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    こんな政治家みたことない 橋下徹は「本物」なのか

    礼儀正しい、スポーツマンの政治家 橋下徹を一言で言えば、礼儀正しい、スポーツマンの政治家だ。テレビでみるときの印象とは異なり、人の話をとてもよく聞く。その一方で、類い希な集中力で物事を瞬時に整理して、案件をてきぱき解決する。そして、本物の地方分権を成し遂げようとしている政治家だ。 地方分権というのは、体のいい言葉だ。ほとんどの国会議員は、地元に戻って中央の官僚が悪いから地方分権をやるべしという。その裏で、中央の官僚に媚びて補助金をもらい、地元に帰ってオレが地方のためにカネを持ってきたと自慢する。 しかし、橋下氏は国会議員ではない。地方の首長であるが、中央の官僚に媚びることはない。そして、驚くべきことに、中央の国会議員を動かし、それが中央の官僚に地方分権の仕組みを作らせる。それが大阪都構想だ。安倍晋三首相や菅義偉官房長官との会談を終え、記者団の質問に答える日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長(中央)。左は幹事長の松井一郎大阪府知事、右は沖縄の地域政党「そうぞう」代表の下地幹郎元衆院議員=2013年6月6日、首相官邸 橋下氏以外のほとんどの首長は、年末に中央の官僚に陳情して、何とか補助金をもらおうとするのが精一杯だ。中央の国会議員を動かせる人なんて、まずいない。 筆者は長く中央の官僚をやってきたが、橋下氏のようなやり方の政治家をみたことがない。投票結果次第で何が変わるのか いよいよ5月には「大阪都構想」をめぐる住民投票が行われる。これは215万人による日本初の大規模な住民投票で、全国からも注目されている。住民投票の争点や、投票結果次第で何が変わるのだろうか。 この住民投票は4月27日に公示され、5月17日に投開票。大都市地域特別区設置法に基づき実施され、法的拘束力を持つもので、投票用紙に「賛成」か「反対」を記入する方式で行われ、賛成票が多ければ2017年4月の大阪市の廃止、今の行政区を格上げ統合し5つの特別区の設置が決まる。 争点は、大阪府と大阪市の二重行政、大阪市民の住民参加の2点である。 まず第一に、大阪都構想は、大阪市と大阪府の役割分担を見直して二重行政を排除する目的がある。東京都と東京23特別区をみれば、23特別区は福祉や義務教育など身近なサービス、東京都は交通網整備や都市計画等広域行政サービスと役割分担がなされており、二重行政の声はない。ところが、大阪市と大阪府は、「ふ(府)し(市)合わせ」というくらいに、府と市の行政が二重になっている。 第二に、大阪都構想では、人口270万人の大阪市に一人の公選市長より5人の公選区長を住民が選ぶという住民参加の方が、よりきめ細かい行政ができるという。270万都市を1人の公選市長、公選議会でマネージメントしている先進国都市はない。ニューヨークでもロンドンでも、基礎自治は小さな単位で自治権を有する特別区とし、住民が参加している。 こうした大阪都構想に対して反対意見もある。二重行政は今の仕組みの下でも、大阪市長と大阪府知事が話し合えば解消できるという。たしかに、机上の上では話し合えばできるだろうが、これまでの歴史はそうした話し合いが無理だったことを示している。 住民参加にしても、新しい役所を建てたりシステムを変えたりするコストがかかり、最初に600億円ものお金がかかると反対論者はいっている。しかし、今の行政区の建物やシステムが流用できるので、初期コストはたいした話ではない。長期的には、二重行政をなくせて、住民参加をよくするのであるから、初期コストは長期投資ともいえるし、長い目で見れば十分にモトがとれる。奇妙な地方議員の報酬の高さ奇妙な地方議員の報酬の高さ 大阪都構想の反対は、地元の大阪市議会議員に強い。 市議会議員など地方議員とは何だろうか。そういえば、かなり前に、地方議員がマスコミを賑わしたことがあった。 東京都議会において、塩村文夏都議(みんなの党)に対し複数の人からのセクハラやじがあった。世間の批判を受けて、鈴木章浩都議(自民党)だけが名乗り出た。ただし、同都議だけがセクハラやじをしたわけでなかった。事務の引き継ぎを終え、握手する橋下徹大阪市長(右)と平松邦夫前市長=2011年12月9日、大阪市役所 こうしたセクハラやじ騒動を打ち消すかのように、お笑いタレントも真っ青になるくらいに「笑える」記者会見を行った県議会議員が現れた。兵庫県議会の野々村竜太郎県議(無所属)だ。実は、300万円に上る政務活動費の不正使用疑惑なので、笑っている場合ではないのだが、その弁明の記者会見における涙ながら絶叫ををみたら、お笑いと勘違いしてしまうほどのインパクトだ。 なぜ、このような地方議員が出てきてしまうのだろうか。多くの地方議員はそうでないと信じたいが、一つの仮説をあげてみたい。日本の地方議員を国際的な観点から見ると、議員一人当たりの報酬等が極めて高いという事実がある。あるシンクタンクの資料であるが、年間の議員報酬等について、日本680万円、アメリカ65万円、ドイツ50万円、イギリス74万円、フランスほとんど無報酬、韓国240万円、スウェーデン日当のみ、スイス日当のみと書かれていた(2005年当時)。あまりに高すぎるために、地方議員に不適格な人まで地方議員になっているという仮説である。 それにしても、地方分権が進んでいない日本の地方議員の報酬等が極めて高いのは奇妙である。地方分権が進んでいないので、地方議会の行う立法・条例作業は少ないはずだ。それでも報酬が多いのは、仕事と比較して実質的な報酬はさらに高いことを意味する。なぜ、市議会が都構想に反対するのか 高い報酬は欲しいが、仕事はしたくないという態度を露骨に感じることもある。例えば、大阪都構想への反対だ。大阪都構想が実現すると、今の市議会議員が区議会議員になり、しかも地方分権になるので仕事が増える。大阪市議会議員の報酬は月額77.6万円であり、東京都の区議会議員を含めすべての市区町村議員より高い。都構想ではこれが不都合になる。 大阪市議会がなぜ大阪都構想に反対するのか。市議にとって都政移行は、報酬が下がり仕事量が増えることが真相だと邪推していまいそうである。 大阪都構想に反対する人は別にもいる。補助金や交付金などこれまで大阪市から直接資金交付を受けていた人にとっては、これからの資金交付は、大阪府か特別区になる。そうした人々にとっては、大阪都構想の実現で被る影響は多い。その既得権者に反対者が多いようで、賛成論者はその既得権者をシロアリと呼んでいる。 橋下氏は、大阪都構想を長年粘り強く取り組んできた。2008年に大阪府知事になって、大阪府と大阪市の二重行政の根深さに気がつき、2011年に大阪市長に鞍替えしてまで、二重行政の排除に尽力した。 ここまでする地方政治家はいないが、それでも二重行政が排除できないとわかると、次には、国を動かし、2012年に「大都市地域特別区設置法」の成立までこぎ着けた。同法による住民投票で、大阪市議会の同意がえられなかったが、それを切り抜け、なんと最終段階の住民投票まで来ている。これだけで、橋下氏の熱意・執念がわかる。 住民投票において、これらの論点を大阪市民がどのように判断するのだろうか。 投票結果で何が変わるかと言えば、行政サービスにはほとんど変化がない。というのは、現行の大阪市と大阪府の役割分担が変わるが、行政サービス自体は府か特別区のいずれが行うので、住民が受ける行政サービスには変わりがない。でも、将来の大阪は変わるだろう。

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    「スネ夫」的生き方を是とした橋下徹の少年時代

    「橋下徹研究」第1部 口達者のハシゲ産経新聞連載再録(平成20年7月27日から5回)※肩書、年齢等は当時のまま 「39年の人生の中で一番濃密な時間だった。2月からね…」。大阪府の平成20年度予算案が与党の自民、公明に加え、野党の民主も賛成して可決した23日、知事の橋下徹(39)は満足そうに振り返った。 2月の就任から間もなく半年。職員の人件費や私学助成の削減、ハコモノ行政の統廃合など、賛否を巻き起こした「橋下改革」は、ようやく実行段階に入る。 「過去の知事とは全く違った」。橋下と対峙(たいじ)した府庁幹部の共通した意見であり、その手法は大きく3つに分けられる。1つ目は「政治の素人」であること。疑問点に一つずつ立ち止まり、ごまかしがきかない。ある幹部の携帯電話には、深夜でさえ橋下の着信記録がびっしりと並んでいた。 2つ目は「公開性」。タレント時代に利点と怖さを実感したのだろうか、会議のほぼすべてにテレビカメラを入れるやり方は、視聴者に知事の“抵抗勢力”を印象づけるのに十分だった。 そして3つ目が、こうした手法を最大限に生かした「交渉術」だ。府幹部の一人は「弁護士らしく、最初にふっかけて交渉で譲歩する。しかしもとはゼロのため、最後は少しでも引き出した側の勝ちとなる。とにかく口達者です」。 そのルーツを追っていくと、少年期にまで行き当たる。当時、橋下は転校を繰り返していた。転校生が選んだ道 昭和44年6月、橋下は東京都渋谷区で生まれた。母子家庭で、母親が苦労して家計を支え、小学5年で妹とともに大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区に移り住んだ。いずれも、手狭な府営住宅から地元の公立学校に通った。橋下は、当時の生活が「自分の原点」と言う。 中でも「小中学校ともに荒れた学校だった」という東淀川時代のエピソードは、現在の橋下を語る上で欠かせない。すでに小6で身長170センチ、体重65キロの体格だった橋下はかなり目立つ存在で、その上「東京出身の転校生」は言葉の問題などでもからかわれやすかった。小学校では転校初日からいきなり同級生に殴られたという。大阪府知事選出馬で会見する橋下徹氏=2007年12月、大阪市北区 ここで橋下が選んだ道は、彼らと敵対するのでも、手下につくのでもなく、彼らの交友関係に自ら飛び込むことだった。橋下は青少年向けの著書「どうして君は友だちがいないのか」で、ユーモアを交えながらこう述べている。 「要するに(ドラえもんの)スネ夫のような生き方といえばいいでしょうか」「ジャイアンのような強い人、強い存在とうまくつきあって生きていくことは、悪いことでもずるいことでもありません。その選択を非難できる大人なんて絶対にいないはずです」「スネ夫」から「代弁者」に 小中学校時代は、体の大きさから「おっさん」、高校では、名前の読み方から「ハシゲ」と呼ばれた橋下。中学時代から始めたラグビーも「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」。 ただ、いつまでも「スネ夫」でいるわけにもいかない。成績も優秀だった中学時代の橋下は、言葉では自分をうまく表現できない「ワル」たちの「代弁者」として次第に存在感を増していった。彼らの怒りや悩みを聞き、時には学校側との交渉の先頭に立つ。放課後の教室で、車座になって橋下の言葉にうなずく生徒たちの姿は、教師の間で「橋下塾」と呼ばれていたという。 中3時の担任教諭だった臼井一昭(50)は「席替えや文化祭の出し物などでクラスがもめたとき、互いの主張を取り入れて解決するのも、必ず橋下だった。論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師からみても、こちらが見透かされているような怖さがあった」 では、現在の橋下にとっての“ジャイアン”は誰なのか。立候補の際、地元の自民、公明の支援を取り付けたことについて当時、こう述べていた。 「実行力のない人とつきあっても政治はできない。僕は(元長野県知事の)田中康夫さんのように孤立したくはないんです」東京時代の悲しい記憶東京時代の悲しい記憶 一枚の写真がある。松竹歌劇出身の女優、長谷川待子と一緒に写り、読売ジャイアンツの帽子をかぶった少年が照れくさそうに笑っている。少年は小学生時代の橋下徹。小学5年までを過ごした東京都渋谷区幡ケ谷の六号坂通り商店街で、約30年前に撮影されたものだ。 「野球だけでなく、何をやっても上手で、近所でも目立つ存在だった。『小さい子は5ストライクでアウト』など年下の子供のためのルールも作っていた」と幼なじみの勢濃徹(39)は振り返る。橋下と同じ名前の彼は、橋下が目立ち過ぎたため「徹2号と呼ばれていた」と苦笑する。 新宿副都心に隣接する京王線沿線の幡ケ谷は、渋谷区とはいえ庶民的な街だ。昔ながらの酒屋や八百屋が並ぶ商店街を路地へ少し入ると3階建てのアパートが今も残る。1階は大家が経営する質店で、橋下一家は3階に間借りしていた。 東京時代の思い出について橋下は多くを語っていない。この時期に父親が急逝したという悲しい記憶があるからだろうか。 今や3男4女の父でもあり、「ベストファーザー賞」にも選ばれた彼が、自身の父親について述べたのは、ある雑誌で答えた次のようなインタビュー程度である。「父親の思い出はひとつだけ。2、3歳のとき、食事中にはしを投げたら、背負い投げされてぼこぼこにされたんです」母子家庭の過去 「母子家庭」。橋下は選挙中、何かとこのエピソードを話題にし、府民の情に訴えた。「おかんは昼も夜も働きづめで自分と妹を育ててくれた」「母子家庭の厳しさは、この私自身がよくわかっています」 幡ケ谷で、長男が橋下と同級生だった女性(64)は「父親が早くに亡くなったことは後から聞いた。お母さんは育ち盛りの2人を抱え、それはもう大変だった。人なつこい橋下君は商店街のみんなに育てられたようなものです」。全国知事会議で、政党に対する政治論争を訴える大阪府の橋下徹知事(中央)=2009年7月、三重県伊勢市 母親はしつけに厳しく、「妹をいじめるな」「目上の人を敬え」「人を傷つけるな」の「3つの約束」を交わしたが、世間体を気にしたり、自分の生き方を押しつけるようなことは決してなかったという。大阪に移った後の中学時代の担任教諭も「母親は進路についても一切口出ししなかった。放任主義に見えて、実は懸命に生きる姿を背中で息子にみせる、そういう方だった」と話す。ぽっかり空いた“父”の存在 「知事は小さいときに絵本を読んでもらったことはありましたか」。7月9日。大阪府議会本会議の一般質問で、女性府議がこんな質問をぶつけた。その趣旨は「国際児童文学館」(吹田市)廃止の是非についてだったが、橋下はむっとした表情でこう答えた。 「私の母は夜も昼も仕事をしていたので、読んでもらったことはありません」 橋下は選挙公約で、「子供が笑う大阪」をキャッチフレーズに掲げ、子育て支援事業の充実を最重要施策とした。そこに、自身の歩んできた過去が反映されているのは想像に難くない。一方で、就学前の子供がいる家族を知事公館に招いた際は、父親としてのこんな“爆弾発言”が飛び出し、周囲を慌てさせた。 「僕は正直、まったく子育てはしていません」 橋下は現在、母親とその再婚相手の義父を自宅マンションの階下に呼び寄せ、7人の孫たちを行き来させている。それは、橋下にとっての最高の親孝行であり、恩返しなのかもしれないが、彼の心の中で、「父親」の存在は今もぽっかりと空いたままのようにもみえる。 「僕、商店街って、いろんな人がいるから大好きなんです」。今年6月、大阪府東大阪市の商店街を視察に訪れた橋下はうれしそうに話し、予定時間をオーバーしても、なかなか帰ろうとしなかった。子供たちには競争が足りない子供たちには競争が足りない 大阪府知事選も終盤に差し掛かった1月19日、橋下徹は、大阪市淀川区の府立北野高校で個人演説会を行った。自身の母校でもある関西屈指の進学校で、彼は、かねての持論を有権者らに強く訴えた。 「府立高校の学区制を撤廃したい。これは公約です。まだまだ子供たちには競争が足りないんです」 知事就任後、この提案は教育界に波紋を広げたが、橋下の思惑は、その先にあった。学区をなくし、府内全域から優秀な子供を集めることで「公立エリート校」をつくる狙いだ。逆に、私学助成の削減をめぐる議論では「公立にはない付加価値を求めて入学するのだからお金がかかって当然」とあっさり述べ、実際に削減に踏み切っている。 そこに「公立重視」という橋下の教育理念が反映されていることは明らかだが、これは「自らが公立出身」という単純な理由があるだけなのだろうか。自身の子供たちも公立に通わせる彼は、弁護士時代に雑誌のインタビューで次のように語っている。 「弁護士でも、エスカレーター式で上がってきた人と公立でもまれた人とではえらく違う。私立一貫校の同質性の中で育つと、なかなか異質な人と接することはできにくいように思う」15歳の春に芽生えた「自信」 北野高は指定学区の中でも各中学のトップクラスしか入れず、大学進学率はほぼ100%。昨年度も京大、阪大にそれぞれ50人以上の合格者を出している。橋下は、ここへ「調整校」と呼ばれる枠で、学区を越えた地域から進学している。 ただ当時の成績は合格ラインにはほど遠く、自身が明らかにしているところでは高校受験前の偏差値は44。それでも学内では7番だったという。府教委関係者は「一般論だが、恐らく中学校のレベルがあまり高くなく、相対的に内申点が上がったのではないか。とはいえ、北野に合格するには偏差値70以上は必要で、短期間に相当勉強したのだと思う」。アースマラソンで完走したタレントの間寛平さんに感動大阪大賞を授与する橋下徹・大阪府知事(左)=2011年4月、大阪府咲洲庁舎 これまでにも触れたが、橋下の中学は本人も言うように「かなり荒れた学校」だった。その中で塾にもいかず、ラグビーを続け、「ワル」たちとともに過ごしながら難関を突破した橋下。15歳の春に芽生えた「自信」は相当なものだったのだろう。 当選前の産経新聞のインタビューで、大阪の教育レベルが下がっていることについて、こう述べていた。 「そんなもん学校じゃなくて自分が悪いんですよ。僕は学校で教わった勉強なんて一つもない。別に北野に行かなかったとしても、大学にも司法試験にも受かっていたと思う」恵まれた私学を拒む“美学” 「公立エリート校」構想を掲げながら、学校そのものには過大な期待を寄せていない橋下。ただ、母子家庭で決して裕福とはいえない環境に育った彼に、「私学」という選択肢は当時もなかったはずだ。 東京からの最初の転居先だった吹田市から大阪市東淀川区へ引っ越すことになった小学6年当時、同じクラスだった渋谷耕作(38)は、橋下が見せた寂しそうな顔を今でも覚えている。「家の家賃が払えなくなってん。次は家賃8000円くらいの安いところや。仕方ないわ…」 4年後、高校の進路決定で、担任の臼井一昭(50)から別の地元高を勧められた橋下は、強い口調でこう訴えたという。「僕だって、本当はみんなと同じ高校に行きたい。でも僕はどうしても勉強したい。勉強ができる環境にいかなあかんねん」 同じ子供の中でもどうにもならない“差”があることを幼くして痛感していた橋下。ただそうした環境が結果的に自らのサクセスストーリーにつながったことは、実は彼自身が一番よく分かっているのではないか。だからこそすでに恵まれた存在ともいえる「私学」は彼の“美学”が受けつけないのではないか。弁護士時代、出身中学で講演会をした橋下は真っ赤なポルシェで現れ、生徒らにこう訴えたという。「努力すれば誰だってはい上がれるんです」「視野を広げる」「視野を広げる」 《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》 これは、橋下徹が中学時代に書いた卒業文集の一節だ。ほかの生徒の多くが、「3年間の思い出」のような子供らしい内容に終始する中、橋下がつけたタイトルは「視野を広げる」。 東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っているように、濃密な時間だった。中でも中学校で学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だったようだ。 「なんで夕方の6時で部活を終わらせなあかんのですか。夏場なんか、まだ明るいやないですか」。3年時にラグビー部のキャプテンを務めた橋下は、教室と同様、グラウンドでも雄弁さを発揮し、学校側と正面からぶつかった。 背景には、地域が抱える複雑な事情があった。学力が低かったり、生活面に問題を抱えたりしている生徒の指導のため、この学校では、教師が帰宅後の生徒の住む地域に出向く「訪問授業」を午後7時から行っていたのである。府教委関係者によれば、それは同和対策事業の一環という側面もあったという。忘れがたい事件 「いろんな子供がおるんや。先生たちだって一生懸命なんや」。ラグビー部顧問の黒田光(48)は必死でなだめたが、橋下は「なんで、ぼくらが犠牲にならなあかんのですか」としつこく食い下がり、結局、午後6時半まで練習時間を延長させたという。 この経験が影響したのだろうか。橋下は文集に《まだまだ同和教育に反感をたくさんいだいている。完全に納得できないのもたくさんある》と書く一方、複雑な思いも記している。新党「日本維新の会」東京事務所の看板を掛ける同党の橋下徹代表(中央)、松野頼久国会議員団代表(左)、松井一郎幹事長(右から2人目)ら=2012年10月15日、東京・永田町(代表撮影) 《でもその中でただ一つ「仲間づくり」の話だけは納得できるのは、その話が現実に起こったからだ。1年前、僕が自転車の事件を起こしたとき、みんな必死でかばってくれた》 忘れがたい事件だったのだろう。橋下は中学時代、自転車を盗んだ疑いをかけられ警察に補導されたことを、大人になってからも度々週刊誌などで告白している。そこには、警察という権力に対する批判ものぞいている。 「警察で、友達のことをしゃべらなかったら『しゃべれ!』って名簿みたいなんで背中たたかれて、これが警察かと。警察は暴力は絶対しないなんて言ってますけど、殴って吐かしてんだろうっていうのは、身にしみて体験したんです」 このとき、警察を出てきた橋下を温かく迎えてくれたのが仲間たちだったという。文集にはこうある。《前の学校だったらみんな逃げてしまっただろう》「同和問題は解決していない」 むろん、橋下の同和施策が少年期の体験だけで進められているわけではない。ただ、このデリケートな問題を人一倍、目の当たりにし、視野を広げ、自らの頭で考え続けてきたことは確かである。 「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。今年3月の府議会で、そう言い切った橋下。 補助金の見直しを求めた4月の府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。 「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」逆境に強いんだよ逆境に強いんだよ 「おれは逆境に強いんだよ」。橋下徹の少年期をよく知る人たちは、その言葉を何度も耳にしている。 転校を繰り返しながらもリーダー的存在になっていく小学生時代、偏差値ではとても無理だと言われた府立北野高校に合格した中学生時代、そして、その北野では、厳しい練習に耐えてレギュラーを勝ち取り、46年ぶりの「花園出場」を成し遂げる。確かに強い精神力がなければ難しいエピソードばかりだが、北野高時代のラグビー部顧問、田中伸明(51)は意外な証言をする。 「俊足で能力の高さは際立っていたが、まじめに練習する姿勢は感じられず、遅刻も多かった。小さいころからコツコツ努力するのが嫌いだったんでしょう」 3年生でレギュラーをつかんだときも、田中は別の選手に代えようとした。練習態度が相変わらず怠惰だったからだ。「もう一度チャンスがほしい」。追い込まれた橋下は、そう言って田中に懇願し、別人のように猛練習を開始したという。 「彼は逆境に強いというよりも、追い込まれなければやらないタイプではないか。逆に言えば本番で予想外の力を出せる人間でもあった」。その言葉通り、橋下は花園での大一番の試合で3トライの大活躍を見せる。体育会的な「上下関係」 橋下がラグビーで学んだことに、体育会的な「上下関係」もある。「子供なんて殴って教えたらいい」「府職員も自衛隊に体験入隊したらどうか」。そうした発言が自身の経験に基づいていることは非常にわかりやすい。 一方で、体育会的なものには、常に「理不尽さ」がつきまとう。中学時代のラグビー部では、タックルなどで転んでできたかさぶたは「ハンバーグ」と呼ばれ、先輩たちは、橋下ら後輩の腕や足にいかに大きな「ハンバーグ」を作るかを競い合ったという。大阪市議会本会議で都構想の協定書が可決され議場を出る橋下徹市長=2015年3月13日午後、大阪市北区 高校時代も、1年生の夏合宿は特に厳しく、炎天下のグラウンドを数時間走り続けるのは当たり前。体のできあがったOBや上級生とのタックル練習では地面に何度もたたきつけられ、最後には起きあがれなくなる生徒もいたという。 「さぼり癖」を指摘されてはいたものの、6年間の体育会生活に耐えたことは、橋下の大きな自信につながったに違いない。ただ、そうした根性主義的な要素に加え、何事も本番に強いというたぐいまれな性格から見れば、「できない人間」の存在がもどかしく感じられることもあるのではないか。「自分には簡単にできることが、他人にはなぜできないのか」という苛立(いらだ)ちである。「今の自分なら何でも乗り切れる」 「見透かされていたようですね。僕の内面がよく表れてます」。今月29日にインタビューに応じた橋下は今回の連載の感想について苦笑しながら、そう話した。ただ、自身の性格を改めて問うと、「僕はみなさんが思っているようなパーフェクト人間じゃない」と答えながらも、次のように述べた。 「昨日もね、イベントで僕がテレビに映るのに、職員が大阪府の宣伝用ののぼりを飾らなかった。たった30秒のスポットだったとしても広告費に換算すればいくらになるのか。そんな発想すらできないことが僕には不思議でならない。公務員は絶対に倒れない組織にもたれかかってるから、感覚が麻痺(まひ)してるんでしょうね」 職員に対する橋下の見方は常に厳しい。むろん、待ったなしの財政改革を進めていくためには、彼らの意識改革が不可欠である。ただ、誰もが逆境に強いわけでも、厳しいタックルに耐えられたわけでも、短期間の勉強で有名高校に受かったわけではない。むしろ世の中の大多数が、自身とは違うタイプの人間であることに、彼はどこまで気づいているのだろうか。 そんなところに、全国最年少知事の勢いと危うさのようなものを感じる。 知事就任後の今年5月、大阪市内で開かれた北野高ラグビー部の同窓会で、橋下はラグビーボールの寄せ書きに、こう記していた。 「夏合宿以上にしんどいことはない。今の自分なら何でも乗り切れる」(敬称略) (連載は、皆川豪志、守田順一、白岩賢太、吉田智香、板東和正が担当しました) 関連記事■ 最後まで寄りかかった橋下さんに「もてあまされていた」上西議員■ 橋下市長vs在特会にみるエンタメ報道■ 吉本お家騒動 創業家のプライド、増幅された確執

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    負のスパイラルに陥った地方議会

    る。こんな連中が議員に選ばれていたのかと嘆き、驚き、怒り心頭となった方も多いはずだ。 全国1788の地方自治体に総勢34879人(2013年4月時点)もの地方議員が存在する。議員報酬の総額は年約1614億円にのぼり、期末手当や政務活動費、費用弁償などを加えると議員への支払総額は年約2700億円に達する。それらの原資はいうまでもなく税金である。地方議員たちがこうした報酬に見合った仕事をしているかといえば、答えは明白だ。間違いなく「ノー」である。 地方議会の果たすべき役割はチェックと政策提案である。ところが、ほとんどの地方議会は首長(執行部)提案を丸呑みする「追認機関」に過ぎない。執行部となれ合ってチェック機能を果たせずにいるのである。議場での質問も執行部に作成してもらった文を朗読するのが当たり前となっている。そうした地方議員たちに政策提案などできるはずもなく、住民にとって地方議会は「あってもなくてもどうでもよい」存在にしか思えないのである。 だが、地方議会は自治体の意思決定を行う議決機関である。制度上、議会が「ノー」と言ったら、首長(執行部)提案は実現不可能となる。つまり、今の地方議会は新たなものを創り出す力はないが、新たな取り組みをストップさせる絶大な力は持っている。 このため、議会側にへそを曲げられないように注意・配慮するのが、ごく一般的な執行部のやり方である。「先生、先生」と議員のご機嫌をとりながら、自分たちのコントロール下に置くのである。その際、議員への様々な処遇が最大の武器となることはいうまでもない。こうして働きぶりとは全く関係なく、高額報酬や政務活動費などが用意されるようになったという次第だ(町村議は除く)。それに、そもそも議員報酬や定数などの決定権は当事者の議会側にあり、お手盛りし放題となっている。 その地方議員や首長を選ぶ4年に1度の統一地方選がスタートした。選挙は劣悪な議員を良質な議員に交代させる唯一の機会なのだが、そう大きなメンバーチェンジは生まれそうもない。なぜなら、現職やその後継者が圧倒的に有利となる歪んだ構造が出来上がってしまっているからだ。 その現れが低投票率と立候補者の激減であり、無投票選挙と無風選挙の激増だ。議会への新規参入がより困難なものとなり、新陳代謝が進まなくなっている。議員間に競争原理が働かず、切磋琢磨とは無縁の世界になってしまったのである。こうして議会は「悪貨が良貨を駆逐する」状況となり、さらなる議員の質の低下を招くという負のスパイラルに陥ってしまっているのである。 では、なぜこうした由々しき事態が広がってしまったのか。根底にあるのは、選挙に背を向けて投票に行かない有権者と、議員になる意欲を持った住民の激減である。両者は鶏と卵のような関係にあるが、後者に着目したい。 立候補者激減の要因の1つは、投票率が低いため、組織や地区の推薦などを持たない新人が当選しにくくなっていて、意欲や能力があってもチャレンジしにくいという現実がある。特に働き盛りの勤め人にとっては、立候補するリスクはとてつもなく大きい。 地方議員は非常勤の特別職で、兼業が認められている(公務員などを除く)。会期日数も年90日前後(町村議を除く)なので、専業でなくても可能だ。しかし、議会は常に平日の昼間に開会されるため、会社勤めの人が兼業することは事実上、不可能だ。任期中の休職を認める会社もなくはないが、勤め人の場合、職を投げ打って出馬しなければならないケースがほとんどだ。 こうして専業や特定の職種の人でなければ、地方議員選挙に立候補しにくいという現実が出来上がってしまっている。 議員になる人材の供給ルートが事実上、限定されてしまい、しかも、議員の固定化が進んでいる。その結果が議員の質の悪化となって現れている。現職議員の多くが次の選挙に勝つことを自身の最大の使命と考え、議員活動ではなく集票活動に日常的に血道をあげている。特定の住民のために口利きしたり、媚びを売ったりと懸命に票固めに汗を流している。そうした現職議員の姿を目にすれば、「自分もああまでしてなりたい」と思う人は少ないはずだ。意欲と能力がありながら出馬を断念してしまうのである。 だが、こうした地方議会の負のスパイラルを断ち切ろうという動きが生れている。有識者らが結成した「地方議会を変える国民会議」である。平日昼間に開催する現在の地方議会を、全て土日・夜間開催に変え、多様な住民が議会に参加できるようにすべきだと提言している。この提言に賛同した人たちが「地方議会を変える千代田区会議」を立ち上げ、今回の統一地方選で東京都千代田区議選に候補者を擁立し、その実現を目指すという。 議会改革の「最善・最良・最短」の道は、働かない議員をきちんと働く議員にチェンジすることではないか。議員報酬や定数の議論はそのあとにおこなうべきものだと考える。今回の統一地方選で最も注目すべきものは、千代田区内で始まった土日・夜間の議会改革を目指す新たな動きである。相川俊英(あいかわ・としひで)1956年群馬県生まれ。早稲田大学法学部卒。 放送記者、フリージャーナリストを経て、1997年から週刊ダイヤモンドの専属記者、 1999年からテレビ朝日・朝日放送系の報道番組「サンデープロジェクト」の番組ブレーンを務め、 自治体関連特集の企画、取材、レポートを担当した。現在は地方自治ジャーナリスト。単独での「獨往取材」を続けており、日本一首長に直接取材している記者と言われている。     著書は『長野オリンピック騒動記』『神戸都市経営の崩壊』『横浜改革 密着 1,000日』 『トンデモ地方議員の問題』など。2015年3月に新刊『反骨の市町村 国に頼るからバカを見る』(講談社)が発売された。関連記事■ 「若者の政治離れ」のウソ■ 沖縄県紙の市長選「介入」報道は許されるのか■ 議員の役目は立法ではないのか

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    「自分探し」の地方議員

    号泣県議をはじめ、昨年は世間を騒がせる地方議員が相次ぎました。中でも目立ったのが「若手」といわれる議員でした。さあ、間もなく4年に一度の統一地方選挙です。

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    もはや「就職活動」と化した地方選挙

    きるが、総理を選ぶ投票ができるのは国会議員に限られる。こうした仕組みを「一元代表制」という。 一方で地方自治体では国政と異なり、市長など首長と議員が共に選挙によって選出される「二元代表制」をとっている。 多くの有権者はもちろん、現職の地方議員、地方議会関係者の中にも、地方議会を「国会の地方版」の様に勘違いしている人が多いが、「地方議会」には「国会」とは異なる役割が求められているのだ。 国会と地方議会の違いについて見ていくと、憲法41条で、国会が「国の唯一の立法機関」であるとされている事は多くの人に知られているが、地方議会に関しては、憲法93条1項で、会合して相談する「議事機関」としてしか定められていない。 同様に、国会は憲法43条で「全国民を代表する選挙された議員」で構成され、憲法前文で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」し、「その権力は国民の代表者がこれを行使」するとされているが、地方議会は憲法93条2項に「住民が、直接これを選挙する」と住民の権利しか明記されておらず、特別法の制定についてなどに至っては、憲法95条に「住民の投票においてその過半数の同意を得なければ」と住民が直接行使する事が位置づけられているほか、むしろ地方自治法76条等では住民の直接請求に基づく住民投票で議員・首長のリコール、議会の解散なども住民の権利として認められている。 こうした事からも分かる様に、地方自治体におけるガバナンスは、国政と異なり、議会・行政・市民との3者のバランスにより成り立つ事が、本来より想定されている。 また、法的には首長と議会それぞれにはほぼ同等ともいえる権限が与えられてもいる事も特徴と言える。 こうした事から考えれば、国会以上に議会が積極的に機能する事、さらには、市民を巻き込んだ自治の仕組みを担う事が求められていると言える。市長提案議案の99%が原案通り可決 地方議会の役割についてだが、学生時代に「三権分立」と習った事を思い出すと、議会の役割は「立法府」であったはずだ。これは法律をつくる場所である事を示しているが、国会を地方議会に置き換えて考えれば、「条例をつくる場所」という事になるはずだ。 議会や議員の役割が「政策提言」などと言われてすでに久しいが、実際には、議会や議員からの議案提出など殆んどなく、実際には全体の89.3%は市長提案で、議員提出8.8%、委員会提出1.9%と合わせても10.7%しかないというのが現状だ。 とくに問題に感じるのは、立法府とも言われる議員による提出件数の減少であり、2002年時点では1市当たり19.0件あった議員提案は、多少上下しながらも減少傾向にあり、2013年には12.1件にまで減ってしまっている。こうした指摘をすると、ベテランの地方議員などから必ず、「議会の役割は政策提案だけではない」という声をいただく。総理が国会議員から選ばれる国政と異なり、市長も議員も選挙によって選ばれる地方自治現場では、「行政と議会は車の両輪である」とも言われる事も多く、議会側からの提案だけでなく、行政をチェックする事もまた議会の重要な役割だとされているからだ。 そこで、地方議会の「行政チェック」の実態を調べるため、市長提出による議案の議決態様について見てみる。 議会によって修正されて可決した割合は、市長提案議案の内わずか0.3%しかなく、全体の99.1%は、市長提案を原案そのままで可決しているのだ。 何でも反対すればいいという事ではもちろんなく、市長提案の中でも、良いものは、そのまま原案可決すればいい。しかし、99.1%もがそのまま原案可決している状況では、議会の「行政チェック機能」とは、どういうものかと考えざるをえない。減少し続ける議会質問 議員活動の問題は、こればかりではない。 最も象徴的な議会活動である議会での質問ですら減少傾向にあるのだ。 2002年からの議会データを調べてみると、1自治体あたりの議会での質問回数は、2006年までは増加傾向にあったのだが、この2006年からは減少傾向に転じ、最新2013年データでは、個人質問は2006年以来最少の50.0回、代表質問に至っては、データを調べ始めた2002年以来最低の8.8回となってしまっている。 これらは、本会議だけの質問回数だが、議員全員の1年分を合わせた回数だと考えると、一人ひとりの議員の議会での質問回数がどれだけ少ないかが分かる。 しかし一方で、こうした中でも人知れず市民のためにと熱心に活動している議員も全国にいる。 冒頭にも書いたが、前回の統一地方選挙では、15,841人が有権者から選ばれた。 4年に1度しかない地方政治家を一斉に選ぶ、言い換えれば地方議会を大きく変えていく貴重なチャンスである。 国政の様にメディアで大々的に取り上げられる事は少ないが、是非、地元の地方議会にも関心を持ってチェックをしてもらいたいと思う。高橋亮平(たかはし・りょうへい)中央大学特任准教授、NPO法人Rights代表理事、ワカモノ・マニフェスト策定委員会、明治大学世代間問題研究 所客員研究員、政策工房客員研究員。 市川市議会議員、松戸市政策担当官・審議監・政策推進研究室長、東京財団研究員、全国若手市議会議員の会 会長などを経て現職。田原総一郎氏を会長に政策監視NPOであるNPO法人万年野党を事務局長として立ち上げる。5児の父 テレビ朝日「朝まで生テレビ!」などに出演、AERAの「日本を立て直す100人」に選ばれる。 著書に『世代間格差ってなんだ』(PHP新書)、『20歳からの社会科』(日経プレミア新書)、『18歳が政治を変える!』(現代人文社)ほか。関連記事■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 議員の役目は立法ではないのか■ 恐るべし、マスコミ

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    やっぱり若者はダメだ…広がる失望を払拭できるか

    佐藤大吾(NPO法人ドットジェイピー理事長) 昨年は、地方議員に対してこれほど注目が集まったのは初めてではないかというほど、たくさんの報道がなされました。但し、その多くが不祥事やスキャンダルといった類のものであり、特に若い議員に関するトラブルが多く、「政治への不信」と「若手への失望」、ふたつの側面からイメージダウンにつながったことは非常に残念でした。 これまで、若い議員はいわば地方議会の「新風」と受け止められ、地方改革の旗手として好意的に受け止められることが多かったと思います。しかしながら、相次ぐ若い議員の不祥事によって「やっぱり若者はダメだ。政治はダメだ」といった印象が広がってしまったことは、誠実かつ熱心に改革に取り組んでいる他の若い議員たちの足を引っ張ることにつながり、その悪い影響は計り知れません。 私たちNPO法人ドットジェイピーは1998年の創業以来、春休みと夏休みの2ヶ月間、国会議員や地方議員のもとで議員活動を体験するインターンシッププログラムを提供しており、これまでに約20,000人の大学生が参加しました。 このインターンシッププログラムは、政治に関する知識や経験を全くもたない大学生を快く受け入れてくださる議員事務所の協力がないと成立しません。受け入れ議員事務所の数は年々増加し、現在は700を超えております。自らの政治活動を学生に見せ、また部分的に体験させることで、参加した学生の政治や議員に対する印象は劇的に変化します。インターンシップに参加する前には議員に対して「悪いイメージ」を持っていた学生が8割を超えているのに対して、わずか2ヶ月のインターンシップ期間を経た後におなじ質問をすると、9割以上の学生が「いいイメージ」を持つようになります。 参加インターン生のうちほとんど全員が、「インターンシッププログラムに参加するまで、一度も議員と会ったことがない」という状況なのですが、直接議員と触れ合うことで、かなり政治や議員に対して誤解していたのだということに気づくことになります。数多くの議員は学生にとってよき指導者として誠実かつ熱心に取り組んでいらっしゃるという証左であると考えています。 2万人を超えるこれまでのインターン参加学生の中には、熱心な議員たちから影響を受け、実際に議員になった人も多く、現在約60名が議員として活躍しています。彼らの多くは、得意分野を活かして先進的な取り組みを議会に提案し、少しでも地域を良くしようと活動しています。 そんな彼らを見ているからこそ言えることとしては、若い議員が問題を起こしたとしても、それはその議員固有の問題であって、決して若くして議員になることそのものに問題があるとは言えないということです。 特に「政治とカネの問題」は、国民全体としても関心が高く、テレビや新聞などで取り上げられる機会も多いため、若い有権者に対しても政治への関心や希望を著しく低下させます。 議員の収支報告書については、有権者がどうやって入手すればいいかわかりにくいことに加え、たとえ入手したとしても内容を読み解くためには政治資金に関する独特の会計や監査のルールに関する知識が必要となります。 また、報告の義務を負っている議員事務所にとっても難解であり、なかなか詳細に理解することは難しく、このことがトラブルにつながっている側面も大きいと考えます。 このように「理解したいのに方法がわからない有権者」と、「正しく報告しようとしているのに、なかなか簡単にはできない議員」という状況は、なんとかして改善する必要があるのではないでしょうか。これ以上政治とカネに関するトラブルが続くと、ますます有権者の政治に対する失望感が広がり、政治不信、投票率の低下へとつながっていくことは間違いありません。ドットジェイピーでは、特に若い世代の間でこれ以上政治不信が広がるのを食い止めるためにも、政治に関する会計の透明化をサポートできる仕組み作りにも取り組みたいと考えています。 また、低投票率の理由のひとつに「時間がない」というものがあげられます。ドットジェイピーでは昨年の衆議院議員総選挙の際に「Vote on Campus」というインターネットを用いた選挙啓発活動を実施しました。これは「若者のいるところで投票を!」、「投票所をもっと身近に」をキーワードに、大学構内にタブレット端末を設置することで、インターネット上から仮想の投票体験をしてもらうという企画だったのですが、この活動に参加した学生たちは、大学での投票所開設やインターネットによる投票ができれば、もっと投票に行くのでは、という声が多く寄せられました。 総務省は先般、「投票環境の向上方策等に関する研究会中間報告」において、「投票所の設置場所の増加」や「インターネットを利用した投票システムの構築」などに触れていましたが、若者の行動範囲の中で投票ができる仕組みが様々な形で作られていくことが、若者の投票率を向上させる方法だと考えています。ドットジェイピーでは選挙管理委員会の協力のもと、4月に行われる統一地方選挙について、函館大学にて期日前投票所の設置を実現いたしました。 最後に、どんな議員であっても、選ぶのは有権者です。だから、議員の質が疑問視される時、問題になるのは議員だけではなく、彼らを選んだ有権者ひとりひとりの姿勢であることも、きちんと認識しておくべきだと考えます。選ぶ側があとになって「なぜこんな人を選んでしまったのか」と後悔し、議員を批判することばかり繰り返していては、いつまでたっても変わりません。 今、目の前の選挙で、「なぜその人を選ぶのか」しっかり考えて投票することが議員の「質」に対する問題を解決する第一歩になると思います。もちろん有権者がしっかり考えて判断するために必要かつ十分な情報や材料を、候補者側が提供することは当然必要です。地域のことを自分ごととして捉え、有権者と候補者が健全に対話を行う機会が選挙であり、「議員や候補者の質」とは、いわばそこで交わされる「対話の質」と言えるかもしれません。 まずは、自分でしっかりと考え一票を投じるという「質の高い投票」を行うことが、政治や議員の質を高める一番の近道であるように思います。佐藤大吾(さとう・だいご)1973年大阪生まれ。大阪大学法学部在学中に起業、その後中退。企業でのインターンシップ導入支援事業などキャリア教育事業に携わる。またNPO活動として98年、議員事務所や官公庁などでのイ ンターンシッププログラムを運営するNPO法人ドットジェイピーを設立。これまでに1万8千人を超える学生が参加、うち約60人が議員として活躍。「Yahoo!みんなの政治」など、インターネットと政治を近づける活動にも注力する。10年3月、英国発1200億円を集める世界最大級の寄付仲介サイト「JapanGiving」の日本版を立ち上げ、国内最大の寄付サイトへ成長。日本における寄付文化創造に尽力する一方、13年には資金調達サイト「ShootingStar」を立ち上げ、営利・非営利に関わらずチャレンジする人の背中を押す活動に取り組む。関連記事■ 「若者の政治離れ」のウソ■ 山本みずきが聞いた それでも、若者の政治参加って必要ですか?■ 自分の言葉で話す大人になりたい

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    「時代の変革」は地方から始まる

    な状態が生まれていた。 第二次大戦後の制度では、そんな中央集権・地方追従型の政治行政を避けるために、地方自治体の首長を選挙で選ぶ公選制にし、都道府県と区市町村の2段階の地方議会を設けて行政と予算を監視監督し、政策アイデアを練らす機関とした。 従って、府県議会や市議会などの地方議員は、それぞれの地域の代表的な職業に従事する人々が、仕事と生活の場を通じて知り得た情報を持ち寄って議論し、地域の安定と振興に知恵を出し合う場であるはずである。 民主主義の伝統を持つ欧米でも、地方自治の形はそれぞれに異なるが、地方議員の機能と形態はほぼ貫かれている。地方議員のほとんどは別に本業を持つ市井の職業人か、広域政治へ進出する「修行中の人々」で占められている。地方議員の高報酬と専業化 日本の実情はどうか。 まず目立つのは地方議員に高額の報酬などが支払われていることだ。2014年の公表資料によると、47都道府県議会の議員に支払われた報酬は261億円だが、別に期末手当や政務活動費などの名目で294億円が議員に支払われている。議員1人当たりにすれば年間2026万円にもなる。 市や特別区の場合、全国812の自治体で2万425人の市議会議員、区議会議員がいるが、それに支払われた報酬の総額は1047億円、期末手当や政務活動費などは655億円、合計で1702億円に達する。議員1人当たり833万円になる。 さすがに小さな町村の議員になると、平均報酬などは年間370万円。それでも過疎地では結構な給与である。 この都道府県会議員や区市会議員の報酬などは諸外国に比べ断然高い。諸外国では地方議員は地域の職業人のボランティア活動と見做(みな)されており、報酬などは会議出席日の日当だけというのが多い。中には全く無給という例もある。 日本の地方議員の第2の特色は、ほとんどが男性で他に職業を持たない専業議員が多いことだ。 都道府県議会議員の91%は男性、その半数近くが専業議員だ。以前は農業や建設業者あるいは造り酒屋などの製造業を営む「地方名士」が多かったが、今では議員専業者が断然多くなっている。中には2世議員も多く、地方議員の「家業化」さえ進んでいる。 これでは地方議員の地位を守ることが優先され、政策論議や地域興しの知恵が出ないのも当然かもしれない。 この傾向は区市の議員にも広まっている。地方の市議会議員には、農業や小売業を営む者もいるが、断然の1位は専業議員、全体の3分の1を占めている。 要するに、日本の地方議会は高給を取る地方議員専業者の場になりつつあるのだ。改革の第一歩は統一地方選 日本の地方議員は高給だが、特に忙しいわけではない。平成21年度で見ると都道府県議会の会期は平均98日、区市議会で85日、町村議会では僅か44日である。しかもこの会期の間、すべての議員が会議に出席するわけでもない。高額の割には稼働期間が少ないのだ。 日本の地方議会の低調さを示すのには、次の数字がよいだろう。 各都道府県の知事や市長、区長らの首長が提出した議案をこの4年間1本も修正や否決をしたことのない「丸呑(の)み」議会が50%もある。また議員提案の政策条例が1つもない「無提案」議会が91%、議員個人の議案への賛否を明かさない「非公開」議会が84%にも及んでいる(朝日新聞調査から)。 これでは地方議会から地方振興の知恵を期待するのは無理だろう。欧米では地方議会の会議を休日または夜間に設定、一般の会社員や教員、ジャーナリストが参加できるようにしている。日本もそれに倣うべきではないか。 高給を取り専業化が進む日本の地方議員は、それ自体が守旧の牙城ともいえる。これを崩す改革の第一歩は、今年4月の統一地方選挙。地方議会の仕組みと人材を改め、地域の振興に一石を投じたいところである。さかいや・たいち 小説家、経済評論家。東京大学経済学部卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省し、大阪万博のプロデュースに関わり、通産省工業技術院研究開発官などを務めたのち退官。執筆活動を続ける一方、経済企画庁長官を歴任した。主な著書に『団塊の世代』『峠の群像』など。関連記事■ 沖縄県紙の市長選「介入」報道は許されるのか■ 「東京一極集中」が招く人口減少の悪循環■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」

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    「美人すぎる市議」と呼ばれた私がいま思うこと

    立川明日香(元埼玉県新座市議) ノルアドレナリンの噴出が止まらない。視界に入るものすべてが「食べ物」に見える。つまり目に入るすべての情報が価値あるもの、意味のあるものに見える。なので徒然なるままにまさにきょうの思考をそのまま書きたいと思う。たとえば仕事の机の上のカレンダーや紙の山。きょうは会社勤めの意義がよくわかる。いつもは何も考えないで使っているエクセルの意義なんかも真剣に考えてしまっている。 会社員は仕事を、楽しいからやる。アドレナリンがでるからやる。というふうでないと残業してはいけない。もちろん通常の業務も。私の職場には家族に献身するのが自分にとって一番の幸福の人がいる。そうするほうが脳内物質が沢山出るからそうする。一方で家族を顧みず会社の後の飲み会で脳内物質を求める人もいる。新座市役所で会見する立川明日香氏(2012年12月25日) 2012年、市議を辞職する直前、衆議院選挙に出馬することを直前でやめた。その後最近まではそれで100%良かったと思っていたが、最近になって出馬してもよかったなと思い始めた。 それはやめるにいたった行動が、恐怖からの逃避だったと今は思う。衆院選に出るなど、私には到底力不足で、子育てに手が回らなくなってしまう。そう考えて、理由付けしてやめたのだけど、本当の理由は単に撮影の前日に撮影日が決まった政見放送収録が恐かったから。人はいつも恐怖から逃げようとして多くの幸福になるチャンスを逃す。 まあ本当のところは、人は選択した後に後悔しようが、選択するタイミングで脳みそをフル回転させるので、そのとき持ち合わせている叡智を結集させて決めた道はやっぱりそのときのベストな道なので、今現在の状態が一番最適かつ幸福な道であるともわかっている。 シングルマザーにとってはお金の問題はいつもついて回る。子供にいい服を着せてやりたい、習い事をたくさんさせてやりたい。いい教育を・いい食べ物をと上を見ればきりがなくお金が必要になってくる。収入は社会的地位に比例する。なぜこんなにも地位と名誉を追い求めることが悪とされている世の中なのに、我々は無意識のうちに地位のあるものにひれ伏し、自分よりも認めてしまうのだろうか。多くが人間の本当の価値とはということを考えることをせず、無意識に信号無視をしている者がきちんとした身なりをしている者なら平気でその後に続いて信号無視をし、新しい星を見つけた学者が民族衣装でなくてスーツを着て学会で発表すれば認めてしまう。だからお金は一部にしか集まらない。 目に見える幸福(お金や安定した生活)がなぜ真理(物質的価値を重んじることは本当の幸福ではない)に相反してしまうのか、宮沢賢治が繰り返した「ほんとうの幸福」が世間にこれほどまでに浸透しない、なんとか納得のいく説明と解決策を見つけたいと思う。 最後に、私の徒然日記をすべて読んでくださった方、ほんとうにありがとう。英語ばかりを読む生活をしているので日本語の乏しさに気分を害された方、お許しください。皆さんの幸福をお祈りしています。立川明日香(たちかわ・あすか)1985年東京出身。2012年、26歳で埼玉県新座市議会議員選挙で無所属新人ながら26議席中5位当選。”美人すぎる市議”として話題に。その後、市から居住実態がないとして当選無効の決定を受け、同年12月に議員を辞職。その後、自身の半生が綴られた書籍『ノーモア・立川明日香』を上梓。現在、児童養護施設で育った経験から里親制度や養子縁組制度の充実を訴える活動を続ける。関連記事■ 「若者の政治離れ」のウソ■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 議員の役目は立法ではないのか