検索ワード:国政/60件ヒットしました

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    「ポスト安倍」の資質とは何か それは無茶をする覚悟である

    意思がなければ総理・総裁の座には就けない 安倍首相がなぜ盤石の強さを誇っているのか。なによりも二回の国政選挙で圧勝し、民主党から政権を奪還したからである。同時に、安倍氏自身が強烈な信念を持っていることも大きい。集団的自衛権の行使やアベノミクスは、一歩間違えば政権の命取りになりかねない政策課題である。原発の再稼働もそうである。 自民党の中でも、心底この路線に賛成している人ばかりではないはずだ。だが安倍首相は、躊躇することなくこの道を突き進んでいる。この路線に対抗するには、余程確固としたアンチテーゼを持っていなければ対抗できない。だからこそ野田氏以外、誰も手を挙げようとしなかったのである。これはある意味では、「大人の判断」ではある。 だが国民の目から見ればどうだろうか。安倍政権の支持率は、安保法制や原発再稼働などによって、徐々に低下している。格差社会も改善されていない。国民の側から見れば、この機会に大いに自民党内で議論してもらいたい、という思いはあったはずだ。無投票再選というのは、この期待を裏切ったということでもあるのだ。 石破茂地方創生担当相は、前回総裁選では僅差の敗北だった。それがなぜ今回、立候補を見送ったのだろうか。「大人の判断」ということだったのだろうが、天下を取るには安全運転だけでは無理である。時には無茶が必要なのである。小泉元首相は、敗けても、敗けても総裁選に出馬し、ついに総裁の座に就いた。この闘う意思がなければ、有力候補で終わってしまうだろう。 いつまでも自民党一強体制が続く保証はない。政治も、国民もそう甘くはない。安倍路線の転換も必要になってくるだろう。その時には、女性の力や若い力が期待される。自民党には、小泉進次郎氏など若手の有力政治家も育っている。安倍政治は、いささか暗さがある。女性首相や若い首相の誕生を期待したいものである。

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    「ポスト安倍」は誰か

    安倍晋三首相の任期満了に伴う自民党総裁選は、14年ぶりの無投票で首相の再選が決まった。首相は「アベノミクスも道半ばだ。結果を出すことで責任を果たしたい」と意欲をみせたが、野党からは「モノ言えぬ自民党」の閉塞感への批判も根強い。いま、政界に「ポスト安倍」は存在するのか。

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    ポスト安倍氏 菅義偉氏が総理になるウルトラCの陰に二階氏

     年金問題やオトモダチ醜聞など8年前の政権投げ出しの時と似てきた安倍政権。安倍電撃辞任となった場合、その後継者は誰になるのか。本誌は政治家OBや政治評論家、政治部記者ら専門家37人にアンケート調査を実施。その結果、「安倍晋三首相が今国会会期末までに辞任した場合の次期総理」を聞いた場合、谷垣禎一氏と麻生太郎氏がTOP2となった。 3位となった有力候補の一人、官房長官の菅義偉氏は内閣の実力者ではあるが、党内で自前の勢力を持たないから、総裁レースはハードルが高い。そこで、浮上するキーマンが二階敏博・総務会長だ。作家の大下英治氏はこう読む。「菅氏が二階氏を味方につければポスト安倍に急浮上する可能性が高い」記者会見に臨む菅義偉官房長官=首相官邸 その場合、谷垣禎一・幹事長と麻生太郎・副総理の芽を摘まなければならない。このケースは複雑なプロセスになりそうだ。参考になるのは小渕恵三・首相が2000年に急死した際の「5人組の密議」(※注)である。【※注/小渕首相が倒れた際に、後継選出のための会談に青木幹雄・官房長官、森喜朗・幹事長、村上正邦・参院議員会長、野中広務・幹事長代理、亀井静香・政調会長という自民党の有力国会議員5人が集まって森後継が決められた(肩書きはすべて当時)】 当時、自民党には加藤紘一氏という有力な首相候補がいたが、官房長官の青木幹雄氏は意識不明だった小渕氏から「後事を託された」と自ら首相臨時代理となり、加藤派を排除した密室談合で早大雄弁会時代からの盟友、森喜朗氏を後継首相に据えた。政治部のベテラン記者はこんなウルトラCの菅政権シナリオを描いて見せた。「ポスト安倍が話し合いで決着できない状況になれば、官房長官の菅氏がかつての青木氏のような調整役となって、総裁選までのつなぎを前提にワンポイントリリーフの総理を選ぶことになるだろう。 その場合、適任者は長老の二階氏だ。年齢的にも麻生氏の再登板はワンポイントという建前がないと成り立たない。その役割を二階氏に担わせてライバルを蹴落としたうえで、寝業師の二階氏が本格的な総裁選に今度は菅氏を擁立する。このワンツーパスなら安倍支持勢力は菅氏に乗るしかなくなり、他の候補には勝ち目がない」 これらの政治家たちは政権を支えているように見えるが、いざ跡目争いとなれば権謀術数を駆使した権力闘争のライバルなのだ。 もっとも、「他に代わる人がいない」という消極的な理由で安倍首相を支持している多くの国民は、“安倍首相の控え投手”の登板は望んでいない。 小泉進次郎氏ら自民党の若手政治家たちが国民の声をどこまで吸い上げ、旧来の自民党内駆け引きによる後継者選びに反乱を起こしていくのか。この党の将来はそこにかかっているといえるのではないか。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「どこの国の人?」■ 路チュー不倫の中川農水政務官 官邸の更迭論に二階氏が一泡■ 進次郎vs細野で次世代対立軸示せれば旧世代安倍氏の政治終焉■ 二階俊博氏と中国との蜜月ぶりで和歌山にパンダが7頭も存在■ 9月の内閣改造 最大のサプライズは小泉進次郎氏の入閣か

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    安倍退陣を望むかと聞かれた財務官僚「とんでもない」と回答

     霞が関の官僚は総理大臣の支持率が高く、権勢を振るっているときは、その懐に入り込んでともに貪る。だが、いったん落ち目になると、残った権力をとことん使わせ、役所に都合のいい政策を進めさせようとする。本誌伝統企画・覆面官僚座談会を緊急招集した。出席者は財務省の中堅A氏、経産省中堅B氏、外務省若手C氏だ。官僚たちは今何を考えているのか。──増税したい財務省にすれば、安倍晋三政権が弱体化するほどコントロールしやすくなる。外務C:一番てっとり早いのは、財務省嫌いの安倍総理と菅義偉官房長官を引き離すこと。最近、2人の関係にすきま風報道がしきりに流れている。経産B:防衛省からも5月に作成した部隊運用の内部文書が流出し、共産党の手に渡った。防衛省内には外務省主導の安保法制に不満が強い。内閣支持率が下がったタイミングであることを考えると、安倍政権の揺さぶりを目的とした政治的意図を感じる。森(喜朗)政権末期や第一次安倍政権末期も官邸のネガティブな情報がどんどん漏れて支持率が急降下した。今回もリークは増えていくのではないか。──ズバリ聞くが、財務省は安倍政権に退陣してもらいたい?外務C:基本的に信頼関係がないから、そうなんじゃないですか。財務A:とんでもない。財政再建をしっかりやっていただければ不満はありません(笑い)。経産B:石破茂、谷垣禎一、林芳正、ポスト安倍の有力候補はみんな財務省に洗脳されてガチガチの増税論者。いま、財務官僚は安倍総理が後継者にしようとしている「稲田姫」(稲田朋美・政調会長)に張り付き、教育中じゃないですか。──しかし、その稲田政調会長は安倍政権の経済政策の基本方針(骨太の方針)に歳出削減目標を盛り込むように主張したが、菅官房長官や甘利利明経済財政相に突っぱねられた。財務A:稲田さんが負けるのは想定の範囲内。ウチの上層部は稲田さんが官邸相手にどこまで頑張れるかを試したかったのだと思う。経産B:財務省が政治家を試すときによくやる手法で、稲田姫がどこまで財務省のいいなりに動くかという試験だった。それに合格した。外務C:これで安倍政権が倒れたとき、誰がポスト安倍に登場しても財務省がヘゲモニーを握れるというわけですね。司会・レポート武冨薫(ジャーナリスト)関連記事■ 安倍政権誕生で批判の口火切るのは朝日ではなく読売、日経か■ 元防衛官僚が安倍政権の安全保障政策の問題点について語る本■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本■ 安倍首相 財務省の天下り先を潰して厳しい報復受けた過去も■ 小渕優子氏 財務省の神輿乗ることが出世早道と信じていたか

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    片山虎之助が断言「ポスト安倍は橋下徹しかいない」

    るし、得難いリーダーとしての力がある。 本人は政界引退を言っているけれども、それこそ天が許さない。「国政に出るべきだ」と私は橋下さんに強く言っているんです。橋下市長は出るとは言わないけど、出ないとも言わなかった。私は「たちあがれ日本」という政党から旧日本維新の会に合流したが、2012年の衆院選であっという間に維新が54議席を獲得したのは驚いた。その手腕やこれまで知事や市長としての実績はみんな知っているからね。若いし、資質十分だからこれから国政に出てもらって、がんばったら総理になれる潜在的な力があると私は思っています。(聞き手 iRONNA編集部 川畑希望)かたやま・とらのすけ 昭和10年、岡山県出身。東大法学部卒。岡山県副知事を経て平成元年参院選に出馬し、初当選。総務相や参院自民党幹事長、維新の党総務会長などを歴任。当選4回。

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    和解と誇りと希望と新時代の日米同盟へ

    」と反発をしています。 しかし、平和安全法制の整備は、私も自民党も平成24年の衆議院選挙以来、3回の国政選挙で常に公約として掲げて、繰り返し訴えてきたことです。特に昨年12月の衆議院選挙では、集団的自衛権の一部行使を可能にした昨年7月1日の閣議決定を受けて、平和安全法制を速やかに整備することを明確に掲げ、国民の皆さまの審判を受けたわけです。法整備の方針を閣議決定した上で、選挙で公約に掲げた以上、選挙直後の通常国会で実現をはかることは当然のことだと思います。選挙後の第3次安倍内閣の組閣時の記者会見でも、本国会で平和安全法制の成立を図る決意をお示ししたし、本年2月の衆院本会議に於いても、2度にわたって本国会における成立を図る旨、答弁をしております。アメリカ議会で突然申し上げたことではありません。野党がおっしゃるような問題はまったくないと思います。 いわゆるグレーゾーン事態対処から集団的自衛権行使の限定的容認に至るまで、「切れ目のない」対応を可能とする平和安全法制は、まさに国民の命と幸せな生活を守るために必要不可欠です。分かりやすい丁寧な審議に努め、成立に全力を尽くします。 ――日米同盟の強化により、自衛隊の役割は飛躍的に大きくなっていくのではないでしょうか。防衛費増額などの環境整備についてのお考えは 安倍 今回の平和安全法制が、防衛費の増減には直結するわけではありません。まず法制度として切れ目ない対応を可能にするものですね。 一方、防衛費につきましても、安全保障環境の変化や装備品についての変化に対応していくことは大切だと考えています。第2次安倍政権が発足するまでは、防衛費は10年間連続で削減されてきました。これに対して我々は一昨年末、平成30年までの防衛費総額を中期防衛力整備計画(中期防)の中で決定し、毎年、実質0・8%ずつ増やしていくことにしています。 大切なことは、国民の命と幸せな暮らしを守っていくことです。そのために必要な法整備、防衛体制の充実は図っていかねばなりません。 ――平和安全法制整備の先には憲法、特に9条の改正という課題もあります 安倍 第2次安倍政権発足時から、自由民主党の公約として「憲法改正を目指していく」を掲げています。憲法は、国の未来や理想の姿を語るものでもあり、21世紀の日本の理想の姿を私たち自身の手で描いていく精神こそ、未来を切り拓いていくことにつながっていくと思います。国民主権、基本的人権、平和主義という現行憲法の基本的な考え方は大切にしながも、必要な改正は行うべきものだと思います。 まず、国民的な議論をより深めていく、そして広げていく必要があると思っています。憲法改正について分かりやすく解説した冊子を作成するなどして、国民の理解が深まるよう努力していきたいと思います。 野党の一部からは、私の憲法観がおかしいから議論しないという意見が出ていますが、まったく非論理的です。わが党は野党時代に谷垣執行部が中心となって作り上げた条文改正案をお示ししています。私が作ったものではありません。感情的にならず、また反対のための反対をせず、われわれが示した条文ごと、項目ごとに冷静な議論をお願いしたい。憲法改正は日本の将来を考える作業でもあります。改正が必要かどうか、政治家本来の原点に立ち戻って議論を進めていってもらいたいと思います。 ――憲法改正を主張してきた橋下徹・大阪市長(維新の党最高顧問)が、5月17日の市の住民投票でいわゆる「大阪都構想」が否決されたことを受け、市長任期(今年12月)終了後の政界引退を表明しました。これは憲法改正の推進という点では、残念です 安倍 「大阪都構想」については、住民投票で僅差でしたが否決されました。現在の大阪市という体制を維持していくことを大阪市民の皆さんが選んだということではないかと思いますが、あれだけ賛成意見も多かったということを勘案しながら改革を進めて行く必要があるのではないかとも思いました。 橋下市長はこれまで政治家として、リーダーシップをもって新しい試みに挑戦してきました。大阪市を廃止すべきか否かという大きな問題について、住民投票によって市民に賛否を問うという段階まで進めたリーダーシップは注目に値すると思います。 また今おっしゃったように、憲法改正を進めて行くべきだという考えでは、私たちとも一致しています。憲法改正に向けて、強いリーダーシップ、国民に訴えかけていく力を生かしていただきたいと思います。 ――政治家をやめても、その力を生かしていってほしいということでしょうか 安倍 そこはまあ、まだね(笑い)。 ――ありがとうございました(聞き手/月刊正論編集長 小島新一)※このインタビューは5月18日、首相官邸で行われました。安倍晋三 昭和29(1954)年生まれ。成蹊大学卒。会社勤務の後、父、晋太郎元外相の秘書官を務め、平成5年から衆議院議員。内閣官房副長官、自民党幹事長、内閣官房長官などを歴任、平成18年9月、内閣総理大臣に就任。「戦後レジームからの脱却」を唱え、教育改革をはじめ数々の改革に取り組む。24年12月に内閣総理大臣に再就任し、26年12月には第三次安倍内閣が発足。著書に『安倍晋三対論集』(PHP研究所)『美しい国へ』(文春新書)など。

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    揚げ足取りが大好きな人たちへ

    首相が「我が軍」と発言すれば、憲法9条を軽んじたと大騒ぎ。自民党議員が「八紘一宇」と口にすれば、やれ戦前回帰だの騒ぎ立てる。まるで鬼の首でも取ったようなはしゃぎっぷりですが、揚げ足取りが大好きなみなさん、こんな不毛な議論はそろそろやめにしませんか?

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    「我が軍」と呼べば呼ぶほど憲法改正は遠ざかる(かも知れない)

    古谷経衡(著述家)世界は日本の憲法9条を知らない 安倍首相が自衛隊を「我が軍」と衆議院予算委員会で発言したことが、ちょっとした騒動になったことは記憶に新しい。これが1990年代だったら、首相のクビが一発で飛ぶような大騒ぎになるところだったろうが、どうで時代は変わったもので、少しヒステリックな指摘がほんの少し、リベラルメディアからあがっただけですぐに沈静化した。 国民の側も、「自衛隊は事実上、軍隊みたいなものじゃないか。これを言葉尻を捕らえて批判するなんて、いかがなものか」という皮膚感覚がある。保守系はこれに右へならえで、「自衛隊を軍隊と呼ぶことに、何の問題があるのか」といった調子。私も、首相の「我が軍」発言は「基本的」に、悪いことだとは思わない(カッコを付ける理由は後半で説明する)。 首相も「自衛隊は国際法上は軍隊だ」と説明した。日本のことを余程知っている、海外の日本研究者以外は、日本国憲法9条を知らないから、海外では普通に「JAPAN  ARMY」「JAPAN NAVY」といった表示が普通だ。或いはやや表記に正確を期すところでは、「JAPAN Self-Defense Force」と「自衛軍」の表記があるが、その後には決まって(army)とカッコで説明されている。「日本の9条は世界でも有名であり、よって日本が軍隊のない国であることを海外の人は知っているのだ」という人が居るが、我々がフランス憲法の条文を知らないのと同じように、外国人も日本の憲法の条文や特殊事情を知らない。でどうみても軍隊だけど軍隊ではない矛盾 そもそも、陸上兵力16万、米海軍に次ぐ世界二位のイージス艦保有数と事実上のヘリ空母(DDH)を3隻保有し、最新鋭の戦闘機F-35(A)を42機導入する予定の自衛隊が、「軍隊ではない」というのであれば、世界中の殆どの国家が無防備地域になる。 しかし、悲しいかな自衛隊は「軍隊」ではない。憲法に、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と書いてあるからという事実以上に、「軍隊」として備わっているはずの条件が、一部欠損しているのである。 代表的なのは軍法。自衛隊は憲法上軍隊ではないから軍法はない。戦場で敵と戦う極限状態を強いられる軍隊組織には、一般法は通用しない。民間企業で上司の命令を破っても、内規で処分されるだけだが、軍隊ではそうは行かない。上官の命令に従わなければ戦線が維持できない。部下の勝手な判断で好き勝手に動けば、全滅の恐れもある。だから軍隊には、一般法とは別個の法概念「軍法」が必要であり、それを裁くための「軍法会議(軍法裁判所)」が必要だ。 ところが日本国憲法には、「特別裁判所はこれを設置できない」(76条)とある。軍法会議は、最高裁判所を頂点とする司法体系から逸脱した特別裁判所である。よってこれを設置できず、自衛隊員が隊内でなんらかの違反等をした場合は、自衛隊内の警務隊が逮捕し、担当の検察が起訴し、一般の裁判所で例えば自衛隊法違反や自衛隊員倫理法違反などが問われさばくことになるが、「軍隊」ならばこの作業を全部自前の軍法会議で行う。 戦前の旧軍に存在した憲兵(MP)が今の警務隊、ということができるが、最大に違うのは訴追することができないため、起訴はその事件の担当の検察に委ねられることになる。これでは憲兵ということはできない。この一点をとっても、自衛隊は軍隊ではない。いや、「限りなぐ軍隊に近い軍隊”的”組織」という評価が妥当だろう。「軍隊っぽさ」をなるべく薄味にして…「自衛隊は軍隊ではない」という建前と、「実際には軍隊の装備を持っている」という矛盾の整合性をとるため、かつて自衛隊の装備品の呼び方は奇異なものが合った。戦車を「特車」といったり、自衛隊の編成・装備品などの整備計画を、一般企業の経営計画のように「中期業務見積もり」と言い換えたりしてお茶を濁していた。 さすがにこのような配慮はだんだんと消えたが、現在でも階級呼称を旧軍の大・中・小(佐/尉)でなく数字に言い換えたりして軍隊組織の印象を薄め、自衛艦艇を大小ひっくるめて全て「護衛艦」と呼び、かつてのような「駆逐艦」「巡洋艦」などの艦種分類をしていない。 実質的には軽空母・ヘリ空母をDDH(ヘリコプター搭載型護衛艦)と呼んで、あくまで空母ではない、というニュアンスの醸成に腐心している。これも全て、「軍隊ではない」ことを強調するためだが、海外からすると明らかに軍隊だし、国内的には「限りなぐ軍隊に近い軍隊”的”組織」であり、その「限りなさ」度合いは年々、ましている。護憲のレトリックに力を与える「我が軍」 さて、自衛隊が軍隊を持たないと定めた現行憲法下において、「限りなく軍隊に近い軍隊”的”組織」になればなるほど、護憲派からは「じゃあ、このままで良いではないか。改憲する必要性は薄れている」という抗弁を招くことになる。「憲法を変えなくても自衛隊が”軍隊”に近づいているのなら、憲法を変える必要はない」というレトリックは、筋が通っている。 だから実は首相がことさら、日本国内で自衛隊を「我が軍」と呼ぶことは、この護憲派のレトリックに力を与えることになりかねない。 もし貴方が、真剣に憲法を変えて、自衛隊を日本軍として位置づけることを目指しているのなら、自衛隊を「我が軍」と呼ぶのは少し待ったほうがいいのかも。 あくまでも政治家は「自衛隊は軍隊ではありません、だから制約が多いのです、軍隊なんてとんでも無い、このままでは外国の侵略に満足に対抗できない」と繰り返すことが、憲法改正を推進するレトリックとしては力強い。 保守派の多くは、「自衛隊は強い、中国や韓国なんかに負けない」と威勢よく言いがちだが、それを言えば言うほど自衛隊増強・憲法改正の正当性を失うことになる。「自衛隊は弱いんだから、増強しないといけない」というのが、国防意識の鉄則ではないか。 その証拠に中国は、毎年10%以上増の自国国防費の拡大を「古くなった武器を近代化更新しているだけで、中国軍はまだまだ弱い」と言っている。「まだまだ弱い」。弱者に偽装することが増勢の基本である。戦略的にここを間違ってはいけない。「我が軍」と呼んで当座の溜飲を下げるか、改憲レトリックの推進力を選択するのか。どちらを選ぶかは国民次第である。関連記事■ 政治の「大義」とは何なのか■ 国民は知っている「ブレた」岡田氏■ 鳩山氏、菅氏、中川氏…政治家の自覚はないのか■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    「慰安婦」「八紘一宇」…ここがおかしい民主党幹部の歴史認識

     民主党は4月1日、近現代史研究会(座長・藤井裕久顧問)を約5カ月ぶりに開催した。同研究会は講師を呼んで表題の議論をするフォーラムで、安倍晋三首相が今夏に出す戦後70年談話に対抗するため、再開に至った。夏までに10回程度開催する予定だ。 「首相談話に対抗」との狙いは、岡田克也代表が再開を発表した3月20日の記者会見で、次のように語ったことによく表れている。 「談話が出たときに、わが党の考え方もきちんと出すためでもある」 議論は大いに結構だ。だが、その前提となる岡田氏の歴史認識は心許ない。 岡田氏は3月10日、来日していたドイツのメルケル首相と都内で会談した。岡田氏が会談後に行った記者団への説明によると、メルケル氏は自ら慰安婦の話題を持ち出し、「きちんと解決したほうがいい」と述べた。そして「日韓は価値を共有している。和解をすることが重要ではないか」と続けた。 このやりとりをめぐり、「慰安婦問題についてドイツが日本政府に解決を促した」と解釈されたかどうかの議論が起きた。だが、より深刻なのは、メルケル氏が持ち出した慰安婦の話題に岡田氏が何も質問しなかったとみられることだ。 慰安婦問題と言っても、いろいろな解釈がある。メルケル氏は、一般的な女性の人権侵害との視点から「問題」としたのか、それとも「旧日本軍の強制連行」だとして「問題」としたのか。岡田氏は単に慰安婦問題としか説明していないので、よく分からない。 まさかメルケル氏が、朝日新聞が記事を取り消した故吉田清治氏の証言などを根拠に慰安婦を性奴隷と規定した国連人権委員会(現人権理事会)のクマラスワミ報告をうのみにしているとは思わない。問題は岡田氏だ。日本の国会議員ならば、簡単に聞き流していい話題ではない。戦後70年の“民主党談話”に意欲をみせる岡田克也代表=国会内(酒巻俊介撮影) 約40分間の限られた時間だったとはいえ、外相を経験した岡田氏なら「慰安婦問題とは何を指すのですか?」と問い返すべきだった。失礼に当たらない範囲で、例えば「誤解されているとは思いませんが、平成5年の河野洋平官房長官談話は何の根拠もなく旧日本軍の慰安婦募集の強制性を認めたものです」「事実無根の韓国側の宣伝活動に惑わされないでください」などと説明すべきだった。国益に関わる問題で正当な指摘ができないならば、外国首脳との面会はやめたほうがいい。野党の党首が日本外交に余計な混乱をもたらすことになる。 ちなみに民主党が会談内容を重ねて説明するために3月16日に発表した談話は、「メルケル首相より従軍慰安婦に関して言及があり…」と表記していた。「従軍慰安婦」という戦後につくられた造語を、いまだに“公式文書”で使っているあたりに、「歴史修正主義者」のような民主党の浅はかさがよく表れている。 危なっかしいのは岡田氏だけではない。細野豪志政調会長は、推計約10万人が犠牲となった東京大空襲から70年となった3月10日の記者会見で、自ら「今日は東京大空襲からちょうど70年」と切り出し、大空襲の犠牲は「国策の誤りを反映した結果だ」と述べた。 細野氏は「ドイツと日本の例は単純に比較できない」と前置きした上でナチスのユダヤ人虐殺を持ち出し、「ホロコーストを全体としてしっかりと総括しているのがドイツだ」とも語った。その上で「わが国が先の戦争で自国民はもちろん、周辺諸国に対して大変な被害をもたらしたことについて、しっかりと真摯(しんし)に反省することは重要だ」と強調した。 そして「残念ながら、今の安倍政権をみていると、そこに疑念を持つので、戦後70年を迎えるにあたって心していかなければならない」と結んだ。 一般住民を含めた無差別爆撃の東京大空襲を行ったのは米軍だ。しかし細野氏から、その言及は一切なかった。先の大戦では日本軍も爆撃を実施した。ただ、東京大空襲の責任を持ち出すときに、より多くの木造家屋を燃やすために焼夷弾(しょういだん)を使って一般人の殺傷を狙った米軍の責任に全く言及しないのは、あまりにもバランスを欠く。 細野氏は戦後教育で浸透した典型的な自虐史観を披露した。「表現の自由」にこだわりがあるようだが、GHQ(連合国総司令部)による巧妙な検閲の実態を知らないのだろうか。 米軍の責任も指摘した上で「国民を守ることができなかった」と当時の日本政府の結果責任に触れ、今の政治の教訓とするなら理解できなくもない。しかし、「単純に比較できない」と言いながら大空襲との比較でホロコーストを持ち出すに至っては支離滅裂だ。 首相は国会答弁で何度も先の大戦への反省を口にしている。それを無視して首相が真摯に反省していないかのように印象づけ、政権批判に転じているあたりは、理屈も何もない。 細野氏は同月17日の記者会見で、記者に「なぜ米軍の無差別殺傷ということに触れなかったのか」と問われると、「米軍による非常に残虐な行為だと考えている。ただ、それは当然のことだ」と釈明した。当たり前だから言わなかったというのだ。こういうところに政治家の歴史観がよく見える。 3月16日の参院予算委員会で話題になったのが、自民党の三原じゅん子参院議員の質問だった。三原氏は多国籍企業に対する課税問題に触れ、「現在の国際秩序は弱肉強食だ」と指摘。その上で「八紘一宇(はっこういちう)の理念の下、世界が一つの家族のように助け合えるような経済、税の仕組みの運用について、首相が提案していくべきだ」と述べた。 これを朝日新聞は翌17日付朝刊で「『八紘一宇は大切な価値観』 三原じゅん子議員、予算委で」との見出しで報じた。記事では「八紘一宇は『世界を一つの家とする』という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた」と説明した。 何がニュースなのかよく分からないが、安倍首相率いる自民党が「戦前回帰」だと印象づけたいのだろう。しかし、当日の予算委で民主党議員は誰も問題視する声を上げなかった。ところが枝野幸男幹事長は朝日の記事が出た17日、記者団に対し、自ら三原氏の発言を取り上げ「必ずしも不適切なものとは思わないが」と前置きした上で、こう続けた。 「この言葉の持っている歴史的な意味やたくさんの人々の印象を踏まえると、与党議員が国会の場でこうした言葉を使うことはさまざまな波紋を招き、わが国の国益を損ないかねない」 不適切でないならば取り上げなければいいのに、わざわざ「波紋を招く」とあおった。八紘一宇は、民主党が最も重視する「共生社会」に共通する概念ともいえる。現に民主党の馬淵澄夫元国土交通相は同月21日、ホームページなどで「三原議員『八紘一宇』発言に違和感なし。言葉だけをあげつらっていては、事の本質が見えなくなる」との記事を掲載した。 歴史認識から少し離れるが、民主党幹部は首相の「わが軍」発言にもかみついた。首相は3月20日の参院予算委で、他国軍との共同訓練に関する文脈で自衛隊を「わが軍」と発言した。これも当日、予算委の現場にいた民主党議員は誰も異論を唱えなかった。産経新聞の担当記者は首相発言が多少引っかかったが、ニュースとして取り上げるほどでもないと判断し、記事化を見送った。 ところが、朝日新聞が21日付ではなく、なぜか24日付朝刊で首相発言を報じると、細野氏は同日の記者会見で「非常に理解に苦しむ」と反応し、枝野氏も25日の記者会見で「国会答弁で首相が『わが軍』という言い方をすることは軽くない」と急に批判し始めた。関連して枝野氏は、こうも付け加えた。 「『わが国の自衛隊』であり、『国民の自衛隊』なのであって、安倍さんのものではないと強調しておきたい」 その直後、枝野氏は別の話題に関する質疑で民主党を「わが党」と表現した。何かの悪い冗談だったのだろうか。ちなみに民主党政権だった23年10月25日、当時の一川保夫防衛相は衆院安全保障委員会で「わが国の自衛隊は、わが国が直接外国から何か攻められるということであればしっかりと戦う姿勢だから、そういう面では軍隊だという位置づけでもいい」と答弁していた。 民主党内の保守系の間には、幹部の歴史認識への反発が少なからずくすぶっている。しかし、表で発言する議員は皆無に近い。党再生に向けてバラバラ感の払拭、そして結束を最優先するということなのかもしれないが、もう一度政権を目指す政党になりたいなら、近現代史研究会に積極的に出席し、幹部への異論も恐れずにしっかり声を上げた方がいい。(政治部 酒井充)関連記事■ 政治の「大義」とは何なのか■ 国民は知っている「ブレた」岡田氏■ 鳩山氏、菅氏、中川氏…政治家の自覚はないのか■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    当たり前だよ「わが軍」発言

    榊原智(産経新聞論説委員) 現代日本の政治が取り組むべきことは、自衛隊を「わが軍」と呼ぶことをタブー視することではない。現憲法の下でも、自衛隊が平和と安全を確保するための日本の軍隊であるという「本当のこと」を認め、国民にわかってもらうことだ。 現代日本には、言葉狩りで真実を覆い隠し、国の安全保障力をいたずらに損なう戦後の悪い習わしを続けていく余裕などないはずだ。 政治家も国民も、自衛隊が日本の軍隊だとはっきりと自覚し、戦後長く自衛隊を縛り付けてきた、平和を守る力をいたずらに削ぐような不合理な制度、慣習を改めていった方がいい。これは自衛隊を普通の民主主義国の軍隊へ近づけることになり、抑止力を高めることになる。日本や国際社会の平和と安全を保ち、国民の生命財産を守ることにつながる。憲法9条の改正は、そのような努力の総仕上げにしなければならない。 安倍晋三内閣と与党は、集団的自衛権の行使容認をはじめとする安全保障改革に取り組んでいる。 国家安全保障戦略を定め、国家安全保障会議(日本版NSC)や国家安全保障局を創設した。自衛隊による南西諸島防衛に力を入れ、スパイや情報漏れを防ぐため国の重要な秘密を守る特定秘密保護法を制定した。友好国が先端技術を持ち寄って武器を共同開発するため防衛装備移転三原則をつくり、日米同盟の抑止力を高めるため普天間飛行場の辺野古移設工事を進めている。 改革の真打ちは、集団的自衛権の限定行使を容認することを柱とする安全保障法制の整備と、連動した日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定だ。新ガイドラインは4月下旬にまとまり、安保関連法制は今夏にも制定の運びだ。 このように安全保障の取り組みがずいぶん正常化してきたと思いきや、首相が自衛隊を「わが軍」と呼んだだけで、猛反発する政党やメディアが現われた。時計の針が何十年も昔に巻き戻ってしまったようだ。 首相の「わが軍」発言は次のようなものだった。3月20日の参院予算委員会。維新の党の真山勇一参院議員が、自衛隊と各国軍との合同訓練について質したのに対して、首相はこう答弁した。 「共同訓練については、さきほど大臣から答弁した通りである。付言すると、お互い一緒に訓練する国々との関係が、より密接になっていくわけであるし、絆が強化されていくと言ってもいいんだろうと思う。わが軍の透明性をまさに、一緒に訓練するわけだから、上げていくことにおいては大きな成果を上げているんだろうと思う。自衛隊は規律がしっかりしていると、しっかりとした責任感と厳しい規律の下に、平和に貢献していこうとしているということが、多くの国々によく理解されているんではないかと思う」 当たり前の発言である。 しかし首相発言に対して、野党や一部メディアが攻撃、追及を続けた。 朝日新聞のコラム、天声人語は「首相の言葉は往々、身もふたもない。先月には自衛隊のことを『我が軍』と呼んだ。戦力には当たらないと歴代内閣が積み重ねてきた答弁もどこへやら、ここでも憲法上の原理原則は顧みられていない」(4月11日付朝刊)と批判した。 民主党の細野豪志政調会長は3月24日の記者会見で「これまで積み上げてきた議論をひっくり返すような話だ」とかみついた。維新の党の松野頼久幹事長は「不安をあおるような言い回しには気をつけるべきだ」と記者団に語った。 翌25日の記者会見では民主党の枝野幸男幹事長が、「わが国の自衛隊であり、安倍さんのものではない」と、いささか意味不明な批判まで行った。首相の言う「わが軍」には私兵の意味合いなどあるわけもなく、枝野氏が使った「わが国」と同じ用法だったに決まっている。 枝野氏はさらに、「憲法に陸海空軍その他の戦力を持たないと明記されている。説明がつかない」と、憲法9条を引いて批判した。 これらは、いかにも乱暴な議論だ。 なるほど憲法9条第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と規定している。 しかしこれは、「前項の目的を達するため」とあるように、9条第1項のもとにおける話である。 第1項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としている。衆院予算委員会で答弁する安倍晋三首相=3月30日、国会・衆院第1委員室 9条は、侵略戦争を否定するものであって、自衛戦争の遂行まで違憲とする条文ではない。自衛戦争のために陸海空軍を持つことを違憲と考えるのは間違っている。 9条に関する「芦田修正」的な考え方を採らなくても、政府は、憲法前文が示す国民の平和的生存権や憲法13条が生命、自由および幸福追求に対する国民の権利を認めており、自衛戦争を戦うことがあり得るとの立場をとっている。 いずれにせよ、日本における自衛戦争のための武力組織が自衛隊であることから、組織名は「自衛隊」であっても、それを通称として軍隊と呼んでも何ら差し支えはないはずだ。 にもかかわらず、自衛隊を軍隊と呼ぶことを忌避するのは、軍隊がなければ安全をまっとうできない国際社会の厳しい現実から目をそむけがちな戦後政治の過ちを、繰り返すことになる。 おかしな批判に嫌気がさしたのだろう、国会で首相は「わが軍」発言は問題ないと強調しながらも、「そういう言葉は使わない」と表明してしまった。事実に反してまで平気で言葉狩りをすることがある日本の悪癖の犠牲になった格好だが、首相には踏みとどまってほしかった。 3月30日の衆院予算委員会で首相は「私が『わが軍』と言ったことは全く問題がないと今でも思っていることは、繰り返し申し上げておきます」と強調した。しかしそのうえで、「あまり意味のない議論をここで散々やり返すのは、もうやめようじゃありませんか。そういうことではなくて、安全保障の政策について私はもっと議論すべきだと、このように思います。(略)こうした答弁によっていちいち大切な予算委員会の時間がこんなに使われるのであれば、それはいちいちそういう言葉は私は使わないが、ただそれを使ったからそれがどうこういうものではない」と語った。 首相のいらだちはわかるが、自衛隊が軍隊かどうか、軍隊と呼んでよいかどうかは、決して「あまり意味のない議論」ではない。 その後、安倍内閣は4月3日になって、自衛隊を「わが軍」と呼んだ首相の国会答弁をめぐって、「国際法上、一般的には(自衛隊は)軍隊として取り扱われるものと考える。菅(義偉)長官(が記者会見で「問題ない」と表明したのは)は従来の政府の考え方を述べたものと承知している」とする答弁書を、閣議決定した。これは、維新の党の今井雅人衆院議員の質問主意書に答えたものだ。 この答弁書にある通り、日本政府は自衛隊を軍隊だと位置づけている。武力行使はどの国でも、国際法にのっとって行われるものだから自衛隊が軍隊であると明言したのと同じなのだ。 世界各国も自衛隊をそのようにとらえ、遇している。 今年3月には、世界各国の軍隊の制服組トップが集まって国連平和維持活動(PKO)について意見交換する「国連PKO参謀長会議」が国連本部で開かれた。日本からは、陸上自衛隊トップの岩田清文陸上幕僚長が参加している。 要するに、日本の軍隊の名称が「自衛隊」であることを意味する。自衛隊を通称として「わが軍」と呼ぶことを否定するのは、はっきり言っておかしいのである。自衛隊を軍隊と呼べるのかという論議自衛隊を軍隊と呼べるのかという論議 実は、自衛隊が発足した当時も、自衛隊を軍隊と呼べるのかどうか、自衛隊は軍隊かどうかという議論があった。 保安隊から衣替えして自衛隊が発足したのは1954年7月1日である。63年前だ。その年の国会議事録をひもとけば、たくさんのやりとりが見つかる。 たとえば、1954年4月12日の衆議院内閣委員会では、吉田茂内閣の国務大臣である木村篤太郎保安庁長官(7月1日から初代防衛庁長官)の答弁がある。 自衛隊は軍隊かと質されたのに対し、木村長官は「これは意義いかんということをしばしば繰り返して申し上げておるのであります。軍隊の定義いかん。外部からの武力攻撃に対して対処し得る部隊を称して軍隊なりというのならば、自衛隊はまさしくその性格を持っておるから、軍隊と言ってよかろう、こういうのであります」と答弁した。 正式な名称は「自衛隊」とするが、自衛戦争をする実力組織を軍隊とみなすならば自衛隊は軍隊であり、そう呼んでもさしつかえないというわけだ。この木村長官は、検事総長や東京第一弁護士会長、法相を務めた経歴の持ち主だ。 今回の「わが軍」発言をめぐる騒動は、自衛隊発足当時からの論議を繰り返しているのであり、いい加減、目を覚ましてほしいものだ。 「わが軍」発言を批判するメディアは、1967年3月31日の参院予算委員会で、佐藤栄作首相が「自衛隊を、今後とも軍隊と呼称することはいたしません」「私は軍隊という呼称はいたしません」と答弁したことを言い立てる向きもある。 しかしこれは、社会党が猛威をふるった時代の国会対策上の発言である。金科玉条にして威張れるほどの見解ではない。 ちなみに、安倍首相は3月30日の衆院予算委員会で、民主党の野田佳彦内閣の一川保夫防衛相が、2011年10月25日の衆院安保委員会で、「私は、我が国の自衛隊というのは、いろいろな議論があったと思いますが、我が国が直接外国から何か攻められるということであればしっかりと戦うという姿勢でございますから、そういう面では軍隊だというふうな位置づけでもいいと思う」と答弁したことを披露した。 細野氏や枝野氏が、一川防衛相のこの答弁にかみついて訂正させたとは聞いたことがない。民主党政権時代の防衛相の見解さえ知らず、安倍首相を批判したようだ。批判が自分に跳ね返ってくる、相変わらずの「ブーメラン」ぶりにはあきれてしまう。 ところで、安倍内閣が3日に閣議決定した答弁書の本文は次の通りである。 「国際法上、軍隊とは、一般的に、武力紛争に際して武力を行使することを任務とする国家の組織を指すものと考えられている。自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであると考えているが、我が国を防衛することを主たる任務とし憲法第9条の下で許容される『武力の行使』の要件に該当する場合の自衛の措置としての『武力の行使』を行う組織であることから、国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる。お尋ねの菅内閣官房長官の記者会見において、同長官は、このことを含め、従来の政府の考え方を述べたものと承知している。」 政府は、自衛隊を軍隊とみなしているが、同時に憲法の制約から「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」とも言っているわけだ。 これも、自衛隊発足当時から、政府が語っていたことだ。 先に紹介した木村保安庁長官は、「独立国家たる以上は自衛権があるのだ。その自衛権の裏づけである自衛力を今度の自衛隊が持ち得るのだ、こういうことであります。それを軍隊と称するかどうか、今申し上げた通り、外部からの侵略に対処するものが軍隊なりということであれば、軍隊といってよろしい。しかし厳格な意味において、また軍隊ということはどうかと思うから自衛隊だ、こう申すわけであります」(1954年4月1日、衆院内閣委員会)と答弁している。 また、岡崎勝男外相は「(自衛隊が)戦力に至らざるものであればそれを仮に軍隊と言いたければ軍隊といっても差し支えない、併し普通軍隊とは言えない、そういうように考えております」「軍隊という名前をつけるのは適当でないと我々は考えておりますので、それを軍隊と言われてもそれは仕方がない。併し政府としては軍隊ということは適当でないから、それで自衛隊なり防衛隊なりという字がつくだろうと思っております。自衛のためにそういう戦力に至らざるある程度の力を持つことは差し支えない、こういうわけであります」(同年4月8日、参議院外務委員会)と答弁している。 国を守るために軍隊が必要であるにもかかわらず、そのときの政治情勢に迫られ、組織名としては「自衛隊」とすることを、当時の政府は選んだことがわかる。それを、日本政府は安倍内閣にいたるまで踏襲してきたわけだ。 今回の安倍首相の発言は、国際法的には自衛隊を軍隊と唱え、国内ではあいまいにするという、わかりにくい二重基準をやめる方向へ動くきっかけになるのが望ましかった。首相は安保関連法制の確実な成立を慮ったのかもしれないが、国民には本当のことを伝えてほしい。 自衛隊をはっきりと軍隊と認めないことの弊害や、どのように改めていくべきかはたくさんの課題があり、別稿に譲ることにするが、1つだけ、民主党など軍隊と呼ぶことに反対する人々に従った場合の決定的な不都合について指摘しておきたい。 自衛隊が名実ともに軍隊でないとすれば、自衛隊が防衛出動して外国軍と戦う場合でも、自衛隊員は軍人、戦闘員としての国際人道法(戦時国際法)に基づく保護を受けられないかもしれない、という点である。 国際人道法では、制服を着用し、責任を負う指揮官の存在などの要件を満たせば、戦闘員とみなされる。これは、捕虜になる資格がある、ということだ。国際人道法は変化し続けており、現代ではゲリラも捕虜になる資格をもつ場合がある。 常識で考えれば、自衛隊員は戦闘員の資格が認められそうなものだが、日本自身が「軍隊ではない」とか「(いかなるときも)交戦権がない」などと主張すれば、敵軍が国際法を曲解し、「日本自身が言うのだから、自衛隊員は捕虜になる資格はない」と言い出す恐れさえある。名誉ある軍人として扱われるかどうか、わかったものではない。 戦いにおいて自衛隊が捕虜を出さずに勝利することが最も望ましいが、戦争は何が起きるかわからない。力戦奮闘の後、自衛隊員が捕虜になることまで否定されるべきではない。それは、国際人道法上の当然の権利でもある。米軍は捕虜になった米軍将兵を英雄とみなし、救出に力を尽す。元捕虜は軍務に復帰して、再び戦列に復帰できる。 日本の周囲は国際ルールなど尊重しない傾向にある国が多い。おかしな口実をあたえることはくれぐれも避けなければならない環境にある。自衛隊が軍隊ではないと否定することは無用の混乱をもたらし、有事に不測の事態をまねきかねず、危険極まりない。 「わが軍」発言を批判する人々は、国家国民のため一身を賭して戦う自衛隊員のことを親身になって考えない、知識も人情も足りない人々ではなかろうか。関連記事■ 政治の「大義」とは何なのか■ 国民は知っている「ブレた」岡田氏■ 鳩山氏、菅氏、中川氏…政治家の自覚はないのか■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である