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    掴みどころがない北朝鮮 情報収集の限界

     [世界潮流を読む 岡崎研究所論評集]岡崎研究所 米ニューヨーク・タイムズ紙のDavid E. Sangerワシントン支局長及びChoe Sang-Hunソウル特派員は、5月6日付ニューヨーク・タイムズ紙で、「北朝鮮、その新しい指導者についての情報は掴みどころがないままである」との論説を掲げ、北朝鮮に関する情報には限界があることを論じています。 すなわち、オバマ・朴会談の準備にあたり、情報専門家は共通の敵、北朝鮮について不完全な理解しか持っていない。北朝鮮の指導部や兵器についての理解は悪化さえしている。 CIAは当初、金正恩が父親、祖父の先軍政策よりも経済改革に関心があると判断したが、これは今や間違いだったとされている。 第3回目の核実験から3カ月経つが、米国は北朝鮮がウラン爆弾を実験したのか否か、答えられない。北朝鮮が、米国が航空機で集めている北朝鮮周辺空域でのガスを封じ込めたからである。 その後、新型移動式ミサイルが現れたが、偵察衛星から隠され、グアムに届く能力があるのかどころか、所在もわからない。6日、ソウル市内でニュース速報を見る市民(共同) 国防情報局(DIA)は、北朝鮮はミサイルに核弾頭を付け得るまで小型化したと言ったが、オバマ大統領、国家情報長官はそれに疑問を呈している。 北朝鮮の情報を収集するのは、常に難しい。北朝鮮はスパイ摘発に長けている。また、北朝鮮の科学者は外国旅行をせず、旅行の時も監視役がいて接触が困難である。携帯電話の利用が北朝鮮でも始まったことは情報収集にとり好都合であるが、効果は限られている。 イランでは、ナタンズの濃縮施設へのサイバー攻撃が出来たが、これもコンピュター、インターネットがあまり使われていない北朝鮮では難しい。 金正恩に関する情報も不確かだ。中国も金正恩とは金正日と違い、ほとんど会っていない。米国人で彼と会ったのはバスケットボールのスター、ロッドマンぐらいである。 小野寺防衛大臣は、金正恩はいつ平和モードに戻ればいいのか判らないのではないか、と心配していると述べた。 韓国高官は、金正恩が若さや未経験にかかわらず、軍を統制していることに驚いていた。ある計算によると、北朝鮮の上級将軍の3分の2が更迭されたという。しかし、金正恩が父親同様強いとの説には異論もある。正確なことは判らない。 太平洋軍司令官ロックリアは、金正恩は、父親以上にせっかちで予測不可能と言うが、DIA長官のフラインは、金正恩はカリスマのある指導者で現実政治を理解しているとしている。 核実験場は空気の証拠を出さないようにシールされている。早晩、北朝鮮はウラン爆弾を作れることを公表するだろう。しかし、何故金正恩がいまだにこれを秘密にしているかは、不明である。それは、技術が宣伝通り成功していないからかもしれない、と述べています。* * * サンガー記者は、ニューヨーク・タイムズの中では、情報機関に良く食い込んでいる記者です。イランのナタンズ攻撃に米国がどうかかわったか、暴露記事を書いたのもサンガー記者です。 今回の記事は、北朝鮮についての情報が限られている事に焦点を当てていますが、情報関係者は何を知っているか、何を知らないかを明らかにすることはありません。したがって、この記事の内容も、常識的にこう思われるということを述べたものでしょう。 第3回目の核実験がプルトニウム型かウラン型かを米国がまだ確定しえていないというのは、何らかの情報を得て書かれているようです。小型化が行われたか否か、また今後の北朝鮮による核兵器の開発スピードは、このことに依存します。 金正恩がなぜウラン型かプルトニウム型かを隠そうとしているか、良くわかりません。金正恩は、北朝鮮の核の威力を宣伝したいと思われますので、ウラン型が上手く行かなかったからという推測は十分可能性があります。 インテリジェンスの世界では、核実験がなされた場合、あるいはその疑いがある場合、空中の塵を集めて分析したりします。ウラン型かプルトニウム型かを知るのは重要ですが、それ以上に、核実験は行われたわけですから、それにどう対応するかがより重要です。結局、我々は不確実な中で行動して行かなければなりません。

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    中国が見捨てつつある北朝鮮 側近派遣などでロシアに急接近

     中国人民解放軍南京軍区の副司令官を務めた王洪光氏は2015年12月1日、共産党機関紙、人民日報系の環球時報(電子版)に「北朝鮮は既に中国の根本利益を損ねている。中国が(北朝鮮のために)戦う必要はない」との論評を載せ、大きな話題になっている。 香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」などが環球時報の記事を引用し、「中国はもはや北朝鮮を見捨てた」などと指摘。対する北朝鮮もロシア寄りの姿勢を強めており、中朝関係の冷却化が急速に進んでいる。 王氏は同紙への寄稿で、「中朝両国はかつての社会主義政党間の同志的関係ではなく、単なる国家間の利益関係が主体になっている。それは、北朝鮮がそうしたからだ」と指摘。その理由として、中国が断固として反対している北朝鮮の核兵器開発を北朝鮮指導部が推進しているためで、「中国に核汚染(のリスク)という深刻な脅威を与えている」と激しく非難。 そのうえで、北朝鮮が米国や韓国などから攻撃を受けても、「中国は救世主ではなく、北朝鮮が崩壊するとしても救うことはできない」と突き放した。北朝鮮の朝鮮労働党創建70年を記念する軍事パレードを観閲し、 中国共産党の劉雲山政治局常務委員(左)と言葉を交わす金正恩第1書記 =2015年10月10日、平壌 中朝関係は2013年12月、北朝鮮の張成沢・国防委員会副委員長の処刑以来、急激に悪化し、中国はすでに北朝鮮への石油輸出をストップしているほか、経済支援もほとんど行なっていない。 その代わり、急接近しているのがロシアだ。金正恩第一書記は自身の特使として、事実上のナンバー2で最側近の崔竜海書記を11月中旬、ロシアに派遣し、金氏のロシア訪問について協議したとみられる。 これに先立ち、プーチン氏の側近として知られるガルシア極東発展相が11月下旬、ロシアの経済代表団を率いて訪朝し、総事業費が約250億ドル(約2兆9000億円)に及ぶ北朝鮮の鉄道整備・改修計画を請け負うことで合意。 外貨不足の北朝鮮は、この見返りとして、国内の金やレアメタル(希少金属)など豊富な鉱産資源の開発権益をロシア側に提供する。さらに、金氏の信任が厚い側近の李スヨン外相が10月末から11日間にわたって訪露し、ラブロフ・ロシア外相らと会談している。 サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、中国指導部と緊密な関係を維持してきた張成沢氏が粛清されたことで、中朝関係は緊張状態が続いており、金第一書記が北朝鮮の最高指導者就任後、初の外遊先としてロシアを選ぶことで、対露関係を最重要視している姿勢を示す狙いがある。 しかし、そうなれば、中朝関係はほぼ断絶状態に陥ることが予想され、北京の軍事的圧力が増し、金第一書記の首を絞めかねないのは明らかだ。関連記事日本人拉致被害者情報提供する脱北者 謝礼は最低でも数十万円拉致問題や拉致被害者の家族は韓国政府にとって厄介な存在落合信彦氏 なぜ「脱北者はウソをつく」がわからないのかソウルで客死した金正日元側近「韓国は北朝鮮より自由ない」上野の摘発風俗嬢は脱北者、店長は北朝鮮美人工作員だった

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    「北の核実験も排除できず」韓国外務次官が警戒していた

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国の朴槿恵大統領が3日、中国の北京で開催された抗日戦争勝利70周年式典と軍事パレードに出席したことに対して、日本や米国から批判の声が出たことは既に報じられてきたが、朴大統領の70周年式典と軍事パレード参加に不愉快な思いを持ったのは日米両国だけではなく、北朝鮮もかなり神経質となっていた。 海外中国反体制派メディア「大紀元」(14日付)が米政府系ラジオ・フリー・アジア筋として報じたところによると、北朝鮮当局は中国の軍事パレードを国民がテレビで観ないように受信防止装置を付け、テレビで北京の軍事パレードを観た国民を逮捕したり、罰金を科したという。 「大紀元」によれば、「軍事パレードに関するニュースは国民の間に広がった。韓国の朴槿恵大統領が、中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領の近くに並んでいたことに、多くの市民はショックを受けた」という。北側は日頃、「米国の傀儡政権」と批判してきた韓国の朴大統領が習近平主席の傍で軍事パレードを観覧している姿を国民に見せたくなかったのだ。そこでテレビ中継を観ないようにに、受信防止装置を付けたというわけだ。 ちなみに、同式典に参加した北側の崔竜海・朝鮮労働党書記は軍事パレードでは中央から遠い端の方に追いやられ、中国側の要人との会談もなく帰国している。 北は10月10日の労働党創建70周年では軍事パレードを予定しているが、「大紀元」によれば、「中国人民軍の規模と比較して、北の軍事パレードが貧弱に受け取られることを警戒している」というのだ。 朴大統領を招請し、それも大歓迎した中国の習近平主席に対し、北側は快く思っていない。中国と北朝鮮との関係は、金正恩氏が政権を掌握して以来、険悪化してきた。その発端は、中国側が親中派の叔父、張成沢氏との会談の中で、金正恩第1書記を追放し、異母兄弟の金正男氏を担ぎ出す動きに同調したことからといわれている(それを知った金正恩氏は激怒して張氏を処刑した)。 北朝鮮は今月9日、建国記念日を迎えたが、習近平主席の祝電には、両国国民が朝鮮動乱でも共に戦った血で固められた友情という意味で「血盟関係」を誇示する慣例の表現はなく、「両国の健全な発展」を願うといった極めてクールな表現に終始した内容になっていたという。 その文面に不快な思いをした北側の労働新聞は、ロシアのプーチン大統領とキューバのカストロ国家評議会議長からの祝電を一面で紹介する一方、中国の国家元首の祝電を2面扱いで掲載するなど、不快感をあらわにしているほどだ。 中朝関係を見てきた韓半島ウォッチャーは久しく、「中国はいざとなれば北朝鮮を支援する」と見てきたが、両国は目下、これまで体験したことがない深刻な緊張関係にあると言わざるを得ない。 南北両国が一触即発の状況にあった先月、北側が板門店で開催された南北高官会議で地雷問題で異例の「遺憾表明」をし、南北間の軍事衝突を回避した。その唐突な展開は、北側が中国との関係改善を断念し、手っ取り早く経済支援が期待できる韓国との関係改善に乗り出すことを決めた結果ではないか、と推測されてきた。軍事パレードの観閲を終え、金日成広場の観衆に手を振る北朝鮮の金正恩第1書記。右は中国共産党の劉雲山政治局常務委員=2015年10月10日、平壌(共同) 北の核問題の6カ国協議では、中国はホスト国として北を宥める役割を演じ、時には圧力を行使してきた。しかし、中国の対北外交が今後、その実効力を失うのではないか。具体的には、北は労働党創建70周年前後に中国の反発を無視してミサイル実験、核実験などを強行する可能性が排除できなくなってきたわけだ。 興味深い点は、中朝関係が最悪な状況となってきたことから、中国に代わって韓国が北の非核化に指導力を発揮できるチャンスが巡ってきたことだ。任期後半に入った朴大統領の対北非核化への入れ込みはそのことを鮮明に裏付けている。ただし、北が核兵器を放棄する考えがない以上、その成果は余り期待できない。 以下、ウィーンの本部で開催中の国際原子力機関(IAEA)第59回総会に韓国首席代表として参加した同国外交部の趙兌烈第2次官は15日、当方とのインタビューに応じた。同次官は、「北朝鮮は過去、戦略的挑発を繰り返してきたから、来月10日の労働党創建70周年前後にミサイル発射だけではなく、核実験を実施する可能性は排除できない。わが国としてはIAEAを含む国際社会と連携し、6カ国協議加盟国と連絡を密にしているところだ」と述べた。 韓国政府はミサイル発射を警戒する一方、北の核実験については「兆候が見られない」という理由から否定的だった。韓国高官が北の核実験の可能性を示唆したのは今回初めて。 朴大統領が北の非核化問題でここにきてイニシアチブを取り出したことに対し、趙次官は、「北の核問題はわが国だけの議題ではない。中国との首脳会談、米韓のサミット会談でも常に最優先課題として扱われていることだ」と強調、韓国側が北の核問題で中国に代わって、主導的な役割を演じる考えがある、といった推測を否定した。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年9月16日分を転載)

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    抑止力のために核技術は最高水準に保つことが必要

    袴田茂樹(新潟県立大学教授) 相次いで核問題の国際協議が難航、頓挫している。各国の平和への意欲が足りないからだろうか。日本人が目を向けたくない現実について語りたい。冷徹な国際政治と核保有 冷戦が終わった1990年代、欧州統合も現実化し、国家間の対立や紛争の時代は終わったという楽観論が支配的となった。これからは「文明の衝突」の時代だと述べたS・ハンチントンも、ウクライナと露の武力衝突はもはやあり得ないとして、ウクライナに核兵器(以下、核とする)放棄を促した。氏はまた、J・ミアシャイマーなどは「両国間の緊張関係はむしろ強まる」と見、ウクライナに核保持を提言している、として「リアリスト的考えに凝り固まった人たち」を憐(あわ)れみの目で見下している(『文明の衝突』)。 少し前に私は本欄で、ウクライナに5万でも優れた装備と士気の高い軍があったら、その抑止力でクリミア併合もウクライナ東部の紛争もあり得なかった、と断言した。ウクライナが核を保持していたら、やはり同じことが言える。 1994年のブダペスト覚書で露、米、英など核保有国がウクライナの主権と領土保全を保証する代わりに同国に核を放棄させた。この保証は空手形に終わったが、今日のウクライナの事態に米、英などが強い責任を感じているふうには見えない。 2003年にイラクのフセイン政権が核疑惑で欧米の軍事攻撃を受けて崩壊したとき、リビアのカダフィは震え上がって核開発放棄を宣言した。やがてカダフィ政権も革命運動と北大西洋条約機構(NATO)軍の攻撃で11年に崩壊した。善しあしは別として、カダフィ政権が核を保有していたら政権は存続しただろう。国際政治のこの冷徹な現実を考える限り、交渉で北朝鮮に核を放棄させることは、残念ながらほぼ不可能だ。 今年3月からイランの核開発問題が同国と国連常任理事国プラス独によって協議され、4月初めに「枠組み合意」が成立した。これはイランの核開発制限と同国への制裁解除の交換取引で、最終合意は6月末だが、イスラエルの対イラン不信や米共和党内での強い批判もあり、合意の先行きは不透明だ。日本は核廃絶を推進すべきか この5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議でも、イランやアラブ諸国が強く主張した「中東地域の非核化」問題で合意が成立せず、最終文書は成立しなかった。ちなみに同文書では、提案のあった「核禁止条約」構想も削除されていた。イランの首脳たちはイスラエル国家の存在そのものを認めておらず「地上から抹殺する」とさえ公言してきた。パレスチナ評議会で多数を占め、イスラエルでテロや武装闘争を遂行しているイスラム過激派のハマスも同様の主張を掲げている。イスラエルは核保有国とみられているが、中東地域の政治状況を現実的に考えると、イスラエルが中東の非核化に合意するとは考えられない。 核兵器の恐るべき本質から見て、私は一部の国のみに核保有を認める今の国際秩序は不合理だと考えている。同時に、核保有国がなし崩しに増えている現状も強く懸念している。では、唯一の被爆国として日本は、核廃絶あるいはすべての国が加盟すべき「核禁止条約」を推進すべきか。しかしこれも、現実性がないと考える。北朝鮮のミサイル発射に備え、防衛省に配備された地対空誘導弾パトリオット (PAC3)=2013年4月16日、東京・防衛省(鴨川一也撮影) 核は人類が発明した最強の兵器だ。ただ、人類社会を性善説で見ない限り、いったん発明された最強の兵器(現在は核)は削減はできても、次の3条件の何れかがないと原理的に廃絶は不可能だ。つまり(1)核より強力な兵器の発明(2)核を確実に無力化するシステムの開発(3)世界政府の成立、である。 オバマ米大統領は09年4月のプラハ演説で、核のない世界を目指すと約束してノーベル平和賞を受けた。しかし彼はその時、非核世界の実現は彼の生存中は無理だろうとも述べている。私は彼の言を聞いて、オバマの真の狙いは、核拡散防止だと考えた。自ら核を保有しながら他国に保有禁止を訴えても説得力がないからだ。 かつてモスクワの国際会議で私はロシアの有力政治家から次の質問を受けた。「中露間では静かに交渉して領土問題は解決したが、日露間では何十年も声高に交渉しながらなぜ解決しないのか?」 これに対して、私は次のように答えた。「残念ながら、ロシアは中国を日本よりも重視し恐れているからだ。わが国が核を保有すればロシアの態度も変わるかもしれない。ただ日本は核保有の技術力、経済力はあるが非核国の道を選んでおり、われわれはそれを支持している。核保有論がわが国で台頭しないためにも、ロシアは日本をもっと重視すべきだ」 イスラエルは核の保有、非保有を公表しないことを戦略的な抑止力としている。わが国は、核保有の意図はないが「何時でも保有は可能」という、その能力を抑止力にすべきではないか。そのためには、平和利用の核技術も常に最高水準に保つ必要がある。

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    元外交部長が明かす 矛盾に満ちた共産党の安保政策に共感できる理由

    松竹伸幸(ジャーナリスト、編集者) 日本共産党(以下、共産党)の安全保障政策は矛盾に満ちている。それを説明しても、ふつうの人にとっては理解を超えているだろうし、右派に属する人から見ればお笑いの対象になるかもしれない。しかし、その矛盾のなかで苦闘してきた私には、共感できるところがあるのだ。その点を書いてみたい。一、「中立・自衛」政策のもとでの矛盾と葛藤社会党の「非武装・中立」政策は一貫していた マスコミのなかには不勉強な人がいて、護憲派というのは昔もいまも「非武装・中立」政策をとっていると考える人がいる。しかし、少なくとも90年代半ばまでの共産党は違った。共産党はみずからの安全保障政策を「中立・自衛」政策と呼んでいたのである。この二つはまったく異なる。というより、社会党が掲げていた「非武装・中立」への徹底的な批判のなかで生まれたのが、「中立・自衛」政策だったのだ。 なお、この二つの政策は、「中立」という点では一致している。ここでいう「中立」とは日米安保条約の廃棄と同義語であった。安保条約があるから日本の安全が脅かされるのであって、それを廃棄して「中立」の日本を建設することが日本の平和にとって大事だという考え方は、いわゆる「革新派」にとって昔もいまも変わらない。「安全保障政策」といった場合、この日米安保をめぐる問題が共産党の主張の基本におかれているが、本稿で論じるのはそこではなくて、「それでもなお侵略されたときはどうするのか」という意味での安全保障政策であることをあらかじめ断っておく。 社会党の政策は、ある意味、何の矛盾もなかった。憲法9条が戦力を認めていないわけだから、その9条を守って自衛隊をなくすというものだ。政策的にも「非武装・中立」が日本の平和にとって大切だという考えである。攻められたらどうするのだということへの回答は、「近隣の国々との間に友好的な関係を確立して、その中で国の安全を図る」ということであった。それでも日本に侵入されるような場合は、「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネスト」などで抵抗するという。その程度では侵入した軍隊に勝てないという批判に対する答は、「降伏した方がよい場合だってある」ということであった(石橋政嗣『非武装中立論』社会新報新書、1980年)。憲法への態度と安全保障への態度は一貫していたわけである。すごく単純だったともいえるわけだが。 これに対して、共産党は、憲法を守ることも大事だが、国民の命を守ることも大事だと考えた。そして、その両者は簡単には合致することではないので、政策的にもいろいろな矛盾を抱え込むことになったのである。詳しく見てみよう。共産党の2000年党旗びらきであいさつする不破哲三委員長。左端は志位和夫書記局長=2000年1月4日、東京・千駄ヶ谷(後藤徹二撮影)共産党は「中立・自衛」政策 共産党は、日本が対処すべき危険は二つあるとした。一つは、社会党と同様、安保条約があるから生まれる危険であるが、それだけではなかった。「もう一つは、これはいま現実にある危険ではないが、世界になんらかの不心得者があらわれて日本の主権をおかす危険、この両方にたいして明確な対処をしないと安全保障の責任ある政策はだせません」(不破哲三書記局長(当時)の日本記者クラブでの講演、80年)という立場をとったのである。 それでは、日本の主権が侵された場合にどうするのか。まず、国家というのは自衛権を持っており、日本国憲法のもとでも侵略された際に自衛権を行使するのは当然だという立場を、半世紀も前に明らかにした。 「(自衛権は)自国および自国民にたいする不当な侵略や権利の侵害をとりのぞくため行使する正当防衛の権利で、国際法上もひろく認められ、すべての民族と国家がもっている当然の権利である」(「日本共産党の安全保障政策」、68年) よく知られているように、憲法制定議会において、新憲法では自衛権が否定されたとする吉田首相に対し、共産党は自衛権の重要性を主張した上で憲法に反対した唯一の政党である。国家が自衛権を保有しているという立場は、誰よりも明確だったといえるだろう。 では、侵略されたらどうするのか。まず、抽象的にいえば、「可能なあらゆる手段を動員してたたかう」ということである。 「憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のことであります」(民主連合政府綱領提案、1973年) このように、共産党の安全保障政策の基礎となる考え方の一つは、何としてでも「国民の命を守る」ということであった。社会党のように、「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネスト」で抵抗するとか、「降伏した方がよい場合だってある」などというものではなかったのである。「非武装・中立」に対する「中立・自衛」には、そのような意味が込められていたわけだ。憲法9条改正の展望から「改悪阻止」へ憲法9条の改正も展望して 「国民の命を守る」ということに加え、共産党が安全保障政策を立案する上で基礎となるもう一つの考え方があった。それは「立憲主義を守る」ということだ。憲法に合致した手段で戦うということである。そして、この二つの考え方の両方を貫こうとするため、「可能なあらゆる手段」ということの内容に、いろいろな制約が課されてきたのだ。 まず、侵略された場合、実力組織なしに対抗できないというのが共産党の考え方なわけだから、戦力の保持を否定した憲法九条のままではダメだということになる。いまではそんなことを覚えている共産党員は皆無だろうが、当時、共産党にとって、憲法9条というのは平和主義に反するものだという認識であった。 「将来日本が名実ともに独立、中立の主権国家となったときに、第九条は、日本の独立と中立を守る自衛権の行使にあらかじめ大きな制約をくわえたものであり、憲法の恒久平和の原則をつらぬくうえでの制約にもなりうる」(「民主主義を発展させる日本共産党の立場」、75年) 9条では恒久平和を貫けないというわけだ。その結果、当然のこととして、憲法9条を改定することが展望されていた。 「(日本が)軍事的な意味でも、一定の自衛措置をとることを余儀なくされるような状況も生まれうる」(したがって)「必要な自衛措置をとる問題についても、国民の総意にもとづいて、新しい内外情勢に即した憲法上のあつかいを決めることになるであろう」(「日本共産党の安全保障政策」、68年) こうして、名称は決められていなかったが、戦力としての自衛戦力をつくるとされていた。徴兵制ではなく志願制とすることなども打ち出されたことがあった(『共産党政権下の安全保障』、79年)。当面の方針は「憲法改悪阻止」 こうして9条を改正するというなら、それはそれで矛盾はないことになる。社会党の「非武装・中立」とは反対の意味で、すっきり単純なことだった。しかし共産党は、九条の改正は将来のことだと位置づけ、当面は変えないという態度をとる。 その理由の全体は複雑であり、読者を付き合わせると混乱してしまうだろう。よって紹介するのは二つだけに止める。 一つは、自民党が9条を変えようとしていて、改憲問題が焦点となっていたわけだが、自民党の改憲の目的は、現在では誰の目にも明らかなように、集団的自衛権の行使にあったからである。つまり、九条の改憲が政治の舞台で問題になる場合、当時の焦点はそこに存在していたのであって、当面は「憲法改悪阻止」という立場が重要だという判断が存在したのだ。 二つ目。当時、共産党が連合政府の相手として想定していたのは、いうまでもなく社会党であった。その社会党は9条を変えるつもりはなかった。そういう事情もあったので、当面めざす連合政府は、憲法の全体を尊重する政府になるという判断をしたのである。社会党との連合政府のもとでは憲法改正には手をつけず、自衛隊は縮小し、やがては廃止することになるということであった。律儀に解釈した結果、矛盾が広がる この結果、自衛隊についていうと、次のようになる。当面の社会党との連合政府では、自衛隊は縮小し、最終的には廃止される。そして将来の政府においては、憲法を改正することによって、新しい自衛戦力をつくるということだ。 侵略された場合、「可能なあらゆる手段」で反撃するというが、その手段はどうなるのか。自衛隊の縮小過程においては、「可能なあらゆる手段」の中心は自衛隊だが、廃止してしまった後は、それこそ警察力しかなくなるということだ。そして、憲法を改正することによって、新しい自衛戦力が「可能なあらゆる手段」に加わってくるということである。 これは大きな矛盾を抱えていた。これらの過程を「国民の総意」で進めるというわけだが、その国民の総意が、自衛隊の縮小から廃止へ、そしてその後に再び自衛戦力の結成へというように、相矛盾する方向に動くものなのかということだ。共産党の宮本顕治中央委員会議長=1997年7月29日、代々木の党本部 当時、共産党も、自衛隊の縮小はともかく、国民がその廃止に納得するとは思っていなかった。1980年に出された政策において、「(社会党との連合政府のもとで)独立国として自衛措置のあり方について国民的な検討と討論を開始する」としたのである。 これも一般の人には意味不明だろう。社会党との連合政府は憲法の全体を尊重する政府であるから、憲法改正をしないわけだが、それにとどまらず憲法改正問題の「検討と討論」もしないとされてきた。この政策によって、その態度を変更したというわけだ。 ここには立憲主義をどう理解するかという問題がかかわってくる。いうまでもなく憲法第99条は、大臣、国会議員その他公務員の憲法尊重義務を課している。その憲法のもとで、しかも憲法を尊重すると宣言している政府が、憲法の改正を提起できるのかということだ。 共産党はそこを律儀に解釈して、連合政府では憲法問題の議論もしないとしてきたのだが、それでは自衛戦力が存在しない期間が長期化する怖れがあった。この政策が出された記者会見で宮本顕治委員長(当時)が説明したのは、まだ自衛隊が縮小しつつも存在している間に議論を開始し、自衛戦力の必要性について「国民の総意」を形成することによって、将来の政府ではすぐにその結成に(憲法改正にということでもある)着手できるようにしたのである。自衛戦力の存在しない期間をそれによって最短化することを示し、国民の理解を得ようとしたわけであった。憲法9条を将来にわたって堅持する時代の矛盾二、憲法9条を将来にわたって堅持する時代の矛盾憲法9条に対する態度の大きな転換 「中立・自衛」政策は、1994年になって大転換する。「中立・自衛」というのは、以上見てきたように、憲法改正を含意した概念だったわけだが、この年、憲法9条を将来にわたって堅持する方針を打ち出したのだ。 「憲法9条は、みずからのいっさいの軍備を禁止することで、戦争の放棄という理想を、極限にまでおしすすめたという点で、平和理念の具体化として、国際的にも先駆的な意義をもっている」(第20回大会決議、94年) かつて「恒久平和をつらぬくうえでの制約」としていた九条の評価を大転換させたのだ。そのもとでは、「侵略されたらどうする」という問題への回答も変わらざるを得ない。かつての社会党と同様、「警察力」で対処するのが基本だということになっていく。 「急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である」(同前) 劇的な転換だった。とりわけ自衛戦力が必要だとしてきたかつての立場との関係をどう説明するかは難問だった。憲法の問題を担当していた共産党の幹部が、次のようなことを書いた。 「今日では、なんらかの軍事力に恒常的に依存するといったことなしに日本の独立と安全をまもることが必要かつ可能であり、日本がそうすることが世界の平和にとっても積極的な貢献となること、この点で日本国憲法の規定は国際的にも先駆的な意義をもっていることが、いよいよ明白になってきている。将来における自衛措置の問題についての日本共産党のかつての提起も、もともとどんなことがあっても、かならずや憲法を変えて自衛の戦力を保持するのだというのではなく、情勢と国民の総意によるというものであったが、今日では第九条の将来にわたる積極的な意義と役割をより明確にしておくことが重要である」(「赤旗評論特集版」94年7月20日)転換を生んだ時代背景 これはこれでスッキリとはしている。しかし、かつて批判してきた社会党と同じ立場をとるわけである。この決定があった年、私は共産党の政策委員会に勤めることになり、しかも安全保障問題の担当者となったので、どんな批判が寄せられるかと心配していた。ところが、共産党員からの反発はあまりなかった。 なぜ共産党員に戸惑いがなかったのだろうか。これまで説明してきたように、「中立・自衛」政策というのはあくまで将来のことと位置づけられていた。当面の焦点は「憲法改悪阻止」であったので、共産党員は「九条を守れ」という立場で活動していた。何十年にもわたって日常的には九条の意義を語っていたわけである。将来の「中立・自衛」政策のことなど議論する場もなかった。その結果、共産党が憲法改正を展望していることなど自覚されず、そのことを知らない党員が多数を占めていったのであろうと思う。 時代の変化もあった。戦争がなくならないという現実に変化はなかったが、その戦争に対する国際世論には変化があった。たとえば国連総会は長い間、アメリカやソ連が戦争をしても見過ごしてきたが、79年、ソ連のアフガニスタン介入に際して反対決議をあげた。83年にはアメリカのグレナダ介入に対する反対決議も可決した。そうした変化は、戦争がなくなるとまでは断言できる変化ではないが、少しずつそういう方向に世界が動くだろうということは予感させるものだった。ソ連が崩壊して、冷戦も終わりを告げた。 共産党の大転換は、そのような時代状況の産物だったのだ。自衛隊活用論への転換 しかし、さすがに侵略に対して「警察力」で対応するという政策は、共産党員の間ではともかく、国民の間では通用しない。私がいた部署は、選挙で国民に支持されるための政策をつくる部署だったので、国民と接触する機会が多く、「ミサイルが落とされたらどうするのか」という質問などが常に寄せられるのだ。それに対して当時、「警察力で撃ち落とします」などといえるわけもなく、「落とされないように外交努力をするのです」と答えながら、心のなかでは「通用しないよな」と思う日々が続くことになる。 そこに変化が生まれたのが6年後である。この年、共産党は、自衛隊と9条の「矛盾を解消することは、一足飛びにはできない」として、自衛隊の解消が現実のものとなる過渡期には自衛隊を活用するという方針を全国大会で打ち出す。 「(自衛隊と9条との)この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である」 「そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である」(第22回大会決議、2000年)合理的なものになった安全保障政策安全保障政策としては合理的なものに この新しい方針は、自衛隊の即時解消を求める平和運動家、党員には評判が悪かった。戦後すぐの混迷の時期は別として、共産党の全国大会は全会一致で方針が可決されてきたが、唯一、この第22回大会だけは異論が出た大会であった。 この時期、私は担当者だったので、共産党員が集まるいろいろな場所に説明のために出かけたが、そこでも非難囂々の連続であった。「憲法に違反するものを使うなんてとんでもない」「自衛隊があるとクーデターで政権がつぶされる」「外交に自信がないのか」等々、批判の渦のなかに行くようなものだった。 けれども、安全保障政策としては、非常に合理的になったと思うので、私は堂々と説明していた。かつての「中立・自衛」政策のもとでは、すでに紹介したように、いったん自衛隊を廃止し、その後に新たにつくりなおすという、どう見ても不合理な道筋が想定されていたわけである。新しい方針によって、自衛隊を将来に廃止するにしても、それは国民が合意する範囲で、少しずつ進めればいいことになったのだ。政策として合理性がある。自衛隊をなくしてしまえば侵略されたときに困るという不安が広範囲に残る限り自衛隊はなくさないのだから、「侵略されたらどうする」と聞かれれば、「あなたを含む国民多数がそう思っている間は自衛隊はなくさない」と答えればいいので、大きな批判は起こりようがないのである。 確かに自衛隊の即時解消を求める人たちの批判はなくならないだろう。それでも、最終的には解消するわけだから、目標の方向性では一致しているのだ。 こうして、残るのは、自衛隊の活用の仕方だけとなる。安全保障政策を具体化すれば良くなったのである。そうなるはずだったのだ。自衛隊活用は将来の話だった 私は、この大会決定が決まって以降、「侵略されたら自衛隊が反撃するのだ」という立場でものを考え、執筆もしてきた。ところが、それに対して予想外の批判が寄せられることになる。 どういう批判かというと、自衛隊を活用するという大会の決定は、日米安保条約を廃棄する政府ができて以降の話だというものである。それ以前の段階では自衛隊を活用すると明示しておらず、したがって「侵略されたら自衛隊が反撃するのだ」と一般化する私の立場は間違いだということだった。当初の案の段階のものは、私のような受け止めがされるものだったが、大会の最中に修正をくわえることにより、自衛隊の活用は安保条約廃棄以降の問題だという位置づけを与えたというのである。 私にはそのように思えなかった。しかも、たとえ大会決定がそう解釈されるようなものであっても、それ以前の段階で侵略されたらどうするのかといえば、当然自衛隊で反撃することになるだろう。大会決定が明示的にそれを否定していない以上、「侵略されたら自衛隊が反撃するといえる」と私は主張した。しかし、大会決定を決めた人たちがそう解釈しているのだから、それを覆すことはできなかった。 安全保障に責任を負っていた私が、その安全保障の中心問題で意見が異なることになったのだ。人生で最大の悩みを抱え、苦悶したすえ、退職を決意することになる。当面も自衛隊活用という方針への転換大島理森衆院議長との会談後、会見する共産党の志位和夫委員長=2015年12月24日、国会内(斎藤良雄撮影) それから10年が経過し、昨年の夏、新安保法制で日本国中が沸き立った。この法制が可決された直後、共産党は「国民連合政府」構想を発表する。これは、新安保法制を廃止し、集団的自衛権行使を認めた閣議決定を撤回するという限定的な仕事をする政府とされているが、政権を担う以上、いろいろな問題にどう対応するかが問われる。共産党の志位委員長は、国民連合政府は安全保障をどう考えるのだという質問に答え、次のように述べた(外国特派員協会、15年19月15日) 「つぎに「国民連合政府」が安全保障の問題にどう対応するかというご質問についてです。私たちは、日米安保条約にかかわる問題は、先ほど述べたように、連合政府の対応としては「凍結」という対応をとるべきだと考えています。すなわち戦争法廃止を前提として、これまでの条約と法律の枠内で対応する、現状からの改悪はやらない、政権として廃棄をめざす措置はとらないということです。 戦争法を廃止した場合、今回の改悪前の自衛隊法となります。日本に対する急迫・不正の主権侵害など、必要にせまられた場合には、この法律にもとづいて自衛隊を活用することは当然のことです」 日米安保条約が存続する政府のもとでも、侵略されたら自衛隊を活用するということだ。大会決定の解釈が覆ったのである。 矛盾と葛藤のない政策は危険である三、矛盾と葛藤のない政策は危険である憲法との関係では難しさを抱えている 共産党の現在の立場は、先に述べたように、安全保障政策としては筋が通っている。しかし、憲法との関係は難しいままであり、護憲派との矛盾は少なくない。 国民連合政府ができたとして、自衛隊の憲法上の位置づけをどうするのかという問題がある。自衛隊は憲法違反なのか合憲なのかという問題だ。合憲論に立つ民主党などと、引き続き違憲論をとる共産党が連立するわけだから、小さくない矛盾である。 この問題では、山下書記局長が、政党としては自衛隊違憲論は変えないが、政府としては合憲という立場で臨むと発言している。それ以外の対応は無理だと思う。ある問題を合憲か違憲か判断し、議論するのは、民間団体なら自由である。しかし、国家はあくまで憲法擁護義務を課されているわけであり、立憲主義の立場に立てば、違憲だと判断する状態はなくすことが義務づけられる。政府が自衛隊を違憲だとするならば、可能な限り早期に廃止するし、それまでの間も使用しないという判断をするしかなくなるであろう。合憲か違憲か判断ができないという無責任な態度をとることも不可能だ。即時廃棄の立場をとるのでないなら、合憲と判断するしかない。 そういう立場をとればとるほど、護憲派との矛盾は拡大していく。しかし、護憲派が望む自衛隊のない世界というのは、日本周辺の平和と安定が確保され、永続することが誰にも確信されるような現実がなければ実現しない。護憲派は、そういう外交は安倍政権にはできないと批判しているわけだから、それなら自分で政権を取りに行くしかないだろう。護憲政党を政権に送り込むことにちゅうちょしていては、日本周辺を安定させる平和外交など夢物語である。矛盾がなければいいということではない 冒頭に述べたことだが、こんなことを書いていると、少なくない人はあきれかえるかもしれない。好意的に共産党を見ている人にとっても、せいぜい「ご苦労様ですね」というところだろうか。 だが、そもそも、立憲主義を守るということと、国民の命を守るということと、その二つともが大事なのである。その二つをともに守ろうとすると、誰もが矛盾に直面するのである。 戦後の自民党政権の安全保障政策も、この二つの葛藤のなかで生まれたものだといえる。憲法制定議会で自衛権はないとした政府が、その後、答弁を変更して自衛隊の創設にまで至ったのも、この二つの間の相克に悩んだからだろう。自衛隊が国連PKOなどで海外に出て行くようになり、武力行使を禁止した憲法との間の矛盾に苦しんだ政府が、「武器使用」とか「非戦闘地域」という概念を編み出したのも同じことだ。 こうした葛藤を小馬鹿にする人もいる。しかし、少なくともこれまで、自衛官が海外で一人も殺さず、殺されていないことには、この葛藤の反映がある。同じように90年代以降に海外派兵に踏み切ったNATO諸国では多くの兵士が死亡しているわけだから、その差は歴然としている。復興支援などに限って派兵してきた日本の態度は、憲法九条によって生まれた「臆病さ」の象徴であるかのようにいわれてきたが、軍事力でテロに対応することで泥沼化する世界の現実を見れば、「臆病さ」もまた必要とされていることが明らかではないだろうか。 矛盾のなかで苦しまないような政党、あまりにスッキリとした政党には、ちゃんとした政策をつくれない。その代表格がかつての社会党だった。国民の命を守ることをどれだけ考えていたかは知らないが、憲法だけを判断基準にして政策をつくったのである。安倍政権はスッキリ単純だが そして、逆の意味でスッキリしているのが、現在の安倍政権ではないか。都合が悪ければ、何十年続いた憲法解釈をあっさりと変えてしまうのだから。 しかも、安倍首相の場合、立憲主義を守ることに無頓着なだけではない。国民の命を守るという点では無責任さが見られる。集団的自衛権行使の閣議決定をした後、安倍首相は記者会見をして、米艦船を防護しないとそれに乗った母子を守れないと訴えた。しかし、自民党はそれまで、海外で有事に避難する日本人をアメリカが助けてくれないので自衛隊を派遣する必要があるのだと主張し、90年代、二度にわたる自衛隊法の改正によって、自衛隊が運用する政府専用機と護衛艦などを邦人救出のために派遣できるようにしたのである。その自民党政権が、今度は海外で有事に日本人を助けてくれるのはアメリカなのだと、かつてとは正反対のことをいって憲法解釈を変えたのだ。要するに安倍首相にとって、大事なのは国民の命ではなく、自分の政治目的だということなのである。国民の命は政治目的を実現する手段にしぎないということだ。スッキリしていればいいということではない。 ただ、安全保障政策の曖昧さは、もう許されなくなっていると思われる。新安保法制の最初の発動事例になると予想されるのは、南スーダンに派遣された自衛隊に駆けつけ警護の任務を付与することである。南スーダンは、外務省の渡航情報を見れば分かるように、真っ赤な色で塗られた危険度四(即時避難勧告)の地域である。「非戦闘地域」であったイラクで自衛隊員が殺し、殺されることがなかったのだって偶然といえるできごとだったのに、南スーダンの自衛隊がどうなっていくのか、本来なら国民全員が心配し、議論しなければならないのではないだろうか。 それなのに、安倍政権は「リスクに変わりはない」と言い張り、護憲派も自衛官が危険になる責任は政府にあるとして、お互いに責任をとらないのでは、自衛官だけが置き去りにされるのだ。右か左か、護憲派か改憲派かにかかわらず、建前をやめて本音で議論することが求められる。大事なのは理念ではなく(そういうと怒られるだろうが)、現実に失われるかもしれない命ではないのか。

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    元自衛官の共産党市議が激白 安倍政権よ、自衛隊を安易に使うな

    際紛争に協力してこなかったことも大きな要因です。とりわけ平和憲法第9条の役割は強大で、日本を取り巻く安全保障関連が悪化した場合であっても、紛争解決のために武力(抑止力含む)を伴う国際的平和活動にも自衛隊を使うことはありませんでした。また時の政府による右傾的暴走の歯止めになっていたのも憲法9条の力であることは、周知の事実だと多くの国民は知っています。 日本国憲法には、立憲主義・主権在民・民主主義など、日本人が日本人であるために必要な条文が決められ、すべての国民はこの憲法を守り生かしていく事になっています。これは日本人にとって絶対のルールであり、改憲するのであれば国民の過半数の賛同が必要です。 なかには、日本国憲法を否定する者、米国からの押し付け憲法などと日本国憲法を認めない改憲派の存在もあります。そんな人たちをも包んで見守っているのも日本国憲法なのです。どおしても納得しないのであれば納得のいく国に住めばいいだけです。世界は広いのです。私は憲法の条文を読めば読むほど素晴らしく思えてならないのです。誰が作ったなど関係ないじゃないですか。いいものはいいのです。 最近、教科書の歴史認識をめぐる問題が勃発していますが、私は本当のことを載せるのが筋だと思うのです。それをどう理解するかは、読む個人の感性であり、それを議論したり話し合ったりする場が学校であり教育ではないでしょうか。事実と違うことを捏造し子供たちを洗脳することに憤りを感じます。もはや「自民党に任せておけば大丈夫だろう」の時代ではない 日本は戦後アメリカの従属国となり日米安保・地位協定など様々な面でアメリカの傘下におかれ支配されてきました。残念なことに日本人はアメリカに守られていると勘違いしている人が多いのも事実です。私は疑り深い性分なので政府の見解を聞いていると、日本政府すらアメリカに乗っ取られているように感じます。本気で独立国家を目指すのであれば、義務教育の必須科目に最低でも日本国憲法や日米地位協定、近代歴史など日本の根幹を主る部分を教育するべきです。あくまでも判断するのはこれからの未来を担う生徒自身です。逆にその部分が欠落しているのが多くの現代人ではないでしょうか。この問題は知れば知るほど無関心ではいられないほど日本人にとって必要な知識なのです。知ってしまった人達の全国的なデモ、有識者などの発言は、政府にとって目の上のたん瘤であり、表に出さないためにメディアを使った世論操作に必死で、真面な意見を潰しにかかっています。国、言いなりの国民で良しとする政府にとってこれに気づかれることは最大の恐怖だからです。 さて、今まで述べてきたことを踏まえて、私が元自衛官として共産党議員として、戦後70年にして、時の一内閣による自衛隊の在り方を180度転換した、今回の安全保障法制(戦争法)がいかに無策で相当なリスクがあることを世間に伝えたいと思います。まず、自衛隊は国民の命を敵から守る最後の砦として武器を持ち最小限の抑止力を保持してきました。自衛隊は殺戮が生業の集団です。「自衛隊が武器を持ち他国に派兵される意味とそれを認めた事に国民は責任を持たなくてはなりません」。これは、生まれたての赤ちゃんから人生の最期を迎えようとしている人まで全てです。「やれば、やられる事を覚悟しなければなりません」。私は自衛隊を安易に使いたがる安倍自公政権に失望します。平和だの安全だの綺麗ごとをいくら並べて推し進めたとしてもウソはウソでしかありません。 防衛省では、これからの自衛隊は「国際平和のために国連などに協力し貢献することが隊員に与えられている使命である」「戦争や紛争に巻き込まれて困っている人々を助けることは隊員として当たり前の任務」などと国際貢献は当たり前と隊員を洗脳している傾向にあります。本来任務を逸脱する状況に気づかずに訓練に励んでいる隊員がいじらしくも思えます。日本が国際貢献する手段は何も武力を用いた策だけでは無いはずです。国民は、アメリカ・軍需産業・経団連のトライアングルを見逃してはなりません。自衛隊員に犠牲が出てからでは遅いのです。自衛隊員に犠牲(死者)が出ると言う事は、相手国にも相当な犠牲が出ているはずです。今の平和な日本は、先の大戦の多大な犠牲の上にあります。もう一度、自衛隊員の犠牲のもとに「平和な日本を」と過去の過ちを繰り返そうとしている安倍自公政権にノーを突きつけ、武力・抑止力に頼らない、今までやった事の無い様な積極的な平和外交を推進し、国際社会の和平に貢献する日本にして行きましょう。 その点、日本共産党はブレません! だから私は、共産党で議員になったのです。信念を曲げて大勢に魂を売って媚びることなどに、政治家として大儀を見いだせるはずもありません。もはや「自民党に任せておけば大丈夫だろう」の時代ではないのです。今こそ、国民の意思が通る政治(本物の民主主義)に変われる時ではないでしょうか。黙っていたら政府に無条件で賛成したのも同じこと。自分たちや子孫の未来に、悪政・悪法を残さないために、私たちは「今」活動するべく「大儀」があるのではないでしょうか。国民の無関心を誘導する政府・メディアに騙されない、主権者として政治を動かす新しい時代を築こうではありませんか。自衛隊を派兵させ、国民の血税をバラまかなければ、国際社会に向けあえない安倍自民公明政権に幕を引きましょう。

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    「情報小国」ではニッポンは守れない

    契機に日本でも対外情報活動の重要性が叫ばれている。 安倍首相は一昨年、外交・安保の司令塔となる「国家安全保障会議(NSC)を創設したが、 情報収集能力や縦割り行政の弊害が指摘され、実効性は今も疑問視される。 情報なき国家がたどった運命を振り返れば、自ずとわが国の危機がみえてくる。

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    露大使館は昔も今もスパイの巣窟! 陸自教本漏洩はなぜ立件された

    潮匡人(評論家、元3等空佐) 在日ロシア大使館のセルゲイ・コワリョフ元駐在武官に加え、元東部方面総監(元陸将)と、かつて彼の部下だった現職の陸将ら合わせて7人が書類送検された。容疑は「職務上知ることのできた秘密」の漏えいを禁じた自衛隊法違反である。 報道によると、元陸将は2013年5月、都内のホテルで、陸上自衛隊の教範「普通科運用」を駐在武官に提供したという。元陸将は「違法だと分かっていたが、駐在武官が勉強熱心だったので渡してしまった」らしい。「悪気はなかった」とも言えるが、「陸幕長に次ぐN02の方面総監にしてこのレベル。脇が甘い。意識が低い」とも非難できよう。 ただ事実が報道されたとおりなら、送検には多少の疑問を覚える。当該教範は「自衛官であれば上司の許可を得たうえで、駐屯地内の売店で購入することができる」、「教育訓練以外の目的で使用してはならないことや、用済み後は確実に破棄することなどが記されている」(NHK)が、逆に言えば、それだけの文書に過ぎない。G20首脳会合の記念撮影に臨む際、あいさつを交わすオバマ米大統領(左)とロシアのプーチン大統領(中央)。右は安倍首相=11月15日、トルコ・アンタルヤ(共同) 要するに秘匿性が低い。失礼ながら陸自は(たぶん)すべての教範に上記趣旨を付記しているのではないか。たとえば「戦闘に関する基本的原則を記述した」通し番号「1―00」で始まる陸自教範Yの表紙も「部内専用」等と明記する(が「上司の許可」なしに市ヶ谷駐屯地の売店で買えた)。 他方、通し番号「01―1」で始まり「教範体系の最上部に位置する」同種の空自教範Sにそうした記述はない。ないどころか教範の全文に加え、親切に「解説」まで付記した書籍が市販されている。反対に、海自の同種教範は秘密指定されている。 つまり同じ部隊運用に関する教範でも、陸海空で扱いが大きく異なる。さらに言えば、戦前まで「軍事機密」だった旧軍の「統帥綱領」や、上記陸自教範Yが参考にした「作戦要務令」は戦後、一般書籍として市販されており、誰でも読める。 自衛隊員(およびOB)が「漏らしてはならない秘密」とは、専門用語でいう「実質秘」。「非公知の事実であって、実質的にもそれを秘密として保護するに値するものと認められるもの」(最高裁)に限られる。歴代政権もこの司法判断に従っている。 果たして今回の教範が「実質的にもそれを秘密として保護するに値するものと認められる」だろうか。仮にそうだとしても、送検に値するほどの秘匿性があったと言えるだろうか。私は疑問を禁じ得ない。 現職の陸将らは「教範の入手は手伝ったが、まさか駐在武官に渡るとは思わなかった」と供述しているという。実際その通りなのであろう。「脇が甘い」等の批判は免れないが、世話になった元上司に頼まれ、売店で教範を買ってあげた。そこに、送検に足るほどの違法性があるだろうか。百歩譲って、あるとしても、起訴に足るほどではなかろう。 本稿の意図は当局への批判ではない。あくまで以上は、報道された範囲での論評であり、事実が報道のとおりとは限らない。上記以外の重大な秘密漏えい疑惑があり、それを追及すべく、より証拠固めの容易な教範提供で立件した可能性も残る。大使館はスパイの巣窟と化す それにしても、あれほどショボい安保法案を「戦争法案」と非難し「憲法違反」とまで咎めた護憲リベラル陣営が、なぜ以上を違憲と批判しないのか。理解に苦しむ(拙著『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』PHP新書)。 送検されたのが制服組の自衛官だからなのか。もしそうなら、真の護憲派ではない。人権派でもない。「実質秘」か否かは、彼らが大好きな「立憲主義」に深く関わる。「実質秘」でないのに立件すれば、重大な人権侵害となる。本来なら違憲であり、法的に無効となる。なぜ「人権派」弁護士らは、そう訴えないのか。 他方、コワリョフに同情の余地はない。なぜなら日本国憲法の人権保障が「日本国民よりも大きな制約を受ける」外国人だからである(芦部信喜『憲法』岩波書店)。しかも彼は駐在武官だった。ゆえに外交官として不逮捕特権を行使できる。日本国憲法以前に、国際法が「人身の自由」を保障している。陸将らとは、そもそも立場が違う。 だからこそ、大使館はスパイの巣窟と化す。乱暴な陰謀論の類ではない。国際政治学で現実主義を確立したモーゲンソーもこう述べた。「在外公館が一国の実際的、潜在的な力を評価する段になると、その公館は高級かつ秘密のスパイ組織という様相を帯びてくる。軍部の上級メンバーはいろいろな在外公館に派遣される。そこにおいて彼らは、陸・海・空軍大使館付武官として、その利用できるあらゆる方法を駆使して実際のおよび計画中の軍備とか、新兵器、軍事的潜在力、軍事組織、そして関係国の戦争計画といったものに関する情報を収集する責任をもつ」(『国際政治』福村出版) ロシア大使館は「秘密のスパイ組織」である。コワリョフは「大使館付武官」(駐在武官)だった。駐在武官は「あらゆる方法を駆使して(中略)情報を収集する責任をもつ」。昔も今も……。 事実、昭和55年、(リバルキン武官と)コズロフ大佐が、陸自のM将補を籠絡。陸自の部内誌などを渡させた。平成12年にも、ボガチェンコフ大佐が海上自衛隊の3佐を籠絡。内部文書を手渡させた(陸海自衛官はともに自衛隊法違反の罪で有罪判決が確定)。 いずれの〝犯人〟も、ロシア軍の情報機関「GRU」(参謀本部情報総局)の人間であり、外交官の不逮捕特権を行使してモスクワに帰国した。 後者の事件で空席となったポストにもGRUからT大佐が派遣された。T大佐も軍事関係の会合に顔出し、情報収集に努めた。コワリョフの前任者はみな「あらゆる方法を駆使して」情報収集に務めてきた。ロシアにとっては当然の任務遂行であろう。今さら大騒ぎするような話ではない。 なお詳細は控えるが、上記T大佐は私に照準を絞り、籠絡しようとした。大佐と私をマークしたのは、先日発足した「国際テロ情報収集ユニット」を傘下に抱える外務省では(もちろん)ない。その他ユニットを構成する防衛省、警察庁、内閣情報調査室、公安調査庁の国家公務員でもない。彼らはいまも諜報工作戦の最前線にいる。

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    ロシア・スパイ事件に揺れる防衛省 お粗末すぎる情報管理体制が露見

    第四社会面 [桐生知憲の第四社会面]桐生知憲 「OBだけでなく現役の幹部が関わっているようだ」 日本の国防を担う防衛省が揺れている。理由はロシアへの情報漏洩。ロシアスパイを追いかける警視庁公安部は近く、漏洩に関わった7人を書類送検する方針だ。冷戦期さながらと思わせる今回の事件。当初は直接情報を漏洩した幹部OBとロシア大使館の元駐在武官を中心に立件する予定だった。ところが、幹部OBが元駐在武官に渡したブツを自衛隊駐屯地内から持ち出した中に現役の陸将がいたことがわかり、防衛省はあわてふためているというのだ。その実態に迫る。iStock 2013年5月某日の夜のことだった。場所は学生で賑わう東京・高田馬場駅近く。その一角にあるロシア料理店で、2人の男が向き合っていた。1人は少し老いたとはいえ鍛え上げられた屈強な体をした防衛省OBのI。Iは現役時代、ある関東方面のトップを務め、陸将まで上り詰めた。陸海空自衛隊の初となる多国籍軍との共同軍事演習に参加するなど、数々の輝かしい実績を持つ人物だ。 もう1人は豊かな口髭をたくわえ、青い目をしたロシア人のK。2人は周囲を一定程度、気にする様子も見られたが、酒が入った影響もあり楽しい時間を過ごしていた。2人のやりとりの様子からすると、関係は対等ではない。KがIに師事するような態度だ。この日は何事かの約束をして2人はそれぞれの家路についた。それから約1週間後、都内の超一流ホテルで2人再会した。おもむろにIが文書を取りだす。文書は400ページ以上もあろうかというものだった。文書に加えてIは自分が愛用していた電化製品もKに贈り、Kは笑顔でそれらを受け取ったのだった。 Iは後ろ暗い気持ちはあったものの、機密指定がかかっているようなものではないと開き直っていたのかもしれない。むしろ自分を師のように仰いでくれたKの帰国の手土産にでもなればという思いのほうが勝っていたようだ。大勢の人が行き交うホテルで行われた出来事であり、誰も2人の行為に気が付かなかったのか。 しかし、2人の行動を凝視していたあるチームがいた。警視庁公安部外事一課、いわゆるロシアスパイハンターの面々だった。ここから今回の警察対防衛省という一代攻防が幕を開けたのだった。教範はどこから持ちだされたのか? 渡した文書は普通科部隊、つまり歩兵部隊の戦術などが書かれた教範。防衛省によると、駐屯地内の書店で販売されているが、外部に持ち出すことは禁じられている。特定秘密や防衛省の機密指定にあたるものではないという。ただし、この教範の中には、アメリカ軍との連携など戦術の機微に触れられている部分もあり、純粋に自衛隊の戦術についてのみ記載されたものとは言い難い。 Iは教範をKに渡した時点では、すでに防衛省を退職しており、直接入手できる立場にはなかった。では、誰がIのもとに教範を届けたのだろうか。先にも触れたが、Iは関東方面のトップにまで上り詰めた幹部自衛官である。長い自衛隊人生の中で多くの部下を持った。Iは豪快な性格で、自衛隊内では「軍神」という異名で呼ばれていた。豪快な性格に加えて、部下を半ば暴力的に従わせる一面もあったとのことで、Iに「忠誠」を誓った人物もさぞかし多かったろうと推察される。 Kに手渡された教範は1冊だったが、Iの手元には今も3冊が残っているとされる。つまり、持ち出し禁止のはずの教範が合計4冊、外部に漏れてしまったというのだ。 ある1冊は現役の自衛官からIの元腹心だったOBに手渡され、またある1冊は別のOBが駐屯地内の売店で購入し、またまた別の1冊はIと男女関係が噂される女性現役自衛官が駐屯地の図書館から持ち出し、最終的にIのもとに集まったという。この女性現役自衛官に至っては、Iに対し「取り扱いには注意してね」とメールで釘をさしていたのだ。あまりにゆるすぎる…自衛官の情報管理意識あまりにゆるすぎる…自衛官の情報管理意識 そして、最も問題なのが現役の自衛官で、しかも陸将という高位にある幹部自衛官からIに渡った教範だった。外事一課はこの陸将からIが入手した教範がKに渡ったと見ているのだが、いくら特定秘密や極秘ではないしろものとはいえ、日本の国防を預かる自衛隊の、しかも幹部自衛官がいとも簡単に持ち出し禁止のブツを外部に出すとは…。驚きを通り越して、これで国防は大丈夫なのかとあきれてしまう。 Iの事情聴取が今年上旬にあった際に、ある捜査関係者は「IとKを立件することが対ロシアへの牽制になるのであり、防衛省・自衛隊の問題にはしたくない」と漏らしていた。しかし、Iの携帯電話などを調べていくうちに、自衛官のあまりにもゆるすぎる情報管理を目の当たりにし、「関係者はすべて書類送検する」(別の捜査関係者)ことになったという。 これには、防衛省側も驚きを隠せないようだ。当初、ある防衛省関係者が「持ち出し禁止といっても、極秘でもなんでもない文書。一部は黒塗りになるが情報開示を請求されれば公開されるもの」と語っていたように、立件は難しいと高をくくっていたふしがある。仮に、IとKが立件されたとしてもOBがやったこととして済ませてしまおうという雰囲気もあったという。ところが、捜査の大詰めで現役陸将の関与が明らかになり、警察に軍配が上がる形勢だ。余談ではあるが、防衛省・自衛隊の管理の甘さとして、この教範がインターネットのアマゾンで販売されていたことも付け加えておく。ロシアスパイKはあの“ゾルゲ事件”と同じGRU所属 ゾルゲ事件のリヒャルド・ゾルゲをはじめとして旧ソ連を含めたロシアによるスパイ活動はつとに有名だ。近いところでは、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の武官が家庭の事情を抱えていた海上自衛官につけ入って、秘密指定文書などを入手していた事件があった。 今回、教範を受け取ったKもGRUに所属していたと見られる。KはIから教範を受け取った直後に帰国しているが、今回の日本勤務は3度目だったという。Kは今回以外にも、横須賀の海上自衛隊の基地を何度も訪問したり、ある駐屯地近くの居酒屋で居合わせた自衛官と名刺交換したりするなど、不審な行動がたびたび確認されている。Kは2008年にIがトップを務めていた関東方面の駐屯地を訪問し、これをきっかけにIの知遇を得たという。その後の2012年にロシア大使館のレセプションで2人は再会し、KはIに「教えを請いたい」との態度で接し、Iも籠絡されてしまったようだ。 警視庁のスパイハンターたちがカバーで入国してきたロシア諜報員を“監視”“追尾”していることは公然の秘密である。情報部門にいたこともあるIほどの大物が、なぜ簡単に応じてしまったのか。ある防衛省関係者は次のように指摘する。「Iは渡したことは認めているが、『その程度のものを渡して何が悪いんだ』という態度でいるようだ。兄弟も自衛官になるなど“軍人”としてのプライドが高く、逆におだてられてその気になってしまったのかもしれない」。 この指摘があたっているとしたら、本当にお粗末である。「その程度の情報も取ることができないのですか」とは、ゾルゲが相手から情報を入手するためによく使った常套句だったという。 今回の事件で、Iは再就職先だった大手自動車メーカーの顧問を辞め、防衛省もその内部ガバナンスが大きく問われることになるだろう。それにもまして、安保法制により海外派遣が可能になった防衛省がこの程度の情報管理で国民を守り、諸外国から信頼を得られると思えるだろうか。中国が人工島造成を進める南シナ海へ自衛隊を派遣すべきだという勇ましい意見もあるが、今回の行為はその中国に部隊編成や装備の機能を漏らすようなものだ。 書類送検はされるものの、「起訴までは難しい」(捜査幹部)というように刑事処分は軽微なもので終わる可能性が高い。それでも、防衛省・自衛隊には自分たちの職務に鑑み、今回の件を重く受け止めてもらいたいものだ。

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    情報機関創設 有能な人材が日本で集まるか疑問と落合信彦氏

     ISILによる日本人人質殺害事件を受け、安倍晋三首相は対外情報機関の創設を検討していると発言した。日本には対外情報機関の存在が不可欠だと訴えてきた落合信彦氏は、いまのままではこの構想は失敗する可能性が高いと指摘している。成功させるにはどうすればよいのか、落合氏が解説する。 * * * 日本が情報機関をつくる上で何が足りないかを述べるのは大変だ。欠陥があまりにも多すぎて、挙げればキリがなくなるからだ。 日本には、情報機関のもとになるような既存の組織がなく、人材もいない。日本の既存の情報部門のなかでマシなのは警視庁公安部ぐらいだろうが、日本版CIAを公安中心でつくることは、外務省が反対するだろう。日本版NSCのトップが谷内正太郎・元外務次官だったように、今回も各省庁の利権争いが予想される。だが、既存の省庁の寄せ集め組織になれば、日本版CIAは絶対に失敗する。「イスラム国」日本人人質事件 後藤健二さん殺害の報を受けて多くの報道陣が集まる現地対策本部=2月31日、ヨルダン・アンマン(大西正純撮影) 実はイスラエルのモサドもはじめは、外務省がコントロールする形の組織が想定されていた。それをひっくり返したのは、初代首相のデヴィッド・ベングリオンだ。彼は、情報機関は首相直轄の独立した組織でなければ意味がないと主張した。その結果、モサドは絶大な権限を得て、いまの地位を築いたのだ。 日本が情報機関をつくるには、独立した組織にした上で、エージェントの養成学校を創設してゼロから学ばせなければならない。教官としてモサドのOBを招聘するのも一つの手だろう。しかし、それも容易なことではない。CIA、SIS、モサドに入る一番の条件はIQが高いということで、モサドなどはIQ130以上でなければ受け付けない。50の電話番号を瞬時に頭に詰め込ませるテストなども行われる。 さらに、最低限3か国語は話せる必要がある。モサドでは8か国語を話せるエージェントが何人もいる。例えばイランのパーティーに行けば、当然ペルシャ語を理解していなければ話にならない。そこで、分かっていながらペルシャ語を知らないふりして、交わされる会話から情報を吸い上げるのがエージェントの仕事なのである。 そんな有能な人材が日本で集まるのか、はなはだ疑問である。CIAは情報収集担当だけで5000人を有し、全体では3万人前後、さらに外国にいるエージェントを含めれば5万人以上になると言われている。それぐらいの規模でやらなければ、情報機関として機能しないということだ。 さらに、安倍政権が全く分かっていないのは、情報機関をつくるには莫大な予算がかかるということだ。 CIAでは、それだけの数のエージェントたちが、世界各国で多額のカネを使って、情報を集めている。情報機関において、敵方エージェントを引き抜くために使われる用語として「MICE」という言葉がある。Mはマネー(カネ)、Iはイデオロギー(思想)、Cはコンプロマイズ(強制的屈従)、Eはエゴだ。祖国を裏切らせるには、思想的に引きつける、ハニートラップなどによって服従させる、その人の自尊心を満たそうとするなどの条件が挙げられるが、何よりも大切な第一条件として挙げられるのがカネである。 CIAのカウンターインテリジェンス部門の分析官だったアルドリッチ・エイムズは、ソ連に寝返る対価として、250万ドルものカネを得たという。世界では、情報の価値とはそれだけ高いものなのである。1000兆円に及ぶ借金まみれのこの国で、そんなことが可能だろうか。関連記事■ モサドの強みは世界を敵に回してでも生き残る国是と佐藤優氏■ 安倍首相肝いり「日本版CIA」このままでは失敗と落合信彦氏■ 日本独自の諜報機関設立に向けてイスラエルや英へ訓練依頼を■ 伝説の諜報機関創設者「007は幼稚園児の遊びのようなもの」■ 米情報機関の個人情報収集に歴代大統領らが嘆息した理由とは

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    情報機関を作るなら今をおいて他になし 独BNDをモデルに豪から学べ 

    が、その弊害に気づき改めた。日本だけ欧米の19世紀のパターンがなお続いているのだ。 平成25年に国家安全保障会議(NSC)が創設されたが、NSCは情報を利用する機関であり、情報を集める機関ではない。まず情報機関を作り、次にNSCを作るのが筋だが、日本はその逆で家屋の2階を先に作り、後から1階を作ろうとしている。政治上やむを得なかったとはいえ、中央情報機関がない限り、NSCが十分な機能を発揮することはできない。 では日本が中央情報機関を作るにあたり、どの国をモデルにすればよいか。 米国のCIA(中央情報局)や英国のSIS(MI6)は特殊な政治的伝統や国民意識に支えられており日本とはかけ離れた存在だ。例えば英国は社会全体が秘密主義だ。情報機関が暴走することがあっても覇権大国としての歴史もあり、国民にそれを制御できる懐の深さがある。メディアにも情報機関への知識と理解があり、どの大学もレベルの高いインテリジェンス論の講座を設けている。 絶対に見習ってはならない例もある。中国やロシアなどの情報機関だ。全体主義的に国民を監視し、独裁政権に都合よく利用される機関であってはならない。 私がモデルとしてイメージするのはドイツの連邦情報局(BND)だ。連邦首相官邸に直結し、軍を含めて政府内情報を統合する権限があり、政策には関与していない。 ドイツは日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国だ。日本で情報機関創設といえば「特高警察を作るのか」という反発がある。ドイツもゲシュタポ(秘密警察)という悪い記憶があるが、国民の理解を得ながら乗り越えてきた。対内情報機関である憲法擁護庁(BFV)もあるが、ゲシュタポの過ちを繰り返さぬよう国民の権利保障に常に気を配ってきた。ドイツが平和的な大国として国際社会で重要な役割を果たしているのは、BNDが成功裏に運営されてきたことが大きい。 ノウハウは豪州やカナダから学ぶべきだ。特に豪州は安全保障面など国益上の共通点が多い。 全く新たな情報機関の創設は政治的に困難なので、小さな組織で構わないから各省庁から独立した組織を作ることだ。一案として内閣情報調査室を充実させ、合同情報会議と連結してヒューミント(人的情報活動)も行える対外情報機関にするのが最も実現性がある。 国民の理解も以前より進んできた。「日本もスパイ機関を作って何がいけないのか」という若い世代も増えている。時期も今をおいて他にない。 なかにし・てるまさ 昭和22年、大阪府生まれ。京都大大学院博士課程単位取得。京都大大学院教授などを経て平成24年に名誉教授。著書に「情報亡国の危機-インテリジェンス・リテラシーのすすめ」「大英帝国衰亡史」など。第18回正論大賞。

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    中国で拘束された日本人スパイ 狙いは何だったのか?

    の団体のほか、中国やロシアなど諸外国の動向について情報収集を目的とする情報機関で、日本版NSCの国家安全保障会議にも情報の提供が求められるなど、政府の情報収集・分析機能を担っている1組織である。 今回の件について、公安調査庁と犬猿の仲であるとされる警察サイドからは、当然のことながら公安調査庁の悪口しか聞こえてこない。ある警察関係者などは、「去年から今年にかけて公安調査庁が中国に行ける民間人で協力してもらえる人を多数募集していた。誰でもいいというような感じだったが、こういうことをやってもらうには、きっちりした人物であるか見極める必要があるはずだ」とあきれていた。 表向き公安調査庁は拘束された人物たちが協力者であることを認めていないが、仮にこうした組織に運用された人たちによって、日本批判されるのは極めて残念である。ある公安関係者は公安調査庁の情報収集の実態について、「公安調査庁は常に組織存続の危機にさらされている。不要だとされながら地下鉄サリン事件を受けてオウム真理教を監視する『仕事』を得て廃止の危機を免れた。最近ではISなどの中東といった外国情報に関して関係されると見られる人物に片っ端から声をかけていると聞く。公安調査庁が目の敵としている警察や内閣情報調査室と外国情報で差をつけたいと無理をしたのが今回の拘束だろう」と分析していた。 なお、筆者は国益を優先すべきだという論者でもなく、ましてや日本にスパイ防止法を求める意見の持ち主ではないことをお断りしておく。

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    日本版NSCの「欠陥」 外務省の魂胆は見抜かれている

    が入手していた米国の軍事情報は、以後、防衛省に提供される流れに変わった。 外務省には総合外交政策局に安全保障政策課がある。また北米局の中にも、日米安保条約課や日米地位協定室があり、これらが国防総省や在米日本大使館を通じて、軍事情報の提供を受けていたが、それが防衛省・自衛隊に流れる関係に変わった。 もともと外務官僚には、戦前・戦中に、日本の外交権を軍部(当時)に奪われたという強烈なトラウマがある。そのため外務省は防衛当局が、米国の軍事情報や海外の治安情報を握ることに強い警戒心を持っていた。さらに悪いことに、外務官僚は旧軍部を強く批判するあまり、近代的な軍事知識を軽視する風潮を生んでしまった。今でも、外務省幹部の発言では、軍事音痴を痛感することが多々ある。 具体的には、尖閣問題(沖縄県)で、軍事と警察の役割区別がつかない発言や、辺野古基地建設問題では、地球規模の米海兵隊の役割を理解していないなど、軍事音痴の外務省幹部(OBを含む)の発言は多い。 しかし外務官僚の軍事知識軽視はどうであれ、外務省にとって国際テロなど最新の軍事情報を入手することは喫緊の要事であることは言うまでもない。そこで外務官僚が対策に日本版NSCを創設したのではないかと思っている。 米国政府には国防総省、国務省、CIA、FBI、国家情報長官など、国家が直面する安全保障の重要問題を協議する機関として、大統領府(ホワイトハウス)内にNSC(国家安全保障会議)が設置されている。米大統領に直結する最高軍事諮問会議であり、国防総省や国務省よりは上位に位置している。 同じものを日本の内閣府内に設置すれば、米政府の最高軍事秘密情報も、米NSCのカウンター・パートナーとして入手することが可能になる。国防総省から防衛省に流れていた軍事情報を、日本版NSCを設置すれば米NSCから入手できる訳である。防衛・警察に足元を見られている外務省 そして日本版NSCのトップに外務官僚(OBを含む)を配置して、事務局の重要部局を外務官僚が占めれば、日米間の安全保障の軍事や治安情報を得て、政府で外務省が主導的な立場を担うことができるのだ。会談前に中国の楊潔チ国務委員(右)と握手するNSCの谷内正太郎国家安全保障局長=16日、北京の釣魚台迎賓館(共同) だから日本版NSCでは、国家安全保障会議の下に事務局の国家安全保障局を設置している。国家安全保障局は外務・防衛両省や警察庁(公安調査庁を含む)などが収集する情報を一元的に扱い、分析や対応を担う役割分担という。むろん国家安全保障局長は外務官僚をあてる人事が行われる(初代は谷内正太郎元外務次官)。 事務局内は6つの分野(班)が置かれる。その1班は「総括」、2班は「同盟・友好国」を担当、3班は「中国・北朝鮮」、4班は「その他」、5班は「戦略」、6班が「情報」となる。このうち、1班と3班と4班の班長は防衛省の出身者、5班は警察庁の出身者で、外務省は局長以外に、2班の米国などの同盟国と、3班の中国、北朝鮮に、外務省出身の班長をあてている人事だ。日本版NSCのトップと米国関連は外務省で固めた。また中国、北朝鮮の担当は、日本人拉致被害者の交渉などで、他の省には任せられない事情があるようだ。 しかし、そんな見え見えの外務官僚の魂胆を、防衛や警察当局が無条件に協力するとは思えない。それでなくても、今まで縄張り意識が強く作用した分野である。外務省が日本版NSCを造れば、それですべてが済むような問題ではない。 実は世界規模の米軍再編で、在日米軍は日本から撤退して、常時駐留型から有事駐留型にシフトを変えようとしている。平時の日本には、米軍の巡回訓練と事前集積で東アジア戦略を構築するようである。 これによって対米追随だけで済んでいた外務省の軍事的な役割は、もはや必要がないほどに権限が縮小するという危機感が外務官僚にはあるようだ。 そこで外務官僚が起死回生のクーデターで設立したのが日本版NSCなのだ。ところがすでに防衛省・自衛隊や警察庁などには、その足元を見られている。これが日本版NSCの最大の問題点である。 イスラム国(IS)など緊急のテロ情報を日本版NSCが扱えるのか。外務省に防衛、警察、公安調査庁の人材を集め、日本の在外公館(外務省管理下)に配置しても、外国の情報機関から得られるテロ情報は限られている。日本に米CIAや英MI6のような、外務省と無関係の対外情報機関を創設するという考えは日本版NSCにはないようだ。

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    テロの世紀第二幕でも変わらない情報小国ニッポン

    第一幕があがったのは、2001年9月11日だった。国際テロ組織「アルカイダ」が超大国アメリカの経済と安全保障の中枢を標的に自爆テロ攻撃を仕掛けたのである。筆者は冷戦後の風景を塗り替えてしまった世紀の事件を首都ワシントンで迎えた。暮れなずむ夕空に大統領専用ヘリ「マリーン・ワン」が姿を現わし、ホワイトハウスの中庭にジョージ・W・ブッシュ大統領が降り立った光景をいまも忘れない。 「アメリカを攻撃したテロリストと、彼らを使嗾し、匿う組織や国家を区別しない」 われわれホワイトハウス特派員を前に吐いた大統領のひとことこそ「テロの世紀」の幕開けを告げるものとなった。ハイジャック犯を操った国際テロ組織「アルカイダ」を率いる巨魁に鉄槌を下し、テロ組織を匿う「ならず者国家」を許さない。ブッシュ大統領は、彼らを一体とみなして戦う決意を明らかにした。この瞬間に、無期限にして、無制限の対テロ戦争が始まり、われわれはいまもその真っただなかにいる。*       *       * 「ブッシュのアメリカ」は、その圧倒的な軍事力、警察力、諜報力を駆使して「アルカイダ」の本拠をたたき、国際テロ組織を抱え込んでいたアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させた。そしてイラク戦争に突き進んでいった。イスラム過激派は、この戦いの過程で新たな組織に変貌していく。超大国の力が届きにくい、辺境を見つけて潜伏する。そして小さな集団に分かれて自爆テロを仕掛けはじめる。独自の判断でそれぞれに拠点を設けて戦え――こうインターネットを通じて呼びかける「グローバル・ジハード運動」に呼応して、現状に不満を募らせるムスリムの若者たちが立ち上がっていった。 欧米先進国で生まれ育った彼らはやがて「ホームグロウン・テロリスト」の予備軍となる。神の代理人たるカリフが治める「イスラム国」の建設に共鳴して、新たな聖戦に身を投じていった。そしてシリアからイラクに広がる「イスラム国」の支配地域に密かに入り、軍事訓練を受けて再び欧米社会に舞い戻る。表面上はごくふつうの市民生活を続けながら、蜂起の機会をじっと待ち受けていたのである。インテリジェンスの世界でいう「スリーパー」だった。パリを舞台に起きた同時多発テロは、こうしたジハード戦士たちによって引き起こされたのである。*       *       * われわれが身を置く「テロの世紀」とはどんな時代なのか。その本質を正確に捉えることこそ、日本を含めた国際社会が新たなテロに備える出発点となる。「アルカイダ」は、オサマ・ビンラディンを最高指揮官と仰ぐピラミッド型の組織だった。これに対してIS「イスラム国」は、分散型の組織形態をとって各地に浸透している。それゆえ同時多発テロ事件を起こした武装グループを摘発しても、モグラの一つを叩いたに過ぎない。果てしなき戦いは今後も続いていく。同時多発テロの現場となったバタクラン劇場前で、犠牲者を悼み献花する安倍首相=11月29日、パリ(共同)「イスラム国」はエボラ・ウィルスにも似て、衛生状態が劣悪で、体力の衰えた、国際社会の柔らかい脇腹にとりついて蔓延する。それゆえ、各国は気の遠くなるような忍耐で包囲網を築きあげることを強いられる。だがその一方で、イスラム過激派のテロリストたちは、防疫線を軽々と超えて、欧米の社会に浸透しつつある。 9・11テロの後、国境に堅固な防壁を築きあげ、テロを封じてきたと自負していたアメリカの当局を震撼させる事件が起きた。12月2日、カリフォルニア州のサンバーナディノで起きた乱射事件で14人が殺害されたのである。テロの首謀者は、サンバーナディノ郡に勤めて年収870万円を得ていた公務員だった。彼はイスラム教徒だったが、アメリカ国籍を持つ普通の市民を装っていた。FBIをはじめ捜査・情報当局の監視対象にしていなかった。典型的なホームグロウン・テロリストにしてローン・ウルフ型のテロリストだったのである。彼らの心のなかに芽生え、次第に膨らんでいく憎悪を見出すことなど捜査当局にできるはずがない。管理が杜撰…情報大国への道のりは遠い 日本政府は一連のテロ事件を受けて12月8日、「国際テロ情報収集ユニット」なる組織を発足させた。外務・防衛・警察の各省庁から20人の要員を集め、4つの在外公館に設けた拠点の20人と合わせて、テロ情報を各国と交換し、分析する。「インテリジェンス・ユニット」を統括するのは杉田和博官房副長官だ。併せて各省庁の局長クラスで構成される「国際テロ情報収集・集約幹事会」を内閣官房に設けて、テロの重要情報を分かち合い、的確に分析して、新たなテロに備えるという。そして来年の伊勢志摩サミットや2020年の東京オリンピックに備える構えだ。 戦後の日本にも、テロリストやスパイが国内に浸透するのを防ぐ「カウンター・インテリジェンス機関」は、警察の警備・公安部局に存在する。だが、G7(先進七カ国)のなかで唯一つ、情報要員を海外に配して対外的なインテリジェンスを収集し分析する機関を持たなかった。新しい政府組織は、そうした日本の弱点を少しでも補おうと設けられたのだろう。 だが、老情報大国として知られるイギリスの政府は、今回のテロ事件を受けて、カウンター・インテリジェンスを担うMI5、対外情報を受け持つMI6、さらに電波傍受などを受け持つGCHQ(政府通信本部)に総勢2千人にも増員を行う意向を明らかにした。これでは「情報小国ニッポン」の現状は改まらない。 所帯があまりに小さく、時に非合法の分野にも踏み込まざるを得ない海外の要員がいないだけではない。第二次安倍内閣の発足に伴って創設した「日本版NSC」である国家安全保障局とどのように連携していくか、必ずしも明確ではない。インテリジェンスの収集・分析をめぐる外務省と警察庁の縄張り争いにいまだ決着がついていないのだろう。国家安全保障局は外務省が防衛省を味方につけて主導しているが、新しい「国際テロ情報収集ユニット」では警察庁が仕切りたいと考えている。各国の政府部内のインテリジェンス機関はいまだに貴重な情報を抱え込んで離そうとしない――。一連のテロ事件は、こうした官僚機構の病弊が少しも改まっていないことをさらけだした。対外情報機関を備えていない日本もこうした「インテリジェンスの風土病」には立派に罹っている。 つい先ごろ名古屋の警察署に盗聴器が仕掛けられていることが発覚した。たとえ内部の犯行であっても、外部の者に傍受が易々とできてしまう。加えて日本国内のイスラム教徒の名簿が外部に漏れて出版される不祥事も起きている。連携先の外国の機関が日本に貴重なテロ情報を提供しようにも情報の管理がこうまで杜撰では二の足を踏んでしまう。情報大国への道のりは日暮れてなお彼方に霞んだままだ。

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    日本はテロに屈する気なのか

    世界を震撼させたパリ同時多発テロから1カ月。日本でも「共謀罪」の創設をめぐる議論が活発になっている。政府案は過去3度も廃案になったが、日本を標的にしたテロの脅威に対し現行法だけで本当に通用するのか。過度な法整備は国民の権利の抑圧につながらないのか。この議論を真剣に考えたい。

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    日本にとっての悪夢が始まるのか 共謀罪なくしてテロとは戦えない

    とだと思われる。わだ・だいじゅ 1982年、岡山県生まれ。慶応義塾大学大学院博士後期課程。専門は国際安全保障論、国際テロリズム論、危機管理。清和大学と岐阜女子大学でそれぞれ講師や研究員を務める一方、東京財団やオオコシセキュリティコンサルタンツで研究、アドバイス業務に従事。14年5月に主任研究員を務める日本安全保障・危機管理学会から奨励賞を受賞。共著に『テロ・誘拐・脅迫 海外リスクの実態と対策』(同文舘出版)。

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    共謀罪は「テロ対策」に騙されるな! 国家権力の暴走を監視せよ

    間無制限に盗聴を可能とする行政盗聴の導入を図ろうとすることも予想される。現に、アメリカのNSA(国家安全保障局)がこれを濫用して、アメリカ国民の日常的な通信まで広く監視していたことをスノーデン氏が暴露したことは記憶に新しい。 アメリカの同時多発テロやフランスのパリでの連続襲撃事件でも明らかなように、いくら法整備しても、テロは防げない。テロを生んだ格差社会の問題など、テロの原因を根絶しない限り、対処療法的なISILの拠点に対する空爆を繰り返しても、報復の連鎖により、テロは根絶することはできない。 だから、共謀罪法案を整備したらテロを未然に防げると単純に考えることが誤りなのである。 私たちは、今一度、政府によるテロ対策を易々と受け入れることが、私たちの市民的自由を失うことと引き換えであることを認識する必要がある。 フランスでも、バリでの襲撃事件の後、緊急事態が宣言され、令状なしでの家宅捜索を多数実施したり、集会を禁止するなど、市民的自由を剥奪する措置がとられており、国家が「テロとの戦い」を名目にすれば、国民への監視の強化や市民的自由の剥奪について、市民がいとも容易に容認してしまうことが明らかとなった。 私たちはこの事実を教訓としなければならない。安倍首相は、来年の参議院選挙の後、国家緊急権を創設する憲法改正に着手する方針である。日本でも、テロのような事態が発生したら、私たちは突然に市民的自由を奪われ、それに対して抗議の声を挙げることもできなくなる暗黒社会になってしまうのである。私たちは、そのような将来を見据えて、目の前に突きつけられた共謀罪法案の是非についての態度を決める必要がある。「テロ対策」という美名の下に隠された政府や国家権力の罠を見抜く必要があるのだ。やました・ゆきお 昭和37年、香川県生まれ。53歳。創価大卒。平成元年に弁護士登録(東京弁護士会)。日弁連共謀罪法案対策本部事務局長。共著に「『治安国家』拒否宣言-『共謀罪』がやってくる」。

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    日本をテロの脅威から守れ 共謀罪が必要な2つの理由

    板橋功(公共政策調査会研究センター長) 私は、二つの視点から共謀罪が必要であると考える。一つは、テロなどの国際的な組織犯罪を防ぐために有効であること、二つ目は国際的な協調の必要性である。近年、インターネットをはじめとした通信の高度化などもあり、国際的な組織犯罪は複雑化、深刻化しつつある。国際社会は一致してこのような状況に対処しなければならない。もはや国際情勢が瞬時に日本の治安にも波及するのが現状であり、我が国も決して例外ではいられない状況にある。このようなことから、早期に共謀罪などの必要な法整備を行い、国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)を批准する必要があると考える。 先般、フランスのパリにおいて発生した同時多発テロ事件では、一般市民が普通に利用するカフェや劇場といったソフト・ターゲットが狙われ、130人以上の無辜の民の命が奪われた。まさに、大量無差別殺傷テロ事件であった。今回の事件を契機に、多くの日本国民が、「我が国は大丈夫なのだろうか?」と心配していることと思う。過激派組織IS(自称「イスラム国」)が日本をターゲット視している点や来年の伊勢志摩サミット、2020年東京オリンピック・パラリンピックと国際的に大きな行事が目白押しである点を考えると、いつ日本でテロが起こっても不思議では無い状況にあると考える。伊勢志摩サミットの主会場に想定される三重県志摩市の賢島(中央) 共謀罪はテロを実行していなくても犯罪になることから懸念や不安の声もあるが、パリのテロ事件のように多くの一般市民が殺害された無差別殺傷テロ事件が起こった後では遅すぎるわけで、テロなどの特定の犯罪を行う合意を事前に察知し、未然に防いだ上で、罪に問えるように法整備を行う必要がある。また、在留外国人数も200万人を超え、訪日外国人数も年間2,000万人に達しようとしており、不法残留者数は改善したものの未だに約6万人とされる。訪日外国人は、2020年に向けてますます増加していくことが予想される。もちろん、多くの訪日外国人は善意の人たちであるが、この中には悪意を持って我が国に入国、滞在し、組織的な犯罪を行おうとする者達もいる。かつて我が国では国際窃盗団「ピンクパンサー」の事件も発生しており、最近でも表参道の高級宝石店で外国人とみられる者達による強盗事件が発生するなど、このような国際的な組織犯罪も看過できない状況にある。国会の駆け引き材料になってきた共謀罪法案 二つ目は、テロなどの国際的な組織犯罪を防止するためには各国の協調が不可欠である。すでにパレルモ条約には180カ国以上が加盟しており、国際協調の立場からもG7の一角をなす日本だけが入らないわけにはいかない。我が国は2000年12月に条約に署名し、2003年5月に国会で承認しているが、共謀罪などの国内法の整備が行われていないために、現在でも条約の批准に至っていない。また、我が国はパレルモ条約の締結に必要な国内担保法が未整備であるとして、2008年10月に国際的な枠組みであるFATF(金融活動作業部会)から早急に改善するよう勧告を受けているが、7年以上経過した現在でも批准できない状況が続いている。日本がループ・ホール(抜け穴)にならないように早急に措置を講じなければならない。 共謀罪に関して、すでに議論が尽くされているかのような誤解があるが、それは正しくは無い。確かに、これまでに3回にわたり共謀罪の法案が国会に提出されたが、可決されていない。しかし、その最大の理由は国会の事情である。3回とも十分に審議されておらず、議論が尽くされてはいない。自民党、民主党の両政権の下で提出されているが、衆参院でいわゆる「ねじれ状態」にあり、与党が不安定であったことが最大の要因であり、衆議院の解散で廃案になったこともあった。国会の駆け引きの材料に同法案が利用されてきた面もある。また、現行法でも対応できるという意見もあるが、条約が求める対策は現行法の運用や政令レベルでは対応できないと考える。民主主義国家として、国民の合意を得るという意味でも立法が望ましく、国内法の整備ができないなら条約は批准できないし、すべきではない。 共謀罪を含めて、テロ対策は往々にして国民の自由や権利を制限する部分がある。ゆえに国民の理解や協力が不可欠である。しかしながら、テロ対策をしっかりと行わなければ日本はテロの脅威にさらされ、未曾有のテロが発生する可能性がある。テロ対策は常にこの「安全と自由」のバランスをとりながら行う必要がある。 共謀罪を法制化する際には、国民からいろいろな懸念が示されるであろう。もちろんこれらの声に耳を傾け、丁寧に説明することが重要であることは言うまでも無い。しかし、日本が国際的な条約を締結していないことによる国際的な批判があることも確かである。国会などで十分な議論を行い、国民の理解を得ながら成案を得て、なるべく早く成立させて頂きたいと考える。

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    フランステロで再浮上 自民党内で検討進む「共謀罪」って何?

    (THE PAGEより転載) フランスで130人以上の犠牲者を出した同時テロの発生を受けて、自民党内から「共謀罪」を創設する国内法の整備を求める発言が相次いだ。過去3回国会に提出され、いずれも反対が多く廃案になった「共謀罪」。テロ撲滅とどう関係があり、反対派はなぜ反対しているのだろうか。 自民党の谷垣禎一幹事長は、17日の役員連絡会後の記者会見で来年5月に開催される主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)にむけた国内のテロ対策の一環として、「共謀罪」の創設を含む法改正が必要だという考えを述べた。谷垣氏は会見で、高村正彦副総裁も創設が必要だと考えていると明かした。「共謀罪」の創設を主張している自民党の谷垣禎一幹事長 15年前の国連条約が発端  「共謀罪」とは、「重大な組織犯罪」について、その犯罪について話し合って合意したことをもって処罰対象となる罪のことだ。 事の発端は、2000年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」にさかのぼる。深刻化するマフィアやテロなどの国際的な組織犯罪を防止し、適切に対処するために作られた。日本もこの条約に署名したが、この条約を批准するための国内法を制定していない。外務省によれば、条約は日本を残して2003年に発効し、2015年7月時点で、日本を除く全てのG8を含む185の国と地域で締結されている。 なぜ日本はこの条約に加盟していないのか。国際組織犯罪防止条約第5条は、「共謀罪」を犯罪とするよう国内法を整備するように定めている。政府の説明によれば、日本は国内で「共謀罪」の法整備が済んでいないので、15年もの間この条約に加盟できないでいる。この条約に加盟していないことで、この条約を補足する「人身取引議定書」「密入国議定書」「銃器議定書」にも日本は加盟していない。 賛成派は、テロ組織の資金源を断つなどのテロ対策を進めるためにこの条約の批准が必要で、そのためには国内法で「共謀罪」を新設する必要があると主張している。 法務省は、「共謀罪」が成立するためには次の3つの要件が定められていて、国民の生活上の行為が犯罪になることはないとしている。 1つ目は、その犯罪が「死刑、無期又は長期4年以上の懲役又は禁固に当たる重大な犯罪」であること。2つ目は、その共謀が「団体の活動として」組織で犯罪を行われるものであること、または「団体の不正権益」の目的の場合に限ること、3つ目は「特定の犯罪が実行される危険性のある合意が成立した場合のみ処罰する」ということだ。 法務省は「共謀罪」には厳格な要件が付され、暴力団による組織的な殺傷事件や振り込め詐欺などの組織的詐欺、暴力団の縄張り争いなどに限定されるとして「国民の一般的な社会生活上の行為が本罪に当たることはあり得ません」としている。個人的に同僚や友人と犯罪の実行を合意したり、居酒屋で意気投合しただけでは「共謀罪」は成立しないと説明する。「日本の刑事法体系と根底から矛盾する」との批判 一方で「共謀罪」創設に対しては、日本弁護士連合会や野党が強く反発し、これまで3度国会に提出されたものの、いずれも廃案になっている。その主張のひとつは、対象の犯罪が広すぎるという指摘だ。  日弁連の発表した反対意見によれば、政府の定義では「重大な犯罪」は600種類を超えていて、釣銭詐欺やキセル乗車も含まれてしまう。政府の説明では共謀罪の適用が暴力団などの組織犯罪に限定されるとしているが、何が「団体」にあたるのかあいまいで、労働組合、会社組織なども含まれてしまう可能性も否定できない。さらに「共謀」は、目配せや相談の場に同席するだけで成立するとされ、適用範囲がとても広くなる可能性がある。 日弁連が何より問題視するのは、「共謀罪」という考え方が、日本の刑法の考え方と根本的に矛盾する点だ。日本の刑法は、犯罪が実行されて結果が生じた「既遂」を取り締まることが原則だ。例外として法律で特に定められた場合、実行の着手段階である「未遂」も処罰される。さらに例外的に、殺人などの重大犯罪のみ、準備段階も取り締まる「予備罪」が設けられている。「共謀罪」は現行の刑法上にも存在するが、内乱罪などさらに特異な状況に限って適用される。新設される「共謀罪」がすべての「重大犯罪」に適用されるとすれば、非常に特異な場合に限られていた「共謀罪」の範囲が大きくなり、法体系が崩れてしまうとの主張だ。 では、日本は「国際組織犯罪防止条約」に加盟できないのだろうか。政府は、国際組織犯罪防止条約5条は、締結国に、長期4年以上の重大な犯罪に対して共謀罪を設けることを明確に義務付けており、国内法で「共謀罪」創設することなしに、条約に加盟できないとしている。 一方、日弁連は、日本の法体系には、重大な犯罪に対して、すでに陰謀罪が8種類、共謀罪が15種類、予備罪が40種類、準備罪が9種類存在しており、一定の要件を満たした場合には、「共謀共同正犯」として犯罪に共謀したものを処罰することも判例上認められていると主張。アメリカをはじめとする各国は、それぞれの国の国内法の原則に合わせた立法を行って批准しており、日本でも「共謀罪」の創設なしに条約に加盟することができるとしている。 安倍晋三首相は、22日の記者会見で、共謀罪について「政府としては、重要な課題と認識しているが、これまでの国会審議等において不安や懸念などが示されていることを踏まえ、その在り方を慎重に検討しているところであります」と述べ、慎重な姿勢を見せている。(中野宏一/THE EAST TIMES)

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    日本でのテロ 欧米人の多い観光地や仏像のある場所に要注意

     「これは攻撃の始まりに過ぎない。フランスと同じ道を歩む国々は、我々のターゲットリストの最優先にいる」 イスラム国(IS)はパリの同時多発テロのあと、そう声明を出した。日本は、ISにとって間違いなく「ターゲット」である。元公安調査庁第二部長の菅沼光弘氏が語る。 「安倍首相は2015年1月にエジプトで、イラクやシリアなどISと戦う国々の難民・避難民支援などに総額2億ドルを拠出することを表明した。日本側は『あくまで人道支援である』と強調しているが、ISから見れば自分たちを攻撃する軍事力を整備するための経済支援に映った。 そしてその直後、日本人ジャーナリストの後藤健二氏と民間軍事会社経営の湯川遥菜氏が殺害されている。その際も、安倍首相は『テロリストを決して許さない。その罪を償わせるために国際社会と連携する』と語っている。日本側が対立姿勢を鮮明にしていることから、ISは、明らかに日本を敵とみなしている」 この国でテロリストが狙うと考えられるのは、「ソフトターゲット」だ。米軍基地や首相官邸など警備が厳重な「ハードターゲット」ではなく、警備が手薄な、あるいはまったくない場所のことである。 ターミナル駅や新幹線、パリでも狙われたスタジアムやライブ会場などの人が集まる場所はもちろんだが、危機管理論が専門の大泉光一・青森中央学院大学教授は「欧米人が多く訪れる観光地は要注意」と指摘する。 「ISは、欧米人に『日本も危ない』という意識を持たせることを狙ってくるでしょう。東京に加え、京都や奈良の観光地、さらに被爆地として世界的に有名な広島の観光スポットなどはテロの標的となり得ます」 国際政治アナリストの菅原出氏は、仏像がある場所に注意を払うべきという。 「イスラムは偶像崇拝を禁止しており、ISは異教徒の像などを爆破・破壊しています。また、最近では、シリア中部にある世界遺産・パルミラ遺跡を象徴するベル神殿が破壊されました。このことから、世界遺産、国宝に指定されているものがある場所を狙うことが考えられます」 関連記事■ 日本の原発 「テロリストが制圧できる可能性高い」と専門家■ イスラム国日本標的宣言 中央省庁警備に機動隊1個中隊増員■ イスラム国の目標 イスラエル、レバノンなど支配地域の拡大■ サウジアラビア等では外国人でも飲酒で宗教警察に逮捕される■ 安倍首相「イスラム国に罪償わせる」発言は非現実的言い逃れ

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    フランスでは非常事態宣言の延長 日本では共謀罪、憲法「改正」だ

    猪野亨(弁護士) イスラム過激派のテロの標的にされたフランス・パリですが、フランスのオランド大統領は、混乱に陥っています。 フランス全土に非常事態宣言を出したかと思えば、それを3か月に延長するよう議会に要求しています。 非常事態宣言が出されると国家は、国民の人権を制限することが可能になります。強権によって国家が国民を統制していくのです。これが非常事態宣言ですが、安倍氏が憲法「改正」で導入したがっている緊急事態条項です。 「テロが起きたから国民監視が必要なんだ!」ということにはなりません。非常事態宣言には人権制限をすること自体に目的があります。政府の無策に対して批判の矛先が向かないようにするためです。それ以上に今後、さらなる軍事力に頼る路線をひた走ることになるわけですが、それに対する批判も封じなければなりません。それが非常事態宣言の目的なのです。フランスのオランド大統領 戦時体制の元では国家に対する批判は許さない、戦争そのものの批判すらも許さないのがその本質です。 オランド政権の暴走はそれだけに止まりません。 何と、政府にとって気に入らない国民のフランス国籍の剥奪だそうです。反政府的なモスクの閉鎖も強行するそうですが、これではテロとは無関係のイスラム系フランス人たちが大弾圧を受ける様相です。「仏政府、反政府的な国内モスク閉鎖へ テロ再発防止策」(日経新聞2015年11月17日) 移民の国がこのような政策をとることは自殺行為です。今まで散々、移民の労働力によって楽をしてきたフランスでありながら、今度はその移民たちを敵に回すのですから、これで相互理解など得られようはずもありません。 しかし、そもそも国籍剥奪というような暴挙が実現できるのでしょうか。生まれながらにして取得した国籍であろうと、帰化によって得られた国籍であろうと、そこに区別があろうはずもありません。そのような区別は人種などによる差別と同じことで、人権劣等国のすることです。 モスクの閉鎖も「反政府的」という曖昧な基準であれば政府批判をしただけで弾圧を受けることになりかねないし、今の混乱したオランド政権は実際にそうするでしょう。 関東大震災の際に、日本人が朝鮮人を大量虐殺してきたことを彷彿させます。「安倍氏がまたまた憲法改悪提起 緊急事態条項は全く必要ありません! 戒厳令の復活」 テロという緊急事態だから? それこそがもっとも危険な発想です。そのようなときだからこそ、厳しく国家権力の行使のあり方を監視しなければならないし、その手段を制限しようなどという動きは断固として反対しなければならないのです。 この政府による無法行為を放置、黙認すれば人権侵害が甚だしくなり、独裁状態になります。そしてさらに人権侵害が拡大していくのです。 日本の指導者たちの発想も同じです。緊急事態条項だ、憲法「改正」だと騒いでいるのが安倍氏です。 自らテロの標的になるような原因を作っておきながら、憲法「改正」と騒ぐのですから、これほどたちの悪い人はいません。 そして、何とこのどさくさの中で「共謀罪」だそうです。「テロ対策に「共謀罪」創設検討 自民幹事長が言及」(朝日新聞2015年11月17日) 共謀罪という従来の刑法の枠組みを超えて「共謀」するだけで犯罪としてしまう極めて恐ろしい法律です。犯罪となる行為の概念が曖昧となり、罪刑法定主義に反するだけでなく、国家による恣意的な立件を可能にしてしまう治安立法です。 自民党は、これまでも共謀罪の成立を目指してきましたが、日弁連をはじめ、反対運動の中で廃案となってきました。「矢継ぎ早に出てくる治安立法・共謀罪 テロ対策という詭弁」 安倍政権にとって、パリの同時テロは、格好の口実となっているわけです。 戦争国家体制を作り上げるためには、「反対」の声を潰すことであり、今まさに日本の政治は、その路線を突き進もうとしています。 混乱に陥ったフランスをよくみてみましょう。私たちもあのようになりたいのか、それが問われているのです。(弁護士 猪野 亨のブログより転載)

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    「共謀罪」ってそれほど危険なのか? 消極姿勢の背景

    山口那津男代表が「懸念を示す声もあり、慎重な取り組みが必要だ」と述べている。 「安倍政権はただでさえ安全保障関連法の時に『悪魔みたいだ』といわれていたのに、その次にすぐに反発が大きい共謀罪をやるのは難しい」 政府関係者はこう指摘する。安全保障関連法の成立で内閣支持率が下落した後だけに、来年7月の参院選を前に、政府内には政権の体力を再び奪うことは避けたい思惑がある。 別の政府筋は「タイトな国会日程を考えると、次期通常国会で共謀罪まで手を広げる余裕はない。紆余曲折もある話なので複雑な議論を巻き起こす。これに精力を注ぐよりも、今できるテロ対策に集中すべきだ。仮に法案ができてもサミットには間に合わない」と指摘する。 ただ、資金洗浄(マネーロンダリング)やテロ資金供与対策の国際基準策定機関「金融活動作業部会」(FATF)は昨年6月、日本に迅速な法整備を求める初の勧告を公表した。こうした事態に、外務省筋は「テロ対策で日本が抜け道となれば、全ての国の協力の意味が薄れてしまう」と危機感を強める。法整備を避け続けることによって、国際社会で孤立する可能性もあるという。 これまでの共謀罪をめぐる議論では、法の拡大解釈による不当逮捕や人権侵害につながりかねないと誇張された批判が巻き起こった。 法務省内では4度目の提出に向けた法整備の検討が進んでいる。関係者によると、改正案では(1)適用対象団体としてテロリストや暴力団などの「組織的な犯罪集団」に限定(2)共謀だけでは処罰対象とはせず、犯罪実行に必要な資金や物品の準備などがあって初めて法令を適用(3)共謀罪の名称も誤解を招くとして「組織犯罪準備罪」や「組織犯罪遂行罪」などの呼称の検討-などだ。 ただ、官邸内も共謀罪創設の必要性では一致している。官邸関係者は「条約の批准がないと、各国の諜報機関とテロ情報を共有するのが難しい」と認めつつも「安保関連法と比べれば共謀罪を成立させるハードルは高くないが、時期は今ではない」と説明する。 テロ対策で国際連携を強めようとする安倍政権だが、官邸関係者は「日本は特異な国だよ。この部分ではすごくね」と自嘲気味に語った。

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    「戦争法案」可決 落選運動を粘り強く続けよう

    猪野亨(弁護士) 2015年9月19日、戦争法案が自民党、公明党によって可決され、成立しました。この法案に反対を表明してきたものとして、今回の戦争法案が成立してしまったことについて、どのように考えるのか表明しておきたいと思います。 今回の戦争法案は、従来の政府見解によっても憲法違反の集団的自衛権の行使を容認するものです。これほどあからさまな憲法違反の法律はありません。立憲主義を正面から踏みにじった内閣と国会の姿勢でした。 このような国会には、もはや内閣の行う派兵行為をコントロールする能力も資質もないことを見せつけてくれました。 安倍氏が右向け右と言えば、自民党所属の国会議員はすべて右を向きます。安倍自民党が右向け右と言えば、公明党は結局、最後は右を向きます。自民党・公明党が与党である限り、集団的自衛権の行使と海外派兵に対する制限は存在しません。 自民党にも公明党にも個別にはいい人もいる… もうそんな屁理屈はいりません。すべて自民党議員(但し、村上誠一郎議員を除く)、公明党議員は同罪です。 これほどまでの違憲立法に対し、何も表明しなかった、できなかったという大罪は決して許されるものではなく、この反対行動をしてきた人たちが「落選運動」を提唱していることに非常に共感するものです。次の参議院選挙、そして衆議院選挙もこの「落選運動」を粘り強く続けていきましょう。 そして、この反対運動が示した効果は非常に大きなものがあったと思います。安倍氏が憲法「改正」も憲法の改正条項の「改正」も断念しましたが、もし、そのようなことを行おうとすれば、これまで以上の反対運動が国民の中からわき起こるだろうことを示してくれました。 何よりも若い人たちが立ちが上がりました。政治に無関心と言われた若い人たちですが、自分のことと考え、立ち上がったことは安倍自民党にとっては全くもって想定外だったことでしょう。日本国民の良識の結集があれば憲法の改悪はできない、それを支配層に見せつけたことです。2012年2月、南スーダンの首都ジュバで、国連平和維持活動(PKO)のために派遣された陸上自衛隊の先遣隊(早坂洋祐撮影) さらには国民の反対が強いということは自衛官にも拒否の意思を強く持ってもらいたいことです。 海外への派兵は、建前は志願制です。命令でもって戦地に動員するということは行われない建前です。しかし、実際は無言の圧力の強制が行われます。拒否者には陰湿なイジメがあるかもしれません。そのような自衛隊で良いのか、私たちにも問われます。既に政府内では、南スーダンでの駆け付け警護が「内定」しています。北海道の北部方面隊から派兵されるのではないかと言われています。「南スーダンでの「駆け付け警護」という戦闘行為へ 自衛隊が武力行使の時代」 既に隊員には無言の圧力が加えられていることでしょう。このような事実上の強制は自衛官を確実に精神的に追い詰めます。 この法案に賛成した人たちは、それでいいんだということなのでしょうが(だから徴兵制はいらないんだというわけです)、この法案に反対した私たちまで、それでいいというわけにはいきません。まさに反対運動に掲げた「わたしたちは闘わない」という言葉に象徴されるとおり、決して自衛官を送り出してはなりませんし、その支援こそすべきです。 現実に問題なのは、実際に戦死者が出た場合です。安倍自民党にとって戦死者を出すことは当然の前提であり、必ずやかいくぐらなければならない壁です。これで1人でも戦死者を出したことによって国民の批判が高まり、事実上、出兵ができない状況になることは絶対に回避されなければならないことなのです。 そのため、戦死者の死の批判を政府に向かないよう、ウヨクマスコミを動員して戦死者が「英雄」であるという演出をすることです。しかも必ずや遺族が悲しみの中にあるのに批判とは何事だという誹謗中傷がネット界では飛び交います。マスコミがそれを利用する構図です。 絶対にこのような妄動に乗せられてはいけません。戦死者を出さない、ではなく、出兵させない、英雄扱いしない、あくまで自民党政権の犠牲者であり、国民は一切、拒否していることを今後も示さなければなりません。 この戦争法廃止のためにがんばりましょう!(『弁護士 猪野 亨のブログ』より2015年9月20日分を転載)

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    創価学会 会員の安保反対デモ止めた背景に後継者を巡る動揺

     安保法制への国民の反対運動は、いまや「自民党最大・最強の集票マシン」と呼ばれる創価学会内部に大きな亀裂を生んだ。 デモが全国に広がり始めた頃から、池田大作・名誉会長が定めた「勝利」(赤)「栄光」(黄)「平和」(青)を意味する創価学会の三色旗をバックに、〈戦争法案即時廃案〉〈バイバイ公明党〉──などと書いたプラカードを掲げる創価学会員が参加するようになったからだ。(天野達志氏撮影) 公明党は「平和の党」だと教えられてきた学会員たちが、安保法制に反対するのは自然なことだろう。ところが、法案審議の半ばから、学会員のデモ参加者が増えなくなった。学会上層部からこんな指示が出たというのだ。「最初は何もいわれなかったのに、途中から『デモには行くな』『ろくなコトにはならんぞ』と締め付けが厳しくなった」(デモに参加した学会員) 公明党議員の「安保法案は憲法違反ではない」という説明を聞く集会も開かれるようになった。 創価学会が会員の“戦争法案反対デモ”への参加を止めたのはなぜか。背景には、ポスト池田の後継者選びに絡む組織の動揺があると見られている。 創価学会の原田稔・会長(74)は来年任期(5年。現在2期目)を迎える。前任の秋谷栄之助・元会長は75歳で会長を退いており、年齢的にも原田氏は交代という見方が強い。そうなると次期会長の有力候補は谷川佳樹・事務総長と正木正明・理事長の2人と目されている。創価学会に詳しいジャーナリスト・乙骨正生氏が語る。 「谷川氏は原田会長と同じ東大出身で組織運営に長け、自民党寄りで知られるホープ。対する正木氏は学会主流派の創価大出身で自民党とは距離がある。次期会長には原田会長が推している谷川氏が本命視されているが、正木氏は池田大作氏の長男・博正氏(副理事長)の世話役を務めて池田ファミリーに近く、逆転の可能性もまだ消えていない」 実際、自民党の下野が確実視されていた福田内閣当時、正木氏は聖教新聞(2007年10月4日付)の座談会で「さんざん応援してもらいながら大恩ある支持者を裏切る。逆恨みする。悪党と結託して牙を剥く。そういう恩知らずどもとは徹底的に戦おう」と、選挙協力をした自民党への批判とも受け取れる発言をしているし、2009年に自民党が野党に転落すると次期会長レースで“本命”の谷川氏を逆転したという情報も流れた。 池田氏が元気であれば、次期会長は指名で決まると思われる。しかし、池田氏は聖教新聞でたまに動静が報じられるものの、「学会組織内で2人が次期会長を競うという権力争いが起きているということは、これまでグリップを効かせてきた池田氏の力がはたらいていないということでしょう」(同前)とみられている。関連記事■ 創価学会二代目会長の戸田城聖氏 姓名判断に凝り何度も改名■ 信者一千万人の頂点に君臨する池田大作氏の「謎」を作家指摘■ 回復の池田名誉会長に創価学会幹部面会できぬのは遺産問題か■ 集団的自衛権で公明党議員は真っ青 与党合意が分裂の火種に■ 創価学会婦人部 女性遍歴が激しい舛添氏に反感と学会関係者

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    創価学会と公明党 いまでも本当に一体なのか

    島田裕巳(宗教学者) 2007年6月に『公明党vs.創価学会』(朝日新書)という本を出したことがある。当時は、1999年からはじまった自民党と公明党の第一次連立政権が続いていた時代で、公明党を支持する創価学会の集票能力の高さが注目されていた時代だった。その際には、公明党と創価学会とが一体の関係にあることが前提にされていた。 しかし、創価学会について研究してきた私の目には、必ずしもそうした前提が自明の事実ではないように映った。そこで、両者の関係についてその発端から追ってみたのである。 たしかに、公明党が誕生した初期の時代には、間違いなく両者は一体の関係にあった。なにしろ、創価学会が1955年にはじめて地方議会に候補者を立てたとき、組織の内部に「文化部」というセクションを立ち上げ、候補者は文化部員として選挙に臨んだからだ。 翌1956年には参議院議員選挙にも候補者を立て、当選者も出しているが、しばらくはそうした形がとられる。公明党の議員は皆創価学会の幹部で、1964年に公明党が結党された時点でも、当時第3代の会長をつとめていた池田大作氏が、事実上の党首と見られていた。マスコミも、公明党の政治方針を聞くときには、池田氏に取材した。 その関係が崩れるのは、1969年から70年にかけて、創価学会・公明党が、自分たちを批判している書物の出版を妨害した「出版妨害事件」を起こしてからのことである。これによって、世間から糾弾された創価学会と公明党は、政教分離を推し進めた。公明党の議員は、創価学会の幹部を辞職し、池田氏も、政界へ出ないことを約束したのである。 その際に、公明党は国民政党へ脱皮することをめざし、支持層を創価学会の会員以外にも広げようとした。しかし、それは難しく、結局、公明党は選挙活動については創価学会に全面的に依存する形が続き、それは今日にまで至っている。 選挙のときのことがあるために、一般の人たちは、創価学会と公明党が一体であると感じる。しかし、人的な面で政教分離がはかられたことの影響は大きい。創価学会と公明党は別の組織になり、両者が協議する機会も限られている。創価学会が公明党の政策に口出しすることもほとんどなくなった。 政教分離以降の公明党は、安保条約の即時破棄を打ち出すなど、革新寄りの姿勢を示したことがあるが、それはあくまで社会党や民主党と連携して中道革新路線による政権奪取を目指してのことで、創価学会の意向が反映されてのことではない。 創価学会本部別館 逆に創価学会の側も、1974年に、日本共産党とのあいだで、お互いに誹謗中傷しないことなどを約束した「創共協定」を結ぶが、その際には、公明党にはそれを知らせないまま実行した。 一度、組織が分離されると、時間の経過とともに、両者の関係は離れていく。公明党の議員も、創価学会のなかで活動した経験の乏しい人間がなるようになり、それに拍車をかけた。 今回、安保法制をめぐって、創価学会の会員のなかに、公然と公明党の方針を批判する人間たちが現れたのも、こうした創価学会と公明党との歴史が関係している。 創価学会としては、政教分離の建前がある以上、公明党の政策に公然とは干渉できない。公明党が、政権与党の座にとどまるために、自由民主党に対して過度に歩みよっても、それを是認するしかない。 そうなると、公明党は、自民党の方針に引きずられていく形になる。いくら、公明党が歯止めをかけたと主張し、創価学会も『聖教新聞』などでそれを評価してたとしても、それに納得しない学会員が出てくる。一般の国民がそう思っているように、彼らにも公明党は自民党に利用されているだけに見えてしまうのだ。 現在では、強力な集票能力をもつ圧力団体は、農協に代表されるように、消えつつある。そのなかで、創価学会は依然としてその力を有し、公明党を支えるだけではなく、自民党が政権の座に座り続けることを可能にしている。 そうであれば、公明党が自民党と連立を組んでいることそのものが、今回の安保法制の実現を可能にしたとも言える。これはあまり指摘されていないが、創価学会の会員のなかにそれに気づいた人間たちもいることだろう。 今、軒並み宗教団体は、既成宗教であろうと、新宗教であろうと、信者の高齢化などで危機にある。創価学会も、世代交代は実現したものの、若い会員は、年配の会員に比べて選挙活動に熱心ではない。 池田が表に出なくなった影響もある。今回の出来事は、創価学会自体が一枚岩でなくなりつつあることを象徴しているのではないだろうか。

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    安保社説を読めば朝日の劣化がよく分かる

    朝日をはじめとする左翼メディアは安保法制反対の理由に「自衛隊のリスク」を挙げる。これまで左翼メディアが自衛隊を「税金泥棒」「憲法違反」と誹謗はしても、気遣ったことなどあっただろうか。見え透いたお為ごかしはもうやめていただきたい。

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    最高裁は安保法制のオトシマエをつけるか?

    団的自衛権行使に関する閣議決定(2014年7月1日の「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」)を憲法違反とし、それより前の政府解釈に戻す閣議決定をした場合、安保法制は政府(行政権)自身の憲法解釈として、たちまち違憲立法となり、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 」とする日本国憲法98条1項がある以上、政府は法の執行を停止せざるを得ないように思えます。 「一政権の判断で憲法解釈を覆した」結果の安保法制の法的な不安定性は、最後はこのような形で現れてしまうのです。(『Yahoo!ニュース個人』より2015年9月21日分より転載)わたなべ・てるひと 弁護士。1978年生まれ。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。主な著書に『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? ナベテル弁護士が教える残業代のカラクリ』(旬報社)。

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    安保法制違憲訴訟 もし実現すれば来夏の参院選に影響必至か

     安保法案反対運動は意味が無かったのか。法案が成立すれば「もう終わり」なのか。フリー・ライターの神田憲行氏が考える。* * * 安保法制が国会で成立し、国会前で行われていた反対集会・デモについて総括のようなことが、ネットの至る所で取り沙汰されている。 そのなかで首都大学東京准教授の木村草太氏の新刊「集団的自衛権はなぜ違憲なのか」(晶文社)に、私が共感できる部分を見つけたのでご紹介したい。木村氏は最近注目を集めている憲法学者で、今年7月に衆議院特別委員会中央公聴会で、ご自身の「違憲論」を公述もしている。 この本の「あとがき」で、木村氏は冒頭からこう述べている。 《報道を見ていると、現在の政府に対して「戦争法案はやめろ」といったスタンスの反対運動が盛り上がっているようだ。これには、1人の国民として共感する一方で、憲法学者としては若干の違和感を覚える》 違和感の理由は、集団的自衛権が国際平和に貢献する問題意識から生まれたものだからと、木村氏はする。 《しかし一方で、政府が主張する集団的自衛権行使容認にはそのような崇高な理念は感じられない。日本の利益ばかりを優先して、他の国々のことなど念頭にないように思える》 《だから「戦争法案だ」と直感的に非難するのは、正しいのだろう。こうした直感的な言説は、多くの共感を生み、現に、市民による反対運動は広がりを見せている》 私が共感したのは、ここから先だ。 《ただ、ここで気になるのは、直感による言説は、共感は呼んでも説得はできないということだ》 《「これは戦争法案などではない」と考える人を説得するには、自分たちの感じていることに対し理論によって形を与えることがどうしても必要だ》 《また、直感に基づく行動力は、強い情熱によって多くの人を惹きつける一方で、時の経過と共に冷めやすい》 《憲法学の理論は、多くの国民が感じている政府への直感的な不信感に、理論としての形を与える。ぜひこれを共有して、これからの日本がよりよい方向に進むよう、政府を監視するために役立ててほしい》 木村氏の「直感」という部分を「エモーショナル」と表現して批判するのが、堀江貴文氏だ。堀江氏は9月17日付けのブログ「私がSEALDsをdisる理由」で、 《なんで私がこれだけ彼らの行動をしつこくdisるのか。それはこういう小さい動きから国全体が間違った方向に導かれる事が多いからだ》 とし、 《そして、デモに参加してる人たちの多くは法案を理解せず、本気で戦争になると思って参加してる雰囲気に流される人達だ。こういう人は、得てして例えば戦争になったら戦争を煽る方向に行ったりする。戦争中は朝日新聞だって戦争を礼賛していたよね。論理的に間違っている事を盲信して、雰囲気に流されて体が動いてしまう人は私は危険だと思う。だからしつこく否定する》 さらに翌18日のブログでは自分に罵声を浴びせてきたツイートを紹介した上で、 《安保反対派の多くにこのような人達が多いということ。つまり事実誤認に基づくセンセーショナルな言説に飛びつき間違った行動をしてしまうのである。わたしは散々そういうことをやられてきたので切実にそう思う》 《わたしは少しでもロジックがエモーショナルな言説に負けないように努力したいと思う。》 と結んでいる。 私自身は国会前の集会を一度見物に行っただけだ。中年の「元革命闘士」みたいな人たちが交通整理しているだけの警官に罵声を浴びせているのをあちこちで見掛けて、げんなりして帰ってきた。そのことをツイートして批判するツイートをもらったこともある。だから堀江氏の言いたいことも、わからないではない。 私は「直感」と「エモーショナル」な言動にはついていけなかったわけだが、しかしそれでもなお、SEALDsの行動には問題を顕在化するという一定の効果はあったと思う。またそもそも反対運動の大きな契機になったのは、6月4日の衆院憲法審査会で長谷部恭男氏、小林節氏といった有力な憲法学者が安保法案の違憲性を指摘するという「ロジック」だったことも忘れてはいけない。反対派の運動は「ロジック」から起こり、「エモーショナル」な「直感」で広がったと思う。安保法案の反対集会で小林節慶応大名誉教授の講演を聴く参加者=8月30日、秋田市 反対派はこれから「エモーショナル」なステージから「ロジック」のステージに移らねばならない。 堀江氏はブログの最後に、ジャーナリストの佐々木俊尚氏のこんなツイートを紹介している。 《一昨日からずっと考えてるのは、ロジックはエモーションには結局は勝てないなあということなんですよね。どうすればロジックをきちんと構築しつつエモーションを回収できるような受け皿を用意できるのか。私には答はありません。本当に無力…。》 その「受け皿」が憲法学であり、これから提起される違憲訴訟になるではないか。報道によると、先述の小林節・慶応大名誉教授らは、憲法前文の「平和的生存権」が脅かされた国家賠償請求訴訟を検討しているという。もし実現すればかつてない憲法訴訟になる。 そんな訴訟をしても勝てっこない、意味が無いという見方もある。だが訴訟が提起されてそこで「ロジック」が展開され、それが繰り返し報道されていくことで、人々の注目を喚起させることができる。具体的には来年の参議院選挙の投票行動に結びつけられる可能性がある。 国会前で若い子が身体を張ったのだ。次はペンを持ったおっさん、おばさんの出番ではいなか。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ「憲法学者」■ 戦争を回避することがでなかった理由を紐解く『昭和史講義』■ 安保法案反対の上野千鶴子氏「女性も戦争に行く時代になる」■ 香山リカ氏 憲法改正の盛り上がりは不安からの逃避に見える■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「再稼働に反対」

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    成立した安保法を今後「骨抜き」にすることはできるのか?

    一報を聞き、「次の試合に勝つしかない。選挙に行こう。(安保法の)賛成議員を落選させよう」と訴えた。「安全保障関連法に反対する学者の会」も20日に会見し、「これからは賛成議員の落選運動だ。自民党、公明党は戦々恐々としているはずだ」(メンバーの一人)と指摘した。 選挙によって反対する議員が国会で過半数を占めれば、安保法の「廃止法案」を可決することができ、一度成立した法律も撤回することができる。学生団体らは今後、賛成議員の地元などで「落選運動デモ」を起こすという。 また、憲法学の権威である小林節・慶応大名誉教授は「安保法は違憲」だとして訴訟を起こす準備を進めている。「“憲法の番人”と呼ばれる元最高裁長官の山口繁氏が9月上旬に安保法は違憲という見解を示したインパクトは大きい。現役の裁判官も元トップの意見を真っ向から否定しにくいからだ。最高裁での判断には数年かかるかもしれないが、もし違憲判決が出れば法改正は必至だ」(政治ジャーナリスト) ビートたけしは安保法成立についてこう持論を述べた。「へえ、へえって(頭下げて)、『法律で決まってませんよ』と言いながらそっと裏で汚ねえことしてたほうが日本らしい(中略)『法律で決まってんだ』って言ったって、そううまくいかないよ」(TBS系『新・情報7days ニュースキャスター』) もし政府が安保法で自衛隊を海外派遣しようとしても、その都度、大規模な反対運動が起きるなら、支持率低下や落選を恐れる議員たちは派遣を躊躇するに違いない。成立した法律でも“骨抜き”にすることはできるのだ。 永田町には「国民は数か月すれば忘れる」という“伝説”があるという。反対デモの熱量をいつまでも忘れないこと、それがまずできることだ。関連記事■ 国会前デモ報道のNHK 報じないことにデモ起こされたためか■ 自民党執行部 党内やメディアに厳重な「言論戒厳令」を敷いた■ デモは出会いの場 全共闘世代の武勇伝に女子大生「すごい」■ 安保法案強行採決に首相側近 「支持率下落は想定の範囲内」■ 安保法案に反対する学者たちが「ケンカを買った」 その余波

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    改憲派も護憲派もまじめに考えてほしい戦争のこと

    柳澤協二(元防衛省幹部、国際地政学研究所理事長) 安保法制は戦争法案か平和法案か、という確執があった。安保法制は、重要影響事態や国際平和共同対処事態といった認定を前提として、米軍の軍事行動への後方支援(重要影響事態法)、多国籍軍の軍事行動への後方支援(国際平和支援法)ができるようにする一面を持っている。こうした軍事行動を戦争と呼ぶなら、後方支援という形であっても、それに「参戦」することを可能にする法律は、戦争法案と言って差し支えなかろう。 一方、政府の言い分は、そうすることによって結果としてより大きな平和が達成されるという意味で、平和法案だ、というものだ。 そもそも戦争とは何か?戦争とは、国家の組織的暴力による他国に対する強制である。それを防ぐための「抑止力」とは、より強力な暴力を顕示することによって、暴力の使用を思いとどまらせる試みである。その意味で、戦争と平和は、力の優劣という同じコインの表裏にすぎない。絶対的平和は存在しない。それゆえ、平和を継続したければ戦争に備えなければならない。それが、リアリストの見る世界である。抑止力を強調するのであれば、「我が国は戦争を決意している。ゆえに手出しをすれば手痛い目に遭うぞ」ということを、胸を張って言うべきなのだ。 我が国は、戦後70年間、米国という人類史上最強の覇権国の庇護に頼る一方、激烈な勢力争いの世界の中で、戦争とは一線を画した「平和」を享受してきた。戦争は、日本の戦争ではないと認識されていた。それは、戦争を否定する憲法と、それ以上に「戦争だけはやってはならない」という時代精神のもとで、現実に存在する戦争から自らを疎外した結果であり、対米従属という代償を気にしなければ、すべての国民にとって居心地の良い平和であった。 例えばベトナム戦争において我が国は、米軍の出撃拠点であったが、米軍の行動に関与しない姿勢を貫くことによって、自らが戦争に関わっているという居心地の悪さを感じないように努めてきた。陸上自衛隊相浦駐屯地の西部方面普通科連隊が本拠地での訓練を公開。注目度は高く、多くの報道陣が取材に訪れた=7月16日、長崎県佐世保市(鈴木健児撮影) 今日、米国の力に陰りが見える中で問われているのは、平和をどう守るかということと同時に、日本が戦争に手を汚さないという居心地の良さを享受し続けることができるかどうか、あるいは、戦争からの疎外を克服し、自ら戦争に関わることをもって居心地がよいと感じるようになるべきなのかどうか、ということだ。 安保法制を巡る議論の中で、居心地の悪さを象徴するのは、自衛隊員の戦死のリスクである。政府の答弁は、リスクが増加することを否定する趣旨のものだった。それは、戦死が、今日の日本社会にとって不都合な、居心地の悪いものであることを認識しているということだ。 自衛隊員が一人も戦死してはいけない、という命題は正しい。だが、国土防衛戦を考えれば、それはあり得ないことでもある。自国防衛に関する国民と自衛隊の覚悟は、一応できていると信じたい。問題は、外国で、日本の防衛と何らかの意味でつながりはあっても、日本の防衛そのものではない任務のために隊員が犠牲になることをどう認識するか、ということだ。それは、名誉なものとして伝えられるだろう。だが、その名誉は、どこから生まれて、どの程度共有されるのだろうか。混乱する戦争の価値観 武士の時代には、戦争は、君主の戦争であると同時に、武士を支配階級であらしめるための機会であり、社会の圧倒的多数の構成員から区別する特別な様式を伴っていた。 武士は、武士であるがゆえに犠牲を受け入れ、それを名誉なものとした。 第2次世界大戦は、高度に産業化され、組織化された国民国家の戦争だった。そこでは、国家は、その構成員たる国民と同義であり、国家こそが国民が共有する最高の価値の象徴だった。戦争は、それぞれの国民にとって祖国防衛戦争であり、あらゆる犠牲を払っても達成すべき目標とされた。前線と銃後を問わず、献身と犠牲は、国民を国民たらしめる様式となっていた。 大戦における連合国の勝利は、価値観において、全体主義に対する民主主義の勝利と総括された。それは、勝利と敗北を特定の国家に帰属させるよりも、国家と国民を同一視し、国家への無限定な献身や犠牲を正当化するイデオロギーを否定することによって、敗者にとっても受け入れ可能な平和をもたらそうとしたものだった。敗戦国日本の国民は、その平和を受け入れ、戦争放棄の時代精神を形成した。 その後も、冷戦を通じて、全体主義と民主主義の対立は継続した。社会主義体制という絶対悪に対する民主主義という絶対善の戦いである。そこでは、国家は、国家であるがゆえに善なのではなく、自由と民主主義を追求するがゆえに善と認識された。米国は、その善を掲げて幾多の戦争を行ってきた。日本はそれを支持し、支援したが、戦争という「悪」に自ら手を染めることは避けてきた。 今日、我々の前にあるのは、イスラム過激派という、自由と民主主義を否定する非国家主体である。対テロ戦争は、911に起因する米国民の熱狂が引き金となった。国家という枠組みを否定する敵に対して、従来通りの国家の軍事力で対抗しようとした戦争である。軍事力によってイスラム国を殲滅することは、おそらく可能だろう。だが、国民国家を否定するイデオロギーは、別の形で、再び戦いを挑んでくるに相違ない。イスラム国をめぐって、いまだに大国のエゴがまかり通っている現状から見れば、国際テロに対する国民国家の勝利という「世界最終戦争」を展望することは難しい。 我々に問われているのは、手段としての軍事と非軍事の組み合わせ、主体としての国家の限界の克服、理念としての自由・民主主義の異なる文明との共存である。こうした戦争をめぐる価値観の混乱の中で、犠牲を正当化する価値観がいかに生まれてくるのだろうか。 今や戦争は、国家への奉仕や民主主義への情熱でできる時代ではなくなった。新たな戦争の、そして戦死を受け入れる論理は、人類史の将来につながるかどうかで判断されなければならない。その答えが見つからない限り、戦後享受してきた居心地の良さも、居心地の良い犠牲を求めることも不可能であることを、改憲派も護憲派も、覚悟しなければならない。 再び政府の言い分を聞こう。政府も、「国のために犠牲になれ」とは言えない。政府が言うことは、突き詰めて言えば、「よその国が戦死者を出しているときに日本だけ犠牲を覚悟しなくていいのか」という論理だ。だが、日本が犠牲を出さないことによって屈辱感を味わってきた「湾岸のトラウマ」は、外交関係者に共有されていたとしても、国民に共有されているわけではない。なぜか?それは、国民にとって他人事であったからにほかならない。 護憲派も改憲派も、自衛隊という「マシン」に降りかかる運命を、自分のこととして考えたことはあるのだろうか。自分の息子が犠牲になろうとするとき、親として、どのようにそれを正当化してやれるのか、という視点で考えたことがあるのだろうか。そして、「隊員のリスクは増大しない」と繰り返す政府の言い分からは、その答えは見つかるはずはない。

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    ちゃんちゃらおかしい朝日の「自衛官同情論」

    日新聞などの風評に毒されて「内間」「反間」を疑わせる議員もいます。 本論では、朝日新聞の報道を中心に安全保障関連法案に対する「間」ぶりを検証します(以下、「声」は読者投稿欄、「社」は「社説」、「天」は「天声人語」を指す)。中国の軍事的脅威を無視 軍事的脅威は、相手の国を侵略し得る能力、侵略しようとする意図、侵略を許す環境条件が整った時に生じます。が、朝日新聞の「社説」は中国に阿り、中国の軍事的脅威をオブラートに包み、具体的に報道しません。(1) 能力(軍事費、兵力、兵制) 朝日新聞は3月6日付社説で「中国国防費」について、見出しに「これで責任ある大国か」を掲げていましたが、中身を見ますと、《8868億9800万元。日本円にすると、17兆円近い。日本の防衛予算のゆうに3倍を超える規模である。……90年代以降、中国は毎年、国防費を10%前後、時にそれ以上の伸びで増やしてきた》 と述べていますが、急激に増大させている具体的な状況や兵制については説明しません。 朝日新聞は繰り返し、安保法制は国民の理解を得ていないと主張していますが、朝日新聞の記述では敵を知ることはできません。朝日の読者が法案の必要性を理解できないのも納得できます。 中国は国防費を平成元年度から、22年度を除き、毎年二ケタ増大させ、3月5日に発表した27年の国防予算は前年実績比10・1%増の8868億9800万元、日本円に換算すれば約16兆9千億円、わが国の防衛関係費、約4兆9800億円の約3・4倍です。 公表額には、研究開発費や外国からの兵器購入費などの全てを含んでいないと指摘され、アメリカの国防総省などの発表を総合すれば、実際額は公表額の2~3倍と見られています。 平成26年版防衛白書は、中国の「公表国防費の名目上の規模は、過去26年間で約40倍、過去10年間で約4倍となっている」と記述しています。兵役は苦役なのか兵役は苦役なのか 中国は膨大な軍事費に裏付けされた核兵器、各種類・各射程の弾道ミサイル、空母をも保持しています。さらに注視すべきは、人口が13億人を超え、徴兵制で兵隊は無尽蔵、兵役を「神聖な責務」「光栄ある義務」として軍人に敬意を表し、十二分の侵攻能力を保持していることです。 ちなみにわが国では、朝日新聞や民主党や共産党が、安保法制が成立すれば「徴兵制になる」と叫び、国防の任に就きたくない国民の不安を煽っています。 一方、安倍首相は7月30日の参院平和安全法制特別委員会で、自民党の森雅子氏の「子育て中のお母さんと話すと、『徴兵制になるんじゃないの』という声を聞く」(7月31日付朝日新聞)との質問に対し、 「徴兵制は憲法が禁止する意に反する苦役で、明確な憲法違反だ。今後も合憲になる余地は全くない。政権が代わっても導入はあり得ない。自衛隊はハイテク装備で固めたプロ集団で、短期間で隊員が入れ替わる徴兵制では精強な自衛隊は作れない。G7諸国で徴兵制を取っている国は一つもない」(同日付産経新聞) と答弁しました。 安倍首相の答弁にあるように、G7諸国は現在、志願制です。しかし憲法で徴兵を禁じている国はなく、徴兵、志願を問わず、「兵役を苦役」としている国もありません。 わが国の憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」は、米国憲法修正第13条「奴隷又は意に反する苦役の禁止」から流用したものです。米国憲法修正第13条は、奴隷制度が廃止された1865年に成立したものです。 マッカーサー元帥から短期間に憲法原案の作成を命ぜられたわが国の実情に疎い米軍人が、わが国にも奴隷がいると勘違いし、原案に導入したのでしょう。米国は昭和48年から志願制にしましたが、修正第13条をもって兵役を苦役とはしていないことは、それ以前は徴兵制だったことからも明白です。ドイツは平成23年7月1日から徴兵制の運用を停止していますが、基本法(憲法)上は現在も徴兵です。 軍隊はハイテク装備だけで構成されているわけではなく、経験が豊富でない徴兵された兵隊でも役に立つ分野がたくさんあります。 自衛官にも配偶者、子、親がいます。最高指揮官たる首相の「兵役は苦役」発言を何と聞くでしょうか。言葉尻を捉えて追及する野党や朝日新聞が「兵役は苦役」発言を問題にしないのは、外国では尊敬されている兵士(自衛官)を尊敬せず、心の底で蔑んでいるからではないでしょうか。(2)意図(南シナ海問題) 中国は虎視眈々とアジアの支配を狙っています。その手段の一つが、南シナ海の占有です。が、朝日新聞の社説は中国の侵攻意図に無関心です。たとえば、次のように報じています。●「南シナ海の問題もあくまで平和的に解決しなければならない。抑止力を振りかざす前に『法の支配』を浸透させる外交努力を最優先すべきだ」「万が一にも軍事衝突にいたれば、日中両国は壊滅的な打撃を被る。その現実感を欠いた安保論議は危うい」(5月20日付)●「中国の動きを受け、東南アジア各国が海軍力の強化に動いているのも心配だ。フィリピンは実効支配する島で軍事基地を強化し、ベトナムも岩礁の埋め立てをしていると伝えられる。中国を牽制する米軍の行動も緊張を高めかねない」(6月2日付)●「南シナ海を『対立の海』にしてはならない。シーレーン防衛は本来、国際社会として取り組む課題だ。長期的には、日米豪、東南アジア諸国連合(ASEAN)、さらに中国も加える形で協力しなければ安定した地域秩序は築けない。そのために日本がどんな役割を果たすべきなのか。聞きたいのはそんな本質的な議論だ」(7月14日付) 朝日新聞は、周辺国の抗議を無視してどんどん埋め立てを行ってシーレーンを脅かしているのが中国であるにもかかわらず、中国を代弁する発言に終始しています。(3)意図(尖閣諸島侵犯、東シナ海問題) 中国海警局の船が尖閣諸島周辺の領海を侵犯した日数は、今年に入って22日(8月2日現在)、領海外側にある接続水域の航行を含めると、ほぼ毎日です。この状況を産経新聞はその都度、報じていますが、朝日新聞は接続水域の航行は無視、領海侵犯すら満足に報じず、中国の脅威を国民の目から逸らしています。 政府は7月22日、中国が東シナ海の日中中間線付近でガス田を急速に開発している状況を公表しました。中国の狙いは、地下で繋がっているわが国側のガスの盗掘と軍事施設の建造です。政府の公表を受けて、23日付で産経新聞は「主張」で「『緊張の海』を示す証拠だ」、読売新聞は「社説」で「実態公開して自制を促したい」と述べました。 しかし朝日新聞は中国の反応、「産経」の「主張」や「読売」の「社説」を見て、翌24日付「社説」で「不信の連鎖に陥るな」との見出しを掲げて、こう述べています。 「日本政府がこの時期に公表したのは、中国の脅威を強調し、安全保障関連法案への理解を求める意図もありそうだ。だが、東シナ海の軍事的な緊張を高めることは避けなければならない」 「不信の連鎖に陥ることは日中双方の利益にならない。安全保障上の対立をあおるより、今後の協力関係を発展させる糸口としなければならない」 不信を高めているのが中国であるにもかかわらずわが国だと言わんばかりです。人民日報の「日本支局」ではないか、と疑ってしまいます。(4)環境条件の変化(アメリカの相対的力の低下) 一方、アメリカの2016会計年度の国防予算案は約68兆7700億円(2月4日付読売新聞)です。中国の軍事費がアメリカを追い越すのも時間の問題です。相撲にたとえれば、アメリカを横綱とすれば中国は横綱直前の登り龍の東の大関です。 つまり、中国の侵攻能力、意図が日々高まり、アメリカの中国に対する相対的な力が低下しつつあります。アメリカに「おんぶにだっこ」式の国防は成り立たないのです。日本人であれば、抑止力の低下を危惧しなければなりません。にもかかわらず、民主党や共産党、朝日新聞などは、抑止力の低下の助長に熱中しているのです。心と反対の「自衛官同情論」心と反対の「自衛官同情論」 朝日新聞や左翼は、安保法案反対理由に、自衛隊員に危険が及ぶと叫んでいます。私は自衛隊に35年間、勤務しました。この間、左翼から「税金泥棒」「憲法違反」と誹謗されたことはありましたが、気遣っていただいた記憶はありません。安保法成立を伝える9月20日付の朝日新聞一面 それゆえ、「自衛隊員のリスク云々」を耳にしますと「心にもないことを言うな」と怒りが込み上げてきます。ちなみに、自衛隊員とは事務次官などの官僚、防大教授などの文官教官を含み、いわゆる「軍人」は自衛官と言います。ここでいう「自衛隊員」は「自衛官」というべきでしょう。「自衛隊員リスク」に関する朝日新聞報道の代表例を列挙します。(1)3月1日付「声」「自衛隊が攻撃される危険話せ」(2)3月22日付「声」「自衛隊員の命は保障されない」(3)3月26日付「声」「自衛隊の海外活動拡大は危険」(4)5月23日付「声」「自衛隊員の立場から安保考えて」(5)5月28日付「社説」「リスクを語らぬ不誠実」(6)同日付「声」「自衛隊員の命 軽く考えるな」 私はこれらの意見を聞いて、思わず吹き出してしまいました。過去、朝日新聞や左翼は、次に示すように逆の発言や行動をして、自衛官の誇りを奪っていました。(1)大江氏の防大生の人権侵害 安保法制反対を叫んでいる作家の大江健三郎氏は、私が防衛大学校入校直後の昭和三十三年6月25日付毎日新聞夕刊のコラムで、こう述べました。 「ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」 大江氏の働きかけが成功して、防衛大学校の志願者がなくなったり、自衛隊がなくなったりしていたら、東日本大震災などの災害救助にも著しく支障が出たでしょう。否、その前に、わが国は中華人民共和国の「日本自治区」となり、チベットやウイグルと同じように、漢族から迫害を受けているでしょう。相次ぐ自衛隊差別(2)日教組の自衛官の子いじめ 日教組所属の教員が職権を濫用して授業中、自衛官の子をいじめました。その一例として、産経新聞編集委員の大野敏明氏が、平成8年2月2日付産経新聞夕刊で「日教組の『自衛官の子いじめ』」「『人権』はなかった……」とのタイトルで詳述しています。一部を抜粋すれば、次のとおりです。 《私の父は自衛官だった。小学生も安保反対デモのまねをしていた60年安保騒動の翌年、小学校の四年生だった私は社会科の授業中、担任の女性教師から「大野君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなっても大野君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や安保をなくすために闘っているのです」と言われたことがある》(3)住民登録の受付拒否(昭和51年版「防衛白書」) 《昭和47、48年に、ある市で隊員の住民登録の受付が拒否されたことがあったが、……こうした事例は、偏見によるものであり、……隊員の基本的人権の侵害につながるもので……》(4)入学拒否等(同) 《防衛庁では、職務上の必要から、隊員を国内の大学院等において研修させているが、受験の際その辞退を求められたり、願書が返送されたりするといった事例は、昭和39年から46年までの間に、延べ約50人に及んだ。(中略)例えば某県であった例のように、自衛官であることを理由として高校通信課程の転入学を拒否され、あるいは大学入学後自治会学生等に一年間にわたってその通学を妨害され、現地の地方法務局に人権侵犯問題として申告した事例等がある》(5)国民体育大会の出場辞退(同) 《国民体育大会の県代表チームの選手として隊員が内定したことから、その隊員の出場辞退、出場取消し又はチーム全員の不参加を招いている事例がある》(6)自衛官を「罪人」扱い 平成20年2月、漁船「清徳丸」と海上自衛隊イージス艦「あたご」が衝突しました。朝日新聞は事故原因の全く不明の段階から、イージス艦だけに回避義務があるがごとく「あたご」と海上自衛隊を叩きまくり、検察は衝突時と衝突直前の当直士官を起訴しました。 が、裁判所は「あたご側に衝突回避義務はなく、両被告の過失は認められない」とし、無罪を言い渡しました。無罪判決を受けても、朝日新聞は謝罪しません。なぜでしょうか。学者の尻馬に乗る政治家学者の尻馬に乗る政治家 おためごかしの自衛隊員リスク論や首相のヤジ発言などで、肝心の安全保障の問題が一向に論じられないなかで降って湧いたのが、6月4日の衆院憲法審査会で、与党が推薦した参考人・早稲田大学教授の長谷部恭男氏の憲法違反発言です。法案潰しの材料に共産党、民主党、朝日新聞は飛びつきました。 朝日新聞はアリバイ工作のため、「声」にはごく少数の賛成意見を載せましたが、「社説」「天声人語」「声」を総動員して違憲、反対を連発しました。代表例は次のとおりです。(1)6月5日付「社」「安保法制」「違憲との疑義に答えよ」(2)6月6日付「社説」「『違憲』法制」「崩れゆく論議の土台」「天」「一内閣の勝手な解釈変更が通るなら、憲法などあってなきがごとし。立憲主義は空洞化する」「声」「安全保障関連法案は撤回せよ」(3)6月7日付「声」「憲法に反する法あってはならぬ」「憲法改正を堂々と問うべきだ」(4)6月8日付「声」「『憲法違反』の法律を作るのか」(5)6月9日付「社説」「『違憲』法制」「政治権力は全能ですか」「天」「憲法で政治権力を縛るという立憲主義そのものが危機に瀕している」(6)6月10日付「声」「憲法を法案に合わせるのは変」(7)6月11日付「社」「『違憲』法制」「また砂川とは驚きだ」(8)6月12日付「社」「安保法制」「違憲の疑いは深まった」(9)6月16日付「社」「『違憲』の安保法制」「廃案で出直すしかない」(10)6月17日付「声」「最高責任者こそが明白な危険」(11)6月19日付「天」「安保関連法案を『違憲』とみる憲法学者は多数だ」(12)6月23日付「社」「安保法案」「違憲の疑いは晴れない」「声」「安保法制 大きな弱点がある」(13)6月25日付「声」「国会審議で立憲主義を学ぼう」(14)6月28日付「天」「安保法制を明快に『違憲』と断じた長谷部恭男・早稲田大教授らの見解である」(15)7月10日付「声」「砂川判決は根拠にならない」(16)7月14日付「社説」「生煮えの安保法制」「有識者や市民団体が『憲法違反』の法案に対し、反対の声をあげ続けている」「天」「憲法学者の石川健治・東大教授が、雑誌『世界』で語っている。これは『法秩序の連続性の破壊』であり、法学的にはクーデターだった」占領軍に「させられた」 民主党や朝日新聞は「立憲主義」と叫びますが、憲法の制定過程に口を閉ざしています。 サンフランシスコ平和条約第1条は、こう定めています。 「(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。(b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」 つまり、条約の効力が発生したのは昭和27年4月28日ですから、それまではわが国と連合国とは戦争状態にあり、日本国民の主権はなかったのです。 それゆえ、昭和21年11月3日に公布、6カ月後の22年5月3日に施行された「日本国憲法」は、公布も施行も戦争状態中、主権がなかった時の出来事で、公布や施行は自主的に「した」のではなく、占領軍から「させられた」のです。 左翼は自衛隊を違憲と言い、自分たちは兵役に服さず、平和の恩恵だけに浴してきました。が、内心は「軍隊」がなければ国の防衛はできないと思っていたのでしょう。その証拠に、社会党は自社さ政権で、すぐに自衛隊「合憲」に転向しました。集団的自衛権の行使を違憲と主張する政党や学者などは、自衛隊違憲に戻るのが筋ではないでしょうか。 憲法の字句を一切変えず、世界有数の近代的装備を有する自衛隊をいつまでも「違憲」に放置できず、国家、国民は「合憲」としたのです。わが国の周辺状況の変化に伴い、集団的自衛権の行使も「違憲」から「合憲」に解釈を変更すべきです。 わが国民にいま、求められているのは、解釈を変えるか、頑迷固陋に従来の解釈にこだわり、チベットやウイグルのように中国の一部になるかの選択なのです。この選択の権限は、国民と無縁の憲法学者やマスコミにはなく、国民が政権を委ねた政府にあるのです。 解釈変更ではなく改憲すべきだ、との主張があります。改憲すべきは当然で、並行して進めるべきです。が、占領軍はわが国を半永久的に弱小国家に留めておくことが自分たちの国益と考え、改正が不可能に近い改正規定(96条)を設けたのです。 「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」は、「泥棒を捕まえて縄」よりも難しいのです。「中身が理解できない」「中身が理解できない」 朝日新聞や民主党、共産党などは、安保法制は国民の理解を得ていないと強調します。正直言いまして、防大に入校して定年まで自衛隊に勤務した私でも、理解するには苦労するところがあります。一般の国民が理解困難なのは、ある意味で当然です。 だから戦後体制からの脱却を目指す安倍首相を信頼するか、民主党内閣の大臣就任記者会見の際、国旗に敬礼せず、「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」の「祝賀式典」を欠席した民主党代表の岡田克也元外相や安保法制の参院特別委員会の野党筆頭理事の北澤俊美元防衛相を信頼するかの選択です。アメリカと一体となって国の防衛を目指す自民党を信頼するか、共産党と連携して法案に反対する民主党を信頼するかの選択です。 ちなみに北澤氏は防衛相の時、米軍駐留地を「迷惑な施設」と発言、「『信頼してくれ』という言葉だけで(日米同盟は)維持できない」と述べた連隊長を処分し、更迭しました。 60年安保騒動の時、私は防大の3年生でした。大学生のほとんどは共産党、社会党、朝日新聞など左翼に扇動され、「安保反対」「自衛隊反対」「戦争に巻き込まれる」と騒ぎ、授業が行われていた大学は、防大など僅かでした。 が、戦争に巻き込まれることはなく、自衛隊と日米安保で平和が保たれて経済的に大発展し、デモに参加していた学生は高額の収入や多額の年金を得て、優雅な老後を送っています。 東大の二年生で、「安保反対」「自衛隊反対」デモに参加していた加藤紘一氏もその一人です。父のあとを継いで自民党から衆院議員に当選、中曽根内閣の防衛庁長官になりました。 長官任務を終えて10年近く経った平成6年11月3日付の産経新聞で、「安保の中身を知っている者は百人に二人もいなかった」と自白しています。全学連の闘士だった西部邁氏や田原総一朗氏も、「当時、安保条約など読んだこともなかった」と告白しています。 朝日新聞は60年安保騒動時の報道を反省することなく、また同じ過ちを繰り返しています。軍人としての処遇を 安保法制が成立すれば、自衛官の任務は拡大します。自衛官には、少なくとも以下に示すような任務に見合った名誉と処遇を与えなければなりません。(1)兵役を神聖な任務 兵役を「苦役」ではなく、「神聖な任務」と位置付けるべきです。(2)勲章の充実 外国軍人と同じように、自衛官全員に現役中に叙勲を授与し、かつ新たに終身年金付の「防衛功労勲章」(金鵄勲章)を設け、年齢、階級に関係なく、任務遂行中、功績のあった自衛官に授与すべきです。アメリカでは、最高位の勲章は現役の軍人にしか授与されません。(3)戦死者の処遇 戦死した場合、靖國神社にお祀りして首相以下、全閣僚が参拝し、かつ十二分な「戦死手当」を出すべきです。(4)自衛官の位置付け 統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長、陸上自衛隊の方面総監、海上自衛隊の自衛艦隊司令官、航空自衛隊の航空総隊司令官を認証官に、外国の士官学校長が現役の軍人であるように、防衛大学校長を自衛官にすべきです。(5)捜査、起訴、求刑は自衛隊が 軍人の犯罪は、外国では軍法会議が裁きますが、わが国の憲法には軍法会議がありません。任務遂行中に自衛官が罪を犯した場合、少なくとも捜査、起訴、求刑は安全地帯にいる警察、海上保安庁、検察ではなく、自衛隊に付与すべきです。平成27年度自衛隊観艦式で護衛艦「くらま」の艦上で海上自衛隊の演習を観閲する安倍首相(中央右)。左は麻生副総理=10月18日、神奈川県沖の相模湾(三尾郁恵撮影) 戦後、わが国の政策の大転換は二つありました。日米安保の改定と消費税の導入です。いずれも朝日新聞や当時の野党が国民の不安を煽り、世間を混乱させました。 その結果、平成20年12月16日付朝日新聞夕刊によれば、岸内閣が安保改定した退陣前の支持は12%、不支持は58%、竹下内閣が消費税を導入した退陣前の支持は7%、不支持は84%でしたが、いずれの大転換も歴史上、高く評価されています。 安倍内閣の支持と不支持が逆転したとはいえ、その差は10%内外、民主党の支持率は衆院採決前と同様、自民党に大差をつけられています。民意に反するとの民主党や共産党の主張や朝日新聞の報道は、国民をミスリードしているのです。 衆院は民意を問うてから半年しか経っていません。昨年暮れの衆院選挙では、集団的自衛権の行使を含む安保法制も主要争点でした。選出されて2年と5年を経過した議員の集合体である参院で議決しなければ、直近の民意である衆院の3分の2以上の可決で成立させることが、国民に対する責務ではないでしょうか。かきや・いさお 1938年、石川県生まれ。62年、防衛大学校(第6期)卒。同年、陸上自衛隊に入隊。66年、大阪大学大学院修士課程修了。陸上幕僚監部幕僚、防衛大学校教授等を経て、93年、退官(陸将補)。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』『自衛隊が国軍になる日』(展転社)がある。

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    安保法制守って国滅ぶ! 日本の防衛は後退した

    倉持麟太郎(弁護士)安全保障法制の整備に賛成、ゆえに本法制に反対 日本国が日本国としてのアイデンティティを語るうえで、日本国は、国家それ自体として他の国家主体に依存することなく、その存在において、自立(self-standing)していなければならず、また、その国家存立の源泉たる国家意思形成において、自律(self-autonomy)的な国家意思形成が求められる。 雑駁に言えば、「自立」とは、他への従属から離れて独り立ちすることであり、「自律」とは、その存在主体の行動律のみに従って意思決定をすることである。 本来これらの概念は、日本国憲法上も個人の権利保障の文脈において語られてきたワードである。しかし、去る9月19日に成立した、いわゆる安全保障法制の成立過程において、内容及び手続の点で、大きな瑕疵を帯び、日本国の「自立」と「自律」を大きく毀損してしまった。 ここで想像してもらいたい。あなたが何もない砂漠で倒れている、水も食料もないが、所持金は1000万円である。そのときに、向こうからラクダに乗った商人が歩いてくる、死ぬ間際の幻か。商人は言う、「水を売ってあげましょう」「1000万円で」。あなたは自律的な意思決定に基づいて、その水を購入する。命がつながった・・・ さて、これは自律か。直感的に自律とは言えないと感じる。つまり、自律が成立する前提として死活的に重要な要素が、「多様で豊かな選択肢」なのである。 今回、安保法制を成立させるために、国家意思の形成過程は、多様で豊かな選択肢を提供することはできなかった。賛成と反対は分断され、そのそれぞれは、本法制が描く防衛体制を的確に認識することなく、賛成と反対を叫んだ。 後述するが、本法制が描く防衛体制自体は、我が国の個別的自衛権を減縮し、潜在的には同盟関係や国際社会の平和にも貢献しない、「自立」を阻害するものである。また、本安全保障法制の審理過程及び特別委員会の議決も、議題の特定もないまま、後に議事録を職権で添付するなどという、議院の自律というテーゼを根本から掘り崩した議会運営という点においても、国家の「自律」を毀損したといえる。 私は、日本国の存立のための防衛体制の構築及びそのための機能的かつ自律的な(日米)同盟関係の維持・発展は極めて重要なものと考えており、そのための安全保障法制の整備等は必要であると考えている。にもかかわらず、本法案には反対である。なぜか。法律家として、違憲の問題はもちろんだが、法案及び国会審議の結果として、我が国の防衛体制を後退させる内容となっているからである。 今回成立した安全保障法制によって、政府は、「日本国民の命と平和な暮らしを守るため、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能に」「国際社会の平和と安定への一層の貢献を可能に」「日米同盟を含め抑止力を向上。日本が攻撃を受ける可能性を一層なくしていく」といったメッセージを公式に発表している。 しかし、本法制及び今国会での政府答弁をつなげば、これらのメッセージを具現化する法制とはなっていないばかりか、今までの日本の防衛体制を後退させる内容になってしまっている。集団的自衛権や安全保障法制整備を推進すべしとの立場からは、「このような法案でもいまだ不十分であるものの、今までよりは前進した」といった評価がなされることがあるが、それは法案の条文を読んでおらず、国会答弁を分析していない言説である。以下、象徴的な論点及び答弁について論じたい。新たな後方支援によって個別的自衛権の範囲を矮小化新たな後方支援によって個別的自衛権(我が国防衛)の範囲を矮小化空中給油機KC-767(手前)が主力戦闘機F15に空中給油する様子を報道陣に初公開。同速で並んで飛行するF15=2013年11月27日午後、日本海上空(鈴木健児撮影) 一つ目に取り上げたいケースは、国会答弁でも何度も問題になった、日本がA国から武力攻撃を受けた場合、後方支援を行うB国に対し、個別的自衛権による武力行使が可能か、という論点である。 本改正法で、我が国は、新たに「後方支援」として発艦準備中の戦闘機への給油及び弾薬の提供が可能になったが、逆に、これを日本がやられている場合を想定したケースである。 従来(本国会まで)、政府答弁においては、日本に対して武力攻撃を加えるA国に後方支援を行うB国に対しても、自衛権の行使として武力行使ができると答弁してきた。以下、いくつかの従来の政府答弁を紹介する。 角田(禮)内閣法制局長官(当時)「…わが国に武力攻撃を加えている国の軍隊の武器を第三国の船が輸送をしている、それを臨検することができるかという点でございますが、一般論として申し上げるならば、ある国がわが国に対して現に武力攻撃を加えているわけでございますから、その国のために働いているその船舶に対して臨検等の必要な措置をとることは、自衛権の行使として認められる限度内のものであれば、それはできるのではないかというふうに私どもは考えております…」(昭和56年4月20日 4号 安全保障特別員会) 大森(政)内閣法制局長官(当時) 「…A国が我が国に対して武力攻撃をしている、B国がA国に対して、我が国がそのB国の武器を輸送している船舶に対して自衛権の行使ができるか、その理由はなにか、こういうことでございますね。・・・B国の行為がA国の我が国に対する武力行使と一体化している、したがってB国の行為も我が国に対する武力行使にあたる、そういう場合であるならば我が国は自衛権が行使できます。あくまで我が国に対する武力行使、自衛権発動の要件を満たすという状態に達しているならば自衛権行使ができますということを答えたものでございます」(平成11年3月26日 3号日米防衛協力のための指針に関する特別委員会) 高村外務大臣(当時) 「…A国に対するB国の後方支援と我が国の自衛権行使について一般論としてお答えをいたしますと、第三国であるB国がその国の行為として、我が国に対して武力攻撃を行っているA国を支援する活動を行っている場合について、B国のそのような行為が我が国に対する急迫不正の侵害を構成すると認められるときは、我が国は、これを排除するために他の適当な手段がなく、必要最小限度の実力の行使と判断される限りにおいて自衛権の行使が可能である、こういうことでございます」(平成11年4月20日 9号日米防衛協力のための指針に関する特別委員会) しかしながら、現政権は、今国会で、従前までの答弁を変更し、後方支援のみを行う国に対しては、武力行使をすることができないと答弁をしているのだ。【平成27年8月5日8号 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会】中谷元国務大臣 「我が国に対して武力攻撃を行っているのはA国ですよね、A国が日本に武力攻撃を行っている、そして、それを、後方支援がB国が行っているとしましたら、A国に対しては我が国としては個別的自衛権等に基づいて武力の行使を行うことはできますが、B国に対してはできないということでございます」藤末委員 「それができない理由を教えてください、法上の。じゃ、理由を教えてください、理由を。なぜできないかというのを教えてください」中谷元国務大臣 「三要件を満たしているかどうかということで、三要件をA国に対して満たしたということでございます。ところが、B国は後方支援を行っているということでございまして、B国に対してはできないということでございます」藤末委員 「どのようにその三要件を満たしていないか教えていただけますでしょうか」中谷国務大臣 「B国は我が国に対して武力行使、武力攻撃をしていないということでございます」【平成27年9月9日18号 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会】藤末委員 「A国というヘリコプターがある、そしてB国の艦艇が、魚雷と給油をしていますと。そして、そのB国の船が我が国の自衛隊の潜水艦の魚雷の射程に入ったときにそれを攻撃できないとおっしゃるのか、イエスかノーかでお答えください」中谷国務大臣 「我が国に対して武力攻撃を行っているというのはA国でありまして、B国の艦船は後方支援、これは給油を行っているのみでありまして、武力攻撃を構成していないということであれば、B国に対しては武力攻撃はできないと考えております」【平成27年9月11日 19号我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会】福山哲郎委員 「…A国は日本に違法な武力攻撃をしています。B国は、このA国の戦闘機に補給艦が同じように給油や弾薬を補給しています。このB国の補給艦に対して日本は自衛権を行使できますか」中谷国務大臣 「我が国に対して武力攻撃を行っているのはA国でございまして、B国は後方支援を行っているのみでありまして、武力攻撃を構成をしていないということであれば、A国に対しては我が国としては、国際連合憲章上、個別的自衛権に基づき武力の行使を行うことはできますが、B国に対してはできません」 このような答弁の変遷の理由は明確である。すなわち、冒頭に、本安保法制で、日本は「後方支援」として発艦準備中の戦闘機への給油及び弾薬の提供が可能になったと書いたが、我が国を攻撃してくるA国に給油及び弾薬の提供をするB国を、我が国の軍事目標となり、個別的自衛権の対象であるとすると、それは、B国の後方支援行為がまさに武力行使か、武力行使と密着する行為であることになる。裏返せば、日本がB国を攻撃できるとすると、日本が本法制でやろうとしている後方支援が、武力行使そのものか、少なくとも武力行使と「一体化」してしまうことを自白してしまうことになり、憲法9条1項が禁止する「武力行使」に該当してしまうため、政府は、口が裂けてもB国を攻撃対象とは言えないのである。 しかし、これは、違憲な後方支援を肯定したいがために、自国の個別的自衛権を矮小化し、自国防衛を犠牲にしているという深刻な問題を内包している。 答弁が変遷した理由は簡単で、今までは我が国がやりたい後方支援に発艦準備中の航空機への給油等が含まれていなかったため、日本が当該行為をすることが予定されていなかったから、これを行う敵国は個別的自衛権の対象として攻撃できたが、本法制で、日本が行う後方支援の内容として戦闘機への給油等を規定したがために、これを行う敵国は攻撃できないと答弁を変更したのである。専守防衛を掲げて70年の平和を享受してきた日本が、我が国防衛より優先すべき後方支援とはいったい何か。防衛大臣は有事での安全配慮義務違反で法廷に立つのか?防衛大臣は、有事での安全配慮義務違反で法廷に立つのか? 自衛隊を出動させる場合、防衛大臣には、「安全確保配慮義務」がある。これは、社会生活上特別の関係に入った当事者間で、法的に負う、特別に安全確保を配慮する義務だ。例えば、自衛隊員が、整備中の事故で亡くなったような場合、防衛大臣は、信義則上、安全配慮義務違反を負う可能性がある。 基本的に、防衛大臣が安全配慮義務を負うのは、平時(非戦闘状態)、のときのみで、有事(戦闘状態)のときは原則的には(信義則上発生する場合はあっても)安全配慮義務を負わない。有事の際は、平時と違い、安全配慮義務を観念してしまうと、すべての我が国防衛のための戦闘行為も安全に配慮しなくてはならなくなり、戦闘行為等が事実上十全にできなくなってしまうからである。 これを受けて、平時行動を予定している国際平和支援法等には、防衛大臣の安全配慮義務が明記されている。しかし、平時行動を予定し、「現に戦闘が行われていない現場」のみでの後方支援行動を規定した重要影響事態法には、安全配慮義務が明記されていない。これは、それこそ「有事」と同等の行動を予定しているから、武力行使と「一体化」をしてしまうから、安全配慮義務を明記できなかったのではないかと考えられるが、政府は、安全かつ円滑に活動できる「実施区域」を指定して安全を図るという。しかし、これは、法的には実施区域が安全か否かの判断にしか法的な安全配慮義務が及ばず、隊の一般的行動(装備・編成等)はカバーしない。さらに大問題なのが、本法制で、存立危機事態(=有事)においても後方支援をする場合があるとされている(米軍等関連行動措置法)。もちろん有事の場合であるから、安全配慮義務規定などあろうはずがない。安倍首相は、この場合も含めた本法案のすべての場合に安全配慮義務を貫徹したと言い、中谷防衛大臣も、有事における後方支援でも安全配慮義務を負うと答弁している(8月4日答弁)。これは明らかな虚偽答弁であるし、あってほしいと願いたいくらいである。この答弁で委員会がストップしたが、結局、“委員長預かり”として委員会は進み、9月11日の委員会で再回答がなされたが、虚偽を認めることなく、まったく同様の答弁を繰り返し、問題未解決のまま事実上の「放置」である。有事を想定している状態で安全配慮義務を負いながら戦闘行為を行うとすれば、法的には防衛大臣の安全配慮義務違反が頻発することとなる。そんな国防は聞いたことがない。防衛大臣は、法廷に立つ覚悟をもって答弁したのか。“限定的集団的自衛権”は抑止力を上げない 昨年の閣議決定及び本法案で政府が行使容認した集団的自衛権は「限定的集団的自衛権」である。これは、いわゆる国際法上の集団的自衛権とは違い、“我が国と密接な関係にある他国への攻撃”を自衛権行使の端緒にするものの、武力行使発動のためには、“我が国の「存立危機事態」”を根拠にする。政府が“自衛のための他衛”などと言っていたのはこのことで、他国防衛が本質の集団的自衛権のはずが、自国の状態を基準に「集団自衛権」と呼ばれる自衛権を行使する。このこと自体、例えば存立危機事態を認定し、存立危機事態防衛出動していた場合、自国の存立危機事態を脱しさえすれば、たとえ他国間の戦争が終わっていなくても、日本はそれ以上の自衛権行使は認められないため、「速やかに」引き返すこととなる。 集団的自衛権の抑止力とは、保険料支払いと保険の関係と似ている。保険料を払っているからこそ保険を受けることができるのと同じで、他国防衛に100%完全に協力する(保険料支払い)からこそ、他国は、我が国に有事があったときに集団的自衛権を行使してくれる(保険)という関係が成立して初めて「集団的自衛権行使による抑止力」が期待できる。にもかかわらず、本安保法案の“限定的集団的自衛権”は、「限定的」かつ、自国状態を自衛権行使の基準に措定するため、そのような効果は期待できないのである。この点において、政府による「集団的自衛権による抑止力の向上」という説明も、実現できない。今回の法案へ賛成する文脈で「集団的自衛権の抑止力」を理由にしている言説は、本法案の“限定的”集団的自衛権については、何ら語っていないものと判断してよい。 さらに、今国会で、政府は、集団的自衛権の行使の要件として、「同意又は要請」を要件とした。これも法文等には明記はなく、答弁だけによるものだが、この「同意又は要請」というのは、限定的集団的自衛権をさらに“使えなく”している。以下が、該当する答弁である。 【平成27年7月14日 21号我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会】岸田国務大臣 「まず、国際法上、集団的自衛権の行使に当たっては、武力攻撃を受けた国からの要請または同意があるということ、これは当然の前提だと思います。そして、これはあえて法律の上に規定する必要はないと我々は考えております。昨年七月の閣議決定にも明記されておりますように、我が国は武力の行使を行うに当たっては国際法を遵守する、これは当然のことであるという考えに立っているからであります。…そして、ニカラグア判決についてですが、ニカラグア判決は他国防衛説の考えに近いという説明をされる方がおられることは承知をしております。ただ、ニカラグア判決にしましても、伝統的な他国防衛説というのは、要請または同意、これを要件とは明確にしてこなかった、こういったこともありますので、完全に他国防衛説と一致しているとまでは言い切れないのではないかと考えております…」 これにより、例えば朝鮮半島有事のときに、明らかに日本が存立危機事態に陥ったとしても、韓国からの「同意と要請」が無い限り、存立危機事態防衛出動できないことになってしまう。参院平和安全法制特別委で答弁する中谷元防衛相(右)。左は岸田外相=8月11日(斎藤良雄撮影) 別稿でも書いたが、以上で描かれた我が国安全保障をまとめておきたい。 日本は、今まで(安保法制成立前まで)可能であった、我が国を攻撃してくる国の戦闘機に補給する後方支援国に対して個別的自衛権の行使をできず、補給路を断てないため、攻撃をされ続け、究極的には我が国を守れない。今国会で個別的自衛権の範囲が極めて限定されてしまった。わずかに行使できる個別的自衛権も、防衛大臣は安全配慮義務を負うという手足を縛られた状態で行使をする。また、「同意又は要請」を要求する限定的集団的自衛権は、“存立危機事態”という自国の状態を基準に発動するため、他国防衛には終局的には協力できず「集団的自衛権の行使による抑止力の向上」という命題の前提を欠く。一方で自国が存立危機事態に陥っていても、「同意又は要請」がなければ発動できない。 これらの一体どこが、日本の安全保障体制を向上させたのであろうか。むしろ、明らかに日本の防衛を後退させている。法案自体にも欠陥だらけだが、現政権の安全保障政策を「必要」と述べる人々は、果たしてこの答弁を踏まえた現政権の安全保障政策を本当に理解しているのだろうか。何度も強調したい、これら我が国防衛のためにできたことは、今国会でできなくなったのだ、本法制により、現政権によってできなくなったのである。安保法制の倒錯感安保法制の倒錯感 他国防衛の協力である集団的自衛権にもかかわらず、自国の「存立危機事態」を基準とするため、他国防衛に十全に協力できず、集団的自衛権から享受できる「抑止力」という果実を得ることはできない。他方、法的に「集団的自衛権」との建付けをとってしまったことから、自国の存立危機事態を基準にしているのに、他国の「同意又は要請」がないと存立危機事態防衛はできない。 また、そもそも、本法制では、海外の「領土・領空・領海」には入らずに(政府答弁)「存立危機事態」を速やかに「終結させなければならない」(事態対処法3条)とされているが、存立危機事態を本当に終結させようとすれば、領土等への侵入は必要であろうし、侵入せずに存立危機事態を終結させるなどというのは、いわば「目の前の肉を血を流さずに切り取ってみろ」としたベニスの商人的な、不可能な命題である。 これらも含めた、本法制の描く防衛体制に「賛成・必要」という立場が、このような背理を「賛成・必要」としているならば、かかる言説は、我が国防衛を真剣に考えているとは全く言えない。しかし、このような問題意識が賛成派から語られることがないことに、欺瞞と不誠実の念を禁じ得ない。 政府与党や本法案賛成派は、差し迫った防衛上の危機や、“待ったなし”とする安全保障環境の変化に対応するために、憲法論と法律論をとりあえず措くべきであり、「憲法守って国滅ぶ」に陥ってはいけないとしてきた。しかし、彼らが「賛成」したのが、上記のような“限定的”集団的自衛権及び本法制をめぐる国会審議の具現化なら、これ以上の倒錯感はない。まさに「安保法制守って国滅ぶ」である。 今回の法案の審議過程で、“賛成派”と“反対派”が完全に二分され、それぞれの側で一元化されてしまったことに、議論の不幸があったと考える。「抑止力」や「安全保障環境の変化」といえば賛成派、「違憲」と言えば反対派、本当にそうか。それぞれの立場にもかなりきめ細やかなグラデーションがあるはずである。それを何か運動論的に「まとまる」ことと、それを「まとまり」とみなして排撃しやすくするために、お互いにラべリングをしてしまったことにより、法案や政策、国会審議を論理的かつ緻密に分析することを放棄してしまった側面があるのではないか。 政府の側も、「レッテル貼り」などと逃げていないで、本法案の欠陥を認め、合憲の範囲内で、真に我が国安全保障に資する安全保障法制を整備すべきである。「なし崩し的」に、この法案を成立・運用すること自体を自己目的化することが、どれだけ権力担当者として不誠実なことかを認識していただきたい。 この法案という車は、外観こそ車のようではあるものの、エンジンも、ハンドルも、ブレーキも、はたまたタイヤも、ちゃんと備わっていない。何CCかというのを論じる以前に、この車は走らない。なぜそれを正面から認め、声を上げる保守がいないのか。このまま「なし崩し」的に運用されることは、国家の自立及び自律の観点からも、恥ずべきことであると考えないのか。私は、このような観点から、「安保法制守って国滅ぶ」と、我が国安全保障を真に大切と考え、声を上げたい。

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    これで横田めぐみさんを救えるか 特殊部隊、邦人救出論議に思う

    伊藤祐靖(海上自衛隊特別警備隊初代先任小隊長) これまで中東に住んだことはないが、私の知る限り、中東・イスラム圏の人の多くは、日本人を、我々の想像以上に信頼し、尊敬の念で見ている。中東の人からその話を聞いたときは、驚き、そして、なんとも誇らしい気持ちになった。 彼らが日本を尊敬する理由は、超大国ロシアに戦いを挑んだこと、そして勝ったこと、超大国アメリカと戦争をして、4年間戦ったこと、そして、その後驚異的な復興を遂げ、周辺国ばかりでなく、発展途上国に多額の支援をしていること。更に、宗教的にも何ら衝突はなく、何より、ヨーロッパ、アメリカの人々とは違い、妙な下心がなくて信頼できる、ということだった。だから、「中東のゴタゴタは、第一次世界大戦以来、積年の恨みがある白人が絡むと絶対に解決できないが、日本人が介入すればできるかもしれない」とも言っていた。 この国にしかできない国際貢献に対する義務、というものも強く感じた。そして、彼らが日本を語る時、一番時間をかけ、熱く語るのは、ロシア、アメリカという超大国に挑んだということだ。国家としてギャンブルをしたわけではない。無謀国家なわけでもない、ましてや好戦的過激国家でもない。彼らが日本を尊敬する核の部分は、日本が“国家として消滅する”ことを覚悟してまで、正しいと信じる道を貫こうとした点なのだ。それは、現在の日本に最も欠けているものだと思っている。 日本の外交といえば、人道支援を基軸とした平和外交をポリシーとしている。一部の人は平和憲法の影響と言うが、私は建国の理念“八紘一宇”の思想が生きているからだと思っている。しかし、今年1月のカイロにおける安倍首相の演説「イスラム国と戦う、周辺各国に支援を約束する」を聞いた時は、建国の理念との隔たりを感じ、強烈な違和感を覚えた。そして、今から約25年前のある出来事を思い出した。この時点では、それから僅か3日後、2名の日本人拉致映像が公開されるとは想像だにしていなかった。米空母の上で気付いた祖国の姿 私は、日本体育大学を卒業後、海上自衛隊に2等兵として入隊し、艦艇乗組員として勤務した。その後幹部になったが、20年在籍し、前半を艦艇乗組幹部、後半を特殊部隊先任士官として勤務した。それは幹部になって3年目、まだ26歳だった時の事である。あまり英語の得意でない指揮官の通訳のような立場でアメリカ海軍の空母に約1カ月乗艦した。8000人を上回る乗艦者の中には、軍服を着ていない人や女性も居た。学者や輸送航空機の搭乗員である。艦内にはジムはもちろん、教会、図書館、裁判所、刑務所、病院、郵便局、スーパーマーケット、2つの士官用食堂、3つの下士官用食堂などあらゆるものがあり、ないものといえば酒を飲ませるところくらいであった。 私はいわゆる中尉で、指定された部屋は、3人部屋だった。白人で西部劇が大好きな大尉と黒人で主に艦橋で勤務している中尉がルームメイトだった。 階級も勤務場所も同じで、年齢も私の一つ下だった黒人とはすぐに仲がよくなった。ところが、ひょんなことがきっかけで、彼と口論になった。《中尉 日本人は、黒人の歴史を知らないからな、お前のおじいさんは人間から生まれただろ? 私  ああ、当たり前じゃないか。お前のじいさんは違うのか? 中尉 俺のじいさんは人間から生まれたんじゃない》 お互いけんか腰になってきていたので、アメリカ人特有のジョークで場を和ますつもりなのかと思い、問い返した。《私  へ~じゃあ、何から生まれたんだ? 中尉 俺のじいさんは、人間じゃなくて奴隷から生まれたんだ。鍵ってものは内側から自分で閉めるもんじゃない。外側から白人に閉められるもんだ。食べたいもの? 好き嫌い? そんなものない。白人から与えられる餌を食べるんだ! 私  …………》 絶句した。「鍵は、外から閉められるもの」「与えられる餌」あまりにも衝撃的だった。《中尉 奴隷解放っていつだか知ってるか? 私  知らない》 けんか腰で、大声でしゃべっていた私は、急に声が小さくなっていた……。《中尉 日本人は知らなくてもいいんだ。関係ないからな。でも、俺が生まれる100年前だ》 そうか、こいつは俺の一つ下だから、生まれる100年前といえば1865年。明治維新のほんの3年前か…。《私  そんなに最近なのか…… 中尉 でも、俺は海軍中尉だ。白人に命令をしている 私  お前のじいさんは、自分の孫が白人に命令していることを知ってるのか? 中尉 知ってる 私  どうなんだ? 奴隷から生まれた自分の孫は白人に命令をしてるって? 中尉 夢だ。そのうち、黒人の大統領だって出るかもしれない》 アメリカ合衆国初の黒人大統領バラク・オバマが誕生したのは、この18年後だった。 その次の日、昼飯を食べていると仲良しのネイティブアメリカン(以下NA)が私の隣に座ってきた。食事をしながら喋っていたら、ふいに問い掛けてきた。《NA お前は、何で奴(同部屋の黒人)と一緒にいるんだ? 私  ルームメイトだし、ランニングメイトだからな(※ランニングメイトとは、年齢も階級も近い世話役を示す俗語) NA そんなに一緒じゃなくたっていいだろ? 私  ん? NA 奴は、黒人だぞ!》 前日、奴隷の話を聞いて衝撃を受けていた私は、似合わない正義感が湧いてきた。《私  黒人だから何だ! NA あいつは、黒人だ。黒人っていうのはなあ、生きていたいからって奴隷になったような奴らなんだぞ 私  …… NA 俺たち黄色人種は、そんなことしない。日本人だってしないだろ 私  しない…… NA そうだろ。誇りがあるんだ。ネイティブアメリカンは、奴隷になることより、死ぬまで戦うことを選んだ。だからほとんど生き残ってない。日本人だって、屈服することよりも死ぬまで戦うことを選んだじゃないか 私  ああ NA マッカーサーは逃げたけど、イオージマ、サイパン、日本兵は全員死ぬまで戦った。カミカゼはアメリカ海軍の空母に突っ込んでいった。爆弾を身体に括り付けた兵士が戦車の下に飛び込んだ。本土を焼かれても焼かれても戦い続けた。原爆。それも2発もだぞ、落とされて、国土を民間人もろとも焼き尽くされ、弾も銃も無くなると女性が焼け死んでいる赤ん坊を背負って竹槍で向かってきた 私  わかってる……》 たまらず、止めた。予想だにしない展開に混乱した。黒人を差別するのかと思ったら、確かに差別だったが、切り口が違った。生きていたいがために戦いを放棄する奴らだと言いだし、大東亜戦争での日本人の戦い方を引き合いに出した。日本人は、命より大切な誇りの為に戦った、だからああいう戦い方になるんだ、と言った。《NA その国の戦士のお前が、何で黒人と仲良くなれるんだ!》 彼はどんどん興奮して、けんか腰になっていった。 前日、黒人から奴隷の話を聞いていなかったら間違いなく意気投合し、以後黒人を忌み嫌いしゃべらなくなったと思う。しかし、奴隷の話を聞いた翌日に、黒人を貶むような言葉を聞き流す気にはなれなかった。《私  お前は、黒人の悪口言ってるけど、その黒人と同じアメリカ海軍に属して、同じ空母に乗ってるじゃね~か。インチキアメリカ人なんかやってね~で、独立戦争しろ》 頭が混乱して、喋るのが面倒になってきた私は、コブシの喧嘩に持ち込む気満々で煽った。ところが、さっきまで興奮してけんか腰だった彼は急にうつむいた。《NA ……そうなんだ……》 今まで身振り手振りで振り回していた手をテーブルに置いたかと思うと、その手に彼の涙が滴り落ちていた。私も彼に触発されて、血の気が上っていたが、急に胸を締め付けられるような苦しみを感じてもらい泣きしそうになった。《私   すまなかった……》 小さい声で言うのがやっとだった。本当は、もっと多くの言葉で謝罪したかったが、これ以上何か話すと涙がこぼれそうで喋れなかった。民族の持つ深い歴史を知りもしないのに、取り返しのつかないことを言ってしまったと思った。 二人とも食事なんかできるはずもなく、隠さずにこらえずに堂々と涙を流している彼の傍らで私は、天井を見上げては、長~く目をつぶったり、まばたきをたくさんしたりしながら考えていた。 「俺にあんなこと言う資格はね~。俺こそ、こんなところにいていいのか? 今俺が乗ってるのは、わずか50年前に先輩たちが特攻機に乗って突っ込んでいったアメリカ海軍の空母なんだぞ。特攻の映像は白黒だが、あの時の海も今と同じ色だったし、空も同様に青かったんだ。突っ込んでいった先輩は、何を守るために命を捧げたのか」 そして、今の日本という国の姿を正視していない自分に気づいた。俺こそ独立戦争をすべきなんじゃないか? その証拠に、彼は堂々と涙を流したが、私は流せなかった。それは民族の持つ悲しい歴史を正面から受け止めている者と、見て見ぬ振りをしている私の違いであるように思えてならなかった。なぜ北朝鮮による拉致被害者ではないのかなぜ北朝鮮による拉致被害者ではないのか 私は、どんな国へ行っても、何をしている人でも、喋った相手は、みんないい奴に見えてしまう。だが、私のような経歴の人間がいい奴ばかりに囲まれて生きてこられるはずもなく、私に悪意を持ったり、やっかんだり、人種差別をした奴だって多くいたに違いない。鈍感な私が気づいていないだけだ。その信じがたいほど鈍感な私でも、事情をよく知りもしないのに、どちらか一方に加担することの愚かさだけは、身に沁みた。そして、その事情を理解するということは、簡単なことではなく、同じ時間を、同じ空間で、しかもかなり長い期間を、共に過ごさないと理解なんかできるものではない。 今もアメリカ海軍の空母には、白人も黒人もネイティブアメリカンも乗り組み、あの時と同様の人間関係があるのだろう。皮肉なことに黒人もネイティブアメリカンも、それぞれの民族に誇りを持ちながら、民族の歴史を認識しながら、自分たちを屈服させたイデオロギーを、更に他の民族に強要する行為の最先鋒を担っている。片棒を担ぐどころではなく、ほぼ張本人になっている。それは、彼らが「独立した国家」を持たないからだ。黒人は、アフリカの地で暮らしていた自分たちを・かっさらってきて・アメリカ合衆国に連れ込み、奴隷として売買した者を恨み蔑んでいたし、ネイティブアメリカンは元々自然と調和して豊かに生きていた自分たちを消し去った奴を嫌っていたが、その忌み嫌うやつらの空母に乗っていた。 あの時の私の「お前は、黒人の悪口言ってるけど、その黒人と同じアメリカ海軍に属して、同じ空母に乗ってるじゃね~か。インチキアメリカ人なんかやってね~で、独立戦争しろ」という言葉は、思い出すだけで身震いするほど、愚かで恥ずかしい発言だ。しかし、間違っていない部分もあると思う。そして、あの言葉はむしろ私自身に向けるべきものでもあった。あの時、本当に考えなければならなかったのは、自分のことである。 「俺は、これに乗ってていいのか?」「俺が乗っている空母に爆弾を積んで突っ込んでいった先輩は、日本が日本の理念でものごとを決断し、実行できる国のかたちを守ろうとしたのではないのか?」 あの時、少しは頭をよぎったものの、保留状態にしてそこで止まってしまっていた。 だが、安倍首相の演説に強烈な違和感を覚えて、思い出したあの時の出来事の本質はここにあると思っている。首相が日本の理念でものごとを決断し、発言しているとはとても思えなかったから、違和感があったのである。どう考えても日本にとって最優先すべき対象は、北朝鮮による拉致被害者だろう。無理やり、あるいは騙されて拉致された彼らを放置しておいて、再三にわたる渡航自粛要請を無視し、自分の意志で、自己責任と宣言して行った人の事件をきっかけに法整備を進めると言ってみたり、必ず償わせると言ってみたり。彼ら2名をどうでもいいと言っているのではない。誰がどう考えたって、優先順位がおかしいだろうと思うのだ。 独立している国だと思っていたが、実は空母に乗っている黒人やネイティブアメリカンと同じなんじゃないか? だって、自国の理念で行動しているように思えないことが多すぎる。憲法にしろ、外交にしろ……このまま今度は、集団的自衛権の名の下に武力の行使に至るまで、他人がコントロールできる方向に向かっているように思えてしまう。特殊部隊員たちの生き様 この国には、奪還すべき対象がどこに居ようと、情報があろうと無かろうと、「奪還しろ」という命令が下れば必ず実行する者がいる。方法はいくらでもある。映画のように《衛星写真や情報部からのネタを元にパラシュート降下して、ドンパチやって、離脱用のヘリで脱出…》という方法ばかりではない。《ほとんどない情報を頼りに、浸透し同化し情報をとりながら近づく》方法だってあるのだ。 私は、陸・海自衛隊の特殊部隊員(注)が、どうやって選抜され、何を考え、何を望み、毎日何をしているかを知っている。そしてその実力も知っている。彼らだけではない。どんな部隊にも、極々少数かも知れないが、孤立しながら、いつ来るか判らない任務のために毎日、寒さ、暑さ、枯渇、飢餓、激痛、虚脱感の中で心身を錬磨して備えている者がいる。彼らは、命令が実行されれば、生きていたいという本能をねじ伏せ、“いきもの”から、ただの肉の塊になることも、肉片すら残らないことをも気に掛けず、ただ淡々と任務を達成しようとする。 彼らが、自分を消滅させてでも守ろうとしているものは、日本が、その理念に基づき決定した国家の意志であり、そして、それを貫こうとする国家の姿勢である。 誠に殉じようとする彼らを、他国のイデオロギーで決めた、他国の意志で翻弄するようなことがあっては、断じてならない。(注)「陸上自衛隊特殊作戦群」及び「海上自衛隊特別警備隊」所属の隊員いとう・すけやす 昭和39年、茨城県出身。日本体育大学卒業後、海上自衛隊に二等海士で入隊。「能登半島沖不審船事件」の際は護衛艦「みょうこう」航海長として不審船を追跡。この経験から海上自衛隊の特殊部隊・特別警備隊創設に携わる。同隊初代先任小隊長。平成19年退職(二等海佐)。予備役ブルーリボンの会幹事長。 

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    拉致事件解決のために 国民を護れる国造りを始めよう

    青山繁晴(独立総合研究所社長、作家) ごくふつうの庶民の人生を根こそぎ奪う、あまりに重大なテロは今、パリで起きただけではない。 日本ではおよそ40年ほど前から、国土のあらゆる場所で頻発している。それが北朝鮮の国家テロリストによる拉致事件である。 わたしはこの原稿を、西暦2015年11月15日に書いている。38年前の今日、学校帰りの自宅近くで拉致されたとき、横田めぐみさんは13歳の中学1年生だった。 わたしは、教鞭をとっている近畿大学経済学部の新入生にこう話している。「若い君たちより、さらに5つ以上も若いときに奪われた横田めぐみさんは、誰も取り返しに来てくれないまま、とうとう君たちのお母さんの多くより年上になってしまった」 めぐみさんは、今年10月5日の誕生日で51歳になった。 しかし、めぐみさんの歳月をめぐって、わたしたちが考えるべきことは、これだけではないのだ。首脳会談を終え、握手する小泉純一郎首相(右)と北朝鮮の金正日総書記=平成14年9月17日 かつて小泉純一郎さんが総理だったとき、平壌で初めて日朝首脳会談が開かれることになった。このとき金正日総書記が日本国民を拉致したことを、カネ欲しさに認めるのではないかという見通しが日本政府のインテリジェンス(機密情報)にあった。 そのうえで、政府当局者から一民間人のわたしまで、北朝鮮は次のように主張するだろうと予想した。―「北朝鮮にも悪者がいて、それが起こした犯罪が拉致である。国には責任がない。それをわざわざ国が解決の手助けをするのだから日本は、それ相応のカネを払え」 当時、官房副長官だった安倍晋三さん、現在の総理も小泉さんに同行して平壌に行った。その安倍さんもそう思っていたかどうかは、わたしの勝手な想像だけで言おう。同じことを考えていただろう。 ところが金正日総書記は、小泉さんと安倍さんの前でこう言った。「北朝鮮の国家機関が日本国民を拉致していたことが分かった」 そして北朝鮮の政府高官を名指しして「すでに処罰した」と語った。 のちに分かったのは、この人物は実在するが拉致とは無関係のつまらない横領事件で処刑されたと分かった。この汚職高官に罪を被せつつ、あえて国家の仕業と認めたのである。 なぜか。 わたしたちの大切な最高法規であるはずの日本国憲法、その第九条の最後に「国の交戦権はこれを認めない」とあるからだ。 憲法学者は要らない。複雑な解釈論は要らない。本来の憲法は、国民が学歴、年齢、立場の違いを乗り越えて誰でも分かる、まっすぐに直ちに分かるものでなければならない。 この条文をふつうに読めば、「国同士の戦いはいかなる理由があっても認めない」、すなわち日本国は相手が国であれば、国民に何をされても戦えない、となる。 その相手の国には、国家主権をこのように根本から否定する憲法などあるはずもないから、つまりは日本国民は拉致されようが殺害されようが、相手が国家を名乗れば、政府は何もできない国に誰もが住んでいるのである。 民を護らないのなら、それは国家だろうか。 そんな憲法であってもそれがある限り、日本は本物の法治国家としてそれを守ることを、北朝鮮は良く知っている。 人治国家の北朝鮮や中国とは違い、日本では改憲論者の安倍総理も、天皇陛下も、わたしたち民衆も現憲法がある限り、それを守る。そして憲法自身の持つ改憲の定めに従って改憲されれば、その憲法を陛下も総理も国民もみな力を尽くして守る。 わたしと独研(独立総合研究所)は毎月、自主開催の「独立講演会」を開いておよそ5時間、わたしが参加者と対話し、事前打ち合わせのない自由な質問をお受けしている。 ある当局者によれば、ここに北朝鮮の工作員も「参加」しているそうだ。テロ要員ではない。あくまで情報収集が任務の潜入型工作員だ。では、わたしの話や、質問への答えを聞きたいのか。いや違う。北朝鮮にとっては、わたしの話や答えなどテレビラジオや著書による発信で充分であり、今さら聞きたくもない。知りたいのは、聴衆・国民の反応であり、何をわたしに問うかである。 北朝鮮のように、あるいは中国のようにもともと戦争の弱い国、民族は、外交がしたたかである。 日本のように強いと、どうしても外交は下手になる。外交とは情報である。北朝鮮は、国営テレビでのあの大仰な言いぶりとは裏腹に自国の国力を良く知っている。だからこそ、潜在力のある日本国民が何を考えているかを常に丁寧に探る。日本国民が目覚めないように、マスメディアや学者や政治家を相手に徹底した工作・浸透活動と情報収集を怠らない。 拉致も、「国がやった」と言えば日本は国際法や国際社会の常識とは真逆に身動き取れなくなることを良く知り尽くしている。だからこそ金正日総書記は「国家機関が拉致した」と明言したのだった。 この冷厳な事実に、右翼、左翼があるだろうか。改憲派、護憲派があるだろうだろうか。立場の違いを乗り越えられる論点のはずだ。 ところが、国の直接関与を認めたこの金正日発言にマスメディアはほとんど反応せず、国民もその重大な意味にほぼ気づかずに終わった。 もしも気づいていて、広範な国民が声をあげ、憲法の最低限の改正を行い、わたしたちの自衛隊、なかでも陸上自衛隊の世界トップレベルで屈強な特殊作戦群(通称S)を千葉県の習志野駐屯地から拉致被害者の救出に派遣すると決定していれば、北朝鮮はその作戦が発動する前に交渉に応じ、被害者の解放に踏み切っていただろう。 そのとき横田めぐみさんは幾つだったか。38歳前後である。13歳で拉致されても人生をやり直せる年齢だった。それが国民が見過ごしたために、すでに50歳を超えてしまった。 この事実は何を物語るか。 拉致事件の解決とは、わたしたち自身の生き方を見直すことである。たった一度、戦争に負けただけで、国民を護らない国にならなければいけないのか。 この刷り込み、思い込みから自ら脱し、むしろ敗戦をはじめ失敗をこそ活かして、より国民を護れる国造りを、国の唯一の主人公、主権者としてそれぞれの場所から始めよう。 ふつうの国民にまず、できること。それは例えば視聴者として日常的に接するマスメディア、子供たちを通わせる教育現場、選挙で直接に代表を選ぶ政界、それらに浸透している北朝鮮への協力者を怒りもて、もはや叩き出すことだ。北朝鮮の独裁を支える中国への協力者も、もはや安易に許さないことだ。 めぐみさんも、それでもまだ51歳である。残された時間をわたしたちが同胞(はらから)として取り返さねばならない。 立て、万(よろず)の地の日本国民。 100人を超える恐れのある他の拉致被害者と共に横田めぐみさんにも、祖国日本での人生をやり直していただくために、一緒に考え、一緒に立とう。

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    日本の若者を戦争に駆る日が来るらしい

    先の安保法制をめぐる議論で反対勢力がしきりに訴えた主張がある。「徴兵制の復活」。あまりに荒唐無稽だが、彼らはどうしても日本と戦争を結びつけたいらしい。先日、山本みずきが訪れたフィンランドは徴兵制の義務を課す北欧の国である。この地で見た実態を報告し、若者の視点から徴兵制を考える。

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    日本の若者にはないある種の頼もしさ フィンランド徴兵制の現実

    山本みずき みなさんは24時間もの間、真っ暗でなにも見えない部屋に閉じ込められた経験はありますか? いつ解放されるとも、これから自分の身になにが起こるのかも分からない。そんな恐怖に支配されながら、永遠のように感じる時間の中、黙々と暗闇に耐えて、欲望を満たすことも許されない。話相手もいなければ、光も、時間の感覚もない。ただひたすら呼吸を繰り返す。唯一の刺激は身体の痛みだけである。映画『オールドボーイ』で描かれた、オ・デスの監禁生活を思い出す。平凡なサラリーマンだった彼は、何者かに拉致監禁され、なんと15年もの歳月を経て突然解放された。こんなにも長い時間、暗闇に閉じ込められると、人間はどんな精神状態に陥るのだろうか。そんなことをふと考えながら、私はロシア上空を越えてフィンランドに向かっていた。 この航空券を手配したのは、搭乗から遡ることわずか36時間前。音信不通だった幼馴染から電話を受けてのことだった。その友人はフィンランドの帰国子女で、日本の大学に入学するために再び来日した。久しぶりに再会したとき、今年の夏は数年ぶりにフィンランドに戻ると聞き、彼は楽しげな表情を浮かべ、夏季休暇を心待ちにしていた。しかし、その後日本を離れて以来、しばらく連絡がつかなかった。何か起こったのではないかと、彼の恋人も心配そうにしていた。すると、ある日突然着信が入った。電話に出ると、彼は落ち着き払いながらも「時間に制限がある」と言って手短に話してくれた。 いったい、彼の身に何があったのか。実は、その友人はフィンランドに降り立って早々、入国審査中に「兵役逃れ」の疑いをかけられ、そのまま軍隊に拘束されているということだった。「実はいま、窓もない独房に閉じ込められている」と打ち明けられると、すぐに「国際電話は高いから切るよ、じゃ!」と一方的に電話を切られたのである。こちらも何がなんだか分からず、ただモヤモヤだけが残った。私の性格上、こんな半端な情報しか与えられず不安なまま放っておかれると、他のことに手がつけられなくなる。 いま振り返ってみても、この時の冷静だが、どこか切羽詰まった感じのする彼の声が耳に残っている。そう、あの時の彼の声は、乱暴だが正確に情報を殴り書きするペンで、私はただ書かれるままのメモ紙と同じだった。実際、彼に聞いてみたいことは山ほどあった。にもかかわらず連絡が取れないのであれば、私が現地に行くしかない。自分の中でそう決めて、電話から36時間後、フィンランドへ向かった。 フィンランドに到着する頃には既に彼も解放され、晴れて自由の身となっていた。フィンランドでは、兵役を受けずに海外の大学に進学する人は兵役の延長手続きが必要となる。彼は日本でその手続きを済ませたはずだったが、本国との情報共有がうまくできていなかったことが今回の「事件」の原因らしい。結局、独房での拘束時間は24時間程度で済んだそうだが、短いようでとても長い時間である。拘束中はトイレも監視されていたそうで、独房から出たときは、フィンランドの景色と空気が一層素晴らしく感じられたと語ってくれた。 フィンランドと言えば、ムーミンやアングリーバードといった世界で愛されてきたキャラクターの生みの親であり、冬にはオーロラやウィンタースポーツを、夏にはサウナや湖そして大森林の静寂が楽しめるなど、自然の恵みを活かした文化が根付いていることで知られる。教育水準が高く、さらには優れた法治国家として日本人の関心も高い。そんなフィンランドが徴兵制を施行していることは、日本ではあまり認知されていない。だからこそ「徴兵制を逃れて軍隊に拘束された」というこの一文だけをみると、より怖い印象を受けかねない。だが、徴兵制はフィンランド人に課せられた義務であり、それから逃れる行為が法に触れるのは当然である。他方で、私の友人がわずか24時間で釈放されたのは軍隊が憲法によって制限されていることの証左であり、フィンランドの法律では、24時間以上の拘束は明確に禁止事項とされているのだ。もし立憲主義が蔑ろにされ軍隊あるいは国家の権力行使が制限されていなければ、24時間以上監禁されることもあり得たはずである。普通の人が独房で24時間以上も拘束されれば、その先に待っているのは精神の発狂なのかもしれない。 もし、読者のみなさんがこの話にある種の恐怖心を抱いたとすれば、それはフィンランドの法律に対して深い知識がなかったからか、あるいは胸のどこかで「徴兵制度のある国=怖い国」といった観念に囚われているからなのかもしれない。では、フィンランドの徴兵制度では実際にどのようなことを訓練するのだろうか。2年前に徴兵制を終え、現在ヘルシンキ大学に在籍しているMarko Sommaberg氏に話を聞いた。フィンランド人は兵役を必要だと思っている Q. 徴兵では、どんなことを行うのですか?まずは制度の面から教えて下さい。 フィンランドは何十年間か徴兵制を施行してきた国です。18歳以上の男性は兵役(military service)か地域奉仕活動(civil service)のどちらかに行くことを選択する必要があります。女性も希望すれば軍隊に入れますが、あまり一般的ではありません。多くの男性は家の近くにある部署に配属されますが、たまに特別な部署を自ら希望することもあります。例えば僕の場合は、自分の義務を尽くすためにも、機械技術に関係のある空軍に希望を出しました。 海軍と空軍は例外的な配属先とされており、予め徴兵制説明会で志願した人のなかから選ばれることになっている。徴兵制説明会とは、国防軍による徴兵制の説明会であり、フィンランド国籍を有する男子のうち、18歳の誕生日を迎えた人や、まだ服役を終えていない30歳以下の人に案内が郵送される。この徴兵制説明会を無断で欠席すると、最高で半年間ほど刑務所につながれる罰則もあるという。また、兵役に参加したくない者は地域奉仕活動への参加を申し込むことになるが、これは労働産業省の管轄で行われている。介護や学校の用務など仕事内容は多様であるが、有事の際には戦線で戦う兵士の後方支援を担当することになっている。任務としては、事務、物品運送、負傷兵の応急手当や運搬、トイレや食事の衛生管理などが挙げられる。Q. 訓練内容は? すべてのフィンランド兵士は、配属された軍隊の所在や専門にかかわらず、8週間にわたる基礎訓練を成し遂げなければなりません。その期間、兵士は自動装填式の小銃で撃つこと、戦闘訓練、森のなかでのキャンプ、長距離の行進、それから肉体的な訓練とグループ作業などを学びます。また基礎訓練の期間には、週末の休暇を二回与えられますが、たいてい兵士は軍のバラックに滞在していなければなりません。この基礎訓練の8週間を通して、軍隊が嫌いな人とそうでない人が簡単に見極められます。そして軍隊が嫌いだと分かった人は、練習期間が6ヶ月ともっとも短い、歩兵のような下っ端の兵士に志願します。 他方で軍隊をさほど嫌うことなく楽しめた人は、「予備役の下士官を養成するための学校(school for non commissioned reserve offisers)」に志願し、そのなかでも僕のように「予備役の将校のための学校(reserve offiser school)」に志願するものもいます。基礎訓練のあと、学校では軍隊が好きな者同士で時間を過ごすことになるのでモチベーションが高まります。学校ではただ命令に従うのではなく、命令を与え、練習内容を計画し、小さな隊を指揮します。「予備役の将校のための学校(reserve offiser school)」、あるいは「予備役の下士官を養成するための学校(school for non commissioned reserve offisers)」を終えると、男性は彼らの隊のなかで指揮官として、あるいは何か専門性を生かした奉仕を続けます。 Q. 徴兵制期間中、なにか学んだことはありますか? 私は自分の兵役経験を通して、すべての兵士に必要とされる基本的なスキルを深く学ぶことができました。例えば、森で生き延びる術や、異なる武器を使うこと、集団行動などです。加えて、私は隊を指揮する方法、つまり、どのように命令を与え、どのように練習内容と任務を計画するのかについても学ぶことができました。集団行動や集団を指揮する力は、大学から出されたグループでの研究課題や、学生団体で活動したときに活かすことがました。さらに、驚いたことに私は自分の生きる社会についても以前より理解できたように思います。軍隊では、受けてきた教育も異なれば、興味も社会的地位も違う、様々なバックグランドを持った人々と情報を伝えあい交流するからです。 Q. 徴兵制はあったほうがいいと思いますか?それとも、無くすべきだと思いますか? フィンランド人は兵役を必要だと思っているし、国のために奉仕する意味で名誉な義務だと考えている人もいます。フィンランドが最後に戦争したのは70年前、僕たちのおじいさんの代にソ連と戦いました。この歴史的な出来事が今日の世論に影響していると思います。すでに述べた通り、軍隊に行くことは一部の人にとっては気乗りのしないことです。しかしながら、全ての男性は少しばかり兵役を楽しみにしているんですよ。というのも、兵役によって人生が大きく変化からです。フィンランドでは、「青年たちは兵役を経験してようやく一人前の男になる」とよく言われます。 私はフィンランドの軍隊は良いものだと思っていて、機能的にも全体としても支持しています。徴兵制は、年齢問わずフィンランドの男性を一つにまとめ上げ、必要な時には祖国を守るという態度を向上させます。とは言っても、改善すべきこともあると私は思っていて、現在では徴兵制が無益であるとの批判が相次いでいます。というのも、兵士たちが軍のスキルを勉強しなければ使おうともせず、フィンランドの軍隊は長いあいだ無益な日々と時間を送っているからです。その代わりに、無意味なことをするか、何か問題が起こるのを待っているような状態です。なので私は時間をより有効活用するために兵役の時間を短くしたほうがいいと思います。休息は重要ですが、休みすぎると効果的ではありません。せめて兵役期間のうち二ヶ月の期間をより効果的に使えば、男性はその二ヶ月を勉強や仕事にあてることができるのに、と私は思います。 Q. あなたが徴兵にいくとき、お母様はどんな様子でしたか? 兵役は伝統的に長い間施行されていますから、両親としても息子が兵役にいくのをみるのは、楽しみであり、また名誉でもあります。多くの人は、息子が兵役にいくことを母親は心配するのではないかと考えるでしょうが、僕はそれ以上に誇りに思ってくれていると信じています。短絡的な「戦場と血」のイメージ フィンランドでは、夏場に人里離れた郊外の、水辺に建てられたサマーコテージ(夏小屋)で過ごす文化がある。伝統的なログハウス仕様が多く、たいていサマーコテージには薪をくべて温めるサウナや暖炉が付いている。コテージの前に広がる湖で思い切り泳いだあと、サウナで汗を流し、自然に囲まれながら釣った魚を焼いたり、肉を焼いて穏やかな時間を過ごすのである。今夏のフィンランド旅行で、私は兵役を経験した現地の友人たち数名とサマーコテージで過ごしていたのだが、さすが兵役中に野外でのサバイバル方法を学ぶだけあって、焚き火の手際の良さなど彼らの生活能力の高さには驚きの連続であった。 日本で徴兵制というと、何気なく市民生活をおくっていた者が徴集や召集によって突然兵士にされ、戦場で人を殺し、自分も飢えて野原を彷徨するような状況を想像しがちである。なぜかと言えば、恐らく日本人とって徴兵制の記憶は第二次世界大戦であり、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄などアジア・太平洋戦争中の戦場で失われた人命に対する不条理の感が、今でも徴兵制に差し向けられているのではないだろうか。しかし、第二次世界大戦下にあっては国民が徴集あるいは召集によって戦場に動員されるのは国際社会では当たり前のことであった。 私は、今日において日本で徴兵制を復活させるという主張には反対の立場だが、とは言え、徴兵制を感情的に嫌っている人々からうかがえる、徴兵制=「戦場と血」のような残酷なイメージはあまりにも短絡的であるように思う。国家による徴兵制といってもフランス革命以来長い歴史があり、一概には語りきれない。時代や国によって訓練される内容も、さらには目的も異なってくる。仮に第二次世界大戦中に徴兵制が国民を戦場に送り出すシステムとして機能していた側面があっても、平時の際には先にフィンランドの例をみたようにあくまで訓練の場である。 日本で徴兵制が確立する前段階に位置付けられる兵制は、開国直後に国際社会から独立国家として認められようとプロイセンやフランスを例としながら整備していたものであるが、国民のなかには抜け道を探り出す者も一定数いて、あまり積極的に参加している様子はない。明治六年にはいわゆる徴兵令が布告され、以後、日清戦争、日露戦争を経て幾度も改正を重ねて第二次世界大戦下の徴兵制へと姿を変えることになった。兵役法が廃止されたのは昭和20年(1945年)11月7日である。 他方で、世界大戦から70年の時が経過した現代、徴兵制を施行している国の若者が徴兵制をどのように受け入れているかというと、苦役はイヤだという気持ちからくる忌避と、仮に国家が有事下に置かれたとき、祖国を守ることを義務として受け止め、祖国や自己を守る術を知らないよりは知っておきたいという感覚とが相混ぜになった状態にあるのではないだろうか。  世界はいま、徴兵制を廃止する方向に歩み、フィンランドの隣国スウェーデンも2010年には正式に徴兵制を廃止した。にも関わらず、フィンランドが徴兵制を維持しているのは何故か。ある日、お昼にピザを頬張りながら、ふとフィンランドの友人たちに尋ねると、皆声を揃えて「ロシアだね」と苦笑いを浮かべていた。日本の隣国で徴兵制を施行する韓国からの留学生にも同様に尋ねると、彼は「北朝鮮と内戦中だからね」と言い放った。そう、韓国にとっては北朝鮮、フィンランドにとってはロシアという脅威が身近にある。 北欧の素朴でのどかなイメージとは裏腹に、ミリオタの興味をそそるような戦時中の話もフィンランドには数多く残っている。白い死神として恐れられたシモ・ヘイヘはあまりに有名であるが、かつてソ連と死闘を演じたフィンランドの歴史は現代においても必然的に政治や法制度に影響しているのである。徴兵制を維持する理由について、たった一言だけ、祖国の仮想敵国の名前を苦笑いで答える彼等に、私は日本の若者には無いある種の頼もしさを感じたのであった。

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    日本の徴兵制は本当に「ありえない」と言い切っていいのか

    清谷信一(軍事ジャーナリスト) 安倍首相は、徴兵制は憲法18条の苦役にあたり、以下のように述べている。「憲法18条には意に反する苦役は駄目ですよと書いてある。徴兵制度の本質は意思に反して強制的に兵役の義務を負う。なので、徴兵制は明確に憲法違反。これは憲法解釈で変える余地は全くありません。はっきり申し上げておきたい」と、述べている。http://economic.jp/?p=51145 換言すれば、政権与党である自民党は、現行憲法においては未来永劫この解釈を変えることはない、と断言したことになる。 これは恐らく与党が安法法制に徴兵制を絡めることを封じるための方便なのか、安倍首相が本気でそう思っているか筆者には知る術がない。だがいずれにしても徴兵制を違憲とする安倍首相には政治家に最低限必要な歴史的教養と、軍事知識が欠如していると言わざるを得ない。自民党のインターネット番組「カフェスタ」に出演し、徴兵制や安保関連法案などについて話す安倍首相。左は丸川珠代参院議員=7月13日午後、東京・永田町の党本部(代表撮影) 確かに現在の軍隊は装備やシステムが高度化しており、習熟や運用には熟練が必要である。このため僅かな期間在籍し、しかも不承不承勤務を果たしている徴兵には向かなくなっている。また装備、システムの高度化はこれらの調達及び運用コストの高騰を招いている。この点からも大規模な徴兵制度を維持することに向かない。このため多数の徴兵よりも、少数志願兵によるプロフェッショナルな軍隊の方が望ましい。このことは筆者も繰り返し述べてきた。 だがそれはソ連崩壊後から現在、そして短、中期的な未来の話であり、何十年後も先はわからない。技術革新や社会の変革などによって現在では想像も付かない世の中になっている可能性がある。未来永劫現在の延長にあると思うのは歴史的な教養にかける人物の発想である。歴史をみれば、歴史に絶対はないし、得てして大変革が起こるものであり、現在の社会の延長上にあるとも限らない。それは歴史を見れば明らかだ。長期的に未来を見通すことは人間にはできない、それができると思い込むのは傲慢に過ぎない。 例えば誰が80年代にソ連の崩壊を予想しただろうか。また同様に80年代にだれが個人が携帯電話やスマートフォンと称するコンピューターを誰もが持ち歩く時代を想像できたろうか。また60年代には多くに人たちが将来旅客機はSST(超音速旅客機)になり、21世紀には亜音速のレガシータイプの旅客機は姿を消すと思っていた。だが、現実はSSTの方が姿を消してしまった。  軍事技術や軍隊のあり方にしても現在の延長線上に発達するとは限らない。それは歴史が証明してきた。第一次世界大戦で登場した戦車は、歩兵の進撃を支援する目的で開発され、長らく歩兵直協が任務だったが、第二次世界大戦では戦車対戦車が戦う機甲戦こそが戦車の主たる任務になった。だがアフガンやイラク戦で戦車は歩兵のための盾となり、火力支援を行う歩兵直協が主たる任務に「先祖帰り」している。 また新しい技術や戦術を唱えるものは得てして軍隊の体制では「異端扱い」されてきた。例えば戦略爆撃を唱えたジュリオ・ドゥーエは軍法会議で、政府を批判したとし一年の禁固刑に処せられて、その後予備役に編入されている。だが今日からみれば彼の見識は正しかった。同様に第一世界大戦後機甲戦を唱えた将校の多くは異端とされ、また空母が登場したときも航空機で戦艦を撃沈できる主張した将校らは異端とされた。 つまり「現在の軍事常識」は将来の常識とは限らない。それどころか「将来の非常識」になることは歴史が多々証明している。つまり現在の「非常識・異端」こそが将来の「常識」になる可能性もあるのだ。だから現在の延長線上に未来を予想するのは極めて危険である。 例えば将来兵器が自律したロボット化されて人間が戦わなくなるかも知れないし、どんなロボット兵器でも完全にハッキングされるので、逆にロボット兵器やネットワーク化が全く廃れてしまうかも知れない。その場合、兵隊の数が戦いを左右する大きなファクターになる未来がこないとは限らない。徴兵制を単なる苦役だと言い切るのも問題 また徴兵制を単なる苦役だと言い切るのも問題だ。現在でもスイスのような民主国家でも徴兵制を維持している国は存在する。また米国にして現在は志願制だが、徴兵制に切り替えることは可能である。スイスが徴兵制を維持しているのは、単に有事に軍隊を膨張させるだけが目的ではなく、国民に広く軍隊を経験させ、国防意識を涵養させようという国民的なコンセンサスがあるからだ。これを単に意にそぐわない苦役の強制」と断言してよいものだろうか。90年代以降徴兵制を廃した国々でもこの点で徴兵制維持を求める声が決して小さくなかった。 徴兵制は非人道的な苦役の強要であると主張することは、徴兵制度を採用している国を「遅れた野蛮な国」と非難するに等しい。安倍首相はスイスなどを非人道的な国家と認識し、そのように呼ぶのだろうか。また我が国の軍事同盟国である米国は徴兵制を復活する可能性があるが、そのような「人権侵害」平然と行える「野蛮」な国と軍事同盟を結んでいることも問題ではないか。  途上国にとって軍隊は国民の教育機関である。徴兵制を通じて読み書きや、集団生活、技術を習得させ、ネーションステーツ(国民国家)として基盤づくりに役に立てている。また産業が未熟な国では雇用対策という面も存在する。 これはかつての我が国を顧みれば容易に想像がつくだろう。そもそも現在の我々のイメージする国家であるネーションステーツはナポレオン戦争時の徴兵制度で作られたと言ってもよい。それまではフランスでも国民はフランス人という意識が殆ど無く、ロレーヌ人やアルザス人であるという意識が強く、言葉も地方色が強かった。徴兵制が、軍隊という国家組織内で均一な教育を施し、同じ言葉で喋るようになり、行政機関や法整備を行ったことがネーションステーツを作ったといえる。 現在でも部族社会が強く残っている国家、例えばアフガニスタンやイラク、多くのアフリカの諸国は多い。このような国では徴兵制と軍隊という「学校」がネーションステーツへの筋道をつけるために依然有用だろう。無論他の方法を否定するものではないが、現在の途上国多くは部族社会が紛争の大きな要因となっていることを思えば、強制力を持って国民を等しく教育し、同じ価値観を共有するする徴兵制度は大きなツールであることは間違いない。ただ、その軍隊が暴走することも得てしてある。それを否定はしないが、それを差し引いても途上国の徴兵制度は大きなメリットがあると筆者は考える。 徴兵制度を単なる「意にそぐわない非人道的な苦役である」と主張するのは、部族社会を抱える途上国から、部族社会から脱皮する努力を否定することでもある。  筆者も若い時代の一番楽しい時代を兵隊にとられることが無いに越したことはないと思っている。また多くの若年層を徴兵に取られることは経済的にも国家の大きな損失である。 それは多くの人が同様に思うことだろう。できれば徴兵制はさけるべきで、そのために政治家も努力すべきだ。 だがそれもイスラエルや韓国のように徴兵制を敷いている国々が存在するのだ。だが、国家の存亡が掛かっている時、徴兵制をとるか、個人の自由を尊重して苦役をさけるため医国家が滅亡する方を選ぶかという選択をつきつけられることが無いとは言えない。そのようなときに「意にそぐわない非人道的苦役の強要ですから、徴兵を行いません」といえるのだろうか。 そもそも国を守る行為を単なる「意にそぐわない苦役」あるいは「人権侵害の苦役」のと断言するのは、政治家として国防に関する根源的な哲学や非常に浅く、国防を軽んじているからではないか。またこのような首相の発言、判断は国民にカネを払っているのだから、全部自衛隊に丸投げすれいい。自分たちには関係ない」という国民の国防軽視の意識を植え付けることになるのではないか。 その場しのぎの国会対策のためにこのような軍事を忌諱し、また改憲を行わないと徴兵制度導入できないような隘路の我が国を追い込んだ安倍首相の責任は思い。将来逆に野党からは「だから自民党の改憲は徴兵が目的だ」と追求される種を蒔いたことにもなるだろう。 これら点から、安倍首相は長期的に視野と歴史・軍事的資質に欠けている。彼の軍事・歴史・政治的な見識・認識は共産党あたりと大差ない。保守政治家としては失格である。つまり歴史に名を残すStatesman ではなく、単なるPoliticianにすぎない。

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    ヒゲの隊長が一刀両断!「望まれてもいない徴兵制などありえない」

    佐藤正久(参議院議員) 9月19日、平和安全法制関連法案が成立しました。国会において法案の審議が進む中、「徴兵制」に大きな関心が寄せられたのは記憶に新しいところです。徴兵制に関する議論は、元自衛官として極めて強い違和感を持った議論の一つです。何故なら、徴兵制は「必要がなく、望まれてもない」以上、ありえないからです。今回は、何故、徴兵制がありえないのかを、主に軍事的観点と徴兵制の根拠となった自衛官の募集という2つの観点から、説明したいと思います。日本の防衛政策上の合理性に欠ける徴兵制 現代の戦いは、銃剣突撃を繰り返すような100年前の戦いとは異なります。ハイテク装備を駆使した戦いになります。例えば、ある地上の目標を攻撃することを念頭に置いて考えてみましょう。まずは、斥候や偵察車両、偵察機や偵察衛星をもって情報を収集し、得られた情報を専門家が分析します。その後、それらを基に攻撃目標と攻撃武器を選定し、誘導兵器などに必要情報を入力した上で、目標を攻撃するのです。つまり、隊員には専門知識や専門技術が求められています。徴兵され、一般論として1~2年程度しか在籍しない隊員に担えるようなものではありません。 また、徴兵制を導入すれば、大変なコストが生じることも予想されます。現在、部隊の管理を担う「幹部」でも、部隊の中核を担う「曹」でもない、一般隊員となる「自衛官候補生」ですら、自衛官に任官するまで3カ月の訓練を行っています。仮に徴兵制を導入すれば、志願制の今とは比べものにならないほど多くの数の一般隊員を抱えることになります。そうした隊員を、自衛官として必要な最低限の水準まで教育するには、より多くの施設と、より多くの教官が必要になります。厳しい財政状況の中、新たなコストが大規模に生じることは、現実問題として考えられません。クウェート国境の米軍キャンプで、オランダ軍とイラク入りの打ち合わせをする陸上自衛隊先遣隊の佐藤正久隊長(左から2人目、肩書は当時)=2004年1月19日(共同) つまり、日本において徴兵制を導入しても、十分に戦力にならず、新たなコストが生じるだけなのです。その意味で徴兵制は合理性に欠けており、日本においては「必要がない」政策といえます。 ある野党の国会議員は、国会の質疑において徴兵制の可能性について次のように発言しました。「集団的自衛権の行使をすると、自衛隊員のリスクが高まると。だから、自衛隊に希望する人が減って、徴兵制になるんじゃないかという議論がありますよね」 こうした議論は、少なくとも識者の中では、全く交わされません。そもそも自衛隊員(以後、より狭義の意味で使用するため「自衛官」とする)は、立場上様々なリスクを負っています。市街地や港湾などの浚渫現場で発見される不発弾を処理する自衛官。救難業務に従事する自衛官。PKOなど海外における諸活動に従事する自衛官など。皆、リスクを負いながら厳しい環境の中で勤務しています。 ここで強調しておきたいのは、自衛官はリスクを承知の上で職務に当たっているということです。そうした自覚を持たせるために、全ての自衛官は任官するに当たり、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」ことを、『服務の宣誓』として誓っているのです。リスクが高まるからと言って、またはリスクを負うからといって志願を躊躇するような人は、そもそも、最初から自衛隊を志願しないでしょう。リスクと募集状況の関連性は説明できない それでは、先に示した野党の国会議員が言及したように、新たなリスクが生じると、徴兵制が必要になるほど自衛隊を希望する人は減るのでしょうか。過去を遡って検証してみましょう。 例えば、自衛隊がイラクへの人道復興支援部隊を派遣するようになった、平成16年(2004年)の翌年の募集状況です。当時は「死者が出る」との声すら聞かれました。結果、自衛官全体としての応募倍率は、7.1倍ありました。 更に遡り、「国際平和協力法案」が施行され、カンボジアに自衛隊が派遣された、平成4年(1992年)の翌年の応募倍率です。結果は、9.0倍。また、モザンビークPKOに派遣された平成5年の翌年の応募倍率に至っては10.4倍を記録しています。 つまり、新たなリスクが生じるとしても、定員を割り込み、徴兵制を必要とするほど募集が減るということはないのです。少なくとも、我が国では過去に生じたことがありません。ちなみに、過去30年間で最も募集に苦しんだ平成元年(1989年)でも、応募倍率は3.3倍ありました。 ある報道は、将来の部隊の中核を担う「一般曹候補生」の志願者が2割減ったと指摘し、その原因を平和安全法制に求めています。しかし、仮に徴兵制の可能性を論じるのであれば、重要なのは「落ち込み」ではなく、「倍率」です。2割の落ち込みがあったとされる、今回の一般曹候補生ですら、倍率は約5.5倍。5人中4人は、入隊したくても入隊できない状況にあるのです。全くもって、徴兵制の導入が求められるほどの状況ではありません。つまり、徴兵制の可能性に言及する一部の主張は、過剰にして非現実的なものと言えます。 「必要がなく、望まれてもいない」以上、徴兵制が日本で導入されることは考えられません。日本は民主主義国家です。独裁国家ではありませんので、国民の関与なく、政策は進みません。国民が望まない以上、徴兵制は今後もありえないのです。徴兵制の導入を防ぐ最大の術は、国民一人一人が、事実を踏まえない感覚的、感情的な風潮に踊らされないことなのかも知れません。

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    安保法制 「徴兵制」は本当に将来導入されることはないのか?

    (THE PAGEより転載) 安全保障関連法案の審議が、参議院でも始まりました。「集団的自衛権」が憲法解釈の変更によって可能とされることから、徴兵制についても同じように可能になるのではないかという議論が、衆議院から引き続いて行われています。7月5日にも、民主党が安全保障関連法案への反対を説明するパンフレットで、「いつかは徴兵制?募る不安」といった見出しをつけ、直後に修正したことも話題となりました。安倍首相は、答弁の中で「徴兵制の導入はまったくあり得ない」と明言していますが、将来的に、憲法解釈の変更によって徴兵制が導入される可能性はないのでしょうか。徴兵制は「意に反する苦役」が政府見解 政府の公式見解によると、徴兵制とは「国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度」であるとされています。つまり、戦時だけでなく、平時においても軍隊を常設して、これに必要となる兵を国民から強制的に集めるということです。 安倍首相は、7月13日に放送された自民党の動画チャンネル「Cafe Sta」でも、「憲法18条には『意に反する苦役』、これはダメですよということが書いてあります。そして徴兵制度の本質は、意思に反して強制的に兵士の義務を負うことです。ですから、徴兵制は明確に憲法違反なんです。これは憲法解釈で変える余地は全くありません。これははっきりと申し上げておきたいと思います」と発言しています。 確かに、1980年の政府答弁書において、「徴兵制は平時であると有事であるとを問わず、憲法第13条、第18条などの規定の趣旨からみて許容されるものではない」との見解が述べられています。安倍首相の発言も、これを根拠としたものと考えられるでしょう。米最高裁は「意に反する苦役ではない」衆院平和安全法制特別委で答弁する横畠裕介内閣法制局長官。後方は(左から)岸田外相、中谷防衛相=2015年6月19日午前 しかし、実際には、徴兵制が憲法18条に違反すると政府が考えているかは微妙なところです。1970年に行われた答弁では、当時の内閣法制局長官は、『(憲法)18条に当たるか当たらないかというのは、私どもから言いますと確かに疑問なんです』と明確に述べています。どういうことなのでしょうか。憲法問題に詳しい伊藤建(たける)弁護士は、次のように話します。 「内閣法制局が、安倍総理のように『徴兵制は憲法18条に明確に違反する』と言わない理由は、とあるアメリカ連邦最高裁の判決にあります。アメリカ合衆国憲法修正13条は、日本国憲法18条とほぼ同じ文言なのですが、アメリカ連邦最高裁は、徴兵制は『意に反する苦役』にあたらない、と判断しているのです。修正13条は、南北戦争直後である1865年に奴隷制を廃止する目的で追加されたのだから、『意に反する苦役』とは奴隷制度に類似するものを意味し、徴兵制度はこれに当たらないというロジックです」 このアメリカの解釈を参考にすると、憲法18条だけでは徴兵制が憲法に違反するという確信を持てないからこそ、1980年の政府答弁書では「個人の尊重」などを規定した憲法13条もあえて挙げていると考えられます。安倍首相は、この点について明確な説明はしていません。 「1980年の政府答弁書は、徴兵制は憲法13条や18条などの規定の『趣旨』に反すると述べるにすぎず、どこにも『憲法18条に明確に違反する』とは書いていません。つまり、明確に憲法違反であるとは言えないけれども、憲法13条や18条などの条文を一緒に読んで、その背後原理を推理すると、ようやく『徴兵制は憲法違反だ』といえるというわけです。そのため、『徴兵制は憲法上許されない』という政府見解は、砂上の楼閣にすぎず、いつかは解釈改憲により変更されてしまうという危険をはらんでいます」(伊藤弁護士) 安倍内閣の一員である石破茂内閣府特命担当大臣も、「政府見解に従うことは当然」としつつも、「『兵役は苦役』のような発想が国際的には異様だ」という持論を今回の国会でも展開しています。民主党のパンフレットで懸念されていた通り、やはり法解釈の可能性という観点からは、徴兵制も「集団的自衛権」の場合と同じ問題があり得るのです。現代の戦争で徴兵制に合理性はあるのか しかし、現実として、日本において徴兵制が必要とされることはあるのでしょうか。現代の戦争においては、ハイテク兵器を駆使して戦う必要があるため、徴兵制で集めた経験の浅い兵士では役に立たないから、徴兵制には軍事的合理性がないという意見があります。これはその通りで、現に世界各国では徴兵制は廃止される傾向にあります。長年、徴兵制を維持してきたドイツも、2011年に廃止に踏み切りました。 ところが、現代の戦争はこうしたハイテクの兵器を用いる戦争に限られるわけではありません。「正規の軍や情報機関、義勇兵、民兵その他を組み合わせることで、平時とも有事ともつかない状況下で軍事作戦を遂行する『ハイブリッド戦争』では、徴兵制が必要になる場合もあり得る」と軍事アナリストの小泉悠氏は指摘します。公式の宣戦布告もなく、突然に国内に戦闘地域が出現し、延々とゲリラ的な消耗戦を強いられる「ハイブリッド戦争」では、少数の職業軍人よりも大量の徴兵を動員せざるを得ないというのです。 「軍事的に弱体な小国は、大量の国民を動員した武装抵抗によって、侵略のコストを仮想敵に認識させることが、安全保障上重要となります。 実際、ウクライナやリトアニアなどでは、最近になって徴兵制が復活しました」(小泉氏) しかし、地理的な要因、軍事的な装備などを考えても、こうした東欧諸国と日本の状況は大きく異なります。日本は島国であり、海上自衛隊及び航空自衛隊によって海上防衛や対空防衛の戦略が確立しているため、容易に敵が侵入することができません。つまり、可能性としても、ハイテク兵器を用いた現代型の戦争以外は起こりにくい状況なのです。小泉氏も、次のように指摘します。 「中国が南沙諸島への実行支配を強めているのは事実ですし、いずれは尖閣、沖縄も視野に入れていることは確かですから、遠い将来そういった場所でいわゆる『ハイブリッド戦争』が起きるかもしれません。しかし、そのような局所的な紛争に対して、日本国全体で一般の国民を総動員するような徴兵制が必要かは極めて疑問です。本土まで侵略されてゲリラ戦で対抗しなければならない事態も論理的には想定できますが、日本の国防能力を考えると、その可能性は将来的に見ても極めて低いでしょう」 確かに、現実として古典的な徴兵制が日本で導入される可能性は低いようです。ただ、法令の解釈は、今回の「集団的自衛権」と憲法9条の関係を見ても分かる通り、そもそも絶対的なものではありません。安倍首相が、憲法18条の『意に反する苦役』の解釈が1つに決まっているかのような説明をすることには、少し違和感を感じます。また、若者の貧困や自衛隊員の応募減少などの側面から、将来的には徴兵制に近い状態が生まれることを懸念する声もあります。今後は、「古典的な意味での徴兵制の導入」というテーマから一歩踏み込んで、実質的な問題点について議論していく必要があるかもしれません。(ライター・関田真也)

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    「平和憲法」こそ徴兵制の不安を煽る諸悪の根源だ

    潮匡人(評論家、元3等空佐)志願者は減っていない 平和安全法制(いわゆる安保法制)を巡り、繰り返し「徴兵制への不安」が語られた。護憲派メディアが、テレビや新聞で繰り返し、そう「報道」した(拙著『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』PHP新書)。国会でも、民主や維新、共産、社民らが「徴兵制」を語った。反語表現を含めれば、自民や公明も例外でない。 そのたび自衛官は不快な思いを強いられてきた。われわれOBも例外でない。大多数の自衛官とOBのプライドは深く傷ついた。 この国で徴兵制など起こり得ない。理由は単純明快。自衛官が退職しないから。話はそれに尽きる。自衛官が辞めない以上、そもそも徴兵する必要がない。横浜市で開かれた護憲派の集会=5月3日午後 ところが護憲派はそう考えない。今もこう「不安」を煽る。「戦争法案で自衛隊員のリスクが増す → 隊員が退職する → 実員が足りなくなる → 徴兵制になる」 すべて間違いである。平和安全法制下、最もリスクが増すのは国連PKO参加だが、世界で誰もその「平和維持活動」を「戦争」とは呼ばない。例外は日本の護憲派だけ。たとえリスクが増しても自衛官は退職しない。全員「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」と宣誓している。そこが他の職業とは違う。そのプライドを大なり小なり胸に秘めている。 初めてのカンボディアPKO派遣がそうだった。みな「退職」どころか「派遣」を希望した。当時現役だった私を含め希望者が殺到した。その後の民主党政権が、紛争地の南スーダンへ派遣した際も、現場は粛々と政治の決定に服した。官邸から「暴力装置」と呼ばれ、防衛副大臣から言論統制を受けたにもかかわらず。 それが今度だけは別なのか。今度こそ自衛官は退職するというなら、その論拠を示せ。それができない以上、護憲派が煽る不安は捏造である。自作自演の杞憂に過ぎない。 一般に軍隊への徴兵制は志願制を維持できない場合に導入される。他方、日本は志願制の自衛隊。ゆえに今後もし徴兵制の必要が生じるなら、それは自衛官を志願する学生や生徒が激減する事態に限られる。誰も未来を正確に予測することはできないから、未来永劫その可能性がないとは断言できない。 だが、こうは言える。来年はそうならない。再来年も、たぶんそれ以降も当面は大丈夫であろう。論拠は最新すなわち昨年度(つまり「集団的自衛権容認」の閣議決定を受けて以降)の自衛官の応募状況(最新版「防衛白書」)。防衛大学校(前期一般・文系)の倍率は93・8倍。文系女子に限れば、なんと158・1倍。防大が女子高生にとって高嶺の花であるのと同様、一般大学生にとっても入隊の門は狭い。たとえば空自一般幹部候補生の倍率は46・4倍。ちなみに高卒コースの一般曹候補生は7倍。自衛官候補生も3・8倍である。どのコースも不合格者のほうが3倍以上も多い。徴兵制の気配など微塵もない。護憲派の報道はすべて虚報や捏造である。兵役(自衛隊)は「苦役」なのか?兵役(自衛隊)は「苦役」なのか? 政府与党は以上の説明に留めるべきであった(と思う)。だが残念ながら、安倍晋三総理以下みな余計な釈明を加えた。現場の神経を逆なでた言葉は「苦役」。政府与党の要人はみな、国会やテレビ番組で「徴兵制は憲法18条が禁じる『意に反する苦役』に当たる(から憲法違反なので導入されない)」と繰り返し明言した。注;「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」(憲法18条) ならば、自衛官の任務は「苦役」ということになってしまう。隊員は志願して入隊したので「意に反する苦役」ではないが、徴兵の場合は、憲法が禁じる「意に反する苦役」となるらしい。以上の政府解釈を納得した自衛官やOBを私は一人も知らない。元陸幕長や元海幕長らが異論を語ったとおり、現場は呆れ果てている。最高指導者(安倍総理)が白昼堂々、兵役を「苦役」と明言する国は世界中、日本だけである。 かりに政府の憲法解釈(徴兵制違憲論)が正しいのなら、裁判員制度も違憲であろう。多くの裁判員経験者が精神的苦痛を感じ、退任後も苦しむ。これぞ「苦役」。しかも国民は就任を拒否できない。まさに「意に反する苦役」として違憲ではないのか。 徴兵制で政府与党はこうも説明した。廃止は世界の趨勢であり、近代戦では不要であると。本当にそうか。たとえばフランス。たった一日かぎりの単なるビデオ講習会に過ぎないとはいえ、16歳から18歳までのフランス国民に防衛準備招集が義務化されている。今年パリで起きたテロ事件を受け、フランスでは徴兵復活論が勢いを増している。欧米各国とも、必要があれば、徴兵制を復活できる。それを違憲と解釈する国などない。 徴兵は必ずしも時代遅れとは言えない。たとえば陸軍の歩兵(陸上自衛隊の普通科)として新兵が果たす軍事的な意義や役割を否定できない。中高年の場合でも、専門的な知識や経験を活かせる職域は陸海空とも少なくない。それなのに、あろうことか「平和憲法」を錦の御旗に掲げて徴兵制を全否定する政府や「保守」陣営の論法には疑問が残る。 お叱り覚悟で問題提起しよう。なぜ徴兵は許されないのか。私は違憲とも、絶対に不要とも思わない。先日の対談番組で渡部昇一名誉教授(上智大)が紹介したとおり、英語で「(美)徳」を意味する「virtue」の語源は、男(らしさ)や英雄、兵士などを意味するラテン語「vir」に由来する。自分の生命より高次な価値を守るため命を懸けるのが「vir」であり、古くから人類はその献身に「徳」を見出してきた。戦後日本人を除いて……。 もし護憲派が本気で徴兵制の芽を潰したいのなら、防衛費の増額と防衛力の強化を訴えるべきだ。効果的な破壊力を持つ兵器をより多く持てば、それだけ徴兵の必要は減る。同様に、自衛隊の募集や広報に協力し、自衛官の待遇改善を訴えるべきだ。自衛隊の人気がより高まれば、それだけ徴兵の必要は減る。 だが彼らは、けっしてそうは言わない。逆に「軍拡は周辺国の摩擦を招く」と批判する。募集環境の改善に向けた防衛省の努力を「経済的徴兵制」と揶揄誹謗する。戦闘服を着た自衛官が街中でパレードすれば大騒ぎ。愛国心や防衛意識の高揚策をすべて批判する。これでは将来やむをえず外国の侵略と戦うとき、徴兵制以外には選択肢がなくなってしまう(八幡和郎『誤解だらけの平和国家・日本』イースト新書)。「平和憲法」こそ「徴兵制への不安」を生む元凶「平和憲法」こそ「徴兵制への不安」を生む元凶 しかも護憲派は「徴兵制への不安」を平和安全法制の議論で煽った。いまも朝日新聞以下みな「集団的自衛権」と「後方支援」のリスクだけを語っている。バカも休み休み言え。当たり前だが「後方支援」より最前線で戦うほうが危ない。一方、自衛隊は来年も、対「イスラム国」作戦の最前線では戦はない。同様に、集団的自衛権より個別的自衛権のほうが危ない。つまり今回の法整備と徴兵制の議論は無関係。 護憲派は誤解しているが、集団的自衛権より個別的自衛権のほうが徴兵の必要は高くなる。たとえば《離島を制圧され、奪還作戦は失敗。本土も一部奪われた。すでに動ける自衛官は半数以下。このままでは日本が日本でなくなってしまう》……といった最悪の局面に至れば、徴兵もあり得るかもしれない。私はその必要を全否定しない。それが違憲とも考えない。だが現実には、そこまでして戦い抜くことにはなるまい。この国は上から下までパシフィズム(反戦平和主義)に染まっている。自虐的に言えば、それこそ「徴兵制が本当にありえない理由」とも言えよう。 いずれにせよ、上記事態は自衛隊創立以来、可能性としてはあった。今に始まったリスクや想定ではない。つまり今回の法整備とは関係ない。あえて言えば、消耗戦のような本土決戦にならないよう、日米同盟と抑止力を強化すべきであり、今回の法整備は多少なりとも、それに資する。つまり「徴兵制への不安」は法整備で多少、減った。 「徴兵制への不安」を語る護憲派に、論理的整合性は微塵もない。前述のとおり将来「徴兵」の必要が生じるのは自衛隊の志願制が破綻した場合に限られる。あえてポレミック(論争的)に言えば、アベノミクスが大成功すれば、その要因となり得よう。「戦争法案可決」より桁違いに可能性は高まる。ちなみに戦後日本の経済指標と入隊志願者の増減には明白な相関が認められる。要するに、景気が良くなると公務員の人気は下がる、自衛隊も含め。 景気が回復しても、自衛官の募集環境が悪化しないよう、国家的な対策が必要である。志願制を維持できるよう、官民挙げて様々な努力を今後とも重ねていくべきだ。 徴兵の芽を潰す最も効果的な方法は、憲法を改正し、自衛隊を軍隊とすることである。軍人に相応しい名誉を与え、勲章も授与する。軍のトップは親任官とする。国民挙げて陸海空軍に感謝する。全国津々浦々の学校で国防の意義を教育する。 ……等々が実現できるなら「徴兵制への不安」は雲散霧消する。べつに徴兵せずとも、国家が危機に陥れば、志願者が殺到するからだ。日本以外の先進国は、そうなっている。日本の「平和憲法」こそ「徴兵制への不安」を生む諸悪の根源である。

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    安保法案反対の上野千鶴子氏「女性も戦争に行く時代になる」

     「アベ政治を許さない」――そう書かれたプラカードが国会前を埋め尽くす日が続いている。『安全保障関連法案に反対する学者の会』に名を連ねる東京大学名誉教授の上野千鶴子さん(67才)は7月20日に開かれた記者会見で、安全保障関連法案の強行採決に対する抗議声明を発表した。 「この法案が通れば、政権が憲法の解釈を変えたことになり、憲法が根幹から揺らいでしまう。憲法順守の立憲主義、ひいては国民主権が揺らいでしまいます。そしてこれからは世界中至る所で行われている米国の戦争に巻き込まれてしまう。 政府は自衛隊の“派遣”と言っていますが、事実上の“派兵”で命の危険が伴います。後方支援といえども前線とリスクは変わらないし、戦場から戻ってきた後も問題です。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされることになるでしょう。そういう場所に国民の仲間を送るのでしょうか。法案が通れば、日本が戦後70年、戦死者を出さず戦争で人を殺さず国際社会で築き上げてきた“非戦ブランド”が台無しになってしまう」東京大学名誉教授の上野千鶴子氏 また、上野さんは「これからは女性も戦争に行く時代になる」と指摘する。 「若い女の子が、“戦争になっても、男の子だけ行くんでしょ”と言っていました。そんなことはありません。ハイテク戦争の時代、女性だって“共同参画”する可能性は決して低くない。しかも今の自衛隊は志願制ですが、徴兵制になることも充分考えられます。女性にとって無関心ではいられないのは当然のことです。政治に対して、“言ってもしょうがない”っていう無力感を持っている人が多いと思うんです。ましてや、女性にとって“怒り”という感情は許されてこなかった。でも、今怒らなくて、いつ怒るのでしょうか。怒りのマグマを今こそ爆発させる時です」関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ「憲法学者」■ 安保法案に反対する学者たちが「ケンカを買った」 その余波■ 特定秘密保護法案 この時期の法案通過を目指す裏にある思惑■ 山崎拓氏 安保法制で三角大福中と安倍氏の本質的な違い語る■ 安保法案強行採決に首相側近 「支持率下落は想定の範囲内」

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    国民の国防意識、自衛官の社会的位置付けの議論を〜安保法制をめぐり、元陸将が提言

    の酒巻尚生・元陸将が会見を開いた。酒巻氏は第9師団長、統合幕僚会議事務局長などを歴任。9月に成立した安全保障関連法制は必要だという認識の上で、さらなる法制度の整備、また国民意識や自衛隊の社会的地位の問題などが解決されなければならないと訴えた。 冒頭発言 一点だけお断りさせていただきますと、私は決してこの大好きな日本の国、あるいは日本の政治の悪口を言うつもりはありません。ただ、先日国会で成立した安全保障関係の法制は、これからの日本をより良くするためのまだまだ第一歩と位置付けておりますので、これからどういうところを直していってもられば良くなるか、という視点でお話をさせていただきます。  私の感じた所を、中国で昔から言い伝えられております「画竜点睛を欠く」という観点から申し上げます。昔、中国のある画家が四匹の龍を家の壁に描き、四匹のうちの二匹に眼を書き込んだところ、龍が生き返ったように壁を突き破り、天に登っていった。一方、眼が描かれなかった龍は、そのまま壁に描かれたままだった、という話です。つまり、一見すると良く見えていても、肝心なところが欠けてますと、決して出来上がりが万全だとは言えないということです。  戦後約70年間の安全保障の流れを大きく見てみますと、まず「一匹目の龍に眼を描き入れた」のは、1952年、サンフランシスコ講和条約を結びまして、わが国が独立を果たした時だと思います。  この当時、日本政府は「軽武装」「経済復興最優先」の国家の路線を決定しました。全く何も無くなった、荒廃しきった当時のわが国の状況を考えますと、この進路そのものは非常に正しかったと私は思います。ただ、それから70年近く経ちました今の状況を見ますと、経済的には繁栄を迎えました。つまり身体の部分は非常に大きく成長しましたけれども、頭の部分の、国を守る、安全保障という部分は完全とは言えず、若干未成熟だと思っております。  二匹目の「龍の眼入れ」は、1991年に湾岸戦争が終わりまして、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾の機雷掃海のために送られたことだと思います。半世紀の間、国内問題に集中してきたわが国が、初めて「国際貢献」という道を開きました。それ以降、約20年間にわたりまして、PKO等で延べ約5万人の自衛官が海外に派遣され、任務を遂行しておりますし、安全保障関連の法制も色々な面で整備されてきましたが、やはり残りの二匹の龍に「眼」が入った、というところまでは行きませんでした。  この、残りの三匹目と四匹目に入れるべき「眼」についてお話する前に、今回成立しました安全保障関連法制の意味を説明したいと思います。  今回の法制の目的は、集団的自衛権の限定的な行使を容認すること、もうひとつは、わが国がより積極的に国際協力を実施すること、これを法的に裏付けたということだと思います。  私なりに、今回法制が整備されたことの三つの意義を申し上げます。  一つ目は、日米同盟のさらなる深化・強化による実効性の拡大です。日米同盟は、戦後日本の安全確保のための防衛体制の二本の柱です。一つはわが国の自主的な防衛努力であり、もう一つは日米安全保障条約に基づく米国の役割遂行、この二本柱でありました。わが国にとってのこの日米同盟の重要性は、これまでも、あるいは将来も一切変わらないと思いますので、可能な範囲で日米の絆を深めていく努力が必要であると思います。  二つ目は、わが国の国際社会における信頼の獲得、国際社会での孤立を防ぐということだと思います。わが国は資源に乏しい国ですので、国際社会で孤立すると国民の生活に非常に大きな影響が出てきます。  三つ目は、自衛隊の任務を達成していく上での基盤をしっかり作りあげることだと思います。今までの法律では、自衛隊に現場でなかなか許されなかった行動も一部可能になりました。  少し細かく説明しますと、これまで必ずしも完全にはできていなかった、関係する諸外国との平時からの情報交換・共同訓練が可能になります。次は防衛力整備。自衛隊の将来の体制をどう作り上げていくか、それに伴う装備品をどの程度取得するか、その方向性が決まるということです。もうひとつ大事なことは、自衛隊が平素行っております教育、あるいは訓練。これに明確な根拠が与えられるということだと思います。これによりまして、部隊あるいは隊員個人個人の練度が向上することが期待できますし、意識が大きく変わっていくことも期待されます。  今申しましたように、今回の法制成立によりまして、日本の「抑止力」、万が一の自体が起きました時の対処の力、これが向上すること、またこれから国内外で任務にあたります自衛隊員のリスクを軽減することにもなる、これが今回の法制の意義です。  では、3匹目と4匹目の龍の「眼」、これは何かということです。  3つ目の「眼」は、国民の意識の問題です。 わが国の憲法には、国民ひとりひとりの国を守る義務という規定がありません。また、いわゆる"平和な状態"が70年間続いてきたために、国民ひとりひとりの意識の中に、国を守ることは国民の責任であり義務であるという認識がだんだん薄らいできている事実があると思います。さらに大半の国民の意識の中で、戦争、軍事に対する強いアレルギーが存在していることも事実だと思います。  私自身は、そうした意識を改革するために今回の安保法制の論議に非常に期待していたわけですが、結果的には「いかにこの国を守るか」という本質からはやや外れた国会内での論議、それからマスコミが毎日のように流しましたネガティブ・キャンペーン、例えば「戦争するための法案」であるとか、「徴兵制が採用される」とか、「自衛隊が人を殺し殺されるんだ」というキャンペーンによって、一部国民の意識がどうも反対の方向に動いてしまった。これが残念で仕方ありません。  また、論議の中で、国民が背負うべきリスク、国の平和や自分たちの生活を守るために背負うべきリスクという問題について、一切触れられていなかったということがあります。かなり多くの国民の意識の中には、未だに我々国民は守られるべきである、という意識が強く浸透していると思います。やはり今こそ国民を挙げて、自分の身は自分で守るという、本来の姿に立ち戻る時期だと私は考えます。  4つ目の「眼」は、これは自衛官の社会的な位置付け・地位付けの問題です。これも憲法上に明確な規定がありませんので、戦後70年経った今におきましても 憲法解釈上、自衛隊は「軍隊」、「戦力」ではありません。また当然、自衛官は諸外国でいう「軍人」として認められてはおりません。ちょっと脱線しますが、私自身、自衛隊に入りたての若い頃、街を歩いていて「税金泥棒だ」と罵られたことがありました。  自衛隊ができまして半世紀以上経った今、自衛隊に対する国民の人たちの信頼感は大体9割を超えるところまで来ております。これはひとえに、自衛隊員個人個人が、与えられた任務を遂行する際に背負うべきリスク、これは覚悟して任務遂行に当たるわけですが、そのことが逆に、国家であり国民のリスクを低下させるんだという自負と誇り、これが一つの大きな原動力になってきたんだと思います。  また、自衛隊の任務、あるいは役割はこれからますます増えていくことが予想されますが、新しい任務に応じた権限が十分に伴っていないことです。これは主として法律の様式に問題があると思います。なぜかと言いますと、自衛隊の法律は全て、ある特定の条件の下で自衛隊が"行動できること"、"やっていいこと"が規定されている法律になっているからです。従いまして、現場で任務遂行中に法律で規定されている条件以外の状況、いわゆる"想定外の事態"が起きた時、迅速に現場で判断できる権限が非常に限定されている状態にあります。諸外国の軍隊の法律は、全て最小限、国際法等で禁止されている事以外、現場の判断で任務遂行に必要な行動が取れるという様式になっております。  さらに、自衛隊員、あるいはその家族に対する国の施策、これが明確に定まっていないことです。もし現場で万々が一不測の事態が起きた時に、国、あるいは国民がどのように対応するかということが定まっておりませんので、これをできるだけ早く明確な形にすること、これが国にとってまず何はさておいても手を付けなければいけない極めて重要な課題です。そういう体制が取られますと、自衛隊員はいついかなる任務を与えられましても、後顧の憂いなく、送り出す家族も心配することなく、任務遂行に当たれる体制が初めてできるわけです。  以上申し述べましたが、第三、第四の「眼」の問題が解決をされていきますと、初めてわが日本は本当の意味で国際社会に地位を占めることができる、国として諸外国から信頼をされることになると思います。現場の自衛官は「リスク」が取り上げられたことに疑問を感じているのではないか »南シナ海での自衛隊の行動は可能か ー今回の安保法制が可決されたことで、より効果的に尖閣諸島などを防衛できるようになるのか。また、南シナ海では米国と中国の問題が起こっているが、この地域において日本も何かできることがあるか。  まず皆さんに理解していただきたいのは、昨年7月1日に閣議決定され、その趣旨が法に入りました「集団的自衛権の行使」につきましては、憲法の枠内ということで非常に限定されているということです。従いまして、諸外国の国際標準でいう「集団的自衛権」と、今回日本が行使容認に踏み切りました限定的な「集団的自衛権」との間には大きな差があります。  日本がこれから行使することになる集団的自衛権は、最終的にはあくまでも日本の防衛が大きな目的となりますので、無制限に行使できるわけではありません。これからの軍事面での貢献についても、非常に大きい憲法の制約がかかってくるので、全てできるわけではありません。  現在、南シナ海で中国とアメリカが動いておりますが、現時点では新しい法律が施行されておりませんし、行動の基準が明確に定まっていないので、今までの法律では自衛隊は行動できません。新しい法制が整備されて ある程度準備が整いますと、海上自衛隊に何らかの任務が与えられるということになりますが、基本的には自衛隊が武力行使を目的として海外に送られることは憲法の制約上許されません。  個人的な全く意見ですが、もし将来南シナ海に自衛隊が派遣されるとしても、米艦船等に対する後方支援になるのではないかと思います。  ー日本は中国の領土とは認めていないわけですから、アメリカやオーストラリアなどと一緒に、人工島の12海里以内を「共同訓練」という形で行動することも問題ないのではないか。  南シナ海の問題につきまして、現在の法制でも可能ではないかということですが、これは非常に判断が難しいことだと思います。なぜかといいますと、日本は「全方位外交」をメインにしています。確かに日米同盟は絶対的に重要ですが、アジアにおきましては日中関係もあります。ここでもし12海里の中で海上自衛隊の艦船が行動した場合、果たして日中関係にどのような影響が出るか。この辺を考えなければいけないと思います。 今の法律でも、自衛権には「個別的自衛権」もありますので、もし中国の行動がわが国のシーレーンに対して致命的な、悪い影響を及ぼすということになれば、あるいはこの個別自衛権で海上自衛隊等を派遣することも可能ではあると思いますが、この段階でも、政治的にものすごくハードルの高い決断を要するものだと思います。 戦後の教育に大きな問題がある ー自衛隊の責任、義務も大きくなってくるが、昔は防衛大学校に入学するのは、まさに一流の大学に準じる人たち、優秀だが経済的にそういうところに行けない人たちだったと思う。詳しい方に話を伺うと、こういう言い方は変だが、最近では、二流、三流の大学に入るような人たちが行くレベルになってしまっていると聞いている。その現状どう見ておられるか。  これは非常に質が良い時期と、少し落ち込んだ時期と、波を打っております。これは社会の景気の状況、これも大きく影響しております。しかし、その谷の部分を底上げするために、質の高い学生を採用し、これを立派な自衛官に育てるためには、先ほど申しましたように、「自衛官は軍人じゃない」という、憲法上の地位付が非常に不明確なところにも問題があると思います。  ーヨーロッパの多くの国々でも、国民に国を守る義務や責任は規定されていないと思うが。  先ほど言いましたのは憲法に明確な規定がないということですが、それ以外にも、日本の場合、戦後の教育に非常に大きな問題があると思います。終戦後、連合国の占領下にあった時に日本の戦後教育の基本はできました。その教育の中では、愛国心とか国の歴史とか、いわゆる「これが日本だ」というアイデンティティを生徒にはっきりと教え込むことが現場からネグレクトされてしまっていました。  私自身もそうですが、そういう教育を受けた人たちの頭の中からは、「国」というものに対する感覚が、おそらく外国の皆さんとはちょっと違ったものになっているのではないかと思います。「国」の概念もないですし、見せかけですけれど平和な状態も続いてきたということになると、「決められたことでもないのに、なんで国を守るためにリスクを冒さないといけないんだ」という考えが自然と根付いてきてしまうのではないかと私は思います。 現場の自衛官は「リスク」が取り上げられたことに疑問を感じているのではないかー今回の安保法制について、自衛官の本音にも個人差があると思います。役割は増えたけれども権限や保障が伴っていないというお話で、自衛隊に入っている方々の中には、日本が攻められたら体を張って、武力行使も前提とするけれども、「後方支援」などは聞いていない、話が違うんうじゃないか、という捉え方をする人がいても当然だと思うのですが。 私自身は今回の安保法制につきましては、これは絶対的に必要であると思います。必要であるし、逆に言うと、これはあくまで"入り口の扉が開いた"と。この法制が全てではなくて、これから、派生することや細部を埋めていくという段階と受け止めております。 今までの議論で、国会の中も外もそうですが、私が一番割り切れないと言いますか、理解し難いことが二つあります。 一つは、いわゆる「リスクの問題」です。 国民が負うべきリスク、これに関しては全く言及されませんでした。また、自衛官のリスク、この問題は国会でも度々取り上げられましたが、質問した野党側は、どうも法案の危険性をアピールするために自衛官のリスクを使っているんではないかと。「危ないじゃないか」と言いながら、なぜかリスクを軽くするためにこうするべきだという方法論が全く彼らの口からは出なかったことです。  また、全般的には新しい役割が増えても、リスクはそれほど大きく変わらないという基本姿勢がベースにあるものですから、本当に国会を挙げて議論されるべき、新しい役割に応ずるリスク、あるいは現場の自衛隊員が負うリスクが真剣に議論されなかったのは、内心失望したところです。  もうひとつ、現場の自衛官の立場で言いますと、リスクという問題が新たに取り上げられることそのものに疑問を感じているのではないかと思います。  なぜかと言いますと、自衛隊の創設以来半世紀以上が経っておりますが、今までの国内の任務、あるいは20年前以上から始まっているPKOその他の国外の任務遂行にあたって、リスクが全く無いなどとという任務は一つもなかったのであって、新たな任務が加わることでリスクの"質"は変わるかもしれませんが、今まで全くリスクがなくて、これからの任務でリスクが増えるんではないかという議論は、非常に悪い言葉で言えば、これまでの現場の自衛官の任務そのものへの見方がおかしい、ということになります。 今までもリスクはありました。それをなんとか訓練なり、自分たちの意識で、あるいは部隊としてのまとまりで乗り越えてきたわけでして、現場の彼らは今後も与えられた役割を果たすためにリスクを十分背負いながら国民のために働くということです。  もう一点、これは個人的に期待したい、注目したいのは、法制成立の段階でも国会の内外に残った問題です。それは当時から言われていましたが、国民の皆さんの法制に対する理解度、これがまだ不十分であることです。政治家の皆さんの口からも出ていましたし、国会外の活動でも言われておりました。  まず国民的なコンセンサスが得られるような努力を、政治家も役人も、我々も一丸となって進めていって、法律が施行されて自衛隊が動き出すまでには、今よりは色々な問題に対する国民のコンセンサスが得られるような体制づくりを進めてもらいたいということです。  自衛隊が国のため、国民のために働く最大の心の拠り所は、国民の皆さんの理解と支持だと思います。 見通せる将来は、日米同盟を基準に考えるべきーもっと根本的な質問だが、日本の戦力そのものはどれくらいのものなのか。憲法の縛りを別として、万々が一のとき、尖閣諸島を防衛するだけの力はあるのか。 まず、戦力というのは量的な問題と質的な問題と両面から分析されなければいけないと思いますが、日本の場合、ご承知のとおり、非核三原則、専守防衛という国の方針のもとで半世紀が過ぎてきましたので、自衛隊を大々的に海外に送り込む、いわゆるパワー・プロジェクション(戦力投射)の力は持たない、という制限がありました。  従いまして、日本を守るための力としては、今の陸海空三自衛隊の能力である程度十分だと私は思いますが、将来、いろいろな状況が起きる場合、必ずしも自衛隊の力だけで守れるかどうか、疑問に感じるところもあります。従いまして、そこを日米同盟や関係友好国との協力関係を強固なものにしていって、決して日本一国のみで守るということではなく、大きな同盟関係の中で日本を守るという道を取るべきだとおもいます。  ー自分の国は自分で守るという話だが、そのためには、沖縄の問題もあるし、そろそろアメリカ軍は良いという考えもあるのではないか。まだアメリカ軍に頼らなければいけない、と酒巻さんがおっしゃったのも残念だ。  おっしゃるとおり、自分の国は自分で守る、これは大前提です。これは世界どこの国でも一緒だと思います。だから本来は、自分の国は自分で守れるという体制を完全に作った上で、さらに諸外国との協力を築いていく、これが本来の姿だと思います。  私は先ほど、将来も日米同盟を基本に、と言いました。逆に今、見通し得る近い将来において、このアメリカ頼みをやめて日本一国で、というように路線を変更した場合に、それが本当に日本の国力・国情で見た場合に妥当なのかということだと思います。  政治的な問題、外交的問題、予算的な問題、さらには国民意識の問題など、全てがそういう方向に行かないと、また国民の総意がないと、戦後70年間の路線を大きく変えることはなかなか難しいと思います。見通しうる将来に、これを根本的に変えて、わが国が自分の国を自分の国だけで守るということを追及することが現実的なのかというと、少し疑問を感じますので、やはり見通せる将来は、日米同盟を基準に考えるべきだと思うわけです。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    徴兵制度ある国々 タイでは抽選で「海軍」引き失神する人も

     英国の『ミリタリー・バランス』(2010年度版)によると、徴兵制を採用する国は、韓国、ベトナム、イスラエル、ロシアなど約50か国だが、世界の徴兵制度には「お国柄」もあらわれる。 変わり種はタイ。期間は2年と定められているが、陸、海、空に加えて「徴兵免除」の4つをなんと「くじ引き」で決める。抽選は国民の一大行事で、テレビ中継までされる。一番過酷といわれる「海軍」を引いた若者が、ショックのあまり失神するシーンは世界的に有名となった。 女性に兵役があるのはイスラエル。期間は男性より約1年短いが、特殊部隊などに配属されることもある。周囲をアラブ諸国に囲まれ、常に戦争と隣り合わせという事情が色濃く影響している。 近年は徴兵制を撤廃する国が増えた。フランス、オランダ、ベルギーなどが冷戦崩壊後の1990年代に志願制に移行。兵器がハイテク化する中、兵士の「数」より「質」を重視するようになったためだ。最近では昨年7月にスウェーデンが徴兵制を廃止したが、理由は「財政難」だった。ドイツでも憲法上の兵役義務条項はあるが、徴兵制撤廃を昨年9月に決定した。 逆に、最近になって徴兵制を導入したのがマレーシア(2004年)。抽選で選ばれた18歳以上の男女が、国防省の管理下で6か月の共同生活を送る。愛国心や団結力を培うことを狙いとしており、多民族国家ならではの制度となっている。関連記事■ 大阪教職員に「石原氏に橋下氏諫めてもらいたい」との声出る■ 高齢のアイドル少ない韓国芸能界 兵役のブランクは辛いもの■ 2PMメンバー 他人に似ているくらいなら不細工がいいと悩む■ エロ男「TPPコンドーム撤廃で精力増進GDP上昇」と力説する■ 元官僚が生活保護は制度に問題あるも必要だと指摘した一冊

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    SEALDsは恋人を守らないのか

    国会前で騒いでいたSEALDs(シールズ)の皆さんですが、テレビのニュース的にはすっかりあきられたと思っていたら、民主党や共産党が「今後も共闘したい」などと言い出しています。こんな誘いに乗って利用されるよりも、日常に戻って、まともな本の2、3冊でも読んでくれたらいいのですが。

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    SEALDsが語った、今後の活動と「日本の民主主義」

    BLOGOS編集部 安全保障関連法案の成立から1ヶ月あまり。現在もデモなどの活動を続けるSEALDsのメンバーが28日、日本外国特派員協会で会見を開いた。SEALDsが同所で会見を行うのは、同法案の可決・成立直前の9月16日に続いて2度目。この日の会見には千葉泰真(明治大学大学院)、本間信和(筑波大学)、芝田万奈(上智大学)、諏訪原健(筑波大学大学院)の4氏が出席。今後の活動や野党共闘、さらには民主主義のありかたについて語った。戦後70年間の自由と民主主義の伝統を尊重し、憲法の価値を守る千葉氏:SEALDsとは、2015年の5月3日、自由で民主的な日本を守るため結成された、若者・学生による緊急アクションの学生団体です。 先日幾多の遺恨を残しつつ国会で成立した「安全保障関連法案」に反対する国会前での抗議行動は、国内外を問わず様々なメディアによって大きく報道されました。それにより、SEALDsの名前は広く知られることになりましたが、私たちの目標は、設立理念でもある"この国の戦後70年間の自由と民主主義の伝統を尊重し、日本国憲法の価値を守ること"に変わりはありません。 そして、それは特定のイシューに特化することではなく、立憲主義、生活保障、また安全保障、これら3つの要素からなる将来ビジョンを柱とした包括的なアクションを目指して活動することです。 私たちは、この日本という国の明確な将来ビジョンを持ち、そしてより自由で、より民主的な社会に逆行する政策に対し、反対の声を上げています。例えばデモや街宣、サロンという勉強会、動画コンテンツやブックレットの制作、選んだ本を書店で紹介する「選書プロジェクト」や出版と、この社会の自由と民主主義を守り、バージョンアップするための様々な取り組みをしてきました。 この夏、日本の立憲主義と民主主義を守るという観点から、毎週金曜日に国会前で安保法制に反対する抗議行動を行ってきました。これまでは主にデモや街宣など直接的な抗議行動を行ってきましたが、今後は選挙に向けての取り組みも行っていくつもりです。選挙協力ができないと、次の参院選は非常に厳しいのではないか本間氏:僕からは野党共闘について述べさせて頂きます。 私たちは、今回の安保法制を受けて、野党の政治家の方々に是非とも選挙協力を行っていただきたいと思っています。安保法制は日本の政治の根幹である立憲主義と民主主義をないがしろにするものであって、個々の政策のレベルを超えているものです。政策レベルでの様々な違いを越えて、立憲主義、そして民主主義を守るためにと、なんとかして一致して頂きたいと思っています。 しかし、その協力の形が段階的なものであるということも承知しています。市民社会の側も、観客席からただ野党を揶揄、罵倒するだけでなく、どのようにしたら野党の選挙協力が実現できるのか、その問いを引き受けて、一緒になって盛り上げていくことが必要だと思っています。次の選挙に向けて、政党の方々だけでなく、市民社会の側もどのように協力できるのか、どうすれば選挙で勝つことができるのか、時には叱咤激励して、社会に訴えていきたいと思います。 野党が選挙協力することによって次の参院選がどのようなものになるのか。候補の調整などによって、選挙戦がより戦いやすく、またわかりやすいものになることは明らかです。逆に言いますと、次の参院選は協力ができないと、非常に厳しいのではないかという認識をこちらとしては持っています。 様々な立場や思想・信条の違いを越えて、あらゆる人達が手を取り合って戦っていくことが大事だと考えています。野党の選挙協力が実現したら、選挙に対しても強くコミットメントしたい諏訪原氏:私からは、今後SEALDsがどのようなことを行っていくのか話をしたいと思います。 まず、先ほどから何度も出ていることなんですけど、この国で起こっているのは、民主主義国家の基盤の部分が破壊されている、そう言ってもいい事態です。そのために、私たちは「立憲主義や民主主義を取り戻す」、このことをきちんと選挙の争点にしていかないといけないと考えています。 まずそのために、共闘をきちんと野党に対して訴えていくということがひとつ、そしてそういうものが必要だという世論を喚起していきたいと考えています。 私たちは引き続きデモンストレーションや街宣という路上でのアクションをするとともに、勉強会・シンポジウム、動画・ブックレット、そういうコンテンツを社会に向けて発信していく、そのようなアクションを行っていきたいと考えています。 ここからが今までとは少し違うところですけれども、もし野党の選挙協力が実現したら、私たちは選挙に対しても強くコミットメントしたいと思っています。 安保法案が成立した時に言ったことは、「賛成議員を落選させよう」ということだけだったんですけれども、プラスアルファで、統一候補が出るのであれば、その候補を応援していくなど、様々な形で、具体的に選挙に踏み込んでいきたいと考えています。 ここまでは選挙についてのお話をしてきましたが、私たちは選挙だけでおしまいという風には思っていなくて、この国の民主主義をどうやってバージョンアップするかにも取り組んでいかなければいけないと考えています。 日本では特に投票率の低さが深刻な問題ですので、投票所の設置運動を行って、投票率アップを働きかけたいと思っています。例えば駅、大学、あるいはショッピングセンターなど、人が集まるところに設置することで投票率が上がり、その場所で政治を語るきっかけになることで、「民主主義のバージョンアップ」に繋がるのではないかと考えています。 民主主義をバージョンアップするということは、支持政党や政治思想の違いを越えて、みんなで協力して取り組める課題だと思います。そういう意味で、この国の民主主義を十全なものにしていくために、手を取って進んでいきたいと思います。 時間はかかると思いますが、投票に行きやすい環境をつくっていくことは、市民の力、メディアのみなさんの力で少なからず整えていけると思いますので、ちょっとずつでも前進していければいいと思っています。ただ、制度を作ったから完成、というわけではなくて、制度を作った上で私たちがどう使うかも非常に重要で、その辺の意識の喚起にも取り組んでいければと考えています。 最後になりますが、政治家の方々に言いたいことなんですけれども、特に野党の方々と言ってもいいかもしれませんが、今起こっている事態は本当に緊急事態であります。やはり私たちが協力しなければいけないことがたくさんあると思います。それぞれの政党に利害や関係性があることは重々承知しています。ただ、今、国民が何を望んでいるか、それにきちんと目を向けて、国民が一番望む形での選挙協力、あるいは何らかの取り組みも進めていって欲しいと思います。 自民党の方々に対しても、考え方の違いはあったとしても、民主主義や立憲主義という根底の価値の部分では共感できることがあるはずです。そこに対しては向き合って欲しいと思っています。 私たちも、もし話し合える場があれば、自民党の方々や立場の違う方々と話をして、日本の未来について方向性を決めていくことができればと考えています。 そして、この社会に生きる人々に対して言いたいことです。 SEALDsとしては、投票率アップなど、自分たちでできることには取り組んでいこうと考えています。しかしながら、この社会に起きている大きな転換はそう簡単に変えられるものではないです。そして、この問題はあなたがた全ての問題でもあります。そういう意味で、「SEALDs頑張れ」と言ってくれるのは嬉しいことですけれども、全ての人ができることをやっていかないと、この状況は決して変わらないと思います。立憲主義や民主主義を守る、これはみなさんそれぞれ共感できるところだと思いますので、この方向性に向かって、手を取り合って、できることをすべてやっていけたらいいなと思います。ともに頑張っていきましょう。SEALDsは参院選で解散、というのが妥当野党共闘に向け「"産みの苦しみ"という状況」―みなさんが掲げている「野党共闘」は今、お寒い限りです。野党第一党の民主党と、第二党の維新の党はお家騒動で選挙協力のお話は二の次です。党の代表に対して、私やフリージャーナリストが出入り禁止になるのも覚悟で嫌な質問をしていますが、脳天気と言っていいほど危機感はありません。 みなさんの力で新たな野党再編を促すとか、有能な政治家を見つけて、新しい党を立ち上げるよう、お尻を叩くとかしないと、新しい政治勢力の結成は望めそうにありません。それについての考えはどうでしょうか。諏訪原氏:メインにやっていくことは、野党が協力しないと選挙で勝てないし、勝てないと改憲も視野に入ってくる、という選挙協力の意味を、民主や維新だけでなく、きちっと社会に対して訴えかけていく。そうすることで政治家の方をコントロールするイメージを考えています。ですから、私たちの方で再編や今後のデザインを描くことはしません。千葉氏:僕たちはそれほど楽観的に捉えてはいません。単純な野党協力をしたところ勝てるということではなく、今どういう状況で動いているのか、メディアに出てくる以外のところも正確に状況を追いつつ、このような提案をさせていただいています。 民主、維新の内部でごたごたが起こっているということですが、今僕たちが提唱している結集というのは前例の無いことですし、今まで無い規模の選挙協力ですので、その中で"産みの苦しみ"という状況が起こっているのではないのかなと思います。ある種ポジティブにも捉えています。政治的発言をすることに対する忌避感が根強い―みなさんが運動を始められて、取り上げてくれるメディアもある一方で、弾も飛んできていると思います。運動を行ったからこそ見えてきた日本社会の現状は、どういうものでしょうか。本間氏:やはり、政治的な何かを発言をすることに対する忌避感がまだ根強くあると思いました。あた、TwitterやSNSで発言すると誹謗中傷が飛んでくる現状もあります。僕たちは安保法制に反対という立場から発言してきましたが、賛成派の方の発言の中には、根拠の無い嫌がらせや誹謗中傷もあり、対話自体が難しくなっているということを考えさせられました。 民主主義社会というのは、異なる意見や立場の人が一緒に生きていく社会だと思っています。そのためにひとりひとりが思ったことをたやすく言える、話せる風潮や文化を作っていかなければならないと思っています。SEALDsは参院選で解散、というのが妥当―運動体としては"Students Emergency Action for Liberal Democracy - s"ということで学生主体ですが、卒後後はどういうことになるのか。高校生も参加できるのか、どういうあり方を考えているのか。奥田(愛基)さんは今日来ていないけど、もう卒業したのかな?(笑)芝田氏:奥田は今日学校に行っております(笑)。 SEALDsは来年で解散しようと思っております。理由としては、みんなが卒業するということもありますが、「緊急アクション」として立ち上がったので、一旦解散して、その後は個人でやりたいひとがまた団体を作ったりすれば良いのかなと思っています。(質問者から「残念だなあ」の声。)諏訪原氏:やっぱり民主主義や立憲主義を取り戻すという話は緊急のものなので、そういう意味でも参院選で終わるのは妥当だと思うんですね。その後は衆院選で、この国の舵取りを誰に任せるかと、いう話になってきますから、ネガティブな事だけを言っていてもダメなわけで、どういう方向性を目指すのか、いろんな人交えて話をしていかないといけないと思います。そのためにはエマージェンーなものとは別に根付いて行かないといけないと思うので、SEALDsは参院選で解散、というのが妥当なんじゃないかと考えています。日本共産党の「国民連合政府」のような構想は必要―日本共産党との協力、連立政権を作るということに、野党の中でも保守系議員などは慎重ですし、保守的なサポーターが自民党に逃げてしまうかもしれません。どうやって乗り越えていけると思いますか。諏訪原氏:やはり共産党が言っている「国民連合政府」のような構想は必要だと思っています。安保法制の話で言えば、閣議決定のところまで巻き戻すことを視野に入れないといけません。そうすると"政権"ということを意識せざるを得ません。ですから、必ずしも共産党が提案している形なくてはならないとは思いませんが、それに類するものが必要だと考えています。 ただ事実、世間で「共産党アレルギー」と呼ばれているものもあります。そのような拒否感があるのであれば、民主党、維新の党などが、国民にきちんと意見を聞いた上で、自分たちのやり方を示していけばいいと思います。政党間で話していってもいいと思いますし、国民を巻き込んで、どういう野党共闘がベストなのか模索していければいいと思います。私たちもそこに入れればいいと思います。―選挙への取り組みも「学者の会」と連携されるのでしょうか。あるいはもうちょっと広げて、「ママの会」などとも連携して、「安倍政権打倒選挙対策本部」のようなものを立ち上げるのでしょうか。また、選挙戦が近づけば、街頭演説活動などにも積極的に参加されるのでしょうか。千葉氏:今回「学者の会」や「ママの会」は、安保法案反対の一点で集まっておられますから、次の参院選で何か運動することについては、様々な意見の違いが実際にはあると思っています。しかし、いろんな方たちと協力できるとはないかと、これからお声がけしていけたらと思っています。 実際に応援演説などをするかということについては、どの党ということではなく、個々の候補の方とお話をさせていただいた上で、具体的に何をしていくか検討していきたいと思っています。"民主主義の理想の形"とは"民主主義の理想の形"とは―民主主義をバージョンアップする、ということですが、かつてジャーナリストの筑紫哲也さんが「論を楽しむべきだ」というようなことをおっしゃっていました。しかしSEALDsの皆さんへのネット上の書き込みを見ると、"論を楽しむ"どころか自由な気風も無くなっていると感じていまして、民主主義が成熟するどころか、悲観的に見てしまいます。みなさんの中で、バージョンアップした先の民主主義の理想の形がイメージできているのであれば、どういうものかお伺いしたいと思います。千葉氏:例えば「民主主義とは未完のプロジェクトである」という言葉がありますように、"これが民主主義である"という完成形を提示できた社会はないと僕は考えています。そしてまた、SEALDs内でも、どういうのが完璧な民主主義なのか、という完全な合意があるわけではありません。 僕たちは"緊急行動"として、立憲主義を守るために、自由と民主主義を守るために活動しているので、それをご理解いただいた上で、僕個人の見解としてお話しますと、それはアメリカやイギリスのように、政権交代が形の上だけでなく、ちゃんと機能するような政党政治のあり方であり、たとえば政治がより市民の側にあり、路上では頻繁にデモが起こっている、投票だけではない政治参加の方法がより身近にある社会が、ひとつ理想的な、より民主主義的な社会なのではないかと僕は考えています。諏訪原氏:これもあくまでも個人的な意見なんですけれど、やはり民主主義って単純に制度だけの問題ではないというのが大事なんじゃないかと思っています。どんなに制度がしっかりしていても、使う人が適切に使わないと機能しません。 根底的な価値として、一緒に一つの社会で生きていく時には利害がぶつかりあうので、それを調整するために民主主義必要なんだという前提、一緒に生きるという価値観がそもそもないと上手く回っていかないと思うんですね。そういう意味で、個人の尊厳を大切にしていく社会が非常に重要なんじゃないかなと思います。 そして、民主主義で何か理想かと言うときに、止まらないということ、歩み続けることが必要だと思います。それはやっぱり「未完のプロジェクト」という話がありましたけれども、これで十分だと思った瞬間に、システムの劣化がどんどん始まると思うので、民主的な社会を目指すんだ、ということが必要なのではないかと思います。本間氏:自分もちょっと言いたいことがあるので答えさせて頂きます。 まず制度の話で、単純な話ですけど、民意をより反映する選挙システムや政治システムを考えなければならないのは大前提としてあると思います。例えばそれは一票の格差や小選挙区制を巡る議論、法的拘束力が無かったとしても諮問的国民投票があってもいいじゃないか、ということだったり、議論の前提としての情報公開制度に関してです。 そして制度ではないところも民主主義にはあって、それは制度を整備していく主体に関わることだと思います。その問いが非常に重要だと思っていて、なぜかと言えば、この夏、自分たち自身が「民主主義ってなんだ?」と言っていて、そういう本も出して、今のところ8万部も売れております(笑)。これに対して、僕たちは「民主主義ってこれだ!」と答えてきました。これはオキュパイ・ウォールストリートでの「Tell me what democracy looks like」「This is what democracy looks like」を日本語にしたものです。 やっぱり、この「民主主義ってなんだ?」という問いを引き受けていく人が、僕は主体性、当事者性を持っているんじゃないかと思っています。単純に野党の政治家や政治的な活動している人に「お前どうするんだ?」と問いを投げかけるのではなく、じゃああなたはどうするんだという、その問いを引き受けていくことが、民主主義を担保するということなのではないかと思います。 すごく抽象的な答え方になってしまたんですけれども、そういう問いを引き受ける人たちが増えていき、社会に一定数いて、それが当たり前だよねという雰囲気を作っていくことが重要だと思います。―今、日本で大きなテーマになっているのは"女性の社会進出"ですが、今日ほとんどの質問に答えたのは男性3人でした。きょうのメンバーも男性3人女性1人ですが、女性はあまり発言しないということなのでしょうか。芝田氏:私がこの夏感じたことは、日本社会における女性のステータスというか、女性が発言すると、内容に関わらず批判がくるという状況がまだあると思いました。今日のメンバーは男性3人女性1人ですが、SEALDsのメンバーは男女半々くらいだし、女性が政治的発言をしていないということではないと思っていて、「ママの会」も女性が立ち上がっているわけですし、私は希望を持っています。ただ、状況は厳しいとは思います。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    ハロウィンパーティーで騒ぐよりもSEALDsのほうがマシ

    古谷経衡(著述家)日本はいつからハロウィンの国になった? 新宿を歩いていたら、漫画『NARUTO』のカカシというキャラクターのコスプレをしている男とすれ違った。カカシは『NARUTO』の主人公・ナルトの師であり、簡単にいえば忍者の教官だ。男は、カカシそっくりのアーミージャケットのようなものを着ていて、髪を銀髪にブリーチし、顔の半分をマスクで覆っていた。追い抜きざまにまじまじと凝視すると背の高い端正な顔立ちをしていた。男のとなりには、一応アニメに詳しいと自負する私でも何の作品なのか不明な、ゴスロリっぽい何かのキャラクターのコスプレをした女が連れ添っており、胸がデカかった。 時節柄、明らかにハロウィンパーティーの参加者であろうと思う。毎年10月になると、首都圏でこのような奇っ怪な仮装をしたハロウィンパーティーに参加する輩の姿を視認できるようになる。先日ではさいたま市でも、同じような、こちらはゾンビ風の血糊のような創傷風のコスプレをした若い女が屯していた。品川の某ホテルのロビーでは、キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』の乱交パーティーに出てくるようなドレスアップの上に仮面をした女達が足早に歩いて行った。 この国はいつからハロウィンの国になった?先日、警視庁は渋谷のスクランブル交差点での警備人員を倍以上に増強する、と発表した。ハロウィンのドンチキ騒ぎのために、公費を使った官憲の手が煩わされるような事態にまで、ハロウィンは増長して憚らないのである。ハロウィンから欠落する「怒り」 一言で言えば私は、躁的なお祭り騒ぎが大嫌いだ。多人数が集まる事自体に、たまらない抵抗感がある。いや嘘をついた。私は臆面もなく、見ず知らずの人達が他者の垣根を超え、融合する空間が羨ましくてしかたがないのである。そのような意味で、バーベキューもクラブも合コンも憎悪しているが、一方で猛烈なあこがれがある。ハロウィンパーティーに対する不快感も、私の嫉妬という憎悪の裏返しであろう。 しかし、どうしてもハロウィンに対する根源的な違和感を拭い去ることは出来ない。ハロウィンパーティーに興じる若者からは、一様に多幸的な笑顔がある。そこに怒りの感情は皆無だ。当たり前のことだが、パーティーにしかめっ面で来る人は居ない。みな社交的な人々ばかりだから、終始笑っている。 ハロウィンパーティーに参加している人々を見て、私が若干恐ろしいと感じるのは、彼らには原初的な怒りの感情が存在しているのか?という疑問である。「トリック・オア・トリート」などといって渋谷や六本木で浮かれている彼らや彼女たちは、何か巨大な存在に対して怒ったことがあるのだろうか?怒りの感情が欠落し、ひたすら躁的な空間で仮装に興じる光景は、よく言えば平和の象徴でも有り、悪く言えば奇形的だ。SEALDsは笑わない 参議院で安保関連法案が成立した9月17日の未明のその日、私は国会前に居た。時刻はたしか深夜の1時を回った頃ぐらいで、共産党の志位氏や民主党の福山哲郎が最後の反対演説を行おうとしていた。その後、「生活の党と~」の山本太郎が喪服を着て牛歩まがいの抵抗を始めるが、それも虚しくすぐに投票となった。「志位は頑張れ」「安倍はヤメロ」「太郎は頑張れ」というラップ調のシュプレヒコールが、方々から絶叫とともにあがった。 彼らには、笑顔がなかった。SEALDsの創設者の一人、奥田愛基さんの傍らで絶叫していた若い女性は、開票の後、法案が成立した瞬間、泣きそうな表情をみせ、しかしただちに怯むこと無く「安倍はヤメロ」のシュプレヒコールを再開させた。彼らには一様に、怒りの表情があった。9月19日早朝まで続いた国会前の抗議集会で笑顔を浮かべる若者たち。マイクを持つのはシールズ中心メンバーの奥田愛基さん 私は、安倍政権を微温的に評価し、安保法案の成立も支持している。「保有していないが行使できない」という集団的自衛権の従来解釈は異様であり、よって安倍政権の集団的自衛権の解釈変更と、限定的な容認を是とした安保法案の成立には首肯するよりほかない。 が、立場はどうであれ、憤怒の表情を露わにし、笑顔のないSEALDsからは彼らの本気を感じることが出来た。よく、ニヤニヤと笑いながら「ラブアンドピース」などを訴える自称アーティストでピースボートに乗っていました、みたいなふざけた若者を観るたびに私は激しい吐き気をもよおす。彼らの護憲平和の思想が気に喰わないのではない。平和を笑顔で語るという、その不誠実な態度に私は心底吐き気をもよおすのだ。 平和を希求し、戦争を憎むのならその表情は笑顔ではなく怒りに変わるはずだ。広島の原爆資料館に行って、私は心からアメリカの戦争指導者を憎んだ。あるいは、ナチのユダヤ人虐殺の映像を観る度に、ナチの責任者らの鬼畜の所業に頭に血が上った。平和への希求は、笑顔からは生まれない。二度と再び戦争を繰り返させないという決意には、笑顔は似合わない。必要なのは怒りだ。それは非日常などではない だから戦争反対などという掛け声を笑顔で言っている人間は嘘つきである。多幸感に満ち溢れ、怒りを忘れたハロウィン・パーティーからは、このような欺瞞と恐ろしさを感じる。そのような意味で、SEALDsの主張には賛同できない部分があるが、少なくとも彼らからは本気度を感じた。 「年に一度くらい、ハレ(非日常)があっても良いじゃないか」という意見もあるだろう。しかしそれは巧妙な嘘だ。ハロウィン・パーティーに参加できるような、他者との垣根の低いリア充は、10月にかぎらず、事あるごとにパーティーやイベントを繰り返しているはずだ。これは私の勝手な想像だが。ハロウィン・パーティーは「怒り」という人間の、もっとも重要な感情が根こそぎ欠落している点において、SEALDsの抗議行動のほうが余程マシ、と私は思うのである。しかしよもや、SEALDsのメンバーは、ハロウィンパーティーには参加するまいな。それを心から願う。   

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    「ゆとり教育」「新学力観」の洗脳が解けないSEALDsの面々

    で少し知的になった気になる程度の若者が左派になるのは仕方がないし、「ゆとり教育」とは何の関係もない。安全保障関連法に反対する「学者の会」と若者団体「シールズ」が開いたシンポジウムで発言する奥田愛基さん(右)=10月25日午後、法政大 私が「ゆとり教育」やその背景にある「新学力観」をSEALDsに感じるのは、代議制民主主義の原則も知らず、前回の衆議院選挙で集団的自衛権が争点になっていた事も知らず、「民主主義って何だ」と国会前で叫び、挙句にTVにまで出演してしまう。その無知ゆえの向こう見ずさである。 ゆとり教育とは何か。それは「知識よりも意欲、関心、態度が大切である」とする新学力観の究極の形である。変化スピードの速い現代社会にあっては、学校で仕入れた知識などすぐに陳腐化してしまう。しかも今は生涯学習社会なのだから、知識などは必要があればその都度仕入れればよい。むしろ大切なのは、知識を得ようとする意欲であり、知的関心であり、知識を得る態度である。これが新学力観の概要であり、その思想に基づいて学校の学習内容を究極まで絞ったのがゆとり教育なのである。そして、ゆとり教育は無残な失敗に終わり、日本の児童生徒の学力は地に落ちた。それは当然だろう。教員は、大学を出、教職課程で単位を取り、教員採用試験に合格した者達だ。それゆえ教科書の内容を教えるだけの最低限の知識は持ち合わせている。しかし、知に対する「意欲、態度、関心」については、まったくの凡人でしかない。意欲の高い者もいれば、仕事帰りに一杯やることしか興味のない者もいる。その上、公立学校の場合は公務員なので「意欲、態度、関心」が皆無の者も失業せずに教壇に立っている。教員に新学力観に基づく授業を強要するのは「パン屋に寿司を作って売れ」と言っているに等しい。 そして、新学力観やゆとり教育は日本の児童生徒の学力低下だけではなく、奇妙な副産物を産んだ。それは「学力と自己肯定感の反比例」という現象だ。学力が高い者ほど自己肯定感が低く、学力の低い者ほど自己肯定が高い。分かりやすく言えばバカほど「俺ってスゲエ」と思っている、それが日本の子ども達なのである。 さて、SEALDsをもう一度思い出してほしい。彼らの出身高校や出身大学の偏差値の低さがネット上で揶揄されたが、それをここで蒸し返すつもりはない。問題にしたいのは、その言葉や主張の平易さである。この点は、団塊の世代左翼達と180度異なる。団塊の世代左翼はまともに安保条約の条文さえ読まなかった癖に、駆使する左翼用語は難解を極めた(議論すれば大抵の者は、自分が使っている用語を理解していないことがすぐに露呈したが)。ところが、SEALDsの面々は、「安保関連法案が通れば戦争になる」「安倍政権は徴兵制を狙っている」「民主主義って何だ。民主主義ってこれ(デモ)だ。」と、言っている中身はバカ丸出しにしても、誰でも判る言葉で訴えた。そして、そのデモをする態度を大人たちが褒め称えてくれた。 安保関連法案は成立したが、SEALDsの若者たちは、あの時の賞賛を輝かしい成功体験として記憶するだろう。そして彼らが受けてきた新学力観に基づく「知識」蔑視思想は、より強固になるはずである。 ちなみに彼らが毎夜太鼓を叩いて反対していた法律の正式名称は「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」と「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」という。前者は15条の比較的短い新設法だが、後者は条文数こそ10だが新旧対照表が132ページに及ぶ巨大な法律だ。私は、その内容を読み解くだけでも数日かかってしまった。 SEALDsや彼らを「かっこいい」と感じた若者たちも、いつかは「ゆとり教育」や「新学力観」の洗脳が解け、社会で発言するためには膨大な知識のバックボーンが必要であると気づいてほしいと願う。

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    「運動」は転換したのか? SEALDsと「68年以降」の終焉

    新しい市民社会はどうすれば作り出せるのか(5)毛利嘉孝(東京芸大准教授)×五十嵐泰正(筑波大准教授)柳瀬 徹(フリーランス編集者、ライター)SEALDsと「68年以降」の終焉毛利 反原発運動や官邸前抗議行動も、新しい展開を見せ始めています。たとえば最近だと若い人たちのSEALDsの活動など新しいネットワークの作り方やデモの見せ方を示しているように思います。 僕はこれまでSEALDsについてはメディアからのコメント要請は全部断ってきました。契機となるようなタイミングでは何回か行ってはいるけど主体的に関わっているわけでもないし、メンバーを知っているわけでもない。そんな人間がもはや国民運動にまで発展している動きに余計なことを言うべきではないし、世間の彼らへの印象に誤解を与えかねないので、時期がくればきちんと調べた上で発言しようと思っています。でも、とにかくすばらしいと評価しています。五十嵐 僕もそれほどフォローできていなかったんですが、8月30日(金)の「10万人デモ」は、見ておきたいという思いもあって行ってきました。本当によくやっている、と思います。SEALDsの奥田愛基さんSEALDsの奥田愛基さん毛利 法案の中身からメディア戦略まで、よく勉強していますよね。彼ら以上に深い議論があるのなら、それは専門家である研究者がやればいい。20代の学生があそこまでやっていることに驚かされます。五十嵐 ほかの世代も彼らのムーブメントに加わっていますよね。いいことなんじゃないかな。毛利 僕の本では『文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱』(月曜社、2003年) と、『ストリートの思想 転換期としての1990年代』(NHKブックス、2009年)の二冊がデモを扱っているのですが、どちらも渋谷や高円寺あたりのサブカルチャーから出てきた運動で、エッジが効いているのかズレているのかわからないような、社会から周縁化された異質な集団によるものでした。 今回は、政治色の必ずしも強くない大学に属している、ちょっと「意識高め」の層――これは否定的なニュアンスは一切ないです――大手企業やマスコミにでも就職していきそうな若者たちが、組織化して身を投じているところがまったく違います。だからこそ広がっているのだろうし、いろいろな層からの共感も得られているのでしょう。この点で、僕が分析対象としていた運動とは断絶があって、その前の反原連やレイシストカウンター運動はその転換期だったように思います。五十嵐 そう思います。反原連は高円寺から始まったものでしたよね。毛利 高円寺の人たちが後景化していくに従って、反レイシスト運動の「しばき隊」やC.R.A.Cなども出てきて、運動の主体が変容したんでしょうね。そしてSEALDsの登場で完全に入れ替わった。以前から運動をしてきた人たちには、ある種の寂しさがあるでしょうけど。 もうひとつ重要な点は、ニューレフト的なものでは完全になくなったことです。五十嵐 そうですか。毛利 ここでいうニューレフトと、日本語の「新左翼」と重なり合うところもあるのですが、日本の「新左翼」の場合は固有の歴史と党派性もあるので一応わけて議論したいと思います。グローバルな文脈におけるニューレフトは旧来のマルクス主義を超えようとして、環境問題、人種やフェミニズムといった階級以外の論点を取り入れようとしてきました。その流れにあったのがカルチュラル・スタディーズですよね。五十嵐 ある意味で「差異のフロンティア」を探そうとしてきたということですね。毛利 そのフロンティア探しは、反原発運動とSEALDsで完全に消滅したと思います。五十嵐 そこも毛利さんにお聞きしたかったんです。安保法案をめぐる動きについては、僕もまったく発言してきませんでしたし、発言すべき立場にもありませんけど、そのあたりが社会学者にとっての発言しにくさに関係しているような気はします。毛利 カルチュラル・スタディーズが発言しにくいのは、ニューレフトの系譜にいるからですよ。五十嵐 ツイッターでSEALDsにまつわるセクシズムが議論になっていて、もちろん批判的に考えてゆくべきことではありましたが、当人たちの発言を見たり、伝え聞く限りでは、運動の中心になっている人たちは、そのあたりのことはわかっているんじゃないかって感じます。あえて清濁併せ呑む必要があるほどに、多様な人を巻き込む「国民運動」の段階に移行していた、それは確かだと思います。毛利 嫌味っぽい言い方に聞こえるといやなんですが、いまの政治意識の高いと思われる多数派のミドルクラス層にこの短期間でしっかり訴えていくには、現実的にはああいう方法しかなかったのだと思います。五十嵐 僕もそう評価しています。毛利 1968年を運動のピークとして、ニューレフトが教条的マルクス主義からの脱却を図るなかで、カルチュラル・スタディーズが70年代に登場する。僕もその流れのなかにいたわけだけれども、この間68年から進んだのか後退したのかはより厳密な議論をするべきでしょう。日本の場合は、そもそも「新左翼」と訳された社会運動がヨーロッパを中心に世界的な規模で進行したニューレフトの運動をしっかりと吸収できなかったことが問題だったと思います。今は「68年以降」の終焉が起きているのだと見ているのではないでしょうか。 実際、決まり文句のように「国会前に詰めかけた若者たち」とはいうけれども……五十嵐 いや、むしろ若者は少ないですよね。毛利 思ったよりもはるかに少ない。もちろん最前列にいる若者たちが象徴的な意味を持っているのは間違いないんだけど。五十嵐 先頭でメガホンを握っているのが若者たち、という構図ですね。毛利 実際に行くと、僕ですら若い方に入ってしまうような年齢構成でした。60年安保やその後の学生運動を経験しているはずの、組合や生協、各市民団体の人たちが、旗を持って集まっている。動員されたわけではないのでしょうが。五十嵐 そのあたりはゆるく組織されている印象でしたね。毛利 それなりに組織化されている草の根運動の方は高齢化が進んでいて、そこには若い人が入ってこない。でもそこのほうが運動としては依然として多数派で、彼らが最前列の若者たちについて行っている、そういう構図がはっきりとありました。リア充たちの運動?リア充たちの運動?毛利 SEALDsが「本当に止める」と言い始めた段階では、せいぜい数百人規模の運動だったと思うんです。緊急性もあって、わずか2、3カ月でここまで持ってきたのはすごいことですよね。参加者12万人とか、実は3万人だとか、人数について議論はあったけど。五十嵐 周辺駅の乗降客数から10万人前後と推定していた人もいましたよね。その数字は実感とは合っている気がします。毛利 いずれにしても港千尋さんが『革命のつくり方』(インスクリプト)で言っているように、群衆は究極的に「数えられない」ということが重要なのであって、数字の議論はあまり意味がないかもしれません。国会前はずっと人が流動的に出たり入ったりしているし。安保法案が参議院でほとんどだまし討ちみたいに可決されたけど、まだこれからどうなるのかわからない。運動内部の主導権争いも出てくるかも知れないけど、でもこの中から政治家も出てきてほしい。五十嵐 出てくるんじゃないですかね。ただ、どこの政党から出るかというイメージが、僕にはないんです。民主党じゃないような気がするし、かといって社民・共産でもなさそうですし。志位さんの「国民連合政府」構想の展開次第では、変わってくるかもしれませんが。毛利 我々の世代がやらなきゃいけないのは、そういう組織の受け皿作りなんでしょうね。五十嵐 同じ若者の運動でも、労働問題や貧困問題に取り組んできた層とも少し違うように感じています。毛利 違いますね。五十嵐 労働問題では、いま改正派遣法の施行日(9月30日)目前で緊急性があるのですが、そこであまり盛り上がっているようには見えないですね。SEALDsは目的のひとつに「生活保障」を掲げてはいますが、僕も関わってきたPOSSEなど、ブラック企業・ブラックバイト問題に反応してきた人たちとはちょっと違う空気を感じます。毛利 反応は鈍いでしょうね。そういう意味ではもともと「イケてる」層で、就職活動してもうまくいきそうなタイプの若者たちですね。SEALDsの人たちは電通や博報堂に入っても結構うまく仕事ができるんじゃないかとすら思います。いやむしろ広告会社やメディアは、ああいう人材を雇うべきだ。68年世代は実際にメディア産業で活躍しましたしね。けれども、そうなると派遣法には関心を持ちにくい。五十嵐 僕の勤め先の筑波大学には、SEALDsの中心の一人になっている諏訪原さんという院生がいますが、僕の周りの学生はどうかと言えば、国会までけっこう遠いせいもあってさほど参加している様子はないんです。関心も共感もあるけど、実際あのコールに加わるのはおしゃれすぎて気後れする、みたいなのもあるかもしれない。思い込みだけなのかもしれないけど、「九州に戻って地方公務員になります」というタイプの学生には入っていきにくい(笑)。毛利 芸大生はSEALDsには共感しているけど、それほど参加はしていなさそうです。そこは文化の違いが大きくて、自分たちが運動を関わるなら別のスタイルを取りたいと考えているんじゃないでしょうか。逆にブラックバイトや派遣の問題は、自ら不安定な立場を選んでいるせいか、いわば自己責任として引き受けているところがありますね。でも、興味深いのは8月の終わりから大学の中でも安保法制をめぐる議論が急速に活発になってきたし、国会前にも行く学生が増えた。五十嵐 なるほど。筑波大は地方の公立校で優秀な成績だった子たちが、首都圏では比較的安く生活できる街で自らバイトしながら通っているような大学なので、労働問題にはビビッドに反応します。毛利 まじめに勉強していた子たちがコミュ力に負けていくという構図でもありますね(笑)。五十嵐 ここを分断させるような言い方はしたくありませんが、コミュ力とかセンスとくくられるようなものへの複雑な思いはあると思いますね。そのあたりのところは、右派の若手論客ですけど、古谷経衡さんが「スタイリッシュ」で「リア充」なSEALDsへの「嫉妬」を率直に吐露した文章を書いていて、SEALDsへのある種の感覚を代弁しているのかなとは感じました。毛利 うまくやっている人たちはもちろん武器にすべきですけど、うまくやれていない人はコミュ力で排除されてしまう残酷さはありますよね。そこは指摘しておきたいところですね。カルチャーがフラット化したあとの世代による運動カルチャーがフラット化したあとの世代による運動五十嵐 海外の運動で、SEALDsと近い空気感のものといえば何になるのでしょう? 毛利 ある意味ではイギリスのパンク文化など、サッチャリズム以降に出てきた若者文化にはもともと全部そういうところがあります。広告会社的なイメージ戦略とニューレフトが結びついて、パンクが誕生したわけですね。70年代以降のイタリアのアウトノミスト(街頭や工場、学校などでの自治権を求める社会運動)も、おそらくはこういう雰囲気で広がっていったのではないでしょうか。もちろん1990年代のReclaim the Streetsや2000年代のOccupy運動、そして台湾のひまわり革命や香港の雨傘革命なんかも明らかに影響を与えていますよね。五十嵐 SEALDsがアウトノミストを直接参照したというよりも、2000年代前半の高円寺の運動やイラク戦争以降のサウンドカー文化などから間接的に参照したということですよね。毛利 そうです。でも高円寺の「素人の乱」の時はあえて3人でデモをするといった伝統的なデモに対する批評性もあったので、SEALDsとは内実が違いました。中心的な存在だった松本哉くんも、日本の新左翼的な経験を踏まえてその限界をわかったからこそ、あのような文化闘争に行ったのだと思います。五十嵐 イラク戦争の時のサウンドデモなどには、アウトノミスト的な人たちの現代的な展開を少し感じていたんですが、どうだったんでしょう。毛利 あれは高円寺とは違った意味で先端的な人たち、アーティストやミュージシャンたちの運動でもありましたよね。SEALDsにも繋がるようなデザインのセンスや文化の形式は、あそこで一般化したんだと思います。サブカルチャーがメインカルチャーになった契機で、その当時のエッジの効いた表現だったものが、今はメインストリームの文化に流れ込んでいます。SEALDsは実際に意識したかどうかはともかくとしても、その中で育った子たちなんだと思います。『NO!! WAR』 (野田努・水越真紀・三田格他編、河出書房新社、2003年) なんかを見ても明らかなように、イラク戦争反対のサウンドデモのスポークスマンとなったのもよくよく考えると僕の世代で、同業に近い人だと椹木野衣さんや、野田努さん、三田格さんといったあたりでした。ヨーロッパで起きていた、1970年代にニューレフトが文化運動になっていくのを羨ましいと思っていた世代が、サウンドデモで「これだ」と思ったわけですよね。ヨーロッパやアメリカのエッジの効いた活動が、日本でもできるんだという新鮮な感覚でした。でもSEALDsの人たちにはそんなコンプレックスも……五十嵐 ないですよね。毛利 Jポップを洋楽やアメリカのヒップホップとの落差で聞いていた世代と、はじめからJポップが一番おもしろいものだった世代との違いがはっきりあって、そこには断絶がある。同時に切れているからこそ、スタイルとして参照しやすかった面もあるのではないでしょうか。素人の乱の松本くんなんかは、中核派がヘルメットを被ってやっていたことをパロディにしても伝わらない、あるいはこたつや鍋でデモを「脱臼」させても、そもそも中核派すら知らない人に届くはずがないと気付いたから、現在のような活動に移行したんだと思います。 でも、SEALDsはまあ、そもそもニューレフトなんてもういいんじゃない、という感じなんじゃないかな(笑)。その変化は僕らも自覚したほうがいい。だいたいすべての議論を国会前に集結させる必要はないし、アカデミックな議論はそれはそれとしてきちんとする必要があるでしょう。でも、同時に国会前も応援してもいいのではないか。日本の新左翼が帯びてしまった党派的な排他性から脱却して、お互いに役割分担をしていくようなやり方ですよね。五十嵐 まったくそう思います。とても腑に落ちる整理です。――SEALDsについては「共産党の動員だ」といったなかば罵声に近い批判から、反原発運動との親和性を批判する人たちもいました。そこはどう見ていますか?五十嵐 そうですね、ここは非常に微妙な話なのであまり発言したくないのですが、福島に思いを寄せていて、脱原発運動に強く反発していた人たちの一部が、SNSではそのままSEALDs批判に移行しているように見える。それはちょっと気になっています。 さっきもお話したように、僕は一貫して原発事故については「健康被害」「復興」「エネルギー政策」「責任」の4つを切り分けるべきという考えでいます。これまでは福島の状況にシンパシーを持っていて、過剰な危険視は福島差別につながると感じている人たちほど、これらを切り分けて考えられているという実感がありました。しかしいま、「被害を盛る」脱原発運動へのまっとうな反発が、原発再稼働の支持とか安保法案の賛成、さらには安倍政権の支持へとつながる流れがツイッターでは目につくのも確かです。福島県内で実際にそういう人たちに会うことはほとんどないので、実際にはごく一部だとは思いますが。 もちろん安保法案にもさまざまな意見があるのはいいことですが、脱原発運動への反発に端を発する政治的なスタンスの友-敵認識みたいなものが背後にあるのだとしたら、それは違和感がありますね。それだけデマや「風評」に深く苦しめられてきたんだということは強調しておく必要がありますが、福島に関わる人たちの政治的なスタンスが均質化していくのは、復興のためにもあまりよいことではないでしょう。毛利 切り分けは難しいでしょうね。逆側に目を移せば、共産党はSEALDsに本気で協力したいのなら、むしろもう少しあえてSEALDsから距離を取ったほうがいい気がしています。これはあくまでもシングルイシュー・ポリティクスだから、とにかく安保法案をどう止めるかに集中して、ほかのイシューをかぶせないほうがいい。でも「あの問題とこの問題は根底において問題を共有している」という物言いを、左派はしがちなんですよね。五十嵐 左右を問わず「どちらの側」も、イシューを大きく繋げたいところがありますよね。ネットで見えるものと現実はずいぶん違うとは思いますが、「友敵」の地雷がそこかしこにあるように感じられる状況では、「うみラボ」などにも関わっている身として、さまざまなイシューに関しての発言に気をつかわざるを得ない難しさは感じますね。毛利 STAP細胞にしろ、新国立競技場やエンブレム問題にしろ、「ネットの民」が猛威を振るっていますからね。ある種の「集合知」が機能すると、ここまで壊滅的な効果があるのかと驚きます。せいぜい数十人とか数百人のボリュームでも、こんなことになってしまう。あらゆることで意思決定プロセスが難しくなっていますね。自由が小さくなる社会自由が小さくなる社会毛利 SEALDs以前の状況に話を戻すと、官邸前で反原発運動を行っていた中の少なからぬ人々が、反ヘイトスピーチ運動や反秘密保護法運動に移って行きました。反ヘイトも、首相への直談判や法制化に向かって、最終的には国家に責任を取らせる方向に行きがちです。もちろん現在のヘイトスピーチの状況はあまりにも酷いので、これをなくすことはとても重要なので、その運動には反対はしないけれども、規制の法制化だけが必ずしも解決策の全てだとも僕は思っていません。 というのは、ヘイトスピーチや排外主義は本来的には市民社会が解決すべき問題であって、国が過度に介入すべきじゃない、あるいはできない問題ではないかとも思うのです。外国人を差別しちゃいけないとか、そんなの当たり前だろって思っているけど、実際にそれを法制化するのは技術的にすごく難しいと思うんですよね。在特会(在日特権を許さない市民の会)の活動は、現行法でもかなり取り締まれるはずなんですよ。五十嵐 全然できますよ。毛利 やってないのは意図的な怠慢だと思うんですよね。政府にまずは現行法で可能な限り対処しろと言いたい。ヘイトクライムとしか呼べないような犯罪的行為がほとんど放置されている。むしろヘイトスピーチ禁止を法制化しようとしても、何をもってヘイトとするのかわからないという問題があります。現在は外国人やマイノリティに対するものだと認識されているけれども、たとえば福島の人たちについての差別をどう考えるかとか、法制化の過程でいろいろな方向に拡大解釈されてしまうでしょうし、それを法的に判断する能力はないと思うんです。 それに、マイノリティにとってはある程度まで言葉を自由に使えることも必要で、汚い言葉や強い言葉が最大の武器になる局面も避けがたくある。反ヘイトの法制化はそれを奪ってしまう面があるんですよね。五十嵐 なるほど。毛利 それこそ「安倍死ね」みたいな言葉が法で取り締まられるようになりかねない。安倍さん自身も自分がマジョリティだとは認識してなさそうだから、反ヘイトスピーチ法案を擁護する側に回ろうとするかもしれない。今の政権の下で安易に法制化を急ぐことは国からの表現自由への介入を呼びこむことになりそうです。むしろ国の権力を一定程度制限していくことが同時に目標にならないといけないんだと思うんです。五十嵐 当たり前のことですが、領域によりますよね。反ヘイトスピーチに関しては僕も全く同意ですし、放射能関連の情報発信もどんどん市民が勝手にやっちゃったほうがいいという立場ですけど、たとえば労働問題では国の規制があるのに守られていないことが多くあって、国に一層の関与を求めていかないといけない領域があります。規制緩和や特区がひどい状況を生む領域もあるので、そこは丁寧に議論しないといけない。毛利 国家にしかできないことの最たるものは所得の再分配ですが、それがないがしろにされていますしね。むしろますます縮小しようとしている。五十嵐 そうなんですよ。たとえば特区でも規制緩和だけでなく、1日8時間以上絶対に働かせない特区とか、父親が産休を取らなければいけない特区があってもいいはずです。ワークライフバランスを求める優秀な居住者が増えて地域が活性化するかも知れないのに、でもそういう方向の議論が、まったくされていないですよね。労働分野も経済分野も基本的には規制緩和に向かっている。国家の関与が良いか悪いかではなく、イシューごとの丁寧な実証を基にした議論が必要なんじゃないかと思います。その一方で、ここまで一元的に管理しなくていいという領域にまで、規制強化する方向に向かっている分野もある。毛利 大学に対するスタンスは完全にそうですよね。五十嵐 そうですね。一方で経済界にはフリーハンドを与えようともしているので、すごく内在的な矛盾をはらんだ国家観のアマルガムになっています。毛利 少し前までは北欧型福祉国家を目指すべきだという声が強くて、左派の間でもその意見が多かったのですが、結局日本はその路線は取れないでしょうね。そもそも社会の成り立ちが違う。かといってアメリカみたいに自由主義の国になるとも思えなくて、今は目指すべきモデルがなくなってしまった。五十嵐 そうでしょうね。毛利 今では、ネオリベに親和性の高い自由主義に行くことが唯一の選択肢として提示されているけど、その時にどう再分配の問題をあらためて取り上げることが重要ですね。

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    SEALDsよりも問うべきは「安倍総理は日本国民を守れるのか」だ

    笹沼弘志(静岡大学教授) 「SEALDsは自分の恋人を守らないのか」という問いかけを受けたときに、正直言って当惑した。それはどう答えたら良いのかわからないというのではなく、問いとして成立していないように思われたからだ。なぜなら、SEALDsの主張「集団的自衛権はいらない」「憲法守れ」と「自分の恋人を守る」ということとの間には何の齟齬も緊張関係もあり得ないからだ。憲法9条を守り、集団的自衛権を否定したとしても、暴漢から自分の恋人を守ることは可能だし、そうすべきだろう。そうしたとしても、憲法にもいかなる法律にも違反することはない。 暴漢が自分の恋人に襲いかかってきたとき、この暴漢を撃退し、ケガを負わせても刑法36条の正当防衛であって刑事罰を加えられることはない。たとえ、暴漢が素手で殴りかかってきたのに対して回し蹴りをして大けがをさせてしまったとしても、「防衛の程度を超えた行為」、つまり攻撃を排除するためにやむを得ない必要最小限度の措置を超える行為であったしても、刑罰を減軽されたり、免除されたりする(刑法36条2項過剰防衛)。また、正当防衛が認められれば民法上も損害賠償などの責任を負わされることはない(民法720条1項)。従って、法に従って自分の恋人を守れるのは当然のことであって、なんの問題もない。 問題が残るとすれば、SEALDsの若者たちに自分の恋人を守る勇気があるのか否かということだけであろう。これについては、彼らをよく知らないので断定的なことは言えないが、ネットやテレビ、あるいは国会前などで彼らを見て、わたしが知っている限りにおいていえば、彼らが非常に勇気ある若者であることは明白であるように思われる。公然と名前と顔をさらして、国会前で、現職の総理大臣を名指しで批判し、「憲法守れ」、「安倍は辞めろ」と叫び続けてきたのだから、彼らの勇気は誰も否定しようがないだろう。ネットなどではデモに行くだけで就職できないといったデマが流されているようだが、彼らはそれにも負けずにデモに参加し続けてきた。また、SEALDsの主要メンバーの奥田愛基君に対して殺害を予告する脅迫が行われたが、それによっても彼はいささかもひるまず活動を続けている。そうした彼らであれば、暴漢から恋人を守る勇気を遺憾なく発揮するであろう。 以上の通り、SEALDsの若者たちは、彼らの主張や行動からみれば、「自分の恋人を守る」であろうし、そうすることに彼ら自身の主張との矛盾は一切ないことが明らかである。 むしろ、いま問われるべきなのは、次のような問いである。 「安倍晋三日本国総理大臣は自衛官や国民を守るのか?」 参院平和安全法制特別委員会で質問に答える安倍晋三首相=2015年9月11日(酒巻俊介撮影) 先の通常国会で制定されたものとされている安保関連法について、このような問いが問われるべきだろう。国会審議の際も、それが終局させられた今も、なお集団的自衛権について、いついかなるときに、どの程度の武力行使をするのかということがほとんど明らかにされていない。いつするのか。それはわが国が攻撃されていないにも関わらず、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」(改正自衛隊法76条1項2号)ときだという。それははたしていつか。武力行使の要件として、改正自衛隊法95条の2においては、攻撃を受けている当の他国の要請が必要であるとされているが、要請がないときには行使ができないということになるのか。国会承認はやはり事前に必要なのか。いつなのかがはっきりしない。またどの程度の武力行使が容認されるのか、何が必要最小限度の措置なのかもはっきりしない。必要最小限度の措置というものは「存立危機事態」の程度、攻撃の程度に依存する。他国への攻撃とわが国及び国民への脅威を排除する程度の武力行使とはいかなるものでありどの程度のものなのか。排除すべき攻撃や「存立危機事態」が明らかではないから、どの程度かもはっきりしない。 結局、いつどの程度の武力行使をすべきかが一切明確にされていないのである。しかも、武力行使をする地理的限定が外されている。従来の政府解釈及び安保法制においての如く、わが国への武力攻撃を排除するための必要最小限度の防衛措置というのであれば、場所も、程度も、時もはっきりしている。つまり、自衛官にとっては、いつ、どこで、どの程度自分が危険に曝されるのかはっきりしていたのである。しかし、いまはこうした時、場所、程度の制約はほとんどはずされてしまい、内閣総理大臣の腹一つで自衛官は命を賭けねばならないことになった。はたして、安倍総理は自衛官を守れるのだろうか。 例えばいま中東で、アメリカ軍がイスラム国と戦っている。その後方支援を日本の自衛隊が行えば、いつ自衛官が反撃されるか分からない。おそらく、イスラム国は徹底してジハードを仕掛けてくるだろう。自衛官に対してだけではない。世界各地で危機的状況にある人びとに対する支援活動を行っている日本人も標的にされる危険がある。実際に、バングラデシュで日本人が十字軍の一員として攻撃の対象とされた。あるいは、支援活動をしている国境なき医師団をアメリカ軍が爆撃したように、自衛隊が日本人を誤爆する危険もある。 「はたして安倍総理は日本国民を守れるのか」。 この問いについて考えるとき、すぐさま否定的回答をなさざるを得ない事実をわれわれは既に知っている。イスラム国に湯川遥菜さんと後藤健二さんが拉致され、身代金などを要求されたとき、安倍総理はテロに屈しないとしながら、なすすべもなく二人を殺させてしまった。安倍総理は、二人の国民をまったく守れなかったのである。というだけでなく、むしろ守る意思すらなかったのではないかと疑われる。後藤さんがイスラム国に拉致され、身代金を支払わねば殺すぞと脅されている事実を知りながら、家族に援助の手をさしのべるどころか全て家族任せにして、しかも、エジプトや中東諸国を歴訪して、イスラム国と闘う有志連合の一員としてイスラム国と闘う国に資金援助を行うと明言したのである。この演説は、イスラム国にとっては宣戦布告と感じられたであろう。だからこそ彼らは態度を硬化させ、ついには二人が処刑されてしまったのである。安倍総理はこれに対して何もできなかった。むしろ、少なくとも後藤さんについては家族が救出のために身代金を集めていたのに、それを台無しにさせてしまったのである。 いま問うべきなのは、SEALDsの若者たちにそもそも恋人がいるのか否かといった下世話な話しではなく、日本国の内閣総理大臣が日本国民を守れるのか否かという深刻な問いである。

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    だからSEALDsは嫌われる

    赤木智弘(フリーライター) これを書いている今現在、安全保障関連法案をめぐる与野党の攻防が国会で行われている。 まぁ「動画」の存在を前提とするマスメディアには、国会での乱闘もデモも格好のエサと言え、テレビメディアが大きく扱っている。 ネットもいくらマスメディアを嫌悪したところで、その影響力にはあっさりと飲み込まれるわけで、右も左も相手を罵る言葉をお祭り騒ぎでTwitterなどに投稿しまくっている。 という、そのような変な状況で、今回はあえてちょっとSEALDsの存在を振り返って考えてみたい。 SEALDsは「若い人が国に対して声を上げた」ということで、ある種の左派たちに両手を挙げて歓迎された。 数年前、国会前を囲んでいた人たちはSEALDsではなかった。さまざまな反原発団体が太鼓を叩いたりしながら「原発辞めろ!」「野田辞めろ! そうした人たちがSEALDsを歓迎し、今回もまた国会前で騒ぎ立てている。 さて、2011年3月11日に、日本が大きな地震に襲われ、津波が発生して様々なものを飲み込んだ。そうした中で福島第一原発も大きなダメージを受けて、屋外に大量の放射性物質をばらまく事故を引き起こした。大学生らのグループ「SEALDs」が国会前で開いた集会で、安全保障関連法案に反対の声を上げる参加者=8月21日 そうした中で、震災以前から反原発活動を行ってきた人たちは、人々の先頭に立ち、世論を動かそうとした。しかしその目論見は失敗した。なぜなら、反原発運動家たちは被災地の現実に目を向けず、イデオロギーの喧伝に終止してしまったからだ。 最初こそ、放射性物質に対する不安から、反原発活動が積み立ててきた放射能に対する知識に期待を寄せる人もいたが、結局彼らは「ガンなるぞ!」「奇形児が産まれるぞ!」という恐怖煽りを繰り返すマシーンでしかなく、知識は真っ当な科学者たちの足元にも及ばなかった。 さらに、小回りの効く効果的な活動を期待もされたが、彼らは線量計を片手に「いかに高い数値を叩き出すか」というミニミニホットスポット探しゲームに終始し、科学者たちのように長期的に利用でき、多くの人の健康を支える客観的なデータを蓄積するということを行わなかった。 やがて国内でそっぽを向かれ始めた彼らは、海外のメディアに対して、いかに「フクシマ」が放射能に汚染され、奇形の動植物が溢れているか。そしてそれらを国やメディアが隠しているのかという、嘘の福島の放射能汚染情報を垂れ流した。実際の遠く離れた日本などどうでもいいと考える、環境保護活動を金に変える海外の扇情的なメディアに、そうしたネタは高く売れたに違いない。 結局、日本の反原発運動は、震災という日本が一番大変なときに、被災者やそれに関わる人達を助けるどころか、自分たちのイデオロギーのために足蹴にしていたのである。反原発が良心的な日本人から憎まれるのは当たり前である。 さて、現在のSEALDsを後ろで支えているのは、あの時の反原発である。 SEALDsと反原発は違うが、しかし決してそのつながりを隠そうともしていない。 しかし、震災という一番大変なときに困難にある人達を守ろうともせず、流言飛語を流して騒ぎ立てていた人たちの支援や支持を受けた団体が、いくら「憲法を守る!人権を守る!」ということを主張しようと、全く信頼に値しないのである。 日本人の少なくない人が、集団的自衛権の行使には反対している。しかし、その中に「反原発運動と一緒にされたくない」という人もたくさん含まれる。SEALDsは国会前にたくさんの人たちを集めてご満悦かも知れないが、そこに来ていない人が、なぜ来ていないのかということにも、思いを馳せるべきである。 SEALDsが本気で、集団的自衛権を阻止しようと考えれば、反原発が擦り寄ってくることを拒否し、ハッキリと「反原発には組みしない」ということを突きつけ、問題を切り分ける必要があった。しかしそれをせずに、反原発と同じ官邸前抗議という行動を起こすことにより、日本全体からの反原発に対する嫌悪を自ら引き受けたのだから、嫌われているのは戦略レベルでの失態としか言いようが無い。 SEALDsの存在は、結果として集団的自衛権の行使に賛成する人たちを下支えしたと言える。そしてこれからも反原発をきっちり切れない「サヨク」は、自民党政権の暴走を下支えしていくのだろう。 本気で日本を変えたいと思うのであれば、まずは反原発活動家たちとの縁を切ることを大前提と考えるほかはない。