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    SEALDsの「仮面」を剥ぐ

    参院で審議中の安保法案への抗議活動を続ける学生団体「SEALDs」。デモの参加者を水増ししたり、現政権を口汚く罵ったりする彼らは、権力と対峙し、反体制を謳う「反骨」な自分に酔いしれているだけではないのか。SEALDsの「仮面」を剥ぐ。

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    大新聞 安保法制反対デモは報じるが世界の賛成の声は報じず

    時として不思議なことが起こる。政府が9月中旬までの法案成立を目指し、参議院で大詰めの審議を迎えている安全保障法案に関する報道だ。8月下旬、安保法案に反対するデモが全国で行われると、一斉にこう報じられた。〈安保法案 一斉「NO」〉〈「ウォッチ安保国会」若者発デモ、悩んで学んで〉(ともに朝日新聞8月24日付朝刊)〈黙っていたら「戦争法案」採決される 全国一斉デモ 64カ所〉(毎日新聞8月24日付朝刊) さらに、各地の地方版でも、〈学生ら安保法案反対訴える〉(朝日新聞同日付、宮城県版) 〈安保法案「9条を壊すな」1100人参加し集会  岐阜〉(毎日新聞同日付、岐阜県版)などと、反対の声が報じられた。 デモが行われたことは確かにニュースではある。だが、朝日の8月の世論調査では30%、読売調査では31%いるはずの「賛成」派の声は、ほとんど聞こえてこない。 報道が持つ役割の一つに「権力の監視」があることは論を俟たない。だからといって「反対」の声ばかりが取り上げられ、3人に1人はいるはずの「賛成」の声が黙殺されているのは不可思議だ。普段は「少数派の声」を取り上げるのが得意な朝日が、今回に限ってどうしてそれを無視するのか。国会前で行われた安保法案反対デモ=8月30日、東京都千代田区の国会前(早坂洋祐撮影) 賛成派がなぜ安保法案を必要と考えているのか、あるいは賛成でも反対でもない人々が法案や国会審議をどう見ているのかをすくい上げ、国民的議論にすることが必要であるはずだ。 その意味でさらに不可解なのは、新聞各紙が海外の安保法案賛成の声をほとんど伝えていないことである。 目の前の南シナ海で中国の脅威を肌で感じているフィリピンのアキノ大統領は、6月に参院で演説し、「日本との関係は地域の自由を確保するための最前線にある」「日本は平和維持のため、国際社会に責任を果たす上でより積極的な立場を取っている」と安保法案を評価した。やはり南シナ海で中国の攻勢に晒されているベトナム、マレーシアも、「日本の平和への貢献を歓迎」すると表明している。 ほかにもアメリカはもちろん、イギリス、フランス、オーストラリアなど先進国各国が安保法案に賛成の立場を示しており、ドイツのメルケル首相は「国際社会の平和に積極的に貢献していこうとする姿勢を100%支持する」とまで述べている。 5月に開かれた日EU定期首脳協議の共同声明では、〈「積極的平和主義」に示された世界の平和と安全の促進と維持における取組を歓迎し、支持する〉との評価が盛り込まれた。そうした国々をはじめ、世界40か国以上が安保法案や日本が掲げた「積極的平和主義」を支持するとしている。 アキノ大統領の参院演説についてはさすがに朝日や毎日も報じたが、日本各地の反対デモを逐一報じるように、「世界の賛成の声」を詳細に報じた記事は見当たらない。 本誌は、憲法を形骸化させる安倍政権の手法には賛成できない。憲法を都合良く解釈し、小手先の法改正で国を守るあり方を変えようする強引な姿勢は、日本の針路を危うくするものだと考える。 ただ、だからこそ今、日本国内の声とともに、法案に賛成している国はどのような理由で賛成しているのか、そして、日本に期待されている国際的な役割は何なのかを海外の声からすくい上げ、議論の材料にすることが必要なのではないか。それがないまま議論を進めても、いつまでもイデオロギー対立を繰り返すばかりだ。関連記事■ 安保法案に反対する学者たちが「ケンカを買った」 その余波■ デモは出会いの場 全共闘世代の武勇伝に女子大生「すごい」■ 安倍政権に異議の元公明党町議 離党するも学会員支持し当選■ 自民党執行部 党内やメディアに厳重な「言論戒厳令」を敷いた■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ【1/2】「集団的自衛権」

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    SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

    値を守りたいという理念を共有している。特定のイシュー(問題、論争点)に特化するのではなく、立憲主義、安全保障、生活保障など、包括的なアクションを目指して活動している。いわゆる「改憲か護憲か」という議論ではなく「立憲主義」という近代国家に不可欠な価値を根拠に、自民党改憲草案や解釈改憲に反対していくという。 SEALDsの前身団体がSASPL(サスプル:Students Against Secret Protection Law/特定秘密保護法に反対する学生有志の会)だ。彼らは街頭での抗議行動だけでなく、映像や文章による宣伝、イベントや解説サイトの作成などを行ってきた。2014年10月に主催した渋谷のデモでは学生を中心に2000人が集まっている。法施行日前日から抗議の声を上げ合計3000人を越える人たちが集まり、数十年ぶりに大手新聞3社で学生デモが新聞の一面を飾った。以上の基礎的データは、SEALDsが記者会見のために準備した文書とその後の取材による。 SEALDsは、2015年6月27日に東京・渋谷のハチ公前で集団的自衛権行使の解釈改憲に反対する集会を開いた。わたしは写真家の藤原新也さんたちと現場に行った。藤原さんの関心は、どんな若者がそこに集まってくるかにあった。香港の「雨傘革命」を目撃した藤原さんは、日本での兆候を自分の眼で確認したかったのだろう。8月30日に国会周辺で行われた集会に行った藤原さんによれば、集会参加者でもなく、取材者でもなく、「空気」のような立場で現場に立ち会ったという。渋谷でもそうした視点だったのだろう。 「どうでしたか」と聞くと、「集会の周りを歩いているような若者がもっといるかと思った」という感想が戻ってきた。渋谷集会でマイクを持ち、スピーチをする学生たちには、明らかに知性を感じさせた。就職前の学生もいただろう。彼らは自ら名乗って堂々と、あるいは大きな深呼吸をしてスピーチをしていた。政治家たちに交じって語る彼らを見ていて小さな発見があった。スピーチ内容を紙に書いて手にしていたのはたった一人。みんなスマートフォンを左手に持ち、ときおりそこに眼をやりながら語っている。わたしは院内集会で一度だけスマートフォンを手にスピーチをしてみた。難しいというより、おそらく新しい機器に対する世代感覚と慣れの違いなのだろう。発言内容を事前にメモして語る旧来の方法がずっとやりやすかった。国会前で安保法案反対を訴え、声を上げる「SEALDs」の奥田愛基さん=8月30日午後 組合など組織が前面に出たデモや集会では、いまもかつてもこんな光景が日常的だ。「シュプレヒコール!」「おーっ!」「われわれは○○を許さないぞー!」――こうしたアピールは、戦前、戦後から変わることなく続いてきた。ところがSEALDsはそうではない。ラップ調のリズム感あふれたかけ声はとても新鮮だ。渋谷で行われた高校生のデモ(8月2日)で、中年女性がそのスタイルを真似していたが、テンポがとても追いつかない。近くで聞いていて御愛嬌だった。SEALDsは戦後の日本で続いてきた社会運動の文化を確実に変えている。 6月24日に参議院議員議員会館でSEALDsが記者会見を開いたとき、入り口でパンフレットを配っていた。そこには細かい文字でなぜ集団的自衛権行使の解釈改憲に反対するのかが、詳細に分析されていた。余談だが記者会見の開始が遅れた。しばらくして中心メンバーが慌ただしく会議室に入ってきた。どうしたのかと問うメンバーに彼は答えた――「授業だったんだから仕方ないだろ」。SEALDsの象徴的な素顔だ。国会正門前で毎週金曜日の19時半から21時半まで行われている集会の様子を聞いて、ときに過激な発言があることをことさら批判するむきもある。運動とはそういうものだ。問題があれば批判をすればいい。誤解してはならないのは、感情の発露の背後には彼らなりの分析と理論があるということである。 スローガンやシュプレヒコールは論文ではない。現場の言葉は「なまもの」であって「干物」ではない。ひとの心に届く言葉とは単純にして明解でなければならない。確信ある言葉でなければ届く前に揮発してしまう。SEALDsの多くの学生たちが本気で運動に参加していることは、その様子を観察していればすぐにわかる。国会前の集会でムードを作ってきたのは、SEALDsの持つ時代の流れに沿った勢いなのだ。もちろん戦後の長きにわたって、いまでは中高老年の年齢になった世代の、何十年にもわたる民主主義を実現するための地道な営みがあったことを忘れてはならない。その土壌のなかから新しい社会運動としてのSEALDsが誕生した。意図せずして時代の先端に押し上げられたSEALDsの歴史的意味を、たとえ嫉妬や批判があったにしても、過小評価するべきではない。

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    学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

     学生団体「SEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)」が、8月30日の国会正門前「戦争法案反対」デモに、警察発表で3万人の動員に成功したそうだ。かつての安保闘争の時代ならいざ知らず、若者が今時それだけのことを成し遂げるとは、それだけでも称賛に値する。学生たちが自らのそうした行動力を伸び伸びと健全に成長させることに、我々大人たちが適切に手を貸してやれるのであれば、いくら少子高齢化などと騒がれていても日本の未来は安泰だ。 しかし現実は、そうした理想から程遠い。彼らに群がるサヨクな大人どもは、学生たちの行き過ぎや悪事を咎めるどころか、テロや差別をそそのかし、「革命」等の自らの歪んだ目的のために若い芽をスポイルすることに余念がない。 デモの動員目標人数を10万人と事前に大風呂敷を広げていたせいか、警察発表人数の4倍もの12万人を「主催者発表」人数として「大勝利」を宣言したことも、それだけであれば若気の至りとして見逃せる程度のことだ。本来であれば、学生に群がるサヨクな大人どもが、過剰な目標人数設定の見通しの甘さと、まるでかつての大本営による戦果発表のような希望的観測のみに基づいた無根拠な水増しした数字を元に「大勝利」と騒ぎ立てることを諌めるべきなのであろうが、そこまでは求めまい。何しろ、そのサヨクな大人ども自身が、伸び伸びと増殖し続けている支那による南京大虐殺被害者数のごとく、常日頃デモや集会の「主催者発表」を十倍以上も水増しして自らの戦果を誇る不誠実さを本能とするような連中なのだから。国会前で行われた安保法案反対デモ=8月30日、東京都千代田区の国会前(早坂洋祐撮影) そんなサヨクな大人どもの邪悪さは留まるところを知らない。当初主催者発表で12万人だった参加人数が、誰が水増しをしたのか、その日のうちに35万人と、警察発表のなんと12倍まで急膨張したのだから驚きだ。SEALDsのツイッターアカウントのつぶやきは「今日の国会前抗議、のべ人数35万人だそうです!!!!!」となっており、「だそうです」ということは誰かが学生たちの「12万」という過大な数字を諌めるどころか、更に空想的な数字を吹き込んだことを示唆している。理性と良心を説くべき大人が、逆にそれらの放擲を煽っているのだ。 デモに参加したサヨクな大人たちの中でも、法政大学教授という教育者の立場にある山口二郎の言動は特に、学生たちに理性と良心の放擲をそそのかす、驚くべきものであった。何と彼は学生たちの前で、「安倍に言いたい!お前は人間じゃない!叩き斬ってやる」と、差別やヘイトスピーチどころか、殺人を宣言したのだ。しかも山口は信じられぬことに、法学部の教授だというのだから開いた口がふさがらない。その場でこの人殺し宣言を聞いていた参加者はもちろんのこと、デモを肯定的に報じる朝日新聞等のサヨクメディアも、山口のこの恐るべき発言を全く批判していない。今後在特会等が「支那人、朝鮮人は人間じゃない!叩き斬ってやる!」と言ったとしたら、どのようなロジックで彼らの行動を諌められるというのか。少なくとも、山口や彼の発言を見てみぬふりをしている朝日新聞等のサヨク連中には、在特会を批判する資格など永遠に失われたことは、幼児の目にも明らかであろう。 しかし問題はそんなことではない。我が国の、いや世界の未来を担うべき学生たちにまでそのような邪悪な言動をお手本として見せつけることが、人類の未来にとってどれほどの損失、いやマイナスになるか計り知れない。 山口は8月26日にツイッターでこうつぶやいている。 「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性である。日本に生きる人間が人間であり続けたいならば、安保法制に反対しなければならない」 呆れた思い上がりだ。自分こそが「文明」であり「道理」であり「知性」であり、そのオレサマに反対するやつらはことごとく「野蛮」な「反知性」だと言うのだ。幼児にさえも通じないであろうそのような野蛮なタワゴトで学生たちをたぶらかすサヨクな大人どもこそ、人類の敵である。余談ながら、山口の「反知性」という用語の使い方自体、私を含め最近多くの人々が指摘しているよう、「反知性主義」という概念を提唱したリチャード・ホフスタッターの定義からかけはなれた、恣意的で間違ったものである。学者としての能力や良心にも疑問を持たざるを得ない。 学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人どものこの種の言動は、他にも一々列挙していけば、本一冊に余りある。デモそれ自体が、デマで学生たちに道を踏み外させるための暴力装置と化していたと言っても過言ではない。 ただ残念なのは、保守勢力からの国会前デモ批判の多くが、学生たちに対する批判や揶揄に留まっているという事実である。サヨクな大人どもが将来ある学生たちを容易にたぶらかし悪の道へ誘うことができるのは、保守勢力が学生たちに対し、魅力的な活動の場を提示できていないからではなかろうか。何も政治活動の場を提供しろと言うわけではない。学業やアルバイト、恋愛、友達付き合い等、今の学生たちが安心して充実した学生生活を送れる条件が、果たして十分整っているだろうか。ブラックバイトやうなぎのぼりの学費、生活費、卒業後重くのしかかる「奨学金」という名の借金等、我々大人たちは、彼ら学生たちを余りにも蔑ろにし続けてきたのではなかろうか。 国会前デモは、「戦争法案」に反対する行動と見るべきではない。将来を担う学生たちに注意を払って来なかった我々大人たちに対する異議申し立てとして捉えるべき事件なのだ。

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    裸の首相 裸だと指摘する者はメディアでも子供でも黙らす

     アンデルセンの童話『裸の王様』の最後の場面では、小さな子供の「王様は裸だ」という言葉をきっかけに人々が笑い出す中、王様が最後まで裸のまま従者たちとパレードを続ける。しかし、この国の“裸の首相”は、自分を裸だという者は議員であろうとメディアであろうと、たとえ子供であろうと容赦なく黙らせる。 自民党勉強会での「マスコミを懲らしめろ」発言問題だけではない。今国会で公職選挙法改正案が成立し、来夏の参院選から高校生を含む18歳以上に選挙権が与えられる。 海外では選挙の際に選挙権を持たない生徒たちに学校で争点を議論させ、実際の候補者への模擬投票をさせて有権者としての自覚を育てる「主権者教育」を行なっている国が少なくない。70年談話を発表し、記者会見する安倍晋三首相=8月14日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影) ところが、自民党は逆に18歳選挙権実施にあたって高校生の政治議論や活動を制限する方針を打ち出した。さる6月25日、同党文科部会は「学校が政治闘争の場になることを避けなければならない」「高校生の政治活動について、学校の内外で抑制的であるべきだという指導を高校が行なえるよう、政府として見解を示すべきだ」とする提言案をまとめ、教育公務員特例法の改正などを求めたのだ。 背景にあるのは大学生、高校生が安保法案反対を掲げて今年5月に結成した「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)の動きだ。SEALDsは国会前で抗議活動を行なっており、6月27日にはネットで渋谷ハチ公前でのデモを呼びかけて数千人を集める影響力を見せた。これに安倍首相は神経を尖らせているという。官邸の安倍側近筋が語る。「総理がSEALDsを非常に気にしている。これまでネットの意見で若い世代に憲法改正を望む声が強いことから、総理は自分の路線が若者に支持されていると考えていた。選挙権の年齢引き下げも自民党に有利に働くとの読みがあった。 しかし、渋谷のデモに多くの若者が参加するなど、予想に反する動きが広がっている。このままでは70年安保の新宿フォークゲリラ、神田カルチェ・ラタン(※注)のように、今後は渋谷が若者の反対運動拠点になりかねないと心配している」【※注/1960年代後半、ベトナム戦争やアメリカ寄りの安保政策に反対し、学生が様々な政治闘争を行なった。東京・新宿には警察の集会禁止に対抗してゲリラ的に反戦平和のフォークソングを歌う若者が集まったり(1969年6月)、大学が多い神田駿河台では新左翼の学生らがバリケードを築き機動隊と衝突する(1968年6月)などの事件が起きた。後者は教育機関が数多く集まるパリのカルチェ・ラタン(地域名)にちなみ神田カルチェ・ラタン闘争と呼ばれる】「安倍支持」だと考えたから18歳以上に選挙権を与えたが、若者の批判が政権に向かうや、“俺のやることに反対は許さん”と、一転して高校生を“政治弾圧”しようというのである。

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    SEALDsというヘイトな人々

    審議が進む安保法案をめぐり、国会前で声高に反対を叫ぶ若者たちがいる。デモを主催するのは学生団体「SEALDs(シールズ)」。「政治に無関心な学生が立ち上がった」と評価する声がある一方、特定の政治団体とのつながりを指摘する声もある。結局のところ、彼らは何者なのか。

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    SEALDsは共産党や中核派と混同されても仕方ない

    !のヘッドラインに転載され、私自身も「偏向報道」の被害を当事者として受けました。国会前で集会を開き、安全保障関連法案反対を訴える「SEALDs」参加者 多くの取材攻勢を通じて、「特定の層」は意図を持って動いているように感じました。記者たちを含む実社会の動きを振り返るに、イデオロギー的に対立する層が警戒しているのが何であるか、おぼろげながら見えてきました。 このテーマにおける左翼の反応は、異常なレベルでありました。web上でも盛り上がっておりましたが、リアルへの広がりのほうが大きかったように思う。多くの紙媒体が反論、擁護を行いました。なんと国会でも野党が取り上げています。ではネットの反応がどうかと言えば、発端となった当方のブログのfacebookのいいね!は7000弱、tweetも4000台。いいね!が1万を超えることもしばしばある中、アクセスとしては決して多いものではありませんでした。頂いた意見・反応も8割方が賛同の意見。批判もなく、ほどほどのアクセスであり炎上もしておりません。実際、そのように報道されたこともありません。  言い換えれば、ネット上の左派勢力よりも、実社会における左翼が注目したテーマなのです。「SEALDsと就職」というテーマは、中高年層を主力とする実社会の左翼を惹きつけるのでしょうか。大きなトピックとなったのはなぜか。一つには、ある最高裁判例の存在と密接な関係があるように考えています政治活動が就職活動に与える影響 「SEALDsのデモ活動が就職活動に与える影響」についてですが、一人の政治家として「影響はない」と思いたいし、発信したい。ただし「SEALDsのデモ活動」が主語であれば、です。これが「SEALDsの活動を通じてある誤解を受けた場合」となれば、影響があると考えています。ひどく微妙な言い回しに感じたかと思いますが、この違いこそが全ての議論の最重要ポイントです。 この両者は極めて似ていますが、絶対に混同してはならぬ部分です。逆にSEALDsの学生たちに伝えたいことでもありました。ネット上の保守層にも是非、理解して頂きたい重要な差異であります。 混同されがちな部分ですので、最初に宣言しておきます。「政治活動が就職活動に与える影響」についてでありますが、私は「ない」と断言したいのです。実際には影響はあるのかも知れませんが、私はそれを認めたくはありません。ゆえに「ないと断言したい」というフレーズを選択しました。政治活動が就職活動に影響を与えるなど、あってはなりませんし、そのようなことはないと信じたいのです。  学生が政治活動に参加することを、私は推奨いたしません。しかし、実はとても嬉しいのです。こんなことを書くと保守層からは怒られそうですが、仮に「安保法案に反対」であったとしても、同様に嬉しい。それほどに若者たちが政治を真剣に考えてくれるという現実、一期も務め上げぬ市議ではありますが、一人の政治家として素直に嬉しい。それらの政治活動が就職に影響を及ぼす等、それが賛成側であれ反対側であれ、あってはならないと考えているのです。  とは言え学生の本分は学業です。政治活動に身を投じることは、本心では嬉しいと述べました。しかし、学業に精を出して頂きたいということも同様に述べておきたい。また、恋愛であったり、バイトを通じて学ぶこともあるだろうし、社会人となりルーチンワークに埋没していく前に、モラトリアムを充分に謳歌して頂きたい。私自身、そんなに良い学生ではなかったからですが、人生を振り返るに無駄な経験ばかりではありませんでした。 どんどんやりなさいと推奨はしませんが、どちらの陣営であれ新たな参加者については歓迎したい。その上で、「新たな参加者」たちには、賛成派・反対派を問わず、伝えておきたいことがある。三菱樹脂事件の最高裁判例三菱樹脂事件の最高裁判例 どちらの陣営であれ、新たな参加者たちに伝えたい線引きがあります。それは「政治活動の領域」と「過激派・公安監視対象団体に混同される領域」は明確に違うということです。私たち議員を含め、実際に政治活動を行っている大人たちは、この線引きを明確に意識しています。警察などの公権力も明確に区分していますし、就職活動に影響する民間企業も区分しています。この区分は、絶対に覚えてください。取り返しのつかないことになってしまいます。 冒頭に述べた「ある最高裁判例」とは、「三菱樹脂事件」を指します。これは学生闘争に身を投じていたことを伏せて面接をパスした学生が、試用期間中に企業側に発覚したのです。結果、本採用されず、訴訟に発展しました。最高裁は「企業側の採用の自由」を認め、学生側が敗訴しています。  ここで注意して頂きたいのですが、就活生であった原告は、政治活動を行っていたのでしょうか? つまり学生闘争を「政治活動」と呼んでいいのか、ということです。飛び交う火炎瓶、燃える警察車両、ついに突破される機動隊。現在、行動系と呼ばれる団体も、対になるカウンター勢も、まったくもって比較になりません。私は、「学生闘争」は「過激派・公安監視対象団体の領域」と分類し、政治活動とは切り分けて認識しています。この差は非常に大きい。政治活動を行っている大人たちは、それが保守であれ左派であれ、同じ認識かと思います。少なくとも公権力においても同様の扱いかと思います。新たな参加者たちにも、是非とも線引きをして欲しい点だ。 政治活動であれば、就職に影響はないと述べました。あってはならぬという信念を持っています。しかし、「過激派・公安監視対象団体」と混同された場合には、影響が出てくると考えています。正しくは「影響が出た事例」があると言うべきでしょう。いま述べている三菱樹脂事件の最高裁判例がそれにあたります。実際に、面接をパスし、試用期間を経たにも関わらず本採用が見送られているのですから。そして、この民間企業の判断は、問題ないという判決となっています。 この判決を「おかしい!」と責める者もいるでしょう。しかし、それを政治家に言っても仕方ない。実際に内定が取り消された等の状況に陥れば、それは政治分野ではなく司法分野の動きとなるためです。世の中には三権分立というものがあり、異なる権の者に言っても仕方がありません。 採用の自由を認めた最高裁判例でありますが、学生側や一般の方の観点以外から考えるとわかりやすい。企業側から見れば、採用面接とは億単位の契約なのです。残念ながら終身雇用は崩れつつありますけど、定年まで務め上げた場合の賃金は億を超える。選ぶ側の企業からすれば、それは億単位の契約とも言えるのです。最終面接においては、社長・役員クラスが立ち会う例も多い。上場企業の役員級とは一日あたり数百万もの利益を上げる人材であり、当然凄まじく多忙な方々です。 組織の維持、そして組織の利益のため、「新たな参加者」を企業側は必死に選ぶ。おかしな者を選んでしまえば、人事部門の沽券にも関わるだろう。最終面接に残し、社長・役員級の時間を割くことは許されない。人事部門も組織の一員であり、なにより仕事であるためだ。 企業側にも「選ぶ自由」があるのです。それが最高裁の判断です。アベノミクスにより景気は回復を見せ、少なくとも就職戦線においてはかなりの改善を見せてはいます。しかし、まだまだ就活生側の売り手市場とは言えはしないでしょう。 過激派・公安監視対象団体と目された場合には、仮に企業側が拒絶したとしても抗議することは難しい。試用期間に入っていた学生の本採用を見送っても違法性はないという判例が出ているからです。内定が取り消されたとしても、不思議ではないし同じく抗議は難しいだろう。本格的に抗議の意思表示を行うとは、それは訴訟を指しますが、基本的に敗訴するためです。 最高裁判例の重みを説明します。Aさんが(甲)という行為をした場合、「あ」という判断が下されたとしよう。同じくBさんが(甲)という行為をした場合、「い」という判断が下されては不公平です。同じ(甲)という行為に対しては、同じ「あ」という結果が下されるべきだ。ゆえに訴訟においては過去の判例が重視されます。当然ながら、最高裁判例は最も重視されます。 仮に「過激派・公安監視対象団体」と混同され、内定が取り消されたとしましょう。その場合は、最高裁判例が出ている以上、勝つことはほぼ不可能です。万が一、勝訴した場合は、最高裁の判例が覆った歴史的瞬間ということになる。トップニュースになるでしょう。 万に一つの可能性を求め、この訴訟にチャレンジするのは自由ですが、凄まじく時間がかかることでしょう。最高裁判例を地裁・高裁でひっくり返すことは余り想像できないからです。企業側も最高裁判例を軸に戦うでしょうから、本当に勝訴するためには最高裁まで戦う必要があるからです。  よって、「過激派・公安監視対象団体の領域」に入ってしまえば、就職活動には影響が出ます。それは司法分野の判断であり、民間企業はそのルールに則って動くためです。 重視している点ですから、繰り返し強調しておきます。政治活動の範疇であれば、影響はないと断言したい。しかし、過激派・公安監視対象団体と混同された場合には影響がある。この両者は一見似ていますが、まったく異なるものである。SEALDsの背後関係SEALDsの背後関係 私は、SEALDsは「政治活動」の範疇だと考えていました。少なくともスタートにおいては、そうであったと確信しています。また、批判する立場にもありません。私は、安保法制の推進派であるため対峙する陣営でありますが、一人の政治家として政治を真剣に考える学生たちにエールを送りたいほどです。 しかしながら、指揮・采配に対しては大きな失敗しているな、という思いも抱いています。それは背後関係を疑われる点が多々あり、余りに軽率に感じます。ここまで述べてきた「政治活動」の線引きがあやふやであり、周囲の大人たちがそれを伝えていないゆえの結果であろう。学生側の責任ではないと考えますが、すでに混同されつつあると言ってもいいだろう。 私自身は、スタートにおいては「政治活動の範疇であった」と考えています。しかし「社会がどう認識しているか」と問われれば、政治活動の領域を逸脱しつつある団体と認識しているように考えています。 その最たるものが共産党の関与です。共産党のHPには「各地の行動予定」というページがあり、ここにSEALDsの日程も告知されております。これは政党から、少なくとも広報支援を受けているという事実であります。実態としては動員協力を受けていると言われても否定は難しいだろう。 政党が、政治活動を支援することは構わない。それ自体を問題視するつもりはないが、その場合は、特定政党の「政党活動」ということになる。単なる政治活動とは、扱われ方は変わってきます。 国会前では中核派の騒動もありました。チラシを配布して良いか否か、トラブルがあったようでネット上でも注目を集めました。また7月15日、安保法案に反対する活動に参加していた男性2名が公務執行妨害で逮捕されていますが、60代の中核派であったとの報道。学生闘争に参加していた一般と認識されるべきでしょう。これをもってSEALDs=中核派と述べるつもりはありませんが、過激派・公安監視対象団体の領域であると混同されても仕方ありません。 他にも、民青の動きも注目すべきです。民青とは、日本民主青年同盟の略称で、共産党の関連の深い団体です。共産党と同一の組織ではありませんが、かつては「日本共産党のみちびきをうけ科学的社会主義と党綱領を学ぶ」とあり、党の指導を受けることが明確化されておりました。 共産党と関連の深い民青でありますが、民青幹部がSEALDsのデモ隊の先導をしていたことが発覚しており、ネット上でも拡散され、周知され尽くしている。SEALDsと民青の関連も否定は難しい状況です。 では、上記の集団とSEALDsの関連はどうなのでしょう。正直、私は関連はないと考えています。しかし、混同されつつある、とも考えています。実態としては、党組織の若返りが悲願の共産党であったり、もしくは過激派などがSEALDsに近づいている程度のものでしょう。ネットでは多事総論ありますが、実は「ほとんど関係ない」というのが現実なのだと思います。 とは言え、SEALDsの車両が共産党のそれであったり、明確に関係性を示す物証が続々と出てきています。デモにしてもノウハウが必要であり、安保法案反対という同じ活動方針ゆえ「融通しあったり、助け合ったり」しただけなのだろう。 その際の、意思決定フローにおいて、線引きが余りにあやふやであった、それだけではないだろうか。私は、この点は極めて軽率であったと思う。対立する陣営に塩を送り、そして恨まれるであろうことも覚悟の上で発信してきた。その理由は見ていて危なっかしかったから、という一点に尽きる。政治活動における指揮能力の欠如・自壊するSEALDs政治活動における指揮能力の欠如・自壊するSEALDs 「政治活動」であれば、影響はないと述べた。そして影響はあってはならぬという信念を持つ。その上でSEALDsと就職活動という論点から言えば、影響は出てしまう状況に移行したと考えています。SEALDs自身が各種団体との距離感を見誤り、結果として混同されつつある状況にあるためだ。これは学生側の問題というよりも、周囲にいた大人たちの責任だと考えています。組織論から言えばSEALDs側の指揮采配のミスですが、彼らが「新たな参加者」である以上、配慮が求めれるのは大人たちであったように思う。 一部の参加者は余りにも激しい文言を用いており、SEALDs自体のイメージが急速に悪化しつつある点にも注目したい。組織維持の一環として、ブランディングとしてSEALDsの指揮官級が指揮・判断すべき案件ですが、それらの指揮能力を学生に求めるのは酷というものだろう。政治活動の経験不足ゆえ、組織防衛のノウハウを持たぬゆえの悲劇です。  例えば、SEALDs参加女性が国会議員に対して「てめーの身体のすべての穴に五寸釘ぶち込むぞ」と述べました。この女性は、別のtweetにおいて北海道の民青として行くことや、浪人中であり親からも心配されている件などを述べています。 同様の発言は多々ありますが、結果としてSEALDsのブランドは凄まじい勢いで崩壊しつつある。すでに止めることは不可能であり、その意味ではブランドは崩壊しつくしたと言っても過言ではありません。初期においてメディアが喧伝してきたお洒落な集団というイメージは、すでに崩壊してしまったのです。 混同されつつある状況を鑑みれば、影響は出てくるように思う。三菱樹脂事件との関連のみならず、イメージ悪化による影響もあるだろう。現時点での私の認識だが、企業の採用担当・人事部門は良い認識は持ってはいないと考えている。むしろ、貴方はどう思うのかを問いたい。答えは同じものではないだろうか。 過激派・公安監視対象団体の領域に軽々に踏み込んでしまったSELADs側の判断。またブランドイメージを守るという組織防衛が行えなかったこと。その全ては、政治活動における指揮能力の欠如によるものです。  とは言え、同情すべき点もあるのです。かなりの難易度が求められる。常に交代がきくわけではないが、チームで動く際はメンバーそれぞれの余力には注意を払う必要がある。前に立たせ続ければ、疲弊していく。配慮やフォローは必要だし、厳しい局面があればサポートする判断も必要だ。前述のブランドイメージを守ることも肝要であるし、法令との整合性も視野に入れて動く必要がある。  これらの指揮・采配の能力は、一朝一夕において身に着くわけではない。長年の経験あってのことで、特に精神的な打たれ強さなどは場数で増していくものである。 初めて前に立てば、昂揚感から「まだやれる!」と思ってしまうこともしばしばだ。新人は、退く判断が往々にして遅れる。注意が必要だ。精神の高揚から、体力的な限界を認識できず倒れてしまったり、逆に肉体的な負荷が精神的な高揚につながってミスにつながる場合もある。 これは保守陣営・左派陣営に関わらず、両陣営に共通するものだろう。私自身も多くの失敗もしてきたし、先輩方の指導があってこの場がある。ゆえに、左派陣営にしても、これら初歩的な事項は熟知していると考えている。 ネット上では五寸釘発言の娘を嘲る声が多数だが、私は本当に可哀想なことをしたと思う。「普通の学生」であることを前に出すことは、安保法案に反対する陣営からすれば、効果的な手段だったのだろう。しかし、20代前後の学生を、そこまで露出させれば精神的な負担は相当なものだ。政治家である私にしても、意図を捻じ曲げられてYahoo!のヘッドラインに掲載された際は、相当に苦しんだ。とは言え、落ち込んだのは一日だけであったが。 私が耐えることができたのは、30代であること、公人であり度胸もついてきたこと、またブログの訪問者数が月に60万人おり、露出に慣れていたゆえのことだ。  普通の人間なら、心に傷を負っても仕方がない。罵声のようなコメントに日頃から晒されてきた学生などいるはずもないし、精神的にストレスを抱え爆発するほうが正常だとも言える。前に立たせ、露出を浴びることは、相当につらいことだ。尋常ならざる常人とは異なるレベルの強い精神力が求められる。壊れての暴言であったと思うが、壊れるのは当たり前なのだ。 誰も、彼女を見ていてあげなかったのか。結果として、ネット上の良い玩具となってしまった。デジタルタトゥーを背負わされ、もう引き返せないところまで来てしまったのだろう。 前述の暴言は、許されるものではない。平和を訴えつつも、なんと攻撃的なことか。私はそう述べねばならない立場だが、対峙する陣営とは言え、政治活動に身を置いたこともある年長者として、手をひいてあげる者がいなかったのかと悲しく思う。 似た例は、続発していくのだろう。これは構造上の問題だと考えるためだ。内部事情に明るいわけではないが、指揮采配の経験が浅い学生に対し、陣営としてのサポートが甘いことが原因に思えてならない。 前に立たせるならば、もっとしてやれることはなかったのか。例の五寸釘の方は、「民青が唯一の息抜きみたいな笑」というコメントも残している。支える能力が欠如しているのか、または最初から支える気などなく使い捨てるつもりなのか。続発するであろうことが、悲しくてたまらない。メディアの取材攻勢メディアの取材攻勢 私が受けた取材について触れたい。これだけのアクションが実社会においてはあったのだ。敢えて取材活動ではなく、取材攻勢と表記させて頂く。記者の多くが、ある言質を取りに来たからだ。それは、保守系議員である私が「政治活動=就職に影響」という論理展開を行ったという確認、その言質を取ろうとしつこいほどに確認をとられた。 なぜ、そのような取材が必要であったかと言えば、私は取材を受けたBlogの記事において一度も「政治活動」という単語を用いていないためだ。これは繰り返し述べてきた、政治活動は就職活動に影響しない、してはならないという思いゆえのことだ。 また、それが学生であれ、異なる立場であれ、日本国民であれば政治活動の自由は保障されるべきだ。ここに制限を加えることは憲法に抵触すると認識している。ゆえに公職として、本当に気を付けて述べてきた。だからこそ記者たちが取材を申し込んできた記事においては、「政治活動」という言葉は用いていない。 私が「政治活動で就職活動に影響」と認めれば、保守系議員による「憲法違反」とでも報じたかったのだろう。 冒頭において、ネット上ではなく、実社会での反響のほうが大きかったと述べました。野党より国会で質疑にまで発展している。繰り返しになるが、いいね!の数・tweetの数ともに私のブログの中では反響は少ないほうであり、web上では賛同コメントのほうが遥かに多く、また各種のまとめサイト等をはじめ炎上という事態には陥っていない。 しかしながら、実社会においては報道を始めとして大きな反響を生じた。それはなぜか。執拗なまでの取材攻勢を通じて、あることが見えてきた。 それは一重に、私の記事が「三菱樹脂事件」の最高裁の判例をベースとしていたからだろう。ネットでは知らぬ方も多いのだろうが、実社会の一定の年齢を超えた左派には周知の事実であるためだ。彼らは、場合によっては就職活動に大きな影響を与えることを承知していたためだろう。つまり学生闘争をリアルタイムに体験した世代にとっては、非常に耳に痛い話であったということだ。 言い換えれば、安保法案に反対している大人たちは、影響が出る可能性を当初より予期していたのではないか、ということだ。そして、それを学生側にはひた隠しにしてきた。だからこそ、条件反射のように潰しにかかったのだろう。私にはそう思えてならない。 署名記事ゆえ記者名も記すが、毎日新聞の山本紀子記者は凄まじかった。取材依頼の時点で、条件を提示したところ非常に不服な反応。その条件とは、政治活動への言及を私は行っていない点、過激派・公安監視対象団体との混同について論じている点、その論拠として三菱樹脂事件が根底にあるというものだ。また、政治活動への参画自体は、本心では嬉しいという点も取材を受けるにあたっての条件とした。これに対し不服そうな反応であった時点で意図が透けて見える。条件提示後、再度の連絡があり条件を飲むと言われた。 その取材においては、冒頭より「左ですから」と明言。不偏不党はどこに行ったのだろう。市役所の記者クラブに在籍しているが、イデオロギーに拠って喧嘩腰の記者は珍しいそうだ。その日の夕刻において、明日の朝刊に掲載が決定との連絡を受ける。その際には、「叩き気味の記事、バッシング方向ですけど。お楽しみに」と発言。何度か連絡を頂いたが、その電話の際、周囲に他の議員がおりスピーカーで一緒に聴いていた。唖然としていた。 紙面としては、条件を守った内容であったが、私のコメントを紹介しつつその文中において弁護士の見解を付記して否定的に報じる。なんとか批判的な内容にしたかったのだろうが、紙面としてはパンチに欠ける部分もあった。とは言え条件は守っている、それは彼女なりの記者魂なのだろう、私は評価している。 工夫したのだろう、見出しに大きく「FBに行橋・小坪市議」と掲載。まるで選挙リーフレットかのようだ、印象操作というものだろう。タイトルは「安保デモ参加」「就活生 面接残れぬ」というもの。なんとか打撃を加えたいという意図が読み取れる。 私は刑法に違反したわけでもないし、政治倫理に抵触したわけでもない。学生の就職活動について、不真面目な学生であった自らを恥じつつ、就職氷河期を越えてきた者として論じたのみだ。賛同コメントが圧倒的であり、炎上したわけでもない。自らのイデオロギー的な部分、その対立を明言しての取材、結果としての記事なのである。これが地方版の紙面として相応しいのか。私は、ペンの暴力ではないかと思うのだが、その判断は周囲が行うものだろう。 とは言え、周囲に他の議員がおり、やり取りを聴いていたことは誤算ではないだろうか。市役所に所属の記者としては珍しい、議員間では噂となっている。 さらにひどいのがJ-CASTだ。前述の山本紀子記者でさえ守った点がある。取材攻勢の激しさという一例として紹介はしたが、私としては責めているつもりもない。分析し論じたのみであり、彼女と同じことをしたまでだ。取材時にこちらも宣言し、彼女も同意している。私が国会議員であれば、力の差ゆえこのようなことは許されないのだろうが、一介の新人市議と、選挙区の地方版をこのように用いる者であれば、言及し論じることは許されるように思う。 J-castからは、私は取材を受けていない。にも関わらず、まったくの真逆の取り違え。主たる主張である「政治活動の領域」について大誤報。特に許せない発言としては以下。 『福岡県行橋市の小坪慎也市議だ。小坪市議は15年7月26日に投稿した「#SEALDsの皆さんへ 就職できなくて#ふるえる」と題するブログ記事で、デモの参加者を「腐った蜜柑」と表現』という文言。ここまで読んで頂けた方は理解して頂けると思うが、デモは政治活動であり影響があるとは私は主張していない。そもそもそれは憲法違反だ。特に気を付けて書いた点で、論理構成の根幹をなす部分だ。 また「腐った蜜柑」という単語はあるが、それは「過激派・公安監視対象団体」や「混同された者」であり、学生を指してのものではない。シリーズを通して徹頭徹尾一貫して書いており、各紙の取材においても「三菱樹脂事件が根底にある」ことを述べた上で、否定している。同訴訟の原告が参加したのは学生闘争であり、政治活動とは一線を画すという主張だ。そもそも学生側に立って発信し続けており、その私が「学生=腐った蜜柑」と表現はするはずもない。 しかもこれはYahoo!への配信記事であり、凄まじいアクセスをもって、言ってもいないこと、むしろ主張とは真逆のことをばらまかれた。それこそ人権侵害であり、断じて許せることではない。本件に関しては、場合によっては法的対応をも視野にいれ、対応を協議中である。学生たちは、日本の財産学生たちは、日本の財産 これは安保法案に賛成する層、多くは保守陣営かと思うが、皆様にも今一度認識して頂きたい点である。誰がなんと言おうと、将来を担う学生たちは日本の財産である。大学を出たから偉いとは言わないが、高度教育を施された者が日本の財産であることは疑いない。 それが対峙する陣営であろうと、イデオロギーが真逆であろうと、この一点に関しては強く訴えたい。賛成派・保守層にも同じ認識を共有して頂きたいし、同じく反対派の大人たちにも同じ認識を共有して頂きたい。これは本心からだ。 彼らは日本の大事な人材だ。そして就職活動を控えた身である。小中高と親御さんが手塩にかけ、本人の努力もあったとは思うが、学校関係者や周囲の協力があって学生という立場にある。新卒主義の日本において、一度きりのチャンス、切符を手にしている。多くの支えがあって、彼ら学生を大切に思う多くの人々の祈りを受けてその場にいる。 学生自身は、その重みを理解はしていないだろう。少なくとも私は、当時はまったく理解できなかった。いま当時を振り返るに、本当に恥ずかしい。大人となった今、社会人として先輩としての自覚を持ち始めた今は、かつての自分を恥じつつ、異なる思いも持っている。多くの大人たちは、この重みを理解して頂けると信じたい。ゆえに、両陣営ともに配慮をお願いしたい。学生たちに配慮を。  これは左派のみを責めているのではない。例えば、素晴らしい保守活動があったとしよう、従軍慰安婦の虚構を追及し、朝日新聞を糾弾する保守好みの活動だ。しかし、それが赤報隊の主催であれば、私は参加することはない。赤報隊は、明確に「過激派・公安監視対象団体の領域」だからだ。仮に後輩たちが参加しようとすれば、必死で説得を試みる。最後は本人の判断のため、強制はできないが、必死に止めることだろう。  論じつづけている「違い」について、わかっている大人は相当数いるはずだ。それゆえの取材攻勢であり、だからこその実社会への影響だと認識している。 学生とは言え、選挙権も持つようになる。彼らを子供扱いせよとは言わないが、社会人として飛び立つ寸前の若鳥たちだ。社会に受け入れるにあたっては、イデオロギーの如何によらず、社会の先輩として一定の配慮をお願いしたい。  本当の悪者は誰か。なんとか私を悪者にしたい勢力がいたように思うが、振り返ると同じ動きをしていたように思えてならない。私を悪者としたかったのは、私が「都合の悪い者」だったからではないだろうか。結論になるが、左派の大人たちは三菱樹脂事件が明瞭に記憶されており、特定条件においては就職に影響すると認識していたのだろう。それを学生らには伝えていなかった。それを正面から論じた私は「都合の悪い者」だったのだろう。 苦い記憶として明瞭に記憶されているがゆえの、過剰反応だ。 悪いのは誰か。それは、法案のみを主軸として捉える者ではないだろうか。もっと言わせて頂ければ「学生=道具」と看做す者が一番悪い。両陣営に言えることだ。法案反対派のみならず、賛成派・保守層にも言える。「法案に反対」だから、私に抗議する者、「法案に賛成」だから、私を応援する者。私は、どちらもおかしいと思う。 「反対するための便利な道具」として認識しているがゆえ、効果的なツールの稼働率が落ちると危惧し、私を批判した勢力。また、私を援護した層は、「法案に反対する武器」として学生を見るがゆえ、稼働率が下がることを期待して私を支持したように思う。どちらもズレている。 なぜなら「学生、学生、学生」と喧伝しつつも、誰も彼らを学生としては扱っていないからだ。ただの道具扱い、効果的な武器という認識に思えてならないからだ。違う、彼らはこれからの日本を支えて行く人材であり、日本の大切な財産に他ならない。口うるさいと嫌われるのだろうが、年長者らの責任として手をひいて行く必要があったように思う。  国の将来を憂い、政策を論じる者たちだからこそ、どちらの陣営であれ同じ思いを共有して頂けると信じたい。思想やイデオロギー、政策よりも大切なものがある。それは国の将来であり、それを担う若者たちだ。大切な大切な、これから私たちが迎える新しい社会人たちを「道具」として認識しているのであれば、私はそれこそ悪者だと思う。 学生は、学生である。政治活動に身を投じたばかりの、その道に関しては経験の浅い者たちだ。子供扱いせよとは言わないが、新たな参加者を迎えるにあたり、政治活動の現場に在り続けた者は一定の配慮をすべきだろう。 SEALDsを取り巻く議論は、なんとも不毛な言い争いとなってしまった感がある。極めて建設的ではない。正直、私にとっては後味の悪いものであった。参加した学生らが、国を憂いてのものであればなおさらだ。スタートが純粋な思いゆえのものであれば、なおさらだ。後味の悪さから学べることは、今後、学生たちが政治活動に身を投じる際、両陣営において受け入れ態勢の完備、及び就活を控えていることへの配慮が必要という反省点のみである。

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    なぜ「SEALDs」を目の前にすると左右両極は理性を失うのか

    古谷経衡(著述家)絶賛か全否定か-極端すぎる評価 「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)について、左は絶賛、右は全否定、という極端な論評が続いている。折しも、武藤貴也代議士がツイッター上で「SEALDs」を「利己的」などと評して大きな批判を受けた。同議員は直後、週刊誌で報じられた未公開株を巡る不祥事で自民党を離党。またある地方議員は「SEALDsのデモに参加すると就職に不利」などと自身のブログに書き込んだ所、これまた多くの批判を受け、同氏が所属する市議会に抗議の声が殺到しているという。一方、「SEALDs」を「英霊の生まれ変わり」とまで賞賛する、やや度が過ぎた礼賛の声も聞こえてくる。そこまで持ちあげるのは、流石に如何なものかという気もしないではない。 「SEALDs」を巡る論調で問題なのは、その内容の精度ではなく、極端にすぎること。この一点につきよう。評価できるところは評価し、批判するべきところは批判する。「是々非々」という物事に対する当たり前の態度が、「SEALDs」を前にすると崩れ去る人が居るようだ。 「SEALDs」を目の前にすると何故人は理性を失うのだろう。何故正当な評価ができなくなるのだろう。それは彼らが正真正銘の若者だからだ。若者は無知で馬鹿で何事にも無関心、という従来流布され続けてきた若者を巡る定形イメージは、「SEALDs」には通用しないことは確かだ。羊のように大人しく、かつ無害である、と思っていた人物が突然アクティブになると人は動揺する。こいつは一体何なんだ、と分析してみたく成る。若者とはこんなものだ、と日常の中での皮膚感覚を有していればその動揺は起こらないが、普段からそのような思考の「訓練」をしていないと、被写体との適正距離を取ることは難しい。左は距離が近すぎ、右は距離が遠すぎる。どちらも「若者とはこんなものだ」という皮膚感覚が衰えているからこそ、崇めるように絶賛し、或いは親の仇のように呪詛する。この関係性は健康的ではない。瞠目すべき評価点と批判点 さて、私は右寄りのタカ派だし、所謂「安保法制」もその成立を支持している立場で、微温的な安倍政権支持者だが、だからといって「SEALDs」を徹底的に貶して良い理由には当然ならない。まず彼らが若い、ことは既に述べたとおりだが、以下、瞠目するべき評価点をいくつかあげさせていただく。イ)デモや抗議集会のやり方が洗練されているロ)告知や広報に使用するフライヤーやウェブサイトのデザイン性が優れているハ)抗議集会ではジャーゴン(組織内言語)を忌避し、若者言葉、わかりやすい平易な言葉を発するよう心がけている この三つは、いずれも右派の抗議集会やデモにはみられないもので(だからこそ右派には猛省を促したい)、ここだけを切り取って評するのなら100点、というところだが、当然批判点も以下のようにある。「SEALDs(シールズ)」の抗議集会でプラカードを掲げる若者たち=7月17日夜、国会前イ)所謂「安保法制」に反対する理論根拠が薄弱ロ)イ)に関連して、スローガン、シュプレヒコールに説得力がないハ)平易な言葉を使いすぎていて、理論的ではないとの印象を受けるニ)実際の政治的効果はいかほどなのか疑問である などであろう。「SEALDs」の抗議集会に集まってくる人々には、元来「反安倍」という政治色が濃いことは、想像に難くない。実際、彼らの抗議集会を訪れても、「辺野古移設反対」「ジュゴンの海を守れ」など、安保法制とは直接関係のないアマチュア活動家のような人々が所々にひしめいていた。元来「反安倍」の性質を持っている人は、「SEALDs」のシュプレヒコールに抵抗はないだろう。ところが、そうではなければ「ヤメロ」「NO」の連呼ばかりではちと心もとない。何故安保法制が危険なのか、何故安倍政権がダメなのか、その理論を彼らの口から聞きたかったが、理論展開は幕間に登壇するリベラル言論人や議員、或いは学者が補強していたようなきらいがあった。たとえそれが稚拙であったとしても、何故危険で何故ダメなのか。その理屈を、彼ら「SEALDs」の口から、長々聞いてみたいと思うのは私だけではあるまい。 「SEALDs」のアクションが、どれほどの政治的効果を持つのかも、疑問である。安倍内閣の支持率は安保法制衆院通過前後で、はじめて支持率が不支持と逆転されるなど動揺したが、「70年談話」以降は持ち直してきている。また、政党支持率でも自民党は微減か横ばいにとどまっており、対して「安保法制」に喧々囂々の批判の声を上げた民主党、社民党、共産党のそれは上がるかとおもいきやそのような兆候はなく、芳しくない。自民一強、の状況は何ら変わっていない。今解散しても、自民党は悠々280議席くらいは取ってくるだろうし、公明党と合わせて与党300議席超は変わり様もない。世論は冷静に、この国会内外の「喧騒」を傍観していた、という結論に到達せざるを得ない。なぜ右も左も理性を失うのか もちろん「SEALDs」のアクションが無意味である、と無慈悲に切り捨てる意図はない。政治的実効性はともかく、声を上げることは重要である、という意見には大きく賛同する。声が届いていないこと=無意味ならば、公民権運動も奴隷制反対も、最初の段階でやめたほうが良かった、ということに成る。 その主張の内容はともかく、声を上げる人を冷笑したり罵倒したりするのは適当な態度ではない。例えば「SEALDs」の背景に既存の政党の支配が見え隠れする、というまことしやかな言説。若者が政治活動をするにあたって、既存の政党から有形無形の援助や影響をうけるのは、右も左も同様だし、その疑いに合理的な証拠が存在していないから無効だ。 或いは、「金をもらってやっているんだろう」という負け惜しみにも似た罵声。こちらはもっと宜しくない。「金をもらってやっているんだろう」という説の裏返しは、「金をもらわなければやらない」という事になるが、現代の政治活動とはそのほとんどが損得を超越した地点での強烈な思い入れ(或いは思い込み)を原初としており、だからこそ、我の強い人たちが一箇所に同居することで、団体内での内紛や軋轢が起こるのだ。損得論ほど無意味なことはないし、いまどきデモの参加者全員に金一封を渡せるほど豊かな財源を持った政党や団体は居ないだろう。 どうも「SEALDs」を目の前にすると理性が吹き飛ぶ人が、右にも左にも多い。大学生の時、貴方はどうだったのか?と少し冷静になって振り返れば、おのずと答えは簡単だ。「政治に興味が無いことはなかったが、そんなことよりもバイトと単位とサークルと麻雀、どうやったら異性にモテるか。そればかりを考えていた」というのが正解だろう。その、怠惰で、永遠に続くかに思える青春のモラトリアムの退屈な日常空間を超えて、国会前に集まる大学生を「優秀」と評するのか、はたまた「異形」と評するのかは、読者の皮膚感覚にお任せしたい。

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    反対派だけが人民ではない。安保法案に賛成する人間も国民だ

    岩田温(政治学者) 早稲田大学の水島朝穂教授が、安保法案に反対するSEALDsのデモに参加して、次のように発言したという。 「今、新しい民主主義が国会前で始まっている。それはなにか。今まで私が、45年前、高校生でここでデモをやった時、どっちかというと後ろからついていったデモだったんですけど、全然違うの。今日、先頭で、学生といわゆる学者が一緒に歩いたんですよ。 そして、『民主主義って何だ』って彼らが問うたら、『これだ』と言ったんですよ。私、初めて、憲法やって33年、飯食って来ましたが、今日、初めて、憲法って何だって分かりました。これなんですよ。 俺たちが人民なんです。だから、それに反対するあそこにいる政権には退陣を願いましょう。廃案しかない。廃案しかあり得ない。がんばりましょう」 学生と学者が歩くのがそんなに感動的なのかどうかしらないが、それは個人の感性の問題だから、どうでもいい。しかし、どうしても気になるのが後半の部分だ。「民主主義って何だ」「これだ」 要するにこのデモこそが民主主義だといいたいらしい。 さらに、33年間研究してきたという憲法も、「これ」だということが分かったという。 こんなに酷い民主主義解釈も、憲法解釈もないだろう。いくら、興奮した状態の発言とはいえ、これは酷すぎる。33年間、本当に研究してきたのだろうかと疑わざるを得ない。次の発言に至っては、もう驚くしかない。国会前での抗議行動参加者が掲げる「強行採決 絶対反対」などと書かれたプラカード=7月16日 「俺たちが人民なんです。だから、それに反対するあそこにいる政権には退陣を願いましょう。」 この水島教授の論法に従えば、安保法案に反対するデモこそが、民主主義であり、憲法であり、さらに人民なのだという。では、安保法案に賛成する人間は、全て「反民主主義」であり、「非憲法」であり、「非人民」ということになるのだろうか。 私はここに正義に陶酔する政治的イデオローグたちの危うさを見る。かつて『逆説の政治哲学』という本を書いたときに、サブタイトルを「正義が人を殺すとき」にした。 フランス革命にせよ、ロシア革命にせよ、ナチズムにせよ、大量殺戮に手を染めた人々の中には「正義」の観念が宿る場合が多い。自分たちだけが正義を体現しているのであって、自分たちに逆らうのは、「正義」に対する拒絶、すなわち、「不正義」に他ならないという論法だ。 正義に溺れる政治的イデオローグを描いた作品として、アナトール・フランスの『神々は渇く』が有名だが、直近の作品では、「デス・ノート」をあげることが出来るだろう。私は漫画やアニメの類が苦手なので、映画で観たのだが、よく出来ていて面白かった。この主人公は決して、悪人ではない。もともとは善人なのだ。 日本におけるあさま山荘事件もそうだが、彼ら一人一人は、決して真面目で、純粋な人間なのだろう。 しかし、「正義」の観念に取りつかれて、反対派を悪魔化して大量殺戮に至るのだ。  安保法案に反対するのは自由だし、デモも自由だ。そういう自由を侵害するつもりは全くない。  だが、反対派の人々にも覚えておいてもらいたいのは、この国には、賛成派も存在するという事実だ。  以前、芸能人のつるの剛士さんが、ツイッターで次のように呟いたことがあった。『反対反対』ばかりで『賛成』の意見や声も聞きたいなぁって報道やニュース観ていていつも思う。賛成派だって反対派だって平和への想い、戦争反対の想いは同じ。大切なコトたからこそ若い子達だって感情的、短絡的な意見にならないために色んなこと公平に一緒に考えたいよね これは多くの国民が感じていることなのではないだろうか。反対派が存在するのは事実だが、賛成派が存在するのも事実だ。まるで賛成派を悪魔化して、戦争を好む人々やナチス呼ばわりするような非難は、あまりに極端ではないだろうか。日本の平和と繁栄、そして国際貢献を願うからこそ、今回の法案に賛同する人が存在するのだ。 「俺たちが人民なんです」というが、「国民」はあなたたちだけではない。大声をあげることはないかもしれないが、静かに安倍内閣を支持し、今回の安保法案にも賛成している国民も数多く存在するのだ。「俺たちの声もきけ」というなら理解できるが、「俺たちの声こそが人民の声だ」とばかりに、自らに反対する人々の存在を無視するかのような発言は、極端に傲慢な発言だし、みずからの正義に溺れる人間の発言だといわざるをえないだろう。※「岩田温の備忘録」より転載。

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    「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

    井戸まさえ(前衆院議員、元経済ジャーナリスト)誤解を恐れず言えば。女性の政治参加が進まない一因に「政治はブスがやるもの」イメージの浸透、というのがあると思う。もしくは「自己顕示欲の強いミスコンorタレント崩れの、中途半端に自力で『美人オーラ』を放つオンナ」・・みたいな(笑)(もちろん実際にはかわいくて素直で能力の高い議員も沢山いますが、あくまで一般的なイメージとして、です)まあ、リア充してたら、「社会に不満を持つきっかけ」や「政治に関心を持つ機会」も少ないという傾向はあるのだろうし、「こっちの世界に入っちゃったら、二度と戻れない」みたいな迫力を、おしゃもじおばさんたちが発するのを見て、ちょっと行けないな、と思う若者たちがいても不思議とは思わない。つまりは・・・政治活動をすると「圧倒的にモテなさそう」なので、それとつるむと自分も「モテなくなりそう」。たぶん多くの「恋愛もしたいし、結婚もしたい」と思っている若い女の子たちには敷居が高い分野だったのだと思う。ところが。「SEALDs」女子の登場は、そこを良い意味で裏切ってくれた。以前にも書いたけど、リア充な若者は政治について不満を持つことはない。が、安保法制はそれを越えた、彼らの生活に大きな不安をもたらている、というのが大きいのだろう。国会前に多くの若者らが集まった「SEALDs(シールズ)」の抗議集会彼女たちは美人であろうが、かわいかろうが、その活動は別に自己顕示欲でやっているわけでないところも受け入れられるんだと思う。つまり、ちょっと可愛い女子が政治業界に登場すると。どこかに「自己顕示欲」の悪臭…香水つけ過ぎ、プンプン・・一緒に3分もいられない!というのがあって、特に同性はそういうことを敏感に感じるので、輪が広がらない。が、「SEALDs」の彼女たちが醸し出すオーラはそれとは違い、「もっと一緒にいたい」と思わせるもので、「彼女たちと友だち」というのはステイタスになる。そういう意味では安保法制という実に残念な形ではあるものの、「女性の政治参加」などとお題目を唱えなくとも、こうして新たな人材の芽が伸びて来てくれていることには希望を感じるのである。ただでも、まさにここから、なんだと思う。まっすぐ育ってほしいと思うけど、狡猾な大人たちに利用されたり、下手に「アイドル」的祭り上げられ方して舞い上がったり。内部分裂(たいていは恋愛のこじれから笑)して互いを批判し合ったり・・そんなことにならないようにと願っております☆彼女たちの年齢見ると、意外には幅広なんだね。10代から20代後半まで。26歳の子の演説聞きながら、自分のその頃考えたら、結婚して子ども産んでたな〜と思うと、年齢的な縛りで人生の選択をしなくてよくなっていることは、行動の幅や機会も拡げているんだろうな、と率直な感想として思う。※「井戸まさえ」日誌 2015年7月21日記事より転載。

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    核攻撃から日本人を守る5つの方策

    本国土の66%を占める「山林」を、石油に頼らずに「豊饒化」しておくことは可能であり、それが日本の食料安全保障の最捷径である。英国モデルは、わが国の参考にはならない(その理由も上掲拙著で縷説した)。 山林を豊饒化するための研究開発に集中投資することも有益だ。 一例のみを挙げれば、地中に成る豆の一種である「アピオス/ホドイモ」と、北海道南部以南の日本の森林で旺盛に増殖する「葛」は、同じマメ科の植物だ。しかも染色体数は等しい(n=22)ので、ハイブリッド種が作り易いはずだ。 放任で勝手に山林中に増殖する「救荒植物」を選び、改善し、育てねばならない。食料危機がやってきたとき、いつでも山の地面を掘りさえすれば、そこに豆や芋がある、という状態にしておくのだ。これを農林水産省がやりたくないというのならば、防衛省が自衛隊の演習場を使ってパイロット事業として推進すべきである。「遊撃部隊」の山中自活用だと説明すれば、誰からも文句は出ないであろう。フィリピンと日本は地政学的な同盟国 次に、「フィリピンに対して機雷敷設戦力を大量に無償供与する」こと。 フィリピンと日本は、中共の海洋冒険主義の危険に最も近くさらされている、地政学的な同盟国、運命共同体だといえる。 インドのように独自に核武装ができているのなら、中共からの核攻撃に対して単独で核報復もできるので、中共とのあいだに相互核抑止の関係を成立させることができよう。 しかし独自に核武装ができない日本やフィリピンは、中共体制を亡ぼしてしまう以外に、中共の水爆の脅威から自国の人民を安全にする道はない。これは数学的な結論である。(イージス艦などによるミサイル・ディフェンスが中共の中~長距離核ミサイルに対して無効であることは、過去の拙著で何度も説明したから、略そう。) 中共体制が亡びることは、全アジア人民の自由にとっての利益であるものの、地域の余所者である米国指導層は、悪の体制であっても自分たちがそこから経済的な利潤を得られるのならば黙認してやろうという立場である。これは地政学的にはしかたのないことで、誰も地球の反対側の悪党を退治するためにじぶんの命を危険にさらす者などいやしないのだ。 だから、中共体制を亡ぼすアクションは、日本とフィリピンが、単独で、または連合して、米国政府の意向とは無関係に起こすしかない。これも数学的な結論である。 そしてさいわいにも、中共は「機雷に対して最も弱い」体制である。日本もしくはフィリピン軍が、水深26mよりも浅い大陸棚に沈底機雷を敷設することにより、中共という体制そのものがひっくりかえってくれる。その機序は、拙著『こんなに弱い中国人民解放軍』で解説したので、そちらを参照されたい。 おしまいに、「儒教圏からの捏造歴史宣伝に対しては、主として英文による世界規模の十二分の反論を、即時的・反復的・常続的に実施する」ことを挙げて、しめくくろう。 継続してこのような努力をすることを怠ると、「そうか、日本人はそんなに悪いやつらだったのだから、いま中共の水爆で1000万人ばかり焼き殺されても、それも過去の歴史の報いであって、しかたのない話だろう」という世界世論ができてしまう。 それでは、海外の世論が少しも、水爆保有国による非核日本への「核脅迫」を抑止してくれないことになるのである。

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    正当な自衛権に「歯止め」など百害あって一利なし

    青柳武彦(国際大学グローコム客員教授(元教授)学術博士)筋が通らない野党、平和主義者の主張 安全保障関連法案審議のために平成27年6月5日に開かれた衆議院憲法審査会において、自民・公明両党推薦の長谷部恭男早大教授、民主党推薦の小林節慶大名誉教授、および維新の党推薦の笹田栄司早大教授の三人が参考人として出席した。参考人質疑において、なんと与党推薦の長谷部氏を含めた三人全員が「安全保障関連法案は憲法違反である」と批判した。 野党は鬼の首でも取ったように勢いづいてしまって、違憲の法案は撤回するようにと要求する始末。平和安全特別委員会は紛糾してしまったので、当初予定していた会期中に法案を通過させることは難しくなったと考えざるを得ない。6月10日、衆院平和安全法制特別委で、民主党の辻元清美氏(左下)の質問に答える菅官房長官 菅義偉官房長官が談話で「合憲と考える憲法学者もいる」と述べたが、辻元清美委員から言葉尻を捉えられて「それは誰か、何人か」と迫られた。「西修駒澤大名誉教授、百地章日大教授、長尾一紘中央大名誉教授」と答えたが、「たったの三人か」と逆襲された。菅官房長官は「数ではない」と苦しい答弁をした。くだらないやり取りだが、一般の国民は政府に不信感を持ったであろう。 自民党の佐藤勉国会対策委員長はこの人選ミスに激怒して、同党の船田元審査会筆頭幹事に「参考人の人選には十分配慮してほしい」と申し入れた。単なるミスでは済まされない、全くお粗末な一幕であった。 与党が推薦した長谷部氏は筋金入りの護憲派で、もともと集団的自衛権には反対なのだから、この発言は予想できたはずだ。氏は、宮沢俊義から芦部信喜と続くエスタブリッシュメント憲法学者ラインの中心である。芦部氏の葬儀の折には、長谷部氏が葬儀委員長を務めたほどである。 長谷部氏は宮沢・芦部両氏の憲法論を若干修正して、次項に述べる憲法の性格や自然法との関連についても詳しく論じている。しかし、いざ現実への応用のための条文解釈になると、一般法(民法、刑法、商法などの実定法)の解釈論から一歩も出ていない。憲法九条の条文と現実との整合性に捉われてしまっているのだ。 長谷部氏は、立憲主義と絶対平和主義は両立し得ないとまで言って、「国民全員が無抵抗で殺されてでも九条を護れ」などという絶対平和主義に対しては厳しく批判をしている。かつて『構造と力』を著して、ニュー・アカデミズムの代表とまでいわれた浅田彰京都造形芸術大学教授が若かった京都大学準教授時代に、「(九条は)侵略があれば全滅してもよいという覚悟を語っているのだから、平和憲法はラディカルだ」といったことを思い出させる。 野党やいわゆる平和主義者が、「他国から侵略されたら殺されてもよい」と覚悟をしているのなら筋が通っている。彼らが覚悟をするのは勝手だが、それを他人に押し付けないでほしい。もし覚悟がないのなら筋が通らないので、主張がメチャクチャだ。 長谷部氏は以前から、現行憲法でも個別的自衛権で武力は行使できると解釈すべきであるとの意見表明をしていたので、自民党の人選担当者が間違ってしまったものだろう。しかし、制限的な武力行使は専守防衛に行き着くから、決して勝ってはいけないことを法律で定めるに等しい。 敵は撃退されてもその都度、体制を整え直して何度でも安全に攻めてくることができるから、日本は決して勝つことができない。負けて殺されてしまうわけだから、長谷部氏の平和主義批判は中途半端で貫徹できないことになる。殺されたくないのであれば、憲法に何と書いてあろうとも、自衛隊には「歯止め」なしに全力で抵抗してもらわなければならないのだ。 長谷部氏は、個別的自衛権までは容認するにしても、集団的自衛権には反対だった。本法案を「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」と批判し、「どこまで武力行使が新たに許容されるのかはっきりしていない」と述べた。要は「歯止め不十分論」である。 審査会で長谷部氏の発言を引き出した民主党の中川正春元文部科学相は、党代議士会で「憲法審査会で久しぶりに痛快な思いをした」と満足げに語ったという。日本が滅びてしまったら、もっと満足なのだろうか。「歯止め」論は百害あって一利なし 与党はこれまで、集団的自衛権を容認させるために、自衛権に十分な歯止めをかけて集団的自衛権を容認させようという作戦を取ってきた。そして今回、その根拠法となる法案を成立させておこうとしている。長い間の空想的平和主義者の力が強かった状況のなかで、何とか集団的自衛権を容認させるためのものだ。現実と妥協したやむを得ない政治的判断だったのだろう。 しかし筆者に言わせれば、その作戦こそがボタンの掛け違いの始まりであった。そろそろ憲法とは何か、現行の憲法成立の経緯、第九条の合憲性(?)、という正面突破作戦に移行する必要がある。正当な自衛権にはそもそも「歯止め」などは不要で、百害あって一利なしなのである。 長谷部氏の言うとおり、「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」のは事実である。しかし、もっと重要なのは、変転する国際情勢のなかにおいて、有効に平和と安全を確保するためには日本は如何にあるべきかを考えることであった。憲法九条の条文との整合性にこだわって、「歯止め」論中心に議論を進めるべきではなかったのである。 坂元一哉大阪大学教授は、平成19~20年の日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の有識者委員を務め、常に傾聴に値する正論を吐いてきた学者である。 しかし彼でさえも、6月8日の産経新聞において「特に大切な『歯止め』議論」という一文を発表した。本稿が提案する、今後の長期的な正面突破作戦の足を引っ張るものだ。 坂元教授は「憲法の平和主義と、安全保障の実効性を両立させる観点から、(『歯止め』議論は)とくに大切な議論だと思う」とし、「憲法の平和主義は、わが国の武力行使を、自衛のための必要最小限のそれに限っている」と指摘、その歯止めの代表例として「海外での武力行使を一般に禁じる政府の解釈」(昭和29年の参議院決議)があり、これは簡単に外せるものではないと述べている。 さらに、「私は新法案が、自衛隊派遣に国会の事前承認を例外なく義務づけたことを評価する」とまで述べている。 海外派遣の派遣地にしても、政府は「戦闘状態ではないと判断される地域」のみと説明しているが、そんな地域があるわけがない。その地域が戦争になったら一目散に逃げるだけなのか、駆け付け警護に来てくれた同盟軍が、もし別の時に危機に襲われた時に日本の自衛隊は助けに行けないのか。そんな国際的に軽蔑されるような品格の欠如した法律を自衛隊に押し付けて良いのか。 武力行使の新三要件などは、いくら反対派を黙らせるためとはいえ、自衛隊を不必要に束縛して日本人の名誉を傷つけるものだ。要は、国内でも海外でも、日本が他国にしてほしいことを日本もできるようにすることだ。「歯止め」論こそ、自衛隊のリスクを増大させる この安全保障関連法案は自衛隊のリスクを増大させる戦争法案だ、などとわけのわからない反対論をぶつ人間がいるのも困ったものだ。新しい任務ができれば、それに伴う新しいリスクが生じるのは当たり前だ。しかし、集団的自衛権を行使できるようになれば抑止力は増すから、戦争が起こる危険性は減少する。つまり、自衛隊のリスクの総量は減少するというのが理屈だ。 しかし何よりもここで強調しておきたいのは、本当に自衛隊のリスクを増すのは「歯止め」論である。制限的・限定的自衛権を唱えて「歯止め」論を振りかざしている輩こそが、自衛隊員のリスクを増やしているのだ。 こうした「歯止め」論の前提は下記の三つの想定を根拠としている、と筆者は考える。三つながらにして事実誤認で、全く根拠がない想定だ。しかも自分勝手で卑怯だから、日本を貶めることになる。 第一の前提は、現在の自衛隊の戦力は世界に比類のないほど強大なので、どんな歯止めを掛けても掛け過ぎることはないし、十分、国防の任を果たすことができるという想定だ。 根拠のない希望的な期待だから盲信といってよい。一旦戦争になったら、互いに技術の粋を尽くしてのハイテク戦争となって「死ぬか生きるか」の戦いになるのだから、「歯止め」などを掛けていたら話にならない。自衛隊の戦力を削ぐのではなく、支援増強する策が必要なのだ。 第二の前提は、日本国民は歯止めなしにはすぐに侵略戦争に乗り出しかねない好戦的な国民だという想定だ。特に他国における武力行使は、よほどのことがない限り原則禁止にしておくべきであるというものだ。自尊心も名誉もかなぐり捨てた卑しい想定である。日本国民をこれほど侮辱した発想はないだろう。 憲法第九条は、日本が二度と復活して国際舞台に登場してくることができないようにするために、ポツダム宣言(占領相手国の法律を力で変更させてはならない)に違反してまで連合国が押し付けた条項である。日本側(松本委員会)がこれに抵抗しようとしたら、マッカーサーにそれでは日本の国体維持を保証することはできないと恫喝されて呑まされた条項である。 第三の前提は、日本に対して武力で侵略してくる国はないか、あってもすぐに撤退してしまうだろうという想定だ。現状の国際情勢に全くの音痴の前提としか言いようがない。中国が天安門広場で、ウイグルで、チベットで何をしてきたか。さらには、東シナ海と南シナ海で現在何をしているかを見ればすぐ分かることだ。 甚だしい事実誤認だから官邸、外務省、防衛省、自衛隊も国民に対して現状をよく説明すべきである。 つまり、三つの前提とも極めて非現実的な想定で成立しないのだから、残るは憲法第九条の字面と現状との整合性の問題だけである。現状との整合性の問題は、政策の妥当性や国家の安全性などの価値判断分野とは何の関係もない。新法案はポジティブ方式からネガティブ方式に切り替えよ 今次の安全保障関連法案は「自衛隊法」などの十本の法律改正案と一本の新法、すなわち「国際平和支援法」から成り立っている膨大なものである。筆者は、この法案は是非とも通過させることを願っている者であるが、あくまでもこれは憲法改正までの間に集団的自衛権に法律的根拠を与えるための経過措置的な法整備と考えている。 しかもこれらの法律の本質は、自衛隊の戦力を縛るための「歯止め」論である。ポジティブリスト方式(許可されることを列挙して他は全て禁止)であるから、現実には臨機応変の対応は不可能である。たとえ許可される行動を予め何千例、何万例挙げておいても、全てのケースを網羅することはできないし、現場の指揮官が全ての法定許可事項を瞬時に判断することなどもできない。 坂元教授が評価する「自衛隊派遣に国会の事前承認を例外なく義務づけた」などは、極めて現実を無視した暴論だ。事前承認を取る暇がなかったら何もしないのだろうか、自衛隊に超法規的処置を迅速に取るように期待するのだろうか、それともそんなケースは起こり得ないとでもいうのだろうか。 したがって将来、めでたく憲法改正(特に第九条)が成就した暁には全部をいったん無効として、改めて一本にまとめてほしいと考えている。要は、「武力行使が生じたら絶対に勝つこと、国際法に違反すること以外は何をやってもよいこと、及び具体的判断は全て現場の指揮官に任せること」を明らかにして、あとは手続き論を定めておけば良いのだから、一本にまとめることはそう難しくないはずだ。 とにかく、現場の自衛隊と十分に打ち合せを行って実効性のあるものに作り直していただきたい。作り直す新法律は、是非とも他国と同様なネガティブ方式(国際法違反などの禁止事項のみを決めておいて、他は現場指揮官の判断に任せる)というものにしてほしい。 “下衆の勘繰り”かもしれないが、筆者はこんな大部の法律案ができてしまったのは、怠け者の官僚の責任転嫁精神の産物ではないかと疑っている。田母神俊雄元自衛隊航空幕僚長が近著『田母神「自衛隊問答」』のなかで語っておられるが、「自衛隊が縛られる理由として、(官僚は)何かあったときに自分たちがトラブルに巻き込まれないよう、あらかじめ先手を打ち、文句をいいそうなところにお伺いをたてておく体質が染みついていることが大きいと思うようになりました。(中略。官僚に疑問点を)聞いたら必ず向こうに縛られる。だから『規則に書いてあることを、私はこう解釈してやりました』といえ」と命令したとのことだ。 昭和53年(1978)に自衛隊のトップである栗栖弘臣統幕議長が「現行法制では有事の際、超法規的に行動せざるを得ない」と発言して、当時の金丸信防衛庁長官から解任されてしまったことがある。 この事件の大方の受け取り方は、シビリアン・コントロール原則に違反するというものだったが、栗栖氏の真意は「こんな自衛隊の手足を縛る法律ばかりでは動きが取れないから、いっそ何もないほうが自由に動けるから効果的だ」というものだったろう。憲法学者ほど憲法を知らない憲法学者ほど憲法を知らない 憲法は自然法に基づいて、国家のあり方の基本を規定する法律である。刑法、民法、商法などの一般法とは全く性格が異なる。ところが、日本の多くの憲法学者は自然法、法哲学、法理、立法論などの分野に全く疎いという大問題がある。裁判官、検事、弁護士などの職業的法律家もそうだから、司法試験制度の弊害なのかもしれない。 これは、現在の憲法学者がかつて教えを受けた当時の憲法学者の権威たちが、GHQが日本国民に押し付けたWGIP(戦争責任情報プログラム)の影響を受けて、自虐的な憲法理論を展開してきたことに遠因があるといって良いだろう。 当時、国際法の世界的権威と目されていた横田喜三郎東京帝国大学教授(当時)は、驚くことに東京裁判が正統なものであったと論じた。 彼は『戦争犯罪論』を書いて東京裁判史観を無批判に受け入れ、かつ「ほとんどすべての国家の間で、侵略戦争を国際犯罪と見ようとする強い意向のあることは、疑いを入れない」とまで述べた。安全保障関連法案の廃案を求める声明を発表する小沢隆一・東京慈恵医大教授(中央)ら=7月3日午前、東京・永田町 憲法学者を含む当時の多くのエスタブリッシュメント法律学者も雪崩の如く、これに追随してしまった。かく言う筆者は憲法学者ではないが、学位は法律論(情報法)で取得したのでまるっきりのド素人というわけでもないし、法哲学はカバーしてきたつもりだ。 いろいろな意見が飛び交うのが当然のこうした問題で、こうも多数の憲法学者の意見が違憲であると一致してしまうのは異常としかいいようがない。 日本の憲法学者のほとんどは一般法と同じ法律的アプローチで、つまり一般法の法解釈学をそのまま援用して憲法解釈を行う。したがって、憲法は如何にあるべきかという立法論的発想は全く欠落しているし、自然法の法理のほうが優先するなどとは夢にも思わない。この意味で、日本の憲法学者の多くは間違った憲法論を展開していると断じざるを得ない。 米国の最高裁には、憲法のある条文全体を実質的に無効にしてしまうような判例を打ち立ててしまった例がある。米国の修正憲法第一条は言論の自由の絶対的自由を定めているが、米・最高裁のホームズ判事は「あらゆる自由や権利は互いに競合するのだから絶対的な自由も権利も存在しない」というのが法理であるとして、「明白かつ現在の危機(Clear and present danger。現在は『明白かつ切迫した危険』に改定)がある場合には言論の自由を制限しても違憲ではない」という判例を確立した。 これは、修正憲法第一条全体を実質的にほとんど無効にしてしまうものであった(本誌の昨年8月号拙論「内閣法制局の体質改善を!」をご参照願いたい)。憲法九条で基本的人権を守ることはできない 日本の憲法の根幹は主権在民平和主義、および基本的人権の尊重である。この点については筆者も異論はない。しかし現実の条文の構成には、それとは整合性がない部分が多い。 たとえば、第九条の文言をそのまま実行したら、主権者たる国民の生命と財産を有効に護ることも、国民の基本的人権を護ることもできない。したがって、自然法が優先するという法理に従えば、第九条全体が無効であると言わねばならない。 つまり、まともな憲法学者ならば「現行憲法は主権者たる国民の生命と財産を護らないから自然法に反し、したがって無効である」と言わなければならないのだ。少なくとも、第九条は制限的・限定的に読むべきではなく、自然法の趣旨を活かす方向、つまり積極的かつ広範囲に解釈すべきである。「歯止め」などは“憲法の根幹”に背くものなのだ。 しかし、現在まで最高法規として通用させてきてしまったという現実があるから、それとは妥協しなければならないだろう。その経過措置としての法律的手続きが今回の安全保障関連法案なのだ、と筆者は解釈している。したがって、後述するように憲法改正が行われたらさっさと無効化して、“憲法の根幹”に添ったものに作り直してほしいと考えている。 6月11日の憲法審査会において、自民党の高村正彦副総裁(弁護士出身)は「自衛隊ができた時にも日米安全保障条約ができた時にも、日本の憲法学者のほとんどは反対であった。憲法学者の言うとおりにしていたら、今頃は自衛隊も日米安全保障条約も存在しない」と反論した。 憲法学者は選挙で選ばれた国民の代表ではないし、憲法の番人でもない。それに彼らが問題にする合憲性というのは、現行の法律制度と現行憲法の条文の字面との間に整合性があるかどうかを意味するだけである。国際情勢や政治情勢と日本の現状の間に整合性があるかどうかを意味するものではない。合憲だからと言っても、安全保障上の価値があるわけではない。砂川判決での基本原理 某野党議員はテレビで、「砂川判決のような“古い見当違いの判決”を持ち出すのはおかしい」と発言して、自らの無知と不勉強さを露呈した。分からないのだったら発言しないでほしい。長谷部教授や民主党の枝野幸男幹事長(弁護士出身)は、砂川判決は日米安全保障条約に基づく米軍駐留の合憲性についての判決であって集団的自衛権を認めたものではない、と主張をしているが当たらない。 憲法はその第81条において、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定している。憲法問題についての最終判断は最高裁が行うもので、政治家や憲法学者が行うものではない。 日本は米国と同じ、付随的違憲審査制といって具体的案件についての訴訟が生じた時にのみ、最高裁が違憲審査を行う制度を採用している。つまり、・手掛かり・となる具体的な訴訟がまだ提起されてもいないのに、予め憲法およびその他の法律上の問題が発生するであろうと最高裁が予測して、予め判断を下すことはないのだ。他の、憲法裁判所があって抽象的違憲審査制を採用しているオーストリア、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパ大陸の国々や韓国とは異なる点である。 たしかに長谷部氏の指摘するとおり、砂川訴訟は米軍駐留という具体的案件についてであった。最高裁は日米安全保障条約については統治行為論を援用して判断を避けたが、下した判決の主要な点は「自国の存立のために必要な自衛措置は認められると」という基本的原理についてだ。 この基本的原理こそが重要なのだ。米軍駐留の合憲性という具体的案件についての判断は、単なる付随的なものである。“手掛かり”としての具体的案件については、判断が下されないことさえある。 最高裁が示す基本的原理の汎用性については、警察予備隊の合憲性が争われたケースがある。 昭和25年(1950)8月に創設された警察予備隊が憲法第九条に反するので違憲であることを、日本社会党の鈴木茂三郎が最高裁判所に訴えた。最高裁大法廷は全員一致で、具体的案件の“手掛かり”性を否定して訴えを却下した。訴訟目的の警察予備隊の違憲性については、判決には一切言及されていない。判決が示した基本原理は「自国の存立のために必要な自衛措置は認められる」というもので、警察予備隊の合憲性を暗に示唆している。 問題の砂川判決は、米軍駐留という具体的案件を“手掛かり”にして、「自国の存立のために必要な自衛措置は認められる」という基本的原理を決めた極めて重要な最高裁の判例であるから、“古い見当違いの判決”でも何でもない。現行憲法は即時、全面的に廃棄すべき 誤った立憲主義の解釈に、「憲法というのは政権を縛るものであるから、縛られる立場の政権が憲法を変えるというのはおかしい」がある。たしかに、憲法の歴史的成立過程においてはそうした一面があったのは事実である。しかし現在では、一国の法律体系を律する最高法規という位置づけのほうが中心となっている。 憲法は国の在り方についての根本的な姿を定めるものだ。したがって、先ず国を取り巻く国際的環境はどうか、政治的社会的環境はどうかなどという問題と国の姿との間に整合性があるかどうかこそが重要なのだ。 つまり、本当の立憲主義とは条文の字面に捉われることではなく、激変する国際的・政治的社会的情勢のなかで、憲法を変遷せしめて最高法規としての規範性を保つことだ。これこそが真の護憲の姿勢だ。 たとえば、道路の舗装も自動車の性能も悪かった時代には、速度制限が時速40キロであっても合理性がある。しかし道路事情が格段に整備されて自動車の性能も良くなったら、たとえば100キロ制限に改正するのが合理的であり、社会情勢の変化に即応している。 40キロ制限のままでは誰も法律を護らなくなる。法律を改正せずに「悪法も法なり」としてスピード違反を取り締まるのでは、法としての規範性が保てない。 憲法の条文自体の変更はしないが、解釈を変えることによってその規範的意味が修正されることを「憲法の解釈変更による変遷」という。解釈変更による憲法の変遷は姑息な手段であり、法を蔑ろにしているとの批判があるが、これは全く当たらない。改正規定があまりにも厳しい場合には、解釈の変更によって憲法を実質的に変遷せしめることによって、憲法の最高法規としての規範性を維持するしかない。 基本的には、筆者は現行の憲法は連合国による強制的押し付けによって制定されたものであるから正統性がないので、即時に全面的に廃棄して日本独自の憲法を作るべきであるという意見である。しかし、制定してから現在に至るまでの長きにわたって、日本の最高法規として有効に機能してきた事実が厳として存在するので、その事実とは妥協しなければならないとも思っている。 現状では緊急の事態が迫っているにもかかわらず、硬性憲法および政治的混乱の故をもって迅速な対応ができないままでいる。したがって已むを得ざる妥協策として、解釈変更による対応も現実的であると考えている。「安全保障関連法案は、先ず憲法改正を行ってから提出するのが順序ではないか」というのはもっともらしく響くが、実は反対のための反対に過ぎない。 筆者が「歯止め論抜き」の完全な集団的自衛権を持つべきであると主張するのは、日本は究極的には米国と組んでアジア太平洋地域の安全保障のために、北大西洋条約機構(NATO)をモデルとした太平洋条約機構を作るべきだ、と考えているからである。 現状の国連・安保常任理事会はロシアと中国の拒否権のおかげで機能不全であり、アジア太平洋地域の安全保障には何の寄与もしていない。それどころか、国連憲章上は日本は「敵国」の位置づけだ。さらに、人権理事会は韓国からの慰安婦問題を鵜呑みにして、日本を非難攻撃している。 そういう国連に、日本は米国に次ぐ多額の財政上の負担をしているのだからお人よしにも程がある。日本は国連の現状が改まらないのであればさっさと脱退して、アジア太平洋諸国の集団的自衛権を糾合し、太平洋条約機構の構想推進に邁進すべきである。そのためには、まず日本がフルセットの自衛権を持たなければ話にならない。  

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    憲法を聖典と心得る阿呆ども

    九段靖之介憲法に沿うか沿わないかの堂々巡り 安保法制をめぐって、国会で神学論争が続いている。 「おっしゃることが、よくわからない」 「それでは答えになっていない」 ラチもない質疑の繰り返しだ。詰まるところ、憲法に沿うか沿わないか、それをめぐって堂々巡り。いつ果てるともしれない。 会期を延長したところで、議論は尽きない。結局は例によっての強行採決となろう。それが野党の狙いで、これまた例によって「多数の横暴だ」「立憲主義に反する史上稀に見る暴挙だ」などと言い立てて、「安倍独裁」を印象づける算段だ。 この議論、大方の日本人にはわかるまい。いや、わかろうともしない。どうでもいい議論、所詮は野党のパフォーマンスと冷ややかに見ている。それもそのはず、この種の神学論争に日本人ほど無縁な民族も珍しい。 古来、西欧や中東では、聖書やコーランの解釈をめぐって血みどろの抗争が続いてきた。聖典の解釈権を独占した者が、人間を内心から縛り上げるほどの権力を得る。実態は権力闘争で、それと知らない善男善女が踊らされて血みどろの抗争となる。ちなみに、英語で宗教を意味する religion の語源は、ラテン語の religio=「縛る」からくる。 くらべて日本には聖典に当たるものがない。神道には教典もなければ教祖もいない。そんなものは要らないよ、と大方の日本人は思って暮らしてきた。よって聖典をめぐる抗争は起こりようがない。たまさか仏典の解釈権をめぐって宗派間の争いがあっても、大方の日本人はそれをヨソ目に知らんふりだ。野党の緊急院内集会に臨む、(右から)民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長、「生活の党と山本太郎となかまたち」の玉城デニー幹事長。後ろはテレビに映る、記者団の質問に答える安倍晋三首相=7月16日午後、国会内(長尾みなみ撮影) 目下の国会のラチもない論争は、憲法を聖典と心得るところからくる。かつて明治憲法は「不磨の大典」とされ、天皇は「現人神」で、その「御心」に沿うかどうかをめぐって権力闘争が展開され、挙げ句は「八月十五日の悲劇」に至った。明治憲法を策定した伊藤博文の曰く、 「西洋にはキリスト教なるものがあって、これが国の機軸をなすが、日本にはそれに相当するものがない。よって皇室をもって機軸とし、あえて西欧流の三権分立制を取らず」(帝国議会における説明) 「現人神」を擬制することによって、内に忠誠心を調達し、二百余州を束ねて外に対抗する。軍服を着た三代の天皇は、日本史上きわめてヘテロ(異質)な時代だが、これによって西力東漸をハネ返し、歴史家トインビーにいわせれば「アジアで羊のごとく毛を刈り取られることのなかった唯一の国」たり得た。本来、憲法は一種の慣習法 明治憲法は支払うものも大きかったが、得たところも大きい。メリットとデメリットを併せ持つシステムだったといえる。国のシステムの長所を活かし、短所を減じることができるのは議会の他にはない。最大の短所は軍の統帥権で、議会はそれと気づきながら改変の勇気と努力を欠き、挙げ句は機能不全に陥り、「八月十五日」に至った。 憲法を「不磨の大典」、アンタッチャブルなものにしてはいけない。本来、憲法は一種の慣習法で、国の構成員(国民)の多数が集団生活のルールとして諒とする約束事で、これを時代に即応して内に向けても外に向けても自在に変えていくのは当然で、何の不都合もないはずだ。 アメリカ憲法は二十七回、ドイツ基本法(憲法)は数十回も修正されている。一代の論客・福田恆存は現行憲法を「当用憲法」と呼んだが、憲法を含めて法律のあらかたは「当座の用に間に合わせるもの」で、これを不磨のプリンシプル(原理・原則)とすれば、時代に即した動きができなくなる。民主党が何かと遅延行為を繰り返す理由 鉄血宰相ビスマルクの箴言がある。 「政治においてプリンシプルを振り回すのは、長い棒を口にくわえて森の中を駆け回るようなものだ(口が裂けて怪我をする)」 日本を取り巻く国際環境は日々に厳しくなっている。早い話、いまの憲法を抱えたままで中国の脅威に対抗できるか。元幕僚長から聞いたことがある。 「いまの自衛隊は引き金に指をかけながら、憲法違反になるかどうか考える、そんな状態で国を守れますか」 目下、衆院で共産党と社民党を除く超党派の議員連盟五十人によって、憲法改正を視野に入れた憲法審査会が始まっている。改正の原案作りを目指すが、議論は入り口で頓挫し、一向に原案作りに進まない。最大のブレーキは民主党だ。民主党が何かと遅延行為を繰り返すのは、原案作りが具体化すれば、それをめぐって党内分裂が生じるからだ。 さきごろ「政界引退」を表明した橋下徹が、自らのツイッターでこう言っている。 「民主党は日本にとって良くない政党です」  

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    憲法学者の間違った「憲法論」

    憲法を聖典よろしく盲信し、「安保法制は違憲だ」と批判する憲法学者たち。国家は如何にあるべきかなぞ頭になく、憲法条文の字面との整合性しか考えていない彼らの意見など、気に留める必要はまったくない。

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    平和主義は「無防備」ではない 集団的自衛権の本質突く議論を

    坂元一哉(大阪大学大学院教授) 国会で審議されている安保関連法案について、多くの憲法学者から、たとえ限定的であっても、集団的自衛権の行使を容認する法律は、憲法違反ではないかとの批判が出ている。 政府と与党が、長い時間をかけて慎重に検討した重要法案だけに、そうした基礎的なところに批判が出たことは、残念というしかない。だが、専門家がそう批判する以上、政府は、集団的自衛権の限定行使を容認する新しい憲法解釈に基づく法律が、なぜ憲法違反ではないのか、国民に対し、より一層、丁寧かつ分かりやすく説明する必要があるだろう。平和主義は「無防備」ではない いうまでもないことだが、ある法律が憲法違反にあたるかどうかを最終的に判断するのは、最高裁判所の仕事である。その意味で、いま政府が、集団的自衛権の限定行使を容認する法案が憲法違反にあたらないとするのは、学者の批判が正しいか正しくないかは別にして、この法案が国会の審議を経て現実に法律になり、その法律に関連して訴訟が起こっても、最高裁判所が憲法違反の判決を下すことはない。そう判断している、ということだろう。 その判断の根拠は何か。政府が説明に使う最高裁の砂川事件に関する差し戻し判決(1959年)は、憲法の平和主義が「決して無防備、無抵抗を定めたものではない」と述べたうえで、わが国が「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」だとしている。 またこの判決は、たとえば安保条約が違憲かどうかというような「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有する」問題は、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」との判断も示している。 この砂川判決を前提にすれば、将来、最高裁判所が政府がいう意味での集団的自衛権の限定行使について違憲判決を出すようなことはない。政府はそう判断しているのだろうが、私には、ごく当然の判断のように思える。議論混乱させた舌足らずの説明 というのも、政府が新しい憲法解釈でできるとする集団的自衛権の限定行使のための武力行使は、あくまで砂川判決にいう、国の「存立を全うする」ための、「自衛のための措置」としての武力行使、それも必要最小限の武力行使だからである。それが「他衛」にもなるからといって、最高裁が「一見極めて明白に違憲無効」と認めるとは考えにくい。 むろん、この安保関連法案が、国会審議を経て法律になった後、万一、最高裁がその法律を違憲だと認めれば、法律は、改正しなければならない。その前提で法案を審議するのが立憲主義のルールだろう。6月22日の衆院平和安全法制特別委で意見を述べる宮崎礼壹・元内閣法制局長官 最高裁の砂川判決に関連して、憲法学者のなかには、この判決でいう「自衛のための措置」は個別的自衛権のことであって、集団的自衛権は含まれない、と議論する人がいる。国際法上の集団的自衛権の意味を誤解した議論だと思う。「自衛のための措置」とはもちろん自国を守るための措置のことだが、個別的自衛権も集団的自衛権も、どちらも自国を守るための措置として、国家に認められた国際法上の権利だからである。 この点、国会に参考人として呼ばれた元内閣法制局長官が、集団的自衛権の本質は「他国防衛」だ、と述べたことには考えさせられた。歴代政府のそういう舌足らずの説明こそが、議論を混乱させてきたのではないだろうか。死活的な地域の防衛は自衛措置 もし集団的自衛権の本質が他国防衛なら、なぜその権利を「自衛」権と呼ぶのか。また日米安保条約では米国は、この権利に基づき日本を助ける(武力攻撃に共同対処する)ことになっているが、それは日本への武力攻撃が米国の「平和及び安全を危うくする」(第5条)からである。米国にとって日本防衛は「自衛のための措置」ではないのか。 集団的自衛権という言葉は、個別的自衛権と同じく、国連憲章(45年)ではじめて使われた言葉である。だがこの権利の考え方自体は、それ以前から存在していた。それがよく分かるのは、英国が、国際紛争解決の手段としての戦争を禁じた不戦条約(28年)を結ぶ際に、自衛権に関して付けた留保である。そのなかで英国政府は、世界には英国の平和と安全に「特別で死活的な利害関係」のある地域があるが、それらの地域を攻撃から守ることは、英国にとって「一つの自衛措置」だと明確に述べている。 集団的自衛権の本質は「自衛のための措置」としての他国防衛なのである。従来の舌足らずの説明を修正して、国の「存立を全うする」ため、他に適当な手段がない場合に限り、必要最小限、この「自衛のための措置」をとりうるようにする。それが、新しい政府憲法解釈の要点である。さかもと・かずや 1956年、福岡県出身。京都大学大学院修士課程修了、三重大学助教授などを経て大阪大学大学院法学研究科教授。「戦後日本外交史」で吉田茂賞、「日米同盟の絆」でサントリー学芸賞、正論新風賞(2008年)など日米関係に関する活発な評論活動で知られる。 

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    政治主導で一閣僚に解釈委ねていたのに 護憲唱える「パリサイ人」たち

    法解釈変更は「日本が立憲主義や法の支配を失う国となりかねない」と主張し、来週中に報告書を出す政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)についてこう批判する。 「通説的な憲法学者が一人も参加していない」 この行為にも、イエスのことを人心を惑わすとして当時の支配国だったローマ政府に訴えたパリサイ人を連想した。民主党の長島昭久元防衛副大臣がツイッターで「属国でもあるまいし、嘆かわしい」とつぶやいたのももっともだろう。 結局、オバマ氏は集団的自衛権見直しの取り組みに「歓迎と支持」を表明したのだから、彼らは二重に恥をかいたことになる。 彼らは安倍晋三首相が「(憲法解釈に関する)政府答弁については、(内閣法制局長官ではなく)私が責任を持つ」と述べたことについて、「憲法は権力を縛るもの」という立憲主義の否定だと批判する。参院予算委員会で質問に答える枝野幸男経産相(当時)=2012年3月13日(酒巻俊介撮影)民主政権の時は… 内閣の一部局にすぎない内閣法制局を首相の上に置くような議論も倒錯しているが、そもそも彼ら自身が権力の座(与党)にいるときはどうだったか。 民主党政権は「政治主導」の名の下に内閣法制局長官の国会答弁自体を認めず代わりに法令解釈担当相を設けた。自分たちが政権を運営しているときには一閣僚に憲法解釈の権限を委ねておきながら、野党になると首相にすらそれは認めず「憲法破壊だ」などと言い募っている。また現在、盛んに安倍政権を批判する憲法学者らが民主党政権時代にも同様に、あるいは今以上に警鐘を鳴らしていたとは寡聞にして知らない。結局、自分たちの意向やイデオロギーに沿うかどうかで対応は変わるのだろう。 「みずからの正義について多弁を弄する一切の者たちを信用するな!(中略)彼らが自分自身を『善にして義なる者たち』と称するとき、忘れるな、パリサイの徒たるべく、彼らに欠けているのは-ただ権力だけであることを!」 哲学者、ニーチェはこう喝破している。権力を持ったときは好き勝手に振る舞い、権力を失うと正義の仮面をつけて反権力を気取るのだ。パリサイ人には現在、「偽善者」「形式主義者」という意味もある。この種の人には気をつけたい。

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    有事に戦えぬ自衛隊を変えるには戦死者出すしか、と内部の声

    三首相は「自衛隊による在外邦人救出のための法整備」に意欲を示した。集団的自衛権の行使容認を軸に日本の安全保障政策が大きな転換期を迎えようとする中、自衛隊員たちは何を考えているのか、ジャーナリストの田上順唯氏がレポートする。* * *「今まさに国民が殺されようとしているのに、われわれは見ているだけで何もできない。これほど辛いことはない」 イスラム国に拘束された湯川遥菜さんと後藤健二さんの殺害が報じられた直後、30代前半の2等陸曹は唇を噛み締めこう呟いた。部隊の班長として若手隊員をリードする彼が自衛隊に志願したのは10代のころ。多感な時期に発生した北朝鮮工作船事件(2001年)や米国の同時多発テロ(同)がきっかけだった。「阪神大震災の災害派遣で献身的に任務を遂行する自衛官に憧れていたこともありますが、北朝鮮の不穏な動きや対テロ戦争を目の当たりにし、いつか日本にも有事が迫るという危機感を持つようになったのです。われわれの世代から下は、『いざというときに国民の楯になる』という強い意志と覚悟を持って自衛官になった者がとても多い。 ところが現状では、武力による国民の奪還すらできません。国民の生命が危機に晒されたとき、国家として自衛隊を活用するというオプションは当然必要だと考えています」 こうした若手自衛隊員の“リアルな戦争”に対する意識の高まりは、韓国の反日暴走や中国の軍事挑発がエスカレートしたこの10年間で一気に膨張し、陸・海・空全部隊に浸透したと言われている。陸上自衛隊海田駐屯地の記念行事で雨の中を行進する陸上自衛官 防衛省幹部は「あくまで現場レベルの話ではあるが」と前置きした上でこう語る。「尖閣を巡る中国軍の執拗な挑発に業を煮やし、『やれるものならやってみろ』、『われわれのほうが錬度は上だ』といった声が上がっているのは事実だ。“命令されればやる、やるなと言われればやらない”という組織としての高度な意識は徹底されているものの、『周辺国にここまで挑発されて沈黙を守る市ヶ谷(防衛省)を変えるには、戦死者を出す以外に方法はない』という過激な声もある」 その言葉通り、現場では“有事に戦えない”自衛隊に対する不満が燻っていた。「市ヶ谷は20年の東京五輪を前に制服の一新を計画しているが、平和ボケとしか言いようがない。現場では必要な装備品や人員が慢性的に不足している。日本を巡る安全保障が急激に悪化する中、自衛隊が現実に即した『実力集団』になるためにも、ある種の“危機”が必要と考える隊員は少なくない。余暇を利用し、戦技・戦術を隊員同士で研究、訓練することは、もはや一般部隊でも日常的光景だ」(20代の陸曹長)関連記事■ イラクで活躍「ヒゲの隊長」 震災後の自衛隊の活躍を報告■ 女性自衛官1.2万人 ヘアカラーやネイルはどこまで許される?■ 山崎豊子氏遺作は戦争しない軍隊・自衛隊を描いた未完の大作■ 日米合同軍事演習を終え海兵隊員と陸自隊員が笑顔で肩を組む■ 元防衛大臣・北澤俊美氏が震災時の自衛隊の働きを解説した書

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    加速する中国の海洋覇権拡大 新安保法案の議論に戦略感覚を

    西原正(平和安全保障研究所理事長) 中国の東・南シナ海における海洋覇権拡大の動きが加速化している。東シナ海における海洋プラットホーム建設も南シナ海の帰属未定の島嶼(とうしょ)や岩礁の人工島化も軍事拠点となる様相が強い。力による現状変更であり、両海域の力の均衡に影響を与える動きだ。ここ数カ月の米国の対中批判は厳しいものになっており、南シナ海ではすでに艦船や偵察機でパトロールをし、中国の妨害に遭っている。 しかし国会の新安保関連法案の審議を聞いていると、安全保障問題をあまりにも開けっぴろげで議論しており、これで本当に安全保障政策が維持できるのか不安になる。3点提起したい。機微にわたる質問は控えよ まず第1に、一国の安全保障政策とは、軍事的脅威に対して最悪の事態を考慮して対応策を練っておくことである。その対応策を準備するにあたっては、敵性国に知らしめない機密の部分を秘めているのでなければ、効果ある政策にはならない。その意味で政策のどこの部分を公開しないかという戦略的感覚が必要になる。ところが、国会の議論は存立危機事態や重要影響事態がどの地域で起きやすいのか政府の見解を公然と要求したり、またその際、自衛隊はどんな役割を果たすべきかを法律で規制したりしようとしている。 自衛隊の行動を原則的に法律で規定しておくのは必要であるが、どういう事態に、どこで何をする、あるいはしないを規制するのは、政策の選択肢を狭めることになり、日本の安全を弱めることになる。この辺の戦略感覚が与野党ともに不十分なのは残念である。 衆議院の審議段階で、野党は「自衛隊の海外派兵はしない」ということを法律に書くべきだと主張したが、これも自衛隊の行動を縛ることになる。今回の法案下では、日本の原則は個別的自衛権の行使に重点をおき、基本は専守防衛にあるが、同盟国ないし友好国との間で集団的自衛権を限定的に行使することにある。民主党などはこの点の原則的理解ができれば、機微にわたる部分の公開での質問は控えるべきである。機雷掃海の場所明言は残念 野党は政府に対して「南シナ海で自衛隊は機雷掃海をするのか」とか「朝鮮半島近辺で邦人輸送中の米艦船が武力攻撃を受けた場合は自衛隊は米艦船を守るのか」といった点なども、一定の原則的説明を受けたあとはそれ以上の議論を公開の場ではすべきでない。 5月28日の衆院平和安全法制特別委員会の議論では、安倍晋三首相自らが「自衛隊が機雷掃海するのはホルムズ海峡であって、南シナ海では想定していない」と明言した。首相は存立危機事態を説明するために例示的に出した方が野党やテレビを視聴している国民の理解を助けると考えてそうした答弁をしたのであろう。しかし中国はこれをどう受け止めるだろうか。中国は「日本は南シナ海では機雷掃海はしないから、自分たちは安心して機雷を敷設できそうだ」と判断するのではないか。 安倍首相は「自衛隊が南シナ海で機雷掃海をするかどうかについて明言するのは避けたい」とか、「南シナ海で自衛隊がどういう行動をとるかは事態の進展によって決定する」と答弁すべきであった。こうすることで中国などの動きを牽制(けんせい)、抑止できる。一定の機密性が必要だ 第2に、首相は南シナ海で機雷が敷設されれば「(スマトラやジャワ島の南を通るなど)さまざまな迂回(うかい)路があり得る」と答弁した。もし南シナ海に機雷が敷設されたとなれば、ほとんどの商船は迂回するであろう。しかし首相は、海上自衛隊は南シナ海で機雷掃海をする必要はないという意味でこう答弁したのである。共同訓練のため、海上自衛隊のP3C哨戒機に乗り込む海自隊員とフィリピン軍要員=6月23日、フィリピン西部パラワン島のプエルトプリンセサ(共同) もし敵性国が南シナ海に機雷を敷設すれば、米軍は日本とともに掃海作戦に臨むことを期待するであろう。その時に、日本が機雷掃海作戦に加わらないとなれば、米国はこれで同盟関係なのかと失望するであろう。同時に自分たちの経済活動や安全保障に影響を与える東南アジア諸国連合(ASEAN)からも苦情が出そうである。 第3に、米国は南シナ海で日米が合同パトロールをすることに関心があるようだ。こうしたパトロールを実施するには、周辺国の了解が必要になるであろうし、安倍内閣もその必要性を強調している。また艦船は何隻必要になるのか、燃料の補給はどこで行うのか、そしてパトロール隊が敵性国から妨害ないし武力攻撃を受けた場合はどう対応すべきかなどの点を、日米ないし関係国間で協議しておく必要がある。 幸いフィリピンのアキノ大統領は、自衛隊にスービック湾の軍事施設を使用するよう促している。日米はASEAN諸国、特にベトナムとフィリピンの了解と支持を得て実施することが肝要である。 安全保障政策の議論には、国民の理解を深めるためにもできるだけ高い透明性が必要であるが、同時に政策の有効性を高めるためには一定の機密性も必要になる。国会議員が戦略感覚をもって法案を審議してくれることを念じたい。にしはら・まさし 平和・安全保障研究所理事長。京都大学法学部卒業。米国ミシガン大学から政治学で博士号を取得。京都産業大学国際関係論助教授、教授を経て、77年から00年まで防衛大学校国際関係論教授。その間、米国ロックフェラー財団客員研究員、防衛研究所第一研究部長を務める。00年から第7代目防衛大学校長。06年退任、同年6月より現職。ASEAN地域フォーラム有識者グループメンバー。領土・主権をめぐる内外発信に関する有識者懇談会座長。13年産経新聞「正論」大賞受賞。

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    そんなに自衛官を殺したいのか

    「首相は自衛官の命を軽くみている」。安保法案が衆院を通過し、野党や護憲派メディアの間では相変わらずこんな論調が目立つ。自衛隊の活動拡大による「仮想リスク」ばかりをことさら強調するが、そもそも国民の「リスク」には目を向ける必要はないのか。政争の具と化した自衛官のリスク論争を考える。

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    安保関連法案は再び同じ間違いをしないための第一歩だ

    著者 石原秀和(兵庫県) 武器の使用の必要がなかった縄文時代から、出雲の国譲り、十七条憲法、自然の力によって元寇から守られ、最高の武力を保持した状態での鎖国など、平和な暮らしが当たり前であったこの日本国を、否応なくその平穏な眠りから叩き起したのは、欧米によるアジア侵略であった。 日本とタイ以外の国は、悉く欧米列強によって侵略され、日本はその侵略から自国を守る為、不平等条約をのみ開国、明治維新を果たし、一刻の猶予もなく欧米のルールに沿った近代化を成し遂げなければならず、貧しい予算を割いて富国強兵にがむしゃらに突き進んできた。 幸い日清戦争を経て更に国家存亡を掛けた日露戦争へと辛うじて勝ち進む事が出来たのは、当時世界を制する英国との同盟があり、米国も扶けてくれたからであり、日本には力強い味方が居たという事実があったからだ。おかげで不平等条約の解消も叶えることが出来た。昨年4月の日米首脳会談で日米同盟の結束を確認した安倍首相(右)とオバマ米大統領=東京・元赤坂の迎賓館(代表撮影) ところが、連戦連勝に舞い上がり、その後の第一次大戦で、それまで加勢をしてくれていた同盟国のイギリスが危機に瀕して要請した軍事援助を断るという大きな間違いを犯した得手勝手な日本は、先生であるイギリスからは愛想を尽かされた。 人種偏見を受けるアジアの国として、国際連盟の常任理事国にまで仲間入りをさせて貰っていた日本は、声高らかに人種差別の撤廃を提案したが、それは英米のルールには相反するものであったので退けられた。 人口増加で食糧難に喘ぐ日本がそれまで未開発の地である満洲へ開拓の手を伸ばした事も英米の気に入らない事であり、日本の努力を無にする要求が突きつけられた。その要求が呑めない日本は遂に国際連盟を脱退し、孤立への道をまっしぐらに突き進んでしまった。当時の日本国民は、その破滅への道を憂えるどころか、なんと大歓迎したのだった。 日露戦争で台頭した日本が目障りになったアメリカはその2年後に日本を叩きつぶすためのオレンジ計画を作成したが、第一次大戦では日英同盟が邪魔をしてうまく実行にうつせなかった。そこで、日英同盟を解消する策を練ったが、同盟国を扶けようとしない日本に愛想をつかせていた英国を日本から引き離すことは比較的容易であった。 かくして、日本は全く孤立状態になり、アメリカのオレンジ計画は着実に進み、経済封鎖を経て、結局最初から勝ち目の無い大東亜戦争に引きずり込まれる事になった。結果敗戦、GHQにより、日本が二度と刃向かう事の出来ないようにするための日本大改造が矢継ぎ早に推し進められた。 その効果は絶大で、特に日本国憲法の第九条は、もともと多神教で性善説に立ち、平和を愛する日本国民の心に嵌まり込んでしまい、アメリカの巧みな日本属国化政策と相まって、一神教で性悪説が当たり前の世界情勢にも拘らず、一種の九条平和教とも言える信奉者で日本を埋め尽くしてしまった。 戦後70年の現在、日本を取り巻く状況は日に日に悪化しており、また日本に駐留するアメリカの軍事力も衰えてきている。日本を危機から守る為には、現在唯一の同盟国であるアメリカとの関係強化が必要で、アメリカが望む集団的自衛権の行使は、先の日英同盟の時の大失敗を教訓に、早急にその環境を整備し、万全なものにする必要があると思われる。 日露戦争後は、日本を潰そうとするアメリカが日英の同盟関係を分断する事に成功し、日本を敗戦に導いた。今現在は、日本を侵略しようとする中国が日米の同盟関係を分断しようと画策しているのだ。日本を守る道は殆ど崩れかけている日米同盟の再構築とその強化しかない。 経済交流だけでは弱い他国との繋がりも、集団的自衛権の行使によってより緊密な関係を築く事が出来、日本の孤立を防ぎ、抑止力を高める大きな力となるのは間違いないであろう。 現内閣で安倍首相が世界中を駆け巡り、諸外国との関係強化を行い、そのうえでの集団的自衛権行使の為の法案に力を入れているのは、この平和を愛する日本国、例え軍隊があっても武士道精神と隠忍自重で極力戦力の使用を抑え、肝心な時でも兵力を出し渋って大失敗をしてきた日本国が、再び同じ間違いをしないための第一歩だと思う。

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    何もしないで欧米が日本の側には立ってくれない

    なくなってくる。 日本は中国、ロシア、韓国、北朝鮮という、友好的でも紳士的でもない国に囲まれており、安全保障環境は極めて厳しい。特に日本の経済力が低下し中国が台頭した現在では、アメリカの国力・軍事力という後ろ盾なくして外交は成り立たないし、何もしないで欧米が日本の側に立ってくれるわけでもない。中国の不興を買ってでも支持するだけの価値が日本にあるのかが問われる。その意味では、価値観を共有していて、かつ実際に貢献できるということを示さなければならない。日本が軍事的に期待できないと見れば、東南アジア諸国も中国に傾斜していくだろう。離島防衛のための共同訓練を行う陸上自衛隊と米海兵隊の隊員 この日中のパワーバランスの変化やグローバル化の中でも「一国平和主義」を貫いていくというならば、有事のときでも他国に頼らず自分の身は自力で守るという覚悟と能力が必要だ。実際、「永世中立国」をうたって集団的自衛権を認めていないスイスは、現在でも国民の7割の支持の下で徴兵制を保持し、有事の際の民兵を確保している。 しかし、日本の安保環境では、徴兵制の導入や軍備増強による独力での防衛は非現実的である。時代の変化に対応して日本の平和と安定、外交力を保つには、集団的自衛権を認めて、米軍との連携強化や、欧米が求めている軍事的貢献を行っていくしかないのだ。憲法改正の見通しが立たない以上、憲法解釈の変更という手段を取ることもやむを得ない。今回の安保法案では活動の拡大はかなり限定的だが、姿勢だけでも見せておく必要がある。 現に、集団的自衛権の行使容認による日米同盟の強化が進められて以降、日中首脳会談や財務対話が開かれるなど、中国は軟化してきた。民主党政権下で日米同盟が弱体化したときには尖閣問題が浮上し、韓国大統領の竹島訪問、ロシア大統領の北方領土訪問が強行された。このような現実が無視され、非合理的な精神論がはびこり、国際的に孤立し、中国に叩きのめされるというのでは、戦前の過ちの繰り返しである。叩きのめされてから日米同盟の重要さに気づいてももう遅い、アメリカに高い代償を払わされるか、完全に見捨てられ中国・韓国・北朝鮮・ロシアに好き放題にやられるか、どちらかとなるだろう。

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    自衛隊員「任務で命を落としたら靖国に祀ってもらえるのか」

     現在国会では、与野党が安保法制を巡って論戦を繰り広げている。しかし、当事者となる現役自衛隊員たちが考える争点は別の所にあるという。ジャーナリスト・田上順唯氏がレポートする。* * * 自衛隊の海外派遣が始まってすでに20年以上が経過したが、隊員が戦死した場合の処遇については何も議論されず、いまだ決まっていないのが現実だ。 「国会でも『もし戦死者が出たら……』と争点になりますが、有事になれば戦死者は当然出るでしょう。我々が気になるのは、もし任務で命を落としたら、靖国神社に祀ってもらえるのか? 勲章のひとつももらえるのか? といった国家に命を捧げた者の名誉の担保や『死んだ後のこと』を一切議論していないことです」(陸自1曹) 靖国に合祀するとなれば、中韓やマスコミが問題視することは確実と、議論を避けているフシがある。自衛隊員への顕彰として自衛隊内部では、退官後も終身保有できる「防衛功労章」や諸外国の勲章の略綬(リボン)に相当する「防衛記念章」があるが、有事で死傷した場合の扱いは「戦死傷時の基準はなく現状では不明」(防衛省大臣官房広報室)だ。さらに、こんな不安を挙げる。 「はたして見舞金や共済組合の保険金だけで残された家族は生活できるのか、子供を育て上げられるのか。いざ自分が撃たれたら、最期の瞬間に『家のローンは大丈夫か?』と考えるかもしれませんね」(陸自1曹) 戦死したあとに残される家族のことが、自衛隊員にとって一番の気がかりなのだ。関連記事■ 安保論議の最中に「命令あらば実戦で任務遂行」と現役自衛官■ 元防衛大臣・北澤俊美氏が震災時の自衛隊の働きを解説した書■ イラクで活躍「ヒゲの隊長」 震災後の自衛隊の活躍を報告■ 女性自衛官1.2万人 ヘアカラーやネイルはどこまで許される?■ 日米合同軍事演習を終え海兵隊員と陸自隊員が笑顔で肩を組む

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    安保「進展」でも変わらぬ自衛官軽視という病

    ことは、現実に即した具体的な行動論と、そのための法的基盤の整備。それだけです。私は、現実を踏まえた、安全保障政策の立て直しを進めてまいります。… 最高指揮官として、大切なお子さんを自衛隊に送り出してくださった皆さんに、この場を借りて、心から感謝申し上げたいと思います。お預かりする以上、しっかりと任務が遂行できるよう万全を期し、皆さんが誇れるような自衛官に育てあげることをお約束いたします》 全世界に向かって集団的自衛権行使の容認を明言し、行使の主体となる自衛官の15年前の行為を称え、卒業生に覚悟を促し、家族に敬意を表したこの訓示は、歴史に残るでしょう。私はこの名演説に接し、15年前の自衛官に対する「加害者としての非難」と85年前の軍人に対する「英雄としての美談」を思い出しました。 狭山の墜落事故翌日の平成11年11月23日付朝日新聞は「空自機墜落、高圧線切る」「交通・ATM乱れる」「その時、街が止まった」「信号が消え、改札口は閉じたまま、手術も中断」「吸入器停止、2人病院へ」などと自衛隊を非難する見出しだけを並べ、自らを犠牲にして住民を守った二人の自衛官に対する敬意や哀悼の意の表明はありませんでした。身を低く構え、離島に上陸する訓練に臨む陸上自衛官隊員=2014年5月、鹿児島県・奄美大島の江仁屋離島 当時の互力防衛庁長官は「高圧電線を切断し広範囲に停電させたこととあわせ、誠に遺憾で関係省庁に迷惑をかけたことをおわびする」(24日付朝日新聞夕刊)と陳謝し、葬送式を欠席しました。また、ある商店主が「我々は命懸けで商売をしているのに停電で迷惑した」と非難している場面を放映したテレビがありました。私は思わず画面に向かって「命を懸けたのは自衛官だ、お前は生きているではないか」と、叫びました。 中川二佐(事故当時)は将補に、門屋三佐(同)は一佐に、二階級特別昇進しました。平成8年、ペルーの日本大使公邸がテロリストに占拠された事件は、翌9年にペルー軍が突入して解決されました。このとき戦死した中佐は大佐に昇進、日本政府は勲三等旭日中綬章を授与しました。中川将補と門屋一佐には、殉職から1年後、ともに勲四等瑞宝章が授与されました。自衛官に授与する勲章が外国軍人に授与するものよりも格段に下とは不思議です。 事故から15年経って、防大卒業式訓示の冒頭で殉職者に対し哀悼の辞を述べたことに対し、亡くなった二人のパイロットは叙勲以上の感銘を受けたものと推察します。しかし、安倍首相の訓示を卒業式当日放映したNHKも翌日報じた全国紙も、なぜか、冒頭部分を無視しました。 昭和4年、空中戦闘法研究のため、英国留学中の小林淑人海軍大尉の飛行訓練中に類似の事態が生じました。その状況を真珠湾攻撃の機動部隊の航空参謀、のちに航空幕僚長を務めた源田實氏の著書『海軍航空隊始末記』(昭和36年 文藝春秋新社)から紹介します。《ある日、戰闘機シスキンに搭乘して、上昇スピンの訓練をやっていたが、突如として、發動機から火を噴き出した。直ちに、落下傘降下を企圖したが、下方を見ると、丁度運惡く、人家の集團があった。… 大尉は飛行機の姿勢を維持しながら、數分間の水平飛行を續けた。操縦席の中に、災が入って來た。操縦桿を持つ右手、スロットルを持つ左手、共に手袋を通して皮膚が燒けただれた。飛行帽の下の眉毛は燒け落ちた。それでも、大尉は齒を喰いしばって我慢した。やがて、前方に原野が開けて來た。…バンドを解いて、機外に飛び出した。 小林大尉のこの美談は、當時の英國の各新聞に掲載せられ、日本海軍軍人の聲價を高めた。…英國の多くの家庭において、毎朝母親は子供に尋ねた。「あなたは、小林大尉を知っていますか」「はい、知っております」「どうした人ですか」「多くの人々を救けるために、自分の身の危險を顧みず、燃える飛行機を操縦して、安全な所まで飛び續け、そこで落下傘降下をした人です」という工合に、小林大尉は、當時の英國において、英雄として取り扱われた》 源田空幕長の記述は、安倍首相の訓示とほぼ同じ、否、安倍首相の訓示が源田空将の記述と奇しくも同じでした。私がこの著書を読んだのは防大の4年生のときでした。自衛隊を「税金泥棒」と呼んでいる我が国と比べて大違いであり、大変感動しました。 安倍首相の日頃の言動と行動から、その狙いは我が国を戦後体制から脱却させ、普通の国、主権国家にする、との熱意を強く感じます。そのための手段が安倍内閣の安保、外交政策で、四本柱は「国家安全保障会議」(日本版NSC)の設立、「特定秘密保護法」の制定、「集団的自衛権行使」の容認、憲法を改正して自衛隊の「国防軍」への位置付けです。 第一歩として昨年「国家安全保障会議」創設関連法と「特定秘密保護法」を成立させ、現在、中間目標である「集団的自衛権の行使」に向けて邁進中、最終目標は占領軍に押し付けられた「日本国憲法」(占領憲法)の改正でしょう。 その四本柱のいずれにおいても軍隊(自衛隊)、軍人(自衛官)が中核として任を果たすべきであることは論を待ちません。だから、安倍首相は訓示で卒業生に覚悟を促すとともに、それに見合うものとして、春の叙勲で元統合幕僚会議議長(現、統合幕僚長)に対して瑞宝大綬章(旧、勲一等瑞宝章)を授与したのでしょう。元自衛官の勲一等は、内務官僚出身の初代統幕議長が退官後、自治医大理事長の肩書で勲一等瑞宝章、元日赤社長の肩書で勲一等旭日大綬章はありますが、それ以降、陸士、海兵、防大出身者を含めて初めてです。因みに今回、一川保夫元防衛相に授与したのが旭日重光章(旧、勲二等旭日重光章)です。安倍首相の決意の程がうかがえます。 しかし、政治家、高級官僚、有識者などは、安倍首相の決意を理解せず、NSC、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使をめぐる議論において、中核になるべき自衛官を従来どおり軽く扱っています。自衛官を「歩」扱いする国家安全保障局自衛官を「歩」扱いする国家安全保障局 国家安全保障会議には、外交・安全保障政策の基本方針を決定する首相、官房長官、外相、防衛相からなる「四大臣会合」、文民統制機能を維持する「九大臣会合」、重大な緊急事態に対処する「緊急事態大臣会合」があり、昨年12月4日に発足しました。そして、NSCを恒常的にサポートする事務局「国家安全保障局」(安保局)が1月7日、67人体制で設置されました。自衛隊OBで構成する「隊友会」が発行する『隊友』(3月15日付、4月15日付)によれば、メンバーの半数である33人が防衛省から、その内、自衛官が13人(将補1人、一佐6人、二佐6人)、文官が20人です。 安保局は、局長が外交官出身、局次長が防衛官僚と外務官僚出身の2人、審議官が防衛官僚、外務官僚、自衛官の3人、その下に次に示す6個班(人員数は『隊友』から)があります。(1)総括・調整班(19名、長:防衛官僚、自衛官2名)、局内の総括、NSCの事務を担当。(2)政策第一班(8名、長:外務官僚、自衛官2名)、米国、欧州などを担当。(3)政策第二班(8名、長:外務官僚、自衛官2名)、北東アジア、ロシアを担当。(4)政策第三班(7名、長:防衛官僚、自衛官2名)、中東、アフリカなどを担当。(5)戦略企画班(8名、長:防衛官僚、自衛官2名)、防衛計画の大綱などを担当。(6)情報班(11名、長:警察官僚、自衛官2名)。 メンバー67人の内、班長以上のポストが12人ですから、メンバーの半数を占める防衛省に局次長、審議官2人、班長3人の計6人を割り当てたのでしょう。ところが、この6ポストの内、5人が官僚、自衛官は1人にすぎません。外務省、警察庁は全て官僚ですから、班長以上12人中、「文官」11人に対して「武官」は1人だけです。全般のバランス上、自衛官5人を班長以上にし、かつ防衛省職員の33人の内、少なくても20人を自衛官にすべきだったのではないでしょうか。 自衛官は防衛官僚や外務官僚や警察官僚の配下に置かれ、将棋の“歩”扱いです。海外派遣や災害派遣など緊張感の高い現場で任務に当たるのは自衛官、集団的自衛権が行使され戦死するのも自衛官、すなわち、種を蒔くのは自衛官、果実を味わうのは官僚、これは文民統制ではなく、官僚統制です。自衛官には現場を経験した適任者は沢山います。なぜ、遠ざけるのでしょうか。自衛官に不平、不満が鬱積、禍根を残すことになるでしょう。特定秘密保護法も自衛隊だけを圧迫 特定秘密保護法にいう「特定秘密」とは、特定秘密保護法で別表に掲げる(1)防衛に関する事項(2)外交に関する事項(3)特定有害活動の防止に関する事項(4)テロリズムの防止に関する事項――に関する情報であって、「公になっていないもののうち、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」が指定されます。罰則は「特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする」などと定められています。 外交、防衛に関して表現する場合の一般的順序は「外交、防衛」ですが、本法では「外交」よりも「防衛」を先に挙げています。また、我が国のマスコミは通常「警察、消防、自衛隊」の順序で扱いますが、本法においては外国並みに「警察」よりも「自衛隊(軍)」を先に挙げています。防衛を先にしたのは次の二つの理由から当然です。 一つは、防衛省が保持する特定秘密は、防衛省以外の省庁が保持するものよりも国家安全保障上、極めて重要だからです。外国が侵攻してきた場合、自衛隊がどのような行動をとるのか、保持している装備の性能はどうか、防衛力をどのように整備するのか、武器、弾薬、航空機の研究開発状況など、中国などの外国は喉から手が出るほど欲しがっているでしょう。知る権利を優先させ、反日的あるいは国家意識欠如の国民や団体に知らせれば、直ちに外国にご注進となり、国の防衛が成り立たなくなります。 二つは、特定秘密を取り扱う職員数は、防衛省が防衛省以外の省庁より極端に多いことです。特定秘密保護法によって指定される特定秘密は、現行の「特別管理秘密」に該当する情報から選ばれるでしょう。現在、政府が保持する特別管理秘密(防衛省の場合は「防衛秘密」)は約42万件あり、その内の9割が衛星写真、衛星写真以外の情報である暗号や装備品の性能など、ほとんどは防衛省が保持しています。これら防衛省の特別管理秘密がそのまま特定秘密に移行するでしょうが、防衛省以外の省庁では特別管理秘密を絞ったものになると思われます。 従って、特定秘密を取り扱う職員は、防衛省以外の省庁では高級官僚や特定職域の職員に限定されますが、自衛隊では“下士官・兵”にも及びます。 ちなみに特別管理秘密を取り扱う人数も朝日新聞(1月6日付)によれば、防衛省が約6万480人、外務省が2014人、警察庁が553人、内閣官房が519人、海上保安庁が310人、公安調査庁が154人、経済産業省が89人、総務省が22人、国土交通省が13人、宮内庁が4人で、防衛省が全体の94%余りを占め、外務省が3%、警察庁は1%以下に過ぎません。 すなわち、この法律によって、最も制約を受けるのは、自衛隊員、特に自衛官なのです。にもかかわらず、自衛官の身になった議論は見当たりません。因みに、「自衛隊員」とは自衛官の他、事務次官、防大校長などの「文官」、防大の学生なども含みます。 そして、最大の問題は特定秘密に対する国会議員の認識です。国家防衛のため、如何にして秘密の漏洩を防止するかよりも、「秘密指定の監視」「知る権利」「報道の自由」を優先させています。防衛秘密のチェックは素人には無理防衛秘密のチェックは素人には無理 「特定秘密保護法」国会審議の過程で、野党から特定秘密の指定の妥当性などを検証するための「第三者機関」を設置すべしとの意見がでて、内閣官房に「保全監視委員会」を、内閣府に「独立公文書管理監」、「情報保全監察室」を、有識者による「情報保全諮問会議」の設置をきめ、「情報保全諮問会議」はすでに活動を開始しました。これらとは別に、国会法を改正して国会内に「監視機関」を特定秘密保護法が施行される今年の12月までに設置する方向で検討がなされています。 第三者機関には大きな問題があります。例えば、「防衛に関する事項」の特定秘密についていえば、これらの機関の委員である政治家、官僚、有識者などは、ほとんどが兵役の経験がなく、鉄砲にすら触れたこともなく、命を懸けて国家のために任務を遂行したことがない人たちです。どこが秘密になるのか判断できるとは思えません。 自衛隊員ではない人たちの秘密保全意識は自衛隊員と比べて低いと思われ、漏洩する可能性が少なくないと思います。と言いますのは、自衛隊員は入隊すれば通常定年まで勤務し、国家に対する忠誠心があります。入隊に際し、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め」と「宣誓」しますが、警察官、海上保安官、検察官を含め一般の公務員は、このような文言の入った宣誓をしません、最高指揮官の首相、防衛大臣、同副大臣、政務官を含め政治家や民間人は「宣誓」すらしません。「免責特権」とは「特権意識」なり 第三者機関の中でも特に問題なのは、国会の「監視機関」でしょう。自公両党は、衆参両院に常設の「情報監視審査会」を設け、秘密指定の妥当性を監視し、必要があると判断した場合、強制力はないが政府に改善を勧告できるとする与党案を決めました。 防衛省の特定秘密についていえば、政治家には秘密指定の妥当性の判断はできないでしょう。「反日的」議員もいます。彼らが職権を濫用して鬼の首でも取ったように何を言い出すか分かりません。 何よりも問題なのは、監視機関構成員が特定秘密の提供を受け、それを漏らした場合の罰則が最長5年の懲役にすぎないことです。自衛官や公務員が漏らせば最長が10年ですから、国会議員も当然最長10年、否それ以上の罰則を科すべきです。政治家が支持者の会合や宴席で票目当てに「○○大臣は二つのことを知っていればいい」などと得意顔で国家の秘密をぺらぺらしゃべった場合は厳罰に処すべきが当然です。 ところが驚くべきことに、森雅子同法案担当相は「憲法の免責特権は大変重い」(平成25年11月15日付朝日新聞夕刊)と答弁しています。日本維新の会も「監視機関の議員に守秘義務を課し、発言の自由を制限することは法制上、無理がある」(松野頼久国会議員団幹事長)(12月14日付産経新聞)と反発しました。 安倍首相も今年の1月31日、衆院予算委員会で、「秘密漏えいについては、米国とドイツにおいては、例えば、議員に対する免責特権もこの秘密会においてはないということになっているわけであります。まあ、日本においては、それは憲法において保障されておりますから、そういうことにはならないわけであります」と、安倍首相にしては、原稿を見ながらの、回りくどい歯切れの悪い、理解するのに骨の折れる発言をしました。 これらの発言は、憲法第五十一条「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」に基づくと思われますが、この条文は個人や団体の名誉、プライバシーなどを侵害した場合に当てはまるものであり、国家機密の垂れ流しには当てはまらないのは当然でしょう。我が国よりもはるかに国家意識、国防意識を保持していると思われるアメリカ、ドイツの政治家にすら、安倍首相の発言にあるように「免責特権」がないのです。 軍人は世界共通です。特に同盟国においては絆が強く、自衛隊の一佐(外国軍の大佐相当)に米軍の中佐は敬礼します。自衛隊の二佐(中佐相当)は米軍の大佐に敬礼します。米軍は仲間意識から自衛官を信頼しています。それ故、外国の軍人は、政治家や官僚に教えない情報を自衛官には教えてくれるのです。大使館に防衛駐在官(大使館付武官)が必要なのはそのためです。 しかし、国会議員に免責特権があると知れわたれば、自衛官に話した情報が国会議員から漏れることをおそれて情報を教えてくれなくなり、「特定秘密保護法」を作ったが故に、今まで以上に情報が入らなくなるという本末転倒の状況となります。 自衛官や公務員は秘密を漏らせば厳罰で、自分たち政治家は漏らしても罪を免れるとの主張は、思い上がった「特権意識」ではないでしょうか。シビリアン・コントロールとか国民の代表とか、聞いて呆れる話です。国会議員が「免責特権」を根拠に国会の本会議や委員会で秘密を話しても刑事罰が科せられないのであれば、特定秘密を知らせてはならない国民は唯一、国会議員ということになります。ただちに為されるべき5つの自衛官処遇改善策ただちに為されるべき5つの自衛官処遇改善策 特定秘密保護法は自衛隊員に一段と厳しい罰則を科しました。さらに集団的自衛権の行使となれば、一段と任務が増えるのは自衛官で、戦死者もでるのは間違いないでしょう。義務に見合った処遇は当然、自衛隊を軍隊、自衛官を軍人にすることです。自民党は憲法を改正して、国防軍へ位置付けるとしていますが、直ちに改正するのは困難でしょう。ならば、改憲を待たずしてできる以下のことを直ちに実施すべきです。(1)統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長、陸上自衛隊の方面総監、海上自衛隊の自衛艦隊司令官、航空自衛隊の航空総隊司令官を認証官にすべきです。(2)今回の叙勲で、元統幕議長に瑞宝大綬章を授与したのは評価されますが、統合幕僚長に限定せず、(1)で挙げた職に対する桐花大綬章、旭日大綬章をはじめ、全自衛官に現役中に勲章を授与すべきです。現在、大半の自衛官は定年まで勤務しても生存者叙勲すら授与されません。私の防大同期生(陸上要員)の受章者は20-30%です。軍人に現役中に勲章を授与しない国、まして定年まで勤務しても勲章を与えない国は、世界中で日本だけでしょう。(3)主要国では軍人が軍事機密を漏らした場合、軍法会議が裁きますが、我が国では、自衛官が特定秘密を漏らした場合、今までの例から、自衛隊の警務隊ではなく、警察が捜査し、検察が捜査、起訴、求刑するでしょう。が、役人たる警察官や検察官に自衛官を捜査、起訴、求刑させるべきではなく、捜査、起訴、求刑、裁判権を自衛官に与えるべきです。しかし、憲法に「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない」とありますから、裁判は現行通りとしても、最低限、捜査、起訴、求刑の権限を自衛隊に与えるべきでしょう。(4)自衛官に戦死者が出た場合、靖国神社に合祀し、首相以下全閣僚が参拝すべきです。自衛官は天皇陛下のご親拝を賜ることも願っていることでしょう。(5)防大校長を自衛官にすべきです。外国では通常、士官学校長は軍人です。初代校長の槇智雄氏『防衛の務め』には、「この学校は昔の陸軍士官学校と海軍兵学校を一つにしたもので、本来ならば当然軍人が校長であるが、吉田首相は今回は軍人でなく、しかも民間から選びたいと決意された」と慶應大学教授、理事などを務めた槇氏を初代校長に選んだ当時の吉田茂首相の意向を明らかにしています。が、二代目以降においても吉田氏の考えにも反して未だ自衛官が校長に就いていません。 集団的自衛権行使に関して、自民党の中には、中国などの脅威が目前に迫る中、如何にして国を守るかよりも、選挙公約に反して、公明党の支持団体の票ほしさに同党に擦り寄ったり、中国に媚を売ったりする見苦しい議員すらいます。 政治家、特に与党議員は、安倍首相の防大卒業式の訓示、「安保法制懇報告書」受領直後の会見発言や日米共同声明を熟読玩味して猛省すべきです。集団的自衛権の行使を含め、安倍首相の安全保障政策に反対を唱える自民党議員は議員辞職か離党をすべきで、公明党は反対を貫くのであれば、与党を離脱すべきが筋ではないでしょうか。かきや・いさお 昭和13(1938)年、石川県生まれ。防衛大学校卒業と同時に陸上自衛隊入隊。大阪大学大学院修士課程(精密機械学)修了。陸上自衛隊幹部学校戦略教官、陸上幕僚監部教育訓練部教範・教養班長、西部方面武器隊長、防衛大学校教授などを歴任し、平成5年に退官(陸将補)。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』。

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    「憲法9条が日本を守っている」という無知と現実逃避が招く危機

    党政権時代に1~6時間程度の審議で次々に採決された法案について「強行採決だ!」と叫ぶのなら分かるが、安全保障関連法案については110時間を超える審議後である。これを強行採決として批判するのは、情緒的すぎると思う。 今回の採決を受けて、内閣支持率が5~10ポイントほど下がるとの分析があった。安倍晋三政権に批判的なマスコミが、わざわざ「強行採決」と報じる最大の目的はこれだろう。 国会中継はあまり見ていないが、報道を見る限り、議論は十分尽くされたのかという疑問は残る。法案の具体的内容に関する議論はほとんど聞かれず、「憲法違反だ」「自衛官のリスクが増す」など、周辺の議論ばかりが目立ったというのが、私の印象である。 ただしこれは、時間稼ぎと安倍政権のイメージダウンを目的とした審議を行った野党に責任がある。また、某閣僚の「国民の理解が進んでいるとは言えない」との発言は率直な見解だと思うが、次期首相を狙う下心も透けてみえる。 先週の連載では、安倍首相が国民への説明責任を十分果たすにはテレビ局などの協力が必要不可欠だが、あまり協力的とは思えないと書いた。日本国憲法の原本(国立公文書館蔵) 本来、国会審議中の重要法案の論点や争点を整理して、国民に分かりやすく伝えることは、マスコミが果たすべき重要な役割の1つである。 ニュースでは「戦争法案反対!」「強行採決恥を知れ!」などと叫んで、各地でデモを行う人々の様子を報じているが、マスコミの職務怠慢が生み出した被害者だ。 彼らが他国の工作員ではない限り、「われわれは世の中の動きを理解していません」「煽られて大騒ぎしています」とアピールしているようにしか見えないからである。 「憲法第9条が日本を守っている」という教義の宗教にダマされる人々には、もはや怒りすら感じる。第9条のせいで島根県・竹島は奪われ、北朝鮮による拉致被害者は奪還できず、東京都・小笠原の赤サンゴは壊滅状態、沖縄県・尖閣諸島周辺では漁ができない。 国民の無知と現実逃避が、日本という国を危機にさらしている。ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行う。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。

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    切れ目なきグレーゾーン対処という切れ目

    委員) 大東亜戦争(1941~45年)を反省する必要はないが、敗因分析=総括は不可欠である。しかし、安全保障関係の現法体系に、総括していない国家的怠慢の動かぬ証拠を看る。「こうあるべき」と、希望的に観測した戦況の青写真に沿い戦略・作戦を立案した、大日本帝國陸海軍の甘さが敗因の一つと指摘される。自衛隊は楽観的シナリオに拠る作戦立案を戒めているが、作戦を担保する法律は「こうあるべき」論に支配される。例えば歴代日本政府は、戦争やテロが整然と時系列で激化していくと確信。戦域拡大もないと固く信じる。そうでなくては、戦闘機やミサイルの進化に目をつぶり《非戦闘地域》なる未来永劫戦闘のない“聖域”を設定。《平時》→《朝鮮半島・台湾有事=周辺事態》→《日本有事》などと将来の戦況を画定→線引きした、工程表の如き法律群の制定理由に説明がつかぬ。減らす立法作業に舵を 安全保障の現実を正視する安倍晋三政権になり、集団的自衛権の一部行使や日米防衛協力の指針(ガイドライン)再改定が視野に入り、法整備を控える。その際「こうあるべき」情勢とは無縁の法体系を目指すべく、国内法を増やすのではなく、減らす立法作業に舵を切るべきだ。 おびただしい時間とエネルギーをかけ、造語を駆使した条文を増やそうが、情勢変化や兵器の進歩で次々と想定外が襲ってくる。「法匪国家」と決別し、政治の決断・監視の下、国際の法や慣習を味方に付け「新種の危機」を乗り切る、成熟した法治国家が国家主権や国民の生命・財産を守る。 周辺事態とは《放置すれば武力攻撃を受ける恐れのある、日本の平和・安全に重要な影響を与える事態》。非戦闘地域とは《現に戦闘が行われておらず、且つ、活動期間を通じても行われることがない地域》だとか。周辺事態=朝鮮半島・台湾有事が日本に飛び火せぬよう、非戦闘地域に該当する後方地域などで、自衛隊が米海軍への給油といった限定的支援を可能にしたのが《周辺事態法》だった。 周辺事態法成立(1999年)前後、米政府に送った内部文書には《HI-SENTOUCHIIKI》とあった。国際法上の《非武装/中立/安全》の各地帯と異なり、日本が勝手に「安全宣言」した地域を英単語に置換できなかったのだが、笑えなかった。「専守防衛を国是」とするなら尚のこと、非戦闘地域を攻撃し戦闘地域にするか否かを決める、生殺与奪の権は敵国側に有るのだ。割り込んだ「周辺事態」 日本領域を含む後方地域こそ、破壊活動で日本を威嚇し、米軍支援より手を引かせる特殊作戦部隊や工作員による騒擾(そうじょう)の舞台。ミサイルの攻撃目標にもなる。戦域拡大とともに、後方地域=非戦闘地域は一夜にして戦闘地域=日本有事に変わる。だのに、自衛隊の武力行使を唯一可能にする《防衛出動》のハードルは異様に高く、警察力のみで圧倒的優勢な火力や化学兵器を警戒する下策さえ強いられる。防衛出動下令には自衛隊法+国会答弁で《他国のわが国に対する計画的、組織的攻撃》が対象となるためだ。自衛隊が2014年5月に行った離島上陸訓練=鹿児島県奄美大島周辺 法制の欠陥を熟知する敵なら、防衛出動を下令させないよう策動する。各地の線路に石を置き列車を転覆させれば、わが国は大混乱に。事故かイタズラか不明。外国の特殊作戦部隊や工作員、テロ集団は名乗らない。国内過激派だと偽るかもしれない。国家と承認されぬ、正規軍並みの兵器を持つ《イスラム国》系も排除できない。 しかも、時系列も地域も烈度・規模もモザイク状に入り乱れ、変幻自在に行ったり来たりを繰り返す。北海道は“有事”で九州は“平時”。“平時”と“周辺事態”と“有事”が混在し法律上、事態を断定できない危機が続く。自衛隊に対テロ・ゲリラ《治安出動》が発せられるだろうが、武器使用は一定限度を超える敵の武力が確認されぬ限り警察と同じ《正当防衛か緊急避難》時だけ。 平時と有事の間に周辺事態が割り込んだのには理由がある。「自衛隊の暴発」を邪推し、平時は警察、有事は自衛隊と、高い壁で自衛隊を長きにわたり隔離した。ただし、朝鮮半島・台湾有事は日本有事とは違う。といって、平時でもないグレーゾーン。斯くして、平時/有事を隔てた1本の境界線は周辺事態の創作で、平時/周辺事態/有事の2本に。伴って、法律もまた一つ加わった。軍権限は原則無制限 グレーゾーン要素の多い島嶼防衛で、自衛隊に切れ目のない対処をさせようと《領域警備法》を制定しても、戦闘行為を含め柔軟な即応権限を予め付与しない限り、新たな「穴」は空き続ける。グレーゾーンの穴を埋めた後はライト・グレーゾーン→ミディアム・グレーゾーン→チャコール・グレーゾーン…が出現、比例して法律が増殖していく。法の継ぎ足しは本館-新館-別館を迷路のような廊下でつないでいく、巨大温泉ホテルの建て増しのよう。建築・消防・観光関係法をクリアしても、出火時には死傷者を出す。 ミサイルが数分で着弾する時代。自衛隊の現場指揮官は、複雑な法体系を前に「法律家」の能力まで要求される。滑稽では済まされぬ、歪(いびつ)な法体系ができ上がった源流に、自衛隊の前身=警察予備隊・保安隊の生い立ちがある。予備隊・保安隊は警察の対応が不可能か、著しく困難な場合の補完組織として法制上位置付けられた。ところが、自衛隊になっても法律で同じ位置付けが引き継がれた。 軍は外敵への備えで、国民の自由・権利侵害を前提としない。従って、軍の権限は《原則無制限》で、国際法などで禁じられる行為・行動以外は実施できる《ネガティブ・リスト》に基づく。これに比べ警察活動は、逮捕に象徴されるが、国民の自由・権利を制限する局面があり《原則制限=ポジティブ・リスト》となっている。だのに、自衛隊は警察同様ポジ・リストで、行為・行動を一つ一つ国内法で縛られた。 できることを羅列する現行法は、自衛隊が実施不可能な作戦を敵に通報するに等しい。自衛隊最高司令官の安倍首相も自ら、集団的自衛権を理解できない国民に、何ができるか具体的に例示してしまった。恐ろしいことに国を挙げて無意識に「利敵行為」を犯している。 中国軍の高笑いが聞こえる。

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    派遣自衛隊のリアル見よ 安保法案審議にモノ申す

    国民世論に加え、自民党推薦の憲法学者が「法案は違憲」と指摘するなど、集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案の国会審議は迷走を続けている。 政府・与党は、国会の会期を95日間延長することで、法案の確実な成立を目指しているが、これまでのような説明を続ける限り、国民の理解が得られるとは思えない。国会審議を聞いていても、活動の現場や法案の主人公である自衛官の姿が見えないからだ。法設備の欠如で高まるリスク 国会審議は冒頭、法案に反対する野党から、法整備によって自衛隊の活動範囲が広がり、「自衛官のリスク」が高まると指摘された。これに対し中谷防衛相は「自衛隊は厳しい訓練を重ね、リスクを極小化してきた」などと答弁するにとどまっている。災害派遣でも危険な状況に直面することがあるように、活動の幅が広がれば自衛官が死傷するリスクが高まるのは当然だろう。 しかし、政府がなすべきは、法律がないために、現場で活動する自衛官たちが、何度も危険な状況に直面してきた事実を明らかにすることだ。 その一つは、自衛隊が初めて国連平和維持活動(PKO)に派遣されたカンボジアでの出来事だ。1993年4~5月、民主化へのプロセスとなる総選挙が近づくにつれ、ポル・ポト派による選挙妨害が相次ぎ、日本人の国連ボランティアが殺害されたのに続き、岡山県警から派遣された文民警察官もゲリラに襲撃され死亡した。 こうした緊迫した状況の中、日本からボランティアとして派遣されている41人の選挙監視員をどうやって守るのか─が、当時の政府の最大の懸案となった。開会中の国会では、「現地の自衛隊に守らせろ」という無責任な意見が大勢となっていた。 なぜ無責任かと言えば、当時も今も、PKO協力法に基づく自衛隊の活動に、現地の日本人や一緒に活動する他国軍の兵士を守るという「警護」の任務は与えられていないからだ。警護は武器の使用が前提であり、憲法で禁じた武力の行使に発展するおそれがあるという判断だ。にもかかわらず、選挙監視員が犠牲となる事態を恐れた政府は、当時の防衛庁に対し、ひそかに警護手段を考えるよう要請していた。 そもそも自分の身を守る場合(正当防衛)にしか武器の使用が認められていない隊員たちが、どうやって選挙監視員を守ることができるのか。防衛庁と陸上自衛隊が出した答えは、およそ軍事常識では考えられない『人間の盾』という作戦だった。 本来、選挙監視員が武装ゲリラに襲撃されれば、自衛隊はその場に駆けつけ、ゲリラと交戦して監視員を救出する。ところが、そうした武器使用が認められていない隊員たちに求めたのは、自ら進んで襲撃するゲリラの前に立ちはだかり、ゲリラの標的になることで正当防衛を理由にゲリラを掃討する、つまり、隊員たちに「選挙監視員たちの盾になれ」という作戦だった。銃撃戦は必至との判断で、部隊では精鋭のレンジャー隊員ら34人をリストアップ、指名された隊員たちの多くは、妻や子、親兄弟に宛てた遺書を書き残し、“その時”に備えていたという。 幸い、彼らが人間の盾になるような悲劇は起こらなかった。だが、94年11月には、ルワンダ難民の救援活動に派遣されていた自衛隊が、武装難民に襲われ、車両を奪われた日本の医療NGOのスタッフを救出したほか、2002年12月には、東ティモールの首都ディリで暴動が発生。緊急出動した現地の自衛隊は、孤立した国連事務所の職員ら、日本人を含む7カ国41人の民間人を救出し、自衛隊の宿営地に収容するなど、「駆けつけ警護」は海外に派遣された自衛隊がこれまで何度も直面してきた問題だ。 今回の安保関連法案では、PKO協力法を見直し、一緒に活動する外国部隊の兵士やボランティアなどの民間人を助ける駆けつけ警護が任務として加わり、その任務への妨害を排除するための武器使用が認められている。 自衛隊の活動は大きく広がるが、こうした国際協力活動の現場を知れば、法律が整備されることによって、自衛官に人間の盾などという人権を無視した作戦を強いることもなく、リスクを下げることにもつながることが理解できるはずだ。決して、野党が指摘するような「活動範囲が広がればリスクが高まる」といった単純な話ではないことに気づくだろう。シーレーン防衛は恩恵に浴す国の債務シーレーン防衛は恩恵に浴す国の債務 一方、国民の理解が得られていない最大の焦点は、政府が集団的自衛権を行使する事例として説明してきた中東・ホルムズ海峡で機雷を除去するケースだ。しかし、これは丁寧に説明しなければ理解を得ることは難しい。 前提として、この問題は00年代末に核開発をめぐって米欧と激しく対立するイランが、機雷を敷設して海峡を封鎖するおそれから浮上した議論だ。その後、イランは政権が代わり、米欧とも歩み寄りはじめており、現在、イランがペルシャ湾に機雷を敷設するような危機は遠のいたと言っていい。出港する米空母ジョージ・ワシントン=神奈川県横須賀市の米軍横須賀基地 だが、過激派組織「イスラム国(IS)」に象徴されるように、世界は今、かつてないほど激しく動揺し、テロなど邪悪な犯罪も横行している。混沌としはじめた国際秩序の中では、海上交通路(シーレーン)の安全を脅かすいかなる事態がいつ起きても不思議ではない。 その証拠に、ペルシャ湾やインド洋では、12年から毎年、30を超す国々の海軍が国際掃海訓練に参加し続けている。各国にとって、シーレーンの安全が何より重要だからだ。訓練内容も、機雷除去はもとより、小型船を使った自爆テロなど幅広い危機も取り上げられるようになり、しかも、訓練を主導しているのは、米英海軍と海上自衛隊だ。その日本が、危機になったとき、集団的自衛権が行使できないことを理由に、われ先にと国際協力という連携の輪から離脱するのだろうか。 湾岸戦争(91年)で日本は、国際社会から「カネしか出さない」「一国平和主義」などと非難され、政府は海上自衛隊の掃海部隊をペルシャ湾に派遣した。自衛隊初の国際貢献活動だったが、部隊の到着を一番喜んだのは、アラブ首長国連邦のドバイやバーレーンなど中東の地で暮らす日本人だった。 ドバイには金融機関や商社など日本の大手企業約70社、約500人の日本人が駐在していたが、湾岸戦争がはじまって以来、各国が次々と戦闘部隊や医療部隊を派遣してきたにもかかわらず、日本は「何もしない国」という不名誉なレッテルを貼られ、現地での商談は激減し、ビジネスマンだけでなく、その家族らも肩身の狭い思いをして暮らしていたからだ。 重量ベースで輸出入の99%以上を海上輸送に依存する日本にとって、中東からインド洋を経て日本に至るシーレーンの安全は、生存のために死活的に重要だ。この事実に異を唱える人は少ないだろう。ならばこの先、機雷やテロ、紛争などによってシーレーンの安全が脅かされる事態に直面したとき、多くの国々と連携して危機に立ち向かうのは、その恩恵に浴している国の責務ではないのか。 これまで憲法などの制約によって、安全保障をめぐる問題では常に、「日本に何ができるか」ばかりを議論してきたが、本来は「日本は何をすべきか」を考えなければならないはずだ。ホルムズ海峡における機雷掃海などシーレーンの安全を維持する活動は、集団的自衛権の行使とは少し次元の違う問題だと思うが、新たな議論の出発点とすべきテーマではないだろうか。法案は日本の安全高める手段 国会審議を通じて、こうした具体的な事例や現場の状況が伝えられれば、「説明不足」とか「わかりにくい」といった批判は、少しは解消されるのではないか。ただし、今回の安保関連法案審議が迷走する最大の理由は、日本の平和と安全にとって最も優先順位の高い武力攻撃に至らない侵害、いわゆるグレーゾーン事態への対処が抜け落ちてしまったからだ。 中国を刺激するなといった圧力や、警察と自衛隊の権限争いなどがその背景として取り沙汰されている。しかし、そもそも国民の多くが、総選挙を通じて安倍政権が進める安全保障の法整備を支持し、その必要性を痛感したのは、中国が尖閣諸島の領有権をめぐって挑発を繰り返し、東シナ海上空に防空識別圏を設定、海上自衛隊の護衛艦に射撃管制レーダーを照射するなど危機をエスカレートさせているからだ。 軍事衝突につながりかねない事態であり、日本は今、世界で最も厳しい安全保障環境に置かれているといっても過言ではない。国民にすれば、目の前の課題を議論しない国会審議を聞いていても、実感がわかないというのが本音だろう。 とはいえ、審議中の安保関連法案の優先順位が低いかと言えば、決してそうではない。日本の平和と安全を高める手段として、極めて限定的であっても、万が一の危機に直面した際に、集団的自衛権を行使することができれば、アジア太平洋地域で圧倒的な抑止機能を果たしている米国との連携は今まで以上に強化され、中国や北朝鮮が軍事的な手段を用いて日本を挑発しようとするハードルが高くなることは間違いない。 例えば、朝鮮半島有事で北朝鮮が弾道ミサイルを発射する場合など日本有事に直結しかねない事態において、地域の平和と安定のために汗を流す米軍をしっかりとサポートすることは、日本にとって当然だろう。さらに、他国軍に対する補給などの後方支援活動や、PKOなどの国際協力活動において駆けつけ警護が可能になれば、これまでにも増して日本がグローバルな安全保障にも貢献し、国際社会からより強固な信頼と支持が得られるだろう。 安保関連法案は満足できる内容ではないが、成立させることが重要だ。国会審議の先には、グレーゾーン事態への対処や自衛官の身分など、まだまだ見直すべき課題は山のようにある。

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    自衛官は「殺人者」なのか 盲目的マスコミの大罪

    が平成26年12月10日から施行された。我が国の秘密保全体制をようやく世界標準まで押し上げるとともに安全保障に関わる保全体制構築の新たな法的根拠の導入であり歓迎すべきことである。 しかし、一部マスコミや識者は、今回も過去の安全保障をめぐる重要案件の論争と同様、的外れの反対論をなりふり構わず展開している。拙論では「何をいまさら」の感があることは承知の上で、我が国の安全保障・防衛の観点に立った秘密保護の必要性を確認する。機密は国家の個人情報 今日の成熟した民主主義社会の基本要素の一つに個人情報があり、その取り扱い及び保護に関する国民の関心は近年特に高まっている。政府機関等の公的活動に加え民間活動においても個人情報保護に十分な配慮がされるようになった。 例えば母校の同窓会名簿資料提出や通信販売等の申し込み用返信はがきに保護シールを貼ることは広く定着しており、かつては当たり前であった各種会合の参加者リストにおいても掲載内容から特定の個人情報を省き、あるいはリストそのものを配布しないことも珍しくない。これは民主主義社会を構成する各個人の情報保護意識の高まりの表れであり、自然かつ当然のことである。個人情報の保護は当然のことと認識され、その必要性に関しては疑問の余地はない。近年、個人情報保護措置が不十分な場合には、それが大きな社会問題となっている。 これが民主主義に基づく自由が保障された我が国の現状である。(専制的なロシア帝国そして全体主義が支配した共産ソ連時代以来の社会習慣をいまだに引きずっている今日のロシア、共産党独裁の続く中華人民共和国では、個人情報そのもの及びその保護という意識は、民主主義社会に比較して低いといえる。国民にその意識があるとしてもそれが国家により抑圧され、権利の主張さえできないのが現実である) 一方、我が国社会における国家情報保護に関する国民の認識・感性はいかなるものであろうか。 現在の国際社会は二百ヶ国近くの独立国に加え膨大な数の各種団体・機関により構成されており、これら国や機関の位置づけや役割は基本的には国内社会における各個人と同様である。各国とも、国家生存・国家目標達成・国益の追求上必要な情報を多数保有し、その中には外部に対する保護が必要なものが存在することは言うまでもなく、この点は規模や内容の差はあるものの本質的には個人情報と同一である。 国家の場合、活動範囲が多岐にわたることから対外的保護が必要な情報が個人情報に比べ多くなることは当然である。人々が国家を構成し、国家により国際社会が形作られて以来、人間社会の基本要素の一つが国家情報であり、その情報保護は国際社会における慣習として定着してきた。 その歴史は、個人情報保護の歴史より遙かに長いということは、否定のできない事実であり、国家情報は個人情報と同じく適切に保護されなければならない。 この観点から各国は例外なく国家情報保護に関する法律を制定し、その徹底を図ってきた。国家の情報保護活動は国家安全保障(対外)や国民の安全(国内)に関わる情報保護がその中心をなしているが、その対象範囲が第二次大戦後の国際交流の爆発的進化/深化、経済の相互依存の進展と国際競争の激化等から、民間・学会を含む広い意味の国家情報に拡大した結果、各国の立法措置もこの現状を強く反映したものになった。民主主義国家だけではない。個人情報保護は重視されないロシアや中国においても、国家情報保護は極端に重視されているのが現実である。 今日の人間社会における民主主義の広がりと定着により個人の権利意識が進展した結果、個人情報保護と国家情報保護との関係は複雑かつ微妙になった。個人と国家が両立する以上、両者はいずれかが優先されるのではなく、両者とも尊重されなければならないものであり、そのカギは「どのような環境下」で「何をどこまで保護するか」あるいは「どのような情報がどの程度まで保護されるべきか」ということである。 個人情報保護には強い関心と執着を示す人々や団体が、国家情報保護のための特定秘密保護法には強く反対する現実は、この運動の大きな論理破綻と矛盾といえ、その裏には何らかの政治的意図があるとしか思えない。国際水準より厳しい法律 特定秘密保護法は「特定秘密の指定等」、「有効期間満了時・解除の手続等」及び「適性評価」の3点を基本としている。◆指定の要件 特定秘密の指定要件は以下の3つ。・防衛、外交、特定有害活動の防止及びテロリズムの防止について、それぞれの具体的な運用基準の細目に該当するか・不特定多数の人に知られていないかという「非公知性」・漏えいにより、我が国に対する攻撃が容易になる等、安全保障に著しい支障を与える事態が起きるかという観点に立脚した「特段の秘匿の必要性」  この3要件に該当するか厳格な判断を行い、指定する情報が過小になったり過大になったりという不適切措置の防止をすることが明記されている。また、行政機関等による法令違反の指定や隠ぺいを目的とした指定の禁止、国民に対する説明責任を確実とするため指定情報の範囲の明確化も明記されている。◆有効期間の設定 特定秘密とされる情報には原則5年以内の有効期間が設定される。指定後に諸情勢が変化することも考慮して、指定理由を見直すために「適当と考えられる最短の期間」を定めることになっている。年数の設定が困難な場合には有効期間を5年とした上で、解除条件を指定の理由の中で明らかにする等、秘密指定期間の無用の長期化の防止措置を講ずることを定めている。◆期間延長と指定解除の手続き 特定秘密の有効期間満了時、前述の指定3要件を満たす情勢が依然としてあれば、期間延長は30年まで、やむを得ない場合、内閣の承認があれば30年超、認められるが、理由は明確化することとされている。また、「特定秘密指定の理由の不断の点検」と「指定理由を満たさないと認めた場合の有効期間以前の速やかな解除」も明確にし、これら措置の表示と関連職員への周知徹底も明示した。  通算30年を超える特定秘密は、有効期間満了後に、歴史的資料としての重要性を考慮してファイルなどが国立公文書館に移管されるが、30年以下の特定秘密については、移管される場合もある一方で、内閣総理大臣の同意を得て廃棄することも可能である。◆関係員の適性評価 特定秘密を取り扱う職員や事業者については、基本的な考え方として・プライバシーの保護への十分な配慮・法定7事項以外の調査の禁止・評価結果の目的以外使用の禁止・法の下の平等の順守と基本的人権の尊重―を明示した上で、実施体制、同手続、適性評価に関する個人情報管理等を定めた。法定7事項とは、関係職員の適性評価を行う要素を「特定有害・テロリズムとの関係」「犯罪・懲戒歴」「情報取り扱いに関する非違の経歴」「薬物の乱用等」「精神疾患」「飲酒癖」及び「信用状態等の経済状況」と必要最低限度に絞ったものである。 ここで述べた各基本事項は、独立国としての秘密保護に関する法律の考え方としては国際標準であると考えられるが、全体として政府に厳しいものであり、国民の権利をより重視しているものと考えられる。歴史研究に寄与する永久保存歴史研究に寄与する永久保存 上述のように、30年以下の有効期間だった特定秘密は「内閣総理大臣の同意を得て廃棄する」ことも可能となっているが、この点は秘密保護に加え、公文書・資料管理の面からも不具合であり再考の要があるのではないだろうか。 特定秘密は重要な国家方針に関わるからこそ指定されるものであり、その内容は後世に残すべきものであり、永久保存が適切と筆者は考える。現に米国などでは永久保存が原則である。 仮に我が国が関わる国際問題の歴史的検証が後世に行われるとき、本法律の規則により一部の我が国資料が廃棄され、他国の資料のみが残されていれば、他国の資料による一方的立場からの検証が行われ、それが歴史上の事実として残されてしまう。それは我が国の尊厳を著しく損なう事態を生起しうる。 実際に現在、我が国が苦慮している南京事件や慰安婦問題に代表される「歴史問題」の関連資料は、当時の規則に基づく破棄や終戦時焼却等により大部分失われたために、我が国の公式資料に基づいた正当な反論を困難にしている側面がある。わずかに残された資料や推測に基づく論議しか展開できないために国際社会を完全に納得させることができず、相手の言い分のみが国際社会で喧伝されているのである。 我が国は自らの尊厳を著しく損なうような事態を二度と起こしてはならず、その防止策の一つが特定秘密を含む公文書の「永久保存」なのである。「権力の乱用」という論点すり替えをするマスコミ 特定秘密保護法に関しては一部常連のマスコミが感情的かつ情緒的な反論を展開しており、集団的自衛権論議と同様の観がある。朝日、東京、毎日新聞の強硬な反対論には一つの共通点がある。それは国家レベルの秘密保護の必要性には言及せず、ただ、特定秘密保護法を運用し執行する政府に対する不信感をむき出しにして反対論を展開していることである。 こうしたマスコミの本音・真の狙いは、国家秘密、特に安全保障関連の秘密保護そのものの必要性を正面から否定することなのかもしれない。しかし、国民の安全保障に関する理解の深化とこれを後押している中国の強圧的な活動を考慮した場合、さすがに反対論を正面切って展開することは不適切との判断に立っているのだろう。反対のための戦術的には間接攻撃/側方攻撃というべきだろうか。政府による法の乱用の危険性を煽り立て、権力(政府)がいかに信用できないかという点に論議を集中させて、国民の間に不安感を広げ、結果的に法律そのものに対する不信感を醸成する戦術を採っていると見受けられる。 しかし、特定秘密保護法に限らず如何なる法律運用にも権力乱用の危険性は常に存在するのだ。民主主義社会におけるマスコミと権力の健全な対立関係下で、法律の運用を監視することこそ、マスコミの責任すなわち政府チェック機能ではないだろうか。姑息な反対論ではなく、国家安全保障の原点に立ち返り論議すべきなのである。 政府を厳しく批判して、事案によっては権力者を辞任に追い込むことさえできるマスコミは民主主義社会の最大の権力ともいえる。本法律が必要という立場に立ち、正々堂々と政府の法律運用の適切性を国民視線から厳しくチェックすることこそ、使命ではないだろうか。 少なくとも、今日の一部のマスコミの反対論は、国民の安全を守るという国家の基本任務の大きな柱、安全保障に直結する特定秘密の保護そのものを妨害、骨抜きにするものであり、結果的に国外の特定勢力に与することにもなる。そのことは明確に認識されなければならない。矛盾するマスコミの批判 特定秘密保護法の立法手続きが開始されてから今日まで、一部マスコミは、権力の暴走を主な理由に反対論を展開してきた。我が国政府を「国民の知る権利を制限する」「国民を欺き、戦争への道を歩む」と批判してきた。我が国政府の誠実さを疑い、不信感を募らせてきた。我が国の過去の経験から、権力機構としての政府に対する不信感が拭えないのは分かるが、そもそもマスコミは果たして、それを言えるほど、誠実で信用できる存在だろうか。 例えば、ある報道について、当事者の観点から事実と異なる点があり、記事の訂正あるいは謝罪を求められたほとんどのマスコミは「当該記事は正当な取材活動に基づき作成したものです」などと対応をする。当事者からの指摘や要請に応えて、訂正や謝罪をすることは稀である。 これは9・11テロの際に筆者自身も体験したものであるが、明らかに事実と異なる記事に対する疑問・質問や修正要請に対するマスコミの対応は、木で鼻をくくったようなものであった。 確かに、マスコミが批判する政府にも、国民を欺いた過去や個人に冷たい対応をする官僚体質など、責められ反省すべき点はあるかもしれないが、マスコミには政府以上に、悪い意味の官僚的、かつ不誠実な体質があるとは言えないだろうか。 その極致が昨年、大きな問題になった朝日新聞の福島第一原発と慰安婦に関わる誤報であった。慰安婦に関わる誤報について朝日新聞は、自社の取材、記事の誤りを長年にわたって認めず、批判を黙殺し続けた。誤りを認めた後も、詫びず、批判を浴びてようやく謝罪した。原発についても初めは誤りを認めず、他機関の調査結果の公表という事実に直面して観念し、しぶしぶ誤報を認めたものである。 本ケースでは、他のマスコミや権威のある機関、研究者の批判などが朝日新聞を追い詰めたが、世間でほとんど注目されない個人が誤りを訴えた場合は、そうはいかない。マスコミは個人へ強圧的に対応する。個人尊重をいうマスコミが、実はいかに個人を軽んじているか示す証左であり、独善性そのものである。 特定秘密保護法を批判する際、マスコミが強く警戒し、強調する政府の不誠実は、実はマスコミ自身の体質なのである。自分の本質をわきまえず体質改善さえできない者(マスコミ)が、他人(政府)を疑って声高に非難している図式は、滑稽であり哀れでもある。軍事情報漏えいは同胞の死に直結する軍事情報漏えいは同胞の死に直結する 最後に軍事活動、究極的には戦争・戦闘における情報保護について述べる。 今日ではさすがに鳴りを潜めつつあるが、これまでの日本では、一部の盲目的平和主義者や自衛隊に反対する立場の人々が「戦争行為は殺人である」ということを声高に叫んできた。 しかし、日本以外の如何なる国、そして国際法も、正当な戦闘行動に参加した軍人を殺人者として取り扱うことはない。戦争と戦闘行為は国際法において認められた正当な国家行為である。端的に、また、究極的に言えば、軍人という愛国者同士が国家のために、相手を物理的に破壊し合うのが戦争と戦闘行為である。法に反して人を殺める犯罪行為とは本質的に異なるのである。現代の戦争や戦闘は国際法と国際慣習、つまりルールに基づいて行われなければならない。法もルールも無視して行われる殺人とはまったく違う。 いま、戦争と戦闘行為を行うのは「軍人という愛国者同士」と説明したが、ここでいう「愛国者」とは無論、極端な国家主義者を言うものではない。国家を築き、構成し、防衛することは、主権在民の民主国家における国民の義務であるという能動的な考え方に基づき、国防に任ずる普通の国民のことである。 国民国家と民主主義が融合した今日の民主国家において、国家防衛に任ずる軍人は、この意味で愛国者として尊敬され遇せられているのである。自衛官を殺人者と呼んできた人々は、軍人や自衛官を蔑み・辱める意図をもってそうするのであろうが、これは我が国に独特の行為であり、外国では基本的にありえないことである。 このような愛国者である軍人同士の戦争や戦闘に関する情報漏えいは、多数の同朋・戦友の命を危険にさらすことから、多くの国では、通常の犯罪とは区別され、「利敵行為による同胞への危害の誘導」という最大の犯罪行為と位置づけられる。多くの国では極刑または最大量刑をもって臨むのが一般的である。戦時以外の情報漏えいもまた、結果的に国益を損ない、間接的に戦時の同朋の死につながることから同様に重罪とされる。  その点から言えば、情報漏えい者に対する罪が最高で十年の懲役に過ぎない日本の特定秘密保護法は、甘い法律だと言える。一部マスコミは、この法律が命をかけて戦う愛国者たる自衛官を守るための法律だと知っていて、批判している。自衛官は殺されてもいいと主張しているに等しいのだから、国民としての誠実さはかけらもないと言わざるを得ない。 もしそれを知らずに批判しているとすれば、勉強不足にもほどがある。言論機関に従事する者として、やはり不誠実極まりない。 最後の部分は相当刺激的かつ極端な表現であることは承知の上で述べたものであるが、この部分を含め拙論で展開した論議の本質を十分に踏まえ、国会やマスコミで議論が行われるよう、心から願ってやまない。こうだ・ようじ 昭和24(1949)年、徳島県生まれ。47年、防衛大学校卒、海上自衛隊入隊。平成19年に自衛艦隊司令官就任。20年に退官。国家安全保障局顧問会議メンバー。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』(幻冬舎新書)。

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    60年安保の呪いを見た

    集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案が16日午後、自民・公明両党などの賛成多数で可決され、衆院を通過した。国会周辺では「アンポ反対」のデモが続くが、一部メディアは岸信介内閣を打倒した60年安保闘争の記憶と重ねて火に油をそそぐ。55年の時を経て、安保の「呪い」が再び蘇る。

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    5歳の安倍晋三氏 デモ隊まね「アンポハンターイ」繰り返す

     米議会で壇上に立った安倍晋三・首相の顔には、「歴史に名を残した」という充足感が満ちていた。自民党史上初となる首相再登板を果たしてからの安倍首相は、時に党内からも“独裁者”との批判が上がる。数の論理を背景に集団的自衛権行使容認、憲法改正へと前のめりになるその姿は、60年安保締結を断行し、「昭和の妖怪」の異名をとった祖父・岸信介とも重なる。安保関連法案の衆院特別委員会での可決を受け、記者の質問に答える安倍首相=15日夕、首相官邸 一方で、前回登板が敵前逃亡に終わったように、ガラスのシンゾウ、小心者との月旦評も少なくない。40年超の政治記者人生を安倍家取材に費やしてきた政治ジャーナリスト・野上忠興氏が、膨大な取材資料を元に人間・安倍晋三を形成したルーツに迫る。(文中敬称略)* * * 1960年。東京・渋谷の南平台にあった岸の邸宅には、連日、日米安保条約改定に反対するデモ隊が押し寄せた。いわゆる60年安保闘争だ。 その岸邸の中では、まだ5歳と幼かった安倍晋三と兄・寛信(当時7歳)がデモ隊の口まねをして、「アンポハンターイ! アンポハンターイ!」と繰り返すのを岸がニコニコしながら見ていた──安倍が政治の「原体験」としてよく語るエピソードである。 だが、その背景に、甘えたい盛りの時期に両親が不在がちだったという家庭の事情があったこと、幼心に感じていた孤独が隠されていたことはほとんど語られていない。 安倍は毎日新聞政治部記者だった父・晋太郎と岸の長女・洋子の次男として1954年9月に生まれた。2つ上の兄・寛信(現・三菱商事パッケージング社長)が父方の祖父・安倍寛と母方の祖父・岸信介から1字ずつ受け継いだのに対し、安倍は父の「晋」の字をもらったものの、次男なのに晋三と名付けられた。母の洋子に、なぜ晋三なのかと聞いたことがある。 「主人も私も女の子を欲しかったが、2人目も男の子だった。父(岸)は喜んでいましたが。名前の由来はよく聞かれますが、晋二より晋三の方が字画が良いとか。主人も字の据わりが良いからとはじめから『晋三だ』といいました」 安倍の誕生は、まさに岸が権力への階段を駆け上がっていった時期に重なる。 開戦時の東条内閣の商工大臣を務めた岸は敗戦後、A級戦犯として巣鴨プリズンに収監された。不起訴となり公職追放が解除されると、1953年の総選挙で国政に復帰。晋三誕生の翌年(1955年)の保守合同による自由民主党結成で初代幹事長に。1956年に石橋内閣の外相、1957年には首相へと瞬く間に頂上へ上りつめた。安倍が2歳の頃だ。 岸のスピード出世に伴い、晋太郎は政治記者から総理秘書官に転身。そして1958年の総選挙に出馬するや、安倍家の状況は一変した。 「普通の家庭の団欒は、なかった。父親は全然家にいなかったから。父親がいたりすると家の中がギクシャクしたほどだった」 安倍は筆者のインタビューにそう振り返ったことがある。総理秘書官の父は連日のように深夜に帰宅し、休日も仕事。母の洋子は夫の選挙のために地元の下関に張り付き、東京の家には幼い安倍兄弟がポツンと残された。 「友人宅で一家団欒の光景を見たりすると、『ああ、いいな』と思ったりした」と“普通の家庭”への憧れを語った安倍の言葉が改めて思い出される。 両親に代わって、安倍兄弟が成人するまで世話をしたのが、晋三の乳母兼養育係だった久保ウメ。岸、安倍両家に40年仕え生涯独身を通したウメは、筆者の取材のなかで、こんな「安倍家の日常」を明かした。 「安保の頃は晋ちゃんがまだ5歳、ママは地元だし、パパは仕事だから昼間も私やお手伝いさんしかいない。子供には危険だからと安倍家は岸邸と別のところに住んでいて、晩ご飯だけは南平台(岸邸)で食べると決まっていた。私が左手で代筆した夏休みの日記は、必ず『今日も、おじいちゃんの所で夕食を食べました』が書き出しだった」 ウメによると、安倍は幼稚園に通っていた頃、おんぶをよくねだる子だったという。 「朝、お兄ちゃんの仕度ばかりやっていると、晋ちゃんが拗(す)ねちゃって。拗ねるとテコでも動かない。幼稚園のカバンをかけてやって、バス停までおんぶしていった。あんなにおんぶが好きだったのは、やっぱり両親が不在がちだったからでしょう」 甘えたい盛りの安倍にとって、岸邸での祖父母との夕食や、時には庭で遊んでくれた祖父とのふれあいは貴重な団欒だった。 であれば、安倍が「A級戦犯」「妖怪」呼ばわりされた岸を「おじいちゃんは絶対正しい」と信じ込んだとしても、「安保反対!」を叫ぶデモ隊が「祖父の敵」として幼心に刻まれたとしても、解せなくはない。安倍は当時の岸との会話をこう回想している。 「『アンポってなぁに?』と聞くと、『日本をアメリカに守ってもらうための条約だよ。なんでみんな反対するのかわからない』──そんなやりとりをしたことをかすかに覚えている」関連記事■ 渋谷駅スクランブル交差点付近に安倍首相の風刺画が次々出現■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ「移民メイド政策」■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ「政府のメイドさん」■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ 「70年談話」■ 久しぶりに会ったYURI 僕にとびっきりの笑顔を見せてくれた

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    「安保」に揺れた日本 55年前の記憶

    昭和35(1960)年6月19日午前0時、日米安全保障条約改定案が国会で自然承認された。在日米軍に日本の防衛義務さえない旧安保条約の不平等性は大幅に解消されたが、日米同盟の強化を危ぶむ旧ソ連や中国の執拗(しつよう)な対日工作もあり、旧社会党や総評(日本労働組合総評議会)、全学連(全日本学生自治会総連合)などは「米国の戦争に巻き込まれる」と扇動した。国会周辺は連日デモ隊で埋め尽くされ、岸信介首相は退陣に追い込まれた。 あれから55年。国民の意識は大きく変化し、内閣府の世論調査(平成26年)では、日米安保条約を支持する人は8割を超える。国会周辺の風景も大きく様変わりした。風化しつつある「60年安保」の記憶を秘蔵写真でたどる。 ≪5・19 乱闘国会「野戦病院」≫ 安保改定阻止に向け、社会党などが激しく抵抗する中、政府・自民党は衆院での強行採決を決めた。昭和35年5月19日午後11時5分、清瀬一郎衆院議長は警官隊を国会に入れ、ピケを張る社会党議員らを排除し、50日間の会期延長を可決した。大乱闘となった国会ではけが人が続出、さながら野戦病院となった=写真(1)。清瀬氏本人も左足を負傷し、おんぶで議長室と議場を移動した=同(2)。 日付が変わった20日午前0時5分に再び清瀬氏は本会議を開き、安保条約改定案を可決させた。疲れ切った清瀬氏がソファに体を横たえ、記者団の取材に応じたのは午前0時50分だった=同(3)。写真(1)写真(2)写真(3) ≪6・10 ハガチー事件の衝撃≫ 岸信介首相が日米安保条約改定案の国会承認を急いだのは、昭和35年6月19日にアイゼンハワー米大統領の来日が予定されたからだった。ところが、事前協議のため6月10日に来日したハガチー米大統領新聞係秘書(現大統領報道官)とスティーブンス大統領秘書官らが乗り込んだ米大使館のキャデラックが、羽田空港近くの弁天橋手前でデモ隊に囲まれ立ち往生してしまう=写真(1)、右がハガチー氏。約1時間後、ハガチー氏らは米海兵隊のヘリコプターで救出=同(2)=されたが、これを機にアイゼンハワー来日は中止された。写真(1)写真(2) ≪途切れぬ緊張 6・15攻防≫ 日米安保条約改定案の自然承認を昭和35年6月19日に控え、国会周辺は緊迫の度を増した。警官隊は連日国会に大量動員され、食事時も現場を離れることを許されなかった=写真(1)。15日夕には警官隊の放水を浴びながらデモ隊が国会突入を図り、カメラマンたちもズブぬれで取材に当たった=同(2)。デモ隊は次第に暴徒化し、バリケード代わりだった警察車両は横倒しにされ、放火された=同(3)。こうした中、東大4年生の樺(かんば)美智子さんが死亡した。写真(1)写真(2)写真(3) ≪昭和35年(1960年) 6・18→現在≫ 日米安保条約改定案の国会での自然承認を数時間後に控えた昭和35年6月18日、社会党などが主導する安保改定阻止国民会議は、「岸内閣打倒」などを掲げた国民大会に33万人(主催者発表)を集めた。その後、国会デモに繰り出し、うち4万人は徹夜で座り込んだ=写真(1)。 集会場所となった千代田区隼町の広大な空き地は、米軍住宅「パレスハイツ」跡地で、昭和33年11月に返還された。現在は最高裁と国立劇場が建っている=同(2)。写真(1)写真(2)

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    戦後史開封「60年安保」

    れは日本が成熟した国になるために通らなければならない関門だったのかもしれない。 改定された新しい日米安全保障条約は三十五年六月二十三日午前十時二十分、東京・白金の外相公邸(現都立庭園美術館)で批准書の交換が行われ、すべての手続きを終えた。 その夜、外務省ではささやかな打ち上げが行われた。外相、藤山愛一郎(故人)と安保騒動の苦労をともにした秘書官の内田宏(七六)=後にフランス大使、現資生堂顧問=は、藤山をねぎらうように声をかけた。 「大臣、よかったですね。おめでとうございます」 だが、藤山の答えは意外なものだった。 「うん。これで中国とできるね」 内田が「はあ?」と聞き返すと、こう続けた。 「日米安保なんてね、日中(国交回復)をやるためのステッピング・ストーン(踏み石)なんだよ。背後の日米関係を固めておかないことには、大中国とはやりあえないんだよ」 当時、すでに藤山と首相の岸信介(故人)との間には感情のもつれができていたといわれ、藤山も率直に喜びを表現できなかったのかも知れない。それにしても、まだ日本中が「アンポ、アンポ」で頭に血が上っているとき、すでに「次」を考えている藤山に、内田は脱帽せざるをえなかった。 日米安保条約の改定作業は三十三年六月十二日、第二次岸内閣が発足したときに具体的に動き出した。 藤山の回顧録「政治わが道」(朝日新聞社)によると、外相に再任された藤山はすぐ東京都渋谷区南平台にあった岸の私邸を訪ね、「安保改定をやろうじゃありませんか」ともちかけた。岸と藤山は戦前からの親友だった。三十二年首相になった岸は、文字通り“三顧の礼”を尽くして日本商工会議所会頭だった藤山を口説き、外相に迎えていた。 藤山は「岸さんは非常に乗り気で熱心に『やろうじゃないか』と応じてきた」と書いている。 もっとも岸自身、首相就任直後から安保改定に意欲をもっていた。首相として初めて訪米した三十二年六月二十二日、アイゼンハワー米大統領との間で発表された日米共同声明の中に「一九五一年の安全保障条約が暫定的なものとして作成されたものであり…」と将来の改定を約束する一項目を入れることに成功している。 岸は「岸信介回顧録」(廣済堂出版)の中で「私の政治生命をかけた大事業がこのときスタートした」と勢い込んで述べているが、三十三年五月の総選挙で勝利したことが具体的行動に踏みきらせる。 藤山は七月には駐日米国大使のダグラス・マッカーサーIIと会談、さらに八月一日には岸、藤山とマッカーサーの三者会談が外相公邸で開かれた。この席で岸は現行条約の修正ではなく新しい安保を作る意向であることを明言。「修正」で考えていた外務省を驚かせる。国会突入を図り、警察部隊と衝突する全学連主流派の学生ら そしてこの年の十月から、双方の首席代表となった藤山とマッカーサーとの間で具体的改定交渉に入る。 交渉はほぼ毎月一回外務省で行い記者発表もしていた。しかし、途中で警察官職務執行法(警職法)改正案をめぐる国会の混乱や、政府与党首脳会議で「安保改定は急がない」という意見が多数を占めるといった自民党内の意見不統一で、交渉はしばしば中断する。 だがその一方で、藤山とマッカーサーは秘密の裏交渉も行っていた。実際には、この秘密交渉で新安保のほとんどの部分は決まっていったといってもいい。 秘密交渉の場は東京・日比谷の帝国ホテルだったが、一方は終戦直後の日本に君臨したマッカーサー元帥のおいで長身のマッカーサー。もう一方は貴公子然としていて白髪がトレードマークの藤山。人目を避けるのは至難のワザだった。 内田によると、マッカーサーはクリーニング用の袋に書類を入れ、ホテルの一階にあったクリーニング店に洗濯物を預ける外国人客を装ってホテルに入る。藤山の方は裏側の入り口から入り込み、ホテルの一室で合流していた。 内田が振り返る。 「私はいつも、自分のズボンの左のポケットをあけていて、藤山さんの帽子をかくしていました。紺色のいい帽子で申し訳なかったけれど折りたたんでね。それで、藤山さんが外に出たり帝国ホテルに行ったりされるとき、その帽子を藤山さんの頭にかぶせるわけです。何しろあの頭ですから」 帽子の効用だったかどうか。帝国ホテルでの秘密交渉は十四、五回にも及んだというが、記者にも、反対派にもついに気付かれずじまいだった。 交渉は三十五年一月、ようやく妥結する。 岸、藤山をはじめ自民党総務会長、石井光次郎、日本商工会議所会頭、足立正、駐米大使、朝海浩一郎の五人の全権は羽田からホノルル、サンフランシスコ経由でワシントン入りし、調印に臨んだ。 全権団が出発した一月十六日には、改定に反対する全学連の学生たちが羽田空港のロビーを占拠、帰国後の条約の承認・批准に向けての多難さを予感させていた。 だが、岸らにはまださほどの危機感はなかった。 岸について渡米した当時の首相秘書官、和田力(七六)=後にイラン大使=は、「何しろ首相も私も年末の予算編成からほとんど眠る間もない忙しさで、飛行機に乗ってぐっすり眠ったことしか覚えていない」という。(文中敬称略)◇【メモ】 日米安保条約 昭和26年9月8日、日本が独立を得たサンフランシスコ平和条約と同時に「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」、いわゆる旧安保が結ばれた。それまで「占領軍」の名で日本に駐留していた米軍を引き続き日本に残すための合法的措置、といった面が強かった。 その第1条で日本は米軍が日本国内とその付近に配備する権利を「許与する」となっていたが、米軍は「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」としているだけ。このため、米軍は日本に配備するだけで日本を守る義務は明記されていない「片務的」な条約であるとの指摘があった。 35年1月19日に締結された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約」、いわゆる新安保はこの片務性の解消が眼目で、第5条で日米は日本の施政下の領域で「いずれか一方に対する武力攻撃が時刻の平和及び安全を危うくするものであることを認め…共通の危険に対処するように行動することを宣言する」とし、米国に日本防衛を義務づけた。 しかし、社会党などは「米国のアジア戦略に食い込まれ、戦争に巻き込まれる恐れがある」として、安保改定よりも安保そのものを否定。反対運動を繰り広げた。議長のねんざで?本会議採決議長のねんざで?本会議採決 昭和三十五年二月、衆院に一月に締結された新日米安保条約を審議するための安保特別委員会が設置された。委員長は小沢一郎新生党代表幹事の父である小沢佐重喜(故人)、自民党の委員のひとりに加藤紘一自民党政調会長の父である加藤精三(同)がいた。 当時産経新聞の外務省担当記者で、後に藤山愛一郎の秘書になる山本保(六四)=現エフエムジャパン相談役=によると「野党が委員長のところに詰め寄ったりすると、加藤さんが大声でやじを飛ばして助け舟を出す。いいコンビだった」という。 当時まだ当選二回、三十代の若手だった、社会党の石橋政嗣(七○)=後に社会党委員長=は、同党の十三人の委員の一人に抜てきされる。防衛問題の専門家だという理由からだった。先輩の委員たちがひと通り質問を終えた五月の連休明け、石橋はひとりで三日間連続質問に立つというタフネスぶりを発揮、社会党の「安保五人男」に数えられる。 「ところがね、妙なことにこの五人男というのが人によって違っていた」と石橋はいう。通常は石橋のほか黒田寿男、岡田春夫、松本七郎、飛鳥田一雄(いずれも故人)ということになっていたが、これでは、論戦の先頭にたっていた横路節雄(故人)が抜けてしまう。横路を入れて他の一人を落とす数え方もあったという。 「でも、次の委員会で政府をどう攻めるかという作戦はいつも横路さんを除く五人だけで、党内にも内証でやっていた。松本さんの自宅とか秘密の場所を転々としながら。後で気付いたら僕を除く四人は皆、平和同志会系だった。僕はまだペーペーだったから構わなかったが、横路さんは(平和同志会でなかったから)入れなかったんだな」 平和同志会は社会党の中で最左派といわれていた派閥である。党を挙げての安保反対といっても、実態は左派主導だったことがわかる。 その作戦会議から出た一つの戦略があった。安保条約については徹底的に問題点を洗い出した社会党だが、条約と同時に締結された「在日米軍に関する地位協定」についてはあえて議論しなかったことだ。 「政府や自民党は『審議はつくした』といって採決しようとするのは目に見えているから、『まだ地位協定については何もやっていないじゃないか』と採決を延ばす理由にするつもりだった」という。 だが、石橋の三日連続質問が終わったあたりから自民党は採決の構えを見せはじめる。 五月十七日朝、当時、清瀬一郎衆院議長の秘書官だった自民党衆院議員、戸井田三郎(七六)は、九段の自宅から散歩をかねて靖国神社に参拝する清瀬に付き添っていて、「きょう自民党の党籍を離れるから手続きをしてくれ」と指示される。 議長の党籍離脱はあっと言う間に広まり、「議長が覚悟を決めた。いよいよ強行採決か」と緊張が高まる。安保改定阻止を掲げ、国会議事堂周辺を埋め尽くす群衆。全学連主流派はこの後、南通用門から国会に突入した=昭和35年6月、国会議事堂(本社機から) そして五月十九日。午後十時半、衆院本会議開会のベルが鳴った。だが、二階の本会議場と議長室の間は社会党の議員や秘書たちが座り込み、清瀬が本会議場に入るのを阻止する。 戸井田はこうした事態も予想して、あらかじめ国会内に聞こえる院内放送を議長室からもできるよう手配しておいた。清瀬はこの院内放送を通じて議長室から訴える。「名誉ある議員諸君、このままでは議長の行動も自由になりません」 これより前、三階の衆院第一委員室では小沢佐重喜が社会党委員から背広を破かれ、もみくちゃになっていた。安保特が強行採決で安保条約を承認したのだ。社会党議員たちは一段とエキサイトする。廊下ばかりでなく、議長室の次室や事務総長室まで占拠してしまい、ますます身動きはできなくなる。 午後十一時五分、清瀬はついに警官導入を要請する。ピストルを外した警官隊は議員や秘書をごぼう抜きにし、一階まで降ろす。 十一時四十九分、清瀬は金丸信(元自民党副総裁)や長谷川峻(故人)ら自民党若手議員に抱きかかえられるようにして三メートルばかりの廊下を突っ切って本会議場の議長席へ突入する。ゴボウ抜きされた後戻っていた社会党議員が清瀬の足にしがみつく。 「五十日間の会期延長に賛成の方は挙手を」-背後を金丸信らに守られた清瀬のひとことで会期延長が決まった。 戸井田らの話を総合すると、清瀬の意向としてはこの場はこれで終わり、安保採決までは行わないとの考えもあった。ところが、思わぬできごとが起きていた。議長席への突入のさい、清瀬が足にねんざをし、動けない状態になっていたのだ。いったん議場を出ればもう一度入れるかどうかもわからない。 清瀬は議長席に首相の岸信介や自民党幹事長の川島正次郎、衆院議院運営委員長の荒舩清十郎らを呼び協議する。その結果、自民党議員や閣僚が残ったまま二十日未明に再開した本会議で一気に安保条約を承認した。野党ばかりでなく、自民党の三木武夫(後に首相)らも欠席したままだった。 戸井田はこの十九日から二十日にかけての動きを「全くシナリオはなかった」と強調する。これに対し石橋は「六月十九日のアイゼンハワー大統領訪日が決まっており、それまでに自然承認できるよう、何が何でもこの日に採決しようとした」という。関係者がほとんど亡くなっている今真相はわからない。 戸井田によると、清瀬は「自分は自民党の手先でやったと思われたくないから党籍離脱までした。だから一点のやましいこともない」といっていたという。(文中敬称略) 【メモ】 改定の主な争点 安保条約改定をめぐって、国会の衆院安保特や国会外での論議で主な争点となったのは、改定の肝要である片務性解消よりも(1)極東の範囲(2)事前協議(3)条約の期限-などだった。特に、国会論戦の中心となった「極東の範囲」とは条約六条に、米軍は日本の安全ばかりでなく「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」日本の「施設及び区域を使用することを許される」としていた。このため、社会党などは「日本がアジアでの戦争に巻き込まれる恐れがある」とし、極東の範囲を示すよう迫った。しかし、この点に関する政府の答弁は二転三転するなどあいまいで反発を強めたが、「極東の範囲を明示することは外交上無理」との主張もあった。 また、六条実施に関する交換公文の中で、「米軍の日本配置の重要な変更」など3項目について事前協議が行われると明記されたが、具体的にどのように協議が行われるのかなどの疑問点が残された。条約の期限については学者・文化人などから「10年は長すぎる」として「5年」を主張する声があったが、政府は「10年」で押し通した。包囲され「三界に家なし」の岸首相  昭和三十五年五月二十日未明、警視庁警務部長の原文兵衛(八一)=現参院議長=は警視総監、小倉謙(故人)らとともに警視庁の警備本部に待機していた。十九日深夜、清瀬一郎衆院議長の要請で国会に警察官を導入したからだ。 だが、衆院本会議で会期延長だけでなく、新安保条約が自民党単独で可決承認されたことがわかる。原は「会期延長だけだと思っていたから、これは大変なことになると予感した」。 原の予感通り、自民党の単独採決によって安保反対運動はそれまでよりもはるかに大きな勢いで燃え広がる。六月四日に社会党など「安保改定阻止国民会議」の第一次実力行使が行われ、全国で六百四十万人が参加したのを始め、国会周辺は連日デモ隊に埋め尽くされる。 原は毎日、私服で歩いてみて回る。デモ隊の列は国会から首相官邸を過ぎて、渋谷区南平台の岸信介首相の私邸にまでつながっていた。 岸の秘書官だった和田力(七六)によれば、このころになると岸は「三界に家なし」の状況になる。 「官邸でも私邸でも、一番困るのは門の前に座り込まれること。出られなくなるから。警察の無線を聞いて、デモ隊が官邸に向かっているようだと、南平台へ向かう。といっても、行くところはその二カ所と国会内の自民党総裁室しかないから、その三カ所をぐるぐる回っていた。車に乗っていても襲われる恐れがあるので、私ともう一人の秘書官の中村(長芳)君の二人が岸さんの両脇に乗って守っていた。私は役所(外務省)からきた人間で岸さんの子分でも何でもないんだが、仕方がなかった」 清瀬の秘書官だった衆院議員、戸井田三郎(七六)によると、清瀬も国会をデモ隊に包囲され、西側に入り口があった秘密のトンネルから国会に入ったことがある。 ある日、岸の側近だった自民党の池田正之輔(故人)が戸井田を訪ねてきた。「議長がもし国会に入れなくなると困るから、中で泊まってもらえないか」という。宿舎に充てようとしたのは、終戦時に陸相官邸として使われていた高級副官宿舎。阿南惟幾陸相が二十年八月十五日自決した所で、国会内に残されていた。 「きれいにしていたけれど、議長がトリックを使うようなことはよくない、ということで結局泊まり込まなかった」「中身など誰も知らなかった」デモ隊「中身など誰も知らなかった」デモ隊 反対運動の最大のヤマ場となった六月十五日夜、全学連中央執行委員で東大教養部自治会委員長だった評論家の西部邁(五五)=元東大教授=は、約七千人にのぼる全学連主流派を指揮して国会内に突入していた。 この事件で七月に逮捕されたあと運動を離れ、アカデミズムの世界に入る西部は「やってしまったことはしゃべる義務があるから」と重い口を開き、当時の空気をこう証言する。 「国会内に突入したからといって、どうしようというわけでもなかった。それで安保改定を阻止できるとも思っていなかった。大体、安保改定の意味などわかっているのはだれもいなかった。警察官と激突することに意味があったようなものだった。もっと手薄な所のさくを越えれば簡単に国会内に入れるのに、わざわざ警官の多いところにぶつかるわけです」 西部が国会内でしきりにアジっていたころ、「国会南門のあたりで八人が死んだ」などといううわさが学生たちの間に流れ始めた。やがてそれは「女子学生らしい」となった。 「女子学生と聞いたとき、直感的に樺(美智子)さんではないかと思った。東大の一年上で、マジメな左翼のお姉さんという存在だった」と西部はいう。 もっとも、亡くなったのが東大文学部生の樺美智子=当時(二一)=だったことを知るのは翌朝になってからだった。西部も腹をケガし、国会周辺は異常なまでに混乱していた。 当時東大二年生だった現自民党政調会長の加藤紘一(五五)もこの日、首相官邸の坂道を下ったあたりでデモに参加していて樺の死を知る。「女子学生が死んだらしいといううわさが冷たい風のようにサーッとデモ隊を流れていった」 デモの最中、加藤は偶然にもやはりデモに参加していた兄と出会い「オー」と声を掛け合ったこともあり、この日のことをよく覚えている。 加藤の父の精三(故人)は自民党の国会議員で安保特の委員だった。 当時、同居はしていなかったが、赤坂の議員宿舎の父の所へ行くと「アメリカと仲よくすることがどうして悪い」と言われる。 だが、大学に行くと「安保に反対しないのは、去年、国会で選挙制度改革に反対するのと同じぐらい難しかった」。 加藤はこう振りかえる。「安保の中身を知っている者は百人に二人もいなかった。だから安保闘争は安保改定論議ではなかった。しかし、人々が自分のことだけでなく、ようやく社会のことを考え出したことに意味があった」 西部は安保闘争について「中には革命まで夢見ていた人もいたが、僕はそれはバカだと思う。権力を握るなど考えもつかないことだった。僕自身は“平和と民主主義”という戦後の価値観のバケの皮をはがしてやるという気持ちでやっていた」という。 西部や委員長、唐牛健太郎(故人)をはじめ、当時の全学連幹部のほとんどは安保が終わるとともに運動を離れた。安保闘争に参加した学生たちも、砂にまかれた水のように、高度経済成長の社会の中に吸い込まれていった。 西部は昭和六十二年、岸が亡くなったとき「中央公論」に「あなたは正しかった」という弔文を寄せた。(文中敬称略)◇ 【メモ】 全学連と安保闘争 全学連(全日本学生自治会総連合)は当初、日本共産党の指導下にあったが、共産党の方針にあきたらない活動家らが昭和33年、共産主義者同盟(ブント)を結成、34年には執行部を握った。さらに35年の大会では共産党系の反主流派を締め出すなど、事実上の分裂状態となった。こうした状態で迎えた安保闘争で、主流派(ブント系)は、共産党への反発もあって34年11月27日の国会乱入をはじめ、35年1月の羽田空港占拠、首相官邸乱入と次々と過激な反対行動を展開、「ゼンガクレン」として世界的にも名を知られることになった。しかし、安保後はその主流派も四分五裂していく。これに対し反主流派(共産党系など)は安保闘争では反米的な傾向を強め、35年6月10日のハガチー事件の中心となった。◇ 岸内閣の農相だった元首相、福田赳夫(八九)は昭和三十五年五月二十日、一カ月余りに及んだモスクワでの日ソ漁業交渉からの帰り、飛行機に乗り込む前のパリの空港で新聞を渡されて驚く。日本の国会で会期延長されたばかりか、安保条約も衆院で強行可決されていたからだ。 岸の側近だった福田は四月にモスクワに出発する前、岸に「会期延長だけにしてください」と進言。岸も「勿論だよ」と答えた。それだけに福田は「飛行機の中でも半信半疑だった」という。 東京へ帰った福田は農相でありながら、安保騒動が終わるまでついに一度も農林省に顔を出さなかった。あまりに大物すぎて根回しなどの小技はできない官房長官の椎名悦三郎(故人)に代わって、事実上の官房長官役をつとめたからである。 衆院での強行採決で、安保反対と岸内閣打倒の大衆行動が激しさを増す中、最大の問題はアイゼンハワー米大統領の来日問題だった。そして、十日にハガチー事件が起きる。 大統領来日の事前打ち合わせにきたハガチー・新聞係秘書の車が羽田空港出口の弁天橋で全学連反主流派(日共系など)や労組員らに取り囲まれて立ち往生、米海兵隊のヘリで救出されたのだ。 この事件で、来日を疑問視ないしは危険視する声が強まる。 岸と駐日米国大使のマッカーサーは終始、来日実現に強気の姿勢を崩さなかった、とされている。が、福田によれば少し違った。 「岸さんは僕に『何とか米側から日程変更を持ち出すようマッカーサーと交渉してくれ』という。紀尾井町の料理屋で何度かマッカーサーと会ったが、向こうは応じない。そのうちハガチー事件が起き、樺美智子さんの事件が起き、岸さんも最終的に日本側から申し出ることを決断した」 一方、警視庁警務部長だった参院議長の原文兵衛(八一)は、アイク訪日に備えその警備計画を練っていた。警察部内には柏村信雄警察庁長官をはじめ、訪日中止論も強かったが、政府や米側が断念しない以上、準備はしなければならない。警備部長の玉村四一(故人)は、国会や首相官邸の警備指揮で手一杯だったため原が引き受けたのだった。 ハガチー事件二日後には、前夜徹夜で作り上げた警備計画によって予行演習を行う。羽田から第二京浜国道を通り、日比谷公園の前から皇居まで三十八分で走り、その後宿舎の米国大使館までのコースで、沿道には二万数千人の警察官を動員する予定だった。 「私が責任者として車列につく。外務省の参事官だった北原秀雄さん(元フランス大使)に私のすぐ側にいてもらい、何かあったら米国側との連絡役になってもらうことまで決めていた」という。原はその著書「元警視総監の体験的昭和史」(時事通信社)の中で「仮に途中でトラブルがあって若干停滞することがあっても、十分守り通すことができる、という感じを持った」と書いている。 だが、首相秘書官だった和田力(七六)は「警察は最初からやる気はなく、訪日を延期させたがっていた」という。 ハガチー来日の前日、外務省で国賓を迎えるための会議が開かれ、和田は内閣首席参事官だった梅本純正(七六)=後に環境事務次官、現武田薬品相談役=と傍聴に行く。和田は「出席していた警察側が『アイゼンハワーさんは来ることないじゃないですか』などという。これはとてもいけないなと思った」という。 それだけに和田はハガチー事件について、「警察はアイク訪日が無理だということを見せようとしたのではないか」という。「そうでなければ、あの弁天橋のところに最も精強な労組を入れたのはおかしい。無論証拠はないし、皆否定するだろうけど」 しかしそうしたせめぎ合いも、六月十五日、デモ隊に初の犠牲者が出るに及んで終止符が打たれる。翌十六日政府は臨時閣議でアイゼンハワー大統領来日延期要請を決める。これで日米安保条約は十九日の自然承認を待つばかりとなったが、同時にこの外交上の大汚点で、岸内閣の命脈も断たれた。 六月十九日午前零時、新安保条約は参院で採決されないまま自然承認となった。岸は実弟の蔵相、佐藤栄作らとともに、デモ隊に包囲された首相官邸でその瞬間を迎え、一歩も外に出られないまま一夜を過ごす。 その夜、福田は岸からある密命を帯びて官邸をそっと抜け出した。ネクタイをはずし、まるでデモ参加者のような格好をして赤坂プリンスホテルへ向かった。そこには副総裁・大野伴睦、総務会長・石井光次郎、政務調査会長・船田中の自民党幹部三人が待っていた。 実は政府が自然承認後に出す声明に、岸の「辞任表明」を盛り込むよう三役側が求めており、福田は「それはできない」という岸の答えを伝え説得するためだった。党側の言い分は、自然承認となってもまだこれから批准書の調印と交換という大変な仕事がある。首相辞任が明記されれば、デモも低調になり、宮中への出入りも楽になって批准手続きは簡単になるという理由だった。 「ところがね、岸さんは『批准書のことなら心配はいらない。実はもうハワイで交換しているんだ』と伝えさせた。党側はびっくりしていた。手回しいいなって。もちろん、そんなことがあるはずない。岸さんの大芝居だった」 永田町全体をデモ隊が埋め尽くす中、早くも次期政権をめぐるかけひきが始まっていたのだ。 (文中敬称略)  【メモ】 安保改定問題をこじらせた背景には、昭和33年の警職法改正問題があった。岸内閣は安保改定作業が具体的に始まったばかりの33年10月8日、警察官の職務質問や所持品調べなどの権限を強める警察官職務執行法(警職法)改正案を臨時国会に提出した。これに対し社会党や労働団体、文化団体などがいっせいに「オイコラ警察の復活だ」などとして反発。社会党は一切の国会審議を拒否した。自民党は抜き打ちで会期延長を行うなどあくまで成立をはかろうとしたが、11月28日、自社両党の党首会談で審議未了となった。しかし、この混乱で安保改定作業が大幅に遅れたほか、国民の間に激しい「反岸」感情を巻き起こした。その「岸内閣打倒」の空気が、安保条約の本質をよく理解しないまま反対運動につながった面もあった。また、警職法での失点が、自民党内の反主流派を勢いづかせることにもなった。幻に終わった「西尾政権」幻に終わった「西尾政権」  新しい日米安保条約は昭和三十五年六月十九日自然承認となった。自民党は翌二十日、抜き打ちで参院本会議を開き、残っていた安保関連法案を成立させ、さらに二十一日には持ち回り閣議で安保の批准を決める。 批准書は外務省から東京・赤坂見附のホテル・ニュージャパンにあった外相、藤山愛一郎の個人事務所に届けられた。藤山が署名するためである。藤山の著書「政治わが道」(朝日新聞社)によると、外務省から「社会党の松本七郎代議士が探している」という電話が入る。松本は社会党の最左派で安保反対の急先ぽうだった。菓子折りに見せかけ批准書を運ぶ 藤山は秘書官だった内田宏(七六)を伴って、青山にあった藤山の夫人の姉の家へ行き、そこでサインを済ませた。内田が振り返る。 「こんどは首相官邸で総理の署名が必要なわけですが、そこまで届けるのが大変でした。なにしろ、まだそこら中デモ隊でしたから。そこで大臣のお姉さんからできるだけ派手なふろしきを借りて、菓子折りを包んでいるように見せた。私が持って出て、途中待たせておいた車で官邸へ行きました。官邸でも新聞記者に気付かれないよう、“陣中見舞いのお菓子です”といって和田君(和田力首相秘書官=当時)に届けた」 岸信介首相が署名した批准書は、内閣首席参事官だった梅本純正(七六)=現武田薬品工業相談役=の手でこんどは、宮中に運ばれる。宮中への書類を首席参事官が持っていくのは異例だった。 梅本は「批准書を奪いにくるといううわさはいろんな所からありましたからね。宮中に行く途中で奪うとかね。だから和田君から何でもない書類のような格好をして受け取り、ちょっと外に出るという格好で行きました。記者のみなさんのそばを通り抜けるのが大変だった」という。 批准書の交換は二十三日午前十時十分から、白金の外相公邸で藤山とマッカーサー駐日米大使との間で交わされた。午前九時のラジオニュースが終わった九時十分に記者団に予告するという慎重さ。日本側は外務省幹部の朝食会を装い、万一デモ隊がつめかけた場合、マッカーサーが隣家との間の塀を乗り越えて抜けられるように、ビール箱の踏み台まで用意していた。 あわただしく批准書への署名・交換、シャンパンによる乾杯を終えたあと、藤山は国会へ急ぐ。国会内の大臣室では岸内閣最後の閣議が開かれているはずであり、藤山が批准書交換を報告、これを受けて岸が総辞職を表明するてはずであった。 だが、藤山はショックを受ける。すでに閣議は終了、大臣室では次の総理を決めるための政府与党首脳会談が開かれていた。藤山は「政治わが道」に次のように書く。 「なぜ、岸さんは待っていてくれなかったのか。安保改定という国家の命運を賭けた大事である。これだけ、全力をあげて取り組んできたのに…と思った」 藤山は「全部終わりました。マッカーサー大使も無事大使館に帰りました」とだけ告げ、国会を後にした。 ところで、この時期岸内閣の事実上の官房長官役をつとめていた農相、福田赳夫(八九)は、アイゼンハワー来日が中止になる前、すでに岸から「総辞職の声明の原案を書いといてくれ」と辞意を伝えられていた。 「ほんとに総辞職なんですか」と聞くと、「いや決めたわけではないが、念のためだ」とあいまいではあった。福田はさらに「後任はどうするのですか」と聞いた。岸は「それは後の人たちが決めることだ」と答え、逆に「君ならどうする」と意見を求めた。 福田はとっさに「選択肢はひとつ、西尾さんしかありません」と、その年一月に社会党から分かれて誕生した民社党の委員長、西尾末広(故人)の名前をあげた。安保でガタガタになった政治への信頼を取り戻すなら、西尾政権をつくり、自民党がこれを支えるしかないというのが福田の考えだった。西尾なら労組の大部分も支持するし、社会党もいずれ支持に回るだろう。 岸は一瞬あぜんとした後、「貴重な意見だが、大野伴睦君(当時自民党副総裁)が同調してくれるかどうか」と言った。 福田はなぜ大野の名前が出てくるのかいぶかしがった。だが、後に幹事長の川島正次郎から、岸が政局を乗り切るため、「自分の次は大野」という誓約書に署名していたことを聞く。有名な事件である。 それでも福田は、ひそかに西尾を説得する。知人に使わせてもらった都内の邸宅。お茶と碁盤しか置いていない部屋で、福田は三回にわたり西尾と会い、ポスト岸を受けるよう要請する。福田によると西尾は最初の二回は黙って聞いていたが、三回目に「残念ながら、その要請を受けることは政治家として自殺に等しい」といって断った。 こうして「西尾擁立」は幻に終わった。福田は「これは全く二人だけしか知らないことだが、実現していれば、今の自社内閣を先取りしていたことになるのだが」と残念がる。 それから約二週間にわたる自民党内の暗闘の末、岸後継は、岸がいったん約束した大野でもなく、岸とともに安保改定に政治生命をかけた藤山でもなく、官僚派に押された池田勇人に落ち着いた。池田は大平正芳や宮沢喜一ら元秘書官グループの補佐よろしきを得て、「低姿勢」の政治姿勢で「高度成長」といった政策を打ち出し、安保問題から国民の目をそらそうとした。それは見事に成功する。 そして、日本で正面から安全保障の問題が論じられることはほとんどなくなった。 (文中敬称略)◇【メモ】 誓約書事件 昭和33年の警職法をめぐる国会の紛糾で、自民党内からも批判を受けた岸信介首相は翌34年の年頭、静岡県熱海で党内党人派の代表である大野伴睦、河野一郎の両実力者と会い、今後の政局への協力を要請するとともに、安保条約改定後に政権を大野氏に譲ることを約束した。さらに1月16日には帝国ホテルに岸、大野、河野三氏と岸氏の実弟の佐藤栄作蔵相が集まり、北炭社長・萩原吉太郎、大映社長・永田雅一、児玉誉士夫の三氏の立ち会いで熱海会談の約束を裏付ける誓約書に署名した。35年6月の岸首相引退表明後、大野氏はその約束履行を信じて総裁選に出馬を表明するが、岸首相は池田勇人通産相を支持、大野氏は総裁を断念した。 岸首相は「岸信介回顧録」の中で「誓約書は河野、大野両氏が私に協力するのが前提で、河野氏が倒閣運動をするなど約束違反した段階で反古になった」という趣旨のことを書いている。

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    ポスト60年安保と革新幻想

    挙が不利になると青くなる場面がつぎのように書かれてある。野党議員が抗議する中、自民、公明両党の賛成で安全保障関連法案を可決した衆院平和安全法制特別委=7月15日午後 民社党の衝撃の深さは自民党以上だった。浅沼の死を福島の遊説先で聞いた書記長曽禰益(そねえき)は「しまった」と叫んだ。今まで議会主義を危うくする加害者という立場であった社会党が、浅沼の劇的な死によって、一挙に同情すべき被害者の立場を獲得してしまった。日本人の情緒的な性格からすると社会党に圧倒的な同情が集まり、そのあおりを受けて、民社党は苦戦するに違いない、と思えたのだ。民社党の惨敗 民社党委員長西尾末広は、この日(10月12日)、浅沼とともに日比谷公会堂での三党首立会演説会に臨んだ。演説の順番は、西尾が最初で、浅沼稲次郎、池田勇人とつづくことになっていた。西尾は、安保闘争における社会党の行動を議会制民主主義を破壊するものだとして「赤い社会党」を激しく非難した。小論冒頭の世論調査でみたように、新安保条約批准交換と岸信介の首相退陣表明の後は、むしろ新安保賛成者がふえる勢いだった。そんなことからも、西尾は演説にそれなりの手ごたえを得て、降壇した。浅沼が刺殺されたのは、西尾のあと浅沼が登壇し、演説をはじめて20分ほどたったときのことである。西尾は車の中で浅沼刺殺のニュースを聞いた。「そこで曾禰とまったく同じ言葉を呟」くことになった。 その1ヶ月ほどあとの11月20日、総選挙がおこなわれる。曽禰や西尾の危惧どおりの結果となる。自民党は、公認候補だけでみると選挙前の議席よりも9議席増、無所属からの自民党入党者2名によって300議席となった。社会党は前回(1958年5月)の総選挙では、167議席獲得したが、党が分裂して、社会党議員のうち40人が民社党にうつった。総選挙直前の社会党議席数は、127議席だったことになる。そこからみると、選挙によって解散前よりも18議席上回った。民社党は選挙前には80人当選とぶちあげていたが、改選前の40人にもはるかにとどかず当選者17人で惨敗だった。 民社党の社会党攻撃が死者(浅沼社会党委員長)にムチを打つ所業とうつってしまった。民社党が曽禰や西尾が危惧したように、いかに打撃を受けたかは、つぎのような比較をすればよくわかる。 前回の総選挙(1958年)のとき、社会党から立候補し、かつ今回も立候補した者をつぎのふたつのグループにわける。ひとつは、今回も社会党で立候補したグループI。もうひとつは、今回は民社党から立候補したグループIIである。前回選挙は、グループIの平均得票が5万6千票、グループIIの平均得票が5万7千票。つまり、民社党にうつったグループのほうがわずかであるが、選挙につよかったということになる。ところが、今回の選挙で、グループI(社会党で立候補)の平均得票数は6万1千票、グループII(民社党で立候補)の平均得票は4万7千である。今回はじめて社会党で立候補した者でも平均得票数は4万9千だった(西平重喜「第二九回衆議院総選挙の結果」(『自由』1961年1月号)。社会党を議会制民主主義の破壊者として批判した民社党が浅沼委員長の死による同情によって大きな打撃を受けたことがわかる。山口二矢の行動は、その意志に反してかえって社会党を延命させるものとなってしまったのである。社会党贔屓の総括への疑問社会党贔屓の総括への疑問 ところで、この第29回総選挙結果について「社会党勢力への人心の移動がまだ続いていることを表してい(る)」(石川真澄『戦後政治史』岩波新書、1995)という社会党贔屓の総括がある。社会党は1949年の敗北のあとの1952年からの総選挙からは、一貫して右肩上がりで得票率を増してきたことから、その傾向が「まだ続いている」といっているのである。石川の「社会党勢力への人心の移動」持続論が問題なのは、あくまで浅沼社会党委員長殺害という偶発的出来事による結果論にもとづいているからである。いや結果論としてみてさえかなり疑問のある言明である。 たしかに解散前からくらべて社会党は議席数を18議席増やしたが、解散前の社会党勢力である民社党をふくめてみれば、社会党145議席、民社党17議席であわせて162議席である。これは解散前の社会党議席167議席を4議席下回っている。社会党の得票率は27・5%(前回32・9%)だったが、民社党の得票率8・8%をくわえると、前回を上回る36・3%の得票率を得て順調な上昇傾向となったといえなくもない。自民党の得票率は前回57・8%で、今回は57・6%でほぼ同率だった。しかし、得票率は、候補者を多く立てれば、上がる。社会党の分裂により民社党ができたことにより、民社党の候補者数がおおくなった。社会党と民社党の両方の候補をあわせると前回の246人から今回の291人と45人もふえたことによる得票率の増大なのである。 統計学者西平重喜(1924~)は、自民党の安保採決に欠席した議員の当選率(74%)は、採決に参加して賛成した議員の当選率(82%)より小さいなどのデータをあげて、浅沼委員長刺殺による同情票による社会党の盛り返しを考慮にいれても、「少なくとも、今回の選挙では、一部の人の考えていた『政治的関心を高め、革新化する』という結果は出ていない」(「統計調査から見た安保問題」『論争』1961年3月号)、と当時述べている。妥当な解釈だろう。 誰の目にもあきらかな社会党の凋落は、つぎの1963年総選挙からはじまるが、実は60年安保闘争直後の1960年11月の総選挙からその兆しがあったのである。いやさきほどふれたように、その兆しはすでに前年(1959年)にはじまっていたのである。同年4月に統一地方選挙、6月に参議院議員選挙がおこなわれたが、いずれにも社会党は敗北していたからである。参議院議員選挙では、前回選挙からくらべ当選者数は11名減、得票数でも100万票減となっていた。もっといえば、1958年5月の衆議院選挙で、選挙前予想とはちがっての伸び悩んだときから凋落の兆しがはじまっていたのである。ハンドルを切ったのは丸山眞男 時間を1960年6月18日に戻す。この日、50万人が国会と首相官邸を取り巻いていた。同日深夜零時をむかえ、安保改定は自然承認の運びとなった。国会周辺のデモ隊の中にいた清水幾太郎は喧嘩に負けた口惜しさで泣く。丸山のほうは「チラッと腕時計を見て、『ああ、過ぎたな』と思っただけで、特別になんの感情も涌きませんでした」(丸山眞男「8・15と5・19」『中央公論』1960年8月号)といっている。丸山は、安保条約の通過は短期的な出来事であり、民主主義の定着がなされたという長期的成果に満足したからである。 しかし、社会党も安保改定阻止国民会議の幹部も安保改定自然承認後の運動目標についてなすすべをもちあわせていなかった。このとき、指針を示したのが、丸山眞男である。5月24日、東京の神田の教育会館でおこなわれた「岸内閣総辞職要求・新安保条約採択不承認・学者文化人集会」に集まった者たちの前で、丸山はこういった。 私は安保の問題は、あの夜を境いとして、あの真夜中の出来事(自然承認-引用者)を境いとして、これまでとまったく質的にちがった段階に入った、(中略)この国民の運命を決する重大な国際的問題を、一挙に押し切ってしまったというそのことを、そもそもわれわれが認めるのか認めないのかという問題にしぼられてきました。(中略)この歴史的な瞬間に、私たちは、外国にたいしてではなく、なによりもまず、権力にたいする私たち国民の安全を保障するために、あらゆる意見の相違をこえて手をつなごうではありませんか(「選択のとき」『丸山眞男集』第8巻)。 いまや「安保改定阻止」よりも、議会政治のルールを無視した民主主義の蹂躙反対という「質的にちがった段階に入った」としたのである。すくなくとも丸山のスピーチはそう受け止められた。「あらゆる意見の相異をこえて」は、安保改定に賛成の者も反対な者もと受け止められた。竹内好(中国文学者、1910~77)は、より端的に「民主主義か独裁か」の選択だとした。方向性をうしなっていた社会党は、このような学者・文化人の言明を採択して「岸内閣をやめさせ民主主義をまもろう」をスローガンにしはじめた。 5月24日の神田の教育会館の学者・文化人会議には清水幾太郎もいた。会場に、「安保改定阻止」ではなく、「民主主義擁護」のスローガンが大きくかかげられているのをみて、清水は、「ああ、運動はもう滅茶苦茶になってしまった」と失望と怒りを感じる。その一ヶ月半ほどあと、丸山が安保改定反対運動をして「健康なデモクラチックなセンスが生きていた」(「新安保反対運動を顧みる」『丸山眞男集』第16巻)と総括したが、清水は、丸山などの学者文化人を批判しながらこう喋っている。安保改定阻止ではなく、民主主義擁護という目標に転ずれば、もりあがったエネルギーは空前だったのだから、誰でも「勝利」といえることになる。新安保自然承認以後、なすすべのなかった社会党や安保改定阻止国民会議の幹部が、民主主義擁護にのってきたのだとして、こうつづけている。  敗北という評価を下す場合は、敗北の責任者を探し出さなければなりません。永い間、「大衆の無関心」、「大衆の立ち遅れ」ということが説かれ、いつも大衆が責任者にされて参りましたが、今度は、これは通用いたしません。指導部が閉口するような大衆のエネルギーの昂揚こそ、民主主義の勝利を云々する根拠なのですから。そうなって来ますと、敗北説を採用することは、とりもなおさず、このエネルギーを十分に生かさなかった、むしろ、これを抑えつけるのに懸命であった既成指導部の責任を問うという結果を生じます。この点からしても、学者たちの民主主義勝利説は指導部にとって「神」であったと言えるようであります(「安保戦争の『不幸な主役』」『中央公論』1960年9月号)。  しかし、すでにふれたように、すくなくとも選挙結果をみれば、安保闘争反対でつちかわれたという「革新民主主義」が国民に浸透し、丸山眞男のいうような在家仏教主義が国民の間にひろく浸透したとはいいにくい。むしろ逆である。丸山らの理論を受け入れて、「民主主義をまもろう」をスローガンにした社会党は、ありうべき大敗北を浅沼委員長の刺殺による同情票によってかろうじて免れたのだから。 安保改定は戦争につながる、日本は要塞国家になり、警察国家になる、ヒトラー的な独裁政治がはじまるなどと悲壮感がただよっていたが、安保改定によってなにもかわらなかった。かくて多くの国民は、二幕目の消費社会(一幕目は1950年代後半)の気分に回帰した。警職法改正案に反対した人々が、審議未了になるやミッチー・ブーム(皇太子妃正田美智子さん人気)にもどったように。 警察国家のイメージを払拭し「所得倍増論」をとなえたニュー保守(ライト)である池田内閣は消費社会への邁進気分とマッチしながら迎えられた。国民の多くは、60年安保闘争で戦後民主主義の背後感情、つまり護憲による平和と民主主義の擁護というムードを消尽しはじめた。革新党派は70年代前半に地方首長で社共推薦候補を次々に当選させたが、社会党は衆議院選挙では停滞し、長期低落傾向をたどった(表2)。革新地方首長も70年代後半からは選挙で敗北することが多くなった。変わる学生生活変わる学生生活 消費社会のはじまりは大学生にもおよびはじめていた。大学生が角帽をかぶらなくなっただけではなく、入学式にさえかぶっていかなくなったのが、60年安保闘争がはじまったころの入学生からだった。 そんな風潮を感じてだろう、1960年10月に学生問題研究所(矢内原忠雄所長)が、都内の大学の正門に立って、午後3時から3時半までに出入りする学生が角帽をかぶっているかどうかの調査をしている。つぎの括弧のなかの数字は通行した男子学生数で括弧の外の数字が角帽をかぶった学生の数である。 東大(本郷)    0(184) 東大(駒場)    0(165) 早大        5(254) 明大        8(205) 立教大       4(319)「角帽をなぜ嫌う?」『サンデー毎日』1961年4月23日号 調査人数は全部で1127人。そのうち角帽をかぶっていたのは、17人。着帽率は1・5%。それでもこのときの男子大学生は黒の金ボタンの制服姿が多かった。これに関連して、絓(すが)秀実が『1968年』(ちくま新書、2006)の中でおもしろいことをいっている。一九五九年の安保闘争で逮捕状がだされ、東大駒場に篭城していた当時の全学連書記長清水丈夫が駒場を出るときの写真が掲載されている。清水とスクラムを組んでいるのが駒場(東大教養学部)自治会委員長の西部邁である。それぞれはオーバーとジャンバーを着ているが、黒の上下制服を着用していることが写真からわかる。そこで絓はつぎのように書いている。  この写真でも知られるように、当時の学生活動家の多くは学生服を着てデモに出ていたのである。それは、戦後に全学連が結成されて以来の「伝統」のようなものであり(そもそもそれ以外に着るものがなかった)、その「伝統」は全共闘では消滅している(下線引用者)。  ところが、60年安保と全共闘の中間にある、わたしの入学年ころから国立大学学生の服装でも変化がおきはじめていた。上着は詰襟の学生服だがズボンだけは制服と別の替えズボンを着用しはじめた。大学生の「レジャー」と「おしゃれ」がはじまった。 全国大学生活協同組合連合会の1964年実態調査によれば九割の学生が登山・旅行のレジャーを楽しんでおり、高額商品所持率調査では、上下背広服43%、プレーヤー47%、電気コタツ42%、登山靴35%、テープレコーダー21%だった(定村礼士「大学生市場の消費性向」『マーケティングと広告』1965年12月号)。なるほど当時のわたしも、上下背広、プレーヤー、電気コタツをもっていた。 アルバイトの種類と数もふえてきた。とくに、経済の高度成長と大衆受験社会によって、それまでなら、一部の有産階級に限定されていた家庭教師というアルバイトの求人が急増した。高校進学率は1960年の57・7%から65年には70・3%、同じ年度の大学進学率(短大含)も10・3%(60年)から17・0%(65年)に急上昇している。家庭教師をかけもちすれば、相当な金額になった。家庭教師などの割のよいアルバイトの増大は、影の奨学金となり、所得再分配の機能をはたしはじめた。合同ハイキング そんなことからわたしたちの世代の学生は、上級生から「最近の新入生は贅沢」といわれた。経済の高度成長が学生生活にも及んできたはしりだった。 男女学生の合同ハイキングの略称で、「合コン」の元祖となる「合ハイ」もこのころからさかんになった。戦後、大学の共学化はひろがったとはいえ、有名大学のほとんどは男子がほとんどで、女子のかなりは、女子大学に進学した。キャンパスは男女の出会いの場になりにくかった。そこで、サークルなどのつながりで、合同ハイキングが企画されたのである。男女交際がまだいかがわしいイメージをもつ時代であればこそ、出会いの手段として健全このうえないハイキングが選ばれて、帳尻があわされたのであろう。 教育社会学者岩田弘三は、このような「合ハイ」が流行現象になったのは、早くとも1950年代後半という(「デート文化の今と昔」武内清編『キャンパスライフの今』(玉川大学出版会、2003)が、まさに学生文化への消費社会の浸透による男女交際(デート)文化だった。 だから、学生文化の消費社会化は1950年半ばに芽生えてはいた。しかし、親の脛かじりかアルバイトによる収入の大学生の生活は世間水準からみれば、消費社会化の度合いは遅れていた。そのぶん理想主義=進歩主義の余燼(よじん)がのこっていた。1961年の四年制大学進学率は同年齢人口の9・4%(男15・6%、女3・0%)にすぎなかったから、キャンパスには大学生のエリート意識と相関しながらの理想主義の炎がなおつよかった。理想主義=政治主義は、無条件で消費社会の気分にひたることを潔しとさせないところがあった。進歩主義のキャンパス文化 60年安保闘争後のキャンパスはいくぶん静かになったが、まだ学生運動もさかんだった。学生運動団体は分派が分派を生む状況だったが、それでもキャンパスは学生運動のアジ演説や立て看で騒々しかった。 安保闘争がおわり池田内閣が登場した4ヵ月あとに、『京都大学新聞』(1960年11月14日)による「京大生の政治意識」調査がなされている。安保闘争を学生運動としてリードした共産主義者同盟(ブント)のような「新左翼」支持は2回生で8%いるものの、3、4回生(4%)や1回生(2%)では少数派である。全学連主流派と反主流派(日共系)については、「どれも支持しない」が半数以上でもっとも多い。しかし安保闘争の性格についてみると、半数以上が「民主主義の危機からたちあがった」としてとらえている。 「安保闘争の評価」については、民主勢力が「前進した」と「敗北した」の間の「どちらともいえない」が半数近くでもっとも多いが、「敗北した」(6%、3、4回生)と評価するものよりも「前進した」(44%、3、4回生)と評価するものが多い。3・4回生の支持政党調査では、社会党支持が前回(5月調査)の39%をおおきく上まわり半分近くの48%になっている。共産党系学生運動はもとより、非共産党系学生運動団体にもコミットメントしたくないが、革新的立場である学生が多かったということがわかる。 こういう当時の大学生政治意識調査をみれば、大学生の間には丸山眞男のいう在家仏教主義(革新市民主義)が浸透したということにはなる。 丸山眞男の『現代政治の思想と行動』(未来社、(上)1956、(下)1957)は、安保改定反対運動のときは、大学生の必読文献だったが、そのあとも勢いはとまらなかった。わたしが大学に入学したのは、60年安保闘争の翌年である。入学早々、あるサークルに勧誘された縁で、先輩の下宿に遊びにいった。このころの大学生の下宿はいまの学生アパートからみれば、殺風景このうえないものだった。本棚と机が目立った調度品といった態(てい)のものだったが、先輩は、難しそうな本が詰まった本棚から、2巻本の白っぽい表紙の本を抜き出した。そして、この上下2冊の本がいかにすぐれているかを滔々と述べ、これを読むのがよい、といった。丸山眞男『現代政治の思想と行動』だった。同じ年の秋(11月)に、丸山の『日本の思想』(岩波新書)がでた。京大生協書籍部と当時、京大正門のすぐそばにあったナカニシヤ書店のベストセラーだった。革新のあらたなうねり こうしたキャンパス文化のもとでは、よほどの保守的思考の持ち主でなければ、大勢(革新文化)に抗することができない。保守派は、バカ者か変わり者とされ、友人にも窮する。いずれかといえば、という程度の保守的思考であれば、萎縮してしまう。立場を決めかねている者なら、早々と革新文化に同化されてしまう。 こんなキャンパス文化だったからこそ、戦後を否定するとして保守派思想家をなで斬りにした大雑把で粗笨なカッパブックス『危険な思想家』(山田宗睦、1965)が大学生の「バイブル」になったりしたのである。『危険な思想家』を刊行した年に、山田宗睦は、東大五月祭をはじめとして、講演やシンポジウムで全国の大学数十校に招かれた。そして、アメリカの北ベトナム空爆を契機として、1965年4月に鶴見俊輔、小田実らを中心に結成されたベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が学生を中心に60年安保闘争後の革新のあらたなうねりをつくりだした。たけうち・よう 昭和17(1942)年新潟県生まれ。京都大学教育学部卒。京都大学大学院教育学研究学科教授を経て関西大学文学部教授。著書に『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社)、『丸山眞男の時代』(中公新書)など。(※iRONNA編集部注:肩書き等は『月刊正論』掲載当時のものです)

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    防大生が見た50年前の安保騒動

    柿谷勲夫(軍事評論家) 日米相互協力及び安全保障条約(以下、日米安保条約)は、50年前の昭和35年(1960年)1月19日に署名、6月23日に難産の末効力が発生した。我が国は当時貧しかったが、自衛隊と日米同盟によって国の安全が保たれ、経済的には飛躍的に発展した。 しかし、鳩山由紀夫首相は、核安全サミットではオバマ米国大統領と公式会談もできず、ワシントン・ポスト紙から「最大の敗者」などと酷評され、同盟が危殆に瀕している。 さらに深刻な事態は、この50年間、我が周辺諸国、特に中国の軍事力は飛躍的に拡大、核保有国にしても、日米安保条約署名時点ではアメリカ、ソ連、イギリスの三カ国だったが、35年2月にフランスが、39年に中国が、今や北朝鮮までが保有、我が国は独自では対処できない。だが、日米同盟によって安全が保たれたため、政府や国民から国家防衛意識が喪失し、脅威を脅威と感じない恐ろしい状態に陥っていることである。安保騒動とその背景 自民党の小池百合子議員が1月22日の衆院予算委員会で、笑みを浮かべながら、一部の閣僚に安保の頃、何をしていたかを質していた。名指しされた閣僚も「70年安保」当時の学生運動の体験を、笑みを浮かべて答えていた。この風景をテレビで見て、タイムトンネルを通って50年前に遡った。(1)辻参謀の「ダンス糾弾事件」と講演 筆者は52年前の昭和33年、防衛大学校(第六期)に入校した。入校前年の32年12月14日、防大ダンス同好会(あかしあ会)が東京ステーションホテルでダンスパーティを開いた。元陸軍大佐・大本営参謀の辻政信衆院議員の令嬢にも招待状が届いたとのことで、辻議員は受付も通さず、「竹下いるか」と会場に怒鳴り込んだ。 「竹下」とは、防大における自衛官の最高位である「防大幹事」の元陸軍中佐の竹下正彦陸将補(後、陸将)である。敗戦時の陸軍省軍務局軍務課員で、陸相・阿南惟幾大将の義弟、ポツダム宣言受諾に反対し、阿南大将の割腹にも立ち会ったとされる、辻氏と並ぶ「歴史上の人物」である。 その様子を竹下氏が『槙乃實 槙智雄先生追想集』で「会酣なる頃、果然辻政信代議士が現われ、私を呼び出して、『防大生がダンス会を開くとは何事ぞ、君が括然としてそれを許し、この会に参加しているとは何事ぞ』と詰問し、私が、『防大生がクラブ活動としてダンスパーティをもつことを悪いとは思わない』と返答するや、興奮の末、いずれ国会の問題としてとり上げ、議場で当否を決着しようといって引き上げたのである」と述べている。 翌年3月7日、槇校長が衆院内閣委員会に参考人として呼び出され、辻議員から防大生のダンスパーティは問題だと追及され、校長はダンスは立派な社交を教えるために必要などと説明した。本事件は「防大生、東京のど真ん中で半裸の女性とダンス」と騒がれたが、ダンスをする防大生は少数派で、筆者は郷里(石川県)の大先輩・辻議員に軍配を挙げる。 その辻議員が、筆者が入校して間もなく、防大を訪れ講演した。ノモンハン事件から大東亜戦争の体験、戦場での心得を述べ、最後に「戦争に負けて、多くのものを失い、申し訳ないことをした。しかし、どうか日本精神は失わないでもらいたい。日本精神さえ失わなければ、〇〇や××(具体的な地名を挙げたが、あえて言わない)はいつでも取り返すことが出来る」と述べた。それまで静粛に拝聴していた学生から一斉に大拍手が起こった。筆者も掌が破れんばかりに叩いた。だが、現実は日本精神が失われ、韓国に竹島がロシアに北方領土が不法占領されたままで、対馬や尖閣諸島も危なくなっている。当時拍手した一人として慙愧に堪えない気持ちである。(2)米兵で溢れる街と岸首相の核発言 筆者が防大に入校した頃、東京湾にはアメリカの空母を含む艦艇がひっきりなしに行き来し、横須賀の街に外出すると米海軍の下士官兵で溢れ、日本女性がぶら下がって歩いていた。戦争に負けるとはこういうことかと思った。米軍の最下級の水兵の給料が、我々の指導官(将校)と概ね同じと言われた。 だが、そのような時期でも、入校直後の4月18日、岸信介首相(当時)は参院内閣委員会で「私は、核兵器の発達いかんによっては、今言うように防御的な性格を持っておるような兵器であるならば、これを憲法上禁止しておるとは私は解釈はしない」と、将来の核保有に含みを残す発言をしていた。(3)女優の来校と作家の防大侮辱 入校して約2カ月後、才媛の誉れが高い美人女優の有馬稲子さんが来校するとの噂が広まった。当時、「税金泥棒」「憲法違反」などと言われた自衛隊、「有馬稲子が来るはずがない」と思った。ところが、驚いたことに来校した。同期生の記念写真帖(卒業アルバム)には、辻議員や次に述べる中曽根康弘氏の写真は見当たらないが、有馬さんの写真は「学生との談笑」と「竹下幹事にインタービュー」の2枚が載っている。作家、大江健三郎氏=昭和46年 有馬さんと防大生が懇談している写真と記事がある新聞に載った。これを見て嫉妬でもしたのか作家の大江健三郎氏は昭和33年6月25日付毎日新聞夕刊のコラムに「女優と防衛大生」との見出しで「ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」と防大生を侮辱した。(4)防大生に安保を訴えた中曽根氏 自衛隊や自衛官を侮辱しても世の中から非難されることはなかった。そのような雰囲気の中、昭和35年を迎え「60年安保」騒動が起こった。筆者が3年生の時である。 日米安保条約は、署名から4カ月経った昭和35年5月20日未明開会された衆院本会議で、小沢佐重喜安保特別委員長(当時)の委員会審議の報告後、直ちに自民党単独で可決承認された。因みに、小沢委員長は、戦前、東京市会・府会議員、戦後、吉田内閣の運輸相、郵政相兼電気通信相、建設相、池田内閣の行政管理庁長官兼北海道開発庁長官などを歴任、民主党幹事長・小沢一郎氏の実父である。 衆院で採決されると、共産党、社会党、朝日新聞などのマスコミが一斉に非難、国会周辺は連日デモ隊で埋まり、安保といえば反対、自衛隊といえば反対の大合唱。ほとんどの大学で授業がストップ、まともに講義が行われていた大学(校)は、防衛大学校などごく僅かで、デモ参加中の東大の女子学生が死亡した。 騒動の少し前の4月、韓国では3月に行われた大統領選挙に不正があったとして、大学生が抗議のデモを起こし、大学教授や市民に拡大、いわゆる四月革命で李承晩政権が倒れ、李大統領はハワイに逃れた。 岸首相(同)は「声なき声の支持がある」と述べたが、防大生までがデモに参加すれば、大変な事態になり、政府が転覆する恐れもある。慰撫する必要があると考え、中曽根科学技術庁長官(同)を防大に差し向けた。赤城宗徳防衛庁長官(同、徳彦元農水相の祖父)を派遣するのが筋だが、中曽根氏が最適任と考えたのは、氏が40歳を少し出たばかりの元海軍少佐で、当時「青年将校」と言われていたからであろう。 防大学生隊は当時、一個大隊約400人から成る五個大隊編成だった。現在、入校式や卒業式に使用している立派な大講堂はなく、学生全員を収容できる場所としては体育館と食堂しかなかった。中曽根氏は形式的な訓示を行うため来校するのではない、内閣総理大臣の特命を受けての使者である。 学校当局は、体育館や食堂では、「特命」を賜る場所としては適当でない、或いは広すぎると判断したのであろうか、中講堂(大講堂はなかったが、「中講堂」と称した)に選んだ。 但し、中講堂の定員は約500人、一個大隊しか入れない。学校職員と筆者が所属する第三大隊学生隊が中講堂に集合、第三大隊以外の学生は全校同時放送で聞いたものと思う。当時のことを数人の同期生に問うと、50年の歳月が流れたためか、第三大隊所属の者は覚えていたが、第三大隊以外の者は記憶が定かではなかった。筆者は当日のことを今日も鮮明に覚えている。 中曽根氏は颯爽として登場、被っている帽子を無造作に取り、二十数歳年長の学校長が恭しく受け取った。容姿端麗「これが青年将校中曽根か」と思った。中曽根氏は、次のように学生に訴えた。《●自分はかつて海軍少佐だった。国家防衛を志し、日夜勉学、訓練に励んでいる諸君たちの気持ちが良く分かる、敬意を表する。●強行採決をしたため、世の中は騒然としている。これは大手術後、臓器が所定の位置にないが、間もなく元の位置に戻るのと同じで、混乱が静まるのは時間の問題である。●日米安保条約は、我が国の平和と独立を守るために必要であり、戦後を脱却して発展するために不可欠である。●諸君たちの校長・槇先生の出身校である慶応義塾の創設者・福沢諭吉は、幕府と薩長の銃声の中、講義を続けた。世の中の騒動に惑わされず、勉学と訓練に励んで貰いたい。●訪米した折、アメリカ軍の将校に「諸君たちが、政府の行為に納得できず、反対する場合はどうするか」と質問すると、「その場合は、軍服を脱いで行う。つまり退役してから行う」との回答が返ってきた。諸君たちが、政府の行動に反対する場合は、退校してからやるべきだ。●政治の悪魔性……。(記憶が曖昧。中身がよく理解できなかった)》 最後に、「何か質問があるか」と問いかけた。筆者は3年生であるので遠慮したが、数人の学生が質問した。中曽根氏は「今の質問は、野党の諸君の質問よりも本質を突いている」と持ち上げた。 中曽根氏の情熱は学生に伝わった。中曽根氏も学生の雰囲気を目の当たりにして安堵、「防大生は大丈夫」と岸首相に報告したと思われる。 安保条約成立を契機に、アメリカのアイゼンハワー大統領が来日の予定だった。何処からともなく、防大生が羽田空港に出迎えるとの噂が伝わって来た。噂が本当であれば、防大生と全学連との対峙が予想され、若い血潮が躍り、親のすねかじりの道楽息子を徹底的に痛い目に遭わせてやろうと思った。 だが、6月10日、大統領来日の打ち合わせに来たハガチー氏と出迎えたマッカーサー駐日大使が、全学連や労働組合などのデモ隊に襲われ、海兵隊ヘリで脱出するという不祥事が発生、政府は大統領の身に万一のことがあったら大変と判断、来日は条約成立直前中止となった。 安保条約は6月19日成立した。その時、我が中隊は学校に連接する旧軍の砲台跡地で野営していた。ラジオから「安保が自然成立しました」との興奮した声が聞こえ、これで一段落したと思った。岸首相は退陣、池田勇人氏が首相に就任した。(5)大学の自衛官迫害 左翼陣営はあきらめず、10年後の昭和45年の廃棄を目論み、自衛隊に治安出動命令が下る可能性があった。 筆者は昭和37年、防大を卒業、幹部候補生などを経て、39年から41年の青年将校(三尉から二尉)の頃、大阪大学大学院修士課程に学んだ。「60年安保」と「70年安保」の中間であり、日韓基本関係条約の締結が昭和40年だった。 筆者など自衛官は、左翼学生から嫌がらせを受けた。例えば、左翼学生が、筆者が自衛官と知った上で、校門で「安保反対」「日韓会談反対」「自衛隊反対」「自衛官大学院入学反対」などのビラを差し出す。「要らない」と言って受け取りを拒否したり、彼らが見ている前で破り捨てたりした。学内の食堂にも同様のビラが貼ってあり、ビラを見ながらの昼食は極めて不愉快だった。 ある自衛官学生が登校すると、机の上に「〇〇三尉殿、伊丹の自衛隊から電話がありました」との置手紙、自衛隊に電話すると「電話していない」との返事、幼稚な嫌がらせである。 筆者が夜、実験をしていると「自衛隊反対」などと言いがかりを付けに来る。決して一人では来ない。ある日、論争の最中、「自分は自衛隊に戻れば、小隊長としてデモ鎮圧にあたるであろう。君たちの顔を覚えておく、どこに逃げても、逃がしはしないぞ」と言った。それ以降、筆者に対する態度が変わり、おとなしくなった。 幹部自衛官は、東大を除く京大など国立大学大学院に入学していたが、昭和40年頃多くの大学当局が学生運動の圧力に屈し、少なくとも筆者の現役中、受験の辞退を求めたり、願書を送り返すなど、自衛官の教育を受ける権利を剥奪した。(6)ゼンガクレン長官 安保騒動当時の我が国は経済的に貧しく、成績が優秀でも全日制高校に進学できず、働きながら定時制の高校に進んだり、弟や妹の面倒を見るため就職したりした孝行息子や娘が珍しくなかった。中学を出て就職して夜学の高校に進学、卒業後自衛隊に入隊、通信教育で大学を卒業、幹部候補生学校に合格した同期や、中学を出て「少年自衛官」となり、防大に進み、陸将になった後輩もいる。 防大在学中、支給される「学生手当」の中から親に仕送りしていた同期生、大学院在学中、昼食を節約して「奨学金」や「バイト」で得た中から親に仕送りしていた学部の学生もいた。 大学に進学できたのは「体制側」の子弟で、彼らの大半は安保の意味を知らず、一部の左翼に踊らされ騒動を起こし、高卒主体の警察官が治安に任じていた。その証拠に、騒動に参加していた加藤紘一氏が、防衛庁長官を終えて10年近く経った平成6年11月3日付の産経新聞で「安保の中身を知っている者は百人に二人もいなかった」と白状している。 騒動に参加した学生は卒業後、日米安保条約のお蔭で米兵と一部の国民(自衛官)に国の防衛を委ね、自身は兵役を逃れ、ある者は中央省庁に、ある者は大企業に、ある者は大学の教官などに就職し、高級官僚、大企業の役員、大学教授、政治家、大臣になって権力を振るい、退官後は多額の年金をもらい、優雅な日々を送っているであろう。 当時の学生には濃淡の差があるが、DNAに「反安保」「反自衛隊」が摺り込まれ、現在に至るも潜在している。その例が右に述べた加藤氏や次の項で述べる鳩山内閣の閣僚である。それにしても、防大生に安保の必要性を訴えた中曽根首相(当時)が昭和59年11月、騒動に参加していた加藤氏を防衛庁長官に任命した。加藤氏のDNAに「反自衛隊」が残っており、数々の“職権濫用”をした。 例えば、訓練を視察して「軍事用語が解らない」と文句を付け、帝国陸軍以来の伝統ある数個の用語が消滅した。筆者は当時、陸上幕僚監部教育訓練部の教範・教養班長であり、60年12月某日、長官に対する陸幕長の説明に随行した嫌な思い出が甦る。その10日後、内閣改造があり“ゼンガクレン長官”がいなくなると喜んだが、中曽根首相は留任させた。加藤長官は翌61年、雑誌の対談で自衛隊の実情を述べた方面総監を更迭した。中曽根氏が25年前、防大生に述べた「政治の悪魔性」の意味を理解した。鳩山内閣の正体は“ゼンガクレン”鳩山内閣の正体は“ゼンガクレン” 鳩山首相はじめ閣僚が、公約の撤回や迷走を繰り返し、恥じないわけは、学生時代に摺り込まれた「反安保」「反自衛隊」や甘えの幼児体質が抜けていないからではなかろうか。(1)安保騒動の再発 米軍普天間飛行場の移設問題は、安保騒動時の学生が閣僚になって起こしており、「安保騒動」の再発である。日米両国は、安保条約締結以来、信頼性の維持、向上に努めてきた。特に、命をかけて戦うのは自衛官と米軍人であるが故、日米双方の「軍人」は互いの信頼を高めるためあらゆる努力を重ねてきた。 かく言う筆者も陸上自衛隊東北方面総監部装備課長(一佐)の頃、日米共同訓練に参加した。参加した米軍人は一朝有事の際、我が国のために馳せ参じてくれる。信頼と友好を深めるため、訓練開始前と終了後、米軍人を官舎に招き、妻の手料理でもてなした。 国の防衛のためには軍隊も基地も必要だと十二分に理解していても、自分は兵隊になりたくない、基地が近くにできるのも反対、他人が兵隊になり、基地も遠くにつくり、自分を守ってくれ、が本音である。自衛隊のヘリ基地周辺に居住する元自衛官から、冗談混じりではあるが、現役時代はヘリの音を騒音と感じなかったが、退官後は五月蠅く感じるようになったと聞いた。 それ故、基地周辺の住民を説得し、理解を得るよう努力するのが国家の指導者の使命である。普通の人は、現行計画の変更を主張する場合、代替案を準備するが、鳩山首相は、政権を取るために、口から出任せに国外や県外への移設を主張し、現行計画に協力を表明していた容認派の知事、市長などを見殺しにし、県内容認派をも県外派に追いやった。 鳩山内閣は発足以降、米軍普天間飛行場移設問題だけではない、海上自衛隊のインド洋からの撤収など日米同盟の信頼低下に繋がることばかりをしてきたため、アメリカの我が国に対する信頼度はかなり低下したと考えるべきである。最善と考え合意した現行計画で決着しても、失われた信頼は元には戻らない。「覆水盆に返らず」である。一朝有事の際、アメリカからの過大な支援を期待してはならず、自力防衛を準備すべきだが、逆に防衛費を削減している。 有事駐留の発想は、自分たちは豊かな場所で贅沢な暮らしをし、兵隊にもならず、アメリカの若者をグアムやテニアンに追いやり、外敵の侵攻を受けた時だけは、日本を守れということだ。そのような便利なものはこの世の中には存在しない。「助っ人」を丁重にもてなすのが常識人であり、それが嫌なら自分の身は自分だけで守ることだ。 我が国に限らず、米軍は駐留するだけで抑止力なのである。例えば、北朝鮮軍が韓国に侵入すれば、在韓米軍と自動的に交戦状態になる。アメリカは在韓米軍を助けるためにも本国などから必ず軍を増派する。これが韓国防衛を確実にするのである。別の見方をすれば、在韓米軍は“人質”なのである。 米軍基地を日本から撤去すべきだと主張するのであれば、「憲法を改正して軍隊を持ち、国民に兵役の義務を負わせ、防衛費にしてもGDPの0・9%ではなく、欧米諸国並みの、例えば、米国:3・8%、英国:2・4%、フランス:1・9%にすべきだ」(米、英、仏の国防費のGDPのパーセントは平成21年版防衛白書から)と主張し、本人や家族が自衛隊に入隊し、外国人にも支給する「子ども手当」を防衛費に回せば不可能ではない。中国や北朝鮮も徴兵制で、核兵器を持ち、自力防衛体制を確立しているからアメリカに対して堂々と自己主張できるのである。2010年3月、防衛大学校の卒業式に出席した鳩山由紀夫首相(撮影・栗橋隆悦) 鳩山首相が「命がけで」と言っても、信用する自衛官はいない。政治家は辞めれば全く防衛に責任がない。小池衆院議員が徳之島で、基地はいらないと叫んでいる姿をテレビで見て、元防衛相として極めて無責任だと憤慨した。筆者は我が国のいかなる場所に自衛隊や米軍の基地を建設しようとも反対しない。多くの自衛官は、国防に生涯を捧げる積もりで入隊したのであり、政治家のような無責任な真似はできない。 5月4日、鳩山首相が沖縄を訪れ、最低でも県外と公言していたことに対し、「党の考え方ではなく、私自身の(民主党)代表としての発言だ」「学べば学ぶほど、(海兵隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった。(考えが)浅かったと言われればその通りかもしれない」(5月5日付産経新聞参照、以下同じ)と述べた。厚顔無恥の発言である。 65年前の昭和20年5月4日は、沖縄の日本軍が米軍に最後の攻勢を行った日である。そして6月23日、最高指揮官・第三十二軍司令官牛島満中将(自決後、大将)は割腹した。辞世は「秋をも待たで枯れゆく島の青草は 皇国の春に甦らなむ」である。海軍の沖縄方面根拠地隊司令官大田実少将(自決後、中将)も「身はたとえ沖縄野辺に果つるとも 護り続けむ大和島根を」(注:「大和島根」は日本国のこと)を残して6月13日自決した。鳩山首相が「五月末決着」を破棄しても、誰も驚かない。なぜなら、就任直後から数々の約束を反故にしてきたからである。 鳩山内閣の混迷を見るに見かねて、第四十四普通科連隊長中沢剛・一等陸佐が陸上自衛隊と米陸軍の共同訓練の開始式の訓示で「『信頼してくれ』という言葉だけで(日米同盟は)維持できない」(2月13日付産経新聞)と述べた。「斯くすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」(吉田松陰)の心境からの発言であろう。 この訓示に北沢俊美防衛相は、自分たちの無能や失政を棚に上げ、最高指揮官である首相を揶揄したなどと激怒、第六師団長が北沢防衛相の意向を受けて中沢一佐を「文書注意処分」にした。さらに、火箱芳文陸上幕僚長に対し「なぜ処分をしたか本人にも幹部の皆さんに浸透するよう言ってほしい。今後こういうことが起きないよう注意喚起してほしい」(2月16日付産経新聞)と指導した。 だが、第十一旅団(北海道・真駒内駐屯地)の中隊長(三佐)が、防衛省の榛葉賀津也副大臣や長島昭久政務官らに「連隊長の発言は総理の指揮統率を乱すものではない」(3月26日付産経新聞)などとの内容のメールを送って抗議、第二特科連隊(旭川駐屯地)の中隊長(一尉)が朝礼で「鳩山総理は普天間基地移転の結論を昨年のうちに出せずにいいかげんだ」(同)と訓示した。2人の中隊長の“罪”は連隊長よりも重い筈であるが、三佐の中隊長は「口頭注意」に、一尉の中隊長は「指導」に留めた。 『孫子』に「先ず暴にして而して後、其の衆を畏るゝ者は不精の至りなり」とある。「部下を粗雑、乱暴に扱った後、その行為によって部下の反発を畏れるのは、思慮が浅い、愚か者の証拠である」という意味である。 北沢防衛相は、己の浅はかな行為に反発している自衛官が少なくないことを知って驚き、この事実が公になって連鎖反応の起こることを懸念して、抗議のメールを送った中隊長は、手続きは問題だが、メールの内容は問題ない、朝礼の訓示で首相を名指しで非難した中隊長は公での発言ではないと、内々に済ませたのではなかろうか。が、発生から1カ月以上経ってマスコミの知るところとなった。 北沢防衛相は、中隊長の反発を伏せる一方、それでは飽きたらず、中沢一佐を陸上自衛隊研究本部主任研究開発官へ左遷した。このようなことでは部下は付いてこない。 自衛隊員(学生、生徒、予備自衛官等を除く)は入隊と同時に「……事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、……」と宣誓する。首相、防衛相、防衛省の副大臣、政務官も宣誓すべきである。自分は職務遂行に命を懸けず、隊員に命令する資格はない。(2)国家・国防意識の放棄 安保反対を唱える一方、自国の防衛、核の抑止力をアメリカに依存して平和にどっぷり浸かったため、国民は、国家意識、国防意識、軍事常識を放棄してしまった。それ故、普通の主権国家では、信じ難い考えの持ち主が首相や防衛相や外相に就任する。 昨年11月12日、「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」の「祝賀式典」が午後5時から7時まで皇居前広場で行われた。参列して舞台に登壇した大臣は、月刊誌『日本の息吹』2月号によれば、鳩山首相、平野博文官房長官、川端達夫文科相、中井洽国家公安委員長、前原誠司国交相の5人、陸海空自衛隊の音楽隊も奉祝演奏した。だが、北沢防衛相、岡田克也外相などの姿はなかった。ちなみに、北沢防衛相も岡田外相も昨年の新閣僚就任会見で国旗に敬礼しなかった。防衛相、外相にあるまじき国家観である。 鳩山首相は、防大卒業式の訓示で「私が言いたいことは自らが活躍することになる、この世界のことを正しく知れということだ」(3月23日付産経新聞)と大上段に述べたが、激しく伸び続ける中国の軍備増強を脅威と言わず、北朝鮮の核・ミサイルには一切触れず、中国人など外国人にも支給する「子ども手当」に言及、防衛費の削減をも示唆した。場違い、かつ現状認識欠如の訓示に、卒業生は軽蔑し、参列者はびっくり仰天したであろう。 北沢防衛相は4月8日、参院外交防衛委員会で、佐藤正久議員の米軍普天間飛行場の移設問題に関する質問に対して「一般的にいえば『迷惑な施設』としての米軍の駐留地を建設する。大変な反対の中で犠牲を払ってやっていただくわけで、並大抵のことではない」(4月9日付産経新聞)と述べた。同盟国を「迷惑」扱いした北沢防衛相こそ解任ものである。 我が国は「核兵器の脅威に対しては、米国の核抑止力に依存する」(防衛計画の大綱)としており、我が国の領海に入る米国の艦船は当然核兵器を搭載していると考えるのが少しでも軍事知識のある者の常識である。ロシア、中国などの周辺諸国も我が国の「非核三原則」を信じていないから、核抑止が成り立ってきたのである。ところが、岡田外相は日米「密約」を暴露して鬼の首を取ったごとく喜び、相も変わらず、「非核三原則」を叫んでいる。この能天気な姿に周辺諸国は嗤っているであろう。(3)日米同盟破壊 中国の一部に 「60年安保」時、生まれていなかった民主党の前原代表(当時)が平成17年12月、アメリカ、中国を訪問して中国の軍拡は脅威と述べた。 この発言に対して、胡錦涛国家主席は訪中した前原氏との会談をキャンセル、朝日新聞(12月11日付)は社説で「外交センスを疑う」と非難、民主党の鳩山幹事長(同)は都内の講演で「(中国の)基本的な軍事力の行使は防衛。そのことを信頼すれば必ずしも脅威と呼ぶべき状態ではない」「民主党としては中国が現実的な脅威だと断定しない方がいいのではないか」(12月20日付産経新聞)、菅直人氏はホームページで「昨今の言動が、自民党との差がなく、二大政党としての存在理由が無くなっているという多くの人の指摘に、前原代表自身、真摯に耳を傾けてもらいたい」(12月16日付朝日新聞)、横路孝弘衆院副議長(同)は「無神経な発言だ。理解できない」(12月26日付朝日新聞)と非難した。 また、社民党の福島瑞穂党首は「小泉内閣の外交より右に行っているのはいかがなものか」(12月15日付読売新聞)などと批判した。 我が国の防衛費はアメリカの国防費の10分の1以下、一方、中国の軍備の増強は急で、10年を待たずして、実質の軍事費は現在のアメリカの国防費を追い越し、太平洋をアメリカと分かち合い、アジア支配を目指している。これを阻止する手段は、自力防衛を採らない限り、日米同盟しかない。 にもかかわらず、中国の軍拡を脅威と述べた前原氏は代表を解任されたが、大臣になって沈黙、前原氏を批判した「安保騒動」時代の学生である鳩山氏が首相、菅氏が副総理、横路氏が衆院議長、学生ではなかったが、福島氏も大臣に、その他「騒動」時学生だった旧社会党出身者も閣内に入って日米同盟を弱化させている。 我が国の現状を見て嗤っているのは中国なのである。すでに遅きに失した感はあるが、我が国が主権国家として生き残れるか否かの瀬戸際にあることに我が国民は気付くべきである。かきや・いさお 昭和13(1938)年、石川県生まれ。防衛大学校卒業と同時に陸上自衛隊入隊。大阪大学大学院修士課程(精密機械学)修了。その後、陸上幕僚監部防衛部、陸上自衛隊幹部学校戦略教官、陸上幕僚監部教育訓練部教範・教養班長、西部方面武器隊長、防衛大学校教授などを歴任。平成5年に退官(陸将補)。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』。(※iRONNA編集部注:肩書き等は『月刊正論』掲載当時のものです)

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    安保闘争 過剰な「連帯感」は民主主義なのか

    のは15年後、1960年5月の安保闘争の時期だった。吉田茂によってアメリカとのあいだに締結された日米安全保障条約、この条約の更新をめぐって戦われたのが、60年安保闘争である。このとき内閣は、「昭和の妖怪」岸信介内閣に代わっている。岸内閣による安保更新の強行採決がおこなわれた5月の状況を、丸山は次のように考えた、「つまり、5・20以降の事態は、本来ならば20・8・15において盛り上がるべきものがいま起こっているように思われる」と。 無血革命による「戦後民主主義」の誕生は、本来、8月15日から始まるべきであった。だがたとえ15年後であったにせよ、今、眼の前の政治行動には民主主義の萌芽があるではないか。安保反対を訴える国会周辺の人波を、丸山は「騒然とした空気のなかに終始見えない形でただよっている秩序意識と連帯感」があると感激的に書きつけた。課題ははっきりした、倒すべき対象は目の前にある。8月15日にもどれ、そしてどちらの側につくかを強く求め、「中間の考え方」を排除し、人びとは「つながる」べきではないか――丸山は、こう考えたわけである。 だが丸山が叫んでやまない、こうした「連帯感」こそ、最も恐ろしい集団である、そう考える思想家がいた。 文芸評論家の江藤淳である。江藤は思った、政治という「言葉」には二つの意味がある。第一に、自分の考え方を人びとに言葉巧みに拡大し、どこまでも支配領域を広げてゆくこと。このとき言葉は、デマゴキーやスローガンとなり、問題は単純化される。言葉は支配の道具に堕落する。 丸山の安保肯定の発言は、この意味での政治に堕落する可能性がある。「中間の考え方」などない、と人びとを追い詰める問いただし方こそ、民主主義=意見の多様性を排除してはいないか。 次に、政治にはもう一つの意味がある。 壊れやすさを宿命とする秩序、人びとの生活を維持し続ける静かで、しかも目立たない行為の連続、これも政治である。人から称賛されないかもしれない、だが黙って問題に対処し、次の世代に共同体の存続を受け渡していくこと――この地味で、しかも緊張に富んだ営みを政治と呼ぼう、江藤はこう思った。第一の政治でなく、この第二の政治にこそ、政治本来の役割はある。 こう思うようになってから、江藤は、岸政権の強硬策だけでなく、安保反対のデモにも懐疑的になった。「私はデモが嫌いなので、一度もデモに参加しなかった」――。安保闘争を、丸山はあまりにも美化しすぎている。どうして知識人はこうも、過剰なまでの「つながり」を、つまりはデモを肯定できるのか。それはおそらく、いつも自分自身が「正義」を握りしめていると思いたいからだ。だがそれは「独善」ではないか。 そして唯一の現実=真実は、次のようなことではないのか。たとえば太宰治が『斜陽』という作品で描いたように、この国は敗戦で、あらゆる価値観の「崩壊」を経験し、傷つき、めまいを感じたのである。ただそれだけが、真実である。この現実の直視を避け、知識人は夢と理想に立てこもった。その方がよほど楽だからだ。「戦後知識人」は、敗戦経験の苛酷さに耐えられず、だから革命・民主主義・平和主義などの言葉に立てこもり、自らの不安を慰めるために過激に「つながろう」としている、江藤はこう思ったわけである。「砂粒化」の時代 彼等の緊張感溢れる精神のドキュメントを、私たちがすっかり忘れて生きてきたのには訳がある。1980年代以降、経済でいえばバブル、思想でいえばポストモダンが隆盛した。これが忘却の原因なのである。この時代の特徴を一言でいえば「つながり」の否定・忘却の時代である。 階級であれ、地域共同体であれ、私たちは自らを位置づける場所を次々に壊していった。19世紀のマルクスは、どの階級に属しているかに注目し、人間を定義しようとしたが、同時代のトクヴィルは、人間がバラバラな存在となり、そのことに不安を抱く存在だと定義した。トクヴィルだけではない。ギデンズやベックなどの学者も指摘したこうした事態、人びとが個別化し、自分の世界と嗜好に閉じこもってしまう社会が、1980年代以降の「戦後日本」に、登場してきたのである。 こうした時代状況を、宇野重規氏は「砂粒化」の時代だと言っている。自分の世界にだけ興味をいだくバラバラな私。このイメージを宇野氏は砂粒のようだと言っているのだ。 ただ80年代、私たちは、バラバラな自分に特に不安を抱かないですんだ。未曾有の経済的な繁栄は、会社になど所属しないでも十分な金銭を獲得できたし、国家など考えずとも、防衛はアメリカに、思想的には何でもありの相対主義で暮らしていくことができたからである。ポストモダンとは、歴史と国家、そしてつながりからの逃走である。あらゆる価値観から逃げ出して、所属することを重荷であると否定して済まそうという思想運動であった。 だが今や、時代は急速に代わりつつある。不況、震災、そして近隣諸国との軋轢を目にした私たちは、今や80年代以降のバブルと思想を捨て去り、再び、「つながり」を求めようとしているのだ。「現在では、脆弱な個人の〈私〉の自意識がますます鋭敏化する一方で、同じような意識をもった他者とのつながりは築けないままでいます」(『〈私〉時代のデモクラシー』)という危機を宇野氏は指摘する。「砂粒化」は、今やあきらかに危機なのだ。 時代は転換しつつある。東日本大震災以降、人びとは「砂粒化」から逃げだし「つながろう」としている。反原発デモから、地域援助のNPOまで、さらにはデモクラシーの再定義から、ナショナリズムまで、今や、思想的左右なく時代全体が共同しようとしているのだ。この現状、思想的左右なく人びとが手を握りあおうとしている時、「ナショナリズム」はなぜ特権的に重要なのだろうか。革命もデモも、ありえない革命もデモも、ありえない 「つながり」が求められている現在、私は「ナショナリズム」を重視するが、デモには懐疑的である。なぜか。それを知るための手がかりを、若者の著作に求めよう。 「戦後」日本の構造を深くえぐりだした白井聡氏の著書『永続敗戦論』(太田出版、2013年)はきわめて誠実に言葉を連ねるが、デモや革命を主張するとき、こうした言葉に陰影は失われ、赤裸々な感情と暴力、憤慨が躍り出てしまう。 氏は「戦後日本の核心」と副題し、戦後日本に内在的に肉薄しようとした。白井氏は、原発問題こそ戦後を考える重要な転換点だと考えている。その上で尖閣諸島をふくめた対外関係にまで広く言及し、戦後日本の根本構造である「平和と繁栄」の物語を破壊しようと企てるのだ。 具体的にはこうだ、戦後とは、保守も革新も同じ過ちを犯してきた歴史のことである。保守は「親米」であることで、右翼的な立場をとることができた。一方、平和主義を唱え続ける左派陣営も、同じ過ちから抜け出せない。アメリカの地政学的な事情=政治的事情から、平和を口にできている日本のお粗末な状況を、理解できていない。確かに一見、イデオロギー上の左右の対立はあった。だがしかし、戦後の保守と革新は、同じ舞台のうえを踊っていただけではないのか――白井氏のいう「永続敗戦」とは、この対米従属の構造を言い換えたものだ。 今日、このような白井氏の発言は、それなりの評価を受けるのだろう。事実、若手の論客にみられる「保守主義」は、総じて反米的であり、白井氏の論理にも近い。だが私は、白井氏の発言内容が、最近の保守に近いから引用しているのでも、賛成しているのでもないのだ。 「言葉」の使い方、「言葉」の佇まいを考えているのである。 たとえば、白井氏は、日本が核武装すべきと思っているわけではないとことわったうえで、平和主義と核武装について次のように言う。 「唯一の被爆国である日本は……」というフレーズの後に「いかなるかたちでも絶対に核兵器に関わらない」といった類の言葉が自動的に続くことになってしまうという事態は、もうひとつの論理的可能性を排除することによって成り立っている。それは思想の衰弱にほかならない(158頁、傍点原著) 白井氏はここで「思想の衰弱」を恐れている。それは言葉の役割を手放さないということだ。矛盾する現実を直視する勇気を手放さず、江藤のいう第一の政治=支配の力学に抗うことを目指している。すなわち氏は、日本では珍しく「言葉」にこだわり、考える忍耐をもっているように見えるのである。 だがこの言葉への愛着が、文章後半で乱れ始める。 文章の後半、豊下楢彦氏の著作『安保条約の成立』などを参考に、白井氏は戦後の「国体」について考える。戦後の国体とは、安保体制にほかならず、アメリカとの間の「永続敗戦」にあると。さらに、「国体とは、一切の革新を拒否することにほかならない。かくて、問題の焦点は、革命・革新に見定められなければならない」ことに白井氏は気がつく。つまり、戦前であれ戦後であれ、一切の革命的なものを否定すること、これが戦前戦後をつらぬくわが国の最大の問題=「国体」だというのである。 こう結論づけた白井氏の文章は、戦後体制その象徴として原子力政策に触れつつ、次のように締めくくっている。私はそこに、現在の知識人=言葉にかかわる者が陥る、課題が典型的に現れていると思う。 それはとどのつまり、伊藤博文らによる発明品(無論それは高度に精密な機械である)であるにすぎない。3・11以降のわれわれが、「各人が自らの命をかけても護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏づけられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。われわれの知的および倫理的な怠惰を燃料としているのだから。(184頁) もちろん、「怪物的機械の停止(破壊?)」という結果を得るためには、私たちは「革命」を起こさねばならない。それだけが唯一、近代日本の「国体」を破壊するからだ。 この発言を、左翼だと言って批判しても、恐らくほとんど意味がない。問題は、氏がここで無意識のうちに「言葉」を放り出している事にある。批評をふくめた文学的な営みは、基本的に自分の内側にある倫理だけに忠実であればよい。ただ、現代批評のチャンピオン・小林秀雄が言ったように、批評とはついに、懐疑的に己を語ることでなければならない。 つまり、言葉にかかわるものは、自分の根本に懐疑を、疑いの眼をつねに抱きしめていなくてはいけない。にもかかわらず、氏を支配しているのは懐疑ではなく、暴力的なまでの正義感である。 自己への懐疑が、引用の文章にはどこにも見当たらない。なぜここで氏は「われわれ」と複数形で人に呼びかける必要があるのか。本物の「言葉」は、そう容易に人と人とを架橋できないこと、越え難い「ズレ」があることを感じた人間が発する、技巧的作品ではないか。だが自らの「怒り」の感情をおさえきれず、強引に「われわれ」に共有を求めていないか。それは言葉の抛棄である。 また第二に、白井氏自身が抱きしめている「確信」は、いったい何を根拠に成り立っているのだろうか。倫理も正義も、「人間の意志に関わりなく、人間と人間の関係」から、つまりは「関係の絶対性」(吉本隆明)からしか、生まれない。だがここで、性急に「倫理的な怠惰」を戒める時、それが真面目であればある程、純粋主義へと近づいてしまう。 確かに震災以降、国内は混乱し、戦後的価値は疑問にふされている。戦後体制の下で進められてきた原子力政策もその象徴なのであろう。 また東アジア情勢に目を向ければ、新しい動きに充ちていて、これまた従来の国際秩序は破綻の兆しを見せている。この混乱した時代にあって、暴力的な苛立ちが生まれている。しかしそのとき、暴力=自らの正義の斧を振り下ろす対象を求めて何になる? しばしば言われる「権力の可視化」、すなわち「こいつを叩けば全てうまく行く」といった「言葉」に私は懐疑的である。権力が視えるようになったと絶叫した瞬間、人は現実を見る眼を実は失っている。複雑なモザイクの現実は、絶対に「見通す」ことができない。 私にとって、確かだと思われる「つながり」は、だから一時的、瞬間的、情緒的でないものだけだ。怒りだけでは人は「つながり」つづけることは出来ない。つまり「くらし」を営むことができない。そのとき、今あるべき共同性とは、死者たちが積みあげてきた時間が与えてくれる「馴染み」ある「くらし」に他ならぬ。死生観と倫理観は、個人の独善とは無縁のものだ。こうした歴史への思いを含んだ「ナショナリズム」こそ、今、必要な「つながり」ではないのか――これが私の考える『ナショナリズムの復権』なのである。せんざき・あきなか 昭和50年、東京都生まれ。東大文学部倫理学科卒業、東北大大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。専門は近代日本思想史、日本倫理思想史。著書に『高山樗牛―美とナショナリズム』(論創社)『ナショナリズムの復権』(ちくま新書)など。

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    もうダマされない「戦争への道」

    「違憲」「海外派兵」「戦争への道」……野党の主張は壊れたテープレコーダーか。

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    安保法制 パーセプション・ゲームの功罪

    日は、維新の対案の意義と、安保論議の政治性について考えたいと思います。 今回の安保法制は、戦後日本の安全保障論議の伝統にのっとり、極めて政治的な展開を見せています。本来であれば、安全保障をめぐる外的環境の変化があり、その対処に向けた必要十分な法的手当てを論議するというものですから、比較的技術的な論争が展開されるはずです。ところが、実際には憲法秩序をめぐる問題、ひいては国家のアイデンティティーをめぐる問題へと変質しています。 与野党とともに、安全保障の実務的な要請に対応することよりも、国民からどのように見えるかという、象徴性をめぐるパーセプション・ゲームを展開しているのです。哲学としての対話路線とナショナリズム 維新が今回の対案提出を通じて達成したかったことは、一種の哲学として対案路線の明確化ということでしょう。ただ反対する野党ということでなく、反対なら対案を出すということ自体に意味があると。実際、対案を出す過程で党の考え方が明確になります。政府与党との違いも具体化し、論点が整理される効果もあるでしょう。衆院に提出した安保法案の対案を説明するため、自民党の高村正彦副総裁(中央)や公明党の北側一雄副代表(右)らと協議する、維新の党の柿沢未途幹事長(左)=7月9日午後、国会内(斎藤良雄撮影) 議会制民主主義とは、国民の代表が討議を通じて論点を明確にし、妥協点を探っていくプロセスそのものですから、とても建設的なことです。野党共闘の名の下に、当初は対案提出に消極的であった執行部に対して橋下最高顧問が対案路線をねじ込んだことは国会の活性化という観点からも評価できます。 対案提出の重要な副次的効果として、国民の間のナショナリズム感情を自民党の専売特許としないということもあります。ナショナリズムは政治的な感情として強固なものがあり、政党の求心力を左右します。特に、安全保障関連の法案というのはナショナリズムを刺激しやすい領域です。安全保障に対して責任感を持ち、中国や北朝鮮に対しても毅然とした姿勢をとるという立場そのものは国民の間で広く支持を集める考え方となりました。 安保法制への対応をめぐって安倍政権の支持率は低下していますが、これは、国会対応における強引な印象や、巨大与党としての驕りへの懸念に対応するものであって、自民党のナショナリズムの受け手としての優位性は揺らいでいないとみるべきでしょう。 今後維新が党勢を拡大するためには、ナショナリズムの受け手としての立場を獲得が重用になってきます。かつてであれば、平和国家としてのアイデンティティーという反米色の強いナショナリズムで対抗することもできたのですが、この立場は色褪せてしまいました。民主党の中にはその立場をとる残党がいるようですが、それでは、安保政策の具体的な政策論議に入る以前に、ナショナリズムの立脚点という次元で分裂してしまうのは当然です。 つまり、維新にとっては、これまでの野党とは異なり建設的な対話が可能で、ナショナリズムにも親和的な存在、という見方を国民向けに創出することが重要だったのです。言葉遊びと抑制性? では、維新が対案提出を通じて具体的に提起しようとする論点は何なのでしょう。維新の対案では、「存立危機事態」に基づく集団的自衛権を認めず、日本周辺での日本防衛にあたる外国軍への攻撃は、日本への攻撃とみなして自衛権を行使するというたて付けとなっています。 維新案は、一見すると外国軍への攻撃を日本への攻撃とみなすわけですから、非常にオーソドックスな集団的自衛権の行使というようにも見えます。ただし、その行使は、「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態」に限定されており、あくまで個別的自衛権の延長と位置づけているようです。 国際的には、同盟国が共同で行う防衛行動が、集団的自衛権の行使に該当するのか、個別的自衛権の行使に該当するのかについては、誰も気にしませんから特に問題とはならないでしょう。もちろん、国内の憲法解釈上は、個別的自衛権の拡大解釈なのか、集団的自衛権の行使容認なのかについて整理は必要ですが。 個人的には、「我が国に対する(中略)武力攻撃が発生する明白な危険」がある場合と、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明確な危険」がある場合との間に、大きな差分があるとは思えません。この辺りは、多分に言葉遊びの世界であり、象徴性をめぐる争いなのだろうと思います。結局は、政府が具体的な状況に即して解釈することになるのでしょうから。 他方で、維新案には明確な抑制性もあります。一つは、対象地域を「我が国周辺」に限定していること。いま一つは、自衛権を行使する対象を「我が国の防衛のために活動している外国の軍隊」に限定していることです。これによって、いわゆる「地球の裏側」論を排除し、政府答弁の中で繰り返し言及されてきたホルムズ海峡のような事案を排除できるということでしょう。この点については、政府答弁が稚拙な印象を与えたところもあり、国民の間で支持する向きも強いのではないでしょうか。 気になるのは、維新の案の基層に、個別的自衛権を拡大解釈する方が、集団的自衛権を行使するよりも抑制的であるという発想があることです。これは、国会審議の中でも見られた傾向でした。有事に際して、個別的自衛権を拡大解釈する発想が本当に抑制的な政策につながるのか、この辺りには安保論議をめぐるパーセプション・ゲームの罪の部分が現れていると思います。実を捨てて名をとった政権「グレーゾーン」への対応 維新の対案のもう一つの柱は、民主党と共同で提出した領域警備法です。これは、必ずしも安保法案への対案というわけでもないのだろうと思いますが、実務的に重要な問題意識を含んでいると思います。 そもそも、グレーゾーン事態への対処は、公明党との与党協議の過程を通じて次第に焦点から外れていったと報道されています。尖閣近海における中国船への対応など、現実に対応を迫られている難しい事案を含んでおり、与党内及び国民感情への配慮からはずされたということでしょうか。 今般提出された領域警備法のポイントは、領海の警備を第一義的に担っている海上保安庁の運用に無理がある部分について、海上自衛隊が肩代わりできるようにすることです。実際、日本近海における中国の動きが活発化するにつれて、量的にも質的にも海保の能力の限界を超えつつあります。海保の現場は休日返上で不審船への対処にあたり、しかも、対潜水艦や対航空機への対処はそもそも想定されていないのですから。 このような運用上の問題意識は従来から存在してきたものであり、海保の能力も増強されてきましたが、海上自衛隊との役割分担を整理することは良いことだろうと思います。今回、野党第1党と第2党が共同提出に至ったことは、民主党が一度政権を担当したことの良い影響だろうと思います。すくなくとも、安保法制をめぐる議論が違憲論に終始し、あるいは根拠が不明確な徴兵論に時間を費やすよりはよほど建設的です。 ここでも、今般の領域警備法は抑制的であり、政府案は好戦的だという単純な理解では間違うでしょう。どの段階で海上自衛隊を出すかについては、実務的には非常に難しい判断です。下手な運用を行うと、先に軍隊を出してきたのは日本であり、日本が事態をエスカレーションさせたということになりかねません。大切なのは、運用の詳細を含めてしっかり設計し管理することです。実を捨てて名をとった政権 野党による対案提出の流れを理解するには、そもそも、今般の安保法制をめぐる政権側の政治的な意図についても理解する必要があります。 政権としては、集団的自衛権の行使容認は、最近はあまり使われなくなった戦後レジームからの脱却の大きな柱ということになるでしょう。集団的自衛権について、権利は有するが、行使はできないというのは、極めて戦後日本的な世界観です。政権としては、なんとしてもこの世界観を崩したかったということでしょう。 今般の安全保障法制において集団的自衛権を行使できるのは、いわゆる「新3要件」が満たされるときです。特に、その第1要件は、日本が他国を防衛できるのは、「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」ときです。我が国の存立が脅かされているわけですから、これは殆ど個別的自衛権の行使として想定される事態と変わりません。 今般の安保法制があることで新たに対処できるようになる具体的な事態は想定しにくく、実際には殆ど使えない法律なのです。では、何のためにこんな大騒ぎをしているかというと、繰り返しになってしまいますが、とにかく集団的自衛権を行使できるようにしたという象徴性が大事だからです。そして、その政治的象徴性は、確かに大きな一歩ではあります。 集団的自衛権の行使容認をめぐる論議は、第一次安倍政権時からの懸案であり、数年間練られた上で国会に提出されました。その過程では、もう少し踏み込んだ方向も検討されたようですが、結果的には実を捨てて名がとられました。 そして、どうして名をとったのかが重要なのです。ここから先は、誰も認めないだろうと思うけれど、日本が自国の安全保障を日米同盟に依存している現実を考えたとき、朝鮮半島有事や台湾海峡有事において集団的自衛権を行使しない選択肢があるようには思えません。実際には、朝鮮戦争に日本は従事しているのです。一般国民はともかくメディアや学者や政治家の少なくない人々がそれを知っている。平和国家と言いながら国民向けには皆で隠蔽する。戦後日本の最大の陰謀の一つかもしれないとさえ思います。これまでの政権は、それを理解していながら法整備を怠ってきたわけです。いざというときには超法規的な対応を行うしかないと腹を括っていたのかもしれません。法規と現実の間の乖離が大きくなりすぎることの最大の問題は、法遵守のタガが緩むことです。 どんな形であれ、集団的自衛権を認めさせることで、米軍との共同訓練も可能になるし、有事への備えもより現実的に行えるという側面があるのです。安全保障論議の成熟 このように見ていくと、与野党は安全保障上の脅威に具体的に対応するというより、象徴性をめぐるパーセプション・ゲームを戦っています。このような国内政治的な駆け引きに対して冷めた見方をする向きもあるけれど、ある程度はしょうがないでしょう。政争は水際までという理想を持つことは重要だけれど、安全保障政策がとことん政治化されてきた日本の政治風土の下では一朝一夕には実現しないでしょうから。 今回の維新の対案提出を日本における安全保障論儀の成熟に向けた画期とするならば、そもそも安全保障論議の成熟とは何か、イメージを共有することが大事でしょう。 安全保障論議の成熟のためには、政策の前提となる国家のアイデンティティーについて、ある程度のコンセンサスを得ることが重要です。最低限の知識と価値観を共有する議員が与野党双方に存在し、お互いに信頼感を持つような状態になければ、行政府は立法府を信用しません。そうでないと、政策はどうしても「よらしむべし、知らしむべからず」になってしまいます。 例えば、「日本は平和国家として好戦的政策や、挑発行為には加わらないけれど、国防の備えは十分に行い、自衛隊の練度を維持しながら、日米同盟を機能させるための努力を継続的に行う」ということです。文字にすると当たり前のことと思うけれど、この程度のことさえ長らく共有できてこなかったのだから、そこからはじめるべきなのです。 そのような土台ができたならば、対外的な脅威の中身や、同盟の役割分担や、自衛隊の装備や、自衛隊員の待遇とケアの問題や、外交上の大戦略や、個別国との緊張緩和に向けた取り組みについて議論してほしいと思います。 そうすることで初めて、安全保障と民主主義を両立していくという成熟国が抱える永遠の課題を解く舞台に乗ってくるのだろうと思います。(ブログ『山猫日記』2015年7月12日分より転載)

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    一国平和主義排した安保論議を

    西原正(平和安全保障研究所理事長) 安倍晋三政権は4月27日に日米ガイドラインの改定を決め、5月14日に「平和安全法制整備法案」(10法律の一括改正法案)と「国際平和支援法案」(新法)の2法案を閣議決定し、翌15日に国会に提出した。これにより日本の防衛および日米同盟の役割が大きく前進することが期待される。防人としての自衛官の誇り 現在、日本がおかれた安全保障環境を考えるとき、国民の多数の支持を得てこれらを法律とすべきだと考える。しかし野党指導者や一部のマスコミの発言を見る限り、この法案の危険性を誇張したり法案成立阻止を主張したりする立場が顕著である。それはまさに戦後の「一国平和主義」路線に固執し、柔軟に国防に対処することを拒否した姿勢で残念である。 一国の安全保障はあり得るさまざまな事態を想定し、それに対応するための方策を幅広く用意しておくのが原則である。最悪の事態を想定してその対応策の選択肢を多く持っていれば、余裕を持って対応することが可能であり、パニックに陥ることも少ない。衆院本会議で、安全保障関連法案などについて答弁する安倍首相 この度の法案のほとんどは最悪の場合に、日本はどうするのかを規定したものである。重要な影響を及ぼす事態において米軍や他国軍への後方支援を拡充する改正法案や、武力攻撃を受けて日本の存立が危機に瀕(ひん)する事態において集団的自衛権を行使する改正法案などである。そういうことが必ず起きるというのではなく、事態を想定して準備をすることを決めておくのが重要だ。自衛隊が今後有事につねに関与するわけではない。 とはいえ、今後の自衛隊は有事に任務を遂行することがあるという点で、確かにこれまでより危険度は高くなる。しかし自衛官は、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えることを誓います」と服務の宣誓をしている。 自衛官はこの任務を遂行することで厳しい訓練への報いと他国軍隊と同じ尊敬を得られることへの満足を抱く筈(はず)である。自衛官の防人としての誇りは彼らの精神的支柱となっている。「危険なところに送るな」というのは、自衛官を侮辱しているとさえ言える。国益に基づく現実的議論を 現在の法案が有事における自衛隊の海外派遣を規定していることで、社民党はこれを「戦争法案」と呼んで批判を強めている。それは明らかに誇張した言い方で危険性を煽(あお)って国民に法案反対を呼び掛ける無責任さを露呈している。存立危機事態にあって自衛隊が集団的自衛権を行使するのは、同盟国や友好国とともに国際秩序を回復するための共同行動である。 しかもそれはホルムズ海峡機雷封鎖の事態に対するように、国際的共同行動によって共通の国益を守ろうとするのであるから、防御的防衛行為ではあっても戦争行為とはいえない。 野党はこうした事態に対して日本の国益は何なのかという現実的議論をすべきである。ホルムズ海峡が閉鎖されても、自衛隊は何もすべきでないというのならば、石油の輸送中断で日本経済がガタガタになっても、国民に堪えるように訴える責任と覚悟が必要である。多少の犠牲は払ってもホルムズ海峡の航行再開を早期に完遂することで、国民の生命と財産を守り、国際社会から感謝される現実的選択肢の方がはるかに日本に有益だと考える。 法案は自衛隊派遣の地理的制約を外して規定しているから、一部のマスコミは「米軍支援、世界中で」(北海道新聞)、「自衛隊の協力、地球規模」(朝日新聞)などと誇張して批判する。これも無責任な言動であって、実際に自衛隊には地球規模で協力できる能力は限られている。派遣原則と派遣能力は決して同じではない。アジアの安定に効果的に寄与 自衛隊の役割を拡大すれば、例えば公海上での不審船に対する臨検のように危険は伴う。しかし相手にすきを与えない慎重な臨検は平和への貢献となる。不審船による核資材の拡散阻止や兵器の密輸摘発になるかもしれない。 朝鮮半島有事においても、米艦船が作戦に就いているとき、自衛艦は後方の「非戦闘地域」にいて食糧などの補給、傷痍(しょうい)米兵の病院搬送などしかできなかったが、これからは米艦船が攻撃を受けた場合には支援することができるようになる。半島有事では、韓国側の要請があれば、韓国艦船に対しても自衛隊は支援すべきである。 「一国平和主義」を唱える人たちは、日本はこれまで憲法第9条を守って、平和にやってきたのだからこのままでよいのだと説くが、これも大きな誤解である。 日本の戦後の平和は日米安保条約が果たしてきた役割に負うところが決定的であった。自衛隊の実力がまだ弱かった1960年代、70年代に日本の「力の空白」を埋めたのは米軍であった。現在でも、沖縄に「力の空白」を作らないためにも、米軍の存在は不可欠である。新しい法律で、自衛隊は米軍とともにアジアの安定により効果的に寄与できる。その意義は予想以上に大きい筈である。(にしはら まさし)

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    「ぼく達は戦争に行かないぞ」 若者たちの反戦運動に違和感

    をはじめとした大都会の一部で、それなりの規模の反戦集会がおきている。安倍政権が成立させようとしている安全保障関連法案に対する抗議行動だ。 いわゆる安保法制は憲法違反だし、自衛隊の活動範囲を広げるならば、解釈改憲ではなく現憲法下での憲法改正を経てからすべきだと考えるので、私も安倍政権の安保法案には反対だ。 でも、それに反対している草の根の声を聞いても、もやもやしたものを感じてしまうのだ。集会やデモなどの盛り上がっている様子がSNSに流れてくるたび、俺は君らにも同調できない、という気持ちになる。 例えば、東京渋谷のハチ公前に大学生ら数千人が集まったという、6月27日(土曜)夕方の安保法案大集会。朝日新聞デジタルは動画つきでその様子を伝えた。動画を再生すると、壇上で、おそらく20代と思われる男性がマイクを片手に叫んでいる。<この国の法案が通れば、他の国の戦争に日本の若者が巻き込まれ、命を落としたり、あるいは人を殺してしまう危険性が高まるということです。そんなこと絶対、許してはなりません!> 私は、この演説からしてすでに違和感を覚える。揚げ足を取ろうというわけでは決してないと断った上で言えば、他の国の戦争に巻き込まれて命を落としたり人を殺してしまう危険性が高まるのは「日本の若者」か? 違うだろう。それは「日本の自衛官」だ。細かな言葉の問題ではなく、これは大きな認識のズレである。 集会場には、色とりどりのプラカードが掲げられている。超党派的にリベラル勢力が結集した成果か、キャッチコピーはけっこうバラバラだ。目に入った順に並べてみる。「ANTI Fascist」「国民の敵 自民党」「戦争させない」「NO! WAR 私たちは戦争したくない」「私たちは戦争立法に反対します」「THE WAR AGAINST WAR」「あたりまえのこといわせるな!!  NO!  WAR!! 日本国民に恥をかかせるな」「GIVE PEACE A CHANCE」「ぼく達は戦争に行かないぞ」「FIGHT FOR LIBERTY!」「I am not ABE」「憲法まもれ!!」「9条壊すな!」「死神総理」……。 これまで見たことのないような、心にグッとくる反戦コピーは発見できなかったが、私が上記のうちで気になったのは、「ぼく達は戦争に行かないぞ」だった。そのプラカードを手にしていたのは、眼鏡をかけた中学生、いや下手をしたら小学校5、6年生の男の子なのであった。 子供が反戦運動に加わっちゃいけないとは思わない。隣に似た眼鏡顔の中年男性がいたので、たぶんお父さんと一緒に参加したのだろう。そういう親子がいてもいい。けれども、だったらなおさら、そのお父さんに言いたい。あなたの息子さんが戦争に行く可能性はゼロに等しいのではないでしょうか。なぜなら、あなたは息子さんを自衛隊に入れる気などまったくないでしょ? 先の大戦から70年、軍事の素人でも、これから起きる戦争が高度な兵器と戦闘技術を身につけた者同士による局地戦であることは明らかだ。長年の訓練を受けた戦争のプロたちによる殺し合いが基本。だから、民間人が徴兵されて行きたくもない戦争に駆り出される可能性は極めて低い。少なくとも、そんなことが起きるよりずっと前に、大量のプロが戦地に送り込まれる。そこで殺す/殺される場に立つのは自衛官だ。 安保法制が通るなりして、命の危険に曝されるのは、具体的には自衛官なのである。自衛官たちは、我々国民の総意のもと、戦地へ赴く。彼らが命を落とすか人を殺めるかしたら、そうさせたのは我々なのだ。この国は誰がなんと言おうが、議会制民主主義で動いているのだから、安倍政権を誕生させた日本国民が自衛官を命の危険に曝すことになるわけだ。 海の向こうの戦地で自衛官が亡くなったとしよう。ついに戦後の平和が終焉したと日本中が大騒ぎになるだろう。でも、亡くなった自衛官の扱いはどうなるのか。多くの日本人は悲劇の主人公としてマスコミが語るその自衛官に同情しながら、同時に、本音のところでは「自分から自衛隊に入ったのだから仕方ない」と突き放すのではないか。日本人お得意の自己責任論で。 私はそういう醜い集団心理の発動を、いつも戦争に巻き込まれる側の立場からしか反戦を訴えない人々の言動の中に感じ取ってしまうのだ。 渋谷ハチ公前の集会のものかどうかは分からないが、ツイッターで一枚の写真が流れてきた。迷彩服の自衛官の横顔の写真をバックに、「私たちは自衛隊員の皆さんが戦死するのを見たくありません。」というキャッチコピー。 そう、私たちは見たくはないのである。でもその見たくはない自衛隊員の死は、我々日本人のためにおきた出来事だ。構造的にはアメリカのご都合のために、かもしれないが、亡くなった自衛官は日本のために戦地へ赴いたに違いない。そういう大義がなければ、人は自分の命を賭すことをできない。自衛官が死んだなら、その死の責任は我々国民にあると、まずそう認識するところから始めるべきなのだ。でなければ、何をどう叫ぼうが、そんなものは被害者ぶりっ子のたわごとだ。 改憲論議が交わされる時、「自衛官の命がかかっていることを忘れないでほしい」と訴えるのは、いつも右翼の論客ばかりだ。彼らがどれだけ本気でそう言っているのかは怪しい。靖国神社好きのポジショントークにも聞こえる。 専守防衛に徹したとしても、事が起きて殺す/殺される場に立たされるのは自衛官だ。命の危険性の高い仕事を命じられたとき、警察官や消防官は拒否する自由があるけれども、自衛官にはない。リベラルを自認する者こそが、そういう「弱い」彼らの立場から言葉を発するべきなのである。反戦運動に関わる者は、リアルな死を前提に声をあげてほしいのである。関連記事■ イラクで活躍「ヒゲの隊長」 震災後の自衛隊の活躍を報告■ 女性自衛官1.2万人 ヘアカラーやネイルはどこまで許される?■ 「戦争ができる国作り」が進む日本の現在の状況を分析した本■ 元防衛官僚が安倍政権の安全保障政策の問題点について語る本■ 自衛隊給料は最高120万7000円 階級上でも部下に負けることも

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    安保関連法成立は、中国の尖閣占領によるオメザの後?

    【野口裕之の軍事情勢】 国会審議中の安全保障関連法案に、左翼は《戦争法案》のレッテルを貼り「いつか来た道」だと叫ぶ。小欄は《戦争抑止法案》と思うが「いつか来た道」をたどる懸念は否定しない。もっとも、戦前ではなく戦後の「いつか来た道」。自民党の勉強会(6月)で講師に立った作家・百田尚樹氏(59)が講演後の質疑応答で発した言葉は、情けなくも危うい安全保障に関する戦後法制史を端的に物語った。勉強会では、安倍晋三政権が成立を目指す安保関連法案に異常に厳しい沖縄県紙への批判が噴出した。百田氏は「沖縄県人がどう目を覚ますか」と同調した上で続けた。 「沖縄のどこかの島でもね、中国に取られれば目を覚ますはずなんですけど」「後追い法」の戦後法制史 百田氏は「あったらいけないこと」と前置きしたが、戦後の安全保障関係法は「あったらいけないこと」が起きる度、それが起点となり整備されてきた。海外の危機が日本に波及しそうな気配に仰天し、ひねり出した《後追い法》だった。危機を前に尚、審議が本質を離れ難航する愚もほぼ共通する。左翼の扇動を真に受け、凶暴な中国や北朝鮮より、安倍氏主唱の《積極的平和主義》のような国際スタンダードを疑い恐れる宿痾が国民に取り憑き離れぬせいでもある。ただ結局、実効性逓減と引き換えに成立。反対した国民の多くも、頭が冷えると自衛隊の新任務に対する抵抗感がフェードアウトしていく。自民党の勉強会で挨拶する百田尚樹氏(右)。この時の発言は、安全保障に関する日本の戦後法制史の情けなさを端的に物語った=6月25日、東京・永田町の自民党本部(斎藤良雄撮影) ところが憲法を人質に取られ骨抜きにされた法律は、国際情勢変化にも兵器の進化にも耐えられぬ。欠陥法の穴を埋めるべく新たな欠陥法を創る負の連鎖は続く。現行憲法が在る限り今次安保関連法案も抑制的で欠陥を有す。審議が空疎でかみ合わぬ辺りも「いつか来た道」だが、《後追い法》の色彩が薄く、新たな道を切り開く一歩となる予感はする。 冷戦中、自衛隊の任務は明確だった。重火器や戦闘機でソ連軍の着上陸侵攻に備える一方、来援する米艦隊の露払い-すなわち周辺海域で、ソ連攻撃型原子力潜水艦を探知・殲滅し機雷を除去する任務に、一定程度特化できた。自衛隊は盾で、米軍の槍や核の傘に隠れていれば、有り余る法的欠陥も弥縫策で乗り切れ、国際問題にもほっ被りを決め込めた。何となれば、ソ連封じ込めの東正面に陣取っていると、西側諸国に弁解が許された。実際(1)ソ連軍の太平洋侵出を阻む日本列島を死守する国防戦略は(2)極東防衛だけでなく(3)西側諸国による共産圏包囲網の一翼を自動的に担った⇒まさに「三位一体」だった。湾岸で冷戦後初土俵 冷戦後、東正面の価値が暴落し、稽古をさぼっていたのに、いきなり土俵に引き込まれた。1990年の湾岸戦争では、冷戦中のノリで小切手外交で済まそうと試みるも、130億ドルも献上した揚げ句批判まで受ける。「残業」を探したら、イラク軍が敷設した機雷の駆除にありつけた。PKO(国連平和維持活動)という耳慣れぬ横文字を、政治家が知ったのはこの時代。92年に国際協力法が創られカンボジアが初陣となる。 カンボジアは遠く、湾岸はもっと遠かったが、94年に核開発疑惑を起こし、開戦に言及して凄んだ北朝鮮は隣国だった。日米間で安保共同宣言→防衛協力のための指針(ガイドライン)見直し→周辺事態法などを急遽整え、米軍を具体・限定的に後方支援する段取りが決まる。 日本が真に目覚めた?事態は北朝鮮の弾道ミサイルの日本列島越え(1998年)と翌年の能登半島沖の工作船侵入で、「世の中にはスパイ・ゲリラ戦はもちろん、核攻撃も辞さぬ凶悪で暴力的な国が存在する」と気付いた、つもりになった。 米中枢同時多発テロ(2001年)後、多国籍軍がアフガニスタン攻撃を始めるとテロ対策特別措置法を立法。インド洋を移動するテロリストと兵器を監視する各国海軍へ、洋上給油など補給を行った。 イラク戦争後の復興に向け、人道支援特措法も03年7月に成ったが、日本防衛を担保する有事法制定はそのわずか1.5カ月前。何とも珍妙な風景ではないか。前述した北朝鮮の核開発疑惑が日米軍事協力を具体化させ、1998~99年の北朝鮮による蛮行が有事法論議加速の契機とはなったが、基本的に法律誕生は対海外系優先で純粋な祖国防衛系は後手。国際情勢の変化に大慌てし、対海外系の法律急造にエネルギーを割かれ国防に手が回らなかった側面も認められるが、エネルギー消費量の割に最低限の国際関与で逃げまくってもおり《消極的平和主義》の無残な軌跡であるといえよう。国民の側も理解努力を 今次安保関連法案はやや様子を異にする。中朝の脅威に突き動かされた力学は働いたものの、力に陰りが観える米国の動きを先取り、同盟・友好国との連携を自発的に決心した。内容も、国際常識の背中すら見えない立ち位置を、視認可能な場所まで進め、集団的自衛権のほんの一部を憲法の範囲内で行使する《集団的自衛権モドキ法案》に仕上がった。ハードルは高いが冷戦中同様、付加価値派生の確率もゼロではない。例えば- (1)日本防衛を強化すべく米国を要に広く同盟・友好国を募る(2)中国軍膨張を恐れる近隣各国が日米+α同盟に接近してくる(3)中長期的にインド洋・中部太平洋に侵出し、ソ連以上の化け物と化すであろう中国を囲むように位置するアジア・大洋州での同盟・友好国が増える…。 冷静時代の「三位一体」に似るが、冷戦時のごとき偶然に頼らず、中国の経済に吸い寄せられながら、軍事膨張には脅える関係国への能動的働き掛けが不可欠。特に、中国大陸を封鎖するかに見える日本列島線の軍事力を向上させ不沈空母化し、米軍来援を容易にする戦略は、中国を怖がる関係国の安定化努力に自信を与える。 好機にもかかわらず、国民の今次安保関連法案に抱く警戒感は強く、世論調査では「説明が不十分」との声が多い。同種の法案に浴びせられる「いつもの声」。確かに法案は難解だが、国民の側も年金問題同様内容を吟味し、雑音を遮断し、政府の説明を聴いているのか。《戦争を起こす法律》は断じて許されない。しかし《戦争ができる法律》が不備では、抑止力が機能せず戦争を未然に防げない。感情やムードに流されていると、この理屈が分からない。(政治部専門委員 野口裕之)

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    紛糾する国会「安保法制」審議  アメリカはどう見ているのか?

    うと、「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」の二本立てだ。前者は、自衛隊法、国際平和協力法、国家安全保障会議設置法など合計10本の既存の法律の改正だが、昨年7月の集団的自衛権行使についての解釈変更に関する閣議決定と呼応する形で「重要影響事態」と「存立危機事態」という二つの概念が新たに導入されることになった。 そのため、例えば「周辺事態安全確保法」の名称が「重要影響事態安全確保法」に、「事態対処法」の正式名称に「武力攻撃事態及び存立危機事態」と修正が加えられるなど、法律の名称そのものが変更になっているものが10本の法律のうち6本にも上っている。後者は国際平和協力法が念頭に置く国連平和維持活動以外の多国籍軍による活動に自衛隊が参加する際の条件を定めたものだ。外務・防衛省でも関係者以外は全貌は理解できず 実は、「平和安全法制」を今国会で成立させるための最大の懸案は、法案パッケージの難解さにある。特に「平和安全法制整備法」については、法案の中心が既存の法律の改正のため、もとの法律を横に置き、対比させながら読んでいかなければ、変更点を理解するのは極めて難しい。しかも、「平和安全法制整備法」で改正が定められている10法に加えて、もっと細かい改正を行う法律がさらに10本もある。 つまり「今回の法律で何が変わるの?」という問いは、計21本の法律の内容を理解しないと、きちんと答えられないのだ。外務省や防衛省でも、法案の起案に携わった人以外は、法案の全貌は分からないのではないだろうか。前述の世論調査の結果に対する発言として自民党の谷垣幹事長による「丁寧に丁寧に説明するしかない」というコメントが報道されているが、「丁寧に丁寧に」一般の有権者が分かるように法案を説明できる国会議員が一体、何人いるのだろうか。 さらに、「平和安全法制」制定の目的そのものが達成できるかどうかも疑問だ。平時から東シナ海での緊張の高まりを念頭においた「グレーゾーン事態」、日本の安全そのものが脅かされる「有事」に加え、国連平和維持活動の参加基準を国際標準にどのくらい近づけるのか、国連平和維持活動以外の多国籍軍による活動(有志連合による活動のようなもの)にどこまで自衛隊が参加するのか、など、様々な状況を想定した「切れ目のない」法体制の整備を目指しているにも関らず、法律によっては国会による事前承認が義務付けられていたり、「存立危機事態」や「重要影響事態」など、定義そのものが分かりにくい事態が新たに想定されたりしていることで、今回の法制を全体としてみた場合に、結局、「切れ目」が生じてしまうリスクが残っている。 また、日本を取り巻く安全保障環境の変化に対応するために制定を目指しているにも関らず、対応する対象として主権国家の政府、及び政府が統制する勢力のみを念頭においていることも疑問だ。例えば、「平和安全整備法」の下で改正される法律の一つに国際平和協力法がある。この法律の改正は、あくまで「PKO参加5原則」の範囲となっているが、この5原則の中の一つに「受入れ同意が安定的に維持されていること」がある。 ここで自衛隊の受け入れに同意する組織として想定されているのは国家である。例えば、中央政府が受け入れに同意していても、実際に自衛隊が活動する地域は反政府勢力が幅を利かせていて、中央政府の意向に従うか分からない、といった場合は想定されていない。これは、現在の国連平和維持活動が抱える課題を考慮していない、時代遅れの認識だ。「武力行使との一体化を回避する」非現実的な前提を変えられない日本 そして最大の問題は自衛隊の活動については、日本防衛以外の状況で、限定的な範囲で集団的自衛権の行使を行う場合以外は、「武力行使との一体化を回避する」という基本的な前提に全く変化がないことだ。「武力行使との一体化」、アメリカ人で日本の安全保障政策に詳しい人にも「イッタイカ」として知られている問題は、単純化して言うと、他国の軍隊が「武力行使」(分かりやすく言うと「戦闘行為」「武力攻撃」)しようとする際に、これに直接繋がるような行動を自衛隊が取ることは、「専守防衛」という戦後の安全保障政策の根幹に反するものであり、認められないという、これまでの日本政府が一貫して取ってきた立場である。 このため、任務そのものは「補給」や「医療支援」など戦闘行為には当たらないものであっても、海外で戦闘行動をしている外国の軍隊にはそのような支援は一切提供できないという見解がこれまで取られてきている。そしてこのことによって、これまで、例えば、イラクにおける多国間支援の一環として日本が航空自衛隊を派遣した際に「武器・弾薬や兵隊の輸送はできない」という制限がかけられるなどしてきている。日本から米国に伝達した情報をもとに米国が相手に反撃をする場合は「武力行使との一体化」につながるのではないか、という議論も、一昔前には国会で取り上げられた。この「一体化」という概念は「日本でのみ通用する基準」「現実から乖離している」と批判の対象になってきた。 それにもかかわらず、今回の法制では、例えば、新たに制定される「国際平和支援法」の中でも、「一体化」は回避することが大前提になっている。ミサイルの飛距離の伸び、サイバー攻撃のような目に見えない攻撃などをとっても、現代において武力行使が行われる状況で「前線」と「後方」、「戦闘地域」と「非戦闘地域」がはっきり分けられるという前提で議論することがナンセンスだ。今の日本の状況はアメリカから見ると非常に残念な状態 このような今の日本の状況は、アメリカから見ると非常に残念な状態だ。4月27日の日米安全保障協議会(2プラス2)閣僚会合で、新・日米防衛ガイドラインが発表され、その中で、日本防衛やアジア太平洋地域での活動へのウエイトが引き続き多くを占めるとは言っても、日米防衛協力に地理的制約はなくなり、宇宙やサイバーのような新しい分野でも防衛協力を進めることが高らかに宣言された。 その2日後に米連邦議会での演説で、安倍総理は安全保障法制を今年の夏の終わりまでに成立させると宣言した。アメリカで日米安保に長く携わってきた人は、誰もがこの、日本の積極的な姿勢を驚きと歓迎の気持ちで見ていたはずだ。 ところが、実際に法制をめぐる国会での議論が始まってみると、国会における議論は「いかに自衛隊の活動に制約をかけるのか」「日本はアメリカの戦争に引きずり込まれるのではないか」という、1990年代に自衛隊を国連平和維持活動に派遣する前と殆ど変わらないものだ。 「アメリカがやる戦争にまき込まれる」「自衛隊が派遣されている地域で戦闘が始まったら、直ちに活動を停止して自衛隊は撤収すべきだ」という議論に至っては、現在、東シナ海で緊張が高まっている状況を考えれば、アメリカが日中の衝突に巻き込まれるリスクの方が実は高くなっていることや、多国籍軍の一部となって活動しているときに、戦闘行為が始まったという理由で自衛隊だけが「一抜けた」をすることが日本の国際的信用に与える影響などは殆ど考慮されていない。つまり、せっかく政策面で2歩も3歩も踏み出しているのに、政策の実施に必要な制度の整備のために国内で行われている議論は冷戦直後の海部政権のとき、百歩譲っても9・11テロ事件後の小泉政権のときのままで止まったままなのである。 しかも、そのような状況の中、5月28日〜6月5日まで、沖縄から翁長知事以下、総勢20数名の沖縄県会議員や自治体の首長とが訪米し、1週間もかけてハワイとワシントンで「普天間基地の辺野古移設反対」を米議員との懇談やシンクタンクでのセミナーなどで訴えて回った。アメリカにしてみれば、ガイドラインの見直しも普天間基地の移設も、もともとは日本側の強い求めに応じ、「強固な日米同盟と日本における米軍のプレゼンスが安定することが、米国の対アジア太平洋安全保障政策に資する」と考えたからこそ、同意したものだ。 ところが、普天間基地の移設は、1996年に合意が成立してから20年がたとうとする今も、移設に向けた明確な道筋が見えていない。安保法制についても、法制度が整備されれば「出来ること」のメニューが増えるように見えるが、実際に法案が成立し、運用される段階に入ったときに、諸々の条件がついて、「結局、できません」ということが結果として多くなってしまう可能性もある。 このような状況は、日米関係に長く携わり、日本の実情に詳しい、いわゆる「ジャパン・ハンド」なら、まだなんとか理解を示してくれるかもしれない。しかし、大多数のアメリカ人は「ジャパン・ハンド」ではない。日本がいくら、憲法の制約について一生懸命説明しても、「言い訳ばかり」と受け止められてしまう可能性は高い。「総理があれだけ色々約束して帰っていったのに、色々と言い訳ばかりで、結局、何も進まないじゃないか」――安保法制を成立させた後の日本がアメリカからこのような視線で見られる事態を、果たして日本は回避することができるだろうか。たつみ・ゆき スティムソン・センター主任研究員。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。東京生まれ。国際基督教大学卒業後、ジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究大学院で修士号取得。在米日本大使館専門調査員、戦略国際問題研究所(CSIS)研究員などを経て2008年より現職。2012年よりキヤノングローバル戦略研究所主任研究員を兼任。専門は日本の防衛政策、日本の国内政治、日米安全保障関係、米国の対アジア安全保障政策。

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    集団的自衛権の行使に憲法改正の必要なし

    た安保法制懇第2次報告書は、2008年の第1次報告書を補完するものである。6年を経て、日本をとりまく安全保障環境は一層厳しいものになってきており、第1次報告書で指摘した問題を、一層丁寧に解説することが今回の報告書の目的だったと言えよう。AURUMARCUS / GETTYIMAGES 憲法と集団的自衛権をめぐる従来の解釈論争は、歴代の政府・内閣法制局が、その場凌ぎの答弁を重ね、従前の答弁との辻褄合わせに終始してきたため、その見解は今や「蟻地獄」の様相を呈している。しかもこうした状況を、日本の法学界では「アートの絶品」などと賞賛するような雰囲気があり、未だ不毛な神学論争に明け暮れる学者の間に、国家の安全保障に対する当事者意識や責任感覚が希薄なことは誠に嘆かわしく、深い失望を禁じ得ない。 今、われわれに必要なことは、この「蟻地獄」から脱却して、虚心坦懐に憲法9条を読み返すことである。安保法制懇報告書は委員全員が長時間にわたり真摯な議論を展開するなかで纏め上げた文書であり、私としては、読者がその内容を、色眼鏡なしで、検討して下さることを切に望むものである。この懇談会の正式名称(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)が示す通り、そこでの検討の中心は法律論であり、政治論ではない。法律論については、何よりも冷静な議論が必要とされるのである。 周知の通り、憲法9条には、自衛権に関する明文規定はない。他方、日本は、国連憲章の当事国であり、その51条に規定される「固有の個別的および集団的自衛の権利」を保有することには異論がない。国際法上、ある権利を「保有」しているのであれば、これを「行使」することが認められるのは言うまでもなく、保有しているが行使できないという説明には、誰しも戸惑いを隠せない。 もとより、国家が、保有する国際法上の権利を、条約上または憲法上の制約で、もしくは政策上、行使しないということはありうる。たとえば、いずれの国も国際法上、同盟を結ぶ権利を保有しているが、スイスのように条約上それが禁止されている場合や、オーストリアのように憲法上禁止されている場合には、同盟の権利を行使することはできず、中立を維持しなければならない。しかし、スウェーデンや他の多くの非同盟諸国は、中立主義を維持する国際法上の義務はなく、単に政策的にこれを採用しているのである。日本の場合、集団的自衛権について、これを制約する条約上の義務はなく、憲法上も、これを禁止する規定はない。 内閣法制局は、憲法「解釈」上、その行使は認められないとしてきたが、憲法から内在的に引き出される解釈論的根拠は何も示されていない。法制局によれば、集団的自衛権の行使は、「必要最小限度」を超えるものだからというが、論理が倒錯している。「必要最小限度」というのは自衛権行使一般について国際法上「必要性・均衡性」が要件となるということであって、個別的自衛権であれ、集団的自衛権であれ、その行使は「必要最小限度」でなければならない。集団的自衛権の行使だけが必然的に「必要最小限度」を超えるということではない。逆に、「必要最小限度」の範囲であれば、個別的自衛権の場合と同様、集団的自衛権の行使は許容される、ということである。自衛権行使の容認判断は政策的な問題 集団的自衛権の行使を禁止する条約も憲法規定もなく、憲法解釈からもそれが内在的に根拠付けられないとするならば、これまで集団的自衛権の行使を認めてこなかったのは、政策的観点からそうしてきたものと言わざるを得ない。したがって、今日、行使容認に踏み切るかどうかは、基本的には政策的な問題である。実際、報告書も指摘する通り、日本政府は、自衛権について数次の政策変更を行ってきた。 1946年の制憲議会における吉田茂首相答弁では一切の自衛権を放棄するとしていた。これは当時日本が占領下にあって主権を制限されていたから、当然と言えば当然のことであった。日本が主権を回復した後の54年には、自衛権は主権国家として固有の権利であるとして従来の立場を変更した。56年に日本は国連加盟を果たし、国連憲章の当事国となって以来、憲章51条に規定される個別的および集団的自衛の権利の両者を区別なく享有することは、明らかである。 集団的自衛権は「保有」するが「行使」できないという政府方針が固まるのは72年の国会審議の過程においてである。この問題を国会で鋭く追及したのが社会党の水口宏三議員であった。その議論は次のように要約される。個別的自衛権/集団的自衛権の違いTHINKSTOCK(3)出所:各種資料よりウェッジ作成 第1に、高島益郎外務省条約局長は、集団的自衛権は「政策論的に行使しない」だけだと言い、真田秀夫内閣法制局第1部長は「憲法解釈上行使できない」と言うが、政府の立場はどちらなのか。 第2に、個別的自衛権と集団的自衛権との間に自衛権としての差異はないはずであるから、個別的自衛権で武力行使できるのなら集団的自衛権でも武力行使できるはずであり、固有の権利を憲法解釈論で行使しないのなら、それは政策論との混同である。 第3に、集団的自衛権が憲法で禁じられているのなら、なぜサンフランシスコ平和条約や日米安保条約、日ソ共同宣言でこの権利を確認したのか、むしろこの権利は持たないと明記すべきではなかったか、等である。この水口議員の指摘は、いずれも正鵠を得ているが、政府は政策論と憲法解釈論を混在させたまま、81年の政府「答弁書」に引き継がれて、集団的自衛の権利は「保有」するが「行使」できないとする、何とも不自然・不可思議な政府解釈として定着するのである。 しかし、今日、わが国を取り巻く安全保障環境は、報告書冒頭の諸事例が示すように、30年前と比べて、きわめて深刻なものとなっている。日本が東アジア地域で果たす役割も一層重要なものとなってきていることを考えると、米国をはじめ、わが国と密接な関係にある諸国との連携の上に、安全保障のあり方を模索する時期に来ている。その一環として、集団的自衛権の「行使」を容認することが望ましいと考えるのは、今日、決して国民の一部にとどまるとは思われない。個別的自衛権「拡張」論の陥穽 米艦防護やミサイル攻撃などの場合、集団的自衛権を援用せずとも、個別的自衛権を「拡張」することで対応可能ではないかといった議論があるが、これは全く誤った考え方である。これも「蟻地獄」的発想の陥りやすい落とし穴と言えよう。 なぜなら、個別的自衛権は、自国が武力攻撃を受けた時に反撃する権利だからである。自国が攻撃を受けていない場合には、個別的自衛権では反撃できない。並走する米艦が攻撃を受けたとしても、日本の自衛艦が攻撃を受けていない段階で、個別的自衛権の下に反撃すれば、「必要最小限度」の範囲をはるかに超えて、これはもう立派な国際法違反である。 さらに、自衛権を行使した国は、憲章51条に従って、とった措置について安保理事会に直ちに「報告」する義務があるが、右のような場合、日本国政府は、「日本に対する攻撃はなかったが、個別的自衛権を行使した」と安保理に報告することになる。国際法違反を自認するようなものである。出所:各種資料よりウェッジ作成 注:条文中の赤字は、Wedge編集部による 言うまでもなく、個別的自衛権だけで、つまり自国だけで、その安全を守ろうとすれば、膨大な軍備の増強が必要になる。個別的自衛権だけに頼るのではなく、端的に「集団的自衛権の行使」の可能性を真正面から認め、米国あるいはその他の「密接な関係」にある近隣各国と連携して日本の安全保障を確保していく方が、法的にはもとより、政策的にも、どれほど実効的であるか、冷静に考慮する必要がある。国内法の対抗力・抑止力 これまで述べてきたように、集団的自衛権の行使を認めるか否かは、憲法9条の解釈に関わる問題であり、9条が自衛権について何ら明文規定を置いていない以上、憲法改正の必要はもとよりない。日本政府は戦後これまでの間に数次の憲法解釈の変更を行ってきたのであるから、それにならって新たな解釈を打ち出せば良い。もちろん、その解釈変更には国民の強い支持がなければならないことは言うまでもないが、本件に関する限り、最近の北朝鮮や中国の動きもあって、第1次報告書が出された6年前以上に、この解釈変更には強い支持が寄せられているものと思われる。 「解釈の変更」を「解釈改憲」などと短絡する思考は、到底受け入れられるものではない。 政府が解釈の変更を表明したからと言って、すぐに集団的自衛権の行使ができるようになるわけではない。それを実施するための具体的な国内法の制定が必要である。とくに、自衛隊法の改正は不可欠である。望ましくは、その前に、安全保障基本法を制定して、右の解釈変更を定着させる必要があろう。 いわゆる「グレーゾーン」の問題は、自衛権に関する最も難しい部分である。国際テロリズム、邦人救出、サイバー攻撃、非国家主体(暴徒など)による離島襲撃といった「武力攻撃に至らない武力の行使」にいかに対応するかが問われる。「低水準紛争状態」(国境付近の小競り合い、テロ活動など)であっても、それが繰り返し行われて集積すれば、「武力攻撃」とみなされて自衛権の発動が正当化される場合もある(集積理論)。 自衛権で対応できない場合は、国内法に基づく「法執行活動」として対応することになる。 いずれにせよ、こうした国内法の整備をしておくことは、それ自体、国際法上、一定の対抗力を生み、ひいてはそれが諸外国に対する抑止力となりうることに注目しなければならない。逆に、そうした努力を怠れば、国際法関係において、日本は無防備となり、野心を抱く外国に、つけいる隙を与えることにもなりかねない。安全保障の分野においては、万全の国内法体制を整えることこそ、軍備を整える以上に、重要なことなのである。むらせ・しんや 上智大学名誉教授 安保法制懇メンバー。1943年生まれ。72年東京大学大学院法学政治学研究科修了(法学博士)。立教大学法学部教授等を経て、93年より上智大学法学部教授。現在、同名誉教授。国連国際法委員会委員を務める。著書に『国際法論集』(信山社)など。

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    「朝ドラ歴史観」からの脱却を

    現代の日本人がイメージできる戦争はやはり先の大戦です。ただ、そのイメージも「ドラマで観たもの」に引きずられているように思えます。野党や一部マスコミの言う「戦争法案」が可決されれば、私たちはモンペをはいたり、竹やりを持ったりしなければならないのでしょうか。

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    防衛庁長官時代から自衛隊を“軽侮”していた加藤紘一氏

    阿比留瑠比(産経新聞政治部編集委員) 初代内閣安全保障室長、佐々淳行氏の新著「私を通りすぎた政治家たち」(文芸春秋)が面白い。第2章「国益を損なう政治家たち」を読むと、田中角栄、三木武夫両元首相や生活の党の小沢一郎代表ら大物政治家がけちょんけちょんにやっつけられている。 特に、佐々氏が防衛施設庁長官として仕えた自民党の加藤紘一防衛庁長官(当時)に対する評価は辛辣(しんらつ)そのものである。本書によれば、加藤氏は長官として迎えた最初の参事官会議で無神経にもこう言い放った。 「若いころマルクス・レーニンにかぶれないのは頭が悪い人です」 会議に出席していた佐々氏をはじめ統合幕僚会議議長、陸海空の各幕僚長も背広組も、みんな共産主義には縁遠い人ばかりだったのにである。佐々氏らは会議後、「私たちは若いころに頭が悪かったんですな」と顔を見合わせたという。野蛮呼ばわり自民党の加藤紘一・元幹事長=2009年7月14日(酒巻俊介撮影) 加藤氏が陸上自衛隊第1空挺(くうてい)団の行事「降下訓練初め」に列席した際のエピソードも出てくる。寒空の下、上半身裸になった隊員が、長官を肩車で担いで練り歩く恒例の歓迎を受けた加藤氏は防衛庁に戻ると、こんな不快感を示した。 「日本にもまだあんな野蛮なのがいたんですか」 ほかにも、加藤氏がゴルフなど私用で護衛官(SP)を使うのをいさめたら怒り出した話や朝日新聞に極秘情報を流した問題…など実例が紹介されている。 中でもあきれるのは、加藤氏が毎朝、制服幹部や防衛官僚ではなく、農水省の役人の報告を真っ先に受けていたというくだりだ。佐々氏はこう書いている。 「加藤防衛庁長官にとっては、国防・安全保障よりも山形の米の問題などが優先順位として高かった」 さらに佐々氏らが憤慨していたのは、加藤氏が朝一番に秘書官に聞くことが「円とドルの交換比率」であり、防衛庁のトップでありながらドル買い、ドル預金をしていたことだった。 これについて佐々氏に直接確かめると、いまだに憤っていた。佐々氏は言う。 「『有事のドル買い』という言葉もあり、戦争があるとドルが上がる。言葉ひとつで為替レートすら動きかねない防衛庁長官の立場にある者が自らドル買いをするのは、倫理に反すると感じていた。彼は防衛庁・自衛隊を(身分の低い)『地下人(じげびと)』扱いしていた」適材適所願う そんな加藤氏は今年5月、共産党機関紙「しんぶん赤旗」に登場し、訳知り顔で集団的自衛権の行使容認反対論を語っていた。 「集団的自衛権の議論は、やりだすと徴兵制まで行き着きかねない。なぜなら戦闘すると承知して自衛隊に入っている人ばかりではないからです」 筆者はこの根拠も脈絡もよくわからない発言について5月22日付当欄「自衛隊を侮辱した加藤紘一氏」でも取り上げた。そして今回、佐々氏の著書を通じ、加藤氏が現職の防衛庁長官時代から自衛隊を軽侮していたことがよく分かった。 ちなみに、加藤氏が好きらしい朝日新聞は今月12日付朝刊の政治面記事中でさりげなくこう書いている。 「『徴兵制』に現実性は乏しい」 佐々氏は今、「加藤氏は何で防衛庁長官を引き受けたんだろうねえ」と振り返る。来月3日の安倍晋三内閣の改造では、適材適所の人事が行われることを願いたい。関連記事■ 立憲主義を破壊する…わけがない解釈変更■ 「萎縮」が阻んだ拉致打開 今は北朝鮮に萎縮させるときだ■ 「謝るほどに悪くなる日韓関係」ついに終止符を打つ時が来た

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    ヒゲの隊長が明言「自衛隊には“限界”がある」

    佐藤正久(参議院議員) 「自衛隊はどれくらい強いのか」と問われれば、「それは、想定する対象による」と答えざるを得ない。全世界の軍事費の約半分の額が投じられている米軍に比べれば、総合的に見て、自衛隊の力不足は否めない。一方、100年以上国内で建造し、運用してきた歴史を有する日本の潜水艦の技術と性能は、世界に誇れるものである。よって、自衛隊のことを一概に「強い」とも言えないし、「弱い」とも言えない。ただ、「自衛隊はどれくらい強いのか」という問いに思いを巡らせる際、少なくとも1つの事実については明言することができる。それは、「自衛隊には“限界”がある」ということである。ここでの“限界”とは、「法律の整備が不十分であるがゆえに、自衛隊では十分に対処できない事態が存在する」という意味である。自衛隊は法律なくして動けず 自衛隊は「法律」という根拠があってこそ行動できる組織である。法律がなければ、自衛隊は一ミリも動くことができない。法令を順守する組織である自衛隊は、「超法規的措置」をとることなど、断じて許されないからである。また、法律がないということは、任務として想定されていないことを意味するため、訓練などの準備をすることもできない。特にイラクやインド洋での国際協力においては、これまで特別措置法で対応してきたため、事前の準備訓練に課題があり、現場に多くの負担を強いてきた。更に国内では可能な武器使用が国外では制限されるという任務と武器使用権限の乖離が法的にあった。これら課題を改善するのが、現在、国会で審議中の「平和安全法制」である。イラク派遣で指揮をとる陸上自衛隊先遣隊長の佐藤正久一等陸佐(肩書当時、中央のサングラス) =2004年2月「助けられない」自衛隊から「助け合う」自衛隊へ 平和安全法制では、平時から日本有事まで切れ目のない防衛体制を構築しようとしている。例えば防衛出動に至らない事態、即ち平時から重要影響事態における「アセット防護」。アセットとは艦艇や航空機など「装備品」を意味する。法案では、「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動」に従事する米軍等のアセットを相互に防護できるようにしている。現在、警戒監視中の自衛隊艦船等が攻撃された際、米軍は自衛隊を防護できるが、逆はできない。即ち「助けてもらうけど、助けられない」自衛隊が、本法案により「助け合う」自衛隊に変化する。 更に状況が切迫し、例えば朝鮮半島有事、日本に戦禍が未だ及んでいない段階で、弾道ミサイル警戒にあたっている米イージス艦を北朝鮮の戦闘機から自衛隊が防護することは、国際法上、集団的自衛権にあたり、現在の法律では不可能。日本にミサイルが着弾し、国民に犠牲が出るまで、自衛隊が米イージス艦を守らなくて良いのかという課題があった。平和安全法制では、当該事態等を「存立危機事態」とし、自衛のための他衛、即ち自衛目的の場合に限り一部集団的自衛権行使を可能とした。即ち、これまで日本防衛の隙間であった日本有事前の「存立危機事態」においても日米の艦船等が相互に守り合うことが可能になった。「助けてもらうけど、助けられない」自衛隊から、相互に「助け合う」自衛隊にし、抑止力を高めようとするのが平和安全法制である。限界を抱えながらも着実に備える自衛隊 現行法上様々な“限界”を抱えているとはいえ、防衛省・自衛隊は可能な範囲で能力構築を進めている。その一つは、島嶼防衛への備えである。例えば、平成30年までに創設を目指す陸上自衛隊の「水陸機動団」。基幹になる部隊は、今年度中に新編される見込みである。水陸機動団は米国製の水陸両用車AAV7などを備え、将来的には約2000人を擁する部隊になる予定である。ちなみに、陸上自衛隊は10年前から米海兵隊と継続的に共同訓練を実施しており、水陸両用戦などに必要な技能の習得に励んでいる。 その他、警戒監視能力の強化も急いでいる。例えば、航空自衛隊は長時間飛行可能な滞空型無人機「グローバルホーク」の導入を決定。新型の早期警戒機E-2Dも取得する。また、海上自衛隊は従来型の固定翼哨戒機P-3Cの能力向上を図ると共に、最新型の国産哨戒機P-1を20機調達する。自衛隊の“強さ”を決めるのは国民 自衛隊は法制度上の制約を抱えながら、今、この瞬間も国防の任に当たっている。しかし、それでも防衛政策に関する議論はなかなか前進しない。平和安全法制の審議に際し、木を見て森を見ない議論を続ける一部野党の主張はその象徴である。政治の停滞は、現場で汗する自衛官により多くの負担を強いることになる。「自衛隊はどれほど強いのか」を規定するのは、個々の装備や隊員の能力ではなく、行動を規定する法制度そのものであることを、立法を担う政治家も、その政治家を選ぶ国民も心に留め置く必要がある。関連記事■ 中国が虎視眈々と狙う日本の海と空■ 中国との均衡こそ取るべき道だ■ 中国の飛躍的な軍事力増大を論じなければ何の意味もない

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    それさえあれば自衛隊は戦える

    潮匡人(評論家・拓殖大学客員教授) 「自衛隊はどれくらい強いのか」――よく聞かれる質問だ。拙著『常識としての軍事学』(中公新書ラクレ)は一章を割いてその点を論じた。その後『自衛隊はどこまで強いのか』(講談社+α新書)と題した共著も上梓した。以下それらの要点を簡潔に述べよう。 そもそも軍隊が強いか、弱いかを計る指標とは何か。普通の日本語で言うなら、それは「戦力」である。では戦力とは何か。 周知のように、日本国憲法9条2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記する。昭和28年11月12日、衆議院予算委員会で吉田茂首相がこう答弁した。 「軍隊という定義にもよりますが、これにいわゆる戦力がないことは明らかであります」 その後の「戦力なき軍隊」「戦力なき自衛隊」という表現はここから生まれた。 自衛隊は発足直後から、総定員数25万に増員され、兵力で見る限り、現在の規模にほぼ匹敵していた。それは誰の目にも明らかな「戦力」だった。霞が関と永田町でしか通用しない政府見解は脇に置き、世界に通用する軍事学の観点から、自衛隊の戦力を検証しよう。 そもそも戦力は、どのような要素(ファクター)によって構成されるか。 誰もが考え付く要素は、兵器の量であろう。同様に、兵員の数も重要である。以上の要素だけでカウントすれば、陸上自衛隊と航空自衛隊は弱いが、海上自衛隊は強いという結論になる。 だが、それはあり得ない。航空自衛隊の戦力は誰がどう計算しても、世界有数のレベルにある。つまり、単純に兵器や兵員数を足し算しても、戦力を計算したことにはならない。 軍事学の世界では、戦力の構成要素を有形的要素と無形的要素に分けて説明する。分かりやすく言えば、前者が目に見える要素、後者は目に見えない要素となる。 戦力の有形的要素とは「兵力量の多寡及び物の質と量で物理的力として作用する」もので、具体的には「編制、装備、施設、各種兵器の威力・性能・数量等、殺傷力、破壊力、機動力、抗堪性等」。私は現役自衛官時代、そう教育された。 他方、戦力の無形的要素とは「部隊を構成する個人及び集団の心身両面の能力。精神力、指揮の優劣、規律・士気の状態、訓練の成否、団結心等をいう」。どれも目に見えない、つまり数値化しにくい要素である。数値化しやすい兵力量などの有形的要素と違い、いずれも兵器ではなく、それを扱う人間に関する要素だからであろう。 以上の他にも、戦力を構成する無形的要素がある。例えば、戦略ないし戦術。これらの重要性は、あまたの戦史が証している。 軍隊(自衛隊)の行動を律する法的根拠も大事な戦力要素である。戦後長らく論議すらタブー視されてきた「有事法制」はこの問題であった。今国会で審議されている「平和安全法制」がこれに当たる。つまり法案の成否は、自衛隊の戦力を左右する。 その国の経済力や外交力を含む総合的な国力も、戦力を構成する無形的要素と言える。いざというとき、どれくらい戦費(防衛費)を調達できるか、あるいは、外国の港湾や飛行場を利用できるか、などは総合的な戦力を発揮する重要な要素である。陸上自衛隊中部方面隊戦車射撃競技会で対戦車榴弾を放つ74式戦車=滋賀県高島市の饗庭野演習場 最後にもう一つ、国民の闘う気概も挙げておきたい。私に言わせれば、これこそが、最終的な勝敗を決する要素となる。 さて、以上の構成要素をもとに、どう戦力を計算すればよいのだろうか。 見たように、戦力の計算式は、単なる足し算ではない。では、いかなる計算式なのか。《戦力とは、各構成要素を掛け合わせた総積である》――私はそう考える。 つまり、戦力は足し算の総和ではなく、掛け算の総積である。この公式はとくに航空戦力の世界で最も顕著に現れる。陸海空の統合が進む現代戦では、陸上戦力や海上戦力にも当てはまると言えよう。 冒頭に「戦力なき自衛隊」の経緯を紹介した。あえてポレミック(論争的)に言えば、吉田茂の答弁は的を射ていたのかも知れない。なぜなら、自衛隊の場合、戦力を構成する重要な要素がいくつも欠落しているからだ。 そもそも自衛隊は憲法上に根拠を持たない。「交戦権」(憲法9条)はもちろん、部隊の行動を律する交戦規定(ROE)もない。 自衛隊は海外で武力行使ができない。今後、平和安全法制が成立しても、湾岸戦争に自衛隊は参加できない。対1S1L(イスラム国)作戦の後方支援すらしない(安倍総理会見)。海上警備行動を発令しても、中国の軍艦に武器を使用できないなど、武器使用や武力行使の要件が厳しく制限されている。法案成立後もその要件は世界一厳しい。 その程度の法案なのに「戦争法案」と呼ばれ、「憲法違反」と断罪される。 果たして、日本国民に戦う気概があるだろうか。戦後日本を覆うパシフィズム(反戦平和主義)の呪縛は解けていない。そもそも政府自ら「戦力はない」と明言しているのだ。公式には、日本に「防衛力」はあっても「戦力」はない。 上記のとおり、戦力の計算式は構成要素の総積である。有形、無形の様々な要素を掛け合わせた総積が戦力である。 自衛隊は「イージスMD艦」など世界最新鋭の装備(兵器)を多数保有している。オスプレイやグローバルホークも導入する。だが同時に、ROE(交戦規定)や国民の戦う気概など、欠落した要素もある。それをあえて数値化すれば、結果はゼロ。ゼロに何をどう掛け合わせても、その答えはゼロのままだ。 もとより自衛官を侮蔑しているのではない。ただ一般の読者には、こう申し上げたい。「自衛隊はどれくらい強いのか」――あなた自身が、そう疑問に思っていた事実自体が問題だと。 こう考えてみてほしい。たとえば「米軍がどれくらい強いのか」と疑問に思うアメリカ人がいるだろうか。米軍人の階級構成を知らないアメリカ人がいるだろうか。 他方、自衛官の階級構成を正しく答えられる国民は少ない。東日本大震災の活躍もあり、昔よりは理解が進んだが、いまなお世界標準に達していない。自国の軍隊が「どれくらい強いのか」を大半の国民が知らないのは戦後日本だけであろう。 蛇足ながら、自衛隊の主力装備はほとんどが米国製である。日米の装備や技術は「一体化」しており、今後さらに一体化が進む。ゆえに自衛隊単独の「戦力」を議論しても実益は乏しい。 強固な日米同盟と、日本国民の理解が自衛隊の戦力を担保する。今後どんな法整備を図ろうと、それなくして自衛隊は動けない。だが、それさえあれば、自衛隊は戦える。

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    自衛隊はどれほど強いのか

    になぞらえた吉田ドクトリンから半世紀。軍事力の脅威的増強を続ける中国の覇権が広がり、わが国を取り巻く安全保障は大きな変貌を遂げたが、それでもまだ「軽武装・経済外交」の信仰に縛られている。わが国は現状の戦力で有事に即応できるのか。自衛隊を徹底解剖する。

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    米国による平和は維持できるか

    った表現が飛び交っている。 先月末、シンガポールで開かれた英国際戦略研究所(IISS)主催の「アジア安全保障会議」(シャングリラ対話)開会直前に中国紙・環球時報は「中米両国が南シナ海で一戦交えることは不可避だ」と題する社説を掲げた。 追いかけるように、中国政府は2年に一度の国防白書を公表し、「海上軍事闘争への準備」が重要だと危機感をあおり立てた。注目されたシャングリラ対話 後世の史家は、などとは言わない。10年後に国際問題の分析者は、シャングリラ・ホテルで開催されたあの会議が、パクス・アメリカーナ(米国による平和)維持に成功したか、あるいはパクス・シニカ(中国による平和)への転換点だったかを決める重要な会議だったと公平な評価を下すに違いない。どこの国が何を仕掛けているのか。日本の立場はいずれにあるのか。その見分けもつかずに「米国の戦争に巻き込まれる」など、低次元の議論に熱中している日本の一部国会議員に、鉄槌(てっつい)が下される日も遠くないと確信する。 カーター米国防長官が会議で行ったスピーチの全文を読んでみたが、感情を抑えつつ緻密な対応が網羅された見事な演説だった。長官はまず問題の平和的解決のために、中国を初めとした関係国すべての埋め立てを中止するよう求めた。第二はあらゆる国が持っている航行、飛行の自由の原則を守れとの要求である。第三は中国が南シナ海で進めている行動は国際法と規範に反するとの指摘だ。 2011年秋に打ち出されたアジアに軸足を移すピボット政策、あるいは勢力均衡を調整するリバランス政策はあってないような状況が続いていたが、米国は軍事、外交、経済面でアジア太平洋に長期にわたって関わり続けることを約束した。不可解で危険な中国の言い分 リバランス政策の中心は米軍の存在であり、兵器はバージニア級原子力潜水艦、海軍のP8ポセイドン哨戒機、最新ステルス駆逐艦ズムウォルト、最新空母搭載E2Dホークアイ早期警戒管制機をアジア太平洋地域に配備する。同盟国や友好諸国との関係強化の必要性も強調された。とりわけ安倍晋三首相の名を挙げて日本との同盟関係は重視されている。E2Dホークアイ早期警戒管制機(Wikimedia) ラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)の2月および5月の議会証言は、中国への姿勢が一層厳しく、同時に日本、フィリピン、豪州重視の姿勢がより鮮明になっている。カーター長官はシンガポールからハノイ、ニューデリーに飛び、ベトナムおよびインドとの軍事協力関係を強化した。同長官は中国が建設しつつある人工島の12カイリ以内に米軍機と艦艇を入れる検討を事務当局に命じた。行動に出るかどうかはオバマ大統領の胸三寸である。 不可解で、それだけに危険なのは中国の言い分だ。シャングリラ対話に中国代表団を率いてきたのは、中国人民解放軍の孫建国副総参謀長だ。孫氏はカーター長官に真っ向から反対し「南シナ海の埋め立ては正当かつ合法だ」と主張した。係争中の地域に中国の主権があるとの態度は、会議に先立ち北京を訪問したケリー米国務長官に対して王毅外相が「主権を守る中国の意思は岩のように固い」と言明したのと軌を一にする。 ただし、挑発を非難している国々が挑発をしているのであって、それは中国ではない、との言い方は通用するだろうか。記者団との質疑応答の際に、南シナ海を包むように示された九段線の根拠として、国連海洋法は漢時代には適用できないと答えた。ローマ時代に遡(さかのぼ)って領有権を主張したら、いまの世界はどうなるのか。英エコノミスト誌は「お粗末な答え」「乱暴な議論」「子供っぽい」と軽蔑の用語を連ねた。改憲こそ日本の生きる術だ 米国防総省が中国の軍事力に関する年次報告の中で「特記-進展する中国の海洋戦略」の題を設け、「黄海、東シナ海、南シナ海を戦略的重要性を持つ海域と見なしてきた」と叙述したのは11年だ。6年前に中国は対海賊活動を行うため艦隊をソマリア沖に派遣し、14年には米主導のリムパックに参加したが、1年半前には南沙諸島の埋め立ては本格的に開始されていた。率直に言って、米国の対中認識は甘い。 米国は不退転の決意を示したのか。訪中したケリー長官に習近平国家主席は改めて新型大国関係を呼びかけ、「広い太平洋は二つの大国を収容できる能力がある」と述べた。5月31日付ウォールストリート・ジャーナル紙は対中政策で米軍部内には硬軟両論があってまとまらないという。「一部分析者たちは、中国が自分の裏庭で大きな影響力をふるうのを認める代わりに、米国が中立的緩衝地帯まで撤兵する大きな取引を考えたらどうかとの議論もなされてきた」そうだ。日本は改憲以外に生き延びる術があるのだろうか。関連記事■ 中国が虎視眈々と狙う日本の海と空■ 中国との均衡こそ取るべき道だ■ 中国の飛躍的な軍事力増大を論じなければ何の意味もない

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    米中激突なら1週間で米軍が制圧 中国艦隊は魚雷の餌食 緊迫の南シナ海

     南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島周辺の領有権をめぐり、米中両国間で緊張が走っている。軍事力を背景に覇権拡大を進める習近平国家主席率いる中国を牽制するべく、米国のオバマ政権が同海域への米軍派遣を示唆したが、中国側は対抗措置も辞さない構えで偶発的な軍事衝突も排除できない状況だ。米中両軍が南海の洋上で激突する事態は起こるのか。起こった場合、どのような状況に直面するのか。専門家は「万一、開戦となっても1週間で米軍が圧勝する」と分析する。 「(アジア)域外の国家が南シナ海(の問題)に介入し、中国に対して頻繁に近距離からの偵察行為を繰り返している」 中国が26日、2年ぶりに発表した国防白書「中国の軍事戦略」。この中で中国国防省と人民解放軍は、南シナ海での海洋権益をめぐり、米国に強い警戒感を示した。 さらに白書は「海上での軍事衝突に備える」との方針も表明した。中国国防省が正式に海上での軍事衝突に言及するのは初めてで、国際社会に衝撃が走った。 両国の火種となっているのは、中国が南シナ海の南沙諸島で進める岩礁の埋め立て問題だ。領有権を訴えるフィリピンなどを無視する格好で、大規模な建造物を構築するなど実効支配を強化している。 今月初旬、米国防総省は中国が南沙諸島でこれまでに計約8平方キロを埋め立てたとの推計を明らかにした。同時に「大規模な埋め立ては、平和と安定という地域の願望と一致しない」と批判。だが、中国も即座に「領土や海上権益を守るための行動は正当かつ合法的であり、誰かがとやかく言うべきではない」と応酬していた。軍事衝突となれば米軍のイージス艦が波状攻撃をかける 事態が急変したのは、12日の米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)の報道だった。 同紙はカーター米国防長官が、中国がつくった南沙諸島周辺の人工島近くに米海軍の哨戒機や艦艇の派遣を検討するよう米国防総省に求めたと報じたのだ。 この報道を裏付ける形で、米国防総省のウォーレン報道部長は21日、南シナ海での航行の自由を確保するため、中国が人工島の「領海」と主張する12カイリ(約22キロ)内に米軍の航空機や艦船を侵入させるのが「次の段階」となると明言した。 実施時期については「全く決まっていない」と強調したが、仮に米側が強攻策に踏み切れば、中国側は対抗措置も辞さない構えのため、偶発的な軍事衝突も現実味を帯びてくる。 軍事ジャーナリストの世良光弘氏は「米軍のP8哨戒機が中国が主張する『領海』12カイリ以内に侵入した場合、中国軍が人工島に設置した地対空ミサイルでレーダー照射する可能性がある。挑発がエスカレートして、哨戒機が撃墜されるような事態になれば、一気に開戦へとなだれ込む」と指摘する。 人工島の周囲には、すでに複数の米潜水艦が配備されているとみられ、中国側の攻撃を確認すれば、米軍も攻撃態勢に入るという。 「有事となれば、横須賀基地(神奈川)に常駐する第7艦隊が即応部隊として派遣される。空母ジョージ・ワシントンは現在、米国本土の基地に帰還中のため、イージス艦が主体となった水上艦艇部隊が現場に急行する。潜水艦やイージス艦が人工島の中国軍拠点に巡航ミサイルによる攻撃を仕掛けるだろう」(世良氏) グアムや沖縄・嘉手納の米軍基地からB2ステルス爆撃機、B52爆撃機も出撃し、人工島の拠点や海上の中国軍部隊に波状攻撃を加える。 迎え撃つ中国軍は、広東省湛江から、南沙諸島を含む台湾海峡の西南海域の防衛を担う南海艦隊が出撃。浙江省寧波から東海艦隊も派遣され、米国の水上艦艇部隊と対峙(たいじ)することになる。 「ただ、中国軍の艦隊は南シナ海一帯に展開する米潜水艦の魚雷の餌食になる可能性が高い。中国軍が潜水艦部隊で応戦しようにも、米軍との間では、兵器の性能や練度に圧倒的な差があり歯が立たない。今の両軍の力の差を考えれば、戦闘は1週間で米軍の圧勝に終わるだろう」と世良氏。 「赤い兵団」が無謀な戦闘を仕掛けることはあるのか。事態は風雲急を告げている。 【南シナ海問題】南シナ海の大半の管轄権を主張する中国は、南沙(英語名スプラトリー)諸島の領有権を訴えるフィリピンなどと対立。米政府によると、これまでに南シナ海で計約8平方キロを埋め立て、大規模な構造物を建造するなどして実効支配を強化している。南沙諸島のファイアリクロス(中国名・永暑)礁では、2017~18年ごろに滑走路が完成するとみられている。中国は海洋調査や海難救助の拠点と主張するが、米国は地域の緊張を高めると批判している。関連記事■ 中国が虎視眈々と狙う日本の海と空■ 中国との均衡こそ取るべき道だ■ 中国の飛躍的な軍事力増大を論じなければ何の意味もない

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    在沖縄米海兵隊は抑止力か否か

    のかたくなな固定観念だ」と反発する。沖縄の海兵隊は中国への「抑止力」となっているのか。慶応大准教授で安全保障に詳しい神保謙氏と、元官房副長官補の柳沢協二氏に聞いた。(千葉倫之、台北 田中靖人)海兵隊は日本防衛の中核 慶応大准教授・神保謙氏神保謙氏 ──沖縄に駐留する米海兵隊の抑止力をどうみるか 「抑止効果は非常に大きい。4月末に改定された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)でも、平時からグレーゾーン、小規模有事、大規模有事という流れに切れ目なく対応することがうたわれている。事態ごとに必要な能力は異なり、その継ぎ目を埋めるためには陸海空の統合運用が重要になる。事態が急速に展開する可能性や非対称な攻撃が予想される中、継ぎ目を埋める能力をもともと備えているのが海兵隊だ」 「日本周辺では、東シナ海のグレーゾーン事態や朝鮮半島の不安定化の可能性があり、沖縄の位置を考えれば、戦域内に短時間内で展開できる海兵隊がいることの意義は大きい」 ──グアムに駐留すればよく、沖縄にいる必要はないという議論がある 「事態発生後に数日間かけて戦域に入ってくればいいという議論はリエントリー(再突入)のコストを考慮していない。力の真空を作らないためには域内に強靱なプレゼンスがあることが重要だ。海兵隊の実動部隊が沖縄にいることは、南西方面への米国の安全保障上のコミットメント(確約)を保証する極めて重要な要素になっている」 ──沖縄は中国の弾道ミサイルの射程内にある 「中国が(自衛隊の対処能力を超える)飽和攻撃を行った場合の脆弱性は大きく、沖縄に部隊を置くリスクはある。ただ、大規模有事に至る前、紛争が徐々にエスカレートしていく初期の段階で十分な戦力投射ができるようにしておくことが大事で、沖縄の重要性はますます増している」 ──辺野古への基地移設はなぜ必要なのか 「普天間基地は古い。管制・防空システムの更新やミサイル防衛を含めた基地の防護を世界標準にすることが必要だ。住宅地で行動が妨げられ、基地の抗堪性が制約されるようでは困る」 ──米海兵隊の役割は自衛隊では代替できないのか 「装備の面でも運用の面でも、自衛隊が持っているのはごく一部。緊急事態への即応体制はできているが、有事型になっていない。自衛隊と米陸軍も離島奪還の訓練をしているが、陸軍が動くのには時間がかかる。グレーゾーン事態が発展し、日米安全保障条約第5条が発動される事態になった場合、誰が一体動くのか。島嶼防衛で自衛隊が主体的な役割を担うのは当然だが、指針では日米が水陸両用部隊も用いて共同作戦を実施するとしている。米軍は自衛隊の作戦を支援・補完するとされており、海兵隊はこの任務に決定的な役割を果たす。海兵隊は今や日本の防衛のために非常に重要な役割を果たしている」じんぼ・けん 昭和49年、群馬県生まれ。41歳。慶応大大学院政策・メディア研究科博士課程修了後、平成21年から同大准教授。専門は国際安全保障。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員などを兼任。沖縄に駐留の合理性ない 元官房副長官補・柳沢協二氏柳沢協二氏 ──在沖縄米海兵隊は抑止力として機能しているか 「抑止力とは『相手が攻撃してきたら耐え難い損害を与える能力と意志』のことだ。その意味で沖縄の海兵隊は抑止力として機能していない。離島防衛は制海権と制空権の奪取が先決で海兵隊がいきなり投入されるのはあり得ない。日米防衛協力のための指針でも、米軍の役割は自衛隊の能力が及ばないところを補完すると規定されている。それは敵基地への打撃力だが、海兵隊の役割ではない。沖縄は中国のミサイル射程内に軍事拠点が集中しており非常に脆弱だ。米国はいざというとき、戦力の分散を考えるだろう。そもそも、本格的な戦闘に拡大する前に早期収拾を図るだろう。海兵隊を投入すれば確実に戦線は拡大する。つまり、いずれの局面でも海兵隊の出番はない。いざというときに使わないものは抑止力ではない」 ──沖縄に海兵隊は必要ないと 「どこかにいなくてはいけないから入れ物は必要だろう。しかし、それがピンポイントで沖縄でなくてはならない軍事的合理性はない。有り体に言えば『他に持っていくところがない』ということだろう。そもそも、抑止力と軍隊の配置に必然的な関係はない。海兵隊は米国本土にいてもいい。いざというときに投入する能力と意志があり、それが相手に認識されることが抑止力の本質だ。『沖縄の海兵隊の抑止力』といったとたんに思考停止し、深く掘り下げて考えないのは一種の信仰だ。沖縄県民はそこに不信感を持っている」 ──南シナ海では米軍のフィリピン撤退後、同国が実効支配してきたミスチーフ礁などを中国が占拠した 「事実としてはそうだ。しかしフィリピンにいたのは海軍と空軍であり、海兵隊が撤退したからそうなったのではない。海軍と空軍がいればいい。海空軍まで出ていけという話をしているのではない」 ──在沖縄海兵隊は、朝鮮半島や台湾海峡の危機抑止に機能するか 「機能しない。台湾海峡事態で地上戦闘はすべて台湾の役割だ。米国の役割はなんと言っても海空軍だ。海兵隊は海上・航空優勢を確保した後に出番が来るかもしれないが、少なくとも真っ先に飛んでいくわけではない」 ──米国が沖縄から海兵隊を撤退させる可能性はあるか 「地元から歓迎されない基地は能力を発揮できないというのは一面の真理であり、元国防次官補のジョセフ・ナイ氏もそういう趣旨のことを述べている。日本政府が必死に普天間の辺野古移設を進めているときに、米国は邪魔するようなことは言わない。しかし今後、普天間をめぐる混乱が広がれば米国の反応も変わってくるだろう」やなぎさわ・きょうじ 昭和21年、東京都生まれ。68歳。東大法学部卒業後、防衛庁入庁。運用局長などを経て平成16年から21年まで官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。関連記事■ 中国が虎視眈々と狙う日本の海と空■ 中国との均衡こそ取るべき道だ■ 中国の飛躍的な軍事力増大を論じなければ何の意味もない

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    中国空母「遼寧」vs海自イージス艦護衛艦 日中海軍兵器比較

     仮に尖閣諸島で日中間で軍事衝突が起きたとき、米軍は参戦しないのでは、という議論がある。もし、そうなった場合、日本はアメリカなしで中国と戦うことができるのだろうか。中国の国防費は日本の10倍、兵力も10倍に達する。軍事ジャーナリストの井上和彦氏はそうした物量だけでは日中の本当の軍事力は計れないと指摘する。* * * 兵器先進国には共通点がある。アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スウェーデン、そして日本。これらの国々は同時に自動車大国なのだ。つまり優秀な兵器はすべて優秀な自動車を独自で設計製造できる自動車先進国なのである。例外はイスラエルとロシアしかない。中国空母「遼寧」(中国国防部HPより) 自動車の設計・製造には、様々な機器を一つにまとめ上げるシステム・インテグレーションの技術と品質管理の技術が求められる。そうした技術が確立された国だからこそ、厳しい環境下での酷使に耐えうる兵器が製造できるのだ。 ところが中国は、ハイテク兵器の完成品を入手して、これを分解して調べ上げた上で製品開発を行なうという“リバース・エンジニアリング”で兵器を作っているため、信頼性は日本の足元にも及ばない。 世界を騒がせている中国の航空母艦の保有経緯をみてもこのことは明らかだろう。中国は、ウクライナで建造中止となった旧ソ連製空母「ワリャーグ」を鉄屑として購入し、あろうことかこれを再生して中国初の空母「遼寧」として就役させた。この再生空母は、艦載機の射出用カタパルトも装備しておらず、米海軍の原子力空母との性能差は月とスッポンだ。 しかも致命的なのは、中国海軍の対潜能力が極めて脆弱だということである。これでは世界一の性能を誇る日本の「そうりゅう」型潜水艦の餌食となるだけだ。 加えて、海上自衛隊の「あたご」型、「こんごう」型イージス艦のような超ハイテク防空艦を保有していないために、航空機からのミサイル攻撃には無力に等しい。つまり一点豪華主義のように保有する空母「遼寧」は張り子の虎なのである。 これに対して海上自衛隊は空母保有に向けて、世界最強の空母機動部隊を保有する米海軍と協同しながら準備を進めている。まさしく護衛艦「いずも」などは、本格的空母保有前の“ビンゴゲームのリーチ”のような存在だろう。 関連記事■ 中国のステルス機 翼に凹凸あり「戦闘機として考えられぬ」■ 中国人 40億ドルの空母を2000万ドルに値切った剛腕を語る■ 米国製軍用ジープを丸パクリした中国製軍用ジープの写真公開■ 中国パクリ戦闘機「殲31」 やっと飛んでいるといった印象■ 日中戦闘機の実力拮抗 早期警戒管制機は自衛隊が圧倒的に上