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    小池流「ワイドショー政治」はもうウンザリです

    広野真嗣(ジャーナリスト) 「劇場型政治はもうたくさんだ」と、多くの有権者は感じているにちがいない。 9月最後の1週間、政界の「台風の目」となった「希望の党」はその翌週、公示前には失速した。だが、本来保守政党である自民党がその党運営のあり方を根本的に見直さなければ、小池百合子氏から離れた票の「受け皿」にはなりえないのではないか。その象徴的な例が自民党東京都連である。街頭演説を前に、選挙カーに乗り込む希望の党の小池百合子代表=2017年10月、仙台市(佐藤徳昭撮影) 自民党東京都連は9月27日、「都連支部長・常任総務合同会議」で会長を鴨下一郎氏に決め、トップ以外の執行部4役は前体制を引き継いだ。7月の都議選で歴史的大敗を受けて辞意表明した下村博文・前会長の後任がようやく決まったことは前進ではある。しかし実質的には23日の幹部会で決めた内容の追認で、再び会長人事という最重要事項の決定が「密室」で行われるかたちになった。 しかもこの決定までには、実に3カ月もの時間を要した。都連では初となる会長選を行う方針を打ち出したのは、都議選から2カ月近くも経った8月24日のことだ。 さらに実施方法をめぐって①10万人近い党員による投票とするか、②国会議員や都議、区市町村議ら1000人規模で投票を行うかをめぐって綱引きとなり、後者に落ち着きかけたところで、解散総選挙が急浮上した。 総選挙となればこれに向けた準備が第一となるのは当然で、その時点で、唯一手があがっていた鴨下氏に決まったこと自体は不合理なことではない。だがその結果として会長選は「幻」に終わり、都連が「脱ブラックボックス」をアピールして小池都政に対抗する最良の好機を逸した損失は小さくない。 都民ファーストの会が半年間で4度も密室で代表を決めたことに意を強くしたのか、「向こうと同じ、ブラックボックス返しだ」(都連幹部)とうそぶいてみる声もあるが、こうした優先順位を履き違える鈍感さに自民党都連の病巣がある、と私は思う。 この1年で、都議や都連の感覚が有権者から乖離(かいり)していたことにスポットライトがあてられたからこそ、都議選の壊滅的な選挙結果に至ったのではなかったのか。小池「情報公開は一丁目一番地」は方便 このところ、都連を不透明と批判してきた小池氏自身が、不透明な決定を繰り返している。 都議選直前の6月に唐突に公表した築地と豊洲の市場両立案は都庁官僚の誰とも討議した形跡はなく、毎日新聞の情報公開請求にも「記録なし」。小池氏自身も会見で「最後に決めたのは人工知能、つまり私」とはぐらかした。 移転延期に伴う補償先や補償額を求めた筆者の情報公開請求に対しても黒塗りだったし、特別秘書の給与の情報公開請求も黒塗り。後者については非開示決定に対しジャーナリストから裁判を起こされそうになると、慌てて公開する始末だった。 小池氏が強調する「情報公開は一丁目一番地」というキャッチフレーズは、あくまで権力奪取のための方便で、自らに刃が向かう情報については非公開という自己都合である。 それでも小池氏の存在がここまでクローズアップされたのは、安倍自民党の森友・加計疑惑への反感から、有権者が投じる先を探し求めていたからだ。 小池氏はこの1年、繰り返し敵対勢力の「失点」をテコに騒動を拡大させ、影響力はそのたびに高まった。都議会のドン、内田茂前都議に偏重した都連への「口撃」が喝采を浴びたのも、内田氏に依存した都連の不透明な決定プロセスという「つけ入る隙」があったからだ。 その総括はどれだけ組織内でなされたのだろうか。強力なカリスマである内田氏が存在する間、「弱点」は知事選後も見直されずに2月の千代田区長選、7月の都議選と持ち越された。これらの選挙に連戦連敗し、内田氏が引退した今が変革の最大のチャンスである。自民党千代田総支部総会後、議員引退を表明した内田茂都議=2017年2月、東京都(鈴木健児撮影) 会長選の方式をめぐる対立は、内田氏に近い丸川珠代前五輪相を推す萩生田光一党幹事長代行ら細田派系の旧執行部と、鴨下一郎氏を推す石破派系議員との間の主導権争いの側面が指摘されたが、果たしてそんなことをしている場合なのだろうか。 「政権交代を目指す」としながら首相候補についてははぐらかし続けた小池氏は、選挙後、大連立をいとわぬ戦術を仕掛けるだろう。「疑心暗鬼」を抱かせ、存在感を大きく見せるテクニックだとの見方もある。 有権者不在のこうした便法に軽々しく応じるような政党や政治家こそ、次の「ブラックボックス」になる。 総選挙後、自民党東京都連が脱ブラックボックスの政治に意識的に取り組めば、小池都政への明確なアンチテーゼとなる。さもなくば、ブラックボックスの中心が「内田氏」から「小池氏」に移転しただけ。再びわかりにくい行政が、首都で繰り広げられることになるだろう。

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    小池騒動よりも変だよ、ニッポンのシルバー民主主義

    の保守系である「維新の会+希望の党」と、革新系の流れをくむ「立憲民主党+共産党+諸派」の3極に日本の政治が移り変わっていくことが見て取れます。二大政党制を目指して日本の政治が動いてきたところ、自民対非自民の構造が非自民のアプローチが変容したというのは大事な意味合いを持つのではないかと思います。2017年10月10日、衆院選が公示され、候補者の第一声を聞くお年寄りたち 一方で、総務省の発表では一票の格差は2倍を切り、1.9倍あまりまで差が縮まってきました。これは日本の政治において「0増10減」という大きな議席数の変化があっただけでなく、それに伴って人口割で小選挙区の区割り変更、合区が行われて、東京でも地方選挙区でも区割りが人口減少に見合った反映を行ってきた結果でもあります。 今回、希望の党の立ち上げで一定の貢献をした若狭勝さんは、民進党を事前に離党した長島昭久さんや細野豪志さんに対して希望の党への合流に際し一院制の重要性を繰り返し説くというエピソードも聞かれました。政治改革を志すにあたって今回の選挙で一院制の是非を前提とする若狭勝さんの政治的センスの良しあしは別としても、少子高齢化から人口減少時代に差し掛かる日本の政治が、いままでの利益代表を政界に送り込むだけでは政治改革を満足に行えないという問題意識はもう少し持たれてもよいのではないか、と感じる部分はあります。 例えば、目下国政最大の争点となっているのは、いまや景気対策や雇用の充実、産業育成などではなく、高齢者の年金、福祉、介護といった社会保障がトップに躍り出ています。ここで問題となるのは、高齢者ほど投票に足を向けやすく、また有権者の人口比でも高齢者が大きな割合を占めるシルバーデモクラシーという現象です。日本の政治において、シルバーデモクラシーの影響は非常に大きく、今回解散に打って出た安倍政権も高齢者向けの社会保障を削減しなければならない政治課題を言い換えるようにして「全世代対応の社会保障」というオブラートに包んで公示日に突入しています。 この問題は極めて大きい課題を日本社会に突きつけていて、社会保障の削減はもちろん年金に頼った暮らしをしている高齢者の生活を直撃するだけでなく、その子供の世代に大きな負担を強いることになります。つまり、介護離職に代表される福祉の問題は、突き詰めれば高齢者を誰が面倒を見るのかという話であり、国家が税金や保険料で高齢者を養う余力がなくなったので、地域や家庭でご自身のお父さんお母さんの面倒を見てくださいという流れなのですが、その高齢者を食べさせ、介護をし、病気やけがをすれば病院に連れて行くのは家族の負担となって、結果として日中独居老人や介護離職といった課題を日本社会に突きつけます。もっと議論すべきことがある! しかも、少子化が進んでいる以上、こういう年老いた親の介護は少ない子供、下手をすると1人しかいない子供が仕事を辞めてでも介護しなければならないという状況になり、とても「結婚しない人の自己責任」とか「子供ももうけないで自業自得」などとはとても突き放せない問題として日本社会に降り掛かってきます。期日前投票に一番乗りし、一票を投じる高校生=2017年10月11日、大阪府箕面市(共同) そうなると、利益代表という意味において地域で区切られたいまの選挙制度は日本の政治改革を考えるにあたって本当にふさわしいのか、ひょっとしたら、年齢別の利益代表や、利害関係の異なる層に対するより包括的な選挙制度を考えなければならない時代に入ったのではないかとさえ思います。地域の代表が70代の衆院議員であって良かった時代は、それこそ地元に大地主がいて、名士がいて、地域を代表する人物が住民から選ばれて議員となる政治プロセスを意味していました。 しかしながら、デジタル全盛時代になってくると、もはや個別の政策論争を国会で議論するよりも、より簡便で多くの人たちが参画できる政治手法も出てくることになります。電子投票はいまだ認められておらず、公職選挙法ではインターネットの利活用もきちんと解禁されているとは言いにくい状況です。社会の発展や技術の進歩が私たちの暮らしに与える影響が大きくなっているにも関わらず、立法も行政もこれに追いつかないのは、文字通り議員代表制、間接民主主義そのものが制度疲労を起こしているからではないかとさえ思います。 有権者の意見を広く取り入れるためにも18歳以上に選挙権を与える改革や、区割りの変更などで一票の格差を是正するというのは極めて大事なアプローチであり、一歩一歩進めていくべきものです。その一方、今回の選挙は古色蒼然(そうぜん)とした選挙戦での勝った負けたが目の前の国難である安全保障と社会保障について適切な議論を向けきれていない、議院内閣制や政党政治が持つ枠組みが遅すぎてさまざまな問題解決の阻害要因になっているようにも感じます。 今回、さほど争点にもならない消費税10%への引き上げや、それに伴う「社会保障と税の一体改革」で日本の形もある程度の道筋がもたらされるかもしれない割に、どのように行政が国民の声を吸い上げて技術革新や国際競争の中で日本の取るべきポジションやリーダーシップを確保するのか、また、より産業の前線で戦っている日本人や、家族の暮らしで困窮している日本人がより良く生きていくことのできる環境を実現するために間接民主主義、政党政治にどんな改革を必要とするかは、もう少しきちんとした議論を積み上げていくべき状況であることは言うまでもありません。少子高齢化で衰退に向かう日本の未来の青写真を描けるような議論は、今回の選挙では沸き起こらないものなのでしょうか。

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    民進党の師弟コンビが仕組んだ「菅直人潰し」がエゲつない

    。自民党補完勢力なのは小池氏の発言でも明白だ。小池氏がくら替え出馬をするとしたら、若狭勝氏の求心力・政治力が野心の大きさに全く伴っておらず、合流した民進党勢に党を乗っ取られるという危機感が生じたときだろう。答弁を聞いている限り、歯切れが悪すぎて絵面も悪い。腰巾着感が否めず、百戦錬磨でブラフも効かせたマスコミ対応をしてネット記事を賑(にぎ)わせている細野氏とは比較にならない。街頭演説を行う希望の党の小池百合子代表=10月10日、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) そもそも代表代行という形で若狭氏・細野氏・中山恭子氏ら結党メンバーをその地位につけ、首班指名ではそのうちの誰かの名前を書くなりすればいいだけの話だ。あるいは希望の党の議員全員で「小池百合子」と書いて全員分無効票となる。少なくとも党としての足並みがそろっていることが強烈にアピールできる。また、結党直後の政党が一度の選挙で全部ひっくり返せるとは多分、希望の党の関係者でさえも思っていない。第一、橋下徹氏は大阪府知事、大阪市長を務めたものの、結局現在に至るまで一度も衆院選に出馬せず、それなのにずっと維新の代表だった。 そうした前例があるのに無意味な追及をするマスコミの姿勢からして、言いがかりに等しいアベバッシングと暗に民共をプッシュすれば良かった状態から脱却しきれていない証拠だ。希望の党はあえて政権選択選挙の形を取ることで、まずは国会内に頭数をそろえることが目的であり、実際に民主党でも維新の会でも結党直後の選挙では躍進はしても与党になっていない。 実際のところ、希望の党は改憲について是々非々と結党集会でも主張していた。つまりは自民党、維新の会と足並みをそろえ、中身の議論を詰める準備は万端。有権者が三党のいずこに票を入れても改憲の機運は高まる一方だ。希望の党が玉虫色で稚拙な綱領を掲げざるを得ないのも誕生段階なのだから仕方ない。むしろ相当煮詰まった内容を出された方が前段の「いったいいつからこの一連の政治謀略は準備されていたんだ」ということになる。 いっそのこと護憲勢力はまとまって「護憲党」でも作ることをご検討された方が良いのではないだろうか。

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    現代の「日野富子」小池百合子のあくなき権力欲

    いのか。 小池氏と近かったある元民主党国会議員はこう語った。 「あの女は、本当に何をするかわからない政治家だからね。これまで長く党派を渡り歩くだけでなく、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎といった首相級の政治家たちを食い物にして自分がのし上がっていく。日本のしがらみが悪いというが、日本人の縁をまったく大事にしない。希望の党もいつかこれまでの新党と同じ運命をたどると私は思うよ」会談後、握手して記念撮影に応じる希望の党代表の小池百合子知事(左)と前原誠司氏=10月5日(佐藤徳昭撮影) 実際に、1992年に日本新党という新党を小池氏や民進党の代表である前原誠司氏らと共に立ち上げた細川護煕氏は、「いやあ、名も実も魂も取られてしまうのではないか、と心配になりますよ」(毎日新聞10月4日付)と前原氏ら希望の党に合流した議員たちに対して、強く危惧しているのだ。 その前原氏と組んで、まず民進党を三分裂させた上で、一体本当は誰が敵なのかもわからない「現代版・応仁の乱」を勝ち抜こうとする小池氏。5日、その小池氏は前原氏と会談し、小池氏に衆議院選へ出馬することを持ちかけられたが断ったことを明らかにした。 それでも消えぬ衆議院選出馬ー首班指名での総理就任ーというシナリオは、別にマスコミが面白がっているだけで取り沙汰されているわけではない。それは彼女のあくなき権力欲や実際に永田町で歩いてきた足跡からそう呼ばれているのだ。 持ち前の度胸と勝負勘、敵と味方をハッキリ分ける非情さを併せ持ち、敵をなぎ倒していくやり方は、まさに応仁の乱そのものだ。その小池氏は、実は永田町などで、応仁の乱と、その後続いた戦国時代を生き残ったある女性に準(なぞら)えられている。 「小池氏は、『現代の日野富子』ではないか」ー。 日野富子は、室町幕府第8代将軍・足利義政の正室で、第9代足利義尚の母として、自ら従一位まで登り詰めた。その一方、義政の側室を次々と追放、応仁の乱の原因の一つとして、日野富子が義尚の後見人を細川勝元と争った山名宗全に頼んだーということが指摘されているが、戦乱の世で次々と蓄財を繰り返して、応仁・戦国時代において評判が悪かった日本人としては、指折りの人物として上げられるだろう。  応仁の乱の時代を生きていた日本人には、これほどまでに日野富子が権力の座を握るとは思っていなかったに違いない。小池百合子は現代の日野富子か その勝負勘で政界を乗り出してきた小池氏に対し、続々と内部からも反旗を掲げる動きが広がっている。まず、自ら作った東京都議でつくる都民ファーストから、一時期は「側近中の側近」と呼ばれた音喜多駿氏と上田令子氏の2人の都議が離党を発表。東京都議団の一人はこう語った。離党の決断理由を述べる上田令子都議(右)と音喜多駿都議=10月5日、都庁(宮川浩和撮影) 「小池氏のおかげで当選した都民ファーストだが、自分でつくっておいて責任を取らない小池氏をやり方に内心苦々しく思っている都民ファーストの議員も少なくない。もし小池氏が土壇場で衆議院出馬を表明し、都知事を投げ出せば、離党するかもしれないと言われている都民ファースト議員が7人いると言われている」 また、国会議員の中からも、長野1区の篠原孝元農水副大臣のように、一度希望の党の公認が決まったにもかかわらず、辞退する政治家も現れている。これは、「すべて想定内だ」と語った前原氏への不満もあるとされているが、小池氏のやり方にはついて行けない人間が続々と出始めているのだ。 私自身は、小池氏に対して、アメリカを中心とするGHQによる占領期と日本の55年制の下、日本を内側から弱体化することに躍起となってきた左翼・リベラル陣営をこなごなに粉砕したことに対しては大いに評価している。「何でも反対」で、日本にはすでに必要がなくなっていた左翼リベラルを重視するよりも、安全保障や経済の観点から、現実的で自由主義的な保守が侃々諤々(かんかんがくがく)と議論する陣営を日本社会の中枢に置かなければ、日本の未来はないーと考えているからだ。実際に、今回小池氏が仮に出馬しなくても、比例区を合わせれば100近い獲得議席に到達できる力はあるだろう。 しかし、それにしても、小池氏はやりすぎた。日本人同士のごく普通の人間関係まで何でも「しがらみ」と語り、「改革」をぶち上げて、敵を破壊していくやり方は、新党ブームだった90年代から今世紀に入って、すでに終わったものであり、敵を増やすことを嫌がる日本人からは受けないと思われるからだ。 この小池氏の評価は、必ず歴史に残る。小池氏が後世の日本人たちから、果たして本当に「現代の日野富子」と呼ぶようになるかどうかは、そのうちわかるに違いない。

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    小池新党との距離感を模索するにせよ、すべての道は憲法改正に通ずる

    三浦瑠麗(国際政治学者) 衆議院が解散されました。解散の噂が立ち始めたころからメディアをにぎわしているのは解散に「大義」があるかということでした。この時期の解散に、党利党略的な意味があることはもちろんそうでしょう。政権の支持率が回復傾向にあり、東京都の小池百合子知事の立ち上げた「希望の党」の準備も整っているようには見えないからです。野党は、「モリ・カケ問題」から逃げるため都合の良い解散であるとして批判しています。衆院解散を表明した安倍首相の記者会見を伝える街頭テレビ=9月25日、東京・有楽町 私は少し違う見方をしています。総理の解散権とは、政治のアジェンダセッティング(課題設定)を行う権力であると考えているからです。政治の最大の権力は、政治が答えるべき問いを設定することです。重要なのは問いへの答えではなくて、問いそのものなのです。民主政治においては、正しい問いが設定されさえすれば、一定の範囲内で落としどころが探られるものだからです。 ただ、既存の政治やメディアの中からはどうしても出てきにくい課題というものがあります。例えば、政治に携わる者のほとんどが中高年男性である日本において、子育てに関する問題は長らく家庭内の問題として処理され、政治課題になりにくかった。同様に、安全保障問題を臭いものとして忌避する傾向があり、国防について正面から取り上げる機運にも乏しい時代が続きました。 時の政権が進めたい政策があれば、総理は国民の信を問うことができるのです。その時々において注目される政治テーマは、与野党の力関係やメディアの傾向によって決まってくるのだけれど、総理にはいったんそれをリセットする権力を付与する。それが、日本の民主主義のルールであり、慣習なのです。 そうした中で行われた安倍晋三総理の会見は、良い意味でも悪い意味でも自民党の面目躍如でした。看板政策の「人づくり革命」において幼児教育の無償化を前面に出すのは、民進党や日本維新の会の看板政策を横取りしてのことです。経済政策を打ち出す際に、財源の話を持ち出すのも野党を牽制(けんせい)するためです。消費増税分を社会保障の充実に使うということで、財政は悪化します。2020年までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化目標は放棄せざるを得ません。そんな中、財政の裏付けのない、バラ色の政策提案がなされないように布石を打っているのです。解散の一番の目的は他にある もう一つ、北朝鮮危機を前面に出すのは、野党共闘への影響を狙ってのことでしょう。民進党と共産党がスキャンダル追及の局面で協力することと、安全保障上の危機が迫る中で協力することはまったく意味合いが違うからです。当然、与党は愛国心カードを切ってくるでしょう。対応を間違えれば、「政争は水際まで」という民主国家の大原則を破ることになり、国民の信頼を決定的に失うことになるでしょう。 ただ、解散の一番の目的は他にあると思っています。それは、憲法改正を実現するために公明党に圧力をかけること。言うまでもなく、憲法改正は第1次政権当時から安倍総理およびその周辺の宿願です。ところが、モリ・カケ問題が長引いたことで、永田町の改憲機運は随分としぼんでいました。官邸の中にさえ、政権維持に集中するためには、改憲の可能性を示唆する3分の2の議席は邪魔だと思っている人もいたそうです。 総理周辺にとって最もいら立たしかったのは、公明党の姿勢だったのではないでしょうか。「衆院選が迫る中で改憲の発議は難しい」とか、「年限を切って改憲論議をすることは適切でない」とか、公明党は明らかに引け腰になっていました。本年5月に総理自らが表明した自衛隊明示の加憲案は、そもそも公明党に配慮してリベラルに歩み寄った穏健なものです。その改憲案からすら逃げるとは何事か、ということでしょう。今般の解散における総理周辺の本音は、9条を中心に据えた改憲案を明示した上で3分の2の議席を更新すること。その事実を公明党に突き付けて、改憲に向けた具体的な手続きを開始することだと思います。 もう一つ重要なのが小池新党の存在です。「希望の党」に対して総理が融和的な姿勢を示しているのも、小池知事が改憲支持の立場を明確にしたからではないでしょうか。「希望の党」はこれまでも存在してきた改革の「スタイル」を追求する党です。「日本新党」や「みんなの党」の系譜に連なります。寄せ集め集団で、たいした政策理念があるようにも見えない政党が、数年後に存続している可能性は限りなく小さいでしょう。「希望の党」の結成会見に臨む小池百合子代表=9月27日、東京都新宿区(宮崎瑞穂撮影)  であるからして、日本政治における中長期的な影響はほとんどないでしょう。ただ、今般の選挙において重要なのは、「希望の党」が自民党の票を食うのか、野党票を減らす方向に行くのかということです。それによって、憲法改正へ向けた具体的な動きが進んでいくかが見えてくるからです。小池知事の発言を見ていると、自公の間にくさびを打ち込む意図が明白であり、興味深い展開となっています。 今般の選挙を指して、争点に乏しいという意見も聞かれますが、そんなことはありません。公明党に圧力をかけるにせよ、小池新党との距離感を模索するにせよ、全ての判断は改憲との関連性で下されるでしょう。まさに、全ての道は改憲に通じているのです。

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    「自衛隊を憲法に明記できるか」10・22総選挙の争点はこれだ

    岩田温(政治学者) 安倍総理が解散、総選挙の決断を下した。野党の政治家、そして、マスメディアの無責任なコメンテーターたちが「大義なき解散」との批判の声を上げている。また、北朝鮮の核ミサイルの脅威が存在する中、総選挙で政治的空白を作るのは危険だという議論もある。何とも不思議でならない。 なぜなら、野党の政治家たちは、つい先日まで解散、総選挙を求めていたからである。安倍政権を解散、総選挙に追い込み、退陣させると怪気炎を上げていた人々が、解散、総選挙に反対しているのだから、これは摩訶(まか)不思議といわざるをえない。そしてさらに不思議なのは、「北朝鮮の脅威を必要以上に騒ぐな!」としたり顔で説いていた人々が「北朝鮮の脅威」を理由に解散総選挙に反対していることである。全く支離滅裂でいい加減な非難だ。 朝日新聞は9月26日の「社説」で「首相にとって今回の解散の眼目は、むしろ国会での議論の機会を奪うことにある」と批判し、今回の選挙の争点を「民主主義の根幹である国会の議論を軽んじ、憲法と立憲主義をないがしろにする。そんな首相の政治姿勢にほかならない」と断定している。 見識の低い主張と言わざるを得ない。そもそも「民主主義の根幹」が「国会の議論」であるとの主張が見当違いである。民主主義の根幹とは、選挙に他ならない。政治家が己の政治信条を訴え、国民に負託を求め、全存在を賭けて闘う。この選挙こそが民主主義の根幹だ。選挙を恐れるような政治家は政治家としての資質がない。防衛省で栄誉礼を受ける安倍首相(左)と小野寺防衛相 =9月11日 さて、それでは、今回の総選挙の最大の争点は何か。それは「憲法と立憲主義」を蔑(ないがし)ろにする首相の政治姿勢などという抽象的な問題ではない。現実を直視するか否かこそが今回の総選挙の最大の争点である。 戦後わが国の平和と繁栄を守ってきたのは、誰がどう考えてみても、自衛隊と日米同盟の存在があったからである。自衛隊、日米同盟なしに戦後日本の繁栄はありえなかった。しかし、こうした現実を直視せずに、戦後日本の平和を「憲法九条」のおかげであると信じ込もうとする人々がいまだに存在している。彼らは日本国憲法を「平和憲法」と呼び、「平和憲法」を守ることが日本の平和を守ることにつながると信じ込んでいるのである。憲法九条「自衛隊明記」の是非 日本国憲法では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたいあげている。だが、これは事実に反する言葉だと言わざるを得ない。日本国民の誰が核武装への道をひた走る北朝鮮の「公正と信義」に「信頼」しているのだろうか。「日本列島の4つの島は、チュチェ思想の核爆弾によって海に沈むべきだ。もはや日本は私たちの近くに存在する必要はない」などと公言する国家にわが国の平和を委ねるわけにはいかない。多くの国民がそう思っているはずだ。実際に「われらの安全と生存を保持」しているのは、自衛隊の方々が日夜平和のために汗を流しているからであり、堅牢な日米同盟が存在しているからだ。 今回、安倍総理は、自民党の公約に憲法九条への「自衛隊の明記」を盛り込むことを公言している。保守派の中でも批判が多いことを私も承知しているし、本来、憲法九条の第二項を削除すべきであるとも認識している。 だが、政治とは、あくまで漸進的な営みだ。自分たちの望む全てが実現できなければ、直ちに全面的に否定するという教条主義的姿勢は政治には似つかわしくない姿勢だ。現実にわが国を守っている自衛隊を憲法に明記するというのは、憲法が自衛隊について全く触れていない現状よりはよい。「政治は悪さ加減の選択である」と喝破したのは福澤諭吉だが、その通りであろう。国家を守る自衛隊を憲法に位置づけるのは、少なくとも、全く自衛隊の存在が閑却されている現在の憲法よりはよいといってよいだろう。 自衛隊の存在を憲法に明記せよという自民党に対し、民進党は「9条に自衛隊を明記することは認められない」と対決姿勢を明らかにしている。不思議でならない姿勢だ。なぜ、自衛隊を憲法上に明記することに反対するのか、その論拠を明らかにすべきであろう。まさか、民進党の議員とて自衛隊の存在を違憲だとまでは主張しないであろう。国会前で安全保障関連法案可決への抗議デモを行なう人たち =2015年9月、東京都千代田区(栗橋隆悦撮影) それならば、なぜ、自衛隊を憲法に明記することに反対するのか、その論拠を明らかにすべきであろう。いつまでも「平和憲法」を維持せよとの主張を繰り返すだけでは、民進党はかつての社会党のように時代に葬り去られていくことになるだろう。 小池都知事が立ち上げた「希望の党」に国民が一定の期待を寄せているのは、この政党が安全保障の問題で見識を示しているからだ。彼らは共産党とは明確に一線を画している。自民党とは理念を異にする政党ではあるが、共産党とも異なる政党である。民進党が愚か極まりなかったのは、自衛隊を「違憲」の存在だと位置づけている共産党と共闘をし、非自民反共産党という幅広い中道層の支持を得られなかった点にある。 自衛隊と日米安保によって日本の平和が維持されているという現実を見つめ、平和のために具体的な行動を起こすのか、それとも、「平和憲法」に拝跪(はいき)し、空想的観念的平和主義という感傷に浸っているのか。それが選挙の最大の争点だろう。

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    「10・22総選挙」の風を読む

    小池新党の登場で政界再編がにわかに動き出した。民進党は事実上の解党も視野に小池新党への合流を模索する。対する安倍自民は「捨て身の戦法」の前に後手に回り、「今なら勝てる選挙」の雲行きも怪しくなった。ついに始まった「10・22総選挙」。目まぐるしく変わる風をどう読む。

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    いずれ消えゆく小池新党は、憲法改正という「時代の要請」を断行せよ

    相、日本のこころの中山恭子代表、松沢成文参院議員、長島昭久元防衛副大臣、松原仁拉致問題担当相といった政治家の顔触れを見る限りは、それが「中道・保守・右派」色の濃厚な政党として理解されよう。新党は数年後に存続していない? 小池知事自身もまた、自らの新党を「改革、保守、これらを満たす方々」による「新しい勢力」と位置付けている。その上で「議員定数や報酬の縮減」、「徹底した行政改革と情報公開」、「女性活躍の推進」、「原発ゼロ」、「ポスト・アベノミクスにかわる成長戦略」、「憲法改正」という政策志向を打ち出している。共産党の志位和夫委員長は、小池新党を「自民党の補完勢力」と評しているけれども、それが少なくとも「非自民系保守勢力」糾合の枠組みとして認識されるのは無理からぬことであろう。会見に臨む東京都の小池百合子知事=9月25日、東京都新宿区の都庁(福島範和撮影) もっとも、「希望の党」という小池新党の党名それ自体は、この小池新党が数年後に存続しているとは想定されていないことを暗示している。小池新党も結局、時限政党なのであろう。そうであるならば、小池新党には今選挙から2020年前後の次回選挙までの数年間に、何を断行するかが問われることになる。 振り返れば、1990年代前期、小池知事の政治キャリアの原点であった日本新党は、政治改革関連四法案の成立を置き土産にして、僅か2年半で政党としての役割を終えた。小池新党もまた、その政党としての「求心力」を担保するのが小池知事の存在でしかない以上、向こう数年の政治プロセスの中で真っ先に何に手を付けるかを明示しなければなるまい。日本新党にとっての政治改革関連四法に相当するものが、小池新党にとっては何かが問われなければならないのである。 今後数年、朝鮮半島情勢の「嵐」が本格的に訪れる局面を見越すならば、今選挙後に安倍内閣が継続するとしても、それは、自民・公明両党以外の諸党の協調を得た実質上の「挙国一致内閣」にならざるを得ないのであろう。そうであるとすれば、日本新党にとっての政治改革関連四法に相当するものが、小池新党にとっては何かという問いに対する答えは、安全保障政策の「制約」を外す憲法改正を断行することでしかない。国家統治の基本は、「時代の要請」に応じた政策を断行することにある。当節、そのことは忘れられてはなるまい。

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    小池氏が総理を狙うなら安倍さんには「山口那津男首相」の秘策がある

    倉山満(憲政史家) 甘ったれるな!安倍晋三以外、他の誰に首相が務まるのか。 確かに、政治とは理想を求める前に、「よりマシ」な現実を求めるものだ。安倍首相は、そのような政治のリアリズムに助けられてきた。野党民進党の歴代党首は論外として、自民党の派閥の領袖にも「よりマシ」な候補者は見当たらない。消去法で安倍晋三。「一強」の実態とは、そんなものであった。では、私がリアリストとして答えよう。 公明党代表の山口那津男では如何か? これまで私は、安倍晋三首相を応援してきたつもりだ。安倍さん――あえて「さん」付けで呼ぶ。安倍さんが失脚し、世間から過去の人となっていた時に、私は「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発起人の一人として、「日本救国ができるのは安倍晋三さんしかいない」と訴え続けて来た。では、政権返り咲き以降、「山口首相」ではできないことを何かなしえたか。「まず経済」と訴えながら、その景気回復すら中途半端。結局、民主党よりマシというだけで、何も実績などないではないか。応援演説を行う公明党の山口那津男代表=7月1日、東京都(春名中撮影) 9月25日、安倍首相が衆議院の解散を宣言した。大義名分は「消費増税10%の用途変更」だ。つまり絶対に増税するという前提だ。ところが、翌26日、「リーマンショック級の景気悪化なら増税は延期する」とも付け加えた。こういうのをリアリズムとは言わない。同じことを二つの表現で言おう。 安倍総理は、財務省を相手によくやっている。 安倍総理は、財務省にケンカを売れないヘタレだ。 首相が増税を言うたびに消費は冷え込む。当たり前だ。税金が上がるとわかっているのに、貯金をしないで消費するなど愚かだ。これがアベノミクスの生命線であるインフレターゲットの効果を減殺する。こんなことばかりやってきたからせっかく景気が回復軌道なのに、モタモタした結果にしかならないのではないか。という経済学の基礎の議論を詳しく語るつもりはない。 要は、景気を回復したい安倍首相と、景気回復などよりも消費税増税の方が大事な財務省のケンカなのだ。日本の運命にとって、どちらが重要な敵か。財務省と比べれば、民進党など風の前の塵に同じだ。今の安倍首相、財務省に勝てないから、自分より弱い者いじめをしているようにしか思えない。相手が民進党なら増税を公約に掲げて選挙をしても勝てる。甘く考えていないか。民進党は社会党の劣化コピー 安倍首相の言動を一切批判するなと他者にしいる者を「信者」と呼ぶ。信者一同曰く。今なら民進党に勝てる! では、聞く。いつなら、負けるのか? 民進党とは、社会党の劣化コピー政党である。そんな政党相手の選挙など、モリカケ騒動(森友・加計問題)の真っ最中でも勝てるだろう。かつて、日本社会党という恥ずべき政党があった。政権担当恐怖症の政党であった。それでは、何の為の政党か。日本国憲法を改正させないことを目的とする政党である。改憲阻止のハードルは低い。衆参いずれかで三分の一の議席を持てば、誤植一文字の改正も阻害できる。いつしか人は、“二本斜壊党”と揶揄するようになった。左派と右派の派閥抗争で自滅していったからだ。 社会党を育てたのは誰か。与党第一党の自由民主党である。自民党は如何なる手段を使ってでも政権の座に居座りたい政党である。これはこれで大いに問題はあるが、政権担当恐怖症の社会党よりは、よほど健全である。しかし、それは政権担当可能な政党が二つ以上ある場合の話である。 衆議院で51%以上の議席が欲しい自民党、衆参どちらでもいいから34%の議席が欲しい社会党。両者の思惑が一致した。1955年の両党の結党時、自社で衆議院の90%を占めた。55年体制のはじまりである。民主制においては、三つ目の政党が必要かどうかはともかく、最低限二つの選択肢がなくてはならない。一つだと、ファシズム(一国一党)と同じだ。記者会見に臨む安倍晋三首相=25日午後、首相官邸(福島範和撮影) 最初の20年間、自民党の一党優位は機能した。高度経済成長により富の公正配分を行う。要するに、「国民を食わせる」政党として、自民党の存在意義があった。それも、石油ショックで高度経済成長が終焉すると、55年体制の限界は誰の目にも明らかになった。ところが、自民党は今に至るまで延々と政権にしがみついている。「まさか社会党に政権を渡す訳にはいかない」という国民の良識が働くからだ。そして社会党が野党第一党にしがみつくことで、他の野党の進出を妨害してきた。かくして自民党の地位は安泰である。 昭和51年以降の国政選挙は、すべて「風」によって決まっている。新自由クラブ以降、次々と新党が浮かんでは消えた。「風」とは無党派層の動向を指す。自民党に不満はあるが、かといって他に選択肢はない。まさか社会党に政権を任せるわけにはいかない。かくして自民党はおごり高ぶり、腐敗の極みに達した。「核武装」ぐらい目指すべき こうした状況で登場したのが民主党である。民主党には、昔の社会党や今の民進党と比べて褒められる点がある。政権担当の意思を示した野党であったことだ。もともと民主党は、鳩山由紀夫と菅直人の二人から始まり、野党第二党、第一党の地位に登った。リーマンショックで自民党の腐敗と無能が頂点に達した麻生太郎政権の時、国民の怒りが頂点に達した。 当確のバラをかざる鳩山由紀夫代表(左)=2009年8月31日(早坂洋祐撮影) 「鳩山民主党でもいいから、麻生自民党は嫌だ」 その後の民主党三代の内閣の無能については、贅言(ぜいげん)を要すまい。今次安倍内閣は、「民主党よりマシ」という多数の国民の声が支えているという謙虚さを忘れてはなるまい。自民党の中にも心ある人はいて、「あの最悪の民主党の方がマシだと思わせた反省をしなければ、また同じ道を歩む」との危機感を持つ人はいる。だが、そのような良識派は少数派だ。むしろ、55年体制の再現の如く、「まさか民進党に政権を渡す訳にはいくまい。国民は自民党に投票するしかない」という驕り高ぶりが露骨だ。その民意が夏の都議選で示されたのだ。 それを、民進党がスキャンダルで自滅し、安倍内閣の支持率が回復したからと、慌てて解散に打って出る。いいかげん、「民進党よりマシ」という発想から抜け出すべきではないのか。 事前の報道では、安倍首相の解散理由は「増税の用途変更、北朝鮮対応、憲法改正」だと伝えられた。ところが9月25日の記者会見では改憲が外れた。さっそく腰砕けだ。公明党に遠慮でもしたか。自民党の憲法と安全保障を一手に担っていた高村正彦副総裁も引退する。まさか安倍内閣で中身がある憲法改正ができるなどと信じるのは、よほどおめでたい楽観論者だけだろう。内閣法制局と公明党が納得するような、「やらなければよかった改憲」なら、いざ知らず。 北朝鮮対応に関しては、果たして争点になるのか。さすがに、いかなる政党も正面だって「北朝鮮に対応するな」とは言わない。具体的にどのような対応をするかで、差はあっても。もちろん、民進党や共産党が表立っては北朝鮮対応の総論に賛成しつつも、あらゆる各論に反対しサボタージュに近い行動をとってきたことは重々承知だ。 しかし、日本国民とて愚かではない。マスコミが何を言おうが、これまですべての国政選挙で安倍自民党に多数を与えてきた。衆議院を解散するとは、その多数をかなぐり捨てることである。勝つかもしれないし、負けるかもしれない。やってみなければ、わからない。では、その代償に何を獲ようとしているのか。少なくとも、安倍首相は記者会見では何も言わなかった。 この時期に賭けに出るならば、「核武装」くらい勝ち取らねば割に合わない。北朝鮮は、「日本列島を核で沈める」などと豪語している。この状況で我が国がNPT条約を脱退し、核武装に踏み切るのを批判する国際法的根拠は何か。誰も答えられまい。安全保障の問題ならば、言うに及ばず。ニッポンの命運を握るのは衆議院選挙ではない 内政では、内閣支持率が回復し、民進党がスキャンダルで自滅している。国外では、トランプアメリカ大統領が本気で北朝鮮攻撃を考えているから、その前に総選挙を済ましておきたいとの思惑もあろう。では、その時に日本は何をするのか? 飯炊きか? 戦後日本は「軽武装」を国策としてきた。では、軽武装とは具体的に何のことかわかっているのか? 米軍の足手まといにならず、自前で日本列島防衛ができる数字のことである。その数字は32万人である。首相官邸以下首都機能、自衛隊基地、羽田成田など主要飛行場、主要港湾、主要幹線を米軍に頼ることなく守る実力が軽武装である。ここに原発は入っていない。より正確に言えば、本来ならば50万人必要なところだが、過渡的な数字として32万人である。ところが、自衛隊は25万人の定足数を満たしたことが一度もない。 安倍内閣は戦後最高の防衛費だと騒いでいる。しかし、GDP1%枠を頑なに守って、数千億単位を増やしているだけだ。だが、トランプは「文明国水準のGDP2%の防衛費をかけて努力してほしい」と求めてきている。5兆円増額だ。お話にならない。何より財務省から勝ち取った雀の涙ほどの防衛費増額が、金正恩に通じるのか。相手にもされまい。 だから、安倍首相が「北朝鮮有事に備える」と言っても、何をするのかよくわからないのだ。この程度なら「山口首相」でも可能ではないか。 私は本来ならば、来年の6月に衆議院を解散すべきだと考えていた。来年の9月に自民党総裁選があるが、その前の3月に正副日銀総裁人事がある。日本の運命は衆議院選挙などでは決まらない。日銀人事で決まるのだ。思えば安倍首相は返り咲くにあたって、「法王」とまで呼ばれ圧政を極めていた当時の日銀総裁、白川方明の討伐を掲げた。 「白川を討つ!」その宣言に15年にも及ぶデフレに苦しんでいた国民は狂気乱舞した。その宣言だけで株価が急騰した。 そして、日銀に意中の人物である黒田東彦総裁と岩田規久男副総裁を送り込み、すべての委員人事で勝ち続けた。消費増税8%で黒田バズーカの効果は打ち消されたが、バズーカ第二弾の「ハロウィン緩和」で何とか持たせている。金融政策決定会合後に記者会見する日銀の黒田東彦総裁=21日、東京都(飯田英男撮影) 日銀人事に勝つ、株価が上がる、支持率が上がる、選挙に勝てる、政界で誰も逆らえない。実に単純な構図だ。財務省が何を考えて日本を滅ぼしかねないデフレ期の増税などを企んでいるかはわからない。しかし、その財務省と安倍内閣が何とか張り合えて来たのは、すべて日銀人事で勝ってきたからなのだ。 解散権を手放してしまった以上、今さら言っても仕方がない。仮に安倍首相が総選挙後に続投し、3月の日銀人事で抵抗が起きれば、そこでもう一度衆議院を解散しても構わないのだから。今の創価学会の同意抜きで選挙ができない自民党に求めるのも酷だが。「公明・山口首相」ができないことをやる 大正時代、憲政の常道を主唱した吉野作造は「黒幕を引きずり出せ。政界の支配者は、総選挙により国民の審判を受けよ」と訴え続けた。吉野は衆議院第一党の総裁が総理大臣たるという形式も大事だが、実質も大事だと説いた。 与党第一党は、自由民主党だ。しかし今の自民党など、創価学会の孫請けにすぎない。安倍内閣で政権に返り咲いてから、一度も公明党に逆らった事があるのか。ならば山口首相でもいいではないか。 安倍首相の代わりの選び方は簡単だ。山口那津男氏に公明党代表在任のまま、自民党に入党してもらう。そして自民党総裁選挙に立候補してもらう。もちろん対抗馬やその候補に投票した議員には、創価学会の支持は得られない。おそらく満場一致で山口自民党総裁が誕生するのではないか。最強の政治家が与党第一党総裁として総理大臣になる。憲政の常道の実現だ。形式的には。 ただし、それが国益になるかどうかは保証しない。安倍首相は続投したいなら、「山口首相」ではできないことを正々堂々と訴えるべきだ。姑息にリアリストを気取る姿勢が孤高民の反感を買っていることに、いいかげん気づいたらどうか。あなたが民進党よりマシなのは、ほとんどの日本人が知っている。そして他に選択肢がないことに、嫌気も指しているのだ。 しかし、そもそも政治家が官僚に言いくるめられる、あるいはケンカして負けて泣いて帰ってくるようなら、選挙の意味がないではないか。希望がないわけではない。トランプ大統領が国連で、横田めぐみさんの名前に言及しながら、北朝鮮を強く批判した。小泉内閣以来、最も拉致被害者奪還の好機到来だ。今からでも遅くない。衆院解散について会見する安倍晋三首相=25日、首相官邸(斎藤良雄撮影) 「たった一人の国民の権利を総力あげて守るのが主権国家だ。日本国はすべての拉致被害者を取り返すために総力をあげる。我が国の国民を拉致し、日本列島を核兵器で沈めると豪語している国が隣にある。それでも我が国は核兵器を持ってはけないのか。国民の皆様に信を問いたい」 これは「山口首相」には言えない。信者諸君から、「安倍さんにも言えないよ~」という甘やかした声が飛んできそうだが、そういう過保護な言論が、この体たらくを招いたのだ。 何度でも言う。安倍内閣の評価は、安倍晋三首相が「山口那津男首相」がなしえないことをやった時に決まる。

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    東浩紀氏ツイートで話題 選挙の「棄権運動」は静かな革命か

    都品川区(桐原正道撮影)〈総選挙になったら棄権だな。今回は堂々と棄権を訴えよう。バカげすぎている〉 政治への怒りを「棄権」で表現するという考え方だ。これに対しネット上では「民主主義の自殺だ」「厭世的過ぎる」という非難もあがったが、東氏は“炎上”を歯牙にもかけない。〈この局面においては、棄権すること、つまり「おまえらの政治ゲームにはのらないよ」と意志を表示することこそ重要だ〉〈論点なし。必然性なし。いまだと勝てるからやる。それだけ。独裁国家の信任投票のようだ〉 東氏に改めて取材を申し込んだところ、「(ツイートしたこと以外に)あまり話す内容はありません」とするのみだったが、“暴論”に見える同氏の提案にうなずきたくなる有権者もいるのではないか。 海外ではすでに似たような先例がある。5月に行なわれたフランス大統領選ではエマニュエル・マクロン氏が、極右の「国民戦線」マリーヌ・ルペン氏を大差で破ったが、白票・無効票が11.5%もあり、棄権と合計してみると有権者の実に3分の1が「選択肢なし」に投じていたことになる。 これは移民を中心とする貧困層の間で白票を投じる運動が広がって起きた現象とされる。「反ルペン」を理由にエリートのマクロンに投じれば、むしろ現体制が維持され差別が残る。“騙されてなるものか”という強い不信感が根底にあったと指摘されているのだ。「棄権」は静かな革命になりうる〈棄権〉こそ〈危険〉のサイン 東氏の提案は、見方によってはさらに過激なものだ。白票でも、票を投じてしまえば選挙を正当に成立させるだけ。政権維持に利用されるぐらいなら、投票そのものを拒否して選挙の正当性の根拠となる「投票率」を引き下げてやろうという、強烈な意思表示に映る。関西大学東京センター長の竹内洋・名誉教授(社会学)は、東氏の「棄権」の意図を汲み取って解説する。「今回の安倍首相の乱暴な解散戦略に対して、本来“禁じ手”である棄権を意図的に呼びかけるという手法はありうるかもしれない。極論だが、仮に棄権が80%や90%に上れば政権にノーを突きつける“静かな革命”でしょう。政府・与党にとってみれば、〈棄権〉こそ〈危険〉のサインになる」「棄権」が80%であれば投票率は20%になる。これまで、投票率は低いほど組織票のある自公に有利とされてきた。それが逆に“低すぎる”状態を作り出せば、与党への(野党にも)かつてなく強烈な「NO」になるという指摘だ。 そもそも、自・公は衆院の議席の7割弱を占めているが、大勝した前回でさえ両党の得票(比例)は有権者全体の25%弱に過ぎない。“棄権運動”が効果を発揮すれば、その実態も炙り出されることになる。「棄権が充分集まらなければ、注目されることもなく、安倍首相のダメージにもつながらない」 そう竹内氏は棄権運動のリスクも指摘した。 東氏はツイッターで、〈他人に棄権しろというつもりはない。ただ、棄権がオプションだと訴えたい〉とも綴った。この“静かな革命”の成否は「有権者が東さんほどに腹を括って“怒り”を表現できるか次第」(竹内氏)だという。 棄権の数が、危険水域まで達することはあるのか。関連記事■ 10月10日ミサイル発射Xデーに衆院選公示日ぶつける意図■ 稲田朋美氏におじさん県議ら「守ってやらにゃ」と結束ムード■ 小池新党 目玉候補本命の「角栄の孫」に断られていた■ 自民党“魔の2回生”達 早期解散に「今の民進党なら勝てる」

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    10月10日ミサイル発射Xデーに衆院選公示日ぶつける意図

     安倍晋三首相と与党の幹部たちは、「抜き打ち解散」を決めた瞬間から、すでに総選挙に勝利したつもりになっている。記者会見で臨時国会冒頭の衆院解散を表明する安倍首相=9月25日、首相官邸 小池新党や野党の選挙準備が間に合わないだけではない。なにしろ北朝鮮が弾道ミサイルを発射し、国民が不安を募らせるたびに支持率が見る見るアップし、森友・加計疑惑も、自民党議員たちの不祥事も霞んでいくのだから笑いが止まらないのだろう。官邸内では首相側近たちがこんな不謹慎な算段をしている。「Jアラートの威力はたいしたもの。弾道ミサイルが日本上空を飛べば支持率が5ポイント近く上がる。総理がトランプ大統領と電話会談すると1ポイント加算、これに核実験が重なるとプラス3ポイントのプレミアムがつく」 北の弾道ミサイルはこの1か月間に2回(8月29日、9月15日)も日本上空を越え、9月3日には核実験が行なわれた。 NHKの9月の世論調査(8~10日)では内閣支持率が5ポイント上昇(44%)、調査日が同じ読売新聞は8ポイント上がって50%に回復し、9月15日の2回目のミサイル発射後に実施された産経・FNNの調査では支持率が6.5ポイント上昇して50.3%に達した。読売はこう書いた。〈安全保障上の危機が強まると、内閣支持率が上がる例は過去にもある。最近では、昨年9月に北朝鮮が核実験を行った直後の調査で、前月比8ポイント上昇した〉(9月12日付) 降って湧いたような“右肩上がり”のチャンスを逃してはならないとばかりに、官邸は急ピッチで解散のタイムスケジュールを組んだわけだ。「10月10日公示」の姑息な狙い 次のミサイル発射の“Xデー”として有力視されているのは10月10日の朝鮮労働党創建記念日だが、安倍首相はその日にわざわざ総選挙の公示をぶつける日程を調整している。その上で、解散を決意して国連総会に乗り込むと、北朝鮮をこれでもかと挑発してみせた。 米紙ニューヨークタイムズに自ら寄稿して〈これ以上対話を呼びかけても無駄骨に終わるに違いない〉と“最後通牒”を突きつけたかと思うと、国連演説(9月20日)で「必要なのは対話ではない。圧力だ」と制裁強化を世界に訴えた。 北のミサイルが上空を飛び交う国の首相が対話を「無駄骨」と煽ったのである。まるでミサイルを“撃ってくれ”と挑発しているようにさえ聞こえる。 勝ちさえすれば安倍首相は、森友・加計疑惑も、大臣の失言や自民党「魔の2回生」たちの数々の不祥事も「禊ぎ(みそぎ)を終えた」と強弁できると踏んでいるのだ。 首相に解散を進言したとされる二階俊博・自民党幹事長も記者会見で、森友・加計疑惑について「そんな小さな問題」と本音をのぞかせた。多少の失言があっても、有権者が批判票を投じる先などないから問題ない──そう高をくくっていることが透けて見える言い方ではないか。関連記事■ 小池新党 目玉候補本命の「角栄の孫」に断られていた■ 自民党“魔の2回生”達 早期解散に「今の民進党なら勝てる」■ 小池新党 早期の総選挙で「新人候補の擁立間に合わない」■ 北朝鮮のミサイル発射兆候 信頼できるのは“Aアラート”?■ 公務員に65歳完全定年制導入で生涯賃金4000万円増

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    あなたの給料が減っても「働き方改革」を支持しますか?

    田岡春幸(労働問題コンサルタント) 電通の労基法違反事件や働き方改革で長時間労働の抑制が、健康維持やワークライフバランスの観点から求められている。 では、労働時間とはどの様な時間を指すのだろうか。労働時間管理のガイドライン(労働時間の適正な把握のために使用者が講ずるべき措置に関する基準)で、厚生労働省は企業に対して、厳しい労働時間管理を求めている。厚生労働省などの入る中央合同庁舎5号館=東京・霞が関(撮影・桐原正道) 同ガイドラインで、労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であり、使用者の明示又は黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間に当たることとしている。また、労働時間について、使用者が自ら現認して確認することなどとされている。 これらを踏まえ、政府は近年、厚労省(労働基準監督署)を使い、長時間労働の取り締まりを強化している。厚労省に「過重労働撲滅特設対策班」を置き、各労働局に「過重労働特別監督管理官」を任命している。月残業が80時間を超える場合は、是正指導や企業名の公表などを積極的に行っている。 法の違反がある場合は、送検などの厳しい措置も取っている。労基署にとって過重労働取締まりは、最重点項目になっているのだ。この流れは、この先も続くと考えられ、9月13日に行われた自民党の働き方改革に関する特命委員会でも長時間労働抑制の議論がなされた。 現状では、36(サブロク)協定(労働基準法第36条:休日労働や時間外労働をさせる根拠になる条文で、36条に記載の届出をしないと、時間外労働ができない。この届け出をしないで残業をさせたり、届け出している以上の残業をさせたりすることは違法になる)を締結すれば残業時間は事実上野放しだ。 このことが、過労死などの問題を引き起こしているとの考えから、働き方改革の一環として、残業時間の規制(上限)を設ける動きが出てきている。厚労省原案では、時間外労働の上限について、月45時間、年間360時間を原則とし、特別な事情がある場合でも年間720時間、単月100時間未満、複数月平均80時間に設定することされている。違反した場合は、罰則が付く。 仮に月45時間だと、一日の残業時間が2・5時間を超えたら(週休2日、月22日勤務の場合)違反になってしまう。 確かに、行き過ぎた残業は健康面を含めて問題になる。しかし、今、最も重要なのは、サービス残業が横行していることではなかろうか。しっかりとした労働に対する対価を支払われるような制度にしていくべきである。一律規制は時代にそぐわない その制度として、筆者は正社員であっても時間給にして単純に労働時間をかけるような給与体系にしてはどうかと考える。そうすれば、同一労働同一賃金にも耐えうることが可能ではないだろうか。 一年中忙しい会社はほとんどなく(そんな会社は、組織のマネジメント不足である可能性が高い)、ある時期だけが忙しいことが多い。ゆえにもっと運用に弾力性を持たせるべきである。残業時間を厳しくすると、徒弟制度を取るような業界の技術力は間違いなく落ちるであろう。 そもそも仕事とは、厳しい修行を経て一人前になっていくのである。修行と労働は明確に分けることが難しい。マッサージ店や美容室の時間外の店内で残って行う個人修行も残業時間だと上記ガイドラインでは規定されている。また、厳しくしすぎると残業代が払えなくなり、倒産する可能性も出てくるのではないか。結局、産業そのものに影響し、国力や日本の文化の衰退をもたらすであろう。 うわべだけの残業規制は、仕事量が減らない限り、間違いなく持ち帰り残業が増えることになる。すなわち、逆にサービス残業の増大に繋がると考える。規制すればするほど隠れてやろうとするのではないだろうか。 要は行き過ぎた規制が、経済活動を委縮させ、経済を停滞させるのではないか。そうなれば経済効果にマイナスの影響しかない。特にサービス業においては、人手不足も相まって大きなダメージになる。人手不足による倒産が増える恐れがある。 さらに、大企業が残業規制を守り、納期の時間を今まで通りとしたならば、その下請けである中小企業にしわ寄せがくるであろう。中小企業が、長時間労働を課せられることになる可能性が高い。打ち合わせを土日にやらざるを得ない状況になるなど、残業規制が国の中小企業いじめに繋がる可能性もある。国は、下請けの弱い立場にある中小企業をこの問題から守らなければならない。 また、働いて稼ぎたいと考えている労働者も多く、法律でその人の働きたいという権利を奪うことはいかがなものか。残業代を含めた給与水準を考えているケースがあるのも事実だ。(iStock) 会社が残業をやりたい人、やらない人に分け、それぞれそれに対応した雇用契約書を作成して管理すればいいだけである。そして、例え残業をしない労働者でも優秀であるならば、出世できる仕組みを構築すればよいだけだ。 個人の多様な働き方を目指すならば、個々人が契約により自由に労働時間を設定できるようなシステムにしていけばよい。これが本当の意味での働き方改革になり、一律に規制をかけることは時代にそぐわないのではないだろうか。

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    反安倍派のみなさん、解散はまたとない「大義」を問うチャンスです

    道の観測記事の通りであるとすれば、最近の内閣支持率の上昇傾向と北朝鮮リスクへの長期的に対応するための政治的な基盤固め、というのが解散の主要な動機になるだろう。 安倍政権に反対を述べる勢力では、「解散の大義がない」と主張する人たちもいる。素朴な観察では、最近まで反安倍の人たちの多くは、森友学園問題・加計学園問題の責任から首相に退陣を迫っていたはずである。ならば、今回の解散風は「大義がない」どころか、反安倍派の人たちにはまたとない「大義」を問うタイミングではないだろうか。解散に反対かのような発言をするのは全く首尾一貫していない。 ちなみに私見では、連載でも何度も書いたように、森友・加計学園問題には、首相の責任を政治的・道義的に問うものは存在しないので、反安倍の人たちの学園問題を理由にした「大義」には賛同しかねる。 もちろん歴代首相はみな党利党略で議会解散を利用してきただろう。そして反対する陣営もまた同様である。東京都の小池百合子知事を事実上の党首とするだろう新党が本格的に機動する前や、または民進党がスキャンダルや同党議員の大量離脱で混乱する機会を狙って解散する、というのはありそうなことである。また同時に、反安倍派の人たちが、選挙のタイミングとしては得策ではないので、現時点の解散に「大義」などを持ち出して批判的なのも理解できる。理解できるだけでもちろん賛同はしていない。各党への挨拶回りで共産党を訪れた民進党の前原誠司代表(左から2人目)と握手を交わす志位和夫委員長(右から2人目)や小池晃書記局長(右)=9月8日、国会内(斎藤良雄撮影) 例えば、共産党の小池晃書記局長の発言はこの種のわかりやすい例を示している。小池氏は、8月3日のツイートでは、森友・加計学園問題隠しなどで内閣改造を行っているとした上で、「内閣改造ではなく、内閣総辞職、解散・総選挙が必要」と記者会見で発言したと書いている。ところが、9月17日には「臨時国会冒頭解散。いったい何を問うのか。もともと『大義』とは縁もゆかりもない政権だとは思っていたがここまでとは。森友隠し、加計隠しの党利党略極まれり」と書いている。このような矛盾した発言は、なにも小池氏の専売特許ではない。わりと頻繁に出合う事例である。北朝鮮リスクの中での解散は間違いか また「北朝鮮のミサイル発射や核開発の中で解散・総選挙を行うのは政治的空白を生むので間違いだ」という発言もある。だが、この発言の前提には、北朝鮮リスクが短期的に解決するものであるという予断があるのではないか。 いまの北朝鮮の核開発ペースでいくと、専門家の指摘では、1年か2年で米国本土に到達できる核弾頭ミサイルが完成するといわれている。つまり、北朝鮮リスクは時間の経過とともに増加していくと考えるのが現状では自然だろう。いまの衆院議員が任期満了まで務めれば来年末が総選挙である。その時期はちょうど北朝鮮の核開発の最終段階に到達している可能性が高い。言い換えれば危機のピークである。現段階で、北朝鮮リスクを解散・総選挙の否定理由としている論者はこの点をどう考えるのだろうか。 もちろん安倍首相側にも、解散・総選挙の理由で北朝鮮リスクを挙げるならば、それなりの具体的な対案を問うべきだろう。それがなくただ単に不安をあおるような姿勢でいれば、国民の多くが不信を募らせることは間違いない。安倍政権による対北朝鮮対応の核心は、日本・米国・韓国の安全保障の連携に尽きる。北朝鮮のミサイル発射に伴う「挑発」行動は、多くの識者が指摘するように、日韓を飛び越えて、核問題を含めて米国との直接交渉に持ち込むこと、さらにいえば日韓と米国の間に「不信」というくさびを打ち込むことが狙いだろう。9月15日、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、首相官邸で報道陣の取材に応じる安倍首相(松本健吾撮影) 日本と韓国は、米国を中心にした「核の傘」によってその地域的な核抑止力やまた安全保障を担保している。この3カ国による実質的な東アジア防衛システムは、米国抜きでは維持はできない。仮に米国が北朝鮮と直接に交渉し、その核保有などを認めるとするならば、3カ国による地域防衛システムは破綻しかねない。米国への「不信」は、日本と韓国、そして北朝鮮をはじめとした地域内での軍備拡張ゲームに移行してしまうリスクがある。日本はただでさえ、冷戦終了後の経済停滞や財政再建主義の反動で、米軍への防衛力「ただ乗り」が事実上加速している。これは意外に思われる人たちも多いだろう。 正確にいえば、冷戦時代から日本と韓国は米国に防衛力の面では「ただ乗り」をしてきたといえる。その簡単な証左が、両国に偏在する米軍基地や「核の傘」の存在である。もちろん米軍基地の縮小・撤廃そして防衛費の肩代わりなどを両国は行ってきている。大義がない、党利党略だ、と言ってもこれが選挙 例えば、だいたいの先進国が名目国内総生産(GDP)の2%程度を軍事費にあてる中で、日本は名目GDP比で1%を防衛費の「上限」としてきた。つまり拡大速度は先進国の標準の半分である。さらに加えて、90年代初めから2012年ぐらいまでの名目GDP成長率は平均するとゼロであった。もし先進国の成長率の平均を2%程度とし、日本もそれと同様だったとすると、日本の防衛費の現状は達成可能であった水準のだいたい半分である。ただでさえ拡張スピードが抑制されているのに、20年以上速度を示すことすらしなかった。それでも日本の防衛がそこそこ機能できた背景には、米国の軍事力への「ただ乗り」とその加速化が背景にあったとみていい。 もちろん米国にも、この「ただ乗り」を放任する経済的なメリットがあった。冷戦が終了しても東アジアの地政学的リスクを顕在化させるのは得策ではないからだ。したがって、問題は「核の傘」への依存などある程度の「ただ乗り」を認めたうえで、日米韓3カ国の防衛システムを維持し、その中で経済的・軍事的負担のバランスを図るというのが、いままでの米国の戦略だったろう。 この日米韓の防衛システムにくさびを打ち込むことが、北朝鮮の狙いであるのはほぼ自明である。そのため、安倍首相は訪米でトランプ大統領、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と3カ国首脳会談など積極的に行い、米国・韓国との連携強化に注力した。国連総会の一般討論演説を行う安倍首相=9月20日、ニューヨーク(代表撮影・共同) 話を戻すと、北朝鮮リスクはかなり長期化する。しかも時間が経過すればするだけその潜在的リスクは増大していく。つまり政治的解決のハードルも上がっていく。「対話路線」、日米韓連携、国連の制裁など多様なルートによる北朝鮮リスクの抑制がすぐに効果をあげるめどはたっていない。その中で、いまの段階で解散・総選挙を行うのは、北朝鮮リスクだけを考えてもそれほど悪い選択とは思えない。 ちなみに私見では、解散・総選挙をめぐる安倍首相を含めた各党派の思惑について、評論家の古谷経衡氏の発言ほど簡にして要を得たものはないので、最後に紹介したい。もっとも票読みについてはどう出るかは、私にはわからない。与党の大敗で終わっても不思議ではない。それが選挙だろう。 大義がない、党利党略だ、と言ってもこれが選挙。今解散すれば、自民党単独で270くらいは行くだろう。公明党と合わせれば300超で大勝利。これが選挙なのだ。こうやって冷徹に勝ってきたから安倍1強は実現している。情でも理でもない、票読みなのだ。選挙で勝つのが権力の源泉のすべてなのだ。古谷経衡氏の公式ツイッターより

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    衆院解散の歴史をみれば「大義」という言葉の虚しさがよく分かる

    主に臣としてつくすべき道」とある。国民主権の中で「国家・君主に臣としてつくすべき道」はないだろうが、政治は果たして「人として踏み行うべき道」を進んでいるかどうか。日本に限ったことではないが、古今東西歴史をひもといても甚(はなは)だ疑問だ。だからこそ、時として「大義」という言葉を連綿として受け継ぎながら、政治に警鐘を鳴らし続けているのかもしれない。 戦後日本において、日本国憲法が施行されてからの衆院解散は、今回の解散を含めると24回。反面、任期満了に伴う衆院選が行われたのは1976年12月5日に行われた第34回選挙の1回だけだ。 いわば、衆議院はどこかで解散するのが当たり前ではある。しかし、「人として踏み行うべき解散」などあったのだろうか。  全部挙げればきりはないが、吉田茂内閣では、吉田首相が右派社会党の西村栄一議員への質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって懲罰動議が出され、吉田首相の足を引っ張りたい自由党非主流派の鳩山一郎や、広川弘禅農相らの暗躍があって、内閣不信任案が賛成229票、反対218票の11票差で可決、1953年3月14日に衆院が解散された。この解散を受けて4月19日に投開票された第26回選挙では、与党自由党が過半数を大きく割り込み、鳩山自由党や改進党も不調で、左派勢力が大きく議席を伸ばす結果となった。1950年11月、衆議院本会議で施政方針演説をする吉田茂首相。左はもめる野党議員たち 内閣不信任案の可決で衆院選が行われるのは、きっかけが「バカヤロー」だとしても、政権の可否を問うという意味で有権者も納得はできよう。戦後、内閣不信任案の可決による衆院選は1949年と1953年の吉田茂内閣、1980年の大平正芳内閣、1993年の宮沢喜一内閣と計4回ある。 内閣不信任案の可決による解散ではなく、首相の「今解散すれば勝てる」「少なくとも負けが少なくて済む」という思惑による解散の方がむしろ多数派なのである。「天の声」「死んだふり」のミエミエ 例えば、吉田内閣の後を受けて組閣した鳩山一郎は1955年1月24日に衆院を解散した。1955年2月27日に投開票されたこの第27回選挙では「民主党ブーム」が起き、民主党は185議席で112議席の自由党をはるかに上回り、左派勢力は振るわなかった。このとき、鳩山首相は解散の理由を「天の声を聞いたからです」と発言し、「天の声解散」と呼ばれたが、そんな木で鼻をくくったような理由でも、公職追放になった鳩山への同情などで民主党は第一党に躍進した。 また、1983年の衆院選で過半数を割り込み、新自由クラブとの連立で辛うじて衆議院での過半数を維持していた中曽根康弘首相もその一人だ。1986年6月2日に衆院を解散したが、中曽根首相は衆参ダブル選挙を当初から狙っており、そのための解散であることを知られないために、死んだふりをしていたとして「死んだふり解散」と言われた。1986年7月、衆参同日選挙で自民党が圧勝、選挙ボードにバラを付ける中曽根康弘首相=東京・永田町の自民党本部 結果、自民党は300議席の圧勝。2009年に民主党が308議席を獲得するまで、戦後の衆院選で単独政党の獲得議席としては過去最多だった。 「天の声」「死んだふり」といった戦後を代表する政治家たちの解散理由も、選挙に勝つためがミエミエであまり褒められたものではない。では、不信任案の可決、首相のタイミングを見計らった解散以外に「大義による解散」はあったのだろうか。 中には、政権与党と野党が政策をめぐり真っ向から対立し、国民に信を問う解散もなくはない。小泉純一郎首相は郵政民営化が持論だったが、2005年に郵政民営化法案を衆議院で通過させて参議院に送付された際、「郵政民営化法案が参議院で否決されれば、自分は衆議院を解散して国民の信を問う」と明言していた。その言葉通り、参議院で郵政民営化法案が否決されると、「この選挙を郵政民営化の是非を問う国民投票にする」と明言、8月8日に衆議院を解散し、9月11日に投開票された結果、自民党は296議席を得る圧勝となった。 もちろん、民営化反対の候補に刺客を送り込み、メディアに巧みにニュース価値を提供する劇場型政治の狡猾(こうかつ)さはあったにせよ、ガリレオ・ガリレイまで持ち出しての「大義を掲げての解散」に、国民がこれまでにない高揚感を覚えたのは確かだ。 翻って、今回の解散はどのタイプに属するのか。言うまでもなく、鳩山氏、中曽根氏と同じく、安倍首相が「このタイミングなら勝てる」と踏んだ憲法7条第3項による解散だ。 「法律、特に憲法の規定に基づく解散だ、今までもそうやって解散してきているじゃないか、文句あるか!」。政権与党は当然そう言うだろう。一方の野党は、少しでも政権与党をおとしめようと必死だ。鍵を握るのはやはりあの層 側近の若狭勝衆院議員が新党結成に動いている東京都の小池百合子知事は9月18日、「解散・総選挙は何を目的になさるのか、大義ということについては分かりません。そういう中で都民、国民に何を問いかけていくのか、私には分かりにくいと、多くの皆さんがそう思うのではないでしょうか」と批判。一方で、若狭氏の新党に対し「しがらみのない政治」と「大きく改革をする」というメッセージが伝わるようになればと既成政党を当てこすった。 解散に呼応し、細野豪志元環境相らを糾合して新党を立ち上げても、主なメンバーが民進党からの離脱組では「第二民進党」とも揶揄(やゆ)されかねない。準備不足に慌てたのか、若狭氏は小池知事に新党の代表就任を要請するというドタバタだ。 既成野党はというと、散々「解散・総選挙で信を問え」と言っておきながら、安倍首相のタイミングでの解散・総選挙ということになると気に入らないらしい。 7月2日の都議選で自民党が惨敗したときには、民進党の蓮舫代表(当時)は会見で「解散・総選挙はいつでも受けて立つ。衆院解散に追い込みたい」と語っているし、社民党の又市征治幹事長も「内閣改造でごまかそうとしているが、解散・総選挙を打たざるを得ないところに追い込むことが大事だ」と強調している。 共産党も8月下旬の時点で、安倍政権に対する怒りの声が全国に広がり、あと一歩で安倍政権を打倒できるんだというところまで追い込んでいる、臨時国会で安倍政権を追い詰め、解散・総選挙に追い込んでいこう、と力をこめている。2014年11月21日、衆院解散で記者会見する安倍晋三首相の映像が街頭に流れた=大阪市北区 一転、安倍首相が解散の意向とメディアに報じられると、民進党の前原誠司代表は、受けて立つが、北朝鮮の緊迫した状況での政治空白、森友・加計問題での国会での説明不足などを挙げて「自己保身解散」だとコキおろした。幹事長に登用しようとした人材のスキャンダルを報じられ、解散のひとつの引き金になった反省はどうやらないようだ。 大義もへったくれもない。自分たちに都合がいい時期を選んで解散できる首相、自分たちに都合が悪い時期に解散されることで口を極めてののしる野党。こうなると鍵を握るのはやはり無党派層か。有権者はハナから大義などに期待していないが、安倍首相の「勝てそうだから」という理由での解散に、まさかバラバラ感満載の野党による政権を期待してはいないだろうし、世論調査でも期待は低い。第一の可能性は、このタイミングでの解散に、安倍首相にひと泡吹かせようと野党に1票を投じるというもの。第二は、老獪(ろうかい)な手法に敬意を表し、北朝鮮への対応を期待して与党に1票を投じる可能性。そして第三は、安倍もノーだが受け皿もない、という消去法で棄権してしまう可能性だ。 2014年の衆院選では、投票率は50%台前半と低迷した。現時点では小池知事の動きは不明だが、第三の可能性をはらみながら選挙戦に突入していくとしたら、後世の歴史家から「大義なき解散」にふさわしい衆院選だった、という有り難くない評価をこれまで同様積み重ねていくことになるのかもしれない。 「大義」という言葉が政治に警鐘を鳴らし続ける言葉として、今回の衆院選で死滅することは少なくともなさそうだ。

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    「不祥事議員どうするか解散」ネーミングはこれにしよう

    要なのか? 大義がないと総選挙をやってはいけないのか? 「大義」の次に野党サイドが言い出したのが、「政治空白」や「疑惑隠し」、「自己保身」だ。これは、民進党の前原誠司代表が言い出した。17日の民進党本部での会見で、前原代表はこう述べた。常任幹事会で挨拶する民進党の前原誠司代表=19日、東京(斎藤良雄撮影) 「北朝鮮が核実験やミサイル発射を行う状況の中で、『本気で政治空白をつくるつもりなのか』と極めて驚きを禁じえない。森友問題や加計問題について国会での追及から逃げるため、国民の生命・財産そっちのけで、まさに『自己保身解散』に走っているとしか言えない」 解散・総選挙になると、毎回、なんらかのネーミングを施さないといけないのは、「バカヤロー解散」以来の日本の「美しき伝統」だ。しかし、ここまでの野党側のネーミングは、情けないほど味も素っ気もない。「大義なき解散」「政治空白解散」「疑惑隠し解散」「自己保身解散」では、直球ばかりではないか。 これでは、米国のトランプ大統領の方がよほどうまい。彼から見たら「頭のおかしなクソガキ」にしか思えない、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長を「ロケットマン」と名付けてしまった。本来ならロケットではなく「ミサイルマン」だろうが、ロケットマンと漫画のキャラ扱いしたことで、「トータリーデストロイ」(完全なる破壊)の本気度が伝わってくる。 だいたい、今回の解散を野党サイドが批判する資格などない。なにしろここ数カ月、彼らは森友・加計の両学園問題を追及し、「安倍首相は信用できない」と、解散・総選挙を強く求めてきたからだ。 例えば、7月に自民党が東京都議選で惨敗したとき、民進党の蓮舫前代表は「(この結果を受けて)解散に追い込む」と気勢を上げた。これに同調したのが社民党の又市征治幹事長で、「内閣改造でごまかそうとしているが、解散・総選挙を打たざるをえないところに追い込むことが大事だ」と言ったのである。 それがいざ解散となったら、今度は「大義がない」「疑惑隠し」だと解散そのものを批判するのだから、あきれてものも言えない。本来なら「よくぞ解散してくれました。これで国民に信を問えます。もう疑惑からは逃れられませんよ」くらいのことを言わなければならない。大義がないのは、野党サイドではないだろうか。大義(選挙公約)の争点 これでは、自民党に「いまなら勝てる」と足元を見透かされるのは当然だ。民進党は山尾志桜里衆院議員の不倫スキャンダルと離党者続出でガタガタ、ほかの野党は完全に弱小化、小池新党はまだ準備不足で若狭勝衆院議員は政治塾「輝照(きしょう)塾」を立ち上げたばかり、細野豪志元環境相も河村たかし名古屋市長も、あの橋下徹前大阪市長もどうしていいか思案中といった具合だ。 とりあえずだが、麻生太郎副総理兼財務相の名参謀としての策略がずばり決まっている。これで本当に自民党が勝てば、「生まれはいいが育ちは悪い」と常々語っている麻生氏に、ぜひビシッと決めたマフィアスタイルで勝利宣言をしてほしいと願う。しかし、万が一、自民党が負けたらどうなるのだろうか。トランプが勝ってしまうこともあるのだから、一寸先はわからない。参院予算委員会の集中審議に臨む、安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=3月27日、国会(斎藤良雄撮影) それにしても、まさかまさかの解散・総選挙だ。今年の3月5日の自民党大会で、「総裁3選」を可能とする党則改正が決まったときは、衆院は任期満了までいくのは間違いないと思われていた。そうして、来年9月の自民党総裁選挙に安倍晋三首相が勝てば、さらに3年間任期が伸びるので、2020年8月の「灼熱(しゃくねつ)」の東京五輪のときも、確実にシンゾー政権は続いていると思われていた。 それが、「森友アッキード払い下げ問題」でつまずき、「加計アクユウ獣医学部新設問題」で支持率が落ち、「稲田朋美元防衛相ネコかわいがり続行」で窮地に陥ってしまった。 これを救ったのが、「ゴトシ」をそろえたという内閣改造ではなくロケットマンだ。北からミサイルが発射されるごとに支持率は盛り返し、とうとうビッグチャンスがやってきた。日本の安全保障上最大の危機は、首相と与党にとって野党のうるさいハエをたたく最大のチャンスなのである。 それでも大義がないというので、自民党は現在自ら大義(選挙公約)をつくり出そうとしている。「政権べったり」新聞(読売新聞)などの報道だと、安倍首相は「消費税10%の使途を借金返済から子育て支援、教育無償化に変更」というアメ玉を用意したうえで、「憲法改正」も訴えるという。「リベラル大好き」新聞(朝日新聞や毎日新聞)によると、「教育や社会制度を抜本的に見直す人づくり革命を打ち出し、アベノミクスの是非を問う」という。  私としては、やはりアベノミクスの成否を問わなければおかしいと思う。これこそが、「バイ・マイ・アベノミクス」とマイケル・ダグラスのセリフをパクって、内外に問うてきたこの政権の政策そのものだからだ。 なにしろ内閣府は、いまだにHPに、もうみんなすっかり忘れてしまった「新3本の矢」を掲げ、その成果を何項目かにわたって、「成果、続々開花中!」という吹き出し付きで自画自賛している。しかし、最大の目標であるデフレ脱却によるインフレ率2%達成、それ以上の経済成長率は、達成できただろうか。このHPをぜひ一度見てほしい。国民がやらなければならない「審判」 さて、大義はないとはいえ、この選挙で私たち国民がやらなければならないことがある。ここまでに続出した「不祥事議員」をどうするかだ。選挙はやはり審判である。「このハゲー!違うだろ」を、埼玉4区の有権者は許すのか、許さないのか。以下、リスト化してみたので、当該選挙区の方はじっくり考えてみてほしい。■甘利明(神奈川13区、68)現金(賄賂)授受が発覚、経済再生担当相を辞任。→不起訴処分(嫌疑不十分)■稲田朋美(福井1区、58)嘘答弁を繰り返すも、驚異の粘り腰で防衛相に居座る。→防衛相辞任■武藤貴也(滋賀4区、38)知人に未公開株を「国会議員枠」で購入できると持ちかけ金銭トラブルに。→離党■中川俊直(広島4区、47)不倫女性とハワイで「結婚式」まで挙げた「重婚疑惑」、ストーカー疑惑が発覚。→経済産業政務次官を辞任、離党。■上西小百合(大阪7区、34)本会議をサボり、ショーパブはしご。その後、放言多し。→日本維新の会を除名■務台俊介(長野2区、61)被災地視察で長靴を持参せず、水たまりを政府職員におんぶ、「長靴業界はもうかった」と発言。→内閣府大臣政務官兼復興政務次官を辞任■大西英男(東京16区、71)「がん患者は働かなくていいんだよ!」発言に加え、過去の女性蔑視発言、報道圧力発言も問題化。→開き直り■豊田真由子(埼玉4区、42)秘書への暴行・暴言「バカかお前」「このハゲー!違うだろ」が発覚して逃亡入院。→離党■今村雅弘(佐賀2区、70歳)記者に激高「2度と来るな」発言、「東北でよかった」発言。→復興相を事実上「更迭」 私は成人してから今日まで日本の政治を見続けてきたが、振り返って思うのは、この国の政治に大義があったことがあるだろうか、ということだ。あったのは、大義ではなく「都合」だけだったのではないだろうか。この国では、なにより都合が優先されるのだ。 本当のことを言えば、大義はあってほしいと思う。あるべきだと思う。そして、政治家には、日本にたった8カ月しかいなかったのに莫大(ばくだい)な報酬を手にして帰ったクラーク先生が言ったように、「大志」を抱いてほしい。 アメリカのように「自由」と「平等」、そして「人権」と「民主主義」は絶対守る。それだけは譲れないという大義が、日本にもあってしかるべきだと思う。 しかし、国際社会でアメリカの属国となることで安定と安全を維持してきたこの国では、これまで大義は必要なかった。そのため、大志などなくても議員をやっていられた。しかし、もうそろそろこれをやめないと、日本は落ちていくだけになるのではなかろうか。

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    「解散の大義」ってなんだ?

    安倍首相が衆院解散を明言した。北朝鮮情勢が予断を許さない中、わが国では3年ぶりの総選挙に突入する。メディアは「解散の大義」という言葉をしきりに使いたがるが、そもそも過去の解散に一度でも大義なんてあったのか? どうも「印象操作」の匂いがプンプン漂うこの言葉の意味を改めて考えてみよう。

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    党利党略、禁じ手でも「大義なき解散」は安倍首相に理がある

    小笠原誠治(コラムニスト) 安倍総理が9月25日に衆議院解散の意向を表明すると報じられている。ただし、解散の理由はまだ分からない。新聞によっては、消費増税の使い途についての変更の是非を問えばいいなどと提案しているところもあるが、総理が実際何と言うかは分からない。 ただ、国民の中からは、今なぜ解散する必要があるのかという声が挙がっているのも事実だ。そして、そのような批判に対しては、解散の大義名分は後で付けるとして、今なら与党が勝つチャンスがあるから総理は解散を選択したのだという説が有力である。 森友・加計疑惑に加えて魔の2回生のスキャンダル問題もあり、下がり続けていた内閣の支持率が、北朝鮮のミサイル発射、民進党の山尾志桜里議員の不倫疑惑に民進党議員の離党騒ぎなどもあり、支持率が回復しているからだ。 ということで、安倍総理が25日に衆議院解散の理由についてどのような説明をしようとも、事実は単なる党利党略で行うものであり、全く大義がない解散だという受け止め方が多い。 事実、私自身もそのように考える。というよりも、仮に選挙で与党が勝利を収めれば、安倍総理の禊(みそぎ)は済んだということで、森友・加計疑惑を完全に過去のものにすることを狙ってのことだと考える。これはなんと姑息(こそく)な手段ではないか。だから、安倍政権を支持しない国民サイドからは、そのような批判が起こるのは当然と言えば当然だ。報道陣に向かって一万円の札束を見せる籠池泰典氏=7月1日、JR秋葉原駅前(古厩正樹撮影) ただし、そのような批判が野党からなされることには疑問を禁じ得ない。いや、それが安倍政権のイメージダウンを狙った作戦であるのならば良い悪いは別にして理解できなくもないが、本気で「大義なき解散」などと批判するのは理解に苦しむ。 確かに大義はない。しかし、大義はないものの、野党の議員は総理の辞職や国会の解散を自分たちが求めていたではないのか。 憲法69条は次のように書かれている。「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」 今年6月15日、民進、共産、自由、社会の野党4党は、衆議院本会議において共同で安倍内閣の不信任決議案を提出した。採決の結果、反対多数で否決されたので憲法69条の規定に基づき解散するということはないのだが、仮にその不信任決議案が可決されたときには、どのようなことになったのか。 まさに憲法69条の規定に従って衆議院が解散されるか、内閣が総辞職するかの二つに一つ。普通は、内閣が総辞職を選択することはないので、そうなれば衆議院が解散されるわけである。つまり、野党は国会の解散をある意味求めていたとも言えるのだ。それなのに、いざ本当に衆議院が解散されるとなると、大義がないなどと批判する。 国民が、大義がないと批判するのは当然であっても、いや国民であっても安倍内閣の総辞職や衆議院の解散を望んでいたのであれば、何を今さら大義なんてことを言い出すのか、と言いたい。選挙に勝てばそれが禊 そもそも安倍内閣に不信任を突きつければ、後は選挙しかないからだ。安倍総理が、国民の判断に委ねることを拒否し続けるのであれば批判に値するが、安倍総理は国民の判断に委ねたいと言っているのだから、拒否する理由は全くない。 つまり、選挙の争点は、有権者が自分で考えればいい、いや自分で考えなければいけないということなのだ。それでもなお「大義名分がない」と言いたがる人がいる。結局、そのような批判をする人々は選挙の結果、与党が勝利を収めて安倍政権が続くことが嫌だというだけのことなのだ。 私も安倍総理には早々に総理の座から退いて欲しいと願う一人ではあるが、だからこそ衆議院が解散となり選挙が行われることに期待したい。もちろん、選挙の結果がどうなるかは分からない。安倍総理の思惑通りの結果になるかもしれないし、逆に、森友・加計疑惑に関する国民の不信感は収まっていないという事実を反映して反対の結果になるかもしれない。 ところで、衆議院の解散権について、憲法はどのように規定しているのか。運用上は、憲法7条の規定に基づく衆議院の解散が過去何度も行われ、すっかり定着した感があるが、憲法を少しでもまともに学んだことのある者ならば、憲法7条を根拠にして衆議院を解散することができるという解釈には疑問を感じるのがほとんどだと思う。 憲法7条の規定は、あくまでも「天皇の国事行為」を列挙したに過ぎず、実質的な規定は憲法69条にあると考えるべきだ、と。 だが、原告が憲法7条を根拠にした衆議院の解散は憲法違反であると主張した苫米地事件において最高裁が、統治行為論を理由に違法性の判断を回避してしまったために、事実上、憲法7条による衆議院の解散が黙認される結果になってしまったのだ。 そうした経緯を考えれば、衆議院の解散は総理の専権事項だなどと声高に主張するのはこっけいな感じがしないでもないが、実務的にはそうした考えが定着していることを受け入れないわけにはいかない。従って、安倍総理が従来の考え方によって与党が有利なときに解散を断行しようとしても、それ自体を悪く言うわけにはいかない。 ただし、安倍総理は、森友・加計疑惑に関してもっと丁寧に国民に説明をすべきだと言ってきた経緯があることを忘れてはならない。臨時国会を召集したものの、冒頭で衆議院の解散に踏み切れば、森友・加計疑惑に関する丁寧な説明はなしで終わってしまう恐れがある。衆院の委員会で民進党議員の質問に答弁する安倍晋三首相=4月12日、衆院第16委員室(斎藤良雄撮影) それに、解散の理由を、例えば消費増税の使い途の変更などを国民に問う必要があるということにして、仮に思惑通り与党が選挙に勝つことになればそれで禊は済んだことになるのだ。それこそが安倍総理の狙いと言わざるを得ない。 今年2月以降、国会での論争の中心は森友疑惑であり、加計疑惑であった。そして、それらの疑惑に関して圧倒的多数の国民は、政府の説明には納得ができないとしてきた。そうしたことから考えるならば、総理が25日にどのような説明をしようとも、争点は、森友・加計疑惑にあると言うべきなのだ。 禊を済まそうという思惑であるにしても、国民に信を問う安倍総理のやり方自体は間違っているとは言えず、まさに有権者の資質が問われているものと考える。

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    この解散時期はアベノミクスにとってマイナスかもしれない

    は、消費税の税収については、一部(従来の地方消費税分)を除いて社会保障費に充当することが定められた。政治的な意味はともかくとして、市場ではこの合意が、日本の財政問題に対する担保のひとつとして機能してきた。消費増税分の資金使途が、義務的経費である社会保障費に限定されていれば、少なくとも裁量的経費がむやみに増大し、財政収支を極端に悪化させる可能性は少なくなる。 日本政府は2020年までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化するという公約を掲げているが、その実現はほぼ不可能な状況となっている。それでも金利がまったく上昇しないのは、日銀の量的緩和策によって国債が買われ続けていることに加え、野放図な財政拡大に対しては一定の歯止めがかかっていると認識されているからだ。 だが、首相は、今回の総選挙において増税分の使途について見直す方針と言われており、その具体策のひとつが教育の無償化だという。高等教育の無償化そのものについては、知識経済へのシフトが進む現状を考えれば、スジのよい政策といえるかもしれない。だが、このタイミングで消費税収の使途に関する縛りが解放されるということになると、市場に対して思わぬメッセージを送ってしまう可能性がある。非常事態を回避するために 財政問題に関する議論を聞くと、政府が破綻するしないといった、極端で感情的なものばかりが目立つが、市場関係者の中で、本当に日本が財政破綻すると考えている人などほぼ皆無である。だが、いずれ日本の長期金利が上昇すると考える人はかなりの割合に上るはずだ。長期金利 量的緩和策の影響もあり、日本の長期金利は異例の低水準となっているが、金利が極端に低いことは、実は日本の財政を維持する最後の砦となっている。 現在、日本政府は1000兆円近くの負債を抱えているが、これまで低金利が続いてきたことから、政府は利払いを気にすることなく予算を組むことができた(一般会計における国債の利払い費用は年間10兆円程度に収まっている)。だが、金利が上昇して仮に5%まで達したとすると、理論的な年間利払い費用は40兆円を突破してしまう。数字の上では、税収のほとんどが利払いに消えてしまい、事実上、政府は予算を組めなくなってしまうのだ。 市場関係者が本当に恐れていることは、日本政府の破綻でも、国債のデフォルトでもなく、金利の上昇によって政府が超緊縮予算を余儀なくされることである。今の状況で日本政府が緊縮予算に転じれば、景気が冷え込み、株が暴落するのはもちろんのこと、年金や医療など社会保障費が軒並み削減され、国民の生活は一気に苦しくなるだろう。 こうした非常事態を回避するためには、金利を何としても低い水準に維持し、その間に財政再建の道筋を付けなければならない。 もっとも、政府が保有する国債には様々な償還期間のものが混在しており、仮に金利が上昇しても、すべての国債が高金利のものに入れ替われるまでには時間的猶予がある。また、この水準まで金利が上昇する前に、何らかの対策を打ち出すことも不可能ではないだろう。だが、金利の上昇は、もっと短い時間軸においても大きな影響を及ぼす可能性がある。それは日銀の出口戦略に関してである。 あくまで仮定の話だが、総選挙の結果、消費増税の使途に関する縛りがなくなり、財政支出が拡大したとしよう。市場がこれに反応し、長期金利がわずかでも上昇を始めてしまうと、日銀にとってはやっかいなことになる。追加緩和を実施することもできず、一方で金利上昇を放置すれば、強制的に出口戦略に舵を切ることになり、日銀が抱える損失が顕在化してしまう。 金利の上昇はおそらく円安を招くことになるので、国内の物価もジワジワと上昇してくるだろう。これは景気拡大に伴うインフレではないので、実質的な可処分所得は減っていく可能性が高い。 政治的にはあまりインパクトのない今回の解散だが、実は後から振り返ると、日本の財政における重要な転換点になっていたという可能性も十分にあり得るのだ。

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    加計学園ワインセラー、日刊ゲンダイの「印象操作」にレッドカード

    場」の設置が、さも安倍首相と関係があるかのように匂わせて記事は締めくくられている。そして、この話題は政治の場にも波及し、民進党の加計学園問題調査チームの座長である桜井充参院議員が、ワインセラーの設置を問題視していた。民進党が開いた「加計学園」問題に関する調査チームの会合。中央奥は共同座長の桜井充参院議員=8月16日午後、国会 先に結論を書けば、朝日新聞の報道によると、そもそもこのワインセラーは当初の図面にあるだけで、現状は別の厨房(ちゅうぼう)施設に置き換わっているらしい。つまり上記の日刊ゲンダイもリテラも事実確認をしないまま、当初設計図の記載をうのみにして記事を書いていたことになる。これではジャーナリズムとして褒めたものではなない。 ところでこのニュースをめぐって、ネットではいち早く、各大学にワインセラーなどが設置されていることが珍しくないこと、また国際会議や学会用に大学内にレセプション用(つまり「宴会」)のホールやレストランなどを設置するのも珍しくないことも指摘された。一例だが、このワインセラー設置に厳しいコメントを出していた元文部科学省官僚の寺脇研氏の出身大学である東京大学でもワインセラーは設置されているし、毎年、「東大ワイン祭り」も開催されていて、大学の「教育」活動に貢献している。ワインセラー設置は「常識外れ」じゃない 実際に、当初設計図の通りならば、100人程度の立食パーティーができる会議室転用のスペースがあるのは、どの大学でも珍しくないだろう。学会を開けば、よほどマイナーな学会でないかぎり、数十名から100人程度の参加者はあるはずだ。学会の時間をできるだけ拡張し、参加者の負担を減らすためにも学会の会場内に「宴会」スペースがあれば、参加者にとっても利便性は増す。もちろん学会などの開催を近くのホテルでやればいいというもっともらしい意見もあるが、移動の時間やコストを考えると絶対にホテルにすべきだ、とはいえない。 そもそも学会は土日に行われることが多く、民間のホテルなどを利用するときは、他の顧客との競争になってしまう面もある。これらの取引費用を、大学が内部化することは合理的でもある。その都度その都度、外部の業者と契約を交わす費用(取引費用)をかけずに、組織の中で不経済に対処することができることを「内部化」という。 さらに加計学園の当初設計図にあるワインセラーは、ただの設置タイプを想定していて、いわば冷蔵庫のようなものであり、価格も数万円から高額でも数十万円のものである。さらに、備品扱いだろうから、このワインセラーなどに今治市からの補助金が使われるかどうかもわからない。通常では建築費用に含まれないから補助金の対象外であろう。 いずれにせよ、当初設計図での話でしかなく、この加計学園獣医学部の「設計図問題」とでもいうべきものは、慎重かつ(批判するならばまずは)事実検証のもとで行う必要がある。少なくともワインセラー設置は、批判者たちが思うほどには常識外れとはいえない。 さらに加計学園には、ワインセラーを設置する「教育上の利益」もあったかもしれない。これは私のツイッターのフォロワーが教示してくれたことだが、岡山理科大学には「ワインプロジェクトプログラム」という産学官連携のワイン造りの研究計画がある。同大学のほかのセクションが作ったワインを、獣医学部にいる教職員、成人の学生などがその成果をたしなむことは教育的価値がある(もちろん希望者のみだ)。むしろ大学のアイデンティティーを形成するうえでは、同大学にとってワインは重要なものだろう。そして外部からくる多くの人たちに、ワインセラーでよく冷えた大学特産のワインを供することは、教育的な見地だけでなく、大学の広報活動としても価値があることではないか。文科省で記者会見する「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表(右)ら=8月24日 率直にいって、問題にもならない事象をあたかも大きな問題としてとりあげ、なんだか正体不明の「アベ友疑惑」につなげる一部マスコミや一部識者、運動家の発言には、そろそろ賞味期限切れのレッドカードを出したくなる今日この頃である。

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    民進党の処方箋は自民党の「政治的したたかさ」を学ぶことにある

    ではないと思っているので、「保守」「リベラル」といった区分け、二項対立の図式を好みません。自身を保守政治家ともリベラル政治家とも称したことはありません。そういう考えで、維新の党の結党にあたっても、その綱領に「保守vsリベラルを超えた政治を目標」とし、「内政、外交ともに、政策ごとにイデオロギーではなく国益と国民本位に合理的に判断する」と明記しました。 ただ、その上であえて分かりやすくするために、この用語を使って表現するなら、「保守政党」を自認している自民党は基本的に日本古来の「伝統的な価値観や生き方」を重視する政党です。これに対し、民進党はそれを否定はしないものの、最近出てきた「多様な価値観や生き方」を認める政党です。その意味では「リベラル(自由・寛容)」な政党と言っても良いでしょう。民進党の綱領にも「多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会を実現する」と書いてあります。 以上のような基本的な「立ち位置」や「理念」の違いを前提として個別の政策を論じていかないと、なかなか国民から先ほどの「民進党って何をする党?」「自民党との違いは何?」といった素朴な疑問を拭い去ることはできないと思います。 それでは、以上のことを前提に、具体的な政策で「自民党との違い」を浮き彫りにしていきましょう。南スーダンに到着した陸上自衛隊=2016年11月21日(共同) まず、第一に「外交・安全保障」面での違いです。焦点は「海外での武力行使」を認めるか否か。その道を安倍政権下で策定した「安保法制」で切り開こうとするのが自民党、これまで通り認めないのが民進党です。すなわち、「専守防衛」に徹し戦後営々と築き上げてきた「平和国家日本」を守り抜く。ただし、北朝鮮の核・ミサイルや中国の海洋進出の脅威などからは徹底的に日本を防衛するという立場です。具体的には、領域警備法案の策定(海上保安庁と自衛隊の有機的連携の強化)や「周辺事態概念(編集注:日本の周辺地域において、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態)」の維持を前提とした周辺事態法の改正強化などでしっかり対応していきます。標語的に言えば「近くは現実的に、遠くは抑制的に」です。この点、安倍政権は「領域警備」には新たな法対応はせず、緊急時に閣議を電話で行う程度の運用改善しかしていません。もう一つの対立軸とは? 次に「原発・エネルギー政策」の違いです。これも明らかな対立軸です。原発を「基幹(中心的)電源」として推進する、原発を「安全規制基準に適合」さえすれば、どんどん再稼働させるのが自民党であり、原発を近い将来ゼロにし、再稼働についても「安全基準に適合」しているだけでなく、国が責任を持つ避難計画などがなければ反対する、そして「再生・新エネルギー立国」を目指すのが民進党です。再稼働した関西電力高浜原発3号機(左)と4号機=2017年5月17日、福井県高浜町(奥清博撮影) そして「経済政策」にも違いがあります。アベノミクスは大企業や業界を元気にすれば「トリクルダウン」(その効果が下流にしたたり落ちて)で人や暮らしが豊かになるという政策です。民進党は、経済成長も大事ですが、「所得再配分(税金の配分)」で直接「人や暮らし」に投資する。具体的には、医療や介護、年金・子育て支援などで「懐(家計)を温かく」し、国内総生産(GDP)の6割を占める消費を喚起していくことを目指します。その目玉として「教育無償化」や「介護士や保育士の処遇改善」などがあります。 「働き方改革」を典型に、最近は安倍首相の「抱きつき戦術」による「争点つぶし」で、政策面でなかなか違いが国民に見えにくくなっていますが、上記の基本政策において今後、安倍自民党との違いを鮮明に出し、国民に強くそれを訴えていくことが必要不可欠でしょう。 最後に、以前から「バラバラ」と批判されてきた党のガバナンスを確立することです。私は昔、自民党政権を官邸で支えていたことがあるのですが、自民党も結構、右から左、考え方に幅のある政党なのです。しかし、党内でいろいろ異論が出ても、自民党の場合はそれがむしろ「党の活力」と評価され、一方で民進党、いや旧民主党は、同じことをしても「バラバラ」と批判される。この違いは「『人徳』ならぬ『党徳』の差?」としか言いようのないものなのですが、私もこの党に代表代行として携わってみて、やっとその真因のようなものが分かってきました。 どの政党だって、党の方針決定までは侃々諤々(かんかんがくがく)大いに議論があって良い。しかし、いったん機関決定したらその党の方針に一致結束して従う。こうした当たり前のことを当たり前に行う「文化」を作り上げなくてはならないのです。 そのためには、その決定までのプロセスが大事なのです。一言でいえば「気配り」と「配慮」です。役員や幹部だけでなく、その政策や問題で異論のある人、要路にある人には、必ず事前に話を通す。簡単にいえば「根回し」なのですが、こうした民間でも役所でも当たり前のようにやっていることができていないのです。だから、単に「平場(会議)で議論しました」だけでは「決定」に納得感がない。人間誰しも、たとえ反対の考えであっても、事前に話を聞き、根回しされれば多少不満でも矛を収める。そういうものではないでしょうか。バラバラ感が生まれた理由 しかし、この党では、これまで10人や20人の部下さえ使ったことがない人が多い、組織にいてそうした経験を積んだ人が少ないために、そうした「気配り」や「配慮」ができない。その結果、たとえ党方針を決定しても、いつまでたっても不満が充満し続けてしまうのです。こうした繰り返しが、この党の「バラバラ感」「ガバナンスのなさ」を露呈してきたのではないでしょうか。 この点、自民党には中小企業の経営者や役所の幹部を務めた元官僚など、「組織」にいた人が多くいます。また、象徴的な慣行として、自民党の最高意思決定機関である総務会の決定に反対の人は「トイレに立つふりをして席を外す」といった政治の知恵を働かせて、組織統一を図ってきたのです。こうした「懐の深さ」「したたかさ」を民進党はもっと学ばなければなりません。 そして、最後に「連合(日本労働組合総連合会)」との関係です。もちろん、民進党最大の支援組織である連合の提案や意見は最大限尊重しなければなりません。ただ、お互い別組織である以上、違いがあるのも当然で、それを前提とした(お互いの違いを認めた)うえで、もっと「大人の関係」にしていかなればならないと考えています。 「大人の関係」とはこういうことです。それぞれの核心的利益(こだわる政策など)はお互いに尊重する。それ以外の政策などについてはたとえ違いがあっても、それはそれで認める、そして互いの友好関係には影響させない。こうした連合との関係は、まずトップ同士で議論し整理する。そして明確な方針を決める。そして、それを都道府県連や地域に落としていく。そうしたたゆまぬ努力が不可欠でしょう。自民党と経団連、業界団体との関係は、ある程度こうした「大人の関係」ができていると思います。握手を交わす民進党の岡田克也代表(右)と連合の神津里季生会長=2016年6月2日、東京都墨田区(松本学撮影) いろいろ申し述べました。このように、今の民進党には難問山積、低迷からの脱出には容易ならざるものがあります。しかし、自民党、民進党という政党形態が、上述したようにある意味、国際的に普遍的な二大政党の形態であることも事実ですから、少し時間がかかるかもしれませんが、一歩一歩地道に、一つ一つ課題を解決しながら、「政権交代可能な政党」と国民に認知していただけるよう、日夜努力していくしかないのではないでしょうか。

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    所属議員に聞いた「民進党がダメな理由」

    民進党の代表選が告示され、前原誠司元外相と枝野幸男元官房長官の一騎打ちの構図が確定した。野党第一党として、党勢回復への道筋や自民党に代わる政権担当能力が問われるが、蓮舫氏の辞任表明後は離党ドミノによる求心力低下も叫ばれる。民進党はなぜダメなのか。所属議員3人の独占寄稿でその問いに迫りたい。

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    「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

    が一貫して主張している日本版「オリーブの木」構想だ。「オリーブの木」とは、イタリアですでに実践された政治手法で、異なる政党が選挙時に統一名簿を掲げて闘うことを意味する。記念パーティーで握手する、共産党の穀田恵二氏(右)と自由党の小沢一郎代表=2017年7月、京都市(門井聡撮影) これを日本で具体化すれば、野党第一党の民進党と自由党、社民党が衆議院比例区で統一名簿を提示して選挙戦に臨む。さらに共産党とは個別の小選挙区で選挙協力を行うのだ。この構図ができれば自民党政権は相当に追い込まれていくだろう。もしかしたら「ドミノ倒し」のような結果が生まれることも有り得る。問題は民進党がそうした戦略を取ることができるかどうかである。労組依存の弊害 そこに9月の代表選挙の争点がある。政策的な矛盾も選挙に勝つことで、最適解に向けて徐々に進むかもしれない。最後に追伸のように触れれば、この原稿の締め切りが延びる間にもいくつかの変化があった。 枝野幸男氏に続き代表選挙に前原氏が立候補することを表明した。本来なら30代、40代の世代が名乗りをあげるような代表選挙が望ましい。かつてのイギリスのブレア、最近ではフランスのマクロンのように、30代から将来を見越して育てられた人材がなかなか見当たらないことも民進党の問題だろう。基本政策を発表する枝野幸男元官房長官=2017年8月8日、国会内(斎藤良雄撮影) その世代の候補者が出てこれないのは「年功序列の労組」に大きく依存しているからである。共産党が不破哲三氏を40歳で、志位和夫氏を35歳で書記局長に抜擢したような驚くような人事ができない組織体質を改善しなければならない。 さらにいえば、「離党を検討している」という捨てゼリフをいとも軽々しく口にする議員が散見されることにも問題がある。これは議員の人間的資質に帰せられることではあるが、あまりにも軽い。「離脱の精神」(藤田省三)は貴いものである。 離脱の自由があるからこそ結束の絆も強まる。執行部への圧力になるかのように容易に離党を言うのは「狼が来るぞ」と繰り返す少年のようだ。ともあれ「安倍一強」政治に綻びが生じた今、野党第一党の責任は重い。地道な改革を積み重ねていくことしかないだろう。「活路のない危機はない」のである。

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    政権返上で使命を見失った民進党は一度解党して出直すしかない

     一方、都民ファーストは一昔前の「新進党モデル」で勝ちました。つまり、労働組合の連合と公明党に、保守政治家が加わる図式です。新進党では小沢一郎氏が、都民ファーストは小池知事が中心となりました。そういえば小池知事は新進党の出身でもあります。 フランス大統領選では、社会党、共和党と左右の既成政党が人気を失い、中道のマクロン氏が圧勝しました。米大統領選もトランプ氏という政治の素人が勝利しました。既成の政党や政治家に代わる受け皿があれば、大きな政治的変化が起きているのは洋の東西を問わない状況です。 今、安倍内閣はさまざまな疑惑に対し「記憶にない」「記録にない」を連発するごまかしの姿勢と、国民を「こんな人たち」と呼ぶ安倍首相の「上から目線」で自滅しています。本来なら野党に絶好のチャンスが来るはずですが、第1党の民進党はお家芸の「内輪もめ」で、蓮舫代表も野田佳彦幹事長も辞任して総崩れ状態です。民進党代表選で記者会見に臨んだ枝野幸男氏(左)と前原誠司氏=2017年8月21日 旧民主党は選挙による政権交代という歴史的な使命を果たしました。二大政党政治の下、国民の政治的な関心も高め、大きな成果があったと思います。しかし、その後、新たな使命を見いだせなかったことが最大の問題です。野党時代が長く、経験不足のまま政権運営に失敗した「負のイメージ」をいまだに引きずっているのです。 どの政党でも、政策の幅はあるものです。それでも、侃々諤々(かんかんがくがく)議論した後でも一致団結するのが政党というものです。でも、党内での徹底した議論の末、決まったことには全員で従うというガバナンスが確立できなかったことも、歴史的使命を終えた以上しかたないのかもしれません。 もちろん旧民主党時代には、子供たちへの施策を最優先する「チルドレン・ファースト」の哲学に基づく子ども手当や、高校授業料無償化、国際的スタンダードの農業への戸別所得補償といった評価される政策も進めました。この時は「政権交代」という大目標のために、党内も一致団結できていました。その後は、なぜか遠心力が働くことばかり続きました。利権集団である自民党と決定的に違い、「利権政治」を否定していたがために、権力を維持するという執念が薄かったのかもしれません。野党再編の核を目指すべき 政権を失った後、2014年7月25日に、旧民主党の「民主党改革創生会議報告書」が発表されました。報告書には「安倍政権が戦後日本の生き方そのものを変え、国権主義に傾斜する今、何よりも必要なのは憲政と民主主義を守る強力な野党である」「今、政府与党の政治家から、全体主義を肯定し、女性の人間性を無視し、あるいは震災被災者の尊厳を軽んじるような発言が続いている。政治を担うものが常識と品位を取り戻すことが今までになく求められている。民主党は、人間の尊厳を何よりも大切にする政党でありたい。国民の常識を反映し、国民と常識を共有する政党でありたい」「日本の政治から穏健中道のフェアウエーが姿を消しつつある。民主党はこの穏健中道のフェアウエーのど真ん中を捉えなければならない」と書かれています。衆院本会議で質問に立つ民主党時代の岸本周平氏  この報告には、代表選挙への予備選の導入、党員・サポーターのあり方や党の意思決定システムに関する提案や、内外学識経験者とのネットワーク型「シンクタンク」の創設などの具体的な提言が盛り込まれました。 民主党改革創生会議の事務局として議論を重ねてきた私としては、これまで、党改革のために提言の実現に向けて努力も重ねてきました。民進党の結成後も、当選3回以下の仲間たちと共に改革提言を続けてきましたが、ここにきてついに刀折れ、矢尽きた感があります。  今こそ「解党的な出直し」ではなく、まさに解党して一からリセットし、野党再編の核になることを目指すべきです。 米仏だけではなく、日本でも既成政党以外の受け皿が求められている状況です。日本銀行や国の年金基金に株を買わせて、無理やり高成長の夢を追いかけるアベノミクスとは正反対の、地に足の着いた経済政策で、貧富の格差を少なくしていくことも必要です。 「民主党改革創生会議報告書」にもある通り、穏健中道の政治とは「国民の生活を第一に考える、普通の人々の生活を支える、自由と多様性の中に共生を図る、そのような政治参画への積極的コミットメント」です。そして、その政策理念は「憲法の枠内での自衛力と日米同盟に裏付けられた対話と抑止により平和を構築し、安全保障を維持する基本姿勢を明確にすること」により、「開かれた国益(2005年旧民主党マニフェスト)」を追求することです。 穏健で、日本の文化や伝統を守る「ハト派」による落ち着いた中道の政治が新しい流れになって、日本の政治を変えていくようがんばります。

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    小泉進次郎氏「労組は民進、農協は自民に入れる時代じゃない」

    倍の泥船」から逃げる、逃げる■ 小泉進次郎氏の自民党再建策に「トランプ型党広報」■ 小泉進次郎氏 「政治参加は18歳ではなく0歳からでいい」■ 籠池夫妻の通名使用が判明 ことあるごとに改名する家訓あり■ 野田聖子・総務相 8000万円父親献金に贈与税逃れ疑惑

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    安倍政権の“延命装置”の民進党 解党しか選択肢ないとOB

    、連合は支持を打ち切る姿勢だ。むしろ、安倍政権の支持率が急落している今だからこそ、早く解党して新たな政治勢力をつくるべき」(民進党右派議員) 安倍政権を追及するために新代表のもとで解党が必要―何とも奇妙な理屈が成り立つことになる。民主党OBの平野貞夫氏はこういう。「今の民進党は自民に近い保守的なスタンスの連中と、連合依存の連中が同居したまま。党の政策や理念が曖昧な上に、お互いにすぐに排除の論理を持ち出す。野田氏は辞任に際して、『解党的出直しが必要』といったが、“的”が余計。本当に解党しか選択肢はない」 確かに民進党の存在が、青息吐息の安倍政権の“延命装置”になっていることは間違いない。関連記事■ 吉岡里帆 「スッピン濡れ髪」で会いに行った佐藤健宅■ 稲田朋美氏 保守系メディアからも出ていけと見捨てられた■ 高須院長、公判後の民進党コメントに激怒「徹底的に戦う」■ 安倍首相を悩ます「持病悪化説」と「昭恵さんの神頼み」■ TENGA芸人ケンコバ「夢中になってしまうのが正直怖いです」

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    北朝鮮のグアム攻撃に右往左往する小野寺防衛相の方が危なっかしい

    柳澤協二(元防衛省幹部、国際地政学研究所理事長) 北朝鮮がグアム周辺へのミサイル着弾計画を公表し、トランプ大統領が核攻撃による報復をにおわせるような発言をしたことで、危機感が一気に盛り上がった。その中で、一番右往左往したのが他ならぬ日本だった。 北朝鮮が予告したミサイル飛翔経路に当たる島根、広島、高知と愛媛の各県では、自衛隊が迎撃ミサイルPAC-3を展開し、ミサイル落下に備えた警報・避難の訓練が計画されている。テレビのワイドショーでは、日本上空を飛ぶ無数の民航機を地図上にプロットして、航空機にミサイルが衝突する危険を訴えていた。 物事の本質を見ない者は、危機にうろたえ、意味のない行動に走る。ミサイルは、日本上空の宇宙空間を超えてグアムに向かう。その段階では、すでに数百キロの高度にあるミサイルが、高度1万メートル以下を飛ぶ民航機と衝突することはない。 軍用機と民航機の衝突や、軍艦と民間船舶の衝突は枚挙にいとまがない一方、宇宙を飛ぶ無数の人工的物体が落下してくるのは現実の危険ではあるが、それは今回のミサイルに限ったことではない。 仮に失敗して日本に落下するとしても、北朝鮮からグアムまで3700キロ飛ぶミサイルが島根から高知までの200キロの間に落ちる確率は、単純計算でも200÷3400=5・4%だ。しかもそれは、ミサイルが途中で故障する確率を100%と仮定したときの確率である。仮に、一段目が成功して日本に届く出力を発揮し、2段目が失敗して日本を超えない範囲に落ちるような故障をする可能性を考えれば、限りなくゼロに近い。つまり日本は、限りなくゼロに近い危険を想定して膨大なエネルギーを費やしている。 落ちてくるのが心配なら、大気圏への再突入で大半が焼失するミサイルの残骸よりも、発射地点の近傍に落下することが確実なPAC-3の胴体のほうが心配だ。島根駐屯地から撃てば日本海の海岸近くに、広島市内の海田駐屯地から撃てば広島市内に、松山駐屯地から撃てば瀬戸内海に、高知駐屯地から撃てば高知市近傍に、PAC-3の胴体が落ちてくる。陸上自衛隊松山駐屯地に配備されたPACー3=2017年8月12日、松山市 おまけに、PAC-3は、自分をめがけて落ちてくる弾頭を迎撃すべく設計されているので、配備された駐屯地の位置が実際のミサイルの経路から外れていれば迎撃できない。また、大気の抵抗を受けるために落下経路を計算できない物体に迎撃ミサイルを命中させることは、多分、できないと言う方が正しい。こうして、PAC-3による迎撃によって、落下物から身を守りたいという目的とは正反対の行動をとることになる。これを右往左往と言わずして何が右往左往か。 その右往左往の極みが、小野寺五典防衛大臣が国会で、グアムへのミサイル発射について存立危機事態を認定してミサイルを集団的自衛権によって迎撃する可能性に言及したことだ。テレビのワイドショーが危機を煽るのは無知だから仕方がないとしても、国家理性を体現すべき国会の場でこうした議論が大真面目に行われるに至っては、それこそ国の存立が危うい。おかしな集団的自衛権の議論 北朝鮮が言う通りグアムの周辺30~40キロの公海上にミサイルが着弾したとすれば、それは、当然にアメリカの自衛権行使を正当化することにはならない。アメリカへの威嚇ではあっても、アメリカへの武力攻撃であるとは言えないからである。 万一、狙いがそれてグアムに着弾したとしても、実弾頭ではなくダミーであるはずだから、それだけで北朝鮮の武力攻撃を認定するには無理がある。こうした行為が繰り返されるようであれば、それは、新たな形態の武力攻撃と言えなくもないが、例えば日本の領域に侵入した外国の軍用機が爆弾を落とさずに部品を落としていった場合にそれを武力攻撃と認定できるか、という問いと同じだ。 こうしたミサイル発射は、他国領域に被害をもたらす無法な行動であり、それ自体も国連安保理決議によって禁止されている違法な行為であるが、武力攻撃の意図がなく、外形上も武力攻撃と認める理由が乏しければ、自衛権は発生しない。国際法は、相手が国際法に違反したことをもって自衛権の発動を認めていない。イラク戦争で、サダム・フセインは国連安保理決議に違反していたが、それはアメリカの武力行使を容認しないというのが安保理構成国の多数意見だった。 アメリカが自衛権を主張して反撃することも十分考えられるが、その場合、アメリカもダミーの弾頭を積んだミサイルを撃ち込むのだろうか。そうなれば、まるで子供の喧嘩だ。意味を持つ行動をとるなら実弾頭で攻撃するしかないが、それは報復としてもやりすぎの批判を免れない。つまり、アメリカの対応はかなり難しい計算が求められる。北朝鮮も、そのギリギリの線を狙った嫌がらせをしている、というのが問題の本質だ。 そのような客観的条件のもとで、日本が集団的自衛権を行使する議論がどうして出てくるのだろうか。小野寺大臣によれば、それは、グアムが攻撃されて機能を失えば、日本を守るための抑止力が減殺するから、日本の存立を危うくする可能性がある、という論理だ。だが、この論理は、何か変だ。衆院安全保障委員会の閉会中審査で、特別防衛観察の結果などを報告する小野寺五典防衛相=2017年8月(斎藤良雄撮影) 第一に、グアムが破壊されるのは、ミサイルが日本を超えて正常に飛翔する場合である。日本海にいる日本のイージス艦は、ミサイルの最高高度近くで迎撃する。グアムに向かうミサイルの最高高度はイージス艦の迎撃ミサイルの迎撃可能高度を上回っている。ゆえに、日本がこのミサイルを打ち落とすことは物理的に不可能なので、集団的自衛権行使を論じる意味がない。右往左往するだけの日本 第二に、こちらのほうがより本質的な論点であるが、抑止とは、攻撃を仕掛ければさらに大きな力で反撃をするという意志と能力を示すことによって、攻撃の意志を封じ込め、戦争をさせないようにすることだ。グアムのアメリカ軍は、まさしくそのような役割りを果たしている。 だから、恐怖にかられた北朝鮮が攻撃することはあり得ないことではない。一方、グアムへの攻撃を防ぐために日本が集団的自衛権で、ミサイルでも潜水艦でも、これを迎撃するとすれば、それは国家意志による武力行使であり、戦争にほかならない。 ということは、「戦争させない力である抑止力を守るために武力に訴える」すなわち「戦争を防ぐために戦争する」ということであるから、論理的に矛盾している。仮にグアムが攻撃されるとすれば、それはアメリカの抑止が破たんしたということであって、そこに守るべき「抑止力」は存在しない。グアムのアンダーセン空軍基地。グアムは太平洋地域の戦略拠点の一つで、基地には戦略爆撃機も配備されている。 そこにあるのは報復力であって、すでに戦争が始まった以上、目的が抑止から戦勝に変わっている。言い換えれば、抑止力とは、戦争に勝つ力と同じことであり、そうであればこそ、相手に「勝てない」という計算を余儀なくさせて戦争を防ぐ力になり得る。 ところが、多くの日本人は、「アメリカの抑止力さえあれば戦争にならない」という勘違いをしている。アメリカの抑止力とは、抑止が破たんして戦争になることを覚悟したうえで、戦争になれば必ず勝つ力のことであって、「戦争をしない力」ではないのだ。抑止力を論じるには、戦争を覚悟することが前提となる。それが、抑止のパラドクスにほかならない。その前提への理解がないから、日本は、国家理性さえも右往左往することになる。 第三に、仮に日本がグアムに向かうミサイルを迎撃したとすれば、そして、グアムを破壊する北朝鮮の意志がゆるぎないものだとすれば、北朝鮮がとるべき道は、グアムの破壊を阻害する日本の能力をまず破壊することを優先せざるを得なくなる。言い換えれば、グアムへの攻撃を阻止することは、日本に戦争を引き寄せるという意味がある。だから、アメリカの報復力を守ることは日本の安全を守ることと両立しないのだ。 日本に問われているのは、一発二発のミサイルを覚悟してもアメリカの抑止力=報復力を守るのか、それとも、グアムにミサイルが飛んでも日本にミサイルが飛んでこないことを優先するのか、という究極の選択だ。いずれかの覚悟をしなければ、日本は、いつまでたっても自分が何をしているかさえわからない状態で右往左往を繰り返すことになるだろう。

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    沖縄伝統行事の無知でバレた基地反対活動家たちの本性

    営の中にも、この言葉の本質をはき違えている、あるいはあまり理解できていない方はおられます。ですから、政治学者の中西輝政先生がしばしば語られるように、まずは「保守と革新」というふたつの言葉の、再認識が必要でしょう。 保守というと「伝統を守る」「旧来のやり方を通す」という見られかたをされがちで、そうした面も確かにあります。しかしそこには「今までに受け継いだものを、さらに良くしていこう」という、将来に向けたビジョンとアクションも含まれています。 たとえば、今は亡き田中角栄先生は、「東京の首都高速道路を片側4車線にしよう」という構想をお持ちでした。片側4車線の高架道路となるととても大がかりなもので、さすがは日本列島改造論の田中先生らしい、大胆な発想です。それだけに、周囲からはこの構想は「絵空事だ」と扱われていたのかもしれません。でも、もしもこの構想が実現していたらどうでしょう?自民党「青嵐会」のメンバーとして、首相の田中角栄(手前)を表敬訪問した石原慎太郎(後方中央)=昭和48年7月26日、首相官邸 現在の都心の道路渋滞は起こっていなかったはずです。その時その時の状況だけではなく、将来にも目を向けて、発展できる可能性を追求していく。これが保守です。田中先生は保守系からの批判を受けることもありますが、やはり経済に関する先見の明は、とても優れたものをお持ちでした。 一方、革新系の共産党や旧社会党の過去の主張を振り返ってみると、その当時の状況だけを踏まえた主張しか出てこない。首都高速道路については一人でも反対があれば建設しないという意見まで出ていたのですから驚きです。これが、彼らにとって最善の策なのです。今あるものをとにかく分配してしまう。反対のあるものはやらない。その後のことは、それから考える。このやり方では成長が望めません。それは社会主義モデルであり、将来破たんするのは目に見えています。 いま、安倍政権が進めていることは、まさに本当の保守政治です。経済を今以上に発展させて利益を上げ、それをみなで分配しようというわけですから、国民にとってもこれは良いことであるはずです。 また、若い世代が保守傾向にある、という話もよく聞きます。これはヨーロッパの政治学者たちが定義する「保守の本道」を行く、安倍政権への若者たちの共感があるのではないでしょうか。将来ある若者にとっては、自分たちの未来をどれほど明るいものにできるかは、大いに興味があるはずです。それが保守への支持、保守化となって表れているのでしょう。 決して懐古主義ではなく、先祖返りでもない。より良い将来を見据えて、それを実現していく。それが保守であり、そうした保守の本質が若者たちの間にも知られてきたために、支持が広がっているのだろうと思います。日本軍は沖縄を見捨てたのか?Q 先の大戦で日本軍は沖縄を見捨てたのか? 2017年(平成29年)2月の半ば、私は沖縄を訪れました。浦添市長選挙の応援が主な目的だったのですが、その合間に、糸満市の平和祈念公園、さらに同じ糸満市内の「白梅の塔」にも足を伸ばしました。平和祈念公園は県営の公園として、今は広々と整備されていますが、沖縄戦として知られる激しい戦闘により、日米両軍と一般人に多数の死傷者を出しつつ、日本軍の沖縄守備部隊が終焉を迎えた場所です。沖縄全戦没者追悼式で黙祷する参列者=2017年6月、沖縄県糸満市の平和祈念公園 園内にはいくつもの慰霊碑、慰霊塔などがあり、中でも「平和の礎(いしじ)」は修学旅行で学生たちが多く訪れるためか、よく知られているようです。ここでは屏風のような形に立てられた黒い石碑に、沖縄戦などで亡くなった方々の名前が、国籍に関わらず刻まれています。その石碑の間を歩いていると沖縄戦というものがいかに悲惨なものだったかということを、あらためて強く感じます。そして、平和の礎の少し先には「摩文仁の丘」があり、ここには沖縄のために戦った各都道府県の方々の慰霊塔が建ち、沖縄戦で散った全国の方々の霊を慰めています。 白梅の塔は過去にも訪れたことがあったのですが、この日も人影はまったくなく、ひっそりと静まりかえっていました。近くには沖縄戦を戦った陸軍第24師団歩兵第22連隊の慰霊碑が建っています。 22連隊は愛媛県松山市の歩兵連隊であり、1945年(昭和20年)6月にこの地で最期を迎えています。慰霊碑の碑文には、住民とともに勇敢に戦ったことが刻まれています。こうした場所は修学旅行の訪問先にはなかなかなりません。日本各地から沖縄のために戦い戦死した方々がいることが、いわゆる平和教育において不都合なのでしょうか。 大戦末期、日本中から多くの軍人、民間人が、沖縄を守るために駆けつけました。沖縄では航空機による特攻がかなり行われたのですが、それは敵艦を攻撃するという目的に加え、民間人へのサポートにもなりました。特攻をかけている間は、敵の砲撃は陸地には向かってきません。その間、住民たちは身を潜めていた防空壕を飛び出し、水を汲みに行ったり食料を取りに行ったりができました。 しかし、戦後のいわゆる平和教育の名のもとで「沖縄は捨て石にされた」という声が上がるようになりました。私も育った土地が日教組の強い土地柄だったためか、小学校の授業で「沖縄は、日本に見捨てられたんです」という話を聞かされていました。ですが、決してそんなことはありません。当時の沖縄では、日本軍と現地の住民とが一体になり、勇敢に戦っていたのです。思いをともにして戦った場所には、多くの慰霊碑や慰霊塔が残されています。 また、1945年(昭和20年)1月という、まさに米軍上陸は避けられないと見られて いた時期に沖縄県知事に就任し、沖縄の方々とともに亡くなった島田叡のような人もいます。日本は、決して沖縄を見捨てたりはしなかった。国家の総力を傾けて沖縄戦を戦いました。それは多くの記録や書物にまとめられています。近年では仲村覚さんの著書などを開けば、なぜそこまでして戦い抜こうとしたのかが判ることでしょう。靖国神社の遊就館を見学するなどすれば、そのことは本当に強く感じられます。沖縄の民意は「反基地」なのか?Q沖縄の真実の声は、本当に反基地・反米軍なのか? 私はこのところ年に数回、沖縄を訪れています。昨年(平成28年)10月に行った時には、 米軍基地内でハロウィンパーティをやっていました。もちろん当日は基地を開放していますから、一般の方々も入場できます。基地の入口付近は入場を待つ車が列をなして、大渋滞です。 米軍としては、やはり地元の方々の基地への理解は必要だと考えているでしょうから、こうしたイベントをどんどん行って、地域住民との接触の機会を増やしていきたいところでしょう。ふだんは入れない米軍基地の中で、しかも純アメリカ流のイベントを楽しめるということで、地元の方々が大勢やってきます。その光景は「反基地こそが沖縄の総意」というスローガンとはまったくかけ離れたものでした。 私は、日本国は日本人の手で守るのが本筋だと考えています。ですが米軍基地は日本全国に存在しており、その強大な軍事力は現状において日本を守る防衛力の一部となっています。ですから、いきなり在日米軍基地をゼロにする、ということはできません。将来的にゼロにするということには賛同できますが、段階的な縮小を経ていくというのが、もっとも現実的でしょう。 米軍基地と地元住民とが穏便に共存している地域はいくつもありますし、沖縄にも同じことがいえるはずです。まして辺野古については、住民の方々はすでに移転を受け入れているわけです。もちろんそこに温度差はあるでしょう。「積極的に受け入れる」という方もあれば、「仕方なく容認する」という方もあったはずです。ですが地元住民として受け入れたからには、基地のゲート前で違法テントを張ってまで抗議活動するというのはどうにも理屈に合いません。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」で、米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる参加者たち=2017年5月 昨年の2月、私が沖縄を訪れた時は、ちょうど「ジュウルクニチ」にあたっていました。沖縄では今も旧暦に従った伝統行事が数多く残っていて、それが人々の生活の中にしっかりと根付いています。そのひとつであるジュウルクニチ(十六日)は旧暦の1月16日に あたり、「あの世のお正月」とされる祭日です。新暦では 2 月の15日頃になりますが、こ の日は会社も半休、あるいは休日になるところもあるそうで、一族がご先祖様の墓前に集い、お重に詰めた料理を広げて祖先の霊を慰めるのだそうです。 私が辺野古の抗議活動の視察にいった時が、まさにジュウルクニチの日でした。同行してくれた沖縄の方は「さすがに今日は、誰もいないんじゃないですかね」と言います。それでもせっかく来たのだから、誰かいたら『違法テントなんかやめて、もっと合法的な抗議活動をしましょう』くらいは呼びかけてみよう。そう思っていました。 ところが現場に着いてみると、抗議活動中の人がわんさといるわけです。今日は大事な祭日なのに、お墓参りにいかなくていいのかな?私は少々面食らって、その場にいる人々に尋ねてみました。 「今日はジュウルクニチですけど、皆さん、ここにいていいんですか?」 「ん?なんだ、その『じゅーるくにち』ってのは」 一瞬にして答えが判ってしまいました。 「なんだ、皆さん沖縄の方じゃないんですね」 「……お前だって、沖縄の人間じゃないだろう」 こんなやりとりをしているうち、テントの中にいた名護市議の大城氏があわてて出てきて「ちょっとまずい」とバツが悪そうに私に話しかけてきました。その後、5月に再訪した時には、すでに私の顔が知られていたのか、現地の活動家から暴行を受けるはめになってしまいましたが、その時の印象では標準語を使う人が多く、また関西弁も混じっていました。その場にいる人々の多くが県外組であるのは明らかで、さらには韓国語で書かれた垂れ幕まである、というありさまです。辺野古テントに地元民はいない それでもめげずに、違法テントを挟んで通りの反対側で演説をやっていましたら、何やら、その違法テント側の歩道をいかつい人物が歩いてくるのです。がっちりした体つきに濃い色のサングラス。小型のブルドッグを連れて、のっしのっしとやってくる。そして演説している私の正面、道を挟んだ向こう側の、路肩の縁石にドカッと腰を下ろして、私の演説を聞き始めました。 『いやぁ、マズイなぁ。怖い人が来ちゃったかな』などと一瞬思いましたが、といって逃げ出すわけにもいきません。演説を続けしばらくして終わると、なんとその人は「パチパチパチ」と拍手してスッと立ち上がり、そのまま悠々と去っていきました。犬を連れていたので明らかに近所の住民の方だと思うのですが、テントにいる活動家たちも、その人には何も言わない。活動家と地元の方々との間に、何かひと悶着があったのかもしれません。 近くの商店の方に話を聞いてみたのですが、「あのテントには辺野古の人間は一人もいませんよ」ときっぱり言います。時々トイレを借りに来るので、まぁ貸してはいるけれども、ウチで何も買ってくれないのでね…。「そのうえトイレットペーパーを持ち出していくんです…」 地元の方々にとっては、迷惑はなはだしいわけです。「基地周辺の人々が、米軍基地に対して問題を抱えているのなら、そこは政治が仲立ちをして段階的に改善をしていきましょう」 橋本龍太郎総理の頃から、基地問題は一貫してそうした姿勢で政府が取り組んできました(民主党政権時代は除きますが)。ですが辺野古では抗議活動が活動家のためのものになってしまっていて、彼らはこれまでの枠組みを破壊しようとしている。そのことに対して、沖縄の方々は決して快く思っていません。基地問題について中庸な立場をとっている人たちの間にも、そうした感覚は広がっています。米軍普天間飛行場=沖縄県宜野湾市 もちろん、基地があるからこその負担はあります。米軍機による騒音などは、もっとも大きなものでしょう。でもそれについては「今までの政府の姿勢に沿って、対応していく」という方向性を変えることなく、その中で改善に向けた努力をしていくことが必要です。あのハロウィンパーティをたくさんの地元の方々が楽しんだでしょうし、また米軍軍属の方から英語を教わって、相互理解を深めようという活動をしている方もいます。 白か黒かという話にせず、できる部分は歩み寄り、良しとしない部分は論拠のある主張を挙げて改善を求める。双方がこうした姿勢を崩さずに交渉に臨めるのであれば、いさかいは平和的に解決できるでしょう。しかし沖縄においては県外から来た活動家が混乱を引き起こしています。 私が引き出した政府答弁では、沖縄の反基地運動に過激派が参加していること、ここ2年の逮捕者の3分の1が沖縄県外の人や外国籍の人物であることが明らかになっています。沖縄の現実を自分自身の目で見るにつけ、「反基地・反米軍が沖縄の総意だ」などという言葉が、私には空しく聞こえるばかりなのです。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

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    「NHKスペシャル」が象徴するジャーナリズムの劣化

    とんでもない話です。 この記事は紙面よりも前に電子版に掲載されました。するとこれを見た日刊スポーツの政治担当の記者が「こんな記事では、和田さんの真意が伝わらない」と、私のコメントを全文に近い形でネット版に掲載してくれました。 沖縄の基地問題に関しては、沖縄タイムズが私のブログを転載引用して、取材もせずに記事にした、ということがありました。私がいたNHKでこんなことをしようものなら、担当記者は首が飛ぶでしょう。 このように、偏向しているかどうか、あるいはまともな取材記事を書いているかどうかは、記者個人の資質によっても左右されます。自浄作用が働く場合もありますから、いちがいに何ともいえません。ですがここで挙げた例のようにジャーナリストの質の低下は確実に起こっており、それがさらに加速していくことに私は危惧を感じているのです。そしてそれは、ジャーナリストとして以前に、過去に受けてきた教育の影響が色濃いと思っています。 別の項目でもお話ししましたが、私が育った地域というのは、ずいぶんと左寄りの教育が行われていました。国旗国歌をないがしろにするような、左へ向かう刷り込み教育が行われていたのです。それでいて、具体的な政治の話はタブーでした。 政治のことは、それを専門にしている政治家や学者がいるのだから、一般市民は考えなくても良い。それに素人が政治を考えたところで、何か変わるものでもない。専門家に任せておけば大丈夫なのだ…。 とにかく政治から遠ざけようとしていたのだな、ということは大人になってから判ることです。このような教育を受け続けていれば、政治というものに対して鈍感になっていきます。大学で法学部とか政治学科とかに身を置けば別でしょうが、そうでなければ政治というものをまったく知らない、まっさらな状態で社会に出ていくことになります。そんな人たちがメディアの世界に飛び込んでいくと、どうなるでしょうか。 今の日本では、民間で政治的な活動をしているのは左派の人が多く、あちこちで集会や抗議活動が行われています。そうしたところに取材に出かけ、話を聞いているうちに、知らず知らずに左派思想に染まっていく。そうしたことは現実に起きています。ただ、たとえ思想的に左寄りであったとしても、ジャーナリストである以上、記事にする際には中立の立場で、公平・公正を期さねばなりません。多くの記者たちはそうしているのですが、それができていない者もいる、というのが現状なのです。メディアへの政治圧力はあるのか 外部からの圧力・抗議に弱いということも、メディアの偏向を助長します。これはNHK時代に痛感したことです。NHKは組織として官僚的なところがあり、外部からの抗議が入ると、そうした意見も採り上げないといけない…というバイアスがかかったりするのです。中立の立場で番組を作ろうとはするのですが、左右それぞれの意見を扱うときに「抗議が来るかもしれない」という意識が働き、ついつい左寄りになってしまう、ということもあります。その理由はどうあれ、発信する記事や放送内容に偏りがあってはなりません。これはジャーナリストとして基本中の基本です。 今でも語りぐさになっているのが、NHKスペシャルのシリーズ「JAPANデビュー」の第一回放送です。これは日本の台湾統治を描いたドキュメンタリーなのですが、その内容は「日本の台湾統治は悪そのものだった」という視点から構成された、かなり偏ったものでした。放送当時、私は大阪放送局で見ていたのですが、番組が始まってから5分もしないうちに局内が「これはまずい」とざわつき始めたのを覚えています。 なぜこんな番組ができてしまったのか。制作中にセルフチェックは働かなかったのか。放送前に上司のチェックは通したのか。通したのであれば、なぜそこでスルーしてしまったのか。おそらく、左寄りか台湾について無知のスタッフが集まり、セルフチェックが緩い環境で制作が進み、放送前の上司の確認でも「問題なし」とされてしまったのでしょう。 まさにジャーナリズムの質の低下であるとしかいいようがありません。メディアには権力の監視という機能もありますから、論評などで反政権的な説を掲げることもあります。ですがそれを下支えするのは、地道な取材で得た事実の積み重ねです。そこが欠落したままで、つなぎ合わせの記事や結論ありきの事実をわい曲する記事ばかりを書いていては、日本のジャーナリズムの信頼は墜ちていくばかりです。Q メディアに対する政治圧力は本当にあるのか? たとえば、あるメディアが何らかの政治についてのニュースを流したとします。ところがそのニュースの内容がどうも事実と違う。ニセ情報を掴まされた可能性もある。そこで、私のような政治家でも自分や自身の所属する政党が対象のニュースであればメディアに対して、事実と違うと指摘したり、間違いない事実なのかどうかを確認することがあります。単なる問い合わせなのですが、時としてこれを「圧力」と表現する人たちがいます。東京・渋谷のNHK放送センター ジャーナリズムの独立性には大きな価値があり、それは基本的におびやかしてはならないものです。そして、テレビ・ラジオメディアについては放送法というルールがあり、その枠組みの中で、常に公正な報道を行う義務を負います。まともな政治家ならばそんなことは百も承知ですから、メディアに圧力をかけるなどということはありません。私がNHKに在籍していた頃も、そんな話は聞いたことがありません。 それでも、まれに「政治家から圧力を受けた」「暗黙の圧力を受け続けている」などと言い出す人たちがいます。もし本当に圧力を受けているのなら、そもそもそんな発言ができるはずがありません。また本当に圧力があったのならば、それを記事にして公開することがジャーナリズムの本質でしょう。 「○○○についての報道に関して、××× 議員からこのような圧力を受けた…」と、公開してしまえばいいのです。それもせず、ただ「圧力だ、圧力だ」と騒いでいるばかりで、事実関係もはっきりしない、具体的な内容も公開しない。これでは事実でないことを述べ立てて、騒いでいるようにしか見えません。 こうしたことがジャーナリズムに対する視聴者の信頼の低下につながることがわからないのでしょうか。ジャーナリストは毅然とした態度で、真実をしっかり伝えることに力を注いでほしいと思います。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

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    北朝鮮リスクより危険? 経済最優先「人づくり革命」に足りないもの

    財政政策については、筆者は以前から消費減税や長期間のインフラ投資を最善のメニューとして薦めているが、政治的な制約を考えれば、次善の補正予算の増加が「現実的」だろう。これらのいわゆるマクロ経済政策をさらに行うことが、いまの日本経済に重要なのだ。楽観的にいえば、あと一押しなのだ。 だが、今回のGDP速報をみて、茂木敏充経済再生担当相は、「人づくり革命」などによる生産性向上を政策対応としてあげている。だが、「人づくり革命」というのは、金融政策や財政政策のように人々の購買力を増やす政策ではない。経済を人間に例えれば、「人づくり革命」は体そのものを鍛える政策である。つまり筋肉増強みたいなものだ。だが、いまの日本経済はいわば風邪をこじらしている状況である。風邪をひいたときには金融・財政政策という「薬」が必要であり、筋肉増強のために訓練することではない。 茂木氏の発言を聴くと、本当に必要なのは「人づくり革命」よりも、政治家たちの「政策認識の革命」なのだと思う。

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    終戦の日に考えたい靖国参拝の是非

    72回目の終戦記念日を迎えた。安倍首相は靖国神社への参拝を見送り、私費で玉串料を奉納した。そもそも首相が靖国参拝したかどうかを速報ニュースで報じることに何の意味があるのか。まったくもって不思議だが、これもメディアの悪しき慣例であろう。というわけで、靖国参拝の是非を終戦の日に考えてみたい。

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    総理は「敗戦の日」にわざわざ靖国参拝すべきではない

    青山繁晴(参議院議員、作家) 8月15日は敗戦の日ですね。終戦の日では、ないのではありませんか。 これは、本稿のために考えた言葉ではない。小学生の時に胸の中で大人に問いかけていた言葉である。夏恒例のNHKをはじめテレビ定番の「もう二度と戦わない」という番組でも一斉に「終戦」と繰り返すから、口には出さなかった。何でも、相手も選ばずに、そのまま言う気の強い子供だったとは思うが、これだけは言わなかった。 いや、言わなかった胸の裡(うち)の疑問はもう一つある。「もう二度と戦わない? じゃ、日本の大人は奥さんとかお母さんとかが酷(ひど)い目に遭わされそうでも戦わないのかな。ぼくは戦うよ。母さんでもお姉さんでも家族に何かあれば、ぼくが子供で相手が大人でも戦うよ」 長じて、安全保障の専門家の端くれになったことと、この幼い素朴な疑問とは案外に直接的な繋がりがあると思う。たまさか国会議員となり、2度目の8月15日を迎える今、それに気づいた。 幼い疑問は大学で、あるいは社会で解決されるどころか余計に深くなったから、それが生涯の仕事のひとつを安全保障分野から選択することに繋がったのだろうと思う。 さらに仕事上、海外の諸国を歩き回るようになると、もっと生々しい現実に向かい合わざるを得なかった。すなわち敗戦を終戦と言い、それを契機にして友だち、恋人、家族が辱められ殺されても自らは戦わないという国となった例は世界にないという現実だ。71回目の終戦の日を迎えた靖国神社には、祈りをささげるため早朝から参拝者が訪れた=2016年8月15日、東京・九段北 そして諸国はみな、実は敗戦国である。いつの戦争で負けたかという違いだけだ。第二次大戦で圧倒的な勝者となったアメリカも30年後の1975年には小国ベトナムに無残に負けた。しかし「家族を殺されかけていても二度と戦わない」という国に成り果てたのは、この祖国だけである。 子供時代のふたつの疑問で言えば「敗戦をなぜ、終戦と呼ぶのか」ということについては、やがて「勝った、負けたという以前に、戦争という惨劇がようやく終わったという庶民、国民の気持ちも込められているのだろう」と考えるようになった。 しかしそれでもなお、歴然たる大敗を終戦と言い換えるのは、まさしく子供の教育に悪い。 こうした姿勢が、どれほど広範囲に惨たる現実を生んでいるだろうか。漁船すら憲法9条を熟知する北朝鮮の「侮蔑」 例えば、北朝鮮という小なる破綻国家に同胞を奪われたまま、ふつうに日常生活を送っていく、わたし自身を含めた日本国民とは一体、どこの誰だろうか。これが本当の日本人なのだろうか。 小なる破綻国家というのは、まったく侮蔑ではない。人口は日本の6分の1前後のおよそ2千万人にすぎず、GDPは日本の約3百分の1、年間の国家予算は実に約1万分の1、そして独裁者の一族がどれほど潤っていても国民生活は天候次第で餓死者も出すほどに破綻している。 その隣国に有本恵子さん、横田めぐみさんをはじめ何人を奪われているかすら分からず、しかし15年も前に金正日総書記が小泉純一郎総理(いずれも当時)に公然と拉致を認めていながら、依然として誰も取り返しに行かない、いや行けないと思い込んでいるのが、ありのままの日本である。 それどころか、不肖わたしが参議院の予算委員会で拉致被害者の帰還をめぐって質問すると、足音高く委員会室を出ていく野党議員、それも有名な女性議員が複数いるのが傍聴席の国民に目撃されるのが日本国である。 北朝鮮はこの日本をあからさまに侮蔑(ぶべつ)し、たった今、日本海の好漁場の大和堆(やまとたい)に粗末な漁船で現れ、稚魚をも根こそぎ奪い尽くす網で魚もイカも勝手に取り、日本の漁船どころか水産庁の違法操業取締船もまったく無視をしている。日本国民の漁家はやむを得ず、最近は北方の武蔵堆に漁場を移そうとしていると、その近くには北のミサイルを撃ち込まれる始末である。長崎県五島市・福江島の南の海域で、浸水し傾いた北朝鮮籍の貨物船チョン・ゲン=1月12日(第7管区海上保安本部提供) この小舟、マストに北朝鮮の国旗を掲げ、お尻には軍に所属することを朝鮮語で記している。つまり日本国憲法第9条の致命的な最後の一行、「国の交戦権は、これを認めない」の意味を、学校で教わらない日本国民よりも、はるかに良く理解している。 敗戦後の日本は相手が国(外国)であり、軍をはじめ国の機関であれば、まさしく何をされても戦わないことを良く知っているのだ。 だから海上自衛隊は何も対応していない。できない。海上保安庁は奮闘して800隻以上を追い払ったが、追い払うだけであり、再び同じ小舟も平然と押し寄せてくる。 日本海の水産資源は生態系ごと破壊され続け、漁家の生活は根本的に脅かされている。 わたしたちの日本は言霊の国である。 敗戦を終戦と言い換え、「二度と戦わない」と言って済ませているために、どれほどの深刻、無残な現実を生んでいるのか。「総理の靖国参拝」は複雑な問題ではない この最新の事例と同じことが繰り返し、起きている。太平洋側の東京都小笠原諸島では、漁家がおよそ40年を費やして育て上げた赤珊瑚が、これは五星紅旗を掲げた中国漁船団のやはり粗悪な網で奪い尽くされた。 小笠原村議会の議長さんらが、わたしの議員会館の部屋を訪ねてこられた。海が荒らされ通常の漁も困難になっている現実を訴え、「青山さんしか聞いてくれないと思って、今日のアポイントメントを秘書さんに申し込みました」と仰(おっしゃ)った。 かつて島根県隠岐郡のこれも好漁場、竹島とその周辺の領海を韓国に奪われるとき、不当にして一方的な発砲で日本国民の漁家が殺害されているのに、これまでは学校で教えられることすらなかった。 不肖わたしが国会に出て、自由民主党の会合などで訴え続けていると、文科省の良心派の官僚らが動き、学習指導要領に盛り込まれた。 獣医師の養成機関をめぐる騒動で、既得権益を死守してきた文科省の裸の姿が実は浮かび上がっているのだが、こんな良心派もいる。 だが、竹島は帰ってこない。北方領土も返ってこない。尖閣も脅かされている。 このことをめぐって、なぜ与野党をはじめ国論が分かれるのか。ここだけは一致できる点ではないのか。 これを考えれば、8月15日にいつも決まって話題にされる「総理や閣僚の靖国参拝」も、マスメディアや学者、評論家がこれも決まって騒擾(そうじょう)を掻(か)き立てるほど複雑な問題ではないことが分かる。 まず靖国神社は、先の大戦を含めて国のために戦った死者を祀(まつ)る場所である。そこには兵士ならざる国民、例えば沖縄の学徒看護隊の少女たちも祀られている。 おのれのためではなく人のため、国のために死した人を政府が尊び、祈らない国はこの地球上に、日本を除いては、存在しない。 ドイツでもナチを否定したうえで、戦ったドイツ国民を悪者にはしない。朝日新聞や岩波書店が「ドイツは反省したのに日本はしない」という主張の好例にしているワイツゼッカー独大統領(当時)の演説も「ナチが悪かった。ドイツ人は悪くない」という趣旨を明言している。実際はナチも最初は選挙でのドイツ国民の圧倒的な支持によって権力の座についたにもかかわらず、である。ワイツゼッカー元独大統領 ワイツゼッカー演説の真の肝は「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」という部分だ。 すなわち悪いのはヒトラーとその一味、追従者であり、ドイツ民族全体の罪ではないと説いている。 したがってワイツゼッカー大統領(当時)は第二次大戦のドイツの戦争と、ヒトラーによるユダヤ人や少数者への迫害を明確に分けて、戦争についてはどこでも起こり得るとして事実上、正当化した。 さらにはヒトラーの台頭を許したのはイギリス、フランスにも責任があるとまで述べている。「天皇陛下も参拝されない」明快な理由 アメリカの首都ワシントンDCの国立墓地では、アメリカがヒーローになった先の大戦だけではなく、ハリウッドの娯楽映画ですらけちょんけちょんに非難するベトナム戦争の死者もまったく同等に尊敬され、祀られている。 なぜ日本だけが違うのか。 それもなぜ、中国や韓国、北朝鮮、あるいはアメリカという外国から論難されねばならないのか。 これも子供がまともに考えれば不可思議な話であるから、「いや、靖国参拝は駄目だ」とする根拠を補強してある。 ひとつは「天皇陛下もA級戦犯が合祀されてから参拝をされていないではないか」という声高な主張である。 この天皇陛下をめぐって、先の通常国会では今上陛下のご譲位を実現する法を成立させるとき、野田佳彦前総理をはじめ野党の要求に自由民主党が間違って膝を屈し、付帯決議の中に「女性宮家の創設」の検討が盛り込まれてしまった。女性がご当主の宮家ができれば、そのご当主が一例では中国人と結婚なさると、場合によっては中国人による新しい王朝が始まることにも扉が開く。 これに反対するために、わたしは山田宏参議院議員、鬼木誠、長尾敬両衆議院議員らと「勉強会」を連続して開いた。 その講師に招いた一人が、靖国神社の神官、松本聖吾総務課長である。 わたしは俗説を駆逐するために、いくつかを確認した。遊就館の展示課長も務めた歴史家でもある松本さんの解説は明快だった。「陛下が直々に参拝されるのは基本的に多くの戦死者が出たときであり、日本は長期にわたって戦争をしていないから参拝がないのはむしろ当然です。一方で陛下の勅使が、靖国神社の主たるお祭りである春と秋の例大祭に欠かさずお出ましになっているので、陛下と靖国との関わりはまったく変わっていない」 つまりは、A級戦犯云々(うんぬん)というのは、無知を利用した言いがかりに過ぎない。 この解説は、安倍総理の参拝をどうするかにも繋がる。靖国神社の春季例大祭に合わせて安倍首相が奉納した「真榊」=4月21日午後、東京・九段北 8月15日は靖国神社にとって、本当の主たる刻ではない。日本の内閣総理大臣は誰であれ、8月15日の、作られた異常な騒擾にかかわらずに例大祭にこそ淡々と、粛々と参拝し、諸国と同じように、人のため、公のために死した人を国家の永遠の責任として弔い、日本を世界標準、国際法にきちんと沿う国にする大切な一歩とすべきである。

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    実は「天皇の靖国参拝」に道を開くカギがあった

    島田裕巳(宗教学者) 毎年、8月15日の終戦記念日には靖国神社の問題が取り上げられるのが恒例になってきた。果たして今年はどうなのだろうか。例年ほど話題にはなりそうにない気配だ。 そこには、一つには政界の事情がからんでいる。安倍晋三首相が参拝しないのは事前に予想されることで、政権基盤が揺らいでいる現状において、首相の靖国神社参拝を求める声もさほど大きなものにはなっていない。 しかし、靖国神社の影が薄くなってきているのは、それだけが原因ではない。何より、終戦から72年がたち、実際に戦場に赴いたことのある世代はほとんどが90歳以上になってしまった。 靖国神社と密接に関連する日本遺族会は、かつては110万世帯の会員を抱えていた。現在の会員数は不明だが、軍人恩給の受給者は2万3000人で、遺族でも31万人をわずかに超える程度である。高齢化した軍隊経験者やその遺族が靖国神社を訪れることも、今やまれになっている。 しかも、靖国神社では2年前の「みたままつり」から、露店の出店を中止した。それは、正月や花見のときにまで及び、大量の若者がみたままつりに繰り出すことも、サラリーマンが正月明けに靖国神社に立ち寄ることもなくなった。 酒による騒ぎを防止するためだとされる。それは、戦没者の慰霊の場である靖国神社を静謐(せいひつ)な空間に保とうとする試みかもしれないが、これによって一般の参拝者と靖国神社との距離が大きくなったことは間違いない。 2000年代に小泉純一郎首相が、周辺諸国からの批判があったにもかかわらず参拝を続けた頃には、8月15日の参拝者はピークで25万人を超えた。しかし、その後は、10万人台後半に落ち着いた。年間の参拝者は500万人程度とも言われる。参拝を終え、記者の質問に答える小泉純一郎元首相=2006年8月15日東京都(小野淳一撮影) 2年後の2019年、靖国神社は創建150年を迎える。そのための準備も進められているが、その一方で、現在の宮司が最後の徳川将軍、徳川慶喜の曾孫にあたることもあり、西郷隆盛や江藤新平、白虎隊や新撰組といった、いわゆる「賊軍」を合祀(ごうし)しようとする動きも生まれている。 今の一般国民の感覚からすれば、賊軍の戦没者を合祀しても一向に構わないと思えるだろうが、「官軍」の戦没者を祭る「東京招魂社」として始まった靖国神社の歴史を考えると、それは神社の根本理念を変更することを意味する。 その一方で、首相の靖国神社参拝は、現実的にほぼ不可能な状況にある。安倍首相が就任1年目に参拝したとき、周辺諸国から反発を受けたことは想定内としても、米国側が「失望した」とコメントしたことは大きかった。それ以降、靖国神社参拝に熱意を持ってきた安倍首相が参拝を見送ってきたことからすれば、安倍首相以降の首相が参拝するとは考えられない。 まして、現在の天皇や、来年末にも即位が予定される次の天皇が靖国神社に参拝することは考えられない。それを要望する声も上がりそうもない。カギは「共産党アレルギー」? 国に殉じて亡くなった戦没者を慰霊するために、天皇が靖国神社に参拝することは、靖国神社のあり方からすれば当然である。本来なら首相の参拝以上に天皇の参拝が問題にされるべきである。 昭和天皇が途中から靖国神社参拝を取りやめたのは、A級戦犯の合祀に不快感をもったからだとされるが、もう一つ大きいのは、政教分離に違反する可能性が出てきた点である。 昭和天皇の最後の参拝は1975年のことで、その2年後には、政教分離をめぐる裁判の嚆矢(こうし)となった「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決が出ている。最高裁は、地鎮祭に公金を支出したことを憲法違反とはしなかったが、高裁では違憲判決が出た。これ以降、地方自治体だけではなく、政府も政教分離の原則に違反しない行動を求められるようになる。1959年6月24日、ご成婚の2カ月半後に靖国神社に参拝された皇太子ご夫妻 にもかかわらず、1985年に中曽根康弘首相が終戦記念日に「公式参拝」を行ったことで、周辺諸国からの反発を初めて受けることとなった。政教分離がやかましく言われるようになるなかで、首相は公人として参拝するのか、私人として参拝するのかが問われ、それが世間の注目を集めるようになっていた。 そうした状況のなかで、あえて公式参拝に踏み切ったため、世論の大きな注目を集め、結果的に、中国からは「東條英機ら戦犯が合祀されている靖国神社への首相の公式参拝は、中日両国人民を含むアジア人民の感情を傷つけよう」と批判されたのである。 津地鎮祭訴訟がなかったら、首相の靖国神社参拝が公人としてのものなのか、私人としてのものなのかは問われず、中曽根首相があえて公式参拝と打ち出す必要もなかったはずだ。 その点で、津地鎮祭訴訟の果たした役割は大きい。これを提訴したのは日本共産党の市議だった。当時は、靖国神社の国家護持の運動が進められていて、それに反対する人たちが、途中からこの訴訟にかかわってきた。 日本共産党の戦略が成功したといえるわけで、それは、周辺諸国に日本批判の格好の武器を与えるととともに、首相の、そして天皇の靖国神社参拝を阻む壁となってきた。そうであれば、天皇や首相の靖国神社参拝に道を開くのは、日本共産党の姿勢が変わるかどうかにある。 最近、日本共産党は天皇の臨席に反対し、国会の開会式に出席しなかったのを改めた。共産党アレルギーの払拭(ふっしょく)をねらってのこととされるが、さらに姿勢を変えていけば、政教分離をこれまでほどは厳格に求めなくなるかもしれない。 天皇の靖国神社参拝に道を開くのは、案外、日本共産党の動向なのかもしれないのである。

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    なぜ創価学会は首相の靖国参拝を許さないのか

    総理大臣が靖国神社に参拝できないのか。 創価学会が許してくれないからである。 現実において「靖国」は政治問題と化している。内政においてのみならず、国際問題でもある。現実における力関係を見ずして、事の本質は見えないであろう。 安倍晋三首相は、政権に返り咲いて以降、長年の政治問題と化していた靖国問題の収拾を図っていた。すなわち、三木武夫内閣で「八月十五日」に参拝することが政治行事となってしまったが、それまでの歴代首相は春秋の例大祭に参拝していた。八月十五日は大東亜戦争の戦没者を祀る日だが、例大祭ではすべての戦いにおける戦没者を慰霊する。第二次安倍内閣の当初の勢いならば可能だっただろう。多くの参拝者が訪れる靖国神社 2012年12月、政権に就いた安倍首相は日銀人事への介入を宣言。翌2013年3月には、自らの意を汲む黒田東彦総裁と岩田規久雄副総裁を送り込む。4月には「黒田バズーカ」と言われる金融緩和を行い、株価は爆上げとなった。当然、比例するように支持率も上がる。 選挙は連戦連勝、都議会議員選挙でも参議院選挙でも、安倍首相率いる自民党は圧勝した。 簡単な理屈だ。「金融緩和する→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→政権基盤が強化される」 アベノミクスこそ、安倍内閣の命綱だったのだ。 ところが、参議院選挙勝利の2日後、麻生太郎財務大臣は「これで増税への障害はなくなった」などと、消費増税への鏑矢(かぶらや)を放つ。せっかく景気が回復軌道に乗ってきたのに、消費増税などをすれば景気に水を差すなど子供でも分かる理屈だ。麻生の背後にいるのは、財務省なのは明らかだった。事務次官の木下康司は、7月20日付『新潟日報』のインタビューで、安倍首相に増税を迫ると宣言していたほどだ。 そして、霞が関の官僚機構は言うに及ばず、自民党の9割、公明党のすべて、民主党の幹部全員、経団連や経済同友会など財界主流、連合以下労働界、テレビと新聞のすべてが「消費増税」の大合唱だった。 そして安倍首相は、財務省が敷いたレールに乗せられるがまま、10月1日の午後6時に、8%への消費増税を宣言した。 その後の動きは周知のとおりである。2014年4月に消費増税が実施されると、景気は激しく低迷し、10%への増税は先送りされた。黒田日銀は何とかアベノミクスを支えているが、金融緩和でアクセルを踏みつつ、消費税がブレーキとなっている状態だ。だから緩やかな景気回復は続けているが、「蛇行運転」の状況である。以後、安倍内閣が政権奪還直後の勢いを取り戻すことはなく、現在に至っている。 さて、長々と8%消費増税決定の過程を振り返ったのには意味がある。アベノミクスが安倍内閣の生命線であるのみならず、靖国問題においても、決定的な意味があったからだ。創価学会の「孫請け」になった自民党 木下財務次官が増税への包囲網を敷き、安倍首相が追い詰められていた2013年9月20日。BS朝日の番組において、山口那津男公明党代表が「機運くみ取って」との表現で、くぎを刺した。「安倍首相よ、例大祭に行くな」との意味だ。要するに、生命線であるアベノミクスを自ら断ち切ろうとしている安倍首相を舐めてかかり、ここぞとばかりにくさびを打ち込んできたのだ。靖国問題を解決させないために。 現に、2013年の年末に何とか靖国参拝は果たしたが、安倍首相は例大祭はおろか、靖国参拝そのものを実行できていない。靖国問題を解決するとの安倍内閣の目論見は潰(つい)えている。 以上、この冷厳な現実がおわかりいただけただろうか。 なぜ、総理大臣が靖国神社に参拝できないのか。 創価学会が許してくれないからである。  さらに過酷な現実を直視しよう。現在、安倍内閣は支持率の急降下に喘(あえ)いでいる。これとて、創価学会とその下請け政党である公明党との関係だ。 今年2017年7月の都議会議員選挙において、自民党は記録的な大敗を喫した。4年前の59議席から23議席にまで落ち込んだ。公明党との連立を解消し、その支持母体である創価学会の支持を得られなかったからだ。悲惨なのは1人区である。7つの1人区で、自民党が勝てたのは島嶼部だけである。桧原村ですら敗北した。桧原村と言えば、衆議院の選挙区で言えば東京25区。いかなる逆風選挙でも開票直後に自民党の当確が出る選挙区である。そこですら、創価学会の支持がなければ勝てない。東京都議選で公明党候補の手を取って応援演説をする小池百合子都知事=2017年6月、東京・狛江市(酒巻俊介撮影) 国政では自公連立が続いているが、もはや自民党など創価学会の孫請け政党にすぎない。そんな政党を基盤とする安倍内閣が、創価学会と公明党が忌避する靖国参拝など、できるはずがないではないか。 先に、「金融緩和する→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→政権基盤が強化される」と初期安倍政権が強かった理由を書いたが、それとて「創価学会が支持してくれる限り」との注釈がつく。  では、首相を靖国参拝させたくない勢力の思惑は何なのか。話は、鈴木善幸内閣にまでさかのぼる。 1982年、「文部省が歴史教科書の検定において侵略を進出と書き直させた」との誤報に基づいて、中国と韓国が抗議してきた。これを受けた宮沢喜一官房長官は「近隣諸国条項」の設置を決める。つまり、我が国の歴史教科書は、中韓両国の意に添うように書くことを決めたのだ。これが歴史問題への近隣諸国の介入の道を開くこととなる。 当時、中国は鄧小平、韓国は全斗煥が指導者だった。両国では珍しく、比較的親日的な指導者の時期だった。両国の反主流派にとっては格好の材料だった。「日本の横暴を許すのか」と迫られると、鄧小平や全斗煥も一応の抗議をしない訳にはいかない。それでも日本政府が「内政干渉だ」と突っぱねれば問題は生じなかっただろう。ところが、鈴木内閣宮沢官房長官は、「近隣諸国条項」などと自ら定めてしまう。これでは中韓両国の歴代指導者は、歴史問題が日本で起きるたびに、外交的介入をしない訳にはいかない。前任者より後退できないのは、自明の理だ。靖国問題に理屈などない 続く中曽根康弘内閣が、教科書問題を靖国に飛び火させる。中曽根は、8月15日に靖国神社に閣僚全員で公式参拝し、中韓両国の抗議を惹起(じゃっき)する。その上で、突如として参拝を取りやめた。一説には、中国と「総理大臣は8月15日に靖国神社に参拝しない」との密約が結ばれたとも言うが、よくわからない。とにかく、以後の歴代内閣は靖国参拝を控えるようになる。橋本龍太郎の1回だけの例外を除けば、圧力をはねのけて参拝を敢行する総理大臣は小泉純一郎を待たねばならない。 小泉は「必ず8月15日に参拝する」と公約し、毎年の参拝を続けながらも、実行できたのは、総理退任の年だけだった。どれほどの圧力があったのか。そして小泉以後は、今の安倍首相の1回だけである。靖国神社に参拝した安倍晋三首相(中央)=2013年12月(寺河内美奈撮影) これを中韓両国の立場で考えよう。確かに歴代指導者が日本の首相の靖国参拝を阻止してきた以上、自分の代でやられたくはない。しかし、メンツの問題はともかく、日本の首相が自分の国の神社に参拝して、中韓両国に何の実害があるのか。とすると、政治問題化させて、外交カードとしてゆさぶる道具にできる。しかも、日本の首相が靖国参拝を求める保守勢力に押されていた場合、その政権を揺さぶることすらできる。 私が中韓両国の首脳なら、こう考える。首相の支持者が「靖国に行け」と求めるたびに、連立与党の公明党に「行ってもらっては困る」と止めさせる。たったそれだけで、政権は膨大なエネルギーを割かねばならないのだから、安いものだ。誰がこんな外交カードを手放そうか。 創価学会・公明党と中韓両国の親密さは誰もが知っている。公明党は中韓両国の意向を重視した行動をとるだろう。また、彼らは宗教的理由から靖国神社を快く思っていない。だから小泉内閣のように強い内閣にはおとなしくしているが、安倍内閣のように弱い内閣には平気で拒否権を行使する。中韓両国や財務省などを後ろ盾にして。 ゆえに靖国問題に理屈など存在しない。徹頭徹尾、政局の問題だ。内外の情勢が絡んだ、すべては力関係で決まる。  では、突破口はどこか。 かつて、浜田幸一代議士が迫ったことがある。 「公明党の諸君! 君たちは天皇陛下の次に池田大作先生を尊敬すると誓えるか? 仮にそれを明言できるなら、我々自民党は君たちと連立を組むことができるだろう」 乱暴なハマコー節にしか聞こえないかもしれないが、信教の自由と政教分離の関係を見事に凝縮している。また、近代政党の姿をも示している。ハマコーは、平成元年に参議院で自民党が過半数割れした時に「国会で協力してくれる公明党に閣僚ポストを与えよ」と主張していた。同時に、自民党が国家本位の政党としての理念を示し、筋を曲げない形での連立であるべきだとも主張していた。 現実は、かけ離れている。  さて、安倍内閣が力を取り戻すのは、いつの日か。

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    有望地マップは「ヤンキーのノリ」これで核のごみは再び出口を失った

    夕の解はない。万能感に酔いしれた官僚がヤンキーのノリで解決できるものでは到底ない。技術的問題以上に、政治社会的な問題であることを共通の理解として、丁寧にコンセンサスを積み上げることが必要なのだ。 第2に、対話のテーブルに着く前提条件が整えることだ。真っ先に必要なことは、原発再稼働の圧力を止め「原発モラトリアム」(合意までは全原発の停止)をすることだ。こう書くと原発容認派から「原発を止めるために言っているだけだろう」との批判が飛んでくるだろうが、決して「為にする議論」ではない。 真に核のごみ問題の「出口」に糸口を付けるなら、絶対に必要な条件だと返したい。それがなければ、DVと同じ構図だと、理由は述べたとおりだ。「原発モラトリアム」による電力会社の損失は国が補塡(ほてん)すればよい。交付国債で負担するなど、いくらでも方法はある。 第3に、日本学術会議の提言に戻ることだ 。核のごみ(=使用済み核燃料)の総量規制と暫定保管を基本的な枠組みとして、社会全体の広範な合意を紡ぎ上げることが必要だろう。なお、日本学術会議はさまざまな議論の末に「総量管理」としているが、これでは抜け穴が透けて見えている。ここは厳密に「総量規制」でなければならない。 また、暫定保管とは鋼鉄製の乾式キャスクによる数十年から数百年もの「暫定」保管を意味する。福島第一原発事故時に4号機のプールが危機的であったように、現状の水プール保管方式はコストがかさむ上に、停電時など異常時のリスクが大きい。それに対して乾式キャスクは自然空冷であり、圧倒的にリスクが小さく、長期から超長期の保管に適している。 それを活用した長期〜超長期の「暫定」保管の間に、最終的な「処分」に関して、社会的な合意形成への熟議を図るという意味がある。なお、当然ながら「どこに暫定保管するのだ」という疑問もあるだろう。原則は核のごみを動かすこともリスクだから、原発サイト内が基本となる。ただし、これを巡ってもさまざまな選択肢を議論し合意することも重要だ。再稼働した関西電力高浜原発3号機(左)と4号機=福井県高浜町(本社ヘリから) 第4に、コンセンサスの条件を整えることが必要だ。「原発モラトリアム」はすでに述べたが、加えて、場や進行役が信頼される主体から成ることが不可欠だ。かつて成田空港問題円卓会議で隅谷三喜男氏を委員長に宇沢弘文氏も参加されるなど、そうした誰から見ても納得できる体制を選ぶか、さもなくば、座長も事務局も原発容認・批判の同数で構成して、議論し協力しながら運営することで、中立性を維持することも考えられる。もちろん、そうした場は、オープンで透明な運営を必須とし、幅広い主体の参加を通して丁寧な合意の積み上げを目指すことだ。 要は、核のごみは本当にやっかいな問題だ。すでに純国産でクリーンで無限かつ無尽蔵な風力発電や太陽光発電など再生可能エネルギーが、急速にエネルギーの主力になりつつある中で、こんなやっかいな核のごみを生み出す原発に、これ以上、固執する必要はない。 ただし、すでに生み出した核のごみや合意次第ではもう少し生み出してしまう核のごみについては、私たちの世代で責任を取る必要がある。もちろん、時間的に責任は取り切れないが、出口が見える可能性のある最善の方向性を整えておくことがせめてもの責任の取り方なのではないか。 「暫定」とはいえ場合によっては数百年もの長い間の「保管」、さらには10万年もの長い間の管理を必要とする「処分」と、私たち日本人は、何らかのかたちで核のごみを抱え続けなければならない。これは、福島の地が背負った傷跡ともに、原発に手を染めた日本人が背負い続けていかねばならない「業火」なのである。

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    「スクープよりも訂正出すな」私が読売記者を辞めた本当の理由

    、真実の追求を妨げる報道に加担し、しかも臆面もないその態度は、読者不在の事大主義が凝縮されたものだ。政治の迷走から生まれた安倍首相の独り勝ち現象と、寡占体制下の部数至上主義を堅持する読売新聞の事大主義は、自由や多様性を排除し、不公正な寡占状態を維持する点でつながっている。 ゆがめられた新聞市場が機能不全を起こせば、報道の自由も国民の知る権利も絵に描いた餅でしかない。自由がないがしろにされ、真実が隠蔽された時代の反省から、戦後の日本メディアはスタートした。時計の針を逆戻りさせるような事態に対し、危機感を抱かずにはおられない。 最後に、こうした現状を招いた責任を1人の政治家や新聞社1社に押し付けても、何も変わらないことを注意喚起したい。歴史的経緯を振り返れば、日本の社会全体が反省を迫られていることは明らかだ。 「新聞に書いてある」の殺し文句は、読者の側にも、独立した精神を欠いた事なかれ主義や事大主義が潜在していることを暗示する。いくら読売バッシングをしても、ストレス発散で終わるしかない。読売問題の中に社会の投影を写し見る理性的な思考こそが求められている。 7月12日、61歳で亡くなった中国のノーベル平和賞受賞者、劉暁波氏はこう言い残している。「歴史に対して責任を負うことにおいて最も重要なのは、ただ他人を責めるだけではなく、自己反省をすることである」 この言葉を肝に銘じることが、彼に対する真の弔いとなる。

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    読売新聞が安倍政権の「御用メディア」になってどこが悪い!

    か 官邸主導で進める-------独裁では、一強の弊害だ 首相の決断先送り-------決められない政治 首相の決断----------なぜ急ぐ、もっと慎重に 支持率上昇----------人気取りの政策が多い  支持率下落----------国民の声に耳を傾けよ  これでは、記事は定型化し、ロボットでも記事が書けてしまう。ところが最近は違ってきた。産経、読売ははっきりと右となり、朝日、毎日は以前に増して左となった。日経は政権批判をせず、東京は徹底して政権批判をしている。マスゴミ度ランキングを作ってほしい こうなると、例えば次のようなランキングをつくって、各紙の立ち位置をマトリックスにできるのだから、読者にとってはありがたい。 御用メディア度ランキング、マスゴミ度ランキング、スクープ度ランキング、偏向度ランキング(右、左)、誤報ランキング(誤報率)、フェイク度ランキング、発表もの記事率、スクープ(特ダネ)比率、月間訂正記事数ランキング-etc. 私としては誰かが、上記のような項目をつくり、それを指数化してくれることを願っている。そうすれば、メディアを「食べログ」のように指数化、評価し、好きなメディアを思い切り楽しめるだろう。  ドナルド・トランプ米大統領は、いまもなお世界のメディアをうそつき呼ばわりしている。彼にとっては、自分のツイッター以外はみなフェイクニュースである。米CNNテレビのロゴが重ねられた人物をドナルド・トランプ米大統領が殴りつける映像=7月2日(本人のツイッターから) 「国民はもう誰もメディアを信用していない」とツイートし、米CNNやワシントン・ポストを「フェイクニュース」と宿敵扱いし、英BBCは「ふざけたメディア」と罵倒している。ならば、日本の読売や朝日もぜひ仲間に入れてほしいが、残念ながら、彼は日本などに興味はない。 もはや、なにが真実で、なにが嘘かメディアではわからなくなってしまったこの時代、最後に新聞などの既存マスメディアにお願いしたいことがある。右や左と論調が傾くのはけっこうだが、一つだけ守ってほしいことがある。 それは、やはり事実を徹底究明してほしいということだ。ネットメディアやブログ、SNSでは、プロとしての教育も受けず経験もない書き手が、書きたい放題書きまくり、政治勢力のつくったボットが大量にフェイクニュースを拡散しているのだから、なおさらプロの腕を見せて事実報道に徹してほしい。 既存メディアの記者たちは世界中同じで、腕に「プレス」という腕章を巻いて現場に出かけている。もちろん、腕章なしの潜伏取材も多い。この「プレス」は「フリーダム・オブ・プレス」のプレスだ。このプレスに誇りを持ってほしい。 「フリーダム・オブ・プレス」を支えるのは、公正や正義である。これを持って事実を明らかにしてほしい。「右か左か」「保守化かリベラルか」「政権寄りか反政権か」などどうでもいい。人は「見たいと欲することしか見ない」というが、本当に見たい、知りたいのは「事実」だけである。

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    日本の新聞記者はいつから「倒閣ビラの活動家」になったのか

    門田隆将(ノンフィクション作家) 異常な“政治狂乱報道”が、やっとひと区切りついた。最後は、陸上自衛隊トップの辞任、蓮舫民進党代表の辞任、そして、稲田朋美防衛大臣の辞任という形で、2017年前半の混乱政治が終わった。 それは、本来は、国民に「真実」を伝えるべき新聞が、まるで「倒閣運動体」の機関紙に過ぎないレベルに堕(お)ちたことを示す日々でもあった。今年2月に、南スーダンPKO日報問題と森友問題が勃発し、以後、加計学園問題がつづき、連日、新聞もテレビも、劣化したお粗末なレベルを見せつづけた。 しかし、これらの「ファクト(事実)」とは一体、何だったのだろうか。事実にこだわるべきメディアが、「主義・主張(イデオロギー)」、それも、「安倍内閣打倒」という目的に向かって、報じるべきファクトを報じず、国民を一定の方向に導くべく狂奔した毎日だった。 嬉々として、これをつづける記者たちの姿を見て、「ああ、日本の新聞記者はここまで堕ちたのか」と失望し、同時に納得した。 私は今週、やっと新刊の『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(小学館)を上梓した。締切に追われ、ここしばらくブログを更新することもできなかった。しかし、産経新聞に〈新聞に喝!〉を連載している関係上、毎日、新聞全紙に目を通してきた。 私は今、来年に刊行する政治がらみのノンフィクション作品のために、かつての大物政治家たちの「回想録」や「証言集」を読み始めている。そこには、多くの新聞記者が登場してくる。大物政治家たちは、彼ら新聞記者の「見識」を重んじ、新聞記者に意見を求め、自分が判断する時や、大きな決断が必要な際に、大いに参考にしている。そのことが、大物政治家たちの証言集の中に随所に出て来るのである。 しかし、今の新聞記者にそんなことは望むべくもない。記者がどこまでも追及しなければならないファクトを置き去りにし、「政権に打撃を与えることだけ」が目的の報道を延々とつづけているからである。 会ったこともないのに、天皇や安倍首相が幼稚園を訪問したというデタラメをホームページに掲載し、ありもしない「関係」を吹聴して商売に利用してきた経営者による「森友問題」は、国会の証人喚問にまで発展した末、安倍首相の便宜供与という具体的な事実は、ついに出てこなかった。 問題となった森友学園の土地は、伊丹空港への航空機の侵入路の真下に位置している。かつて「大阪空港騒音訴訟」の現場となったいわくつきの土地である。「騒音」と建物の「高さ制限」という悪条件によって、国はあの土地を「誰か」に買って欲しくて仕方がなかった経緯がある。 そのために、破格の条件でこれらの土地を売却していった。現在の豊中給食センターになっている土地には、補助金をはじめ、さまざまな援助がおこなわれ、“実質的”には100%の値引きとなっている。都合の悪い「ファクト」は報じない また、森友学園と道ひとつ隔てた現在の野田中央公園となっている土地にも、いろいろな援助がおこなわれ、“実質”98・5%の値引きが実現している。それだけ、国はこのいわくつきの土地を「手放したかった」のである。学校法人「森友学園」が小学校用地として取得した大阪府豊中市の国有地=7月27日 森友学園には、地中に埋まっているごみ処理費用としての値引きをおこなって、実質86%まで値下げをおこなった。しかし、前者の二つの土地に比べれば、実質的な値引きは、まだまだ「足らなかった」と言える。これは、新聞をはじめ、マスコミならすべて知っている事実だ。 だが、新聞は、この土地の特殊な事情や、ほかの二つの土地のことに「全く触れず」に、ひたすら安倍首相が「関係の深い森友学園の経営者・籠池氏のために破格の値引きをおこなった」という大キャンペーンをくり広げた。 そして、証拠が出てこないことがわかるや、今度は「忖度」という言葉までひねり出して「疑惑」を継続報道した。国民に不信感を抱(いだ)かせる抽象的なことは書くが、それに都合の悪い「ファクト」は、いっさい報じなかったのである。 加計問題も、図式は同じだ。12年前の小泉政権時代の構造改革特区時代から今治市の民主党(当時)県議の働きかけによって、加計学園は獣医学部新設に動き始めた。だが、新聞はそのことには、いっさい触れず、加計学園は、安倍首相の友人が理事長を務めており、「加計学園に便宜をはかるため」に、「国家戦略特区がつくられ」、獣医学部の「新設が認められた」とされる疑惑をつくり上げた。 森友問題と同じく、ここにも、「憶測」と一定の政治的な「意図」が先行した。そこに登場したのが、天下り問題で辞任した文科省の前川喜平前事務次官である。前川氏は、「行政が歪められた」という告発をおこなったが、抽象論ばかりで具体的な指摘はなく、文科省内の「総理のご意向」や「官邸の最高レベルが言っている」という文言が記された内部文書がその“根拠”とされた。 しかし、現実には、公開されている国家戦略特区の諮問会議議事録でも、文科官僚は獣医学部の新設が「必要ない」という理由を何も述べられなかったことが明らかになっている。そして、いわば「議論に敗れた」ことに対して、文科省内部での上司への弁明の文書ともいうべきものが、あたかも「事実」であるかのように報道され、テレビのワイドショーがこれに丸乗りした。 これらの報道の特徴は、ファクトがないまま「疑惑は深まった」「首相の関与濃厚に」という抽象的な言葉を並べ、国民の不信感を煽ることを目的としていたことである。 ここでも都合の悪い情報は報道から除外された。前述の加計学園が12年も前から手を挙げていて、それが今治選出の県議と加計学園の事務局長が友達だったことからスタートしていたことも、国会閉会中審査に登場した“当事者”の加戸守行・愛媛県前知事によって詳細に証言された。 愛媛県が、鳥インフルエンザやBSE、口蹄疫問題等、公務員獣医師の不足から四国への獣医学部の新設を要請し続けたが、岩盤規制に跳ね返され、やっと国家戦略特区によって「歪められた行政が正された」と語る加戸前知事の証言は具体的で、文科省の後輩でもある前川氏を窘(たしな)める説得力のあるものだった。 しかし、多くの新聞は、ここでもこの重要な加戸証言を黙殺した。自分たちがつくり上げた疑惑が、虚構であることが明らかになってしまうからである。新聞は、前川氏の証言だけを取り上げ、逆に「疑惑は深まった」と主張した。 ついに稲田防衛相の辞任につながった南スーダンの日報に関する報道も、「隠ぺいに加担した稲田防衛大臣」という一方的なイメージをつくり上げた。自衛隊の南スーダンの派遣施設隊の日報は、今年「2月6日」には存在が明らかになり、新聞各紙も防衛省の公表によって、「2月7日付夕刊」から大報道していた。「活動家」になり果てた記者 黒塗りの機密部分もあったものの、日報は公開され、国民はそのことをすでに知っていた。それから1週間後の「2月15日」に防衛省で開かれた会議で、日報を隠蔽することなどは当然できない。しかし、新聞をはじめ、ほとんどのマスコミは、すでに日報が公表されていた事実にいっさい触れず、あたかも「すべてが隠蔽された」という印象報道をおこなったのである。南スーダンPKO派遣部隊の日報=2月 事実を報じ、その上で、批判をおこなうのがジャーナリズムの使命であり、責任であることは言うまでもない。しかし、哀しいことに日本の新聞記者は、いつの間にか「政治運動体の活動家」になり果ててしまったのだ。 外交評論家の岡本行夫氏が、朝日新聞の慰安婦報道をめぐる朝日社内の「第三者委員会」の委員となり、2014年暮れに発表された報告書に記したこんな文章がある。〈当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない(一部略)〉 明確に岡本氏は、「新聞社は運動体ではない」と述べていたが、残念ながら、新聞の実態はますます悪化し、いまや「政治運動体」そのものと化し、もはや、“倒閣運動のビラ”というレベルにまで堕ちているのである。 メディアリテラシーという言葉がある。リテラシーというのは「読み書き」の能力のことで、すなわち「読む力」と「書く力」を表わす。情報を決して鵜呑みにはせず、その背後にどんな意図があり、どう流されているものであるのかまで、「自分自身で判断する能力」のことをメディアリテラシーというのである。 新聞を筆頭とする日本のマスコミがここまで堕落した以上、日本人に問われているのは、このメディアリテラシーの力であることは疑いない。幸いに、ネットの発達によって玉石混淆とはいえ、さまざまな「ファクト」と「論評」に人々は直接、触れることができる。 どうしても新聞を読みたい向きには、政治運動体の機関紙と割り切って購読するか、あるいは、真実の情報はネットで仕入れた上で、その新聞の“煽り方”を見極め、これを楽しむ意味で読むことをお勧めしたい。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2017年7月30日分を転載)

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    安倍総理、国民の生命より「消費増税ありき」でいいんですか?

    の増税実施を確言したことは、消費者のデフレマインドをさらに定着させてしまっただろう。 確かに、現在の政治状況から、この時期に消費増税の「凍結」やあるいは減税などのオプションに言及することは難しい、という指摘もある。ただ、安倍政権が今後、経済政策で積極姿勢を鮮明にしない限り、内閣支持率の上昇を含めて政権の再浮揚は困難だろう。 また、経済政策は単に政権の安定だけが目的ではもちろんない。私たち国民の経済状況、さらには直接に「生命」に関わる問題でもある。7月後半に出された最新の統計によれば、今年前半の自殺者数は前年比で約5・1%減少の1万910人であった。自殺者数は民主党政権時代の後半から減少しているが、その勢いが加速したのは第2次安倍政権になってからである。その要因は、自殺対策への政府・地方政府の予算増加、さらには積極的な財政・金融政策による景気の改善効果によるものが大きい。市場に任せても自殺は防げない 1997年は日本の金融危機と消費増税により経済が大失速した年だ。自殺者数はこの年以降急増、2011年まで14年連続して3万人台であり、ピークの年では3万5千人近くに達した。さらに、自殺未遂した人や自殺しようかと悩んだ人たちまで含めると膨大な数に及ぶに違いない。つまり消費増税による経済失速、その後の経済政策の失敗が、国民の生命を直接に奪ったことになる。4月26日、自殺総合対策大綱の見直しについて議論した厚労省の有識者検討会 実は、経済政策の失敗が人々の「生命」を直接に奪うとした分析を、英オックスフォード大教授のデヴィッド・スタックラーと米スタンフォード大助教授のサンジェイ・バスが『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)で提示している。原題を直訳すると「生身の経済学 なぜ緊縮は殺すのか」というものだ。 スタックラーとバスはともに英国の公衆衛生学の専門家だ。彼らの問題意識は、医療や社会福祉(公衆衛生を含む)に経済政策がどのような影響を及ぼすかどうかにあった。その検証は鋭く、また多くの経済学者が「市場に基本的に任せておけば安心だ」という安易な市場原理主義的信奉に陥りがちなのに比べて、経済学者以上に経済政策の重要性を認識している。 スタックラーとバスの指摘で注目すべきなのは、不況そのものよりも、不況のときに緊縮政策を採用し、経済政策が失敗することで国民を殺してしまうということだ。日本の事例でいうならば、1997年以降の自殺者数の急増は、アジア経済危機や金融危機そのものではなく、消費増税(増税という形ので緊縮政策)であったということになる。また当時の日本銀行による金融政策の失敗が持続したことも大きい。 例えば、不況になれば失業者が発生する。このとき政府や中央銀行が適切に対処しなければ、失業の増加が自殺者の増加を招いてしまうだろう。日本の場合では、失業率が高まるとそれに応じるかのように自殺者数も増加していき、また失業率が低下すると自殺者数も低下していく。この関係を専門用語で「正の相関」という。不況で起こる中高年男性「自殺の引き金」 経済停滞期に緊縮政策を採用することで、男女ともに自殺者数が増加する。ただし、仕事を奪われることによる社会的地位の喪失を、男性しかも中高年が受けやすいといわれている。実際、日本の失業率が増加すると、特に中高年の男性が自死を選択するケースが激増する。現在でも男性の自殺者数は女性のほぼ倍である。もちろん女性の自殺者数も経済政策の失敗によって増加することは同じで、深刻度は変わらない。 スタックラーとバスの本では、2008年のリーマン・ショックで仕事を失ったイタリアの中高年の男性職人が「仕事ができない」ということを理由に自殺したエピソードを紹介している。つまりここでのポイントは、経済的な理由よりも地位や職の喪失そのものが自殺の引き金になっていることだ。 経済政策の失敗の典型は、不況のど真ん中やあるいは十分に回復していない段階での増税だ。先ほどのスタックラーとバスはこう指摘する。リーマン・ショック以後の英政府は当初、積極的な景気刺激策により雇用増加や自殺者減少に貢献したにもかかわらず、それを1年で止め、日本でいうところの消費増税や公務員の人件費カットなど「緊縮策」を採用したことで失業が増え、自殺も増加したとしている。 不幸なことだが、日本の政治家の大半が緊縮主義者だ。政治家の大半は、将来世代のために財政再建が必要であるとか、人口減少社会への対応で福祉を向上させるために「消費増税が必要だ」と語るケースが多い。だが、長期停滞、つまりデフレによる経済低迷を脱しないままで消費増税を目指すことは、確実に国民の生命を傷つけ、最悪の場合、奪ってしまうだろう。 消費税と社会保障があまりも強固に結びついてしまっている日本の制度設計の失敗の問題でもある。いずれにせよ、将来世代と現在の国民の生命と生活の安定を本当に重視するならば、まずはデフレを脱却させ、経済停滞を回避することが最優先であって、「消費増税ありき」「財政再建ありき」ではないのだ。安易な消費増税の確約は、国民の生命を危機に陥れると宣告することに等しい。日本の政治家は、特にこのことを心に刻んでほしい。

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    内閣改造、首相の本心を私はこう読む

    急落した内閣支持率、窮余の策となるか―。政権発足後、最大級の逆風に揺れる安倍総理が内閣改造を断行した。「結果本位の仕事人内閣」と名付けた新内閣の顔触れにサプライズはない。経験と実力を重視した人事の狙いは何か。iRONNAが総力特集で「総理の本心」を読み解く。

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    内閣改造で見えた安倍総理の「改憲メッセージ」

    三浦瑠麗(国際政治学者) 第3次安倍第3次改造内閣の顔ぶれが決まりました。メディアは、改造の目的をうんぬんし、内閣にニックネームをつけ、大騒ぎしています。改造後の世論調査で内閣支持率がどこまで回復するかは、なお見通せませんが、話題を変える効果は確かにあったように思います。私の印象はというと、安倍総理は憲法改正も、総裁3選も全く諦めていない。引き続き、長期政権に意欲満々であるということです。そういう意味では、今般の改造は何をしたいかという政策的志向の要素は一切なく、一にも二にも党内力学を意識した政治的戦術と理解すべきです。改造内閣発足を受けた記者会見を終え、会見場をあとにする安倍晋三首相(左)。右は菅義偉官房長官=7月3日、首相官邸(佐藤徳昭撮影) 内閣支持率の低下を受け、安倍政権があたかも「崩壊前夜」のような印象を振りまくメディアもありますが、日本政治の根本を見ない希望的観測に過ぎません。日本の民主主義のルールは、衆議院の多数派が総理を選ぶというもの。重要なのは、最初から最後まで自民党内の力学です。そして、内閣の支持率低下にも関わらず、ここはいささかもブレていません。細田派、麻生派、額賀派、岸田派、二階派の主要5派閥は安倍政権を支え続けると明言しているのですから、自民党内は平常運転なのです。 安倍官邸からすれば、政権から距離を置く石破茂元地方創生相や野田聖子総務相は怖くありません。石破氏は、政治家としての経験や実力が安倍総理に比肩し得る、党内唯一の存在ですが、党内力学的には厳しい。石破氏にチャンスが回ってくるのは、自民党が政権転落の危機にあるときだけでしょう。自民党は、追い詰められなければ「石破カード」は切らない。それは、ご本人もわかってらっしゃるのではないかとお見受けします。 野田氏は、自民党で存在感がある女性政治家の中では、社会的にリベラルな面があり、人間的にも面白い。経済政策が左旋回しているように見えるのは気になりますが、安倍政権との差を出すためでしょうから、最後は自民党的に常識的なところに落ち着くだろうと思います。女性であることと、安倍総理への遠慮がないことはユニークですが、それ以外にいまのところ「売り」がありません。 政策的に何を象徴しているのか不明だし、野田氏を総裁にすることに政治生命を賭す覚悟がある子分もいません。総務相としてよほど頭角を現すか、周りに一流のブレーンをつけない限り、トップリーダーを狙えるところまでは届かないでしょう。しかも、郵政造反組の野田氏が現政権で結果を残せる可能性は低い。総理も官房長官もそんなことは許さないでしょうから。とはいえ、野田氏がこれから高みへと階段を上っていく過程で、今回の人事をお受けになったことは正解だと思います。 「ポスト安倍」として取り沙汰(ざた)されている面々の中で、政権が多少なりともリスクを感じているのは岸田文雄政調会長でしょう。第4派閥とはいえ、派閥の領袖(りょうしゅう)であり、「党内ハト派」というぼんやりとした象徴性も持っています。仮に、岸田氏が総理に対して主戦論を取るようなことがあれば、一定の支持が集まるかもしれません。私には、今回の内閣改造は、岸田氏を封じ込めるための二重の仕掛けに見えます。岸田氏の反乱を封じる2手 1つは、岸田派から林芳正文科相、小野寺五典防衛相、上川陽子法相、松山政司1億総活躍相の4人を入閣させて優遇していること。これは、岸田氏への配慮であると同時に、いざというときの人質の意味もあります。岸田氏が反旗を翻すようなことがあったときには、閣僚ポスト継続をちらつかせて分断を図れます。特に、林、小野寺両氏は将来に向けての野心もあるでしょうから、岸田派の結束の度合いが試されることになるわけです。 もう1つは、安倍総理の悲願である憲法改正です。岸田氏は、憲法9条は変える必要がないという立場で、総理の改憲構想とは距離があります。政調会長として自民党案を取りまとめる立場にありますが、それが、安倍政権への忠誠と9条改憲に向けての「踏み絵」となるという仕掛けです。総理の方針に基づく自民党内の改憲案がまとまれば、立場上、岸田氏も反対はできないでしょうから、総理と「共犯関係」が生じる。 この構図は、岸田氏の外相時代と同じです。安倍政権の外交の大きな絵は官邸が描き、その上で、実務における岸田氏の手堅さは評価する。よく言えば、岸田氏を「育て」ており、普通に言えば「飼い殺し」にしているわけです。岸田氏自身、現時点で主戦論にかじを切っても勝ち目はないことを理解していますから、与えられた場所で最善を尽くし、官邸が許容する範囲内で自身のカラーを出していくしか道がないわけです。 今回の内閣改造で面白いのは、本当のポスト安倍の構図が見えてきたということです。これまでの安倍政権は、40代、50代の実力者を冷遇し、ポスト安倍の芽をことごとく摘んできました。それは、自民党の伝統には反するけれど、政治的なリアリズムとして政権のすごみでもありました。 ところが、今回の改造は支持率低下を受けてのものであり、なるべく経験者、実力者を配置せざるを得ない。前内閣で失言を繰り返したレベルの低い入閣待機組を入れている余裕はなかったわけです。結果的に、それはとても良いことです。日本政治は、小選挙区制の下で二大政党制を目指しており、中選挙区時代の名残である当選回数に応じた大臣職のたらい回しとはそろそろ決別すべきなのですから。皇居での認証式に向かう(前列左から)環境相に決まった中川雅治氏、経済再生相兼人づくり革命相に決まった茂木敏充氏、法相に決まった上川陽子氏=3日午後、首相官邸 新たなポスト安倍候補として、河野太郎外相、加藤勝信厚労相、茂木敏充経済再生相、西村康稔官房副長官あたりにも注目していくべきと思っています。それぞれ、党内の人望や知名度には、相当程度ばらつきがあります。現段階で、ポスト安倍の本命ということにはならないでしょうけど、最後は党内力学で決まります。安倍総理が、現在の自民党で党内力学と実力で選んだ結果、彼らにポストが回ってきたのですから、それは重要な指標になります。 今般の内閣改造ではっきりしたのは、当分の間、日本政治の主役は安倍総理であり続けるということです。

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    「安倍内閣はあと1年で退陣する」総理はこうスピーチすべきだった

    手法の変更(先祖帰り?)に伴う安倍晋三首相の考え、さらには、今後、安倍首相の目指す政権運営の方法と、政治的な狙いについて考察を加えたい。 まず、呼び込みの前に、党幹部人事も含む19人の閣僚名簿のすべてを、記者クラブメディアに漏らしたのは、森政権以前の旧(ふる)い手法に戻ったと言わざるを得ない。旧自民党型改造の先祖帰りである。 一方で、新しい手法を用いて組閣をメディアの一大ショーにまで引き上げたのが小泉首相である。 1、呼び込みの是非をショー化(呼ばれるまでリークはない)。 2、ポストの提示は本人に直接(官邸に行くまでどの官庁の大臣か本人もわからない)。  このような手法を用いたため、メディア、特にテレビは狂喜乱舞することになった。 大臣適任期の議員事務所にカメラを設置し、官邸からの電話に一喜一憂する姿を収める。呼び出しを受けた議員には、そのまま官邸まで記者がインタビューしながらカメラを回して感想を聞く。さらに呼び込みを受けた議員の顔写真をスタジオのボードに張り出し、誰がどのポストになるかをコメンテーターらが予想する。  侃々諤々(かんかんがくがく)の議論はまさに昼のワイドショー、夕方の情報番組向きの最良のネタになった。換言すれば、内閣改造で「数字」(視聴率)が取れるようになったのである。自民党の新役員が決定し、手をつなぐ(左から)塩谷立選対委員長、竹下亘総務会長、高村正彦副総裁、安倍晋三首相、二階俊博幹事長、岸田文雄政調会長=8月3日、東京・永田町の党本部 小泉首相が意識してこの手法を用いたのかは定かではない。だが、安倍首相も第一次政権時代から一応(時に一部)、この手法を踏襲してきた。よって、小泉政権以降、派閥順送りの推薦名簿は事実上、無意味になっていたのだ。 ところが、今回は完全に小泉内閣の前の、森首相時代以前への「先祖帰り」の手法となった。「旧自民党型改造」と言っていいほどの旧(ふる)い手法である。 そこで、今回の内閣改造で大事なことに触れたい。メディアは就任した大臣の顔ぶれではしゃぐよりも、交代して内閣を去った大臣の検証をおこなうべきだろう。それが新しい内閣の性質をみる上でも重要な要素となる。内閣改造に隠された意図 問題となっていた「国有地払い下げ事件」(森友学園事件)、加計学園問題、稲田朋美防衛大臣の失言の数々。内閣改造によってこれらの問題に幕引きというのは到底許されない。 かつて筆者は田中真紀子外相の政治資金の問題について『週刊文春』と『文藝春秋』の連載の中で追及し、辞任に追い込んだ。 2002年はじめ、その田中氏が外相を辞めた際、国会やメディアはどう対応したか? 一議員に戻った田中氏への説明責任を求める声は止むこと無く、結果、田中氏は参考人として国会に招致され、4月に議員辞職を余儀なくされたのだ。内閣改造のお祭り騒ぎに巻き込まれると大事なことを見落とすことになる。 わたしたちメディアが、また与野党問わず、本当に国会の健全化を求めるのならば、内閣改造に隠された意図を見抜くべきだろう。その中で、安倍首相の今後の思惑も見えてくる。内閣を改造し、会見する安倍晋三首相  =8月3日、首相官邸(佐藤徳昭撮影) 仮にわたしが安倍首相の側近だったら、次のようなアドバイスをするだろう。スピーチライティングはこうだ。 「安倍内閣は来年9月の自民党総裁選をもって退陣します。残り一年、日本経済を再生させ、憲法改正やIR(カジノを含む統合型リゾート施設)法案を着地させ、未来の日本のために力を尽くしたい。そのために、あと一年、与党のみなさんのお力をお借りしたい」 これで一年間の猶予を得られる。支持率が低下し、党内からの「安倍降ろし」も抑えられるだろう。 そして一年後、退陣が近づいたとき、支持率が回復していれば、党内から澎湃(ほうはい)として「安倍首相よ、もう一期」という声を出せばいいのだ。 「みなさんの声に応えて」という大義名分を得た安倍首相は、2021年までの自民党総裁の座を確保できるだろう。直後に解散総選挙を打てば、負けを抑えられる。 現在8月3日午後5時。本稿の締め切りの時刻である。安倍首相の会見は一時間後、果たして、安倍首相はどのような姿勢をみせるだろうか?

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    「河野洋平の子息」を外相に起用した安倍総理の真意

    学園大学教授) 第3次安倍晋三第3次改造内閣が発足した。数カ月前には「安倍一強」の言葉で語られていた政治の風景は、今では様変わりしている。メディアによっては、安倍内閣支持率が既に30%を割り込んでいる。安倍総理にとって、此度(こたび)の内閣改造は「反転」の一手たり得るのであろうか。 筆者が下す内閣評価の基準は、第1が「外交・安全保障政策を切り回せるか」であり、第2が「経済を回せるか」である。日本は、中露両国や米国のように「繊細さ」を軽んじる対外政策展開に走ることができる国ではない。世の人々は、自分の身近な生活に直結する内治案件の行方に関心を寄せるものであるけれども、日本の平和と繁栄は絶えず良好な対外関係にこそ依存する。「ジャパン・ファースト」のような類(たぐ)いの標語を無邪気に呼号するわけにはいかないのが、日本の立場である。 故に、何時の場合でも、組閣人事に際して真っ先に関心が向けられるべきは、外務・防衛の2つの大臣職に誰が起用されるかということになる。此度の場合、次の2つの点を当座の論評として提示できよう。 第1に、小野寺五典氏を防衛大臣職に復帰させたのは、安倍総理における正当な判断であった。4カ月前、筆者が「稲田朋美の『軽さ』は安倍総理の油断の象徴である」で指摘したように、稲田朋美前防衛相の任用は、安倍総理における「油断」を象徴していた。安倍総理が稲田氏の「損切」に踏み込めず、その機を逸し続けたことは、安倍内閣の政権運営に「下降モメンタム」が生じる一因となった。小野寺五典防衛相が陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地を視察に訪れた=2014年4月16日、茨城県(鴨川一也撮影) 安倍総理が、そうした逡巡(しゅんじゅん)への反省を踏まえて小野寺氏を再び起用したのであれば、安倍内閣の安全保障政策に係る態勢は、「原点」に回帰したと評することができよう。小野寺氏における安全保障政策領域の見識や政治姿勢の手堅さについて、それを疑う声を筆者は聞かない。 第2に、興味深いのは、河野太郎氏の外相起用であろう。彼の場合、「河野談話」に名を残し、その故に特に右派層からの評判の最悪な河野洋平元衆院議長の子息という風評は絶えず付きまとう。河野洋平氏自身は、近時でさえ安倍内閣下の対外政策、特に対中政策を評し、「中国の嫌がることばかりやっている」と批判している。河野洋平氏の鮮烈な「対中・対韓宥和(ゆうわ)」志向姿勢の故に、河野太郎氏にも同様な志向があると見る向きは確かにある。ただし、父親と子息の政策志向が同じでなければならない理由はないし、世代も異なる。河野氏が背負う大義とは? むしろ河野太郎氏が外交族として積み重ねた蓄積にこそ、期待するのが大だと見るべきであろう。こうした安倍総理と河野洋平氏の対中認識における「埋め難き溝」を前にして、河野太郎氏は「河野洋平の子息」という風評に引きずられるか、あるいはそれを振り払うのか。それは彼の対応次第ということになる。一般論として語るならば、男子の場合、祖父を尊敬しても父親とは反りが合わないという例が多いとされる。安倍総理は内心、河野太郎氏に政治的な「父親殺し」を期待しているのかもしれない。彼にしてみれば、「父親を超克する」機会を手にできたということになると思われる。首相官邸に入る、河野太郎氏=8月3日午後、首相官邸(松本健吾撮影) もっとも、安倍総理が特に対北朝鮮政策の都合上、中韓両国との「雪解け」を本格的に模索するのであれば、河野太郎氏の「対中・対韓宥和」志向姿勢の風評は逆に利用できるものになるかもしれない。儒教文化圏にある中韓両国が彼の対外姿勢における「父親譲り」の側面に何らかの期待を寄せる局面は、あり得るからである。とはいえ、そうした日本の対中韓「雪解け」政策が動き出す余地は、実際には甚だ乏しいであろう。 折しも、ドナルド・J・トランプ米大統領は、従来、北朝鮮情勢対応に際して中国の役割に期待する発言を繰り返していたけれども、「中国は北朝鮮に関して口だけで、われわれのために何もしていない。米国はこうしたことを続けることは容認できない」と一転して批判するようになっている。また、ニッキー・ヘイリー米国連大使は、国連安全保障理事会での対朝制裁決議案交渉を主導しつつ、「話し合いの時間は終わった。中国は最終的に重大な措置を取りたいのかどうか決めなければならない」という対中督促の言葉を漏らしている。 加えて、文在寅韓国大統領の対北朝鮮政策対応が米国の方針と齟齬(そご)を来しているという疑念は中々、消えない。北朝鮮情勢対応に限っても、米国の対中視線は誠に険しいものになっているし、対韓疑念も払拭(ふっしょく)されないのである。 故に、安倍内閣下の対中政策が河野洋平氏のような人物から「中国の嫌がることばかりやっている」と批判される類いのものであったとしても、それが米国によって歓迎され、「西側同盟ネットワーク」の結束を担保する限りは、それを断固として展開するのが日本の対外政策上の大義である。河野外相が背負うことになるのは、そうした大義なのである。 此度の内閣改造の結果、安倍内閣の政権運営における「下降モメンタム」が実際に反転するかは、判断が付かない。ただし、小野寺防衛相と河野外相の起用には、相応の「安心」が感じられる。この「安心」こそが、今では大事なものであろう。

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    安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ

    た。自らの手で改憲という悲願の実現が難しくなれば、無理をして政権にしがみつく理由はなくなるのでは」(政治部記者) そうした「安倍退陣」シナリオで、後継として名前が挙がるのは麻生太郎・副総理兼財務相だ。政治アナリストの伊藤惇夫氏が言う。「来年9月の総裁任期満了を待たずに安倍首相が辞任する“有事”となった場合には首相経験者である麻生氏の再登板の可能性が高くなるのは当然です」参院予算委員会の集中審議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=5月9日、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) 10年前の“政権投げ出し”の時と同様、安倍晋三首相の「健康問題」を懸念する声もあり、永田町も霞が関も“麻生シフト”を組み始めている。「霞が関の7月の幹部人事では、外務審議官に山崎和之氏、経済産業審議官に柳瀬唯夫氏が起用され、財務官の浅川雅嗣氏が続投となった。これで主要官庁のナンバー2がいずれも麻生首相時代の秘書官で揃った。気の早い関係者の間では『次の麻生政権の首席秘書官は浅川財務官だろう』といった話まで出ている。霞が関は時の政権が力を失うとみれば離れるのは早い。安倍政権と心中するつもりはない」(財務省筋) 報道各社も、支持率が危険水域に達する中で、「閣内でただひとり、極めて機嫌がいい」(永田町関係者)という麻生氏の動きを注視している。「“夜の麻生サロン”と称される麻布のクラブで、限られた記者数人が集まった会でも麻生氏は終始上機嫌だった。万が一の登板を本人も自覚しているのでしょう。上からは“麻生番を厚くしろ”というお達しが出ています」(前出の政治部記者) ほんの少し前まで、霞が関も大メディアも、窺うのは安倍首相の顔色ばかりだったはずだが、やはり様相は一変している。 加計問題が追及された予算委の閉会中審査での麻生氏は“オレは関係ねェよ”とばかりに終始リラックスモード。安倍首相や稲田防衛相が槍玉にあげられるのを楽しんでいるようにさえ見えたのは、気のせいだろうか。関連記事■ 総理のお友達が書いた「加計言い逃れカンペ」の出来の悪さ■ 安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ■ 安倍首相を悩ます「持病悪化説」と「昭恵さんの神頼み」■ 暴言、路チュー議員以上に批判されるべき不祥事スター2人■ TENGA芸人ケンコバ「夢中になってしまうのが正直怖いです」

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    安倍首相を悩ます「持病悪化説」と「昭恵さんの神頼み」

    との交遊咎められ家族会議で絶叫か■ 顔面フル装備防衛大臣に「無神経さがにじみ出ている」■ 稲田朋美「政治資金パーティー」発起人は“死者”だった■ 大竹しのぶ還暦パーティーで古田新太「どういうこっちゃ!」■ 松居一代 船越所属事務所から「億単位の賠償請求」の可能性

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    突き進む総理への道、「入閣拒否」で小泉進次郎が示した本気度

    、進次郎氏は毅然として答える。「そのときの政党に対する支持率が高い低いで自分がどこにいるか決めたら、政治家としての信念はなくなる」。信念に殉じて「火中の栗」を拾う―そう言ったのだ。イケメンの下に隠された男気を有権者は見たことだろう。 だが、視点を変えれば違った様相が見えてくる。大逆風に見舞われた自民党は、株式にたとえれば底値だったのだ。〝含み資産〟からすれば異常に低い株価で、これから必ず反騰するだろう。逆風に見えて、実は順風であると読めば、自民党は「買い」なのだ。だから進次郎氏は帆を高く掲げ、「政治家の信念」という言葉を敢然と口にしたものと読み解ける。「人寄せパンダ」を自認する進次郎 その真逆が、今年2月に行われた千代田区長選挙だ。周知のように、小池百合子氏と都議会自民党との代理戦争として注目された。劣勢が伝えられた自民党陣営は、進次郎氏の選挙応援に期待した。 「人寄せパンダ」と自ら称したのは田中角栄だが、進次郎氏はこのフレーズを踏襲してパンダを自認。自民党が大勝した2012年の衆院選では全国を飛び回り、応援に入った選挙区候補の勝率は実に96%だった。自民党陣営は進次郎氏の投入に乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負を賭けたのである。 ところが、「通常国会の真っ最中のため、スケジュールが合わない」ということで、あっさり断られてしまった。千代田区長選は国政にも影響を及ぼす代理戦争である。しかも応援に入る千代田区は国会の眼と鼻の先にあるにもかかわらず、「進次郎パンダ」はスケジュールを理由に断ったのである。 自民党推薦の与謝野信候補は確実に負ける―。進次郎氏は、そう読んだはずだ。自分が応援して負けたら、世間はどう見るだろうか。「負け戦を承知で、あえて火中の栗を拾った」という評価はしてくれまい。「進次郎の神通力もここまでか」と思うだろう。 雨乞いの祈祷で雨が降るとは信じていなくても、祈祷して効果がなければ祈祷師の悪口を言う。これが人間心理であり、進次郎氏はそのことを熟知しているがゆえに、あえて応援演説に行かなかったものと思われる。上野動物園のパンダは、見物客など意識の外でノンキに笹の葉を食べているが、「進次郎パンダ」は、自分がどう見られているかを冷静に判断しているのだ。有権者らの握手攻めに遭う小泉進次郎氏=2016年7月、茨城県常総市 では、このたびの安倍改造内閣で、進次郎氏はなぜ入閣しなかったのか。改造の目玉として取り沙汰されてきただけに、打診は当然あったはずだ。事実、自民党の二階幹事長も6月20日のテレビに出演し、進次郎氏の入閣、もしくは党役員就任について「安倍総理の念頭にあるはず」「何の役でも何大臣でも務まる人だと思っていますよ」と発言している。 あえて「若い進次郎」にメディアを通じてラブコールを送らざるを得ないほど、自民党を取り巻く状況は、いま大逆風にある。だが、進次郎氏が初当選した2009年の大逆風と決定的に違うのは、当時は自民党の〝底値〟であったのに対して、現在のそれはどこまで値を下げるかわからないということだ。 自民党という「栗」は、いま燃えさかる火中にあると進次郎氏は読んだからこそ、入閣を受けなかったのではないか。これが〝底値〟―すなわち、火勢が衰えつつあると読んだのであれば、進次郎氏はひょいと栗をつまみあげていたことだろう。将来を嘱望された「士官」 よく知られているように、進次郎氏はことあるごとに安倍総理を批判してきた。「被災地の復興は進んでいる」と、安倍総理が東日本大震災の追悼式で挨拶すれば、「私は進んだなんて言えない」と、真っ向から否定した。 安倍総理がアベノミクスの成果を自画自賛すれば、「すでにやってきたことを声高に言い続けるよりも、むしろ(アベノミクスの恩恵の)実感がないという人たちに、何を訴えるのか。アベノミクスの先にあるものは、いったい何なのか」と足を引っ張る。衆院TPP特別委員会で、安倍首相(右)に質問する小泉進次郎氏=2016年10月 正論は「進次郎人気」の一丁目一番地。「こんなこと言うと総理に睨まれるかもしれない」と忖度しない。「本当のことを言ってどこが悪い」という毅然とした居直りと清新さが進次郎氏のウリでもある。意識しての言動であるはずで、進次郎氏が、自分のこの立ち位置を知らないとしたら、それは政治家失格ということになる。 だから、総理を批判すれど自民党を飛び出さない。「ここまでの批判であれば、むしろガス抜きとして許容される」という土俵際を心得ている。だから、ちゃぶだい返しは絶対にしない。 将来を嘱望される若手士官にとって何より大事なのは、軍という組織であって、時の司令官ではない。司令官が誰であれ、軍の中で地歩を占めていき、いずれその席に自分が座ることが最終目標なのである。こう考えれば、進次郎氏が入閣しなかったのは当然と言っていいだろう。 政界に限らず、組織に生きる人間は、地位という「栗」の争奪戦である。一兵卒は勝負を懸けて火中に手を突っ込み、将来を嘱望される士官はヤケドしないよう火勢を慎重に見極める。 こう書けば当たり前に思われるかもしれないが、自分の「立ち位置」を客観的に判断できる人間は少ない。まして、自惚れ屋の政治家たちはなおさらのこと。稲田某、金田某、今村某という政治家を持ち出すまでもなく、見境なく「火中の栗」を拾って大ヤケドする。 筆頭副幹事長を任じられたとはいえ、進次郎氏の事実上の「入閣拒否」は、組織における処し方について、大いなる示唆を私たちに与えてくれるのだ。

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    「利上げして景気回復」枝野幸男の経済理論が凄すぎてついていけない

    い。軽減税率の導入への反対や、衆議院の定数是正などに絡めたものであった。要するに、その都度その都度の政治情勢で、まともな理由にならないものを列挙し、消費税についての立場を変更しているともいえる。だが、その基本的なスタンスは、消費増税への賛同であることは間違いない。消費増税は低所得者層に有利? 今回の有力候補といわれる二人の消費税に対するスタンスを見ておこう。前原氏は、昨年の代表選で出した「まず身を切る改革・行政改革。その上で希望と安心のALL for ALL 『尊厳ある生活保障』」と題された資料を見てみると、消費税を10%に引き上げ、教育や保育の充実を目指すと述べていた。積極的な金融緩和など、今日の日本経済で効果を上げている政策についてはほぼ無視している。前原氏については今回も大差ないのではないか。つまり、前原氏の経済政策観は、民進党のスタンダードなものである(参照:「反省なんてまるでない! 「緊縮ゾンビ」だらけの民進党代表選」)。いままでこの連載でも多くを書いてきたので、今回は枝野氏について特に紙数を割きたい。地元の祭りに参加し、住民と言葉を交わす民進党の前原誠司元外相=7月30日、京都市左京区 枝野氏については、2012年に出された著作『叩かれても言わねばならないこと。』(東洋経済新報社)が参考になる。同著では、所得税よりも消費税がむしろ現在の生活水準が高くない層には有利だと説明されている。消費税が、低所得者層に負担が重いという「逆進性」の指摘を否定している。そして消費が多く生活水準の高い「引退世代」に負担してもらうという主張であった。 しかし、この枝野氏の主張ほど実際の消費税の負担について間違ったものはない。消費税の「負担額」は確かに高所得者の方が大きいが、やはり「逆進性」の懸念通りに、低所得者層の方が消費税の「負担率」が高くなっている。 消費増税が直近で行われた2014年4月から8月にかけての統計データを見て、現在の日本銀行審議委員である片岡剛士氏は、『日本経済はなぜ浮上しないのか』(幻冬舎)の中で以下のように指摘していた。「消費税増税が始まった2014年4月から8月にかけて悪化が深刻であるのは、世帯所得が最も低い第一分位及び第二分位といった低所得層の家計消費であり、かつ勤労者世帯の中でも非正規労働者の比重が高い低所得者層の悪化度合いが深刻であることがわかります。消費税増税の逆進性に伴う負担率の高まりが低所得者層を中心に生活防衛意識を高めて支出を抑制しており、家計消費の回復にブレーキをかける一因となっているのです」(同書、180ページ)。 この状況は2014年から16年までほとんど変わらず、低所得層の消費の動きは低迷したままである。枝野氏の主張は現実の動きの前では否定されたといっていい。信じられない枝野氏の「トンデモ経済論」 さらに枝野氏には興味深い主張がある。それは以前から「利上げして景気回復」という主張である。これは端的にトンデモ経済論の域だと思われる。筆者の知る限り、08年9月下旬のテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」の番組中に表明している。当時はもちろんリーマン・ショックが顕在化したころであり、深刻な経済危機に世界が直面していた。その中での発言である(当時の記録が筆者のブログにある)。 通常は、経済危機や深刻な不況のときは、金利を引き下げることが重要だ。もし金利を引き下げる余地がないときは、今度は中央銀行が供給するマネー自体を増やしていく、さらには物価安定目標(インフレ目標)の導入で人々の予想をコントロールしたりすることが重要だ。なぜ金利を引き下げるかといえば、経済が落ち込んでいるときは、民間の消費や投資が振るわないときだ。例えば、住宅ローンでも車のローンでも金利を安くした方が借りやすくなるだろう。もちろん金利が変動型であればそれだけ返済負担も少なくなる。消費だけではなく、企業の設備投資のための金利負担も軽くなる。 だが、どんな教科書にも経済危機や不況に、金利を引き上げて景気回復が行われるとは書かれていない。当たり前だが、そんなことを経済危機に行えば、経済は壊滅的な打撃を受けるだろう。それをリーマン・ショックの時期に行えというのは、かなり経済政策のセンスを根本的に疑う事態だろう。「朝まで生テレビ」で同席していた嘉悦大学の高橋洋一教授も同様に、枝野氏の経済政策観を批判している。 やはり、枝野氏の経済政策観は、緊縮主義、その一種である「清算主義」に立脚しているかもしれない。不況や経済危機のときに、積極的な金融緩和や財政拡大で介入することは、かえって非効率的な企業や非効率な人々の経済活動(一例で余剰人員など)を温存させてしまう。だから不況や経済危機は市場に任せて放置した方がいいという経済思想である。そしてこの清算主義もまた間違っているにもかかわらず、何度も政策議論の場でよみがえってくるゾンビでもあるのだ。講演後に記者団の取材に応じる民進党の枝野幸男元官房長官=7月29日、さいたま市 ただ枝野氏は「利上げ」という形で積極的に市場に介入して、さらに不況を深めるかもしれないので、積極的清算主義という新種の可能性がある。このような「介入」が、彼が市場に任さないで、政府の活動を重視する「リベラル」という評価の源泉なのかもしれない。ただあまりに「自由すぎる」発想で、筆者はついていけないのだが。 まじめに話を戻せば、前原氏も枝野氏もともに緊縮主義であることに大差なく、蓮舫-野田体制とこの点で変化はみじんも期待できないのではないか。ここに民進党の低迷の真因がある。

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    「自衛隊は自民党の軍隊」稲田辞任は護憲派にとって最大の功績である

    ものだった。自衛隊は、過去に違憲判決もあったことなどから、どうすれば国民に支持されるかを探ってきた。政治的な争いから身を引いた場に自分を置くことも、その一環であった。稲田氏の発言は、本人が自覚していたかどうかは別にして「自衛隊は自民党のものだ」とする立場を鮮明にするものであり、自衛隊が模索してきたものとは真逆の立ち位置である。言葉は悪いが、中国人民解放軍が共産党の軍隊だとされていることと同じなのである。都議選の自民党候補を応援する集会で演説する稲田防衛相=6月27日、東京都板橋区 これは、安倍首相が最大の目標と位置づける憲法改正に深刻な影響を与える性格の問題だけに、その時点で首相はもっと敏感にならなければいけなかった。安倍首相は5月3日、憲法9条の1項2項はそのまま残して、自衛隊の存在を別項で位置づけるという「加憲案」を提示した。これに対する評価は立場によりマチマチだが、首相の言明によると、憲法解釈は変えないで自衛隊の合憲性を明確にするものだとされ、当初の世論調査では支持が高かった。9条を残すことで護憲派に配慮し、国民の支持が高い自衛隊を明記するというわけだから、反対するのは簡単ではないのである。 しかし、この案が多数の支持を得るのが可能になるのも、自衛隊の政治的中立性が保たれているという安心感が国民の中に存在してこそである。河野克俊統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるということであれば、非常にありがたいと思う」と発言し、自衛官のそういう気持ちは私もよく理解できる。しかし、政治的に深刻な争いになっている問題で、一方の側だけに加担するというのは、自衛隊の基本的な性格に関わる問題であった。 「自衛隊は自民党の軍隊」という前提に立った稲田氏の発言の衝撃度は、河野氏の発言の比ではなかった。現在の自衛隊について憲法上の位置づけを明確にするだけということだったのに、その自衛隊はかつてのような国民の支持を模索する自衛隊ではなく、特定党派の自衛隊というのだから、国民は皮膚感覚で加憲案に胡散(うさん)臭さを感じたのではないだろうか。安倍内閣の支持率とともに加憲案への支持も低下しているのは当然である。自衛隊の隠蔽体質を浮き彫りに 稲田氏辞任の直接のきっかけとなった南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題も、同じ見地で捉えることが可能だ。加憲により明文で位置づけられることになる自衛隊を「政治的争点」にしてしまったということである。 もともと昨年7月のジャーナリストの開示請求に対して、「(陸上自衛隊が)廃棄しており不存在」だから公開できないと答えたことは、自衛隊の隠蔽(いんぺい)体質をうかがわせるものである。しかし、今年2月になって、その日報は統合幕僚監部に保管されていることが分かり、公開されたのである(陸自にも保管されていたことも分かった)。ところが、公開されたにもかかわらず、一連の事態の推移の中で、自衛隊の隠蔽体質と政治化が現実以上に国民の認識になったように思われる。 そうなったのは、陸上自衛隊に対する特別監察の過程で、稲田氏と自衛隊の間に確執が存在しているように見えたからである。稲田氏は一貫して、日報の存在は報告されなかったし、隠蔽を了承したこともないと発言している。特別監察の結果も、稲田氏が参加する会議で日報の存在について出席者から発言があった可能性は否定できないとしつつ、非公表という方針の了承を求める報告があったり、それを稲田氏が了承した事実はなかったとした。稲田氏の発言と異なるのは、会議で発言があった可能性を認めただけである。 真相は分からない。ただ、少なくとも稲田氏の発言がもたらしたものは、自分は報告があるなら公開せよという立場なのに、自衛隊からの報告はなかったという印象である。自衛隊の隠蔽体質を浮き彫りにする役割を果たしたわけだ。稲田朋美防衛相の辞表を受理し、会見で頭を下げる安倍晋三首相=7月28日、首相官邸(斎藤良雄撮影) これに対して、稲田氏には報告したとの暴露が、おそらく自衛隊側から相次ぐことになるだろう。自分たちだけが悪者にされてはたまらないからだろうとの観測があり、同情もされているが、一方、「政治に盾突く自衛隊」というイメージが膨れ上がっているのも事実だ。「クーデターだ」「二・二六事件の再来だ」と極端なことを言う人も出ている。加計学園をめぐる首相官邸の役割をめぐって文部科学省から内部文書が暴露されると歓迎する人が、自衛隊が同じことをすると危険視するわけである。 自衛隊は今回、別に武力を振りかざしているわけではない。言論を行使する枠内でのことである。しかし、自衛隊は一貫して政治への関与を慎んできただけに、少しでも関与しようとすると、必要以上に警戒されるわけである。 このままでは憲法改正の議論が、政治化した自衛隊、自民党の軍隊を憲法に明記するのかという問題に発展しかねない。ところが、最後まで稲田氏をかばい続けた安倍首相には、そういう認識はなかったようである。稲田氏を個人的にかわいがるあまり、信念を実現するために必要なことまで見えなくなっているのではないか。護憲派の私としては、それこそが稲田氏の最大の「功績」である。

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    「稲田大臣への報告はあった」日報問題の真実はそれしかない

    存在を改めて指摘しながら「真相を明らかにしませんでした」と監察結果を断罪した。 日本テレビの番組でも政治部長が「稲田大臣が関わったわけではないと結論付けたわけではない」と解説した。TBSも「曖昧な表現にとどめた」と報じ、テレビ朝日も「保管の事実は(稲田大臣に)伝えていたことがANNの取材でわかっています」と明言し「十分に解明されていません」と監察結果を批判した。NHK総合テレビも正午のニュースで「解明できない点も残りました」と報じた。特別防衛監察の結果を公表する稲田防衛相=7月28日、防衛省(納冨康撮影) 他方、稲田大臣は辞任表明会見で「私への報告がなかった」と明言、監察結果を“錦の御旗”に掲げながら、「隠蔽了承、そのような事実はない」と断言した。フジテレビが報じたメモについても、「しかしながら、私の認識を覆す報告は一切なかったと承知しております」との表現で、報じられた事実関係を全否定した。 もし、稲田大臣が真実を語ったとすれば、これまで全マスコミが誤報を繰り返したことになる。ひとり大臣を除き、防衛省・陸上自衛隊の主要幹部らがウソをついたことになる。あろうことか、メモまで捏造(ねつぞう)し、大臣を陥れたことになってしまう。 真実はひとつ。大臣への報告はあった。監察結果のとおり「日報データの存在を示す書面を用いた報告」はなかったとしても、大臣室における口頭での報告は複数回あった。そうとしか考えられない。同時に、稲田会見もまた真実を語ったとすれば、大臣は複数回にわたる口頭報告の中身を正しく理解できなかった。そういうことになろう。いずれにせよ「自衛隊の隊務を統括する」(自衛隊法第8条)防衛大臣がすべての責任を負う。その大臣が部下に責任を転嫁するなど、あり得ない。 この1年間で、防衛省・自衛隊が失ったものは大きい。次の防衛大臣が背負う責任は重大かつ深刻である。

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    【菅野完独占手記】すべてを失った籠池泰典が私だけに語った本心

    づけた。各方面からの視察が相次いだ。その評判を聞きつけた中山成彬や山田宏など、「愛国心」を売りにする政治家たちが、「人を集めるコンテンツ」としての塚本幼稚園に目をつけるのは時間の問題だった。「愛国論評」で売り出し中だった青山繁晴や竹田恒泰などの保守論壇人たちも同様。彼らが塚本幼稚園で相次いで講演したのは、なにも籠池氏側からのアプローチだけが理由ではない。安倍・籠池「蜜月」のころ 実際にあの当時の保守業界では「塚本幼稚園の愛国教育」が「流行(はや)って」いた。当時のあの界隈(かいわい)の人士が幼児教育を語る際のトレンドは、「愛国教育に邁進(まいしん)する塚本幼稚園を称揚する」ことだった。現に、青山繁晴は当時ネットメディアに出演した際、「塚本幼稚園の籠池園長は立派。塚本幼稚園がんばれ!」と宣伝までしていたではないか。 こうした背景を踏まえれば、籠池氏が安倍晋三夫婦と接近し得たことは、極めて自然だったことが理解できるだろう。「施政方針演説の直後の辞任」という前代未聞の醜態をさらして総理の座をほうり投げた安倍晋三を、保守業界は支え続けた。保守論壇誌には安倍再起論が盛んに掲載され、各地の保守団体のイベントでは安倍晋三をゲストとして招聘(しょうへい)する動きが続いた。 そんな流れの中で籠池氏の周りでも「愛国教育で名高い塚本幼稚園で、安倍晋三講演会が開催できないか」との企画が立ち上がる。籠池氏が安倍サイドと初めてコンタクトをとったのは平成23年暮れのこと。人を介して電話で昭恵氏と会話したのが最初だという。昭恵氏と会話を重ねるなかで講演会の計画は具体化していき、平成24年10月に実現の運びとなったが、突如、安倍は総裁選への出馬を表明。講演会は直前にキャンセルとなり、籠池氏の手元には安倍事務所からの丁寧な謝罪の手紙が届いた。 その後も籠池氏と昭恵氏の交流は続き、「安倍晋三記念小学校」という名称の応諾も、平成26年3月に東京のホテルオークラで行われた籠池夫妻と昭恵氏の会食も、「極めて自然な会話の中で」(籠池氏談)次々と決まっていった。籠池氏によれば、昭恵氏からは「普段から、主人は塚本幼稚園の教育内容に感心しており、いまも総裁選出馬で講演会が取りやめになったことを残念に思っており、いつかはお邪魔してお話したいと言っている」との話を何度も聞かされたのだという。大阪地検に入る籠池泰典氏と妻の諄子氏 =7月27日、大阪市福島区(安元雄太撮影) 確かに安倍首相は今年2月「籠池理事長は大変熱心な教育者だと妻から聞いている」と国会で答弁してはいる。この籠池氏の証言はある程度は信憑(しんぴょう)性を認めてもよいだろう。その後の籠池氏と昭恵氏の交流が、どのような経緯をたどり、あの小学校の土地取引にどのような影響を与えたかに関する籠池氏の証言は、国会の証人喚問や各種の報道でご承知の通りだ。 だが、この「安倍・籠池蜜月関係」も、森友事件が国会で取り沙汰されるにつけ、ヒビが入るようになる。はじめて国有地不当廉売事件が国会で質問された当初、安倍首相は塚本幼稚園の教育内容と籠池氏の教育者としての資質を称賛しさえしていた。 しかし、不透明な土地取引の実態、幼児虐待疑惑、運動会での「安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!」の選手宣誓など、新事実が明るみに出る中で安倍首相は答弁の方向を変更し、ついにはあの「私や私の妻や事務所が関与していたというのであれば、総理も議員もやめる!」と口走る。この不用意な一言で森友事件は一気に政局化し、そして籠池氏の運命も転落の一途をたどった。籠池氏の「信仰回帰」 籠池氏本人の認識にたてば、「先代からの宿願であった小学校建設に邁進(まいしん)するなかで、教育基本法改正という時代の風が吹いた。その風に乗ったところ安倍夫婦と繋がった。その後その風は神風となり、小学校建設一歩手前までこぎ着けた。にもかかわらず、安倍夫婦の変心で神風は逆風となり、いまやすべてを失った」ということなのだろう。 「いまおもたら、ここ数年間は、安倍さん夫婦の一言一言に翻弄されてきたようにさえ思う」 そう語る籠池氏の顔には寂寥(せきりょう)感さえ漂っている。当時の顧問弁護士だった酒井弁護士とともに盛んにテレビに露出していたころの、「大阪のあくどい中小企業者」然とした面影は、もはやどこにもない。 3月末の国会証人喚問の後、籠池氏はある習慣を再開した。毎朝5時に起床。そのまま端座合掌し約一時間ほど瞑想(めいそう)する。「生長の家」の教祖・谷口雅春氏が提唱した瞑想(めいそう)法「神相観」だ。元来籠池氏は熱心な「生長の家」信者。かつては毎朝「神相観」を行っていた。しかし小学校建設プロジェクトが加熱したころからいつしかこの瞑想(めいそう)を行わなくなったのだという。自宅前で取材に応じる籠池泰典氏(左) =7月27日、大阪府豊中市 「いろんなことが次々と起こり、舞い上がっとったんやろうな。神想観(しんそうかん)もやらんようになったし、『甘露の法雨(かんろのほうう)』(生長の家の経典)も読まんようになってた。いまようやくその大切さを思い出し、またやりはじめたところ。まあこんなんでは、雅春先生に怒られるわなぁ」と、籠池氏は自嘲気味に自分の「信仰回帰」を語る。 「僕は何が大切か思い出した。何が根本なのかを思い出したんや。安倍さんはどうやろうなぁ? 第一次政権のころのような、あの混じりけのない愛国心はどこへいってしもうたんやろうな? 地位のため嘘をつき、他人を蹴落とす。あのままでええんかね? あんな人が総理大臣で、日本国はほんまに大丈夫やろうかね?」 籠池氏の問いかけに、安倍首相はなんと答えるのだろうか。

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    森友事件「告発」市議が緊急寄稿 私はこうして安倍政権を追い詰めた

    うなったのか」、つまり誰が、どういうプロセスを経て、そのようないびつな決定を下したのかである。そこに政治家(首相夫人を含む)の介入があったのか、なかったのか。その点だが、これについても、昭恵氏の関与があったことは、すでに疑いの余地などない。 そうならば「しかるべき人物に、しかるべき形で責任を取らせる」という、まさにここだけが手つかずのまま残されていることになる。 そもそも国有地の売買契約書をめぐって、私が提訴に踏み切ったのは、市議として「直感的」に不正があると確信したからだ。正直に言えば、自分が暮らす豊中市で、児童に教育勅語を暗唱させるような異様な皇民化教育をする小学校ができるなんて「我慢ならん」という思いもあった。「森友学園」が小学校用地として取得していた大阪府豊中市の旧国有地 また、この国有地は、元はと言えば豊中市が国から無償貸与を受けて公園として整備したいと考えていた物件だ。だが、国から「無償貸与などできない、使いたいなら買い受けろ」と強く迫られたため、泣く泣く断念したという経緯も不正を追及しようと決意した理由の一つだ。 ただ、名誉校長が昭恵氏で、理事長の籠池氏は安倍政権の強烈な支援組織といえる「日本会議」関係者であり、いわば「安倍政権」に直結する。これはひょっとすると、土地取得をめぐって何か胡散臭いやり方をしているのではないか。 だとすれば、そこを突けば、開校を阻止できるかもしれないと考えたのだ。この直感は的中したといえるだろう。案の定、「政権中枢と大阪維新が車の両輪となり、極右カルト学園の開校を全面支援した」という事件であることが明確になった。 結果として、開校を阻止できたわけであり、目的を達成できたかのうように見えるが、今はむしろ、歯がゆい思いの方が大きい。それは、一連の森友学園問題を通じて、この国には民主主義がまともに機能していないことを改めて見せつけられたからだ。「打倒安倍政権」と直結した闘い だれもが記憶しているはずだが、国権の最高機関たる国会での正式答弁で、安倍首相は「自分や妻が関与していたなら、総理も国会議員も辞める。間違いない。はっきり言っておく」と述べた。ならば、昭恵氏が大阪府私学審会長の梶田叡一氏と会っていたことも明らかとなった今、安倍首相は政治家を辞めるのが当然なのだ。 ところが安倍首相はいまだ辞めることなく、昭恵氏は国会証人喚問どころか記者会見すら開かず、森友学園問題については完全なダンマリを決め込んでいる。これでは、国会での議論など何の意味もない。戦没者墓地で日本の海軍兵を悼む安倍晋三首相(左)と昭恵夫人=2017年5月、マルタのカルカラ それだけではない。財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は、土地売却をめぐる森友学園側との交渉記録について「売買契約締結をもって事案終了、事案終了と同時に記録は廃棄」と答弁した。「10年分納の契約なのに、契約締結と同時に事案終了なんておかしい」と指摘されたことに対し「一定期間経過すると、自動的に消去されるシステムになっている」との珍答でごまかしている。 「そんなばかな話があるか!」「仮に消去されても復元できるはずだ」と追及されると「間もなくシステム更新作業を始めるので、完全に消去され、復元も不可能」だという。それならばと、東京のNPO団体が証拠保全のためシステム更新作業をしないよう求める仮処分を申し立てたところ、東京地裁はこれを棄却してしまう始末だ。 そして6月1日から予定通り財務省のコンピューターシステムの総入れ替え作業が始まっている。報道によると、この作業にかかる費用は52億円にものぼるらしい。つまり、莫大な血税を投じて証拠隠滅を図っているのと同じではないか。 森友学園事件と「政治の私物化」という点で共通する加計学園問題も大疑獄事件に発展しているが、政権の対応はほぼ同じだ。完全否定し、情報を秘匿する。要は、どんな追及を受けてもひたすら「知らぬ存ぜぬ」を決め込み、やり過ごそうということだ。 そのようなふざけた態度を取り続ける安倍政権が「話し合っただけで罪になる」共謀罪を委員会採決をすっ飛ばすという禁じ手で強行成立させた。さらに、安倍首相は抗議行動に出た市民に対し「あんな人たち」呼ばわりしたのである。 最期にもう一度言っておく。「しかるべき人物に、しかるべき形で責任を取らせる」。これなくして民主主義は健全に機能しない。今や私にとって、森友学園事件とは、民主主義を守る闘いに他ならない。そして、その闘いは「打倒安倍政権」と直結しているのである。