検索ワード:報道ステーション/9件ヒットしました

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    なぜか萎縮する古舘伊知郎たち

    テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎氏と元通産官僚の古賀茂明氏の番組内バトルが、「権力と報道」という大上段に構えたテーマになって尾を引いています。確かに大事なことなのでしょうが、この人たちってすぐに「圧力」とか「萎縮」とか、言いますよね。情けなくないですか?

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    古賀さんの降板に私が「もったいない」とつぶやいた理由

     テレビ朝日「報道ステーション」で、古舘伊知郎キャスターとコメンテーターの古賀茂明さんが、番組内で「バトル」を繰り広げたことが、大きな話題になった。ツイッターでは江川紹子さんや竹田圭吾さんが批判的見解を表明し、わたしもそれに賛同した。それに対して、藤原新也さんはご自身のブログ「Catwalk」で、降板騒ぎが起きてから古賀さんと数日間いっしょだったという知人から、江川、竹田、有田は「情けない」と電話で言われたと紹介した。藤原さんは古賀さんが官邸などの圧力があったことを示す根拠が弱いことを指摘しながら、「この古賀の発言を“私憤”と一蹴して、せっかくの問題提起を葬り去る動きは同意できかねる。なぜなら私はあれは公憤に見えたからである」と書いた。誤解のないように藤原さんの全文を読んでいただきたい。http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php なぜわたしは古賀茂明さんの言動に強い違和感を感じたのか。個人的なテレビ経験からそう思ったのだ。地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教が強制捜査を受けた1995年3月22日から、「ザ・ワイド」(日本テレビ系)が番組を終了する2007年9月28日まで、わたしは12年半にわたって、テレビに出演していた。とくに「ザ・ワイド」は、1993年の統一教会問題からの付き合いで、地下鉄サリン事件以降は、月曜から金曜までレギュラーで出演していた。キャスターの草野仁さんからは、人間的な挙措についてだけでなく、テレビ番組のありように関しても多くのことを教えられた。 「わたしたちの仕事は日雇いのようなものですよ」 草野さんが番組の合間に何度かわたしにこう語ったことは印象的だった。キャスターには年間契約があるが、基本的にはテレビ局の意向が最優先される。もう必要ないと判断されれば番組は終わるだけだ。ましてやコメンテーターに契約などなかった。そうした意味で「日雇い」仕事なのである。橋下徹さんが弁護士として「行列のできる法律相談」などに出演して活躍していたときのことだ。ある日、「ザ・ワイド」にコメンテーターとして出演したことがあった。ところが橋下さんが「ザ・ワイド」に登場することは二度となかった。何か発言に問題があったということではない。番組としてさらに出演していただく必要はないと判断しただけのことだった。テレビ番組とはそういうものなのだ。 ましてや番組の改編期に、ゲストコメンテーターの変更があるのは当り前のことだ。草野仁さんとの想い出でいえば、番組には草野さんとは国家観の異なるコメンテーターも出演していた。草野さんに思うところもあっただろうと推測したものだ。わたしとてイラク戦争当時は、草野さんとは意見を異にしていた。それでも自分の見解を表明するときに、草野さんをストレートに批判するようなコメントはいっさいしなかった。 視聴者はスタジオでバトルが行われれば画面に食い入るだろう。激論は「面白い」からだ。「ザ・ワイド」でもディレクターやプロデューサーから、スタジオでの「異論反論」といった見せ場としての議論を求められたこともある。しかし「ザ・ワイド」の場合は、「主張のある番組」を視聴者に届けたいという草野さんの強い思いがあった。では、なぜバトルを避けたのか。それは基本的スタンスとして番組を守らなければならなかったからだ。 「ザ・ワイド」はオウム特番で36・7パーセントという驚くべき視聴率をあげたこともある。現場ディレクターやリポーターの地道で精力的な取材をもとに、整理された素材をスタジオで調理し、視聴者に問題のありかを伝えていった。いわば草野仁さんを司令塔とする総力戦だった。多くの関係者が番組に愛情を感じていただろう。番組を継続させるのは、視聴者に対する責任でもあった。 わたしは古賀茂明さんが、問われてもいないご自身の降板について、ルールを壊してまで語り出す姿を見て、まず思ったことは、スタッフが可哀相だなということだった。生放送とは「干物」ではなく「生もの」だ。そうである以上、日々さまざまな問題が生じる。「報道ステーション」とて問題が山積しているだろう。それは現場スタッフがいちばんわかっていることだ。究極の問題は「報道ステーション」が続いた方がいいのか、それとも無くなった方がいいのかである。 「わが亡きあとに洪水は来たれ」――古賀さんの暴発は、番組に対する建設的批判などではなく、ごくごく個人的な、しかも確たる根拠も示すことのない、憶測による発言であり、番組とスタッフへの思いやりをまったく感じさせなかった。 中東問題を問われて、個人的な降板について語るべきではなかった。それを前提として、番組の別の局面で語る機会があったとしても、官邸などからの圧力があって古賀さんが降板されたのならば、それは明確な根拠を持って発言するべきだった。それが公共放送でコメントする者の最低限の責任である。藤原新也さんの指摘するように、古賀さんが「私憤」ではなく「公憤」で発言したのなら、そこには番組スタッフの「良識派」を鼓舞激励するような方法を取るべきだった。 おそらく民放キー局は古賀さんを生番組で起用することを今後は避けるだろう。古賀さんのようなキャリアを持ったすぐれたコメンテーターが、テレビ番組には必要だ。どうして「戦略的撤退」を甘んじて引き受けることができなかったのだろうか。わたしがツイッターで「もったいない」と書いたのは、そうした思いからだった。「公憤」ではないなどと言うつもりはない。「私憤」に見えてしまうだけでも古賀さんだけでなく、番組とスタッフを深く傷つけてしまったのではないだろうか。 自民党は昨年11月26日付で、「報道ステーション」あてに「中立」を要請する文書を福井照・報道局長名で出した。そこには衆院解散後の昨年11月24日の放送が「アベノミクスの効果が大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく断定する内容」と批判し、「意見が対立している問題については、多くの角度から論点を明らかにしなければならないとされている放送法4条4号の規定に照らし、同番組の編集及びスタジオの解説は十分な意を尽くしているとは言えない」とあった。 個別番組に対する要請はきわめて異例である。自民党には「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」とする放送法第3条などまったく視野にない。ここに自民党=安倍政権の強権的驕りがある。安倍晋三という政治家が番組内容にまで立ち入ることがあることは、これまでにもNHKに対して抗議したことなどでもよく知られていることだ。総理となったいま、安倍氏の意向はさまざまな回路で行使されているだろう。NHKでも深化している「忖度政治」が生まれる根拠である。視えるものもあれば視えないものもある。だからこそ「報道ステーション」をふくめて、テレビ局のスタッフは、萎縮することなく、政治からの介入に対して、硬軟取り混ぜて効果的に、断固として闘っていかなければならない。 「蛇のように聡く、鳩のように柔和に」(聖書)。

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    マッド・アマノが激白! 「生本番バトル」古賀氏が明かしたタブー

    E”というフリップをやおら、手に持ちながら番組降板のてん末について語った古賀茂明氏。3月27日放送の報道ステーション(テレビ朝日系)出演最後に登場した古賀さんは古舘氏の制止を意に介さず持論を話し続けた。安倍首相を批判する古賀さんに対して首相官邸筋から陰に陽に圧力がかかった、と主張する古賀さんに対して古舘氏はあわてて、発言を遮ろうとした。 “生本番バトル”はネットやツイッターなどで場外乱闘となった。といっても、大方、古賀支持だが。著名なジャーナリストがテレビで「古賀さんはやり過ぎ」と批判していたが、果たしてそうだろうか。古舘伊知郎キャスター(左)と古賀茂明氏 実は、生バトルの放送日、3月27日の昼、私は都内某所で複数の人と古賀さんとのランチを共にし、「報道ステーション」の内実などを聞いた。安倍政権の圧力をものともせず番組を制作してきたプロデューサーを古賀さんは高く評価していた。そこで古賀さんはこう言った。「タブーは原発問題です」と。 元経済産業省の官僚だった古賀さんは退職後、執拗に原発と電力会社、政府を批判してきた。権力にとって古賀さんは限りなく邪魔な存在だった。古賀さんへの嫌がらせ・恫喝などがかなり頻繁にあったという。自宅玄関前に動物の死骸が置かれていたともいう。随分と悪質ではないか。いつものテレビでの淡々とした語り口と変わらないから余り堪えていないかに見えるのだが、良く考えてみれば酷い話だ。古賀さんの自宅前にはセキュリティーのための警察官が詰めているそうだ。経済アナリストの植草一秀氏の痴漢冤罪事件ではないが出来るだけ電車を利用しないほうが得策だ。“痴漢容疑”というワナにだけははまらないよう、くれぐれも気をつけていただきたい。パロディーに古賀氏は神妙 2月9日参議院議員会館と25日外国特派員協会で、古賀さんをはじめ憲法学者の小林節氏、作家の雨宮処凛氏、ジャーナリストの今井一氏らとともにとで「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」と題して記者会見を開いた。私も呼びかけ人の一人として参加した。声明の趣旨は《権力側の「圧力」が顕在化するケースが少なくなく、メディアや言論人らの「自粛」が進んでいることに大きな危惧を覚える》、というもの。声明を発表した事務局には言論人ら2500名、一般人2500名、合計5000名を超える賛同の署名が寄せられている。 私は言論弾圧のパロディーを作って特派員協会で公開した。それは、オレンジ色の囚人服を着せられ、口に布テープの猿ぐつわを付けられている古賀さんが「批評の自由 I am Koga」と書かれたフリップを持ち、その横に黒装束の男が今にも処刑せん、とするもの。顔は出さないが、袖口にABEの名があるから正体は安倍首相であることは誰にも分かる。初めて会場でこの作品を目にした古賀さんはにわかには笑みを浮かべず、複雑な表情を見せた。作品を手にした写真を撮ろうとした記者に古賀さんは静かに断ったらしい。安倍首相からのクレームを気にしたのではなく、その場の雰囲気から“茶化し”は不似合いと考えたのだと思う。 古賀さんの“降板騒動”はテレビの裏で言論弾圧が行なわれていることを多くの人々に想像させた。メディアから今後、声がかからないことを覚悟の上の勇気あるパフォーマンスを私たちはどう受け止めるべきか。 原発事故一周年の2012年3月11日に福島の現地から放送された特番「報道ステーションSUNDAY」での古舘氏のメッセージは傾聴に値するものだった。 原子力ムラという村が存在します。都会はここと違って、まばゆいばかりの光にあふれています。そして、もう一つ考えることは、地域で主な産業では、なかなか暮らすのは難しいというときに、その地域を分断してまでも、積極的に原発を誘致した、そういう部分があったとも考えています。その根本を徹底的に議論しなくてはいけないのではないでしょうか。私はそれを強く感じます。そうしないと、今、生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません。私は日々の報道ステーションのなかでそれを追及しています。もし圧力がかかって番組を切られても、それは本望です。 なかなか、勇ましいコメントではないか。しかし、古舘氏は番組存続のため「古賀降板」を受け入れた。「古舘・報道ステーション」が安倍政権の軍門に下るとするなら、もはや「生バトル」も想い出遠い存在になりそうだ。

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    “古賀れたテープレコーダー”は止まらない!

    古賀れたテープレコーダー 「電波の私物化」とはまさにこのことだ。 3月27日放送のテレビ朝日「報道ステーション」での蛮行だ。 その時の放送内容の文字起こしがネット上に公開されているので、詳細はそちらを参照頂きたい。http://news.livedoor.com/article/detail/9941821/ 「サウジ主導の空爆続く 緊迫イエメン“宗教対立”」と題したニュースの中で、キャスターの古舘伊知郎が、その日のコメンテーターであった元経済産業省官僚古賀茂明にコメントを求めた途端に、約10分間にわたるその電波ジャックは始まった。 「そうですね。ちょっと、そのお話する前に、あの私、今日が最後ということでですね」とニュースをぶった切った古賀は、滔々とまくし立てた。その内容たるや、サウジもイエメンも何の関係もない、自らの保身のための思い込みを垂れ流すだけの、ユーチューブやニコニコ動画のオカルト陰謀論動画でさえ裸足で逃げ出すようなシロモノである。 「菅官房長官をはじめですね、官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきましたけれども」 などという私怨を口角泡を飛ばして恍惚としながら自らのノンストップトークに陶酔している古賀にたまりかねた古舘が「古賀さん、あの、ちょっと待って下さい」と割って入っても、壊れたテープレコーダーは止まらない。二度目に「ちょっと待って下さい!古賀さん!」と怒鳴られてからやっと、キョトンとした顔で目をぱちくりさせた古賀れたテープレコーダーは「は、はい?」と異音を発生させようやく停止する。 ポンコツおもちゃが沈黙したことに安心したのか、古舘まで中東のニュースのことなんぞどうでもよくなってしまったらしく、古賀に畳み掛ける。 「今のお話は、私としては承服できません」「古賀さんは金曜日に時折、出てくださって。大変、私も勉強させていただいてる流れのなかで。番組が4月から様相が変わっていくなかでも、古賀さんに機会があれば、企画が合うなら出ていただきたいと相変わらず思ってますし」「古賀さんがこれで、すべて、何かテレビ側から降ろされたっていうことは、ちょっと古賀さん、それは違うと思いますよ?」 しかし、古賀れたテープレコーダーは、再び大音響でがなりたてる。そしてそれに大人気なく真っ向から組み付く古舘。もはやニュース番組でも何でもない。古賀「でも。私に古館さん、言われましたよね。私がこういうふうになるっていうことについて『自分は何もできなかった。本当に申し訳ない』と」古舘「はい。もちろんそれは、この前お話したのは楽屋で。古賀さんにいろいろ教えていただいてるなかで、古賀さんの思うような意向にそって、流れができてないんであるとしたら、大変申し訳ないって、私は思ってる、今でも」 なんと楽屋の裏話まで持ち出す仁義なき戦いだ。ところが腐っても古賀れていてもテープレコーダーだ。こんな禁じ手まで飛び出した!古賀「私は全部録音させていただきましたので、もし、そういうふうに言われるんだったら、全部出させていただきますけれども」 そう言ってテープレコーダーに睨みつけられる古舘も引き下がらない。古舘「いや、こちらもそれは出させていただくっていうことになっちゃいます、古賀さん」 なんと、ある意味関係者がお互いに信頼関係を醸成してお茶の間に質の高いニュース番組をお届けする準備をする場であろう楽屋で、両者がお互い不信感も隠さず録音をしながら会話、いや、バトルをしていたのだと暴露してしまっているのだから、異常である。 その後もテープレコーダーの暴走は止まらない。別のニュースに話題が移行しても、中東紛争の犠牲者や日本の政局なんぞのことはどうでも良いと思っているらしく、自分の保身のみに汲々とする。古賀「(報道ステーションの)プロデューサーが、今度、更迭されるというのも事実です」古舘「更迭ではないと思いますよ?」古賀「いやいや」古舘「私、人事のこと分かりませんが、人事異動、更迭…これやめましょう?古賀さん」 それでも古賀れたテープレコーダーは止まらない。そればかりか、思い上がりも甚だしく、自らをマハトマ・ガンジーと同一視しているのか、ガンジーの名言を記したフリップまで用意してきてこうまくし立てる。古賀「ただ、言わせていただければ、最後に。これをですね、ぜひ。これは古館さんにお贈りしたいんですけど。マハトマ・ガンジーの言葉です。『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである』と」「無意味」ではなく「有害」「無意味」ではなく「有害」 百歩譲って、テープレコーダーが公共の電波を私物化して喚いているオカルト陰謀発言が「無意味」な内容であるならば許そう。しかし、彼のやっていることは「無意味」なのではなく、「有害」なのだ。放送法にも明らかに抵触している。何も悪事を働かない普通の青少年に、万引きという犯罪を働く悪童が「オレサマがする万引きは無意味であるが、それでもしなくてはならない」などと言っているようなものだ。 古賀れたテープレコーダーはまだ止まらない。古賀「つまり、圧力とか自粛に慣れていってですね『ひとりでやったってしょうがない、ただ叩かれるだけだ』ということで、やっていないと、知らないうちに自分が変わってしまって、本当に大きな問題が起きているのに、気が付かないということがあるんですよと。これは私も、すごく今自分に言い聞かせていつも、生きているんですけれども。これは、みんなが考えていただきたいことだな、というふうに思っています。いろいろね、ちょっと申し訳ない、口論みたいになっちゃって。申し訳ないんですけれども、私が言いたかったのは、みんながやっっぱり、言いたいことはそのまま言おうと」 知ったこっちゃない。言いたいことがあるなら、法を犯して電波を私物化して喚くのではなく、ブログでもツイッターでもユーチューブでも、自由に使って一人でやるがいい。ところが古賀れたテープレコーダーにとっては、公共の電波を私物化できないことや、私物化に対して文句が来ることは、言論の自由の侵害ということになるらしいのだから、ただの幼稚な駄々っ子に過ぎない。 ところが、この異常な事件も、古賀れたテープレコーダーを持ち上げて反日に利用するサヨク勢力にとっては英雄的行為に見えるらしい。 例えば、反原発や反レイシズムを騙り全国で暴力テロや言論弾圧を引き起こしているサヨク暴力組織「レイシストをしばき隊」(現在は別の団体名を自称しているようだが、オウム真理教がアーレフだのひかりの輪だのと団体名を変えて摘発逃れを行っているようなものなので、旧称を用いる)は、設立者の野間易通がツイッターでこのように古賀を礼賛している。 「何の問題もないどころかすごいじゃんこれ。こんなもので電波の私物化とか言ってる竹田圭吾とかエガショーってほんとにジャーナリストかよ」 まぁ、図書館や書店に押しかけて脅し、自分たちの気に入らない本を排除してしまうという活動を行っている反民主主義テロ組織の言うこととしてはもっともというべきか。 その後古賀は、そうしたテロ組織や反日団体との結びつきを強め、各所で安倍政権批判を強めているが、そのような御仁が今まで週に一回とはいえ報道ステーションという公共の電波で反日陰謀論を垂れ流す「言論の自由」を与えられていたということ自体が異常である。そしてそうした異常な特権を与えられているサヨク勢力は、何も古賀一人ではないのだ。関連記事■ 卑劣なプロパガンダ「サンモニ」の正体とは■ くっだらねー! 猿芝居にイチャモンつけるクレーマーの正体■ 自らの過ちを省みぬサヨク・リベラル勢力の現状

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    森永卓郎氏 沖縄に米軍基地なぜあるかの解説収録ボツの理由

     『報道ステーション』(テレビ朝日系)でコメンテーターを降板することになった古賀茂明氏が「官邸の圧力があった」などとする発言が話題になり、リベラル派がTVから干されているとの説も出ている。多くの番組でコメンテーターを務める経済アナリストの森永卓郎氏に話を聞いた。* * *森永卓郎氏 私は、テレビやラジオに出る回数はまったく減っていない。現時点でテレビのレギュラーが4本、ラジオが8本あり、これに準レギュラーやスポットの出演を加えると、まったく休みがないほど働いている。ただ、問題は中身だ。かつて、頻繁に出演していた経済番組や討論番組への出演は半分以下になっている。 正直言うと、最近まで、私がリベラルの立場から発言する、あるいは政府批判をするので、干されているのだと考えていた。現に、私の周りで活躍していたリベラル派の論客、例えば森田実さん、落合恵子さん、鳥越俊太郎さんなど、才能にあふれて的確なコメントをする評論家たちも、テレビやラジオに出演する機会が減った。 また、安倍内閣がメディアを厳しく監視して、圧力を加えているという報道もなされている。ただ、私自身は安倍内閣から圧力がかかるということを経験していないし、テレビやラジオのスタッフに聞いても、評論家の選定に官邸が口出しをしているという事実はないようだ。それでは、なぜリベラルが干されているのか。私は、ニーズがなくなってしまったのだと考えている。 先日、文化放送の『大竹まこと ゴールデンラジオ』にゲスト出演した際、タレントの光浦靖子さんが私の相談に乗ってくれるという企画があった。私は、光浦さんに聞いた。「ボク、女性に全然もてないんですけど、何故ですか?」 光浦さんの答えはこうだった。「森永さんは、エロい匂いがするのと、“意見”を言うから嫌。例えば、池上彰さんだったら、世の中のことを分かりやすく解説してくれるから、一緒にご飯を食べに行きたいと思うけれど、森永さんの意見なんて聞きたくないもの」  光浦さんの返答は、ある意味で国民の声だ。国民が誰も論評を聞きたいと思わなくなってしまったのだ。ネットにすでに様々な意見が溢れるなか、わざわざテレビやラジオで聞きたいとは思わない。それよりも、世の中に遅れないように、分かりやすく、丁寧に教えてほしい。それがいまの国民のニーズなのだ。 その証拠に討論番組は視聴率が取れないから、どんどん減っている。一方、池上彰氏は、冠番組をいくつも持っている。池上氏の特徴は、やさしく解説するとともに、自分の意見を言わないということだ。いま求められているのは、意見ではなく解説なのだ。 リベラルが干されているという認識は、被害妄想だ。冷静に考えれば、干されているのは、右翼も同じだからだ。 いまメディアへの露出を増やそうと思ったら、一番重要なことは自分の意見を言わないことだ。ただ、私はそうしてまでテレビやラジオに出続けたいとは思わない。私は意見を言うために、出ているからだ。 もちろん、池上彰氏が売れている理由は、解説の能力が高いからだ。何年か前に「沖縄になぜ米軍基地があるのか」を解説するという収録があった。私はこう言った。「普天間にしろ、嘉手納にしろ、海兵隊の基地です。海兵隊は先遣部隊なので、そもそも日本を守る機能がありません。彼らが沖縄にいるのは、日本がアメリカに逆らった時に、真っ先に日本を占領するためです」。私の収録はボツになり、代わりに呼ばれた池上彰氏は、どこからも文句のこない、実にバランスのとれた解説をしたのだった。関連記事■ 紅白歌合戦 正月特番から大晦日に日程変更された意外な理由■ 元お天気お姉さん・甲斐まり恵の「アバンチュール」撮り下ろし■ さだまさしが愛をこめて描く深夜ラジオ小説『ラストレター』■ ヤ、ヤバ過ぎですって!甲斐まり恵 セクシーお姉さん衝撃撮■ 芸能界でもブーム広がるラジオ体操 永作博美やゆずも実践

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    古舘伊知郎様 お尋ねしたいことがあります

    今夏発売された「AERA」誌上で、「報道ステーション」キャスターの古舘伊知郎氏が「口にさるぐつわをはめた状態で10年たった」「ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えない」などと自身の番組を含むメディア批判を口にした。

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    古舘氏はなぜいつも上から目線なのか?

    報道ステーション」(テレビ朝日系)のキャスターを務める古舘伊知郎氏。精一杯、知性を演出しているようなのだが、そのちぐはぐな言動を批判されることも少なくない。何がどうおかしいのか、メディア論が専門の関東学院大学教授・新井克弥氏が分析する。 古館は番組コメンテーターである恵村順一郎・朝日新聞論説委員に対しては「権威」と持ち上げるが、一方で「大衆」には上から目線でアピールする姿勢が目立つ。「恵村さん、一般の方でわかりづらいなと、私もその1人として思うのは…」(解釈改憲に関する与党協議についての報道。6月10日) 古舘が報道番組で発見した究極の権威は、画面の向こうの「大衆」である。だが、この大衆とは勝手に設定した「さしたる所得もなく、さしたる見解も持たない視聴者」。これに古舘は「私は皆さんの味方ですよ」と肩入れする。 全国的に大雨への警戒を呼びかける気象ニュースを受けての一言はこうだ。 「皆さん、備えるってしんどいんですけど、備えていただきたいですねえ」(6月11日)「しんどいですけど備えてください」などと無責任に呼びかけられると、見ている側はつい「何様のつもりだ」と言いたくなるが、当の本人はしたり顔が収まらない。  【関連記事】 ・古舘伊知郎、加藤浩次、羽鳥慎一 帯番組MCは安定生活可能 ・古舘伊知郎氏 情報を処理できずピント外れの発言を繰り返す ・古舘伊知郎が『報道ステーション』以外に出演しない理由とは ・『報ステ』小川彩佳アナ「古舘氏との関係に悩む」とスタッフ ・古舘伊知郎ちぐはぐな言動分析 無知をさらけ出して恥じない

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    報道ステーションの死角 隠しきれない取材網の手薄さ

    0――ついさきほどまで、録画を観ていた前日夜のニュースショーが、本日のテーマである。 テレビ朝日の「報道ステーション」(報ステ)は、ビデオリサーチが公表している視聴率の報道部門10傑のなかで、NHKのニュース番組を除いて唯一民放として入っている。1985 年10月に始まった、前身の「ニュースステーション」から続く老舗番組が健在である。 報ステに隙はないのか。あるとすればそれはなにか。 そのヒントのひとつは、民放の夕方のニュース番組のなかにひそんでいるように考える。夜のニュース部門では、報ステのテレ朝がかろうじて首位を守っているが、夕方のニュース部門では、このところ、日本テレビの「news every.」が独走している。テレ朝は顔色を失っている。隠しきれない取材網の手薄さ ニュース部門の独自取材、その裏付けとなる報道局の体制が最終的には、ニュース戦争の帰趨を決すると筆者は考える。民放キー局のなかで、テレ朝のニュース部門は、親会社の新聞社に依存するところがあまりにも大きい。 「報道のTBS」とかつていわれた同局は、報道局のなかにまっさきに経済部を創設し、日本テレビも続き、フジテレビも、報道局の体制つまり取材網を永田町の政治村や、霞が関の官庁街に確実に拡大してきた。テレ朝の取材網の手薄さは隠しようもない。 2012年4月16日の報ステを観る。この日のメインの特集は、北朝鮮とシリア、番組のプロデューサーの力点はこのふたつにあったようにみえる。 北朝鮮の政権継承の式典に特派員を派遣するとともに、独自の批判的な視点をいれよう、という意図はうなずける。北朝鮮の地方に住む女性との電話による取材の音声である。特別の配給があったことや、衛星打ち上げというミサイル発射の失敗に対する反応などについて、その女性は語る。 この取材の主体は誰か。画面の片隅に「アジアプレス」の表示があらわれる。優れたフリーのジャーナリストの集団である。代表の石丸次郎が北朝鮮の内部について語る。北朝鮮の内部に情報網を築いてきたことに、敬意を表する。 しかしながら、報ステの特集のありようはどうであろうか。アジアプレスの取材と、報ステなかんずく、テレ朝の報道局がどのように取材に関与したのか、あいまいなままに放映された印象が強い。 文章でいうならば、引用と自説の区別がついていないのである。客観的な視点が欠落 この日の目玉ともいえる、もうひとつの特集もそうだ。内戦状態のシリアに潜入したジャーナリストの遠藤正雄のリポートである。トルコ側から雪山を踏破して国境を越えた遠藤に賛辞を惜しまない。 遠藤の取材は、反政府軍が勢力下に収めた地域のルポルタージュである。政府軍によって、弟を殺された兄がこの反政府軍に加わるエピソードはすさまじい。 特集のコアに遠藤のリポートを据えるとしても、ジャーナリズムの観点からいえば、シリア情勢の最近の動きと方向性について、テレ朝は客観的な視点をもっと加えなければない。 この日、フジテレビの「LIVE2012 News Japan」(ニュースジャパン)のトップニュースは、北朝鮮の人工衛星という名目で発射したミサイルについて、日本政府の情報収集が遅れた、とされる問題だった。フジの報道部門は、一連の事態に政府の各部署がどのように動いたか、首相や防衛相にどのような報告がなされたか――時系列で書き留めた政府内の機密文書を手に入れて、ニュースジャパンは報じたのである。 ニュースステーションが報ステに衣替えして、古舘伊知郎が起用されたとき、新番組の手本とされたのは、当時朝日新聞の第3面にほぼ毎日掲載された「時時刻刻」という特集だった。事件や事故、政局などをドキュメンタリーのように、登場人物や事象を追うものだった。 凝縮された事実を積み重ねるためには、取材にかける人とモノ、そしてカネがかかる。放送局にあって、報道部門はカネ食い虫とされるが、報道の信頼性はその放送局のブランドを形成する大きな要因である。 テレ朝は、2012年3月期決算で、放送収入つまり不動産収入などを除いた売上高が、開局から初めてTBSを抜いて、キー局3位に躍り出た。深夜帯のバラエティー番組が貢献したという。新聞社の桎梏から報道部門の自立が図られず、その地位を落とすことがないことを祈るばかりである。 (敬称略)=2012年4月18日掲載田部康喜(たべ・こうき)。福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員(経済、農業、社会保障担当)などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。メディア論、産業論、政策論など、幅広い分野で執筆、講演活動をしている。

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    朝日の責任逃れのお先棒を担いだ「報道ステーション

    サヨクウオッチャー 中宮崇(なかみや・たかし)「朝日が捏造して何が悪い!」 【アホの古舘】報道ステーション慰安婦特集反省会「朝日新聞は関係ない、日本は性奴隷20万人に謝罪を」 その日、ネット掲示板2ちゃんねるには、こんなトピックが立てられた。「要約 吉田証言は河野談話にもクマラスマミ報告にも影響を与えていない/強制的に連行したかどうかはもはや問題では無い。家に帰りたい女性を慰安所に管理していた事が問題だ/日本は20万人の慰安婦を管理し、殺戮した事をしっかりと受け止めて、韓国と仲良くしよう/これがTV朝日の結論です/酷すぎ」 まぁそういう番組であった。ネット民を大いに憤慨させたのも当然だろう。 報道ステーション(以下「報ステ」)である。ことの詳細について、「『吉田証言はでたらめだった』テレ朝・報道ステーションが朝日新聞報道を検証」と題する産経の報道を引用してみよう。  《テレビ朝日系「報道ステーション」は(9月)11日、朝日新聞の謝罪会見を受け、吉田証言や慰安婦問題に関する朝日新聞の報道について検証した。番組の中では、同局が平成3~5年の報道番組などで「慰安婦の強制連行」を証言した吉田清治氏を計5回、取り上げたことも明らかにした。キャスターの古舘伊知郎氏は「吉田証言はでたらめだったということが明確になった」と述べた。 番組では朝日の訂正内容を伝えたうえで、吉田証言が国内外に与えた影響を約40分にわたって特集。石原信雄元官房副長官や韓国外務省元幹部らへのインタビューを通じ、河野談話の成立過程や国連報告書(クマラスワミ報告)の内容などを伝えた。 古舘氏は特集終盤で「クマラスワミ報告に吉田証言が盛り込まれている事実はある。日本国内や韓国、国際社会への影響があった点を考えると、朝日新聞がもっと説明し、きちっと謝ることが大事だ」と述べた(以下略)》(14年9月12日) 武士の情けなのか、この産経新聞の記事は、報ステの姿勢に対して実に慈悲深い。そもそも、朝日新聞が慰安婦問題における吉田清治証言を虚偽であり記事は誤報であるとの訂正が8月5日の朝刊に掲載されてから9月11日に報ステがこの特集を放送するまで、実に37日が経過している。その間、各メディアが朝日の責任を厳しく追求する中で、報ステはこの大事件についてただの一言も視聴者に報じてこなかった。司会の古舘伊知郎は、この隠蔽や情報操作と言われてもやむを得ない呆れた番組の姿勢について、その意思決定者についても責任についてもひと言もなかった。古舘は、「『なぜお前は報道しない』と毎日頂きました。毎日取材を続けていました」と、プロの報道関係者とも思えぬまるで幼稚園児のような言い訳だけでお茶を濁し、追求逃れを図ったのである。 テレビ朝日が、報道機関にあるまじきプロパガンダ団体にすぎないことは1993年、テレ朝報道局長椿貞良が「なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」と発言した「椿事件」ですでに明らかだ。報ステの特集に呆れるというのも今更感はある。ジブリアニメ「天空の城ラピュタ」の登場人物である海賊のドーラに「当たり前さね。海賊が財宝を狙ってどこが悪い!」という名言があるが、さしずめ「当たり前さね。朝日が捏造してどこが悪い!」というところだ。 報ステが過去、「捏造」や「偏向」との批判を受けたことはまさに数知れない。07年9月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、実際の参加者数を数倍に水増しし「11万人が参加」と報じ批判を受けた際には、10月4日に古舘自ら「仮に2万人だったとして、なにがいけないんですかねぇ」と、反日のためなら嘘をついてもかまわぬとのまるで支那や北朝鮮そのままの恐ろしい本音を吐露している。 そもそも、この日「朝日新聞社長が謝罪会見 原発特ダネ記事を取り消し」とのトップニュースから始まった報ステは、朝日新聞の「ガキの使い」とでも言わざるをえない程度の杜撰なシロモノであった。社長の責任問題について古舘は「社長自身に関しては会社内の改革を終えた後に進退を決めるという〝ニュアンス〟を発表」などという戯言が登場する始末。社長への批判など一切なく、新聞社のトップとして責任をどう取るのかどうかの重大事を「ニュアンス」などという曖昧模糊とした言葉でごまかし、それを〝発表〟ともっともらしく取り繕う。とてもではないがニュース原稿とは言えない。2万人の参加者を11万人に水増ししたニュースも「ニュアンス」として垂れ流しただけだったのかもしれない。 08年、報ステの番組関係者が逮捕された際には、同年8月14日の放送で河野明子アナが「東京都内のテレビ番組制作会社の社員らが、社内で大麻を譲り渡しているなどとして逮捕されていた事が分かりました」と、身内が犯人であることを隠蔽して他人事のような態度を貫き通したことさえあった。政府や企業などの他人に対しては異常に厳しく雪印に至っては廃業にまで追い込みながら、自分や身内には甘いという卑劣な体質は、今に始まったことではないのだ。 大体、世間では「あの朝日新聞が、さらにはあの報道ステーションが謝罪した!」と驚く向きもあるようだが、事実は謝罪からは程遠い。報ステの「謝罪」にしても、朝日新聞の「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」との謝罪文を紹介した程度にすぎない。旧日本兵を強姦魔扱いし、旧日本軍を女衒か置屋であるかのようなプロパガンダを行ったことも、それによって日本人全体の名誉を傷つけ日韓関係を毀損したことにも、なんら謝罪していないのだ。 それどころか、特集中では、いわゆる国連人権委員会の「クマラスワミ報告」(1996年)で知られるスリランカ人の特別報告官ラディカ・クマラスワミにインタビューを行い、彼女のこんな主張を紹介しているのだ。 「吉田証言はほんの一つの証言にすぎません。独自に行った聞き取り調査などに基づき、慰安婦には逃げる自由がなく性奴隷と定義したのは妥当。報告書の修正は必要ありません」 つまり、朝日新聞の誤報など大したことではない、日本人が強姦魔だったという「事実」には何の変わりもないというわけだ。悪質! 印象操作を暴く このような、「ニュアンス」だけで日本を悪魔化し謝罪とも言えない言い訳とごまかしに終始した番組づくりについては多くの批判が出ている。「報ステ・古舘氏の『慰安婦検証報道』批判 論調は朝日が検証記事で主張した中身と同じ」と題した9月12日付のJ‐CASTニュース(ニュースサイト)でも、「番組の論調は、朝日が検証記事などで主張していた通りになっていた。番組では、強制連行があったとまでは言えないものの、広義の意味における慰安婦への強制性はあったということを繰り返し紹介していたのだ。古舘氏は、強制性があったとする河野談話を擁護する立場も明確に宣言しており、これに対し、ネット上では、慰安婦問題はどの国でもあったのになぜ日本だけが悪いということになるのか、などと疑問が出ている」と批判的に報じている。慰安婦問題を取り上げた朝日新聞の記事(手前が昭和58年10月19日付、奥が同年12月24日付)  報ステの謝罪や反省とは無縁な卑劣さは、古舘の「私としても、番組としても、元官房副長官である石原信雄さんの証言は非常に重いという立場を取っております。従って、強制的あるいは強制性と表現できる様々なことがあったという立場を取っております」という発言からも明らかだ。 特集中、「性奴隷」の「強制連行」を事実であると認定したクマラスワミ報告についてクマラスワミ本人の弁明を紹介しその正当化に加担したばかりか、その直後に93年のいわゆる「河野談話」作成に携わった石原のインタビューを持ってきて「最終的には慰安所の運営につきまして深く政府が関わっておったと、それから慰安婦とされた人たちの輸送とかについても政府が関わったと。輸送について安全を図ってほしいとかあるいは慰安所の運営について衛生管理あるいは治安の維持をしっかり頼むという趣旨の文書は出てきたわけですね」との石原の発言を取り上げた。そこに古舘は「強制性があった」と強弁したのだ。あたかも石原が吉田証言そのままの「性奴隷」の「強制連行」を認めて河野談話を作成したかのように視聴者を混乱させようと意図していたような番組構成だ。そればかりかわざわざテロップで、河野談話当時の政府関係者の「河野談話の焦点は〝日本軍が強制連行したかどうか〟ではなかった」との発言を強調した直後、「女性たちが〝意に反して集められたかどうか〟が焦点」と表示した。どのように「意に反して集められたか」については何ら証拠を紹介することなく、あたかも「意に反して日本政府や軍が性奴隷を奴隷狩りのように狩り集めた」と視聴者が勘違いするように仕向けていたのである。 問題はまだある。韓国ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に行われている韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺身協)によるデモを紹介し、挺身協の元代表で慰安婦問題を作り上げた責任者である尹貞玉(ユン・ジョンオク)にインタビュー映像で「吉田氏の著作は読んだし会ったこともあるわ」と語らせた直後、「91年に初めて名乗りでた元慰安婦金学順さん」の映像を流し、さらにインタビュアーの「吉田さんの本が出たことによって慰安婦の方が名乗り出やすくなったか」との質問に、尹が「それは違うと思います」と答えるやりとりを放映したのだ。吉田証言と韓国の慰安婦問題への受け止めはまったく別ものだと視聴者に印象付けるイメージ操作である。吉田の著作は92年7月に韓国政府が公表した慰安婦の実態調査報告書にまで引用されている。吉田証言は韓国の対日非難・攻撃の材料だったのである。この悪質さは、北朝鮮のテレビ番組と見まごうばかりだ。 特集の最後を、朝日新聞論説委員恵村順一郎はこう締めくくった。「朝日新聞の慰安婦報道に誤りがあり、それを長く正してこなかったことについて、私自身もお詫びしなければならないと思っています。同時に、目を背けてはならないことがあると思っています。それは、慰安婦の問題というのは消すことのできない、歴史の事実であるということです。旧日本軍の管理の下で、自由を奪われ、人権や尊厳を踏みにじられた女性がいたことは確かなことなんです」 真摯を装い、会社(朝日新聞)を擁護する。こんな醜悪な言い逃れを真に受ける者は、もはやおられまい。報道ステーション、いや、テレビ朝日に羞恥心だけでも残っているのであれば、「報道」の看板を自ら下ろし、「妄動ステーション」とか「騒動ステーション」とでも改名してはいかがであろうか。