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    元民主議員「日本は異星人問題に向き合う姿勢が欠けている」

    でに宇宙人は地球を訪れているのではないかと考えています」と答え、世界を騒然とさせた。欧米各国では、「政治家とUFO」話題は時に登場する。 他ならぬ日本でも、国会で何度もUFO議論が展開されてきた経緯がある。2005年、民主党の元参議院議員・山根隆治氏が当時総務大臣だった麻生太郎氏に対し、「大臣はUFOを見たことがあるか」と質問。これに対して麻生氏は、「おふくろは見たといってえらい興奮して帰ってきたことがありますけれども、残念ながら私自身は見たことはありません」 と発言。山根氏が「防衛上の問題だ」と突っ込むと、「ある日突然にくる可能性というのは常に考えておくべき問題」と真剣に回答した。 2007年には山根氏のUFO政策に関する質問主意書に対し、政府が閣議決定で「確証できるUFO関連の事例は存在しない」との公式見解を採択。ところが、その後に町村信孝官房長官(当時)が「私は(UFOは)個人的には絶対いると思っている」と発言。防衛大臣だった石破茂氏も、「日本の航空自衛隊が未確認飛行物体(UFO)の領空侵犯にどう対処すればいいのか悩んでいる」 と真剣な表情で語った。ちなみに「宇宙人」と称され、夫人が「宇宙人にさらわれた」と公言していた鳩山由紀夫元首相は、なぜか「深入りしないほうがいい」と論争を避けたが、実は深入りされると困る事情があったのかも。2008年2月、衆議院予算委の集中審議で答弁する石破茂防衛相(矢島康弘撮影) 国会でしつこくこの問題を追及した山根氏に聞くと、「異星人が存在し、日本の安全保障が脅かされるような状況があるのかどうか、ということを確認しておきたかった。日本の場合、超能力や異星人などの問題に科学的に真摯に向き合う姿勢が欠けている」 と大真面目に答えた。 まさか夏の参院選の最大の争点は「UFOの襲来に備えるための憲法改正」――なんてことにはならないよね。関連記事■ 皮肉好き外務官僚 前原氏に「お子様ランチ」のあだ名つける■ 隠し子発覚のミヤネ屋・宮根誠司氏 「子供はどちらも宝」■ 元防衛官僚が安倍政権の安全保障政策の問題点について語る本■ 紅白出場危機の小林幸子の衣装「メガツリー」構想があった■ 球場デート発覚のアンガールズ山根 彼女の両親にも挨拶済み

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    「議員は職業か否か」年金復活の前に議論すべきことがある

    (土日、祝日、年休、年末年始などを除く)なので、全く遜色がない。 しかも実際には、議員活動のほかに、政治家としての政治活動や地域のまとめ役としての地域活動がある。好きでやっていることではないかと言われれば仕方ないが、一方で誰かが担わなくてはならない活動であることも確かだ。むしろきちんとした議員活動をするためにはこれらの活動が不可欠だとも言える。議員になったら土日や夜間もなく、年中無休状態であるのは、自治体規模の大小を問わない。夜間に開催された喬木村議会の常任委員会=2017年12月15日(共同) 職業であるか否かのもう1つの基準は、活動に対して適正な対価を得られるか否かというところにある。これだけの時間的拘束を受けながら適正な対価が得られないとすると、別に収入がなければならない。しかもあまり時間をかけずに得られる収入だ。最初に思い浮かぶのは不動産賃貸業である。かなりの資産家ならば、じっとしていてもそれなりの収入が得られそうな気がする。国の政策が間違っていた 次に思い浮かぶのは既にリタイアして、生活するのに十分な年金を得ている人だが、果たしてこのような人がどれだけいるのか。あるいはいたとしても、あえて議員活動に専心しようとするのか。なかには人徳者もいるので、ゼロとは言わないし、実際にお会いする自治体議員の中にはこうした人たちも多いのだが、俗人には難しい。あとは農業や建設業などの自営業で時間の融通が利くか、あるいは実質的に子世代へ実務を引き継いだ会社経営者などが想像できる。いずれにしても議員になれる人たちは極めて限られる。 地方議員に関するすべての問題はここにある。最初から議員になれる層が限定されているのだ。だから議員のなり手が見つからない。若い人も女性もなかなか議員にはなれない。市民にとって政治的に最も身近な存在であるはずの市町村議会でさえも遠い存在になる。 すると、役所の物事は市町村長が決定しているかのように見える。だから市民は議会議員よりも市町村長の存在を強く意識する。制度上は予算も条例も議会でしか決定できないのだが、役所が案を練り上げ、市町村長が政策を決定し、議会はその追認をしているのが現実だ。もしそうであれば、市民は自治体議会やその議員を「私たちの代表者」とは考えない。 それではどうしたらよいのか。はっきり言って前提条件から変えなくてはならない。国の地方自治政策が間違っていたのだ。前述の総務省検討会の報告書には、なぜ地方議会議員年金制度が破綻するのかという理由が2点、書かれている。市町村合併が「見込んだ以上に大規模に進展した」ことに加え、「行政改革に連動した議員定数・議員報酬の削減が積極的に行われた」ことにより、年金財政が急速に悪化したとある。自分で自分の首を絞めたということだ。議員年金廃止の与党案を賛成多数で可決した衆院議院運営委員会=2006年1月27日午後、国会(共同) そもそも社会科学の常識で言うと、議会とは政治学の分野であって、行政学の分野ではない。それなのに「行政改革」として議会議員数を削減してきたのであり、その象徴が度重なる国策としての市町村合併だった。本来、「行政」を統制するはずの「政治」を弱めるのだから、理論的には行政の裁量や自由度が高まる。こうした流れに地方議会もさおをさしてきたとすれば、無自覚のうちに自虐的、自傷的な行動をとったということだろう。国にコントロールされる自治体 この流れは今も続いている。どの政党も「地方分権」を口にするが、その実は結果的に集権化を促進させることをやっている。例えば「地方創生」政策はその典型だ。国が認証する施策だけにお金がつく。決定権は事実上、国にあるから、国の顔色をうかがいながら自治体は計画を立てる。しかし、計画を立てたのは自治体という建前なので、あらかじめ設定された目標値(これにも国の意向が関与している)に達しないとその責任は自治体がとらされる。 北海道大学の研究者による調査では、北海道の市町村に「国から各自治体へのコントロールは、概して強化されていると感じますか」と聞くと、図のように、3分の2の市町村が「強化されている」と答えている。これは驚くべき数字だ。もう20年以上も国政で「地方分権」が掲げられてきたはずなのに、ますますこのような事態が進行している。【図】国から市町村へのコントロールは強化されているか 〔出所〕村上裕一・小磯修二・関口麻奈美「『地方創生』は北海道に何をもたらしたか;道内 自治体調査の結果とその分析を通して」『年報公共政策学』11号(2017年3月) 地方自治制度のあり方には融合型と分離型がある。融合型というのは、自治体が国政の出先機関の性格を兼ねるもので、分離型というのは、国政は国の出先機関が執行し、自治体の役所は自治体本来の業務をすることだ。もちろん、どちらにもメリットデメリットがあるが、日本の地方自治制度は典型的な融合型になっていて、その宿痾(しゅくあ)が現状に表れている。 一気に地方自治制度を改正することが現実的ではないことは確かだ。しかしもう少し分離型の要素を増やし、バランスを回復する必要がある。ところが現在の国政はますます融合型を強めようとしている。「地方創生」政策の進め方もその1つだ。ここからひっくり返さないと、ますます自治体議会は市民にとって縁遠い存在になり、結果的に地方自治は衰退していく。地方議員を職業として考えるか否かの分かれ目は、実は地方自治制度をどのように考えるかというところにある。

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    「議員年金復活」しばし待たれよ

    活するようである。「議員のなり手不足」が口実とはいえ、なぜこの議論がゾンビのようによみがえったのか。政治家たちの思惑と議論の背景を読み解く。

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    議員年金復活を目論む「銭ゲバ」政治が許せない!

    ることができないこと、選挙結果の納得性の低さなどを議会の問題として挙げている。 さらに付け足すなら、政治に優秀な人材が集まらないとすれば、それは、忖度(そんたく)や腐敗まみれに見える政治への不信や、選挙運動に多額の資金と人手がかかり、現職や世襲以外では新規参入しにくい排他的で非効率な選挙制度のせいである。 政府与党には、議員年金の復活ではなく、政界の浄化と選挙制度改革によって、よい議員を集めてほしい。 

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    議員年金が復活しても「なり手不足」が解消しない理由

    厚生年金等同様の2階部分の給付を受けることができる制度になっている。(iStock) 議会とは多様な政治的意見を持つ議員の集合でなければならないが、ここでは年金制度を検討するために、議員の処遇の問題に絞って考える。 議員とはいかなる者なのか。日本国憲法では国会議員であれ、地方議員であれ、普通選挙で選ばれるべきことのみが決まっている。議員は議員専業なのか、議員以外の他の職業を持っての兼業であるべきかの規定は憲法上存在しない。国会議員は国庫から相当額の歳費を受けることが定められているが、地方議員は地方自治法で単に「議員報酬を支給しなければならない」と明記されているだけである。したがって法律上、義務として支払われる議員報酬は「相当額」という規定がないから1円以上としか言えない。歳費は年間すべての活動を議員活動として認め、その支給対象となると解せるが、議員報酬が議員活動のどの部分を支給の対象とすべきか、運用上はともかく、法文上は明確ではない。「無給の名誉職」から一変 では、議員報酬はどのように決められてきたか。議員報酬が支給されるようになってすぐの昭和20年代前半から調査が行われているが、大まかな状況として、知事や市町村長の給料の月額が議会議員の議員報酬の年額、つまり12分の1以下というあたりから始まっているようである。当時の地方議員に対する給付は議員報酬だけではない。昭和初期、地方議員にも普通選挙制が導入されたが、議員は「無給の名誉職」という位置づけのままだった。そのため、大都市部では名誉職ではやっていけない議員への対応として、報酬は支給しないとしても、長と同様に慰労金などの名目で退職手当など議員に対する諸手当があったり、出納検査の立会など実費弁償を支払っていた。 昭和21年以降は議員を務める自治体と議員などが請負関係にあることも制限されなくなった。しかし、昭和31年の地方自治法改正でそれらは大幅に制限され、議員報酬の少ない議員がいくつかの兼業などによって生活していく方法が閉ざされてしまった。今日の小規模町村の議員のなり手不足はここに原因の一つがある。2006年1月、衆院本会議で議員年金法案が採決後、本会議場を後にする小泉純一郎首相(中央) 昭和30年前後の大合併による町村の規模拡大とその後の高度経済成長により、議員報酬も少しずつ増額されるようになる。首長給料の20~10分の1くらいから始まった議員報酬は、昭和40年代中ごろには5~3分の1くらいに改善されたようである。当時の自治省はその動きを抑止する。議員報酬は首長の給料の一定比率以下となるように法律にはよらずに行政指導を行い、特別職報酬等審議会を「自主的に設置するよう」にさせたのである。 審議会への諮問は、首長は年間300日程度勤務するが、議員は議会の会期中の会議日数が勤務である。答申は勤務日の比によって結果的に首長の給料の3分の1程度が相当、ということになる。もっとも、議員報酬の前提とされることになる首長の給料がどう決まっているかというと、仕事に対する評価ではない。人口規模が中心で、さらに県庁所在地か、市制施行が古いかなどの「格」が加味される。戦前の内務官僚が知事になっていたころと同じ考え方だが、これに合理性があるのだろうか。地方にいれば給料は低い、だから東京や大都市に向かうという流れの根本原因であり、今日の地方創生がいまだ進まない理由がここにある。 地方議員の報酬の大きな格差から、議員のなり手も大きく異なることになる。これに議員定数を組み合わせるとさらに大きな矛盾を生ずる。人口の大きな自治体では経済活動に任せても交通や医療という住民サービスは十分に提供できるから、総体的に住民にとっての行政の必要性は小さい。しかし人口が多ければ議員報酬が高い議員が多数存在する。他方で、人口が小さい自治体では行政の仕事は想像以上に多岐にわたる。したがって議員の仕事量も必然的に多くなるわけだが、議員数は少なく、議員報酬は行政職員の初任給程度である。もともと働き手の年代が流出してしまう地方圏では自治の担い手もいない、ということになってしまうのである。議員年金はなぜ廃止されたか ここで議員年金廃止の簡単な経過を振り返ってみよう。平成18年に国会議員の互助年金が廃止された。廃止の理由は「現下の社会経済情勢にかんがみ」であるが、平成16年の年金制度改正以降、国民一般の加入する年金制度よりも国庫負担割合の高い国会議員の年金制度は特権的である、というあまり正確ではない考えに基づいていたようである。なぜ正確ではないかというと、国庫負担割合は確かに高いが、これは国が国会議員のみを優遇しているのではなく、年金制度に対する国の負担と事業主負担分の双方を負担しているからだ。その意味で問題にすべきは、もっと根本的な、国会議員に職域年金がなぜ必要かを、もう少し丁寧に議論した上で説明すべきだったのではないか。 地方議員の年金制度は国会議員の互助年金にならって発足し、国会議員の互助年金制度廃止後も制度改正を行った上で存続してきた。給付を抑制しつつも保険料を増額して存続の努力が続けられていたのだが、平成23年に突然廃止された。理由は平成の市町村合併に伴い、地方議員数が急減する一方、退職した多数の議員が受給権者として急増したため、資金の枯渇が想定されたことによる。 地方議会議員年金の廃止が検討されていた平成17年、議員が被用者年金に加入しているかどうかの調査があった。それによると、都道府県議会議員で厚生年金に加入している人は39・5%、市議会議員で23・8%、町村議会議員で20・9%だったという。平成27年の国民全体の厚生年金加入者数は3686万人に対し、国民年金の加入者数は1号1668万人、3号915万人の計2583万人。この三つの合計6269万人を分母として厚生年金加入者数を分子として割ると、全年金加入者の厚生年金加入率は58・8%になる。都道府県議会議員の厚生年金加入率よりもだいぶ高く、町村議会議員の3倍近くに上る。だが、この数字はどのように読むべきなのか。議員の「議員以外の職業」についての調査では、議員専業率が一番高いのは都道府県議会議員であって、一番低いのは町村議会議員だ。つまり、厚生年金に2割しか加入していない町村議会議員とは、議員専業だからではなく、そのほとんどが自営などに従事している。 他方、平均年齢は都道府県議員が一番若く、人口規模が小さくなるほど議員の年齢構成は高くなる。特に小規模町村の「新人議員」は、退職後に年金を受給するようになってから立候補するという例が普通になってきている。そうでなければ議員をしながら生活ができないからである。東京都議会本会議=2017年10月 一口に議員といっても国会と地方、また地方でも都道府県・市・町村と多様である。かつてのようにそれぞれ独立の「職域」で年金を再構成するのは極めて難しいだろう。しかし問題となっている「なり手不足」への対処としては、議員任期など特殊性に十分配慮し、かつ国政・地域の担い手に挑戦する若者層も安心できるような制度が必要であろう。だとすれば、どのような方法が考えられるだろうか。「退職金も年金もない」では働けない 最も簡単なのは、国会から地方まで、議員の有り様がさまざまなのだから、多様な職種が加わる厚生年金に加入することだろう。厚生年金の目的の冒頭には「労働者」とある。確かに議員は誰かに雇用されているわけではなく、誰かの命令で働くわけでもない。しかし、仕事を持つ若者が選挙に挑戦するにも、また定年後の人間が社会貢献を目指すにも、どちらにも都合が良い制度は分母が大きく、加入者が多様な厚生年金しかないであろう。「特別職公務員」だから公務員共済制度を利用すればいいと思うかもしれない。だが、まだあまり知られていないようだが、既に厚生年金に一元化されているので、行政職員と一緒になることはできないのである。ほとんどの議員が秘書を持てずに、しかし家族の献身的な協力の下にあることを考えれば、配偶者が3号保険者となることができることは当然認められてよいだろう。 もう一つの考えられる選択肢は、国民年金基金の職域組織として全国の各議会を通じた議員年金を作ることかもしれない。しかし、若年層が職業を兼業しながら議員になるとき、議員年金が厚生年金と別立てになっていると新たな参入障壁となることもあるだろう。 いずれの場合でも、現職地方議員の多くには大したメリットは感じられないと思われる。議員数の大部分を占める小規模市町村の議員報酬は低く、「報酬比例部分」での給付があまり期待できないからである。しかし、時折見られる「国民年金だけでよい」という意見には同意できない。数の上で多くの議員は、議員在職中に資産を形成できるというような経済状態ではないし、また議員であることを利用して資産形成するなどということは明らかにおかしいからである。何より、年金制度がないことを理由に優秀な人材が政治家を目指してくれないのであれば、結局は国、自治体としての損失となる。 なお、国会議員だけは議員数が急減することもなく、継続的に世代交代が行われ続けているから、単独の年金制度を再構築することも可能かもしれない。しかし、一部報道のように、経済的に困窮するのは年金受給権などを得るよりもずっと短い在籍期間しかない経験者である。選挙制度である以上、仕方がないこともあるが、議員以外に再就職しようとすると「そんな偉い経歴の人は雇えない」と言われることもあるという。それに対応するとしても、まさか雇用保険というわけにもいかないだろう。国会議員の互助制度とするのであれば、短期在籍・退職者の対応が結果として政治家への積極的な挑戦を促すことにもなるだろう。 議員のなり手不足をどうするかという議論を行っている高知県大川村では、村内の住民や企業に、議員になるには何が問題か、従業員が議員になることが可能か、という調査を行っている。議員は会議のある日だけが仕事ではない。年間を通じて地域を歩き、住民の声を聞いてそこから政策を考えていくのがむしろ本務である。その意味では、住民に雇われた「議員労働者」なのであろう。2017年6月、高知県大川村議会で、有権者が予算などの議案を直接審議する「村総会」の検討を表明する和田知士村長(左から2人目) 廃止された議員年金を再整備しても、それだけで議員のなり手が増えるということは恐らくない。自分が議員となって活動するにはどのような仕組みが必要か。日本は普通選挙制の国なのである。国民一人一人が自分の問題として、これなら私も立候補できる、という仕組みを考えてほしい。

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    高額報酬に加え公務員並み年金要求する議員の虫のよい主張

     かつて「役得年金」と批判され、重複加入が可能だった「議員年金」を復活させようという動きが活発になっている。「国民年金だけでは老後の生活ができない」「地方議員のなり手がいなくなる」など、勝手な理由が並んでいる。現在、各地の市議会や県議会が声高に要求しているのが、議員の「厚生年金」加入だ。 全国都道府県議会議長会総務部の担当者はこういう。「議長会は議員年金の復活を要求しているわけではありません。知事も市長も厚生年金。あまり都庁に出勤していなかった某元東京都知事だって特別職公務員として公務員共済年金(現在は厚生年金に統合)に加入できていたんですよ。同じように選挙で選ばれる県会議員が加入できないのはおかしい。だから国会に法整備を求めている。地方議員はイメージが悪いから厚生年金に入れないというのは差別でしかない」2017年10月、熊本市で行われた全国都道府県議会議長会であいさつする柳居俊学会長 うっかり“議員の厚生年金加入くらい認めてもいいじゃないか”と考えると罠にはまる。実はこれが特権議員年金の復活につながる道なのだ。 廃止されたかつての「地方議員年金」は、議員が支払う掛け金が6割、税金4割で運営され、議員の負担の方が大きい仕組みだった。しかし、厚生年金の保険料は労使折半だ。議員は政党の職員でも、自治体の職員でもない。厚生年金加入を求めるのならせめて保険料を全額自分で払うというのが筋だろう。 そうではなかった。「議員は自治体の住民に雇われているようなもの、当然、保険料の半分は税金で負担するべき」(同前)衰退しているのは議員のモラル 厚生年金加入のついでに、年金保険料の5割を税金で払わせようというのが議長会側の主張だ。これが実現すると、かつての税金4割負担以上のおいしい“議員年金”ができあがるという筋書きである。議員や公務員の特権を追及してきたジャーナリストの若林亜紀氏が指摘する。「日本の地方議会は平均年間80日間程度しか開かれていない。兼業者も多く、フルタイムで行政の仕事をしている公務員とは勤務形態が違う。しかも、議員はいわば個人事業主でサラリーマンのように誰かに管理されることがなく、たとえ議会に1日も出席しなくても高額な報酬が全額もらえる。 独立性ゆえ特権が与えられているのに、“年金だけはサラリーマンや公務員などの被雇用者並み”などと主張するのは虫がよすぎる。もし、地方議員が自治体と雇用契約を結んで厚生年金に加入すれば、首長の部下ということになり、知事や市長の行政をチェックするという議員本来の務めを果たせなくなる。自己否定も甚だしい」 地方議員の中にも、「議員特権と批判された議員年金を復活させ、しかも保険料の半分を役所の財政から出すなど、有権者の理解が得られるはずがない」(無所属の古坊知生・豊島区議会議員)と一部で反対する声があるが、与野党合わせて復活に突き進む大号令にかき消されている。 ちなみに現在の全地方議員を厚生年金に加入させると、国民の負担は毎年170億円増える。 どの言い分を聞いても、衰退しているのは議会制民主主義ではなく議員たちのモラルだとはっきりわかる。いくら選挙で「集票マシン」の地方議員に世話になるとは言え、自民党の国会議員たちはこんな言い分に耳を貸して議員年金復活を言い出したのか。「種明かしは簡単。地方に旗を振らせて地方議員の厚生年金加入を認める法改正をすれば、国会議員も同様にという議論になり、便乗して厚生年金に入れる。地方議員同様、保険料を国民に半額負担させる事実上の国会議員年金を復活できるという計算があるからでしょう」(地方議会関係者) 年金カット法案を強行採決した国会議員たちが次に国会提出を狙っているのは、自分たちの「議員年金復活」法案になる。■取材/福場ひとみ(ジャーナリスト)関連記事■ 特権年金を廃止したから民主主義衰退? 代議士の仰天理屈■ 年金の仕組み 国民年金は「素うどん」で厚生年金は「天ぷら」■ サラリーマンから個人事業主まで すぐにわかる年金の仕組み■ パート 厚生年金に加入経験があれば申請して受給額大幅増も可■ 議員年金の復活計画 「国民年金だけでは老後生活できない」

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    議員年金の復活計画 「国民年金だけでは老後生活できない」

    重複加入が認められ、地方議員は12年、国会議員は10年で受給資格を得られたため、地方から国会に転じた政治家の中には議員年金の「ダブル受給者」もいた。 それが批判されて国会議員年金は小泉政権下の2006年に廃止、地方議員年金は民主党政権下の2011年5月に「全ての地方議員に特権年金があるのは世界でも日本だけ。国民生活と乖離した悪しき制度」として国会の全会一致で廃止法案が成立した。 あれから5年、特権復活の動きはまず地方から広がった。 年金カット審議さなかの11月11日、全国都道府県議会議長会のお歴々が首相官邸や自民党本部を訪ね、菅義偉・官房長官や二階俊博・幹事長に議員の年金加入を求める決議を手渡した。各地の市議会や県議会でも次々に決議がなされており、政務調査費をめぐる不正で議長が続けて辞任した宮城県議会は、なんと全会一致で年金復活を求めている。 自民党本部は政務調査会の「地方議員年金検討プロジェクトチーム」で本格的な検討にとりかかった。2017年11月、自民党の「人生100年時代戦略本部」初会合であいさつする岸田政調会長 チームの1人、熊本県議出身の坂本哲志・代議士は議員年金復活の必要性をブログでこう説明している。〈今、議員に年金はつきません。町村議会議員から国会議員まで全て国民年金です。このためでしょうか最近地方議員、特に市町村議員へのなり手が少なく無投票が増えています。これは結局議会の活性化を阻害して、本来の議会制民主主義を衰退させてしまいます。そこで地方議員の年金を復活させるべきということで自民党では今、ワーキングチームを作って論議しています〉“議員の特権年金を廃止したから、この国の議会制民主主義が衰退している”という仰天の理屈である。■取材/福場ひとみ(ジャーナリスト)関連記事■ 『相棒』の頃から異変が… 成宮寛貴「薬物疑惑報道」の背景■ 石川佳純が長身イケメンと鉄板焼き&カラオケデート■ 千葉大医学部集団強姦 容疑者学生の「華麗なる法曹一族」■ 愛子さま、ストイック減量の背景にご学友の「きれい!」の声■ 星野源 新垣結衣に「なんでそんなにかわいの?」と直球質問

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    「学芸会」と化した地方議会、働く議員をきちんと選ぶために

    中村宏之 (ジャーナリスト)政務活動費支出の正当性を訴えて号泣する野々村竜太郎兵庫県議 (当時)=2014年、兵庫県庁(牛島要平撮影) 年末に一年を回顧するテレビ番組で繰り返し流れた元兵庫県議の号泣映像で、この男性の政務活動費問題が2014年に明らかになった問題だったと再認識した方も多かっただろう。映像のインパクトがあまりに強すぎて、いつのニュースだったか筆者(中村)も失念していたが、当の元県議は、年明けになって詐欺容疑で1月19日に送検された。この事件は地方議会の質の低下ともいうべき実態を改めて世の中に明らかにするきっかけとなった。 とはいえ、地方議会のこうした状況は、いまに始まったことではない。ずっと以前から言われていたことであり、筆者が地方支局勤務をしていた駆け出しの頃から多くの地域で見られた。地方議会を取材しても、どうみても役所の職員がおぜん立てして、代筆したような台本をそのまま読んでいるとしか思えないやりとりなど、著者が本書で紹介している「学芸会」ともいうべき状況を目にしたことはたびたびあった。 さらに本書で紹介されている政務活動費や交通費などの取り扱いの実態を知るにつけ、いかに時代遅れかということもわかる。今の時代、仕事にかかる様々な経費について、領収書の添付なくしてお金が支払われることなど、まともな民間企業ではありえない。交通費などについても、都度の実費精算が常識である。しかし地方議会の多くは、そうしたことがないがしろにされたまま多額の公金が取り扱われており、いかに世の中との感覚がずれているかがわかる。 本書には、著者の長年にわたる取材で蓄積した地方議会の実態が詰まっており、全国にいかに多くのずさんなケースがあるのかを教えてくれ、あぜんとする。「地方自治は民主主義の学校」と昔、学校で習った記憶があるが、もはや「学ぶに値しない」ような存在となっているのは嘆かわしいことだ。 政務活動費の不正な取り扱いを始め、セクハラ・ヤジ、危険ドラッグ使用、市長選買収事件など、著者が列挙するように、昨年次々と明らかになったような「トンデモ議員」の存在は、全国に広がっている。しかし考えてみれば、こうした議員を選んでいるのはその地域の有権者であり、厳しいようだが、責任の一端は有権者の側にあるともいえる。 ただ、地方議会をとりまく状況が厳しくなっているという実情も本書で知ることができた。報酬を一つとってみても、東京都議会のように大手企業の役員並みの高額報酬を得ている議員がいる一方、大卒初任給の平均に満たない自治体もある。ただ、改革を訴えて、報酬を減額したり、日当制を導入したりする取り組みを行っても、報酬が低いと地方議員の「なり手」がいないというジレンマもある。 「なり手」という点では、本書は、(1)立候補が定員に達せず、無投票当選が続出する、(2)投票率が極端に低くなる傾向に歯止めがかからない、(3)選挙になっても落選者がごく一部に限られ、開票前から結果がわかる「少数凡戦」が状態化する――、といった問題点を指摘する。これでは地方議会は活性化せず、議員の顔ぶれが長期にわたって固定化することで新規参入も困難になり、新陳代謝が進まない。 ただ地方議会でも福島県の会津若松市議会や、京都府の亀岡市議会など、議会側が首長や行政を監視するという本来の機能を発揮したり、議員同士が切磋琢磨して議会運営を活性化させたりする改革に乗り出している事例などについても、著者の広範な取材で盛り込まれている。 いま第3次安倍内閣では「地方創生」を進めるべく様々な取り組みを行っている。国が旗を振るものの、主役はそれぞれの地方であることはいうまでもない。地方創生を担う自治体、特に地方議会の重要性はこれまで以上に増し、それにともなって責任も重くなってくる。同時に住民自身も自らが住む地域に関心を持ち、有権者として適切な判断を下す必要がある。本書はそうした「気付き」を与え、私たち一人一人に「当事者」であることを強く意識させてくれる。

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    「人生100歳時代」ただ長生きするより安楽死の方が幸せである

    に容認されていません。ですが、私は全国民に安心感を与えるためにも安楽死制度が必要だと思います。 私は政治団体「支持政党なし」の代表として国政選挙を経験しているかたわら、政治団体「安楽死党」の代表も務めています。過去に2012年12月の衆院選では安楽死党として、2010年7月の参院選と2009年8月の衆院選では「新党本質」という政治団体名で「日本でも安楽死制度を」と訴えて立候補しており、日本で安楽死制度の必要性を主張して国政選挙を戦ったことがある唯一の政治団体の代表です。 そもそも人間は生まれてきた時から、人それぞれ多様な考え方があり長生きしたいと思う人もいる一方で、逆に死にたいと思う人がいるのも自然です。一時期、自殺者も年間3万人以上にのぼり、現在は2万1000人近くに減少はしていますが、死にたいと思う人がたくさんいるのは事実です。 長く生きたいと思う人の気持ちを尊重するのは当然ですが、死にたいと思っている人の気持ちを尊重するのも本来の「人間の尊厳」を重視することとして大切ではないでしょうか。むしろ死にたいと思っている人に安楽死を認めない方が「人間の尊厳」を損なうのではないでしょうか。※iStock 現在でも海外では安楽死制度を認めている国もありますが、病気などによる終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないなどという医学的な病症や疾患を伴うことが条件になっています。安楽死先進国のオランダでは健康上の問題がなくても「生きるのに疲れた」などと訴える高齢者にも安楽死の適用を広げるという政府の提案が波紋を呼んでいるようですが、私は賛成です。 自分が将来、病気になって治る見込みもなく痛くて苦しい時に、楽に死を選べるというのは安楽死制度の基本として大事ですが、人間の悩み苦しみというのは肉体的なことだけに限らず多岐に渡ります。だからこそ健康上の問題がある時に限らず健康上の問題がなくても安楽死を認めることは「人間の尊厳」を重視する上で大変重要だと考えています。 私の提唱する安楽死制度というのは、人生の終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないという医学的な病症や疾患を伴う場合はもちろんのこと、65歳以上の高齢者にも安楽死を認めたいという思いがあります。さらには健康上の問題がなく、65歳以上の高齢者でなくても安楽死を希望する場合には臓器提供を条件として安楽死を認めるべきです。一億総活躍に必要な「安楽死」 現在日本で自殺者が2万人程度いる中で、どうしても生きていきたいと思い、体の疾患を臓器移植でしか治癒できない患者で臓器提供を待っている人も1万5000人ほどいます。臓器提供を条件に安楽死を認めることはまさに生きたいと思う人の思いも尊重でき、かつ死にたいと思う人の意思も尊重できることになります。 死にたいと思う人に思いとどまって頑張れと言葉をかけるのは簡単ですが、ただ頑張れと言うだけでは何の励ましにもなりません。死にたいと考えている人がもう少し頑張ってみようと思うためには、どんな励ましの言葉よりも最後には安楽死という選択肢もあるということこそが、もう少し頑張ってみようという気持ちに繋がるのではないでしょうか。 政府は一億総活躍社会の実現などと提言していますが、一億総活躍するためにはまさに安楽死制度が必要です。安楽死という人生の選択肢があってこそ、やりたいことがやれ、自分の最後も自分で決められるという、これこそが安心感をもって充実した一生を送れる基礎になるのではないでしょうか。一億総活躍国民会議であいさつする安倍晋三首相(左から2人目)=2016年2月、首相官邸(酒巻俊介撮影) 政府は一見、聞こえのよい政策などを掲げ、国民の支持を得ようとしますが、どんな政策も実現することによって得をする人もいる一方で、必ず誰かが損をすることになります。国民全員が納得をする政策というものはそもそもないのです。どんな法案も可決されれば得をする人と損をする人が出るのは当然です。 ただ、安楽死を認める法案は違います。仮に日本で安楽死制度の法案が可決したらどうでしょうか。安楽死制度を認める法案は全国民に一律に安楽死を強要するものではなく国民は一つの自分の将来の選択肢が増えることになります。 いつか病気になって痛くて苦しくなった時はもちろん、病気でなくても死にたいと思った時には安楽死という制度も使えるという人生の選択肢が増えれば、安心感に繋がります。世の中誰しも自分がいくつまで生きられるのかはわかりませんし、どのような病気になってどのような最後を迎えるのかということもわかりません。 だからこそ人生の一つの選択肢として安楽死制度があるということは全国民に必要なのです。さらに安楽死を認める法案には多くの予算を必要としないため、予算をかけずに実現できるというメリットもあります。 多くの国民は自分の老後を考え一般的には貯金をしますが、貯金を残して突然死んだらどうでしょうか。子供や子孫に財を残したいという人もいるでしょう。また、人生で稼いだお金は全て使い切りたいと考える人もいるでしょうし、ある一定の財産は家族に残し後は自分の好きなことで使い切りたいと思っている人もいるのではないでしょうか。「安楽死」は人生の選択肢 しかし、安楽死制度がない中では自分の人生の最後の予定を立ててお金を使い切ることなどできません。多くの国民は先の見えぬ将来の不安のために身を削って節約し、将来に備えて貯金をしているのが現状です。でも、仮に安楽死制度があればお金を自分の人生計画に併せて使い切るという選択肢も可能です。自分の人生の区切りの最後を決められることこそが思い切って自分のやりたいことがやれる人生になるのではないでしょうか。 この価値観の多様化する世の中で国民が抱える将来の不安をいかに軽減させられるのかを真剣に考えるのは、政府として取り組むべき最も重要なことではないでしょうか。だからこそ日本でも安楽死制度を確立して人生の一つの選択肢を広げるべきです。 くり返しますが、安楽死制度は全国民に強要するわけではなく、使いたい人だけ使えばよい制度です。消費税の増税の様に全国民に一律に課される政策ではありません。使いたくない人は無視して使わなければよいのです。 一般的には子供のころから人生は頑張ることが美徳とされてきました。何がなんでもどんなに人生が苦しくても頑張らなければならない。健康状態が悪くても頑張って最後の最後まで生き続けなければいけない。その様なプレッシャーこそが人々が悩み不安に陥る大きな要因になってきたのではないでしょうか。※iStock  現在安楽死制度はオランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、アメリカのいくつかの州、最近ではオーストラリアの一部の州でも法律で認められ始めており、世界で広がりつつありますが、未だ多いとは言えません。 ですが、人生100年と言われる中で、ますます国民は将来の不安との戦いの時代になります。もうこれ以上生きていたくないと思った時や苦しい病に侵された時にも自分の意思で自分の最後を決められるということは、ひいてはやりたいことをやって生きていけることになります。 ただ長生きするだけの人生でなく、自分で自分の人生計画を立てて充実した一生を送るためにも今後、安楽死制度を求める人は増えるはずです。それなのに日本の国会では、安楽死制度は一部で議論されているだけです。ぜひ、国民の安心感のために安楽死制度の確立に向けて真剣に国会で論議され、法律で明示的に容認されることを期待します。そして、できれば私自身がその一助になりたいとも思っています。

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    「安倍一強」はいつまで続くか、運命の岐路は3月の日銀総裁人事だ

    い。そこで妥協案として、思考実験をしてみたいと思う。初夢と思っていただければ結構。 さて、現状の日本政治はどのような状況か。言うまでもなく、安倍内閣が長期政権化している。一部の論者は「永久政権」のごとく予想している。では、なぜ安倍内閣が長期政権化しているのか。簡単である。ひとえに、黒田東彦日銀総裁のおかげである。 安倍晋三首相は野党時代に、当時の白川方明日銀総裁の金融政策に変更を迫ると宣言した。世論はこれを熱狂的に支持し、ついに白川総裁を辞任に追い込んだ。その後、黒田総裁と岩田規久男副総裁を日銀に送り込み、「アベノミクス」と称される景気回復政策を実行した。アベノミクスの中身は簡単で、「インフレ率2%になるまで通貨を増刷する」である。二十年に及ぶデフレは、生産量に比して極端に通貨供給量が少ないことが原因だ。だから、通過を増刷するとデフレからインフレ傾向に移り、景気は回復していく。それが安倍「一強」へとつながっていく。 すなわち、「日銀が増刷する→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→与党の誰も安倍首相を引きずり下ろそうとしない」というメカニズムだ。 そして今年2018年4月、黒田総裁と岩田副総裁の任期が切れる。今後、安倍首相が何かをなしえるのか。それとも何もなしえず野垂れ死にするか。すべては3月に提示される予定の日銀正副総裁人事にかかっているのである。大規模金融緩和について講演する日銀の黒田東彦総裁=2017年12月7日、東京都千代田区(共同) では、小説風初夢の御開帳。 元旦、安倍晋三は決意していた。「自分が内閣総理大臣として、この手で戦後レジームから脱却する。それは単に自主憲法制定や自主防衛にとどまらない。それでは敗戦国でなくなっただけだ。真の意味で日本を取り戻すとは…いつの日本を取り戻すのか。大国に戻って初めて、日本を取り戻したと言えるのだ。そう。安倍内閣は、大日本帝国を復活した政権であるとして、歴史に名を残すのだ」と。 現在、自民党に対抗できる野党はいない。むしろ立憲民主党が野党第一党でいてくれる限り、あいつらが相手なら何回選挙をやっても圧勝できるだろう。連中が「モリカケ」を騒げば騒ぐほど、国民は立憲民主党にだけは政権を渡してはならないと肝に銘じるだろう。大衆は本質を見抜いている。立憲民主党は「ザル」だと。 選挙で勝てる、つまり自分たちが当選できる以上、自民党の議員は自分に逆らわない。自民党議員とはそういう生き物だ。 これまでの5年間、大体において高支持率を維持してきた。消費税8%増税の悪影響が景気回復を妨げているが、蛇行運転ながらもアベノミクスは維持している。思えば、黒田総裁の「ハロウィン緩和」にも助けられたし、10%の増税は延期し続けている。安倍首相に浮かぶ「妙案」 今後も政権と景気回復を維持するには、日銀正副総裁人事は天王山だ。日銀の意思決定は、総裁、2人の副総裁、6人の委員からなる日銀政策決定委員会で行われる。今のところ、9人の委員全員がアベノミクスに賛成だ。今のところ、つまり私の政権が強いうちは…。 かの小泉純一郎総理も、退陣が決まった瞬間に当時の福井俊彦日銀総裁に裏切られ、景気回復に水を差された。結果、「失われた10年」が「20年」に伸びる遠因となった。 今回、裏切る可能性があるのは…?安倍は、任期切れの3人の顔を、経歴と共に思い出してみる。総 裁:黒田東彦  財務省枠。ただし、事務次官経験者ではない。副総裁:中曽 宏  日銀枠。彼に意思はない。政権が強ければ政権に、日銀が強ければ日銀に従う。麻生太郎副総理兼財務大臣が「日銀プロパーを一人も入れないのは、日銀の士気が下がる」と強硬に主張し、妥協した。副総裁:岩田規久男 学者枠。いわゆるリフレ派。アベノミクスの理論的支柱。最近は病気がちで、もう5年の続投は難しい。 安倍は、とつおいつ考えつつも、夕日が差し込む頃、閃光のように脳裏に妙案が浮かんだ。 「いこう。これしかない」。安倍は誰もいない自室で早口でつぶやいていた。衆院予算委員会で、自民党の菅原一秀氏の質問を聞く安倍晋三首相=2017年11月27日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 「総裁は黒田さんの続投しかない。本来ならば、日銀総裁は財務次官出身者と日銀プロパーが交互に就いてきた。いわゆる“たすきがけ人事”だ。しかし、安倍内閣では従来の役所のわけの分からない慣例は認めない。日銀人事は政権の生命線のみならず、国民経済の命綱だ。中曽さんには悪いが、日銀には15年もデフレを放置した前科がある。中曽さんに限らず、日銀のわけの分からない人間に生殺与奪の権を渡したあげくの、小泉さんの二の舞は御免だ」 安倍はライオンのように部屋の中央を歩き回っている。 「人物本位で言うと、内閣参与を務め、今も私の知恵袋となっている本田悦朗スイス大使は余人を以って代えがたい。ぜひ、日銀に欲しい。ただし、それだと財務省出身者が二人となる。そこをどう乗り越えるか」 「岩田副総裁は残念だが、健康の問題では引き留める訳にはいかない。では学者枠は? いいっそ静岡大学教授の経験もある本田氏を学者枠で…」 「日銀枠は中曽さん。あるいは、アベノミクスに面従腹背のA日銀理事、あるいはU支店長あたりを送り込んでくるか。獅子身中に虫を抱えることには変わりない…」 と、そこまで考えをめぐらして、安倍は「いこう。これしかない」とつぶやき、そして閃(ひらめ)きを忘れまいと書斎のレターセットに万年筆で書きつける。総 裁:黒田東彦(続投) 日銀枠副総裁:本田悦朗(新規) 財務省枠副総裁:原田 泰(昇格) 学者枠 「どうだ!」。誰もいない部屋で誰に向かって言っているのか、自信ありげな独り言が安倍の口から自然と漏れた。 「黒田さんは現職総裁なのだから日銀枠。本田さんは財務省の金融専門家。岩田さんの空いた枠には同じリフレ派の原田さんを昇格。原田さんの後には、リフレ派のエコノミストを据えれば、鉄壁の布陣が出来上がる!」強兵の前に「富国」がある その夜。安倍はある財務官僚を密かに呼び出し、腹案を見せた。 「どう思う?」。一瞬の静寂が空気を支配する。が、男は、ポーカーフェイスと呼ぶには愛想のない、官僚にありがちな典型的な“秀才顔”で答える。 「総理大臣の権力を示す、ですか」  安倍もポーカーフェイスで返す。 「そうだ」  自分が何のために呼ばれたかを理解した財務官僚は無表情を崩さず答える。 「結構です。省内は私がまとめましょう」 物腰柔らかで慇懃(いんぎん)だが、言葉の端々に威圧感があり、真の力関係を忘れさせまいとする財務官僚特有の口調だ。だが、小泉内閣以来約15年。安倍がここまでの決断を見せるとは。 「○○さん。私は、日本を誰にも媚びないで、自分の力で生きていける強い国にしたいんですよ」 「総理。私も同じ思いです。立場上、私も増税の旗振り役をしていますが、本音ではおかしいと思っている。増税ありきで経済も、国家すらも後回しにする今の財務省は戦前戦中の陸軍と同じです。今、日本は世界史的転換点にいるにもかかわらず」 「アメリカのトランプ大統領は、直にGDP2%、毎年防衛費5兆円増額を求めてくる。しかし、それくらいなんだ。中国、ロシアはそれ以上に軍拡している。あまつさえ北朝鮮さえ核武装している。自分の国は自分で守る。そんな当たり前のことをやるにも、財源がいる。そのためには経済成長だ。景気回復前に増税しては、成長はない」 「おっしゃる通り」 「この日銀人事、そして景気回復は一里塚だ」 「ご協力いたしましょう」 この財務官僚は、机に顔を伏しながら考えていた。安倍腹案が世に出れば、日銀はひっくり返るだろう。この案が通れば、財務官僚の何人かは責任を取らされる。血の雨が降るだろう。閣議に臨む安倍晋三首相(中央)=2017年11月21日、首相官邸(斎藤良雄撮影) しかし、日本が大国に戻る。大日本帝国復活。その大義の前に、その程度の犠牲など物の数ではない。別に、物理的に死ぬわけでもない。逆に安倍首相の政治力が弱ければ、政権即死につながりかねない。それならそれでそれも運命か。 憲法改正も政治日程に入ってくる。 果たして、生き残るのはどちらか…。 小説風初夢は以上。新春だ。どうせ夢を見るなら、これくらいでいかがか。今年の重要な政治日程は、3月の日銀人事、9月の自民党総裁選、11月のアメリカ中間選挙だ。今後も安倍政権が続くのか、景気はどうなるのか。憲法改正など、その先の話だ。しかし、日銀人事に勝てば、戦後レジーム脱却は見えてくる。  安倍内閣が続くことがよいのか。ただ続くだけならば意味がない。何かをなして初めて政権の意味がある。 大日本帝国復活。強兵の前に、富国がある。 果たして、未来への意思やいかに。

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    青年市長が絶望した「司法の闇」

    全国最年少の28歳という若さで市長に当選し、その後事前収賄罪などで逮捕、起訴され有罪が確定した岐阜県美濃加茂市の前市長、藤井浩人氏がiRONNAに独占手記を寄せた。一貫して無罪を主張し、出直し市長選でも圧勝した異例づくしの経歴。青年市長はなぜ司法と闘い続けたのか。

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    【前美濃加茂市長独占手記】「それでも私は無実である」

    さんあります。一人ひとりの社会への意識を変えることや子供たちへの教育など、現状に満足せず将来に向けて政治家として活動したい。そんな気持ちを原点に政治家を志し、約7年になります。しかし、「冤罪」が平気で生み出される時代であることを、改めて自ら認識し、美濃加茂市長を辞することとなりました。 事件の内容は、一審からずっと共に闘ってくださった郷原信郎弁護士の著書『青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開』にある通りですので、ここで多くは記しません。 しかし、やはり現金30万円を2回に分けて、しかもファミリーレストランや大衆居酒屋において第三者がいるにも関わらず「渡した」とするなんの証拠もない作り話を事実だと認定してしまう、なんでもありの警察、検察、裁判所が身近にあるということを、多くの国民のみなさんには知っていただきたい。そしていつか自分や自分の周りの大切な人が冤罪の当事者になってしまう可能性があること、誰も目を向けないと司法を取り巻く環境が変わらないことを考えてもらうために筆を取らせていただきました。最高裁が上告を棄却し、決定を通知する文書を手に記者会見する、岐阜県美濃加茂市長の藤井浩人被告=2017年12月13日(文書の一部を画像加工しています) 12月14日に市長辞職となり、50日以内に行われる市長選挙に向けて美濃加茂市は動き始めています。今回の辞職にあたっての私の最後の役目は、これまで市民や多くの関係者の人たちと築いてきた美濃加茂市政を滞りなく引き継ぐことだとして、休む間もなく東奔西走しております。 私は、岐阜県警の警察官の父、パートタイムで働く母に2人の弟を持つ3人兄弟の長男として育てられてきました。幼い頃は駐在所を転々とし、公務員住宅アパートで小学生までを過ごし、美濃加茂市には中学生から暮らしはじめました。政治家という職業には全く関係がない環境で、趣味のサッカーに撃ち込み、地元の高校、理系の大学と進み、就職活動をはじめました。 そんな最中、学生の間で流行したSNS「mixi」(ミクシィ)や雑誌、テレビの影響を受け、アジア諸国へとバックパッカーに出かけました。 大阪から船に乗り、安宿と安価なバスや電車を利用しながら、中国、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイを約2カ月に渡り移動しました。日本の地方で育ち海外留学等の経験もなかった私は、これまでに見たことのない景色や、触れたことのない生活、活気あふれる人々と交わることができました。おかげで、現在の経済的な豊かさがあっても幸せを実感することのできない日本の価値観、海外の若者たちの目標意識の高さ、東南アジアで暮らす子供たちのハングリーな姿勢と日本に対する羨望のまなざしなど、自分自身の生き方を根本から覆されるような衝撃を受けました。 当時、学習塾でアルバイトをしていた私は、この自分が感じた衝撃を子供たちに伝えたいという気持ちとなり、居てもたってもいられず、大学院を修士論文を残した状態で辞め、アルバイト先の塾で働かせてもらうことになりました。政治家を目指した理由 それから数年、学習塾でのやり甲斐に満ちていた頃、中学生から「先生は、世界のことや世の中のことを色々と話してくれるけど、25歳を過ぎてどうして政治家にならないの」と、何気ない質問を受けました。 その時、私自身は社会や我が国の将来に対する思いがありながらも、批判や文句を吐き出すだけで、正面から何も向き合っていないことを深く反省させられました。そして、間もなく、美濃加茂市議選に出馬し、多くの友人やその家族をはじめとした支援者に支えていただき、26歳でトップ当選をすることができました。平成22年10月のことです。28歳で市長に初当選した藤井浩人被告=2013年6月、岐阜県美濃加茂市 さて、市議時代の活動が、今回の事件容疑となるわけですが、26歳で市議となり、政治家としての基礎がない私は、様々な分野の勉強会や視察に出かけ、資料や本を読みあさり、地域や市民活動にも参加するなど、がむしゃらに行動していました。学びを進めることで、共に切磋琢磨できる地方の若手政治家が全国には何人もいることも知ることができ、その活動範囲は加速しながら拡がっていきました。 逮捕から数日経った取り調べの中で、警察官から「市議ってこんなに勉強するものなのか?専業じゃないんだろ?」と押収した資料の量や中身について話をしたときのことが印象的で、私のスタンスとは異なる地方議員像を警察は私に当てはめていたのだろうと感じました。 議員としての活動が手についてきた頃、23年3月11日。東日本大震災が発災しました。議員としてできることに限界を感じながらも、結果的に役に立てたのかは不明ですが、支援物資を集め、3月中に被災地福島県に届けることができました。その後、何度もボランティアとして現地を訪れましたが、震災復興に対して何ができるのかを考える一方で、美濃加茂市における災害に対する備えの不十分さに強い危機感を持ちました。 災害時の備蓄品や、避難方法、インフラのメンテナンス、情報発信など、災害に対する対応についてほぼ毎回の議会において質問を行い、市の執行部に対して提案を行い、議員としての活動に努めました。 そのような活動を進める中、自然エネルギーに対する資料収集や勉強会を通じて、ある男性と出会うこととなりました。男性は、様々な分野の斬新なアイデアを持っており、私もそれなりの知識を持っていたため会話は弾みました。 そして、再度、話をする機会を設けた際、私に現金を渡したとするN氏が現れました。紹介してもらった男性同席のもと数回の会食を行い、使われなくなった学校プールの水を災害時の生活用水としての利用を目的とした、確かなメーカー元である浄水器の実証実験が市の費用負担ゼロで始まりました。 N氏が融資詐欺を繰り返していた人間だったという事を逮捕により知るわけですが、私としては当時、数十人数百人の人と出会い話をする中でも、N氏の人間性と思惑を見抜けなかったことは反省しています。 そして私は市長就任から約1年を迎えたころ、逮捕されました。26年6月24日早朝、目が覚めると自宅の周りにはおびただしい数の記者。近所迷惑になることは明らかであり、急いで支度を済ませ市役所へ入ると、まもなく愛知県警から携帯電話に連絡が入り、任意動向に応じて警察本部へと連れていかれました。 少し前から、テレビや新聞の記者が家にくることがあり、何事かと警戒はしていましたが、現実に何が起きているのか把握できなかったのが正直な感想です。すぐに帰ってこられると自信を持ちながらも、これだけの騒ぎは簡単におさまらないのではないかと強い不安を感じながら、移動車内でTwitterにメッセージを書き込みました。 私の乗せられた車には、何台ものマスコミの車が追跡していることが窓からもよくわかり、県警本部の入り口ではフラッシュがたかれ、ニュース番組を見ているかのような錯覚に陥りました。必要なのは司法改革 状況が飲み込めない中、何人もの私服警官に周りを固められ、奥に長く続く廊下を歩き、狭い取調室にいれられました。携帯電話や電子機器は全て預けるようにと、言われるがままにすると、席に座るやいなや、事情を聞くと言いながら、「さっさと自首をしろ!」と部屋に響き渡る罵声を浴びせられました。今でも鮮明に思い出されます。 「何の容疑なのか」という質問には一切答えず、「往生際が悪い」「自分の心に聞いてみろ」「こんな若造を市長に選んだ美濃加茂市民の気が知れない」…、2人の警察官が交互に私の耳元で罵声を浴びせ続けました。少しでも自分の知っている限りの話をしても一切耳を傾けることも興味を示すこともなく、机に置かれたバインダーの上の白い紙には何も書かれないまま数時間が過ぎました。 らちが明かないと考え、「市役所に帰らせて欲しい」というと、「市役所に戻ったところでマスコミが取り囲み大変なことになる。まずは早く自白して、こっちで対応した方がいい」と、既に逮捕ありきであることを確信させるようなことを言い出しました。「本日中に逮捕状が出なければ帰る」という条件で、その場に残ることとなりましたが、その夜、私の目の前に逮捕状が届けられました。しかし、「10万円と20万円の2回も」との内容。「は?」というのが正直な心境でした。 どんな容疑をかけられているのか全容が分からない不安と、必ず間違いであると証明され、すぐに帰れるだろうという自信との葛藤。そして何より、美濃加茂市はどうなっているのか。市役所や市民の皆さん、支援者の人たちは大丈夫なのか。そんな中、名古屋で活躍されている弁護士の方々を知り、郷原弁護士とも出会うことができました。 その後と裁判の詳細は著書に譲りますが、「証拠は全てそろっている」と言いながら、恫喝(どうかつ)を繰り返す取り調べや、今回の事件とは直接関係のない、市長選の関係者に厳しい捜査が及んだことを振り返ると、捜査に携わった人たちは果たして「藤井は有罪である」ことに確信を持っていたのか疑問を感じます。 最高裁での判断は上告棄却となり、残された異議申し立てをしましたが、12月26日付でこれも退けました。この先は、再審請求を含めて、民事訴訟なども進めながら今回の事件事実を明らかにする活動を続けていきます。2017年12月13日、上告棄却を受けた記者会見後、支援者(左)に励まされる岐阜県美濃加茂市長の藤井浩人被告 同時に、冤罪事件の当事者として身をもって知ることとなった司法の改革の必要性や、5年間で獲得することができた地方自治体における課題の解決、市民の皆さんをはじめ多くの方々からいただいたご支援に対し恩返しをするためにも、政治家としての再起を念頭に努めていきたいと思います。

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    美濃加茂市長事件に思う「みそぎ選挙ってなんだ?」

    神話の世界に起源が求められるくらい、人間にとって、罪や穢れを洗い清める必然性が昔からあったわけだが、政治の世界ではなおさら罪や穢れがついて回る。そして、困ったことに、選挙でそれを洗い清めるとする「みそぎ選挙」などという言葉もいつしか使われるようになった。 「みそぎ選挙」といわれて選挙に臨む立候補者は、自身がスキャンダルの渦中にあって選挙活動を行い、勝利することで民意からの信任が得られた、汚名がそそがれたと主張する。秘書を「このハゲー!」と怒鳴り散らして暴行を加えたり、不倫疑惑が報道されたりした候補が、そういったスキャンダルによってこうむったダメージを当選によってはね返す、という理屈は分からないではないが、法に触れて裁判で争っている最中に、選挙で自分が有罪になるのはおかしいとばかりに「みそぎ」だというのは、誰しも違和感を抱くだろう。 一般の国民は法を犯して起訴され、裁判となれば、裁判の中で自らの主張を行うのが普通だ。もちろん、支援者も含めて自らの正当性を訴えることができる場合もあるが、裁判で有罪が確定すれば、それに対して異議を申し立てる方法は極めて限られる。 被選挙権があれば公職に立候補するのは自由で、「自分がやっている裁判で自分は無実だ」と訴えて立候補することはできるものの、そんな候補を有権者は相手にしないだろう。現実には、現役の政治家だけが、自らの潔白をアピールする方法として、選挙という手段を利用できるという不公平感が、違和感につながっているのではないだろうか。 「みそぎ選挙」と言われた選挙は枚挙にいとまがないが、首相にまで登りつめた田中角栄氏の「みそぎ選挙」が多くの人たちの記憶に残っているだろう。米ロッキード社による日本への航空機売り込みのために30億円をこえる資金が投じられ、この詳細が1976年2月に米国で発覚した。1983年10月、ロッキード事件で懲役4年、追徴5億円の実刑判決を受けて東京地裁を出る田中角栄元首相 田中元首相は、商社の丸紅を通して5億円を収受、これが受託収賄にあたるとして、同年7月に逮捕された。その後の裁判は、実に長きにわたった。逮捕から7年近くを経て、83年10月に一審の東京地裁が受託収賄で田中元首相に懲役4年、追徴5億円の実刑判決を言い渡した。そして87年7月、二審の東京高裁判決で田中元首相の控訴は棄却された。最高裁に上告された公訴は93年12月、田中元首相の死亡により棄却されたが、実に17年以上の年月がかかったことになる。ゆるぎなかった田中元首相への支持 その間、田中元首相は無罪を主張し続け、76年12月5日に行われた第34回衆院選では中選挙区制下の新潟3区で16万8522票を獲得。ロッキード事件で逮捕されても、地元の田中元首相への支持はゆるぎないことを見せつけた。 一審で実刑判決が出た後の83年12月18日に行われた第37回衆院選では、22万761票という驚異的な得票でトップ当選。4万8324票で2位の村山達雄候補の4倍以上の得票で、定数5の新潟3区での得票率は、実に46・6%に達した。 ロッキード事件による逮捕、一審判決という節目での選挙で、選挙区の有権者から圧倒的な支持を受けたということが、職業裁判官の審理に影響を与えていいはずもなく、それがみそぎになる、ということでもあるまいが、実際「みそぎ選挙」として注目を集め、有権者の強固な支持が政治的アピールとなって、田中派の結束の維持などにつながった側面は否定できまい。 2010年に美濃加茂市議会議員となり、13年6月に当時28歳で全国最年少市長となった藤井浩人氏。だが、1年後の14年6月、「受託収賄」「事前収賄」などの疑いで逮捕された。贈収賄事件に揺れた岐阜県美濃加茂市役所 「受託収賄」の疑いは、基本的には田中角栄元首相と同じで、その立場を利用した収賄容疑だ。藤井氏は、市議会議員だった13年3月、経営コンサルタント会社の経営者から、市内の中学校に浄水プラントを設置したいとの依頼を受けて、市議会で提案した見返りに現金10万円を受け取った「受託収賄」の疑いがかけられた。 同時に「事前収賄」というのは聞きなれない言葉だが、公職に就くのを前提として、その立場に就いた場合に便宜を図ることを依頼されての収賄が事前収賄だ。藤井氏の場合、市長選への出馬の意思を固めた13年4月、市長に就任したら有利な取り計らいをするように同じ経営者から依頼され、現金20万円を受け取った疑いもかけられた。 藤井氏は一貫して容疑を否認し続けたが、判決のほうは変遷を続けた。15年3月、一審で名古屋地裁は無罪の判決を下したが、16年11月の二審名古屋高裁判決は逆転有罪となった。裁判では現金を渡したとする経営者の供述が信用できるかが争点となったが、名古屋地裁では経営者の供述が変遷しており、曖昧で不自然だとして、現金授受は認められないと判断したものの、名古屋高裁では、経営者の供述が信用できると判断し、有罪判決を言い渡した。 そして、17年12月、最高裁第三小法廷は被告の上告を棄却する決定をし、懲役1年6カ月、執行猶予3年、追徴金30万円とした二審の逆転有罪判決が確定した。藤井氏は12月14日付で市長を辞職した。公職選挙法第11条では、公職にある間に犯した収賄罪等により刑に処せられた者は、その執行猶予期間においては選挙権・被選挙権を有しないとされるので、藤井氏は3年間、公職に立候補できないこととなった。あの選挙はなんだったのか? この最高裁の決定について、藤井氏本人は「無実の人間を平気で罪に陥れる、冤罪(えんざい)が存在することを知ることができた」と記者会見で司法を批判し、異議申し立てなど必要な手段を講じたが、申し立ては退けられた。もちろん、さまざまな言い分はあろうが、職業裁判官が下した決定に対して、当事者以外が論評することは控えねばならないだろうし、判決が確定した以上、藤井氏が受託収賄・事前収賄で計30万円を受け取った、という裁判所の決定が正しかったことを前提とせざるを得まい。 ここでは裁判所の決定に対する論評ではなく、「政治と司法」という視点から問題点を指摘しておきたい。 実は藤井氏は、16年11月の二審名古屋高裁で逆転有罪となった後の16年12月19日、出直し選のため美濃加茂市長を辞職している。そして、17年1月29日の出直し市長選で再選されている。さらに同年5月には任期満了に伴う市長選が行われ、藤井氏が無投票で選ばれている。2017年1月、岐阜県美濃加茂市の出直し市長選が告示され、支援者らに手を振る藤井浩人前市長 裁判が進行中であるにもかかわらず、自らの無実を訴えて出直し市長選を行うことには当時も異論があった。選挙はさまざまな争点を掲げて行われるものだが、首長が自らの無実を訴えて選挙をするにも、市長選レベルであれば、人口によって異なるものの、選挙運動費の公費負担や掲示板などの設営費用、人件費などの執行のための費用も合わせれば、投じられる公費は数千万円単位ともなる。 5月に任期満了となる自らの市長としての残任任期のために辞職して市長選を行う必要があったのか。有罪判決が確定した中で、美濃加茂市民の間に「あの選挙はなんだったのか?」という思いが去来しているのではないだろうか。 裁判は裁判として自らの無実を訴え続けながら、市長の任期は全うする、という方法はとれなかったのか。裁判における被告の主張と選挙の争点がオーバーラップするという意味では、ロッキード事件の裁判と田中元首相がその間戦ってきた衆院選もそうだった。 一般人の有罪判決が確定したら、刑期を終えたり、執行猶予期間を満了することが「みそぎ」となる。政治の世界だけが選挙という手段で民意を問い、正当性をアピールすることができるというのは、制度上それが違法ではないということを割り引いても、望ましいこととは思われないのではあるまいか。 有権者は、司法がありながら選挙で政治家を洗い清めることができる存在なのか。政治の世界で「みそぎ」とは何なのか。これからも解くことができない課題であり続けるのかもしれない。

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    甘利氏 禊済んだかの質問に「はい!」で視聴者「はい!?」

     これほど政治家の「言葉」が国民を怒らせ、失望させた1年はなかった。2017年前半は権力に酔った暴言が相次いだ。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という安倍晋三・首相の発言を筆頭に、「震災が東北で良かった」(今村雅弘・前復興相)、「あれは怪文書みたいなもの」(菅義偉・官房長官)、「このハゲーーー!」(豊田真由子・前衆院議員)もあった。 彼らは選挙が近づくと国民の怒りを恐れて「真摯」「反省」を繰り返したが、総選挙に勝利すると再び本性を現わした。甘利明・元経済再生相からも同じく“喉元過ぎれば”発言が飛び出した。「いまだ誤解があるようですので、正確に申し上げますが、私自身が何か問題を起こして大臣を辞任したわけではありません」 内閣府の大臣室で業者から現金50万円を受け取った問題(*注)で辞任に追い込まれた甘利氏は、総選挙が近づくとホームページにそう書いた。【*注/2016年1月、千葉県の建設会社役員が都市再生機構との補償交渉を有利に進めるために甘利事務所に口利きを依頼、総額1200万円を提供したと週刊文春が報道。甘利氏本人は大臣室と地元事務所で50万円を2回受け取ったとされたが、政治資金収支報告書には記載していなかった。甘利氏は「秘書がやったが監督責任を取る」と大臣を辞任した】「誤解」も何も、甘利氏は問題発覚後、「国民に説明する」といいながら2年経った今もその責任を果たしていない。衆院本会議出席後、記者の質問に答える甘利明氏=2016年8月1日午前、国会(桐原正道撮影)「元検事の弁護士に調査を依頼して『法律違反は認められない』との報告書を得た」と一方的に公表しただけで、調査にあたったとされる弁護士の名前さえ明らかにしていないのだ。そんな報告書で潔白といわれても、菅官房長官の言葉を借りれば“怪文書みたいなもの”でしかない。 甘利氏は総選挙に当選すると自民党行革本部長の要職に起用された。11月2日、BSジャパンの報道番組にテレビ出演した甘利氏は、「禊ぎは済んだか?」という司会者の質問に「はい!」と弾んだ声で答えた。 視聴者は「はい!?」と聞き直すしかないが、そんな声は甘利氏の耳には入らなかった。関連記事■ 「東北で良かった」「ハゲー!」政治家発言が国民怒らせた1年■ 落選続きの豊田真由子氏がトップ当選した「ある大賞」■ 二階俊博・自民党幹事長が中国人ビジネスマンに脅されていた■ 衆院解散風の威力強大 病床の甘利明氏を立ち上がらせる■ 暴言、路チュー議員以上に批判されるべき不祥事スター2人

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    稲田朋美独占手記「私の反省文」

    をめぐり、防衛大臣を辞任した自民党衆院議員、稲田朋美氏がiRONNAに独占手記を寄せた。「この一年は政治家として歩んできた12年の中で最も困難かつ試練の時だった」。再起を誓う彼女が綴った初めての「反省文」。挫折を経た今だからこそ語れる、稲田氏の真意やいかに。

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    【稲田朋美独占手記】防衛大臣として私に足りなかったもの

    臣に就任した。正直、防衛大臣に任命されたことは私にとって青天の霹靂(へきれき)であり、その後の1年は政治家として歩んできた12年の中で最も困難かつ試練の時であった。私のカラーを出し、取り組むべき課題に全力投球する以前に、国会やマスコミ対応に追われたようにも思う。もちろん、その責任は私の経験不足と至らなさにある。 一方、北朝鮮による核・弾道ミサイル開発、中国による活動の急速な拡大、活発化の中で、わが国の防衛・安全保障の重責を担えたことは非常にやりがいがあった。どの問題も1つとして容易な解決策などない、そのような中、わが国の安全保障・防衛政策を前に進めるために葛藤する、そんな日々であった。2017年6月、記者会見中、髪に手をやる稲田朋美防衛相 今年7月、南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊が作成した日報を陸上自衛隊が破棄したと言いながら、実際には存在した問題をめぐる省内混乱を受け、防衛省事務次官、陸上自衛隊トップの陸上幕僚長の交代があり、私としても防衛省の責任者としてけじめをつける判断に至った。  ただし、私は「現地の部隊が日々作成している日報を捨ててしまっているはずがない」と考え、日報を探して早期に公表するように指示し、その結果、2月上旬には公表された。省として情報公開および文書管理に不適切な対応があったこと、公表に時間がかかったことや公表後の対応が十分でなかったことは反省しなければならないが、私が日報の隠蔽(いんぺい)を指示したとか、隠蔽に加担したということは断じてない。 南スーダンPKOでは、「戦闘」があったかどうかが国会で大きな議論になった。一般的用語の「戦闘」と法的な意味での「戦闘行為」の違いを、国会で誤解を受けることなく説明することは難しかった。もとより、平和で治安の良い日本と部族間の争いが頻発し治安も極めて悪い南スーダンとを比較することはできないが、少なくとも首都ジュバは安定していた。昨年7月に大きな武力衝突はあったが、PKO5原則に抵触し、部隊の撤退をしなければならない状況ではなかった。マティス氏と率直な意見交換ができた そのことを国会で何度も答弁し、紛糾もしたが、だからといって「戦闘」隠しのために日報を「非公表」とするようなことはあってはならない。むしろ、一般的意味において「戦闘」があったと隊員が感じれば、それを日報に書くべきであるというのが私の方針であり、そのことは今も正しいと思っている。 そもそも南スーダンにPKOを派遣したのは民主党政権である。当時は国境付近の油田地域をめぐってスーダンとの紛争が悪化の一途をたどり、空爆まで行われていた時期だった。それでも民主党政権は「戦闘行為はない」としてPKOは続行された。2017年2月、共同記者会見に臨む稲田朋美防衛相(右)とマティス米国防長官=防衛省(納冨康撮影) その時とは比べものにならないくらい安定した昨年の10月、私は首都ジュバを視察したが、現地の自衛隊施設部隊は士気高く現地に寄り添った「日本らしい」活動をしていた。南スーダン政府や国連関係者からも自衛隊のPKO活動は高く評価されていて、防衛大臣として誇らしく感じた。そうした自衛隊の国際貢献が国内における政治的な混乱に巻き込まれたことは極めて残念であり、その責任を痛感している。 一方、私の防衛大臣在任中は北朝鮮の核・ミサイル実験が急増する中、米国において政権交代があった。今年7月の北九州豪雨被害など国内の自然災害も少なくなかった。そうした厳しい状況の下、防衛省・自衛隊がしっかりと任務を果たしてきたことで、日本の国防が私の在任中に揺らぐことはなかった。 また、米国のカーター前国防長官、マティス現国防長官ともそれぞれ2回会談し、日米同盟の深化のためにしっかりと良好な関係を築けた。マティス長官は当初言われていた「こわもて」のイメージとは異なり、極めて思慮深い中にユーモアがあり、言葉の1つ1つに深い洞察を感じさせる人だった。2人で話す際には「何か懸念があれば何でも話してくれ」と述べてくれるなど、いつも率直な意見交換ができた。政治家としての原点を取り戻す 防衛大臣を辞した後、10月に行われた総選挙は、私にとって今までにない厳しい闘いだったが、5回目の当選を果たすことができた。私以上に私のことで周りから批判されながらも苦しい選挙を共に闘い、押し上げてくださった地元後援会の方々はじめご支援いただいたすべての皆様に感謝申しあげたい。 政治家になって12年。「初心に戻って感謝の気持ちを忘れずに」を訴えて当選したが、選挙戦を通じて私自身も立ち直り、何のために政治家になったのか、原点を取り戻すことができたと思っている。厳しさを増す安全保障環境の中において、いかにして日本を守るのか、防衛政策のみならず、世界における日本の役割を果たすことが求められている。 来年は明治維新150年の節目の年。近代化の大転換期にわれわれの先人が世界に発信したことは、単に列強に負けない強い国造りだけではなく、「四海に道義を敷く」、まさしく道義大国の実現であった。「伝統と創造の会」総会で挨拶する自民党の稲田朋美元防衛相=2017年12月、東京・永田町の衆院第二議員会館(斎藤良雄撮影) 日本に求められていることは、力ではなく「法の支配に基づく国際秩序」を世界に確立することだ。これに挑戦し、力によって現状を変更しようとする動きを封じるため、世界の価値観を共有する国々と団結することである。「法の支配に基づく国際秩序」の重要性こそ、防衛大臣時代、私が国際会議や外国での講演で繰り返し強調してきたメッセージに他ならない。私たちは、経済的利益という目先の偏狭な利益のために、「法の支配に基づく国際秩序」という長期的な共通の利益を犠牲にしてはならないのである。 国内においては、戦後初めて、自民党の党是である憲法改正が、歴史的チャレンジとして現実のものとなりつつある。その時に自民党の衆議院議員として在職している責任と役割を果たしたいと思う。 内外ともに激動の時代を迎えた日本において、政治家としての原点を取り戻し、今年1年の困難を糧にして、闘う政治家としてさまざまな課題に取り組んでいきたい。

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    歴史認識はダメでも稲田朋美「再浮上の芽」はいくらでもある

    言えばもはやあまり意味はない。「南京事件」は歴史学者の研究に任せられるべきであり、「30を過ぎてから政治や歴史に開眼した」と自著で語る稲田が出る余地は、残念ながらない。 つまり稲田は法曹界ではいっぱしのプロだが、史学ではまったくの素人である、ということだ。今後、稲田が「復活」するためには、こういったいかにも「保守受け」する集会に頻繁に顔を出してオピニオンを言うよりも、自分の専門領域、つまり弁護士としての法曹分野での活躍が期待される。ありえる再入閣の芽 だから稲田は元来、防衛大臣よりも法務大臣の方がまだしも「適材」だったということだが、ひとえに稲田のタカ派的、保守的価値観を重視して防衛大臣に抜擢した安倍総理のミスチョイスである。仮に稲田が辻元と対決した際、それが法曹分野であればまだしも互角の戦いができたはずだ。辻元清美氏の質問に答弁する稲田朋美氏(右)=2016年9月、国会(斎藤良雄撮影) 稲田の失敗は、稲田が単に保守層から受けがよい、という一点をもってして、本来素人レベルの知識や教養しか持たない稲田を防衛大臣という要職に就けたこと、それに尽きる。稲田は本来の専門分野に戻るべきである。 弁護士としての稲田ができることはいくらでもある。「法テラス」という存在すら知らない若年労働者への法的救済への提言。レイプ被害者への法的救済と物心両面での救援。さらに日本の遅れた司法制度―代用監獄や、取り調べの可視化問題―での制度改良の提言などなど。 弁護士である稲田の本来の実力は、こういった部分で発揮できるのであり、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な発言を連発することで保守派の受けを狙う歴史問題ではない。失礼を承知で言うが、稲田の著書を何冊か読んだ私でも、稲田の近代史理解は一般的な学部生かそれ以下で、専門家とは程遠いレベルにある。近代史に関する基礎的素養が足りなすぎるので、先の大戦に関する認識は左派からも、そして保守からも、あるいは史学の入門者からも一笑に附されて終わるレベルだ。 稲田は素人感覚で参入している歴史問題から手を引き、専門の法曹分野に特化して、弱者救済や我が国の司法問題の改良へ努力すれば、近い将来稲田への評価は徐々に上がっていき、再入閣の芽は出てくる。その場合、防衛大臣は二度とないものの、司法と国民が密に接するポジションで、彼女の本来の良さが発揮されることであろう。(文中敬称略)

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    「災い転じて福となす」稲田朋美の退場が安倍政権をさらに強くした

    岩渕美克(日本大学法学部教授) 今年の政治は、政治家の不祥事や失言が目立つ一年であった。その結果の一つが「魔の2回生」問題である。確かに、復興政務官によるとても認められない被災者の感情を害する行動や、秘書への暴言や暴力といった報道が相次ぎ、政治家の資質を問われるとしか言えない状況が人々の関心を集めた。 こうした不祥事に対して、当事者である政治家は離党などの極めて甘い自己処理で済まそうとすることも散見された。「政治家の出処進退は自ら決める」という言い訳が相次いだ。確かに有権者に選ばれた政治家を辞めさせることができるのは有権者だが、再選挙とはいかないので、自ら決めるということになる理屈は分からないではない。しかし、全ての有権者が政治家個人に投票しているわけではない。少なからず政党の公認に負う部分も少なくないのではないか。そうであるとすれば、政党の責任を放置するわけにはいかない。離党だけというのは、納得のいかない決定ではある。2017年7月、自身の離任式に出席し、あいさつする稲田朋美前防衛相=防衛省 さて、こうした不祥事は、残念ながら経歴の浅い議員だけに起きたのではない。失言や担当部署に精通していない、または勉強が足りないと思われる閣僚が少なからずいた。このことが国会を混乱させ、建設的な議論が停滞した一因になったのではないか。 4月には今村雅弘復興相が国会対応もうまくなかったことに加え、大震災が「東北でよかった」と発言して辞任に追い込まれている。大都市であればもっと悲惨になっていたとの意味で使用したのであろうが、とても復興相としての立場を理解しているとは思えないし、被災者に寄り添うことから程遠いといえよう。しかも、復興相は第2次安倍政権になってから今村氏で5人目という始末である。適材適所とはいえず、起用に他の要因が働いたと思わざるを得ない。 その意味で、最も大きな話題となったのが、稲田朋美防衛相である。3月13日、森友学園問題に関する国会答弁で「関与したことはない」と発言した。しかし翌日、訴訟への裁判記録が公開されると、出席の記録が残っており、国会で問題視された。ここで稲田氏は「記憶に基づいて」答弁したが、間違っていたとした。記憶違いで国会発言が免責されるのであれば、例えば税務署の申告において「記憶違いで済む」ことになってしまう。結局、以前からくすぶっていた稲田氏の資質の問題が再燃するようになる。思えば前年、靖国(やすくに)参拝に関して国会で追及を受けて涙目になる「失態」を犯していたことを見ても、大臣、とりわけ国防をつかさどる防衛大臣にふさわしいかとの疑念を持っていた人は少なくないのではないだろうか。今までの内閣は仕事第一じゃなかった? 決定的に追い詰められたのは、防衛省の日報問題である。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)日報が当初廃棄されていたとしていたものが、防衛省で保存されていて、さらに日報公表も遅れたという問題である。この日報問題をめぐって、大臣に報告したとの防衛省幹部の発言報道と、見ていないとする稲田氏の発言に食い違いが見られた。この辺りの真偽は必ずしも定かではないが、こうした騒動は、日本の国防に対する国民の不安を煽ることになる。 近年、北朝鮮の脅威が高まり、これにトランプ米大統領がツイッターで応戦するなど、国際情勢、とりわけ東アジア情勢への不安が増していた。そうした中での国防に対する日本人の不安は、決して小さなものではなかった。こうした不安も重なり、稲田氏の辞任は避けられなくなり、これに先立って防衛事務次官や陸上幕僚長などの幹部も辞任する事態に至ったのである。2017年7月、稲田防衛相の辞任について記者団の取材に応じる安倍首相 元はといえば、防衛省内部の情報管理の問題に端を発したものではあるが、やはり大臣としてのガバナンス(意思決定)に問題があったとしか言いようがない。後の報道によれば、稲田氏は「辞任を申し出ても安倍総理が辞めさせてくれなかった」と発言していたという。これもまた真偽のほどは分からないが、やはり「お友達内閣」との批判は、2回の総選挙の大勝によって、元に戻ってしまったようである。そもそも稲田氏を防衛大臣に抜擢(ばってき)した理由も定かではない。分かっていることは、安倍総理は稲田氏を買っていたということだけである。 こうした「お友達内閣」を含めた知り合いへの「便宜供与」も疑われ、内閣支持率の低下を受けて、安倍総理は8月に内閣改造を余儀なくされた。総理は、改造について「結果重視、仕事第一、実力本位の布陣」と述べたが、「今までの安倍内閣は仕事第一ではなかったのか、実力本位ではなかったのか」という疑問を提示せざるを得ない。「災い転じて福となす」ではないが… 発想を変えてみたい。稲田氏の辞任と内閣支持率の低下が、改造内閣と、それを引き継いだ第4次内閣に仕事第一の実力者の布陣をそろえたと考えてはいかがだろうか。例えば、防衛大臣である。現在の小野寺五典氏は、大臣経験もあり、防衛省の幹部とも円滑に取り運んでいるという。その意味で、脅威や軍事行動の危険がますます高まる東アジア情勢の中で「安定した国防」を期待できるといえる。国民生活にかかわる状況になっている国防を安心して任せられる布陣は必要不可欠である。稲田氏の辞任が生み出した皮肉な結果である。2017年9月、北朝鮮ミサイル発射を受け、会見する小野寺五典防衛相=東京都新宿区の防衛省(宮崎瑞穂撮影) 稲田氏の辞任などから生じた内閣改造をみてみると、次のことが言えるのではないか。 一つは「お友達人事」を見直したことだ。以前のように、敵味方を分けるようなことはせずに、戦略的ともいえなくはないが、野田聖子氏を総務相に起用するなど、安心できる経験者や政策通を配置したようである。 もう一つは主要閣僚に大胆な起用を行ったことである。外相に河野太郎氏を起用したことは、派閥にとらわれない部分も垣間見える。とりわけ防衛相には前述した小野寺氏を起用するなど、首相が適材適所をこれまで以上に意識したことがよく分かる。 「災い転じて福となす」ではないが、第4次内閣に結果的な評価ができるとしても、本来政治家に必要な資質を学習させ、さらにしつけも徹底しなければならない。以前は、新人や若手議員に対して、派閥が政治化教育の役割を担っていた。確かに弊害もあったが、派閥がないのであれば、政党が公認者責任を負う必要がある。 最終的には選んだ有権者に責があるのだが、ごく短い選挙期間だけで、特に新人議員の人となりまで見分けるのは困難である。そうなると、やはり政党の公認を信じることになるわけで、どう考えても政党の責任だけは免れまい。とはいえ、政党、政治家ともに有権者が育てていくという一面もある。いずれにせよ、政治について、すべての人の理解がまだまだ足りていないのかもしれない。

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    陸自OB座談会「稲田朋美は防衛大臣を辞める必要はなかった」

    中谷元(元防衛相・衆議院議員)火箱芳文(元陸上幕僚長)中谷 北朝鮮は、金正恩体制を維持するために先軍政治を続け、核・ミサイル開発に精力を注いできており、米国にまで到達するICBM(大陸間弾道ミサイル)の新型ミサイル「火星12」を発射させ、グアムまで標的にできるという新たな脅威の段階になったと認識しています。北朝鮮は非常に激しい口調でわが国や米国を挑発していますが、国際的非難決議に反して一方的にミサイル発射を続けていること自体が異常なことであり、我が国として、何としてでも、北朝鮮によるミサイル発射が行われないよう全力で取り組んでいるところです。政府としては、万が一にも日本に着弾したりするような事態に備え、国民の生命財産をしっかり守れるような態勢を取っています。米国はすべての選択肢をテーブルの上に載せて北朝鮮と対峙しています。ここで、実際に北朝鮮がミサイル発射をやめるところまで持っていかないと、北朝鮮の脅威は除去されたことにはなりません。柿谷 結局、西側の国々がまともに対処しなかったために、北朝鮮が図に乗って出てきたということですね。この二十数年間、北朝鮮は口先でうまいことを言って、重油などを受け取るだけ受け取ったのです。今回、北朝鮮と話し合うのも結構ですが、いいかげんな話し合いでは問題は先送りされ、核・ミサイル開発が進むばかりです。ここは戦争も覚悟の上で北朝鮮を抑えておく必要があります。日本と米国の友好関係は当面、続くとは思いますが、わが国には抑止力がないわけですから、北朝鮮の核は絶対に放棄させねばなりません。最終的には、米軍が武力を行使する必要があるでしょう。火箱 現在の北朝鮮による挑発行為は、もはや自殺行為というべき段階ですね。もし攻撃されたら周辺国に反撃するぞ、とのメッセージを発して、何とか米国に自国の体制維持を認めてもらおうとしている、といえます。日本としてはもう少し北朝鮮の脅威に敏感になるべきで、米国と連携して挑発をやめさせなければなりません。ただ、米国としても、相当な覚悟がなければ北朝鮮を攻撃できないでしょう。また攻撃した場合には、ミサイルが飛んでくるなど日本にも相当な被害が出る恐れがある。そうした武力衝突なく済むようにする必要があろうと思います。 ミサイルの飛来に備えて日本は自衛隊のPAC3やイージス艦が待ち構えていますが、北朝鮮が大量にミサイルを撃ってきた場合にすべてを撃ち落とすことは困難ですし、米国も同様に対処には限界があると思います。米軍が「矛」なら自衛隊は「盾」の役割ですが、われわれは米国としっかり協議して、米国の「矛」の役割を果たす兵器をもって北朝鮮のミサイル発射を断念させる方向に持っていかねばと思います。柿谷 北朝鮮への攻撃をも覚悟の上で、核・ミサイルの放棄を迫る必要があります。向こうが引かない限り、こちらが手を緩めてはいけません。単なる口約束では、北朝鮮は絶対に核兵器を放棄しません。これまでずっと、北朝鮮は米国などによる核放棄の要求をかわしてきたのですから。火箱 日本は非核3原則なるものを標榜していますが、トランプ米大統領は安倍首相との会談で「米国は核と通常戦力の双方で日本の防衛にコミットする」と明言したわけです。日本としては、せめて「持ち込ませず」は外し「非核2原則」という形にして、米国の核戦力による関与を確かなものにしておく必要があるでしょう。これは北朝鮮の核兵器が完成する前、今のうちにやっておかねばなりません。2017年9月、会談中に握手する安倍首相とトランプ米大統領=ニューヨーク(共同)中谷 2年前に、日米の防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定しました。その後、平和安全法制を成立させて、日米協力をしっかり機能させるという意味で、平時から同盟調整メカニズムでミサイル防衛についても日米間で協議をし、訓練を重ねています。また2プラス2ということで外務、防衛省のトップ同士が日米間で協議もしています。やはり日米が協力し、「矛」と「盾」の双方をもって北朝鮮にミサイルを撃たせない、断念させるということをしっかりやっていく必要があろうと考えています。火箱 日本には現在、核兵器に対する懲罰的な抑止力は皆無なんですね。イージス艦等のように、弾道ミサイルを撃ってもムダだ、と北朝鮮に思わせるだけの拒否的抑止力は、一応ありますが、このレベルを高め、さらには策源地(ミサイル発射基地)を叩けるように、敵基地攻撃能力を整備していく必要があるでしょう。中谷 米国もレッドライン(最後の一線)をハッキリとは言っていませんが、米国の安全保障については米国が判断するわけで、その中で武力行使についても否定はしていません。日本としても、あらゆる事態に対応できるようにしっかりと日本独自の対応も考えておかねばなりません。「『日報』は行政文書」が間違い--さて、陸上自衛隊が南スーダンでのPKOの「日報」を隠したとして大きな問題になりましたが、陸自OBの皆様のお考えは柿谷 そもそも「日報」は行政文書、という扱いになっていますが、それがまず間違いではないかと思います。あれは、開示要求があったら出さねばならないような行政文書にしておくべきではなく、外部に見せる必要はないものです。PKOに関わった陸自中央即応集団の副司令官が日報を出さなかったのは、行政文書だという認識がなかったのかも知れませんが、開示した場合には情報保全の上で問題だとか仕事の量が増えるなどと考えて出さなかったのでしょう。そこから話が始まって、結局、当時の稲田朋美防衛大臣にまで報告が上がっていないんですね。 今年1月末の段階で、「廃棄した」とされていた日報が統合幕僚監部(統幕)にも陸自にもあることが分かっていたんですよ。それで統幕の総括官は、大臣に「統幕にあった」ことだけを報告しているのです。だから稲田大臣は2月7日に日報が統幕にあったことを発表し、陳謝したのです。これで問題は終わるかと思いきや、3月15日になって日報が陸自にもあったことが報道された。それで大臣は特別防衛監察を指示したわけです。 この監察結果が出てきて事の経緯が分かったのですが、稲田大臣の立場に立つならば「私が聞いていたのは『統幕にあった』ことだけだった」という話でしょう。3月になって陸自にあることが分かった日報は、2月7日に発表されていた統幕にあった日報と同じものなのですから、本来なら問題になるものではなかったと思うのですが…。2017年7月28日、防衛相辞任を表明し、防衛省を出る稲田朋美氏(寺河内美奈撮影)中谷 日報が行政文書であるのか、それとも作戦のための文書であるのか、という問題は、諸外国では、公開すべき行政文書とはしていない国もあります。しかしわが国の場合は、日報もすべて行政文書という扱いになっておりますが、情報公開法には、安全保障に関わる文書は黒塗りにして不開示として、規則に従って非公開にできるようになっているのですから、今回も素直にそうすればよかったと思います。日報というものはいわゆる作戦文書であって、現場の部隊が対応したことをそのまま司令官に報告して、それを取りまとめて日本に送ってきたものです。今回、これを破棄したことは、極めて良くなかったことであり、PKOにおける日報は1次資料で、作戦情報でもあるのにもかかわらず、PKO活動が続いている最中にこの1次資料を破棄してしまったということは、隠蔽と言われても仕方がありません。後で関係者に聞いたところ、日報は、保存期間が1年未満の文書に分類し、使用後は速やかに廃棄する分類にしていた、とのことでしたが、日報は事後の行動の資料にもなるものですから、すぐに破棄するものとしていたこと自体問題であると思います。 いずれにしろ、当初の段階での情報公開法に対する認識が間違っていたボタンの掛け違いをずっと引きずることになってしまったわけですが、情報公開における文書の扱いについて防衛省では本来、内部部局(内局)の情報公開担当部局を通じて行うものであり、今回は文書の公開をどうするかの判断を陸上幕僚監部(陸幕)の判断のみで行ってしまったわけで、文書の扱いについて現場と内局と統幕でしっかりと確認を行い、意思疎通をすべきであったと思います。火箱 やはり最初の中央即応集団の段階で、日報は行政文書であるとの意識が少し欠けていたのだろうと思います。ただ現地の部隊としては、作戦中の日報ですので「情報が全世界に出回ってしまう」との判断もあったろうと思います。日報を集めれば日本の行動や弱点等々も分かってしまう、との思いが部隊としてはあって、統幕の担当者にもどうすべきか相談し、あのような不適切と言われる対応になったのだろうと思われます。 もともと自衛隊では、日報は次の派遣での教訓にするため共有するものでしたが、それが行政文書であるという認識が足りなかった、そこに最初のボタンの掛け違いがあったわけです。今後、作戦中の現場での情報を記した文書をどの程度、公表していいかについては、防衛省の中でキチンとした見解を出すべきだと考えます。柿谷 繰り返しになりますが、統幕の総括官は日報が陸自にもあることを知っていたわけです。しかし「統幕にある」ことしか大臣には報告されていなかった。だから2月7日に大臣が発表したときには「統幕にしかない」と思っていたわけですね。それが数日たって、陸自にも存在すると言うでしょうか。私はそのような報告をしたとは思えません。それ故、大臣としては「私は聞いていない」と言うのが自然ではないでしょうか。火箱 やはり陸幕にあった日報を統幕の総括官が大臣に報告しなかったというのは問題でした。ただ陸幕が黙っていることによって、後になって「隠していた」と言われるような事態になれば、それこそ大臣に報告もしない裏切りだと思いますよ。今回、陸自が情報を漏らしたとか、シビリアンコントロール違反だとか、果ては「反乱軍」だとか言われていますが、それには少し違和感があります。打ち明けた「陸自幹部」は誰なのか--防衛監察の結果では、稲田防衛相に報告が行われたか行われていないのか、はっきりしませんが…。中谷 国防は国家の最も重要な機能であり、防衛大臣の職責は非常に重いものであります。大臣は、常に強い使命感と責任感を持ってこの任に当たり、大局の中での状況を察知し、変化する状況の中で、早め早めに指示、報告を求め、すべてを掌握して間違いのない決断をして、責任を取ることが求められるのです。つまり、困難な状況の中で、政治家として、大局を見て決断し、そのことのすべての責任を取ることが大臣の責務です。自衛隊員は「ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」、即ち、命がけで職務を遂行している組織であり。そのトップとして、防衛大臣は27万人の隊員から尊敬され、仰ぎ見られる存在でなければなりません。私も現職大臣のときは努めて現場に足を運び隊員を激励しましたが、隊員と苦楽を共にして彼らの心情を知り、「この大臣のためなら」と思わせられるような平素からの姿勢、覚悟が大事だろうと考えています。そして、世界の軍事知識や国際安全保障情勢にも精通し、いかなる事態においても自衛隊と在日米軍をしっかり機能させるべく、日米同盟調整メカニズムを担う防衛閣僚として、米海兵隊のトップだったマティス米国防長官のような人物とも協議ができ、渡り合える見識や人間性も必要でしょう。その点、小野寺新大臣には大いに期待しています。柿谷 問題なのは、新聞報道を通じて、国民からみると陸自がリークしているように見えてしまったことです。例えば監察結果が発表される前の今年7月21日、読売新聞で「陸自幹部はこう打ち明ける。『我々だけが悪者になる事態となるなら、声を上げなければならない』」などと報じられ、類似の報道も散見されました。私は陸幕に計8年間勤め、その間に11人の防衛庁長官に仕えましたが、長官の陰口を言うようなことは一切ありませんでした。今回、陸自が大臣の陰口を言っているように国民は受け止めてしまっている、このことは大変、問題だと思います。打ち明けた「陸自幹部」は誰なのか、陸幕長は調べるべきだったと思いますよ。中谷 監察の結果を読みましたが、日報問題の根本にあるのは一部職員の、情報公開業務に対する誤った基本認識です。また、業務の進め方において内局、統幕、陸幕の間での意思疎通が十分になされてなかったことが大きな問題でもありますし、最初の段階で問題を軽く考えてしまい、陸幕が中央即応集団司令部の幕僚長に対し、適切な文書管理をした上で日報の破棄を指示したのはそもそも間違いでした。こうしたボタンの掛け違いをずっと引きずることになってしまったわけですが、やはり文書管理・情報公開に対する認識をしっかり持たなければならないと思います。2017年5月、南スーダンPKO部隊の隊旗返還式を前に栄誉礼を受ける安倍首相(左)と稲田防衛相柿谷 2月16日の段階で、当時の黒江哲郎防衛事務次官が岡部俊哉陸幕長に対して、陸自にある日報は個人データだから公表する必要はない、との方針を示したのですが、防衛省としては統幕がすでに同じ日報を公表しており、隠蔽でも何でもないわけです。 それを後になって、陸自の誰かが陸自にも日報があった、と情報をマスコミに流している、これはいささか問題だと思います。軍事組織として、情報は出さないと決めたら出さない、で徹底しなければなりません。そして“ケンカ両成敗”で事務次官、陸幕長に加え大臣まで辞任することになりましたが、安倍首相は内閣改造の8月3日まで防衛大臣に職を全うさせるべきでした。 民進党は今回、国会で日報問題を追及して稲田氏を辞任まで追い込みましたが、自分たちが政権を取ったら同じようなことになるのが分かっているのでしょうか。自衛官や防衛官僚のリークによって選挙で選ばれた大臣が辞任するようでは民主主義は終わりですよ。戦前は「統帥権干犯」などとして政権への攻撃が行われましたが、今回の問題もそれと同じことではないでしょうか。火箱 稲田元大臣の辞任については、これだけの騒動になってしまったことの責任を取られたのだと思います。柿谷さんがおっしゃる通りで「陸自が日報の存在を意図的に隠し通していた」というのは事実ではないでしょう。ただ統幕、陸幕、内局の連携が不十分だったのは残念です。柿谷 統幕長が今回の日報の問題では肝心のところを何も知らず、報道でも不思議なことに統幕長についてはほとんど触れられません。統幕の総括官が上司に報告せずに勝手に指示をしていた、それもおかしな話です。部下であるはずの総括官が、どうも統幕長にきちんと報告をしていなかったらしいのです。“言葉狩り”からの卒業を中谷 私が防衛大臣のときに、内局(背広組)運用企画局と統幕(制服組)の機能を一緒に統合しました。自衛官と内局が相まって防衛大臣を支えるということで、特に国会関係は内局が対応するということで、統幕の中に総括官などとして背広組を入れる組織改正をしました。今回は日報をめぐって、これは内局が仕切る必要がある部分が多かったということで、総括官がかなり責任を持って対応していたのだろうと思います。 それから一つ申し上げたいのは「戦闘」という言葉が議論されましたが、これは一般的な言葉であって、1対1の銃撃戦も戦闘であり、国レベルの紛争も戦闘といわれます。自衛隊でも「戦闘機」とか「戦闘訓練」などと、戦闘という言葉を一般的に使っています。私が防衛大臣だった当時、イラクでの自衛隊の活動記録をまとめた「行動史」の中に「軍事作戦」という言葉が使われていて野党から追及されましたが、自衛隊の海外任務の遂行自体が軍事作戦であるのは当たり前のことです。国会の審議でこうした“言葉狩り”をするようなことは、そろそろ卒業する時期でしょう。国会ではもっと実のある議論をしていただきたいものです。2015年10月、海上自衛隊の隊員に訓示する中谷防衛相=舞鶴市の海上自衛隊第23航空隊柿谷 南スーダンPKOについていえば、もともと民主党が野田政権のときに派遣しているわけです。当時の新聞を切り抜きで保存していますが、当時すでに「戦闘」「空爆」といった言葉が度々使われていました。それを、野党になった民進党が批判するとはいかがなものか。民進党は、民主党政権時代を思い起こしてみるべきでしょう。 当時の新聞を見ると「PKO 急いだ政権」「治安に課題残し船出」などと書かれています。さらに朝日新聞は「PKO 他国軍救援も」「駆けつけ警護 首相、合憲に『余地』」とまで書いている。これも野田政権下でのことです。民進党は「よく私たちの後始末をしてくれました」と感謝するのが筋ではないですか。火箱 先ほど中谷先生が述べられた通りで、「戦闘」という言葉尻をとらえて追及して何の意味があるのか、戦闘の代わりにどんな言葉を使えばいいのかと思います。国会でも、南スーダンで行われている「戦闘」がPKO5原則に抵触するのかどうか、に絞って議論をしていただければ実のある議論になったと思うのですが…。現地の部隊としては、現実にあったことをキチンと書いて報告しなければならないのです。それを、「戦闘」という言葉を使ってはいけない、などということになれば、正しい報告ができません。中谷 今回の話は、自衛隊の国際貢献のあり方を根本から考えるいい機会でもあると思います。2年前の平和安全法制の制定でかなりの進展が図られたとはいえ、依然としてPKO参加5原則は変わっていないのです。世界に目を向ければPKO自体が、性質が変わってきています。PKOの現場で自衛官は任務と法的枠組み、それから政策の合間で非常に苦労していますので、しっかりと国際貢献のあるべき姿をこそ国会で議論するべきだと思います。5原則でがんじがらめの自衛隊火箱 おっしゃるようにPKOは第3世代といいますか、最初はあくまで中立だったものが、現在では文民保護の観点から文民に危害を加えようとするものを撃ってもいい、というところまできています。そうした中で日本はPKO5原則でがんじがらめの状態で自衛隊を参加させているわけで、この5原則は本当に妥当なのか、国会でしっかり議論していただきたい。そうでないと、今後の派遣でもまた問題が発生することになるでしょう。中谷 自衛隊の存在を憲法上にどう位置づけるかという議論は非常に重要で今、自民党の中で議論しているところです。自衛隊も創設60年を迎え、国民の間に定着し立派な仕事をしていますので、憲法上にしっかり自衛隊を明記することは必要だと思います。ただ、憲法改正は自民党だけではできません。衆参両院で3分の2の賛成が要りますし、国民の過半数の賛成も必要ですから、国民の皆様の理解を得られるよう、しっかり説明をしていきたいと考えています。柿谷 安倍首相は5月3日に「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の集会でのビデオメッセージで、自衛隊を憲法に明記する提案をしましたが、私はビックリしました。自衛隊、という名前は本来、軍隊にしなければなりませんが、あの改憲案は「自衛隊は違憲だと言う憲法学者がいるから憲法に書いてやる」という態度ですよ。私は月刊『Hanada』7月号に「憲法『自衛隊』明記は改悪だ!」と書いたんです。 そもそもセルフ・ディフェンス(=自衛)という表現が問題です。これは外国人は皆、「自分だけを守る」と受け止めるのです。「自衛軍」でも同じ訳になるのでダメです。せめて「国防軍」とすべきではないですか。中谷 いまなお語り継がれていますが、防衛大学校1期の卒業生に、吉田茂首相は「君達は、自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」という趣旨の言葉を託しました。それから60年になりますが、いまだに「自衛隊は憲法違反だ」と主張している政党もあれば学者もいます。ですから少なくとも私たちの世代で、自衛隊の存在をしっかり位置づけたい。それがどういう名前になるのか分かりませんが「憲法違反」と言われることがなくなるよう、憲法改正を行ってはどうか、というのが一つの考え方で、自民党内でも議論しているところです。 私自身は、平成24年に発表した自民党憲法改正草案の起草委員長として、党内の意見を取りまとめました。草案では「国防軍」としており、内閣総理大臣の指揮を受け、また国防軍に審判所を置くことを盛り込んでいます。国際的な主権を持つ国家としての国防の在り方としては、ほぼ完成された条文だと思いますが、今これを提案して国民の過半数の賛同を得られるかといえば、現実的な判断が必要でしょう。2年前の安保法案審議での限定的集団的自衛権の存立危機事態を設けることすら国を二分するような議論になったことを踏まえれば、まずは自衛隊を憲法上、認めてもらうところから始めるというのも一つの手段ではないでしょうか。なぜ自民党は「国防軍」の旗を降ろすのか火箱 私も本来は、自衛隊をきちんと憲法の中に軍隊として位置づけるべきだと考えています。安保法制の成立で、かなりの部分で自衛隊の活動が一歩前進したとは思いますが、これまでの憲法解釈が踏襲されていて、まだまだ自衛隊は軍隊でないことで問題が残っています。例えば朝鮮半島有事を想定した重要影響事態安全確保法では、現に戦闘が行われている現場では米軍への支援はできないとか、「戦死」や「捕虜になる」といった概念もなく、自衛隊は端境期にあるといえます。これは何としても憲法上、軍隊にすべきだと思いますが、たしかに安保法制であれだけ反対も出たことを考えれば、国民投票で過半数の賛成が得られるかという問題はあります。やはり、一歩前進を取り憲法に自衛隊を明記してもらうことを先ず優先すべきと。私たちの世代は沖縄で「人殺しの憲法違反の自衛隊は帰れ!」などと罵声を浴びながらも耐えて頑張ってきましたが、これからの人たちが例えばPKOへ行くときに同様の目に遭うのは忍びない。せめて自衛隊と明記して「憲法違反だ」と言われる事態はなくしてほしい。今これをやらなければ、未来永劫憲法は変わらないのではありませんか。柿谷 いったん憲法に「自衛隊」と書いたらその先、何十年も変わらないことになりますよ。なぜ自民党は「国防軍」の旗を降ろすのか。これは後々、悔いが残ると思いますよ。中谷 21世紀のわが国が生存を図る上で、現行の憲法で本当に日本が守れるのかを考える必要があります。自衛隊は長射程の火器も保有していませんが、南西諸島の防衛や策源地への反撃能力などを考えれば装備についてもより効果的なものを考えていく必要があります。憲法改正議論には、いかに国民の生命・財産を守るかを、真剣に考えていかねばなりません。火箱 現在の憲法のもとで専守防衛が掲げられ、防衛費はおよそGDPの1%以内に抑えられていますが、これは相撲に例えれば「張り手などは禁止で、うっちゃりで何とかしろ」と制限されているような理不尽な話です。今の世界では、一国では自国の平和は守れない、各国が連携して守る、というのが常識になりつつあります。日本はようやく集団的自衛権が限定的に認められましたが、限定的で本当にいいのかという問題もあります。憲法を改正するのが理想的ですが、まずは「専守防衛」でよいのか、この問題を解決に向けて進めてもらえればと思っています。東京・市ヶ谷の防衛省(斎藤浩一撮影)柿谷 極論かも知れませんが、憲法はそのままに「国軍法」を作ればいいのです。これなら両院で過半数の賛成があれば可能です。  私はいっそ最高裁が「自衛隊は憲法違反だ」と判断してくれればいいのに、と思うこともあります。そうすれば自衛隊を解散するか、憲法を改正して軍を持つしか選択肢はありませんから。国民もずるいと思いますよ。歴代政府も「徴兵制は『意に反する苦役』に当たるから憲法違反で、できない」と説明してきましたが、それで一体誰が自衛官になるのですか。世界を見渡しても、徴兵が憲法違反などという国はありません。ドイツは数年前に志願兵制に移行しましたが、基本法(憲法)上は兵役の義務を残しているのです。火箱 皆、そういう思いは持っていますが、70年間ずっと動かなかったものを、まずは一歩進めて自衛隊を憲法に明記していただかなければ、これから自衛官になる若い人に対しても申し訳ないと思います。中谷 陸上自衛隊は前身の警察予備隊の時代から諸先輩が国民の信頼を得るべく黙々と努力してきました。今回の「日報」をめぐる事件は残念なことでしたが、ここは原点に立ち戻って、誠実に、愚直に任務に励んでいただき、国民の信頼を得られる組織になってもらうことを願っています。かきや・いさお 昭和13年、石川県生まれ。防衛大学校卒業と同時に陸上自衛隊入隊。大阪大学大学院修士課程(精密機械学)修了。陸上自衛隊幹部学校戦略教官、陸上幕僚監部教育訓練部教範・教養班長、防衛大学校教授などを歴任し、平成5年に退官。元陸将補。著書に『徴兵制が日本を救う』『自衛隊が国軍になる日』。なかたに・げん 昭和32年、高知県生まれ。防衛大学校卒業。陸上自衛隊でレンジャー教官を担当し、59年に二等陸尉で退官。国会議員秘書を経て、平成2年に衆議院議員に初当選し、現在9期目。防衛庁長官、自民党安全保障調査会長、党政調会長代理、防衛大臣などを歴任した。自民党憲法改正推進本部長代理。ひばこ・よしふみ 昭和26年、福岡県生まれ。防衛大学校卒業。陸上自衛隊に入隊し、第10師団長、防衛大学校幹事、中部方面総監などを歴任し、平成21年に陸上幕僚長。東日本大震災の発生当時、陸上幕僚長として初期対応に当たった。23年に退官。著書に『即動必遂』。

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    「女性政治家をつくる場がない」 蓮舫、稲田に同情も

    敗に終わったけど、私はふたりを責められない面もあると思うんだ。「立場が人をつくる」というけれど、女性政治家の人をつくる場がないんだもの。トップを目指すにはどうふるまい、どう階段を上ればいいか。 男の政治家が知らず知らずのうちに身につけるノウハウがなくて、モデルといえば今のところ小池百合子都知事ひとりだけ。 しかし政党を5つも渡り歩くようなケモノ道を、後に続けと言われてもできるものじゃありませんて。 こうなったら両氏が“しくじり先生”になって指導にあたったら、後世に名を残すと思うんだけどな。で、最初の生徒は今井絵理子さんとか?関連記事■ 「小池を敵に回すな…」 首相の天敵・野田聖子氏入閣の裏側■ 上原多香子 不倫LINEで「止められなくなる」「そばにいて」■ 野田聖子・総務相 8000万円父親献金に贈与税逃れ疑惑■ 麻央さん死別後の海老蔵一家を支える小林麻耶の献身子育て■ 宮迫二股不倫疑惑 美容「系」ライターとの接点が謎すぎる

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    稲田議員、今井議員 軽々超えた政治家としての「一線」

    以前つきあっていた元カレが“おれは息子のシッターじゃない”とこぼしていたこともあるほどです」(全国紙政治記者) 有権者の信頼を失うという「一線」は軽々と越えた。 稲田朋美元防衛相(58才)は7月末日、改造よりも一足早く内閣を去って行った。教育勅語をめぐる発言や陸上自衛隊の日報問題など、国会で集中砲火を浴び続けても、「職務をまっとうしたい」と“一線”の大臣のイスに座り続けていたのに、あっさりと辞任した。 「7月27日、民進党の蓮舫さん(49才)が代表辞任を発表したちょうどその日、防衛相を辞めると明らかにしました。呆れたのは、そのタイミングです。蓮舫さんが会見した4時間後に辞意が伝わった。蓮舫さんに被せることで、自分の辞任のニュースが小さくなるようにしたかったのでしょうけど、あまりにズルい」(前出・政治記者) 女性政治家が、永田町という男社会で生きて行くことは簡単ではない。女性のリーダーシップに詳しいコミュニケーションの専門家・岡本純子氏の分析。 「リーダーシップには“有能さ”と“温かみ”という2つの要素が必要です。ただし、温かみには大きな性差があります。男性がスピーチで物腰柔らかく声をかけると、“優しい”と肯定的にとらえられますが、女性リーダーの場合、“弱々しい”と思われてしまう」 稲田氏はまさにこのタイプ。 逆に男性リーダーが大声で叫んだり、ちょっとキレても「力強い」「情熱的」「真剣」と評価されるが、女性リーダーは「ヒステリック」と受け止められてしまう。蓮舫氏のパターンだ。 「両方を絶妙なバランスでやっているのが小池百合子都知事(65才)です。弱々しすぎず、強すぎない。感情のコントロールが非常に巧みです」(岡本氏) 女性が第一線で活躍するのは難しいが、あくまで失敗は個人の資質のこと。女だから…と一括りにされるのは困ってしまう。関連記事■ 稲田朋美氏 保守系メディアからも出ていけと見捨てられた■ 渡辺謙 南果歩との話し合いは進まず「離婚してぇ」と漏らす■ 今井絵理子氏の恋人に児童福祉法違反で逮捕歴報道■ 稲田大臣、批判高まり「好きな服も着られない」と不満漏らす■ 吉岡里帆 「スッピン濡れ髪」で会いに行った佐藤健宅

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    山尾志桜里、どういうつもりや!

    また、この人である。週刊誌に不倫疑惑を報じられた山尾志桜里衆院議員が、不倫相手とされるイケメン弁護士を政策顧問に起用したことが報じられ、再び炎上した。「むき出しの好奇心」への抵抗なのか、それともただの開き直りなのか。山尾さん、一体どういうおつもりなんですか?

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    哀しいラブストーリー、山尾志桜里の「自爆一直線」に同情する

    してしまったら、誰しも「開き直っている」と受け取るに決まっている。 さらに、メディアに対しても「女性政治家であるがゆえにプライバシーに土足で踏み込まれる」と、自分が被害者だと強調し、「むき出しの好奇心になど屈しない」とメディアそのものを批判したのだから自爆するのも当然だ。 なぜ、彼女はこんな「大人げない行動」しか取れないのだろうか。彼女のこれまでの言動を批判するのは簡単だが、こうまで「自爆一直線」だと、かつて週刊誌でスキャンダル報道をやってきた私としては、逆に同情してしまう。なにかこう、「もの哀しさ」を感じてしまう。 そんなことまで言わなくていいのに、なぜ、そこまで言ってしまうのかと思い、彼女の中にある「満たされない想い」に行き当たって、本当に哀しくなってくる。 政治家や芸能人といった、いわゆる有名人の多くがメディアをあまり好まない。あるときは持ち上げられ、あるときはたたかれるのが、なぜか分かっていない。自分は少しも変わっていないのに、メディアの方がおかしいと考える。そうしてメディアを選別し、「味方」のメディアと「敵」のメディアに分けて付き合うようになった有名人に大物はいない。いや、本物はいない。 山尾氏は今回、自分の味方をしてくれると思った地方紙の神奈川新聞に、思いの丈をペラペラと全部しゃべってしまった。哀しいとしか言いようがない。壇上の山尾志桜里候補=2017年10月23日、愛知県長(安元雄太撮影) 政治家も芸能人も、一般大衆の支持によって成り立っている。だから、はっきり言い切ってしまえば、そもそもプライバシーなど持っていない。それなのに、プライバシーを主張するなら、政治家などになってはいけない。しかも、メディアの究極の役割とは世間に知られていない事実を暴くことだ。 このメカニズムを分かっていない有名人は、本当に不幸である。そういう人間に限って、「むき出しの好奇心」などという言葉を使う。好奇心というのは、人間誰もが持つ最も健全な感情だ。これをメディアが代表している。それを否定することは、自分自身を否定するのと同じことだ。 元宮崎県知事の東国原英夫氏は、ツイッターで「老婆心ながら週刊誌報道を舐めないほうがよい」と忠告し、俳優の坂上忍氏は倉持氏にも「この状況で請けるか?」と批判した。また、お笑い芸人のカンニング竹山氏はフジテレビ系『直撃LIVE グッディ!』で「何もないなら、政治家だから週刊誌なり何かを訴えなきゃいけない。けじめとそれをやらないと、1票入れた人も納得がいかない」と切って捨てた。どれもこれも、健全な感情を持った人間としての、当たり前の批判だ。何を守ろうとしているのか 今年は議員の不倫スキャンダルが炸裂(さくれつ)している。しかし、不倫は犯罪ではない。生き方、モラルが問われるだけだ。それなのに「一線を越えていない」(元SPEED・今井絵理子参院議員)という例に倣(なら)って、山尾氏は「ホテルについては私一人で宿泊をいたしました。倉持弁護士と男女の関係はありません」と関係を強く否定した。 そしてお決まりの「誤解を生じさせるような行動でさまざまな方々にご迷惑をおかけしましたことを深く反省し、おわび申し上げます」と付け加えた。 こういう言い方は何も語っていないに等しい。なぜ、素直に自分の気持ちを言わないのだろうか。もし本当に不倫関係にあり、それも恋愛関係にあるなら、それを吐露してしまった方が、はるかに結果はよかった。 世間は、利口で政策遂行にたけた政治家よりも、人間らしい政治家の方が好きだ。「人間らしい」ということは間違いも犯すことがあるということだ。 もし、彼女が一途な恋をしているとしたら、そしてそれを守るために、関係を否定したとしたら、それは本当に哀しいことだ。山尾氏は何かを履き違えている。「女性政治家であるがゆえにプライバシーに土足で踏み込まれる」などという言葉で、彼女はいったい何を守ろうとしているのか。 別に不倫相手を政策顧問に迎えたとしても、モラル以外の問題はない。もし、本当に愛し合っているのであれば、二人は「最強のタッグ」である。だから、彼女が言うように「改憲論議に真っ向から首相案をはねのける」ことも可能かもしれない。2017年10月10日、衆院選が公示され、有権者に支持を訴える山尾志桜里氏=愛知県尾張旭市 「愛の力」で改憲阻止。こんな「素晴らしいこと」はないではないか。 しかし、もし倉持氏をつなぎ止めるために政策顧問にしたとしたら、どうだろうか。こうなると、今日までのことは「哀しいラブストーリー」に変わってしまう。 いずれにしても、当事者である本人が自分の感情を殺して、インタビューで「お利口答弁」しかしない以上、真相は分からない。単に「好きなんです。大好きなんです。一緒に仕事をしたいんです」というようなことを、彼女は言えない性格だと思うしかない。 神奈川新聞の記事を読むと、不倫報道があってから2カ月間、奇跡の当選を果たすまで、彼女は悩み抜いてきたという。そして、《悩み抜いた末の結論は、公の政治家としての私は、政策や政治哲学、姿勢についてはできる限り率直に答えるが、一方で「私」の部分に一定のラインを引くことに変わりはないということだった。直後の記者会見などで私は「男女の関係はない」と答えたが、そうしたことを答える必要さえなかったと今は思う》と言うのだ。 公私に線を引いて、公の部分だけは答え、私の部分は答えないという政治家を、あなたは信頼できるだろうか。そもそも、人間の活動を公私ではっきりと分けることができるだろうか。 公私両面で、国家と国民のために尽くしてこそ、真の政治家ではないだろうか。

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    山尾志桜里「不倫疑惑」を世のオンナたちはなぜ許してしまうのか

    イ作戦と何でもありの世界です。相手にするのは近隣諸国だけではなく、武器商人から公安機関と、相当老練な政治家でも手を焼くわけで、放射性物質で暗殺を企てられる可能性だってあるわけです。不倫スッパ抜きどころじゃありませんよ。 そんな世界の専門家を自称する人間が、週刊誌ごときに密会の写真を撮られるばかりか、家族や周辺の人間もべらべら喋(しゃべ)ってしまっている。その上で、疑惑を再燃させるようなことをする。選挙後初の登院で議員バッジを受け取る山尾志桜里議員=2017年11月1日、国会 こんなオツムユルユルの人間が、中国やロシアやアメリカやイランや北朝鮮を相手にできるわけがありません。 ちょっと注意深い人であれば、誤解されるような行動は避けます。これはその辺の会社員だって同じで、会社で不倫じゃないかと疑われるような部下や同僚と二人っきりの出張や、密室での会合は避けますよね。 不倫じゃないとはしても、疑いがかかったら仕事がやりにくくなりますし、プロばかりの仕事場というのは倫理が緩い人間、注意しない人間というのには重要案件は任せませんし。 オツムの弱い人間は機密情報の入ったPCや携帯をなくしたり、顧客やディールの情報をエレベーターや喫茶店でポロッと話してしまったりしますからね。 そんなオツムユルユルの山尾氏、しかし疑惑報道後の選挙では当選しています。有権者は不倫を気にしなかった、ということですね。 他人の不倫は厳しく追及するけど、自分は適当に流す。さらに、保育所の増設は訴えるが、ご自身の子供は放置、家庭は実のところ崩壊という矛盾。 こんな他人に厳しく自分に甘い矛盾大魔王さまがなぜ当選したのか。特に女性の支持が高かったと聞きます。 その理由は、少なからぬ女性にとって、山尾氏はキラキラと輝く憧れの存在なのです。すべてを手にした山尾氏 多くの女性は時給780円のパートで、旦那は年収350万円の非正規。東京にすら出る機会もなく、高卒や専門卒で、月1回の回転ずしが贅沢。しまむらの服でイオンに行く日常。車は軽ワゴン。 特に地方都市はそんな感じですよね。 そんな人たちには、才色兼備で負け知らず、しかも年下の男と不倫してる(かもしれない)、夫も捨てかねない山尾氏は「本当なら私だってそういう生活ができたのに」というあこがれの対象なんですよ。 不倫だってしたいんです。 だって自分の旦那は高校の同級生で、イケメンでも東京の弁護士でもなくて、パートで疲れて帰ってきてるのに「飯を作れ」と命令するクソメンだから。 夫が稼ぎも地位もないから自分はパートに出なくちゃならないのに「えばってるんじゃねえよ!」と日々不満を溜めている。 でも、山尾氏のような学歴も資格も稼ぎもないから、離婚はできないんです。本当はお金があったら別れたい。不倫もしたい。きれいな服だって着たい。嫌味な義母からも逃げたい。 貧乏で、低学歴で、特技もなくて、ブサイクな自分は、生まれ変わったら山尾氏になりたいんです。 そんな憧れが集会場やら回って「待機児童をどうにかします!」と声をかけてくれる。 テレビのあの人が、憧れの人が、しまむらの服の自分の生活を考えてくれるんだ、あんなすごい人だって同じ母親なんだよね、と。 問題は不倫だけであって、民進党のホンネは「残ってほしい」という感じでしたし、山尾氏はなんだかんだいってキレイですよね。見た目が。元芸能人ですから。豊田真由子女史は落選しましたが、もしマユタンが「絶世の美女」だったら多分暴言も許されてたんですよ。でも、赤塚不二夫先生のキャラみたいな顔だから同情は得られなかった。 結局、女も男も見た目がキレイな人には甘いんです。 しかし私が疑問なのは、山尾氏はなぜ幹事長就任のタイミングで疑惑を呼ぶような密会をし、夫とは関係が破綻しているのにマスコミには完璧な家族を擬態し、さらにこれだけ叩かれているのに倉持氏を「政策アドバイザー」に指名してしまうのか、という彼女の面の厚さと空気の読めなさです。 そして、マスコミに対しても相当強気です。不倫疑惑の件は横に置いといて、私の政策を見ろとしつこく言っている。 なんでこんなに上から目線なのか。 それは山尾氏が負け知らずのエリートだからです。街頭演説で女性と握手する山尾志桜里氏 =2017年10月1日、愛知県豊明市 山尾氏は子どものころに「アニー」というミュージカルの主役になっています。あの多数の応募者の中から子役として選抜されるというのはすごいことで、そのまま芸能界に残ってもおかしくない実績です。 さらに、東大に進学し、司法試験に合格して、検察官。そして衆議院議員になって、野党第一党の幹事長にまで内定したのです。 容姿端麗で子供にも恵まれ、夫は東大を出ていて、会社はライブドアに買収された実績がある。 すべてを手にした山尾氏には、何かを失う恐怖はありません。 子供を置き去りにしようが、夫を捨てようが、若いツバメと何をしようが、子供のころから完璧な「勝ち組」だった自分を引きずり下ろすことなど不可能だと思い込んでいるからこそ、マスコミにも強気なのです。 しかし、こんなタイミングで不倫疑惑の相手を政策アドバイザーにするような山尾氏は決して「自由の象徴」ではなく、「虚栄心と傲慢(ごうまん)の塊」に過ぎない、ということに、時給780円のパートだって徐々に気がつきはじめていますよ。

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    山尾志桜里に「むき出しの好奇心」で迫る報道は控えるべきか

    れたことに関して、次のように述べている。 私へのその問いは、どのようにして社会の役に立つのだろうか。政治家としての私を評価する上で、一体何の判断基準になるというのか。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 政治家が不倫をしていたかどうかを、具体的に質問することにはニュース価値が全くないような言い方であるが、違和感がある。不倫をしているかどうかは、政治家を評価する上でひとつの判断材料になるはずである。 一般に有権者は、公表されている政治家が実現を目指す政策や政治姿勢だけで投票行動を決定するわけではない。家族観や社会観、それに人柄や生活信条なども含め人間性をトータルで判断しているのだ。山尾氏が不倫をしているかどうかということは、直接的ではないかもしれないが、彼女の家族観、ひいては政策に結びついていく可能性はないだろうか。 もしも万が一、山尾氏が不倫も含め自由な恋愛の形態を認めており、フランスのように結婚という制度にはあまり拘束されず、いわゆる事実婚が広く認められるような社会を望んでいるならば、それは有権者の投票行動に影響するに違いない。こう考えると、メディア側が夫以外と「男女の関係」があるのかどうか、それについてどう考えているのかという質問は、単なる興味本位ではなく、家族観や社会観につながっていく可能性があり、「公共性」がある質問であろう。山尾志桜里の不倫疑惑を報道する週刊文春=2017年9月14日 「むき出しの好奇心」については、もう一つ論点がある。山尾氏のケースでは、メディア側や一般の人の好奇心をあからさまに突き付けることで、彼女への大きなプレッシャーとなった場合にも取材は許されるのかということである。つまり、取材方法の問題だ。 山尾氏は、以下のようにメディアを批判している。 「男女の関係はあったのですか」「本当に関係はなかったのですか」。さらに「離婚はしたのですか」-。数多くの一般の人々が行き交う衆人環視の下、大きな声でしつこく繰り返し問われた。私はこれまで通り電車で通勤している。普通に考えてみてもらいたい。歩いていて、突然レコーダーを突き付けられ、そんな私的なことを問われる異常さを。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 筆者もテレビ局での取材経験から、このような「突撃取材」をする側の論理や感覚はわからないでもない。事務所を通して取材申請をしても断られるのに決まっているから、本人を待ち伏せして質問を浴びせる。質問に答えようと答えまいと、相手のリアクションを撮影していれば、取材のエビデンスは確保できる。しかし、取材される側から見れば、山尾氏が指摘するように「異常」であることは確かだ。むき出しの好奇心が取材相手の日常の平穏を乱すおそれがある。 取材倫理の問題は難しい。対象者の迷惑にならないことを最優先にしてしまうと、取材活動は萎縮してしまう。公共性があり報道の価値がある取材であっても、あきらめざるを得ないことが多くなる。取材者としては一歩前に出て相手にアプローチしたいところだ。 一方で、熱を帯びた取材がエスカレートすると、平穏な私生活に勝手に侵入する「プライバシー侵害」になることもあるだろう。答えないのも自由 今回のケースは、見極めは難しいものの、取材されたのは国会議員という公人であるため、取材内容の公共性、取材目的の公益性の方が優先されるのではないか。山尾氏に迷惑をかけているのは確かだが、取材方法については公人としての受忍限度の範囲内だと思う。 では、突き付けられた質問には「答えなくてはならないのか」。この点、山尾氏は次のように述べている。 直後の記者会見などで私は「男女の関係はない」と答えたが、そうしたことを答える必要さえなかったと今は思う。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 山尾氏の意見は理解できる。筆者はメディアが「取材するのは自由」だが、一方で山尾氏が「答えないのも自由」だと考えている。 取材との関連では、公人のプライバシーは一定程度、制約されると考えられる。このため、男女の関係があったのかどうかをメディア側が聞く姿勢は間違ってはいない。 しかし、プライバシーの権利に関しては「自分に関する情報をコントロールする権利」という広い解釈も有力になりつつある。そのため取材される側の山尾氏に「国会議員といえども男女の関係についてまで話す必要はない」といわれれば、「そうですか。わかりました」と認めざるを得ないと思う。 このように、メディアが不倫について「むき出しの好奇心」をもって取材するのは自由だが、一方で山尾氏が答えないのもプライバシー保護の観点から自由なのではないか。お互いの自由の衝突をどのように調整するのかは、当事者が個別具体的に対応していくしかない。 最後に、この問題を俯瞰(ふかん)してみよう。筆者は、山尾氏の不倫騒動をあまり深追いするのは、社会全体にとってはあまりプラスにならないと考えている。山尾氏が力をいれている憲法改正問題という重大テーマが目前に控えているからだ。国会に到着した民進党(当時)の山尾志桜里氏=2017年9月7日、国会内(福島範和撮影)  山尾議員が取り組もうとしている政策には「国家権力を縛り国民の人権を保障するための立憲的改憲提案で、安倍改憲を阻止する」がある。この政策を実現するにあたり本当に倉持弁護士の知見が必要であるならば、週4回といわず、毎日でもミーティングをしてみてはどうだろうか。そして新たな提案を練り、風雲急を告げる憲法改正の論議に一石を投じていただきたい。 ただ、政治家には主義主張の一貫性も求められている。山尾氏は、宮崎謙介議員(のちに辞職)の不倫に対しては批判していたのだから、件(くだん)の弁護士との不倫騒動にほっかむりを決め込むのはどうなのか。しゃべればしゃべるほど臆測が膨らみ、相手や自分の家族にさらに迷惑をかけるという事情も理解できるが、「他人に厳しく自分に甘い」という声が上がるのはやむを得ないだろう。 そんな政治家の「立憲的改憲提案」に有権者は、果たしてどの程度耳を傾けるのだろうか。今後もこの問題に注目したい。

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    山尾氏と不倫疑惑の弁護士 蓮舫氏国籍問題担当だった

    (前出・民進党関係者) 蓮舫氏は不倫報道に大きなショックを受けていたという。蓮舫氏の間にあった溝 「政治家には誰だって1つや2つ、隠しておきたいことがあるもの。でも、自分の担当弁護士だった倉持さんと山尾さんが男女関係にあったとしたら、国籍問題のほかにも“秘密の情報“が山尾さんにダダ漏れしていた可能性もある。永田町は狸の化かし合いですから、同僚議員といえども、弱みを握られるのは致命的なんです。しかも、もともとは蓮舫さんの方が倉持さんと親しくしていたはずです。女のプライドとしても“山尾さんに持っていかれたのか”とショックも倍増でしょうね」(政治ジャーナリスト)記者会見で代表辞任を表明した民進党の蓮舫氏=2017年7月、国会内(春名中撮影) この問題の以前から、もともと山尾氏と蓮舫氏の間には溝があったという話もある。 「蓮舫さんの二重国籍問題のとき、山尾さんが陰で“あれはアウトよね”と言っていたのが蓮舫さんの耳に入ってしまったそうです。そもそも山尾さんは前原誠司さん(55才)のグループだから、蓮舫さんとウマが合うはずがない。倉持さんと親しかった蓮舫さんですから、ひょっとして山尾さんの“不倫”に気づいていたのかも…」(山尾氏の知人) かくして自分の地位を脅かす山尾氏は党を去っていった。不倫が報道された日、蓮舫氏はツイッターに次のように投稿した。《とても綺麗な月夜ですね》 ここ最近、不倫報道が相次いでいる。今井絵理子氏(33才)、斉藤由貴(51才)、上原多香子(34才)を含め7月末からの2か月間で山尾氏は4人目。 日本性科学会が2011~2012年に行った『中高年セクシュアリティ調査』によると、既婚女性の14%が「この1年の間に配偶者以外の異性との親密なつきあいがあった」と回答。2000年の調査の約3倍に急増した。『不倫女子のリアル』(小学館)の著者の沢木文(あや)さんが解説する。 「結婚後も専業主婦ではなくバリバリ働き、経済力がある女性が増えました。彼女らは“不倫がバレて夫に離婚を告げられても大丈夫”という余裕があるんです。また、映画や小説の題材になることが増えて、“不倫はやましいこと”というかつての意識が薄れているのではないでしょうか」関連記事■ 斉藤由貴、さっさと不倫認めていれば第2・3弾写真なかったか■ 妻の不倫率は12年で3倍に、バレる確率は「夫95%妻5%」■ 村西とおる氏が撮った「蓮舫様のお宝動画」を回顧■ 宮崎謙介元議員 加藤紘一氏の葬儀でも蒸し返されたゲス不倫■ 弁護士局部切断事件 妻の悪女ぶりに法廷の空気が冷え込んだ

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    女性議員の少なさについて「女性にこそ応分の問題あり」の意見

    統府で行われた「双十節」の式典で演説する蔡英文総統=2017年10月(田中靖人撮影) とりわけ女性の政治的自立や自覚が足りない。男性側には、「選抜総選挙」と銘打つ女性アイドルを愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観が寡占的で、若手批評家が「アイドルの○○推し」を公言して憚らない時期があった。誰もこれを異常と言わない。女性を個として認識せず、愛玩の対象とする異様性は日本特有のものだが、女性側もそれに異を唱えない。少女たちは男の言われるがまま「恋愛をした」罰として坊主頭にして謝罪を繰り返す。このような行為は西欧圏ではナチと同等に扱われた。 ここまでくると男性優位の因果ではなく、独立不羈を志向しない女側にこそ応分の問題があるように思える。良い年をした女性が、不必要に「女性性」を強調し男性視聴者や読者に媚びたり、権威ある上級の男性によるイデオロギーを忠実にトレースする。屈辱だと思わないのだろうか。「こうすることでしか社会で出世できない」というのは敢えて甘えだと言いたい。実力と合格点数がすべての漫画家や作家や医者や弁護士の世界は、既に男性寡占の世界ではない。女性側による「非民主的順応」の卑屈な追従の象徴こそ、昨今の我が国における女性政治家問題の根本だろう。「封建的家父長制」の残滓は、男ではなく女の心中にこそあるのではないか。文/古谷経衡●ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』『「意識高い系」の研究』など。■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「オール民主党」■ 森山真弓氏「真紀子さんも蓮舫さんも冷視されるいわれない」■ 日本の「飲み会はしご政治」は女性議員をコンパニオン代わり■ 元小沢ガールズの田中美絵子議員「本当は輿石ガールズ」と演説■ VOGUE登場の蓮舫氏を小沢ガールズが「売名行為」と批判

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    玉木さん、あなたにモリカケ疑惑を追及する資格はない

    み込まれて、マスコミなどで宣伝されている。しかし、「1校に限る」動きは、日本獣医師会が安倍首相以外の政治家に働きかけた結果であることは、当の日本獣医師会側も認めているところである。前川氏が本当に「正義の人」ならば、「総理のご意向」で加計学園1校に絞られたわけではないことを認めるべきだろう。「天下り」と「規制」は同じコインの両面 もちろん前川氏はそんなことはしない。前川氏は課長時代から「現在ある規制はすべて望ましい」と発言している文科省の「利権の権化」だからだ。冒頭の獣医学部新設認可の答申を受けて、毎日新聞のインタビューでも「定年間近の教員が多い。(最初に入学する学生の)卒業前に先生が辞めるのなら無責任だ」「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」などと、新設反対の姿勢を崩していない。八田達夫大阪大学名誉教授の表現を借りれば、「筋金入りの岩盤規制の擁護者」である。 ちなみに教員の潜在的不足も、博士課程の未設置も深刻な問題ではない。前者は海外も含めて人材を募ればいいだけだ。後者は大学院や研究所の設置を別途図ればいいだけである。要するに新設を認可しない積極的な理由にはまったく当たらない。それがまた設置審の結論でもあったのだろう。前川氏の言い分は単なる揚げ足取り以外の何物でもない。 前川氏は天下りあっせんに関連して懲戒処分を受けた人である。天下りの問題は、天下り先が非効率的な事業を継続することで国民に損失を与えることである。その非効率性は官僚側の厳しい規制によってしばしば生じる。つまり、天下りによる弊害と規制の厳しさは同じコインの両面である。 既存の獣医学部には、文科官僚たちが多く天下りしている。もちろん獣医学部だけではない。文科官僚が広範囲に大学などに天下りしているのは周知の事実である。大学はさまざまな規制が厳しい。その中でも獣医学部は何十年も新規参入許可どころか、その申請さえも受け付けなかった岩盤規制の牙城である。現状の規制がすべて正しいとする官僚にとって、確かに規制緩和自体が「行政をゆがめる」ものに映るのだろうが、それは単に天下りなどで大学を食い物にしてきた側の理屈である。 ところで「前川喜平問題」だけではない。加計学園問題を追及する野党側にも「疑惑」がある。玉木雄一郎衆院議員は、加計学園問題で政府を追及していた急先鋒(せんぽう)だった。そして希望の党の共同代表に選ばれた現在も、やはり同問題で国会での審議を求めているようである。だが、玉木氏には過去に日本獣医師政治連盟から100万円の献金をうけた事実が判明している。つまり今回の規制で保護される側からお金をもらっていることになる。2017年11月、希望の党の共同代表に選出され会見する玉木雄一郎氏(斎藤良雄撮影) 玉木氏の国会での加計学園問題に関する追及が、そのような政治的・金銭的なつながりを「忖度(そんたく)」したものでないことを、ぜひ国会で証明してほしい。玉木氏はこの種の「悪魔の証明」を行う義務がある。それができないときは、そろそろこのバカげた不毛の問題から、野党の党首らしい政策論争に主軸を移すべきだろう。だが、それはおそらく無理な注文だろう。

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    小池百合子「排除発言」の責任は私にある

    第4次安倍内閣が発足した。先の総選挙で圧勝し安定政権を維持した安倍総理だが、この結末は図らずも新党を立ち上げた小池百合子東京都知事の「排除発言」によるところが大きい。小池氏はなぜ風を読み誤ったのか。

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    小池百合子「排除発言」は私が進言した

    がそう公言するのは当然のことであった。新党にまさか民進党左派や護憲派がやってくるとは思わなかったが、政治の世界はなにがあるかわからないし、特に選挙直前はなおさらだ。 実際、21年前の「排除の論理」の際の政治家たちの阿鼻(あび)叫喚を、鳩山邦夫秘書として目撃していた筆者は、小池氏の不安を十分理解できた。 「最終的には『排除の論理』を行使すればいいじゃないですか」 それほど深い意味はなかった。政策や方針を旗印に政党がまとまるのは当然のことだ。日本だけではない、世界中の政党が不断に「排除の論理」を行使して政治を行っている。 21年前、鳩山氏が「呪文」を唱えたからこそ、その後の民主党は世紀をまたいで成長し、ついには政権を獲得できたのではないか――。筆者は、その率直な気持ちを小池氏の前で吐露し、旧知の細野豪志氏の前でも語った。 実は、昨年の都知事選で小池氏と戦った後も、小池氏とは都政についての意見交換を続けたり、筆者の運営している報道番組『ニューズオプエド』等に出演してもらう中で交流を続けていた。そうした人間関係の中で、まさか自分の会話から、21年ぶりに「呪文」をよみがえらせることになろうとはいったい誰が想像しえたか。枝野氏がヒーローはおかしい ちなみに筆者の政治信条は排除の論理とは別だ。安倍政権を終わらせ、政権交代可能な健全な保守二大政党制のためには「右手に学会、左手に連合、非自民、非共産の新進党型の政党を作るしかない」と言い続けてきた。実際に小池氏や前原氏や小沢氏にもそう伝えている。 「排除の論理」自体の論理に瑕疵(かし)は無いと思う。表現方法だけの問題だろう。希望の党の鳩山太郎候補の応援演説を行う小池百合子代表、上杉隆氏(右) =2017年10月10日、東京都中央区 「排除の論理」は確かにキツい言葉だ。だが、しがらみを断ち切る健全な政党を創るためには不可欠な論理だと小池氏も細野氏も確信したからこそ、発言に至ったのだろう。 彼らの姿勢に同意したのは何も希望の党の「創業者」たちだけではない。立憲民主党の枝野氏も、菅氏も、海江田氏も、21年前から「排除の論理」を行使してきたではないか。 そもそも「政策的にきちんと分けないと国民は混乱する、だから右から左までごった煮の民進党(民主党)は支持が伸びないのだ」と延々と多様な政党のあり方への批判を繰り返して来たのは誰か? 今回、「排除の論理」で反射的に希望の党を批判しているメディアは過去の自らの言葉を直視できるか? いまだに多くのメディアが「排除の論理」を行使したとして希望の党の小池氏と前原氏を批判している。その一方で、選挙目当ての「野合」で議席を伸ばした立憲民主党を礼賛している。 日本人は忘れっぽすぎまいか。メディアは国民をバカにしすぎていないか? 思い出してみよう。この10年余、共産党も社民党もすべてひっくるめて、選挙に勝ち、自民党政権を終わらせるためならば、いかなる枠組みでも構わないとした小沢一郎氏の存在と言葉を批判していたのはいったいどこの誰か? 2014年、共産党や社民党との連携を目指す小沢氏を民主党から排除して、「いまの民主党こそ保守本流」(枝野憲法総合調査会会長/当時)だと宣言、純化路線を採ったのはいったい誰だったか? 9月27日朝、前原代表が先の代表選で戦ったばかりの代表代行に「解党」の説明をした際、すぐに賛成したのはいったい誰か? 前原代表は、枝野代表代行との話を受けて、常任幹事会を開催、両院議員総会で全会一致を経て、解党に向けて作業を始めている。代表選挙で勝ったばかりにも関わらず、代表として丁寧なデュー・プロセスをたどった前原誠司氏が一方的に責められ、勝手に政党を立ち上げ、選挙で対立候補を立てるという反党行為を続けた枝野幸男氏がヒーローになる。どこかおかしくはないだろうか。なぜ枝野氏は排除されたと振る舞ったか 実際に、民進党から希望の党側に出された最初の仮リストには民進党候補者全員の氏名が記載されていた。新人候補も含めて全員だ。 前原氏は約束を守ったのだ。だが、結果は数名の排除が行われた。それも数名だ。この数名の排除の責任を前原氏ひとりに帰するのは無理がありすぎる。 なぜなら、前原氏から最初に相談を受けて賛同した当時の党幹部の枝野代表代行も連帯責任を負うからだ。 結局、希望の党が正式に排除した議員は滋賀1区の嘉田由紀子氏だ(鹿児島一区の川内博史氏などのように別の選挙区を提示されて断った者を排除に入れなければ)。しかも、彼女は民進党議員ではない。 実は、「いの一番」に解党に賛成した枝野氏に至っては希望の党への公認申請すらしていない。申請の無い者を排除することができないのは自明の理であろう。しかも、そもそも枝野氏は排除対象ではなかった。申請すれば公認され、実際希望の党ではその準備もしていた。自らの当選を確実にし、支持者らに迎えられて事務所に入る 立憲民主党の枝野幸男代表=2017年10月22日、さいたま市 ではなぜ枝野氏は自らが排除されたと振る舞ったのか。実は、驚くべきことに、一部メディアの報じた「偽排除リスト」を根拠に、排除されると信じ込んだにすぎないのだ。 選挙に強くない枝野氏が無所属立候補を恐れたことは想像に難くない。ゆえに、前原誠司氏、玄葉光一郎氏、安住淳氏、岡田克也氏、野田佳彦氏、小沢一郎氏(全員無所属で立候補)などのように選挙に強い政治家と違って、自らの立場を守るため右往左往していたことは筆者のもとにも情報として伝わっていた。 「排除の論理」について、感情的な議論が幅を利かせている。いつものことだが、日本の言論空間に真実が広がるのはずっと後のことだろうし、場合によっては虚偽の政治史が作られ、続いていくのかもしれない。 しかし、歴史の検証に耐えられるのは事実に対して誠実であった者のみだ。その点で、批判の矛先に立たされている前原氏こそが有資格者だ。 「排除の論理」を政治の師匠、鳩山邦夫氏から伝承した筆者の責任はこれを断言することだと信じる。

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    マスコミの掌返し「小池バッシング」が浅ましい

    史では常に野党第一党が革新(リベラル)勢力であった。民進党という、憲政史上に残る恥ずべき政党が、議会政治の常道をいかに蹂躙したか記憶に新しい。 民進党の前は、民主党だった。3年半の政権担当時は言うに及ばない。その前の野党第一党は、日本社会党だった。政権を取る意思が無い無責任な政党だが、拒否権だけは行使する。特に、日本国憲法の条文は誤植一文字たりとて改正させないことには血道を上げる。社会党は、衆参どちらでも良いから34%の議席を獲られれば政権のような責任を伴うものはいらないとの姿勢だった。こうした姿勢は、いかなる手段を講じてでも衆議院に51%の議席が欲しい政権亡者の自民党の思惑と一致する。かくして、自社「1・5大政党制」が成立した。これを55年体制と称する。 社会党が野党第一党の座を占めることで、他のまともな野党が伸長する余地が無くなる。「まさか社会党に政権を渡す訳にはいかない」という国民の常識は、自民党の無能と腐敗を助長する。昭和20年代の憲政史は、悲惨だった。保守二大勢力の抗争で、社会党を味方につけた方が勝つという状況だった。例外は第三次吉田内閣の2年半だけだった。保守合同による自民党結成は、このような状況を回避するためだった。 自民党は、自由党と日本民主党の合同で成立した。自由党の前身は政友会であり源流は地方の地主を代表する板垣退助の自由党に、民主党の前身は民政党であり源流は都市のインテリを代弁する大隈重信の改進党にさかのぼる。保守合同自体は対等合併だったが、自民党は本質的に地方の利益代表である。本質的に自由党~政友会の遺伝子の党なのである。自民党の存在意義は富の公正配分であり、極端な貧乏人を出さないこと、「日本人を食わせること」にある。これは裏を返せば、「都市が生み出した利益を地方にばら撒く」ことである。 ここに都市の主張が置き忘れられる。新自由クラブや日本新党から、最近に至るまでの新党がすべて都市から発生しているのはこれが理由だ。かくして、改進党~民政党の遺伝子は薄れ、野党第一党の地位は革新(勢力)に居座られた。 小池や希望の党の問題点など、山のようにあげられる。これは絶対評価だ。しかし、枝野幸男氏や立憲民主党の方が優れているというのか。これは相対評価だ。小池や希望の党を叩いたもので、その10倍、枝野氏や立憲民主党を叩かなかったものは愚か者か確信犯と決めつけよ。立憲民主党の両院議員総会に臨む枝野代表(右)と辻元政調会長=2017年10月、国会 7月のブームが嘘のように、マスコミの小池叩きにより希望の党は失速し、革新が野党第一党の地位を占める55年体制の継続が決まった。マスコミの掌返しは今に始まったことではないが、今回は保守二大政党制潰しが目的だ。小池が安倍をおろし革新政権を作るなら応援するが、その気がないなら潰す。小池叩きに狂奔した論者はそれに加担したのだ。威嚇していようといまいと。 かくして、民進党を牛耳っていた極左勢力をあぶり出し、一網打尽にして政界から放逐する好機は失われた。 二・二六事件を起こした青年将校たちは、純真に国を想い、多くの重臣を殺害した。何の考えも無しに。その後の結果は言うに及ばず。我が国の宿敵であるソ連だけが笑い転げる事態となった。現在では、二・二六事件の背後関係でソ連の介在も指摘されている。小池や希望の党を絶対評価のみで批判し、さらなる悪を伸長させたとしたら…。笑いをかみ殺していた志位委員長 筋を通す。マスコミは、選挙中に枝野幸男氏と立憲民主党を持ち上げた。しかし、希望の党に入れてもらえなかった者が新党を結成したにすぎない。何が筋を通したのか。偏向報道である。選挙前から最終日まで、三つの段階に分けられる。 第一段階:安倍叩きで小池に期待。 第二段階:小池叩き。枝野応援。特に安倍叩きをせず。 第三段階:小池失速、枝野躍進。特に安倍叩きをせず。 確かに、一部マスコミの安倍叩きは偏執的だ。一方的すぎる。安倍叩きへの偏向報道は批判されて然るべきだ。 ならば、マスコミが安倍叩きから鉾先を小池叩きに向けた時にも、マスコミの偏向報道を批判すべきではなかったか。信者や院外団でない限り。安倍首相と利害関係があることを公言しているならともかく、少なくとも公平中立を建前とする言論人ならば、己の言動に一貫性を持たすべきだっただろう。 開票3日前になり、立憲が希望を追い抜く形勢となった。ここでようやく立憲叩きを始めたが、後の祭りだ。第一段階と第三段階でマスコミの偏向報道を批判していた論者は多い。しかし、一貫してマスコミの偏向報道を批判した論者が何人いるのか。すべてあげてもらいたい。 そして、テレビで志位和夫共産党委員長は必死に沈痛の表情をしていたが、笑いをかみ殺していたのではないか。どういうことか。会見する共産党・志位和夫委員長=2017年10月、東京都渋谷区(川口良介撮影) 小選挙区制においては、野党が共闘して一本化しなければ勝ち目は薄い。自民党は、政権批判票が希望の党と立憲民主党に分散されて助けられた。そして立憲民主党に肩入れし、希望の党を逆転した。249の選挙区で共闘が成立したが、それには共産党が67人の候補者を取り下げたことが大きい。世の常として、お金をあげても感謝されるとは限らない。しかし、供託金没収の危機を免れて感謝される、お金を出さないで感謝されるのだ。それだけでも慢性的財政難に苦しむ共産党は笑いが止まるまい。普通の政党で候補者取り下げなど血の雨が降るが、共産党は組織があるので候補者の面倒を見られるので不満が出ない。他にこれができるのは公明党だけだ。 また、意外に注目されていないが、共産党が候補者を取り下げなかった場合、自民党の候補者の当選率が向上したのだ。一例をあげるが、東京8区である。  石原 伸晃(99,863)自民党 吉田 晴美(76,283)立憲民主党 木内 孝胤(41,175)希望の党 長内 史子(22,399)共産党 この選挙区は、自民党が鉄壁の強さを誇ってきた。それがこの接戦である。しかし、野党分裂に助けられたどころではない。共産党が「この候補者ならば当選させても良い」と考えたから、候補者を取り下げなかったと考えるべきだろう。民共共闘が実現していたら、石原氏はどうなっていたか。 自民党は「公明党抜きでも、希望の党と組めば改憲発議可能な3分の2を獲得した」と改憲勢力の勝利を誇っている。ところが、石原伸晃氏が憲法改正に熱心だなどと聞いた事が無い。それどころか、9条改正には慎重の立場だ。本気で改憲するには、公明党と自民党内護憲派を説得せねばなるまい。共産党からしたら、石原氏は与しやすしなのだ。今や共産党は立憲民主党を隠れ蓑に、昔の社会党の地位を得た。 マスコミはまたもやモリカケ騒動を蒸し返そうとしているし、安保法案騒動では一年を空費した。立憲民主党や共産党があの騒動を繰り返せば、良識ある国民は安倍自民党の支持に傾くだろう。それこそが共産党の望むところなのだ。なぜならば、「飯のタネ」だからだ。いっそ、憲法改正を政治日程に乗せてほしいと思っているだろう。最低一年は大騒ぎできる。いっそ、「毒にも薬にもならない憲法改正」「やらなければよかった憲法改正」なら大歓迎だろう。そうした改憲に「安倍右傾化」のレッテル張りをすれば、二度とまともな憲法論議などできなくなる。安倍内閣の生命線は日銀人事 そうでなくとも、野党第一党は立憲民主党だ。議事運営は、与党と野党第一党で決める。まともな国会審議を期待する方がどうかしているだろう。しかし、これすべて考え無しに小池叩きをした結果だ。そして安倍一強は、共産党との55年体制に変質し、維持されることとなった。 そもそも安倍首相は何の為に解散したのか。大義名分は北朝鮮危機だった。では、有事が起きなかった場合、「フェイクニュース」と批判する論者はいるだろうか。院外団や信者は安心されたし。左翼勢力(最近はパヨクと呼ばれる)も健忘症だ。一カ月前のことなど覚えていまい。 ただし、選挙民は「わざわざ解散しなければならないほどの事は何だったのか」と監視すべきだ。北朝鮮が何度も「日本列島を核で沈める」と宣言しているのだから、日本が核武装をしてもどこも文句は言えまい。また、トランプ大統領は「対等の同盟国(パートナー)として行動してほしい。まずは防衛費をGDP2%に引き上げを」と求めている。いきなり自主防衛ができるとは思えないが、まさかルーティンワークを続けるために「北朝鮮危機」を利用した訳ではあるまい。 さっそく麻生太郎副総理が「衆議院選挙勝利は北朝鮮のおかげ」と失言している(10月26日)。政権の弛緩が心配だ。 また、安倍首相は選挙中こそ争点隠しをしたが、「消費増税10%の使途変更」を公約に掲げた。消費税増税が前提なのだ。会見翌日に「リーマンショック級なら延期」と訂正したが、財務省が忘れるわけはない。また、その際には再び解散総選挙を行うのか。閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=2017年10月、首相官邸(斎藤良雄撮影) 一部の「事情通氏」はまことしやかに「2年後のことなどわからない。安倍首相は増税すると決めた訳ではない」と苦しい怪しげな解説をする。だったら、2年後のことなど、最初から公約に掲げる必要などないではないか。安倍擁護者は希望の党の公約を無責任だと叩きつつ、「自民党の公約にはすべて財源の裏付けがある」と持ち上げた。財源は景気回復のよる税収増ではなかったのか。増税を公約、財源の裏付けのない政策は無責任、景気回復による税収増は財源にならない。すべて、故与謝野馨氏の主張だった。当然、安倍首相は与謝野氏に詫びてから、このような公約を掲げたのだろう。  しかし、いかに安倍首相の熱心すぎる支持者、信者とか院外団とでも呼ぶしかない連中が不愉快でも、日本のためには安倍内閣の継続は最善であったと思う。現時点での相対的最善ではあるが。 安倍内閣の生命線は、日銀人事である。3月に行われる日銀正副総裁人事で意中の人事を送り込み、景気回復政策を徹底すれば、支持率は上がる。本気で自主防衛や自主憲法をやりたい日本人は、3月に注目すべきだ。日銀人事に勝ってこそ、すべてがはじまる。(文中一部敬称略)

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    なぜ小池氏は「まともな野党」をつくれなかったのか

    、野党第一党としての民進党が立憲民進党、希望の党、無所属の会、そして参議院を中心とする民進党残党の4政治勢力に分裂しただけの結果を招いた。日本政治の永年の宿婀(しゅくあ)としての「野党の弱さ」は再び世に印象付けられた。このことは、立憲民進党と希望の党という二つの野党の姿から説明される。 第一に、立憲民進党は先刻の選挙に際しての「躍進」が専ら語られているけれども、その「躍進」の実相はきちんと見ておく必要がある。立憲民主党の獲得議席は55であり、これに共産、社民両党を併せた「日本左派連合」の獲得議席は70に届くかという水準になる。「左派連合」が総議席の15%を占めるに過ぎない勢力にまで零落したということの意味は、「55年体制」下に社会、共産両党を含む「革新」勢力が最低でも20数%の線を保っていた事実に重ねれば、相当に重いものがある。 これに関連して、立憲民主党の今後の党勢を占う意味では「新人候補はどれだけ勝てたのか」を見ておくのが適切である。どの政党にとっても、「新しい血」がどれだけ入るかは先々の党勢に結び付くからである。この点、立憲民主党が小選挙区で獲った17議席中、新人候補が獲ったのは、北海道の2議席と神奈川の1議席の、併せて3議席に過ぎない。立憲民主党も結局、民進党のリベラル系議員が「看板」を付け替えただけというのが実態であろう。「民主」と掲げられた立憲民主党の選挙カー=2017年10月、新潟市中央区(太田泰撮影、画像の一部を処理しています) しかも、枝野幸男代表は「安保法制を前提とした9条改憲には反対。阻止に全力を挙げる」と語っているけれども、立憲民主党が共産、社民両党と同様に「反改憲」を党のアイデンティティーにしようとするならば、その党勢は尻すぼみであろう。立憲民主党の先々の党勢は、立憲民主党支持層の主体が若年層ではなく高齢層であるという事実にも示唆される。全然できていなかった「選別」 第二に、後世、先刻の選挙を象徴する風景として語られるかもしれないのは、希望の党の「竜頭蛇尾」とも表現すべき党勢の「隆盛」と「失速」、そして選挙後の「混乱」である。希望の党の「竜頭蛇尾」はそれが結局、代表である小池百合子東京都知事の「野心」と民進党の面々の「保身」の枠組みに過ぎないという印象が世の人々に植え付けられたことによっている。 まず、小池氏における「我」の強さは、彼女の姿勢に「独善性」と「利己性」を浮き上がらせた。希望の党が実質上「小池私党」であるかのように小池氏が演出したことこそ、希望の党から民心を離反させたのである。小池氏が選挙の投開票当日に訪問していたパリで発した「『鉄の天井』があることを改めて知った」という言葉は、彼女にとって先刻の選挙が持っていた意味を示唆する。希望の党公認候補の選挙事務所に貼られた小池百合子代表のポスター=2017年10月、兵庫県内 次に、希望の党に民進党が合流すると伝えられたことに端を発する紛糾は、希望の党の政党としての性格を誠に曖昧なものにした。実際、希望の党は候補公認の条件として「安保法制容認」を明示していたのであるけれども、10月27日付の朝日新聞は、選挙当選者の7割が安保法制に否定的に評価している事実を伝えていた。 それは、小池氏が「選別」を口にした割には、その「選別」が全然できていないということを意味した。安保法制評価のような安全保障案件で二言を弄(ろう)するような政治家は、信頼度において最低の部類に属するであろう。 しかも、選挙中に希望の党の失速が語られる段階に至って、公認候補から党への「離反」を示唆する発言が相次いだのは、喩(たと)えていえば「戦中に自陣の備えを崩す」が如き振る舞いであり、有権者に対して極めて不誠実であったと断ずる他はない。政党の根底にあるべき「信頼」において、希望の党が立憲民主党よりも格段に落ちると見られたのであれば、その失速も当然の成り行きであったと評すべきであろう。 加えて、立憲民主党や希望の党に「看板」を付け替えた面々の多くが民主党内閣三代の政権運営を担った事実に醸し出される憂鬱(ゆううつ)な空気は、立憲民主党の「躍進」と思(おぼ)しきものを前にしても払拭(ふっしょく)されるわけではないし、現下の希望の党の実態が伝えられれば余計に増幅されよう。日本の諸々のメディアに披露される幾多の政治評論において、自民党を中心とした政権与党の執政を批判することに忙しく、「まともな野党」を鍛えることに精力を割かなかった弊害は、今後次第に日本政治全体をむしばんでいくことになるかもしれない。

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    心理学者が読み解く小池百合子「4つの誤算」

    プレゼンの仕方を心得ている人は人間関係がうまくいく。普通の人はもちろん、芸能人や、そして支持率の高い政治家はことにそうだ。彼らは自分自身を売るための企画をし、プロデュースしていく。自分の見せ方こそが、芸能人の人気につながり、政治家としての力になっていく。 小池百合子東京都知事は、自分の見せ方を心得ている。元ニュースキャスターとして、見られること、聞かれることになれている。古い政治家とは全く異なり、ファッションも立ち居振る舞いも、言葉の選び方もタイミングも最適の選択をして、あの熱狂的な「小池ブーム」を作り出してきた。ほんの1年前、小池候補の演説を聴くために大通りを埋めつくす群衆が詰めかけていた。しかし、プレゼンで成功した人はプレゼンで失敗もする。党首討論会に参加した希望の党の小池百合子代表(中央)。左は自民党の安倍晋三首相、右は日本共産党の志位和夫委員長=2017年10月8日、東京都千代田区の日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) 自分の見せ方のことを、心理学では「セルフ・プレゼンテーション(自己呈示)」と呼んでいる。人はみな、自分のイメージを演出し、自分の印象をコントロールしようとしている。これがセルフ・プレゼンテーション、自己呈示である。 子供から大人までみんながしていることだが、人気商売の人たちには専門のプロデューサーがついたり、スタイリストがついたり、芸能事務所や政党がついて、よりよく見せて売り出すための支援をしている。米大統領にも専門のスタッフがついてアドバイスし、専門家が演説の文章を考える。 セルフ・プレゼンテーションには、積極的にある印象を与えようとする積極的な「主張的自己呈示」と、逆に悪い印象を避けようとする「防衛的自己呈示」がある。政治家の中にも、攻撃に強い人や登り調子の時には強い人でも、攻められたとき、調子がくだり坂になったときには弱い人もいる。主張的自己呈示は得意でも、防衛的自己呈示の苦手な人はいるだろう。セルフ・プレゼンテーション五つの種類 主張的であれ防衛的であれ、自己呈示には次の五つの種類がある。まず、第一は「取り入り」である。これは相手から好意を持たれたい時に行う自己呈示である。小池氏も、お高くとまった政治家ではなく、庶民に寄り添う政治家を演じる。豊洲市場についても「安全だが安心がない、安心できるまでは移転しない」と庶民の声を代弁してくれるのだ。 自己呈示の二つ目は「自己宣伝」、つまり自己PRだ。これは自分の能力を高く見せたい時に行う自己呈示である。小池氏はとてもリーダーシップがあり、頭がよく能力も高いと、都知事選の時は多くの人が思っただろう。彼女は自己PRもうまい。第一声のあいさつをする候補の応援に駆けつけた自民党の二階俊博幹事長(左)の話を聞く小池百合子東京都知事=2016年9月、東京都・池袋駅西口前(納冨康撮影) 三つ目は「師範」である。師範とはお手本の意味であり、自分の道徳的評価を高めたい時に行う自己呈示である。うっかりすると政治家には不誠実な印象が付きまとう。だが、都知事選の時の小池氏はとても清廉潔白でさわやかに見えた。都議会自民党の「古だぬき」とは正反対に見えた。 四つ目は「威嚇」。これは他人を恐れさせたい時に使う自己呈示である。小池氏は敵にすると怖い存在だと、安倍晋三首相も感じていただろう。彼女は鉄の女のようであり、信念の人である。いざとなれば崖から飛び降りるように自民党とも戦い、堂々と都知事選に立候補してきた。 五つ目は「哀願」である。これは、自分の弱さを印象付け、相手から応援や援助を引き出したい時に使われる自己呈示である。小池氏は弱い存在でもないし、また男女平等を具現化したような存在だ。しかし、彼女は「女性性」を捨ててはいない。テレビのニュースキャスターのように、美しさやファッショナブルさを活用する。そして、強くて悪い男性政治家とひとり戦う女性政治家だった。 幸いにして、都議会自民党は見事な悪役ぶりを演じてくれたおかげで、彼女の「弱さ」は都民に印象付けられ、多くの人が彼女のサポーターになっていった。都議選の時に化粧の濃さを揶揄(やゆ)されたとき、怒ることもなく、自分の肌の問題を話した。この巧みさと正直さもファンを増やしたことだろう。戦う女は魅力的でも… しかし、彼女の見事なセルフ・プレゼンテーションも歯車が狂い始める。確かに人は食に安全だけではなく、安心を求める。そこに共感できれば支持は得られる。「取りいり」成功だ。だが本来のリーダーは、感情にされやすい大衆の誤解を解き、正しく導いてくれることも必要だ。安全の上に安心を求めすぎることで、トラブルが大きくなることもある。 小池氏はとても優秀だ。だが、国政にまで手を広げたとき、さまざまな準備不足が露呈する。完璧だと思われていた彼女もそうではないと感じられ始める。「自己宣伝」もうまくいかなくなる。「緑のたぬき」と小池百合子東京都知事を揶揄した角田義一元参院議員=2017年9月、前橋市内 清く正しい「師範」(お手本)のイメージだった小池氏だが、衆院選の後半には古だぬきならぬ「緑のたぬき」と揶揄する人まで現れた。彼女もまた、古い政治家と重なる部分があると感じた人々もいる。 現代では戦う女は魅力的だ。ドラマでも映画でも、強くて美しい戦う女は人気がある。「女だからとなめるな」といった「威嚇」も必要なのだ。だが、そのためには「敵」が必要だ。国政に打って出たとき、都議会自民党のようなわかりやすい敵は作れなかった。そうなると、強い女のイメージは必ずしも人気につながらない。威嚇はマイナスに作用することもある。 都知事選の時は、都議会自民党や古い男社会からいじめられる役を演じることができて、「哀願」が成功した。ところが、今度は自分が党首となると「哀願」を表現しにくくなる。「排除」という発言だけが希望の党の凋落(ちょうらく)の原因ではないだろうが、象徴的な出来事ではあっただろう。 私たちは、メディアを通して政治家を知る。政治家はメディアを活用して、セルフ・プレゼンテーションする。それは必ずしもありのままの姿ではないが、それで良いのだ。それは真実を伝えるための正しい演出だ。しかし、演出だからこそ、ほんの少しの狂いが生じると一気にイメージが崩れることがある。 小池氏は、小さな歯車の狂いでイメージ戦略に失敗しただけなのだろうか。それとも化けの皮が剥がれ、魔法が解けて、正体をさらしたのだろうか。答えを出すのはまだ早い。都知事の任期はまだ3年もあり、希望の党はスタートしたばかりだ。セルフ・プレゼンテーションは大切で必要だ。だが、私たちはその奥にある真実の姿を見る努力を続けなければならい。

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    「排除発言」よりタチが悪かった小池百合子の思いつき

    小笠原誠治(コラムニスト) 一瞬先は闇と言われる政治の世界だが、誰が、小池百合子東京都知事に対する世間の評価がこれほど急変することを予想していたであろうか。都知事選、そして都議会選であれだけの人気とパワーを見せつけた小池氏であったが、今回は様変わり。言ってみれば、鬼退治の桃太郎が、気付いたら鬼だったと分かった様なもの。 小池氏の人気失墜の原因はなんなのか。多くの評論家や政治関係者などは、小池氏がリベラル議員を排除したことにあると言う。しかし、私は、それは単なるきっかけであって本当の原因ではないと考える。では、本当の原因はどこにあったのか。 それを考えるには、都知事選と都議会選でなぜ彼女の人気が沸騰したかを考えると分かりやすい。都知事選及び都議会選における彼女の役割は明快であった。東京都といえば、直ぐに築地の豊洲移転と東京オリンピックが思い浮かぶが、それとの絡みで自民党都議連が何やら悪さを企み、そうした悪事を正す役割が小池氏に求められていたと言えよう。 自民党都議連のボスを鬼に例えれば、小池氏は桃太郎。誰もが桃太郎が鬼を退治してくれることを期待した。しかし、今回の衆議院選においては、そのような明快な構図を設定できなかった。それこそが最大の失敗の原因だと言っていい。若狭勝氏、細野豪志氏、そして前原誠司氏が犬、猿、雉(キジ)の役割を演じたが、肝心の鬼は誰だったのか、と。敗戦の弁を述べる希望の党の若狭勝氏=2017年10月、東京都豊島区(宮川浩和撮影) とりあえず小池氏は安倍総理を鬼に仕立て上げ、その鬼を倒すと宣言したが、よく考えてみると、自民党都議連とは対決の姿勢を示していた小池氏も、安倍総理とは適当な距離感を保っていたではないか。 小池氏が安倍総理にバッジを付けてあげるシーンや銀恋を一緒に歌おうと言ったシーンを覚えている人は多いと思う。どこまで信頼関係が構築されていたかは別として、どちらも戦うべき相手ではないと考えていたのではないか。それに、小池氏は日本会議に所属し、思想信条的にも安倍総理に極めて近い。 その小池氏が、なぜ安倍一強体制を倒す必要があると急に態度を変えたのか。小池氏が、安全保障や外交政策、さらには経済運営の基本的な考え方に関して安倍総理と大きく異なっていたのであれば、小池氏の新党設立は分かりやすかった。あるいは、小池氏が森友・加計学園疑惑に関して一貫して安倍批判を展開していたのであれば、これまた新党設立の意味は分かりやすかったであろう。しかし、実際はそうではなかった。だからこそ有権者は直ぐに気が付いた。小池氏は、自分の絶大な人気をバックに総理の座を手に入れようとしているだけなのだ、と。 そして、総理のポストがちらつき始めた桃太郎が民進党の議員をすべて受け入れる気持ちはさらさらないと言い切ったとき、有権者たちは、桃太郎だと思っていた人間が急に弱い者をいじめる鬼に見え始めたのだ。 それぞれ自分の任務を忠実にこなしていた犬、猿、雉に対しても桃太郎は急に偉そうな態度を取り始めた。お前らなにやっているのだ、と。リセット、リセットと叫ぶ桃太郎! 犬、猿、雉があれだけ一生懸命に尽していたのであるから若狭氏を比例一位にするくらいのことをしていたとしても当然だったのに、そのような配慮はせず防衛庁時代のかつての部下を比例一位にした桃太郎! それまで桃太郎だと思っていた人間の頭の中が、自分の欲望を充たす事柄以外のものがほとんどないことに有権者が気付いたことも敗北の大きな原因であった。希望が見えなかった「小池政権」 小池氏が総理の座を目指していることはよく分かる、希望の党創設の大義名分がなんであれ、今度は都知事の座から総理の座を目指そうとしているのだ、と。しかし、彼女が総理になったら何をしたいのかが分からない。仮に小池政権が誕生したとして、彼女はどのような政治を行なうのだろうか、と。 小池氏が掲げた公約の主なものとしては、消費税増税を凍結することが第一。その理由は、まだ景気回復の実感がなく、消費税を増税するタイミングとしては相応しくないからだ。ただし、その点に関しては他党も似たようなことを言っていたわけだし、安倍総理自身も二度も約束を破って消費税増税を延期した事実があるのでそれほど大きな違いだとは思えない。 それに消費税増税を凍結したら、それに代わる財源をどこに求めるのか。小池氏が言ったことは、内部留保に対する課税を検討するということであった。内部留保に対する課税の是非は別として、内部留保に課税すると言い切るのであれば、それはそれで一つの考え方ではある。出張先のパリで総選挙について記者の質問に答える小池百合子知事=2017年10月(共同)   しかし、内部留保に対する課税を検討するだけのことならば、結局、実現することは不可能であっただろう。それに内部留保に対する課税については、そもそも二重課税の問題があり、専門家からすれば筋悪のアイデアでしかないからだ。企業が海外移転しないように、あるいは海外の企業が自国に本社を移すようにと、法人税率の引き下げ競争のようなことが世界的に起きているなか、どうして法人税率の引き上げよりも過酷な内部留保課税などできようか。 小池氏はベーシックインカムなんて横文字も口にしたが、今ある年金制度を維持することさえ至難の業なのに、どうして国民全員に生活に必要な資金を支給するなんて夢物語が実現するのか。もっと言えば、ベーシックインカムなんて有権者たちは端から期待していなかった。というよりも、今でもベーシックインカムって何?という国民が大半ではないのか。 分かりやすかったのは原発廃止を訴えたことであるが、しかし、これもどこまで本気か分からない。あとは、彼女のライフワークとでもいうべき電線の地中化。街中にある電柱、電線を地下に埋めるという事業である。これも、確かにオフィス街や観光地ではそれを切望する声が大きいことも事実ではあろうが、 しかし、日本中の電柱をすべて地下に埋める必要がどこまであるのか。そして、そのための莫大な財源はどこに求めるのか。花粉症をゼロにしたいとか満員電車をゼロにしたいのもあったが、国民の反応は、「ああ、そうですか」という程度のものでしかなかった。 これでは、安倍政権に終止符を打つのはいいとしても、小池政権になったからといって本当に希望が持てるとはとても思えない、と多くの有権者が感じたに違いない。 大義名分があり、そしてまた、本当に国民が希望を抱くような政策メニューを提示することができたとしたら小池氏に対する人気は続いていたかもしれない。例えば、小難しい話であっても、なぜアベノミクス、あるいは日銀の超緩和策がなぜ成功していないか、その理由を示した上で、それに代わる政策を提言できていれば彼女に対する信頼度は増した可能性はある。しかし、すでに述べたように彼女が提示した公約はほとんど思いつきの域を出ないものばかりであった。 都知事選や都議会選とは異なり、衆議院選では桃太郎の鬼退治の構図を描くことができなかったことと、小池氏の言葉の空虚さに有権者が気付いたことのために小池劇場の終演となったのだ。

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    反「安倍」選挙で顕在化、小池バブルの崩壊と健全な左派へのニーズ

    契機としていることは多くのメディアが指摘しているところである。ただし、政党とは本来、同じ哲学、目標、政治信条を共有する者から構成されるのが筋であり、異分子を「排除」するのは当然ではある。しかし、誰を味方として迎え入れ、誰を排除するかについては、結党までに水面下でやっておくべきことであったのが、第44回衆院選に際しての小泉劇場の再現よろしく敢えて表舞台で行うことでメディアジャックを図るが、かえって排除された側にアンダードッグ効果(判官贔屓)を惹起してしまった。2017年10月、記者会見で衆院選公約を発表する希望の党代表の小池百合子都知事=東京都内のホテル そうした小池代表への不快感を起点に、開幕まで3年を切った2020年東京オリンピック・パラリンピックの準備や、長引く築地市場から豊洲市場への市場移転問題への対応をはじめとして都政でも実績を上げていないなかで、小池代表への都政と国政の二足の草鞋問題、そもそもの政治姿勢に疑問符がつけられるなど、負のスパイラルがはじまった。自民党に類似した右派政党にニーズなし さらに、希望の党が12日に公表した公約も、外交安保・憲法は右派的、経済政策は左派的と、結局、候補者だけではなく公約も寄せ集めであることを露呈させてしまった。また、「満員電車ゼロ」「花粉症ゼロ」など「12のゼロ」はあまりの荒唐無稽さにメディアにさえ黙殺されてしまう体たらくだった(ちなみに筆者の周りでは嘲笑の対象でしかなかった)。 このように、はじまりは小池代表の舌禍ではあったが、小池代表の政策遂行能力への疑問、政党としての理念の曖昧さ、公約の支離滅裂さ加減等が白日の下にさらされた結果、小池バブルが崩壊した。 そもそも希望の党への合流に舵を切った前原誠司民進党代表も保守二大政党による政権交代が持論であり、日本維新の会、日本のこころは自民党と同様、憲法改正を掲げ、場合によっては自民党より右寄りの主張を掲げていた。そうした自民党に類似した右派政党が軒並み議席を減らした点に鑑みると、最近右傾化したと指摘されがち日本にあっても自民党以外の右派政党にはそれほどのニーズが存在していないことが確認できた。 日本経済新聞によると、年代別の政党支持率は、「全年代を合わせた政党支持は自民が36.0%と最も高く、立憲民主党が14.0%と続いた。自民党の支持率は、20代が40.6%と最高で、次に70歳以上、18~19歳が続いた。一方、立憲民主党は60代の17.8%が最も高く、70歳以上がそれに次いで高かった。10~30代ではいずれも10%を下回り、高齢層ほど支持を集める傾向が強かった。共産党も高齢層のほうが若年層より支持率が高かった」とのことである。 こうした調査結果は、最近指摘される若年層の保守化と整合的なように思われる。しかし、元々若年層ほど重視する政策は、(財)明るい選挙推進協会のアンケート調査によれば、「景気対策」「雇用対策」であり、昨今の雇用環境の改善を考慮すると、経済状況の改善が与党である自民党支持をもたらしている可能性も指摘できる。しかも、若年層の多くは冷戦構造の崩壊以降に出生し、イデオロギーからは比較的自由である点も、経済改善という業績に対して与党への業績評価投票の傾向を促進したと考えられる。(iStock) したがって、若年層が与党である自民党への支持を強めているからといって、必ずしも保守化したわけではなく、さらに、若年層ほど特定の政党支持が低く無党派層の割合が高いことも含めると、自民党への支持が高かったのは、若年層が単に業績評価投票の原理に則って行動した結果に過ぎない点に留意する必要がある。躍進した立憲民主党、失速した共産党 これまでの安倍一強自民党への批判の受け皿は共産党が一手に引き受けてきた。しかし、そうした共産党への批判票の集中は他にめぼしい野党勢力が存在しなかったための消極的な支持であり、アレルギーは持ちつつも、仕方なく支持していただけであることが、先の東京都議会議員選挙での都議会自民党への批判票の受け皿が都民ファーストとされたこと同様、今回の選挙で、共産党が失速し、立憲民主党が大躍進した事実から読み取ることができるだろう。 つまり、自民党に類似した右派政党や、「日米安保条約の破棄」「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」等昨今の東アジア情勢等に鑑み非現実的な路線を堅持する共産党には支持が集まらず、現時点では「リベラル」イメージ先行の立憲民主党に支持が集まったことを考慮すると、国民は安倍一強に代表される右派に対して健全な左派政党としてのイメージを獲得することに成功した立憲民主党に票を投じることで左からバランスを保とうとしたとも考えられる。こうした国民のバランス感覚は、共同通信社の出口調査によると、無党派層の比例代表での投票先は立憲民主党が30.9%でトップであり、しかも「立憲民主、共産、社民3党」では42.8%と連立与党の27.3%を大きく引き離したことからも裏付けられる。衆院選の開票当日、インタビューに応じる共産党・志位和夫委員長=2017年10月22日、東京都渋谷区(川口良介撮影) ただし、日本では混乱して用いられている保守やリベラルのラベル、ひいては与野党の対立軸は、経済哲学ではなく憲法哲学といった旧態依然としたものである。 東西冷戦の終了により、それまでの資本主義と社会主義間での体制選択を軸とした党派的活動が世界的に弱まる中、欧米先進国では、社会主義陣営に対抗するため肥大化した政府の役割をどこまで小さくしていくのか、つまり、小さな政府対大きな政府が体制選択に変わる新たな対立軸として確立された。日本でもいわゆる55年体制確立以降対立してきた自民党と社会党(当時)による自社さ連立政権が1995 年に樹立されたことで、イデオロギーが政治の中心であった時代が完全に終焉したかのように見えた。しかし、日本では財政赤字ファイナンスの存在で給付面では中福祉、負担面では低負担が実現しており、政府の大きさは対立軸に成り得なかった(この点については、来月刊行予定の拙著『シルバー民主主義の政治経済学』日本経済新聞出版社で詳しく論じている)。 したがって、冷戦構造の崩壊以降現在に至るまで、政治的な対立軸は、自衛隊の意義や活動範囲を憲法上どのように位置付けるかという冷戦時代の残滓であることもまた明らかになった。新党バブルの読み方 希望の党が設立され、バブルが崩壊するまでごく短時間しかかからなかった。93年の新党ブーム以来最近に至るまで30を超える相次ぐ新党の誕生・消滅、看板の掛け替えが、政治に対する分かりにくさを増大させた。これまで何らかの理由により民意を集めることができなくなった既存の政党に所属する政治家は、離党して新党を立ち上げたり、あるいは政党そのものの名称を変更して、今までの所属政党の色を薄くし、政治的な立ち位置を曖昧にすることで、こうした特定の支持政党を持たない有権者に対する理解の困難性に付け込んで新たに民意獲得を狙ってきた。 有権者は有権者で、これまでの評価がいったんリセットされた既存の政治家グループに対して、実績がないにもかかわらず根拠に乏しい期待を抱き、風を起こす事態が生じる。まさに、勘違いが有権者の投票を支え、新党バブルを煽ることになるのだ。 しかし、希望の党のバブルの生成と崩壊を見ると、立憲民主党への支持がバブルであるか本物であるかは、今後どのようなスタンスで与党の政治に対峙していくのか、反対のための反対なのか、国民の利益を第一に与党との議論を重視し、課題の解決を図っていくのかが問われることとなる。 民進党が突然の希望の党への合流を決め、選挙目当てに逃げ込んだ先の希望の党が惨敗し、分裂した立憲民主党や無所属議員が健闘したことから、今後、野党の再編を巡る騒動が勃発するのは想像に難くない。しかも、今回の選挙でも政策論争が行われた形跡は全く見当たらない。2017年10月、立憲民主党本部の公開で会見に臨む枝野幸男代表(斎藤良雄撮影) しかし、いわゆる団塊の世代が後期高齢者になる2025年までに残された時間が少ないにもかかわらず、財政や社会保障の問題にはめどがついていないなど、相変わらず山積の課題の先送りが続いている。これまでも先送りができたから今後も先送り可能であるとは限らない。 政治の役割は、本来、こうした危機感をすべての国民と共有したうえで、国民に解決のための選択肢を提示し、熟議を重ねて決定していくことにある。 政党や政治家はいつまでも数あわせの政治ゲームにうつつを抜かす時間的余裕がないことを肝に銘じて、国民の利益のために国民から負託された権力と時間とお金を行使する必要がある。しまさわ・まなぶ 中部圏社会経済研究所チームリーダー。富山県生まれ。1994年東京大学経済学部卒業 同年4月経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課、総合計画局計量班、調査局国際経済第一課等を経て2001年内閣府退官。02年秋田経済法科大学経済学部専任講師、04年10月秋田大学教育文化学部准教授。12年4月より現職。

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    小池百合子氏 「チャック女子」の聞き捨てならないセリフ

    、有権者はきちんと中味を見抜いているのです。 何よりも残念なのは、小池さんの着ぐるみの中にあるのが「政治闘争」の要素だけで、あとは空っぽだということ。戦いに勝つことしか眼中にないこと。勝っていったいどんな政治をしたいのか、どんな社会にしたいのか。伝わってこない。 一方、今回の選挙で「チャック女子」と対極の展開を見せたのが山尾志桜里さん。不倫スキャンダルで離党し無所属で立候補、自民党を破って薄氷の勝利を手にしました。 待機児童問題等、子育てに対する意識を変えようという意気込みが、不倫スキャンダルを超えて有権者の心に食い込んだ。 山尾さんの当確が出た現場で、文春の記者が結婚指輪を外していることについて山尾さんに質問したとか。山尾さんは「答える必要はないと思います」と一蹴。男の議員にも果たして同じような質問をするのでしょうか。こういうのが「ガラスの天井」を作り出す要素ではないでしょうか? 政治家の言葉に真実味があるか。そのセリフ、本気で語っているか。直感的に見抜く有権者が増えている昨今。だとすれば、勝った自民党が今やたら口にしている「ケンキョ、ケンキョ」も何だか怪しい。そもそも謙虚さって、自己宣伝するものではなくて他者から見ての評価、ではないでしょうか?  喧伝は謙虚に見えません。関連記事■ 小池百合子都知事 「弱者イメージ」崩れ、アンチ増やす■ 希望の党、小池百合子代表 戦い終えて「みじめな微笑み」■ 排除発言で負けた小池都知事 自民党は「小池さまさま」■ 希望の党 離党者続出で崩壊し“55年体制”復活か■ 44歳主婦「不倫への反発は怒りではなく、ズルいという気持ち」

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    モリカケで生き延びようとする「民進党なるもの」たち

    のイメージを抹消するために党名を変更し、そして今はアメーバのように生き残りをかけて分裂を繰り返すその政治的な生命力には感心するよりも、あきれているというのが率直なところだ。 さて、その政治的生命力たくましい「民進党なるもの」が国会で追及するとマスコミで意気込んでいるのが、例によって「モリカケ問題」である。つまり森友学園・加計学園についての安倍晋三首相への「疑惑」解明である。 さすがに半年近くやって「疑惑」以上のことがまだ何も出てこない話をまたやるのか、とあぜんとせざるをえない。いま、「与党2割、野党8割」という国会の質問時間の配分があまりに野党側に偏りすぎていることを、自民党の若手議員が問題提起して話題になっている。賛否あると思うが、単純に半々にして、少数派の声も反映させるのがいいのではないか、と思った。ところが、野党が「またモリカケ問題をやる」というあまりに無反省な発言をみて考えなおした。やはり議席配分通りでいいのではないか。 議会は政治的やりとりの場ではあるが、マスコミというかワイドショーのネタを提供する場では少なくともない。なんの論理的・実証的なものがない「疑惑」をショーのように野党がやろうとするならば、これはなんらかの歯止めが必要だろう。さらに特殊な事情もある。それは現時点の野党の三大勢力は事実上、冒頭でも書いたようにみんな「民進党」だからだ。これでは民進党の単独ショーに国会がなりかねない。 国民の大半は、野党に票をいれたのではなく、与党に票をいれたのだ。しかも最近では、国会での質問が議員の評価にもつながる傾向がある。「モリカケショー」はもういいだろう。だが、それで納得しない人のために以下にモリカケ問題とは何か、その現状の論点を書いておく。これを読んでまだ納得しない人たちは政治イデオロギーに汚染させているのだろう。 「森友」2つの論点 森友学園問題とは、同法人に払い下げた国有地が周辺の取引価格の実勢よりも極端に低かったことだ。最近の報道によれば、会計検査院の調査では、値引き額が最大6億円過剰だったという。このような過剰な値引きがなぜ起きたのか、というのが第一の論点になる。 第二の論点は、このような過剰な値引きについて安倍首相や安倍昭恵夫人が関わったのではないか、という問題である。過剰な値引きが、法的もしくは道義的な責任を伴うものならば、当然首相も昭恵夫人もその責任を問われてしかるべきものである。典型的には、贈収賄などが考えられるだろう。だが、現時点でそのような事実はまったくない。 ところが、安倍首相が国会で「私や妻が(土地の値引き交渉に)関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と発言したことが異様な拡大解釈を生み出すことになる。この「関係」を野党や反安倍系の識者、マスコミは、不法なものや道義的なものではなく、後述する「忖度(そんたく)させた罪」という一種の「魔女狩り」にまで発展させた。このことで森友学園問題は理性という歯止めを失ったと筆者は解釈している。 この「忖度させた罪」とは以下のような話である。財務省近畿財務局をはじめ、関係した省庁や職員などが、安倍首相や昭恵夫人を「忖度」して、森友学園に対して土地の価格値引きなどの便宜が図られたのではないか、という「疑惑」である。そしてこの官僚たちの「忖度」(相手の気持ちをおもんばかること)の責任を、安倍首相に要求していることだ。つまり官僚たちに「忖度させた罪」を首相は認めて、政治的責任をとれということである。 もちろんこのような「忖度させた罪」は違法でもなければ、そもそもなんらかの罪でもない。言い掛かり以上のものではない。疑いをかけられた官僚も「忖度」はないと答えればそれで終わりだ。もちろん国会でも野党の質問に官僚側はそう答えている。ましてや、赤の他人がどう思って行動しようが、基本的にわれわれには関係ない。ある日、あなたの家に警察が訪ねてくる。あなたがよく知らない他人が「あなたの気持ちを忖度して盗みを働いたかもしれないので、あなたを逮捕します」と宣告する。これを暗黒社会といわずしてなんというだろうか。「魔女狩り」の構図 森友学園問題について、野党やマスコミが追及するには、信頼できる証言や物証を掲示しなければいけない。つまり挙証責任は追及する側にある。だが、野党や一部の反安倍系の識者、そしてマスコミの一部もそのような理性的な態度ではない。これが森友学園をめぐる魔女狩りの構図である。「森友学園」が小学校用地として取得した大阪府豊中市の旧国有地。現在は国の所有に戻っている=2017年6月 このようなことを書くと、「安倍首相があんな発言をするのが悪い」と魔女狩りへの擁護論がでてくるが、本当に「いじめられるのはいじめられた方が悪い」と同じ幼稚な言いぐさである。だが、そのような幼稚な論理がまかり通っているのが日本の現状でもある。一時期ほどではないが、いまだにこのような魔女狩りとその弁護は有力なのである。 森友学園問題で最も参考になるのが、嘉悦大教授の高橋洋一氏の『大手新聞・テレビが報道できない「官僚」の真実』(SB新書)、『ついにあなたの賃金上昇が始まる!』(悟空出版)などの著作である。 高橋氏が指摘する森友学園問題の真因は簡単明瞭である。過剰に安い土地価格取引になったのは、森友学園と直接に交渉した近畿財務局の失敗である。土地に大量のごみが投棄されている可能性が大きいのに、このごみの埋設の事実を隠して、あるいは告知することを怠って森友学園と契約したことにある。そのためごみの埋没が明らかになった過程で、森友学園側に土地価格で大幅な譲歩を迫られたというのが、高橋説である。そもそも近畿財務局は、森友学園と直接の契約(随意契約)ではなく、入札方式で行うべきだったとも高橋氏は指摘する。さらにこの経緯を記した財務省側の資料が廃棄されたことも、厳しく批判している。要するに、財務省、直接の交渉者である近畿財務局の責任である。 ところが野党やマスコミ、一部の識者は、政争的思惑などから昭恵夫人や安倍首相の「忖度」責任追及に忙しい。これではむしろ野党などは、国民の多くに真実を伝えない努力をしていると指摘されても仕方がない。ライバルが断念しただけの話 加計学園問題については、野党やマスコミの姿勢はさらに深刻なものである。端的にいえば「報道しない自由」とフェイクニュースの問題である。それに加えてこの問題を追及している野党側の方こそ政治的・道義的な問題が生じていることである。 さて、あらためて加計学園問題とはなにか。加計学園の加計孝太郎理事長が首相と友人関係にあり、そのため同学園の獣医学部新設について優遇されたという疑惑のことである。この問題についても筆者は何度もこの問題について書いてきた。そもそも獣医学部の新設についての申請自体を認めない状況がおかしい。文科省などの官僚側の規制のひずみが深刻であった。そのため獣医学部新設の申請を認める、という議論が国家戦略特区会議で行われた。申請されたが、それを認めるかどうかは別問題である。この点さえもごっちゃにする議論は後を絶たない。2017年7月、衆院予算委員会の閉会中審査で、玉木雄一郎氏の質問に対して答弁する安倍晋三首相(右、斎藤良雄撮影) そして、日本獣医師会からの圧力などもあり、なんとか1校だけ申請が認められた。そのときに、十数年にもわたり繰り返し申請許可を求めていた加計学園が最優先で認められただけである。新潟市の候補も長年にわたり申請許可を求めていたが、あまりに時間がかかりすぎて途中で断念した。またしばしば話題になる京都産業大学は最近プレーヤーとして登場してきたにすぎない。京産大自身の説明でも、準備不足ということが辞退の主因になっている。時間がかかりすぎてライバル校が断念、または準備不足でもまた別のライバルが断念したために、加計学園が長年の準備を認められて申請することを許されただけである。 ここに安倍首相の「友達」だからそのような申請を認めたとする余地はない。しかも八田達夫国家戦略特区ワーキンググループ座長が明瞭に指摘しているように、国家戦略特区制度では、ある一つの特区で認められた改革は他の特区でも適用されるということである。つまり重複した議論をする必要がなくなる。八田氏の発言を引用しよう。 「話を獣医学部に戻せば、この特区法の原則では、今治市だけに特区を与えることは不可能です。1区域でできれば他でも同様にできて、必ず競争が生まれる。つまりわれわれとしては、まず『特区ができる』ことが大事なのであって、それが『どこで最初にできるのかは』重要ではありません。新しい獣医学部ができるのが、京都でも、新潟でも、愛媛でも、どこでも構わない。WGの議事録から明らかなように、実際に私は、どこが出してきたときでも賛成しています。特区の原則の下では、加計学園が最初の新設獣医学部になったとしても、それは利権になり得ません」(八田達夫「『岩盤規制』を死守する朝日新聞」『Hanada』2017年10月号)。深刻すぎる「報道しない自由」 しかも最大のポイントは、獣医学部の申請校を複数から一つに絞ることが、国家戦略特区の目的ではない。国家戦略特区を悪用して、1校に絞る画策を安倍首相がしたかのような「疑惑」をマスコミなどは繰り返し報道して、世論を誘導している。これは完全に誤りだ。国家戦略特区の目的は、先に述べたように、獣医学部の申請を、異常といえるほど何十年も認めなかったその「規制を撤廃」することにあり、それに尽きる。 獣医学部の規制撤廃は、特定の組織や関係者に利益をもたらすものではない。むしろ現状のように、獣医学部の申請さえも受け付けない官僚とその背後になる既得権団体や政治家たちの存在こそが、特定者の利益温存に動いているのである。この既得権者たちの利害構造については、国会などで前愛媛県知事の加戸守行氏は鋭く批判を展開している。しかしこの加戸氏の発言を紹介するテレビや大新聞はほとんどない。また先の八田氏も、朝日新聞に対して岩盤規制の側に立つか否か公開質問をしているが、その八田氏自身の主張の紹介を含めて、まったく朝日からは返答はない。加戸・八田両氏はともに加計学園問題のキーマンである。その証言や発言をほとんど無視するマスコミの「報道しない自由」ほど、今回深刻なものはない。2017年5月、加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が国会内で開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左) さらに野党側にも「疑惑」がある。希望の党(前民進党)の玉木雄一郎議員は、国会で首相追及の急先鋒(せんぽう)だった。しかし報道にもあるように、玉木氏には獣医師連盟から100万円の献金が行われていた。つまり規制で守られている側と親しい。このことは玉木氏が国会で行った一連の質問が、既得権者の利益を代弁して行ったものである「疑惑」がある。安倍首相のケースと違い、金銭の授受が明瞭である。この点の「疑惑」を与野党やマスコミはむしろ追及すべきだろう。ただしこの点でもネットではともかく、新聞・テレビでの追及はほとんど行われなかった。 さて、間もなく開かれる国会で、「民進党的なるもの」たちがどのようにまたモリカケ問題を追及するのか、またそれをどのようにマスコミが報道するのか、そして識者たちはどのようにコメントするのか、もういいかげんうんざりな向きも多いだろう。実際に今まで書いてきたように、根拠なき「疑惑」をまき散らすマスコミや、それを安易に信じてしまう世論にこそ反省を求めるときだと、筆者は思う。

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    「バカ量産」の教育無償化は必要か

    安倍政権が選挙公約に掲げた教育無償化の議論がスタートした。高等教育に加え、幼児教育の無償化も議論の対象となったが、聞こえのよいバラマキ政策には賛否が渦巻く。向学心のある学生ならともかく、誰もがタダで大学まで行ける制度など本当に必要なのか。「バカ量産」につながりかねない制度の是非を問う。

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    【特別寄稿】高等教育の無償化は「天下の愚策」である

    米山隆一(新潟県知事) 10月22日に衆議院の総選挙が行われました。希望の党の設立と、民進党の合流、排除の論理と立憲民主党の設立と、この選挙では政党の離合集散が大きな話題を集め、政策論争はいつの間にか忘れ去られてしまいました。衆院の解散を表明した会見で、教育の無償化に言及する安倍晋三首相=2017年9月、首相官邸(宮崎瑞穂撮影) しかし、そもそもの解散の理由が消費税増税分の教育目的への転換とされ、自民党が公約に「保育・教育の無償化」を掲げた上、ここにきて安倍総理が私立高校の無償化の検討を表明しました。また、その他の政党も軒並み教育を重視する姿勢を見せており、教育の無償化は本来、今回の総選挙でも大きな論点であったはずです。今回はその是非について論じたいと思います。 まず、極めて当然のことですが、仮に何のコストを払うことなく教育を無償化できるなら、それに反対する人はいません。しかし、そんな魔法のような話はないわけで、教育無償化に限らず、「〇〇無償化」は、無償化といいながらも、もちろんそのコストは、税金から支払われます。 したがって「教育無償化」の是非は、教育費を無償にすべきかどうかというよりはむしろ、教育費を、教育を受ける本人ではなく、「税金」という形で社会全体が負担すべきか否かで決せられるということになります。 現在、日本においては、義務教育である公立の小学校、中学校は無償化されています。日本人の誰もが共通の基本的な教育を受けることで、教育を受けた本人の能力が高まって利益を受けるだけでなく、国民全体の能力が高まって社会全体が利益を受けることになるので、これに異論のある人はほとんどいないものと思います。 一方で、例えば私が、ロシアのすてきな方とお話しするために始めたロシア語の勉強も、先生に教わっている以上教育と言えなくはないのですが、これによって利益を受けるのは恐らく私1人であります。私が奇跡的に上達したロシア語を駆使してロシアの地方政府とよほど大きな話をまとめでもしない限り、その費用は私が負担すべきだということに異論がある人もまたほとんどいないものと思います。 つまり、教育といってもそれを受ける時期、対象、内容がさまざまにあるわけで、教育の無償化は、義務教育から個人的な語学教育までのさまざまな教育について、どの範囲でどう無償化するべきかを考えなければならないことになります。無償化すべき教育とは? そこで、議論を整理するために、少々勝手に、教育を分類してみます。 まず、主に時期を中心として、下記のように分けることは、ご了承いただけるのではないかと思います(通常(4)(5)をまとめて高等教育としますが、議論のために分けました)。(1)幼児教育 (2)義務教育 (3)高校教育 (4)大学教育 (5)大学院以上の教育 (6)社会人教育  対象については、ざっと、大部分の人(全員)が受ける教育と、一部の人しか受けない教育に分類します。 内容については、分類が難しいので、これも非常にざっと、公的教育と私的教育に分けさせていただこうと思います。公的教育はその教育主体がどうあれ、内容の主要な部分が公定されているもの、私的教育はその教育主体がどうあれ、民間が自由に内容を決めているもの、という分類です。 これを図示すると、以下のようになります。  先ほど述べた通り、義務教育のように(1)全員が受けるもの、(2)内容が公的に決まっているものであり、かつそれによって(3)社会全体が利益を得るもの、については、無償であること、すなわち社会全体でその費用を負担することに大きな問題はないものと思われます。 したがって、教育の無償化を進めるのであれば基本的には、義務教育から始まって順次(1)一部の人が受けるもの、(2)内容が私的に決まっているもの、にその範囲を広げることになり、おおむね図の①、②、③、④、⑤の線の順に議論がなされることになるのだろうと思います。もちろんそれぞれの丸の位置や順番については別の意見もありうると思います。 また、①~⑤の順番は、上記の(1)全員が受けるもの、(2)内容が公的に決まっているもの、という基準に依拠していますが、当然その過程では(3)社会全体が利益を得るものという基準が満たされているか否かも問題になりますし、例えば大学院教育などについては、(1)(2)の基準では優先順位が低いけれど、技術革新の時代において社会全体に与える利益が大きいから優先的に無償化する等の議論はありうるものと思います。 ところでここまでは、教育の無償化を順次進めるという前提で議論してきましたが、そもそも無償化を進めるべきか否かを考えるにあたって、非常に重要な問題である、財源についての議論を避けることはできません。 上述の通り、教育無償化というのは結局税金を徴収することによって社会全体でその費用を負担するということです。日本の税収(国税)は毎年ほぼ50兆円で変わらず増える見込みはありませんから、教育を無償化するには、(1)他の用途に使われていた税金を教育無償化に使う、(2)増税する、の二つに一つしかありません。例えば、自民党で「こども保険」を創設するという議論がありますが、これは実質的に増税と同じです。結局誰が負担するのか (1)の選択肢を選んだ場合は、「他の用途」が医療・福祉の社会保障なのか、公共事業なのか、公債費、つまり財政健全化のための費用なのか、はたまた防衛費なのかはそれぞれでしょうが、いずれにせよ教育無償化を行うことによってこれらの用途にお金を使うことはできなくなります。(iStock) したがって本当にその教育無償化が、他の用途にお金を使うよりも社会全体に利益をもたらすのか、上記の①~⑤の無償化の段階ごとに、議論が必要だということになります。 (2)の選択肢を選んだ場合は、すでに税金が使われていた他の用途が削られることはありませんが、増税されなければ民間の個人もしくは企業がそれぞれに使っていたお金を教育無償化に使うわけですので、その教育の無償化は、民間でそれぞれにお金を使うよりも社会全体に利益をもたらすのか、やはり上記の①~⑤の無償化の段階ごとに、議論が必要だということになります。 さらに教育無償化には、もう一つ忘れてはならない問題があります。それは無償化をすることそれ自体によって、上述の議論の前提がすべて変わってしまう可能性があるということです。 かつて日本には、「教育無償化」ならぬ「老人医療費無料」という政策がありました。1973年~1983年、高度成長によって毎年伸びる税収を背景に、当時の田中角栄内閣が70歳以上の医療費を無料にしたのです。もちろん、「経済的事情に関わらず、高齢者は必要な医療を全て無償で受けられる」ということそれ自体は良いことで、誰も文句はありませんでした。 しかし、「無償」の効果は絶大でした。何せ「ただ」です。70歳以上の高齢者は、それこそ擦り傷一つ、咳(せき)一つどころか、「日々の健康診断」という感覚で病院を受診しました。病院が高齢者のサロンとなり、高齢者同士で「〇〇さん今日病院に来ないね、どうしたんだい?」「ああ、今日は風邪をひいて家で寝てるんだ」という会話が交わされているという冗談が、リアリティーを持って語られました。そして医師もまた、相手にとって負担がないということでどんどん検査をし、薬を処方し、新しい診療所や病院を開設して増え続ける高齢者の需要に応えました。 結果は、高齢者医療費の急激な増大とそれによる保険財政の圧迫であり、これに耐えられなくなることを危惧した大蔵省(現財務省)が主導して、老人医療費無料という政策は、わずか10年で幕を閉じることとなったのです。無償化が引き起こすもの つまり、老人医療費無料、教育の無償化に限らず、「〇〇無償化」という政策は、それ自体によって、それまで存在していなかった需要、しかも本来なら必要とは言えなかった需要を引き起こしてしまう可能性があるのです。 主に日本維新の会が提唱している高等教育(大学)無償化を例にとって考えましょう。現在日本の大学進学率は54%で、その無償化に必要な額は4兆円程と言われています。(iStock) しかし、無償となれば、この大学進学率が80%近くまで跳ね上がることは容易に予想されます。その過程で現在の大学のみならず、さまざまな事業者が高等教育に参入し、現在大学に行っていない学生たちのニーズに応えようとするでしょう。大学進学率54%の現在でさえ、率直に言って、九九やアルファベットを授業で教えている大学は存在します。高等教育無償化によって雨後のたけのこのように出てくる学校の相応の割合が、「高等教育」とは名ばかりのモラトリアム享受機関になることもまた、相当程度の確率で予想されます。 大学教育の無償化は、それらのさまざまな事象を引き起こすことによって、当初の(1)全員が受けるものか、(2)内容が公的に決まっているものか、(3)社会全体が利益を得るものか、という議論を、全く変えてしまいかねないのです。そして、これらの変化によって、大学教育無償化の費用は、最終的には当初の4兆円を大きく超え、10兆円近くに跳ね上がるだろうと、すでにいくつかの試算で予想されています。 以上教育の無償化は、下記のような困難な多元方程式を解かなければならない、極めて複雑な問題だといえます。A 幼児教育、高校教育、大学教育、大学院教育、社会人教育のどの教育を無償化するのかB その教育の無償化は(1)全員が受けるものか(2)内容が公的に決まっているものか(3)社会全体が利益を得るものかC その教育の無償化の財源はどうやって確保するのか、その財源を「他の用途」に使うよりも、その教育無償化は、より多くの利益を社会にもたらすのかD 仮にA~Cがクリアされたとしても、教育の無償化それ自体によって、議論の前提が変わってしまうのではないか 教育無償化の議論の土台ということで、結論ではなく、論点の抽出・整理を行いましたが、各党においてはぜひ、漠然と聞こえがよい「教育無償化」を打ち出すのではなく(それだけなら誰にとってもよく聞こえるのは当然です)、きちんと、詳細に、上記のような議論をしていただきたいと思います。 それこそが、教育無償化という政策を行うそもそもの理由である「次世代のために適切な政策をする」ということであるのですから。

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    「奨学金の返済地獄」をなくすために必要な議論は何か

    佐藤智(教育ライター) 先の総選挙で自民党が勝利した。自民・公明両党は、幼児教育の無償化とともに私立高校の授業料無償化を実現したいと掲げ、注目が集まっている。消費税増税の文脈と一緒に語られることも多いため、「財源の確保はどうするのか」という問題に目が行きがちになってしまい、本質的な教育無償化の議論にまで至らないことも少なくない。 そこで今回は、「高校の授業料無償化」がどんな意味を持つのかに焦点を当てて考えたい。(iStock) まずは、一時期騒がれていた高校無償化が、現在ではどのような制度になっているのか、少しおさらいをしてみよう。 高校無償化は、2014年から「高等学校等就学支援金制度」という新制度となった。この制度は、「高校の授業料に充てるための就学支援金を支給することにより、高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の実質的な機会均等に寄与することを目的」としている。 現在は、国公私立問わず一定の収入額未満(市町村民税所得割額)が30万4200円(年収約910万円未満)の世帯の生徒に対して、授業料を支援している。具体的には、世帯収入590万~910万円未満の世帯には年11万8800円(月9900円分)とし、250万円未満世帯で私立高校に通う生徒にはその2・5倍(年29万7000円)を支援するなど、所得に応じて支給額を決定しているのだ。 受給額の年額11万8800円は、公立高校の授業料全額分が免除されている金額だ。つまり、私立学校に通う生徒に対しても低所得世帯・中間所得世帯に対しては公立高校と同額のサポートがなされており、それを上回る分を家庭から支出することとなっている。 私立学校の授業料には学校によって大きなひらきがある上に、施設費や制服費用、修学旅行の旅行積み立て費用なども高額なことが少なくない。また、これは私立学校、公立学校を問わないが、生徒が主体的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」型の授業の導入が進み、情報通信技術(ICT)関連の購入費用などプラスの負荷が家庭にかかることも増えている。 高校進学率のさらなる上昇や、金銭面を理由とする高校中退者の減少がみられた点で、施策は一定の効果があったと考えられるものの、学校教育費の家庭負担が一切なくなったわけではないのだ。地域による機会不均衡 国のサポートだけでは、私立学校の授業料を賄うことができない世帯も少なくないだろう。例えば、年間25万円の授業料の場合には、11万8800円を差し引いた13万1200円は家庭から支出することになるからだ。 そこで、各都道府県でも私立学校の授業料無償化が検討されている。 例えば、東京都では、小池百合子知事が教育機会均等化の実現に向けて、私立高校授業料の実質無償化を掲げている。この方針を受け、2017年度から都内在住の私立高校生を対象に実質無償化が進められている。衆院選で第一声を行う、希望の党の小池百合子代表=2017年9月、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) しかしながら、これは東京都の施策であるため、東京都の私立高校に通っていたとしても都内在住でなければ支給はされない。東京都の私立高校へは神奈川県や千葉県、埼玉県など近隣の都道府県に住む生徒も通っている。そのため、住まいがどこかで授業料への支援が異なってくる。 また、この東京都の制度においても所得制限が設けられており、世帯年収760万円未満を対象とするとされている。対象となるのは、約5万1000人。国の高等学校等就学支援金制度が年額11万8800円であるのに対して、東京都の制度では年間私立授業料の平均額44万2000円を上限に支援すると定めている。 地域の人材育成は、各自治体において最重要事項の一つだ。その意味で、各地域が課題意識を持ち、それぞれの教育的施策を講じることは意義深いといえる。一方で、税収が少ない自治体と多い自治体とで、格差が大きくなるという見方もできるだろう。子供の教育環境を考える上で、保護者が自治体情報をつぶさに収集することが求められる時代へと進んでいくと言えそうだ。 私立学校も含めた高校の授業料無償化が整備され、すべての子供が平等に教育の機会を得られる社会になりつつあると感じている。最近では、高卒者の就職率もある程度持ち直してきており、高校教育を保証することである程度の水準を満たすことはできるのではないかと思う。 しかし、大多数の大企業の新卒採用では、大卒者がターゲットとされている。さらに、多くの場合、専門職となるためには大学に進学することが必要となる。現在の大学進学率は、男子が52・1%、女子が56・9%である(総務省統計局「日本の統計2017」)。半数以上の子供たちが大学に進学する時代において、「高校の授業料さえ保証すれば十分」といえるだろうか。支援の多様化も必要 政府は、2020年までの重点項目として「理工系人材育成戦略」を挙げるなど、大学などの高等教育機関が人材育成において果たすべき役割がますます大きくなると予測している。(iStock) つまり、大学進学への道をいかにサポートするのか、今後さらに議論を深めていく必要がある。 「奨学金制度があるではないか」という指摘もあるかもしれない。しかし、テレビのニュース番組でもたびたび取り上げられるが、既存の制度だけでは卒業後に「奨学金の返済地獄」に陥る人も少なからずいる。大学に行きたい一心で奨学金を借り、社会人になり返済に困窮する。 現状から考えると、大学などの高等教育機関も高校の授業料無償化と地続きで変革を進めていくことが求められるのではないだろうか。 もちろん、現行の制度でも、返済の必要がない奨学金や支援制度が存在している。独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)が行う「予約採用奨学金」が世帯収入の基準を満たし、成績ボーダーを超える子には給付型の奨学金を用意している。また、民間団体や公的機関が用意する給付型奨学金支援制度もある。こうした奨学金を複数活用することで、学費・生活費を完全にまかなえる場合もある。さらに、給費生・特待生・奨学生入試を整備している大学もある。 ある一定の学力を収めており、研究・学習意欲があることが大前提とはなるが、子供たちにこうした大学への切符を準備していくことは今後さらに重要だ。 国の支援だけを期待するのではなく、「優秀な人材は地域で作る」というコンセプトを掲げて都道府県の育成事業を推進してもよいだろうし、企業としてインターン経験を積ませながら大学の学費を支援するところが出てきてもよいだろう。支援は必ずしも一元化する必要はなく、あらゆる側面から子供の可能性を伸ばせる社会になっていくことが求められる。 また、保護者や学校の先生はこうした多様な制度を知ることで、子供に選択肢を提供していくことも役割の一つになるだろう。たとえ今、何らかの理由で金銭的な弱者であったとしても、情報弱者にならなければ道は拓ける、そんな未来に期待して、教育の無償化への歩みを見守っていきたい。

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    おバカが集まる「底辺高校」まで授業料をタダにする道理はない

    森口朗(教育評論家) 先の総選挙で大勝した安倍政権は、消費税を10%に上げて教育の無償化を実施するという政策を打ち出している。消費税増税については、リーマンショック級の経済的打撃がないことが条件とされており、緊迫する北朝鮮情勢を勘案すれば、いまだに不透明である。そこで、本稿では財源問題とは一応分離して「教育の無償化」の是非を考えたい。 憲法は義務教育の無償化をうたっており、現在、小中学校教育が義務教育とされているので「教育の無償化」政策のターゲットは、幼児教育、高校教育および大学(大学院)教育であるが、それぞれにまったく異なる問題をはらんでおり、これらを一律に論じるのは乱暴に過ぎる。そこで、3つの無償化について順に、解決すべき問題点と是非を考察したい。 まず、幼児教育の無償化については、原則的には推進すべきである。なぜなら、世界の各国が6~7歳から義務教育と定めた近代以降の教育学の進展により、早期教育を社会の構成メンバー全員に施すことは、その社会の知的水準を上げるだけでなく、治安維持効果も持つことが分かっているからだ。すなわち適切な幼児教育を受けた者は成人した後、経済的成功を獲得する確率が高いだけでなく、犯罪者になる確率が低いことが実験で明らかになっているのだ。グローバル化が進む中で、世界一ともいえるわが国の治安を維持することは、全ての日本国民にとって有益である。また、高等教育と異なり、幼児教育に適さない者は存在しないだろうから、無償化の恩恵を世代全員が受けることが可能である。その点でも、幼児教育の無償化は、推進すべき政策と言えるだろう。 しかし、その政策を推進するためには、幼児教育が、文部科学省が管轄する幼稚園と、厚生労働省が管轄する保育園に分断されているという問題を解決する必要がある。両者は、入園できる年齢も異なれば、幼児を預かる時間帯も異なる。そのために、一人当たりにかかる費用も異なるし、第一、保育園の機能は、実態はともかく、一次的には乳幼児を預かるという点であって、教育は二次的なものに位置づけられている(だから、厚生労働省の所管なのだが)。さらには、幼稚園教諭免許と保育士免許が別という問題も無視はできないだろう。そういった点を解決せずに、幼児教育の無償化を推進すれば、現場に無用な混乱をもたらし、森友学園事件のような公金の不正受給問題の温床となるだろう。(iStock) 次に高校の無償化について考察する。これは、既に日本維新の会が牛耳る大阪で実施済みの政策なので、政府がそれを全国に広げ、推進しても混乱は少ないだろう。しかし、高校教育を無償化すべきか否かについては大いに疑問がある。これは大学教育の無償化についても同様、あるいはそれ以上に深刻な問題であるが、中等教育や高等教育を無償化する際には、経済的弱者から集めた税金を経済的強者に配布するという側面があることを忘れてはならない。中卒で働く者と高校に進学する者を比較した場合、通常、前者の方が経済的に恵まれていない。高卒で働く者と大学に進学する者を比較した場合も同様である。弱者の税金を強者に分配する愚 これは、財源を消費税に求めても、教育国債に求めても、小泉進次郎氏が主張した「子ども保険」なるものに求めても、まったく変わらない。所得の再分配は政府機能の一部として認められているが、経済的弱者の税金を経済的強者に分配するのであれば、尋常ではない正当性が必要だ。私は、これを正当化するのは「日本経済全体の向上に資する」以外にはないと考えている。2017年3月、子育て支援などの財源を確保する「こども保険」の創設の提言を発表する、自民党の小泉進次郎衆院議員(中央)ら 読者諸賢は、現在の高校教育、とりわけ底辺高校の教育水準をご存じだろうか? 少なくとも数学や英語については、中学校の教育をマスターできなかった者に対して、問題をよりシンプルにして解かせている。つまり、中学校課題の再教育がその実態なのだ。このような教育を中卒で働く者が納めた税金を費やしてまで無償にする必要があるのか? 断じて「否」である。 ただし、高校教育については「義務教育にする」という手法が残されている。それならば、経済的弱者の税金を経済的強者に投入する不正義の問題はおきない。前期中等教育(中学)だけでなく、後期中等教育(高校)までを義務教育期間にするのは世界的潮流であるし、IT化が進み訓練された労働者を必要とする現代社会にとっても適合する。ただ、高校を義務教育にする場合には、左派の論者たちが、高校入試の廃止や、誰でも望む高校に進学できるように制度改正を求めてくることは必至だ。万一、その声に負けて、中学の延長線のような高校を多数派にしたら、日本人の知的水準は地に落ちてしまうだろう。事実、共産党に牛耳られた京都府において、これに類する政策を実施して、京都の府立高校のレベルが急落した歴史がある。 高校の無償化は、①高校教育を義務教育化し、かつ②現在同様の学力に応じた学校に進学するシステムを維持した場合にだけ、肯定できる政策だろう。 このように考えていくと、大学、あるいは大学院も含めた無償化は決して認めてはならない政策だ。実のところ、底辺大学の教育も先に紹介した底辺高校の教育と大差ないことになっている。事実上の無試験で入学できる大学も、全国に山のようにある。この現実をそのままに、大学教育を無償化したら、「高い授業料を払っているのだから勉強しよう」という、最後のインセンティブまで吹き飛ぶだろう。 安倍総理が言う「どのような家庭に育っても、自分が希望する進路に進める」社会を構築することは極めて重要である。しかし、そのための政策は、現在、政府・文部科学省が着手しはじめた給付型奨学金(返済不要の奨学金)制度を、学力優秀な者に限定して一層拡充することであって、大学教育を受けるに値しない低学力の者の4年間の居場所を、経済的弱者から集めた税金で提供する「大学教育の無償化」ではないのである。

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    「分数もできない」大学生をまだ増やすつもりなのか

    和田秀樹(精神科医) 高齢者を専門とする精神科医としては、やや不本意なことではあるが、今回の選挙では、高齢者対策以上に、将来のための若者対策が各党の選挙公約として目立った。政権与党である自民党は、人づくり革命の一環として、増税した消費税の大半を教育無償化に充てるという方針を打ち出した。基本的には3~5歳児の幼児教育(保育園・幼稚園)の費用を無償化する、所得が低い層での高等教育の無償化を行うとしている。 これに対応するかのように各党も選挙公約に教育無償化を打ち出した。野党第一党に躍り出た立憲民主党は、「児童手当、高校等授業料無償化、所得制限の廃止」を打ち出している。希望の党は、「幼児保育・教育の無償化、大学における給付型奨学金の大幅拡充により、格差の連鎖を断ち切る」と宣言。維新の会は、橋下徹氏が大学など高等教育まですべて無償化を掲げ、現在もこの政策を強調している。 確かに、ヨーロッパ諸国は消費税が高い代わりに高等教育を含め、教育無償が原則だ。そして、私の聞く範囲でも、格差が広がり、とくに地方では、貧困のために大学進学をあきらめるということは現実にあるようだ。知人の地方新聞の社長に聞いた話だが、世帯年収300万円くらいでも、親と同居していると、日本はアメリカと違って、公的医療保険が充実しているし、デフレ経済もあいまって、それほど生活に困らないどころか、軽自動車とはいえ、夫婦で自動車を2台所有などということは当たり前にある。 ところが、子供が大学に行きたいという段になって初めて、貧困を自覚する。地元の国立大学の授業料でも、今は負担が重い。4年で授業料と入学金だけで240万円以上かかるのだ。ましてや私立となると一層の負担増になる。国立であったとしても東京の大学など夢の夢という世帯も多いそうだ。※iStock 私の知り合いのお金持ちが、ある九州の名門高校で講演をした際に、生徒たちの真摯な聞きぶりに感激して、学校に寄付を申し出たそうだ。すると、校長は「この高校からも東大を狙える子なのに、東京で受験する旅費がないために泣く泣く九州大学に進学する子が毎年何人もいます。その子たちの旅費を何年分か寄付していただけませんか」という話を聞いて驚いたそうだ。その使途で使ってもらうために500万円寄付したそうだ。 授業料の無償化は貧困世帯にとって福音になるのは確かだが、地方の人にとっては、受験の旅費のような、都会の人には想像できないような出費も大きいのである。格差の連鎖を断ち切るという点では、少子化なのに、むしろ定員を増やしてきた大学の場合、実質、無試験状態という学校が当たり前にある。 金沢工業大学のように大学に入ってから徹底的に鍛えるということで、「偏差値30台から(今はこの評判のためにすっかり上がってしまったそうだが)正社員就職率99%」というような例外的な大学を除けば、この手の低学力大学から正社員入社、その後に能力を高めて社会で成功者になるという道は決して開けているとは言えない。 2020年度の入試改革で見送られた大学入学資格試験のようなものを作らないと、分数ができない、まともに読み書きのできない大学生が大量に出現している。 こういう学生に対して、中学校や高校の初期に教えるような内容を教えなおす「リメディアル教育」というものが行われる大学も増えているようだが、大学教育(これまでは教育者というより研究者が教授になる傾向が強かった、いや今でも強い)を抜本的に変えるか、GRE(アメリカやカナダの大学院へ進学するのに必要な共通試験)のような大学卒業時の学力テストを導入するか、あるいは高校教育の充実のため(今は落第や留年をさせる高校はほとんどない)大学入学資格試験を作るなどを検討しないと、教育無償化が実現しても大学卒の肩書が得られるだけで、格差の連鎖が打ち切られる効果は、さほど期待できないだろう。教育バウチャーが有効 貧困層が高等教育機会に恵まれない理由は、アメリカのように一流大学の授業料が高いこと以上に、公教育でエリート教育をするのがおかしいという左翼的な教育批判のために名門公立高校の多くが解体され、一流大学に入るためのエリート教育が名門の私立中高一貫校や塾や予備校などの民間教育(東京ではその両方に通わないと東大に入れないとさえ言われる)に依存してきたことがあるだろう。名門中高一貫校に入るためには、小学校4年生くらいからの塾通いが必要だから貧困層どころか共稼ぎ世帯すら排除されることが多い。東京などで公立学校が復活してきたことは望ましいことだが、やはり塾や予備校通いの率は高いという。 貧困層でも塾に通えるような教育バウチャー(教育に使用目的を限定したクーポン券)のようなものを用意しないと、格差の連鎖の是正には役立たない可能性は高い。エリートとか医師になるという問題以外に、ゆとり教育だけでなく、少子化による高校入試の実質無試験化や、高等学校における落第・留年を行わない方針などのために低学力者の増加の問題もある。※iStock これらの子供を救っているのも、ほとんどの場合、民間の学習塾なので、それに行く経済的余裕がない家庭は、AI(人工知能)やロボット化で単純労働力の需要が激減が予想される中、再貧困にあえぐ可能性は小さくない。教育バウチャーの実行が難しいなら、せめて低学力児童対象の少人数学級の実施は重要な課題だろう。 経済協力開発機構(OECD)の調査で学力世界トップレベルを続けているフィンランドに視察に行ったことがあるが、クラスの人数は18人という少人数クラスと、学力がそれでも足りなければ、義務教育が終わる年に補習を行い1年留年させるという。それによって学力が低いまま社会に出すことがないようにしているとのことだった。 私自身、福島県のいわき地区で初めての中高一貫校磐城緑陰中学高校のスーパーバイザーを行っているが、公立優位の文化の中で、大学進学実績は悪くないのに、生徒が集まらないため、期せずして1学年18人以下という教育の効果を実感することになった。 東京の私立中学の受験予備校で小学校5年生の子が受けるようなテストで合格者の最低点は400点満点で100点レベル(東京なら偏差値30台だろう)の生徒を引き受けながら、下から二番の子が国立大学に合格した年もあるし、卒業生の4人に1人が慶応大学に現役合格し、慶大現役合格率が首都圏以外でトップになったこともある。それ以上に教師の目が行き届くためか、いじめやメンタルの問題がほとんど起こらない。 無償化以上に金をかけてほしいのは、クラスの小人数化である。格差社会というのは富裕層は昔と比べてはるかに収入が多い、資産が多い社会でもあるということだ。そういう点では、自民党の所得制限の考え方のほうが現実的だ。一方で、給付型奨学金の大幅拡充という希望の党の公約は自民党も検討してほしい。これは塾にも使えるだろうし、私立大学の医学部や法科大学院など授業料が高いためにあきらめる人を減らす効果が大きいからだ。机上の空論ばかりではダメ さて、幼児教育の無償化の問題だが、これも格差社会においては、所得制限を設けたほうがいいと私は考える。基本的に幼児教育の世界で問題になっているのは、保育園の待機児童の問題だろう。無償化もありがたいが、とにかく入れるようにしてくれというのが本音の人が多いだろうし、保育園に入れた人は無償化なのに、入れないための認可を受けていないような保育園に入れなかった人は、負担はこれまで通りというのなら踏んだり蹴ったりだ。 一つの方法としては、幼児教育バウチャーという手もあるだろう。所得制限は設けるものの、幼児に対してバウチャーを設ければ、親の負担が減り、民間の保育業者が増えるだろう。サービスの競争も起こりえる。※iStock 実は、私は本年度から、女医さんを対象にして、中学受験や大学受験に有利な学力をつける保育園型の幼児教育の総合監修を務めている。子供というのはこの時期に、きちんと読み書きや計算を教えるとびっくりするくらい伸びることを実感したが、高めの授業料の設定もあって、保育士さんの給料を高めに設定すると、優秀な保育士さんが簡単に集まることも実感した。 保育士の給与水準を上げれば、保育士が容易に集まり、それによって保育園不足も解消されるなら、無償化以上に、保育園の予算を増やして、スタッフの給与水準を上げるほうが有効だというのが私の実感だ(もちろん、貧困層の人には無償化すべきだろうが)。 日本の教育の質の低下や格差問題の解決はタダにすれば済むものではない。机上の空論ばかり述べる大学教授でなく現場の声を聴いて、きちんとした対策をしてほしい。それによって、税金を有効活用してもらうことで、本当の意味の人づくり革命を期待する。

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    小池流「ワイドショー政治」はもうウンザリです

    広野真嗣(ジャーナリスト) 「劇場型政治はもうたくさんだ」と、多くの有権者は感じているにちがいない。 9月最後の1週間、政界の「台風の目」となった「希望の党」はその翌週、公示前には失速した。だが、本来保守政党である自民党がその党運営のあり方を根本的に見直さなければ、小池百合子氏から離れた票の「受け皿」にはなりえないのではないか。その象徴的な例が自民党東京都連である。街頭演説を前に、選挙カーに乗り込む希望の党の小池百合子代表=2017年10月、仙台市(佐藤徳昭撮影) 自民党東京都連は9月27日、「都連支部長・常任総務合同会議」で会長を鴨下一郎氏に決め、トップ以外の執行部4役は前体制を引き継いだ。7月の都議選で歴史的大敗を受けて辞意表明した下村博文・前会長の後任がようやく決まったことは前進ではある。しかし実質的には23日の幹部会で決めた内容の追認で、再び会長人事という最重要事項の決定が「密室」で行われるかたちになった。 しかもこの決定までには、実に3カ月もの時間を要した。都連では初となる会長選を行う方針を打ち出したのは、都議選から2カ月近くも経った8月24日のことだ。 さらに実施方法をめぐって①10万人近い党員による投票とするか、②国会議員や都議、区市町村議ら1000人規模で投票を行うかをめぐって綱引きとなり、後者に落ち着きかけたところで、解散総選挙が急浮上した。 総選挙となればこれに向けた準備が第一となるのは当然で、その時点で、唯一手があがっていた鴨下氏に決まったこと自体は不合理なことではない。だがその結果として会長選は「幻」に終わり、都連が「脱ブラックボックス」をアピールして小池都政に対抗する最良の好機を逸した損失は小さくない。 都民ファーストの会が半年間で4度も密室で代表を決めたことに意を強くしたのか、「向こうと同じ、ブラックボックス返しだ」(都連幹部)とうそぶいてみる声もあるが、こうした優先順位を履き違える鈍感さに自民党都連の病巣がある、と私は思う。 この1年で、都議や都連の感覚が有権者から乖離(かいり)していたことにスポットライトがあてられたからこそ、都議選の壊滅的な選挙結果に至ったのではなかったのか。小池「情報公開は一丁目一番地」は方便 このところ、都連を不透明と批判してきた小池氏自身が、不透明な決定を繰り返している。 都議選直前の6月に唐突に公表した築地と豊洲の市場両立案は都庁官僚の誰とも討議した形跡はなく、毎日新聞の情報公開請求にも「記録なし」。小池氏自身も会見で「最後に決めたのは人工知能、つまり私」とはぐらかした。 移転延期に伴う補償先や補償額を求めた筆者の情報公開請求に対しても黒塗りだったし、特別秘書の給与の情報公開請求も黒塗り。後者については非開示決定に対しジャーナリストから裁判を起こされそうになると、慌てて公開する始末だった。 小池氏が強調する「情報公開は一丁目一番地」というキャッチフレーズは、あくまで権力奪取のための方便で、自らに刃が向かう情報については非公開という自己都合である。 それでも小池氏の存在がここまでクローズアップされたのは、安倍自民党の森友・加計疑惑への反感から、有権者が投じる先を探し求めていたからだ。 小池氏はこの1年、繰り返し敵対勢力の「失点」をテコに騒動を拡大させ、影響力はそのたびに高まった。都議会のドン、内田茂前都議に偏重した都連への「口撃」が喝采を浴びたのも、内田氏に依存した都連の不透明な決定プロセスという「つけ入る隙」があったからだ。 その総括はどれだけ組織内でなされたのだろうか。強力なカリスマである内田氏が存在する間、「弱点」は知事選後も見直されずに2月の千代田区長選、7月の都議選と持ち越された。これらの選挙に連戦連敗し、内田氏が引退した今が変革の最大のチャンスである。自民党千代田総支部総会後、議員引退を表明した内田茂都議=2017年2月、東京都(鈴木健児撮影) 会長選の方式をめぐる対立は、内田氏に近い丸川珠代前五輪相を推す萩生田光一党幹事長代行ら細田派系の旧執行部と、鴨下一郎氏を推す石破派系議員との間の主導権争いの側面が指摘されたが、果たしてそんなことをしている場合なのだろうか。 「政権交代を目指す」としながら首相候補についてははぐらかし続けた小池氏は、選挙後、大連立をいとわぬ戦術を仕掛けるだろう。「疑心暗鬼」を抱かせ、存在感を大きく見せるテクニックだとの見方もある。 有権者不在のこうした便法に軽々しく応じるような政党や政治家こそ、次の「ブラックボックス」になる。 総選挙後、自民党東京都連が脱ブラックボックスの政治に意識的に取り組めば、小池都政への明確なアンチテーゼとなる。さもなくば、ブラックボックスの中心が「内田氏」から「小池氏」に移転しただけ。再びわかりにくい行政が、首都で繰り広げられることになるだろう。

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    小池騒動よりも変だよ、ニッポンのシルバー民主主義

    の保守系である「維新の会+希望の党」と、革新系の流れをくむ「立憲民主党+共産党+諸派」の3極に日本の政治が移り変わっていくことが見て取れます。二大政党制を目指して日本の政治が動いてきたところ、自民対非自民の構造が非自民のアプローチが変容したというのは大事な意味合いを持つのではないかと思います。2017年10月10日、衆院選が公示され、候補者の第一声を聞くお年寄りたち 一方で、総務省の発表では一票の格差は2倍を切り、1.9倍あまりまで差が縮まってきました。これは日本の政治において「0増10減」という大きな議席数の変化があっただけでなく、それに伴って人口割で小選挙区の区割り変更、合区が行われて、東京でも地方選挙区でも区割りが人口減少に見合った反映を行ってきた結果でもあります。 今回、希望の党の立ち上げで一定の貢献をした若狭勝さんは、民進党を事前に離党した長島昭久さんや細野豪志さんに対して希望の党への合流に際し一院制の重要性を繰り返し説くというエピソードも聞かれました。政治改革を志すにあたって今回の選挙で一院制の是非を前提とする若狭勝さんの政治的センスの良しあしは別としても、少子高齢化から人口減少時代に差し掛かる日本の政治が、いままでの利益代表を政界に送り込むだけでは政治改革を満足に行えないという問題意識はもう少し持たれてもよいのではないか、と感じる部分はあります。 例えば、目下国政最大の争点となっているのは、いまや景気対策や雇用の充実、産業育成などではなく、高齢者の年金、福祉、介護といった社会保障がトップに躍り出ています。ここで問題となるのは、高齢者ほど投票に足を向けやすく、また有権者の人口比でも高齢者が大きな割合を占めるシルバーデモクラシーという現象です。日本の政治において、シルバーデモクラシーの影響は非常に大きく、今回解散に打って出た安倍政権も高齢者向けの社会保障を削減しなければならない政治課題を言い換えるようにして「全世代対応の社会保障」というオブラートに包んで公示日に突入しています。 この問題は極めて大きい課題を日本社会に突きつけていて、社会保障の削減はもちろん年金に頼った暮らしをしている高齢者の生活を直撃するだけでなく、その子供の世代に大きな負担を強いることになります。つまり、介護離職に代表される福祉の問題は、突き詰めれば高齢者を誰が面倒を見るのかという話であり、国家が税金や保険料で高齢者を養う余力がなくなったので、地域や家庭でご自身のお父さんお母さんの面倒を見てくださいという流れなのですが、その高齢者を食べさせ、介護をし、病気やけがをすれば病院に連れて行くのは家族の負担となって、結果として日中独居老人や介護離職といった課題を日本社会に突きつけます。もっと議論すべきことがある! しかも、少子化が進んでいる以上、こういう年老いた親の介護は少ない子供、下手をすると1人しかいない子供が仕事を辞めてでも介護しなければならないという状況になり、とても「結婚しない人の自己責任」とか「子供ももうけないで自業自得」などとはとても突き放せない問題として日本社会に降り掛かってきます。期日前投票に一番乗りし、一票を投じる高校生=2017年10月11日、大阪府箕面市(共同) そうなると、利益代表という意味において地域で区切られたいまの選挙制度は日本の政治改革を考えるにあたって本当にふさわしいのか、ひょっとしたら、年齢別の利益代表や、利害関係の異なる層に対するより包括的な選挙制度を考えなければならない時代に入ったのではないかとさえ思います。地域の代表が70代の衆院議員であって良かった時代は、それこそ地元に大地主がいて、名士がいて、地域を代表する人物が住民から選ばれて議員となる政治プロセスを意味していました。 しかしながら、デジタル全盛時代になってくると、もはや個別の政策論争を国会で議論するよりも、より簡便で多くの人たちが参画できる政治手法も出てくることになります。電子投票はいまだ認められておらず、公職選挙法ではインターネットの利活用もきちんと解禁されているとは言いにくい状況です。社会の発展や技術の進歩が私たちの暮らしに与える影響が大きくなっているにも関わらず、立法も行政もこれに追いつかないのは、文字通り議員代表制、間接民主主義そのものが制度疲労を起こしているからではないかとさえ思います。 有権者の意見を広く取り入れるためにも18歳以上に選挙権を与える改革や、区割りの変更などで一票の格差を是正するというのは極めて大事なアプローチであり、一歩一歩進めていくべきものです。その一方、今回の選挙は古色蒼然(そうぜん)とした選挙戦での勝った負けたが目の前の国難である安全保障と社会保障について適切な議論を向けきれていない、議院内閣制や政党政治が持つ枠組みが遅すぎてさまざまな問題解決の阻害要因になっているようにも感じます。 今回、さほど争点にもならない消費税10%への引き上げや、それに伴う「社会保障と税の一体改革」で日本の形もある程度の道筋がもたらされるかもしれない割に、どのように行政が国民の声を吸い上げて技術革新や国際競争の中で日本の取るべきポジションやリーダーシップを確保するのか、また、より産業の前線で戦っている日本人や、家族の暮らしで困窮している日本人がより良く生きていくことのできる環境を実現するために間接民主主義、政党政治にどんな改革を必要とするかは、もう少しきちんとした議論を積み上げていくべき状況であることは言うまでもありません。少子高齢化で衰退に向かう日本の未来の青写真を描けるような議論は、今回の選挙では沸き起こらないものなのでしょうか。

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    民進党の師弟コンビが仕組んだ「菅直人潰し」がエゲつない

    。自民党補完勢力なのは小池氏の発言でも明白だ。小池氏がくら替え出馬をするとしたら、若狭勝氏の求心力・政治力が野心の大きさに全く伴っておらず、合流した民進党勢に党を乗っ取られるという危機感が生じたときだろう。答弁を聞いている限り、歯切れが悪すぎて絵面も悪い。腰巾着感が否めず、百戦錬磨でブラフも効かせたマスコミ対応をしてネット記事を賑(にぎ)わせている細野氏とは比較にならない。街頭演説を行う希望の党の小池百合子代表=10月10日、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) そもそも代表代行という形で若狭氏・細野氏・中山恭子氏ら結党メンバーをその地位につけ、首班指名ではそのうちの誰かの名前を書くなりすればいいだけの話だ。あるいは希望の党の議員全員で「小池百合子」と書いて全員分無効票となる。少なくとも党としての足並みがそろっていることが強烈にアピールできる。また、結党直後の政党が一度の選挙で全部ひっくり返せるとは多分、希望の党の関係者でさえも思っていない。第一、橋下徹氏は大阪府知事、大阪市長を務めたものの、結局現在に至るまで一度も衆院選に出馬せず、それなのにずっと維新の代表だった。 そうした前例があるのに無意味な追及をするマスコミの姿勢からして、言いがかりに等しいアベバッシングと暗に民共をプッシュすれば良かった状態から脱却しきれていない証拠だ。希望の党はあえて政権選択選挙の形を取ることで、まずは国会内に頭数をそろえることが目的であり、実際に民主党でも維新の会でも結党直後の選挙では躍進はしても与党になっていない。 実際のところ、希望の党は改憲について是々非々と結党集会でも主張していた。つまりは自民党、維新の会と足並みをそろえ、中身の議論を詰める準備は万端。有権者が三党のいずこに票を入れても改憲の機運は高まる一方だ。希望の党が玉虫色で稚拙な綱領を掲げざるを得ないのも誕生段階なのだから仕方ない。むしろ相当煮詰まった内容を出された方が前段の「いったいいつからこの一連の政治謀略は準備されていたんだ」ということになる。 いっそのこと護憲勢力はまとまって「護憲党」でも作ることをご検討された方が良いのではないだろうか。

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    現代の「日野富子」小池百合子のあくなき権力欲

    いのか。 小池氏と近かったある元民主党国会議員はこう語った。 「あの女は、本当に何をするかわからない政治家だからね。これまで長く党派を渡り歩くだけでなく、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎といった首相級の政治家たちを食い物にして自分がのし上がっていく。日本のしがらみが悪いというが、日本人の縁をまったく大事にしない。希望の党もいつかこれまでの新党と同じ運命をたどると私は思うよ」会談後、握手して記念撮影に応じる希望の党代表の小池百合子知事(左)と前原誠司氏=10月5日(佐藤徳昭撮影) 実際に、1992年に日本新党という新党を小池氏や民進党の代表である前原誠司氏らと共に立ち上げた細川護煕氏は、「いやあ、名も実も魂も取られてしまうのではないか、と心配になりますよ」(毎日新聞10月4日付)と前原氏ら希望の党に合流した議員たちに対して、強く危惧しているのだ。 その前原氏と組んで、まず民進党を三分裂させた上で、一体本当は誰が敵なのかもわからない「現代版・応仁の乱」を勝ち抜こうとする小池氏。5日、その小池氏は前原氏と会談し、小池氏に衆議院選へ出馬することを持ちかけられたが断ったことを明らかにした。 それでも消えぬ衆議院選出馬ー首班指名での総理就任ーというシナリオは、別にマスコミが面白がっているだけで取り沙汰されているわけではない。それは彼女のあくなき権力欲や実際に永田町で歩いてきた足跡からそう呼ばれているのだ。 持ち前の度胸と勝負勘、敵と味方をハッキリ分ける非情さを併せ持ち、敵をなぎ倒していくやり方は、まさに応仁の乱そのものだ。その小池氏は、実は永田町などで、応仁の乱と、その後続いた戦国時代を生き残ったある女性に準(なぞら)えられている。 「小池氏は、『現代の日野富子』ではないか」ー。 日野富子は、室町幕府第8代将軍・足利義政の正室で、第9代足利義尚の母として、自ら従一位まで登り詰めた。その一方、義政の側室を次々と追放、応仁の乱の原因の一つとして、日野富子が義尚の後見人を細川勝元と争った山名宗全に頼んだーということが指摘されているが、戦乱の世で次々と蓄財を繰り返して、応仁・戦国時代において評判が悪かった日本人としては、指折りの人物として上げられるだろう。  応仁の乱の時代を生きていた日本人には、これほどまでに日野富子が権力の座を握るとは思っていなかったに違いない。小池百合子は現代の日野富子か その勝負勘で政界を乗り出してきた小池氏に対し、続々と内部からも反旗を掲げる動きが広がっている。まず、自ら作った東京都議でつくる都民ファーストから、一時期は「側近中の側近」と呼ばれた音喜多駿氏と上田令子氏の2人の都議が離党を発表。東京都議団の一人はこう語った。離党の決断理由を述べる上田令子都議(右)と音喜多駿都議=10月5日、都庁(宮川浩和撮影) 「小池氏のおかげで当選した都民ファーストだが、自分でつくっておいて責任を取らない小池氏をやり方に内心苦々しく思っている都民ファーストの議員も少なくない。もし小池氏が土壇場で衆議院出馬を表明し、都知事を投げ出せば、離党するかもしれないと言われている都民ファースト議員が7人いると言われている」 また、国会議員の中からも、長野1区の篠原孝元農水副大臣のように、一度希望の党の公認が決まったにもかかわらず、辞退する政治家も現れている。これは、「すべて想定内だ」と語った前原氏への不満もあるとされているが、小池氏のやり方にはついて行けない人間が続々と出始めているのだ。 私自身は、小池氏に対して、アメリカを中心とするGHQによる占領期と日本の55年制の下、日本を内側から弱体化することに躍起となってきた左翼・リベラル陣営をこなごなに粉砕したことに対しては大いに評価している。「何でも反対」で、日本にはすでに必要がなくなっていた左翼リベラルを重視するよりも、安全保障や経済の観点から、現実的で自由主義的な保守が侃々諤々(かんかんがくがく)と議論する陣営を日本社会の中枢に置かなければ、日本の未来はないーと考えているからだ。実際に、今回小池氏が仮に出馬しなくても、比例区を合わせれば100近い獲得議席に到達できる力はあるだろう。 しかし、それにしても、小池氏はやりすぎた。日本人同士のごく普通の人間関係まで何でも「しがらみ」と語り、「改革」をぶち上げて、敵を破壊していくやり方は、新党ブームだった90年代から今世紀に入って、すでに終わったものであり、敵を増やすことを嫌がる日本人からは受けないと思われるからだ。 この小池氏の評価は、必ず歴史に残る。小池氏が後世の日本人たちから、果たして本当に「現代の日野富子」と呼ぶようになるかどうかは、そのうちわかるに違いない。

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    小池新党との距離感を模索するにせよ、すべての道は憲法改正に通ずる

    三浦瑠麗(国際政治学者) 衆議院が解散されました。解散の噂が立ち始めたころからメディアをにぎわしているのは解散に「大義」があるかということでした。この時期の解散に、党利党略的な意味があることはもちろんそうでしょう。政権の支持率が回復傾向にあり、東京都の小池百合子知事の立ち上げた「希望の党」の準備も整っているようには見えないからです。野党は、「モリ・カケ問題」から逃げるため都合の良い解散であるとして批判しています。衆院解散を表明した安倍首相の記者会見を伝える街頭テレビ=9月25日、東京・有楽町 私は少し違う見方をしています。総理の解散権とは、政治のアジェンダセッティング(課題設定)を行う権力であると考えているからです。政治の最大の権力は、政治が答えるべき問いを設定することです。重要なのは問いへの答えではなくて、問いそのものなのです。民主政治においては、正しい問いが設定されさえすれば、一定の範囲内で落としどころが探られるものだからです。 ただ、既存の政治やメディアの中からはどうしても出てきにくい課題というものがあります。例えば、政治に携わる者のほとんどが中高年男性である日本において、子育てに関する問題は長らく家庭内の問題として処理され、政治課題になりにくかった。同様に、安全保障問題を臭いものとして忌避する傾向があり、国防について正面から取り上げる機運にも乏しい時代が続きました。 時の政権が進めたい政策があれば、総理は国民の信を問うことができるのです。その時々において注目される政治テーマは、与野党の力関係やメディアの傾向によって決まってくるのだけれど、総理にはいったんそれをリセットする権力を付与する。それが、日本の民主主義のルールであり、慣習なのです。 そうした中で行われた安倍晋三総理の会見は、良い意味でも悪い意味でも自民党の面目躍如でした。看板政策の「人づくり革命」において幼児教育の無償化を前面に出すのは、民進党や日本維新の会の看板政策を横取りしてのことです。経済政策を打ち出す際に、財源の話を持ち出すのも野党を牽制(けんせい)するためです。消費増税分を社会保障の充実に使うということで、財政は悪化します。2020年までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化目標は放棄せざるを得ません。そんな中、財政の裏付けのない、バラ色の政策提案がなされないように布石を打っているのです。解散の一番の目的は他にある もう一つ、北朝鮮危機を前面に出すのは、野党共闘への影響を狙ってのことでしょう。民進党と共産党がスキャンダル追及の局面で協力することと、安全保障上の危機が迫る中で協力することはまったく意味合いが違うからです。当然、与党は愛国心カードを切ってくるでしょう。対応を間違えれば、「政争は水際まで」という民主国家の大原則を破ることになり、国民の信頼を決定的に失うことになるでしょう。 ただ、解散の一番の目的は他にあると思っています。それは、憲法改正を実現するために公明党に圧力をかけること。言うまでもなく、憲法改正は第1次政権当時から安倍総理およびその周辺の宿願です。ところが、モリ・カケ問題が長引いたことで、永田町の改憲機運は随分としぼんでいました。官邸の中にさえ、政権維持に集中するためには、改憲の可能性を示唆する3分の2の議席は邪魔だと思っている人もいたそうです。 総理周辺にとって最もいら立たしかったのは、公明党の姿勢だったのではないでしょうか。「衆院選が迫る中で改憲の発議は難しい」とか、「年限を切って改憲論議をすることは適切でない」とか、公明党は明らかに引け腰になっていました。本年5月に総理自らが表明した自衛隊明示の加憲案は、そもそも公明党に配慮してリベラルに歩み寄った穏健なものです。その改憲案からすら逃げるとは何事か、ということでしょう。今般の解散における総理周辺の本音は、9条を中心に据えた改憲案を明示した上で3分の2の議席を更新すること。その事実を公明党に突き付けて、改憲に向けた具体的な手続きを開始することだと思います。 もう一つ重要なのが小池新党の存在です。「希望の党」に対して総理が融和的な姿勢を示しているのも、小池知事が改憲支持の立場を明確にしたからではないでしょうか。「希望の党」はこれまでも存在してきた改革の「スタイル」を追求する党です。「日本新党」や「みんなの党」の系譜に連なります。寄せ集め集団で、たいした政策理念があるようにも見えない政党が、数年後に存続している可能性は限りなく小さいでしょう。「希望の党」の結成会見に臨む小池百合子代表=9月27日、東京都新宿区(宮崎瑞穂撮影)  であるからして、日本政治における中長期的な影響はほとんどないでしょう。ただ、今般の選挙において重要なのは、「希望の党」が自民党の票を食うのか、野党票を減らす方向に行くのかということです。それによって、憲法改正へ向けた具体的な動きが進んでいくかが見えてくるからです。小池知事の発言を見ていると、自公の間にくさびを打ち込む意図が明白であり、興味深い展開となっています。 今般の選挙を指して、争点に乏しいという意見も聞かれますが、そんなことはありません。公明党に圧力をかけるにせよ、小池新党との距離感を模索するにせよ、全ての判断は改憲との関連性で下されるでしょう。まさに、全ての道は改憲に通じているのです。

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    「自衛隊を憲法に明記できるか」10・22総選挙の争点はこれだ

    岩田温(政治学者) 安倍総理が解散、総選挙の決断を下した。野党の政治家、そして、マスメディアの無責任なコメンテーターたちが「大義なき解散」との批判の声を上げている。また、北朝鮮の核ミサイルの脅威が存在する中、総選挙で政治的空白を作るのは危険だという議論もある。何とも不思議でならない。 なぜなら、野党の政治家たちは、つい先日まで解散、総選挙を求めていたからである。安倍政権を解散、総選挙に追い込み、退陣させると怪気炎を上げていた人々が、解散、総選挙に反対しているのだから、これは摩訶(まか)不思議といわざるをえない。そしてさらに不思議なのは、「北朝鮮の脅威を必要以上に騒ぐな!」としたり顔で説いていた人々が「北朝鮮の脅威」を理由に解散総選挙に反対していることである。全く支離滅裂でいい加減な非難だ。 朝日新聞は9月26日の「社説」で「首相にとって今回の解散の眼目は、むしろ国会での議論の機会を奪うことにある」と批判し、今回の選挙の争点を「民主主義の根幹である国会の議論を軽んじ、憲法と立憲主義をないがしろにする。そんな首相の政治姿勢にほかならない」と断定している。 見識の低い主張と言わざるを得ない。そもそも「民主主義の根幹」が「国会の議論」であるとの主張が見当違いである。民主主義の根幹とは、選挙に他ならない。政治家が己の政治信条を訴え、国民に負託を求め、全存在を賭けて闘う。この選挙こそが民主主義の根幹だ。選挙を恐れるような政治家は政治家としての資質がない。防衛省で栄誉礼を受ける安倍首相(左)と小野寺防衛相 =9月11日 さて、それでは、今回の総選挙の最大の争点は何か。それは「憲法と立憲主義」を蔑(ないがし)ろにする首相の政治姿勢などという抽象的な問題ではない。現実を直視するか否かこそが今回の総選挙の最大の争点である。 戦後わが国の平和と繁栄を守ってきたのは、誰がどう考えてみても、自衛隊と日米同盟の存在があったからである。自衛隊、日米同盟なしに戦後日本の繁栄はありえなかった。しかし、こうした現実を直視せずに、戦後日本の平和を「憲法九条」のおかげであると信じ込もうとする人々がいまだに存在している。彼らは日本国憲法を「平和憲法」と呼び、「平和憲法」を守ることが日本の平和を守ることにつながると信じ込んでいるのである。憲法九条「自衛隊明記」の是非 日本国憲法では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたいあげている。だが、これは事実に反する言葉だと言わざるを得ない。日本国民の誰が核武装への道をひた走る北朝鮮の「公正と信義」に「信頼」しているのだろうか。「日本列島の4つの島は、チュチェ思想の核爆弾によって海に沈むべきだ。もはや日本は私たちの近くに存在する必要はない」などと公言する国家にわが国の平和を委ねるわけにはいかない。多くの国民がそう思っているはずだ。実際に「われらの安全と生存を保持」しているのは、自衛隊の方々が日夜平和のために汗を流しているからであり、堅牢な日米同盟が存在しているからだ。 今回、安倍総理は、自民党の公約に憲法九条への「自衛隊の明記」を盛り込むことを公言している。保守派の中でも批判が多いことを私も承知しているし、本来、憲法九条の第二項を削除すべきであるとも認識している。 だが、政治とは、あくまで漸進的な営みだ。自分たちの望む全てが実現できなければ、直ちに全面的に否定するという教条主義的姿勢は政治には似つかわしくない姿勢だ。現実にわが国を守っている自衛隊を憲法に明記するというのは、憲法が自衛隊について全く触れていない現状よりはよい。「政治は悪さ加減の選択である」と喝破したのは福澤諭吉だが、その通りであろう。国家を守る自衛隊を憲法に位置づけるのは、少なくとも、全く自衛隊の存在が閑却されている現在の憲法よりはよいといってよいだろう。 自衛隊の存在を憲法に明記せよという自民党に対し、民進党は「9条に自衛隊を明記することは認められない」と対決姿勢を明らかにしている。不思議でならない姿勢だ。なぜ、自衛隊を憲法上に明記することに反対するのか、その論拠を明らかにすべきであろう。まさか、民進党の議員とて自衛隊の存在を違憲だとまでは主張しないであろう。国会前で安全保障関連法案可決への抗議デモを行なう人たち =2015年9月、東京都千代田区(栗橋隆悦撮影) それならば、なぜ、自衛隊を憲法に明記することに反対するのか、その論拠を明らかにすべきであろう。いつまでも「平和憲法」を維持せよとの主張を繰り返すだけでは、民進党はかつての社会党のように時代に葬り去られていくことになるだろう。 小池都知事が立ち上げた「希望の党」に国民が一定の期待を寄せているのは、この政党が安全保障の問題で見識を示しているからだ。彼らは共産党とは明確に一線を画している。自民党とは理念を異にする政党ではあるが、共産党とも異なる政党である。民進党が愚か極まりなかったのは、自衛隊を「違憲」の存在だと位置づけている共産党と共闘をし、非自民反共産党という幅広い中道層の支持を得られなかった点にある。 自衛隊と日米安保によって日本の平和が維持されているという現実を見つめ、平和のために具体的な行動を起こすのか、それとも、「平和憲法」に拝跪(はいき)し、空想的観念的平和主義という感傷に浸っているのか。それが選挙の最大の争点だろう。

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    いずれ消えゆく小池新党は、憲法改正という「時代の要請」を断行せよ

    相、日本のこころの中山恭子代表、松沢成文参院議員、長島昭久元防衛副大臣、松原仁拉致問題担当相といった政治家の顔触れを見る限りは、それが「中道・保守・右派」色の濃厚な政党として理解されよう。新党は数年後に存続していない? 小池知事自身もまた、自らの新党を「改革、保守、これらを満たす方々」による「新しい勢力」と位置付けている。その上で「議員定数や報酬の縮減」、「徹底した行政改革と情報公開」、「女性活躍の推進」、「原発ゼロ」、「ポスト・アベノミクスにかわる成長戦略」、「憲法改正」という政策志向を打ち出している。共産党の志位和夫委員長は、小池新党を「自民党の補完勢力」と評しているけれども、それが少なくとも「非自民系保守勢力」糾合の枠組みとして認識されるのは無理からぬことであろう。会見に臨む東京都の小池百合子知事=9月25日、東京都新宿区の都庁(福島範和撮影) もっとも、「希望の党」という小池新党の党名それ自体は、この小池新党が数年後に存続しているとは想定されていないことを暗示している。小池新党も結局、時限政党なのであろう。そうであるならば、小池新党には今選挙から2020年前後の次回選挙までの数年間に、何を断行するかが問われることになる。 振り返れば、1990年代前期、小池知事の政治キャリアの原点であった日本新党は、政治改革関連四法案の成立を置き土産にして、僅か2年半で政党としての役割を終えた。小池新党もまた、その政党としての「求心力」を担保するのが小池知事の存在でしかない以上、向こう数年の政治プロセスの中で真っ先に何に手を付けるかを明示しなければなるまい。日本新党にとっての政治改革関連四法に相当するものが、小池新党にとっては何かが問われなければならないのである。 今後数年、朝鮮半島情勢の「嵐」が本格的に訪れる局面を見越すならば、今選挙後に安倍内閣が継続するとしても、それは、自民・公明両党以外の諸党の協調を得た実質上の「挙国一致内閣」にならざるを得ないのであろう。そうであるとすれば、日本新党にとっての政治改革関連四法に相当するものが、小池新党にとっては何かという問いに対する答えは、安全保障政策の「制約」を外す憲法改正を断行することでしかない。国家統治の基本は、「時代の要請」に応じた政策を断行することにある。当節、そのことは忘れられてはなるまい。

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    「10・22総選挙」の風を読む

    小池新党の登場で政界再編がにわかに動き出した。民進党は事実上の解党も視野に小池新党への合流を模索する。対する安倍自民は「捨て身の戦法」の前に後手に回り、「今なら勝てる選挙」の雲行きも怪しくなった。ついに始まった「10・22総選挙」。目まぐるしく変わる風をどう読む。