逆転の発想 GDP連動利子の永久国債とは、株式に似たいわば成功報酬型の債券であり、民間金融機関の融資にもその方法は応用可能である。足許は厳しい環境にあるが将来性の見込める企業に対し、当初はゼロ金利を適用し、業績向上に応じて配当型の金利を支払ってもらうことを融資条件とすればよい。成長資金供給体制として、必要があれば政府がその元本の一部を保証するような手法も検討し得るだろう。 マイナス金利の世界は、まさに鏡の国の世界であり、民間金融にも逆転の発想が必要になる。こうしたアイデアを現実化するのは容易ではないが、現状批判ばかりでは何も生まれないのも事実であろう。転換期に直面しているのは、アベノミクスだけではない。

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    安倍内閣には「経済が、結果を出す」

    大西宏(ビジネスラボ代表取締役) 政権の安定性が唯一の取り得の安倍内閣ですが、経済が思わしくなく、いよいよ夕陽が沈む黄昏の様相となってきました。下り坂に向かうと、足元でいろいろ問題も起こってきます。成長戦略の旗振り役で安倍総理の盟友、甘利経済再生相の金銭授受疑惑の発覚が象徴しています。 安倍内閣の功績としてはTPP妥結は評価したいところですが、アベノミクスが長い目でみれば駄目でした。異次元の金融緩和で円安誘導し、株価があがって、為替で大企業が未曾有の利益をあげた。それで宴となりました。 そこまでは良かったのですが、その擬似好景気によって、ほんとうの課題であった産業構造の転換が遅れる結果になったように感じます。しかもお題目としては切れ味がよくない「一億総活躍」を唱えたのですが、でてきた政策はがっかりするものが多かったのではないでしょうか。2月12日の日経平均株価は終値が1年4カ月ぶりに1万5000円を割り、円高も進んだ=東京都港区 アべノミクス第二弾も、総花で、これといった経済政策の目玉がないままに、中国経済の減速、原油安が引き金となり、株価の下落、さらに円安から円高へと流れが変わりました。アベノミクス効果は足元から揺らいできています。運もツキも尽きたの一言ではないでしょうか。 つい最近、不要な書籍を処分しようとしていたら、高橋洋一氏の「アベノミクスで日本経済大躍進がやってくる」がありました。今からすれば、まるでブラック・ジョークです。 日本の経済停滞は「デフレが原因だ」とう風説がメディアを支配し、経済停滞という原因とデフレという結果を混同した話がまことしやかに広がっていた頃の一冊でしょうか。その頃は、異を唱えると「それはデフレ容認だ」とまるで魔女狩りのような状況になっていました。 高橋氏にかぎらず、リフレ派の人たちは、日本経済大躍進とならかったのは、消費税をあげたからだということのようですが、本当にそうなんでしょうか。俄には信じられないことです。残念ながら、経済に関しては、昨年秋の予感どおり、いやそれよりも思わしくない展開になってきたようです。 安保法制は数の論理で成立しても、経済はそうはいきません。ほんとうの力量が問われてきます。さて起死回生の手を打てるのか、なすすべもなく経済が減速し、内閣が失速するのか、安倍内閣に残されている時間の余裕は少ないのではないかと思います。  安倍内閣は残念ながらもうすぐ失速しそう いずれにしても、安定していることが最大の取り得だった安倍内閣ですが、足元の経済が思わしくなくなれば、自然、やがて支持率も下がってくるでしょう。自民党が掲げた「経済で、結果を出す」どころか安倍内閣の寿命は「経済が、結果をだす」ことになりそうです。 ただ、自民党は小選挙区制で党内にリーダーが育ってくるメカニズムを失い、頼みの野党も、いつまでも過去の時代のパラダイムから抜け出せず、混迷したままで、安倍内閣に代わる政権リーダーが見当たらないために、安倍内閣の黄昏状態が長く続くのかもしれません。それはそれでも、次世代のリーダーなり、新しい改革の芽が生まれ、育ってくる状況ができればいいことです。 ただ、実体経済を変えるのは政治ではなく、民間の知恵や努力です。政治ができるのは、そんな民間の知恵や努力を引き出すためのビジョンを示すことや、日本が世界経済のなかで勝ち残るための戦略を示すことではないでしょうか。 もはや政治や官僚で経済が動く時代ではなく、ビジネスも、政治で左右されるというのはよほどの大企業か、利権ビジネスぐらいなものです。それぞれが、やるべきことをやる、チャレンジするものが報いられるという時代の空気が広がっていくのがいいと感じます。(2016年01月22日「大西 宏のマーケティング・エッセンス」より転載)

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    リーダーの資質とは? ~今年の参院選、民主党は完敗する~

    長谷川豊 私の人生を変えたドラマとも言える、米ドラマ「glee」。お正月のお休みを利用し、そのファイナルシーズンを鑑賞しています。 学校の中で「格好悪い!」「負け犬!」とののしられ続ける「合唱部=glee」の部員たちの奮闘を描いた青春ドラマで、アメリカではあまりの人気に社会現象化し、オバマ大統領もその人気にあやかるため、ホワイトハウスにキャスト達を招くパフォーマンスをしたことでも有名です。 そんな「glee」もいよいよファイナルシーズン。先日Amazonで注文したブルーレイも届き、やっと見始めたのですが…相変わらずの秀逸な作りで、いつも通りなかなか途中でやめることが出来ず(笑)、他の作業が手に着かない状態が続いています。 さて、そんな米ドラマのセリフの中に、とても刺さるセリフがありました。サムという合唱部の卒業生が、スペンサーというアメフト部のクオーターバックを夢見る若者を、合唱部に誘うシーンです。あべのハルカスを訪れ橋下徹大阪市長と談笑する安倍晋三首相=平成26年4月、大阪市阿倍野区(代表撮影、肩書当時)「周りの評価が怖い」「合唱部なんて…バカにされる」 スペンサーは合唱部へに入部を拒否します。周囲の評価を気にするのは当然のことだと主張します。しかし、サムは言います。「スペンサー、世の中を変えるためにはリーダーが必要なんだ。リーダーとは…」■■■■■■■■■ 私は、かねてより2016年の最大のニュースは参院選になるはずだ、と感じています。リオのオリンピックもありますし、お金を出しているテレビ局は延々と五輪の英雄話を作り上げ、もてはやし、いつも通りのお寒い大騒ぎを繰り返すことでしょう。ですが、日本にとってとても大きな出来事は、間違いなく7月10日(もしくは17日?)に行われるであろう参院選です。他のコラムでも書いたことですが、この選挙は「憲法改正が焦点となる史上初めての選挙」 となります。戦争に負けた日本が、GHQに占領統治されている時代に押し付けられた…現在の「日本国憲法」。私はこの文章を「日本の憲法」とは認められない気がしています。いい内容もたくさんあると思います。むしろ、全文、今のままでもいいとすら思います。でも私は、とにかく… 日本人が作った憲法 の下で生活したいと感じています。その為には、一度、憲法を改正するかどうか、日本人たちで、みんなで、国民投票をしてみたいと感じています。国民投票の結果、今のままの文面になったらそれでも全然受け入れられるんです。とにかく「戦争に負けたので他国に押し付けられただけ」の憲法は…もうあれから71年もたっているのに先進諸国としていかがなものだろう…と感じるのです。 そして、その史上初めてのテーマが大きな争点の一つとなりうる今年の参院選。私は…「自・公の圧勝。民主党らの大敗」 と予想しています。何度も当コラムで指摘している通りです。私は今のままでは野党の面々はかなり厳しい戦いを強いられると断言します。特に「民主党は解党的な出直しをしなければ負ける」と何度も指摘している通りです。 その理由が「民主党が何をしたい政党なのか、全然見えない点」です。 何度も書いていることですが、もう一度書きます。 自民党は結党以来、「自分たちで日本国憲法を作ろう(=自主憲法の制定)」が1丁目1番地の政党です。もちろん、他にも経済政策はトリクルダウン式の施策であったり外交面は対アメリカ重視の姿勢であったり、色々とあるのですが、安倍政権になり、特に明確に打ち出したのが「戦後レジームからの脱却」という姿勢です。第1次安倍政権時から一貫して打ち出すこの姿勢は多くの支持を受け、事実、去年8月に出された「戦後70年談話」では「これ以上、戦後に生まれた世代に謝罪をさせてはいけない」と表明。大変大きな支持を集め、安保法案成立時のエキセントリック報道で下がっていた内閣支持率をあっという間に戻す現象まで起きました。そしてその言葉通り、年末の韓国との歴史的合意に持って行くという実行力を見せつけました。 それを支える公明党も、極めて明確な「分かりやすい政党」と言えます。終始一貫して主張し続けているのが「弱い立場の人たちを救おう=(弱者救済)」というもの。結党から変わらぬ1丁目1番地です。こちらも、山口那津男代表の元、非常に安定した政権運営の大きな力となっています。 台風の目になりそうな「おおさか維新」の存在。引退した橋下徹元代表の元「東京一極集中の状態は日本にとってよくない!」と一貫して訴え続け、大阪では一度否決された「大阪都構想」を再び俎上に載せた先日のW戦では、皆さんご存知の圧勝劇となりました。こちらも橋下氏が知事になった8年前より「地方にもっと権限を与えて行こう=(地方分権)」が1丁目1番地であることを変えていません。 この3党がなぜ「強い」のか。 簡単です。これらの政党には「しっかりとしたリーダーがいる」んです。この分かりやすさは、有権者にダイレクトに訴えられます。 私は考え方が違いますし個人的には全く支持しませんが、近年共産党の支持率や勢いが増しているのも同じ原理です。共産党は一貫して「確かな野党」という戦略を打ち出し「政権の暴走に歯止めとなる勢力となるのだ!」と志位委員長の元、徹底した反対姿勢を打ち出し続けています。こちらも「何がやりたいのか」がとてもよく伝わる政党運営と言えます。 選挙は「政党」に票を入れるだけではないんです。「どのリーダーに投票するのか」がとても大切なのです。 では民主党にそれだけの魅力的なリーダーがいると言えるのでしょうか? 「glee」のワンシーン。サムはスペンサーに言います。 「いいか?スペンサー、世の中を変えるためにはリーダーが必要なんだ。リーダーとは『自分を表現できる人間』のことを言うんだ」 本当は音楽が大好きで、自分の部屋ではロックを歌い続けていたスペンサーはこの言葉に心を打たれ「周りの評価よりも自分が表現したい舞台=合唱部」に入部を決意します。 安倍総理も、橋下徹氏も、山口那津男氏も、志位委員長も。 批判もされます。叩かれます。バカにもされます。しかし、彼らは「一貫している」んです。自分の「やりたいこと」を成し遂げるために政治家になったので。そして、それらがとてもシンプルなので周囲に自分がやりたいことを明確に「表現できていている」んです。そしてそれらが響いた人たちが、彼らに票を入れるのです。 岡田克也さんはいったい何がやりたいんでしょう? 岡田克也さんって、なんで政治家になった人なんでしょう? 岡田克也さんって、一度政権を2009年に担えているのに、それらを実行できたんでしょうか? これらの質問に対する答えが…少なくとも、国民には全く伝わっていないのです。ひょっとしたら、自分でもまとまっていないかもしれません。繰り返しますが、私は今年の参院選、民主党は負けると見ています。理由は単純で「投票する理由が見当たらないから」です。何をしたいのか、見えないのだから。 今、私は数多くの番組を担当させていただいていますが、フリーになってからの私の「1丁目1番地」は今年も揺るがずに行こうと思います。その姿勢を評価してくださる方々がいれば、これからも私の番組をご覧になってください。そして一緒に楽しみましょう。 「キー局では『自主規制して』勝手に辞めていることをやり、『自主規制の結果』勝手に言えないと思い込んでいる言葉を紡ぐ」 テレビって、実はここまで面白く、楽しいんだ!ということを今年も表現していこうと思います。(2016年01月03日「長谷川豊公式ブログ」より転載)

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    国会よ、目覚めよ! イクメン議員を認めない「昭和」なおじさん感覚

    瀬地山角(東京大学大学院総合文化研究科教授) 国策として、男性の育児休業取得促進が叫ばれている時代に、何と時代錯誤な議論を国会はやるのだろうか。国会議員の育児休業、当然認められるべきである。特に男性の宮崎謙介議員が「取りたい」と言ったことは高く評価したい。 「税金を受け取る身である以上、育休取得は慎重であるべき」というのであれば、公務員は全員育休がとれなくなってしまう。国会議員には育休制度がないために、給与を全額受け取れることが、反対側の一つの論拠になっているようだが、だとすれば、しかるべく減額するなりして、きちんと制度を作ればよい。それほど時間のかかることだろうか?もし仮に今回、制度改正が間に合わないのであれば、自主的に返納するなどの形で、国民に説明すればすむことだ。「お金が問題なのではありません、男性も子育てに関わるべきだと思うからです」と堂々と主張し続けてほしい。育休取得表明で話題になった宮崎謙介議員(奥)と妻の金子恵美議員 少子化対策を掲げながら、一方で「育児は女のやることだ」という感覚を引きずる「育児なし」の「おじ(い)さんたち」の感覚がしみ出ている。こんな人たちが意思決定をするから、三世代同居が「少子化対策」として、補助金の対象になってしまったりするのだ。おばあちゃんに子どもの面倒を見させて待機児童を減らし、ついでに介護は嫁にやってもらおうというのだろう。育児休業法制定(1991年)以前の、なんとも「昭和な」感覚だ。「福祉は家族が担うことを基本とした上で」という「日本型福祉社会論」を明確に否定して生まれたのが、育児休業であり、介護保険制度だというのに。 そもそも被雇用者ならば、出産後8週までは女性には産休があり、その後の育休では6ヶ月間、それまでの平均給与の67%が給付金として支給され、7ヶ月目以降は50%になる。原則は子どもが満1歳になるまでだ。しかし女性が6ヶ月で育休を取るのをやめて、男性が代わりに取ると、再び6ヶ月間67%が支給される仕組みとなっている。この67%には税金や保険料がかからないので、実はそれまでの手取額と大きくは変わらない。しかもこれは労働者の権利として認められているものなので、仮に勤務先に育休制度の規定がなかったとしても、申請があれば、雇用主は認めることが義務付けられている。非正規でも1年以上働いていて、復帰後も雇用が継続される場合には、やはり育休取得の権利が生じるので、国会議員は任期が短いから適用すべきではないという反論もあたらない。実はよくできている日本の育休制度 妨げているのは… 実は日本の育児休業制度、けっこうよくできているのだ。北欧を除けば、世界の最高水準にあるといってもよいと私は思う。そして制度改正のたびに、男性の取得者を増やすべく、工夫を続けてきた。男性が2ヶ月以上取得すると満1歳までの育休を1歳2ヶ月まで延ばすことのできる、いわゆる「パパクォーター制」や、先に挙げた2014年改正の最初の6ヶ月間67%というのも、男性にとってもらうためのしかけである。育休を取りたいという男性はさまざまな調査で3~4割に上っており、国は男性の育休取得率を2020年に13%に上げるという目標を立てているが、現状はここ数年2%前後を行ったり来たりするだけだ。男性が育休を躊躇する最大の理由は、「職場の理解がない」ことであるのが、これも調査で明らかになっている。そして国会もまたそういう「理解のない職場」なのだ。 少子化と男性の育児休業の関係について、少したとえを使ってみよう。いま植林をする林業者と、植林をしない林業者が、競争をしたとする。これは必ず植林をしない林業者が勝つ。相手の林業者が植林をしている間も木を伐り続けることができ、木1本にかかる工賃が安くなるからだ。消費者が何も知らなければ、植林をしない林業者の安い木のみが売れ、やがて日本中の山がはげ山になる。そして30年後に私たちはその保水力を失った山林からの大水害という形で、30年間植林の代金を払ってこなかったことのツケを一気に払わされる。実は、私たちは植林をする林業者の高い木を1本1本買うことで、30年後の大水害を防ぐコストを積み立てていたのだ。 少子化と何の関係があるのかと思うかもしれないが、植林をしない林業者を男性労働者、植林をする林業者を女性労働者、植林を子育てと置き換えてみてほしい。なぜ企業が、女性よりも男性を雇う傾向があるかがわかる。つまり現状のように女性ばかりが育児をする状況を考えれば、企業は女性を雇ったときにのみ、家事・育児の時間があるために、夜遅くまで働かせることはできないと考える。育児休業もとるのは圧倒的に女性が多いので、共働き世帯でも育児全般を主に女性が担っている。ところが男性は、あたかも背後に子どもや要介護の高齢者はいないかのごとく働く。ほとんど家事をしないために、残業もさせやすい。植林、つまり子育てのコストは、女性労働者の肩の上にのみ加算されているように、企業には見え、したがって植林のコストがかからない、男性労働者を雇いたいと考える企業が多くなってしまうのだ。 しかしこうした状況が長く続けば、植林のコストが払われないまま、労働力という木が売れている状態が続くのだから、日本中がはげ山になる。これが少子化という現象だ。つまり今の日本の職場は「植林をしながら働く」ということが難しくなっており、実は、次世代の育成に必要な植林のコストを、応分に負担していない状況が長く続いているのだ。子育てのコストが、女性と男性との間で対等に分担されていない、という問題が解決しない限り、逆に言うと、男性を雇っても、女性を雇っても、「背後には子育てのコストがある」と考えられるようにならない限り、この問題は完全には解決しない。 夜遅くまで人を働かせることは、植林をしない林業者の木を買い続けているのと同じ現象で、短期的には、そして一企業にとっては、一見メリットになるように見えても、社会全体としては、次世代の労働力を再生産できない、という大変大きなデメリットを抱えることになる。 第1子の育児で男性が協力的だった場合の方が、そうでなかった世帯よりも第2子を産む可能性が高いことも調査で明らかになっており、男性の育児参加は有効な少子化対策でもある。だからこそ国会には目覚めてほしい。男性議員の背後にも子どもや要介護の高齢者など、ケアを必要とする人たちがいて、それを前提として社会が回らない限り、この社会は持続可能なものにならないのだと。 その実感すら持てない人たちに、少子化対策の議論などしてほしくない。そのためにも男性国会議員の育休は、絶対に認めるべきなのだ。

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    イクメン国会議員などもってのほか

    「育児休暇を取りたい」と宣言した自民党の宮崎謙介議員をめぐり、不倫疑惑が持ち上がった。男性の国会議員が育児で一時休暇した先例はなく、党内でも慎重論と賛成論が渦巻く議論に発展。ただ、当の本人の「醜聞」によって議論も台無しになったが、せっかくなので国会議員の育休について考えてみませんか?

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    「子育ては親育て」国会議員にとって育児とは?

    ですし、そもそもやりくりで話が済んでしまうのなら育児・介護休業法は不要です。意見)地元の有権者の声が国政に反映できなくなるのでは?橋本の感想)ここは秘書さんたちの出番でしょう。しかも今の時代、電話やファックスやネット等もありますから、本人も在宅でサポートできます。宮崎議員の場合「一か月程度」とのことですから、大きな支障が出るとも思いません。もちろん、災害等非常の場合、あるいは不信任案採決等、政局的に本会議に出席しなければならない場面は、本人がきちんと責任を持って対応することと思います。なお、なんらかの理由で(病気入院等の場合が多いですが)本会議等を、特に公表することなく一定期間欠席する議員は時折おられます。そうした方々に比べ、「育児のため」と事前に理由を明らかにするだけ、宮崎議員は有権者の方々に対して誠実な対応をして志していると思います。意見)有権者に理解されないのでは?橋本の感想)そもそも、育児休業が法制化されている意味は、ほっといても育児休業が理解されず、進まないからなのです。両親が仕事を休んででも育児に時間を割くことの意義を国民に伝え理解を得る努力をするのは、むしろ同法に賛成した国会議員の務めではないでしょうか。宮崎議員の行動もその一つとして理解できます。そして本当に有権者に理解されない場合、宮崎議員本人が議席を失うリスクを負うのであり、第三者が心配することではありません。「評判を落とす」という注意があった由報道がありますが、仮に政党の幹部がそのような発言をしたとするならば、世の中に育児休業への理解が深まる筈もありません。誠に残念なことです。 実のところ、ゴールは極めて簡単なことです。本会議への出席は義務ではなくて権利なので、本人は欠席届を提出して休めばよい。その他のことは法的には何の義務もないし、党内的には差し替え等同僚がフォローすればよいだけです。 とはいえ産休について規則はあります。衆議院の場合、このようなものです(参議院の規則も似たようなものです)。衆議院規則185条(2)議員が出産のため議院に出席できないときは、日数を定めて、あらかじめ議長に欠席届を提出することができる。この「出産のため」を「出産または育児のため」と改正すれば、育休の規則になる、というだけのことです。もちろん衆議院規則の改正は然るべく手続きを踏んで行わなければなりません。それには多くの議員を説得し、同意を得ていく必要があります。実現しようとすると、そうした努力を今後コツコツと取り組むべきでしょう。今回は、宮崎議員がそれをする前に、宣言がメディアに取り上げられ社会の注目を集めてしまったために話がこじれてしまった面もあるようにも思います。 これから結婚しよう、親になろうと思っている若者たちが、今回の騒動で「こんなに厳しいことを言われるんだ」と思って萎縮してしまったら、それは日本社会にとって極めてマイナスです。残念ながら今回の騒動で、与野党を超えてそうした声がメディアで伝えられているのは、個人的にはとても残念で仕方ありません。 現在の日本は、少子化対策担当の大臣が設けられ、政策目標として出生率向上を掲げなければならない程度に、切迫した状況です。また、女性議員も他国と比較して日本は少なく、いかにして増やすかという議論は、各党で行われているはずです。 その中で、めでたく結婚をしめでたく子どもを授かった二人の想いが、宮崎議員の宣言には籠っているのであろうと思います。結婚披露宴の〆の本人挨拶で、「未熟者の二人です。間違えることもあるかもしれませんが、ご列席の方々はどうぞご指導ください」みたいなスピーチも珍しくないわけです。国会議員とはいえ、まだこれから初めて親になる二人なのですから、不安な状態にもあるでしょうし、行き届かないことも舌足らずなこともあるでしょう。 ですから、願わくは人生の先輩方におかれては、彼の主張への賛成・反対は別にしても、自分の苦労を大上段に振りかぶるのではなく、まず若く不安な二人に、暖かく接してあげて頂きたいと思うのです。 そうした空気が世の中に満ちて、はじめて女性活躍も、地方創生も、一億総活躍も実現するのだと、僕は思います。(「橋本がくブログ」より2016年1月8日分を転載)

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    国民の不利益よりも育休? イクメン議員に「自覚」はないのか

    岩渕美克(日本大学法学部教授) 宮崎謙介衆院議員が、配偶者である金子恵美衆院議員の出産を受けて、自ら育児休業制度を利用する旨の発表をして賛否両論、議論を呼んでいる。国会議員が育休をとってもよいのかどうかということである。しかしこの問題の本質は、国会議員の育休だけではない。社会全体の問題として議論しなくてはならない。 第一の問題は、国会議員や地方議員、いわゆる政治家に関する育児休暇に関する規定がないことである。政治家と言えども家庭生活を営む市民であるから、議員の育児休暇に関する規定があってもおかしくない。むしろ作っておくべきである。それがないということに関して言えば、検討して作るべきであろう。宮崎議員の発言が、そうした契機となるのであれば非常に有用な発言であると言える。たとえば、公務員に関する育児休業法は、国家、地方ともに存在するからである。当然その際に、政治家についても議論すべきであった。したがって、規定がない以上、宮崎議員は育児を理由として国会を欠席するだけのことになる。育児が欠席事由として適当かどうかは本人が判断するしかない。 第二の問題は、取得率の低さである。そして取得率の低さが、少子化問題の解消や女性活躍を妨げているとしたら、大きな問題であると言える。制度だけは作ってみたものの、社会や人々の考えがそれに追いついていない状況は悲劇としか言いようがない。その意味で、一般労働者が育休をとりやすくすることに異を唱える人は必ずしも多くはないだろう。 そこで育児休暇が低い理由を考えなくてはならない。一般には、使用者の側の問題や職場の雰囲気など取得しづらい状況が想像できる。しかしながら、いわゆるサラリーマンではないような事業主や自営業者の方などもまた育児休暇は取りづらい状況にあるのではないか。現行の規定では、育児休業期間の報酬については、支給する、しないは事業主の判断で、多くはいわゆる失業保険で補てんされるようである。したがって、失業保険をかけていないような職種や人はなかなか取りづらいということになる。 個人的なことで恐縮であるが私も、第4子が誕生の折に育児休業を取得しようとしたが、当時の大学教員は失業保険に加入していなかったため、収入がなくなりますけどそれでよければといわれて断念した記憶がある。もちろん学生を抱えている身としては数か月の休業を取得することは実際には難しく、若い職員が多い大学において職員の育児休暇が取りやすくなるのではないかという浅はかな考えに基づくものであった。言わば試しに申請しようとしただけである。当時は親などの手助けも可能であったことから支障はきたさなかったが、その際に調べかつ考えたことを思い出した。 講座の担当や大学などの委員会の委員などの、教育職や行政職は代わりの人がいるので制度的には問題はない。しかしながらゼミナールの学生などの目の前にいる学生のことなどを考えると、彼らにとって数か月もやむを得ないかどうかが判然としない理由で指導教員が休暇を取るのは大きなショックを与えることになるだろう(希望的観測ではありますが)。教師としての「職業倫理」(職業生活)と家庭(育児)生活の両立がいかに大変であるかを、10年以上も前のことであるが、実感したものである。僭越ながら、これは社会全体を変革していかないと、いわば文化を変えていかないと難しいなあと思ったものである。一朝一夕にはいかないことは明らかであった。そもそも国会議員の仕事とは何か 残念ではあるが、制度として存在していることと自由に行使が可能であることは同義ではない。制度は必要ではあるが、それだけで十分ではないということである。育児休業制度に過度の期待を持たせるのも正しいかどうか考えなくてはいけない。託児所、保育所など、これに代替するあるいは補完する制度についても十分な見直しを図るべきであろう。今回の問題でいえば、国会や政党、議員会館や議員宿舎に託児所などを設置すれば、産休はともかく、配偶者が育児休業を取得しなくても子育ては可能かもしれない。このことは一般社会にも通じることである。そうした全体的な検討について考えのないままでは、こうした表明が社会的に波及効果を持つことは期待できないのではないか。 その上で、国会議員などの政治家の育児休暇の取得問題である。国会議員は選挙で選ばれた国民の代表である。その意味では国民の声を政治の場に吸い上げ、国民生活を豊かにすることが使命であるといってよい。一般の代替可能な労働者と同一視していいのかというと、必ずしもいいとは言い難い。それだけの覚悟をもって立候補していると考えるからである。投票した有権者にとっては余人をもって代えがたい存在であるはずだ。そうした代表が国会を欠席することで、国民が被る不利益についても考えなくてはいけない。労働条件を比較するのは難しいが、少なくとも議員でいる間は報酬などの保障は一般労働者よりも恵まれている。 そもそも国会議員の仕事とは何か、ということも検討が必要であろう。国会に出席することはもちろんであるが、通常国会は150日であるから、それ以外は仕事をしていないと考える有権者は少ないだろう。常に国民の声に耳を傾けることも必要である。そのための歳費が税金から支給されていると考えられる。したがって、育児休業などは想定していなかったことが、今回の問題の本質にある。こうした取得が想定されていない職業が他にないのか、取得率の低さの原因を解明することが、自ら取得することよりも先に国会議員として行うべきではないだろうか。あるいはこれを機にそうした法案についても研究するのであれば、建設的な提案であるということが出来る。一昨年12月の衆院選で京都3区から当選し、お祝いのイチゴをほおばる宮崎謙介議員=京都市伏見区 残念ながら現在のところ、自分が取得すること、他の国会議員にも取得できるようにすることだけに議論がとどまっているような気がする。これは反対論を唱える人も同様である。宮崎議員も報道によれば、これまであまり少子化や育児休業に関して主張してきたことはないようである。自分がその立場になった時に初めてその問題の重要性に気付くのでは、少し情けないと言わざるを得ない。「国会議員が率先して取得することに社会的な意義が大きい」とも発言しているが、国会議員が率先して取得すると一般の労働者も取得できるとお考えなのだろうか。揚げ足を取るわけではないが、波及効果が起こるようにしなくては、単に自分が取得しただけで終わってしまう。 当初は、「二人で育てることで地についた政治活動ができる」などの意味不明な発言をした報道もあった。それを考えると、当初の発言とずいぶんトーンが異なってきたことも事実である。その意味で決して無駄なことではないことは明らかであり、その表明については評価したい。しかしながら国会議員という立場、役割を考えると、やはり議員活動との両立できる方法を模索し、議員活動を最優先して考えてもらいたいと思うのは古い考えだろうか。歳費のことなど、相対的に恵まれていることは、余人に代えがたい役割を期待されているからである。 結論を申し上げれば、制度として国会議員に関する育児休業法を検討して提案することは必要である。しかしながら、議員の役割から考えても、その権利の行使については抑制的にならざるを得ないこともまた考えてもらいたいと思う。宮崎議員の場合は、お二人とも国会議員であるというレアケースである。育児の大変さは身をもって経験している者としては、その取得を反対するものではないが、少なくとも二人同時にとるのではなく、どちらかは国民の期待にフルに答えられる状況を考えるなど、とり方の工夫も必要である。

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    国会議員の育児休業問題の議論でモヤモヤする理由

    小紫恵美子(中小企業診断士 株式会社チャレンジ&グロー代表取締役/OfficeCOM代表) 年をまたいで、「国会議員が育児休業をとってよいのかどうか」という議論が続いています。まずニュースが出たときの、コメント欄にあふれる反対意見のオンパレードに、強い違和感を抱きました。議論になることはいいことではありますが、日本では子育てのために一生のうちのひと月すら、休業するということに対してこれだけの「悪」のレッテルがはられているのか、と。その後、反対されている理由を読んでいき、確かにそうかもしれないけれどもなぜか釈然としない・・・こんな風にモヤモヤする理由を考えてみました。職責の重さを理由に休むことを認めないという「正論」 釈然としなかった理由のひとつめがまずこれです。今まで読んできたメディアで主な反対理由を整理してみると、 ①国会議員は自営業。もともと育休制度などないのに加え、歳費もその間出ている。甘えている。 ②歳費(議員さんの活動のための費用)を税金から賄っているんだから、休むな。休むなら返せ。 ③男性の国会議員がとるなんて聞いたことがない。妻がとるのだからそれに任せろ(ないしは夫がやることなどない/お手伝いさんにやらせたって子どもは育つ) 私自身、自営業で子育てをしている身ですので、(1)や(2)について、感情的になることは理解できます。事実、以前体調を崩して一日休んだだけでも、まるまるその日の収入が本当にゼロになる、ということも経験しております。多額の歳費という形で保証されている議員さんたちに比べれば、自営業の多くが、こうして自分のみならず家族の体調管理をしながら仕事の成果を常に求められる決断の連続、というプレッシャーを常に感じながらなんの収入保障もなく仕事をしているわけです。こうした多くの自営業者から見れば、確かに国会議員は一定期間とはいえ、収入保証のもとに働けるのだから、休むのはいかがなものか、しかもその出所が税金だ、というところで問題視されるのかもしれません。 これに対し、憲法や国会法、国会議員資産公開法等によれば、国会議員には応召義務と行為規範の遵守義務、資産公開の義務以外には、特に「課せられる義務」についての記述が見当たらないこと(仕事はあくまでも義務ではなく権利である)、また、歳費については憲法で定められた権利であり、労働の対価ではなく国会議員の行動の自由を保障したものであることなどから、上記の(1)や(2)について、必ずしも批判の理由が的を射ているとは言えないということがわかります。「職責」の重さを理由に選択肢をなくすのは正しいか (3)についてはまさか、女性活躍推進をうたう政党の議員さんたちから出てきた発言ではありませんよね?矛盾以外の何物でもないので、ここでは言及いたしません。 そもそも、私たちにとってどんな状態であれば根本的に「よりよい状況」になるといえるのか、といえば、それは「選択肢があること」なのではないでしょうか。どんな仕事をしていても、子どもの誕生の場合には、最も大変な時期である産まれたての時期に、夫婦で育児によりそうことができるという選択肢をとろうとすればとれること。すでに始まっている急激な少子高齢化社会においては、むしろ育児に限らず、家族の介護、家族や自分の病気との付き合いをしながらも働き続けることができる、という選択肢がとれるようにしておくことだと思うのです。 最終的にとるかとらないかを選択するのは個人の自由としても、議員だから、とか果ては管理職だから、店長だから、というその「職責」の重さを理由に選択肢をなくす、ありえない、と糾弾してしまうことは果たして正しいのでしょうか。 基本的に、自営業であれば、24時間365日、仕事のことを考え続けている人が大部分でしょう。これは国会議員、管理職や店長といった人たちにも共通のことだと思います。オンとオフはよほど意識しなければ区別がつけられません。しかし、意識とは別に、うちの子どもだけ熱を出さない、自分も家族も身体を絶対に壊さない!もありえません。ロボットではないのですから。常にそうしたリスクも考えながら仕事をしなくてはならないというプレッシャーを抱えたまま仕事をしているのです。職責は、正直重い。でもそれを理由に休みをとるな、というのは少々乱暴すぎはしないでしょうか。育児は仕事よりラクで、育休は「休めるんでしょ?」という大きくて深い誤解 上記以外にもさらにもうひとつ、違和感の原因、戦後累々と続いてきた労働観が議論の底辺に横たわっています。-仕事が大事で、家のことなんて(外で働いてない)妻にまかせておけばいいんだ-産まれた後に男がやることの余地は少ない。妻に任せて働くことこそ男がやるべき仕事だ-お金をもらっておいて「休む」なんてとんでもない こうした意見の背景にあるのは、仕事が一番大事で、家庭のことはプライベートだから仕事より楽なはずだし優先させてはならない、という「暗黙の社会共通ルール」なのではないでしょうか。育児「なんて」仕事よりも楽で、そのために休むなんて、楽できていいよね、というのはあまりにも大きな誤解です。 一人目の育児は毎日が初めての経験の連続ですし、そもそも多くの赤ちゃんは産まれてすぐには睡眠リズムが定まらないので、特に授乳する母親は眠れません。私は最初の一年で「休んでいた」などという感覚はみじんもありませんでした。むしろ、仕事をしているほうがどんなに楽かと思った日もあったくらいです。「喫茶店でひとりでコーヒーが飲みたい」というのが最初の育児にぶつかった当時の私の最大の願望だったことを思い出します。暗黙の社会共通ルール それくらい、とにかく家族をはじめ、人の手がありがたく、助けになる。でも、当初働いていなかったこともあり基本的には自分が育児をすることは当然だと思っていました。仕事を始めたあとも、この「暗黙の社会共通ルール」を当たり前だと思っていましたし、子どものことを理由に仕事を休む、あるいは遅れるということは極力、避けてきました。働き方を変えなければみんなが苦しくなる一方 仕事での信頼を家族を理由に裏切るようなことは基本的にあってはならないことです。だからこそ、少子高齢化が加速度的に進む私たちの国ではもう、実際の社会環境に会うように、働き方を変えなければなりません。育児中の女性のみならず、介護、病気治療など、一時的にでも長時間働けない、様々な事情を抱えた人たちがどんどん増えてきます。こうした人たちが生産性の高い仕事を継続できるようにしなければ、経済活動を継続することが難しくなってきているのです。 今までは、子どものことも、家族が誰か倒れても、妻に任せればよい、そういう時代でした。でも今は共働き世帯のほうが専業主婦世帯を上回ってきています。妻のほうが大黒柱な家庭もあるくらいで、一概に妻にまかせることはできません。それに、前回2010年の国勢調査ですでに、35歳から39歳の男性の未婚率は増え続け35%を超えています。このまま結婚する人が劇的に増えなければ、5年後10年後、職場である程度の管理職になっている男性のうち約4割が「悪い、今日、親がデイサービスから16時半に帰ってくるから帰らないと」という状況になる可能性がある、ということです。すでに、女性だけの問題ではなくなっています。 そんなときに会社に張り付いて残業しなければ仕事ができない仕事の回し方をしていたら、それこそ、グローバル競争に勝って業績アップ・・・など絵空事です。これは経営戦略、人材戦略の問題で、福利厚生の話ではないのです。すでに企業の中には、こうしたことに気が付いて働き方を変える施策を進めるところも出てきています。 ぜひ、国会議員の今回の議論に賛成している議員の方も、反対している議員の方も、もうこの国が待ったなしの状況になっていることを「実感」(わかっているだけでは不十分です)していただいて、ぜひ今回の件を一議員の休業取得で云々の議論にとどまらせず、「長時間働けない人たちが増えてくる超少子高齢化社会を生きる私たちが、それでも仕事を続けながら、どうやったら企業を成長させることができるか」ということが問われているのだという現状をもっとシビアに見てほしいと思います。そして、議員さんたちには、休業して最初の育児がいかに大変かを特に男性に納得してもらって、真に女性が、ひいては長時間労働ができない人たちも働き続けられるような仕組みをつくる政策に反映させてほしいと考えます。子どもを一人産むごとに労働力を一人失うような国でいられる余裕はもうないのです。 育休は、「休む」ためにとるのではありません。育児しながら働き続ける体制を整えるためにとるものです。育休など、各種の休業制度は、プライベートでとる「休息や休暇」ではなく、働き続けて国や企業の成長を少子高齢化の中で支えていく礎になりうるもの。これからは70歳くらいまで働き続けるのに、「適度に休業すること」も、家族と暮らしながら、高齢になって自分の身体と折り合いをつけながら働き続けることには絶対に必要だからです。 この議論が一議員の休業の可否で終わらないことを強く、強く望みます。(シェアーズカフェオンライン 2016年1月12日分を転載)関連記事■「大丈夫」じゃないのはお母さんだけじゃない。 (小紫恵美子 中小企業診断士)■国会議員の育休は本当に不公平なのか(加藤梨里 ファイナンシャルプランナー)■日本は「良いお母さん」のレベルが高すぎる(小紫恵美子 中小企業診断士)■「女性活躍推進」すら着手しない企業で成長はムリ。(小紫恵美子 中小企業診断士)■「ニッポンのお母さん」はレベル高すぎ?OfficeCOM(小紫恵美子)ブログ

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    「育休を取ること=いいこと」というのは「思考停止」ではないか?

    長谷川豊 自民党の宮崎謙介議員と金子恵美議員の育休取得が議論を呼んでいます。 まず、これはとてもいい議論だと思います。日本は少し保守的というか…私に言わせれば、「保守」の意味をちょっと「男性のみに都合よく解釈」してしまっている「間違った保守」の人が多かったりするので、これらは今回の議論をきっかけに、そういう凝り固まった価値観の男性陣は少しでも現在の日本のスタンダードを勉強していってほしい、という思いがあります。 なので、そういった議論を巻き起こせただけでも、宮崎議員のこの動きは評価されるべきであり、個人的に応援したいと思っています。彼のブログも読ませていただきましたが、とても悩んでらっしゃったし、色々と苦しまれてもいるだろうなぁ…と想像します。ただ…そうですね…。 現実的なことを言うと…「本来であれば」この「国会議員の育児休業」ってのは…さすがにダメなんでしょうね…。今回の宮崎議員の育休は支持しますし、この二人に関しては応援しますが、一般論としては、無国籍児の問題などにも真剣に取り組んでいらっしゃる元衆議院議員の井戸まさえさんが指摘されている通りで…。 いや、両立させろよ で話は終わるんでしょうね。本来であれば。出来ますしね。両立は。 さて、その話はいいとして、今回の議論の中で少し気になったのは、宮崎議員の育休取得に「賛成」している人たちの中に…ひょっとして「思考停止」してしまっているのでは?と疑いたくなる人がいる気がしました。ちょっと気になったので、もし皆さんも「思考停止」してしまっている場合、気を付けてくださいね。■「育休をとること」が「正し」かったり「素晴らしい行為」ではない 実は似たような「思考停止」した人たちって他にもいまして「女性の管理職が少ない!」とか「女性の社会進出が進んでいなくて!」とか叫んでる、あまり友達になりたくない人たちっているんですけれど、これは間違ってます。 まぁ…確かに私たち若い男性陣もほとほと迷惑している「老害ジジィ軍団」がいて、その人たちの価値観は本当に迷惑だし、多くの女性陣が苦しめられたと思います。分かります。超迷惑ですよね。しょぼい能力しかなく、大した知見もないくせに、無駄に「女だから」とか言う理由で差別視してきて、見下して…。「子育ては女がするもんなんだよ!」とか怒鳴ってきて、中には「家事は女がするもんなんだ!」「誰のおかげで食えてると思ってんだ!」とかいまだに言ってくる人間たちもいたりして…。分かります。そんな男たちに見下され、とても嫌だったことでしょう。でもね、どうか冷静になってください。どうか忘れないでください。 ダメなのは、その老害ジジィたちだけだと思うんです。 「何をどう頑張っても女性が社会進出できなかったら」それはもちろんダメなんですが、今の日本は土井たか子さんの「男女雇用機会均等法」以来、かなり改善されつつあるんです。ちゃんと、女性陣も社会に出られる基盤は整いつつあるんです。 今の日本だと、女性陣に向けられるセクハラ的な視線やパワハラ的な行為ってのは…我々男性社員も、全く同じように苦しめられているものだから。 女性の社会進出を見下すバカな老害ジジィたちによって、昔の日本では女性の社会進出が迫害されてきたのでしょう。それは批判されるべきです。でも、それにあまりに反発するあまりに… 「女性が社会に進出することが正しい」 とか思い始めたら、それはただ「逆に振れてるだけ」なんです。そこまでいくと、今度は「専業主婦を攻撃」し始めたりするんです。女性が家庭に入ることをまるでダメなことのように言い始める人っているんです。それは違います。専業主婦だろうが、キャリアウーマンだろうが、それらを「自由に選べることが正しい」のです。 育児休業も同じです。 ダメなのは、老害ジジィたちの価値観であって「子育ては女がしてればいいんだよ!」みたいな価値観は否定されるべきですが、そもそも「育児休業を取ることが偉い」わけでもなんでもないんです。そこをどうか間違えないでください。 「出産」も「子育て」も、夫婦でするものです。二人で子供を作り、二人で子供の成長を祝い、楽しむものです。だから楽しいのです。それと「仕事を休む」ことって、そもそも全然リンクしていなくて、子供がまだ小さいうちは(やれるのであれば)両方やる方向で努力することの方がよほど大切なことです。だって仕事は仕事でちゃんと「大切」なんだから。 もちろん、皆さんの勤めている場所が圧倒的なブラック企業ならそうではないですよ?子育てする時間も全くもらえないような企業であれば、思い切って休んだり早退しなければいけないかも知れないですしね。 でも、通常の会社なのであれば、基本的な周囲の理解はそれなりにあるはずです。多少早めに上がらせてもらったりしながら…会社から帰ってそのまま奥さんからバトンタッチしてあげるなど「工夫」のしようはある可能性があります。 私の場合、長男が生まれて、2年ほどは、人生で最大・究極の「寝不足期間」でした。と、言うのも長男は私があやさないとなかなか寝なかったので、深夜などにぐずった場合、私が飛び起きて嫁さんを起さないように、長男が寝るまで、私ががずっと抱っこして寝かせて…。でも、朝の番組を担当していたものですから、そのまま睡眠時間わずか45分とかで会社に行って、そのまま踏ん張って仕事も手抜きせずにやり抜きました。 睡眠時間を削れば、それくらいのこと、出来ます。ちょっと苦しいだけです。いや、相当苦しかったですが…出来ます(断言)。人間、意外と死なないものです。 「子育てを夫婦でする」ことは大切ですが、それと「会社や国会など仕事を休むこと」は…本来であれば、全くリンクしないことです。 最近、「育児休暇を取る」というと、それだけで称賛する向きがある気がしましたので、そこだけは否定させてください。(2015年12月25日 長谷川豊公式ブログ「本気論 本音論」より転載)

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    共産・志位委員長「天皇の発言に憲法逸脱がなくなった」

    そのまま踏襲するものになっているということが第一点だ。第2に、以前の開会式では、天皇のお言葉の中に米国政府や自民党政府の内外政策を賛美、あるいは肯定するなど、国政に関する政治的発言が含まれていた。これは憲法が定めている『天皇は国政に関する権能を有しない』との日本国憲法に明らかに違反するものだった。そういう下で、わが党は一貫して国会開会式や現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるように抜本的改革を求めてきた」 「その後、開会式での天皇の発言に変化が見られ、この三十数年来は儀礼的、形式的なものとなっている。天皇の発言の内容には、憲法からの逸脱はみられなくなり、儀礼的、形式的な発言が慣例として定着したと判断できる。一方で、開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は現在においても変わりがないことも指摘しなければならない。こういう状況を踏まえての今度の対応だ」 「共産党としては、三十数年来の開会式での天皇の発言の内容に憲法上の問題がなくなっているということを踏まえ、今後国会の開会式に出席することにする。同時に開会式の形式が、戦前をそのまま踏襲するものになっているという問題点は、根本的な再検討が必要であることは変わりはない。わが党は、それが現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう引き続き抜本的改革を強く求めていく」 「そうした抜本的改革を実現する上でも、今後は開会式に出席することが、より積極的な対応になると判断した。今のわが党の方針については、いま大島理森衆院議長にお会いし、今後出席すると報告するとともに、開会式の民主的な改革について検討をしていただきたいという要請をした。大島議長からは『承った』という返事だった。今後われわれとしては出席して、同時にその中で、民主的改革を引き続き主張していきたいと考えている」--開会式に出席した上で改革とは 「先ほど述べたような状況のもとで欠席という態度を続けた場合には、わが党が天皇制に反対するという立場で欠席しているとのいらぬ誤解を招き、憲法の原則と条項の厳格な順守のために改革を提起しているとの真意が伝わりにくいという問題がある。その点で、出席した場合はそうした誤解を招くことなく、まさに憲法順守のための改革を提起しているという私たちの真意が、よりストレートに伝わることになると考えた。そういう意味で、抜本的改革実現のためにも今回の対応がより積極的な対応になると判断した」--形式上の改革とは具体的には何か 「これは天皇のために特別に高い玉座が設けられ、そこでお言葉を賜るという形式は、現憲法の主権在民の原則と精神に反するものであって、抜本的改革が必要だということだ」天皇制存廃は国民の総意で決定する天皇制存廃は国民の総意で決定する--三十数年来定着していたのに、なぜ今回のタイミングなのか。安全保障関連法に関する国民連合政府構想の動きと関連があるのか 「なぜ今かという質問に対しては、何か政局と関わって今回の決定をしたわけではない。やはり、この三十数年来の天皇の発言全体を見た場合、憲法上の問題はなくなっていると。そしてそういう状況が慣例として定着していると判断したということに尽きる」--よそからは共産党が普通の党になっていく一環と受け止めると思うが 「普通の党という質問の意味が分からないが、私たちは一貫しているのは、開会式の改革の提起というのは、将来の政治制度をどうするかという角度から提起しているのではない。現在の日本国憲法の原則と精神と諸条項を厳格に貫くという立場から一貫して対応している」--共産党は開会式に戦後最初から出ていないのか 「1回だけ、1947(昭和22)年に一部議員が出席したことがある。ただ、その体験を踏まえてよく検討した結果、その後ずっと欠席できた」--これまで開会式のときは国会内で待機していたのか 「そういうことだ」--確認だが、君主制についての考えは 「君主制という規定は綱領ではやっていない。天皇の制度は、2004(平成16)年に改定した綱領では、国権に関する権能を有しないということが憲法上明記されている。国権に関する権能を一切有しない君主というのはあり得ないということで、現在の天皇の制度をいかなる意味でも君主制の制度とはいえないというふうに考えている。まず認識としては」 「それから天皇の制度に対するわれわれの考え方としては、当面する民主主義革命、民主主義的変革の段階での課題としては、現行憲法の諸条項を厳格に守ると。とりわけ天皇の制度に関わっては、国政に関する権益を有しないという制限規定を厳格に守ると。そして天皇の政治利用はやらないという現行憲法を厳格に守っていくということが当面する大事な課題になってくると。そして党としては将来の展望として、民主共和制の実現をはかるという立場に立つ」 「しかし、天皇の制度の存廃というのは憲法上の制度だから、その解決は、情勢が熟した時期に国民の総意で決定されるべきものだと。その存廃については決定されるべきだということを綱領では明記している。いかなる意味でも君主制という認識は現綱領ではしていない」大島衆院議長(左)と会談する共産党の志位委員長=2015年12月24日、国会--いつ党としてどのような形で決定したのか。その際に党内でどのような議論をしたか 「21日の常任幹部会で決定した。議論も行ったが、全員の賛成を得てこういう決定をした」--議論そのものは何かきっかけがあったのか。いつごろから出席するか否かを議論したのか 「いつごろから、というは、常にわれわれは検討している。こういう問題は。で、やはり天皇の発言の内容もわれわれ慎重に見てきたということだから、いろいろな検討をわれわれは、党の指導部の中ではやってきた。これまでも。ただ、まとまった形で党の機関で正式に決定したのは今回は21日ということだ」--議論で異論はなかったか 「これは皆さん異論はなかった。出席すべきだと。出席して改革を提起していくということが今の状況の中で最もいい対応になると。これは皆さん、その点での意見は全員一致だった」--国民連合政府が実現した場合、認証式はどうするか 「認証という行為は国事行為だ。だから当然、認証式は現行の認証式に出席するということに当然なる。国事行為だから」

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    大阪W選挙で圧勝 おおさか維新が台風の目に

    らさまに力不足でした。自民党の党本部も応援に力が入っていたとは言い難く、孤独な闘いを強いられました。国政では連立相手の公明党も早々と自主投票を決めてしまいます。 それもこれも身から出た錆ではあります。5月の都構想の住民投票に勝利した後に、多少でも統治能力を発揮できていれば結果は違っていたことでしょう。大阪自民が都構想の代替案として提起した大阪会議は悲惨の一言でした。半年で開催は3回のみで、実質的な議題にも入れませんでした。出口調査の結果からは、より接戦であった大阪市長選においても自民支持層の3割、無党派層の6割が維新候補に投票したと答えています。 大阪市民の多くは、都構想を否決した結果として維新がなくなり、橋下氏が政界を去ることを懸念したのではないでしょうか。今後改めて提示される具体的な都構想を支持するかどうかは別にして、維新が存在しなかったかつての大阪に戻るのは嫌だと。粗削りな手法、品のなさに眉を顰めることはあっても、橋下徹という政治家をここで失ってしまうのはもったいないと。大阪府市の住民は橋下カードを残しておきたかったということでしょう。 実は、安倍政権の中枢にも似たような気運があります。安倍総理や菅官房長官には今後の政権運営のためにも橋下カードを残しておきたいという誘因があります。そのカードは、安保法制のような重要法案を通す際にも、参議院選挙を戦う際にも、安倍政権の大きな政治目標である憲法改正を発議する上でも重要になってきます。それが実際に使えて、効果を発揮するカードであるかどうかは別として、オプションとして取っておきたいのでしょう。 他の野党にも橋下カードへの未練があります。維新の党が分裂してしまった今となってはなかなか想像しにくくなりましたが、民主党からの分裂が噂される細野氏や前原氏のグループも橋下氏を強く意識しているように見受けられます。 大阪維新の会は、W選挙を通じて大阪府市の首長の座を維持しながら、看板である橋下氏にフリーハンドを与えることに成功しました。都構想の住民投票で敗北しながら、局面を打開する結果を勝ちとったわけです。改革と憲法改正と参議院選挙 今回のW選挙の結果を受け、おおさか維新の会は来年の参議院選挙へと向けて日本政治の台風の目となることでしょう。展開によっては、参議院選挙後の安倍政権の残り任期のあり方を左右するでしょうし、日本の保守勢力が最大の政治目標とする憲法改正の成否にもかかわってきます。 大阪市政の日常から離れた橋下氏は、組織づくりや政策づくりに今以上に力を発揮できます。参議院選挙に向けたおおさか維新の会の候補者擁立や組織づくりは特に重要です。かつて、維新塾への参加者や既存政党から募った候補者は、よく言っても玉石混交でした。雑多な人材が集まってくることは国民にとっても政党にとっても不幸なことです。今後は、既得権益にひるまない改革姿勢、自助自立の地方自治、代議士としての選挙の強さなどを軸に慎重に候補者調整を進めるのではないでしょうか。 優先順位は参議院に16ある複数区です。そこで自民党の候補に勝つ必要は必ずしもなく、多くは民主党の候補に勝てばいいわけです。比例と合わせて20議席以上取れれば大きな存在感を持つでしょう。 政策づくりの方は、憲法改正をどのように位置づけるかがポイントとなるでしょう。私は、おおさか維新の会版の憲法改正案を作るのではないかと予想しています。あまり総花的なものとせずに、統治機構改革など維新運動にとっての重要な条文を中心としたものになるのではないでしょうか。安倍政権の周辺に存在する保守勢力にとって最大の政治目標は憲法改正ですから、そこと絡めることで維新には相当の交渉力が生じるからです。 自民党が政権に復帰して以後の日本政治は、自民一強、官邸一強が特徴です。そんな中、安倍政権の基本戦略は経済運営で得点を稼いで、難しい政治課題に挑戦する余地を作るというものです。経済運営というより景気そのものに働きかけるという方がいいかもしれません。安倍政権にとっては、第一次政権で話題になった「戦後レジームからの脱却」が最も重要であり、その実現に貢献するからこそアベノミクスが重要なのであると。 それは、多少戯画化されてはいるかもしれないけれど政権の本音だろうと思います。極論をすれば、憲法改正のためのアベノミクスがあるのだという発想です。安保法制で政治的資源を使ったから参議院選挙までは経済に集中するというのは、この理屈を逆から表現したものということになります。 維新が進めたい諸改革は、そこにこそ勝機があります。保守勢力の念願である憲法改正を梃として経済改革を進めるという発想への転換です。維新運動が秘めている最大の可能性は、憲法改正のために経済改革が必要なのではなく、経済改革のために憲法改正が必要だという方向に日本政治を持っていくかもしれないということなのです。(ブログ「山猫日記」より2015年11月23日分を転載)

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    橋下徹が「総理」と呼ばれる日

    橋下徹大阪市長が政界を引退した。タレント弁護士から政治家に転身して8年。「橋下流」と呼ばれた政治手法への評価は賛否が分かれるが、政治への関心を呼び起こした彼の発信力を惜しむ声は絶えない。その一方で、早くも政界復帰がささやかれる橋下氏が、次に目指すのはやはり「総理」の椅子なのか。

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    バッジを外しても橋下徹が政界再編を動かす理由

    、新たに5区を設けてそれぞれが区政を行う構想だ。これは道州制につながる大構想で、市議会が可決しても、国政の場で勝負しなければならなくなる。そのために今は「法律政策顧問」と称する橋下氏はいずれ国政の場に打って出るのは必至だ。大構想が生み出す地方の変化を感じて、橋下氏の胸はふつふつとたぎっているに違いない。 一強多弱といわれる状況は橋下氏の率いた維新によってもたらされた。大敗したとはいえ、民主党は諸派と結合して再び天下を狙うはずだったが、橋下旋風によって、多弱が左右に分かれる構想ができつつある。橋下氏は憲法改正、新安保法賛成の立場で陣営を整えようとしている。来年の参院選で自民党が議席を増し、橋下氏の勢力が20も議席をとれば、公明抜きで憲法改正案を提議できるようになる。こういう勢いを秘めているだけに自民党も橋下氏叩きをするわけにいかない。 安倍氏は橋下氏をひいきしている。橋下氏の集票力は並大抵のものではない。1回旗を振って52議席とったのである。明るさを発散させ、勇気のある指導者を日本がはじめて生み出すのではないか。これほどのカリスマを持った政治家をみたことがない。問題に着目し、常に本道を歩き、障害があれば常にこれと闘う勇気と弁論能力がある。ケンカ越しのなかにユーモアがある。 橋下氏は民主党政権当時から、民主党に対し厳しかった。民主党は消費税を公約して政権をとった。これについて橋下氏はこう言う。「まずは自分の所から身を削る姿勢を示さないと、消費税論議を国民は支持しない。支持しちゃいけない」(菅首相当時)と断じた。 「借金をしての給付は間違い。支給されたからって民主党支持にはならないと思う。国民もそこまでバカじゃない」「民主党は公務員組合から決別しないといけない。政権交代の時の民意は、行政改革をやれという一票だったと思う」(11年4月の地方統一選の民主党の大敗について) 橋下氏の立ち位置がはっきりしただけで野党の思想は完全に二分された。前原誠司氏のような「解党論者」はいずれ橋下氏の側に来る。その勢いは増して民主党は細るのではないか。 政界再編はまだバッジをつけていない橋下氏が動かしているのだ。

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    類まれな勇気と説得力 橋下徹は必ず首相候補に浮上する

    強すべきだ。安倍首相が前政権時からおおいに向上した語学力で点数を稼いでいるのも見ての通りだ。 また、国政においては、地方以上に、多元的民主主義の尊重が大事だ。その制約のなかで、これだけは実現したいということを選ぶのも大事なことも多いのだから、その技術の取得も課題だろう。 そして、いつまで謹慎すべきかと言えば、現在の衆議院の任期中だ。こんど解散になったら立候補すればいい。もし、ダブル選挙になれば、それは、天が早い復帰のチャンスを与えたということであろう。そこで当選すればみそぎが済んだことになる。そして、政権を狙うのは、さらにその次の総選挙後の政権だろう。まだ若いのだからそのくらいの長期計画でやって欲しい。それまでは、維新のファウンダー、応援団長、政権へご意見番でいいのではないか。 「おおさか維新」が全国政党として何を旗印とすべきかと言えば、「改革」であろう。自民党は「保守」が旗印の中道右派的な政党である。民主党は中道左派に徹しきれずに極左を切れずにいるが、いずれにしろ左か右かということで結集した政党だ。 それに対して「おおさか維新」が旗印とすべきなのは、極端な保守派や極左を排除しつつ、「55年体制」的な生ぬるさ、もたれ合いを打破して、日本がいま必要としている「改革」を実現するための政党であることで、それはひとつ筋の通った政治勢力のあり方だと思う。

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    橋下氏は夢を語る政治家になれるのか

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長) 大阪の橋下市長と松井知事が、新たな国政政党「おおさか維新の会」の旗揚げを表明しました。この二人はすでに維新の党を離党しており、維新の党との違いを強調し、本物の維新を作りたいと言っています。つまり現在の維新の党は偽物になった、とまでいうのです。第三者からは元祖と総本家との争い、といって感もあり、わかりにくい構図となっています。 新党は、大阪の副首都化を政策の柱に掲げ、東京一極集中からの脱却を目指しています。そして大阪都構想。それらを中心にして地域分権をうたっています。国政の政策的には野党よりも、自民党に近いものとみられます。安倍内閣を国政の政治としては支えながら、地域分権の視点からは東京集中の一極化から、東京と大阪の二極化を目指す、というところでしょうか。 維新の党は、そもそも橋下氏を中心に作ってこともあり、また橋下人気でここまでの党になったこともあり、現在の維新の党のメンバーの中にも橋下氏に同調したい人も多くいると考えられます。しかし、橋下氏らについていく議員が限定的になったのには、党名の問題もあります。他地域で活動する議員が、「おおさか」を冠とした政党にはいることは、相当に難しいことです。東海地域にも何名か国会議員がいますが、彼らが「おおさか」を掲げて支援者の理解を得れるのか、次の選挙を戦うことが出来るのか、です。大阪的な政策が中心では、おいおい、名古屋はどうなるの?といった声も聞こえてきそうです。「おおさか維新の会」結党大会を終え会見する(左から)幹事長の松井一郎府知事、代表の橋下徹大阪市長、市長選立候補予定の吉村洋文政調会長=10月31日、大阪市浪速区(門井聡撮影) 今回、あえて大阪ではなく、ひらがらのおおさか、としたのには、おおさかを地域主権の象徴としたいという意図はあるのでしょう。しかしそれでも「おおさか」の名のもとに別の地域の議員が活動することは困難です。 私はおおさか維新の会が全国の人にアピールするには、現在のままではかなり難しいと感じています。橋下氏個人への人気はまだ高いものがあります。知名度も、アピール力もすごい。しかし分裂や他への批判が重なると、さすがに橋下流についていけないと考える人もでています。けんかをしながら大きくなってきた「橋下維新」ですが、けんかばかりが続いていては、やはり限界がみえてきます。橋下氏の個人的なカリスマ性に惹かれても彼が何をやりたいのかはわからない、という人も少なからずいるでしょう。橋下新党がこれから日本全体での支持を受けるかどうかは、明確な方向性が示されるかどうか、にかかってくるでしょう。 私は、二つの方向性があると思っています。 まず第一に、大阪を中心とした「自主独立の大阪州」を作ることを明確にうたった方向です。イギリスのスコットランドや、スペインのカタルーニャやバスクのように独立を要求する流れがヨーロッパに出てきました。そこまで行かないにしても、特別自治区を作り、今よりもはるかに強い独立性・自主性を確保するという要求は面白いと思います。大阪副首都、というのはむしろわかりづらい。東京No.1、大阪No.2を明記しろ、というだけでは物足りないのです。地域政党として、東京に対峙する大阪特別自治州を作るというのであれば、方向はかなり明確になります。また大阪が自治州化するなら、他の地域もそれにならえ、ということで、一気に道州制の流れになります。日本を変えるという大きな流れにつながることがわかりやすくなります。大阪自主独立を最優先する地域政党の方向性です。 第二の方向は、保守新党の役割を明確にするものです。橋下氏の政策のかなりは安倍首相のものともつながるものがあります。保守新党として、立場を明確にして、民主党や維新の党などと対峙するというスタンスを取る方向です。それなら自民党に入ればいいのではないか、という声も聞こえそうですが、改革志向の強い保守新党というイメージを前面に出すということで、アピールすることになるのでしょう。この場合には党名は、おおさかを離れて、全国の人を巻き込む戦略が考えられます。 今のままでは中途半端。どちらかの方向を明確にして、日本の新たな「維新」を実現するというアピールが必要でしょう。今のままだと、個人商店的な政党のイメージがつきます。やるならもっと大胆に、と思います。 夢を語る政治家が少なくなりました。その夢を語る政治家の一人に橋下氏がなるのかどうか。なってほしいとは思いますが、このままではその夢がなになのか、わかりづらいのです。(「児玉克哉のブログ『希望開発』」より2015年10月2日分を転載)

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    大阪W選圧勝で橋下政界復帰待望論 自民と改憲連合構想出る

     橋下徹氏率いるおおさか維新が大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙で圧勝した。知事選は、現職、松井一郎氏が再選、市長選も前衆議院議員の吉村洋文氏が初当選した。 大阪のダブル選挙の勝利で、地元では「政界引退」を表明した橋下氏の政界復帰待望論が早くも高まっている。会談を前に自民党の安倍晋三総裁(右)と握手を交わす日本維新の会の橋下徹代表=2012年10月15日(酒巻俊介撮影) 橋下氏は選挙戦で先頭に立って大阪都構想の住民投票で反対が上回った区を重点的に応援に回り、市長選の得票を逆転させて根強い支持があることを見せつけた。「天敵」である朝日新聞の世論調査でも、大阪府民の55%、大阪市民の44%が「復帰してほしい」と回答している。 ジャーナリストの森功氏は仮に来年7月の衆参同日選が行なわれた場合、橋下氏が「おおさか維新」の看板候補として衆院選に出馬する可能性が高いと指摘している。そうなれば大阪で三たび橋下旋風が起きるのは確実だろう。 ダブルに敗北した自民党大阪府連関係者は、「来年の参院選で大阪選挙区は定数が4に増える。府連ではまだ公認候補は決まっていないが、勢いに乗ったおおさか維新が候補者を2人擁立してくるのではないかと戦々恐々としている」という。 安倍官邸では来夏に衆参同日選戦略を練っているとみられるが、それは党内の予想を大きく超える内容のようだ。「そのとき官邸は自民党を大阪から撤退させるかもしれない」と見るのは菅官房長官に近い自民党幹部の1人だ。「大阪の自民党は伝統的に選挙に強くない。そのうえ大阪府連はダブル選挙で共産党と組んだことから保守層の離反を招いた。橋下―松井府知事コンビとパイプが太い安倍晋三・首相や菅義偉・官房長官の頭には、ドイツの姉妹政党制のように、選挙後に統一会派を組むことを前提に大阪は地域政党のおおさか維新にまかせ、自民党は候補者を立てない考え方もある。 そうすれば衆院選は大阪の19小選挙区のうち、公明党の4議席を除く15選挙区をおおさか維新が独占する可能性が高い。大阪の小選挙区と近畿ブロックの比例代表だけで25議席前後の議席を得る可能性がある。自民党候補は橋下に頭を下げておおさか維新に入るか、無所属で戦うかの選択を迫られる」 実際、橋下ショックは大阪だけにはとどまらず、おおさか維新の圧勝を見て奈良の維新の党の県議や市議が新たに「なら維新の会」を設立し、おおさか維新の傘下に入るなど、その影響力は近畿ブロック全体に広がりつつある。 近畿ブロックを地盤とする「おおさか維新」が安倍自民党と政党連合を組み、事実上、自民党系の地域政党になることはありえない話ではない。 日本維新の党の江田憲司・前代表は、松井知事が「自民党と手を組んで政策を実現していく。われわれはもう政権交代を目指さない」と語ったことが維新分裂のきっかけになったと暴露しており、安倍自民とおおさか維新は憲法改正など基本政策が一致している。 安倍首相にしても、同日選で自民党単独で憲法改正に必要な衆参の3分の2を獲得するのは容易ではないため、近畿・大阪で強力な地盤を持つおおさか維新と棲み分けた方が改憲議席の獲得には近道だろう。まさに同日選後を睨んだ「改憲政党連合」構想なのである。関連記事■ 衆参同日選挙 安倍首相決断に大きな影響与えたのは大阪W選挙■ 維新地方議員「橋下さんは看板だが組織は松井幹事長が握る」■ 総選挙 票が取れなくても自民圧勝の反民主主義的な結果予想■ 夏の参院選 大阪では橋下市長参戦も全国比例への出馬が濃厚■ 安倍首相 橋下維新との全面対決指示で菅氏の存在価値低下か本文

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    中田宏が語る「橋下徹の価値は失ったときに初めてわかる」

    か。なれる資質があるか。それはかなり厳しくなっていると思いますね。大阪から初期の維新の会が出てきて、国政に足がかりをつくったあのころは、やっぱり乱暴者であるがゆえに総理としての待望論が大きかったと思います。日本の閉塞感というものを変革していくにはあのぐらいの物言いと、それから実行力。乱暴なぐらいでないと今の永田町政治はぶっ壊せないと。小泉(純一郎)さんが自民党をぶっ壊すと言って総裁になったのと同じようにね。そういう世論があったと思います。この4年ぐらい、さっきから散々ご説明したような繰り返しがあったなかで総理にはちょっと危なっかしい、下手したら国自体がぶっ壊れかねないというようになった部分はありますね。 物事をこじ開けていく期待感はいまだ一定のものがあるだろうけれども、それこそ国政全体、人を束ねていくという意味においてのポジションに橋下さんが就くのを国民が望んでいるのかと言ったら、それは4年前ぐらいとは「隔世の感」があるかもしれない。民間閣僚はあるんじゃないですか。例えば地方分権担当大臣になるとか、道州制担当大臣をやるとか。仮に与党の中でそういうポストを作るコンセンサスができた場合、そこには適任じゃないでしょうか。都構想が認められるようになれば、大阪維新としては大きな成果です。その基礎をつくった橋下徹という政治家の再評価という場面も出てくるでしょう。  橋下さんという人は乱暴な物言いもあるかもしれない。嫌う人もいるかもしれない。でも、確かに彼はこれまで目の前にある借金と向き合って、将来に対してツケを減らし、後の世代が活力を持っていける社会を本当に作ろうとしてきた。もし、彼がいなくなったら、もったいないことをしたと後から寂しく思うでしょうね。橋下徹の価値は、彼を失ったときに初めてわかるのかもしれません。(聞き手 iRONNA編集部 溝川好男)

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    「反安倍」が勝てないワケ

    「ポスト安倍」と目される石破茂地方創生相が新派閥を旗揚げした。自民党内にくすぶる反安倍勢力にとっては追い風だが、「安倍一強」の牙城を崩すのは容易ではない。安保法制成立後も野党結集の動きや、若者によるデモが続いているとはいえ、「反安倍」がそれでも勝てないのにはワケがある。

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    民主党が出した3人の恥かき首相

    九段靖之助訪韓し、土下座して謝罪した鳩山由紀夫 首相経験者五人が、安保法制は「立憲主義に反して違憲だ」とする意見書を安倍首相に送った。細川護煕、羽田孜、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人の五人。いずれもロクでもない首相で、この日本に「負の遺産」を残しただけだ。鳩山のいわく、「日本を戦争の出来る国ではなく、戦争の出来ない珍しい国にしたい」 丸腰の「珍しい国家」を夢想するのは勝手だが、「わが国は国民を拉致されようが、領土を奪われようが、何があろうと抵抗しません」と宣言すれば、中国や北朝鮮は得たりや応と、なおも押し出してくるに違いない。 かつて鳩山は沖縄の普天間基地の移設について、「国外、少なくとも県外」を主張して首相の座に就いた。衆院本会議に臨む(右から)鳩山由紀夫首相、菅直人副総理・財務相、岡田克也外相、前原誠司・国交相 =2010年5月31日午後、国会・衆院本会議場 (酒巻俊介撮影) 「首相になってみると、沖縄に米海兵隊が駐留する重要さがよく理解できた。勉強が足りなかった」 この鳩山がさきごろ訪韓し、朝鮮併合時代に「反日闘争をした志士の墓」とやらに詣で、靴まで脱いで土下座して謝罪した。鳩山は自他ともに「宇宙人」を名乗るが、宇宙人にキン玉がついているのかどうか、寡聞にして知らない。定見も自省もない菅直人 一方の菅直人は、かつてPKO(国連平和維持活動)法案は違憲だとして、国会の壇上から「違憲演説」を延々と続け、制限時間を超えて降壇しない。衛士によって引きずり降ろされたことがある。その菅が首相に就くや、防衛大の卒業式で演説した。 「PKOは素晴らしい法律です。諸君の訓練をこれに活かしてもらいたい」 さらに菅は、日本のエネルギー安保に原発は欠かせないとして十一基の原発新設計画を推進し、さらに複数の外国へ原発の売り込みに成功したと満面に笑みを浮かべて自画自賛した。 その菅が、さきごろ川内原発の再稼働に当たり、地元に出かけて反対演説した。福島原発の事故で、無用の指示を乱発して現場を混乱させたのは記憶に新しい。原発について発言する資格があるのか、自らに問うてみよ。この男には、およそ定見も自省もない。 そんな鳩山と菅が作ったのが、いまの民主党だ。この八月四日、現代表・岡田克也は訪韓して朴槿惠と会談し、慰安婦問題でペコペコと謝り、 「日本の政治家として恥ずかしい」 と卑下してみせた。さらには、「安倍首相の安保法制に反対している」とも告げた。 かつて訪中した自民党の松村謙三は、周恩来が吉田茂を激しく罵倒し始めるや、 「私は反吉田の立場だが、日本の政治家として貴方の意見には反対だ。聞くに堪えない。やめてくれ」 と言い返し、周恩来は言葉を失い黙り込んでしまった。日本の政治家として恥ずかしいのは、岡田のような存在自体だ。さぞかし朴槿惠は腹のなかで笑っていたに違いない。岡田克也よ、恥ずかしくないのか! この岡田と朴槿惠の会談に先立ち、朴槿惠の妹・朴槿令が日本からの帰路、韓国メディアに向けて答えた(七月三十一日)。 「日本の神社参拝は先祖を訪ねていくもので、百年前の先祖が悪いことをしたから子孫が参拝をしないというのは人の道にもとる」と日本の閣僚らの靖国神社参拝を正当化し、「韓国が関与するのは内政干渉だ」と主張した。さらに、「天皇が頭を下げているのに、なぜ首相が代わるたびに謝れというのか」と韓国国民の対応を批判した。またさらに、 「日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに、被害者意識だけ抱いていては国益にならない」 と強調し、慰安婦問題については、 「元慰安婦をはじめ苦痛を受けた方々に対しては、韓国国民が国内で面倒をみなければならない」 と述べた。韓国の世論調査によれば、姉妹の父親・朴正煕は、歴代大統領で第一位の評価を保っている。彼が結んだ日韓条約は、「これにて相互に一切の請求権を放棄する」と定めた。日本はなけなしの外貨準備高十八億ドルから五億ドルを「経済協力」として韓国に与えた。それでも足りないとして韓国全土に広がる反対デモを、朴は軍隊を動員して鎮圧した。朴は個人補償を後回しにして、全額を財閥育成に投じた。外資の侵食を防ぐためだ。朴は「漢江の奇蹟」と讃えられる経済復興を成し遂げる。終生、日本を多とした。 姉妹は父親のこの思いを知っているはずだ。なのに二手に分かれる。妹・朴槿令の日本に向けた感謝の言葉は、姉・朴槿惠の対応をたしなめるものでもある。岡田はこれを聞いて恥ずかしくないのか。姉に会うより、この妹に会って教えを乞うたらどうか。 

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    海自OBが予言する 反戦平和を唱える人々の向かう先

    著者 長尾勝男(海上自衛隊OB) 「兵は詭道なり」。孫子の第1編始計偏の冒頭に書かれた言葉である。 兵とは、軍事のこと詭道とは、正道ではない道、ごまかしの道と言う意味である、従ってこと軍事(兵を用いること)に関することを誤りだと指摘することは簡単で、一言「これは正道ではない」と言えば済むからである。 東大法学部の石川健治教授はBSフジのプライムニュースで「安全を追求すると自由を支えるロジックが壊されて行く」と述べている。つまり憲法という論理的な枠組みを超える安全保障は却って国民の自由や人権が脅かされるという主張である。 最近、マスコミやSNSに登場するSEALDsやママの会の民主主義と自由を守ろうというスローガンにも共通しているように見受けられる。 確かにスイスの例に見られるように「国民皆兵が前提にあって国民にNOは無い、もし選択の自由があれば国是は瓦解する」と言うとスイス国民は政府を信用しているからで、腹の内が定かでない日本とはどだい国情が違うと反論する向きもあろうかと思うが、外敵が攻めてくることに日本もスイスも違いはない。逸に自国の平和と安全を守ろうとする国民の気概の差にあるように私には思える。 その対極にあるのは無抵抗主義であろう、正確には非暴力・非服従運動である。インドのガンジーが有名であるが彼は当時の英国の圧政に丸腰で立ち向かう、アムリトッサルの虐殺事件では400人が射殺されている。それでも民衆は銃口に向かって進んだ。東京・代々木公園で開かれた、安全保障関連法の反対や脱原発などを訴える集会=9月23日午後(共同通信社ヘリから) 果たして日本で非軍事と話し合いによって民主主義と自由を徹頭徹尾保持しようと主張する人々にその覚悟があるのだろうか? 残念ながらそれはあり得ない。自分やその子供や家族の生命第一がこの人々の生活信条にある中からおよそそれを犠牲にしようなどという発想が生まれるはずはないからである。しからば外国、例えば中国・韓国や北朝鮮軍が我が国に武力侵攻した場合、国民は彼らの思うままに服従するのであろうか。服従したくなければ他国に逃れざるを得ない、結果難民となり流浪の民となる道が待っている。チベットのダライラマのように国外に亡命政府を樹立するケースもあるかもしれない。 ここにもれっきとした標本がある。嘗てのユダヤ人でありパレスティナ人であり現在のシリアの人々である。 ただ、同じ日本人でありながら同朋を国外に追い出す或いは支配者側にまわって傀儡として生き残る方法が残されている。むしろその形が蓋然性として最も高いと言えよう。 私は反戦平和を唱える人々の向かう先をかように予見する。 始めから外患誘致を狙って防衛力の弱体化をはかり同盟国との離間を企図して後ろ盾を無くし我が国と対立し属国化を望む国による支配の上に余禄に与ろうとする戦略である。 さて、日本を取り巻く国際環境を俯瞰すれば、東アジアにおける日本は微妙な立ち位置にあるのは確かである。力による現状変更を前提とする中露2大国とこれを快しとしない欧米の間にあり内外に渉って揺さぶられている現実がある。現在のところ米国に与する我が国は同盟政策が採られており地理的にも最前線に位置している。それだけ風当りが強くなるのは当然で国論も徐々に(左右の)対立が先鋭化して来ている。 「汝、平和を欲するなら、戦い(戦争)に備えよ」。まさに、ローマ帝国の軍事学者、ウェゲティウスとされるこの言葉こそ現在の我が国の国防戦略に相応しい選択肢であろう。平和のカギは平時における準備にこそ存するのであって、紛争に巻き込まれることを恐れたり、敢然と立ち向かう姿勢を示すと相手に無用の刺激を与えるとしてこれを躊躇すれば却って相手を増長させ我が国が今手にしている平穏な暮らしは手元から霧散することは明らかである。 少なくとも今俎上にある平和安全保障法制の制定は完全とは言えないまでも、備える方向に進んでいることは間違いない。 だが、現実の世界は更に進んでおり、湾岸戦争などにおける多国籍軍や対IS掃討作戦における有志連合など集団防衛の体制による場合が一般的になりつつある。 平和に対する脅威または侵略行為に対して国連安全保障理事会の全会一致による制裁(軍事・経済)措置が機能不全をきたしている現状を補完する形で、集団的自衛権(51条)及び個別的自衛権が認められている訳であるが、このうち集団的自衛権は密接な関係を有する国家が互いに協同して外部の脅威に対抗するものであり内部の脅威に対する集団安全保障の制裁から集団防衛による抑止へと変化してきている。 最近自衛隊OBの識者の中に中国を含めた集団安全保障体制を提唱する意見が見受けられるがこれは極めて危険である。 集団安全保障体制では違反国に対して他の加盟国が圧倒的に優位であることが前提となる何故なら違反の対象国が軍事大国(中国のような)の場合制裁を課そうとして却って返り討ちに遭うことが考えられるからである。 実際に昨年6月、リムパック(環太平洋合同演習)に日米を含む22か国が参加、今回初めてこれに中国が加わった。この演習中こともあろうに中国が秘密裏にハワイ沖に情報収集艦を派遣していたことが露見した。7月21日、米国防総省当局者はこのような行為は不躾であると不快感を示したのは当然である。 協調外交などと理屈をつけて近寄るとこちらの手の内を全部知られてしまう国だと認識するべきである。 かつて、欧州におけるNATO(北大西洋条約機構)の例に倣い米国主導で太平洋アジア条約機構(日本・韓国・豪州・英国・タイフィリピン)を設立しようとする動きがあった。だが、結果は日本を嫌う韓国の反対で実現しなかった経緯がある。 従って、米国のみならずフィリピン・ベトナム・タイなどによる中国・ロシア・北朝鮮を共通の脅威とする東南アジア諸国と我が国の間に集団防衛体制を構築することが我が国の安全保障政策のうえで最適な方策ではないだろうか。 現在の世界情勢は軍隊とは言えない武装集団や組織による他国への侵攻など宣戦布告などの予告なしに平和を脅かされるケースが派生しており国防上複雑多岐な機能を備える必要性が覗える。

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    「反安倍」制服向上委員会は共産党の〝御用アイドル〟になった?

    高木桂一(産経新聞政治部編集委員) さる7月18日午後、東京・千駄ケ谷の共産党本部大会議場で開かれた、志位和夫委員長による党創立93周年記念講演会。いつにもまして「反安倍政権」のボルテージを上げる志位氏の言葉に真剣に耳を傾ける党員・支持者約500人の中に、あの筋金入りの左派アイドルグループ「制服向上委員会」のメンバー5人の姿があった。もともと“相思相愛”とみられる両者ゆえに「ありふれた光景」かもしれないが、かくして10代の彼女たちは名実ともに「共産党御用アイドル」となった。党勢拡大に向け利用できるものはとことん利用する同党の戦略は見逃せない。「戦争法案」廃案への決意 記念講演会は当初、党創立記念日である7月15日の夜に東京・中野の施設で開催される予定だった。しかし、共産党が「戦争法案」とおどろおどろしく名付け、廃案を叫ぶ安全保障関連法案の衆院平和安全法制特別委員会での採決とくしくも重なり、急きょ日時、会場ともに変更された。 党広報部が各方面に配布した「ご案内」には、この記念講演会の趣旨について、こう記してあった。 「安倍政権が『海外で戦争する国』づくりへの暴走を強める中、日本は今、戦争か平和かの歴史的岐路に立っています。日本共産党は戦前から反戦平和を貫く党の存在意義をかけて、戦争法案阻止に全力をあげています。記念講演会は、この党の歴史をふりかえり、現在における党の役割と値打ち、戦争阻止の展望と日本の未来を語る格好の機会になると考えています」 つまり、共産党が言う「戦争法案」の廃案に向けて志位委員長が改めて党内外に“決意”を発信し、気勢を上げる舞台に据えられていたのだ。講演のタイトルは「戦争法案阻止へ-空前の国民的たたかいを」だった。日本外国特派員協会で記者会見に臨み、「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を披露する制服向上委員会のメンバー=7月28日、東京・有楽町 会場の党本部に足を運んだのはコアな共産党員と支持者がほとんどだが、制服向上委員会のメンバーも党からの招待に応じたのである。 「日本共産党創立93周年記念講演会、始まります。制服向上委員会の皆さんも参加されています!」 同党の小池晃副委員長(政策委員長)は講演会開始直前に自身のツイッターでそう宣伝し、机に座って壇上を見据えるメンバーたちの写真を添えた。 そして小池氏は講演会終了後には、こうツイッターでつぶやいた。 「制服向上委員会の皆さん。党創立記念講演会のご案内を送ったら、レッスン前に来てくださいました。志位委員長の1時間半近い講演を、しっかりノートとって聞いて。『難しい言葉もあったけど、歴史の流れがわかって、勉強になりました』と」10代の少女たちが志位氏の講演で“学習” ここで披露できないのが残念だが、小池氏が笑みをたたえながら制服向上委員会のメンバー5人とともに党本部で記念撮影した写真も掲載されていた。 10代の少女たちが、あまたの共産党員に混じって志位氏の記念講演で“学習”したわけである。ならば彼女たちがこの日、何を学んだのか-。やみくもに安倍政権攻撃を繰り広げるその講演内容をここで紹介するのは気が引けるが、やむをえず一部を書く。 講演で志位氏は、安保関連法案が衆院を通過したことについて「政府・与党が数の暴力で強行採決した。国民主権の大原則に反する許し難い歴史暴挙であり断固抗議の声を突きつける」と安倍政権を批判した。その上で「法案は憲法9条を蹂躙する最悪の違憲立法であり、強行採決は空前の規模で発展しつつある国民の(反対の)世論と運動に政府・与党が追い詰められた結果だ」と指摘。「条約、予算と違って法案に自然成立はない。国民的な運動を広げに広げて圧倒的世論で安倍政権をさらに追い詰めるなら、参院で採決不能の立ち往生に追い込むことが可能だ。戦いはこれからだ」と強調した。 また「日本共産党の93年の歴史に思いをはせ、歴史の進歩への大局的確信をもつことが大切だ」と切り出し、「天皇制の専制政治を倒し、国民主権の日本を築くことを命懸けで主張し戦い抜いてきた日本共産党。日本共産党が掲げた国民主権の旗は、戦後、日本国憲法の中に刻み込まれた」と力説。「平和と民主主義を希求する国民な巨大なエネルギーに自信をもち、必ず廃案に追い込むよう頑張ろう」「安倍政権の存在こそ日本にとって最大のリスクだ。戦後最悪の安倍政権をみんなの力で打ち倒そう」と呼びかけたのである。 小池氏によれば、制服向上委員会のメンバーはそんな講演を聞いて「勉強になりました」というのだから、共産党としても招いた甲斐があっただろう。共産党と“旬のアイドル”の接点 制服向上委員会といえば、制服・ハイソックス姿をトレードマークに23年の活動歴を誇り、現存するアイドルグループでは最古の集団だ。現役のメンバー総勢10人は15~18歳で、中学生もいる。次々とメンバーを入れ替えながら活動を続ける「モーニング娘。」方式をとっている。 近年は、「脱原発」「反安倍」をテーマにキュートな振り付けと過激な歌詞を売りとして「諸悪の根源、自民党~♪」「本気で自民党を倒しましょう~♪」などと歌い踊ることが注目を集めている。6月には神奈川県大和市が後援する「憲法九条やまとの会」主催イベントで常軌を逸するような安倍批判の曲を披露し、市が事後に後援を取り消す騒動に発展した。 その“話題性”から「特定勢力」の陣営にとっては利用価値がさらに高まっているとみられ、ここにきて連日各地で開かれている「安保関連法案反対集会」に引っ張りだこのようである。 7月28日には日本外国特派員協会の記者会見に招かれた。出席したメンバーたちは「他人のけんかに首を突っ込むことを美しいと思う人が、国を動かしている」「『子供のくせに』と批判されるが、何も言わないことは賛成意見と同じ」「悪いことを悪いと言うのに、子供もアイドルもない」「平和な日本を持続させるために、アクティブに行動したい」などと言いたい放題の様子だった。 もともと制服向上委員会と共産党には“接点”があった。 平成25年7月の参院選で制服向上委員会の当時のメンバーが「私初めて共産党に入れました」とフェイスブックに書き込んだ後、「赤旗」が本人の了解を得た上で顔写真付きで、その内容を大きく紹介した。同年9月の「生誕21年祭」には、前出の小池氏が祝電をおくった。 それが今回の党創立記念行事への参加に結びついた形だが、こんな使い勝手がいい“旬のアイドル”に共産党が目をつけないわけがないのだ。黒幕「主張を発信しているだけ」 制服向上委員会の曲の大半を作詞し、彼女たちの“黒幕”とも言われる所属会社「アイドルジャパンレコード」の高橋廣行社長は、「週刊新潮」(7月9日発売)で「私たちは社会の出来事を見て自分の主張を発信しているだけ。どこかの(政治)団体に迎合しようとも思っていません」と話していたが、特定政党たる共産党の色がベッタリとついてしまったようだ。 しかし高橋氏は筆者の電話取材にこう語った。 「彼女たちは戦争法案を勉強するために共産党の記念講演会に参加した。普段から映画を観に行ったり、講演会に行ったりして勉強しているし、今後も共産党さんだけでなく、社民党さんなど他の政党、団体のイベントに招かれて行くことになるだろう。彼女たちの思いは、さまざまな人の話を聞いて自分たちの主張、意見に反映させていきたいということだ」 ともあれ、共産党指導部は6月9日の党中央委員会幹部会の決定を受け、全党に「戦争法案阻止・党勢拡大運動」の大号令をかけている。安保法案廃案に向けた国民的運動と連動させて、党員と「赤旗」読者を一気に増やせ-ということだが、むろん制服向上委員会への“接近”の背景には、若い無党派層を共産党に振り向かせる戦略がある。 共産党は「赤旗」日曜版(昨年9月28日号)で、当代きっての人気アイドルグループ「AKB48」の「憲法キャラ」と言われる内山奈月(なつき)さんのインタビュー記事を丸々1ページ割いて掲載した。同11月に東京・夢の島公園で開いた「第40回赤旗まつり」には、『なみだ恋』や『舟唄』『雨の慕情』などの大ヒット曲で知られる大物演歌歌手、八代亜紀さんを呼んだ。 最近では、志位委員長が意外や意外、「週刊女性」(主婦と生活社)7月14日号に“登場”した。安保法案をめぐる特集記事でのインタビューだったが、志位氏にとって女性誌デビューで、掲載も1ページという“破格の扱い”をされるサプライズだった。若い世代を引き寄せるには逆効果? 共産党はこのところ、自前の「女性アイドル議員」の発掘・育成と合わせて、いかにも距離がありそうなタレントとの“接点”を見いだすことで、党の堅いイメージを打破することに躍起だ。同党幹部によれば、ターゲットとするのは「若い人」「女性」だが、「制服向上委員会のメンバーとの共闘のアピールもその戦略の延長線上にある」と党関係者はいう。 選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が今国会で成立し、来夏の参院選から「18歳以上」が投票できるようになった事情も見逃せない。新たに選挙権を得る約240万人の争奪戦に各党が血道を上げることになるが、共産党が制服向上委員会を事実上の「公認アイドル」に仕立てようとする背景には、彼女たちのファン層とみられる若い世代を自陣に引き寄せる狙いもあるようだ。 むろん、どれだけの若者があの過激な左派アイドルグループに共鳴しているのか、あずかり知らないが…。 しかし、小池氏がツイッターで制服向上委員会のメンバーを党の記念講演会に招いたことを披露した後、ネット上に以下のような批判や皮肉の声が出ているのも事実である。 「大人相手に選挙勝てないからって子供だましていいのか!?」「子供にウソ教えて何が政治家だよ!!」「若者にウソの歴史教えてどうすんねん(笑笑)」「無知な少女たちにウソを教え込むとは共産党も酷いし取り巻きの大人も酷いな」…。 書き込んだのは「反共主義者」や「ネトウヨ」とされる人物かもしれないため、ここでは論評は避けるが、政治色クッキリの制服向上委員会が、共産党がこれまでに“活用”した八代亜紀やAKB48とは明らかに毛色が異なることは言うまでもない。 ある共産党の古参党員はこう警鐘を鳴らす。 「制服向上委員会とかいうグループは、アイドルといっても言動が過激すぎる。党としては付き合いをほどほどにしておかないと、ターゲットとすべき穏健な若い無党派層が逃げてしまう。むしろソフトイメージ戦略の逆効果だろう」

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    公開質問状-首相を学問の名で恫喝した学者たちへ

    違があ」るにも関はらず、以下の声明文に書かれた「考えを同じくするものであり」、それを「日本国民」、「国政」担当者、及び「諸外国の方々にも知っていただくことは、専門家の社会的責任であると考えるに至った」と、この声明は、まづ高らかに宣言します。 が、もし本当に「学問的立場も政治信条も違ふ」学者が大量に署名して、学問の名のもとに総理談話について何かをいふとすれば、たつた一つの道しかあり得なかつたのではないでせうか。 このやうな重大な争点になり得る首相談話を出す事自体が誤りであり、「村山談話」こそはその誤りの原点だ。安倍首相は、どのやうな立場であれ、その誤りを繰り返さず、「歴史」を、「政治」から知の世界に投げ返して欲しい――これ以外に、「学問的立場も政治信条も違ふ」多数の学者が発出し得る、学問的な声明はありやうがないのではないでせうか。 さもなければ、逆に、はつきりと、特定の政治信条に立つた有識者のみが集つての「政治」声明だと、嘘偽りない自己規定をすべきなのです。それならば、構はない。安倍首相の戦後70年談話について、声明を発表する三谷太一郎東大名誉教授(左)と大沼保昭明治大特任教授=7月17日、東京・内幸町の日本記者クラブ 例へば、私も、最近、安保法制の早期成立を求める共同記者会見に呼びかけ人として参加しました。 これは安保法制の早期成立といふ明確な「政治」目的に対して、有識者として発信するといふ話です。「学問」的中立性など名乗りません。自分に立場的「偏向」がある事を認めた上で、堂々と知的な勝負をしよう、さういふ性質の署名です。 ところが、この大沼氏らの声明は、「学問」を振りかざしながら、これから見るやうに、全編全くの「政治」文書であり、学術性のかけらもありません。 政治家の文書である「安倍談話」に較べても、寧ろ、政治信条の一方的押し売りに過ぎず、明らかに知的劣位に立つてゐると言はざるを得ない内容です。 私は、こんな文書に署名した七十四名の諸氏全員一人一人の家を訪ね、本人に会ひ、目を真直ぐ見ながら質問したい、「あなた、本当に恥づかしくないんですか」と。戦後の平和と繁栄を支へたのは「贖罪意識」…のはずはない 第一の大きな欺瞞は、この文書が「戦後の日本の平和と繁栄を支えた原点」を次のやうに規定してゐる事でせう。(項目三)「台湾、朝鮮の植民地化に加えて、1931―45年の戦争が大きな誤りであり、この戦争によって三百万人以上の日本国民とそれに数倍する中国その他の諸外国民の犠牲を出したことへの痛切な反省に基づき、そうした過ちを二度と犯さないという決意」 なるほど、これが政治文書ならば、ある傾向の政治勢力に典型的な戦後認識に他なりません。が、この声明は七十四名の学術研究者の名で出されてゐる。当然、学問的な吟味に堪える見解を書くべきであつて、そのやうな意味で、第一にこの数行に含まれる事実認定自体が余りにも争点を多く含むし、第二に、「戦後の日本の平和と繁栄を支えた」のは、このやうな特定の贖罪イデオロギーでは決してありません。 多くの将兵たちは、戦地で斃れた戦友に、「アジアを頼むぞ」「祖国を頼むぞ」と遺言されて戻つてきました。 彼らは過ちとお詫びと反省を原点になどしてゐません。戦友の死を無駄にしないために、先づは歯を食ひしばつて日本を復興させようと頑張つたのです。 我が国が持つた理念は正しかつた筈ではないのか。その正しい理念を、戦争に負けたゆゑにGHQによつて否定された、悔しい――その悔しさをバネにした何百万の人がゐました。彼らの強い思ひを学問の名の下になかつたことにしていい筈がありません。 一方、ソ連の脅威、日本が共産国になるといふ脅威、左翼イデオロギー・反日イデオロギーから日本を護るために頑張つた多数の日本人もゐました。 元も子もない事を言へば、そんな理屈は一切関係なく、自分が豊かになりたい一心で頑張つた日本人が一番多かつたかもしれません。 一方で、勿論、この学者声明が言ふような「反省」に原点を見出した日本人も多数ゐたでせう。それを否定するつもりは毛頭ありません。 私が言ひたいのは、「学問」の名の下に「戦後の繁栄と平和の原点」を述べるならば、少なくとも、以上のやうな多様な原点がそこにあつた事をこそ明示すべきであり、あるイデオロギー的立場によつて、その他を抹殺するなど到底許されないといふ事です。 戦争といふのは、どのみち巨大な殺戮合戦です。勝たうと負けようと、戦場で多くの人が殺戮しあひ、また不可避的に多くの非戦闘員をも巻き込みます。声明のやうに、「多数の犠牲者」を出したから過誤だといふ言ひ方をし、その反省に立つとすれば、戦争といふ行為に主体的に関はつた国々が全員同罪になるのは自明でせう。 更に、アジア地域が植民地だつたといふ問題を抜きに、大東亜戦争を語る事は全くできません。そのやうな歴史の文脈の中に戦争をどう置き、どう評価するかは、人が何人死んだから一方の当事国が悪い、だから反省するんだといふやうな幼稚な世界観では、到底、学問的に処理不可能です。 欧米による植民地支配、そして大東亜戦争の惨禍にも関はらず、それらの暴力的な過程なしに、現在アジア全域が達成しつつある近代化、技術的平準化、国民国家としての成熟、それによる平和と繁栄の享受が実現できたかどうかは、極めて疑はしいでせう。 政治的な声明では、植民地支配や戦争の肯定的側面に、不用意に言及すべきではありません。が、「学問」であるならば、戦争=日本の罪といふ一方的で平板な文脈ではなく、世界史的観点に立つて植民地支配や戦争の功罪を公正に位置付けようとするのが当然でせう。 つまり、本来「学問」の名の下に戦後を要約するならば、戦後の繁栄と平和を支へた日本人の意識やイデオロギーの多様性=分裂性にこそ言及すべきであり、また戦争の性格については、世界史の巨大な構造の中に位置づけるべきなのです。 余りにも皮肉な話ですが、この指導的な学者七十四名の声明よりも、学者が顔を歪めて冷笑したがる政治家、それも保守政治家の発出した「安倍談話」の方が、以上の二点について、明らかに学術的な良心を担保したものになつてゐます。 自らの立つ政治的立場がどうであるか以前に、日本の主流派学者らは、自らの平板過ぎる世界観と、多様な歴史の実相を隠蔽する強圧的な姿勢について、お詫びと反省を表明してはどうでせうか。「村山談話」の継承が学問的態度なのでせうか「村山談話」の継承が学問的態度なのでせうか 次の項目四は、安倍首相に対して、「村山談話」での「侵略」や「植民地支配」への「痛切な反省」、「心からのお詫び」を継承せよと要求してゐます。これ又、驚くべきは、それを、「歴史と法と政治を研究してきた私共が、特に強く申し上げたい」と、ここでも又「学問」をちらつかして要求してゐる姿勢でせう。 それならば、「詫び証文」を再度入れ直す必要に関して、どういふ学的・論理的根拠が示されてゐるのか。 第五項では、その第一の根拠として、「『村山談話』を『安倍談話』がいかに継承するか」が、「総理自身の言動も原因となって、内外で広く論ぜられ、政治争点化している」と書かれてゐます。 しかし、そもそも「村山談話」そのものが、二十年に渡り、政治争点であり続けてきたのではありませんか。 安倍氏の言動如何に関はらず、「村山談話」そのものが政治争点だつたのであり、「村山談話」だらうと、「安倍談話」だらうと、どの道、政治争点化する事には変りない、そのやうな単純な事実にさへ言及せずに、何が「歴史と法と政治を研究してきた私共」でせうか。安倍首相談話発表を受けて記者会見する村山元首相=8月14日夜、大分市 村山氏が首相として何かを発信すれば、我々は恐らくその多くを争点化します。一方、安倍首相が何かを言へば署名者らは、それを争点化するのでせう。政治とはさういふものであり、だからこそ我々学問や言論を事とする人間は、政治に関与する時に、学問的中立性を僭称しては絶対にならない、その位の原則を七十四名にも及ぶ日本を代表する学徒が自覚してゐない事に、私は眩暈を覚えます。日本の知的病理は何と深い事でせうか。政治争点化させたのは誰でせう この項で次に問題なのは、まるで「政治争点化」を自然発生的な現象のやうに書いてゐる点です。当然ながら、この「政治争点化」は、自然発生的なものではなく、構造的な仕掛けがあります。 改めて書くのも馬鹿馬鹿しい話ですが、先づ朝日新聞や日本のテレビメディアが安倍総理の発言を「負」の価値づけをして難じます。それを中国や韓国メディアが、更に誇張して非難します。中国と連動が進むニューヨーク・タイムズがその後追ひをし、いはゆるリベラル系欧米メディアが、これを世界中で喧伝し、日本にフィードバックされる。共産党及び極左労働組合を始めとする資金源と、中国を中心とする国際的な諜報人脈がそれと連動してゐます。 これが「政治争点化」の大きな構造でせう。 国際政治学者が起草者に含まれてゐる以上、かうした基本構造をこそ、以上私のヤマ勘的記述とは次元の違ふ学術研究のレベルで「析出」すべきではないのか。ところが、声明は、そのプロパガンダの構造に一切言及するどころか、こんな風に述べてゐます。「このことは、国内もさることながら、中国、韓国、米国などを含む、日本と密接な関係をもつ国々で広く観察される現象です」「観察される現象」と書けば、客観的な記述に見える。が、今言つたやうに、この「現象」は国内外呼応してのプロパガンダといふ仕組まれた構造抜きには説明し得ません。それに触れずに「観察される」などと客観めかす事自体が、悪質な詐欺論法です。「こうした状況の下では『安倍談話』において『村山談話』や『小泉談話』を構成する重要な言葉が採用されなかった場合、その点にもっぱら国際的な注目が集まり、総理の談話それ自体が否定的な評価を受ける可能性が高いだけでなく、これまで首相や官房長官が談話を通じて強調してきた過去への反省についてまで関係諸国に誤解と不信が生まれる」 これも学者の文章としてはあつてはならないものでせう。 要するに「安倍談話」の帰趨が「政治問題化」してゐる「こうした状況の下」では、「反省」や「お詫び」を入れないと、国際問題になるから、入れろと言つてゐる訳です。 国際社会自体が謀略ゲームの戦場です。プロパガンダをする側が悪いかいいか以前に、さうした政治闘争の中で国益と国家の名誉を守る事が政治の任務です。 国際政治学徒が起草に関はつてゐる以上、・プロパガンダの構造の指摘・その中で「安倍談話」が、プロパガンダからどうやつて国益と名誉を守るかといふ方法論の提示。これが常識的に考へられる学的な文脈ではないでせうか。 ところが、声明は、逆に、国際圧力をネタに、安倍氏に謝罪と反省を強要してゐる。学問の政治利用そのものではありませんか。「1931~45年の戦争」「違法侵略戦争として国際的に定着」と断じて恥ぢない学者とは「1931~45年の戦争」「違法侵略戦争として国際的に定着」と断じて恥ぢない学者とは 次の七項と八項は、歴史認識そのものが示されてゐます。連続した内容なので、一体として論じます。「20世紀前半の国際社会は、第一次大戦の甚大な惨禍を経験して、戦争を違法化する努力を重ねて来ました。1928年の不戦条約はその代表であり、日本も締約国であった同条約は自衛以外の戦争を明確に禁止しておりました。1931年に始まる満州事変が1928年の張作霖爆殺事件以来の関東軍の陰謀によって引き起こされたものであったことは、歴史学上明らかにされております。当時の日本政府はこれを自衛権の行使と主張しましたが、国際連盟はその主張を受け入れませんでした。その後の日中戦争、太平洋戦争を含めた1931―45年の戦争が名目の如何と関係なく、その実質において日本による違法な侵略戦争であったことは、国際法上も歴史学上も国際的に評価が定着しております」 典型的な東京裁判史観です。が、私が今問ひたいのは、その事そのものではありません。 この史観は、極めて政治的な動機に端を発します。日本が敗戦し、その敗戦を勝者側のストーリーで処断した、それがこの史観の起源だからです。このストーリーの妥当性が高いか否か、ある論者がそれに賛成するか反対するか、それは様々であつて構ひません。が、そのやうに、明らかに政治的な動機に発し、今日まで学術的正当性以上に政治・イデオロギー圧力として君臨してきた史観に対して、学問の自由や価値判断の多様性、研究の深化をまるで一切遮断するやうに、「国際法上も歴史学上も国際的に評価が定着して」ゐると決めつける、それも七十四名もの歴史・政治学徒が、全一致で決め付けてゐる、異説への恫喝でなくて何なのか。 論証や実証の厳密を旨とする自然科学においてさへ、ある段階での定説=主流派学説は、絶えず、批判に晒され更新されるのが宿命です。まして、近現代の国際関係論に「定説」などあり得ません。絶えず新たな資料発掘によつて説は流動し続け、解釈の幅は力点の置き方で変はり、現在の政治状況や世論が学問に絶えざる圧力を掛けてきます。 決して一つの結論に収斂しない、いやさせてはならない。 もし仮にこの声明が言ふやうに「国際的に評価が定着して」ゐるのなら、猶更、さうした「定説」化を強要する国際社会に、日本の学徒は、学問的良心の自由の名において敢然と抗議すべきでせう。それを「国際的」な「評価」を嵩にきて、世界の定説だから言ふ事をきけと言はんばかりのこの口の効きようは一体何でせう。軍部の意向を嵩にきた戦前の皇国史観と、学問的態度としてどう違ふのでせうか。日本の首相として初めて米議会の上下両院合同会議で演説する安倍首相=4月29日、ワシントン(共同) とりわけ、ここで言及されてゐる諸点は、長年に渡る激しい論争の対象です。 満州事変についての言及、不戦条約との関連付けについては私は異論はありますが、今は紙幅の都合上論じません。 が、声明の満州事変の記述を認めたとしても、塘沽協定によつて満洲事変の戦争状態が一度終息してゐる以上、「1931―45年の戦争」といふ記述が、史実ではなくイデオロギーによるものである事は明白です。要するに、このやうな見方を許容するとしても、それは林房雄の東亜百年戦争史観と同じやうな意味での史観であつて、学的な史実の要約とは言へません。まして、それを全部ひつくるめて「日本による違法な侵略戦争」と断じ、しかも定説だと押し切るのは、幾ら何でも学的に不可能でせう。この声明では言及を避けてゐますが、日中戦争と日米戦争において、日本側に積極的な侵略意図があつたとは、史実上到底言へません。不用意な戦争、拙い戦争とは言ひ得ても、十五年を纏めて「日本による違法な侵略戦争」だつたといふ議論に対しては、説得的で有力な反論が多数ある、それは、誰にも否定できないでせう。 それからもう一つ、非常に大切な事を申し上げておきたいと思ひます。 昭和戦前史に関する日本側の一級史料や、学術研究書の英訳が全く整備されてゐないといふ深刻な問題です。世界中の国際法や歴史学の専門家の多くは、日本語の一級史料や幅広い立場からの研究論文や歴史書を読めません。 世界の主要な歴史家たちは、日本に関して非常に偏つた史観の資料や研究論文しか読まずに、第二次大戦史や近現代史を論述してゐるのが実情です。 七十四名もの学者が連署して、史資料や文献の国際社会での極度の不足と偏りを指摘せずに、英訳資料不足の上に成り立つ国際学界での学説を「国際的に評価が定着」してゐるなどといつてゐる。ここまで来ると、恥を知れといふ言葉を使ふ気も起りません。「過ちを潔く認めよ」といふ欺瞞のレトリック さて、声明は、上記のやうに歴史を総括した後、「歴史においてどの国も過ちを犯すものであり、日本もまたこの時期過ちを犯したことは潔く認めるべきであります」と結んでゐます。 極めて欺瞞的な文章です。「どの国も過ちを犯すものであり」ならば、続く文章は「日本も又この時期過ちを犯したのであります」としなければなりません。 一方、「日本もまた過ちを犯したと認めるべきだ」と書くならば、この一節は、「どの国も歴史上過ちを犯し、その過ちを潔く認めている以上、日本もまた過ちを認めるべきであります」とならねばをかしいでせう。 ケアレスミスではあるまい。意図的な述語の入れ替へなのでせう。 現実には、どの国も過ちを犯してゐますが、どの国も過ちを謝つてゐません。 日本もまた確かに過ちを犯してゐる。そこまではいい。 が、日本のみが過ちを認め、しかも総理大臣の名前によつて、謝罪を続けるべきだとすれば、それは何故なのでせうか。 無数の戦争、無数の過ちをしてゐる世界史の中で、我が国だけが謝罪を続ける事の学問的に説得力のある意義とは何なのですか。この声明ではその説明が全くありません。 しかも、その後に、全く実情にそぐはない奇妙な文章が続く。「そうした潔さこそ、国際社会において日本が道義的に評価され、わたしたち日本国民がむしろ誇りとすべき態度であると考えます」 最早笑ふしかない。 日本は、戦後さう考へ、実行してきたではありませんか。 謝れば分つてもらへる、誠意は伝はる。さう考へて善隣外交をモットーとしてきた。 潔過ぎる位、してもゐない事さへ過ちを認め、財産請求もせずに、必要以上の賠償にも応じ、謝罪を重ねてきた。 その結果、中国と韓国から道義的に評価された試しがありますか。彼らは日本の謝罪や善意を受けて、日本を一度でも大切にし、尊敬し、道義性を評価したことがありますか。 やつてゐない罪さへ国際社会で定説化し、現在と将来の日本人の不名誉と不利益が重なつてきたのは、まさに、不必要な「潔さ」の為だつたのではないですか。……署名者全員の返答を求む 私は、七十四名全員に、以上諸点を項目に纏めた上、公開質問状を送り、返答を求めると共に、返答なき場合には、ホームページ上に、氏名を公開し、その名を日本及び世界に広く喧伝し続ける運動を展開するつもりです。 私は、彼らが学問を僭称した事実を決して許しません。 一人一人が、自らの学問的良心に照らして声明への署名撤回をしない限り、学問の名の下に全署名者七十四名を糾弾し続けるつもりです。「安倍談話」は発出されてをはりではありません。「安倍談話」の戦ひは、これから始まるのです。おがわ・えいたろう 昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業。埼玉大学大学院修士課程修了。創誠天志塾塾長。著書に『約束の日―安倍晋三試論』『『永遠の0』と日本人』(以上、幻冬舎)、『最後の勝機(チャンス)』(PHP研究所)。『一気に読める「戦争」の昭和史』(KKベストセラーズ)、『小林秀雄の後の二十一章』(幻冬舎)を一挙刊行し、話題沸騰中。 

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    「安保可決」「安倍再選」で叫ばれる『自民党の劣化』は本当か

    BLOGOS編集部ノンフィクションライター・常井健一氏に聞く 9月8日に告示された自民党総裁選において、安倍晋三氏が無投票での再選を果たした。これに対し、「自民党に多様性が失われた」と批判する声や「ポスト安倍」争いの混迷化を指摘する報道も見られている。今回の総裁選の結果を、どのように読み解くべきか、「誰も書かなかった自民党: 総理の登竜門『青年局』の研究」「小泉進次郎の闘う言葉」などを執筆、自民党の内情を新聞やテレビとは違った角度から取材している常井健一氏に話を聞いた。“次の総裁”が見えない3つの理由―先日の自民党総裁選において、無投票で安倍首相の続投が決まりました。対立候補が出てこなかったことで、「ポスト安倍」となる「次の総裁」がまったく見えなくなっていると思います。現在、自民党内で「ポスト安倍」を狙う動きというのはあるのでしょうか?常井健一氏(以下、常井):自民党の歴史を見ると、現職の総理を総裁選で破った例は、1978年の福田政権時の大平正芳だけです。つまり、対抗馬が出ても無風状態で終わり、次のリーダーの顔が見えて来ない状況というのは、それほど珍しいことではないんですね。 7月に「保守の肖像 自民党総裁六十年史」(小学館)という本を上梓したのですが、自民党の60年を振り返ってみると、長期政権が続くと、次を狙える人間が育ってくるのが見えてくるものでした。例えば、ポスト佐藤であれば、「三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)」、ポスト中曽根であれば、「安竹宮(安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一)」、小泉政権の時は「麻垣康三(麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三)」と言われていました。その大半が実際に総理総裁になっています。 「ポスト安倍」についても、今回の総裁選においては顔が見えないにしても、これから安倍政権が続くであろう3年の間に徐々に頭角を現すのではないでしょうか。ただ、昔と違って「次の総裁が見えない理由」には、大きく3つあると思います。 その中で一番大きいのは、派閥のトップに総理候補がいないということだと思います。つまり、麻生さんや二階俊博さんが総理を目指すか、というと現実的ではない。昔であれば、若手・中堅どころが、派閥のトップを総理にするために集まって、総理候補に仕立てあげるという形があったのですが、現在の派閥にそうした機能はありません。 2つ目の理由は、劇的な変化をもたらした閣僚が現政権にいないということです。長期政権下で難局を打開した閣僚が次の後継者として国民の目にも浮上してくるというケースは過去にも見られました。例えば、田中角栄は佐藤政権時代に、通産大臣として日米繊維交渉の妥結に成功しています。それまでは、福田赳夫の方が後継者としては相応しいと言われていたんですが、この交渉をまとめたことによって、「じゃあ、佐藤の次は田中だ」という流れが出てきたのです。現在の安倍総理も小泉政権時代に、内閣官房副長官を務め、拉致問題で実績を挙げました。帰国した5人の拉致被害者を日本に留めたという成功物語によって、次は総理になるのでは…という流れが国民の中に生まれたのだと思います。 ところが、安倍政権を見ていると、なんでも安倍総理の実績、もしくは官房長官である菅さんが寝技を使ったんじゃないかということばかり言われてしまいます。例えば、色々と揉めているオリンピックの問題を、担当閣僚の下村博文文科相が手腕を発揮して、うまい落としどころを見つけるとか、韓国・中国・ロシアなどとの外交問題に風穴を開けるような実績を岸田外務大臣が上げれば「次は…」ということになる可能性が高いでしょう。しかし、これまで閣僚の中で劇的な変化を起こした人間はいません。これが2番目の理由です。 3番目は、安倍さんに対抗軸を示している実力者がいないということです。例えば、村上誠一郎さんが、安倍さんの方針に対して反旗を翻して注目を集めるのですが、じゃあ彼が一匹狼ではなく、表立って一緒に活動する仲間を集めているのか、という問題があります。小泉進次郎さんもよく報道陣の前で政権運営への疑問を唱えますが、対抗軸の有無はさておき、安倍さんにとっての菅さんのような多数派工作ができる腹心はいません。議会人というのは、「仲間を集めて多数派を作ってなんぼ」という側面があるのは事実です。つまり、そういう当たり前の政治をこつこつやっている実力者が出てこない。 「総理の登竜門」と呼ばれた自民党青年局の歴史を調べると、実際に総理になった青年局長経験者は「対抗軸を掲げて多数派をつくって実力者に挑む」という基本動作を若い頃からやっています。第31代局長の安倍さんもそうでした。安倍さんの初当選は93年ですが、これは自民党が下野した時の選挙で、野党という状態からスタートしているんです。当時の総裁は河野洋平さんでしたが、その後、自社さの村山政権の中に、河野さんが総理になれず組み込まれるという状況でした。当時は自民党全体でリベラル派が強く、安倍さんのような思想は少数派だったのです。 河野談話や村山談話が出たのもこの時代ですが、安倍さんは当時1、2年生にも関わらず、これらに反旗を翻したわけです。後藤田正晴、野中広務さん、加藤紘一さんといった当時の大物はみんなリベラルでしたから、若手が派閥に守られていた部分はあったとはいえ、今の安倍政権以上に異議を唱えるのに躊躇してしまうような状況です。 その中で安倍さんは自主憲法制定や歴史教科書の是正を旗印に掲げて、党内野党として訴えてきたわけです。95年の総裁選では、河野氏の後継にハト派の橋本龍太郎が無風で収まる流れに刃向かって、小泉純一郎氏を担ぎ出し、惨敗を喫しています。そこから10年ぐらいかけて、自らスカウトして仲間を増やして、自民党は安倍さんに近い考え方の人が多数派になり、二度も総理が狙える基盤を作り上げたという現実があるんですね。現在、安倍さんに対抗したいというリベラルの人達が、そういうことを地道にやっているかというと、誰もいないですよね。「ポスト安倍」候補は石破、岸田、稲田と“あの人”―では、「ポスト安倍」というのは現状ではまったく予想もつかないという状況なのでしょうか。常井:永田町内部では、「ポスト安倍」が、なんとなく見え始めてはいますよね。石破茂さん、岸田さん、稲田朋美さんは次の総裁選で手を挙げる可能性があるんじゃないかと考えています。 石破さんは、昨年、図らずして地方創生担当の無任所大臣に収まったという経緯はあるのですが、これは良く解釈すれば自身が秘書をしていたこともある田中角栄の境遇と似た部分があると思います。 田中角栄は幹事長時代に、参議院選を戦い自民党の議席を減らしています。その責任を取る形で幹事長を退いたんですが、無役になって総理を狙う準備をするという意図があったようです。総理の佐藤栄作としては、その後、官房長官にしたかった。官房長官にすれば、忙しいし、自分の下にいるわけですから、変な動きが出来ない。これによって、強くなり過ぎた角栄の力を弱めたいと考えていたのですが、様々なめぐり合わせで、結局、通産大臣に収まりました。 それでも、角栄は通産省で優秀な若手官僚を集め、「日本列島改造論」をまとめ、これが大ベストセラーになります。ブームを起こし、総理になり、この時に集まったブレーンを自分の官邸に持ち込んだという経緯があるのです。 石破さんも、これに近いことができるかもしれません。「地方創生」というのは、40年以上前の「列島改造論」に代わる未来の国家像を示すチャンスだからです。ここで石破さんが、どのような未来図をまとめるか、どれだけ国民の支持が得られるかということに、今後が掛かってくると思います。現在、石破さんは、小泉進次郎さんを政務官、平将明さんを副大臣、伊藤達也さんを補佐官にして、毎週月曜に会議を行っています。これが、「バーチャル石破官邸」というか、安倍カラーとも異なる上に、非常に結束力の固いチームになっているので、このメンバーでそのまま官邸に移っても政権運営ができるといったような準備運動は、ある程度出来ているんじゃないかというのが、私の見方です。なので、こうした状況にも関わらず、なぜ今派閥を立ち上げ、目立った成果物のないうちに無役になろうとしていると報じられるのかは疑問です。 岸田さんの場合は、55年体制的な形で総理になる可能性があります。過去の事例でみれば、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一が少数精鋭の宏池会に所属しながら、最大派閥の力を借りて総理になった方式は考えられます。岸田さんも宏池会会長ですから、細田派や額賀派といった派閥を取り込むことが出来れば、数合わせの上では総裁になれる可能性があるでしょう。しかし、そのような旧態依然とした総理選びで国民が納得するか、選挙で勝てる顔になれるかというと少し違う気がします。現状では「岸田文雄」というフルネームを知っている人は一般的にも少数派でしょう。だから、外相としてレジェンドを作れるかにかかっています。 稲田さんは、まさに安倍さんと同じような方式で総理になる可能性が考えられます。小泉さんが閣僚経験のない若手の安倍さんを内閣官房副長官や幹事長に指名し、最後は官房長官にして経験を積ませて総理候補に育てるということを3~4年間でやりました。稲田さんは、現在4回生で、あまりパワーがないように見られているのですが、05年初当選の小泉チルドレンで作る「伝統と創造の会」の会長を務め、同期の間では「総理にしよう」という声もある。安倍さんとはカラーも一緒です。現在、政調会長として霞が関からの情報を掌握し、党務の動かし方を覚えているところですが、次にどういうポストになるかによって、この先の可能性が見えてきます。安倍さんと同じルートをたどって化けることがあれば、自民党が不人気になった時に「女性初の総理候補」というカードとして待望論が出てくるかもしれません。 野田聖子さんについては派閥があるわけでもないですし、今回の出馬騒動を見ても明確な国家像を訴えたわけでもありません。女性であることと、安倍さんとタイプが違うということだけが強みであって、ワイドショーで騒がれ、露出が多い割に国民にとっては「有名だけど、何をしたのかわからない政治家」という印象しかない。気さくな人柄で野党議員や記者にも人気はありますが、どうやって総裁になるかという道筋が見えてこないですよね。―菅官房長官はどうなのでしょう。常井:自民党には衆参合わせて400人以上の国会議員がいますが、そのうち4分の1が45歳以下の若手です。トリッキーな見方かもしれませんが、総裁選では「潜在的な最大派閥」である若手の票が左右します。派閥が機能した時代は大物がコントロールし、時にはニューリーダーが彼らの不満を取り込んで下克上を試みたものでした。現在、若手を丹念に取材していると、そこにきちんとアプローチできている大物は、無派閥の菅官房長官なのです。 若手から頼まれれば、地元から連れてきた首長や地方議員と官邸で面談する機会を作ってあげ、夜の懇親会にも10分でも顔を出して一緒に乾杯する。悩みやトラブルがあれば相談に乗る。頼りなく見られていた若手が「東京に行ったら菅さんに会わせてくれた」というふうに地元での評価も変わり、菅さんに恩義を感じている議員も多いと聞きます。また、各省の幹部候補を若手に紹介し、定期的に私的な勉強会を開いている。これは派閥が強い時代のボスが若手を飼いならすのにやっていた面倒見と同じです。 本人は決して意欲を示すことはありませんが、今仮にポスト安倍を争う総裁選が行われ、菅さんが手を挙げれば最有力になるといっても過言ではありません。無投票になったのは、安倍総理に萎縮したから?無投票になったのは、安倍総理に萎縮したから?―候補になりえる人材がいるにも関わらず、今回の総裁選に立候補者が出なかったのは何故なのでしょうか。常井:新聞やテレビでは「萎縮している」などと紋切り型のコメントする方が多いのでが、私はそうではないと思います。 この理由も3つあると思うのですが、1つはバラバラになると、党が壊れてしまうという反省が党内にあることだと思います。第一次安倍政権が倒れてから、誰を総理にするかで、党がグチャグチャになった結果、民主党による政権交代を許してしまったという苦い経験が自民党にはあります。 2つ目は、これまでは「総裁選で負けても出ることが次に繋がる」と言われていたのですが、これは総裁候補に派閥という後ろ支えがあった55年体制的な見方であって、今は表舞台にいなければ国民からは忘却され、待望論は消えていきます。要するに、「冷や飯を食ったことで、次の芽が生まれる」という美学が成り立たない時代になっているということだと思います。 その典型例が、河野太郎さんだと思います。河野さんは、安倍さんの一期下で、若手時代は安倍さんを凌ぐほどメディア露出があり、大衆の人気を集めていた時期もあったのですが、当選7回で大臣の経験すらなく、今後二度目の総裁選にチャレンジする機会があるかというと微妙です。同じことは、派閥のトップでもある石原伸晃さんにも言えることです。 3つ目が最も大きいと思うのですが、安倍内閣はあと3年で終わるということです。今の党規約上、総裁三選はないわけですから、長くても3年で安倍政権は終わります。そう考えれば、無理して安倍さんに対抗するより、再選した後にスタートラインを引く方が良いと考えるのが自然なのではないでしょうか。それは安倍さんが怖くて萎縮しているというよりも、今の自民党はとにかく諍い事が嫌いな政党なのです。自民党総裁選の出陣式で気勢を上げる安倍首相(中央)=2015年9月8日、東京都内のホテル(栗橋隆悦撮影)―今回安倍さんの再選が決まったわけですが、「ポスト安倍」の動きはいつごろから本格化するのでしょうか。常井:恐らく参院選までは一致結束して、現在の状態を維持すると思います。自民党は、長らく参議院のねじれ状態に悩んできたという背景があるので、参院選の前にゴタゴタがあって、議席を減らすという展開は一番避けたいのではないでしょうか。 そうなると、「ポスト安倍」レースが本格化するのは、参院選後だと考えられます。その段階になると、次の衆院選が見えてくるので、衆議院議員にとっては、自分の生き残りを賭けた選挙になります。つまり、自分たちに有利な“風”が起きないと困る。消費税引き上げにも耐えなければなりません。その時に新しい顔を立てて、アベノミクスの看板を架け替え、勢いをつけて衆院選を勝ち抜きたいというのが、大方の考えでしょう。 7年8か月も続いた佐藤政権があっさり退陣に追い込まれた理由の一つは、国民の「飽き」でした。71年の参院選で後退した後、次の衆院選はまったくタイプが違う角栄を総理にして戦おうという雰囲気になった。その佐藤を大叔父に持つ安倍総理にとって、来夏の参院選は野党だけでなく、国民の「飽き」と党員の「疲れ」との戦いになるでしょう。そこで勝っても負けても、安倍さんの総裁任期の終わりが見えきます。自然に「ポスト安倍」の動きが加速し、露骨な“安倍降ろし”が起きてもおかしくない状況になると思います。(編集部より:あす、後編を配信します。)とこい・けんいち 1979年茨城県笠間市生まれ。ライブドア(現LINE)を経て、朝日新聞出版に記者として入社。「AERA」で政界取材担当。退社後、オーストラリア国立大学に留学し、2012年末からフリー。主に政治分野の調査報道を手掛け、国内主要誌に寄稿している。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    安倍首相を「サタン」呼ばわりする日本人

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設することに反対する市民団体が12日、東京・永田町の国会議事堂周辺で集会を開いたが、集会参加者は「安倍晋三政権打倒」を訴え、一部の参加者が「安倍はサタンだ」と叫んだという(沖縄県の翁長雄志知事は14日、名護市辺野古の埋め立て承認の取り消しを正式表明)。 産経新聞(電子版)でこの記事を読んで、「日本の総理大臣に対しサタン呼ばわりする日本人がいるのか」と驚いた。キリスト教文化からはほど遠い日本ではキリスト教の「神」が定着できずに苦戦していることは知っていたが、神の対抗者の「サタン」が市民権を得ていたとは予想外で、新鮮な驚きを感じたほどだ。 ひょっとしたら、日本人は「神」より、「サタン」のほうに親近感を感じているのだろうか。それとも「安倍はサタン」と呼んだ集会参加者は日本の少数宗派キリスト教徒かもしれないと考えた。日本のキリスト教会では伝統的に左翼思想の強い信者が少なくない。東京都内のキリスト教会は左翼シンパ活動家たちの拠点となっていたことがあったからだ。 ところで、キリスト教社会の欧州では、政敵やライバルに対して「サタン」呼ばわりをしたと聞いたことがない。なぜならば、欧州人はサタンが何を意味するかを知っているからだ。メルケル独首相に対して「サタン」呼ばわりした野党政治家や国民を知らない。最悪でも、女ヒトラーぐらいだ。 キリスト教社会でも口に出すことを憚る「サタン」呼ばわりを、日本人が総理大臣に対して発したのだ。サタン呼ばわりをした日本人はサタンが何を意味するか知っているのだろうか。知っていながら日本の総理大臣に対してこの言葉を使用したとすれば、少々正気を失っていると言わざるを得ない。 それにしても、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対するために、安倍首相をサタン呼ばわりしたとすれば、サタンは気分を悪くするのではないか。サタンはもっと悪辣であり、クレバーだ。単なる小間使いではない。聖書には約300回、サタンという言葉が登場するから、サタンの習性や性格を理解したい人は聖書を一度読まれることを勧める。 話は少々飛ぶ。日本を訪問し、ウィーンに戻ってきた知人が集団的自衛権のための安保関連法案反対(反安保法案)のデモ集会で主催者からパンフレットを貰った、といって見せてくれた。その内容を読むと、安保関連法案を「戦争法案」と勝手に呼び、同法案が採決されれば、日本が戦争に巻き込まれると主張している。パンフレットの文を書いた人は本当にそのように考えているのだろうか。書きながら、舌を出し、笑っているのではないかと疑ったほどだ。 安倍首相を「サタン呼び」し、日本の「安保関連法案」を「戦争法案」と呼ぶ日本の反政府活動家は国民に不必要な不安を駆り立てている。明らかに危険なプロパガンダだ。プロパガンダでは討論にもならない。 いずれにしても、安倍首相をサタン呼ばわりする前に、日本語を学びなおすべきだろう。言葉の荒れは心の世界の乱れを反映しているのではないか、と心配になってしまうのだ。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年09月15日分より転載)

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    憲法違反を恥じない安倍首相こそ本当の「ルーピー」ではないのか

    渡辺輝人(弁護士) 安倍晋三首相がミュンヘンで記者会見し、今国会に提出されている「安保法制」について、憲法違反ではない、と釈明しました。しかし、この記者会見の内容自体、安倍首相が本当に憲法とか立憲主義とか法の支配とか、そういう概念を理解しているのか大変疑わしい内容になっています。 安倍首相は記者会見の冒頭部分で、ウクライナ情勢に絡み下記のような発言をしています。「私たちには共通の言葉があります。自由、民主主義、基本的人権、そして法の支配。基本的な価値を共有していることが、私たちが結束する基礎となっています。」「力によって一方的に現状が変更される。強い者が弱い者を振り回す。これは欧州でもアジアでも世界のどこであろうと認めることはできません。法の支配、主権、領土の一体性を重視する日本の立場は明確であり、一貫しています。」産経新聞 ここで言う「法の支配」とは、安倍首相が知らなかったという故・芦部信喜教授の教科書によれば以下のような概念です。法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。それは、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。~中略~法の支配の内容として重要なものは、現在、(1)憲法の最高法規性の観念、(2)権力によって犯されない個人の人権、(3)法の内容・手続の公正を要求する適正手続(due process of law)、(4)権力の恣意的行使をコントロールする裁判所に役割に対する尊重、などだと考えられている。出典:芦部信喜『憲法 新版』(岩波書店 1997年) 安倍首相は、冒頭部分では、大変崇高な理想を掲げたことになります。が、そもそも安倍首相は「法の支配」の意味を理解しているのでしょうか。根本的な疑問があります。そして、安倍首相は、国内での「安保法制」に対する激しい批判に対しては、以下のように述べ、すでに散々批判され、破綻した理屈と繰り返すだけです。「今回の法整備に当たって、憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件に関する最高 裁判決の考え方と軌を一にするものだ」「今回、自衛の措置としての武力の行使は、世界に類を見ない非常に厳しい、新3要件のもと、限定的に、国民の命と幸せな暮らしを守るために、行使できる、行使することにいたしました。」「武力行使においても、この新3要件を満たさなければいけないという、この3条件があるわけです。先ほど申し上げた、憲法の基本的な論理は貫かれていると私は確信しております」産経新聞 この砂川事件の最高裁判決を持ち出す言い訳はすでに方々から批判され、最近は言わなくなっていましたが、言うに事欠いてまた出てきたのでしょうか。砂川事件の最高裁判決のテーマは、米軍の駐留の合憲性に関するもので、日本国の自衛権に関するものではありません。自衛権に関して言及した部分も個別的自衛権に関するものであると考えられています。むしろ、今話題の長谷部恭男教授は、2014年3月28日の日本記者クラブでの講演で「集団的自衛権は現在の憲法9条の下では否定をされているというのは、実は砂川事件からも出てくる話ではないかと私は思っております」と述べ、砂川事件の最高裁判決はむしろ集団的自衛権を否定するものとしています。下記動画の30分41秒以降をご覧下さい。追記:砂川事件の最高裁判決については、九州大学の南野森教授も「現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない」という記事を書いています。 安倍首相が自己正当化の根拠としてもう一つ掲げた「新三要件」なるものも、そもそもこれを決めた2014年7月1日の閣議決定自体が憲法9条違反だとして激しく批判されたものです。さらに、今国会の論戦で、政府はむしろこの「新三要件」を、歯止めを掛ける方向ではなく、自衛隊を積極的に海外に出し、武力行使をするための要件として活用しています。この点については、筆者の「憲法9条、安倍政権を走らす」をご参照下さい。安倍首相をはじめとする政府の国会答弁が分かりにくいのは、憲法9条と「新三要件」のねじれ、「新三要件」と国会に提出した10法案のねじれ、という二重のねじれにより、国会答弁が憲法9条と関係ないものになっているからなのです。安倍首相こそ本当の「ルーピー」ではないのか会見で記者を指名する安倍晋三首相=9月24日午後、東京・永田町の自民党本部 かつて鳩山元首相が米国のワシントンポスト紙に「ルーピー」と罵倒されました。輪っかを意味する「loop」から派生して「混乱した、ばかな」という意味があるそうです。彼のワシントンポストが堂々と使ってる位なので、筆者も使ってよいのではないかと思います。筆者は、散々、憲法違反と名指しされているのに、自省することもなく、まともに反論することもなく、壊れたレコードのように破綻した自説を繰り返すだけの安倍首相こそ「ルーピー」の名に相応しいと思わざるを得ません。安倍首相は、今日、日本に帰ってくるようですが、帰国後はさらに「憲法を守れ」「ルールを破るな」という批判を強める必要があります。(『Yahoo!ニュース個人』より2015年6月9日分より転載)わたなべ・てるひと 弁護士。1978年生まれ。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。主な著書に『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? ナベテル弁護士が教える残業代のカラクリ』(旬報社)。

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    安倍内閣の決断は後世の国民に評価されるだろう

    岩田温(政治学者) 私は集団的自衛権の行使を限定的に容認したことで、安倍総理は一つの仕事をしたと思う。批判はあっていい。でも、一つの仕事を成し遂げた。政治家として立派だ。私はかつて、保守の中で最も激しい安倍批判を展開した人間だが(拙著『政治とはなにか』)、見直した。政治家は極めて困難な仕事だ。理想を持たない政治家はダメだが、理想に溺れる政治家であってもならない。高邁な理想を実現するために、卑近な現実を変更するための努力を重ねなければならない。理想と現実との間のバランス感覚が求められる。 政治とは「固い板に、錐(きり)で、すこしづつ穴をあけていくような情熱と見識を必要とする力強い緩慢な仕事である」と指摘したのは、マックス・ウェーバーだが、今回の安全保障法案の整備は、必ず我が国の国益に適うものとなるだろう。 現在、不安に思っている国民もいるかもしれない。悪質な煽動に惑わされて、恐怖している人も存在するかもしれない。しかし、後世振り返ってみたときに、必ず、「どうして、あのときあそこまで騒いだのだろう?」と思うことになる。これは、安保闘争のときも、PKO法案のときもそうだった。中曽根康弘元総理は、政治家は「歴史における被告席に座る」と指摘していたが、その通りだ。後世振り返って見たときに、評価される決断を下した政治家こそが評価されるべきなのだ。瞬間的な民意に依って、後先を考えずに行う大衆迎合的な政治は、そのときには歓迎されるだろうが、歴史によって否定される。安全保障の問題に関して、私の立場は明確だ。 本来であれば、日本国憲法を改正する必要がある。この憲法には、日本をいかに守るかについて、全く書かれていない。書かれているのは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という、ナンセンスな国際認識だけだ。 憲法9条は次のように定めている。 「第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 第一項は、侵略戦争の放棄だから、これを否定する必要はない。だが、第二項の「戦力」を否定し、「交戦権」を否定する部分は、異常だ。記者会見の冒頭、発言する安倍晋三首相=5月14日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 「戦力」を放棄し、「交戦権」を否定するのならば、本来、非武装中立論しか成り立たないだろう。実際に、社会党は、非武装中立を主張し、自衛隊の解体を主張していた。これは、国際政治の中では、あまりに非現実的な主張だが、憲法解釈としては、筋が通っている。今回の集団的自衛権の行使が憲法違反にあたると説く憲法学者の多くは、本心では、自衛隊の存在も「違憲」だと考えている。 だが、非武装中立では国が亡びる。そんなことは誰にでも理解できる。それで、「戦力」に至らない「自衛力」という苦し紛れの解釈を創り上げた。「交戦権」に関しても、「占領」までは行わない云々と「交戦権」を極めて幅広く解釈し、その全てを持つものではないと解釈した。 今日まで続く国防に関する神学論争は、ここに原因がある。自衛隊を創設する際に、憲法改正をするのが筋だったのだ。しかし、現実との妥協の中で、苦し紛れの「解釈改憲」で逃げ切った。 今回の集団的自衛権の限定的な行使容認も、この解釈改憲に端を発する神学的な解釈だ。 実際問題として、PKO活動における「駆けつけ警護」やシーレーンの防備に関して、従来「集団的自衛権」の行使だと判断されてきた行為が、日本にとって必要となっている。そして、世界の多くの国々も日本が、そうした行為に参加して欲しいと願っている。こうした中で、本来は憲法改正を行うべきところ、もう一度、苦し紛れの解釈改憲(厳密には「あてはめ」の変更)を行ったのが、今回の安倍内閣だ。 安全保障の問題は票にならない。そして、「軍国主義者だ」「戦争を始める」といわれなき誹謗中傷を受ける。その意味で、政治家にとっては難問だ。敢えて火中の栗を拾いにいったようにも思える。だが、この安全保障に関する法案の整備は、誰かがやらなくてはならないものだった。いつまでも、「集団的自衛権は全て行使できません」といって、大国としての責務を放棄するわけにはいかなかったのだ。敢えて、困難な選択をした安倍内閣を、私は評価したい。しばし、安倍批判が続くだろう。無根拠な誹謗中傷もあるだろう。だが、歴史において、今回の決断は、必ず評価されることになるだろう。(岩田温の備忘録より転載)

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    メディアがひた隠しにする「安倍談話に秘められた破壊力」

    西村幸祐(ジャーナリスト)情報統制と言っても過言ではない! 今年の夏は世界史的に第二次世界大戦終了から七十年であり、日本でも戦後七十年が注目された。しかし、いつまでも年中行事として〈戦後X年〉といい続けるのは日本だけで、このままでは〈戦後八十八年〉とか、〈戦後百年〉とか言い出すに違いない。 いつまでも日本を、侵略戦争を行った敗戦国として属国の状態にしておきたい人々には、〈戦後X年〉という儀式が毎年必要とされる。日本を永久に占領状態に置き、植民地のようにしておきたい勢力が国の内外を問わず、日本人に圧力を掛ける。 実は、安倍談話はそんなシステムを木っ端微塵に破壊する力を秘めたものだった。その突破口を開いたのはたしかだ。にもかかわらず、そうした視点で報道したメディアは皆無に近い。また、そのような解説ができる人が、特に地上波TVに出ることはほとんどない。そういう人が存在しないのでなく、メディアが存在を隠すのである。情報統制と言っても過言ではない。そんな恐ろしさを改めて感じた戦後七十年の夏だった。NHKスペシャルの「印象操作」 八月十五日のNHKスペシャルは「カラーでみる太平洋戦争」だった。最近、NHKはしばしばデジタル処理でモノクロフィルムを着色する。カラー化されて何が見えてくるのかが、この番組の肝である。 では、何をNHKが云いたかったのか? カラー化されて悲惨な場面がより鮮明になる、実はこんなに惨たらしい現実があったと訴える。戦争初期に日本軍が快進撃を続けたインドシナ半島の映像が着色されると、遺骨の木箱を白い布で首から下げる多くの兵士たちが、戦車の上に立っていることが解る。 それに合わせて、これまでは解らなかった悲惨さが見えてきたかのようなナレーションが挿入される。 南方戦線の玉砕、本土空襲の被害も着色された。日本軍の勇壮さを伝えるためのカラー化ではない。「私たちが考えていた以上に悲惨だったんですよ」という意味を持たせるためのカラー化である。作り手の想像力が貧困なのか、印象操作といわざるを得ない。 もし、ベトナムで米軍のナパーム弾による攻撃の悲惨さを強調するための映像が放映されたら、ベトナム人の眠っていた反米感情を喚び起こすかもしれない。ところが、NHKスペシャルではただただ戦前の日本と日本軍の戦闘への嫌悪感、それこそ七十年前にNHKによって始められたGHQのWGIP(戦争罪悪観宣伝計画)が遂行されるのである。 その証拠に、番組の冒頭、次のようなナレーションが入る。「太平洋戦争を、当時、日本は大東亜戦争と呼んでいました」 では、現在の日本人が大東亜戦争と呼ばないのか? 日本政府が閣議決定した「大東亜戦争」という言葉を敗戦後、真っ先に占領軍が禁止した。日本人から戦争行為の主体性を削除するためだ。NHKは占領軍の命令で、昭和二十年十二月九日から「太平洋戦争」の歴史を「眞相はかうだ」という米国のプロパガンダ放送で連日放送した。驚いたことに、敗戦七十年、占領終了後六十三年のいまでもNHKは同じ放送を行っている。地団駄を踏んだ朝日新聞 閣議決定の重さは、「安倍談話」に顕著である。朝日は八月十五日の社説で「出さない方が良かった」と地団駄を踏んだ。これまでの二十年間、政府見解だった村山談話が安倍談話に上書きされるからだ。韓国メディアも、十八日以降、外務省のHPから村山談話に基づいた歴史問題Q&Aが削除されたと騒ぎ出した。 談話の後半部の〈自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて〉いくという言葉は、鋭い刃となってシナと南北朝鮮に向けられている。安倍首相は今年の施政方針演説で、韓国には「同じ価値観を持つ」という言葉を使わず、三月には外務省HPの韓国へ言及した箇所から「基本的な価値を共有する」との文言を削除している。 談話の冒頭では、日露戦争がアジアの国々に勇気を与えたと言明したが、戦後の総理大臣で、わが国の戦争を歴史的にも正確に肯定的に評価したのは安倍首相が初めてである。日本のメディアなら、まずそれらの事実をきちんと報道するのが責務のはずだが、そうしたメディアが極めて限られているのが、戦後七十年の現状である。 

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    野党にとって真の脅威は自民党内の「安倍不満分子」である

    馬淵澄夫(衆議院議員) 自民党総裁選告示日の9月8日、安倍晋三総裁に対抗してただ一人、出馬意向を示していた野田聖子氏が断念の表明を行った。これにて総裁選は安倍候補一名となり、安倍総裁の無投票再選が確定した。 先週火曜日夜の段階で、野田氏が親しい関係者に「推薦人20人確保の目処がついた」と伝えたと仄聞していたのだが、その後の野田陣営に対して、官邸からの激しい切り崩し工作があったのは想像に難くない。 8月中旬、安保法制審議が滞りつつある中、当初総裁選のシナリオについては以下のものが優勢だった。記者会見で自民党総裁選への立候補断念を表明し、残念そうな表情の野田前総務会長=2015年9月8日午前、国会 それは総裁選で官邸側はリベラル色の濃い候補者を擁立させて、全国を総裁選報道でメディアジャックし、自民一色の政治状況を国民の前に示し、最終的に安倍総裁が勝利する-というものだった。このシナリオでも野田氏が候補者として想定されていた。そこでの戦略は、総裁選の結果としては、リベラル候補者は健闘むなしく敗北するものの、自民党の幅広さと懐深さを演出し、国民世論を引きつけ、これにより政権支持率の回復と安保法案の成立を目指すというものであった。 しかし、安保法制審議がいよいよ膠着してきた先週来より意識されてきたのが、野田氏出馬がそもそも「倒閣」を意味することになる、というシナリオであった。盆明けからの安保法制審議は、閣僚答弁の不安定さが増す中、併せて「国会軽視」と野党が攻撃材料とする防衛省内部資料等が次々と明らかになり、審議がたびたび中断の状況に追い込まれている。今日現在で、公聴会の日程すら入らず、また、今週には派遣労働法の参院での強行採決が予想され、安保法制審議の日程は極めてタイトとなってきた。このタイミングでの総裁選実施は、安倍再選を阻むどころか野党にとっては安保法制審議を完全にストップさせる絶好の口実となる。つまり、野田氏が出馬をすれば、すなわち与党総裁選が倒閣運動そのものになり得ると言うことである。 さすがに、これはあるまいと思っていたのだが、今日のこの無投票再選という結果は、官邸の危機感が上記二つ目のシナリオを十分視野に置く水準にまで達してきたという証だ。 安保法制は、鴻池祥肇委員長の「参院で決する」との決意は固いと言われているが、官邸は「みなし否決」を適用した衆院での再議決も視野に入れはじめた。国会会期末を27日に控える中、現時点で想定される日程は15日の公聴会、それも地方公聴会を開かずに中央だけのもの。そして翌16日の委員会採決を狙っているとも言われているが、さすがに地方公聴会も開かずに、というのは野党の反発が大きい。その場合は、衆院差し戻しも現実のものとせざるを得ない。安倍総理は26日から国連総会に出席予定であり、9月19日からの5連休、シルバーウィーク明けの二日間での議決は、野党からの不信任の連発などがあればあまりにも危うい日程となってしまいかねない。場合によっては連休中の国会開会も検討しているという話だ。従って、安倍総理の総裁再選後の仕事は、極めて厳しい国会運営が待ち受けていることになる。 さて、こうした状況での今後の安倍総理であるが、まずは強行採決で行われるであろう安保法制採決、そして閉会後の大幅な内閣改造による支持率復調を当面の目標とするだろう。すでに維新の党の分断によって年内の野党結集の芽は摘まれた。つまり、いつ解散しても与党勝利は確定的と考えているだろう。また、維新についても大阪維新は市長、知事のダブル選の結果いかんでその勢力が定まるところを見定めるだろう。その段階で、大阪維新が与党の補完勢力になり得るかどうかがはっきりとしてくると思われる。 さらに来年の参院選では憲法改正、そしていつどのタイミングで飛び出すかは微妙だが、先の消費税引き上げによる景気の低迷を受けて、17年4月の2%の再引き上げについて「凍結」を発表して解散と言うことも十分考えられる。 つまりは16年の参院選後に安倍総理の消費税凍結による2度目の解散の可能性があるということだ。 このように考えると、政権側は常に権力の保持、維持に執着するものであり、安易な退陣論は野党にとっては政局を甘く見誤る恐れがあることを肝に銘じるべきである。 このように、安倍政権の長期化を図ろうとする官邸と、それに対抗・拮抗しようとする自民党内リベラル勢力の台頭がどれほどのものとなるのかが、残念ながら野党が絡む余地のない与党内政局だ。 自民党内でも、かつての55年体制がそうであったように、党内における疑似政権交代で国民の支持を長きにわたって取り付けてきたが、今回の安倍対立候補の擁立失敗劇を見ると、そのエネルギーが弱まっているように見受けられる。穏健保守派の筆頭格である宏池会(岸田派)の動きの鈍さや、あるいは野田氏を支えるとされていた議員らのエネルギーの欠如を見ても、疑似政権交代を図れる体制にはもはやないと思われる。 その場合には、ポスト安倍はむしろこうした思想対立よりも安倍総裁一強支配による膠着状態に不満のエネルギーを募らせている当選回数の浅い若手が中心となる世代間対立が、より鮮明になるのではないか。結集が滞っている野党にとっては、この新世代に政権が移る自民党の方が、より脅威だと考えるべきだ。 こうしたポスト安倍に対抗するためにも、我々も世代間対立を乗り越え、かつ野党の結集を念頭に、現実的な再編とニューリーダーの創造に全力を尽くさなければならない。

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    「ポスト安倍」は誰か

    安倍晋三首相の任期満了に伴う自民党総裁選は、14年ぶりの無投票で首相の再選が決まった。首相は「アベノミクスも道半ばだ。結果を出すことで責任を果たしたい」と意欲をみせたが、野党からは「モノ言えぬ自民党」の閉塞感への批判も根強い。いま、政界に「ポスト安倍」は存在するのか。

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    山本一太が考える3年後の「ポスト安倍」

    山本一太(参議院議員) 今日、安倍晋三自民党総裁の無投票再選が決まりました。立候補を模索していた野田聖子さんが20名の推薦人を集められなかった最大の理由は、安倍総理への支持を決めていた7つの派閥による締め付けではないと思います。総裁選が無投票になった最大の理由は、現在、国会での成立を目指して参院で審議が続いている平和安全法制への影響を多くの議員が懸念したこと。もともと審議日程がギリギリであることに加え、万一、総裁選で2人の候補者の法案に対する「温度差」が議論になれば、マスコミはこぞってこの点を取りあげたはずです。平和安全法制を廃案に追い込もうとしている野党にも格好の材料を提供する結果になっていたでしょう。 加えて、安倍総裁の対抗馬擁立が盛り上がらなかった背景には、日本再興を掲げ、経済再生や安全保障の強化に取り組んでいる安倍総理の政策、理念に対抗できるような旗印が見当たらないということもあったと考えています。実際、党内のあちこちで「政策の論点が見えて来ない。今、総裁選をやってどんなメリットがあるのか?」という声が聞こえていました。 オープンな選挙で総裁を決めるというのはもちろんいいことだと思いますが、今回、無理に総裁選挙をやることは、あまりにタイミングが悪かった。自民党議員の大半は、「長期安定政権の実現こそ、今の日本にとって最優先事項だ」という気持ちが強かった。そういうことではないでしょうか。 今回、自民党内の7つの派閥全てが、事前に安倍総理の総裁再任を支持しました。第4次安倍政権からは、各派閥のバランスにも配慮しつつ、人事や政策を進めることになると思います。これはある意味、長期安定政権の宿命と言ってもいいかもしれません。が、既存の枠組みにも配慮しつつ、いかに思い切った人事をやり、大胆な政策を推し進めていけるか? ここらへんが安倍総理にとってのチャレンジになって来ると思います。 安倍総理には何としてもあと3年の総裁任期を全うしてもらいたいと考えています。そうすると、「6年間の本格政権」ということになります。個人的には、2020年の東京オリンピック&パラリンピックまでやって欲しい気もします。高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部の会合であいさつする安倍晋三首相(左から2人目)。左端は山本一太IT政策担当相(肩書当時)=2013年5月24日、首相官邸(酒巻俊介撮影) いずれにせよ、私の頭の中で言うと、ポスト安倍は少なくとも3年後かそれ以降ということになります。 「ポスト安倍」を目指す次のリーダーには、ひとつ重要な条件があると思っています。それは、イメージがクリーンなこと。今回は無投票ということでクローズアップされませんでしたが、「総裁公選規程」の改正によって今回から自民党員投票の重みが増しています。自民党員と一般の国民、特に無党派層と呼ばれる人たちの意識が全く同じだとは考えていません。が、党員の人たちも世の中のムードに影響を受けます。政治とお金の問題とか、あるいは、筋の悪い人脈とか、そういうものを持っている人、そういうイメージのある政治家は、決して総理にはなれない。そういう時代です。 こうした条件も踏まえて考えると、石破茂地方創生担当相は、やはり最有力候補の一人だと思います。政策もできるし、一般党員にも人気がある。それから石原伸晃元幹事長。経験も実績もあるし、前回の総裁選にも出馬しています。谷垣禎一幹事長は本物の人格者。党内に谷垣さんを悪く言う人はいません。しかも自民党が野党時代、総裁として苦労を重ねています。あの時代があったからこそ、政権交代が出来た。多くの議員の共通認識だと思います。 やや若い世代で言うと、党内きっての政策通である林芳正農相、野党時代に谷垣総裁と総裁選挙で争って大健闘した河野太郎衆院議員にも可能性があると思います。派閥の長となった岸田文雄外務大臣も存在感を増しています。総裁選にエントリーする資格のある人だと思います。 さらに言うと、安倍首相が次世代リーダーとして育てようとしている稲田朋美政調会長。「日本初の女性総理」を看板に躍り出て来る可能性も十分ある気がします。安倍長期安定政権の後は、「群雄割拠」の状況になるかもしれません。 (聞き手 iRONNA編集部 川畑希望)やまもと・いちた 昭和33(1958)年、群馬県生まれ、中央大法学部卒。米ジョージタウン大大学院修了。国際協力事業団(JICA)勤務を経て、平成7年、参院選初当選。外務政務次官、参院外交防衛委員長、外務副大臣など歴任。24年、第2次安倍内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、宇宙政策)、 IT政策担当、海洋政策・領土問題担当、 知的財産戦略の推進等に関する事務担当に就任。現在3期目。父は参院自民党幹事長だった山本富雄氏。

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    「ポスト安倍」の資質とは何か それは無茶をする覚悟である

    意思がなければ総理・総裁の座には就けない 安倍首相がなぜ盤石の強さを誇っているのか。なによりも二回の国政選挙で圧勝し、民主党から政権を奪還したからである。同時に、安倍氏自身が強烈な信念を持っていることも大きい。集団的自衛権の行使やアベノミクスは、一歩間違えば政権の命取りになりかねない政策課題である。原発の再稼働もそうである。 自民党の中でも、心底この路線に賛成している人ばかりではないはずだ。だが安倍首相は、躊躇することなくこの道を突き進んでいる。この路線に対抗するには、余程確固としたアンチテーゼを持っていなければ対抗できない。だからこそ野田氏以外、誰も手を挙げようとしなかったのである。これはある意味では、「大人の判断」ではある。 だが国民の目から見ればどうだろうか。安倍政権の支持率は、安保法制や原発再稼働などによって、徐々に低下している。格差社会も改善されていない。国民の側から見れば、この機会に大いに自民党内で議論してもらいたい、という思いはあったはずだ。無投票再選というのは、この期待を裏切ったということでもあるのだ。 石破茂地方創生担当相は、前回総裁選では僅差の敗北だった。それがなぜ今回、立候補を見送ったのだろうか。「大人の判断」ということだったのだろうが、天下を取るには安全運転だけでは無理である。時には無茶が必要なのである。小泉元首相は、敗けても、敗けても総裁選に出馬し、ついに総裁の座に就いた。この闘う意思がなければ、有力候補で終わってしまうだろう。 いつまでも自民党一強体制が続く保証はない。政治も、国民もそう甘くはない。安倍路線の転換も必要になってくるだろう。その時には、女性の力や若い力が期待される。自民党には、小泉進次郎氏など若手の有力政治家も育っている。安倍政治は、いささか暗さがある。女性首相や若い首相の誕生を期待したいものである。

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    ポスト安倍氏 菅義偉氏が総理になるウルトラCの陰に二階氏

     年金問題やオトモダチ醜聞など8年前の政権投げ出しの時と似てきた安倍政権。安倍電撃辞任となった場合、その後継者は誰になるのか。本誌は政治家OBや政治評論家、政治部記者ら専門家37人にアンケート調査を実施。その結果、「安倍晋三首相が今国会会期末までに辞任した場合の次期総理」を聞いた場合、谷垣禎一氏と麻生太郎氏がTOP2となった。 3位となった有力候補の一人、官房長官の菅義偉氏は内閣の実力者ではあるが、党内で自前の勢力を持たないから、総裁レースはハードルが高い。そこで、浮上するキーマンが二階敏博・総務会長だ。作家の大下英治氏はこう読む。「菅氏が二階氏を味方につければポスト安倍に急浮上する可能性が高い」記者会見に臨む菅義偉官房長官=首相官邸 その場合、谷垣禎一・幹事長と麻生太郎・副総理の芽を摘まなければならない。このケースは複雑なプロセスになりそうだ。参考になるのは小渕恵三・首相が2000年に急死した際の「5人組の密議」(※注)である。【※注/小渕首相が倒れた際に、後継選出のための会談に青木幹雄・官房長官、森喜朗・幹事長、村上正邦・参院議員会長、野中広務・幹事長代理、亀井静香・政調会長という自民党の有力国会議員5人が集まって森後継が決められた(肩書きはすべて当時)】 当時、自民党には加藤紘一氏という有力な首相候補がいたが、官房長官の青木幹雄氏は意識不明だった小渕氏から「後事を託された」と自ら首相臨時代理となり、加藤派を排除した密室談合で早大雄弁会時代からの盟友、森喜朗氏を後継首相に据えた。政治部のベテラン記者はこんなウルトラCの菅政権シナリオを描いて見せた。「ポスト安倍が話し合いで決着できない状況になれば、官房長官の菅氏がかつての青木氏のような調整役となって、総裁選までのつなぎを前提にワンポイントリリーフの総理を選ぶことになるだろう。 その場合、適任者は長老の二階氏だ。年齢的にも麻生氏の再登板はワンポイントという建前がないと成り立たない。その役割を二階氏に担わせてライバルを蹴落としたうえで、寝業師の二階氏が本格的な総裁選に今度は菅氏を擁立する。このワンツーパスなら安倍支持勢力は菅氏に乗るしかなくなり、他の候補には勝ち目がない」 これらの政治家たちは政権を支えているように見えるが、いざ跡目争いとなれば権謀術数を駆使した権力闘争のライバルなのだ。 もっとも、「他に代わる人がいない」という消極的な理由で安倍首相を支持している多くの国民は、“安倍首相の控え投手”の登板は望んでいない。 小泉進次郎氏ら自民党の若手政治家たちが国民の声をどこまで吸い上げ、旧来の自民党内駆け引きによる後継者選びに反乱を起こしていくのか。この党の将来はそこにかかっているといえるのではないか。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「どこの国の人?」■ 路チュー不倫の中川農水政務官 官邸の更迭論に二階氏が一泡■ 進次郎vs細野で次世代対立軸示せれば旧世代安倍氏の政治終焉■ 二階俊博氏と中国との蜜月ぶりで和歌山にパンダが7頭も存在■ 9月の内閣改造 最大のサプライズは小泉進次郎氏の入閣か

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    片山虎之助が断言「ポスト安倍は橋下徹しかいない」

    るし、得難いリーダーとしての力がある。 本人は政界引退を言っているけれども、それこそ天が許さない。「国政に出るべきだ」と私は橋下さんに強く言っているんです。橋下市長は出るとは言わないけど、出ないとも言わなかった。私は「たちあがれ日本」という政党から旧日本維新の会に合流したが、2012年の衆院選であっという間に維新が54議席を獲得したのは驚いた。その手腕やこれまで知事や市長としての実績はみんな知っているからね。若いし、資質十分だからこれから国政に出てもらって、がんばったら総理になれる潜在的な力があると私は思っています。(聞き手 iRONNA編集部 川畑希望)かたやま・とらのすけ 昭和10年、岡山県出身。東大法学部卒。岡山県副知事を経て平成元年参院選に出馬し、初当選。総務相や参院自民党幹事長、維新の党総務会長などを歴任。当選4回。

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    安倍退陣を望むかと聞かれた財務官僚「とんでもない」と回答

     霞が関の官僚は総理大臣の支持率が高く、権勢を振るっているときは、その懐に入り込んでともに貪る。だが、いったん落ち目になると、残った権力をとことん使わせ、役所に都合のいい政策を進めさせようとする。本誌伝統企画・覆面官僚座談会を緊急招集した。出席者は財務省の中堅A氏、経産省中堅B氏、外務省若手C氏だ。官僚たちは今何を考えているのか。──増税したい財務省にすれば、安倍晋三政権が弱体化するほどコントロールしやすくなる。外務C:一番てっとり早いのは、財務省嫌いの安倍総理と菅義偉官房長官を引き離すこと。最近、2人の関係にすきま風報道がしきりに流れている。経産B:防衛省からも5月に作成した部隊運用の内部文書が流出し、共産党の手に渡った。防衛省内には外務省主導の安保法制に不満が強い。内閣支持率が下がったタイミングであることを考えると、安倍政権の揺さぶりを目的とした政治的意図を感じる。森(喜朗)政権末期や第一次安倍政権末期も官邸のネガティブな情報がどんどん漏れて支持率が急降下した。今回もリークは増えていくのではないか。──ズバリ聞くが、財務省は安倍政権に退陣してもらいたい?外務C:基本的に信頼関係がないから、そうなんじゃないですか。財務A:とんでもない。財政再建をしっかりやっていただければ不満はありません(笑い)。経産B:石破茂、谷垣禎一、林芳正、ポスト安倍の有力候補はみんな財務省に洗脳されてガチガチの増税論者。いま、財務官僚は安倍総理が後継者にしようとしている「稲田姫」(稲田朋美・政調会長)に張り付き、教育中じゃないですか。──しかし、その稲田政調会長は安倍政権の経済政策の基本方針(骨太の方針)に歳出削減目標を盛り込むように主張したが、菅官房長官や甘利利明経済財政相に突っぱねられた。財務A:稲田さんが負けるのは想定の範囲内。ウチの上層部は稲田さんが官邸相手にどこまで頑張れるかを試したかったのだと思う。経産B:財務省が政治家を試すときによくやる手法で、稲田姫がどこまで財務省のいいなりに動くかという試験だった。それに合格した。外務C:これで安倍政権が倒れたとき、誰がポスト安倍に登場しても財務省がヘゲモニーを握れるというわけですね。司会・レポート武冨薫(ジャーナリスト)関連記事■ 安倍政権誕生で批判の口火切るのは朝日ではなく読売、日経か■ 元防衛官僚が安倍政権の安全保障政策の問題点について語る本■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本■ 安倍首相 財務省の天下り先を潰して厳しい報復受けた過去も■ 小渕優子氏 財務省の神輿乗ることが出世早道と信じていたか

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    和解と誇りと希望と新時代の日米同盟へ

    」と反発をしています。 しかし、平和安全法制の整備は、私も自民党も平成24年の衆議院選挙以来、3回の国政選挙で常に公約として掲げて、繰り返し訴えてきたことです。特に昨年12月の衆議院選挙では、集団的自衛権の一部行使を可能にした昨年7月1日の閣議決定を受けて、平和安全法制を速やかに整備することを明確に掲げ、国民の皆さまの審判を受けたわけです。法整備の方針を閣議決定した上で、選挙で公約に掲げた以上、選挙直後の通常国会で実現をはかることは当然のことだと思います。選挙後の第3次安倍内閣の組閣時の記者会見でも、本国会で平和安全法制の成立を図る決意をお示ししたし、本年2月の衆院本会議に於いても、2度にわたって本国会における成立を図る旨、答弁をしております。アメリカ議会で突然申し上げたことではありません。野党がおっしゃるような問題はまったくないと思います。 いわゆるグレーゾーン事態対処から集団的自衛権行使の限定的容認に至るまで、「切れ目のない」対応を可能とする平和安全法制は、まさに国民の命と幸せな生活を守るために必要不可欠です。分かりやすい丁寧な審議に努め、成立に全力を尽くします。 ――日米同盟の強化により、自衛隊の役割は飛躍的に大きくなっていくのではないでしょうか。防衛費増額などの環境整備についてのお考えは 安倍 今回の平和安全法制が、防衛費の増減には直結するわけではありません。まず法制度として切れ目ない対応を可能にするものですね。 一方、防衛費につきましても、安全保障環境の変化や装備品についての変化に対応していくことは大切だと考えています。第2次安倍政権が発足するまでは、防衛費は10年間連続で削減されてきました。これに対して我々は一昨年末、平成30年までの防衛費総額を中期防衛力整備計画(中期防)の中で決定し、毎年、実質0・8%ずつ増やしていくことにしています。 大切なことは、国民の命と幸せな暮らしを守っていくことです。そのために必要な法整備、防衛体制の充実は図っていかねばなりません。 ――平和安全法制整備の先には憲法、特に9条の改正という課題もあります 安倍 第2次安倍政権発足時から、自由民主党の公約として「憲法改正を目指していく」を掲げています。憲法は、国の未来や理想の姿を語るものでもあり、21世紀の日本の理想の姿を私たち自身の手で描いていく精神こそ、未来を切り拓いていくことにつながっていくと思います。国民主権、基本的人権、平和主義という現行憲法の基本的な考え方は大切にしながも、必要な改正は行うべきものだと思います。 まず、国民的な議論をより深めていく、そして広げていく必要があると思っています。憲法改正について分かりやすく解説した冊子を作成するなどして、国民の理解が深まるよう努力していきたいと思います。 野党の一部からは、私の憲法観がおかしいから議論しないという意見が出ていますが、まったく非論理的です。わが党は野党時代に谷垣執行部が中心となって作り上げた条文改正案をお示ししています。私が作ったものではありません。感情的にならず、また反対のための反対をせず、われわれが示した条文ごと、項目ごとに冷静な議論をお願いしたい。憲法改正は日本の将来を考える作業でもあります。改正が必要かどうか、政治家本来の原点に立ち戻って議論を進めていってもらいたいと思います。 ――憲法改正を主張してきた橋下徹・大阪市長(維新の党最高顧問)が、5月17日の市の住民投票でいわゆる「大阪都構想」が否決されたことを受け、市長任期(今年12月)終了後の政界引退を表明しました。これは憲法改正の推進という点では、残念です 安倍 「大阪都構想」については、住民投票で僅差でしたが否決されました。現在の大阪市という体制を維持していくことを大阪市民の皆さんが選んだということではないかと思いますが、あれだけ賛成意見も多かったということを勘案しながら改革を進めて行く必要があるのではないかとも思いました。 橋下市長はこれまで政治家として、リーダーシップをもって新しい試みに挑戦してきました。大阪市を廃止すべきか否かという大きな問題について、住民投票によって市民に賛否を問うという段階まで進めたリーダーシップは注目に値すると思います。 また今おっしゃったように、憲法改正を進めて行くべきだという考えでは、私たちとも一致しています。憲法改正に向けて、強いリーダーシップ、国民に訴えかけていく力を生かしていただきたいと思います。 ――政治家をやめても、その力を生かしていってほしいということでしょうか 安倍 そこはまあ、まだね(笑い)。 ――ありがとうございました(聞き手/月刊正論編集長 小島新一)※このインタビューは5月18日、首相官邸で行われました。安倍晋三 昭和29(1954)年生まれ。成蹊大学卒。会社勤務の後、父、晋太郎元外相の秘書官を務め、平成5年から衆議院議員。内閣官房副長官、自民党幹事長、内閣官房長官などを歴任、平成18年9月、内閣総理大臣に就任。「戦後レジームからの脱却」を唱え、教育改革をはじめ数々の改革に取り組む。24年12月に内閣総理大臣に再就任し、26年12月には第三次安倍内閣が発足。著書に『安倍晋三対論集』(PHP研究所)『美しい国へ』(文春新書)など。

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    揚げ足取りが大好きな人たちへ

    首相が「我が軍」と発言すれば、憲法9条を軽んじたと大騒ぎ。自民党議員が「八紘一宇」と口にすれば、やれ戦前回帰だの騒ぎ立てる。まるで鬼の首でも取ったようなはしゃぎっぷりですが、揚げ足取りが大好きなみなさん、こんな不毛な議論はそろそろやめにしませんか?

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    「我が軍」と呼べば呼ぶほど憲法改正は遠ざかる(かも知れない)

    古谷経衡(著述家)世界は日本の憲法9条を知らない 安倍首相が自衛隊を「我が軍」と衆議院予算委員会で発言したことが、ちょっとした騒動になったことは記憶に新しい。これが1990年代だったら、首相のクビが一発で飛ぶような大騒ぎになるところだったろうが、どうで時代は変わったもので、少しヒステリックな指摘がほんの少し、リベラルメディアからあがっただけですぐに沈静化した。 国民の側も、「自衛隊は事実上、軍隊みたいなものじゃないか。これを言葉尻を捕らえて批判するなんて、いかがなものか」という皮膚感覚がある。保守系はこれに右へならえで、「自衛隊を軍隊と呼ぶことに、何の問題があるのか」といった調子。私も、首相の「我が軍」発言は「基本的」に、悪いことだとは思わない(カッコを付ける理由は後半で説明する)。 首相も「自衛隊は国際法上は軍隊だ」と説明した。日本のことを余程知っている、海外の日本研究者以外は、日本国憲法9条を知らないから、海外では普通に「JAPAN  ARMY」「JAPAN NAVY」といった表示が普通だ。或いはやや表記に正確を期すところでは、「JAPAN Self-Defense Force」と「自衛軍」の表記があるが、その後には決まって(army)とカッコで説明されている。「日本の9条は世界でも有名であり、よって日本が軍隊のない国であることを海外の人は知っているのだ」という人が居るが、我々がフランス憲法の条文を知らないのと同じように、外国人も日本の憲法の条文や特殊事情を知らない。でどうみても軍隊だけど軍隊ではない矛盾 そもそも、陸上兵力16万、米海軍に次ぐ世界二位のイージス艦保有数と事実上のヘリ空母(DDH)を3隻保有し、最新鋭の戦闘機F-35(A)を42機導入する予定の自衛隊が、「軍隊ではない」というのであれば、世界中の殆どの国家が無防備地域になる。 しかし、悲しいかな自衛隊は「軍隊」ではない。憲法に、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と書いてあるからという事実以上に、「軍隊」として備わっているはずの条件が、一部欠損しているのである。 代表的なのは軍法。自衛隊は憲法上軍隊ではないから軍法はない。戦場で敵と戦う極限状態を強いられる軍隊組織には、一般法は通用しない。民間企業で上司の命令を破っても、内規で処分されるだけだが、軍隊ではそうは行かない。上官の命令に従わなければ戦線が維持できない。部下の勝手な判断で好き勝手に動けば、全滅の恐れもある。だから軍隊には、一般法とは別個の法概念「軍法」が必要であり、それを裁くための「軍法会議(軍法裁判所)」が必要だ。 ところが日本国憲法には、「特別裁判所はこれを設置できない」(76条)とある。軍法会議は、最高裁判所を頂点とする司法体系から逸脱した特別裁判所である。よってこれを設置できず、自衛隊員が隊内でなんらかの違反等をした場合は、自衛隊内の警務隊が逮捕し、担当の検察が起訴し、一般の裁判所で例えば自衛隊法違反や自衛隊員倫理法違反などが問われさばくことになるが、「軍隊」ならばこの作業を全部自前の軍法会議で行う。 戦前の旧軍に存在した憲兵(MP)が今の警務隊、ということができるが、最大に違うのは訴追することができないため、起訴はその事件の担当の検察に委ねられることになる。これでは憲兵ということはできない。この一点をとっても、自衛隊は軍隊ではない。いや、「限りなぐ軍隊に近い軍隊”的”組織」という評価が妥当だろう。「軍隊っぽさ」をなるべく薄味にして…「自衛隊は軍隊ではない」という建前と、「実際には軍隊の装備を持っている」という矛盾の整合性をとるため、かつて自衛隊の装備品の呼び方は奇異なものが合った。戦車を「特車」といったり、自衛隊の編成・装備品などの整備計画を、一般企業の経営計画のように「中期業務見積もり」と言い換えたりしてお茶を濁していた。 さすがにこのような配慮はだんだんと消えたが、現在でも階級呼称を旧軍の大・中・小(佐/尉)でなく数字に言い換えたりして軍隊組織の印象を薄め、自衛艦艇を大小ひっくるめて全て「護衛艦」と呼び、かつてのような「駆逐艦」「巡洋艦」などの艦種分類をしていない。 実質的には軽空母・ヘリ空母をDDH(ヘリコプター搭載型護衛艦)と呼んで、あくまで空母ではない、というニュアンスの醸成に腐心している。これも全て、「軍隊ではない」ことを強調するためだが、海外からすると明らかに軍隊だし、国内的には「限りなぐ軍隊に近い軍隊”的”組織」であり、その「限りなさ」度合いは年々、ましている。護憲のレトリックに力を与える「我が軍」 さて、自衛隊が軍隊を持たないと定めた現行憲法下において、「限りなく軍隊に近い軍隊”的”組織」になればなるほど、護憲派からは「じゃあ、このままで良いではないか。改憲する必要性は薄れている」という抗弁を招くことになる。「憲法を変えなくても自衛隊が”軍隊”に近づいているのなら、憲法を変える必要はない」というレトリックは、筋が通っている。 だから実は首相がことさら、日本国内で自衛隊を「我が軍」と呼ぶことは、この護憲派のレトリックに力を与えることになりかねない。 もし貴方が、真剣に憲法を変えて、自衛隊を日本軍として位置づけることを目指しているのなら、自衛隊を「我が軍」と呼ぶのは少し待ったほうがいいのかも。 あくまでも政治家は「自衛隊は軍隊ではありません、だから制約が多いのです、軍隊なんてとんでも無い、このままでは外国の侵略に満足に対抗できない」と繰り返すことが、憲法改正を推進するレトリックとしては力強い。 保守派の多くは、「自衛隊は強い、中国や韓国なんかに負けない」と威勢よく言いがちだが、それを言えば言うほど自衛隊増強・憲法改正の正当性を失うことになる。「自衛隊は弱いんだから、増強しないといけない」というのが、国防意識の鉄則ではないか。 その証拠に中国は、毎年10%以上増の自国国防費の拡大を「古くなった武器を近代化更新しているだけで、中国軍はまだまだ弱い」と言っている。「まだまだ弱い」。弱者に偽装することが増勢の基本である。戦略的にここを間違ってはいけない。「我が軍」と呼んで当座の溜飲を下げるか、改憲レトリックの推進力を選択するのか。どちらを選ぶかは国民次第である。関連記事■ 政治の「大義」とは何なのか■ 国民は知っている「ブレた」岡田氏■ 鳩山氏、菅氏、中川氏…政治家の自覚はないのか■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    「慰安婦」「八紘一宇」…ここがおかしい民主党幹部の歴史認識

     民主党は4月1日、近現代史研究会(座長・藤井裕久顧問)を約5カ月ぶりに開催した。同研究会は講師を呼んで表題の議論をするフォーラムで、安倍晋三首相が今夏に出す戦後70年談話に対抗するため、再開に至った。夏までに10回程度開催する予定だ。 「首相談話に対抗」との狙いは、岡田克也代表が再開を発表した3月20日の記者会見で、次のように語ったことによく表れている。 「談話が出たときに、わが党の考え方もきちんと出すためでもある」 議論は大いに結構だ。だが、その前提となる岡田氏の歴史認識は心許ない。 岡田氏は3月10日、来日していたドイツのメルケル首相と都内で会談した。岡田氏が会談後に行った記者団への説明によると、メルケル氏は自ら慰安婦の話題を持ち出し、「きちんと解決したほうがいい」と述べた。そして「日韓は価値を共有している。和解をすることが重要ではないか」と続けた。 このやりとりをめぐり、「慰安婦問題についてドイツが日本政府に解決を促した」と解釈されたかどうかの議論が起きた。だが、より深刻なのは、メルケル氏が持ち出した慰安婦の話題に岡田氏が何も質問しなかったとみられることだ。 慰安婦問題と言っても、いろいろな解釈がある。メルケル氏は、一般的な女性の人権侵害との視点から「問題」としたのか、それとも「旧日本軍の強制連行」だとして「問題」としたのか。岡田氏は単に慰安婦問題としか説明していないので、よく分からない。 まさかメルケル氏が、朝日新聞が記事を取り消した故吉田清治氏の証言などを根拠に慰安婦を性奴隷と規定した国連人権委員会(現人権理事会)のクマラスワミ報告をうのみにしているとは思わない。問題は岡田氏だ。日本の国会議員ならば、簡単に聞き流していい話題ではない。戦後70年の“民主党談話”に意欲をみせる岡田克也代表=国会内(酒巻俊介撮影) 約40分間の限られた時間だったとはいえ、外相を経験した岡田氏なら「慰安婦問題とは何を指すのですか?」と問い返すべきだった。失礼に当たらない範囲で、例えば「誤解されているとは思いませんが、平成5年の河野洋平官房長官談話は何の根拠もなく旧日本軍の慰安婦募集の強制性を認めたものです」「事実無根の韓国側の宣伝活動に惑わされないでください」などと説明すべきだった。国益に関わる問題で正当な指摘ができないならば、外国首脳との面会はやめたほうがいい。野党の党首が日本外交に余計な混乱をもたらすことになる。 ちなみに民主党が会談内容を重ねて説明するために3月16日に発表した談話は、「メルケル首相より従軍慰安婦に関して言及があり…」と表記していた。「従軍慰安婦」という戦後につくられた造語を、いまだに“公式文書”で使っているあたりに、「歴史修正主義者」のような民主党の浅はかさがよく表れている。 危なっかしいのは岡田氏だけではない。細野豪志政調会長は、推計約10万人が犠牲となった東京大空襲から70年となった3月10日の記者会見で、自ら「今日は東京大空襲からちょうど70年」と切り出し、大空襲の犠牲は「国策の誤りを反映した結果だ」と述べた。 細野氏は「ドイツと日本の例は単純に比較できない」と前置きした上でナチスのユダヤ人虐殺を持ち出し、「ホロコーストを全体としてしっかりと総括しているのがドイツだ」とも語った。その上で「わが国が先の戦争で自国民はもちろん、周辺諸国に対して大変な被害をもたらしたことについて、しっかりと真摯(しんし)に反省することは重要だ」と強調した。 そして「残念ながら、今の安倍政権をみていると、そこに疑念を持つので、戦後70年を迎えるにあたって心していかなければならない」と結んだ。 一般住民を含めた無差別爆撃の東京大空襲を行ったのは米軍だ。しかし細野氏から、その言及は一切なかった。先の大戦では日本軍も爆撃を実施した。ただ、東京大空襲の責任を持ち出すときに、より多くの木造家屋を燃やすために焼夷弾(しょういだん)を使って一般人の殺傷を狙った米軍の責任に全く言及しないのは、あまりにもバランスを欠く。 細野氏は戦後教育で浸透した典型的な自虐史観を披露した。「表現の自由」にこだわりがあるようだが、GHQ(連合国総司令部)による巧妙な検閲の実態を知らないのだろうか。 米軍の責任も指摘した上で「国民を守ることができなかった」と当時の日本政府の結果責任に触れ、今の政治の教訓とするなら理解できなくもない。しかし、「単純に比較できない」と言いながら大空襲との比較でホロコーストを持ち出すに至っては支離滅裂だ。 首相は国会答弁で何度も先の大戦への反省を口にしている。それを無視して首相が真摯に反省していないかのように印象づけ、政権批判に転じているあたりは、理屈も何もない。 細野氏は同月17日の記者会見で、記者に「なぜ米軍の無差別殺傷ということに触れなかったのか」と問われると、「米軍による非常に残虐な行為だと考えている。ただ、それは当然のことだ」と釈明した。当たり前だから言わなかったというのだ。こういうところに政治家の歴史観がよく見える。 3月16日の参院予算委員会で話題になったのが、自民党の三原じゅん子参院議員の質問だった。三原氏は多国籍企業に対する課税問題に触れ、「現在の国際秩序は弱肉強食だ」と指摘。その上で「八紘一宇(はっこういちう)の理念の下、世界が一つの家族のように助け合えるような経済、税の仕組みの運用について、首相が提案していくべきだ」と述べた。 これを朝日新聞は翌17日付朝刊で「『八紘一宇は大切な価値観』 三原じゅん子議員、予算委で」との見出しで報じた。記事では「八紘一宇は『世界を一つの家とする』という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた」と説明した。 何がニュースなのかよく分からないが、安倍首相率いる自民党が「戦前回帰」だと印象づけたいのだろう。しかし、当日の予算委で民主党議員は誰も問題視する声を上げなかった。ところが枝野幸男幹事長は朝日の記事が出た17日、記者団に対し、自ら三原氏の発言を取り上げ「必ずしも不適切なものとは思わないが」と前置きした上で、こう続けた。 「この言葉の持っている歴史的な意味やたくさんの人々の印象を踏まえると、与党議員が国会の場でこうした言葉を使うことはさまざまな波紋を招き、わが国の国益を損ないかねない」 不適切でないならば取り上げなければいいのに、わざわざ「波紋を招く」とあおった。八紘一宇は、民主党が最も重視する「共生社会」に共通する概念ともいえる。現に民主党の馬淵澄夫元国土交通相は同月21日、ホームページなどで「三原議員『八紘一宇』発言に違和感なし。言葉だけをあげつらっていては、事の本質が見えなくなる」との記事を掲載した。 歴史認識から少し離れるが、民主党幹部は首相の「わが軍」発言にもかみついた。首相は3月20日の参院予算委で、他国軍との共同訓練に関する文脈で自衛隊を「わが軍」と発言した。これも当日、予算委の現場にいた民主党議員は誰も異論を唱えなかった。産経新聞の担当記者は首相発言が多少引っかかったが、ニュースとして取り上げるほどでもないと判断し、記事化を見送った。 ところが、朝日新聞が21日付ではなく、なぜか24日付朝刊で首相発言を報じると、細野氏は同日の記者会見で「非常に理解に苦しむ」と反応し、枝野氏も25日の記者会見で「国会答弁で首相が『わが軍』という言い方をすることは軽くない」と急に批判し始めた。関連して枝野氏は、こうも付け加えた。 「『わが国の自衛隊』であり、『国民の自衛隊』なのであって、安倍さんのものではないと強調しておきたい」 その直後、枝野氏は別の話題に関する質疑で民主党を「わが党」と表現した。何かの悪い冗談だったのだろうか。ちなみに民主党政権だった23年10月25日、当時の一川保夫防衛相は衆院安全保障委員会で「わが国の自衛隊は、わが国が直接外国から何か攻められるということであればしっかりと戦う姿勢だから、そういう面では軍隊だという位置づけでもいい」と答弁していた。 民主党内の保守系の間には、幹部の歴史認識への反発が少なからずくすぶっている。しかし、表で発言する議員は皆無に近い。党再生に向けてバラバラ感の払拭、そして結束を最優先するということなのかもしれないが、もう一度政権を目指す政党になりたいなら、近現代史研究会に積極的に出席し、幹部への異論も恐れずにしっかり声を上げた方がいい。(政治部 酒井充)関連記事■ 政治の「大義」とは何なのか■ 国民は知っている「ブレた」岡田氏■ 鳩山氏、菅氏、中川氏…政治家の自覚はないのか■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    当たり前だよ「わが軍」発言

    榊原智(産経新聞論説委員) 現代日本の政治が取り組むべきことは、自衛隊を「わが軍」と呼ぶことをタブー視することではない。現憲法の下でも、自衛隊が平和と安全を確保するための日本の軍隊であるという「本当のこと」を認め、国民にわかってもらうことだ。 現代日本には、言葉狩りで真実を覆い隠し、国の安全保障力をいたずらに損なう戦後の悪い習わしを続けていく余裕などないはずだ。 政治家も国民も、自衛隊が日本の軍隊だとはっきりと自覚し、戦後長く自衛隊を縛り付けてきた、平和を守る力をいたずらに削ぐような不合理な制度、慣習を改めていった方がいい。これは自衛隊を普通の民主主義国の軍隊へ近づけることになり、抑止力を高めることになる。日本や国際社会の平和と安全を保ち、国民の生命財産を守ることにつながる。憲法9条の改正は、そのような努力の総仕上げにしなければならない。 安倍晋三内閣と与党は、集団的自衛権の行使容認をはじめとする安全保障改革に取り組んでいる。 国家安全保障戦略を定め、国家安全保障会議(日本版NSC)や国家安全保障局を創設した。自衛隊による南西諸島防衛に力を入れ、スパイや情報漏れを防ぐため国の重要な秘密を守る特定秘密保護法を制定した。友好国が先端技術を持ち寄って武器を共同開発するため防衛装備移転三原則をつくり、日米同盟の抑止力を高めるため普天間飛行場の辺野古移設工事を進めている。 改革の真打ちは、集団的自衛権の限定行使を容認することを柱とする安全保障法制の整備と、連動した日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定だ。新ガイドラインは4月下旬にまとまり、安保関連法制は今夏にも制定の運びだ。 このように安全保障の取り組みがずいぶん正常化してきたと思いきや、首相が自衛隊を「わが軍」と呼んだだけで、猛反発する政党やメディアが現われた。時計の針が何十年も昔に巻き戻ってしまったようだ。 首相の「わが軍」発言は次のようなものだった。3月20日の参院予算委員会。維新の党の真山勇一参院議員が、自衛隊と各国軍との合同訓練について質したのに対して、首相はこう答弁した。 「共同訓練については、さきほど大臣から答弁した通りである。付言すると、お互い一緒に訓練する国々との関係が、より密接になっていくわけであるし、絆が強化されていくと言ってもいいんだろうと思う。わが軍の透明性をまさに、一緒に訓練するわけだから、上げていくことにおいては大きな成果を上げているんだろうと思う。自衛隊は規律がしっかりしていると、しっかりとした責任感と厳しい規律の下に、平和に貢献していこうとしているということが、多くの国々によく理解されているんではないかと思う」 当たり前の発言である。 しかし首相発言に対して、野党や一部メディアが攻撃、追及を続けた。 朝日新聞のコラム、天声人語は「首相の言葉は往々、身もふたもない。先月には自衛隊のことを『我が軍』と呼んだ。戦力には当たらないと歴代内閣が積み重ねてきた答弁もどこへやら、ここでも憲法上の原理原則は顧みられていない」(4月11日付朝刊)と批判した。 民主党の細野豪志政調会長は3月24日の記者会見で「これまで積み上げてきた議論をひっくり返すような話だ」とかみついた。維新の党の松野頼久幹事長は「不安をあおるような言い回しには気をつけるべきだ」と記者団に語った。 翌25日の記者会見では民主党の枝野幸男幹事長が、「わが国の自衛隊であり、安倍さんのものではない」と、いささか意味不明な批判まで行った。首相の言う「わが軍」には私兵の意味合いなどあるわけもなく、枝野氏が使った「わが国」と同じ用法だったに決まっている。 枝野氏はさらに、「憲法に陸海空軍その他の戦力を持たないと明記されている。説明がつかない」と、憲法9条を引いて批判した。 これらは、いかにも乱暴な議論だ。 なるほど憲法9条第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と規定している。 しかしこれは、「前項の目的を達するため」とあるように、9条第1項のもとにおける話である。 第1項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としている。衆院予算委員会で答弁する安倍晋三首相=3月30日、国会・衆院第1委員室 9条は、侵略戦争を否定するものであって、自衛戦争の遂行まで違憲とする条文ではない。自衛戦争のために陸海空軍を持つことを違憲と考えるのは間違っている。 9条に関する「芦田修正」的な考え方を採らなくても、政府は、憲法前文が示す国民の平和的生存権や憲法13条が生命、自由および幸福追求に対する国民の権利を認めており、自衛戦争を戦うことがあり得るとの立場をとっている。 いずれにせよ、日本における自衛戦争のための武力組織が自衛隊であることから、組織名は「自衛隊」であっても、それを通称として軍隊と呼んでも何ら差し支えはないはずだ。 にもかかわらず、自衛隊を軍隊と呼ぶことを忌避するのは、軍隊がなければ安全をまっとうできない国際社会の厳しい現実から目をそむけがちな戦後政治の過ちを、繰り返すことになる。 おかしな批判に嫌気がさしたのだろう、国会で首相は「わが軍」発言は問題ないと強調しながらも、「そういう言葉は使わない」と表明してしまった。事実に反してまで平気で言葉狩りをすることがある日本の悪癖の犠牲になった格好だが、首相には踏みとどまってほしかった。 3月30日の衆院予算委員会で首相は「私が『わが軍』と言ったことは全く問題がないと今でも思っていることは、繰り返し申し上げておきます」と強調した。しかしそのうえで、「あまり意味のない議論をここで散々やり返すのは、もうやめようじゃありませんか。そういうことではなくて、安全保障の政策について私はもっと議論すべきだと、このように思います。(略)こうした答弁によっていちいち大切な予算委員会の時間がこんなに使われるのであれば、それはいちいちそういう言葉は私は使わないが、ただそれを使ったからそれがどうこういうものではない」と語った。 首相のいらだちはわかるが、自衛隊が軍隊かどうか、軍隊と呼んでよいかどうかは、決して「あまり意味のない議論」ではない。 その後、安倍内閣は4月3日になって、自衛隊を「わが軍」と呼んだ首相の国会答弁をめぐって、「国際法上、一般的には(自衛隊は)軍隊として取り扱われるものと考える。菅(義偉)長官(が記者会見で「問題ない」と表明したのは)は従来の政府の考え方を述べたものと承知している」とする答弁書を、閣議決定した。これは、維新の党の今井雅人衆院議員の質問主意書に答えたものだ。 この答弁書にある通り、日本政府は自衛隊を軍隊だと位置づけている。武力行使はどの国でも、国際法にのっとって行われるものだから自衛隊が軍隊であると明言したのと同じなのだ。 世界各国も自衛隊をそのようにとらえ、遇している。 今年3月には、世界各国の軍隊の制服組トップが集まって国連平和維持活動(PKO)について意見交換する「国連PKO参謀長会議」が国連本部で開かれた。日本からは、陸上自衛隊トップの岩田清文陸上幕僚長が参加している。 要するに、日本の軍隊の名称が「自衛隊」であることを意味する。自衛隊を通称として「わが軍」と呼ぶことを否定するのは、はっきり言っておかしいのである。自衛隊を軍隊と呼べるのかという論議自衛隊を軍隊と呼べるのかという論議 実は、自衛隊が発足した当時も、自衛隊を軍隊と呼べるのかどうか、自衛隊は軍隊かどうかという議論があった。 保安隊から衣替えして自衛隊が発足したのは1954年7月1日である。63年前だ。その年の国会議事録をひもとけば、たくさんのやりとりが見つかる。 たとえば、1954年4月12日の衆議院内閣委員会では、吉田茂内閣の国務大臣である木村篤太郎保安庁長官(7月1日から初代防衛庁長官)の答弁がある。 自衛隊は軍隊かと質されたのに対し、木村長官は「これは意義いかんということをしばしば繰り返して申し上げておるのであります。軍隊の定義いかん。外部からの武力攻撃に対して対処し得る部隊を称して軍隊なりというのならば、自衛隊はまさしくその性格を持っておるから、軍隊と言ってよかろう、こういうのであります」と答弁した。 正式な名称は「自衛隊」とするが、自衛戦争をする実力組織を軍隊とみなすならば自衛隊は軍隊であり、そう呼んでもさしつかえないというわけだ。この木村長官は、検事総長や東京第一弁護士会長、法相を務めた経歴の持ち主だ。 今回の「わが軍」発言をめぐる騒動は、自衛隊発足当時からの論議を繰り返しているのであり、いい加減、目を覚ましてほしいものだ。 「わが軍」発言を批判するメディアは、1967年3月31日の参院予算委員会で、佐藤栄作首相が「自衛隊を、今後とも軍隊と呼称することはいたしません」「私は軍隊という呼称はいたしません」と答弁したことを言い立てる向きもある。 しかしこれは、社会党が猛威をふるった時代の国会対策上の発言である。金科玉条にして威張れるほどの見解ではない。 ちなみに、安倍首相は3月30日の衆院予算委員会で、民主党の野田佳彦内閣の一川保夫防衛相が、2011年10月25日の衆院安保委員会で、「私は、我が国の自衛隊というのは、いろいろな議論があったと思いますが、我が国が直接外国から何か攻められるということであればしっかりと戦うという姿勢でございますから、そういう面では軍隊だというふうな位置づけでもいいと思う」と答弁したことを披露した。 細野氏や枝野氏が、一川防衛相のこの答弁にかみついて訂正させたとは聞いたことがない。民主党政権時代の防衛相の見解さえ知らず、安倍首相を批判したようだ。批判が自分に跳ね返ってくる、相変わらずの「ブーメラン」ぶりにはあきれてしまう。 ところで、安倍内閣が3日に閣議決定した答弁書の本文は次の通りである。 「国際法上、軍隊とは、一般的に、武力紛争に際して武力を行使することを任務とする国家の組織を指すものと考えられている。自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであると考えているが、我が国を防衛することを主たる任務とし憲法第9条の下で許容される『武力の行使』の要件に該当する場合の自衛の措置としての『武力の行使』を行う組織であることから、国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる。お尋ねの菅内閣官房長官の記者会見において、同長官は、このことを含め、従来の政府の考え方を述べたものと承知している。」 政府は、自衛隊を軍隊とみなしているが、同時に憲法の制約から「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」とも言っているわけだ。 これも、自衛隊発足当時から、政府が語っていたことだ。 先に紹介した木村保安庁長官は、「独立国家たる以上は自衛権があるのだ。その自衛権の裏づけである自衛力を今度の自衛隊が持ち得るのだ、こういうことであります。それを軍隊と称するかどうか、今申し上げた通り、外部からの侵略に対処するものが軍隊なりということであれば、軍隊といってよろしい。しかし厳格な意味において、また軍隊ということはどうかと思うから自衛隊だ、こう申すわけであります」(1954年4月1日、衆院内閣委員会)と答弁している。 また、岡崎勝男外相は「(自衛隊が)戦力に至らざるものであればそれを仮に軍隊と言いたければ軍隊といっても差し支えない、併し普通軍隊とは言えない、そういうように考えております」「軍隊という名前をつけるのは適当でないと我々は考えておりますので、それを軍隊と言われてもそれは仕方がない。併し政府としては軍隊ということは適当でないから、それで自衛隊なり防衛隊なりという字がつくだろうと思っております。自衛のためにそういう戦力に至らざるある程度の力を持つことは差し支えない、こういうわけであります」(同年4月8日、参議院外務委員会)と答弁している。 国を守るために軍隊が必要であるにもかかわらず、そのときの政治情勢に迫られ、組織名としては「自衛隊」とすることを、当時の政府は選んだことがわかる。それを、日本政府は安倍内閣にいたるまで踏襲してきたわけだ。 今回の安倍首相の発言は、国際法的には自衛隊を軍隊と唱え、国内ではあいまいにするという、わかりにくい二重基準をやめる方向へ動くきっかけになるのが望ましかった。首相は安保関連法制の確実な成立を慮ったのかもしれないが、国民には本当のことを伝えてほしい。 自衛隊をはっきりと軍隊と認めないことの弊害や、どのように改めていくべきかはたくさんの課題があり、別稿に譲ることにするが、1つだけ、民主党など軍隊と呼ぶことに反対する人々に従った場合の決定的な不都合について指摘しておきたい。 自衛隊が名実ともに軍隊でないとすれば、自衛隊が防衛出動して外国軍と戦う場合でも、自衛隊員は軍人、戦闘員としての国際人道法(戦時国際法)に基づく保護を受けられないかもしれない、という点である。 国際人道法では、制服を着用し、責任を負う指揮官の存在などの要件を満たせば、戦闘員とみなされる。これは、捕虜になる資格がある、ということだ。国際人道法は変化し続けており、現代ではゲリラも捕虜になる資格をもつ場合がある。 常識で考えれば、自衛隊員は戦闘員の資格が認められそうなものだが、日本自身が「軍隊ではない」とか「(いかなるときも)交戦権がない」などと主張すれば、敵軍が国際法を曲解し、「日本自身が言うのだから、自衛隊員は捕虜になる資格はない」と言い出す恐れさえある。名誉ある軍人として扱われるかどうか、わかったものではない。 戦いにおいて自衛隊が捕虜を出さずに勝利することが最も望ましいが、戦争は何が起きるかわからない。力戦奮闘の後、自衛隊員が捕虜になることまで否定されるべきではない。それは、国際人道法上の当然の権利でもある。米軍は捕虜になった米軍将兵を英雄とみなし、救出に力を尽す。元捕虜は軍務に復帰して、再び戦列に復帰できる。 日本の周囲は国際ルールなど尊重しない傾向にある国が多い。おかしな口実をあたえることはくれぐれも避けなければならない環境にある。自衛隊が軍隊ではないと否定することは無用の混乱をもたらし、有事に不測の事態をまねきかねず、危険極まりない。 「わが軍」発言を批判する人々は、国家国民のため一身を賭して戦う自衛隊員のことを親身になって考えない、知識も人情も足りない人々ではなかろうか。関連記事■ 政治の「大義」とは何なのか■ 国民は知っている「ブレた」岡田氏■ 鳩山氏、菅氏、中川氏…政治家の自覚はないのか■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である