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    「平和憲法」こそ徴兵制の不安を煽る諸悪の根源だ

    潮匡人(評論家、元3等空佐)志願者は減っていない 平和安全法制(いわゆる安保法制)を巡り、繰り返し「徴兵制への不安」が語られた。護憲派メディアが、テレビや新聞で繰り返し、そう「報道」した(拙著『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』PHP新書)。国会でも、民主や維新、共産、社民らが「徴兵制」を語った。反語表現を含めれば、自民や公明も例外でない。 そのたび自衛官は不快な思いを強いられてきた。われわれOBも例外でない。大多数の自衛官とOBのプライドは深く傷ついた。 この国で徴兵制など起こり得ない。理由は単純明快。自衛官が退職しないから。話はそれに尽きる。自衛官が辞めない以上、そもそも徴兵する必要がない。横浜市で開かれた護憲派の集会=5月3日午後 ところが護憲派はそう考えない。今もこう「不安」を煽る。「戦争法案で自衛隊員のリスクが増す → 隊員が退職する → 実員が足りなくなる → 徴兵制になる」 すべて間違いである。平和安全法制下、最もリスクが増すのは国連PKO参加だが、世界で誰もその「平和維持活動」を「戦争」とは呼ばない。例外は日本の護憲派だけ。たとえリスクが増しても自衛官は退職しない。全員「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」と宣誓している。そこが他の職業とは違う。そのプライドを大なり小なり胸に秘めている。 初めてのカンボディアPKO派遣がそうだった。みな「退職」どころか「派遣」を希望した。当時現役だった私を含め希望者が殺到した。その後の民主党政権が、紛争地の南スーダンへ派遣した際も、現場は粛々と政治の決定に服した。官邸から「暴力装置」と呼ばれ、防衛副大臣から言論統制を受けたにもかかわらず。 それが今度だけは別なのか。今度こそ自衛官は退職するというなら、その論拠を示せ。それができない以上、護憲派が煽る不安は捏造である。自作自演の杞憂に過ぎない。 一般に軍隊への徴兵制は志願制を維持できない場合に導入される。他方、日本は志願制の自衛隊。ゆえに今後もし徴兵制の必要が生じるなら、それは自衛官を志願する学生や生徒が激減する事態に限られる。誰も未来を正確に予測することはできないから、未来永劫その可能性がないとは断言できない。 だが、こうは言える。来年はそうならない。再来年も、たぶんそれ以降も当面は大丈夫であろう。論拠は最新すなわち昨年度(つまり「集団的自衛権容認」の閣議決定を受けて以降)の自衛官の応募状況(最新版「防衛白書」)。防衛大学校(前期一般・文系)の倍率は93・8倍。文系女子に限れば、なんと158・1倍。防大が女子高生にとって高嶺の花であるのと同様、一般大学生にとっても入隊の門は狭い。たとえば空自一般幹部候補生の倍率は46・4倍。ちなみに高卒コースの一般曹候補生は7倍。自衛官候補生も3・8倍である。どのコースも不合格者のほうが3倍以上も多い。徴兵制の気配など微塵もない。護憲派の報道はすべて虚報や捏造である。兵役(自衛隊)は「苦役」なのか?兵役(自衛隊)は「苦役」なのか? 政府与党は以上の説明に留めるべきであった(と思う)。だが残念ながら、安倍晋三総理以下みな余計な釈明を加えた。現場の神経を逆なでた言葉は「苦役」。政府与党の要人はみな、国会やテレビ番組で「徴兵制は憲法18条が禁じる『意に反する苦役』に当たる(から憲法違反なので導入されない)」と繰り返し明言した。注;「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」(憲法18条) ならば、自衛官の任務は「苦役」ということになってしまう。隊員は志願して入隊したので「意に反する苦役」ではないが、徴兵の場合は、憲法が禁じる「意に反する苦役」となるらしい。以上の政府解釈を納得した自衛官やOBを私は一人も知らない。元陸幕長や元海幕長らが異論を語ったとおり、現場は呆れ果てている。最高指導者(安倍総理)が白昼堂々、兵役を「苦役」と明言する国は世界中、日本だけである。 かりに政府の憲法解釈(徴兵制違憲論)が正しいのなら、裁判員制度も違憲であろう。多くの裁判員経験者が精神的苦痛を感じ、退任後も苦しむ。これぞ「苦役」。しかも国民は就任を拒否できない。まさに「意に反する苦役」として違憲ではないのか。 徴兵制で政府与党はこうも説明した。廃止は世界の趨勢であり、近代戦では不要であると。本当にそうか。たとえばフランス。たった一日かぎりの単なるビデオ講習会に過ぎないとはいえ、16歳から18歳までのフランス国民に防衛準備招集が義務化されている。今年パリで起きたテロ事件を受け、フランスでは徴兵復活論が勢いを増している。欧米各国とも、必要があれば、徴兵制を復活できる。それを違憲と解釈する国などない。 徴兵は必ずしも時代遅れとは言えない。たとえば陸軍の歩兵(陸上自衛隊の普通科)として新兵が果たす軍事的な意義や役割を否定できない。中高年の場合でも、専門的な知識や経験を活かせる職域は陸海空とも少なくない。それなのに、あろうことか「平和憲法」を錦の御旗に掲げて徴兵制を全否定する政府や「保守」陣営の論法には疑問が残る。 お叱り覚悟で問題提起しよう。なぜ徴兵は許されないのか。私は違憲とも、絶対に不要とも思わない。先日の対談番組で渡部昇一名誉教授(上智大)が紹介したとおり、英語で「(美)徳」を意味する「virtue」の語源は、男(らしさ)や英雄、兵士などを意味するラテン語「vir」に由来する。自分の生命より高次な価値を守るため命を懸けるのが「vir」であり、古くから人類はその献身に「徳」を見出してきた。戦後日本人を除いて……。 もし護憲派が本気で徴兵制の芽を潰したいのなら、防衛費の増額と防衛力の強化を訴えるべきだ。効果的な破壊力を持つ兵器をより多く持てば、それだけ徴兵の必要は減る。同様に、自衛隊の募集や広報に協力し、自衛官の待遇改善を訴えるべきだ。自衛隊の人気がより高まれば、それだけ徴兵の必要は減る。 だが彼らは、けっしてそうは言わない。逆に「軍拡は周辺国の摩擦を招く」と批判する。募集環境の改善に向けた防衛省の努力を「経済的徴兵制」と揶揄誹謗する。戦闘服を着た自衛官が街中でパレードすれば大騒ぎ。愛国心や防衛意識の高揚策をすべて批判する。これでは将来やむをえず外国の侵略と戦うとき、徴兵制以外には選択肢がなくなってしまう(八幡和郎『誤解だらけの平和国家・日本』イースト新書)。「平和憲法」こそ「徴兵制への不安」を生む元凶「平和憲法」こそ「徴兵制への不安」を生む元凶 しかも護憲派は「徴兵制への不安」を平和安全法制の議論で煽った。いまも朝日新聞以下みな「集団的自衛権」と「後方支援」のリスクだけを語っている。バカも休み休み言え。当たり前だが「後方支援」より最前線で戦うほうが危ない。一方、自衛隊は来年も、対「イスラム国」作戦の最前線では戦はない。同様に、集団的自衛権より個別的自衛権のほうが危ない。つまり今回の法整備と徴兵制の議論は無関係。 護憲派は誤解しているが、集団的自衛権より個別的自衛権のほうが徴兵の必要は高くなる。たとえば《離島を制圧され、奪還作戦は失敗。本土も一部奪われた。すでに動ける自衛官は半数以下。このままでは日本が日本でなくなってしまう》……といった最悪の局面に至れば、徴兵もあり得るかもしれない。私はその必要を全否定しない。それが違憲とも考えない。だが現実には、そこまでして戦い抜くことにはなるまい。この国は上から下までパシフィズム(反戦平和主義)に染まっている。自虐的に言えば、それこそ「徴兵制が本当にありえない理由」とも言えよう。 いずれにせよ、上記事態は自衛隊創立以来、可能性としてはあった。今に始まったリスクや想定ではない。つまり今回の法整備とは関係ない。あえて言えば、消耗戦のような本土決戦にならないよう、日米同盟と抑止力を強化すべきであり、今回の法整備は多少なりとも、それに資する。つまり「徴兵制への不安」は法整備で多少、減った。 「徴兵制への不安」を語る護憲派に、論理的整合性は微塵もない。前述のとおり将来「徴兵」の必要が生じるのは自衛隊の志願制が破綻した場合に限られる。あえてポレミック(論争的)に言えば、アベノミクスが大成功すれば、その要因となり得よう。「戦争法案可決」より桁違いに可能性は高まる。ちなみに戦後日本の経済指標と入隊志願者の増減には明白な相関が認められる。要するに、景気が良くなると公務員の人気は下がる、自衛隊も含め。 景気が回復しても、自衛官の募集環境が悪化しないよう、国家的な対策が必要である。志願制を維持できるよう、官民挙げて様々な努力を今後とも重ねていくべきだ。 徴兵の芽を潰す最も効果的な方法は、憲法を改正し、自衛隊を軍隊とすることである。軍人に相応しい名誉を与え、勲章も授与する。軍のトップは親任官とする。国民挙げて陸海空軍に感謝する。全国津々浦々の学校で国防の意義を教育する。 ……等々が実現できるなら「徴兵制への不安」は雲散霧消する。べつに徴兵せずとも、国家が危機に陥れば、志願者が殺到するからだ。日本以外の先進国は、そうなっている。日本の「平和憲法」こそ「徴兵制への不安」を生む諸悪の根源である。

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    安保法制 「徴兵制」は本当に将来導入されることはないのか?

    (THE PAGEより転載) 安全保障関連法案の審議が、参議院でも始まりました。「集団的自衛権」が憲法解釈の変更によって可能とされることから、徴兵制についても同じように可能になるのではないかという議論が、衆議院から引き続いて行われています。7月5日にも、民主党が安全保障関連法案への反対を説明するパンフレットで、「いつかは徴兵制?募る不安」といった見出しをつけ、直後に修正したことも話題となりました。安倍首相は、答弁の中で「徴兵制の導入はまったくあり得ない」と明言していますが、将来的に、憲法解釈の変更によって徴兵制が導入される可能性はないのでしょうか。徴兵制は「意に反する苦役」が政府見解 政府の公式見解によると、徴兵制とは「国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度」であるとされています。つまり、戦時だけでなく、平時においても軍隊を常設して、これに必要となる兵を国民から強制的に集めるということです。 安倍首相は、7月13日に放送された自民党の動画チャンネル「Cafe Sta」でも、「憲法18条には『意に反する苦役』、これはダメですよということが書いてあります。そして徴兵制度の本質は、意思に反して強制的に兵士の義務を負うことです。ですから、徴兵制は明確に憲法違反なんです。これは憲法解釈で変える余地は全くありません。これははっきりと申し上げておきたいと思います」と発言しています。 確かに、1980年の政府答弁書において、「徴兵制は平時であると有事であるとを問わず、憲法第13条、第18条などの規定の趣旨からみて許容されるものではない」との見解が述べられています。安倍首相の発言も、これを根拠としたものと考えられるでしょう。米最高裁は「意に反する苦役ではない」衆院平和安全法制特別委で答弁する横畠裕介内閣法制局長官。後方は(左から)岸田外相、中谷防衛相=2015年6月19日午前 しかし、実際には、徴兵制が憲法18条に違反すると政府が考えているかは微妙なところです。1970年に行われた答弁では、当時の内閣法制局長官は、『(憲法)18条に当たるか当たらないかというのは、私どもから言いますと確かに疑問なんです』と明確に述べています。どういうことなのでしょうか。憲法問題に詳しい伊藤建(たける)弁護士は、次のように話します。 「内閣法制局が、安倍総理のように『徴兵制は憲法18条に明確に違反する』と言わない理由は、とあるアメリカ連邦最高裁の判決にあります。アメリカ合衆国憲法修正13条は、日本国憲法18条とほぼ同じ文言なのですが、アメリカ連邦最高裁は、徴兵制は『意に反する苦役』にあたらない、と判断しているのです。修正13条は、南北戦争直後である1865年に奴隷制を廃止する目的で追加されたのだから、『意に反する苦役』とは奴隷制度に類似するものを意味し、徴兵制度はこれに当たらないというロジックです」 このアメリカの解釈を参考にすると、憲法18条だけでは徴兵制が憲法に違反するという確信を持てないからこそ、1980年の政府答弁書では「個人の尊重」などを規定した憲法13条もあえて挙げていると考えられます。安倍首相は、この点について明確な説明はしていません。 「1980年の政府答弁書は、徴兵制は憲法13条や18条などの規定の『趣旨』に反すると述べるにすぎず、どこにも『憲法18条に明確に違反する』とは書いていません。つまり、明確に憲法違反であるとは言えないけれども、憲法13条や18条などの条文を一緒に読んで、その背後原理を推理すると、ようやく『徴兵制は憲法違反だ』といえるというわけです。そのため、『徴兵制は憲法上許されない』という政府見解は、砂上の楼閣にすぎず、いつかは解釈改憲により変更されてしまうという危険をはらんでいます」(伊藤弁護士) 安倍内閣の一員である石破茂内閣府特命担当大臣も、「政府見解に従うことは当然」としつつも、「『兵役は苦役』のような発想が国際的には異様だ」という持論を今回の国会でも展開しています。民主党のパンフレットで懸念されていた通り、やはり法解釈の可能性という観点からは、徴兵制も「集団的自衛権」の場合と同じ問題があり得るのです。現代の戦争で徴兵制に合理性はあるのか しかし、現実として、日本において徴兵制が必要とされることはあるのでしょうか。現代の戦争においては、ハイテク兵器を駆使して戦う必要があるため、徴兵制で集めた経験の浅い兵士では役に立たないから、徴兵制には軍事的合理性がないという意見があります。これはその通りで、現に世界各国では徴兵制は廃止される傾向にあります。長年、徴兵制を維持してきたドイツも、2011年に廃止に踏み切りました。 ところが、現代の戦争はこうしたハイテクの兵器を用いる戦争に限られるわけではありません。「正規の軍や情報機関、義勇兵、民兵その他を組み合わせることで、平時とも有事ともつかない状況下で軍事作戦を遂行する『ハイブリッド戦争』では、徴兵制が必要になる場合もあり得る」と軍事アナリストの小泉悠氏は指摘します。公式の宣戦布告もなく、突然に国内に戦闘地域が出現し、延々とゲリラ的な消耗戦を強いられる「ハイブリッド戦争」では、少数の職業軍人よりも大量の徴兵を動員せざるを得ないというのです。 「軍事的に弱体な小国は、大量の国民を動員した武装抵抗によって、侵略のコストを仮想敵に認識させることが、安全保障上重要となります。 実際、ウクライナやリトアニアなどでは、最近になって徴兵制が復活しました」(小泉氏) しかし、地理的な要因、軍事的な装備などを考えても、こうした東欧諸国と日本の状況は大きく異なります。日本は島国であり、海上自衛隊及び航空自衛隊によって海上防衛や対空防衛の戦略が確立しているため、容易に敵が侵入することができません。つまり、可能性としても、ハイテク兵器を用いた現代型の戦争以外は起こりにくい状況なのです。小泉氏も、次のように指摘します。 「中国が南沙諸島への実行支配を強めているのは事実ですし、いずれは尖閣、沖縄も視野に入れていることは確かですから、遠い将来そういった場所でいわゆる『ハイブリッド戦争』が起きるかもしれません。しかし、そのような局所的な紛争に対して、日本国全体で一般の国民を総動員するような徴兵制が必要かは極めて疑問です。本土まで侵略されてゲリラ戦で対抗しなければならない事態も論理的には想定できますが、日本の国防能力を考えると、その可能性は将来的に見ても極めて低いでしょう」 確かに、現実として古典的な徴兵制が日本で導入される可能性は低いようです。ただ、法令の解釈は、今回の「集団的自衛権」と憲法9条の関係を見ても分かる通り、そもそも絶対的なものではありません。安倍首相が、憲法18条の『意に反する苦役』の解釈が1つに決まっているかのような説明をすることには、少し違和感を感じます。また、若者の貧困や自衛隊員の応募減少などの側面から、将来的には徴兵制に近い状態が生まれることを懸念する声もあります。今後は、「古典的な意味での徴兵制の導入」というテーマから一歩踏み込んで、実質的な問題点について議論していく必要があるかもしれません。(ライター・関田真也)

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    安保法案反対の上野千鶴子氏「女性も戦争に行く時代になる」

     「アベ政治を許さない」――そう書かれたプラカードが国会前を埋め尽くす日が続いている。『安全保障関連法案に反対する学者の会』に名を連ねる東京大学名誉教授の上野千鶴子さん(67才)は7月20日に開かれた記者会見で、安全保障関連法案の強行採決に対する抗議声明を発表した。 「この法案が通れば、政権が憲法の解釈を変えたことになり、憲法が根幹から揺らいでしまう。憲法順守の立憲主義、ひいては国民主権が揺らいでしまいます。そしてこれからは世界中至る所で行われている米国の戦争に巻き込まれてしまう。 政府は自衛隊の“派遣”と言っていますが、事実上の“派兵”で命の危険が伴います。後方支援といえども前線とリスクは変わらないし、戦場から戻ってきた後も問題です。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされることになるでしょう。そういう場所に国民の仲間を送るのでしょうか。法案が通れば、日本が戦後70年、戦死者を出さず戦争で人を殺さず国際社会で築き上げてきた“非戦ブランド”が台無しになってしまう」東京大学名誉教授の上野千鶴子氏 また、上野さんは「これからは女性も戦争に行く時代になる」と指摘する。 「若い女の子が、“戦争になっても、男の子だけ行くんでしょ”と言っていました。そんなことはありません。ハイテク戦争の時代、女性だって“共同参画”する可能性は決して低くない。しかも今の自衛隊は志願制ですが、徴兵制になることも充分考えられます。女性にとって無関心ではいられないのは当然のことです。政治に対して、“言ってもしょうがない”っていう無力感を持っている人が多いと思うんです。ましてや、女性にとって“怒り”という感情は許されてこなかった。でも、今怒らなくて、いつ怒るのでしょうか。怒りのマグマを今こそ爆発させる時です」関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ「憲法学者」■ 安保法案に反対する学者たちが「ケンカを買った」 その余波■ 特定秘密保護法案 この時期の法案通過を目指す裏にある思惑■ 山崎拓氏 安保法制で三角大福中と安倍氏の本質的な違い語る■ 安保法案強行採決に首相側近 「支持率下落は想定の範囲内」

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    徴兵制度ある国々 タイでは抽選で「海軍」引き失神する人も

     英国の『ミリタリー・バランス』(2010年度版)によると、徴兵制を採用する国は、韓国、ベトナム、イスラエル、ロシアなど約50か国だが、世界の徴兵制度には「お国柄」もあらわれる。 変わり種はタイ。期間は2年と定められているが、陸、海、空に加えて「徴兵免除」の4つをなんと「くじ引き」で決める。抽選は国民の一大行事で、テレビ中継までされる。一番過酷といわれる「海軍」を引いた若者が、ショックのあまり失神するシーンは世界的に有名となった。 女性に兵役があるのはイスラエル。期間は男性より約1年短いが、特殊部隊などに配属されることもある。周囲をアラブ諸国に囲まれ、常に戦争と隣り合わせという事情が色濃く影響している。 近年は徴兵制を撤廃する国が増えた。フランス、オランダ、ベルギーなどが冷戦崩壊後の1990年代に志願制に移行。兵器がハイテク化する中、兵士の「数」より「質」を重視するようになったためだ。最近では昨年7月にスウェーデンが徴兵制を廃止したが、理由は「財政難」だった。ドイツでも憲法上の兵役義務条項はあるが、徴兵制撤廃を昨年9月に決定した。 逆に、最近になって徴兵制を導入したのがマレーシア(2004年)。抽選で選ばれた18歳以上の男女が、国防省の管理下で6か月の共同生活を送る。愛国心や団結力を培うことを狙いとしており、多民族国家ならではの制度となっている。関連記事■ 大阪教職員に「石原氏に橋下氏諫めてもらいたい」との声出る■ 高齢のアイドル少ない韓国芸能界 兵役のブランクは辛いもの■ 2PMメンバー 他人に似ているくらいなら不細工がいいと悩む■ エロ男「TPPコンドーム撤廃で精力増進GDP上昇」と力説する■ 元官僚が生活保護は制度に問題あるも必要だと指摘した一冊

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    国民の国防意識、自衛官の社会的位置付けの議論を〜安保法制をめぐり、元陸将が提言

    の酒巻尚生・元陸将が会見を開いた。酒巻氏は第9師団長、統合幕僚会議事務局長などを歴任。9月に成立した安全保障関連法制は必要だという認識の上で、さらなる法制度の整備、また国民意識や自衛隊の社会的地位の問題などが解決されなければならないと訴えた。 冒頭発言 一点だけお断りさせていただきますと、私は決してこの大好きな日本の国、あるいは日本の政治の悪口を言うつもりはありません。ただ、先日国会で成立した安全保障関係の法制は、これからの日本をより良くするためのまだまだ第一歩と位置付けておりますので、これからどういうところを直していってもられば良くなるか、という視点でお話をさせていただきます。  私の感じた所を、中国で昔から言い伝えられております「画竜点睛を欠く」という観点から申し上げます。昔、中国のある画家が四匹の龍を家の壁に描き、四匹のうちの二匹に眼を書き込んだところ、龍が生き返ったように壁を突き破り、天に登っていった。一方、眼が描かれなかった龍は、そのまま壁に描かれたままだった、という話です。つまり、一見すると良く見えていても、肝心なところが欠けてますと、決して出来上がりが万全だとは言えないということです。  戦後約70年間の安全保障の流れを大きく見てみますと、まず「一匹目の龍に眼を描き入れた」のは、1952年、サンフランシスコ講和条約を結びまして、わが国が独立を果たした時だと思います。  この当時、日本政府は「軽武装」「経済復興最優先」の国家の路線を決定しました。全く何も無くなった、荒廃しきった当時のわが国の状況を考えますと、この進路そのものは非常に正しかったと私は思います。ただ、それから70年近く経ちました今の状況を見ますと、経済的には繁栄を迎えました。つまり身体の部分は非常に大きく成長しましたけれども、頭の部分の、国を守る、安全保障という部分は完全とは言えず、若干未成熟だと思っております。  二匹目の「龍の眼入れ」は、1991年に湾岸戦争が終わりまして、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾の機雷掃海のために送られたことだと思います。半世紀の間、国内問題に集中してきたわが国が、初めて「国際貢献」という道を開きました。それ以降、約20年間にわたりまして、PKO等で延べ約5万人の自衛官が海外に派遣され、任務を遂行しておりますし、安全保障関連の法制も色々な面で整備されてきましたが、やはり残りの二匹の龍に「眼」が入った、というところまでは行きませんでした。  この、残りの三匹目と四匹目に入れるべき「眼」についてお話する前に、今回成立しました安全保障関連法制の意味を説明したいと思います。  今回の法制の目的は、集団的自衛権の限定的な行使を容認すること、もうひとつは、わが国がより積極的に国際協力を実施すること、これを法的に裏付けたということだと思います。  私なりに、今回法制が整備されたことの三つの意義を申し上げます。  一つ目は、日米同盟のさらなる深化・強化による実効性の拡大です。日米同盟は、戦後日本の安全確保のための防衛体制の二本の柱です。一つはわが国の自主的な防衛努力であり、もう一つは日米安全保障条約に基づく米国の役割遂行、この二本柱でありました。わが国にとってのこの日米同盟の重要性は、これまでも、あるいは将来も一切変わらないと思いますので、可能な範囲で日米の絆を深めていく努力が必要であると思います。  二つ目は、わが国の国際社会における信頼の獲得、国際社会での孤立を防ぐということだと思います。わが国は資源に乏しい国ですので、国際社会で孤立すると国民の生活に非常に大きな影響が出てきます。  三つ目は、自衛隊の任務を達成していく上での基盤をしっかり作りあげることだと思います。今までの法律では、自衛隊に現場でなかなか許されなかった行動も一部可能になりました。  少し細かく説明しますと、これまで必ずしも完全にはできていなかった、関係する諸外国との平時からの情報交換・共同訓練が可能になります。次は防衛力整備。自衛隊の将来の体制をどう作り上げていくか、それに伴う装備品をどの程度取得するか、その方向性が決まるということです。もうひとつ大事なことは、自衛隊が平素行っております教育、あるいは訓練。これに明確な根拠が与えられるということだと思います。これによりまして、部隊あるいは隊員個人個人の練度が向上することが期待できますし、意識が大きく変わっていくことも期待されます。  今申しましたように、今回の法制成立によりまして、日本の「抑止力」、万が一の自体が起きました時の対処の力、これが向上すること、またこれから国内外で任務にあたります自衛隊員のリスクを軽減することにもなる、これが今回の法制の意義です。  では、3匹目と4匹目の龍の「眼」、これは何かということです。  3つ目の「眼」は、国民の意識の問題です。 わが国の憲法には、国民ひとりひとりの国を守る義務という規定がありません。また、いわゆる"平和な状態"が70年間続いてきたために、国民ひとりひとりの意識の中に、国を守ることは国民の責任であり義務であるという認識がだんだん薄らいできている事実があると思います。さらに大半の国民の意識の中で、戦争、軍事に対する強いアレルギーが存在していることも事実だと思います。  私自身は、そうした意識を改革するために今回の安保法制の論議に非常に期待していたわけですが、結果的には「いかにこの国を守るか」という本質からはやや外れた国会内での論議、それからマスコミが毎日のように流しましたネガティブ・キャンペーン、例えば「戦争するための法案」であるとか、「徴兵制が採用される」とか、「自衛隊が人を殺し殺されるんだ」というキャンペーンによって、一部国民の意識がどうも反対の方向に動いてしまった。これが残念で仕方ありません。  また、論議の中で、国民が背負うべきリスク、国の平和や自分たちの生活を守るために背負うべきリスクという問題について、一切触れられていなかったということがあります。かなり多くの国民の意識の中には、未だに我々国民は守られるべきである、という意識が強く浸透していると思います。やはり今こそ国民を挙げて、自分の身は自分で守るという、本来の姿に立ち戻る時期だと私は考えます。  4つ目の「眼」は、これは自衛官の社会的な位置付け・地位付けの問題です。これも憲法上に明確な規定がありませんので、戦後70年経った今におきましても 憲法解釈上、自衛隊は「軍隊」、「戦力」ではありません。また当然、自衛官は諸外国でいう「軍人」として認められてはおりません。ちょっと脱線しますが、私自身、自衛隊に入りたての若い頃、街を歩いていて「税金泥棒だ」と罵られたことがありました。  自衛隊ができまして半世紀以上経った今、自衛隊に対する国民の人たちの信頼感は大体9割を超えるところまで来ております。これはひとえに、自衛隊員個人個人が、与えられた任務を遂行する際に背負うべきリスク、これは覚悟して任務遂行に当たるわけですが、そのことが逆に、国家であり国民のリスクを低下させるんだという自負と誇り、これが一つの大きな原動力になってきたんだと思います。  また、自衛隊の任務、あるいは役割はこれからますます増えていくことが予想されますが、新しい任務に応じた権限が十分に伴っていないことです。これは主として法律の様式に問題があると思います。なぜかと言いますと、自衛隊の法律は全て、ある特定の条件の下で自衛隊が"行動できること"、"やっていいこと"が規定されている法律になっているからです。従いまして、現場で任務遂行中に法律で規定されている条件以外の状況、いわゆる"想定外の事態"が起きた時、迅速に現場で判断できる権限が非常に限定されている状態にあります。諸外国の軍隊の法律は、全て最小限、国際法等で禁止されている事以外、現場の判断で任務遂行に必要な行動が取れるという様式になっております。  さらに、自衛隊員、あるいはその家族に対する国の施策、これが明確に定まっていないことです。もし現場で万々が一不測の事態が起きた時に、国、あるいは国民がどのように対応するかということが定まっておりませんので、これをできるだけ早く明確な形にすること、これが国にとってまず何はさておいても手を付けなければいけない極めて重要な課題です。そういう体制が取られますと、自衛隊員はいついかなる任務を与えられましても、後顧の憂いなく、送り出す家族も心配することなく、任務遂行に当たれる体制が初めてできるわけです。  以上申し述べましたが、第三、第四の「眼」の問題が解決をされていきますと、初めてわが日本は本当の意味で国際社会に地位を占めることができる、国として諸外国から信頼をされることになると思います。現場の自衛官は「リスク」が取り上げられたことに疑問を感じているのではないか »南シナ海での自衛隊の行動は可能か ー今回の安保法制が可決されたことで、より効果的に尖閣諸島などを防衛できるようになるのか。また、南シナ海では米国と中国の問題が起こっているが、この地域において日本も何かできることがあるか。  まず皆さんに理解していただきたいのは、昨年7月1日に閣議決定され、その趣旨が法に入りました「集団的自衛権の行使」につきましては、憲法の枠内ということで非常に限定されているということです。従いまして、諸外国の国際標準でいう「集団的自衛権」と、今回日本が行使容認に踏み切りました限定的な「集団的自衛権」との間には大きな差があります。  日本がこれから行使することになる集団的自衛権は、最終的にはあくまでも日本の防衛が大きな目的となりますので、無制限に行使できるわけではありません。これからの軍事面での貢献についても、非常に大きい憲法の制約がかかってくるので、全てできるわけではありません。  現在、南シナ海で中国とアメリカが動いておりますが、現時点では新しい法律が施行されておりませんし、行動の基準が明確に定まっていないので、今までの法律では自衛隊は行動できません。新しい法制が整備されて ある程度準備が整いますと、海上自衛隊に何らかの任務が与えられるということになりますが、基本的には自衛隊が武力行使を目的として海外に送られることは憲法の制約上許されません。  個人的な全く意見ですが、もし将来南シナ海に自衛隊が派遣されるとしても、米艦船等に対する後方支援になるのではないかと思います。  ー日本は中国の領土とは認めていないわけですから、アメリカやオーストラリアなどと一緒に、人工島の12海里以内を「共同訓練」という形で行動することも問題ないのではないか。  南シナ海の問題につきまして、現在の法制でも可能ではないかということですが、これは非常に判断が難しいことだと思います。なぜかといいますと、日本は「全方位外交」をメインにしています。確かに日米同盟は絶対的に重要ですが、アジアにおきましては日中関係もあります。ここでもし12海里の中で海上自衛隊の艦船が行動した場合、果たして日中関係にどのような影響が出るか。この辺を考えなければいけないと思います。 今の法律でも、自衛権には「個別的自衛権」もありますので、もし中国の行動がわが国のシーレーンに対して致命的な、悪い影響を及ぼすということになれば、あるいはこの個別自衛権で海上自衛隊等を派遣することも可能ではあると思いますが、この段階でも、政治的にものすごくハードルの高い決断を要するものだと思います。 戦後の教育に大きな問題がある ー自衛隊の責任、義務も大きくなってくるが、昔は防衛大学校に入学するのは、まさに一流の大学に準じる人たち、優秀だが経済的にそういうところに行けない人たちだったと思う。詳しい方に話を伺うと、こういう言い方は変だが、最近では、二流、三流の大学に入るような人たちが行くレベルになってしまっていると聞いている。その現状どう見ておられるか。  これは非常に質が良い時期と、少し落ち込んだ時期と、波を打っております。これは社会の景気の状況、これも大きく影響しております。しかし、その谷の部分を底上げするために、質の高い学生を採用し、これを立派な自衛官に育てるためには、先ほど申しましたように、「自衛官は軍人じゃない」という、憲法上の地位付が非常に不明確なところにも問題があると思います。  ーヨーロッパの多くの国々でも、国民に国を守る義務や責任は規定されていないと思うが。  先ほど言いましたのは憲法に明確な規定がないということですが、それ以外にも、日本の場合、戦後の教育に非常に大きな問題があると思います。終戦後、連合国の占領下にあった時に日本の戦後教育の基本はできました。その教育の中では、愛国心とか国の歴史とか、いわゆる「これが日本だ」というアイデンティティを生徒にはっきりと教え込むことが現場からネグレクトされてしまっていました。  私自身もそうですが、そういう教育を受けた人たちの頭の中からは、「国」というものに対する感覚が、おそらく外国の皆さんとはちょっと違ったものになっているのではないかと思います。「国」の概念もないですし、見せかけですけれど平和な状態も続いてきたということになると、「決められたことでもないのに、なんで国を守るためにリスクを冒さないといけないんだ」という考えが自然と根付いてきてしまうのではないかと私は思います。 現場の自衛官は「リスク」が取り上げられたことに疑問を感じているのではないかー今回の安保法制について、自衛官の本音にも個人差があると思います。役割は増えたけれども権限や保障が伴っていないというお話で、自衛隊に入っている方々の中には、日本が攻められたら体を張って、武力行使も前提とするけれども、「後方支援」などは聞いていない、話が違うんうじゃないか、という捉え方をする人がいても当然だと思うのですが。 私自身は今回の安保法制につきましては、これは絶対的に必要であると思います。必要であるし、逆に言うと、これはあくまで"入り口の扉が開いた"と。この法制が全てではなくて、これから、派生することや細部を埋めていくという段階と受け止めております。 今までの議論で、国会の中も外もそうですが、私が一番割り切れないと言いますか、理解し難いことが二つあります。 一つは、いわゆる「リスクの問題」です。 国民が負うべきリスク、これに関しては全く言及されませんでした。また、自衛官のリスク、この問題は国会でも度々取り上げられましたが、質問した野党側は、どうも法案の危険性をアピールするために自衛官のリスクを使っているんではないかと。「危ないじゃないか」と言いながら、なぜかリスクを軽くするためにこうするべきだという方法論が全く彼らの口からは出なかったことです。  また、全般的には新しい役割が増えても、リスクはそれほど大きく変わらないという基本姿勢がベースにあるものですから、本当に国会を挙げて議論されるべき、新しい役割に応ずるリスク、あるいは現場の自衛隊員が負うリスクが真剣に議論されなかったのは、内心失望したところです。  もうひとつ、現場の自衛官の立場で言いますと、リスクという問題が新たに取り上げられることそのものに疑問を感じているのではないかと思います。  なぜかと言いますと、自衛隊の創設以来半世紀以上が経っておりますが、今までの国内の任務、あるいは20年前以上から始まっているPKOその他の国外の任務遂行にあたって、リスクが全く無いなどとという任務は一つもなかったのであって、新たな任務が加わることでリスクの"質"は変わるかもしれませんが、今まで全くリスクがなくて、これからの任務でリスクが増えるんではないかという議論は、非常に悪い言葉で言えば、これまでの現場の自衛官の任務そのものへの見方がおかしい、ということになります。 今までもリスクはありました。それをなんとか訓練なり、自分たちの意識で、あるいは部隊としてのまとまりで乗り越えてきたわけでして、現場の彼らは今後も与えられた役割を果たすためにリスクを十分背負いながら国民のために働くということです。  もう一点、これは個人的に期待したい、注目したいのは、法制成立の段階でも国会の内外に残った問題です。それは当時から言われていましたが、国民の皆さんの法制に対する理解度、これがまだ不十分であることです。政治家の皆さんの口からも出ていましたし、国会外の活動でも言われておりました。  まず国民的なコンセンサスが得られるような努力を、政治家も役人も、我々も一丸となって進めていって、法律が施行されて自衛隊が動き出すまでには、今よりは色々な問題に対する国民のコンセンサスが得られるような体制づくりを進めてもらいたいということです。  自衛隊が国のため、国民のために働く最大の心の拠り所は、国民の皆さんの理解と支持だと思います。 見通せる将来は、日米同盟を基準に考えるべきーもっと根本的な質問だが、日本の戦力そのものはどれくらいのものなのか。憲法の縛りを別として、万々が一のとき、尖閣諸島を防衛するだけの力はあるのか。 まず、戦力というのは量的な問題と質的な問題と両面から分析されなければいけないと思いますが、日本の場合、ご承知のとおり、非核三原則、専守防衛という国の方針のもとで半世紀が過ぎてきましたので、自衛隊を大々的に海外に送り込む、いわゆるパワー・プロジェクション(戦力投射)の力は持たない、という制限がありました。  従いまして、日本を守るための力としては、今の陸海空三自衛隊の能力である程度十分だと私は思いますが、将来、いろいろな状況が起きる場合、必ずしも自衛隊の力だけで守れるかどうか、疑問に感じるところもあります。従いまして、そこを日米同盟や関係友好国との協力関係を強固なものにしていって、決して日本一国のみで守るということではなく、大きな同盟関係の中で日本を守るという道を取るべきだとおもいます。  ー自分の国は自分で守るという話だが、そのためには、沖縄の問題もあるし、そろそろアメリカ軍は良いという考えもあるのではないか。まだアメリカ軍に頼らなければいけない、と酒巻さんがおっしゃったのも残念だ。  おっしゃるとおり、自分の国は自分で守る、これは大前提です。これは世界どこの国でも一緒だと思います。だから本来は、自分の国は自分で守れるという体制を完全に作った上で、さらに諸外国との協力を築いていく、これが本来の姿だと思います。  私は先ほど、将来も日米同盟を基本に、と言いました。逆に今、見通し得る近い将来において、このアメリカ頼みをやめて日本一国で、というように路線を変更した場合に、それが本当に日本の国力・国情で見た場合に妥当なのかということだと思います。  政治的な問題、外交的問題、予算的な問題、さらには国民意識の問題など、全てがそういう方向に行かないと、また国民の総意がないと、戦後70年間の路線を大きく変えることはなかなか難しいと思います。見通しうる将来に、これを根本的に変えて、わが国が自分の国を自分の国だけで守るということを追及することが現実的なのかというと、少し疑問を感じますので、やはり見通せる将来は、日米同盟を基準に考えるべきだと思うわけです。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    SEALDsは恋人を守らないのか

    国会前で騒いでいたSEALDs(シールズ)の皆さんですが、テレビのニュース的にはすっかりあきられたと思っていたら、民主党や共産党が「今後も共闘したい」などと言い出しています。こんな誘いに乗って利用されるよりも、日常に戻って、まともな本の2、3冊でも読んでくれたらいいのですが。

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    ハロウィンパーティーで騒ぐよりもSEALDsのほうがマシ

    古谷経衡(著述家)日本はいつからハロウィンの国になった? 新宿を歩いていたら、漫画『NARUTO』のカカシというキャラクターのコスプレをしている男とすれ違った。カカシは『NARUTO』の主人公・ナルトの師であり、簡単にいえば忍者の教官だ。男は、カカシそっくりのアーミージャケットのようなものを着ていて、髪を銀髪にブリーチし、顔の半分をマスクで覆っていた。追い抜きざまにまじまじと凝視すると背の高い端正な顔立ちをしていた。男のとなりには、一応アニメに詳しいと自負する私でも何の作品なのか不明な、ゴスロリっぽい何かのキャラクターのコスプレをした女が連れ添っており、胸がデカかった。 時節柄、明らかにハロウィンパーティーの参加者であろうと思う。毎年10月になると、首都圏でこのような奇っ怪な仮装をしたハロウィンパーティーに参加する輩の姿を視認できるようになる。先日ではさいたま市でも、同じような、こちらはゾンビ風の血糊のような創傷風のコスプレをした若い女が屯していた。品川の某ホテルのロビーでは、キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』の乱交パーティーに出てくるようなドレスアップの上に仮面をした女達が足早に歩いて行った。 この国はいつからハロウィンの国になった?先日、警視庁は渋谷のスクランブル交差点での警備人員を倍以上に増強する、と発表した。ハロウィンのドンチキ騒ぎのために、公費を使った官憲の手が煩わされるような事態にまで、ハロウィンは増長して憚らないのである。ハロウィンから欠落する「怒り」 一言で言えば私は、躁的なお祭り騒ぎが大嫌いだ。多人数が集まる事自体に、たまらない抵抗感がある。いや嘘をついた。私は臆面もなく、見ず知らずの人達が他者の垣根を超え、融合する空間が羨ましくてしかたがないのである。そのような意味で、バーベキューもクラブも合コンも憎悪しているが、一方で猛烈なあこがれがある。ハロウィンパーティーに対する不快感も、私の嫉妬という憎悪の裏返しであろう。 しかし、どうしてもハロウィンに対する根源的な違和感を拭い去ることは出来ない。ハロウィンパーティーに興じる若者からは、一様に多幸的な笑顔がある。そこに怒りの感情は皆無だ。当たり前のことだが、パーティーにしかめっ面で来る人は居ない。みな社交的な人々ばかりだから、終始笑っている。 ハロウィンパーティーに参加している人々を見て、私が若干恐ろしいと感じるのは、彼らには原初的な怒りの感情が存在しているのか?という疑問である。「トリック・オア・トリート」などといって渋谷や六本木で浮かれている彼らや彼女たちは、何か巨大な存在に対して怒ったことがあるのだろうか?怒りの感情が欠落し、ひたすら躁的な空間で仮装に興じる光景は、よく言えば平和の象徴でも有り、悪く言えば奇形的だ。SEALDsは笑わない 参議院で安保関連法案が成立した9月17日の未明のその日、私は国会前に居た。時刻はたしか深夜の1時を回った頃ぐらいで、共産党の志位氏や民主党の福山哲郎が最後の反対演説を行おうとしていた。その後、「生活の党と~」の山本太郎が喪服を着て牛歩まがいの抵抗を始めるが、それも虚しくすぐに投票となった。「志位は頑張れ」「安倍はヤメロ」「太郎は頑張れ」というラップ調のシュプレヒコールが、方々から絶叫とともにあがった。 彼らには、笑顔がなかった。SEALDsの創設者の一人、奥田愛基さんの傍らで絶叫していた若い女性は、開票の後、法案が成立した瞬間、泣きそうな表情をみせ、しかしただちに怯むこと無く「安倍はヤメロ」のシュプレヒコールを再開させた。彼らには一様に、怒りの表情があった。9月19日早朝まで続いた国会前の抗議集会で笑顔を浮かべる若者たち。マイクを持つのはシールズ中心メンバーの奥田愛基さん 私は、安倍政権を微温的に評価し、安保法案の成立も支持している。「保有していないが行使できない」という集団的自衛権の従来解釈は異様であり、よって安倍政権の集団的自衛権の解釈変更と、限定的な容認を是とした安保法案の成立には首肯するよりほかない。 が、立場はどうであれ、憤怒の表情を露わにし、笑顔のないSEALDsからは彼らの本気を感じることが出来た。よく、ニヤニヤと笑いながら「ラブアンドピース」などを訴える自称アーティストでピースボートに乗っていました、みたいなふざけた若者を観るたびに私は激しい吐き気をもよおす。彼らの護憲平和の思想が気に喰わないのではない。平和を笑顔で語るという、その不誠実な態度に私は心底吐き気をもよおすのだ。 平和を希求し、戦争を憎むのならその表情は笑顔ではなく怒りに変わるはずだ。広島の原爆資料館に行って、私は心からアメリカの戦争指導者を憎んだ。あるいは、ナチのユダヤ人虐殺の映像を観る度に、ナチの責任者らの鬼畜の所業に頭に血が上った。平和への希求は、笑顔からは生まれない。二度と再び戦争を繰り返させないという決意には、笑顔は似合わない。必要なのは怒りだ。それは非日常などではない だから戦争反対などという掛け声を笑顔で言っている人間は嘘つきである。多幸感に満ち溢れ、怒りを忘れたハロウィン・パーティーからは、このような欺瞞と恐ろしさを感じる。そのような意味で、SEALDsの主張には賛同できない部分があるが、少なくとも彼らからは本気度を感じた。 「年に一度くらい、ハレ(非日常)があっても良いじゃないか」という意見もあるだろう。しかしそれは巧妙な嘘だ。ハロウィン・パーティーに参加できるような、他者との垣根の低いリア充は、10月にかぎらず、事あるごとにパーティーやイベントを繰り返しているはずだ。これは私の勝手な想像だが。ハロウィン・パーティーは「怒り」という人間の、もっとも重要な感情が根こそぎ欠落している点において、SEALDsの抗議行動のほうが余程マシ、と私は思うのである。しかしよもや、SEALDsのメンバーは、ハロウィンパーティーには参加するまいな。それを心から願う。   

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    SEALDsが語った、今後の活動と「日本の民主主義」

    BLOGOS編集部 安全保障関連法案の成立から1ヶ月あまり。現在もデモなどの活動を続けるSEALDsのメンバーが28日、日本外国特派員協会で会見を開いた。SEALDsが同所で会見を行うのは、同法案の可決・成立直前の9月16日に続いて2度目。この日の会見には千葉泰真(明治大学大学院)、本間信和(筑波大学)、芝田万奈(上智大学)、諏訪原健(筑波大学大学院)の4氏が出席。今後の活動や野党共闘、さらには民主主義のありかたについて語った。戦後70年間の自由と民主主義の伝統を尊重し、憲法の価値を守る千葉氏:SEALDsとは、2015年の5月3日、自由で民主的な日本を守るため結成された、若者・学生による緊急アクションの学生団体です。 先日幾多の遺恨を残しつつ国会で成立した「安全保障関連法案」に反対する国会前での抗議行動は、国内外を問わず様々なメディアによって大きく報道されました。それにより、SEALDsの名前は広く知られることになりましたが、私たちの目標は、設立理念でもある"この国の戦後70年間の自由と民主主義の伝統を尊重し、日本国憲法の価値を守ること"に変わりはありません。 そして、それは特定のイシューに特化することではなく、立憲主義、生活保障、また安全保障、これら3つの要素からなる将来ビジョンを柱とした包括的なアクションを目指して活動することです。 私たちは、この日本という国の明確な将来ビジョンを持ち、そしてより自由で、より民主的な社会に逆行する政策に対し、反対の声を上げています。例えばデモや街宣、サロンという勉強会、動画コンテンツやブックレットの制作、選んだ本を書店で紹介する「選書プロジェクト」や出版と、この社会の自由と民主主義を守り、バージョンアップするための様々な取り組みをしてきました。 この夏、日本の立憲主義と民主主義を守るという観点から、毎週金曜日に国会前で安保法制に反対する抗議行動を行ってきました。これまでは主にデモや街宣など直接的な抗議行動を行ってきましたが、今後は選挙に向けての取り組みも行っていくつもりです。選挙協力ができないと、次の参院選は非常に厳しいのではないか本間氏:僕からは野党共闘について述べさせて頂きます。 私たちは、今回の安保法制を受けて、野党の政治家の方々に是非とも選挙協力を行っていただきたいと思っています。安保法制は日本の政治の根幹である立憲主義と民主主義をないがしろにするものであって、個々の政策のレベルを超えているものです。政策レベルでの様々な違いを越えて、立憲主義、そして民主主義を守るためにと、なんとかして一致して頂きたいと思っています。 しかし、その協力の形が段階的なものであるということも承知しています。市民社会の側も、観客席からただ野党を揶揄、罵倒するだけでなく、どのようにしたら野党の選挙協力が実現できるのか、その問いを引き受けて、一緒になって盛り上げていくことが必要だと思っています。次の選挙に向けて、政党の方々だけでなく、市民社会の側もどのように協力できるのか、どうすれば選挙で勝つことができるのか、時には叱咤激励して、社会に訴えていきたいと思います。 野党が選挙協力することによって次の参院選がどのようなものになるのか。候補の調整などによって、選挙戦がより戦いやすく、またわかりやすいものになることは明らかです。逆に言いますと、次の参院選は協力ができないと、非常に厳しいのではないかという認識をこちらとしては持っています。 様々な立場や思想・信条の違いを越えて、あらゆる人達が手を取り合って戦っていくことが大事だと考えています。野党の選挙協力が実現したら、選挙に対しても強くコミットメントしたい諏訪原氏:私からは、今後SEALDsがどのようなことを行っていくのか話をしたいと思います。 まず、先ほどから何度も出ていることなんですけど、この国で起こっているのは、民主主義国家の基盤の部分が破壊されている、そう言ってもいい事態です。そのために、私たちは「立憲主義や民主主義を取り戻す」、このことをきちんと選挙の争点にしていかないといけないと考えています。 まずそのために、共闘をきちんと野党に対して訴えていくということがひとつ、そしてそういうものが必要だという世論を喚起していきたいと考えています。 私たちは引き続きデモンストレーションや街宣という路上でのアクションをするとともに、勉強会・シンポジウム、動画・ブックレット、そういうコンテンツを社会に向けて発信していく、そのようなアクションを行っていきたいと考えています。 ここからが今までとは少し違うところですけれども、もし野党の選挙協力が実現したら、私たちは選挙に対しても強くコミットメントしたいと思っています。 安保法案が成立した時に言ったことは、「賛成議員を落選させよう」ということだけだったんですけれども、プラスアルファで、統一候補が出るのであれば、その候補を応援していくなど、様々な形で、具体的に選挙に踏み込んでいきたいと考えています。 ここまでは選挙についてのお話をしてきましたが、私たちは選挙だけでおしまいという風には思っていなくて、この国の民主主義をどうやってバージョンアップするかにも取り組んでいかなければいけないと考えています。 日本では特に投票率の低さが深刻な問題ですので、投票所の設置運動を行って、投票率アップを働きかけたいと思っています。例えば駅、大学、あるいはショッピングセンターなど、人が集まるところに設置することで投票率が上がり、その場所で政治を語るきっかけになることで、「民主主義のバージョンアップ」に繋がるのではないかと考えています。 民主主義をバージョンアップするということは、支持政党や政治思想の違いを越えて、みんなで協力して取り組める課題だと思います。そういう意味で、この国の民主主義を十全なものにしていくために、手を取って進んでいきたいと思います。 時間はかかると思いますが、投票に行きやすい環境をつくっていくことは、市民の力、メディアのみなさんの力で少なからず整えていけると思いますので、ちょっとずつでも前進していければいいと思っています。ただ、制度を作ったから完成、というわけではなくて、制度を作った上で私たちがどう使うかも非常に重要で、その辺の意識の喚起にも取り組んでいければと考えています。 最後になりますが、政治家の方々に言いたいことなんですけれども、特に野党の方々と言ってもいいかもしれませんが、今起こっている事態は本当に緊急事態であります。やはり私たちが協力しなければいけないことがたくさんあると思います。それぞれの政党に利害や関係性があることは重々承知しています。ただ、今、国民が何を望んでいるか、それにきちんと目を向けて、国民が一番望む形での選挙協力、あるいは何らかの取り組みも進めていって欲しいと思います。 自民党の方々に対しても、考え方の違いはあったとしても、民主主義や立憲主義という根底の価値の部分では共感できることがあるはずです。そこに対しては向き合って欲しいと思っています。 私たちも、もし話し合える場があれば、自民党の方々や立場の違う方々と話をして、日本の未来について方向性を決めていくことができればと考えています。 そして、この社会に生きる人々に対して言いたいことです。 SEALDsとしては、投票率アップなど、自分たちでできることには取り組んでいこうと考えています。しかしながら、この社会に起きている大きな転換はそう簡単に変えられるものではないです。そして、この問題はあなたがた全ての問題でもあります。そういう意味で、「SEALDs頑張れ」と言ってくれるのは嬉しいことですけれども、全ての人ができることをやっていかないと、この状況は決して変わらないと思います。立憲主義や民主主義を守る、これはみなさんそれぞれ共感できるところだと思いますので、この方向性に向かって、手を取り合って、できることをすべてやっていけたらいいなと思います。ともに頑張っていきましょう。SEALDsは参院選で解散、というのが妥当野党共闘に向け「"産みの苦しみ"という状況」―みなさんが掲げている「野党共闘」は今、お寒い限りです。野党第一党の民主党と、第二党の維新の党はお家騒動で選挙協力のお話は二の次です。党の代表に対して、私やフリージャーナリストが出入り禁止になるのも覚悟で嫌な質問をしていますが、脳天気と言っていいほど危機感はありません。 みなさんの力で新たな野党再編を促すとか、有能な政治家を見つけて、新しい党を立ち上げるよう、お尻を叩くとかしないと、新しい政治勢力の結成は望めそうにありません。それについての考えはどうでしょうか。諏訪原氏:メインにやっていくことは、野党が協力しないと選挙で勝てないし、勝てないと改憲も視野に入ってくる、という選挙協力の意味を、民主や維新だけでなく、きちっと社会に対して訴えかけていく。そうすることで政治家の方をコントロールするイメージを考えています。ですから、私たちの方で再編や今後のデザインを描くことはしません。千葉氏:僕たちはそれほど楽観的に捉えてはいません。単純な野党協力をしたところ勝てるということではなく、今どういう状況で動いているのか、メディアに出てくる以外のところも正確に状況を追いつつ、このような提案をさせていただいています。 民主、維新の内部でごたごたが起こっているということですが、今僕たちが提唱している結集というのは前例の無いことですし、今まで無い規模の選挙協力ですので、その中で"産みの苦しみ"という状況が起こっているのではないのかなと思います。ある種ポジティブにも捉えています。政治的発言をすることに対する忌避感が根強い―みなさんが運動を始められて、取り上げてくれるメディアもある一方で、弾も飛んできていると思います。運動を行ったからこそ見えてきた日本社会の現状は、どういうものでしょうか。本間氏:やはり、政治的な何かを発言をすることに対する忌避感がまだ根強くあると思いました。あた、TwitterやSNSで発言すると誹謗中傷が飛んでくる現状もあります。僕たちは安保法制に反対という立場から発言してきましたが、賛成派の方の発言の中には、根拠の無い嫌がらせや誹謗中傷もあり、対話自体が難しくなっているということを考えさせられました。 民主主義社会というのは、異なる意見や立場の人が一緒に生きていく社会だと思っています。そのためにひとりひとりが思ったことをたやすく言える、話せる風潮や文化を作っていかなければならないと思っています。SEALDsは参院選で解散、というのが妥当―運動体としては"Students Emergency Action for Liberal Democracy - s"ということで学生主体ですが、卒後後はどういうことになるのか。高校生も参加できるのか、どういうあり方を考えているのか。奥田(愛基)さんは今日来ていないけど、もう卒業したのかな?(笑)芝田氏:奥田は今日学校に行っております(笑)。 SEALDsは来年で解散しようと思っております。理由としては、みんなが卒業するということもありますが、「緊急アクション」として立ち上がったので、一旦解散して、その後は個人でやりたいひとがまた団体を作ったりすれば良いのかなと思っています。(質問者から「残念だなあ」の声。)諏訪原氏:やっぱり民主主義や立憲主義を取り戻すという話は緊急のものなので、そういう意味でも参院選で終わるのは妥当だと思うんですね。その後は衆院選で、この国の舵取りを誰に任せるかと、いう話になってきますから、ネガティブな事だけを言っていてもダメなわけで、どういう方向性を目指すのか、いろんな人交えて話をしていかないといけないと思います。そのためにはエマージェンーなものとは別に根付いて行かないといけないと思うので、SEALDsは参院選で解散、というのが妥当なんじゃないかと考えています。日本共産党の「国民連合政府」のような構想は必要―日本共産党との協力、連立政権を作るということに、野党の中でも保守系議員などは慎重ですし、保守的なサポーターが自民党に逃げてしまうかもしれません。どうやって乗り越えていけると思いますか。諏訪原氏:やはり共産党が言っている「国民連合政府」のような構想は必要だと思っています。安保法制の話で言えば、閣議決定のところまで巻き戻すことを視野に入れないといけません。そうすると"政権"ということを意識せざるを得ません。ですから、必ずしも共産党が提案している形なくてはならないとは思いませんが、それに類するものが必要だと考えています。 ただ事実、世間で「共産党アレルギー」と呼ばれているものもあります。そのような拒否感があるのであれば、民主党、維新の党などが、国民にきちんと意見を聞いた上で、自分たちのやり方を示していけばいいと思います。政党間で話していってもいいと思いますし、国民を巻き込んで、どういう野党共闘がベストなのか模索していければいいと思います。私たちもそこに入れればいいと思います。―選挙への取り組みも「学者の会」と連携されるのでしょうか。あるいはもうちょっと広げて、「ママの会」などとも連携して、「安倍政権打倒選挙対策本部」のようなものを立ち上げるのでしょうか。また、選挙戦が近づけば、街頭演説活動などにも積極的に参加されるのでしょうか。千葉氏:今回「学者の会」や「ママの会」は、安保法案反対の一点で集まっておられますから、次の参院選で何か運動することについては、様々な意見の違いが実際にはあると思っています。しかし、いろんな方たちと協力できるとはないかと、これからお声がけしていけたらと思っています。 実際に応援演説などをするかということについては、どの党ということではなく、個々の候補の方とお話をさせていただいた上で、具体的に何をしていくか検討していきたいと思っています。"民主主義の理想の形"とは"民主主義の理想の形"とは―民主主義をバージョンアップする、ということですが、かつてジャーナリストの筑紫哲也さんが「論を楽しむべきだ」というようなことをおっしゃっていました。しかしSEALDsの皆さんへのネット上の書き込みを見ると、"論を楽しむ"どころか自由な気風も無くなっていると感じていまして、民主主義が成熟するどころか、悲観的に見てしまいます。みなさんの中で、バージョンアップした先の民主主義の理想の形がイメージできているのであれば、どういうものかお伺いしたいと思います。千葉氏:例えば「民主主義とは未完のプロジェクトである」という言葉がありますように、"これが民主主義である"という完成形を提示できた社会はないと僕は考えています。そしてまた、SEALDs内でも、どういうのが完璧な民主主義なのか、という完全な合意があるわけではありません。 僕たちは"緊急行動"として、立憲主義を守るために、自由と民主主義を守るために活動しているので、それをご理解いただいた上で、僕個人の見解としてお話しますと、それはアメリカやイギリスのように、政権交代が形の上だけでなく、ちゃんと機能するような政党政治のあり方であり、たとえば政治がより市民の側にあり、路上では頻繁にデモが起こっている、投票だけではない政治参加の方法がより身近にある社会が、ひとつ理想的な、より民主主義的な社会なのではないかと僕は考えています。諏訪原氏:これもあくまでも個人的な意見なんですけれど、やはり民主主義って単純に制度だけの問題ではないというのが大事なんじゃないかと思っています。どんなに制度がしっかりしていても、使う人が適切に使わないと機能しません。 根底的な価値として、一緒に一つの社会で生きていく時には利害がぶつかりあうので、それを調整するために民主主義必要なんだという前提、一緒に生きるという価値観がそもそもないと上手く回っていかないと思うんですね。そういう意味で、個人の尊厳を大切にしていく社会が非常に重要なんじゃないかなと思います。 そして、民主主義で何か理想かと言うときに、止まらないということ、歩み続けることが必要だと思います。それはやっぱり「未完のプロジェクト」という話がありましたけれども、これで十分だと思った瞬間に、システムの劣化がどんどん始まると思うので、民主的な社会を目指すんだ、ということが必要なのではないかと思います。本間氏:自分もちょっと言いたいことがあるので答えさせて頂きます。 まず制度の話で、単純な話ですけど、民意をより反映する選挙システムや政治システムを考えなければならないのは大前提としてあると思います。例えばそれは一票の格差や小選挙区制を巡る議論、法的拘束力が無かったとしても諮問的国民投票があってもいいじゃないか、ということだったり、議論の前提としての情報公開制度に関してです。 そして制度ではないところも民主主義にはあって、それは制度を整備していく主体に関わることだと思います。その問いが非常に重要だと思っていて、なぜかと言えば、この夏、自分たち自身が「民主主義ってなんだ?」と言っていて、そういう本も出して、今のところ8万部も売れております(笑)。これに対して、僕たちは「民主主義ってこれだ!」と答えてきました。これはオキュパイ・ウォールストリートでの「Tell me what democracy looks like」「This is what democracy looks like」を日本語にしたものです。 やっぱり、この「民主主義ってなんだ?」という問いを引き受けていく人が、僕は主体性、当事者性を持っているんじゃないかと思っています。単純に野党の政治家や政治的な活動している人に「お前どうするんだ?」と問いを投げかけるのではなく、じゃああなたはどうするんだという、その問いを引き受けていくことが、民主主義を担保するということなのではないかと思います。 すごく抽象的な答え方になってしまたんですけれども、そういう問いを引き受ける人たちが増えていき、社会に一定数いて、それが当たり前だよねという雰囲気を作っていくことが重要だと思います。―今、日本で大きなテーマになっているのは"女性の社会進出"ですが、今日ほとんどの質問に答えたのは男性3人でした。きょうのメンバーも男性3人女性1人ですが、女性はあまり発言しないということなのでしょうか。芝田氏:私がこの夏感じたことは、日本社会における女性のステータスというか、女性が発言すると、内容に関わらず批判がくるという状況がまだあると思いました。今日のメンバーは男性3人女性1人ですが、SEALDsのメンバーは男女半々くらいだし、女性が政治的発言をしていないということではないと思っていて、「ママの会」も女性が立ち上がっているわけですし、私は希望を持っています。ただ、状況は厳しいとは思います。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    「ゆとり教育」「新学力観」の洗脳が解けないSEALDsの面々

    で少し知的になった気になる程度の若者が左派になるのは仕方がないし、「ゆとり教育」とは何の関係もない。安全保障関連法に反対する「学者の会」と若者団体「シールズ」が開いたシンポジウムで発言する奥田愛基さん(右)=10月25日午後、法政大 私が「ゆとり教育」やその背景にある「新学力観」をSEALDsに感じるのは、代議制民主主義の原則も知らず、前回の衆議院選挙で集団的自衛権が争点になっていた事も知らず、「民主主義って何だ」と国会前で叫び、挙句にTVにまで出演してしまう。その無知ゆえの向こう見ずさである。 ゆとり教育とは何か。それは「知識よりも意欲、関心、態度が大切である」とする新学力観の究極の形である。変化スピードの速い現代社会にあっては、学校で仕入れた知識などすぐに陳腐化してしまう。しかも今は生涯学習社会なのだから、知識などは必要があればその都度仕入れればよい。むしろ大切なのは、知識を得ようとする意欲であり、知的関心であり、知識を得る態度である。これが新学力観の概要であり、その思想に基づいて学校の学習内容を究極まで絞ったのがゆとり教育なのである。そして、ゆとり教育は無残な失敗に終わり、日本の児童生徒の学力は地に落ちた。それは当然だろう。教員は、大学を出、教職課程で単位を取り、教員採用試験に合格した者達だ。それゆえ教科書の内容を教えるだけの最低限の知識は持ち合わせている。しかし、知に対する「意欲、態度、関心」については、まったくの凡人でしかない。意欲の高い者もいれば、仕事帰りに一杯やることしか興味のない者もいる。その上、公立学校の場合は公務員なので「意欲、態度、関心」が皆無の者も失業せずに教壇に立っている。教員に新学力観に基づく授業を強要するのは「パン屋に寿司を作って売れ」と言っているに等しい。 そして、新学力観やゆとり教育は日本の児童生徒の学力低下だけではなく、奇妙な副産物を産んだ。それは「学力と自己肯定感の反比例」という現象だ。学力が高い者ほど自己肯定感が低く、学力の低い者ほど自己肯定が高い。分かりやすく言えばバカほど「俺ってスゲエ」と思っている、それが日本の子ども達なのである。 さて、SEALDsをもう一度思い出してほしい。彼らの出身高校や出身大学の偏差値の低さがネット上で揶揄されたが、それをここで蒸し返すつもりはない。問題にしたいのは、その言葉や主張の平易さである。この点は、団塊の世代左翼達と180度異なる。団塊の世代左翼はまともに安保条約の条文さえ読まなかった癖に、駆使する左翼用語は難解を極めた(議論すれば大抵の者は、自分が使っている用語を理解していないことがすぐに露呈したが)。ところが、SEALDsの面々は、「安保関連法案が通れば戦争になる」「安倍政権は徴兵制を狙っている」「民主主義って何だ。民主主義ってこれ(デモ)だ。」と、言っている中身はバカ丸出しにしても、誰でも判る言葉で訴えた。そして、そのデモをする態度を大人たちが褒め称えてくれた。 安保関連法案は成立したが、SEALDsの若者たちは、あの時の賞賛を輝かしい成功体験として記憶するだろう。そして彼らが受けてきた新学力観に基づく「知識」蔑視思想は、より強固になるはずである。 ちなみに彼らが毎夜太鼓を叩いて反対していた法律の正式名称は「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」と「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」という。前者は15条の比較的短い新設法だが、後者は条文数こそ10だが新旧対照表が132ページに及ぶ巨大な法律だ。私は、その内容を読み解くだけでも数日かかってしまった。 SEALDsや彼らを「かっこいい」と感じた若者たちも、いつかは「ゆとり教育」や「新学力観」の洗脳が解け、社会で発言するためには膨大な知識のバックボーンが必要であると気づいてほしいと願う。

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    SEALDsよりも問うべきは「安倍総理は日本国民を守れるのか」だ

    笹沼弘志(静岡大学教授) 「SEALDsは自分の恋人を守らないのか」という問いかけを受けたときに、正直言って当惑した。それはどう答えたら良いのかわからないというのではなく、問いとして成立していないように思われたからだ。なぜなら、SEALDsの主張「集団的自衛権はいらない」「憲法守れ」と「自分の恋人を守る」ということとの間には何の齟齬も緊張関係もあり得ないからだ。憲法9条を守り、集団的自衛権を否定したとしても、暴漢から自分の恋人を守ることは可能だし、そうすべきだろう。そうしたとしても、憲法にもいかなる法律にも違反することはない。 暴漢が自分の恋人に襲いかかってきたとき、この暴漢を撃退し、ケガを負わせても刑法36条の正当防衛であって刑事罰を加えられることはない。たとえ、暴漢が素手で殴りかかってきたのに対して回し蹴りをして大けがをさせてしまったとしても、「防衛の程度を超えた行為」、つまり攻撃を排除するためにやむを得ない必要最小限度の措置を超える行為であったしても、刑罰を減軽されたり、免除されたりする(刑法36条2項過剰防衛)。また、正当防衛が認められれば民法上も損害賠償などの責任を負わされることはない(民法720条1項)。従って、法に従って自分の恋人を守れるのは当然のことであって、なんの問題もない。 問題が残るとすれば、SEALDsの若者たちに自分の恋人を守る勇気があるのか否かということだけであろう。これについては、彼らをよく知らないので断定的なことは言えないが、ネットやテレビ、あるいは国会前などで彼らを見て、わたしが知っている限りにおいていえば、彼らが非常に勇気ある若者であることは明白であるように思われる。公然と名前と顔をさらして、国会前で、現職の総理大臣を名指しで批判し、「憲法守れ」、「安倍は辞めろ」と叫び続けてきたのだから、彼らの勇気は誰も否定しようがないだろう。ネットなどではデモに行くだけで就職できないといったデマが流されているようだが、彼らはそれにも負けずにデモに参加し続けてきた。また、SEALDsの主要メンバーの奥田愛基君に対して殺害を予告する脅迫が行われたが、それによっても彼はいささかもひるまず活動を続けている。そうした彼らであれば、暴漢から恋人を守る勇気を遺憾なく発揮するであろう。 以上の通り、SEALDsの若者たちは、彼らの主張や行動からみれば、「自分の恋人を守る」であろうし、そうすることに彼ら自身の主張との矛盾は一切ないことが明らかである。 むしろ、いま問われるべきなのは、次のような問いである。 「安倍晋三日本国総理大臣は自衛官や国民を守るのか?」 参院平和安全法制特別委員会で質問に答える安倍晋三首相=2015年9月11日(酒巻俊介撮影) 先の通常国会で制定されたものとされている安保関連法について、このような問いが問われるべきだろう。国会審議の際も、それが終局させられた今も、なお集団的自衛権について、いついかなるときに、どの程度の武力行使をするのかということがほとんど明らかにされていない。いつするのか。それはわが国が攻撃されていないにも関わらず、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」(改正自衛隊法76条1項2号)ときだという。それははたしていつか。武力行使の要件として、改正自衛隊法95条の2においては、攻撃を受けている当の他国の要請が必要であるとされているが、要請がないときには行使ができないということになるのか。国会承認はやはり事前に必要なのか。いつなのかがはっきりしない。またどの程度の武力行使が容認されるのか、何が必要最小限度の措置なのかもはっきりしない。必要最小限度の措置というものは「存立危機事態」の程度、攻撃の程度に依存する。他国への攻撃とわが国及び国民への脅威を排除する程度の武力行使とはいかなるものでありどの程度のものなのか。排除すべき攻撃や「存立危機事態」が明らかではないから、どの程度かもはっきりしない。 結局、いつどの程度の武力行使をすべきかが一切明確にされていないのである。しかも、武力行使をする地理的限定が外されている。従来の政府解釈及び安保法制においての如く、わが国への武力攻撃を排除するための必要最小限度の防衛措置というのであれば、場所も、程度も、時もはっきりしている。つまり、自衛官にとっては、いつ、どこで、どの程度自分が危険に曝されるのかはっきりしていたのである。しかし、いまはこうした時、場所、程度の制約はほとんどはずされてしまい、内閣総理大臣の腹一つで自衛官は命を賭けねばならないことになった。はたして、安倍総理は自衛官を守れるのだろうか。 例えばいま中東で、アメリカ軍がイスラム国と戦っている。その後方支援を日本の自衛隊が行えば、いつ自衛官が反撃されるか分からない。おそらく、イスラム国は徹底してジハードを仕掛けてくるだろう。自衛官に対してだけではない。世界各地で危機的状況にある人びとに対する支援活動を行っている日本人も標的にされる危険がある。実際に、バングラデシュで日本人が十字軍の一員として攻撃の対象とされた。あるいは、支援活動をしている国境なき医師団をアメリカ軍が爆撃したように、自衛隊が日本人を誤爆する危険もある。 「はたして安倍総理は日本国民を守れるのか」。 この問いについて考えるとき、すぐさま否定的回答をなさざるを得ない事実をわれわれは既に知っている。イスラム国に湯川遥菜さんと後藤健二さんが拉致され、身代金などを要求されたとき、安倍総理はテロに屈しないとしながら、なすすべもなく二人を殺させてしまった。安倍総理は、二人の国民をまったく守れなかったのである。というだけでなく、むしろ守る意思すらなかったのではないかと疑われる。後藤さんがイスラム国に拉致され、身代金を支払わねば殺すぞと脅されている事実を知りながら、家族に援助の手をさしのべるどころか全て家族任せにして、しかも、エジプトや中東諸国を歴訪して、イスラム国と闘う有志連合の一員としてイスラム国と闘う国に資金援助を行うと明言したのである。この演説は、イスラム国にとっては宣戦布告と感じられたであろう。だからこそ彼らは態度を硬化させ、ついには二人が処刑されてしまったのである。安倍総理はこれに対して何もできなかった。むしろ、少なくとも後藤さんについては家族が救出のために身代金を集めていたのに、それを台無しにさせてしまったのである。 いま問うべきなのは、SEALDsの若者たちにそもそも恋人がいるのか否かといった下世話な話しではなく、日本国の内閣総理大臣が日本国民を守れるのか否かという深刻な問いである。

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    「運動」は転換したのか? SEALDsと「68年以降」の終焉

    新しい市民社会はどうすれば作り出せるのか(5)毛利嘉孝(東京芸大准教授)×五十嵐泰正(筑波大准教授)柳瀬 徹(フリーランス編集者、ライター)SEALDsと「68年以降」の終焉毛利 反原発運動や官邸前抗議行動も、新しい展開を見せ始めています。たとえば最近だと若い人たちのSEALDsの活動など新しいネットワークの作り方やデモの見せ方を示しているように思います。 僕はこれまでSEALDsについてはメディアからのコメント要請は全部断ってきました。契機となるようなタイミングでは何回か行ってはいるけど主体的に関わっているわけでもないし、メンバーを知っているわけでもない。そんな人間がもはや国民運動にまで発展している動きに余計なことを言うべきではないし、世間の彼らへの印象に誤解を与えかねないので、時期がくればきちんと調べた上で発言しようと思っています。でも、とにかくすばらしいと評価しています。五十嵐 僕もそれほどフォローできていなかったんですが、8月30日(金)の「10万人デモ」は、見ておきたいという思いもあって行ってきました。本当によくやっている、と思います。SEALDsの奥田愛基さんSEALDsの奥田愛基さん毛利 法案の中身からメディア戦略まで、よく勉強していますよね。彼ら以上に深い議論があるのなら、それは専門家である研究者がやればいい。20代の学生があそこまでやっていることに驚かされます。五十嵐 ほかの世代も彼らのムーブメントに加わっていますよね。いいことなんじゃないかな。毛利 僕の本では『文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱』(月曜社、2003年) と、『ストリートの思想 転換期としての1990年代』(NHKブックス、2009年)の二冊がデモを扱っているのですが、どちらも渋谷や高円寺あたりのサブカルチャーから出てきた運動で、エッジが効いているのかズレているのかわからないような、社会から周縁化された異質な集団によるものでした。 今回は、政治色の必ずしも強くない大学に属している、ちょっと「意識高め」の層――これは否定的なニュアンスは一切ないです――大手企業やマスコミにでも就職していきそうな若者たちが、組織化して身を投じているところがまったく違います。だからこそ広がっているのだろうし、いろいろな層からの共感も得られているのでしょう。この点で、僕が分析対象としていた運動とは断絶があって、その前の反原連やレイシストカウンター運動はその転換期だったように思います。五十嵐 そう思います。反原連は高円寺から始まったものでしたよね。毛利 高円寺の人たちが後景化していくに従って、反レイシスト運動の「しばき隊」やC.R.A.Cなども出てきて、運動の主体が変容したんでしょうね。そしてSEALDsの登場で完全に入れ替わった。以前から運動をしてきた人たちには、ある種の寂しさがあるでしょうけど。 もうひとつ重要な点は、ニューレフト的なものでは完全になくなったことです。五十嵐 そうですか。毛利 ここでいうニューレフトと、日本語の「新左翼」と重なり合うところもあるのですが、日本の「新左翼」の場合は固有の歴史と党派性もあるので一応わけて議論したいと思います。グローバルな文脈におけるニューレフトは旧来のマルクス主義を超えようとして、環境問題、人種やフェミニズムといった階級以外の論点を取り入れようとしてきました。その流れにあったのがカルチュラル・スタディーズですよね。五十嵐 ある意味で「差異のフロンティア」を探そうとしてきたということですね。毛利 そのフロンティア探しは、反原発運動とSEALDsで完全に消滅したと思います。五十嵐 そこも毛利さんにお聞きしたかったんです。安保法案をめぐる動きについては、僕もまったく発言してきませんでしたし、発言すべき立場にもありませんけど、そのあたりが社会学者にとっての発言しにくさに関係しているような気はします。毛利 カルチュラル・スタディーズが発言しにくいのは、ニューレフトの系譜にいるからですよ。五十嵐 ツイッターでSEALDsにまつわるセクシズムが議論になっていて、もちろん批判的に考えてゆくべきことではありましたが、当人たちの発言を見たり、伝え聞く限りでは、運動の中心になっている人たちは、そのあたりのことはわかっているんじゃないかって感じます。あえて清濁併せ呑む必要があるほどに、多様な人を巻き込む「国民運動」の段階に移行していた、それは確かだと思います。毛利 嫌味っぽい言い方に聞こえるといやなんですが、いまの政治意識の高いと思われる多数派のミドルクラス層にこの短期間でしっかり訴えていくには、現実的にはああいう方法しかなかったのだと思います。五十嵐 僕もそう評価しています。毛利 1968年を運動のピークとして、ニューレフトが教条的マルクス主義からの脱却を図るなかで、カルチュラル・スタディーズが70年代に登場する。僕もその流れのなかにいたわけだけれども、この間68年から進んだのか後退したのかはより厳密な議論をするべきでしょう。日本の場合は、そもそも「新左翼」と訳された社会運動がヨーロッパを中心に世界的な規模で進行したニューレフトの運動をしっかりと吸収できなかったことが問題だったと思います。今は「68年以降」の終焉が起きているのだと見ているのではないでしょうか。 実際、決まり文句のように「国会前に詰めかけた若者たち」とはいうけれども……五十嵐 いや、むしろ若者は少ないですよね。毛利 思ったよりもはるかに少ない。もちろん最前列にいる若者たちが象徴的な意味を持っているのは間違いないんだけど。五十嵐 先頭でメガホンを握っているのが若者たち、という構図ですね。毛利 実際に行くと、僕ですら若い方に入ってしまうような年齢構成でした。60年安保やその後の学生運動を経験しているはずの、組合や生協、各市民団体の人たちが、旗を持って集まっている。動員されたわけではないのでしょうが。五十嵐 そのあたりはゆるく組織されている印象でしたね。毛利 それなりに組織化されている草の根運動の方は高齢化が進んでいて、そこには若い人が入ってこない。でもそこのほうが運動としては依然として多数派で、彼らが最前列の若者たちについて行っている、そういう構図がはっきりとありました。リア充たちの運動?リア充たちの運動?毛利 SEALDsが「本当に止める」と言い始めた段階では、せいぜい数百人規模の運動だったと思うんです。緊急性もあって、わずか2、3カ月でここまで持ってきたのはすごいことですよね。参加者12万人とか、実は3万人だとか、人数について議論はあったけど。五十嵐 周辺駅の乗降客数から10万人前後と推定していた人もいましたよね。その数字は実感とは合っている気がします。毛利 いずれにしても港千尋さんが『革命のつくり方』(インスクリプト)で言っているように、群衆は究極的に「数えられない」ということが重要なのであって、数字の議論はあまり意味がないかもしれません。国会前はずっと人が流動的に出たり入ったりしているし。安保法案が参議院でほとんどだまし討ちみたいに可決されたけど、まだこれからどうなるのかわからない。運動内部の主導権争いも出てくるかも知れないけど、でもこの中から政治家も出てきてほしい。五十嵐 出てくるんじゃないですかね。ただ、どこの政党から出るかというイメージが、僕にはないんです。民主党じゃないような気がするし、かといって社民・共産でもなさそうですし。志位さんの「国民連合政府」構想の展開次第では、変わってくるかもしれませんが。毛利 我々の世代がやらなきゃいけないのは、そういう組織の受け皿作りなんでしょうね。五十嵐 同じ若者の運動でも、労働問題や貧困問題に取り組んできた層とも少し違うように感じています。毛利 違いますね。五十嵐 労働問題では、いま改正派遣法の施行日(9月30日)目前で緊急性があるのですが、そこであまり盛り上がっているようには見えないですね。SEALDsは目的のひとつに「生活保障」を掲げてはいますが、僕も関わってきたPOSSEなど、ブラック企業・ブラックバイト問題に反応してきた人たちとはちょっと違う空気を感じます。毛利 反応は鈍いでしょうね。そういう意味ではもともと「イケてる」層で、就職活動してもうまくいきそうなタイプの若者たちですね。SEALDsの人たちは電通や博報堂に入っても結構うまく仕事ができるんじゃないかとすら思います。いやむしろ広告会社やメディアは、ああいう人材を雇うべきだ。68年世代は実際にメディア産業で活躍しましたしね。けれども、そうなると派遣法には関心を持ちにくい。五十嵐 僕の勤め先の筑波大学には、SEALDsの中心の一人になっている諏訪原さんという院生がいますが、僕の周りの学生はどうかと言えば、国会までけっこう遠いせいもあってさほど参加している様子はないんです。関心も共感もあるけど、実際あのコールに加わるのはおしゃれすぎて気後れする、みたいなのもあるかもしれない。思い込みだけなのかもしれないけど、「九州に戻って地方公務員になります」というタイプの学生には入っていきにくい(笑)。毛利 芸大生はSEALDsには共感しているけど、それほど参加はしていなさそうです。そこは文化の違いが大きくて、自分たちが運動を関わるなら別のスタイルを取りたいと考えているんじゃないでしょうか。逆にブラックバイトや派遣の問題は、自ら不安定な立場を選んでいるせいか、いわば自己責任として引き受けているところがありますね。でも、興味深いのは8月の終わりから大学の中でも安保法制をめぐる議論が急速に活発になってきたし、国会前にも行く学生が増えた。五十嵐 なるほど。筑波大は地方の公立校で優秀な成績だった子たちが、首都圏では比較的安く生活できる街で自らバイトしながら通っているような大学なので、労働問題にはビビッドに反応します。毛利 まじめに勉強していた子たちがコミュ力に負けていくという構図でもありますね(笑)。五十嵐 ここを分断させるような言い方はしたくありませんが、コミュ力とかセンスとくくられるようなものへの複雑な思いはあると思いますね。そのあたりのところは、右派の若手論客ですけど、古谷経衡さんが「スタイリッシュ」で「リア充」なSEALDsへの「嫉妬」を率直に吐露した文章を書いていて、SEALDsへのある種の感覚を代弁しているのかなとは感じました。毛利 うまくやっている人たちはもちろん武器にすべきですけど、うまくやれていない人はコミュ力で排除されてしまう残酷さはありますよね。そこは指摘しておきたいところですね。カルチャーがフラット化したあとの世代による運動カルチャーがフラット化したあとの世代による運動五十嵐 海外の運動で、SEALDsと近い空気感のものといえば何になるのでしょう? 毛利 ある意味ではイギリスのパンク文化など、サッチャリズム以降に出てきた若者文化にはもともと全部そういうところがあります。広告会社的なイメージ戦略とニューレフトが結びついて、パンクが誕生したわけですね。70年代以降のイタリアのアウトノミスト(街頭や工場、学校などでの自治権を求める社会運動)も、おそらくはこういう雰囲気で広がっていったのではないでしょうか。もちろん1990年代のReclaim the Streetsや2000年代のOccupy運動、そして台湾のひまわり革命や香港の雨傘革命なんかも明らかに影響を与えていますよね。五十嵐 SEALDsがアウトノミストを直接参照したというよりも、2000年代前半の高円寺の運動やイラク戦争以降のサウンドカー文化などから間接的に参照したということですよね。毛利 そうです。でも高円寺の「素人の乱」の時はあえて3人でデモをするといった伝統的なデモに対する批評性もあったので、SEALDsとは内実が違いました。中心的な存在だった松本哉くんも、日本の新左翼的な経験を踏まえてその限界をわかったからこそ、あのような文化闘争に行ったのだと思います。五十嵐 イラク戦争の時のサウンドデモなどには、アウトノミスト的な人たちの現代的な展開を少し感じていたんですが、どうだったんでしょう。毛利 あれは高円寺とは違った意味で先端的な人たち、アーティストやミュージシャンたちの運動でもありましたよね。SEALDsにも繋がるようなデザインのセンスや文化の形式は、あそこで一般化したんだと思います。サブカルチャーがメインカルチャーになった契機で、その当時のエッジの効いた表現だったものが、今はメインストリームの文化に流れ込んでいます。SEALDsは実際に意識したかどうかはともかくとしても、その中で育った子たちなんだと思います。『NO!! WAR』 (野田努・水越真紀・三田格他編、河出書房新社、2003年) なんかを見ても明らかなように、イラク戦争反対のサウンドデモのスポークスマンとなったのもよくよく考えると僕の世代で、同業に近い人だと椹木野衣さんや、野田努さん、三田格さんといったあたりでした。ヨーロッパで起きていた、1970年代にニューレフトが文化運動になっていくのを羨ましいと思っていた世代が、サウンドデモで「これだ」と思ったわけですよね。ヨーロッパやアメリカのエッジの効いた活動が、日本でもできるんだという新鮮な感覚でした。でもSEALDsの人たちにはそんなコンプレックスも……五十嵐 ないですよね。毛利 Jポップを洋楽やアメリカのヒップホップとの落差で聞いていた世代と、はじめからJポップが一番おもしろいものだった世代との違いがはっきりあって、そこには断絶がある。同時に切れているからこそ、スタイルとして参照しやすかった面もあるのではないでしょうか。素人の乱の松本くんなんかは、中核派がヘルメットを被ってやっていたことをパロディにしても伝わらない、あるいはこたつや鍋でデモを「脱臼」させても、そもそも中核派すら知らない人に届くはずがないと気付いたから、現在のような活動に移行したんだと思います。 でも、SEALDsはまあ、そもそもニューレフトなんてもういいんじゃない、という感じなんじゃないかな(笑)。その変化は僕らも自覚したほうがいい。だいたいすべての議論を国会前に集結させる必要はないし、アカデミックな議論はそれはそれとしてきちんとする必要があるでしょう。でも、同時に国会前も応援してもいいのではないか。日本の新左翼が帯びてしまった党派的な排他性から脱却して、お互いに役割分担をしていくようなやり方ですよね。五十嵐 まったくそう思います。とても腑に落ちる整理です。――SEALDsについては「共産党の動員だ」といったなかば罵声に近い批判から、反原発運動との親和性を批判する人たちもいました。そこはどう見ていますか?五十嵐 そうですね、ここは非常に微妙な話なのであまり発言したくないのですが、福島に思いを寄せていて、脱原発運動に強く反発していた人たちの一部が、SNSではそのままSEALDs批判に移行しているように見える。それはちょっと気になっています。 さっきもお話したように、僕は一貫して原発事故については「健康被害」「復興」「エネルギー政策」「責任」の4つを切り分けるべきという考えでいます。これまでは福島の状況にシンパシーを持っていて、過剰な危険視は福島差別につながると感じている人たちほど、これらを切り分けて考えられているという実感がありました。しかしいま、「被害を盛る」脱原発運動へのまっとうな反発が、原発再稼働の支持とか安保法案の賛成、さらには安倍政権の支持へとつながる流れがツイッターでは目につくのも確かです。福島県内で実際にそういう人たちに会うことはほとんどないので、実際にはごく一部だとは思いますが。 もちろん安保法案にもさまざまな意見があるのはいいことですが、脱原発運動への反発に端を発する政治的なスタンスの友-敵認識みたいなものが背後にあるのだとしたら、それは違和感がありますね。それだけデマや「風評」に深く苦しめられてきたんだということは強調しておく必要がありますが、福島に関わる人たちの政治的なスタンスが均質化していくのは、復興のためにもあまりよいことではないでしょう。毛利 切り分けは難しいでしょうね。逆側に目を移せば、共産党はSEALDsに本気で協力したいのなら、むしろもう少しあえてSEALDsから距離を取ったほうがいい気がしています。これはあくまでもシングルイシュー・ポリティクスだから、とにかく安保法案をどう止めるかに集中して、ほかのイシューをかぶせないほうがいい。でも「あの問題とこの問題は根底において問題を共有している」という物言いを、左派はしがちなんですよね。五十嵐 左右を問わず「どちらの側」も、イシューを大きく繋げたいところがありますよね。ネットで見えるものと現実はずいぶん違うとは思いますが、「友敵」の地雷がそこかしこにあるように感じられる状況では、「うみラボ」などにも関わっている身として、さまざまなイシューに関しての発言に気をつかわざるを得ない難しさは感じますね。毛利 STAP細胞にしろ、新国立競技場やエンブレム問題にしろ、「ネットの民」が猛威を振るっていますからね。ある種の「集合知」が機能すると、ここまで壊滅的な効果があるのかと驚きます。せいぜい数十人とか数百人のボリュームでも、こんなことになってしまう。あらゆることで意思決定プロセスが難しくなっていますね。自由が小さくなる社会自由が小さくなる社会毛利 SEALDs以前の状況に話を戻すと、官邸前で反原発運動を行っていた中の少なからぬ人々が、反ヘイトスピーチ運動や反秘密保護法運動に移って行きました。反ヘイトも、首相への直談判や法制化に向かって、最終的には国家に責任を取らせる方向に行きがちです。もちろん現在のヘイトスピーチの状況はあまりにも酷いので、これをなくすことはとても重要なので、その運動には反対はしないけれども、規制の法制化だけが必ずしも解決策の全てだとも僕は思っていません。 というのは、ヘイトスピーチや排外主義は本来的には市民社会が解決すべき問題であって、国が過度に介入すべきじゃない、あるいはできない問題ではないかとも思うのです。外国人を差別しちゃいけないとか、そんなの当たり前だろって思っているけど、実際にそれを法制化するのは技術的にすごく難しいと思うんですよね。在特会(在日特権を許さない市民の会)の活動は、現行法でもかなり取り締まれるはずなんですよ。五十嵐 全然できますよ。毛利 やってないのは意図的な怠慢だと思うんですよね。政府にまずは現行法で可能な限り対処しろと言いたい。ヘイトクライムとしか呼べないような犯罪的行為がほとんど放置されている。むしろヘイトスピーチ禁止を法制化しようとしても、何をもってヘイトとするのかわからないという問題があります。現在は外国人やマイノリティに対するものだと認識されているけれども、たとえば福島の人たちについての差別をどう考えるかとか、法制化の過程でいろいろな方向に拡大解釈されてしまうでしょうし、それを法的に判断する能力はないと思うんです。 それに、マイノリティにとってはある程度まで言葉を自由に使えることも必要で、汚い言葉や強い言葉が最大の武器になる局面も避けがたくある。反ヘイトの法制化はそれを奪ってしまう面があるんですよね。五十嵐 なるほど。毛利 それこそ「安倍死ね」みたいな言葉が法で取り締まられるようになりかねない。安倍さん自身も自分がマジョリティだとは認識してなさそうだから、反ヘイトスピーチ法案を擁護する側に回ろうとするかもしれない。今の政権の下で安易に法制化を急ぐことは国からの表現自由への介入を呼びこむことになりそうです。むしろ国の権力を一定程度制限していくことが同時に目標にならないといけないんだと思うんです。五十嵐 当たり前のことですが、領域によりますよね。反ヘイトスピーチに関しては僕も全く同意ですし、放射能関連の情報発信もどんどん市民が勝手にやっちゃったほうがいいという立場ですけど、たとえば労働問題では国の規制があるのに守られていないことが多くあって、国に一層の関与を求めていかないといけない領域があります。規制緩和や特区がひどい状況を生む領域もあるので、そこは丁寧に議論しないといけない。毛利 国家にしかできないことの最たるものは所得の再分配ですが、それがないがしろにされていますしね。むしろますます縮小しようとしている。五十嵐 そうなんですよ。たとえば特区でも規制緩和だけでなく、1日8時間以上絶対に働かせない特区とか、父親が産休を取らなければいけない特区があってもいいはずです。ワークライフバランスを求める優秀な居住者が増えて地域が活性化するかも知れないのに、でもそういう方向の議論が、まったくされていないですよね。労働分野も経済分野も基本的には規制緩和に向かっている。国家の関与が良いか悪いかではなく、イシューごとの丁寧な実証を基にした議論が必要なんじゃないかと思います。その一方で、ここまで一元的に管理しなくていいという領域にまで、規制強化する方向に向かっている分野もある。毛利 大学に対するスタンスは完全にそうですよね。五十嵐 そうですね。一方で経済界にはフリーハンドを与えようともしているので、すごく内在的な矛盾をはらんだ国家観のアマルガムになっています。毛利 少し前までは北欧型福祉国家を目指すべきだという声が強くて、左派の間でもその意見が多かったのですが、結局日本はその路線は取れないでしょうね。そもそも社会の成り立ちが違う。かといってアメリカみたいに自由主義の国になるとも思えなくて、今は目指すべきモデルがなくなってしまった。五十嵐 そうでしょうね。毛利 今では、ネオリベに親和性の高い自由主義に行くことが唯一の選択肢として提示されているけど、その時にどう再分配の問題をあらためて取り上げることが重要ですね。

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    だからSEALDsは嫌われる

    赤木智弘(フリーライター) これを書いている今現在、安全保障関連法案をめぐる与野党の攻防が国会で行われている。 まぁ「動画」の存在を前提とするマスメディアには、国会での乱闘もデモも格好のエサと言え、テレビメディアが大きく扱っている。 ネットもいくらマスメディアを嫌悪したところで、その影響力にはあっさりと飲み込まれるわけで、右も左も相手を罵る言葉をお祭り騒ぎでTwitterなどに投稿しまくっている。 という、そのような変な状況で、今回はあえてちょっとSEALDsの存在を振り返って考えてみたい。 SEALDsは「若い人が国に対して声を上げた」ということで、ある種の左派たちに両手を挙げて歓迎された。 数年前、国会前を囲んでいた人たちはSEALDsではなかった。さまざまな反原発団体が太鼓を叩いたりしながら「原発辞めろ!」「野田辞めろ! そうした人たちがSEALDsを歓迎し、今回もまた国会前で騒ぎ立てている。 さて、2011年3月11日に、日本が大きな地震に襲われ、津波が発生して様々なものを飲み込んだ。そうした中で福島第一原発も大きなダメージを受けて、屋外に大量の放射性物質をばらまく事故を引き起こした。大学生らのグループ「SEALDs」が国会前で開いた集会で、安全保障関連法案に反対の声を上げる参加者=8月21日 そうした中で、震災以前から反原発活動を行ってきた人たちは、人々の先頭に立ち、世論を動かそうとした。しかしその目論見は失敗した。なぜなら、反原発運動家たちは被災地の現実に目を向けず、イデオロギーの喧伝に終止してしまったからだ。 最初こそ、放射性物質に対する不安から、反原発活動が積み立ててきた放射能に対する知識に期待を寄せる人もいたが、結局彼らは「ガンなるぞ!」「奇形児が産まれるぞ!」という恐怖煽りを繰り返すマシーンでしかなく、知識は真っ当な科学者たちの足元にも及ばなかった。 さらに、小回りの効く効果的な活動を期待もされたが、彼らは線量計を片手に「いかに高い数値を叩き出すか」というミニミニホットスポット探しゲームに終始し、科学者たちのように長期的に利用でき、多くの人の健康を支える客観的なデータを蓄積するということを行わなかった。 やがて国内でそっぽを向かれ始めた彼らは、海外のメディアに対して、いかに「フクシマ」が放射能に汚染され、奇形の動植物が溢れているか。そしてそれらを国やメディアが隠しているのかという、嘘の福島の放射能汚染情報を垂れ流した。実際の遠く離れた日本などどうでもいいと考える、環境保護活動を金に変える海外の扇情的なメディアに、そうしたネタは高く売れたに違いない。 結局、日本の反原発運動は、震災という日本が一番大変なときに、被災者やそれに関わる人達を助けるどころか、自分たちのイデオロギーのために足蹴にしていたのである。反原発が良心的な日本人から憎まれるのは当たり前である。 さて、現在のSEALDsを後ろで支えているのは、あの時の反原発である。 SEALDsと反原発は違うが、しかし決してそのつながりを隠そうともしていない。 しかし、震災という一番大変なときに困難にある人達を守ろうともせず、流言飛語を流して騒ぎ立てていた人たちの支援や支持を受けた団体が、いくら「憲法を守る!人権を守る!」ということを主張しようと、全く信頼に値しないのである。 日本人の少なくない人が、集団的自衛権の行使には反対している。しかし、その中に「反原発運動と一緒にされたくない」という人もたくさん含まれる。SEALDsは国会前にたくさんの人たちを集めてご満悦かも知れないが、そこに来ていない人が、なぜ来ていないのかということにも、思いを馳せるべきである。 SEALDsが本気で、集団的自衛権を阻止しようと考えれば、反原発が擦り寄ってくることを拒否し、ハッキリと「反原発には組みしない」ということを突きつけ、問題を切り分ける必要があった。しかしそれをせずに、反原発と同じ官邸前抗議という行動を起こすことにより、日本全体からの反原発に対する嫌悪を自ら引き受けたのだから、嫌われているのは戦略レベルでの失態としか言いようが無い。 SEALDsの存在は、結果として集団的自衛権の行使に賛成する人たちを下支えしたと言える。そしてこれからも反原発をきっちり切れない「サヨク」は、自民党政権の暴走を下支えしていくのだろう。 本気で日本を変えたいと思うのであれば、まずは反原発活動家たちとの縁を切ることを大前提と考えるほかはない。

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    高須クリニック院長が語る「報ステ」スポンサー降板の全真相

    高須克弥(医師、高須クリニック院長) 報道ステーションが安保法制のニュースを取り上げ始めたころから違和感があったんです。もともと僕は安保法制に大賛成で、アメリカという強い兄貴が付いてくれれば、これから日本も北朝鮮や中国になめられることもない。それに日本は長い間占領されていた時代があったので、植民地的な気質が残っていると感じていたんだけど、法案成立で日米同盟が対等なものになれば、日本人としての誇りも高くなるからいいことばかりだし、安保法制に反対する人たちなんているとは思ってなかったんです。 でも朝日新聞もそうですけど、テレ朝の安保法制の報道の仕方は我々を戦争に導く悪い法案で、日本人の大半が法案に反対だとか、徴兵制を安保法制成立で進めようとしているなどと誤解に基づくデマのような意見を初めから取り上げたり、SEALDsの皆さんが正しいと一貫して報じていた。僕たちは法案賛成の運動を続けていたんですが、賛成派の存在を報道しないばかりか、街頭のインタビューでも反対意見ばかりを流すので不快でしたね。高須クリニックの高須克弥院長 番組の中で誰かが少数意見を大事にしろと言っていた記憶がありますが、国会の中で少数の野党の話をよく聞けと言われて衆参両院で200時間も審議時間を費やしておきながら、1億人の国民の中で3万人程度の一般大衆がデモをやっただけで「これが国民の総意だ」と主張することに納得いかないですね。僕は賛成デモに行きましょうと言っただけで、動員したわけでもないのに参加者が500人ぐらい集まりましたし、デモをニコニコ動画で生中継したら1万5千人のユーザーが参加して、一斉にコメントしてくれましたよ。ニコ動の中継に集まってくれた人たちはサイレントマジョリティーだけど、全員動員できたらいい勝負になっていたはずでしょう。意見はあっても沈黙を守っている人はすごくたくさんいるはずなのに、報ステが反対デモについて「見たこともない大きい規模です、法案を通していいのでしょうか」と報じているのを見て、気分が悪くなりましたよ。 スポンサーを降板すると決めたときも、ちょうど9月末の番組改編時期に重なって契約が切れるタイミングで、そのままにしておくと自動更新されてしまうし、途中降板するのも失礼な話だと思っていたので「よしっ、これで降りる」と決めた瞬間にツイートして、すぐに広告代理店に連絡しました。本当に降りちゃいましたから話題になったんですけど、「次期からは付き合わない」と宣言しただけなので、ほんの1秒のつぶやきであんなに大騒ぎになるとは思っていなかったですよ。前から僕は安保法制に賛成で、日本国民がみんな法案に反対だというSEALDsの皆さんのような主張に異議を唱え続けていたので筋は通っていると思いますよ。 ツイッターでは以前から「なんで古舘の応援なんかするのか」「なぜ報ステのスポンサーを続けるんだ」といったお怒りのツイートもいっぱいいただきましたが、スポンサーは番組の内容に文句を言うことはしてはいけないし、スポンサーをやっていることの何が悪いと彼らの意見を突っぱねていたのですが、今回は僕が安保賛成デモに先頭に立って旗を振っている最中、我々のような存在を無視した報じ方をしていた。だから僕はテレ朝に番組内容について直接文句を言って圧力をかけたわけではなくてスポンサーとして報ステは気に入らない。失望したから降りるよ、と伝えただけなんです。 古舘君は30年来の付き合いの友達で、いろいろな意見を広く取り入れるのが上手いインタビューの名人だと思っています。僕は古舘君がテレ朝の中で孤立しつつあるという話を聞いていましたので、彼への応援の意味で自分から手を挙げるかたちで1年間スポンサーを続けました。しかし、安保法制の報道が一番盛り上がっているときにも報ステの報道姿勢は変わらなかったので僕はもういい加減にしてくれと思いましたね。だけど古舘君個人については何か言いたかったわけではありません。 でも古舘君は心にもない報道を押し付けられたわけではなく、現場にいるうちに安保法制に対して信念を持って反対を唱えるようになった可能性はあるかもしれません。でも僕は彼の意見に水を差そうとは思いません。現に僕が付き合っている西原理恵子とは意見が違いますし、政治の話をするとケンカになるので、食事の時間には政治の話題は抜きにしようと決めて仲良くしています。ただ、スポンサーがこの番組が好きじゃないからと降りるのは当たり前で、僕がしていることはどの企業でもやっていると思います。ただ理由をはっきり伝えると反対側のお客さんを失うのが怖いので、理由を言わずに黙って降りていると思うんですよね。 実は僕はカッとなってスポンサー降板することが以前1度ありました。以前東京MXテレビの番組で一社提供をしていて、レギュラー出演していた西原が生放送中に不規則発言をしたことで、番組降板を言い渡されたことがありまして、報復じゃないですけど来週から提供はしないとMX側に宣言したら、契約期間中だから広告料は払っていただきますし、コマーシャルは流させていただきますと言ってきたんですよ。だからお金は払うけど流すなと言ったら、コマーシャル枠を差し替える機能がありませんと言われた覚えがあります。 僕は報ステの番組の作り方には不満はありましたが、イコールテレ朝の体質だと思ってはいません。テレ朝や朝日新聞の中にも僕と同じ安保法制に賛成の意見を持っている人はいると思うんですよ。だから報ステを降板した分の広告予算で10月から「TVタックル」の番組提供を始めています。テレ朝は以前不祥事が起きた時に自局の番組で社長の批判をいっぱい言っていたと記憶していて、わりと独立性のある会社と思っているので、報ステとは反対の意見を持った番組が出来る希望も持っています。 とにかく1回だけの放送事故ではなく、少数意見を潰して強行採決していくという一貫した報道スタンスで安倍政権を批判していたのでいい加減にしろよと思ったわけです。でも僕が降板してから、報ステは急にみんなの意見を取り入れるようになったと感じてるので、もっと早くやれよと言いたいですね。 でももし「番組をもっと中立的にしないとスポンサーを降りるぞ」と言ってしまうと番組への圧力となってしまい悪いことですから、ギリギリのタイミングで「番組に失望したから降ります」と告げたのは究極の紳士的な対応じゃないかと思いますね。(聞き手 iRONNA編集部・松田穣)

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    「報ステ」よりも中国に総選挙を広めたAKBこそ平和貢献している

    ことから、必要なのは安保法に反対だと国内で主張するのではなく、中国の民主化に向けて努力する方が日本の安全保障につながる。 中国は戦後一貫して民主国家ではなかった。中国の憲法には、まず共産党があって人々はその指導を受けるとも書かれている。これは立憲主義ではない。さらに平和憲法条項もなく、中国の軍隊である人民解放軍は共産党の軍隊と明記されている。しかも国のトップが選挙で選ばれないので、独裁国家そのものである。これがアジアの紛争要因になっているのだ。 この選挙制度を中国人に知らせることは立派な平和活動である。この意味で、「総選挙」を広めたAKB48のほうが、冒頭の「報道ステーション」や国会回りでデモした人よりはるかに平和貢献している。「報道ステーション」の行為は、戦争リスクに対して客観的な報道をせずに、日本の平和に貢献しなかったという意味で、報道としての責任は重い。

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    さすがダウンタウン松本「憲法9条はなめられてる」

    メディア裏通信簿先生 大物芸人のダウンタウン、松本人志が集団的自衛権や安保法案の賛成を表明したのは、インパクト大きかった。芸能人が政治や社会問題を議論するフジテレビ系ワイドナショーの8月9日放送でしゃべったんだが…。教授 見ましたよ。松本さんの発言は非常に良かったですね。先生 法案反対の人について、松本は「ちょっとニュースに誘導されている感じはある」「もし本当にこのままでいいと思っているのであれば、完全に平和ボケですよね」と苦言を呈した。「憲法9条は日本を守ったかも知らんけど、言い方変えたら、なめられてる」とも言ったんだ。その通り!女史 よく「平和憲法を守る日本は、世界から尊敬される」なんて言う人いるけど、あれウソだよね。自分の国を守る気のない日本人を外国は本音ではなめている、ていうか、バカにされてるよ。教授 この番組は結構、視聴率いいらしいですから、彼の発言は影響力があるでしょうね。先生 松本は、以前にも「日本が自立するための法案なら賛成」と発言してたんだよ。番組ゲストの女子高生が、反対デモの若者をどう思うか聞かれて、「クラスにああいう子がいたら、引く」と発言したのも痛快だった。女史 やっぱヒクよね。(笑)ABCテレビ「松本家の休日」で道頓堀を周遊するさだ、たむらけんじ、松本人志、宮迫博之(左から)教授 しかし、松本さんとは裏腹に、大物芸能人が反対発言を始めています。笑福亭鶴瓶さんは東海地方ローカルの東海テレビのドキュメンタリー番組「戦後七十年 樹木希林ドキュメンタリーの旅」の収録で「安保法案には断固反対」と明言したそうです。女史 中日新聞8月7日付の夕刊記事に出てたね。鶴瓶さんは「違憲と言う人がこれだけ多いのにもかかわらず、なにをしとんねん」「民主主義で決めるんなら、多い方を取るべきですよ。変な解釈して向こうへ行こうとしているんですけど、絶対あかん」と言ったんだって。議会制民主主義だから、国会で多い方をとったら安保法案は成立すべきということになるのにね。鶴瓶さんは昔から左翼的な発言をする人だよー。先生 9日放送の日本テレビ系の笑点では三遊亭円楽が安倍政権批判だ。鍼灸師に扮し笑わせるお題で「耳が遠くなった気がするので人の声が聞こえるように針をうってもらいたい?」「どこへうっても、国民の声が聞こえないんだと思いますよ、安倍さん」だって。女史 桂歌丸さんの代わりに司会をしてた三遊亭好楽さんも、座布団2枚あげてたけど、そんなにうまい政治風刺かな?編集者 円楽さんの風刺はいつも笑えません。松本人志さんの方に座布団を上げたいですね。女史 松ちゃんは笑点の座布団なんて、いらないよ。(笑)大物左翼・Tが賛成派に…先生 フジテレビ系も他番組では、ひどい発言があったな。8月3日の「みんなのニュース」では、礒崎陽輔首相補佐官が集団的自衛権について「法的安定性は関係ない」と発言したことを、江上剛が「辞任を」「傲慢」と批判したが、礒崎発言はそんなに悪くないぞ。集団的自衛権は、憲法と最高裁判例をどう解釈するかという問題で、既存の憲法と判例を変えるわけではない。そこは安定しているわけだから、礒崎も「法的安定性は関係ない」と言ったまでだろ。法解釈の変更が法的安定性を損なうなら、法改正や憲法改正なんか、もっと損なう。明治憲法を改正した日本国憲法は法的安定性の無視だぜ。安倍晋三首相が出演した7月20日の放送も、ひどかった。せっかくフジテレビ会長の日枝久がきちんと安倍総理を出迎えて、そのシーンも流したのに、議論が始まると批判づくし。やくみつるが「裸のそーり」と子供が叫ぶ漫画でけなすし、いくら安倍総理が安保法案を説明しても、司会のアナウンサー伊藤利尋が「なぜ違憲論が大勢なのに進めるのか」。ちっとも聞いてない。教授 いいコメンテーターも出ていたんですけどねえ…。政治的中立が求められるのが放送局だから、いろんな発言が出るのはやむを得ない部分はあります。この間も同じフジサンケイグループのニッポン放送を聴いていたら、あさ活ニッポンで山口良一さんが反対トークをしていましたが、その後の番組では嘉悦大の高橋洋一氏がきちんと発言していました。編集者 そんな中、意外にも、安保法案大反対の毎日新聞で大物(?)の左翼言論人が集団的自衛権の行使を認める発言をしました。8月11日付の朝刊1面の連載企画で、田原総一朗氏が「政府の容認した集団的自衛権の行使は、日本の存立危機事態を想定した『新3要件』で厳しく限定されている。従来の専守防衛の枠から出ていないと考えます」「ぎりぎり認められる線です」と述べたのです。教授 毎日もよく載せたじゃないですか。ただ、もしかしたら、記者が「田原氏だから当然、反対してくれるだろ」と思って話を聞きにいったら、賛成しちゃったので、仕方なく載せたのかもしれませんね。きちんと載せないと、池上彰氏に怒られた朝日新聞みたいになってしまいますから。(笑) しかし、田原氏の賛成も当然ですよ。あれだけ妥協して、極めて限定的にしか行使できないようになったのだから、法案をきちんと勉強していれば賛成しますよ。先生 ただ、田原が「正しい戦争などあり得ない」と発言している部分は承伏できない。ナチス・ドイツのような絶対悪と戦うのも正義ではないというのか。五木寛之の鋭い分析教授 マスコミが「日本が戦争を起こしそうな雰囲気」というウソを広げることが問題なのです。例えば、8月11日の朝日新聞デジタル版では元朝日記者の早野透氏が「戦後70年の『いやな感じ』」という記事を書いていますね。先生 戦争を起こしそうなのは日本ではない。「いやな感じ」というなら、中国の動きに「いやな感じ」を持つべきなんだ。安倍総理も、もっと反論すべきだよ。教授 政府が安保法案の衆院審議で中国の名前を出さなかったのは失敗でした。首相訪中を視野に入れていたせいでしょうが…。先生 中央公論9月号で、五木寛之が若手の社会学者、古市憲寿との対談で「『今、戦前の雰囲気だ』ってよく言われるんだけど、ぜんぜん違いますよ。『国益を守るために、中国と一戦まじえろ』『韓国を攻撃せよ』という津波のような民意の高まりが、今の日本にありますか」「国民の間に、そういう高揚、過熱した熱狂がなかったら、戦争なぞできるわけない」と述べていた。さすが五木寛之だ。教授 しかし、多くの一般女性は「戦争法案だ」「徴兵制になる」といういい加減な報道を信じているんですね。最近は芸能ネタが売り物の女性週刊誌まで安保法制反対の特集を載せています。編集者 毎日新聞は8月2日付の社説欄「視点」で集団的自衛権合憲論の憲法学者、西修、百地章両先生が「徴兵制も合憲との考えを示す」とウソを書きました。女史 毎日はその後、お詫びと訂正を出していたね。論説委員まで集団的自衛権=徴兵制と真剣に思い込んでいるのかな?教授 徴兵制どころか、自衛隊は自衛官募集に力を入れてますよ。コマーシャルに壇蜜さんを起用しました。彼女の発言を聞いていると、ところどころに保守的な考えがうかがえて良いですね。ただ、壇蜜さんのファンはおじさん中心。若い人にどれぐらいアピールするか未知数ですね。(笑)先生 毎日新聞の7月23日付夕刊に載った「狙われる?貧困層の若者 『経済的徴兵制』への懸念」という記事は、自衛隊の定員割れ、任官辞退に触れて、集団的自衛権の影響で志願者が減っているような印象を与えているが、これもインチキ。自衛隊の定員割れと任官辞退は昔からだ。貧しくて大学にいけない若者が軍や自衛隊に入るのを「経済的徴兵制」と呼んでいるが、冷静に考えたら、これは安保法案とは関係ない教育問題だろ。確かに先進国として、優秀な学生が貧しいから良い大学に行けないのは恥ずかしいし、給付型奨学金の充実で、きちんと行けるようにすべきだけどな。教授 ただ、日本は大学全体の進学率は高いですけどね。先生 専門学校で十分な大学がたくさんあって、勉強もしない学生が集まるのは事実だな。女史 「徴兵制になる」とかアホなウソに本当に欺されてるのかな? ネットでは、スウェーデンやスイスなどの徴兵制の実情をまとめているサイトがあって、冷静な評価があるんだけどなー。先生 そもそも、なぜ徴兵制を導入してはいけないんだ。安倍首相も、国会で「憲法が禁じる『苦役』にあたる」と説明したが、おかしい。国防という高貴な任務は懲役刑と同じ「苦役」なのか。教授 あまりに「徴兵制になる」というウソが蔓延しているために、総理は分かり易く否定する必要があったのでしょう。「非核の傘」ってずぶ濡れじゃない?編集者 残念ですが、それだけ反戦平和の偽善が広がり、法案反対派が勢いを増してます。先生 日本人に本来の誇りがあれば、徴兵制は必要ないんだぜ。ベトナム戦争の米国では、多くの大学生が徴兵ではなく志願して戦場に行ったが、それは「みんなが国のために命をかけているのに、自分だけ逃げるのは卑怯だ」と考えたから。だが、いまの日本はどうだ。反対デモの若者は「戦争したくなくてふるえる」と、自分だけ逃げようとしている。70年前の戦争の時、学徒が動員されたのも、そうしないと兵が足りなかったからじゃないか。皮肉な話だが、反戦平和の思想が広がればますます志願する者は減るから、徴兵制の必要は高まるんだよ。 問題は、国を守る国民の責務が議論されなくなっていることだ。一昔前は「徴兵制導入なら、良心的な兵役拒否を認めるべきだ」と具体的議論までしてたんだぜ。教授 徴兵制だけではなく、かつては日本の核武装論だって保守論壇で議論されていましたね。先生 米国の退潮や中国の台頭などで徴兵制や核武装を真剣に議論しなければならない時期になっていることには、国民も気づいているんじゃないか。それなのに、いざその議論を目前に突き付けられると、「徴兵制反対」「核武装反対」というアレルギー反応が出る。矛盾しているよ。我々国民には自国を守る責務があるんだ。それを堂々と正面から論じない政府も自民党もおかしい。女史 現実を見たくない人が多いんじゃない。日本は米国の核の傘に守られているけど、長崎市の田上富久市長は「『核の傘』から『非核の傘』への転換の検討」を政府に要望したんだって。「非核の傘」って何よ、ズブ濡れってことじゃん。ワケ分かんない。(笑)教授 日本は自分の国を守るために、法整備をし、防衛力をつけようとしているだけなのに、そのことすらマスコミは批判するのです。子供がいじめられないように体を鍛えていたら、教員から「お前は人を殴ろうとしているのか」と叱られるようなものです。先生 そういう意味に限れば、反対デモの学生団体SEALDsを「戦争に行きたくないという考えは極端に利己的考え」とツイッターで批判した衆院議員の武藤貴也も、あながち間違いではない。しかしマスコミはそれも叩く。TBS系サンデーモーニング8月9日放送では評論家の高橋源一郎が「ツッコミどころが多すぎ」、毎日の岸井成格が「議員の劣化が進んでいる」と批判したぞ。女史 自衛官だって死ぬかもしれない戦争にはいきたくないよね。だけど国のために行くんでしょ。自分だけ行きたくないのは、やっぱ「利己的」だよね。教授 SEALDs自体が純粋に若者の声を代弁しているか疑問です。共産党と関係ないのか、マスコミはほとんど論じません。女史 ネットの日刊ゲンダイの記事に、SEALDsが共産党系とみられている労働組合「全労連」の街宣車を使っていたという記事が出てたねー。記事で、SEALDsの中心メンバーは「全労連さんから車を借りたのは事実ですが、それはたまたま車が空いていたから」と説明してたけど、全労連の車が空いていたら、SEALDsは借りられちゃうんだー。仲いいんだね。教授 ネットでは、デモに参加した学生が、就職活動に不利になっているんじゃないかと言われていますね。企業も採用したくないでしょう。女史 今年1月12日付の朝日新聞社説に、デモの話をしたら、内定取り消しになったという女子学生の話が載ってたけど、ネットでは、SEALDs関係の人じゃないかって話題になってる。ネットで写真や名前を出している子も多いけど、それをチェックしている人たちもいるから、就職活動でバレるのも当たり前だよ。先生 ホリエモンこと堀江貴文はツイッターで「安保反対デモに行ってる事カミングアウトしたら私は採用しませんよ。仕事出来ないと思うから」「思想で不採用だと言ってるのではなく、間違った理論に盲従する頭悪そうな奴だなって思うだけ」と書き込んだ。よく書いた! 高須克弥も「高須クリニックは安倍政権賛成デモに参加するくらい根性のある若者を採用します」だって。編集者 ホリエモンはフジサンケイグループの敵です! が、たまには良いことを言いますね…。初めに安倍談話批判ありき教授 8月14日に戦後70年で安倍総理が談話を出しましたが、非常によく考えられたものでした。村山談話も含めた歴代内閣の見解を踏襲し、侵略や植民地支配などにも触れましたが、それを日本だけの問題とせずに、人類の教訓として繰り返してはならないことだと言ったのです。日本人の次の世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と明言したし、「法の支配」「力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべき」という原則を強調し、しっかり中国にも釘を刺しました。女史 でも朝日新聞とか左翼マスコミは批判してたよ。先生 TBS系で翌15日に放送した報道特集は冒頭からキャスターの金平茂紀が「説得力の乏しい戦後70年談話」と批判した。番組は「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」の部分まで批判したぜ。14日夜のテレビ朝日系報道ステーションでも保阪正康が批判したが、子供たちに「ずっと謝罪し続けろ」と言うに等しいな。女史 とにかく中韓のいいなりにならなきゃ、どんな談話でも叩くんだね。TBS系では、談話発表直後でまだ中韓の反応も出ないうちから、ニュースのNスタの司会者が「果たして中国や韓国からどのような反発が出るのでしょうか」と、番組を締めくくってたもん。反発してほしいんだよ。編集者 安倍談話に先駆けて出た有識者懇談会の報告書は「日本が満洲事変後に『侵略』を拡大した」などと書いていましたが、談話は、肝心な部分は報告書にとらわれずうまく外していました。女史 でも、各新聞は大体、報告書を褒めてたよ。読売新聞は8月7日付朝刊で大々的に礼讃報道して、社説で「過去への反省と謝罪が欠かせぬ」と書いてたもの。先生 この有識者懇の座長は、西室泰三日本郵政社長だが、この人、過去の会計問題が勃発している東芝の社長や会長を務めていたんじゃなかったっけ。本人が問題に関わっていたかは分からないにしても、いま、そんなにありがたがる人なのかね。(笑)教授 報告書のまとめで中心的な人物になった座長代理の北岡伸一氏は、この報告書を大々的に褒めた読売グループのメディアに重用されています。この報告書は読売史観なんじゃないですか。こんなに詳しく近現代史を決めつけるようなことを書いて、北岡氏もこの頃、ちょっと調子にのっているのですかね。先生 韓国が勝手に歴史問題でゴールを動かしているのを批判するゴールポスト論なんかは、委員の宮家邦彦の影響だろ。編集者 あの部分は的を射た指摘じゃないですか。教授 しかし、この種の報告書で、あそこまで詳しく書く必要があったのか疑問です。もっとボンヤリとした書き方で、後は安倍総理に判断してもらうようにすべきだったと思います。総理にすれば、ありがた迷惑だったのでは?女史 具体的に日本の侵略を認めたもんね。脚注には「複数の委員より、『侵略』と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった」とも載せてたけど。先生 その異議の理由ももっと示さないと、「他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを『侵略』と断定することに抵抗がある」とか少し書くだけだと説得力ないぜ。だって、もし侵略が本当で、日本が自分で認めれば、満洲事変はパリ不戦条約後だから重大な国際法違反と言われる。それこそ戦争犯罪にされかねないぞ。編集者 有識者懇の中では激論があったにもかかわらず、まとめる段階で、結局、ああいう形になったのかもしれません。先生 何より「侵略」を否定した新聞報道がなかったのは問題だろ。「侵略ではない」という有識者もいるのに、それを紹介しない。朝日や毎日新聞だけならともかく、産経新聞も含めて、歴史事実を勝手に認定するようなことをした有識者懇に何ら批判をしなかった。安倍総理まで、談話を読み上げる前に、報告書を持ち上げた。歴史にはさまざまな見方があるはずなのに、これでは侵略史観が完全に定着したことになるぞ。編集者 すみません…。教授 ま、この報告書は政府見解でも何でもありませんからね。菅義偉官房長官も、そう明言しています。先生 しかし、影響は大きいですよ、教授。テレビも完全に便乗していました。8月9日のTBS系時事放談では、半藤一利が「侵略」と断定し、フジテレビの新報道2001でも、元NHKアナウンサーの下重暁子が「侵略」。他の出演者も流されて、自民党政調会長、稲田朋美ですら反論不足だったぜ。編集者 自民党三役ですし、問題発言と騒がれると、安保法案の審議に支障を来しますから…。先生 稲田は月刊正論によく出る。どうせ、編集者はご機嫌をとろうとしてんだろ。編集者 そういう訳では…。先生 (笑)ま、いいや。戦後70年は関係ないんだけど、8月3日のNHKニュース7が北海道のフェリー火災を韓国のフェリー「セオル号」事故と比べて報じたのは、NHKにして画期的だったぞ。火災に乗員がきちんと対処していたのに対して、セオル号の船長は乗客そっちのけで逃げ出したよな。それについて韓国人に感想を聞いて、すばらしい日本だ、というコメントを放送していた。教授 戦後70年間で初めてNHKのトンチの利いた報道だったかもしれませんよ(笑)。戦後特集では、ニューズウィーク日本版の8月11、18日合併号がよかったですね。「謝罪は解決策にならない」という米ダートマス大学のジェニファー・リンド准教授の論考が載りました。残念ながら、米国人の方がレベルが高いのですかね。女史 ニューズウィークは去年、「しばき隊」とかが反ヘイトスピーチという理由で暴力的なことをしているのもおかしいじゃないかと、批判していたよね。先生 それに比べてTBS系で8日1、2日に放送したドラマ「レッドクロス」はひどかった。中国共産党の太鼓持ちだよ。軍人が「我々は世界を平和にする中国共産党軍である」というシーンあり、「共産党軍はつねに紳士的な態度で…」というナレーションあり。共産主義の理想を肯定するように、日本人看護婦が「理想が希望に映る」「粛清も一つの方法」と人民裁判まで肯定したぜ。又吉直樹で売る文藝春秋の劣化教授 文藝春秋9月号は「父を靖国から分祀してほしい」というタイトルで、A級戦犯として刑死した木村兵太郎陸軍大将の長男と北海道大学准教授の中島岳志氏の対談記事を掲載したのですが、羊頭狗肉も甚だしい。木村大将の長男は「合祀は望外のことと素直にありがたく思いました」と言っていて、新しい追悼施設を造ることにも反対しているのです。ただ、合祀が天皇陛下や首相が公式参拝の妨げになるなら…と分祀の相談に行ったら「難しい」といわれただけなのです。女史 タイトルは、インタビューを編集した人がつけたんでしょ。木村大将の長男じゃなくて、文藝春秋の編集長が「分祀してほしい」と思ってるんじゃない?教授 中島氏は「ここで整理しておくと、靖国問題は大きく二つの点をクリアしなければなりません…天皇陛下に静かに参拝していただくための環境を整備すること。もう一つは、諸外国のうち特に中国の理解が得られる戦没者慰霊施設にすること」とも言います。女史 「整理」するって言ってるけど、「中国の理解が得られる戦没者慰霊施設にする」というのは、ただの中島君の意見じゃん。教授 中国の理解が得られるようになんかなりませんよ。9月号では、保阪正康氏の「安倍首相 空疎な天皇観」も中身がなかったですね。「空疎」なのは安倍総理の天皇観ではなく、この文章の内容でした。安倍政権が、一昨年の主権回復の日の式典に天皇陛下にお出ましいただいたことなどを「政治的」「脱・歴史」などと非難しているのですが、要は左翼がよくやるお決まりの「天皇の政治利用だ」という批判。国家独立回復の式典に、国のトップが出席されるように取りはからうことのどこが「政治的」なんでしょうか。編集者 最後には「両陛下の歴史への思いが、安倍首相の政治的意思の前に通用しないとすれば、なんと悲しい時代であろうか」と安倍批判をしますが、保阪氏こそ「両陛下の歴史への思い」を、安倍叩きという自分の政治的目的に利用していますね。教授 保阪氏は「安倍首相の天皇観は、佐藤栄作、中曽根康弘といった歴代総理に比べると、その深さにおいて違うように思う。彼らは自らの政治信条のために、天皇を利用することは避けていた」と書き、「皇室と距離をとる」ことが日本政治の常識だといいますが、浅薄な結論です。昭和天皇は日本国憲法下でも具体的な政治問題について頻繁に内奏を求められました。つまり佐藤、中曽根政権時代のほうが現在より皇室と政治との距離は近かったのです。こんな論考が目玉記事になるのだから文藝春秋の劣化は著しい。先生 週刊文春もここのところ劣化の傾向がある。7月16日号のメーン特集「自民党は死んだ」は、ただ政権与党の政策を批判するだけで、雑誌のウリのスクープがなかった。本当に自民党を死なせたいなら、政治家のスキャンダルを載せなきゃ。死んでるのは自民党ではなく文春の方だぜ。教授 しかし、文藝春秋9月号は芥川賞の又吉直樹さんの「火花」が載っているから売れているそうです。私には、彼の小説は一文一文が変に長くて読みにくいですがね。芥川賞選者の一人、村上龍氏も「長すぎる」「途中から飽きた」と酷評していました。編集者 でも雑誌は売れてるんでしょ? あ~あ、又吉さんが正論にも書いてくれないかな~。女史 相変わらず志が低っ!

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    海自OBが予言する 反戦平和を唱える人々の向かう先

    を追求すると自由を支えるロジックが壊されて行く」と述べている。つまり憲法という論理的な枠組みを超える安全保障は却って国民の自由や人権が脅かされるという主張である。 最近、マスコミやSNSに登場するSEALDsやママの会の民主主義と自由を守ろうというスローガンにも共通しているように見受けられる。 確かにスイスの例に見られるように「国民皆兵が前提にあって国民にNOは無い、もし選択の自由があれば国是は瓦解する」と言うとスイス国民は政府を信用しているからで、腹の内が定かでない日本とはどだい国情が違うと反論する向きもあろうかと思うが、外敵が攻めてくることに日本もスイスも違いはない。逸に自国の平和と安全を守ろうとする国民の気概の差にあるように私には思える。 その対極にあるのは無抵抗主義であろう、正確には非暴力・非服従運動である。インドのガンジーが有名であるが彼は当時の英国の圧政に丸腰で立ち向かう、アムリトッサルの虐殺事件では400人が射殺されている。それでも民衆は銃口に向かって進んだ。東京・代々木公園で開かれた、安全保障関連法の反対や脱原発などを訴える集会=9月23日午後(共同通信社ヘリから) 果たして日本で非軍事と話し合いによって民主主義と自由を徹頭徹尾保持しようと主張する人々にその覚悟があるのだろうか? 残念ながらそれはあり得ない。自分やその子供や家族の生命第一がこの人々の生活信条にある中からおよそそれを犠牲にしようなどという発想が生まれるはずはないからである。しからば外国、例えば中国・韓国や北朝鮮軍が我が国に武力侵攻した場合、国民は彼らの思うままに服従するのであろうか。服従したくなければ他国に逃れざるを得ない、結果難民となり流浪の民となる道が待っている。チベットのダライラマのように国外に亡命政府を樹立するケースもあるかもしれない。 ここにもれっきとした標本がある。嘗てのユダヤ人でありパレスティナ人であり現在のシリアの人々である。 ただ、同じ日本人でありながら同朋を国外に追い出す或いは支配者側にまわって傀儡として生き残る方法が残されている。むしろその形が蓋然性として最も高いと言えよう。 私は反戦平和を唱える人々の向かう先をかように予見する。 始めから外患誘致を狙って防衛力の弱体化をはかり同盟国との離間を企図して後ろ盾を無くし我が国と対立し属国化を望む国による支配の上に余禄に与ろうとする戦略である。 さて、日本を取り巻く国際環境を俯瞰すれば、東アジアにおける日本は微妙な立ち位置にあるのは確かである。力による現状変更を前提とする中露2大国とこれを快しとしない欧米の間にあり内外に渉って揺さぶられている現実がある。現在のところ米国に与する我が国は同盟政策が採られており地理的にも最前線に位置している。それだけ風当りが強くなるのは当然で国論も徐々に(左右の)対立が先鋭化して来ている。 「汝、平和を欲するなら、戦い(戦争)に備えよ」。まさに、ローマ帝国の軍事学者、ウェゲティウスとされるこの言葉こそ現在の我が国の国防戦略に相応しい選択肢であろう。平和のカギは平時における準備にこそ存するのであって、紛争に巻き込まれることを恐れたり、敢然と立ち向かう姿勢を示すと相手に無用の刺激を与えるとしてこれを躊躇すれば却って相手を増長させ我が国が今手にしている平穏な暮らしは手元から霧散することは明らかである。 少なくとも今俎上にある平和安全保障法制の制定は完全とは言えないまでも、備える方向に進んでいることは間違いない。 だが、現実の世界は更に進んでおり、湾岸戦争などにおける多国籍軍や対IS掃討作戦における有志連合など集団防衛の体制による場合が一般的になりつつある。 平和に対する脅威または侵略行為に対して国連安全保障理事会の全会一致による制裁(軍事・経済)措置が機能不全をきたしている現状を補完する形で、集団的自衛権(51条)及び個別的自衛権が認められている訳であるが、このうち集団的自衛権は密接な関係を有する国家が互いに協同して外部の脅威に対抗するものであり内部の脅威に対する集団安全保障の制裁から集団防衛による抑止へと変化してきている。 最近自衛隊OBの識者の中に中国を含めた集団安全保障体制を提唱する意見が見受けられるがこれは極めて危険である。 集団安全保障体制では違反国に対して他の加盟国が圧倒的に優位であることが前提となる何故なら違反の対象国が軍事大国(中国のような)の場合制裁を課そうとして却って返り討ちに遭うことが考えられるからである。 実際に昨年6月、リムパック(環太平洋合同演習)に日米を含む22か国が参加、今回初めてこれに中国が加わった。この演習中こともあろうに中国が秘密裏にハワイ沖に情報収集艦を派遣していたことが露見した。7月21日、米国防総省当局者はこのような行為は不躾であると不快感を示したのは当然である。 協調外交などと理屈をつけて近寄るとこちらの手の内を全部知られてしまう国だと認識するべきである。 かつて、欧州におけるNATO(北大西洋条約機構)の例に倣い米国主導で太平洋アジア条約機構(日本・韓国・豪州・英国・タイフィリピン)を設立しようとする動きがあった。だが、結果は日本を嫌う韓国の反対で実現しなかった経緯がある。 従って、米国のみならずフィリピン・ベトナム・タイなどによる中国・ロシア・北朝鮮を共通の脅威とする東南アジア諸国と我が国の間に集団防衛体制を構築することが我が国の安全保障政策のうえで最適な方策ではないだろうか。 現在の世界情勢は軍隊とは言えない武装集団や組織による他国への侵攻など宣戦布告などの予告なしに平和を脅かされるケースが派生しており国防上複雑多岐な機能を備える必要性が覗える。

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    憲法違反を恥じない安倍首相こそ本当の「ルーピー」ではないのか

    渡辺輝人(弁護士) 安倍晋三首相がミュンヘンで記者会見し、今国会に提出されている「安保法制」について、憲法違反ではない、と釈明しました。しかし、この記者会見の内容自体、安倍首相が本当に憲法とか立憲主義とか法の支配とか、そういう概念を理解しているのか大変疑わしい内容になっています。 安倍首相は記者会見の冒頭部分で、ウクライナ情勢に絡み下記のような発言をしています。「私たちには共通の言葉があります。自由、民主主義、基本的人権、そして法の支配。基本的な価値を共有していることが、私たちが結束する基礎となっています。」「力によって一方的に現状が変更される。強い者が弱い者を振り回す。これは欧州でもアジアでも世界のどこであろうと認めることはできません。法の支配、主権、領土の一体性を重視する日本の立場は明確であり、一貫しています。」産経新聞 ここで言う「法の支配」とは、安倍首相が知らなかったという故・芦部信喜教授の教科書によれば以下のような概念です。法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。それは、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。~中略~法の支配の内容として重要なものは、現在、(1)憲法の最高法規性の観念、(2)権力によって犯されない個人の人権、(3)法の内容・手続の公正を要求する適正手続(due process of law)、(4)権力の恣意的行使をコントロールする裁判所に役割に対する尊重、などだと考えられている。出典:芦部信喜『憲法 新版』(岩波書店 1997年) 安倍首相は、冒頭部分では、大変崇高な理想を掲げたことになります。が、そもそも安倍首相は「法の支配」の意味を理解しているのでしょうか。根本的な疑問があります。そして、安倍首相は、国内での「安保法制」に対する激しい批判に対しては、以下のように述べ、すでに散々批判され、破綻した理屈と繰り返すだけです。「今回の法整備に当たって、憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件に関する最高 裁判決の考え方と軌を一にするものだ」「今回、自衛の措置としての武力の行使は、世界に類を見ない非常に厳しい、新3要件のもと、限定的に、国民の命と幸せな暮らしを守るために、行使できる、行使することにいたしました。」「武力行使においても、この新3要件を満たさなければいけないという、この3条件があるわけです。先ほど申し上げた、憲法の基本的な論理は貫かれていると私は確信しております」産経新聞 この砂川事件の最高裁判決を持ち出す言い訳はすでに方々から批判され、最近は言わなくなっていましたが、言うに事欠いてまた出てきたのでしょうか。砂川事件の最高裁判決のテーマは、米軍の駐留の合憲性に関するもので、日本国の自衛権に関するものではありません。自衛権に関して言及した部分も個別的自衛権に関するものであると考えられています。むしろ、今話題の長谷部恭男教授は、2014年3月28日の日本記者クラブでの講演で「集団的自衛権は現在の憲法9条の下では否定をされているというのは、実は砂川事件からも出てくる話ではないかと私は思っております」と述べ、砂川事件の最高裁判決はむしろ集団的自衛権を否定するものとしています。下記動画の30分41秒以降をご覧下さい。追記:砂川事件の最高裁判決については、九州大学の南野森教授も「現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない」という記事を書いています。 安倍首相が自己正当化の根拠としてもう一つ掲げた「新三要件」なるものも、そもそもこれを決めた2014年7月1日の閣議決定自体が憲法9条違反だとして激しく批判されたものです。さらに、今国会の論戦で、政府はむしろこの「新三要件」を、歯止めを掛ける方向ではなく、自衛隊を積極的に海外に出し、武力行使をするための要件として活用しています。この点については、筆者の「憲法9条、安倍政権を走らす」をご参照下さい。安倍首相をはじめとする政府の国会答弁が分かりにくいのは、憲法9条と「新三要件」のねじれ、「新三要件」と国会に提出した10法案のねじれ、という二重のねじれにより、国会答弁が憲法9条と関係ないものになっているからなのです。安倍首相こそ本当の「ルーピー」ではないのか会見で記者を指名する安倍晋三首相=9月24日午後、東京・永田町の自民党本部 かつて鳩山元首相が米国のワシントンポスト紙に「ルーピー」と罵倒されました。輪っかを意味する「loop」から派生して「混乱した、ばかな」という意味があるそうです。彼のワシントンポストが堂々と使ってる位なので、筆者も使ってよいのではないかと思います。筆者は、散々、憲法違反と名指しされているのに、自省することもなく、まともに反論することもなく、壊れたレコードのように破綻した自説を繰り返すだけの安倍首相こそ「ルーピー」の名に相応しいと思わざるを得ません。安倍首相は、今日、日本に帰ってくるようですが、帰国後はさらに「憲法を守れ」「ルールを破るな」という批判を強める必要があります。(『Yahoo!ニュース個人』より2015年6月9日分より転載)わたなべ・てるひと 弁護士。1978年生まれ。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。主な著書に『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? ナベテル弁護士が教える残業代のカラクリ』(旬報社)。

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    安倍首相を「サタン」呼ばわりする日本人

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設することに反対する市民団体が12日、東京・永田町の国会議事堂周辺で集会を開いたが、集会参加者は「安倍晋三政権打倒」を訴え、一部の参加者が「安倍はサタンだ」と叫んだという(沖縄県の翁長雄志知事は14日、名護市辺野古の埋め立て承認の取り消しを正式表明)。 産経新聞(電子版)でこの記事を読んで、「日本の総理大臣に対しサタン呼ばわりする日本人がいるのか」と驚いた。キリスト教文化からはほど遠い日本ではキリスト教の「神」が定着できずに苦戦していることは知っていたが、神の対抗者の「サタン」が市民権を得ていたとは予想外で、新鮮な驚きを感じたほどだ。 ひょっとしたら、日本人は「神」より、「サタン」のほうに親近感を感じているのだろうか。それとも「安倍はサタン」と呼んだ集会参加者は日本の少数宗派キリスト教徒かもしれないと考えた。日本のキリスト教会では伝統的に左翼思想の強い信者が少なくない。東京都内のキリスト教会は左翼シンパ活動家たちの拠点となっていたことがあったからだ。 ところで、キリスト教社会の欧州では、政敵やライバルに対して「サタン」呼ばわりをしたと聞いたことがない。なぜならば、欧州人はサタンが何を意味するかを知っているからだ。メルケル独首相に対して「サタン」呼ばわりした野党政治家や国民を知らない。最悪でも、女ヒトラーぐらいだ。 キリスト教社会でも口に出すことを憚る「サタン」呼ばわりを、日本人が総理大臣に対して発したのだ。サタン呼ばわりをした日本人はサタンが何を意味するか知っているのだろうか。知っていながら日本の総理大臣に対してこの言葉を使用したとすれば、少々正気を失っていると言わざるを得ない。 それにしても、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対するために、安倍首相をサタン呼ばわりしたとすれば、サタンは気分を悪くするのではないか。サタンはもっと悪辣であり、クレバーだ。単なる小間使いではない。聖書には約300回、サタンという言葉が登場するから、サタンの習性や性格を理解したい人は聖書を一度読まれることを勧める。 話は少々飛ぶ。日本を訪問し、ウィーンに戻ってきた知人が集団的自衛権のための安保関連法案反対(反安保法案)のデモ集会で主催者からパンフレットを貰った、といって見せてくれた。その内容を読むと、安保関連法案を「戦争法案」と勝手に呼び、同法案が採決されれば、日本が戦争に巻き込まれると主張している。パンフレットの文を書いた人は本当にそのように考えているのだろうか。書きながら、舌を出し、笑っているのではないかと疑ったほどだ。 安倍首相を「サタン呼び」し、日本の「安保関連法案」を「戦争法案」と呼ぶ日本の反政府活動家は国民に不必要な不安を駆り立てている。明らかに危険なプロパガンダだ。プロパガンダでは討論にもならない。 いずれにしても、安倍首相をサタン呼ばわりする前に、日本語を学びなおすべきだろう。言葉の荒れは心の世界の乱れを反映しているのではないか、と心配になってしまうのだ。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年09月15日分より転載)

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    総力大特集! 安保法制で日本は変わる

    戦後日本の歩みを大きく転換する安全保障関連法が参院で可決、成立した。自衛隊の海外派兵と対米支援を可能とする新たな法制で日本は本当により安全な国へと生まれ変わるのか。iRONNA編集部が総力大特集でお届けする安保法制特集を通じて、わが国の安全保障について改めて考えていただきたい。

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    徴兵制につながる→☓ 安保法案の疑問わかりやすく答えます

     集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案が成立する見通しとなった。その内容、背景、意義をQ&A形式でまとめた。 Q そもそも集団的自衛権とは何か A 日本は従来、「個別的自衛権」の行使しか認めてこなかった。これは敵国の軍隊が日本を侵略しようと攻め込んできた場合に、自衛隊が敵部隊を撃退することだ。これに対して「集団的自衛権」というのは、日本が直接攻撃を受けていなくても、米国など他国が攻撃を受けたとき、自衛隊が一緒に敵部隊を撃退することだ。 小規模な軍隊しか持たない国が、軍事大国に攻撃されればひとたまりもない。だから、小規模な国にしてみれば、軍事大国に侵略されないように、隣国や仲の良い国とお互いに助け合えるようにしたい。国際社会では集団的自衛権が行使できるのは当たり前と考えられている。 Q 戦争を未然に防ぐには外交努力が先では A 日本は先の大戦から70年間、一度も戦争をしていない。今後もあってはならない。そのためには他国からの攻撃を外交努力で未然に防ぐことが重要だ。しかし、万一への「備え」は必要だ。自分の国を守れない国だとみられれば、軍事力によって現状を変更したい国の不法行為を誘発しやすくなる。しっかりした軍事面の備えがないと、外交でも相手に足元を見られかねない。 日本が平和でいられたのは「憲法9条があったからだ」と主張する人がいるが、それは現実的な見方ではない。日米同盟という存在が、日本を他国の侵略から守る強力な「抑止力」であり続けたからだ。 Q 日本を攻撃しようとしている国があるのか A 日本の周辺では見逃してはならない危険な動きがたくさんある。 隣国の中国は、軍事費を過去10年間で3.6倍に増やして軍事大国になっている。その膨大な予算で性能の高い戦闘機や軍艦をたくさん造っている。日本の領空に戦闘機が接近したり、中国の船が尖閣諸島(沖縄県石垣市)付近への領海に入ってきたり、危険な行動を続けている。 領有権をめぐって周辺国と対立している南シナ海では、岩礁を埋め立てて“軍事拠点化”しようとしている。 北朝鮮は、日本の領土の大半を射程に入れる数百発の弾道ミサイルを持っている。核実験も繰り返していて、このままでは日本を核ミサイルで攻撃できる能力を持つのは時間の問題だ。 Q 一部の野党やマスコミは「戦争法案」と批判しているが A 全くの間違いだ。安保関連法案のポイントは、いかに戦争を未然に防ぐかだ。 集団的自衛権の行使によって、米軍と自衛隊が互いに守り合う関係になれば信頼関係はより深まる。「日本に手を出せば世界最強の米軍が黙っていない」と思わせることで、戦争を仕掛けられる危険が減る。まさに、日本の平和と国民の安全を守るための法律だ。 Q 「米国の戦争に巻き込まれる」という指摘もある A その指摘も違っている。日本が集団的自衛権を行使するには、かなり厳しい条件がつけられている。安保関連法案で「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求権が根底から覆される」場合と規定されているように、日本が直接攻撃を受けることと同程度の事態にならないと、集団的自衛権は行使できないようになっている。 これは世界でも類を見ないほど厳しい条件だ。だから、米国がどこかで戦争を起こしても、日本の安全と関係なければ自衛隊が行くことはできない。 Q 例を挙げると A 米国本土が攻撃されても、自衛隊が米国本土まで戦いに行くことはない。それは「他国防衛」に当たるからだ。だが、日本に飛んでくるかもしれない北朝鮮のミサイルを迎撃するため警戒している米艦艇が攻撃された場合は、自衛隊は米艦艇を守ることができる。 日本の安全が脅かされている事態であり、米艦艇が沈没されれば、日本がミサイル攻撃を受けるかもしれないからだ。こうした「自国防衛」に限って、集団的自衛権の行使は認められている。 そもそも自衛隊が持っている武器は、日本が攻撃を受けたときを想定しているものだ。他国まで行って空から地上を爆撃したり、大規模な地上戦を行ったりするような能力は持っていない。 Q 徴兵制につながると心配している母親たちがいる A 安保関連法案は徴兵制とは無関係だ。政府は徴兵制を禁じる憲法解釈を堅持している。安倍晋三首相は何度も「導入はない」と明確に否定している。 自衛隊にとっても、徴兵制を導入するのは意味がない。最近ではハイテク兵器が主役だ。たくさんの教育訓練が必要で、徴兵したところで育成できない。専門性の低い大量の自衛隊員を維持する必要性も低い。 だから、米国や英国など主要7カ国(G7)はいずれも徴兵制ではなく自分の考えで軍隊に入隊する志願制を採用している。徴兵制は国際的な潮流からも逆行している。 Q 安保関連法案は憲法違反なのか A 確かに、憲法学者でも安保関連法案を「憲法違反」だと解釈する人は多い。しかし、憲法解釈の変更は、これまでも行われてきた。戦後間もないころは、当時の吉田茂首相は「憲法9条は自衛のための戦争も否定している」という見解を国会で示していた。要は、日本が敵国に攻められても自衛すらできないという意味だ。 しかし、昭和29年に自衛隊が創設され、政府は「自衛のために必要な実力組織を持つことは憲法に違反しない」と解釈を変えている。ちなみに、今回の安全保障関連法案を違憲だという憲法学者の中には、今でも自衛隊を憲法違反だと主張している人が少なくない。 Q 野党は自衛隊のリスクは高まるといっている A 今回の法制では自衛隊に新たな任務が加わるため、その分のリスクは増えると指摘することもできる。ただ、今でも自衛隊にはリスクの高い任務がある。自衛隊はリスクを最小化し、任務を完遂するために日々厳しい訓練を行っている。この点は法整備後も変わらない。 そもそも自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」と宣誓して入隊している。リスクは覚悟の上だ。忘れてはいけないのは、自衛官がリスクを背負うことと引き換えに、日本の平和や安全に及ぶリスクが格段に下がるということだ。 Q 安保関連法案に反対する野党が多いが、安倍首相が望むから法整備するのか A 安倍首相が安全保障政策に意欲的なのは確かだ。でも、集団的自衛権の行使容認をめぐる議論は以前からされてきた。安倍首相は平成18年に発足した第1次政権でも、この問題に取り組んできた。 確かに民主党などは安保関連法案に反対の立場だ。岡田克也代表は6月の党首討論で「集団的自衛権はいらない」と断言したが、岡田氏や野田佳彦元首相はかつて「集団的自衛権の行使を容認すべきだ」と主張していた。 前原誠司元外相に至っては、6月の衆院平和安全法制特別委員会で質問に立ち、集団的自衛権の行使について「一部認める立場だ」と明言している。 Q 米国の核兵器も自衛隊が輸送するのか A 自衛隊の後方支援として他国軍の弾薬や物資を輸送できるようになるが、核兵器を輸送することはない。日本は国是として非核三原則を掲げている。安倍首相も「政策的にあり得ない」と述べている。そもそも、米国が核兵器の運搬を他国に委ねることは考えにくい。「机上の空論」だ。 民主党などは安保関連法案の整備により自衛隊が核輸送する可能性を指摘するが、現行法制で核運搬を禁じる条文はない。民主党政権下でも法律上は核運搬が可能だったことになるが、それを禁止する措置を取らなかった。民主党の指摘は批判のための批判としか思えない。

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    安保法案はギリギリで折り合いをつけた日本存立の切り札だ

    中西輝政(京都大学名誉教授) 現在、国会で審議中のいわゆる安全保障関連法案の一日も早い成立が望まれる。これは間違いなく日本にとって、またアジアと世界の平和にとって、きわめて重要な意義を持つものだからである。「護憲派」の的外れな批判 周知の通り、同法案は5月26日に衆院特別委員会で審議入りし、目下、序盤戦とも言える段階で与野党の論戦は早くも熱を帯び始めている。例によってと言うべきか、「この法案が通れば日本が戦争に巻き込まれる」とか「徴兵制に道を開くことになる」あるいは何だかよくわからないが「とにかく違憲だ」といった声がまたぞろ出始めている。 これらは、従来の安保政策に重要な変化をもたらすとみられた法案や政策が問題になると、それに反対する陣営からつねに喧伝(けんでん)されてきた常套(じょうとう)句と言ってもよいが、この法案の重要性と日本周辺の危機の切迫に鑑みれば、こうした声に対して単に「またいつものことか」とばかりは言っておれないのである。中国の「抗日戦争勝利70年記念」の軍事パレードに登場した弾道ミサイルDF21。米国を挑発しているのか=9月3日(新華社=共同) 「好事魔多し」というべきか。たとえば年金情報の流出問題などによって今国会後半のスケジュールが見通せなくなったり、声高な反対メディアの喧伝のせいか現時点での各種世論調査など気がかりな要素も見られたりしている。また、6月4日の衆院憲法審査会で自民推薦の参考人がこの法案を「憲法違反」と断じたことが波紋を引き起こした。 しかしこの参考人は、いわゆる「護憲派」として以前からこの法案に反対する団体の活動に従事しており、またこの10日前の新聞紙上で安倍晋三首相のポツダム宣言をめぐる発言に対しても的外れな批判をしていた人物だった。 単純な「人選ミス」ともいえるが、従来日本の保守政党や保守陣営は学者の世界の事情にことのほか疎く、およそ学界というものに対し危ういくらい無知なことが多かった。他方、野党や一部メディアはこれを鬼の首でもとったかのように「痛快」がって見せたが、裏を返せば正面からの攻め手に事欠いていたということだろう。限定的集団的自衛権に余地 この参考人は「(同法案は)従来の政府見解の基本的論理では説明できないし、法的安定性を大きく揺るがす」とするが、これはまさに昨年7月の閣議決定の際の論議の蒸し返しである。この法案では、いわゆる集団的自衛権の行使には「新三要件」として、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」など、きわめて厳しい限定条件が付されている。 これは1959年の最高裁判所の出した「砂川判決」がつとに認めた、主権国家としての「固有の自衛権」(個別的自衛権ではない)に収まるものである。また60年3月に当時の岸信介首相が参議院予算委員会で答弁しているように「一切の集団的自衛権を(憲法上)持たないというのは言い過ぎ」で、集団的自衛権というのは「他国にまで出かけていって(その国を)守る、ということに尽きるものではない」として、現憲法の枠内での限定的な集団的自衛権の成立する余地を認めてきたのである。この法理は、もとより安倍首相が岸元首相の孫にあたるということとは何の関係もない普遍的なものである。 また昨年5月15日に出された安保法制懇(第2次)の最終報告書が言う通り、一般に集団的自衛権の行使を禁じたとされる内閣法制局の見解に対しては、我が国の存立と国民の生命を守る上で不可欠な必要最小限の自衛権とは必ずしも個別的自衛権のみを意味するとはかぎらない、という論点にも再度注意を払う必要があろう。急速に悪化する国際情勢 そしてこの「必要最小限」について具体的に考えるとき、現下の国際情勢とりわけ日本を取り巻く安全保障環境の激変というか、その急速な悪化にこそ目が向けられるべきだろう。もちろん理想的には憲法の改正によって議論の余地ない体制を整えてやるのがよいに決まっている。 しかし憲法の改正に必要な発議を行う当の国会の憲法審査会の開催を長年阻んできたのは、まさに現在この法案に反対している人々だったのである。とすれば、今日の急迫する東シナ海や南シナ海をめぐる情勢と中国の軍事的脅威の増大、進行する米軍の抑止力の低下傾向を見たとき、この法案はまさに法治国家としての国是を踏まえ、ギリギリで折り合いをつけた日本存立のための「切り札」と言わなければならないのである。 今や尖閣諸島の安全が日々、脅かされている状態が続いており、この4月27日には日米間でようやく新ガイドライン(防衛協力のための指針)が調印され、日米同盟による対中抑止力は格段に高まろうとしている。しかし、それにはこの安保法案の成立が大前提になっているのである。 南シナ海の情勢は一層緊迫の度を増している。この法案にアジアと世界の平和がかかっているといっても決して大げさではない。(なかにし てるまさ)

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    将来に禍根を残す暴力的な採決 今起きている憲法クーデターを許さない

    に無効ではないか。毎日新聞は、 何が起きたか分かっていたのは、その場にいた与党議員だけかもしれない。安全保障関連法案は17日夕、参院特別委員会で可決されたが、予定されていた締めくくりの質疑もなく、突然起きた大混乱の中、いつの間にか可決されていた。 午後4時半ごろ、野党による鴻池祥肇委員長の不信任動議が否決され、鴻池氏が委員長席に戻ってきた。座った瞬間、自民党議員がバラバラと委員長席に駆け寄る。つられるように野党議員も動き、あっという間に委員長を囲む人垣ができた。怒号とやじが渦巻き、散会するまでの約8分間、傍聴席の記者にも何がどうなっているのか分からなかった。 散会後の鴻池氏の説明では、まず自民党議員の質疑打ち切りの動議、次に安保関連法案を採決したという。だが、どの時点で何の採決が行われたのか、議場にいた野党議員すら分からなかった。生中継するNHKすら「何らかの採決が行われたものとみられます」などと実況し、散会するまで「可決」を伝えられなかった。毎日新聞と報道している。 NHKは散会するまで「可決」と伝えられなかったのに、最終的に何を根拠に「採決」と判断したのだろうか。与党の言うがままに、「採決」と報じたNHKも、報道機関として極めて重大な責任がある。戦争協力加担への報道機関の犯した過去の歴史がいま、繰り返されているといえるのではないか。議事録には何ら記載なしそんな折、ある裁判官が(裁判官!)、小池晃参議院議員の以下のTwitterを教えてくれた。  本日の参議院特別委の速記録が出ました。まったく聴取不能で、何をやったのかわかりません。自民党の説明では、採決動議、法案二本、付帯決議、委員会報告の5回採決したと言うのですが、そのような記録なし。まったく無法、無効です。 pic.twitter.com/EHd8N40OnZ— 小池晃 (@koike_akira) 2015, 9月 17  この速記をみると、該当部分は、ただ、速記中止委員長 発言する者多く、議場騒然、聴取不能となっている。「採決」という記載は一切、議事録にすらないのだ。これからこれも改ざんされていくのだろうか。到底信じられないことである。「あんな暴力的な採決が可決になったら我が国の民主主義は死にます」 その場にいた人からも、議事録からも、映像からも、採決があったとは到底認められないのだ。こんなことで有効な採決としてしまつたら、議会多数派の暴力的な横暴で、国会は民主主義のルールを無視してどんなことでもまかり通る場になってしまう。言論の府としての自殺行為ではないのか。 福山哲郎参議院議員は、NHKで「可決は認められません。あんな暴力的な採決が可決になったら我が国の民主主義は死にます。」と述べた。まさに同感である。このような採決を有効としては、将来にわたり禍根を残す。憲法クーデター 今回、審議されている安全保障法案は、日本の将来に極めて重大な変容をもたらすものである。 11本もある法律はそれぞれ憲法9条のもとでこれまで抑制されてきた自衛隊の海外での武力行使、武器使用等について大幅な緩和をもたらす重大な問題が含まれている。集団的自衛権行使容認が違憲であることは圧倒的多数の憲法学者や元最高裁長官、元最高裁判事までが明確に主張している。 違憲な法律はそもそも無効であり、制定することは許されない。ところが、こうした声がすべてシャットアウトされ、無視されたまま採決に至った。しかもかくも暴力的なやり方で。山口繁元最高裁長官は、朝日新聞のインタビューで以下のとおり語っている。――安全保障関連法案についてどう考えますか。 少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は、違憲と言わねばならない。我が国は集団的自衛権を有しているが行使はせず、専守防衛に徹する。これが憲法9条の解釈です。その解釈に基づき、60余年間、様々な立法や予算編成がなされてきたし、その解釈をとる政権与党が選挙の洗礼を受け、国民の支持を得てきた。この事実は非常に重い。 長年の慣習が人々の行動規範になり、それに反したら制裁を受けるという法的確信を持つようになると、これは慣習法になる。それと同じように、憲法9条についての従来の政府解釈は単なる解釈ではなく、規範へと昇格しているのではないか。9条の骨肉と化している解釈を変えて、集団的自衛権を行使したいのなら、9条を改正するのが筋であり、正攻法でしょう。――「法案は違憲」との指摘に対して、政府は1972年の政府見解と論理的整合性が保たれていると反論しています。 何を言っているのか理解できない。「憲法上許されない」と「許される」。こんなプラスとマイナスが両方成り立てば、憲法解釈とは言えない。論理的整合性があるというのなら、72年の政府見解は間違いであったと言うべきです。「9条解釈、変更するなら改憲が筋」 元最高裁長官語る 元最高裁長官の意見は、法律家の常識を代弁するものである。極めて当たり前のことであるが、彼のような人が公に語らざるを得ないという状況は、現代の憲法的危機の深刻さを象徴している。 こうした意見を何ら真摯に受け止めず、耳を傾けないというのは、政権・与党が、憲法違反の確信犯であり、憲法違反を知りつつ暴走していることを意味する。 憲法99条に定められた、国会議員・公務員の憲法尊重擁護義務を無視する、憲法クーデターに他ならない。 このようなことがまかり通れば、これからも、このようなかたちで日本の戦争参加が決められ、憲法違反の人権侵害立法が決められ、若者たちが戦争に動員される法律が決められてしまうであろう。 今、目の前で繰り広げられている憲法破壊、このようなことを到底許してはならない。今国会で、今日、野党には本当に憲法価値、立憲主義の価値、議会制民主主義を守るために奮闘してもらいたいと願う。 そして・・・「ねじれ解消」のスローガンのもとで与党が圧倒的多数を握る国会が、かくもブレーキを失い、与党の独裁的手法がかくも暴走することを、今国会はこれ以上ありえない明確なかたちで私たちの目の前に提示した。 憲法が保障した民主主義、平和主義、そして基本的人権尊重という価値が本当に停止されてしまわないうちに、このような国会の構成をこれから私たち主権者の力で変えていかなくてはならないと痛感する。(『Yahoo!ニュース個人』より2015年9月18日分より転載)

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    安保法制を敵視する 感情的な「反日リベラリズム」

    府側の努力にもかかわらず、具体的なシナリオや現実の脅威認識について理解が広がっていないきらいもある。安全保障は本来、国家や国民の生存にかかわる重大事であり、例示により理解が進むとは限らず、国際社会の実態と展望を率直に説明した方がよい場合もある。 他方、社会には自分にとって嫌なことや、ずっと将来のことはできれば考えたくないと思いながら生きている人が多い。 60年安保反対闘争は今や、昔の話になったが、あの運動に当時の若者を駆りたてた動因は反米ナショナリズムであったと思う。こんな条約を結んで日本は米国の属国になってよいのかという感情が共感を呼んだのである。しかし、若者たちは条約文さえ読んでなかったし、どの条文を修正したら賛成できるといった議論もなかったであろう。 ただ、歴史を振り返ると日米安保体制がその後半世紀にわたる日本の安全と経済繁栄の基礎になったことは明らかであり、今や、安保反対闘争に加わった人を含めて国民の7割以上が日米安保に賛成している。 今、安保法制の反対者を動かしている動因は反米ナショナリズムではなく、反日リベラリズムといえるのではないか。すなわち、学生には今の日本はかつての道に踏み込む恐れがあり、安保法制を成立させるような日本の方向には賛成できないという見方が強い。安保関連法案が参院特別委で可決された国会前には、夜になっても法案に反対する大勢の人たちとそれを囲む警察官の姿があった=2015年9月17日 また、これは真のリベラリズムとはいえず、反政府活動に駆りたてられた感情的なリベラリズムである。法案の内容を理解せず、反対を主張するだけの感情論は後で振り返ると間違っていたということにならないのか。顕在化する北東アジアのリスク 安保法制はアジアのリスクに対し、日本の安全を確保する手段である。国際社会は依然、混沌(こんとん)としており、ウクライナ情勢や「イスラム国」、シリア、イラクを含む中東湾岸情勢は深刻で解決の道のりは見えない。 北東アジアの潜在的不安はもっと深刻である。北朝鮮は2006年、09年、12年と3年ごとに弾道ミサイル実験を行い国際社会から制裁を受けて反発し、その都度、核実験を行った。今年はさらにその3年後にあたり発射台の拡張を行っている。6者会合は動かず北朝鮮による核兵器・弾道ミサイル開発の時間稼ぎが続いている。周辺への挑発活動も続いており、その意図も不明瞭である。 今般、南北間で起きた緊張は一応収まっているかにみえるが、今後、何が起こるか予想できない。明確なことは、北朝鮮が核兵器と日本にいつでも発射できる数百発の弾道ミサイルを保有しているということである。 北朝鮮が急迫する短期的脅威とすれば、中国は中期的なリスクである。南シナ海や東シナ海における力による現状変更は、やがて周辺との武力衝突という形で顕在化するであろう。 しかし国連は機能しない。しかも軍事的脅威にとどまらず国際経済に与える影響は重大である。あるいは国内の経済破綻から軍事的挑発が引き起こされるシナリオもあり得る。一国平和主義は成り立たない こうした東アジアのリスクに対応するため米国だけに依存できる状態にはない。 日本が米国のみならず他国の軍事活動を支援することは日本の安全にとっても不可欠の手段である。一国平和主義は到底、成り立たないのである。 安保法制は日米安保の片務性を解消できる道でもある。日米安保体制は米国が日本の防衛義務を負う片務性をもっている。日米同盟が真のイコールパートナーにならない理由はこの点にある。 この片務性をできる限り解消して日米同盟を真の同盟関係に近づけつつ、日本の安全を確実にすることは安保法制の重要な目的である。特に、安保法制で可能となる一定要件下における集団的自衛権行使、米軍のアセット防護や米軍に対する広範な後方支援はそれを可能とする。 しかも、それにより北朝鮮や中国に対する日米同盟の抑止機能を格段に向上させることができるのであり、米国はこの点を高く評価している。もちろん、これを効率的に実施するためには日本の政治が果たす責任は大きく、自衛隊のリスク管理や態勢の整備も必要となる。国家の安全を果たすにはリスクが付き物である。 それを回避していたのでは平和も安全も繁栄も期待できない。将来を展望すれば今、日本に求められているのは、日本の平和と発展のため危機に対応する強い責任感と覚悟である。もりもと・さとし 昭和16年、東京都出身。防衛大学校卒業後、航空自衛隊を経て外務省安全保障課に出向。外務省入省後、情報調査局安全保障政策室長などを歴任。拓殖大海外事情研究所長や初代の防衛相補佐官などを務め、平成24年6月に野田佳彦政権下で民間人初の防衛相(11代)に就任。

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    安保法制を支持する ウォールストリート・ジャーナル

    ことがあり、反対派に、総理を民族主義者と描写させやすくしている。中国はこれを利用している。 しかし、安全保障における日本の役割を拡大することには、超党派的コンセンサスができてきている。2012年以前の民主党政権も、菅・野田元総理の下、同様の政策を推進してきた。 これを踏まえれば、法案を通した後の安倍総理の支持率は上がってしかるべきである。集団的自衛権の行使によって、戦後日本が地域の平和や安定の推進に果たしてきた模範的歴史が汚されることはない。むしろ、日本が民主主義とルールに基づく国際秩序を守るための責任を今まで以上に背負うことを可能にする、と述べています。出典:‘Japan’s Peaceful Self-Defense’(Wall Street Journal, July 17, 2015)* * * この社説は安保法制法案に対する日本の世論の反対に若干驚きを表明するとともに、集団的自衛権を認めるなどの今回の安保法制法案を強く支持し、民主党も同じ方向の政策を野田政権などの時代にとっていたから、法案成立後には安倍総理の支持は回復するだろうと予測しています。大筋で的を射ています。 今回の安保法制への反対論は、まったく反対論の体をなしていません。「青年を戦場に送るな」などと言っていますが、徴兵制ではなく志願制の自衛隊なのですから行きたくなければ志願しなければよいだけの話です。それに、今は戦場がこちらに来る時代で、尖閣に侵攻されれば日本領土が戦場になります。今回の法制を認めれば徴兵制になるなど、とんでもないことで人々を脅す人もいますが、牽強付会も甚だしいと言わざるを得ません。そして、「戦争法案」などと扇情的なレッテル張りをしています。 60年安保の時もPKO法案の時も大騒ぎをしましたが、今は多くの人に受け入れられています。今回の法案が通った後、戦争にもならず、徴兵制にもならず、いまの反対論が机上の空論であったことが明らかになることはほぼ確実です。 一時的な支持率低迷で方針を変える必要はまったくありません。長い目で見て日本国民の賢明さを信頼するのが一番でしょう。それに今は自民党に代わり政権を担える政党はありません。 なお、今度の法制は集団的自衛権の行使も限定的すぎて不十分であり、旧来の内閣法制局集団的自衛権についての誤った憲法解釈をベースにしており、安保政策の大転換というのには程遠いと思います。

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    安保法案、偏りを克服する視点持ちたい

    仰国会前で安保関連法案反対を訴えるタレントの石田純一さん=2015年9月17日夜 世界が直面している安全保障環境と日本が果たすべき役割を考えると、この騒ぎは浮世離れしている。多くの国が法案を支持している。硬直したユートピア信仰に絡め取られた反対騒ぎ、といわねばならない。 「戦争反対」といっても恒久平和といってもいい、その理念を筆者は否定しない。それはしかしユートピアなのだ。第一次大戦後の国際協調の理念が次の大戦へと失墜した時代を、ユートピアと現実のバランスの喪失と捉えたイギリスの政治学者、E・H・カーの分析は、現代の日本にも通じる。どんな政治的ユートピアも政治的現実から生じるものでなければ成功しない、と。恒久平和の理念も、戦争を抑止する現実の手立てを講じなければ実現できないのだ。 しかし今回の騒ぎに限らず戦後日本を覆ってきたのは、独善的なユートピア信仰だった。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する現憲法が、なによりそれを語っている。現実には自衛隊と米軍に抑止力を頼りながらその現実を見ず、ときには敵視しつつ平和を声高に訴えてきたのだった。戦後のその最たる運動が、昭和35(1960)年の安保闘争だった。戦後左傾の残滓 60年安保でもいわゆる戦後進歩的知識人がデモに加わるなどし、運動を導いた。戦争の時代を経験した彼らの仕事は多岐にわたるが、総じてリベラルで憲法擁護、安保改定には反対の立ち位置となる。その仕事は戦争に至った日本への容赦ない批判を基本としている。それでも、戦争への反動もあったのだろう、戦後日本で広く共有された。日本全体が左傾していた。 しかし、戦争の痛みを骨身で知る世代が新生日本にユートピアを重ねた当時の心境はまだしも理解できるとしても、もはや戦後70年がたつ。安全保障の現実は刻々と変わっている。 たとえば今回、憲法違反とする指摘がいくつもあった。朝日新聞は社説で再三、「『違憲』法案」などとした。変わる現実に見合った手立てを講じることが憲法に触れるというなら、憲法を変えればよい話である。法案反対論者は「反対」をいうだけでなく、なぜ憲法を改正せよともっと正面から訴えないのか。 今回の法案反対騒ぎの歴史的な評価は、60年安保とは異なったものとなるだろう。かつてと同じ、日本を傾けた左傾思潮の病根が見えはする。しかし硬直したその残滓(ざんし)でしかない。ただし戦後70年を経てなお現実を見ようとしない点では、病根は深くなっている。危機の70年 さらにいえば、60年安保は東西冷戦のさなかに起こった。ソ連が安保反対陣営を援助していたことはいまでは明らかとなっている。中国共産党の関係を指摘する研究もある。自由主義国である日米の離反をあおる工作があった現実を、私たちは見ておくべきなのである。現在もさまざまな反対運動に、おそらくは他国の思惑も絡んでいよう。この国の偏りを克服する冷静な視点をこそ持ちたい。 いつまで日本は一国のみで、恒久平和というユートピア幻想に浸っているのだろうか。E・H・カーの本は「危機の20年」という。それにならえば、日本は「危機の70年」にある。

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    安保法制は海外軍事行動の白紙手形ではない

    代化するという安倍総理の固い決意である。安保法制に対する国内の反対にかかわらず、国民の大多数が日本の安全保障に対する脅威に不安を抱いている。北朝鮮、中国がそれである。或る世論調査では国民の僅か7%が中国は信頼出来ると答えている。別の世論調査では85%が日中戦争の可能性を怖れている。 安倍総理は安保法制を成立させるであろう。その時に至れば、国民の殆どは自衛隊がアジアを席捲すべく出動することはないことを知るであろう。そうではなく、日本は米国およびその他の国々により信頼され、従って影響力のあるパートナーとなるであろう。安倍総理は彼の運勢は国内でも海外でも引き続き上向きであると信じている、と述べています。出 典:Michael Auslin‘Overcoming Japan’s Security Skeptics at Home’(Wall Street Journal, July 21, 2015)* * * 安倍総理の安保法制の整備の努力を評価する論評です。敢えて難をいえば、安保法制の整備の努力と中韓両国との関係改善への動きとを結び付けて論じていますが、些か牽強付会の趣があるように思えます。 安保法制について書かれていることは妥当だと思います。特に、末尾の指摘、即ちいずれ安保法制が成立すれば、国民は法案が「戦争法案」でないことを悟るであろうという観測はそうであろうと思いますし、そのように期待したいと思います。 野党は、国民の理解が進んでいないとしきりにいいますが、理解しようとしない国民は理解しません。理解するためには、平和主義は日本の専売特許という思い込みを脱却すること、平和と平和憲法を奉じて呪文のように唱えれば平和は守られるという幻想から目覚めること、そして安保法制は抑止と国際協力のための道具立てを整備することだとの認識を持つこと、が欠かせません。野党は、国民の理解が進んでいないことを理由に成立阻止に動いていますが、国民のことをいう前に、国民の代表たる政治家が必要なことは決めるのが政治家の責任というものでしょう。 なお、集団的自衛権の行使については余りに厳格な発動のための要件が課せられているために、画餅に帰さないか心配です。

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    安倍政権は委員会審議の最後に国民に語る言葉を持たなかった

    安倍首相(中央)と中谷防衛相(その奥)=2015年9月17日午後4時29分 中立的に見ても、我が国の安全保障の在り方を根本から変更する可能性のある法案であり、大方の法律家・法学者が憲法違反だと考えている法案について、政府の責任者が議事録の残る正式な場で最後の説明を行うことは、極めて重要なことです。マスコミは、与野党で混乱状態が起こると筋のない政局報道に陥りがちですが、昨日の一連の流れの中で、一番重要だったのは、「国民に丁寧に説明する」としていた安倍政権の採ったこの選択だったと思います。安倍政権は、この重要な局面で、国民に語るべき言葉を持たなかったのです。暴走する佐藤正久議員 もう一つ、昨日の審議で目についたのは、与党筆頭理事の佐藤正久議員(ヒゲの佐藤氏)の暴走です。鴻池委員長に対する不信任動議が出された後、審議がストップしている(しなければならない)状況で権限なく委員長席に居座り、動議の処理を進めようとするそぶりすら見せました。 振り返れば、この人は、イラクに派遣されていたときも、禁止されている「駆けつけ警護」の状態を無理矢理作り出し、交戦しようとしていたことを公言しました。 採決の際も、委員長にのし掛かった議員の責任はあるにせよ、佐藤議員はこれを排除するために鉄拳を見舞っているように見えます。軍隊で格闘技術を習得しているはずの人物が国会内で鉄拳を繰り出すのは論外でしょう。 筆者は、総じて、この人物に、旧陸軍以来の我が国の軍人の統制が効かない有り様を見いださざるを得ません。 Scuffles break out in Japan's upper house ahead of vote to expand role of armed forces http://t.co/ctIRs1DhyY pic.twitter.com/2MfkEE95JM— BBC News (World) (@BBCWorld) 2015, 9月 17  特別委員会で果たして採決はあったのか そしてそもそも、昨日、委員会の採決はあったのでしょうか。上記の朝日の記事で明らかなのですが、採決がされたとされる時、鴻池委員長を取り囲んでいたのは基本的に与党の議員です。「スクラムを組んで委員長を防衛した」というと聞こえがいいですが、要するに、与党自らが、混乱して議事録を作成できない状態を作り出したのです。 法律的には、決議すべき議員との意思の連絡のないところで、提案者である委員長が決議を採るべき文言を口の中で述べても、決議が成立しないことは明らかです。慣例により、委員長が職権で議事録に付記して可決されたことにするようですが、とても事後的な検証に耐えるものではないように思います。 この報いを受けるのは、当面は国会議員を選んだ国民ですが、国民がいつまでもこういう国会運営(舵取りをするのは与党です)を良しとするかは、別問題でしょう。(『Yahoo!ニュース個人』より2015年9月18日分より転載)わたなべ・てるひと 弁護士。1978年生まれ。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。主な著書に『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? ナベテル弁護士が教える残業代のカラクリ』(旬報社)。

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    集団的自衛権の解釈をやり直せ〜安倍政権を潰すな!

    上念司(経済評論家)&倉山満(憲政史家)本記事は、2015年7月13日に開催された『Voice LIVE 説教ストロガノフ〜東京裁判を斬る!』での上念司氏、倉山満氏対談内容を編集したものです。裁判自体が違法である上念 会場にお集まりの皆さん、こんばんは!会場 こんばんは。上念 どうした、声が小さいぞ? オイッス!会場 ……オイッス!倉山 上念さん、挨拶の強制はいかがなものかと(笑)。上念 いや、挨拶は人間関係の基本だから。倉山 年齢がばれますよ(『8時だョ!全員集合』参照)。上念 今日のお題は「説教ストロガノフ〜東京裁判を斬る!」。ライブバージョンでお届けします。倉山 早くも帰ってきました、「説教ストロガノフ」(笑)。では初めに、基本的な用語説明から。まず東京裁判(極東国際軍事裁判)の「A級戦犯」や「B級戦犯」という言葉は間違いです。正確に訳すと「A項」「B項」「C項」。A項は侵略戦争を行なった罪、B項は戦時国際法違反の罪。C項は捕虜や住民への暴行など人道に反する罪が該当します。上念 いずれも日本の軍隊とは無縁のもの。倉山 たしかにB項とC項の基準は明確ですが、日本軍には該当しない。A項に至っては、まるで意味がわかりません。当時、国際的に違法ではなかった侵略戦争を、日本に対してのみ違法としてしまうのですから。上念 戦争を始めた事情は国によって違うけれども、終戦のルールは国際的に統一しなければいけません。喧嘩両成敗、いや喧嘩両不成敗か。倉山 通常、負けたほうが賠償金を払って終わり。もしくは領土の割譲です。上念 それが戦時国際法であり、文明の法です。ところが連合国が文明の法を破ってしまい、戦争に負けた日本をさらに東京裁判で一方的に断罪するという不条理を行なったわけです。倉山 東京裁判の突っ込みどころは、50個はありますからね。それだけでこの対談が終わってしまう。上念 試しに2、3個いってみる?倉山 一つ目に、まずこの裁判自体が違法です。上念 被告を裁く根拠になる法律がない。事後につくった基準で訴追すること自体が、法の支配とはかけ離れています。倉山 二つ目に、この裁判で被告を裁く「原告」はいったい誰なのか。上念 連合国、あるいは国際共産主義コミンテルンか。倉山 いずれにせよ、第三者ではなく、争った当事者の一方が裁きの主体になっている。この時点でもはや裁判ではありません。おまけにいうに事欠いて、原告は「文明」である、と言い出した。上念 誰?「ふみあき」って。倉山 文明です。ぶ・ん・め・い。上念 相変わらずニュアンスがつかみにくい。倉山 三つ目に、先ほどいったように当時、違法ではなかった侵略戦争を現代から遡って訴えていること。罪刑法定主義のイロハもわきまえていません。上念 現代のチャイナが同じことをやっていますね。上海株が暴落したら株を売った人間を探し出して、訴追して牢屋に入れようとしていた。倉山 刑法では、いかに道徳的に問題があることでも、その時点で法律の条文に記されていなければ罰することはできません。過去に遡って生きることができない人間の本質によるものです。上念 連合赤軍は平気で過去を罰していたけれどね。「おまえ、何年何月何日に反革命行動を取っていただろう」といって、総括と称して私刑で殺してしまう。倉山 共産主義者が関わると、そういう惨事になりますね。戦争責任ではなく「敗戦責任」倉山 そもそもおかしいのは「戦争責任」という言葉です。繰り返しますが大東亜戦争時、侵略戦争は違法ではありません。上念 日本の戦争を「平和に対する罪」とか道徳的な悪とかいうのであれば、連合国軍のドレスデン爆撃や東京大空襲、原爆投下は日本軍以上の犯罪です。倉山 それは東京裁判のタブーで、口に出してはいけないことになっている。われわれは東京裁判から、戦争における最も重要な教訓を学びました。それは「戦争は絶対に勝たなければならない」ということです。 そもそも、戦争責任とはすなわち「敗戦責任」です。 では、日本の「敗戦責任」は誰にあるのか。その検証作業が、インターネット番組『チャンネルくらら』の「戦後70年特別企画『説教ストロガノフ 掟破りの逆15年戦争』」でした。上念 なぜ「逆」なのかというと、時系列を遡って「どの時点で誰の責任だったか」を明らかにしたかったから。言葉の正しい意味において、A級戦犯とは誰なのか。それを連合国側の視点ではなく、日本人自らが検証することです。倉山 とくに、わざわざ負ける作戦を立てて大量の特攻隊員を殺した指揮官の罪は明確にすべきです。こう述べると決まって左翼呼ばわりされるのですが、左翼というのは特攻隊員の死を犬死に扱いする連中のことです。特攻隊員の死は絶対的に尊い。反対に、山本五十六や近衛文麿の生は絶対的に醜い。両者を一緒くたにするから、日本の「敗戦責任」が見えなくなる。上念 世界最強の海軍戦力をもつ日本がミッドウェー海戦(1942年6月)に負けるって、どれだけ指揮官が戦争下手なの?倉山 日本海軍の「Z旗」ってありますよね(1905年5月の日本海海戦で、ここで負けたら最後という意味で東郷平八郎司令長官がアルファベットの最後の1文字「Z」の旗を戦艦三笠に掲げたことから始まる)。 この必勝旗のもとで、日本は何勝何敗だったか。2勝2敗です。日本海海戦と真珠湾攻撃(Z旗と同義のDG旗を使用)で2勝したのち、ミッドウェー海戦とマリアナ沖海戦(1944年6月)で2敗。ちっとも「必勝」ではありません。おまけにZ旗はもはや後がない決意の証のはずなのに、ミッドウェー海戦で山本五十六司令長官は臆病がって艦隊を温存していた。大丈夫ですか、この人?上念 戦争が下手なら、上手な人間に任せればいいわけです。実戦を知らずに派閥人事で出世した役人軍人がいるから戦いに負けてしまう。山本五十六の場合は連れてきた奴まで無能だったので話になりませんが。倉山 山本にしてみれば当然でしょう。自分より優秀な奴だったら思いどおりの駒になりませんから。お役所仕事の大東亜戦争倉山 そもそも開戦からして、なぜ最初の戦いがハワイの真珠湾攻撃(1941年12月)なのか。わざわざ飛行機で艦隊を効果的に攻撃できることを敵のアメリカに親切に教えてあげてから、占領もしないで引き返す。理由は「補給が続かないから」だという。ならばなぜ、アラスカからオーストラリアまで地球上あらゆるところに出兵したのでしょうか。何がしたいのか、まるで意味不明です。 さかしらな歴史学者が「現代の後知恵で戦争を批判してはならない」などといいますが、そんなレベルの話ではない。戦争の常識を後知恵といわれてはたまったものではありません。「山本五十六は日本を滅ぼそうとするスパイだった」という説明が最も納得いくほど、理解不能な行動です。山本五十六に比べたら、民主党政権のほうがはるかに有能ですね。普天間基地移設に絡む日米同盟破壊や消費増税で日本を滅ぼそうとしたことが、誰の目にもわかりましたから。上念 なぜこれほど無能なのでしょう。新潟県長岡市の山本五十六記念館を訪れたときは、複雑な心境でしたね。「なぜこの人間を美化するのか」という言葉が喉元まで出かかりました。倉山 無能者が出世するシステムだったからでしょうね。上念 ハンモックナンバー(軍の寝床に記された番号。兵学校の卒業席次で決まる)の上位者が出世するという。倉山 あとは官庁的な派閥工作。お役所と同じで、なまじ結果を出そうとする人がいると仕事の負担が重くなって面倒臭い。だからトップには無能な指揮官を置く。基本的に、日本軍にとっての大東亜戦争は「お役所仕事」でした。比喩でも何でもありません。指揮官から与えられた、作戦の名にも値しない指示を右から左に流すだけで、誰も止めようとしない。上念 ミッドウェーに突っ込むぞ、という山本五十六に対して、誰も「正気ですか?」という突っ込みを入れなかった。ツッコミ不在の危機(笑)。倉山 最も悲劇だったのは、お役所から戦争業務を委託され、現場に派遣された下士官がどこまでも優秀で誠実だったことです。『山本五十六』(上・下、新潮文庫)で美化した阿川弘之氏の罪は重いといえるでしょう。  上念 『米内光政』(新潮文庫)とか。城山三郎が広田弘毅を美化した『落日燃ゆ』(新潮文庫)の内容も空想のストーリーに満ちていて、ラノベ(ライトノベル)顔負けの妄想力でした。倉山 なにしろあの内田康哉を悲劇の外交官として描くのですから。内田こそ、国際連盟脱退(1933年)の真犯人にして「史上最低の外務大臣」です。 よく「松岡洋右が国際連盟脱退を断行した」といわれますが、じつは松岡洋右は国際連盟脱退に反対だった。イギリスを味方につけようとする松岡の工作を全部ぶち壊したのが、「もっとケンカを売ってこい」とばかりに強硬論を強いた内田康哉外務大臣。内田はもともと無能でろくでもない外交官でしたが、明治・大正・昭和と3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物です。外務大臣としての任期は合計7年5カ月で、いまだに史上最長。 城山三郎の小説のように、ジェットコースター的に物語を展開するだけの筆力がないと、読者を泣かせることはできない。つまり「才能がなければ人は騙せない」ということです。上念 たしかに『男子の本懐』(新潮文庫)など読んでいると「そうか、金解禁しかないな」という気分になってくる(笑)。倉山 財務省は近現代史の編纂にあたって城山三郎の『男子の本懐』を熟読・研究したそうです。まるでダチョウ倶楽部のコント上念 一方で、経済の観点から1945年の状況を見ると、なんと当時の国家財政の72.6%を軍事費が占めている。ほとんどいまの北朝鮮です(笑)。倉山 さらに比率が高いのは1944年で、85.3%。45年の軍事費が落ちているのは敗戦後の4カ月間、戦争をしなかったからです。上念 じつは日清・日露戦争と第一次世界大戦時を除き、日本の軍事費は上がっていない。ところが1937年に支那事変が始まったとたん右肩上がりになって、あとは終戦まで70〜80%というボロボロの状態が続く。倉山 もし終戦のとき、鈴木貫太郎の代わりに上念司首相だったら、どうしますか。上念 もちろん即、内閣を投げ出します(笑)。冗談ですよ。倉山 ところが、その冗談を実際に行なったのが米内光政です。東條内閣が倒れると、内閣総理大臣の大命が海軍の米内光政元首相と陸軍の小磯國昭に下ります。このとき「陸軍の候補は3人中2人、遠くに赴任しているから、近くの小磯君でいいや」となった。上念 いちばん暇そうな奴が総理大臣(笑)。最悪ですね。倉山 ところが経歴や年齢から見て米内光政が引き受けるべきなのに、米内は小磯國昭に「どうぞどうぞ」と座を譲ってしまう。上念 誰も敗戦時の政権を引き受けたくないので、たらい回しにしたわけだ。倉山 ダチョウ倶楽部のコントそのもの。上念 そもそも日本軍の戦争に対する意識自体、「始まってしまったからしょうがない、決め事どおりにやるか」というルーチンワークの思考でした。そして戦時どころか平時の手順を踏みつづけた挙げ句、アメリカに潰されたということでしょう。倉山 そのとおりです。たとえば1943年4月18日、山本五十六の搭乗機が撃墜されたとき、山本はまさに平時のごとく前線視察に関する長文の式次第を2回に分けて送っている。上念 大事なことだから2回流すとかいって、打電した暗号がアメリカ軍情報部に筒抜けになっていた。倉山 「殺してください」といわんばかりですよね。上念 で、やられちゃった。倉山 昭和天皇は先の大戦を「科学する精神で負けた」とおっしゃいました。たんに科学・技術力の差ではなく、「科学する精神」の差、というのがポイントです。いくら技術があっても、使いこなす知性や精神がなければ無意味だということです。上念 まったくそのとおりですね。倉山 したがって「技術力や物量作戦でアメリカに負けた」というのは嘘です。戦争は物量だけで勝てるものではない。それで勝てるならば、アメリカもベトナム戦争に負けなかった。指揮官の無能を物量のせいにしてはいけません。日本はもう「戦争」している日本はもう「戦争」している倉山 ここで、現代の話をします。今年7月6日から3日間にわたって、インターネット番組『ニコニコ生放送』で安倍首相が集団的自衛権の行使について説明していました。申し訳ないですが、あの説明であれば私も反対ですよ。 安保法案に反対した左翼の論法は、戦後一貫して内閣法制局が「集団的自衛権は保有するが行使できない」という解釈を積み重ねてきたのに、一内閣の判断でそれを変えようとしている、というものです。上念 その論法自体が嘘でしょう。長谷川幸洋氏(東京・中日新聞論説副主幹)や青山繁晴氏(独立総合研究所社長)がいっているのは、そもそも内閣法制局の判断自体がごまかしであって、そこを改めないでどうするのか、と。倉山 ところが安倍首相は、左翼がこしらえた「偽の前提」に乗ってしまっている。これは危ない。今後のことを考えてもう一度、集団的自衛権の解釈をめぐる議論まで引き返したほうがよいと思います。 「集団的自衛権は保有するが行使できない」が嘘だというのは、日本は自衛隊のイラク派遣(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動、2003年12月から09年2月まで)で集団的自衛権を行使しているからです。内閣法制局の一貫した解釈など、とっくに崩壊している。上念 にもかかわらず、駅頭や国会前で市民団体のおじさん、おばさんが「このままでは私たちの可愛い子供たちがアメリカの指図で戦場に送られてしまいます!」「戦争法案反対!」と絶叫していたのは何なのでしょうか。 そもそも、この人たちは1990年代にPKO法案が通ったとき、もう日本では憲法が守られていないっていってたくせに。いつの間に再び憲法が守られる状況になったんでしょう(笑)。倉山 仮に、彼らのいう「戦争」が「集団的自衛権の行使」を意味するのであれば、日本はとっくに「戦争」をしています。それ以上に法律的に問題なのが、憲法典で禁止されていることを本来、一内閣の解釈で行使できるようにしてはいけない、ということです。つまり現在、安倍首相は憲法改正による真の立憲主義者どころか「法の支配に対する侵犯者」にされかけている。この罠から早く逃げなければなりません。上念 危険だね。倉山 さらに怖いのは、「憲法で禁じることを一内閣の解釈で可能にできる」という前例ができてしまうこと。万が一、共産党や民主党が政権を取ったとき、何をしでかすかわかりません。 法案の通過と解釈は別なので、まだ救いの道はあります。たとえば与党・自民党が国会質問のなかで「集団的自衛権はもともと行使できるという解釈ですよね」と確認し、解釈自体をひっくり返す。過去の先例は、1999年の国旗・国歌法案です。あれはひどい欠陥法案で「国旗は、日章旗とする」「国歌は、君が代とする」と書いてある。「とする」ではなく「である」としなければ駄目で、「とする」ならつねに変更可能となってしまい、国旗・国歌の意味をなさない。それに気付いて、慌てて参議院国旗及び国歌に関する特別委員会で解釈のほうを変更しました。上念 自民党は、参議院の討議に集団的自衛権の解釈に関する質問を仕込まないと。倉山 そういうことです。安倍首相が建設的な提言を聞ける環境をつくってあげるのが本来の国会のあり方です。なにしろ安保法案のときは、質問時間が与野党で1対9の割合でしたから。上念 明らかに異常でした。倉山 しかも、そうなるように仕向けたのは自民党です。上念 馬鹿だよね。倉山 私は馬鹿ではなく、自民党内に作為的な裏切り者がいる、と踏んでいます。上念 安倍内閣を再び潰そうとしている。倉山 そう。誰だって朝から1日中、辻元清美の話を聞かされたら、頭が変になりますよ。上念 たしかに。倉山 おまけに参議院ではコニタン(小西洋之・民主党議員)が待っているわけだから。上念 ああ、クイズ王の小西さんですね(国会答弁で安倍首相から「クイズのような質問は生産的ではない」とたしなめられた)。君は一生アメリカ横断でもしていなさい、と。倉山 社会党—民主党にはクイズ研究会の系譜がありますね。なんといっても真のクイズ王は土井たか子さんですから(笑)。『クイズダービー』で全問正解、『世界まるごとHOWマッチ』ではホールインワン2回、ニアピン賞の実績。上念 すごい能力です。なぜ政治家なんてやっていたのか(笑)。倉山 噂ながら、司会の大橋巨泉が答えを教えていたという説があります。そういえば大橋巨泉も菅直人幹事長(当時)の肝煎りで民主党議員になりました。上念 「9・11」同時多発テロへの非難決議に造反するなどして結局、6カ月で辞めてしまいましたが。どれだけ反米なの? と。倉山 とにかく自民党は、野党や左翼に指摘される前に、安倍首相に対して集団的自衛権の解釈で引き返すための助け舟を出さなければいけません。インターネットの『ニコニコ動画』でも『チャンネルくらら』でも『言論テレビ』でもいいから、安倍首相に総ざらいで出演してもらい、まともな説明をし直したほうがよい。上念 あれ? 保守系インターネット番組で一つ抜けているのがあるけれども(笑)。倉山 はて、何でしたっけ。そこから先は、言論の自由を保有しているけれども行使できません(笑)。「倉山談話」で謝罪と反省を倉山 ではライブの終了時間なのでお開きに。しかし上念さん、本当にこのグダグダ感でいいの? お客さんや読者が納得しませんよ。上念 どうやら謝罪が必要なようです。倉山 わかりました。不肖、私が村山富市ばりに「倉山談話」を発表して、謝罪と反省で締めたいと思います。【倉山談話】 満洲事変で、私達日本人は拉致された朝鮮人の人権を守るために、世界中を敵に回し、最後は国を焦土としても戦い抜きました。両国友情の証に褒めてください。 支那事変では、韓国人の皆様は本当によく協力してくれましたね。あなたたちがそこまで中華帝国を大嫌いだとは知りませんでした。忘れないよう、感謝いたします。 大東亜戦争中は、日本人の名前を名乗らせないのは差別だとか、兵役の義務を与えないのは差別だとか、同じ帝国臣民としての権利を認めないのは差別だとの声に、こたえるのが遅すぎたようです。しかも改革の速度が遅すぎました。心より謝罪いたします。 何よりも深く反省すべきは、二度と戦争に負けないようにすることです。 しかし遺憾ながら我が国は東京裁判史観の呪縛の中で、貴国が直面する危機に対し十二分な協力ができない虞があります。 一瞬でも早く、日本はアジア諸国に対して侵略と植民地支配で迷惑をかけたなどという誤った歴史認識から脱却し、敵国から「日本軍国主義の復活である」と恐れられるような国になりたいと思います。 それまでしばしお待ちください。上念 これなら韓国の朴槿惠大統領にも日本の誠意が伝わるでしょう(笑)。倉山 ちなみにこの談話、『WiLL』にも掲載したことがあるのでご容赦を。あ、そういえば告知がありました。この「説教ストロガノフ」は同誌の連載「蒟蒻問答」にインスパイアされて始めた企画です。そこで誌上を借りて堤堯久保紘之の両先生にタッグマッチ座談会をお願いしたいと思います!会場 (拍手)

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    衛視投入や開会ベル、国会議長の職権は

    塾講師・坂東太郎の時事用語(THE PAGEより転載) 採決をめぐって与野党で攻防が続いていた安保関連法案は17日午後、参議院特別委員会で可決され、舞台は本会議に移りました。野党5党は、山崎正昭参院議長に同法案の採決無効を申し入れています。山崎議長は16日夜の特別委の締めくくり質疑をめぐる対立に際し、女性衛視らを出動させて野党議員の排除を命じています。本会議は議長が開会のベルを鳴らさないと開かれませんが、国会の議長はさまざまな職権を持っています。 そこで、この議長の権限とはどのようなものか?について、これまでの開会をめぐる歴史も含めて振り返ってみます。【写真】安保法案で野党が批判する「強行採決」とは? どこに問題点があるのか首相よりもえらい? [写真]16日夜、参議院特別委員会での安保法案の締めくくり質疑を阻止しようと集った野党議員排除のために議長命令で衛視が投入された。議長には議院の秩序を保持し、議事を進行させる権限がある(ロイター/アフロ) 国会の議長とは衆議院議長と参議院議長を指します。日本は三権分立を採っていて両議長は立法府(国会)の長です。ちなみに行政府トップが内閣総理大臣(首相)で司法府トップが最高裁判所長官となります。この4人が「三権の長」と呼ばれるのです。 ではその中で最も偉いのは誰か。憲法41条に「国会は、国権の最高機関」とあるので衆参両院議長となるようです。国会の席も中央左のひな壇が首相席で真正面の一段高い場所に議長は座っています。今回の安保法案のように内閣提出法案の場合、首相をはじめとする内閣は国会に審議と成立をお願いする立場なので一段低いところで構えています。 両院の議長は投票で決められるものの慣例として第一会派(政党と必ずしも一致しない)から議長を、第二会派から副議長を選出します。任期は衆議院議長の場合、議員の任期と同じ。参議院議長は3年に1回行われる半数の改選までというのが慣例となっています。議院の秩序保持や議事進行 国会法19条「各議院の議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する」が代表的な決まりです。 国会の召集は天皇の国事行為で「内閣の助言と承認により」行われるので事実上、首相の権限です。衆議院議長は参議院議長とも話し合って開会式を主宰します。場所は参議院本会議場。旧帝国議会で存在した貴族院に玉座があり、天皇をお迎えしての式典なので、貴族院の議場を引き継いだ参議院で開かれます。なお開会式は召集日に行わなくても構いません。 何といっても議長の役割として重要なのは公正な議事進行です。国会には法律や規則に加えて多くの慣例があるので、それらを踏まえないと混乱を生じます。したがって議長は当選回数を重ねて事情にくわしいベテラン議員が選ばれるのが常です。公正さを担保するため所属会派から離脱して無所属になるのが習わしです。何ら障害が生じないままスムーズに閉会まで進めるのが何より重要です。一方、大混乱に陥ったら議長は秩序保持のため国会内の警備などを担う職員である衛視を入れたり、あまりに騒がしいと鈴を鳴らしたりします。いったん鳴ったら出席議員は全員黙らなければなりません。 また議長は採決に加わらないものの可否同数の場合に限ってどちらかに決する権限もあります。 揉めに揉めて収まりがつきそうもないと判断したら、議長が自らあっせん案を示すなどして双方の調停に動く場合もあります。議長あっせんに法的根拠はないものの三権の長が自ら動いたという事実は重く、それでまとまる場合もあります。 2008年1月、ガソリン税について与野党が対立しました。1974年から税率が本来の2倍となっていたガソリン税の暫定税率の期限が3月31日に切れるのを見越して、参議院で多数を占めていた民主党など野党が「(ガソリン税などでまかなう)道路財源は税金のムダ遣い」と失効に追い込もうとし、与党は約2か月引き延ばす「つなぎ法案」で対抗します。「つなぎ法案」は衆議院の委員会で可決。本会議でも可決は確実でしたが、野党優位の参議院での混乱は確実。そこで30日、河野洋平衆議院議長と江田五月参議院議長による「年度内に一定の結論を得るものとする」とのあっせん案を受け入れました。与党は失効回避できると、野党は「つなぎ法案」を葬って果実を得たとそれぞれ判断したのです。衆議院が与党、参議院が野党多数の「ねじれ国会」ならではの光景でした。議長をめぐる「逸話」 議長の権限は限界があると思い知らされた出来事も数多くあります。 2004年の自衛隊イラク派遣をめぐる与野党攻防で、議長就任までは慎重姿勢で、就任後も日本人外交官殺害事件を引き合いに「弔い合戦」という雰囲気になっていないか、あおっているような気もすると不安を口にしていた河野洋平議長は、審議中も自民党の中川秀直国対委員長と民主党の野田佳彦国対委員長を議長室に呼んで話し合うよう促したものの決裂して与党単独での衆議院可決を許しています。 2009年に政権を握った民主党は、小沢一郎幹事長が断固成立を目指した中小企業者等金融円滑化臨時措置法案で揉めます。横路孝弘衆議院議長に野党自民党と公明党が再三にわたって仲裁するように求めましたが「それは国会対策委員の間で」とムニャムニャ。指導力を発揮せぬまま与党による単独採決となりました。 事実上クビを飛ばされたと言ってもいいケースもあります。1989年、予算を自民党単独で通過させて野党が硬化したのを受けて、自民党は原健三郎衆議院議長の辞任でカタをつけようとしました。ところが原議長は頑として受け付けません。採決は自民党に頼まれたから踏み切ったのに成立したら手のひら返しとは何ごとだ。自民党は腰抜けだ。止めさせたいのならば議長不信任案を可決させろ。そうなったら議長どころか議員まで辞めてやる!と態度を硬化させて抵抗しました。与党が議長不信任賛成など前代未聞で、でもそうしないと「弁天様のお告げ待ち」(原氏が信心していた仏教の守護神)という危うい状況で、結局野党ではなく自民党による不信任決議でも出すかというところまで来て、やっと辞任しました。55年体制発足から10年ほどはこうした「議長のクビを手土産に国会正常化」が普通に起きていました。 あっせんの失敗例も。2000年10月参議院比例代表選挙の方式をこれまでの拘束名簿式(順番を決めて上位から当選)から非拘束名簿式(現在の制度)に変える公職選挙法改正案で与野党がぶつかり合いました。賛成する自民党など与党と反対する野党に斎藤十朗参議院議長が独自の「拘束と非拘束のミックス案」を示して騒ぎとなりました。野党は「非拘束が残っているので反対」で、与党もすでに委員会採決で可決している法案の内容まで修正するのは異例であり認められないとやはり反対。あっせんは失敗に終わり四面楚歌の状態となった議長は結局辞任しました。坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】

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    急がれる「安保関連法案」の成立 憲法学者の変節と無責任を問う

    明も必ずしも説得力のあるものとはいえず、いまだに国民多数の理解を得るに至っていない。 しかしながら、安全保障関連法案を速やかに成立させないかぎり、次の課題である憲法改正に取り掛かることはできない。また、憲法改正が容易でないなか、日本の防衛と安全のためいますぐにでもできることは何か。それが「集団的自衛権」に関する従来の政府見解を変更し、法律の整備をすることである。したがって、この問題はきわめて重大である。混乱の張本人は船田元議員 ところが、6月4日の衆議院憲法審査会に呼んだ参考人が、事もあろうに自民党が推薦した学者まで含めて、3人全員が集団的自衛権の行使を憲法違反としてしまった。そのため、野党や護憲派のマスメディアがすっかり勢いづいてしまった。 聞くところによれば、自民党の理事会では参考人候補として筆者の名前も出たが、船田元議員が「色が付きすぎている」とかよくわからない理由で反対し、違憲論者を呼んでしまうことになった。この混乱を惹き起こした張本人は船田議員である。 その後、菅義偉官房長官が記者会見の折、「合憲つまり憲法違反ではないとする憲法学者もたくさんいる」と答えたところ、それは誰かが問題とされ、国会で名前を訊かれた菅官房長官が、西修・駒澤大学名誉教授や筆者ら3人の名前を挙げた。そのため一躍、渦中に引き込まれることになった。日本記者クラブで記者会見する、憲法学者の百地章日大教授(左)と西修駒沢大名誉教授=2015年5月19日午後、東京・内幸町 じつは、筆者の呼び掛けで10人の憲法学者が名乗り出てくれたのだが、それ以外にも「賛成だが名前を出さないでほしい」と答えた著名な国立大学の教授などもいた。憲法学界には依然として自衛隊違憲論者が多く、「憲法改正に賛成」などといおうものなら、それだけで警戒されたり、排除されかねない雰囲気がいまだに存在する。そのため、はっきり意見が表明しにくい状況にある。 これがきっかけとなって、6月19日には日本記者クラブで、同29日には外国特派員協会で、西修先生とともに記者会見をすることになった。そこで、憲法と国際法をもとに集団的自衛権の行使が合憲である理由を詳しく述べたところ、テレビや新聞各紙が意外と丁寧に報道してくれることになった。また、外国特派員協会での会見は、その後『ニコニコ動画』や『YouTube』でもけっこう話題になったようで、7月12日には思いがけず、NHK総合テレビの『日曜討論』にも出演することになった。 違憲論者が多いなかで、筆者らの見解がかえって新鮮に受け取られたのかもしれない。しかし、ごく常識的なことを述べただけだから、それだけ憲法学界が世間の常識とズレている証拠でもあろう。集団的自衛権は国際法上の権利 さて、集団的自衛権であるが、これは「自国と密接な関係にある国に対して武力攻撃がなされたときは、それを自国の平和と安全を害するものとみなして、対抗措置をとる権利」のことである。そのポイントは、他国への攻撃を「自国に対する攻撃とみなして対処する」ことにある。つまり、戦争をするためではなく、それによって武力攻撃を「抑止」することに狙いがある。 このことは、集団的自衛権の行使を認めた各種条約から明らかである。たとえば、北大西洋条約には「欧州または北米における締約国に対する武力攻撃をすべての締約国に対する攻撃とみなし……集団的自衛権を行使する」(5条)とあり、全米相互援助条約なども同じである。 また、集団的自衛権と個別的自衛権は不可分一体の権利であると考えられている。このことは、刑法の「正当防衛」(36条)と比較したらよくわかる。というのは、国内法上、個人に認められた「正当防衛権」に相当するのが、国際社会における国家の「自衛権」と考えられるからである。 刑法36条は、次のように規定している。「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」と。つまり「正当防衛」とは「急迫不正の侵害」が発生した場合、「自分」だけでなく一緒にいた「他人の権利」を防衛することができる、というものである。 であれば、国際法上の自衛権についても、個別的自衛権と集団的自衛権を不可分一体のものと考えるのが自然であろう。 また、集団的自衛権の行使を文字どおり「自国に対する攻撃」とみなせるような場合に限定すれば、アメリカに追従して地球の裏側まで行くなどといったことはありえない。それゆえ、集団的自衛権の行使の範囲を新政府見解のいうように「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合に限定すれば、「必要最小限度の自衛権の行使は可能」としてきた従来の政府答弁との整合性も保たれると思われる。国際社会では国際法が優位 集団的自衛権は、国連憲章51条によってすべての国連加盟国に認められた国際法上の「固有の権利」(フランス語訳では「自然権」)である。それゆえ、たとえ憲法に明記されていなくても、わが国が国際法上、集団的自衛権を保有し行使できるのは当然である。 ところが、集団的自衛権が国際法上の権利であり、米英各国をはじめ世界中の国々が国連憲章に従ってこの権利を行使していることに気付かない憲法学者がいる。彼らは、必死になって日本国憲法を眺め、どこにも集団的自衛権の規定が見つけられないため、わが国では集団的自衛権の行使など認められない、と憲法解釈の変更に反対する。なかには、憲法のなかに集団的自衛権を見つけ出すことは、「ネス湖でネッシーを探し出すより難しい」などと無知をさらけ出している者もいる。それならば、アメリカ、フランス、ドイツなど、諸外国の憲法を調べてみればよかろう。わざわざ憲法に集団的自衛権を明記している国など、寡聞にして知らない。 つまり、通説に従えば条約よりも憲法が優位する国内と異なり、国際社会においては、憲法よりも国際法(条約、慣習国際法)が優先され、国家は国際法に基づいて行動する。それゆえ、集団的自衛権の行使についても、わが国は国連憲章51条によって、すべての加盟国に認められたこの「固有の権利」を行使することができるわけである。 同じ事は、「領土権」についてもいえよう。領土権も国際法によって認められた主権国家に固有の権利であるから、憲法に規定があろうがなかろうが、当然認められる。それゆえ、各国とも国際法に基づいて領土権を主張している。この点、憲法には明文規定がないから、わが国には領土権は認められず、したがってわが国は領空や領海を侵犯する外国機・外国船を排除することなどできない、と主張する憲法学者はいないであろう。日本国憲法には禁止規定なし このように、集団的自衛権は国連憲章によってすべての主権国家に認められた「固有の権利」であるが、憲法で集団的自衛権の行使を「禁止」したり「制約」することは可能である。また、国連加盟に当たって、集団的自衛権の行使について何らかの「留保」をなすこともできる。 しかしながら、日本国憲法の憲法9条1、2項をみても、集団的自衛権の行使を「禁止」したり直接「制約」したりする明文の規定は見当たらない。つまり、集団的自衛権の行使を「憲法違反」とする明示的規定は存在しない。また、わが国が国連加盟に当たって集団的自衛権の行使を「留保」したなどという事実もない。それゆえ、わが国が他の加盟国と同様、国連憲章に従って集団的自衛権を「行使」しうることは当然のことであって、憲法違反ではない。 ちなみに、京都大学の大石眞教授も、筆者と同様の見解を表明している。教授は「私は、憲法に明確な禁止規定がないにもかかわらず、集団的自衛権を当然に否認する議論にはくみしない」として集団的自衛権の行使を容認している(「日本国憲法と集団的自衛権」『ジュリスト』2007年10月15日号)。 とすれば、「わが国は集団的自衛権を保有するが、行使することはできない」などという奇妙な昭和47(1972)年の政府見解は、国際法および憲法からの論理的な帰結ではなく、あくまで当時の内閣法制局が考え出した制約にすぎない。これについて西修教授は、当時の政治状況のなかから生み出された妥協の産物にすぎない、と指摘している(「集団的自衛権は違憲といえるか」『産経新聞』平成27年6月12日付)。それゆえ、政府がこのような不自然な解釈にいつまでも拘束される理由は存在しない。 この点、最高裁も、昭和34(1959)年12月の砂川事件判決で次のように述べている。「憲法9条は、わが国が主権国家としてもつ固有の自衛権を否定していないこと」そして「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な措置をとりうることは、当然である」と。判決を見れば明らかなように、この「固有の自衛権」のなかには個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権も含まれている。 つまり、憲法81条により、憲法解釈について最終的な判断権を有する最高裁が集団的自衛権を射程に入れた判決のなかでこのように述べているのであるから、憲法違反の問題はクリアできていると考えるべきである。 それゆえ、わが国が集団的自衛権を行使できることは、国際法および憲法に照らして明らかであり、最高裁もこれを認めているのだから、「集団的自衛権の行使」を認めた政府の新見解は、何ら問題ない。 とはいうものの、憲法9条2項は「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めており、その限りで集団的自衛権の行使が「制限」されることはありえよう。そのため、政府の新見解も、集団的自衛権の行使を「限定的に容認」することになった。したがって、政府の新見解は「憲法9条の枠内の変更」であって、まったく問題はないし、憲法に違反しないと考えられる。説得力を欠く憲法学者たちの違憲論説得力を欠く憲法学者たちの違憲論 以上述べてきたように、憲法および国際法の常識に従えば、わが国が従来の政府見解を変更して集団的自衛権の限定的行使を認めても、憲法違反ということにはならない。 ところが、テレビ朝日の『報道ステーション』が行なったアンケート調査によれば、安保法制に関する憲法学者の見解は、151名の回答者中、憲法違反が132名、合憲はわずか4名であった(6月15日放映)。また、『東京新聞』の調査でも回答者204人中、法案を違憲とする者が184人、合憲は7人(7月9、11日付)、『朝日新聞』の調査では122名の回答者中、違憲とする者104人、合憲とする者2名であった(7月11日付)。 野党や護憲派マスメディアは早速これに飛び付き、専門の憲法学者たちはほとんど憲法違反としているではないか、と政府を批判しだした。 しかし、その違憲理由たるや「従来の政府見解を超えるもので許されない」「法的安定性を欠く」「立憲主義に反する」といったきわめて曖昧なものであって、どう見ても説得力に欠けている。そこで、6月4日の衆院憲法審査会で違憲論を述べた3人の憲法学者の意見を検討することにしよう。 まず、早稲田大学大学院法務研究科の長谷部恭男教授によれば、(1)集団的自衛権の限定的行使を認めた政府の新見解は、集団的自衛権の行使は許されないとしてきた従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない、(2)このような解釈の変更は、法的安定性を揺るがす、(3)新見解は外国軍隊の武力行使との一体化につながるのではないか、ということが憲法違反の理由として挙げられている。 しかしながら、新見解を違憲とするためには、たんに「従来の政府見解の枠を超える」だけでは足りず、それが「憲法の枠を超える」ことの説明が必要である。しかし、その説明はどこにも見当たらない。また「法的安定性の確保」はもちろん大切なことだが、やむをえない場合もあり、それだけでは憲法違反の理由にはならない。 また、政府見解がこれまで「武力行使との一体化」を禁止してきたこととの整合性であるが、「武力行使との一体化」論は、もともと自衛権の発動とは別の話である。つまり、「武力行使との一体化」論は、「他国軍への後方支援活動」の際の判断基準である。それに対して、集団的自衛権の発動は、「武力行使そのもの」に繋がるものであるから、これは「集団的自衛権の行使」を違憲とする理由にはならない。 ちなみに、長谷部教授は自著のなかで、「国家とは、つきつめれば我々の頭の中にしかない約束事であるから、国家の存在を認めないこともできる」といい、「国家に固有の自衛権があるという議論はさほど説得力があるものではない」などといっている(『憲法』)。個別的自衛権さえ疑っており、このような人物に集団的自衛権について問うこと自体無意味であろう。 また、長谷部氏は、小林節・慶應義塾大学名誉教授との対談のなかで尖閣諸島問題に触れ、「あんな小島のために米軍が動くと本気で思っているんですかね」と放言するような御仁でもある(『週刊朝日』平成27年6月26日号)。小林節教授の度重なる変節 小林節教授は、かつて『憲法守って国滅ぶ』(平成4年、ベストセラーズ)のなかで、次のように述べていた。 「わが国〔が〕自衛戦争と自衛軍の保持までも自ら禁止したのだという意味に9条を読まなければならない理由はない。……それは、しばしば皮肉を込めて呼ばれている『理想主義』などではなく、もはや、愚かな『空想主義』または卑怯な『敗北主義』と呼ばれるべきものであろう」 「冷静に世界史の現実を見詰める限り、世界平和も各国の安全もすべて諸国の軍事的バランスの上に成り立っていることは明らかである。したがって、わが国が今後もたかが道具にすぎない日本国憲法の中に読み取れる『空想主義』を盾にして無責任を決め込んでいく限り、早晩、わが国は国際社会の仲間外れにされてしまうに違いない」と。 9条の下で、政府見解のいう「自衛力」どころか、「自衛軍」まで保持可能とし、憲法を「たかが道具にすぎない」と述べていた氏は、現在、集団的自衛権の限定的行使でさえ憲法違反とする急先鋒であり、憲法は「権力者をしばるもの」であることのみ強調している。衆院本会議で民主党などが退席するなか安保関連法案が可決した=2015年9月16日午後、国会内(三尾郁恵撮影) たしかに、この本が出てから約20年がたっており、それをいまさら持ち出されても、というかもしれない。であれば、次に述べる「集団的自衛権」についての「変節」については、どのように釈明するのであろうか。 小林氏は2008年には集団的自衛権の行使を「違憲」、2013年には「合憲」、そして2014年になると再び「違憲」としている。 (1)「集団的自衛は海外派兵を当然の前提にしている。この点で、集団的自衛権の行使は上述の憲法上の禁止に触れてしまう」(「自衛隊の海外派兵に疑義あり」月刊『TIMES』2008年1月号) (2)――「集団的自衛権の考え方については、どうですか」。小林節氏「自衛権を持つ独立主権国家が『個別的自衛権』と『集団的自衛権』の両方を持っていると考えるのは、国際法の常識です。……だから、改めて『日本は集団的自衛権を持っている』と解釈を変更するべきでしょう」 ――「憲法を改正しなくても、集団的自衛権は現段階でも解釈次第で行使することができるというわけですね」。小林節氏「できます」(「『憲法改正』でどう変わる? 日本と日本人【第2回】」『Diamond Online』2013年7月26日) (3)「現行憲法の条文をそのままにして(つまり、憲法改正を行わずに)、解釈の変更として集団的自衛権の行使を解禁することは、私は無理だと思う」(「“解釈改憲”で乗り切れるのか」月刊『TIMES』2014年1月号) 氏は、日本記者クラブでの記者会見でも「安倍独裁」を連発し、「安倍内閣は憲法を無視した政治を行う以上、これは独裁の始まりだ」と力説している。たとえ気に食わないからといって、いやしくも憲法学者と称する人物が、議院内閣制のもと、国会によって指名され天皇に任命された首相を一方的に「独裁」呼ばわりするのはいかがなものであろうか。 最後に、笹田栄司・早稲田大学法科大学院教授だが、氏も長谷部氏と同様、集団的自衛権の行使を認めた政府の新見解は、「従来の定義を踏み越えている」ことを理由に、憲法違反としている。しかし、それだけでは違憲の理由とはなりえない。国家論なき戦後の憲法学者たち 自衛隊違憲論者に共通しているのは、国家観ないし国家論の不在であろう。 筆者は、かつて『憲法の常識 常識の憲法』(文春新書)のなかで、次のようなことを述べたことがある。 政府見解や砂川事件最高裁判決は憲法典以前に「国家」というものを考え、それを前提に憲法解釈を行なおうとする現実的な姿勢がうかがわれる。つまり国家には、当然、固有の権利としての自衛権があるから、どこの国であれ、自国の独立と安全を守るために、自衛権の発動としての武力行使ができないはずはない。したがって、仮に憲法典が自衛権の発動を禁止しているように見えたとしても、不文の憲法ないし条理に基づき、自衛権の発動が可能となるような解釈を展開せざるをえない。なぜなら、「国家は死滅しても憲法典を守るべし」などと、不文の憲法が命じているはずがないからである。それに前文や9条が夢想するような国際社会など、当分実現するはずがない。このような判断が暗黙のうちに働いているように思われる。 これに対して、少なくとも自衛隊違憲論者たちは憲法典至上主義に立ち、あくまで条文の厳格な文理解釈に固執する。つまり「国家不在」の憲法論である。それとともに、よくいえば理想主義、悪くいえば現実無視の観念論を振りかざす。したがって、現実的妥当性を重視するなどといった大人の常識は通用しない。 同じ事が、集団的自衛権違憲論者たちにもいえるかどうかはわからない。しかし集団的自衛権違憲論者のなかには、水島朝穂・早稲田大学法学学術院教授などのように自衛隊違憲論者も少なくない。 先に紹介した『朝日新聞』の調査では、回答者122名中、「自衛隊を憲法違反と考える」憲法学者が50名、「憲法違反の可能性がある」とする者が27名もいた(『朝日新聞DIGITAL』2015年7月11日)。なんと回答者の3分の2近くが自衛隊を違憲ないし違憲の疑いありと考えているわけである。これが憲法学界の現状である。 このことを考えれば、確たる国家観をもたなかったり、国家意識の希薄な憲法学者が多数いたとしても不思議ではなかろう。 国際法に基づき、集団的自衛権の限定的行使に踏み切るのか、それとも国家意識なき無責任な憲法学者たちの言辞に翻弄され、国家的危機に目を閉ざしつづけるのか、いまこそ国民各自の見識が問われている。ももち・あきら 1946年、静岡県生まれ。京都大学大学院法学研究科修士課程修了(専攻は憲法学)。法学博士。愛媛大学法文学部教授を経て、現在、日本大学法学部教授、国士舘大学大学院客員教授。著書に、『「人権擁護法」と言論の危機』(明成社)、『憲法の常識 常識の憲法』(文春新書)など多数。関連記事■ なぜ憲法論議には歴史認識が必要なのか■ 憲法議論の前に知っておきたい「憲法の3つの顔」■ 中国は本気で「核戦争」を考えている

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    安保法制の政治的対立 戦後日本の自画像をめぐる闘いだ

    本のごまかしの象徴であった日米安保体制は、国民から支持を集めて定着し、官僚的に高度化されていきます。安全保障の根幹を日米同盟に依存しつつ、そのことにはなるべく触れずに、平和にための諸制限を自らに課していく戦後日本の自画像が完成したのでした。実を捨てて名をとった自民党 安保法制を推進する保守的な政治勢力には、戦後長きにわたって日陰に追いやられてきたという感覚があります。戦後の日本社会は、自らの自画像を守るためにそこからの逸脱に対して厳しく対処してきました。戦前的なるものの排除の中で、世界規模では常識的と認識されている、現実的な安全保障政策までもが排除の対象とされました。そのような主張を展開する者は、踏絵を迫られ、社会的に排除されてきたのです。 冷戦が終わり、長い不況に苦しみ、政権交代とその挫折を経て、政権を奪還した自民党で権力の中枢に身を置いたのは、そのような体験を共有する勢力でした。3年前の自民党の総裁選において決選投票に進んだ安倍総理も石破大臣も、そのような政治勢力を象徴するリーダーです。厳しさを増す国際環境の変化も、彼らが志向する政策変更を正当化するものでした。それに対して、国民も継続して高い支持を与えました。 自民党の一部には、リベラル勢力に対して「倍返し」したいという誘因が燻っています。かつての自民党であれば日の目を見ることは無かっただろうと思われる方も、出張っています。それでも、自民党は戦後政治の伝統にのっとり、抑制的な案を出してきたと思います。安保法制のきっかけとなった安保法制懇の提言を踏まえれば、もっと踏み込んだ政策変更も想定されたはずです。しかし、実際の政府案は、いわゆる新3要件を通じて殆ど使うことが想定し得ないものとなりました。 「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合とは、ほぼ確実に個別的自衛権の発動が許容される事態です。政府と自民党は、安保法制を通じて一種の政治象徴性を勝ち取ったに過ぎないのです。実を捨てて名をとったとも言えるかもしれません。戦後日本的なるもの こと安全保障に関する限り、私は戦後日本的なるものに相当程度懐疑的です。そこには、リベラル勢力の欺瞞があり、保守勢力の憎しみと倍返しの感情があり、左右双方に視野狭窄があります。ごまかしに立脚した憲法解釈の微細加工という方法論にそもそも限界があるとも思っています。もちろん、外交や安全保障の世界には一定程度の建前や偽善がつきものです。それを許容することは、成熟の一つの形ではあります。たちが悪いのは、欺瞞の中でも、自己欺瞞であり、欺瞞であることさえ忘れてしまうことです。 同時に、戦後日本的なるものは我々の血肉となり、現代の社会を支えています。活力ある経済も、男女の平等も、教育や福祉の充実も戦後日本の成果です。安保法制をめぐる活発な議論も、戦後リベラリズムが築き上げた言論の自由という台座の上ではじめて可能となったものです。 政治の世界において、戦後的なるものの中には、いくつかのタブーを除き、ある種の寛容性がありました。それは、自民党という政権政党の中に存在したことで特に意義深いものでした。選良を見抜く良識というものもありました。民意とは別の次元で、一種の知的な伝統として、ゴロツキやイデオローグ達は、権力の中枢から排除されてきました。 安保法制が有している政治性についてもっとも強く感じることは、現実的な安全保障政策と戦前的なるものは同一視されるべきではないということです。この点については、浅薄なレッテル貼りを行う左派勢力とも、不届きな発言を行う右派勢力とも一線を画する必要があります。 安保法制は、政治的には、日本にとっては戦後日本的なるものを乗り越える一つの試練です。それは、必要な試練だと思っています。ただし、その過程で、戦後日本的なるものの成果については、いささかも揺るがせにしてはならないのです。(ブログ『山猫日記』2015年7月22日分より転載)

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    列島緊迫「安保国会」フィナーレ

    9・16 ドキュメント  今国会最大の焦点となった安全保障関連法案の審議が大詰めを迎えた。16日中の特別委採決を目指す与党に対し、野党は徹底抗戦。攻防は“日付変更線”を越え、17日未明まで続いた。【16日午前】 8・00 自民党の谷垣禎一、公明党の井上義久両幹事長が都内で会談し、週内の安全保障関連法案成立を重ねて確認 9・40 自民党の佐藤勉国対委員長が若手衆院議員を集めた会合で「いよいよ、今国会のフィナーレが近づいている」 10・00 参院本会議で琵琶湖再生法などが可決、成立。本会議は散会 10・01 民主党の安住淳国対委員長代理が記者会見。「ありとあらゆる手段を講じ、可能な限りの抵抗をする」 10・25 参院平和安全法制特別委員会理事らが、地方公聴会が行われる横浜市へ出発 10・30 自民、公明両党と次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の野党3党の党首が会談、自衛隊の海外派遣の歯止め策として国関与の強化で合意 同  民主党が全党所属国会議員を集めて緊急集会を開催。岡田克也代表は「私たちの後ろには7000万人、1億人がいる」 11・05 公明党の山口那津男代表が国会内で記者団に「法案採決の前提は整っている」【16日午後】 1・00 横浜市で特別委地方公聴会開始 3・00 民主党、維新の党、共産党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちの5野党国対委員長会談で、特別委開催阻止を再確認 3・15 民主党の枝野幸男幹事長が記者会見。「数で劣勢のわれわれは手の内はさらさない。状況をみながら、その都度有効な対策を取っていく」 3・40 特別委の地方公聴会が終了 5・00 5野党党首会談で、特別委採決を前提とした締めくくり総括質疑は認めない、採決を強行した場合の内閣不信任決議案、首相問責決議案などの提出などで成立阻止を図る方針を確認。共産党の志位和夫委員長は記者団に「院外(国会の外)の戦いと連携して、最後まで頑張り抜きたい」 5・39 衆院議院運営委員会理事会で、17日午後1時からの本会議開催を林幹雄委員長の職権で決定 6・16 特別委の鴻池祥肇委員長が国会内の理事会室に向かうが、安保関連法案の成立阻止を目指す多数の野党議員に阻まれ入室できず 6・24 鴻池氏が理事会室に入室成功 6・32 特別委理事会が開かれるが、休憩と再開を繰り返す。このころ国会周辺ではデモがヒートアップ。枝野氏は「まともな国民の声がまともに通じる、まともな議会にしていくために頑張る」 8・43 安倍首相が法案を審議する参院第1委員会室に入る 10・01 参院の衛視が通路確保のため野党議員の排除を開始 11・7 安倍首相が第1委員会室を出る【17日午前】 0・11 安倍首相が第1委員会室に戻る。 同  特別委の理事会が再開されるも、約10分で休憩入り。国会前の安保法案反対デモに対し、2重のバリケードを設置する警備に当たる警察=9月16日、国会前(早坂洋祐撮影)安保関連法案に反対し、国会前に集まった市民らと押し合う警備の警官隊=16日夜安保関連法案に反対する集会で、プラカードを掲げて気勢を上げる人たち=16日夜、国会前表の喧噪をよそに行われている参院平和安全法制特別委員会の理事会 中央が鴻池委員長=16日午後、国会内(鈴木健児撮影)理事会が休憩に入り、理事会室を後にする民主党の福山哲郎理事(中央)=16日午後、国会内(酒巻俊介撮影)なかなか始まらない参院平和安全法制特別委員会の総括質疑を待つ(左から)安倍晋三首相、中谷元防衛相、岸田文雄外相=16日午後、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影)参院の理事会室前でもみ合う与野党の議員と衛視=16日午後日が落ちても続く、国会前の安保法案反対デモ。学生団体「SEALDs(シールズ)」のメンバーらも参加した=16日、国会前(早坂洋祐撮影休憩のため参院の理事会室を出る鴻池委員長(中央)=17日午前1時23分参院平和安全法制特別委の締めくくり質疑が行われないまま理事会が朝まで休憩となり、委員会室から引き揚げる与野党の議員=17日午前3時9・17ドキュメント  安全保障関連法案をめぐる与野党攻防は17日、最終局面に入った。与党は参院平和安全法制特別委員会での採決に踏み切ったが、民主党など野党側は“肉弾戦”を展開するなど徹底抗戦の構え。中川雅治参院議運委員長の解任決議案などを次々と提出した。【17日午前】 3・26 特別委理事会を休憩し、午前8時50分に再開することを鴻池氏の職権で決定 8・50 安倍晋三首相が参院第1委員会室に入る。特別委理事会を第1委員会室で再開 9・10 鴻池氏が特別委開始を宣言。民主党理事らが委員長席に詰め寄り「だまし討ちだ」「ダメだってこんなの!」 9・45 一旦休憩していた特別委が再開。野党が鴻池氏の不信任動議を提出。鴻池氏は「私に対する不信任の動議がただいま手渡されました。佐藤(正久・自民党筆頭理事)に委員長の職務を委託します」と発言して退席 9・50 佐藤氏が特別委の休憩を宣言【17日午後】 1・00 特別委が再開。民主党の福山哲郎幹事長代理が約40分にわたり不信任動議の趣旨説明。長時間の演説で議事進行を遅らせる「フィリバスター」戦術 4・27 特別委で民主党が提出した鴻池氏に対する不信任動議を反対多数により否決。首相が第1委員会室に入る 4・28 鴻池氏が委員長席に着く。与野党の委員が続々と委員長席に詰めかけ混乱状態の中、安保関連法案の質疑打ち切り動議が与党の賛成多数で可決 4・31 首相が第1委員会室を退室 4・34 委員長に飛びかかる野党議員まで現れる中、安保関連法案が与党などの賛成多数により可決。自衛隊派遣をめぐり、政府に国会関与の強化を求める内容の付帯決議も採択 5・09 法案に反対した民主、維新、共産、社民、生活の野党5党が参院国対委員長会談を開催。その後、山崎正昭参院議長に対し「特別委採決は無効だ」と申し入れ 6・34 自民党参院議員総会で溝手顕正参院議員会長が「久しぶりのエクササイズで大変だったでしょうが、本当にご苦労さまでした」 6・42 民主党が参院議院運営委員会理事会で、安保関連法案を緊急上程する参院本会議開催に反発し、中川議運委員長の解任決議案を提出 8・00 民主、維新、共産、社民、生活の野党5党の国対委員長会談。共同で内閣不信任決議案を提出することで合意 9・05 民主党が中谷元・防衛相の問責決議案を提出 9・26 参院本会議で中川氏の解任決議案が与党の反対多数で否決 11・00 参院本会議で山崎議長が、日付をまたいで本会議を継続するための延会を宣言【18日午前】 0・10 中谷氏の問責決議案を審議する参院本会議始まる 参院平和安全法制特別委の委員会室で、委員長と野党議員のやりとりを見守る安倍首相=17日午前9時3分参院平和安全法制特別委で、野党が提出した鴻池委員長への不信任動議について書かれた紙を手にする議員=17日参院平和安全法制特別委で、自らの不信任動議が否決され、委員長席に向かう鴻池委員長=17日午後4時参院平和安全法制特別委員会で行われた安保関連法案の採決。野党議員らは鴻池祥肇委員長に詰め寄り、激しくもみ合った=17日午後、参院第1委員会室(斎藤良雄撮影)警察官が警備する中、安保関連法案に反対し、国会前に集まった大勢の市民ら=17日午後安保関連法案が参院特別委で可決された国会正門前の通りには、反対派などによるデモ警備のため、多数の警察車両が隙間なく並べられた=17日夜国会前で安保関連法案反対を訴えるタレントの石田純一さん=17日夜参院本会議で議運委員長の解任決議案を反対多数で否決、一礼する中川雅治議運委員長=17日午後、国会・参院本会議場(酒巻俊介撮影)首相官邸に入る安倍首相=18日午前安保関連法案の採決に抗議する韓国の左派系市民団体メンバー=18日、ソウルの日本大使館前(共同)北京市内の新聞スタンドで、日本の安保法案の記事を1面で報道する中国紙を求める市民=18日(共同)役員連絡会であいさつする高村正彦副総裁(中央右)=18日午前、国会内(酒巻俊介撮影)参院本会議で、山崎正昭議長の不信任決議案の投票をする議員=18日午前参院平和安全法制特別委員会の乱闘で負傷、右手の小指と薬指に包帯を巻いて参院本会議に臨む自民党の大沼瑞穂氏=18日午後、国会・参院本会議場(酒巻俊介撮影)安倍内閣不信任決議案を大島理森衆院議長(左)に共同提出する野党5党。右から生活の党と山本太郎となかまたちの玉城デニー幹事長、社民党の照屋寛徳国対委員長、共産党の志位和夫委員長、維新の党の松野頼久代表、民主党の岡田克也代表=18日午後、国会内(酒巻俊介撮影)参院本会議での自身の問責決議案の討論を、厳しい表情で聞く安倍首相=18日午後安保関連法案に反対し、国会前で声を上げる人たち=18日午後参院本会議の安倍晋三首相の問責決議案の投票で、議員に向かい手を合わせるなど一人牛歩戦術を行う、生活の党と山本太郎となかまたちの山本太郎氏(右)=18日午後、国会・参院本会議場(斎藤良雄撮影)参院本会議で安倍晋三首相問責決議案の記名投票に、ひとり牛歩で投票に臨む生活の党と山本太郎となかまたちの山本太郎代表。山崎正昭参院議長からすみやかに投票するよう促され、「投票します!」と宣言=18日午後、国会・参院本会議場(酒巻俊介撮影)内閣不信任案の衆院本会議審議で、民主党の枝野幹事長(手前)の趣旨説明を聞く(奥右から)安倍首相、麻生財務相、甘利経済再生相、菅官房長官、岸田外相、中谷防衛相=18日午後

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    ヒゲの隊長が答える いまさら聞けない安保法制Q&A

    物はないが既に軍艦も寄港し、レーダー施設が建設されると思う。南シナ海で中国の軍事力が強くなれば日本の安全保障にも大きな影響が及びます。マラッカ海峡を経た貨物船や米軍を近寄らせないようにし、行動を制限することが避けられません。 南シナ海での出来事が東シナ海で起きないとは言えません。尖閣では領海侵入、領空侵犯が後を絶ちませんし、海上自衛隊の護衛艦へのレーダー照射もありました。東シナ海に防空識別圈を一方的に設け、ガス田をめぐって大きな海洋ステーション―海洋基地のようなもの―を乱立しています。 資源エネルギー庁はこの辺りはそれほど多くの石油埋蔵量があるとは思えないと説明しています。ならばなぜ、これだけの海洋基地を増やす必要があるのか。レーダー施設やヘリポートを建設するといった軍事利用の思惑が感じられます。 朝鮮半島も見逃せません。そもそも1950年の朝鮮戦争、これはまだ終わっていません。ここはあくまで休戦に過ぎず、戦争は続いているのです。正規兵だけで北朝鮮約145万、韓国約65万、これがにらみ合っている。 韓国には長期的に滞在している在留邦人が約3万7千人います。旅行者や出張者等の短期渡航者数などを含めると、平均で約5万6千人の日本人がいる。邦人だけではありません。フィリピンやベトナム、米国の方もいて一朝有事のさいには数十万人が日本に避難すると予測されている。その安全を一体どうやって確保するのか。 北朝鮮は日本を射程に収めた数百発の弾道ミサイル、ノドンミサイルあるいはムスダンと言われますが、これは日本用という見方をする方もいて、間違いなく精度をあげています。弾道ミサイルに核が搭載されると大変やっかいですが、そうした事態から日本人を守る「ミサイル防衛」をどうするか、が喫緊の課題です。 ミサイル発射前に叩けばいいが、テポドンのような発射台に乗ったミサイルと異なり、日本を射程に入れる、ノドンミサイルは車に搭載できます。それが数百発あるというのです。50台の車が自在に動いて撃ってくる。事前にたたくのは困難です。 日本国民を守るには、北朝鮮が発射したミサイルがどこから撃たれたか、弾道を瞬時に正確に割り出し、飛んでくるミサイルを着弾前に破壊する以外方法はありません。 それが出来るのはイージス艦です。日本を全て守るために迎撃用のイージス艦が最低3隻必要です。ところが海自にあるのは4隻で1隻か2隻は常に整備されている。米軍第七艦隊には5隻あって海自でカバーできないときは、日米で連携する。そのことが不可欠なのです。 日本の危機はわかっているだけでもきわめて具体的に横たわっています。危機は常に想定を超える形で訪れることもしっかりわかっておかなければなりませんし、危機そのものをまだ実感できない国民も多いかもしれません。しかし、尖閣諸島を行政区に持つ石垣市の市議会がこの7月14日、次の意見書を決議しました。これが国境最前線の危機感であり叫びだということをしっかり認識しなければなりません。《…我が国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増しており、私たちの住む石垣市の行政区域の尖閣諸島においても中国公船の領海侵犯が日常茶飯事の状態にあり、漁業者のみならず一般市民も大きな不安を感じている。こうした状況から、国民の生命と安全、平和な暮らしを守るのは、国、政府の最も重要な責務となっている。平時からあらゆる事態に対処できる切れ目のない法制を整備する必要がある。よって、国におかれては、我が国の安全と国民の生命、そして国際社会の安全を確保するための平和安全法制について徹底した議論を進め、平和安全法制の今国会での成立を図るように要望する》他国の戦争に巻き込まれるのではないのですか? 危機があることはわかりました。しかし、なぜそれが集団的自衛権の行使につながるのでしょうか。他国の戦争に巻き込まれるのではないのですか? 平和憲法が根底から崩れませんか。 では集団的自衛権について説明しましょう。先ほど述べたクリミアを奪われたウクライナはNATOに加盟していませんでした。米国や英国、フランスなどの集団的自衛権の対象国ではありませんでした。では、国連はウクライナを助けるべく何か具体的に動いただろうか。ロシアは常任理事国の一カ国です。国連も実際に有効に動くことはなかったのです。ウクライナは、国連からの支援も得られず集団的自衛権の対象国でもなかった、それで結果的にクリミアはロシアに編入されてしまったのです。 ベトナムはどうでしょう。いくら抗議しても国連が動けたか。中国は常任理事国です。有効には動かない。また助けを求めても、頼りになる集団的自衛権の対象国もいませんでした。フィリピンも同じです。米軍が撤退した後、抑止力が利かない。集団的自衛権に基づき実質的に動いた国はありませんでした。 こうした例をみると一国だけでは守れないケースでも何カ国かが互いに手を携え、共同で外敵から守る―これが集団的自衛権ですが―意義の大きさがわかるのではないでしょうか。ある国が脅かされた場合にその国だけでなく仲間の国も一斉に行動する。そうすることで何よりも抑止力を高めることができるのです。 抑止力というのは、相手に「やったらもっと自分がやられる」とか「やっても意味がない」と思わせることにほかなりません。そうでなければ抑止にならない。抑止の壁を高くすることが大事なのです。 現行憲法が許しているのは、あくまで我が国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための自衛の措置だけです。外交努力で解決を最後まで重ねていく。これは今後も揺らぎません。武力行使の「新三要件」も憲法上の歯止めといっていいでしょう。しかし、万一の事態に備えて自衛の措置を十分に―つまり、集団的自衛権が行使できるように―することで、それだけ紛争は予防され、日本が戦争に巻き込まれるリスクは少なくなるのです。 現行法では国家国民を守ることができない、自衛隊が任務を果たせない場面が出てくるという話がありました。具体的にどういう場面が考えられるのですか? 先ほど述べた朝鮮半島の有事を例に考えます。緊張の高まった朝鮮半島では5万人の邦人が取り残され、日本人以外も含めるとベトナム人ら数十万人を避難させなければなりません。爆弾テロが起き、高まる緊張のなか米軍も対処しています。 これは日本の存立が脅かされる―たとえ日本国内に戦火が及んでいなくても―事態なのではないでしょうか。しかし、この時点の前に個別的自衛権に基づき自衛隊が直ちに武力が使えるわけではないのです。 突然ミサイルが日本に向けられる事態はどうでしょうか。日本にあらかじめ宣戦布告があれば別ですが、いきなりズドンと撃たれた場合―それは紛れもなく日本の存立を脅かす危機ですが、これも着弾するまでは戦火が我が国に発生したわけではないのです―そうした事態を前にした場合も自衛隊が直ちに武力が使えるわけではありません。 現在の法体系では日本に対する攻撃だということが明白に言えたうえで、個別的自衛権に基づく防衛出動がなければ自衛隊は武力を行使できないのです。尖閣に武装勢力が上陸した場合もそうですが、武装勢力の出自国籍がわかって、どこの国からの攻撃で、それが国家による意思であるか否か…など従前の枠組みでは要件が厳格に定められて、それらをクリアにしなければ自衛隊は有効に動けないのです。 このように平時から有事の間には日本に重要な影響を与えたり、紛れもなく我が国の存立を脅かすのだが、武力で対処できない局面が存在します(これを有事でもないが平時でもないという意味でグレーゾーン事態といいます)。 そこで、グレーゾーン事態を細かく分け、今までは日本に戦火が及んでいない、自衛隊がこれまで武力を使えないとされてきた事態でも、米軍を守らなければ、武力で対処しなければ日本の存立が脅かされる、こういう局面を新たに「存立危機事態」と位置づけ、限定的とはいえ、集団的自衛権を行使し、武力行使で対処できるようにしたのです。 平和安全法制が整備されれば、平素から米軍の艦艇等を防護できます。自衛隊と米軍が連携して警戒態勢等を強化できるわけです。事態が悪化して重要影響事態になっても米軍への支援が可能です。そして存立危機事態になれば、自衛隊と米軍の一層緊密な協力が可能となる。ミサイルが着弾前でも、戦火が及んでいなくても、日本のミサイル防衛に当たっている米国の船を防衛出動前でも自衛隊が守れるわけです。 さらに、これらの新たな活動を効果的に遂行するため、平素から幅広い種類の訓練や演習ができるようになります。様々な危機に日米の共同対処能力が飛躍的に向上するでしょう。 では数十万人の民間人が日本に避難してきたらそうなるでしょうか。これは大変な輸送オペレーションです。民間航空機、民間船舶をいくら動員しても足りませんが、少し緊張が高まれば民間航空機はまず飛ばないことを前提に考えなければならない。軍用機で輸送することも当然、視野にいれなければならないのです。 昭和60年、イラン・イラク戦争の時もそうでした。フセインがイラク上空に飛ぶ飛行機は民間機もふくめてすべて撃墜すると宣言しました。各国が次々と自国民の救出に全力を尽くすなか、邦人215人がテヘランに取り残されてしまいました。このときも日本の航空機は全く飛ばず、救いの手を伸ばしてくれたのはトルコ航空でした。 邦人保護にいかに対処するか。自衛隊ははじめ憲法を理由に何もできませんでした。それが少しずつ改善され、まず現地の空港までは自衛官が行けるようになりました。ただし、空港までは邦人が自ら逃げてこなければなりませんでした。 昨年になって邦人のもとに自衛官が車で行って輸送できるようになりました。しかし、武器使用は依然制限されています。正当防衛などの範囲―自己保存型といって簡単にいえば、自分の身に危険が降りかかってくる場面―でしか武器は使えません。 するとこういう事態が考えられます。例えば空港から離れたホテルに邦人が取り残されている。それで自衛隊が現地に飛び、ホテルに車両で向かう。ところが途上、武装勢力がバリケードを築いていた。迂回路はない。いかにしてバリケードを突破して邦人のもとに向かうか。この場合、現行法では武装勢力が自衛隊を襲ってくれなければ、武器が使えずバリケードを排除できないのです。 ホテルの前に武装勢力がいても同様。排除できません。冗談みたいな話ですが法律が認めていないのだから仕方ありません。 しかし、それはやはりおかしい。邦人を輸送するという任務や責任を果たすために不可欠な場面では武器の使用を認めるよう(これを任務遂行型といいます)に見直すべきですし、今回の平和安全法制でもそこは改善され、邦人の警護や救出が可能になります。 サマワにいたとき、忘れられない出来事がありました。実は邦人の輸送の第一号はマスコミでした。ただ、先ほどもいったように当時は邦人輸送について、陸上輸送は危ない、として認められておらず、空輸だけしか認められていませんでした。サマワの治安が悪くなって邦人記者2人が殺害されるなど緊迫して早急に引き揚げてもらう必要がありました。 しかし、サマワのキャンプから空港までどういう理由をつけて運ぶか、が問題になりました。陸上の邦人輸送が任務になかったからでした。知恵を絞ってプレスの人たちは広報活動、私たちのPRをしていると理由をつけました。「広報支援」なら私たちの任務に位置づけがある。だから法的な問題はギリギリクリアされるという理屈です。そういう理由で私たちは完全武装で彼らを運んだのです。では今回の法改正で何が可能になるのでしょうか? では今回の法改正で何が可能になるのでしょうか? 重要影響事態になった時点で自衛隊は必要があれば米軍以外の外国軍隊等への後方支援ができます。活動範囲も我が国の領域等に限っていないので、民間人を輸送する他国軍の艦艇に公海上で補給等の支援が可能です。また、自衛隊は米軍等の部隊の武器等防護もできます。 実は今までは米軍のイージス艦―もちろん、ミサイルの警戒に当たっています―に海上自衛隊が給油するさい、一々ミサイル警戒を解き、日本の領海へ戻ってきてもらわなければできませんでした。それが公海でもできるようになったのです。 さらに事態が進んで存立危機事態―武力攻撃が発生し、それが我が国にも非常に影響が出る場合―に至るとどうなるか。もはやこの段階になると、在韓米軍が攻撃されたり、民間人や邦人等の輸送も軍用機や軍艦でなければ難しいでしょう。取り残された邦人を運んでくれている米艦艇を防護しなければなりません。新三要件に該当すれば武力が行使できるようになることはさきほど述べたとおりです。このような朝鮮半島などの近隣有事について「集団的自衛権の行使は必要ない」「周辺事態法に基づき日本の領海内での補給支援だけでいい」あるいは「警察権に基づく権限で米艦防護をやればいい」といった意見も耳にします。 しかし、これらの法整備は日本人の命を守るための措置です。現実問題としてミサイルが発射された場合、日本人の命が守れない場合がある。そういう危機感が我々にはあります。だからこそ、今回この法整備で態勢を盤石にし抑止力につなげたいと考えています。弾道ミサイル防衛も、アメリカの衛星システムなどを駆使して対処しています。相手は武力を使ってくるのです。 それに警察権で対応する、これはまさにミサイルにピストルで立ち向かう極めて非現実的な危険な議論だと思います。憲法違反のおそれすらある現場の自衛隊員に十分な権限を与えず、不法な武力攻撃に身をさらす。これは隊員の生命を不必要なリスクにさらしますし、なおかつ日本を守り、日本人の命を守るよう彼らに課すことがどれほど酷な話かを考えてほしい。 現場の自衛官は常にそうした法律上の制約に悩まされています。サマワでの話をもうひとつしましょう。宿営地をつくるためにコンテナがたくさん届いていました。どうやって運ぶか。インドやバングラデシュのコンボイで運ぶのだが、民間の車両ですから我々が警護しなければ、危険で運べないわけです。 しかし、私たちの任務に警護は書いてありません。といって目の前のコンテナを運ばなければ宿営地などいつまで経ってもできない。 サマワに宿営地をつくる第一歩から大いに悩まされました。それで「コンボイが道を迷わないように私たちが水先案内人を引き受けます」としたのです。先頭と最後尾に自衛隊の装甲車がつき、その間にコンボイが入る車列を組んで宿営地まで運んだのです。外形的には誰が見ても完全武装の「警護」でしたが、最後の最後まで私たちは「いいえ。私たちは道案内しているだけです」で通しました。 東ティモールで暴動が起こったときも邦人の調理人が助けを求めてきました。助けなければいけないが「駆けつけ警護」の任務は私たちに当時、与えられていませんでした。何とかしたいが、一歩間違うと法律違反に問われるなかで私たちはどう対処したか。 休暇を取った隊員を迎えにいくふりをして出かけたのでした。そこでたまたま調理人のSOSを聞きつけ助けたのだ。だから駆けつけ警護ではないのだ。こういう理屈で何とか任務への違反がないようにしました。カンボジアの選挙監視のさいも投票所が襲撃される恐れがありました。民間ボランティアが多数活動していましたが、不測の事態から彼らを守らなければならない。そこで我々はどうしたか。情報収集という名の下に投票所に自衛官がついたのです。そういう経験を現場は沢山味わっています。そのたびに知恵を絞ってスレスレでしのいでいるのです。 自衛隊が繰り出す現場ではいろんなことが起こります。リスクを下げるといっても自衛官の任務はそもそもどんな任務でもリスクを伴うものです。リスクから逃げたがる心構えでは自衛官として困ります。ですが、国会議員が実のある議論を怠って間尺にあわない法律が現場を無用の混乱に陥れたり、無理を強いるのは困ります。隊員を不必要な危険に晒すような法律は許されないのです。さとう・まさひさ 昭和35(1960)年、福島県生まれ。防衛大学校卒業(27期)。国連PKOゴラン高原派遣輸送隊初代隊長、イラク復興業務支援隊初代隊長、第7普通科連隊長兼福知山駐屯地司令などを歴任。平成19年に退官(退官時は1等陸佐)、参議院議員初当選、自民党「影の内閣」防衛副大臣。著書に『ヒゲの隊長のリーダー論』(並木書房)など。

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    成立後でも考える なぜいま安保法案が必要なのか

    権が必要とされてきているのか、行使できないままだとどうなるのかもよく考える必要がある。 現在、日本の安全保障上最も差し迫った危機は、中国が「核心的利益」とまで位置づける尖閣諸島である。中国は急速な軍備拡大を背景に海洋進出の姿勢を鮮明にし、実際に南シナ海でも強硬姿勢を見せている。 中国に武力行使をしても利益にならないと思わせるために最も重要なことは、日本が確固たる防衛力を持ち、武力による尖閣奪取が不可能だと思わせることだ。そのためには、米軍の支援の有無が重要なポイントとなる。支援を取り付ける意味でも、米軍と自衛隊の連携を高める意味でも、集団的自衛権の容認は非常に有効である。 第二に国際社会を味方に付けることである。日本だけでなく欧米各国からも非難を受け経済制裁を受けるならば中国にとっても耐えがたい打撃となり、不利益が上回ることとなる。そのため中国も尖閣問題を歴史問題とリンクさせるなど国際世論工作に懸命だ。「国家の存立の危機」が発生したときでも危険な仕事は他国任せ、後方支援すらしないというのでは、欧米の積極的な支持を得ることは到底望めない。国際社会では集団的自衛権は当たり前のものであり、有事の際に常識的な行動を取れるようにしておく必要がある。 これらの抑止力が不十分だと、中国はいつでも武力行使によって尖閣を手中にできるという状態になる。そうなると日本が話し合いで平和を守りたいと思っても、中国からすれば戦争によって尖閣が手に入るのだから、合意や譲歩など全く期待できない。日本が大人しく尖閣を明け渡さないなら、戦争が始まるのは時間の問題となってしまう。米中を筆頭に国際社会は現在でも軍事力に依存していて、それぞれにとっての「正義の戦争」が存在している。中国が台頭した中において、日本だけがその現実を無視していては外交も平和も成り立たなくなるのだ。 実際に軍事的優位を狙う中国は、アメリカに対して「太平洋は二つの大国を受け入れる十分な空間がある」と新大国間関係を提唱している。これは「米軍が東アジアに介入し中国とにらみ合うのは互いのためにならない」とアメリカに促すものだ。くしくも、内向き傾向のアメリカは「世界の警察官をやめた」とも言われており、米軍の活動を削減する分、同盟国に負担増を求めている。日本がこれに応じなければ、アメリカがこの「新大国間関係」に乗ることは十分ありうる。アメリカを東アジアにつなぎとめておくには同盟国としての日本の価値を高める必要があり、このタイミングで安保法制の整備は、戦略的に見て全く理に適ったことである。 このような国際情勢の変化に対応しなくとも日米安保が将来に渡って維持されるというわけではない。在日米軍基地の存在価値がさらに低くなり、その時点で日本は基地を提供してきただけの存在で同盟国として確かな実績がないならば、あっさり見捨てられてしまうだろう。現在でもアメリカ政界では日米安保の片務性に対する不満が渦巻いているのだ。日本の厳しい安保環境で自主防衛となると気の遠くなるような予算が必要となり、現在の日本の財政状況では相当厳しい。そのときにギリシャのような財政危機にでもなっていれば全くどうしようもない。 そうなると尖閣だけでは話は済まない。武力衝突が起きても勝利が見込めるとなれば、中国は日本との戦争を恐れることはなくなる。世界各国が中国の顔色をうかがい、アメリカに見捨てられた日本の言うことなど聞く耳を持たないという状況であれば、中国としては自己正当化もしやすいし、挑発的行動も取りやすい。反日同盟を組む韓国は対馬を本気で狙い始めるだろうし、ロシアや北朝鮮も何をしてくるか分からない。戦争発生のリスクは飛躍的に高まり、そのときに自衛隊員がさらされるリスクの大きさは後方支援どころの話ではない。また、そのような状況では日本はまともな外交が成り立つはずもなく、何もなくともアジアにおいて中国が断然有利の仕組みが構築されていくだろう。 一方で中東などでアメリカの戦争に加担すればテロのリスクが高まる、という懸念もある。確かに、こちらも事態の推移によっては大きなリスクになりうる。明らかに筋が悪いような場合には参加しないということも必要だろう。ただ中東に関して言えば、地理的に言っても、歴史から言っても、後方支援という役割から言っても、日本の持つリスクが欧米よりはるかに小さいことは間違いない。潜在的なリスクの大きさを比較すれば、日米同盟が弱体化したときの外交・安全保障上のリスクの方がはるかに大きいと言える。周囲に野心的な大国や気ちがいじみた反日国家を抱える日本としては、ある程度アメリカの求めに応じていく他、選択の余地はないのである。

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    日本国民よ、いま一度認識せよ 平和は「作り出す」ものである

     平和安全保障法制の制定が議論されているが、多くの国民は日本が置かれている情勢についてどれだけ認識しているのだろうか。 まず、「日本は平和な国なのだろうか」という疑問がある。領土を侵略されている国家を平和であると言えるだろうか。1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾する意思を示し武装解除した直後に、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方四島はソ連による侵攻を受けた。当時、北方四島には1万7千人の日本人が暮らしていたが、島民はすべて島を追われた。この時、ソ連兵の侵入による混乱で多くの人命が失われている。また、サンフランシスコ平和条約において、「竹島」が日本の領土として認められると、韓国は竹島を自国の専管水域の中に組み込み武装占領した。当時、日本海南西部で漁を行っていた人々は漁場を奪われ、韓国当局により数人の人命が奪われ、多くの人が傷つけられたのだ。現在も、北方領土や竹島は、ロシア、韓国に占領されたままである。当時の日本は、敗戦により国民、国土を守る力=防衛力を失ってしまった。防衛力を失った国家の犠牲者が、北方四島や竹島周辺海域から命を奪われ、傷つけられ、締め出された人々である。さらなる侵略をかろうじて防ぐことができたのは、自衛隊の創設と日米安全保障条約の締結によって防衛力を備えたことによるものである。 現在では中国が日本の領土、領海を脅かしている。2010年以降、中国警備船が尖閣諸島近海に頻繁に領海に侵入するようになり、東シナ海の平穏が崩されてしまったのだ。多くの日本人が「平和」と考えている現状さえ危ういのである。 また、グローバル化が進む現状において、日本は、自国のことだけを考えずにアジア全域の海洋安全保障についても考えなければならない。東南アジアの国々は、日本の安全保障に向けた動向に注目している。9月15日、参議院で平和安全保障法制に関し与野党の攻防が続いているさ中、安倍晋三首相は、ベトナムの最高指導者グエン・フー・チョン共産党書記長と会談し、ベトナムの海上警備能力の向上のため巡視船艇を供与する方針を表明した。ベトナムへは、既に6隻の中古の巡視船(漁業取り締まり船)を供与しているが、さらに数隻を供与することで、同国の海上警備力を高め、南シナ海の海洋安全保障体制を支援する姿勢を示したのだ。 9月3日、中国政府は「抗日勝利70年式典」に際し、習近平国家主席は、中国人民解放軍の人員削減の方針を示した。中国の軍事戦略は、大量の兵員を擁する陸軍中心の戦略から、海軍、空軍を充実させる質の向上へと変貌を目指しているのだ。南シナ海では、人工島において港湾建設とともに、空軍の拠点ともなる滑走路を造り、機動力を持った体制を目指している。このような中国の強引な海洋侵出に対し、南シナ海沿岸国であるベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシアなどは、日本の平和安全保障法制の制定を歓迎し、アジア海域の平和に向けて日本が積極的にその責務を果たすことを求めているのである。2014年、日本が、南シナ海に面した国々と南シナ海航路を利用して行った貿易額は、輸出入合わせて、約2000億ドルに上ると推定される。そのため南シナ海の紛争は、日本経済に与える影響も多く、「我が国の存立の危機」といえる。アジアの国々も求めがあれば、日本も海洋安全保障のため貢献しなければならないのだ。東シナ海でも同様の戦略であり、日中の中間線に近いガス田のプラットホーム上に10数基のヘリポートを作った。さらに東シナ海に面した温州に港湾と航空施設を持った中国海警局の大規模基地を建設する計画を進めている。また、中国海警局は、1万トンを超える大型警備船を複数建造し、東シナ海に配備する予定だ。この大型警備船は、ヘリコプターを搭載しており、ガス田のヘリポートと温州の基地を結ぶ洋上拠点となり、上空も含め東シナ海全域を管轄下に置こうとしているのだ。中国の海上警備力の増強計画は、日本の海上保安庁が進めている12隻の巡視船による尖閣諸島専従部隊の配備を見越して変化しているのである。さらに中国の大型警備船には、軍艦並の10キロの有効射程距離を持つ76ミリ機関砲を装備していることも考慮し、日本は新たな海洋警備計画を作らなければならないのだ。10年前にすでに日中中間線付近で中国はガス田開発を進めていた。生産開始を示す炎の変わりに中国国旗が、はためいていた=平成17年12月、東シナ海(本社機から) また、昨年来、南シナ海パラセル諸島(中国名・西沙諸島)周辺海域では、武装した中国船らしき船舶にベトナムの漁船が襲撃され、漁獲した水産物や網などの漁具、航海に必要な計器などが奪われる事件が頻発している。この海域の島々の多くは、かつてベトナムが領有していたが、ベトナム戦争時に中国軍により占領され、今も中国の実効支配が続くが、現在もベトナムと中国、台湾の三国が領有権を主張しているのだ。特に地理的にもベトナムに近く、ベトナムの漁師の生活の海となっている。この海域でベトナム漁船が頻繁に襲われているのだ。今年7月、操業中のベトナム漁船が3隻の中国船とみられる船に衝突され、沈没する事件が発生した。漁船に乗っていた11名の漁師は海に投げ出されたところを他のベトナム漁船に救助されたが、衝突した船は漁民を救助することなく逃亡したという。ベトナム国内の報道では、今年に入り8月までに38隻のベトナム漁船が、中国船とみなれる船から襲撃されている。今回の事件は、あきらかな海賊行為であり、アジアの国々は「アジア海賊対策地域協力協定」の精神に基づき、共同で対処することも検討すべきだ。南シナ海は重要な日本のシーレーンであり、この海域の安全確保し海賊を排除するために日本の海上保安庁の巡視船によるパトロールも求められるであろう。 東シナ海でも中国漁船の動向から目が離せない。1000隻を超える漁船が東シナ海全域に展開し日本の漁船を締め出しているのだ。また、2014年秋には、サンゴの密漁船といわれる200隻を超える漁船が小笠原諸島海域を荒らしたことは記憶に新しい。相手が漁民である以上、自衛隊が出動することできず、現実的に防衛体制がとれないグレーゾーンとなっているのだ。アジア海域の安全確保も含め、海保と海上自衛隊の連携体制のさらなる強化など検討しなければならない。 国民は今一度、「平和は与えられるものではなく、作り出すものである」という認識をもつべきである。そして、これからは、日本のみならず世界の安定を考え、国際法の下、積極的に「海の平和」を守る活動をしなければならないのである。

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    緊急特集! 国を守るって何ですか?

    参院特別委で審議されている安保法案をめぐり、与野党の対立がピークに達した。根強い世論の反対を押し切って法案成立を目指す政府の方針に反対するデモも激しさを増す。政府がいま法案成立を急ぐのなぜか。春香クリスティーンが「ポスト安倍」の呼び声が高い石破茂地方創生相に直撃した。

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    SEALDs奥田愛基氏ら「主体的に動き始めた人はもう止まらない」

     16日午後、安全保障関連法案の委員会採決を前に、SEALDsの奥田愛基氏、本間信和氏、柴田万奈氏が日本外国特派員協会で会見を開き、海外メディアに向け改めて反対を訴えた。(左から)本間信和氏、奥田愛基氏、柴田万奈氏 まず、柴田氏が英語でSEALDsという組織について説明、続いて奥田氏がこれまでの活動や今後の展開について、動画も交えながら説明した。 奥田氏の冒頭発言 奥田氏:日本語でSEALDsとは…っていうのを話していきたいと思います。SEALDsとは、自由と民主主義のための学生緊急行動。さっきも言っていましたけど、Students Emergency Action for Liberal Democracy – sの頭文字からSEALDsです。  今回の問題というのは、単純に安保法制の問題だけではなくて、憲法をないがしろにしたままに法律を作ってしまうと。昨日の公聴会でも小林節先生がおっしゃっていたんですけど、「法の支配ではなく、法律の支配」という言葉を安倍首相が使っていて。  つまり、法律と憲法は、どちらの方が優勢を持っているか。どちらの方が最高法規であるかっていうことを現政権は理解していないと。  「対案を用意しろ」とか「安全保障上の議論があるので」って話もたくさんあると思います。しかし、憲法上に大きな問題を抱えている法律がその中に含まれています。11個の法案を2つにまとめて審議してしまったがために、安全保障上の議論がまともに出来なくなっている状況になっていると思います。  まとめられている状況下の中では、憲法の理念や根幹的な発想が理解出来る人であれば、この安保法制には反対せざるを得ないと思っています。  現在では、関西、沖縄、東海、東北でSEALDsは活動していて、人数は全体で300人近い人がいます。  YouTubeに上がっているものなんですけど、これまでの動きを簡単にまとめた動画があるのでご覧ください。  SEALs自体は今年5月3日に始まっていまして。ずっと前からあったような感じもするんですけど、活動期間というのは、この4ヶ月間。実際に抗議を毎週金曜日に国会前でやり始めたのは6月なので、大体この3ヶ月間、活動してきたということです。  はじめは、参加者は数百人しかいませんでした。それが今では10万人近い方が抗議に来られるような規模まで、反対の運動というのが拡大しています。よく言われることなんですが、SEALDsは若者がやっていて、デザイン性だったり、動画があるから、人々が集まっているという見方もあると思うんです。  でも実際には、僕の感覚としては、この政権のおかしさとか、説明不足であったりとか、この法案の欠陥というものが、これだけ人々の怒りに火をつけていると思っています。  ちょっと簡単に、安全保障関連法案に反対する理由を述べたいと思うんですけど、先ほどから言ってますように、憲法上の問題ですね。集団的自衛権の行使容認も、後方支援も、武器等防護にしても、これは明確に他国の領域においての武力行使なので、これらは全て現行の憲法に照らし合わせると、憲法上で問題があると。  最高裁元判事の方も、昨日中央公聴会に来て、意見を述べられていましたけど、ある程度の憲法学、もしくは法律のトレーニングを受けている方の90%以上の人は、明確にこれは違憲であると、日本では言っています。  国連憲章に書いてあるから、日本でも認められている権利だとおっしゃる方もいますけど、それはたった数%の、この法案に賛成している憲法学の人です。一言で言ってしまえば、国連憲章で認められているが、日本国憲法では認められていないと。それは小学生でも分かることだと思います。  またこれは、法案の条文レベルでも問題がありまして、例えば、新3要件の第1要件の存立危機事態については、よく話されているのですが、第2要件、第3要件について、明文化されていません。  自衛隊法95条の改正によると、主語が自衛官になっていると。現場の自衛官が総合的に判断して武器の使用もするということなんですけど、実際には現場の自衛官が一人でイージス艦に立ち向かうなんてことはないわけですよね。そこだけを見ても、この法案は条文レベルで欠陥があると言わざるをえない。  その他にも、法案の中身を色々追っていくと、欠陥が見えてくるのですが、それもこれも憲法改正せず、このようなムリな法案を作っているので、条文上、実際にはありえないシチュエーションや政府の説明とは食い違った法案の中身になっていると。  また政策レベルにおいても、軍事費をこれ以上あげないとおっしゃっているわけですが、兵站活動もして、他国に自衛隊を送って、防衛費を上げないのであれば、結果的に自国の防衛という点では、手薄になるのではないかと考えています。  このようなことは僕らでなくても、色んな方が会見で話しているので、これ以上詳しくは話しませんけど、法案は明確に憲法違反であって、これは単純に海外で武力行使が出来る国になるよりも、問題が深いと思っています。まさにブレーキのない車状態で、このまま武力行使をしていいのかという危惧があります。  もう少し、SEALsの団体というか、日本国内で何が起こっているのかについて話したいと思います。SEALsが独自に新聞やインターネットの記事を通じて、日本中でどれぐらい抗議活動が行われているかを調べました。  調べた結果、全国でこの数ヶ月間に2000ヶ所以上。累計すると、130万人以上の人がデモに参加していることになります。  特に先日の8月30日の国会前抗議には10万人来たということが記憶に新しいと思うのですが、その前後で、8月30日に合わせて、全国各地で1000回以上の抗議が行われていました。  10代~20代の比較的若い人たちがオーガナイズしているデモとか集会について調べてみましたら、全国22ヶ所以上で、そういう動きが、今年の5月からありました。これは、8月22日段階なんですけど、現在では、これの倍近くになっているという報告を受けています。  あともう1つ特徴的なのが、彼らは自分たちで告知のフライヤーのデザインを作っていることです。日本国でも、若者はスマートフォンをいじってばっかりで、外に目が向かないだとかゲームばっかりしているという偏見があるんですけども、逆にスマートフォンやパソコンの普及のおかげで、こういうデザインのものが、簡単に誰でも出来るようになりました。  また、僕達がデザインしたものっていうのを、インターネット上で公開していたり、日本のコンビニのネットプリントという形で、番号だけ入力すると、日本全国のどのコンビニでも印刷できるようになっています。  全国各地で同じようなデザインのプラカードを使っているわけなんですけど、それがなぜ出来ているかと。今の日本の社会運動のインフラは何なのかと言われたら、コンビニのネットプリントなんじゃないかなと、最近思っています。  こういうデザインのものが、全部ネットに上がっていて、誰でも印刷出来るようになっています。YouTubeで抗議の様子や、なぜ反対しているかという、法案反対の論点を解説したものを上げたりしているのですが、それを見た若者たちがまた、全然僕達が感知しないところで、こういうやり方であれば、自分たちも出来るんじゃないかなということで、立ち上がっていると。  確かに、立ち上がっている若者達っていうのが、人口比や数が多いのかと言われれば、そうでもないのかもしれません。ですが、日本の問題だった点というのは、実際、賛成の人も反対の人もいるわけなんですけど、思ってはいるけど、声に出さない、社会に表出させないという人がいた。それで、きっかけはSEALsだったのかもしれませんが、自分たちの声として、自分たちの思いを路上に出て行って見える形で声をあげ始めました。  なので、日本における一番の変化というのは、一定層考えている人や、おかしいなと思っている人は、常にいたと思うんですけど、それが目に見える形で表出して来ていると。「こういうことを言ってもいいんだ」と。そういうカルチャーが少しずつ、日本の中でも出来つつあるなと思っています。  今年の7月に作った動画なんですけど、これも見ていただけたらと思います。  というように、若者のカルチャーとして、新しい動きが少しずつ出来ているのかなと思います。まだ台湾と香港の学生たちぐらい出来ているかどうかは分からないんですけど、日常の中で自分たちの出来ることを出来る範囲でやっているという感覚はすごいあります。  なので、革命を起こそうとか、そういう気持ちは全くありません、普通に大学に行って、当たり前のことを当たり前に言う。ただ、それだけなのかなと思っています。  時間が来ているので、これぐらいで締めたいと思うのですが、今日の夜には委員会で採決され、明日には本会議という話になっているんですけど。何が日本社会で変わったかと。  1つは、2015年9月段階で、デモっていうのは、珍しいものでもなんでも無くなっているということ。それと、野党の方もほぼ毎週来ていたんですが、僕が昨日、中央公聴会に呼ばれて国会で話しました。今はもう日本の路上で動いていることや声を上げていることが、単純に政治と分離されたところで動いているものではなくて、政治に影響を与えるものとして、今、抗議活動が行われていると思います。  もう1つは、別に僕らが命令というか、呼びかけて「みんな来てくれ!」というから、来てくれるというよりも、僕たちが全然感知していないところで、日本全国で動いていることが重要だと思っています。つまりそれは、個人が主体的に動き始めていることを意味するからです。  この法案の結末がどうなろうが、主体的に動き始めた人はもう止まらないと思います。  というわけで、とりあえず終わりたいと思います。ありがとうございました。賛成議員を落選させようというのが合言葉のようになりつつあるーこの運動がどのように続いて、どのような影響を与えていくと思うか  奥田氏:これがどうのように続いていくか。これは大学生の夏休みだけの活動ではないということを強調したいです。  実際に抗議に来てもらえればわかるんですけど、来ている方は人口そのままというか、20代もいれば30代もいれば40代、50代、60代、70代もいるというような抗議です。ということは、その6分の1でしかないわけですね、私たちは。  先程から強調しているように、日本各地で起こっているわけで、これは世代を越えて、また地域を越えて人々が声を上げています。このつながりが僕はそのまま選挙にも影響を与えると思っています。  つまり我々は世代を越えて、もしくはある程度の支持政党とか、そういう政治思想的なことを越えてある、一点の目的、目標を掲げて共闘することが可能です。  そしてまた、毎週ほぼ全てとは言いませんが、主要野党の政党の方が来ていただいているので、それがうまく選挙で協力していただければ、我々としてもかなり次の選挙を応援しやすくなるのではないかと思います。  現在では、(安全保障関連法案への)賛成議員を落選させようというのが合言葉のように使われています。いわゆる法案が通るまでの運動とは違うものに今なりつつあるのではないかと思っています。 次の選挙に影響を与えることになりますよ ーおわかりだと思うんですけれど、まったく立憲主義に反していない、"合憲"という解釈があるんです。次に問題なのが、議会制民主主義ですから、当然、議会の中でどのくらいの多数を取るか。いま現在、自民党だけではなくて、公明党とか次世代とか5党がほぼ賛成しています。ですから、それはもちろん当然、認めないといけないと思うんですね。  ですから、これから、奥田さんにとって残念ながら、法案は通ると思います。これからどういうふうにやって政権交代とか持って行こうという戦略があるのか。議会制民主主義の中で…  司会:質問をお願いします。  奥田氏:…早くしてもらってもいいですか。  先程から言っているとおり、日本では9割以上の、憲法学に精通した人がこの法案に対して"違憲だ"と言っているわけですね。元最高裁の判事もおっしゃっていましたども、まともに法案が読める方であれば、法案は違憲であると。そのことに関しては僕は議論が尽くされていると思います。  昨日の中央公聴会でも言ったんですが、政府は、"基本的な論理が変わっていないから合憲である"と言っているんですね。ですが、基本的な論理が変わっていなければ、同じ問いを投げかければ同じ答えが返ってくるはずです。今回、同じ問いをかけてみれば、回答が変わっているわけでですから、それは論理が変わっているというのが正しい日本語であると思うわけです。  また、世論調査を見れば明らかなように、この法案に日本国民の多数が納得しているとは思いません。だいたい平均して考えれば、2〜3割の人が賛成していて、6〜7割の人が反対しているというのが現状だと思います。  また、前回の選挙のときに、菅官房長官がおっしゃっていたように、集団的自衛権というのは争点になっていません。  議会制民主主義は大事だと思うんですけど、その議会制民主主義を支えている、法的根拠があるのは憲法なので、憲法を大事にしていただきたいと思います。また、自民党の総得票数というのは、全国比例で2割弱しかないわけです。ぜひ、僕も議会制民主主義が大事だと思うので、選挙に行っていただきたいと思うわけです。  この法案はそれでも議会制民主主義の中で通ってしまうでしょう。しかしですね、議会制民主主義、議会の中で多数派だからなんでもしてもいいのか、というところは、よくよく考えていただきたいと思うんですけれど、今も現政府の方が口を揃えて"国民が理解しているとは到底言えないが通さなければいけないことだから通す"と言っているわけです。  それに対して言えることは、本当にそれでいいのでしょうかと。絶対にこれは次の選挙に影響を与えることになりますよと、この状況での採決はありえないのではないでしょうかと、私たちは今日も声を上げます。 政治政党を作る気は全くありません ー先週、菅直人元総理がここで会見を行い、SELADsのような活動が政党などと結びついていくことで、あらたな政治勢力になることを期待感を示していました。菅氏のような人達と、そのような話をしているか。  奥田氏:スペインのポデモスみたいな政党のことを見て、ある種羨ましいと思うこともあるんです。ですけど、僕は政治政党を作る気は全くありません。何故かと言うと、まだその段階に来ていないということと、日本ではまた違った形で、今の動きが政治に影響を与えるのではないかと思っているからです。  一つのチョイスとしてはあると思いますが、2011年以降、これだけ政党がある種乱立するかのようにできている中で、新しい政治政党ができたからといって日本の現状が変わるわけではないと思っているので。それより社会の中でやるべきことがあると思っています。  まずは政治に対して主体的な人がもっともっと増えるべきだと思っています。 "高校生は政治に興味がない"という言説には信ぴょう性がないー18歳で選挙権が得られることになるが、それでどのような影響があると思うか 本間氏:例えば日本社会が、日本の若者が右傾化しているというような言説もある一方で、僕なんか最初デモに参加した時に、大学の友達だったりから"デモに行くってちょっと怖い"とか、そういう印象を聞いていたんですけど、ここ3か月くらいでリアクションも全然変わってきていますし、安保法制に限って言えば、デモというものが世論を動かしているという印象も持っていますし、政治運動にもっと主体的に参加していくこともありかなっていう風に、かなり考え方というか、政治に対するイメージも変わって来ているのかなと思っています。  またですね、デモをやっていて、たとえば自分たちは大学生として、SEALDsとして活動していますけど、当日来てみると制服を着た高校生たちが参加している姿も見られます。  なので、高校生が日本の政治政治に興味がないという言説は信ぴょう性がないのではないかと思っていて、かなり多くの人が言いづらいけど気にしている状況があるのかなって思っています。  また高校生が政治に興味を持っている中で、ただ政治について語ることがまだちょっと怖いとか、言い出しづらいという雰囲気がある中で、個人の意見ではあるんですけど、高等教育の段階の中で、自分の頭で考えたりとか、上から知識注入されるというだけではなく、自分がどう考えているかを共有したり、議論したりすることを学校教育に取り入れていくことが重要ではないかと思っています。  ーSEALDsの映像を見てても、テレビを見ていても、反対している人たちは、いわゆるエモーショナル・ランゲージ、感情で"戦争法案反対"、あるいは"安倍は暴走している"とか、ほとんど理性的な言葉を遣っていないんですね、  その典型が8月30日の…  司会:質問をお願いします。  ー戦争と平和を語るためにどうしても欠かせない人物がいます、一人はエモーショナル・ランゲージを使って、国民を戦争へと駆り立てるくらいやった。とくにラジオでもって、最も影響力のあった1920年代から30年代からのリーダーです。それはだれなんだ。あなたがたへのクエスチョンです。それからもう一人は…  司会:…質問は1問でお願いします。  奥田氏:わかんないです、おわりです。(会場から笑いが起こる)  ーそれで平和と戦争を語る資格があると思いますか?  奥田氏:次の質問お願いします。(会場から笑い)  ーソーシャルメディア上で、右翼的な人々からの攻撃を受けていることとと思うが。  奥田氏:先ほどの、2つの点の意見の異なる方からの質問だったと思うんですけど、そういうので思うことは、それだけではなくて、ネット上では"SEALDsをやっているのは在日朝鮮人なんじゃないか"とか、僕の名前を検索すると出てくるんですけど、かなり個人情報的なところで、"髪型が"とか"顔が"とか、関係ないところで(笑)言ってくる人達がたくさん居ます。むしろそういうカルチャーに怯えてというか、なにかこういうことを発言すると、叩かれたりすることで何か不利益があるんじゃないかと、なかなか日本では政治参加とか発言がしにくかったと思うんです。実際そういうところで、負けていたところもたくさんあると思います。  一体どちらかが感情的なのかと考えてしまうわけなんですが、ただ、そういうものに負けないカルチャーを作らないといけないと思っています。 国家にとってかなり根幹的なものが問題になっている ー社会問題や政治について、大学内で語りにくい雰囲気があると思ったと思うが、安保法制をきっかけに声を上げるようになったのはなぜだと思うか。  奥田氏:先程も言ったんですけど、思っていたことは思っていたと思うんです。考えていなかったわけではないと思うんです。それが言ってもいい雰囲気ができてきたことと、もうひとつは、憲法とか民主主義とかそういうもの自体が問題になっている。つまり国家にとってかなり根幹的なものが問題になっている。安全保障もそうかもしれないですけど。逆に政治家の人も、学者の方も、我々一般市民も同じ土俵で議論ができる。そういうことが起こっているのではないかと思います。 実際、じゃ大学自体どういう雰囲気かというと、僕を大学内で見つけたら、こういう活動していると多分わかんないと思います(笑)。普通に遊んで、友達と話して、その中に少しだけでも政治のことが話せる、まあそういう感じなんじゃないかなと思います。アジアの中でのデモクラシーがどうあるべきなのか話し合った ー先程、奥田さんは香港や台湾の学生運動のことに言及されましたが、あなたたちの学生生活の中で、日本の学生というのは世界一従順とかおとなしいとか非政治的とか長い間言われていましたけど、たとえばアラブの動きとか、オキュパイ・ウォールストリートというニューヨークでの動きや、あるいは香港でのアンブレラ革命とか、台湾でのひまわり運動とか、ああいう同世代の人達の動きに何かインスパイアされたことはありますか。  奥田氏:もちろん影響を受けたことは多分にあると思います。"Tell me what democracy looks like"というコールがあったと思うんですけど、あれはオキュパイ・ウォールストリートとか世界中で使われていると思うんですけど、そういうものをここでやる前から、YouTubeやUstreamで観ていました。トルコのゲジ公園守れっていう運動も、オキュパイ・ウォールストリートも、インターネット上でほぼリアルタイムに流れていました。Facebook上で海外の友達が流しているものも観ていました。  その彼らが考えていること、とくに香港、台湾ではデモクラシーがすごくイシューとしてあったので、実際に留学生が日本に留学していたり、日本の留学生が向こうに留学していたりと、交流があったので、アジアの中でのデモクラシーがどうあるべきなのかって話し合っていたりしました。 中国からの留学生が、生活レベルの危機感もあると言っていたー法案が通ったら、みなさんには将来どういう影響があると思うか。また、大学で、中韓の留学生にどう見ているか、聞いたことはありますか。 本間:まず一点目の質問についてなのですが、例えば法案の問題点で、条文レベルで責任の所在が自衛隊ではなく自衛官になっているという指摘があったと思います。  なので、例えば自衛官が紛争地域に派兵された時に非常にリスクが高まるということは言えるのではないかなという風に思います。  また、今回の安保法案だけでなくて、憲法解釈、政府の解釈によって憲法が変えられてしまう前例が作られてしまうので、今後、憲法というものが軽んじられる風潮が作られてしまう事自体が非常に大きな問題だという風に思っています。  具体的な状況を想定することは難しいですけれども、やはり憲法が蔑ろにされることが常態化してしまうことは、どのような国家にとっても危険なことなのではないかと思います。  奥田:端的に言って、中国の危機だというところで、国会でも対中国脅威論ということで言っていて、そういう中で中国の留学生が、このまま対立していたら戦争にまで行ってしまうのか、ということを、強い危機感をもって話しかけてくれる人もいます。  また、日本国内でヘイトスピーチが起こっている中で、より他国の脅威を煽ることがもっと差別的なものにつながらないのか、生活レベルの危機感もあると彼らは言っていました。 ---会見終了後、奥田氏に質問を投げかけた男性が、会場を後にする奥田氏に、「奥田君、さっきの答えは、ヒトラーだよ。…今やっていることはヒトラーだよ。」と声をかけていた。THE PAGE

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    デモは出会いの場 全共闘世代の武勇伝に女子大生「すごい」

     参院で審議中の安保法案にNOを突きつけるデモがますます活発化している。国会前で集会を開く学生団体「SEALDs(シールズ)」に加えて、毎週土曜日に東京・巣鴨に集結する60~70代主体の「OLDs(オールズ)」、さらに30~60代からなる「MIDDLEs(ミドルズ)」というグループも立ち上がり、大きなうねりとなっている。 8月30日には「戦争法案廃案!安倍政権退陣!」を謳う「国会10万人・全国100万人大行動」への参加がネットやSNSを通じて呼びかけられており、大群衆が国会に押し寄せるとみられている。 懸念されるのは、警察とデモ隊の衝突だ。衆院で安保法案が強行採決された7月15日には約5万人の人々が国会前に集まったが、そこまで大規模のデモ隊を警察がコントロールするのは容易ではないようだ。当日、デモに参加した40代の男性が語る。「歩道から溢れたデモ隊を、大勢の警察官が移動式の柵を設けて抑えていましたが、全共闘世代と思われる60代の男性が隙あらば柵の外に出ようとして何度も警察官に注意されていた。機動隊の指揮車の上に立ってマイクで誘導するDJポリスも『歩道の上に上がってください』などと普通に注意するだけで気の利いたことを言えず、全く機能していなかった」 一方で、デモは世代を超えた“出会いの場”にもなっている。「全共闘世代が70年安保の時の武勇伝を語ると、参加者の女子大生たちが『すごい』と目を輝かせる。デモの後の飲み会では父と娘ほど年の離れた男女が親密に語り合う光景も見られます」(同前) 安保法案同様、反対デモに対しても賛否両論が渦巻いているが、参加者が20万とも30万とも予想される8月最後の日曜日に国会前で何が起きるか。

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    佐野眞一氏 「SEALDs」らのデモと「60年安保」の違いを分析

     国会前を若者たちが埋め尽くした。戦後を知る者の脳裏をかすめるのは、今から55年前、「60年安保」として記憶される季節ではないか。当時首相の岸信介が強行した日米安保改定に抵抗した全学連(全日本学生自治会総連合)、その委員長が唐牛(かろうじ)健太郎だった。9月14日発売の週刊ポスト(9月25日・10月2日号)で、ノンフィクション作家の佐野眞一氏が、唐牛の生涯を辿りながら戦後日本を照射する連載を開始した。佐野氏はその冒頭で、2つの安保闘争の差異についてこう綴っている。 * * * こんな光景を間近に見たのは、半世紀ぶりだろうか。青山墓地にほど近い青山公園。旧陸軍の射撃場跡地と引揚者住宅跡地を整備した公園を出発地点として8月23日、安保法制化に反対するデモが開かれた。 普段、集会は国会議事堂前でも開かれる。この青山公園のデモは、主催者発表で6500人だったが、翌週日曜日の8月30日の国会前の抗議行動には、主催者側発表で12万人もの参加者が集まった(例によって警察発表はこれよりずっと少ない3万人)。 この集会を企画した中心メンバーは、「SEALDs」という10代から20代の都内の学生組織である。大学教授などの学者グループや子育て世代の女性たちも参加しており、ベビーカーを押す主婦たちも目についた。また、杖をついた年配者も少なくなかった。 若者たちは鐘やドラムを叩き、そのリズムに合わせて「戦争法案いますぐ廃案」というラップ調のシュプレヒコールをあげる。 何もかも50年以上前の安保闘争とは様変わりしていた。デモを規制する警官隊は数名いたが、デモにつきものの機動隊員の姿はなかった。道路脇の装甲車の中で休んでいる機動隊員たちの姿が、このおとなしいデモを象徴していた。私などの世代はデモ=乱闘というイメージがあるが、彼らは整然と行進し、渋谷で流れ解散となった。 60年安保では、出発するや先頭に立って警官隊と対峙したデモ隊員は必ず逮捕された。「ワッショイ」の掛け声とともに、警官隊は間髪容れず「逮捕」の命令を出した。それだけに先頭のデモ隊員の目は血走り、誰もが青ざめて思いつめた顔をしていた。ところが、「SEALDs」のメンバーの中にそんな表情をした者は誰もいなかった。夕方前から人が集まる、国会前の安保法案反対デモ=9月16日、国会前(早坂洋祐撮影) 服装もまったく様変わりしていた。60年安保闘争時代は、ほとんど全員が学生服姿だったが、「SEALDs」のメンバーは、Tシャツなどカジュアルな服装ばかりだった。女子学生らしい若者が雑談するのが聞こえた。「みんな戦後70年を迎えたといっているけれど、このままいったら今が戦前になっちゃうかもしれないじゃん」 60年安保当時、私は東京・下町の中学に入学したばかりだった。家では買ったばかりのテレビの前で、国会前を埋め尽くした学生デモの映像ばかりにかじりついた。どんなドラマよりも、安保闘争の映像の方がアドレナリンをたっぷり放出させてくれたからである。 「SEALDs」のスローガンは、「安保反対! 安倍はやめろ」とごく穏当だったが、60年安保のスローガンは「安保粉砕! 岸(信介)を倒せ」と殺気だっていた。いや、「岸を倒せ」というシュプレヒコールはむしろ少数派で、「岸を殺せ!」という声の方が多かった。 黒々とした国会議事堂をバックに学生たちが蟻のように国会周辺に群がる姿は、いま自分は日本が変わる瞬間を見ているんだ、という興奮を呼び覚まし、居ても立ってもいられなかったことを今でも鮮明に覚えている。『警察庁長官の戦後史』(鈴木卓郎・ビジネス社)によると、60年安保闘争に参加したのは全国で約463万7千人、一日の最大動員数は約50万人、出動した警察部隊は約90万人、逮捕者約900人、警察官の負傷者は約2千400人に達したという。 13歳になったばかりの私は、幼稚な思いかもしれないが、「これはもしかすると本当に日本に革命が起きるかもしれない」と考えて異常に興奮し、眠れない夜を幾晩も過ごした。 今にしてみれば、60年安保は私が日本という不思議な国を考える最初のきっかけとなった。関連記事■ デモは出会いの場 全共闘世代の武勇伝に女子大生「すごい」■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」■ 安保法案に反対する学者たちが「ケンカを買った」 その余波■ 60年安保の運動家 「今でも1300人の仲間と連絡取れる」■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ【1/2】「集団的自衛権」

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    一色正春の直言! 安保法制「まっとうな反対論」とは何か

     まっとうな反対論を述べるのであれば、自衛隊の法的地位は避けては通れない問題であり、それこそが日本の安全保障における最大の問題点です。違憲か合憲かを問うのであれば自衛隊の存在自体を問うべきなのです。それを曖昧にしたまま自衛隊を海外に送り出すから、自衛官が国内では非軍人、国外では軍人として扱われるという奇妙な事態が生じるのです。これは自衛官が国際法に従えば国内法に違反し、国内法に従えば国際法に違反するという事態を招きかねず、自衛官のリスクを論じるのであれば、真っ先に論じられなければいけない問題点です。 そして、この法案のどこが不完全なのかと言いますと、国際的な平和維持活動など自衛隊の活動範囲が広がり、それに合わせて一部武器使用の要件も緩和されましたが、その根拠は警察権の域を出ていません。これでは万が一自衛隊が紛争に巻き込まれた場合、日本だけが手足を縛られたまま戦わなければならなくなります。政府は、「だから自衛隊は危険区域では活動しない」と言いますが、100パーセント安全なところで、道路や橋をつくったり、物品を輸送したりするのであれば、民間の土建業者や運送会社に任せれば良いだけの話です。そもそも100パーセント安全な派遣先などあるはずがないのですから、机上の空論で自衛官の安全を語るのではなく、実情に沿った装備(法的なものを含む)を整えたうえで自衛隊を海外に送り出すべきなのですが、今回の法案では、それが不十分に感じられます。 それに「自衛隊が○○をするには当該外国等の同意があること」などと、在外邦人の保護などを行う場合は、その国の政府機能が正常に働いていることを前提とした活動条件を定めていますが、本当に自衛隊の力が必要とされるのは、派遣先の国内に混乱が生じ、その国の政府機能が麻痺しているようなときです。例えば朝鮮半島で、戦争が再開されれば、前回のように政府機能がまともに働かない事態が予想されます。たとえ彼の国の政府機能がまともに動いていたとしても、彼らは自衛隊が自国の領域に入ってくることを拒むでしょう。そのようなときに、我が国は観光客を含めて数万人の在韓邦人や北朝鮮に囚われている拉致被害者を見殺しにするのでしょうか。今回の安保法制に足りないのが、このような現実的な視点での自衛官を含む自国民の生命の保護という観点です。 一国の軍隊の行動は、その国の姿勢をあらわします。自衛隊が、海外では軍隊とみられているにも関わらず、安全な区域でしか活動しないということは、日本という国は危険なことは他国任せにする無責任な国であるとの誹りを受けても仕方がありません。世界中の国の中で日本だけが軍隊ではなく、なぜ自衛隊なのか、なぜ自衛隊でなければいけないのか、今一度、我々日本人はこの安保法制をきっかけに自衛隊というものを見つめなおす必要があるのではないでしょうか。

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    SEALDsはなぜデモをするのか~奥田愛基氏が語る「運動論」

    BLOGOS編集部中心メンバー・奥田愛基さんが語る「運動論」 安保法案に反対するデモが盛り上がりを見せるなか、新しい動きとして注目されているのが、10代、20代の学生のグループ「SEALDs」だ。国会前で、ヒップホップの音楽を流しながらリズミカルに掛け声(コール)をかけたり、若者らしいファッションで自分の言葉で語りかけるスピーチなどが話題になり、その活動がメディアで頻繁に紹介されるようになった。 (左から)奥田愛基氏、津田大介氏 このSEALDsは、正式名称を「Students Emergency Action for Liberal Democracy - s(自由と民主主義のための学生緊急行動)」というが、どんな学生が、どのような経緯で立ち上げ、どのように活動しているのかーー。SEALDsの中心メンバーであり、その母体であるSASPLの立ち上げメンバーでもある明治学院大学4年の奥田愛基さんが、8月9日に東京・代官山で開かれたトークイベント(主催・69の会)に登壇し、活動の歴史を語った。  司会は、ジャーナリストの津田大介さんがつとめ、コラムニストの松沢呉一さんとともに、奥田さんに質問を投げかけていった。それに答えて、奥田さんは「なぜデモをやるのか」という理由を明かした。(取材・構成:亀松太郎) 特定秘密保護法の成立がきっかけだった奥田氏 津田:SEALDsの元になった「SASPL」が生まれた経緯を教えてください。  奥田:SASPLは「Students Against Secret Protection Law」の略で、「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」。特定秘密保護法を意識しているんですね。  それまでは僕も、「(原発の問題などについて)みんなでもっと考えていけば、いい社会になる」とか、「賛成も反対も両方あって、一緒に考えたらもっと良くなる」と、なんとなく、そう思っていたんですよ。そういう会もいっぱいあって、「賛成も反対も両方あって、今日も考えました。引き続き、みなさんで考えていきましょう」みたいな感じで。  そういうのも全然いいと思っていたんですけど、気がついたら、2012年の終わりに自民党が大勝する選挙があって、いままで考えてきたものってなんだったんだろう、と。「考えるきっかけになった」とみんな言ったけど、その結果がこれか、と。政党なんかも、よくわからなかった。民主党、社民党、共産党、維新の党、未来の党・・・。これ何が違うの、という感じなのに、みんな協力できず、小選挙区制の中で負けていくというか。  そういうのがあって、「考えましょうの結果がこれか」という感じで、ちょっと考えるのがしんどくなった。ちょっとブレイクダウンというか、自分のなかで勉強したり、吸収するだけの時間にしようと。  そうだったんですけど、ちょっと時間がたって、2013年の12月に特定秘密保護法が通るとなったときに、法案を友達に教えてもらって、自分でも調べてみたら、「これ、たしかにすごい法律だ」と思って。  津田:その教えてくれた友達は、SEALDsのメンバーでもあるんですか?  奥田:そうです。同じ大学の友達で、そいつから「この法案はこういうふうに使われるかもよ」と。別に国家が情報を管理することが全部ダメだとは思わないんですけど、日本って結構、情報の管理が適当なんですよね。公文書の管理とか、情報の公開とかが、ものすごく問題があると言われ続けたなかで、この法案はどうなんだと思って、国会前のデモを見に行ったんですよ。  賛成も反対もなく、みんなでちょっと見に行った。そのあと、日比谷公園に集まってしゃべったりしたんですけど、その夜にツイッターとかを見てたら、報道ステーションで古舘さんが「今日、民主主義が終わりました」とか言ってて。「民主主義が終わったらしいぞ」「マジかよ」みたいな(笑)。  知る権利が侵害されるとか、デモができなくなるとか、みんな言ってたんですけど、はたして知る権利って、みんなそんなに使ってたの、と。デモとか言うけど、表現の自由って、みんな使ってたの。デモもやったことがないし。考えるのは大事で、それは全然否定されることじゃないけど、ずっと考えていてもしょうがないな、と。 最初「デモをやりたい」と言ったら、シラーッとなった松沢呉一氏 津田:特定秘密保護法が出てきて、国会で可決されたというタイミングで、ちゃんと声をパブリックな場所であげようと考えた、と。  奥田:普通は可決されるまでの運動なんですよ。「法案を阻止するぞ」みたいな。「可決されるまでがんばろう」という感じなんですよ。僕らはなぜか、可決された夜に「民主主義が終わった」と言われて、「じゃ、始めなきゃ」と思った。  津田:なるほど。面白いですね。もう決まってしまったと思ったら、それが火をつけるきっかけになった、というのが。 松沢:だいたい運動って、そこ(可決)で終わるわけですよ。そこから始まるというのは、実はものすごく正しかったと思うんだけど、彼らがやってきたことは、テーマはともあれ、民主主義を取り返すとか、始めるということだったわけじゃないですか。それが、そこから始まっているというのは、すごく象徴的。で、そのときは、どうやって人を集めたんですか?  奥田:初めは、特定秘密保護法に反対する会とか、勉強会とかを各大学でやっていたんですよ。あまり話題にもならなかったんですが、ICU(国際基督教大学)に300人が集まったりとか。  あのときも、学者の会みたいのがあって、各大学で勉強会をやっていて、それに参加したり、手伝っていた子たちはだいたいわかっていた。その友達の友達とか、先生にも直接言ってゼミ生を紹介してもらったりして、中心メンバーが10人くらい集まった。国会前にも15人くらいで行った。  津田:今のSEALDsの中心メンバーが10人ぐらいで集まった最初の会合で話した話題って、どういうものか覚えていますか?  奥田:そのときは終電を逃して、家に帰れなかったんですが、「俺は絶対反対と言いたい」と言いました。「ちゃんと調べて、一人でしゃべれるくらいやったうえで、デモとかをやりたい」と言ったんですよ。  そうしたら、みんな、シラーッとなって。「え、デモ?」みたいな。「なに、言ってるんだ」と。「学生、政治、デモ、絶対ダメ」みたいな。  津田:シールズも最初はそんな感じだったんですね。面白い。 デモに行くような「動く100人」がいるほうがいい9月6日、新宿で 松沢:デモに賛成したのは何人ぐらい?  奥田:半分ぐらいでした。いまは僕ら「安倍はやめろ」と言ってるんですけど、そのときは「自民党の人も説得するような感じじゃないとダメだ」とか。あと、「いままでそれで成功した人が、一人でもいるのか」とか。学生でデモをやっても、メディアで取り上げられることはまずないし、それでカッコいいとか、学生が満足したというのを聞いたことがない。20万人ぐらい来たらいいけど、100人も集まるのか、と。  でも、「シンポジウムとかやって考えましょう」とか言ってもしょうがないじゃん、逆にそちらのほうがつまらないよ、と言って。むしろ、ちゃんと「こういう論点でおかしいと思うんだけど、どうだ?」というのを社会に問うほうがいい。考えましょうとか、議論があるとかではなく、もっと突きつけないと。 中立的にやったほうがメディア受けがいいのは、間違いなかったんですよ。賛成も反対もあるシンポジウムで、若者が「こういう意見もありますね」という感じで言うと、「この学生はバランスがとれていて、えらい」となるじゃないですか。ただ、「中立」と言われるところが、だんだんおかしなことになっている。いまは、現行の憲法を読もうものなら左翼みたいに言われる。憲法の勉強会をやろうとしたら、ダメになったりとか。  でも、日本国憲法って、現状のありとあらゆる法律の根拠、最高法規なわけで、それが何も言えなくなったら、法治国家としてやばい。「憲法って政治的だ」という感じになっちゃうんですけど、公民の教科書に日本国憲法のことが書いてあったら、それは政治的なのか、と。おかしくなっちゃうんですよ、そんなことになったら。  松沢:こういう運動をやるときに「デモなんかやっても、どうせ変わらないよ」という意見があるけど、SASPLやSEALDsがいま、そこを変えている。デモをやったり抗議をやることで、メディアは動くぞ、それに影響された人たちもみんな立ち上がるぞ、政治家までくるぞ、と。その成功体験をいま作っているというのが、ものすごく大きいんだけど、最初のときに「変えられる」という人が、よく半数いたよね、逆に言えば。  奥田:僕も含めて、その3日前までは「やらないほうがいいんじゃないか」という話もあったんですよね(笑)。ただ、発想としては、100人集まってデモをやって社会を変えられたら、そのほうが怖い。シンポジウムをやったって、社会は変えられないし。0か100で考えるのはやめよう、と。  いま一番、何をやりたいのか。ふわっとなんとなく来て「考える人」が増えるのがいいのか、それとも、デモぐらい来ちゃうぜという「動く100人」がいるほうがいいのか。どっちがいいかと言ったら、それは「動く100人」がいたほうがいいね、と。  津田:その説得の仕方は、なかなか感動的ですね。 もともとは「2016年の選挙」を目標にしていた津田氏 奥田:だから、初めから、全部が全部、変わるとは思っていないんですよ。若者は政治に関心がないと言われて、投票にいく若者は3割しかいないと言われるけど、一定数はいるんです。(やろうとしていることが)正しいかどうかわからないし、うまくいくかどうかもわからないけど、一応、メディアリリースや記者会見までやって、ちゃんと取材してくださいねとお願いしたりして、いろいろ動いてきた。  津田:なるほど。よく考えられていますね。でもそれって、学生が主体となった運動にしては、すごく用意周到じゃないですか。普通の人は、デモをやろうと思っても、メディアにリリースを送って「取材に来てください」なんて発想にならないはず。PRとはどのようなものか知っているプロの発想です。そこはどういう流れでそういうことをやろうという話になったんですか?  奥田:一発やって終わるのは嫌だという話になって、デモをやってもいいけど、5手先ぐらい先を読んでおかないとダメだと言っていました。  津田:デモを広げていったり、具体的な運動論とかで、参考にした人の話とか本はなにかありますか?  奥田:あのときは、普通に飲みながら、こういうことをやったらいいんじゃね、みたいな感じで話してました。そのときに思っていたのは、社会って、もっと声を出す人がいてもいいし、そのバランスが取れていないと、おかしなほうに一気にいってしまうということ。何かあったらデモをやるのもいいし、もうちょっと政党のバランスがとれているようになってほしい。  そのためには、2016年の選挙のときに、あのときは衆参ダブル選挙と言われていたんですが、そのときぐらいまでに、若者が全国で2000人ぐらい立ち上がったらいいよね、と。  津田:なるほど。そもそもSASPLやSEALDsの活動というのは、2016年の参院選をターゲットにした地道な活動だったんですね。ところがこの安保法制議論の盛り上 がりの余波で一気にメインストリームに乗ってしまった、と。  奥田:そういうことを考えると、名前と顔がわかる「動ける人」たちが大事だし、それを「伝える人」たちが大事。動く人だけじゃなく、そういう人に巻き込まれて、ちょっと行ってみようかと思って行った人たちが、また感化されるような仕掛けが重要。  それが自分たちにとっては、ビジュアル的なものだった。白黒で、Wordで作ったみたいなフライヤーって、普通、デパ地下とかで、もらわないですよね。ヒカリエとかだと、めっちゃ、オシャレなやつとかが配られるじゃないですか。ちゃんとAdobeのソフトとかで作られている。  ふと考えたら、なんで、デモとか社会運動はそうなっていないんだろう、と。なんで、これでいいやと思うんだろう。本当に変えたいと思って、本当に伝えたいと思ったら、伝える努力をしなきゃと思った。  松沢:最初のメンバーのなかに、いわゆる市民運動とか、社会運動の経験者というのはいたの?  奥田:初めはあまり、いなかった。震災以後に、原発関係でおかしいんじゃないのかとハンガーストライキをやった子たちが1人か、2人いた。それと、音楽を聴いていて、イベントとかをやっているやつ。  津田:最初から、メンバーの中に音楽のイベントに慣れている人がいたことが、ちゃんとデモに生きている、と。  奥田:そいつがもう、ひたすら「これまでにないことをやりたい」「伝え方を一新したい」ということを言っていて、最初のデモが終わったときに、すごい微妙な顔をして、「アキさぁ、すごいカッコいいことをやりたいと言ったけど、これ、デモじゃん?」とか言って。僕のほうは「デモだよ、デモやるって言ったじゃん!」と(笑)。「この程度だったら、まだダメだね、20点」と言われて、すげームカつくと思いながら。  津田:1回目のときは、どんな感じで、どんな場所でやったんですか?  奥田:最初のデモは、新宿の柏木公園から新宿駅までで、500人ぐらい。自分たちが想定したよりも多くて、「やっぱりいるじゃん」「ちゃんとくるんだ」という感じだった。少なくともいまはゼロだから、自分たちが受け皿になっていかないといけない、と。フライヤーの文字が「コンマ数ミリ」ズレても気になる7月17日、国会前で 松沢:それから、まだ1年数か月だよね。そこから、規模がものすごい勢いで大きくなって。メンバーは、いま何人?  奥田:いまは、関東が190人ぐらいいて、東北が30人ぐらいで、関西が130人か140人。あと、沖縄も。  津田:これはネットでシェアされて、なるほどと思ったんですが、「SEALDsのメンバーは学業もちゃんとやりましょう」というスタンスなんですね。文武両道みたいに、なるべくなら単位を落とさないようにするという。そのあたり、お互いの共通ルールは決めたりしているんですか?  奥田:「デモをやって学校を休むぐらいなら、学校に行け」と言っています。規約とかは、口座を作るときに作らなければいけないので、形式上はあると思うんですけど、ただ、自分たちで共有しているのは、3つだけ。そのうちの1つは「ポジティブ」。「どうせやっても意味ないじゃん」とか、「こんなこと言われる」と言ってもしょうがない。なんかやったら言われるからしょうがないし。やってもないことを心配してもしょうがない。やっちゃったことはやっちゃったからしょうがない。ネガティブなやつが世界を変えても、ネガティブな世界になるから、と。  津田:そういう話を伺うと、SEALDsの意思決定システムが気になります。そのあたりはどうしているんですか?  奥田:意思決定で大事なのは、その企画のクオリティが高いかどうか。バンと企画が出て、みんなでチェックするとき、みんなが適当なことを言うけど、だいたい、いい企画は誰も何も言わないんですよ。「いいじゃん!」みたいな感じになって、盛り上がったら、それはやろう、と。多数決とかは、ないですね。  津田:多数決というよりも、その場のグルーブ、ノリを大事にしているんですね。  奥田:そうですね。グルーヴみたいな感じで。あと、フライヤーとかを作るときも、フォントが気に食わないとか、コンマ数ミリ、左に寄っているとか。誰がそれを気にするのかとも思うんですけど、俺ら的には、気にするやつは絶対いると。俺らの同世代で、それがコンマ数ミリずれていたら、「やっぱりSEALDsって、全然そういうの関心ないんだ」と思われたら嫌だ、と。  津田:政治的にどうこう言われるのはしょうがないけど、「ダサい」とは言われたくない?  奥田:そうですね。ダサいと言われたくないし、政治的にも、実は、言葉にすごく気を使っています。たとえば、「安倍政権」と言っている企画書と、「現政権」と言っている企画書の違い。各政党にロビーイングに行って、企画書を出すときは、全部「現政権」と統一するとか。名指しすると厳しい感じになるので。「9条の問題」というか、「憲法の問題」というか、「立憲主義の問題」というのも、どういうところに出すのかによって、ちゃんとチェックしている。  津田:SEALDsは、学者の会とかとも連携して、いろんな学者の先生がきて、スピーチをしていますよね。そういう学者の先生をゲストに招いた勉強会なんかかもやっているんですか?  奥田:やってますね。法律の研究家とか、弁護士とか、もともと政策を作っていた人を招いて、どういう条文で、どこがどう間違っているのか、とか。ただ、それを全員がシェアしているかというと、一応、みんなが入っているのもあるんですけど、特化している部隊もあって、デザインに特化している部隊とかがある。  津田:なるほど。理論武装部隊があって、デザイン部隊もあって、イベント企画部隊もある。そんな感じで、勝手にメンバーの中でクラスタができてきているんですね。  奥田:そうです。おのおのが希望で、入りたいところに入る。僕は全部に入らされているんですが(笑) SEALDsに「代表」がいない理由 松沢:そもそも、奥田くんは代表ではないの?  奥田:代表じゃないです。  津田:代表的役職を作ったり、「お前が代表になれよ」という話はなかったんですか?  奥田:「代表を作っちゃえよ」という話もあったんですけど、自分が思っている憲法観とか、意見とか、細かいところでいうと、たぶん、みんな違うと思うんですよね。  「SEALDs」と、最後に複数形の「s」をつけているのも、一人ひとり、感覚とかが違うし、個人個人で参加していいと、個人個人として考えている。ただ、大枠で「憲法は守ったほうがいい」「戦争はしないほうがいい」ということでは、もう完全に一致しているから、そこは統一しましょう、と。  津田:デモのやり方を変えたということでいえば、SEALDsは「コール」も特徴的ですよね。「民主主義ってなんだ?」とコールすると「なんだ?」とレスポンスが返ってくる。どんどん新しいコールが出てくるし、なんならスピーチした人の印象的なフレーズがそのままコールになったり。  奥田:あれも、淘汰されていくというか、受けないやつがあるんですよね。「あ、これはやめておこう」と。  松沢:たとえば、受けなかったのは、どんなのですか?  奥田:まず、「激おこプンプン丸」というのですね。高校生がいまやったら、「高校生は新しい」と言われたりしているんですけど、SASPLがやったときは、もう全然だめでした。大学生と高校生の違いがある。  松沢:高校生も、SEALDsに来ていたんですよね?  奥田:SEALDsはいま、めちゃくちゃ攻撃されていて、僕なんか、ツイッターでつぶやくだけで、2ちゃんねるのまとめができるんですよ。そういうところに、未成年の子はどうなのか、と。大学1年生だったら、自分で生きていく力もあると思うけど、高校1年生だったらまだちょっとと思って、断ってたんですよ。「高校生はごめんなさい」と。  でも、ずっと断っていたら、勝手に高校生グループができていた。気がついたら、高校生5000人デモとか。そうしたら、俺より攻撃され始めて・・・。なんか悪いことしたなと思いながらも、それはそれでいいな、と。おのおのが自分たちのやり方でやっていけばいいな、と。 10年先の高校生が参考になることをやっていきたい 津田:本来は2016年の7月までに、少しずつ学生たちが集まって意見を表明できるように自分たちのプレゼンスを築いていって、「話せる場所を作ろうよ」という地道な活動だったはずのSEALDsが、今はもう、具体的に現政権に影響を与えるくらいの力をもっていて、かつ広がりももっている。その渦の中心にいて、大変なことも多いと思いますが、今後、どうしていきたいのか。この力をどういう方向に生かしていきたいのか教えてください。  奥田:僕は、問題がない社会はありえないと思うんですよ。たぶん、安保法制のことが廃案になっても、なにかあるんですよ。それが10年先なのか、来年なのかわからないですけど、もっとやばい問題がくるとなったときに、なにか参考になるものがあるといい。自分の同世代が言っているカルチャーが1ミリもなかったところで、10年先の学生とか高校生がYouTubeを見て、「こんなやり方で、こんなことを言っていいんだ」というのをやったらいいな、と思っている。それがちょっとでもできているならいいと思う。  でも、逆に言うと、10年後にそれを言っているのは、俺じゃなくてもいいと思うんですよ。というか、明日にでも、俺じゃなくてもいいと思うんですけど。  津田:先ほどの話を受ければ、既にこの半年間で、「高校生にバトンが受け渡されている」という言い方もできそうですね。  奥田:高校生デモにいったら、「SEALDsの方は後ろで」と言われました。「ごめんなさい、僕、もう23歳で、大学4年生ですみません」と(笑)。そういう感じなんですけど、それはそれで、とてもいいことだと思うんですよね。未来につながっていくことが希望というか、次の世代に生きていくことなので。  ただ、誰の問題なのかというときに、「若者の問題だ」という感じでスピーチされる方もいるんですが、それは結構しんどい。あなたの問題でもあるでしょ、と。  いまは20代の、娘や息子のいない同世代のメンバーが、将来の自分の子どもに向けてスピーチをしているんですよ。自分の子どもができたとき、子どもからなんと言われるだろう、どういうふうにこの時代が評価されるだろう、ということを言っている。特に女性のメンバーは、そういうことを言っている。  どの世代であっても自分たちの問題だと思うし、一人ひとりが考えていかなきゃいけないんですけど、いま僕がここでしゃべっているのも、一つの現象でしかない。たまたま2015年に、一歩踏み出したやつ、言いだしっぺが俺だったというぐらいのことでしかない、と思うんですよね。  高橋源一郎さんが最近、古代ギリシアのデモクラシーの話をしていて、古代ギリシアではクジ引きで政治家が決められていた、と。デモクラシーだからしょうがないといって、選ばれたやつはやらなきゃいけなかった。  SEALDsのメンバーも、「俺がやらなくてもいいんだけど、しょうがない。民主主義国家だから仕方ない」と言いながら、国会前に行ってたりします。僕もクジ引きみたいに、今はたまたま選ばれているのかな、と。だから、SEALDsとして今後どうしていくのかというと、早く解散できるのなら解散して、みんなおのおのの人生を歩んでいけたら、それはそれでいいと思う。  津田:もう一つ、これは「デモで社会が変わるのか」という話でもあるんですけど、これだけクリアに主張があって、ロビー活動もやられている。そこまでやるなら「もう政治家になっちゃえよ」という話もあると思うんですけど。  奥田:政治家は絶対に嫌ですね(笑)。政治家の人には申し訳ないですが、あまり幸せそうではない感じがします。なんか、すごく面倒くさい話を毎回、持っている感じがあって。いまは政治家に興味があるというよりも、政治家を作る社会のほうに興味がある。  松沢:そこもいろいろで、SEALDSの中には「政治家に行こうかな」というのも、実際にはいますよね?  奥田:います、います。自民党から出たいというやつが。「お前、自民党に行って、崩壊させてこい」と言ってますけど。  松沢:まだまだできることはたくさんあると思うけど、いま、SEALDsの主要メンバーは飽和状態。連日、対談やデモやイベントで「なんにもしない一日がほしい」と聞いたことがある。そんな彼らに代わって、彼らができないことをサポートするというのはどうですか? 7月6日、国会前で 奥田:国会前でやっているのは、こんな僕みたいので、誰でもできるんですよ。「学生たちはここができていない」と思ったら、どんどん勝手にやってほしい。できない理由を探さないでほしい。  津田:難しいことがわからなくても、「安保法制ってどう思う?」と日常で会話するだけでも変わってくるかもしれない。それ以上に一歩を踏み出したい人は国会前に来るという方法もある。奥田さん自身、そんなに多くのことは望んでいないんですね。  奥田:できることを、できる人が、できるかぎりやればいい、ということですね。  関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    【緊急対談】わが国の安全保障はリアリズムに徹すべきだ

    国民世論の風向きは逆風ですが春香クリスティーン(以下、春香) いま、参議院で安全保障関連法案の審議が大詰めを迎えています。国会前では、学生団体SEALDsをはじめ、安保法案に反対する人たちによるデモ活動がより勢いを増しています。安倍晋三首相は否定していますが、反対派の人たちは安保法案が憲法違反であるとか、戦争する国にするための『戦争法案』であるとの主張を繰り返しています。国民世論の風向きは逆風ともいえますが、政府としてはどう受け止めているのでしょうか。石破茂・地方創生相(以下、石破) 振り返れば、いわゆる有事法制を審議した時やイラクに自衛隊を派遣した時も『戦争法案だ』『憲法違反だ』と言われました。私は防衛庁長官や防衛大臣としてどちらの時も担当しましたから、『有事法制は戦争を起こさせないための法律なんですよ』『イラク派遣と言っても、戦争をしに行くのではなく、イラクの復興を支援するのです』と一生懸命ご説明をして、最後は賛成が反対を上回った、ということがありました。(瀧誠四郎撮影)春香 やはり、6月4日の衆院憲法審査会の参考人質疑で自民党を含む各党が推薦した3人の憲法学者が違憲だと発言した辺りから流れが変わったということでしょうか。その後も自民党の大西(英男衆院議員)さんが安保法案に批判的な報道について『懲らしめなければいけないんじゃないか』という発言をしたり、礒崎(陽輔)首相補佐官が『法的安定性は関係ない』と発言してしまうなど、自民党議員の発言が批判の的になりましたよね。石破さんにしてみれば、正直もう足を引っ張らないでほしいという思いはなかったんですか?石破 政府全体として、最初の想定とは違った部分があったかもしれません。足を引っ張るも引っ張らないも、政府与党は一体ですから、あれこれ言っても何もならないんですよね。色々あって、もしダメージが起きたとするならば、それを全体としてカバーしていくのが政府与党というものでしょう。例えば、300小選挙区には原則すべて自民党の支部があって支部長が居るわけですから、それぞれが自分の受け持っている選挙区で、この法案をどう説明するか、っていうようなこともしなければならない。私はいろんな議員さんの国政報告会やパーティーに週に4、5回は行っていますが、だいたいそこで安保法制の話もします。それぞれがお預かりしている選挙区はそれぞれの国会議員の責任でご説明すべきものですから、報道がどうあれ、本質論を地元でちゃんとする、ということだと思います。ダメージがあった時にどうやって、自民党の議員みんなでそれをカバーするか。もちろん全てをカバーするのは難しいかもしれないけれど、もっともっとみんなで努力しよう、ということなのではないでしょうか。先日、世論調査の結果を受けて、『国民の理解が進んでいると言える自信はない』と会見で発言したら、新聞などはすぐに『内閣批判だ』って書かれましたが、これはまさに『そういう数字だからみんなで努力しないといけないね』ということを言いたかったんです。それを『石破大臣が批判』とか『次期総裁選に意欲』なんて報道されるのは心外ですね。春香 なかなか答えづらいかもしれないですけど、自民党の中でも今回の法案について、実は反対だったり、違憲なんじゃないかと思う議員っていたのでしょうか?石破 いないと思います。たとえ考え方が少し違っても、決まったら皆で実行する。そういうものです。議論を尽くして、決まった結論には、みんなで責任を持たなければいけません。春香 さきほど、話が出た大西さんや礒崎さんの発言だったり、国民の目から見ると、なんとなく自民党自身も一枚岩になれていないのではと思うことがあります。石破 一枚岩かどうかということより、この法案の内容をどれだけの人がきちんと正確に理解して、説明できていますかっていうことなんだろうと思います。例えば、さっき申し上げたイラクへの自衛隊派遣の時も、海上自衛隊をインド洋に派遣していたテロ特措法の期限が切れて、一回撤退を余儀なくされて、その後、衆議院で3分の2の再議決をした時も、渋谷などで街頭演説会をやりました。福田内閣でテロ特措法を延長した時は、高村(正彦)外務大臣、町村(信孝)官房長官、防衛大臣が私で、3人そろって新宿や渋谷の街頭に立ったんです。それはある意味、本気度っていうかな、そういうものを明示的に表したい、ということだったんだと思うんです。だから今回も、国会で安倍総理や中谷(元)防衛大臣ががんばればいいや、ということだけではないんですよね。春香 メディアの特性なのかもしれないですけど、揚げ足を取るっていうのは絶対あると思いますが、法案審議の流れを見ていて、自民党側からボロが出てしまうというのは、なんとなく気がかりなんですよね。石破 そうですね。安倍総裁が政権を奪還した時の衆院選、2年前の参院選、去年の衆院選と、多くのご支持を頂いてきたということと、民主党が未だにあまり国民の理解を得ていないということ、そういう状況に少し驕りや緩みが出てきてしまう、ということには気を付けないといけないでしょうね。日本では安全保障を考える素地がない日本では安全保障を考える素地がない春香 いまの政局を傍からみれば、自民与党は野党に比べて圧倒的に数の上で有利じゃないですか。それでも、こと安保法案に関しては、世論調査の数字とかを見る限り、国民の理解が進んでいないという結果が散見されますよね。それはなぜだと思いますか。石破 まずは、そもそも安全保障を考える素地の違い、というのがあるんだと思います。 何度もあちこちで言っていますが、私は徴兵制を日本において採るべきだとは全く思っていません。それとは別の話として、スイスやオーストリア、日本の一部の方々が大好きな『永世中立』の国は、永世中立であるが故に徴兵制を国民投票で決め、基本法で定めて維持をしている。それは、国家の独立を維持するために何をしなきゃいけないのかっていうことを真剣に考えてきた結果です。そもそも市民国家って何なんだろう、どうして我々スイス人、オーストリア人は、この国家を国王の手から我々市民の手に取り返したのか。それは税と戦争を王の好き勝手にはさせない、という決意によるものです。そして国家を守るために必要な軍隊は、国民の軍隊だから国民が参加するんだ、ということです。 有事法制が国会で審議されていた時に、スイスの『民間防衛』というテキストを何度も何度も読みました。それはどの家にも一冊あり、皆が読んでいるというもので、一般市民が有事の際にどう行動すべきかが書いてあります。スイスだけでなく、アメリカもドイツも、それぞれの国がそれぞれの成り立ちを踏まえて、国家とは何か、軍隊とは何か、国を守るってどういうことか、小さい時からきちんと教わっている。ところが、私は一応大学まで出ているけど、国家とは何かとか、軍隊と警察とは何が違うかって、小学校でも中学校でも高校でも大学でも習わなかったですよ。 日本の大学における憲法学の主流の説では、今でも自衛隊は憲法違反です。私は大学でほとんど(成績が)Aでしたが、自説を書いたら憲法だけCだった。憲法についても、安全保障についても、小学校から高校までは教わらない、大学の法学部で学んだ人は、自衛隊は憲法違反っていう通説を習う、だから素地がないわけですよね。(瀧誠四郎撮影)春香 となると、安保法案に関する国民の理解が進まないのは、日本の教育上の問題もあるということなんでしょうか?石破 根本の問題としては教育もある、ということでしょう。ただ、いま現在、この法案の理解を得るためには、内閣も与党も努力に努力を重ねているけれど、集団的自衛権ってそもそもなんだろうねっていう、イロハのイからお話を始めるっていうのも大事なことかもしれません。 一般的に日本人が親和性というか親近感というか、信頼感を感じているのが国連、『ユナイテッド・ネーションズ』ですよね。『国連のお墨付きがある』って言うと、そうだそうだ、ということになります。では皆さん、なぜその国連憲章にわざわざ『集団的自衛権』が書いてあるんでしょうね、っていう話を、私は少なくとも自分が講演する時にはしています。 第一次世界大戦で多くの犠牲が出て、もう二度とこんな戦争は嫌だっていうので国際連盟が出来ました。でもこの時は、言いだしっぺだったはずのアメリカは参加しませんでした。 それだけが理由ではないけど、この国際連盟は第二次世界大戦を防ぐ事はできませんでした。第二次世界大戦ではもっと多くの犠牲が出ました。その反省を踏まえて、今度つくる国際連合には、アメリカやソ連のような大国には必ず入ってもらわないと意味がないね、ということになった。それで、大国に入ってもらうために、『拒否権』というものを与えようということになった。『他の国が全部賛成って言ってもアメリカが反対したら、国連は動きません』というのが拒否権です。これをアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中華民国に与えて、だから入ってと。じゃあ入ってやろうじゃないかっていうことになったわけです。 国連憲章では、『戦争』というのは違法化されています。侵略戦争はダメ、国際法上違法ですよ、ということです。じゃあ、悪い国が侵略してきたらどうするの、っていうと、その時は国連軍が来て、悪い国は追い払うから安心してくれと。でもここで、さっきの『拒否権』の問題になるわけです。ちょっと待て、アメリカが反対したら国連って来てくれないらしいぞ。アメリカどころか、ソ連もイギリスもフランスも中華民国も、この5カ国のうち1カ国でも反対したら、国連って来てくれないんだってよ、と。それじゃあ困るっていうんで、国連が来てくれるまでの間、自分の国は自分で守っていいですよ、それが個別的自衛権。関係の深い国々同士がお互いに守り合っていいですよ、それが集団的自衛権。これが国連憲章で集団的自衛権をわざわざ認めた意味なんですよ、って言うと、かなりの方々が分かってくださいます。『そうなんだ、国連ってそういうものなんだ』と。 たとえば仮に、ある国が日本に攻撃をしかけたとして、ロシアが反対と言ったら。春香 そうなると、アメリカというか、国連軍は来てくれない訳ですよね。『必要最小限』の『あてはめ』は情勢の変化で変わる『必要最小限』の『あてはめ』は情勢の変化で変わる石破 そう、国連軍は来ない。だから集団的自衛権があるんです。それは『大国と一緒になって世界を侵略する権利』では全くなくて、『大国の横暴から小国が身を守る為にできた権利』なんです。この説明は、かなりご理解頂けていると思います。 『憲法違反だ』という指摘については憲法9条をよく読みましょう、ということに尽きます。 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 このどこに『集団的自衛権はいけない』って書いてあるんですか。どこにも書いてないです。それで、どこが憲法違反なんですかっていうことです。(瀧誠四郎撮影)春香 でも、これまで歴代の法制局長官たちはそう言ってきたような気がしますが…石破 そう、今までそう言ってきた。法制局はそう解釈してきたわけです。武力行使は自国を守るための必要最小限でなくてはならず、集団的自衛権というのはその必要最小限を超えるから、ダメなんだと。しかし、憲法をよく読めば、その『必要最小限』というのも憲法9条には書いていない。それは国際慣習法で定められた自衛権の3要件、①急迫性の武力攻撃があること(即時性)、②他に取るべき手段がないこと(必要性)、③必要最小限度の武力行使に留まること(均衡性)、というものが前提としてあるわけです。憲法9条の『国際紛争を解決する手段としては』っていうところは、『侵略戦争はダメだけど自衛戦争はいいんだよね』っていうことの確認です。自衛権の行使であれば3要件。で、3要件にいう『必要最小限度』というのは、向こうが強ければ上がるし、向こうが弱ければ下がるし、あくまで量的概念であって、質的な概念ではないのです。 そこで、さて、いま皆さんのいる日本を取り巻いている状況っていうのはどうなんでしょう、という『あてはめ』が必要になってくる。要するに自衛権行使のあり方にいう『必要最小限』っていうのは、その時々の状況によって変わってくるものなんです。春香 そういう意味でも、昔と今と比べると条件や状況が変わっているんですね。石破 まさにそういうことです。例えば、日露戦争で機関銃が発明されて、一遍に大勢の犠牲者が出るようになった。第一次世界大戦で飛行機が発明されて、それまでは敵が来るまで何カ月も何週間も時間的な余裕があったのが、何時間か何分かで来るようになってしまった。そして第二次世界大戦でとうとう核兵器ができて、一遍に何十万人、何百万人の犠牲が出るようになり、また量的に拡大した。ましてや今のサイバーの時代はパソコンのキーを叩くだけで、何秒かで国家の機能が停止する。ウチは関係ないもんねって言っているうちに瞬時にして、自分の国に対する重大な攻撃に変わりうる時代なんですよ。 だから解釈変更と言うけれども、法制局の解釈でも『必要最小限』という解釈は変えていない。ただ、『あてはめ』の部分が、このような情勢の変化によって変わるということです。今までは、集団的自衛権はこの『必要最小限』を超えちゃうからダメだと言ってきた、だけど、それって他の国の話だよねなんて言っているうちに、あっと言う間に自分の国に降りかかって来るような時代になったのだから、今まで『必要最小限』を超えると言ってきた集団的自衛権を『必要最小限』の中に入れて、守りを固めないとまずくないか、ということなんです。春香 それでも、法制局長官が国会で『集団的自衛権の行使は認められない』と答えてきたのはなぜでしょうか?石破 法律を作るのが立法、解釈をするのが司法、法制局は行政において法解釈をする立場ですから、実際の事象に照らした『あてはめ』を積極的にするのは彼らの仕事ではなかった、ということかもしれません。 純粋に法律の解釈のみに基づいて言っている人でも、『憲法違反だ』って言うのには二つの流れがあります。日本の大学で教えている通説のように『自衛隊そのものが憲法違反だ』という立場に立っている人は、個別的自衛権もダメなんです。一方、法制局が言っているのは、『個別的自衛権はいいけど集団的自衛権はダメ』っていうことです。この二つの流派があるのに、それがごっちゃになって『反対』と言っている。8月26日には大学の偉い先生方がたくさん集まって反対反対とおっしゃっていた、そこに宮崎(礼壹)元法制局長官など歴代二人の法制局長官が出られてましたが、多分このお二人は後者の流派、『個別的自衛権はいいけど集団的自衛権はダメ』な立場だと思います。一方で、他の大学の先生方の半分以上は、多分『個別的自衛権もダメ』っていう立場ですよ。春香 それぞれ、いろんな立場の人が、いろんな主張をしているけど、なんとなくこう、ごちゃごちゃとしている状況がまさに今なんですね。石破 反対派もそこまで統一しようと思うと分かれてしまうから、漠然と『憲法違反の戦争法案』というレッテルを貼る。だけど、皆さんにはちゃんと考えてほしいんです。戦争戦争と言っているけれど、国連憲章を読んだことはあるんですか。国連憲章において『戦争』はもはや違法なんです。『戦争はしちゃいけない』っていうのは国際ルールなんです。じゃあなんでそんな事を言うんですかっていう話です。『憲法違反』って言われたら、そうおっしゃる貴方はどちらの立場ですか、個別的自衛権もダメという立場ですか、と問うべきでしょう。少なくとも民主党は『そうです』とは言えないでしょうね。社民党、共産党はどうなのか、ちょっと私は分かりませんが、どういう立場でこの人は反対と言っているのかなってことも、よく分析しないといけない。そのように政府も今までやって来たと思うけど、これから先も、成立までみんなで努力する、ということです。理解してもらえなくても諦めたらダメ理解してもらえなくても諦めたらダメ白岩賢太編集長(以下、白岩) いきなり横から入ってすみません。とはいえ、わが国には軍隊はそもそも『悪』だと思っている人もたくさんいます。そういう価値観を持った人たちに今回の安保法案の意味を理解させるというのは至難の業のような気がしてならない。日本史を遡れば、日本人の心の奥底には『軍隊は穢れである』みたいな感覚がどこかにある。よく、作家の井沢元彦さんがおっしゃっていますが、そもそも平安貴族にとって、都を守る武士は『穢れ』そのものであり、決して近づけようとしなかった。いまの時代で言えば、自衛隊というのは、平安時代の武士のような感覚で毛嫌いする人も結構いて、自衛隊という存在をそもそも生理的に受けつけない人が果たして安保法案をどこまで理解できるのか。いや、もしかして永遠に理解されないことだってあり得るという気はしませんか?(瀧誠四郎撮影)石破 軍隊と警察の違い、というのも、防衛庁長官の頃から折に触れて講演してきたことではあります。国の独立を守るのが軍隊であり、国民の生命財産や公の秩序を守るのが警察なんです。似たようなものに見えるかも知れないけど、全く違うのです。軍隊は国の独立を守るためのものだから、その力は国の外に向かってしか使っちゃいけない、軍隊の力は絶対国民に対しては使っちゃいけないものです。一方、警察は国内にいる悪い人から国民の生命財産や公の秩序を守るものだから、特別な協定がない限り、東京警視庁が北京に行って活躍してはいけない。日本にニューヨーク市警が来て活躍しないのと一緒で、日本の警察が外国に向けてその力を発揮することはない。つまり、国内的なものが警察で、対外的なものが軍隊です、何故なら守るものが違うからです、っていうことです。 国の独立を守るって何ですか。国家というのは領土と、国民と、統治機構でできているから、それらが侵された時にそれを排除するということです。それがなくて、どうして国の独立が守れるんですか。だから、『軍隊はいらない』っていっている人は、『独立はいらない』って言っているのと一緒だと思います。 じゃあ、何で独立が必要なんだ。例えば、日本においては、産経新聞が何を書こうが、朝日新聞や東京新聞が何を書こうが、言論の自由は保障されています。どんな神様を信じても、信教の自由は保障されています。基本的人権といわれるもの、あるいは言論の自由、報道の自由、結社の自由、それを守れるのは日本国、国家だけです。日本人の権利や自由を、他の国が守ってくれることはありえない。国民一人一人の権利や自由を守るために国家は存在するのです。その国家自体が外敵から侵された時に、それを排除しなければ、国民の権利や自由は誰が守ってくれるの。 向こうが武力で来たら武力で抗するしかない。だから急迫不正の武力攻撃がなければ、自衛権は発動しちゃいけないし、外交交渉で解決できるものがあれば、外交交渉によるのであって、だからこそ『他に取るべき手段のない時』って言っているわけじゃないですか。『倍返しだ』なんてことは言っちゃいけない、必要最小限度のものしか使っちゃいけないよ、ってなっているんです。軍隊が穢れだなんてとんでもない話で、国民一人一人の権利や自由を守ってくれるのは国家、その国家を守るために軍隊はあるのです。皆さん方、この国会でいろんな事をおっしゃる。安倍政権に対して罵倒的なことまでおっしゃる。でもそれはきちんと保障されている、それは国家があるからでしょう。白岩 なるほど。僕自身は理解できますが、やはり軍隊を『悪』だと決めつけている人は、それでも理解できないかもしれません。石破 でもね、変わらないって諦めたらダメなんですよ。説得するっていうのはそういうことなんじゃないかと思います。軍隊は国家権力を笠に着て国民を苛めるものだと思っていませんか、と。今の自衛権の3要件を見てください、法案をちゃんと読んで、国連憲章を読んでください。昔の特高警察や憲兵のように、国内に向かって力を使うようなことはできません。『いつか来た道』にはなりません。今、自衛隊は、国外から侵略して来た勢力に対してしかその力を使いません。それは国民の自由、権利を守ってくれる国家そのものを守るためなんです。と、今までこういう風に色々なところで説明してきて、説得力のある反論をされたことはないと思いますよ。有事法制は一般市民を戦場から避難させるための法律有事法制は一般市民を戦場から避難させるための法律春香 じゃあ、今まさに国会前でデモをしているSEALDsのような、反対派の人たちに対して大臣自身が何か訴えるとしたら、何を一番伝えたいですか?(瀧誠四郎撮影)石破 『安保法案は戦争をしないための法案です』っていうことじゃないでしょうか。さきほどから言うように、有事法制の時にも『戦争法案、戦争法案』って言われて、私も何度も国会で答弁しました。これは、『なんで大東亜戦争で大勢の民間人が犠牲になったのか』ということに通じる話なんです。沖縄でもそうだけれども、『戦場』に民間人がいたからです。当時の日本人、沖縄の人たちも、『軍隊さんと一緒にいれば安全だ』って思ってしまって、軍隊と共に行動してしまって、亡くなってしまった。戦争の時には軍隊と行動しちゃいけない、そもそも市民は戦場にいちゃいけないんです。それを国として、政府として徹底しなかった。東京大空襲の時も防空法ってあったのに、内務省が所管するのか陸軍省が所管するのかって大喧嘩ばっかりして、民間人の避難を進められなかった。雨あられと爆弾が落ちた時に、疎開という名で地方に避難できていたのは子供達だけでした。女性も老人も、いわゆる非戦闘員がいっぱい残っていて、大勢の人が亡くなった。 戦後、なんでこんなにたくさんの人が死んだんだとアメリカのほうが疑問に思って、『戦略爆撃調査団』っていうのを日本に送ったんです。たとえば、私の地元である鳥取市では、アメリカは空襲をいついつやりますってビラを撒いたそうです。『みんな避難しなさい、アメリカは罪の無い市民を殺すつもりはありません、何月何日に鳥取市を爆撃しますよ』と。それはみんな憲兵隊に回収されて、結局、罪もない人たちが大勢亡くなった。 有事法制っていうのは、そういう時に一般市民、民間人を戦場から避難させるための法律なんです。そして有事法制がなければ、戦車も赤信号で止まらなきゃいけなかった。道路交通法に例外規定がなかったからです。阪神大震災の時にパトカーも救急車も消防車も赤信号を無視して突っ切る中で、自衛隊車両は全部赤信号で止まった。自衛隊の車は緊急車両じゃないですから。クルクル回る赤いランプは付いてませんし、サイレンも鳴らしていませんから。そんな馬鹿なことは直さなきゃいけない。有事の際に、自衛隊が最前線に出られなかったらどうするんだ。日本に攻めて来た国の戦車は赤信号では止まらないんですから。あるいは、大勢の人が怪我したので野戦病院を作りたくても、有事法制がなければ野戦病院を作るのに厚生労働大臣の許可を取らなければいけなかった。まあ一カ月はかかりますよね。それじゃあ、助かるはずの人も死んでしまう。 仮に、日本を武力で攻撃してやろうっていう意図のある国があったとして、自衛隊はこんな状態で最優先で戦場には出てきません、あるいは戦場には市民がうろうろしていて格好の標的です、だったらやってしまおうか、という『隙』を与えるわけですね。そうじゃない、そんなことになったら、市民は戦場にいないよ、自衛隊は速やかに対応するよ、そうしたらその国は『やっても勝てない』と思って諦めるかもしれない。それを拒否的抑止力といいますが、有事法制ってそういうものなんですよ、っていう説得を、私は延々と国会でしていたわけです。この時は、最後は民主党も賛成して、有事法制が成立しました。白岩 集団的自衛権については今回、限定的な容認について議論しているわけじゃないですか。そもそも、なぜ限定的になったのか? 石破さんご自身の中には、もしかすると忸怩たる思いみたいな感情はあったのでしょうか。これは失礼な言い方かもしれませんが、結局は妥協の産物だったという見方はやっぱり言い過ぎですか?石破 『集団的自衛権』という言葉自体に国民的な反発も凄く強いから、本当に日本国民の平和と権利を根底から覆されかねない場合、つまりみんながどう考えても使わなければ国民の権利や生命財産が守れないと思う場合に限って行使を容認しましょうと。だから国際標準の集団的自衛権の概念からは少し違うものになっているけど、それは悪意に基づくものでもなんでもなく、せめてこれだけは必要でしょ、という考え方なんじゃないでしょうか。春香 だったら憲法を改正して集団的自衛権の行使を認めるようにすればいいじゃないかって、よく言われますけど、たとえ限定的ではあっても、いま進めなければならないってことですか?石破 繰り返しになりますが、私たちの考え方として、従来の自衛権についての憲法解釈のコアな部分、つまり『必要最小限』という部分は変えていないんです。今まではその中に『集団的自衛権』は入らない、としていたけれども、いまはその『必要最小限』の中にも『集団的自衛権』と国際法上言われるもののごく一部が含まれるんじゃないでしょうか、ということなので、憲法の改正は必要ないと思っています。しかし今の法案の話とはまた別の話として、そもそも日本国憲法は日本国が独立していない時にできた憲法なので、独立を維持するために必要な『軍隊』について条文に書いてないのは、ある意味当たり前のことなんです。 だから独立して3年後に結成された自由民主党が憲法改正を党是に掲げたのは、独立してない時に出来た憲法だから、条文に軍隊が盛り込まれていないので、そこをちゃんと補充しようよと訴えたという、すごく論理的な話だと思います。今のままでは憲法改正を実現するのは無理今のままでは憲法改正を実現するのは無理(瀧誠四郎撮影)春香 安全保障に関する議論をこれから先も続けていく上で、やっぱり日本国憲法が足枷になるのは目に見えている。たとえ憲法改正が自民党の党是ではあっても、今のままでは憲法改正を実現するのは無理ですよね。石破 そうですね。でも無理だって諦めてしまったら何にもできないんですよ。私ももう十数年ずっと『なぜ憲法改正が必要なのか』という話をしてきています。独立国家とは国民の権利をきちんと守る事ができる国家のことなのだから、独立国家たる日本に相応しい憲法が必要だ、ということです。『国家というのは悪で、国民の権利を蹂躙するものだ』という反対論がありますよね。そうじゃありません、国民の権利を守るための国家なのです、それは考え方が全く違います。軍隊を持たない国というとコスタリカが挙がりますが、そもそも軍隊を持てるだけの状況にない、あるいは周囲に全く脅威がなく持つ必要がない、という違いを考えなければいけない。小国でも例えば2002年に独立を果した東ティモールには軍隊があります。日本は独立当時PKO任務で多くの自衛官を派遣していました。東ティモールが独立する時の大統領で今、首相を務めるシャナナ・グスマン氏とは、国家の独立とは何かという話を随分としました。国民の権利を守るための国家、その国家を守るための軍隊、これを一人一人なるべく多くの国民のみなさんに話していくしかないでしょう。春香 なるほど。でも、日本にいる限りは、リアリティがないと感じることがあります。だって戦後70年、一度だって日本が他国から侵略されたという事実はないわけですから。石破 でもリアリティを持ったら終わりですよね?春香 そうなんですよ。だからリアリティを感じたら終わりだってことを分かっていながら、どうしても理解できない。戦後70年間、一度も他国に侵略されなかったから、おそらく今後100年たっても侵略される事はないだろうって、どこか安心感みたいなものがある。多くの国民にとっても、実はこれがリアルな感情なのかなと思ってしまうことがあります。石破 そうすると歴史のイロハのイまで戻らないといけない。春香 そうなんですよ。結局は歴史の勉強になってしまう。戦争のネタはこの世の中いくらでもある戦争のネタはこの世の中いくらでもある石破 人類の歴史って戦争の歴史でしたよね。たまたまここ70年、世界的な大戦争が起こってないだけの話で、戦争のネタはいっぱいある。日本人は12月24日のクリスマス・イヴにクリスマスおめでとうと言い、一週間経つと大晦日で除夜の鐘を突き、その足で初詣に行くわけだから、一週間に三つの宗教行事をこなす不思議な国民なんですよ。そして私は何回聞いても、イスラムのスンニ派とシーア派のどこが違うかよく分からないんですよ。春香 なるほど。石破 同じイスラム同士で殺し合いをするわけですよね。宗教をめぐって戦は起こる。日本人が鈍感なだけのことです。領土をめぐっても戦は起こる。アルゼンチンにフォークランドを取られたら、イギリスは大艦隊を送って大戦争を起こして取り返した。民族が違っても戦争が起こる。政治体制が違っても戦争が起こる。経済間格差があれば戦争が起こる。戦争のネタっていうのは、この世の中いくらでもあります。冷戦の時代は、世界はアメリカに付くものとソ連に付くものとに大体二つに分かれました。しかしそれぞれの親分である米ソ両国は核兵器を何千発と持っていて、お互いが撃ち合ったら地球が何回滅びても足りないと分かっていたから、とても恐くて戦争なんかできないということで「冷戦」だったわけです。でもソ連が崩壊してアメリカ一強になったら湾岸戦争が起こり、イラク戦争が起こり、あっちこっちでやれ民族だ、やれ宗教だ、やれ領土だと戦が起こるようになった。なんで『今まで戦がなかったからこれからもない』なんて言えるんですか、違うでしょう。ましてや9.11以降は、国家ですらないテロリスト、テロ集団が、従来は国家にしかできなかったような大規模な破壊行為を行えるようになってしまった。大変な時代なんですよ。だからこそ、あのときから営々と政府は有事法制を整備し、テロ特措法を作り、イラク特措法を作ってやってきた。その延長線上に今回の法制はあるんです。それはリアリティがないからこそ、平和な時にやらなきゃいけない。戦争の時になって法案作っても遅いんです。白岩 日本の歴史をひも解けば、リアリティを感じた時に初めて国民が軍隊の必要性に気づいたという歴史的事実はあった。例えるなら、鎌倉時代に元寇という国難があったとき、多くの民は元の侵略を退けた武士が頼りになる存在だと実感した。自分が本当の危機にさらされない限り、それが分からないという感覚も、人間の本能というか、感情なのではないでしょうか? 『平和ボケ』って言葉で片付けてしまえばそうなのかもしれない。石破 だから、先ほど言ったように、なぜドイツが長く徴兵制を維持してきたのか、なぜ永世中立を唱えるオーストリアやスイスが徴兵制を維持しているのかを考えることが大切なんです。これらの国では、平和はみんなが努力しなければ保てないものなんだ、きれいごとの世界じゃない、ということを徹底して教え込まれている。ドイツが日本と同じ敗戦国でありながら徴兵制を維持してきたのは、軍隊は市民の中にあらねばならず、市民と軍隊が乖離したからナチスが台頭したという反省に基づき、常に軍隊は『軍人である前に市民であれ』という意識を徹底しているからです。さすがにハイテクの塊のような現代の軍隊で素人を使う徴兵制を続けるのは難しいので今は停止されていて、フランスも同じ理由で徴兵制をやめましたが、フランスには『国防の日』という制度があって、徴兵年齢に達した男女がフランスの安全保障政策や軍の考え、装備などを学ぶ。これをしないと大学の入学資格も運転免許ももらえないんですよ。これが、皆が『自由と平等と博愛の国』と言ってるフランスです。平和の憧れのスイスは徴兵制です。そういえばスイスのパンはおいしくないですよね(笑)。春香 そんな事はないと思いますよ(笑)。(瀧誠四郎撮影)石破 たぶん、おいしくないんです(笑)。これには理由があって、スイスではその年に取れた小麦ではパンを焼かないんだそうです。一年分は備蓄するからです。農林水産大臣だった時、スイスのロイタードという女性大臣と議論した時に聞きました。スイスの卵は高いんだそうです。隣のフランスから輸入すれば安く手に入るのに、スイス人はスイスの高い卵しか買わない。その理由は、フランスの卵を買ったら罰金があるとかいうわけではなくて、スイスの卵を作っている農家があってこそスイスの独立があるんだと教育しているからだそうです。国を守るのは軍隊だけの問題ではないと。春香 自分達の国を、農家を守りたいっていうことなんですね。石破 そういうことですよね。本当の話だからね、これ(笑)。こういうね、皆が憧れるスイス、皆が憧れるフランスはどうしてるんだっていうことも、もっときちんと広めるべきだと思うんです。春香 そうやって考えると、日本人とフランス人の意識も、歴史的な背景や地の利の部分もあるのかもしれないですけど、まったく違いますよね。石破 違いますね。日本人は、最後はアメリカが何とかしてくれると思ってるんじゃないでしょうか。でもアメリカだって、自国の国益に適わなければ戦わない。その時に気がついても遅いんですよ。私はそんな事態にはしたくないから、ずっとこの仕事をやってきたんです。春香 今回の安保法制の問題で言えば、アメリカが内向きな考えに変わったことで、日米同盟や日米安保が揺らいでいるという見方がありますよね。実はそういう背景もあって、安倍総理が法案成立を急いでいるという指摘はいかがでしょうか?石破 別にアメリカの力が落ちてきたからそれを補うために集団的自衛権の話をしてるわけじゃありませんよ。もしそうであれば、日本は部分的ではなく、フルスペックの集団的自衛権を認めなければ意味がないでしょうね。そうでないと論理が通りません。それだけが理由だったら、『何だアメリカの理屈かよ』って話になるでしょう。そうじゃなくて、我が国の独立と平和をこれからも維持するために必要だから成立をめざしているんです。春香 わが国の安全を守るためには、やっぱりアメリカが日本離れになってしまっては困るわけですよね。石破 同盟には、『同盟のジレンマ』っていうのがあります。『巻き込まれる危険』と『見捨てられる危険』、同盟っていうのは常にそのジレンマを抱えるものです。自分は関係ないのに相手の戦争に巻き込まれるのは嫌。でも、自分が危機に瀕しているのに見捨てられるのも嫌。どうやってそのジレンマを解消していくかが同盟のハンドリングです。それは同盟というものが、単なる紙切れ、条約一枚ではないことと同義なんですね。お互いの努力がなければ同盟関係は良好に維持できない。日本国を守ることがアメリカの利益でもあるとアメリカが思わない限り、日米同盟は継続できません。どの国も自分の利益、自国の国益が第一に決まってます。だから、集団的自衛権を限定的に認めることによって、アメリカが『やっぱり日本は守った方がいいな』と思えばそれはそれで良いこと。だけど、法案の集団的自衛権の目的はあくまでも日本国の防衛であって、同盟だけが理由ではないということです。国民がどんな議員を選ぶかにかかっている国民がどんな議員を選ぶかにかかっている春香 いまさら愚問かもしれないですけど、今回の限定的容認によるメリットとデメリット、逆に国民にとってはリスクというか、こういう事に巻き込まれてしまう危険性というのは何でしょうか?石破 メリットは、抑止力が向上して、日本がこれからも平和でいられる環境を整えられること。巻き込まれるかどうか、という議論は、本質的には同盟がもともと持っているものだから、集団的自衛権の行使と直接関係するわけではないと思います。でも状況を判断して、このままでは日本国の存立自体が危うくなる、だから集団的自衛権を行使しなければならない、となったら、最終的には議会が承認するかどうかにかかってますからね。ということは、どんな議員を選ぶかにかかっているということです。本当に軍事について見識があり、国益をきちんと認識している、そういう議員を国民が選出していれば、ただ巻き込まれるだけのような戦争に集団的自衛権を行使して参加したりはしないでしょう。春香 いくら法律が良くても、それをどういう人が操るかによって左右されるということですよね。石破 そうです。その議員を選ぶのは国民ですから、歯止めといえばそれが最大の歯止めです。猪瀬直樹さんが著書『昭和16年夏の敗戦』で書いていることは、多くの方に知っておいていただきたいと思うんです。『昭和20年夏』ではなく、『昭和16年夏』です。その昭和16年の夏に、当時の陸軍、海軍、大蔵省、外務省、内務省などの主要な官庁、日本銀行、同盟通信など主要な企業の三十代の最も優秀な人を集めて、今のザ・キャピトルホテル 東急の辺りに総力戦研究所というのを作って、内閣が今で言うシミュレーションをやらせたんです。そこで出た結論は、対米戦争は絶対に負ける、何をやっても勝てない、ゆえにいかなる理由があってもこの戦争はしてはならない、というものでした。それでも大日本帝国は対米開戦した。何故でしょうね。春香 止められなかったんですね。石破 そうです。もうここまで来たらやむを得ないと。陸軍は陸軍で、海軍は海軍で、戦争なんかできませんと言ったらもう予算をやらないと言われていた。これだけ莫大な国家予算を注ぎ込んで陸海軍を作ってきたのは何のためだと。 アメリカと戦争できない陸海軍だったら予算はやらないと。その時に陸軍大臣の東条英機が言ったと言われる言葉が残っていて、『戦は時の運。やってみなければ分からない』。だけど当時の一般国民は、日本の国力がどれほどで、アメリカの国力がどれほどかを知っていたか。春香 知らなかったですよね。石破 知らなかったですよ。むしろ言われていたのは『鬼畜米英』、アメリカは鬼だ、イギリスは獣だ、叩くべきだと。そしてアメリカなんぞは民主主義の国だから、一回最初に叩いてしまえば、怖気づいた国民が戦争反対となって和平に持ち込めるんだ、などという出鱈目を国民に教えて、二百万人が犠牲になった。(瀧誠四郎撮影)春香 そういう事態にならないためにも何が必要ですか?石破 主権者たる国民に、きちんとした情報を開示して、知識をもってもらうことです。そして感情的に煽らないことです。煽るのが一番危険ですよ。それで戦争になったのですから。春香 その当時は国民が知らなかった訳ですよね。今というか、どの状況でもそうですけど。国民がそれを正しいかどうか判断するのってなかなか容易ではないと思います。石破 だから報道機関の役割は大事なんでしょう。まっとうな情報と知識を伝えるのが報道機関の役割であって、煽る事じゃないでしょう。そこはさっきも申し上げたけれど、例えて言えば、どれだけ産経新聞をいわゆる左派の人に読んでもらうかというような努力ではないでしょうか。『煽らない』というのは、いわゆる左派でも、極端な右派でも同じことだと思います。そういう意味では、単なる感情論的な中国や韓国への反対論もそうです。中華人民共和国という国が分裂・崩壊したら、我が国もそれこそただでは済みません。しかし、経済が資本主義で政治が一党独裁という国家形態は、安定的でサステナブルなものとは言い難い。資本主義は貧富の格差を生み、権力と資本の癒着を生むものです。そうならないために一般的な資本主義国家においては福祉システムを整備して格差を縮小し、三権分立や独占禁止法など様々な手段によって権力と資本との癒着を防いでいる。果たして中国においてそれが可能なのか。中国という国家の崩壊、核兵器を持った国の分裂は、ソ連の末期を考えればどれほど危険なことか想像がつくと思います。だから政治家も含めて実務家には、中国が好きだとか嫌いだとか言う余裕はないんです。我々が考えるべきは、あの国が安定的に発展し、海外に覇権を求めず、資源と食糧を求めて海外に出ないために何ができるんだっていうことです。安全保障というのはリアリズムに徹すべきものであって、イデオロギーの世界ではないんです。

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    「立憲主義なんて知らない!」 姑息な安倍総理はやはり信頼できない

    阪口正二郎(一橋大大学院法学研究科教授)「立憲主義なんてよく知らない」?参院平和安全法制特別委員会で民主党の福山哲郎氏の質問に答えるため挙手する礒崎陽輔首相補佐官=2015年8月3日(酒巻俊介撮影) 自民党が2012年4月に発表した「日本国憲法改正草案」(以下、「改正草案」とする)を発表したが、この「改正草案」に対しては「立憲主義を理解していない」とする批判がなされた。それに対して自民党の憲法改正推進本部の事務局長にある礒崎陽輔氏は「意味不明な批判」だ、「学生時代の憲法講義では聴いたことがありません」とTwitter上で「つぶやき」物議を醸したことは記憶に新しい。礒崎氏は学部時代真面目に憲法の講義を聞いていたのかという、皮肉めいた批判がなされたが、礒崎氏が学生時代に憲法の講義を真面目に聞いていたのかどうかは大した問題ではない。本質的な問題は、自民党で「改正草案」の作成に中心的な役割を果たしたはずの人物が、「立憲主義」という概念についてよく知らないと堂々と答えたことにある。「立憲主義」をよく知らない人が憲法改正の草案を作成していることが深刻な問題である。歴史の知恵としての「立憲主義」 立憲主義には広い理解と狭い理解がある。広い意味では、立憲主義とは国家権力を法(=憲法)によって縛ることを意味する。この意味での立憲主義の起源は、中世から存在している。しかし、現在問題になる「立憲主義」とは、たんに国家権力を法によって縛ることを意味するのではなく、その場合の法(=憲法)の中味が問題となる。「立憲主義」とは、人が人であるというだけで権利(=人権)を有し、その権利は多数者の意思によってでも侵害できないということを前提とした憲法によって国家権力を縛ることを意味する。「人権」という原理は近代の産物である。その意味で、こうした立憲主義とは特に近代立憲主義と呼ばれることが多い。 近代立憲主義が生まれたきっかけはヨーロッパの宗教戦争にある。人はふつう自分が良いと思うものを他者にも勧めたがる。それは人の性である。しかもことが宗教の場合、それはたんに良いものではなく、相手を救うために強く勧める必要がある。しかし、相手が別の信仰を有している場合、それは「お節介」ではすまない。ある人にとっての信仰は別の人にとっては邪教である。それを押し付けようとすれば、弾圧になるか、弾圧に抗して闘争、そして戦争にまで発展する。異なった信仰を有する人々がどのようにすれば戦争をしないで平和的に共存することが可能か。その問いに対する答えが、信仰に関しては、可能な限り、個人が自分で決定し、みんなで決めることはしない、つまり信教の自由を保障することであった。これが、近代ヨーロッパが血塗られた宗教戦争を経て生み出した知恵である。 だが、人にとって譲れない価値は何も信仰だけとは限らない。それぞれの人にとって何が善い生き方かは異なる。信仰に一生を捧げる人生もあれば、愛する人と暮らすことが最良の人生だと考える人もいる。どの人生が最良の人生かを決めるものさしなど存在しない。そのように考えたとき、信仰に限らず誰でもが大切だと思う、生き方に関わるような価値については、「人権」という形で、可能な限り、その人が自分で決められる領域を確保し、その領域についてはみんなで決めることをしないという約束事が必要となる。この約束事が「人権」というコンセプトであり、立憲主義はそうした「人権」の保障を前提としたものとなった。 いま、世界ではこうした意味での近代立憲主義が花盛りである。1989年の東欧革命を経て社会主義体制から自由主義体制に転換した東欧諸国は、相次いで憲法を制定したが、その憲法には「人権」が刻印されている。「人権」を前提とする近代立憲主義は今ではグローバル・スタンダードである。「訣別宣言」としての自民改正草案 ところが、自民党の「改正草案」はこれとは異なった考え方に立脚している。「改正草案」は、三つの意味での「訣別宣言」だと読める。(1)個人主義からの訣別 第一は、「個人主義」からの「訣別宣言」である。そのことが、端的に見られるのは13条の条文の改正である。日本国憲法において「どの条文が一番大事だと思いますか?」と聞かれると、私は「13条だ」と答えることにしている。憲法13条は、「すべての国民は、個人として尊重される」ということを明確にした条文である。それに対して「改正草案」の13条では、巧みに「個人」というものを落としている。改正草案は「すべて国民は、人として尊重される」としており、「個人」ではなくて「人」として尊重されることに変更されている。 「個人」と「人」は、同じではないかと考える方がいるかもしれない。しかし、「個人」と「人」は異なる。「個人」は、多様で異質な存在である。それを丸ごと可能な限り保護しようというのが、現在の憲法13条があらわしている「個人の尊重」である。それに対して、「改正草案」が掲げる「人」とは、多様性ではなくて、同質性を強調するものであるように思われる。「個人」としては多様だけれど「人」としては同じであるという考え方に「改正草案」の13条は立っているように思える。社会契約論、基本的人権からの訣別(2)社会契約論、基本的人権からの訣別 第二の訣別は、国家と個人の関係に関してこれまで日本国憲法がとってきた考え方からの訣別である。日本国憲法は、いわゆる「社会契約」論に基づいている。それは、ロックやホッブズがつくった国家観で、国家がない状態を「自然状態」として想定し、そこは、「万人の万人に対する闘争」といわれるように互いの力関係が支配する状態で、安定した秩序が保てず、自由も十分に確保できない状態である。そこで、秩序を確保し自由を保障するために、みんなで契約して国家を創るというのが社会契約論である。その場合、国家はあくまでも、契約によって作られる人為的な存在であり、国家を創る最大の目的は個人の自由の確保である。しかし、一旦設けられた国家は、秩序を維持できるだけの大きな権限を持っているので、今度はそれ自体が個人にとっては大きな脅威となる。その脅威としての国家を縛ろうというのが憲法である。ここで大事なことは、国家はあくまで人為的、人工的な存在で、実体的な存在ではないということである。 ところが今回の自民党の「改正草案」前文における国家や憲法の位置づけは、それとは大きく異なっている。まず、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」であり、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」とされている。最後に、「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するために」憲法を制定すると書いてある。 これは単に人工的、人為的な国家ではなくて、長い歴史、固有の文化、伝統を持った実体的な日本国という国家であり、憲法が保障する自由とは、そうした国の国民の権利であると考えている節がある。たしかに改正草案は、「基本的人権」という言葉自体を削除しようとはしていない。ただし、ここで考えられている「基本的人権」は、社会契約論的な基本的人権、つまり1789年のフランスの人権宣言以来確立されてきた、人が人であるというだけで有する基本的人権という考え方ではなくて、固有の歴史、伝統、文化を持った日本人の権利であるように思われる。 今回自民党はこの「改正草案」のQ&Aを作成しているが、そこでは、「権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」と明記されている(Q&A14頁)。天賦人権説は、アメリカなど「神」という概念を前提とする国家では造物主によって与えられた権利を意味するが、多くの場合は「人は人であるというだけで人権を有する」という基本的人権の考え方を意味する。こうした天賦人権説を斥けて、固有の歴史、伝統、文化を持った、日本国の国民にふさわしい権利にしたいというのが自民党の狙いではないのか。 しかし、これは危険な考え方である。ここでの「日本人」というのは、日本国籍とは関係がない。日本国籍を有している、有していないに関わらず、権力の側が定義する「固有の歴史、文化、伝統」があり、それに見合った人にのみ権利は保障されるということになりそうである。権力の側にとって、「固有の歴史、文化、伝統」を共有しない人は、たとえ日本国籍を有する人であろうと、権利は保障する必要がないということになる。これが危険なことは、戦前の「非国民」というレッテルを貼っての排除と弾圧の経験を見れば明らかである。(3)普遍主義からの訣別 第三は、普遍主義からの訣別である。今回の「改正草案」は現在の日本国憲法の97条を削除している。97条では、基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」として「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」と規定されている。ここで大切なのは、基本的人権を「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」としていることである。日本だけではない、全人類が頑張って努力して獲得してきたのが基本的人権である、だからこれをきちんと継承し、保障するというのが現在の日本国憲法の立場である。改正草案で考えている基本的人権が、日本の固有の歴史、伝統、文化にのっとっているのだとすれば、普遍的な西欧の人権思想は嫌だから、97条は削除する必要があったのだろうと思われる。2012年4月27日、自民党の憲法改正草案を手に記者会見する谷垣禎一総裁(酒巻俊介撮影) 誤解を恐れずに言えば、大日本帝国憲法、すなわち明治憲法の起草者たちよりも、今度の「改正草案」を作った人たちは劣化しているように思える。それは、大日本帝国憲法の中味が、今回の「改正草案」と比べてどうこうという話ではない。そうではなく、大日本帝国憲法をつくった人たちは、かなり苦労して西欧の憲法思想を取り入れようとしたということである。それに対して、そういう努力を放棄して特殊日本に回帰しようするのが、今回の「改正草案」ではないのか。 1876年に「大日本帝国憲法を制定せよ」という天皇の勅語が出されているが、そこでは「朕爰ニ我カ建国ノ体ニ基キ広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シ以テ国憲ヲ定メントス」とされている。「国憲」というのは国の憲法のことである。大切なのは、二つのことを考えながら大日本帝国憲法をつくりなさいと天皇が勅語で命じていることである。一つは「建国ノ体」、後に「国体」と呼ばれる、特殊日本の神権天皇制である。ただし、それだけで大日本帝国憲法をつくるのではなく、もう一つの「広ク海外各国ノ成法」――これはまさに西欧近代の憲法思想に盛り込まれた普遍的原理のことである――考慮して、特殊日本と普遍的な西欧思想の両方をにらみながら憲法をつくるよう命じている。 実際に、これを受けて伊藤博文らはヨーロッパに行って、ヨーロッパの憲法を勉強して大日本帝国憲法をつくり上げる。大日本帝国憲法というのは、この二つの要素を両方取り込んだ憲法である。もちろん1931年の満州事変以降は、「建国ノ体」のほうが軍部の台頭によって強くなり、天皇制のほうが圧倒的に強くなるわけだが、「海外各国の成法」、つまり西欧近代の憲法思想が取り込まれている部分が大日本帝国憲法にはたくさんある。 このように、大日本帝国憲法は、特殊日本ということだけにこだわるのではなく、なるべく普遍的なものを入れようとした。それに比べると今回の自民党の「改正草案」は、こうした努力はしない、もうやめましょうという話だろうと思われる。 以上のような意味で「改正草案」は三つの意味での「訣別宣言」であると読むことができる。こうした「改正草案」に対して「立憲主義を理解していない」との批判がなされるのは至極当然な話である。礒崎氏が大学で何を勉強したのかは問わない。歴史が生み出した知恵である「立憲主義」がグローバル化し、広く共有されつつあるいまの世界の状況において、「立憲主義なんてよく知らない」と明言する人間が「改正草案」を作成していることは、私には悲劇としか思えない。 もっともこうした人物を憲法改正作業の中核に据えているいまの政権が、歴代内閣が堅持してきた、集団的自衛権は現在の憲法9条の下では行使しえないとの憲法解釈の変更を、憲法9条の改正というきちんとした手段によるのではなく、一内閣による憲法解釈の変更という姑息な手段に訴えて行おうとしていることは理解しやすい。安倍首相は何かにつけて、私が総合的に判断するから信じて下さいと言う。しかし国家権力は信頼できないというのが歴史の教訓であり、「人権」を基本とする立憲主義によって国家権力を縛るというのが歴史から得たわれわれ人間の知恵である。

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    「戦争法案」と叫ぶ平和ボケ論者に問う

    政府が今国会での成立を目指す安保法案をめぐり、与野党の攻防が一段と激しくなっている。国会前では「戦争法案反対」と主張する学生らのデモが続く。日本を取り巻く脅威には目を背け、まるでお経のように「護憲」と「恒久平和」を唱える人々に問いたい。もう机上の空論はやめませんか?

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    安保法制で考えておくべきこと…国会議員の安保への無知

    )肩書はいずれも当時 自衛隊の最高指揮官である総理大臣も、指揮命令をする防衛大臣も、本来ならば外交、安全保障に精通していなければいけない。しかし、当時の橋本総理は、軍事オタクと言われる石破茂元防衛大臣を上回る軍事知識を持っていたが、そんな政治家は稀だということもわかった。選挙で外交や安全保障の見識が問われない、いや、それでは票にならない。この事実は政治家にとって宿命的なものなのだ。 「シビリアン・コントロール」と称して、政治が自衛隊をコントロールするという建前にはなっているが、知識や経験のない政治家がそれをまっとうできるわけもない。実際に軍事行動を経験していない自衛隊自身も、海外で他国軍と共同でオペレーションできる能力はまだまだ不十分だし、その戦略も机上でのそれにすぎない。専守防衛を旨としているが、自衛隊も世界からみると、ある意味「軍隊」とみられてもやむをえないことを考えると、その指揮命令をこの程度の政治家にゆだねることなど危険極まりないと思ったのが、いまの私の原点なのである。 安保は、理想を語れば良いというものではない。ましてや、「机上の空論」であってもいけない。仮に理屈や論理では正しくても、現実には、その通りにいかないのも安保である。だからこそ、自衛隊の海外活動には、しっかりとした歯止めをかけなければならないのだ。 戦争というのは、言うまでもなく「人と人の殺し合い」だ。特に罪のない民衆、弱い者に悲惨な結末をもたらす。本来、ぎりぎりの外交的手段を尽くし、それでもだめなら、最終最後の手段としてやむを得ず行使されるべきものだ。そして、その場合も、「自衛権の行使(自衛戦争)」か「国連決議による場合」に限られるという、国際社会のルールにのっとらなければならない。 今年は戦後70年。あらためて苦難の人生を歩まれた先人たちに思いを致し、その上に立って幸福を享受している我々世代の責任を深く自覚し、後の世代に恥じない日本をしっかり遺していかなければならない。

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    自衛隊員の本音を聞け~災害派遣とPKO活動の現場から

    覚える。  むしろ急務なのは、“国防最前線”の自衛隊の行動についての法的基盤やROEを定め、安全保障体制を構築することではないだろうか。それこそが“普通の国ニッポン”になることではないか、と筆者は信じる。 せら・みつひろ 1959年、福岡県出身。中央大学文学部フランス語文学文化専攻卒。時事通信社を退職後、集英社フリー編集者を経て、99年に独立し現在に至る。現場第一主義でフィリピン革命や天安門事件、湾岸戦争などをはじめとして世界の紛争地を回り、ルポを発表する。著書に『世界のPKO部隊』(三修社、共著)、『坂井三郎の零戦操縦(増補版)』(並木書房)など多数。

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    「安保法案」成立で永遠に不可能になるかもしれない憲法9条改正

    古谷経衡(著述家)   「持っているが使えない」の異様さを梃子として 所謂「安保法案」が16日、衆議院を通過、参院に送られた。これにより同法案の成立は確実となった。国会の内外で喧々諤々の論争が巻き起こる中、私はこの採決の様子を万感迫る思いで見つめていた。安保法案の成立によって、日本の防衛力は着実に増強の方向にすすむだろう。2014年の集団的自衛権の憲法解釈変更と合わせて、私は一定程度、この安保法案の通過を評価する立場にある。 しかし一方で、これで憲法(9条)の改正は相当、遠ざかるだろう。いやもう永遠に無理かもしれない。そのような思いから、私は安保法案の通過を複雑な心境で見つめていた。衆院本会議で可決した「安保法案」に拍手する安倍総理と石破氏(写真:ロイター/アフロ) 「我が国は国際法上、集団的自衛権を保有するが、その行使は許されない」との政府見解が出された鈴木善幸内閣の1981年以来、約30年に亘って続いてきたこの解釈は既に述べたとおり2014年に変更された。しかし、この「持っているが使えない」という集団的自衛権に関する珍妙な解釈は、この間、憲法改正を目指す保守派(以下改憲派)にとって、「憲法9条改正の理由」として必ず引き合いに出されるロジックであった。 「集団的自衛権は、国連憲章に書いてあるように、国家が生来持つ自然権である」という自然権説を改憲派は必ず引用し、「だのに、日本がそれを行使できないというのは、異常である」と現行憲法の「特殊性・異常性」を指摘し、「異常だからこそ、憲法9条を改正するべきなのだ」と長年主張してきた。『日本人のための集団的自衛権入門』(新潮新書)の中で石破茂は、JRの座席指定券の例を出し、鈴木内閣以来の集団的自衛権解釈の「矛盾」を以下のように形容する。 あなたがJRの指定券を持って、指定された席に座っていたとします。その席に座るのは当然指定券を買ったあなたの権利であり、その権利の行使として実際そこに座っています。そこへ突然誰かがやってきて、「ここに座っているのはたしかに君の権利だが、しかし座ることは出来ないのだ。私に席を譲りなさい」と言われたとしたら、いったい何がなんだか分からなくなりはしないでしょうか。出典:『日本人のための集団的自衛権入門』(新潮新書 石破茂著 P.71) 確かに、こう言われれば明確な理論展開だ。権利の保有は行使と普通イコールと考えられるのだから、「持っているのに使えません」というのは、常識的な皮膚感覚の中では、異様な解釈のように思える。この「異様性」を強調して、「だからこそ、(異様な)憲法9条を改正するべき」という改憲派の主張には、この間、一定の説得力があったように私には思える。盛り下がる改憲機運の理由 図は、日経リサーチ社による、直近10余年における憲法改正に関する世論調査(各4月)の推移を筆者がまとめたものである(数値は全てパーセント)。これを見ても分かる通り、調査開始年の2004年(小泉内閣)時代、赤字で示した「改憲」と青字で示した「護憲」は、約2倍の開きがあって改憲派が相当優勢であった。実際には、調査方法や媒体にもよるが、概ね改憲を志向する世論は、1990年を過ぎてから一貫して護憲を上回るようになっている。 これは所謂、金だけを拠出してクウェートによる感謝状に日本の名前が載らなかった「湾岸戦争ショック」を始めとして、冷戦後の国際情勢の変化に際して世論が敏感に反応したことと、既に述べたように改憲派が現行憲法を「異様」なものであると訴え、現行憲法のままでは集団的自衛権の行使が不能であり、よって国際社会から日本が孤立化することを盛んに喧伝した効果が含まれていよう。 繰り返すように、先にあげた石破の「指定席の話」に代表されるロジックには、相応の説得力があったので、このような改憲の傾向はゼロ年代にあっても、上下はあるものの2014年の第二次安倍政権下でも強いものがあった。日経の調査によれば、最も改憲機運が高いのが2013年4月の調査であり、「尖閣諸島沖漁船衝突事件」(2010年)等に代表される「中国脅威論」などが影響していると思われる。 しかしこのような「改憲優勢」の機運は、図を見てもわかるように2015年の4月の最新調査で、僅差だがここ10数年で初めて護憲が改憲を上回った。他に各社世論調査の最新動向によると、「憲法改正不要48%、必要43%」(朝日新聞5月1日報)、「憲法改正賛成42%、反対41%」(読売新聞3月15日報)など、ここ十数年の「改憲優勢」の世論が、初めて逆転するか拮抗するかの情勢となっていることが明らかである。 つまりこの世論の動きは、「現行憲法が異様であるから、日本国憲法を改正するべきだ」という従来改憲派が繰り返して来た改憲のためのロジックが、昨今の集団的自衛権の解釈変更と、安保法案の成立により「解消された」と評価されているということだ。よりわかりやすく言えば、「現行憲法下で集団的自衛権が行使できるということになれば、わざわざ憲法を改正するまでもないのではないか」という、これまた普通の感覚で改憲派のロジックが弱体化してしまった結果なのである。「最良の時代」であり、「最悪の時代」でもある これまで護憲派は、主に「現行憲法を変える必要はない。なぜなら、解釈改憲でこれまでも通用してきたからだ」と改憲派を牽制してきた。それに対して改憲派は、「解釈改憲では限界がある。例えば集団的自衛権があるではないか」と、反論してきた。今回、安保法案が成立したことで改憲派は集団的自衛権を担保とした改憲ロジックを事実上、封印されたことになる。憲法を変えないまま、集団的自衛権の解釈を変更し安保法制が成立したとなれば、「何のために憲法を変えるのか」という疑問に抗しきれない。 先に引用した石破は、「現行憲法下で集団的自衛権の解釈変更は可能だ(2014年2月)」と明言し、「集団的自衛権の行使の根拠は憲法ではなく、政策判断にすぎない」として、(集団的自衛権の行使を)憲法にその根拠を求めてしまったこと自体が誤りではなかったのでしょうか。憲法9条のどこを読んでも、「集団的自衛権は行使できない」という理論的根拠を見出すことは出来ません。そもそも解釈が間違っている、いない、という論争ではなく、これは政策判断であったのだとすれば、何も憲法を改正しなくても行使は可能となるはずだ、と私は考えています。出典:前掲書P.78、括弧内筆者 としている。確かに、石破の指摘通り政策判断にすぎないとなれば憲法改正の必要性はない。しかし、長年改憲派が依拠してきた憲法改正の重要な根拠は、「持っているのに行使できない」という政府の憲法解釈を日本国憲法の異様性に結びつけることで成り立っており、その部分が達成された(解消された)となると、いみじくも石破の指摘の通り「何も憲法を改正しなくとも…」という結論に達し、改憲機運は弱まるのは自然だ。 改憲派は憲法9条によって日本が手足を縛られ、冷戦後の国際環境下では日米同盟にヒビが入り、日本の存立をも危うくなることを盛んに喧伝して憲法改正を訴えてきた。今回の安保法制の通過(成立)によって、改憲派が唱えていた最大の理論的支柱が失われ、憲法改正の国民的機運は急速に衰えているのは既に示したとおりである。むろん、政府は集団的自衛権の解釈変更と安保法制の成立をもってしても、「憲法9条の縛り」があることを強調しているが、その理屈は相対的に弱まってしまうのは必然だ。 「戦後レジームからの脱却」を掲げ、その最大の争点を岸総理からの「憲法改正(自主憲法制定)」として捉えてきた安倍総理と改憲派にとって、今回の安保法制は実質的な意味では憲法改正に近いものであるが、名目的には却って、憲法改正が著しく遠ざかったことを意味する。 安倍総理は就任翌年、「96条の改正」(改憲要件緩和)を目指したが肝心の改憲派・保守層からも批判にさらされ、参議院選挙の争点とすることを断念した。思えばこの時に既に、安部総理は、名目上の憲法改正を断念していたのかもしれない。 「憲法9条改正」は、自民党にとって、保守派にとって、最大の悲願であり目標であった。それは現在も変わっていないものの、実質を取って名目を捨てた(ように思える)安倍政権は、「中国の脅威が増す中で、やむを得ない現実主義」と形容されるのか、はたまた「永遠に憲法改正の可能性を摘んでしまった」と形容されるのかは、後世の歴史家の評価に委ねられるだろう。 しかし私流に、現在という時代を観測すれば、それはディケンズの『二都物語』の言葉を借りて次のように評するよりほかない。 「それは(保守派にとって)最良の時代であり、また最悪の時代であり…」

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    なぜ憲法学者は「集団的自衛権」違憲説で一致するか?  

    PAGEより転載) 憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授と小林節・慶応大名誉教授が、衆院憲法審査会で安全保障関連法案を「違憲」と指摘した。長谷部教授は「95%を超える憲法学者が違憲だと考えているのではないか」とも語る。憲法学者による疑義に対し、菅官房長官は、「安保法制を合憲と考える学者もたくさんいる」と反発したが、後日、「数(の問題)ではない」と述べ、事実上前言を撤回した。そもそも、なぜ圧倒的多数の憲法学者が集団的自衛権を違憲と考えるのだろうか。憲法が専門の木村草太・首都大学東京准教授に寄稿してもらった。1.集団的自衛権はなぜ違憲なのか 6月4日の憲法審査会で、参考人の憲法学者が集団的自衛権行使容認を違憲と断じた。このことの影響は大きく、政府・与党は釈明に追われている。もっとも、集団的自衛権行使容認違憲説は、ほとんどの憲法学者が一致して支持する学界通説である。まずは、「なぜ学説が集団的自衛権違憲説で一致するのか」確認しておこう。 日本国憲法では、憲法9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。このため、外国政府への武力行使は原則として違憲であり、例外的に外国政府への武力行使をしようとするなら、9条の例外を認めるための根拠となる規定を示す必要がある。 「9条の例外を認めた規定はない」と考えるなら、個別的自衛権違憲説になる。改憲論者の多くは、この見解を前提に、日本防衛のために改憲が必要だと言う。 では、個別的自衛権合憲説は、どのようなロジックによるのか。憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。 つまり、政府には、国内の安全を確保する義務が課されている。また、国内の主権を維持する活動は防衛「行政」であり、内閣の持つ行政権(憲法65条、73条)の範囲と説明することもできる。とすれば、自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される。これは、従来の政府見解であり、筆者もこの解釈は、十分な説得力があると考えている。 では、集団的自衛権の行使を基礎付ける憲法の条文は存在するか。これは、ネッシーを探すのと同じくらいに無理がある。国際法尊重や国際協調を宣言する文言はあるものの、これは、あくまで外国政府の尊重を宣言するものに過ぎない。「外国を防衛する義務」を政府に課す規定は、どこにも存在しない。 また、外国の防衛を援助するための武力行使は、「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になるだろう。ところが、政府の権限を列挙した憲法73条には、「行政」と「外交」の権限があるだけで「軍事」の規定がない。政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう。 つまり、日本国憲法の下では、自衛隊が外国の政府との関係でなしうる活動は、防衛行政としての個別的自衛権の行使と、外交協力として専門技術者として派遣されるPKO活動などに限定せざるを得ない。 以上のように、個別的自衛権すら違憲と理解する憲法学者はもちろん、個別的自衛権は合憲と理解する憲法学者であっても、集団的自衛権の行使は違憲と解釈している。憲法学者の圧倒的多数は、解釈ロジックを明示してきたかどうかはともかく、集団的自衛権が違憲であると解釈していた。さらに、従来の政府も集団的自衛権は違憲だと説明してきたし、多くの国民もそう考えていた。だからこそ、集団的自衛権の行使を容認すべきだとする政治家や有識者は、改憲を訴えてきたのだ。2.集団的自衛権を合憲とする人たちの論拠 これに対し、政府・与党は、従来の政府見解を覆し、集団的自衛権の行使は合憲だといろいろと反論してきた。その反論は、ある意味、とても味わい深いものである。記者会見で安全保障関連法案の廃案を求める声明を発表した「国民安保法制懇」の憲法学者ら=2015年7月13 日午後、東京・内幸町 まず、菅官房長官は、6月4日の憲法審査会の直後の記者会見で、「全く違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいる」と述べた。しかし、解釈学的に見て、集団的自衛権を合憲とすることは不可能であり、合憲論者が「たくさん」と言えるほどいるはずがない。もちろん、合憲論者を一定数見つけることもできるが、それは、「ネッシーがいると信じている人」を探すのは、ネッシーそのものを探すよりは簡単だという現象に近い。数日後の報道を見る限り、菅官房長官は発言を事実上撤回したと言えるだろう。 ちなみに、合憲論者として政府・与党が名前を挙げた人のほとんどは、憲法9条をかなり厳格に解釈した上で、「許される武力行使の範囲が狭すぎる」という理由で改正を訴えてきた人たちである。改憲論の前提としての厳格な9条解釈と集団的自衛権行使合憲論を整合させるのは困難であり、当人の中でも論理的一貫性を保てていない場合が多いだろう。 また、合憲論の論拠は、主として、次の四つにまとめられるが、いずれも極めて薄弱である。 第一に、合憲論者は、しばしば、「憲法に集団的自衛権の規定がない」から、合憲だという。つまり、禁止と書いてないから合憲という論理だ。一部の憲法学者も、この論理で合憲説を唱えたことがある。しかし、先に述べたとおり、憲法9条には、武力行使やそのため戦力保有は禁止だと書いてある。いかなる名目であれ、「武力行使」一般が原則として禁止されているのだ。合憲論を唱えるなら、例外を認める条文を積極的に提示せねばならない。「憲法に集団的自衛権の規定がない」ことは、むしろ、違憲の理由だ。 第二に、合憲論者は、国際法で集団的自衛権が認められているのだから、その行使は合憲だという。昨年5月にまとめられた安保法制懇の報告書も、そのような論理を採用している。しかし、集団的自衛権の行使は、国際法上の義務ではない。つまり、集団的自衛権の行使を自国の憲法で制約することは、国際法上、当然合法である。国際法が集団的自衛権の行使を許容していることは、日本国憲法の下でそれが許容されることの根拠にはなりえない。 第三に、「自衛のための必要最小限度」や「日本の自衛の措置」に集団的自衛権の行使も含まれる、と主張する論者もいる。憲法審査会でも、公明党の北側議員がそう発言した。しかし、集団的「自衛権」というのがミスリーディングな用語であり、「他衛」のための権利であるというのは、国際法理解の基本だ。それにもかかわらず「自衛」だと強弁するのは、集団的自衛権の名の下に、日本への武力攻撃の着手もない段階で外国を攻撃する「先制攻撃」となろう。集団的自衛権は、本来、国際平和への貢献として他国のために行使するものだ。そこを正面から議論しない政府・与党は、「先制攻撃も憲法上許される自衛の措置だ」との解釈を前提としてしまうことに気付くべきだろう。 第四に、合憲論者は、最高裁砂川事件判決で、集団的自衛権の行使は合憲だと認められたと言う。これは、自民党の高村副総裁が好む論理で、安倍首相も同判決に言及して違憲説に反論した。しかし、この判決は、日本の自衛の措置として米軍駐留を認めることの合憲性を判断したものにすぎない。さらに、この判決は「憲法がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と述べるなど、自衛隊を編成して個別的自衛権を行使することの合憲性すら判断を留保しており、どう考えても、集団的自衛権の合憲性を認めたものだとは言い難い。3.「まさか」の展開 このように、政府・与党の要人の発言は、不自然なほど突っ込みどころに溢れている。なぜ、こんな穴だらけの議論を展開するのだろうか。本当に日本の安全を強化するために法案を通したいなら、「集団的自衛権」という言葉にこだわらずに、「個別的自衛権」でできることを丁寧に検証していけばいいはずだ。 まさか、わざと穴のある議論を展開し、「国内の反対」を理由にアメリカの要請を断ろうと目論んででもいるのだろうか。なんとも不可解だ。 ちなみに、集団的自衛権を行使する要件とされる「存立危機事態」の文言は、憲法のみならず、国際法の観点からも問題がある。 国際司法裁判所の判決によれば、集団的自衛権を行使できるのは、武力攻撃を受けた被害国が侵略を受けたことを宣言し、第三国に援助を要請した場合に限られる。ところが、今回の法案では、被害国からの要請は、「存立危機事態」の要件になっていない。もちろん、関連条文にその趣旨を読み込むこともできなくはないが、集団的自衛権を本気で行使したいのであれば、それを明示しないのは不自然だ。 まさか、法解釈学に精通した誰かが、集団的自衛権の行使を個別的自衛権の行使として説明できる範囲に限定する解釈をとらせるために、あえて集団的自衛権の行使に必要とされる国際法上の要件をはずしたのではないか。 そんな「まさか」を想定したくなるほど、今回の法案で集団的自衛権の行使を可能にすることには無理がある。こうした「まさか」は、山崎豊子先生の小説なみにスリリングで楽しいのだが、これを楽しむには、あまりに専門的な法体系の理解が必要だ。そんなものを国民が望んでいるはずはない。いや、国民は、それもすべて承知の上で、憲法学者の苦労を楽しんでいるのか? やれやれ。 いずれにしても、これだけは憲法学者として断言しよう。「個別的自衛権の範囲を超えた集団的自衛権の行使は違憲です。」きむら・そうた 1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『憲法学再入門』(西村裕一先生との共著・有斐閣)、『未完の憲法』(奥平康弘先生との共著・潮出版社)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(大澤真幸先生との共著・NHK出版新書)などがある。

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    「戦争法案反対」は戦争したい国の思う壺

    まで「切れ目のない安保法制」と呼ばれてきた。正確には「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制」。安倍晋三政権は「その整備について」昨年七月一日、閣議決定した。それが「平和安全法制」となり、名称から「保障」が消え、「平和」がついた。「戦争法案」とレッテルを貼られたからであろう。ちなみに護憲派が問題視する「集団的自衛権」の6文字はどの条文にもない。 英語のsecurityは、ラテン語のsecuritasが語源であり、本来の意味は「安全保障」でも「安全」でもなく「安心」である。「《古》過ぎた安心、油断」の意もあり(『リーダーズ英和辞典(第3版)』研究社)、シェイクスピア劇『マクベス』では「(油断)大敵」と使われた。国連の「Security Council」を日本は「安全保障理事会」と訳すが、中国語では「安全理事会」。等々を詳述した拙著『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)をお読みくださり、「安全保障法制」から「保障」を削除したなら著者として光栄だが、たぶん「戦争法案」に対抗しただけであろう。 動機はともかく残念な名称である。本来のキーワードは「切れ目のない」。語源は「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)。そのキーワード「シームレス(seamless)」を、日本政府が「切れ目のない」と訳した。憲法9条以下、関連法制は英語で論じたほうが分かりやすい。 シーム(seam)がないからシームレス。シームとは「縫い目、継ぎ目」。「弱点、隙」との意味もある(前出辞典)。それがない。つまり「縫い目のない」「継ぎ目のない」「一体となった」「スムーズな」「完璧な」状態を差す(同前)。「切れ目のない」と言ってもよい。 逆に言えば、現行法制には「切れ目」があり、スムーズな対応ができない。日本防衛上も隙があり、それが弱点となっている。だから切れ目をなくしてシームレスな対応を可能とする安保法制を整備する。政府与党は今年四月まで、そう説明してきた。 ところが、出来た法案はどうか。名実とも「切れ目のない安全保障法制」ではなかった。安全保障関連法案の可決について報じる2015年7月16日付の中国各紙(共同) 政府資料「『平和安全法制』の概要」の副題「我が国及び国際社会の平和及び安全のための切れ目のない体制の整備」には、辛うじて「切れ目のない」というキーワードは副題で残されたものの、「法制」ではなく「体制」と書かれた。想像できる理由は単純。グレーゾーン事態における「切れ目のない」対応を可能とするための法整備が見送りとなったから。法案すらなくなったのに、「法制」とは呼べない。そういう次第であろう。 法整備を断念した政府はどうしたか。 今年五月十四日、平安法案に加え、グレーゾーン事態についての対処を閣議決定した。要点は「治安出動・海上警備行動等の発令手続の迅速化」。これにより「電話等により各国務大臣の了解を得て閣議決定を行う」ことができるようになった。電話しても「連絡を取ることができなかった国務大臣に対しては、事後速やかに連絡を行う」。それでよしとされた。 皮肉を込めて護憲派に問う。以上は閣議の軽視ではないのか。「内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする」と明記した内閣法4条が空文化する。文民統制が形骸化する。「いつか来た道」だ。立憲主義に反する。なぜ、そう批判しないのか。「こんな大事なことを一内閣の閣議決定で決めてよいのか」となぜ、いつもの調子で非難しないのか。 グレーゾーン事態は存立危機事態(集団的自衛権)より生起する蓋然性が格段に高い。にもかかわらず、野党や一部マスコミは後者ばかり論じている。これで「切れ目のない体制」? 政府与党にも問う。電話閣議や事後連絡で「発令手続の迅速化」を図るのではなく、「領域警備法」を制定し、平時から自衛隊に領域警備の任務と権限を付与すべきではなかったのか。憲法上の要請に加え、そのほうが実務上の要請にも叶う。なぜなら電話閣議の時間すら致命傷となり得るからだ。 さらなる問題は「治安出動・海上警備行動等の発令」後である。海警行動が発令されると、海上保安庁法20条2項が適用され(自衛隊法93条)、武器使用権限が拡大する。ただし同条は武器使用の対象となる「外国船舶」について「軍艦及び各国政府が所有し又は運航する船舶であつて非商業的目的のみに使用されるものを除く」と明記する。 したがって日本領海を・有害航行・する中国の軍艦は適用除外。つまり武器を使用できない。警告射撃も許されない。いくら発令手続を迅速化しても武器を使えない以上、対処には限界がある。潜没航行する中国潜水艦も同様である。日本政府の方針は、海警行動発令後「自衛隊が当該潜水艦に対して、海面上を航行し、かつその旗を揚げる旨要求すること及び当該潜水艦がこれに応じない場合にはわが国の領海外への退去要求を行う」。それはよいが、海自の「要求」に応じない中国原潜に、どう対処するのか。 同様の疑問は中国の「海警」にも当てはまる。「外国政府が所有し又は運航する船舶」である以上、前記条文により武器使用できない。これでも「切れ目のない体制」と呼べるのだろうか。 中国「海警」を含め、想定されるグレーゾーン事態の相手は「警察」かもしれない。ならば当方も、一義的に警察や海上保安庁が対処することになる。政府がいう「切れ目のない体制の整備」には、法整備に加え、海保を含む警察力を向上させていく必要がある。そうしないと警察力と防衛力の間に「切れ目」が残ってしまう(自衛隊の能力を下げれば、切れ目はなくなるが、それでは本末転倒)。 だが他ならぬ日本の法律が、それを阻んでいる。たとえば海上保安庁法。「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」(25条)。憲法9条に配慮した条文であろう。本来こうした条文もすべて改正すべきであった。たとえば「国家安全保障基本法」を制定して。 そもそも国際法上、軍艦や政府船舶は「いずれの国の管轄権からも完全に免除される」(国連海洋法条約)。それを「警察権」(法執行権)で対処しようとするから無理が生じる。国際法上は警察権ではなく「自衛権」として説明しないと、警告射撃以上の措置は取れない。同様に今回、自衛隊による邦人救出も警察権と説明され、「領域国政府の同意」がある場合に限られた。「同意」が得られない場合、平安法は邦人を見殺しにする。 治安出動時も同様である。警察官の武器使用は(有名な)警察官職務執行法7条が適用されるが、自衛官は加えて隊法90条が適用されるため鎮圧などの権限が拡大する。治安出動時に警察官の武器使用を、今後も平時と同じ要件で縛る合理的な理由はなにか。ぜひ聞かせてほしい。 それだけではない。新たに制定される「国際平和支援法」により自衛隊を派遣する際には例外なき事前の国会承認が必要となった。公明党の要求に自民党が屈した結果である。政治に妥協や譲歩は不可避だが、今回は一線を越え、筋を曲げた。私はそう懸念する。 国会閉会中や衆院が解散されている場合、迅速に対応できない。どうしてもタイムラグが生じる。対応に「切れ目」が生まれる。特措法制定に伴う「切れ目」をなくすべく一般法(恒久法)として国際平和支援法を整備するはずだったのが、連立与党やマスコミ世論に屈し「歯止め」を設けた結果、「切れ目」が残った。そういうことであろう。平和ボケの批判/現場の不満平和ボケの批判/現場の不満 護憲派が問題視する「重要影響事態」も例外でない。彼らは「周辺」という言葉が外れ、地球の裏側まで自衛隊が「後方支援」で派兵されると非難するが、元々「周辺」は地理的概念ではない。彼らの「懸念」は無視し、実務上の懸念を挙げよう。 現行の「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律」は「重要影響事態等に際して実施する船舶検査活動に関する法律」に改正される。弾薬提供が可能になるなど、現行法制よりは多少ましだが、依然として抜本改正とは程遠い。 たとえば、現行法の「別表(第五条関係)」は改正されない。ゆえに「乗船しての検査、確認」できる船舶は「軍艦等を除く」。しかも「当該船舶の停止を求め、船長等の承諾を得て」からしか乗船検査できない。 相手が停船の「求め」に応じない場合どうするか。法は「これに応じるよう説得を行うこと」。なら「説得」に応じない場合どうすべきか。現行法すなわち平安法が許すのは「説得を行うため必要な限度において、当該船舶に対し、接近、追尾、伴走及び進路前方における待機を行うこと」。警告射撃すら許されない。法改正が検討されたが、公明党が難色を示し、実現できなかったという。 そもそも「国家安全保障基本法」の制定を主張してきた自民党が、公明党の要求に譲歩を重ねた結果が現在の有り様である。膨大な平安法案となり、「重要影響事態」や「存立危機事態」など新概念が乱立している。 善かれあしかれ「右向け、右」や「撃て」といった簡潔な命令で動く自衛隊を規律すべき法制度としては複雑に過ぎよう。すでに現場からは戸惑いの声が出ている。今後、現場は混乱するに違いない。とくに「事態」が重なるケースや、ある「事態」から別の「事態」に秒単位で移行するケースで混乱する。どちらのケースも十分あり得る。 要するに「撃ってよいのか」。それが明示されなければ現場は必ず逡巡する。たとえ「撃て」と言われても、月村了衛著『土漠の花』(幻冬舎)が描いた通り、逡巡する隊員も少なくあるまい。だからこそ、法律要件を具体化した「ROE(交戦規定・武器使用基準)」を策定する必要がある。そのためにも国会質疑で法律要件を具体化すべきなのに、「平和主義に反する、立憲主義に反する」といった(質問ならぬ)結論ありきの主張だけが繰り広げられている。「戦争法案」と叫ぶわりには、平和ボケした間抜けな連中ではないか。 いわゆる集団的自衛権の行使要件も世界で最も厳しい。一言で評すれば、×(違憲)との憲法解釈を、△(限定容認)に変更しただけ。自国軍の活動を、ここまで厳格に縛っている法令が海外にあるだろうか。 私がくだす安保法制への評価は△である。決して◎でも、○でもないが、少なくとも×ではない。「ないよりはマシ」。この春にそう「夕刊フジ」の連載に書いた。だが、その評価すら甘いのかもしれない。「○なら欲しいが、△なら要らない」――それが現場の本音である。すでに「こんな法制なら要らない」と不満が漏れ出した。「ないほうがマシ」と断言した幹部もいる。こんな平和安全法制に誰がした。結局「歯止め」が増えただけではないか。私は悔しい。 この程度の平安法なのに「戦争法案」と誹謗する政党がある。朝日新聞も「国際平和支援法」という名称には「戦争支援という実態を糊塗する意図があるのではないか」と勘ぐった(4月16日付社説)。 だが、集団安全保障措置(としての協力支援)は「戦争(支援)」ではない。それどころか国連憲章上の責務でもある(25条)。朝日社説は「なにより、自衛隊の海外派遣は慎重であるべきだ」とも書いたが、国際法上の義務に「慎重であるべき」と主張する感覚は真っ当でない。名実とも権利である集団的自衛権とは話が違う。相変わらず両者の違いを理解していない。南シナ海は、今そこにある危機 閣議決定翌朝の朝日一面ヘッドラインは「政権 安保政策を大転換」(5月15日付)。毎日も「安保政策 歴史的転換」。NHKも「戦後日本の安全保障政策の大きな転換」と報じた。およそ同じ法案を読んだ人間の評価とは思えない。以上のどこが「大転換」なのか。彼らは平気でウソをつく。昨年来その姿勢に変化はない(拙著『ウソが栄えりゃ、国が亡びる――間違いだらけの集団的自衛権報道』ベストセラーズ)。 最近では、五月二十日付朝日社説が「南シナ海問題―安保法制適用の危うさ」と題し、南シナ海で「将来的に海上自衛隊が警戒監視活動を担う可能性がある」と書いた。社説の最後を「万が一にも軍事衝突にいたれば、日中両国は壊滅的な打撃を被る。その現実感を欠いた安保論議は危うい」と締めた。その限りで大きな異論はない。事実すでに米海軍第7艦隊のトーマス司令官や太平洋軍のハリス司令官が海自の警戒監視活動へ期待を表明した。六月下旬には、南シナ海で海自とフィリピン軍による初の本格的な共同訓練がある。 さて実際に海自が南シナ海で警戒監視活動を行えば、どうなるか。間違いなく中国は対抗措置をとるだろう。まず「中国の軍事警戒区域から出て行け」と脅す(今春、米軍機にそう明言した)。パイロットの視界を奪うべく強い光を当てる(フィリピン機に実行した)。その他、危険な近接飛行や火器管制レーダー照射(ロックオン)等々(両者とも中国に前科があり、被害者は自衛隊)。それらを「軍事衝突」と呼んでいいなら、その確率は「万が一」どころか確実である。 ただ現状、南シナ海に派遣し、常続的に警戒監視するのは、海自哨戒機P3―Cの航続距離を考えれば容易でない。他方、海賊対処の部隊を含め海自艦艇は南シナ海を航行している。その際、わざと速度を落とす。漂泊する。停泊する。護衛艦から哨戒機を発艦させる…等々なら比較的容易である。 かりに海自がそうすれば、中国側はどうするか。中国は南シナ海にも防空識別区を設定し、当局の指示に従わなければ、防御性緊急措置をとる方針であろう。実際にスクランブル発進するつもりなのか。先日、人民解放軍(中国軍)の将官らに聞いてみた。案の定、対抗措置を否定しなかった。そのとき軍事的な緊張は一気に高まる。北京の天安門前をパレードする中国人民解放軍の女性兵士=9月3日(共同) いたずらに脅威を煽っているのではない。中国外務省の陸慷報道官は六月十六日、南シナ海の南沙諸島で中国が進めてきた浅瀬の埋め立てが「近く完了する」と会見した。翌週アメリカで開催される米中戦略対話や九月の習近平国家主席訪米を睨み、沈静化と同時に既成事実化を図った発言であろう。中国紙「環球時報」は「アメリカが埋め立て停止を求めるなら、一戦は避けられない」と強硬姿勢を露わにしていた(5月25日付)。その中共政府が、自衛隊の警戒監視を容認するはずがない。解放軍は確実に対抗措置をとるであろう。 日本政府はどうするつもりなのか。これも防衛大臣に聞いてみた。答えは「警戒監視を行なうかは、『防衛省の所掌事務の遂行に必要な範囲』かどうかという観点で決められる」。中谷元大臣は「具体的な計画はない」とする一方「今後の課題と認識しています」と語った(「Voice」四月号)。つまり海自が南シナ海で警戒監視する可能性を否定しなかった。中国は埋め立てが完了すれば軍事基地建設に動く。この問題こそ「今そこにある危機」ではないだろうか。 以上を前提として、先の社説に話を戻す。問題は朝日がこう書いたことだ。「政府は今回の安保法制で周辺事態法から『周辺』の概念を外す抜本改正をめざしており、重要影響事態法という新しい枠組みの中では、南シナ海も適用対象となる」何でも安倍総理のせい?何でも安倍総理のせい? くどいようだが「周辺」を外しても警告射撃すらできない。それを「抜本改正」と呼べるのか。百歩譲って、そこは立場の違いと認めてもよい。視点が違えば、見える風景も変わる。私が許せないのは、朝日ら護憲派が南シナ海問題を「今回の安保法制」として論じていることだ。 朝日は「将来的に海上自衛隊が警戒監視活動を担う可能性がある」というが、防衛大臣が認めたとおり、現行の防衛省設置法を根拠に「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究」(4条)として、いつでも活動できる。現に今も東シナ海などで警戒監視している。 かつて9・11の同時多発テロ直後、横須賀から出港する米空母を、海自の護衛艦が名実とも・護衛・したが、その際の法的根拠もこの「調査研究」名目だった。これに「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる」と明記した自衛隊法95条の「武器等の防護のための武器の使用」を併用すれば、選択肢は際限なく広がる(かもしれない)。当時そう朝日新聞紙上で、「歯止めのない拡大解釈につながる危険がある」と批判したのは他ならぬ私である(2001年9月25日付)。 朝日陣営が一貫して、そう批判し続けてきたのなら咎めないが、今や誰もそうは批判しない。他方で存立危機事態(集団的自衛権)や重要影響事態の「危険」は言い続ける。「立憲主義や平和主義が揺らぐ」と批判する。それは、いかなる理由からなのか。 想像できる理由は一つ。そもそも現行法制を理解していないから。証拠を加えよう。 五月二十六日の「報道ステーション」(テレビ朝日)は「国の形を変える論戦が始まった」と国会審議を報じた。コメンテーターの立野純二・朝日新聞論説副主幹が「平和主義の原則を変える重要な法案なのに説明があらっぽい」など定番の独演をしたが、問題は中国の国防白書を報じた次のコーナー。立野副主幹がこうコメントした。「この安保法制が出来た後に自衛隊が南シナ海の警戒監視に行くことになるかもしれません。その際にもし米軍の艦船に攻撃があったら自衛隊はどうするんでしょうか。その米艦船を守るんでしょうか。そうなれば南シナ海の米中の衝突に日本が巻き込まれるという可能性は十分ある。こういったことも論議してほしい」南シナ海の南沙諸島にあるスービ礁=2015年8月1日撮影(デジタルグローブ提供・ゲッティ=共同) 六日前の朝日社説(前出)は、彼が書いたのかもしれない。どちらにせよ、間違っている。「この安保法制が出来た後」どころか、廃案になっても、自衛隊が南シナ海の警戒監視に行くかもしれない。そうなれば、「米艦船を守る」前に、中国軍の威嚇や挑発を受ける。それは「米中の衝突に日本が巻き込まれるという可能性」より、桁違いに大きな蓋然性である。なぜ、そのリスクは黙認するのか。頼むから、何でもかんでも、平安法の問題にするのは止めてほしい。 あと二例だけ挙げよう。「安保法制国会―リスクを語らぬ不誠実」と題した五月二十八日付朝日社説はこう書いた。「戦闘現場になりそうな場合は休止、中断し、武器を使って反撃しながらの支援継続はしないと説明するが、休止の判断は的確になされるか、それで本当に安全が確保されるのか」 一般論なら右の疑問はあり得る。ただし平安法(固有)の問題ではない。なぜなら現行の周辺事態法や過去の特措法にも当てはまるからである。たとえばイラク派遣でも。逆に言えば「リスクを語らぬ不誠実」は派遣当時の小泉純一郎内閣にも当てはまる。同様に、その前日付朝日社説「真価問われる国会―なし崩しは認められない」もこう書いた。《不意を突く砲撃や仕掛けられた爆弾などによる被害を百%防ぐことなど不可能ではないか。前線の他国軍を置いて自衛隊だけが「危ないので帰ります」などと本当に言えるのだろうか》 これも現行法や過去の特措法に当てはまる疑問である。いいかげん、何でもかんでも、平安法の問題にするのは止めてほしい。学者よりも現場の声を彼らに誇りを! 護憲派は重要影響事態や存立危機事態のリスクは喧伝するくせに、なぜか国連PKOのリスクは語らない。日本人警察官の犠牲者が出たにもかかわらず。多数の外国軍人が犠牲になってきたにもかかわらず。 私は自衛隊派遣に反対しているのではない。逆である。高いリスクがあるからこそ、民間人でも警察官でもなく、自衛隊を派遣すべきなのだ。今までもリスクはあったし、今もある。たとえば南スーダンPKOや海賊対処の現場において。 そもそも武器弾薬を扱うのだ。常にリスクはある。それなのに、野党やマスコミは、存立危機事態(や重要影響事態)のリスクばかり言いつのる。対照的に政府はリスクを正面から認めない。マスコミには左右両極の元自衛官ばかり登場する。いつも現場は置いてきぼりだ。 もはや報道はどうでもいい。与野党の全国会議員に直訴する。 国会で憲法学者の話を聞く暇があるなら、一度でいいから現場の声も聴いてほしい。できれば、日米が一体化している現場を見てほしい。憲法学者や法制局の「一体化論」が無意味だと分かるはずだ。 平安法案を閣議決定した五月十四日の会見で(テレビ朝日の足立)記者の質問を、総理はこうかわした。「PKO活動(略)を広げていくという、新たな拡大を行っていくということではない。(略)南シナ海における件におきましては、これは全く私も承知しておりませんので、コメントのしようがないわけであります。そしてまた、例えばISILに関しましては、我々がここで後方支援をするということはありません。これははっきり申し上げておきたいと思います」 すべて本心から出た言葉なのか。今後PKO活動は拡大しないのか。南シナ海の件を本当に知らなかったのか。対ISIL作戦の後方支援すらしないのか。万一そうだとしても、なぜそう「はっきり」言う必要があったのか。正直まるで理解できない。以上すべて高いリスクを伴う活動だからなのか。ならば、総理の姿勢は間違っている。リスクを認め、活動の意義を説くべきだ。国民にも部下隊員にも率直に。たとえば以下のごとく。「建軍の根幹である犠牲的精神、すなわち、名誉ある犠牲心はわれわれの美的概念とも道徳的概念ともきわめてよく合致する。それゆえに、哲学も宗教もこの概念を常に理想としてきた」「今こそ、精鋭の軍人は自らの重き使命を自覚し、戦いの一事に専念し、頭をあげ、高い理想を見つめる時である。剣の刃先を鋭く研ぎすますために今こそ、精鋭の軍人は己にふさわしい哲学をうちたてる時である。そうすれば、そこから、より高次の展望と、自らの使命に対する誇りと国民の尊敬が生まれてくる。栄光の日の訪れを待つ、有為の人士が手にする唯一の報酬は、この誇りと国民の与える尊敬だけである」(シャルル・ド・ゴール『剣の刃』文春学藝ライブラリー) 宰相が語るべきは「平和」でも憲法論でもない。それらは役人や学者に任せておけばよい。最高指導者が語るべきは右のような「理想」や「哲学」である。日本には戦後一貫それがない。 総理は部下隊員に「報酬」を与える責務がある。「誇りと国民の尊敬」という報酬を。それがなければ、誰がどんな法整備をしても空しい。安倍総理なら、できるはずだ。うしお・まさと 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程修了)、長官官房などを経て3等空佐で退官。現在、東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)も務める。   

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    文化人になり損ねた「進歩的大衆人」なる新しい妖怪

    著者 田中一成(東京都) 今から半世紀前、論壇で進歩的文化人という“妖怪”が跋扈(ばっこ)していた。その知的な雰囲気やソフト語り口で、若者から絶大な支持を得たのである。彼らはソ連共産主義に迎合し、日本の独立を妨げる非現実的な全面講和を説いた。竹内洋氏の『メディアと知識人』によるとその系譜には2つあって、丸山真男東大教授に代表される官学知識人と、評論家の清水幾太郎などのメディア知識人だという。両者は60年安保反対闘争で挫折して官学知識人は研究室へ撤退し、メディア知識人の一部は転向して保守の旗手になった。メディア知識人の悲劇は「いつもウケていたいという宿痾(しゅくあ)」があり、良心的ポーズでコメントを連発するテレビ文化人の今に通じる。いや、巷(ちまた)では、文化人になり損ねた「進歩的大衆人」というそうだ。進歩的大衆人の病理は政治家にもあって、うつろいがちな「民意」をタテにポピュリズム政治を積み上げていく。民主党の鳩山・菅氏や社民党の福島氏に見られる「ウケていたい症候群」につながるのである。大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長 以前に野田佳彦政権は「原発ゼロ」を打ち出しながら、非現実性がつぎつぎに露呈してエネルギー・環境戦略の閣議決定を見送った。原発ゼロを目標にしてみたが、経済への影響や、立地自治体や海外との信頼関係を失う懸念から、戦略そのものの破綻を危惧したのだ。この「原発ゼロ」の理想論を聞くと、普天間飛行場の移転先を「最低でも県外に」との幻想を振りまいた鳩山由紀夫政権の悪夢が思い出される。普天間周辺が市街化して危険が増し、日米両政府が苦心の末に、沖縄県中部にある辺野古沿岸部への移設で合意していた。 それを鳩山元首相がアテもないのに「県外」を公約して行き詰まり、結局は辺野古沿岸に戻った。ムダになったのは多くの時間であり、失われたのは地元との信頼関係であった。普天間か辺野古に、安全を確認した新型輸送機MV22オスプレイを配備すれば、尖閣諸島を狙う中国への有効な抑止力になる。 もっとも「大衆人」願望には、左だけでなく右にもあるから、ここでは彼らを「保守的大衆人」と呼ぶ。野田首相が消費税増税法案を通せば、「近いうち」に解散・総選挙を約束したのに、実行が長引いた。焦った自民党は、自分で同意した3党合意を非難する問責決議に賛成してしまった。政策ビジョンと大衆ウケのはざまで揺れ動いた。 二大政党のふがいなさに、今度は橋下徹大阪市長率いる日本維新の会が旋風を巻き起こしている。この間まで、政治家になることをつゆほども考えなかった人々が、ある朝目覚めると保守的大衆人になった。実現可能性はともかく憲法改正は「参院廃止を視野」におき、集団的自衛権行使を「権利あれば当たり前」と容認し、韓国が主張する慰安婦問題は「軍に暴行、脅迫で連れてこられた証拠はない」と明快だ。ただ、橋下政治はメールを駆使した「政治のマーケティング」で政策を決めるから、世論のうつろいに振り回されかねない。原発の稼働再開に反対していた橋下市長が、一転して条件付きで再稼働に転じたのはその例ではないか。これが政治の信念でなく、「ウケていたい症候群」の“業”でなければよいのだが。