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    山尾志桜里、どういうつもりや!

    また、この人である。週刊誌に不倫疑惑を報じられた山尾志桜里衆院議員が、不倫相手とされるイケメン弁護士を政策顧問に起用したことが報じられ、再び炎上した。「むき出しの好奇心」への抵抗なのか、それともただの開き直りなのか。山尾さん、一体どういうおつもりなんですか?

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    哀しいラブストーリー、山尾志桜里の「自爆一直線」に同情する

    してしまったら、誰しも「開き直っている」と受け取るに決まっている。 さらに、メディアに対しても「女性政治家であるがゆえにプライバシーに土足で踏み込まれる」と、自分が被害者だと強調し、「むき出しの好奇心になど屈しない」とメディアそのものを批判したのだから自爆するのも当然だ。 なぜ、彼女はこんな「大人げない行動」しか取れないのだろうか。彼女のこれまでの言動を批判するのは簡単だが、こうまで「自爆一直線」だと、かつて週刊誌でスキャンダル報道をやってきた私としては、逆に同情してしまう。なにかこう、「もの哀しさ」を感じてしまう。 そんなことまで言わなくていいのに、なぜ、そこまで言ってしまうのかと思い、彼女の中にある「満たされない想い」に行き当たって、本当に哀しくなってくる。 政治家や芸能人といった、いわゆる有名人の多くがメディアをあまり好まない。あるときは持ち上げられ、あるときはたたかれるのが、なぜか分かっていない。自分は少しも変わっていないのに、メディアの方がおかしいと考える。そうしてメディアを選別し、「味方」のメディアと「敵」のメディアに分けて付き合うようになった有名人に大物はいない。いや、本物はいない。 山尾氏は今回、自分の味方をしてくれると思った地方紙の神奈川新聞に、思いの丈をペラペラと全部しゃべってしまった。哀しいとしか言いようがない。壇上の山尾志桜里候補=2017年10月23日、愛知県長(安元雄太撮影) 政治家も芸能人も、一般大衆の支持によって成り立っている。だから、はっきり言い切ってしまえば、そもそもプライバシーなど持っていない。それなのに、プライバシーを主張するなら、政治家などになってはいけない。しかも、メディアの究極の役割とは世間に知られていない事実を暴くことだ。 このメカニズムを分かっていない有名人は、本当に不幸である。そういう人間に限って、「むき出しの好奇心」などという言葉を使う。好奇心というのは、人間誰もが持つ最も健全な感情だ。これをメディアが代表している。それを否定することは、自分自身を否定するのと同じことだ。 元宮崎県知事の東国原英夫氏は、ツイッターで「老婆心ながら週刊誌報道を舐めないほうがよい」と忠告し、俳優の坂上忍氏は倉持氏にも「この状況で請けるか?」と批判した。また、お笑い芸人のカンニング竹山氏はフジテレビ系『直撃LIVE グッディ!』で「何もないなら、政治家だから週刊誌なり何かを訴えなきゃいけない。けじめとそれをやらないと、1票入れた人も納得がいかない」と切って捨てた。どれもこれも、健全な感情を持った人間としての、当たり前の批判だ。何を守ろうとしているのか 今年は議員の不倫スキャンダルが炸裂(さくれつ)している。しかし、不倫は犯罪ではない。生き方、モラルが問われるだけだ。それなのに「一線を越えていない」(元SPEED・今井絵理子参院議員)という例に倣(なら)って、山尾氏は「ホテルについては私一人で宿泊をいたしました。倉持弁護士と男女の関係はありません」と関係を強く否定した。 そしてお決まりの「誤解を生じさせるような行動でさまざまな方々にご迷惑をおかけしましたことを深く反省し、おわび申し上げます」と付け加えた。 こういう言い方は何も語っていないに等しい。なぜ、素直に自分の気持ちを言わないのだろうか。もし本当に不倫関係にあり、それも恋愛関係にあるなら、それを吐露してしまった方が、はるかに結果はよかった。 世間は、利口で政策遂行にたけた政治家よりも、人間らしい政治家の方が好きだ。「人間らしい」ということは間違いも犯すことがあるということだ。 もし、彼女が一途な恋をしているとしたら、そしてそれを守るために、関係を否定したとしたら、それは本当に哀しいことだ。山尾氏は何かを履き違えている。「女性政治家であるがゆえにプライバシーに土足で踏み込まれる」などという言葉で、彼女はいったい何を守ろうとしているのか。 別に不倫相手を政策顧問に迎えたとしても、モラル以外の問題はない。もし、本当に愛し合っているのであれば、二人は「最強のタッグ」である。だから、彼女が言うように「改憲論議に真っ向から首相案をはねのける」ことも可能かもしれない。2017年10月10日、衆院選が公示され、有権者に支持を訴える山尾志桜里氏=愛知県尾張旭市 「愛の力」で改憲阻止。こんな「素晴らしいこと」はないではないか。 しかし、もし倉持氏をつなぎ止めるために政策顧問にしたとしたら、どうだろうか。こうなると、今日までのことは「哀しいラブストーリー」に変わってしまう。 いずれにしても、当事者である本人が自分の感情を殺して、インタビューで「お利口答弁」しかしない以上、真相は分からない。単に「好きなんです。大好きなんです。一緒に仕事をしたいんです」というようなことを、彼女は言えない性格だと思うしかない。 神奈川新聞の記事を読むと、不倫報道があってから2カ月間、奇跡の当選を果たすまで、彼女は悩み抜いてきたという。そして、《悩み抜いた末の結論は、公の政治家としての私は、政策や政治哲学、姿勢についてはできる限り率直に答えるが、一方で「私」の部分に一定のラインを引くことに変わりはないということだった。直後の記者会見などで私は「男女の関係はない」と答えたが、そうしたことを答える必要さえなかったと今は思う》と言うのだ。 公私に線を引いて、公の部分だけは答え、私の部分は答えないという政治家を、あなたは信頼できるだろうか。そもそも、人間の活動を公私ではっきりと分けることができるだろうか。 公私両面で、国家と国民のために尽くしてこそ、真の政治家ではないだろうか。

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    山尾志桜里「不倫疑惑」を世のオンナたちはなぜ許してしまうのか

    イ作戦と何でもありの世界です。相手にするのは近隣諸国だけではなく、武器商人から公安機関と、相当老練な政治家でも手を焼くわけで、放射性物質で暗殺を企てられる可能性だってあるわけです。不倫スッパ抜きどころじゃありませんよ。 そんな世界の専門家を自称する人間が、週刊誌ごときに密会の写真を撮られるばかりか、家族や周辺の人間もべらべら喋(しゃべ)ってしまっている。その上で、疑惑を再燃させるようなことをする。選挙後初の登院で議員バッジを受け取る山尾志桜里議員=2017年11月1日、国会 こんなオツムユルユルの人間が、中国やロシアやアメリカやイランや北朝鮮を相手にできるわけがありません。 ちょっと注意深い人であれば、誤解されるような行動は避けます。これはその辺の会社員だって同じで、会社で不倫じゃないかと疑われるような部下や同僚と二人っきりの出張や、密室での会合は避けますよね。 不倫じゃないとはしても、疑いがかかったら仕事がやりにくくなりますし、プロばかりの仕事場というのは倫理が緩い人間、注意しない人間というのには重要案件は任せませんし。 オツムの弱い人間は機密情報の入ったPCや携帯をなくしたり、顧客やディールの情報をエレベーターや喫茶店でポロッと話してしまったりしますからね。 そんなオツムユルユルの山尾氏、しかし疑惑報道後の選挙では当選しています。有権者は不倫を気にしなかった、ということですね。 他人の不倫は厳しく追及するけど、自分は適当に流す。さらに、保育所の増設は訴えるが、ご自身の子供は放置、家庭は実のところ崩壊という矛盾。 こんな他人に厳しく自分に甘い矛盾大魔王さまがなぜ当選したのか。特に女性の支持が高かったと聞きます。 その理由は、少なからぬ女性にとって、山尾氏はキラキラと輝く憧れの存在なのです。すべてを手にした山尾氏 多くの女性は時給780円のパートで、旦那は年収350万円の非正規。東京にすら出る機会もなく、高卒や専門卒で、月1回の回転ずしが贅沢。しまむらの服でイオンに行く日常。車は軽ワゴン。 特に地方都市はそんな感じですよね。 そんな人たちには、才色兼備で負け知らず、しかも年下の男と不倫してる(かもしれない)、夫も捨てかねない山尾氏は「本当なら私だってそういう生活ができたのに」というあこがれの対象なんですよ。 不倫だってしたいんです。 だって自分の旦那は高校の同級生で、イケメンでも東京の弁護士でもなくて、パートで疲れて帰ってきてるのに「飯を作れ」と命令するクソメンだから。 夫が稼ぎも地位もないから自分はパートに出なくちゃならないのに「えばってるんじゃねえよ!」と日々不満を溜めている。 でも、山尾氏のような学歴も資格も稼ぎもないから、離婚はできないんです。本当はお金があったら別れたい。不倫もしたい。きれいな服だって着たい。嫌味な義母からも逃げたい。 貧乏で、低学歴で、特技もなくて、ブサイクな自分は、生まれ変わったら山尾氏になりたいんです。 そんな憧れが集会場やら回って「待機児童をどうにかします!」と声をかけてくれる。 テレビのあの人が、憧れの人が、しまむらの服の自分の生活を考えてくれるんだ、あんなすごい人だって同じ母親なんだよね、と。 問題は不倫だけであって、民進党のホンネは「残ってほしい」という感じでしたし、山尾氏はなんだかんだいってキレイですよね。見た目が。元芸能人ですから。豊田真由子女史は落選しましたが、もしマユタンが「絶世の美女」だったら多分暴言も許されてたんですよ。でも、赤塚不二夫先生のキャラみたいな顔だから同情は得られなかった。 結局、女も男も見た目がキレイな人には甘いんです。 しかし私が疑問なのは、山尾氏はなぜ幹事長就任のタイミングで疑惑を呼ぶような密会をし、夫とは関係が破綻しているのにマスコミには完璧な家族を擬態し、さらにこれだけ叩かれているのに倉持氏を「政策アドバイザー」に指名してしまうのか、という彼女の面の厚さと空気の読めなさです。 そして、マスコミに対しても相当強気です。不倫疑惑の件は横に置いといて、私の政策を見ろとしつこく言っている。 なんでこんなに上から目線なのか。 それは山尾氏が負け知らずのエリートだからです。街頭演説で女性と握手する山尾志桜里氏 =2017年10月1日、愛知県豊明市 山尾氏は子どものころに「アニー」というミュージカルの主役になっています。あの多数の応募者の中から子役として選抜されるというのはすごいことで、そのまま芸能界に残ってもおかしくない実績です。 さらに、東大に進学し、司法試験に合格して、検察官。そして衆議院議員になって、野党第一党の幹事長にまで内定したのです。 容姿端麗で子供にも恵まれ、夫は東大を出ていて、会社はライブドアに買収された実績がある。 すべてを手にした山尾氏には、何かを失う恐怖はありません。 子供を置き去りにしようが、夫を捨てようが、若いツバメと何をしようが、子供のころから完璧な「勝ち組」だった自分を引きずり下ろすことなど不可能だと思い込んでいるからこそ、マスコミにも強気なのです。 しかし、こんなタイミングで不倫疑惑の相手を政策アドバイザーにするような山尾氏は決して「自由の象徴」ではなく、「虚栄心と傲慢(ごうまん)の塊」に過ぎない、ということに、時給780円のパートだって徐々に気がつきはじめていますよ。

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    山尾志桜里に「むき出しの好奇心」で迫る報道は控えるべきか

    れたことに関して、次のように述べている。 私へのその問いは、どのようにして社会の役に立つのだろうか。政治家としての私を評価する上で、一体何の判断基準になるというのか。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 政治家が不倫をしていたかどうかを、具体的に質問することにはニュース価値が全くないような言い方であるが、違和感がある。不倫をしているかどうかは、政治家を評価する上でひとつの判断材料になるはずである。 一般に有権者は、公表されている政治家が実現を目指す政策や政治姿勢だけで投票行動を決定するわけではない。家族観や社会観、それに人柄や生活信条なども含め人間性をトータルで判断しているのだ。山尾氏が不倫をしているかどうかということは、直接的ではないかもしれないが、彼女の家族観、ひいては政策に結びついていく可能性はないだろうか。 もしも万が一、山尾氏が不倫も含め自由な恋愛の形態を認めており、フランスのように結婚という制度にはあまり拘束されず、いわゆる事実婚が広く認められるような社会を望んでいるならば、それは有権者の投票行動に影響するに違いない。こう考えると、メディア側が夫以外と「男女の関係」があるのかどうか、それについてどう考えているのかという質問は、単なる興味本位ではなく、家族観や社会観につながっていく可能性があり、「公共性」がある質問であろう。山尾志桜里の不倫疑惑を報道する週刊文春=2017年9月14日 「むき出しの好奇心」については、もう一つ論点がある。山尾氏のケースでは、メディア側や一般の人の好奇心をあからさまに突き付けることで、彼女への大きなプレッシャーとなった場合にも取材は許されるのかということである。つまり、取材方法の問題だ。 山尾氏は、以下のようにメディアを批判している。 「男女の関係はあったのですか」「本当に関係はなかったのですか」。さらに「離婚はしたのですか」-。数多くの一般の人々が行き交う衆人環視の下、大きな声でしつこく繰り返し問われた。私はこれまで通り電車で通勤している。普通に考えてみてもらいたい。歩いていて、突然レコーダーを突き付けられ、そんな私的なことを問われる異常さを。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 筆者もテレビ局での取材経験から、このような「突撃取材」をする側の論理や感覚はわからないでもない。事務所を通して取材申請をしても断られるのに決まっているから、本人を待ち伏せして質問を浴びせる。質問に答えようと答えまいと、相手のリアクションを撮影していれば、取材のエビデンスは確保できる。しかし、取材される側から見れば、山尾氏が指摘するように「異常」であることは確かだ。むき出しの好奇心が取材相手の日常の平穏を乱すおそれがある。 取材倫理の問題は難しい。対象者の迷惑にならないことを最優先にしてしまうと、取材活動は萎縮してしまう。公共性があり報道の価値がある取材であっても、あきらめざるを得ないことが多くなる。取材者としては一歩前に出て相手にアプローチしたいところだ。 一方で、熱を帯びた取材がエスカレートすると、平穏な私生活に勝手に侵入する「プライバシー侵害」になることもあるだろう。答えないのも自由 今回のケースは、見極めは難しいものの、取材されたのは国会議員という公人であるため、取材内容の公共性、取材目的の公益性の方が優先されるのではないか。山尾氏に迷惑をかけているのは確かだが、取材方法については公人としての受忍限度の範囲内だと思う。 では、突き付けられた質問には「答えなくてはならないのか」。この点、山尾氏は次のように述べている。 直後の記者会見などで私は「男女の関係はない」と答えたが、そうしたことを答える必要さえなかったと今は思う。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 山尾氏の意見は理解できる。筆者はメディアが「取材するのは自由」だが、一方で山尾氏が「答えないのも自由」だと考えている。 取材との関連では、公人のプライバシーは一定程度、制約されると考えられる。このため、男女の関係があったのかどうかをメディア側が聞く姿勢は間違ってはいない。 しかし、プライバシーの権利に関しては「自分に関する情報をコントロールする権利」という広い解釈も有力になりつつある。そのため取材される側の山尾氏に「国会議員といえども男女の関係についてまで話す必要はない」といわれれば、「そうですか。わかりました」と認めざるを得ないと思う。 このように、メディアが不倫について「むき出しの好奇心」をもって取材するのは自由だが、一方で山尾氏が答えないのもプライバシー保護の観点から自由なのではないか。お互いの自由の衝突をどのように調整するのかは、当事者が個別具体的に対応していくしかない。 最後に、この問題を俯瞰(ふかん)してみよう。筆者は、山尾氏の不倫騒動をあまり深追いするのは、社会全体にとってはあまりプラスにならないと考えている。山尾氏が力をいれている憲法改正問題という重大テーマが目前に控えているからだ。国会に到着した民進党(当時)の山尾志桜里氏=2017年9月7日、国会内(福島範和撮影)  山尾議員が取り組もうとしている政策には「国家権力を縛り国民の人権を保障するための立憲的改憲提案で、安倍改憲を阻止する」がある。この政策を実現するにあたり本当に倉持弁護士の知見が必要であるならば、週4回といわず、毎日でもミーティングをしてみてはどうだろうか。そして新たな提案を練り、風雲急を告げる憲法改正の論議に一石を投じていただきたい。 ただ、政治家には主義主張の一貫性も求められている。山尾氏は、宮崎謙介議員(のちに辞職)の不倫に対しては批判していたのだから、件(くだん)の弁護士との不倫騒動にほっかむりを決め込むのはどうなのか。しゃべればしゃべるほど臆測が膨らみ、相手や自分の家族にさらに迷惑をかけるという事情も理解できるが、「他人に厳しく自分に甘い」という声が上がるのはやむを得ないだろう。 そんな政治家の「立憲的改憲提案」に有権者は、果たしてどの程度耳を傾けるのだろうか。今後もこの問題に注目したい。

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    山尾氏と不倫疑惑の弁護士 蓮舫氏国籍問題担当だった

    (前出・民進党関係者) 蓮舫氏は不倫報道に大きなショックを受けていたという。蓮舫氏の間にあった溝 「政治家には誰だって1つや2つ、隠しておきたいことがあるもの。でも、自分の担当弁護士だった倉持さんと山尾さんが男女関係にあったとしたら、国籍問題のほかにも“秘密の情報“が山尾さんにダダ漏れしていた可能性もある。永田町は狸の化かし合いですから、同僚議員といえども、弱みを握られるのは致命的なんです。しかも、もともとは蓮舫さんの方が倉持さんと親しくしていたはずです。女のプライドとしても“山尾さんに持っていかれたのか”とショックも倍増でしょうね」(政治ジャーナリスト)記者会見で代表辞任を表明した民進党の蓮舫氏=2017年7月、国会内(春名中撮影) この問題の以前から、もともと山尾氏と蓮舫氏の間には溝があったという話もある。 「蓮舫さんの二重国籍問題のとき、山尾さんが陰で“あれはアウトよね”と言っていたのが蓮舫さんの耳に入ってしまったそうです。そもそも山尾さんは前原誠司さん(55才)のグループだから、蓮舫さんとウマが合うはずがない。倉持さんと親しかった蓮舫さんですから、ひょっとして山尾さんの“不倫”に気づいていたのかも…」(山尾氏の知人) かくして自分の地位を脅かす山尾氏は党を去っていった。不倫が報道された日、蓮舫氏はツイッターに次のように投稿した。《とても綺麗な月夜ですね》 ここ最近、不倫報道が相次いでいる。今井絵理子氏(33才)、斉藤由貴(51才)、上原多香子(34才)を含め7月末からの2か月間で山尾氏は4人目。 日本性科学会が2011~2012年に行った『中高年セクシュアリティ調査』によると、既婚女性の14%が「この1年の間に配偶者以外の異性との親密なつきあいがあった」と回答。2000年の調査の約3倍に急増した。『不倫女子のリアル』(小学館)の著者の沢木文(あや)さんが解説する。 「結婚後も専業主婦ではなくバリバリ働き、経済力がある女性が増えました。彼女らは“不倫がバレて夫に離婚を告げられても大丈夫”という余裕があるんです。また、映画や小説の題材になることが増えて、“不倫はやましいこと”というかつての意識が薄れているのではないでしょうか」関連記事■ 斉藤由貴、さっさと不倫認めていれば第2・3弾写真なかったか■ 妻の不倫率は12年で3倍に、バレる確率は「夫95%妻5%」■ 村西とおる氏が撮った「蓮舫様のお宝動画」を回顧■ 宮崎謙介元議員 加藤紘一氏の葬儀でも蒸し返されたゲス不倫■ 弁護士局部切断事件 妻の悪女ぶりに法廷の空気が冷え込んだ

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    女性議員の少なさについて「女性にこそ応分の問題あり」の意見

    統府で行われた「双十節」の式典で演説する蔡英文総統=2017年10月(田中靖人撮影) とりわけ女性の政治的自立や自覚が足りない。男性側には、「選抜総選挙」と銘打つ女性アイドルを愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観が寡占的で、若手批評家が「アイドルの○○推し」を公言して憚らない時期があった。誰もこれを異常と言わない。女性を個として認識せず、愛玩の対象とする異様性は日本特有のものだが、女性側もそれに異を唱えない。少女たちは男の言われるがまま「恋愛をした」罰として坊主頭にして謝罪を繰り返す。このような行為は西欧圏ではナチと同等に扱われた。 ここまでくると男性優位の因果ではなく、独立不羈を志向しない女側にこそ応分の問題があるように思える。良い年をした女性が、不必要に「女性性」を強調し男性視聴者や読者に媚びたり、権威ある上級の男性によるイデオロギーを忠実にトレースする。屈辱だと思わないのだろうか。「こうすることでしか社会で出世できない」というのは敢えて甘えだと言いたい。実力と合格点数がすべての漫画家や作家や医者や弁護士の世界は、既に男性寡占の世界ではない。女性側による「非民主的順応」の卑屈な追従の象徴こそ、昨今の我が国における女性政治家問題の根本だろう。「封建的家父長制」の残滓は、男ではなく女の心中にこそあるのではないか。文/古谷経衡●ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』『「意識高い系」の研究』など。■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「オール民主党」■ 森山真弓氏「真紀子さんも蓮舫さんも冷視されるいわれない」■ 日本の「飲み会はしご政治」は女性議員をコンパニオン代わり■ 元小沢ガールズの田中美絵子議員「本当は輿石ガールズ」と演説■ VOGUE登場の蓮舫氏を小沢ガールズが「売名行為」と批判

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    玉木さん、あなたにモリカケ疑惑を追及する資格はない

    み込まれて、マスコミなどで宣伝されている。しかし、「1校に限る」動きは、日本獣医師会が安倍首相以外の政治家に働きかけた結果であることは、当の日本獣医師会側も認めているところである。前川氏が本当に「正義の人」ならば、「総理のご意向」で加計学園1校に絞られたわけではないことを認めるべきだろう。「天下り」と「規制」は同じコインの両面 もちろん前川氏はそんなことはしない。前川氏は課長時代から「現在ある規制はすべて望ましい」と発言している文科省の「利権の権化」だからだ。冒頭の獣医学部新設認可の答申を受けて、毎日新聞のインタビューでも「定年間近の教員が多い。(最初に入学する学生の)卒業前に先生が辞めるのなら無責任だ」「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」などと、新設反対の姿勢を崩していない。八田達夫大阪大学名誉教授の表現を借りれば、「筋金入りの岩盤規制の擁護者」である。 ちなみに教員の潜在的不足も、博士課程の未設置も深刻な問題ではない。前者は海外も含めて人材を募ればいいだけだ。後者は大学院や研究所の設置を別途図ればいいだけである。要するに新設を認可しない積極的な理由にはまったく当たらない。それがまた設置審の結論でもあったのだろう。前川氏の言い分は単なる揚げ足取り以外の何物でもない。 前川氏は天下りあっせんに関連して懲戒処分を受けた人である。天下りの問題は、天下り先が非効率的な事業を継続することで国民に損失を与えることである。その非効率性は官僚側の厳しい規制によってしばしば生じる。つまり、天下りによる弊害と規制の厳しさは同じコインの両面である。 既存の獣医学部には、文科官僚たちが多く天下りしている。もちろん獣医学部だけではない。文科官僚が広範囲に大学などに天下りしているのは周知の事実である。大学はさまざまな規制が厳しい。その中でも獣医学部は何十年も新規参入許可どころか、その申請さえも受け付けなかった岩盤規制の牙城である。現状の規制がすべて正しいとする官僚にとって、確かに規制緩和自体が「行政をゆがめる」ものに映るのだろうが、それは単に天下りなどで大学を食い物にしてきた側の理屈である。 ところで「前川喜平問題」だけではない。加計学園問題を追及する野党側にも「疑惑」がある。玉木雄一郎衆院議員は、加計学園問題で政府を追及していた急先鋒(せんぽう)だった。そして希望の党の共同代表に選ばれた現在も、やはり同問題で国会での審議を求めているようである。だが、玉木氏には過去に日本獣医師政治連盟から100万円の献金をうけた事実が判明している。つまり今回の規制で保護される側からお金をもらっていることになる。2017年11月、希望の党の共同代表に選出され会見する玉木雄一郎氏(斎藤良雄撮影) 玉木氏の国会での加計学園問題に関する追及が、そのような政治的・金銭的なつながりを「忖度(そんたく)」したものでないことを、ぜひ国会で証明してほしい。玉木氏はこの種の「悪魔の証明」を行う義務がある。それができないときは、そろそろこのバカげた不毛の問題から、野党の党首らしい政策論争に主軸を移すべきだろう。だが、それはおそらく無理な注文だろう。

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    小池百合子「排除発言」は私が進言した

    がそう公言するのは当然のことであった。新党にまさか民進党左派や護憲派がやってくるとは思わなかったが、政治の世界はなにがあるかわからないし、特に選挙直前はなおさらだ。 実際、21年前の「排除の論理」の際の政治家たちの阿鼻(あび)叫喚を、鳩山邦夫秘書として目撃していた筆者は、小池氏の不安を十分理解できた。 「最終的には『排除の論理』を行使すればいいじゃないですか」 それほど深い意味はなかった。政策や方針を旗印に政党がまとまるのは当然のことだ。日本だけではない、世界中の政党が不断に「排除の論理」を行使して政治を行っている。 21年前、鳩山氏が「呪文」を唱えたからこそ、その後の民主党は世紀をまたいで成長し、ついには政権を獲得できたのではないか――。筆者は、その率直な気持ちを小池氏の前で吐露し、旧知の細野豪志氏の前でも語った。 実は、昨年の都知事選で小池氏と戦った後も、小池氏とは都政についての意見交換を続けたり、筆者の運営している報道番組『ニューズオプエド』等に出演してもらう中で交流を続けていた。そうした人間関係の中で、まさか自分の会話から、21年ぶりに「呪文」をよみがえらせることになろうとはいったい誰が想像しえたか。枝野氏がヒーローはおかしい ちなみに筆者の政治信条は排除の論理とは別だ。安倍政権を終わらせ、政権交代可能な健全な保守二大政党制のためには「右手に学会、左手に連合、非自民、非共産の新進党型の政党を作るしかない」と言い続けてきた。実際に小池氏や前原氏や小沢氏にもそう伝えている。 「排除の論理」自体の論理に瑕疵(かし)は無いと思う。表現方法だけの問題だろう。希望の党の鳩山太郎候補の応援演説を行う小池百合子代表、上杉隆氏(右) =2017年10月10日、東京都中央区 「排除の論理」は確かにキツい言葉だ。だが、しがらみを断ち切る健全な政党を創るためには不可欠な論理だと小池氏も細野氏も確信したからこそ、発言に至ったのだろう。 彼らの姿勢に同意したのは何も希望の党の「創業者」たちだけではない。立憲民主党の枝野氏も、菅氏も、海江田氏も、21年前から「排除の論理」を行使してきたではないか。 そもそも「政策的にきちんと分けないと国民は混乱する、だから右から左までごった煮の民進党(民主党)は支持が伸びないのだ」と延々と多様な政党のあり方への批判を繰り返して来たのは誰か? 今回、「排除の論理」で反射的に希望の党を批判しているメディアは過去の自らの言葉を直視できるか? いまだに多くのメディアが「排除の論理」を行使したとして希望の党の小池氏と前原氏を批判している。その一方で、選挙目当ての「野合」で議席を伸ばした立憲民主党を礼賛している。 日本人は忘れっぽすぎまいか。メディアは国民をバカにしすぎていないか? 思い出してみよう。この10年余、共産党も社民党もすべてひっくるめて、選挙に勝ち、自民党政権を終わらせるためならば、いかなる枠組みでも構わないとした小沢一郎氏の存在と言葉を批判していたのはいったいどこの誰か? 2014年、共産党や社民党との連携を目指す小沢氏を民主党から排除して、「いまの民主党こそ保守本流」(枝野憲法総合調査会会長/当時)だと宣言、純化路線を採ったのはいったい誰だったか? 9月27日朝、前原代表が先の代表選で戦ったばかりの代表代行に「解党」の説明をした際、すぐに賛成したのはいったい誰か? 前原代表は、枝野代表代行との話を受けて、常任幹事会を開催、両院議員総会で全会一致を経て、解党に向けて作業を始めている。代表選挙で勝ったばかりにも関わらず、代表として丁寧なデュー・プロセスをたどった前原誠司氏が一方的に責められ、勝手に政党を立ち上げ、選挙で対立候補を立てるという反党行為を続けた枝野幸男氏がヒーローになる。どこかおかしくはないだろうか。なぜ枝野氏は排除されたと振る舞ったか 実際に、民進党から希望の党側に出された最初の仮リストには民進党候補者全員の氏名が記載されていた。新人候補も含めて全員だ。 前原氏は約束を守ったのだ。だが、結果は数名の排除が行われた。それも数名だ。この数名の排除の責任を前原氏ひとりに帰するのは無理がありすぎる。 なぜなら、前原氏から最初に相談を受けて賛同した当時の党幹部の枝野代表代行も連帯責任を負うからだ。 結局、希望の党が正式に排除した議員は滋賀1区の嘉田由紀子氏だ(鹿児島一区の川内博史氏などのように別の選挙区を提示されて断った者を排除に入れなければ)。しかも、彼女は民進党議員ではない。 実は、「いの一番」に解党に賛成した枝野氏に至っては希望の党への公認申請すらしていない。申請の無い者を排除することができないのは自明の理であろう。しかも、そもそも枝野氏は排除対象ではなかった。申請すれば公認され、実際希望の党ではその準備もしていた。自らの当選を確実にし、支持者らに迎えられて事務所に入る 立憲民主党の枝野幸男代表=2017年10月22日、さいたま市 ではなぜ枝野氏は自らが排除されたと振る舞ったのか。実は、驚くべきことに、一部メディアの報じた「偽排除リスト」を根拠に、排除されると信じ込んだにすぎないのだ。 選挙に強くない枝野氏が無所属立候補を恐れたことは想像に難くない。ゆえに、前原誠司氏、玄葉光一郎氏、安住淳氏、岡田克也氏、野田佳彦氏、小沢一郎氏(全員無所属で立候補)などのように選挙に強い政治家と違って、自らの立場を守るため右往左往していたことは筆者のもとにも情報として伝わっていた。 「排除の論理」について、感情的な議論が幅を利かせている。いつものことだが、日本の言論空間に真実が広がるのはずっと後のことだろうし、場合によっては虚偽の政治史が作られ、続いていくのかもしれない。 しかし、歴史の検証に耐えられるのは事実に対して誠実であった者のみだ。その点で、批判の矛先に立たされている前原氏こそが有資格者だ。 「排除の論理」を政治の師匠、鳩山邦夫氏から伝承した筆者の責任はこれを断言することだと信じる。

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    小池百合子「排除発言」の責任は私にある

    第4次安倍内閣が発足した。先の総選挙で圧勝し安定政権を維持した安倍総理だが、この結末は図らずも新党を立ち上げた小池百合子東京都知事の「排除発言」によるところが大きい。小池氏はなぜ風を読み誤ったのか。

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    マスコミの掌返し「小池バッシング」が浅ましい

    史では常に野党第一党が革新(リベラル)勢力であった。民進党という、憲政史上に残る恥ずべき政党が、議会政治の常道をいかに蹂躙したか記憶に新しい。 民進党の前は、民主党だった。3年半の政権担当時は言うに及ばない。その前の野党第一党は、日本社会党だった。政権を取る意思が無い無責任な政党だが、拒否権だけは行使する。特に、日本国憲法の条文は誤植一文字たりとて改正させないことには血道を上げる。社会党は、衆参どちらでも良いから34%の議席を獲られれば政権のような責任を伴うものはいらないとの姿勢だった。こうした姿勢は、いかなる手段を講じてでも衆議院に51%の議席が欲しい政権亡者の自民党の思惑と一致する。かくして、自社「1・5大政党制」が成立した。これを55年体制と称する。 社会党が野党第一党の座を占めることで、他のまともな野党が伸長する余地が無くなる。「まさか社会党に政権を渡す訳にはいかない」という国民の常識は、自民党の無能と腐敗を助長する。昭和20年代の憲政史は、悲惨だった。保守二大勢力の抗争で、社会党を味方につけた方が勝つという状況だった。例外は第三次吉田内閣の2年半だけだった。保守合同による自民党結成は、このような状況を回避するためだった。 自民党は、自由党と日本民主党の合同で成立した。自由党の前身は政友会であり源流は地方の地主を代表する板垣退助の自由党に、民主党の前身は民政党であり源流は都市のインテリを代弁する大隈重信の改進党にさかのぼる。保守合同自体は対等合併だったが、自民党は本質的に地方の利益代表である。本質的に自由党~政友会の遺伝子の党なのである。自民党の存在意義は富の公正配分であり、極端な貧乏人を出さないこと、「日本人を食わせること」にある。これは裏を返せば、「都市が生み出した利益を地方にばら撒く」ことである。 ここに都市の主張が置き忘れられる。新自由クラブや日本新党から、最近に至るまでの新党がすべて都市から発生しているのはこれが理由だ。かくして、改進党~民政党の遺伝子は薄れ、野党第一党の地位は革新(勢力)に居座られた。 小池や希望の党の問題点など、山のようにあげられる。これは絶対評価だ。しかし、枝野幸男氏や立憲民主党の方が優れているというのか。これは相対評価だ。小池や希望の党を叩いたもので、その10倍、枝野氏や立憲民主党を叩かなかったものは愚か者か確信犯と決めつけよ。立憲民主党の両院議員総会に臨む枝野代表(右)と辻元政調会長=2017年10月、国会 7月のブームが嘘のように、マスコミの小池叩きにより希望の党は失速し、革新が野党第一党の地位を占める55年体制の継続が決まった。マスコミの掌返しは今に始まったことではないが、今回は保守二大政党制潰しが目的だ。小池が安倍をおろし革新政権を作るなら応援するが、その気がないなら潰す。小池叩きに狂奔した論者はそれに加担したのだ。威嚇していようといまいと。 かくして、民進党を牛耳っていた極左勢力をあぶり出し、一網打尽にして政界から放逐する好機は失われた。 二・二六事件を起こした青年将校たちは、純真に国を想い、多くの重臣を殺害した。何の考えも無しに。その後の結果は言うに及ばず。我が国の宿敵であるソ連だけが笑い転げる事態となった。現在では、二・二六事件の背後関係でソ連の介在も指摘されている。小池や希望の党を絶対評価のみで批判し、さらなる悪を伸長させたとしたら…。笑いをかみ殺していた志位委員長 筋を通す。マスコミは、選挙中に枝野幸男氏と立憲民主党を持ち上げた。しかし、希望の党に入れてもらえなかった者が新党を結成したにすぎない。何が筋を通したのか。偏向報道である。選挙前から最終日まで、三つの段階に分けられる。 第一段階:安倍叩きで小池に期待。 第二段階:小池叩き。枝野応援。特に安倍叩きをせず。 第三段階:小池失速、枝野躍進。特に安倍叩きをせず。 確かに、一部マスコミの安倍叩きは偏執的だ。一方的すぎる。安倍叩きへの偏向報道は批判されて然るべきだ。 ならば、マスコミが安倍叩きから鉾先を小池叩きに向けた時にも、マスコミの偏向報道を批判すべきではなかったか。信者や院外団でない限り。安倍首相と利害関係があることを公言しているならともかく、少なくとも公平中立を建前とする言論人ならば、己の言動に一貫性を持たすべきだっただろう。 開票3日前になり、立憲が希望を追い抜く形勢となった。ここでようやく立憲叩きを始めたが、後の祭りだ。第一段階と第三段階でマスコミの偏向報道を批判していた論者は多い。しかし、一貫してマスコミの偏向報道を批判した論者が何人いるのか。すべてあげてもらいたい。 そして、テレビで志位和夫共産党委員長は必死に沈痛の表情をしていたが、笑いをかみ殺していたのではないか。どういうことか。会見する共産党・志位和夫委員長=2017年10月、東京都渋谷区(川口良介撮影) 小選挙区制においては、野党が共闘して一本化しなければ勝ち目は薄い。自民党は、政権批判票が希望の党と立憲民主党に分散されて助けられた。そして立憲民主党に肩入れし、希望の党を逆転した。249の選挙区で共闘が成立したが、それには共産党が67人の候補者を取り下げたことが大きい。世の常として、お金をあげても感謝されるとは限らない。しかし、供託金没収の危機を免れて感謝される、お金を出さないで感謝されるのだ。それだけでも慢性的財政難に苦しむ共産党は笑いが止まるまい。普通の政党で候補者取り下げなど血の雨が降るが、共産党は組織があるので候補者の面倒を見られるので不満が出ない。他にこれができるのは公明党だけだ。 また、意外に注目されていないが、共産党が候補者を取り下げなかった場合、自民党の候補者の当選率が向上したのだ。一例をあげるが、東京8区である。  石原 伸晃(99,863)自民党 吉田 晴美(76,283)立憲民主党 木内 孝胤(41,175)希望の党 長内 史子(22,399)共産党 この選挙区は、自民党が鉄壁の強さを誇ってきた。それがこの接戦である。しかし、野党分裂に助けられたどころではない。共産党が「この候補者ならば当選させても良い」と考えたから、候補者を取り下げなかったと考えるべきだろう。民共共闘が実現していたら、石原氏はどうなっていたか。 自民党は「公明党抜きでも、希望の党と組めば改憲発議可能な3分の2を獲得した」と改憲勢力の勝利を誇っている。ところが、石原伸晃氏が憲法改正に熱心だなどと聞いた事が無い。それどころか、9条改正には慎重の立場だ。本気で改憲するには、公明党と自民党内護憲派を説得せねばなるまい。共産党からしたら、石原氏は与しやすしなのだ。今や共産党は立憲民主党を隠れ蓑に、昔の社会党の地位を得た。 マスコミはまたもやモリカケ騒動を蒸し返そうとしているし、安保法案騒動では一年を空費した。立憲民主党や共産党があの騒動を繰り返せば、良識ある国民は安倍自民党の支持に傾くだろう。それこそが共産党の望むところなのだ。なぜならば、「飯のタネ」だからだ。いっそ、憲法改正を政治日程に乗せてほしいと思っているだろう。最低一年は大騒ぎできる。いっそ、「毒にも薬にもならない憲法改正」「やらなければよかった憲法改正」なら大歓迎だろう。そうした改憲に「安倍右傾化」のレッテル張りをすれば、二度とまともな憲法論議などできなくなる。安倍内閣の生命線は日銀人事 そうでなくとも、野党第一党は立憲民主党だ。議事運営は、与党と野党第一党で決める。まともな国会審議を期待する方がどうかしているだろう。しかし、これすべて考え無しに小池叩きをした結果だ。そして安倍一強は、共産党との55年体制に変質し、維持されることとなった。 そもそも安倍首相は何の為に解散したのか。大義名分は北朝鮮危機だった。では、有事が起きなかった場合、「フェイクニュース」と批判する論者はいるだろうか。院外団や信者は安心されたし。左翼勢力(最近はパヨクと呼ばれる)も健忘症だ。一カ月前のことなど覚えていまい。 ただし、選挙民は「わざわざ解散しなければならないほどの事は何だったのか」と監視すべきだ。北朝鮮が何度も「日本列島を核で沈める」と宣言しているのだから、日本が核武装をしてもどこも文句は言えまい。また、トランプ大統領は「対等の同盟国(パートナー)として行動してほしい。まずは防衛費をGDP2%に引き上げを」と求めている。いきなり自主防衛ができるとは思えないが、まさかルーティンワークを続けるために「北朝鮮危機」を利用した訳ではあるまい。 さっそく麻生太郎副総理が「衆議院選挙勝利は北朝鮮のおかげ」と失言している(10月26日)。政権の弛緩が心配だ。 また、安倍首相は選挙中こそ争点隠しをしたが、「消費増税10%の使途変更」を公約に掲げた。消費税増税が前提なのだ。会見翌日に「リーマンショック級なら延期」と訂正したが、財務省が忘れるわけはない。また、その際には再び解散総選挙を行うのか。閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=2017年10月、首相官邸(斎藤良雄撮影) 一部の「事情通氏」はまことしやかに「2年後のことなどわからない。安倍首相は増税すると決めた訳ではない」と苦しい怪しげな解説をする。だったら、2年後のことなど、最初から公約に掲げる必要などないではないか。安倍擁護者は希望の党の公約を無責任だと叩きつつ、「自民党の公約にはすべて財源の裏付けがある」と持ち上げた。財源は景気回復のよる税収増ではなかったのか。増税を公約、財源の裏付けのない政策は無責任、景気回復による税収増は財源にならない。すべて、故与謝野馨氏の主張だった。当然、安倍首相は与謝野氏に詫びてから、このような公約を掲げたのだろう。  しかし、いかに安倍首相の熱心すぎる支持者、信者とか院外団とでも呼ぶしかない連中が不愉快でも、日本のためには安倍内閣の継続は最善であったと思う。現時点での相対的最善ではあるが。 安倍内閣の生命線は、日銀人事である。3月に行われる日銀正副総裁人事で意中の人事を送り込み、景気回復政策を徹底すれば、支持率は上がる。本気で自主防衛や自主憲法をやりたい日本人は、3月に注目すべきだ。日銀人事に勝ってこそ、すべてがはじまる。(文中一部敬称略)

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    なぜ小池氏は「まともな野党」をつくれなかったのか

    、野党第一党としての民進党が立憲民進党、希望の党、無所属の会、そして参議院を中心とする民進党残党の4政治勢力に分裂しただけの結果を招いた。日本政治の永年の宿婀(しゅくあ)としての「野党の弱さ」は再び世に印象付けられた。このことは、立憲民進党と希望の党という二つの野党の姿から説明される。 第一に、立憲民進党は先刻の選挙に際しての「躍進」が専ら語られているけれども、その「躍進」の実相はきちんと見ておく必要がある。立憲民主党の獲得議席は55であり、これに共産、社民両党を併せた「日本左派連合」の獲得議席は70に届くかという水準になる。「左派連合」が総議席の15%を占めるに過ぎない勢力にまで零落したということの意味は、「55年体制」下に社会、共産両党を含む「革新」勢力が最低でも20数%の線を保っていた事実に重ねれば、相当に重いものがある。 これに関連して、立憲民主党の今後の党勢を占う意味では「新人候補はどれだけ勝てたのか」を見ておくのが適切である。どの政党にとっても、「新しい血」がどれだけ入るかは先々の党勢に結び付くからである。この点、立憲民主党が小選挙区で獲った17議席中、新人候補が獲ったのは、北海道の2議席と神奈川の1議席の、併せて3議席に過ぎない。立憲民主党も結局、民進党のリベラル系議員が「看板」を付け替えただけというのが実態であろう。「民主」と掲げられた立憲民主党の選挙カー=2017年10月、新潟市中央区(太田泰撮影、画像の一部を処理しています) しかも、枝野幸男代表は「安保法制を前提とした9条改憲には反対。阻止に全力を挙げる」と語っているけれども、立憲民主党が共産、社民両党と同様に「反改憲」を党のアイデンティティーにしようとするならば、その党勢は尻すぼみであろう。立憲民主党の先々の党勢は、立憲民主党支持層の主体が若年層ではなく高齢層であるという事実にも示唆される。全然できていなかった「選別」 第二に、後世、先刻の選挙を象徴する風景として語られるかもしれないのは、希望の党の「竜頭蛇尾」とも表現すべき党勢の「隆盛」と「失速」、そして選挙後の「混乱」である。希望の党の「竜頭蛇尾」はそれが結局、代表である小池百合子東京都知事の「野心」と民進党の面々の「保身」の枠組みに過ぎないという印象が世の人々に植え付けられたことによっている。 まず、小池氏における「我」の強さは、彼女の姿勢に「独善性」と「利己性」を浮き上がらせた。希望の党が実質上「小池私党」であるかのように小池氏が演出したことこそ、希望の党から民心を離反させたのである。小池氏が選挙の投開票当日に訪問していたパリで発した「『鉄の天井』があることを改めて知った」という言葉は、彼女にとって先刻の選挙が持っていた意味を示唆する。希望の党公認候補の選挙事務所に貼られた小池百合子代表のポスター=2017年10月、兵庫県内 次に、希望の党に民進党が合流すると伝えられたことに端を発する紛糾は、希望の党の政党としての性格を誠に曖昧なものにした。実際、希望の党は候補公認の条件として「安保法制容認」を明示していたのであるけれども、10月27日付の朝日新聞は、選挙当選者の7割が安保法制に否定的に評価している事実を伝えていた。 それは、小池氏が「選別」を口にした割には、その「選別」が全然できていないということを意味した。安保法制評価のような安全保障案件で二言を弄(ろう)するような政治家は、信頼度において最低の部類に属するであろう。 しかも、選挙中に希望の党の失速が語られる段階に至って、公認候補から党への「離反」を示唆する発言が相次いだのは、喩(たと)えていえば「戦中に自陣の備えを崩す」が如き振る舞いであり、有権者に対して極めて不誠実であったと断ずる他はない。政党の根底にあるべき「信頼」において、希望の党が立憲民主党よりも格段に落ちると見られたのであれば、その失速も当然の成り行きであったと評すべきであろう。 加えて、立憲民主党や希望の党に「看板」を付け替えた面々の多くが民主党内閣三代の政権運営を担った事実に醸し出される憂鬱(ゆううつ)な空気は、立憲民主党の「躍進」と思(おぼ)しきものを前にしても払拭(ふっしょく)されるわけではないし、現下の希望の党の実態が伝えられれば余計に増幅されよう。日本の諸々のメディアに披露される幾多の政治評論において、自民党を中心とした政権与党の執政を批判することに忙しく、「まともな野党」を鍛えることに精力を割かなかった弊害は、今後次第に日本政治全体をむしばんでいくことになるかもしれない。

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    心理学者が読み解く小池百合子「4つの誤算」

    プレゼンの仕方を心得ている人は人間関係がうまくいく。普通の人はもちろん、芸能人や、そして支持率の高い政治家はことにそうだ。彼らは自分自身を売るための企画をし、プロデュースしていく。自分の見せ方こそが、芸能人の人気につながり、政治家としての力になっていく。 小池百合子東京都知事は、自分の見せ方を心得ている。元ニュースキャスターとして、見られること、聞かれることになれている。古い政治家とは全く異なり、ファッションも立ち居振る舞いも、言葉の選び方もタイミングも最適の選択をして、あの熱狂的な「小池ブーム」を作り出してきた。ほんの1年前、小池候補の演説を聴くために大通りを埋めつくす群衆が詰めかけていた。しかし、プレゼンで成功した人はプレゼンで失敗もする。党首討論会に参加した希望の党の小池百合子代表(中央)。左は自民党の安倍晋三首相、右は日本共産党の志位和夫委員長=2017年10月8日、東京都千代田区の日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) 自分の見せ方のことを、心理学では「セルフ・プレゼンテーション(自己呈示)」と呼んでいる。人はみな、自分のイメージを演出し、自分の印象をコントロールしようとしている。これがセルフ・プレゼンテーション、自己呈示である。 子供から大人までみんながしていることだが、人気商売の人たちには専門のプロデューサーがついたり、スタイリストがついたり、芸能事務所や政党がついて、よりよく見せて売り出すための支援をしている。米大統領にも専門のスタッフがついてアドバイスし、専門家が演説の文章を考える。 セルフ・プレゼンテーションには、積極的にある印象を与えようとする積極的な「主張的自己呈示」と、逆に悪い印象を避けようとする「防衛的自己呈示」がある。政治家の中にも、攻撃に強い人や登り調子の時には強い人でも、攻められたとき、調子がくだり坂になったときには弱い人もいる。主張的自己呈示は得意でも、防衛的自己呈示の苦手な人はいるだろう。セルフ・プレゼンテーション五つの種類 主張的であれ防衛的であれ、自己呈示には次の五つの種類がある。まず、第一は「取り入り」である。これは相手から好意を持たれたい時に行う自己呈示である。小池氏も、お高くとまった政治家ではなく、庶民に寄り添う政治家を演じる。豊洲市場についても「安全だが安心がない、安心できるまでは移転しない」と庶民の声を代弁してくれるのだ。 自己呈示の二つ目は「自己宣伝」、つまり自己PRだ。これは自分の能力を高く見せたい時に行う自己呈示である。小池氏はとてもリーダーシップがあり、頭がよく能力も高いと、都知事選の時は多くの人が思っただろう。彼女は自己PRもうまい。第一声のあいさつをする候補の応援に駆けつけた自民党の二階俊博幹事長(左)の話を聞く小池百合子東京都知事=2016年9月、東京都・池袋駅西口前(納冨康撮影) 三つ目は「師範」である。師範とはお手本の意味であり、自分の道徳的評価を高めたい時に行う自己呈示である。うっかりすると政治家には不誠実な印象が付きまとう。だが、都知事選の時の小池氏はとても清廉潔白でさわやかに見えた。都議会自民党の「古だぬき」とは正反対に見えた。 四つ目は「威嚇」。これは他人を恐れさせたい時に使う自己呈示である。小池氏は敵にすると怖い存在だと、安倍晋三首相も感じていただろう。彼女は鉄の女のようであり、信念の人である。いざとなれば崖から飛び降りるように自民党とも戦い、堂々と都知事選に立候補してきた。 五つ目は「哀願」である。これは、自分の弱さを印象付け、相手から応援や援助を引き出したい時に使われる自己呈示である。小池氏は弱い存在でもないし、また男女平等を具現化したような存在だ。しかし、彼女は「女性性」を捨ててはいない。テレビのニュースキャスターのように、美しさやファッショナブルさを活用する。そして、強くて悪い男性政治家とひとり戦う女性政治家だった。 幸いにして、都議会自民党は見事な悪役ぶりを演じてくれたおかげで、彼女の「弱さ」は都民に印象付けられ、多くの人が彼女のサポーターになっていった。都議選の時に化粧の濃さを揶揄(やゆ)されたとき、怒ることもなく、自分の肌の問題を話した。この巧みさと正直さもファンを増やしたことだろう。戦う女は魅力的でも… しかし、彼女の見事なセルフ・プレゼンテーションも歯車が狂い始める。確かに人は食に安全だけではなく、安心を求める。そこに共感できれば支持は得られる。「取りいり」成功だ。だが本来のリーダーは、感情にされやすい大衆の誤解を解き、正しく導いてくれることも必要だ。安全の上に安心を求めすぎることで、トラブルが大きくなることもある。 小池氏はとても優秀だ。だが、国政にまで手を広げたとき、さまざまな準備不足が露呈する。完璧だと思われていた彼女もそうではないと感じられ始める。「自己宣伝」もうまくいかなくなる。「緑のたぬき」と小池百合子東京都知事を揶揄した角田義一元参院議員=2017年9月、前橋市内 清く正しい「師範」(お手本)のイメージだった小池氏だが、衆院選の後半には古だぬきならぬ「緑のたぬき」と揶揄する人まで現れた。彼女もまた、古い政治家と重なる部分があると感じた人々もいる。 現代では戦う女は魅力的だ。ドラマでも映画でも、強くて美しい戦う女は人気がある。「女だからとなめるな」といった「威嚇」も必要なのだ。だが、そのためには「敵」が必要だ。国政に打って出たとき、都議会自民党のようなわかりやすい敵は作れなかった。そうなると、強い女のイメージは必ずしも人気につながらない。威嚇はマイナスに作用することもある。 都知事選の時は、都議会自民党や古い男社会からいじめられる役を演じることができて、「哀願」が成功した。ところが、今度は自分が党首となると「哀願」を表現しにくくなる。「排除」という発言だけが希望の党の凋落(ちょうらく)の原因ではないだろうが、象徴的な出来事ではあっただろう。 私たちは、メディアを通して政治家を知る。政治家はメディアを活用して、セルフ・プレゼンテーションする。それは必ずしもありのままの姿ではないが、それで良いのだ。それは真実を伝えるための正しい演出だ。しかし、演出だからこそ、ほんの少しの狂いが生じると一気にイメージが崩れることがある。 小池氏は、小さな歯車の狂いでイメージ戦略に失敗しただけなのだろうか。それとも化けの皮が剥がれ、魔法が解けて、正体をさらしたのだろうか。答えを出すのはまだ早い。都知事の任期はまだ3年もあり、希望の党はスタートしたばかりだ。セルフ・プレゼンテーションは大切で必要だ。だが、私たちはその奥にある真実の姿を見る努力を続けなければならい。

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    「排除発言」よりタチが悪かった小池百合子の思いつき

    小笠原誠治(コラムニスト) 一瞬先は闇と言われる政治の世界だが、誰が、小池百合子東京都知事に対する世間の評価がこれほど急変することを予想していたであろうか。都知事選、そして都議会選であれだけの人気とパワーを見せつけた小池氏であったが、今回は様変わり。言ってみれば、鬼退治の桃太郎が、気付いたら鬼だったと分かった様なもの。 小池氏の人気失墜の原因はなんなのか。多くの評論家や政治関係者などは、小池氏がリベラル議員を排除したことにあると言う。しかし、私は、それは単なるきっかけであって本当の原因ではないと考える。では、本当の原因はどこにあったのか。 それを考えるには、都知事選と都議会選でなぜ彼女の人気が沸騰したかを考えると分かりやすい。都知事選及び都議会選における彼女の役割は明快であった。東京都といえば、直ぐに築地の豊洲移転と東京オリンピックが思い浮かぶが、それとの絡みで自民党都議連が何やら悪さを企み、そうした悪事を正す役割が小池氏に求められていたと言えよう。 自民党都議連のボスを鬼に例えれば、小池氏は桃太郎。誰もが桃太郎が鬼を退治してくれることを期待した。しかし、今回の衆議院選においては、そのような明快な構図を設定できなかった。それこそが最大の失敗の原因だと言っていい。若狭勝氏、細野豪志氏、そして前原誠司氏が犬、猿、雉(キジ)の役割を演じたが、肝心の鬼は誰だったのか、と。敗戦の弁を述べる希望の党の若狭勝氏=2017年10月、東京都豊島区(宮川浩和撮影) とりあえず小池氏は安倍総理を鬼に仕立て上げ、その鬼を倒すと宣言したが、よく考えてみると、自民党都議連とは対決の姿勢を示していた小池氏も、安倍総理とは適当な距離感を保っていたではないか。 小池氏が安倍総理にバッジを付けてあげるシーンや銀恋を一緒に歌おうと言ったシーンを覚えている人は多いと思う。どこまで信頼関係が構築されていたかは別として、どちらも戦うべき相手ではないと考えていたのではないか。それに、小池氏は日本会議に所属し、思想信条的にも安倍総理に極めて近い。 その小池氏が、なぜ安倍一強体制を倒す必要があると急に態度を変えたのか。小池氏が、安全保障や外交政策、さらには経済運営の基本的な考え方に関して安倍総理と大きく異なっていたのであれば、小池氏の新党設立は分かりやすかった。あるいは、小池氏が森友・加計学園疑惑に関して一貫して安倍批判を展開していたのであれば、これまた新党設立の意味は分かりやすかったであろう。しかし、実際はそうではなかった。だからこそ有権者は直ぐに気が付いた。小池氏は、自分の絶大な人気をバックに総理の座を手に入れようとしているだけなのだ、と。 そして、総理のポストがちらつき始めた桃太郎が民進党の議員をすべて受け入れる気持ちはさらさらないと言い切ったとき、有権者たちは、桃太郎だと思っていた人間が急に弱い者をいじめる鬼に見え始めたのだ。 それぞれ自分の任務を忠実にこなしていた犬、猿、雉に対しても桃太郎は急に偉そうな態度を取り始めた。お前らなにやっているのだ、と。リセット、リセットと叫ぶ桃太郎! 犬、猿、雉があれだけ一生懸命に尽していたのであるから若狭氏を比例一位にするくらいのことをしていたとしても当然だったのに、そのような配慮はせず防衛庁時代のかつての部下を比例一位にした桃太郎! それまで桃太郎だと思っていた人間の頭の中が、自分の欲望を充たす事柄以外のものがほとんどないことに有権者が気付いたことも敗北の大きな原因であった。希望が見えなかった「小池政権」 小池氏が総理の座を目指していることはよく分かる、希望の党創設の大義名分がなんであれ、今度は都知事の座から総理の座を目指そうとしているのだ、と。しかし、彼女が総理になったら何をしたいのかが分からない。仮に小池政権が誕生したとして、彼女はどのような政治を行なうのだろうか、と。 小池氏が掲げた公約の主なものとしては、消費税増税を凍結することが第一。その理由は、まだ景気回復の実感がなく、消費税を増税するタイミングとしては相応しくないからだ。ただし、その点に関しては他党も似たようなことを言っていたわけだし、安倍総理自身も二度も約束を破って消費税増税を延期した事実があるのでそれほど大きな違いだとは思えない。 それに消費税増税を凍結したら、それに代わる財源をどこに求めるのか。小池氏が言ったことは、内部留保に対する課税を検討するということであった。内部留保に対する課税の是非は別として、内部留保に課税すると言い切るのであれば、それはそれで一つの考え方ではある。出張先のパリで総選挙について記者の質問に答える小池百合子知事=2017年10月(共同)   しかし、内部留保に対する課税を検討するだけのことならば、結局、実現することは不可能であっただろう。それに内部留保に対する課税については、そもそも二重課税の問題があり、専門家からすれば筋悪のアイデアでしかないからだ。企業が海外移転しないように、あるいは海外の企業が自国に本社を移すようにと、法人税率の引き下げ競争のようなことが世界的に起きているなか、どうして法人税率の引き上げよりも過酷な内部留保課税などできようか。 小池氏はベーシックインカムなんて横文字も口にしたが、今ある年金制度を維持することさえ至難の業なのに、どうして国民全員に生活に必要な資金を支給するなんて夢物語が実現するのか。もっと言えば、ベーシックインカムなんて有権者たちは端から期待していなかった。というよりも、今でもベーシックインカムって何?という国民が大半ではないのか。 分かりやすかったのは原発廃止を訴えたことであるが、しかし、これもどこまで本気か分からない。あとは、彼女のライフワークとでもいうべき電線の地中化。街中にある電柱、電線を地下に埋めるという事業である。これも、確かにオフィス街や観光地ではそれを切望する声が大きいことも事実ではあろうが、 しかし、日本中の電柱をすべて地下に埋める必要がどこまであるのか。そして、そのための莫大な財源はどこに求めるのか。花粉症をゼロにしたいとか満員電車をゼロにしたいのもあったが、国民の反応は、「ああ、そうですか」という程度のものでしかなかった。 これでは、安倍政権に終止符を打つのはいいとしても、小池政権になったからといって本当に希望が持てるとはとても思えない、と多くの有権者が感じたに違いない。 大義名分があり、そしてまた、本当に国民が希望を抱くような政策メニューを提示することができたとしたら小池氏に対する人気は続いていたかもしれない。例えば、小難しい話であっても、なぜアベノミクス、あるいは日銀の超緩和策がなぜ成功していないか、その理由を示した上で、それに代わる政策を提言できていれば彼女に対する信頼度は増した可能性はある。しかし、すでに述べたように彼女が提示した公約はほとんど思いつきの域を出ないものばかりであった。 都知事選や都議会選とは異なり、衆議院選では桃太郎の鬼退治の構図を描くことができなかったことと、小池氏の言葉の空虚さに有権者が気付いたことのために小池劇場の終演となったのだ。

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    小池百合子氏 「チャック女子」の聞き捨てならないセリフ

    、有権者はきちんと中味を見抜いているのです。 何よりも残念なのは、小池さんの着ぐるみの中にあるのが「政治闘争」の要素だけで、あとは空っぽだということ。戦いに勝つことしか眼中にないこと。勝っていったいどんな政治をしたいのか、どんな社会にしたいのか。伝わってこない。 一方、今回の選挙で「チャック女子」と対極の展開を見せたのが山尾志桜里さん。不倫スキャンダルで離党し無所属で立候補、自民党を破って薄氷の勝利を手にしました。 待機児童問題等、子育てに対する意識を変えようという意気込みが、不倫スキャンダルを超えて有権者の心に食い込んだ。 山尾さんの当確が出た現場で、文春の記者が結婚指輪を外していることについて山尾さんに質問したとか。山尾さんは「答える必要はないと思います」と一蹴。男の議員にも果たして同じような質問をするのでしょうか。こういうのが「ガラスの天井」を作り出す要素ではないでしょうか? 政治家の言葉に真実味があるか。そのセリフ、本気で語っているか。直感的に見抜く有権者が増えている昨今。だとすれば、勝った自民党が今やたら口にしている「ケンキョ、ケンキョ」も何だか怪しい。そもそも謙虚さって、自己宣伝するものではなくて他者から見ての評価、ではないでしょうか?  喧伝は謙虚に見えません。関連記事■ 小池百合子都知事 「弱者イメージ」崩れ、アンチ増やす■ 希望の党、小池百合子代表 戦い終えて「みじめな微笑み」■ 排除発言で負けた小池都知事 自民党は「小池さまさま」■ 希望の党 離党者続出で崩壊し“55年体制”復活か■ 44歳主婦「不倫への反発は怒りではなく、ズルいという気持ち」

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    反「安倍」選挙で顕在化、小池バブルの崩壊と健全な左派へのニーズ

    契機としていることは多くのメディアが指摘しているところである。ただし、政党とは本来、同じ哲学、目標、政治信条を共有する者から構成されるのが筋であり、異分子を「排除」するのは当然ではある。しかし、誰を味方として迎え入れ、誰を排除するかについては、結党までに水面下でやっておくべきことであったのが、第44回衆院選に際しての小泉劇場の再現よろしく敢えて表舞台で行うことでメディアジャックを図るが、かえって排除された側にアンダードッグ効果(判官贔屓)を惹起してしまった。2017年10月、記者会見で衆院選公約を発表する希望の党代表の小池百合子都知事=東京都内のホテル そうした小池代表への不快感を起点に、開幕まで3年を切った2020年東京オリンピック・パラリンピックの準備や、長引く築地市場から豊洲市場への市場移転問題への対応をはじめとして都政でも実績を上げていないなかで、小池代表への都政と国政の二足の草鞋問題、そもそもの政治姿勢に疑問符がつけられるなど、負のスパイラルがはじまった。自民党に類似した右派政党にニーズなし さらに、希望の党が12日に公表した公約も、外交安保・憲法は右派的、経済政策は左派的と、結局、候補者だけではなく公約も寄せ集めであることを露呈させてしまった。また、「満員電車ゼロ」「花粉症ゼロ」など「12のゼロ」はあまりの荒唐無稽さにメディアにさえ黙殺されてしまう体たらくだった(ちなみに筆者の周りでは嘲笑の対象でしかなかった)。 このように、はじまりは小池代表の舌禍ではあったが、小池代表の政策遂行能力への疑問、政党としての理念の曖昧さ、公約の支離滅裂さ加減等が白日の下にさらされた結果、小池バブルが崩壊した。 そもそも希望の党への合流に舵を切った前原誠司民進党代表も保守二大政党による政権交代が持論であり、日本維新の会、日本のこころは自民党と同様、憲法改正を掲げ、場合によっては自民党より右寄りの主張を掲げていた。そうした自民党に類似した右派政党が軒並み議席を減らした点に鑑みると、最近右傾化したと指摘されがち日本にあっても自民党以外の右派政党にはそれほどのニーズが存在していないことが確認できた。 日本経済新聞によると、年代別の政党支持率は、「全年代を合わせた政党支持は自民が36.0%と最も高く、立憲民主党が14.0%と続いた。自民党の支持率は、20代が40.6%と最高で、次に70歳以上、18~19歳が続いた。一方、立憲民主党は60代の17.8%が最も高く、70歳以上がそれに次いで高かった。10~30代ではいずれも10%を下回り、高齢層ほど支持を集める傾向が強かった。共産党も高齢層のほうが若年層より支持率が高かった」とのことである。 こうした調査結果は、最近指摘される若年層の保守化と整合的なように思われる。しかし、元々若年層ほど重視する政策は、(財)明るい選挙推進協会のアンケート調査によれば、「景気対策」「雇用対策」であり、昨今の雇用環境の改善を考慮すると、経済状況の改善が与党である自民党支持をもたらしている可能性も指摘できる。しかも、若年層の多くは冷戦構造の崩壊以降に出生し、イデオロギーからは比較的自由である点も、経済改善という業績に対して与党への業績評価投票の傾向を促進したと考えられる。(iStock) したがって、若年層が与党である自民党への支持を強めているからといって、必ずしも保守化したわけではなく、さらに、若年層ほど特定の政党支持が低く無党派層の割合が高いことも含めると、自民党への支持が高かったのは、若年層が単に業績評価投票の原理に則って行動した結果に過ぎない点に留意する必要がある。躍進した立憲民主党、失速した共産党 これまでの安倍一強自民党への批判の受け皿は共産党が一手に引き受けてきた。しかし、そうした共産党への批判票の集中は他にめぼしい野党勢力が存在しなかったための消極的な支持であり、アレルギーは持ちつつも、仕方なく支持していただけであることが、先の東京都議会議員選挙での都議会自民党への批判票の受け皿が都民ファーストとされたこと同様、今回の選挙で、共産党が失速し、立憲民主党が大躍進した事実から読み取ることができるだろう。 つまり、自民党に類似した右派政党や、「日米安保条約の破棄」「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」等昨今の東アジア情勢等に鑑み非現実的な路線を堅持する共産党には支持が集まらず、現時点では「リベラル」イメージ先行の立憲民主党に支持が集まったことを考慮すると、国民は安倍一強に代表される右派に対して健全な左派政党としてのイメージを獲得することに成功した立憲民主党に票を投じることで左からバランスを保とうとしたとも考えられる。こうした国民のバランス感覚は、共同通信社の出口調査によると、無党派層の比例代表での投票先は立憲民主党が30.9%でトップであり、しかも「立憲民主、共産、社民3党」では42.8%と連立与党の27.3%を大きく引き離したことからも裏付けられる。衆院選の開票当日、インタビューに応じる共産党・志位和夫委員長=2017年10月22日、東京都渋谷区(川口良介撮影) ただし、日本では混乱して用いられている保守やリベラルのラベル、ひいては与野党の対立軸は、経済哲学ではなく憲法哲学といった旧態依然としたものである。 東西冷戦の終了により、それまでの資本主義と社会主義間での体制選択を軸とした党派的活動が世界的に弱まる中、欧米先進国では、社会主義陣営に対抗するため肥大化した政府の役割をどこまで小さくしていくのか、つまり、小さな政府対大きな政府が体制選択に変わる新たな対立軸として確立された。日本でもいわゆる55年体制確立以降対立してきた自民党と社会党(当時)による自社さ連立政権が1995 年に樹立されたことで、イデオロギーが政治の中心であった時代が完全に終焉したかのように見えた。しかし、日本では財政赤字ファイナンスの存在で給付面では中福祉、負担面では低負担が実現しており、政府の大きさは対立軸に成り得なかった(この点については、来月刊行予定の拙著『シルバー民主主義の政治経済学』日本経済新聞出版社で詳しく論じている)。 したがって、冷戦構造の崩壊以降現在に至るまで、政治的な対立軸は、自衛隊の意義や活動範囲を憲法上どのように位置付けるかという冷戦時代の残滓であることもまた明らかになった。新党バブルの読み方 希望の党が設立され、バブルが崩壊するまでごく短時間しかかからなかった。93年の新党ブーム以来最近に至るまで30を超える相次ぐ新党の誕生・消滅、看板の掛け替えが、政治に対する分かりにくさを増大させた。これまで何らかの理由により民意を集めることができなくなった既存の政党に所属する政治家は、離党して新党を立ち上げたり、あるいは政党そのものの名称を変更して、今までの所属政党の色を薄くし、政治的な立ち位置を曖昧にすることで、こうした特定の支持政党を持たない有権者に対する理解の困難性に付け込んで新たに民意獲得を狙ってきた。 有権者は有権者で、これまでの評価がいったんリセットされた既存の政治家グループに対して、実績がないにもかかわらず根拠に乏しい期待を抱き、風を起こす事態が生じる。まさに、勘違いが有権者の投票を支え、新党バブルを煽ることになるのだ。 しかし、希望の党のバブルの生成と崩壊を見ると、立憲民主党への支持がバブルであるか本物であるかは、今後どのようなスタンスで与党の政治に対峙していくのか、反対のための反対なのか、国民の利益を第一に与党との議論を重視し、課題の解決を図っていくのかが問われることとなる。 民進党が突然の希望の党への合流を決め、選挙目当てに逃げ込んだ先の希望の党が惨敗し、分裂した立憲民主党や無所属議員が健闘したことから、今後、野党の再編を巡る騒動が勃発するのは想像に難くない。しかも、今回の選挙でも政策論争が行われた形跡は全く見当たらない。2017年10月、立憲民主党本部の公開で会見に臨む枝野幸男代表(斎藤良雄撮影) しかし、いわゆる団塊の世代が後期高齢者になる2025年までに残された時間が少ないにもかかわらず、財政や社会保障の問題にはめどがついていないなど、相変わらず山積の課題の先送りが続いている。これまでも先送りができたから今後も先送り可能であるとは限らない。 政治の役割は、本来、こうした危機感をすべての国民と共有したうえで、国民に解決のための選択肢を提示し、熟議を重ねて決定していくことにある。 政党や政治家はいつまでも数あわせの政治ゲームにうつつを抜かす時間的余裕がないことを肝に銘じて、国民の利益のために国民から負託された権力と時間とお金を行使する必要がある。しまさわ・まなぶ 中部圏社会経済研究所チームリーダー。富山県生まれ。1994年東京大学経済学部卒業 同年4月経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課、総合計画局計量班、調査局国際経済第一課等を経て2001年内閣府退官。02年秋田経済法科大学経済学部専任講師、04年10月秋田大学教育文化学部准教授。12年4月より現職。

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    モリカケで生き延びようとする「民進党なるもの」たち

    のイメージを抹消するために党名を変更し、そして今はアメーバのように生き残りをかけて分裂を繰り返すその政治的な生命力には感心するよりも、あきれているというのが率直なところだ。 さて、その政治的生命力たくましい「民進党なるもの」が国会で追及するとマスコミで意気込んでいるのが、例によって「モリカケ問題」である。つまり森友学園・加計学園についての安倍晋三首相への「疑惑」解明である。 さすがに半年近くやって「疑惑」以上のことがまだ何も出てこない話をまたやるのか、とあぜんとせざるをえない。いま、「与党2割、野党8割」という国会の質問時間の配分があまりに野党側に偏りすぎていることを、自民党の若手議員が問題提起して話題になっている。賛否あると思うが、単純に半々にして、少数派の声も反映させるのがいいのではないか、と思った。ところが、野党が「またモリカケ問題をやる」というあまりに無反省な発言をみて考えなおした。やはり議席配分通りでいいのではないか。 議会は政治的やりとりの場ではあるが、マスコミというかワイドショーのネタを提供する場では少なくともない。なんの論理的・実証的なものがない「疑惑」をショーのように野党がやろうとするならば、これはなんらかの歯止めが必要だろう。さらに特殊な事情もある。それは現時点の野党の三大勢力は事実上、冒頭でも書いたようにみんな「民進党」だからだ。これでは民進党の単独ショーに国会がなりかねない。 国民の大半は、野党に票をいれたのではなく、与党に票をいれたのだ。しかも最近では、国会での質問が議員の評価にもつながる傾向がある。「モリカケショー」はもういいだろう。だが、それで納得しない人のために以下にモリカケ問題とは何か、その現状の論点を書いておく。これを読んでまだ納得しない人たちは政治イデオロギーに汚染させているのだろう。 「森友」2つの論点 森友学園問題とは、同法人に払い下げた国有地が周辺の取引価格の実勢よりも極端に低かったことだ。最近の報道によれば、会計検査院の調査では、値引き額が最大6億円過剰だったという。このような過剰な値引きがなぜ起きたのか、というのが第一の論点になる。 第二の論点は、このような過剰な値引きについて安倍首相や安倍昭恵夫人が関わったのではないか、という問題である。過剰な値引きが、法的もしくは道義的な責任を伴うものならば、当然首相も昭恵夫人もその責任を問われてしかるべきものである。典型的には、贈収賄などが考えられるだろう。だが、現時点でそのような事実はまったくない。 ところが、安倍首相が国会で「私や妻が(土地の値引き交渉に)関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と発言したことが異様な拡大解釈を生み出すことになる。この「関係」を野党や反安倍系の識者、マスコミは、不法なものや道義的なものではなく、後述する「忖度(そんたく)させた罪」という一種の「魔女狩り」にまで発展させた。このことで森友学園問題は理性という歯止めを失ったと筆者は解釈している。 この「忖度させた罪」とは以下のような話である。財務省近畿財務局をはじめ、関係した省庁や職員などが、安倍首相や昭恵夫人を「忖度」して、森友学園に対して土地の価格値引きなどの便宜が図られたのではないか、という「疑惑」である。そしてこの官僚たちの「忖度」(相手の気持ちをおもんばかること)の責任を、安倍首相に要求していることだ。つまり官僚たちに「忖度させた罪」を首相は認めて、政治的責任をとれということである。 もちろんこのような「忖度させた罪」は違法でもなければ、そもそもなんらかの罪でもない。言い掛かり以上のものではない。疑いをかけられた官僚も「忖度」はないと答えればそれで終わりだ。もちろん国会でも野党の質問に官僚側はそう答えている。ましてや、赤の他人がどう思って行動しようが、基本的にわれわれには関係ない。ある日、あなたの家に警察が訪ねてくる。あなたがよく知らない他人が「あなたの気持ちを忖度して盗みを働いたかもしれないので、あなたを逮捕します」と宣告する。これを暗黒社会といわずしてなんというだろうか。「魔女狩り」の構図 森友学園問題について、野党やマスコミが追及するには、信頼できる証言や物証を掲示しなければいけない。つまり挙証責任は追及する側にある。だが、野党や一部の反安倍系の識者、そしてマスコミの一部もそのような理性的な態度ではない。これが森友学園をめぐる魔女狩りの構図である。「森友学園」が小学校用地として取得した大阪府豊中市の旧国有地。現在は国の所有に戻っている=2017年6月 このようなことを書くと、「安倍首相があんな発言をするのが悪い」と魔女狩りへの擁護論がでてくるが、本当に「いじめられるのはいじめられた方が悪い」と同じ幼稚な言いぐさである。だが、そのような幼稚な論理がまかり通っているのが日本の現状でもある。一時期ほどではないが、いまだにこのような魔女狩りとその弁護は有力なのである。 森友学園問題で最も参考になるのが、嘉悦大教授の高橋洋一氏の『大手新聞・テレビが報道できない「官僚」の真実』(SB新書)、『ついにあなたの賃金上昇が始まる!』(悟空出版)などの著作である。 高橋氏が指摘する森友学園問題の真因は簡単明瞭である。過剰に安い土地価格取引になったのは、森友学園と直接に交渉した近畿財務局の失敗である。土地に大量のごみが投棄されている可能性が大きいのに、このごみの埋設の事実を隠して、あるいは告知することを怠って森友学園と契約したことにある。そのためごみの埋没が明らかになった過程で、森友学園側に土地価格で大幅な譲歩を迫られたというのが、高橋説である。そもそも近畿財務局は、森友学園と直接の契約(随意契約)ではなく、入札方式で行うべきだったとも高橋氏は指摘する。さらにこの経緯を記した財務省側の資料が廃棄されたことも、厳しく批判している。要するに、財務省、直接の交渉者である近畿財務局の責任である。 ところが野党やマスコミ、一部の識者は、政争的思惑などから昭恵夫人や安倍首相の「忖度」責任追及に忙しい。これではむしろ野党などは、国民の多くに真実を伝えない努力をしていると指摘されても仕方がない。ライバルが断念しただけの話 加計学園問題については、野党やマスコミの姿勢はさらに深刻なものである。端的にいえば「報道しない自由」とフェイクニュースの問題である。それに加えてこの問題を追及している野党側の方こそ政治的・道義的な問題が生じていることである。 さて、あらためて加計学園問題とはなにか。加計学園の加計孝太郎理事長が首相と友人関係にあり、そのため同学園の獣医学部新設について優遇されたという疑惑のことである。この問題についても筆者は何度もこの問題について書いてきた。そもそも獣医学部の新設についての申請自体を認めない状況がおかしい。文科省などの官僚側の規制のひずみが深刻であった。そのため獣医学部新設の申請を認める、という議論が国家戦略特区会議で行われた。申請されたが、それを認めるかどうかは別問題である。この点さえもごっちゃにする議論は後を絶たない。2017年7月、衆院予算委員会の閉会中審査で、玉木雄一郎氏の質問に対して答弁する安倍晋三首相(右、斎藤良雄撮影) そして、日本獣医師会からの圧力などもあり、なんとか1校だけ申請が認められた。そのときに、十数年にもわたり繰り返し申請許可を求めていた加計学園が最優先で認められただけである。新潟市の候補も長年にわたり申請許可を求めていたが、あまりに時間がかかりすぎて途中で断念した。またしばしば話題になる京都産業大学は最近プレーヤーとして登場してきたにすぎない。京産大自身の説明でも、準備不足ということが辞退の主因になっている。時間がかかりすぎてライバル校が断念、または準備不足でもまた別のライバルが断念したために、加計学園が長年の準備を認められて申請することを許されただけである。 ここに安倍首相の「友達」だからそのような申請を認めたとする余地はない。しかも八田達夫国家戦略特区ワーキンググループ座長が明瞭に指摘しているように、国家戦略特区制度では、ある一つの特区で認められた改革は他の特区でも適用されるということである。つまり重複した議論をする必要がなくなる。八田氏の発言を引用しよう。 「話を獣医学部に戻せば、この特区法の原則では、今治市だけに特区を与えることは不可能です。1区域でできれば他でも同様にできて、必ず競争が生まれる。つまりわれわれとしては、まず『特区ができる』ことが大事なのであって、それが『どこで最初にできるのかは』重要ではありません。新しい獣医学部ができるのが、京都でも、新潟でも、愛媛でも、どこでも構わない。WGの議事録から明らかなように、実際に私は、どこが出してきたときでも賛成しています。特区の原則の下では、加計学園が最初の新設獣医学部になったとしても、それは利権になり得ません」(八田達夫「『岩盤規制』を死守する朝日新聞」『Hanada』2017年10月号)。深刻すぎる「報道しない自由」 しかも最大のポイントは、獣医学部の申請校を複数から一つに絞ることが、国家戦略特区の目的ではない。国家戦略特区を悪用して、1校に絞る画策を安倍首相がしたかのような「疑惑」をマスコミなどは繰り返し報道して、世論を誘導している。これは完全に誤りだ。国家戦略特区の目的は、先に述べたように、獣医学部の申請を、異常といえるほど何十年も認めなかったその「規制を撤廃」することにあり、それに尽きる。 獣医学部の規制撤廃は、特定の組織や関係者に利益をもたらすものではない。むしろ現状のように、獣医学部の申請さえも受け付けない官僚とその背後になる既得権団体や政治家たちの存在こそが、特定者の利益温存に動いているのである。この既得権者たちの利害構造については、国会などで前愛媛県知事の加戸守行氏は鋭く批判を展開している。しかしこの加戸氏の発言を紹介するテレビや大新聞はほとんどない。また先の八田氏も、朝日新聞に対して岩盤規制の側に立つか否か公開質問をしているが、その八田氏自身の主張の紹介を含めて、まったく朝日からは返答はない。加戸・八田両氏はともに加計学園問題のキーマンである。その証言や発言をほとんど無視するマスコミの「報道しない自由」ほど、今回深刻なものはない。2017年5月、加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が国会内で開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左) さらに野党側にも「疑惑」がある。希望の党(前民進党)の玉木雄一郎議員は、国会で首相追及の急先鋒(せんぽう)だった。しかし報道にもあるように、玉木氏には獣医師連盟から100万円の献金が行われていた。つまり規制で守られている側と親しい。このことは玉木氏が国会で行った一連の質問が、既得権者の利益を代弁して行ったものである「疑惑」がある。安倍首相のケースと違い、金銭の授受が明瞭である。この点の「疑惑」を与野党やマスコミはむしろ追及すべきだろう。ただしこの点でもネットではともかく、新聞・テレビでの追及はほとんど行われなかった。 さて、間もなく開かれる国会で、「民進党的なるもの」たちがどのようにまたモリカケ問題を追及するのか、またそれをどのようにマスコミが報道するのか、そして識者たちはどのようにコメントするのか、もういいかげんうんざりな向きも多いだろう。実際に今まで書いてきたように、根拠なき「疑惑」をまき散らすマスコミや、それを安易に信じてしまう世論にこそ反省を求めるときだと、筆者は思う。

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    【特別寄稿】高等教育の無償化は「天下の愚策」である

    米山隆一(新潟県知事) 10月22日に衆議院の総選挙が行われました。希望の党の設立と、民進党の合流、排除の論理と立憲民主党の設立と、この選挙では政党の離合集散が大きな話題を集め、政策論争はいつの間にか忘れ去られてしまいました。衆院の解散を表明した会見で、教育の無償化に言及する安倍晋三首相=2017年9月、首相官邸(宮崎瑞穂撮影) しかし、そもそもの解散の理由が消費税増税分の教育目的への転換とされ、自民党が公約に「保育・教育の無償化」を掲げた上、ここにきて安倍総理が私立高校の無償化の検討を表明しました。また、その他の政党も軒並み教育を重視する姿勢を見せており、教育の無償化は本来、今回の総選挙でも大きな論点であったはずです。今回はその是非について論じたいと思います。 まず、極めて当然のことですが、仮に何のコストを払うことなく教育を無償化できるなら、それに反対する人はいません。しかし、そんな魔法のような話はないわけで、教育無償化に限らず、「〇〇無償化」は、無償化といいながらも、もちろんそのコストは、税金から支払われます。 したがって「教育無償化」の是非は、教育費を無償にすべきかどうかというよりはむしろ、教育費を、教育を受ける本人ではなく、「税金」という形で社会全体が負担すべきか否かで決せられるということになります。 現在、日本においては、義務教育である公立の小学校、中学校は無償化されています。日本人の誰もが共通の基本的な教育を受けることで、教育を受けた本人の能力が高まって利益を受けるだけでなく、国民全体の能力が高まって社会全体が利益を受けることになるので、これに異論のある人はほとんどいないものと思います。 一方で、例えば私が、ロシアのすてきな方とお話しするために始めたロシア語の勉強も、先生に教わっている以上教育と言えなくはないのですが、これによって利益を受けるのは恐らく私1人であります。私が奇跡的に上達したロシア語を駆使してロシアの地方政府とよほど大きな話をまとめでもしない限り、その費用は私が負担すべきだということに異論がある人もまたほとんどいないものと思います。 つまり、教育といってもそれを受ける時期、対象、内容がさまざまにあるわけで、教育の無償化は、義務教育から個人的な語学教育までのさまざまな教育について、どの範囲でどう無償化するべきかを考えなければならないことになります。無償化すべき教育とは? そこで、議論を整理するために、少々勝手に、教育を分類してみます。 まず、主に時期を中心として、下記のように分けることは、ご了承いただけるのではないかと思います(通常(4)(5)をまとめて高等教育としますが、議論のために分けました)。(1)幼児教育 (2)義務教育 (3)高校教育 (4)大学教育 (5)大学院以上の教育 (6)社会人教育  対象については、ざっと、大部分の人(全員)が受ける教育と、一部の人しか受けない教育に分類します。 内容については、分類が難しいので、これも非常にざっと、公的教育と私的教育に分けさせていただこうと思います。公的教育はその教育主体がどうあれ、内容の主要な部分が公定されているもの、私的教育はその教育主体がどうあれ、民間が自由に内容を決めているもの、という分類です。 これを図示すると、以下のようになります。  先ほど述べた通り、義務教育のように(1)全員が受けるもの、(2)内容が公的に決まっているものであり、かつそれによって(3)社会全体が利益を得るもの、については、無償であること、すなわち社会全体でその費用を負担することに大きな問題はないものと思われます。 したがって、教育の無償化を進めるのであれば基本的には、義務教育から始まって順次(1)一部の人が受けるもの、(2)内容が私的に決まっているもの、にその範囲を広げることになり、おおむね図の①、②、③、④、⑤の線の順に議論がなされることになるのだろうと思います。もちろんそれぞれの丸の位置や順番については別の意見もありうると思います。 また、①~⑤の順番は、上記の(1)全員が受けるもの、(2)内容が公的に決まっているもの、という基準に依拠していますが、当然その過程では(3)社会全体が利益を得るものという基準が満たされているか否かも問題になりますし、例えば大学院教育などについては、(1)(2)の基準では優先順位が低いけれど、技術革新の時代において社会全体に与える利益が大きいから優先的に無償化する等の議論はありうるものと思います。 ところでここまでは、教育の無償化を順次進めるという前提で議論してきましたが、そもそも無償化を進めるべきか否かを考えるにあたって、非常に重要な問題である、財源についての議論を避けることはできません。 上述の通り、教育無償化というのは結局税金を徴収することによって社会全体でその費用を負担するということです。日本の税収(国税)は毎年ほぼ50兆円で変わらず増える見込みはありませんから、教育を無償化するには、(1)他の用途に使われていた税金を教育無償化に使う、(2)増税する、の二つに一つしかありません。例えば、自民党で「こども保険」を創設するという議論がありますが、これは実質的に増税と同じです。結局誰が負担するのか (1)の選択肢を選んだ場合は、「他の用途」が医療・福祉の社会保障なのか、公共事業なのか、公債費、つまり財政健全化のための費用なのか、はたまた防衛費なのかはそれぞれでしょうが、いずれにせよ教育無償化を行うことによってこれらの用途にお金を使うことはできなくなります。(iStock) したがって本当にその教育無償化が、他の用途にお金を使うよりも社会全体に利益をもたらすのか、上記の①~⑤の無償化の段階ごとに、議論が必要だということになります。 (2)の選択肢を選んだ場合は、すでに税金が使われていた他の用途が削られることはありませんが、増税されなければ民間の個人もしくは企業がそれぞれに使っていたお金を教育無償化に使うわけですので、その教育の無償化は、民間でそれぞれにお金を使うよりも社会全体に利益をもたらすのか、やはり上記の①~⑤の無償化の段階ごとに、議論が必要だということになります。 さらに教育無償化には、もう一つ忘れてはならない問題があります。それは無償化をすることそれ自体によって、上述の議論の前提がすべて変わってしまう可能性があるということです。 かつて日本には、「教育無償化」ならぬ「老人医療費無料」という政策がありました。1973年~1983年、高度成長によって毎年伸びる税収を背景に、当時の田中角栄内閣が70歳以上の医療費を無料にしたのです。もちろん、「経済的事情に関わらず、高齢者は必要な医療を全て無償で受けられる」ということそれ自体は良いことで、誰も文句はありませんでした。 しかし、「無償」の効果は絶大でした。何せ「ただ」です。70歳以上の高齢者は、それこそ擦り傷一つ、咳(せき)一つどころか、「日々の健康診断」という感覚で病院を受診しました。病院が高齢者のサロンとなり、高齢者同士で「〇〇さん今日病院に来ないね、どうしたんだい?」「ああ、今日は風邪をひいて家で寝てるんだ」という会話が交わされているという冗談が、リアリティーを持って語られました。そして医師もまた、相手にとって負担がないということでどんどん検査をし、薬を処方し、新しい診療所や病院を開設して増え続ける高齢者の需要に応えました。 結果は、高齢者医療費の急激な増大とそれによる保険財政の圧迫であり、これに耐えられなくなることを危惧した大蔵省(現財務省)が主導して、老人医療費無料という政策は、わずか10年で幕を閉じることとなったのです。無償化が引き起こすもの つまり、老人医療費無料、教育の無償化に限らず、「〇〇無償化」という政策は、それ自体によって、それまで存在していなかった需要、しかも本来なら必要とは言えなかった需要を引き起こしてしまう可能性があるのです。 主に日本維新の会が提唱している高等教育(大学)無償化を例にとって考えましょう。現在日本の大学進学率は54%で、その無償化に必要な額は4兆円程と言われています。(iStock) しかし、無償となれば、この大学進学率が80%近くまで跳ね上がることは容易に予想されます。その過程で現在の大学のみならず、さまざまな事業者が高等教育に参入し、現在大学に行っていない学生たちのニーズに応えようとするでしょう。大学進学率54%の現在でさえ、率直に言って、九九やアルファベットを授業で教えている大学は存在します。高等教育無償化によって雨後のたけのこのように出てくる学校の相応の割合が、「高等教育」とは名ばかりのモラトリアム享受機関になることもまた、相当程度の確率で予想されます。 大学教育の無償化は、それらのさまざまな事象を引き起こすことによって、当初の(1)全員が受けるものか、(2)内容が公的に決まっているものか、(3)社会全体が利益を得るものか、という議論を、全く変えてしまいかねないのです。そして、これらの変化によって、大学教育無償化の費用は、最終的には当初の4兆円を大きく超え、10兆円近くに跳ね上がるだろうと、すでにいくつかの試算で予想されています。 以上教育の無償化は、下記のような困難な多元方程式を解かなければならない、極めて複雑な問題だといえます。A 幼児教育、高校教育、大学教育、大学院教育、社会人教育のどの教育を無償化するのかB その教育の無償化は(1)全員が受けるものか(2)内容が公的に決まっているものか(3)社会全体が利益を得るものかC その教育の無償化の財源はどうやって確保するのか、その財源を「他の用途」に使うよりも、その教育無償化は、より多くの利益を社会にもたらすのかD 仮にA~Cがクリアされたとしても、教育の無償化それ自体によって、議論の前提が変わってしまうのではないか 教育無償化の議論の土台ということで、結論ではなく、論点の抽出・整理を行いましたが、各党においてはぜひ、漠然と聞こえがよい「教育無償化」を打ち出すのではなく(それだけなら誰にとってもよく聞こえるのは当然です)、きちんと、詳細に、上記のような議論をしていただきたいと思います。 それこそが、教育無償化という政策を行うそもそもの理由である「次世代のために適切な政策をする」ということであるのですから。

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    「バカ量産」の教育無償化は必要か

    安倍政権が選挙公約に掲げた教育無償化の議論がスタートした。高等教育に加え、幼児教育の無償化も議論の対象となったが、聞こえのよいバラマキ政策には賛否が渦巻く。向学心のある学生ならともかく、誰もがタダで大学まで行ける制度など本当に必要なのか。「バカ量産」につながりかねない制度の是非を問う。

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    「奨学金の返済地獄」をなくすために必要な議論は何か

    佐藤智(教育ライター) 先の総選挙で自民党が勝利した。自民・公明両党は、幼児教育の無償化とともに私立高校の授業料無償化を実現したいと掲げ、注目が集まっている。消費税増税の文脈と一緒に語られることも多いため、「財源の確保はどうするのか」という問題に目が行きがちになってしまい、本質的な教育無償化の議論にまで至らないことも少なくない。 そこで今回は、「高校の授業料無償化」がどんな意味を持つのかに焦点を当てて考えたい。(iStock) まずは、一時期騒がれていた高校無償化が、現在ではどのような制度になっているのか、少しおさらいをしてみよう。 高校無償化は、2014年から「高等学校等就学支援金制度」という新制度となった。この制度は、「高校の授業料に充てるための就学支援金を支給することにより、高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の実質的な機会均等に寄与することを目的」としている。 現在は、国公私立問わず一定の収入額未満(市町村民税所得割額)が30万4200円(年収約910万円未満)の世帯の生徒に対して、授業料を支援している。具体的には、世帯収入590万~910万円未満の世帯には年11万8800円(月9900円分)とし、250万円未満世帯で私立高校に通う生徒にはその2・5倍(年29万7000円)を支援するなど、所得に応じて支給額を決定しているのだ。 受給額の年額11万8800円は、公立高校の授業料全額分が免除されている金額だ。つまり、私立学校に通う生徒に対しても低所得世帯・中間所得世帯に対しては公立高校と同額のサポートがなされており、それを上回る分を家庭から支出することとなっている。 私立学校の授業料には学校によって大きなひらきがある上に、施設費や制服費用、修学旅行の旅行積み立て費用なども高額なことが少なくない。また、これは私立学校、公立学校を問わないが、生徒が主体的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」型の授業の導入が進み、情報通信技術(ICT)関連の購入費用などプラスの負荷が家庭にかかることも増えている。 高校進学率のさらなる上昇や、金銭面を理由とする高校中退者の減少がみられた点で、施策は一定の効果があったと考えられるものの、学校教育費の家庭負担が一切なくなったわけではないのだ。地域による機会不均衡 国のサポートだけでは、私立学校の授業料を賄うことができない世帯も少なくないだろう。例えば、年間25万円の授業料の場合には、11万8800円を差し引いた13万1200円は家庭から支出することになるからだ。 そこで、各都道府県でも私立学校の授業料無償化が検討されている。 例えば、東京都では、小池百合子知事が教育機会均等化の実現に向けて、私立高校授業料の実質無償化を掲げている。この方針を受け、2017年度から都内在住の私立高校生を対象に実質無償化が進められている。衆院選で第一声を行う、希望の党の小池百合子代表=2017年9月、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) しかしながら、これは東京都の施策であるため、東京都の私立高校に通っていたとしても都内在住でなければ支給はされない。東京都の私立高校へは神奈川県や千葉県、埼玉県など近隣の都道府県に住む生徒も通っている。そのため、住まいがどこかで授業料への支援が異なってくる。 また、この東京都の制度においても所得制限が設けられており、世帯年収760万円未満を対象とするとされている。対象となるのは、約5万1000人。国の高等学校等就学支援金制度が年額11万8800円であるのに対して、東京都の制度では年間私立授業料の平均額44万2000円を上限に支援すると定めている。 地域の人材育成は、各自治体において最重要事項の一つだ。その意味で、各地域が課題意識を持ち、それぞれの教育的施策を講じることは意義深いといえる。一方で、税収が少ない自治体と多い自治体とで、格差が大きくなるという見方もできるだろう。子供の教育環境を考える上で、保護者が自治体情報をつぶさに収集することが求められる時代へと進んでいくと言えそうだ。 私立学校も含めた高校の授業料無償化が整備され、すべての子供が平等に教育の機会を得られる社会になりつつあると感じている。最近では、高卒者の就職率もある程度持ち直してきており、高校教育を保証することである程度の水準を満たすことはできるのではないかと思う。 しかし、大多数の大企業の新卒採用では、大卒者がターゲットとされている。さらに、多くの場合、専門職となるためには大学に進学することが必要となる。現在の大学進学率は、男子が52・1%、女子が56・9%である(総務省統計局「日本の統計2017」)。半数以上の子供たちが大学に進学する時代において、「高校の授業料さえ保証すれば十分」といえるだろうか。支援の多様化も必要 政府は、2020年までの重点項目として「理工系人材育成戦略」を挙げるなど、大学などの高等教育機関が人材育成において果たすべき役割がますます大きくなると予測している。(iStock) つまり、大学進学への道をいかにサポートするのか、今後さらに議論を深めていく必要がある。 「奨学金制度があるではないか」という指摘もあるかもしれない。しかし、テレビのニュース番組でもたびたび取り上げられるが、既存の制度だけでは卒業後に「奨学金の返済地獄」に陥る人も少なからずいる。大学に行きたい一心で奨学金を借り、社会人になり返済に困窮する。 現状から考えると、大学などの高等教育機関も高校の授業料無償化と地続きで変革を進めていくことが求められるのではないだろうか。 もちろん、現行の制度でも、返済の必要がない奨学金や支援制度が存在している。独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)が行う「予約採用奨学金」が世帯収入の基準を満たし、成績ボーダーを超える子には給付型の奨学金を用意している。また、民間団体や公的機関が用意する給付型奨学金支援制度もある。こうした奨学金を複数活用することで、学費・生活費を完全にまかなえる場合もある。さらに、給費生・特待生・奨学生入試を整備している大学もある。 ある一定の学力を収めており、研究・学習意欲があることが大前提とはなるが、子供たちにこうした大学への切符を準備していくことは今後さらに重要だ。 国の支援だけを期待するのではなく、「優秀な人材は地域で作る」というコンセプトを掲げて都道府県の育成事業を推進してもよいだろうし、企業としてインターン経験を積ませながら大学の学費を支援するところが出てきてもよいだろう。支援は必ずしも一元化する必要はなく、あらゆる側面から子供の可能性を伸ばせる社会になっていくことが求められる。 また、保護者や学校の先生はこうした多様な制度を知ることで、子供に選択肢を提供していくことも役割の一つになるだろう。たとえ今、何らかの理由で金銭的な弱者であったとしても、情報弱者にならなければ道は拓ける、そんな未来に期待して、教育の無償化への歩みを見守っていきたい。

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    おバカが集まる「底辺高校」まで授業料をタダにする道理はない

    森口朗(教育評論家) 先の総選挙で大勝した安倍政権は、消費税を10%に上げて教育の無償化を実施するという政策を打ち出している。消費税増税については、リーマンショック級の経済的打撃がないことが条件とされており、緊迫する北朝鮮情勢を勘案すれば、いまだに不透明である。そこで、本稿では財源問題とは一応分離して「教育の無償化」の是非を考えたい。 憲法は義務教育の無償化をうたっており、現在、小中学校教育が義務教育とされているので「教育の無償化」政策のターゲットは、幼児教育、高校教育および大学(大学院)教育であるが、それぞれにまったく異なる問題をはらんでおり、これらを一律に論じるのは乱暴に過ぎる。そこで、3つの無償化について順に、解決すべき問題点と是非を考察したい。 まず、幼児教育の無償化については、原則的には推進すべきである。なぜなら、世界の各国が6~7歳から義務教育と定めた近代以降の教育学の進展により、早期教育を社会の構成メンバー全員に施すことは、その社会の知的水準を上げるだけでなく、治安維持効果も持つことが分かっているからだ。すなわち適切な幼児教育を受けた者は成人した後、経済的成功を獲得する確率が高いだけでなく、犯罪者になる確率が低いことが実験で明らかになっているのだ。グローバル化が進む中で、世界一ともいえるわが国の治安を維持することは、全ての日本国民にとって有益である。また、高等教育と異なり、幼児教育に適さない者は存在しないだろうから、無償化の恩恵を世代全員が受けることが可能である。その点でも、幼児教育の無償化は、推進すべき政策と言えるだろう。 しかし、その政策を推進するためには、幼児教育が、文部科学省が管轄する幼稚園と、厚生労働省が管轄する保育園に分断されているという問題を解決する必要がある。両者は、入園できる年齢も異なれば、幼児を預かる時間帯も異なる。そのために、一人当たりにかかる費用も異なるし、第一、保育園の機能は、実態はともかく、一次的には乳幼児を預かるという点であって、教育は二次的なものに位置づけられている(だから、厚生労働省の所管なのだが)。さらには、幼稚園教諭免許と保育士免許が別という問題も無視はできないだろう。そういった点を解決せずに、幼児教育の無償化を推進すれば、現場に無用な混乱をもたらし、森友学園事件のような公金の不正受給問題の温床となるだろう。(iStock) 次に高校の無償化について考察する。これは、既に日本維新の会が牛耳る大阪で実施済みの政策なので、政府がそれを全国に広げ、推進しても混乱は少ないだろう。しかし、高校教育を無償化すべきか否かについては大いに疑問がある。これは大学教育の無償化についても同様、あるいはそれ以上に深刻な問題であるが、中等教育や高等教育を無償化する際には、経済的弱者から集めた税金を経済的強者に配布するという側面があることを忘れてはならない。中卒で働く者と高校に進学する者を比較した場合、通常、前者の方が経済的に恵まれていない。高卒で働く者と大学に進学する者を比較した場合も同様である。弱者の税金を強者に分配する愚 これは、財源を消費税に求めても、教育国債に求めても、小泉進次郎氏が主張した「子ども保険」なるものに求めても、まったく変わらない。所得の再分配は政府機能の一部として認められているが、経済的弱者の税金を経済的強者に分配するのであれば、尋常ではない正当性が必要だ。私は、これを正当化するのは「日本経済全体の向上に資する」以外にはないと考えている。2017年3月、子育て支援などの財源を確保する「こども保険」の創設の提言を発表する、自民党の小泉進次郎衆院議員(中央)ら 読者諸賢は、現在の高校教育、とりわけ底辺高校の教育水準をご存じだろうか? 少なくとも数学や英語については、中学校の教育をマスターできなかった者に対して、問題をよりシンプルにして解かせている。つまり、中学校課題の再教育がその実態なのだ。このような教育を中卒で働く者が納めた税金を費やしてまで無償にする必要があるのか? 断じて「否」である。 ただし、高校教育については「義務教育にする」という手法が残されている。それならば、経済的弱者の税金を経済的強者に投入する不正義の問題はおきない。前期中等教育(中学)だけでなく、後期中等教育(高校)までを義務教育期間にするのは世界的潮流であるし、IT化が進み訓練された労働者を必要とする現代社会にとっても適合する。ただ、高校を義務教育にする場合には、左派の論者たちが、高校入試の廃止や、誰でも望む高校に進学できるように制度改正を求めてくることは必至だ。万一、その声に負けて、中学の延長線のような高校を多数派にしたら、日本人の知的水準は地に落ちてしまうだろう。事実、共産党に牛耳られた京都府において、これに類する政策を実施して、京都の府立高校のレベルが急落した歴史がある。 高校の無償化は、①高校教育を義務教育化し、かつ②現在同様の学力に応じた学校に進学するシステムを維持した場合にだけ、肯定できる政策だろう。 このように考えていくと、大学、あるいは大学院も含めた無償化は決して認めてはならない政策だ。実のところ、底辺大学の教育も先に紹介した底辺高校の教育と大差ないことになっている。事実上の無試験で入学できる大学も、全国に山のようにある。この現実をそのままに、大学教育を無償化したら、「高い授業料を払っているのだから勉強しよう」という、最後のインセンティブまで吹き飛ぶだろう。 安倍総理が言う「どのような家庭に育っても、自分が希望する進路に進める」社会を構築することは極めて重要である。しかし、そのための政策は、現在、政府・文部科学省が着手しはじめた給付型奨学金(返済不要の奨学金)制度を、学力優秀な者に限定して一層拡充することであって、大学教育を受けるに値しない低学力の者の4年間の居場所を、経済的弱者から集めた税金で提供する「大学教育の無償化」ではないのである。

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    「分数もできない」大学生をまだ増やすつもりなのか

    和田秀樹(精神科医) 高齢者を専門とする精神科医としては、やや不本意なことではあるが、今回の選挙では、高齢者対策以上に、将来のための若者対策が各党の選挙公約として目立った。政権与党である自民党は、人づくり革命の一環として、増税した消費税の大半を教育無償化に充てるという方針を打ち出した。基本的には3~5歳児の幼児教育(保育園・幼稚園)の費用を無償化する、所得が低い層での高等教育の無償化を行うとしている。 これに対応するかのように各党も選挙公約に教育無償化を打ち出した。野党第一党に躍り出た立憲民主党は、「児童手当、高校等授業料無償化、所得制限の廃止」を打ち出している。希望の党は、「幼児保育・教育の無償化、大学における給付型奨学金の大幅拡充により、格差の連鎖を断ち切る」と宣言。維新の会は、橋下徹氏が大学など高等教育まですべて無償化を掲げ、現在もこの政策を強調している。 確かに、ヨーロッパ諸国は消費税が高い代わりに高等教育を含め、教育無償が原則だ。そして、私の聞く範囲でも、格差が広がり、とくに地方では、貧困のために大学進学をあきらめるということは現実にあるようだ。知人の地方新聞の社長に聞いた話だが、世帯年収300万円くらいでも、親と同居していると、日本はアメリカと違って、公的医療保険が充実しているし、デフレ経済もあいまって、それほど生活に困らないどころか、軽自動車とはいえ、夫婦で自動車を2台所有などということは当たり前にある。 ところが、子供が大学に行きたいという段になって初めて、貧困を自覚する。地元の国立大学の授業料でも、今は負担が重い。4年で授業料と入学金だけで240万円以上かかるのだ。ましてや私立となると一層の負担増になる。国立であったとしても東京の大学など夢の夢という世帯も多いそうだ。※iStock 私の知り合いのお金持ちが、ある九州の名門高校で講演をした際に、生徒たちの真摯な聞きぶりに感激して、学校に寄付を申し出たそうだ。すると、校長は「この高校からも東大を狙える子なのに、東京で受験する旅費がないために泣く泣く九州大学に進学する子が毎年何人もいます。その子たちの旅費を何年分か寄付していただけませんか」という話を聞いて驚いたそうだ。その使途で使ってもらうために500万円寄付したそうだ。 授業料の無償化は貧困世帯にとって福音になるのは確かだが、地方の人にとっては、受験の旅費のような、都会の人には想像できないような出費も大きいのである。格差の連鎖を断ち切るという点では、少子化なのに、むしろ定員を増やしてきた大学の場合、実質、無試験状態という学校が当たり前にある。 金沢工業大学のように大学に入ってから徹底的に鍛えるということで、「偏差値30台から(今はこの評判のためにすっかり上がってしまったそうだが)正社員就職率99%」というような例外的な大学を除けば、この手の低学力大学から正社員入社、その後に能力を高めて社会で成功者になるという道は決して開けているとは言えない。 2020年度の入試改革で見送られた大学入学資格試験のようなものを作らないと、分数ができない、まともに読み書きのできない大学生が大量に出現している。 こういう学生に対して、中学校や高校の初期に教えるような内容を教えなおす「リメディアル教育」というものが行われる大学も増えているようだが、大学教育(これまでは教育者というより研究者が教授になる傾向が強かった、いや今でも強い)を抜本的に変えるか、GRE(アメリカやカナダの大学院へ進学するのに必要な共通試験)のような大学卒業時の学力テストを導入するか、あるいは高校教育の充実のため(今は落第や留年をさせる高校はほとんどない)大学入学資格試験を作るなどを検討しないと、教育無償化が実現しても大学卒の肩書が得られるだけで、格差の連鎖が打ち切られる効果は、さほど期待できないだろう。教育バウチャーが有効 貧困層が高等教育機会に恵まれない理由は、アメリカのように一流大学の授業料が高いこと以上に、公教育でエリート教育をするのがおかしいという左翼的な教育批判のために名門公立高校の多くが解体され、一流大学に入るためのエリート教育が名門の私立中高一貫校や塾や予備校などの民間教育(東京ではその両方に通わないと東大に入れないとさえ言われる)に依存してきたことがあるだろう。名門中高一貫校に入るためには、小学校4年生くらいからの塾通いが必要だから貧困層どころか共稼ぎ世帯すら排除されることが多い。東京などで公立学校が復活してきたことは望ましいことだが、やはり塾や予備校通いの率は高いという。 貧困層でも塾に通えるような教育バウチャー(教育に使用目的を限定したクーポン券)のようなものを用意しないと、格差の連鎖の是正には役立たない可能性は高い。エリートとか医師になるという問題以外に、ゆとり教育だけでなく、少子化による高校入試の実質無試験化や、高等学校における落第・留年を行わない方針などのために低学力者の増加の問題もある。※iStock これらの子供を救っているのも、ほとんどの場合、民間の学習塾なので、それに行く経済的余裕がない家庭は、AI(人工知能)やロボット化で単純労働力の需要が激減が予想される中、再貧困にあえぐ可能性は小さくない。教育バウチャーの実行が難しいなら、せめて低学力児童対象の少人数学級の実施は重要な課題だろう。 経済協力開発機構(OECD)の調査で学力世界トップレベルを続けているフィンランドに視察に行ったことがあるが、クラスの人数は18人という少人数クラスと、学力がそれでも足りなければ、義務教育が終わる年に補習を行い1年留年させるという。それによって学力が低いまま社会に出すことがないようにしているとのことだった。 私自身、福島県のいわき地区で初めての中高一貫校磐城緑陰中学高校のスーパーバイザーを行っているが、公立優位の文化の中で、大学進学実績は悪くないのに、生徒が集まらないため、期せずして1学年18人以下という教育の効果を実感することになった。 東京の私立中学の受験予備校で小学校5年生の子が受けるようなテストで合格者の最低点は400点満点で100点レベル(東京なら偏差値30台だろう)の生徒を引き受けながら、下から二番の子が国立大学に合格した年もあるし、卒業生の4人に1人が慶応大学に現役合格し、慶大現役合格率が首都圏以外でトップになったこともある。それ以上に教師の目が行き届くためか、いじめやメンタルの問題がほとんど起こらない。 無償化以上に金をかけてほしいのは、クラスの小人数化である。格差社会というのは富裕層は昔と比べてはるかに収入が多い、資産が多い社会でもあるということだ。そういう点では、自民党の所得制限の考え方のほうが現実的だ。一方で、給付型奨学金の大幅拡充という希望の党の公約は自民党も検討してほしい。これは塾にも使えるだろうし、私立大学の医学部や法科大学院など授業料が高いためにあきらめる人を減らす効果が大きいからだ。机上の空論ばかりではダメ さて、幼児教育の無償化の問題だが、これも格差社会においては、所得制限を設けたほうがいいと私は考える。基本的に幼児教育の世界で問題になっているのは、保育園の待機児童の問題だろう。無償化もありがたいが、とにかく入れるようにしてくれというのが本音の人が多いだろうし、保育園に入れた人は無償化なのに、入れないための認可を受けていないような保育園に入れなかった人は、負担はこれまで通りというのなら踏んだり蹴ったりだ。 一つの方法としては、幼児教育バウチャーという手もあるだろう。所得制限は設けるものの、幼児に対してバウチャーを設ければ、親の負担が減り、民間の保育業者が増えるだろう。サービスの競争も起こりえる。※iStock 実は、私は本年度から、女医さんを対象にして、中学受験や大学受験に有利な学力をつける保育園型の幼児教育の総合監修を務めている。子供というのはこの時期に、きちんと読み書きや計算を教えるとびっくりするくらい伸びることを実感したが、高めの授業料の設定もあって、保育士さんの給料を高めに設定すると、優秀な保育士さんが簡単に集まることも実感した。 保育士の給与水準を上げれば、保育士が容易に集まり、それによって保育園不足も解消されるなら、無償化以上に、保育園の予算を増やして、スタッフの給与水準を上げるほうが有効だというのが私の実感だ(もちろん、貧困層の人には無償化すべきだろうが)。 日本の教育の質の低下や格差問題の解決はタダにすれば済むものではない。机上の空論ばかり述べる大学教授でなく現場の声を聴いて、きちんとした対策をしてほしい。それによって、税金を有効活用してもらうことで、本当の意味の人づくり革命を期待する。

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    小池流「ワイドショー政治」はもうウンザリです

    広野真嗣(ジャーナリスト) 「劇場型政治はもうたくさんだ」と、多くの有権者は感じているにちがいない。 9月最後の1週間、政界の「台風の目」となった「希望の党」はその翌週、公示前には失速した。だが、本来保守政党である自民党がその党運営のあり方を根本的に見直さなければ、小池百合子氏から離れた票の「受け皿」にはなりえないのではないか。その象徴的な例が自民党東京都連である。街頭演説を前に、選挙カーに乗り込む希望の党の小池百合子代表=2017年10月、仙台市(佐藤徳昭撮影) 自民党東京都連は9月27日、「都連支部長・常任総務合同会議」で会長を鴨下一郎氏に決め、トップ以外の執行部4役は前体制を引き継いだ。7月の都議選で歴史的大敗を受けて辞意表明した下村博文・前会長の後任がようやく決まったことは前進ではある。しかし実質的には23日の幹部会で決めた内容の追認で、再び会長人事という最重要事項の決定が「密室」で行われるかたちになった。 しかもこの決定までには、実に3カ月もの時間を要した。都連では初となる会長選を行う方針を打ち出したのは、都議選から2カ月近くも経った8月24日のことだ。 さらに実施方法をめぐって①10万人近い党員による投票とするか、②国会議員や都議、区市町村議ら1000人規模で投票を行うかをめぐって綱引きとなり、後者に落ち着きかけたところで、解散総選挙が急浮上した。 総選挙となればこれに向けた準備が第一となるのは当然で、その時点で、唯一手があがっていた鴨下氏に決まったこと自体は不合理なことではない。だがその結果として会長選は「幻」に終わり、都連が「脱ブラックボックス」をアピールして小池都政に対抗する最良の好機を逸した損失は小さくない。 都民ファーストの会が半年間で4度も密室で代表を決めたことに意を強くしたのか、「向こうと同じ、ブラックボックス返しだ」(都連幹部)とうそぶいてみる声もあるが、こうした優先順位を履き違える鈍感さに自民党都連の病巣がある、と私は思う。 この1年で、都議や都連の感覚が有権者から乖離(かいり)していたことにスポットライトがあてられたからこそ、都議選の壊滅的な選挙結果に至ったのではなかったのか。小池「情報公開は一丁目一番地」は方便 このところ、都連を不透明と批判してきた小池氏自身が、不透明な決定を繰り返している。 都議選直前の6月に唐突に公表した築地と豊洲の市場両立案は都庁官僚の誰とも討議した形跡はなく、毎日新聞の情報公開請求にも「記録なし」。小池氏自身も会見で「最後に決めたのは人工知能、つまり私」とはぐらかした。 移転延期に伴う補償先や補償額を求めた筆者の情報公開請求に対しても黒塗りだったし、特別秘書の給与の情報公開請求も黒塗り。後者については非開示決定に対しジャーナリストから裁判を起こされそうになると、慌てて公開する始末だった。 小池氏が強調する「情報公開は一丁目一番地」というキャッチフレーズは、あくまで権力奪取のための方便で、自らに刃が向かう情報については非公開という自己都合である。 それでも小池氏の存在がここまでクローズアップされたのは、安倍自民党の森友・加計疑惑への反感から、有権者が投じる先を探し求めていたからだ。 小池氏はこの1年、繰り返し敵対勢力の「失点」をテコに騒動を拡大させ、影響力はそのたびに高まった。都議会のドン、内田茂前都議に偏重した都連への「口撃」が喝采を浴びたのも、内田氏に依存した都連の不透明な決定プロセスという「つけ入る隙」があったからだ。 その総括はどれだけ組織内でなされたのだろうか。強力なカリスマである内田氏が存在する間、「弱点」は知事選後も見直されずに2月の千代田区長選、7月の都議選と持ち越された。これらの選挙に連戦連敗し、内田氏が引退した今が変革の最大のチャンスである。自民党千代田総支部総会後、議員引退を表明した内田茂都議=2017年2月、東京都(鈴木健児撮影) 会長選の方式をめぐる対立は、内田氏に近い丸川珠代前五輪相を推す萩生田光一党幹事長代行ら細田派系の旧執行部と、鴨下一郎氏を推す石破派系議員との間の主導権争いの側面が指摘されたが、果たしてそんなことをしている場合なのだろうか。 「政権交代を目指す」としながら首相候補についてははぐらかし続けた小池氏は、選挙後、大連立をいとわぬ戦術を仕掛けるだろう。「疑心暗鬼」を抱かせ、存在感を大きく見せるテクニックだとの見方もある。 有権者不在のこうした便法に軽々しく応じるような政党や政治家こそ、次の「ブラックボックス」になる。 総選挙後、自民党東京都連が脱ブラックボックスの政治に意識的に取り組めば、小池都政への明確なアンチテーゼとなる。さもなくば、ブラックボックスの中心が「内田氏」から「小池氏」に移転しただけ。再びわかりにくい行政が、首都で繰り広げられることになるだろう。

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    小池騒動よりも変だよ、ニッポンのシルバー民主主義

    の保守系である「維新の会+希望の党」と、革新系の流れをくむ「立憲民主党+共産党+諸派」の3極に日本の政治が移り変わっていくことが見て取れます。二大政党制を目指して日本の政治が動いてきたところ、自民対非自民の構造が非自民のアプローチが変容したというのは大事な意味合いを持つのではないかと思います。2017年10月10日、衆院選が公示され、候補者の第一声を聞くお年寄りたち 一方で、総務省の発表では一票の格差は2倍を切り、1.9倍あまりまで差が縮まってきました。これは日本の政治において「0増10減」という大きな議席数の変化があっただけでなく、それに伴って人口割で小選挙区の区割り変更、合区が行われて、東京でも地方選挙区でも区割りが人口減少に見合った反映を行ってきた結果でもあります。 今回、希望の党の立ち上げで一定の貢献をした若狭勝さんは、民進党を事前に離党した長島昭久さんや細野豪志さんに対して希望の党への合流に際し一院制の重要性を繰り返し説くというエピソードも聞かれました。政治改革を志すにあたって今回の選挙で一院制の是非を前提とする若狭勝さんの政治的センスの良しあしは別としても、少子高齢化から人口減少時代に差し掛かる日本の政治が、いままでの利益代表を政界に送り込むだけでは政治改革を満足に行えないという問題意識はもう少し持たれてもよいのではないか、と感じる部分はあります。 例えば、目下国政最大の争点となっているのは、いまや景気対策や雇用の充実、産業育成などではなく、高齢者の年金、福祉、介護といった社会保障がトップに躍り出ています。ここで問題となるのは、高齢者ほど投票に足を向けやすく、また有権者の人口比でも高齢者が大きな割合を占めるシルバーデモクラシーという現象です。日本の政治において、シルバーデモクラシーの影響は非常に大きく、今回解散に打って出た安倍政権も高齢者向けの社会保障を削減しなければならない政治課題を言い換えるようにして「全世代対応の社会保障」というオブラートに包んで公示日に突入しています。 この問題は極めて大きい課題を日本社会に突きつけていて、社会保障の削減はもちろん年金に頼った暮らしをしている高齢者の生活を直撃するだけでなく、その子供の世代に大きな負担を強いることになります。つまり、介護離職に代表される福祉の問題は、突き詰めれば高齢者を誰が面倒を見るのかという話であり、国家が税金や保険料で高齢者を養う余力がなくなったので、地域や家庭でご自身のお父さんお母さんの面倒を見てくださいという流れなのですが、その高齢者を食べさせ、介護をし、病気やけがをすれば病院に連れて行くのは家族の負担となって、結果として日中独居老人や介護離職といった課題を日本社会に突きつけます。もっと議論すべきことがある! しかも、少子化が進んでいる以上、こういう年老いた親の介護は少ない子供、下手をすると1人しかいない子供が仕事を辞めてでも介護しなければならないという状況になり、とても「結婚しない人の自己責任」とか「子供ももうけないで自業自得」などとはとても突き放せない問題として日本社会に降り掛かってきます。期日前投票に一番乗りし、一票を投じる高校生=2017年10月11日、大阪府箕面市(共同) そうなると、利益代表という意味において地域で区切られたいまの選挙制度は日本の政治改革を考えるにあたって本当にふさわしいのか、ひょっとしたら、年齢別の利益代表や、利害関係の異なる層に対するより包括的な選挙制度を考えなければならない時代に入ったのではないかとさえ思います。地域の代表が70代の衆院議員であって良かった時代は、それこそ地元に大地主がいて、名士がいて、地域を代表する人物が住民から選ばれて議員となる政治プロセスを意味していました。 しかしながら、デジタル全盛時代になってくると、もはや個別の政策論争を国会で議論するよりも、より簡便で多くの人たちが参画できる政治手法も出てくることになります。電子投票はいまだ認められておらず、公職選挙法ではインターネットの利活用もきちんと解禁されているとは言いにくい状況です。社会の発展や技術の進歩が私たちの暮らしに与える影響が大きくなっているにも関わらず、立法も行政もこれに追いつかないのは、文字通り議員代表制、間接民主主義そのものが制度疲労を起こしているからではないかとさえ思います。 有権者の意見を広く取り入れるためにも18歳以上に選挙権を与える改革や、区割りの変更などで一票の格差を是正するというのは極めて大事なアプローチであり、一歩一歩進めていくべきものです。その一方、今回の選挙は古色蒼然(そうぜん)とした選挙戦での勝った負けたが目の前の国難である安全保障と社会保障について適切な議論を向けきれていない、議院内閣制や政党政治が持つ枠組みが遅すぎてさまざまな問題解決の阻害要因になっているようにも感じます。 今回、さほど争点にもならない消費税10%への引き上げや、それに伴う「社会保障と税の一体改革」で日本の形もある程度の道筋がもたらされるかもしれない割に、どのように行政が国民の声を吸い上げて技術革新や国際競争の中で日本の取るべきポジションやリーダーシップを確保するのか、また、より産業の前線で戦っている日本人や、家族の暮らしで困窮している日本人がより良く生きていくことのできる環境を実現するために間接民主主義、政党政治にどんな改革を必要とするかは、もう少しきちんとした議論を積み上げていくべき状況であることは言うまでもありません。少子高齢化で衰退に向かう日本の未来の青写真を描けるような議論は、今回の選挙では沸き起こらないものなのでしょうか。

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    民進党の師弟コンビが仕組んだ「菅直人潰し」がエゲつない

    。自民党補完勢力なのは小池氏の発言でも明白だ。小池氏がくら替え出馬をするとしたら、若狭勝氏の求心力・政治力が野心の大きさに全く伴っておらず、合流した民進党勢に党を乗っ取られるという危機感が生じたときだろう。答弁を聞いている限り、歯切れが悪すぎて絵面も悪い。腰巾着感が否めず、百戦錬磨でブラフも効かせたマスコミ対応をしてネット記事を賑(にぎ)わせている細野氏とは比較にならない。街頭演説を行う希望の党の小池百合子代表=10月10日、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) そもそも代表代行という形で若狭氏・細野氏・中山恭子氏ら結党メンバーをその地位につけ、首班指名ではそのうちの誰かの名前を書くなりすればいいだけの話だ。あるいは希望の党の議員全員で「小池百合子」と書いて全員分無効票となる。少なくとも党としての足並みがそろっていることが強烈にアピールできる。また、結党直後の政党が一度の選挙で全部ひっくり返せるとは多分、希望の党の関係者でさえも思っていない。第一、橋下徹氏は大阪府知事、大阪市長を務めたものの、結局現在に至るまで一度も衆院選に出馬せず、それなのにずっと維新の代表だった。 そうした前例があるのに無意味な追及をするマスコミの姿勢からして、言いがかりに等しいアベバッシングと暗に民共をプッシュすれば良かった状態から脱却しきれていない証拠だ。希望の党はあえて政権選択選挙の形を取ることで、まずは国会内に頭数をそろえることが目的であり、実際に民主党でも維新の会でも結党直後の選挙では躍進はしても与党になっていない。 実際のところ、希望の党は改憲について是々非々と結党集会でも主張していた。つまりは自民党、維新の会と足並みをそろえ、中身の議論を詰める準備は万端。有権者が三党のいずこに票を入れても改憲の機運は高まる一方だ。希望の党が玉虫色で稚拙な綱領を掲げざるを得ないのも誕生段階なのだから仕方ない。むしろ相当煮詰まった内容を出された方が前段の「いったいいつからこの一連の政治謀略は準備されていたんだ」ということになる。 いっそのこと護憲勢力はまとまって「護憲党」でも作ることをご検討された方が良いのではないだろうか。

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    現代の「日野富子」小池百合子のあくなき権力欲

    いのか。 小池氏と近かったある元民主党国会議員はこう語った。 「あの女は、本当に何をするかわからない政治家だからね。これまで長く党派を渡り歩くだけでなく、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎といった首相級の政治家たちを食い物にして自分がのし上がっていく。日本のしがらみが悪いというが、日本人の縁をまったく大事にしない。希望の党もいつかこれまでの新党と同じ運命をたどると私は思うよ」会談後、握手して記念撮影に応じる希望の党代表の小池百合子知事(左)と前原誠司氏=10月5日(佐藤徳昭撮影) 実際に、1992年に日本新党という新党を小池氏や民進党の代表である前原誠司氏らと共に立ち上げた細川護煕氏は、「いやあ、名も実も魂も取られてしまうのではないか、と心配になりますよ」(毎日新聞10月4日付)と前原氏ら希望の党に合流した議員たちに対して、強く危惧しているのだ。 その前原氏と組んで、まず民進党を三分裂させた上で、一体本当は誰が敵なのかもわからない「現代版・応仁の乱」を勝ち抜こうとする小池氏。5日、その小池氏は前原氏と会談し、小池氏に衆議院選へ出馬することを持ちかけられたが断ったことを明らかにした。 それでも消えぬ衆議院選出馬ー首班指名での総理就任ーというシナリオは、別にマスコミが面白がっているだけで取り沙汰されているわけではない。それは彼女のあくなき権力欲や実際に永田町で歩いてきた足跡からそう呼ばれているのだ。 持ち前の度胸と勝負勘、敵と味方をハッキリ分ける非情さを併せ持ち、敵をなぎ倒していくやり方は、まさに応仁の乱そのものだ。その小池氏は、実は永田町などで、応仁の乱と、その後続いた戦国時代を生き残ったある女性に準(なぞら)えられている。 「小池氏は、『現代の日野富子』ではないか」ー。 日野富子は、室町幕府第8代将軍・足利義政の正室で、第9代足利義尚の母として、自ら従一位まで登り詰めた。その一方、義政の側室を次々と追放、応仁の乱の原因の一つとして、日野富子が義尚の後見人を細川勝元と争った山名宗全に頼んだーということが指摘されているが、戦乱の世で次々と蓄財を繰り返して、応仁・戦国時代において評判が悪かった日本人としては、指折りの人物として上げられるだろう。  応仁の乱の時代を生きていた日本人には、これほどまでに日野富子が権力の座を握るとは思っていなかったに違いない。小池百合子は現代の日野富子か その勝負勘で政界を乗り出してきた小池氏に対し、続々と内部からも反旗を掲げる動きが広がっている。まず、自ら作った東京都議でつくる都民ファーストから、一時期は「側近中の側近」と呼ばれた音喜多駿氏と上田令子氏の2人の都議が離党を発表。東京都議団の一人はこう語った。離党の決断理由を述べる上田令子都議(右)と音喜多駿都議=10月5日、都庁(宮川浩和撮影) 「小池氏のおかげで当選した都民ファーストだが、自分でつくっておいて責任を取らない小池氏をやり方に内心苦々しく思っている都民ファーストの議員も少なくない。もし小池氏が土壇場で衆議院出馬を表明し、都知事を投げ出せば、離党するかもしれないと言われている都民ファースト議員が7人いると言われている」 また、国会議員の中からも、長野1区の篠原孝元農水副大臣のように、一度希望の党の公認が決まったにもかかわらず、辞退する政治家も現れている。これは、「すべて想定内だ」と語った前原氏への不満もあるとされているが、小池氏のやり方にはついて行けない人間が続々と出始めているのだ。 私自身は、小池氏に対して、アメリカを中心とするGHQによる占領期と日本の55年制の下、日本を内側から弱体化することに躍起となってきた左翼・リベラル陣営をこなごなに粉砕したことに対しては大いに評価している。「何でも反対」で、日本にはすでに必要がなくなっていた左翼リベラルを重視するよりも、安全保障や経済の観点から、現実的で自由主義的な保守が侃々諤々(かんかんがくがく)と議論する陣営を日本社会の中枢に置かなければ、日本の未来はないーと考えているからだ。実際に、今回小池氏が仮に出馬しなくても、比例区を合わせれば100近い獲得議席に到達できる力はあるだろう。 しかし、それにしても、小池氏はやりすぎた。日本人同士のごく普通の人間関係まで何でも「しがらみ」と語り、「改革」をぶち上げて、敵を破壊していくやり方は、新党ブームだった90年代から今世紀に入って、すでに終わったものであり、敵を増やすことを嫌がる日本人からは受けないと思われるからだ。 この小池氏の評価は、必ず歴史に残る。小池氏が後世の日本人たちから、果たして本当に「現代の日野富子」と呼ぶようになるかどうかは、そのうちわかるに違いない。

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    小池新党との距離感を模索するにせよ、すべての道は憲法改正に通ずる

    三浦瑠麗(国際政治学者) 衆議院が解散されました。解散の噂が立ち始めたころからメディアをにぎわしているのは解散に「大義」があるかということでした。この時期の解散に、党利党略的な意味があることはもちろんそうでしょう。政権の支持率が回復傾向にあり、東京都の小池百合子知事の立ち上げた「希望の党」の準備も整っているようには見えないからです。野党は、「モリ・カケ問題」から逃げるため都合の良い解散であるとして批判しています。衆院解散を表明した安倍首相の記者会見を伝える街頭テレビ=9月25日、東京・有楽町 私は少し違う見方をしています。総理の解散権とは、政治のアジェンダセッティング(課題設定)を行う権力であると考えているからです。政治の最大の権力は、政治が答えるべき問いを設定することです。重要なのは問いへの答えではなくて、問いそのものなのです。民主政治においては、正しい問いが設定されさえすれば、一定の範囲内で落としどころが探られるものだからです。 ただ、既存の政治やメディアの中からはどうしても出てきにくい課題というものがあります。例えば、政治に携わる者のほとんどが中高年男性である日本において、子育てに関する問題は長らく家庭内の問題として処理され、政治課題になりにくかった。同様に、安全保障問題を臭いものとして忌避する傾向があり、国防について正面から取り上げる機運にも乏しい時代が続きました。 時の政権が進めたい政策があれば、総理は国民の信を問うことができるのです。その時々において注目される政治テーマは、与野党の力関係やメディアの傾向によって決まってくるのだけれど、総理にはいったんそれをリセットする権力を付与する。それが、日本の民主主義のルールであり、慣習なのです。 そうした中で行われた安倍晋三総理の会見は、良い意味でも悪い意味でも自民党の面目躍如でした。看板政策の「人づくり革命」において幼児教育の無償化を前面に出すのは、民進党や日本維新の会の看板政策を横取りしてのことです。経済政策を打ち出す際に、財源の話を持ち出すのも野党を牽制(けんせい)するためです。消費増税分を社会保障の充実に使うということで、財政は悪化します。2020年までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化目標は放棄せざるを得ません。そんな中、財政の裏付けのない、バラ色の政策提案がなされないように布石を打っているのです。解散の一番の目的は他にある もう一つ、北朝鮮危機を前面に出すのは、野党共闘への影響を狙ってのことでしょう。民進党と共産党がスキャンダル追及の局面で協力することと、安全保障上の危機が迫る中で協力することはまったく意味合いが違うからです。当然、与党は愛国心カードを切ってくるでしょう。対応を間違えれば、「政争は水際まで」という民主国家の大原則を破ることになり、国民の信頼を決定的に失うことになるでしょう。 ただ、解散の一番の目的は他にあると思っています。それは、憲法改正を実現するために公明党に圧力をかけること。言うまでもなく、憲法改正は第1次政権当時から安倍総理およびその周辺の宿願です。ところが、モリ・カケ問題が長引いたことで、永田町の改憲機運は随分としぼんでいました。官邸の中にさえ、政権維持に集中するためには、改憲の可能性を示唆する3分の2の議席は邪魔だと思っている人もいたそうです。 総理周辺にとって最もいら立たしかったのは、公明党の姿勢だったのではないでしょうか。「衆院選が迫る中で改憲の発議は難しい」とか、「年限を切って改憲論議をすることは適切でない」とか、公明党は明らかに引け腰になっていました。本年5月に総理自らが表明した自衛隊明示の加憲案は、そもそも公明党に配慮してリベラルに歩み寄った穏健なものです。その改憲案からすら逃げるとは何事か、ということでしょう。今般の解散における総理周辺の本音は、9条を中心に据えた改憲案を明示した上で3分の2の議席を更新すること。その事実を公明党に突き付けて、改憲に向けた具体的な手続きを開始することだと思います。 もう一つ重要なのが小池新党の存在です。「希望の党」に対して総理が融和的な姿勢を示しているのも、小池知事が改憲支持の立場を明確にしたからではないでしょうか。「希望の党」はこれまでも存在してきた改革の「スタイル」を追求する党です。「日本新党」や「みんなの党」の系譜に連なります。寄せ集め集団で、たいした政策理念があるようにも見えない政党が、数年後に存続している可能性は限りなく小さいでしょう。「希望の党」の結成会見に臨む小池百合子代表=9月27日、東京都新宿区(宮崎瑞穂撮影)  であるからして、日本政治における中長期的な影響はほとんどないでしょう。ただ、今般の選挙において重要なのは、「希望の党」が自民党の票を食うのか、野党票を減らす方向に行くのかということです。それによって、憲法改正へ向けた具体的な動きが進んでいくかが見えてくるからです。小池知事の発言を見ていると、自公の間にくさびを打ち込む意図が明白であり、興味深い展開となっています。 今般の選挙を指して、争点に乏しいという意見も聞かれますが、そんなことはありません。公明党に圧力をかけるにせよ、小池新党との距離感を模索するにせよ、全ての判断は改憲との関連性で下されるでしょう。まさに、全ての道は改憲に通じているのです。

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    「自衛隊を憲法に明記できるか」10・22総選挙の争点はこれだ

    岩田温(政治学者) 安倍総理が解散、総選挙の決断を下した。野党の政治家、そして、マスメディアの無責任なコメンテーターたちが「大義なき解散」との批判の声を上げている。また、北朝鮮の核ミサイルの脅威が存在する中、総選挙で政治的空白を作るのは危険だという議論もある。何とも不思議でならない。 なぜなら、野党の政治家たちは、つい先日まで解散、総選挙を求めていたからである。安倍政権を解散、総選挙に追い込み、退陣させると怪気炎を上げていた人々が、解散、総選挙に反対しているのだから、これは摩訶(まか)不思議といわざるをえない。そしてさらに不思議なのは、「北朝鮮の脅威を必要以上に騒ぐな!」としたり顔で説いていた人々が「北朝鮮の脅威」を理由に解散総選挙に反対していることである。全く支離滅裂でいい加減な非難だ。 朝日新聞は9月26日の「社説」で「首相にとって今回の解散の眼目は、むしろ国会での議論の機会を奪うことにある」と批判し、今回の選挙の争点を「民主主義の根幹である国会の議論を軽んじ、憲法と立憲主義をないがしろにする。そんな首相の政治姿勢にほかならない」と断定している。 見識の低い主張と言わざるを得ない。そもそも「民主主義の根幹」が「国会の議論」であるとの主張が見当違いである。民主主義の根幹とは、選挙に他ならない。政治家が己の政治信条を訴え、国民に負託を求め、全存在を賭けて闘う。この選挙こそが民主主義の根幹だ。選挙を恐れるような政治家は政治家としての資質がない。防衛省で栄誉礼を受ける安倍首相(左)と小野寺防衛相 =9月11日 さて、それでは、今回の総選挙の最大の争点は何か。それは「憲法と立憲主義」を蔑(ないがし)ろにする首相の政治姿勢などという抽象的な問題ではない。現実を直視するか否かこそが今回の総選挙の最大の争点である。 戦後わが国の平和と繁栄を守ってきたのは、誰がどう考えてみても、自衛隊と日米同盟の存在があったからである。自衛隊、日米同盟なしに戦後日本の繁栄はありえなかった。しかし、こうした現実を直視せずに、戦後日本の平和を「憲法九条」のおかげであると信じ込もうとする人々がいまだに存在している。彼らは日本国憲法を「平和憲法」と呼び、「平和憲法」を守ることが日本の平和を守ることにつながると信じ込んでいるのである。憲法九条「自衛隊明記」の是非 日本国憲法では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたいあげている。だが、これは事実に反する言葉だと言わざるを得ない。日本国民の誰が核武装への道をひた走る北朝鮮の「公正と信義」に「信頼」しているのだろうか。「日本列島の4つの島は、チュチェ思想の核爆弾によって海に沈むべきだ。もはや日本は私たちの近くに存在する必要はない」などと公言する国家にわが国の平和を委ねるわけにはいかない。多くの国民がそう思っているはずだ。実際に「われらの安全と生存を保持」しているのは、自衛隊の方々が日夜平和のために汗を流しているからであり、堅牢な日米同盟が存在しているからだ。 今回、安倍総理は、自民党の公約に憲法九条への「自衛隊の明記」を盛り込むことを公言している。保守派の中でも批判が多いことを私も承知しているし、本来、憲法九条の第二項を削除すべきであるとも認識している。 だが、政治とは、あくまで漸進的な営みだ。自分たちの望む全てが実現できなければ、直ちに全面的に否定するという教条主義的姿勢は政治には似つかわしくない姿勢だ。現実にわが国を守っている自衛隊を憲法に明記するというのは、憲法が自衛隊について全く触れていない現状よりはよい。「政治は悪さ加減の選択である」と喝破したのは福澤諭吉だが、その通りであろう。国家を守る自衛隊を憲法に位置づけるのは、少なくとも、全く自衛隊の存在が閑却されている現在の憲法よりはよいといってよいだろう。 自衛隊の存在を憲法に明記せよという自民党に対し、民進党は「9条に自衛隊を明記することは認められない」と対決姿勢を明らかにしている。不思議でならない姿勢だ。なぜ、自衛隊を憲法上に明記することに反対するのか、その論拠を明らかにすべきであろう。まさか、民進党の議員とて自衛隊の存在を違憲だとまでは主張しないであろう。国会前で安全保障関連法案可決への抗議デモを行なう人たち =2015年9月、東京都千代田区(栗橋隆悦撮影) それならば、なぜ、自衛隊を憲法に明記することに反対するのか、その論拠を明らかにすべきであろう。いつまでも「平和憲法」を維持せよとの主張を繰り返すだけでは、民進党はかつての社会党のように時代に葬り去られていくことになるだろう。 小池都知事が立ち上げた「希望の党」に国民が一定の期待を寄せているのは、この政党が安全保障の問題で見識を示しているからだ。彼らは共産党とは明確に一線を画している。自民党とは理念を異にする政党ではあるが、共産党とも異なる政党である。民進党が愚か極まりなかったのは、自衛隊を「違憲」の存在だと位置づけている共産党と共闘をし、非自民反共産党という幅広い中道層の支持を得られなかった点にある。 自衛隊と日米安保によって日本の平和が維持されているという現実を見つめ、平和のために具体的な行動を起こすのか、それとも、「平和憲法」に拝跪(はいき)し、空想的観念的平和主義という感傷に浸っているのか。それが選挙の最大の争点だろう。

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    いずれ消えゆく小池新党は、憲法改正という「時代の要請」を断行せよ

    相、日本のこころの中山恭子代表、松沢成文参院議員、長島昭久元防衛副大臣、松原仁拉致問題担当相といった政治家の顔触れを見る限りは、それが「中道・保守・右派」色の濃厚な政党として理解されよう。新党は数年後に存続していない? 小池知事自身もまた、自らの新党を「改革、保守、これらを満たす方々」による「新しい勢力」と位置付けている。その上で「議員定数や報酬の縮減」、「徹底した行政改革と情報公開」、「女性活躍の推進」、「原発ゼロ」、「ポスト・アベノミクスにかわる成長戦略」、「憲法改正」という政策志向を打ち出している。共産党の志位和夫委員長は、小池新党を「自民党の補完勢力」と評しているけれども、それが少なくとも「非自民系保守勢力」糾合の枠組みとして認識されるのは無理からぬことであろう。会見に臨む東京都の小池百合子知事=9月25日、東京都新宿区の都庁(福島範和撮影) もっとも、「希望の党」という小池新党の党名それ自体は、この小池新党が数年後に存続しているとは想定されていないことを暗示している。小池新党も結局、時限政党なのであろう。そうであるならば、小池新党には今選挙から2020年前後の次回選挙までの数年間に、何を断行するかが問われることになる。 振り返れば、1990年代前期、小池知事の政治キャリアの原点であった日本新党は、政治改革関連四法案の成立を置き土産にして、僅か2年半で政党としての役割を終えた。小池新党もまた、その政党としての「求心力」を担保するのが小池知事の存在でしかない以上、向こう数年の政治プロセスの中で真っ先に何に手を付けるかを明示しなければなるまい。日本新党にとっての政治改革関連四法に相当するものが、小池新党にとっては何かが問われなければならないのである。 今後数年、朝鮮半島情勢の「嵐」が本格的に訪れる局面を見越すならば、今選挙後に安倍内閣が継続するとしても、それは、自民・公明両党以外の諸党の協調を得た実質上の「挙国一致内閣」にならざるを得ないのであろう。そうであるとすれば、日本新党にとっての政治改革関連四法に相当するものが、小池新党にとっては何かという問いに対する答えは、安全保障政策の「制約」を外す憲法改正を断行することでしかない。国家統治の基本は、「時代の要請」に応じた政策を断行することにある。当節、そのことは忘れられてはなるまい。

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    「10・22総選挙」の風を読む

    小池新党の登場で政界再編がにわかに動き出した。民進党は事実上の解党も視野に小池新党への合流を模索する。対する安倍自民は「捨て身の戦法」の前に後手に回り、「今なら勝てる選挙」の雲行きも怪しくなった。ついに始まった「10・22総選挙」。目まぐるしく変わる風をどう読む。

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    小池氏が総理を狙うなら安倍さんには「山口那津男首相」の秘策がある

    倉山満(憲政史家) 甘ったれるな!安倍晋三以外、他の誰に首相が務まるのか。 確かに、政治とは理想を求める前に、「よりマシ」な現実を求めるものだ。安倍首相は、そのような政治のリアリズムに助けられてきた。野党民進党の歴代党首は論外として、自民党の派閥の領袖にも「よりマシ」な候補者は見当たらない。消去法で安倍晋三。「一強」の実態とは、そんなものであった。では、私がリアリストとして答えよう。 公明党代表の山口那津男では如何か? これまで私は、安倍晋三首相を応援してきたつもりだ。安倍さん――あえて「さん」付けで呼ぶ。安倍さんが失脚し、世間から過去の人となっていた時に、私は「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発起人の一人として、「日本救国ができるのは安倍晋三さんしかいない」と訴え続けて来た。では、政権返り咲き以降、「山口首相」ではできないことを何かなしえたか。「まず経済」と訴えながら、その景気回復すら中途半端。結局、民主党よりマシというだけで、何も実績などないではないか。応援演説を行う公明党の山口那津男代表=7月1日、東京都(春名中撮影) 9月25日、安倍首相が衆議院の解散を宣言した。大義名分は「消費増税10%の用途変更」だ。つまり絶対に増税するという前提だ。ところが、翌26日、「リーマンショック級の景気悪化なら増税は延期する」とも付け加えた。こういうのをリアリズムとは言わない。同じことを二つの表現で言おう。 安倍総理は、財務省を相手によくやっている。 安倍総理は、財務省にケンカを売れないヘタレだ。 首相が増税を言うたびに消費は冷え込む。当たり前だ。税金が上がるとわかっているのに、貯金をしないで消費するなど愚かだ。これがアベノミクスの生命線であるインフレターゲットの効果を減殺する。こんなことばかりやってきたからせっかく景気が回復軌道なのに、モタモタした結果にしかならないのではないか。という経済学の基礎の議論を詳しく語るつもりはない。 要は、景気を回復したい安倍首相と、景気回復などよりも消費税増税の方が大事な財務省のケンカなのだ。日本の運命にとって、どちらが重要な敵か。財務省と比べれば、民進党など風の前の塵に同じだ。今の安倍首相、財務省に勝てないから、自分より弱い者いじめをしているようにしか思えない。相手が民進党なら増税を公約に掲げて選挙をしても勝てる。甘く考えていないか。民進党は社会党の劣化コピー 安倍首相の言動を一切批判するなと他者にしいる者を「信者」と呼ぶ。信者一同曰く。今なら民進党に勝てる! では、聞く。いつなら、負けるのか? 民進党とは、社会党の劣化コピー政党である。そんな政党相手の選挙など、モリカケ騒動(森友・加計問題)の真っ最中でも勝てるだろう。かつて、日本社会党という恥ずべき政党があった。政権担当恐怖症の政党であった。それでは、何の為の政党か。日本国憲法を改正させないことを目的とする政党である。改憲阻止のハードルは低い。衆参いずれかで三分の一の議席を持てば、誤植一文字の改正も阻害できる。いつしか人は、“二本斜壊党”と揶揄するようになった。左派と右派の派閥抗争で自滅していったからだ。 社会党を育てたのは誰か。与党第一党の自由民主党である。自民党は如何なる手段を使ってでも政権の座に居座りたい政党である。これはこれで大いに問題はあるが、政権担当恐怖症の社会党よりは、よほど健全である。しかし、それは政権担当可能な政党が二つ以上ある場合の話である。 衆議院で51%以上の議席が欲しい自民党、衆参どちらでもいいから34%の議席が欲しい社会党。両者の思惑が一致した。1955年の両党の結党時、自社で衆議院の90%を占めた。55年体制のはじまりである。民主制においては、三つ目の政党が必要かどうかはともかく、最低限二つの選択肢がなくてはならない。一つだと、ファシズム(一国一党)と同じだ。記者会見に臨む安倍晋三首相=25日午後、首相官邸(福島範和撮影) 最初の20年間、自民党の一党優位は機能した。高度経済成長により富の公正配分を行う。要するに、「国民を食わせる」政党として、自民党の存在意義があった。それも、石油ショックで高度経済成長が終焉すると、55年体制の限界は誰の目にも明らかになった。ところが、自民党は今に至るまで延々と政権にしがみついている。「まさか社会党に政権を渡す訳にはいかない」という国民の良識が働くからだ。そして社会党が野党第一党にしがみつくことで、他の野党の進出を妨害してきた。かくして自民党の地位は安泰である。 昭和51年以降の国政選挙は、すべて「風」によって決まっている。新自由クラブ以降、次々と新党が浮かんでは消えた。「風」とは無党派層の動向を指す。自民党に不満はあるが、かといって他に選択肢はない。まさか社会党に政権を任せるわけにはいかない。かくして自民党はおごり高ぶり、腐敗の極みに達した。「核武装」ぐらい目指すべき こうした状況で登場したのが民主党である。民主党には、昔の社会党や今の民進党と比べて褒められる点がある。政権担当の意思を示した野党であったことだ。もともと民主党は、鳩山由紀夫と菅直人の二人から始まり、野党第二党、第一党の地位に登った。リーマンショックで自民党の腐敗と無能が頂点に達した麻生太郎政権の時、国民の怒りが頂点に達した。 当確のバラをかざる鳩山由紀夫代表(左)=2009年8月31日(早坂洋祐撮影) 「鳩山民主党でもいいから、麻生自民党は嫌だ」 その後の民主党三代の内閣の無能については、贅言(ぜいげん)を要すまい。今次安倍内閣は、「民主党よりマシ」という多数の国民の声が支えているという謙虚さを忘れてはなるまい。自民党の中にも心ある人はいて、「あの最悪の民主党の方がマシだと思わせた反省をしなければ、また同じ道を歩む」との危機感を持つ人はいる。だが、そのような良識派は少数派だ。むしろ、55年体制の再現の如く、「まさか民進党に政権を渡す訳にはいくまい。国民は自民党に投票するしかない」という驕り高ぶりが露骨だ。その民意が夏の都議選で示されたのだ。 それを、民進党がスキャンダルで自滅し、安倍内閣の支持率が回復したからと、慌てて解散に打って出る。いいかげん、「民進党よりマシ」という発想から抜け出すべきではないのか。 事前の報道では、安倍首相の解散理由は「増税の用途変更、北朝鮮対応、憲法改正」だと伝えられた。ところが9月25日の記者会見では改憲が外れた。さっそく腰砕けだ。公明党に遠慮でもしたか。自民党の憲法と安全保障を一手に担っていた高村正彦副総裁も引退する。まさか安倍内閣で中身がある憲法改正ができるなどと信じるのは、よほどおめでたい楽観論者だけだろう。内閣法制局と公明党が納得するような、「やらなければよかった改憲」なら、いざ知らず。 北朝鮮対応に関しては、果たして争点になるのか。さすがに、いかなる政党も正面だって「北朝鮮に対応するな」とは言わない。具体的にどのような対応をするかで、差はあっても。もちろん、民進党や共産党が表立っては北朝鮮対応の総論に賛成しつつも、あらゆる各論に反対しサボタージュに近い行動をとってきたことは重々承知だ。 しかし、日本国民とて愚かではない。マスコミが何を言おうが、これまですべての国政選挙で安倍自民党に多数を与えてきた。衆議院を解散するとは、その多数をかなぐり捨てることである。勝つかもしれないし、負けるかもしれない。やってみなければ、わからない。では、その代償に何を獲ようとしているのか。少なくとも、安倍首相は記者会見では何も言わなかった。 この時期に賭けに出るならば、「核武装」くらい勝ち取らねば割に合わない。北朝鮮は、「日本列島を核で沈める」などと豪語している。この状況で我が国がNPT条約を脱退し、核武装に踏み切るのを批判する国際法的根拠は何か。誰も答えられまい。安全保障の問題ならば、言うに及ばず。ニッポンの命運を握るのは衆議院選挙ではない 内政では、内閣支持率が回復し、民進党がスキャンダルで自滅している。国外では、トランプアメリカ大統領が本気で北朝鮮攻撃を考えているから、その前に総選挙を済ましておきたいとの思惑もあろう。では、その時に日本は何をするのか? 飯炊きか? 戦後日本は「軽武装」を国策としてきた。では、軽武装とは具体的に何のことかわかっているのか? 米軍の足手まといにならず、自前で日本列島防衛ができる数字のことである。その数字は32万人である。首相官邸以下首都機能、自衛隊基地、羽田成田など主要飛行場、主要港湾、主要幹線を米軍に頼ることなく守る実力が軽武装である。ここに原発は入っていない。より正確に言えば、本来ならば50万人必要なところだが、過渡的な数字として32万人である。ところが、自衛隊は25万人の定足数を満たしたことが一度もない。 安倍内閣は戦後最高の防衛費だと騒いでいる。しかし、GDP1%枠を頑なに守って、数千億単位を増やしているだけだ。だが、トランプは「文明国水準のGDP2%の防衛費をかけて努力してほしい」と求めてきている。5兆円増額だ。お話にならない。何より財務省から勝ち取った雀の涙ほどの防衛費増額が、金正恩に通じるのか。相手にもされまい。 だから、安倍首相が「北朝鮮有事に備える」と言っても、何をするのかよくわからないのだ。この程度なら「山口首相」でも可能ではないか。 私は本来ならば、来年の6月に衆議院を解散すべきだと考えていた。来年の9月に自民党総裁選があるが、その前の3月に正副日銀総裁人事がある。日本の運命は衆議院選挙などでは決まらない。日銀人事で決まるのだ。思えば安倍首相は返り咲くにあたって、「法王」とまで呼ばれ圧政を極めていた当時の日銀総裁、白川方明の討伐を掲げた。 「白川を討つ!」その宣言に15年にも及ぶデフレに苦しんでいた国民は狂気乱舞した。その宣言だけで株価が急騰した。 そして、日銀に意中の人物である黒田東彦総裁と岩田規久男副総裁を送り込み、すべての委員人事で勝ち続けた。消費増税8%で黒田バズーカの効果は打ち消されたが、バズーカ第二弾の「ハロウィン緩和」で何とか持たせている。金融政策決定会合後に記者会見する日銀の黒田東彦総裁=21日、東京都(飯田英男撮影) 日銀人事に勝つ、株価が上がる、支持率が上がる、選挙に勝てる、政界で誰も逆らえない。実に単純な構図だ。財務省が何を考えて日本を滅ぼしかねないデフレ期の増税などを企んでいるかはわからない。しかし、その財務省と安倍内閣が何とか張り合えて来たのは、すべて日銀人事で勝ってきたからなのだ。 解散権を手放してしまった以上、今さら言っても仕方がない。仮に安倍首相が総選挙後に続投し、3月の日銀人事で抵抗が起きれば、そこでもう一度衆議院を解散しても構わないのだから。今の創価学会の同意抜きで選挙ができない自民党に求めるのも酷だが。「公明・山口首相」ができないことをやる 大正時代、憲政の常道を主唱した吉野作造は「黒幕を引きずり出せ。政界の支配者は、総選挙により国民の審判を受けよ」と訴え続けた。吉野は衆議院第一党の総裁が総理大臣たるという形式も大事だが、実質も大事だと説いた。 与党第一党は、自由民主党だ。しかし今の自民党など、創価学会の孫請けにすぎない。安倍内閣で政権に返り咲いてから、一度も公明党に逆らった事があるのか。ならば山口首相でもいいではないか。 安倍首相の代わりの選び方は簡単だ。山口那津男氏に公明党代表在任のまま、自民党に入党してもらう。そして自民党総裁選挙に立候補してもらう。もちろん対抗馬やその候補に投票した議員には、創価学会の支持は得られない。おそらく満場一致で山口自民党総裁が誕生するのではないか。最強の政治家が与党第一党総裁として総理大臣になる。憲政の常道の実現だ。形式的には。 ただし、それが国益になるかどうかは保証しない。安倍首相は続投したいなら、「山口首相」ではできないことを正々堂々と訴えるべきだ。姑息にリアリストを気取る姿勢が孤高民の反感を買っていることに、いいかげん気づいたらどうか。あなたが民進党よりマシなのは、ほとんどの日本人が知っている。そして他に選択肢がないことに、嫌気も指しているのだ。 しかし、そもそも政治家が官僚に言いくるめられる、あるいはケンカして負けて泣いて帰ってくるようなら、選挙の意味がないではないか。希望がないわけではない。トランプ大統領が国連で、横田めぐみさんの名前に言及しながら、北朝鮮を強く批判した。小泉内閣以来、最も拉致被害者奪還の好機到来だ。今からでも遅くない。衆院解散について会見する安倍晋三首相=25日、首相官邸(斎藤良雄撮影) 「たった一人の国民の権利を総力あげて守るのが主権国家だ。日本国はすべての拉致被害者を取り返すために総力をあげる。我が国の国民を拉致し、日本列島を核兵器で沈めると豪語している国が隣にある。それでも我が国は核兵器を持ってはけないのか。国民の皆様に信を問いたい」 これは「山口首相」には言えない。信者諸君から、「安倍さんにも言えないよ~」という甘やかした声が飛んできそうだが、そういう過保護な言論が、この体たらくを招いたのだ。 何度でも言う。安倍内閣の評価は、安倍晋三首相が「山口那津男首相」がなしえないことをやった時に決まる。

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    10月10日ミサイル発射Xデーに衆院選公示日ぶつける意図

     安倍晋三首相と与党の幹部たちは、「抜き打ち解散」を決めた瞬間から、すでに総選挙に勝利したつもりになっている。記者会見で臨時国会冒頭の衆院解散を表明する安倍首相=9月25日、首相官邸 小池新党や野党の選挙準備が間に合わないだけではない。なにしろ北朝鮮が弾道ミサイルを発射し、国民が不安を募らせるたびに支持率が見る見るアップし、森友・加計疑惑も、自民党議員たちの不祥事も霞んでいくのだから笑いが止まらないのだろう。官邸内では首相側近たちがこんな不謹慎な算段をしている。「Jアラートの威力はたいしたもの。弾道ミサイルが日本上空を飛べば支持率が5ポイント近く上がる。総理がトランプ大統領と電話会談すると1ポイント加算、これに核実験が重なるとプラス3ポイントのプレミアムがつく」 北の弾道ミサイルはこの1か月間に2回(8月29日、9月15日)も日本上空を越え、9月3日には核実験が行なわれた。 NHKの9月の世論調査(8~10日)では内閣支持率が5ポイント上昇(44%)、調査日が同じ読売新聞は8ポイント上がって50%に回復し、9月15日の2回目のミサイル発射後に実施された産経・FNNの調査では支持率が6.5ポイント上昇して50.3%に達した。読売はこう書いた。〈安全保障上の危機が強まると、内閣支持率が上がる例は過去にもある。最近では、昨年9月に北朝鮮が核実験を行った直後の調査で、前月比8ポイント上昇した〉(9月12日付) 降って湧いたような“右肩上がり”のチャンスを逃してはならないとばかりに、官邸は急ピッチで解散のタイムスケジュールを組んだわけだ。「10月10日公示」の姑息な狙い 次のミサイル発射の“Xデー”として有力視されているのは10月10日の朝鮮労働党創建記念日だが、安倍首相はその日にわざわざ総選挙の公示をぶつける日程を調整している。その上で、解散を決意して国連総会に乗り込むと、北朝鮮をこれでもかと挑発してみせた。 米紙ニューヨークタイムズに自ら寄稿して〈これ以上対話を呼びかけても無駄骨に終わるに違いない〉と“最後通牒”を突きつけたかと思うと、国連演説(9月20日)で「必要なのは対話ではない。圧力だ」と制裁強化を世界に訴えた。 北のミサイルが上空を飛び交う国の首相が対話を「無駄骨」と煽ったのである。まるでミサイルを“撃ってくれ”と挑発しているようにさえ聞こえる。 勝ちさえすれば安倍首相は、森友・加計疑惑も、大臣の失言や自民党「魔の2回生」たちの数々の不祥事も「禊ぎ(みそぎ)を終えた」と強弁できると踏んでいるのだ。 首相に解散を進言したとされる二階俊博・自民党幹事長も記者会見で、森友・加計疑惑について「そんな小さな問題」と本音をのぞかせた。多少の失言があっても、有権者が批判票を投じる先などないから問題ない──そう高をくくっていることが透けて見える言い方ではないか。関連記事■ 小池新党 目玉候補本命の「角栄の孫」に断られていた■ 自民党“魔の2回生”達 早期解散に「今の民進党なら勝てる」■ 小池新党 早期の総選挙で「新人候補の擁立間に合わない」■ 北朝鮮のミサイル発射兆候 信頼できるのは“Aアラート”?■ 公務員に65歳完全定年制導入で生涯賃金4000万円増

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    東浩紀氏ツイートで話題 選挙の「棄権運動」は静かな革命か

    都品川区(桐原正道撮影)〈総選挙になったら棄権だな。今回は堂々と棄権を訴えよう。バカげすぎている〉 政治への怒りを「棄権」で表現するという考え方だ。これに対しネット上では「民主主義の自殺だ」「厭世的過ぎる」という非難もあがったが、東氏は“炎上”を歯牙にもかけない。〈この局面においては、棄権すること、つまり「おまえらの政治ゲームにはのらないよ」と意志を表示することこそ重要だ〉〈論点なし。必然性なし。いまだと勝てるからやる。それだけ。独裁国家の信任投票のようだ〉 東氏に改めて取材を申し込んだところ、「(ツイートしたこと以外に)あまり話す内容はありません」とするのみだったが、“暴論”に見える同氏の提案にうなずきたくなる有権者もいるのではないか。 海外ではすでに似たような先例がある。5月に行なわれたフランス大統領選ではエマニュエル・マクロン氏が、極右の「国民戦線」マリーヌ・ルペン氏を大差で破ったが、白票・無効票が11.5%もあり、棄権と合計してみると有権者の実に3分の1が「選択肢なし」に投じていたことになる。 これは移民を中心とする貧困層の間で白票を投じる運動が広がって起きた現象とされる。「反ルペン」を理由にエリートのマクロンに投じれば、むしろ現体制が維持され差別が残る。“騙されてなるものか”という強い不信感が根底にあったと指摘されているのだ。「棄権」は静かな革命になりうる〈棄権〉こそ〈危険〉のサイン 東氏の提案は、見方によってはさらに過激なものだ。白票でも、票を投じてしまえば選挙を正当に成立させるだけ。政権維持に利用されるぐらいなら、投票そのものを拒否して選挙の正当性の根拠となる「投票率」を引き下げてやろうという、強烈な意思表示に映る。関西大学東京センター長の竹内洋・名誉教授(社会学)は、東氏の「棄権」の意図を汲み取って解説する。「今回の安倍首相の乱暴な解散戦略に対して、本来“禁じ手”である棄権を意図的に呼びかけるという手法はありうるかもしれない。極論だが、仮に棄権が80%や90%に上れば政権にノーを突きつける“静かな革命”でしょう。政府・与党にとってみれば、〈棄権〉こそ〈危険〉のサインになる」「棄権」が80%であれば投票率は20%になる。これまで、投票率は低いほど組織票のある自公に有利とされてきた。それが逆に“低すぎる”状態を作り出せば、与党への(野党にも)かつてなく強烈な「NO」になるという指摘だ。 そもそも、自・公は衆院の議席の7割弱を占めているが、大勝した前回でさえ両党の得票(比例)は有権者全体の25%弱に過ぎない。“棄権運動”が効果を発揮すれば、その実態も炙り出されることになる。「棄権が充分集まらなければ、注目されることもなく、安倍首相のダメージにもつながらない」 そう竹内氏は棄権運動のリスクも指摘した。 東氏はツイッターで、〈他人に棄権しろというつもりはない。ただ、棄権がオプションだと訴えたい〉とも綴った。この“静かな革命”の成否は「有権者が東さんほどに腹を括って“怒り”を表現できるか次第」(竹内氏)だという。 棄権の数が、危険水域まで達することはあるのか。関連記事■ 10月10日ミサイル発射Xデーに衆院選公示日ぶつける意図■ 稲田朋美氏におじさん県議ら「守ってやらにゃ」と結束ムード■ 小池新党 目玉候補本命の「角栄の孫」に断られていた■ 自民党“魔の2回生”達 早期解散に「今の民進党なら勝てる」

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    あなたの給料が減っても「働き方改革」を支持しますか?

    田岡春幸(労働問題コンサルタント) 電通の労基法違反事件や働き方改革で長時間労働の抑制が、健康維持やワークライフバランスの観点から求められている。 では、労働時間とはどの様な時間を指すのだろうか。労働時間管理のガイドライン(労働時間の適正な把握のために使用者が講ずるべき措置に関する基準)で、厚生労働省は企業に対して、厳しい労働時間管理を求めている。厚生労働省などの入る中央合同庁舎5号館=東京・霞が関(撮影・桐原正道) 同ガイドラインで、労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であり、使用者の明示又は黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間に当たることとしている。また、労働時間について、使用者が自ら現認して確認することなどとされている。 これらを踏まえ、政府は近年、厚労省(労働基準監督署)を使い、長時間労働の取り締まりを強化している。厚労省に「過重労働撲滅特設対策班」を置き、各労働局に「過重労働特別監督管理官」を任命している。月残業が80時間を超える場合は、是正指導や企業名の公表などを積極的に行っている。 法の違反がある場合は、送検などの厳しい措置も取っている。労基署にとって過重労働取締まりは、最重点項目になっているのだ。この流れは、この先も続くと考えられ、9月13日に行われた自民党の働き方改革に関する特命委員会でも長時間労働抑制の議論がなされた。 現状では、36(サブロク)協定(労働基準法第36条:休日労働や時間外労働をさせる根拠になる条文で、36条に記載の届出をしないと、時間外労働ができない。この届け出をしないで残業をさせたり、届け出している以上の残業をさせたりすることは違法になる)を締結すれば残業時間は事実上野放しだ。 このことが、過労死などの問題を引き起こしているとの考えから、働き方改革の一環として、残業時間の規制(上限)を設ける動きが出てきている。厚労省原案では、時間外労働の上限について、月45時間、年間360時間を原則とし、特別な事情がある場合でも年間720時間、単月100時間未満、複数月平均80時間に設定することされている。違反した場合は、罰則が付く。 仮に月45時間だと、一日の残業時間が2・5時間を超えたら(週休2日、月22日勤務の場合)違反になってしまう。 確かに、行き過ぎた残業は健康面を含めて問題になる。しかし、今、最も重要なのは、サービス残業が横行していることではなかろうか。しっかりとした労働に対する対価を支払われるような制度にしていくべきである。一律規制は時代にそぐわない その制度として、筆者は正社員であっても時間給にして単純に労働時間をかけるような給与体系にしてはどうかと考える。そうすれば、同一労働同一賃金にも耐えうることが可能ではないだろうか。 一年中忙しい会社はほとんどなく(そんな会社は、組織のマネジメント不足である可能性が高い)、ある時期だけが忙しいことが多い。ゆえにもっと運用に弾力性を持たせるべきである。残業時間を厳しくすると、徒弟制度を取るような業界の技術力は間違いなく落ちるであろう。 そもそも仕事とは、厳しい修行を経て一人前になっていくのである。修行と労働は明確に分けることが難しい。マッサージ店や美容室の時間外の店内で残って行う個人修行も残業時間だと上記ガイドラインでは規定されている。また、厳しくしすぎると残業代が払えなくなり、倒産する可能性も出てくるのではないか。結局、産業そのものに影響し、国力や日本の文化の衰退をもたらすであろう。 うわべだけの残業規制は、仕事量が減らない限り、間違いなく持ち帰り残業が増えることになる。すなわち、逆にサービス残業の増大に繋がると考える。規制すればするほど隠れてやろうとするのではないだろうか。 要は行き過ぎた規制が、経済活動を委縮させ、経済を停滞させるのではないか。そうなれば経済効果にマイナスの影響しかない。特にサービス業においては、人手不足も相まって大きなダメージになる。人手不足による倒産が増える恐れがある。 さらに、大企業が残業規制を守り、納期の時間を今まで通りとしたならば、その下請けである中小企業にしわ寄せがくるであろう。中小企業が、長時間労働を課せられることになる可能性が高い。打ち合わせを土日にやらざるを得ない状況になるなど、残業規制が国の中小企業いじめに繋がる可能性もある。国は、下請けの弱い立場にある中小企業をこの問題から守らなければならない。 また、働いて稼ぎたいと考えている労働者も多く、法律でその人の働きたいという権利を奪うことはいかがなものか。残業代を含めた給与水準を考えているケースがあるのも事実だ。(iStock) 会社が残業をやりたい人、やらない人に分け、それぞれそれに対応した雇用契約書を作成して管理すればいいだけである。そして、例え残業をしない労働者でも優秀であるならば、出世できる仕組みを構築すればよいだけだ。 個人の多様な働き方を目指すならば、個々人が契約により自由に労働時間を設定できるようなシステムにしていけばよい。これが本当の意味での働き方改革になり、一律に規制をかけることは時代にそぐわないのではないだろうか。

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    反安倍派のみなさん、解散はまたとない「大義」を問うチャンスです

    道の観測記事の通りであるとすれば、最近の内閣支持率の上昇傾向と北朝鮮リスクへの長期的に対応するための政治的な基盤固め、というのが解散の主要な動機になるだろう。 安倍政権に反対を述べる勢力では、「解散の大義がない」と主張する人たちもいる。素朴な観察では、最近まで反安倍の人たちの多くは、森友学園問題・加計学園問題の責任から首相に退陣を迫っていたはずである。ならば、今回の解散風は「大義がない」どころか、反安倍派の人たちにはまたとない「大義」を問うタイミングではないだろうか。解散に反対かのような発言をするのは全く首尾一貫していない。 ちなみに私見では、連載でも何度も書いたように、森友・加計学園問題には、首相の責任を政治的・道義的に問うものは存在しないので、反安倍の人たちの学園問題を理由にした「大義」には賛同しかねる。 もちろん歴代首相はみな党利党略で議会解散を利用してきただろう。そして反対する陣営もまた同様である。東京都の小池百合子知事を事実上の党首とするだろう新党が本格的に機動する前や、または民進党がスキャンダルや同党議員の大量離脱で混乱する機会を狙って解散する、というのはありそうなことである。また同時に、反安倍派の人たちが、選挙のタイミングとしては得策ではないので、現時点の解散に「大義」などを持ち出して批判的なのも理解できる。理解できるだけでもちろん賛同はしていない。各党への挨拶回りで共産党を訪れた民進党の前原誠司代表(左から2人目)と握手を交わす志位和夫委員長(右から2人目)や小池晃書記局長(右)=9月8日、国会内(斎藤良雄撮影) 例えば、共産党の小池晃書記局長の発言はこの種のわかりやすい例を示している。小池氏は、8月3日のツイートでは、森友・加計学園問題隠しなどで内閣改造を行っているとした上で、「内閣改造ではなく、内閣総辞職、解散・総選挙が必要」と記者会見で発言したと書いている。ところが、9月17日には「臨時国会冒頭解散。いったい何を問うのか。もともと『大義』とは縁もゆかりもない政権だとは思っていたがここまでとは。森友隠し、加計隠しの党利党略極まれり」と書いている。このような矛盾した発言は、なにも小池氏の専売特許ではない。わりと頻繁に出合う事例である。北朝鮮リスクの中での解散は間違いか また「北朝鮮のミサイル発射や核開発の中で解散・総選挙を行うのは政治的空白を生むので間違いだ」という発言もある。だが、この発言の前提には、北朝鮮リスクが短期的に解決するものであるという予断があるのではないか。 いまの北朝鮮の核開発ペースでいくと、専門家の指摘では、1年か2年で米国本土に到達できる核弾頭ミサイルが完成するといわれている。つまり、北朝鮮リスクは時間の経過とともに増加していくと考えるのが現状では自然だろう。いまの衆院議員が任期満了まで務めれば来年末が総選挙である。その時期はちょうど北朝鮮の核開発の最終段階に到達している可能性が高い。言い換えれば危機のピークである。現段階で、北朝鮮リスクを解散・総選挙の否定理由としている論者はこの点をどう考えるのだろうか。 もちろん安倍首相側にも、解散・総選挙の理由で北朝鮮リスクを挙げるならば、それなりの具体的な対案を問うべきだろう。それがなくただ単に不安をあおるような姿勢でいれば、国民の多くが不信を募らせることは間違いない。安倍政権による対北朝鮮対応の核心は、日本・米国・韓国の安全保障の連携に尽きる。北朝鮮のミサイル発射に伴う「挑発」行動は、多くの識者が指摘するように、日韓を飛び越えて、核問題を含めて米国との直接交渉に持ち込むこと、さらにいえば日韓と米国の間に「不信」というくさびを打ち込むことが狙いだろう。9月15日、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、首相官邸で報道陣の取材に応じる安倍首相(松本健吾撮影) 日本と韓国は、米国を中心にした「核の傘」によってその地域的な核抑止力やまた安全保障を担保している。この3カ国による実質的な東アジア防衛システムは、米国抜きでは維持はできない。仮に米国が北朝鮮と直接に交渉し、その核保有などを認めるとするならば、3カ国による地域防衛システムは破綻しかねない。米国への「不信」は、日本と韓国、そして北朝鮮をはじめとした地域内での軍備拡張ゲームに移行してしまうリスクがある。日本はただでさえ、冷戦終了後の経済停滞や財政再建主義の反動で、米軍への防衛力「ただ乗り」が事実上加速している。これは意外に思われる人たちも多いだろう。 正確にいえば、冷戦時代から日本と韓国は米国に防衛力の面では「ただ乗り」をしてきたといえる。その簡単な証左が、両国に偏在する米軍基地や「核の傘」の存在である。もちろん米軍基地の縮小・撤廃そして防衛費の肩代わりなどを両国は行ってきている。大義がない、党利党略だ、と言ってもこれが選挙 例えば、だいたいの先進国が名目国内総生産(GDP)の2%程度を軍事費にあてる中で、日本は名目GDP比で1%を防衛費の「上限」としてきた。つまり拡大速度は先進国の標準の半分である。さらに加えて、90年代初めから2012年ぐらいまでの名目GDP成長率は平均するとゼロであった。もし先進国の成長率の平均を2%程度とし、日本もそれと同様だったとすると、日本の防衛費の現状は達成可能であった水準のだいたい半分である。ただでさえ拡張スピードが抑制されているのに、20年以上速度を示すことすらしなかった。それでも日本の防衛がそこそこ機能できた背景には、米国の軍事力への「ただ乗り」とその加速化が背景にあったとみていい。 もちろん米国にも、この「ただ乗り」を放任する経済的なメリットがあった。冷戦が終了しても東アジアの地政学的リスクを顕在化させるのは得策ではないからだ。したがって、問題は「核の傘」への依存などある程度の「ただ乗り」を認めたうえで、日米韓3カ国の防衛システムを維持し、その中で経済的・軍事的負担のバランスを図るというのが、いままでの米国の戦略だったろう。 この日米韓の防衛システムにくさびを打ち込むことが、北朝鮮の狙いであるのはほぼ自明である。そのため、安倍首相は訪米でトランプ大統領、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と3カ国首脳会談など積極的に行い、米国・韓国との連携強化に注力した。国連総会の一般討論演説を行う安倍首相=9月20日、ニューヨーク(代表撮影・共同) 話を戻すと、北朝鮮リスクはかなり長期化する。しかも時間が経過すればするだけその潜在的リスクは増大していく。つまり政治的解決のハードルも上がっていく。「対話路線」、日米韓連携、国連の制裁など多様なルートによる北朝鮮リスクの抑制がすぐに効果をあげるめどはたっていない。その中で、いまの段階で解散・総選挙を行うのは、北朝鮮リスクだけを考えてもそれほど悪い選択とは思えない。 ちなみに私見では、解散・総選挙をめぐる安倍首相を含めた各党派の思惑について、評論家の古谷経衡氏の発言ほど簡にして要を得たものはないので、最後に紹介したい。もっとも票読みについてはどう出るかは、私にはわからない。与党の大敗で終わっても不思議ではない。それが選挙だろう。 大義がない、党利党略だ、と言ってもこれが選挙。今解散すれば、自民党単独で270くらいは行くだろう。公明党と合わせれば300超で大勝利。これが選挙なのだ。こうやって冷徹に勝ってきたから安倍1強は実現している。情でも理でもない、票読みなのだ。選挙で勝つのが権力の源泉のすべてなのだ。古谷経衡氏の公式ツイッターより

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    衆院解散の歴史をみれば「大義」という言葉の虚しさがよく分かる

    主に臣としてつくすべき道」とある。国民主権の中で「国家・君主に臣としてつくすべき道」はないだろうが、政治は果たして「人として踏み行うべき道」を進んでいるかどうか。日本に限ったことではないが、古今東西歴史をひもといても甚(はなは)だ疑問だ。だからこそ、時として「大義」という言葉を連綿として受け継ぎながら、政治に警鐘を鳴らし続けているのかもしれない。 戦後日本において、日本国憲法が施行されてからの衆院解散は、今回の解散を含めると24回。反面、任期満了に伴う衆院選が行われたのは1976年12月5日に行われた第34回選挙の1回だけだ。 いわば、衆議院はどこかで解散するのが当たり前ではある。しかし、「人として踏み行うべき解散」などあったのだろうか。  全部挙げればきりはないが、吉田茂内閣では、吉田首相が右派社会党の西村栄一議員への質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって懲罰動議が出され、吉田首相の足を引っ張りたい自由党非主流派の鳩山一郎や、広川弘禅農相らの暗躍があって、内閣不信任案が賛成229票、反対218票の11票差で可決、1953年3月14日に衆院が解散された。この解散を受けて4月19日に投開票された第26回選挙では、与党自由党が過半数を大きく割り込み、鳩山自由党や改進党も不調で、左派勢力が大きく議席を伸ばす結果となった。1950年11月、衆議院本会議で施政方針演説をする吉田茂首相。左はもめる野党議員たち 内閣不信任案の可決で衆院選が行われるのは、きっかけが「バカヤロー」だとしても、政権の可否を問うという意味で有権者も納得はできよう。戦後、内閣不信任案の可決による衆院選は1949年と1953年の吉田茂内閣、1980年の大平正芳内閣、1993年の宮沢喜一内閣と計4回ある。 内閣不信任案の可決による解散ではなく、首相の「今解散すれば勝てる」「少なくとも負けが少なくて済む」という思惑による解散の方がむしろ多数派なのである。「天の声」「死んだふり」のミエミエ 例えば、吉田内閣の後を受けて組閣した鳩山一郎は1955年1月24日に衆院を解散した。1955年2月27日に投開票されたこの第27回選挙では「民主党ブーム」が起き、民主党は185議席で112議席の自由党をはるかに上回り、左派勢力は振るわなかった。このとき、鳩山首相は解散の理由を「天の声を聞いたからです」と発言し、「天の声解散」と呼ばれたが、そんな木で鼻をくくったような理由でも、公職追放になった鳩山への同情などで民主党は第一党に躍進した。 また、1983年の衆院選で過半数を割り込み、新自由クラブとの連立で辛うじて衆議院での過半数を維持していた中曽根康弘首相もその一人だ。1986年6月2日に衆院を解散したが、中曽根首相は衆参ダブル選挙を当初から狙っており、そのための解散であることを知られないために、死んだふりをしていたとして「死んだふり解散」と言われた。1986年7月、衆参同日選挙で自民党が圧勝、選挙ボードにバラを付ける中曽根康弘首相=東京・永田町の自民党本部 結果、自民党は300議席の圧勝。2009年に民主党が308議席を獲得するまで、戦後の衆院選で単独政党の獲得議席としては過去最多だった。 「天の声」「死んだふり」といった戦後を代表する政治家たちの解散理由も、選挙に勝つためがミエミエであまり褒められたものではない。では、不信任案の可決、首相のタイミングを見計らった解散以外に「大義による解散」はあったのだろうか。 中には、政権与党と野党が政策をめぐり真っ向から対立し、国民に信を問う解散もなくはない。小泉純一郎首相は郵政民営化が持論だったが、2005年に郵政民営化法案を衆議院で通過させて参議院に送付された際、「郵政民営化法案が参議院で否決されれば、自分は衆議院を解散して国民の信を問う」と明言していた。その言葉通り、参議院で郵政民営化法案が否決されると、「この選挙を郵政民営化の是非を問う国民投票にする」と明言、8月8日に衆議院を解散し、9月11日に投開票された結果、自民党は296議席を得る圧勝となった。 もちろん、民営化反対の候補に刺客を送り込み、メディアに巧みにニュース価値を提供する劇場型政治の狡猾(こうかつ)さはあったにせよ、ガリレオ・ガリレイまで持ち出しての「大義を掲げての解散」に、国民がこれまでにない高揚感を覚えたのは確かだ。 翻って、今回の解散はどのタイプに属するのか。言うまでもなく、鳩山氏、中曽根氏と同じく、安倍首相が「このタイミングなら勝てる」と踏んだ憲法7条第3項による解散だ。 「法律、特に憲法の規定に基づく解散だ、今までもそうやって解散してきているじゃないか、文句あるか!」。政権与党は当然そう言うだろう。一方の野党は、少しでも政権与党をおとしめようと必死だ。鍵を握るのはやはりあの層 側近の若狭勝衆院議員が新党結成に動いている東京都の小池百合子知事は9月18日、「解散・総選挙は何を目的になさるのか、大義ということについては分かりません。そういう中で都民、国民に何を問いかけていくのか、私には分かりにくいと、多くの皆さんがそう思うのではないでしょうか」と批判。一方で、若狭氏の新党に対し「しがらみのない政治」と「大きく改革をする」というメッセージが伝わるようになればと既成政党を当てこすった。 解散に呼応し、細野豪志元環境相らを糾合して新党を立ち上げても、主なメンバーが民進党からの離脱組では「第二民進党」とも揶揄(やゆ)されかねない。準備不足に慌てたのか、若狭氏は小池知事に新党の代表就任を要請するというドタバタだ。 既成野党はというと、散々「解散・総選挙で信を問え」と言っておきながら、安倍首相のタイミングでの解散・総選挙ということになると気に入らないらしい。 7月2日の都議選で自民党が惨敗したときには、民進党の蓮舫代表(当時)は会見で「解散・総選挙はいつでも受けて立つ。衆院解散に追い込みたい」と語っているし、社民党の又市征治幹事長も「内閣改造でごまかそうとしているが、解散・総選挙を打たざるを得ないところに追い込むことが大事だ」と強調している。 共産党も8月下旬の時点で、安倍政権に対する怒りの声が全国に広がり、あと一歩で安倍政権を打倒できるんだというところまで追い込んでいる、臨時国会で安倍政権を追い詰め、解散・総選挙に追い込んでいこう、と力をこめている。2014年11月21日、衆院解散で記者会見する安倍晋三首相の映像が街頭に流れた=大阪市北区 一転、安倍首相が解散の意向とメディアに報じられると、民進党の前原誠司代表は、受けて立つが、北朝鮮の緊迫した状況での政治空白、森友・加計問題での国会での説明不足などを挙げて「自己保身解散」だとコキおろした。幹事長に登用しようとした人材のスキャンダルを報じられ、解散のひとつの引き金になった反省はどうやらないようだ。 大義もへったくれもない。自分たちに都合がいい時期を選んで解散できる首相、自分たちに都合が悪い時期に解散されることで口を極めてののしる野党。こうなると鍵を握るのはやはり無党派層か。有権者はハナから大義などに期待していないが、安倍首相の「勝てそうだから」という理由での解散に、まさかバラバラ感満載の野党による政権を期待してはいないだろうし、世論調査でも期待は低い。第一の可能性は、このタイミングでの解散に、安倍首相にひと泡吹かせようと野党に1票を投じるというもの。第二は、老獪(ろうかい)な手法に敬意を表し、北朝鮮への対応を期待して与党に1票を投じる可能性。そして第三は、安倍もノーだが受け皿もない、という消去法で棄権してしまう可能性だ。 2014年の衆院選では、投票率は50%台前半と低迷した。現時点では小池知事の動きは不明だが、第三の可能性をはらみながら選挙戦に突入していくとしたら、後世の歴史家から「大義なき解散」にふさわしい衆院選だった、という有り難くない評価をこれまで同様積み重ねていくことになるのかもしれない。 「大義」という言葉が政治に警鐘を鳴らし続ける言葉として、今回の衆院選で死滅することは少なくともなさそうだ。

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    「不祥事議員どうするか解散」ネーミングはこれにしよう

    要なのか? 大義がないと総選挙をやってはいけないのか? 「大義」の次に野党サイドが言い出したのが、「政治空白」や「疑惑隠し」、「自己保身」だ。これは、民進党の前原誠司代表が言い出した。17日の民進党本部での会見で、前原代表はこう述べた。常任幹事会で挨拶する民進党の前原誠司代表=19日、東京(斎藤良雄撮影) 「北朝鮮が核実験やミサイル発射を行う状況の中で、『本気で政治空白をつくるつもりなのか』と極めて驚きを禁じえない。森友問題や加計問題について国会での追及から逃げるため、国民の生命・財産そっちのけで、まさに『自己保身解散』に走っているとしか言えない」 解散・総選挙になると、毎回、なんらかのネーミングを施さないといけないのは、「バカヤロー解散」以来の日本の「美しき伝統」だ。しかし、ここまでの野党側のネーミングは、情けないほど味も素っ気もない。「大義なき解散」「政治空白解散」「疑惑隠し解散」「自己保身解散」では、直球ばかりではないか。 これでは、米国のトランプ大統領の方がよほどうまい。彼から見たら「頭のおかしなクソガキ」にしか思えない、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長を「ロケットマン」と名付けてしまった。本来ならロケットではなく「ミサイルマン」だろうが、ロケットマンと漫画のキャラ扱いしたことで、「トータリーデストロイ」(完全なる破壊)の本気度が伝わってくる。 だいたい、今回の解散を野党サイドが批判する資格などない。なにしろここ数カ月、彼らは森友・加計の両学園問題を追及し、「安倍首相は信用できない」と、解散・総選挙を強く求めてきたからだ。 例えば、7月に自民党が東京都議選で惨敗したとき、民進党の蓮舫前代表は「(この結果を受けて)解散に追い込む」と気勢を上げた。これに同調したのが社民党の又市征治幹事長で、「内閣改造でごまかそうとしているが、解散・総選挙を打たざるをえないところに追い込むことが大事だ」と言ったのである。 それがいざ解散となったら、今度は「大義がない」「疑惑隠し」だと解散そのものを批判するのだから、あきれてものも言えない。本来なら「よくぞ解散してくれました。これで国民に信を問えます。もう疑惑からは逃れられませんよ」くらいのことを言わなければならない。大義がないのは、野党サイドではないだろうか。大義(選挙公約)の争点 これでは、自民党に「いまなら勝てる」と足元を見透かされるのは当然だ。民進党は山尾志桜里衆院議員の不倫スキャンダルと離党者続出でガタガタ、ほかの野党は完全に弱小化、小池新党はまだ準備不足で若狭勝衆院議員は政治塾「輝照(きしょう)塾」を立ち上げたばかり、細野豪志元環境相も河村たかし名古屋市長も、あの橋下徹前大阪市長もどうしていいか思案中といった具合だ。 とりあえずだが、麻生太郎副総理兼財務相の名参謀としての策略がずばり決まっている。これで本当に自民党が勝てば、「生まれはいいが育ちは悪い」と常々語っている麻生氏に、ぜひビシッと決めたマフィアスタイルで勝利宣言をしてほしいと願う。しかし、万が一、自民党が負けたらどうなるのだろうか。トランプが勝ってしまうこともあるのだから、一寸先はわからない。参院予算委員会の集中審議に臨む、安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=3月27日、国会(斎藤良雄撮影) それにしても、まさかまさかの解散・総選挙だ。今年の3月5日の自民党大会で、「総裁3選」を可能とする党則改正が決まったときは、衆院は任期満了までいくのは間違いないと思われていた。そうして、来年9月の自民党総裁選挙に安倍晋三首相が勝てば、さらに3年間任期が伸びるので、2020年8月の「灼熱(しゃくねつ)」の東京五輪のときも、確実にシンゾー政権は続いていると思われていた。 それが、「森友アッキード払い下げ問題」でつまずき、「加計アクユウ獣医学部新設問題」で支持率が落ち、「稲田朋美元防衛相ネコかわいがり続行」で窮地に陥ってしまった。 これを救ったのが、「ゴトシ」をそろえたという内閣改造ではなくロケットマンだ。北からミサイルが発射されるごとに支持率は盛り返し、とうとうビッグチャンスがやってきた。日本の安全保障上最大の危機は、首相と与党にとって野党のうるさいハエをたたく最大のチャンスなのである。 それでも大義がないというので、自民党は現在自ら大義(選挙公約)をつくり出そうとしている。「政権べったり」新聞(読売新聞)などの報道だと、安倍首相は「消費税10%の使途を借金返済から子育て支援、教育無償化に変更」というアメ玉を用意したうえで、「憲法改正」も訴えるという。「リベラル大好き」新聞(朝日新聞や毎日新聞)によると、「教育や社会制度を抜本的に見直す人づくり革命を打ち出し、アベノミクスの是非を問う」という。  私としては、やはりアベノミクスの成否を問わなければおかしいと思う。これこそが、「バイ・マイ・アベノミクス」とマイケル・ダグラスのセリフをパクって、内外に問うてきたこの政権の政策そのものだからだ。 なにしろ内閣府は、いまだにHPに、もうみんなすっかり忘れてしまった「新3本の矢」を掲げ、その成果を何項目かにわたって、「成果、続々開花中!」という吹き出し付きで自画自賛している。しかし、最大の目標であるデフレ脱却によるインフレ率2%達成、それ以上の経済成長率は、達成できただろうか。このHPをぜひ一度見てほしい。国民がやらなければならない「審判」 さて、大義はないとはいえ、この選挙で私たち国民がやらなければならないことがある。ここまでに続出した「不祥事議員」をどうするかだ。選挙はやはり審判である。「このハゲー!違うだろ」を、埼玉4区の有権者は許すのか、許さないのか。以下、リスト化してみたので、当該選挙区の方はじっくり考えてみてほしい。■甘利明(神奈川13区、68)現金(賄賂)授受が発覚、経済再生担当相を辞任。→不起訴処分(嫌疑不十分)■稲田朋美(福井1区、58)嘘答弁を繰り返すも、驚異の粘り腰で防衛相に居座る。→防衛相辞任■武藤貴也(滋賀4区、38)知人に未公開株を「国会議員枠」で購入できると持ちかけ金銭トラブルに。→離党■中川俊直(広島4区、47)不倫女性とハワイで「結婚式」まで挙げた「重婚疑惑」、ストーカー疑惑が発覚。→経済産業政務次官を辞任、離党。■上西小百合(大阪7区、34)本会議をサボり、ショーパブはしご。その後、放言多し。→日本維新の会を除名■務台俊介(長野2区、61)被災地視察で長靴を持参せず、水たまりを政府職員におんぶ、「長靴業界はもうかった」と発言。→内閣府大臣政務官兼復興政務次官を辞任■大西英男(東京16区、71)「がん患者は働かなくていいんだよ!」発言に加え、過去の女性蔑視発言、報道圧力発言も問題化。→開き直り■豊田真由子(埼玉4区、42)秘書への暴行・暴言「バカかお前」「このハゲー!違うだろ」が発覚して逃亡入院。→離党■今村雅弘(佐賀2区、70歳)記者に激高「2度と来るな」発言、「東北でよかった」発言。→復興相を事実上「更迭」 私は成人してから今日まで日本の政治を見続けてきたが、振り返って思うのは、この国の政治に大義があったことがあるだろうか、ということだ。あったのは、大義ではなく「都合」だけだったのではないだろうか。この国では、なにより都合が優先されるのだ。 本当のことを言えば、大義はあってほしいと思う。あるべきだと思う。そして、政治家には、日本にたった8カ月しかいなかったのに莫大(ばくだい)な報酬を手にして帰ったクラーク先生が言ったように、「大志」を抱いてほしい。 アメリカのように「自由」と「平等」、そして「人権」と「民主主義」は絶対守る。それだけは譲れないという大義が、日本にもあってしかるべきだと思う。 しかし、国際社会でアメリカの属国となることで安定と安全を維持してきたこの国では、これまで大義は必要なかった。そのため、大志などなくても議員をやっていられた。しかし、もうそろそろこれをやめないと、日本は落ちていくだけになるのではなかろうか。

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    党利党略、禁じ手でも「大義なき解散」は安倍首相に理がある

    小笠原誠治(コラムニスト) 安倍総理が9月25日に衆議院解散の意向を表明すると報じられている。ただし、解散の理由はまだ分からない。新聞によっては、消費増税の使い途についての変更の是非を問えばいいなどと提案しているところもあるが、総理が実際何と言うかは分からない。 ただ、国民の中からは、今なぜ解散する必要があるのかという声が挙がっているのも事実だ。そして、そのような批判に対しては、解散の大義名分は後で付けるとして、今なら与党が勝つチャンスがあるから総理は解散を選択したのだという説が有力である。 森友・加計疑惑に加えて魔の2回生のスキャンダル問題もあり、下がり続けていた内閣の支持率が、北朝鮮のミサイル発射、民進党の山尾志桜里議員の不倫疑惑に民進党議員の離党騒ぎなどもあり、支持率が回復しているからだ。 ということで、安倍総理が25日に衆議院解散の理由についてどのような説明をしようとも、事実は単なる党利党略で行うものであり、全く大義がない解散だという受け止め方が多い。 事実、私自身もそのように考える。というよりも、仮に選挙で与党が勝利を収めれば、安倍総理の禊(みそぎ)は済んだということで、森友・加計疑惑を完全に過去のものにすることを狙ってのことだと考える。これはなんと姑息(こそく)な手段ではないか。だから、安倍政権を支持しない国民サイドからは、そのような批判が起こるのは当然と言えば当然だ。報道陣に向かって一万円の札束を見せる籠池泰典氏=7月1日、JR秋葉原駅前(古厩正樹撮影) ただし、そのような批判が野党からなされることには疑問を禁じ得ない。いや、それが安倍政権のイメージダウンを狙った作戦であるのならば良い悪いは別にして理解できなくもないが、本気で「大義なき解散」などと批判するのは理解に苦しむ。 確かに大義はない。しかし、大義はないものの、野党の議員は総理の辞職や国会の解散を自分たちが求めていたではないのか。 憲法69条は次のように書かれている。「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」 今年6月15日、民進、共産、自由、社会の野党4党は、衆議院本会議において共同で安倍内閣の不信任決議案を提出した。採決の結果、反対多数で否決されたので憲法69条の規定に基づき解散するということはないのだが、仮にその不信任決議案が可決されたときには、どのようなことになったのか。 まさに憲法69条の規定に従って衆議院が解散されるか、内閣が総辞職するかの二つに一つ。普通は、内閣が総辞職を選択することはないので、そうなれば衆議院が解散されるわけである。つまり、野党は国会の解散をある意味求めていたとも言えるのだ。それなのに、いざ本当に衆議院が解散されるとなると、大義がないなどと批判する。 国民が、大義がないと批判するのは当然であっても、いや国民であっても安倍内閣の総辞職や衆議院の解散を望んでいたのであれば、何を今さら大義なんてことを言い出すのか、と言いたい。選挙に勝てばそれが禊 そもそも安倍内閣に不信任を突きつければ、後は選挙しかないからだ。安倍総理が、国民の判断に委ねることを拒否し続けるのであれば批判に値するが、安倍総理は国民の判断に委ねたいと言っているのだから、拒否する理由は全くない。 つまり、選挙の争点は、有権者が自分で考えればいい、いや自分で考えなければいけないということなのだ。それでもなお「大義名分がない」と言いたがる人がいる。結局、そのような批判をする人々は選挙の結果、与党が勝利を収めて安倍政権が続くことが嫌だというだけのことなのだ。 私も安倍総理には早々に総理の座から退いて欲しいと願う一人ではあるが、だからこそ衆議院が解散となり選挙が行われることに期待したい。もちろん、選挙の結果がどうなるかは分からない。安倍総理の思惑通りの結果になるかもしれないし、逆に、森友・加計疑惑に関する国民の不信感は収まっていないという事実を反映して反対の結果になるかもしれない。 ところで、衆議院の解散権について、憲法はどのように規定しているのか。運用上は、憲法7条の規定に基づく衆議院の解散が過去何度も行われ、すっかり定着した感があるが、憲法を少しでもまともに学んだことのある者ならば、憲法7条を根拠にして衆議院を解散することができるという解釈には疑問を感じるのがほとんどだと思う。 憲法7条の規定は、あくまでも「天皇の国事行為」を列挙したに過ぎず、実質的な規定は憲法69条にあると考えるべきだ、と。 だが、原告が憲法7条を根拠にした衆議院の解散は憲法違反であると主張した苫米地事件において最高裁が、統治行為論を理由に違法性の判断を回避してしまったために、事実上、憲法7条による衆議院の解散が黙認される結果になってしまったのだ。 そうした経緯を考えれば、衆議院の解散は総理の専権事項だなどと声高に主張するのはこっけいな感じがしないでもないが、実務的にはそうした考えが定着していることを受け入れないわけにはいかない。従って、安倍総理が従来の考え方によって与党が有利なときに解散を断行しようとしても、それ自体を悪く言うわけにはいかない。 ただし、安倍総理は、森友・加計疑惑に関してもっと丁寧に国民に説明をすべきだと言ってきた経緯があることを忘れてはならない。臨時国会を召集したものの、冒頭で衆議院の解散に踏み切れば、森友・加計疑惑に関する丁寧な説明はなしで終わってしまう恐れがある。衆院の委員会で民進党議員の質問に答弁する安倍晋三首相=4月12日、衆院第16委員室(斎藤良雄撮影) それに、解散の理由を、例えば消費増税の使い途の変更などを国民に問う必要があるということにして、仮に思惑通り与党が選挙に勝つことになればそれで禊は済んだことになるのだ。それこそが安倍総理の狙いと言わざるを得ない。 今年2月以降、国会での論争の中心は森友疑惑であり、加計疑惑であった。そして、それらの疑惑に関して圧倒的多数の国民は、政府の説明には納得ができないとしてきた。そうしたことから考えるならば、総理が25日にどのような説明をしようとも、争点は、森友・加計疑惑にあると言うべきなのだ。 禊を済まそうという思惑であるにしても、国民に信を問う安倍総理のやり方自体は間違っているとは言えず、まさに有権者の資質が問われているものと考える。

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    「解散の大義」ってなんだ?

    安倍首相が衆院解散を明言した。北朝鮮情勢が予断を許さない中、わが国では3年ぶりの総選挙に突入する。メディアは「解散の大義」という言葉をしきりに使いたがるが、そもそも過去の解散に一度でも大義なんてあったのか? どうも「印象操作」の匂いがプンプン漂うこの言葉の意味を改めて考えてみよう。

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    この解散時期はアベノミクスにとってマイナスかもしれない

    は、消費税の税収については、一部(従来の地方消費税分)を除いて社会保障費に充当することが定められた。政治的な意味はともかくとして、市場ではこの合意が、日本の財政問題に対する担保のひとつとして機能してきた。消費増税分の資金使途が、義務的経費である社会保障費に限定されていれば、少なくとも裁量的経費がむやみに増大し、財政収支を極端に悪化させる可能性は少なくなる。 日本政府は2020年までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化するという公約を掲げているが、その実現はほぼ不可能な状況となっている。それでも金利がまったく上昇しないのは、日銀の量的緩和策によって国債が買われ続けていることに加え、野放図な財政拡大に対しては一定の歯止めがかかっていると認識されているからだ。 だが、首相は、今回の総選挙において増税分の使途について見直す方針と言われており、その具体策のひとつが教育の無償化だという。高等教育の無償化そのものについては、知識経済へのシフトが進む現状を考えれば、スジのよい政策といえるかもしれない。だが、このタイミングで消費税収の使途に関する縛りが解放されるということになると、市場に対して思わぬメッセージを送ってしまう可能性がある。非常事態を回避するために 財政問題に関する議論を聞くと、政府が破綻するしないといった、極端で感情的なものばかりが目立つが、市場関係者の中で、本当に日本が財政破綻すると考えている人などほぼ皆無である。だが、いずれ日本の長期金利が上昇すると考える人はかなりの割合に上るはずだ。長期金利 量的緩和策の影響もあり、日本の長期金利は異例の低水準となっているが、金利が極端に低いことは、実は日本の財政を維持する最後の砦となっている。 現在、日本政府は1000兆円近くの負債を抱えているが、これまで低金利が続いてきたことから、政府は利払いを気にすることなく予算を組むことができた(一般会計における国債の利払い費用は年間10兆円程度に収まっている)。だが、金利が上昇して仮に5%まで達したとすると、理論的な年間利払い費用は40兆円を突破してしまう。数字の上では、税収のほとんどが利払いに消えてしまい、事実上、政府は予算を組めなくなってしまうのだ。 市場関係者が本当に恐れていることは、日本政府の破綻でも、国債のデフォルトでもなく、金利の上昇によって政府が超緊縮予算を余儀なくされることである。今の状況で日本政府が緊縮予算に転じれば、景気が冷え込み、株が暴落するのはもちろんのこと、年金や医療など社会保障費が軒並み削減され、国民の生活は一気に苦しくなるだろう。 こうした非常事態を回避するためには、金利を何としても低い水準に維持し、その間に財政再建の道筋を付けなければならない。 もっとも、政府が保有する国債には様々な償還期間のものが混在しており、仮に金利が上昇しても、すべての国債が高金利のものに入れ替われるまでには時間的猶予がある。また、この水準まで金利が上昇する前に、何らかの対策を打ち出すことも不可能ではないだろう。だが、金利の上昇は、もっと短い時間軸においても大きな影響を及ぼす可能性がある。それは日銀の出口戦略に関してである。 あくまで仮定の話だが、総選挙の結果、消費増税の使途に関する縛りがなくなり、財政支出が拡大したとしよう。市場がこれに反応し、長期金利がわずかでも上昇を始めてしまうと、日銀にとってはやっかいなことになる。追加緩和を実施することもできず、一方で金利上昇を放置すれば、強制的に出口戦略に舵を切ることになり、日銀が抱える損失が顕在化してしまう。 金利の上昇はおそらく円安を招くことになるので、国内の物価もジワジワと上昇してくるだろう。これは景気拡大に伴うインフレではないので、実質的な可処分所得は減っていく可能性が高い。 政治的にはあまりインパクトのない今回の解散だが、実は後から振り返ると、日本の財政における重要な転換点になっていたという可能性も十分にあり得るのだ。

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    加計学園ワインセラー、日刊ゲンダイの「印象操作」にレッドカード

    場」の設置が、さも安倍首相と関係があるかのように匂わせて記事は締めくくられている。そして、この話題は政治の場にも波及し、民進党の加計学園問題調査チームの座長である桜井充参院議員が、ワインセラーの設置を問題視していた。民進党が開いた「加計学園」問題に関する調査チームの会合。中央奥は共同座長の桜井充参院議員=8月16日午後、国会 先に結論を書けば、朝日新聞の報道によると、そもそもこのワインセラーは当初の図面にあるだけで、現状は別の厨房(ちゅうぼう)施設に置き換わっているらしい。つまり上記の日刊ゲンダイもリテラも事実確認をしないまま、当初設計図の記載をうのみにして記事を書いていたことになる。これではジャーナリズムとして褒めたものではなない。 ところでこのニュースをめぐって、ネットではいち早く、各大学にワインセラーなどが設置されていることが珍しくないこと、また国際会議や学会用に大学内にレセプション用(つまり「宴会」)のホールやレストランなどを設置するのも珍しくないことも指摘された。一例だが、このワインセラー設置に厳しいコメントを出していた元文部科学省官僚の寺脇研氏の出身大学である東京大学でもワインセラーは設置されているし、毎年、「東大ワイン祭り」も開催されていて、大学の「教育」活動に貢献している。ワインセラー設置は「常識外れ」じゃない 実際に、当初設計図の通りならば、100人程度の立食パーティーができる会議室転用のスペースがあるのは、どの大学でも珍しくないだろう。学会を開けば、よほどマイナーな学会でないかぎり、数十名から100人程度の参加者はあるはずだ。学会の時間をできるだけ拡張し、参加者の負担を減らすためにも学会の会場内に「宴会」スペースがあれば、参加者にとっても利便性は増す。もちろん学会などの開催を近くのホテルでやればいいというもっともらしい意見もあるが、移動の時間やコストを考えると絶対にホテルにすべきだ、とはいえない。 そもそも学会は土日に行われることが多く、民間のホテルなどを利用するときは、他の顧客との競争になってしまう面もある。これらの取引費用を、大学が内部化することは合理的でもある。その都度その都度、外部の業者と契約を交わす費用(取引費用)をかけずに、組織の中で不経済に対処することができることを「内部化」という。 さらに加計学園の当初設計図にあるワインセラーは、ただの設置タイプを想定していて、いわば冷蔵庫のようなものであり、価格も数万円から高額でも数十万円のものである。さらに、備品扱いだろうから、このワインセラーなどに今治市からの補助金が使われるかどうかもわからない。通常では建築費用に含まれないから補助金の対象外であろう。 いずれにせよ、当初設計図での話でしかなく、この加計学園獣医学部の「設計図問題」とでもいうべきものは、慎重かつ(批判するならばまずは)事実検証のもとで行う必要がある。少なくともワインセラー設置は、批判者たちが思うほどには常識外れとはいえない。 さらに加計学園には、ワインセラーを設置する「教育上の利益」もあったかもしれない。これは私のツイッターのフォロワーが教示してくれたことだが、岡山理科大学には「ワインプロジェクトプログラム」という産学官連携のワイン造りの研究計画がある。同大学のほかのセクションが作ったワインを、獣医学部にいる教職員、成人の学生などがその成果をたしなむことは教育的価値がある(もちろん希望者のみだ)。むしろ大学のアイデンティティーを形成するうえでは、同大学にとってワインは重要なものだろう。そして外部からくる多くの人たちに、ワインセラーでよく冷えた大学特産のワインを供することは、教育的な見地だけでなく、大学の広報活動としても価値があることではないか。文科省で記者会見する「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表(右)ら=8月24日 率直にいって、問題にもならない事象をあたかも大きな問題としてとりあげ、なんだか正体不明の「アベ友疑惑」につなげる一部マスコミや一部識者、運動家の発言には、そろそろ賞味期限切れのレッドカードを出したくなる今日この頃である。

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    民進党の処方箋は自民党の「政治的したたかさ」を学ぶことにある

    ではないと思っているので、「保守」「リベラル」といった区分け、二項対立の図式を好みません。自身を保守政治家ともリベラル政治家とも称したことはありません。そういう考えで、維新の党の結党にあたっても、その綱領に「保守vsリベラルを超えた政治を目標」とし、「内政、外交ともに、政策ごとにイデオロギーではなく国益と国民本位に合理的に判断する」と明記しました。 ただ、その上であえて分かりやすくするために、この用語を使って表現するなら、「保守政党」を自認している自民党は基本的に日本古来の「伝統的な価値観や生き方」を重視する政党です。これに対し、民進党はそれを否定はしないものの、最近出てきた「多様な価値観や生き方」を認める政党です。その意味では「リベラル(自由・寛容)」な政党と言っても良いでしょう。民進党の綱領にも「多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会を実現する」と書いてあります。 以上のような基本的な「立ち位置」や「理念」の違いを前提として個別の政策を論じていかないと、なかなか国民から先ほどの「民進党って何をする党?」「自民党との違いは何?」といった素朴な疑問を拭い去ることはできないと思います。 それでは、以上のことを前提に、具体的な政策で「自民党との違い」を浮き彫りにしていきましょう。南スーダンに到着した陸上自衛隊=2016年11月21日(共同) まず、第一に「外交・安全保障」面での違いです。焦点は「海外での武力行使」を認めるか否か。その道を安倍政権下で策定した「安保法制」で切り開こうとするのが自民党、これまで通り認めないのが民進党です。すなわち、「専守防衛」に徹し戦後営々と築き上げてきた「平和国家日本」を守り抜く。ただし、北朝鮮の核・ミサイルや中国の海洋進出の脅威などからは徹底的に日本を防衛するという立場です。具体的には、領域警備法案の策定(海上保安庁と自衛隊の有機的連携の強化)や「周辺事態概念(編集注:日本の周辺地域において、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態)」の維持を前提とした周辺事態法の改正強化などでしっかり対応していきます。標語的に言えば「近くは現実的に、遠くは抑制的に」です。この点、安倍政権は「領域警備」には新たな法対応はせず、緊急時に閣議を電話で行う程度の運用改善しかしていません。もう一つの対立軸とは? 次に「原発・エネルギー政策」の違いです。これも明らかな対立軸です。原発を「基幹(中心的)電源」として推進する、原発を「安全規制基準に適合」さえすれば、どんどん再稼働させるのが自民党であり、原発を近い将来ゼロにし、再稼働についても「安全基準に適合」しているだけでなく、国が責任を持つ避難計画などがなければ反対する、そして「再生・新エネルギー立国」を目指すのが民進党です。再稼働した関西電力高浜原発3号機(左)と4号機=2017年5月17日、福井県高浜町(奥清博撮影) そして「経済政策」にも違いがあります。アベノミクスは大企業や業界を元気にすれば「トリクルダウン」(その効果が下流にしたたり落ちて)で人や暮らしが豊かになるという政策です。民進党は、経済成長も大事ですが、「所得再配分(税金の配分)」で直接「人や暮らし」に投資する。具体的には、医療や介護、年金・子育て支援などで「懐(家計)を温かく」し、国内総生産(GDP)の6割を占める消費を喚起していくことを目指します。その目玉として「教育無償化」や「介護士や保育士の処遇改善」などがあります。 「働き方改革」を典型に、最近は安倍首相の「抱きつき戦術」による「争点つぶし」で、政策面でなかなか違いが国民に見えにくくなっていますが、上記の基本政策において今後、安倍自民党との違いを鮮明に出し、国民に強くそれを訴えていくことが必要不可欠でしょう。 最後に、以前から「バラバラ」と批判されてきた党のガバナンスを確立することです。私は昔、自民党政権を官邸で支えていたことがあるのですが、自民党も結構、右から左、考え方に幅のある政党なのです。しかし、党内でいろいろ異論が出ても、自民党の場合はそれがむしろ「党の活力」と評価され、一方で民進党、いや旧民主党は、同じことをしても「バラバラ」と批判される。この違いは「『人徳』ならぬ『党徳』の差?」としか言いようのないものなのですが、私もこの党に代表代行として携わってみて、やっとその真因のようなものが分かってきました。 どの政党だって、党の方針決定までは侃々諤々(かんかんがくがく)大いに議論があって良い。しかし、いったん機関決定したらその党の方針に一致結束して従う。こうした当たり前のことを当たり前に行う「文化」を作り上げなくてはならないのです。 そのためには、その決定までのプロセスが大事なのです。一言でいえば「気配り」と「配慮」です。役員や幹部だけでなく、その政策や問題で異論のある人、要路にある人には、必ず事前に話を通す。簡単にいえば「根回し」なのですが、こうした民間でも役所でも当たり前のようにやっていることができていないのです。だから、単に「平場(会議)で議論しました」だけでは「決定」に納得感がない。人間誰しも、たとえ反対の考えであっても、事前に話を聞き、根回しされれば多少不満でも矛を収める。そういうものではないでしょうか。バラバラ感が生まれた理由 しかし、この党では、これまで10人や20人の部下さえ使ったことがない人が多い、組織にいてそうした経験を積んだ人が少ないために、そうした「気配り」や「配慮」ができない。その結果、たとえ党方針を決定しても、いつまでたっても不満が充満し続けてしまうのです。こうした繰り返しが、この党の「バラバラ感」「ガバナンスのなさ」を露呈してきたのではないでしょうか。 この点、自民党には中小企業の経営者や役所の幹部を務めた元官僚など、「組織」にいた人が多くいます。また、象徴的な慣行として、自民党の最高意思決定機関である総務会の決定に反対の人は「トイレに立つふりをして席を外す」といった政治の知恵を働かせて、組織統一を図ってきたのです。こうした「懐の深さ」「したたかさ」を民進党はもっと学ばなければなりません。 そして、最後に「連合(日本労働組合総連合会)」との関係です。もちろん、民進党最大の支援組織である連合の提案や意見は最大限尊重しなければなりません。ただ、お互い別組織である以上、違いがあるのも当然で、それを前提とした(お互いの違いを認めた)うえで、もっと「大人の関係」にしていかなればならないと考えています。 「大人の関係」とはこういうことです。それぞれの核心的利益(こだわる政策など)はお互いに尊重する。それ以外の政策などについてはたとえ違いがあっても、それはそれで認める、そして互いの友好関係には影響させない。こうした連合との関係は、まずトップ同士で議論し整理する。そして明確な方針を決める。そして、それを都道府県連や地域に落としていく。そうしたたゆまぬ努力が不可欠でしょう。自民党と経団連、業界団体との関係は、ある程度こうした「大人の関係」ができていると思います。握手を交わす民進党の岡田克也代表(右)と連合の神津里季生会長=2016年6月2日、東京都墨田区(松本学撮影) いろいろ申し述べました。このように、今の民進党には難問山積、低迷からの脱出には容易ならざるものがあります。しかし、自民党、民進党という政党形態が、上述したようにある意味、国際的に普遍的な二大政党の形態であることも事実ですから、少し時間がかかるかもしれませんが、一歩一歩地道に、一つ一つ課題を解決しながら、「政権交代可能な政党」と国民に認知していただけるよう、日夜努力していくしかないのではないでしょうか。

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    所属議員に聞いた「民進党がダメな理由」

    民進党の代表選が告示され、前原誠司元外相と枝野幸男元官房長官の一騎打ちの構図が確定した。野党第一党として、党勢回復への道筋や自民党に代わる政権担当能力が問われるが、蓮舫氏の辞任表明後は離党ドミノによる求心力低下も叫ばれる。民進党はなぜダメなのか。所属議員3人の独占寄稿でその問いに迫りたい。

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    「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

    が一貫して主張している日本版「オリーブの木」構想だ。「オリーブの木」とは、イタリアですでに実践された政治手法で、異なる政党が選挙時に統一名簿を掲げて闘うことを意味する。記念パーティーで握手する、共産党の穀田恵二氏(右)と自由党の小沢一郎代表=2017年7月、京都市(門井聡撮影) これを日本で具体化すれば、野党第一党の民進党と自由党、社民党が衆議院比例区で統一名簿を提示して選挙戦に臨む。さらに共産党とは個別の小選挙区で選挙協力を行うのだ。この構図ができれば自民党政権は相当に追い込まれていくだろう。もしかしたら「ドミノ倒し」のような結果が生まれることも有り得る。問題は民進党がそうした戦略を取ることができるかどうかである。労組依存の弊害 そこに9月の代表選挙の争点がある。政策的な矛盾も選挙に勝つことで、最適解に向けて徐々に進むかもしれない。最後に追伸のように触れれば、この原稿の締め切りが延びる間にもいくつかの変化があった。 枝野幸男氏に続き代表選挙に前原氏が立候補することを表明した。本来なら30代、40代の世代が名乗りをあげるような代表選挙が望ましい。かつてのイギリスのブレア、最近ではフランスのマクロンのように、30代から将来を見越して育てられた人材がなかなか見当たらないことも民進党の問題だろう。基本政策を発表する枝野幸男元官房長官=2017年8月8日、国会内(斎藤良雄撮影) その世代の候補者が出てこれないのは「年功序列の労組」に大きく依存しているからである。共産党が不破哲三氏を40歳で、志位和夫氏を35歳で書記局長に抜擢したような驚くような人事ができない組織体質を改善しなければならない。 さらにいえば、「離党を検討している」という捨てゼリフをいとも軽々しく口にする議員が散見されることにも問題がある。これは議員の人間的資質に帰せられることではあるが、あまりにも軽い。「離脱の精神」(藤田省三)は貴いものである。 離脱の自由があるからこそ結束の絆も強まる。執行部への圧力になるかのように容易に離党を言うのは「狼が来るぞ」と繰り返す少年のようだ。ともあれ「安倍一強」政治に綻びが生じた今、野党第一党の責任は重い。地道な改革を積み重ねていくことしかないだろう。「活路のない危機はない」のである。

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    政権返上で使命を見失った民進党は一度解党して出直すしかない

     一方、都民ファーストは一昔前の「新進党モデル」で勝ちました。つまり、労働組合の連合と公明党に、保守政治家が加わる図式です。新進党では小沢一郎氏が、都民ファーストは小池知事が中心となりました。そういえば小池知事は新進党の出身でもあります。 フランス大統領選では、社会党、共和党と左右の既成政党が人気を失い、中道のマクロン氏が圧勝しました。米大統領選もトランプ氏という政治の素人が勝利しました。既成の政党や政治家に代わる受け皿があれば、大きな政治的変化が起きているのは洋の東西を問わない状況です。 今、安倍内閣はさまざまな疑惑に対し「記憶にない」「記録にない」を連発するごまかしの姿勢と、国民を「こんな人たち」と呼ぶ安倍首相の「上から目線」で自滅しています。本来なら野党に絶好のチャンスが来るはずですが、第1党の民進党はお家芸の「内輪もめ」で、蓮舫代表も野田佳彦幹事長も辞任して総崩れ状態です。民進党代表選で記者会見に臨んだ枝野幸男氏(左)と前原誠司氏=2017年8月21日 旧民主党は選挙による政権交代という歴史的な使命を果たしました。二大政党政治の下、国民の政治的な関心も高め、大きな成果があったと思います。しかし、その後、新たな使命を見いだせなかったことが最大の問題です。野党時代が長く、経験不足のまま政権運営に失敗した「負のイメージ」をいまだに引きずっているのです。 どの政党でも、政策の幅はあるものです。それでも、侃々諤々(かんかんがくがく)議論した後でも一致団結するのが政党というものです。でも、党内での徹底した議論の末、決まったことには全員で従うというガバナンスが確立できなかったことも、歴史的使命を終えた以上しかたないのかもしれません。 もちろん旧民主党時代には、子供たちへの施策を最優先する「チルドレン・ファースト」の哲学に基づく子ども手当や、高校授業料無償化、国際的スタンダードの農業への戸別所得補償といった評価される政策も進めました。この時は「政権交代」という大目標のために、党内も一致団結できていました。その後は、なぜか遠心力が働くことばかり続きました。利権集団である自民党と決定的に違い、「利権政治」を否定していたがために、権力を維持するという執念が薄かったのかもしれません。野党再編の核を目指すべき 政権を失った後、2014年7月25日に、旧民主党の「民主党改革創生会議報告書」が発表されました。報告書には「安倍政権が戦後日本の生き方そのものを変え、国権主義に傾斜する今、何よりも必要なのは憲政と民主主義を守る強力な野党である」「今、政府与党の政治家から、全体主義を肯定し、女性の人間性を無視し、あるいは震災被災者の尊厳を軽んじるような発言が続いている。政治を担うものが常識と品位を取り戻すことが今までになく求められている。民主党は、人間の尊厳を何よりも大切にする政党でありたい。国民の常識を反映し、国民と常識を共有する政党でありたい」「日本の政治から穏健中道のフェアウエーが姿を消しつつある。民主党はこの穏健中道のフェアウエーのど真ん中を捉えなければならない」と書かれています。衆院本会議で質問に立つ民主党時代の岸本周平氏  この報告には、代表選挙への予備選の導入、党員・サポーターのあり方や党の意思決定システムに関する提案や、内外学識経験者とのネットワーク型「シンクタンク」の創設などの具体的な提言が盛り込まれました。 民主党改革創生会議の事務局として議論を重ねてきた私としては、これまで、党改革のために提言の実現に向けて努力も重ねてきました。民進党の結成後も、当選3回以下の仲間たちと共に改革提言を続けてきましたが、ここにきてついに刀折れ、矢尽きた感があります。  今こそ「解党的な出直し」ではなく、まさに解党して一からリセットし、野党再編の核になることを目指すべきです。 米仏だけではなく、日本でも既成政党以外の受け皿が求められている状況です。日本銀行や国の年金基金に株を買わせて、無理やり高成長の夢を追いかけるアベノミクスとは正反対の、地に足の着いた経済政策で、貧富の格差を少なくしていくことも必要です。 「民主党改革創生会議報告書」にもある通り、穏健中道の政治とは「国民の生活を第一に考える、普通の人々の生活を支える、自由と多様性の中に共生を図る、そのような政治参画への積極的コミットメント」です。そして、その政策理念は「憲法の枠内での自衛力と日米同盟に裏付けられた対話と抑止により平和を構築し、安全保障を維持する基本姿勢を明確にすること」により、「開かれた国益(2005年旧民主党マニフェスト)」を追求することです。 穏健で、日本の文化や伝統を守る「ハト派」による落ち着いた中道の政治が新しい流れになって、日本の政治を変えていくようがんばります。

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    小泉進次郎氏「労組は民進、農協は自民に入れる時代じゃない」

    倍の泥船」から逃げる、逃げる■ 小泉進次郎氏の自民党再建策に「トランプ型党広報」■ 小泉進次郎氏 「政治参加は18歳ではなく0歳からでいい」■ 籠池夫妻の通名使用が判明 ことあるごとに改名する家訓あり■ 野田聖子・総務相 8000万円父親献金に贈与税逃れ疑惑

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    安倍政権の“延命装置”の民進党 解党しか選択肢ないとOB

    、連合は支持を打ち切る姿勢だ。むしろ、安倍政権の支持率が急落している今だからこそ、早く解党して新たな政治勢力をつくるべき」(民進党右派議員) 安倍政権を追及するために新代表のもとで解党が必要―何とも奇妙な理屈が成り立つことになる。民主党OBの平野貞夫氏はこういう。「今の民進党は自民に近い保守的なスタンスの連中と、連合依存の連中が同居したまま。党の政策や理念が曖昧な上に、お互いにすぐに排除の論理を持ち出す。野田氏は辞任に際して、『解党的出直しが必要』といったが、“的”が余計。本当に解党しか選択肢はない」 確かに民進党の存在が、青息吐息の安倍政権の“延命装置”になっていることは間違いない。関連記事■ 吉岡里帆 「スッピン濡れ髪」で会いに行った佐藤健宅■ 稲田朋美氏 保守系メディアからも出ていけと見捨てられた■ 高須院長、公判後の民進党コメントに激怒「徹底的に戦う」■ 安倍首相を悩ます「持病悪化説」と「昭恵さんの神頼み」■ TENGA芸人ケンコバ「夢中になってしまうのが正直怖いです」

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    北朝鮮のグアム攻撃に右往左往する小野寺防衛相の方が危なっかしい

    柳澤協二(元防衛省幹部、国際地政学研究所理事長) 北朝鮮がグアム周辺へのミサイル着弾計画を公表し、トランプ大統領が核攻撃による報復をにおわせるような発言をしたことで、危機感が一気に盛り上がった。その中で、一番右往左往したのが他ならぬ日本だった。 北朝鮮が予告したミサイル飛翔経路に当たる島根、広島、高知と愛媛の各県では、自衛隊が迎撃ミサイルPAC-3を展開し、ミサイル落下に備えた警報・避難の訓練が計画されている。テレビのワイドショーでは、日本上空を飛ぶ無数の民航機を地図上にプロットして、航空機にミサイルが衝突する危険を訴えていた。 物事の本質を見ない者は、危機にうろたえ、意味のない行動に走る。ミサイルは、日本上空の宇宙空間を超えてグアムに向かう。その段階では、すでに数百キロの高度にあるミサイルが、高度1万メートル以下を飛ぶ民航機と衝突することはない。 軍用機と民航機の衝突や、軍艦と民間船舶の衝突は枚挙にいとまがない一方、宇宙を飛ぶ無数の人工的物体が落下してくるのは現実の危険ではあるが、それは今回のミサイルに限ったことではない。 仮に失敗して日本に落下するとしても、北朝鮮からグアムまで3700キロ飛ぶミサイルが島根から高知までの200キロの間に落ちる確率は、単純計算でも200÷3400=5・4%だ。しかもそれは、ミサイルが途中で故障する確率を100%と仮定したときの確率である。仮に、一段目が成功して日本に届く出力を発揮し、2段目が失敗して日本を超えない範囲に落ちるような故障をする可能性を考えれば、限りなくゼロに近い。つまり日本は、限りなくゼロに近い危険を想定して膨大なエネルギーを費やしている。 落ちてくるのが心配なら、大気圏への再突入で大半が焼失するミサイルの残骸よりも、発射地点の近傍に落下することが確実なPAC-3の胴体のほうが心配だ。島根駐屯地から撃てば日本海の海岸近くに、広島市内の海田駐屯地から撃てば広島市内に、松山駐屯地から撃てば瀬戸内海に、高知駐屯地から撃てば高知市近傍に、PAC-3の胴体が落ちてくる。陸上自衛隊松山駐屯地に配備されたPACー3=2017年8月12日、松山市 おまけに、PAC-3は、自分をめがけて落ちてくる弾頭を迎撃すべく設計されているので、配備された駐屯地の位置が実際のミサイルの経路から外れていれば迎撃できない。また、大気の抵抗を受けるために落下経路を計算できない物体に迎撃ミサイルを命中させることは、多分、できないと言う方が正しい。こうして、PAC-3による迎撃によって、落下物から身を守りたいという目的とは正反対の行動をとることになる。これを右往左往と言わずして何が右往左往か。 その右往左往の極みが、小野寺五典防衛大臣が国会で、グアムへのミサイル発射について存立危機事態を認定してミサイルを集団的自衛権によって迎撃する可能性に言及したことだ。テレビのワイドショーが危機を煽るのは無知だから仕方がないとしても、国家理性を体現すべき国会の場でこうした議論が大真面目に行われるに至っては、それこそ国の存立が危うい。おかしな集団的自衛権の議論 北朝鮮が言う通りグアムの周辺30~40キロの公海上にミサイルが着弾したとすれば、それは、当然にアメリカの自衛権行使を正当化することにはならない。アメリカへの威嚇ではあっても、アメリカへの武力攻撃であるとは言えないからである。 万一、狙いがそれてグアムに着弾したとしても、実弾頭ではなくダミーであるはずだから、それだけで北朝鮮の武力攻撃を認定するには無理がある。こうした行為が繰り返されるようであれば、それは、新たな形態の武力攻撃と言えなくもないが、例えば日本の領域に侵入した外国の軍用機が爆弾を落とさずに部品を落としていった場合にそれを武力攻撃と認定できるか、という問いと同じだ。 こうしたミサイル発射は、他国領域に被害をもたらす無法な行動であり、それ自体も国連安保理決議によって禁止されている違法な行為であるが、武力攻撃の意図がなく、外形上も武力攻撃と認める理由が乏しければ、自衛権は発生しない。国際法は、相手が国際法に違反したことをもって自衛権の発動を認めていない。イラク戦争で、サダム・フセインは国連安保理決議に違反していたが、それはアメリカの武力行使を容認しないというのが安保理構成国の多数意見だった。 アメリカが自衛権を主張して反撃することも十分考えられるが、その場合、アメリカもダミーの弾頭を積んだミサイルを撃ち込むのだろうか。そうなれば、まるで子供の喧嘩だ。意味を持つ行動をとるなら実弾頭で攻撃するしかないが、それは報復としてもやりすぎの批判を免れない。つまり、アメリカの対応はかなり難しい計算が求められる。北朝鮮も、そのギリギリの線を狙った嫌がらせをしている、というのが問題の本質だ。 そのような客観的条件のもとで、日本が集団的自衛権を行使する議論がどうして出てくるのだろうか。小野寺大臣によれば、それは、グアムが攻撃されて機能を失えば、日本を守るための抑止力が減殺するから、日本の存立を危うくする可能性がある、という論理だ。だが、この論理は、何か変だ。衆院安全保障委員会の閉会中審査で、特別防衛観察の結果などを報告する小野寺五典防衛相=2017年8月(斎藤良雄撮影) 第一に、グアムが破壊されるのは、ミサイルが日本を超えて正常に飛翔する場合である。日本海にいる日本のイージス艦は、ミサイルの最高高度近くで迎撃する。グアムに向かうミサイルの最高高度はイージス艦の迎撃ミサイルの迎撃可能高度を上回っている。ゆえに、日本がこのミサイルを打ち落とすことは物理的に不可能なので、集団的自衛権行使を論じる意味がない。右往左往するだけの日本 第二に、こちらのほうがより本質的な論点であるが、抑止とは、攻撃を仕掛ければさらに大きな力で反撃をするという意志と能力を示すことによって、攻撃の意志を封じ込め、戦争をさせないようにすることだ。グアムのアメリカ軍は、まさしくそのような役割りを果たしている。 だから、恐怖にかられた北朝鮮が攻撃することはあり得ないことではない。一方、グアムへの攻撃を防ぐために日本が集団的自衛権で、ミサイルでも潜水艦でも、これを迎撃するとすれば、それは国家意志による武力行使であり、戦争にほかならない。 ということは、「戦争させない力である抑止力を守るために武力に訴える」すなわち「戦争を防ぐために戦争する」ということであるから、論理的に矛盾している。仮にグアムが攻撃されるとすれば、それはアメリカの抑止が破たんしたということであって、そこに守るべき「抑止力」は存在しない。グアムのアンダーセン空軍基地。グアムは太平洋地域の戦略拠点の一つで、基地には戦略爆撃機も配備されている。 そこにあるのは報復力であって、すでに戦争が始まった以上、目的が抑止から戦勝に変わっている。言い換えれば、抑止力とは、戦争に勝つ力と同じことであり、そうであればこそ、相手に「勝てない」という計算を余儀なくさせて戦争を防ぐ力になり得る。 ところが、多くの日本人は、「アメリカの抑止力さえあれば戦争にならない」という勘違いをしている。アメリカの抑止力とは、抑止が破たんして戦争になることを覚悟したうえで、戦争になれば必ず勝つ力のことであって、「戦争をしない力」ではないのだ。抑止力を論じるには、戦争を覚悟することが前提となる。それが、抑止のパラドクスにほかならない。その前提への理解がないから、日本は、国家理性さえも右往左往することになる。 第三に、仮に日本がグアムに向かうミサイルを迎撃したとすれば、そして、グアムを破壊する北朝鮮の意志がゆるぎないものだとすれば、北朝鮮がとるべき道は、グアムの破壊を阻害する日本の能力をまず破壊することを優先せざるを得なくなる。言い換えれば、グアムへの攻撃を阻止することは、日本に戦争を引き寄せるという意味がある。だから、アメリカの報復力を守ることは日本の安全を守ることと両立しないのだ。 日本に問われているのは、一発二発のミサイルを覚悟してもアメリカの抑止力=報復力を守るのか、それとも、グアムにミサイルが飛んでも日本にミサイルが飛んでこないことを優先するのか、という究極の選択だ。いずれかの覚悟をしなければ、日本は、いつまでたっても自分が何をしているかさえわからない状態で右往左往を繰り返すことになるだろう。

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    沖縄伝統行事の無知でバレた基地反対活動家たちの本性

    営の中にも、この言葉の本質をはき違えている、あるいはあまり理解できていない方はおられます。ですから、政治学者の中西輝政先生がしばしば語られるように、まずは「保守と革新」というふたつの言葉の、再認識が必要でしょう。 保守というと「伝統を守る」「旧来のやり方を通す」という見られかたをされがちで、そうした面も確かにあります。しかしそこには「今までに受け継いだものを、さらに良くしていこう」という、将来に向けたビジョンとアクションも含まれています。 たとえば、今は亡き田中角栄先生は、「東京の首都高速道路を片側4車線にしよう」という構想をお持ちでした。片側4車線の高架道路となるととても大がかりなもので、さすがは日本列島改造論の田中先生らしい、大胆な発想です。それだけに、周囲からはこの構想は「絵空事だ」と扱われていたのかもしれません。でも、もしもこの構想が実現していたらどうでしょう?自民党「青嵐会」のメンバーとして、首相の田中角栄(手前)を表敬訪問した石原慎太郎(後方中央)=昭和48年7月26日、首相官邸 現在の都心の道路渋滞は起こっていなかったはずです。その時その時の状況だけではなく、将来にも目を向けて、発展できる可能性を追求していく。これが保守です。田中先生は保守系からの批判を受けることもありますが、やはり経済に関する先見の明は、とても優れたものをお持ちでした。 一方、革新系の共産党や旧社会党の過去の主張を振り返ってみると、その当時の状況だけを踏まえた主張しか出てこない。首都高速道路については一人でも反対があれば建設しないという意見まで出ていたのですから驚きです。これが、彼らにとって最善の策なのです。今あるものをとにかく分配してしまう。反対のあるものはやらない。その後のことは、それから考える。このやり方では成長が望めません。それは社会主義モデルであり、将来破たんするのは目に見えています。 いま、安倍政権が進めていることは、まさに本当の保守政治です。経済を今以上に発展させて利益を上げ、それをみなで分配しようというわけですから、国民にとってもこれは良いことであるはずです。 また、若い世代が保守傾向にある、という話もよく聞きます。これはヨーロッパの政治学者たちが定義する「保守の本道」を行く、安倍政権への若者たちの共感があるのではないでしょうか。将来ある若者にとっては、自分たちの未来をどれほど明るいものにできるかは、大いに興味があるはずです。それが保守への支持、保守化となって表れているのでしょう。 決して懐古主義ではなく、先祖返りでもない。より良い将来を見据えて、それを実現していく。それが保守であり、そうした保守の本質が若者たちの間にも知られてきたために、支持が広がっているのだろうと思います。日本軍は沖縄を見捨てたのか?Q 先の大戦で日本軍は沖縄を見捨てたのか? 2017年(平成29年)2月の半ば、私は沖縄を訪れました。浦添市長選挙の応援が主な目的だったのですが、その合間に、糸満市の平和祈念公園、さらに同じ糸満市内の「白梅の塔」にも足を伸ばしました。平和祈念公園は県営の公園として、今は広々と整備されていますが、沖縄戦として知られる激しい戦闘により、日米両軍と一般人に多数の死傷者を出しつつ、日本軍の沖縄守備部隊が終焉を迎えた場所です。沖縄全戦没者追悼式で黙祷する参列者=2017年6月、沖縄県糸満市の平和祈念公園 園内にはいくつもの慰霊碑、慰霊塔などがあり、中でも「平和の礎(いしじ)」は修学旅行で学生たちが多く訪れるためか、よく知られているようです。ここでは屏風のような形に立てられた黒い石碑に、沖縄戦などで亡くなった方々の名前が、国籍に関わらず刻まれています。その石碑の間を歩いていると沖縄戦というものがいかに悲惨なものだったかということを、あらためて強く感じます。そして、平和の礎の少し先には「摩文仁の丘」があり、ここには沖縄のために戦った各都道府県の方々の慰霊塔が建ち、沖縄戦で散った全国の方々の霊を慰めています。 白梅の塔は過去にも訪れたことがあったのですが、この日も人影はまったくなく、ひっそりと静まりかえっていました。近くには沖縄戦を戦った陸軍第24師団歩兵第22連隊の慰霊碑が建っています。 22連隊は愛媛県松山市の歩兵連隊であり、1945年(昭和20年)6月にこの地で最期を迎えています。慰霊碑の碑文には、住民とともに勇敢に戦ったことが刻まれています。こうした場所は修学旅行の訪問先にはなかなかなりません。日本各地から沖縄のために戦い戦死した方々がいることが、いわゆる平和教育において不都合なのでしょうか。 大戦末期、日本中から多くの軍人、民間人が、沖縄を守るために駆けつけました。沖縄では航空機による特攻がかなり行われたのですが、それは敵艦を攻撃するという目的に加え、民間人へのサポートにもなりました。特攻をかけている間は、敵の砲撃は陸地には向かってきません。その間、住民たちは身を潜めていた防空壕を飛び出し、水を汲みに行ったり食料を取りに行ったりができました。 しかし、戦後のいわゆる平和教育の名のもとで「沖縄は捨て石にされた」という声が上がるようになりました。私も育った土地が日教組の強い土地柄だったためか、小学校の授業で「沖縄は、日本に見捨てられたんです」という話を聞かされていました。ですが、決してそんなことはありません。当時の沖縄では、日本軍と現地の住民とが一体になり、勇敢に戦っていたのです。思いをともにして戦った場所には、多くの慰霊碑や慰霊塔が残されています。 また、1945年(昭和20年)1月という、まさに米軍上陸は避けられないと見られて いた時期に沖縄県知事に就任し、沖縄の方々とともに亡くなった島田叡のような人もいます。日本は、決して沖縄を見捨てたりはしなかった。国家の総力を傾けて沖縄戦を戦いました。それは多くの記録や書物にまとめられています。近年では仲村覚さんの著書などを開けば、なぜそこまでして戦い抜こうとしたのかが判ることでしょう。靖国神社の遊就館を見学するなどすれば、そのことは本当に強く感じられます。沖縄の民意は「反基地」なのか?Q沖縄の真実の声は、本当に反基地・反米軍なのか? 私はこのところ年に数回、沖縄を訪れています。昨年(平成28年)10月に行った時には、 米軍基地内でハロウィンパーティをやっていました。もちろん当日は基地を開放していますから、一般の方々も入場できます。基地の入口付近は入場を待つ車が列をなして、大渋滞です。 米軍としては、やはり地元の方々の基地への理解は必要だと考えているでしょうから、こうしたイベントをどんどん行って、地域住民との接触の機会を増やしていきたいところでしょう。ふだんは入れない米軍基地の中で、しかも純アメリカ流のイベントを楽しめるということで、地元の方々が大勢やってきます。その光景は「反基地こそが沖縄の総意」というスローガンとはまったくかけ離れたものでした。 私は、日本国は日本人の手で守るのが本筋だと考えています。ですが米軍基地は日本全国に存在しており、その強大な軍事力は現状において日本を守る防衛力の一部となっています。ですから、いきなり在日米軍基地をゼロにする、ということはできません。将来的にゼロにするということには賛同できますが、段階的な縮小を経ていくというのが、もっとも現実的でしょう。 米軍基地と地元住民とが穏便に共存している地域はいくつもありますし、沖縄にも同じことがいえるはずです。まして辺野古については、住民の方々はすでに移転を受け入れているわけです。もちろんそこに温度差はあるでしょう。「積極的に受け入れる」という方もあれば、「仕方なく容認する」という方もあったはずです。ですが地元住民として受け入れたからには、基地のゲート前で違法テントを張ってまで抗議活動するというのはどうにも理屈に合いません。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」で、米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる参加者たち=2017年5月 昨年の2月、私が沖縄を訪れた時は、ちょうど「ジュウルクニチ」にあたっていました。沖縄では今も旧暦に従った伝統行事が数多く残っていて、それが人々の生活の中にしっかりと根付いています。そのひとつであるジュウルクニチ(十六日)は旧暦の1月16日に あたり、「あの世のお正月」とされる祭日です。新暦では 2 月の15日頃になりますが、こ の日は会社も半休、あるいは休日になるところもあるそうで、一族がご先祖様の墓前に集い、お重に詰めた料理を広げて祖先の霊を慰めるのだそうです。 私が辺野古の抗議活動の視察にいった時が、まさにジュウルクニチの日でした。同行してくれた沖縄の方は「さすがに今日は、誰もいないんじゃないですかね」と言います。それでもせっかく来たのだから、誰かいたら『違法テントなんかやめて、もっと合法的な抗議活動をしましょう』くらいは呼びかけてみよう。そう思っていました。 ところが現場に着いてみると、抗議活動中の人がわんさといるわけです。今日は大事な祭日なのに、お墓参りにいかなくていいのかな?私は少々面食らって、その場にいる人々に尋ねてみました。 「今日はジュウルクニチですけど、皆さん、ここにいていいんですか?」 「ん?なんだ、その『じゅーるくにち』ってのは」 一瞬にして答えが判ってしまいました。 「なんだ、皆さん沖縄の方じゃないんですね」 「……お前だって、沖縄の人間じゃないだろう」 こんなやりとりをしているうち、テントの中にいた名護市議の大城氏があわてて出てきて「ちょっとまずい」とバツが悪そうに私に話しかけてきました。その後、5月に再訪した時には、すでに私の顔が知られていたのか、現地の活動家から暴行を受けるはめになってしまいましたが、その時の印象では標準語を使う人が多く、また関西弁も混じっていました。その場にいる人々の多くが県外組であるのは明らかで、さらには韓国語で書かれた垂れ幕まである、というありさまです。辺野古テントに地元民はいない それでもめげずに、違法テントを挟んで通りの反対側で演説をやっていましたら、何やら、その違法テント側の歩道をいかつい人物が歩いてくるのです。がっちりした体つきに濃い色のサングラス。小型のブルドッグを連れて、のっしのっしとやってくる。そして演説している私の正面、道を挟んだ向こう側の、路肩の縁石にドカッと腰を下ろして、私の演説を聞き始めました。 『いやぁ、マズイなぁ。怖い人が来ちゃったかな』などと一瞬思いましたが、といって逃げ出すわけにもいきません。演説を続けしばらくして終わると、なんとその人は「パチパチパチ」と拍手してスッと立ち上がり、そのまま悠々と去っていきました。犬を連れていたので明らかに近所の住民の方だと思うのですが、テントにいる活動家たちも、その人には何も言わない。活動家と地元の方々との間に、何かひと悶着があったのかもしれません。 近くの商店の方に話を聞いてみたのですが、「あのテントには辺野古の人間は一人もいませんよ」ときっぱり言います。時々トイレを借りに来るので、まぁ貸してはいるけれども、ウチで何も買ってくれないのでね…。「そのうえトイレットペーパーを持ち出していくんです…」 地元の方々にとっては、迷惑はなはだしいわけです。「基地周辺の人々が、米軍基地に対して問題を抱えているのなら、そこは政治が仲立ちをして段階的に改善をしていきましょう」 橋本龍太郎総理の頃から、基地問題は一貫してそうした姿勢で政府が取り組んできました(民主党政権時代は除きますが)。ですが辺野古では抗議活動が活動家のためのものになってしまっていて、彼らはこれまでの枠組みを破壊しようとしている。そのことに対して、沖縄の方々は決して快く思っていません。基地問題について中庸な立場をとっている人たちの間にも、そうした感覚は広がっています。米軍普天間飛行場=沖縄県宜野湾市 もちろん、基地があるからこその負担はあります。米軍機による騒音などは、もっとも大きなものでしょう。でもそれについては「今までの政府の姿勢に沿って、対応していく」という方向性を変えることなく、その中で改善に向けた努力をしていくことが必要です。あのハロウィンパーティをたくさんの地元の方々が楽しんだでしょうし、また米軍軍属の方から英語を教わって、相互理解を深めようという活動をしている方もいます。 白か黒かという話にせず、できる部分は歩み寄り、良しとしない部分は論拠のある主張を挙げて改善を求める。双方がこうした姿勢を崩さずに交渉に臨めるのであれば、いさかいは平和的に解決できるでしょう。しかし沖縄においては県外から来た活動家が混乱を引き起こしています。 私が引き出した政府答弁では、沖縄の反基地運動に過激派が参加していること、ここ2年の逮捕者の3分の1が沖縄県外の人や外国籍の人物であることが明らかになっています。沖縄の現実を自分自身の目で見るにつけ、「反基地・反米軍が沖縄の総意だ」などという言葉が、私には空しく聞こえるばかりなのです。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

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    「NHKスペシャル」が象徴するジャーナリズムの劣化

    とんでもない話です。 この記事は紙面よりも前に電子版に掲載されました。するとこれを見た日刊スポーツの政治担当の記者が「こんな記事では、和田さんの真意が伝わらない」と、私のコメントを全文に近い形でネット版に掲載してくれました。 沖縄の基地問題に関しては、沖縄タイムズが私のブログを転載引用して、取材もせずに記事にした、ということがありました。私がいたNHKでこんなことをしようものなら、担当記者は首が飛ぶでしょう。 このように、偏向しているかどうか、あるいはまともな取材記事を書いているかどうかは、記者個人の資質によっても左右されます。自浄作用が働く場合もありますから、いちがいに何ともいえません。ですがここで挙げた例のようにジャーナリストの質の低下は確実に起こっており、それがさらに加速していくことに私は危惧を感じているのです。そしてそれは、ジャーナリストとして以前に、過去に受けてきた教育の影響が色濃いと思っています。 別の項目でもお話ししましたが、私が育った地域というのは、ずいぶんと左寄りの教育が行われていました。国旗国歌をないがしろにするような、左へ向かう刷り込み教育が行われていたのです。それでいて、具体的な政治の話はタブーでした。 政治のことは、それを専門にしている政治家や学者がいるのだから、一般市民は考えなくても良い。それに素人が政治を考えたところで、何か変わるものでもない。専門家に任せておけば大丈夫なのだ…。 とにかく政治から遠ざけようとしていたのだな、ということは大人になってから判ることです。このような教育を受け続けていれば、政治というものに対して鈍感になっていきます。大学で法学部とか政治学科とかに身を置けば別でしょうが、そうでなければ政治というものをまったく知らない、まっさらな状態で社会に出ていくことになります。そんな人たちがメディアの世界に飛び込んでいくと、どうなるでしょうか。 今の日本では、民間で政治的な活動をしているのは左派の人が多く、あちこちで集会や抗議活動が行われています。そうしたところに取材に出かけ、話を聞いているうちに、知らず知らずに左派思想に染まっていく。そうしたことは現実に起きています。ただ、たとえ思想的に左寄りであったとしても、ジャーナリストである以上、記事にする際には中立の立場で、公平・公正を期さねばなりません。多くの記者たちはそうしているのですが、それができていない者もいる、というのが現状なのです。メディアへの政治圧力はあるのか 外部からの圧力・抗議に弱いということも、メディアの偏向を助長します。これはNHK時代に痛感したことです。NHKは組織として官僚的なところがあり、外部からの抗議が入ると、そうした意見も採り上げないといけない…というバイアスがかかったりするのです。中立の立場で番組を作ろうとはするのですが、左右それぞれの意見を扱うときに「抗議が来るかもしれない」という意識が働き、ついつい左寄りになってしまう、ということもあります。その理由はどうあれ、発信する記事や放送内容に偏りがあってはなりません。これはジャーナリストとして基本中の基本です。 今でも語りぐさになっているのが、NHKスペシャルのシリーズ「JAPANデビュー」の第一回放送です。これは日本の台湾統治を描いたドキュメンタリーなのですが、その内容は「日本の台湾統治は悪そのものだった」という視点から構成された、かなり偏ったものでした。放送当時、私は大阪放送局で見ていたのですが、番組が始まってから5分もしないうちに局内が「これはまずい」とざわつき始めたのを覚えています。 なぜこんな番組ができてしまったのか。制作中にセルフチェックは働かなかったのか。放送前に上司のチェックは通したのか。通したのであれば、なぜそこでスルーしてしまったのか。おそらく、左寄りか台湾について無知のスタッフが集まり、セルフチェックが緩い環境で制作が進み、放送前の上司の確認でも「問題なし」とされてしまったのでしょう。 まさにジャーナリズムの質の低下であるとしかいいようがありません。メディアには権力の監視という機能もありますから、論評などで反政権的な説を掲げることもあります。ですがそれを下支えするのは、地道な取材で得た事実の積み重ねです。そこが欠落したままで、つなぎ合わせの記事や結論ありきの事実をわい曲する記事ばかりを書いていては、日本のジャーナリズムの信頼は墜ちていくばかりです。Q メディアに対する政治圧力は本当にあるのか? たとえば、あるメディアが何らかの政治についてのニュースを流したとします。ところがそのニュースの内容がどうも事実と違う。ニセ情報を掴まされた可能性もある。そこで、私のような政治家でも自分や自身の所属する政党が対象のニュースであればメディアに対して、事実と違うと指摘したり、間違いない事実なのかどうかを確認することがあります。単なる問い合わせなのですが、時としてこれを「圧力」と表現する人たちがいます。東京・渋谷のNHK放送センター ジャーナリズムの独立性には大きな価値があり、それは基本的におびやかしてはならないものです。そして、テレビ・ラジオメディアについては放送法というルールがあり、その枠組みの中で、常に公正な報道を行う義務を負います。まともな政治家ならばそんなことは百も承知ですから、メディアに圧力をかけるなどということはありません。私がNHKに在籍していた頃も、そんな話は聞いたことがありません。 それでも、まれに「政治家から圧力を受けた」「暗黙の圧力を受け続けている」などと言い出す人たちがいます。もし本当に圧力を受けているのなら、そもそもそんな発言ができるはずがありません。また本当に圧力があったのならば、それを記事にして公開することがジャーナリズムの本質でしょう。 「○○○についての報道に関して、××× 議員からこのような圧力を受けた…」と、公開してしまえばいいのです。それもせず、ただ「圧力だ、圧力だ」と騒いでいるばかりで、事実関係もはっきりしない、具体的な内容も公開しない。これでは事実でないことを述べ立てて、騒いでいるようにしか見えません。 こうしたことがジャーナリズムに対する視聴者の信頼の低下につながることがわからないのでしょうか。ジャーナリストは毅然とした態度で、真実をしっかり伝えることに力を注いでほしいと思います。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

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    北朝鮮リスクより危険? 経済最優先「人づくり革命」に足りないもの

    財政政策については、筆者は以前から消費減税や長期間のインフラ投資を最善のメニューとして薦めているが、政治的な制約を考えれば、次善の補正予算の増加が「現実的」だろう。これらのいわゆるマクロ経済政策をさらに行うことが、いまの日本経済に重要なのだ。楽観的にいえば、あと一押しなのだ。 だが、今回のGDP速報をみて、茂木敏充経済再生担当相は、「人づくり革命」などによる生産性向上を政策対応としてあげている。だが、「人づくり革命」というのは、金融政策や財政政策のように人々の購買力を増やす政策ではない。経済を人間に例えれば、「人づくり革命」は体そのものを鍛える政策である。つまり筋肉増強みたいなものだ。だが、いまの日本経済はいわば風邪をこじらしている状況である。風邪をひいたときには金融・財政政策という「薬」が必要であり、筋肉増強のために訓練することではない。 茂木氏の発言を聴くと、本当に必要なのは「人づくり革命」よりも、政治家たちの「政策認識の革命」なのだと思う。