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    市の努力あってこその大阪 「良い二重行政」も多い

    都市生まれ。京都大学大学院修了、法学博士。ドイツ・コンスタンツ大学などで研究。専門は行政学、政治学、地方自治論。 (写真:井上智幸)編:都構想そのものへの評価は村上:都構想が最初出たときは、興味深いとも思った。維新のホームページには、成長戦略と住民サービスと、二重行政の解消の3つが公式目的としてあげられていた。しかし、具体的に詰めていくと、大阪市を廃止して行う大型政策とは何かが見えてこない。関空も作り、梅田北開発も一部完成したのでカードが残っていない。 JR関空快速の高速化(停車駅の減)、都心高速道路の整備は、市と府の協力でやっていける。だから、大阪都=大阪市廃止でないとできないのは何か検討して行くと、ほぼカジノだけだ。 今なら、住民がカジノに反対すれば、大阪市が、カジノを認めないか条件をつけることができる。しかし、大阪都で市の「都市計画権限」が府に移ると、住民の意見は無視しやすくなる。世界の大都市人口ベスト10と大阪 (出所)Demographia World Urban Areas (注)人口は2015年推計値編:一方で、二重行政の弊害も確かに存在しています村上:一部マスコミは、「二重行政=ムダ」論を受け売りしたが、具体的に調べてほしかった。府と市の中央図書館は、どちらも賑わっている。府立大と市立大は、国立大学が2つしかない大阪(東京には11)では、高等教育を支える役割が大きい。国際会議場と見本市会場は場所も機能も違う。病院、体育館など、便利で有用な二重行政は少なくない。 維新の理念は「権力(権限)集中」と「小さな政府(効率優先)」なので、府とは別に強い大阪市があるのは有害で、二重行政はすべてムダだという主張になる。しかし二重行政は巨大都市圏の需要に相当した便利なものも多い。編:府と市があっても二重行政の解消はできる、と村上:京都でも、協議して府市共同施設を作っている。他方で、大阪市の存在や政策力が大阪を何とか支えてきたのではないか。市が廃止され、特別区に分かれて区長を選べば、住民のために配慮するだろうが、大阪市に比べて財源が弱くなり、職員組織も分割されるので、競争しても力が出ない。 大阪都協議会での推算は、市の廃止による節約効果は小さいということだった。5特別区への分割で新規コストが発生するからだ。 もともと橋下市長は、「(特別区の)人口は30万」と言っていた。だが、結果的に60万人以上にまで膨らんだのに、都市計画や産業振興の権限もない。都市計画は、普通の市でもやっている。それができないというのは一般市以下への格下げだ。とても中核市並みの特別区じゃない。「市廃止すれば成長」は幻想編:それでも、東京に対して大阪の没落が目立ちます村上:難しい論点だ。日本史は西から東へ発展したので、今や関西の地位低下が目立つ。しかし、イギリス、フランス、韓国などでは、首都と第2都市の差はもっと大きい。大阪を含めた関西は、まだ頑張ってきたという見方もできる。 大阪市があったから地盤沈下になったのか、大阪市が努力したからこの程度で止まっているのかというと、私は後の見方を採る。 「大阪都=大阪市廃止」ですごい政策が打てるという幻想を捨てて、製造業、教育、観光、少子化対策などそれぞれに即して、有効な振興策を進めていくことが必要だ。府市の施設を統合すれば高度化できる場合もあるだろう。編:外部環境は変化しており、大阪市も変わる必要があるのでは村上:ムダな施設の廃止、ムダな歳出の削減など、効率化は必要だ。他方で大阪市の政策成果というのは結構ある。 例えば、ユニバーサルスタジオジャパンの誘致、海遊館の誘致。それから、昔の大阪市はちょっと怖い都市だったが随分整備した。中之島の公園や諸施設は、今やヨーロッパ並みで、観光資源にもなっている。梅田の周辺も天王寺も整備した。東京だったら国がやってくれるところを、大阪市は頑張ってきた。地下鉄は南大阪方面の相互乗り入れがないのが問題だが、北、東、西からは鉄道が何本も都心まで乗り入れている。編:これからの大阪はどうすべきか村上:東京に量的に追いつくのは無理でも、大阪・関西は都市の魅力、文化、生活などの「質」では勝っているし、特定の産業や機能で優位に立つこともできる。1人当たり所得が下がっているので、それは持ち直す必要がある。 都構想にすべてを賭けて、具体的な都市政策をほとんど打たない「失われた4年間」から、立ち直る必要がある。現在の政令指定都市制度にも維新が指摘した問題点はあるので、それへの改善策、つまり「総合区」と「府市調整会議」は実現すべきだ。秋の知事・市長選に向けて、野党側は具体化を進め、争点化してはどうか。関連記事■ 大阪都構想 影響が大きい「政治論としての」敗北■ 民主主義の“当たり前”を変えられないことがシルバーデモクラシーだ■ 大阪市「特別区設置住民投票」を考える経済学的ポイント   

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    スネ夫からジャイアンに なれなかった橋下徹

    白岩賢太(iRONNA編集長)産経新聞の連載「橋下徹研究」で、橋下本人や家族、友人ら関係者計107人を取材した筆者は、こう断言する。「橋下徹は政界復帰する」――。 大阪にとって「国家百年の計」になるはずだった大阪都構想に、自らの政治生命を賭けて挑んだ大阪市長、橋下徹が政界引退を表明した。 「私が提案した都構想が受け入れられなかった。間違っていたということになるんでしょうね。納税者に失礼な言い方かもわかりませんが、政治家冥利につきる活動をさせてもらって本当にありがたく思っています」 大阪市の民意が真っ二つに割れた住民投票の大勢が判明し、記者会見に臨んだ橋下は、意外にも笑顔だった。これまでは感情をむき出しにすることも多かったが、この日は憑き物が落ちたようにサバサバしていた。 会見の模様を生中継したNHKの瞬間最高視聴率は33.6%に達したが、衰退著しい大阪がこれほど世間の耳目を集めたのはいつ以来だろうか。 政治家としての評価は今も賛否が分かれるが、橋下の発信力、インパクトはそれほど絶大だった。時に改革者と持ち上げられ、破壊者と恐れられた橋下徹とは結局、何者だったのか。 そのヒントは、橋下がこれまで歩んできた生い立ちに隠されている。幼少期を過ごした東京都渋谷区から一家で大阪府吹田市に引っ越したのは、彼が小学5年のころ。その翌年、再び一家で移り住んだのは、大阪市東淀川区の府営団地だった。 橋下自身、ここでの生活が「自分の原点」と振り返るように、多感な思春期を過ごしたこの場所でさまざまな仲間と出会い、人間関係の機微を学んだ。橋下が中学時代に書いた卒業文集の一節からは、この地域特有の複雑な事情も垣間見える。 《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》 卒業文集のタイトルは「視野を広げる」。他の生徒が「3年間の思い出」といった内容に終始する中、橋下の文章は明らかに異質。中学で学んだ人権教育にかなりのカルチャーショックを受けていたことが分かる。 《まだまだ同和教育に反感をたくさんいだいている。完全に納得できないのもたくさんある》 文集に綴られた一文からは、当時橋下がこのデリケートな問題に直面して、深く思い悩んでいたこともうかがえる。ラグビーを始めたワケ 転校を繰り返し、母子家庭で育った橋下が、中学でラグビーを始めたのも、当時の荒れた学校や複雑な人間関係が深く関わっている。「一番ワルそうな部に入った方が安全だと思ったから」。かつて、入部の動機についてこう語ったが、ここに橋下の処世術のすべてが集約されているといっても過言ではない。 国民的人気アニメ「ドラえもん」で喩えるなら、ガキ大将のジャイアンにいつも媚びへつらうスネ夫のような生き方だろうか。橋下は自著『どうして君は友だちがいないのか』の中で「要するにスネ夫のような生き方といえばいいでしょうか」「ジャイアンのような強い人、強い存在とうまくつきあって生きていくことは、悪いことでもずるいことでもありません。その選択を非難できる大人なんて絶対にいないはずです」と記している。大阪都構想が否決。橋下市長は政治家引退を宣言 このスネ夫的生き方を是とする橋下の考えは、昔も今も変わっていない。中学時代は、ラグビー仲間たちを心の中のジャイアンに見立てて自分の居場所を見つけたが、政治家となった現在の橋下にもジャイアンは存在する。それは「大衆」であり、選挙で一票を投じる「有権者」ではないだろうか。 橋下にとって政治家としての発信力の源泉は、有権者の支持、つまり「民意」にある。ことあるごとに抵抗勢力と対峙し、過激な物言いでルサンチマンを煽る一方、一転して相手に歩み寄る姿勢をみせて最大限の譲歩も引き出す。すべて自分の思惑通り、計算ずくで畳み掛ける弁舌と交渉術を使い分ける政治手法は、「ポピュリズム(大衆主義)」の典型と揶揄され、アンチ橋下からは「独裁者」などといった非難の声が絶えない。 こうした批判的な見方に対し、橋下は自身のツイッターで「衆愚政治だ、ポピュリズムだと言う輩は、よほど自分に自信があるんでしょうね。一般大衆よりも自分は上だと言う。気持ち悪い」と辛辣に反論したこともある。この発言の裏には、政治は限られたエリートのものではなく、多数の意見で進めていくものだという「反エリート主義」の考えも透けて見える。 自分はスネ夫のような裕福な家庭で育ったわけではないが、スネ夫のようにジャイアンをおだてながら、その威を借りてしたたかに生きるやり方なら真似できる。政治家になった橋下にとって、「ジャイアン=有権者」が味方でいてくれる限り、自分は絶対に道を外れないという自信もあったはずだ。事実、得意の二項対立を何度仕掛けても、なかなか民意は離れなかった。変節した橋下がこだわったもの では、なぜ大阪都構想は実現しなかったのか。一言でいえば、橋下がスネ夫ではなく、ジャイアンになろうとしたからに他ならない。ふわっとした民意を敏感につかみとる嗅覚と、大衆の劣情を煽る傑出した扇動者の才能を持ちながら、橋下は最後の最後で民意よりも政治家としての結果にこだわったのである。 「二重行政の無駄をなくす」と大風呂敷を広げた都構想は、有権者の支持が思った以上に広がらず、住民投票の最終盤になっても新聞・テレビの世論調査では劣勢が伝えられた。この期間中、有権者の反応を意識して政策の方向性を示す「橋下流」はすっかり影をひそめており、橋下自らが先頭に立って有権者をリードし、支持を求めるようになっていた。言い換えれば、この時既にスネ夫ではなくジャイアンになっていたのである。 橋下はいつからジャイアンになろうと思ったのか。橋下が2011年11月に大阪府知事から大阪市長へと鞍替えし、元部下だった堺市長、竹山修身と袂を分かったのは13年9月。都構想の法定協議会で橋下が求める特別区の区割り案が否決され、出直し市長選を仕掛けて当選したのが14年3月。これを機に橋下の言動は、都構想実現に向けた執念のような強引さばかりが際立つようになる。 「僕自身にイエスかノーか」。橋下にとって、出直し市長選は民意に寄り添う「改革者」から「権力者」へと変わろうとする、政治家としての分岐点だった。 だが、「にわかジャイアン」橋下への風当たりは、それから強まる一方だった。 「物事には譲歩できることとできないことがある。ただ、都構想は市役所を前提にした様々な団体の存続が危ぶまれる。話し合いで無理な場合は、最後は民意を使わせてもらわないといけない」。政界引退を表明した記者会見でこう本音を述べた橋下だが、民意を「頼る」のではなく、民意を「使う」と表現したところに、土壇場での決断を迫られた橋下の苦悩が見て取れないだろうか。橋下はやはりジャイアンになろうとして最後の賭けをしたのである。 かつて橋下は自著『まっとう勝負!』で、自身が抱く政治家像を次のように記している。 「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。自分の権力欲、名誉欲を満たすための手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなきゃならないわけだよ。別に政治家を志す動機が、権力欲や名誉欲でもいいじゃないか! 嘘をつけない奴は、政治家と弁護士にはなれないよ! 嘘つきは、政治家と弁護士の始まりなの!」 政治家と弁護士の両方の顔を持つ橋下は、この一節を鵜呑みにすれば「稀代の嘘つき」である。スネ夫からジャイアンになれなかった橋下だが、政治家として再び戻ってくる日はそう遠くはない。筆者はそう確信している。(文中敬称略)関連記事■ 大阪都構想 影響が大きい「政治論としての」敗北■ 民主主義の“当たり前”を変えられないことがシルバーデモクラシーだ■ 大阪市「特別区設置住民投票」を考える経済学的ポイント   

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    保守はなぜ同性愛に不寛容なのか~渋谷パートナー条例をめぐる怪

    古谷経衡(著述家)LGBTを嫌悪する保守派 渋谷区でのパートナーシップ条例が同区議会に提出されるやいなや、いわゆる保守界隈や、右派から、この条例が猛烈な抗議の対象となっていることは、知っている方も多いと思う。 この条例には、「結婚に相当する関係」を同性カップルに対し証明する証明書の発行が可能となる条項が含まれているのだが、このことに対し、保守派からの猛烈な抗議の声はとどまることを知らない。東京都渋谷区の「同性パートナーシップ条例」の制定をめぐっては、反対派がデモ行進で条例成立阻止を叫ぶ場面もみられた=3月、東京都渋谷区役所周辺 3月10日には、右派系市民団体である「頑張れ日本!全国行動委員会」(以下、同委員会)が、JR渋谷駅前の広場で”渋谷区「同性パートナーシップ条例」絶対反対緊急行動”と題して、大々的な反対の抗議街宣を行い、話題となった。同会は、右派系のCS放送局である「日本文化チャンネル桜」(スカパー528ch)と密接に関連する政治団体である。 同委員会は、2014年2月に投開票された東京都知事選挙で、元航空幕僚長の田母神俊雄氏を擁立した最大の支持母体として知られ、いわゆる保守・右派界隈では、大きな行動力を持つ行動組織として認知されている。同委員会が、保守、右派の全てを代表しているとは言わないものの、保守、右派界隈全般の空気感を如実に代弁する存在であることは確かだ。 同性愛、同性婚をめぐる問題は、日本においては一貫して保守派、右派が「我が国の伝統的な家族観を破壊する」と称して、反対の立場を鮮明にしている場合が圧倒的である。 同委員会が3月10日に行った渋谷駅前での抗議活動について、同会の幹事長らは、スカパーの番組内で次のような趣旨で、重ねて渋谷区のパートナーシップ条例への激烈な反対の意見を鮮明にした。 ・「(この渋谷区のパートナーシップ条例は)ジェンダ―フリーの流れで、左翼の人たちがやっている」 ・「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」 この見解はおおよそ、忠実に保守派、右派の同性愛・同性婚への嫌悪の感情をトレースしたものであると言って良い。これに先立つこと約2年前の2013年12月7日、当時の石原慎太郎知東京都自治は「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と発言して、大きな問題になった。 言わずもがなその後、石原氏は都知事を辞職して「太陽の党」を立ち上げ、橋下徹氏率いる維新の会に合流。その後、「次世代の党」として分離した同氏は、保守系論壇誌などに精力的に登場し、保守派、右派の中心的論客として知られるキーマンである。このことからも分かるように、保守、右派全般が同性愛やLGBTに嫌悪や偏見のニュアンスを少なからず抱いていることは、疑いようもない。 渋谷区のパートナーシップ条例が話題に上がってから、多くの保守系活動家や言論人が、「感情的」と形容するのにふさわしいほどに、この渋谷区のパートナーシップ条例に対し、反対の声、ないしは嫌悪の感情を表明していることは疑いようがない。「伝統」と相容れない保守派の同性愛、LGBT嫌悪 私個人としては、渋谷区のパートナーシップ条例は、自治体の条例のレベルなのだから手放しで大絶賛するほどのことではないにせよ、別段、問題だとは思わない。制定するなら、私は微温的に支持しようと考えている(私は残念ながら区民ではないが)。同性愛、LGBTの人々が、絶対数は少ないにせよ、異性結婚と同等の権利を欲するのは、別段不自然なことではない。同性が同性を好きになり、事実上の家族関係を有することに、なにか大きな社会的弊害が発生するとは到底思えない。 そんな私は、前述した「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」という保守派による、この条例へのトリッキーな反対の姿勢が、よく理解できないでいた。「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」という理屈は、「同性愛やLGBTは、日本の伝統的な家族観とは相容れない」と言っていることに等しい。 が、言わずもがな織田信長と森乱(森蘭丸)&前田利家や武田信玄&高坂昌信など、ややもすればBL(ボーイズラブ)のネタにされそうな、(余りにも有名な)日本の中世期における同性愛関係をなんとするのだろうか。或いは、江戸幕府三代将軍の徳川家光の性癖をなんと解釈するのか、など、日本の「伝統」を持ち出すのならば、現在の保守派や右派による同性愛やLGBTへの嫌悪や禁忌の情は、全くその「伝統」を踏まえない異質のものであると思う。「伝統」を殊更となえるのなら、「衆道」の伝統を踏まえないのは、嘘だろう。 だから、なぜ現在の保守派や右派がここまで激烈に同性愛やLGBTを嫌悪するのか、彼らのささやかな権利獲得に、ここまで苛烈に反駁するのはなぜなのか、それが、私を含め多くの人にとっては謎だと思うのである。保守派が同性愛を嫌悪する理由保守派が同性愛を嫌悪する理由 1)保守の高齢化が原因 保守派や右派がここえまで激烈に同性愛やLGBTを嫌悪する理由には、大きく別けて二つの理由がある、と私は考えている。一つは、大前提的に保守派、右派の高齢化がその要因である。YAHOOニュースの過去エントリーや、拙著『若者は本当に右傾化しているのか』に詳述しているとおり、現在の保守派や右派は高齢化が着実に進展している。 彼らの主要な支持層は、40代以上の中・高年であり、場合によってはボリュームゾーンは50代や60代以上である。これらの中・高年が世代的な風潮として、同性愛者やLGBTに対し、辛辣な姿勢を堅持しているのは、時代的な要請とはいえ、しかたのないことだろう。現在、60代の世代が青春時代を迎えた1960年代から1970年代の高度成長期は、まだまだ前近代的な差別と古い因習がこの国の中に残置されていたのは、言うまでもないからだ。 特に地方では、明治時代から続くような、旧い因習としきたりが支配的だった。このような世代の人々が、同性愛やLGBTを禁忌のもの、としてとらえ、「正常な恋愛の形ではない異常なもの」とみなすのは、世代的な要因が大であると思う。現在の保守派や右派の年齢的ボリュームゾーンを考えると、理屈としてそのような性的マイノリティーに対する差別的感情が根強いのは、得心が行くものといえよう。保守派が同性愛を嫌悪する理由 2)宗教右派からの照射 もう一つの理由だが、その前に今一度、上記の「ジェンダ―フリーの流れで、左翼の人たちがやっている」「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」という、保守派・右派による反対理由を少し検証してみることにする。この考え方は、「ジェンダフリー(教育・政策)」に強い反対の立場を採る「日本会議」の思想的影響を強く受けていることは間違いはない。  「日本会議」は、保守系最大の行動団体として、旧軍遺族会やその他旧軍関係団体を始め、神社本庁や仏教系宗教団体など、おもに「宗教右派」とよばれる保守的な傾向を持つ宗教団体によって形成されている。さらにこの日本会議が、主に自民党のタカ派議員を支援したり、自民党のタカ派議員自らが会員となっている例は、公然の事実である。 また、保守系の論客や文化人などの講演会などを頻繁に行うなど、保守業界のありとあらゆるところに「日本会議」は入り込んでいる。「日本会議」が、保守や保守運動に有形無形の形で絶大な影響力を与えていることは、紛れも無い事実だ。 勿論、現在、渋谷区のパートナーシップ条例に反対の立場を採る人や団体の全てが、「日本会議」と直接の人的・物的なつながりがあるわけではない。が、保守、保守運動団体の背後に、隠然たる影響力を行使し続ける日本会議の思想的源流をたどることで、保守がなぜ同性愛に不寛容なのか、その答えが見えてくるのだ。保守派が同性愛を嫌悪する理由 3)戦後新宗教と同性愛 特に、「日本会議」の中枢をなすのは、神道系の「神社本庁」の他に、「霊友会」、「念法眞教」、「新生佛教教団」、「佛所護念会」、「生長の家」など、大なり小なり仏教を源流とする仏教系新宗教団体である。「日本会議」における仏教系宗教団体の力は、非常に大きいものがあるのは、誰しも認める所だ。 しかし本来、仏教の教えは「同性愛には至極寛容」であることを根本とする。事実、敬虔な仏教国であるタイ王国は、同性愛者に寛容な気風であることは、広く知られている。仏教の開祖ブッダは、出家する前まで、インドの地方豪族の皇子として自由奔放な生活を行ってきた。「伝統的な家族観」をそもそもブッダ自身が体現していないのだが、なぜかことさら、日本の仏教系新宗教を主力としてから構成される「日本会議」は、仏教本来の教えを部分的にせよ照射されているはずなのに、この仏教の「伝統」を否定しているようにも思える。 ともあれ、この仏教を源流とするこれら仏教系の「宗教右派」の支持の上に成り立っている日本会議は、「伝統的家族観」を最重要視し、従前から「夫婦別姓反対」「ジェンダーフリー反対」、の立場を堅持してきた。つまり、現在、保守派や右派が渋谷区のパートナーシップ条例に反対するロジックとして使用している、前述の「ジェンダフリーの流れで…」の基本的な反対の構造は、正しくこの「日本会議」の一貫した姿勢を忠実にトレースしたものと同じものなのである。保守派が同性愛を嫌悪する理由 4)儒教と保守 なぜ、本来仏教系団体を基礎とする「日本会議」が、ジェンダーフリーや、ひいては同性愛に不寛容なのか。 これについて私は、宗教問題に詳しく、仏教関係で数多くの著作がある著述家の星飛雄馬氏に詳しい話を伺った。星氏によれば、 1.そもそも日本の仏教は、元来のインド仏教の理念以外に、その伝播の過程で朝鮮半島や大陸から来た儒教の影響を強く受けている 2.そのため、元々インド仏教にあった「輪廻」(生まれ変わり)の思想になじみのない日本では、儒教などに由来する祖霊崇拝の傾向が強く、家父長制度を基礎とした長男継嗣の「墓守り」の思想がある 3.それゆえ、現在でも地方などでは仮に家督を継ぐべき長男がゲイだとすると、「誰が先祖の墓を守るのか!」と問題視されるような話もあるという 4.つまり、日本の仏教系の新宗教では、儒教の家父長思想の影響を色濃く受けているがゆえに、本来の仏教の教えとは外れた、同性愛への蔑視や禁忌の発想が生まれるのではないか ということなのである。なるほど、日本のみならず、朝鮮半島や中国など、いわゆる「儒教文化圏」では、同性愛に対する社会的差別が温存されているのは、このせいかと納得した。 こうした日本における宗教勢力、とくに保守や保守運動に隠然たる影響を与えてきた「宗教右派」としての「日本会議」が、仏教と儒教の混交体として、家父長制の思想を元にした、同性愛に対して辛辣な思想的源流が、有形無形の形となって保守と保守運動に照射されているのが、現在の状況を読み解く上でのカギとなるのは間違いはない。 繰り返すように、上記で例示した保守運動組織や団体が、「日本会議」の傘下にあるといっているのではなく、書類上は別個の存在であっても、「日本会議」に多くの保守系の政治家や文化人が集う現状を鑑み、この動きが一種、大きな保守界隈の潮流となって、無意識的にも、各人に強い影響を与えていることは間違いのない事実なのである。 ここで断っておくが、私はこのような、仏教徒儒教が混交した日本の仏教系新宗教のあり方や「日本会議」の構成要素を、「悪い」と言っているのではない。あくまでも、事実としてそのような傾向があると、指摘しているだけだ。宗教化する保守~アメリカ「福音派」と日本の保守宗教化する保守~アメリカ「福音派」と日本の保守 今回、渋谷区のパートナーシップ条例への保守派、右派の激烈な反対の姿勢は、ある意味、日本の戦後保守を考える上での分水嶺的事件になり得ると、私は考えている。 何故ならば、戦後における日本の保守は、一貫してして「反共保守」というイデオロギーの産物だった、ということだ。「反共保守」とは、読んで字のごとく反共産主義、つまりアンチ・ソ連だが、ソ連が崩壊して消滅した後、「反共保守」は敵を失い、漂流するに至った。 その過程で、つまり新しい敵を見つけるための運動が起こったのが、「ポスト・反共保守」以後の保守や右派界隈の動きである。その中から登場してきたのが、いわゆる「嫌中・嫌韓」のたぐいだった。 しかし、この度の渋谷区のパートナーシップ条例反対という動きは、これまでのイデオロギーに染め上げられ、イデオロギーの理屈で行動してきた保守・右派の中にあって、きわめて異質な、観念が優先する宗教色が強い姿勢であると言わなければならない。そこにあるのは、理屈抜きにして、宗教的で、観念的な感情である。 アメリカの「宗教保守」といえば、聖書原理主義者の「福音派」を指すことが多い。彼らは、「同性結婚」、ひいてはLGBTの問題に対し、激烈な反対の姿勢を示す原理主義者で、その大多数は、保守派である共和党の支持基盤になっている。科学的な理屈、政治的なイデオロギーよりも、宗教性が優先されるという、福音派にまま垣間見える性質が、いま、確実に日本の保守、右派の中に芽生えようとしている。 仏教と儒教の混交として生まれた日本の「宗教右派」と保守・右派の関係は、その両者を書類上は別個の存在としながらも、あきらかに同一する形で進んでいる。日本の右派も、アメリカの「福音派」のようなエッセンスが、いままさに一気呵成に注入されようとする、その契機を迎えていると私は感じている。 それが「良いことだ」とか「悪いことだ」とか言うつもりはない。ただし現状が、そうなっているの疑いが強いと、多くの人に知ってもらいたい、ただそれだけである。 願わくば性的マイノリティーの人々が、雑音に惑わされることなく、慎ましやかな生活を送れることができるよう、祈るよりほかない。(『Yahoo!ニュース個人』より転載)関連記事■ 沖縄基地問題で問われる「保守」のカタチ■ 「我が軍」と呼べば呼ぶほど憲法改正は遠ざかる(かも知れない)■ 木村草太が考える 日本国憲法とは何か?

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    終幕「橋下劇場」

    「僕みたいな政治家が長くやる世の中は危険です」。大阪都構想をめぐる住民投票が否決され、政界からの引退を表明した橋下徹大阪市長。都構想否決で大阪は浮揚するのか。橋下なき大阪に未来はあるのか。あっけない幕切れとなった「橋下劇場」の深層を探る。

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    大阪都構想 影響が大きい「政治論としての」敗北

     実に晴れがましい表情をしていた。大阪都構想の是非を問う住民投票において僅差で敗れた橋下大阪市長のことである。140万の投票総数に対してわずかに票差は1万票であるから、どっちに転んでもおかしくなかった。会見では、選挙期間中の発言どおり、年末の任期満了を持って政治の世界から引退する意思が表明された。 橋下氏からは、細かい敗因の分析も、恨みごとも聞かれなかった。本人の言のとおり、やりきった人間の潔さであろう。しかし、その後のインターネット上の書き込みを眺めるにつけ、一人の政治家がここまで期待され、あるいは憎まれてきたことに改めて驚かされる。 私の第一印象は、Bad for Osaka, Good for Japanというところだ。大阪にとって残念な、日本にとっては良い結果になり得るというものである。住民投票の結果を受け、笑顔で記者会見する大阪維新の会代表の橋下徹市長。右は松井一郎府知事=5月18日未明、大阪市 確かに、橋下氏本人にとっては、有終の美を飾るに十分な舞台であっただろう。しかし、都構想をめぐる戦いは終わっても、政治は続いていく。大阪も、日本も、続いていく。橋下氏本人の去就についてはいったん本人の弁を信じるとして、今般の住民投票の意義と、今後の展開について考えたい。 実は、今回の住民投票を通じて、直接的に問われたことがそれほど大きなことであったとは思わない。広域行政と住民投票を進めていくための役所の枠組みを、前者は大阪都に、後者を5つの特別区に再編するということである。あくまで制度の枠組みの変更であり、特定の政策の方向性と結びついているわけではないはずであった。 結果として、反対派による住民サービス低下を懸念するキャンペーンに付け入る隙を与えたと言ってもいいかもしれない。直接的な影響については今後の分析を待つ必要があろうが、選挙の終盤戦に敬老パスの存続がクローズアップされたのは示唆的であった。他の世代では賛成が上回ったにもかかわらず、70代以上の有権者の反対が勝敗を決したようであるからなおさらである。 むしろ、今回の住民投票の意義はその象徴性にあった。一つは、「政策論としての都構想」であり、地方分権の本質をどのように捉えるかということである。東京からより多くの分け前を引っ張ってくることを目指す分配重視の地方分権論が主流な中で、都構想は、大阪の自助・自立を重視する発想に立っていた。分配の原資が縮小する日本にあって、分配重視の地方分権論が早晩行き詰まることは皆分かっている。それでも、日本は変わってこられなかったし、今回も変われなかったわけである。道州制論者をはじめとする統治機構の改革を目指す際には、重要な教訓となるだろう。 「政治論としての都構想」の敗北は、さらに影響が大きいかもしれない。今般の、住民投票に向かう政治過程において維新の幹部が投入したエネルギーには目を見張るものがあった。賛否は別にして、日本の地方政治にあって、ここまで住民を巻き込んで、真剣に住民の支持取り付けに奔走した政治運動はなかったのではないだろうか。地方政治は、まだまだ、「よらしむべし、知らしむべからず」の世界である。橋下氏が、日本の民主主義をレベルアップさせたと胸を張りたくなるのも分かる。 ただ、日本政治全体が同じ教訓を汲み取っているかについては疑問が残る。今後、日本に民主主義の大きな意思決定を要する懸案が持ち上がったとき、政治家達は、国民の良識を信じて正攻法の政策決定を行うだろうか。十分な情報提供と説明責任を果たす道ではなく、有権者の感情を煽り、一時の利益誘導に走る可能性が高まらなかったか。 念頭にあるのは憲法改正の国民投票である。私自身、9条を中心とする憲法改正には意義があると考えているが、憲法改正そのものには意義があっても、国民投票を通すために付随して行われる政策やメッセージが、何でもありでは困るのである。 今回の住民投票は、現代の日本にあって、変化を望む側が、変化を拒む側を説得することの難しさを改めて浮き彫りとした。その結果が、変化を諦めることであっても、説得を諦めることであってもいけないと肝に銘じたい。 都構想の否決を受けて、大阪は現行の枠組みの中で改革を進めていくそうである。橋下氏という司令塔をなくし、メディアの注目もなくなるだろうから、漸進的な改善はあっても、意味のある水準の変化は期待できないだろう。大阪は、これまでどおりの衰退の傾向に戻るはずである。 大阪での未来が否定されたことで、橋下氏には、活動範囲を全国に広げ得る可能性が生じたとも言える。今後の動き方次第では、憲法改正のキーマンとなることも、野党再編の台風の目となることも想定し得る。いずれのシナリオにおいても展開が読めない劇薬パターンではあるが。橋下氏が築き上げたネットワークと稀代のコミュニケーターとしてのスキルは、政治家としてではなくとも、政治にインパクトを与えることはできる。自助・自立に基づいた地方分権の推進をはじめとして、日本には強引なリーダーが望まれる分野がまだまだある。関連記事■  大阪市「特別区設置住民投票」を考える経済学的ポイント■ こんな政治家みたことない 橋下徹は「本物」なのか■ 橋下徹が本当に冷たい人とは思わない

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    橋下劇場の負の遺産 大阪市民に長い廃炉作業が残されている

     橋下劇場は、御本人の政界引退により、呆気なく幕を閉じることになる。だが、今回の否決は、終わりではない。2010年3月に大阪維新の会が「大阪都構想」なるものを発表して以来、5年以上、大阪市民は不毛な内部対立に巻き込まれた結果、多くのものを失ったようにしか見えない。私たち大阪市民は、橋下劇場の負の遺産を、これから長く背負わなければならないだろう。 それにしても、橋下氏や大阪維新の会は、具体的に何がしたいのか。膨大な言葉が空虚に飛び交う中で、そのことがさっぱり見えないのだ。もちろん、抽象的なスローガンは飽きるほど聞かされて来た。しかし、具体的に何を目指し、何を実現するのか。そのことが、最後まで見えなかったのである。どう見ても、単なる思いつきを口から出任せに連発しているようにしか思えないのだ。本稿では、その一例として、大阪維新の会が長く主張している「地下鉄民営化」を取り上げることにする。 なるほど、「地下鉄民営化」という政策は、非常に具体的なようにも感じるかもしれない。だが、そうではない。何のために、どのような形で民営化するのか、それが分かってこそ、具体的な政策なのである。その意味で、大阪維新の会が掲げる「地下鉄民営化政策」は、ほとんど実態不明だとしか言いようがない。大阪市選挙管理委員会が発行した正式な「投票広報」の中に記された大阪維新の会の主張をみても、そのことがうかがえる。例えば、「敬老パスは市営交通以外に拡大!」という見出しの下に、次のように記されているのだ。敬老パスは各特別区の福祉予算の発行となります。地下鉄を民営化すれば、敬老パスの適用を市営交通だけに限定する理由はなくなります。大阪都構想によって地下鉄民営化実現すれば、敬老パスの利用は市営交通だけに留まらず、民間の鉄道会社への導入も可能となります。 いわゆる〈大阪都構想〉の具体的内容を御存知なく、大阪の地理や鉄道網に詳しくない方々は、この文章に対して特に疑問を感じられないかも知れない。しかし、大阪市民であり、「特別区の設置に関する住民投票」の有権者でもあった私には、上の文章が具体的に何を意味するのか、さっぱり分からないのである。 まあ、冒頭の「特別区の福祉予算の発行」という表現は、おそらく「特別区の福祉予算からの支出によって賄われる」という意味なのであろう。そこまでは、何とか理解できる。だが、次の文章以後は、全く意味が分からないのだ。地下鉄の民営化は、地下鉄が民間の鉄道会社になるということであり、市営交通としての地下鉄は存在しなくなるということに他ならない。となると、「地下鉄を民営化すれば、敬老パスの適用を市営交通だけに限定する理由」がなくなるのではなく、市営交通そのものがなくなるのであろう。となると、当然のことながら、「市営交通だけに限定」した敬老パスなど、そもそも存在し得ないだろう。 あるいは、市営交通にはバスもあるので、たとえ地下鉄が民営化されても、市バスは市営交通として存在するので、大阪維新の会のいう「市営交通だけに限定」されない「敬老パス」は、市営バスと「民間の鉄道会社」に使えるということであろうか。だが、それなら、わざわざ地下鉄を民営化しなくとも、市営交通と民間の鉄道会社の両方に使える敬老パスを発行することも可能なはずである。 さらに、「大阪都構想によって地下鉄民営化が実現すれば」という表現も、ほとんど理解不能だ。そもそも、5月17日の住民投票は、大阪市を廃止して特別区を設置するか否かを、大阪市民にのみ問うたものである。つまり、どのような投票結果になろうとも「大阪都」など出来るはずがなく、いわゆる「大阪都構想」とは関係がない。となると、住民投票の結果がどうであれ、地下鉄民営化はしませんと宣言しているようなものであろう。そして、地下鉄事業を民営化するのに、なぜ大阪市そのものを廃止しなければならないのか、なぜ大阪府を大阪都にしなければならないのか、その理由も全くわからない。 また、「敬老パス」は、「特別区の福祉予算の発行」というのだが、その適用範囲はどうなるのだろうか。たとえば、京阪電車は〈南区〉や〈湾岸区〉を通っていないし、南海電車は〈北区〉、〈湾岸区〉、〈東区〉を通らない。阪急電車は、〈東区〉、〈中央区〉、〈南区〉を通らないし、阪神電車は、〈南区〉と〈東区〉を通らない。そして、近鉄電車は〈湾岸区〉と〈北区〉を通らないのである。それにも関わらず、たとえば〈東区〉は、自区内を通らない阪急電車や阪神電車や南海電車でも使える敬老パスを発行するのだろうか。 問題は、まだある。たしかに近鉄電車は〈東区〉を通っているのだが、区内に存在する駅は、鶴橋と今里の2つだけ、両駅間の距離は約2キロに過ぎない。だが、近鉄電車そのものは、名古屋まで続いているのだ。一方、敬老パスの適用範囲を大阪5区内とすれば、新たな問題も発生してくる。現在の大阪市営地下鉄は、すでに八尾市や門真市や守口市や東大阪市や堺市まで伸びているからである。 極めつけは、「民間の鉄道会社への導入も可能となります」という表現だ。要するに、「可能」なのは間違いないのだが、実現するかどうかは別問題だというわけである。そんなことを言い出せば、予算さえあれば、非常に多くのことが「可能」になるだろう。これでは、説明にも何もなっていない。 現在でも、「株式会社スルッとKANSAI」が展開するICカード(PiTaPaカード)や、プリペイドカード(スルッとKANSAI対応カード)は、大阪市営地下鉄でも「民間の鉄道会社」でも使用可能である。つまり、市営交通と「民間の鉄道会社」の両方で使える「パス」くらい、そんなに大騒ぎしなくとも、予算さえあれば発行可能なのである。 以上は、ほんの小さな例かもしれない。しかし、一事が万事である。橋下氏や大阪維新の会は、やたら能弁であるが、具体的な中身は極めて空虚なのである。どう考えても、実際に何をしたいのか、全く理解できない。住民投票の反対多数でストップをかけたとは言え、我々には、まだ長い廃炉作業が残されている。われわれは、大阪市民の間に生じた深い亀裂を、粘り強く修復していかなければならない。やくしいん・ひとし 1961年大阪市生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京都大学助手、帝塚山学院大学専任講師、同助教授を経て、2007年より同大学教授。主な専攻分野は社会学理論、現代社会論、教育社会学。関連記事■ 実験台にされた大阪府民 都構想にみる橋下徹■ 紙芝居で勉強したら大阪都は「無駄使い5倍増計画」とわかった■ 「大阪市長vs在特会会長」のご都合エンタメ志向

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    69万5千人の民意の行方 橋下氏には責任がある

    著者 Dean 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪花の事は 夢のまた夢 皆様ご存じの通り、これは豊臣秀吉の辞世の句だが、大阪都構想の是非を問う住民投票で僅か1万票の差で反対が上回ったことで政界引退を決めた橋下徹大阪市長には、今際の際に立たされた秀吉と違って命まで取られるわけではないのだから思い直して頂きたい。不退転の決意表明だろうが彼には約70万人の大阪市民をその気にさせた責任がある。 投票結果はスコットランドの独立を問う住民投票どころの話ではなく、ちょっと転べばすぐ結果が逆転しかねないものだ。現実、スコットランド独立党は英国議会選挙で大躍進して同地域の議席を9割以上押さえたのだから、橋下徹には在野だろうが維新の党を率いようが、実現に向けて頑張って欲しい。仮に結果が逆だったとしても、それで大阪都構想がOKだとは思わない。反対者が同じ位居るからだ。だが民意が100万人を上回れば、流石の政府与党も都構想を無視できなくなる。 そもそも今回の住民投票については大阪を守ると称して、自民、民主、共産が街宣カーを一つに共闘体制を敷くなどという前代未聞のあり得ない事まで起きている。また、そうした大阪府選出国会議員の態度に菅官房長官が露骨に不快感を示すという内輪揉めまで起きている。そうまでして橋下徹と大阪都構想を葬りたい理由は地方公務員の数が丸々半分消えることに絡んだ利権絡みだろう。それ以外に納得出来る理由があるなら教えて頂きたい。「大阪都構想」住民投票で投票用紙を受け取る有権者=5月17日午前、大阪市福島区内の小学校(山田哲司撮影) 都構想自体が前代未聞のことで実現の際に生じる未知の事態や問題を理由にするなら、「新しいことはなにも出来ない。してはいけない」と言っているのも同じ事で、変革を極度に恐れるのであれば有権者の上に立って音頭をとる側の人間になってはならないという結論になる。一般の人間、つまりは有権者の側はなにを恐れ、どういう選択をしても構わない。それが有権者の持つ権利と、個人としての意見を直接施政に反映できない有権者の限界だ。70万人のNOにはそれはそれでまた意味があるし、未知の状況を恐れるのも当然の心理だ。所詮私は外野なので、70万の民意を否定する大それたことは言えない。 だが、仮にも為政者はそれではいけない。つまり、「政治家なんて向いていないのだから全員辞表を出せ」という話になる。下野した民主党が政権奪還を目指している行為もまた変革だし、ましてや一度も与党になったことがない共産党が政権奪取を目指すことも変革だ。そのつもりがないのに同党の政治家をやっているのなら今すぐ離党して欲しい。支持者への裏切り行為だ。また安倍晋三首相が進めている有事法制整備も憲法改正論議も大きな変革である以上、自民党員として避けて通れない筈だ。その場面ですら政府に政権与党の一人としてNO出す覚悟が本当にあるのか? ないならやめちまえという話になる。重要事項の決定において有権者を代表した立場にある以上、常に一つの問題に際して選択肢は二つ以上用意していなければならない。それが出来ないのなら政治家として“能無し”と言わざるを得ない。単に持論を他人に押しつけるだけの人間は政治家としては失格だ。そもそもあなた方はそう言って橋下徹を批判してこなかったっけ? 大体、大阪府と大阪市は全国の他の自治体に比較して公務員の数が多すぎるのだ。数が多すぎるせいで公僕として市民の為に働いていなければならない役所の人間が、平日の昼日中からデモ活動などの政治活動を行えるのだから始末に負えない。はっきり言って橋下徹が大阪都構想を否定されたところで、彼はどこぞの市長だった中田某氏と同様に「そこまで言って委員会」の論客に戻れば良いだけの話なので、一視聴者としてそれはそれで面白い。だが、むしろ死活問題なのは日本労働組合総連合会(連合)の支持で「先生」にして貰っている連中だろう。違法の存在である公務員の労働組合員が正統な手続きを経て有権者に選ばれた人間を自分たちの都合で否定しているのだからちゃんちゃらおかしい。 皆川豪志氏が書かれた「橋下徹という人間」という論文を拝読したが、ことは既に個人のレベルを超えている話だ。彼が貧困から立志した成功体験者でワンマンかつ自分に出来ることは他人にも出来ると考える人間だろうが、似たような経歴のブラック企業トップと違ってサイコパスではさすがになかろうし(もしかして婉曲にそうだと言いたいのなら謹んで拝聴する)、彼の夢を支持する人間が70万人いる。それともなにか。客観的にみて橋下徹と同類の、私が敢えて冒頭で取り上げた豊臣秀吉という偉人さえも否定するというのか? もしそうなら同感だ。はっきり言って私は豊臣秀吉という人間が大嫌いだし、彼が山崎の戦いだろうが賤ヶ岳だろうが、小牧・長久手だろうがさっさと敗死していさえすれば、千宗易のように日本国の歴史に貴重な貢献を果たした真の偉人がむざむざ死なずに済んだと思う。また、杜撰そのものに始めた唐入りが朝鮮半島、中国大陸との外交関係に落とした暗い影は口にするまでもない。この一件で冷え切った半島との関係改善のため、徳川幕府が朝鮮通信使接待などという低姿勢で関係修復を行わなければならなかったことも含めて現代まで続く両国と我が国の基本的関係の土台(特に半島における「恨」)を作ったことを考えれば、彼の罪は我々ずーっと後の子孫にも及んでいるのだから始末に負えない。唐入りは明国を婉曲に滅ぼし、半島にキムチを産んだが、それを歴史的偉業というのは皮肉でしかない。 親族の大量虐殺を行い、朝廷の人事にまで介入し、現職の関白を元関白(太閤)が事実上独断で退陣に追い込み、僧籍に入った者には死を免じる不文律をも破った。信長・家康でさえやらなかった官位を褒美がわりに乱発する暴挙にも及んだ。そもそも旧主信長を極悪非道の暴君と喧伝したのも簒奪者である彼の仕業だろう。秀吉の数々の暴虐は歴史的な汚点でしかない。豊臣姓も天皇家が敢えて豊浦大臣の異称を持つ蘇我蝦夷の例に従ったのならその真意も伺い知れるというものだ。まあ現実、摂関家独占という藤原氏の特権を強奪したのだし、少なくとも蘇我氏と同様に藤原一族の敵とみなされたことは明白だ。後に家康が征“夷”大将軍を拝命することになったのもなにか暗喩めいている。 自分で主張しておいてなんだが橋下徹と似てはいるが、彼はここまで暴虐ではない。武力を背景に権力の座についたわけでなく、有権者一人一人の民意を束ね、望まれて権力の座についたのだ。似ていると言ったこと自体が橋下氏に失礼だとさえ思う。 なんにせよ、夢を見せた人間には夢を見せた責任があると思う。外野なのが残念でならないが、あと1万、あと30万の支持を頑張って取り付けて欲しい。そして大阪都を実現してこの国の施政に大きな石を投じ、変革を促して欲しい。こちらは切に願ってやまない。関連記事■ 橋下徹が本当に冷たい人とは思わない■ 実験台にされた大阪府民 都構想にみる橋下徹■ こんな政治家みたことない 橋下徹は「本物」なのか

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    橋下痛恨の敗戦、「勝てる戦」を落とした命運は結局「女性問題」

     橋下徹さんが背水の陣で臨んだ大阪都構想の重要政策のひとつ、大阪市を5つの特別区に割るという内容の是非を問う住民投票が17日行われ、投開票の結果は僅差での否決となりました。ともあれ、維新の会もその他政党関係者も関わった方、皆さんお疲れ様でした。 維新の会の党勢拡大を見込んで橋下徹さんに将来の閣僚ポストを約束し、将来の参院選を経て憲法改正を目論んでいたとされる安倍政権の狙いは崩れ去ったのかもしれません。しかしながら、有り体に言えば維新の会の結党の根拠でもある重要政策について、住民投票の結果落としてしまうようでは計算が立たないのであって、仕方がないのかなとしか思いません。 いま各投票地域と属性別の出口調査から大阪市民の「民意」を割り出す作業が各所で進んでいると思います。現段階で確実にいえることは、維新の会自身の支持率はゆっくりと衰退しながら30代男性の働いている有権者を中心に形成されていて、次なる党の結束を可能とする種となる政策を作る必要があった、ということです。週刊誌の“愛人と浮気”報道について会見する橋下市長。「事実と事実でない部分がある」とコメントした=2012年7月18日、大阪市役所 支持属性別で見ると、ざっくり大阪市全体でみるならばここ2年間、一貫して数字を下げているのは女性全般です。2012年6月に週刊文春が橋下徹さんの女性問題を報じて以降、有権者が納得する形で釈明がされておらず、少ないサンプル数ではありますが毎回支持しない理由として上位に「政治家としての資質・異性問題」が入っている現実があります。政策や社会のあるべき姿が政治家として重視されるのは政治家として大事であるのは言うまでもありませんが、そういう綺麗事とも取れる表現を吐く「人物」の問題はどうしてもつきまといますし、ネットなどで話題には上らなくなっても忘れ去られることはないという現実があります。 要は、「何をしたか」「何を言ったか」だけではなく、「誰が言ったか」「それはどういう人か」もとても重視されるのが現代政治であるということです。 これは政治家・橋下徹の限界点であると共に、その橋下さんの能力と知名度を頼りに党勢を維持してきた維新の会の命運の問題でもあります。 とはいえ、僅差での敗戦とは、70万票弱の有権者の賛成があったということでもあります。大阪市に限らず、日本の地方都市において改革が求められているのも事実です。ただ、そのやり方や、誰がやるのかというところで有権者の賛否が別れ、維新の会が敗れ去ったのは仕方のないことですので、うまくそのあたりの状況をきちんと分析して、関係各位が対策を立て盛り返して国民の請託に応えられるような政治にしていってほしいと強く願う次第です。関連記事■ 野党であるために何ができるのか?■ 正念場の維新を横目に上西議員は除名で年収UP期待の皮肉■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ

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    「都構想住民投票」で浮き彫りになった大阪の「南北格差問題」

    の財政を圧迫している。こういった市の中にある超過密木造住宅地域は、特に阪神大震災以降、防災の観点から地方自治体主導で積極的な改善策が実施されているものの、全てをカバーしているとは言い難いのが現状だ。 このような事例は、中小企業や町工場の多い大阪市南部や東大阪など、大阪府東部・南部の周辺地域でも顕著に見られる現象である。 一方、大阪市のみならず大阪府や、その通勤圏全体を俯瞰した場合、淀川の北部、所謂「北摂(ほくせつ)」と呼ばれる地域(豊中・吹田・池田・高槻・摂津・茨木)等や、前述した「阪神間モダニズム」を受け継いだ阪神地区(神戸・西宮・芦屋・伊丹・宝塚)等は、こういった問題とはほとんど無縁の高所得地帯を形成しており、関西随一の高級住宅街を形成している。 つまり大阪通勤圏全体で観た場合は、淀川を挟んで北部(北摂・阪神)と、それ以南の南部(大阪市南部・河内・泉州)の明らかなる地域格差が存在しているのだ。 余談だが、ゼロ年代に一世を風靡したアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』はこの中の一つ、兵庫県西宮市(夙川周辺)を舞台にした作品であり、同じ関西を舞台にした『じゃりン子チエ』(大阪市西成区=同市南部)と、直線距離で20キロも離れていないが、街の風情は「まるで異国」と思えるほど、圧倒的に異なる。 大阪市内の「南北格差」のみならず、関西圏全体を俯瞰した場合でも、この「南北格差」は淀川を挟んで明らかに顕著であり、その差は東京の東西の差とは比較にならぬほど大きい。大阪市も大阪府も「南北格差」 大阪都構想の話に戻ると、大阪市北部が賛成、大阪市南部が反対という構図は、まさにこの「南北格差」を背景にしているだろう。すなわち、比較的所得水準が高く、都市の再開発も進んでいる「キタ」を中心とした大阪市北部と、高度成長時代の産業構造を転換することができず、成長から置き去りにされた、低所得地域が多い大阪市南部の格差である。 試しに高所得世帯の分布を観ると、明らかに大阪北部と、そして大阪府全体を観た場合でも大阪府北部にその数が偏重していることが分かる。以下の表は、関西圏における高所得世帯が居住する自治体のTOP30を表したものである(”首都圏と近畿圏における高額所得者の居住地分布に関する研究(近畿大学)”論文の掲載データからの引用=2007年度)。 これをみても一目瞭然のように、大阪市内に限れば、高所得自治体は「キタ」エリアの代表格である大阪市北区(西天満・梅田)が4つもランクインしている。また大阪府下に視点を広げてみても、高所得世帯が住む街には、伝統的な大阪通勤圏の北部、つまり「淀川以北」の北摂・阪神間の、芦屋・西宮・神戸・宝塚の「阪神間モダニズム」地域で独占されていることがわかろう。淀川以南でわずかにこれにランクインしているのは、大阪府東部の八尾市の一町だけである。いかに大阪市内で「南北格差」が顕著であり、また大阪府下でも「南北格差」が熾烈なのか、伺えるというものだ。改革を拒否した低所得地域改革を拒否した低所得地域 大阪都構想は、大阪市を排して大阪都を置き、市と府の二重行政を一挙に解消して合理化を図ろうという大胆な構想であった。その実効性を巡っては百花繚乱の議論状況を呈していたし、冒頭から繰り返すように私は大阪府民ではないので、この「都構想」の実際の予想効果の判定については、ここで敢えて評価する立場にない。 しかし、一般的には、所得の高い地域の層、つまり比較的生活に余裕のある層は、橋下氏の訴えたような改革的な風潮に一抹の心地よさを感じたことであろう。一方、所得の低い地域の層、つまり生活に余裕の無い層は、実際的な「都構想」の実効性はともかく、何事にも「急進的改革」には拒否反応を示すのは、古今東西の歴史が示すとおりである。 1959年にキューバで「キューバ革命」に成功し、親米独裁のバティスタ政権を打倒したチェ・ゲバラは、次なる革命を「輸出」すべく南米ボリビアで革命動を行ったことは良く知られている。しかしゲバラは、現地の農民が僅かのばかりのカネで政府軍に買収され、その居場所を密告されたため捕らえられ、ボリビアで処刑され没した。 なぜゲバラはキューバでは成功して、ボリビアでは失敗したのだろうか。それは巨視的にはボリビア人民が貧しすぎて改革を拒否したからである。スティーブン・ソダーバーグ監督の映画『チェ・39歳別れの手紙』(2008年)では、その時の模様が克明に再現されている。 貧しさに耐えかね、その日の日銭もままならない、キューバよりも圧倒的に後進的だったボリビアでは、革命や改革の機運は起こらなかった。人民は貧しさの中、遠大で崇高な目標よりも、その日の晩飯を喰らう日銭を重視したのである。貧しすぎると人々は却って保守的になり、革命や改革は起こらない。フランス革命やロシア革命の主導層が、貧困に苦しむ農奴や都市労働者ではなく、中産階級のインテリであった事と似ている。このことは言葉を慎重に選ばなければならないが、まさに「皮肉」という他ない。 大阪都構想の「南北問題」をこの、チェとボリビアの関係に割り当てるのは若干不謹慎だが、私は、この顕著に示された「南北問題」の投票結果の地域差を鑑みて、この故事をまじまじと思い出したのであった。大阪のゆくえ 現在、大阪市の「ミナミ」に代表される大阪市南部は、横浜ランドマークタワーを超える日本一の高さを誇る複合ビル「あべのハルカス(300m)」が落成し、新しい求心力を獲得しつつある。それに呼応するように、これらの中心部は主に鉄道の利便性を生かして富裕層向けのタワーマンションが開発されている。このような意味では、「ミナミ」の中心たる浪速区はやや活況を呈している。停滞するのは再開発に湧く「ごく一部のミナミ」以外の、広域な南部一帯であろう。 それでもやはり大阪市南部は路地を一歩入ると、そのあまりの格差に愕然とする。例えば「ミナミ」の一角を占める日本有数の電気街であった浪速区の日本橋筋は、ゼロ年代に大阪「キタ」にヨドバシカメラの旗艦店「ヨドバシカメラマルチメディア梅田店」が開店したことにより一挙に電気街としての地位を失い、往時の輝きはない。大阪市南部の中にも、更にムラがある状況だ。 日本橋筋は「西の秋葉原」等と言われてメイド喫茶や同人誌販売店などが細々立地するものの、所詮ローカルの趣味人相手であり、「ヨドバシカメラ梅田」や「本場の秋葉原」には対抗できず、店先には閑古鳥が鳴く。大阪南部の凋落は広域に及んで改善の気配は中々見えない。 ヒト・モノ・カネが大阪市北部と、俯瞰すれば大阪府北部にますます流れこむ時、橋下氏の訴えた「大阪都構想」はある種の起爆剤になり得たとも言えるし、なり得無かったとも言える。肯定的に見れば疲弊する大阪市の南部を二重行政から救えたかもしれないし、否定的に見れば土台、東京と比較にできぬ「南北格差」は、都構想とて解消できぬほど深い根本的問題と捉える事もできよう。繰り返し言うように、私はこれを以って「都構想」の賛否を表明するものではない。 大阪府全体が神奈川県の人口に追いぬかれて全国人口順位三位に転落した大阪の凋落は、市・府を問わず誰の目にも明らかである。そのことを踏まえて、現地・大坂の危機感は相当のものが伝わってくる。今回、「大阪都構想」は否決されるに至ったが、この危機感の共有は、「都構想」への賛成・反対、そのどちらの陣営も共通して持っている感覚なのは否定出来ないだろう。 私は、青年時代・大学生時代の十余年を過ごした関西を「第二の故郷」と思っている。私は大阪と関西を愛している。「都構想」に関わらず、大阪再興の方法は、縷縷あると思う。個人的に「大大阪」の復権を切望するものだ。そして、それは必ず、将来において「なる」と確信するものである。大阪府民の選択を尊重しつつ、大阪の将来展望は今より始まるものだと、肝に銘じるべきでろう。※Yahooニュースより転載関連記事■ 「スネ夫」的生き方を是とした橋下徹の少年時代■ 「我が軍」と呼べば呼ぶほど憲法改正は遠ざかる(かも知れない)■ 正念場の維新を横目に上西議員は除名で年収UP期待の皮肉

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    紙芝居で勉強したら大阪都は「無駄使い5倍増計画」とわかった

    純丘曜彰(大阪芸術大学芸術学部教授)(ビジネスメディア『INSIGHT NOW!』より転載) ホームページのへんな紙芝居で勉強したぞ。弁護士や政治家としては、屁理屈上等なのだろうが、純粋に論理学の観点から見ると、ひでぇなぁ、この説明を本気で言っているのかよ、と思った。政治のことはようわからんし、名前なんか、府でも都でもどっちでもいいけど、論理のイカサマには、学者として一言ある。 推進側の紙芝居を要約すると、区はカネを市に無駄に使われている。だから、市を無くして大阪都を作れば区の分け前が増える、という話。わかりやすいが、わかりやすい話は、おうおうに、もっと別の絵図を隠すためのもの。「大阪都構想」特別区設置住民投票を告げるポスター 市が無くなれば、市の無駄使いも無くなる、というのは、理屈としては当然。だが、それは、「市」としての無駄使いが無くなるだけで、新5区の無駄使いが今後に無いことまでは保証しない。同じやつらを五分割したって、民度が上がるわけじゃなし、やっぱりこれまでと同じ無駄使いをやるだけじゃないだろうか。それどころか、たった一つの市ですらこのありさまなんだから、新5区は、きっと250メートル級の超高層タワービルをそれぞれに競って、さらに五本もおっ建てまくると思うぞ。 そないアホなことがあるか、と言うだろうが、府と市ですでに二本も超高層ビルを競っておっ建てよるなどという、アホなことをほんまにやらかしててきた実績があるのが大阪区民の偉いところ。「都」になったって、このアホ加減が治る理由が無かろう。(こっちはアホなこと言うてるだけ。アホなことやってけつかるやつらには、ようけかなわん。) これまで「府」の言うことも聞かないで、好き勝手やってきった連中が、しおらしく「都」の言うことを聞くようになるとは、とうてい思えない。まして隣の区の言うことなんか、聞くものか。内政干渉だ、住民自治だ、地域の公平性が足らん、とか言って、図書館だって、体育館だって、ドームだって、動物園だって、植物園だって、科学館だって、区民の民意、区民の総意として、市にあるようなものはすべて、それぞれ自分の区に、他の区よりでかいのを作るぞ。 つまり、無駄使いは、むしろいまの5倍に膨れあがり、その拡大競争を止められなくなるんじゃないのか。ここに新規に、得体の知れない民間業者をかませれば、これほどおいしい政治話はあるまい。そりゃ、これに便乗して計画を推進しようという連中が多いのも無碍なるかなというところ。 そもそも「区」という名前が同じなのが、大きなマヤカシ。これまでの大阪市の24区は政令指定都市の「行政区」と呼ばれるもので、都の下の「特別区」とはまったく法律的に別。行政区は、あくまで市の執行部局にすぎないのだから、市の決定を経ずに使える予算がほとんど無かったのは当然。一方、都の「特別区」になると、じつは、市よりおいしい。ふつうの市なら自分でやらなければならない上下水道や消防、交通、病院、住宅などの面倒は、都に丸投げ。その負担は、堺市や東大阪市、高槻市、さらには千早赤阪村までをも含む都の予算でまかなう。つまり、実質的には、健全な周辺諸市が大阪新5区のカネの面倒をみてやることになる。 東京の場合、高度経済成長期以来、東京区部に会社(法人)があり、都下がその従業員たちのベッドタウンであったために、区部で大きく都民税を吸い上げて都下の発展に資する財政構造が必要だった。しかし、都市再開発で区部の高層マンションに住む区民が増えてくると、無意味な税収の都下流出を嫌って、むしろ東京都から独立して、「特別区」から「市」へ昇格する要望が高まっている。つまり、いまさら「特別区」という発想の方が時代に逆行している。 一方、大阪の場合、昔から職住接近で、大阪市内に住んで、大阪市内で働いている人の比率がもともと高い。東京都のように、特別区と市をまたいで税収を再配分する社会的な根拠に欠ける。にもかかわらず、いまさら時代錯誤な特別区化を強行しようとするのは、もともと大阪都構想の本当の目的が、かつての東京とは逆に、都下から区部への再配分、区部の借金を都下の税収で穴埋めすることだからではないか。 しかし、区部の放漫体質そのものをどうにかしない限り、大阪都を介しての代理返済は、かえって事態を助長悪化させるだけ。大阪都下の健全な市町村に住んで働いているまともな一般市民から吸い上げた「都民税」を、「大阪中心部の発展」を名目に、区部の行政と住民の生活保障と無駄使いのために、返済無期限のサラ金ATMとして、永遠無限に注ぎ込み続けなければならなくなる。 今回の住民投票は大阪市民だけでかってに決めるということだが、自分たちの無駄使いを今後は周辺諸市のカネでやる、好き勝手にカネを使っても、そのツケを払うのは、外の連中、なんていう、こんなうまい話、借金漬けの大阪市の住民たち自身が反対するわけがあるまい。 だが、外から見れば、やつら、市の予算を喰い潰した挙げ句、こんどは府の財布にまで手を出すつもりなのか、えげつないなぁ、という印象。区を府に直結させる、というのは、本来なら大阪府民全体が関わる大問題なのに、あたかも大阪市だけの話であるかのように話を小さくごまかしているのも、どうもうさんくさい。まあ、いずれにせよ、政治もなんもわかっていない、こんなドシロウトの言っていることだから、あてにはならんが、ドシロウトにまで簡単に疑われてしまうようなカラクリは、実際には、そう、うまくはいかないと思うが。(大阪都になって、いずれいつか周辺諸市側の財政再建派がその都知事になったら、区部はカネの蛇口を止められ、一気にシオシオのパァや。人の財布を当てにするのもええが、自分たちの財布が無くなる意味も考えといた方がええんとちゃう?)すみおか・てるあき 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。関連記事■ 「スネ夫」的生き方を是とした橋下徹の少年時代■ 「大阪市長vs在特会会長」のご都合エンタメ志向■ 正念場の維新を横目に上西議員は除名で年収UP期待の皮肉

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    若き大阪市民に知らせたい「大阪市職」の不埒な悪行三昧

    木走正水 さて、大阪都構想の是非を問う住民投票の実施日「5月17日」まで数日となりました、投票権を持つのは20歳以上の大阪市民約215万人です。 各メディアによる世論調査では「都構想反対」が「賛成」を上回っている模様です。 初めに本件における当ブログの立ち位置を明確化しておくことがフェアでありましょう。当ブログは東京都在住で大阪府、大阪市とは何の因果関係も有しません。本件では従って原則は大阪市民の意思を尊重いたします。 そのうえでですが、当ブログは「大阪都構想」が実現できるかわかりませんが、政令指定都市「大阪市」解体に限れば、断固支持するものであります。(関連エントリー)2015-03-17 大阪市解体を断固支持する理由http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20150317 従って、今回は投票権を持つ大阪市民、なかでも若き大阪市民に正しい判断を期待して、当ブログ読者とともに、そもそも橋下氏の『大阪都構想』がなぜ生まれたのか、原点に戻った問題提起を試みたいと考えます。 ここに大阪市労働組合連合会(市労連=連合に属する七組合)の中核を成す『大阪市職員労働組合』のホームページがあります。 若き大阪市民のみなさん、上記リンク先を参照して見てください、「We Say NO! 5.17 Osaka」とおしゃれなフラッシュが邪魔くさく出現、執行委員長の「大阪市を廃止し、解体する「特別区設置協定書」には反対です」とのメッセージが続きます。 市職員の労働組合が「大阪市が廃止」されるのに反対なのは当然だろうって、若いみなさんはお思いかもしれません。実はそもそも彼らこそ「大阪都構想」の悪しき生みの親なのであり、本件で彼らに意見を言う資格などまったくないのです。 このホームページのどこを探しても11年前に発覚した彼らのみなさんの税金をむさぼる不埒(ふらち)な悪行三昧は出てきません。ただ、「大阪市職とは―ごあいさつ―」のページにけったいなけったいな文章が「なごり」をとどめています。大阪市職とは-ごあいさつ-地域社会改革の原動力として志高く新しい一歩を踏み出します 私たち大阪市職員労働組合は2006年2月で結成60周年を迎えました。60年の運動の歴史の中、諸先輩組合員のご労苦と、関係諸団体の皆さんのお支えに対し、心からの感謝と敬意を表します。 さて、この間の大阪市問題に関わり、私たち労働組合に対しても多くのご批判が寄せられました。私たちは、こうした事態を大変重く受け止め、見直し・改革すべき事項については真摯に取り組んで参りました。 改革に向けた取り組みの一環として、自らの説明責任を果たすため、当ホームページを開設いたしました。組合員はもとより、広く市民の皆さんに情報発信をおこなって参ります。 60年前の組合結成当時の「地域社会改革の原動力としての労働組合」という原点を再確認し、公平・公正な社会の実現に向け、志を高く大胆な運動に挑戦していく決意です。皆様のご指導、率直なご批判をお願いします。2006年3月大阪市職員労働組合大阪市職員労働組合ホームページ 「この間の大阪市問題に関わり、私たち労働組合に対しても多くのご批判が寄せられました。私たちは、こうした事態を大変重く受け止め、見直し・改革すべき事項については真摯に取り組んで参りました」ってなんのことでしょうか。 話は11年前、平成16(04)年11月に戻ります。大阪市北区の大阪市役所 すべての発端は、大阪のMBS(毎日放送:TBS系列)のテレビの夕方のニュースワイド番組において地味なスクープ報道を流したのがきっかけでした。 それは「大阪市役所職員のカラ残業の実態」を報道するものでした。 最初はよくある公務員の不正事件ぐらいの報道だったのですが、MBSの情報源はおそらく内部告発者だったのでしょう、その後も精度の高い不正情報が次々に報道され、やがて他のメディアも追随、全国レベルでの大報道合戦となっていきます。 その不正内容は、条例に規定のないヤミ退職金・ヤミ年金、五種類のヤミ昇給、厚遇のヤミ福利厚生費、ヤミ組合専従、さらには大量の天下り団体の発覚などなど、もうやりたい放題、最終的には全国紙の社説でも大阪市および市職員は厳しく糾弾されることになります。 多くの国民が激怒したのはこの一連の不正が役所ぐるみ組合ぐるみで巧妙に行われてきたことに対してだけではありませんでした、財政破綻ギリギリの当時の赤字自治体大阪市において、報道によって大阪市職員の厚遇ぶりも報道されたからです。 優良企業でもありえないこのような高待遇や不正が財政破綻寸前の自治体で行われていることに、国民やメディアがこぞって批判したのであります。 では当時大阪市はどのような財政状況だったのでしょうか。 平成16年当時、全国の政令指定都市は北は北海道・札幌市から南は九州・福岡市まで13存在しました。その中でもお荷物的存在というか特に財政悪化が顕著だったのが、大阪市と神戸市の関西政令2都市だったわけです。 具体的検証は下記エントリーでしていますので、お時間のある方は参考まで。(参考エントリー)2015-03-17 大阪市解体を断固支持する理由http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20150317 検証結果をまとめますと、当時つまり平成16年度(04年4月~05年3月)における大阪市の財務状況は、赤字自治体で経常収支比率が103.6%と最悪で自治体において自由に使えるお金などまったくない状況で、かつ市民一人当りの借金も114万8806円と膨大に膨らんでいる中で、なんと国家公務員よりも高給(101.4)な職員を政令地方都市の中で一番(1000人当たり12.29人)多く抱えていたわけです。 そしてこのようなただでさえ財政破綻状況の中の厚遇を受けているのに、さらに条例に規定のないヤミ退職金・ヤミ年金、五種類のヤミ昇給、厚遇のヤミ福利厚生費、ヤミ組合専従、さらには大量の天下り団体の発覚など、自治体ぐるみ組合ぐるみの不正が次々と発覚したのであります。 しかし当時発覚した『大阪市職員労働組合』などの税金をむさぼる不埒(ふらち)な悪行三昧はひどいものでした。・・・ 「民間は金がなければ給与も退職金も賞与も出ない。大阪市は財政破たんしているのに税金を食い物にしている」と、さまざまな怒りの声が寄せられていました。 カラ残業は、残業をしてもいないのにしたことにして残業代を受け取るというもの。この労使のなれ合いによる不法行為は、市内の二十四区役所と本庁の二十五局中二十局で発覚。市の会計管理検討委の調査で二〇〇三年度九千件以上ありました。二〇〇四年度(四月から十月までの七カ月)は、約五千五百件あったことが明らかになっています。 大阪市の当時の職員数は約四万八千人。このうち同市は、係長級以下の職員約二万三千人に制服の名目で一人当たり三万数千円相当のスーツを支給していたことも判明。「税金を私物化していた」のです。 また、条例にもとづかないヤミ年金・退職金の積み立てのために、市は一九九三年から十一年間で約三百四億円を職員互助組合に支出していました。退職時に上限四百万円が支給されていました。 その一方で、大阪市は市民に重い負担を負わせる予算案を提案し、自民、公明、民主各党などの既存政党はもろ手を挙げて賛成成立させてきたのです。 大阪市はヤミ年金・退職金にあてる掛け金の大部分を、市職員互助組合に支出していました。二〇〇三年度は交付金として約四十五億円を支出。このうち二十三億六千万円がヤミ退職金・年金の原資となりました。 この原資の予算・決算を労使で議決していたのが、大阪市職員厚生事業協会です。同協会は一九八八年七月十八日に設立。規約によると会長は市総務局長を、理事長は市労連委員長をそれぞれあてます。 二〇〇五年三月の大阪市議会で明らかになった大阪市厚生事業協会の議事録(二〇〇四年七月二十二日)は、最後に「事務局」の発言で「各資料の取り扱いにつきましては、理事会・評議委員会限りということで、くれぐれも情報管理の程よろしく」とあり、ヤミの会議であることを物語っています。 つまり確信犯であったのです。(参考記事)大阪市職員「厚遇」ぜったい変やhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-25/03_02.html・・・ まとめます。 当時、大阪市民でなくともこんなデタラメな自治体はいらないと多くの国民が憤ったのは無理からぬわけです。 過去の『大阪市職員労働組合』などの組合ぐるみの税金をむさぼる不埒(ふらち)な悪行三昧は、今回の住民投票の判断材料として、決して消え去るべきではないと考えます。 なぜならこここそが「大阪都構想」の原点であるからです。 「大阪都構想」に関しては、賛否両論起こっておりますが、大阪市市議会、大阪市職員並びにその関係者の意見は、若い大阪市民の皆さんは全く聞く必要はありません。 彼らは保身のためのポジショントークでいろいろな反対論を唱えていますが、そもそも彼らこそ「大阪都構想」の悪しき生みの親なのであり、本件で彼らに意見を言う資格があるはずがありません。 大阪市が解体されれば全国政令都市で初めてのこととなります。そのぐらいの荒療治をしてもかまわないと当ブログは考えます。 大阪市民の正しい判断を期待しております。(「木走日記」より転載)関連記事■ こんな政治家みたことない 橋下徹は「本物」なのか■ 橋下徹が本当に冷たい人とは思わない■ 「スネ夫」的生き方を是とした橋下徹の少年時代

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    大阪都構想、やってみなはれ

    橋下徹大阪市長が政治生命をかけた「大阪都構想」の是非を問う大阪市住民投票が5月17日に迫った。反対派優勢との情勢が伝わる中、賛成派も巻き返しを図る。都構想は改革か、それとも破壊なのか。二者択一の選択で揺れる大阪市民のみなさん、ごちゃごちゃ悩まんと(やれるもんなら)やってみなはれ。

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    大阪市「特別区設置住民投票」を考える経済学的ポイント

     大阪にはまったく縁がない。住んだこともないし、あまり知人もいない。わずかに先祖の誰かがいたぐらいだ。いや、正確にいえばここ数年、しばしば縁をもらっているといえるかもしれない。例えばTwitterやブログで橋下徹大阪市長の発言をとりあげるたびに、匿名の人を中心に猛烈な批判を僕自身が浴びることがある。橋下市長のそれこそ箸の上げ下げにも文句をいうレベルでだ。先日もtwitterで特別区構想にともなう各特別区の長期財政推計(粗い試算)について触れたら、まったく関係ない文脈で長々と「批判」をうけた。客観的な分析よりもどうも感情的な嫌悪感や、イメージだけの「新自由主義批判」や「民主主義を否定する独裁者」みたいなものが、いままで僕個人レベルがうけてきた「批判」だった。似たような反応は安倍晋三首相に対してもあり、このふたりは何かネットの匿名子を中心に感情的反発を招くアイコンだといえよう。大阪市役所の掲示板に貼り出された「大阪都構想」住民投票の日程を記した告示文書=4月27日(寺口純平撮影)「政策の割り当て」 さて大阪市の「特別区設置住民投票」について簡単に私見を述べたい。この住民投票は、政令指定都市である大阪市を5つの特別区に再編成することを認めるか否かを問うものである。経済学ではしばしば「政策の割り当て」という観点が重要である。政策の目的がきちんと定義され、その目的に適合した政策手段が採用されているかどうか、それが経済政策を考えるうえでは基本中の基本といえるものだ。 今回の住民投票を考えるときもまずこの「政策の割り当て」の観点を採用することが必要だろう。「特別区設置協定書」やその解説パンフレットをみると、特に経済的な側面では、政策目的は「二重行政の解消」に絞られる。そしてその目的を実現する手段が特別区の設置(同時に大阪市の解体)ということになる。 「二重行政」の弊害は、成長分野の産業政策、港湾、モノレール、地下鉄・バス、病院、卸売市場等の分野で、市と府との行政が重なってしまうことの経済的な損失として評価されている。確かに広域に及ぶ行政サービスは府に移管し、そしてより身近なサービスは特別区が割り当てて行うことは経済的な効率性に資する。しばしば「効率性」を単なるムダの削減や、サービスの低下のように誤解するむきが多い。しかし経済的な効率性とは、消費者(ここでは市民)の厚生を増すことで実現される。先の政策の割り当ての観点からいっても、府と特別区の職務の割り当ては経済的効率性(市民の厚生増加)にかなっている。 例えば仮に、この府と特別区による「二重行政」の解消で、大阪市民(特別区が実施される段階では旧市民になるが)が従来よりも行政サービスが劣ると考えるならば、そのときの特別区の区長または大阪府知事に選挙でノーをつきつければいい。ちなみに現在の大阪市は特別区になっても従来のサービスの低下はない、と保証している。もちろん橋下批判の定番では、全般的な行政サービスの低下が起きるのはほとんど確定しているらしい。でも、それはあまりに一方的すぎるように思える。「改革手法」 政策割り当てに続く二つ目のポイントは、改革をビックバン型ですすめるか、それとも漸進的改革ですすめるかである。今回の住民投票は明らかに前者のビックバン型改革だろう。旧来の既得権益を一気に変更しようという政策だ。当然に抵抗も多いだろう。他方で、漸進的改革というのは、旧来の既得権益と妥協しながら、全体のパイを拡大する中で次第にその既得権益の変更を行うことである。例えば大阪市の経済的状況が改善する中で、職員の削減や地下鉄の民営化などを行う。職員は削減されても経済状況が良くなっていれば再就職もスムーズにいく可能性が大きい。地下鉄の民営化も運営が楽になるかもしれない。もちろん他方で漸進的改革は、既存の既得権益が維持されやすいので、改革そのものが途中でとん挫しやすい。ただ従来の体制からの連続性があるので、市民の多くは改革の過程やその帰結をイメージしやすいだろう。ちなみにいまの大阪市の経済状況、例えば雇用状況をみてみると、有効求人倍率などここ2年ほどで大幅に改善している。ただしこれは大阪市の力というよりも、アベノミクスの成果を反映してのものである。 他方でビックバン型改革は、改革初期において鋭く従来の既得権益と対立する。そのため改革する側は、さまざまな過激な抵抗をうけやすい。また旧来の体制がまったく変化することで、市民にとっては改革過程やその結果を予測することが難しいという問題もあるだろう。ただし改革に要する時間の節約という最大の成果を得ることができるのがこの種の改革手法のよさだ。漸進的改革もビックバン型改革もいいところも悪いところもある。いずれの改革手法を選ぶかは、市民の側の「選好」(政治的好み)に大きく依存してしまう。 政策の割り当て的には、府と特別区が「二重行政」を解消することは経済的効率性の観点から肯定できる。ただ手法がビックバン型改革であるため、住民の改革イメージに歪みが生じたり、または手厳しい反対をうける可能性がある。それが投票の賛否に大きな影響を及ぼすのではないだろうか。関連記事■ こんな政治家みたことない 橋下徹は「本物」なのか■ 橋下徹が本当に冷たい人とは思わない■ 「スネ夫」的生き方を是とした橋下徹の少年時代

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    「天下の台所」と「大大阪」から見える都構想の成否

    鹿間孝一(産経新聞特別記者兼論説委員) 大阪市を廃止して5つの特別区に再編するか、それとも現状のまま大阪市を残すか。注目の住民投票まであと1週間余りとなった。 言い方を変えると、橋下徹大阪市長が提唱する大阪都構想の是非を問う投票である。 賛否は拮抗(きっこう)している。 「迷ったら、一歩前に踏み出そう」 「迷った時こそ、立ち止まって考えよう」 賛成、反対両派の呼びかけに、大阪市民はどのような選択をするのか。 ヒントとして、大阪の成り立ちを振り返ってみたい。 ◇ 焦点の一つが現行の24区から5つの特別区への再編である。 江戸時代の大坂は3つの区しかなかった。 元禄16(1703)年の段階で人口約35万人という当時としては大都市だった大坂を直轄領としていた徳川幕府は、この町を北組、南組、天満組の3つに分けた。「大坂三郷」と呼ばれた。 本町通りを境に、北組と南組、大川以北が天満組である。 北組には豪商の大店や蔵屋敷があり、南組は島之内、道頓堀の歓楽街、芝居町がある。天満組は新地開発などで発展する地域である。それぞれの区の性格がはっきりしていた。大阪市を廃止して5つの特別区に再編するか、それとも現状のまま大阪市を残すか…。賛成、反対両派の主張が載せられている住民投票の投票公報 自治的庁舎として惣会所が設けられ、各組から長にあたる惣年寄が選出された。ただし、選挙によるのではなく、資産があり、町人の間で人望のある者が選ばれた。 幕府は行政機関として奉行所を置いていたが、「天下の台所」と呼ばれた大坂は、町人が橋を寄贈し、金を出し合って学校をつくり…と、治安以外はなんでも自分たちの手でやるというのが、昔からの気風であった。 ◇ 明治になって大坂三郷は東西南北の4大組に改編され、さらに区になった。それぞれ区議会を持ち、自治の権限がある、いわば都構想の特別区のモデルのような存在だった。 その後は市制施行によって、単なる行政区となり、市域の拡張で区の数も増え続けた。 もう一つ、エポックとなったのが「大大阪」の時代である。 大正14(1925)年、大阪市は市域拡張で隣接する東成、西成の両郡を編入した。人口は200万人を超え、面積・人口ともに東京市を抜いて日本一の大都市になった。 明治以来、首都より大きな都市が存在したのは初めてで、「大(だい)大阪」「グレーター大阪」と呼ばれた。当時の世界でもニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、シカゴに続く第6位だった。 ◇ 当時の大阪市長は関一(せき・はじめ)(1873~1935年)だった。 都市計画論が専門の学者だった関は、理論を大阪市で実践した。 御堂筋を建設し、その下に地下鉄御堂筋線を通した。大阪港を近代的に改造し、公営住宅や公設市場を整備した。学問の実用化をめざし大阪商科大学(現在の大阪市立大学)を開設した。 現在に残る都市基盤のあらかたは関市長の時代に造られた。 一方、大阪城天守閣の再建は市民による150万円もの寄付によって賄われた。 ◇ 大阪が輝いていた時代を振り返ると、二つの要素が見えてくる。 なにごとも町人(市民)の手でという官に頼まずの伝統と、有能なリーダーの存在である。 住民投票で大阪都構想が支持されたとしても、成功するかどうか。言い換えれば、大阪に輝く未来があるかどうかは、その二つにかかっている。 しかま・こういち 産経新聞特別記者兼論説委員(平成25年9月まで大阪特派員を兼務)。北海道生まれの大阪人。生涯一記者を自任していたが、なぜか社命によりサンケイリビング新聞社、日本工業新聞社で経営にタッチして、産経新聞に復帰した。記者歴30余年のうち大半が社会部遊軍。これといった専門分野はないが、その分、広く浅く、何にでも興味を持つ。とくに阪神タイガースとゴルフが好き。夕刊一面コラム「湊町365」(「産経ニュースWEST」では「浪速風」)を担当。共著に「新聞記者 司馬遼太郎」「20世紀かく語りき」「ブランドはなぜ墜ちたか」「なにが幼い命を奪ったのか 池田小児童殺傷事件」など。司馬遼太郎に憧れるも、いうまでもなく遼に及ばず。

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    橋下徹という人間

    「大阪都構想」の賛否については不勉強で何とも言えませんが、「橋下徹」という人物についてはずっとウオッチし続けてきました。一言で言ってしまえば、「自分にできることが、他人にできないはずはない」と考える人だと思います。

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    橋下徹が本当に冷たい人とは思わない

     アンチ橋下徹市長の人たちというのは、心優しい人と思う。弱者への想像力に長け、「頑張ってもできない」ことに寛容で、文化を愛し、成功者の裏で泣く人たちに手を差し伸べる、そういうやさしいヒト。そういえば、私の母の友人で関西在住の学者のおばさまも、彼の文楽「つまらない」発言について憤り嘆いておられたのだが、彼女も花と森を愛する優しいおばさまだった。 で、私はというと大して文化的教養もないし優しくもないので、彼自身の存在が嘆かわしいとかは別に思わない。旧態依然としたものに対する彼の物言いについては、たまに清々しさすら感じる。たまにだけど。反面、なんだか時々たしかに彼の発言の端々には物悲しさを感じるのだが、それは超高年収の外資系金融マンだった元カレの振る舞いに感じていたものにすごく似ている。私は彼の合理的で効率的な動きも電卓を叩く手がものすごく早いところにも惚れていた気がするが、ちょっとしたTVドラマについての感想や三面記事的なものへのコメントに苛立つことが増えていった。結局、「それ意味あるの?」が口癖だったそのオトコとは、1年もたたずに別れた。 2013年に彼の慰安婦問題についての発言に、世間の一部やインテリ女性軍団が怒りに震えていた頃、或いは朝日新聞の慰安婦特集に彼がどや顔でコメントしていた時、私は私で、ことセックスに関してはちょっとでも既存の物言いに逆らったようなことを言うとものすごい反発があるのだ、ということを体感していたこともあり、彼の言い回しはともかく、ちょっとした親近感をもって見ていた。セックス的なものを過剰にデリケートに扱う流れには違和感があったし、彼の疑問はそれが「過剰にデリケートなもの」に対して発せられたものでなければ、真っ当な気もした。 かと言って私は別に遠いところから心のなかで彼を擁護する気もおきなかったし、朝日新聞を批判して目立ってみようとか微塵も思わなかった。というのは売春でも性奴隷でもなんでも、女性のモノ化の現場というのは、強制への圧力と本人による選択というのが複雑に絡まり合っていると強く信じる私にとって、彼の立場も旧朝日的な立場も、切り取り方によっては全く真実に見えるのであって、強制性の有無をあえて焦点化することはあまりスマートな議論だとは思わないからだ。強制する圧力が必ずあったと言えば、絶対に選択の余地もあったはずだという反論を許容するし、本人たちの意志であったと言えば、いや必ず強制する空気が存在したと突っ込まれる。 逆に大阪都構想初期段階の時に、平松邦夫市長(当時)の陰口を言う彼の姿はオンナから見るととても醜かった。ちょうど、新潟県の泉田裕彦知事が新潟州構想を打ち出して、都構想に歩み寄るように見えた頃である。平松市長と言えば、元アナウンサーの笑顔がダンディーな市民の人気者である。彼の市政改革に強いインパクトや斬新さがあったかどうかはさておき、「首長に必要なハートのあるひとです」とは大阪在住の他社の記者さんの意見だった。私は別に大阪市民でもないけど、橋下徹知事(当時)が泉田知事の州構想を評価する際に、篠田昭新潟市長との協調を「羨ましい」として、「こちらは何も変えたくないという人が相手ですから」と言い捨てる姿に嫌悪感があった。大阪府・大阪市特別区設置協議会で反対する委員の意見に答える橋下市長=13日午後、大阪市中央区の大阪府庁 別に平松市長だって、何も変えたくないとは思っていないだろうし、パフォーマティブに革新を唱える際に、別の論理を小馬鹿にするようなところは、前出の元カレの「それ意味あるの?」に匹敵するつまらなさを感じたからだと思う。府立施設の見直しの際に、児童館のデザインを担当した漫画家の松本零士氏を前に、大げさな溜息をついている姿もまた、嫌いなパフォーマンスだった。 彼の考え方自体は別にものすごく嫌われるものばかりではないだろう。ただ、基本的に彼のパフォーマンスというのは良識的な人間の鼻につくし、時には良識的でない私の鼻にすらつく。それは、実は石原慎太郎元東京都知事と対極にある。石原氏の考え方は偏見と差別と偏屈のハイブリッドだが、彼の立ち振舞やオーラは、同意しない人間たちにすらなんとなくウケる。別に橋下氏が特別性格が悪くて、石原氏が超人格者というわけであるはずもないので、何かしらの見え方の問題なのであろう。 私の新聞記者時代の彼についての思い出と言えば、私が霞ヶ関周辺にいた2010~2011年、つまり大阪府知事時代のものがひとつふたつあるくらいだ。首相官邸で開かれた知事会議の場で、昼食休憩時間中に、お弁当を食べる彼の姿が妙に美しかったのはよく覚えている。知事会といえば、各都道府県を背負った首脳が一堂に会するため、それぞれのキャラクターと県の色との一致やギャップが記者同士のおしゃべりのネタになったりするのだが、隣に座っていた他社の先輩が、「猪瀬直樹東京都副知事(当時)は食べるのが早い」とか「京都の山田啓二知事はさすが上品だ」とか言っていたので、私もつられて知事たちの弁当をつつく姿をじろじろ見ていた。 さすが都道府県トップだからなのかどうかは分からないが、どの知事も別に汚い食べ方をしていたり、ぼろぼろこぼして口を開けて噛んだりしていたわけではないが、橋下氏の食べ姿は際立って綺麗だった。顔を一切弁当に近づけず、弁当の端を軽く抑えて、他の知事たちと談笑しながらも、時々箸で食べ物を運ぶ。かといって別に女々しくはなく、品位ある男性社会人の鏡みたいだった。私の中に週刊朝日的な差別意識があったとは認めないが、それでもあまりに美しい食べ姿はなんとなく意外に思ったのを覚えている。 彼のそういう食べ方が綺麗なところとか、笑い姿が上品なところとか、そのうちのどれだけが元々彼の中にあるもので、どれだけが彼が意識的に身につけたものなのかは私にはわからない。けれども、誰より綺麗に食べる橋下徹氏を見ていて、私は彼が勝ち取ってきたもの、そしてその勝ち取った過程に思いを馳せた。自称論理的な外資系金融マンみたいなつまらなさはあっても、彼に、持たざるものへの想像力がないわけはないと思った。そして、実は「品位がない」とか「性格が悪い」とか言って彼のことをあたまから嫌うヒトって、弱者に対する想像力がある優しい人っていうよりも、弱者が弱者のままでいてくれないと困る冷たい人なんじゃないかなともちょっと思った。関連記事■ 「俺はとってもリベラル」争いこそ滑稽■ 橋下市長vs在特会にみるエンタメ報道■ 最後まで寄りかかった橋下さんに「もてあまされていた」上西議員

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    実験台にされた大阪府民 都構想にみる橋下徹

    0.前提 マスコミでは、来る5月17日に、大阪都構想の賛否を問う住民投票が行われると報道されることが多い。だが、この表現は極めて不正確である。実際に行われるのは、「大都市地域における特別区の設置に関する法律」に基づき、大阪市だけが関わる住民投票だからである。この法律は、市町村合併の反対のことをする手続きを定めた規定だと考えれば理解しやすいだろう。すわなち、小さな市町村が合併して大きな都市を作るのとは反対に、大きな都市を解体して小さな特別区に分割する際の手続きとして、住民投票の実施が定められているのである。 5月17日に行われる住民投票もまた、大阪市を5つの特別区に分割するか否を大阪市民にのみ問うものに過ぎず、大阪都なるものとは全く無関係なのである。もちろん、投票の結果がどうであれ大阪府は大阪府のままであり、大阪都ができるわけではないし、大阪市民以外の大阪府民には投票権があるわけでもない。堺市もまた、現行の指定都市(政令指定都市)のままである。投票するのは大阪市民だけなのだから、あまりにも当然であろう。日本維新の会の党大会後、記者会見に臨む橋下徹氏=2014年2月 それにも関わらず、大阪市長たる橋下徹氏は、これらの事実を積極的に市民に伝える説明責任を果たさず、大阪都という用語を使い続けている。市民に正確な情報に基づく判断を仰ぐことが目的ではなく、ただ住民投票で過半数を取ることだけが目的だからである。百歩譲っても、全く短所のない完璧な政策など存在しえない以上、大阪市長たる者は、その短所や難点も含めて市民に説明すべきであろう。しかしながら、橋下氏は、欠点や問題点の指摘に耳を傾けるどころか、逆に批判者を「バカ学者」や「インチキジャーナリスト」と呼ばわりして撥ね付けるのだ。だが、寄せられた批判に丁寧に答えないような態度は、市民に対する説明責任の放棄ですらある。 こうした橋下氏の言動は、今に始まったことではない。本稿では、一人の大阪市民の眼差しを通して、そのことを明らかにしたいと思う。1.全ては8年前から見えていた 2007年5月、タレント弁護士と呼ばれていた橋下徹氏は、自らが出演するテレビ番組内で、光市母子殺害事件の弁護団への懲戒請求を行うよう視聴者に強く呼びかけた。その結果、各地の弁護士会に懲戒請求書が殺到したのだが、この件で懲戒処分を受けた弁護士は一人もいなかった。これに対して、懲戒請求の対象とされ弁護士のうちの4人が、同年9月、業務を妨害されたとして橋下氏を相手に損害賠償訴訟を起こすことなる。その後、一審と二審は橋下氏に対する賠償責任が認めたのであるが、2011年7月15日、最高裁判所は原告の賠償請求を退け、橋下氏の逆転勝訴とする判決を言い渡した。注目すべきは、この最高裁判決に対する橋下氏の反応である。それについて、同日の産経ニュースは次のように報じていた。 大阪府知事の橋下徹氏は……「ありがたい。きちんと判断していただいた。やっぱり最後に頼れるのは最高裁」と話した。……「長い裁判で、知事になってからも自分で書面を書いてきたが、僕は弁護士に向いているのかもしれない。国民の皆さんには、制度を正しく活用していただきたい」と余裕もみせた。(1) なるほど、形式的には、橋下氏の勝訴であるには違いない。だが、最高裁判所が「きちんと判断」した中身は、被告(橋下氏)が「弁護士であることを考慮すると」、その言動は「慎重な配慮を欠いた軽卒な行為」であり、「発言の措辞にも不適切な点」があるというものであった。最高裁の判決は、弁護士たる橋下氏の行為に正当性を認めたわけではなく、ただ単に、それによって「金銭で償わなければならないほどの損害」が生じたか否かを基準に下されたに過ぎない。それでも、橋下氏は「僕は弁護士に向いている」と自賛したのだ。弁護士としては「軽卒」で、その発言は「不適切」だと指弾されたにも関わらず、である。ここにこそ、橋下徹氏という人物を理解する第一の鍵がある。 橋下氏が求めたのは、勝つことだけであった。彼の辞書には、正義や名誉や尊厳といった文字はない。ただ勝ちさえすればいいのであって、自己の行為が真に正当であったか否かなど、全く意に介さないのだ。むしろ、どれほど自分の側の非が指摘されようとも、それでも裁判には勝ったということが、逆に彼をして「僕は弁護士に向いている」と言わしめたのであろう。自分は、非のある側を勝たせるほどの力量を持つ弁護士だというわけである。 この事例にも表れているように、勝ち負けに対する橋下氏のこだわりは、生半可なものではない。おそらく、橋下氏を訴えた弁護士たちの主目的は、金銭を得ることではなかったはずである。なので、もし橋下氏が自らの軽率な行為や不適切な発言について真摯に謝罪していれば、訴訟を起こされることもなかったであろうし、「長い裁判」に煩わされることも避けられたに違いない。さらに言えば、自らの過失を認めて潔く謝罪する態度は決して非難や嘲笑を呼ぶものではないだろうし、少なくとも最高裁から「軽率」や「不適切」といった烙印を押されるよりは、ずっとましであったはずである。だが、橋下氏には、そんな選択肢など存在しない。他者から責任を追及されると、逆に猛反撃の牙を向けるのだ。彼にとって、謝罪は負けに他ならないのだろう。だからこそ、どれだけの時間や労力を費やそうとも、何が何でも勝つことで、過大とも見える自尊心を護ろうとするのである。政治家としての出発点2.政治家としての出発点 上述の出来事において、橋下氏は、視聴者には懲戒請求を呼びかけておきながら――極めて無責任にも――自らは何ら手続きをしていなかった。要するに、当該の弁護士たちを断じて懲戒すべきだという信念や使命感があったわけではないのである。実際、裁判での橋下氏の反論を見ても、「懲戒請求で負担が生じたのは弁護士会の責任」、あるいは「懲戒請求は(請求者の)自発的意志に基づくもの」といった具合に、他人の責任を強調するばかりで、自分自身の主張を貫く姿勢は全く感じられなかった。こうした姿勢もまた、橋下徹氏という人物を象徴している。すなわち、確固たる信念の欠如、そして信念の伴わない無責任な発言である。2011年の大阪市長選で有権者らと握手する橋下徹氏=大阪市中央区 2007年12月初旬、テレビ番組への出演で知名度を上げていた橋下氏は、翌年1月の大阪府知事選挙への出馬が取りざたされるようになる。だが、本人は極めて消極的な態度を示し、12月6日の時点では、テレビ局の取材に対して「もうオンエア日確定してますもん。番組飛ばすことになる。二万パーセントでも有り得ないです」と断言し、出馬を完全否定していた。ところが、その6日後、突如として正式な出馬表明を行ったのである。事実に照らして率直に言えば、不出馬宣言は噓だったのだ。橋下氏にとって、100パーセントの200倍もの断言でさえ、信念や一貫性を伴うものではないのであろう。政治家としての橋下氏を知るためには、この原点を見逃してはならない。 さらに、2008年1月10日に告示された大阪府知事選挙において、橋下氏は、ある意味で前代未聞の選挙運動を展開することになる。その目的は、ただ一つ。選挙に勝つこと。たとえジャーナリストや知識人や先輩政治家から批判されようとも、良識ある市民から眉をひそめられようとも、ただ勝てばよかったのだ。もちろん、政策や政治信条など、二の次、三の次に過ぎない。たとえば、知事選挙の翌日の『毎日新聞』は、「タレント知事で終わるな」という見出しの下、橋下氏の選挙運動に対して、次のように論評を掲載していた。 正面からの政策論争ではなく、イメージ戦略に終始した印象が強い。…… 知事になって、一体何をやりたいのか。選挙戦を通して一番肝心なそこが明確に伝わらなかった。……テレビ番組受けする発言で耳目を引くやり方は、知事としては通用しない。タレントではなく、どんな知事を目指すのか……。(2) この記事は、橋下氏に対して、「知事になって、一体何をやりたいのか」、あるいは「どんな知事を目指すのか」と問いかけている。だが、そんなものは初めから一片も存在しないのだ。橋下氏は、選挙に勝つという唯一の目的のために「イメージ戦略に終始」し、「テレビ番組受けする発言で耳目を引」いたのであって、それ以上のものは何もないのである。 当時の知事選運動を報じた新聞各紙を読み返しても、そのことは明らかだ。たとえば、『朝日新聞』は「芸能プロ活用 演出巧み」という見出しの下、「これだけマスコミが集まった選挙は見たことがない」という自民党のベテラン衆院議員の談話を紹介しているし(3)、『毎日新聞』は、テレビクルーが追い続ける選挙運動の様子を「まるでバラエティー番組のロケ状態」と評した上で、橋下氏については「タレント顔が全開」と描写し、さらには「高齢者の多い会合では『不適切発言でご迷惑をおかけしました』と頭を下げ、好青年ぶりを演出。一方、街頭では『やつら役人が何を言おうが全部けり飛ばす』などの毒舌で、若者を喜ばせた。……テレビで視聴者の心をとらえたように、次々と有権者の心をつかんでいった」と報じている(4)。また、『読売新聞』は、「自民、公明の府議らに『もっと演説に政策を入れたらどうや』と詰め寄られた」橋下氏が、「感情に訴える時は政策は言いません」と答えた逸話を紹介している(5)。そして、橋下氏本人もまた、次のように公言していたのである。 テレビは中身じゃないんです。僕の演説も政策の中身は話していない。……メディアに身を置かせてもらって学びました。脳ミソに働きかけるのと心情に働きかけるのとの違いをね。(6) 脳ミソには訴えない、中身じゃない、政策は言わない……。こんなことを堂々と公言する政治家は、極めて希であろう。だが、橋下氏の場合、そんな発言が軽卒だと思われようが、自らの選挙運動が不適切だと言われようが、全く問題にしないのだ。選挙に勝ち、権力の座を手に入れること、それが全てだからである。それでも、口達者な橋下氏は、一見しただけでは魅力的に映ってしまうのであろう。当選の理由は、そうとしか考えられない。変節と日和見主義3.変節と日和見主義 2008年の大阪府知事選挙において、橋下氏は、自由民主党大阪府支部連合会の推薦と、公明党大阪府本部の支持を得ていた。その当時の橋下氏は、自民党大阪と良好な関係を結んでいたのである。当然、橋下氏の府知事当選は、自民党大阪の勝利でもあった。その様子は、次のように報じられている。 自民党の中山太郎・府連会長は『政権与党の勝利。橋下氏の知名度と自公の組織力が功を奏した結果だ。自分の選挙のように嬉しい』と声を弾ませた。(7) ちなみに、当時の自民公明両党は、衆議院で安定多数の議席を擁する政権与党であった。2005年の総選挙――いわゆる郵政選挙――において、自民党は296議席、公明党は31議席を獲得していたからである。だから、橋下氏の当選は、まさに「政権与党の勝利」であった。端的に言えば、初めて選挙に出た橋下氏は、政権をもつ既成政党に庇護されて当選したというわけである。 だが、府知事選の翌年、すなわち2009年に入ると、その政権与党の雲行きが次第に怪しくなって来る。そして、同年7月に衆議院が解散される頃になると、民主党の勢いが頂点に近づいていた。その空気を、橋下氏が嗅ぎ付けないはずはない。事実、翌月に行われた総選挙では、自民党が歴史的な大敗を喫し、民主党に政権の座を奪われてしまうのだ。橋下氏の府知事当選を「自分の選挙のように嬉しい」と声を弾ませた中山太郎氏も落選の憂き目に遭い、涙声で悔しさをにじませることになる。問題は、その「悔しさ」の理由である。 知事選で推薦した橋下徹知事が民主支持を打ち出したことも話題に上り、大阪府連会長の中山太郎氏は「考えもしなかった」と涙声で悔しさをにじませた。……中山氏は、衆院選を巡る橋下氏知事の行動に触れ、「本当に考えもしなかったような態度を取られた」と声を振るわせた。会見でも橋下知事への怒りは収まらず、「党員は皆怒っている」とまくし立てた。……一方、批判を受けた橋下氏知事は……「国のことを考えると、今回は民主党に頑張っていただきたいと思っています」と述べた。(8) 橋下氏は、知事選で世話になった人々への感謝の情を示すことなく、またもや政権与党の側に付いた。そして、翌年4月には、時の空気を読んだ自民党大阪の一部地方議員が橋下氏に合流し、大阪維新の会を結成する。この地域政党は、自民党が最も苦しかった時代に自民党から抜けた人々を中心に結成されたのである。松井一郎氏が、その代表格であろう。分党をめぐり会見する「日本維新の会」の橋下徹共同代表=2014年5月、大阪市役所 ともあれ、民主党政権が誕生するや否や、橋下氏は、いそいそと新たな与党の政策に追従し始めた。その典型は、高校授業料の無償化である。総選挙に大勝した民主党が掲げていた目玉政策を、橋下氏が見逃すはずはなかった。すぐさま実行に移したばかりか、民主党政権が実現した公立高校の無償化の上をゆき、大阪府独自で「私立高等学校等授業料支援補助金制度」を創設したのである。これによって――特に2011年には――私立高校生の授業料負担は、年収610万円程度までの世帯では無償となり、同800万円程度までの世帯では保護者負担の上限が10万円となった。 なるほど、この制度そのものを高く評価する者は多いであろう。だが、忘れてはならない事実がある。橋下氏は、2008年10月23日、私学助成を減らさないで欲しいと訴える経済苦の女子高生に対して、「日本は自己責任が原則ですよ、誰も救ってくれない……この自己責任の日本から出るか」と言い放ち、泣かせてしまっていたのだ。生活が苦しいので私学助成を減らさないでという切実な訴えを断罪するごとく全否定した張本人が、一転して私立高校授業料の無償化を行ったのである。 これらの経緯に見られるとおり、橋下氏の場合、堂々と明言したことと実際の行動が全く噛み合わないのだ。たとえ客観的に見れば無責任であろうとも、そんなことにはおかまいなしで、勝つことや票を集めることが全てだからである。言うまでもなく、「民主党に頑張っていただきたい」という主張にも、一貫性など微塵もなかった。自民党員を怒らせてまで支持した民主党政権が倒れる数ヶ月前になると、橋下氏の態度は豹変する。そのことに関しては、次のように報じられている。2012年4月のことである。 大阪市の橋下徹市長は13日、市役所で報道陣に、「あとは国民が民主党政権を倒すしかない。次の総選挙で(政権を)代わってもらう」と述べ、民主党政権の「倒閣」を宣言した。(9) ここでも、橋下氏は見事に空気を読み、時流に乗ったのだ。ただし――少なくとも地元大阪では――自民党ばかりか民主党をも完全に敵に回すことになった。かくして、橋下氏は、2012年の衆議院議員総選挙に際して、自ら日本維新の会を立ち上げたのである。その日本維新の会に、前回の総選挙で民主党大勝の波に乗った松野頼久氏や小沢鋭仁氏や今井雅人氏や石関貴史氏らが合流したことは、非常に興味深い事実だと言えよう。ちなみに、民主党政権時代、小沢鋭仁氏は環境大臣、松野頼久氏は内閣官房副長官を務めていた。大阪都構想4.大阪都構想 2013年5月、堺市長が「大阪都への参加の是非を問う住民投票」を検討していると報じられた際、橋下氏は、「中身もわからない段階での住民投票などばかげている」(10)と批判した。構想発表から3年以上が経ち、その実現の公約期日まで2年を切っていた時点で、「中身もわからない」と自ら明言したのである。となると、大阪維新の会の代表である橋下氏は、住民の意見を問うことさえばかげている政策を看板にして議員選挙や首長選挙に勝利して来たのだということになろう。やはり、中身のない主張で選挙を戦っていたのである。 そもそも、大阪都構想に対する橋下氏の思い入れに、それほど強いものがあるようには見えない。たとえば、2011年4月の統一地方選挙において、大阪維新の会が大阪市議選と堺市議選で過半数議席の奪取に至らなかった際、橋下氏は、「大阪都構想はいったん白紙」(11)と発言しているのだ。早い話――少なくともその時点では――有権者の受けが芳しくないと直勘したのであろう。逆に言えば、大阪都構想なるものもまた、信念を持って主張し続ける政策ではなく、世間の耳目を集め、票を得るための張子看板に過ぎないということなのである。だからこそ、受けが悪ければ白紙撤回でも構わないのだ。 さらに言えば、大阪都という名称にしても、一貫して主張されていたわけではない。まず、橋下氏は、2011年10月に出版した自著の中で、大阪都という名称が重要なのではないと明言していた。 東京への対抗意識から派手な「都構想」をぶち上げたと思う人がいるかもしれません。それは違います。名称は「都」でも「府」でもなんでもいい。非効率な「二重行政」を解消し……。(12) なるほど、目的が二重行政の解消なら、名称に拘る必要はないだろう。名前は、大阪府のままでも全く問題はない。ところが、2013年11月14日には、一転して、東京に対抗するには「都」という名称が重要だと言い出したのだ。しかも、今度は、なぜか東京への対抗意識をむき出しにするのである。 名称は重要で一番いいのはやっぱり「都」だ。「府」では中途半端で東京に対抗できなかったわけであり、新しい自治体になるのであれば新しい名前でいかなければならない。(13) 2年前は「名称は『都』でも『府』でもなんでもいい」。今回は「名称は重要」……。2年前は「東京への対抗意識」は「違います」。今回は、「『府』では中途半端で東京に対抗できなかった」……。次は何を言い出すのかと思っていると、この発言からわずか2週間ほど後、唐突に「大阪州」なる名称が飛び出すことになる。まあ、何でもいいから目新しいことを言って注目を集めようというわけであろうか。 大阪市の橋下徹市長(日本維新の会共同代表)は28日、大阪市を廃止して複数の特別区に再編する大阪都構想の名称について、「大阪都」以外に「大阪州」も検討する考えを明らかにした。(14) この「大阪州」なる名称が、どれほど真剣に検討されたのかは不明であるが、どうなったのかは大阪市民にも知らされていない。ともあれ、2015年1月24日に催された大阪維新の会タウンミーテイング(大阪市城東区イズミヤ今福店前)における発言では、再び「都」という名称の必要性が強調されることになる。ただし、その理由は、これまでとは違う。名称が「都」でなければならないのは、「都」を英語で言えば「メトロポリス」になるからだということらしい。さらに、今回は――東京に対抗するか否かではなく――東京都と大阪都で日本を引っ張ってゆくという新たな大義名分が登場する。 東の東京都、西の大阪都、二つのエンジンで日本を引っ張っていく。英語で言えば、大阪府と大阪都って全然違う。全然違う。府っていうのは英語で言ったらプリフェクチャーっていうんです。都になるとメトロポリスになる。(15) もう、たくさんであろう。二重行政の解消が目的だから名前はどうでもいいのか、東京に対抗するためには「都」でなければならないのか、とにかく「府」という名称を変えるのなら「州」でもいいのか、果ては英語で言えばメトロポリスだから「都」でなければならないのか。そんなことを真面目に考えても無駄なのだ。大阪都騒動が始まってから5年以上、私たち大阪府民は、意味不明の朝令暮改に振り回され続けて来た。それで、気がつけば、今や大阪府は借金苦の起債許可団体である。このような状況下、橋下氏が進めようとしていることは、彼自身の言葉によると次のとおりである。 大阪都構想は、ある意味で実験です。……結果はやってみなければわからないこともあるでしょう。(16) 平たく言えば、大阪府民は実験台だというわけである。この冷淡な発言には、耳を疑わざるを得ない。橋下氏には、大阪府民に対する共感や配慮が欠如しているのだ。ただでさえ財政状況が厳しい中、自らの政策を「実験」だと言い放つ無神経さには、支配者たらんとする意志が感じられこそすれ、他人を思いやる姿勢が全く感じられない。今の橋下氏にとって、たとえ大阪府民を実験台にしようとも、5月の住民投票に勝つことだけが目標なのであろう。ただし、あくまでも今の橋下氏にとって、である。2011年の大阪府知事・大阪市長W選挙の際は、その選挙に勝つことが全てであったためか、今とは言うことが全く違っていた。 冒頭にも記したとおり、5月17日の住民投票は、24の行政区を擁する大阪市を潰し、5つの特別区にバラバラにするか否かを問うものであり、たとえ賛成多数でも大阪府が大阪都になることはない。敢えて確認しておくと、賛成多数なら、次のようになる。・大阪市を潰す(大阪市廃止)。・大阪市をバラバラにする(5つに分割)。・当然、現在の24ある行政区は消滅。・大阪都はできない(府のまま) ところが、2011年の大阪W選挙の際、橋下氏が代表を務める大阪維新の会は、大阪都構想を大々的に謳いながら、次のような公約を掲げていたのである。以下は、公職選挙法に基づく政治活動ビラに堂々と明記されている事柄である。・大阪市をバラバラにはしません。・大阪市は潰しません。・24区、24色の鮮やかな大阪市にかえます! 当然のことながら、大阪の行政機構を東京と同様の都制型に変更するのであれば、大阪市は消滅する。東京府が東京都に改組された際、東京市が潰されたのと同様である。敢えて説明するまでもなく、大阪都構想と大阪市の解体分割は表裏一体なのだ。それでも、橋下氏は噓をついた。目先の選挙に勝つために、平気で噓をついたのだ。いや、まんざら噓ではないのかもしれない。5月の住民投票で反対多数になれば、大阪市が潰されることもなければ、大阪市がバラバラにされることもないからである。橋下氏は、分かっているだろう。もし住民投票で大阪市が自殺しなければ、全てが反転してしまうことを。【注】(1)MSN産経ニュース、2011年7月15日22時18分。 (2)『毎日新聞』2008年1月28日(朝刊)。 (3)『朝日新聞』2008年1月28日(朝刊)。 (4)『毎日新聞』2008年1月28日(朝刊)。 (5)『読売新聞』2008年1月28日(朝刊)。 (6)『毎日新聞』2008年1月28日(夕刊)。 (7)『読売新聞』2008年1月28日(朝刊)。 (8)『毎日新聞』2009年9月6日(朝刊)。 (9)『読売新聞』2012年4月14日(朝刊)。 (10)『朝日新聞デジタル』2013年5月7日13時1分。 (11)『読売新聞』2011年4月11日(夕刊)。 (12)橋下徹・堺屋太一『体制維新―大阪都』文春新書、2011年、165頁。 (13)『NHKNEWSweb』2013年11月14日18時41分。 (14)『朝日新聞デジタル』2013年11月28日18時08分。 (15)大阪維新の会公式サイト(動画配信より)。 (16)『体制維新―大阪都』前掲書、50頁。薬師院仁志(やくしいん・ひとし) 1961年大阪市生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京都大学助手、帝塚山学院大学専任講師、同助教授を経て、2007年より同大学教授。主な専攻分野は社会学理論、現代社会論、教育社会学。関連記事■ 「無理をした」議員と「無理をさせた」国民の悲劇■ 負のスパイラルに陥った地方議会■ ドリフが「ひょうきん族」に負けた日

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    こんな政治家みたことない 橋下徹は「本物」なのか

    礼儀正しい、スポーツマンの政治家 橋下徹を一言で言えば、礼儀正しい、スポーツマンの政治家だ。テレビでみるときの印象とは異なり、人の話をとてもよく聞く。その一方で、類い希な集中力で物事を瞬時に整理して、案件をてきぱき解決する。そして、本物の地方分権を成し遂げようとしている政治家だ。 地方分権というのは、体のいい言葉だ。ほとんどの国会議員は、地元に戻って中央の官僚が悪いから地方分権をやるべしという。その裏で、中央の官僚に媚びて補助金をもらい、地元に帰ってオレが地方のためにカネを持ってきたと自慢する。 しかし、橋下氏は国会議員ではない。地方の首長であるが、中央の官僚に媚びることはない。そして、驚くべきことに、中央の国会議員を動かし、それが中央の官僚に地方分権の仕組みを作らせる。それが大阪都構想だ。安倍晋三首相や菅義偉官房長官との会談を終え、記者団の質問に答える日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長(中央)。左は幹事長の松井一郎大阪府知事、右は沖縄の地域政党「そうぞう」代表の下地幹郎元衆院議員=2013年6月6日、首相官邸 橋下氏以外のほとんどの首長は、年末に中央の官僚に陳情して、何とか補助金をもらおうとするのが精一杯だ。中央の国会議員を動かせる人なんて、まずいない。 筆者は長く中央の官僚をやってきたが、橋下氏のようなやり方の政治家をみたことがない。投票結果次第で何が変わるのか いよいよ5月には「大阪都構想」をめぐる住民投票が行われる。これは215万人による日本初の大規模な住民投票で、全国からも注目されている。住民投票の争点や、投票結果次第で何が変わるのだろうか。 この住民投票は4月27日に公示され、5月17日に投開票。大都市地域特別区設置法に基づき実施され、法的拘束力を持つもので、投票用紙に「賛成」か「反対」を記入する方式で行われ、賛成票が多ければ2017年4月の大阪市の廃止、今の行政区を格上げ統合し5つの特別区の設置が決まる。 争点は、大阪府と大阪市の二重行政、大阪市民の住民参加の2点である。 まず第一に、大阪都構想は、大阪市と大阪府の役割分担を見直して二重行政を排除する目的がある。東京都と東京23特別区をみれば、23特別区は福祉や義務教育など身近なサービス、東京都は交通網整備や都市計画等広域行政サービスと役割分担がなされており、二重行政の声はない。ところが、大阪市と大阪府は、「ふ(府)し(市)合わせ」というくらいに、府と市の行政が二重になっている。 第二に、大阪都構想では、人口270万人の大阪市に一人の公選市長より5人の公選区長を住民が選ぶという住民参加の方が、よりきめ細かい行政ができるという。270万都市を1人の公選市長、公選議会でマネージメントしている先進国都市はない。ニューヨークでもロンドンでも、基礎自治は小さな単位で自治権を有する特別区とし、住民が参加している。 こうした大阪都構想に対して反対意見もある。二重行政は今の仕組みの下でも、大阪市長と大阪府知事が話し合えば解消できるという。たしかに、机上の上では話し合えばできるだろうが、これまでの歴史はそうした話し合いが無理だったことを示している。 住民参加にしても、新しい役所を建てたりシステムを変えたりするコストがかかり、最初に600億円ものお金がかかると反対論者はいっている。しかし、今の行政区の建物やシステムが流用できるので、初期コストはたいした話ではない。長期的には、二重行政をなくせて、住民参加をよくするのであるから、初期コストは長期投資ともいえるし、長い目で見れば十分にモトがとれる。奇妙な地方議員の報酬の高さ奇妙な地方議員の報酬の高さ 大阪都構想の反対は、地元の大阪市議会議員に強い。 市議会議員など地方議員とは何だろうか。そういえば、かなり前に、地方議員がマスコミを賑わしたことがあった。 東京都議会において、塩村文夏都議(みんなの党)に対し複数の人からのセクハラやじがあった。世間の批判を受けて、鈴木章浩都議(自民党)だけが名乗り出た。ただし、同都議だけがセクハラやじをしたわけでなかった。事務の引き継ぎを終え、握手する橋下徹大阪市長(右)と平松邦夫前市長=2011年12月9日、大阪市役所 こうしたセクハラやじ騒動を打ち消すかのように、お笑いタレントも真っ青になるくらいに「笑える」記者会見を行った県議会議員が現れた。兵庫県議会の野々村竜太郎県議(無所属)だ。実は、300万円に上る政務活動費の不正使用疑惑なので、笑っている場合ではないのだが、その弁明の記者会見における涙ながら絶叫ををみたら、お笑いと勘違いしてしまうほどのインパクトだ。 なぜ、このような地方議員が出てきてしまうのだろうか。多くの地方議員はそうでないと信じたいが、一つの仮説をあげてみたい。日本の地方議員を国際的な観点から見ると、議員一人当たりの報酬等が極めて高いという事実がある。あるシンクタンクの資料であるが、年間の議員報酬等について、日本680万円、アメリカ65万円、ドイツ50万円、イギリス74万円、フランスほとんど無報酬、韓国240万円、スウェーデン日当のみ、スイス日当のみと書かれていた(2005年当時)。あまりに高すぎるために、地方議員に不適格な人まで地方議員になっているという仮説である。 それにしても、地方分権が進んでいない日本の地方議員の報酬等が極めて高いのは奇妙である。地方分権が進んでいないので、地方議会の行う立法・条例作業は少ないはずだ。それでも報酬が多いのは、仕事と比較して実質的な報酬はさらに高いことを意味する。なぜ、市議会が都構想に反対するのか 高い報酬は欲しいが、仕事はしたくないという態度を露骨に感じることもある。例えば、大阪都構想への反対だ。大阪都構想が実現すると、今の市議会議員が区議会議員になり、しかも地方分権になるので仕事が増える。大阪市議会議員の報酬は月額77.6万円であり、東京都の区議会議員を含めすべての市区町村議員より高い。都構想ではこれが不都合になる。 大阪市議会がなぜ大阪都構想に反対するのか。市議にとって都政移行は、報酬が下がり仕事量が増えることが真相だと邪推していまいそうである。 大阪都構想に反対する人は別にもいる。補助金や交付金などこれまで大阪市から直接資金交付を受けていた人にとっては、これからの資金交付は、大阪府か特別区になる。そうした人々にとっては、大阪都構想の実現で被る影響は多い。その既得権者に反対者が多いようで、賛成論者はその既得権者をシロアリと呼んでいる。 橋下氏は、大阪都構想を長年粘り強く取り組んできた。2008年に大阪府知事になって、大阪府と大阪市の二重行政の根深さに気がつき、2011年に大阪市長に鞍替えしてまで、二重行政の排除に尽力した。 ここまでする地方政治家はいないが、それでも二重行政が排除できないとわかると、次には、国を動かし、2012年に「大都市地域特別区設置法」の成立までこぎ着けた。同法による住民投票で、大阪市議会の同意がえられなかったが、それを切り抜け、なんと最終段階の住民投票まで来ている。これだけで、橋下氏の熱意・執念がわかる。 住民投票において、これらの論点を大阪市民がどのように判断するのだろうか。 投票結果で何が変わるかと言えば、行政サービスにはほとんど変化がない。というのは、現行の大阪市と大阪府の役割分担が変わるが、行政サービス自体は府か特別区のいずれが行うので、住民が受ける行政サービスには変わりがない。でも、将来の大阪は変わるだろう。

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    「スネ夫」的生き方を是とした橋下徹の少年時代

    「橋下徹研究」第1部 口達者のハシゲ産経新聞連載再録(平成20年7月27日から5回)※肩書、年齢等は当時のまま 「39年の人生の中で一番濃密な時間だった。2月からね…」。大阪府の平成20年度予算案が与党の自民、公明に加え、野党の民主も賛成して可決した23日、知事の橋下徹(39)は満足そうに振り返った。 2月の就任から間もなく半年。職員の人件費や私学助成の削減、ハコモノ行政の統廃合など、賛否を巻き起こした「橋下改革」は、ようやく実行段階に入る。 「過去の知事とは全く違った」。橋下と対峙(たいじ)した府庁幹部の共通した意見であり、その手法は大きく3つに分けられる。1つ目は「政治の素人」であること。疑問点に一つずつ立ち止まり、ごまかしがきかない。ある幹部の携帯電話には、深夜でさえ橋下の着信記録がびっしりと並んでいた。 2つ目は「公開性」。タレント時代に利点と怖さを実感したのだろうか、会議のほぼすべてにテレビカメラを入れるやり方は、視聴者に知事の“抵抗勢力”を印象づけるのに十分だった。 そして3つ目が、こうした手法を最大限に生かした「交渉術」だ。府幹部の一人は「弁護士らしく、最初にふっかけて交渉で譲歩する。しかしもとはゼロのため、最後は少しでも引き出した側の勝ちとなる。とにかく口達者です」。 そのルーツを追っていくと、少年期にまで行き当たる。当時、橋下は転校を繰り返していた。転校生が選んだ道 昭和44年6月、橋下は東京都渋谷区で生まれた。母子家庭で、母親が苦労して家計を支え、小学5年で妹とともに大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区に移り住んだ。いずれも、手狭な府営住宅から地元の公立学校に通った。橋下は、当時の生活が「自分の原点」と言う。 中でも「小中学校ともに荒れた学校だった」という東淀川時代のエピソードは、現在の橋下を語る上で欠かせない。すでに小6で身長170センチ、体重65キロの体格だった橋下はかなり目立つ存在で、その上「東京出身の転校生」は言葉の問題などでもからかわれやすかった。小学校では転校初日からいきなり同級生に殴られたという。大阪府知事選出馬で会見する橋下徹氏=2007年12月、大阪市北区 ここで橋下が選んだ道は、彼らと敵対するのでも、手下につくのでもなく、彼らの交友関係に自ら飛び込むことだった。橋下は青少年向けの著書「どうして君は友だちがいないのか」で、ユーモアを交えながらこう述べている。 「要するに(ドラえもんの)スネ夫のような生き方といえばいいでしょうか」「ジャイアンのような強い人、強い存在とうまくつきあって生きていくことは、悪いことでもずるいことでもありません。その選択を非難できる大人なんて絶対にいないはずです」「スネ夫」から「代弁者」に 小中学校時代は、体の大きさから「おっさん」、高校では、名前の読み方から「ハシゲ」と呼ばれた橋下。中学時代から始めたラグビーも「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」。 ただ、いつまでも「スネ夫」でいるわけにもいかない。成績も優秀だった中学時代の橋下は、言葉では自分をうまく表現できない「ワル」たちの「代弁者」として次第に存在感を増していった。彼らの怒りや悩みを聞き、時には学校側との交渉の先頭に立つ。放課後の教室で、車座になって橋下の言葉にうなずく生徒たちの姿は、教師の間で「橋下塾」と呼ばれていたという。 中3時の担任教諭だった臼井一昭(50)は「席替えや文化祭の出し物などでクラスがもめたとき、互いの主張を取り入れて解決するのも、必ず橋下だった。論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師からみても、こちらが見透かされているような怖さがあった」 では、現在の橋下にとっての“ジャイアン”は誰なのか。立候補の際、地元の自民、公明の支援を取り付けたことについて当時、こう述べていた。 「実行力のない人とつきあっても政治はできない。僕は(元長野県知事の)田中康夫さんのように孤立したくはないんです」東京時代の悲しい記憶東京時代の悲しい記憶 一枚の写真がある。松竹歌劇出身の女優、長谷川待子と一緒に写り、読売ジャイアンツの帽子をかぶった少年が照れくさそうに笑っている。少年は小学生時代の橋下徹。小学5年までを過ごした東京都渋谷区幡ケ谷の六号坂通り商店街で、約30年前に撮影されたものだ。 「野球だけでなく、何をやっても上手で、近所でも目立つ存在だった。『小さい子は5ストライクでアウト』など年下の子供のためのルールも作っていた」と幼なじみの勢濃徹(39)は振り返る。橋下と同じ名前の彼は、橋下が目立ち過ぎたため「徹2号と呼ばれていた」と苦笑する。 新宿副都心に隣接する京王線沿線の幡ケ谷は、渋谷区とはいえ庶民的な街だ。昔ながらの酒屋や八百屋が並ぶ商店街を路地へ少し入ると3階建てのアパートが今も残る。1階は大家が経営する質店で、橋下一家は3階に間借りしていた。 東京時代の思い出について橋下は多くを語っていない。この時期に父親が急逝したという悲しい記憶があるからだろうか。 今や3男4女の父でもあり、「ベストファーザー賞」にも選ばれた彼が、自身の父親について述べたのは、ある雑誌で答えた次のようなインタビュー程度である。「父親の思い出はひとつだけ。2、3歳のとき、食事中にはしを投げたら、背負い投げされてぼこぼこにされたんです」母子家庭の過去 「母子家庭」。橋下は選挙中、何かとこのエピソードを話題にし、府民の情に訴えた。「おかんは昼も夜も働きづめで自分と妹を育ててくれた」「母子家庭の厳しさは、この私自身がよくわかっています」 幡ケ谷で、長男が橋下と同級生だった女性(64)は「父親が早くに亡くなったことは後から聞いた。お母さんは育ち盛りの2人を抱え、それはもう大変だった。人なつこい橋下君は商店街のみんなに育てられたようなものです」。全国知事会議で、政党に対する政治論争を訴える大阪府の橋下徹知事(中央)=2009年7月、三重県伊勢市 母親はしつけに厳しく、「妹をいじめるな」「目上の人を敬え」「人を傷つけるな」の「3つの約束」を交わしたが、世間体を気にしたり、自分の生き方を押しつけるようなことは決してなかったという。大阪に移った後の中学時代の担任教諭も「母親は進路についても一切口出ししなかった。放任主義に見えて、実は懸命に生きる姿を背中で息子にみせる、そういう方だった」と話す。ぽっかり空いた“父”の存在 「知事は小さいときに絵本を読んでもらったことはありましたか」。7月9日。大阪府議会本会議の一般質問で、女性府議がこんな質問をぶつけた。その趣旨は「国際児童文学館」(吹田市)廃止の是非についてだったが、橋下はむっとした表情でこう答えた。 「私の母は夜も昼も仕事をしていたので、読んでもらったことはありません」 橋下は選挙公約で、「子供が笑う大阪」をキャッチフレーズに掲げ、子育て支援事業の充実を最重要施策とした。そこに、自身の歩んできた過去が反映されているのは想像に難くない。一方で、就学前の子供がいる家族を知事公館に招いた際は、父親としてのこんな“爆弾発言”が飛び出し、周囲を慌てさせた。 「僕は正直、まったく子育てはしていません」 橋下は現在、母親とその再婚相手の義父を自宅マンションの階下に呼び寄せ、7人の孫たちを行き来させている。それは、橋下にとっての最高の親孝行であり、恩返しなのかもしれないが、彼の心の中で、「父親」の存在は今もぽっかりと空いたままのようにもみえる。 「僕、商店街って、いろんな人がいるから大好きなんです」。今年6月、大阪府東大阪市の商店街を視察に訪れた橋下はうれしそうに話し、予定時間をオーバーしても、なかなか帰ろうとしなかった。子供たちには競争が足りない子供たちには競争が足りない 大阪府知事選も終盤に差し掛かった1月19日、橋下徹は、大阪市淀川区の府立北野高校で個人演説会を行った。自身の母校でもある関西屈指の進学校で、彼は、かねての持論を有権者らに強く訴えた。 「府立高校の学区制を撤廃したい。これは公約です。まだまだ子供たちには競争が足りないんです」 知事就任後、この提案は教育界に波紋を広げたが、橋下の思惑は、その先にあった。学区をなくし、府内全域から優秀な子供を集めることで「公立エリート校」をつくる狙いだ。逆に、私学助成の削減をめぐる議論では「公立にはない付加価値を求めて入学するのだからお金がかかって当然」とあっさり述べ、実際に削減に踏み切っている。 そこに「公立重視」という橋下の教育理念が反映されていることは明らかだが、これは「自らが公立出身」という単純な理由があるだけなのだろうか。自身の子供たちも公立に通わせる彼は、弁護士時代に雑誌のインタビューで次のように語っている。 「弁護士でも、エスカレーター式で上がってきた人と公立でもまれた人とではえらく違う。私立一貫校の同質性の中で育つと、なかなか異質な人と接することはできにくいように思う」15歳の春に芽生えた「自信」 北野高は指定学区の中でも各中学のトップクラスしか入れず、大学進学率はほぼ100%。昨年度も京大、阪大にそれぞれ50人以上の合格者を出している。橋下は、ここへ「調整校」と呼ばれる枠で、学区を越えた地域から進学している。 ただ当時の成績は合格ラインにはほど遠く、自身が明らかにしているところでは高校受験前の偏差値は44。それでも学内では7番だったという。府教委関係者は「一般論だが、恐らく中学校のレベルがあまり高くなく、相対的に内申点が上がったのではないか。とはいえ、北野に合格するには偏差値70以上は必要で、短期間に相当勉強したのだと思う」。アースマラソンで完走したタレントの間寛平さんに感動大阪大賞を授与する橋下徹・大阪府知事(左)=2011年4月、大阪府咲洲庁舎 これまでにも触れたが、橋下の中学は本人も言うように「かなり荒れた学校」だった。その中で塾にもいかず、ラグビーを続け、「ワル」たちとともに過ごしながら難関を突破した橋下。15歳の春に芽生えた「自信」は相当なものだったのだろう。 当選前の産経新聞のインタビューで、大阪の教育レベルが下がっていることについて、こう述べていた。 「そんなもん学校じゃなくて自分が悪いんですよ。僕は学校で教わった勉強なんて一つもない。別に北野に行かなかったとしても、大学にも司法試験にも受かっていたと思う」恵まれた私学を拒む“美学” 「公立エリート校」構想を掲げながら、学校そのものには過大な期待を寄せていない橋下。ただ、母子家庭で決して裕福とはいえない環境に育った彼に、「私学」という選択肢は当時もなかったはずだ。 東京からの最初の転居先だった吹田市から大阪市東淀川区へ引っ越すことになった小学6年当時、同じクラスだった渋谷耕作(38)は、橋下が見せた寂しそうな顔を今でも覚えている。「家の家賃が払えなくなってん。次は家賃8000円くらいの安いところや。仕方ないわ…」 4年後、高校の進路決定で、担任の臼井一昭(50)から別の地元高を勧められた橋下は、強い口調でこう訴えたという。「僕だって、本当はみんなと同じ高校に行きたい。でも僕はどうしても勉強したい。勉強ができる環境にいかなあかんねん」 同じ子供の中でもどうにもならない“差”があることを幼くして痛感していた橋下。ただそうした環境が結果的に自らのサクセスストーリーにつながったことは、実は彼自身が一番よく分かっているのではないか。だからこそすでに恵まれた存在ともいえる「私学」は彼の“美学”が受けつけないのではないか。弁護士時代、出身中学で講演会をした橋下は真っ赤なポルシェで現れ、生徒らにこう訴えたという。「努力すれば誰だってはい上がれるんです」「視野を広げる」「視野を広げる」 《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》 これは、橋下徹が中学時代に書いた卒業文集の一節だ。ほかの生徒の多くが、「3年間の思い出」のような子供らしい内容に終始する中、橋下がつけたタイトルは「視野を広げる」。 東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っているように、濃密な時間だった。中でも中学校で学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だったようだ。 「なんで夕方の6時で部活を終わらせなあかんのですか。夏場なんか、まだ明るいやないですか」。3年時にラグビー部のキャプテンを務めた橋下は、教室と同様、グラウンドでも雄弁さを発揮し、学校側と正面からぶつかった。 背景には、地域が抱える複雑な事情があった。学力が低かったり、生活面に問題を抱えたりしている生徒の指導のため、この学校では、教師が帰宅後の生徒の住む地域に出向く「訪問授業」を午後7時から行っていたのである。府教委関係者によれば、それは同和対策事業の一環という側面もあったという。忘れがたい事件 「いろんな子供がおるんや。先生たちだって一生懸命なんや」。ラグビー部顧問の黒田光(48)は必死でなだめたが、橋下は「なんで、ぼくらが犠牲にならなあかんのですか」としつこく食い下がり、結局、午後6時半まで練習時間を延長させたという。 この経験が影響したのだろうか。橋下は文集に《まだまだ同和教育に反感をたくさんいだいている。完全に納得できないのもたくさんある》と書く一方、複雑な思いも記している。新党「日本維新の会」東京事務所の看板を掛ける同党の橋下徹代表(中央)、松野頼久国会議員団代表(左)、松井一郎幹事長(右から2人目)ら=2012年10月15日、東京・永田町(代表撮影) 《でもその中でただ一つ「仲間づくり」の話だけは納得できるのは、その話が現実に起こったからだ。1年前、僕が自転車の事件を起こしたとき、みんな必死でかばってくれた》 忘れがたい事件だったのだろう。橋下は中学時代、自転車を盗んだ疑いをかけられ警察に補導されたことを、大人になってからも度々週刊誌などで告白している。そこには、警察という権力に対する批判ものぞいている。 「警察で、友達のことをしゃべらなかったら『しゃべれ!』って名簿みたいなんで背中たたかれて、これが警察かと。警察は暴力は絶対しないなんて言ってますけど、殴って吐かしてんだろうっていうのは、身にしみて体験したんです」 このとき、警察を出てきた橋下を温かく迎えてくれたのが仲間たちだったという。文集にはこうある。《前の学校だったらみんな逃げてしまっただろう》「同和問題は解決していない」 むろん、橋下の同和施策が少年期の体験だけで進められているわけではない。ただ、このデリケートな問題を人一倍、目の当たりにし、視野を広げ、自らの頭で考え続けてきたことは確かである。 「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。今年3月の府議会で、そう言い切った橋下。 補助金の見直しを求めた4月の府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。 「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」逆境に強いんだよ逆境に強いんだよ 「おれは逆境に強いんだよ」。橋下徹の少年期をよく知る人たちは、その言葉を何度も耳にしている。 転校を繰り返しながらもリーダー的存在になっていく小学生時代、偏差値ではとても無理だと言われた府立北野高校に合格した中学生時代、そして、その北野では、厳しい練習に耐えてレギュラーを勝ち取り、46年ぶりの「花園出場」を成し遂げる。確かに強い精神力がなければ難しいエピソードばかりだが、北野高時代のラグビー部顧問、田中伸明(51)は意外な証言をする。 「俊足で能力の高さは際立っていたが、まじめに練習する姿勢は感じられず、遅刻も多かった。小さいころからコツコツ努力するのが嫌いだったんでしょう」 3年生でレギュラーをつかんだときも、田中は別の選手に代えようとした。練習態度が相変わらず怠惰だったからだ。「もう一度チャンスがほしい」。追い込まれた橋下は、そう言って田中に懇願し、別人のように猛練習を開始したという。 「彼は逆境に強いというよりも、追い込まれなければやらないタイプではないか。逆に言えば本番で予想外の力を出せる人間でもあった」。その言葉通り、橋下は花園での大一番の試合で3トライの大活躍を見せる。体育会的な「上下関係」 橋下がラグビーで学んだことに、体育会的な「上下関係」もある。「子供なんて殴って教えたらいい」「府職員も自衛隊に体験入隊したらどうか」。そうした発言が自身の経験に基づいていることは非常にわかりやすい。 一方で、体育会的なものには、常に「理不尽さ」がつきまとう。中学時代のラグビー部では、タックルなどで転んでできたかさぶたは「ハンバーグ」と呼ばれ、先輩たちは、橋下ら後輩の腕や足にいかに大きな「ハンバーグ」を作るかを競い合ったという。大阪市議会本会議で都構想の協定書が可決され議場を出る橋下徹市長=2015年3月13日午後、大阪市北区 高校時代も、1年生の夏合宿は特に厳しく、炎天下のグラウンドを数時間走り続けるのは当たり前。体のできあがったOBや上級生とのタックル練習では地面に何度もたたきつけられ、最後には起きあがれなくなる生徒もいたという。 「さぼり癖」を指摘されてはいたものの、6年間の体育会生活に耐えたことは、橋下の大きな自信につながったに違いない。ただ、そうした根性主義的な要素に加え、何事も本番に強いというたぐいまれな性格から見れば、「できない人間」の存在がもどかしく感じられることもあるのではないか。「自分には簡単にできることが、他人にはなぜできないのか」という苛立(いらだ)ちである。「今の自分なら何でも乗り切れる」 「見透かされていたようですね。僕の内面がよく表れてます」。今月29日にインタビューに応じた橋下は今回の連載の感想について苦笑しながら、そう話した。ただ、自身の性格を改めて問うと、「僕はみなさんが思っているようなパーフェクト人間じゃない」と答えながらも、次のように述べた。 「昨日もね、イベントで僕がテレビに映るのに、職員が大阪府の宣伝用ののぼりを飾らなかった。たった30秒のスポットだったとしても広告費に換算すればいくらになるのか。そんな発想すらできないことが僕には不思議でならない。公務員は絶対に倒れない組織にもたれかかってるから、感覚が麻痺(まひ)してるんでしょうね」 職員に対する橋下の見方は常に厳しい。むろん、待ったなしの財政改革を進めていくためには、彼らの意識改革が不可欠である。ただ、誰もが逆境に強いわけでも、厳しいタックルに耐えられたわけでも、短期間の勉強で有名高校に受かったわけではない。むしろ世の中の大多数が、自身とは違うタイプの人間であることに、彼はどこまで気づいているのだろうか。 そんなところに、全国最年少知事の勢いと危うさのようなものを感じる。 知事就任後の今年5月、大阪市内で開かれた北野高ラグビー部の同窓会で、橋下はラグビーボールの寄せ書きに、こう記していた。 「夏合宿以上にしんどいことはない。今の自分なら何でも乗り切れる」(敬称略) (連載は、皆川豪志、守田順一、白岩賢太、吉田智香、板東和正が担当しました) 関連記事■ 最後まで寄りかかった橋下さんに「もてあまされていた」上西議員■ 橋下市長vs在特会にみるエンタメ報道■ 吉本お家騒動 創業家のプライド、増幅された確執

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    負のスパイラルに陥った地方議会

    る。こんな連中が議員に選ばれていたのかと嘆き、驚き、怒り心頭となった方も多いはずだ。 全国1788の地方自治体に総勢34879人(2013年4月時点)もの地方議員が存在する。議員報酬の総額は年約1614億円にのぼり、期末手当や政務活動費、費用弁償などを加えると議員への支払総額は年約2700億円に達する。それらの原資はいうまでもなく税金である。地方議員たちがこうした報酬に見合った仕事をしているかといえば、答えは明白だ。間違いなく「ノー」である。 地方議会の果たすべき役割はチェックと政策提案である。ところが、ほとんどの地方議会は首長(執行部)提案を丸呑みする「追認機関」に過ぎない。執行部となれ合ってチェック機能を果たせずにいるのである。議場での質問も執行部に作成してもらった文を朗読するのが当たり前となっている。そうした地方議員たちに政策提案などできるはずもなく、住民にとって地方議会は「あってもなくてもどうでもよい」存在にしか思えないのである。 だが、地方議会は自治体の意思決定を行う議決機関である。制度上、議会が「ノー」と言ったら、首長(執行部)提案は実現不可能となる。つまり、今の地方議会は新たなものを創り出す力はないが、新たな取り組みをストップさせる絶大な力は持っている。 このため、議会側にへそを曲げられないように注意・配慮するのが、ごく一般的な執行部のやり方である。「先生、先生」と議員のご機嫌をとりながら、自分たちのコントロール下に置くのである。その際、議員への様々な処遇が最大の武器となることはいうまでもない。こうして働きぶりとは全く関係なく、高額報酬や政務活動費などが用意されるようになったという次第だ(町村議は除く)。それに、そもそも議員報酬や定数などの決定権は当事者の議会側にあり、お手盛りし放題となっている。 その地方議員や首長を選ぶ4年に1度の統一地方選がスタートした。選挙は劣悪な議員を良質な議員に交代させる唯一の機会なのだが、そう大きなメンバーチェンジは生まれそうもない。なぜなら、現職やその後継者が圧倒的に有利となる歪んだ構造が出来上がってしまっているからだ。 その現れが低投票率と立候補者の激減であり、無投票選挙と無風選挙の激増だ。議会への新規参入がより困難なものとなり、新陳代謝が進まなくなっている。議員間に競争原理が働かず、切磋琢磨とは無縁の世界になってしまったのである。こうして議会は「悪貨が良貨を駆逐する」状況となり、さらなる議員の質の低下を招くという負のスパイラルに陥ってしまっているのである。 では、なぜこうした由々しき事態が広がってしまったのか。根底にあるのは、選挙に背を向けて投票に行かない有権者と、議員になる意欲を持った住民の激減である。両者は鶏と卵のような関係にあるが、後者に着目したい。 立候補者激減の要因の1つは、投票率が低いため、組織や地区の推薦などを持たない新人が当選しにくくなっていて、意欲や能力があってもチャレンジしにくいという現実がある。特に働き盛りの勤め人にとっては、立候補するリスクはとてつもなく大きい。 地方議員は非常勤の特別職で、兼業が認められている(公務員などを除く)。会期日数も年90日前後(町村議を除く)なので、専業でなくても可能だ。しかし、議会は常に平日の昼間に開会されるため、会社勤めの人が兼業することは事実上、不可能だ。任期中の休職を認める会社もなくはないが、勤め人の場合、職を投げ打って出馬しなければならないケースがほとんどだ。 こうして専業や特定の職種の人でなければ、地方議員選挙に立候補しにくいという現実が出来上がってしまっている。 議員になる人材の供給ルートが事実上、限定されてしまい、しかも、議員の固定化が進んでいる。その結果が議員の質の悪化となって現れている。現職議員の多くが次の選挙に勝つことを自身の最大の使命と考え、議員活動ではなく集票活動に日常的に血道をあげている。特定の住民のために口利きしたり、媚びを売ったりと懸命に票固めに汗を流している。そうした現職議員の姿を目にすれば、「自分もああまでしてなりたい」と思う人は少ないはずだ。意欲と能力がありながら出馬を断念してしまうのである。 だが、こうした地方議会の負のスパイラルを断ち切ろうという動きが生れている。有識者らが結成した「地方議会を変える国民会議」である。平日昼間に開催する現在の地方議会を、全て土日・夜間開催に変え、多様な住民が議会に参加できるようにすべきだと提言している。この提言に賛同した人たちが「地方議会を変える千代田区会議」を立ち上げ、今回の統一地方選で東京都千代田区議選に候補者を擁立し、その実現を目指すという。 議会改革の「最善・最良・最短」の道は、働かない議員をきちんと働く議員にチェンジすることではないか。議員報酬や定数の議論はそのあとにおこなうべきものだと考える。今回の統一地方選で最も注目すべきものは、千代田区内で始まった土日・夜間の議会改革を目指す新たな動きである。相川俊英(あいかわ・としひで)1956年群馬県生まれ。早稲田大学法学部卒。 放送記者、フリージャーナリストを経て、1997年から週刊ダイヤモンドの専属記者、 1999年からテレビ朝日・朝日放送系の報道番組「サンデープロジェクト」の番組ブレーンを務め、 自治体関連特集の企画、取材、レポートを担当した。現在は地方自治ジャーナリスト。単独での「獨往取材」を続けており、日本一首長に直接取材している記者と言われている。     著書は『長野オリンピック騒動記』『神戸都市経営の崩壊』『横浜改革 密着 1,000日』 『トンデモ地方議員の問題』など。2015年3月に新刊『反骨の市町村 国に頼るからバカを見る』(講談社)が発売された。関連記事■ 「若者の政治離れ」のウソ■ 沖縄県紙の市長選「介入」報道は許されるのか■ 議員の役目は立法ではないのか

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    「自分探し」の地方議員

    号泣県議をはじめ、昨年は世間を騒がせる地方議員が相次ぎました。中でも目立ったのが「若手」といわれる議員でした。さあ、間もなく4年に一度の統一地方選挙です。

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    やっぱり若者はダメだ…広がる失望を払拭できるか

    佐藤大吾(NPO法人ドットジェイピー理事長) 昨年は、地方議員に対してこれほど注目が集まったのは初めてではないかというほど、たくさんの報道がなされました。但し、その多くが不祥事やスキャンダルといった類のものであり、特に若い議員に関するトラブルが多く、「政治への不信」と「若手への失望」、ふたつの側面からイメージダウンにつながったことは非常に残念でした。 これまで、若い議員はいわば地方議会の「新風」と受け止められ、地方改革の旗手として好意的に受け止められることが多かったと思います。しかしながら、相次ぐ若い議員の不祥事によって「やっぱり若者はダメだ。政治はダメだ」といった印象が広がってしまったことは、誠実かつ熱心に改革に取り組んでいる他の若い議員たちの足を引っ張ることにつながり、その悪い影響は計り知れません。 私たちNPO法人ドットジェイピーは1998年の創業以来、春休みと夏休みの2ヶ月間、国会議員や地方議員のもとで議員活動を体験するインターンシッププログラムを提供しており、これまでに約20,000人の大学生が参加しました。 このインターンシッププログラムは、政治に関する知識や経験を全くもたない大学生を快く受け入れてくださる議員事務所の協力がないと成立しません。受け入れ議員事務所の数は年々増加し、現在は700を超えております。自らの政治活動を学生に見せ、また部分的に体験させることで、参加した学生の政治や議員に対する印象は劇的に変化します。インターンシップに参加する前には議員に対して「悪いイメージ」を持っていた学生が8割を超えているのに対して、わずか2ヶ月のインターンシップ期間を経た後におなじ質問をすると、9割以上の学生が「いいイメージ」を持つようになります。 参加インターン生のうちほとんど全員が、「インターンシッププログラムに参加するまで、一度も議員と会ったことがない」という状況なのですが、直接議員と触れ合うことで、かなり政治や議員に対して誤解していたのだということに気づくことになります。数多くの議員は学生にとってよき指導者として誠実かつ熱心に取り組んでいらっしゃるという証左であると考えています。 2万人を超えるこれまでのインターン参加学生の中には、熱心な議員たちから影響を受け、実際に議員になった人も多く、現在約60名が議員として活躍しています。彼らの多くは、得意分野を活かして先進的な取り組みを議会に提案し、少しでも地域を良くしようと活動しています。 そんな彼らを見ているからこそ言えることとしては、若い議員が問題を起こしたとしても、それはその議員固有の問題であって、決して若くして議員になることそのものに問題があるとは言えないということです。 特に「政治とカネの問題」は、国民全体としても関心が高く、テレビや新聞などで取り上げられる機会も多いため、若い有権者に対しても政治への関心や希望を著しく低下させます。 議員の収支報告書については、有権者がどうやって入手すればいいかわかりにくいことに加え、たとえ入手したとしても内容を読み解くためには政治資金に関する独特の会計や監査のルールに関する知識が必要となります。 また、報告の義務を負っている議員事務所にとっても難解であり、なかなか詳細に理解することは難しく、このことがトラブルにつながっている側面も大きいと考えます。 このように「理解したいのに方法がわからない有権者」と、「正しく報告しようとしているのに、なかなか簡単にはできない議員」という状況は、なんとかして改善する必要があるのではないでしょうか。これ以上政治とカネに関するトラブルが続くと、ますます有権者の政治に対する失望感が広がり、政治不信、投票率の低下へとつながっていくことは間違いありません。ドットジェイピーでは、特に若い世代の間でこれ以上政治不信が広がるのを食い止めるためにも、政治に関する会計の透明化をサポートできる仕組み作りにも取り組みたいと考えています。 また、低投票率の理由のひとつに「時間がない」というものがあげられます。ドットジェイピーでは昨年の衆議院議員総選挙の際に「Vote on Campus」というインターネットを用いた選挙啓発活動を実施しました。これは「若者のいるところで投票を!」、「投票所をもっと身近に」をキーワードに、大学構内にタブレット端末を設置することで、インターネット上から仮想の投票体験をしてもらうという企画だったのですが、この活動に参加した学生たちは、大学での投票所開設やインターネットによる投票ができれば、もっと投票に行くのでは、という声が多く寄せられました。 総務省は先般、「投票環境の向上方策等に関する研究会中間報告」において、「投票所の設置場所の増加」や「インターネットを利用した投票システムの構築」などに触れていましたが、若者の行動範囲の中で投票ができる仕組みが様々な形で作られていくことが、若者の投票率を向上させる方法だと考えています。ドットジェイピーでは選挙管理委員会の協力のもと、4月に行われる統一地方選挙について、函館大学にて期日前投票所の設置を実現いたしました。 最後に、どんな議員であっても、選ぶのは有権者です。だから、議員の質が疑問視される時、問題になるのは議員だけではなく、彼らを選んだ有権者ひとりひとりの姿勢であることも、きちんと認識しておくべきだと考えます。選ぶ側があとになって「なぜこんな人を選んでしまったのか」と後悔し、議員を批判することばかり繰り返していては、いつまでたっても変わりません。 今、目の前の選挙で、「なぜその人を選ぶのか」しっかり考えて投票することが議員の「質」に対する問題を解決する第一歩になると思います。もちろん有権者がしっかり考えて判断するために必要かつ十分な情報や材料を、候補者側が提供することは当然必要です。地域のことを自分ごととして捉え、有権者と候補者が健全に対話を行う機会が選挙であり、「議員や候補者の質」とは、いわばそこで交わされる「対話の質」と言えるかもしれません。 まずは、自分でしっかりと考え一票を投じるという「質の高い投票」を行うことが、政治や議員の質を高める一番の近道であるように思います。佐藤大吾(さとう・だいご)1973年大阪生まれ。大阪大学法学部在学中に起業、その後中退。企業でのインターンシップ導入支援事業などキャリア教育事業に携わる。またNPO活動として98年、議員事務所や官公庁などでのイ ンターンシッププログラムを運営するNPO法人ドットジェイピーを設立。これまでに1万8千人を超える学生が参加、うち約60人が議員として活躍。「Yahoo!みんなの政治」など、インターネットと政治を近づける活動にも注力する。10年3月、英国発1200億円を集める世界最大級の寄付仲介サイト「JapanGiving」の日本版を立ち上げ、国内最大の寄付サイトへ成長。日本における寄付文化創造に尽力する一方、13年には資金調達サイト「ShootingStar」を立ち上げ、営利・非営利に関わらずチャレンジする人の背中を押す活動に取り組む。関連記事■ 「若者の政治離れ」のウソ■ 山本みずきが聞いた それでも、若者の政治参加って必要ですか?■ 自分の言葉で話す大人になりたい

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    「時代の変革」は地方から始まる

    な状態が生まれていた。 第二次大戦後の制度では、そんな中央集権・地方追従型の政治行政を避けるために、地方自治体の首長を選挙で選ぶ公選制にし、都道府県と区市町村の2段階の地方議会を設けて行政と予算を監視監督し、政策アイデアを練らす機関とした。 従って、府県議会や市議会などの地方議員は、それぞれの地域の代表的な職業に従事する人々が、仕事と生活の場を通じて知り得た情報を持ち寄って議論し、地域の安定と振興に知恵を出し合う場であるはずである。 民主主義の伝統を持つ欧米でも、地方自治の形はそれぞれに異なるが、地方議員の機能と形態はほぼ貫かれている。地方議員のほとんどは別に本業を持つ市井の職業人か、広域政治へ進出する「修行中の人々」で占められている。地方議員の高報酬と専業化 日本の実情はどうか。 まず目立つのは地方議員に高額の報酬などが支払われていることだ。2014年の公表資料によると、47都道府県議会の議員に支払われた報酬は261億円だが、別に期末手当や政務活動費などの名目で294億円が議員に支払われている。議員1人当たりにすれば年間2026万円にもなる。 市や特別区の場合、全国812の自治体で2万425人の市議会議員、区議会議員がいるが、それに支払われた報酬の総額は1047億円、期末手当や政務活動費などは655億円、合計で1702億円に達する。議員1人当たり833万円になる。 さすがに小さな町村の議員になると、平均報酬などは年間370万円。それでも過疎地では結構な給与である。 この都道府県会議員や区市会議員の報酬などは諸外国に比べ断然高い。諸外国では地方議員は地域の職業人のボランティア活動と見做(みな)されており、報酬などは会議出席日の日当だけというのが多い。中には全く無給という例もある。 日本の地方議員の第2の特色は、ほとんどが男性で他に職業を持たない専業議員が多いことだ。 都道府県議会議員の91%は男性、その半数近くが専業議員だ。以前は農業や建設業者あるいは造り酒屋などの製造業を営む「地方名士」が多かったが、今では議員専業者が断然多くなっている。中には2世議員も多く、地方議員の「家業化」さえ進んでいる。 これでは地方議員の地位を守ることが優先され、政策論議や地域興しの知恵が出ないのも当然かもしれない。 この傾向は区市の議員にも広まっている。地方の市議会議員には、農業や小売業を営む者もいるが、断然の1位は専業議員、全体の3分の1を占めている。 要するに、日本の地方議会は高給を取る地方議員専業者の場になりつつあるのだ。改革の第一歩は統一地方選 日本の地方議員は高給だが、特に忙しいわけではない。平成21年度で見ると都道府県議会の会期は平均98日、区市議会で85日、町村議会では僅か44日である。しかもこの会期の間、すべての議員が会議に出席するわけでもない。高額の割には稼働期間が少ないのだ。 日本の地方議会の低調さを示すのには、次の数字がよいだろう。 各都道府県の知事や市長、区長らの首長が提出した議案をこの4年間1本も修正や否決をしたことのない「丸呑(の)み」議会が50%もある。また議員提案の政策条例が1つもない「無提案」議会が91%、議員個人の議案への賛否を明かさない「非公開」議会が84%にも及んでいる(朝日新聞調査から)。 これでは地方議会から地方振興の知恵を期待するのは無理だろう。欧米では地方議会の会議を休日または夜間に設定、一般の会社員や教員、ジャーナリストが参加できるようにしている。日本もそれに倣うべきではないか。 高給を取り専業化が進む日本の地方議員は、それ自体が守旧の牙城ともいえる。これを崩す改革の第一歩は、今年4月の統一地方選挙。地方議会の仕組みと人材を改め、地域の振興に一石を投じたいところである。さかいや・たいち 小説家、経済評論家。東京大学経済学部卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省し、大阪万博のプロデュースに関わり、通産省工業技術院研究開発官などを務めたのち退官。執筆活動を続ける一方、経済企画庁長官を歴任した。主な著書に『団塊の世代』『峠の群像』など。関連記事■ 沖縄県紙の市長選「介入」報道は許されるのか■ 「東京一極集中」が招く人口減少の悪循環■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」

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    もはや「就職活動」と化した地方選挙

    きるが、総理を選ぶ投票ができるのは国会議員に限られる。こうした仕組みを「一元代表制」という。 一方で地方自治体では国政と異なり、市長など首長と議員が共に選挙によって選出される「二元代表制」をとっている。 多くの有権者はもちろん、現職の地方議員、地方議会関係者の中にも、地方議会を「国会の地方版」の様に勘違いしている人が多いが、「地方議会」には「国会」とは異なる役割が求められているのだ。 国会と地方議会の違いについて見ていくと、憲法41条で、国会が「国の唯一の立法機関」であるとされている事は多くの人に知られているが、地方議会に関しては、憲法93条1項で、会合して相談する「議事機関」としてしか定められていない。 同様に、国会は憲法43条で「全国民を代表する選挙された議員」で構成され、憲法前文で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」し、「その権力は国民の代表者がこれを行使」するとされているが、地方議会は憲法93条2項に「住民が、直接これを選挙する」と住民の権利しか明記されておらず、特別法の制定についてなどに至っては、憲法95条に「住民の投票においてその過半数の同意を得なければ」と住民が直接行使する事が位置づけられているほか、むしろ地方自治法76条等では住民の直接請求に基づく住民投票で議員・首長のリコール、議会の解散なども住民の権利として認められている。 こうした事からも分かる様に、地方自治体におけるガバナンスは、国政と異なり、議会・行政・市民との3者のバランスにより成り立つ事が、本来より想定されている。 また、法的には首長と議会それぞれにはほぼ同等ともいえる権限が与えられてもいる事も特徴と言える。 こうした事から考えれば、国会以上に議会が積極的に機能する事、さらには、市民を巻き込んだ自治の仕組みを担う事が求められていると言える。市長提案議案の99%が原案通り可決 地方議会の役割についてだが、学生時代に「三権分立」と習った事を思い出すと、議会の役割は「立法府」であったはずだ。これは法律をつくる場所である事を示しているが、国会を地方議会に置き換えて考えれば、「条例をつくる場所」という事になるはずだ。 議会や議員の役割が「政策提言」などと言われてすでに久しいが、実際には、議会や議員からの議案提出など殆んどなく、実際には全体の89.3%は市長提案で、議員提出8.8%、委員会提出1.9%と合わせても10.7%しかないというのが現状だ。 とくに問題に感じるのは、立法府とも言われる議員による提出件数の減少であり、2002年時点では1市当たり19.0件あった議員提案は、多少上下しながらも減少傾向にあり、2013年には12.1件にまで減ってしまっている。こうした指摘をすると、ベテランの地方議員などから必ず、「議会の役割は政策提案だけではない」という声をいただく。総理が国会議員から選ばれる国政と異なり、市長も議員も選挙によって選ばれる地方自治現場では、「行政と議会は車の両輪である」とも言われる事も多く、議会側からの提案だけでなく、行政をチェックする事もまた議会の重要な役割だとされているからだ。 そこで、地方議会の「行政チェック」の実態を調べるため、市長提出による議案の議決態様について見てみる。 議会によって修正されて可決した割合は、市長提案議案の内わずか0.3%しかなく、全体の99.1%は、市長提案を原案そのままで可決しているのだ。 何でも反対すればいいという事ではもちろんなく、市長提案の中でも、良いものは、そのまま原案可決すればいい。しかし、99.1%もがそのまま原案可決している状況では、議会の「行政チェック機能」とは、どういうものかと考えざるをえない。減少し続ける議会質問 議員活動の問題は、こればかりではない。 最も象徴的な議会活動である議会での質問ですら減少傾向にあるのだ。 2002年からの議会データを調べてみると、1自治体あたりの議会での質問回数は、2006年までは増加傾向にあったのだが、この2006年からは減少傾向に転じ、最新2013年データでは、個人質問は2006年以来最少の50.0回、代表質問に至っては、データを調べ始めた2002年以来最低の8.8回となってしまっている。 これらは、本会議だけの質問回数だが、議員全員の1年分を合わせた回数だと考えると、一人ひとりの議員の議会での質問回数がどれだけ少ないかが分かる。 しかし一方で、こうした中でも人知れず市民のためにと熱心に活動している議員も全国にいる。 冒頭にも書いたが、前回の統一地方選挙では、15,841人が有権者から選ばれた。 4年に1度しかない地方政治家を一斉に選ぶ、言い換えれば地方議会を大きく変えていく貴重なチャンスである。 国政の様にメディアで大々的に取り上げられる事は少ないが、是非、地元の地方議会にも関心を持ってチェックをしてもらいたいと思う。高橋亮平(たかはし・りょうへい)中央大学特任准教授、NPO法人Rights代表理事、ワカモノ・マニフェスト策定委員会、明治大学世代間問題研究 所客員研究員、政策工房客員研究員。 市川市議会議員、松戸市政策担当官・審議監・政策推進研究室長、東京財団研究員、全国若手市議会議員の会 会長などを経て現職。田原総一郎氏を会長に政策監視NPOであるNPO法人万年野党を事務局長として立ち上げる。5児の父 テレビ朝日「朝まで生テレビ!」などに出演、AERAの「日本を立て直す100人」に選ばれる。 著書に『世代間格差ってなんだ』(PHP新書)、『20歳からの社会科』(日経プレミア新書)、『18歳が政治を変える!』(現代人文社)ほか。関連記事■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 議員の役目は立法ではないのか■ 恐るべし、マスコミ

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    「美人すぎる市議」と呼ばれた私がいま思うこと

    立川明日香(元埼玉県新座市議) ノルアドレナリンの噴出が止まらない。視界に入るものすべてが「食べ物」に見える。つまり目に入るすべての情報が価値あるもの、意味のあるものに見える。なので徒然なるままにまさにきょうの思考をそのまま書きたいと思う。たとえば仕事の机の上のカレンダーや紙の山。きょうは会社勤めの意義がよくわかる。いつもは何も考えないで使っているエクセルの意義なんかも真剣に考えてしまっている。 会社員は仕事を、楽しいからやる。アドレナリンがでるからやる。というふうでないと残業してはいけない。もちろん通常の業務も。私の職場には家族に献身するのが自分にとって一番の幸福の人がいる。そうするほうが脳内物質が沢山出るからそうする。一方で家族を顧みず会社の後の飲み会で脳内物質を求める人もいる。新座市役所で会見する立川明日香氏(2012年12月25日) 2012年、市議を辞職する直前、衆議院選挙に出馬することを直前でやめた。その後最近まではそれで100%良かったと思っていたが、最近になって出馬してもよかったなと思い始めた。 それはやめるにいたった行動が、恐怖からの逃避だったと今は思う。衆院選に出るなど、私には到底力不足で、子育てに手が回らなくなってしまう。そう考えて、理由付けしてやめたのだけど、本当の理由は単に撮影の前日に撮影日が決まった政見放送収録が恐かったから。人はいつも恐怖から逃げようとして多くの幸福になるチャンスを逃す。 まあ本当のところは、人は選択した後に後悔しようが、選択するタイミングで脳みそをフル回転させるので、そのとき持ち合わせている叡智を結集させて決めた道はやっぱりそのときのベストな道なので、今現在の状態が一番最適かつ幸福な道であるともわかっている。 シングルマザーにとってはお金の問題はいつもついて回る。子供にいい服を着せてやりたい、習い事をたくさんさせてやりたい。いい教育を・いい食べ物をと上を見ればきりがなくお金が必要になってくる。収入は社会的地位に比例する。なぜこんなにも地位と名誉を追い求めることが悪とされている世の中なのに、我々は無意識のうちに地位のあるものにひれ伏し、自分よりも認めてしまうのだろうか。多くが人間の本当の価値とはということを考えることをせず、無意識に信号無視をしている者がきちんとした身なりをしている者なら平気でその後に続いて信号無視をし、新しい星を見つけた学者が民族衣装でなくてスーツを着て学会で発表すれば認めてしまう。だからお金は一部にしか集まらない。 目に見える幸福(お金や安定した生活)がなぜ真理(物質的価値を重んじることは本当の幸福ではない)に相反してしまうのか、宮沢賢治が繰り返した「ほんとうの幸福」が世間にこれほどまでに浸透しない、なんとか納得のいく説明と解決策を見つけたいと思う。 最後に、私の徒然日記をすべて読んでくださった方、ほんとうにありがとう。英語ばかりを読む生活をしているので日本語の乏しさに気分を害された方、お許しください。皆さんの幸福をお祈りしています。立川明日香(たちかわ・あすか)1985年東京出身。2012年、26歳で埼玉県新座市議会議員選挙で無所属新人ながら26議席中5位当選。”美人すぎる市議”として話題に。その後、市から居住実態がないとして当選無効の決定を受け、同年12月に議員を辞職。その後、自身の半生が綴られた書籍『ノーモア・立川明日香』を上梓。現在、児童養護施設で育った経験から里親制度や養子縁組制度の充実を訴える活動を続ける。関連記事■ 「若者の政治離れ」のウソ■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 議員の役目は立法ではないのか