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    民進党の処方箋は自民党の「政治的したたかさ」を学ぶことにある

    ではないと思っているので、「保守」「リベラル」といった区分け、二項対立の図式を好みません。自身を保守政治家ともリベラル政治家とも称したことはありません。そういう考えで、維新の党の結党にあたっても、その綱領に「保守vsリベラルを超えた政治を目標」とし、「内政、外交ともに、政策ごとにイデオロギーではなく国益と国民本位に合理的に判断する」と明記しました。 ただ、その上であえて分かりやすくするために、この用語を使って表現するなら、「保守政党」を自認している自民党は基本的に日本古来の「伝統的な価値観や生き方」を重視する政党です。これに対し、民進党はそれを否定はしないものの、最近出てきた「多様な価値観や生き方」を認める政党です。その意味では「リベラル(自由・寛容)」な政党と言っても良いでしょう。民進党の綱領にも「多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会を実現する」と書いてあります。 以上のような基本的な「立ち位置」や「理念」の違いを前提として個別の政策を論じていかないと、なかなか国民から先ほどの「民進党って何をする党?」「自民党との違いは何?」といった素朴な疑問を拭い去ることはできないと思います。 それでは、以上のことを前提に、具体的な政策で「自民党との違い」を浮き彫りにしていきましょう。南スーダンに到着した陸上自衛隊=2016年11月21日(共同) まず、第一に「外交・安全保障」面での違いです。焦点は「海外での武力行使」を認めるか否か。その道を安倍政権下で策定した「安保法制」で切り開こうとするのが自民党、これまで通り認めないのが民進党です。すなわち、「専守防衛」に徹し戦後営々と築き上げてきた「平和国家日本」を守り抜く。ただし、北朝鮮の核・ミサイルや中国の海洋進出の脅威などからは徹底的に日本を防衛するという立場です。具体的には、領域警備法案の策定(海上保安庁と自衛隊の有機的連携の強化)や「周辺事態概念(編集注:日本の周辺地域において、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態)」の維持を前提とした周辺事態法の改正強化などでしっかり対応していきます。標語的に言えば「近くは現実的に、遠くは抑制的に」です。この点、安倍政権は「領域警備」には新たな法対応はせず、緊急時に閣議を電話で行う程度の運用改善しかしていません。もう一つの対立軸とは? 次に「原発・エネルギー政策」の違いです。これも明らかな対立軸です。原発を「基幹(中心的)電源」として推進する、原発を「安全規制基準に適合」さえすれば、どんどん再稼働させるのが自民党であり、原発を近い将来ゼロにし、再稼働についても「安全基準に適合」しているだけでなく、国が責任を持つ避難計画などがなければ反対する、そして「再生・新エネルギー立国」を目指すのが民進党です。再稼働した関西電力高浜原発3号機(左)と4号機=2017年5月17日、福井県高浜町(奥清博撮影) そして「経済政策」にも違いがあります。アベノミクスは大企業や業界を元気にすれば「トリクルダウン」(その効果が下流にしたたり落ちて)で人や暮らしが豊かになるという政策です。民進党は、経済成長も大事ですが、「所得再配分(税金の配分)」で直接「人や暮らし」に投資する。具体的には、医療や介護、年金・子育て支援などで「懐(家計)を温かく」し、国内総生産(GDP)の6割を占める消費を喚起していくことを目指します。その目玉として「教育無償化」や「介護士や保育士の処遇改善」などがあります。 「働き方改革」を典型に、最近は安倍首相の「抱きつき戦術」による「争点つぶし」で、政策面でなかなか違いが国民に見えにくくなっていますが、上記の基本政策において今後、安倍自民党との違いを鮮明に出し、国民に強くそれを訴えていくことが必要不可欠でしょう。 最後に、以前から「バラバラ」と批判されてきた党のガバナンスを確立することです。私は昔、自民党政権を官邸で支えていたことがあるのですが、自民党も結構、右から左、考え方に幅のある政党なのです。しかし、党内でいろいろ異論が出ても、自民党の場合はそれがむしろ「党の活力」と評価され、一方で民進党、いや旧民主党は、同じことをしても「バラバラ」と批判される。この違いは「『人徳』ならぬ『党徳』の差?」としか言いようのないものなのですが、私もこの党に代表代行として携わってみて、やっとその真因のようなものが分かってきました。 どの政党だって、党の方針決定までは侃々諤々(かんかんがくがく)大いに議論があって良い。しかし、いったん機関決定したらその党の方針に一致結束して従う。こうした当たり前のことを当たり前に行う「文化」を作り上げなくてはならないのです。 そのためには、その決定までのプロセスが大事なのです。一言でいえば「気配り」と「配慮」です。役員や幹部だけでなく、その政策や問題で異論のある人、要路にある人には、必ず事前に話を通す。簡単にいえば「根回し」なのですが、こうした民間でも役所でも当たり前のようにやっていることができていないのです。だから、単に「平場(会議)で議論しました」だけでは「決定」に納得感がない。人間誰しも、たとえ反対の考えであっても、事前に話を聞き、根回しされれば多少不満でも矛を収める。そういうものではないでしょうか。バラバラ感が生まれた理由 しかし、この党では、これまで10人や20人の部下さえ使ったことがない人が多い、組織にいてそうした経験を積んだ人が少ないために、そうした「気配り」や「配慮」ができない。その結果、たとえ党方針を決定しても、いつまでたっても不満が充満し続けてしまうのです。こうした繰り返しが、この党の「バラバラ感」「ガバナンスのなさ」を露呈してきたのではないでしょうか。 この点、自民党には中小企業の経営者や役所の幹部を務めた元官僚など、「組織」にいた人が多くいます。また、象徴的な慣行として、自民党の最高意思決定機関である総務会の決定に反対の人は「トイレに立つふりをして席を外す」といった政治の知恵を働かせて、組織統一を図ってきたのです。こうした「懐の深さ」「したたかさ」を民進党はもっと学ばなければなりません。 そして、最後に「連合(日本労働組合総連合会)」との関係です。もちろん、民進党最大の支援組織である連合の提案や意見は最大限尊重しなければなりません。ただ、お互い別組織である以上、違いがあるのも当然で、それを前提とした(お互いの違いを認めた)うえで、もっと「大人の関係」にしていかなればならないと考えています。 「大人の関係」とはこういうことです。それぞれの核心的利益(こだわる政策など)はお互いに尊重する。それ以外の政策などについてはたとえ違いがあっても、それはそれで認める、そして互いの友好関係には影響させない。こうした連合との関係は、まずトップ同士で議論し整理する。そして明確な方針を決める。そして、それを都道府県連や地域に落としていく。そうしたたゆまぬ努力が不可欠でしょう。自民党と経団連、業界団体との関係は、ある程度こうした「大人の関係」ができていると思います。握手を交わす民進党の岡田克也代表(右)と連合の神津里季生会長=2016年6月2日、東京都墨田区(松本学撮影) いろいろ申し述べました。このように、今の民進党には難問山積、低迷からの脱出には容易ならざるものがあります。しかし、自民党、民進党という政党形態が、上述したようにある意味、国際的に普遍的な二大政党の形態であることも事実ですから、少し時間がかかるかもしれませんが、一歩一歩地道に、一つ一つ課題を解決しながら、「政権交代可能な政党」と国民に認知していただけるよう、日夜努力していくしかないのではないでしょうか。

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    所属議員に聞いた「民進党がダメな理由」

    民進党の代表選が告示され、前原誠司元外相と枝野幸男元官房長官の一騎打ちの構図が確定した。野党第一党として、党勢回復への道筋や自民党に代わる政権担当能力が問われるが、蓮舫氏の辞任表明後は離党ドミノによる求心力低下も叫ばれる。民進党はなぜダメなのか。所属議員3人の独占寄稿でその問いに迫りたい。

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    「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

    が一貫して主張している日本版「オリーブの木」構想だ。「オリーブの木」とは、イタリアですでに実践された政治手法で、異なる政党が選挙時に統一名簿を掲げて闘うことを意味する。記念パーティーで握手する、共産党の穀田恵二氏(右)と自由党の小沢一郎代表=2017年7月、京都市(門井聡撮影) これを日本で具体化すれば、野党第一党の民進党と自由党、社民党が衆議院比例区で統一名簿を提示して選挙戦に臨む。さらに共産党とは個別の小選挙区で選挙協力を行うのだ。この構図ができれば自民党政権は相当に追い込まれていくだろう。もしかしたら「ドミノ倒し」のような結果が生まれることも有り得る。問題は民進党がそうした戦略を取ることができるかどうかである。労組依存の弊害 そこに9月の代表選挙の争点がある。政策的な矛盾も選挙に勝つことで、最適解に向けて徐々に進むかもしれない。最後に追伸のように触れれば、この原稿の締め切りが延びる間にもいくつかの変化があった。 枝野幸男氏に続き代表選挙に前原氏が立候補することを表明した。本来なら30代、40代の世代が名乗りをあげるような代表選挙が望ましい。かつてのイギリスのブレア、最近ではフランスのマクロンのように、30代から将来を見越して育てられた人材がなかなか見当たらないことも民進党の問題だろう。基本政策を発表する枝野幸男元官房長官=2017年8月8日、国会内(斎藤良雄撮影) その世代の候補者が出てこれないのは「年功序列の労組」に大きく依存しているからである。共産党が不破哲三氏を40歳で、志位和夫氏を35歳で書記局長に抜擢したような驚くような人事ができない組織体質を改善しなければならない。 さらにいえば、「離党を検討している」という捨てゼリフをいとも軽々しく口にする議員が散見されることにも問題がある。これは議員の人間的資質に帰せられることではあるが、あまりにも軽い。「離脱の精神」(藤田省三)は貴いものである。 離脱の自由があるからこそ結束の絆も強まる。執行部への圧力になるかのように容易に離党を言うのは「狼が来るぞ」と繰り返す少年のようだ。ともあれ「安倍一強」政治に綻びが生じた今、野党第一党の責任は重い。地道な改革を積み重ねていくことしかないだろう。「活路のない危機はない」のである。

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    政権返上で使命を見失った民進党は一度解党して出直すしかない

     一方、都民ファーストは一昔前の「新進党モデル」で勝ちました。つまり、労働組合の連合と公明党に、保守政治家が加わる図式です。新進党では小沢一郎氏が、都民ファーストは小池知事が中心となりました。そういえば小池知事は新進党の出身でもあります。 フランス大統領選では、社会党、共和党と左右の既成政党が人気を失い、中道のマクロン氏が圧勝しました。米大統領選もトランプ氏という政治の素人が勝利しました。既成の政党や政治家に代わる受け皿があれば、大きな政治的変化が起きているのは洋の東西を問わない状況です。 今、安倍内閣はさまざまな疑惑に対し「記憶にない」「記録にない」を連発するごまかしの姿勢と、国民を「こんな人たち」と呼ぶ安倍首相の「上から目線」で自滅しています。本来なら野党に絶好のチャンスが来るはずですが、第1党の民進党はお家芸の「内輪もめ」で、蓮舫代表も野田佳彦幹事長も辞任して総崩れ状態です。民進党代表選で記者会見に臨んだ枝野幸男氏(左)と前原誠司氏=2017年8月21日 旧民主党は選挙による政権交代という歴史的な使命を果たしました。二大政党政治の下、国民の政治的な関心も高め、大きな成果があったと思います。しかし、その後、新たな使命を見いだせなかったことが最大の問題です。野党時代が長く、経験不足のまま政権運営に失敗した「負のイメージ」をいまだに引きずっているのです。 どの政党でも、政策の幅はあるものです。それでも、侃々諤々(かんかんがくがく)議論した後でも一致団結するのが政党というものです。でも、党内での徹底した議論の末、決まったことには全員で従うというガバナンスが確立できなかったことも、歴史的使命を終えた以上しかたないのかもしれません。 もちろん旧民主党時代には、子供たちへの施策を最優先する「チルドレン・ファースト」の哲学に基づく子ども手当や、高校授業料無償化、国際的スタンダードの農業への戸別所得補償といった評価される政策も進めました。この時は「政権交代」という大目標のために、党内も一致団結できていました。その後は、なぜか遠心力が働くことばかり続きました。利権集団である自民党と決定的に違い、「利権政治」を否定していたがために、権力を維持するという執念が薄かったのかもしれません。野党再編の核を目指すべき 政権を失った後、2014年7月25日に、旧民主党の「民主党改革創生会議報告書」が発表されました。報告書には「安倍政権が戦後日本の生き方そのものを変え、国権主義に傾斜する今、何よりも必要なのは憲政と民主主義を守る強力な野党である」「今、政府与党の政治家から、全体主義を肯定し、女性の人間性を無視し、あるいは震災被災者の尊厳を軽んじるような発言が続いている。政治を担うものが常識と品位を取り戻すことが今までになく求められている。民主党は、人間の尊厳を何よりも大切にする政党でありたい。国民の常識を反映し、国民と常識を共有する政党でありたい」「日本の政治から穏健中道のフェアウエーが姿を消しつつある。民主党はこの穏健中道のフェアウエーのど真ん中を捉えなければならない」と書かれています。衆院本会議で質問に立つ民主党時代の岸本周平氏  この報告には、代表選挙への予備選の導入、党員・サポーターのあり方や党の意思決定システムに関する提案や、内外学識経験者とのネットワーク型「シンクタンク」の創設などの具体的な提言が盛り込まれました。 民主党改革創生会議の事務局として議論を重ねてきた私としては、これまで、党改革のために提言の実現に向けて努力も重ねてきました。民進党の結成後も、当選3回以下の仲間たちと共に改革提言を続けてきましたが、ここにきてついに刀折れ、矢尽きた感があります。  今こそ「解党的な出直し」ではなく、まさに解党して一からリセットし、野党再編の核になることを目指すべきです。 米仏だけではなく、日本でも既成政党以外の受け皿が求められている状況です。日本銀行や国の年金基金に株を買わせて、無理やり高成長の夢を追いかけるアベノミクスとは正反対の、地に足の着いた経済政策で、貧富の格差を少なくしていくことも必要です。 「民主党改革創生会議報告書」にもある通り、穏健中道の政治とは「国民の生活を第一に考える、普通の人々の生活を支える、自由と多様性の中に共生を図る、そのような政治参画への積極的コミットメント」です。そして、その政策理念は「憲法の枠内での自衛力と日米同盟に裏付けられた対話と抑止により平和を構築し、安全保障を維持する基本姿勢を明確にすること」により、「開かれた国益(2005年旧民主党マニフェスト)」を追求することです。 穏健で、日本の文化や伝統を守る「ハト派」による落ち着いた中道の政治が新しい流れになって、日本の政治を変えていくようがんばります。

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    安倍政権の“延命装置”の民進党 解党しか選択肢ないとOB

    、連合は支持を打ち切る姿勢だ。むしろ、安倍政権の支持率が急落している今だからこそ、早く解党して新たな政治勢力をつくるべき」(民進党右派議員) 安倍政権を追及するために新代表のもとで解党が必要―何とも奇妙な理屈が成り立つことになる。民主党OBの平野貞夫氏はこういう。「今の民進党は自民に近い保守的なスタンスの連中と、連合依存の連中が同居したまま。党の政策や理念が曖昧な上に、お互いにすぐに排除の論理を持ち出す。野田氏は辞任に際して、『解党的出直しが必要』といったが、“的”が余計。本当に解党しか選択肢はない」 確かに民進党の存在が、青息吐息の安倍政権の“延命装置”になっていることは間違いない。関連記事■ 吉岡里帆 「スッピン濡れ髪」で会いに行った佐藤健宅■ 稲田朋美氏 保守系メディアからも出ていけと見捨てられた■ 高須院長、公判後の民進党コメントに激怒「徹底的に戦う」■ 安倍首相を悩ます「持病悪化説」と「昭恵さんの神頼み」■ TENGA芸人ケンコバ「夢中になってしまうのが正直怖いです」

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    小泉進次郎氏「労組は民進、農協は自民に入れる時代じゃない」

    倍の泥船」から逃げる、逃げる■ 小泉進次郎氏の自民党再建策に「トランプ型党広報」■ 小泉進次郎氏 「政治参加は18歳ではなく0歳からでいい」■ 籠池夫妻の通名使用が判明 ことあるごとに改名する家訓あり■ 野田聖子・総務相 8000万円父親献金に贈与税逃れ疑惑

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    北朝鮮のグアム攻撃に右往左往する小野寺防衛相の方が危なっかしい

    柳澤協二(元防衛省幹部、国際地政学研究所理事長) 北朝鮮がグアム周辺へのミサイル着弾計画を公表し、トランプ大統領が核攻撃による報復をにおわせるような発言をしたことで、危機感が一気に盛り上がった。その中で、一番右往左往したのが他ならぬ日本だった。 北朝鮮が予告したミサイル飛翔経路に当たる島根、広島、高知と愛媛の各県では、自衛隊が迎撃ミサイルPAC-3を展開し、ミサイル落下に備えた警報・避難の訓練が計画されている。テレビのワイドショーでは、日本上空を飛ぶ無数の民航機を地図上にプロットして、航空機にミサイルが衝突する危険を訴えていた。 物事の本質を見ない者は、危機にうろたえ、意味のない行動に走る。ミサイルは、日本上空の宇宙空間を超えてグアムに向かう。その段階では、すでに数百キロの高度にあるミサイルが、高度1万メートル以下を飛ぶ民航機と衝突することはない。 軍用機と民航機の衝突や、軍艦と民間船舶の衝突は枚挙にいとまがない一方、宇宙を飛ぶ無数の人工的物体が落下してくるのは現実の危険ではあるが、それは今回のミサイルに限ったことではない。 仮に失敗して日本に落下するとしても、北朝鮮からグアムまで3700キロ飛ぶミサイルが島根から高知までの200キロの間に落ちる確率は、単純計算でも200÷3400=5・4%だ。しかもそれは、ミサイルが途中で故障する確率を100%と仮定したときの確率である。仮に、一段目が成功して日本に届く出力を発揮し、2段目が失敗して日本を超えない範囲に落ちるような故障をする可能性を考えれば、限りなくゼロに近い。つまり日本は、限りなくゼロに近い危険を想定して膨大なエネルギーを費やしている。 落ちてくるのが心配なら、大気圏への再突入で大半が焼失するミサイルの残骸よりも、発射地点の近傍に落下することが確実なPAC-3の胴体のほうが心配だ。島根駐屯地から撃てば日本海の海岸近くに、広島市内の海田駐屯地から撃てば広島市内に、松山駐屯地から撃てば瀬戸内海に、高知駐屯地から撃てば高知市近傍に、PAC-3の胴体が落ちてくる。陸上自衛隊松山駐屯地に配備されたPACー3=2017年8月12日、松山市 おまけに、PAC-3は、自分をめがけて落ちてくる弾頭を迎撃すべく設計されているので、配備された駐屯地の位置が実際のミサイルの経路から外れていれば迎撃できない。また、大気の抵抗を受けるために落下経路を計算できない物体に迎撃ミサイルを命中させることは、多分、できないと言う方が正しい。こうして、PAC-3による迎撃によって、落下物から身を守りたいという目的とは正反対の行動をとることになる。これを右往左往と言わずして何が右往左往か。 その右往左往の極みが、小野寺五典防衛大臣が国会で、グアムへのミサイル発射について存立危機事態を認定してミサイルを集団的自衛権によって迎撃する可能性に言及したことだ。テレビのワイドショーが危機を煽るのは無知だから仕方がないとしても、国家理性を体現すべき国会の場でこうした議論が大真面目に行われるに至っては、それこそ国の存立が危うい。おかしな集団的自衛権の議論 北朝鮮が言う通りグアムの周辺30~40キロの公海上にミサイルが着弾したとすれば、それは、当然にアメリカの自衛権行使を正当化することにはならない。アメリカへの威嚇ではあっても、アメリカへの武力攻撃であるとは言えないからである。 万一、狙いがそれてグアムに着弾したとしても、実弾頭ではなくダミーであるはずだから、それだけで北朝鮮の武力攻撃を認定するには無理がある。こうした行為が繰り返されるようであれば、それは、新たな形態の武力攻撃と言えなくもないが、例えば日本の領域に侵入した外国の軍用機が爆弾を落とさずに部品を落としていった場合にそれを武力攻撃と認定できるか、という問いと同じだ。 こうしたミサイル発射は、他国領域に被害をもたらす無法な行動であり、それ自体も国連安保理決議によって禁止されている違法な行為であるが、武力攻撃の意図がなく、外形上も武力攻撃と認める理由が乏しければ、自衛権は発生しない。国際法は、相手が国際法に違反したことをもって自衛権の発動を認めていない。イラク戦争で、サダム・フセインは国連安保理決議に違反していたが、それはアメリカの武力行使を容認しないというのが安保理構成国の多数意見だった。 アメリカが自衛権を主張して反撃することも十分考えられるが、その場合、アメリカもダミーの弾頭を積んだミサイルを撃ち込むのだろうか。そうなれば、まるで子供の喧嘩だ。意味を持つ行動をとるなら実弾頭で攻撃するしかないが、それは報復としてもやりすぎの批判を免れない。つまり、アメリカの対応はかなり難しい計算が求められる。北朝鮮も、そのギリギリの線を狙った嫌がらせをしている、というのが問題の本質だ。 そのような客観的条件のもとで、日本が集団的自衛権を行使する議論がどうして出てくるのだろうか。小野寺大臣によれば、それは、グアムが攻撃されて機能を失えば、日本を守るための抑止力が減殺するから、日本の存立を危うくする可能性がある、という論理だ。だが、この論理は、何か変だ。衆院安全保障委員会の閉会中審査で、特別防衛観察の結果などを報告する小野寺五典防衛相=2017年8月(斎藤良雄撮影) 第一に、グアムが破壊されるのは、ミサイルが日本を超えて正常に飛翔する場合である。日本海にいる日本のイージス艦は、ミサイルの最高高度近くで迎撃する。グアムに向かうミサイルの最高高度はイージス艦の迎撃ミサイルの迎撃可能高度を上回っている。ゆえに、日本がこのミサイルを打ち落とすことは物理的に不可能なので、集団的自衛権行使を論じる意味がない。右往左往するだけの日本 第二に、こちらのほうがより本質的な論点であるが、抑止とは、攻撃を仕掛ければさらに大きな力で反撃をするという意志と能力を示すことによって、攻撃の意志を封じ込め、戦争をさせないようにすることだ。グアムのアメリカ軍は、まさしくそのような役割りを果たしている。 だから、恐怖にかられた北朝鮮が攻撃することはあり得ないことではない。一方、グアムへの攻撃を防ぐために日本が集団的自衛権で、ミサイルでも潜水艦でも、これを迎撃するとすれば、それは国家意志による武力行使であり、戦争にほかならない。 ということは、「戦争させない力である抑止力を守るために武力に訴える」すなわち「戦争を防ぐために戦争する」ということであるから、論理的に矛盾している。仮にグアムが攻撃されるとすれば、それはアメリカの抑止が破たんしたということであって、そこに守るべき「抑止力」は存在しない。グアムのアンダーセン空軍基地。グアムは太平洋地域の戦略拠点の一つで、基地には戦略爆撃機も配備されている。 そこにあるのは報復力であって、すでに戦争が始まった以上、目的が抑止から戦勝に変わっている。言い換えれば、抑止力とは、戦争に勝つ力と同じことであり、そうであればこそ、相手に「勝てない」という計算を余儀なくさせて戦争を防ぐ力になり得る。 ところが、多くの日本人は、「アメリカの抑止力さえあれば戦争にならない」という勘違いをしている。アメリカの抑止力とは、抑止が破たんして戦争になることを覚悟したうえで、戦争になれば必ず勝つ力のことであって、「戦争をしない力」ではないのだ。抑止力を論じるには、戦争を覚悟することが前提となる。それが、抑止のパラドクスにほかならない。その前提への理解がないから、日本は、国家理性さえも右往左往することになる。 第三に、仮に日本がグアムに向かうミサイルを迎撃したとすれば、そして、グアムを破壊する北朝鮮の意志がゆるぎないものだとすれば、北朝鮮がとるべき道は、グアムの破壊を阻害する日本の能力をまず破壊することを優先せざるを得なくなる。言い換えれば、グアムへの攻撃を阻止することは、日本に戦争を引き寄せるという意味がある。だから、アメリカの報復力を守ることは日本の安全を守ることと両立しないのだ。 日本に問われているのは、一発二発のミサイルを覚悟してもアメリカの抑止力=報復力を守るのか、それとも、グアムにミサイルが飛んでも日本にミサイルが飛んでこないことを優先するのか、という究極の選択だ。いずれかの覚悟をしなければ、日本は、いつまでたっても自分が何をしているかさえわからない状態で右往左往を繰り返すことになるだろう。

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    沖縄伝統行事の無知でバレた基地反対活動家たちの本性

    営の中にも、この言葉の本質をはき違えている、あるいはあまり理解できていない方はおられます。ですから、政治学者の中西輝政先生がしばしば語られるように、まずは「保守と革新」というふたつの言葉の、再認識が必要でしょう。 保守というと「伝統を守る」「旧来のやり方を通す」という見られかたをされがちで、そうした面も確かにあります。しかしそこには「今までに受け継いだものを、さらに良くしていこう」という、将来に向けたビジョンとアクションも含まれています。 たとえば、今は亡き田中角栄先生は、「東京の首都高速道路を片側4車線にしよう」という構想をお持ちでした。片側4車線の高架道路となるととても大がかりなもので、さすがは日本列島改造論の田中先生らしい、大胆な発想です。それだけに、周囲からはこの構想は「絵空事だ」と扱われていたのかもしれません。でも、もしもこの構想が実現していたらどうでしょう?自民党「青嵐会」のメンバーとして、首相の田中角栄(手前)を表敬訪問した石原慎太郎(後方中央)=昭和48年7月26日、首相官邸 現在の都心の道路渋滞は起こっていなかったはずです。その時その時の状況だけではなく、将来にも目を向けて、発展できる可能性を追求していく。これが保守です。田中先生は保守系からの批判を受けることもありますが、やはり経済に関する先見の明は、とても優れたものをお持ちでした。 一方、革新系の共産党や旧社会党の過去の主張を振り返ってみると、その当時の状況だけを踏まえた主張しか出てこない。首都高速道路については一人でも反対があれば建設しないという意見まで出ていたのですから驚きです。これが、彼らにとって最善の策なのです。今あるものをとにかく分配してしまう。反対のあるものはやらない。その後のことは、それから考える。このやり方では成長が望めません。それは社会主義モデルであり、将来破たんするのは目に見えています。 いま、安倍政権が進めていることは、まさに本当の保守政治です。経済を今以上に発展させて利益を上げ、それをみなで分配しようというわけですから、国民にとってもこれは良いことであるはずです。 また、若い世代が保守傾向にある、という話もよく聞きます。これはヨーロッパの政治学者たちが定義する「保守の本道」を行く、安倍政権への若者たちの共感があるのではないでしょうか。将来ある若者にとっては、自分たちの未来をどれほど明るいものにできるかは、大いに興味があるはずです。それが保守への支持、保守化となって表れているのでしょう。 決して懐古主義ではなく、先祖返りでもない。より良い将来を見据えて、それを実現していく。それが保守であり、そうした保守の本質が若者たちの間にも知られてきたために、支持が広がっているのだろうと思います。日本軍は沖縄を見捨てたのか?Q 先の大戦で日本軍は沖縄を見捨てたのか? 2017年(平成29年)2月の半ば、私は沖縄を訪れました。浦添市長選挙の応援が主な目的だったのですが、その合間に、糸満市の平和祈念公園、さらに同じ糸満市内の「白梅の塔」にも足を伸ばしました。平和祈念公園は県営の公園として、今は広々と整備されていますが、沖縄戦として知られる激しい戦闘により、日米両軍と一般人に多数の死傷者を出しつつ、日本軍の沖縄守備部隊が終焉を迎えた場所です。沖縄全戦没者追悼式で黙祷する参列者=2017年6月、沖縄県糸満市の平和祈念公園 園内にはいくつもの慰霊碑、慰霊塔などがあり、中でも「平和の礎(いしじ)」は修学旅行で学生たちが多く訪れるためか、よく知られているようです。ここでは屏風のような形に立てられた黒い石碑に、沖縄戦などで亡くなった方々の名前が、国籍に関わらず刻まれています。その石碑の間を歩いていると沖縄戦というものがいかに悲惨なものだったかということを、あらためて強く感じます。そして、平和の礎の少し先には「摩文仁の丘」があり、ここには沖縄のために戦った各都道府県の方々の慰霊塔が建ち、沖縄戦で散った全国の方々の霊を慰めています。 白梅の塔は過去にも訪れたことがあったのですが、この日も人影はまったくなく、ひっそりと静まりかえっていました。近くには沖縄戦を戦った陸軍第24師団歩兵第22連隊の慰霊碑が建っています。 22連隊は愛媛県松山市の歩兵連隊であり、1945年(昭和20年)6月にこの地で最期を迎えています。慰霊碑の碑文には、住民とともに勇敢に戦ったことが刻まれています。こうした場所は修学旅行の訪問先にはなかなかなりません。日本各地から沖縄のために戦い戦死した方々がいることが、いわゆる平和教育において不都合なのでしょうか。 大戦末期、日本中から多くの軍人、民間人が、沖縄を守るために駆けつけました。沖縄では航空機による特攻がかなり行われたのですが、それは敵艦を攻撃するという目的に加え、民間人へのサポートにもなりました。特攻をかけている間は、敵の砲撃は陸地には向かってきません。その間、住民たちは身を潜めていた防空壕を飛び出し、水を汲みに行ったり食料を取りに行ったりができました。 しかし、戦後のいわゆる平和教育の名のもとで「沖縄は捨て石にされた」という声が上がるようになりました。私も育った土地が日教組の強い土地柄だったためか、小学校の授業で「沖縄は、日本に見捨てられたんです」という話を聞かされていました。ですが、決してそんなことはありません。当時の沖縄では、日本軍と現地の住民とが一体になり、勇敢に戦っていたのです。思いをともにして戦った場所には、多くの慰霊碑や慰霊塔が残されています。 また、1945年(昭和20年)1月という、まさに米軍上陸は避けられないと見られて いた時期に沖縄県知事に就任し、沖縄の方々とともに亡くなった島田叡のような人もいます。日本は、決して沖縄を見捨てたりはしなかった。国家の総力を傾けて沖縄戦を戦いました。それは多くの記録や書物にまとめられています。近年では仲村覚さんの著書などを開けば、なぜそこまでして戦い抜こうとしたのかが判ることでしょう。靖国神社の遊就館を見学するなどすれば、そのことは本当に強く感じられます。沖縄の民意は「反基地」なのか?Q沖縄の真実の声は、本当に反基地・反米軍なのか? 私はこのところ年に数回、沖縄を訪れています。昨年(平成28年)10月に行った時には、 米軍基地内でハロウィンパーティをやっていました。もちろん当日は基地を開放していますから、一般の方々も入場できます。基地の入口付近は入場を待つ車が列をなして、大渋滞です。 米軍としては、やはり地元の方々の基地への理解は必要だと考えているでしょうから、こうしたイベントをどんどん行って、地域住民との接触の機会を増やしていきたいところでしょう。ふだんは入れない米軍基地の中で、しかも純アメリカ流のイベントを楽しめるということで、地元の方々が大勢やってきます。その光景は「反基地こそが沖縄の総意」というスローガンとはまったくかけ離れたものでした。 私は、日本国は日本人の手で守るのが本筋だと考えています。ですが米軍基地は日本全国に存在しており、その強大な軍事力は現状において日本を守る防衛力の一部となっています。ですから、いきなり在日米軍基地をゼロにする、ということはできません。将来的にゼロにするということには賛同できますが、段階的な縮小を経ていくというのが、もっとも現実的でしょう。 米軍基地と地元住民とが穏便に共存している地域はいくつもありますし、沖縄にも同じことがいえるはずです。まして辺野古については、住民の方々はすでに移転を受け入れているわけです。もちろんそこに温度差はあるでしょう。「積極的に受け入れる」という方もあれば、「仕方なく容認する」という方もあったはずです。ですが地元住民として受け入れたからには、基地のゲート前で違法テントを張ってまで抗議活動するというのはどうにも理屈に合いません。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」で、米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる参加者たち=2017年5月 昨年の2月、私が沖縄を訪れた時は、ちょうど「ジュウルクニチ」にあたっていました。沖縄では今も旧暦に従った伝統行事が数多く残っていて、それが人々の生活の中にしっかりと根付いています。そのひとつであるジュウルクニチ(十六日)は旧暦の1月16日に あたり、「あの世のお正月」とされる祭日です。新暦では 2 月の15日頃になりますが、こ の日は会社も半休、あるいは休日になるところもあるそうで、一族がご先祖様の墓前に集い、お重に詰めた料理を広げて祖先の霊を慰めるのだそうです。 私が辺野古の抗議活動の視察にいった時が、まさにジュウルクニチの日でした。同行してくれた沖縄の方は「さすがに今日は、誰もいないんじゃないですかね」と言います。それでもせっかく来たのだから、誰かいたら『違法テントなんかやめて、もっと合法的な抗議活動をしましょう』くらいは呼びかけてみよう。そう思っていました。 ところが現場に着いてみると、抗議活動中の人がわんさといるわけです。今日は大事な祭日なのに、お墓参りにいかなくていいのかな?私は少々面食らって、その場にいる人々に尋ねてみました。 「今日はジュウルクニチですけど、皆さん、ここにいていいんですか?」 「ん?なんだ、その『じゅーるくにち』ってのは」 一瞬にして答えが判ってしまいました。 「なんだ、皆さん沖縄の方じゃないんですね」 「……お前だって、沖縄の人間じゃないだろう」 こんなやりとりをしているうち、テントの中にいた名護市議の大城氏があわてて出てきて「ちょっとまずい」とバツが悪そうに私に話しかけてきました。その後、5月に再訪した時には、すでに私の顔が知られていたのか、現地の活動家から暴行を受けるはめになってしまいましたが、その時の印象では標準語を使う人が多く、また関西弁も混じっていました。その場にいる人々の多くが県外組であるのは明らかで、さらには韓国語で書かれた垂れ幕まである、というありさまです。辺野古テントに地元民はいない それでもめげずに、違法テントを挟んで通りの反対側で演説をやっていましたら、何やら、その違法テント側の歩道をいかつい人物が歩いてくるのです。がっちりした体つきに濃い色のサングラス。小型のブルドッグを連れて、のっしのっしとやってくる。そして演説している私の正面、道を挟んだ向こう側の、路肩の縁石にドカッと腰を下ろして、私の演説を聞き始めました。 『いやぁ、マズイなぁ。怖い人が来ちゃったかな』などと一瞬思いましたが、といって逃げ出すわけにもいきません。演説を続けしばらくして終わると、なんとその人は「パチパチパチ」と拍手してスッと立ち上がり、そのまま悠々と去っていきました。犬を連れていたので明らかに近所の住民の方だと思うのですが、テントにいる活動家たちも、その人には何も言わない。活動家と地元の方々との間に、何かひと悶着があったのかもしれません。 近くの商店の方に話を聞いてみたのですが、「あのテントには辺野古の人間は一人もいませんよ」ときっぱり言います。時々トイレを借りに来るので、まぁ貸してはいるけれども、ウチで何も買ってくれないのでね…。「そのうえトイレットペーパーを持ち出していくんです…」 地元の方々にとっては、迷惑はなはだしいわけです。「基地周辺の人々が、米軍基地に対して問題を抱えているのなら、そこは政治が仲立ちをして段階的に改善をしていきましょう」 橋本龍太郎総理の頃から、基地問題は一貫してそうした姿勢で政府が取り組んできました(民主党政権時代は除きますが)。ですが辺野古では抗議活動が活動家のためのものになってしまっていて、彼らはこれまでの枠組みを破壊しようとしている。そのことに対して、沖縄の方々は決して快く思っていません。基地問題について中庸な立場をとっている人たちの間にも、そうした感覚は広がっています。米軍普天間飛行場=沖縄県宜野湾市 もちろん、基地があるからこその負担はあります。米軍機による騒音などは、もっとも大きなものでしょう。でもそれについては「今までの政府の姿勢に沿って、対応していく」という方向性を変えることなく、その中で改善に向けた努力をしていくことが必要です。あのハロウィンパーティをたくさんの地元の方々が楽しんだでしょうし、また米軍軍属の方から英語を教わって、相互理解を深めようという活動をしている方もいます。 白か黒かという話にせず、できる部分は歩み寄り、良しとしない部分は論拠のある主張を挙げて改善を求める。双方がこうした姿勢を崩さずに交渉に臨めるのであれば、いさかいは平和的に解決できるでしょう。しかし沖縄においては県外から来た活動家が混乱を引き起こしています。 私が引き出した政府答弁では、沖縄の反基地運動に過激派が参加していること、ここ2年の逮捕者の3分の1が沖縄県外の人や外国籍の人物であることが明らかになっています。沖縄の現実を自分自身の目で見るにつけ、「反基地・反米軍が沖縄の総意だ」などという言葉が、私には空しく聞こえるばかりなのです。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

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    「NHKスペシャル」が象徴するジャーナリズムの劣化

    とんでもない話です。 この記事は紙面よりも前に電子版に掲載されました。するとこれを見た日刊スポーツの政治担当の記者が「こんな記事では、和田さんの真意が伝わらない」と、私のコメントを全文に近い形でネット版に掲載してくれました。 沖縄の基地問題に関しては、沖縄タイムズが私のブログを転載引用して、取材もせずに記事にした、ということがありました。私がいたNHKでこんなことをしようものなら、担当記者は首が飛ぶでしょう。 このように、偏向しているかどうか、あるいはまともな取材記事を書いているかどうかは、記者個人の資質によっても左右されます。自浄作用が働く場合もありますから、いちがいに何ともいえません。ですがここで挙げた例のようにジャーナリストの質の低下は確実に起こっており、それがさらに加速していくことに私は危惧を感じているのです。そしてそれは、ジャーナリストとして以前に、過去に受けてきた教育の影響が色濃いと思っています。 別の項目でもお話ししましたが、私が育った地域というのは、ずいぶんと左寄りの教育が行われていました。国旗国歌をないがしろにするような、左へ向かう刷り込み教育が行われていたのです。それでいて、具体的な政治の話はタブーでした。 政治のことは、それを専門にしている政治家や学者がいるのだから、一般市民は考えなくても良い。それに素人が政治を考えたところで、何か変わるものでもない。専門家に任せておけば大丈夫なのだ…。 とにかく政治から遠ざけようとしていたのだな、ということは大人になってから判ることです。このような教育を受け続けていれば、政治というものに対して鈍感になっていきます。大学で法学部とか政治学科とかに身を置けば別でしょうが、そうでなければ政治というものをまったく知らない、まっさらな状態で社会に出ていくことになります。そんな人たちがメディアの世界に飛び込んでいくと、どうなるでしょうか。 今の日本では、民間で政治的な活動をしているのは左派の人が多く、あちこちで集会や抗議活動が行われています。そうしたところに取材に出かけ、話を聞いているうちに、知らず知らずに左派思想に染まっていく。そうしたことは現実に起きています。ただ、たとえ思想的に左寄りであったとしても、ジャーナリストである以上、記事にする際には中立の立場で、公平・公正を期さねばなりません。多くの記者たちはそうしているのですが、それができていない者もいる、というのが現状なのです。メディアへの政治圧力はあるのか 外部からの圧力・抗議に弱いということも、メディアの偏向を助長します。これはNHK時代に痛感したことです。NHKは組織として官僚的なところがあり、外部からの抗議が入ると、そうした意見も採り上げないといけない…というバイアスがかかったりするのです。中立の立場で番組を作ろうとはするのですが、左右それぞれの意見を扱うときに「抗議が来るかもしれない」という意識が働き、ついつい左寄りになってしまう、ということもあります。その理由はどうあれ、発信する記事や放送内容に偏りがあってはなりません。これはジャーナリストとして基本中の基本です。 今でも語りぐさになっているのが、NHKスペシャルのシリーズ「JAPANデビュー」の第一回放送です。これは日本の台湾統治を描いたドキュメンタリーなのですが、その内容は「日本の台湾統治は悪そのものだった」という視点から構成された、かなり偏ったものでした。放送当時、私は大阪放送局で見ていたのですが、番組が始まってから5分もしないうちに局内が「これはまずい」とざわつき始めたのを覚えています。 なぜこんな番組ができてしまったのか。制作中にセルフチェックは働かなかったのか。放送前に上司のチェックは通したのか。通したのであれば、なぜそこでスルーしてしまったのか。おそらく、左寄りか台湾について無知のスタッフが集まり、セルフチェックが緩い環境で制作が進み、放送前の上司の確認でも「問題なし」とされてしまったのでしょう。 まさにジャーナリズムの質の低下であるとしかいいようがありません。メディアには権力の監視という機能もありますから、論評などで反政権的な説を掲げることもあります。ですがそれを下支えするのは、地道な取材で得た事実の積み重ねです。そこが欠落したままで、つなぎ合わせの記事や結論ありきの事実をわい曲する記事ばかりを書いていては、日本のジャーナリズムの信頼は墜ちていくばかりです。Q メディアに対する政治圧力は本当にあるのか? たとえば、あるメディアが何らかの政治についてのニュースを流したとします。ところがそのニュースの内容がどうも事実と違う。ニセ情報を掴まされた可能性もある。そこで、私のような政治家でも自分や自身の所属する政党が対象のニュースであればメディアに対して、事実と違うと指摘したり、間違いない事実なのかどうかを確認することがあります。単なる問い合わせなのですが、時としてこれを「圧力」と表現する人たちがいます。東京・渋谷のNHK放送センター ジャーナリズムの独立性には大きな価値があり、それは基本的におびやかしてはならないものです。そして、テレビ・ラジオメディアについては放送法というルールがあり、その枠組みの中で、常に公正な報道を行う義務を負います。まともな政治家ならばそんなことは百も承知ですから、メディアに圧力をかけるなどということはありません。私がNHKに在籍していた頃も、そんな話は聞いたことがありません。 それでも、まれに「政治家から圧力を受けた」「暗黙の圧力を受け続けている」などと言い出す人たちがいます。もし本当に圧力を受けているのなら、そもそもそんな発言ができるはずがありません。また本当に圧力があったのならば、それを記事にして公開することがジャーナリズムの本質でしょう。 「○○○についての報道に関して、××× 議員からこのような圧力を受けた…」と、公開してしまえばいいのです。それもせず、ただ「圧力だ、圧力だ」と騒いでいるばかりで、事実関係もはっきりしない、具体的な内容も公開しない。これでは事実でないことを述べ立てて、騒いでいるようにしか見えません。 こうしたことがジャーナリズムに対する視聴者の信頼の低下につながることがわからないのでしょうか。ジャーナリストは毅然とした態度で、真実をしっかり伝えることに力を注いでほしいと思います。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

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    北朝鮮リスクより危険? 経済最優先「人づくり革命」に足りないもの

    財政政策については、筆者は以前から消費減税や長期間のインフラ投資を最善のメニューとして薦めているが、政治的な制約を考えれば、次善の補正予算の増加が「現実的」だろう。これらのいわゆるマクロ経済政策をさらに行うことが、いまの日本経済に重要なのだ。楽観的にいえば、あと一押しなのだ。 だが、今回のGDP速報をみて、茂木敏充経済再生担当相は、「人づくり革命」などによる生産性向上を政策対応としてあげている。だが、「人づくり革命」というのは、金融政策や財政政策のように人々の購買力を増やす政策ではない。経済を人間に例えれば、「人づくり革命」は体そのものを鍛える政策である。つまり筋肉増強みたいなものだ。だが、いまの日本経済はいわば風邪をこじらしている状況である。風邪をひいたときには金融・財政政策という「薬」が必要であり、筋肉増強のために訓練することではない。 茂木氏の発言を聴くと、本当に必要なのは「人づくり革命」よりも、政治家たちの「政策認識の革命」なのだと思う。

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    終戦の日に考えたい靖国参拝の是非

    72回目の終戦記念日を迎えた。安倍首相は靖国神社への参拝を見送り、私費で玉串料を奉納した。そもそも首相が靖国参拝したかどうかを速報ニュースで報じることに何の意味があるのか。まったくもって不思議だが、これもメディアの悪しき慣例であろう。というわけで、靖国参拝の是非を終戦の日に考えてみたい。

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    総理は「敗戦の日」にわざわざ靖国参拝すべきではない

    青山繁晴(参議院議員、作家) 8月15日は敗戦の日ですね。終戦の日では、ないのではありませんか。 これは、本稿のために考えた言葉ではない。小学生の時に胸の中で大人に問いかけていた言葉である。夏恒例のNHKをはじめテレビ定番の「もう二度と戦わない」という番組でも一斉に「終戦」と繰り返すから、口には出さなかった。何でも、相手も選ばずに、そのまま言う気の強い子供だったとは思うが、これだけは言わなかった。 いや、言わなかった胸の裡(うち)の疑問はもう一つある。「もう二度と戦わない? じゃ、日本の大人は奥さんとかお母さんとかが酷(ひど)い目に遭わされそうでも戦わないのかな。ぼくは戦うよ。母さんでもお姉さんでも家族に何かあれば、ぼくが子供で相手が大人でも戦うよ」 長じて、安全保障の専門家の端くれになったことと、この幼い素朴な疑問とは案外に直接的な繋がりがあると思う。たまさか国会議員となり、2度目の8月15日を迎える今、それに気づいた。 幼い疑問は大学で、あるいは社会で解決されるどころか余計に深くなったから、それが生涯の仕事のひとつを安全保障分野から選択することに繋がったのだろうと思う。 さらに仕事上、海外の諸国を歩き回るようになると、もっと生々しい現実に向かい合わざるを得なかった。すなわち敗戦を終戦と言い、それを契機にして友だち、恋人、家族が辱められ殺されても自らは戦わないという国となった例は世界にないという現実だ。71回目の終戦の日を迎えた靖国神社には、祈りをささげるため早朝から参拝者が訪れた=2016年8月15日、東京・九段北 そして諸国はみな、実は敗戦国である。いつの戦争で負けたかという違いだけだ。第二次大戦で圧倒的な勝者となったアメリカも30年後の1975年には小国ベトナムに無残に負けた。しかし「家族を殺されかけていても二度と戦わない」という国に成り果てたのは、この祖国だけである。 子供時代のふたつの疑問で言えば「敗戦をなぜ、終戦と呼ぶのか」ということについては、やがて「勝った、負けたという以前に、戦争という惨劇がようやく終わったという庶民、国民の気持ちも込められているのだろう」と考えるようになった。 しかしそれでもなお、歴然たる大敗を終戦と言い換えるのは、まさしく子供の教育に悪い。 こうした姿勢が、どれほど広範囲に惨たる現実を生んでいるだろうか。漁船すら憲法9条を熟知する北朝鮮の「侮蔑」 例えば、北朝鮮という小なる破綻国家に同胞を奪われたまま、ふつうに日常生活を送っていく、わたし自身を含めた日本国民とは一体、どこの誰だろうか。これが本当の日本人なのだろうか。 小なる破綻国家というのは、まったく侮蔑ではない。人口は日本の6分の1前後のおよそ2千万人にすぎず、GDPは日本の約3百分の1、年間の国家予算は実に約1万分の1、そして独裁者の一族がどれほど潤っていても国民生活は天候次第で餓死者も出すほどに破綻している。 その隣国に有本恵子さん、横田めぐみさんをはじめ何人を奪われているかすら分からず、しかし15年も前に金正日総書記が小泉純一郎総理(いずれも当時)に公然と拉致を認めていながら、依然として誰も取り返しに行かない、いや行けないと思い込んでいるのが、ありのままの日本である。 それどころか、不肖わたしが参議院の予算委員会で拉致被害者の帰還をめぐって質問すると、足音高く委員会室を出ていく野党議員、それも有名な女性議員が複数いるのが傍聴席の国民に目撃されるのが日本国である。 北朝鮮はこの日本をあからさまに侮蔑(ぶべつ)し、たった今、日本海の好漁場の大和堆(やまとたい)に粗末な漁船で現れ、稚魚をも根こそぎ奪い尽くす網で魚もイカも勝手に取り、日本の漁船どころか水産庁の違法操業取締船もまったく無視をしている。日本国民の漁家はやむを得ず、最近は北方の武蔵堆に漁場を移そうとしていると、その近くには北のミサイルを撃ち込まれる始末である。長崎県五島市・福江島の南の海域で、浸水し傾いた北朝鮮籍の貨物船チョン・ゲン=1月12日(第7管区海上保安本部提供) この小舟、マストに北朝鮮の国旗を掲げ、お尻には軍に所属することを朝鮮語で記している。つまり日本国憲法第9条の致命的な最後の一行、「国の交戦権は、これを認めない」の意味を、学校で教わらない日本国民よりも、はるかに良く理解している。 敗戦後の日本は相手が国(外国)であり、軍をはじめ国の機関であれば、まさしく何をされても戦わないことを良く知っているのだ。 だから海上自衛隊は何も対応していない。できない。海上保安庁は奮闘して800隻以上を追い払ったが、追い払うだけであり、再び同じ小舟も平然と押し寄せてくる。 日本海の水産資源は生態系ごと破壊され続け、漁家の生活は根本的に脅かされている。 わたしたちの日本は言霊の国である。 敗戦を終戦と言い換え、「二度と戦わない」と言って済ませているために、どれほどの深刻、無残な現実を生んでいるのか。「総理の靖国参拝」は複雑な問題ではない この最新の事例と同じことが繰り返し、起きている。太平洋側の東京都小笠原諸島では、漁家がおよそ40年を費やして育て上げた赤珊瑚が、これは五星紅旗を掲げた中国漁船団のやはり粗悪な網で奪い尽くされた。 小笠原村議会の議長さんらが、わたしの議員会館の部屋を訪ねてこられた。海が荒らされ通常の漁も困難になっている現実を訴え、「青山さんしか聞いてくれないと思って、今日のアポイントメントを秘書さんに申し込みました」と仰(おっしゃ)った。 かつて島根県隠岐郡のこれも好漁場、竹島とその周辺の領海を韓国に奪われるとき、不当にして一方的な発砲で日本国民の漁家が殺害されているのに、これまでは学校で教えられることすらなかった。 不肖わたしが国会に出て、自由民主党の会合などで訴え続けていると、文科省の良心派の官僚らが動き、学習指導要領に盛り込まれた。 獣医師の養成機関をめぐる騒動で、既得権益を死守してきた文科省の裸の姿が実は浮かび上がっているのだが、こんな良心派もいる。 だが、竹島は帰ってこない。北方領土も返ってこない。尖閣も脅かされている。 このことをめぐって、なぜ与野党をはじめ国論が分かれるのか。ここだけは一致できる点ではないのか。 これを考えれば、8月15日にいつも決まって話題にされる「総理や閣僚の靖国参拝」も、マスメディアや学者、評論家がこれも決まって騒擾(そうじょう)を掻(か)き立てるほど複雑な問題ではないことが分かる。 まず靖国神社は、先の大戦を含めて国のために戦った死者を祀(まつ)る場所である。そこには兵士ならざる国民、例えば沖縄の学徒看護隊の少女たちも祀られている。 おのれのためではなく人のため、国のために死した人を政府が尊び、祈らない国はこの地球上に、日本を除いては、存在しない。 ドイツでもナチを否定したうえで、戦ったドイツ国民を悪者にはしない。朝日新聞や岩波書店が「ドイツは反省したのに日本はしない」という主張の好例にしているワイツゼッカー独大統領(当時)の演説も「ナチが悪かった。ドイツ人は悪くない」という趣旨を明言している。実際はナチも最初は選挙でのドイツ国民の圧倒的な支持によって権力の座についたにもかかわらず、である。ワイツゼッカー元独大統領 ワイツゼッカー演説の真の肝は「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」という部分だ。 すなわち悪いのはヒトラーとその一味、追従者であり、ドイツ民族全体の罪ではないと説いている。 したがってワイツゼッカー大統領(当時)は第二次大戦のドイツの戦争と、ヒトラーによるユダヤ人や少数者への迫害を明確に分けて、戦争についてはどこでも起こり得るとして事実上、正当化した。 さらにはヒトラーの台頭を許したのはイギリス、フランスにも責任があるとまで述べている。「天皇陛下も参拝されない」明快な理由 アメリカの首都ワシントンDCの国立墓地では、アメリカがヒーローになった先の大戦だけではなく、ハリウッドの娯楽映画ですらけちょんけちょんに非難するベトナム戦争の死者もまったく同等に尊敬され、祀られている。 なぜ日本だけが違うのか。 それもなぜ、中国や韓国、北朝鮮、あるいはアメリカという外国から論難されねばならないのか。 これも子供がまともに考えれば不可思議な話であるから、「いや、靖国参拝は駄目だ」とする根拠を補強してある。 ひとつは「天皇陛下もA級戦犯が合祀されてから参拝をされていないではないか」という声高な主張である。 この天皇陛下をめぐって、先の通常国会では今上陛下のご譲位を実現する法を成立させるとき、野田佳彦前総理をはじめ野党の要求に自由民主党が間違って膝を屈し、付帯決議の中に「女性宮家の創設」の検討が盛り込まれてしまった。女性がご当主の宮家ができれば、そのご当主が一例では中国人と結婚なさると、場合によっては中国人による新しい王朝が始まることにも扉が開く。 これに反対するために、わたしは山田宏参議院議員、鬼木誠、長尾敬両衆議院議員らと「勉強会」を連続して開いた。 その講師に招いた一人が、靖国神社の神官、松本聖吾総務課長である。 わたしは俗説を駆逐するために、いくつかを確認した。遊就館の展示課長も務めた歴史家でもある松本さんの解説は明快だった。「陛下が直々に参拝されるのは基本的に多くの戦死者が出たときであり、日本は長期にわたって戦争をしていないから参拝がないのはむしろ当然です。一方で陛下の勅使が、靖国神社の主たるお祭りである春と秋の例大祭に欠かさずお出ましになっているので、陛下と靖国との関わりはまったく変わっていない」 つまりは、A級戦犯云々(うんぬん)というのは、無知を利用した言いがかりに過ぎない。 この解説は、安倍総理の参拝をどうするかにも繋がる。靖国神社の春季例大祭に合わせて安倍首相が奉納した「真榊」=4月21日午後、東京・九段北 8月15日は靖国神社にとって、本当の主たる刻ではない。日本の内閣総理大臣は誰であれ、8月15日の、作られた異常な騒擾にかかわらずに例大祭にこそ淡々と、粛々と参拝し、諸国と同じように、人のため、公のために死した人を国家の永遠の責任として弔い、日本を世界標準、国際法にきちんと沿う国にする大切な一歩とすべきである。

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    実は「天皇の靖国参拝」に道を開くカギがあった

    島田裕巳(宗教学者) 毎年、8月15日の終戦記念日には靖国神社の問題が取り上げられるのが恒例になってきた。果たして今年はどうなのだろうか。例年ほど話題にはなりそうにない気配だ。 そこには、一つには政界の事情がからんでいる。安倍晋三首相が参拝しないのは事前に予想されることで、政権基盤が揺らいでいる現状において、首相の靖国神社参拝を求める声もさほど大きなものにはなっていない。 しかし、靖国神社の影が薄くなってきているのは、それだけが原因ではない。何より、終戦から72年がたち、実際に戦場に赴いたことのある世代はほとんどが90歳以上になってしまった。 靖国神社と密接に関連する日本遺族会は、かつては110万世帯の会員を抱えていた。現在の会員数は不明だが、軍人恩給の受給者は2万3000人で、遺族でも31万人をわずかに超える程度である。高齢化した軍隊経験者やその遺族が靖国神社を訪れることも、今やまれになっている。 しかも、靖国神社では2年前の「みたままつり」から、露店の出店を中止した。それは、正月や花見のときにまで及び、大量の若者がみたままつりに繰り出すことも、サラリーマンが正月明けに靖国神社に立ち寄ることもなくなった。 酒による騒ぎを防止するためだとされる。それは、戦没者の慰霊の場である靖国神社を静謐(せいひつ)な空間に保とうとする試みかもしれないが、これによって一般の参拝者と靖国神社との距離が大きくなったことは間違いない。 2000年代に小泉純一郎首相が、周辺諸国からの批判があったにもかかわらず参拝を続けた頃には、8月15日の参拝者はピークで25万人を超えた。しかし、その後は、10万人台後半に落ち着いた。年間の参拝者は500万人程度とも言われる。参拝を終え、記者の質問に答える小泉純一郎元首相=2006年8月15日東京都(小野淳一撮影) 2年後の2019年、靖国神社は創建150年を迎える。そのための準備も進められているが、その一方で、現在の宮司が最後の徳川将軍、徳川慶喜の曾孫にあたることもあり、西郷隆盛や江藤新平、白虎隊や新撰組といった、いわゆる「賊軍」を合祀(ごうし)しようとする動きも生まれている。 今の一般国民の感覚からすれば、賊軍の戦没者を合祀しても一向に構わないと思えるだろうが、「官軍」の戦没者を祭る「東京招魂社」として始まった靖国神社の歴史を考えると、それは神社の根本理念を変更することを意味する。 その一方で、首相の靖国神社参拝は、現実的にほぼ不可能な状況にある。安倍首相が就任1年目に参拝したとき、周辺諸国から反発を受けたことは想定内としても、米国側が「失望した」とコメントしたことは大きかった。それ以降、靖国神社参拝に熱意を持ってきた安倍首相が参拝を見送ってきたことからすれば、安倍首相以降の首相が参拝するとは考えられない。 まして、現在の天皇や、来年末にも即位が予定される次の天皇が靖国神社に参拝することは考えられない。それを要望する声も上がりそうもない。カギは「共産党アレルギー」? 国に殉じて亡くなった戦没者を慰霊するために、天皇が靖国神社に参拝することは、靖国神社のあり方からすれば当然である。本来なら首相の参拝以上に天皇の参拝が問題にされるべきである。 昭和天皇が途中から靖国神社参拝を取りやめたのは、A級戦犯の合祀に不快感をもったからだとされるが、もう一つ大きいのは、政教分離に違反する可能性が出てきた点である。 昭和天皇の最後の参拝は1975年のことで、その2年後には、政教分離をめぐる裁判の嚆矢(こうし)となった「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決が出ている。最高裁は、地鎮祭に公金を支出したことを憲法違反とはしなかったが、高裁では違憲判決が出た。これ以降、地方自治体だけではなく、政府も政教分離の原則に違反しない行動を求められるようになる。1959年6月24日、ご成婚の2カ月半後に靖国神社に参拝された皇太子ご夫妻 にもかかわらず、1985年に中曽根康弘首相が終戦記念日に「公式参拝」を行ったことで、周辺諸国からの反発を初めて受けることとなった。政教分離がやかましく言われるようになるなかで、首相は公人として参拝するのか、私人として参拝するのかが問われ、それが世間の注目を集めるようになっていた。 そうした状況のなかで、あえて公式参拝に踏み切ったため、世論の大きな注目を集め、結果的に、中国からは「東條英機ら戦犯が合祀されている靖国神社への首相の公式参拝は、中日両国人民を含むアジア人民の感情を傷つけよう」と批判されたのである。 津地鎮祭訴訟がなかったら、首相の靖国神社参拝が公人としてのものなのか、私人としてのものなのかは問われず、中曽根首相があえて公式参拝と打ち出す必要もなかったはずだ。 その点で、津地鎮祭訴訟の果たした役割は大きい。これを提訴したのは日本共産党の市議だった。当時は、靖国神社の国家護持の運動が進められていて、それに反対する人たちが、途中からこの訴訟にかかわってきた。 日本共産党の戦略が成功したといえるわけで、それは、周辺諸国に日本批判の格好の武器を与えるととともに、首相の、そして天皇の靖国神社参拝を阻む壁となってきた。そうであれば、天皇や首相の靖国神社参拝に道を開くのは、日本共産党の姿勢が変わるかどうかにある。 最近、日本共産党は天皇の臨席に反対し、国会の開会式に出席しなかったのを改めた。共産党アレルギーの払拭(ふっしょく)をねらってのこととされるが、さらに姿勢を変えていけば、政教分離をこれまでほどは厳格に求めなくなるかもしれない。 天皇の靖国神社参拝に道を開くのは、案外、日本共産党の動向なのかもしれないのである。

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    なぜ創価学会は首相の靖国参拝を許さないのか

    総理大臣が靖国神社に参拝できないのか。 創価学会が許してくれないからである。 現実において「靖国」は政治問題と化している。内政においてのみならず、国際問題でもある。現実における力関係を見ずして、事の本質は見えないであろう。 安倍晋三首相は、政権に返り咲いて以降、長年の政治問題と化していた靖国問題の収拾を図っていた。すなわち、三木武夫内閣で「八月十五日」に参拝することが政治行事となってしまったが、それまでの歴代首相は春秋の例大祭に参拝していた。八月十五日は大東亜戦争の戦没者を祀る日だが、例大祭ではすべての戦いにおける戦没者を慰霊する。第二次安倍内閣の当初の勢いならば可能だっただろう。多くの参拝者が訪れる靖国神社 2012年12月、政権に就いた安倍首相は日銀人事への介入を宣言。翌2013年3月には、自らの意を汲む黒田東彦総裁と岩田規久雄副総裁を送り込む。4月には「黒田バズーカ」と言われる金融緩和を行い、株価は爆上げとなった。当然、比例するように支持率も上がる。 選挙は連戦連勝、都議会議員選挙でも参議院選挙でも、安倍首相率いる自民党は圧勝した。 簡単な理屈だ。「金融緩和する→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→政権基盤が強化される」 アベノミクスこそ、安倍内閣の命綱だったのだ。 ところが、参議院選挙勝利の2日後、麻生太郎財務大臣は「これで増税への障害はなくなった」などと、消費増税への鏑矢(かぶらや)を放つ。せっかく景気が回復軌道に乗ってきたのに、消費増税などをすれば景気に水を差すなど子供でも分かる理屈だ。麻生の背後にいるのは、財務省なのは明らかだった。事務次官の木下康司は、7月20日付『新潟日報』のインタビューで、安倍首相に増税を迫ると宣言していたほどだ。 そして、霞が関の官僚機構は言うに及ばず、自民党の9割、公明党のすべて、民主党の幹部全員、経団連や経済同友会など財界主流、連合以下労働界、テレビと新聞のすべてが「消費増税」の大合唱だった。 そして安倍首相は、財務省が敷いたレールに乗せられるがまま、10月1日の午後6時に、8%への消費増税を宣言した。 その後の動きは周知のとおりである。2014年4月に消費増税が実施されると、景気は激しく低迷し、10%への増税は先送りされた。黒田日銀は何とかアベノミクスを支えているが、金融緩和でアクセルを踏みつつ、消費税がブレーキとなっている状態だ。だから緩やかな景気回復は続けているが、「蛇行運転」の状況である。以後、安倍内閣が政権奪還直後の勢いを取り戻すことはなく、現在に至っている。 さて、長々と8%消費増税決定の過程を振り返ったのには意味がある。アベノミクスが安倍内閣の生命線であるのみならず、靖国問題においても、決定的な意味があったからだ。創価学会の「孫請け」になった自民党 木下財務次官が増税への包囲網を敷き、安倍首相が追い詰められていた2013年9月20日。BS朝日の番組において、山口那津男公明党代表が「機運くみ取って」との表現で、くぎを刺した。「安倍首相よ、例大祭に行くな」との意味だ。要するに、生命線であるアベノミクスを自ら断ち切ろうとしている安倍首相を舐めてかかり、ここぞとばかりにくさびを打ち込んできたのだ。靖国問題を解決させないために。 現に、2013年の年末に何とか靖国参拝は果たしたが、安倍首相は例大祭はおろか、靖国参拝そのものを実行できていない。靖国問題を解決するとの安倍内閣の目論見は潰(つい)えている。 以上、この冷厳な現実がおわかりいただけただろうか。 なぜ、総理大臣が靖国神社に参拝できないのか。 創価学会が許してくれないからである。  さらに過酷な現実を直視しよう。現在、安倍内閣は支持率の急降下に喘(あえ)いでいる。これとて、創価学会とその下請け政党である公明党との関係だ。 今年2017年7月の都議会議員選挙において、自民党は記録的な大敗を喫した。4年前の59議席から23議席にまで落ち込んだ。公明党との連立を解消し、その支持母体である創価学会の支持を得られなかったからだ。悲惨なのは1人区である。7つの1人区で、自民党が勝てたのは島嶼部だけである。桧原村ですら敗北した。桧原村と言えば、衆議院の選挙区で言えば東京25区。いかなる逆風選挙でも開票直後に自民党の当確が出る選挙区である。そこですら、創価学会の支持がなければ勝てない。東京都議選で公明党候補の手を取って応援演説をする小池百合子都知事=2017年6月、東京・狛江市(酒巻俊介撮影) 国政では自公連立が続いているが、もはや自民党など創価学会の孫請け政党にすぎない。そんな政党を基盤とする安倍内閣が、創価学会と公明党が忌避する靖国参拝など、できるはずがないではないか。 先に、「金融緩和する→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→政権基盤が強化される」と初期安倍政権が強かった理由を書いたが、それとて「創価学会が支持してくれる限り」との注釈がつく。  では、首相を靖国参拝させたくない勢力の思惑は何なのか。話は、鈴木善幸内閣にまでさかのぼる。 1982年、「文部省が歴史教科書の検定において侵略を進出と書き直させた」との誤報に基づいて、中国と韓国が抗議してきた。これを受けた宮沢喜一官房長官は「近隣諸国条項」の設置を決める。つまり、我が国の歴史教科書は、中韓両国の意に添うように書くことを決めたのだ。これが歴史問題への近隣諸国の介入の道を開くこととなる。 当時、中国は鄧小平、韓国は全斗煥が指導者だった。両国では珍しく、比較的親日的な指導者の時期だった。両国の反主流派にとっては格好の材料だった。「日本の横暴を許すのか」と迫られると、鄧小平や全斗煥も一応の抗議をしない訳にはいかない。それでも日本政府が「内政干渉だ」と突っぱねれば問題は生じなかっただろう。ところが、鈴木内閣宮沢官房長官は、「近隣諸国条項」などと自ら定めてしまう。これでは中韓両国の歴代指導者は、歴史問題が日本で起きるたびに、外交的介入をしない訳にはいかない。前任者より後退できないのは、自明の理だ。靖国問題に理屈などない 続く中曽根康弘内閣が、教科書問題を靖国に飛び火させる。中曽根は、8月15日に靖国神社に閣僚全員で公式参拝し、中韓両国の抗議を惹起(じゃっき)する。その上で、突如として参拝を取りやめた。一説には、中国と「総理大臣は8月15日に靖国神社に参拝しない」との密約が結ばれたとも言うが、よくわからない。とにかく、以後の歴代内閣は靖国参拝を控えるようになる。橋本龍太郎の1回だけの例外を除けば、圧力をはねのけて参拝を敢行する総理大臣は小泉純一郎を待たねばならない。 小泉は「必ず8月15日に参拝する」と公約し、毎年の参拝を続けながらも、実行できたのは、総理退任の年だけだった。どれほどの圧力があったのか。そして小泉以後は、今の安倍首相の1回だけである。靖国神社に参拝した安倍晋三首相(中央)=2013年12月(寺河内美奈撮影) これを中韓両国の立場で考えよう。確かに歴代指導者が日本の首相の靖国参拝を阻止してきた以上、自分の代でやられたくはない。しかし、メンツの問題はともかく、日本の首相が自分の国の神社に参拝して、中韓両国に何の実害があるのか。とすると、政治問題化させて、外交カードとしてゆさぶる道具にできる。しかも、日本の首相が靖国参拝を求める保守勢力に押されていた場合、その政権を揺さぶることすらできる。 私が中韓両国の首脳なら、こう考える。首相の支持者が「靖国に行け」と求めるたびに、連立与党の公明党に「行ってもらっては困る」と止めさせる。たったそれだけで、政権は膨大なエネルギーを割かねばならないのだから、安いものだ。誰がこんな外交カードを手放そうか。 創価学会・公明党と中韓両国の親密さは誰もが知っている。公明党は中韓両国の意向を重視した行動をとるだろう。また、彼らは宗教的理由から靖国神社を快く思っていない。だから小泉内閣のように強い内閣にはおとなしくしているが、安倍内閣のように弱い内閣には平気で拒否権を行使する。中韓両国や財務省などを後ろ盾にして。 ゆえに靖国問題に理屈など存在しない。徹頭徹尾、政局の問題だ。内外の情勢が絡んだ、すべては力関係で決まる。  では、突破口はどこか。 かつて、浜田幸一代議士が迫ったことがある。 「公明党の諸君! 君たちは天皇陛下の次に池田大作先生を尊敬すると誓えるか? 仮にそれを明言できるなら、我々自民党は君たちと連立を組むことができるだろう」 乱暴なハマコー節にしか聞こえないかもしれないが、信教の自由と政教分離の関係を見事に凝縮している。また、近代政党の姿をも示している。ハマコーは、平成元年に参議院で自民党が過半数割れした時に「国会で協力してくれる公明党に閣僚ポストを与えよ」と主張していた。同時に、自民党が国家本位の政党としての理念を示し、筋を曲げない形での連立であるべきだとも主張していた。 現実は、かけ離れている。  さて、安倍内閣が力を取り戻すのは、いつの日か。

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    有望地マップは「ヤンキーのノリ」これで核のごみは再び出口を失った

    夕の解はない。万能感に酔いしれた官僚がヤンキーのノリで解決できるものでは到底ない。技術的問題以上に、政治社会的な問題であることを共通の理解として、丁寧にコンセンサスを積み上げることが必要なのだ。 第2に、対話のテーブルに着く前提条件が整えることだ。真っ先に必要なことは、原発再稼働の圧力を止め「原発モラトリアム」(合意までは全原発の停止)をすることだ。こう書くと原発容認派から「原発を止めるために言っているだけだろう」との批判が飛んでくるだろうが、決して「為にする議論」ではない。 真に核のごみ問題の「出口」に糸口を付けるなら、絶対に必要な条件だと返したい。それがなければ、DVと同じ構図だと、理由は述べたとおりだ。「原発モラトリアム」による電力会社の損失は国が補塡(ほてん)すればよい。交付国債で負担するなど、いくらでも方法はある。 第3に、日本学術会議の提言に戻ることだ 。核のごみ(=使用済み核燃料)の総量規制と暫定保管を基本的な枠組みとして、社会全体の広範な合意を紡ぎ上げることが必要だろう。なお、日本学術会議はさまざまな議論の末に「総量管理」としているが、これでは抜け穴が透けて見えている。ここは厳密に「総量規制」でなければならない。 また、暫定保管とは鋼鉄製の乾式キャスクによる数十年から数百年もの「暫定」保管を意味する。福島第一原発事故時に4号機のプールが危機的であったように、現状の水プール保管方式はコストがかさむ上に、停電時など異常時のリスクが大きい。それに対して乾式キャスクは自然空冷であり、圧倒的にリスクが小さく、長期から超長期の保管に適している。 それを活用した長期〜超長期の「暫定」保管の間に、最終的な「処分」に関して、社会的な合意形成への熟議を図るという意味がある。なお、当然ながら「どこに暫定保管するのだ」という疑問もあるだろう。原則は核のごみを動かすこともリスクだから、原発サイト内が基本となる。ただし、これを巡ってもさまざまな選択肢を議論し合意することも重要だ。再稼働した関西電力高浜原発3号機(左)と4号機=福井県高浜町(本社ヘリから) 第4に、コンセンサスの条件を整えることが必要だ。「原発モラトリアム」はすでに述べたが、加えて、場や進行役が信頼される主体から成ることが不可欠だ。かつて成田空港問題円卓会議で隅谷三喜男氏を委員長に宇沢弘文氏も参加されるなど、そうした誰から見ても納得できる体制を選ぶか、さもなくば、座長も事務局も原発容認・批判の同数で構成して、議論し協力しながら運営することで、中立性を維持することも考えられる。もちろん、そうした場は、オープンで透明な運営を必須とし、幅広い主体の参加を通して丁寧な合意の積み上げを目指すことだ。 要は、核のごみは本当にやっかいな問題だ。すでに純国産でクリーンで無限かつ無尽蔵な風力発電や太陽光発電など再生可能エネルギーが、急速にエネルギーの主力になりつつある中で、こんなやっかいな核のごみを生み出す原発に、これ以上、固執する必要はない。 ただし、すでに生み出した核のごみや合意次第ではもう少し生み出してしまう核のごみについては、私たちの世代で責任を取る必要がある。もちろん、時間的に責任は取り切れないが、出口が見える可能性のある最善の方向性を整えておくことがせめてもの責任の取り方なのではないか。 「暫定」とはいえ場合によっては数百年もの長い間の「保管」、さらには10万年もの長い間の管理を必要とする「処分」と、私たち日本人は、何らかのかたちで核のごみを抱え続けなければならない。これは、福島の地が背負った傷跡ともに、原発に手を染めた日本人が背負い続けていかねばならない「業火」なのである。

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    「スクープよりも訂正出すな」私が読売記者を辞めた本当の理由

    、真実の追求を妨げる報道に加担し、しかも臆面もないその態度は、読者不在の事大主義が凝縮されたものだ。政治の迷走から生まれた安倍首相の独り勝ち現象と、寡占体制下の部数至上主義を堅持する読売新聞の事大主義は、自由や多様性を排除し、不公正な寡占状態を維持する点でつながっている。 ゆがめられた新聞市場が機能不全を起こせば、報道の自由も国民の知る権利も絵に描いた餅でしかない。自由がないがしろにされ、真実が隠蔽された時代の反省から、戦後の日本メディアはスタートした。時計の針を逆戻りさせるような事態に対し、危機感を抱かずにはおられない。 最後に、こうした現状を招いた責任を1人の政治家や新聞社1社に押し付けても、何も変わらないことを注意喚起したい。歴史的経緯を振り返れば、日本の社会全体が反省を迫られていることは明らかだ。 「新聞に書いてある」の殺し文句は、読者の側にも、独立した精神を欠いた事なかれ主義や事大主義が潜在していることを暗示する。いくら読売バッシングをしても、ストレス発散で終わるしかない。読売問題の中に社会の投影を写し見る理性的な思考こそが求められている。 7月12日、61歳で亡くなった中国のノーベル平和賞受賞者、劉暁波氏はこう言い残している。「歴史に対して責任を負うことにおいて最も重要なのは、ただ他人を責めるだけではなく、自己反省をすることである」 この言葉を肝に銘じることが、彼に対する真の弔いとなる。

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    読売新聞が安倍政権の「御用メディア」になってどこが悪い!

    か 官邸主導で進める-------独裁では、一強の弊害だ 首相の決断先送り-------決められない政治 首相の決断----------なぜ急ぐ、もっと慎重に 支持率上昇----------人気取りの政策が多い  支持率下落----------国民の声に耳を傾けよ  これでは、記事は定型化し、ロボットでも記事が書けてしまう。ところが最近は違ってきた。産経、読売ははっきりと右となり、朝日、毎日は以前に増して左となった。日経は政権批判をせず、東京は徹底して政権批判をしている。マスゴミ度ランキングを作ってほしい こうなると、例えば次のようなランキングをつくって、各紙の立ち位置をマトリックスにできるのだから、読者にとってはありがたい。 御用メディア度ランキング、マスゴミ度ランキング、スクープ度ランキング、偏向度ランキング(右、左)、誤報ランキング(誤報率)、フェイク度ランキング、発表もの記事率、スクープ(特ダネ)比率、月間訂正記事数ランキング-etc. 私としては誰かが、上記のような項目をつくり、それを指数化してくれることを願っている。そうすれば、メディアを「食べログ」のように指数化、評価し、好きなメディアを思い切り楽しめるだろう。  ドナルド・トランプ米大統領は、いまもなお世界のメディアをうそつき呼ばわりしている。彼にとっては、自分のツイッター以外はみなフェイクニュースである。米CNNテレビのロゴが重ねられた人物をドナルド・トランプ米大統領が殴りつける映像=7月2日(本人のツイッターから) 「国民はもう誰もメディアを信用していない」とツイートし、米CNNやワシントン・ポストを「フェイクニュース」と宿敵扱いし、英BBCは「ふざけたメディア」と罵倒している。ならば、日本の読売や朝日もぜひ仲間に入れてほしいが、残念ながら、彼は日本などに興味はない。 もはや、なにが真実で、なにが嘘かメディアではわからなくなってしまったこの時代、最後に新聞などの既存マスメディアにお願いしたいことがある。右や左と論調が傾くのはけっこうだが、一つだけ守ってほしいことがある。 それは、やはり事実を徹底究明してほしいということだ。ネットメディアやブログ、SNSでは、プロとしての教育も受けず経験もない書き手が、書きたい放題書きまくり、政治勢力のつくったボットが大量にフェイクニュースを拡散しているのだから、なおさらプロの腕を見せて事実報道に徹してほしい。 既存メディアの記者たちは世界中同じで、腕に「プレス」という腕章を巻いて現場に出かけている。もちろん、腕章なしの潜伏取材も多い。この「プレス」は「フリーダム・オブ・プレス」のプレスだ。このプレスに誇りを持ってほしい。 「フリーダム・オブ・プレス」を支えるのは、公正や正義である。これを持って事実を明らかにしてほしい。「右か左か」「保守化かリベラルか」「政権寄りか反政権か」などどうでもいい。人は「見たいと欲することしか見ない」というが、本当に見たい、知りたいのは「事実」だけである。

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    日本の新聞記者はいつから「倒閣ビラの活動家」になったのか

    門田隆将(ノンフィクション作家) 異常な“政治狂乱報道”が、やっとひと区切りついた。最後は、陸上自衛隊トップの辞任、蓮舫民進党代表の辞任、そして、稲田朋美防衛大臣の辞任という形で、2017年前半の混乱政治が終わった。 それは、本来は、国民に「真実」を伝えるべき新聞が、まるで「倒閣運動体」の機関紙に過ぎないレベルに堕(お)ちたことを示す日々でもあった。今年2月に、南スーダンPKO日報問題と森友問題が勃発し、以後、加計学園問題がつづき、連日、新聞もテレビも、劣化したお粗末なレベルを見せつづけた。 しかし、これらの「ファクト(事実)」とは一体、何だったのだろうか。事実にこだわるべきメディアが、「主義・主張(イデオロギー)」、それも、「安倍内閣打倒」という目的に向かって、報じるべきファクトを報じず、国民を一定の方向に導くべく狂奔した毎日だった。 嬉々として、これをつづける記者たちの姿を見て、「ああ、日本の新聞記者はここまで堕ちたのか」と失望し、同時に納得した。 私は今週、やっと新刊の『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(小学館)を上梓した。締切に追われ、ここしばらくブログを更新することもできなかった。しかし、産経新聞に〈新聞に喝!〉を連載している関係上、毎日、新聞全紙に目を通してきた。 私は今、来年に刊行する政治がらみのノンフィクション作品のために、かつての大物政治家たちの「回想録」や「証言集」を読み始めている。そこには、多くの新聞記者が登場してくる。大物政治家たちは、彼ら新聞記者の「見識」を重んじ、新聞記者に意見を求め、自分が判断する時や、大きな決断が必要な際に、大いに参考にしている。そのことが、大物政治家たちの証言集の中に随所に出て来るのである。 しかし、今の新聞記者にそんなことは望むべくもない。記者がどこまでも追及しなければならないファクトを置き去りにし、「政権に打撃を与えることだけ」が目的の報道を延々とつづけているからである。 会ったこともないのに、天皇や安倍首相が幼稚園を訪問したというデタラメをホームページに掲載し、ありもしない「関係」を吹聴して商売に利用してきた経営者による「森友問題」は、国会の証人喚問にまで発展した末、安倍首相の便宜供与という具体的な事実は、ついに出てこなかった。 問題となった森友学園の土地は、伊丹空港への航空機の侵入路の真下に位置している。かつて「大阪空港騒音訴訟」の現場となったいわくつきの土地である。「騒音」と建物の「高さ制限」という悪条件によって、国はあの土地を「誰か」に買って欲しくて仕方がなかった経緯がある。 そのために、破格の条件でこれらの土地を売却していった。現在の豊中給食センターになっている土地には、補助金をはじめ、さまざまな援助がおこなわれ、“実質的”には100%の値引きとなっている。都合の悪い「ファクト」は報じない また、森友学園と道ひとつ隔てた現在の野田中央公園となっている土地にも、いろいろな援助がおこなわれ、“実質”98・5%の値引きが実現している。それだけ、国はこのいわくつきの土地を「手放したかった」のである。学校法人「森友学園」が小学校用地として取得した大阪府豊中市の国有地=7月27日 森友学園には、地中に埋まっているごみ処理費用としての値引きをおこなって、実質86%まで値下げをおこなった。しかし、前者の二つの土地に比べれば、実質的な値引きは、まだまだ「足らなかった」と言える。これは、新聞をはじめ、マスコミならすべて知っている事実だ。 だが、新聞は、この土地の特殊な事情や、ほかの二つの土地のことに「全く触れず」に、ひたすら安倍首相が「関係の深い森友学園の経営者・籠池氏のために破格の値引きをおこなった」という大キャンペーンをくり広げた。 そして、証拠が出てこないことがわかるや、今度は「忖度」という言葉までひねり出して「疑惑」を継続報道した。国民に不信感を抱(いだ)かせる抽象的なことは書くが、それに都合の悪い「ファクト」は、いっさい報じなかったのである。 加計問題も、図式は同じだ。12年前の小泉政権時代の構造改革特区時代から今治市の民主党(当時)県議の働きかけによって、加計学園は獣医学部新設に動き始めた。だが、新聞はそのことには、いっさい触れず、加計学園は、安倍首相の友人が理事長を務めており、「加計学園に便宜をはかるため」に、「国家戦略特区がつくられ」、獣医学部の「新設が認められた」とされる疑惑をつくり上げた。 森友問題と同じく、ここにも、「憶測」と一定の政治的な「意図」が先行した。そこに登場したのが、天下り問題で辞任した文科省の前川喜平前事務次官である。前川氏は、「行政が歪められた」という告発をおこなったが、抽象論ばかりで具体的な指摘はなく、文科省内の「総理のご意向」や「官邸の最高レベルが言っている」という文言が記された内部文書がその“根拠”とされた。 しかし、現実には、公開されている国家戦略特区の諮問会議議事録でも、文科官僚は獣医学部の新設が「必要ない」という理由を何も述べられなかったことが明らかになっている。そして、いわば「議論に敗れた」ことに対して、文科省内部での上司への弁明の文書ともいうべきものが、あたかも「事実」であるかのように報道され、テレビのワイドショーがこれに丸乗りした。 これらの報道の特徴は、ファクトがないまま「疑惑は深まった」「首相の関与濃厚に」という抽象的な言葉を並べ、国民の不信感を煽ることを目的としていたことである。 ここでも都合の悪い情報は報道から除外された。前述の加計学園が12年も前から手を挙げていて、それが今治選出の県議と加計学園の事務局長が友達だったことからスタートしていたことも、国会閉会中審査に登場した“当事者”の加戸守行・愛媛県前知事によって詳細に証言された。 愛媛県が、鳥インフルエンザやBSE、口蹄疫問題等、公務員獣医師の不足から四国への獣医学部の新設を要請し続けたが、岩盤規制に跳ね返され、やっと国家戦略特区によって「歪められた行政が正された」と語る加戸前知事の証言は具体的で、文科省の後輩でもある前川氏を窘(たしな)める説得力のあるものだった。 しかし、多くの新聞は、ここでもこの重要な加戸証言を黙殺した。自分たちがつくり上げた疑惑が、虚構であることが明らかになってしまうからである。新聞は、前川氏の証言だけを取り上げ、逆に「疑惑は深まった」と主張した。 ついに稲田防衛相の辞任につながった南スーダンの日報に関する報道も、「隠ぺいに加担した稲田防衛大臣」という一方的なイメージをつくり上げた。自衛隊の南スーダンの派遣施設隊の日報は、今年「2月6日」には存在が明らかになり、新聞各紙も防衛省の公表によって、「2月7日付夕刊」から大報道していた。「活動家」になり果てた記者 黒塗りの機密部分もあったものの、日報は公開され、国民はそのことをすでに知っていた。それから1週間後の「2月15日」に防衛省で開かれた会議で、日報を隠蔽することなどは当然できない。しかし、新聞をはじめ、ほとんどのマスコミは、すでに日報が公表されていた事実にいっさい触れず、あたかも「すべてが隠蔽された」という印象報道をおこなったのである。南スーダンPKO派遣部隊の日報=2月 事実を報じ、その上で、批判をおこなうのがジャーナリズムの使命であり、責任であることは言うまでもない。しかし、哀しいことに日本の新聞記者は、いつの間にか「政治運動体の活動家」になり果ててしまったのだ。 外交評論家の岡本行夫氏が、朝日新聞の慰安婦報道をめぐる朝日社内の「第三者委員会」の委員となり、2014年暮れに発表された報告書に記したこんな文章がある。〈当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない(一部略)〉 明確に岡本氏は、「新聞社は運動体ではない」と述べていたが、残念ながら、新聞の実態はますます悪化し、いまや「政治運動体」そのものと化し、もはや、“倒閣運動のビラ”というレベルにまで堕ちているのである。 メディアリテラシーという言葉がある。リテラシーというのは「読み書き」の能力のことで、すなわち「読む力」と「書く力」を表わす。情報を決して鵜呑みにはせず、その背後にどんな意図があり、どう流されているものであるのかまで、「自分自身で判断する能力」のことをメディアリテラシーというのである。 新聞を筆頭とする日本のマスコミがここまで堕落した以上、日本人に問われているのは、このメディアリテラシーの力であることは疑いない。幸いに、ネットの発達によって玉石混淆とはいえ、さまざまな「ファクト」と「論評」に人々は直接、触れることができる。 どうしても新聞を読みたい向きには、政治運動体の機関紙と割り切って購読するか、あるいは、真実の情報はネットで仕入れた上で、その新聞の“煽り方”を見極め、これを楽しむ意味で読むことをお勧めしたい。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2017年7月30日分を転載)

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    安倍総理、国民の生命より「消費増税ありき」でいいんですか?

    の増税実施を確言したことは、消費者のデフレマインドをさらに定着させてしまっただろう。 確かに、現在の政治状況から、この時期に消費増税の「凍結」やあるいは減税などのオプションに言及することは難しい、という指摘もある。ただ、安倍政権が今後、経済政策で積極姿勢を鮮明にしない限り、内閣支持率の上昇を含めて政権の再浮揚は困難だろう。 また、経済政策は単に政権の安定だけが目的ではもちろんない。私たち国民の経済状況、さらには直接に「生命」に関わる問題でもある。7月後半に出された最新の統計によれば、今年前半の自殺者数は前年比で約5・1%減少の1万910人であった。自殺者数は民主党政権時代の後半から減少しているが、その勢いが加速したのは第2次安倍政権になってからである。その要因は、自殺対策への政府・地方政府の予算増加、さらには積極的な財政・金融政策による景気の改善効果によるものが大きい。市場に任せても自殺は防げない 1997年は日本の金融危機と消費増税により経済が大失速した年だ。自殺者数はこの年以降急増、2011年まで14年連続して3万人台であり、ピークの年では3万5千人近くに達した。さらに、自殺未遂した人や自殺しようかと悩んだ人たちまで含めると膨大な数に及ぶに違いない。つまり消費増税による経済失速、その後の経済政策の失敗が、国民の生命を直接に奪ったことになる。4月26日、自殺総合対策大綱の見直しについて議論した厚労省の有識者検討会 実は、経済政策の失敗が人々の「生命」を直接に奪うとした分析を、英オックスフォード大教授のデヴィッド・スタックラーと米スタンフォード大助教授のサンジェイ・バスが『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)で提示している。原題を直訳すると「生身の経済学 なぜ緊縮は殺すのか」というものだ。 スタックラーとバスはともに英国の公衆衛生学の専門家だ。彼らの問題意識は、医療や社会福祉(公衆衛生を含む)に経済政策がどのような影響を及ぼすかどうかにあった。その検証は鋭く、また多くの経済学者が「市場に基本的に任せておけば安心だ」という安易な市場原理主義的信奉に陥りがちなのに比べて、経済学者以上に経済政策の重要性を認識している。 スタックラーとバスの指摘で注目すべきなのは、不況そのものよりも、不況のときに緊縮政策を採用し、経済政策が失敗することで国民を殺してしまうということだ。日本の事例でいうならば、1997年以降の自殺者数の急増は、アジア経済危機や金融危機そのものではなく、消費増税(増税という形ので緊縮政策)であったということになる。また当時の日本銀行による金融政策の失敗が持続したことも大きい。 例えば、不況になれば失業者が発生する。このとき政府や中央銀行が適切に対処しなければ、失業の増加が自殺者の増加を招いてしまうだろう。日本の場合では、失業率が高まるとそれに応じるかのように自殺者数も増加していき、また失業率が低下すると自殺者数も低下していく。この関係を専門用語で「正の相関」という。不況で起こる中高年男性「自殺の引き金」 経済停滞期に緊縮政策を採用することで、男女ともに自殺者数が増加する。ただし、仕事を奪われることによる社会的地位の喪失を、男性しかも中高年が受けやすいといわれている。実際、日本の失業率が増加すると、特に中高年の男性が自死を選択するケースが激増する。現在でも男性の自殺者数は女性のほぼ倍である。もちろん女性の自殺者数も経済政策の失敗によって増加することは同じで、深刻度は変わらない。 スタックラーとバスの本では、2008年のリーマン・ショックで仕事を失ったイタリアの中高年の男性職人が「仕事ができない」ということを理由に自殺したエピソードを紹介している。つまりここでのポイントは、経済的な理由よりも地位や職の喪失そのものが自殺の引き金になっていることだ。 経済政策の失敗の典型は、不況のど真ん中やあるいは十分に回復していない段階での増税だ。先ほどのスタックラーとバスはこう指摘する。リーマン・ショック以後の英政府は当初、積極的な景気刺激策により雇用増加や自殺者減少に貢献したにもかかわらず、それを1年で止め、日本でいうところの消費増税や公務員の人件費カットなど「緊縮策」を採用したことで失業が増え、自殺も増加したとしている。 不幸なことだが、日本の政治家の大半が緊縮主義者だ。政治家の大半は、将来世代のために財政再建が必要であるとか、人口減少社会への対応で福祉を向上させるために「消費増税が必要だ」と語るケースが多い。だが、長期停滞、つまりデフレによる経済低迷を脱しないままで消費増税を目指すことは、確実に国民の生命を傷つけ、最悪の場合、奪ってしまうだろう。 消費税と社会保障があまりも強固に結びついてしまっている日本の制度設計の失敗の問題でもある。いずれにせよ、将来世代と現在の国民の生命と生活の安定を本当に重視するならば、まずはデフレを脱却させ、経済停滞を回避することが最優先であって、「消費増税ありき」「財政再建ありき」ではないのだ。安易な消費増税の確約は、国民の生命を危機に陥れると宣告することに等しい。日本の政治家は、特にこのことを心に刻んでほしい。

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    内閣改造、首相の本心を私はこう読む

    急落した内閣支持率、窮余の策となるか―。政権発足後、最大級の逆風に揺れる安倍総理が内閣改造を断行した。「結果本位の仕事人内閣」と名付けた新内閣の顔触れにサプライズはない。経験と実力を重視した人事の狙いは何か。iRONNAが総力特集で「総理の本心」を読み解く。

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    内閣改造で見えた安倍総理の「改憲メッセージ」

    三浦瑠麗(国際政治学者) 第3次安倍第3次改造内閣の顔ぶれが決まりました。メディアは、改造の目的をうんぬんし、内閣にニックネームをつけ、大騒ぎしています。改造後の世論調査で内閣支持率がどこまで回復するかは、なお見通せませんが、話題を変える効果は確かにあったように思います。私の印象はというと、安倍総理は憲法改正も、総裁3選も全く諦めていない。引き続き、長期政権に意欲満々であるということです。そういう意味では、今般の改造は何をしたいかという政策的志向の要素は一切なく、一にも二にも党内力学を意識した政治的戦術と理解すべきです。改造内閣発足を受けた記者会見を終え、会見場をあとにする安倍晋三首相(左)。右は菅義偉官房長官=7月3日、首相官邸(佐藤徳昭撮影) 内閣支持率の低下を受け、安倍政権があたかも「崩壊前夜」のような印象を振りまくメディアもありますが、日本政治の根本を見ない希望的観測に過ぎません。日本の民主主義のルールは、衆議院の多数派が総理を選ぶというもの。重要なのは、最初から最後まで自民党内の力学です。そして、内閣の支持率低下にも関わらず、ここはいささかもブレていません。細田派、麻生派、額賀派、岸田派、二階派の主要5派閥は安倍政権を支え続けると明言しているのですから、自民党内は平常運転なのです。 安倍官邸からすれば、政権から距離を置く石破茂元地方創生相や野田聖子総務相は怖くありません。石破氏は、政治家としての経験や実力が安倍総理に比肩し得る、党内唯一の存在ですが、党内力学的には厳しい。石破氏にチャンスが回ってくるのは、自民党が政権転落の危機にあるときだけでしょう。自民党は、追い詰められなければ「石破カード」は切らない。それは、ご本人もわかってらっしゃるのではないかとお見受けします。 野田氏は、自民党で存在感がある女性政治家の中では、社会的にリベラルな面があり、人間的にも面白い。経済政策が左旋回しているように見えるのは気になりますが、安倍政権との差を出すためでしょうから、最後は自民党的に常識的なところに落ち着くだろうと思います。女性であることと、安倍総理への遠慮がないことはユニークですが、それ以外にいまのところ「売り」がありません。 政策的に何を象徴しているのか不明だし、野田氏を総裁にすることに政治生命を賭す覚悟がある子分もいません。総務相としてよほど頭角を現すか、周りに一流のブレーンをつけない限り、トップリーダーを狙えるところまでは届かないでしょう。しかも、郵政造反組の野田氏が現政権で結果を残せる可能性は低い。総理も官房長官もそんなことは許さないでしょうから。とはいえ、野田氏がこれから高みへと階段を上っていく過程で、今回の人事をお受けになったことは正解だと思います。 「ポスト安倍」として取り沙汰(ざた)されている面々の中で、政権が多少なりともリスクを感じているのは岸田文雄政調会長でしょう。第4派閥とはいえ、派閥の領袖(りょうしゅう)であり、「党内ハト派」というぼんやりとした象徴性も持っています。仮に、岸田氏が総理に対して主戦論を取るようなことがあれば、一定の支持が集まるかもしれません。私には、今回の内閣改造は、岸田氏を封じ込めるための二重の仕掛けに見えます。岸田氏の反乱を封じる2手 1つは、岸田派から林芳正文科相、小野寺五典防衛相、上川陽子法相、松山政司1億総活躍相の4人を入閣させて優遇していること。これは、岸田氏への配慮であると同時に、いざというときの人質の意味もあります。岸田氏が反旗を翻すようなことがあったときには、閣僚ポスト継続をちらつかせて分断を図れます。特に、林、小野寺両氏は将来に向けての野心もあるでしょうから、岸田派の結束の度合いが試されることになるわけです。 もう1つは、安倍総理の悲願である憲法改正です。岸田氏は、憲法9条は変える必要がないという立場で、総理の改憲構想とは距離があります。政調会長として自民党案を取りまとめる立場にありますが、それが、安倍政権への忠誠と9条改憲に向けての「踏み絵」となるという仕掛けです。総理の方針に基づく自民党内の改憲案がまとまれば、立場上、岸田氏も反対はできないでしょうから、総理と「共犯関係」が生じる。 この構図は、岸田氏の外相時代と同じです。安倍政権の外交の大きな絵は官邸が描き、その上で、実務における岸田氏の手堅さは評価する。よく言えば、岸田氏を「育て」ており、普通に言えば「飼い殺し」にしているわけです。岸田氏自身、現時点で主戦論にかじを切っても勝ち目はないことを理解していますから、与えられた場所で最善を尽くし、官邸が許容する範囲内で自身のカラーを出していくしか道がないわけです。 今回の内閣改造で面白いのは、本当のポスト安倍の構図が見えてきたということです。これまでの安倍政権は、40代、50代の実力者を冷遇し、ポスト安倍の芽をことごとく摘んできました。それは、自民党の伝統には反するけれど、政治的なリアリズムとして政権のすごみでもありました。 ところが、今回の改造は支持率低下を受けてのものであり、なるべく経験者、実力者を配置せざるを得ない。前内閣で失言を繰り返したレベルの低い入閣待機組を入れている余裕はなかったわけです。結果的に、それはとても良いことです。日本政治は、小選挙区制の下で二大政党制を目指しており、中選挙区時代の名残である当選回数に応じた大臣職のたらい回しとはそろそろ決別すべきなのですから。皇居での認証式に向かう(前列左から)環境相に決まった中川雅治氏、経済再生相兼人づくり革命相に決まった茂木敏充氏、法相に決まった上川陽子氏=3日午後、首相官邸 新たなポスト安倍候補として、河野太郎外相、加藤勝信厚労相、茂木敏充経済再生相、西村康稔官房副長官あたりにも注目していくべきと思っています。それぞれ、党内の人望や知名度には、相当程度ばらつきがあります。現段階で、ポスト安倍の本命ということにはならないでしょうけど、最後は党内力学で決まります。安倍総理が、現在の自民党で党内力学と実力で選んだ結果、彼らにポストが回ってきたのですから、それは重要な指標になります。 今般の内閣改造ではっきりしたのは、当分の間、日本政治の主役は安倍総理であり続けるということです。

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    「安倍内閣はあと1年で退陣する」総理はこうスピーチすべきだった

    手法の変更(先祖帰り?)に伴う安倍晋三首相の考え、さらには、今後、安倍首相の目指す政権運営の方法と、政治的な狙いについて考察を加えたい。 まず、呼び込みの前に、党幹部人事も含む19人の閣僚名簿のすべてを、記者クラブメディアに漏らしたのは、森政権以前の旧(ふる)い手法に戻ったと言わざるを得ない。旧自民党型改造の先祖帰りである。 一方で、新しい手法を用いて組閣をメディアの一大ショーにまで引き上げたのが小泉首相である。 1、呼び込みの是非をショー化(呼ばれるまでリークはない)。 2、ポストの提示は本人に直接(官邸に行くまでどの官庁の大臣か本人もわからない)。  このような手法を用いたため、メディア、特にテレビは狂喜乱舞することになった。 大臣適任期の議員事務所にカメラを設置し、官邸からの電話に一喜一憂する姿を収める。呼び出しを受けた議員には、そのまま官邸まで記者がインタビューしながらカメラを回して感想を聞く。さらに呼び込みを受けた議員の顔写真をスタジオのボードに張り出し、誰がどのポストになるかをコメンテーターらが予想する。  侃々諤々(かんかんがくがく)の議論はまさに昼のワイドショー、夕方の情報番組向きの最良のネタになった。換言すれば、内閣改造で「数字」(視聴率)が取れるようになったのである。自民党の新役員が決定し、手をつなぐ(左から)塩谷立選対委員長、竹下亘総務会長、高村正彦副総裁、安倍晋三首相、二階俊博幹事長、岸田文雄政調会長=8月3日、東京・永田町の党本部 小泉首相が意識してこの手法を用いたのかは定かではない。だが、安倍首相も第一次政権時代から一応(時に一部)、この手法を踏襲してきた。よって、小泉政権以降、派閥順送りの推薦名簿は事実上、無意味になっていたのだ。 ところが、今回は完全に小泉内閣の前の、森首相時代以前への「先祖帰り」の手法となった。「旧自民党型改造」と言っていいほどの旧(ふる)い手法である。 そこで、今回の内閣改造で大事なことに触れたい。メディアは就任した大臣の顔ぶれではしゃぐよりも、交代して内閣を去った大臣の検証をおこなうべきだろう。それが新しい内閣の性質をみる上でも重要な要素となる。内閣改造に隠された意図 問題となっていた「国有地払い下げ事件」(森友学園事件)、加計学園問題、稲田朋美防衛大臣の失言の数々。内閣改造によってこれらの問題に幕引きというのは到底許されない。 かつて筆者は田中真紀子外相の政治資金の問題について『週刊文春』と『文藝春秋』の連載の中で追及し、辞任に追い込んだ。 2002年はじめ、その田中氏が外相を辞めた際、国会やメディアはどう対応したか? 一議員に戻った田中氏への説明責任を求める声は止むこと無く、結果、田中氏は参考人として国会に招致され、4月に議員辞職を余儀なくされたのだ。内閣改造のお祭り騒ぎに巻き込まれると大事なことを見落とすことになる。 わたしたちメディアが、また与野党問わず、本当に国会の健全化を求めるのならば、内閣改造に隠された意図を見抜くべきだろう。その中で、安倍首相の今後の思惑も見えてくる。内閣を改造し、会見する安倍晋三首相  =8月3日、首相官邸(佐藤徳昭撮影) 仮にわたしが安倍首相の側近だったら、次のようなアドバイスをするだろう。スピーチライティングはこうだ。 「安倍内閣は来年9月の自民党総裁選をもって退陣します。残り一年、日本経済を再生させ、憲法改正やIR(カジノを含む統合型リゾート施設)法案を着地させ、未来の日本のために力を尽くしたい。そのために、あと一年、与党のみなさんのお力をお借りしたい」 これで一年間の猶予を得られる。支持率が低下し、党内からの「安倍降ろし」も抑えられるだろう。 そして一年後、退陣が近づいたとき、支持率が回復していれば、党内から澎湃(ほうはい)として「安倍首相よ、もう一期」という声を出せばいいのだ。 「みなさんの声に応えて」という大義名分を得た安倍首相は、2021年までの自民党総裁の座を確保できるだろう。直後に解散総選挙を打てば、負けを抑えられる。 現在8月3日午後5時。本稿の締め切りの時刻である。安倍首相の会見は一時間後、果たして、安倍首相はどのような姿勢をみせるだろうか?

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    「河野洋平の子息」を外相に起用した安倍総理の真意

    学園大学教授) 第3次安倍晋三第3次改造内閣が発足した。数カ月前には「安倍一強」の言葉で語られていた政治の風景は、今では様変わりしている。メディアによっては、安倍内閣支持率が既に30%を割り込んでいる。安倍総理にとって、此度(こたび)の内閣改造は「反転」の一手たり得るのであろうか。 筆者が下す内閣評価の基準は、第1が「外交・安全保障政策を切り回せるか」であり、第2が「経済を回せるか」である。日本は、中露両国や米国のように「繊細さ」を軽んじる対外政策展開に走ることができる国ではない。世の人々は、自分の身近な生活に直結する内治案件の行方に関心を寄せるものであるけれども、日本の平和と繁栄は絶えず良好な対外関係にこそ依存する。「ジャパン・ファースト」のような類(たぐ)いの標語を無邪気に呼号するわけにはいかないのが、日本の立場である。 故に、何時の場合でも、組閣人事に際して真っ先に関心が向けられるべきは、外務・防衛の2つの大臣職に誰が起用されるかということになる。此度の場合、次の2つの点を当座の論評として提示できよう。 第1に、小野寺五典氏を防衛大臣職に復帰させたのは、安倍総理における正当な判断であった。4カ月前、筆者が「稲田朋美の『軽さ』は安倍総理の油断の象徴である」で指摘したように、稲田朋美前防衛相の任用は、安倍総理における「油断」を象徴していた。安倍総理が稲田氏の「損切」に踏み込めず、その機を逸し続けたことは、安倍内閣の政権運営に「下降モメンタム」が生じる一因となった。小野寺五典防衛相が陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地を視察に訪れた=2014年4月16日、茨城県(鴨川一也撮影) 安倍総理が、そうした逡巡(しゅんじゅん)への反省を踏まえて小野寺氏を再び起用したのであれば、安倍内閣の安全保障政策に係る態勢は、「原点」に回帰したと評することができよう。小野寺氏における安全保障政策領域の見識や政治姿勢の手堅さについて、それを疑う声を筆者は聞かない。 第2に、興味深いのは、河野太郎氏の外相起用であろう。彼の場合、「河野談話」に名を残し、その故に特に右派層からの評判の最悪な河野洋平元衆院議長の子息という風評は絶えず付きまとう。河野洋平氏自身は、近時でさえ安倍内閣下の対外政策、特に対中政策を評し、「中国の嫌がることばかりやっている」と批判している。河野洋平氏の鮮烈な「対中・対韓宥和(ゆうわ)」志向姿勢の故に、河野太郎氏にも同様な志向があると見る向きは確かにある。ただし、父親と子息の政策志向が同じでなければならない理由はないし、世代も異なる。河野氏が背負う大義とは? むしろ河野太郎氏が外交族として積み重ねた蓄積にこそ、期待するのが大だと見るべきであろう。こうした安倍総理と河野洋平氏の対中認識における「埋め難き溝」を前にして、河野太郎氏は「河野洋平の子息」という風評に引きずられるか、あるいはそれを振り払うのか。それは彼の対応次第ということになる。一般論として語るならば、男子の場合、祖父を尊敬しても父親とは反りが合わないという例が多いとされる。安倍総理は内心、河野太郎氏に政治的な「父親殺し」を期待しているのかもしれない。彼にしてみれば、「父親を超克する」機会を手にできたということになると思われる。首相官邸に入る、河野太郎氏=8月3日午後、首相官邸(松本健吾撮影) もっとも、安倍総理が特に対北朝鮮政策の都合上、中韓両国との「雪解け」を本格的に模索するのであれば、河野太郎氏の「対中・対韓宥和」志向姿勢の風評は逆に利用できるものになるかもしれない。儒教文化圏にある中韓両国が彼の対外姿勢における「父親譲り」の側面に何らかの期待を寄せる局面は、あり得るからである。とはいえ、そうした日本の対中韓「雪解け」政策が動き出す余地は、実際には甚だ乏しいであろう。 折しも、ドナルド・J・トランプ米大統領は、従来、北朝鮮情勢対応に際して中国の役割に期待する発言を繰り返していたけれども、「中国は北朝鮮に関して口だけで、われわれのために何もしていない。米国はこうしたことを続けることは容認できない」と一転して批判するようになっている。また、ニッキー・ヘイリー米国連大使は、国連安全保障理事会での対朝制裁決議案交渉を主導しつつ、「話し合いの時間は終わった。中国は最終的に重大な措置を取りたいのかどうか決めなければならない」という対中督促の言葉を漏らしている。 加えて、文在寅韓国大統領の対北朝鮮政策対応が米国の方針と齟齬(そご)を来しているという疑念は中々、消えない。北朝鮮情勢対応に限っても、米国の対中視線は誠に険しいものになっているし、対韓疑念も払拭(ふっしょく)されないのである。 故に、安倍内閣下の対中政策が河野洋平氏のような人物から「中国の嫌がることばかりやっている」と批判される類いのものであったとしても、それが米国によって歓迎され、「西側同盟ネットワーク」の結束を担保する限りは、それを断固として展開するのが日本の対外政策上の大義である。河野外相が背負うことになるのは、そうした大義なのである。 此度の内閣改造の結果、安倍内閣の政権運営における「下降モメンタム」が実際に反転するかは、判断が付かない。ただし、小野寺防衛相と河野外相の起用には、相応の「安心」が感じられる。この「安心」こそが、今では大事なものであろう。

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    安倍首相を悩ます「持病悪化説」と「昭恵さんの神頼み」

    との交遊咎められ家族会議で絶叫か■ 顔面フル装備防衛大臣に「無神経さがにじみ出ている」■ 稲田朋美「政治資金パーティー」発起人は“死者”だった■ 大竹しのぶ還暦パーティーで古田新太「どういうこっちゃ!」■ 松居一代 船越所属事務所から「億単位の賠償請求」の可能性

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    安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ

    た。自らの手で改憲という悲願の実現が難しくなれば、無理をして政権にしがみつく理由はなくなるのでは」(政治部記者) そうした「安倍退陣」シナリオで、後継として名前が挙がるのは麻生太郎・副総理兼財務相だ。政治アナリストの伊藤惇夫氏が言う。「来年9月の総裁任期満了を待たずに安倍首相が辞任する“有事”となった場合には首相経験者である麻生氏の再登板の可能性が高くなるのは当然です」参院予算委員会の集中審議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=5月9日、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) 10年前の“政権投げ出し”の時と同様、安倍晋三首相の「健康問題」を懸念する声もあり、永田町も霞が関も“麻生シフト”を組み始めている。「霞が関の7月の幹部人事では、外務審議官に山崎和之氏、経済産業審議官に柳瀬唯夫氏が起用され、財務官の浅川雅嗣氏が続投となった。これで主要官庁のナンバー2がいずれも麻生首相時代の秘書官で揃った。気の早い関係者の間では『次の麻生政権の首席秘書官は浅川財務官だろう』といった話まで出ている。霞が関は時の政権が力を失うとみれば離れるのは早い。安倍政権と心中するつもりはない」(財務省筋) 報道各社も、支持率が危険水域に達する中で、「閣内でただひとり、極めて機嫌がいい」(永田町関係者)という麻生氏の動きを注視している。「“夜の麻生サロン”と称される麻布のクラブで、限られた記者数人が集まった会でも麻生氏は終始上機嫌だった。万が一の登板を本人も自覚しているのでしょう。上からは“麻生番を厚くしろ”というお達しが出ています」(前出の政治部記者) ほんの少し前まで、霞が関も大メディアも、窺うのは安倍首相の顔色ばかりだったはずだが、やはり様相は一変している。 加計問題が追及された予算委の閉会中審査での麻生氏は“オレは関係ねェよ”とばかりに終始リラックスモード。安倍首相や稲田防衛相が槍玉にあげられるのを楽しんでいるようにさえ見えたのは、気のせいだろうか。関連記事■ 総理のお友達が書いた「加計言い逃れカンペ」の出来の悪さ■ 安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ■ 安倍首相を悩ます「持病悪化説」と「昭恵さんの神頼み」■ 暴言、路チュー議員以上に批判されるべき不祥事スター2人■ TENGA芸人ケンコバ「夢中になってしまうのが正直怖いです」

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    突き進む総理への道、「入閣拒否」で小泉進次郎が示した本気度

    、進次郎氏は毅然として答える。「そのときの政党に対する支持率が高い低いで自分がどこにいるか決めたら、政治家としての信念はなくなる」。信念に殉じて「火中の栗」を拾う―そう言ったのだ。イケメンの下に隠された男気を有権者は見たことだろう。 だが、視点を変えれば違った様相が見えてくる。大逆風に見舞われた自民党は、株式にたとえれば底値だったのだ。〝含み資産〟からすれば異常に低い株価で、これから必ず反騰するだろう。逆風に見えて、実は順風であると読めば、自民党は「買い」なのだ。だから進次郎氏は帆を高く掲げ、「政治家の信念」という言葉を敢然と口にしたものと読み解ける。「人寄せパンダ」を自認する進次郎 その真逆が、今年2月に行われた千代田区長選挙だ。周知のように、小池百合子氏と都議会自民党との代理戦争として注目された。劣勢が伝えられた自民党陣営は、進次郎氏の選挙応援に期待した。 「人寄せパンダ」と自ら称したのは田中角栄だが、進次郎氏はこのフレーズを踏襲してパンダを自認。自民党が大勝した2012年の衆院選では全国を飛び回り、応援に入った選挙区候補の勝率は実に96%だった。自民党陣営は進次郎氏の投入に乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負を賭けたのである。 ところが、「通常国会の真っ最中のため、スケジュールが合わない」ということで、あっさり断られてしまった。千代田区長選は国政にも影響を及ぼす代理戦争である。しかも応援に入る千代田区は国会の眼と鼻の先にあるにもかかわらず、「進次郎パンダ」はスケジュールを理由に断ったのである。 自民党推薦の与謝野信候補は確実に負ける―。進次郎氏は、そう読んだはずだ。自分が応援して負けたら、世間はどう見るだろうか。「負け戦を承知で、あえて火中の栗を拾った」という評価はしてくれまい。「進次郎の神通力もここまでか」と思うだろう。 雨乞いの祈祷で雨が降るとは信じていなくても、祈祷して効果がなければ祈祷師の悪口を言う。これが人間心理であり、進次郎氏はそのことを熟知しているがゆえに、あえて応援演説に行かなかったものと思われる。上野動物園のパンダは、見物客など意識の外でノンキに笹の葉を食べているが、「進次郎パンダ」は、自分がどう見られているかを冷静に判断しているのだ。有権者らの握手攻めに遭う小泉進次郎氏=2016年7月、茨城県常総市 では、このたびの安倍改造内閣で、進次郎氏はなぜ入閣しなかったのか。改造の目玉として取り沙汰されてきただけに、打診は当然あったはずだ。事実、自民党の二階幹事長も6月20日のテレビに出演し、進次郎氏の入閣、もしくは党役員就任について「安倍総理の念頭にあるはず」「何の役でも何大臣でも務まる人だと思っていますよ」と発言している。 あえて「若い進次郎」にメディアを通じてラブコールを送らざるを得ないほど、自民党を取り巻く状況は、いま大逆風にある。だが、進次郎氏が初当選した2009年の大逆風と決定的に違うのは、当時は自民党の〝底値〟であったのに対して、現在のそれはどこまで値を下げるかわからないということだ。 自民党という「栗」は、いま燃えさかる火中にあると進次郎氏は読んだからこそ、入閣を受けなかったのではないか。これが〝底値〟―すなわち、火勢が衰えつつあると読んだのであれば、進次郎氏はひょいと栗をつまみあげていたことだろう。将来を嘱望された「士官」 よく知られているように、進次郎氏はことあるごとに安倍総理を批判してきた。「被災地の復興は進んでいる」と、安倍総理が東日本大震災の追悼式で挨拶すれば、「私は進んだなんて言えない」と、真っ向から否定した。 安倍総理がアベノミクスの成果を自画自賛すれば、「すでにやってきたことを声高に言い続けるよりも、むしろ(アベノミクスの恩恵の)実感がないという人たちに、何を訴えるのか。アベノミクスの先にあるものは、いったい何なのか」と足を引っ張る。衆院TPP特別委員会で、安倍首相(右)に質問する小泉進次郎氏=2016年10月 正論は「進次郎人気」の一丁目一番地。「こんなこと言うと総理に睨まれるかもしれない」と忖度しない。「本当のことを言ってどこが悪い」という毅然とした居直りと清新さが進次郎氏のウリでもある。意識しての言動であるはずで、進次郎氏が、自分のこの立ち位置を知らないとしたら、それは政治家失格ということになる。 だから、総理を批判すれど自民党を飛び出さない。「ここまでの批判であれば、むしろガス抜きとして許容される」という土俵際を心得ている。だから、ちゃぶだい返しは絶対にしない。 将来を嘱望される若手士官にとって何より大事なのは、軍という組織であって、時の司令官ではない。司令官が誰であれ、軍の中で地歩を占めていき、いずれその席に自分が座ることが最終目標なのである。こう考えれば、進次郎氏が入閣しなかったのは当然と言っていいだろう。 政界に限らず、組織に生きる人間は、地位という「栗」の争奪戦である。一兵卒は勝負を懸けて火中に手を突っ込み、将来を嘱望される士官はヤケドしないよう火勢を慎重に見極める。 こう書けば当たり前に思われるかもしれないが、自分の「立ち位置」を客観的に判断できる人間は少ない。まして、自惚れ屋の政治家たちはなおさらのこと。稲田某、金田某、今村某という政治家を持ち出すまでもなく、見境なく「火中の栗」を拾って大ヤケドする。 筆頭副幹事長を任じられたとはいえ、進次郎氏の事実上の「入閣拒否」は、組織における処し方について、大いなる示唆を私たちに与えてくれるのだ。

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    「利上げして景気回復」枝野幸男の経済理論が凄すぎてついていけない

    い。軽減税率の導入への反対や、衆議院の定数是正などに絡めたものであった。要するに、その都度その都度の政治情勢で、まともな理由にならないものを列挙し、消費税についての立場を変更しているともいえる。だが、その基本的なスタンスは、消費増税への賛同であることは間違いない。消費増税は低所得者層に有利? 今回の有力候補といわれる二人の消費税に対するスタンスを見ておこう。前原氏は、昨年の代表選で出した「まず身を切る改革・行政改革。その上で希望と安心のALL for ALL 『尊厳ある生活保障』」と題された資料を見てみると、消費税を10%に引き上げ、教育や保育の充実を目指すと述べていた。積極的な金融緩和など、今日の日本経済で効果を上げている政策についてはほぼ無視している。前原氏については今回も大差ないのではないか。つまり、前原氏の経済政策観は、民進党のスタンダードなものである(参照:「反省なんてまるでない! 「緊縮ゾンビ」だらけの民進党代表選」)。いままでこの連載でも多くを書いてきたので、今回は枝野氏について特に紙数を割きたい。地元の祭りに参加し、住民と言葉を交わす民進党の前原誠司元外相=7月30日、京都市左京区 枝野氏については、2012年に出された著作『叩かれても言わねばならないこと。』(東洋経済新報社)が参考になる。同著では、所得税よりも消費税がむしろ現在の生活水準が高くない層には有利だと説明されている。消費税が、低所得者層に負担が重いという「逆進性」の指摘を否定している。そして消費が多く生活水準の高い「引退世代」に負担してもらうという主張であった。 しかし、この枝野氏の主張ほど実際の消費税の負担について間違ったものはない。消費税の「負担額」は確かに高所得者の方が大きいが、やはり「逆進性」の懸念通りに、低所得者層の方が消費税の「負担率」が高くなっている。 消費増税が直近で行われた2014年4月から8月にかけての統計データを見て、現在の日本銀行審議委員である片岡剛士氏は、『日本経済はなぜ浮上しないのか』(幻冬舎)の中で以下のように指摘していた。「消費税増税が始まった2014年4月から8月にかけて悪化が深刻であるのは、世帯所得が最も低い第一分位及び第二分位といった低所得層の家計消費であり、かつ勤労者世帯の中でも非正規労働者の比重が高い低所得者層の悪化度合いが深刻であることがわかります。消費税増税の逆進性に伴う負担率の高まりが低所得者層を中心に生活防衛意識を高めて支出を抑制しており、家計消費の回復にブレーキをかける一因となっているのです」(同書、180ページ)。 この状況は2014年から16年までほとんど変わらず、低所得層の消費の動きは低迷したままである。枝野氏の主張は現実の動きの前では否定されたといっていい。信じられない枝野氏の「トンデモ経済論」 さらに枝野氏には興味深い主張がある。それは以前から「利上げして景気回復」という主張である。これは端的にトンデモ経済論の域だと思われる。筆者の知る限り、08年9月下旬のテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」の番組中に表明している。当時はもちろんリーマン・ショックが顕在化したころであり、深刻な経済危機に世界が直面していた。その中での発言である(当時の記録が筆者のブログにある)。 通常は、経済危機や深刻な不況のときは、金利を引き下げることが重要だ。もし金利を引き下げる余地がないときは、今度は中央銀行が供給するマネー自体を増やしていく、さらには物価安定目標(インフレ目標)の導入で人々の予想をコントロールしたりすることが重要だ。なぜ金利を引き下げるかといえば、経済が落ち込んでいるときは、民間の消費や投資が振るわないときだ。例えば、住宅ローンでも車のローンでも金利を安くした方が借りやすくなるだろう。もちろん金利が変動型であればそれだけ返済負担も少なくなる。消費だけではなく、企業の設備投資のための金利負担も軽くなる。 だが、どんな教科書にも経済危機や不況に、金利を引き上げて景気回復が行われるとは書かれていない。当たり前だが、そんなことを経済危機に行えば、経済は壊滅的な打撃を受けるだろう。それをリーマン・ショックの時期に行えというのは、かなり経済政策のセンスを根本的に疑う事態だろう。「朝まで生テレビ」で同席していた嘉悦大学の高橋洋一教授も同様に、枝野氏の経済政策観を批判している。 やはり、枝野氏の経済政策観は、緊縮主義、その一種である「清算主義」に立脚しているかもしれない。不況や経済危機のときに、積極的な金融緩和や財政拡大で介入することは、かえって非効率的な企業や非効率な人々の経済活動(一例で余剰人員など)を温存させてしまう。だから不況や経済危機は市場に任せて放置した方がいいという経済思想である。そしてこの清算主義もまた間違っているにもかかわらず、何度も政策議論の場でよみがえってくるゾンビでもあるのだ。講演後に記者団の取材に応じる民進党の枝野幸男元官房長官=7月29日、さいたま市 ただ枝野氏は「利上げ」という形で積極的に市場に介入して、さらに不況を深めるかもしれないので、積極的清算主義という新種の可能性がある。このような「介入」が、彼が市場に任さないで、政府の活動を重視する「リベラル」という評価の源泉なのかもしれない。ただあまりに「自由すぎる」発想で、筆者はついていけないのだが。 まじめに話を戻せば、前原氏も枝野氏もともに緊縮主義であることに大差なく、蓮舫-野田体制とこの点で変化はみじんも期待できないのではないか。ここに民進党の低迷の真因がある。

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    「稲田大臣への報告はあった」日報問題の真実はそれしかない

    存在を改めて指摘しながら「真相を明らかにしませんでした」と監察結果を断罪した。 日本テレビの番組でも政治部長が「稲田大臣が関わったわけではないと結論付けたわけではない」と解説した。TBSも「曖昧な表現にとどめた」と報じ、テレビ朝日も「保管の事実は(稲田大臣に)伝えていたことがANNの取材でわかっています」と明言し「十分に解明されていません」と監察結果を批判した。NHK総合テレビも正午のニュースで「解明できない点も残りました」と報じた。特別防衛監察の結果を公表する稲田防衛相=7月28日、防衛省(納冨康撮影) 他方、稲田大臣は辞任表明会見で「私への報告がなかった」と明言、監察結果を“錦の御旗”に掲げながら、「隠蔽了承、そのような事実はない」と断言した。フジテレビが報じたメモについても、「しかしながら、私の認識を覆す報告は一切なかったと承知しております」との表現で、報じられた事実関係を全否定した。 もし、稲田大臣が真実を語ったとすれば、これまで全マスコミが誤報を繰り返したことになる。ひとり大臣を除き、防衛省・陸上自衛隊の主要幹部らがウソをついたことになる。あろうことか、メモまで捏造(ねつぞう)し、大臣を陥れたことになってしまう。 真実はひとつ。大臣への報告はあった。監察結果のとおり「日報データの存在を示す書面を用いた報告」はなかったとしても、大臣室における口頭での報告は複数回あった。そうとしか考えられない。同時に、稲田会見もまた真実を語ったとすれば、大臣は複数回にわたる口頭報告の中身を正しく理解できなかった。そういうことになろう。いずれにせよ「自衛隊の隊務を統括する」(自衛隊法第8条)防衛大臣がすべての責任を負う。その大臣が部下に責任を転嫁するなど、あり得ない。 この1年間で、防衛省・自衛隊が失ったものは大きい。次の防衛大臣が背負う責任は重大かつ深刻である。

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    「自衛隊は自民党の軍隊」稲田辞任は護憲派にとって最大の功績である

    ものだった。自衛隊は、過去に違憲判決もあったことなどから、どうすれば国民に支持されるかを探ってきた。政治的な争いから身を引いた場に自分を置くことも、その一環であった。稲田氏の発言は、本人が自覚していたかどうかは別にして「自衛隊は自民党のものだ」とする立場を鮮明にするものであり、自衛隊が模索してきたものとは真逆の立ち位置である。言葉は悪いが、中国人民解放軍が共産党の軍隊だとされていることと同じなのである。都議選の自民党候補を応援する集会で演説する稲田防衛相=6月27日、東京都板橋区 これは、安倍首相が最大の目標と位置づける憲法改正に深刻な影響を与える性格の問題だけに、その時点で首相はもっと敏感にならなければいけなかった。安倍首相は5月3日、憲法9条の1項2項はそのまま残して、自衛隊の存在を別項で位置づけるという「加憲案」を提示した。これに対する評価は立場によりマチマチだが、首相の言明によると、憲法解釈は変えないで自衛隊の合憲性を明確にするものだとされ、当初の世論調査では支持が高かった。9条を残すことで護憲派に配慮し、国民の支持が高い自衛隊を明記するというわけだから、反対するのは簡単ではないのである。 しかし、この案が多数の支持を得るのが可能になるのも、自衛隊の政治的中立性が保たれているという安心感が国民の中に存在してこそである。河野克俊統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるということであれば、非常にありがたいと思う」と発言し、自衛官のそういう気持ちは私もよく理解できる。しかし、政治的に深刻な争いになっている問題で、一方の側だけに加担するというのは、自衛隊の基本的な性格に関わる問題であった。 「自衛隊は自民党の軍隊」という前提に立った稲田氏の発言の衝撃度は、河野氏の発言の比ではなかった。現在の自衛隊について憲法上の位置づけを明確にするだけということだったのに、その自衛隊はかつてのような国民の支持を模索する自衛隊ではなく、特定党派の自衛隊というのだから、国民は皮膚感覚で加憲案に胡散(うさん)臭さを感じたのではないだろうか。安倍内閣の支持率とともに加憲案への支持も低下しているのは当然である。自衛隊の隠蔽体質を浮き彫りに 稲田氏辞任の直接のきっかけとなった南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題も、同じ見地で捉えることが可能だ。加憲により明文で位置づけられることになる自衛隊を「政治的争点」にしてしまったということである。 もともと昨年7月のジャーナリストの開示請求に対して、「(陸上自衛隊が)廃棄しており不存在」だから公開できないと答えたことは、自衛隊の隠蔽(いんぺい)体質をうかがわせるものである。しかし、今年2月になって、その日報は統合幕僚監部に保管されていることが分かり、公開されたのである(陸自にも保管されていたことも分かった)。ところが、公開されたにもかかわらず、一連の事態の推移の中で、自衛隊の隠蔽体質と政治化が現実以上に国民の認識になったように思われる。 そうなったのは、陸上自衛隊に対する特別監察の過程で、稲田氏と自衛隊の間に確執が存在しているように見えたからである。稲田氏は一貫して、日報の存在は報告されなかったし、隠蔽を了承したこともないと発言している。特別監察の結果も、稲田氏が参加する会議で日報の存在について出席者から発言があった可能性は否定できないとしつつ、非公表という方針の了承を求める報告があったり、それを稲田氏が了承した事実はなかったとした。稲田氏の発言と異なるのは、会議で発言があった可能性を認めただけである。 真相は分からない。ただ、少なくとも稲田氏の発言がもたらしたものは、自分は報告があるなら公開せよという立場なのに、自衛隊からの報告はなかったという印象である。自衛隊の隠蔽体質を浮き彫りにする役割を果たしたわけだ。稲田朋美防衛相の辞表を受理し、会見で頭を下げる安倍晋三首相=7月28日、首相官邸(斎藤良雄撮影) これに対して、稲田氏には報告したとの暴露が、おそらく自衛隊側から相次ぐことになるだろう。自分たちだけが悪者にされてはたまらないからだろうとの観測があり、同情もされているが、一方、「政治に盾突く自衛隊」というイメージが膨れ上がっているのも事実だ。「クーデターだ」「二・二六事件の再来だ」と極端なことを言う人も出ている。加計学園をめぐる首相官邸の役割をめぐって文部科学省から内部文書が暴露されると歓迎する人が、自衛隊が同じことをすると危険視するわけである。 自衛隊は今回、別に武力を振りかざしているわけではない。言論を行使する枠内でのことである。しかし、自衛隊は一貫して政治への関与を慎んできただけに、少しでも関与しようとすると、必要以上に警戒されるわけである。 このままでは憲法改正の議論が、政治化した自衛隊、自民党の軍隊を憲法に明記するのかという問題に発展しかねない。ところが、最後まで稲田氏をかばい続けた安倍首相には、そういう認識はなかったようである。稲田氏を個人的にかわいがるあまり、信念を実現するために必要なことまで見えなくなっているのではないか。護憲派の私としては、それこそが稲田氏の最大の「功績」である。

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    【菅野完独占手記】すべてを失った籠池泰典が私だけに語った本心

    づけた。各方面からの視察が相次いだ。その評判を聞きつけた中山成彬や山田宏など、「愛国心」を売りにする政治家たちが、「人を集めるコンテンツ」としての塚本幼稚園に目をつけるのは時間の問題だった。「愛国論評」で売り出し中だった青山繁晴や竹田恒泰などの保守論壇人たちも同様。彼らが塚本幼稚園で相次いで講演したのは、なにも籠池氏側からのアプローチだけが理由ではない。安倍・籠池「蜜月」のころ 実際にあの当時の保守業界では「塚本幼稚園の愛国教育」が「流行(はや)って」いた。当時のあの界隈(かいわい)の人士が幼児教育を語る際のトレンドは、「愛国教育に邁進(まいしん)する塚本幼稚園を称揚する」ことだった。現に、青山繁晴は当時ネットメディアに出演した際、「塚本幼稚園の籠池園長は立派。塚本幼稚園がんばれ!」と宣伝までしていたではないか。 こうした背景を踏まえれば、籠池氏が安倍晋三夫婦と接近し得たことは、極めて自然だったことが理解できるだろう。「施政方針演説の直後の辞任」という前代未聞の醜態をさらして総理の座をほうり投げた安倍晋三を、保守業界は支え続けた。保守論壇誌には安倍再起論が盛んに掲載され、各地の保守団体のイベントでは安倍晋三をゲストとして招聘(しょうへい)する動きが続いた。 そんな流れの中で籠池氏の周りでも「愛国教育で名高い塚本幼稚園で、安倍晋三講演会が開催できないか」との企画が立ち上がる。籠池氏が安倍サイドと初めてコンタクトをとったのは平成23年暮れのこと。人を介して電話で昭恵氏と会話したのが最初だという。昭恵氏と会話を重ねるなかで講演会の計画は具体化していき、平成24年10月に実現の運びとなったが、突如、安倍は総裁選への出馬を表明。講演会は直前にキャンセルとなり、籠池氏の手元には安倍事務所からの丁寧な謝罪の手紙が届いた。 その後も籠池氏と昭恵氏の交流は続き、「安倍晋三記念小学校」という名称の応諾も、平成26年3月に東京のホテルオークラで行われた籠池夫妻と昭恵氏の会食も、「極めて自然な会話の中で」(籠池氏談)次々と決まっていった。籠池氏によれば、昭恵氏からは「普段から、主人は塚本幼稚園の教育内容に感心しており、いまも総裁選出馬で講演会が取りやめになったことを残念に思っており、いつかはお邪魔してお話したいと言っている」との話を何度も聞かされたのだという。大阪地検に入る籠池泰典氏と妻の諄子氏 =7月27日、大阪市福島区(安元雄太撮影) 確かに安倍首相は今年2月「籠池理事長は大変熱心な教育者だと妻から聞いている」と国会で答弁してはいる。この籠池氏の証言はある程度は信憑(しんぴょう)性を認めてもよいだろう。その後の籠池氏と昭恵氏の交流が、どのような経緯をたどり、あの小学校の土地取引にどのような影響を与えたかに関する籠池氏の証言は、国会の証人喚問や各種の報道でご承知の通りだ。 だが、この「安倍・籠池蜜月関係」も、森友事件が国会で取り沙汰されるにつけ、ヒビが入るようになる。はじめて国有地不当廉売事件が国会で質問された当初、安倍首相は塚本幼稚園の教育内容と籠池氏の教育者としての資質を称賛しさえしていた。 しかし、不透明な土地取引の実態、幼児虐待疑惑、運動会での「安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!」の選手宣誓など、新事実が明るみに出る中で安倍首相は答弁の方向を変更し、ついにはあの「私や私の妻や事務所が関与していたというのであれば、総理も議員もやめる!」と口走る。この不用意な一言で森友事件は一気に政局化し、そして籠池氏の運命も転落の一途をたどった。籠池氏の「信仰回帰」 籠池氏本人の認識にたてば、「先代からの宿願であった小学校建設に邁進(まいしん)するなかで、教育基本法改正という時代の風が吹いた。その風に乗ったところ安倍夫婦と繋がった。その後その風は神風となり、小学校建設一歩手前までこぎ着けた。にもかかわらず、安倍夫婦の変心で神風は逆風となり、いまやすべてを失った」ということなのだろう。 「いまおもたら、ここ数年間は、安倍さん夫婦の一言一言に翻弄されてきたようにさえ思う」 そう語る籠池氏の顔には寂寥(せきりょう)感さえ漂っている。当時の顧問弁護士だった酒井弁護士とともに盛んにテレビに露出していたころの、「大阪のあくどい中小企業者」然とした面影は、もはやどこにもない。 3月末の国会証人喚問の後、籠池氏はある習慣を再開した。毎朝5時に起床。そのまま端座合掌し約一時間ほど瞑想(めいそう)する。「生長の家」の教祖・谷口雅春氏が提唱した瞑想(めいそう)法「神相観」だ。元来籠池氏は熱心な「生長の家」信者。かつては毎朝「神相観」を行っていた。しかし小学校建設プロジェクトが加熱したころからいつしかこの瞑想(めいそう)を行わなくなったのだという。自宅前で取材に応じる籠池泰典氏(左) =7月27日、大阪府豊中市 「いろんなことが次々と起こり、舞い上がっとったんやろうな。神想観(しんそうかん)もやらんようになったし、『甘露の法雨(かんろのほうう)』(生長の家の経典)も読まんようになってた。いまようやくその大切さを思い出し、またやりはじめたところ。まあこんなんでは、雅春先生に怒られるわなぁ」と、籠池氏は自嘲気味に自分の「信仰回帰」を語る。 「僕は何が大切か思い出した。何が根本なのかを思い出したんや。安倍さんはどうやろうなぁ? 第一次政権のころのような、あの混じりけのない愛国心はどこへいってしもうたんやろうな? 地位のため嘘をつき、他人を蹴落とす。あのままでええんかね? あんな人が総理大臣で、日本国はほんまに大丈夫やろうかね?」 籠池氏の問いかけに、安倍首相はなんと答えるのだろうか。

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    森友事件「告発」市議が緊急寄稿 私はこうして安倍政権を追い詰めた

    うなったのか」、つまり誰が、どういうプロセスを経て、そのようないびつな決定を下したのかである。そこに政治家(首相夫人を含む)の介入があったのか、なかったのか。その点だが、これについても、昭恵氏の関与があったことは、すでに疑いの余地などない。 そうならば「しかるべき人物に、しかるべき形で責任を取らせる」という、まさにここだけが手つかずのまま残されていることになる。 そもそも国有地の売買契約書をめぐって、私が提訴に踏み切ったのは、市議として「直感的」に不正があると確信したからだ。正直に言えば、自分が暮らす豊中市で、児童に教育勅語を暗唱させるような異様な皇民化教育をする小学校ができるなんて「我慢ならん」という思いもあった。「森友学園」が小学校用地として取得していた大阪府豊中市の旧国有地 また、この国有地は、元はと言えば豊中市が国から無償貸与を受けて公園として整備したいと考えていた物件だ。だが、国から「無償貸与などできない、使いたいなら買い受けろ」と強く迫られたため、泣く泣く断念したという経緯も不正を追及しようと決意した理由の一つだ。 ただ、名誉校長が昭恵氏で、理事長の籠池氏は安倍政権の強烈な支援組織といえる「日本会議」関係者であり、いわば「安倍政権」に直結する。これはひょっとすると、土地取得をめぐって何か胡散臭いやり方をしているのではないか。 だとすれば、そこを突けば、開校を阻止できるかもしれないと考えたのだ。この直感は的中したといえるだろう。案の定、「政権中枢と大阪維新が車の両輪となり、極右カルト学園の開校を全面支援した」という事件であることが明確になった。 結果として、開校を阻止できたわけであり、目的を達成できたかのうように見えるが、今はむしろ、歯がゆい思いの方が大きい。それは、一連の森友学園問題を通じて、この国には民主主義がまともに機能していないことを改めて見せつけられたからだ。「打倒安倍政権」と直結した闘い だれもが記憶しているはずだが、国権の最高機関たる国会での正式答弁で、安倍首相は「自分や妻が関与していたなら、総理も国会議員も辞める。間違いない。はっきり言っておく」と述べた。ならば、昭恵氏が大阪府私学審会長の梶田叡一氏と会っていたことも明らかとなった今、安倍首相は政治家を辞めるのが当然なのだ。 ところが安倍首相はいまだ辞めることなく、昭恵氏は国会証人喚問どころか記者会見すら開かず、森友学園問題については完全なダンマリを決め込んでいる。これでは、国会での議論など何の意味もない。戦没者墓地で日本の海軍兵を悼む安倍晋三首相(左)と昭恵夫人=2017年5月、マルタのカルカラ それだけではない。財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は、土地売却をめぐる森友学園側との交渉記録について「売買契約締結をもって事案終了、事案終了と同時に記録は廃棄」と答弁した。「10年分納の契約なのに、契約締結と同時に事案終了なんておかしい」と指摘されたことに対し「一定期間経過すると、自動的に消去されるシステムになっている」との珍答でごまかしている。 「そんなばかな話があるか!」「仮に消去されても復元できるはずだ」と追及されると「間もなくシステム更新作業を始めるので、完全に消去され、復元も不可能」だという。それならばと、東京のNPO団体が証拠保全のためシステム更新作業をしないよう求める仮処分を申し立てたところ、東京地裁はこれを棄却してしまう始末だ。 そして6月1日から予定通り財務省のコンピューターシステムの総入れ替え作業が始まっている。報道によると、この作業にかかる費用は52億円にものぼるらしい。つまり、莫大な血税を投じて証拠隠滅を図っているのと同じではないか。 森友学園事件と「政治の私物化」という点で共通する加計学園問題も大疑獄事件に発展しているが、政権の対応はほぼ同じだ。完全否定し、情報を秘匿する。要は、どんな追及を受けてもひたすら「知らぬ存ぜぬ」を決め込み、やり過ごそうということだ。 そのようなふざけた態度を取り続ける安倍政権が「話し合っただけで罪になる」共謀罪を委員会採決をすっ飛ばすという禁じ手で強行成立させた。さらに、安倍首相は抗議行動に出た市民に対し「あんな人たち」呼ばわりしたのである。 最期にもう一度言っておく。「しかるべき人物に、しかるべき形で責任を取らせる」。これなくして民主主義は健全に機能しない。今や私にとって、森友学園事件とは、民主主義を守る闘いに他ならない。そして、その闘いは「打倒安倍政権」と直結しているのである。

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    籠池夫妻はどうしてこうなった?

    あのお騒がせ夫婦が久しぶりにメディアをにぎわせた。学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐる補助金不正受給事件で、大阪地検特捜部による初の取り調べを受けた籠池夫妻である。第一報からはや半年。被害妄想にも似たド派手なパフォーマンスは相変わらずだが、どうしてこうなったのか。

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    籠池夫妻を「捨て身の行動」に走らせた引き金は何だったか

    が表面化したとき、安倍政権に大きなダメージを与える問題になるとは思っていなかった。これは、日本の地方政治で日常的によく行われていることに思えたからだ。しつこく繰り返された「普通の陳情」 一般的に、籠池氏のような学校経営者と政治家の間に、日常レベルでさまざまな接触があったとしても、別におかしな話ではない。運動会など学校行事に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すのはよく知られていることだ。自民党や日本維新の会のような「保守」が塚本幼稚園に顔を出し、「教育方針が素晴らしい」などリップサービスを交えた来賓祝辞をしたことは、容易に想像できることである。 そんな日常的で気楽な付き合いの延長線上で、籠池氏が「小学校を設置したい」と、言い出すようになったのだろう。最初は地方議員に陳情を繰り返し、話がなかなか進まないと鴻池祥肇元防災担当相のような国会議員に陳情をしていったということだ。「学校の認可・設置に関する政治家への陳情」というだけならば、どこの地方でもよくあることだ。「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」程度のことなら、別に珍しい話ではない。 実際、鴻池事務所に対する籠池氏の「陳情報告書」の記録が明らかになっている。そこには、鴻池氏の元秘書・黒川治兵庫県議会議員(自民党)や、中川隆弘大阪府議会議員(大阪維新の会)らの名前が出てくる。彼らは、再三再四に渡って、籠池氏から「鴻池事務所につないでほしい」と依頼を受けていた。そして、「相談に乗ってあげてよ」という形で、鴻池事務所につないだという。ここまでも、まだ通常の陳情の範囲内だ。3月1日、森友学園の籠池泰典理事長との面会について説明する自民党の鴻池祥肇参院議員。口利きなどの関与を強く否定した しかし、2016年3月に森友学園が、くい打ち工事を行う過程で新たな地下埋蔵物が発見されたことをきっかけに、資金不足のために土地を賃貸することから、突然購入に方針転換してからは、陳情攻勢のしつこさが尋常ではなくなった。報告書には、「うちはコンサルタント業ではありませんので」「うちは不動産屋と違いますので。当事者同士で交渉を!」「どこが教育者やねん!」「大阪府の担当者は、土地以外(の生徒募集)を一番懸念されているようですが」などと、籠池氏のあまりにしつこい陳情に、鴻池事務所があきれかえっていた様子が記されていた。 そして、籠池氏は、要求に応じない近畿財務局を飛び越えて、財務省理財局を訪れて直談判に及んだ。その際、理事長は鴻池事務所にアポイント取りを依頼したが、断られていた。しかしアポイントなしで理財局に乗り込み、ゴミ処理代を8億1900万円とする内諾を得て、評価額9億5600万円の国有地を、1億3400万円で購入したのである。 要するに、籠池氏は地方・国のさまざまな政治家に接触し、近畿理財局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。彼が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのだ。つまり、地方議員も鴻池氏も、ルールに従って事務的に対応していた近畿理財局を動かすことはできなかったのだし、そもそも動かす気がなかったように思われる。ここまでは全て通常の「陳情」であり、何も違法性はない。首相が「口利き」するはずがない理由 結局、財務省理財局で何がどのように決められたかが問題であり、そこに政治家の関与、それも鴻池元防災相を超える「大物」、はっきり言えば安倍首相が関与したかだけに焦点が絞られることになる。 だが、基本的に安倍首相が「口利き」をしたはずがない。首相は、2006年9月に発足した第1次政権をわずか「365日」の短命政権に終わらせるという失敗を経験している。その一因は、年金未納問題や度重なる閣僚のスキャンダルなどで支持率が低下し、求心力を失ったからだ。スキャンダルが頻発したに背景には、教育基本法改正など、首相が保守的な信念を貫こうとして、左翼勢力を本気で怒らせたからだと考えている。5月9日、学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題を巡り、昭恵夫人のメールの記録などを手に答弁する安倍首相 安倍首相は、2012年12月に政権復帰するにあたって、この第1次政権期の失敗からさまざまな教訓を得ていたはずだ。それは、政敵に隙を与えないために、「守り」を固めるということだ。例えば、首相は、自身の保守的な思想信条を表明するのに非常に慎重だった。もちろんその間、特定秘密保護法、安保法制などを実現してきた。それでも、愚直に政策実現を目指した第1次政権期と比べれば、「アベノミクス」による経済重視を打ち出し支持率維持を図るなど、相当に慎重に振る舞ってきていた。 そんな慎重な安倍首相が、保守系の学校法人の土地取得に関与するなど、危ない橋を渡るはずがない。本人ではなくても、スタッフが関与したというかもしれないが、本人以上にスタッフが慎重なはずで、ありえないことである。 そのことを考えれば、結局、財務省理財局が籠池氏の直談判を自らの判断で受け入れてしまったと考えるべきだ。要は、籠池氏が安倍首相と「近い関係にある」と思い、安倍首相の意向を「忖度(そんたく)」して、理財局の判断だけで話を通してしまったのではないだろうか。 これも一般論だが、日本社会では「うるさい人」がやってきたら、いちいち理屈で抵抗しないで、できるだけ触らない、関わらないということで話を通してしまうということがよくある。まして、権力を持つ人がバックにいるとなれば、なおさらである。 籠池氏が財務省理財局に直接乗り込んできて、「安倍首相がバックにいる」とか、あることないことを言って圧力をかけたことは容易に想像できる。理財局からすれば、本当に首相がバックにいるのかどうかはわからない。しかし、杓子(しゃくし)定規に断った後で、本当に首相が出てきたら面倒な話になってしまう。事態を一変させた証人喚問 当時、麻生太郎財務相が国会で「適切に処理した」と再三答弁しているように、国有地の売却自体は、財務省理財局の権限でできるもので、違法ではないのだろう。だから、首相などに確認することもなく通したということだ。それならば、至って「日本的な話」だということになるのではないだろうか。 もちろん、14億円相当の国有地が森友学園に実質200万円で売却された経緯は不可解であり、真相が明らかにされなければならない。だが、この仕事はスキャンダラスな報道を続けるメディアを背景にした野党の追及では限界がある。学校法人「森友学園」が小学校用地として取得していた大阪府豊中市の国有地=7月27日 安倍首相はこの問題が発覚した当初から、「会計検査院」に調査を委ねるとしたが、それは別にこの問題から逃げたかったわけではないだろう。強い調査権限を持つ会計検査院の調査結果がないと、内閣は行政の誤りを認められないからだ。 繰り返すが、麻生財務相が国会で再三説明したように、国有地の売却については財務省に権限があり、その範囲内で処理したものには「違法性」はない。違法性がなければ、いくら野党が追及しても、財務省は誤りを認めようがない。それ以上に踏み込んで、国有地売却の不適切さを指摘しようとするならば、第三者機関である会計検査院の調査結果を待たなければならないということになる。実際、会計検査院は国有地売却の不適切性の是正に関して、多くの実績がある。 仮に、野党の追及に耐えられず、安倍首相や麻生財務相が不適切であったことを認めたら、それは、国有地の売却の決定に政治介入できるということになり、むしろ問題が大きくなる。役所の権限で決定し、第三者のチェックを受けるというシステムのほうが、政治的な影響を受けず、オープンで公平なのだ。ここまでは、安倍政権は野党とメディアの追及にいらだちを見せながらも、まだ冷静さを保っていた。 ところが、3月23日に籠池氏への証人喚問が行われたことで、事態は一変した。証人喚問の実施をずっと否定してきた自民党が一転、実施を決めたのは、籠池氏が「安倍昭恵夫人から『安倍晋三からです』と言って、100万円の寄付を受けた」と発言したからだ。「売られたけんかは買う」とばかりに「そこまで言うなら、『偽証罪』に問われる証人喚問で白黒つけてやろう」ということだった。正直、これは余計なことだった。 籠池氏は証人喚問で、昭恵夫人が森友学園の経営する塚本幼稚園で講演会を行った際、籠池氏と2人きりの状態で「安倍晋三から」として「寄付金として、封筒に入った100万円をくださいました」と、偽証罪を恐れることなく、事前にメディアに話した通りに証言した。また、籠池氏からは、大阪府の小学校設置基準緩和について、政治家に協力を求めたとして、以前から名前が出ていた鴻池氏に加えて、東徹氏(日本維新の会)、柳本卓治氏(自民党)らを挙げた。「捨て身の転向」で繰り返された暴露 だが、証人喚問で籠池氏が証言したことは、前述の通り、運動会など学校行事に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すという「日本政治・社会の日常」の範囲を超えるものではなかった。証人喚問で明らかになったのは、その政治家の実名だけだった。しかし、政治家に役所を動かす力があったことが明らかになったわけではない。「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」という通常の陳情があっただけだ。名前が挙がった政治家も、陳情があったこと自体を否定していないし、そこに違法性はない。 結局、籠池氏が地方・国のさまざまな政治家に接触し、近畿財務局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。籠池氏が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのであり、政治家はルールに従って事務的に対応していた近畿財務局を動かすことはできなかったという、既に明らかになっていたことを超える事実は出てこなかったのだ。参院予算委員会の集中審議で、質問に答弁に立つ元近畿財務局長の武内良樹財務省国際局長(前列右)と元財務省理財局長の迫田英典国税庁長官(同左)=3月24日(斎藤良雄撮影) 一方、昭恵夫人はフェイスブック上で「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料をいただいたこともありません。私は講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません」と完全否定した。昭恵夫人の主張が事実なら、籠池氏は偽証罪に問われることになる。ただし、そもそも安倍首相が寄付金を渡すこと自体は問題ない。政治家が学校に寄付をするという行為自体は、自らの選挙区外であれば違法ではないからだ。 仮に、寄付が事実だとしても、首相のプロセスへの関与を疑うならば、それは首相が「カネをもらった」ケースだろう。今回は、首相が「カネをあげた」のであり、そこから「首相と森友学園は深い関係だ」と推測することはできても、首相の関与との因果関係の証明は極めて難しい。今回の森友学園を巡る問題の中で、これは本質的に重要な問題ではなかったはずだ。 結局、「首相が100万円を寄付した」という籠池氏の発言に対して、「売り言葉に買い言葉」的に証人喚問を実施したものの、そもそも確固たる思想信条がなく、いわばファッション的に保守陣営に加わっていただけの籠池氏は、偽証罪におびえておとなしくなるどころか、「捨て身の行動」に走ってしまった。籠池氏は、右翼から左翼にあっという間に「転向」し、森友学園問題に関して暴露を繰り返すことになった。その結果、証人喚問によって、問題の本質ではないはずの「首相の寄付」「昭恵夫人のメール」に国民の関心が過度に集中してしまうことになったのである。軽率な権力行使を露呈した安倍政権 その後、森友学園をはるかに上回る深刻な問題として、加計学園問題が明らかになり、「お友達」に便宜を図るために批判されることなった。また、首相の「お友達」のジャーナリストの犯罪をもみ消したとされる騒動の発覚や、テロ等準備罪成立のあまりの強引さなど、「首相の権力の乱用」に、国民の厳しい視線が集中することになった。籠池氏を偽証罪に訴えると脅して逆切れさせた証人喚問実施は、安倍政権にとって、取り返しのつかない判断ミスだったといえるだろう。 「首相の権力強化」は、90年代以降に取り組まれてきた政治・行政改革の成果なのだ。逆に言えば、「首相の指導力欠如」は日本政治の永遠の課題といっても過言ではないものであった。小選挙区比例代表並立制という選挙制度改革によって権力は派閥の領袖から首相に移った。内閣府の設置と省庁再編によって、官僚支配は「首相官邸主導」に変わった内閣人事局の設置によって、首相官邸は各省庁の幹部の人事権を掌握した。首相官邸に入る菅義偉官房長官=6月8日 この改革は、自民党よりも、むしろ現在の民進党幹部が民主党の若手議員だった時代に強く実現を迫ったものだった。今、安倍首相を「独裁者」と批判する彼らは、かつて英国流の二大政党制の導入を目指した。英国政治の特徴は「交代可能な独裁」であり、その肝は「政権は任期の間、独裁的に物事を決められるが、失政を犯せば選挙で交代させられる」というものだ。「安倍一強」とは、「交代可能な独裁」そのものであり、民進党がかつて実現を望んだ改革が成功したことを示しているのは、皮肉なものである。 つまり、首相の権力が強化されたことは、日本政治の長年の課題を解決したことであり、それ自体は問題がないといえる。ただし、安倍首相の権力の使い方は問題が大きいと言わざるを得ない。「友達に便宜を図るため」「官僚のプライバシーを首相の御用メディアに流させるため」「首相の友人の犯罪をもみ消すため」に権力が使われたといわれている。もちろん、その真偽はわからないのだが、安倍政権には、それが事実だと思われても仕方がない「軽率さ」がある。 本来、強力な首相の権力は、財政再建・規制緩和のような各省庁・族議員の強い抵抗が予想される政策の断行に用いられるべきであり、究極的には「有事」において、首相が指導力を発揮するためにあるはずだ。ところが、安倍政権の「軽率さ」によって、首相の権力に対する国民の支持・信頼が失われてしまうことは深刻な問題だ。 重要政策の決断や有事の際に、首相の指導力が国民に信頼されないならば、それは国益を損ねることになる。強い権力を持つからこそ、何をしてもいいのではなく、普段はその扱いには慎重になるべきだ。そうでないと、いざというときに権力を使えなくなってしまうのだ。安倍政権は都議選の惨敗を機に、権力行使のあり方を厳しく反省する必要があるだろう。

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    籠池泰典氏は首相周辺の空気をうまく利用した「魔術師」か

     数年前、場の雰囲気に合わせないことを「KY(空気が読めない)」などと避難する意味をこめた言葉が流布した。そしていま再び、「忖度」という似たような言葉が脚光を浴びている。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、「空気」をうまく利用する人たちについて考えた。* * *「忖度」という言葉が、一躍脚光を浴びている。発信源はもちろん、国有地格安払い下げ問題で証人喚問された森友学園の籠池泰典理事長(当時)の発言だ。 小学校の建設のための用地として、9億5600万円の土地を、1億3400万円という破格の額で購入した。その際、安倍首相の口利きがあったかどうかを問われた籠池氏は、「忖度をしたということでしょう」と答えた。5月8日、衆院予算委員会の集中審議を傍聴する籠池泰典氏(斎藤良雄撮影) 忖度とは、「他人の心を推し量ること」という意味だ。それ自体は悪いことではない。むしろ、相手の身になって考える風潮は、日本の「おもてなし文化」などを発展させてきた。 でも、忖度も、行き過ぎると害になる。そのことは、1977年に出た山本七平の『「空気」の研究』に詳しい。山本七平は、人の意思決定に、得体の知れない「空気」というものがかかわっていると指摘している。「結論を採用する場合も、それは論理的結果としてではなく、『空気』に適合しているからである。採否は『空気』がきめる」 圧倒的に力の差があるのを理解しながら、アメリカと開戦してしまったのも「空気」だ。その結果、負け続け、艦隊や戦闘機を失い、裸になった戦艦大和を、敵機動部隊が跳梁する外海に突入させていく。それが、作戦としては考えられないと認識しながらも、「空気」に逆らえなかったというエリートたち。「空気」というあいまいなものに支配され、判断や結果に対しては、だれも責任を取らない。 ぼくたちは、いまだその「空気」に支配され続けている。見えない同調圧力のなかで、みんなが小さく縮こまってしまうことに危機感をもったぼくは、2010年『空気は読まない』(集英社)を書いた。当時、「空気が読めない人」は「KY」などと呼ばれ、のけものにされる風潮が目立った。最近は、目立つ発言をした人たちが、「不謹慎狩り」の総攻撃のやり玉にされている。やっていることは、相変わらずだ。 森友学園の国有地払い下げが、籠池氏の言うように「忖度」でなされたのだとしたら、氏は、安倍首相周辺の「空気」をうまく利用した「空気の魔術師」だ。財務省までが、土地払い下げの経緯を示す「資料はない」と言っている。与党にも「ダメといえる」勇気を アメリカは、トランプ大統領就任以来、突風が吹き荒れている。だが、トランプ大統領の方針は、良識によって次々と覆されている。 オバマケアを廃案にし、新制度に置き換える法案を出したが、共和党内に異論が出て、法案を取り下げた。「空気」に流されない人たちがいるのだ。敗北を喫したトランプ大統領は、ツイッターに「オバマケアは破裂するだろう。国民のためのすばらしい医療保険制度案をつくるため、われわれは結束していく。心配は無用だ」と悔しい投稿をした。 イスラム系7か国の一時入国禁止を命じた大統領令に対しても、司法省のトップが異を唱えた。このトップはクビになったが、それでも勇気をもって、おかしいことにはおかしいと言える人間がいることが大事だ。その後、イラクを除いたイスラム系6か国を一時入国禁止とする新大統領令が出たが、再び、ハワイ州のホノルル連邦地裁は発効の一時差し止めを命じる仮処分を出した。 山本七平は、その場を支配する「空気」に、「水を差す」ことの重要性も訴えているが、アメリカではこの「水を差す」という機能がうまく働いている。 森友学園では、幼稚園の子どもたちに教育勅語を朗誦させるエキセントリックな教育方針でも、注目された。教育勅語とは、緊急事態の場合、皇国のために奉仕するというものだった。それを子どもたちに唱和させている大人の意図とは何だろうか。 安倍内閣が、教育勅語について、憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用を認める閣議決定をした。閣僚が、教育勅語を肯定しはじめるこの動きは、いったい何なのだろうか。 この国の「空気」は、おかしな方向に行こうとしている。一強になった首相の思いを、みんなが読み合っている。自分がいい思いをするために、より激しく右へ動く競争をはじめたように思えてならない。志の高いホンモノの保守に、ニセモノの保守を駆逐してもらいたいものだ。 この流れを止めるために、ダメなものはダメと言える勇気が、与党のなかにもっとあっていいはず。 ぼくたち国民も、マスコミも、顰蹙を買ってでも、自由に発言することを忘れてはならない。少なくとも、明るみに出た問題は、忖度せず、きちんと事実を解明してもらいたいものだ。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『遊行を生きる』『検査なんか嫌いだ』。関連記事■ 激ヤセのクリントン氏 1回数千万円の講演料で年収10億以上■ 【ジョーク】イラン大統領「オバマ無能」への対立候補の反応■ 【ジョーク】ヒラリー・クリントン氏が大統領目指すのはなぜ?■ 「徳川家康は教育パパだった」等歴史上人物の逸話満載した本■ 【ジョーク】オバマ米大統領とプーチン・ロシア大統領の違い

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    籠池泰典氏長男「この先、加計さんも父みたいな目に遭うはず」

     学校法人を巡る「疑惑」の渦中にいる加計学園の加計孝太郎理事長に、ぜひ“先輩”からのアドバイスを──。そう森友学園の籠池泰典・前理事長に取材を試みたところ、「父の代わりに答える」と大阪の取材会場のホテルに現われたのは長男の佳茂氏だった。「父は秋葉原で(都議選の)安倍さんの街頭演説を見に行っただけなのに、警察に両脇を抱えられて連れていかれた。それもあって今は出ないようにしています」 沈黙を守る加計理事長に対して、証人喚問にも応じた籠池前理事長としては思うところがあると言う。「学校法人の理事長という意味では同じですが、経営の規模も学校の種類も違います。決定的な違いは、加計は経営が先にあり、森友は理念が先にあること。父は小学校設立のために奔走して無理な資金繰りもやってきて、借金もかなりある。父は日本のための人材を育てる教育者だが、加計さんは金儲けをする経営者なのでしょう」家宅捜索中の籠池泰典氏の自宅前で、報道陣に囲まれ厳しい表情で話す長男の佳茂氏=6月19日、大阪府豊中市(彦野公太朗撮影) 森友学園は業務停止になり、補助金適正化法違反などの疑いで大阪地検特捜部の家宅捜索も受けた。「森友の先行きは暗いばかりですが、加計さんは日本のエスタブリッシュメントで、根っからの権力側なのでしょう。だから、今回の“躓き”があっても安泰で、だんまりを決め込むことが得策だと思っている。でも本当にやましいことがなく、教育者という自負と理念があるのなら、事実を全て国会で話したほうがいい。初めは父も大変叩かれたが、事実をすべて話したことで、今はメディアや一般の人からも応援されていますよ」 最後に、安倍首相との“お友達関係”について忠告した。「安倍さんは、父と理念でつながっていたはずなのに、いきなり手の平を返した。そういう人ですから、この先、“腹心の友”の加計さんも、父みたいな目に遭うはずですよ」関連記事■ 稲田朋美氏を籠池氏に“応援”させるという落選運動■ “総理のご意向文書”作成女性課長補佐 異動→辞職懸念する声も■ 加計学園グループの敷地内に自民党支部が存在した■ 高須院長が都議選総括「反安倍派が喜ぶのはとんだ見当違い」■ 田村英里子 伝説の「半裸カレンダー」写真リバイバル公開

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    「加計ありき」で発狂するワイドショーの安倍叩きがヒドすぎる

    惑があるという。 では、どんな具体的な「疑惑」なのだろうか? そしてそれは違法性があったり、あるいは政治的、道義的責任を発生させる「問題」なのだろうか? 具体的ならば一言で表現できるはずである。だが、繰り返されるのは「加計ありき」というおうむ返しと、なんの実体も伴わない「疑惑」のバーゲンセールである。 「疑惑」を持つことは結構である。実際に政府にはさまざまな権力が集中していて、それをチェックするのは政治家やメディア、そしてなによりも私たち国民の責務である。だが、その「疑惑」は少なくともある程度の具体性を持たなければならない。7月24日、衆院予算委の集中審議で、答弁に立つ和泉洋人首相補佐官(左)と前川喜平前文部科学事務次官(斎藤良雄撮影) 例えば、「総理のご意向」を書かれた文部科学省の内部メモである。出所がいまだにはっきりしないこの内部メモには、和泉洋人首相補佐官から「総理の口から言えないから」としてスピード感を持って取り組むように、と前川喜平前文科事務次官に伝えたとある。どうも「総理の口から言えないから」の存否が論点らしい。前川氏はそのような発言があったとする一方、他方で和泉氏は否定している。 しかしそもそもこの文言があったとして、何か重大な法律違反や不公平な審議が国家戦略特区諮問会議の中で起こったのであろうか。むしろ規制緩和のスピードを速めることは、国家戦略特区のあり方でいえば正しい。ましてやその内部メモには、加計学園に決めよ、という誘導を示すものは何もない。だが、多くの報道は、なぜかこの点を飛び越えてしまい、「加計ありき」のシナリオとして読み込んでいる。「ありき」論者たちの思い込みである。 ちなみにこの内部メモが作成された段階では、京都産業大も候補として残っていたのだから、「京産大ありき」や「加計も京産大もありき」の可能性さえも、「ありき」論者たちの読み込みに付き合えばありえるだろう。だが、もちろん「ありき」論者たちは、加計学園の加計孝太郎理事長が安倍首相の「お友達」なので、「加計ありき」だと証拠も論理的根拠さえもなく、断定するわけである。およそ良識外だ。ニュースの消費は「娯楽の消費」 連日のように新聞やワイドショーなどのテレビ番組が、このような実体のおよそ考えられない良識外の「疑惑」を2カ月にわたり流し続けてきた。他にもさまざまな要因があるだろうが、安倍政権の支持率はがた落ちである。ワイドショーなど既存メディアの権力の強さを改めて実感している。7月25日、参院予算の集中審議で、民進党・蓮舫代表(右下)の質問に答弁する安倍晋三首相(川口良介撮影) 加計学園「問題」の真偽については、筆者も以前この論説などで書いた。また当サイトでも他の論者たちが実証的に議論しているだろう。ここでは、主に森友学園「問題」や加計学園「問題」などで明らかになってきた、ワイドショーなどマスメディアの報道の経済学について簡単に解説しておきたい。 経済学者でハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ジェンセン教授が、1976年に発表した「報道の経済学に向けて」という野心的な論文がある。通常の経済理論では、財やサービスに対する消費者の好み自体には無関心である。ある特定の好みを前提にして、単に価格の高低にしたがって需要と供給が一致することで現実の取引が決まると考える。だが報道の経済では、ニュースという「財」そのものが消費者の好みを作り出すことに特徴がある。ここでいうニュースは、政治、経済、芸能などの中身を問わない多様なメディアが提供する広告宣伝以外のサービス総体を指す。 ジェンセン氏は、ニュースの消費は、「情報」の獲得よりも、エンターテインメント(娯楽)の消費であると喝破する。つまりテレビなどの「報道」は、ディズニーランドで遊ぶことや、または映画や音楽鑑賞、アイドルのライブで沸き立つことと同じだということだ。これは慧眼(けいがん)だろう。日本のようにワイドショー的な「報道」方法が主流ではなおさらのことだ。 ジェンセン氏は、この報道=娯楽、という視点から、どんなニュースが消費者の好みを作り出し、また消費者は実際にそれを好むかを主に3点から解説している。1 「あいまいさへの不寛容」…ニュースがもたらす「疑問」「問題」よりも、単純明快な「解答」をニュースの視聴者は求める。証拠と矛盾していても、また複雑な問題であっても、単純明快な「答え」が好まれる。ニュースの消費者の多くは、科学的な方法を学ぶことにメリットを見いだしていない。つまり学ぶことのコストの方が便益よりも大きいと感じているのだ。そのためニュースの消費は、いきおい、感情的なもの、ロマンチシズム、宗教的信条などが中核を占める。単純明快な二元論を好む消費者2 「悪魔理論」…単純明快な二元論を好む。善(天使)VS悪(悪魔)の二項対立で考える傾向が強い。極端なものと極端なものを組み合わせて論じる報道が大好きである。特に政府は「悪魔」になりやすく、政府のやることはすべて失敗が運命づけられているような報道を好む。まさにいまの「学園シリーズ」の報道はこの図式にあてはまる。「天使」は前川喜平氏なのだろうか。「悪魔」は安倍首相であることは間違いないだろう。その友人や知人は「悪魔」の一族なのだろうか。 また対立する意見や見解を明らかにするよりも、「人間」そのものやゴシップを好む。それが「面白い」娯楽になるからで、それ以外の理由などない。戦前も朝日や毎日などの大新聞は、政治家や著名人のスキャンダルを虚実ないまぜにして取り上げては、政権批判につなげていた。このような悪しき人物評論については、戦前もかなり批判があった。政策の議論よりも政治家の「人間性」という実体のわからないものに国民の関心が向き、それで政策の評価がなおざりになるのである。3 「反市場的バイアス」…市場的価値への嫌悪をニュースの消費者は持ちやすい。例えば規制緩和や自由貿易への否定的感情がどの国も強い。例えば、今回の加計学園「問題」は、規制緩和が敵役になっているといっていい。規制緩和は、国民全体の経済的厚生を改善するのだが、それよりも規制緩和は、むしろ国民の利害を損なうものとしてニュースの消費者から捉えられるという。今回も既得権側の日本獣医師会や、また文科省などの官僚組織、そしてそれを支援する政治家たちの方が、安倍政権の批判者たちには人気のようである。 ジェンセン氏の報道の経済学はいまの日本の政治状況、そして報道のあり方を考える上で示唆的である。しかし、いまの日本の報道が、もし真実よりも「娯楽」の提供を中心にするものだったとしたらどんなことがいえるのか。その答えは簡単である。現在、新聞やテレビなどの企業群が、報道の「公正中立」などを担保として持つさまざまな特権が、国民にとってアンフェアなものだということだ。 さまざまな遊園地や映画館、そしてアイドルたちも政府から優遇的な規制を受けてはいない。それと同じように、日本の報道機関は、いまのような「娯楽」中心の報道を重ねるかぎり、政府からのさまざまな優遇措置を保証する国民が納得する根拠はない。軽減税率の適用除外、再販売価格維持の見直し、記者クラブ廃止、新聞とテレビのクロスオーナーシップ禁止、新聞社の株式売買自由化などが検討されるべきだ。今回の新聞やワイドショーなどテレビの「学園シリーズ」をめぐる報道は、日本の報道のあり方を再考するまたとない機会になっている。

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    鈴木涼美が読み解く「オトコとしての安倍晋三論」

    翌日、世の女性たちはリベラルな都会人としての立場も忘れてその凛々(りり)しい姿に見ほれた。 そもそも政治家を好きだ嫌いだと言うとき人は必ずしも政策や思想では判断しないし、歴代首相が全て「異性」となる女性目線では、政策より性格、さらには見栄えなどが関係してくるのは当然だろう。「男として」魅力を感じれば、結構細かい政策の不一致などは目に入らない。しかし、そういった点で安倍首相は女性に好かれる要素がないかというと、それは結構疑問で、むしろ各国の、あるいは日本の歴代首脳を見比べて、割といい線いってるといえなくもない。 オバマ元米大統領やブレア元首相、あるいは亡くなった中川昭一元財務相に比べるとややフォトジェニックさに欠けるような気もするが、安倍首相と石破茂氏であれば首相の方がタイプ、という女性が多くてもおかしくないし、髪形だって某米大統領よりはずっとマシだ(ちなみにトランプ大統領も女性からの支持は男性からの支持に比べて少ない)。そもそも女性は故・宮沢喜一元首相のようなおじいちゃんよりは、若々しい政治家が好きである。 また、性格的な面でも、男性にモテる男性というのはポイントが高い。あれだけ政治家に好かれる政治家であれば性格もものすごく悪い印象は受けないだろうし、橋下徹氏的な「頭はいいけど若干いやなやつ」というイメージもない。笑顔のチャーミングさは米国の田舎のおばさまたちが大変気に入っていたブッシュ元米大統領にも引けを取らない。 さて、しかし、安倍首相、ひいては安倍政権に向けられる女性の評価は辛辣(しんらつ)だ。ポイントとしてはこれは2012年以降、つまり再登板後に特に顕著に見られる傾向だということだ。小泉政権下の官房長官時代は小泉人気も手伝って、黄色い声が上がるほどであったし、あるいは2006年に戦後最年少で首相となった頃は、若きトップ誕生に女性も割と沸いていた。その後度重なる閣僚の不祥事などを経て、07年の参院選では歴史的大敗を喫すのだが、その辺りは男女関係なく支持率は下がっていたので、女性人気がどうという話とはあまり関係がない。すぐに退陣せずに粘ったものの、下痢が止まらず結局辞任。塩爺(塩川正十郎)も中途半端に放り出した、とかなり心象が悪かったイメージだ。この辺りもあまり男女は関係なさそうである。安倍首相の女性不人気は2012年にも 私がはじめに男女の意見に温度差を感じたのは、12年の自民党総裁選の頃である。当時、地味だけど誰にも嫌われていなかった感のある谷垣禎一総裁に続く総裁の座を狙って出馬した面々は知名度も高くキャラも濃かったため、誰になってほしいか、という話題はかなり意見の分かれるところであった。町村信孝氏、石破茂氏、石原伸晃氏、林芳正氏、そして現在の安倍首相とそれぞれが人気を分けており、選挙自体ももつれ込んだのは覚えている方も多いだろう。自民党総裁選後の両院議員総会(左から)林芳正氏、町村信孝氏、谷垣禎一氏、安倍晋三氏、石破茂氏、石原伸晃氏=2012年9月26日、東京(大西史朗撮影) 当時、私は新聞社で記者として働いており、ちょうど選挙班で主に同月の衆院選の候補者名簿を作ったり世論調査のページづくりを手伝ったりしていたので、当然総裁選もかなり真剣に見ざるを得ない立場であった。そんな経緯もあり雑談レベルでもかなり「やっぱり頭いい人がいいよね、石破さんがいい」とか「石原さんの人脈は絶対必要」とかいう会話を聞いたのだが、その中で、男性には一定程度「安倍さんの再就任を期待している」という意見があったのに対し、女性からそのような声は上がらなかった。 「女性は安倍に厳しい」。これは何も私の個人的な知人間だけではなく、当時比較的よくささやかれていた通説であった。気になってもう少し取材してみたところ、女性は安倍支持が少ないどころか、「安倍さんにだけはなってほしくない」と積極的に批判する声すら上がっている。理由は大体三つに分かれていた。 第一に、当時、自らが所属していた清和会の会長であった町村信孝氏が出馬への意欲をすでに明らかにしていたにも関わらず、派閥のドンの顔を立てずに自分が立候補したこと。これは森喜一氏や町村氏本人から立候補を自重するようにとの要請があったにも関わらず、その意見をくまずに出馬したため、当時かなり報道された話である。ここに一部の女性は、「自分勝手」で「上の顔を立てない」「恩知らず」な「出たがり」と悪い印象を持ったらしい。 第二に、第一次安倍内閣が、結局は小泉前首相の人気にあやかっただけの、空虚なものであったという批判。確かに第一次安倍内閣の印象として、「美しい国」の礎をつくったとか中韓との関係を改善したとか思っている人は少なく、どちらかというと疑惑でつるし上げられていた農水相が自殺したとか、税制会長が愛人問題で辞任したとかいう方が印象は強い。元気な頃の安倍首相のイメージは小泉首相と二人三脚していた官房長官時代を想起する女性も多く、「トップには向かないのでは」という声は実際に聞かれた。「男らしくない」退陣が未だに許せない 第三に、これが圧倒的に存在感を持っていた意見だが、「あんなみっともない辞め方をして、よく堂々と出てきた」という、失脚時の悪い印象を語るものである。男性からは、どちらかというと「よく復活した」とねぎらうような声を聞くこともあったのだが、女性は「退陣を促されても政権にしがみつき、揚げ句の果てに結局ほうり投げたくせに」とかなり恨みがましく思っている人も多かったようで、選挙班の上司などは「女の人って一回失敗した人に厳しいよね」「もう一度チャンスをっていう人を応援しないよね」などともらしていたのを覚えている。 ただ、別に女性が一度辞めた人に再挑戦の機会を与えたがらないか、というとそんなことはないと私には感じられる。別に鈴木宗男氏の現在の支持者が男性だけに偏っているようにも思えないし、マッキーやホリエモンや小室哲哉の復活を心待ちにしていた女性も多い。また、女性は必ずしも失脚した人間に冷たいわけでもないような気がする。むしろ同性間と違って根底にライバル視する気持ちが少ないため、ザマミロというより同情の方が先にくる。それこそ自殺した松岡利勝元農水相は、女性からも気の毒だという声が多かったように思う。2007年、就任から1年足らずで辞任。目に涙をためて会見する安倍晋三首相=9月12日(宮川浩和撮影) おそらく、政治戦争に負けた、とか、身内の裏切りにあった、あるいは男らしく責任をとった、という、男社会の荒波のはざまに消えていったものに対しては敬意があっても、安倍首相の退陣は許せない、という微妙さがそこにある。選挙で大敗したのに首相の座にしがみついていたのは「男らしくない」。病気は気の毒でも、リーダーとしてひどい顔色になっていって「頼りない」。体調を理由に、かなりボロボロの政権をほっぽり出して「卑怯(ひきょう)だ」。批判されて心身ともにげっそりしていった姿は「打たれ弱い」。なのに、けろっと元気になって、派閥の会長まで押しのけて出馬するなんて「ずうずうしい」。 引き際の美学、というと男の美学であると思っている人も多かろうが、実際のところ、女性の方が引き際の潔さを愛し、情けなさや弱々しさには厳しいようだ。そして私たち女性特有の割とねちっこい性格からか、一度ついたそのイメージを払拭するほどの力を発揮できていないのか、その頃の嫌悪感を持ち続けている有権者は結構いるのではないかと私は思っている。逆境で弱々しく退いた男が、虚勢を張っているのを見ると、そうそう支持する気にはならないんじゃないか。

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    女性活躍どころか「バカをかばう」安倍首相、女の恨みは恐いですよ

    グダグダしています。安倍さんは「圧力なんかない」と言い張っていますが、ちゃんと説明をしていません。 政治家だったら「口利き」やってんだろというのが世間の認識ですが、それが度を越してしまい、大金が動くとなると、多少はお目こぼしをしていた庶民も激怒するというものです。 なんとなく誠実そうな男に見えた安倍さんも、やっぱりその辺の脂ぎった悪徳政治家と同じじゃないの、ちょっと駅までの土地を安くゲットしたって噂のPTA会長と変わんないじゃん、と女は激怒しているのです。民進党の辻元清美氏の質問に対し、稲田朋美防衛相(奥)に代わって答弁する安倍晋三首相=2017年2月14日(斎藤良雄撮影) 女は嘘をつく人間が嫌いです。背広のポケットにクラブのママの名刺が入っていたのに、行ってないと言い張る夫の不誠実さを思いだして、怒りが爆発です。安倍さんは夫ではありませんが、自分と子供が住む土地の運命を握っているわけですから、ウソつき夫のように感じて怒りがマックスです。 安倍政権は女性活躍政策を打ち出してきましたが、大風呂敷を広げるものの、具体的な施策が実行されるわけでも予算がつくわけでもなく、当事者の女性の生活は楽になるどころか苦しくなる一方です。 介護保険は要支援1、2の高齢者には適用されなくなり、介護の負担は女性に回ります。要介護の人の自己負担率も上昇。わが家も老親が要介護ですから、この削減はかなり痛いです。 年金も徐々に減っています。もともと年金が少ない人が多い女性には数千円の削減でも大打撃であります。私の老親およびその周辺でも怒りの声が挙がっています。稲田大臣「好きな服も着られない…」 待機児童をゼロにするという掛け声はむなしく、相変わらず保育所は増えませんし、保育所の費用やベビーシッターの費用を税控除するなんて声はでてきません。女性雇用を増やすと大風呂敷を広げてみたものの、増えているのは非正規雇用ばかり。女性管理職を増やしますといっても、企業の自助努力に委ねている状態で、罰則も何もできたわけではありません。 その一方で公共事業や軍事には予算がついているわけで、これでは女性が怒らないほうがおかしい。 さらに女性の怒りをかってしまっているのが、安倍さん周辺の女性がアホだらけであることです。女性の地位を高めるどころか、世間様に女はバカだと宣伝するような状況です。 その一人は稲田朋美防衛相であります。 フツーの女には届かなかった世界にいる人だからこそ、立派な人格と振る舞いをもって、世の中の男に女の力を見せつけてほしいと真に願う女は多いのです。 ところが稲田防衛大臣は、その経歴とは正反対の、みっともない行動や発言が目立ちます。 自衛隊の行事や視察にはまるで軽井沢に行くような格好で現れ、公式な場では田舎の高校生のような服で登場、舌っ足らずで60近い人間とは思えない話し方であります。 東京都議選の応援演説では法律違反をするわ、「アジア安全保障会議」では、公の場で自分を含む防衛大臣は美人ばかりというトンデモ発言をして世界をドン引きさせるわ、森友学園の代理人弁護士だったのに、依頼を受けたことがないとウソを繰り返す始末。南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に参加した陸上自衛隊の日報の隠蔽疑惑まで浮上してしまいます。 さらに最近放送された日本テレビ系の「バンキシャ!」という番組では「昔のように自由な発言もできないし、好きな服も着られない。とても苦しい…」「服もメガネも黒中心でなるべく地味に、地味に」という、親しい知人に漏らした本音というのが紹介されていましたが、九州豪雨の最中に何をいっているのでしょうか?記者会見で渋い表情を浮かべる稲田朋美防衛相=6月30日、防衛省 防衛大臣とは国の運命を左右する要職なのですから、嫌ならスパッとやめればよろしい。自衛隊員というのは死ぬ覚悟をした人たちでありますが、そのトップがワガママな大学生のような意識だというのはどういうことでしょうか? 私の身内は帝国海軍と防衛庁の人間でありましたので、中の人々の覚悟というのはよくわかります。こんな人が社長では塹壕(ざんごう)掘るのがバカらしくなります。 コマッタさんをいつまでたってもクビにしない安倍さんは、お友達ばかり優先して女の地位を辱める敵だと思われて当たり前です。 奥様の昭恵さんも、首相夫人という立場にも関わらず、森友学園では発言がメチャクチャ、立場にふさわしくない会合に出かけたり、意味不明な左翼系の人々と交流するなど、何も考えていないんだろうなという行動が目立ちます。SNSでも意味不明な 「いいね!」ボタンを押すわ。ほんとに大丈夫なんでしょうか? 何も考えてない人に国政を引っかき回されてはたまりませんし、奥様に注意すらできない安倍さんってどうなの、と思われても仕方ありません。 安倍さん、政権を延命させたいなら、いますぐ介護保険を改良し、保育所を増やし、バカな大臣をクビにし、奥様に注意してくださいませ。 女の恨みは思った以上に怖いのでございますよ。

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    「女難の安倍内閣」最大の鬼門は他ならぬ昭恵夫人だった

    性閣僚としては稲田の他には代表するところ、総務大臣の高市早苗である。高市は、2016年2月、放送局が政治的公正さを欠く報道をした場合の、電波停止の可能性に言及。既存マスメディアから一斉に「報道の自由への侵害ではないか」と反発が起こった。 高市の発言は放送法第四条などを根拠としたものであったが、元来放送法の立法趣旨は戦時体制下において、本来権力者の批判・監視を行うべきメディアが大本営発表をそのまま垂れ流して戦時宣伝に加担した反省の意味から、メディアを政治権力から遠ざけ、政治的中立性・公平性を目指したものである。 高市の発言は、「政府(自民党)を批判するメディアは懲罰する」と解釈しかねないニュアンスを含んでおり、結果としてこの高市発言は米国務省の人権報告書により「報道の自由を侵害する恐れ」の一端として指摘されるまでにいたった。むろん、アメリカ国務省に言われたからどうだという訳ではないが、国際的にみて高市発言は日本における「報道の自由」に対するイメージを毀損しかねない発言であったとみるべきであろう。稲田ほどではないにせよ、高市も安倍内閣の鬼門の一つである。 さらに最大の鬼門は、公人ではない(ということになっている)、安倍総理大臣夫人、安倍昭恵その人である。昭恵夫人は自民党の政策と悉く反対の立場の民間活動を推進。脱原発運動家でミュージシャンの三宅洋平とも対等に交友するその姿は、良い意味でも悪い意味でも世間を騒がせた。首相公邸の中庭に設置したミツバチの巣箱から蜂蜜を初収穫した昭恵夫人= 2015年9月(酒巻俊介撮影) もっとも驚愕(きょうがく)だったのが、安倍昭恵夫人による「大麻解禁論」である。大麻特区として指定された鳥取県の某町の許可大麻畑にて、笑顔で「大麻解禁」を訴える昭恵夫人のスマイルは、微笑みを通り越して多くの有権者にとって異様なものに映った。 事実、同県の大麻特区で「大麻で町おこし」を掲げていた会社社長が逮捕されたことをきっかけに、大麻特区なるもの自体の期待論も急速にしぼんだ。にもかかわらず昭恵夫人は、「日本古来の精神性は大麻と結びついている」などとトンデモ・オカルト的大麻容認論、解禁論を繰り返すばかり。某女性週刊誌によると、安倍首相の親族から「これ以上大麻解禁を繰り返すのなら最悪、(安倍首相との)離婚もありうる」と忠言されたというが、彼女は聞く耳を持たなかったともいう。元凶は昭恵夫人 第一安倍内閣が倒れて以降、急速に「自分探し」に躍起となり大学院にまで通った昭恵夫人。それでも飽き足らず、山口県の有機野菜を使った自身経営の小料理屋を開店するなど、およそ良く言えば自由奔放・豪放磊落(ごうほうらいらく)、悪く言えば「意識高い系的奇行」を繰り返す昭恵夫人の墓穴の集大成が、安直に森友学園が設置予定であった大阪府の私立小学校の名誉校長の職を引き受けたことである。 世間を騒がせた森友学園疑惑は、いち大阪のネット右翼的傾向を色濃く持つ小ブルジョワ・籠池某による大阪ローカルの問題でしかなかった。が、それが一直線に安倍首相にまでその疑惑の矛先が向けられたのは、ほぼすべて昭恵夫人による名誉校長就任に端を発する。 もし、昭恵夫人が森友学園の森友校長を引き受けなかったら、かの疑惑はとっくに大阪ローカルの話題として消費され、終わっていた。すべての因は昭恵夫人の軽佻浮薄(けいちょうふはく)な自己顕示欲、承認欲求が根本にあると断罪してよい。 森友問題の後、つづけて沸騰した加計学園の疑惑についても、昭恵夫人の関与は欠かせない。2015年末、加計学園の加計孝太郎氏と安倍首相らによる飲み会の様子を「クリスマスイブ 男たちの悪巧み(?)」と称して喜々としてフェイスブックに投稿していたのである。安倍昭恵夫人 当然、この投稿には悪意など無いのであろう。単に夫の交友関係を広く衆目に知らしめたかったのであろう。しかし、その根底は、フェイスブックという承認多寡の世界で、どこの誰とも知れぬ人間から無数の「いいね」が押されることを期待しての行為である。 昭恵夫人の自著などを読むに、彼女は自身へのネット上の反応を常にエゴサーチして毎日のように一喜一憂していたという。端的に言えば自己顕示と承認欲求に飢えた「意識高い系」の一人なのだが、昭恵夫人の度重なるこのような軽佻浮薄の行為が、「安倍内閣の女性閣僚やその周辺の女性」の軽薄さ・素人加減を際立たせるのに一役も二役も買っている。これで、女性からの支持を得ようということなど、土台不可能であろう。 また、大臣ではないが頓狂(とんきょう)な女性議員の存在も耳目を集めることになった。埼玉選挙区から当選した自民党の豊田真由子議員である。自身の秘書に暴行、暴言を吐いた録音が公開され、一挙に悪い意味で「全国区」の代議士となった。すでに自民党に離党届が出されているが、経歴だけをみればエリート女性代議士の、議員はもとより、人としての人格を疑うような暴言の数々は、確実に自民党支持と女性離れを加速させた。いや、この問題に限っては相当の男性有権者もあらゆる意味で「恐怖」を感じたに違いないのである。「輝くに値しない」女性登用で墓穴 加えての痛打は、「安倍総理に最も近い」として連日メディアに引っ張りだこであったジャーナリスト・山口敬之氏の婦女準強姦疑惑(不起訴)が週刊誌で一斉に報じられ、被害者とされる女性が顔出しでその不起訴の不可解さを訴え、事の顛末が検察審査会で審議されるようになった一連の事象である。元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏に酒を飲まされ乱暴されたとして、会見する詩織さん(中央)=2017年5月 私個人的には、山口氏のくだんの疑惑についての白黒の判断はでき兼ねるし、それは最終的に司法の領分なのでコメントできないが、くだんの疑惑が週刊誌で報道されるや、一切メディアに登場しなくなった山口氏が強烈な安倍擁護の論客であったことは間違いのない事実であり、安倍首相との関係があるやなしやに関わらず、婦女準強姦疑惑が少なくとも安倍首相の強力な擁護者のひとりから発生するということ自体、ますます女性支持者からの支持獲得は難しくなったであろう。 この件がシロと断定されても、いったん持ち上がった性犯罪への嫌疑は、法がシロとしても心情がシロにしない。この点は安倍首相や山口氏に対してややアンフェアーな気がするが、ともあれ各種事情を総覧しても、安倍内閣の「女性離れ」には、こうして積み重なってきた「内閣の内外」での女性に関する問題が積み重なった結果であろう。 聡明で優秀な女性は、世の中に幾らでもいる。また、と同時に聡明で優秀なファーストレディーや議員も、世の中にいくらでもいる。女性関係に潔癖なジャーナリストもまた然りである。しかし、安倍内閣はまるで「わざと」「あえて」そうしているかのように、明らかに政治家としての基礎的素養や素養のない人物を抜擢し続け、そして明らかにファーストレディーとしてふさわしくない女性を野放図にコントロールできないでいる。 「女性が輝く」と謳(うた)っておきながら、「輝くに値しない」女性が下駄を履かされて偽りの光をはなっている状況に、世の才女たちはだんだんとこの政権から距離を取り始めているのではないか。そんな気がしてならない。 内閣改造での人事刷新や「不良女性代議士」の次期選挙での公認取り消し、「閣外」での女性問題の清算など、スローガンに反して次々と女性に関連した醜聞に彩られる安倍内閣の解決すべき課題はあまりにも多い。

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    なぜ安倍総理はオンナに嫌われるのか

    安倍内閣の支持率低下が止まらない。学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、安倍首相は衆院予算委の閉会中審査で「真摯に受け止める」と答弁した。世論の「安倍離れ」で特に顕著なのが女性の支持急落。個別の政策ではなく、「人間的に信頼できない」との理由が最も大きいらしい。なぜ安倍首相はオンナに嫌われるのか。

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    稲田朋美を偏愛する安倍首相なんか見たくなかった

    倍首相の恣意(しい)的解釈をむりやり押し通して安全保障関連法案を成立させ、さらに特定秘密保護法という政治情報に関する情報公開の原則に真っ向から反対する法案を成立させ、あまつさえ、犯罪を共謀することだけで、実行が伴わなくても逮捕できるとする「共謀罪」法案を名前を変えるというあざとい方法で成立させてしまった。 自民党は日本を戦前型の国民総監視社会へ押し戻すことに大きく成果をあげた。安倍政権を支えたのは、選挙を通して安倍総裁を頂く自民党を支持した多数の国民であり、そのことに私は大いに危機感を抱いていたが、この7月2日の都議選で自民党は改選前57議席が23に激減すると言う結果になって、磐石だった安倍政権が大きく揺らぐことになった。 安倍政権に対して明確にNOという主権者が増えてきた結果であり、この原因を考えると、時間はかかったけれども、安倍政治に不信感を抱いたり、危険視する人が男女を問わず増え、それが投票に結びついた。 また、安倍政権の施策とは別問題として、安倍内閣の法務大臣、総務大臣、防衛大臣、副総理、また自民党の国会議員たちによる、拙劣かつ非常識で高度な政治的見識のかけらもない様子もまた、自由民主党の劣化を印象付け、これも今回の都議選に男女の性差に関係なく影響を与えたと思う。 さらに、森友学園問題や加計学園問題など、身内であるはずの文部科学省の前川喜平・前事務次官から安倍首相側からの圧力の内情を暴露され、さらに続々と安倍首相に不利な傍証(ぼうしょう)が露呈してもなお、ひとかけらの反省の色を示さなかったことは、嫌悪感情を抱かせるに十分であった。                                都議選の大敗について語る安倍晋三首相=7月3日、首相官邸 今回の都議選の結果に対して、上記の理由のほかに、特に女性の支持率が下がったことが指摘されている。7月8日と9日に行われた朝日新聞の全国世論調査(電話)によると安倍内閣の支持率は33%で前回の調査の38%から1週間で5%も下がり、第2次安倍内閣発足以来最低の支持率になった。不支持率は47%で、特に女性の支持率は27%になり、かつての60%以上の支持率を半減させてしまった。 この世論調査のように、なぜ女性が自民党を支持しなくなったのか、その理由について明確に指摘できる点が二つある。 一つは安倍チルドレンの豊田真由子衆院議員の秘書に対する絶叫暴行事件がある。録音された豊田議員の罵声は都議選中にメデイアを通して何回も繰り返された。豊田議員の発言に政治的なことは一切ないが、これほどストレートに人の心に食い込む言動はなく、あの罵声を聞いた人は理屈抜きで豊田議員を軽蔑しただろう。なぜ稲田朋美を偏愛するのか もう一つの理由は稲田朋美防衛大臣の発言だ。 豊田議員以上に今回の都議選に深刻な影響を与えたのは、なんと言っても稲田防衛大臣だろう。稲田氏はこれまで多くの致命的な間違いを何度もくりかえしてきた。例えば、最近では、森友学園事件は全く関係ないと言い逃れ、後で訂正。PKOに関する報告書はないと発言し、これも後になって存在したと訂正する。さらに、これまでも「国民の生活が大事だなんて政治は間違っている」「国のために命を賭けるものだけに選挙権を」「『戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教行事だ』が考えの根本』」といった驚くような発言を繰り返している。 決定的だったのが、稲田大臣が都議選での自民党候補の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」と訴えたことだ。これはどう見ても防衛省、自衛隊を自由民主党の私兵とする意見で憲法違反になる。 この時点で、安倍首相は速やかに稲田氏の解任を即断速攻すれば、今回の都議選や、支持率の急落は避けられたかもしれない。このように考えるのは、私だけでなく、政治に少しでも関心があれば考えるはずで、当然、安倍首相だって稲田大臣のクビを切らなければならないことは分かっていたはずだ。そのリスクを超越して安倍総理が稲田大臣をしてクビを切れなかったのはそれ相当の理由があるはずだ。 それではなぜ、稲田氏は防衛大臣のままで居続けることができたのか。任期途中で、クビを切られた大臣は、一人や二人ではないのに、なぜ稲田氏は防衛大臣のまま存在し続けることができるのか。それは安倍首相以外誰も分からない。 稲田大臣が超右翼的な政治信条を有する点において、安倍首相はある意味で自分を見るような気持ちで稲田大臣を見ていたのではないかとも思うのだが、だからといって、稲田大臣を日本初の女性総理大臣にふさわしいと思うのは安倍首相の恣意(しい)、勝手な思い込みであって、そんな個人的な思いで日本政治を仕切られては、たまったものではない。安倍首相だけが稲田大臣を偏愛し、えこひいきしているように見えてしまう。安倍首相という男性と稲田朋美防衛大臣という女性の間に、理屈では説明のできないただならぬものを感じ、不審に思う女性は多いのではないか、と思うのだ。 防衛省で栄誉礼を受ける安倍首相(左)と稲田防衛相 =2016年9月 安倍首相は男女共同参加型社会を提唱して閣僚にも女性を登用してきた。もちろん安倍首相のほかの政策、ふるさと創生も安全保障政策も財政再建もインフレ策も何もかも行き詰まり、成果があげられていないのと同じように、この男女共同参画社会の提唱も成果をあげないどころか、最悪の事態を招いている。女性を閣僚として採用してきたことは、男女不平等問題に不満やいらだちを感じている女性たちを十分には満足はさせなくとも、スタート時にはいささか期待を抱かせたはずだ。                             しかし、そのはかない期待をこともあろうに安倍首相が自ら採用した女性閣僚、あるいは自民党が公募して採用した女性議員によって、女性を採用することが逆効果になってしまうという皮肉な結果を招いてしまった。安倍首相は女性を評価していると思い込んで支持した女性こそ、完全に裏切られたはずで、彼女たちは今回の件で自民党から心は離れたはずだ。男たちに足りない能力を持っているにもかかわらず、自分たちは不当な扱いをされていると感じる女性たち、そしてもとより安倍政治ではダメだと思っていた女性たちにとって、救いになったのが小池百合子都知事が率いる都民ファーストの会である。 女性たちがよりどころとして小池百合子を求めたことは、容易に理解できる。安倍首相がダメだからといっても、もしその人たちにとって、頼れる他のリーダーがなければ、安倍首相を見放した人々の票は分散してしまい、その声は目立たず雲散霧消してしまっただろう。

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    内閣支持率急落 投票率高くなれば大逆転ありえる水準

    、60代が54%から36%へ急落したのに対して、20代は支持率60%以上と高かったことを報じている。政治ジャーナリスト・野上忠興氏は、この数字から選挙への影響の深刻さがわかると指摘する。「60歳代は各世代で人口が一番多く、投票率が非常に高い世代です。この世代の支持率が急落しているのは、次の選挙で安倍政権は従来の支持票をごっそり減らす可能性が高いことを示している」 野上氏の協力で投票に結びつく〈投票者支持率〉を世代間で比較してみた。20歳代の人口(有権者)は約1250万人で、前回総選挙の投票率は33%だった。投票に行ったのはざっと412万人。この世代の内閣支持率が65%と高くても安倍政権の支持者は268万人だ。 それに対して60代の人口は約1800万人で投票率は68%、人数では20代の3倍、ざっと1224万人が投票している計算だ。この世代の支持率が18%下がったということは、それだけで20代の支持者に匹敵する220万人の支持を失ったことを意味している。「毎日の支持政党別内閣支持率によると、無党派層の内閣支持率は18%と低く、不支持率が53%にハネ上がっている。選挙の投票率が高くなれば、議席の大逆転さえ起きかねない危険水域といっていい」(野上氏)「安倍一強」で停滞していた政治に再び激震が走ろうとしている。しかもその「震源」は無数にある──。関連記事■ 新聞各紙の内閣支持率 なぜ読売と日経は高いのか■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 30歳未経験グラドル池田裕子に「本当に?」と確認してみた■ 東京新聞・望月衣塑子記者 部外者だからできた執拗な追及■ 北海道新聞調査の内閣支持率が大幅ダウン 今後全国に波及か

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    安倍内閣を「危険水域」のどん底まで叩き落とした3人のオンナ

    支持率回復は難しい さらに昨年登場した東京都の小池百合子知事は、こうした女性の支持を集めるのに最適な政治家であったといえる。都議選で「守旧派」といえる都議会自民党を敵に回したこともあり、安倍首相と小池知事の比較では、女性活躍の期待感は小池知事のほうが高い。これらが総合的に女性の支持を失ったのではなかろうか。東京五輪・パラリンピック費用負担問題で安倍晋三首相(右)との会談に臨む東京都の小池百合子知事=5月11日、首相官邸(斎藤良雄撮影) したがって、8月に予定されている内閣改造で支持率を回復することは難しいのではなかろうか。女性を登用すればいいというほど簡単なものではないだろう。女性の政治参加も増えていることを考えると、当たり前のことではあるが、女性の登用や要職就任の数値設定ではなく、1億総活躍社会のあり方を根本的に考えなくてはならない。たとえば、待機児童の問題も、その大きな要因となるだろう。国全体として考える発想を持たないことには解決は程遠いように感じる。 もちろん女性に限らず、男性からの支持も離れているため、より大きな問題点もあると考えざるを得ない。例えば、加計問題や防衛省の日報問題などに関して中堅官僚と思われるリークも気になるところである。「官高政低」といわれた状況を打破するために、政治主導を取り戻そうとしたのが安倍政権ではなかったのか。その意味では、官僚を押さえつけるのではなく、使いこなすか共生することが必要となる。人事権を握れば、官僚の反発を抑えることにつながると考えているようであれば間違いである。 こうした点が「政権のおごり」ともいわれる状況になったことを表している。やはり強引な法案採決や説明を省略したかのような姿勢は問題があると言わざるを得ない。高い支持率が過信につながったとしか思えない。一方で、必ずしも発想や政策そのものに大きな失点があるわけではなく、手続きの齟齬(そご)や官僚の推量が疑惑の温床となった。 やはり国民に直接向き合うことが必要である。国会審議も、対野党ではなく国民に対する説明だと思えば、今国会で見られたような、木で鼻をくくったような説明ではなかったに違いない。権力に長く居座れば腐敗するという「権腐十年」ではないが、安定政権を目指すことの難しさともいえるかもしれない。

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    笹川堯氏「安倍さんは正直に友達です、といえばよかった」

     東京都議選で大惨敗を喫した自民党。かつて党の中枢を担った議員たちには「政治とはかくあるべし」の矜持があった。彼らは言う。「今の自民党は、もはや国民のために在る政党ではない」──と。党総務会長、科学技術政策担当大臣を歴任した笹川堯氏(81)が諫言する。* * * 安倍(晋三)さんはよくやっているが、加計問題でチョンボした。何が悪かったのかというと、獣医学部の認可を受けた加計と仲が良過ぎたこと。たまたま安倍さんの友達の学校に許可が出たことで疑われたが、国民からすると疑うのが当然です。 しかも、疑惑への対処法が悪すぎた。最初の段階で、菅(義偉)官房長官が怪文書と断言したことが疑惑を深める原因になってしまった。笹川堯・自民党元総務会長 そもそも政府には怪文書というものはありません。政治の世界で怪文書とは政府以外の文書で、私の事務所にも送りつけられてくるが、氏名の書かれていないものをいう。菅さんは署名がないので怪文書と思ったのかもしれませんが、役所のなかにはメモ書きのような文書が多数あります。 そのうえ、ろくに調べもせず、文科省には「ない」と答えた。しかし、役所では、一人の人が仕入れてきた情報は全部、上の人が共有するシステムになっています。大臣が陳情を受けるときも、必ず書記官などが記録する。几帳面にあらゆる情報が記録に残されるので、文書は必ずあるのです。 菅さんは初動を誤ったため、後に引けなくなってしまった。「言葉が過ぎた。公式文書ではないといえばよかった」といえば済んだのに、それもしなかった。 安倍総理にしても、ああいうつっけんどんな答弁でなく、正直に「友達です。ゴルフやる仲間です」と認め、「総理大臣として法律を曲げたことはありません」といえばよかったのです。ペン書きで直した文書が出てきたときも、萩生田官房副長官が指示していたのなら、それは政治的指導なのだから、何の問題もない。特区というのはそもそも政治的判断なのだから、その通り説明すればいいのです。変に隠すから疑われてしまう。自滅を繰り返したといわざるを得ません。関連記事■ 怪文書騒動 「握り潰された読売スクープ」の内容と読売の見解■ 菅義偉・官房長官、山本幸三・地方創生相の情報隠蔽術■ NHK内で真偽不明の怪文書多数飛び交い局内が疑心暗鬼に陥る■ 自称・福山雅治の交際相手女性3人 事実無根の怪文書を送る■ 菅氏「ワタシ、あなたに…」ほか 最悪国会の珍発言集を紹介

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    民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 世の中に取り組まなければならない政治問題が100しかないとすれば、民進党の蓮舫代表のいわゆる「二重国籍問題」は、その中でも99番目か100番目の重要度しか持っていないというのが私の見方である。日本と台湾の「二重国籍」解消に関する記者会見に臨む民進党の蓮舫代表=7月18日、東京・永田町の民進党本部(酒巻俊介撮影) この二重国籍「問題」について、ネットでは執着して批判する人たちがわりと多い印象を持っていた。ただ「問題」が発覚してからだいぶ時間も経過し、一部の人たちの熱い関心以外は、このまま立ち消えするものと思っていた。ところが最近、またこの「問題」が再炎上している。 そのきっかけは東京都議選の民進党の惨敗である。具体的には民進党の今井雅人衆院議員が「この問題をうやむやにしてきたから、党はピリッとしない」などとツイッターで書いたことがきっかけのようだ。同党の原口一博衆院議員も同じ趣旨のツイートをしている。これらの民進党議員の発言は、安倍政権への支持率の急低下が生じている半面、その反対票の受け皿として全く機能していない同党衰退への危機感が裏側にある。実際に世論調査をみても、民進党への支持は相変わらず低調だ。 私見だが、蓮舫氏の二重国籍「問題」は、まず説明が二転三転したこと、そして過去のメディアでの発言との非整合性など、その政治家としての発言の首尾一貫性への疑問に尽きるだろう。昨秋米国との「二重国籍」状態が発覚、その後解消した自民党の小野田紀美議員が指摘しているように、だいたいの人たちは蓮舫氏の出自や差別の話などはしていないだろう。 もちろん差別主義的な発言も目にするが、蓮舫氏の発言が矛盾していることへの疑問が多数だ。むしろ、蓮舫氏がこの機会に自分の立場を国民の多くが納得する形で発言すれば、差別主義的な発言に抗するいい機会にもなるかもしれない。そのときに戸籍謄本の開示が必要かどうかは、それは単なるひとつの証拠物が必要かそうでないかのレベルだと筆者は思う。別に開示がなくても、蓮舫氏が国民の疑念を払拭(ふっしょく)できると思うならば、それだけの話である。言い換えれば、戸籍謄本の開示なしで説得に失敗しても、またそれだけの話でしかなく、周りが強制すべき話では一切ない。もちろんこの点については議論が分かれるだろう。筆者も自分の見解が最善だというつもりもない。身内が指摘する民進党「低迷の根源」 だが、民進党が本当に国民の信頼を取り戻そうとするならば、その方向性だけは明瞭である。例えば、民進党の金子洋一前参院議員が以下のように発言している。「民進党の議員たちに問う。蓮舫氏が戸籍を公開すれば、党勢は上向く。そう本気で思っているのか。なぜ、野党第1党の民進党が、政権の受け皿として認知されないのか」 金子氏はいわゆるリフレ政策の主張者として長く知られてきている人だ。現在のアベノミクスの骨格部分である、大胆な金融緩和政策を基本とする政策をリフレ政策という。そもそも安倍晋三首相よりも金子氏の方がリフレ政策の理解は熟達している。公平にいえば、安倍首相の理解もかなり上級だ。こう書くとすぐに安倍擁護だという人がいるが、あくまで国会答弁を見た客観的な評価である。民進党の金子洋一前参院議員 いずれにせよ、金子氏が言いたいことは、おそらく民進党の低迷の根源には、その政策無策、特に経済政策の無策があるということだろう。金子氏の従来の発言を追ってみても、そのことは明瞭である。より具体的にいえば、いまの蓮舫代表と野田佳彦幹事長の体制に色濃い、反リフレ政策、消費増税路線への批判である。これらの政策が、民進党が国民に全く支持されない原因であることを、金子氏は言いたいのではないか。 金子氏の著作『日本経済復活のシナリオ』(青林堂、2014年)では、以下の3点をあげている。1)日本銀行による金融緩和は強化すべきだ。また、消費増税の判断は慎重にすべきだ。2)景気対策として数兆円規模の輸入物価上昇対策のための補助金を実現すべきだ3)政府の経済政策を「雇用重視」にかじを取るべきだ。 これらの提言は、多少の修正が必要かもしれないが、現在の日本経済を考えるうえで重要だ。そしてこのような政策提言こそ、いまの民進党にこそ求められているのではないだろうか。大変貌に必要なのはこの政策 例えば「雇用重視」だが、金子氏も強調しているように、いまの日本には「雇用の最大化」すなわち失業を予防するために働く官庁がない。金融緩和政策は、日本の雇用を大幅に改善したのだが、本来、日銀にとってその使命は法的に自明ではない。現在、たまたま安倍政権と協調しているために雇用重視のスタンスをとっているだけだ。そのため「雇用最大化」と「物価安定」のふたつを日銀に課すような日銀法改正を目指すことを金子氏は説いていた。これは現在の安倍政権でも全くなおざりにされている点だ。この日銀法改正によってさらにリフレ政策は強化される。もちろん民進党の政策として採用されるならば、筆者は応援するだろう。2011年11月、民主党政権時代の野田佳彦首相(左)と蓮舫行政刷新担当相=東京・サンシャインシティ文化会館(瀧誠四郎撮影) また消費増税を明確に否定することも重要である。これは民主党時代の野田政権での政治的な大失敗だし、また今日の安倍政権が2014年に行った現実的な失敗でもある。もし消費増税の放棄と、それに代わるリフレ政策による財政健全化を優先することを表明すれば、国民の多くは民進党の性格が大変貌したことを瞬時に悟るだろう。 また民進党ならではの「弱者」保護政策も重要だ。例えば上記2番目の補助金政策は、電気料金の引き下げや、ガソリン税・軽油引取税などの廃止ないし引き下げなど、低所得者層へ恩恵のあるものである。 だが実際には、民進党は金子氏を参院選で見殺しにしたといっていい。神奈川選挙区に複数候補を立ててこの有為な人材を国会から失った。その損失は計り知れない。 他方で、自民党もそうだが、国会議員の多くが「消費増税主義」を全く変えることがなく、しかもバーゲンセールできるほど存在している。この病は深刻である。蓮舫氏の二重国籍「問題」は人によっては重要かもしれない。しかし私見では、その「問題」がどうあれ、ほとんどの国民にとって、政治、経済、外交の多くの課題の前では優先度は限りなく低い。 筆者は民進党の政策を批判する点では、日本の論者の中でも筆頭に位置するくらい辛辣(しんらつ)であると認識している。だが、それでも最大野党が本当にどうしようもない事態であることには危機感もある。 ちなみに、金子氏は経済政策でも卓越しているが、8月13日に東京・ビックサイトで行われている国内最大規模の同人誌即売会、コミックマーケットに参加するらしい。筆者も時間が合えば行くつもりだ。もはや民進党関係では、金子氏のコミケ参加が個人的に最大の注目になってしまったのである。

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    日本の円圏構想をパクった中国の「一帯一路」はどうせ失敗する

    上念司(経済評論家) 中国が主導する一帯一路構想を一言で表現するなら「リスキーな投資」である。中国共産党が口で言うほど簡単ではない。なぜなら、投資した瞬間に不良債権の山になるような政情不安定な国への投資だからである。当然、それがうまくいくかどうか全く保証はない。そもそも、中国の債権問題は最近再びクローズアップされている。なぜなら、上海市場の金利がここのところ急騰しているからだ。 金利の急騰は社債の借り換えにダイレクトに影響する。すでに社債の発行が全体的に低調になり始めている。ロイターは先月次のように報じた。 中国企業は今年1300億ドル、来年には2480億ドルの借り換えが必要になる。しかしトムソン・ロイターの推計によると、今年1─4月の国内の債券発行額は約1320億ドルと、前年同期の7960億ドルに比べ5分の1未満に減った。ドイツ銀行の推計では、中国の債券市場は昨年、前年比32%拡大して9兆3000億ドルに達していたが、情勢が一変。このペースが続けば来年の借り換え分を賄えなくなる。(ロイター 2017.5.9) 金利の急騰は為替操作の副作用である。現在、中国は人民元の暴落を防ぐために巨額の為替介入と厳しい資本取引規制を実施している。人民元を買い支えるためには市場から人民元を吸い上げなければならない。これはすなわち市場の資金不足を意味する。資本取引が自由であれば、不足した国内市場に海外から資金が流入するが、中国の場合はこれを厳しく規制しているため資金は流入しない。むしろ、中国共産党は国内経済がボロボロであることを嫌気した国内資金が海外に逃避することを恐れているのだ。香港島の観光名所に展示されている中国の習近平国家主席のろう人形=6月5日(共同) しかし、国内が資金不足に陥れば、国内のビッグプロジェクトは借り換え困難に陥る。資金難が深刻化すればその事業は頓挫するだろう。しかし、こうしたプロジェクトの多くは政府や地方政府が主導した公共事業である。どの事業が救済され、どの事業が見捨てられるのか。共産党内部の激しい権力闘争が始まりそうな予感だ。 こんな状態にある中国に「一帯一路」を進める余力はあるのだろうか。むしろ、国内経済の問題からエネルギー切れになる可能性の方が高いように思える。実際に、各種プロジェクトの遅れはそれを象徴しているのではないだろうか。新聞報道によれば、インドネシアの高速鉄道が先月ようやく融資に合意したそうだ。 このプロジェクトは2015年に合意したものの、2016年1月の起工式以降まったく進捗(しんちょく)がない状態が続いていた。おそらく当初の約束だった2019年完成という目標は達成されないだろう。一帯一路の重要なプロジェクトであるはずなのに、なぜこれほど遅れたのか。やはり中国国内が「金欠病」に陥っており、進めたくても進められなかったのかもしれない。※注1一帯一路は日本のパクリ そもそも、一帯一路構想とはかつて日本がやっていた「円圏構想」のパクリだ。「円圏構想」とは、「東アジア共同体構想の目的として、アジア共通通貨単位の導入による為替レート安定」を目指すものである。主に大蔵省を中心として1980年代の後半に本気で検討されていたようだ。しかし、この構想には大きな問題がある。早稲田大学教授の若田部昌純氏は次のように指摘している。 これが経済学的にいかに問題かは、通貨バスケット制やドルペッグ制のような広い意味での固定相場制の問題点を考えてみればよい。国際経済学には、安定的な為替相場、国際間の資本移動の自由、および金融政策の自立的な運営の三つが確立しないという「不整合な三角形」と呼ばれる関係がある。この関係のもつ政策的な意味はきわめて大きい。すなわち、固定相場制(安定的な為替相場)を維持しようとすれば、資本移動を規制するか、金融政策の自立性を放棄するしかない。そして、固定相場制というのは投機攻撃にさらされやすいのである。(若田部昌澄『経済学者たちの闘い』東洋経済新報社)会談の席に向かう安倍首相(左)と中国の習近平国家主席=7月8日、ドイツ・ハンブルク 産経新聞の北京支局に9年勤務し、昨年末に帰国した矢板明夫記者によると、中国共産党幹部は総じて元高を歓迎しているという。なぜなら人民元の価値が高い方が外国企業を買収するのに都合が良いと考えているからだそうだ。まさに円圏構想的な発想にとらわれていると言っていいだろう。 私に言わせれば、彼らは基軸通貨というものの本質が全く分かっていない。為替レートを高く維持することと、その通貨の利便性が高いことは必ずしも一致しないからだ。実際に、彼らが頭でっかちに考えているほど、プロジェクトは進んでいない。フィナンシャル・タイムズは次のように報じている。中国商務省のデータによると、一帯一路の沿線国家に対する中国からの直接投資は昨年、前年比で2%減少し、今年は現時点で18%減となっている。沿線53カ国に対する昨年の金融を除く直接投資は総額145億ドルで、対外投資全体のわずか9%だった。しかもこの投資の減少は、中国の対外直接投資が前年と比べて40%も増え、過去最高を更新する状況の中で起きた。中国当局が資本流出を止めるために対外取引の制限に動いたほどだ。(日本経済新聞 2017.5.12) やはり、一帯一路は巨大な不良資産の山を積み上げて終わるかもしれない。かつて、日本が円圏構想でバブル崩壊を迎え、その後長期停滞に陥った歴史が被って見えるのは気のせいだろうか。注1:「インドネシア高速鉄道建設、中国ようやく融資に合意」(朝日新聞デジタル 2017年5月15日)

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    安倍首相の「一帯一路に協力」は早計だったかもしれない

    考えられる。 確かにシルクロードという誰もが知る歴史的テーマを前面に押し出した一帯一路構想は、大きな政治的インパクトをもたらすかもしれない。だが、地政学的なリアリズムに徹した場合、一帯一路構想の重要度はAIIBよりも低い。その理由は、海上交通網が整備された現代においては、陸路の輸送力は経済的に見てあまりにも貧弱だからである。 大航海時代以前であれば、ユーラシア大陸における物資の移動は陸路に頼るしかなく、シルクロードはまさに交易の拠点であった。だが近代以降は貿易の中心は海上交通路となり、その図式は今も変わっていない。 中国は現在、世界の工場としてあらゆる工業製品を米国や日本、欧州に輸出しているが、これらの大半はコンテナ船など使って海上輸送される。電子部品など軽量で即納が必要なものは空路で輸送されるケースもあるが割合は少ない。その理由は、船の経済性が突出していることによる。 条件によって輸送コストは異なるので単純な比較は難しいが、筆者が各種データから試算したところでは、1トンの荷物を1000キロ輸送するコストは、船が約1万円 鉄道は1万2千円、トラックは2万5千円、航空機は15万円になる。船は港があればすぐに運用が可能であり、鉄道や道路という長大なインフラを建設する必要がない。トータルすると船による輸送は圧倒的な経済力を持つことになる。アジアの地域開発に変形させた中国 地政学という学問は英国で発達したものだが、そのベースとなっているのは地理学である。地政学の世界では、ユーラシア大陸の中央部には西と東を断絶するエリア(ハートランド)があり、これが各国のパワーバランスを決める大きな要因になっていると考える。このハートランドこそが、中央アジアであり、まさにシルクロードの中枢部ということになる。 中国は西部に行くと高い山や砂漠が連なり環境が厳しくなる。中央アジアも基本的に山岳地帯が多く、ここに道路や鉄道を建設するコストは極めて高い。仮に建設できたとしても、その輸送能力には限界がある。ハートランドが世界のパワーバランスに大きく影響するのは、このエリアを境に東西の移動が極端に難しくなるという根源的な要因が関係しているのだ。 2105年度における中国の貿易総額は4・3兆ドル(約480兆円)と日本のGDPに匹敵する金額だが、このうち18%が欧州向け、14%が北米向け、7%が日本向け、15%が豪州、アフリカ、中南米向けとなっている。これらの貿易の多くは海上輸送となっており、ロシアやインドといった内陸部の国との貿易はごくわずかしない。上海の港に並べられたコンテナ=上海(ロイター) 中国にとっては海洋覇権の方が圧倒的に重要度が高く、そうであるがゆえに、南シナ海や東シナ海における制海権にこだわっている。 一帯一路における海上ルートは、現時点においては、米軍が制海権を握っており、中国は手も足も出ない。陸路の開拓は、経済的にはある程度の効果はあるものの、地政学的な状況を劇的に変化させるほどの力を持つとは考えにくい。結果として一帯一路は、道路や鉄道といったインフラ建設による景気対策という側面が強くなる。 中国経済は、何とか6%台の経済成長を維持しているが、国内のインフラ建設は完全に飽和状態にある。景気対策としてのインフラ投資を、アジアの地域開発という形に変形させたものが、今回の一帯一路ということになる。 案件を受注する日本企業にとってはうま味がある話かもしれないが、基本的には中国企業が潤うためのプロジェクトであることに変わりはない。AIIBに対して慎重であるにもかかわらず、一帯一路については積極的ということでは、中国側に足元を見透かされる可能性がある。中国に対して距離を置くのか、積極的にコミットするのか、もっと包括的な判断が必要だろう。

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    日本を侵略する外来種との「終わりなき戦い」を食い止める方法がある

    辻村千尋(日本自然保護協会保護室室長) 「ヒアリ」が発見されたというニュースが日本列島を席巻しています。毒を持っていることから人的被害への恐れがこのニュースをより大きくしている側面もあります。しかし、外来種問題の本当の恐ろしさは、人的被害だけではありません。そのことの理解のために「外来種とは何か」というところから整理します。 外来種とは、人の移動手段が人力から動力に変化し移動速度が格段に上がってから、人の手によって移動させられた生きものをいいます。日本では明治時代以降になります。そして、その外来種の中でも、他に競合する生きものがなく、もともとその地で暮らしていた生きもの(在来種)を駆逐して爆発的に生息・生育地を拡大していくものを「侵略的外来種」としています。 歴史的にできあがった自然のつながりが壊されることこそが、外来種問題の本当に怖いことなのです。ヒアリや、同時期に見つかった毒アリ「アカミミアリ」も生態系への影響に対する危険を重視しなければいけません。外来種の侵入が確認された場合、初期段階で完全駆除を徹底しなければなりません。一度定着してしまうと、根絶は非常に困難になってしまうからです。天然記念物アカガシラカラスバトの繁殖地を「サンクチュアリー」に設定し生態系保護に取り組む=東京都小笠原村父島(2011年撮影) 世界自然遺産に登録されている小笠原諸島での外来種問題をみれば、そのことの意味がよくわかると思います。 小笠原はその自然の価値から世界自然遺産に登録されています。しかし、登録前から外来種問題を抱えており、その対策の確実な履行が登録の条件でもありました。最も遺産の価値として位置付けられたカタツムリなどの陸産貝類については、再生能力を持つ扁形(へんけい)動物「プラナリア」の侵入により父島では壊滅的な状況になっていますし、特定外来生物のトカゲ「グリーンアノール」により固有の昆虫類も父島では絶滅してしまったものもいます。 野生化した猫「ノネコ」は絶滅危惧種のアカガシラカラスバトや海鳥類、ノヤギは固有の植物にそれぞれ大きなダメージを与えました。環境省や林野庁、東京都などの行政機関や研究者、地元のNPO等の活動で、例えばノネコの捕獲が進んだことでアカガシラカラスバトの生息数が劇的に改善されたり、属島からノヤギが完全駆除されたりと成果も多く上がっています。外来種問題を引き起こさない方法とは しかし、その一方で新たにグリーンアノールが兄島という無人島に侵入してしまうなど次々に問題も浮上しています。さらには、捕獲して減少したノネコの影響でクマネズミが増加したり、ノヤギによって被圧されていた外来植物が繁茂拡大する問題も起きています。このように一度定着してしまうと単純に駆除すればよいという状況ではなくなり、生物間の相互作用を予測評価しながらの対策が必要となり、結果、完全駆除ができないものも出てきてしまうのが、外来種問題の大きな課題です。 ところで、費用対効果が高く、かつ外来種問題を引き起こさない方法として、どんな方法が思い浮かびますか? それは、外来種を「入れない」ことです。しかし、グローバルなつながりがある現代では、最も難しいことでもあります。ヒアリもそうでしたが、外来種はいろいろなものと一緒に混入して運ばれてくるので、物流を止めない限り実現できないからです。もう一度鎖国するということは現実的ではありません。神戸港のコンテナヤードを調査する環境省の職員ら=6月16日(神戸市提供) それでも、できることもあります。それは不必要な物資の移動をやめることです。日本は島国です。そしてその成り立ちから地形や地質が複雑に入り組んだ箱庭のような自然環境をしています。同じ日本という国であっても、その土地土地でそれぞれの生態系があります。ましてや、国内といっても海を挟んだ島と島では生態系は全く別物のこともあります。 せめて、島と島の間で土砂の移動を制限するとか、やむをえず入れなければならないのであれば徹底した検疫システムを作るなど、できることもあるのです。 固有種の多い島では、島外から持ち込む海の埋め立てに使う土砂は、すべて焼却処理を施すことも考えられます。そんな対策をしたらいったいいくら費用がかかるのか、費用がかかりすぎて現実的ではないとの意見もあるでしょう。しかし、外来種が蔓延(まんえん)し、在来の自然に致命的な打撃を与え、多くの絶滅種や危惧種を作りながらも「終わりなき戦い」を続けることと比較した場合、どちらが「安い」のでしょうか。一度そのことを真剣に議論するべき時に来ているのではないでしょうか。

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    なぜ「パンダフィーバー」は上野動物園でしか起きないのか

    佐藤栄記(動物ジャーナリスト) 先日、東京・上野動物園のジャイアントパンダが出産し、「パンダフィーバー」という大昔の流行語がまたよみがえりました。1972年に爆発的に使われ、やがて徐々に廃れていったこの死語は、なぜか「上野で」パンダの話題が生まれたときにだけ蘇生(そせい)する不思議な言葉です。 その間に、和歌山県の南紀白浜では、10数頭ものジャイアントパンダが産声を上げているにも関わらず、たまに上野でジャイアントパンダが妊娠の兆候があったり、出産したときだけ、この言葉に突如火が付くのです。なぜ、上野限定なのでしょう。 2009年、政府の事業仕分けの際に民進党の蓮舫代表が言った「2位じゃダメなんでしょうか?」ではないですが、和歌山県のアドベンチャーワールドではダメなのでしょうか。上野のパンダでないとダメなのでしょうか。そんなことを、ふと疑問に感じたことがある人はけっこういらっしゃるのではないでしょうか。この件について1972年の発端から振り返ってみたいと思います。 通称、上野動物園。正式名称は恩賜上野動物園。頭に「恩賜」とあるように、この動物園は1924年の皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して東京市(当時)に下賜されたものです。しかし上野動物園は、実際にはその40年以上も前の1882年に博物館の付属施設として既に開園しており、日本で最も古い動物園なのです。つまり、その歴史的背景を見ても日本の動物園を代表する老舗ブランドであることは間違いありません。 だからこそ、「パンダ外交」として日本に贈られた日中国交正常化のシンボル、ランランとカンカンは日本の首都・東京に位置し、日本一有名な老舗動物園「上野」に来たのです。1972年10月28日、上野動物園に到着したカンカン(康康・左)とランラン(蘭蘭) それにしても、当時、ジャイアントパンダ2頭が初来日したときの熱狂ぶりはすさまじく、フィーバー(熱狂的大流行)という言葉はまさに当たっていました。当時10歳だった私の記憶の中にも、45年も前の興奮がいまだに残っています。その背景には、時代というものが多分にあったと思います。 今のように、インターネットがないあの頃は、情報が一極集中する傾向にありました。テレビひとつ取ってみても、BSもCSもネットチャンネルもオンデマンドもなければ、ビデオも普及していないわけです。情報の発信源が少なかったため、みんなが同じ情報を共有し、学校や会社でその情報をお互いに確認し、反復するかのように伝達しあいました。「熱狂」が決定づけたブランドイメージ 当時の情報の一極集中ぶりがよく現れていたのが歌謡曲です。ランラン、カンカンが来日した1972年のレコード売り上げ1位は宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、2位は小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」ですが、当時物心ついていた人なら、どちらの曲も、すぐさまそのメロディーが出てくるのではないでしょうか。 一方、去年のオリコンの年間CD売り上げランキング1位は、AKB48の「翼はいらない」、2位もAKB48で「君はメロディー」ですが、果たして口ずさめる人はどれぐらいいるでしょう。SNSやYoutubeの登場で、国民全員が情報の発信源となりうる今は、情報がありとあらゆる分野で蔓延(まんえん)し、人々は自分の好みの情報をえりすぐっているため、一極集中にはなり得ないのです。 そのような背景も手伝って、日本人特有ともいえる「皆がしていることは自分もしなければならない」的な性質が、パンダフィーバーをさらに加熱させました。日本人は流行を追うのがとても好きなようで、ミシュランガイドの星が1つでも付けば、その店はたちまち大行列ができるのです。 おそらく、今以上に流行に敏感だった高度成長期末期の日本人は、当然のことながら上野に殺到しました。ランラン、カンカンの公開当日、1キロもの行列ができ、約5万6千人がパンダを一目見ようと押しかけました。実際にパンダを見られた人は、わずか3割程度だといわれています。3時間待ちの長蛇の列に断念せざるを得なかったのです。中国から来日したパンダのランラン、カンカンが上野動物園で初公開され、観客が殺到した=1972年11月5日 幸運にもパンダを見ることができた約1万8千人は、パンダの前で立ち止まることは許されず、見られる時間はたった30秒程度でした。その30秒の間、パンダは背を向けていたり、あるいは微動だにしなかったことはザラで、たまたま観客のほうを向いていたり、何かを食べていたりしたら大ラッキーで自慢の種になったのです。 当時は良くも悪くも、世の中に「忖度(そんたく)」がゴロゴロ転がっていた時代で、私は上野動物園の関係者だった父の友人の忖度で閉園後にパンダ舎のバックヤードにこっそりと入れてもらいました。子供心に、もう十分だと思われる程の時間、ランランとカンカンを妹と2人だけで見させてもらったという、今では考えられないような思い出があります。その光景は、セピアカラーながらも、今でも鮮烈に記憶に残っています。その後数日間は、ずっとその話を友達に自慢し、友人たちもその都度、大きなリアクションをしていたのを覚えています。 このような、一般にはなかなか見られないという希少性やチラリズムが、上野のパンダをさらに貴重な存在へと押し上げていきました。パンダ来日決定から公開の間に、「パンダ」と「上野」が合体した強烈なブランドイメージが出来上がってしまったのです。当時小学生だった私の世代、つまり今の50代から上の世代は、今でもそれをずっと引きずり、その思考が自分たちの子供の世代へと受け継がれたのではないでしょうか。フィーバーが植え付けた意外な「言葉」 上野動物園のブランドイメージ同様に、この時期に人々の意識を固定させてしまったのが、「パンダ」という呼び方です。本来、ただパンダと言った場合は先に発見されたレッサーパンダを指していました。そこで、後から発見された白黒の大きな、いわゆるパンダの方はジャイアントパンダという名前にしたわけで、日本では正式和名はあくまでジャイアントパンダです。京都市動物園の特任園長に任命されたレッサーパンダのジャスミン ところが、今、パンダと言ってレッサーパンダを想像する人はまずいないでしょう。実はこれも、当時のマスメディアによる影響が大きいのです。実際、羽田空港に日本航空の特別機でジャイアントパンダが到着した時点では、そのコンテナに「大パンダ」という文字が大きく記されていました。ところが、待ち受ける上野動物園では、横断幕や看板に「パンダ」としか書かれていなかったのです。 既に上野動物園にはレッサーパンダがいたのですが、その元祖パンダをそっちのけにして、ジャイアントパンダをマスコミもこぞって「パンダ」と言い放ちました。その方が、響きもよく覚えやすくインパクトがあったからでしょう。爆発的ブームの中、人々は何のためらいもなく、ジャイアントパンダ=パンダという認識を固定化させ、現在に至っているのです。 1972年のあの熱狂が、「パンダは上野」「ジャイアントパンダはパンダ」という固定観念のようなものを植え付け、今もそれが続いているわけです。 上野に遅れること22年、94年からは和歌山県のアドベンチャーワールドでジャイアントパンダの飼育が始まり、2000、01、03、05、06、08、10、12、14、16年と恐ろしいほどコンスタントに子供が生まれています。パンダ外交は日本のみに行われているわけではなく、旧ソ連、フランス、イギリス、メキシコ、スペイン、ドイツ、アメリカ、韓国、オーストラリアといった国々にもパンダは貸し出されましたが、アドベンチャーワールドの繁殖実績は、中国本土を除けば文句なしに世界一なのです。 もちろん、生まれるたびに報道はされているのですが、誕生したその日限りの報道が多く、上野のような経過報道はほとんどされず、人々の記憶にはあまり残らないというのが現状です。たとえ実績が1位になっても、老舗ブランドには勝てなかったわけです。「2位じゃダメなんでしょうか?」どころの騒ぎではなく、ことパンダに関しては、上野以外は1位になってもダメだったのです。上野のパンダの系譜は、高度成長期末期のあの熱狂を、宿命的に今も引き継いでいるのでしょう。日本に「パンダ」は何頭いる? そして、その上野のパンダでさえも、盛んに報道されているお母さんパンダのシンシンとその赤ちゃんだけが話題に上がり、ニュース映像に映し出されないお父さんパンダの方は、ほとんどの人がその名前さえ知らないのです。よくよく考えてみれば、とても不思議な話ですが、これもマスメディアの影響なのです。 今回、上野のパンダが誕生して以来、2週間以上もの間、赤ちゃんの成育状況は欠かすことなく毎日、テレビのニュースなどで報道されています。でも、少なくとも私の知る限り、雄のリーリーの名前は赤ちゃん誕生のその日しか出てきていません。 また、上野動物園には、ジャイアントパンダよりも生息数が少なく、絶滅の危機にひんしている希少動物がたくさんいますが、それらがメディアで取り上げられることはまれです。たとえ取り上げられても和歌山のジャイアントパンダと同様で、単発的にちょっと報じられる程度にすぎません。 例えば、上野動物園の正門を入ってすぐ右手には、アカガシラカラスバトという鳥がいますが、ほとんどの入場客は、その前を通過せず、まっすぐに行ってしまいます。しかし、この鳥は小笠原諸島だけに生息し、野生個体数は約40羽しかいない日本の天然記念物です。上野動物園では、このアカガシラカラスバトの飼育繁殖に取り組み、成果をあげてきましたが、それを知る人は皆無に近いでしょう。 この差は、あのジャイアントパンダの容姿やしぐさといったパンダ独特のアイドル性も大きな要因だと思いますが、やはり最初のパンダ外交とその報道の強烈なインパクトがいまだに尾を引いているからではないでしょうか。 ところで、今日現在、日本には何頭のジャイアントパンダがいるかご存じでしょうか。正解は9頭ですが、内訳は、上野に赤ちゃんパンダを含めて3頭。和歌山に5頭。神戸の王子動物園に1頭です。ところが1カ月程前までは、12頭もいたということを知る人はほとんどいないでしょう。 2017年6月12日に、上野のパンダ、シンシンが1頭のパンダを産んだことで、日本国内のジャイアントパンダは1頭増えた計算ですが、実はそのちょうど1週間前の6月5日、日本のジャイアントパンダが3頭も減ったのです。和歌山のアドベンチャーワールドで生まれ育ったジャイアントパンダの海浜、陽浜、優浜の3頭が中国・四川省の研究施設へ返還されました。繁殖のため中国に行くジャイアントパンダの「優浜」(左)と「海浜」=4月7日、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールド 実は、現在日本にいるジャイアントパンダは全てレンタル扱いで、たとえ日本の飼育下で子供が生まれても、基本的には性成熟する4歳ぐらいまでに中国に引き渡されることになっているのです。上野のシンシンが産んだ今の赤ちゃんパンダも2年をメドに中国に返されるようです。それを知ると、このパンダフィーバーもなんだか切ない気がします。 田中角栄、周恩来両首相による日中国交正常化の外交として湧き上がったパンダフィーバーは、マスコミによってさらに大きな熱を帯び、今もときどき、その炎を燃え上がらせては切なく消えていくのです。

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    都議選惨敗、安倍首相に残された道は「消費減税」しかない

    。候補者の名前が並ぶボードを背に開票を待つ自民党の下村博文都連会長=7月2日、東京・永田町の党本部 政治的には、都民ファーストの大勝よりも、自民党の惨敗の方が重要だと思う。国政への影響が避けられないからだ。いくつかその影響を考えることができる。あくまで予測の域をでないのだが、いまの政治状況を前提にすれば、年内の衆議院解散は無理だろう。2018年12月の任期満了に近くなるかもしれない。もっとも、1980年代から現在まで3年を超えての解散が多いので、それほど不思議ではない。ひょっとしたらこれはすでに織り込み済みかもしれない。ここまでの大敗北はさすがに自民党も予測はしていなかったろうが。 国政に与える影響で興味の焦点は、安倍晋三政権の持続可能性についてである。あくまで都議選でしかないことが注意すべきところだが、今後いままで以上にマスコミの安倍批判が加速することは間違いない。都議選の有権者が東京都民だけにもかかわらず、それを世論と等値して、国民から不信任を食らったと煽(あお)るかもしれない。 もちろん煽らなくても、今回の都議選大敗により、世論調査で内閣支持率がさらに低下し、自民党の支持率も急減する可能性はある。ただその場合、国政には都議選で受け皿となった都民ファーストがないし、また野党も受け皿にはなれない。つまり支持率の低下はほぼ無党派層の増加に吸収される可能性が大きい。この現象がみられるとすれば、都議選の大敗北は、安倍政権への世論の逆風が全国的に吹いたままだということを意味するだろう。 この潜在的な逆風が、安倍政権をレームダック(死に体)化するだろうか。ここでのレームダック化は、安倍首相が現状のアベノミクスなど基本政策を実施することが難しくなる状況、あるいは転換を迫られる状況としたい。当面はその可能性は低いと思われる。「増税」で激化する自民の政治闘争 ただし、党内の政治闘争は以前よりも格段に顕在化するだろう。そのキーワードは、やはり消費税を含めた「増税主義」である。2017年度の政府の基本的な経済政策の見立てを描いた「骨太の方針」には、19年10月に予定されている消費増税の記述が姿を消した。また20年度のプライマリーバランス黒字化の目標もトーンが下がったとの識者たちの評価もある。 おそらくそのような「評価」をうけてのことだろう。石破茂前地方創生担当相は、消費税を必ず上げることが国債の価値を安定化させていること、またプライマリーバランスの20年度の黒字化目標を捨てることも「変えたら終わりだ」とマスコミのインタビューに答えている。今回の都議選大敗に際しても、石破氏は即時に事実上の政権批判を展開していて、党内野党たる意欲は十分のようである。日本記者クラブの会見で「こども保険」の構想について説明する小泉進次郎衆院議員=6月1日(佐藤徳昭撮影) また財務省OBの野田毅前党税制調査会長を代表発起人とし、財政再建という名の「増税主義者の牙城」といえる勉強会もすでに発足している。またその他にも反リフレ政策と増税主義を支持する有力政治家は多く、小泉進次郎氏、石原伸晃経済再生相ら数えればきりがないくらいである。また金融緩和政策への理解はまったく不透明だが(たぶんなさそうだが)、消費増税に反対し、公共事業推進を唱える自民党内の勉強会も発足している。 これらの動きが今後ますます勢いを増すのではないだろうか。もっとも安倍政権への世論の批判は、筆者からみれば実体がないのだが、森友学園や加計学園問題、続出した議員不祥事などいくつかに対してである。そもそもアベノミクスに対して世論が否定的な評価を与えたわけではない。それでも自民党も野党も含めて、アベノミクスに代わる経済政策はほぼすべて増税主義か、反リフレ政策(金融緩和政策の否定)か、その両方である。 もちろん世論が、アベノミクスの成果を評価しても、それを脇において安倍政権にノーをつきつける可能性はある。アベノミクスの中核は、リフレ政策(大胆な金融緩和政策)である。現在の政治状況では、いまも書いたが安倍政権が終わればリフレ政策もほぼ終焉(しゅうえん)を迎える。日本銀行の政策は、政策決定会合での多数決によって決まる仕組みだ。日銀にはリフレ政策を熱心に支持する政策委員たちがいるにはいるが過半数ではない。政府のスタンスが劇的に変化すると、それに応じていままでの前言を撤回して真逆の政策スタンスを採用する可能性はある。首相が経済政策スタンスで慢心したわけ都議選での自民党大敗が伝えられる中、飲食店を後にする安倍首相(右)=7月2日、東京都新宿区 そもそも、安倍首相と同じリフレ政策の支持者は、菅義偉官房長官はじめ、自民党内にはわずかしかいない。次の日銀の正副総裁人事が来年の3月に行われるはずだが、そのときに最低1人のリフレ政策支持者、できれば2人を任命しないと、リフレ政策すなわちアベノミクスの維持可能性に赤信号が点灯するだろう。このリフレ政策を支持する人事を行えるのは、安倍首相しかいないのである。それが安倍政権の終わりがリフレ政策のほぼ終わりを意味するということだ。 もちろん日銀人事だけの問題ではない。仮に日銀人事をリフレ政策寄りにできたとしても、政府が日銀と協調した財政政策のスタンスをとらないと意味はない。デフレを完全に脱却するまでは、緊縮政策(14年の消費増税と同様のインパクト)は絶対に避ける必要がある。デフレ脱却には、金融政策と財政政策の協調、両輪が必要なのだ。 さて、安倍首相もこのまま党内闘争に巻き込まれ、守勢に立たされるのだろうか。それとも攻勢に出るのだろうか。そのきっかけは大胆な内閣改造や、より強化された経済政策を行うことにあるだろう。後者は18年夏頃までのインフレ目標の達成や、教育・社会保障の充実などが挙げられるが、端的には減税が考えられる。何より国民にとって目に見える成果をもたらす政策パッケージが必要だ。それこそ筆者がたびたび指摘しているように消費減税がもっともわかりやすい。 実際に、消費増税が行われた14年以降、政府が実施してきた中で、消費増税の先送りや毎年の最低賃金引き上げ、そして昨年度末の補正予算ぐらいが「意欲的」な政策姿勢だったという厳しい評価もできる。2%のインフレ目標の早期実現を強く日銀に要請することはいつでもできたはずだ。ある意味で、雇用の改善が安倍首相の経済政策スタンスの慢心をもたらしている、ともいえる。 いまも書いたように、さらなるアベノミクスの拡大には実現の余地はある。ただ、それを行うだけの政治力が安倍首相にまだ残っているだろうか。そこが最大の注目点だろう。