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    北朝鮮有事は「想定内」 在留邦人退避のためにまずやるべきこと

    吉富望(日本大学危機管理学部教授) 4月12日、菅義偉官房長官は「朝鮮半島で在留邦人の保護や退避が必要になった場合を想定し、常日頃から必要な準備、検討を行い、いかなる事態にも対応できるよう万全な態勢を取っている」と述べた。朝鮮半島情勢に対する国民の懸念が増す中での大変力強い発言である。しかし、「朝鮮半島で在留邦人の保護や退避が必要になった場合」における具体的な状況をイメージしてみると、菅官房長官に「在留邦人の保護や退避の態勢は、真に万全なのでしょうか?」と質問したくなる。 「朝鮮半島で在留邦人の保護や退避が必要になった場合」とは、朝鮮半島で戦争が切迫している場合、あるいは戦争が勃発した場合である。前者の場合には自衛隊による邦人の輸送は法的に可能であるが、韓国政府が自衛隊の受け入れに同意していない現状では、民間の航空機や船舶の使用を検討せざるを得ない。 しかし、いつ戦争が勃発しても不思議ではない切迫した状態の中で、政府は本当に民間の航空機や船舶に危険覚悟での派遣を要請するのだろうか。また、民間の航空機や船舶の乗員組合は運航に同意するのだろうか。結局のところ、民間の航空機や船舶の派遣には大きな疑問符がつく。(※写真はイメージです) 韓国には邦人以外にも多数の外国人が滞在している。戦争が切迫している場合、多くの国は自国民を退避させるだろう。しかし、米国でさえ約20万人の在韓米人を自力のみで退避させることは難しいだろう。 したがって、多くの国が韓国に隣接する日本に自国民の退避への協力・支援を依頼し、日米を含む多国籍での大規模な退避作戦が実施されることも考えられる。この時に隣国の日本が日の丸を掲げた民間機、民間船舶、そして自衛隊も派遣せず、代わりに外国の民航機をチャーターして邦人や外国人の退避を行う姿は、日本の国際的な信頼にどのような影響を与えるだろうか。 日本が1991年の湾岸戦争において資金協力しかできず、国際的に評価されなかった轍(てつ)を踏むことは避けねばならない。政府は米国、韓国に多数の自国民が滞在する国々と連携し、韓国政府に対して邦人及び外国人の退避のための自衛隊の受け入れを強く働きかける必要がある。全面戦争レベルじゃなくても武力行使を行う北朝鮮 ここで仮に、韓国政府が在留邦人などの退避のための自衛隊の艦艇や航空機の受け入れを認めたとしよう。しかし、それでも懸念は残る。朝鮮半島で戦争が切迫している状況下では、自衛隊の艦艇や航空機は平素を上回るレベルで情報収集、警戒・監視、部隊輸送などの任務に従事し、本土防衛のための即応態勢の維持を求められる。その結果、韓国に派遣できる艦艇や航空機の数が制約される可能性は否めない。この際、自衛隊が保有する輸送機や輸送ヘリの搭載人員数は多くないことから、1隻で多数の人員輸送が可能な艦艇による在留邦人などの退避への期待が高まる。韓国・ソウル しかし、戦争が切迫している状況は、危険が全くないという状況ではない。2010年3月に韓国海軍の哨戒艇が北朝鮮の小型潜水艇による魚雷攻撃を受けて沈没した事件と、同年11月に北朝鮮が韓国北西部の延坪島(ヨンピョンド)を砲撃した事件は、北朝鮮が平素においても全面戦争に至らないレベルで武力行使を行う可能性を示唆している。 この際、特に警戒が必要なのは、10年の哨戒艦沈没事件と同様の小型潜水艇による艦艇への魚雷攻撃である。こうした攻撃は匿名性が高く、北朝鮮にとっては好都合なのだ。加えて、水深の浅い海域に潜伏する小型潜水艇を発見するには時間と困難が伴う。 また、いつ戦争が勃発しても不思議ではない切迫した状態の中では、艦艇で在留邦人などを退避させる前に潜水艇の捜索に十分な時間をかける余裕はない。したがって、在留邦人などを乗せた艦艇が魚雷攻撃を受けるリスクは覚悟せざるを得ない。 しかし、幸いなことに日本と韓国は近接しており、たとえば博多-釜山の距離は約200キロしかない。この距離であれば小型・中型艇を使った退避作戦も可能であり、喫水の浅い高速艇であれば、「おおすみ」型輸送艦などの大型艦に比べて魚雷攻撃を受けるリスクは大幅に低下する。したがって、人員を200-300人積載可能で、40ノット程度の高速性を有し、約800キロ以上の航続距離(無給油で博多-釜山間を2往復以上)を有し、海岸へのビーチング(直接乗り上げ)や岸壁への接岸も可能な高速揚陸艇を自衛隊が多数保有することは、朝鮮半島からの在留邦人などの退避にあたって意義が極めて大きい。邦人救出、現在の法制度でできること 現在、海上自衛隊は巨大ホーバークラフト「エアクッション艇(LCAC=エルキャック)」を6隻保有している。しかし、LCACの航続距離は40ノットでの航行時に約370キロと短く、一般の船舶に比べて小回りが利かないため小規模な漁港湾には入港しづらく、岸壁に接岸した場合には人員の乗降に時間がかかるという欠点を有するため、朝鮮半島からの在留邦人などの退避に適しているとはいえない。政府は、朝鮮半島からの在留邦人などの退避に備えて、LCACとは別の新たな高速揚陸艇を10隻以上自衛隊に保有させるべきだろう。2016年9月、支援車両を乗せて西表島の大原港に上陸する、海上自衛隊のエアクッション艇「LCAC(エルキャック)」(宮崎瑞穂撮影) もちろん、こうした新たな高速揚陸艇の導入には一定の時間を要し、現在の朝鮮半島情勢の緊張に直ちに対応はできない。しかし、北朝鮮が現在の危険な体制を維持する限り、朝鮮半島では今後も緊張が繰り返されることが予想され、それに備えた装備品の導入は急ぐ必要がある。また、高速揚陸艇は朝鮮半島からの邦人などの退避のみならず、南西諸島などでの離島防衛あるいは大規模震災における海路からの救援活動においても有効性が高く、「四面環海」の日本には不可欠の装備である。 最後に、危機管理の基本は「最悪の事態に備えた準備をしておく」ことであり、戦争が勃発した場合における在留邦人の退避態勢の整備を政府・与党に強く求めたい。現在の法制度では戦闘下における在留邦人の退避は外国頼りであり、イラン・イラク戦争中のトルコ航空機による在留邦人のテヘランからの救出劇(1985年)の再現を祈るほかに手段はない。野党も、在留邦人の命を守るという国家の責任に思いを致し、現実的な姿勢で議論に臨んでほしい。 6年前の東日本大震災は「想定外」だったのかもしれない。しかし、朝鮮半島で戦争が勃発した場合に多くの在留邦人が命の危険にさらされることは「想定内」である。「想定内」の事態に備えないことは、「想定外」の事態への準備がなかったことに比べれば、はるかに罪が重い。

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    日本国憲法が70年間一度も改正できなかったホントの理由

    倉山満(憲政史家) あれは23年前の春だった。ある偉大な政治家が獅子吼(ししく)していた。 「自由民主党の使命とは何か。日米同盟を堅持し、議会制民主主義を守る自由主義国の一員であることを世界に示し、経済成長による富の公正配分を行い、日本国が地球上で文明国として生存し、未来を子供たちに引き継ぐことである」 その政治家の名は、故浜田幸一。生前は“ハマコー”の愛称で知られた政治家だった。とある講演会での話である。あの時、ハマコーが何を言っていたかよくわからなかったが、今となっては、はっきりとわかる。 ハマコーは常に「自主憲法制定」を訴え、日米同盟堅持を絶叫しながらも、米軍の駐留を許している日本の現状を「植民地」と喝破していた。 果たして、ハマコーの警世に対し、現状の日本はいかほどの進歩をしているだろうか。あるいは、70年前に敗戦、そして日本国憲法を押し付けられてから、状況はどれほど改善されただろうか。 むしろ悪化しているのではないか。 敗戦によりアメリカの持ち物にされてしまった。それどころか、中国やロシア、あまつさえコリアにすら小突き回されている。 日本国憲法とは戦後レジーム、すなわち日本を敗戦国のままにさせる体制の中核である。 三島由紀夫が「憲法に体当たりして死ぬ奴はいないのか?」と絶叫してからでも、45年以上。誰一人、かすり傷一つつけていない。自衛隊駐屯地のバルコニーで演説する三島由紀夫=1970年 なぜ70年間、日本国憲法を改正できなかったのか? 私の答えはただ一つ。去年の参議院選挙の前、あれほど言ったのに私の言うことに何一つ耳を貸さなかったからではないか。以下の2本は、これまでにiRONNAに寄稿した私の論考である。「改憲はこの条文から始めよ!倉山満が評す安倍内閣の憲法論」「本気で憲法改正をしたい人たちへ その『方法論』を私が提示する!」 安倍内閣は千載一遇の好機を逃し、今に至っている。世の人は民進党を嗤(わら)う。その無能無策無定見は枚挙にいとまがない。私などは逆に、感謝したくなる。安倍内閣を支えてきた功労者として、海江田万里、岡田克也、蓮舫の三人以上に功績がある人がいるだろうか。 国民がいかに不満を抱こうとも、民進党ある限り、安倍自民党内閣は安泰である。 そして、誤植も含めて日本国憲法は一条も、一字一句、健在である。 読者諸氏は気付かれたであろうか。政権は保守が握っている。しかし、日本国憲法体制そのものは健在である。常に与党に居たい自民党、憲法改正さえ阻止すれば政権を担う責任など不要と割り切っている民進党。まるで自民党と社会党による55年体制の焼き直しであることに。 日本は敗戦国のままではイヤだと本気で思う勢力を保守と呼ぼう。 保守は、この負けっぱなしなのだと認識すべきだ。 では、この惨状をどう捉えるべきなのか。厳しい現実であっても、正確に認識すべきだ。その上でなくては、未来への道筋は見えてこない。 また、本稿では一条の光を示す。改憲に向けての具体的なキーマンが現れた。別に裏情報でもなんでもない。日常的に新聞でもテレビでも流れているが、気づく人が少ないだけだ。それを知らせるのが、私の仕事だ。9条を変えなければ何もできないのか かつて吉田松陰先生は名もなき下級武士や庶民の子供に、「自分が日本を率いるつもりで勉強しろ」と弟子たちに説いた。あげくは牢屋の中で死刑囚にも勉強しろと説いた。 なぜ? 松陰先生曰く、「知って死ぬのと知らずに死ぬのは意味が違う」と。 読者諸氏には、「憲法をどうするのか」、すなわち「日本をどうするのか」を考えながら読んでほしい。 「タマに撃つ タマが無いのが タマに傷」 何十年も自衛隊で自虐的に歌われ続けた狂歌だ。まるで冗談になっていない。戦車兵や砲兵はまだ良い。彼ら射撃訓練をするために予算を削られている他の陸上自衛官は、平均して年間200発も射撃訓練をしていないと聞く。これはアメリカ軍楽隊以下の水準だ。 海と空に至っては、さらに悲惨だ。2~3年に1回しか射撃訓練をしていないとのことだ。 では、海上自衛隊や航空自衛隊の基地をテロリストが襲撃してきたら、誰が守るのか。最低限は海上自衛官や航空自衛官が自力で守ってもらわねばならないが、そんな訓練など存在しないに等しい。では、陸上自衛隊が守るのかと問われれば、「聞いていない」と答えるだろう。陸上自衛隊与那国駐屯地で開かれた創設1年の記念式典2017年4月 吉田茂内閣の時に、自衛隊の前身である警察予備隊が発足し、「軽武装」が主張されて今に至っている。では「軽武装」とは何人か。32万人である。 この数字の根拠は、首相官邸周辺・自衛隊基地・主要港湾・主要幹線を最低限度の日数は防衛できるだけの数である。ここに原発は入っていない。原発の電線が切られれば日本人がパニックになるのは、東日本大震災の教訓だ。それよりなにより、自衛隊は発足以来、25万人の定足数が足りたことはない。 こういう話をすると、返ってくる決まり文句がある。「9条を変えなければ何もできない」と。 本当か。 では、全国の自衛隊駐屯地でトイレットペーパーは2ロール目から自腹である。予算が無いからだ。これも憲法9条を変えないと改善できないのか。 予算を付ければ良いだけの話である。 それとも自衛隊にトイレットペーパーが常備されれば、軍国主義が復活するとでも言うのか。護憲派左翼とて、そこまで恥ずかしいことは言えまい。もし本気で「自衛隊にトイレットペーパーが常備されれば軍国主義が復活し、戦争になる」などと言いだすなら、全メディアを通じて大々的に宣伝させればいい。日本国民は「そこまで自衛隊の状態は悲惨なのか」と同情してくれるだろう。護憲派左翼こそ笑い者になるのは必定だ。 訓練費も定足数も、同じ話である。憲法どころか、法律の改正すらいらない。 必要なものを必要と主張すればよい。堂々と財務省主計局に予算請求すればよいのだ。ところが、防衛省自衛隊関係者の前では、予算の話はタブーである。どこの省庁も、もはや錦の御旗と化している「財政健全化」を持ち出されたら、予算支出の増額を言いにくくなるが、官界では最弱小官庁の防衛省自衛隊は主計局の前では蛇に睨まれた蛙である。憲法を変えなくてもできることはある こうした表現の批判に文句があるのならば、来年度から防衛費を毎年5兆円にしていただきたい。その際にはひれ伏して謝罪する。 安倍内閣で防衛費が5年連続増額しているのを、評価する向きもあろう。しかし、防衛費1%枠などという何の根拠もない霞が関の掟を頑なに守っている枠内での話だ。合格最低点が60点だとたとえるならば、これまでが30点だったのが40点に上がったとて評価に値するのだろうか。 トランプ米大統領は、「同盟国は義務を果たすべきだ。せめて防衛費を文明国水準のGDP2%にまで引き上げよ」と訴えている。 好機ではないか。やれば良い。これだけ北朝鮮が暴れまわり、中国やロシアといった不安定要だらけの隣国に囲まれているのだ。日本が防衛費をGDP2%に増やしたとて文句を言うのは敵国だけだ。 だが、国内には防衛費増額を拒む勢力がいる。財政支出抑制を金科玉条とする財務省主計局、彼らに唯々諾々と従う防衛省自衛隊、そして安倍首相。 防衛費増額と憲法は何の関係もない。それとも、自衛隊が軽武装をできるだけの人数を充足させる、アメリカ軍楽隊よりもマシな訓練を行えるようにする、自衛官がトイレットペーパーの減り具合を気にしないで済むようになる。これらの予算請求もすべて憲法改正をしなければできないのか。だとしたら、その因果関係を立証できるのか。 憲法改正をしなくてもできることなどいくらでもある。 それを、「憲法を変えなければ何もできない」などと何もしなければ、「憲法の理念を守って何もするな」とする勢力と同じである。それとも、憲法の理念に従って防衛費増額をすべきではないと考えているから、「憲法9条を変えなければ何もできない」と考えているのか。 だとしたら護憲派と改憲派は同じ穴のムジナである。 本気で日本を想うなら、憲法9条を変えなくてもできることを先に全部やるべきではないのか。 昔、阪神タイガースのオーナーは言い放ったらしい。「2位が一番や。優勝したら給料を上げなアカン」 昭和40年から48年まで、読売巨人軍が空前絶後のV9を達成した。阪神タイガースなかりせば、不可能だっただろう。 長期低迷していたころの阪神タイガースを「ダメ虎」と言う。 そもそも「2位が目標」など、目標そのものが間違っている。勝つ気がないのだから、勝てないのは当たり前だろう。そもそもが、「巨人のやられ役で飯を食おう」という負け犬ならぬダメ虎根性なのだ。かつては「ダメ虎」と呼ばれた阪神の金本知憲監督ら=2017年4月、東京ドーム 某オーナー氏の理想は、シーズン最終戦まで優勝争いを展開し、負ける。ファンは最後まで一喜一憂するので消化試合が無い。そして優勝しないので給料は上げなくてよい。そして「今年は良く頑張りました。来年こそ優勝しましょう!」と盛り上がるが、いつまでも勝つ気はない。「やられ役商売」である。 昭和40年代は2位争いの常連だったから、まだいい。最下位争いが指定席となっていた平成時代など、もっと悲惨だった。内輪もめと足の引っ張り合いは絶えず、強力な指導力を発揮した人物は一人もいないが、それでいて真の敗戦責任を感じ改革を成し遂げた人もいない。そうした惨状でもファンは見放さなかった、と言えば聞こえがいいが、要するに甘やかし続けた。誰もがぬるま湯に慣れていたのだ。だから、ぬるま湯から出たくなかったのだし、出ようとする人間を引き摺り下ろし続けたのだ。  政治の世界でも似たような人たちがいる。 日本社会党である。 昭和20年に結成したこの党は、早くも2年後には第一党に躍進し、政権を奪取した。ところが党内の派閥抗争で何もできないまま、あっさり瓦解。以後は「政権恐怖症」とも言うべき状態に陥った。自民党に好都合だった「社会党」 しかし、社会党の国会議員たちも当選はしたい。そこで考え付いたのが「護憲」である。 衆参両院のどちらでも良いから34%の議席があれば、憲法改正発議は阻止できる。つまり、拒否権集団として生きる道を選んだのだ。 34%の議席があれば51%はいらない。政権意欲の全くない、政党としての最低条件すら有していない恥ずべき集団の、最大受益者が自民党である。自民党は何が何でも衆議院に51%の議席が欲しい。そうした自民党にとって、絶対に自分を脅かさない社会党ほど好都合な存在はいない。社会党が野党第一党でいてくれこと、他の野党が伸びない。 ここに自社の野合が成立した。品の良い人は「55年体制」、口の悪い人は「風呂屋の釜の関係」と評した。前者は二派に分裂していた社会党の再結集と、保守合同による自民党結成がいずれも1955年に行われたことに由来する。後者は、男湯と女湯に別れていても、目に見えない釜は一つにつながっていて、同じお湯を使っている関係だとの意味だ。 現に国会で激しく乱闘を繰り広げた両党の議員が、銭湯で背中を流し合うなど、日常的な光景だった。 こうして、政権亡者の自民党と、護憲を飯のタネにする社会党の癒着が続いた。社会党の姿を今の民進党に見る向きも多いだろう。それもそのはず、民進党は社会党の末裔なのだから。民主党時代はまだ政権獲得の意欲だけはあったが、民進党に衣替えしたら社会党に先祖がえりである。 55年体制時代は、「まさか社会党に政権を渡すわけにはいかない」が自民党の合言葉だった。そして自民党のあらゆる腐敗が「社会党よりマシだから」で正当化された。 こうした中で、憲法改正を本気で言う自民党の首相が出てくるはずがない。 最も緊張感を欠いたのが、中曽根康弘だった。国会で「佐藤内閣のような長期政権位なれば憲法改正をしますか」と問われ、「そんな長期政権になりません」と緊張感のカケラも無い答弁をした。その通り、佐藤栄作政権ほどの長期政権にはならなかったが、憲法改正には指一本触れなかった。「戦後政治の総決算」などと掛け声だけは勇ましかったが。中曽根康弘首相(右)とロナルド・レーガン大統領=1983年1月、ホワイトハウス(共同) そもそも自由民主党は、自由党と日本民主党の保守合同によって成立した。自民党は自主憲法制定を党是としており、保守合同はその手段にすぎなかったことは知られている。 しかし、自主憲法制定すら手段にすぎなかったことは、どれだけの人が覚えているだろうか。そもそも、何のための自主憲法制定か。自主防衛のためである。いずれも「目的」になった護憲派と改憲派 昭和20~30年代、日本国憲法や日米安保条約など、暫定的な法律であると認識されていた。保守政党のみならず、社会党をも含めて、政界全体の常識であった。 ところが、自主防衛はおろか、「自主憲法」という言葉そのものが死語になった。憲法改正と言おうが、自主憲法制定と言おうが、言葉はどちらでもいい。問題は中身だ。 現在の改憲論議が、日本国憲法の条文を変えるか変えないかの議論に終始してきた弊害は、各所で指摘してきた。 本来の憲法論議は、先に「日本国をどうするのか」の国家経営の議論があって、後に憲法典の条文をどうするのかの議論であるべきだ。ところが、誤植も含めて一字一句変えたくない護憲派と、日本国憲法(特に9条)の字句を何でもいいから変えたい改憲派。一体何がしたいのか。日本国憲法第7条四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 7条の「総」一字が誤植である。衆参同日選挙でも参議院は半数改選なので、「国会議員の総選挙」は日本国憲法では存在しない。この誤植一文字すら、変えられなかった。 9条をよく読んでほしい。どこに「自衛隊にトイレットペーパーを支給してはならない」などと書いてあるのか。それとも、「そもそも自衛隊は違憲の存在なのだから、トイレットペーパーを1ロール以上支給してはならない」などという解釈でもひねり出す気か。ならば1ロールに限る根拠は何なのか。9条をめぐる憲法論議など、この程度である。 かつて、岸信介内閣は憲法9条下でも核武装は可能との解釈をひねり出した。日本国憲法など、そのような解釈も可能なほどデタラメなのである。 別の例を出す。「憲法9条を変えない限り、北朝鮮拉致被害者は奪還できない」としたり顔で説教する自称改憲派にも、しばしば出くわす。 では、拉致被害者や家族は、百年河清を待つがごとく憲法改正を待てと言うのか。それよりも、憲法典と何の関係もなく拉致被害者を取り返した小泉純一郎のような政治家を望んでいるのではないのか。 なぜ小泉内閣が拉致被害者を取り返せたか、一言しておく。 2001年当時、9.11テロでアメリカは「テロとの戦争」を宣言した。小泉内閣はいち早く応じ、イージス艦をインド洋に派遣するなど同盟の義務を果たした。年末には、北朝鮮の不審船を自沈に追い込み、その上で残骸を引き上げてさらし者にした。「1人も返さないような態度なら、殺すぞ」との国家意思を示したのだ。負け犬根性から抜け出せ! なんでもかんでも日本国憲法、特に9条のせいにして、できることすらやらない。 政界では社会党が「やられ役」だったが、言論界では護憲派は常に多数であり続けている。改憲派が「やられ役」に甘んじているとしたら、社会党やかつての阪神タイガースを嗤(わら)えるだろうか。 社会党の末路は哀れだが、阪神タイガースは一人の傑出した指導者により蘇った。 野村克也監督である。野村監督は、阪神タイガースの完全な外様であり、異分子だった。それだけに、ぬるま湯体質を容赦なくぶち壊し、選手に基礎を徹底的に叩き込み、フロントやファンを教育した。野村監督の時代には成果が出なかったが、次の星野仙一監督の時代からは二年に一度優勝する強豪チームに生まれ変わった。 憲政史家を名乗る私の役目は、野村監督のようなものだと思っている。一、 負け犬根性から抜け出す。二、 何が勝利なのか、明確に目標を定める。三、 憲法学に関する基本的な議論を普及する。四、 小さくても良いから、勝利を積み重ねる。 ここまでできれば、御の字と思っている。 何だかんだと自民党の存在価値は何か。国民を食わせることである。 安倍首相がいかなる失政をしようが、民進党が何をわめこうが、経済で間違わない限り安倍内閣は安泰だろう。 現在の経済状態は、20年に及んだ大デフレ不況から、緩やかに回復しつつある。回復しつつあるのは日銀の「黒田バズーカ」の破壊力の効果であり、「緩やか」でしかないのは消費増税8%の威力である。何とか10%の再増税を阻止し、黒田東彦日銀総裁が追加緩和を行ったので何とか日本経済も回復してきた。 今や失業率は2%を切るまでに減り、都内アルバイトの時給は1000円を下らず、大学生の就職はバブル期並みまで回復した。安倍内閣を支えているのは、少数の熱心な保守ではない。アベノミクスの恩恵を受けている多数の日本国民である。特に若者の支持率が高い。参院予算委員会で答弁する安倍晋三首相=2017年2月 ならば、景気回復を加速させて憲法改正に有無を言わせない世論の支持を得ればよい。詳述はしないが、金融緩和の加速、インフレ目標の引き上げ、消費減税、財務省人事への介入など、いくらでもやることはある。何より最も効果的な財政政策は、防衛費増額である。トランプの望む通り、来年度から5兆円の増額を打ち出せばよい。外為特会を10年切り崩しても、まだ財源におつりがくる。 希望はある。 キーマンは、日銀政策決定員会審議委員に安倍首相が指名した片岡剛士氏である。片岡氏は歴代民主党政権を批判、現在アベノミクスと呼ばれているような経済政策を主張したリフレ派の論客である。その中でも、アベノミクスにはまだまだやれる余地があるとの立場での指摘をしてきたエコノミストだ。安倍首相はその通りやれば良い。 果たして、安倍内閣の生命線である経済政策、国際情勢、そして政局が一つの問題だと考えられるだろうか。憲法改正は、この三つの別の問題に見えて一つの問題の先にあるのだ。 世の人は「安倍右傾化内閣」と言う。あるいは逆に、そうした批判に耐えて政権運営している安倍首相を「良くやっている」と評する人もいる。本当だろうか。では、仮に考えてみよう。 現在、東アジアの緊張が高まっている。現在どころか、ソ連崩壊以来、常に高まりっぱなしである。米中露の三大国に加え、ならず者の北朝鮮までが核武装して睨み合っている。日本と韓国だけが平和ボケして、当事者意識を無くしている。 こうした中で、安倍首相の「緩やかな景気回復」「申し訳程度の防衛費増額」「民進党よりはマシだから高支持率で内閣は安泰」の状態が、後世の評価に耐えられるだろうか。 現実には考えにくいが、まったく無い訳ではない仮定の話をしよう。 何かの拍子で、東アジアで大戦が起きる。その時、ヒトラーやスターリンに侵略された第二次大戦の小国の如く日本が蹂躙されたとして、その時の安倍首相を「よくやっていた」と称揚できるだろうか。あるいは、安倍内閣がそうした最悪の情勢への備えをしていると自信を持って言えるだろうか。 ここまで言って、「北朝鮮のミサイルが落ちるまで日本人は気付かない」などと何もしないなら、それこそ護憲派と同じである。賢明な読者諸氏は、自分が何をすべきかを考えてほしい。 なぜ憲法改正ができなかったか。 憲法改正など目的ではなく、自主防衛への手段にすぎない。こんな基本的な認識すら忘れているのだから、勝てるはずがないではないか。

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    「自衛隊は違憲の軍隊である」 この現実をあなたはどう思いますか?

    筆坂秀世(政治評論家) これまでなぜ憲法改正がなされてこなかったのか。その理由は簡単だ。真剣に取り組む政党も政治家もいなかったからである。 自民党が昭和30年に結党された際、「党の政綱」の中で、「六、独立体制の整備」という項目を立て、「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」「世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」と唱えていた。 この間、ほとんどの時期を自民党は政権党であった。だが現在の安倍政権を除いて、本気で憲法を改正しようとした自民党政権はあっただろうか。寡聞にして知らない。東京・永田町の自民党本部 もちろん、その責任がすべて自民党にあるとは思わない。やみくもに憲法改正を提起すれば、それでことが成就するというほど簡単な課題ではないからだ。 それは憲法改正についての世論調査を見ても明らかだ。時には改正に賛成が反対を上回る場合もあるが、その逆もしばしばある。世論の動向は、政党として無視できないのは当然である。 また日本には、日米安保条約に基づいて強力な米軍が駐留し、安全保障をアメリカの核の傘に委ねているという事情もある。この米軍と自衛隊の協力強化に注力すればよいという考え方が蔓延(まんえん)しても不思議ではない。 ましてや日本において憲法改正というのは、簡単な仕事ではない。相当な説得力を持たなければ、国民多数の賛同を得ることは困難である。こんなリスクの大きい仕事をどの政権も避けてきたということだ。 日本を占領したアメリカの占領政策の基本は、日本を軍事的に丸裸にし、「日本には民主主義がなく、道徳的にも誤った戦争を行って敗北した」ということを徹底的に、たたき込むことであった。 それはポツダム宣言の「我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまで…」、「日本国民を欺瞞(ぎまん)して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する」「一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える」などという文言に、よく示されている。 昭和21年11月3日に公布された現在の憲法が、多くの国民に歓迎されたことは間違いない。私自身、23年生まれの団塊の世代だが、昭和22年から23年に生まれた同級生には、憲一など憲法の「憲」の字を使った名前が少なからずあった。軍事力によって国際問題の解決することを放棄した憲法の新理念に、共感したからであろう。長く続いた戦争や軍部の独走に、軍事アレルギーともいうべきものが生まれていたこともあったのだろう。 これを決定的にしたのが、現在の憲法の制定である。この憲法によって、武力を持つことはやましいことであり、間違いであるということが喧伝(けんでん)されてきた。「平和」、「平和」と叫ぶ護憲派の人々は、共通して軍事を忌避する人たちである。自衛隊をも忌み嫌っている。かつて存在した日本社会党の「非武装中立」論などは、その最たるものである。ちなみに、今の日本共産党は、社会党と同じ「非武装中立」論に立っている。アメリカの思惑通りというか、想定以上になったということだ。共産党がすべきこと 昭和25年6月に北朝鮮の南進による朝鮮戦争が勃発した。駐留米軍は、この戦争に参戦したため、国内の治安維持のため警察予備隊が創設された。これがその後、自衛隊になっていく。 憲法9条2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されているにもかかわらず、なぜ自衛隊を保持できるのか。防衛省のホームページには、次のようにある。 「平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています」 これが自衛隊合憲の論理立てである。 憲法の専門家などの一部では、芦田修正(憲法改正小委員長だった芦田均による修正)によって、9条2項に「前項の目的を達するため」という文言が挿入されたことによって、侵略を目的とする戦争や武力行使のための戦力は保持できないが、自衛目的の戦力なら保持が可能になったという説もある。ただ歴代政府は、この解釈は採用していない。そのため自衛隊を「戦力」ではなく、「自衛力」としてきた。 自衛隊は、国際的には軍隊と見なされているにもかかわらず、軍隊ではないというのが政府見解である。しかし、この憲法解釈が憲法改正の足かせとなってきた。「自衛のための合憲の実力組織があるのだから、9条改正は必要ない」という理解を生んでしまったからだ。 安倍晋三首相(右)も出席した「新しい憲法を制定する推進大会」であいさつする中曽根康弘元首相=5月1日、東京都千代田区の憲政記念館(飯田英男撮影) 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法9条2項は、普通に読めば軍隊そのものの自衛隊は保持できないとするのが当然だろう。これを合憲だとしてきたことにそもそも無理があるのだ。合憲としてきたことが足かせとなって、逆に憲法改正を提起できなくなってきたのである。 憲法学者の圧倒的多数も自衛隊を違憲としている。だがこれらの人々が違憲の自衛隊の即時解散を主張しているかといえば、そうではない。たとえ違憲の立場にたってはいても、自衛隊の存在意義は認めているのだ。これは憲法学者だけではなく、一般の国民も同様だろう。 だったらこの際、改憲を本気で目指すのであれば、自衛隊は違憲であるという立場から出発すべきなのだ。「自衛隊は違憲です。しかし、米ソが対決する当時の国際情勢のもとで自衛隊を創設するしかなかったのです。自衛隊はいらないという人はいないでしょう。この際、憲法9条を改正して、曲芸のような憲法解釈ではなく、憲法に沿った自衛軍を堂々と持つようにしましょう」というように。 逆に護憲派は、日本共産党のように「自衛隊は違憲の軍隊」というのではなく、「自衛隊は合憲です。だから9条改正の必要はありません」と主張すべきなのだ。 改憲派と護憲派は、主張が逆立ちしているのだ。

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    施行70年、憲法改正はいま

    「この節目の年に必ずや歴史的な一歩を踏み出す」。悲願の憲法改正。その言葉は自らを奮い立たせる首相の決意の表れだった。日本国憲法が施行から70年を迎えた。改憲か、護憲か。国論を二分する難しいテーマだが、そもそもわが国の憲法はなぜ一度も改正されなかったのか。憲法のいま、そして未来を考えたい。

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    「築70年の物件」日本国憲法はどれくらいガタがきたのか

    かったのか。一言でいえば、これまで改正する必要がなかったから、ということになるだろう。日本国憲法は、政治権力を実効的に組織し発動させるとともにその乱用を防止する統治制度の仕組みと、個人の尊重を基礎とする「基本的人権の保障」という伝統的な原理に加え、これらの原理やルールの実現を確保する「違憲審査制度」「平和主義」という、第2次世界大戦後に諸国でも広まった、比較的新しい立憲主義の原理をもいち早く備えていた憲法典である。 これらの原理は普遍的なものであり、日本国憲法は、今日でも世界に通用する内容を持っている。そして現に、この日本国憲法のもとで、日本社会は戦後復興から高度成長を経て、個々にはさまざまな問題があるにしても、総じて平和と繁栄を享受してきたのである。この事実は無視できない。その意味で、日本国憲法はうまく機能し、だからこそ国民もこれを暗黙のうちに支持してきたのではないか。昭和天皇の署名がある日本国憲法の公布原本=4月7日、東京都千代田区の国立公文書館 ただ、一切改正をせずに済んでいる理由として、日本国憲法が憲法典としては簡素であるという特徴をもっている点は重要である(この点は多くの専門家が述べるところであり、このサイトでも、九州大の井上武史准教授が、主要国の憲法典の単語数を掲げて論じているのでご覧いただきたい)。憲法典として簡素であるということは、上記の諸原理やルールを、国会が定める法律や、裁判所の判例で補足し、具体化し、そして、憲法典が定める骨格を損なわない限りで発展させていく余地が大きいことを意味する。 例えば、選挙制度は民主的な統治の仕組みの根幹をなすものであるが、日本国憲法は、15条や44条で普通選挙や秘密投票、選挙人資格の平等などの原則を明記するだけで、47条で「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」として、その構築をおしなべて法律に委ねている。90年代初頭の政治改革により、衆議院の選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に改められたことで、それ以降の日本の政治のあり方が変わったことが指摘されるが、このような変革も憲法改正なしに行うことが可能であったのである。基本的な原理・原則だけを掲げる基本的人権 また、憲法典で定めが置かれていても、その条文そのものが簡潔なために、基本的な原理・原則だけを掲げていると解釈すべきものも多い。基本的人権の規定の多くはそうである。例えば、憲法21条1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。しかし、だからといって、名誉やプライバシーを傷つける表現行為を考えればわかるように、どのような表現行為であっても保護されることにはならない。 そこで、憲法21条1項は、表現の自由を基本原理として保障したものであり、法律によって表現の自由と他の利益との調整を図ることも、説得的な理由がある場合には認められる、と解釈することになる。法律の規制が強すぎて、表現の自由が侵害されてしまわないようにするため、法律を定める際に政府でも内閣法制局を中心に検討するし、国会でも議論が行われるが、最終的には、法律が定められた後に、その法律が適用される具体的な事案をめぐる裁判の中で、最高裁判所が、具体的な事実関係に即して現実に表現の自由が他の利益との間でどこまで保障されるのかを明らかにする。 こうして、最高裁判所の判例によって憲法の条文の意味が補充され、具体的なものとして姿を現す。そして、判例の積み重ねの中で、具体的な人権保障のありようが展開していくことになる。 たとえば、日本国憲法に明文化されていない「新しい人権」は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める13条から導き出すことが可能であると説かれ、判例も、慎重な歩みではあるが、プライバシー権を憲法上の人権であると実質的に認めるに至っている。 このように、日本国憲法が統治機構の仕組みや人権の保障に関する規範など重要な事項だけを定める簡素なものであることによって、時代の変化に応じた社会の要請に対しても、法律や判例により柔軟に対応し、憲法秩序の「バージョンアップ」を図っていくことができているのである。ここ20年をみても、90年代末からの行政改革(内閣の機能強化など)、司法改革(裁判員制度の導入など)も大規模な統治機構改革であったが、これらも法律の定めによって実施されている。 また、人権保障の場面でも、最高裁は、在外日本人に選挙権の行使を認めていなかったことが憲法15条に違反すると判断したり、嫡出でない子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする民法の規定、そして女性の再婚禁止期間を6カ月とする民法の規定がそれぞれ憲法14条1項に違反すると判断したりするなど、時代の流れや社会の変化に応じて人権保障を図るようになってきている。 これを家に例えれば、一方で、本数は多くないが十分に家を支えることのできる土台や柱、はりが整っており、他方で、それらを傷つけない限り、間仕切りや床板を動かし取り換えることで、住んでいる人々が快適に生活していけるようにリフォーム、リノベーションが可能となっている。だからこそ、日本国憲法は長寿を保っているのではないだろうか。改正論議に欠ける「憲法のバランス」 それゆえ、近ごろの憲法改正論議を見るときに持っておきたいのは、家の例えでいえば、「その改築をするために、本当に土台や柱、はりの入れ替えや増設をしなければならないのか」という視点である。これらの工事に踏み切るならば、時間も費用もかかり、またそれによって建物全体のバランスが崩れてしまう恐れもある。そのような諸々のリスクを冒してまで工事を検討するというのであれば、建築の専門家の意見も聞いて、慎重に議論を進める必要があるだろう。憲法改正論議も同じである。そのような視点からみると、近ごろ議論されている憲法改正の提案内容の多くには疑問を抱かざるをえない。 例えば、緊急事態時の国会任期延長を憲法典に盛り込むべきとの提案がある。これは、憲法54条1項が「衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない」と定めているところ、衆議院解散後に、例えば首都圏を含む広範囲にわたり大規模な地震が発生して、40日以内に総選挙を行うことができなくなる事態が起きれば憲法違反となるので、それを避けるために緊急事態時の国会任期延長を憲法典に盛り込むべきではないか、という提案である。 しかし、公職選挙法は、天災などで投票が行えない場合のために「繰延投票」という仕組みを予定しており、一部の被災地域で40日以内に投票できなかったとしても、全国的にみて40日以内に総選挙を実施できているのであれば、憲法に違反しないと考えられる。大規模かつ広範囲の災害といっても、定足数の3分の1の議員すら選出できなくなる事態は考えづらい。 現在の仕組みでは、全国で一つの選挙区である比例代表は、被災地域の投票数が確定しないとすべての議席を確定することができず議員を選出できない、つまり、475人の衆議院議員のうち180人の比例代表選出議員が選出されないとされているが、一部の議席を暫定的に確定する技術的な工夫も考えられるし、ブロック別にしたり比例代表選出議員数を減らしたりするなどして対処することができるだろう。 「災害時に国会が動けるよう備える」という発想は重要であるが、それならば、上記のように極めて限られた場面だけに注目するのではなく、より一般的に、国会開会中であれ、任期途中の閉会中であれ、首都直下地震が起きて国会議事堂が使えない、さらには国会議員が東京にいることができない事態が起きたときに、どのような手順を踏んでどこで国会を開くのかといった、憲法改正のいらない実際上の段取りを議論し、国会議員・両議院の事務局の間で共有する方が、はるかに重要ではないだろうか。一向に進んでいない「立法改革」 また、憲法26条2項後段は「義務教育は、これを無償とする」と定めるが、これを改正して、教育費の無償化を義務教育だけでなく高校、大学にも拡大する旨の提案がなされている。教育費の無償化を拡大するという内容自体には異論は少ないだろう。しかし、この政策は、わざわざ時間とコストをかけて憲法改正に訴えなくても、法律を定めればすぐに実現できる。そのような法律は、憲法に違反しないからである。しかしそれが実現しない理由には、財政上の制約があるからだろう。その点を無視して、一足飛びに、法律であれば将来容易に改正が可能となるので憲法で保障をするのだ、と主張するのは無責任ではないか。 むしろ、この政策に本気で取り組むつもりがあるのであれば、法律によって直ちに無償化を実現して、そのあと様子を見る方が実際的ではないか。現に、義務教育における教科書の無償は、憲法26条2項の保障には含まれないとされたものの、1963年に法律が定められて以来、50年以上にわたり定着しているところである。教育費の無償化の拡大という政策についても、これと同じ道筋をたどって実現、定着させることは十分に考えられる。 繰り返すが、「その改築をするために、本当に土台や柱、はりに触れなければならないのか」という視点が重要である。そしてそこでは、一本の柱やはりばかりに目を向けるのではなく、なんのためにそれに触れるのか、それにより建物のバランスは崩れないか、建物全体を眺めたトータルな議論と検討を、専門家の意見も参考にしながら行うのが望ましい。 とはいえ、築70年の建物全体を見渡してどこかにガタがきていないかチェックを行い、必要なメンテナンスを検討することは、もちろん大事なことである。その中で一つ気になるのは、国会のあり方である。上記の通り、三権のうち、行政部、司法部については、行政改革、司法改革によって「バージョンアップ」が行われたが、立法部の改革は一向に進んでいない。 立法手続では、政府提出法案の国会提出前に非公開の与党政調部会で行われる事前審査で法案の内容が固められてしまい、国会提出後の法案修正には応じないのが原則となっている。これに反対する野党は、会期が終わればそれまでに成立しなかった法案は廃案となるので、日程消化を目指すことになる。そして会議の日程とシナリオは、国会の公式の会議ではなく、これまた非公開の与野党国会対策委員会での話し合いで決められる。このように、立法手続は、国民の目に審議の内容が見えづらい不透明なやり方が続けられている。国対委員長会談に臨む、自民党の竹下亘氏(中央右)、民進党の山井和則氏(同左)ら=4月21日(斎藤良雄撮影) また、「官邸主導」という言葉の通り、内閣、内閣総理大臣の政治権力が強まる中、それとバランスをとるために、政策遂行に対して事後的に政府から情報提供と説明をさせて議論を行う行政監視(政府統制)という役割が国会、国会議員には期待される。しかし、実際にはこの機能もあまり果たされていない。グローバル化が進み、迅速かつ実効的な政策の立案と遂行が求められる状況下で、内閣や首相の政治権力が強まること自体は決して悪いことではないが、このような国会のありさまは、諸外国と比べても独特であって改善を要するものである。  さらに、これらに関連して、二院制(両院制)のあり方も問題となる。日本国憲法の定める二院制は、内閣総理大臣の指名、法律、予算、条約の承認の議決で衆議院が優越し、また内閣不信任決議権をもつのも衆議院だけとされている。しかし、法律の議決については、憲法59条2項が、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる」と定めており、衆議院が勝つためには3分の2以上の多数の支持が必要となる。2016年7月10日、参院選の投票所で一票を投じる有権者=大阪市内の小学校(村本聡撮影) 参議院で野党が過半数を占める「ねじれ国会」となったとき、この規定があるために衆議院で多数を占める政府=与党は、法律を野党の協力なしには成立させることができない事態に陥った。このような状況を「決められない政治」として批判するならば、両議院の役割と関係を整理し直す必要があることになるだろう。 もちろん、これらの国会改革も、憲法を改正せずに実現可能だ。立法手続や行政監視に関する改革は、議院規則や運用の修正によって、憲法改正によらず実現することができる。二院制についても、「ねじれ」が起きて、ある法律案に対する賛否が両議院で異なる場合に、両院協議会を開いて議論をしても衆議院が譲らないときには最終的に参議院が譲るといった、参議院がその権限行使を自制する慣行を作り、当事者である政治家たちがこれを守るべきものとして捉えて規範(「習律」と呼ぶ)に高められることができれば、憲法改正によらなくても両議院の関係を整理することが可能である。 しかし、現在までの政治の流れを見る限り、政治的に強い力を持つことを覚えた参議院(議員)が、その力を自ら手放すことは考えづらい。そうであるならば、憲法59条2項を改正して、「三分の二」を「過半数」とすることが考えられる。あるいはそれだけだと参議院が弱くなりすぎる、というのであれば、衆議院の再可決を「参議院の議決から1年を経過した後に」として、冷却期間を置くことも考えられる。 ある規範を法律ではなく憲法典で定めることの意義の一つとして、その規範に行政(政府)だけでなく立法(国会)をも拘束させることがある。憲法典は、行政や司法、地方自治といった国会以外の部門の権限や組織の骨格を定めることで、国会が法律の定めによってそれらを動かし変えることができないようにするだけでなく、国会の権限や活動のあり方そのものの骨格を定めることで、国会のあり方をも規定している。 国会は、上で述べたように、その権限や活動を自ら律することで「バージョンアップ」を図るという方法を取ることもできるのだが、それがうまくいかない場合には、憲法典による拘束に訴える形で「バージョンアップ」を図らなければならない。憲法改正にもつながりうる重要な検討事項として、国会(議員)自らの権限や活動のあり方があることを、国会議員にはもっと自覚してもらう必要がある。

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    憲法は、国家が失敗しないための「貼紙」

    木村草太(憲法学者)×出口治明(ライフネット生命保険会長)出口:この対談は、僕がいろいろな先生方に教えを請うという場です。今日は木村先生から「日本国憲法」のお話をうかがうことを楽しみにしてきました。よろしくお願いします。木村:まずは、日本国憲法というよりも、「憲法とは何か」というところからお話をしましょうか。憲法とは、国家権力が過去にしてきた失敗を繰り返さないために、その失敗をリスト化して禁止したもの。言ってみれば貼紙のようなものなんです。出口:なるほど。木村:たとえば、小学校には「廊下を走らない」という貼紙がしてありますね。子どもたちが集まると廊下を走り出してしまうのは、人類普遍の原理です(笑)。それを繰り返させないために貼紙をするわけです。どんな団体や組織にも失敗しがちなことはあります。たとえば、学校の場合は廊下を走らないですが、国家の場合は「戦争をしないようにしよう」とか「人権侵害をやめよう」とか。憲法は、そのような貼紙だと思えばいいんです。出口:すごくわかりやすくて面白い! 実は僕、恥ずかしいんですが、大学は憲法ゼミだったんですよ。木村:えっ、そうなんですか?出口:でも憲法自体は全然勉強しなかった。表現の自由を勉強していたんです。木村:なるほど、そうでしたか。出口:僕は単純に考えれば、どんな社会でも権力は必要だと思っています。国家がなぜ作られたかといえば、権力をひとところに集めて治安を維持し、住みやすい世の中をつくるためですよね。そして、ルールを決めていった。連合王国の、マグナカルタ以降の慣習法のように、みんながルールを意識すればいいのですが、近代国家の憲法は、みんなに向けて明文化したほうがいいということですよね。木村草太さん(左)、出口治明さん(右)木村:その通りです。たとえば会社でも、失敗しやすいことや気を付けなければいけないことがあると思うんです。出口さんが会長を務めるライフネット生命はどうですか?出口:あります、あります。当社の場合、マニフェストという形でパンフレットに書いています。たとえば「生命保険を、もっと、わかりやすく」とか。木村:それは、非常にいいフレーズですね。保険というのは難しい商品なので、放っておくとどんどんわかりにくくなってしまいますから。ところで出口さんは、子どもたちに保険が大事なものだと伝えるとき、どんな説明をしますか?出口:うちの会社にはよく小学生が遊びにくるのですが、紙芝居などを作って説明しています。「きみが交通事故に遭ってケガをしたとする。病院に行ったら、薬を塗ったり包帯を巻いてもらったりするよね。そうするとお金を払わなければいけない。入院すればもっとたくさんのお金が必要になる。不時の出費は大変だよね。でも、保険に入っていればそこでお金がもらえるから、普段の生活には変わりないんだよ」などと。木村:なるほど。出口:保険の本質は、ロス・ファイナンシングです。社会で生きていると、何かしらロスが起きる。たとえば火事で家が焼けたら、建て直さなきゃいけません。お金持ちなら自分でファイナンスできますが、持っていない人は建て直せません。そのときの手段が保険なんです。木村:「本当に困ったときのことを想像してみよう」というところから教えているわけですね。出口:ええ。困らなければ必要のないものですから。木村:普段は気づかないけれど、いざというとき頼りにできる。そういう意味で、保険は憲法と似ているなあと思うんです。テレビなら買ったその日に見られますが、保険は買ったからといってすぐには使えません。でも、事故や病気など本当に困ったときに、救われるものです。出口:たしかに憲法も、争いごとなどなくて、社会がうまくいっているときは関係ないですねえ。木村:憲法のありがたみは、人権侵害されたり、逮捕されたりして初めてわかるんですよ。出口さんが、「困ったときのことを想像してみよう」と伝えているのは、すごく参考になります。憲法も、単に条文を教えるだけではなかなか伝わらない。「憲法って、こういうときに使うんだよ」ということを合わせて教えないと、と思います。「日本国憲法は標準装備度が高い」出口:では、日本国憲法はどのようにとらえたらいいでしょうか。木村:他国との一番の違いは、できた時代です。フランスの人権宣言やアメリカの憲法は、18世紀の終わりに作られたので、憲法に何を盛り込まなければいけないか、まだよくわかっていなかった時代なんですね。その後、修正や改正を繰り返してようやく、書いておかなくてはいけないものが書き込まれた感じです。出口:連合王国の慣習法に近いやり方ですね。成文にはしていますが、ちょっとずつプラスして憲法を作っている。木村:そうです。フランスもアメリカも、どんどん建て増しをしている。一方、日本国憲法ができたのは第二次世界大戦後です。「憲法には、こういうものが必要だ」と、だいたいわかっていた時期ですね。そのため、「軍隊をコントロールする」「人権を保障する」「権力を分立する」「人権保障のために裁判所に違憲立法審査権を付与する」といった立憲主義の基本メニューが最初から装備されています。 連合王国の憲法は、昔からの慣習法としてあった憲法を修正しながら使っているので、標準装備が整っていないところがある。たとえば、憲法裁判所や最高裁判所による人権を守るための違憲立法審査の仕組みがありません。法律でOKしたことについて、国民は基本的に文句を言えないんです。アメリカでもドイツでも日本でも、人権侵害を侵す法律があった場合、国民はダメだと言えるのに。出口さんはロンドンに住んでいたことがあるそうですね?出口:はい、あります。木村:私の理解では、連合王国の人たちは「自分たちは自由の祖国である」という意識を強く持っている。非常に人権意識が高い印象ですが、どうでしょうか。出口:その通りだと思います。木村:なので、「私たちの議会が人権を侵害するなんて、ないんじゃないか」という考え方だったのです。木村草太さん出口:議会の歴史そのものが、自由を勝ち取るための戦いだったので、そこに対する信頼感が高い。わざわざそんな仕組みを入れなくても、我々はマネージできるという考え方なんでしょうね。木村:そうなんですよ。ただ、EU化の流れの中で、連合王国もヨーロッパ人権条約に加入することになりました。加入国の国民は、自国の人権侵害について、ヨーロッパ人権裁判所に訴えることができるんです。連合王国は、この条約に加入するとき非常に楽観的で、「自分たちは自由の祖国なのだから、国民が人権裁判所にお世話になることなどない」とプライドを持っていた。ところが実際は、人口当たりの人権裁判所に出訴した割合と、裁判所で国の側が敗訴した割合が、いずれもヨーロッパワースト1位なんですよ。出口:ええっ、まったく知りませんでした。木村:イギリス人としては「こんなはずじゃなかった」というところでしょう。ドイツやフランスなどには、自国内に憲法裁判所、憲法院や違憲立法審査権を持つ裁判所などがあるので、人権問題が起きたらまずそこで訴えます。しかし、連合王国の場合は議会が最高決定者なので、問題が起きたら即座にヨーロッパ人権裁判所に行くんですね。連合王国の自由の歴史はすごく大事ですし学ぶべきところがありますが、標準装備が入ってないがゆえに問題が起きるのです。出口:そういう面で、日本国憲法は非常に標準装備度が高い、と。木村:そうです。後からできた方がやっぱり装備が整っていると思いますね。「憲法9条は、13条や国際法と合わせて立体的に読んでほしい」出口:次に考えたいのは、日本国憲法の中身です。最も特色があるのは、やはり9条でしょうか?木村:憲法9条はなかなか難しい条文ですが、改憲派護憲派問わず9条しか読まない人が多いのが、私は不満なんです。出口:ほう。木村:現在の国際法では、「武力不行使原則」が確立しています。19世紀までの国際法では、戦争は違法ではありませんでした。それが20世紀に入って、戦争自体を違法とする不戦条約が結ばれました。不戦条約の最初は1904年ですが、「国債を回収するために武力行使してはいけない」というところからスタートしています。逆に言うと、当時は金を回収するために武力行使していたことになるんですね。 そして、1919年の国際連盟規約、1928年のパリ不戦条約などが積み重なり、第二次世界大戦後に、「武力行使は一般的に違法である」という原則が確立。現在は国連憲章にも書かれています。「武力行使をやめよう」というのは、実は憲法9条に言われるまでもないわけです。出口:グローバルスタンダードなんですね。木村:あくまで紙の上では、アメリカ、ロシア、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、タイ、これらの国々全てが国連加盟国である以上、武力行使しないという原則にコミットしています。木村:ただし、国連憲章には「武力不行使原則を破って侵略する国が現れたときだけは、武力行使をして良い」というルールが定められている。侵略国家が現れた場合には、国連の安保理決議に基づく措置として、みんなで対応するのが原則です。もっとも安保理決議が出るには時間もかかるし、場合によっては拒否権が行使されるなどして、国連が措置を取れないこともあります。そこを補うために、各国が個別または集団の自衛権を行使するというルールです。 そこで、「憲法9条がどうか」という話です。9条1項は「侵略戦争をしない」という趣旨の規定なので、「1項がおかしい」と主張する人は、改憲派にもあまりいません。変える必要はない、むしろ守るべきだという人が多いんです。 問題は2項です。「軍と戦力を持たない」と書いてある。これを読むと、集団的自衛権はもちろん個別的自衛権も含めて、日本は武力を行使してはいけないということになります。 「9条があらゆる武力行使を禁じている」という点については、ほとんどの人が認める見解ですし、現在の安倍政権含め、日本政府もそう解釈している。ただ、法律の条文は例外を認めることがあるんですね。9条についても例外があるのではないか、についての検討が必要になります。国会議事堂出口:いわゆる、自衛隊合憲説ですね。木村:はい。日本国憲法13条には、「国民の生命の自由、幸福追求の権利は、国政の上で最大限尊重しなくてはいけない」と書いてあります。外国からの侵略があったとき、その侵略を放置すると、国民の生命の自由や幸福を尊重しているとは言えない。したがって、「武力行使するな」という9条のルールと、「国民の生命を最大限尊重しよう」という13条のルールがぶつかってしまうのです。 どちらが優先するかは解釈で決めるしかないんですが、日本政府は「国民を守るのはどの国でも最低限の義務だから、9条に対して13条が優先する。つまり、国民を守るという範囲においては、9条の例外として武力行使は許されるし、そのための実力保持も許される」と解釈しているのです。憲法9条は、それだけを読むと、両極端な議論で終わってしまうのですが、ぜひ国際法や憲法13条と合わせて立体的に読んでほしいんです。「自衛隊の海外活動は国民の監視が甘くなる」出口:憲法13条や国際法など全体の法体系の中で、自衛隊は合憲ということですが、実際に自衛隊は何をしているのでしょう?南スーダンPKOから帰国した陸上自衛隊員=2017年4月木村:自衛隊には仕事が3つ+1くらいあるんです。ひとつは「外国の侵略から日本を守る」。これが一番重要で、13条から導かれるものです。それだけでなく、テロリストや警察の手にあまる犯罪者が出てきたときには、「治安出動」で押さえます。これも非常に大事な仕事です。最後に、「災害から国民を守る」。実際、自衛隊がこれまで出動したのは災害のときだけです。大災害が起きたときにレスキューに行ったり、がれきを除去したりします。木村:それとは別に、自衛隊は大きな組織でさまざまな技術を持っているので、「国際貢献」を求められることがあります。PKO活動などが典型ですが、外国のインフラ整備や、場合によっては治安維持を手伝うこともあります。たとえばソマリア沖の海賊対策。相手は犯罪者なので、海賊を捕まえたら日本の刑法を適用するため日本に連れてくるのですが、ソマリ語を話せる人が少ないんですよ。出口:弁護士、裁判官ともに立件が大変ですね。木村:単純な効率を考えたら、ソマリア周辺国の人たちに治安活動をしてもらう方がいい。でも、「みんなでやっているので来い」と言われて派遣するわけです。 ただ、自衛隊の国外活動には、注意すべき点もあります。南スーダンのケースを見ても、国外でやっていることはメディアも取材しにくいので国民の関心が高まりにくく、監視が甘くなります。そこが非常に危ないんですね。自衛隊は侵略活動をしているわけではなく、その国の政府に協力するために活動しているのですが、自衛隊員の安全は確保できているかとか、外国政府が自国民を抑圧するのに加担してしまっていないかなど、気をつけなければいけないと思います。出口:国際貢献をしようと思うと、それなりの装備と技術を持った集団は、自衛隊以外にないですよね。木村:これも結構微妙なところです。たとえばPKOにもいろいろなやり方があって、文民警察官を配置する場合もある。自衛隊がこれまでやってきたことって、HPを見ると、ほとんどがインフラ整備なんですよ。出口:道路を作った、学校を作った、橋をかけた、などですね。木村:どちらかというと、土木事業者のHPみたいになっているんです。出口さんはいろいろな国際交流をされているのでわかると思いますが、こちらの技術をポンと出してしまうことが、その国のために本当にいいかというと微妙ですよね。むしろ重機の使い方を教えて、道路はその国の人たちで作る方が国際貢献になるのでは。出口:パンを与えるのではなく、魚の釣り方を教えるということですね。木村:そうです、そうです。道路を作れば誰もが喜ぶし、役立っている感じがしますが、もっとできることがあるのではないでしょうか。自衛隊の国際貢献を考えると、今やっていることが本当にいいのかという視点を持たなければいけないと思います。

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    復興大臣はバカしかいないのか

    「まだ東北で、あっちの方だから良かった」。東日本大震災の被災者を愚弄する、こんなバカな発言をした人物が復興行政のトップだったというのだから、唖然とするほかない。今村雅弘復興相の更迭は当然だが、にもましてこの要職が旧民主党時代から数えて7人目になるという事態の方が驚きである。次は大丈夫か?

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    失言なんかクソ食らえ! 安倍内閣「在庫一掃セール」のススメ

    た記事が「そんなでよくカネをもらえるな」などとボロくそにたたかれ、何度か炎上を経験しているので、実は政治家の「失言・暴言」には「許せない」というより、むしろ「なんでなのか」と疑問を持つとともに、たたかれることにいささか同情することも多い。今回はそうだ。 今村失言は「東日本大震災はまだ東北だったからよかった。これが首都圏だったら莫大(ばくだい)な被害になっていた」というものだから、事実誤認はないし、誰かを誹謗(ひぼう)しているわけでもない。ただ、「よかった」がいけない。記者会見する今村復興相。フリーの記者に対し「うるさい」などと述べた=4月4日、復興庁 「よかった」など言わなければいいのだ。単に「東日本大震災は、首都圏だったら莫大な被害になっていた」と言えば、問題はなかっただろう。 また、たとえ「よかった」と言ったとしても、今村氏が被災地の東北出身ならそれほど問題にはならなかっただろう。ところが、今村氏は九州・佐賀の出身だから救いようがない。 こうなると、エヴァンゲリオン・ネクタイが逆効果になる。見え透いたことをしていると思われるだけだからだ。よって、ここでの教訓は、自分が好きでもないネクタイなどすべきではないということか-。  現在、安倍政権は、閣僚の失言・暴言と「スキャンダルドミノ」に見舞われている。約4年半にわたる長期政権による弛みが一気に噴き出しているという批判にさらされている。 つい先日、務台俊介内閣府兼復興政務官がおんぶで視察した揚げ句「長靴業界はだいぶもうかった」と失言したと思ったら、山本幸三地方創生相が、地方講演で「一番のがんは学芸員」と続いた。さらに先週は、「ハワイ重婚ウエディング」を強行した史上最強のゲス不倫議員、中川俊直経産政務官が辞任逃亡している。これでは、こういう批判が出るのも無理はない。 さらにさかのぼれば、失言・失態はまだいくらでもある。 たとえば、金田勝年法相の「共謀罪」論議発言には目が点になった。しどろもどろになったうえ「私の頭脳が対応できない」と詫びたのだから、質問者も腰を抜かすしかない。財務官僚を長くやると、このような見事なボキャボラリーが身につくのだろう。一般人はこういう場合、「わかりません」と素直に言う。 また、稲田朋美防衛相にいたっては、首相の女友達なら、嘘をついても、涙ぐめばなにも言わなくても許されるという前例をつくってしまった。国会を学校のホームルームにしてしまい、女子力防衛で「辞めろ」コールを交わしたのだ。そして、いまをときめく「保守女子」のロールモデルをつくり上げた。リアル世界の警察より怖い「個々民の声」 いったいなぜ、こんなことばかり続くのか。前記したように、「長期政権によって議員たちの気が緩んでいる。なにをしても許されるというムードになっている」と言われているが、それだけではないと私は思う。そこで以下、そのことを2点挙げておきたい。 まず、「失言・暴言」というレッテル貼りがいとも簡単に行われ、あっという間に拡散してしまう世の中になったことだ。昔なら、失言かどうかもう少し考え、発言者の背景や意図、その裏にある社会問題をもっと考えた。しかし、いまは、「ネット言論」(とても言論とはいえないが)によりレッテルが貼られると、もう止められない。 しかも、ネット民の、なんとか引きずり下ろそうとする嫉妬心はすさまじく、失言者・暴言者よりもはるかにレベルが上の誹謗(ひぼう)中傷の限りを尽くす。 例えば、今村氏に対するネットの書き込みを見ると、こんな具合だ。 「ばかたれ」「いったい何様だ!」「おめえ、死ね」「さすがにこれはダメだ」「全然こたえていない!クビにしろ!」「こんなゲスが大臣やっていいのか」「いまから東北行ってそれを言ってこい」「辞任、当ったり前だよな」「辞任のときもエヴァのネクタイしてて、ワロタw」 これが正義の声なのだろうか。「国民の声」だというノーテンキなメディアもあるが、「国民の声」などというものはない。あるのは、個々民の声だけではないのか。これらの個々民の声が結集して、「サイバーポリス」(電脳警察)となっている。リアル世界の警察より怖い。なぜなら、リアル警察は法に背く者(違反者)を取り締まるが、サイバーポリスが取り締まるのは違反者ではないからだ。 次に指摘したいのは、トランプという、とんでもない米大統領が出現したため、世界中がなにを言ってもいいという雰囲気になったことだ。いまやこの世界は「ポスト・トゥルース」(真実後)の世界と化し、フェイクニュース(偽のニュース)であふれかえっている。当然、失言・暴言はインフレを起こし、歯止めが利かなくなった。1月11日、米ニューヨークのトランプタワーで行われた当選後初の記者会見で、厳しい口調でメディアを選別するドナルド・トランプ次期米大統領(AP=共同) トランプ氏に比べたら、日本の政治家の失言・暴言などたわいないものだ。かつて、中曽根康弘元首相は「アメリカには、黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い」などと言い、最近では丸山和也参議院議員が「米国は黒人が大統領になっているんです」と言ったが、トランプ氏は「黒人は貧しく、教育も悪い。仕事もなく、58%の若者が失業している。トランプ大統領(オレが大統領)になったとしてもなにを失うというんだ」と言って、大喝采を浴びたのだ。“器が違う人間”は暴言を吐くな 今村失言は、被災者に対する配慮を欠いたものだが、トランプ大統領の登場で、マイノリティー差別発言、人種差別発言など、いくらしても平気になってしまった。配慮など「クソ食らえ」なのだ。 なにしろ、トランプ氏は「メキシコ人はレイプ魔だ」と言い、米大統領選の共和党予備選で対立候補だったカーリー・フィオリーナ氏に対しては、「あの顔を見てみろ、誰があんな女に投票するんだ」と、女性差別発言までやった。さらに、民主党候補だったヒラリー・クリントン元国務長官に対しては「ナスティウーマン(くそたれ女)」、民主党の重鎮エリザベス・ウォーレン上院議員に対しては「ポカホンタス(米先住民の女性)」とまで言って、大統領になったのである。 2014年、東京都の塩村文夏都議が、自民党の鈴木章浩都議に「早く結婚したほうがいいんじゃないか」とヤジられたことが大問題になったが、器が違う人間は暴言を吐いてはいけないのだ。 話は飛躍するかもしれないが、これでわかるのは、「失言・暴言」に対する糾弾は、発言内容そのものではなく、誰がそれを言ったかのほうが大きな問題だということだ。麻生太郎財務相(鈴木健児撮影) そうでなければ、トランプ氏が大統領になれるわけがない。このことを日本で端的に物語っているのが、麻生太郎副総理だ。私は、麻生氏のボルサリーノ・ハットをかぶったマフィア・スタイルが気に入っていて、そのスタイルから「べらんめえ口調」で失言・暴言が飛び出すのが爽快だ。 なにしろ、憲法改正では「ナチスの手口に学んだらどうかね」、終末期医療では「さっさと死ねるようにしてもらわないといけない」と述べたわけで、本来なら辞任ものだ。さらに、カップ麺の値段がわかるかどうかと質問されたときは、「400円ぐらい?」と答弁した。これで「庶民感覚がない」とものすごくたたかれたが、なぜ庶民感覚がなければいけないのか。私にはよくわからない。 ところで、「暴言=毒舌」で日本を代表する人物といえば、ビートたけし氏である。じつは私は、昨年5月『ビートたけしのTVタックル』で米大統領選を取り上げたとき、トランプ擁護派のコメンテーターとして出演し、「トランプの毒舌はたけしさんも真っ青ですね」と発言して、あとから見たらこの部分はカットされていた。 私の真意は、トランプ氏の暴言はあまりにもひどすぎて、ユーモアやギャグたっぷりのたけし氏を超えすぎているというものだったが、理解されなかった。同じく出演し、「トランプが大統領になったらアメリカから逃げる」と発言したパックンはわかったかもしれない。失言するセンスもなければ、器でもない たけし氏は、失言・暴言続きの政治家に「お笑いを教えたい」と話したことがある。「オレならもっとセンスよく話す」ということだ。つまり、日本の政治家は失言・暴言をするセンスもなければ、その器でもないということだ。 失言・暴言閣僚を生み出す背景には、閣僚になるのが、実力やキャリアでなく、単なる年功だということがある。つまり、議員を何期か続けて初めて大臣候補となり、その中から当選回数の多い順に大臣になっていくということだ。 ところが、最近は自民党が大勝を重ねて、当選回数が多い議員が増えすぎた。今回、失言辞任した今村氏も、「学芸員発言」の山本氏も、衆院当選7回で、昨年8月の内閣改造でやっと初入閣した「逸材」である。 現在、自民党内には当選回数を重ねても入閣できない「待機組」と呼ばれる議員が60~70人いるとされる。この待機組を「在庫」と呼んでいる。つまり、自民党は「在庫一掃セール」を続けていかなければならない宿命にある。ということは、今後も失言・暴言閣僚は、続々登場するということだ。4月8日、福島県浪江町の仮設商業施設を視察する今村復興相(左)と安倍首相 そうとわかれば、メディアも野党も、そしてサイバーポリス気取りのネット民も、今後は、失言・暴言パトロールをさらに強化していくべきだろう。彼らにどんどん失言させて、閣僚の首をすげかえ、自民党に在庫一掃セールを続けさせる。メディアは「今月の失言」ランキングをつくり、ランキング1位を選んだりしてみたらどうだろうか。 自民党も「失言チケット」を切って、3枚たまったら閣僚辞任などとしたらどうか。こうしたことを続けていけば、1、2年後には、素晴らしい内閣ができるだろう。

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    「東北でよかった」失言を誘引した安倍政権の逆ギレ論法

    佐藤健志(作家、評論家) 2016年8月、第6代復興大臣に就任した今村雅弘衆院議員が、相次ぐ失言によって4月26日、辞任に追い込まれた。失言は救いようのないものばかりだが、では、なぜこのような失言をしたのか? これに対する最も簡単な説明は、本人の不見識のせい、というものだろう。しかし、問題の発言を振り返ると、それだけでは済まされないものが潜んでいるのだ。 今村氏は4月4日、記者会見の席で「(被災地に)帰れない自主避難者は自己責任」という趣旨の発言をしてしまう。おまけに記者の一人に対して激高、「出て行きなさい!もう二度と来ないでください」「うるさい!」などと暴言を吐いた。 このときは発言を撤回し、陳謝することで収拾をみたものの、3週間後の25日、所属する自民党二階派のパーティーにおける失言が致命傷となる。「荒海を航(い)く! 強いニッポンを創ろう」と題された講演のさなか、大臣は東日本大震災について、こう述べたのだ。 「死者が1万5893、行方不明者2585、計1万8478人。この方が一瞬にして命を失ったわけで。社会資本の毀損(きそん)も、色んな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もある。これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったと思う」二階俊博幹事長(前列左から2人目)から離れた場所で乾杯する今村雅弘復興相(右から2人目)=2017年4月25日、東京都千代田区 報道によると、講演後の懇親会に現れた安倍総理は、開口一番「今村復興大臣の講演の中におきまして、東北の方々を傷つける、極めて不適切な発言がございましたので、総理大臣としてまずもって、冒頭におわびをさせていただきたいと思う次第でございます」と発言。会場の空気は凍りつき、年に一度のパーティーは暗転したと伝えられる。 4月25日の講演は、「自己責任」発言からの名誉挽回をはかるチャンスとして、二階派がわざわざ用意した「ひのき舞台」だったという。よりによってその席で、前回以上の大失言をしでかしたのだから、まさしく自滅的と評さねばならない。ひょっとしたら「首都直下地震や南海トラフ地震にたいする対応を万全にすべきだ」と述べたかったのかも知れないが、これでは「東北だったら震災にあっても構わない」と言ったも同じではないか。 政府・与党の間でも、今村氏をかばう声はほとんど聞かれなかった。公明党の大口善徳・国対委員長は、「言語道断。本当に許し難い」とバッサリ。みずから復興大臣を務めた経験がある自民党の竹下亘・国対委員長も、「被災者の皆さん方の気持ちを思うと、なんでこんなこと言ったんだろうという怒りに近い感情を覚えました」とコメントする。 こうした、誰もがかばいきれない今村氏の発言は、次のような論理構造に基づいて成立しているのだ。架空の大失態と比較する「手法」 1)現在、起きている事態は悪いものである。 2)ただし、もっと悪い事態も想像することができる。 3)ゆえに現在の事態は、実は良いものか、少なくともそれほど悪くないものである。 上記の論理構造、三段論法の形を取ってこそいるものの、理屈にも何もなっていない。こんな主張が許されるのであれば、架空の「もっと悪い事態」を想像しうるかぎり、どんな事態でも正当化できるではないか。そして架空のものである以上、「もっと悪い事態」はいくらでも想像しうる。 ところが2012年に第二次安倍政権が発足して以来、同政権を擁護したがる人々は、この論法をしばしば活用してきた。政権の失点となりそうな出来事が起きるたびに、いわゆる保守層の間では、次のような主張が見られたのである。 1) 今回の出来事は、たしかに悪いものである。 2)ただし安倍政権でなければ、もっと悪い結果になっていただろう。 3)ゆえに今回の出来事も、実は良いものか、少なくともそれほど悪くないものであり、安倍政権の失点だという批判は当たらない。 架空の政権による架空の大失態を想像し、安倍政権による現実の失態と比較するふりをしてみせることで、正当化を図る次第なのだ。前者の失態は架空のものなので、実際には比較など成立しないのだが、そこはそれ、適当に言いくるめればよい。ゴマカシが通用しそうにない場合は、「じゃあ、安倍総理以外に誰がいるんだ!」と激高する手もあることを付記しておこう。今村復興相辞任について記者の質問に答える安倍首相=2017年4月26日 むろん、これは詭弁(きべん)、ないし居直り以外の何物でもない。こんな論法を持ち出さねばならないこと自体、政権が十分な成果を挙げていないことを認めたに等しいのだ。しかるに2012年以来、安倍政権は選挙に勝ち続けており、今も高い支持率を誇っている。 第二次安倍政権が、2009年から3年余り続いた民主党政権の崩壊を受けて成立したことを想起すれば、その理由は明らかだろう。民主党政権に対する国民の評価は、とくに末期において極めて低かった。下野した後も民主党は勢いを取り戻すことができないままであり、それは「民進党」と改称した現在も変わらない。 「安倍政権でなければ、もっと悪い結果になっていただろう」という主張は、民主党政権の顛末(てんまつ)を思い出すとき、一定の説得力を持ってしまうのである。けれどもこれは、要するに「下には下がある」だけのことであり、わが国が直面する内政・外交の諸問題に対し、現政権がしっかり対処していることを保証しない。近著『右の売国、左の亡国』で詳細に論じたように、わが国の保守と左翼・リベラルの違いは、しょせん「売国」と「亡国」程度のものでしかない恐れが強いのだ。 今村氏が辞任に至った経緯は、こう考えるとき意味深長となる。すでに見た通り、大臣の言動にうかがわれる論理は「現政権擁護の定番」とも評すべきものだった。 ただしこの定番、かつての民主党政権、ないし民進党を引き合いに出せば、話にカタがつく場合にのみ通用する代物にすぎない。安倍総理自身、国会論戦では「民主党政権当時はもっと悪かった」旨の発言をすることがあるものの、それが「返り討ち」として効果を発揮し得るのは、現実の状況が切迫していない限りにおいてなのだ。「下には下がある」という詭弁 今村氏はこの点に気づかず、東日本大震災による甚大な被害という厳しい状況に対して、「架空の大惨事に基づいた現実の大惨事の正当化」をやらかした。そのせいで、くだんの論法の詭弁(きべん)ぶりが浮き彫りになってしまったのである。大臣の講演は「荒海を航(い)く! 強いニッポンを創ろう」と題されていたものの、大波が荒れ狂っているとき、「もっとひどい嵐だってありうるんだぞ! これくらいの波で良かった!」といくら叫んでも、船が転覆や沈没を免れるわけではあるまい。安倍晋三首相に辞表提出後、謝罪する今村雅弘前復興相=2017年4月26日、首相官邸 今回の件に限らず、最近の安倍政権では閣僚の失言や不祥事が目立つ。これは普通「政権基盤が盤石であるがゆえの気の緩み」と解釈されるが、今村氏の辞任劇の構造を踏まえるならば、そうとばかりも言い切れない。われわれは「下には下がある」式の詭弁(きべん)や居直りで物事を正当化しようとする態度が、現実の状況の前に崩壊し始めるさまを目の当たりにしているのではないだろうか。 朝鮮半島情勢の緊迫に伴い、わが国では北朝鮮の弾道ミサイルが飛来する可能性が、かなり真剣に取り沙汰されている。仮にミサイルが(たとえば)九州に着弾、多大な被害が出た後で、防衛大臣が「まだ九州で、あっちの方だったから良かった。首都圏や阪神地域だったりしたら、莫大(ばくだい)なですね、甚大な被害があったと思う」などと口走ったらどうなるか? 大臣辞任どころか、一撃で内閣が吹っ飛ぶに違いない。 それに比べれば今村発言もマシ、と言うのではない。いやしくも閣僚が、現実の問題に対し、架空の「もっと悪い事態」を持ち出して正当化を図るようでは、国はずぶずぶ沈んでゆくばかりで、決して浮上できないと指摘しているのである。

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    安倍首相、麻生副総理、二階幹事長による菅氏の実権剥奪作戦

    されやすい。そのため、新聞各社はエース級の記者を官邸クラブから自民党担当の平河クラブに戻す流れだ」(政治部記者)というのである。 安倍首相と麻生副総理、二階幹事長による菅氏の“実権剥奪作戦”は確実に効果をあげているように見える。しかし、政治ジャーナリスト・野上忠興氏は「ファイアマン(火消し役)の不在」を指摘する。「安倍政権が再登板後の数々の閣僚スキャンダルを乗り切ったのは、国会の数の力で押し切った面もあるが、それ以上に政権の危機管理に長けた菅義偉・官房長官の存在が大きい。 菅氏が官邸の中心にどっかと座り、大臣が失言すれば呼びつけて厳重注意し、不祥事が発覚すれば持ち前の情報収集力で更迭すべきか、あくまで守るべきかを的確に判断して安倍首相に報告、うまく火消しをしてきた。ところが、最近は菅氏の影が薄く、政権の危機管理に大きな穴が開いている」 ファイアマンの手足を縛ることで政権の危機管理能力は低下し、首相は閣僚のドミノ辞任という「10年前の悪夢」に悩むという“副作用”も露呈しつつある。 光がなくなれば影も消えるが、「影のない光」も存在しない。政権を守護してきた「影の総理」が消された時、安倍政権に大きな地割れが走る。関連記事■ 日米首脳会談が契機 霞が関は菅詣でから麻生詣でへシフト■ 安倍首相 菅氏から安倍-下村ラインへ組み替え視野に■ ポスト安倍氏 菅義偉氏が総理になるウルトラCの陰に二階氏■ 安倍首相 橋下維新との全面対決指示で菅氏の存在価値低下か■ 菅義偉官房長官を幹事長起用説 安倍首相の年内解散の狙いも

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    激高会見で今村復興相を「悪者」に仕立て上げた罪深き大メディア

     門田隆将(ノンフィクション作家) 議論する時に、相手の意見を捻じ曲げたり、歪めたりして自分が主張しやすいように変えるやり方を「ストローマン手法」、あるいは、「わら人形論法」と言う。そのままでは、議論に負ける時に、相手の言っていること自体を変えてしまうのだ。わら人形や案山子(かかし)は「簡単に倒す」ことができるので、つけられた名称とされ、欧米では最も軽蔑されるディベートの方法でもある。記者会見での対応を謝罪する今村復興相=2017年4月4日、復興庁 しかし、日本の新聞やテレビでは、この手法が「日常的に」取り入れられている。当事者の発言内容を意図的な編集で切り取り、歪めてしまうのだ。その上で、発言主を徹底的に攻撃するのである。  今、大きな問題となっている今村雅弘・復興相の発言に対する報道でも、典型的な「ストローマン手法」が用いられている。国民の多くは、今村大臣の激高部分だけをくりかえし見させられて、「なんて横暴な大臣だ」と思い込んでいるだろう。 しかし、実際のやり取りはどうだったのか。意図的な編集をされていないだろうか。そんな観点で問題となった4月4日午前10時から行われた閣議後会見を見てみると、新たな事実に気がつかされる。むしろ、その「一部始終」を見た人は、逆に、今村大臣の方に同情してしまうのではないだろうか。 まず、問題は「自主避難者」の問題であることを頭に置かなければならない。自主避難者とは、政府の避難指示の範囲外から、自主的に県外へ避難した人々のことだ。福島第一原発から遠く離れた会津地方の人もいれば、郡山といった大都市から、自主的に県外へ出て行った人もいる。噛み合わない議論 その自主避難者への住宅の無償提供が、震災後6年を経て2017年3月末で、福島県が打ち切った。震災後、6年もの長期にわたって「自主的に」避難していた人たちに住宅の無償提供が続いていたこと自体が驚きだが、フリーランスの記者は、このことについて、こう質問している(以下、復興庁ホームページと録画テープの聞き起こしによる)。 (問)福島県外、関東各地からも避難している方もいらっしゃるので、やはり国が率先して責任をとるという対応がなければ、福島県に押しつけるのは絶対に無理だと思うんですけれども、本当にこれから母子家庭なんかで路頭に迷うような家族が出てくると思うんですが、それに対してはどのように責任をとるおつもりでしょうか。 (答)いや、これは、国がどうだこうだというよりも、基本的には、やはり、ご本人が判断をされることなんですよ。それについて、こういった期間についてのいろいろな条件つきで環境づくりをしっかりやっていきましょうということで、そういった住宅の問題も含めて、やっぱり身近にいる福島県民の一番親元である福島県が中心になって寄り添ってやる方がいいだろうと。  国の役人がね、そのよく福島県の事情も、その人たちの事情もわからない人たちが、国の役人がやったってしようがないでしょう。あるいは、ほかの自治体の人らが……。だから、それは、あくまでやっぱり一番の肝心の福島県にやっていっていただくということが一番いいという風に思っています。それをしっかり国としてもサポートするということで、この図式は当分これでいきたいという風に思っています。 (問)それは大臣ご自身が福島県の内実とか、なぜ帰れないのかという実情を、大臣自身がご存じないからじゃないでしょうか。それを人のせいにするのは、僕は、それは……。 (答)人のせいになんかしてないじゃないですか。誰がそんなことをしたんですか。ご本人が要するに、どうするんだ、ということを言っています。 (問)でも、帰れないですよ、実際に。 (答)えっ。 (問)実際に帰れないから、避難生活をしているわけです。 (答)帰っている人もいるじゃないですか。 (問)帰っている人ももちろんいます。ただ、帰れない人もいらっしゃいます。 (答)それはね、帰っている人だって、いろんな難しい問題を抱えながらも、やっぱり帰ってもらってるんですよ。 (問)福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています。 (答)だから、それ…… (問)千葉からも避難されています。 (答)いや、だから…… (問)それについては、どう考えていらっしゃるのか。 (答)それは、それぞれの人が、さっき言ったように判断でやれればいいわけであります。 (問)判断ができないんだから、帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか。 (答)いや、だから、国はそういった方たちに、いろんな形で対応しているじゃないですか。現に帰っている人もいるじゃないですか、こうやっていろんな問題をね……。 (問)帰れない人はどうなんでしょう。 (答)えっ。 (問)帰れない人はどうするんでしょうか。 (答)どうするって、それは本人の責任でしょう。本人の判断でしょう。 (問)自己責任ですか。 (答)えっ。 (問)自己責任だと考え……。 (答)それは、基本はそうだと思いますよ。 (問)そうですか。わかりました。国はそういう姿勢なわけですね。責任をとらない、と。 (答)だって、そういう一応の線引きをして、そして、こういうルールでのっとって今まで進んできたわけだから、そこの経過はわかってもらわなきゃいけない。だから、それはさっき、あなたが言われたように、裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない。またやったじゃないですか。それなりに国の責任もありますねといった。しかし、現実に問題としては、補償の金額だって、ご存じのとおりの状況でしょう。  だから、そこは、ある程度これらの大災害が起きた後の対応として、国としては、できるだけのことはやったつもりでありますし、まだまだ足りないということがあれば、いま言ったように福島県なり、一番身近に寄り添う人を中心にして、そして、国が支援をするという仕組みでこれはやっていきます。 (問)自主避難の人には、お金は出ていません。 (答)ちょっと待ってください。あなたはどういう意味でこういう、こうやってやるのか知らないけど、そういう風にここは論争の場ではありませんから、後で来てください。そんなことを言うんなら。 (問)責任を持った回答をしてください。 (答)責任持ってやってるじゃないですか。なんていう君は無礼なことを言うんだ。ここは公式の場なんだよ。 (問)そうです。 (答)だから、何だ、無責任だって言うんだよ。 (問)ですから、ちゃんと責任…… (答)撤回しなさい。 (問)撤回しません。 (答)しなさい。出ていきなさい。もう二度と来ないでください、あなたは。 以上である。二人の議論は嚙み合っていない。自主的に避難した人たちに「6年間」も援助を行い、それが、打ち切られたことに、このフリーランスの記者は異議を唱えている。メディアはいつもの「ストローマン手法」 「帰れない人はどうするんでしょうか」「栃木からも群馬からも、千葉からも避難されています」「自己責任ですか」「責任を持った回答してください」……等、かなり強引な質問をおこなっている。これに対して、今村大臣は、「本人の責任」であり、「本人の判断」だと答えている。記者会見する今村復興相。フリーの記者に対し「うるさい」などと述べた=2017年4月4日、復興庁 政府の避難指示の範囲外から「自主的に」避難した人たちに対して、「6年間」も住宅援助してきたこと自体に驚く人もいるのではないだろうか。このフリーランスの記者と自主避難者の論理は、福島は「これからもずっと人の住めない土地」であり、そのために援助が続けられるのは「当然だ」ということにあるのだろう。 しかし、風評被害に苦しむ福島では、懸命な調査によって集められた科学データが、その手の偏見を打ち砕きつつある。福島県内の大半の地域で、放射線量は日本の他のどの地域とも変わりはしないという客観的事実が浮かび上がり、地元紙の福島民友新聞には、毎日の朝刊に、県下286か所での放射線量の測定数値が掲載されている。 だが、福島県内の線量が正常値を示し、復興してくれては困る人たちも現に存在している。それらを「都合の悪い数値」と捉える人もいるのである。いまも、数値的になんの問題もない地域から自主的に避難している人々には、これらの「数値」はどう映っているのだろうか。それらは、「援助を出せ」と迫る根拠を失わせるものであることは間違いない。 この質問の中で、フリーランスの記者は、「群馬」や「栃木」、「千葉」からの避難者に対しても「帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか」と質問している。 きっと今村大臣は、「なんで、そんな人まで……」と思ったに違いないが、それでも丁寧に答えている。本来は、会見を仕切る役所の人間が、その時点で質疑をストップさせるのが当然だろう。 もう、大臣とやりとりするような話のレベルではないからだ。しかし、それを怠ったところから、今回の事態が惹起(じゃっき)されたことがわかる。 「群馬」や「栃木」、「千葉」からの避難者に対しても、私たち国民の税金から援助をしなければならないのだろうか。そもそも、なぜ「群馬」や「栃木」、「千葉」から避難しなければならないのか。風評被害に苦しむ福島の人々の姿を知る私には、とても納得することはできない。しかし、日本の新聞は、これらを以下のように報じている。 朝日新聞 〈「切り捨てたい国の本音」 自主避難者ら反発 復興相発言〉(4月6日付) 〈今村復興相 避難への無理解に驚く〉(同日社説) 毎日新聞 〈「自主避難者帰還は自己責任」 復興相発言、野党が批判〉(6日付) 〈復興相発言「悲しい」 自主避難者ら抗議次々〉(同) まともに報じれば、大臣側に同情が集まる可能性がある。そこで、各メディアは、いつもの「ストローマン手法」を用いて、できるだけ今村大臣への怒りが増幅されるように記事を仕立て上げている。 しかし、そんな日本の新聞やテレビのやり方は、とっくにバレている。ネットでは、フリーランスの記者の質問内容に対して、喧々諤々(けんけんがくがく)の論争が巻き起こっている。新聞が、とても「若者の信頼」を勝ち取ることができないメディアになり果てたことを「再確認」させてくれる出来事だったことは間違いない。

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    まだいうか、安倍ファシズム! 偏向に満ちた欧米メディアの対日報道

    外マスコミにおける日本のイメージ」という研究報告をまとめています。 私が長年、ワシントンでアメリカの政治や外交を取材して感じるのも、まさに対日報道の在り方に問題がある、という点です。とくに『ニューヨーク・タイムズ』などリベラル系のメディアでは、日本に関する偏見に近いイメージから報道が行なわれており、アカデミズムの領域でも、なぜか日本研究に携わるアメリカ人学者のなかに誤った対日イメージをもつ人が多い。 たとえばアメリカのメディアは、安倍晋三首相に対して「右翼」や「軍国主義者」「歴史修正主義者」など侮蔑的なレッテル表現で再三、批判をぶつけてきました。しかも根拠が不明のままに、です。今村復興相辞任について記者の質問に答える安倍首相=4月26日午前、首相官邸 これは安倍氏個人のみならず、日本の国際的なイメージを貶めており、とうてい看過できません。キンモンスさんはどのように感じていますか。キンモンス 私も、安倍首相を「ファシスト」や「ナショナリスト」などと表現する記事を数多く目にしてきました。最近はトランプ大統領が悪役になっているおかげでだいぶイメージが改善しているようですが(笑)。しかし、おっしゃるように欧米ではいまだに安倍氏をファシズムやナショナリズムの文脈で語っています。 しかしそもそも、政府のリーダーがナショナリストではない国が世界に存在するでしょうか。あったとしたら、そのほうが問題です。また、アメリカのアカデミズムでいわれる歴史修正主義者(revisionist)とは、むしろ伝統的な歴史観に異を唱えるリベラルな学者を指すことが多い。日本では右翼に対して「おまえは歴史修正主義だ」と批判することが多いですが、アメリカとは言葉の使い方が逆です(笑)。古森 ちなみに、日本の左翼とアメリカのリベラルも少し意味合いが異なりますね。アメリカでは、日本の左翼のように共産主義者や社会主義者のことではなく、自由でオープンだけれども政府が大きな役割を果たす社会とか、伝統的な価値観や歴史に批判的な人びとをリベラルと呼んでいる。その意味で、キンモンスさんも決して右翼でも左翼でもないということになりますかね(笑)。 私は、NBR(TheNationalBureauofAsianResearch)というインターネット上の論壇サイトでキンモンスさんのことを知りました。NBRに寄せられる批評の論調も全体としては対日批判が色濃く、私自身もバッシングの対象になったことがあります。しかし、そのなかでもキンモンスさんのコメントは冷静で、「アメリカの日本研究者にもこれほど歪みのない視点をもった人がいるのか」と知って驚いた記憶があります。キンモンス 私は長くイギリスに住んでいた経験から、ヨーロッパの常識的な見方からして、安倍氏は中道右派(centerright)である、と思っています。彼のことを右翼(rightwing)と呼ぶのは、日本の街中で軍服を着て大音量で軍歌を流す車に乗っている人、というイメージ。イギリスやアメリカでrightwingというのは「最小の政府こそ最善である」と考え、「小さな政府」を推進する人たちのことです(たとえばイギリスのサッチャー元首相など)。具体的には、民営化や規制緩和による財政削減をモットーとする政治家などを指します。 もし仮に安倍首相がアメリカの定義でいうところの「右翼」であれば、彼はただちに日本の国民皆保険制度を廃止して人工妊娠中絶を禁じ、教室での祈禱を法制化して銃の所持を解禁することでしょう。しかし、これらはどれも安倍首相の政策には当てはまりません。彼を「ファシスト」ということさえあるアメリカのメディアは、たんに安倍氏を批判したいために安直な言葉を持ち出しているにすぎない気がします。「日本会議は圧力団体」はナンセンス古森 おっしゃるように、アメリカの一部メディアは安倍氏を批判するため、意図的に悪意のあるレッテル貼りを行なっています。その結果、いまや日本に関する偏向報道は安倍首相にとどまらず、その周辺にまで及んでいる。たとえば憲法改正を掲げ、安倍政権を支援する日本会議という民間団体があります。アメリカのメディアは、あたかもこの団体が安倍政権を裏で動かしているかのように「日本会議が日本の政治を支配している」と書いています。また同じ歪みの傾向として「日本政府は言論を弾圧している」「日本の改憲の動きは軍国主義の復活だ」などと報じています。アメリカの『THE DAILY BEAST』なるメディアに至っては、日本会議について「日本を裏から操るカルト」という見出しの記事を載せ、日本会議をカルト教団呼ばわりさえしている。カルト(cult)というのは、日本でいえばオウム真理教のようなテロまで行なう集団のことですよ。きわめて悪質で異常な報道といわざるをえません。キンモンス まったくナンセンスですね。その種の外国メディアは「日本会議は政権を動かす圧力団体」と報じていますが、日本会議の会員数は約3万8000人だそうです。全米ライフル協会の会員数をご存じですか? 400万人ですよ(笑)。こういう組織こそ「圧力団体」というのであって、先ほどの右翼の例と同じく、言葉の意味を理解しないまま批判の道具に使っている。事実すら伝える力がない日本のメディア事実すら伝える力がない日本のメディア古森 欧米のリベラル系メディアが、事実を曲げてまで日本叩きや陰謀説を繰り返し流す理由はどこにある、と考えていますか。キンモンス 安倍首相や日本という国がいくら批判しても反撃してこない、都合のよい対象だからではないかと思います。たとえばアメリカの新聞やテレビがアメリカの政治家を批判すると、反撃を受けることが多い。とくにトランプ大統領の場合は、即座に彼のツイッターや記者会見で「偽メディア」という反撃が返ってくる。その点、日本は安全です。それでおとなしい日本を批判し、自分たちが進歩的な言論を行なっているという自己満足に浸っている。そうした歪んだ心理構造があるのではないか、と私は考えています。古森 それは納得のいく説明ですね。その一方で、日本のメディアは現地で取材もせず、ひたすらアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』、3大テレビネットワーク(CBS、NBC、ABC)のようなリベラル系メディアの流したニュースを輸入して再生産しているだけです。だから、アメリカ国民の本当の声がまったく伝わってこない。キンモンス アメリカ人の民意が日本にあまり伝わっていない例として、2017年1月にトランプ大統領が発表した移民の入国禁止令が挙げられます。トランプ政権が行なう移民政策については、さまざまな意見があります。アメリカのある世論調査では国民の49%がトランプ大統領の政策に賛成しており、反対の41%を上回っている。しかし、日本の新聞、テレビはこうした側面よりも大統領令に反対する人びとの動きのほうを大きく取り上げていました。古森 まさにそのとおりで、いまキンモンスさんが挙げた数字はロイター通信によるインターネット調査の結果ですが、ギャラップなど他の機関が行なった世論調査でも、総じて移民入国禁止令への賛成が反対を上回っています。ラスムセンという大手世論調査会社の結果に至っては、賛成が57%、反対が32%という大差がついている(例外はCNN調査で、53%が反対)。日本では衛星放送・ケーブルテレビで比較的、流れているのでCNNの認知度が高く、鵜呑みにする人が多いのですが、本国のアメリカではFOXと比べて半分以下の視聴率です。完全に傍流メディアの位置付けですよ。 ところが日本のメディアはトランプ大統領の移民政策をめぐる議論以前のレベルで、事実を伝える意欲がないようなのです。アメリカの左傾メディアの受け売り報道を行なっているのです。結果として、大統領選挙のときはトランプの勝利を読み誤り、それでもなお懲りずに、いまだにトランプ大統領や安倍首相を叩いて進歩派気取りで溜飲を下げている。日本の報道がこのレベルに留まっているうちは、韓国や中国が繰り出す「日本は軍国主義の戦争犯罪国である」「安倍首相は20万人の性奴隷の罪を認めよ」という偽りの宣伝に抗し、正しい歴史を世界に向けて発信するのは無理だといわざるをえません。はっきりいえば人種差別的な思想はっきりいえば人種差別的な思想キンモンス 先ほどお話しした日本に対する欧米メディアの報道の歪みは、政治だけではなく、経済・経営論においても顕著だと私は考えています。出生率の低下やひきこもり、離婚率の上昇といった社会的な現象だけではなく、たとえば日本で企業の不祥事が起きると、イギリスやアメリカのメディアは必ずといってよいほど、それらを「日本人の文化」のせいにする論調があります。 たとえば2010年1月にトヨタ自動車がカローラ、RAV4、カムリなどのリコール(回収・無償修理)をアメリカで発表したとき、英語圏のメディアには「日本人の無責任体質」といった文化・風土に基づく批判的論評が山ほど掲載されました。2017年の現在に至っても、欧米メディアの風潮は基本的に同じです。たとえば東芝の巨額損失が報道されたときも、「頼まれたら断れないという日本文化」が目標達成のために架空の売り上げを計上する粉飾決算の体質を生んだのだ、というふうに。 ところが他方、アメリカの企業で不祥事や不正が発覚しても、その理由として文化という言葉はいっさい出てこない。たとえば2014年、GM(ゼネラル・モーターズ)のリコール隠しが問題になりました。イグニッション(点火)スイッチの不具合によって死者が出ていたにもかかわらず、GMはそれを発表しなかった。しかし、この事件をアメリカ人の文化のせいにする論調は皆無でした。この差はいったいなぜ起きるのでしょうか。古森 悪しき日本文化原因論や、はっきりいえば人種差別的な思想に基づくアメリカの「日本人特殊論」「日本異質論」は1980年代からあったように思います。徹夜で働く日本のサラリーマンや、都会の満員電車の光景をテレビで流して揶揄するというのもその一端でした。「アメリカ人には文化がない」キンモンス そこでいま、私が慶應義塾大学で行なった講義や研究を基に構想中の本があります。タイトルはAmericansAin’tNoCulture。古森 日本の読者に向けて説明すると、「ain’t」という言葉は「amnot」や「aren’t」「isn’t」「hasn’t」「haven’t」(「~がない」「~をもっていない」の意)を全部ひっくるめた省略語で、単数形も複数形も気にせずに使えるスラング的表現のことですね。キンモンス 要するに、下品な言葉遣いのことです(笑)。古森 キンモンス先生の本のタイトルを直訳すると、「アメリカ人には文化がない」。おまけに「ain’t(=not)」と「no」が重複しているから、文法上も間違っています。二重の意味であえて下級で下品に響くタイトルになっているわけです(笑)。もちろん皮肉を込めているからです。 しかし個別の特殊な事例を日本人全体、日本全体の文化のせいにして日本人を貶めるのは間違いです。アメリカの過激な日本研究者たちが「日本軍の組織的な強制連行による20万人女性の性的奴隷化」といって日本を糾弾した背景にも、日本人は女性の人権を軽視する文化的に遅れた民族だというジェンダーフリー思想に基づく対日差別があります。こうした誤った見方に対しては、日本国民を代表するという意味で日本の政府機関がまず正式に反論するべきです。日本のメディアも徹底抗戦しなければならない。キンモンスさんのように良識ある学者が世界にいることを励みに、私も微力ながら発信していきたい、と考えています。関連記事■ 日本の尖閣認識はアメリカ以下だ■ 学歴エリートではない安倍首相だからこそ発揮される強みと個性■ 韓国に圧倒される日本の対外発信

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    失言政治家の謝罪会見 赤いネクタイには要注意

    人をピックアップ。記者会見などでの表情や仕草から、その人物の深層心理を推察する「今週の顔」。今回は、政治家のネクタイの色に注目。* * * 閣僚の失言が止まらない。今月初め、今村雅弘復興担当相がフリーの記者の質問に激高し謝罪したばかりだが、今度は山本幸三地方創生相が、滋賀県の講演で「一番のがんは学芸員」と発言し謝罪した。今年の2月には、金田勝年法務相の曖昧な答弁と失言が大きな問題になったばかり。ということで、失言大臣たちの心の内を、そのネクタイの色を中心に分析してみる。 まずは今村復興相。記者の質問に自主避難は「本人の責任」と答え、「自己責任か?」と問い直されると表情が強張る。「責任」という言葉を無自覚に用いたことに、まずいと気がついたのだろう。さらに詰め寄られると、一気に感情を爆発させた。この会見で、今村氏が締めていたのはエヴァンゲリオンのネクタイ。エヴァの制作会社が福島にあり、プレゼントされた今村氏には応援の意味があったという。 失言当日の謝罪会見、今村氏が締めたのは淡い緑と紺の柄のネクタイ。福島への応援や復興への意気込みのはずだったエヴァのネクタイはあっけなくはずされていた。淡い緑は感情を落ち着かせる色であり、謙虚さや調和、平和をイメージさせる色である。気持ちを穏やかにし反省を示すにはいい色だが、自主避難者の方々への謝罪でもあるなら、なぜわざわざ替えたのか? 数日後の閣議後会見、再び謝罪した時に締めていたネクタイは淡いピンク。淡いピンクは柔和、思いやり、細やかな気配りを印象づけたい時に身につけるといい色で、謝罪する気持ちがあるという印象は与えた。だが本当に復興を考えているなら、ここでこそエヴァのネクタイだったはず。演台の前に立ち、エヴァのネクタイをまっすぐに締め直して襟元を正し、大きく深呼吸してから謝罪する──これぐらいの印象操作ぐらいはできてほしいものだ。 山本創生相の場合も失言翌日、記者たちの前に現れた時のネクタイはピンク。だがこちらはショッキングピンクに赤い柄だ。それも曲がって締められている。顔には唇が見えなくなるほど口元をしっかり結んだ渋い表情を浮かべていたが、派手なピンクに曲がったままのネクタイで謝罪とは…。 このピンクに赤の色合いを見ると、本当は赤にしたかったが、とりあえず今日はピンクにしておこうという意味に取れる。ピンクは赤の代用であり、気持ち的には赤を選んだのと同じだ。パワーのある赤を選んでしまうワケ 赤のネクタイといえばトランプ大統領が思い浮かぶ。選挙中や勝負時の赤は成功の可能性をアピールし、積極的、攻撃的、情熱的、リーダーシップをイメージさせる。赤はそんなパワーのある色だが、同時に人の心に恐怖や脅威を呼び起こして威嚇し、回避行動を取らせる色でもある。 ショッキングピンクを選んだ山本氏の心中を推測すると、謝罪は建前、自分の失敗に対してあれこれ突っこむなと牽制したかったのだろう。とりあえず発言を撤回し謝罪するも、質問する記者たちの顔を見ながら、「二条城では書道もお茶もお花もできない」という自分なりの問題意識を主張したのだ。 さらに次の日、閣議後の記者会見で山本氏が締めていたのは、なんと鮮やかな赤のネクタイ! 閣議後の記者会見ではいつもこの赤のネクタイ姿だが、菅官房長官が苦言を呈していたこともあり、今回ぐらいは変えるだろうという予想を見事に裏切った。 というのも強い赤を身につける人は、地位の高さを印象づけたいという気持ちがあり、権力欲、支配欲、顕示欲が強いほど強い赤を好むといわれる。強い赤は激怒の色でもあり、謝罪に最も向かない色だ。彼の心にあったのは反省よりもいら立ち、怒りではないだろうか。 主張の間違いがマスコミで指摘された山本氏は、度々、口角に力を入れ、唇が見えなくなるほど巻きこんで口先をふくらませ、眉を下げて不満と怒りの表情を見せた。発言中も一切、記者たちの顔を見ない。だが、自身が関係する書道教室の先生が、一昨年、二条城でパフォーマンスをやりたいと申し入れたが断られたと話すと、口を一文字に結んであごを上げ、「さあどうだ」と言わんばかりに、記者たちを上から目線で見回したのだ。 あぁやっぱり…である。講演での発言を聞いた時、「がんは学芸員だ」に続けて、「この連中を一掃させなければならない」と、「この」という言葉に力を込め強調して述べていたのが気になった。その声音にこもった強い怒りや憎悪の感情と「がん」という言葉使い。やはり学芸員の誰かに対する個人的恨みや嫌悪感が根底にあったのだ。この時、締めていたのも赤のネクタイ。赤は心の奥底にある感情と関係する色でもある。 さて赤といえば、金田法相も赤いネクタイがお好みのようだ。国会答弁に何度となく赤いネクタイを締め、ふてぶてしく登壇している。金田氏といえば、共謀罪に関してまともな答弁ができないどころか、「私の頭脳が、対応できない」という発言に驚いた人も多いだろう。 赤とこの発言にどんな関係があるのか?と思われるだろうが、赤い色には複雑な認知的活動を阻害し影響を与えるという研究結果があるといったら、納得できるはず。もちろん例外もあるが、心理学者のアンドリュー・J・エリオットらの研究グループによると、赤は身体を使う課題のパフォーマンスは向上させるのだが、頭を使う課題のパフォーマンスには悪影響を及ぼすというのだ。 …つまり、赤のネクタイを好む政治家には、要注意ということだ。関連記事■ ピンクの服で入学式出席親子 即座に「林家ぺー」の渾名つく■ 渡辺恒雄氏 好きな「渡鬼」見るため木曜夜は自宅直行してた■ スーパークールビズ 派手柄、ハーフパンツ、サンダルNG■ 仙谷氏 防災服の上から同系色のネクタイ出すコーディネート■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意

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    辻元さん、総理と同じことが起こってますよ

    民進党と産経新聞が因縁バトル―。つい最近、ネット上にはこんな書き込みが飛び交った。森友学園問題を奇貨として追及を続けた民進党だが、所属議員の辻元清美氏に疑惑が飛び火するや、これを報じた産経新聞に猛抗議したのである。この際、はっきり申し上げます。辻元さん、本当に安倍総理のこと言えますか?

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    「森友劇場」はもう飽きた! 辻元問題を黙殺した嘘つきメディアの大罪

    る。閣議を終え、記者の質問に答える稲田防衛相=2017年3月、首相官邸 蛇足ながら拙著最新刊『日本の政治報道はなぜ「嘘八百」なのか』(PHP新書)に巻かれた帯のコピーを借りよう。「迫り来る危機をなぜ報じない!?」。与野党の国会議員にも、こう聞きたい。迫り来る危機をなぜ論じない!? もう、森友劇場は閉じよう。私は見飽きた。もはや国会の質疑に興味もわかない。

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    辻元さん、あなたに安倍総理と同じ「悪魔の証明」ができますか?

    016年2月3日の衆議院予算委員会の場で、甘利明前経済再生相の現金授受問題に関し、TPPなどの政策が政治献金で左右されていたのではないかとの可能性を指摘した民主党の岡田克也代表(当時)と以下のやりとりがあった。岡田「首相が本会議場で安倍内閣の政策が、政治献金で影響を受けることはないと断言されたから言っている。断言された以上は、その根拠を示さなければならないのはあなたではないか」安倍「ないことをない、と証明するのは『悪魔の証明』だ。あるんだ、と言うんだったら、あるということを主張している側に立証責任がある。当たり前じゃないですか。私はないものについてはないと言う以外はないじゃないですか」「森友問題」が「籠池問題」にすり替わり 野党の追及に対し、総理は「悪魔の証明」という言葉を使うことが多いようだ。その是非はともかく、今回期せずして野党の辻元議員に説明責任が生じた格好だが、もとはといえば民進党の国会対策の稚拙さがなせる業である。「森友学園問題」は土地取得の経緯、特に大幅なディスカウントが行われた経緯の不透明さがそもそもの始まりだったはず。それが籠池氏を国会に証人喚問したものだから、いつの間にか「籠池問題」にすり替わってしまった。 今の焦点は昭恵夫人が100万円の寄付をしたかしなかったかとか、辻元議員が嘘をついているかどうかとか、本題から外れた議論で「場外乱闘」状態となっている。今後、籠池氏の告発やら、昭恵夫人や夫人の元秘書らの証人喚問などということになれば、国会の権威は地に堕ち、国民はあきれるどころか失望するだろう。早晩、この問題を正常な議論に戻すべきだ。 森友学園周辺の土地は沼地であり、長年ごみが大量に捨てられていたという。だから廃棄物処理をしなければならないということと、その費用を国が負担することに大きな違和感はない。しかし今回のケースは、国有地払い下げの金額が極めて格安で、貸借の契約から購入するまでのプロセスが異例な形を取っていた。したがって、財務省や国交省を中心とした契約の中で政治的圧力があったのではないか、との疑惑が持ち上がったのだ。 また、森友学園の隣の(市有地にある)野田中央公園は、確かに額面は約14億2千万円だが、国庫補助金、特別交付金が約14億円入っており、豊中市が実質負担したのは約2千百万円だった。この問題について民進党は当初全く触れずに「隣の公園は14億円、森友学園は1億円」と追及していた。巨額な国庫補助金や交付金が出た経緯と理由をしっかりと追及していたら、国民の見る目も違ったのではないか。学校法人「森友学園」の取得用地(左)。右(赤枠)は豊中市が公園用地として購入した国有地(野田中央公園)=大阪府豊中市(本社ヘリから) 「森友学園問題」は安倍政権に少なからず打撃を与え、内閣支持率を下げることに貢献した。しかし、民進党の支持率も同時に下がっていることを民進党の執行部は深刻にとらえた方が良い。「辻元議員を追及すれば、安倍政権は墓穴を掘る」などという楽観的な声も民進党内から聞こえてくるが、今の国会での民進党の戦略を見る限り、ダメージは民進党の方が大きいと思う。生活と安全保障を議論せずに何の国会か 野党が絶えず攻め続けなければならないのは自明の理だが、相手に「悪魔の証明」を持ち出されて逃げられては元も子もない。言い逃れができないように証拠を固め、不正があるなら「ある」と立証する必要がある。それを行わず、「籠池発言」や「籠池夫人のファクス」など信頼性に疑問符が付くものを盾に取り、相手を追い詰めようとするのは悪手としかいいようがない。3月28日、参院決算委で民進党の斎藤嘉隆氏の質問に答弁する安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) そうこうしているうちに過去最大の平成29年度予算はすんなり通り、「共謀罪」法案や「働き方改革」関連法案の議論も進まない。それどころか、北朝鮮が近いうちに核実験やICBM(大陸間弾道ミサイル)発射を行う可能性が浮上している。私たちの生活と国家の安全保障に関する問題を議論しないで、何の国会か。民進党ら野党には猛省を促したい。 同時に安倍政権側も野党の疑惑に正面から向き合い、出すものは出して疑惑解明に真摯に取り組むべきだ。政治的圧力があったのかなかったのか、そこに違法性があるのかないのか。国民の知りたいことはその一点だ。このまま不毛な議論を国会で続けると政権の信頼性も毀損し続けることを申し添えておく。国政に影響を与える都議会選挙も7月に控える。悠長に構えている時間は、ない。 最後に、テレビにも苦言を呈しておく。朝の一部の民放ワイドショーなどは、毎日1時間近くこの問題を扱っている。ほかに扱うテーマがあるだろう、と言いたくなる。先に述べた私たちが本当に知りたい重要な問題を取り上げず、「籠池問題」にかまけていると、視聴者も辟易(へきえき)して離れて行ってしまうだろう。

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    森友騒動を煽ったメディアに言論の自由を語る資格はあるか

    る騒動が大きな話題になっている。しかし、問題点が明確ではなく、インターネットなどでは、一部の関係者や政治家の発言を裏取りせず、そのまま報じるメディアに対して強い不満の声も上がり始めている。当初、贈収賄事案のように報じられたこの問題であるが、籠池氏側から安倍総理などへの献金事実は確認できず、違法性が確認できない事態に陥ってしまっている。しかし、このような状態になっても、野党の一部は総理周辺の証人喚問を求め、政権への批判を繰り返している。参院予算委の証人喚問で、本人確認のため挙手する籠池泰典氏=3月23日 また、当初の疑惑であった土地代金に関しても、産廃処理費用や周辺の土地の売買実態から見て、著しく安いわけではなく、逆に高いぐらいであるという意見も出始めている。また、産業廃棄物の処理に関しても、籠池氏側は適正だとしており、籠池氏の妻から安倍総理夫人に送られたメールでは、メディアへの証言者による捏造疑惑まで取り沙汰されている。 一つはっきりしていることは、籠池氏が安倍総理の名前や陛下の名前を勝手に利用して献金を集めていた事実であり、この点に関しては、政治家側に責任を問うのは難しいといえる。つまり、政治家側に違法性が確認されない状況でありながら、まるで大きな問題であるかのように騒ぎ続け、一部のメディアはそれを煽ったわけである。そして、違法性を問えなくなった時、それを誤魔化すために多用されたのが「忖度(そんたく)」という言葉であり、それがまるで違法行為のように伝えられていることに大きな問題がある。 わが国の憲法では、憲法16条により「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と請願の権利を認めており、差別待遇すらも否定している。決して籠池氏を擁護するわけではないが、籠池氏も立派な日本国民であり、請願権を有しているのである。この点に関して、籠池氏やその請願を受けた政治家を責めるべきではない。共産党の請願紹介は全体の6割 基本的に、請願や陳情を受けることは国民の声を政治に反映させるための大切な手段であり、そこに贈収賄などの違法性がない限り、否定してはいけないものなのである。ちなみに、国会請願紹介の首位は共産党であり、共産党の機関紙「赤旗」でも 先の第190通常国会(1月4日~6月1日)に提出された請願署名のうち、日本共産党国会議員団が紹介議員になって提出した請願署名は2541万4000人分に及び、請願署名全体の63・56%を占めました。政党のなかで断然トップで、自民党(10・81%)、公明党(1・17%)を大きく上回っています。草の根で活動し国民の運動と全国各地で結びつき、ともに要求実現に取り組む日本共産党の姿が鮮明に浮かび上がっています」(2016年6月17日 しんぶん赤旗) と自画自賛している。確かに、あっせん収賄などの場合、その政治家に権限があったかどうかがその判断基準になるが、著しく高額であったり不正な金をもらっていなければそれを批判することこそが憲法違反であるといえるわけである。そして、それを許せば政治が間違った方向に誘導されることになってしまうのである。3月9日、報道陣の質問に答える籠池泰典理事長=大阪府豊中市 また、学校法人としての資金面などでの問題と教育内容に関しては、別に考える必要があり、私立学校に関しては、法の認める範囲で一定の自由が認められているわけである。教育基本法では(私立学校)第八条 に「私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない」と定義しており、一定の自由を認め、過度の行政や政治家などによる介入を否定している。 これは公立学校も同様であり、行政や政治家が直接指導する形ではなく、教育委員会を設けることで公平性を保っているわけである。そして、これを否定するならば、全国の学校法人を平等に評価するべきである。またそれを認めるならば、教育理念に宗教的価値観を含むすべての宗教系学校も批判すべきなのであろう。それは、教育の自由を著しく損ねるものであり、宗教思想の自由を制限するものでもあり、それこそがファシズムそのものなのであろう。 日本では近年、リベラルを名乗る他人の人権に興味がない人権派や暴力的な平和主義者などがさまざまなところで権利ばかりを大声で騒ぎ、一部のメディアと結託して、それを社会問題化させようとしているように思う。その典型が今回の森友学園問題であるのだと思っている。そして、それは絶対に許されない行為であり、自由を守るためにもそれを否定し続ける必要が、今まさにあるように思えてならない。     最後にフランスの哲学者、ヴォルテールの有名な言葉で締めくくりたい。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。これこそがリベラルであり、言論の自由を守るメディア本来の役割なのである。※4月5日午前7時~11時ごろにかけて、記事内に関係のない文言を誤って掲載してしまい、当該部分を削除いたしました。読者及び関係者の皆さんにお詫び申し上げます。

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    民進党はあくまで「隠れ蓑」 森友学園に絡む左翼勢力の闇

    【杉田水脈のなでしこリポート】 50日もの長きにわたり国会の委員会とテレビのニュース情報番組を「ジャック」してきた森友問題もそろそろ終焉に近づいてきたようです。昭恵夫人と森友学園理事長の妻・籠池諄子氏のメールが全文開示され、火種は民進党に飛び火しています。 インターネット上では、メールの中に書かれた辻元清美代議士の行動や背景を報道しないマスコミの隠蔽体質について非難する声が上がり、さすがのテレビや新聞も無視することができなくなってきたようです。が、未だ辻元氏が幼稚園に行ったかどうかといった表面的な報道に過ぎず、その背景について深入りはしていません。 今回の件、表に立って目立つ「民進党」はあくまでも隠れ蓑です。 まず、学園の小学校建設地に隣接する「野田中央公園」について。もともと国有地であった土地を平成22年3月に豊中市が購入。国との契約金額は14億2386万3000円でしたが、計14億262万円の国庫補助金などを得て、最終的に市の負担は2124万3000円であることが確認できます。これは民主党政権発足から間もない時期で、辻元清美氏はこの年の5月まで国交副大臣でした。当時、彼女は民主党ではなく、連立を組んでいた社民党に所属していましたが、社民党の連立離脱に伴い7月に社民党に離党届を出し、8月に受理されています。そして9月には民主党に入党するのですが、彼女の支援団体は社民党の頃からほとんど変わっていません。今回メールの中に出てくる「関西生コン」との関係も社民党時代から継続しているものです。森友学園の小学校建設予定地の視察を行う辻元清美議員=2月28日午前、大阪府豊中市(永田直也撮影) 「関西生コン」は正式名称を「連帯ユニオン関西地区生コン支部」と言い、関西を拠点にする労働組合です。もともと日本共産党の影響が強い全日本運輸一般労働組合(運輸一般、現・建交労)に加盟していましたが、闘争方式を巡り党と対立、運輸一般を脱退して独立し、現在は社民党や新社会党の支持団体となっています。本人は献金以外の関係を否定していますが、辻元清美氏の地元の強力なバックとみられます。今年の新春旗びらきでは、社民党の福島瑞穂副党首とともに彼女が挨拶をしています。 その連帯ユニオンのホームページを見てみると、関西に拠点を置く労組にもかかわらず、沖縄で行われたデモなどの活動報告が目立ちます。「関西生コン」との関係 ここに一枚のチラシがあります。 東京MXテレビの番組「ニュース女子」の問題で、BPOに内容の審議を申し立てた辛淑玉氏が出演した大阪で開催されたシンポジウムの案内です。連帯労組関西生コン支部委員長がパネリストとして辛淑玉氏と名前を並べています。沖縄の基地反対運動と森友問題に絡んだ左翼勢力が一本の線でつながります。東京MXテレビが放送した番組「ニュース女子」に対し、抗議の記者会見をする「のりこえねっと」の辛淑玉共同代表(右)ら=1月27日、国会 辛淑玉氏はヘイトスピーチに反対する目的で作られた団体「のりこえねっと」の共同代表です。のりこえねっとの共同代表は全部で23人。上野千鶴子(東京大学名誉教授)、宇都宮健児(前日弁連会長)、佐高信(評論家)ら著名人に交じって、部落解放同盟中央書記長、前部落解放同盟中央本部書記長らも名前を連ねています。今年3月にジュネーブで行われた国連人権理事会において、「(高江の基地移設反対運動のリーダーと言われている)山城博治を早く釈放しろ」「日本において少数民族である韓国人が、『ゴキブリ』と言われ差別されているのに、日本政府は何もしない」と訴えた前田朗東京造形大学教授も、のりこえねっと共同代表の一人です。 改めて、社民党の支援団体を見ていくと、自治労や日教組、全労協などの労働組合と部落解放同盟などの同和関係の組織が中心となっています。また、沖縄県は社民党の唯一の票田でもあります。 先日保釈された沖縄の平和活動家・山城博治氏は、沖縄平和運動センター議長という肩書を持っていますが、この沖縄平和運動センターの構成員の多くが社民党。その山城氏の後援会の運営資金の多くは社民党からの寄付で賄われています。また、山城氏は2度参議院選に立候補しており、1回目は社民党推薦、2回目は社民党公認で比例名簿の2位という位置づけでした。この時、部落解放同盟全国連合会は、「参議院選挙の比例区は 山シロ博治」と書くよう方針決定し、呼びかけを行っています。 この山城氏の釈放を訴えたアムネスティの声明文を読み上げたのは、バンクーバー9条の会の乗松聡子氏です。1月31日付の沖縄タイムス、琉球新報には雨の中で声明文を読み上げる彼女の姿が掲載されています。拙著「慰安婦像を世界中に建てる日本人たち」の中で、カナダのバンクーバーで「うりずんの雨」という沖縄の基地反対運動を美化する映画が上映されていたことを書き、彼女の活動を紹介しています。この映画の中には日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」が運営する「女たちの戦争と平和資料館」が出てきます。慰安婦問題のユネスコ登録の主導権を握っている団体ですが、この資料館がある住所が「西早稲田2-3-18」、左翼の巣窟と呼ばれるところです。差別を作る「被害者ビジネス」 月刊「Hanada」5月号の中で、西岡力麗澤大学客員教授が、辛淑玉氏の履歴と活動歴をまとめています。彼女は2000年、当時の石原慎太郎都知事の「三国人発言」に対して「在日コリアンに対する侮辱」とレッテル張りをし、「石原やめろネットワーク」という市民団体を立ち上げています。この「石原やめろネットワーク」の本部も「西早稲田2-3-18」で登録されていました。沖縄問題や在日問題、そして慰安婦問題もまた一本の線でつながるのです。 2015年7月、国連の女子差別撤廃委員会の準備会合に初めて参加し、日本から参加している日弁連をはじめとするNGOの反日発言に驚きました。中でも一番びっくりしたのが、「日本には激しいマイノリティ差別がある。アイヌ民族、同和部落、在日韓国人・朝鮮人、そして琉球民族だ」という発言です。そのような差別を日本での生活の中で実感したことがありません。まさに自ら差別を作り出す「被害者ビジネス」だと感じました。 これらのマイノリティ差別を利用した被害者ビジネスを国内で実施している人たちも、慰安婦問題などの反日プロパガンダを世界で広げる人たちもすべてつながっているという事がお分かりいただけたと思います。 その最大のノイジーマジョリティである社民党、共産党が、マスコミを利用して世論を扇動したのが今回の森友問題であると言えます。その背後に存在するのは、在日団体や部落解放同盟です。森友問題、アパホテルやニュース女子に対する攻撃。組織は複雑に絡み合っていますが、やっている人間は同じなのです。杉田水脈(すぎた・みお) 昭和42年4月生まれ。鳥取大農学部林学科卒。西宮市職員などを経て、平成24年に日本維新の会公認で衆院選に出馬し、初当選。平成26年に落選後は、民間国際NGOの一員として国際社会での日本の汚名をそそぐために活動を続けている。好きな言葉は「過去と人は変えられない。自分と未来は変えられる」。

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    森友騒動が国益を毀損する 「パワー系ネット右翼」に手を振るな

    ある。国会で「証言」する籠池氏(写真:ロイター) 資本主義的営利という「損得」を追及するなら、無難な政治的に無色の幼稚園や小学校(院)の運営を志向するのが当然のはずだ。損得勘定ができず、他者からの批判をすべて「反日メディアの工作」「在日韓国・朝鮮人の仕業」と決めつけ、頓狂なイデオロギーに突き進むところが、彼らの異様な直進性を表している。だから「嘘を言えば罪に問われる場で、ウソを言うはずはない」という損得理論は、籠池氏には通用しないと私は考える。 同学園の塚本幼稚園と籠池氏は5,6年前から一部のネット右翼界隈で有名であったが、当時世間的には知名度はゼロに等しかった。この種の、小ブルジョワともいうべき中小の自営業者が後天的に右派的な世界観に「目覚め」ることはよくあり、また本件ではその「覚醒」のエネルギーがたまたま幼稚園・小学校(院)など教育方面へと向かったというだけで、籠池氏のようなネット右翼的世界観を有した小ブルジョワは、一般に可視化されていないだけで、この国の主要都市とその郊外に至る所に存在する。そしてすでに詳報したように、それを賞賛する一部の「保守系言論人」が毎度ルーチンの如く取り巻いている事もまた、よくある光景なのである。「パワー系ネット右翼」とは何か「パワー系ネット右翼」とは何か 私はこのような、当初どこにでもいるネット右翼だったものが、「保守系言論人」などの講演などの実績を梃子として、社会的に影響力を行使していく(かに見える)ようになるまでに成長したものを、「パワー系ネット右翼」と定義している。「パワー系」とは、巨躯・怪力など腕力自慢の登場人物やキャラクターなどを指すネットスラングだが、この場合の「パワー」とは、筋力ではなく社会的影響力の大なるを指す。 この「どこにでもいるネット右翼」が「パワー系ネット右翼」に進化する原因は、一重にも二重にもそれに恩典を与える存在、つまり増幅器の存在である。今回、籠池夫妻の例にあってのそれは、同学園の広告塔に使われた「保守系言論人」だが、やはり最大のものは安倍昭恵夫人(以下昭恵夫人)による名誉校長就任である。 並みの保守系言論人ではなく、「現職総理大臣の妻」が同学園最大の広告塔になったことにより、豊中の一介の小ブルジョワに過ぎなかった籠池夫妻が、社会的影響力を持った「パワー系ネット右翼」に変貌してしまった。この昭恵夫人の軽佻浮薄なる行為は、厳に批判されて仕方がないであろう。しかし、本件の端緒となった国有地払い下げ問題は、その妥当性についてもはや司法官憲に委ねるところにより、それ以上の追及に本質的意味があるとは思えない。森友学園の籠池泰典氏(左)と妻の諄子氏(右)=山田哲司撮影矮小化する国会と日本社会 山東議員が言うように、今上陛下の退位、テロ対策の方がより国家規模の喫緊の課題であろう。まさしく森友騒動で騒げば騒ぐほど、「籠池という人物が、よほどの大人物であるかのようになってしまう」(同)。籠池夫妻は「どこにでもいるネット右翼」が「パワー系ネット右翼」に進化しただけの存在にすぎず、到底大人物ではない。 こんな人物のために国会が空転し、本質的に議論すべき課題がなおざりになっているのだとすれば、著しい国益の毀損であるといわなければならない。ロッキード事件や、リクルート事件、佐川急便事件と比べると、騒動そのものの規模が著しく矮小化しているように思える。 どうせ国会で追及するのなら、疑惑の首魁がアメリカの軍産複合体とか上場大企業等であって欲しいものだ。豊中の一介の小ブルジョワを証人喚問するなど、まさに山東氏が指摘する「国会のレベルの低下」の象徴たる事例であろう。この騒動自体、20年続くデフレで経済のみならず精神すら矮小化してしまった日本人の象徴的事例、として後世記憶されるのではないだろうか。 国会の開催には、1日当たり3億とも、4億とも、5億ともいわれる運営費用が掛かっているという。国有地払い下げについて、評価額約9億5000万円の土地が約8億円値下げされた(疑惑)、とあるが、仮に8億円の疑惑の追及について1日あたり4億円使っているとすると、実にこの騒動が徒労なのかがわかろうというもの。この程度の、「パワー系ネット右翼」の証言の真贋を、雁首揃えてそれこそ、その真意を「忖度」しているのだから、開いた口が塞がらないとはこのことである。このような人物を、国会に招致すること自体が間違っている。森友騒動と社会的躁状態森友騒動と社会的躁状態 欧米のメディアを礼賛するわけではないが、CNNやBBCでは連日「トランプ政権とロシアの疑惑」を報じ、仏大統領選の行方が喫緊のテーマだ。万が一フランスで極右政権が誕生するとなると、「西欧近代の破壊」という歴史的変動を否が応でも目の当たりにするからである。豊中の「パワー系ネット右翼」を連日連日、こんなにも熱心に騒ぎ立てているのは、すわ異様の感すら覚える。 STAP騒動、芸能人や議員の不倫、桝添元都知事の支出、豊洲云々と来て森友…。こうしている間にも、減り続ける人口・出生率上昇を阻む待機児童の問題・将来に禍根を残す大学学費高騰問題や、周辺国のミサイル実験や軍拡への脅威など、真に、連日議論の俎上にのせられるべき問題はどこかに消えてしまっている。 森友騒動を見るたびに、この国が改革すべき巨大な悪や本質的巨悪に向き合わず、矮小化された卑近な騒動に対してのみ、近視眼的に躁状態になることに、着実に「日本国」のトレンド自体が衰亡に向かっていることを感じさせるのは、私だけの感覚なのであろうか。これは近年のハロウィン騒動にも通底するある種の社会的躁状態である。 国益を考えるときにイデオロギーの左・右の別はないはずだが、こうして「同胞」同志、相争いて少ない戦力をまっことどうでも良い事案に振り向け続け、気がついた時には取り返しがつかないほど、国力が衰微していくのが、繰り返されてきた帝国崩壊の道程なのだろう。 「―同じ仲間の意見対立は、敵に対するより執拗な憎悪を伴う」(バートランド・ラッセル)(2017年3月31日 Yahoo!ニュース個人「だれ日。」より転載)

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    行政調査権限は「犯罪捜査」のためのものと解してはならない

    郷原信郎(弁護士) 森友学園と籠池氏をめぐる事態は一層、異常かつ深刻なものとなっている。 一昨日出したブログ記事【籠池氏「告発」をめぐる“二つの重大な謎”】でも述べたように、籠池氏の衆参両院予算委員会の証人喚問での証言について、「偽証告発」をめざす調査が行われている。告発の権限を持つ各院の予算委員会とは無関係に、自民党の西村康稔議員らによって調査が行われ、「偽証の疑いがある」「事実が確定したら告発をする」などと表明されたのが3月28日。翌29日には、国会ではなく内閣の側の菅官房長官が国会で、「(証言が)事実と違ったら告発」などと答弁し、その日のうちに、大阪地検が、前日に補助金が全額返還されているにもかかわらず、補助金適正化法違反の告発を突然受理し、最高検又は法務省からのリークとも思える「籠池氏告発受理」の報道が大々的に行われた。 そして、昨日31日には、森友学園に対する大阪府による立入調査が大々的に報道された。塚本幼稚園幼児教育学園へ立ち入り調査に入る府の職員=大阪市淀川区 大阪府の松井一郎知事は、森友学園に犯罪の疑いがあるかのような発言をかねてから繰り返していた。「偽計業務妨害」「私文書偽造」等、なぜそのような犯罪が成立するのが全く理解できない罪名から始まって、補助金不正受給の「補助金適正化法違反」の疑いがある旨のコメントが繰り返されていた。 3月29日と31日の記者会見で、松井知事は、次のように発言している。(3月29日)知事)籠池さんのことは、補助金の詐欺の疑いとかそういうものがあるのなら、それはもう、最後は司法に任せてやるべきだと思う。大阪府とすると、来週、調査に入りますから、その調査結果においては、教育長の方でね。職員)明後日。知事)明後日。調査に入るんで、そこに明確な、そういう補助金に対して違法性があるのなら、これはもう、教育長の方は警察の方へ届けるということになるでしょう。記者)細かいんですけど、その刑事告訴・告発は、教育長が、大阪府知事として…知事)これは大阪府知事名で、教育長が代理人になると思います。だってやっぱりこれは予算の不正取得になるのでね。<中略>記者)確認なんですが、先ほど知事は国会の偽証罪での告発について「ええ加減にした方がええ」というふうにおっしゃっていましたが、告発は予算委で3分の2以上の賛成が必要ですけども、維新としては、賛成反対という議論についても加わらないということですか。知事)それは議論には入らないとダメだとは思いますけどね。そこは国会の対応なのでね、国会議員団の団長と幹事長が判断したらいいと思います。記者)今のところ、代表として賛成すべき、反対すべき、というのはありますか。知事)その、告発すること?記者)そうですね。知事)告発するのならやっぱり理屈というか理由がきちっと固まっていないとダメだと思いますけどね。まあでも僕は、大阪府としては、31日に調査に入れば、補助金の不正な搾取があれば、これは、知事としては、やっぱり府民の税金が不正に取られたということになれば、これはやっぱり警察・検察にきちっと申し立てはします。松井知事の発言に隠された意図(3月31日)記者)仮に今日の調査で事実と異なるですとか、虚偽があった場合、府の対応について現時点でいかがでしょうか。知事)これ教育長が判断することですけれども、やはり補助金を不正に取得されていたということになると、司法に判断を仰ぐような形になるんじゃないですかね。記者)刑事告発が既に受理されていてですね、そちらの方の捜査もおそらく始まっているだろうという中で、契約書の話はその辺すごく絡んでくる部分があると思うんですけども、その辺、どういう風に整合性を取っていくかというか、その辺どのようにお考えでしょうか。知事)いやもう整合性というか…この事実を知っているのは施主である森友さん側と、請負された建築会社、設計事務所、この皆さん方が誠実に真実を話すべきだと、こう思っています。記者)その刑事的な話が進んでいることを理由に、今回の調査を断られたりということは、想定されているんでしょうか。知事)まあ、誠実に対応されると、僕は思っています。記者)補助金の問題とも絡むんですけど、偽計業務妨害としても検討されていることを思えば、今回の立入調査の結果を踏まえて、それはもう最終的に結論を出すということですか。知事)そうですね。やはり立入調査で事実を明らかにしないと。 松井知事は、大阪府が森友学園に立入調査に入るのは、「補助金の詐欺」などの不正を突き止めることが目的で、調査の結果不正が明らかになれば、警察、検察に告発する方針であることを明確に述べている。「司法に任せてやる」「警察の方へ届ける」「司法に判断を仰ぐ」など表現は様々だが、大阪府の行為としては「告発」するということであり、さらに、「告発の名義人」を尋ねた記者の質問に答えて、「大阪府知事名で、教育長が代理人になる」とまで答えている。 もちろん、「調査の結果不正が見つかれば」と言っているが、不正が見つからなければ、そもそも告発も何も問題になるわけがないのであるから、それは当然のことだ。 松井知事の発言には、自分が行政のトップの立場にある大阪府の権限を使って、森友学園の犯罪を行政の手で明らかにしようという意図が露骨に表れている。 特に、31日の会見では、記者は国会での籠池氏偽証告発について、松井知事が反対するようなコメントをしていたことについて聞いているのに、自分の方から、大阪府の調査のことに話題を変え、「31日に調査に入れば、補助金の不正な搾取があれば、これは、知事としては、やっぱり府民の税金が不正に取られたということになれば、これはやっぱり警察・検察にきちっと申し立てはします」などと述べているのである。 また、既に補助金適正化法違反の告発を大阪地検が受理したと報じられていることから、記者が「刑事的な話が進んでいることを理由に、今回の調査を断られたり」と言って、「大阪府が補助金適正化法違反の事実を突き止めるために立入調査を行おうとしても、森友学園側が拒否するのではないか」という趣旨のことを聞いても、「誠実に対応されると、僕は思っています」などと述べて、そのような拒否はさせない、大阪府の調査に対しては「誠実」に対応するのが当たり前だという趣旨の発言をしているのである。 「不正の事実があれば処罰を求めて告発をする」、それだけ聞くと当然のことのように思える。しかし、行政機関の立入調査(正確には「立入検査」)をその手段とすることには法律上重大な問題があることを、この際、声を大にして言っておきたい。行政が、自らの調査権限を使って、司法のチェックも受けないで、犯罪捜査まがいのことを好き放題に行うようになったら、それこそ、専制国家そのものである。行政調査は拒絶できない 行政機関による行政調査は、本来、「行政上の目的」で行われるものであり、それを拒否したり、質問に対して虚偽の陳述をしたりすることに対しては「罰則」の制裁がある。つまり、「行政目的で行う」という大前提の下で、立入検査という形で「家宅捜索」のような調査を受けることも、質問に対して答えることも、「拒絶できない」ことになっているのだ。土砂の搬出作業が進む森友学園の小学校建設現場=4月3日、大阪府豊中市 行政目的のために立入検査などを行った結果、刑事罰に処するべき悪質な違反事実がみつかったという場合、その段階で告発の要否を検討し、当該行政庁が警察、検察に告発を行う場合がある。それは、まず一定の行政目的での立入検査が行われた「結果」、犯罪事実が「発見」され、それを当該行政目的に照らして考えたとき、「行政機関に与えられた行政処分等の権限では行政の目的が達せられない」と判断されるからこそ、「告発すべき」ということになり、最終的には、捜査機関側の意見も聞いて、行政庁としての告発の判断が行われることになるのである。 「補助金の不正受給」の事実があったとしても、まずは「補助金の返還」を求めることが先決であり、その上で、悪質・重大な犯罪の疑いがある場合に、告発を検討することになる。 私が総務省顧問・コンプライアンス室長を務めていた2010年に、ICT関係の補助金に関して、コンプライアンス室への内部通報を端緒に、補助金適正化法違反で補助金をめぐる不正の事実をつかみ、総務省で特別チームを作って調査し、補助金適正化法違反による立入検査を行った事案もあった。多数解明した事案の中には、多額の補助金を私物化している悪質事案があり、告発に向けて検察庁と協議も行ったが、告発には至らなかった。 「最初から、犯罪の証拠を発見して告発することをめざして立入検査等の行政調査を行うこと」は、それによって、「無令状」の捜索や「黙秘権侵害」の聴取が行われることになるので違法であることは言うまでもない。逮捕,勾留,捜索,押収などの強制処分は,裁判官または裁判所の発する令状によらなければ,実行できないとする原則が「令状主義」である。 強制処分の理由と必要性を第三者が審査することで権限濫用を防ぎ、人権を保護するのが目的だ。 考えてみてもらいたい。例えば、あなたの会社について、犯罪の疑いがあるとの噂が流れ、管轄の行政庁又は自治体が、「噂がその通りであれば、告発する」と公言した上で、行政上の立入検査に入ってきて、「拒否すると罰則が科されますよ」と言われて、書類の提出を求められたり、「噂されている事実があるのか」と質問されるという状況に立たされたら、あなたならどうするだろう。 犯罪の疑いがあれば、捜査機関の判断によって捜査の対象にされることもある。しかしそれば、あくまで「任意」が原則であり、「強制」的に行う場合は、裁判官による「令状」が必要だ。犯罪捜査に応じることを、罰則で強制されることは、刑事手続きに関する憲法上の権利を侵害するものだ。 行政調査と憲法35条の「令状主義」・38条の「黙秘権の保障」との関係については、古くから税務調査等に関して問題にされてきた。昭和47年11月22日の川崎民商事件最高裁判決では、「刑事責任追及のための証拠収集と行政調査との関係」について、右規定(憲法第38条の)による保障は、純然たる刑事手続においてばかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする。 との判断が示された。松井知事の発言により森友学園側に有利に働く それ以降、行政調査権限に関する規定には、必ず「犯罪捜査のためのものと解してはならない」との規定が設けられるようになった。補助金適正化法(第23条3項)においても、(行政調査)権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない と定められている。 行政調査の現場では、告発を視野にいれている場合であっても、絶対に表には出ないよう十分な配慮がなされてきた。行政調査が「犯罪捜査の目的ではないか」と疑われた場合、それを理由にして、被調査者側から調査を拒否されても致し方ないからである。この場合、拒否に対する罰則適用も不可能である。日本維新の会の党大会後、記者会見する代表の松井一郎大阪府知事(中央) =3月25日、東京都内のホテル 松井知事の、森友学園に対する調査に関する発言を見る限り、そのような「行政調査と犯罪捜査との関係」についての理解を欠いているとしか思えない。立入調査に入る行政機関のトップが、事前に、「不正や犯罪を発見して警察、検察に処罰を求める」と公言しているのだから、全く弁解の余地がないのだ。 重要なことは、松井知事のこのような発言が、かえって森友学園側に有利に働くということだ。森友学園側としては、立入検査に対して、「犯罪捜査のために行われている」と言って重要書類の提出や、質問への回答を拒絶することができる。それに対して罰則適用することはできない。しかも、「行政調査で解明しようとしている事項については、まず行政機関の手続きを優先させるべき」と判断するのが一般的であり、警察などの捜査機関が犯罪捜査で介入をすることは、適切ではないということになる。結局、大阪府に関連する問題に関して、森友学園の不正の解明は遅れてしまうことになりかねないのだ。 昨日は朝から、大阪府が立入調査に入ることがマスコミで大々的に報じられ、テレビのワイドショーは、さながら「立入調査の実況中継」のような状態であった。その中で、松井知事のかねてからの「調査の結果不正がみつかったら警察に」というような発言が、改めて映像で流され、キャスターが「松井知事は不正がみつかったら告発すると明言している」という趣旨の解説をしていた。そして、スタジオのパネルは、森友学園の様々な「犯罪の疑い」で埋め尽くされ、森友学園の犯罪に対して大阪府の調査でメスが入る、ということが強調されていた。 私は、森友学園とも籠池理事長とも何の関係もないし、もちろん、弁護人でも、代理人でもない。森友学園の幼稚園等で何が行われていたのか、小学校の開設をめぐって何が行われてきたのかを知る由もないし、実際に、犯罪が行われた可能性を否定するものでは決してない。しかし、仮に犯罪事実があったとしても、それは、「適正な手続」によって証拠収集され、事実解明されなければならないことは、憲法上の保障から言っても、当然のことだ。行政のトップが、その大原則を露骨に踏みにじる発言をすることは決して許されない。 このような知事の発言によって、行政の立入調査が、森友学園の犯罪を明らかにするためであるかのように強調する放送が行われることは、弁護士の立場から見過ごすことができない。 「偽証告発」をめざす動きの異常さ、補助金全額返還後の「告発受理報道」の異常さに加え、大阪府が、「犯罪事実を明らかにするために行政調査に入る」という異常さまで加わる。 日本は、いつから非法治国家、非立憲国家になってしまったのだろうか。(「郷原信郎が斬る」より2017年4月1日分を転載)

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    “森友祭り”で一番の勝ち組は首相に食い込むフジサンケイG

    ディアに流す。総理が苦しくなればなるほど親安倍メディア、とくに産経にタナボタでネタが集まっている」(政治部記者)おいしい話には毒 さらに産経新聞は森友疑惑追及を強める野党を牽制するように、証人喚問までは「再び解散風が吹き始めた」(3月6日付)などと4月衆院解散説を書き立て、喚問が終わった途端に「首相、4月総選挙見送り」(3月28日付)と“スクープ仕立て”で報じた。自社スクープを自社スクープでひっくり返す離れ業だ。 いまや森友疑惑は意固地になった安倍首相と開き直る籠池氏の非難合戦にとどまらず、籠池夫人のメールで「幼稚園に侵入しかけた」と名指しされた民進党の辻元清美氏という新たな登場人物まで加わった三つ巴の泥仕合と化し、与野党とも幕を引きたくても引けなくなっている。メディアにとっては面白おかしい話題が提供され続けるわけだが、おいしい話には毒がある。 メディアが籠池劇場の高視聴率に浮かれて思考停止になっているのを見て、陰で「ありがとう」と喜んでいる人たちがいることを忘れてはならない。関連記事■ 森友学園疑惑で得をしたのは小池百合子氏、神風吹いた■ 籠池氏「清廉潔白の人間は相手が清廉潔白とわかるんですよ」■ 安倍首相とメディア幹部の会食 内閣発足以来最低でも60回■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」■ 読売や朝日 産経に後れるなと首相にすり寄り監視機能形骸化

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    稲田朋美はもう「限界」かもしれない

    いま、日本で最も火だるまになっている女性が2人います。一人は前回のテーマでお届けした首相夫人、安倍昭恵さん。そして、もう一人は本日のテーマで取り上げる防衛大臣、稲田朋美さんです。「女性初の総理」ともてはやされた入閣当時が懐かしいですが、それにしてもなぜここまで「炎上」したのでしょうか?

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    稲田朋美の「軽さ」は安倍総理の油断の象徴である

    期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正が行われた。この党則改正に「安倍一強」と評される現下の政治情勢が反映されているのは、あらためて指摘するまでもない。こうした「鉄壁」とも評すべき安倍内閣の政権運営には、俄(にわか)に軋みが印象付けられるようになっている。 その軋みの焦点になっているのが、稲田朋美防衛大臣である。「西の豊中」案件や「南スーダン派遣自衛隊部隊日誌」管理案件だけではなく、教育勅語の評価に絡む発言でも、彼女は批判を浴びている。『読売新聞』(3月16日付、電子版)社説は、「防衛省日報隠し 稲田氏に『統率力』はあるのか」と題して、彼女の政治姿勢における「軽さ」を批判している。彼女は、安倍内閣の「弱い環」になった感がある。何故、そのような仕儀に至ったのか。この疑問を前にして、次に挙げる二つのことを考える必要があろう。 第一に、防衛大臣という政治官職は、どのようなものとして扱われてきたのか。2007年の防衛省発足以前、前身官庁としての防衛庁は、総理府(後に内閣府)外局の位置付けに過ぎず、その長たる防衛庁長官も、「55年体制」下の自民党内では、大して食指の動かない「陪席ポスト」としてしか扱われなかった。2007年1月8日、省への移行を翌日に控え、「防衛庁」から「防衛省」へ掛け替えられる正門の看板(大西正純撮影) 第二次世界大戦後、日本の大方の国民が政治家に対して期待したのは、社会福祉を含めて様々な「便益」を届けてくれる「サンタクロースの代理人」の役割であり、「猛獣」(国家の本質としての暴力)を飼い慣らす「猛獣使い」として役割ではなかった。特に1990年代以前。政治家が「猛獣使い」として本来の役割を果たそうとするとき、それを阻んできたのが、戦後日本の平和主義思潮とそれを代弁した左翼・革新政治勢力であった。 この永き歳月の中で、政治家が「サンタクロースの代理人」に徹すればよいという一つの諒解を成したという点において、自民党サイドの「利益誘導」政治と革新政党サイドの「平和主義」信条は、一つの共犯関係にある。こうした関係が払拭されなかったことにこそ、「猛獣使い」官職が軽んじられてきた所以がある。 しかし、1990年代以降、日本を取り巻く安全保障環境の変化は、そうした有り様への修正を迫った。防衛庁の省昇格に象徴される諸々の安全保障政策展開は、日本の「右傾化」の証左ではなく、安全保障環境の変化に対する「適応」に過ぎない。その一方で、政治家に対して「猛獣使い」ではなく「サンタクロースの代理人」としての役割を期待した日本国民の意識は、どこまで変わったのか。「親心」に表れた安倍一強の油断 第二に、このような防衛大臣という官職の位置付けの変化にもかかわらず、何故、稲田朋美という政治家は、防衛大臣職に任用されたのか。彼女は、その政治上の経歴から判断する限りは、外交・安全保障政策領域に特段の見識を持たない「ドメスティック志向」の政治家である。靖国神社案件や歴史認識案件で彼女が過去に披露したナショナリスト色の濃厚な言説は、外交・安全保障政策領域の見識を担保するわけではない。もし、安倍晋三総理が彼女の防衛大臣起用に際して、「経験を積ませよう…」という類の「親心」を働かせたのであれば、そうした「親心」は、現下の安全保障環境に照らし合わせて、不要であったと評すべきであろう。 そもそも、目下、北朝鮮の脅威は「新たなステージ」に入り、東シナ海や南シナ海での中国の海洋進出は露骨の度を高めている。加えて、日本は、米国を含む各国と「2+2」(外務・防衛担当閣僚会合)の枠組を設定している。それは、「どの国々も自分だけで安全保障を確保できない」という安全保障政策上の要請に沿ったものである。来日したマティス米国防長官(左)を出迎える稲田朋美防衛相=2月4日、防衛省(納冨康撮影) しかも、そうした安全保障上の国際協調の中核である米国において、ドナルド・J・トランプ政権下、その役割を担うのは、「狂犬」「闘う修道士」とも渾名されるジェームズ・N・マティス国防長官である。イラクやアフガニスタンでの実戦経験と蔵書7千冊とも評される読書に裏付けられた見識を誰も疑わぬマティス長官を前にして、稲田大臣は、果たして太刀打ちできるのか。 前に触れた『読売新聞』社説で指摘された彼女の「軽さ」は、そうした安全保障環境の下での「不安」を増幅させている。それは、「この大臣で本当に大丈夫か…」という不安である。彼女は、そうした「不安」を払拭すべく真摯に臨んでいるであろうか。そうした真摯さをこそ、彼女は何よりも世に伝えるべきではないのであろうか。 2000年代以前、防衛庁長官という政治官職は、「少壮政治家の跳躍台」のように扱われてきたけれども、そうした「常識」が防衛大臣に関しても残っているのであれば、それは、改めた方が宜しかろう。防衛大臣という政治官職は、外務大臣や財務大臣と同様に、自民党であれば派閥領袖級の重鎮政治家が担うものであるという新たな「常識」を形成する必要がある。そうでなければ、最低限でも外務、防衛の副大臣職を経験し、外交・安全保障政策領域の見識が明らかな政治家を起用するかである。 その意味では、安倍第二次内閣発足以降、小野寺五典、中谷元の両氏を防衛大臣に起用したのは、安倍総理における正当な判断であった。それは、安倍総理が防衛大臣の「重み」を十分に理解したが故の判断であったといえよう。しかしながら、その判断は、稲田大臣起用に至って、何故曇ったのか。それは「安倍一強」と評される政治情勢の下、安倍総理の「油断」を表していなかったとは果たして断言できるのか。

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    自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ

    たことは明らかだ。教育勅語を大事にすることなどで共感した稲田氏が弁護士として籠池氏を支援し、籠池氏も政治家である稲田氏を応援する関係を築く基盤となったことは疑いようがない。首相夫人の安倍昭恵さんに至っては、籠池氏妻との関係が最近まで続いていたことも明らかになっている。 ところが、森友学園のことが政治問題に発展し、政治家としての自分の立場に悪影響を及ぼすようになると、稲田氏は(安倍氏も)突然、籠池氏との間には何の関係もなかったかのように立場を翻した。人間と人間の関係はそういうものなのだろうか。自分に不利な関係になったとはいえ、即座に切り捨てるというのは人の在り様としてどうなのかと思いたくもなる。 そういう疑念を生じさせることが、私だけではなく、稲田氏に対する世論の冷たい視線の背景になっているように思えてならない(安倍内閣の支持率低下も同じだ)。そして、それが「戦闘」や「日報」をめぐって、自衛官からも信頼を勝ち得ていないのではないかという危惧とも重なってくる。 稲田氏にとって最も大切なことは、いったい何なのか。自分の部下、仲間や同志、それとも自分の政治的経歴なのか。そこが問われているだけに、現在の苦境から抜け出すのは簡単ではないだろう。 憲法9条の下での防衛大臣の仕事には特有の難しさがつきまとう。だからこそ苦労のしがいがあるポストでもある。防衛大臣たるもの、自分の身を捨ててでも、職務に邁進(まいしん)してほしい。それができないなら、潔く身を引くべきではないか。

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    「オンナが武器」なら稲田さんは女性総理になんかなれっこない!

    です。牧師の父親の娘として共産主義だった東ドイツに産まれ、数学とロシア語が得意な少女として育ちます。政治家になるタイプの女性というのは、日本だとチーママ系の男たらしも多いのですが、メルケル首相の場合は、刈り上げ頭にサンダルという、色気も何もない東ドイツの典型的な理系女子でした。東ベルリンにある科学アカデミーに就職し、理論物理学を研究していた物理学者として働いていた際にベルリンの壁が崩壊。政治の道に進むことを決めます。 メルケル首相はドイツでは「お母さん」と呼ばれ、かつてはイギリスのサッチャー首相と対比する形で、「鉄のお嬢さん」(Eisernes Mädchen)というニックネームがありました。メルケルが「鉄のお嬢さん」と呼ばれたワケ 「鉄のお嬢さん」には「鋼鉄の処女」という意味もあります。これはイギリスを代表するヘビーメタルバンド「Iron Maiden」のバンド名の元ネタであり、中世の拷問器具の名前でもあります。これは乙女の形をした鉄の人形の中は棘(とげ)だらけで、人が中に入れられてガチャンとされると足元から血が滴るという恐ろしい拷問具です。 こんな「拷問具」に例えられたメルケル首相の政治手腕というのは、科学者らしく大胆かつ現実主義的で冷静沈着であります。政敵は容赦なく叩きのめし、時には自分の師匠にさえとどめを刺します。 メルケル首相が政治の表舞台に立つきっけかけは、コール元首相の弟子になったことでした。コール氏の党費流用疑惑が起きた時は「責任を取るべきだ」とドイツの新聞が厳しく批判しました。このとき、メルケル首相は自分の身内であっても、正しくないことは正しくないとコール氏を批判し、筋を通したのです。 このような厳格な態度は、メルケル首相の地味でドイツ人らしさを絵に描いたようなキャラとあいまって、ドイツ国内で絶賛され、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)党首に就任します。 党首就任後も、おしゃれや華やかさとは無縁でドイツ人らしく倹約や厳格さを善とし、着実に忍耐強く物事を進めていきます。無駄使いで国が破綻したギリシャへの緊縮財政を要求し、福島の原発事故を受けて原発全廃と再生可能エネルギーへの転換を決定します。 このような媚びない態度、ぶれない姿勢はドイツ国内だけではなく、欧州でも尊敬されるリーダーとして注目を浴びています。ここ数年は、欧州におけるドイツの「一人勝ち」的な立場や、シリア難民受け入れに関する決定で他国からの批判を浴びていますが、しかしながら、周辺国の経済が芳しくない中、ドイツ経済の好調を維持する手腕は今なお評価されています。 そんなメルケル首相は、スーパーで寿司の材料を買って、レジで列に並んでいるところを目撃されたりしています。SPもつけず地元の主婦に混じって買い物をしているのです。派手な生活とは一切無縁なのです。ただ、そこはドイツなので首相を目撃しても誰も何も言いません。歓迎式典でメイ英首相(左)を迎えるメルケル独首相=2016年7月21日、ベルリン イギリス首相も女性です。 テリーザ・メイ首相は、キャラクター的にメルケル首相と被るところがあります。牧師で、厳格かつ質素な家庭に育ちます。学生のころは難病で車椅子の母親を看病しながら勉学に励んでいました。 オックスフォード大学の学友であった夫との結婚式の当日、会場に向かおうとしたお父さんが自動車事故で亡くなります。その数年後にお母さんも亡くなるという不幸にも見舞われます。I型糖尿病を抱えているので、会議ではこっそりとナッツをかじりながら血糖値を管理して仕事をするというストイックな面もあります。日本で出世する女性は稲田大臣のような人 美容院は20年以上同じで一回1万円もかからない庶民的な店。髪型も毎回同じ。夫と庶民的な家に住み、今でも日曜日の教会礼拝を欠かしません。今でも20年以上通っている庶民向けのパブやカフェでご飯を食べ、村祭りにも参加します。夏はチェックのシャツと登山靴を履いてスイスでハイキングですが、休暇のパターンは何年も同じです。前首相のキャメロン氏とは大違いの地味で清貧な生活です。 政治手腕は有言実行であり、誰も怒らせないが、やるべきことはズンズン進めるという現実主義者です。法務大臣のころは不法移民の取り締まりをかなり厳しくやったり、非EU(欧州連合)の人のビザ要件が恐ろしく厳しくなりました。見た目の華やかさにはとらわれず、冷静に、じっくりと、しかしやることはやるというイングランド人を絵に描いたような人です。 メルケル首相やメイ首相をみていると、ドイツやイギリスでは、なぜ女性リーダーが育つのか、ということがよく分かります。そう、男か女とか関係なく「結果」を出す人が好まれるのです。要するにメリトクラシー、職能主義です。合理性を好むドイツやイギリスらしいですね。参院予算委員会で答弁後、麻生太郎副総理兼財務相(左)の話を聞く稲田朋美防衛相=3月8日、国会 これは政治の世界だけではなくビジネスやアカデミックな世界でも同じです。結果さえ出れば、何人でも性別がなんだろうが関係ないのです。その裏返しは、結果を出せない人間には厳しいということでもありますが。馴れ合いもお友達関係もそこには通用しません。「オンナの武器」さえも役には立ちません。結果が出なければ、さまざまな方向から攻撃されるので、巨乳やキレイな足があっても、実はどうしようもないのです。 一方、日本の場合はどうでしょうか。誤解を恐れずに言えば、出世する女性は稲田大臣のような人です。自分が年を重ねても、少女のような恥ずかしげもない格好で、年上や目上の男性の覚えをよくし、敵や周囲を決して攻撃せず、擬似的な娘や妹のような振る舞いをすることが重要であり、結果を出すことは必ずしも求められていません。 もっと言えば、日本において最も重要なのは、女性としての「あるべき役割」を演じているかどうかであり、結果を出すことではありません。 ですから、それを演じるのがうまい女性ばかりが昇進します。しかし、実力は伴いませんので「やっぱり女はダメだ」と言われ、女性の地位がますます固定化されていくのです。 これは周囲のオトコも悪いし、オンナという役割を悪用し、楽して上に上がろうとする女も悪いのです。

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    元制服幹部が諫言「稲田氏に防衛大臣の資質はない」

    委員会で、前日の答弁を撤回、謝罪する稲田朋美防衛相=2017年3月14日 クラウゼヴィッツの「戦争は政治の継続である」は、換言すれば「自衛隊の海外派遣は、政治の継続であり、自衛隊は政争の具である」との観が拭(ぬぐ)えない。 稲田朋美防衛大臣就任後、駆けつけ警護や共同防護発令、舌の根も乾かぬうちの国民が理解できない撤収と、陸自PKO派遣部隊の翻弄が続いた。それは、南スーダンの都合や期待を忖度していない、また前線にいる自衛隊員の懸命を斟酌できない「政争の象徴」でもある。 この渦中に稲田防衛大臣がいる。国会での「戦闘」の解釈に関する言い合いには実りがない。腹立たしいのは、『日報』の扱いをめぐり、指揮官として部下の失敗の責任を共に負う、あるいは「尻を拭く」のではなく、部下に責任を押し付け、指揮官自から部下を非難したことだ。 相前後した「某学園某理事長」との関係で二転三転した答弁同様、それは「戦闘」を捻じ曲げた答弁に端を発して自ら蒔(ま)いた種子ではないか。ここに至り指揮官の資質を疑うのは早計だろうか。 じかに隊員と接する機会の多い防衛大臣の指揮・統率は、その「一挙手一投足」に注目する部下隊員を感化、薫陶する。今日の自衛隊における命令・服従の関係は、徴兵時代の盲目的服従と異なり、指揮官の良し悪しが精強性を左右する。それは、任務遂行の意欲をかき立てる根源となり、指揮官次第で部下が命懸けになれるという、高いレベルの徳と識見に基づく特筆すべき「優れた統率の現象」でもある。安全保障の弱点はシビリアン・コントロール 昨年10月、稲田防衛大臣は、「駆けつけ警護」発令に先んじて、PKO派遣の要件を満たす政府判断の一助を得るため南スーダン派遣陸自部隊を視察した。その立場は、閣僚である政治家であり、自衛隊の指揮官であった。視察の結果、自衛隊指揮官としてのアピールは希薄だった。報道の範囲であるが、隊員に対する訓示は、指揮官が一身に責任を負い、隊員を気遣い、士気の高揚を図るのではなく、閣僚である政治家としての姿勢が強調され、自衛隊派遣の妥当性に適う有利な政争の具を求める立場を示したにとどまっていた。南スーダン・ジュバで、陸上自衛隊部隊の栄誉礼を受ける稲田朋美防衛相=2016年10月(代表撮影・共同) 視察中、危険な状況の証として、「避難民向け退避壕構築」「自動小銃携行の政府軍兵士約10人、トラック2台が稲田防衛大臣一向の陸自防弾四駆のジュバ市内移動を警護」「視察当日、首都ジュバ近傍の幹線道路でトラックが銃撃され市民21人が殺されたと南スーダン政府が発表」があったが、これらは顧みられてない。 また、イラク派遣隊員が鉄帽、防弾チョッキ着装で受察する中、稲田防衛大臣の軽装は、現地の治安は落ち着いているという意図的パーフォーマンスではないかと疑うほど遊離していた。残念ながら、そこには、身命を賭して努めている隊員と共有できる思い入れは見つからなかった。 稲田防衛大臣は、帰国後の国会で「法的な意味における『戦闘行為』ではなく、『衝突』であると思う」と述べ、安倍首相も「『戦闘』の定義がないから、『戦闘行為』ではなかった。しかし、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった」と政治的、法的見解を述べた。 2013年12月の『防衛研究所ニュース』に「戦争の概念変化」を紹介し、「国際社会においては、21世紀の『新たな戦争』を国家間の武力衝突に加え、テロ、内紛などほぼ全ての武力衝突、殺戮・破壊を指して言うようになっている」と指摘している。だが、国会は、国際社会の通念とする「戦争」や「PKO」と乖離していた。 稲田防衛大臣が不祥の諸事象について言葉を弄し、指揮官自ら組織を貶めた悪影響は大きい。限られた情報に拠る批判が的を射てない恐れがある。しかし、改めて「防衛大臣職」に求められる資格を問う機会が得られたことについては良としたい。残念ながら、日本の安全保障の弱点はシビリアン・コントロールにあるとは言い過ぎであろうか。

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    稲田防衛相 弁護士のくせに自己弁護がヘタすぎる理由

    安倍-菅コンビに不仲説 きっかけは稲田朋美氏の入閣見送り■ 稲田防衛相 ゲス宮崎夫妻への結婚祝儀を政治資金で拠出

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    籠池夫人が明かす稲田朋美大臣の「大変失礼なこと」の真相

    くちゃいかんのです」 その小学校は完成を目前にして設立認可取り下げに追い込まれた。そして交わっていた政治家、称賛していた政治家は逃げるように夫妻との過去を隠している。関連記事■ 菅野完氏、TV局から「籠池氏もっとイジって」と要求された■ 元清楚系モデル大澤玲美 赤の極小ビキニで悩殺ポーズ■ 激やせ心配される愛子さま 後手に回った宮内庁と雅子さま■ SASUKE女版「KUNOICHI」 真剣勝負ながら男目線にも対応■ 籠池氏「清廉潔白の人間は相手が清廉潔白とわかるんですよ」

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    安倍昭恵さんはどこがマズかったのか

    首相夫人は「公人」か「私人」か。大阪の学校法人「森友学園」をめぐる問題が尾を引く中で、そんな議論が国会でも取り上げられた。正直、どーでもいい論争だが、ネット上には謎のサイト「アキエリークス」まで出現するなど泥仕合はまだ続く。日本のファーストレディ、安倍昭恵さんの言動はどこがマズかったのか。

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    「拉致解決で訪朝」の仰天プラン! 誰も知らない昭恵夫人ホントの裏話

    依頼があった日のことである。「天衣無縫」は精神の自由の発露であって、必ずしもマイナスではない。しかし政治的文脈に置かれると今回のような難題として一挙に襲いかかってくることがある。ご本人に計算された政治的配慮などないからこそやってきた危機的事態である。米大統領との首脳会談のため米国に向け政府専用機で出発する安倍晋三首相(左)と昭恵夫人=2月9日午後、羽田空港(古厩正樹撮影) 私が昭恵さんの人柄を聞いたのは、音楽評論家の湯川れい子さんからだった。たしか第一次安倍政権のころだった。女性たちの会合に昭恵さんもかかわっていて「とてもいい人よ」という言葉を聞いた覚えがある。直接にお目にかかったのは国会の議院会館の会議室だ。東日本大震災関連の会合で、私は上梓したばかりの『ヘイトスピーチとたたかう!』(岩波書店)をお渡しした。まだヘイトスピーチ解消法が成立するきざしもないころのことで、昭恵さんがヘイトスピーチの攻撃対象である韓国の文化に関心を持っていることを知っていたので、きっと理解していただけるだろうと思っていた。  安倍昭恵さんについて私が語れることといえば、知人の記者がご本人から聞いたという「家庭内事情」ぐらいのことだ。首相が午後9時ぐらいに帰宅しても、昭恵さんは午後11時ぐらいに帰ってくることがしばしばあったという。「家庭ではほとんど会話がない」「主人の食事は母(注、首相の母の洋子さん)が作っている」といったことも、ご本人が語ったというのだが、真偽は不明である。ただしもう一つ、報道されていない事実がある。それは、昭恵さんの人物像を知る上で興味深いテーマである。週刊誌のタイトル風に書けば「拉致問題解決に総理夫人を派遣か」といったところだろう。 新事実! 昭恵夫人訪朝計画の内幕 昨秋のことだ。長年にわたって拉致問題に取り組んでいるある人物からこんな相談を受けた。「拉致問題が動かないのでどうしたらいいのか。夫人外交がいいのではないかと思うのです。首相の昭恵夫人が北朝鮮に乗り込んで、ダメなら第三国で交渉するのです。横田早紀江さんにも同行してもらいます」。北朝鮮による拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表(中央)や横田早紀江さん(左)と面会した安倍晋三首相。拉致問題解決への決意を改めて示した=2017年2月22日、首相官邸 昭恵さんにはすでに合意を得ていたという。その提案を聞いたとき、「そんな簡単なことではない」とは思ったが、口にはしなかった。局面を打開するには水面下での交渉が必要であり、たとえ首相夫人が訪朝しても、ただの話題にはなってもそれだけのことだからだ。 小泉純一郎元首相が2002年に訪朝したときも、1年ほどかけて水面下の交渉があり、そこである程度の合意ができていた。外交交渉は「こちら」の獲得目標もあれば「あちら」の意図もある。拉致問題でいえば、日本の目的は生存者の一刻も早い帰国であり、北朝鮮は国交回復の実現と経済協力である。ストックホルム合意からの日朝交渉で日本側に欠けていたのは、この課題を避けてきたことだと私は判断している。官邸にその意志がないからだ。 この夫人外交について、日朝交渉にかつて取り組んできた自民党長老に相談をしてみた。「それはいいアイデアです。しかし日本側が本気だということを示す人物、たとえば今なら二階幹事長のような立場の政治家が同行し、金銭を提示しなければ動かないですよ」と言われた。要するに、首相の覚悟があるかどうかが問題だった。この計画はある筋を通して首相や官房長官にも伝わった。その結果は却下。官房長官の表現では「つぶした」。昭恵夫人の天衣無縫は話題にはなっても、実りあるものにはならず、むしろ批判を招くという判断だったのだろう。 首相夫人外交を提案した人物への回答はこうである。北朝鮮への渡航自粛があること、さらに国際的に制裁があるので第三国での交渉も認められないこと、他に提案があれば教えて欲しいというものだった。こうして北朝鮮に対する「首相夫人外交計画」は一切、表面化することなく消えてしまった。昭恵さんはこうしたプランに易々と乗ってしまうところがある。 沖縄県でヘリパッド建設をめぐって問題になっている高江に姿を現すことなど、よくいえば「腰が軽い」が、悪くいえば「軽率」と見られかねない。森友学園問題でも籠池夫人と問題発覚後も頻繁にメールのやりとりをしていたことが象徴的である。おそらく人を疑うことの少ない人間なのだろう。その美質が総理夫人という立場にあっては暗転することがある。「ある時の真、他の時の誤り」(モンテスキュー)である。

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    首相夫人は「安倍昭恵」という自我に目覚めた典型的な意識高い系

    。 実を言うと昭恵夫人には脱原発も三宅洋平にも興味はないのかもしれない。ただ「夫(安倍晋三)とは違う政治思想を持った人々とも、対等に対話できる自分ってすごいでしょう」という、コンプレックスが故の歪んだ自意識の道具の一つとして、無数のフェイスブック・フレンドやフォロワーからの「いいね」という承認を期待しての行為だったのであろう。そしてその期待は見事に成就する。 通常、「意識高い系」は、大学生や新社会人など、若年層に好発する特有のコンプレックスの転写だと思われている。しかし時としてその中には、齢50歳を過ぎて後発的に自意識に覚醒する「意識高い系」も存在する。人生のほとんどの期間を「承認」と無縁に過ごしてきた人間が、後天的に承認欲求の怪物となった場合、その反動は若年層よりも鬱屈とした時間の積み重ねが長い分、より重篤になりかねない。 純粋な承認欲求の塊であるがゆえに、「昭恵夫人が100万円を籠池氏に渡した(寄付した)」という所謂「籠池証言」は、昭恵夫人が典型的「意識高い系」であることを勘案すると、その信ぴょう性が揺らぐのがわかるであろう。昭恵夫人は不特定多数の世間から承認されたいのであって、籠池個人から承認されても意味がない。「おつきの人を人払いして密室で籠池に100万円を渡す」という行為は、「他者に自慢できぬ」が故に、実は昭恵夫人のような「意識高い系」の人々にとってすれば何の意味のない行為だからである。講演する安倍昭恵夫人 「意識高い系」の人々が行う寄付行為は、「わたし、被災地のために〇〇のチャリティーに参加しました!」と他者への喧伝と常に対になって存在している。公に語ることができない寄付行為に、昭恵夫人は意味を感じないはずだ。名誉校長への就任だけで十分にその承認欲求は満たされたはずである。よってこの部分で昭恵夫人はシロだと思うが、根本的には後発に「意識高い系」と化した昭恵夫人の心の中にある根本的な「承認欲求」という病巣は、今後も色々な形で発露されていくのではないか。政権最大のリスクとは昭恵夫人自身である。 「妻は夫の後を三歩離れてついていけ」という家長権的押しつけを言うのではない。自分の承認欲求のために国家権力を笠にするな、と言いたいだけである。総理の妻、G8という世界の大国の一角を占める国の首相夫人という立場だけに、まっことタチの悪い「意識高い系」である。

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    昭恵夫人、ファーストレディは立場であって仕事ではありません

    家庭における内助の功とか、選挙区で多忙な夫のかわりに日ごろの草刈りや、選挙で演説することはあっても、政治的な助言者であるとか、ファーストレディとして注目を浴びるとか、魅力的だと話題になったのも皆無に近い。 しいて、華やかに目立ったというと、ミニスカートが話題になった佐藤栄作元首相夫人の寛子さんくらいだった。 誰の娘であるといったことが意味があったのも、三菱の創始者、岩崎弥太郎の娘婿だった加藤高明と幣原喜重郎、内大臣、牧野伸顕の娘婿だった吉田茂、それに薩摩出身の先輩の娘と結婚して藩閥に連なった斎藤実、国粋主義団体幹部の娘と結婚して色眼鏡で見られた広田弘毅くらいに限られた。 自分でそれなりの仕事をしていた人もほとんどいない。鳩山一郎夫人の薫子さんは、共立女子大の学長として活躍したが、義母から引き継いだもので嫁としての立場でのものだ。三木総理夫人の睦子さんが、女傑といわれ夫の死後も平和運動などに活発に参加しており、その後は細川護煕夫人が目立つくらいだ。アメリカのファーストレディは? その中で、安倍昭恵夫人の活躍ぶりは、欧米のファーストレディ並みの華やかさだった。ここでは、昭恵夫人について論じる前に、アメリカのファーストレディの歴史を少し見てみよう。 「ファーストレディは立場であって仕事ではない」と大統領候補になる以前のヒラリー・クリントンは自著で述べている。「その役割は象徴的なものでアメリカ婦人という概念の理想像であり神話的な像を表徴することを期待されてきた」(「リビング・ヒストリー」ヒラリー・ロダム・クリントン自伝より)。 それはまた国家に対する無償・無休の奉仕活動のようなものであり、ヘアスタイルから子供の学校選びまで、一挙一動が国民に厳しくチェックされる精神的負担の重みに耐えかねて、依存症等に追い込まれた気の毒なケースも稀ではない。そうした難しい状況で高い評価を受ける大統領夫人たちには二つのタイプがある。 「建国の母」として知られるマーサ・ワシントン(初代)に代表される「良妻賢母」型は夫の活動を全面的に支え、安心できる家庭を築くことでアメリカ主婦の理想として好感を持たれた。クールな「ベストマザー」のエディス・ルーズベルト(26代)、サイレント・カルといわれる寡黙な夫を「サンシャイン」と呼ばれた明るさで支えたグレイス・クーリッジ(30代)、古き良きアメリカのホームドラマのように陽気なメイミー・アイゼンハワー(34代)、良家の奥様的雰囲気のローラ・ブッシュ(43代)などがこの中に入るだろう。 ローラの姑にあたるバーバラ・ブッシュも白髪や顔のしわを隠さず「アメリカのお祖母ちゃん」というキャラクターで人気を得ていた。ただし控え目な日本的内助の功とは異なり、積極的に自分や家族のアピールをすることも重要なポイントになる。 また、社会的な貢献に結びつく独自のライフワークを持つことが近年、必要条件になっている。しかし、家庭生活が犠牲になるほど本格的な活動は逆に非難の対象になってしまうのでほどほどが大事なようである。保守層の受けが良いタイプなので共和党の夫人が多い。 リベラル層に評価されるのは、自らの魅力や主体的行動で国民を惹きつけ夫のイメージアップに貢献するカリスマ型である。先進的な見識で女性史に名を記した知性的なアビゲイル・アダムズ(2代)、優秀な個人秘書として夫の業績に多大な貢献を果たしたサラ・ポーク(11代)、「ニュー・ウーマン」と歓迎されたルーシー・ヘイズ(19代)、人権運動のエレノア・ルーズベルト(32代)らの名前が挙げられる。 しかし、その美貌や貴族的なライフスタイルゆえにジャクリーン・ケネディ(35代)がこのタイプでは他を圧倒している。また社交の天才でファッションリーダーでもあったドリー・マディソン(4代)は「カリスマ的内助の功」を発揮してどちらの基準でもトップクラスの位置を占め「皇太后」と尊敬されたようにやはり特別な存在である。 ところで、冒頭のヒラリー・クリントンをファーストレディとして評価するのは難しい。彼女なりに努力もしていたし(一期目はカリスマ、二期目は内助の功的に)、標準以上の成果もあげていたが、いかにも収まりが悪いので「ファースト・パートナー」「スーパー・スパウズ(配偶者)」などとマスコミも呼び方に苦労した。感性で動く昭恵さんは首相夫人にふさわしくない 知事夫人時代には二度も「全米・最も優秀な弁護士百人」に選ばれ、託された州の教育改革を成功に導く活躍ができたが、ホワイトハウスではケネディ大統領が弟のロバートを法務長官に任命した後「縁者採用禁止」が法文化されていたので彼女は正式な役職に就けず「ワシントンがアーカンソーより保守的だなんて…」と戸惑い落ち込むことが多かった。 ヒラリーの後、その反動からかローラ・ブッシュが好評を博したが、ではミッシェル・オバマはどうだったのか。オバマが演説はうまいが社交的でない中で、むしろ好感をより持たれないようなところもある。 しかし、大統領夫人がいるべきときに不在だったことが多かったのも事実だ。そういう意味でも私は歴史的評価がどうなるかもうひとつという気もする。 そして、トランプ夫人はエレガントであることではジャクリーン・ケネディ以来だが、ファーストレディとしての役割のかなりは娘のイバンカが代替しそうだ。 さて、安倍昭恵夫人だが、これまでさんざん夫人を持ち上げていた左派系マスコミが手のひらを返して、「アッキード事件」などとこれ以上ない悪質な印象操作で人格否定しリンチ状態に持ち込んだ。これを「いじめ」と言わずに何と言おうか。2月11日、安倍首相夫人の昭恵さん(左)と日本庭園を散策するトランプ米大統領の夫人メラニアさん=米フロリダ州デルレービーチ(ロイター=共同) 籠池氏の証人喚問があった23日の夜、夫人はFacebookに見解を掲載した。曖昧なところを残さずに、明確に立場を明らかにされたことは結構なことだ。この内容について検証し、事実と違う部分が多数出てくれば、そのときは証人喚問などが議論されるべきというのがバランスの取れた考え方だ。 安倍首相が自分や夫人がかかわっていたら辞めるなどと言ったから大事になっているが、100万円の寄付を渡していたとしても何が問題なのか。昭恵夫人が世間知らずのお嬢様というだけのことではないか。 私は、極端でなければ首相夫人が首相とは少し違うポジションで社会的な活動をしてもいいと思うが、都合の良いときだけ「共同責任」を持ち出して攻撃するのは良くないと思う。一言で言って卑怯だ。首相夫人としての立場を露骨に利用して行ったのでなければそれほど強く非難すべきことでもない。 昭恵夫人が幼稚園の名誉園長だったことで首相まで攻撃されているが、ならば夫人が辺野古に行ったり、反原発派などの人々と交流したり、韓国に融和的な態度を示したり、安倍首相とズレがある行動はやるべきでないという「論理的帰結」になる。 ただし、現実にこのように政治利用する人が出てくるとなると、首相の反対派を喜ばせているような振る舞いも含めて、独自の活動は全般的に抑制してもらわざるを得ないかもしれない。要は、口の上手な危ない人と付き合わないほうがいいというのは確かだ。百戦錬磨のワルどもを相手に感性で動くのは、首相夫人にふさわしくない。 それから蛇足だが、東京都の小池百合子知事も左派系マスコミの「声援」にいい気になっていると、いつか昭恵夫人と同じ目に遭わないか心配である。彼らは上げてから落とすのが「得意」なのだから。

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    「昭恵夫人リスク」と政局国会の病理

    「政局ショー」であり、この政局ショーはテレビの視聴率や新聞、雑誌の部数を伸ばそうとするマスコミと一部政治勢力の「共犯関係」によって成り立っている。 では、なぜ籠池ファミリーという極めてダークな人脈に、昭恵夫人は利用されてしまったのか。 昭恵夫人によるこれまでの政治運動、社会活動への関与は、「行動するファーストレディ」というイメージを構築してきた。筆者自身も参加した東日本大震災に関連するイベントで、昭恵夫人と同席した際に見たのは、晴れやかで活発に被災者の若者たちと触れ合う、まさに天真爛漫な姿だった。岩手県西和賀町で講演する安倍昭恵首相夫人。被災地での防潮堤建設について疑問を呈した=3月12日午前 東日本大震災後には反防潮堤を表明し、オスプレイ用ヘリパッド建設に対する抗議活動が続く沖縄県高江を訪問するなど、昭恵夫人の行動はこれまでメディアや野党勢力によって好意をもって迎えられたこともあった。「家庭内野党」といったキャッチコピーで表現されたこの首相と夫人の関係も、安倍首相と昭恵夫人の好感度をあげる新しい政治家夫婦のイメージを定着させることに貢献してきたといえる。政治的発言を控え、首相を家庭や地元選挙区で支える影の存在としての首相夫人という、古いイメージは破棄されて刷新された。そのことを、安倍首相も自民党政権も容認してきたはずである。 そうである以上、首相夫人=ファーストレディという立場の昭恵夫人が日々どのような団体、組織に招待され、どのようなイベントに参加するかは、極めて重要なマネジメントであり、そこに危機管理(リスク・マネジメント)の観点は不可欠である。公的立場からの寄付であれば手続き上合法的な処理がなされ、私人として寄付を行えば、金銭的な不法行為も発生しない。「昭恵リスク」でわかった新しい監視時代 ただ、首相夫人の名誉とイメージを利用しようとする勢力は多く、その中には籠池ファミリーのような存在もある。ゆえに首相や閣僚などの要人だけではなく、首相夫人にも同様に交際関係や動静で襟を正すためのインテリジェンス的機能が必要な時代となっている。そこに綻びが生じたのが、今回の森友学園騒動における昭恵夫人の問題であった。父、安倍晋太郎元外相の墓参りをし、墓前で手を合わせる安倍晋三首相。右奥は昭恵夫人=1月8日、山口県長門市 籠池理事長の国会証人喚問の後、「昭恵リスク」という言葉がネット上で流行ワードとなった。誰もがインターネットやSNSで、動画やメッセージを投稿できる時代であり、日本だけでなく世界の衆人環視の中で首相夫人が一般人から監視される時代である。権力が市民を監視する近代的な「パノプティコン」(一望監視装置)ではなく、一般市民がネットやスマホを駆使して権力者や有名人を監視する「シノプティコン」の時代に私たちは生きている。 この時代に公人が生きていくためには、公務における活動、活動経費、交友関係、情報発信において徹底した危機管理を実践し、法令遵守(コンプライアンス)と説明責任(アカウンタビリティ)を果たさなければならない。寄付行為と口利きという構造的問題が、コンプライアンスにおける「忖度」という次のステージにまで発展したという点では、民主主義のプロセスにおいて今回の森友学園騒動は有意義であったと考えることもできる。 そのコンプライアンスとアカウンタビリティが果たせない場合、かつて拍手喝采を浴びたヒーローやヒロインがスキャンダルの主人公として、メディアスクラム(集中的過熱報道)の中で大衆リンチにさらされる。かつて田中真紀子氏や小保方晴子氏がそうであったように、首相夫人もそのリスクにさらされる時代となったのである。 こうした時代の情勢に敏感なのはむしろ一部野党であり、マスコミであって、両者は安倍首相を退陣に追い込もうと政局化させ、ワイドショー化を加速させる。ただ、共同通信が3月25日、26日に実施した世論調査では、安倍政権の支持率はわずか3%下落にとどまり、52%であった。その他の新聞・テレビ各社の世論調査でも数%程度の微減に過ぎないことを考えると、こうした政局国会の泥仕合と大衆リンチにむしろ冷静な対応を示しているのは、現代の有権者なのかもしれない。

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    「森友学園ドラマ」の真犯人は「忖度」で本当にいいのか?

    山田順(ジャーナリスト) このところ、ずっと「森友学園ドラマ」をウオッチングしてきたが、「忖度」という言葉が登場したのには本当に驚いた。  先の国会の証人喚問で、籠池泰典理事長はじつにいろいろな言い方で、今回の認可の経緯を説明した。「神風が吹いた」「大きな力が働いた」「はしごをかけてもらった」「口利きがあったと思います」などである。そして、飛び出したのが、「忖度」だ。 そのくだりは、国有地の売買をめぐり、安倍晋三首相の口利きがあったかを問われた時で、籠池理事長はこう答えたのである。「口利きはしていない。忖度をしたということでしょう」 さらに、現在、自分に逆風が吹いていることに対しても「今度は逆の忖度をしているということでしょう」と言い、忖度をした具体名を挙げるよう求められると、「財務省の官僚の方々でしょう」と言ったのである。3月23日、日本外国特派員協会で記者会見する籠池泰典氏(手前から3人目) 忖度とは、辞書的に言うと「他人の心を推し測ること」となり、「相手の真意を忖度する」というような使い方をする。すると、今回の問題は、役人たちが安倍首相の心を推し測った結果、こうなったということになる。つまり、真犯人は「忖度」ということになる。 この2週間、「森友学園ドラマ」に大きな貢献をして、私たちに「忖度」を知らしめてくれたのは、菅野完氏と「週刊新潮」である。菅野氏がすべての保守勢力から見捨てられた籠池ファミリーを動かさなかったら、こうはいかなかった。これは、どんな既成メディアの記者にもできなかったことだ。 また、「週刊新潮」は、昭恵夫人がじつは「私人」ではないこと、しかも夫とともに大きな影響力を持っていることを浮き彫りにする記事を掲載した。 先々週は、「第2の森友学園問題」とされる「加計学園」の獣医学部新設の認可や、安倍首相の遠戚・斎木陽平氏が代表を務める団体が主催する「全国高校生未来会議」への支援について、昭恵夫人から文科省へ要請があったことを明らかにした。 また、先週は、なんとタイトルが「死ねばモリトモ」で、NGOの「日本国際民間協力会」理事の松井三郎・京都大学名誉教授が、昭恵夫人の仲介で外務省から8000万円の資金を調達したと講演で述べていたことを書いている。 これらのことは、籠池理事長が言った「忖度をしたということでしょう」であり、どう読んでも同義だと思われる。「忖度」できない官僚組織は崩壊する 籠池理事長は、国会での証人喚問の後、日本外国人特派員協会(FCCJ)で記者会見を行った。このときも、「忖度」という言葉が出て、これを通訳者はうまく訳せなかった。 そのため、出席した記者たちに次のような説明があった。 「忖度」という言葉が英語通訳で少々混乱を招いているようです。何通りかの言い方がありますが、「conjecture(推測)」「surmise(推測する)」「reading between the lines(行間を読む)」「reading what someone is implying(誰かが暗示していることを汲み取る)」などがそれに当たります。英語で「忖度」を直接言い換える言葉はありません。念のため申し上げました。 このことをもっと詳しく知りたければ、「ハフィントンポスト」の記事《【森友学園】「忖度」は英語でどう通訳された? 籠池氏会見で外国人記者に》を読んでほしい。  会見後に出た「NYタイムズ」の記事では、「忖度」は“powers at work behind the scenes”(舞台裏の力)のように噛み砕かれて書かれていた。 しかし、「忖度」の本当の意味は、上記のいずれでもないと、私は思う。一般的に「忖度」は、上記した辞書的な意味で解釈され、たとえば上司の顔色、意向を伺う、その場の空気を読んで物事を進めるというように思われている。 しかし、そんなバカなことがあるわけがない。なぜなら、もし役人が上司の意向、空気を読み違えたらどうなるのかを想像してみてほしい。そうなったら、そんな組織は崩壊してしまうだろう。 つまり、忖度というのは、日本の役人の場合、「言葉にはなっていないが確実に下された命令」に従うことを指すはずである。つまり、「unspoken order」(暗黙の命令)は確実に存在するのだ。忖度で役人の世界が成り立っているなんて、それは体のいいフィクションに過ぎない。 というわけで、「森友学園ドラマ」の真犯人は、結局「忖度」には違いないが、そうさせる「力」「命令」は確実に存在している。メールがどうの、ファックスがどうのと言っても、そこには「忖度」は残っていない。 都合が悪くなれば嘘をつく、そうした人間の心に確実に刻まれて残っている。 「森友学園ドラマ」の結末は見えない。ただ、もう学園ドラマでは済まなくなった。政権が飛ぶ可能性もありえなくはない「国会ドラマ」になった。。なぜなら、「100万円寄付」に関しては事実は一つであり、どちらかが嘘をついているからだ。これを「水掛け論」と言っている方々がいるが、間違っている。 水掛け論は議論がどまでも平行線になることであって、事実認定の話ではない。事実は一つしかないのだから、この問題は解決する。早く、どちらが嘘つきなのか解明してほしい。(Yahoo!ニュース個人より2017年3月27日分を転載)

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    安倍昭恵氏の無防備発言「大麻を取り戻す」「ハワイは聖地」

     2016年も政界では「失言・珍言」が繰り広げられたが、政治家に混じって見逃せないほどの冴えを見せたのはファーストレディ、安倍首相夫人のアッキーこと昭恵氏ではないか。「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』ことだと思っています」 医療用や祈祷用の大麻解禁運動に熱心なアッキーは、小池百合子都知事との対談でそんなぶっ飛び発言をしたかと思うと、12月26日から慰霊のために真珠湾を訪問する夫・安倍晋三首相より一足早くこの夏にアリゾナ記念館を訪ね(8月22日)、なんともスピリチュアルなハワイ解放論を語っている。「あそこは聖地なんですよ。ハワイのあそこを攻撃した日本は悪いかもしれないけど。本土からやってきて、あそこを乗っ取っちゃった人達もいるわけで。そもそものハワイに戻してあげましょうよって感覚になりました。自然の神様がそっちを望んでいるんじゃないかなって」 ちなみに、アッキーはトランプ次期大統領に面会に行った安倍首相が、「トランプは選挙の時とは人が違うように普通だった」と印象を語ったという“国家秘密”まで暴露してくれた(12月6日の京都での公演)。政治評論家の有馬晴海氏が語る。「自民党議員の暴言や失言が目立つのは、野党がどんどん弱体化しているから。軽率な発言で批判を浴びても当選できるとタカをくくっているのです。ファーストレディも発言には慎重になるべきです。米国の大統領夫人には専門のスタッフがついて発言が管理される。しかし、昭恵夫人にはそうしたスタッフも縛りもなく、自分が考えるままに反原発など安倍政権と反対の主張をしてきた。その結果、時に無防備な発言が飛び出してしまう」 米国のトランプ次期大統領も暴言・失言で話題だが、あちらには「パフォーマンス」という側面が見え隠れする。対して日本の政治家は“ただ脇が甘く、軽率なだけ”に見える。きっとこの分では、2017年も恥ずかし~い珍言がニュースとして駆け巡ることになりそうだ。ヨソの国の心配をしている場合ではない。関連記事■ 金欠・清原和博の告白本出版の噂に元妻・亜希、恐れ抱く■ 高畑淳子、実家を売却し息子・裕太の違約金返済へ■ 亀梨和也が優しく見守る深田恭子「聖夜の外デート我慢する」■ 有働アナの紅白落選は「フリー転身」「寿退社」の引き金か■ レコ大の凋落 転機はジャニーズ撤退やミスチルの大賞受賞

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    安倍昭恵氏のフェイスブックでの釈明文の分析と証拠価値

    渡辺輝人(弁護士) 昨日の森友学園の籠池氏の国会証人喚問は、なかなか、衝撃的な証言が多かったですね。筆者も久米宏氏、筑紫哲也氏が健在だった頃以来おそらく初めてニュースステーションとニュース23のハシゴをしました。 ところで、籠池氏の証人喚問での証言に対しては、安倍昭恵氏がなぜかフェイスブックで釈明文を発表する、という予想外の展開となっております。筆者は、この昭恵氏のエントリは良くできた“霞ヶ関文学”だと思ったので、以下、逐次引用して、分析しようと思います。なお、使用できる文字の都合上、丸数字をアラビア数字に変換してあります。国際女性デーに合わせ開かれたイベントに出席した安倍昭恵首相夫人=3月8日、東京都渋谷区  本日の国会における籠池さんの証言に関して、私からコメントさせていただきます。1 寄付金と講演料について 私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております。 まず一見して感じるのは、これはよく練られた文章だなあ、ということです。一見して、隙がありません。ただ、「100万円の寄付金をお渡ししたことはありません。」「講演料を頂いたこともありません。」と言い切って終わりにすれば済むはずの文章を「この点について、」とわざわざ続け、紛争化した後に籠池氏の妻からメールで指摘がなかったことと「記憶がないことをはっきりとお伝えしております。」と言い換えており、結局、「ありません。」という言い切りの言葉を、問題顕在化後のメールでのやり取りの問題と、今年2月の時点での昭恵氏の記憶の問題に置き換えているようにも読めます。よく練られています。  本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。 この文章も本当によくできています。“霞ヶ関文学”の華と言ってもよいでしょう。第二文の「しかしながら~」で始まる文章は、一般論として「講演などの際に」秘書にそのようなことは言わないと言っているだけで、平成27年9月5日に昭恵氏がどうしたかは書いていません。「この日」(すなわち平成27年9月5日)のことについては、そのようなことを行っていない旨、秘書に確認した、というだけで、昭恵氏の一人称で、「私はこの日そのようなことを行っていません。」とは一言も言っていないのです。よく練られています。記憶違いというより印象操作 また、「講演の控室として利用していた園長室」とのお話がありましたが、その控室は「玉座の間」であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります。 玉座の間・・・。「終点が玉座の間とは、上出来じゃないか。」という某大佐のセリフが思い出されますが、森友学園の塚本幼稚園にはそういうものがあったんですね。しかし、この文章も平成27年9月5日のこととは特定していません。また、ここでも言い切りの言葉はなく、「思います。」と主観を述べているだけです。昭恵氏は3回、塚本幼稚園に行っているそうなので、記憶が特定できないのでしょうか。 2 携帯への電話について 次に、籠池さんから、定期借地契約について何らか、私の「携帯へ電話」をいただき、「留守電だったのでメッセージを残した」とのお話がありました。籠池さんから何度か短いメッセージをいただいた記憶はありますが、土地の契約に関して、10年かどうかといった具体的な内容については、まったくお聞きしていません。 借地期間の10年云々については、内閣総理大臣夫人付の職員から籠池氏に宛てたFAXには書かれていることなので、「それは職員が回答したことで私は聞いていません。」という意味にも取れます。ただ、職員がFAXに書いた借地の期間以外の他の点がどうだったのかについて、昭恵氏が聞いていたのかどうか、昭恵氏は明らかにしていません。また、籠池氏は昭恵氏の電話の留守電にメッセージを残した旨、証言したので、この点の両者の認識は一致していることになります。 籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えています。その時、籠池さん側に対し、要望に「沿うことはできない」と、お断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません。以上、コメントさせて頂きます。 これは記憶違いというか、印象操作ではないでしょうか。総理夫人付の職員から籠池氏に宛てた2度目のFAXとされる文章(毎日新聞参照)では、財務省国有財産審理室長の田村嘉啓氏からの回答として「4) 工事費用の立て替え払いの予算化について」と題した上、「一般には工事終了時に清算払いが基本であるが、学校法人森友学園と国土交通省航空局との協議にあたり、「予算措置がつき次第返金する」旨の了解であったと承知している。平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中。」と便宜供与とも取れる内容をあけすけに記載しています。官僚の「参考人招致」の不可思議東京から帰阪した森友学園の籠池泰典理事長(左)=3月15日、大阪国際空港 そして、実際、近畿財務局(財務省)、大阪航空局(国交省)、森友学園は、平成28年度予算が成立した平成28年3月29日の翌日に「有益費」の「返還」に関する合意書を締結し、国の会計年度が平成28年度になった直後の同年4月6日に、約1億3200万円を森友学園に「返還」と称して支払っています。もちろん、税金です。今日から見れば、国が「有益費」の名目で、税金で「工事費用の立て替え払い」をしたとも取れる内容になっているのです。実はこのことは、報道が激しくなる前に朝日新聞が2月14日の記事「学園「ごみ撤去1億円」 国は8億円見積り 国有地購入」に財務省のコメントとして掲載した「理事長は『撤去費の額は他の工事と一体になっているので分からない』と答えている」とも合致しているようにも思えます。 この頃は、政府の情報コントロールも行き渡っていなかった可能性があり、この件に関する初期の財務省の説明と、総理夫人付職員のものとされる文章の内容が合致しているように思えるのは興味深いところです。なお、森友学園が大阪府の私学審議会に提出した資料では、平成27年度に1億3000万円の「国庫補助金」があったことになっています(3月11日しんぶん赤旗)。合意書の日付を基準とすればこうなるのでしょう。 むしろ、このFAXは籠池氏の言う「神風」の起点となっている可能性はないでしょうか。そして、国から森友学園に対する約1億3200万円の「有益費」の「返還」は、実質的には計算根拠も法的根拠もない補助金だった可能性はないでしょうか。まとめ このように、昭恵氏の釈明文は大変高度な“霞ヶ関文学”であるため、本人の肉声が聞こえてこない内容になっています。残念ながら、偽証罪の制裁の下で証言をした籠池氏の証言の信用性には到底及ばないでしょう。裁判所で証人尋問をする場合は、問題となるやり取りがあったとされる双方を証人として尋問するのが普通です。双方の証言を聞き比べて、どちらが信用できるか考えるのです。昭恵氏は、フェイスブックでここまでのことをするのであれば、国会で証人として証言すればいいのではないでしょうか。官僚の「参考人招致」の不可思議 また、国会では、今日、迫田英典国税庁長官と武内良樹財務省国際局長を参院予算委員会に参考人として招致することになったようですが、これについても、証人喚問ではないため、極端なことを言えば、虚偽答弁をしたり、回答拒否をしても、それ自体には何の制裁もないのです。 実際、この間、矢面に立っている財務省の現・佐川理財局長の答弁の中には、ごみ撤去費用の見積を専門業者にさせず、大阪航空局がした理由について「撤去に時間がかかり、小学校が開校できないと損害賠償訴訟を起こされる恐れがあった」「国が費用を見積もり、学校建設を遅滞なく進ませようとした」(3月6日読売)などという、明確な嘘ではないものの、限りなく虚偽に近いものもあります。なぜ、森友学園の「強い要望」により、原則を曲げて土地を貸してあげた国の側が損害賠償請求を受けるのでしょうか。 また、この間、佐川理財局長は野党からの質問に対して回答拒否や不誠実な回答を連発しています。 なぜ、民間人の籠池氏は証人喚問で、国民の財産を預かる責任者の官僚は、責任を問われない参考人招致なのでしょうか。今日の籠池氏の証人喚問では、この二人の官僚だけでなく、平成28年3月に籠池氏と面談したと思われる財務省の官僚の名前も出てきました。これらの人々も証人喚問すべきでしょう。(「Yahoo!ニュース個人」より2017年3月24日分を転載)

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    劣等感あった安倍昭恵さん、どん底から自由奔放になるまで

    専門学校を卒業後は電通に入社。『安倍晋三 沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの秘密』(小学館)の著者で、政治ジャーナリストの野上忠興さんが言う。「ふたりの出会いは1984年、原宿のパブ。昭恵さんは待ち合わせ時間に30分以上遅刻してきたそうです。8才年下の彼女の遅刻に、安倍さんはムッとしたらしいですが、食事やゴルフを通じて親しくなっていきました」 出会って3年でふたりは結婚。あるベテランの政治ジャーナリストは当時の昭恵さんについて、「名家に生まれた苦悩を抱えていた」と語る。「エスカレーター式の学校に通っていた昭恵夫人は大学に進学せず、専門学校へ。電通に入ってもすぐに寿退社しており、学歴や職歴のコンプレックスがあったようです」 その後、安倍氏は国民人気の高かった小泉政権で頭角を現し、小泉元首相が退陣した2006年秋に首相となった。44才という若さでファーストレディーになった昭恵さんだが、当時は今のような存在感はなかった。「家柄こそいいですが、政界の中ではそれほど社交的でもなく、首相の横でただニコニコしている印象の強い夫人でした」(前出・ベテランの政治ジャーナリスト) 昭恵さん自身、過去の本誌・女性セブンのインタビューで当時についてこう漏らしている。《ファーストレディーとしていろいろな国の首脳の奥様たちとプロフィールを交換する時に、やっぱり向こうの方って、本当なのかっていうぐらいプロフィールが立派なんですよ。首脳夫人同士で会談する時も、専門的な知識がすごいし。その肩書の部分で、何となく圧倒されちゃうようなところがあったので》 安倍家という名門政治一家の重圧も相当なものだった。安倍首相の祖父は「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介元首相、母は岸の長女である洋子さん(88才)だ。「“妖怪の娘”である洋子さんは政界のゴッドマザーといわれ、岸・安倍家を絶やさないことが最大の関心事です。当然、昭恵夫人には安倍家の跡継ぎを産むことを期待しましたが、残念ながら子宝には恵まれなかった。不妊治療までしました。その後、“養子をもらおうか”と夫婦で相談したこともあったそうです」(前出・ベテランの政治ジャーナリスト)各国首脳夫人を思い一念発起各国首脳夫人を思い一念発起 家の内でも外でもプレッシャーにさらされていた昭恵さんだったが、2007年9月、さらなるどん底に落ちる。夫が首相在任1年で退陣した時のことだった。昭恵さんは女性セブンにこう振り返っている。《急にすべての風向きが変わってしまった感じでした。すっかり落ち込んで、精神的にどん底状態。家を出ることすらできなくなり、食べてはゴロゴロする生活で太ってしまい、体調も本当に悪くなりました》 そんな時、思い浮かべたのは各国の首脳夫人たちだった。「肩書に圧倒された」経験から、2011年、立教大学大学院に入学。学生は20代から70代まで年齢も職業も幅広く、そこでの学びと出会いが彼女を劇的に変えた。昭恵さんはこうも語っている。《以前は主人の言っていることがすべて正しいと思っていたんですが、対極の考え方もあって、それはそれでアリなんだということがわかりました》 夫の考えを黙って受け入れるだけでなく、時には真っ向から反対意見を述べる。2012年12月に夫が首相に就任して再びファーストレディーになったのち、昭恵さんは「家庭内野党」を宣言し、「原発の再稼働反対」「TPP反対」など、安倍首相とは違った見解を声高に打ち出す。周囲から「夫の足を引っ張ってどうする」と批判されても、自分のスタイルを貫くようになった。 昭恵さんの大学院の修士論文は「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活-NGOの寺子屋教育支援」だった。全国紙政治部記者はこう語る。(画像はイメージです)「昭恵さんが外遊に出かけたとき、教育施設や貧困地域に足を運ぶのは大学院で学んだ影響から。自分が得意とするライフワークは教育や若者の支援と見定めたんです。森友学園の幼稚園で講演したり、小学校の名誉校長になったのもそうした背景からです」 跡継ぎを産めなかったという葛藤も吹っ切れる。昭恵さんはあるインタビューで明確にこう話している。「政治家の一族だから後を継がなきゃいけない、地盤を継がなくてはいけないというものでもない。本当に国を思い、志を持っている人ならば、自然と選挙で出てくる」 もう“ゴッドマザー”洋子さんの視線も気にしない、ということなのだろう。2012年10月、昭恵さんがオーナーとして東京・神田にオープンした居酒屋「UZU」も、象徴的だ。「安倍首相と洋子さんは居酒屋に反対でしたが、昭恵さんは“夫の耳に入らない市民の本音を聞き出したい”と強引に押し切りました」(前出・記者) 彼女が深めた自信と独立心。ただ、周囲から暴走といわれても、ブレーキをかけることはなかった。関連記事■ 安倍昭恵さん 深夜2時に布袋寅泰呼び出し酔って首筋にキス■ 堀北真希 一時的に夫・山本耕史と離れ子供と北海道へ■ 昭恵夫人 首相訪米時に酔っぱらいトランプ夫妻から冷視線■ 愛子さまも? プリンセスを襲う拒食という「ロイヤル病」■ ビートたけしが語る「震災ボランティアと偽善の境界線」

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    「天下り」は言うほど悪くない

    文部科学省による組織的な再就職あっせん問題を契機に、「天下り」が久しぶりに世間の耳目を集めた。官民癒着の温床となる天下りはもちろん論外だが、メディアの報じ方はどれも批判一色である。キャリア官僚を高度人材として受け入れるのは、日本だけではないはずだが、なぜこうも叩かれるのか。

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    霞が関全省庁「天下りリスト」 官僚受け入れ大学トップは京大! 

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 文科省の天下り問題がいまだに国会で議論されている。 10年ほど前、筆者は第1次安倍晋三政権で官邸勤務の内閣参事官として、天下りを是正する国家公務員法改正の企画立案を担当した。そのポイントは、国家公務員の再就職について、退職前に利害関係のあるところへの求職活動を禁止したこと、役所の斡旋を禁止したことと、それを監視する再就職監視委員会の設立だ。 一般に、いわゆる「天下り」は好ましくないというが、実は公務員の再就職全般を禁止することは憲法上許されない。そこで、再就職に際して、正当なものと不当なものを分ける必要がある。何がマズいかというと、退職前に利害関係先に求職活動したり、権限を持つ役所が斡旋するから再就職を受け入れざるを得なくなることだ。そうしたものを不当な再就職として規制する。 逆にいえば、不当な自分の求職活動や役所の介入・斡旋がなければ、正当な再就職とする。こうすれば、再就職の弊害がかなりなくなるので、求職禁止と斡旋禁止条項を設けた。そして、それらの求職、斡旋活動を監視するために再就職監視委員会を設けた。 それと同時に、一定の役職以上の国家公務員の再就職状況を公表するようにした。内閣官房のホームページ(http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/jinji_j.html)に毎年公表されている。 今回の早稲田大学の件でも、内閣官房のHPで毎年の再就職状況が個人名と再就職先を含めて公開されている(http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/kouhyou_h280920_siryou.pdf)。 それをみると、氏名、退職時の年齢、退職時の官職、離職日、再就職日、再就職先の名称、再就職先の業務内容、再就職先における地位などが記されている。こうした資料を公開することによって、不当な再就職を牽制しようとしたのだが、今回は再就職監視委員会がよくやっており、マスコミは貢献していない。マスコミは天下り問題を報じても、こうしたネタの宝庫である原資料をまともに調べていないからだ。 今回の文科省事件でも、文科省から提供されている資料ばかりを報じているところが多い。常日頃感じていることだが、どうして日本のマスコミは調査報道ができないのだろうか、不思議である。合同庁舎に掲げられた文科省の看板=東京・霞が関 今回も人事課OBが介在して、その人物のみに焦点が当たっているが、これは役所からの情報リークにまんまとマスコミが乗っているからだ。実は、役人OBは今の制度では基本的に処罰されない。むしろ問題は実際に斡旋を行っていた現役の人事担当らにある。 現役役人が主で、OBはその補助役でしかないことを再就職監視委員会もつかんでいるからこそ、現役役人の斡旋を違法と認定できた。はっきりいえば、現役役人が将来得られる報酬は、OBのノンキャリア職員の比ではないほど大きい。その意味で、文科省の報道で、人事課OBの「ノンキャリア」をことさら強調するのは、トカゲの尻尾切りでしかない。役人の「再就職」実態は? 話を再就職状況に戻すと、あれだけの情報の宝庫を放っておくのはもったいない。そこで本稿では、2012年4月から2016年3月まで4年間の再就職数6000件あまりの全体的な傾向を分析してみよう(一人で複数箇所に再就職しているものは複数件としてカウント)。 再就職規制をクリアして再就職するためには、退職前での求職活動は独力かつ利害関係先以外で行うというのが基本である。退職後であっても独力でないとダメだ。 再就職を短期間で行うためには、利害関係先でないところに退職前から準備して行う必要がある。それはなかなか大変なことである。しかし、全体の中で、退職日の翌日に再就職しているケースは多く、全体の1割程度もある。1ヶ月程度(翌日を除く)も多く、全体の2割程度である。つまり、1ヶ月以内に全体の3割が再就職しているわけだ。 もちろん、ここのケースでは、独力で再就職先を探しているものもあるが、再就職の経緯について深く調べる必要があるだろう。実際、政府は、文科省に限らず全省庁に対して再就職調査を実施しているところだ。 また、4年間であるが、多くの再就職者を受け入れている法人も多い。これらは、事務次官クラスの大物OBが再就職するところではないが、役所の斡旋の有無をチェックする必要があるだろう。 次に、今回話題になっている大学への再就職状況をみてみよう。大学に限らず学校法人への再就職は、この4年間で一定役職者以上であるが、300件あまりある。 再就職者数の多い大学は、京都大学10件、東京大学9件、日本大学9件、国際医療福祉大学9件、早稲田大学8件などとなっている。 学校法人に再就職した人の出身官庁は文科省だけに限らない。文科省が69件と多いが、全体の2割であり、他の省庁からも大学に再就職する者は多い。 筆者もその一人であるが、役人の再就職先として大学を選択する人は少なくない。というのは、文科省以外であれば、利害関係先になることはまずなく、大学の教員公募に応じればいい。大学としても、元役人は基本的な知識もあり、さらに大学人が苦手とする「雑務」もこなせるので重宝とされることが多い。 筆者も、役人を辞めたら何ができるか考えたとき、大学かマスコミしか無理だろうと思った。一般企業に行くのは、役所のよほどの利権を背負っていかないとできないだろうと思ったものだ。 今回の文科省の事件は、他省庁出身の再就職とは異なる、文科省の利権があまりに強く影響して、それが目立ってしまったのだろう。しかし、再就職状況をみると、出身官庁の利権を背景とした再就職ではないかと邪推できるようなケースがないとは言い切れない。これは、再就職状況を個別に、見る人がみればわかるのだろう。

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    文科省天下りは悪なのか? 熾烈な大学「科研費」争奪戦の裏事情

    森健(ジャーナリスト) 一昨年夏、下村博文文科相(当時)による「国立大学における文系学部廃止」という問題が紛糾した。その問題に取り組んだ際、文部科学省のある高等教育局長経験者を取材した。 当時、彼は名古屋大の教授で、所属は「アジアサテライトキャンパス学院」という新設されたばかりの部門。その時には「あまり聞かない名前だな」ぐらいにしか思わなかった。 だが、今回文科省の天下り斡旋問題が発覚後に調べてみると、果たして彼の名前は上がっていた。同省の再就職等問題調査班が2月21日に発表した「調査報告(中間まとめ)」。その事例の「(4)」に実名で記されていた。 同氏は、名古屋大に赴任以前、文科省の人事課職員から早稲田大学の常勤講師として再就職の打診をされていた。調査報告には、一連の行為は下記のように記されていた。 <国家公務員法106条の2第1項に規定する「地位に就かせることを目的として」「役職員であった者を…地位に就かせることを要求し、若しくは依頼」したものと考えられる> 判定は、違法だった。  1月に発覚した文科省の組織的な天下り斡旋問題。2月末の時点で違法と認定されたのは計27件、前川喜平前事務次官や人事課職員など計16人が関与していたとされる。文部科学省の天下りあっせん問題について会見を行う松野博一文科相=2017年2月 役人による天下り問題は、まったくもって新しい問題ではない。90年代、大蔵省(現財務省)や厚生省(現厚生労働省)、防衛庁(現防衛省)など各省庁で取り沙汰された古い問題だ。実際、厳しい制約を設けた改正国家公務員法も2009年に施行され、すでに終わった問題という認識だったものだ。 だが、そうではなかった。今回の文科省の事件では、事務次官を含む、文科省という組織全体で進められていたことが判明した。事件の起点には、現役職員ではなく、人事課「OB」の存在があった。この「OB」という形で法の網をかいくぐれると判断したのが、組織的関与の端緒だったのだろう。 こうした文科省の工作を、制度を盾に責めるのは容易い。実際、月2回の出勤で年俸1000万円をもらっていたと聞けば、誰しも憤るのも無理はないだろう。 ただ、一歩引いた目で文科省を巡る構図を見ると、いまの大学業界には、こうした天下りがはびこりやすい温床はできていたのもわかる。一言で言えば、大学側にも文科省の役人を求めるニーズがあったということ。具体的には、研究者の研究活動を支える科学研究費(科研費)など補助金の獲得である。 2年ほど前、グローバルでトップレベルの研究をしている大学を、北は帯広畜産大から南は長崎大まで10校ほど、全国各地に取材に回ったことがある。その取材では世界的に先進的な研究にたびたび瞠目したが、同時に、もう一つまったく別の面で驚くことがあった。広報担当者が、軒並み東京の出版社や新聞社出身の元編集者だったことだ。 長崎大を訪れると、そこで広報担当者だったのは東京・大手町に本社を置く大手紙の元編集委員という人物だった。彼は同大の副学長にも就任していた。京都工芸繊維大では、ドイツなど国外から研究者を招く新しい学内機構が設置されていたが、その広報部門を担う人物は建築専門誌の元編集者だった。大学が必死になる「科研費」の獲得 そして、東京大。工学部や医学部など横断的、学際的な新機構がつくられた。そこを取材してみると、広報担当者には文学賞で有名な出版社の元編集者が就いていた。なぜ編集者が重宝されているのか。こうした人たちに会うたびに尋ねてきたが、その答えはだいたい似たものだった。東京大学の安田講堂 情報収集と情報発信である。この答えだけでは、きわめて凡庸に聞こえるが、重要なのはその目的だ。ある広報担当者は科研費獲得のためですよと語っていた。 「いかにうちの大学が学術の世界で貢献しているか。それを一般に周知させる(アウトリーチ)させるのが最初の目的。と同時に、そうして周知を図る中で、国に対してその効果を訴えかける。そこで研究への理解を得ることが科研費の獲得につながるからです」 どういうことか、すこし迂遠だが説明したい。 科研費とは、研究者の申請に基いて文科省や日本学術振興会から支出される研究資金のことである。個々の研究者は自らの研究を深めるべく、予算を学内外に申請するが、そこで大きな予算を獲得できるのは科研費をおいてない。素粒子物理学や工学系など大きな予算を必要とする研究では年あたり数千万円から数億円という大きなプロジェクトもある。 こうした大きなプロジェクトを遂行できるということは、さまざまな意味で大学に影響がある。第一に大きな予算をかけられるだけ将来有望な研究であると見られること。第二にそうした研究を行うことで、外部からすぐれた研究者がやってくること。第三に学生に対しても有望だということを訴えることができる。 小泉政権以降、文科省では「21世紀COE(センター・オブ・エクセレンス)プログラム」「グローバルCOEプログラム」「スーパーグローバル大学」などの枠組みのもと、有望な研究部門や研究領域には重点的予算をつける傾斜配分がとられてきた。この予算が獲得できれば、大学にとって大きなステップとなるものだ。 だが、こうした科研費の獲得はけっして簡単ではない。 科研費は文科省の外郭団体や日本学術振興会などで評価・審査されるが、そうした審査の際、いかにその研究が有意義なものであるか、所属する学会で認められることが第一だが、それとともに、いかに社会に貢献しているかを伝えられないことも昨今では重要になっている。税金を投じるにあたって、説明責任が求められるような社会背景が醸成されてきたためだ。 そうなると、科研費の獲得のためには2種類の人材が必要になってくる。一般向けには自校のPRを情報発信できる人物。この役割が元編集者だったのだろう。 では、運営方針を伝え、予算を獲得する文科省対策にはどうすべきか。そう考えたとき、内部事情に通じた人物の獲得として、文科省の元役人を想定したとしても不思議ではない。個々のケースというわけではなく、あくまでも外形的な事情から言えば、天下りはけっして不思議ではない話だったのである。ただ「厳罰化」するだけでいいのか 実際、先に記した文科省の再就職等問題調査班の「中間まとめ」でも、そうした事例は(21)の「公立学校共済組合事案」で明確に示されている。 <文科省OBの◯◯理事長は、同組合の病院において優秀な医師を確保するためには科学研究費助成事業(科研費)の申請機関となることが必要との考えに基づき、同組合の病院が科研費の申請機関となるための事務体制を支援し>たと記されている。 これもまた違法と認定されていた。 大学にとっては生き残り手段として、文科省の役人としては退職後の生計として、天下りが機能してきた。それが今回の問題の構図だろう。中間まとめの事例を見ても、文科省側の関係者はとくに疑いも持たず「ポスト」を融通したり、打診していた様子が報告からうかがえる。 この問題発覚後、呆れる声があるのはもちろんのこと、厳罰化を求める声もある。たしかに内容によって承服しがたい再就職があるのも事実である。 だが、この現状に対して、厳罰化といった対応でよいのかと言えば、疑問でもある。文科省にかぎらず、霞が関の官僚は退職後に各種組織に再就職するのが習いだ。次官を目指すレースにおいて、道が途絶えた人が出ていくのもはるか昔からわかっていることだ。そのために霞が関に隣接する虎ノ門には多様な特殊法人までつくられてきた。霞が関の官庁街(後藤徹二撮影) そうした昔も今も変わらない環境を考えるなら、実情に基づいた無駄のない再就職支援をすべきだろう。現状では内閣府の官民人材交流センターがその任を担っているが、うまく機能しているとは言いがたい(だからこうした事態が起きている)。実際、文科省では2008年の官民人材交流センターの発足以降、同センターを利用して再就職した人は一人もいなかった。 国家公務員法で公務員の再就職を禁じているポイントは3点。官庁が(組織的に)再就職に関与すること、本人が在職中に求職活動をすること、再就職した人が2年以内に元の職場に働きかけをすることである。 この法規定に則ったかたちで、ジョブマッチングができるような環境を整えるほうが、大学にとっても、文科省の役人にとっても有益だろう。それには人事情報に関してより透明性を高めたり、再就職の経緯が明かされるような仕組みというのも一案だろう。 元役人だからほしい人材と見るのもおかしいが、元役人だからけしからんという反応もおかしい。労働市場において、元役人も公平性ある流動性がつくれるか。今回の問題は、そのいいチャンスではないかと思われるのである。

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    官僚が晩節を汚しても手にしたがる天下り「お気楽ポスト」の中身

    若林亜紀(ジャーナリスト) 政府が天下りの斡旋をした文部科学省次官を更迭したことをきっかけに、「天下り問題」が注目されている。 まず、キャリアとノンキャリア、2人の文科省職員の天下りを比べて見てみよう。 国会に召喚され答弁した嶋貫和男氏(67)は文科省のノンキャリア組。北海学園大を卒業して1974年に文部省に入った。東京学芸大や東京大の人事課長などに出向した後、本省の人事課調査官(課長に次ぐ役職)、初等中等教育局参事官(課長相当)などを経て2009年7月に退官した。 その直後に、一般財団法人の教職員生涯福祉財団の審議役に就いた。といっても、仕事は財団の仕事ではなく、文科省の依頼で、文科省退職者を天下り団体や大学に斡旋することであった。ただし、これは違法行為なので、当時の財団の理事長にとがめられた。 そのため、13年から、天下り斡旋の舞台は大手生命保険会社に移った。明治安田生命保険が氏に顧問報酬という形で「月2日勤務で(年)1000万円」の報酬を払うことになった。嶋貫氏の事務所費や秘書の給与は文科省の別の天下り団体が負担した。 そもそも文科省は、全国の小中高大学教員とそのOB計200万人の年金や健康保険、生命保険を扱う公立学校共済組合と私立学校教員とそのOB計100万人の保険を扱う日本私立学校振興・共済事業団(私学共済)を管轄している。この生保会社はこれらの団体で扱う生命保険の幹事会社などをしている。だから、保険会社は文科省に頭が上がらないのだ。衆院予算委で文科省の天下り斡旋問題をめぐり自民党の牧原秀樹氏の質問に答える人事課OBの嶋貫和男氏(左)と、答弁を聞く(奥右から)山本幸三国家公務員制度担当相、松野博一文科相=2月7日、国会 この間、嶋貫氏は天下り斡旋をする中で、自らも成り上がる機会を得た。氏は10年1月、大阪にある慈慶学園の特別顧問に就いた。同学園は09年に大学院大学の新設を申請したが、審査中にいったん取り下げていた。氏が顧問に就き、3月に再び申請すると認可が下りた。学園は14年、ついに氏を学長として通信制大学の設置申請を行った。 このように、霞が関で出世したノンキャリア公務員は、違法な汚れ仕事を引き受けながら、抜け目なく自らを利していくことが多い。それに対して、キャリア官僚は手を汚さずにカネと名誉を得る。ただし、カネと名誉だけの閑職に見える。 その一人がキャリア官僚OBの磯田文雄氏である。 磯田氏は東京大法学部卒業後、1977年に文部省(当時)入省、在職中にスタンフォード大大学院に留学した。研究振興局長、高等教育局長などを経て2012年に東大理事に天下った。ただし形は本省に籍を置いたままの現役出向だった。なぜなら、09年に民主党が天下り根絶を掲げて政権交代したため、見せかけの天下り数を減らすための各省庁の対策で、本当は天下りなのに「出向」という形にしたのだ。東大理事の年収は1800万円である。 その後、13年9月に別の文部科学官僚に東大のポストを譲った。そして文科省に戻り「大臣官房付き」という、企業でいう「人事部付き」のような、仕事なしに給料だけをもらえる身分となった。14年3月に退官し、5月に茨城大の学長選挙に立候補。茨城大はこれを「天下りの押し付け」ととらえて反発、副学長を対立候補に立て、氏は落選した。年金受給までの職がほしい官僚 ところで、同年4月、文科省では「スーパーグローバル大学創成支援プログラム(SGU)」という大学の国際化支援の補助金交付先をコンテスト形式で募った。このコンテストに応募していた名古屋大は磯田氏に声をかけ、コンテスト応募事業の担当理事として8月に迎えた。この理由について名大総務部は「磯田氏が無職だったのでお願いして来ていただいた」としている。 そして9月にコンテストの合格発表が行われ、名大は合格し、10年間で最大42億円となる補助金が交付されることになった。一方で茨城大も応募していたが、落選した。 磯田氏は現在、名大が国際化事業の一環でアジア7カ国に作った出先機関を訪問して回っている。大学の組織図を見ると、氏のポストは大学のどこの組織にも属さない完全に独立したお気楽ポストのようだ。慶応大学三田キャンパス 2016年に慶応大に天下ったキャリア官僚の仕事も、大学によれば「各地にあるキャンパスの視察」だそうだ。広報室は「文科省OBの情報提供を受けて採用した」としている。 こうしたことから、名大も慶大も補助金がほしいから天下りポストは用意するが、大学の運営には立ち入らせないという思惑があることが透けてみえる。 文科省によれば、同省から大学への天下りは07年以降だけで102大学133名。そのほかに「現役出向」が240名以上という。 霞が関では組織のピラミッド構造を維持するために、50歳前後から早期退職が始まる。出世競争に残れなければ肩たたきされる。だからキャリアもノンキャリアも年金の支給開始年齢までの職がほしいわけだ。 また、大学にとっては天下りを一人雇うだけで面倒な許認可が通りやすくなったり、億単位の補助金がもらいやすくなったりするのだから、経営判断として受け入れるのは当然だろう。 ただし、これでよいわけはない。文部官僚は日本の教育行政を担ってきた高度人材だ。特にキャリア組の多くは、東大を出て公費留学までしている。本来ならば、補助金との引き換えでなく、実力のみで各大学に再就職し、大学を発展させる能力があるはずではないか。 たとえば、欧米の経営大学院は日本の大学とは桁違いに授業料が高額だが、世界から留学生を集め、教育が主要輸出品の一つといわれるほどである。日本の大学もそうできないか。大学側も少子化といえども、国の補助金頼みの経営でなく、教育で学生をひきつけ、社会に人材を送り、成功した卒業生が寄付をしたくなるような存在になるべきだ。  「学問の府」である文科省が違法な天下りの斡旋を組織的に行い、大学も補助金欲しさに天下りを受け入れるという、ワイロのような行為はやめるべきだ。文科省はキャリアもノンキャリアも一丸となり、大学の知恵も借り、国民に納得できるような雇用管理、退職管理と大学運営の方法を考えてほしい。また、違法な天下りと贈賄には厳罰を課すべきだ。

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    天下りより問題なキャリア官僚の地方出向制度の憂鬱

     何十年も前から批判されている、官僚の天下り問題。法律を制定するなど、天下りを防止する様々な方策がとられてきてが、なくならない。経営コンサルタントの大前研一氏が、天下りだけでなく、キャリア官僚の地方出向について本当の問題点を解説する。* * * 国家公務員法に違反した文部科学省の組織的な「天下り」斡旋問題で、同省の歴代次官や人事課長が“総懺悔”している。だが、これは文字通り氷山の一角だろう。各省庁による水面下での組織的な天下り斡旋は日常茶飯であり、内閣府の再就職等監視委員会の調査で簡単に違反が明るみに出た文科省は脇が甘かっただけだと思う。 私は「ビジネス・ブレークスルー(BBT)大学」などで世界中どこへ行っても通用するグローバル人材の育成に力を入れ、文科省もそういう教育改革を急げと訴えてきた。しかし、当の文科官僚が自分で再就職先も見つけられないという体たらくなのだから、グローバル人材育成の指導監督など望むべくもない。 キャリア官僚の能力や見識を民間で活用すべきだという意見もあるが、それは彼らが20代当時の学力評価であって、21世紀の世の中を生きていく能力ではない。もし彼らがそれほど高い能力や見識を持っているのであれば、なおさら再就職先を自分で見つけることくらいは容易なはずである。それが難しいということは、官僚OBを積極的に雇いたいと考える民間企業は非常に少ないということだ。 その上で、誤解を恐れずに言えば、今回の文科省の問題は、地方自治体も含めた国全体の人事制度の構図から見ると、大したことではないと思う。より大きな問題は、霞が関のキャリア官僚の地方自治体への「出向制度」にある。キャリア官僚は30歳前後から地方自治体の課長、部長、局長、助役、副知事などに出向し、国と地方を行ったり来たりする。 総務省の資料によると、国から地方自治体への出向者数は1600~1700人。つまり、都道府県や市町村の役所には、それだけの数のポジションが、中央省庁から出向してくるキャリア官僚のために用意されているわけだ。これは中央から地方への出向という形の“一時的な天下り”にほかならない。 さらに、この仕掛けの中で、キャリア官僚が知事や市長になっていく。たとえば、大分県知事は経済産業省(旧・通商産業省)の“指定席”で、現在の大分市長も経産省出身だ。石川県知事は総務省(旧・自治省)出身者2人が合わせて14期・54年もの長きにわたって務めている。これこそ天下りの“権化”だと思う。 では、キャリア官僚の地方出向制度の何が問題なのか? 地方の衰退を招く元凶になっているからだ。基本的に彼らは2~3年でくるくると交代する「回転ドア」人事なので、最初から腰掛けと思っていて真面目に仕事をしない。しかも、地元のことは何もわからないのに権限だけは持っているため、中央とのパイプが欲しい周りの人々にちやほやされて繁華街を上げ膳据え膳で飲み歩き、威張ることだけ覚えて転任していく。 そういう手合いがジャガイモの地下茎のごとく全国各地にはびこっているのだ。いわば現代版「国司」であり、これが地方のプロパー(生え抜き)職員の“ガラスの天井”にもなっている。 とはいえ、中央から地方への出向を禁じると、今度は関連団体や外郭団体を増やして、そこにパラサイト(寄生)するだけだろう。これは東京都なども同じ構図であり、こちらのほうが税金を無駄遣いするという点では天下りより問題だから、国民にとって何の役にも立たない関連団体や外郭団体は、国も地方もつぶしていかねばならない。 本来なら、私の持論である憲法第8章(地方自治)を改正して明治時代以来の中央集権体制にピリオドを打ち、真の地方自治を実現すべきだが、それができないなら、現在の歪んだ人事制度を抜本的に改革するしかないだろう。関連記事■ 天下りの根絶が難しい理由 国会答弁を役人が書いているから■ 官僚常套手段 首相答弁に都合の良い文言盛り込み既成事実化■ 財務省若手官僚の派手な遊び目に余るとの情報入ると総務官僚■ 警察庁が作った天下り斡旋会社代表「何の問題もないだろ!」■ 経済の千里眼氏 官僚がデフレと増税を好む理由を解説する

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    公務員「腐敗度ランキング」日本は20位、これをどう評価すべきか

    この指数は、腐敗とは「与えられた権限を濫用して私的利益を得ること」という定義に基づき、各国の公務員や政治家がワイロなどの不正行為に応じると思われているかを数値化してランキングしたものである。世界銀行など複数の機関による調査を組み合わせて集計しており、世界的に知られている。日本の大手企業などが海外に進出する際の贈収賄リスク対策や研修資料として使われており、このデータは毎年1月に更新されている。 ランキングによると、日本の得点は100点満点で72点、176カ国中第20位。前年は18位であり、その前は15位だったので、2年連続で下がっている。 腐敗度の低い国をみると、1位はデンマーク、2位がニュージーランド、3位フィンランド、4位スウェーデン、5位がスイスの順だ。例年、北欧勢がトップに並ぶ。逆に腐敗度が高い国は、1位がソマリア、2位が南スーダン、3位が北朝鮮とシリアが同点で並び、次いで5位がイエメンだった。 デンマークの公務員は、ほとんどワイロに応じないと思われており、一方でソマリアや南スーダン、北朝鮮の公務員はワイロにまみれているということになる。日本の場合、一般市民が公務員にワイロを送ることはあまりないと思われているようだが、データによれば、デンマークほど「清廉」ではなく、フランスよりは「信頼」できるといったところだろうか。 日本では、政治家による収賄疑惑が毎年のように明るみになる。以前は教員や消防士の採用をめぐり、大掛かりな刑事事件に発展したケースもあった。また、最近でも文部科学省による早稲田大学への「天下り」あっせん疑惑が明らかになったように、役所から発注先や補助金交付先への天下りは慣行化している。これは日本では違法ではないが、国際感覚ではれっきとしたワイロとみなされる。 トランスペアレンシー・インターナショナルでは「北朝鮮、アンゴラ、スーダン、南スーダン、ソマリア、アフガニスタンなど武力紛争が絶えない国では腐敗認識指数も低く、腐敗と平和は負の相関がある」と分析し、腐敗対策の大切さを訴えている。 日本と貿易の多い国の腐敗度ランキングをみると、アメリカは18位、中国79位、韓国52位、台湾31位、香港15位、オーストラリア17位、サウジアラビア62位、アラブ首長国連邦24位である。日本の税金の無駄遣いは途上国の腐敗に直結 ところで、安倍政権は「質の高い日本のインフラを世界に売り込む」とし、日本が主導するアジア開発銀行(ADB)や政府開発援助(ODA)を通じた融資を含め、アジアのインフラ整備に2015年からの5年間で約13兆円の資金を投じると表明している。実は、この成否のカギを握るのも途上国の腐敗である。せっかくの援助資金も対象国の公務員が腐敗していれば、ワイロで中抜きされてしまう。日本がODA大国となった今、途上国公務員の腐敗は日本の税金の無駄遣いに直結するといっても過言ではない。ベトナムのフック首相(右)と記念撮影で握手を交わす 安倍晋三首相=2016年5月16日 また、インフラを担う日本企業が対象国の公務員にワイロを送り、それが露見して莫大な罰金や和解金を支払うケースもしばしば起きている。以下に示すのは、2011年以降に発覚した関連事件と日本企業が支払った賠償金や和解金である。2011年 日揮ナイジェリア事件 米国司法省に罰金2億1880万ドル2012年 丸紅ナイジェリア事件 同和解金5460万ドル2013年 ブリジストン 中南米事件 同罰金2800万ドル2014年 丸紅 インドネシア事件 同罰金8800万ドル2015年 日立 南アフリカ事件 同民事制裁金1900ドル 2016年 オリンパス 中南米 同和解金2280万ドル2015年 日本交通技術ベトナム、インドネシア、ウズベキスタン事件 日本の裁判所に罰金9000万円 これらの事例をどう考えるべきだろうか。単に「ワイロを送った日本企業が悪い」と捉えがちだが、実はそんな短絡的な話ではない。事件が起きた国をみると、いずれも腐敗度が高い国ばかりである。そういった国では、公務員にワイロを送らなければ、役所は手続きさえ進めてくれない。日本交通技術の事件がその典型例である。同社はJR系のコンサルティング会社だが、日本のODAによるベトナムの鉄道建設において、技術入札で1位指名を受けていたにもかかわらず、ベトナム側の担当者が「内部会議のため経費が必要」としてワイロの要求を繰り返した。それが後に国税調査で発覚したのである。腐敗の高い国での取引には、より慎重になって交渉相手からのワイロの要求をかわさなければ、対象国で得た利益が結果的に多額の賠償金や和解金で吹き飛んでしまうこともある。とはいえ、これらの国々でもメディアやインターネット、公益通報制度は存在する国も多いので、昔よりも格段に贈収賄事件が発覚しやすくなっている。 先進国はOECD外国公務員贈賄防止条約を結び、互いに国際商取引で進出先国の公務員にワイロを送らないという約束をしている。特に米国法は厳しく、もし外国企業がアジアやアフリカで送ったワイロであっても、その企業が米国で上場していれば自国法の適用が認められており、贈収賄事件に絡んだ外国企業が米国司法省に支払った賠償金の総額は突出して多い。これは日本企業を狙い打ちにしたものではなく、米国企業も厳しく処罰されている。 世界の公務員「腐敗度ランキング」は、今や日本のODAの有効性や輸出企業の収益にも密接な関係がある。だからこそ、政府も企業もこうしたデータをうまく活用し、対策を講じることが自国の利益を守ることにつながるのではないだろうか。

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    公務員の同期年収格差 天下り後は3000万円以上差がつく例も

     会社の「同期」はサラリーマンとして苦楽をともにする仲間であり、鎬を削るライバルでもあるが、当然、キャリアを何十年も重ねれば給与・待遇は大きく違ってくる。 しかもその「同期格差」が近年、広がっている。特に大手商社や金融業界は出世コースや学閥などによって、およそ2倍の差が開くことも珍しくない。また、自動車メーカーは海外勤務の有無などが差を生むという。 有名企業以上に同期格差があるのが「公務員」だ。国家公務員試験1種(現・総合職)に合格したキャリア組は入省年ごとの出世レースが注目される。当然、同期のライバルを徹底的に意識する(金額は一般的なケースの概数、以下同)。 その一方、給料に差は少ない。熾烈な出世競争のすえ「同期で1人」といわれる事務次官になっても年収は2300万円だ。原則としては全員が年収1400万円の本省課長までは約束されている。 ここから50代前半に民間企業の役員にあたる「審議官」クラス以上に出世できるかが別れ道なのだが、問題はその先だ。「官僚はどこまで出世したかでその先の天下り先がまったく違う。なかには大手の天下り先を転々とする“渡り”で総額数億円を稼ぐケースも多い」(全国紙記者) 同期格差が退職後に最も大きくなるのだ。1年間に3000万円以上の差がつくケースもあるという。関連記事■ 自動車メーカーの同期年収格差 トヨタは拡大、ホンダは縮小■ メガバンクの同期年収格差は2倍 50代は今後無職もありえる■ 大手商社の年収格差「同期4000万円、私は1500万円」と幹部談■ 大企業で「同期の年収格差」が広がる 750万円に達する例も■ 30代と高齢者の社会保障費 生涯格差は1人あたり6000万円

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    「籠池爆弾」の破壊力やいかに

    「籠池爆弾」という言葉は今年の流行語にでもなるのだろうか。学校法人「森友学園」をめぐる一連の問題で、籠池泰典氏の証人喚問が国会で行われる。最大の焦点は、安倍首相夫人から受け取ったという100万円の真偽だが、この疑惑が持ち上がった経緯には不可解な点も多い。さて、真実やいかに。

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    矛盾に満ちた戦後保守の「ゴマカシ」を暴く籠池証言のインパクト

    むろん、事実の究明はなされるべきである。不正や腐敗が確認された場合は、厳正な処断が求められよう。だが政治権力の周辺で、利権や金銭のからんだ不祥事(または、それらに関する疑惑)が生じるのは、古今東西、普遍的に見られる現象ではないか。 裏を返せば、不祥事や疑惑が生じるかどうかは、当該の政治権力が掲げる理念の内容とは、少なくとも直接的な関係を持たない。不祥事は生じないに越したことはないし、疑惑も可能なかぎり晴らすのが望ましいが、政治が往々にしてキレイゴトではすまされないのも、世のいつわらざる真実なのだ。 では、森友学園騒ぎが浮き彫りにした保守の問題とは何か。ずばり、「ナショナリズム」や「戦前」にたいする理念的な曖昧さ、もっと言えば矛盾にほかならない。 保守(主義)とは自国の歴史や伝統を尊重しつつ、現実的な姿勢で物事に対処する理念と規定できる。とすれば「ナショナリズム」と「戦前」のどちらについても、積極的に肯定するのが筋となろう。ところがわが国の保守は、現実的な姿勢で物事に対処しようとすればするほど、これについてキッパリした態度を取れないのである。報道陣に囲まれる籠池泰典氏=2017年3月16日、大阪府豊中市 戦後日本では、いわゆる「昭和の戦争」に大敗したこともあり、それまでの自国のあり方を「間違った悪しきもの」として否定する傾向が強い。とりわけ敗戦直後は、「保守」が政治勢力として成立する余地など皆無だったと言っても過言ではなかろう。 しかるにアメリカに率いられた自由主義諸国と、ソ連(現ロシア)を筆頭とする社会主義諸国の体制的対立、つまり冷戦が激化したことにより、保守は再起のきっかけをつかんだ。理由は以下の2点にまとめられる。 (1)わが国をアジアにおける「反共(=反社会主義)の防波堤」に仕立てようとしたアメリカが、それまでの方針を転換、再軍備をうながした。安全保障はナショナリズムの肯定抜きに成り立たないため、これは日本国内の保守勢力を支援することに行き着いた。 (2)冷戦の激化が、「現実的な姿勢に徹する以外、国の存立を確保する道はない」ことを突きつけた。そして日本はアメリカの占領下にあったのだから、「現実的な姿勢」が対米協調、もしくは対米従属を意味するのも明白だった。日本国憲法の前文や九条を金科玉条と見なし、「観念的な絶対平和主義に徹すれば万事解決」といわんばかりに構えた左翼・リベラルの主張は、これによって説得力を大きく失った。 かくしてわが国では、例外的な時期を除けば、「親米路線の保守が政権を担当し、左翼・リベラルは万年野党としてそれに文句をつける」という図式ができあがる。現在の安倍政権も、くだんの図式のもとに成り立っているわけだが、このような保守のスタンスには重大な問題がひそんでいた。「森友スタンス」が持ったインパクト 親米路線が大前提である以上、戦後日本の保守は、アメリカの意向や利益に反しない範囲でしか、自国の歴史や伝統を肯定できないのだ。言い換えれば彼らのナショナリズムは、しょせん条件つきのものにすぎない。のみならず「昭和の戦争」において、わが国はアメリカを相手に総力戦を繰り広げたのだから、これは戦前を(あからさまに)肯定してはいけないことを意味しよう。 要するに「自国の歴史や伝統を肯定すること」と、「現実的な姿勢で物事に対処すること」が、根本で両立しえなくなってしまったのである。この経緯や構造については、2月に刊行した『右の売国、左の亡国 2020年、日本は世界の中心で消滅する』(アスペクト)で詳細に論じたので、そちらもぜひご覧いただきたい。(https://www.amazon.co.jp/dp/475722463X)(https://www.amazon.co.jp/dp/B06WLQ9JPX) だとしても現実主義の名のもと、自国の歴史や伝統をないがしろにするようでは、保守も何もあったものではない。ゆえにナショナリズムと戦前の双方について「頭ごなしに否定しようとする左翼・リベラル的な姿勢には反対する一方、あからさまに肯定するのも『行き過ぎ』として慎む」というのが、戦後保守、少なくともその主流派のスタンスとなった。 自民党の参院議員である片山さつき氏の言葉にならえば、「オーソドックスな保守派」は「日本の良さをきっちりと戦前に回帰しないで言おうとする」ために、さんざん神経を使うハメに陥ったのだ。腰の定まらぬ態度と言えばそれまでだが、そうでない限り、「歴史や伝統の肯定」と「現実的な姿勢」の間でバランスが取れないのだから仕方あるまい。片山氏の発言自体、「きっちりと」という語句が「戦前に回帰しない」にかかるのか、「言おうとする」にかかるのか、構文が曖昧になっていた。(https://abematimes.com/posts/2125532) 余談はさておき、ここまで来れば、森友学園騒ぎが保守勢力を揺るがすインパクトを持つことは明らかだろう。同学園が運営する「塚本幼稚園」では、運動会の宣誓で園児に中国や韓国を批判させたり、あるいは教育勅語を教え込んだりと、ナショナリズムや戦前をあからさまに肯定する教育方針が取られていると伝えられる。森友学園が建設中の「瑞穂の国記念小学院」=大阪府豊中市 「オーソドックスな保守派」にとって、これは寝た子を起こす振る舞いである。常識的に考えて、幼稚園児が運動会で他国に文句をつけるのは行き過ぎのそしりを免れない。ちなみに戦前も、日露戦争当時の政府は「日本とロシアは国際的な利害対立によって戦っているが、日本人とロシア人の間に個人として怨恨があるわけではないのだから、いたずらに相手を罵倒するような真似は大国の民として慎むべきだ」という趣旨の態度を取った。 だが、森友学園のような姿勢を頭ごなしに否定するのも、「ナショナリズムはダメ」「戦前は悪しき時代でしかなかった」という風潮に塩を送るようなものではないか。同学園のスタンスは、戦後保守が「歴史や伝統の肯定」と「現実的な姿勢」の間でどうにか保とうとしてきたバランスを揺るがしかねないものなのだ。片山氏が籠池理事長について、「全くバランスの欠けた人」と批判したのも、無理からぬ話だろう。戦前と戦後に筋を通せ だとしても、籠池理事長を批判すれば事足れりとはならない。「アメリカの意向や利益に反しない範囲でしか自国の歴史や伝統を肯定できず、ゆえに『歴史や伝統の肯定』と『現実的な姿勢』とがしばしば矛盾をきたす」という戦後保守のあり方も、いかんせん欺瞞的なものだからだ。 その根底には、敗戦の際はもとより、独立回復、さらにはそれ以後も、自国のあり方を総括し、戦前と戦後に筋を通そうとする努力を十分してこなかった問題がひそむ。意地悪な言い方をすれば、戦後保守はおのれの矛盾にきっちり立ち向かうのではなく、当の矛盾をきっちり隠蔽しようとすることにばかり神経を使ってきたのである。 これを露呈してしまったのが、3月8日の参院予算委員会における稲田朋美防衛大臣の発言だった。社民党の福島瑞穂議員から教育勅語をどう評価するかと問われ、稲田防相はこう述べている。 「私は教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行とか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして維持している」「教育勅語に流れている核の部分、そこは取り戻すべきだと考えている」「教育勅語自体が全く誤っているというのは私は違うと思う。これは(防衛相としての)所管ではありませんけれども。(中略)その精神の核自体は道義国家を目指すというのは、目指すべきだと思う」(http://www.j-cast.com/2017/03/10292840.html?p=all) だが、いかなる文書においても、内容と形式を切り離すことはできない。教育勅語の「精神の核」は、それが勅語、つまり天皇が国務大臣の副署(明治憲法下、天皇の名に添えて、助言する立場の者が記した署名)なしで発表した言葉であることと不可分なのだ。教育勅語原本(右)と謄本 日本国憲法の第三条は「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要と(する)」と定めており、第四条第一項は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行(う)」と定めている。片や教育勅語は、日本人、および日本社会のあり方について、いろいろ具体的な指針を提示しているのだから、内容に評価すべき点があろうと、憲法の規定に違反する疑いが強い。現に1948年、国会では同勅語の失効と排除が決議された。 ゆえに教育勅語をどう評価するかは、「敗戦によって、天皇の地位や役割が変わったことをどう評価するか」という問題と直結する。しかしここまで踏み込んだら最後、戦後保守としての立ち位置が崩壊するのも疑い得ない。 だからこそ稲田防衛相は、勅語の「精神」や「核」なるものを取り出して、弁護論を展開するほかないのだ。ただし国としての道義性を高めるという理念は、勅語の形式を取らなくても表明できるのだから、これでは教育勅語自体を評価したり、弁護したりしたことにはならない。 稲田防相は2月にも、南スーダンにおける自衛隊のPKO活動に関連して、「憲法上の問題があるので、戦闘ではなく衝突という言葉を使う」旨を答弁、厳しい批判にさらされた。くだんの答弁と、教育勅語をめぐる今回の答弁は、みごとに同じ構造を持つ。どちらの場合も、戦後保守の抱える矛盾、ないし欺瞞をどうにか取り繕おうとする姿勢が、「小手先のゴマカシ」としか形容しえない発言を生んでしまったのだ。 森友学園の騒ぎは、そのようなゴマカシが、もはや維持しえないことを突きつけているのではないだろうか。やはり事の本質は、利権や金銭をめぐる疑惑などにはないのである。

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    サイコパスか人格障害か 籠池氏の深層心理を心理学者が読み解く

    むことになるだろう。会社は成長し、社長の社会的評価が高まる中で、部下や下請けは泣くことになるだろう。<偉大な自分にふさわしい成功を求める 彼らは、人生や社会をまるでゲーム感覚で生きているようなものだ。だからこそ、ビジネスで大成功を収めることもできるし、またゲーム感覚で他の人を壊してしまうこともできると言えるだろう。 経営者の中には、「自己愛性パーソナリティ障害」が多いと言う人もいる。自己愛性パーソナリティ障害者は、自分を特別な存在だとみなしている。もちろん、人はひとりひとり特別な存在だ。自分を愛することも必要だ。だが健康的な人は、自分も他の人々も同様に特別な存在だと感じている。自己愛性パーソナリティ障害者は、自分だけが特別な存在だと感じている。 彼らは、ありのままの自分を愛することができず、偉大な自分にふさわしい成功を求めている。常に周囲からの賞賛と特別扱いを求めている。彼らは、一通りの成功を収めた時にも、さらに限りない成功を求めて進んでいく。 彼らは、実際に自分が偉大で才能豊かで十分な業績を持っていると感じている。そのように思ってもらえるように、表現に誇張が見られる時もある。多少の大げさな表現の場合もあれば、虚偽の経歴を示すこともある。 彼らは、周囲からの過剰な賛美を求める。社長になれば、通常の社長以上の王様のような扱いを部下に求めることもある。彼らは特権意識を持ち、部下も社会全体も自分に特別な計らいをしてくれて当然と感じている。そのような態度に乗せられてしまえば、実際に特別扱いをされることもあるだろう。相手が王様のような態度を取ってくれば、こちらは家来のような態度をとってしまうこともある。そんなことが、他社の窓口や役所の担当者にも起きてしまうかもしれない。彼らは尊大で傲慢な態度をとるが、周囲が怖れて従ってしまうこともあるのだ。 彼らは、しばしば有名な人と懇意であると強調する。実際はパーティーで一度会っただけなのに、親友だと表現することもある。彼らは、目的のために人を利用する。部下も知人も利用するし、有名人を利用することもある。彼らは、人に嫉妬する。また、自分が嫉妬されていると思い込む。身近な人々が彼らの特異な性格を助長する サイコパスも自己愛性パーソナリティ障害も、トラブルは起こしやすいが、上手くいけば社会的成功を手にすることはできる。世の中にはこのような人が多くいる。ごく身近な人からは評判が悪いが、社会的には大成功している人もいるだろう。 あるいは、特異な性格の持ち主なのだが、良いパートナーに恵まれている人もいる。家族や仕事上のパートナーが、彼らの能力と特徴を生かしつつ、同時に不法行為やあまりに不人情なことはさせずに、社会と折り合いをつけつつ成功を重ねることもある。そもそもパーソナリティ障害の傾向があっても、上手くいっている限りにおいては、問題が大きくならずに済むことも多い。 しかし、身近な人々が彼らの特異な性格を助長してしまうこともある。また私生活や仕事上でトラブルが発生すると、これまでのやり方が通用しなくなり、一気に破綻することもある。 今回の籠池氏の問題に関しては不明点も多い。だが、もしもこのように社会的な話題にならなければ、小学校は予定通り開校されていたかもしれない。様々な疑惑も明るみに出なかったかもしれない。籠池氏がマスコミから責められることもなかったかもしれない。 しかし、トラブルは起きてしまった。籠池氏の偉大な考えに基づく計画は頓挫しようとしている。問題発生以前は、彼を応援していた人々も手のひらを返すように態度を変えているだろう。こうなれば、大きな目標のために彼自身も安倍総理夫妻への態度を大変換させたのかもしれない。 人の能力も性格も、偉業を成し遂げるか破綻するかは、紙一重だ。大馬力の大型自動車を安全に運転するのには、大胆さと繊細さと善良さが必要だろう。

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    森友騒動のキーマン元しばき隊、菅野完の正体を私は知っている

    った。そして「右翼」と対峙するために特に屈強な男たちが集まった。エリック・ホッファーは言う。「どんな政治運動でも最初の段階ではアタマのおかしい狂信者がいて、それが突破口になる」と。向こう見ずで後先を考えない人間が、ある局面では必要となる。その中のひとりが菅野完だった。※注 これについては「『しばき隊』とはなんだったのか -21世紀のダーティー・ハリーの栄光と没落」という文章を書いたことがあるので、そちらを参照されたい(http://blogos.com/article/148887/?p=1)菅野氏がしばき隊で失脚したワケ 当時はサラリーマンだったというが、これについては菅野氏ともう数年に近い付き合いを続けている筆者もよく知らない。あまりに詳細すぎるゆえに却って胡散臭いWikipediaの記述もすぐに信じる気にはならない。おそらく、このしばき隊の頃はネットでの活動が唯一のものだったと思う。Twitterで様々な論陣を張っていた菅野氏は、しばき隊の以前から在特会を中心とする差別主義団体への抗議運動を目論んでいた。そのため、そのネット発信力の影響力は強かった。大向こうを相手にして勝負をかける手際も、ネット出自の一個人にしては全く見事だった。生活保護バッシングをいさめる新聞広告をネットの人たちからの寄付金で実行したのも菅野氏だ。しかし、そのうちに菅野氏はこの運動界隈から「失脚」する。報道陣に囲まれるジャーナリストの菅野完氏=3月15日、東京都港区 もともとは汚れたドブ川に体を沈めて素手でヘドロを掻くような仕事で、主義主張にはこだわらない集団であったし、それがどんな人間であってもその目的に適している人間であればよかった。人には言えないような過去をもつ者もいた。そもそも「社会運動」というものに向いていないアウトローが多かった。アメリカ大使館に火炎瓶を投げ込んだ右翼、共産党議員の親をもつアウトロー気取りのデザイナー、ネットの荒らし行為を繰り返していた音楽雑誌の編集者、逮捕歴のあるJリーグのフーリガンのリーダー、名の知れた不良の過去をもつ不動産屋の社長、外国で長いことドラッグにイカレていた写真家、これらを佇まいよく社会運動のためにコントロールしようとするのは無理だ。 一方その頃には、在特会をはじめとする差別主義団体の活動が鈍ってきていたこともあり、そのしばき隊が解散して、その反差別の活動を社会運動として組織化することになった。すると、やはりその居住まいの悪さが裏目に出るようになった。男女関係も乱れていた。とても社会運動の体裁を整えられるような集団ではない。「もともとネットのチンピラなんだから、チンピラなりの分をわきまえるべきだ」とかつてその界隈と行動をともにし、ご意見番のような存在であったひとりは、何か問題が表面化するたびに筆者に苦々しく言い放った。菅野完もいわばそうした「チンピラ」のひとりだった。もともとは女性関係に悪評があった菅野氏だったが、それがさらにエスカレートして運動内部で問題化。それを収拾しかけたかという矢先に運動の活動費用の金銭問題が明らかになった。ここでこの運動界隈の人たちは菅野氏から離れていった。今でもこの界隈から菅野氏は蛇蝎(だかつ)の扱いだ。『日本会議の研究』をものにした菅野氏 やがて、このしばき隊がコアとなった反レイシズムのネットワークは、中心を持たない「クラウド」のまま、ほとんど何も考えた形跡がないまま戦後左翼の定型にからめとられていくようにして反安保法制や沖縄問題に介入していく。反原発運動に右翼の立場から参加し続けている針谷大輔氏は、「右からの脱原発」を唱える理由として、脱原発運動が左翼の運動と思われたらそれは終わってしまうからと言う。実際、ヘイトスピーチ規制法も自民党の右派からの賛同があって初めて前に進んだものだった。沖縄問題もこれまで左派が決定的な役割を果たしたことは一度もない。沖縄問題は左翼の運動だと思われたら終わりなのだ。それなのに、よりによって悪評ふんぷんたるメンバーが、いわば沖縄の住民運動に介在していく。これが果たしてほんとうに問題解決のためのプラスになるのか私には極めて疑問だ。そこではまた例のように居住まいの悪さが続く。おそらくまた不祥事は露出するだろう。「日本会議の研究」 一方で、運動からいわば追放された菅野氏は独自の道を歩んだ。これが逆に正解となった。かつて行動をともにした人たちが、定型の戦後左翼活動をしていく一方で、これから離れた菅野氏は持ち前の押しの強さとヘドロを掻きわけるような行動力、そして何よりも狙った相手となら刺し違えてもかまわないという覚悟を武器にして新右翼と右派人脈に食い込み、そして『日本会議の研究』をものにする。 だから、研究書というよりもノンフィクションとしてのスリルに満ちたこの書は、過去の暗部から這い上がってきた菅野氏のたったひとりの「運動」なのである。そういう意味で、菅野氏を「ジャーナリスト」ではないというのはあたってもいるだろう。彼は扇動している。大向こうを相手にした運動を行おうとしているのだ。だが、もともとはジャーナリストというのはそういう存在なのではなかったか。 テレビタレントのどうでもいいような不倫スキャンダルやアイドルグループの子供じみた内紛を報じるのがジャーナリストなのか。それがドンキホーテの故事のような愚かな結末になるとしても、「巨悪」にせめて真っ向から立ち向かうのが報道なのではないのか。もちろん、これに賛否があるだろう。しかし「狂信者」は事態を打開するために突き進む。己の才覚と悪運の強さだけが彼の頼るべきものだ。きっと地獄に落ちても同じことを菅野氏はやっていくだろう。菅野完劇場は続く 菅野氏が籠池理事長に食い込んだルートはわからない。おそらくは『日本会議の研究』のベースとなった右派人脈から入りこんだのだろう。もともとは差別主義的主張をし復古主義を戯画的にまで行う狂信的な教育を行ってきた森友学園は、菅野氏は排撃する立場だった。それが今は籠池氏の代理人のようにふるまい、籠池氏からの情報をもとに政権や官僚、大阪府政との癒着を暴露する。この振る舞いは、例えば籠池氏と議員団の前に押し寄せた排外主義団体のような右翼からも、またこれまで籠池氏と森友学園の教育方針や疑獄を批判してきた人たちをも困惑させた。菅野完氏からの取材を受けた森友学園の籠池泰典理事長(右) と妻の諄子氏、長男の佳茂氏 =3月15日、東京都港区 しかしこれは菅野氏の目的意識からすればクレーバーな戦略だと思わざるをえない。籠池氏にはおそらくこの先に未来はない。せいぜい戸塚ヨットスクールが細々と存続しているように一部の狂信的な父母の子供たちを相手に私塾をやっていくのがせいぜいだろう。それならば、籠池氏をあたかも被害者のように擁護し、彼の尻尾切りをして生き延びようとしているものを告発するようにしたほうがいい。この絵図の見立てと段取りの手際よさは見事としかいいようがない。おそらく外国人記者クラブとの会見をセットしたのも菅野氏だ。だから、記者クラブの会見が中止になったのにも関わらず、籠池氏は菅野氏の自宅を訪問したのだろう。あの菅野氏の自宅前の演説の中の暴露はきっと外国人記者クラブで籠池氏が行うものだったのだろう。 おそらく現在のプロパガンダのようなテレビ向けのトークとツイッターの断片的な情報は、正確にこの森友学園問題を理解しようとしている人ならば、話は半分で聞いとくほうが無難かもしれない。しかし、おそらくまだこの後に菅野完劇場は続くだろう。そして、そのたびにこの狂信者に戦慄する人はどこかにいるはずだ。

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    「ファクト」なき籠池喚問は、史上最低の疑惑追及劇として汚点を残す

    題が発端になっていたはずだった。私の知る限り、一時期の共産党や民進党など野党は、明らかに「政府高官に政治家の関与を含めた金が渡っている贈収賄の疑獄事件」とみて疑惑を追及していた。その証拠として、民進党幹部の数人が「一大疑獄事件」と私自身に語っていたほどだった。 昔から野党の国会追及を伴う新聞社の社会部記者や週刊誌記者などの追及キャンペーン記事は、「政府要人の”首取り”という手柄となる」と言われ、今回も安倍総理の「首取り」を狙う機会であったことは間違いない。 しかし、いま野党側は「明日は真相解明の第一歩」(民進党の山井国対委員長)とトーンダウンした発言に変わった。新たな疑惑があれば、その材料を元に再び政府与党を追い込めるはずが、「事実の提示」という最も重要な行為に自信がないからであろう。民進党の蓮舫代表(右手前)の質問に答弁する安倍晋三首相=2017年3月 実際にいつの間にか、安倍昭恵夫人(籠池氏本人は「安倍総理自身」と語っている)からの「100万円の寄付問題」に焦点がすり替わっている印象は否めない。もし証人喚問の「最大の真相究明の焦点」が、この100万円の授受の有無の問題だとすれば、これほど情けない疑惑追及劇はない。 今回の証人喚問は、政府与党側から野党に持ちかけているのが実態で、現時点で政府側からの反撃は、その100万円の事実解明に焦点が絞られてきている。本質からずれた疑惑追及をかわすには、相手の最も知りたいことにスポットを当て、事実関係をきちんと答えることは極めて正攻法に近い。 実際に、今回の参議院予算委員会が「真相追及の場」にならない可能性も出てきた、と私は考えている。疑惑追及には法律や社会的道義性に違反する重大なファクトが不可欠であり、仮に重大な新事実すら提示できず、野党もマスコミも、「これは真相解明の第一歩」「疑惑は残った」として追及を続ければ、彼らにとっては「役得」ではあっても、本来の義務を果たしているとは言えない。 さらに、この100万円の寄付問題に対して、虚偽の事実があったとすれば、即座に籠池氏の元に逆にブーメランとして返ってくることになる可能性も高い。明確な現金の授受の証明が必要不可欠 落ち着いてよく考えれば、今回の件が「疑獄事件」だとすれば、学校法人の認可に奔走した籠池氏側が政治家側から資金提供を受けていなければ話の筋としてはおかしいし、その疑惑追及の「正攻法」や「本質」からはずれた問題になると考えなければおかしい。 そもそも、今回の国有地払い下げ問題が政府の言うとおり、きちんと法律に則って行われていたとすれば、あとは籠池氏側から政治家への現金の授受の証拠を突きつけるのが本来の疑惑追及の「正しいあり方」のはずだ。 大体、時代を遡って言えば、学校法人の国有地払い下げを問題化するとすれば、日本国内で頭の痛い事例がたくさんある。 例えば、東京三鷹市に広大な土地を持つ国際基督教大学は、GHQのマッカーサーが日本にキリスト教を広げるために、「隼」など戦闘機を作っていた中島飛行機を「戦犯」に指定した上で、土地を没収し、日本政府に寄付をさせた土地に設立されている。 他にも私立大学や私立高校で国有地払い下げのケースがあり、元々公立学校の敷地であれば、「国有地払い下げ問題」は存在しなかったであろう。いまのマスコミがおかしいのは、そもそもそう遠くない過去に、大手新聞社を含めた国有地払い下げの例があるにもかかわらず、それを無視するかのように、森友学園ばかりを攻め続けていることだ。 私は、国会やマスコミが疑惑追及をすることを否定しているわけでは全くない。今回の籠池氏の言動は、不可解かつ虚偽性の高い可能性があり、それを言論の府の国会で取り上げるのは自由主義国として当然だろう。報道陣に囲まれる籠池泰典氏=2017年3月16日、大阪府豊中市 しかし、今回の疑惑追及の本質は、政府与党の政治家側に対して、籠池氏側から資金提供を受けたのか否か、という事実追及を中心にすべきだという点は、くれぐれも指摘しておきたい。 田中角栄が3億円を受け取ったロッキード事件や、与野党議員に株式や現金をバラ撒いたリクルート事件がそうであったように、それが野党側やマスコミの責任追及の「正攻法」であるからだ。当然、彼らが狙う「首取り」は、そこから贈収賄を含む疑獄事件として成立し、発生してきた歴史をマスコミや野党は振り返るべきである。 万が一、今回の国会喚問で政治家側に利益を生じさせる現金の授受を含めた政治家の関与の事実を立証できなければ、野党やマスコミは潔く手を引くべきであろう。 繰り返すが、野党やマスコミの疑惑追及の基本は、「口利き」や「斡旋利得」を含め、政治家への「明確な現金の授受という行為の証明」が必要不可欠であり、それが立証できない事件は、法律的にも歴史的にも、「疑獄事件」としては成り立たないのである。

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    情で繋がり、情でつまずく保守の世界

    あった。 田母神氏の支持母体は、前述で『南京の真実』を製作した母体、日本文化チャンネル桜が傘下に持つ政治団体『頑張れ日本!全国行動委員会』で、田母神都知事選出馬のために急遽、政治資金団体「東京を守り育てる都民の会(後、田母神としおの会)」が結成され、『南京の真実』の時と同様、保守界隈=保守ムラが全精力を傾けて持てる力のすべてを総動員した総力戦の様相を呈した。 強烈なタカ派としてネット世論を熱狂させ、「閣下」の愛称までついた田母神の都知事選立候補は、保守・右派、そしてそれを支持するネット保守層にとって悲願でもあった。実はこの時、都知事選勝利の暁には、田母神新都知事のイニシアチブの下、都が一部株主であるTOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)を間接支配する、という、いま考えれば到底実現不可能な、無茶苦茶な計画すらも、筆者はある選対幹部の一人から直接聞いたことがあるのだ。2016年4月14日、自宅を出る田母神俊雄被告(松本健吾撮影) ここでまたもや彼らは、「保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」というくだんの手法を展開した。当然、自己資金が足らず政党交付金や助成金も受けられない「手作り選挙」が故に、畢竟、その資金源は寄付金に求るしか他になかったからである。 この時期、「都民の会」が製作した選挙用ポスターにある、田母神俊雄氏への賛同人・推薦人一覧には、これまた下記に一部列挙するように、保守界隈のそうそうたる面々が並んでいる。 石原慎太郎(衆議院議員、元東京都知事)、渡部昇一(上智大学教授)、平沼赳夫(衆議院議員)、西村眞悟(衆議院議員)、中山成彬(衆議院議員)、高橋史朗(明星大学教授)、デヴィ・スカルノ(元インドネシア大統領夫人)、井尻千男(拓殖大学日本文化研究所所長)、田中英道(東北大学名誉教授)、中西輝政(京都大学大学院教授)、藤岡信勝(拓殖大学教授)、水間政憲(ジャーナリスト)…etc(肩書はいずれも当時) 2007年の『南京の真実』の事例の時と実行母体が同じだから、ほぼすべての人々が重複しているのがわかるが、微細な違いもある。2007年時には賛同人の中に居なかったデヴィ・スカルノ氏がリスト入りし、櫻井よしこ氏・田久保忠衛氏らの『国家基本問題研究所(通称・国基研)』の役員メンバーが名を連ねていないことだ。恐らく櫻井・田久保両氏が自民党政権よりの言論を展開するうえで、非自民から立候補した田母神氏への推薦人になるのは得策ではないと考えたためとみられる。いずれにせよ微細な差はあれど、この面々は2007年とほぼ同じだ。異論や違和感は「情」で抹殺 田母神氏は2014年都知事選挙で得票総数60万票を獲得したが主要四候補のうち最下位に終わり、2015年に入ると選挙運動時に集めた寄付金の中に使途不明金がある疑いが濃厚となり、田母神氏自身も秘書による使い込みを認めたため、当時の選対幹事長らから刑事告発されるという事態に陥った。2016年4月、紆余曲折ののち田母神氏は公職選挙法違反の疑いで東京地検に逮捕され、現在も裁判中(検察側求刑2年)である。 「保守界隈で著名な言論人や文化人を広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」手法を展開しておきながら、その寄付金の一部が不正に使われた疑惑について、これら賛同人たちは一様に沈黙を貫いている。 いや、むしろ田母神氏が立候補する初期の段階から、「珍言」「極言」を繰り返す氏が、都知事にふさわしいのか否かについての疑問は、保守界隈の一部にはあった。筆者など、選対本部の幹部連中がいない酒席では「本当にタモさん(田母神俊雄氏の愛称)が都知事にふさわしい資質があるのか、と聞かれれば疑問」という感情を何人もの保守系言論人から聞いた記憶がある。しかし、「保守ムラの総動員・総力戦」という同調圧力は、そのわずかな猜疑の芽を摘み取り、異論を封じて、「保守ムラ翼賛選挙」へと向かわせたのだ。 そして結果としての選挙惨敗の責任は有耶無耶にされ、後日田母神氏による公職選挙法違反の疑いや寄付金の使途不明には、「まあまあ、そんなに批判しては可哀想ではないか。まあまあ良いではないか」というムラ的馴れ合いが先行した。ここにも保守ムラの「情」の理屈が理論を覆したのである。 現在、田母神氏に対する保守界隈からの批判は、同氏を刑事告発した元選対幹事長らの周辺以外、鋭敏には聞こえてこず、もっぱら保守外部からの批判・失笑のみが響き、ややもすると一部のネット保守界隈では「田母神氏は中国・韓国のスパイにはめられた可哀想な被害者」だとするトンデモ陰謀論・擁護論まで噴出する始末である。圧倒的な「情」の前に、正当な理屈は脆くも吹き飛んだのである。「安倍記念小学校」建設のために寄付金3)安倍記念小学校(瑞穂の国記念小学院)建設のために寄付金 約4億円(?) 2017年の事例 さて最後は現在疑惑の渦中にある森友学園である。報道によれば、同学園が同小学校建設のために集めた寄付金は4億円とされる。実際にどの程度の寄付金が集まったのかについては疑義があるとされるが、「保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」というくだんの手法は、例外なくこの森友学園でも発揮された。 すでに報じられているように、同学園では、公式ウェブサイト上の激励に平沼赳夫氏、竹田恒泰氏、田母神俊雄氏の言葉が載せられているほか、「森友学園にお越しいただいた方々です」と題して、同校を来訪または講演したであろう保守系言論人が「広告塔」として同学園製作の小冊子に登場する。代表的な人物を上げると以下のとおりである。 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、安倍昭恵、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一…etc(肩書は掲載されず。敬称略。※ただし竹田氏のように無断転載・無断掲載を主張する人物がこの中に含まれている)すべてが繋がる保守ムラの実相 この中で、事例1)『南京の真実』と重複している人物を太文字にすると、 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一(敬称略) この中で、事例2)『田母神選挙』と重複している人物を太文字にすると、 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一(同) となる。百田尚樹氏は田母神選挙時代の「推薦人」には登場しないものの、選挙期間中に大阪から応援演説に駆け付けたことから太文字とした。これに加えて、今次森友学園の騒動が勃発して直後、100万円の寄付を自身のブログで表明したデヴィ・スカルノ氏も、この中に加えてもよいかもしれない。 よって事例1)、2)、3)全部てに名前が登場する保守系言論人・文化人を再掲すると、再度以下の様に太文字となる。 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一(同) ★これを整理した図は以下のとおりである。 全員、とは言わないが、多くの人々が、時期も目的も違う「保守運動」に共鳴し、同じように賛同人等(講演や応援演説を含む)になっているところが興味深い。つまるところ、きわめて限られた狭い世界で、「愛国」と銘打ってさえいれば、同じような人間が同じような場所に毎回出現しているムラ社会こそが、保守界隈の実相なのだ。「事故る」と冷たい保守の「情」「事故る」と冷たい保守の「情」 毎日新聞が3月14日に掲載した「さて今の思いは…「広告塔」の保守系文化人たち」には、森友学園の広告塔となった保守系言論人の人々の率直な思いが吐露されている。八木秀次氏「学園はなんちゃって保守だ。ひとくくりにされたくない」出典:さて今の思いは…「広告塔」の保守系文化人たち中西輝政氏「学園に思想性を感じなかった。(教育勅語の唱和は)誰かに見せるためのショーの様に感じた」出典:同上高橋史朗氏(前略)「森友の教育方針と「親学」との関連が不明でコメントできない」出典:同上中山成彬氏(前略)「私も園児に教育勅語を斉唱させている幼稚園ということで視察したことがあるが、経営者自身が勅語の精神を理解していないようだ」出典:中山なりあきツイッター平沼赳夫氏(事務所)「こちらが知らない間に掲載されていた」「本当に迷惑している」出典:テレビ朝日「スーパーJチャンネル」 などと一様に突き放している。これらの言を全面的に信ずるとしても、なぜ些かでも初手の段階から同学園の教育内容に不信や違和感を持っていたにもかかわらず、講演会に参加したり、協力する姿勢を見せたのだろうか。それは、ひとこと「情」の問題に尽きる。愛国を掲げてさえいれば、その内容の良し悪しはともかく「同志」として連帯し、有形無形に協力するというよく言えば「義理人情」、悪く言えば「なれ合い」のムラ的世界観の中にいる結果なのである。情で繋がり、情でつまずく保守の世界 2007年、2014年、2017年と3つの大きな「愛国」を標榜した保守運動や保守事業における賛同人が、くしくも「映画製作」「都知事選立候補」「学校建設」という全く違う目的にもかかわらず、それを支え、また広告塔に利用(された)人々がこれほどの割合で重複するという事実は、保守界隈=保守ムラが、いかに閉鎖的であり、またその狭い世界の中で「情」の理屈が発生し、違和感や不信や不正義が「情」の前でかき消され、ムラの中の巨大な同調圧力となって席巻していたことを何よりも物語っている。 そしてくしくも、この三つの「寄付手法」は、その集めた金額も1億円強~4億円程度(公称)という範囲で似通っている。保守系言論人・文化人を広告塔にして、市井の保守派市民から浄財を集められる上限がこの金額のレンジなのかもしれない。 森友学園に広告塔として利用された保守系言論人・文化人は、保守ムラの住人であるがゆえに、自発的に、あるいは外発的に、この狭い世界の巨大な「情」という同調の空気に無批判であった。そして、決まって何か問題が起こると、事後に「私は関係がない、知らない」という風に距離を保ち、無知・無関心を決め込むのである。「愛国」を錦の御旗にした運動や事業は、多少の不協和音を「情」で覆い隠す。 「せっかく愛国者が頑張っているんだから、批判しちゃかわいそうじゃないか、応援してやろうじゃないか、保守同士仲良くやろうじゃないか」というムラ的な「情」こそ、保守界=保守ムラに横たわる構造的欠陥である。  このように「保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」という、「愛国」を大義とした情に訴え、また情で理屈を包囲する「寄付手法」は、ここ10年で三度も繰り返されてきた。森友問題が収束しても、この界隈で同種の問題の四度目がないとは言い切れない。 真に国を思うのなら、客観的にみて明らかに怪しい人物が主導して、「愛国」を傘に計画する事業展開に疑念を感じたのなら、毅然としてNOというべきだ。それが真の愛国者の姿だと思うが、どうだろうか。何か事故が起こってから、「無断で使用された」「知りませんでした」「いい迷惑だ」では些か虫が良すぎはしまいか。「人情」という魔物~インパール作戦と保守ムラ~「人情」という魔物~インパール作戦と保守ムラ~ 先の大戦終盤、日本陸軍によって実行されたインパール作戦。英領東インドの拠点インパールとその補給拠点コヒマを牟田口司令官率いる手持ちの3個師団(第15軍)を使って占領することで、硬直したビルマ戦線を打開し、英印軍を挫く―。 ひいてはその戦果によりインド独立運動をも鼓舞することを目的として発動されたこの大作戦は、読者諸賢のご存知の通り、補給を無視した作戦計画によって日本軍の大惨敗に終わり、ビルマ全体の戦死者5万とも8万ともいわれる戦史史上稀にみる一方的大敗北に終わった。「インパール」は現在「無謀な作戦・計画」の代名詞とすらなっているほどだ。 この大失敗は一体、何によってもたらされたのだろうか。むろん日英両軍の物量・兵質の差が第一だが、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中央公論社)には、以下のようにこの大作戦の歴史的失敗の本質が記されている。 なぜこのような杜撰な作戦計画がそのまま上級司令部の承認を得、実施に移されたのか。これには、特異な使命感に燃え、部下の異論を押さえつけ、上級司令官の幕僚の意見には従わないとする牟田口の個人的性格、またそのような彼の態度を許容した河辺(河辺正三、ビルマ方面軍司令官)のリーダーシップ・スタイルなどが関連していよう。しかし、それ以上に重要なのは、鵯越(ひよどりごえ)作戦計画が上級司令官の同意と許可を得ていくプロセスに示された、「人情」という名の人間関係重視、組織内融和の優先であろう。そしてこれは、作戦中止決定の場合にも顕著に表れた。出典:『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中央公論社)、括弧内・強調引用者 保守ムラの「情」によって形成されるなれ合いによる大きな弊害は、もしかすると保守ムラだけの事ではない、狭い社会や閉鎖的な組織に特有の、普遍的な魔物なのかもしれない。*追記:本文中にある2017年に公開された映画『南京の真実』は、第四部ではなく第三部の誤りでした。よってこれを訂正いたしました。2017.3.19.17:55、追同20:00(「Yahoo!ニュース個人」より2017年3月19日分を転載)