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    誰のための政治なのか 桜井誠が自民党に突きつけたもの

    著者 KeroChan(東京都) 7月31日に投開票が行われた東京都知事選挙は、小池百合子氏が291万票を獲得し、大勝した。この選挙では過去最多の21人が出馬し、候補者選びの過程や選挙戦において、混乱やハプニングが相次いだ。私にとっても印象に残る選挙だった。 この選挙では、行動する保守運動代表の桜井誠氏が出馬し、11万票を獲得した。桜井氏は今回の出馬にあたって、外国人生活保護の廃止や反日ヘイトスピーチ禁止条例の制定などを盛り込んだ「日本を取り戻す七つの約束」を公約に掲げた。 都内各地で行われた街頭演説では、各会場によって異なるテーマで演説を行い、多くの都民が耳を傾けていた。また、主要三候補ばかりを取り上げるマスメディアの姿勢を批判したり、妨害に対して徹底的に応戦するなどこれまでの常識を覆すような選挙運動が展開されたことにも注目が集まった。東京都知事選、街宣車の上で演説する桜井誠氏=7月23日、東京都新宿区 こうした桜井氏の11万票を支えたのは、祖国を守りたいと願う保守層である。こうした層は本来、自民党に一票を投じてきた。現在の安倍政権もこうした人々の支持によって支えられている。 しかし、現在の自民党の動向を見た際に、「本当に我が国のための政治を行っているのか?」と疑いたくなることがある。今回の都知事選で自民党が推薦した増田寛也氏は、岩手県知事時代に永住外国人への地方参政権の付与に賛成する発言をしている。国政においても、日韓合意や外国人労働者の受け入れ拡大、ヘイトスピーチ規制法の制定など、我が国にとって、不利な政策が立案・実行されている。こうした中で、外国人の利益ではなく、国民の利益を優先させるべきだという都民の怒りの声が、桜井氏への11万票につながったのではないか。 こうした意見を「ヘイトスピーチ」や「時代遅れ」などとレッテルを貼って、無視するのは簡単だ。しかし、こうした従来の対処の仕方では何の解決にもつながらない。そのことは、現在のEUの混乱やアメリカ大統領選挙でトランプ氏とサンダース氏が躍進したことからも明らかだ。レッテル貼りと数の力で抑えこんだとしても、怒りの声はますます高まるだけだ。自民党はこの11万票を直視し、国民の利益につながる政治や経済運営を本当できているのかを真剣に見つめ直すべきである。安定勢力を確保しているからといって、コアな支持層の影響力を過小評価してはならない。 桜井氏は産経新聞とのインタビューの中で、来年の都議選に10~20人程度の候補者を出馬させる計画を表明した。おそらく今回の「七つの約束」を基にした公約を掲げると思われるが、その他の政策の決定、人材の育成や資金の確保など乗り越えなければならない課題は多い。こうした高い壁をどのように乗り越えるのかについてもぜひ注目したい。

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    共産党に食われる民進党

    「自公vs民共」の構図がハッキリしていた今回の参院選。争点はアベノミクスや安全保障関連法、憲法改正などだが、野党は選挙戦を通じて攻めあぐねていた。批判だけで対案がなければ、浮動票も流れない。果たして、野党共闘は吉と出たか、凶と出たか。

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    共産党との決裂も覚悟せよ! 民進党に欠かせない新しい「共闘」相手

    は、安全保障問題では何を維持し、何を変えれば、自民党とは違うというだけでなく、安心して命を預けられる政党として、国民に選ばれるようになるのか、そこをよく考える必要がある。 そのカギは、普天間問題で変節したときの鳩山首相(当時)の言明にあると思う。多くの方の記憶にあると思うが、鳩山氏は、「抑止力の観点から海外は難しいという思いになった」「学べば学ぶほど抑止力(が必要)との思いに至った」と、「抑止力」を県外移設ができない理由として語ったのである。鳩山由紀夫元首相(共同) アメリカの抑止力に頼るということが、日本においては、安全保障の常識のように捉えられてきた。しかも、何が抑止力で、米軍をどう配置すれば抑止力として機能するかは、すべてアメリカが決めることになっているので、日本防衛の中心問題なのに日本には口出しができないのが現状である。鳩山氏の変節は、抑止力に頼る構造をそのまま是とする限り、日米関係を変えることはできないことを示している。 ところで、抑止力依存は証明不要の公理のようになっているが、そもそも抑止力とは何なのかが大事だ。民主党の菅政権の時、抑止力の定義が閣議決定されたが、そこでは「侵略を行えば耐え難い損害を被ることを明白に認識させることにより、侵略を思いとどまらせるという機能を果たすもの」(2010年6月8日)とされている。「耐え難い損害」を与えるというのは核兵器を使用することを意味する。しかも、核抑止という考え方は、アイゼンハワー政権時の「大量報復戦略」とともに確立したことで分かるように(トルーマン政権の「封じ込め戦略」に替わり)、ただ核兵器を使用するというだけでなく、相手を全滅させるような軍事態勢をとることを意味している。実際、冷戦時は、ソ連や中国に存在する数千の標的に対して、瞬時に核兵器を投下することが想定されていた。 抑止力に頼るということは、もともとはそういう考え方なのである。それを冷戦が終わって20年以上が経ってもそのまま受け継ぐのか。民進党が考えるべき問題はこれである。旧来型の抑止が通用しない時代旧来型の抑止が通用しない時代 「敵」がソ連の時代には、抑止という考え方もあり得ただろう。何といっても、ソ連は世界を共産主義にすることを理念としていたわけで、西側諸国にとって政治的、経済的、イデオロギー的に相容れない相手だった。共産主義に魅力を感じる人も世界中にいたから、よけいに警戒感も強まった。なくなってほしい相手だったといえる。だから、軍事面でもそれにふさわしい壊滅の態勢をとるということは、西側諸国の政治支配層にとって自然だったわけだ。当時、野党が政権をとっても安全保障政策の基本は維持すべきだと主張する人は多かったが、西側の価値観の枠内に立つ限り、それも当然のことだったと思われる。 いまわれわれが相手にしている中国は、当時のソ連と同様、政治的、イデオロギー的に重大な問題を抱えている。しかし、なくなってほしい相手とまではいえないことは、アメリカやイギリスが(日本もだが)経済的に切っても切れない関係になっていることでも明白だ。中国に魅力を感じる人など世界にはいないだろうから、影響力の広がりを警戒する必要もない。 また、現代の安全保障上の最大問題であるテロのことを考えると、旧来型の抑止が効かないことは多言を要しない。オバマ大統領の「核兵器のない世界」構想の一つのきっかけとなったのは、キッシンジャーやシュルツなど安全保障関係者が、テロに対して抑止力は無効だと説いたことである。オバマ政権が公表した「核態勢の見直し」(2010年4月)では、抑止の重要な要素である核の先制使用(相手が通常兵器で攻撃してきても核を使用する)を見直すことを将来の課題としている。 そういう時代に、60年も前にできた抑止力という古い考え方に、ただただしがみつく自民党と同じでいいのか。戦後の日本は、最終的にはアメリカの抑止力に頼るという政策をとったので、日本自身の防衛政略は持たないできたが、そのままでいいのか。「専守防衛」という言葉は生まれたが、それとて全世界的な米ソ戦争の一部として、ソ連軍を日本周辺で叩くというものであって、言葉だけのものであった。一方の護憲派は、防衛政策を持たないことを誇りとしていた。 それらの結果として日本では、日本らしい防衛戦略は誰からも生み出されなかった。民進党にとって必要なのは、時代にふさわしい安全保障の哲学を確立した上で、それをアメリカに提示して堂々と議論し、ともに戦略をつくりあげるというような気概ではないだろうか。日本の地位は新しい安全保障の哲学にふさわしい日本の地位は新しい安全保障の哲学にふさわしい  抑止力という枠内でも、いろいろなバリエーションが可能である。日本はこれまで、アメリカの抑止力に依存していても、どんな時点でどのように核兵器を使うのかについて、まったく関与できないでいる。しかし、NATOでは、核兵器をどう運用するかを加盟国すべてが協議するための常設の機構があるのであって、その程度のことはアメリカに要求すべきだろう。 あるいは、同じ抑止力という言葉は使われていても、かなり実態が異なる安全保障論も生まれている。これまでのように相手の全滅を前提とした旧来型の抑止を「報復的抑止」と位置づけ、相手の侵略の程度に見合った反撃を覚悟させる新型抑止を「拒否的抑止」とする考え方もある。後者ならば、国際法上の自衛の三要件と接点が生まれ、これまでは建前にすぎなかった「専守防衛」が、本物になっていく可能性がある。それは、キッシンジャーらが提唱する核兵器に依存しない安全保障構想とも、どこかでつながっていくはずだ。韓国・浦項で行われた米韓合同軍事演習(AP) そういう新しい安全保障政策を確立する上で、日本は絶好のポジションにいる。日本は、アメリカの抑止力に口を差し挟めないようでいて、実は大きな影響を与えてきた。1960年代、当時の技術水準では、ソ連極東部や中国を瞬時に叩くには、日本本土への核配備が不可欠だったし、米軍は何度もそれを画策したが、日本国民のきびしい反核世論のなかで、実現することはなかったのである(だから「持ち込み」だけに限定された)。 このように抑止力は、冷戦時代にあっても、それを乗り越える哲学に直面する場合、「不磨の大典」ではなかったのである。自民党政権にとっては、日本国民の反核世論は安全保障のための邪魔者だったわけだが、それを新しい安全保障政策を確立するための哲学として活用すべきなのだ。民進党と共産党の「野合」はなぜ大事なのか民進党と共産党の「野合」はなぜ大事なのか 民進党がそこまでたどり着くには、新しい出会いが求められる。旧来型抑止力に浸りきった政党だけを共闘相手にしているようでは、新しいものは生み出されない。民進党には新しい相手との出会いが求められるのであって、日本共産党との「野合」はその一歩になる可能性があるのではないだろうか。 いうまでもなく共産党は、憲法制定議会において、吉田首相に対して自衛権の必要性を説いた政党である。60年代から80年代にかけて、社会党の「非武装中立」に対抗し、「中立自衛」政策を掲げていた。日本防衛のための自衛組織が必要だと考え、そのためには憲法9条の改正まで展望するというのが、この政策の核心であった。自衛力がないほうが平和になるというお花畑的な左翼ではない。出自はしっかりしているのだ。 現在の共産党は、9条は変えないという立場になり、日米安保の解消、自衛隊の段階的解消を綱領でうたっている。しかし、自衛力が不要になるまでにはかなりの時間がかかることも、よく理解している。だから昨年、国民連合政府を提唱した直後に、日本の自衛のためには日米安保も自衛隊も使うべきだという態度を打ち出したわけだ。共産党の出自を考えると、この対応は突然のものではなかったし、不思議でも何でもない。 とはいえ、自衛隊を解消するという方針を長く堅持してきたため、共産党のなかには自衛隊を否定的に捉える人々も少なくない。憲法に違反するという程度の認識にとどまらず、自衛隊を日本の平和と国民の命の対立物であるかのように考える人々である。そういう現状が、参議院選挙最中の藤野政策委員長の「人殺し予算」という許しがたい発言を生み出したりするわけだ。共産党は藤野氏を事実上更迭し、「国民の命を守る自衛隊」という立場を打ちだすなどしているが、内部での議論は開始されたばかりの状態である。 したがって、民進党と共産党が安全保障政策を議論するとして、その行方がスムーズなものでないことは確かだろう。決裂も覚悟した激しい議論が必要だ。支持を訴える(左から)社民党の又市幹事長、共産党の志位委員長、民進党の岡田代表=7月6日、長野市 しかし、日本の新しい防衛政策は、自民党に対抗して政権を狙う気を抱く(はずの)民進党と、これまで自民党の防衛政策を徹底的に批判してきた共産党と、その両党の葛藤のなかでだけ生まれる可能性がある。それができなければ、民進党は自民党と変わらない政党として、存在意義そのものが問われることになるだろう。

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    民共共闘で民進党は消滅する!

    ちも10%台の低調さである。『日経新聞』が5月2日付で報じた世論調査だと、「7月の参院選で投票したい政党」は自民が44%で3月調査から8ポイント上昇。民進党は2ポイント上昇したが15%にとどまった。 6年前、2010年の参院1人区は自民の21勝8敗、3年前は29勝2敗と自民党が圧勝しており、1人区の大勝は比例票に結び付いてくる。共産党の志位和夫委員長はこのままでは3年前、6年前と同じ自民優勢に終わる、ここで捨て身になって歯車を止めなければ永久に政権交代は困難になる、と判断したのだろう。街頭演説会に臨む(左から)生活の党と山本太郎となかまたちの玉城デニー幹事長、共産党の志位和夫委員長、民進党の岡田克也代表、社民党の又市征治幹事長=6月29日、松山市(松本学撮影) 志位氏は民進党の岡田克也代表に、選挙に向けて「国民連合政府」をつくって共闘すると申し入れた。岡田氏も当初は乗り気を見せたが、党に持ち帰ると強い反発を受けた。その最たる批判が、前原誠司元代表の「シロアリとは組めない」という激烈な言葉だった。 シロアリは建物の土台を食う。共産党と組むといずれ共産党に乗っ取られるという恐怖感は、旧民主党はもちろん、旧社会党ももっていたはずの共通の恐怖感だ。このため、共産党は選挙戦のほとんどすべてを独自で戦ってきた。 当選の見込みのない選挙区でも「共産党」の候補者を立てるから、1回の選挙で合計1億円の供託金を没収されるのが常だった。参院の1選挙区で2万~9万票を出し、その票を集めて比例で3から5議席を得るというのが共産党の戦略だった。 岡田代表が志位委員長の国民連合政府構想を断ると、志位氏があらためて打った手は「新安保法廃止」の1点だけの合意でいい、というものだった。連立政府をつくって「新安保法」を廃止してから、のちに政策を協議するなどという政府ができるわけがない。共産党がいうほど「新安保法」が悪いのか、という反発も民進党内から出てくるだろう。 共産党の投げかけた影響を見て、志位氏は「野党統一候補を黙って推す」という“無償援助”方式を打ち出した。仮に統一候補方式が成功すると、3年前の選挙で自民党が29勝した選挙区のうち、宮城県では42万票対51万票になって逆転する。栃木県でも37万票対40万票。山梨県でも14万票対23万票になる。山形、新潟、長野、三重も逆転の様相になる。たしかに足し算では逆転だが、「共産党が加わるならオレは反対側に入れる」という票も相当に出るだろう。このため共産党はいっさい表に顔を出さない、といっている。実際に前面に出て運動するのは共産党が操る学生団体シールズなど。この芝居はうまくいくのか。 自社対立の時代、共産党は社会党にしがみついていた。社会党が自民党の側に歩み寄るのを防ぐために、事あるごとに政策共闘を唱えた。時に共産党の了承なしに事を運べば、社会党が堕落したように見えたものだ。 その社会党は村山富市委員長時代に「社民党」と改名したが、衆院議員は最盛期の144議席から2議席に落ちた。今回、参院の改選は2人だが、ゼロに落ちる可能性がある。社会党は共産党に密着して左派を吸収された感がある。右派は自民党に叩き潰されて党は潰滅、残党は民主党に吸収された。政治がうまくいかない元凶は連立政権だ政治がうまくいかない元凶は連立政権だ平成28年度補正予算が成立し、挨拶回りで公明党の山口那津男代表(右)と握手する安倍晋三首相=5月17日(斎藤良雄撮影) いま起こっている政界の様相は、かつての自社対立が自公対民共と形を変えて再現されているようだ。本質は自公対民共の新型55年体制の再現と見てよい。 自民党は今回の参院選で3年前の51に6議席上積みして57議席を取れば、非改選組と合わせて122議席になる。自民にとっては参院で過半数を握ることになり、政策の心棒を公明に振り回されなくて済むようになる。 新安保法では、集団的自衛権の権利があるだけでなく「行使」もできるとした。自衛権に「独自」と「集団」があるのは国際常識。集団的自衛権があれば行使できるのは当然だ。国連憲章にも書いてある。アジアの現状を見れば1年前と現在では様変わりで、よくぞ新安保法を成立させておいたものだと思う。ところが1年前、与党の公明党は新安保法に徹底して背を向けた。防衛や財政、税制について、30議席の政党が300議席の大与党の鼻づらを引き回したのでは、国民が大政党を選んだ意味がない。自民党の悲願は「自民党はどうしてもやりたいことは単独でもできる」力を得ることだ。公明と組んでいるからといって憲法改正が前進するわけではないから、自民単独政権で十分だ。 公明党と連立しているばかりに、新安保関連法に含まれた集団的自衛権行使の三要件などはまったく不可解。不必要な制限を加えすぎた。 イタリアの政治は戦後一貫して連立政権を続けた結果、無責任政治に堕し、救い難い様相になっている。時に連立の組み合わせさえ決定できず、大統領が議員でもない30代の学者に内閣を丸投げしている始末だ。私は1960年代にローマに駐在して以来、イタリア政治をフォローしているが、政治がうまくいかない元凶は連立政権だと断言していい。失政に責任を取る政党がないのが問題なのである。 イタリアで冷戦終了まで政権を担当してきたのはキリスト教民主党、社会党、民社党、共和党などで、議席の51%を押さえていた。これは共産党を閣外に締め出すためで、共和党は3%程度の議席しかないのに「入閣の条件」として「共和党の首相を出すこと」と言い出し、結局、共和党首相が実現したことがある。3%の議席しかない党が言い出せることは高が知れているし、失敗しても閣内から共和党を追い出すわけにはいかない。51%のワクが壊れてしまうからだ。 われわれは自公政権を普通の現象として見ているが、連立にはつねに欠点、弱点があることを見逃さないほうがいい。 自公に対立して民進・共産の軸が浮上してきた。小選挙区制度は二大政党制を指向する制度だが、日本では約4割の議席に比例制が導入されたため、小政党が残ることになった。比例制を残したのは公明、共産をいきなりゼロにするわけにはいかないという政治配慮が働いたからだ。日本の小選挙区比例代表並立制も時に連立政権を余儀なくされるが、失敗作というつもりはまったくない。与野党の緩衝材としての機能を発揮することがあるからだ。 日本社会党がこの新選挙制度導入とともに消滅したのは、常時、社共共闘を続けてシロアリに食われてしまったからだというほかない。 60年代末、ローマで「社会主義インターナショナル」の大会があり、日本からは社会党と民社党が招聘された。大会が終わったあと議長(オーストリア人)が記者席に来て「日本人記者か」と念を押し、「日本では社会党が共産党と共闘しているそうだが、本当か」と尋ねる。「本当だ」と答えたところ「本国に帰って、社会党に共産党と組むことは社会主義インターの原則に反する。除名することになる、と伝えてくれ」というのだ。 前原氏のシロアリ論はまさに、国際常識だった。民進党はそのシロアリと結んで、旧社会党の轍を踏もうとしているように思える。社会主義インターが「共産党との共闘を禁じていた」真意を当時の日本人は知らなかった。各国の共産党は、ソ連(現ロシア)から国際共産主義(コミンテルン)の綱領とカネをもらってスタートした暗い歴史がある。“結社”から“政党”に変身したイタリア共産党“結社”から“政党”に変身したイタリア共産党 日本では、徳田球一氏がソ連から綱領とカネをもらってコミンテルン日本支部を設立した。要するにソ連の共産党の「日本支部」だったわけだ。のちに議長となる野坂参三氏は、ソ連に同志を密告したことが判明して日本共産党を除名された。共産党としてはソ連との関係がバレたから除名せざるをえなかったのだろう。 イタリアでは共産党はソ連から、民社党はアメリカからカネが注ぎ込まれているといわれていた。社会主義インターが共産党排除を鮮明にしていたのは、欧州では共産党はソ連のヒモ付きという常識が定着していたからだ。 イタリア政界の連立体制は50年ごろから冷戦が終わるまで続いた。この間、イタリア共産党は30~33%の議席を維持した。連立政権の目的は、第二党に躍進した共産党を絶対に政権に入れないとの一点にあった。イタリア共産党はソ連とは別の「独自の道」を強調したが、歴代代表はロシアに行って夏季休暇を過ごしていた。“ソ連との仲”を疑われるのは当然だった。 ところが89年にベルリンの壁が壊され、91年には米ソ冷戦が終結する。こういう事態を迎えると、共産党排除の連立を続ける意味がなくなる。連立政党は政権を共有しているあいだにラジオ局の分配から公社、公団の利権を分け合うことまでやりたい放題。腐敗は極に達していた。日本なら、金権腐敗の田中角栄政権が40年も続いた状況だった。ちなみに冷戦後、政界再編が行なわれるが、戦後を背負った光栄ある「キリスト教民主党」は雲散霧消してしまう。 イタリア共産党は冷戦の終焉を予感して、ベルリンの壁が壊されるころ「共産党」の看板を変えて「左翼民主党」と名を変える。これは共産党と名乗っているかぎりはソ連との暗い過去を清算できないからだ。何十年もお預けにされた政権に就きたい、と党全体が熱望したのだろう。党名変更とともに共産党の“原理”ともいわれた党首独裁もやめ、党首を党員投票で選ぶ革命的変革を行なった。続いて民主集中制という党独自の独裁方式をやめた。さらに政策は党員の多数決で決めることになった。一言でいうと“結社”から“政党”に変身したのである。 この点、日本共産党は政党を名乗っているが実態は「古い共産党」そのものだ。宮本顕治時代、日本共産党が“開かれた党”になるというので、立川公会堂の大会に取材に行ったことがある。あらゆる議案に対する賛否は最右端に座った代議員が署名簿を左端の席まで回して採決する。むき出しで回すのだから、「反対」と書いたら誰が書いたかひと目でわかる。これを民主集中制というが、世間の常識では“強要”とか“独裁”というのではないか。 イタリア共産党は共産党の原理を捨てて、結社から政党に踏み出し、天下を獲った。志位委員長が党名を変えない理由志位委員長が党名を変えない理由 イタリアは、それまで上下両院とも選挙は比例代表制で行なわれていた。この結果、小党でも議席を取るから政党数は50を超えていた。冷戦が終わってイタリアがすぐ着手したのが選挙制度の改正である。共産党に天下を獲られても困ることはない。政権の交代こそが政治を活性化させるという共通認識で、1993年に日本もイタリアも選挙制度改革に乗り出した。 両国が採ったのが小選挙区比例代表並立制。同じ時期に私は選挙制度審議会に参画していて、イタリアから視察団が来たというので話をしたのだが、相手の認識や制度が日本で検討中のものとまったく同じだったのには驚いた。腐敗を脱するには政権交代が不可欠。そのためには二大政党を指向する小選挙区制度がベスト。双方がまったく同じ考えだった。 イタリアでは94年、新制度による総選挙が行なわれ、シルヴィオ・ベルルスコーニ氏率いる右派が政権を獲ったが、汚職で1年で潰れ、ランベルト・ディーニ氏率いる非政治家内閣が引き継ぎ、96年には早くも2回目の選挙をすることになった。これに備えて左翼民主党(旧共産党)が考案したのが「オリーブの木」方式である。 これは左派系の8政党が集まって「オリーブの木」を結成、勝った場合は政権に参加するというものだ。96年選挙では戦術が見事に実を結んで「オリーブの木」が政権を獲った。第一党である左翼民主党書記長のマッシモ・ダレマは「旧共産党系」が前面に立たないほうが支持されると見て、経済学者で旧キリスト教民主党系のロマーノ・プローディ氏を首相に担いだ。政権が2年たったところで首相はダレマに代わる。旧共産党系は代人を立てて政権を獲り、その直後に素手で政権を握った格好だった。 ところが左翼民主党と名乗ると旧共産党系の人脈が薄まって、民主集中制時代のような統制が取れなくなる。経歴や系統不明の人物が集合してきて左翼民主党は完全に変質してしまう。そこで左翼民主党は98年、解散し名称を「左翼民主主義者」と変えた。旧共産党が党名を変更して誕生した左翼民主党は7年間で命脈が尽き、かつての共産党とは似ても似つかぬ左派集団になる。イタリアのケースではっきりしたのは、共産党が民主集中制の原理を外すと、いずれはタダの政党になってしまうことだ。 イタリアの政界事情について、日本共産党内にも専門家がいる。志位委員長は、政権を獲るつもりなら党名を「変えたらどうか」としばしばいわれてきた。志位氏がつねに「変えない」と答えてきたのは、変えればいずれ“赤の他人”に党を乗っ取られるとわかっているからなのだろう。 こういう裏事情を知ってか知らずか、小沢一郎氏は全野党を糾合しようとしてオリーブの木方式を提唱している。目下のところ民進、共産、社民、生活の四党の集結までこぎ着けたが、民進党は小沢氏の主導を拒否している。民主党時代、230議席の政党を60議席台に落とした主犯が野党再編の主役に戻ることはありえないだろう。いまの民進党では永久に連合に隷属するいまの民進党では永久に連合に隷属する 共産党は3年前、2013年の参院選で、比例で515万票(得票率9・7%)を集め、選挙区3、比例5の8議席を獲得した。今回、志位委員長が掲げた目標は「比例代表850万票、得票率15%以上」というものだ。共産党が躍進しつつあることは間違いないが、この党はどの党をかじって太りつつあるのか。 すでに減ってしまったのは社民党で、参院2、衆院2議席まで落ちた。党内に宿命のような左右対立を抱えて自滅していったようなものだ。今回も吉田忠智党首が民進党との合併を提唱して、党内からも民進党からも拒絶された。あえて自滅の道を選択しているかのごとくである。共産党が新たな同志を増やそうとすれば、民進党の左派に狙いをつけるしかない。 じつは民進党の弱点は、民主党時代から党内に左右対立を抱えていることだった。対立の主軸は「安保問題」で、最左翼は「平和は憲法9条があるだけで守れる」という信者たち。右派は自民党保守派と変わらない。前原誠司元代表、細野豪志元政調会長、長島昭久元防衛副大臣らは基本的に「新安保法」に賛成だったのではないか。 党内に旧社民党系がいるかぎり、対立の種は消えるはずがなく、党の一体感は保たれない。旧社会党系が少数とはいえ党内に隠然たる勢力を保っていられるのは、彼らが連合から支持されているからだ。 かつて前原代表は党の三原則の一つとして「連合から若干の距離を置く」と宣言して、大反発を招いた。以来、民主党内では連合批判はタブー視されている。連合は選挙のたびに紐付き候補を立て、今回は12人。こういう業界代表が党内に存在するのは日本政界の特質だ。イタリアにも産業別組合があるが、支持政党はそれぞれ別だ。いまの姿では民進党は永久に連合に隷属することになる。 共産党も“共産党系組合”を抱えているが、組合に党が振り回されることはない。 参院選の共産党の戦術は、選挙区は香川県と複数区、あとは比例区で稼ぐというもの。目標どおりに850万票を取れば、3年前の選挙区3、比例5の8議席は獲得するだろう。最近の地方選挙でも、共産党は宮城県議選では議席を4から8に倍増させた。全労連系のメーデーであいさつする共産党の志位和夫委員長=5月1日、東京都渋谷区の代々木公園(酒井充撮影) それにしても選挙区で候補者を全部降ろす、という戦術は民進党に麻薬のように効いてくるだろう。これまでは負けるとわかっても、存在感を示すために立候補させるというのが共産党の基本だった。今回は選挙区を全部降ろすというのである。その戦術転換の動機は何なのか。それは政界再編の大きな流れを見ているからではないのか。 民進党が政権政党並みに大きくなり、かつての民主党政権並みになると、かじることが困難になる。民進党は選挙区に2万~9万人の隠れ共産党員の票があると思うと、共産党と喧嘩したり、ことさら対立しなくなるのではないか。自民党議員が3万人の創価学会票に支えられているのと同じだ。 他党や組合の支持は、個人票が少ない候補者ほど影響を与える。 かつて民主党は連合の力を恐れて盾つかない結果、連合に牛耳られることになった。自民党と公明党はまったく思想の違う政党で、とくに国防問題をめぐる対立は絶えない。公明党の反論は、その路線では「婦人部がもたない」というのが常だ。婦人部は公明路線を左右するほど大きな勢力をもっているが、国防を考えるにあたって議論の中心は「恐ろしい」とか「周辺国はどう思うか」といった思惑でしかない。 自民党のなかにも公明党と付き合って「防衛は大丈夫か」という声が多いが、公明批判はタブーなのである。 民共連立路線は、共産党の側に損をする部分は何もない。自公政権の支持率はそこそこ高いから、残りを民共で分け取りするかたちになるはずだ。通常、政党が合併するとロケットのような発射熱を発するものだが、民進党は珍しく冷めている。橋下徹と民進党保守派の合体論橋下徹と民進党保守派の合体論 民進党が再起して政権を獲るにふさわしい政党になるきっかけは次の参院選だろう。自民党の議席が伸びて、民共の側がどのような配分になるかが、将来判断のポイントだ。共産党が議席を増やすか、得票数が目標の850万票に達すれば、志位戦術は大成功となる。 この場合、民進党は現有議席を守った程度では大敗。55年体制を清算する決心で党を変革しなければ、社民党、民主党の轍を踏むだろう。連合こそ社会党、社民党を食い潰し、民主党をかじってきた元凶だと見定めるべきだ。 民共共闘のキャッチフレーズは「新安保法の廃止」だが、共産党の自衛隊観は「自衛隊は違憲だが自衛戦争はする」という。こんないい加減な政党があるか。自衛隊と憲法について悩んだことはまったくないのだ。一方の民進党は民主党時代から安保政策に悩み抜き、党内で大喧嘩もやってきた。こういう場合、悩みがなく、教養のない側が強い。社会主義インターが民社党はOKだが、社会党はダメと峻拒してきた理由も、共産党と結ぶ社会党は共産陣営に属すると分類、断定してきたからだ。 岡田代表は民共共存を続けても共産は政権党にはなれず、いずれは共産は民進の肥やしになると思っているのだろう。これに対して保守派は、共産と縁を切ったほうがまとまりのよい政党になり、いずれ政権を展望することになると一段、先を見ているようだ。民進党の岡田克也代表 国民の政治常識のなかから共産党無害論は出てこない。国際共産主義の歴史があり、社会の基本である自衛隊の格付けが不明だからだ。憲法改正時、全き非武装論を説く吉田茂首相に対して野坂参三氏(共産党議長)は「国防軍のない国家などありえない」と食い下がった。これが政治の常識であって、現実には自衛隊をもつに至った。共産党は「違憲の自衛隊」と片付けて、一方で新安保関連法廃止で野党を結集しようという。オリーブの木並みに政権を獲得し、新安保法を廃止したあと、さて「われわれは何をやるのか」と相談するのは、さながら“革命”の手法だ。オリーブの木に参画した政党は皆、それぞれの政策を掲げ、新政権は共通の政策から実行に着手した。 共産党に担がれた民進党が政権党に成長するとはとうてい考えられない。かといって、この民共路線で民進党が衆参両院の選挙区で共産党から229万の票をもらうのが常習となれば、当選第一主義に陥るだろう。かつての社共共闘はいつの間にか共産党のみが生き残った。 民共共闘が定着すれば民進党の消滅ということになるのは必至だ。当初、岡田代表は疑うことなく共産党の支持申し入れを喜んでいた。党内の反発に驚いていた風情だが、岡田氏には共産党恐怖症がないようだ。 一般国民は55年体制時代の社共対立がどうなったか、民共体制が55年体制の再来だと悟っているだろう。かといって自民党がさらに太る余地はない。自民党ではない保守党、違った保守党を待望するだろう。橋下徹氏(前大阪市長)が起こした「維新」がブームとなったのは、維新を新しい保守と見たからだ。この待望論はまったく消滅していない。安倍晋三氏の総裁任期が終わるころには、橋下待望論が噴き出してくるのではないか。そのときは民進党の保守派との合体論が飛び出してくるはずだ。 ややま・たろう 1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、解説委員兼編集委員を歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社。2001年に正論大賞を受賞。最新刊に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)がある。関連記事■ 「お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」田中角栄の増長と妄想■ 財務省を「成敗」した安倍総理■ 今増税すると、アベノミクスが否定されてしまう

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    左派政党に値しない民進党と共産党 雇用政策を軽視した「ド素人」

    ず、金融政策について、民進党や共産党は雇用政策の基本であることを理解していない。金融政策を活用しない政党が先進国に存在するだろうか。世界標準から見れば、まともな金融政策を行わない民進党や共産党は明らかに雇用無視であり、左派政党に値しない。 金融政策はマクロ政策の基本であり、それを駆使して雇用を確保する。その上に、適切な財政政策でGDPを増加させる。最後に、各種のミクロ政策をのせて、成長を達成する。世界の左派政党は、そうしたマクロ経済を良好にした上で、成長の分配面に重点を置き、格差を縮小させることを目的とする。 民進党や共産党の場合、いの一番の金融政策がないため、最終的な格差是正も、雇用の確保がなされない状態での話でしかない。 金融政策は本来雇用政策なので、欧州では社民党や共産党のような左派政党が言い出すものだ。アメリカでも労働経済学の大家であるイエレンがFRB議長になって、雇用重視を実践している。民進党も共産党も、こうした海外の左派政党をもっと勉強すべきである。FRBのイエレン議長(AP) かつて、民進党の枝野幸男幹事長はテレビ番組で、金利を上げた(金融引き締め)ほうが経済成長すると言っていた。同じ番組に出演していた筆者は間違った政策をテレビで公言するのは左派政党としてまずいと、とっさに思ったので、テレビで間違いを言うのはやめたほうがいいと枝野氏に苦言を呈したものだ。ところが、枝野氏は改めるどころか、今でも同じ発言を繰り返している。これでは、民主党政権時代に、雇用が伸びなかったことは当然である。一方、安倍政権になって金融緩和したので、雇用は民主党時代と比較にならないほど改善した。展望なき民進党と共産党の共闘 こうした話をすると、民進党や共産党から、かならず雇用者数は伸びたが賃金が伸びていないという。これを聞くと、筆者はやっぱりわかっていない、この人たちに政権運営は無理と思ってしまう。 経済政策として何より重要なのは、雇用者数の上昇、失業率の低下である。失業率は低ければ低いほどよく、ゼロが理想であるが、実際にはゼロにならない。どうしても、雇用のミスマッチなどで、これ以上下げることができないという失業率が存在する。これを構造失業率という。失業率をこれ以上下がらない構造失業率まで低下させると、今度は賃金が上がってくる。この順番が重要で、構造失業率まで低下させないと失業を解消できないのだ。金融緩和を否定した民主党政権時代は、実際の失業率は構造失業率よりはるかに高かった。安倍政権では、現在失業率が3.2%と構造失業率と思われる2.7%の一歩手前まで低下しており、アベノミクスのさらなる推進が経済政策として正しい。 失業率が下がれば、自殺率や犯罪率が低下することが知られている。さらに、生活保護の受給率も下がる。話題のブラック企業も求人が大変になって、自ずと淘汰されるだろう。いずれにしても、雇用者数、失業率は最も重要な経済指標の一つだ。握手する岡田克也代表(右)と共産党の志位和夫委員長(左)=3月29日、国会 過去のデータからみれば、失業率を1%低下させることができると、自殺者を3000人程度少なくできる。実際に安倍政権になってから、自殺者は予想通り減少している。これは、民進党や共産党の経済政策ではなしえなかったことである。 民進党と共産党の共闘は、安全保障でも経済でも安保法廃止後の展望がない。安全保障分野では、両者の意見は違うので、何もできないという状態になる。その隙に、中国が日本領海に進出し、日本の国益が損なわれるだろう。 経済分野で、両党は意見が一致しており、世界の左派政党の標準である金融政策を否定する。その結果、雇用が確保できずに失業率も上昇し、結果として自殺率や強盗の発生率が上昇するだろう。さらに、ブラック企業が再び跋扈するようになるだろう。自らの経済政策により左派政党の金看板である雇用の破壊につながるのは、なんとも皮肉な将来である。

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    政策違う自公連立与党 民進党の野党連合を批判する資格なし!

    いるわけであるが、それについてはどう説明するのだろうか?まさにブーメランである。(日本ではどうも二大政党が理想という根拠なき考え方が一人歩きしているために、連立政権というのが理解されにくいのかもしれない。そういえば、自民、社会、さきがけによる連立政権の際に、「野合」だとの批判が聞かれたが、そうした現象に象徴されよう。) これに関連して、与党側は、野党連合が議席を伸ばしたとして、自公政権に替わって政権を担えるのか?という批判も繰り返し行っている。その点だけを取れば、まだ機が熟していないという答えになるが、そもそも今回は参議院議員選挙であり、政権交替を直接的にかけた選挙ではない。衆議院では自民・公明の与党が3分の2を占めており、参議院の半数改選で野党連合が大勝したとして、この状態でどうやって政権交替をするというのだろう?ご自分のことを「立法府の長」と言って憚らなかった安倍総理は、当然その程度のことはご存知だと思うが・・・国民が懸念する憲法改正は明確な争点 さて、今回の選挙でアベノミクスを前に進めるか、後に戻るかの選挙であるかのように与党側は主張してきている。(この言い方、物事を単純化するのが大好きな西の方の方々がどこかの選挙で使ったものにそっくりである。確かその時は、こうした主張に対して、自民党はノーを突きつけて闘っていたような気がするが・・・) 消費税率の引上げも先延ばしにしたし、その是非も含めてという点ではいいのかもしれないが、今回の選挙の結果、自公で参議院の3分の2を獲得した場合に対する懸念が多いことは各新聞等の世論調査で明らかになっている。3分の2を獲得した場合の懸念、それはとりもなおさず憲法改正の発議が可能になることについての懸念である。 野党連合はそうした国民の懸念を受けて、憲法改正について考え方如何を選挙戦において与党側に問うているのであるが、与党側は「それは争点ではない」と逃げている。公明党の山口代表は、ある街頭演説で「無理矢理争点」と形容していたが、無理矢理に争点にしているわけではなく、有権者の懸念事項、関心事項だから争点にしているのであって、誰も関心がないことを「無理矢理」争点にしているわけではない。 また、与党側は「議論が深まっていない」と言う。それはそのとおりである。しかし、議論が深まっていないということと、憲法改正に対する態度や考え方を争点にして有権者に判断してもらうというのは、別の話である。否、深まっていないから国民に考えてもらおうというのが、改憲勢力であっても当然であると思うが、それすらさせないというのは、憲法改正について考えさせずに、自分達に都合がいいものを国民の手の届かないところで作って、押し付けようという考えなのではないかと非難されても仕方あるまい。 経済政策については、これが争点であることについては与野党双方で異論はないようだ。ただし、それについてのアプローチが全く異なる。与党側はアベノミクスが成功し上手くいっていることを前提にそれを進めようという主張をする。一方、野党側はアベノミクスの失敗を指摘し、これをやめるべきと主張する。  与党側は雇用が改善したことを数値データで挙げ、野党側は成長の鈍化や国民の実感を数値データで挙げる。どちらも数値データという明確な根拠を持ってきての議論だが、双方とも別々の事項についてのデータを持ってきている。要するに双方とも自分達の主張に都合がいいものを持ってきているということなのだろうが、何を持ってこようとも本年1−3月期のGDP統計は、前年同期比で見ればほとんどの項目でマイナスである。問われているのは安全保障観 また、昨日8日に発表された厚生労働省の毎月勤労統計調査では、前年同月比の現金給与総額は0.2%の減少している。7月1日に発表された総務省の家計調査の5月分の速報値でも、消費支出は前月比、前年同月比とも減少している。その他、まだまだ統計データはあるが、こうしたものを見ただけでもアベノミクスの失敗は明らかである。したがって、アベノミクスを進めるなどというのは失敗に失敗という屋上屋を重ねるというのと同じであり、これにどう対処するのかが争点のはずである。日経平均株価を示すモニター=東京・東新橋 これについて与党側はアベノミクスは上手くいっていると根拠の乏しい「そうだろう」を繰り返すだけで、具体的な対処方法の案を何ら示していない。一方の野党側は民進党や共産党はそれぞれ案を示している。(ここではいちいち書かないので、選挙ビラ等で確認して欲しい。)与党が大好きな「対案」を示していないのはどちらなのか、火を見るより明らかであろう。 野党連合、元々は平和安全法制、野党側の言う所の戦争法制の廃止を目指す共闘から始まったもの。したがってこの点は重要な争点であるということができる。与党側は日本の平和と安全を守るためには、平和安全法制は絶対必要であり、それがあるから日米同盟が完全なものとなるといったご託宣を述べている。 この偏屈なユートピアンなある種の楽観主義がいかに誤ったものであるかについては、以前、拙稿「安保法制施行を受けて日本の安全保障について改めて考えてみるー政府法制では茹でガエルになります」で述べたとおりであるので、ここでは詳細には書かないが、国防・安全保障という争点に関して問われているのは、根本的な安全保障観である。  その点で、与党(といってもしっかりとした認識をお持ちの議員諸氏はもちろんおられるが)も誤りがあるが、野党側にもおかしな点がある。正しい認識を持っている候補は誰なのか、少なくとも正しい方向に向かうことを考えて主張しているのは誰なのか、よく見極める必要があろう。((公式ブログ「政治・政策を考えるヒント!」より2016年7月9日分を転載))

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    「野党統一候補」戦術 前回衆院選なら自民党は53議席減

    合作で共産党が候補者を降ろしたことが、逆に共産党の支持を伸ばしていると指摘する。 「今や庶民・弱者の政党といえるのは共産党くらい。また、共産党は党員の高齢化が言われていたが、インターネットにチャレンジして若年層にも支持を広げている。そして他流試合、他の野党と選挙協力をするなど現実政党に脱皮をはかった。この3つが支持を伸ばしている理由でしょう」 参院選の野党統一候補の応援で東北の選挙区に入っている共産党の運動員も、「これまでは共産党のチラシをなかなか受け取ってもらえなかったが、今回は共産党のノボリを立ててビラを配っているのに、いつもと違って有権者がみんな受け取ってくれる」と手応えを感じている。 安倍首相は自民党政権を脅かす真の敵が「最強の選挙マシン」の共産党だとわかっているから、共産党批判で民主党を離反させ、なんとか「民共合作」を崩そうとしているのだ。関連記事■ 民進党と共産党の選挙協力で衆参W選に自民党の勝算立たず■ 大健闘の共産党 参院選比例代表目標上回る900万票も■ 次期総選挙 無党派票が自民党批判に動き野党の乱立も解消か■ 共産党変身の仕掛け人? 小沢一郎氏が野党共闘のキーマンに■ 自民党に疑問抱く有権者 他の野党なら共産党に投票の心境も

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    日本を丸腰にするのか 共産党の綱領は「実現」程遠いものばかり

    筆坂秀世(政治評論家、元共産党政策委員長) 共産党という党名の政党だから、「共産党は社会主義、共産主義の社会を目指す政党だ」と思われている。だが、同党の綱領をいくら読み込んでも、日本が社会主義、共産主義になればどんな国になるのか、まったく見えてこない。綱領には、次のように書かれている。 《発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である》 「前進をめざす取り組み」が今世紀の課題なのだから、今世紀中には、社会主義にはならないということだ。「安心してください。穿いてますから」というお笑い芸人がいるが、「安心してください。社会主義日本は、100年以上先のことですから」ということだ。 さらに、次のように言う。 《社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である》《生産手段の社会化は、その所有・管理・運営が、情勢と条件に応じて多様な形態をとりうるものであり、日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要である》共産党の志位和夫委員長 生産手段の社会化が大事らしいが、それはどういうものかこれから探究するというのだ。要するに、社会主義、共産主義の未来など、まったく描くことができないのが共産党の現状なのである。その前の「民主連合政府」はどうか。この政府は、「二つの敵の支配を倒す」というのが大目標になっている。「二つの敵」とは、アメリカ帝国主義と日本独占資本主義のことである。安全保障では、真っ先に日米安保条約を廃棄し、さらに自衛隊を国民合意で解消するという方針だ。そんな国民合意ができるとは思わないが、もしできれば“丸腰の日本”にするということだ。 憲法については、《現行憲法の全条項をまもり》としており、天皇制もそのままということだ。その先については、《その存廃は、国民の総意によって》と国民の判断に丸投げしている。天皇制廃止への反対が多いから、とりあえず逃げているのだ。二つの敵のもう1つ、大企業に対しては《民主的規制》を行うという。 「民主的」とは何なのか。いまだって民主的に決められた法律に基づく規制は多くある。実は重点は、「民主的」にあるのではなく、「規制」にあるのだ。いまよりも多くの「規制」を作るということなのだ。果たして、これで経済の活力は維持できるのか。所詮、政権に就いたことのない野党であり、きれいごとは言うが、実現可能性は疑わしいものばかりなのだ。(筆坂秀世 夕刊フジ 2016.6.19)

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    高須院長が参院選占う「野党は共産党に吸収された方がマシ」

     高須クリニックの高須克弥院長が世の中の様々な話題に提言するシリーズ企画「かっちゃんに訊け!!」。今回は7月の参院選に向け、現在の政局について語っていただきました。* * *──今回は7月の参院選に向けて、政局についてお話をうかがいたいと思います。まず、流れとしては、今年3月に民主党かと維新の党が合流し、民進党となりました。高須:民進党ねえ…。まあ、普通に考えたら、大惨敗しちゃうんじゃない?──大惨敗…ですか。高須:やっぱり、岡田代表の人相がちょっとねえ。どんどん悪くなってきちゃってて、正直言って勝てる顔をしてないもん(笑い)。──もはや政策うんぬんよりも、ルックスの問題ってことですね。高須:政治家もなんだかんだで人気商売だからね。人に好かれる顔をしていないとダメ。今の岡田さんは全然笑顔もないし、ずっと厳しい顔をしているし、人前に出て何かを訴えかける顔はしてないよ。もうね、民進党の代表は明るい顔だったら誰でもいいんじゃないかと思うね。高須クリニックの高須克弥院長──たしかに、岡田さんはちょっと暗いイメージですよね。高須:街頭演説なんかで民進党の幹部クラスが集まってる映像を見ると、みんな怖いよね。なんか、ゾンビの集まりみたい(笑い)。──あんまり生気が感じられないという雰囲気でしょうか…。高須:少なくとも元気で明るい人々っていう感じではないからね…。そういえば、民進党になるちょっと前に、小沢(一郎)さんも合流するなんていう話もあったけど、結局流れちゃったね。まあ、民進党の内部では小沢さんが来なくてよかったっていう人も多そうだな。──小沢さんの豪腕に持って行かれちゃう、というか…。高須:そうだね。でも、悲しいかな小沢さんも今となっては負け犬のイメージが付いちゃってるんだよな。本当ならもっと政局に大きな影響を与える存在になっていたはずなんだけどねえ。民進党のなかにいたら、ちょっとは違ったのかもしれないけど。──そういう意味では、与党が圧倒的に強い現在の状況はなかなか崩れないという感じでしょうか。高須:少なくとも今の岡田代表の民進党じゃ、安倍政権を揺るがすことはできないと思う。可能性は低いけど、たとえば小泉進次郎を引っ張ってきて、民進党のトップに据えることができたら状況は一気に変わるかもしれないよ。それくらい大きな変化がないと政局は動かないだろうね。「反自民」スタンスでは絶対に勝てない──そう考えると民進党は本当に厳しい状況ですね。高須:トップの人事次第なんだけどねえ。不倫騒動がなかったら、乙武(洋匡)さんなんかもよかったと思うよ。まあでも、乙武さんは自民党から出馬する予定だったんだっけ?──そうですね。高須:ということは、民進党よりも自民党のほうが先手を打っていたってことだよ。「誰でもいいから名前が売れてる人を選挙に出せ!」ってことだから。だってさあ、安倍さんは、民進党の松野(頼久)さんの娘(松野未佳さん)に出馬要請したんでしょ? しかもリップサービスじゃなくて、結構本気だったっていうんだからスゴイよね。安倍さんは攻めてる。7月の参院選も与党圧勝で、民進党は議席を減らすんじゃないかな。──民進党と共産党との選挙協力についてはどう思いますか?高須:どの程度になるかわからないけど、イマイチだろうね。それだったら、民進党と共産党が合流しちゃって、名前も「共産党」で貫き通したほうがマシだと思う。共産党だったら固定票もあるし、政策も一貫しているからね。 今の民進党が支持されないのは「反自民」っていうスタンスだからなんだと思う。「自民党に入れたくないから、仕方なしに民進党に入れよう」っていう票ばっかりなんだから、絶対に勝てない。それならわかりやすく「共産党」にしちゃったほうがマシなんじゃないかな? 消極的な「反自民票」よりも、積極的な「共産支持票」みたいな。「自民 vs 共産」の構図であれば、共産党に入れようという国民も意外と多いかもよ。 やっぱりねえ、民進党は自民党の落ちこぼれみたいな感じになってるからダメなんだよ。自民党の2軍というか。チャンスがあれば自民党に返り咲きたいと思ってる民進党の議員も少なくないと思う。それじゃあ支持されないよ。だったら、共産党が野党を吸収して、「自民 vs 共産」で一騎打ちしたほうがいい勝負になると思うね。──結局、衆参ダブル選挙の可能性は、ほぼなくなりましね。高須:僕個人としては、衆参ダブル選挙に踏み切っちゃってよかったと思うけどね。だって、消費増税の延期は、前回の衆院選の公約とは異なることなんだから。そこは筋が通っていると思う。議席を失うリスクもあるけど、むしろダブル選挙のほうが、自民党にとってはメリットがあったと思うよ。そっちのほうが、議席が増えただろうね。* * * 7月の参院選について、自民圧勝・民進惨敗と予想した高須院長。2020年の東京五輪まで続けたいという安倍首相だが、その基盤はどんどん固くなってきそうだ。【プロフィール】高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。昭和大学医学部形成外科学客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。高須クリニック院長。人脈は芸能界、財界、政界と多岐にわたり幅広い。金色有功章、紺綬褒章を受章。『ブスの壁』(新潮社、西原理恵子との共著)、『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)など。

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    民進党が抱える「集団的病理」を象徴する岡田代表の無理筋な政府批判

    木走正水 民進党であります。民進党の岡田克也代表は2日、バングラデシュの人質立てこもり事件に関して、菅義偉官房長官が官邸を離れて参院選の応援のため新潟県内で遊説したことに関し、「(安倍晋三)内閣の危機管理に対する正常な感覚が失われているということがはっきり出た」と批判いたしました。兵庫県尼崎市で街頭演説する民進党の岡田代表=7月2日午後 岡田氏は、首相と官房長官2人ともが選挙応援のため官邸にいないというのがこの選挙戦でしばしばあった点(今回は2人ともいた)、今回官房長官が、邦人が巻き込まれた事件が発生したにも関わらず、新潟に選挙応援に出かけた点、そして現地で治安部隊の強行突入が起きても東京に戻らず「のんきに新潟で街頭演説を2回やって」(岡田氏)いた点を、「内閣の危機管理に対する正常な感覚が失われている」重大な問題だと批判いたします。報道より岡田氏の当該部分発言を抜粋。 「今回のことは(日本政府に)致命的なミスが2つあったと思う。何もないときに、危機管理として基本的には首相か官房長官が官邸周りにいるのが今までの慣例だ。それを2人ともいないというのが、この選挙戦で当たり前になっている。もし何か起きたときに、いったいどうやって対応したのかという問題がある。今回、結果的には2人ともおられたのでよかったが、やっぱり2人とも官邸を空けることはまずいことがはっきりしたと思う」 「もう一つは、現実に事件が発生した。官房長官が、邦人が巻き込まれた可能性を記者会見でも言った後、新潟に出かけられたという信じられないことが起きた。事件が起きる前なら、どちらかが残っていればいいということかもしれないが、すでに事件が起きているときに、安全保障をつかさどる要である官房長官が選挙の応援で官邸を外してしまったということだ」 「そして途中で(治安部隊が現場に)突入するということがあったにもかかわらず、官邸に戻ってこなかった。途中で国家安全保障会議(NSC)もあったのに、それも欠席。それから途中で下車して戻ってくることが可能であったにもかかわらず、それをせずにのんきに新潟で街頭演説を2回やって、(午後)6時過ぎか何かに戻ってくるという話だ。すでに事件が起こっていても戻ろうとすらしない官房長官というのは、私はちょっと信じられないんですね」 「ここは本当に大きな問題だ。内閣の危機管理に対する正常な感覚が失われているということがはっきり出てきたと思う。邦人の命がどうなっているか分からない事態であるにもかかわらず、官房長官が官邸を空けて街頭演説をやっている。これは極めて重大な問題だ。官房長官がどういうふうに釈明するか分からないが、きちっと責任をとるべきだと私は思う」民進・岡田克也代表、さっそく政府対応を批判 「致命的なミスが2つあった」 当ブログは、邦人7人が犠牲になった痛ましいテロ事件の発生を受けての、野党第一党代表のこの発言は、何重もの意味において、実に残念な発言であると考えるものであります。 本件のような痛ましいテロ事件を、ときの政権批判に即結び付けるその政治的“悪手”ぶり、そしてその悪手に飛びつくことの政治的リスクを全く考慮していない党代表と党幹部連たち、さらにいえばその愚行に対し組織として無批判にスルーする「民進党」が抱える集団的“病理”を、実にシンボリック・象徴的に具現してしまったわけです。あのタイミングで何ができたのか まず今回のバングラデシュで発生したテロ事件において、日本政府がこのタイミングで取れる対応は実に限られていたわけです、安倍首相がバングラデシュのハシナ首相と電話会談し「人命最優先で対応を」と要請いたしましたが、他に具体的なすべは何もなかったことでしょう。 これは別に日本政府だけではない、今回犠牲者を出した国ではイタリア人9人、米国人、インド人も犠牲になられたわけですが、このようなソフトターゲットを狙った海外で起こった突発的なテロ事件に対しては、情報収集以外はどの国も事実上打つ手はなかったわけです。 一歩譲って、岡田氏が指摘する官房長官官邸不在が政府の危機管理上テクニカルな問題があったとしましょう。しかしそれは、情報収集上あるいは日本政府の対応上いかなる支障があったのか、どのような問題が発生しうる可能性があったのか、事実に基づいた冷静な問題分析を踏まえた上で、今後のこの国の危機管理体制の強化を図るべきなのであり、この局面で政治的に利用し「きちっと責任をとるべき」などと官房長官の個人攻撃に向かうのは、あまりに非建設的であり、表層的な批判がための批判であると思わざるを得ません。 日本政府の対応がいかようであろうとも、この邦人を巻き込んだ悲劇は発生したのであり、官房長官が官邸にいようといなかろうと、この最悪の結果に影響を与えることは残念ながらなかったわけなのです。 その意味で岡田代表の本件に関する政権批判は、実に筋の悪い政治的“悪手”だと思われます。そしてこの民進党の無理筋の政権批判が国民・有権者にどう映るのか、どのような心象を与えてしまうのか、理解が及んでいないことがより残念なことなのであります。  民進党は、本件のような痛ましいテロ事件までを、ときの政権批判に政治利用している 国難に際しても自らの具体的プランを建設的に提示するのでもなく、ただただ他者の批判をすることで自己満足している集団・・・ 一般有権者の心に民進党はこのように映っているのかもしれません。揚げ足取りのように細かいことで根拠も薄弱なのに他者を執拗に批判する者。これは、自分に自信がない人が、自らの自尊心を維持するために、他に術がなくターゲットに対して悪口を言う場合がほとんどです。つまり、ターゲットの悪口を広めることにより、相対的に相手の価値を下げようとします。これは、ある意味、汚れた部分の人の本能です。多かれ少なかれ、民進党だけでなく誰もがもっている劣等感がなせる悪しき「行動」であります。 選挙で選ばれたすぐれた人たち、つまり「選良」であるはずの民進党の議員諸氏がなぜこのような常識的判断を有していないのでしょう。民進党が批判する自公政権に対してよりも、無理筋で批判を繰り返す民進党に対してにこそ、国民の不信の目が向けられることに、なぜ気がつかないのでしょう。 今回の岡田発言の意味するところは、発言内容もたいへん残念なものですが、それ以上に、本件のような痛ましいテロ事件を、ときの政権批判に即結び付けるその政治的”悪手”ぶり、そしてその悪手に飛びつくことの政治的リスクを全く考慮していない党代表と党幹部連たち、さらにいえばその愚行に対し組織として無批判にスルーする「民進党」が抱える集団的”病理”を、実にシンボリック・象徴的に具現してしまった点にこそあると思えます。 このような集団が野党第一党であること自体が、この国の国民にとって誠に残念なことだと、当ブログは憂えるものであります。(ブログ「木走日記」より2016年7月3日分を転載)

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    民主党は、党名を変える前にやることがある

    維新との合併に党名変更…。何をやってもだめな民主党。あ、民進党でしたね。今後も与党の揚げ足取りしか戦略は無いようですが、生まれ変わるための簡単な方法を教えます。

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    民主出戻り維新議員が4年前に語った離党時の宣言をどうぞ

    9月、民主党から離党したのが現在の維新の党代表・松野頼久氏だ。当時、こんなタンカを切っている。「既成政党に限界を感じた」(2012年9月11日、離党届提出直後、記者団に)両院議員懇談会で小野次郎総務会長(左)と言葉を交わす松野頼久代表=2015年10月15日、衆院第1議員会館(酒巻俊介撮影)「(民主党が)国民の期待に応えられていないのは明らか。絶対に上げないと言っていた消費増税をやった」(同12日、地元での会見) そう大見得を切った松野氏は橋下徹・大阪市長(当時)の下で結党した日本維新の会に合流したが、昨年11月に橋下氏系の「おおさか維新の会」と松野氏が代表を務める「維新の党」に分裂。それで今度は民主党と“合流”と言っているが、なんのことはないただの「出戻り」である。 民主と維新は新党名と綱領を協議中だが、政党支持率は合流発表後も両党合わせて8%(日経)と低迷。有権者はその軽薄さを見透かしているのだ。 松野氏だけではない。維新の衆院議員21人の半数にあたる10人が元民主党。今井雅人・幹事長(比例・東海)は2012年に離党した際、こうブログに書いている。「(民主党は)あまりに幅が広すぎる。(中略)党に統一した意見がなく、護憲派、改憲派がそれぞれ勝手に持論を展開しています。(中略)これが本質的な問題」(2012年10月5日) ごもっともである。が、その「本質的な問題」は全く解決されていない。今井氏は同ブログで自身を改憲派としているのに対し、民主党の岡田克也・代表は安倍政権下での改憲論議に応じない姿勢だ。これでは説明がつかないだろう。 石関貴史・国対委員長(比例・北関東)も「離党宣言」は語気が荒かった。「民主党政権は行政改革になんら手を付けることなく官僚主導の消費増税にのめり込んで(中略)再生困難なまでに変節、変質してしまいました」(2012年9月11日) そんな党に戻る行為こそ、有権者にとっては理解困難、というか理解不能である。関連記事■ 松野頼久氏唱える野党再編 民主戻れば維新支持者への裏切り■ 永田町裏流行語 民主党「冷蔵庫の氷」や松野代表「香水党首」■ 民主造反組 地方政党と反増税、脱原発連合で民自公に対抗か■ 選挙資金もらい不出馬で退職金にする民主議員いると民主秘書■ 原口一博氏 “日本維新の会”ステッカー大量作成も目算狂う

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    野党結集の行く末を考える 拙速な民主・維新の合流は何をもたらすか

    代可能な政治を実現すること、そのために理念と政策の一致を前提に野党が結集するというもの。そして、他の政党・会派等に対して幅広く結集を呼びかけるとしている。 民主党と維新の党は、合流を前提に今国会より統一会派を組み、連携して活動してきているから、それを一歩前進させるということなのだが、もともと維新の党は「第三極」を標榜してきた人々の集まりであり、その主張・政策は、全てではないものの自民党でも民主党でもないものを中心に形成されてきた。 例えば、公務員給与の引上げについては、官公労連を支持母体の一つにしている民主党は賛成だが、身を切る改革を掲げてきている維新の党は反対。しかし、統一会派結成後は、維新の党も賛成に回った。身を切る改革と言えば、前回の衆院選でポスターや政策集マニフェストに党のスローガンとして記載していたものである。それを統一会派、そしてその先にある合流・新党結成を優先して引っ込めてしまった。 これは一つの例に過ぎないが、維新の党については、合流・新党となれば自らの主要な主張を曲げてしまうことにもなりかねない。「身を切る改革」をはじめとして、独自の政策を重視して維新の党に投票した有権者もいたわけであるし、自民党でも民主党でもない第三極だから投票した有権者もいたわけである。そうした有権者にどう説明するのであろうか?(そうなると、与党側からの「野合」との批判も腑に落ちてしまう可能性も大であろう) 「理念と政策の一致を前提とした野党の結集」ということであれば、新党結成を急がず、最大公約数で共通政策を作り、先ずは国会活動での連携、選挙協力ということで、新党結成はそうした実績を踏まえた上でということでよかったのではないかと思えてならない(西欧諸国の政治状況を見れば一目瞭然でそれが常態なのだが)。 さて、視点を変えて、民主・維新の合流、数の上から言えば民主の方が多いので、維新の党は事実上民主党に飲み込まれることになるだろう。今回の合流話を主導した維新の現執行部は民主党に近い議員ばかり。維新の党、特に、旧結いの党系の議員達、野党結集のためとは言え、溜まった鬱憤たるや少なくはないだろう。それが新党結成、新党としての活動と進めば進むほど溜まっていき、いつ噴き出してくるか。なんといっても旧結い系には、日本維新の会との合流時、日本維新側に、数を頼みに多くの部分で押し切られた苦い経験がある(党名では特にそうだ)。 また、民主系主導の新党、そもそも民主党の中がまとまっていないところに、また異なる勢力が入ってくる。安倍政権という共通の敵がいるうちはいいが、鎹が内にではなく外にあるのでは、まとまりに欠けるというより、組織として、団体としては脆弱過ぎると考えざるを得ないだろう。岩手県知事選に向けた記者会見を終え、手を合わせる(左から)生活の党の小沢共同代表、維新の党の松野代表、現職の達増拓也氏、民主党の岡田代表、共産党の志位委員長、社民党の吉田党首=2015年8月19日、盛岡市 こうした状況にも関わらず、民主系主導の新党が数を頼みに自分たちが優越的位置にいると思い込んで、他の野党に対して「上から目線」で野党結集を進めようとすれば、野党結集は躓くだろうし、かえって反対勢力を形成させることになりかねない。そうなれば、与党に対して漁夫の利を与えるだけである。 そうしたことの結果、一番懸念されるのが、政治的無関心の蔓延である。与党も不祥事や不規則発言続き、アベノミクスの失敗が明らかとなり、向こう数カ月の我が国経済はどうなっていくのか不透明。一方の野党も国民の生活やその向上のための政策よりも党利党略に明け暮れていると有権者の目に映れば、政治に期待してもダメだ、与党もダメだが野党にも期待できない、ということになってしまうのではないか。 可能性の話として勝手には書いているが、あながちありえない話ではあるまい。野党の結集がそんな結末をもたらすなど、あってはならない(対する自民党も、「野合」以外の批判もすべきであろう)。(公式ブログ「政治・政策を考えるヒント!」より2016年2月27日分を転載)

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    新・民主党は最後のチャンスであることを心に留めておいた方がいい

    自民一強体制の政治は、私もあまり歓迎できないところなのは事実だ。そこで本気になって民主党から変わる新政党の主軸を考えてみた。これは…アメリカ政治をはじめとする多くの国が採用している「2大政党制」を参考にすればヒントとなる気がする。 まず自民党をしっかりと分析してみよう。かなり安定した政権運営が出来ているのは、しっかりとした「信念」があり、それが国民に伝わっていること。そしてそれらを実行する「実行力」があることだ。 国に対する理念は保守的と言える。「戦後レジームから脱却」に代表されるようにアメリカの占領統治下に植え付け得られた「日本バカじゃね?」「日本ダメダメじゃね?」という…(ウヨク的な言い方をすれば)「自虐史観」を否定する考え方だ。若者風に言えば「自分たちをディスるの、やめよ~ぜぇ」になる。ずいぶん言い方は違うが言ってることは一緒だ。 国の防衛も同じだ。「日本」としてまず独立しよう!が前提だ。なので、集団的自衛権など、現実的に必要となるであろう法案は通す。憲法も現実的でなさすぎるので改正をしようと動く。 経済政策で言えば、完全な「トリクルダウン政策」である。まず、富裕層を元気づける。株価も上げる。そして、その恩恵を労働者階級に普及させる。当然、格差は広がる。格差が広がっても悔しくて負けたくないなら汗をかけ、という価値観が根底にあるのがトリクルダウンだ。そうやって残酷であっても一部の能力のある連中が徹底的に国の経済を引っ張る。要はアメリカ型だ。新・民主が目指すべき経済政策は新・民主が目指すべきは「スウェーデン型」 と、なると民主党が新たな政党名に変更して新しい挑戦をしようというのであれば、必要なことはその対極となる理念と考え方の政党を掲げることになるだろう。 国に対しては極めてリベラル色を強くする。つまり、今まで日本人が持ってきた古臭い価値観は否定する。戦前の時代遅れな考え方を一蹴し、新しい価値観の国づくりを進める。安保法案などは断固反対。戦争に1ミリでも近づく可能性のあるものは絶対に受け入れない姿勢をしっかりと掲げる。 経済に対してもしっかりと労働者階級を支える政策を打ちだす。富裕層や大企業の大増税をしっかりと打ち出し、その分、低所得者層の税金などを緩和する政策を打ちだせばいいだろう。保険料なども値上げし、その代わり、しっかりとした保証が受けられる国作りをイメージさせる政党になるべきだ。一言でまとめると、自民党はアメリカ型。民主党から名前を変える新党はスウェーデン等の北欧型という特徴になるのだろう。そうすれば、論点が明確になる。私はスウェーデンやノルウェーなどの北欧型の国の形は日本人に全く適していないと考えているので支持はしないが、「保育園落ちた、日本死ね!」と叫んでいる人たちは支持するのではないか?税率55%くらいにすれば、保育園ごときすぐにでも整備できる。スウェーデンの国会議事堂「2度目」はない。これが最後のチャンスだ 大切なことは、覚悟をもってリスクもしっかりと説明することだと思う。様々な生活の保障には「お金」が必要である。そのお金をどこから持ってくるのか?当然、増税するしかないわけだ。もちろん、霞が関を全部ぶっ壊し、特別会計にまで手を付け大改革を出来る人間がいれば、あっという間に数十兆円くらいは出てくるのだが、そんなことを出来る政治家はまずいない。簡単だ。 官僚たちの方がおぼっちゃん政治家たちよりも300倍くらい頭がいいからだ。これは取材してれば誰でも知ってる話だ。官僚に答弁の作文を書いてもらっている政治家が、霞が関に対して「お前ら、明日から全員クビ」とは言えない。それだけの話。なので、よほど突然変異のような政治家が出てこない以上、そんなことは絶対に出来ない。…まぁ…一人いる気はするが…まぁいいや、その話は。 新しくなる民主党は「どんな日本を作りたいのか」しっかりと説明するべきだ。そして今の日本と比べるとどんなリスクがあるかもしっかりと説明すべきだ。そして、お互いのいいところ・悪いところを国民に精査してもらう。これが急務となるだろう。 逆に…次の出来る新しい党名の政党が「名前を変えただけのダメダメ政党だった場合」…現在民主党にいる数少ない心ある優秀な議員たちは、全員、腹を決めて民主党を後にした方がいいだろう。民主党に怒っている人たちはあまり認めたくないだろうが、現在の民主党にも素晴らしい議員さんたちはいる。彼らは日本の未来に絶対に必要な人達だ。だが、そんな体たらくな政党では次の選挙で勝てない。確実に勝てない。理由は単純だ。 2度目のダメージはでかいからだ。民主党は一度、国民を完全に裏切ってしまった。やるやる、と言っていたマニフェストをことごとく裏切った。あの子ども手当2万6000千円。本気で期待していた全国の子育て世代が激怒した。あの怒りと絶望は、まだ全然晴れてはいない。 日本は、1度目は許す可能性が高い。しかし「2度目はきつい」。新しく再出発する、ということでそれなりの注目もされるだろうが、ここで明確な姿を見せることが出来なかった場合、私はもう現在の民主党(今後新しい政党名になる政党)は恐らく存在していないと思う。そう。最後のチャンスなのだ。(長谷川豊公式ブログ「本気論 本音論」より2016年2月29日分を転載)

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    民維合併問題 政党合流の方式の例は?

    ています。メンツや政治資金的な側面、比例選出議員の扱いなどの理由が背後にあるようです。 そこで今回は政党の合流方式について吸収合併か解党しての新党結成かの2パターンを中心に背景や過去の事例などを参考にメリットやデメリットも含めて考えていきます。【写真】「国民連合政府」構想は「オリーブの木」になるのか?「会派」と「政党」 会派とは、国会内の構成単位です。たいてい政党とイコールですが、他党と1つの「会派」を結んでも構いません。原則として2人以上。大きくなると各委員会に所属できる議員数や質問時間などが多く取れる可能性が高まり、議案を発議する要件(衆議院20人以上、参議院10人以上。いずれも予算を伴わない法律案の場合)を満たせば議員立法も可能となります。 次に「政党」とは何でしょうか。志を同じくする者は誰でも政党を名乗れます。政治活動をしたければ総務大臣に政治団体設立を届け出て認められる必要があります。そうすれば寄付を募るといった活動ができます。いまのところ解党には慎重な民主党の岡田克也代表。来年の通常国会までに維新の党の統一会派を汲むことで合意している(Natsuki Sakai/アフロ) 国会議員の場合は、5人以上いるか、最も近い国政選挙で全国から2%以上の得票を得るかどうかが境目になります。このハードルをクリアすると国民1人あたり250円を負担している政党交付金が受け取れたり、衆議院選挙で小選挙区候補が比例区に重複立候補できるなど特典があります。吸収合併方式とは?吸収合併方式とは? 1996年、当時自民党と社会党とともに連立内閣に加わっていた新党さきがけの鳩山由紀夫氏と菅直人氏を中心に結成されたのが民主党でした。結党から15年間で目標を達成して解散すると標榜していました。 当時の最大野党は94年に作られた新進党。前年に自民党を飛び出した新生党に加えて民社党や日本新党、公明党の一部などが合同して誕生しました。天下分け目の96年総選挙で政権奪取を試みるも敗北。その後はゴタゴタ続きで97年、小沢一郎党首が分党を決めて旧党派別にバラバラとなりました。そのうちのいくつかと他の野党も含めて98年に合流したのが今に続く民主党です。あくまでも存続するのは民主党で、政党名も変えず、他党は解散して加わりました。「98年方式」とはこれです。 メリットとしては、仮に野党第1党である現在の民主党が国民の支持を与党に次いで受けているとすれば、存続したまま大きくなれる点です。デメリットの多くは吸収される側にあります。 2000年、国会法が改正されて比例選出の国会議員が他党へ移籍するのを原則禁止としました。新進党弱体化のため自民党が新進党比例選出議員などを引き入れて過半数を回復した事例がありました。衆議院の比例代表区は政党名を、参議院は政党名か候補者名を書きます。いずれも政党の得票とみなされてドント式という方法で議席が割り振られます。政党への支持で当選した者が他党に流れるのはおかしいという理由での改正でした。 例外的に認められるのは新党への参加か合併しかありません。ところが維新の党には旧みんなの党の比例候補であった5人の参議院議員がいます。みんなは解散しており、維新の党は新党なので合流できましたが、今度は既存政党への吸収ですから加われません。 また法律上は解散したら残余の政党交付金を国庫に返納しなければなりません。ただしこれには抜け道があるので後述します。 政党名は民主党のままでいいのかという点も議論になるでしょう。新党結成の場合は新党結成の場合は 民主党も含めてすべてがいったん解散して新党を作る方式です。最大のメリットは国会法の縛りなく希望する議員全員が加われるという点です。 デメリットは主に民主党側から聞こえてきます。まずはメンツの問題。現在の維新の党は「おおさか維新の会」と分裂してしまっていて所属国会議員は26人。対して民主党は129人。規模がこれほど違うのに対等に解散する必要はないとか、一度は政権まで担った「民主党」というネームバリューがいまだあると信じている者には耐えがたいという声です。2009年の政権交代後、民主党の幹事長に就任した小沢一郎氏と鳩山由紀夫首相(2009年9月15日)(ロイター/アフロ) 一方で、もはや「民主党」という名前自体がいわば“インケツ”で往事の輝きを取り戻すどころか衰退すると考える者にとっては、解散による新党結成の方が有権者の心に響くととらえているもようで党内も一枚岩ではありません。 解散となると民主党がため込んできた政党交付金約200億円をどうするのだ、という問題も出てくるでしょう。先ほど抜け穴があると記しました。政党交付金が支払われるようになった1995年以来、解散した政党のほとんどが国庫に返還していません。「基金」として積み立てたお金を所属議員個人の政治団体へ寄付の形で移して残金ゼロとし返還しなかったケースが多々あります。 しかし民主党の場合は金額がケタ違いに大きく、これを所属議員で山分けしたら「税金である交付金を何だと思っているのか」とのっけから批判の矢にさらされかねません。潔く返納できるかがカギになってきそうです。他の方式はあるのか? 吸収合併も、解党しての新党結成もしないで選挙を戦う方法はなくもありません。1つは野党統一候補を立てて主要政党が候補者調整をし、次の参議院選挙の勝敗を分ける32ある選挙区1人区(改選数1議席)で与党と一騎打ちする方法です。 1989年、当時の二大労働組合中央組織であった日本労働組合総評議会と全日本労働総同盟らが大同団結して日本労働組合総連合会(連合)を結成し、同年の参議院選挙に連合を支持母体とする政党「連合の会」から主に1人区に立候補させ主要野党が応援する形で10人が当選しました。そうしたやり方です。 もう1つは野党統一名簿を作る方法で政党「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表が提唱しています。党はそのままで比例代表(全国)の名簿を例えば「オリーブの木」という政党として届け出て主要野党が1つの名簿で勝負するというのです。イタリアに先例があります。野党再編の今後の展望は?野党再編の今後の展望は? 与党の自民・公明両党は多少ギクシャクしても、これまで通り選挙協力をしてくるはずです。現在のまま野党がバラバラでは、来年の参議院選挙で選挙区・比例代表のどちらも勝ち目がないのは明白。だから何らかの協力をしないとじり貧になり、共産党だけが躍進するという近年の傾向が反映されるだけでしょう。共産党の躍進も全体の議員数からみれば微々たるものですし。 野党側からすれば、「だから何かしなくてはいけない」という点で危機感は共有されているはずです。単なる候補者調整で勝ち目がないのも2014年総選挙で体験済み。団結してバラバラ感をぬぐい去って、野党の本気を有権者に示せるかどうかが重要です。 そのためには、やはり民主党がどう動くのかにかかってきます。途方もない反転攻勢の秘策でもない限り、単独で大勝ちする可能性は限りなく低いはず。今回の野党結集の機運は共産党が「国民連合政府」構想を打ち出したのが始まりでした。 自公選挙協力は主に選挙区で自民を応援する代わりに、比例では公明に力を貸せというバーターであるのに対して、「国民連合政府」構想は、衆議院の小選挙区ごとに約2万あるとされる共産票をくれてやるという気前のいい話です。民主党内からは「共産に乗れば保守層が逃げていってマイナスだ」「党の基本方針が違いすぎる」と敬遠する気配が濃厚ななか、一部には「もう十分に保守層は逃げてしまった」と投げやりな受け止め方もあります。共産の顔など見たくもないという拒否感が根強い半面で、では安倍首相の顔は見つづけてもいいのかというジレンマもあるようです。 現実的に共産との相乗りは難しいにしても、少なくとも民主が目に見える形で選挙態勢を組まなければ負けるのは必至です。端的にいえばエイヤッと解党して他の群小野党も飲み込んだ新党を結成し、かっこいい新党名を付けて政党交付金は潔く全額返納するぐらいやらないと有権者の判断を大きく変えさせるのは難しいでしょう。ばんどう・たろう 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】

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    国民は2度目は騙されない、だから民進党にも騙されない

    民主党と松野頼久・維新の党代表らが自ら国会議員として生き残るための思惑が一致したことだ。民主党という政党のもつ欠点は、今も筆者が『なぜか誰も書かなかった 民主党研究』(2005年、成甲書房)で指摘した“構造的”な問題に起因する。 当時の本に、民主党の議員を見ると岡田克也、小沢一郎、鳩山由紀夫といった自民党出身者と、横路孝弘、赤松広隆といった社会党出身者が混在している。かつての55年体制で争っていた「水と油」の違いほどある政党が一緒になったのだから、憲法や安全保障政策が今日までまとまらず、いつも「現在、検討・議論中」ということになるのは当たり前のことで、何ら不思議ではない。 そんな民主党でも、メディアは「二大政党時代の到来」ともてはやし、今でも政権交代が起きそうな雰囲気をかもし出す――と指摘した。 また、『民主党はなぜ、頼りないのか』(2007年、成甲書房)でも「民主党は、自民党の一部、旧社会党右派及び左派の一部、旧民社党、旧新党さきがけ、旧社民連、旧自由党など、様々な「具」が混じり合ってできた「ビビンバ政党」だ。そのため、イデオロギーの違う面々が同居し、憲法、外交、防衛政策に大きな開きがあるのだ。」と書いた。 さらに、国家観のバラつきについては、「国旗及び国歌法案」(1999年)の採決では、民主党は賛成と反対が「真っ二つ」。賛成45名、反対46名に分かれ、内部対立の姿を浮き彫りにした。 民主党の最大の問題点は、政党の本質そのものである。 イギリスの思想家で政治家でもあるエドモンド・バークは、政党を「ある特定の主義や原理が一致している人々が、その主義や原理に基づいて、国民的利益を増進させるために協力すべく結ばれた集団」と定義している。つまり、このバークの定義に則して述べるなら、党としての意思統一、決定を図ることができない民主党は、政党としての体(てい)をなしていないと言える。これが露呈したのが、民主党が政権についたことで改めて証明された。松野頼久氏が民主党を離党した理由 松野頼久氏が民主党を離党した理由は、2012年、消費税増税法案を含む社会保障・税一体改革関連法案について、反対する意向を表明。衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では反対票を投じ、党議違反したことである。 当時、消費増税法案の採決では反対の意を表明していた鳩山由紀夫、小沢一郎以下57名が反対票を投じ、元総務相の原口一博・元環境相の小沢鋭仁ら13名が棄権、2名が欠席(病欠した元首相の羽田孜を除く)するなど72名の造反者を党内から出した。 その後、松野氏は、民主党に離党届を提出し、他のメンバー6名とともに日本維新の会結成に参加した(民主党は松野の離党届を受理せず、除名処分を下した)。その後、日本維新の会国会議員団代表に就任した。その後、維新の党は幹事長の柿沢未途氏が山形市長選挙において民主党・共産党などが推薦する立候補者を独断で応援に訪れたことをきっかけに内部対立が鮮明化し、維新の党とおおさか維新の会に分裂した。党首会談を終え、統一会派「民主・維新・無所属クラブ」結成の合意書を手に握手する民主党の岡田克也代表(右)と維新の党の松野頼久代表=12月11日、国会内(斎藤良雄撮影) 維新の党は、このままでは将来予測される衆院選に生き残るために、民主党に合流した方が得策と考えたわけだ。 マスコミは、民維新党について党名の公募の行方を大きく報道しているが、政党の基本にせまる報道はない。民主党政権は、「一度、民主党にやらせてみては」とのマスコミの大合唱の結果、誕生した。その結果、民主党政権は、普天間移設につき迷走、近隣諸国とりわけ中国、韓国との外交関係を毀損し、その後の安倍晋三内閣は、日中韓首脳会談を3年半かけてようやく実現させた。 国会での党首討論で、岡田代表は、日本の安全、防衛はどうして守ってきたか? について、「日米同盟と平和憲法」と述べた。これは間違いである。日本の防衛は、「自衛隊と日米同盟」で守られている。自衛隊は日夜訓練に励み、日本の国土を守っていくという強い意思のもとに任務に当たることによって、戦後の日本は平和を享受できたわけである。 だから民主党は、自衛隊の解消を目指す共産党と選挙協力を模索するわけだ。 最近の日本周辺の軍事情勢は、ここ10年間の中国・ロシアの軍事費の急速な伸び、北朝鮮のミサイル発射や核実験などをどう考えるかである。 国家の任務は、国民の生命と財産を守ることで、国は自国民を防衛する義務がある。 「平和というのはただ平和、平和と口で言うだけでは達成されないので、平和を破るような行為を阻止する手段を講じることが必要なのだ」という小泉信三元慶應義塾塾長の言葉をキチンと踏まえるべきである。 その上で、民主党に今、問われているのは、共産党の日米安保条約廃棄と自衛隊の解消という安全保障政策に同意するか否かである。 民主党が国民から信頼されないのは、政党の本質を真摯に考えずに、いい加減にしてきたことである。 民主党が、「民主党は嫌いだけど・・・」との自虐的なポスターを作った。自らの政党も好きになれない人たちに期待はできない。日本を嫌いな人が、日本を良くすることはできないのと同じことだ。 だから筆者の周りには、かつてマスコミに踊らされて民主党に投票し、その結果、失望し、反省し、今は、日本を良くするために、必死に安倍政権を応援している若者たちがたくさんいる。 彼らは、「民主党には二度と騙されない。だから、政党の名前だけを変えるだけの民維新党には騙されない。」と行動している。 夏の参院選への影響は、国民がマスコミ報道に惑わされず、自ら正しい・真実の情報を収集し、冷静に分析・評価、そして確かな判断をすれば、かつてのような間違いは生じないと考える。

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    民主党に決定的に欠ける「希望」や「明日」をつくるリーダーシップ

    くなくともリーダーを選択できる状況をつくりだす責任を背負っているはずです。でなければ国民からすれば、政党助成金も無駄な投資になってしまいます。 維新の党と合併するよりは、民主党の代表を変えるほうが与党にとっては脅威でしょうし、実現するかどうかは別にして、いっそのこと、もう消滅に向かっている維新の党ではなく、おおさか維新と手を組み、大阪で実績を残した橋下前市長を代表に据えるぐらいの発想の変換をやってみれば、復活の道が見えてくるかもしれません。(2016年02月23日「大西 宏のマーケティング・エッセンス」より転載)

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    名前も理念も決められない「民進党」では誰にも刺さらない

    まりや盛り上がりはなく、効果は期待できそうにないのが現状だ。 合流は、もちろん「1強多弱」といわれる政党状況を打破して、自民党・公明党の与党勢力に対抗し得る政治勢力をつくり上げ、政権交代可能な政党政治を再現するのが狙いである。だが、合流による新勢力は衆議院が92議席、参議院は64議席にすぎない。与党と比べて、衆議院は3分の1以下、参議院は半分以下で、掛け声の「野党結集」や「政界再編」の呼び水となると受け止める国民は少なく、期待感も乏しい。 自民党の政権奪還後、「1強」下で、実際上、政党政治の機能停止状態が続いているが、「多弱」打破のための合流とはいえ、新しい党の党名を決めるに当たって、政党として政治と社会の将来像や目標、行動・選択・決定の指針といった点を示さないまま、漠然と公募や世論調査に託するというやり方は、本来、政党と参集する政治家が取るべき道ではない。 断るまでもなく、政党も政治家も、国民の支持と理解がなければ存在し得ないが、どんな政治と社会を目指す党か、そのために何をどういうふうにやる党なのか、政党と政治家の側が理念や思想、哲学、行動原理、方向性などを示さなければ、国民は判断も選択もできない。何を目指す党か、何をやる党かを一言で表現するのが党名だから、政党と政治家の側が責任を持って国民に提示する義務がある。 だが、新党名の「民進党」というネーミングからは、どんな政治や社会を志向するのか、そのために何をどうやって実現するのか、というメッセージが伝わってこないと感じる人が多いのではないか。名は体を表す 振り返ると、1955年結党の自由民主党も、96年に最初の党を旗揚げした民主党も、ここまで一度も党名を変更しなかった。それは曲がりなりにも「自由民主」と「民主」という党名が、政党としての理念や思想、行動原理、方向性などを指し示しているという意識が、党内で共有されていたからだろう。 自民党はロッキード事件で大揺れになったときなど、一部で党名変更論が取り沙汰されたことがあったが、55年以来の名前を変えなかった。民主党も98年の第2次結党、2003年の自由党との合併の際も、同じ党名の下に結集した。「自由民主」は自由と民主主義を共通の価値観とする中道・右派の道、「民主」は国民主権、公正な社会、生活重視を目指す中道・左派の路線を一言で言い表すという役割を果たしていたといっていい。 一方、短期間で消滅した過去の政党の党名を見ると、何を目指す党か、何をやる党か、という点が明確でなかった例が多いことに気づく。日本新党、新党さきがけ、新生党、国民新党、みんなの党、次世代の党などは、リーダーの個性はアピール力を備えていたが、政党としての正体は見えにくかった。 「民進党」という名前を聞いて、短命に終わったもう一つの「新進党」(1994~97年)がすぐに思い浮かんだ。自民党に対抗し得る新政党を目指して新生党、公明党、民社党、日本新党、自由改革連合などが結集したが、3年半で空中分解した。    1994年12月10日、新生党、公明新党、日本新党、民社党などの野党が集まり政権交代を目指した新進党の結党大会が開かれた 党名の「しんしんとう」は当時、新生党や日本新党、新党さきがけなどの新党勢力とは別に、「新・新党」の結成を、という掛け声に基づいて誕生したという経緯から、有権者が覚えやすくて選挙に有利という計算もあって、「新進党」という漢字を当てた。だが、「新進」という言葉から、特別の政治理念や党の目標、方向性などを感じ取ることができず、最初から「数合わせの新党らしい意味不明の党名」という批判がつきまとった。案の定、早期の解散・消滅という運命をたどった。 「多弱」を打破して、ここまでの民主党が再浮上を遂げるには、現在、完全消滅に近い国民の期待感の再醸成が不可欠だ。今回、合流政党の党名選びが話題になり始めたときから、筆者は個人的には「官主導ではない民権の政治を」という姿勢と路線を明確にするために「民権党」を名乗れば国民の期待感を呼び戻す一助になるのでは、と密かに思っていたが、似て非なる「民進党」となった。 かくなる上は、党の名前はともかく、自公政権に代わり得る選択肢、政策の対案と代案、対立軸などを欠かさず提示して、どんな政治や社会を目指すか、何をどういうふうにやるかを明確にする。「名」はともかく、「体」をつくり上げる。それができなければ、待ち構えているのは「新進党の悪夢」の再現だろう。「民進党」が民主党20年の歴史の「終わりの始まり」とならない保証はない。

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    「選挙のためなら何でもする」民維合併、党名は社会党がふさわしい

    存在していないだろう。多くの国民が期待を裏切られたと感じているのは間違いのない事実だ。しかしながら、政党の名前を変えたところで、中身が変わらないことには、何も変化がないといわざるをえない。政党名さえ変更すれば、中身は同じでも国民の支持を得られるであろう、と考えているとすれば、それは随分と国民を軽蔑した発想と言わざるをえない。 私はリベラルな政党が存在することの意義を否定しない。基本的に私自身は保守政党を支持するだろうが、政権交代の不可能なシステムでは政治が腐敗する。政権交代が可能なリベラルな政党が存在することによって、保守政党も緊張感をもって政治に取り組むことになるのは、当然のことだろう。日本政治を大局的に俯瞰すれば、リベラルな政党が存在していた方が、政治全体の活性化に繋がるであろう。 また、保守政権が見逃しがちな社会的弱者の声を代弁し、労働者の権利を守り、マイノリティーの意見を政治の場に持ち込むこともリベラルな政党の果たすべき役割で、その存在意義は大きい。その意味において、私はリベラルな政党を待ち望む一人であるといってよい。 だが、日本においてリベラルを標榜する政党は、現実的に分析すると、どうしても、国政を担わせるには危険すぎると思わざるをえない。日本における「リベラル」の、アキレス腱は安全保障政策に他ならない。 彼らは社会的弱者の権利を守ることや労働問題に熱心に取り組むが、議論が安全保障政策に及ぶと、突如として、極端な解釈に終始し、「九条を守れ!」、「立憲主義を破壊するな!」とスローガンを繰り返すだけで、現実的な安全保障政策を語らない。 安全保障政策における極論を排し、現実主義的なリベラルに生まれ変わることこそが重要なのだが、民主党はその逆の方向に舵をきっているように思われてならない。現実的な安保政策を語っていた鳩山由紀夫元総理 唐突だが、次の文章をご覧頂きたい。「独立した一つの章として「安全保障」を設け、自衛軍の保持を明記することとした。現行憲法のもっとも欺瞞的な部分を削除し、誰が読んでも同じ理解ができるものにすることが重要なのだ。この章がある以上、日本が国家の自然権としての個別的、集団的自衛権を保有していることについて議論の余地はなくなる」 この文章は、自身の憲法改正案に付された解説なのだが、一体誰の文章か。  実は、民主党の創設者、鳩山由紀夫元総理の文章なのだ。  意外なようだが、鳩山由紀夫元総理は、憲法改正論者であり、当時は極めて現実的な安全保障政策を語っていたのである。 鳩山氏は現行憲法の第九条第二項、すなわち「交戦権」の否定と「戦力」の不保持について、「現行憲法のもっとも欺瞞的な部分」と批判し、憲法において自衛軍の存在を明記すべきだという。 鳩山氏の草案では次のようになっている。日本国は、自らの独立と安全を確保するため、陸海空その他の組織からなる自衛軍を保持する。2 自衛軍の組織及び行動に関する事項については、法律で定める。 「交戦権」を否定し、「戦力」の不保持を謳った現行憲法下で自衛隊が存在していることの矛盾を解決するために、「自衛軍」の存在を憲法に明記するという鳩山氏の主張は、正論だといってよい。 また、鳩山氏は集団的自衛権についても、次のように解説している。 「そもそも集団的自衛権とは国際法上の権利であって義務ではない。同盟国に自動参戦義務を課すような話ではないのだ。前述のように、集団的自衛権といっても、基地の提供、物資の輸送から戦場での共同作戦まで、さまざまなレベルの協力方法がある。アメリカと同盟関係にある国家は、世界に四十カ国以上ある。どのレベルの協力をするかは、それぞれの政府が国益に沿って判断すればいいことだし、どの国の政府もそう考えているはずだ。」 「これからの日本が国際政治に臨む大きな目標を掲げ、そのための現実な諸政策を一歩一歩着実に進めていくためには、われわれの外交政策論争から憲法神学論争を取り除くことが不可欠だ。ここに掲げた国際協調と自衛権の条項は、そのための一つの試みである。」 個別的自衛権と集団的自衛権を区別して論じるのではなく、日本の国益にかなう場合であれば、集団的自衛権の行使もすべきである。集団的自衛権の行使は「権利」であって「義務」ではないから、「同盟国に自動参戦義務を課すような話ではない」。それぞれの国家が国益のために、その行使について判断すればよいという見解だ。 私もこうした見解に、賛同する。 この時点における鳩山氏の見解は、リベラルを志向しながらも、現実的な安全保障政策を掲げている。このリベラルでありながら、現実主義的な態度こそが、日本のリベラルに求められている姿勢ではなかろうか。新党名は「社会党」が相応しい なお、昨年、鳩山氏は安倍総理に、集団的自衛権の行使容認に反対の立場から、手紙を送ったが、その手紙には次の一節がある。 「私は、アメリカに媚を売るような形で、集団的自衛権を行使することには反対です。 それは、アメリカの決めた戦争に、唯々諾々と参加せざるを得なくなることが明らかだからです。」 「私は日本を、「戦争のできる普通の国」にするのではなく、隣人と、平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する、「戦争のできない珍しい国」にするべきと思います。」 「騏驎も老いては駑馬に劣る」というが、かつての現実主義は跡形もなく消え失せ、日本を「珍しい国」にすべきだという、政治家の見解とは思えないほどの非常識な主張がなされている。この鳩山氏の変節こそが、民主党の左傾化を象徴していないだろうか。  共産党とは一線を画した、穏健なリベラル政党、そして自民党には出来ないとされた改革を実現する改革政党として政権を担うというのが、民主党の原点ではなかったのだろうか。  だが、政権運営に失敗し、下野すると、反対のための反対に終始し、あろうことか、共産党との連携を模索し始めた。集団的自衛権の問題では、「九条を守れ」「立憲主義を破壊するな」と叫ぶだけで、現実的な対応をしていたようには、到底思われなかった。当選のバラをつける日本社会党の土井たか子委員長(中央)=1990年2月18日、東京・三宅坂の日本社会党本部 民主党と維新の党が合併し、より左傾化、具体的に言えば、安全保障政策の空想化を強めていくのであれば、新党名は「社会党」が相応しいだろう。自衛隊の存在を違憲といい、日米安保の存在すら否定していた社会党を目指し、ひっそりと消滅していけばよい。 繰り返しになるが、日本に求められているのは、政権交代が可能な現実主義的なリベラルである。政権交代によって、安全保障政策を激変させる必要などない。国内政策で社会的弱者に寄り添う政党が、安全保障政策で空想に浸る政党である必要がないのだ。 現実主義的なリベラルの台頭を待ち望んでいる国民は多いのではないか。

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    日本共産党がどうも調子に乗ってるらしい

    び掛ける日本共産党、志位和夫委員長の鼻息が荒いようです。4日の党旗開きでは、安倍政権を「ウルトラ極右政党」と揶揄し、「共産党の躍進が新しい歴史をつくる」と声高に訴えていました。はっきり言って、最近の志位さんの言動がちょっと怖いです(笑)。

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    元自衛官の共産党市議が激白 安倍政権よ、自衛隊を安易に使うな

    井上圭一(土浦市議会議員) 私は陸上自衛隊の自衛官として、茨城県の霞ケ浦駐屯地の後方支援部隊で9年間勤務しました。その私が、2015年4月の茨城県土浦市議会議員選挙に立候補、多くのみなさんの支援を受け、日本共産党の議員として初当選しました。 自衛官であることと共産党員であることは、憲法9条を大切に考える私にとって自然なことでした。ところが、その9条を踏みにじり「自衛官を他国の戦争に参加させる」という集団的自衛権への動きが始まりました。なんとか食い止めたいと思い、総選挙にも挑戦し訴えました。後輩の自衛官を絶対に戦死させたくないという強い思いと、自衛官の“声なき声”とその家族の思いを代弁するために、立ち上がったのです。2004年12月、イラク・サマワの陸上自衛隊宿営地でタンク車に給水活動を行う隊員(共同) 日本独自の自衛隊とは何かというと、専守防衛(日本本土が他国から軍事的攻撃を受けた場合、防御・反撃する体制)の名のもとに、第二警察としての役割を果たす組織です。そして一番重要なことは、日本国内専用の組織として設立から現在まで運用され、国民の理解を得てきた日本の宝なのです。なぜ宝かと言うと、日本を襲う未曽有の災害に対し迅速かつ適正に大量の人員(訓練された)を現場に派遣し、人々を救助出来る組織は自衛隊を置いて他にありません。平和な日本の生活を営む国民にとって、これほど頼りになる、いざという時の為の保険にも似た後ろ盾を持っている日本人はある意味幸せです。 自衛隊を他国の人たちが見た場合、一般的に「軍隊」と認識すると思います。ただ、歴代政府が今まで世界に発信してきた、自衛隊の存在は、守備であり攻撃することは無い組織であることは世界的にも認知されてきたところだと思います。それは、先の大戦の教訓から、日本は日本国憲法を制定し、戦後70年間武力による国際紛争に協力してこなかったことも大きな要因です。とりわけ平和憲法第9条の役割は強大で、日本を取り巻く安全保障関連が悪化した場合であっても、紛争解決のために武力(抑止力含む)を伴う国際的平和活動にも自衛隊を使うことはありませんでした。また時の政府による右傾的暴走の歯止めになっていたのも憲法9条の力であることは、周知の事実だと多くの国民は知っています。 日本国憲法には、立憲主義・主権在民・民主主義など、日本人が日本人であるために必要な条文が決められ、すべての国民はこの憲法を守り生かしていく事になっています。これは日本人にとって絶対のルールであり、改憲するのであれば国民の過半数の賛同が必要です。 なかには、日本国憲法を否定する者、米国からの押し付け憲法などと日本国憲法を認めない改憲派の存在もあります。そんな人たちをも包んで見守っているのも日本国憲法なのです。どおしても納得しないのであれば納得のいく国に住めばいいだけです。世界は広いのです。私は憲法の条文を読めば読むほど素晴らしく思えてならないのです。誰が作ったなど関係ないじゃないですか。いいものはいいのです。 最近、教科書の歴史認識をめぐる問題が勃発していますが、私は本当のことを載せるのが筋だと思うのです。それをどう理解するかは、読む個人の感性であり、それを議論したり話し合ったりする場が学校であり教育ではないでしょうか。事実と違うことを捏造し子供たちを洗脳することに憤りを感じます。もはや「自民党に任せておけば大丈夫だろう」の時代ではない 日本は戦後アメリカの従属国となり日米安保・地位協定など様々な面でアメリカの傘下におかれ支配されてきました。残念なことに日本人はアメリカに守られていると勘違いしている人が多いのも事実です。私は疑り深い性分なので政府の見解を聞いていると、日本政府すらアメリカに乗っ取られているように感じます。本気で独立国家を目指すのであれば、義務教育の必須科目に最低でも日本国憲法や日米地位協定、近代歴史など日本の根幹を主る部分を教育するべきです。あくまでも判断するのはこれからの未来を担う生徒自身です。逆にその部分が欠落しているのが多くの現代人ではないでしょうか。この問題は知れば知るほど無関心ではいられないほど日本人にとって必要な知識なのです。知ってしまった人達の全国的なデモ、有識者などの発言は、政府にとって目の上のたん瘤であり、表に出さないためにメディアを使った世論操作に必死で、真面な意見を潰しにかかっています。国、言いなりの国民で良しとする政府にとってこれに気づかれることは最大の恐怖だからです。 さて、今まで述べてきたことを踏まえて、私が元自衛官として共産党議員として、戦後70年にして、時の一内閣による自衛隊の在り方を180度転換した、今回の安全保障法制(戦争法)がいかに無策で相当なリスクがあることを世間に伝えたいと思います。まず、自衛隊は国民の命を敵から守る最後の砦として武器を持ち最小限の抑止力を保持してきました。自衛隊は殺戮が生業の集団です。「自衛隊が武器を持ち他国に派兵される意味とそれを認めた事に国民は責任を持たなくてはなりません」。これは、生まれたての赤ちゃんから人生の最期を迎えようとしている人まで全てです。「やれば、やられる事を覚悟しなければなりません」。私は自衛隊を安易に使いたがる安倍自公政権に失望します。平和だの安全だの綺麗ごとをいくら並べて推し進めたとしてもウソはウソでしかありません。 防衛省では、これからの自衛隊は「国際平和のために国連などに協力し貢献することが隊員に与えられている使命である」「戦争や紛争に巻き込まれて困っている人々を助けることは隊員として当たり前の任務」などと国際貢献は当たり前と隊員を洗脳している傾向にあります。本来任務を逸脱する状況に気づかずに訓練に励んでいる隊員がいじらしくも思えます。日本が国際貢献する手段は何も武力を用いた策だけでは無いはずです。国民は、アメリカ・軍需産業・経団連のトライアングルを見逃してはなりません。自衛隊員に犠牲が出てからでは遅いのです。自衛隊員に犠牲(死者)が出ると言う事は、相手国にも相当な犠牲が出ているはずです。今の平和な日本は、先の大戦の多大な犠牲の上にあります。もう一度、自衛隊員の犠牲のもとに「平和な日本を」と過去の過ちを繰り返そうとしている安倍自公政権にノーを突きつけ、武力・抑止力に頼らない、今までやった事の無い様な積極的な平和外交を推進し、国際社会の和平に貢献する日本にして行きましょう。 その点、日本共産党はブレません! だから私は、共産党で議員になったのです。信念を曲げて大勢に魂を売って媚びることなどに、政治家として大儀を見いだせるはずもありません。もはや「自民党に任せておけば大丈夫だろう」の時代ではないのです。今こそ、国民の意思が通る政治(本物の民主主義)に変われる時ではないでしょうか。黙っていたら政府に無条件で賛成したのも同じこと。自分たちや子孫の未来に、悪政・悪法を残さないために、私たちは「今」活動するべく「大儀」があるのではないでしょうか。国民の無関心を誘導する政府・メディアに騙されない、主権者として政治を動かす新しい時代を築こうではありませんか。自衛隊を派兵させ、国民の血税をバラまかなければ、国際社会に向けあえない安倍自民公明政権に幕を引きましょう。

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    杉田水脈が見た 共産党を支える公務員労働組合の「正体」

    環境を議論するために存在しているわけです。でも、実際は、自治労連の場合は日本共産党というように特定の政党と深いかかわりを持ち、国会周辺のデモや沖縄の基地反対運動に参加するなど、政治的な活動を行っています(現場に行き、そこにはためいている幟を見れば明らかです)。 公務員の政治活動は禁止されているのに、なぜ、職員団体である「自治労連」や「自治労」は政治活動をしているのか?という質問に対し、「公務員の職員団体には職員以外の者も加入している。そしてその人たちが活動している。」という苦しい答弁が返ってきました。それもおかしな話です。 ここのところをきちんと調べて、公の場で追及すること。 これによりある程度、日本共産党をはじめとする左翼政党への資金や人員の流れを断つことができると私は考えています。参考:平成26年5月19日 衆議院総務委員会【杉田水脈】公務員の労働組合が特定の政党、民主党や共産党を支持することが許されるのか。https://www.youtube.com/watch?v=-dhP2HfcNYE

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    元外交部長が明かす 矛盾に満ちた共産党の安保政策に共感できる理由

    では自衛権が否定されたとする吉田首相に対し、共産党は自衛権の重要性を主張した上で憲法に反対した唯一の政党である。国家が自衛権を保有しているという立場は、誰よりも明確だったといえるだろう。 では、侵略されたらどうするのか。まず、抽象的にいえば、「可能なあらゆる手段を動員してたたかう」ということである。 「憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のことであります」(民主連合政府綱領提案、1973年) このように、共産党の安全保障政策の基礎となる考え方の一つは、何としてでも「国民の命を守る」ということであった。社会党のように、「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネスト」で抵抗するとか、「降伏した方がよい場合だってある」などというものではなかったのである。「非武装・中立」に対する「中立・自衛」には、そのような意味が込められていたわけだ。憲法9条改正の展望から「改悪阻止」へ憲法9条の改正も展望して 「国民の命を守る」ということに加え、共産党が安全保障政策を立案する上で基礎となるもう一つの考え方があった。それは「立憲主義を守る」ということだ。憲法に合致した手段で戦うということである。そして、この二つの考え方の両方を貫こうとするため、「可能なあらゆる手段」ということの内容に、いろいろな制約が課されてきたのだ。 まず、侵略された場合、実力組織なしに対抗できないというのが共産党の考え方なわけだから、戦力の保持を否定した憲法九条のままではダメだということになる。いまではそんなことを覚えている共産党員は皆無だろうが、当時、共産党にとって、憲法9条というのは平和主義に反するものだという認識であった。 「将来日本が名実ともに独立、中立の主権国家となったときに、第九条は、日本の独立と中立を守る自衛権の行使にあらかじめ大きな制約をくわえたものであり、憲法の恒久平和の原則をつらぬくうえでの制約にもなりうる」(「民主主義を発展させる日本共産党の立場」、75年) 9条では恒久平和を貫けないというわけだ。その結果、当然のこととして、憲法9条を改定することが展望されていた。 「(日本が)軍事的な意味でも、一定の自衛措置をとることを余儀なくされるような状況も生まれうる」(したがって)「必要な自衛措置をとる問題についても、国民の総意にもとづいて、新しい内外情勢に即した憲法上のあつかいを決めることになるであろう」(「日本共産党の安全保障政策」、68年) こうして、名称は決められていなかったが、戦力としての自衛戦力をつくるとされていた。徴兵制ではなく志願制とすることなども打ち出されたことがあった(『共産党政権下の安全保障』、79年)。当面の方針は「憲法改悪阻止」 こうして9条を改正するというなら、それはそれで矛盾はないことになる。社会党の「非武装・中立」とは反対の意味で、すっきり単純なことだった。しかし共産党は、九条の改正は将来のことだと位置づけ、当面は変えないという態度をとる。 その理由の全体は複雑であり、読者を付き合わせると混乱してしまうだろう。よって紹介するのは二つだけに止める。 一つは、自民党が9条を変えようとしていて、改憲問題が焦点となっていたわけだが、自民党の改憲の目的は、現在では誰の目にも明らかなように、集団的自衛権の行使にあったからである。つまり、九条の改憲が政治の舞台で問題になる場合、当時の焦点はそこに存在していたのであって、当面は「憲法改悪阻止」という立場が重要だという判断が存在したのだ。 二つ目。当時、共産党が連合政府の相手として想定していたのは、いうまでもなく社会党であった。その社会党は9条を変えるつもりはなかった。そういう事情もあったので、当面めざす連合政府は、憲法の全体を尊重する政府になるという判断をしたのである。社会党との連合政府のもとでは憲法改正には手をつけず、自衛隊は縮小し、やがては廃止することになるということであった。律儀に解釈した結果、矛盾が広がる この結果、自衛隊についていうと、次のようになる。当面の社会党との連合政府では、自衛隊は縮小し、最終的には廃止される。そして将来の政府においては、憲法を改正することによって、新しい自衛戦力をつくるということだ。 侵略された場合、「可能なあらゆる手段」で反撃するというが、その手段はどうなるのか。自衛隊の縮小過程においては、「可能なあらゆる手段」の中心は自衛隊だが、廃止してしまった後は、それこそ警察力しかなくなるということだ。そして、憲法を改正することによって、新しい自衛戦力が「可能なあらゆる手段」に加わってくるということである。 これは大きな矛盾を抱えていた。これらの過程を「国民の総意」で進めるというわけだが、その国民の総意が、自衛隊の縮小から廃止へ、そしてその後に再び自衛戦力の結成へというように、相矛盾する方向に動くものなのかということだ。共産党の宮本顕治中央委員会議長=1997年7月29日、代々木の党本部 当時、共産党も、自衛隊の縮小はともかく、国民がその廃止に納得するとは思っていなかった。1980年に出された政策において、「(社会党との連合政府のもとで)独立国として自衛措置のあり方について国民的な検討と討論を開始する」としたのである。 これも一般の人には意味不明だろう。社会党との連合政府は憲法の全体を尊重する政府であるから、憲法改正をしないわけだが、それにとどまらず憲法改正問題の「検討と討論」もしないとされてきた。この政策によって、その態度を変更したというわけだ。 ここには立憲主義をどう理解するかという問題がかかわってくる。いうまでもなく憲法第99条は、大臣、国会議員その他公務員の憲法尊重義務を課している。その憲法のもとで、しかも憲法を尊重すると宣言している政府が、憲法の改正を提起できるのかということだ。 共産党はそこを律儀に解釈して、連合政府では憲法問題の議論もしないとしてきたのだが、それでは自衛戦力が存在しない期間が長期化する怖れがあった。この政策が出された記者会見で宮本顕治委員長(当時)が説明したのは、まだ自衛隊が縮小しつつも存在している間に議論を開始し、自衛戦力の必要性について「国民の総意」を形成することによって、将来の政府ではすぐにその結成に(憲法改正にということでもある)着手できるようにしたのである。自衛戦力の存在しない期間をそれによって最短化することを示し、国民の理解を得ようとしたわけであった。憲法9条を将来にわたって堅持する時代の矛盾二、憲法9条を将来にわたって堅持する時代の矛盾憲法9条に対する態度の大きな転換 「中立・自衛」政策は、1994年になって大転換する。「中立・自衛」というのは、以上見てきたように、憲法改正を含意した概念だったわけだが、この年、憲法9条を将来にわたって堅持する方針を打ち出したのだ。 「憲法9条は、みずからのいっさいの軍備を禁止することで、戦争の放棄という理想を、極限にまでおしすすめたという点で、平和理念の具体化として、国際的にも先駆的な意義をもっている」(第20回大会決議、94年) かつて「恒久平和をつらぬくうえでの制約」としていた九条の評価を大転換させたのだ。そのもとでは、「侵略されたらどうする」という問題への回答も変わらざるを得ない。かつての社会党と同様、「警察力」で対処するのが基本だということになっていく。 「急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である」(同前) 劇的な転換だった。とりわけ自衛戦力が必要だとしてきたかつての立場との関係をどう説明するかは難問だった。憲法の問題を担当していた共産党の幹部が、次のようなことを書いた。 「今日では、なんらかの軍事力に恒常的に依存するといったことなしに日本の独立と安全をまもることが必要かつ可能であり、日本がそうすることが世界の平和にとっても積極的な貢献となること、この点で日本国憲法の規定は国際的にも先駆的な意義をもっていることが、いよいよ明白になってきている。将来における自衛措置の問題についての日本共産党のかつての提起も、もともとどんなことがあっても、かならずや憲法を変えて自衛の戦力を保持するのだというのではなく、情勢と国民の総意によるというものであったが、今日では第九条の将来にわたる積極的な意義と役割をより明確にしておくことが重要である」(「赤旗評論特集版」94年7月20日)転換を生んだ時代背景 これはこれでスッキリとはしている。しかし、かつて批判してきた社会党と同じ立場をとるわけである。この決定があった年、私は共産党の政策委員会に勤めることになり、しかも安全保障問題の担当者となったので、どんな批判が寄せられるかと心配していた。ところが、共産党員からの反発はあまりなかった。 なぜ共産党員に戸惑いがなかったのだろうか。これまで説明してきたように、「中立・自衛」政策というのはあくまで将来のことと位置づけられていた。当面の焦点は「憲法改悪阻止」であったので、共産党員は「九条を守れ」という立場で活動していた。何十年にもわたって日常的には九条の意義を語っていたわけである。将来の「中立・自衛」政策のことなど議論する場もなかった。その結果、共産党が憲法改正を展望していることなど自覚されず、そのことを知らない党員が多数を占めていったのであろうと思う。 時代の変化もあった。戦争がなくならないという現実に変化はなかったが、その戦争に対する国際世論には変化があった。たとえば国連総会は長い間、アメリカやソ連が戦争をしても見過ごしてきたが、79年、ソ連のアフガニスタン介入に際して反対決議をあげた。83年にはアメリカのグレナダ介入に対する反対決議も可決した。そうした変化は、戦争がなくなるとまでは断言できる変化ではないが、少しずつそういう方向に世界が動くだろうということは予感させるものだった。ソ連が崩壊して、冷戦も終わりを告げた。 共産党の大転換は、そのような時代状況の産物だったのだ。自衛隊活用論への転換 しかし、さすがに侵略に対して「警察力」で対応するという政策は、共産党員の間ではともかく、国民の間では通用しない。私がいた部署は、選挙で国民に支持されるための政策をつくる部署だったので、国民と接触する機会が多く、「ミサイルが落とされたらどうするのか」という質問などが常に寄せられるのだ。それに対して当時、「警察力で撃ち落とします」などといえるわけもなく、「落とされないように外交努力をするのです」と答えながら、心のなかでは「通用しないよな」と思う日々が続くことになる。 そこに変化が生まれたのが6年後である。この年、共産党は、自衛隊と9条の「矛盾を解消することは、一足飛びにはできない」として、自衛隊の解消が現実のものとなる過渡期には自衛隊を活用するという方針を全国大会で打ち出す。 「(自衛隊と9条との)この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である」 「そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である」(第22回大会決議、2000年)合理的なものになった安全保障政策安全保障政策としては合理的なものに この新しい方針は、自衛隊の即時解消を求める平和運動家、党員には評判が悪かった。戦後すぐの混迷の時期は別として、共産党の全国大会は全会一致で方針が可決されてきたが、唯一、この第22回大会だけは異論が出た大会であった。 この時期、私は担当者だったので、共産党員が集まるいろいろな場所に説明のために出かけたが、そこでも非難囂々の連続であった。「憲法に違反するものを使うなんてとんでもない」「自衛隊があるとクーデターで政権がつぶされる」「外交に自信がないのか」等々、批判の渦のなかに行くようなものだった。 けれども、安全保障政策としては、非常に合理的になったと思うので、私は堂々と説明していた。かつての「中立・自衛」政策のもとでは、すでに紹介したように、いったん自衛隊を廃止し、その後に新たにつくりなおすという、どう見ても不合理な道筋が想定されていたわけである。新しい方針によって、自衛隊を将来に廃止するにしても、それは国民が合意する範囲で、少しずつ進めればいいことになったのだ。政策として合理性がある。自衛隊をなくしてしまえば侵略されたときに困るという不安が広範囲に残る限り自衛隊はなくさないのだから、「侵略されたらどうする」と聞かれれば、「あなたを含む国民多数がそう思っている間は自衛隊はなくさない」と答えればいいので、大きな批判は起こりようがないのである。 確かに自衛隊の即時解消を求める人たちの批判はなくならないだろう。それでも、最終的には解消するわけだから、目標の方向性では一致しているのだ。 こうして、残るのは、自衛隊の活用の仕方だけとなる。安全保障政策を具体化すれば良くなったのである。そうなるはずだったのだ。自衛隊活用は将来の話だった 私は、この大会決定が決まって以降、「侵略されたら自衛隊が反撃するのだ」という立場でものを考え、執筆もしてきた。ところが、それに対して予想外の批判が寄せられることになる。 どういう批判かというと、自衛隊を活用するという大会の決定は、日米安保条約を廃棄する政府ができて以降の話だというものである。それ以前の段階では自衛隊を活用すると明示しておらず、したがって「侵略されたら自衛隊が反撃するのだ」と一般化する私の立場は間違いだということだった。当初の案の段階のものは、私のような受け止めがされるものだったが、大会の最中に修正をくわえることにより、自衛隊の活用は安保条約廃棄以降の問題だという位置づけを与えたというのである。 私にはそのように思えなかった。しかも、たとえ大会決定がそう解釈されるようなものであっても、それ以前の段階で侵略されたらどうするのかといえば、当然自衛隊で反撃することになるだろう。大会決定が明示的にそれを否定していない以上、「侵略されたら自衛隊が反撃するといえる」と私は主張した。しかし、大会決定を決めた人たちがそう解釈しているのだから、それを覆すことはできなかった。 安全保障に責任を負っていた私が、その安全保障の中心問題で意見が異なることになったのだ。人生で最大の悩みを抱え、苦悶したすえ、退職を決意することになる。当面も自衛隊活用という方針への転換大島理森衆院議長との会談後、会見する共産党の志位和夫委員長=2015年12月24日、国会内(斎藤良雄撮影) それから10年が経過し、昨年の夏、新安保法制で日本国中が沸き立った。この法制が可決された直後、共産党は「国民連合政府」構想を発表する。これは、新安保法制を廃止し、集団的自衛権行使を認めた閣議決定を撤回するという限定的な仕事をする政府とされているが、政権を担う以上、いろいろな問題にどう対応するかが問われる。共産党の志位委員長は、国民連合政府は安全保障をどう考えるのだという質問に答え、次のように述べた(外国特派員協会、15年19月15日) 「つぎに「国民連合政府」が安全保障の問題にどう対応するかというご質問についてです。私たちは、日米安保条約にかかわる問題は、先ほど述べたように、連合政府の対応としては「凍結」という対応をとるべきだと考えています。すなわち戦争法廃止を前提として、これまでの条約と法律の枠内で対応する、現状からの改悪はやらない、政権として廃棄をめざす措置はとらないということです。 戦争法を廃止した場合、今回の改悪前の自衛隊法となります。日本に対する急迫・不正の主権侵害など、必要にせまられた場合には、この法律にもとづいて自衛隊を活用することは当然のことです」 日米安保条約が存続する政府のもとでも、侵略されたら自衛隊を活用するということだ。大会決定の解釈が覆ったのである。 矛盾と葛藤のない政策は危険である三、矛盾と葛藤のない政策は危険である憲法との関係では難しさを抱えている 共産党の現在の立場は、先に述べたように、安全保障政策としては筋が通っている。しかし、憲法との関係は難しいままであり、護憲派との矛盾は少なくない。 国民連合政府ができたとして、自衛隊の憲法上の位置づけをどうするのかという問題がある。自衛隊は憲法違反なのか合憲なのかという問題だ。合憲論に立つ民主党などと、引き続き違憲論をとる共産党が連立するわけだから、小さくない矛盾である。 この問題では、山下書記局長が、政党としては自衛隊違憲論は変えないが、政府としては合憲という立場で臨むと発言している。それ以外の対応は無理だと思う。ある問題を合憲か違憲か判断し、議論するのは、民間団体なら自由である。しかし、国家はあくまで憲法擁護義務を課されているわけであり、立憲主義の立場に立てば、違憲だと判断する状態はなくすことが義務づけられる。政府が自衛隊を違憲だとするならば、可能な限り早期に廃止するし、それまでの間も使用しないという判断をするしかなくなるであろう。合憲か違憲か判断ができないという無責任な態度をとることも不可能だ。即時廃棄の立場をとるのでないなら、合憲と判断するしかない。 そういう立場をとればとるほど、護憲派との矛盾は拡大していく。しかし、護憲派が望む自衛隊のない世界というのは、日本周辺の平和と安定が確保され、永続することが誰にも確信されるような現実がなければ実現しない。護憲派は、そういう外交は安倍政権にはできないと批判しているわけだから、それなら自分で政権を取りに行くしかないだろう。護憲政党を政権に送り込むことにちゅうちょしていては、日本周辺を安定させる平和外交など夢物語である。矛盾がなければいいということではない 冒頭に述べたことだが、こんなことを書いていると、少なくない人はあきれかえるかもしれない。好意的に共産党を見ている人にとっても、せいぜい「ご苦労様ですね」というところだろうか。 だが、そもそも、立憲主義を守るということと、国民の命を守るということと、その二つともが大事なのである。その二つをともに守ろうとすると、誰もが矛盾に直面するのである。 戦後の自民党政権の安全保障政策も、この二つの葛藤のなかで生まれたものだといえる。憲法制定議会で自衛権はないとした政府が、その後、答弁を変更して自衛隊の創設にまで至ったのも、この二つの間の相克に悩んだからだろう。自衛隊が国連PKOなどで海外に出て行くようになり、武力行使を禁止した憲法との間の矛盾に苦しんだ政府が、「武器使用」とか「非戦闘地域」という概念を編み出したのも同じことだ。 こうした葛藤を小馬鹿にする人もいる。しかし、少なくともこれまで、自衛官が海外で一人も殺さず、殺されていないことには、この葛藤の反映がある。同じように90年代以降に海外派兵に踏み切ったNATO諸国では多くの兵士が死亡しているわけだから、その差は歴然としている。復興支援などに限って派兵してきた日本の態度は、憲法九条によって生まれた「臆病さ」の象徴であるかのようにいわれてきたが、軍事力でテロに対応することで泥沼化する世界の現実を見れば、「臆病さ」もまた必要とされていることが明らかではないだろうか。 矛盾のなかで苦しまないような政党、あまりにスッキリとした政党には、ちゃんとした政策をつくれない。その代表格がかつての社会党だった。国民の命を守ることをどれだけ考えていたかは知らないが、憲法だけを判断基準にして政策をつくったのである。安倍政権はスッキリ単純だが そして、逆の意味でスッキリしているのが、現在の安倍政権ではないか。都合が悪ければ、何十年続いた憲法解釈をあっさりと変えてしまうのだから。 しかも、安倍首相の場合、立憲主義を守ることに無頓着なだけではない。国民の命を守るという点では無責任さが見られる。集団的自衛権行使の閣議決定をした後、安倍首相は記者会見をして、米艦船を防護しないとそれに乗った母子を守れないと訴えた。しかし、自民党はそれまで、海外で有事に避難する日本人をアメリカが助けてくれないので自衛隊を派遣する必要があるのだと主張し、90年代、二度にわたる自衛隊法の改正によって、自衛隊が運用する政府専用機と護衛艦などを邦人救出のために派遣できるようにしたのである。その自民党政権が、今度は海外で有事に日本人を助けてくれるのはアメリカなのだと、かつてとは正反対のことをいって憲法解釈を変えたのだ。要するに安倍首相にとって、大事なのは国民の命ではなく、自分の政治目的だということなのである。国民の命は政治目的を実現する手段にしぎないということだ。スッキリしていればいいということではない。 ただ、安全保障政策の曖昧さは、もう許されなくなっていると思われる。新安保法制の最初の発動事例になると予想されるのは、南スーダンに派遣された自衛隊に駆けつけ警護の任務を付与することである。南スーダンは、外務省の渡航情報を見れば分かるように、真っ赤な色で塗られた危険度四(即時避難勧告)の地域である。「非戦闘地域」であったイラクで自衛隊員が殺し、殺されることがなかったのだって偶然といえるできごとだったのに、南スーダンの自衛隊がどうなっていくのか、本来なら国民全員が心配し、議論しなければならないのではないだろうか。 それなのに、安倍政権は「リスクに変わりはない」と言い張り、護憲派も自衛官が危険になる責任は政府にあるとして、お互いに責任をとらないのでは、自衛官だけが置き去りにされるのだ。右か左か、護憲派か改憲派かにかかわらず、建前をやめて本音で議論することが求められる。大事なのは理念ではなく(そういうと怒られるだろうが)、現実に失われるかもしれない命ではないのか。

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    共産党変身の仕掛け人? 小沢一郎氏が野党共闘のキーマンに

    とされる。「野党がバラバラで選挙を戦っても自民党には勝てない」が持論の小沢氏は、衆参わずか5人のミニ政党(生活の党と山本太郎となかまたち)の共同代表で「もはや小沢の時代ではない」(自民党ベテラン)と見られながら、再び野党共闘のキーマンに浮上した。関連記事■ 渡辺喜美氏 民主は自民との連立失敗し分裂する可能性指摘■ 自民党幹部「小沢氏無罪で党資金200億円握れば選挙大惨敗」■ 小沢一郎氏 非自民勢力の結集を最後の仕事と考えているか■ 総選挙 票が取れなくても自民圧勝の反民主主義的な結果予想■ 進次郎vs細野で次世代対立軸示せれば旧世代安倍氏の政治終焉

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    「国民連合政府」構想は共産党による巧みな野党間の競争戦略

    です。それと、もうひとつは、候補者を立てる余裕がなくなってきたのではないかという疑いです。 共産党は政党交付金を受けていません。それでもやってこれたのは「しんぶん赤旗」が党を支える大きな資金源となってきたからです。しかし、「しんぶん赤旗」はウィキペディアによると、日刊紙の部数は過去10年で約36万部から約24万部に減少し、月2億円の赤字となっているとか。それでは台所が回りません。もし窮して政党交付金を受ければ、これまでの主張への厳しい批判が殺到します。 おなじくウィキペディアによると、かつては40万人を超えていた党員も、今ではおよそ25万人程度にまで減ってしまったおり、衰退に歯止めがかかっていないようです。党費も、赤旗からの収入も減少するなかで候補者をすべての選挙区でなにがなんでも立てるというのは厳しいのではないでしょうか。 どうせ当選しない候補者を無理に立てずとも、自民党であっても、民主党であっても、共闘することによって共産党の存在感をアピールすることも、恩を売ることもでき、党の退潮傾向に歯止めがかかるという計算が働いているのではないかと思いたくもなります。 大阪のダブル選挙では、表面上はさすがに今回は自民党との共闘は掲げていないようですが、候補者を立てなかったことは、実質は「国民連合政府」構想ならぬ、「府市民連合地方政府」構想そのものです。しかし、大阪は、もしかすると、自民党と共産党で、「革新」も「保守」ももはや何の意味もなく、選挙戦のためのキャッチフレーズのひとつにすぎないことを見せてくれている政治先進地帯なのかもしれません。(「大西宏のマーケティング・エッセンス」より2015年10月19日分を転載)

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    「共産党」を誤解している日本人へ

    ってきたというのだ。共産党の志位和夫委員長は安全保障関連法廃止を目指す「国民連合政府」を提案し、他の政党に連合を呼びかけている。共産党の甘い誘いに揺れる政党、政治家が出てきたというから、やはり問題視せざるを得ない。 ウィーンは地理的に共産圏と民主圏との中間に位置していることもあって、旧ソ連・東欧共産政権を身近に目撃できた。ウィーンに国連専門機関を含む30を超える国際機関の本部、事務局が存在するのは偶然ではない。東欧共産政権の動向をフォローしてきた一ジャーナリストとして、共産党の実態について、少し述べたい。なぜならば、共産党を“誤解”している日本人が案外多いからだ。 北アフリカ・中東諸国から多くの難民が“乳と密の流れる”欧州へ殺到しているが、オーストリアには冷戦時代、共産圏から200万人以上の政治難民、亡命者が収容された。だから、オーストリア国民は共産主義、共産党が如何なる政党、世界観を有し、国民を粛清、処刑してきたかを知っている。難しいマルクス・レーニン主義を理解していなくても、オーストリア国民は共産主義世界観の実態を目撃してきたのだ。 日本の進歩的左翼理論家、大学教授が共産主義社会が国民の幸福を保障すると主張するが、それではどうして多くの国民が西側に逃げていったのか。極めて素朴な疑問だ。オーストリア国民は、書斎で共産主義思想を学んでいる日本の進歩的知識人と呼ばれる人たちより共産党の実態を知っているのだ。オーストリアにも共産党は存在するが、同党はこれまで連邦議会選で議席を獲得したことがない。当然だろう。 日本共産党支持者は何を支持しているのだろうか。与党自民党政権への抗議という理由から共産党を支持することは無謀な行為だ。共産党は単なる抗議政党ではなく、明確な世界観、人間観を有している政党だ。そして共産主義が国民の幸せをもたらさないことは歴史が証明してきたのだ。 当方は冷戦時代、旧東欧共産国を取材した。スロバキアで「宗教の自由」を訴える市民のデモ集会を取材していた時、治安部隊に拘束され、ブラチスラバ中央警察署で7時間尋問を受けたことがある。チェコでは共産政権に抗議してプラハ市民がゼネストのデモ行進を敢行した時、治安部隊が一斉に武力で強制解散に乗り出した。市民の中に潜入していた当方も棍棒を振り回して近づく治安部隊から逃れるために走った。 小さな体験に過ぎないが、当方も共産党政権の実態を目撃してきた。繰り返すが、共産党政権下の東欧の国民は当時、日本国民が今当然のこととして享受してきた「言論の自由」、「結社の自由」、「宗教の自由」などを奪われていたのだ。 日本共産党関係者が「われわれは違う」と弁明する。確かに、共産党は2004年、党綱領を改定したが、その中身は何も変わっていない。共産党の看板を先ず下ろし、党の「粛清の歴史」に対し国民の前で説明し、謝罪すべきだろう。多くの若者の人生を奪った党の歴史に対し謝罪すべきだ。戦中の旧日本軍の言動に対して謝罪を要求する前に、日本共産党は自らの過去を謝罪すべきだ。全てそれからだ。 野党の中には選挙対策のために共産党と連携を深めていこうとする動きがあるという。危険な冒険だ。共産党の笑みに騙されてはならない。彼らは大人しく、従順な羊ではないのだ。 「日本共産党脅威論は杞憂だ。労働者階級の政党と鼓舞する共産党系労組はその会員を失い、『日本民主青年同盟』は無力化してきた。青年党員は急減している。共産党の躍進は一時的な現象に過ぎない」と言われるかもしれない。当方もそれを願っている。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年11月8日分を転載)

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    「SEALDs」の限界は今の日本のリベラルの限界

    小谷哲男(日本国際問題研究所 主任研究員) 戦後70年の節目の年が終わろうとしている。2015年は、安倍政権の歴史認識と平和安全保障法制に国内外の注目が集まった。歴史認識問題は、8月の安倍総理談話が中韓など一部を除いて国外で歓迎され、国内でも大きな反発はみられず、一応の決着がついた。総理談話の線に沿って、韓国との間で長年の懸案だった慰安婦問題についても、進展があった。一方、平和安保法制は国際社会からは概ね歓迎されているが、国民の多くの理解を得られたとはいえないのが実情だ。 平和安保法制への国民の理解が深まらなかったのは、野党の非建設的な批判が影響した。法案の審議が始まった当初、野党は攻め手を欠き、法案の中身よりも、重箱の隅をつつくような質問が相次いだ。ところが、衆院の憲法調査会で3人の憲法学者が同法案について「違憲」と意見表明すると、野党はこれに便乗し、「違憲な」法案の破棄を求めるようになった。加えて、戦後70年という節目に多くの国民が戦争の悲惨さや不戦の誓いを新たにする中、野党やリベラル系メディアがこれを「戦争法案」と呼び、国民の不安を煽った。2015年夏、安保法制に反対する市民の反対運動が各地で起きた(Getty Images)かつてはあった建設的な議論が失われた日本 特に民主党の対応は無責任だった。民主党政権時代でも、集団的自衛権の行使と集団安全保障への参加の拡大は検討されていた。にもかかわらず、岡田・枝野執行部は対案をとりまとめることを放棄し、代わりに「反対のための反対」という道を選んだ。民主党の中でも、長島昭久議員などから建設的な対案を求める声も上がったが、執行部にかき消された。結果として、民主党は支持を伸ばすこともなく、国民の信頼を失い、解党の一歩手前に自らを追い込んだ。 維新の党は集団的自衛権の行使にも前向きだったため、安保法制に当たって自民党と協力できる余地もあった。だが、内部抗争を抱えた維新の党がまとめた対案は、集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大で行うというものであり、また海上交通への脅威に対しては自衛権の発動は行わないという非現実的なものだった。集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大とするのは、そもそも国連憲章違反になる。また、日本は貿易立国であり、第二次世界大戦の敗戦も通商破壊と海上封鎖によってもたらされたことを考えれば、海上交通の保護は最重要課題の1つだ。維新の党が現実的な対案を出せなかったため、結果として安保法制に関して公明党の影響力が増すことになった。 有識者や市民団体、著名人も、法案の中身を理解しないまま、反対運動を繰り広げた。特に、SNSを利用し、全国でデモを繰り広げた学生団体「SEALDs」に注目が集まった。野党やリベラルな知識人は安保闘争の再現を狙ってか「SEALDs」を持ち上げたが、デモでは「安倍を叩き切る」など過激な主張も出てきたため、国民の共感を得ることに失敗した。「SEALDs」の限界はまた、今の日本の言論界におけるリベラルの限界を表している。 かつて、日本では『中央公論』と『世界』を中心に、現実主義者と理想主義者が論陣を張る論壇が存在した。現実主義者は勢力均衡の観点から日米安保を肯定し、理想主義者は「一国平和主義」の立場から非武装中立を唱え、議論を戦わせてきた。前者の代表だった故高坂正堯教授は、非武装中立論が勢力均衡を無視している点を批判しながらも、理想主義者たちが日本国憲法の平和主義の理念を国際政治に取り入れようとする努力を評価した。国家が追求すべき価値を考慮しないなら、現実主義は現実追従主義になってしまう。どのような国家を目指すのかという視点を、かつての理想主義者たちは提供しようとしていたのだ。 しかし、今日の日本には論壇は事実上存在せず、双方が交わることのない議論を繰り広げている。日本から論壇が消えた主な理由は、リベラルな知識人が現代の国際社会において日本が追求すべき国家像を提供できていないからだ。中国による現状変更や、イスラム国によるテロ、シリアの難民問題など、国際社会が直面する問題を解決するには、武力を否定し、対話を呼びかけるだけではだめなことは火を見るより明らかだ。リズムに乗って「戦争反対、憲法守れ」とただ叫ぶ「SEALDs」の姿は空虚に映り、彼らの思考停止を物語っていた。多くの国民は彼らの運動に理念がないことを見抜いていたのではないか。 他方、現実主義者たちは日本の目指すべき価値を提示し、それを実践するようになった。実際、安倍首相とそのブレーンたちは、第一次政権では、民主主義や人権保護、法の支配という普遍的な価値を重視する「価値外交」を提唱し、第二次政権はそれをさらに発展させた「積極的平和主義」を国家安全保障戦略の哲学としている。 積極的平和主義とは、一言で言えば一国平和主義の否定だ。戦後の日本では、長らく日本だけが平和であれば、国際社会の問題に関わるべきではないという考えが広がっていた。その背景には、戦争への深い反省という一面があったことも否定できない。しかし、日本の平和と繁栄は国際政治とは切り離すことはできない。積極的平和主義は、この事実を踏まえ、積極的に国際社会の問題に取り組み、それによって日本の安全と繁栄を確保することを目指している。安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段 積極的平和主義は、日本の戦後70年にわたる平和主義への絶対的な自信に裏づけられたものだ。この点は、戦後70年の総理談話に表現されている。総理談話に関しては、村山談話で使われた「お詫び」と「侵略」、「植民地支配」というキーワードが入るかどうかという点に注目が集まってしまったが、重要なのはより大局的な観点からのメッセージだった。70年談話は、日本がかつて国際秩序への挑戦者となり、国内外に多大な損害と苦痛を与えたことを深く反省し、国際社会に復帰した後は、国際システムの受益者となって安全と繁栄を享受する一方、不戦の誓いを実践してきたことを評価している。その上で、中露や北朝鮮などが国際システムに挑戦する動きを見せる中、これを守っていく決意が込められている。 安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段だ。従来の憲法解釈では、国際システムに対する挑戦に有効に対処できないため、安保法制が必要だったのだ。ただ、恣意的なパネルの使用など、政府による法案の説明に不適切なものがあり、安倍首相を含め政権側の言動におごりが見えたことも国民の支持が十分広がらなかった一因だろう。政権がおごるのは、野党やメディアの批判が的外れだったからでもある。橋下徹前大阪市長らとの会談後、ホテルから出てくる安倍晋三首相=2015年6月19日、東京都千代田区 国民の間に安保法制に関する理解が広がっていないからといって、国民がこれに反対しているわけではない。安保法制成立直後に各社が行った世論調査では、内閣支持率が不支持率を一時下回り、安保法制についても評価しないが過半数を超え、評価するは3割程度に留まった。ただし、評価しない理由は、議論が尽くされていないというものが7割ほどで、法案の中身よりも審議の進め方に対する不満が見て取れる。 安保法制は3月に施行され、4月には南スーダンのPKOで駆けつけ警護が可能となる。日本の防衛に関しても、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)に沿って、作戦計画や運用に変更があるだろう。緊張が高まる南シナ海で、日米が共同作戦を行うこともあるかもしれない。自衛隊の任務が実際に変わる中、安保法制に関する国民の理解を再度丁寧に行う必要がある。 安保法制は、決して戦後日本の安全保障の大転換などではない。日本人は、戦後を通じて憲法の平和主義の理念を維持しながらも、国際政治の現実の中で現実的な政策を積み重ねてきた。今回の法制は、特に冷戦後に日本が直面してきた課題に取り組むために必要最低限の措置を講じるものだ。 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が2014年5月に出した最終報告書では、集団的自衛権の全面行使と国際安全保障活動への全面参加が提言されていた。しかし、政府はこれを受け入れず、集団的自衛権の限定行使と、集団安全保障への部分参加とし、それを安保法制に反映させた。つまり、実際の安保法制の中身は、慎重な世論を背景に、かなり抑制的な中身となっている。言い換えれば、日本の平和主義の理念は十分に反映されているのだ。 政府はこの点を丁寧に国民に説明する必要がある。一方、日本国民はもっと自らの平和主義に自信を持ち、国際社会における日本の役割を議論するべきだろう。

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    民主党は極左を排除して「リベラル純化」せよ

    極左的だ。  東西冷戦終結後における世界の政治では、伝統的な価値観と市場経済への信頼を基調とする保守政党が一方にあり、市場化の流れは容認しつつも、その行き過ぎへの歯止めとか、人権、環境などにおける新しい思想を擁護するリベラルないし穏健左派の政党があって、それが交代で政権を担うのが普通だ。 イギリスでは保守党と労働党、フランスでは共和党と社会党、ドイツではキリスト教民主党と社会民主党。アメリカでは共和党と民主党だ。 アメリカでは二大政党しかないようなものだが、ヨーロッパでは環境派、地域政党、宗教政党、それに過激な左翼や右翼が中小政党として二大政党で吸い上げきれない声を国会で反映させるために存在し、政権参加することもある。 二大政党それぞれのカラーについては、アメリカでは反社会主義が国是みたいなもので、民主党の左派といってもヨーロッパの中道派以上に右寄りであるなど、それぞれの国で違いがあるが、国際的信用を失ったり政策の激変の繰り返しで経済が疲弊しない程度の差で中道右派と中道左派で二大政党になっている。民主・維新の統一会派運営協議会設置総会に臨む岡田克也代表(右)と松野頼久代表=2015年12月15日、国会内(斎藤良雄撮影)  その意味で、岡田克也民主党代表が、翁長雄志沖縄県知事の陳情に対して「辺野古移転以外に選択肢はない」ことを明言したことなどは良かったと思う。辺野古移転は鳩山政権の末期に政策修正してから揺るぎない民主党の方針のはずで、その方針維持がニュースになって意外と受け取られるのは困ったことだが、遅ればせながら態度を明確にしたことは結構なことだ。 リベラルを標榜する限りは、少なくともアメリカや西ヨーロッパの信頼を日本国家が失うような政策提案はやめてほしいし、それは、民主党が政権復帰に値する選択肢であり続けるための最低条件なのである。安倍談話で歴史認識論争は終わったはず安倍談話で歴史認識論争は終わったはず 民主党政権は経験不足と小沢代表時代の浅ましい権力欲から人気取りで非現実的なマニフェストを掲げて政権をとったが、思い通りにいかず一期で下野した。それならば、民主党政権時代より現実的な政策を打ち出すことに踏み切ってこそ、政権復帰の可能性もあるし、また、何かの拍子で復帰したときに前回より長持ちすることになるはずなのだ。 ところが、実際には思いっきり左翼バネを働かして野党らしい野党になってしまった。安保法制についていえば、アメリカとの軍事協力は戦後一貫して、すこしずつだが前進してきた。安保条約締結、安保改定、PKO創設、そして、今回の後方支援である。 これから、世界情勢が軍事協力の必要性を減らすような方向に行ったらいいのだが、そうでないなら、少しずつ協力を前進させざるを得ない。そのときに、憲法違反で解釈はこれからも変えられないのでこれ以上はびた一文無理と言ってしまっては、憲法を改正しない限り対米関係がもつわけない。 辺野古の問題は、自民党政権の時代に、いちおう沖縄も了解したものを、あたかも妙案があるかのように「最低でも県外」といい、それがめどが立たないといって辺野古にもどったのは民主党政権なのだから、尻ぬぐいを安倍政権にしてもらっている立場らしい謙虚さが当然だ。 なにもアメリカの顔色ばかりうかがうのがいいのでないが、日本はアメリカの共和党と民主党と両方がいちおう納得するような外交をすれば、だいたい安泰なのである。アジア各国もヨーロッパもそれなら納得せざるを得ない。 ところが、これまで、戦前から日本は共和党政権とはうまくやれたが、民主党政権とはぎくしゃくし続けて、ルーズベルト大統領との悪い関係が太平洋戦争につながった。そういう意味では、安倍首相も当初は民主党のオバマ首相との関係がもうひとつしっくりしなかったが、周到な努力を重ねて、アメリカ議会での演説と「70年談話」でリベラル派の信頼も勝ち得た。 「70年談話」の示した歴史認識は、ひとことでいえば、あの戦争で「日本は道を誤った」。しかし、「日本が何もかも悪かったのではない」「近代日本の世界への功績も認めるべきだ」ということだったと思う。とくに、アメリカのリベラル勢力にも十分に説得的なものであったことが重要でまさに安倍外交の完全勝利だった。 そして、歴史認識問題はこれで決着がついたのだと思う。保守派の安倍首相が「日本は何も悪くない」という立場を否定したのだから、そういう考え方は個人的な意見としてはともかく、現実的な外交の場で日本政府はもはや取れない。 一方、「日本がすべて悪かった」といわなくても、アメリカのリベラルも納得したのだから、日本の左派が全面謝罪しないと世界で通用しないと言い張ってももはや説得力はないからだ。 それに対して民主党(日本)のいまの傍観者的な立場では、アメリカの民主党政権すら説得できないし、まして、共和党政権になったらどうして付き合っていくつもりだろうか。 中国や韓国とも、安倍政権の足を引っ張ることでお褒めを頂いているだけで、過去と違って世界的覇権を狙って膨張する中国にどう対処するかなんのビジョンも持っていない。 それに、中韓との関係が悪化したのは、民主党政権時代の稚拙な外交で意味なく摩擦を激化させたからで、安倍政権になってむしろ改善しつつある。国際標準と意識がずれている「日本のリベラル」国際標準と意識がずれている「日本のリベラル」  イスラム過激派問題でも民主党は歯切れが悪い。欧米のリベラル派や左派はイスラム過激派に融和的ではない。明確なリベラル派であるアンジェリーナ・ジョリーが「日本が戦後70年で成し遂げたことは明白だ。同盟国、友人、優れた民主国家、経済大国の日本は、現在、国際的な平和と安全のために主導的役割を果たそうとしている。日本は中東に安定をもたらし、過激主義と戦うため、20億ドル以上の支援を表明している。誇るべき貢献だ」といっているのを見ても、国際標準のリベラルの論理と日本でリベラルと自称する人の意識がいかにずれているか如実になっている。 そもそも、奴隷として女性を売買し、女子教育施設にテロをしかけるイスラム過激派ほど女性の人権を踏みにじっている勢力はないはない。それにリベラルや左翼だと称する女性が融和的なことほど不思議なものはない。 経済政策では、アベノミクスを効果が出てないと批判するが、代替案の提案はどこからもないに等しい。それどころか、原発の再稼働や輸出、武器輸出、TPPなどをはじめ、経済成長に役立つ改革にはだいたい政府より後ろ向きだ。 そんななかで、原発については、少なくとも再稼働については、経済的に明らかに有利だという世界の常識を前提に議論して欲しい。原発に限らず、経済的には損だが、他の配慮でやらないということがあっても良いと思うが、経済的にもお得だと強弁してしまっては、真摯な議論ができなくなってしまう。 経済対策については、本当は民主党が自民党より大胆な政策を打ち出せるはずという面もあるはずなのだ。医師会と農協は自民党支持層の核心だ。ならば、民主党は彼らに遠慮せずに改革へ切り込みをできたはずだが、政権獲得時もやらなかったし、いまもやろうといない。それでは、だめだ。社民党の吉田忠智党首 ただし、私は自民党より保守的な小政党があって良いと思っているのと同様に、社民党的な左派政党の価値も認めたい。アメリカ以外にはどこでも非共産党系の左派政党がある。あるいは、社会党や労働党に左派がいる。そういう価値観を持つ人は一定割合いるのだから、受け皿は必要だし、現在の世界で基調となっている市場経済重視の政策に対しては、彼らのような立場からの批判はあってしかるべきでもある。 日本の民主党で、国際的な尺度ではリベラルといえないような左派はむしろ社民党と合体して二大政党の枠外に出れば野党らしい野党としてそれなりの存在感を示せるはずだ。 そもそも社民党は、共産党と戦わないから衰退した。共産党は西欧的な民主主義の政党であるか疑わしいままだ。少なくとも社民党にしても民主党左派にしてもその点においては疑わしい存在でないのだから、社民党は共産党と戦うことで勢力を広げるべきだし、それがリベラルな民主党と連立を組むことで自公連立との対立軸になることは可能なはずだ。 その場合に、社民党は鳩山内閣のときのように、単一の問題で意見が通らないというだけで連立離脱などするべきでない。小政党の意見が議席数以上には通らないのは当然だ。 公明党でも自民党と意見が違うことも多いが、批判があっても安直に連立解消とまではいわない。そういうのが、世界的に常識的な連立政権の作法であるべきだと思う。共産党は西欧民主主義の政党に一新せよ共産党は西欧民主主義の政党に一新せよ 共産党については、もちろん、ヨーロッパの共産党のように西欧民主主義の政党として生まれ変わる可能性はあるし、そうすべきである。ただ、そのためには、党名も変えるべきだし、宮本・不破時代への反省を明らかにするのが大前提であろう。 また、自民党や民主党の政府の政策への批判は明快だが、もし、共産党が政権をとったらどんな国にしたいのかよく分からない。かつてのソ連のような国なのか、あるいは、キューバあたりがモデルなのだろうか。 しばしば、フランスではミッテラン政権に共産党が参加したことがあるのだから、同じではないかという人がいる。しかし、フランスではレジスタンスの過程で、共産党は主力として参加し大活躍した。そして、解放直後の第一次ドゴール政権にも参加した。 そういう経過もあってのことだ。それに、国防や外交については関与させないことになっていたとはいえ、そもそも、もともと反日的な日本の共産党と違って三色旗のもとでレジスタンスの主力として戦ったフランス共産党の愛国心に疑問はない。 ちなみに、フランスで保守政権が徴兵制を廃止したとき、共産党は社会党ともに反対している。ヨーロッパでは左派は徴兵制が民主的で公平だと支持するのが普通だ。徴兵制がいいとは思わないが、国防を真面目に考えない日本の左翼とは大違いである。 選挙協力については、選挙区調整までは、ぎりぎり容認範囲であるが、いまなお西欧的な民主主義の範疇に入らないままの現在の共産党では、それ以上に共闘に踏み込むのは筋が通らない。それをやってしまったら、万が一、政権をとっても、先進民主主護国として非常識な左寄り過ぎる政策をとって短命で終わるしかあるまい。  いずれにせよ、いまの日本の政治地図が保守と極左に二分化されて、リベラルとか穏健左派といえる政治家がほとんどいないというのは、まことに不思議でよろしくないと思う。※日本の自称リベラルの非常識さについては当欄の「悪辣なテレビショッピングと化した古舘伊知郎と『報道ステーション』」や夕刊フジの連載を元にした拙著「誤解だらけの平和国家・日本」(イースト新書)で詳しく論じています。

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    「民主党の政策こそが日本の経済を立て直す本質」〜枝野幹事長が会見

    ができているということはありません。」「我々は20万人の党員・サポーター、47の地方県連を抱える組織政党ですので、国会議員の一部だけで党をなくすとか、一緒になるとか決められる政党ではありません。大方の皆さんは党を立てなおしてもう一度政権を取ろうという考えだ」との認識を示した。  また、共産党の志位委員長が呼びかけている「国民連合政府」構想については、  「理念・政策が決定的に違うので、志位さんがおっしゃっている、"連立政府を組む"というお話は正直言って難しいというふうに思います。野党が別れて戦うと与党を利するだけだ、という思いを共有していることについては評価したいと思いますが、共産党と深い協力をするということでは、逆にそのことで投票を避ける有権者層も一定数いるわけで、結果的に共産党との連携を深めることで自民党が喜ぶ、ということも現実的にはきちっと考えなければならない。」 と述べ、こちらも改めて慎重な姿勢を示した。野党再編については、  「特定の方を排除はいたしませんがないが、いずれにしても民主党主導でなければ、圧倒的な野党第一党が民主党ですから、我々が主導権を取らせていただいて、小さな政党に配慮しながら進めていく以外に無い」 「小選挙区を軸とする選挙制度を採っている以上は、いずれにしろ政権交代というものが選挙制度に組み込まれていますので、私はいずれ必ず政権交代が起こると思います。」 「小選挙区制度を採っている国でも、いわゆる第三極、第三勢力が力を持ったりすることが一時的にあります。しかしそれはイギリスを見ても、大きな波があると思います。日本において、第三勢力に期待をするという波は幸い終わった。終わった時点でうちが第二党であるということですので、第三勢力に期待する次の波が起こるまでに政権交代をすればいい、ということだと思います。」 と述べた。  さらに、民主党の考えが"リベラル"とされる一方で、自民党の党名の英訳にも"リベラル"が入っていることについて問われると、 「今の安倍さんの姿勢は、アメリカで言えば保守派に近いかもしれないし、むしろ極右に近いのかもしれないが、日本の歴史と伝統はアメリカの歴史と伝統は違いますので、アメリカの保守と近いのが日本の保守なわけがありません。日本は"和を以って貴しと為す"に始まる多神教文明をベースとする、アメリカで言えばリベラルな考え方がそもそもの伝統文化で日本の伝統文化に適っているのは、アメリカで言えばリベラルに該当する我々こそが保守本流だと思っています。」 と答えた。冒頭発言の全文冒頭発言 私はここ数日の動きを、党の危機だとは決して思っておりません。  私どものいま唯一と言っても良い最大の課題は、どうやって来年の参議院議員選挙で与党を改選の過半数割れに持ち込みむか、そのための戦いです。  一つのテーマは、安全保障法制をめぐる、「立憲主義」と「法の支配」。これが争点です。念のため申し上げると、「安全保障政策」ではありません。 「立憲主義」と「法の支配」です。これだけでは追い込むことはできない。そしてこれだけでは与党を過半数割れに追い込むことはできないと思っていまして、もうひとつは広い意味での「経済」です。  私どもとアベノミクスの違いをご説明します。 アベノミクスは、短期的な経済政策としては一定の効果を上げていると思いますし、理に適った部分もあるということは認めたい。金融緩和や財政出動は間違いなく短期的な経済にプラスでありますし、規制緩和も、特に労働市場の緩和は、目先の企業収益を上げる意味は持っている。  しかしながら、20年余りにわたる日本の経済の低迷を治療するという意味からはあくまでも痛み止めやカンフル剤にすぎないという風に思っております。本質的な治療をするためには、わが国の潜在成長率を上げなければいけない。これが圧倒的に落ちている中では、いくら短期的な刺激策を取っても効果はない、というのが私たちの考えです。  日本の明治維新後の近代化と戦後復興・高度経済成長期、こうしたものを作り上げてきたのは、二つの意味での「分厚い中間層」です。  一つは経済的な意味での「分厚い中間層」で、これがもともと充実し、それがさらに分厚さを増していったからこそ、日本は輸出主導の新興国型の経済から、内需の拡大による先進国型の経済へと高度成長で転換することができた。  もう一つは、知識、学力、スキルと言ったら良いでしょうか、そういった意味での「中間層」です。明治維新の時点で、当時の世界各国と比較しても、我が国は圧倒的に高い識字率を誇っていました。だからこそ、産業革命による近代文明を短期間で全国津々浦々まで共有することができた、それが日本の近代化、その後の経済発展につながっていったと思います。  これが、この20年の間に急激に崩れてしまっています。貧困の連鎖。親が貧困であるがために、虐待や離婚、当然のことながら、家庭教育も学校教育も十分に身につける機会のないまま義務教育を終えるという子どもの数が急激に増えている。  あるいは日本には「奨学金」という名前の"教育ローン"しかありませんで、本当の意味での奨学金はすくないものですから、意欲と能力ありながら高等教育を断念する若者が増えてきている。さらには雇用の規制緩和によってオン・ザ・ジョブ・トレーニングによってスキルを高める機会に恵まれない労働者は全体の4割を超えている。  経済的に「分厚い中間層」が壊れているということはご承知の通りだと思いますが、これが当然のことながら国内消費を冷え込まえせる大きな要因になっていますし、貧困の連鎖によって少子化がさらに加速するという状況で、これも消費を冷え込ませている。購買力のあるのは、国内金融資産の大部分を持っている高齢者でありますが、高齢者も年金・医療。介護の不安のために老後のために蓄えた資金を消費に回さない。  従って、経済的な理由で教育を受ける機会に恵まれない若者、子どもをなくすこと。そして、安定的な雇用をもう一度取り戻すこと。老後や子育ての安心を確立すること。それらは社会福祉政策ではなくて、経済の抜本的強化のために取り組まなければいけない課題である、と考えています。  いずれも即効性のない、中長期的に効果があるものでありまして、即効性のあるアベノミクスと比較すると、どうしてもアピール力が弱いわけでありますけれども、実は我々の考え方の方が日本経済の成長には効果を上げると自負しています。  皆さんは御存知かもしれませんが、民主党政権3年3ヶ月における日本の実質経済成長率は年率1.7%でありました。しかも、東日本大震災によるダメージを含んでの数字です。安倍内閣は間もなく3年になりますが、この間の経済成長率は年率で0.9%にとどまり、しかも直近の四半期は2期続けてマイナスです。 私は、私どもの政策こそが日本の経済を立て直す本質だと思っておりますし、そのことをしっかり掲げて参院選を戦いたいと思います。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    民主解党しても「根なし草」では泡沫の集団に終わる

    いました。 おおさか維新の会は、大阪という地域に照準を絞っています。紆余曲折がありましたが、再び地方政党という立ち位置の原点回帰をしています。 有権者は数字ではありません。「私と私たち」ひとりひとりが共感できることを主張してくれ、実現しようと努力し、しかももしかすると実現するかもしれないという希望を感じさせてくれる政治家、政党を信頼し、支持します。 小さい集団であればあるほど、数ではなく、いかに深い共感や連帯感を得るかが勝負になってきます。これは戦いの鉄則です。 細野さん、前原さん、そして江田さんは、いったいどのような「私と私たち」のために、新党をつくろうというのでしょう。まずはそれがないと根っこのない浮き草でしかなく、結党から光が消えかかっているのです。(「大西宏のマーケティング・エッセンス」より2015年11月12日分を転載)

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    民主党よ、どこへ行く

    民主党がまたも「お家騒動」に揺れている。共産党が提案した連立政権構想「国民連合政府」に党執行部が秋波を送ったかと思えば、今度は維新の党との合流を模索する「解党論」まで党内で浮上し、最大野党としての存在感は日に日に翳りをみせている。呉越同舟か解体的出直しかー。岡田民主党はどこへ行く。

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    前原、細野ラインでは無理がある  民主・維新の新党構想は烏合の衆

    てからも一向に支持率は戻ってきません。私は、民主党が解党し、維新の党や社民党なども巻き込んで、新たな政党を作るのは一案ではあると思います。前原ー細野ラインが主導権を持ってこのことを行うのは無理があります。いったん、岡田代表ら執行部に預け、民主党執行部も主導権を持つ形で再スタートすることが必要でしょう。時期も今年末にこだわることはないでしょう。政党交付金とかいう変な制度がありますから、今年末の再編の話にもなるのかもしれません。政党交付金のことは無視して進める方がいいでしょう。 解党⇒新党結成となるのであれば、桜の咲く春ですね。参議院選挙まえに、心機一転、新たなスタートを切るというのが最高の時期です。共有する志のもとどのような現実的な政策を作っていくのか。時間もあります。3~4ヶ月かけて、烏合の衆でない政党を作り上げることが必要です。共通の理念と志、そして現実的な政策が新民主党には求められます。民主党が長期にわたっての弱小野党にとどまるか、新たな再スタートをすることができるのか。来年が岐路の時期だと思います。(Yahoo!個人 2015年11月15日分を転載)

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    劣化する左翼リベラル 民主党よ、国民は健全な野党を求めている

    共産党が政権参加姿勢を示すという「戦争直後以来の事件」が起きており、民主党の左翼リベラル思想に基づく政党の体質が変わらないどころか、益々劣化している点にある。 実際、松本剛明氏が離党すると、党内では前原誠司氏らから解党要求が出るなど、大混乱を始めた。2009年から12年まで3年3ヶ月の民主党政権は結局、「政権交代」が目標に過ぎず、その弱点は「政治思想」にあった、というのが「民主党政権悪夢と恐怖の3年3ヶ月」を書いた私の「総括」であった。例えば、東日本大震災、尖閣諸島をめぐる中国との紛争など安全保障問題を解決できない。マクロ経済政策では円高デフレ政策をズルズルと続け、社会保障のために消費税を上げようとした。沖縄の基地問題は、「最低でも県外」と言いながら当初の辺野古基地に戻し、その後全く解決不能に追いやった。当時、「世界の情勢がリベラル政党が主流だから、リベラル政党で政権が獲れる」と指摘され、その安易な発想による日本の国益を考慮しない負の政策は、日本国民にとって大きな不幸であった。衆院本会議で民主党などが退席するなか安保関連法案が可決した=7月16日午後、国会内 彼らの過去の失敗の原因の一つは、民主党が革命的思想ばかりに目を向け、日本の歴史的・伝統的政治手法を無視したことがある。それは事実上、「国家を敵視した反体制的価値観」や、マルクス主義から変化を遂げたかつてのスターリン主義のように、「国家転覆による革命」を目指す共産・社会主義の「階級闘争・革命史観」に追従する思想である。だが、これは政権を獲得するためには有効だが、外部への事実に基づかない「レッテル貼り」や「反対のための反対」に陥りやすい。 実際に、かつては安保法制に理解を示していた岡田代表は、いまや「戦争法案」と呼ぶことに同調し、党内の保守系議員からの批判をよそに、共産党との選挙協力には前向きな姿勢を示している。また枝野幸男幹事長も、自民党の安保法制に対して「相手の出方を見る」と、あたかも中国の毛沢東と瓜二つの発言を行っている。この執行部の言動を見る限り、民主党は3年前と変わっていないようだ。 今回の「国民連合政府構想」でも、民主党がいまだに共産主義を捨てていない共産党と共闘する限り、マクロ的な日本の国益を阻害する方向へと向かざるを得ず、ゆくゆくは、共産党の戦略に利用されて終わるだろう。 もし民主党が本当に政権を取りたいのならば、まずやるべきことは、安倍政権への「外部批判」ではなく、日本と日本人のための「安定的かつ繁栄できる政策」と、「内なる政治思想の変革」だからだ。国民の約4割が安全保障面でも経済政策的にも、日本を守ることの出来る「健全な野党」を求めているのに、それを無視し、反対方向へと向く政治方針への「先祖返り」は、政権時代の経験がまったく生きない「劣化」そのものなのである。

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    民主党vs櫻井よしこ氏の呆れた場外乱闘 民主は「本来の場」で頑張って!

    9月27日のNHK『日曜討論』で国会議員ではない方々が安全保障法制を振り返って議論しました。この中で出演した評論家の櫻井よしこさんが「岡田さん(克也・民主党代表)はかつて、集団的自衛権は必要ですと、民主党政権の外務大臣として言った人が、いまは必要ありませんと180度変わっ」たと指摘したことに対し、民主党が「何ら根拠がなく、公共放送の場を借りて野党第一党の代表を批判し、視聴者・国民に重大な誤解を与え」ることで看過できないとして、櫻井さんに質問状を出したそうです。これに対し櫻井さんは以下のように回答したとのことです。「岡田克也氏が「民主党政権の時の外務大臣として」「集団的自衛権は必要です」と言ったと、私が語ったのは事実です。「外務大臣として」という部分は「民主党が野党時代の幹事長として」の思い違いであり、訂正します。」とまず、事実関係と異なっていた点について訂正。その上で、この”民主党が野党時代の幹事長として”の発言とは、「仮に集団的自衛権を憲法なり法律なりで認めるとしても、きちんと制限を明示したほうがいいだろう。いずれにせよ、より具体的な形で議論すべきだ。」というものだったと指摘しています。私が注目している点は「より具体的な形で議論すべきだ」という部分です。さきの国会でまさに野党第一党の民主党には「具体的な形で議論」して欲しかったからです。このような櫻井さんの回答・反論に対して民主党はさらに再質問するという押し問答を繰り返していますが、民主党には頑張って欲しいと思えばこそ、安保の議論は国会の内で本来もっと精を出すべきでした。安保法制議論を行っている国会会期中、民主党は国会の外でデモの参加者と一緒になって国会に対峙していました。今回もまたリングを降りて場外乱闘戦に自ら出て行ったような形であり、このようなことをやり続けると、逆に「民主党はそこまで追い詰められているのか?」とさえ思われてしまうのではないかと心配します。野党はいくつかありますが、政権経験がある民主党は国民に再び政権を担う能力があるということを見せていく必要があります。有権者は民主党に政権を任せたのにそれを担いきれなかったことを今でも引きずっています。だからこそ過去の失敗を教訓にして未来に向かうスタンスで臨んで行った方が民主党にとってもよいはずです。ある意味では今の安倍総理はそのようにしてリーダーに戻りました。今の国会では、単に反対するだけでなく、よい点は認め、指摘する点はお互い変えていく議論ができる是々非々の野党がほとんど無くなってしまいました。私が維新の会や次世代の党で国対(国会対策委員会)委員長のときは、本当に是々非々路線でした。ところが、残念ながら今はほとんど反対野党と化しています。ぜひここは民主党には、場外乱闘ではなくて、国会議員同士の議論、そして政府との議論に力を入れてもらいたいと思います。(2015年10月5日「中田宏公式WEBサイト」ブログより転載)

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    真の平和の敵はだれなのか 偽りの立憲主義を叫んだ民主党

    岩田温(政治学者) 「平和の敵」。 何度もこの言葉が思い浮かんだ。 老若男女、決して少なくない人々が、安倍政権の進めようとする安保法案に反対の声をあげた。冷静な批判の声よりも、論理を越えた絶叫に近い声で満ちているのが残念だった。 彼らは、日本の将来を憂うるからこそ、反対の声をあげたのだろう。その姿勢は非難されるべきではない。政権がおかしな政策を進めようとする際に、反対の声をあげることは民主主義社会で重要なことだ。 だが、問題は中身だ。 「徴兵制がやってくる」 「立憲主義が破壊される」 「戦争が始まる」 あまりに極端な言葉が並んでいた。 だが、冷静に振り返って見れば、これらの表現は極端で、事実に反するものであった。実際に、法案が成立して以降、徴兵制の導入などなされていないし、戦争も始まっていない。 湾岸戦争以降の国際政治の中で、集団的自衛権の行使は、日本の課題であり続けてきた。「何故、今なのか」と執拗に問い続けていた人もいたが、私などからすれば、「何故、今までこの問題を解決しようとしなかったのか」、と反問したい気持ちになる。  多くの日本国民は、安全保障に関して、知識が乏しい。小学校、中学校、高校、大学を出ても、「個別的自衛権」、「集団的自衛権」「集団安全保障」等の基礎的な知識を身につける機会がない。これは非常に大きな問題だ。だから、極端な議論が展開されても、その極端さが見抜けない。例えば、集団的自衛権を行使すれば、日本は戦争に巻き込まれる、という話ばかりが繰り返された。「有識者」と称する人々が、そういう話を繰り返すのであれば、多くの国民が不安にかられるのは当然と言ってもいい。国会前での安保関連法案に反対する集会に参加、気勢を上げる(左から)生活の党と山本太郎となかまたちの玉城デニー幹事長、民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首=9月14日午後、東京・永田町 だが、集団的自衛権は世界中、どこの国でも保持しているし、殆どの場合、自由に行使が出来る。しかし、世界中で戦争が始まっているだろうか。 日本だけが集団的自衛権を行使容認になると、直ちに戦争が始まるという議論は、日本を特別に貶めるヘイト・スピーチだといっても過言ではない。日本も世界の各国も対等だ。日本だけが集団的自衛権の行使が許されず、仮にその行使が決定した瞬間に戦争になるというのは、論理的に無理のある議論だ。 安全保障の議論は、空理空論であってはならない。集団的自衛権の行使容認によって、「立憲主義」が破壊されるという議論も、おかしな議論だ。調べてみると、今回立憲主義が破壊されると叫んでいる人の多くが、PKO法案に反対し、「立憲主義が破壊される」と叫んでいた人々だ。 しかし、PKO活動が可能になって、二〇年以上の歳月を経た現在、PKO活動で立憲主義が破壊されるという主張はなされていない。自衛隊が海外に派遣され、自然災害等々で苦しんでいる人々を救援していることは、多くの日本国民にとって誇りだ。弱い立場にある人々を救援して、立憲主義が破壊されるとは、滑稽な空理空論でしかない。 多くの憲法学者は、本音では自衛隊の存在こそが、「違憲」だと考えている。多くの事例を拙著『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)で挙げておいたから、参照して頂きたいが、ここでは一つだけあげておく。 「憲法学者のほとんどがそう解釈するように、自衛隊を違憲とみることが憲法解釈としては自然であり、したがって存在そのものが違憲である自衛隊を前提とした自衛隊の海外派遣(派兵)も当然に違憲であり、自衛隊の派遣を内容として含むPKO協力法もまた当然に違憲とみなさざるを得ないものである以上、もし本当に自衛隊の存在やPKO協力法が必要であるなら、そして国民がそれを本当に望んでいるとする自信があるなら、改憲の手続きを先行させるべきであったろう」(横田耕一「立憲主義が危機に瀕している」『世界』1992年、8月号、四〇頁)   私は彼の論理は極端なもので、全く賛同できないが、正直な議論だとは思う。自衛隊が違憲というならば、PKOへの派遣も違憲だろうし、集団的自衛権の行使容認も違憲だ。 だが、何にでも違憲と判断するこの憲法解釈では、我が国の安全保障体制は破壊される。非武装中立では国家を守れない。 本来であるならば、すみやかに憲法を改正し、自衛隊の存在を憲法に明記すべきだ。 だが、憲法改正が為されていないからといって、極端な憲法解釈によって、安全保障体制を壊滅させるわけにもいかないのも当然だろう。  立憲主義が破壊されると叫んだ多くの憲法学者が「偽りの立憲主義」の信奉者であった。彼らの理屈に従えば、自衛隊の存在そのものが違憲なのだから、当然、その主張は、「立憲主義を破壊する自衛隊を解体せよ」としなければならなかった。自衛隊を違憲だと認識しながら、集団的自衛権の行使容認によって、立憲主義が破壊されると叫ぶのは、国民を欺く偽りの立憲主義だ。 今回の対応で、最も残念な対応に終始したのが民主党だった。 本来、リベラルとて、現実を直視しなければならない。だが、彼らは現実を直視しなかった。「非武装中立」こそが正当な憲法解釈だと考えるような極端な憲法学者たちの意見に付き従い、集団的自衛権の行使が立憲主義を破壊する行為であるかのような主張を展開した。しかし、民主党の野田佳彦元総理は、過去に集団的自衛権の行使容認の必要を説いていた。彼らは、立憲主義を否定するような危険な人物を総理として選出したのだろうか。 そうではあるまい。野田元総理の指摘は、常識の範疇に属する指摘だった。我が国の安全保障体制をより堅牢なものとするために、集団的自衛権の行使は、必要だったのだ。 平和の敵。それは現実を見つめようとせずに、偽りの立憲主義で国民を欺くリベラルな人々のことだ。

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    頑張れ民主党! 再浮上に必要なのは「型破りの指導者」と「権力欲」だ

    タビューで「民主党の将来は心配していない」「野党の協力は必要だが、『一つの党に』とはならない」「改革政党の原点に戻って政策を練り直す」「自民党政権に代わり得る選択肢を用意」「泥を被ってでもやる覚悟が必要」と語った。 1年後の14年暮れ、安倍晋三首相が解散・総選挙を敢行した。民主党は12年総選挙に続いて大敗し、「1強多弱」の継続を許してしまう。その直後、岡田党首が実現した。 12年暮れの野党転落以後、民主党の凋落と衰弱は誰の目にも明らかだが、岡田代表は表面上は急ぐ気配はない。党の団結と結束の維持、安倍自民党に代わる政策パッケージと民主党再生プランの用意など、党の足腰強化こそ重要と見て、地固め最重視の方針を取っているのかもしれない。だが、長期低迷中という状況は変わっていない。安保法案での安倍首相暴走という「敵失」で、追い風を背に受けたかに見えたが、安保国会終了後の今年10月7~8日の共同通信の世論調査では、民主党の支持率は10.4%にすぎず、自民党(36.8%)の3分の1に満たない。岡田克也氏、細野豪志氏、長妻昭氏 岡田代表が「3年後」と口にした2016年はとても無理だが、安倍首相の自民党総裁任期と衆議院議員の任期が満了となる「決戦の18年」までに、民主党は自公政権追撃態勢に持ち込めるかどうか。その前に16年夏の参院選で「与野党逆転」を実現して「衆参ねじれ」に追い込むことができれば、政治の景色が一変し、追撃が現実味を帯びる。 参議院の過半数は122議席だが、現在、与党の自公両党の合計は135で、そのうち59が16年参院選で改選になる(非改選は76)。そこで自公両党の当選者数を14減の45以下に押さえ込めば、計算上は与党過半数割れが起こる。岡田民主党の最初の関門は「自公14減」を実現できるかどうかだ。 16年参院選で「衆参ねじれ」、決戦の18年で「1強打破」「与野党伯仲」をつくり出すには何が必要か。2000年以後の2つの事例が手本となる。第1は09年の政権獲得までの民主党の挑戦、第2は09年から12年まで野党を体験した自民党の3年3ヵ月だ。 見逃してはならないのは、09年までの民主党も野党時代の自民党も、「政権交代可能な2大政治勢力による政党政治と政権選択選挙を志向する民意」を頼りに、政権獲得を目指したという点である。「1強多弱」の今も、民意は変わらず政権交代システムと政権選択選挙を希望していると見て間違いない。であれば、現行の選挙制度の下では、「ねじれ」も「一発逆転」も不可能とはいえない。 その民意を視野に、09年の政権獲得までの民主党は、政権交代実現と政権選択選挙に対する国民の期待感の醸成に努め、右往左往や紆余曲折を経て、その期待感を政権獲得に繋げることに成功した。この教訓を生かさなければならない。現在、民主党に対する国民の期待感は完全消滅の状態だが、どうすれば再び国民の期待感を背に受けることができるのか、真剣に考える必要がある。 期待感再醸成の条件は、自公体制との明確な対立軸、自公に取って代わることができる統治能力、それに国民から熱い眼差しを浴びる「型破りの有能な指導者」の3点だろう。だが、残念ながら、現在の民主党の路線と政策、政権担当能力(特に経済政策運営力)、リーダーたちの顔触れでは不合格だ。 一方、3年3ヵ月の野党の自民党は、党再生と自己改革については見るべきものはなかったが、民主党の自滅に助けられ、他力本願で再浮上した。その野党体験から学ぶことができるのは、落ち目にもかかわらず、なんとか持ち堪えた耐久力と党の統一と結束、与党の自滅を誘う攻撃力と仕掛け、それに加えて政権復帰を渇望する飽くなき権力欲だろう。 ここへきて、維新の党の空中分解が現実となったが、最大の原因は、大阪都構想阻止の急先鋒だった民主党との連携に走る党内野党再編派との対立である。民主党側には「維新はいずれ分裂必至。そのときは大阪組以外を吸収すればいい」という声が根強かった。 だが、「維新分裂を待つ民主党」に民意は冷たかった。民主党が政権交代を視野に自公政権を追い詰めるつもりなら、大阪組も含めて維新をまるごと野党側に引き寄せる作戦に立つべきである。連合傘下の労働組合など、都構想阻止の民主党支持層を説き伏せて、民主党全体が都構想支持に回るという選択肢もあったはずだ。大きな民意と結託して大局に立った決断を下せる「型破りの指導者」と、党全体が「政権再奪取を渇望する健全な権力欲」を備えることが民主党再浮上の出発点となるだろう。頑張れ民主党!

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    創価学会が公明党を見限るとき

    公明党と支持母体の創価学会の関係に異変が起きている。結党以来、「平和の党」を標榜しながら、安保法制をめぐる党の姿勢に公然と批判する学会員まで現れた。コバンザメのように自民党にすり寄り、もはや存在感を失いつつある公明党。創価学会との「蜜月」まで終焉を迎える日が来るのか。

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    創価学会 会員の安保反対デモ止めた背景に後継者を巡る動揺

     安保法制への国民の反対運動は、いまや「自民党最大・最強の集票マシン」と呼ばれる創価学会内部に大きな亀裂を生んだ。 デモが全国に広がり始めた頃から、池田大作・名誉会長が定めた「勝利」(赤)「栄光」(黄)「平和」(青)を意味する創価学会の三色旗をバックに、〈戦争法案即時廃案〉〈バイバイ公明党〉──などと書いたプラカードを掲げる創価学会員が参加するようになったからだ。(天野達志氏撮影) 公明党は「平和の党」だと教えられてきた学会員たちが、安保法制に反対するのは自然なことだろう。ところが、法案審議の半ばから、学会員のデモ参加者が増えなくなった。学会上層部からこんな指示が出たというのだ。「最初は何もいわれなかったのに、途中から『デモには行くな』『ろくなコトにはならんぞ』と締め付けが厳しくなった」(デモに参加した学会員) 公明党議員の「安保法案は憲法違反ではない」という説明を聞く集会も開かれるようになった。 創価学会が会員の“戦争法案反対デモ”への参加を止めたのはなぜか。背景には、ポスト池田の後継者選びに絡む組織の動揺があると見られている。 創価学会の原田稔・会長(74)は来年任期(5年。現在2期目)を迎える。前任の秋谷栄之助・元会長は75歳で会長を退いており、年齢的にも原田氏は交代という見方が強い。そうなると次期会長の有力候補は谷川佳樹・事務総長と正木正明・理事長の2人と目されている。創価学会に詳しいジャーナリスト・乙骨正生氏が語る。 「谷川氏は原田会長と同じ東大出身で組織運営に長け、自民党寄りで知られるホープ。対する正木氏は学会主流派の創価大出身で自民党とは距離がある。次期会長には原田会長が推している谷川氏が本命視されているが、正木氏は池田大作氏の長男・博正氏(副理事長)の世話役を務めて池田ファミリーに近く、逆転の可能性もまだ消えていない」 実際、自民党の下野が確実視されていた福田内閣当時、正木氏は聖教新聞(2007年10月4日付)の座談会で「さんざん応援してもらいながら大恩ある支持者を裏切る。逆恨みする。悪党と結託して牙を剥く。そういう恩知らずどもとは徹底的に戦おう」と、選挙協力をした自民党への批判とも受け取れる発言をしているし、2009年に自民党が野党に転落すると次期会長レースで“本命”の谷川氏を逆転したという情報も流れた。 池田氏が元気であれば、次期会長は指名で決まると思われる。しかし、池田氏は聖教新聞でたまに動静が報じられるものの、「学会組織内で2人が次期会長を競うという権力争いが起きているということは、これまでグリップを効かせてきた池田氏の力がはたらいていないということでしょう」(同前)とみられている。関連記事■ 創価学会二代目会長の戸田城聖氏 姓名判断に凝り何度も改名■ 信者一千万人の頂点に君臨する池田大作氏の「謎」を作家指摘■ 回復の池田名誉会長に創価学会幹部面会できぬのは遺産問題か■ 集団的自衛権で公明党議員は真っ青 与党合意が分裂の火種に■ 創価学会婦人部 女性遍歴が激しい舛添氏に反感と学会関係者

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    なぜ創価学会に違和感を持つかがわかった

    ん。 私はたくさんの創価学会の会員さんを知っています。みんなとても良い方ばかりです。でも、それが組織政党となったら、平気で日本の国益とは反することをする。矛盾していると思います。宗教団体は政治にかかわるべきではないと思っております。 違和感、それは日本人としての違和感です。私たちは、世のため人のために自分の命を投げ出す覚悟を持つ日本人です。自分さえよければという考え方を前面に出された信仰をどうしても理解できません。 一心不乱に御題目を唱えれば唱えるほど、御仏の心は違う方に行っているのではないでしょうか。(『井上政典のブログ』より2015年3月23日分より転載)

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    公明党結党50年・自公協力15年——その曲折と妥協の歴史

    にあるが、これまでの道のりは曲折の連続でもあった。同党の歩みを振り返り、直面する課題を分析する。戦後政党史で3番目に長い歴史公明党全国大会で気勢を上げる山口那津男代表(中央)ら=2014年9月21日、東京都港区(栗橋隆悦撮影) 公明党は2014年11月17日で、結党満50年を迎える。また、1999年10月の小渕恵三内閣における自民、自由、公明3党連立内閣への参画以来,“自公協力”は15年となった。 戦後の政党史の中で、公明党は共産党、自民党に次いで3番目に長い歴史を持つ。しかし、その歴史は、保守でも革新でもない“中道”路線、日米安保条約の段階的解消などを掲げた野党時代、1993年の細川内閣における政権与党化、その後の自公対立を経たうえでの「自公協力」、さらには最近の自公連立政権と、曲折の連続であった。 一方で、支持母体である創価学会との“政教分離”問題や出版言論妨害事件など、同党の存立にかかわる問題にも直面してきた。 第2次安倍内閣では、「平和の党」を大看板とする公明党が、集団的自衛権の行使容認をめぐる憲法解釈変更問題で苦渋の選択を迫られた。同党は山積する課題の中で、責任ある政党として国民の支持を得られ続けるか、大きな分岐点にさしかかっている。政界浄化と大衆政党 公明党の結党大会は1964年11月17日、東京・両国の日大講堂で行われた。しかし、創価学会は結党前の56年7月に行われた第4回参議院選挙で、初めて無所属候補として全国区2人、大阪地方区1人の3人を当選させ、第6回参院選(62年7月)までの3回の参院選で15人の参院議員を擁し、「参院公明会」という国会内会派を結成するまでになっていた。 その後、創価学会の池田大作名誉会長が、1960年5月に32歳の若さで第3代会長に就任すると、翌61年11月に「公明政治連盟(公政連)」を結成した。掲げた目標は「政界浄化」であり、その3年後に公明党の結党が実現する。 結党大会で掲げた方針は、①政界浄化②議会制民主主義③大衆福祉―の3本柱で、あいさつに立った池田会長は「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」と、大衆政党としての立場を強調した。 同時に、公明党は、結党のもう1つの基本理念として「王仏冥合」「仏法民主主義」を掲げた。現在では政教分離原則が厳しくチェックされているが、こうした基本理念は仏法の絶対平和思想が、世界を戦争から守る道だとするもの。こうした理念はのちに同党とは切り離された。キャスチングボートを握り野党として躍進 公明党は1956年に参議院で議席を得た後、衆議院に議席を獲得するまで11年かかかっている。しかし、その躍進ぶりは政界の台風の目となり、“黒い霧解散”といわれた67年1月の第31回総選挙では25人を当選させ、自民、社会、民社3党に次ぐ第4党に躍進した。 69年12月の第32回総選挙には47人を当選させ、民社党を抜いて第3党に躍り出た。この結果、竹入義勝委員長、矢野絢也書記長の新執行部体制が発足、政界のキャスチングボートを握った。 だが、政党としての路線は、揺れ動き続ける。結党当初は保守、革新のどちらにも偏しない「中道」を模索していたが、結党2年後には日米安保条約の段階的解消を打ち出し、”反自民”を鮮明にして野党化した。 自民党長期政権のもとでの金権腐敗政治の横行など、政界浄化を掲げた公明党は、さらに野党化の流れを強め、72年の「中道革新連合政権」構想を経て、73年9月の「安保即時廃棄」論へとエスカレートした。自衛隊、安保条約容認で保守化 公明党が“野党路線”から保守化傾向を強めたのは、1978年の第15回党大会以降で、竹入委員長は自衛隊と日米安保条約を容認し、原子力政策推進の立場も明確にした。特に、公明党が自民党の進めようとした有事法制の研究を容認したことで、それまでの「社公民路線」を転換することになった。81年12月の第19回大会では、さらに踏み込み、自衛隊の「条件付き合憲」を容認、安保体制の存続を主張した。 この時期、公明党が構想していたのは、自らを軸とする「中道連合政権構想」で、保守系グループの連携相手は河野洋平(元衆院議長)氏らが76年に自民党を離党して立ち上げたばかりの新自由クラブだったといわれる。 公明党の保守化のもう1つの要因は、同党が国政選挙だけでなく、地方議会での勢力拡大に力を入れてきたことだ。そのシンボルが東京都議会であり、69年7月の都議会選挙では擁立した25人全員が当選、社会党を抜き第2党となった。創価学会の宗教法人認可の権限は東京都にあり、「都議会は公明党の死活問題」とまで言われた。地方議会における与党化が、中央政界における“保守化”を促した。「妥協の連続」だった自公協力15年初の政権参加もあっけなく野党転落 公明党は、「55年体制」の崩壊といわれた1993年の政界地殻変動以降、再び大きく揺れ動く。自民党長期政権の崩壊直後にできた“非自民・非共産”の細川護熙内閣に初めて政権参加し、郵政、労働両省、総務、環境両庁の4つの大臣ポストを占めた。だが、細川内閣の後継である羽田孜内閣が64日間で崩壊すると、次の村山富市内閣は自民、社会、さきがけ3党の連立内閣となり、公明党は再び野党に転落した。 政界再編のあらしが吹き荒れる中、94年12月には公明党を解散し、「公明新党」と「公明」に分党。その直後に「公明新党」は小沢一郎(現「生活の党」代表)氏が率いる新進党に合流するという慌ただしい動きを見せた。 95年の第17回参院選挙では新進党として選挙に臨み、自民党の単独過半数の阻止に貢献する。特に、新進党は比例区で第1党となる大躍進を遂げたが、その裏に創価学会の大きな選挙支援活動があった。 その結果、自民党内に、公明党に対する極めで強い警戒感が生まれた。地下鉄サリン事件(95年3月)などの影響もあって、自民党は政教分離基本法の制定や、池田会長の国会証人喚問要求を突きつけた。自公両党の関係が、最も険悪になった時代といえる。“自公連立”を後押しした94年選挙制度改革 しかし、「自公和解」は意外に早く訪れる。新進党が小沢代表の党運営をめぐる混乱などから97年12月に分党したためだ。98年11月には分裂していた「公明」と「新党平和」などが合流し、「公明党」を再結成。 99年10月には自民党と小沢氏が率いる「自由党」との連立に加わる。小渕第2次改造内閣の時で、「自自公連立内閣」といわれた。保守路線への回帰であり、これ以降、政権与党、野党両時代を含めて「自公協力」は15年となる。 自自公3党の合意文書を交換する前列左から小沢一郎自由党党首、小渕恵三首相、神崎武法公明党代表。後列は左から藤井裕久自由党幹事長、森喜朗自民党幹事長、浜四津敏子公明党代表代行、冬柴鉄三公明党幹事長=1999年10月4日、東京・首相官邸(時事) そして「自公連立内閣」が実現したのは、第2次小泉内閣時代の2003年11月。それまで与党を形成していた保守新党が解散したのに伴い、名実ともに「自公連立」政権となった。 こうした連立・連携の動きは、細川内閣時代の1994年に実現した小選挙区比例代表並立制導入が大きく影響している。2大政党制を目指す選挙制度改革は、創価学会という強力な組織票を持つ公明党にとって、全国区で多くの当選者を出したとしても、選挙区では自民党などの有力政党と連携しない限り、一定の勢力を維持できないからだ。 自民党と連携した背景には、70年代の日中国交回復に関連して、自民党旧田中派との連携があったことや、地方では共産党などの革新勢力と票の奪い合いをするケースが多く、逆に自民党とは地方と都市とで地盤を分け合うことが容易だったことなどが挙げられる。「妥協の連続」だった自公協力15年 15年を迎えた「自公協力」だが、その過程は妥協の連続の歴史ともいえる。第2次安倍内閣での集団的自衛権行使容認をめぐる協議は、すきま風が吹きながらも“条件付き容認”で決着した。公明党に「政権離脱という選択肢はほとんどなかった」というのが実情だからだ。公明党の党大会で続投が正式に決まった山口代表(左)と握手する安倍首相=2014年9月21日午後、東京都港区 2006年12月に成立した改正教育基本法でも、「愛国心」をめぐり自公対立はあったが、最終的には自民党が折れ、公明党の主張した文言を盛り込み妥協が成立している。 一方、自民党にとっても公明・創価学会の支援がないと小選挙区では当選が難しいという事態に直面。「公明党は生命維持装置」とまで言われる状況になっている。 こうした、相互補完関係の結果、2009年に民主党が総選挙で大勝し、政権交代が実現した際も、自公協力は崩れなかった。背景には、民主党が大勝しすぎたため、公明党の協力をほとんど必要としなかったことがある。また、民主党内には公明党・創価学会に対する「政教分離」問題へのアレルギーが、自民党より根強いということもあった。 結党50年の公明党に、今後期待されるのは何か。政権与党として国民本位の政策形成、合意に向けた貢献ができるかにあるといえる。党代表に4選された山口那津男代表は2014年9月の第10回全国大会で、「国民のための政策実現に不退転の決意で邁進する」とあいさつ。井上義久幹事長は「公明党の保守・中道路線の真価は、政治の左右への揺れや偏りを正す」ことだと強調した。出版言論妨害事件で政教分離 最後に、公明党の歴史を振り返る時、「出版言論妨害事件」(1969年~70年代初め)を避けて通ることはできない。69年11月に刊行された藤原弘達明治大学教授(政治評論家)の『創価学会を斬る』に対し、創価学会が猛烈に反発、出版される前から出版社、流通、書店などに露骨な圧力をかけ妨害した。 公明党大躍進の時期であり、その影響は極めて大きく、創価学会・公明党の密接な関係が政教分離原則の観点から激しい社会的批判にさらされた。池田大作会長(当時)は70年に「言論妨害の意図はなかった」としながらも公式に謝罪した。その上で、池田会長は政界に進出しないことを明言するともに、公明党議員は創価学会の役職からすべて離れた。多くの同党議員が創価学会の幹部出身者で占められていたからだ。 あれからすでに45年。高齢と健康問題で公式の場にほとんど姿を見せなくなった池田名誉会長だが、公明党の支持母体が創価学会であることに変わりはない。しかも連立政権の与党として、大きな責任を担う。カリスマ的な創価学会の指導者である池田名誉会長の後継問題が、公明党の今後に影響を及ぼすのは不可避だといえる。

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    創価学会が公明党から離れる日は来るのか

    玉野和志(首都大学東京教授) 公明党は、いうまでもなく創価学会の会員によって支えられている政党である。もともと創価学会の政界進出のためにつくられた政党であり、当初は組織的にも未分化で、きびしい批判を招いたほどである。その後、組織的には分離されたが、公明党の党員が主として創価学会員であることは自明なことであろう。そんな一枚岩的で、不即不離とみられた両者の関係に、今回の安保法制をめぐる一連の過程で、学会内から公然と反対の声が上がったり、国会前のデモに創価学会の三色旗がひるがえったりということで、変化の兆しがみられるのではないかという見方が広がっている。ある時期、創価学会の会員に関する調査を行う機会をもった者として、この点について私見を述べてみたい。 私としては、今回のことはそれほど驚くべきことではないように思う。以前のPKO(国連平和維持活動)協力法のときも、いわゆる「9.11」(アメリカ同時多発テロ事件)以降にテロ撲滅への動きが激しくなったときも、学会内から公明党を含めた与党の方針への反対の動きがあったことは知られている。もともと宗教団体としての創価学会の原点は平和主義にあり、戦時下の弾圧にあってもこれに屈しなかった初代会長牧口常三郎は獄中に没し、同じく投獄されていた二代会長戸田城聖が戦後これを再建したという沿革からいっても、学会内から今回の一連の政治的な動きにたいする反対の声が上がったとしても不思議ではない。 また、私の知るかぎり、一般の学会員は驚くほど率直に幹部への批判を口にする。「幹部といったって、ろくに信心していないやつがいる」とか、「座談会での教義の説明がわかりにくい幹部は、すぐにあいつはだめだという評価になる」といった言葉がよく聞かれる。創価学会はけっして、しばしば一般に信じられているような一枚岩的で上意下達の宗教団体ではない。したがって、公明党を含む与党の政策に反対する声が学会内で上がったとしても、そのことで創価学会のたがが緩んできたとか、組織として変質してきたという話にはすぐにはならないだろう。創価学会と公明党の関係第12回「公明党・創価学会連絡協議会」で創価学会に選挙の協力を呼びかけた公明党の冬柴鉄三幹事長=2003年7月31日(渡辺大輔撮影) むしろ、ここで問題なのは、創価学会と公明党の関係がどうなのかということである。平和主義という創価学会の基本的な思想・信条に一見反するような動きを示した公明党への支持が、今後も維持されるのかどうかということである。この点についても、私の見解は単純ではない。公明党の支持母体としての創価学会のあり方がそう簡単に崩れるとは思わないが、かといって盤石であるとも思わない。実はこれまでもそれほど牢固なものではなかったのである。どういうことかというと、これまでも公明党の動きによって、創価学会員は熱心に応援したり、それほどでもなかったりしたのである。実際に分析したことはないが、選挙の際に獲得する公明党の票数は、そのときどきによってかなり上下しているはずである。 とりわけフレンド票とよばれる創価学会員の呼びかけに応じた学会員以外の票は、そのときどきの創価学会員の本気度によってかなり違ってくる。選挙になると決まって連絡がある知人の学会員の電話の頻度や熱意がいつも同じではないことに気づいている方も多いだろう。私が会った若い学会員は、「選挙で強制なんてできるわけありませんよ。本当に本人が納得していないと、他人に働きかけることなんてできません」といって、世間がよく「組織票」と呼んであたかも自動的に集まるかのようにいうことに疑問を呈していた。自民党と選挙協力をするようになってからは、公明党や公明党の議員への応援ですらなくなったわけであるから、自民党が次の選挙で学会の票を当てにできず、戦々恐々とするのもうなずけることなのである。 かといって創価学会員が公明党以外の政党を支持するようになるかといえば、そう単純ではない。創価学会員と公明党の議員には同じ宗教を奉じているというだけではなく、日常的な議員と支持者との関係が保持されている。「あいつのいうことはわかりにくいからだめだ」という批判が成り立つということは、あいつがどんな言動をするかをよく知っているということであって、公明党の議員はそのような厳しい一般学会員の評価という洗礼を経て、ようやく候補者として認められるようになるのである。党の政策が少々学会員の意向と食い違ってきたとしても、他党に鞍替えする前に党に政策の変更を求めていくのが先だろう。 そうすると問題は、創価学会員の意向と公明党の政策が、どの程度スムーズに調整されていくのかということである。今回公明党は右傾化する自民党に自分たちこそが歯止めをかけているのだという論理で、創価学会員の理解を求めている。これがどこまで通用し、どこで無理がくるかということである。そして、それは公明党と創価学会の関係が崩れたり、創価学会のたがが緩んだりする前に、公明党が自民党との連立や選挙協力をどうするかという方向でまずは調整されるはずである。今回のことに創価学会の衰退や公明党と創価学会の関係の変化を期待する声が多いようだが、それよりも前にまっとうに組織された政治勢力の民主的な政策調整と合従連衡の行く末に注目する方が、よほど生産的ではないだろうか。

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    あの学会員が怒りの独白! 創価学会はもう「公明党教」に成り下がった

    に根差した「平和主義」「人間主義」といった仏法に基づいた政治の世界に反映すべく努力を続けていたはずの政党が、安倍首相・自民党が主導していた集団的自衛権容認のブレーキ役になるどころか、人の命を軽んじてしまう可能性があることに疑問を抱きはじめたわけです。すぐに私は地元の壮年部や党の集まりで、他の学会員に公明党への疑念をぶつけましたが、「行使容認に新3要件を付けたので憲法の範囲内で歯止めを掛けている」と言われ、少ない議員で頑張ってくれていたんだなとその場は思い直しました。 しかし今年6月、衆院の憲法審査会で3人の憲法学者によって安保関連法案が「違憲」と指摘されたことで、それまで聞いていた認識とは違うのではないかと思うようになりました。法案が公明党が言うような歯止めにもならず、与党が名付けた「平和安全法制」が、平和どころか米国の戦争に巻き込まれてしまいかねないと考え、法案成立を阻止しなければならないと立ちあがりました。(天野達志氏撮影) 6月末に学会員以外の色々な人の話を聞きたくて、ツイッターで「ひとりの学会員」というアカウントを取りました。フォロワーからは「公明党は本来の姿を失っている」「私たちが信じている仏法の考え方に基づくこととは違うことをやろうとしている」「絶対廃案させたほうがいい」といったメッセージをいただき、自分だけの認識ではないと意を強くしました。でもツイッターやSNSで議論を交わしていても現実は変えられない、法案撤回を求める署名なら自分でも社会にアクションが起こすことができると考えて7月30日にホームページを立ち上げました。法案反対デモに初めて参加 立ち上げ前の7月14、15日には東京・日比谷の法案反対デモに初めて参加しました。開催をツイッターで知り、自分の思いを形にしたいと思ったからです。ですから私は学会員として安保法案に賛成できないと意味を込めて学会のシンボル、三色旗を持参して臨みました。三色旗を持ってデモに行くことは「なぜ公明党を支援する奴がここにいるんだ」と罵声を浴びせられることを恐れたので、非常に勇気が入ることでした。しかし実際にデモの場に立ってと三色旗を振ってみると、「公明党はもっとしっかりしろよ」とむしろ私を激励してくれる人がたくさんいたんです。そのとき、勇気を出して参加して本当によかったと思います。それからは国会前のデモに何度も足を運ぶようになりました。 署名集めやデモに参加した私に対して、地元の学会員からは特に嫌がらせや圧力などはありませんでした。活動を始めたのがちょうど「友好期間」と呼ばれる夏休みの時期で、会合もなかったことも幸いしたのかもしれません。会合があって他の人と雑談しても、あまりこの話題には触れたがりませんでした。しかしツイッター上や国会前に集った学会員の中には家族から参加をやめるように言われたり、地元組織から疎んじられていたり、嫌がらせやバッシングを受けていたという話は聞きました。 私の国会前デモ参加が一部の極左団体に利用される? どうしてそのような考えになるのか理解できませんし、参加するしないは別の問題だと考えます。第一そのような勢力から金銭的援助を受けたことはありませんし、あくまで私は学会員としての思いを素朴に表現しただけです。ただ賛同してくれる人の中に、この機に乗じて公明党や創価学会叩きを狙う輩がいることは認識していますが、私は利用されたとは思っていません。むしろそんな輩には毅然とノーを突きつけたいます。安保法案の白紙撤回を求める請願書を公明党職員に手渡す天野氏(左) 署名を始めて1カ月で9177人分が集まり、いよいよ公明党の山口那津男代表に請願書を届けることになりましたが、受け取ってもらうまでには紆余曲折がありました。党本部に「山口代表に直接お渡ししたい」と伝えても「代理の人間が受け取る」と言ってらちが明かないので、9月8日に署名を持参して党本部を訪れました。それでも担当者からは「代表は受け取れない。代理の警備員に渡すか、持って帰って欲しい」と拒否されました。頑なな態度が変わったのは3日後、「私一人が党本部に入る」「職員が受け取る」「写真・ビデオ撮影禁止」の条件を提示してきました。それでは納得出来ないので交渉を続けると、次の日ようやく「党本部にもう1人帯同」「職員による撮影」の許可を得て、請願書を手渡すことが出来ました。信じていた公明党とはすっかり変わってしまった 現在の公明党には弱い人間の声を聞く、庶民の側に立つ、戦争には絶対反対し、権力の暴走を監視するという従来持っていた姿勢からは大きくかけ離れました。私たちが信じていた公明党とはすっかり変わってしまったわけですから、来夏の参院選で党に一票を投じたり、友人や知人に支援活動をする気などなれません。党として今回の総括を行い、原点に返らない限り続くことになると思います。 また創価学会も安保法制を推し進める公明党を今も変わらず支援しているわけですから、私はその姿勢には疑問です。地元の会合でも参院選に向けて、党を諫めるどころか支援の動きが活発になりつつあります。学会本部からは三色旗を振ってデモに参加している我々を「とうの昔に学会を辞めた人たちだ」「学会員のふりをしているけどニセモノで、共産党かぶれだ」と言っているようです。幹部を通じて会合の参加者に関わらないほうがいいと警告しているようですね。 それでも私は学会員として活動を続けて行くつもりです。本来の創価学会の仏法の考え方であれば、学会員であれば安保法案に必ず反対するはずなのに、政治の世界が絡んでしまって「法案の中身はよくわからないけど、私達の信じている公明党だから間違いない」という論理で進んでしまっているんでしょう。つまり今の学会員は「公明党教」になってしまっている。非常に危険な考え方を心配して、国会前で声を上げていたわけです。でも異論を唱える人々は学会内部でレッテルを貼られたり、会合に呼ばれなくなって、最悪除籍の場合もある深刻な状況が生まれつつあります。だから私が創価学会にどこまでも身を置いて正しいことを貫くことで、他の学会員にも目を覚まして欲しいと願っています。 私は池田大作名誉会長を指導者として尊敬しています。何より学会を築き上げた第3代会長ですし、池田先生が書かれた著作や各国要人との対談集も精読し、私は「師匠」と呼んでいます。安保法制が間違いだと思うようになったのも先生の対談集がきっかけのひとつです。有名な英国の歴史学者、アーノルド・J・トインビー氏との対話本「21世紀への対話」の中で、先生は集団的自衛権に絶対反対で、憲法9条を守らなければいけないとの主旨を明確に述べられていました。そんな池田先生の平和哲学こそが仏法の根幹の思想だと思っています。ですから先生の著作に書いてある内容なのに、先生を尊敬しているほかの学会員はなぜ安保法案に賛成なのか、本を読んでいないのかと疑問に思ってしまいますね。(聞き手・iRONNA編集部、松田穣)

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    創価学会と公明党 いまでも本当に一体なのか

    員は、創価学会の幹部を辞職し、池田氏も、政界へ出ないことを約束したのである。 その際に、公明党は国民政党へ脱皮することをめざし、支持層を創価学会の会員以外にも広げようとした。しかし、それは難しく、結局、公明党は選挙活動については創価学会に全面的に依存する形が続き、それは今日にまで至っている。 選挙のときのことがあるために、一般の人たちは、創価学会と公明党が一体であると感じる。しかし、人的な面で政教分離がはかられたことの影響は大きい。創価学会と公明党は別の組織になり、両者が協議する機会も限られている。創価学会が公明党の政策に口出しすることもほとんどなくなった。 政教分離以降の公明党は、安保条約の即時破棄を打ち出すなど、革新寄りの姿勢を示したことがあるが、それはあくまで社会党や民主党と連携して中道革新路線による政権奪取を目指してのことで、創価学会の意向が反映されてのことではない。 創価学会本部別館 逆に創価学会の側も、1974年に、日本共産党とのあいだで、お互いに誹謗中傷しないことなどを約束した「創共協定」を結ぶが、その際には、公明党にはそれを知らせないまま実行した。 一度、組織が分離されると、時間の経過とともに、両者の関係は離れていく。公明党の議員も、創価学会のなかで活動した経験の乏しい人間がなるようになり、それに拍車をかけた。 今回、安保法制をめぐって、創価学会の会員のなかに、公然と公明党の方針を批判する人間たちが現れたのも、こうした創価学会と公明党との歴史が関係している。 創価学会としては、政教分離の建前がある以上、公明党の政策に公然とは干渉できない。公明党が、政権与党の座にとどまるために、自由民主党に対して過度に歩みよっても、それを是認するしかない。 そうなると、公明党は、自民党の方針に引きずられていく形になる。いくら、公明党が歯止めをかけたと主張し、創価学会も『聖教新聞』などでそれを評価してたとしても、それに納得しない学会員が出てくる。一般の国民がそう思っているように、彼らにも公明党は自民党に利用されているだけに見えてしまうのだ。 現在では、強力な集票能力をもつ圧力団体は、農協に代表されるように、消えつつある。そのなかで、創価学会は依然としてその力を有し、公明党を支えるだけではなく、自民党が政権の座に座り続けることを可能にしている。 そうであれば、公明党が自民党と連立を組んでいることそのものが、今回の安保法制の実現を可能にしたとも言える。これはあまり指摘されていないが、創価学会の会員のなかにそれに気づいた人間たちもいることだろう。 今、軒並み宗教団体は、既成宗教であろうと、新宗教であろうと、信者の高齢化などで危機にある。創価学会も、世代交代は実現したものの、若い会員は、年配の会員に比べて選挙活動に熱心ではない。 池田が表に出なくなった影響もある。今回の出来事は、創価学会自体が一枚岩でなくなりつつあることを象徴しているのではないだろうか。

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    わが国の平和と安全を真面目に考えられなくなった日本共産党

    筆坂秀世(政治評論家)「上からの演繹」で多くの判断間違い どの政党でも自らを天まで持ち上げる傾向があるが、なかでも日本共産党という政党ほど、自己を持ち上げる政党はあるまい。最近でこそ、「前衛」という言葉や労働者階級の中での「最高の階級的組織」などという言い方はしなくなったが、革命の指導政党としてあらゆる組織や運動の一段上に立つ組織というのが、共産党という政党の最大の特質なのである。社会主義国の憲法に、表現はいろいろだが共産党が「指導政党」として明記されていることでも、そのことは明らかである。 こういう絶対的権威を持つ政党は、知らず知らずに無謬主義(誤りを犯さない)に陥ることがある。だが実際には、どうか。文学者、評論家で東大教授でもあった竹山道雄著『昭和の精神史』(中公クラシックス)に次のような指摘がある。「まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである。(中略)このような『上からの演繹(えんえき)』は、かならず間違った結論へと導く。事実につきあたるとそれを歪(ゆが)めてしまう。事実をこの図式に合致したものとして理解すべく、都合のいいもののみをとりあげて、都合のわるいものは棄てる」。まさしくこの通りである。 例をあげればきりがないが、朝鮮戦争(1950年~1953年)も最初はアメリカ帝国主義が仕掛けた侵略戦争という評価であった。社会主義国は「平和・進歩勢力であり、侵略などしない。悪いことはしない」という原理を先に立てていたから、このような判断違いを犯す。社会主義国の核実験は「防衛的」などというのも同じ類である。このような事例は、枚挙にいとまがない。ソ連が崩壊した時、ソ連を「巨悪」と表現して崩壊を歓迎してみせたが、そのソ連を社会主義国として最も高く評価してきたのは、日本共産党であった。レーニンの時代は良かった、スターリンになって変質したというが、そのスターリン時代も、その後も、基本的にはソ連を社会主義国として評価してきた。これによってどれほど多くの若者を誤導してきたことか。このことへの反省は微塵もない。 もっと言えば、「前衛」だとか、「最高の階級的組織」などという思い上がった共産党の立場こそが、一党独裁、全体主義を生み出してきた。このことへの根本的反省こそなされるべきであろう。融通無碍―憲法9条に唯一反対した政党が「9条は世界の宝」と いま日本共産党は、「護憲」を大看板にしている。だが憲法制定時、日本共産党は天皇条項と9条に明確に反対し、政党としては唯一現憲法の制定に反対していたのである。その政党が「憲法9条は世界の宝」というプラカードを掲げているのを見るとあきれ果てるしかない。参議院本会議で代表質問をする日本共産党の野坂参三議長=昭和39年1月24日 1946年8月24日、衆議院本会議で反対討論に立った野坂参三は、次のように述べて憲法9条に反対している。 「現在の日本にとってこれ(草案第9条)は一個の空文にすぎない。われわれは、このような平和主義の空文を弄する代わりに、今日の日本にとって相応しい、また実質的な態度をとるべきであると考えるのであります。要するに当憲法第二章は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえに我が党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない」 誠に正論である。当時、吉田茂首相が自衛権すら否定する答弁をしていたこともあったが、平和主義を空文とまで批判しているのである。もともと改憲政党であった 最近、共産党は、その後、吉田首相が自衛権は保持していると国会で答弁したのでこの評価を改めたと説明している。 だがそうではない。野坂討論は、民族の独立のためには、自衛権を持ち、自衛軍を持たなければならないと主張しているのである。他方で現在の9条の下では、自衛隊は憲法違反の軍隊だと規定している。ではどうやって民族の独立を守るのか。憲法9条を改正し、憲法で認められた自衛軍を持つというのが、共産党の立場でなければならないはずだ。 実際、共産党は1990年代後半まで、改憲を目指していた。1973年11月の第12回党大会で「民主連合政府綱領提案」が採択されるが、自衛隊は憲法違反なのでいったんは解散させるが、その後、憲法を改正して「最小限の自衛措置をとる」としていた。1985年版『日本共産党の政策』という政策集でも、「将来の独立・民主の日本において、国民の総意で最小限の自衛措置を講ずる憲法上の措置が取られた場合には、核兵器の保有は認めず、徴兵制は取らず志願制とし、海外派兵は許さないようにします」と明記していた。どこから見ても疑いようのない改憲政党だったのである。 一国の独立、民族の独立を考えるのであれば、至極まっとうな立場であった。それが日米安保条約も廃棄する、自衛隊も解散させる、という丸腰論にまでなってしまったのが、現在の共産党である。 ただ卑劣なのは、自衛隊の解散も、日米安保の廃棄も、「国民合意でやります」と言っていることである。こんな国民合意などできるはずもないことを百も承知でこういうのである。つまり自衛隊の解散も、日米安保の廃棄も真面目で、本気の主張ではないということだ。 少なくとも憲法制定時の日本共産党の態度は、日本の平和と安全にもう少し真面目に対応していたはずだ。にもかかわらず憲法が公布されてから68年、いまでは日本の平和と安全を真面目に考えることが出来なくなってしまったということでもある。核エネルギーの平和利用が一貫した主張だった 日本共産党は、もともと核エネルギーの研究・開発に賛成の立場であった。核実験についても、かつてはソ連の核実験は「防衛的」なものとして賛成していた。そもそも核エネルギーの平和利用について、原理的に反対したことは一度もない。それは当然のことで典型的な進歩主義である科学的社会主義の立場に立つなら、新しい技術開発やエネルギー開発を肯定するのが当然だからである。 だからこそ終戦直後には、共産党は「光から生まれた原子、物質がエネルギーに変わる、一億年使えるコンロ」(日本共産党出版部『大衆クラブ』1949年6月号)とか、「『原子力を動力として使えば、都市や工場のあらゆる動力が原子力で動かされ』、冷暖房自在で『飛行機、船舶その他ありとあらゆる動力として、つける』」(日本共産党当時書記長徳田球一の『原爆パンフ』)などと原子力を絶賛していた。 広島、長崎への原爆投下についても、終戦直後に批判したことはなかった。なにしろポツダム宣言を絶賛し、占領軍を「解放軍」と評価したぐらいなので、ある意味当然のことであった。 その後、既存の原発の安全性について、厳しい批判を行ってきたことは事実である。だがそれでも「核エネルギーの平和利用」を否定したことはなかった。 それが3・11以降、急きょ「原発ゼロの日本」を主張し始めたのである。だが共産党の政策文書を見ると「脱原発」という表現はなく、「原発ゼロ」という表現で統一されているようだ。原発をゼロにするための廃炉などのために、原子力の基礎研究は引き続き行うとしているが、「平和利用」のための基礎研究は行わないということなのだろうか。 行わないとするならば、「平和利用」を主張してきた政党として、そもそも「平和利用」という主張自体が原理的に間違っていたという総括をすべきではないのか。そうでなければ無責任の誹りを免れないであろう。

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    いまの自民党がつまらなくなった

    戦後70年の今年、自民党にとっては結党60年の節目である。戦後日本の政治史をひも解けば、それは自民党政治の歴史と言っても過言ではない。この60年、自民党は何が変わり、これからどんな未来が待っているのか。

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    特殊な集合体「自民党派閥」の変遷と実体

    けは論功行賞にありついたという図式となりました。 自民党の派閥といえば、中選挙区(後述)時代は一つの政党に匹敵するぐらいの力を持っていて「領袖」と俗称される派閥トップへの就任が総裁へのステップだった時代もありました。そこで、自民党の派閥とはいかなる歴史があり、実体はどうなのか?について、改めて振り返ってみます。今いくつある? 自民党の派閥 「派閥」は非公式で私的な集団で主に自民党内のグループを指します。一般の会社でもよく「派閥」という言葉が用いられますが、事務所まで設けて独自活動するケースはみられないので「自民党の派閥」は特殊な集合体です。 また「派閥」はたいてい表向きは政策集団を装っていて対外的にはそちらの名称を名乗るのが普通です。岸田派の「宏池会」のように。多くは定例会を木曜日に開きます。 現在存在する自民党の派閥は主に8つ。他に谷垣禎一党幹事長の谷垣派(約30人)がありますが他派閥に「本籍」を置いている議員もいてマスコミのなかには「谷垣グループ」と区別しているところもあります。・細田派(細田博之)95人・額賀派(額賀福志郎)53人・岸田派(岸田文雄)45人・麻生派(麻生太郎)36人・二階派(二階俊博)34人・石破派(石破茂)20人・石原派(石原伸晃)14人・山東派(山東昭子)10人(人数は朝日新聞9月29日付朝刊を参照)主な派閥の歴史とそれぞれのカラー 戦後の2大保守政党であった吉田茂氏が率いた自由党と鳩山一郎氏の日本民主党が1955年に合同して自民党が誕生しました。派閥の源流は吉田系と鳩山系、および日本民主党の前身にあたる改進党の三木武夫氏の流れが加わります。吉田系(自由党系)の後継が後に首相となった池田勇人氏と佐藤栄作氏の池田派と佐藤派。鳩山系(日本民主党系)の後継が岸信介氏と河野一郎氏の岸派と河野派。そこに三木武夫氏の三木派が加わります。この5派から現在の派閥の経緯を確認すると・池田派→岸田派、麻生派、谷垣派・佐藤派→額賀派、石破派・岸派→細田派・河野派→二階派、石原派・三木派→山東派と分類できます。石破氏はかつて額賀派に所属していたので佐藤派系統に入れています。 派閥の名称で有名なのは前述の宏池会(岸田派)のほか、佐藤派系の田中角栄氏が率いた「木曜クラブ」と跡を襲った竹下登氏の「創政会」(後の経世会)、岸派の跡目である福田赳夫氏が作った「清和会」(後継の現細田派も「清和政策研究会」を名乗る)などが有名です。総裁へのステップと内閣改造で存在感 自民党結成の55年保守合同そのものが吉田自由党と鳩山日本民主党の2大潮流があり、党そのものが最初から一つの政党というより派閥(実質的政党)の「保守連合」の趣がありました。一般に吉田系が「ハト」(穏健)、鳩山系が「タカ」(強硬)とみなされてきています。 こうした政策的な違いに加えて派閥は1947年から93年まで続いた衆議院議員総選挙で採用されていた中選挙区制(1つの選挙区からおおむね3人から5人を選出)が存在感を増す理由となっていました。55年体制から93年の総選挙で敗れるまで自民党は83年~86年の新自由クラブとの連立を除いて単独与党でした。過半数維持のためには3人区で1人ではダメで2人当選を目指します。4人区、5人区となるとさらに当選者を増やさなければなりません。同じ選挙区で自民党同士が争うわけです。 となると、普段から仲良くしている同派閥で戦えず他派閥と表立っては「協力」しながら、実際には党内同士で血で血を洗う選挙戦を展開したのです。その結果、最大派閥になれば自民党総裁選挙で有利になるので領袖は少しでも議員数を増やそうと集金力や人材発掘に力を入れ、新人議員は領袖を「オヤジ」と称して奉仕し、当選回数を重ねるごとに重鎮となっていき、やがては派閥を譲り受けたり、反乱を起こして乗っ取ったりして次代の領袖を目指していきます。疑似血縁関係にも似た構図です。自民党初代首相の鳩山氏から竹下氏までの歴代首相は鈴木善幸氏を除いて領袖です。鈴木氏にしても急死した大平正芳首相の大平派(池田派の流れ)の家老のような存在で後に派を継承したので事実上の領袖です。 中選挙区制度下の自民党は政権が行き詰まるとカラーの異なる別派閥の領袖を立ててイメージを変えるという疑似政権交代をしばしばやってきました。タカ派の岸内閣が60年安保条約改定と引き換えに辞任するとハト派の池田勇人氏に代わったり、田中首相(佐藤派の流れ)が金銭スキャンダルで追われた際には「クリーン三木」として清潔イメージがあった三木氏を押したりといった具合です。田中氏と福田氏のようにガチンコ対決で生きるか死ぬかの抗争を展開した例もあります。 いずれにせよある領袖が総裁(単独政権下ではイコール首相)になると他派閥は少しでも内閣に自派の議員を押し込もうとします。総裁(=首相)もある程度は飲まないと足下が不安定になるので各派閥の推薦リストに沿って受け入れてきました。内閣改造も同じで当選回数を重ねた「適齢期」の議員を内閣に入れてバランスを取ります。この手法は述べ約150人もの大臣を「製造」した吉田氏以来の伝統でした。ただあまりに入れ替えると「クビを切られた」との怨念が渦を巻いて内閣を弱体化させる欠点もあり改造人事は現在でも大変難しいとされています。中選挙区時代に権勢を誇った派閥中選挙区時代に権勢を誇った派閥昭和54年10月の衆院選で自民党が敗北し、記者会見する大平正芳首相 岸、池田、佐藤の3氏だけで5612日、15年以上にわたる長期政権が続いた後に、三木、田中、大平、福田、中曽根康弘(河野一郎派の流れ)の「三角大福中」の5氏の領袖による政権争奪戦はすさまじいものがありました。田中氏から三木氏へのバトンタッチ後は党内から猛烈な「三木降ろし」が吹き荒れ、結果として政権についた福田氏は政敵の大平氏を幹事長(総裁が首相職で忙しいため事実上の自民党トップ)にすえて安定を図るも再選を目指した総裁選の予備選挙で宿敵田中氏の強力な援護を受けた大平氏にまさかの敗北。 大平政権では福田氏らが反主流に回って国会の首相指名選挙で自民党から大平、福田の2氏が争うという異例の展開となり、かろうじて制した大平氏も野党が出した不信任決議案が福田派や三木派が大量欠席したため可決成立してしまい解散を選択し総選挙中に急死。 鈴木氏を挟んで政権を握った中曽根氏はロッキード事件のただ中にあった田中氏の支援を受け「田中曽根内閣」とからかわれていたのもつかの間、田中氏が東京地裁判決で実刑となるや田中氏との決別を宣言し得意の「風見鶏」の姿勢を露わにする……など凄まじいバトルを展開しました。田中氏のロッキード事件についても「政治は数。数は力。力はカネ」というあけすけな政治信条が「熱いお金」に手を突っ込ませたところが背景にあると推測されます。小選挙区制への移行で弱体化 前述のように派閥政治の源泉ともいうべき中選挙区制が93年発足の細川護煕非自民連立内閣が進めた「政治改革」で現行の小選挙区比例代表並立制に変わり、また派閥の弊害の最たるものとされたうさんくさいカネ集めを止めるべく導入した政党交付金によって派閥の意味に違いが生じてきました。 それ以前にも派閥の限界を感じさせる出来事はありました。平成に入って最初の首相である宇野宗佑氏と次の海部俊樹氏はいずれも領袖ではありません。海部氏の後の宮澤喜一政権(領袖。池田派の流れ)で自民党が野党に転落し細川内閣が誕生。そこでの改革が大きな変化を生みます。 小選挙区は1選挙区で1人しか当選しません。同一選挙区で他派閥と公認権や当落を競う必然性がなくなったのです。公認権を持つのは幹事長。したがって小選挙区導入時は党執行部が権力を握りました。野中広務、古賀誠といった大物幹事長が差配しました。 ところが2001年に誕生した小泉純一郎政権あたりから雰囲気が異なってきます。「偉大なるイエスマン」といわれた武部勤氏を幹事長にすえるなど総理総裁が自ら候補者を決める権限を振るい始めたのです。真骨頂が2005年の「郵政選挙」で首相が推し進める郵政民営化に反対した自民党議員を公認せず、おまけに対立候補を公認して送り込むという徹底振りで大勝しました。 小泉首相は政権発足から派閥の大臣推薦リストも無視してオリジナルな組閣を心がけました。派閥の大きな役割であった「適齢期に順送りで大臣になれる」システムも崩壊したのです。以後の自民党総裁・首相で領袖なのは麻生氏のみ。小泉、安倍、福田康夫の各氏は違います。人材育成などで派閥の功績も 「三角大福中」や「安竹宮」(安倍晋太郎、竹下、宮澤の各氏で派をあげて首相を競った)時代を知る政治家や記者の多くがこう言います。「ロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件……。確かに自民党の腐敗はひどかったし、政策無視の政争も醜かった。でも」と。当時の政治家は今に比べてスケールが大きく、その育成は派閥の功績だったかも知れないというのです。 中選挙区時代は同じ選挙区の自民党議員と似たり寄ったりでは勝ちが覚束ないので違いを出すためにもさまざまな意見や主張が交わされました。派閥の領袖や先輩議員はカネを配るだけでなく選挙のイロハから教え込み、当選後は派閥ごとの得意分野の委員会などに所属して「族」となっていきました。この「族」もまた派閥政治の弊害とみなされる半面、一定分野に精通した専門家を育てたという面もあります。派閥を継承させるのが目的とはいえ有望な若手・中堅を次代の担い手に引き上げようという気風もみなぎっていました。田中氏は佐藤派に属しながら分離独立して田中派を立ち上げ、竹下氏はその田中派から分離独立しました。いわば飼い犬に手をかまれたも同然ですが、それでも「こいつはできる」という人材を排除せず要職にすらつけたのです。 中選挙区は総得票の3分の1程度かそれ以下でも取り込めば当選可能でした。だから明確なカラーを打ち出しやすかったという面もあります。ところが小選挙区は仮に2大政党の激突となれば理論上51%を制しなければなりません。どうしても総花的な主張になりやすくなります。 選挙区の小ささも問題で例えば東京都世田谷区は2つの選挙区をまたいでいます。区長選挙より狭いのです。当然そこでの議論も天下国家より身近な話題となりがちです。一方で「勝てる候補を」と考えるとどうしても地元に知名度がある二世や世襲が増えてきて大衆の生活目線など味わった経験のない「殿様」「姫様」を擁立する傾向にあります。 派閥の力が低下したと言われるなかかつて「脱派閥」を唱えていた石破氏が新派閥を作るのはなぜでしょうか。一つには大臣こそ派閥順送りが廃されつつあるも、政府の副大臣、政務官や国会の役職、党役員人事などではまだまだ権限を振るう余地が大きく無派閥のままではそこに仲間を送り込んだり国政選挙で新人に公認をもらったりといった効果が期待できないためでしょう。総務省に派閥を政治団体として届け出れば政治資金パーティーも開けます。パーティーは既存の派閥も有力な資金源としているのでカネの面での配慮でもあるようです。 岸田派は今回の内閣改造での冷遇で反主流派となるかというと、どうもそうした気配がありません。岸田氏自身は総裁選無投票に協力したのに待っていたのがこの仕打ちとなると、反安倍というより「うちのボスは大丈夫か」との方角へ向かいかねません。半面で古賀氏の影響力も衰えるでしょう。「安倍1強」状態維持で打った今回の人事はどうやら安倍氏の勝利に終わりそうです。ばんどう・たろう 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】

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    田原総一朗がひも解く自民党60年の政治史

    角栄が総理大臣になるとき、そう1972年ですね。香山健一とか佐藤誠三郎とか、公文俊平あたりが、新しい政党の在り方、みたいな論文出すんですよ。その論文が何だったかと一言で言えば、これからは自民党に投票される票数が減っていくという内容だった。要するに、自民党も社会党もどんどん減っていって、これからは無党派層が増えると展望した。 では、彼らが指摘した無党派層とは何かと言うと、政治に無関心な層といった意味ではなく、従来の自民党の在り方、従来の社会党の在り方に不満がある層が増えていると。これになんとしてでも手を打たなきゃいけないと。で、時の内閣は何をしたかと言えば、香山健一とか彼らを自分たちのブレーンにして、大平が「田園都市国家構想」とかね、いろんなものをつくった。 これからは経済中心の時代ではなく、人間中心の時代へ変えなきゃいけない。もっと自民党が自由に討論できる党にしなけりゃいけない。大平の指示で9つの委員会をつくって百数十人の学者、文化人を大量動員して検討を始めたんだけれども、大平は(一般)消費税を導入するというようなことを言い出して、自民党が選挙に負けちゃった。それから自民党内では「四十日抗争」があって、また選挙をしたんだけど、大平が選挙の途中で死んでしまった。その後、大平がつくったブレーンをそのまま自分が引き受けて活用したのが中曽根康弘だった。1983年11月、東京・西多摩の山荘で、来日したレーガン大統領(奥)、ナンシー夫人にお点前を披露する中曽根康弘首相 だから中曽根政治ってのは大平政治そのものなんです。その中曽根は自分が総理大臣になるまでは「憲法改正」と言ってたんだけど、総理大臣になった途端、改正を言わなくなった。それはなぜか。香山健一も書いてたんだけど、当時は自民党内でもリベラル勢力が強かった。共産党や社会党も今よりはずっと強かった。中曽根にしてみれば、もし憲法改正を前面に出してしまえば、自民党に獲って代わってリベラル政党が政権を獲るんじゃないかという恐れもあった。だから自民党はね、党内の派閥の結束を固めて、ミニ政党と手を組まないと政権維持できなくなった。こうした側面もまた、自民党の戦後政治の流れなんです。 この流れはしばらく続いたんだけど、これがひっくりかえる大事件が起きた。1980年代末のリクルート事件ですよ。この事件をきっかけに、これまでの選挙区制度をめぐる国民の不満が爆発した。現在の小選挙区制になる前は中選挙区制でしたよね。中選挙区制で自民党が政権を維持しようと思うと、例えば5人区の中で過半数以上の3人は当選させなきゃいけない。仮に当選した3人は、政策が基本的には同じなんだから、どこに差が出るかと言えば、やっぱり金だ。だから金権選挙になる。金権選挙になれば、当然選挙のための腐敗を招く。 リクルート事件では自民党の幹部たちがみんなやられちゃったから、国民世論は「金権選挙はダメだ」となって選挙制度改革が進んだ。僕もその時、当時宮沢内閣の副総理だった後藤田正晴に言われて「やっぱり小選挙区がいいな」と思った。そのことを後に僕が宮沢さんへのインタビューで突っ込んだんだけど、宮沢さんは全然はっきり答えなかったんだよね。 あの時は僕が宮沢さんをつぶしちゃったとか世間から言われたけど、宮沢さんは政治改革ができなくて結局失脚してしまった。長く続いた自民党政権の終わりを告げる「55年体制」の崩壊なんて当時は騒がれたけど、その後に誕生した細川護熙内閣で選挙制度改革が行われ、中選挙区から小選挙区に変わった。今になって思えばね、小選挙区になったことは良くないと思うんだ。どうもこれが社会を悪くしたと思っている。 小選挙区制は一選挙区で1人しか当選しないでしょ? でも自民党の良さはね、反主流派と非主流派がごっちゃになって絶えず足の引っ張り合いをやっているのが良かったんです。言い換えれば、党内の右も左も自由に討論出来るところが良かった。55年体制当時、自民党の総理大臣が失脚するきっかけは必ずといっていいほど、時の反主流派の台頭によって潰された。社会党や共産党に潰されるんじゃない、反主流派によって潰されたんです。 僕もそうだったけど、当時の政治記者って、社会党や共産党には全然興味ないんですよ。自民党の主流派と反主流派の喧嘩を取り上げるのがとにかく面白かった。これが日本の政治を決める真の論争であり抗争だった。ところが、小選挙区制になって反主流派がいなくなっちゃった。だから、自民党の中でも論争が行われなくなった。やっぱりね、かつての方が良かったんじゃないかな。今の自民党は、安倍首相の「独裁」とか揶揄する人もいるけど、これは安倍が悪いわけじゃない。自民党の中に非主流派や反主流派がいなくなっちゃたことが一番悪い。自民党の中でかつてのような論争が起こらないことが悪い。まあ、強いて言うなら、公明党が唯一、自民党の非主流派の役割をしているみたいなもんだよね(笑)。小泉純一郎を「天才」だと思う理由《55年体制崩壊後、細川護熙率いる連立政権が樹立し、自民党は戦後初めて下野した。当時流行した「新党ブーム」が沈静化すると、自民党は紆余曲折を経て再び政権与党に返り咲いたが、それまでの派閥政治を打破する政治家の登場で自民党はその後大きく姿を変えることになる。そう、小泉純一郎である》 小泉内閣の誕生については、僕は詳しい一人だと思うんだけど、あの時はね、小泉内閣で政調会長や幹事長をやった中川秀直から突然連絡があったんです。「田原さん、一回飯食おうよ」って言われ、東京・赤坂の料理屋の2階で中川と一緒に飯を食った。そしたらね、中川が大真面目な顔で僕にこう聞いてきたんだよ。自民党総裁選挙、小泉純一郎候補(右)のスーツに付いた埃をとる、応援に駆けつけた田中真紀子議員=2001年4月20日、神戸市中央区 「いま小泉純一郎が総裁選に出ようか出まいか迷っている。田原さんはどう思う?」。いきなりそんな事聞かれるから、僕も冗談半分に「今までの自民党は、経世会に全面的な支持を受けるか、あるいは経世会の人間しか首相になれなかった。もし、小泉が経世会の田中派とまともに喧嘩するというなら僕は支持してもいいなー」と言った。でもその後すぐにね、こうも付け加えたんだ。「でもね。経世会とまともに喧嘩したら暗殺されるかもしれないよ(笑)。小泉は本当に政治生命がなくなるかもしれない。それでも、経世会と本気で喧嘩するなら、僕は支持するよ」と。 僕の考えをそう伝えたら、中川がおもむろに「じゃ、ちょっと待ってて」と下へ降りいった。しばらくすると、小泉が中川に連れられて僕の前に現れた。僕もまさかとは思ったけど、中川に言ったことをそのまま小泉にも言ったら、小泉はね、こう言って返したきたの。「おれは殺されてもやる!」ってね。 僕はこっから先の話が、小泉が「天才」だと思う理由なんだけど、もし総裁選に出馬した小泉があの時、国民に向かって「経世会田中派と喧嘩する」とか「潰してやる」とか言ってもね、普通の有権者は何のことかよく分からないし、何が変わるのかさっぱり分からなかったと思う。でも小泉は選挙になると「自民党をぶっ潰す」というフレーズに変えて言った。この人は言葉を巧みに操る天才だと素直に思った。本音のところは、自民党をぶっ潰すというより「経世会田中派」という派閥をぶっ潰すという意味だったんだろうけど、彼はそれを「古い自民党」を壊すという建前にすり替えて広く国民の支持を得た。だから、小泉は凄いと素直に思った。 アメリカでもイギリスでも保守とリベラルっていう思想が根づいている。アメリカで言えば、共和党が保守で民主党がリベラル。イギリスで言えば保守党が保守で、労働党がリベラル。保守とリベラルのどこが違うかと言えば、保守は自由競争。そして、あまり政府は経済に介入しない。「自由競争」「小さな政府」という伝統的な考え方が保守なの。でも、自由競争と小さな政府が続くと、どうしても社会には格差がどんどん開いてくる。 そうすると、市民の不満がどんどん募り、今度は選挙でリベラルが勝つ。民意を得たリベラルは一転して、社会格差をなくすために規制をどんどんつくる。社会保障や福祉の充実をガンガンやろうとするから、今度は財政赤字になる。財政赤字になって市民が危機感を募らせると、次の選挙ではまた保守が勝ってしまう。日本では、自民党が一応、保守政党と言われるんだけど、実は自民党がやってることはリベラルなの。なるべく税金を上げないで福祉をガンガン充実させようとしている。これは日本にとって本当に不幸なことなんだけれど、自民党がダメになって民主党に政権が移ると、もっとリベラルになってしまう。だから、日本には保守政党なんてないの(笑)。でも、日本の政治家の中で唯一、小泉だけは保守だったと僕は思っている。「痛みを伴う構造改革」っていうのは、保守の考え方そのものなんです。こうして振り返ってみると、小泉の後に続いた自民党総裁はいずれも保守ではなくリベラルだった。だから、短命政権で終わったんだと思う。 自民党政治をいろいろ振り返ってきたけど、やはり一番の問題は選挙制度が変わったことだね。これはね繰り返しになっちゃうけど、僕はあの選挙制度改革の時に後藤田に言われて「小選挙区制がいい」と思ったんだけども、やっぱり問題ばかりだったね。ただ、自民党の幹部の何人かに聞くと、小選挙区制が問題なのは分かっているけど、中選挙区制には変えたくないと言うんだ。それはなぜか。一言で言ってしまえば「カネ」。中選挙区制の時はとにかく選挙に金がかかって、1回選挙やれば、一人につき億単位の金がかかったっていうぐらいだから、今の自民党ではとてもそんな大金を用意することはできない。いや、できなくなった。 さっきも言ったように、最大野党の民主党も今のままじゃあダメなんだから、せめて自民党の中に反主流派を育てて、党内で論争が起きるくらいにならないと日本の政治はもっとダメになる。本音を言えば、もっと野党が強くならなきゃという思いもあるんだけど、今の野党は弱いから、もうどうしようもないね。民主党だってさ、安保法制であんだけ自民党を批判したんだから、当然対案ぐらいは出すべきなのに出さなかったよね。13回忌となる池田勇人元首相をしのぶ会で、参院選の勝利を喜び合う(左から)田中角栄元首相、福田赳夫首相、大平正芳自民党幹事長=1977年7月、東京・芝公園のホテル 実を言うとね、僕が好きな政治家は田中角栄なの。いま振り返ってみても、田中角栄が言ったことは全部当たりだったんだよね。田中角栄がやったことはみんな良かったと思う。大体、法案っていうのは役人がつくるわけで、すり替えたり出来ないのよ。政治家は全然勉強してないし。これは堺屋太一(元経済企画庁長官)が言ってたんだけれども、一つの法案を作るときには、これが今までなかった法案であることを世に示さなきゃいけない。だから、政治家だって物凄く勉強しなきゃいけないんです。田中角栄は首相在任中に33もの法案をつくった。こんな政治家いませんよ。彼ほど政策が分かり、人心掌握術があり、官僚を見事に使いこなした政治家なんて見たことがない。ニッポンの戦後は田中角栄が予言した通りに動いていると言っても過言ではないと思う。僕はロッキード事件だって田中角栄は無罪だと思ってるから。僕が講談社から出した「田中角栄無罪論」(『戦後最大の宰相 田中角栄〈上〉ロッキード裁判は無罪だった』)、もしよかったら読んでよ(笑)。 でも、角栄の時代とは違ってね、高度成長の時代が終わって日本の政治家はみんな小粒になった。よく「田中角栄に匹敵する政治家がいるか」とか聞かれるけど、もちろんいなくはない。でもね、一番の問題はやっぱり自民党の中で論争が出来ないことが大きいの。派閥の中でいろいろな論争があって、それを乗り越えてきたからこそ、田中角栄みたいな政治家が生まれた。論争が起こりもしないぬるま湯の中で良い政治家なんて育ちやしない。論争に揉まれていくうちに政治家は逞しくなっていくんでね。それが今はないのが一番残念なんだよね。(聞き手 iRONNA編集長、白岩賢太/編集部、川畑希望)

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    「タカ」も「ハト」も不毛だ

    は、今の自公政権との大きな違いが出せる分野です。 政治改革によって小選挙区制度が導入できたのは、二大政党制による緊張感のある政治を国民が求めたからです。上記のような民主党の理念と政策を早急にとりまとめ、野党再編の受け皿をつくることが岡田新執行部のミッションだと考えます。政党同士の合併かどうかは別にして、来夏の衆参同日選挙を戦うには、野党第1党は衆議院で三桁の議席を確保した上で、全小選挙区に候補者を立てる必要があります。 2009年、2012年の総選挙共に、野党第1党が100を超える現有勢力で戦い、小選挙区の特性によって過半数の議席を獲得し政権交代を実現しています。民主党が自公政権との差別化に成功し、国民の信頼を回復した上、野党再編の要になることこそ歴史的な使命であると確信します。関連記事■ 二大政党制じゃなくてなぜ悪い!?■ やまもといちろうが考察 野党であるために何ができるのか?■ 「派閥の政党化」が2大政党制へのカギ

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    民主党に未来を語る資格はあるか

    民主党は新代表に岡田克也氏を選んだ。「自民は右」と指摘し、一度は封印した中道路線への回帰を明言した岡田氏。次期衆院選での政権交代を見据えた党運営も示唆したが、国民の期待を裏切り続けた政権担当能力にはやはり疑問符もつく。新しい民主党に日本の未来を語る資格はあるのか。

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    民主党代表選で選ばれたものは何だったのか

    2~3割を占める、リベラルな価値観を信奉する有権者の受け皿としてのそれであろう。いわゆるリベラル系の政党には、共産党も社民党もあるのだが、特に組合票の受け皿として、民主党がこの層の支持を集める中心的存在であり続ける可能性は高い。だが、小選挙区という制度の特性や、一票の格差の問題を考え合わせると、リベラル票/組合票の支持に基づく獲得可能議席はせいぜい衆議院で100議席前後である。その意味で、民主党の衆議院での73議席は、野党の分裂によって自民党を利している部分があり、実力以下の議席であると考えていい。民主党代表選は決選投票にもつれ込んだ=1月18日午後、東京・紀尾井町のホテル(酒巻俊介撮影) しかし、それは民主党がリベラル票と組合票を代表する存在である限り、民主主義の数の現実においてはそれ以上の存在とはならないということでもある。実際に、2009年の政権交代選挙において300議席を獲得した民主党も、それまでは、せいぜい130議席前後しか獲得できていなかった。自由党を吸収して保守層に支持を広げてはじめて180前後の議席を獲得できるようになったのである。 だからこそ、民主党代表選に意味があったわけだ。細野元環境相が掲げた路線は、マイルドな保守層にも支持を広げて本格的な政権交代を実現する路線であったのだと思う。選挙期間中は、民主党内の世論に配慮して、細野氏自身もまずは民主党の再生をということを強調していた。党首選の最中に飛び出して泥仕合となってしまった維新との統合話について、言った言わないのごたごたの真相は不明だが、野党再編についてもより前向きであったと考えていいだろう。 仮に、この路線が勝利していたならば、リベラルから保守までを包含した旗印を掲げる必要が出てくるので、政策的には、民主党が従来から有している難しさを抱え込むことになったはずだ。今後も、野党再編の火はくすぶり続けるであろうが、その一番の難しさは統一的な意思決定の下に行動できる集団を作れるかであろう。 岡田代表の選出で、野党再編の可能性は遠のいたと考えていいのだが、仮に民主と維新が統合するような場合を考えるとすれば、ポイントは自民党との違いを出すためにどのような政策に焦点を当てるかだ。民主党は地方分権に近い地方分散というようなことも言っているわけだから、部分的には、維新と協力できる可能性はある。統治機構の改革は、大阪における展開を見ても、確かに自民党と大きな違いが出せる可能性がある領域である。 国家観や外交・安全保障についてはどうしても相容れないだろうから、経済政策の部分で、何とか折り合いをつけ、自民党との違いを出すしかない。この点、細野氏は、自民党の経済政策をトリクルダウン経済だとした上で、ボトムアップ経済を主張していた。残念ながら、細野氏が掲げる政策は、すべて分配に関わる点であり、マクロ経済の視点も、グローバル競争の現実を踏まえていなかった。今後、マイルドな保守層を取り込みたいのであれば、日本経済の競争力について語らねばならないし、マクロ経済について語らねばならない。そもそも、政権交代を現実の視野に入れる政党が分配政策以外の経済政策を持たない状況は異常であるという認識から始めねばなるまい。 対して、民主党の議員やサポーターが選択した岡田路線とは、簡単に言えば、民主党をリベラル票と組合票の受け皿として本来の実力を発揮できるところまで再生しようということである。政策的には多少すっきりするであろうが、仮に、自民党に敵失があったとしてもせいぜい150議席程度を目指すという路線である。 であるからには、連立政権を想定しない限りはかつての社会党のような批判勢力、牽制勢力としての意味しか持ち得ないわけだ。岡田路線で、再び単独の政権交代を目指すことには殆どリアリティーがないが、この現実を受け入れて、連立戦略をとり、政権の一角を占める存在として存在感を発揮するという道は、実はなかなか面白い。 維新と連立する場合、維新が掲げる踏み込んだ地方分権や規制改革を飲み込んだ上で、社会保障などの分野でリベラル色の強い政策を実現することになるだろう。維新と連立を組む緊張感によって、官の無駄を省くという政策にも成果が期待できるかもしれない。 反対に、自民党と大連立することで、社会保障や税制の改革から党派性を取り除き、この国に不可欠な、しかし、政治的にはなんとも難しい改革を前に進めることも可能かもしれない。寄り合い所帯の不決断が民主党の悪しき伝統なので、実現可能性は低いかもしれないが、日本政治において再び意味のある存在となるチャンスはある。 思えば、日本的経営の躍進を支えた企業別組合は、正社員の保護に過剰にこだわって弱体化したけれど、資本主義経済の競争的側面に盲目ではなかった。だからこそ、日本企業はグローバルな競争力と、従業員の一定の福祉や平等をバランスしてこられたわけである。民主党が、リベラル票、組合票の価値観にこだわりつつも、それでも、社会の中で前向きな存在となるためには、現実的な経済政策を掲げることは必須である。新代表には、まず、その点に取り組んで頂きたい。関連記事■ やまもといちろうが考察 野党であるために何ができるのか?■ 次世代の党 壊滅の意味とその分析■ 自らの過ちを省みぬサヨク・リベラル勢力の現状>