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    首都東京は大丈夫か? 都議選公約に隠された3つの問題点

    会は「議会改革条例をつくります」「議員特権を廃止します」「『不当口利き』禁止条例をつくります」などの政治改革を先頭に掲げ、待機児童対策など小池都知事の公約とほとんど同一の内容、つまり都民目線の公約を掲げている。 他方、都議会自民党は「個人都民税10%減税」「事業所税50%減額」などの斬新な政策から「東京2020大会を起爆剤とした、日本全体の景気浮揚。全国への経済波及効果は32兆円」といった壮大な政策を提言している。 そして公明党は「鉄道駅のホームドア整備を拡充」「私立高校授業料の無償化について、対象を年収約910万円未満の世帯へ拡充」といった人にやさしい政策を、民進党は「小・中学校の給食費等を無償化」「口きき記録を公開し、補助金などの適正化を検証」など具体的かつ実施可能な政策を、共産党は「認可保育園を9万人分増設」「特養ホーム2万人分増設」といった弱者に寄り添った政策を掲げている。 それぞれの「らしさ」全開のメニューだ。その順番や書き方、まとめ方にも政党の個性が表れており比較すると面白い。こうした各党の努力については敬意を示したい。前提となる知識を持っていない人にとっては理解しやすい言葉が並び、その意味では素晴らしいものも多い。 しかし、厳しい言い方をすると、専門家の見地から見て「政策」でも何でもないものも多い。主に3つの問題がある。具体例を示しながら見ていこう。 問題1 イメージ先行の抽象的な言葉のオンパレード「教育カリキュラムの充実、多様な教育の展開」(都議会自民党)「学童クラブの充実」(都民ファーストの会) 上記の文言から何を言っているのか理解できるだろうか? 「どのように」充実・展開するのか示されていない。実際すでに行われていることをただそのまま書いているだけともいえる。東京都の各種計画を見れば近い内容は書かれている。つまり、これは方針・指針のようなもので、進め方や度合いの違いにしかすぎない。 抽象度が上がれば上がるほど公約の責任追及からは逃れられるわけで、具体性を隠す政治的な高等技術ともいえる。無用な対立を避ける必要性があった時代ならまだしも、地方自治体が指標やKPI(Key Performance Indicator 編集部注:重要業績評価指標)を掲げ、数値目標の達成度を追及される時代にこれでは困る。第2、第3の問題点とは?問題2 明確な目的が存在しない「被災地と東京の子どもたちの絆を深めていくために、スポーツを通した交流事業をさらに展開」(公明党)「議会基本条例の制定に取り組みます」(民進党)「中小企業がとりくむ職業訓練への東京都の助成制度を充実させる」(共産党) 現実問題として何のためにその政策を行うのか、どのような問題解決につながるのかということが明示されていない。このような目的がよく分からない政策や公約が存在する。空気のようにはっきりしない理念にもかかわらず、もはやそれを実施すること自体が目的になっているようにも見える。運用できない、機能しない条例や自立を促さない助成事業ほど、行政職員の時間を奪い、やる気を損ねる事業はない。問題3 行政の役割範囲を超える「『おもてなしの心』で世界中から訪れる人々を歓迎するまちを実現」(都議会自民党)「金融とITを融合した「フィンテック」を推進」(都民ファーストの会) 上記のような政策に対しては、「行政の行うべき範囲を超えているのではないか」「民間が行うことではないか」との疑問を呈さざるを得ない。都政の予算には限界がある。行政でやってほしいという要望に取り組めば取り組むほど肥大化してしまう。 政治が率先してアピールすればするほど、「時代を先行する」人気取り事業に走りがちになる。そういった事業は人目を引きやすく、体の良い宣伝材料とニュースになるからである。そうなると見た目の良い「新規事業」に予算が確保されることによって本当に必要な事業の予算が削られる。もちろん事業の見直しとセットであれば良いが実際にはそういうわけにもいかない。これらは筆者がよく見てきた光景だ。 上記の3つの問題を改めて考えると残念だと思わざるをえない。都政の基本が分かっていないのではないかという疑問を覚えるし、このレベルでは優秀な都職員をバックにする都知事に対峙(たいじ)できるとは思えない。本来の役割である都政をチェックできるのだろうか。われわれは何を求めるべきかという点を考察したい。(1)前回の都議選の公約を示した上での説明(与党)達成できた成果を具体的な数値(KPI)で示す(野党)未達成であることの理由、シナリオを提示(2)今回の公約に対しての説明 政策をなぜ実施するのかを明らかにする 政策の目標、実現のための前提条件やシナリオを明示 ということが求められるのではないだろうか。自民、公明、民進は実績を示しているので、あともう少しがんばってほしいところである。首都東京の現実を前に責任政党の今後の取り組みに期待したい。

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    施行から70年、浮かび上がる日本国憲法に刻まれた「敗戦国の烙印」

    とを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 この前文によって明らかにされているのは、主権者が「国民」であること、国民から信託を受けた代表者がその権利を行使すること、その利益は国民が享受することが定められています。また「基本的人権」の概念や「平和主義」の精神がうたわれ、「理想国家の実現」が宣言されています。 ただ、一国の法の権限の及ぶ範囲は、その国家の領域内のみであり、他国を規定することはできません。それにもかかわらず他国のありように言及する部分があるのは独善的で、いささか専横に過ぎるかと思われます。 一国の国内法でありながら、複数国を実効的に規定する法律が実は存在します。「アメリカ合衆国憲法」です。アメリカはいくつもの国の集合体なのです。その価値観を取ってつけたように日本国にあてはめたようなものなのですが、残念ながら日本国は合衆国ではないということに気がつかなかったようです。 合衆国仕様の法規を単一国に採用した結果、至る所で不具合が生じています。まず自国の平和を他国の善意に委ねるかのような表現は随分と他力本願的であり、自立心に欠けているとも感じます。他者に価値観を押しつけながら自らは受け身であるとは奇々怪々です。 国の定義ともいえる憲法のこのような姿勢が国民の性質に影響を及ぼしてはいないかと懸念します。自ら思考したというよりも、「言わされた感」が強いと感じています。有体に申しますと「いかにもアメリカ人の考えそうな」という印象を受けます。しかしながら第一要件である「秩序の維持」に逆行してはいないようです。第二要件「正当な手続き」を満たすのか 問題は第二要件の「正当な手続き」がなされたと見なすことが困難であるところです。一般にはあまり認知されていないようですが、現行の日本国憲法は戦後に制定された「新憲法」とは言い難く、実のところ「改正大日本帝国憲法」を「天皇が承認」し発布されたものです。1945年8月30日バタアン号から厚木基地に降り立ったマッカーサー連合軍最高司令官 しかも当時の日本は敗戦国としてGHQの占領下にあり、GHQの指導の下に臨時政府である「帝国議会」が策定し、「大日本帝国憲法73条」の憲法改正手続を経て公布されました。その経緯が、ハーグ陸戦条約43条(戦時国際法)『国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。』これに抵触しているのではないかと指摘されています。 占領下における主権者はGHQであり、具体的にはマッカーサー最高司令官ですので、その指揮の下で憲法改正が行われたことは不当ではありません。「憲法が絶対的な支障である」と判断されたのなら、いたしかたのないことです。国際社会が容認したのなら是非もなしです。「大日本帝国憲法」における主権者は天皇であるので、その承認がある以上、現行憲法の公布は不当なものではありません。 しかしながら、実施されたその瞬間から主権者は日本国民でありますので、当然、その承認を得なければなりません。ところが現在に至るまでなんとなく既成事実化した「みなし承認」で運用されてきており、正当性があるのか非常に曖昧です。 不適切な仕様が原因で生じた不具合の一例として、文言の表す意味が極めて矮小(わいしょう)なものになってしまった部分が、いわゆる「諸国民」が用いられている個所です。「諸国民の公正と信義(に)信頼して」の(に)の一文字ですが、なぜ(を)ではなく(に)なのでしょうか? 「単なる言い方の違いじゃないか、問題はない」と思われるかもしれませんが、この(に)であるか(を)であるかは、そのまま受動的(従属)であるか能動的(対等)であるかの違いです。「諸国民」とはすなわち「日本国民以外」を指し、主権者の権限の及ばない外国となります。一方、合衆国における諸国民とは各州の市民でありますのでまったく状況が異なります。 意訳をすれば「外国の善意(に)寄り添って、この命預けます」と読めてしまいます。これでは国家としての主体性を持たないことを表明する文言となっています。対等ではないかのような表現を用いながら、後述では対等であることが責務であると表明するのはどうにも矛盾していると感じます。それもそのはず仕様が不適切なのです。ガソリンエンジン車に軽油を給油したり、その逆を行って、まともに動くと考える方がどうかしているというものです。独立国家の矜持はいったいどこへ? 「押しつけでも素晴らしい憲法なのだから良いじゃないか」との意見も多数あり、それも一理あるとは思いますが、植民地であるならばいざ知らず、曲がりなりにも独立主権国家としての矜持(きょうじ)にかんがみて、そこのところを譲歩してはいけないのではないかと思えてなりません。 日本の主権のために戦った兵士のみならず、空襲で亡くなった無垢(むく)の市民や沖縄の激戦で犠牲になった幾多の命の流した血潮のしみ込んだ大地の上に今われわれが生きているのだと、そうしみじみ思うのです。現行憲法はまるで「敗戦国の烙印(らくいん)」のようなものだと、私には思えてならないのです。 まだまだ不条理の止まるところは知れません。第一章第一条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 さて、ここで確認しなければならないことは、そもそも「天皇」とは何か? どのように定義されてきた存在なのか? 「象徴」と再定義することが可能であるか? 再定義された「新天皇」に存在意義はあるのか? 畏れ多くはあってもそれを思索することを避けて通れません。 学術的な真偽は考慮せず、建前として「古事記」等に記されている日本神話の設定を受け入れることを是とした場合、初代神武天皇より第125代天皇陛下に至るまで2600年以上にわたり「父系」によって血統(皇統)が受け継がれ、その血統は日本国の創造主たる「イザナギ・イザナミ」の2神(2柱)を原初としています。 すなわち、「天皇」とは「神様の系譜を継承する存在(神様の子孫)」と定義されます。重要なのは「血統」であって「家名」や「家督」ではありません。そこが「皇室」とその他の一族との決定的な相違です。豊臣秀吉や徳川家康が天下人と成りながらもなお、自ら天皇を名乗れず家臣として官位を授かることで「成就」としたのは正に「血統」によるものです。 「血統」が象徴するものは「一族」であり、せいぜい「民族」であって「国家」ではありません。日本国民の中にはさまざまな国を出身とする人々がいます。そのような異民族の人々を「天皇」が象徴することは定義上不可能です。唯一、民族を超えて日本国民すべてを象徴することができるのは「日本国籍」のみです。 「天皇」という存在を受け入れるのであれば、それは国民より下に置くわけにはまいりません。「天皇」の呼称は「神様」と同義です。「人」にその呼称を使うのは不適当です。現行憲法以前は「天皇は元首」であり「国民は臣民」でありました。なぜならば「だって相手は神様ですもの」倫理的にそれ以外の形式はありえません。「是」か「非」か、はたまた「可」であるか「否」であるか、二者択一の問題です。 たしかにこれは「身分制度」であります。しかも「人」と「神族」であります。良いか悪いかの話ではなく「天皇」を規定している時点で「身分制度」も同時に容認しているということです。天皇と国民主権の両立には問題がないのか? 天皇と国民主権の両立には何の問題もありません。天皇以外が主権者であることは通例でした。江戸時代もそうでしたし、明治維新以降もそうでした。真に天皇が主権者であったのは平安時代までのことです。「人の世」の主権が人にあったところで、「神様」の存在が脅かされることはないからです。しかしながら、天皇の存在を認めながらも元首とせず、「象徴」という筋違いの地位に置く現行憲法の規定は、論理的に破綻しているのです。理論的合理性すなわち「理性」を欠きます。昭和天皇の署名がある日本国憲法の公布原本=2017年4月7日、東京都千代田区の国立公文書館 念のため申し上げますが、私は現行憲法の矛盾点、不条理を指摘しているのであって、「天皇」を賛美しているのではありません。私の価値観においては、「天皇」の存在は「有意義」ではあるけれど「不可欠」ではない事象です。温室の花であれば庇護の手も必要でしょうが、あえて路傍の雑草あれかしと願うからです。踏まれてもなお根を張り生きようとする雑草あれかしと願うからです。私は「人草」の末裔(まつえい)です。 正当な手続きも怪しく、論理破綻も濃厚な現行憲法ではありますが、秩序の維持だけはなんとか保っているかと思いきや、それさえもむなしく瓦解(がかい)する条文が待ち受けています。皆さんお待ちかねの第二章第九条と愉快な仲間たちの登場です。第二章第九条第一項日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 「正義」とは主権者にとっての正義であり、「秩序」とは主権者のための秩序であるので一国の国内においては絶対的な基準となり得ます。しかし、複数国を想定した場合では、それぞれの国にそれぞれの主権者が存在する以上は、相対的基準でしかなく、国際平和の基調とすることは不可能なのです。 不可能な事象を希求したところでそこには空虚しかありません。理論的にそれが可能となる状況はただひとつ、全世界が統合され統一法規の元に主権者が集約されて、「正義と秩序」が相反することなく、絶対的な基準として機能する場合のみであります。ちょうどアメリカが合衆国として成立しているようにです。 そのような目的を達成するために、武力を放棄することがいったいどんな貢献をするのか、さっぱり意味不明なのです。「○○のために、××をする」つまり目的を達成するために方策を行うからには、そこに実効性が伴っていなければ意味をなしません。 例えば「お湯を沸かすために加熱する」「空腹を満たすために食べる」などで分かるとおり熱量の問題には熱量で、栄養の問題には栄養で対処しなければ効果がありません。目的と方策は同じ要素であるか、相互互換の関係性が成り立っていなければなりません。「お湯を沸かすために歌う」では、上がるのはテンションであって温度ではありません。実効性が置いてきぼりにされている 第二項では、方策として「戦力の不保持」が示されていますので、必然的にその目的は「武力放棄」以外に効力を発揮しえません。しかしながら第一項には、2つの主題が同列に掲げられています。「国際平和」および「武力放棄」ですが、そのうちで実効的方策が示されているのは「武力放棄」のみで「国際平和」が宙に浮いた状態になっています。 では「国際平和」を目的とし「武力放棄」を方策とすることが可能でしょうか? 複数国を対象とする問題に自国の憲法の規定が実効力を持つはずもなく、残念ながら、ただの希望が記述されているだけです。結果的に「無抵抗の表明」をしている文言となっています。「外交的努力があるじゃないか!」との指摘もありますが、そこで注目すべきであるのは「国際紛争」とはいかなる状態を指しているのかです。単純化のために2国間での場合を想定して考察します。1、なんらかの事由で利害の対立が生じ、2、互いに非難しあい、3、臨界を超えて物理的衝突に至る。 「紛争」とはどの段階を表す文言でしょうか? 1には「摩擦」という表現がよりふさわしいのであてはまりません。2には「係争」というより適切な文言がある以上、それを押しのけて当てはめるのも不条理です。3「争い紛れる」とは、彼我が入り乱れ、分別の定かではない状態であり、正に物理的衝突の最中にあるという文言です。 外交的努力が意味を成すのは2の状況までであり。3の段階はその努力が失敗した事後なのです。そのような状況に無抵抗であることがどのような結果をもたらすのか想像に難くありません。無抵抗であるからには当然のことながら自衛権も放棄しているのであって、どう解釈すれば自衛隊が合法化できるのか理解できません。 個人的に極めて不本意ながら、日本共産党の違憲とする主張の方が筋が通っています。「ほら!なにもしないよ。僕を信じて!LOVE&PEACE」「日米安全保障条約があるから、いざというときはアメリカが助けてくれる」。 本当ですか? 彼らはこの国を焦土と化した人たちですよ? 抵抗もせずただ蹂躙(じゅうりん)されている者のために、肉親家族を戦場に送ることをかの国の国民が認めると本当に思いますか? 自立と独立をなによりも重んじる国の国民が? もし、私がアメリカ国民ならば、こう言うでしょう。「死にたいなら勝手に死ね!まず自ら武器を手にしてあらがえ、そうしたら一緒に戦ってやる」日本国憲法は「ポンコツ」 前段で、私は現行憲法は主権者たる日本国民の承認を得ているとは言い難いと論じました。それはあくまでも私の考えに基づく判断ではありますが、そのまま推し進めるとするならば、「国権・国の交戦権」なるものがそもそも存在しません。前文によって国民主権が確立されているからには、主権を有しているのは日本国民であって、国は行政上の義務を負っているに過ぎないからです。 権威も権利も権力もすべては国民の所有し認証する事項です。主権者の承認もなく主権者の権利を国権などと称して勝手に放棄することは秩序の破壊そのものであり、もはや「法」と名付けることに値しません。「放棄」の是非を論じているのではありません。「持ち主に断りもなく捨てるな!まず許可をとれ!!」と主張するものであります。 私は日本国憲法の可否を問うています。同じものであっても人それぞれの感性や価値観によって評価が違うのは当然です。私が検証したのは理論的不合理が発生してはいないか、論理破綻に陥っていないか、法としての体裁に欠陥はないかを考察しているのです。 その結果としてかなりの「ポンコツ憲法」であると思っているわけです。主体性を持たず、理性を失い、脅威に無抵抗であることを国是とした最高法規を、それでもなお「可」とするか、それとも「否」と断ずるかをせめて一度は国民に、その信を問うべきだと申し上げている次第です。 憲法というものは本来たやすく変えてはいけない類のものです。国のあり方がコロコロかわるようでは、どんな顔をして信念を説けばよいのでしょう。良不良を別にして70年間一言も変えずに、掲げ続けてきた日本国民の不屈の信念はなんとまぁ見上げたものだとあきれもすれば、また誇らしくもあります。 人は己の意思を他者に伝える、あるいはその逆の場合において、身ぶり手ぶりや表情やうなり声では不十分であることに気がつき言葉を生み出しました。やがてその言葉を時空間的な束縛から解放する手段として、単なる記号でしかなかった印に言葉を対応させました。文字、そして文言の誕生です。 それは人の意思を伝え人になにがしかの影響を及ぼす力を持ちます。文言はそれ自体が生命体として最低限の要素を備えているとさえ言えます。人は文言に意思を込めることによって、生命を創造するに等しいのです。 人はどのような文言を信念とするかによって、その認識にかかわらず、その文言の持つ性質に同化していきます。炎の中に身を投じるとその人が炎をどのように認識していようとも、皮膚は焼けただれ肉は焦げやがて灰となるでしょう。 国はどのような憲法を国是とするかによって、その解釈にかかわらず、その憲法の持つ傾向を体現していきます。だからこそその中身に齟齬(そご)があってはならないと私は思います。「ツッコミどころ満載!!」であってはいけないと私は考えます。あらゆる批判に耐えうる堅牢(けんろう)さを構築したまえと私は小声で申し上げます。

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    大阪市版「豊洲問題」だ! デタラメ行政が生じさせた医療空白地

    著者 宇山卓栄 東京都のデタラメな行政運営の象徴が「豊洲市場移転問題」である。だが、大阪市にも、この問題に劣らないくらい大きな問題が発生している。「市民病院跡地問題」である。両者に共通するのは、デタラメな行政が住民に大損害を与えているということだ。  今年3月、大阪市では、とんでもないことが明らかになった。ごく簡潔に、この問題の経緯を説明する。 老朽化した市民病院(「大阪市立住吉市民病院」、大阪市住之江区)の統廃合に伴い、民間病院がその跡地に誘致されることが決まっていた。2013年の橋下徹前市長時代の話だ。ところが、この民間病院の新病棟建設ができなくなった。日影(日照権)規制に引っ掛かり、既定の病床数(209床)を満たす大規模病棟建設が法的に認められなかったからだ。 平成30年3月末をもって閉院する大阪市立住吉市民病院=2016年10月28日、大阪市 毎日新聞などでは、「民間病院側の設計ミス」で日影規制に引っ掛かったと報じているが、これは事実と異なる。民間病院のミスではなく、市行政の過失が原因である。  大阪市健康局は、跡地の指定区域に、日影規制で209床もの大規模病棟を建てられない予見可能性を持ちながら、この民間病院の提案スキームを2015年8月に受け入れた。日影規制の障壁があり、新病棟建設ができないということを、健康局が吉村洋文市長(橋下氏の後継者)に報告したのがなんと、1年後の2016年9月である。「1年間、いったい何をやっていたんだ!」という話である。議会には、11月まで報告はなかった。  この1年間、厚生労働省の認可を得たり、市民病院の府立病院への統廃合の予算を通したりしている。しかし、結局、指定区域に新病棟が建てられないという結果となり、当初のロードマップに大きな狂いが生じはじめたのだ。 こうしたゴタゴタの中で、5月17日、民間病院側が誘致計画そのものから撤退することを表明した。民間病院としても、市のズサンな対応に業を煮やしたというところだろう。市は跡地の病院誘致を断念し、跡地の売却などを検討している。 この病院は大阪市の地域(住之江区など)の小児・周産期医療の主要な部分を市民病院が担っていた。今後、医療空白が生じ、それらの小児・周産期医療を代替する医療機関はこの地域からなくなってしまう。これは地域住民にとっての大きなリスクだ。  3月の市議会で、自民党の山本長助市議がこの問題を徹底追及した。山本市議の調査によって、市健康局が市民病院の跡地で、タイトな日影規制が掛かっていることを以前から認識していたことを裏付ける書類も出てきた。  当初、吉村市長も健康局も、上記の民間病院の建設スキームの選定に対し、日影規制を認識していなかったと主張していた。しかし、山本市議の手厳しい追及もあり、3月17日の市議会民生保健委員会では、吉村市長が「日影規制を知り得る機会があった」と答弁。  また、市は一連の経過について内部調査を実施し、その報告書で「選定段階で図面提出が義務づけられていなかったことに起因する」として、上記民間病院を選定した市に過失があることを認めた。  今後は、この行政過失がどのような背景から生じたのかを情報開示させるとともに、どこに責任が帰属するのかを明らかにしなければならない。  東京をはじめ、他の府県の方々に、われわれのこの大阪の問題が分かっていただきたいと思う。大阪府庁は「森友学園問題」、大阪市役所は「市民病院跡地問題」をそれぞれ抱えている。今、大阪はメチャクチャである。 行政が怠慢で不作為、意思決定がズサン。こうしたことは豊洲問題を抱える東京都庁も同じであろう。行政機構におけるガバナンスがまるで利いていない。怠慢な文学者気取りの知事やポピュリズム市長に加え、行政のチェックもできない無能議員を選んだ有権者が結局、こうしたツケを払わされる。そして、役人たちは大手を振って、「役人天国」を満喫し続ける。 

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    現役信者がすべて明かす 「生長の家」は本当に左傾化したのか?

    立場を明確にしました。 生長の家はかつて、「優生保護法」の廃止(反優生学・反堕胎)を目的に「生長の家政治連合」を結成し、「大日本帝国憲法」の復原・改正や靖国神社の国家護持を訴えるなど、「保守」の立場を鮮明にしていました。しかし、「反安倍政権」の声明以降、ネット上では肯定派・否定派ともに「生長の家は左傾化した」という論調が盛んになっています。 ネットだけでなく雑誌『SAPIO』の29年3月号でも、反政権側の宗教もいくつか「保守」に分類しているにもかかわらず、生長の家を「リベラル派」の宗教としていました。 安倍政権を支持する生長の家の別派の中にも、ネット上に「今の生長の家は左傾化した」とか「共産党を支持するようになった」という書き込みをされている方もおられます。私は、生長の家の現役の青年会の会員で、組織内での活動もしています。また、今年の2月から3月にかけて、生長の家宇治別格本山で1カ月間「研修生」として修行していました。 その私からすると、今の生長の家が「左傾化」したという外部からの評価は意外でした。別派の中には私のことも「左翼学生」として名指しにされている方もいますが、どうしてそのような誤解を生むのか納得できない面もあります。  私は、ブログに『大日本帝国憲法』の復原・改正を訴える文章を掲載したり、保守系オピニオンサイトに堕胎や野党共闘に反対する記事を寄稿したりしたこともあります。私の主張は決して「左翼」とはいえず、むしろ「右翼」的なものであると自分では思っています。 宗教団体の教義や活動は外部からは分かりにくい面もあるでしょうから、ここでは内部から見た実態を伝え、本当に生長の家は「左傾化」しているのかを考えていただきたいと思います。 私が生長の家宇治別格本山の研修生であったころ、毎朝「早朝行事」と呼ばれる時間がありました。朝4時45分に起きて「宝蔵神社」という生長の家の神殿に行き、そこで祈りとお経の読誦を行った後、境内の清掃をするというものです。本山の職員と研修生には参加が義務づけられており、一日の始まりの重要な行事として認識されています。 その「早朝行事」では必ず、境内清掃の前に「皇居遥拝(こうきょようはい)」を行います。しかも、生長の家の行事で「最敬礼」を行うのは、「神想観(しんそうかん)」という祈りを行う場合を除くと、この早朝行事での皇居遥拝の時だけなのです。 また、毎日午後1時になると「幽斎殿(ゆうさいでん)」という建物で天照大御神(あまてらすおおみかみ)・住吉大御神(すみよしおおみかみ)・塩椎大御神(しおつちおおみかみ)の三柱の神様を前で神想観という祈りを捧げます。生長の家で天照大御神を祀っているのはここだけなのですが、この幽斎殿で行う神想観は他の場所とは文言が異なる特別な神想観であり、いかにここでの祈りが重要かを示しています。生長の家の教義の原点は「天皇信仰」にある さらに、早朝行事での国旗掲揚と夕食時の国旗降納の際には、国旗に向かって起立し国歌を歌います。夕食では多くの職員・研修生が食堂にいますが、食事中であっても食事を中断して食堂の中から国旗掲揚台のある方角に向かって起立し、「君が代」を歌うのです。一体、これのどこが「共産党を支持する新興宗教」「左傾化した教団」の儀式なのでしょうか? 他にも、大東亜戦争の戦没者に祈りを捧げたり、全国流産児無縁霊供養塔で水子さんたちにお経を読誦したりと、左翼団体の人間には死んでもしたくないであろう儀式がたくさんあります。このような実態を知らずに「生長の家は左傾化した」とか「今の生長の家はエコロジー左翼」などと評価するのは、誤解と無知からくる偏見にすぎません。 今の生長の家が地球環境問題に取り組んでいるのも、生長の家における「天皇信仰」の教義が原点にあります。 生長の家では天皇を天照大御神の化身であると捉えており、そして天照大御神は単なる太陽神であるのみならず、全宇宙を遍く(あまねく)照らす毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)であって、宇宙の大自然と一体にして中心者であるとされています。 したがって、大自然と天皇陛下が一体であるという信仰的立場から地球環境問題に取り組んでいるのであり、決してエコ・フェミニズムなどの左翼思想に染まっているわけではないのです。 事実、神武天皇以来の歴代天皇陛下が天地の大自然の神様に祈りを捧げて来られたことは紛れもない事実であり、ハゼの研究で高名な今上天皇陛下も自然環境に多大な関心を払われていることは広く知られていると思います。 また、昨年、皇后陛下は誕生日のおことばで、「ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がかない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。(略)日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています」と述べられ、天皇・皇后両陛下が環境問題に関心を持たれていることを改めて示されました。 このように、環境問題と尊皇愛国の精神とは全く矛盾するものではなく、生長の家が環境問題に精力的に取り組んでいるからと言って「エコロジー左翼」などと評するのはナンセンスです。 むろん、世の中には「右翼」と「左翼」の定義についていろいろな考え方があるのは承知しています。しかし、上記で述べたような今の生長の家の実態を知った上で、本当に生長の家が「左傾化」したといえるのでしょうか? これを読まれた皆様には偏見を持たずに考えていただきたいと思います。

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    田中眞紀子の秘書暴行をスッパ抜いた上杉隆「17年目の反省文」

    「作り話だ」「陥れるための記事だ」 時はちょうど眞紀子ブームの全盛期。アンケートでは総理大臣にしたい政治家ナンバーワンの人気を誇る政治家への批判ということもあって、当初、すべてのメディアが「そんなバカな話があるはずがない」と決めつけ、後追い取材をするメディアもなかった。 ところが、その4カ月後、小泉政権で田中眞紀子氏が外務大臣に就任すると、外務省内で同様の騒動が起き続け、メディアの状況も一変、産経新聞が一面で私の記事を紹介する形で報じたのを皮切りに、議員秘書への「暴行」がようやく世に問われることになったのだ。 いま思えば、当時の永田町では、議員による秘書への「暴行」「虐待」などは決して珍しい話ではなく、テレビや新聞などでは報じられない「闇の世界」が日常化していた。 多くの政治記者たちも議員による秘書への暴行話を見たり聞いたりしながらも、それがあまり問題視される時代ではなかったのだろう。 実際、他の議員事務所を取材した当時の私自身も、軽度の「暴行」は容認していた気がする。 私が議員秘書として鳩山邦夫事務所に入った1994年は、まだ国会議員の秘書稼業は丁稚奉公(でっちぼうこう)的な色合いを深く残しており、忠誠心を持って議員に仕え、ときに身代わりとして自己犠牲すら厭(いと)わない秘書こそが優秀な秘書とされている時代だった。 たとえば、「経世会」(旧田中派)の秘書会の大先輩が、議員のスキャンダルが報じられた後、自ら命を絶ったという話も「秘書の鏡」として美談になって語られていた時代だった。鳩山邦夫の秘書時代 当時の国会議員は、主に「官僚派」と「党人派」に別れ、とくに後者は自らも議員秘書時代に鍛えられた経験から、同じ厳しさを秘書に求める傾向にあったように思う。 私のボスである鳩山邦夫議員も、田中角栄首相の秘書を務めた「党人派」であり、その例に漏れず、厳しいルールを自らの秘書たちに強いていた。2009年8月、総選挙の決起集会で演説する,、福岡8区から出馬した鳩山邦夫元総務相=福岡県久留米市内のホテル 私自身も入所して3カ月間は一切、家に帰ることはなかった。というのも、勤務時間は午前7時から深夜23時が定時で、土・日、祝日は一切なく、新人は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰らなければならないというルールが徹底されていた。 それ以上に、私たち若手秘書は、鳩山代議士の自宅に寝泊まりして、朝は掃除やゴミ捨て、夜は家族が寝るまで夜回りの記者などの対応を担当し、結局、鳩山家のお手伝いさんの部屋か、事務所に寝泊まりするのを余儀なくされていたのだ。 入所1年後、運転随行秘書になった私はより厳しい労働環境に置かれた。盆も暮れもない。軽井沢の別荘で鳩山代議士と二人っきりで過ごす2週間は、私にとっては逃げ場のない苦役だった。 初めて休みをもらったのは秘書になって1年半がたったある夏の日、父が急逝した翌日のことだった。それまで本当に1日たりとも、休みがなかった。 そうした厳しい世界を経験した秘書仲間、同僚や先輩や後輩たちがいまバッジを付けている。自民党の2回生が問題となっているが、その中にもかつての秘書仲間はいる。当時永田町で育った議員や秘書の多くは、いまだに古い永田町文化をひきずっているように思う。 もちろん、それで免罪されるわけではない。だが、時代の変化に対応できない議員が「自民党2回生」に集中していると断じるのは、早計にすぎるのではないかと思う。 問題を起こした議員が「自民党2回生」に多いというのはたまたまだろう。3回生にも、4回生にもその種の問題議員はいるし、また自民党だけではなく、野党にも間違いなくそうした議員は存在する。 すなわち、安倍チルドレンだけの問題ではなく、永田町全体の問題であり、その一端は、それを知っていて見て見ぬふりをしてきたメディアの報道姿勢にもあると私は思う。 実際、罵倒を繰り返して、言葉の「暴行」を繰り返す議員を、日頃、永田町で取材している政治記者たちが知らないはずはない。 仮に知らないとしたら、よほど愚鈍か、あるいはスタジオでご高説を垂れる取材をしないテレビコメンテーターや政治評論家の一団に違いない。いまの秘書は恵まれている さて、こうした関係は議員と秘書の間だけではないだろう。私が知っているだけでも、役人に向かって「絶叫暴行」を繰り返す議員や秘書は少なからずいたし、制作子会社のスタッフに「暴行」を続けるテレビ局の社員も複数知っている。 つまり、日本社会全体に存在している相対的弱者に対する「イジメ」が、より目立つ形で、永田町で噴出したのが今回の「絶叫暴行」事案だと言った方が正確なのかもしれない。 元国会議員秘書経験者からすれば、いまの秘書は恵まれていると思う。定時には帰宅することができるし、休日も保証されている。思えば、それは当然のことだが、わずか20年前とはいえ、どうしても自分自身の経験を基準とし、厳しい目を持ってしまう。 人はそうやって自分の経験からしか物事を見られないのだろう。おそらく、私の先輩秘書も、私たち後輩に対して同様の気持ちを抱いていたに違いない。 秘書稼業の厳しさは、生きてきた時代が規定する。そう考えると、時代によって議員と秘書の関係も変わるに違いない。 鳩山事務所を退所した1999年から3年間、私は米国の新聞社(ニューヨーク・タイムズ)に働いた。その際、米国の議員と秘書の関係も知ることになる。米国のように、公費で20人も秘書を雇える制度ならば、秘書は秘書、本来の秘書業務に専念させることも可能だろうと実感した。2月19日、地元の埼玉県朝霞市長選で万歳三唱する豊田真由子衆院議員(菅野真沙美撮影) しかし、公設秘書を3人しか置けない日本の現行制度では、選挙というものがある以上、とりわけ衆議院では、議員と秘書の雇用関係に、法律や常識の枠では収まらない厳しい現状が発生するのも無理もないという考えに至ってしまう。 豊田議員をかばうつもりはない。だが、彼女の事務所以上に、ひどい扱いを受けている秘書が存在するのは紛れもない事実だし、そうした状況を許してきた永田町の慣習を無視して、いまの私には、ひとり彼女だけを追及する気にはなれない。 あの田中眞紀子議員を追及して、議員辞職まで追いつめたジャーナリストの反省として、誰かひとりをスケープゴートにしてつるし上げても何も変わらないと知っている。そうした報道は、社会に進歩も発展ももたらさないことを、私たちはこの20年間の報道で学んだはずだ。 政治部を中心とするテレビ・新聞は、自分たちの不都合も含めて、今回のことを俯瞰的に調査・報道してもらいたい。大局を持って今回の「暴行」事件を報道・分析すれば、きっとその先に、議員と秘書の健全な関係が待っているに違いない。

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    安倍政権に朗報! こうすれば「モンスター議員」はいなくなる

    員数そのものを減らせばいい。日本の国会議員の数が多いか少ないかは、いろいろな議論がある。各国によって政治制度が違うので、単純に数の比較だけでは議論は成り立たない。ただし、現在の日本の状況、つまり財政は毎年赤字で破綻も視野に入っていること、すでに人口減社会に突入し、有権者数も減少していくことを考えれば、現行の国会議員数「衆議院議員475人・参議院議員242人、合わせて717人」は多すぎるのではないだろうか。公選法改正案を可決した衆院本会議=6月8日 国会議員に支払われる「歳費」(給与)は月額約130万円、期末手当が約630万円で年間約2200万円。これに、文書通信交通費として毎月100万円、立法事務費として毎月65万円、政党交付金として毎年4000万円、秘書の給与(政策秘書、第1・第2公設秘書の3人)約2500万円などが加わり、議員1人辺りに税金が約1億円も注ぎ込まれている。つまり、議員数を減らせばおのずと税金が浮くわけで、減らすにこしたことはないだろう。新人大量当選にも意義がある これまで、どの政党も口をそろえて「議員数削減」を叫んできた。たとえば、民主党は、2009年のマニフェストに議員定数を80人削減すると明記して政権を取ったにもかかわらず、たった5人しか削減(0増5減)できなかった。 自民党も、昨年2月に安倍晋三首相が「議員定数10削減」の実施時期を、自民党案が示した「2020年以降」から前倒しすると明言したら、反対が続出する結果を招いた。かつて、2012年に衛藤征士郎衆議院議員が会長を務める超党派議連が、「衆参対等統合一院制国会創設案」を提出したことがある。その案によると、衆議院と参議院を統合して一院としたたうえで、「国会議員の定数は、現行722人を3割(222人)削減し、500人以内として別に法律で定める」(編集部注:2012年当時の定数)と明記されている。この議連の顧問には安倍首相も名を連ねていた。国会議員数を500人まで削減すれば、計算上、年間約230億円もの税金が浮くことになる。 最後に、小選挙区制によって、選挙が「風向き」に左右され新人が大量に当選するので、これを廃止すべきだという意見に反論しておきたい。 この意見は、新人が未熟である、議員としての質が低い、つまり「チルドレン」ということからきているので、本来の改善策は質を向上させることで、システムの変更ではない。つまり、そのためにはどうすべきかを議論すべきだ。 実は、新人大量当選にも意義がある。それは、当選の反動で、たとえば「老害議員」が落選することが多くなったことだ。国会を昼寝の場とするような高齢議員がいつまでも実権を握り、当選回数によって大臣になるというような年功序列システムが残っているようでは、この国の未来は暗い。 もともと、「衆議院議員で5回以上、参議院議員で3回以上」が大臣の条件というのは、田中角栄内閣以降に確立されたものだ。それが、小選挙区制になり、小泉、安倍内閣などにより、現在はある程度崩壊してきている。もともと政党は、当選回数よりも見識、実力、知恵を重視する「メリットクラシー」(能力本位)でなければならない。そうでなければ選挙をやる意味がない。参院法務委で、「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について、民進党議員の質問に対応する金田勝年法相(中央)=6月13日(斎藤良雄撮影) 本来、議員にもっとも求められるのは、国民の側に立った政策立案能力だ。だから、英語では議員は「ローメーカー」(立法者)と呼ばれるように、多くの法律が議員立法でできている。じつは戦後の日本も、人身保護法、優生保護法(現在は母体保護法)などの重要法案は議員立法で制定されている。しかし、保守合同と社会党の統一によって、与野党の勢力が固定したいわゆる「55年体制」が実現すると、議員立法は減少してしまった。 こうして、日本の国会議員の多くはローメーカーではなく「トラブルメーカー」になってしまった。それなら、議員数を思い切って削減したほうが、どれほど国民のためになるか、真剣に議論すべきときだ。

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    「安倍チルドレン」はモンスターばかり?

    出るわ出るわの醜聞で「安倍チルドレン」の評判が今や駄々下がりである。秘書へのパワハラが週刊誌でスッパ抜かれた豊田真由子議員をはじめ、カネや不倫、失言といった問題行動が次から次へと明るみになり、身内からも追い詰められる安倍政権。「モンスター議員」は他にもいるのか。

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    「秘書イジメ」豊田真由子議員だけが悪いのか

    岩田温(政治学者) この数日間の日本列島では、偶然、テレビから耳に入ってきた罵声に震撼(しんかん)させられた人が多かったのではないだろうか。言うまでもなく、豊田真由子代議士の罵声だ。「このハゲ~~~」という悪罵(あくば)から始まる「違うだろ!」「違うだろ!」等々のヒステリックじみた、いや、狂気すら感じさせるような、秘書に対する一連の漫罵(まんば)である。 私自身ハゲているわけでもないし、この代議士と一度も顔も会わせたことすらないのだが、何か自分が罵(ののし)るられているようで、非常に不愉快な気分に陥った。よく聞いていると、ところどころで暴力を振るったと思われる鈍い音もあり、まことに恐ろしい音声といわざるを得ない。そもそも、他人を批判する際の言葉が、「ハゲ」などという能力と無関係な身体的特徴であるという時点で、あまりに低俗に過ぎる発言だろう。よく考えれば「ハゲ」ていることは罪でも何でもないのだから、そもそも、非難の言葉だと捉えること自体が差別主義的なのだ。 ところで、豊田真由子代議士といって、多くの人が思い出したのが、園遊会の際の乱暴な言動ではないだろうか。園遊会では、招待された方の配偶者しか入場が認められていないが、豊田代議士は自身の母親を強引に入場させてしまったという事件が関係者の間ではかなり評判になっていた。私も話を聞いた際に、随分強引で、我の強い性格だと思っていたのだが、その凶暴さは想像以上のものであった。多くの国民があきれ返ったのは間違いないだろう。豊田真由子氏 だが、この豊田代議士の発言に対する自民党の重鎮たちの発言も、かなり、不適切な発言が多かった。すぐに撤回することになったが、河村建夫元官房長官は「ちょっとかわいそうだ。あんな男の代議士はいっぱいいる」と述べ、麻生太郎副総理も「あれ女性ですよ女性。男と書き間違えているんじゃないか」と述べている。 河村元官房長官の発言が事実だとすれば、自民党の男性代議士の中には、豊田代議士のような暴言、暴行が日常茶飯事になっている代議士が多いということになってしまうだろう。また、麻生副総理の発言は、豊田代議士が「女性」であるから、そのような暴言、暴行に及ぶことが信じがたいという意味に取れるので、結果として、男性代議士であれば、そのような暴言、暴行があっても仕方ないと受け止められてしまいかねないだろう。どちらも軽率な発言だといってよい。 そもそも社会的弱者を守る使命を帯びた政治家が、自身より弱者である秘書に対して、暴言、暴行の限りを尽くしたという時点で、豊田代議士の責任は重く、決して擁護できるものではない。 ただ、一点だけ豊田代議士に同情できる点があるとするならば、恐らく、彼女自身は、非常に優秀な人物で、ミスを仕出かす人々の気持ちが本当に理解できないのではないだろうか。彼女の経歴をみると、東大法学部卒業、厚生労働省入省、ハーバード大大学院修了、そして衆議院議員に当選している。およそ非の打ち所のないほど華麗な経歴で、彼女自身が相当な努力家で優秀な人間であったことがうかがえよう。こうした優秀な人間にありがちな欠点は、他者が自分と同様に優秀であるという錯覚を抱いてしまう点にある。自身が優秀だからこそ陥る欠点 要するに、本来であればできるはずなのに、意図的に努力を怠っているから、仕事ができないという風に思い込んでしまうのだ。自身が優秀であればあるほど陥りがちな欠点といってよいだろう。この罵声を浴びせられた秘書のミスを許すことができなかったのだろう。 だが、人間は皆、豊田代議士ほど努力家でも優秀でもない。別に彼女の才能を持ち上げるわけではないが、誰もが豊田代議士ほど優秀ではないというのが、世の中の常である。確かに豊田氏は優秀な官僚ではあったかもしれないが、一人一人の庶民の心をおもんばかることができないという意味において、政治家には絶対に不適格な人物であった。このような人物を公認候補として選出してしまった自民党関係者も猛省すべきであろう。支援者とともに満面の笑みで万歳三唱する豊田真由子氏(中央)=平成26年12月、埼玉県新座市 もう一点、別の観点から、この事件について一つだけ指摘しておきたいことがある。それはこの男性秘書の身の処し方についてだ。 恐らく、何度も信じられないほどの暴言を浴びせられ、嫌気が差したことは理解できる。だが、本来、彼がなすべきだったのは、ミスをした点に関しては、豊田代議士に対する心からの謝罪であり、その後になすべきは、豊田氏の異常な言動に対する「諫言」ではなかっただろうか。 失敗した点は謝罪すべきだが、本来、非難されるべき点ではない身体的特徴を揶揄(やゆ)され、人格を否定されるような発言がなされた点に対しては、いさめるべき立場にあったのではないだろうか。いさめて聞き入れないというのならば、断固として、その点は認めがたいと面を冒してでも堂々と主張すべきではなかったのか。 こうした低俗な議論に持ち出すにはいささか気が引けるが、『孫子』には「将、軍に在りては君命も受けざるところあり」との言葉がある。例え、上司から命令されようとも、引き受けてはならぬことがあるという意味だ。この場合、命令が下されているわけではない。自分自身の人格、名誉が否定されているのだ。その場で曖昧な態度を取るのではなく、毅然(きぜん)とした反論をなすのが秘書という職務というものだろう。 代議士もひどければ、秘書もひどい。日本の政治は一体どうなってしまうのかと思わざるを得ない低俗な事件だった。

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    「超傲慢エリート」元官僚議員はなぜ量産されるのか

    議員たちばかりを思い出してしまうが、なぜなのだろうか。チルドレンとは、そもそも子供たちを意味するが、政治の世界などでは特定の人物の影響を受けた人たちの意味もある。 小泉純一郎総理や小沢一郎氏(幹事長、党首)、あるいは安倍総理の影響を強く受けた議員という意味があるわけだが、これらの新人議員の誕生に関して共通して言えることは、特定の政治家の思想などに強く感銘を受けて政治家を志したというよりも、むしろ特定の政治家が自分や所属する党の勢力を拡大するために大量に新人を立候補させる必要があったということである。 要は粗製乱造。その典型例は杉村太蔵元議員。最近の杉村氏は社会的な常識が身に付いたように見受けられるが、当選直後には「早く料亭に行ってみたい」だとか、あまりにも軽い発言を連発して顰蹙(ひんしゅく)をかったものだ。新人議員を多数誕生させる必要があるときには、じっくりと人物を見極める暇などなく、粗製乱造がどうしても避けられないのであろう。 事実、麻生太郎副総理は、先日、次のようなことを言っていた。「(自民党の衆院当選2回生は)全国に数多くおります。(2012年衆院選で)119人もの新人が通りましたから、こりゃいろいろいるのです」。とはいえ、自民党としては公募の手続きをとり、ちゃんと審査をして決めたわけで、少しは責任を感じてもらわなければいけない。ただ、そうは言っても、時間も限られているし、数をそろえることが優先されるので致し方ない面もあるのだろう。 つまり、学歴や職歴、そして、話しぶりやルックスがまあまあであれば決定するか、と。まして、豊田氏については学歴や職歴が抜群であり、実際の人柄について詮索するまでもなく決定されたことが容易に想像できる。 我々も東大卒、中央省庁採用、海外留学などという経歴をみると、それだけですごいなと思ってしまうわけなのだから。それに、選挙では当選することが一番大事なことで、後々明らかになる人柄の問題はどうしても軽視されがちになると言っていい。 そして安倍チルドレンの質が劣る理由は他にも考えられる。繰り返しになるが、チルドレンとは特定の人の影響を受けた人たちを意味する。そして安倍総理は、森友学園事件や加計学園疑惑が判明する以前から約束を破るというか、自分の言った言葉に対する信頼度が低い政治家と少なくても一部では見られている。だから、そうした総理の影響を受けた新人議員たちがどのような立ち居振る舞いをしがちになるのかは容易に想像がつくであろう。問題になりにくいキャリア官僚の暴言 ただ、以上のような事情からだけでは豊田氏の異常な言動を説明することはできない。つまり、新人議員粗製乱造システムによって適正のある議員が選ばれることの方が難しいからだ。また、安倍総理の個人的な資質が多くの新人議員の言動に相当な影響を及ぼしていることが事実であったとしても、豊田氏の言動は、そもそも議員になる以前から相当に常識はずれであったことがかつての同僚や部下たちの発言から明らかになっている。 豊田氏は少なくとも厚生労働省にいたときから部下を怒鳴り散らすなどの言動が頻繁に見られていたのだ。では、そうしたパワハラまがいの言動をどうしてするようになったのか。 豊田氏のケースに限定せず一般論を言わせてもらえば、本省採用のキャリア官僚は、自分たちは一般職員とは全く違うというエリート意識を持っている者がほとんどであり、また、そうしたキャリア官僚の中には、一部とは言え、自分たちは他の人間とは違うと、あからさまに見下すような態度をとる人間がいるということだ。実際に私は、こうした一部のキャリア官僚が、他人の人間性を全く否定するかのような言葉で部下を罵倒する現場に何度も遭遇したことがあるのでわかるのだ。 では、そのような傍若無人の態度を取って、職場で問題にならないのか。通常、このような暴言が問題になるのは、極めて稀(まれ)だと言っていい。というのも、そのような鼻持ちならない一部のキャリア官僚は、普通、上司には精一杯ゴマをすり、気づかれずに済むことが多いので、職場内で問題になることはまずないからだ。つまり、上司や組織からそうした暴言が注意されることは一切ない。その代わり、常に部下たちのアフターファイブで愚痴の対象にはなる。どれだけノンキャリたちの酒の席での話題になっていることか!霞が関の官庁街 まあ、役所は2年程度で人事異動が行われるのが普通だから、1年もすれば自分が異動するか、問題の上司が異動するかと思い、我慢することが普通だ。最悪2年たてば、どちらかが少なくとも変われるであろう、と。 しかし、事実は小説よりも奇なり。私の場合、福岡にある出先機関のある課に2年間勤めた後、東京にある出先機関に異動になったことがあるが、なんという偶然か、私の上司である部長も同時に東京の出先機関に異動になり、再び私の上司になったことがあったのだ。まあ、そのときの上司は格別暴言を吐くタイプではなかったので、問題はなかったが。 ところで多くの人は、豊田氏の東大卒、厚労省入省、そして、ハーバード大大学院留学という経歴をみて、なんと華麗な経歴で、超エリートなのだと思ってしまうに違いない。これまでトントン拍子で人生を歩んできて、挫折など経験したことがないと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。 彼女が実際に挫折を経験したことがあるかどうかは知らないが、一般論として言えば、財務官僚(大蔵官僚)といえども、全く挫折を経験したことのないという人がどれだけいるのだろうか。本当の意味での超エリートというのはほんの一握りではないかと思う。 私はかつて環境庁に課長補佐として出向していたことがあったが、そのときに、私と同じように大蔵省から課長が出向してきたことがあった。その課長に、勝手な想像で「課長は今まで挫折など経験されたことがないのでしょうね」と言ったことがあるが、そのとき「いや、高校受験で志望校に落ちた経験がある」と言われて驚いたことがある。 ただし、その後、東大法学部を卒業し、大蔵省に入省した訳であるから、世間の尺度からすれば超エリートなのだが、それでも途中で挫折を経験したことは事実なのだ。元官僚議員は「挫折組」 それ以外にも、財務省OBで有名な方にもいろんな経験をした人がいる。例えば、かつて通貨マフィア(財務官)として名を馳せた行天豊雄氏(東京銀行会長、国際通貨研究所理事長を歴任)も、最初は東大の入試に失敗して早稲田にいったん入学した。その後、再び東大に入り直しているし、政治家の中山恭子氏(日本のこころ代表)は、東大文学部を卒業後、外務省勤務(外務省キャリアではない)を経て大蔵省に入省している。 また、たとえ中央省庁にキャリアとして採用されても、多くは事務次官や局長になるコースを外れた道を歩んでいることが年を経るにつれ明らかになるので、ある種の挫折感というか諦めを感じるのである。そして、事務次官や局長になる可能性が小さいなと自覚するようになると、中には国会議員になる道を目指す者も出てくる。 中央省庁勤務を経て国会議員になるといかにも華麗な道を歩んできたかの印象を抱く人が多いと思うが、今述べたように、次官や局長になる可能性がないと気が付いたから国会議員になったという人も多いのだ。だから、役所ではかつて、事務次官になる方が大臣、ましてや政務次官になるよりも難しいなんて言われたものなのである。このように一般の人々の高級官僚を見る目と、彼ら自身がどう感じているかには相当のギャップがあるのが現実なのである。 そういえば、今回の豊田氏の不祥事の報道を聞いて、ひどい上司は役所だけでなく民間にもいる、なんて話をかつて役所に出向していた人から聞いたことを思い出した。ある都市銀行の支店での話であったが、ノルマを達成できなかった行員さんたちが机の上に正座させられることがあった、と。今から28年ほど前の話なのだが、日本社会が未だに似たような状況にあることを再認識してびっくりした次第だ。 こんなことを言ってはやや言い過ぎになるかもしれないが、安倍総理の財務省いじめも似たような性格を有するのではないのか?如何に財務省が官邸からいじめられていたかは元財務官僚の山口真由氏が証言している。東京・霞が関の財務省 私の経験からすれば、日本にはそういった職場のいじめっ子である上司には逆らわないという文化があるように思われる。逆らっても逆に問題をこじらすだけだからじっと耐えているしかないのだ、と。私は、かつてそのような類の上司に遭遇したことがあるが、そんな輩(やから)は、こちらが下手に出るから益々恫喝的な態度に出るのだ。だから、偶には毅然として反抗することも必要なのだ。 超エリートたちは、まさか部下が反抗するなんて思ってもいないので、実際に反抗的な態度を取られると対応に困るのだ。もちろん、そうして反抗するからには辞職も辞さない覚悟が必要だが、その代わり相手が態度を変えるかもしれないのだ。 ひと悶着が起きる可能性があるが、いじめられて精神的にダメージを受けるくらいなら、その方が、自分のため、そして職場のためにもなり、多いにプラスになると今でも信じている。 今回、音声データを公表した元秘書を悪く言う向きもあるが、そのような意味で私は決して悪い行為だとは思わない。豊田氏にとっても、それをきっかけにして反省することになるならば、本当に良い薬であろう。

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    鎌田實医師 大西英男議員の失言に対して言いたい2つのこと

     受動喫煙対策強化の法案提出は先送りされたが、議論百出の状態だ。もっとも大きな話題となったのは、5月15日に開かれた自民党厚生労働部会で、大西英男・衆議院議員が、「がん患者は働かなくていい」、とヤジを飛ばしたことだろう。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、大西議員の言動に対して、2つの言いたいことを述べる。* * * 受動喫煙の防止策を検討していた自民党厚生労働部会で、失言の多い議員がまた失言した。「(がん患者は)働かなくていい」 多くの食堂や居酒屋では、受動喫煙の対策がすすんでいない。受動喫煙の健康に対する害はよく知られているが、その害にさらされながら働くがん患者の実情を訴える三原じゅん子議員に対し、大西英男議員がヤジを飛ばしたのだ。自らの発言が、がん患者や元患者の気持ちを傷つけたとして謝罪する自民党の大西英男衆院議員=5月22日、東京・永田町の党本部 全国がん患者団体連合会は、がん患者の尊厳を否定しかねない、と抗議文を出した。大西議員は、「がん患者らの気持ちを傷つけた」として謝罪。しかし、発言は撤回しなかった。喫煙可能の店で、無理して働かなくていいのではないかという趣旨だったと言い訳した。この大西議員の言動に対して、2つ言いたいことがある。 一つは、働かなければならないがん患者の実情をまったく理解していないということだ。がん患者は「患者」であると同時に、自分や家族を支えていく「生活者」である。最近は、親になる年齢が高齢化していることに伴って、小さな子どもを育てながら、治療を受けている人も多い。生きるためには治療が必要であるが、生きれば生きるほど治療費がかかり、子どもや家族の生活を圧迫していくという状況に苦しむ人もいる。そんな厳しい状況で、働いているがん患者がいることを想像してほしい。 二つ目は、喫煙の害を甘く考えていることだ。これは医師としてどうしても言っておきたい。 タバコは、がん患者だけでなく、すべての人の健康によくない。たとえば、タバコを吸う男性は、吸わない人に比べて、すべてのがんでリスクが2倍高い。食道がんは3.3倍超、肺がんは4.8倍、膀胱がんや尿路がんは5.4倍にも跳ね上がる。 がんだけではない。脳卒中や心筋梗塞は1.7倍、肺気腫や高血圧も喫煙が影響しているといわれている。大西議員よ、額に汗して働け さらに問題なのは、受動喫煙だ。タバコの副流煙には、健康を害する物質がたくさん含まれているといわれ、喫煙者の周りの人たちに対する健康被害が明らかになってきた。 厚生労働省の研究班は、受動喫煙により年間1万5000人が死亡していると発表している。また、肺がんでは、夫がタバコを吸っているだけで1.3倍、脳卒中も1.3倍高まる。 医療費を抑制するためには、喫煙率の低下や、受動喫煙防止はとても重要なカギとなるはずだ。だが、憲法で保障する「幸福を追求する権利」などを持ち出して、どこでもタバコを吸えるようにしたほうがいいという愛煙家や、タバコ産業のロビー活動がおそらくあり、なかなか実現しないのだろう。 小規模の飲食店では受動喫煙の防止策を徹底すると、客が減って収入が落ちるのではないかと心配しているようだが、WHOの調査では、逆の結果が出ている。完全禁煙を実施したら、むしろタバコを吸わない人たちや家族づれが安心して来るようになり、利用者が増えたという調査も出ている。 日本は、WHOの「たばこ規制枠組条約」の締約国となっている。アメリカの半数以上の州や、カナダ、ロシア、オーストラリア、南米諸国、韓国などが、第8条の「飲食店等を含む屋内施設を完全禁煙化することによる受動喫煙の防止」をすでに実現している。日本は、世界でも遅れているのである。 改正がん対策基本法では、患者が仕事を続けられるように、企業に配慮を求める施策がつくられた。当然、がん患者が安心して働けるように、きちんと受動喫煙を防止することは必須である。 本当は「あなたこそ働かなくていい」とヤジりたい気持ちを抑え、大西議員が額に汗して働くべきことは、自民党の先頭を走って、病気のために仕事を続けられなくなったがん患者が安心して働けるような社会にすることである。それが、国民全体のためにも働いたことになるはずだ。関連記事■ 「メンソールを吸うとEDになる」説 科学的根拠ナシ■ 習近平喫煙写真出回る 中国禁煙キャンペーンに反発との説も■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ たばこ副流煙で肺がんになる人「4万人に1人」と武田邦彦氏■ 50歳以上の男性喫煙者が血尿になったら膀胱がんの疑いもあり

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    自民若手の連続不祥事 選挙が楽でカネと暇ある環境が一因

    )。自民党が大敗した2009年当選組(小泉進次郎氏など4人)と比べると、国会質問の数でも大きく劣り、政治キャリア、政務能力の“劣化”が問題視されている。 宮崎氏が国会で質問をした回数は1年間でわずか2回。下積みの努力がない分、宮崎氏は「育休宣言」のパフォーマンスで手っ取り早い知名度アップを図ろうとした。政治家として拙劣すぎる。村上正邦・元自民党参議院議員会長はこう憤る。 「今の2回生はどうしようもない奴らばかりだし、それを厳しく指導する先輩もいない。かつても自民党の議席が多い時代はあったが、新人なりに質問させてくれと頼んで先輩から『10年早い!』と怒鳴られ、それでも食い下がってチャンスを掴んで、その1回の国会質問に思いを込めていた。本当に情けない」2015年8月、未公開株をめぐる金銭トラブルで自民党を離党、記者会見に臨む武藤貴也衆院議員(斎藤良雄撮影) そんな危機感も当人たちには届いていない。2012年組の大半は2014年の前回総選挙も楽々当選で2回生になった。そうなると、地元活動のための「金帰火来」(金曜に地元に戻り火曜に上京)を次第に怠り、「土帰日来」で地元後援者の目が届かない東京に長く滞在し、「ハナ月~ハナ金」を楽しみたくなる。 その舞台の一つが「議員宿舎」だ。臨時国会召集が見送られ、若手議員にはますます仕事のない“バカンス”となっていた昨年秋から年末にかけて、東京・青山の衆議院議員宿舎の一室では夜な夜な嬌声が上がっていた。青山宿舎は繁華街の六本木から目と鼻の先。部屋の主は六本木で飲み歩くことから「ポンギ組」と呼ばれる2012年組の議員だった。「部屋に呼ばれた人によると、中には数人の水商売風の女性と同期の議員たちがいて『相席居酒屋かよ』という状態。一緒に飲まないかと誘われた議員もいた。同じ部屋で何日も続いたのでたまりかねた近隣の議員から苦情が出ていた」 そうした苦情もあって騒音は止んだというが、「外で同じようなことをやっているのでは」(同前)といわれている。議員合コンの成果は上々? 2012年組は独身議員が多く、議員秘書や衆院事務局の若い女性、政治部の女性記者などに声をかけた合コンが頻繁にあるとの情報も多い。 議員合コンに出席したことのある女性秘書は、「中には感じのいい方もいましたが、官僚出身のあるセンセイは『僕はこれまで女性にフラれたことがないんだよね』とかいいながら、自分では連絡をせず一緒にいた男性を通じて『後で会いたい』と誘ってくるんです。何か男らしくないなとヒキましたね」と打ち明ける。 ただ、政治とは違って、こちらの2012年組の成果は上々のようだ。「ある30代の2回生は美人で評判の先輩議員の秘書と噂になり、“手が早い”と周りの同僚にやっかまれていた」(大手紙政治部記者) 女子アナを射止めた議員も少なくない。辻清人・代議士はNHKの出田奈々アナウンサー、日銀出身の小倉将信・代議士は2013年にテレビ朝日の島本真衣アナウンサーとゴールインした(2015年に離婚)。「スポーツ選手や芸能人ならともかく、国会議員が女子アナと結婚なんて私らの世代には考えられなかった。全員がダメだとは言わないが、今の若手は自分がタレントか何かと勘違いしている」 とは自民党ベテラン議員の述懐だ。小人閑居して不善を為す──安倍自民党の若手の不祥事が止まらないのは、「国会で仕事はなく、選挙は楽、そしてカネと暇はふんだんにある」という恵まれすぎた環境にある。それが安倍一強政権の力の源泉なのだから空恐ろしくなる。関連記事■ 自民若手 役人が作った法案通す委員会数合わせの採決要員に■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意■ ベレー帽の元女性議員長谷百合子氏 ゴールデン街でバー経営■ 石破茂氏 解散決定時に国会内で使用制限の携帯メールしてた■ 丸川珠代 三原じゅん子の自民党内での台頭に愚痴をこぼす

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    ヘイトを逆手に取る「差別ビジネス」から沖縄を護れ

    ないのぼりやプラカードを持ったデモ隊が騒ぐようになり、心を合わせてともに祈る場であるはずの慰霊祭が「政治利用」されるようになりました。これは非常に残念なことだと多くの県民は心を痛めています。 沖縄県の「被害感情」や「平和を希求する心」がうまく利用され、民主党政権の鳩山由紀夫元総理の「最低でも県外」というウソの公約がきっかけとなり、「沖縄県民をバカにするな!」と火がついてしまったのです。その元総理は現在、平気な顔をして何度も沖縄の過激な抗議現場を激励に訪れ、何食わぬ顔で基地反対を叫んでいますが、もともと「やっぱり県内」と言って、基地を沖縄に押し付けてきた張本人であり、ロシアによるクリミア併合を支持しています。そんな「言行不一致」な人物がいま、平和の象徴として祭り上げられているのです。 慰霊の日を迎えるにあたり、今年はどんな騒ぎがあるのかと非常に不安を抱えています。戦死された多くの魂に安らかに眠ってもらうための慰霊祭がまるで戦場と化してしまう現在の「平和活動」に全く賛同できません。 さて、基地反対派ですが、厳密に分けると「暴力肯定派」と「暴力反対派」がいます。ただし、暴力的でない対話派は非常に少数であり、100かゼロかの議論に終始せず、相手の立場に配慮し、現実的な事情を把握するような、冷静に議論できる反対派の「左派」が少なくなったような気がします。 実は、「辺野古移設」だけを見ると保守層の中にもそれなりの反対派が存在し、本土で報道されている「反対派」と言ってもひとくくりにすることはできません。例えば、辺野古移設が実現すると、職や借地料が無くなる「普天間基地」周辺の人たちは当然反対します。 普天間基地周辺の不動産業界は、広大な土地の返還に伴う返還前の危険物の調査や除去などの整備、そして区画や名義の確認などにかかる空白期間が10年近く及ぶことを知っています。その空白期間は土地の有効利用されず、一切お金を生みません。また、それだけ広大な土地が返還されるということは、不動産の価格、または賃料が劇的に下がるということが確実視されています。翁長知事の街づくりは失敗 翁長雄志知事は、現在の「那覇新都心」が過去に米軍基地として利用されていた時代と比較して、返還前の52億円に対して、返還後は1634億円と経済効果で32倍も上昇したというような趣旨の発言をしていますが、普天間基地返還後の跡地利用について、那覇新都心と同じような開発プランしかありません。どう考えても、大型ショッピングセンターやオフィスビルを整備することくらいしか案はなく、県民と来訪する観光客のキャパシティーを考えても、互いに少ない客を奪い合う現象しか想像できません。 実際に、返還された米軍施設「泡瀬ゴルフ場跡」の跡地に国内有数の規模を誇る「イオンモール沖縄ライカム」が建設されましたが、テナントの出入りが激しく、当初の売上目標に及ばないばかりか、地元零細産業に大きな打撃を与えています。つまり、町づくりに失敗していると断言せざるを得ません。 さて、反対派について話を戻します。経済的な理由で反対している保守側を除き、沖縄県では社民党(社会大衆党含む)系と共産党系に別れますが、一般的に「革新勢力」と呼んでいます。 この「革新」というのは、非常に便利な言葉で、本来、全く連携や連帯をすることがない共産党と社民党が沖縄県では共闘するファジー(曖昧)な関係を構築しています。沖縄の革新系反対派(以後、反対派)に聞くと、そのほとんどは、自分が「革新系」だと答えるくらいで、本土で言うところの共産主義や社会主義のイデオロギーはほとんど浸透しておらず、自分がなぜ共産党または社民党を支持するのか説明できる人はほとんどいません。革新という呼称は、沖縄左派にとっては非常に便利な名称だったわけです。2016年12月21日、沖縄県東村高江の米軍高江ヘリパッド建設に抗議する反対派とにらみ合う機動隊員ら。反対派による通行妨害や機動隊員に対する挑発行為も目立った これまではそれでうまくやってきたのですが、最近、本土の政党本部からの影響力が増したせいか、そのイデオロギーをハッキリさせるという風潮が強化され、狭い島の「物事を白黒ハッキリとさせない」という処世術、知恵のようなものを否定するような圧力を受けています。 つまり、「おまえは共産党員なのか社民党員なのか?」という踏み絵を踏まされるのです。沖縄県民独特の「ハッキリさせない」融和主義が崩壊し始めたことにより、最近の首長選挙では「保守」対「革新」という構図から、「共産党」対「社民党」という風に移り変わっています。 翁長知事も「オール沖縄」という共産党主体の枠組みの中で、自身と支援候補の当選のためには、共産党との共闘を意識せねばならず、東京の「都民ファースト」や「民進党」と同じように、共産党の方針に引きずられた政策を打ち出していくような姿へと変化してきています。反対派の暴力 反対派の活動ですが、社民系の活動家がどんどん本土から流入していく中で、「山城博治」というリーダー(現在は複数の暴力事件で保釈中の被告)の下、過激さが日ごとに増し、昨年夏の東村高江地区でのヘリパッド建設(着工は約10年前)の集中工事に伴って、現地を完全に無法地帯と変えてしまいました。 その抗議団体の構成もさまざまで、労働組合を始め、宗教団体、同和系反差別団体、在日朝鮮系、韓国系団体、反原発系など大小100以上の団体が名を連ねています。特に際立って暴れたのがいわゆる「しばき隊(レイシストしばき隊)」と言われる暴力組織です。本土においても「十三ベース事件」など身内同士の暴力事件を数々起こしている団体であり、在日朝鮮、韓国系の構成員を多く含み、辛淑玉(シンスゴ)氏を頂点とする「のりこえねっと」などの協力で、沖縄県に闘争という目的を持って沖縄に上陸してきました。 当然、先述の「穏健非暴力派」からは活動参入後、非常に大きな抵抗にあい、「日本人でもないのにここで何をしているんだ」という声を浴びせられたと辛淑玉氏本人が証言しています。そういうこともあり、その過激運動は山城被告周辺で行われるようになり、カンパ資金を集めるために、機動隊員にケンカを仕掛けたり、検問している様子をネット配信するなど組織的な活動を開始しました。この抗議行動は全国に知られるようになりましたが、同時に彼らの蛮行が配信されるようになりました。「平和運動」そのものにも疑問符が付くようになり、元山口組組員を自称する、しばき隊の「男組」組長、添田充啓被告の逮捕と同時に、現場での彼らの影は急激に薄れ始めました。 ただし、どういう理由からなのか、地元新聞の琉球新報と沖縄タイムスにいたっては、辛淑玉氏や添田被告、そして山城被告を英雄視し、逮捕された後も「容疑者」起訴後の「被告」を付けずに報道して全面的にバックアップしています。 もうすでにネットなどでご覧の方に説明は不要ですが、車が違法に公道上でバリケードにされ、地元住民が全く往来できない時期が長期間発生し、過激派による違法な検問が行われ、住民がいちいち身分証明を見せないと通してもらえないほど現状が悪化していたにもかかわらず、それらの報道は皆無でした。「警察を呼べばいい」といった声を多く頂きましたが、沖縄県の現状は非常に複雑で、当初は政府の過激派に対する遠慮もあり、山城被告の独壇場でした。 そもそも地元の人間による反対運動というのは「高江住民の会」として存在していましたが、共産党主体で非常に穏健的だったものが、辺野古の過激グループが運動を乗っ取ったというのが僕の見立てです。その証拠に、住民の会のメンバーは、山城被告と行動を共にしていないし、一緒に逮捕されたメンバーもいません。僕も個人的に親しい共産党の村議がいますが、彼の口癖は「地元民から抗議を受けるような反対活動は絶対に支持されない」というもので、僕もそれに賛同していました。自称「人権の専門家たち」 さて、今回の国連での直接行動に至った背景やわが国をおとしめる集団について、私がこれまでに観察してきた、誰がどのように「ヘイトジャパン運動」を画策し、主導してきたかということをお話したいと思います。 まず、国連人権理事会の「特別報告者」ですが、通常は大学教授など民間の学者が選任される場合が多く、最近の日本に対する代表的な報告を行ったものとして、クマラスワミ(スリランカ)、ブキッキオ(オランダ)、マクドゥーガル(アメリカ)、ビクトリア・コープス(フィリピン)、カナタチ(マルタ)、そしてデービッド・ケイ(アメリカ)といった、自称「人権の専門家たち」がとんでもないウソで日本をおとしめてきました。記者会見するデービッド・ケイ国連特別報告者=6月2日、東京都千代田区(佐藤徳昭撮影) これらの報告者は、日本語を全く話さず、日本について、ほとんど知識が乏しい中、わが国が国費で招待し、必要な調査に対して100%協力しているにも関わらず、派遣される前のブリーフィング段階で、国連の認定NGOの反日活動家による「悪魔のイニシエーション」を受けています。 クマラスワミは、その報告の根拠を「吉田証言」に頼り切っており、国連において、日本の「慰安婦強制連行」は認定されたままとなっています。吉田証言が覆され、あの朝日新聞まで謝罪に追い込まれた後でも、クマラスワミはその報告の修正は必要ないと断言しています。 ブキッキオは、それに輪をかけたとんでもない人物で「日本の中高生の13%が少女売春を行っている」と報告し、大問題を引き起こした人物です。 マクドゥーガルは慰安所は「レイプセンター」であり、20万人以上のアジア女性を強制的に性奴隷にし、その多くが11歳〜20歳、毎日数回強制的にレイプされ、肉体的な虐待、性病罹患(りかん)の虐待を受け、生き延びたのは25%だったなどと報告。また、個人的に米国ジョージア州における慰安婦像の設置に積極的に協力しています。 コープスは、フィリピンにおける自国民の差別や殺人について一切発言せず、あの有名な翁長知事の国連スピーチを実現させ、辺野古の抗議団体の前で激励のスピーチを述べるなど、報告者としての中立性を完全に無視した行動で知られています。「沖縄県民は差別され、自己決定権はある」と無責任にけしかけた張本人でもあります。 カナタチとケイは、最近出没するようになりましたが、「報道や表現の自由」という担当分野の自称エキスパートで、日本におけるテロ対策法「共謀罪」や「表現の自由」の制約について、以下の国連反日活動エキスパートたちの意見を「うのみ」にして、日本政府に警告文を送ったり、国連で報告を行いました。組織的「差別ビジネス」 今回の「山城博治被告」の国連人権理事会のスピーチを実現させたのは、NGOヒューマンライツナウの伊藤和子氏と反差別国際運動(IMADR)の藤田早苗法学博士の両名であり、ここでも、「慰安婦」「在日朝鮮韓国活動家」「同和」「社民党」のキーワードですべてがつながってきます。ちなみに、平成10年に3人の女子高校生が同じ場所で「制服強制は人権弾圧だ!」と叫んだのもこういう人たちのお膳立て。国連では「甘ったれ!」と相当なひんしゅくを買っていました。伊藤和子弁護士(NGOヒューマンライツナウ) 13%の少女売春について情報提供を行ったと言われ、本人は否定していますが、ブキッキオと唯一の接触者であったことは認めています。また、その前後の特別報告者とも密接な関係を持っていることから、そう言われても仕方が無い。藤田早苗法学博士(英エセックス大学、IMADR) 伊藤和子弁護士が表に出ている中で、国連のキーマンと内通し、非常に巧妙にそして戦略的に日本をおとしめている陰の立役者。私も目撃しましたが、「さなえ」「デービッド!」とハグをするくらい特別報告者と親密で、本来必要のなかった来日を実現させたのも彼女だと言われています。政府の共謀罪法案をすぐに英訳し、特別報告者に送ったり、とにかく国連人権屋界隈では日本政府をしのぐ力を持っています。 ヒューマンライツナウの理事長は、青山学院大学教授で在日朝鮮人の申惠丰(シンヘボン)氏。その申氏が同じくIMADRの理事にしっかり入っているし、在日活動家の名前と同和団体(部落解放同盟)の幹部もIMADRの役人に名を連ねています。 この二つの組織を連携させた功績を持っているのが先述の「のりこえねっと」辛淑玉氏だと言われています。その彼女が「沖縄ヘイト」という言葉を生み出し、「沖縄人も日本人じゃない」「琉球人として差別されてきた」「一緒に戦おう」などと沖縄に介入し始めてから沖縄県がおかしくなり始めました。 つまり、陳腐化し、マンネリ化してきた彼らの組織活動にとって、沖縄県は、これら差別ビジネス、被害者ビジネスの一番ホットな「稼ぎ頭」または「存在意義」となりつつあり、これについては、本来反戦平和の運動を担ってきた地元の共産党員のほとんどがかなり困惑している状態なのです。 社民系は手段を選びません。「暴力を平気で使う」「言葉や態度が汚い」「対話ができない」といった共産党幹部が吐いた言葉からそれが分かります。 上記組織を簡単に説明すると、組織的「差別ビジネス」の在日版と同和版。つまり沖縄県をこれらの「魔の手」から護ることは、わが国日本を守ることなのです。 彼らの得意な戦略(手口)は、国連に自ら「告げ口」しておいて、日本のメディアの取材を受けて「日本政府の独裁体制は国連で問題視されている」と喧伝すること。日本に対して国際基準に合わせた人権意識をしっかり持ってほしいと言います。海外に一歩出れば分かりますが、こんなに人権が保障された国は世界でも珍しいくらいです。これだけねつ造された事実で日本をおとしめた特別報告者だって、自分の国については一切言わない。「国連は自分以外の国の恥部をさらけ出し、辱めるところだ」と表現する人もいるくらいです。国連人権委で行ったスピーチの内容を説明する我那覇真子さん(右)。左はともに国連人権委に出席した筆者=6月16日、日本記者クラブ 日本国民の国連に対する「公共的な国際機関」に対する信頼が逆手に取られ、国内の反日団体のスピーカーとして利用されているのです。国際社会での風評を落としたくないという政府の寛容な態度が逆に反日活動家たちの格好のステージを用意してしまっていると言えます。 私たちの先祖が護ってきた誇りある日本を取り戻す必要があると強く信じています。そのためにも「ダメなものはダメ」と毅然と対処する政府を作らなければなりませんし、そのための政治家を育てていかなければなりません。

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    沖縄の民意に裏切られた「翁長王国」崩壊の危機

    るま市長選)で、「オール沖縄」は3連敗を喫している。 市長選の場合、当該自治体固有の課題や地域固有の政治力学が色濃く反映するので、「翁長派VS反翁長派」という対立の構図がそのまま当てはまるわけではないが、「翁長支持・オール沖縄」で凝り固まった地元メディアが対立の構図をいたずらに強調しすぎたきらいがあり、県民のあいだに「翁長派敗北」が必要以上に強く印象づけられてしまった。その結果、県民の「翁長離れ」が進み始めている。いわば「自殺点」である。沖縄県民大会でメッセージボードを一斉に掲げる参加者=2016年6月、那覇市(竹川禎一郎撮影) 第2に、翁長知事やその支援者、そして地元メディアなどが繰り返し述べてきた「沖縄VS日本」という構図もまた「沖縄の民意」を動揺させている。「沖縄は差別されている」「沖縄は虐げられている」という彼らの主張は一時県民を刺激し、反対運動も盛り上げたが、辺野古や高江などの闘争の現場で、県民以外の活動家が次々に逮捕される現状が明るみになるにつれ、翁長知事を支援する保守層のあいだにも、「一体誰のための反対運動なのか。『沖縄VS日本』ではなく『反政府運動VS政府』が実態ではないのか。沖縄はその構図に巻き込まれているだけではないのか」といった疑問が浮上している。 第3に、辺野古埋め立て承認訴訟での翁長知事の敗訴も民意に影響を与えている。敗訴に直面して、「やっぱり国にはかなわないのか」という諦めを感じた県民も多いというが、県民のあいだには「知事は勇ましいことをいってきたが、成果は何もない」といったように翁長知事自身の責を問う声も少なくない。敗訴によって、保守層から共産党まで広く支持を集めていた「オール沖縄」に大きな軋みが生じたということだ。 第4に、国による「懐柔策」が功を奏しているという側面がある。実はこれがもっとも重要なポイントである。「埋め立て承認」を撤回しない理由 菅官房長官は、5月に入ってから沖縄に対する特例的な財政支援の枠組みである「沖縄振興計画」の延長を数回にわたり示唆した。1972年の復帰以来、計画期間10年の沖縄振興計画は5度にわたり実施されており、これまで投入されてきた沖縄振興予算は累計12兆円に上るが、政府はこれを現行計画が終了する2022年度以降も継続するというのである。 振興計画延長は翁長知事の「悲願」だった。私見だが、翁長知事はそのために日の丸保守という立場を捨て、「辺野古反対」まで訴えて政府に圧力をかけたと推量している。筆者は、振興計画の継続は沖縄経済を蝕むだけの愚策だと考えているが、翁長知事を始め、振興計画こそ沖縄経済の屋台骨だと考える政治家・財界人はいまだに数多い。菅官房長官が延長を示唆したことで、「振興計画継続」の旗頭だった翁長知事は、これまでのように強力な「反政府姿勢」を取れなくなってしまったのである。 知事が「埋め立て承認」を撤回しない最大の理由はここにある、と筆者は読んでいる。要するに「辺野古反対」は、翁長知事にとってあくまで振興計画継続を勝ち取るための手段にすぎなかったのだ。 もっとも、自身の体面を保つために、知事が政府に対する「矛」を完全に収めることはないだろう。実際、翁長知事は、勝ち目の薄い「訴訟合戦」をまだまだ続ける意向を持っているようだ。が、すでに目的は達してしまったのだから、知事の「矛先」は以前よりもはるかに鈍いものになるに違いない。 誤解を恐れずにいえば、翁長知事は事実上政府にすり寄ったのである。共産党、社民党などの移設反対派からみれば、これははっきりいって「裏切り」だが、彼らはまだその事実を認めようとしてはいない。とはいえ、翁長派のあいだでも翁長知事に対する不信感が広がり、「民意」は大きく揺らぎつつある。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」=2017年5月 以上見てきた通り、翁長知事はもはや求心力を失い、「翁長王国」は音を立てて崩壊し始めている。基地負担の問題、日米同盟の問題、沖縄経済の脆弱性の問題など複数の問題をきちんと整理しないまま、「辺野古反対」だけに県民の民意を集約させようとした「オール沖縄」の戦略は、ここにきて完全に破綻したといえる。 翁長派・反翁長派を問わず、沖縄の政治的リーダーの中にも、「オール沖縄は終わった」「辺野古は終わった」という認識を持つ者は少なくない。両派ともすでに「ポスト辺野古」の県内政局を睨んだ生臭い動きに関心を寄せ、2018年11月に行われる沖縄県知事選に焦点は移り始めている。崩壊しつつある「翁長王国」 反翁長陣営からは、西銘恒三郎衆院議員(自民党)、安里繁信シンバホールディングス代表取締役会長、古謝景春南城市長、我喜屋優興南学園理事長(元興南高校野球部監督)などといった候補者名が聞こえてくるが、候補者選びは始まったばかりだ。反翁長陣営から複数の候補が正式に名乗りを上げる可能性も否定できない。演説する沖縄県の翁長雄2016年6月、那覇市 いちばん問題が大きいのは、翁長知事以外に有力候補が見あたらない翁長派だ。政府との「対決」で事実上力負けしてしまった翁長知事は、健康問題も抱えているといわれ、出馬を見合わせる可能性がある。二階俊博自民党幹事長は、翁長派・反翁長派に分かれている保守を「手打ち」させようという思惑を抱いているようだが、翁長知事と仲井眞前知事のあいだの根深い確執もあり、今のところ先行きは不透明だ。 これまで翁長知事を載せた御輿を、保守系翁長派とともに担いできた共産党、社会民主党、社会大衆党(沖縄の地域政党)の動きも大いに気になる。彼らは表面的にはまだ「オール沖縄の崩壊」を認めていないが、崩壊を認めたとしても候補者探しは難渋しそうだ。 行き過ぎた抗議活動で逮捕された山城博治沖縄平和運動センター議長の名前も浮上しているが、山城氏のように保守票を集められない候補では苦戦を強いられることになる。彼らが「民意の揺らぎ」を正面から受けとめながら、仕切り直す意思があるのかどうか不明だが、少なくとも「辺野古反対」だけでは県民生活の安定は得られないことをしっかり認識すべきである。 波乱はまだまだ続くだろうが、現状では、あれだけ盛り上がったかのように見えた「辺野古反対」「オール沖縄」とは一体何だったのかという反省や総括を欠いたまま、「県内政局」への関心だけで次の知事が選ばれることになりそうだ。 誰が当選しても、それは県内の利害対立と利害調整の結果にすぎず、「基地」に対する県民の意思とは異なるレベルで雌雄が決するという意味である。「普天間飛行場の辺野古移設」が決着に向かい、基地縮小プロセスが着々と進むのは結構なことだが、県民・国民を翻弄し、莫大な税を投入してきた「辺野古移設」をめぐる大混乱が、責任者不在のまま「政治的駆け引き」のようなものによって幕を引かれるとしたら、何か釈然としない思いが残される。 要するに「何事もなかったかのように曖昧に済ませてよいのか」というのが筆者の疑問である。県民や国民を不幸にするだけの、あのような混乱は二度と起きてほしくないが、曖昧に済ませれば問題は必ず再燃する。「翁長王国」は崩壊しつつあるが、火種はまだ残されたままなのである。

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    中国の「沖縄包囲網」は最終段階に入った

    える。 この祝賀会には、日中友好協会の丹羽宇一郎会長も参加し、乾杯の音頭をとっている。だが、参加した政治家は翁長氏を応援する「オール沖縄」系ではなく、自民党などの保守系がほとんどだった。中国の一部メディアは、沖縄県日中友好協会が「沖縄県議会議員の提唱によって、官民ともに設立した一般社団」と報じている。その県議会議員とは特別参与に就任した県議会議員を指していると推測されるが、彼もやはり自民党所属議員だ。 沖縄県と福建省の経済的な動きは既に加速度的に進み始めている。県内企業の中国貿易を支援する琉球経済戦略研究会(琉経会、方徳輝会長)は2月23日、中国国際貿易促進委員会の福建省委員会と貿易や投資促進を目指す覚書を交わした。会長の方氏は貿易業のダイレクトチャイナ社長であり、中国現地の会社と連携して県産品を中国に送り込むビジネスを展開している人物である。県と福建省が昨年12月から規制緩和や手続きの簡素化に取り組む中、企業間交流を加速させ、具体的な取引を始めさせる算段だ。中国・福建省の中心都市、廈門(アモイ)の海岸 3月には新たな福建省に進出が決まった企業のニュースも報じられた。沖縄本島南部にある与那原町の合同会社「くに企画」が7月から県産化粧品7商品を福建省のドラッグストアで販売することが決まったというのだ。この実現には県と中国政府の手厚い支援がある。中国では化粧品を輸入する会社は、政府の国家食品薬品監督管理局の許可を得ることが必要である。「くに企画」の商品を輸入するケースでは、「上海尚肌(しょうき)貿易有限公司」が許可を取得し、福建省内のドラッグストア十数店と契約を締結した。 一方、沖縄県のほうでも、くに企画に政府系金融機関の「沖縄振興開発金融公庫」から1000万円の融資が行われたという。くに企画を調べると、2015年10月設立された法人の存在は確認できるが、会社のホームページすら存在しない。その実態は、くに企画によるビジネスというより、中国の会社が沖縄からの仕入れを計画し、くに企画にたまたま白羽の矢が立って、沖縄振興開発金融公庫が融資を行ったようにしか見えないのだ。人民解放軍の軍人が潜伏? 日本では日中国交正常化以来、中国に進出した企業の多くは、人件費の高騰や政策変更などリスクがつきまとい、撤退を始めている。しかし、現在の沖縄では、福建省に進出するといえば誰でももうけさせてもらえるような、上げ膳据え膳のサポート態勢が整いつつある。沖縄では20年以上遅れて、中国と福建省の合作で人為的な中国進出ブームが起きようとしているのだ。 一方、観光客のみならず、さまざまな切り口で沖縄に中国人を呼び込むプロジェクトも進められている。昨年3月、中国で高齢者福祉などを支援する中国老齢事業発展基金会(李宝庫理事長)が、中国への介護技術の普及に向けた「沖縄国際介護先端技術訓練センター」建設のために、本島南部の南城市にある約4300平方メートルの土地を買収したのだ。 沖縄をモデル地域に位置付け、中国からの研修生が日本の介護技術を習得し、中国国内約300都市に設置予定の訓練センターで介護技術普及を図るという。この案件を進めたのも、前述した河野洋平氏が会長を務める国貿促だ。国貿促の担当者は沖縄を選んだ理由に、アジアの中心に位置し国家戦略特区であることを挙げたという。 その訓練センターの事業体として、昨年9月13日、東京都赤坂のアジア開発キャピタル(網屋信介社長)と中国和禾(わか)投資(周嶸、しゅうえい代表)が共同出資を行い、新会社「アジア和禾投資」を設立した。新会社はアジアキャピタルの連結子会社となり、所在地もアジアキャピタルと同じビルとなっている。新会社への出資比率はアジアキャピタルが55%と多いが、社長は中国に多くの人脈を持つ中国和禾投資の周代表が就いている。沖縄に中国人が社長を務める巨大な介護訓練センターが出現するのだ。 もう一つ、気になるプロジェクトがある。航空パイロットの育成を手がけるFSO(玉那覇尚也社長)が中国の海南航空学校と業務提携の覚書を締結し、今年から70人程度の訓練生を受け入れるというのだ。FSOは沖縄県にフライトシミュレーターと実際のフライトを組み合わせた訓練場を、宮古諸島にある下地島空港の活用策として提案しており、県から空港利活用の候補事業者としても選定されている。中国人訓練生の中には人民解放軍の軍人が潜り込んでいる可能性もあり、かなり危険なビジネスである。有事の際、下地島空港で破壊活動や工作活動をされるリスクを招くのではないだろうか。翁長敗北で起こる「最悪のシナリオ」 沖縄は既に、多くの中国人観光客が訪れ、街も変貌してきたが、これら2つの事業が本格化しただけで沖縄のビジネス界も様変わりしてしまう。沖縄は既に中国経済に飲み込まれるレールが敷かれているのだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する集会で演説する沖縄県の翁長雄志知事=3月25日午前、沖縄県名護市 以上、中国による官民一体となった沖縄経済の取り込み工作の実態を確認してきた。このままいけば、沖縄では中国人観光客があふれるだけではなく、「社員が中国人」という会社が多くなり、「私の会社の社長は中国人」というケースも増えていくことになるだろう。そんな中、来年の県知事選で辺野古移設阻止に失敗した翁長氏を自民党系候補が破り、県政奪還に成功しても、新知事も福建省との経済交流推進者にならざるを得ない「最悪のシナリオ」が起こる可能性は大きい。自民党にターゲットを定めたかのような沖縄県日中友好協会の設立はそのための伏線ではないだろうか。そうなれば、沖縄が後戻りすることはもはや不可能になってしまう。 また、尖閣諸島で紛争が起きたとき、中国政府は中国進出企業との取引を停止する制裁を科すだろう。「中国依存度」の高い会社からは、政府や沖縄県に取引再開の交渉を求める声が当然上がってくる。会社が倒産したら、社員の明日の生計が立たなくなるからだ。琉球新報や沖縄タイムスには「政府は無人の尖閣諸島より県民の生活を守れ!」という趣旨の見出しが掲載されるだろう。そこで、中国は紛争の解決策として「尖閣諸島の共同管理」を提案してくることは間違いない。そのとき「沖縄は中国と経済交流してここまで豊かになってきた。中国と戦争して貧しくなるより、尖閣諸島を共同管理、共同開発して豊かな生活をしたほうが良い」という声が上がったら否定するのは極めて困難になってくる。 現代の戦争は軍事衝突だけではない。平時においても戦争は行われている。それは外交戦、経済戦、歴史戦、国際法律戦など、ありとあらゆる手段を使った戦争が行われているのだ。武力戦が始まるときにはほぼ勝負は決まっている。今、東シナ海の真ん中にある沖縄は、その総力戦のまっただ中にある。 沖縄をハブ空港として発展させるビジョンは正しいが、その背後に経済・防衛政策がなければならない。なによりも、沖縄を日本の経済圏の中に断固として組み込み、中国にコントロールされるような隙をつくらないことが必要だ。沖縄防衛は自衛隊だけでは不可能な時代である。手遅れにならないためにも、日本政府は経済や歴史、文化侵略など、あらゆる側面から沖縄防衛計画の策定を急がなければならない。

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    怒声は関西弁ばかり 「ウチナーンチュ」不在の基地反対運動の真実

    野古の護岸工事に着手したためだ。今後、移設工事は後戻りできない段階まで進む。「オール沖縄」には共通の政治理念もなく、さまざまな政党や団体が移設反対という一点だけで結集しているに過ぎない。今後も民意をつなぎとめられるか、正念場である。 だが、当の沖縄で「オール沖縄」の終焉(しゅうえん)を感じている県民は、どれほどいるだろうか。沖縄メディア、全国メディアを問わず、相変わらず辺野古移設問題で「沖縄が政府にいじめられている」と印象操作する報道があふれかえっている。 県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」を開けば、正義の「オール沖縄」が負けるはずがない、と言わんばかりの強気の記事ばかりだ。最近では、近く工事の差し止め訴訟を起こす翁長知事の主張が、法的にいかに正当であるか力説する記事をよく見かける。しかし、実際のところ移設反対運動は、現場レベルで県民にどこまで支持されているのか。 辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前では、工事を実力で阻止しようと反対派が座り込んでおり、機動隊から連日のように排除されている。私の見たところ、反対派は20~30人と言ったレベルであり、機動隊を押し返すほどの勢いはない。米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、機動隊員に排除される普天間飛行場の辺野古移設反対派=2017年4月 反対派リーダーは、辺野古での集会で「現場に多くの人が集まることで工事を遅らせることができる。毎日200人、300人集めたい」と呼びかけているが、一般県民が平日の朝から、仕事を休んでまで反対派に呼応するはずがない。 過激な反基地運動が一般県民のレベルで広がるきざしはなく、最前線で活動しているのは一握りの特殊な人たちである。多くはリタイヤ組と思われる高齢者たちだ。話すと一応は沖縄出身者だが、現役時代から労働組合運動に打ち込んできたような、バリバリの思想傾向の人たちが中心のようだ。「職業的活動家」がほとんど 沖縄という土地の特徴は、現地の住民と少し話しただけで、この人が沖縄出身の「ウチナーンチュ」か、本土出身の「ヤマトーンチュ」か、容易に判断できるケースが多いということだ。言葉のイントネーションが大きく違うからだ。 辺野古で機動隊による強制排除の現場を取材すると、明らかに本土出身者のイントネーションで「美(ちゅ)ら海を守れ」「警察権力の乱用だ」などという絶叫が聞こえる。叫ぶ元気がある比較的若い世代は、県外から流入したと思われる職業的活動家がほとんどのようだ。 辺野古に行って反対派の話を聞いたり、リーダー格の演説に耳を傾けると、それは歴然となる。最前線の反対運動は間違いなく、本土出身者が一翼を担っている。沖縄出身者はもちろんいるが、辺野古住民はほとんどいない。しかし、それは反対派もメディアも決して発信したがらない「不都合な真実」だ。 反対派のリーダーというと公務執行妨害容疑などで逮捕、起訴された山城博治氏が有名だが、彼がやたらと表に出るのは、恐らく沖縄出身だからだろう。本土出身者は用心深く、スポットライトに当たらないようにしている。メディアもそこは心得ており、新聞やテレビを見ると基地反対運動の現場で、意識的に沖縄出身者を取材する傾向があるように見受けられる。スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で演説する沖縄平和運動センター議長の山城博治氏=2017年6月 沖縄出身者と本土出身者の微妙な関係をめぐっては、沖縄メディアにも同じような状況が存在する。実際、反基地を発信する県紙の基地担当記者には、本土出身者が目立つ。 沖縄の人材の市場はもともと狭い。県紙のように、ある程度大きな企業になると、沖縄出身者だけでは到底支えられず、優秀な本土出身者が登用されるのは当然だ。八重山日報は中小零細企業だが、本土出身者はいる。 沖縄の基地反対運動の現場で飛び交う「クソ」「ボケ」などという反対派の怒号は関西弁。「これが沖縄の民意だ」と県紙に書く記者も関西人、「辺野古住民の多くは移設容認」と、県紙とは違う視点で取材する八重山日報の記者も関西出身、というコメディのような事態も現実に起こっている。 ついでに言うと、沖縄に駐在して基地問題の記事を書いている全国紙の記者も、もちろん数年単位で転勤を繰り返す本土出身者である。こうした記者たちの特徴は「ステレオタイプの記事を書く」ということだ。印象操作を重ねる地元メディア 安倍政権に不祥事が起きれば「安倍一強の緩み」という決まり文句の記事が氾濫するように、彼らに沖縄の記事を書かせれば、ほとんど「政府が沖縄の民意を踏みにじり、基地建設を強行している」という例文通りになる。本質的に、当事者ではなく傍観者なのである。 もう一つ、現場に行くと一目瞭然なのは、辺野古移設の反対運動というのが一般県民のレベルで浸透するような平和運動ではなく、特定の政治勢力に奉仕する政治運動だということだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる集会の参加者ら=2017年5月 私は4月以降、辺野古で開かれた抗議集会を3カ月足らずで3度取材した。登壇した国会議員や県議は共産党、社民党、自由党など、いずれも国政野党である。参加者が手にするのぼりはほとんどが労働組合の赤旗であり、参加者に配布されるチラシには「革マル派」と明記してある。沖縄では「オール沖縄」と称しても、国政では「反自公」「反安倍政権」を掲げる野党連合の運動に過ぎないことは、これだけでも明らかだ。 しかし、全国メディア、沖縄メディアを問わず、辺野古反対が平和運動であるかのように報道されているのが、私には奇怪なのである。沖縄は6月23日に「慰霊の日」を迎えたが、この日に向け、地元のある民放テレビ局がニュース枠で特集を組んだ。 それは辺野古で座り込む一人の高齢者に焦点を当てた番組で、彼は「戦争につながるすべてのものに反対する」と言い切る。アナウンサーは「辺野古には、この人のように戦争を体験した多くの高齢者が座り込みに参加しています」とナレーションを入れる。県民の負担軽減策である辺野古移設が、戦争準備の新基地建設であるかのような印象操作番組だ。 とはいえ、沖縄ではこのような番組に対する批判の声を全く聞かない。作り手も受け手もあまり違和感がないようだ。沖縄では県紙2紙の寡占状態となっている新聞をはじめ、あらゆるメディアがこうした状態であり、おそらく慣れてしまっているのだろう。

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    世界一厳しい「共謀罪」がある英国でなぜ無差別テロは続発するのか

    中盤くらいまでは主流であった要人暗殺テロよりも、現代において一般市民を狙った無差別テロが増えたのは、政治家など権力者の警備が極めて強固になったことにより、要人暗殺テロの実行が容易でなくなったことの反動である。また同時に、社会が民主化されることにより、国民の生命の価値がより尊重される時代が到来したこともその遠因の一つである。テロリズムと対策の「いたちごっこ」 また、ホームグロウン型が増加したのは、2001年の米同時多発テロ事件以降、世界各国のテロ対策が強化され、出入国管理が極めて厳しい状況に変わったことが大きい。米同時多発テロ事件は、中東各国から国際テロ組織「アルカーイダ」によってリクルートされた若者たちがアメリカに入国して潜伏することにより実行された。事件後、出入国管理が強化され、外国からテロ組織に関与する人物が入国することが極めて困難になったことにより、もともとその国に生まれ育った国民を過激化させ、その国内でテロ事件を起こさせるという手法に切り替わったというのが、ホームグロウン型が潮流となった原因である。 一方、ローン・ウルフ型が増加したのは、テロ対策の一環で監視カメラの運用や、電話やメールなどの通信傍受が強化されたことの反動である。通信傍受や監視カメラなどテロ対策における監視の強化によって、テロ組織がメンバー同士で会合をしたり、連絡を取り合ったりすることが極めて困難となった。そこで、テロリズムを実行するためにグループでメールや電話の連絡を取り合う必要のない、単独犯の個人または兄弟など極めて近しい関係者だけで実行されるローン・ウルフ型が増加したのである。ロンドンで起きたテロ事件で、車が通行人をはねたロンドン橋付近を警戒する警官ら=6月3日(ロイター=共同) このように、テロ対策やインテリジェンス活動が強化され、進化すると同時に、テロリズムの形、テロリズムの特徴も変化してきたことがわかる(※1)。テロ対策と監視活動を強化するほど、それをすり抜けるための新しい形のテロリズムが誕生する。さらに先日6月4日にロンドンで発生したテロ事件は、3人の容疑者が車を暴走させて市民を引き倒し、その後市街地のレストランやバーでもナイフを使って無差別に刺殺するという犯行であった。このように近年増加している車やトラックの暴走により一般市民をひき殺すテロ、ナイフなど身近な道具を使ったテロは、未然に防止することが極めて困難である。 イギリスには2006年に制定されたテロリズム法や2005年のテロリズム防止法など、テロ対策に関する基本法的な法制度が存在する。これらの包括的なテロ対策の仕組みにより、イギリスでは容疑があれば令状なしで48時間拘束することができる。 同時に、共謀罪の枠組みも整備されており、イギリスは最もテロ対策、特にテロを防止するための法制度が進んでいる国の一つだといえる。さらには、情報局保安部(MI5)、秘密情報部(MI6)などの機関によるインテリジェンス活動も世界でトップレベルの運用がなされている。しかしながら、このようにテロ対策が進んでいるイギリスにおいても、こうしたテロ事件を食い止めることが難しいという現状がある。それは、テロ対策の進化と同時に、それをすり抜けるためのテロリズムの形も変容し、進化しているためである。文化的多元主義を許容できるか マンチェスター爆弾テロ事件の容疑者は、事件前からインテリジェンス機関の要注意人物リストに含まれていたという情報がある。それでもこの事件は未然に防ぐことはできなかった。それはインテリジェンス活動におけるテロリズムの監視の「5W1H」に鍵が潜んでいる(※2)。 インテリジェンス機関はその諜報活動、監視活動により危険人物が誰か(WHO?)を特定することはできる。だが、その危険人物が、いつ(WHEN?)、どこで(WHERE?)、テロリズムを実行するかを特定するのは極めて難しい。それがローン・ウルフ型のテロリズムの防止、監視の難しさであり、この5W1Hを完全に把握するためには、より強大な監視体制を構築せねばならなくなる。テロ対策による「安全・安心」の価値と、監視や諜報活動により損なわれる可能性のある「自由・人権」の価値のバランスこそが民主主義社会においては重要であり、市民の「自由・人権」を守ることができる民主的でリベラルなテロ対策のあり方が求められている。5月23日、英マンチェスターの市役所前にささげられた花の前でうなだれる女性(ゲッティ=共同) マンチェスター爆弾テロ事件において、ISが犯行声明を出した。その声明の中には、このような表現があった。「爆弾は恥知らずな祝宴のためのアリーナで爆発し、約30人の十字軍兵士を殺害、約70人を負傷させた」。グローバル・ジハード戦略によって世界各国で発生するホームグロウン型テロに対して、ISは事後的に犯行声明を発表して追認する姿勢を常にとってきた。 イスラム原理主義者、イスラム過激派の思想には、こうした欧米のポップシンガーのライブが「恥知らずな祝宴」であると映ること、こうした欧米の大衆音楽、ハリウッド映画、ディズニーランドといった欧米型エンターテインメントが文化帝国主義的な「十字軍兵士」と映ることに、世俗社会に生きる私たちは想像力を巡らせなくてはならない。文化的多元主義を許容できる社会を目指して、孤立する個人やコミュニティーの過激化を根本的に防ぐ長期的なアプローチの構築が必要であることを、このテロ事件は示している。【参考文献】(※1)福田充『メディアとテロリズム』(2009、新潮新書)(※2)福田充『テロとインテリジェンス~覇権国家アメリカのジレンマ』(2010、慶應義塾大学出版会)

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    安倍総理が絶対に言いたくない「共謀罪」の恐るべき狙い

    小口幸人(弁護士) テロ対策にならない「共謀罪」が成立しました。政府与党は、最後まで「テロ対策」として成立させました。この事実は、二つのことを物語っています。 一つは、安倍政権はテロ対策を真面目にやっていないということです。一国民としてはとても心配ですが、裏を返せば、日本でテロが行われるという危険はそこまで差し迫っていないということなのかもしれません。 もう一つは、目的不明の共謀罪が成立したということです。任意捜査の名の下に警察による監視活動が広がることは止めようもありませんし、通信傍受法改正も数年以内に行われるでしょう。 将来、どの政権が共謀罪を戦前の治安維持法のように乱用的に使い始めるかはわかりませんが、そのボタンはセットされてしまいました。 そのボタンが押される対象としては、沖縄の辺野古新基地建設反対運動が最有力でしょうが、原発再稼働反対運動もその候補です。今後予定されている、核のゴミの最終処分場選定にまつわる反対運動も候補でしょう。 望み薄だとは思いますが。乱用される前に、警察が「任意捜査」の名の下に行う捜査・監視に法規制をかけることで実質的に法の支配を確保し、捜査の必要と人権保障を適正に両立できるようになることを期待したいと思います。※以上6月15日追記、以下は法案成立前に執筆テロ等準備罪法が成立。記者団の質問に答える安倍晋三首相=6月15日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 政府は、テロ等準備罪(共謀罪)法案は、国際組織犯罪防止(TOC)条約の批准に必要だとし、TOC条約に批准することがテロ対策になるとしています。しかし、TOC条約を批准している国でテロが起きています。共謀罪発祥の地とも言われるイギリスでもテロが続いています。 TOC条約や共謀罪がそろっている国でなぜテロが起きているのか。答えは簡単です。TOC条約はテロ対策ではないからです。共謀罪もテロ対策の役に立たないからです。政府は事実と異なる説明をしているということです。 TOC条約がテロ対策でないことは、条約の立法ガイドを書いた張本人であるニコス・パッサス教授が断言したことで、議論の余地がないほどはっきりしました。疑問に思われる方は、ネットで検索して外務省のホームページから和訳を読んでください。最初の数条を読めば、経済目的の犯罪対策、つまりテロ対策ではなくマフィア対策であることがおわかりいただけます。政府は説明してくれない そもそもTOC条約は、インターネットもまだ普及していない1992年にイタリアで起きたマフィア犯罪をきっかけに成立した条約です。主な内容はマネーロンダリング(資金洗浄)対策です。1993年から会合が重ねられ2000年に国連総会で採択されています。2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロより前に採択された条約が、今のテロ対策になると強弁するのは、余りに国民をばかにしていると思います。 そして、共謀罪法案もテロ対策になりません。共謀罪は、今でも犯罪として定められている277の罪を、実行されなくても、計画段階でも犯罪にするという法案でしかありません。計画段階で処罰できるようになったからといって、警察が突然パワーアップするわけではありません。 もっとも、わが国は9.11の翌年に行われた日韓ワールドカップを無事開催した国です。サミットも開催し続けています。日本の安全対策は国際オリンピック連盟にも高く評価されるほどであり、その結果、オリンピックが東京にやってくることになりました。 そもそも犯罪の未然防止は、今でも警察法に定められた、警察の立派な使命です。警察は今も犯罪の未然防止に力を尽くしており、手を抜いているわけではありません。そしてその結果、犯罪は減り続けています。刑事事件の数は、統計上戦後最低水準にあります。 なお、TOC条約に批准したとしても、その結果海外から提供されるようになる情報はマフィア犯罪に関する情報です。よって、この点でもテロ対策能力が高まるわけではありません。テロ対策訓練で化学兵器を調べる県警NBCテロ対応専門部隊 =5月18日、千葉県の幕張メッセ(長谷裕太撮影) 他方で、わが国はテロ対策の代表的な条約を全て批准しています。政府も2004年から体系的なテロ対策を立てており、安倍政権になった後も2013年12月10日に「世界一安全な日本創造戦略」を立て、その中で独立した項目を設け、オリンピック開催に備えたテロ対策を講じています。 ここまで述べたとおり、TOC条約はテロ対策ではありませんし、共謀罪もテロ対策の役には立ちません。どちらもテロ対策でないとわかれば、既に批准した国で、共謀罪のある国でテロが起きているのも何ら不思議ではありません。 では、さらなるテロ対策を講じる必要はないのかということですが、正直なところ、私にはよくわかりません。どんなテロがどの程度懸念されているのか、具体的にどんな事象があったのかを、政府が説明してくれないからです。嘘をそのままにするな! ただ少なくとも言えることは、新たなテロ対策を検討する必要があるならば、まずすべきことは2013年に策定されたテロ対策「世界一安全な日本創造戦略」を改定し、体系的な対策を検討することでしょう。テロ対策でない条約をテロ対策と言ってみたり、2003年から何度も出してきた共謀罪を突如テロ対策として出してくることではありません。 その上で、日本人のわれわれが、なぜイギリスでテロが起きたのか、そして防ぎきることができないのかを考えるのは重要なことだと思います。イギリスは防犯カメラ対策が最も講じられている国であるとされ、通信の監視等もアメリカのそれに近いものが行われていると言われています。それでもテロが起きていることに照らせば、日本が新たに2、3法律をつくったところで、果たしてどうなんだろうという気がします。 この部分で、一弁護士にすぎない私がお伝えできることは数多くありませんが、考えていることは三つあります。一つめは、見ている世界地図が違うということです。日本人は日本が真ん中の世界地図を見ていますが、多くの人は大西洋が中心の世界地図を見ています 日本は極東の島国に過ぎません。二つめに考えていることは、わが国がイスラム国に不利益なことを、他国と比べてどれほどしているかということです。三つめは、テロを減らすために、なくすために本当に必要なことは何なのかということです。自分と異なる価値観を認め合える社会を築き、貧富の差を縮める努力をし続ける、そこに尽きるのではないかと思います。組織犯罪処罰法改正案の採決で牛歩で投票に向かう野党議員(左下奥)=6月15日、国会(斎藤良雄撮影) 仮に、本当にテロ対策を講じる必要があるのであれば、検討するのは捜査機関の捜査能力をパワーアップすることであって、共謀罪を設けることではありません。新たな捜査手法を警察に付与し、装備や設備や人員を増強、日本版の国家安全保障局(NSA)や連邦捜査局(FBI)を設けることなどでしょう。そして、正直に国民に話すこと。これだけテロが起きそうな予兆があり、テロを防ぐためには監視を強め捜査権限を高める必要がある。だから一般市民も幅広く監視するし、通信も監視する。自由も狭められる。衛星利用測位システム(GPS)捜査も幅広く行うし、通信記録も携帯電話会社から開示してもらう。アメリカから提供された監視システム「XKEYSCORE(エックスキースコア)」も使う。それぐらいしないとテロは防げないから国民のみなさん我慢してください、と。 しかし、ご存じのとおり政府はそんなことは言いません。一般の人は対象にならないと強弁し続けるだけです。これで信用しろというのは無理というものです。 そして歴史は教えてくれます。政府が本当の目的を言わないときは危険だということを。もし、国を憂い、テロ対策を真面目に考えるのであれば、共謀罪がテロ対策だという嘘をそのままにして成立させてはならないと思います。テロ対策でないことを明確にし、本当にテロ対策が必要なら、そっちの議論を求めるべきです。

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    「監視カメラ大国」英国の共謀罪はここまで進んでいる

    宮坂直史(防衛大学校教授) イギリス・マンチェスターのコンサート会場で先月23日に自爆テロが起き、多数の死傷者が出ました。今月4日にはロンドン橋とその付近でもテロが起きました。もちろんイギリスだけではありません。この2つの事件の間にも、バンコク、バクダッド、アテネ、ミニヤ(エジプト)、ホースト(アフガニスタン)、ジャカルタなどでテロは起きていますし、年間の総数では全世界で1万件は下らない不安定な情勢が、ここ何年も続いています。 ただ、イギリスの場合、先進民主主義国家としては最も厳しいテロ対策を導入している国ということもあって、ひとたび事件が起きると、大きな関心が向けられます。日本で15日に成立した、いわゆる「共謀罪」も長年イギリスにはあります。 加えて、2001年の「反テロ法」制定以降の取り組みの中では、容疑者の無期限拘束を可能としたり、テロを称賛することを禁止するなどしてきました。令状なしの身柄拘束という日本ではありえないこともできますし、「監視カメラ大国」(約600万台)とさえ揶揄されています。犠牲者へのメッセージや花束、供え物を見て涙を流す警察官=2017年5月、英マンチェスターのアン女王広場 そういう国でテロが起きると、取り締まりや規制を中心とする小手先のテロ対策をしても、あるいは共謀罪などを導入しても結局、テロは防げないではないか、だから不要だといわんばかりの議論も出ています。 このような考え方は、テロやテロ対策についての無知や誤解に基づくものだといえます。イギリスでは2005年7月に同時テロが発生しましたが(その国で育った人が起こす「ホームグロウンテロ」の先駆けと言われた)、同国に在住している2万人以上といわれるイスラム過激主義者の多さに比べて、よくテロを防いできた方です。 一例をあげると、2006年に24人もの英国人を逮捕して、米国とカナダに向かう旅客機10機の同時爆破計画を共謀・準備段階で防ぎました。これは、過去最大級の未然防止の成功例になるでしょう。 この事件をきっかけに、航空機内への液体の持ち込みに厳しい規制がかかったので、それを記憶している方も多いと思います。ロンドン五輪(2012年)当時もグローバルテロの情勢は不穏でしたが、当局はテロを封じ込めました。では、どのようにしてテロを防ぐのでしょうか。共謀罪に限らず、何か法律を整備したからといって自動的にテロが防げるものではありません。法的万能薬など、どこにもありません。 まず、テロを企てるのではないかと思われる人物に関する情報収集や分析と、関係機関での情報共有がカギになります。マンチェスター事件の自爆犯は、英情報局保安部(MI5)の監視対象者でした。それは約3千人もいるうちの1人です。監視といっても1人に対して何人もの要員が必要で、対象者を24時間、通信傍受も含めてすべて見ていることは物理的にできません。 ロンドン橋での実行犯のうち1人はイタリア人であり、同国で監視対象者だったようですが、イギリスとの情報共有が問題になっています。 上記した航空機テロの防止は、住民の通報に依拠していた点も見逃せません。市民が周囲の異変に気づいて警察に一報を入れることは、初動として決定的に重要になるでしょう。他にも、テロ組織内およびその周辺にいる情報提供者の役割もあります。 例えば、おとり捜査では、実行直前に容疑者を逮捕しても、情報提供した容疑者については不起訴処分にして捜査側のために働かせるのです。テロを100%なくすのは無理 テロリストは、次々と最新の電子ツールを使って謀議を図り、情報・捜査当局はそれを見破る努力をしています。こういう時代だからこそ、尾行さえついていなければ、昔のように喫茶店の奥のテーブルで、小声で謀議したほうが察知されないかもしれません。 テロの防止が難しいのは、テロの主体が「組織」に限定されないからでもあります。組織として一定期間存続し、メンバーシップが明確ならば、監視も、封じ込めもそれなりの手を打てます。 しかし、1回の事件のために一時的にグループを作る場合や、ましてや単独犯ですと、よほど前科があるとかでなければ、当局の目にはとまりません。市民から通報が不可欠になってきます。自宅で爆弾をつくっていたり、不自然なまでの車両や人の出入りがあれば、周囲に怪しさを発散させているものです。 単独犯でも大勢の犠牲者数を出す例がありますが、テロの歴史を振り返れば、組織・グループのほうがはるかに大きな被害をもたらしてきました。ですから、共謀段階で察知し摘発するか、遅くとも準備に着手しているときに摘発することが最も望ましいのです。けが人を救急車に運ぶ救急隊員=ロンドン国会議事堂近く 最後に、「テロを防ぐ」という意味もよく考えねばなりません。完璧になくすということであれば、自由で民主的な社会とは決別しなければなりません。北朝鮮では、統計上テロは発生していません。 全体主義国家では、テロリスト(非国家主体)が活動する余地などありません。国民がテロのリスクをゼロにして欲しいと願うのは逆に危険なことです。いざ起きてしまうと、政府は何をやっていたんだと批判し、その結果、今より厳しい規制をとらざるを得なくなります。 すべてを政府や警察任せにするのは、自由民主主義の価値から遠ざかります。市民ひとり一人が身近なところで異変に気づき、防止に貢献する意識と行動が必要です。また、海外でテロに巻き込まれないような注意情報は外務省などからも出されていますが、それを真摯に受け止め、回避行動をとるかどうかも、市民の判断にかかっているのです。 テロは100%防げない。だからこそ、日本でもテロ発生後を想定した「国民保護訓練」などが全国的に多数行われてきたことも付言しておきます。

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    「時間の問題だった」英国テロ、一匹オオカミか

    どでも極右勢力が勢いを増している。テロが続発すれば、こうした極右が勝利することになりかねない。欧州の政治にテロは直結している。

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    哲学なき小池百合子「都民ファースト」

    東京都の小池百合子知事が自民党に離党届を出し、地域政党「都民ファーストの会」代表に就任した。「忖度だらけの古い都議会の刷新」を公約に掲げ、自民との対立姿勢を鮮明に打ち出すが、早くも期待外れとの声も聞こえる。再び小池旋風は起こるのか。都民ファーストの行方を占う。

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    【若狭勝緊急寄稿】小池百合子に政治生命を賭けた我が真意

    ) 昨年の都知事選において、私が自民党東京都連の指示に反し、小池さんを応援したのは、東京都政を含めた政治全般の今後のあり方を考察するに、小池都知事の誕生が極めて重要であると思ったからです。 これまで日本の政治は、いわゆる「しがらみ政治」が脈々と続いてきています。 もともと、日本社会では、「黒白の決着をあえて付けないとか、互譲・妥協・忖度(そんたく)・根回しで物事を動かす」などの曖昧な文化が受け入れられてきた面があるため、「しがらみ政治」がそれほど糾弾されずに続けられてきました。 ここにきて、法律の分野では、明治時代に制定された、民法の一部(債権部分)が120年ぶり、刑法の一部(性犯罪部分)が110年ぶりに改正されることになりました。時代の変化で、明治時代の価値観が法律面では一部修正されたのです。 にもかかわらず、政治分野では依然として「しがらみ政治」が続き、国政においても「しがらみ政治」を背景に、いろいろな問題が次から次へと噴出しています。 そもそも、「しがらみ政治」というのは、(1)利権構造になじみ、特定の人・団体の利益の便宜供与に結びつきやすい(2)決定過程のいわゆる「見える化」に乏しく、透明性を遠ざけ情報公開に消極である(3)税金の使途についても、都民・国民目線に立たず、無駄が多く、コスト意識が少ない(4)議会が活性化せず、議員がなれ合い・ぬるま湯政治につかっている(5)旧来体制の維持に強い価値観を置き、新しいシステム等の提言には耳を傾けない傾向 などの特徴を有し、悪弊・弊害をもたらすことになる政治の総称です。  私は、特捜部検事などとして、これまで長きにわたり政治家の不正・汚職を追及する中で、まさに「しがらみ政治」がその原因であると思い続けてきました。 「しがらみ政治」のもとでは、素朴な正義感が後退し、「良いものを良い」、「悪いものを悪い」と言えない雰囲気が作り出されていきます。 例えば談合です。税金の不要な出費につながるものの、かつては「必要悪」と言って是認され続けてきました。私も含め、談合の刑事責任を追及し続けたこともあり、今では、税金の無駄遣いとの考え方が共有されるようになりました。東京都知事選で小池百合子氏(左)の応援に駆けつけた若狭勝衆院議員=2016年7月25日、東京都三鷹市(荻窪佳撮影) こうした「しがらみ政治」から脱却し、それに終止符を打つ。利権構造を絶ち切り、公正でクリーンな政治、清濁併せのむ政治からの脱却、透明性を確保し、情報公開を格段に進める政治、都民・国民目線に立って税金を使うことを第一に考える、などの政治指針の確立が今、求められています。 特に価値観が多様化し、各人の価値基準も異なるようになった今こそ、多くの人が共有できる、そうした政治指針が必要とされるのです。そうした新たな枠組みを構築できるのは、「しがらみ政治」からの脱却を目指す小池都知事です。 また、日本は国連から、毎年のように「女性差別の撤廃が進んでいない」という不名誉な勧告を受けています。小池都知事が、女性として、東京オリンピック・パラリンピックを華々しく開催することによって、日本の女性の役割・活躍が相当進んでいるということを国際社会にアピールする絶好の機会になると思っています。 上述の理由等から、小池都知事を応援しているのです。女性の象徴的リーダーとして 外国の予算規模と比較しても、東京は一つの国のようなものです。してみると、都知事は、一つの国の大統領のようなものです。 そうした枠組みの中で、小池都知事には、持ち前の創造力、洞察力、即断力、実行力を発揮してもらい、強いリーダーシップで日本社会の在り方を変革してもらいたい。ちなみに、創造力と実行力を有する小池環境大臣がいなければ、クールビスがこれほど夏の男性の服装を変えることはなかった。また、洞察力・即断力を有する小池防衛大臣がいなければ、防衛省の天皇と言われた事務次官を退官に追い込み、逮捕起訴されることもありませんでした。 上述の「しがらみ政治」に終止符を打ち、利権構造に鋭くメスを入れ、透明性・情報公開を強力に推進し、都民目線に立って税金の使途を考えるなどを実践していただくことはもとより、積極的な施策として、東京都を世界の中で輝き、そして「わくわく」させ、東京ブランドをさまざまな分野で作り出していく。さらに、女性の象徴的リーダーとして、今後日本社会の活力となり、女性にかかわる諸問題を確実に解消していただきたいです。 今回の都民ファースト公認候補者は、年齢層・世代が異なり幅広い意見が集約できるだけではなく、何よりも、その保有資格、スキル、経験、専門性にそれぞれ秀でている人が多いのです。 実は、これまでの都議会では、議員自らが条例案を作成し、議会に提出する形での条例制定が極めて少なかったです。自民党所属議員が数多くいながらも、全くお寒い限りでした。都民ファーストの会の政策発表会見に出席した斎藤礼伊奈氏(左端)。中央は小池百合子代表=5月23日、東京都新宿区の都庁(佐藤徳昭撮影) 議員自らが作成した条例案を議会に提出し条例を制定するには、当該議員が、都民のさまざまな声を聞き取り、行政側では気付かない視点のもと、調査と各種法令の研究を重ねるなどのきめ細かさが必要となります。その結果、一人一人の議員活動が実り多くなり、議会における審議も活発化します。してみると、自民党所属の都議会議員が多くいる中で、長きにわたりそうした議員提出に係る条例制定がほとんどなかったというのは、驚きのほか何ものでもなく、そもそも自民党の都議会議員に条例案作成能力があるのかについて疑問符が付きます。また、まさにこの実態こそが「しがらみ政治」「ぬるま湯政治」の象徴と言えます。 都民ファーストでは、議員自らが作成した条例案を議会へ提出することによって、古い議会体質を変革していくことを目指しております。実際に公認候補(予定)者の各専門性に照らし、これが可能と思われ、今後は、東京都議会は都民のために見違えるように活性化すると思われます。 一般的には、男性よりも女性の方が「しがらみ社会」に染まっておらず、そのため、政治分野においても、女性の方が「しがらみ政治」の脱却に力を尽くせると思われます。 都民ファーストの公認候補(予定)者の女性の割合は約3割超であって比較的多いことも、「しがらみ政治」の脱却に向けた勢いが一層高まるものと期待できます。「東京が変われば国が変わる」 なお、二元代表制のもとでは、小池知事が代表を務める都民ファースト側の議員が増えれば、知事のいいなりになる議員が多くなり、議会が都政をチェックできないという批判をする向きがあります。 しかし、上述のとおり、なんと言っても、専門性・資格を有している者であれば、条例案を議会に提出し、制定するようになって議会を活性化するとともに、知事とは別の自らの視点・観点で行政をチェックする(例えば公認会計士の観点で都の予算・決算をチェックする等)ことが十分期待できます。 「東京が変われば国が変わる」。東京都は国の縮図です。東京都には過疎・人口減少が進んでいる地区や島もあります。同じ23区でも人口増と人口減の区があります。木造密集地区がある一方、タワーマンション建築地区もあります。 要は、全国各地域のそれぞれの特殊事情が東京都の中においても同じように併存しています。東京都がさまざまな工夫や特区制度を利用して、さまざまな問題・課題にモデルケースとして取り組み、それが効果的であれば、そのノウハウを全国の同じ特殊事情を抱える地域に伝えることができます。 昨今、地方創生・地方活性化の動向が強まっています。それ自体大切なことですが、地方と東京がいわば「VS」になってはいけません。財政が現時点において比較的豊かな東京都が率先し新たな試みを続け、その成功事例のノウハウを地方に伝授すれば、東京都と地方はWin-Winの関係になることができます。 安心安全のまちづくりも同じことが言えます。まさしく東京都は人口も多く犯罪発生件数も多いですが、これも23区の例をとれば、区によってその犯罪情勢や犯罪件数の推移も異なります。その理由と傾向を探ることで、その結果を区と同じ環境化にある全国の地区に情報提供することで、新たな安心安全まちづくりの指針となり得ます。東京都知事選。街頭演説する小池百合子氏(左)と若狭勝氏=東京都品川区(伴龍二撮影)  東京都選出の国会議員である本職としては、東京都の問題、それは、ひいては国の問題と考え、東京都の問題に係る解決策を探ることで、国全体にも良い影響を及ぼす、それに関わることで、本職の役割も一つ果たせると思っています。  今回の都議選は、重要な選挙と位置付けております。まさに上述のとおり、「しがらみ政治」をこのまま続けてしまうのか、あるいは「しがらみ政治」から脱却し、それに終止符を打てるかの選択の選挙です。 「しがらみ政治」に染まっていない「都民ファースト側の立候補(予定)者」に「しがらみ政治からの脱却力」を発揮してもらいたいと考えております。

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    「豊洲はダメ、ダメ」都民ファーストが苦しむ小池劇場第二幕の呪縛

    倍政権の支持率が急落した。そこで、あわてて再調査すると発表する顛末だ。 この動きを逆手に、「オッサン政治」「忖度政治」と小池氏は街頭でボルテージを上げている。「いつ、どこで、誰が」の犯人探しで「都政の見える化」を図ってきた自信からか、国の「閉じた体質」を徹底的に批判、自民政治の闇を際立たせる戦略だ。都民ファーストと言いながらメディアファースト、選挙ファーストへ傾いているが、そこは横に置いといて、都政の見える化に対し国政の隠ぺい体質を際立て自民を責め立てるのが小池氏だ。 もとより、自民も黙っていない。この約1年に及ぶ小池都政、「問題提起はよいが、問題解決ができない」、「決められない知事」批判を強める。この両者、どちらの主張も一面の真理だが、いずれこの都議選は「攻める小池」VS「守る自民」の攻防の様相にある。「希望の塾」の第1回都議選対策講座で、あいさつする小池百合子知事=2017年1月、東京都千代田区 ふつうの地方選と違い、首都東京の都議選には必ず売り物が出る。今回は「都民ファーストの会」という売り物。昨年夏の都知事就任後、小池ブームのなか小池塾ができ、小池新党ができた。今回、その小池新党から48名(6月1日時点)もの大人数が立つ。自民60名、共産38名、民進24名と真っ向勝負の形だが、本当に中身のある政党なのか。 包装紙に包んだままだと、中身がどんなものか分からない。お中元だとうれしく受け取るが、果たしてどんな代物か、味はどうか、もらう時ドキドキする。今の段階で、“都民ファースト”という小池新党は、包装紙に包まれたお中元のようなものではないか。この地域政党は何をやりたいか、どんなメンバーか、誰も食べたことがないから分からない。ただ、小池さんが「おいしいですよ!おいしいですよ!」と毎日セールスに回っているから、そうかなと思う人も結構いるようだ。メディア戦術に長けた小池氏らしい戦略だ。 もっとも政治とカネで都知事が相次ぎ辞職した後だけに、「何かを変えて欲しい」という空気が充満していることは事実。その空気(風)を満帆に受けて小池丸は航行中だ。世論調査で「都議会第1党をも伺う勢い!」という見出も散見するが、果たしてホントなのか。 公約の「東京大改革」という大仰な表現とは裏腹に、やっていることは意外に細かい。豊洲移転、五輪施設の見直しなど「負の遺産」とされるこれまでの事案を掘り起こし、そこでのムダ遣い、隠し事、不透明さを事細かく指摘する。「いつ、どこで、誰が決めたか」式の犯人探しがメイン。自民党都連をブラックボックス、自民長老を都議会のドン、石原都政を無責任体制と呼んできた。政治ショーに明け暮れる小池都政 敵をつくって守旧派、抵抗勢力、悪玉に仕立て、一方の自分は正義、改革派、善玉、都民ファーストだと主張する。このやり方を政治マーケティングというが、15年前そして2年前に小泉純一郎の郵政解散、橋下徹の大阪都構想に使われた手法と類似している。 ここまで小池氏に敵と指名されたのは森喜朗(五輪組織委会長)、内田茂(元自民都連幹事長)、石原慎太郎(元都知事)の3氏だ。次は誰かいるか。もう誰もいないかも。そこで今度は「古い都議会(守旧派)」を敵にすえ、新しい都議会に変えよう!(改革派)と訴える。この間、全ての議案に賛成し何の抵抗もなかった自民を敵だという。論理に矛盾があるが何が何でも敵がいないとこの手法は成り立たず。この手法はそのうち破綻する。百条委員会で宣誓書に拇印を押す石原慎太郎元都知事=2017年3月 旧自公体制を切り崩し、公明を自陣に引き込み、都民ファーストと合わせて127議席の過半数(64以上)を制する、これが小池氏の戦略だ。あたかも都議選の勝利を都政改革のメインのように仕立て、豊洲移転も五輪施設見直しもすべて政局化しワイドショーに仕立てるこのやり方。果たして、このやり方が都民のためになっているか。誰もが認める点は小池改革が都政への関心を高めたことだろう。 だが一方で、五輪準備は1年も遅れこの先の展望も危うく、豊洲移転の延期で都民はすでに100億円近いカネを新たに費消させられ、本来業務の都民向けの仕事は総じて停滞気味、組織全体及び都庁官僚に活気が出ていない。「ただ騒がしく他人を叩くだけのワイドショー政治」「空疎なスタンドプレーだけを繰り広げる『小池劇場』」(有本香『小池劇場が日本を滅ぼす』)といった痛烈な批判もある。 2020五輪を含め、いま大都市東京が置かれている状況は、そんな政治ショーに明け暮れている暇があるのか、冷静にみると大いなる不安を感ずる。もとより、政治とカネで失墜・混乱した都政を収拾し、「閉じた都政」を「開いた都政」に変えようとする、この1点でみる限り、小池改革は高く評価してよい。筆者も「60点」の及第点をつけている。 では、都民ファーストという政党をどうみるか。その点、筆者はどうしても触れておきたいことがある。少し古い話だが、竹下内閣のころ、ふるさと創生がブームだった。過疎からの脱却!を合言葉に当時の3300市町村へ一律に1億円ずつ配った。地方創生の奔(はし)りだが、各地では金塊を買ったり、花嫁探しに渡航したり、委託でふるさと創生計画をつくったりと忙しかった。そんな中、小さな町村で流行ったのが観光農園づくりだった。 ただ、「観光農園」というネーミングでは何の目新しさもなく、客も来ない。そこで受託シンクタンクは考え抜いた。そうだ!カタカナで攻めよう、「フルーツパーク!」と呼び勝負に出ようと提案。すると、町村長の多くがワッと飛びついた。この話を噂で聞いた町の人々は、わが町にフルーツパークができる!あたかもニューヨークのセントラルパークでもできるのかのように浮足立った。その後がどうなったか、誰も検証していない。耳触りのいい「都民ファースト」 政治でもこの種の話は何度もあった。「都民が主役」「都民参加」「国民生活が第1」。このフレーズは理念としては正しい。だが、もうこれでは売れない。有権者は“ウッカリ1票、ガッカリ4年”を嫌というほど味わったから、もう騙されない。そこで目くらまし。日本人はカタカナに弱い!そこを攻める。「都民が第1」を「都民ファースト」と呼ぶ、するとワッ~と売れる。苺狩り園をフルーツパークと呼び代えただけで客がどっと来るのと同じロジックだ。「都民ファースト」といえば耳触りもよく、何か新しいコトが始まるように期待する。そんな印象を持つが、どうだろうか。 私たち庶民の悲しい性。世にあふれる新商品、新サービスもこの種の罠が多い。商品名はマーケティングの肝、ネーミングは大事だ。ただ中身がないとすぐ飽きられる。もちろん「都政に既定路線はない」と断言、都政の継続性を否定し、全てを自分の色に塗り染めようとする小池氏だから、何かが始まるかもしれない。豊洲移転も五輪施設の見直しも、既定路線化した「決定」をことごとく覆してきた人だから…。 ただ、包装紙に包まれた都民ファーストという新党も少し中身を覗くと、そのメンバーにガッカリする。同党の売りは新人の小池塾出身者らしいが、立候補メンバーの半数以上は移籍組、落選可能性が高いと言われた既成政党の面々。元民進系15名、元自民系10名、みんな系3名といった議員ら移籍組がズラリ並ぶ。移籍の理由はいろいろ飾って言うが、ホンネは小池ブーム(風)に乗って議員であり続けることが主たる理由ではないのか。 新味があるとすれば、小池氏が好き、小池氏と一緒に仕事をしてみたいと集まった小池政治塾から選んだ20名だろう。小池氏もここを売りに「素晴らしい人達」と宣伝する。ここは額面通り受け止めよう。ただ小池氏同様、メディアファースト志向が強い点がどうか。都政に役立つ仕事ができるのか。ここが試されるが選挙戦を通じて見えるかどうか。ともかく、こうした移籍組と素人組という異物混合集団が都民ファーストの会。どんな音色を奏でるのか、混声合唱団まがいの地域政党・都民ファーストの動きを注視しよう。都民ファーストの会の政策発表会見に出席した斎藤礼伊奈氏(左端)。中央は小池百合子代表=2017年5月 公約はどうか。「豊洲移転は知事(党首)の判断に委ねる」が一丁目一番地。それぞれの候補の自己主張は封印しろ、街頭演説の中身は党の了解を得ろ!と厳命が飛ぶとか。これって何なの。小池氏が都議会に絶対賛成の仲間が多く欲しい、議員は数だ、票だというならそれもありだ。しかし、少し減額したとはいえ待遇(報酬+政務活動費)は1議員年俸2千万円。これを払わされるのは都民だ。都議って議会の採決要員?そんな存在か。昔から選挙目当てで寄ってくる集団を「選挙互助会」と呼ぶ。これに当てはまらないか。 東京大改革!東京大改革!とオウム返しのように繰り返す小池氏。確かに世論調査で小池氏の支持率は60%近い。一方、地域政党「都民ファースト」は、得体が知れないのか20%レベル。このギャップを埋めようと党代表に乗り出し露出度を高めているのが最近の小池氏だ。シャカリキに街頭で「都議選で勝たせて下さい!」と絶叫している。 この地域政党モデルは大阪維新かもしれない。就任当初の口ぶりもそうだった。しかし、大阪府議会、市議会の自民系を真2つに割り改革派が脱藩し大阪維新の会という新党を創設。その志士軍団(議員集団)がめざすのは、大阪都構想(府市合体、司令塔一本化で強い大阪づくり)という大機構改革だ。国政まで乗り込み法改正にまで挑む。これと都民ファーストの会は全く違うのではないか。「犯人探し」の刑事都政 端的にいうと、小池人気を頼りに集まった政治の小池ファンクラブに近い。「改革」「改革」というが何をどうしたいのか、パッとしない。ただ党首と同じように、外向けの顔はよく、化粧もうまい。 冒頭、筆者は都民ファーストの会=小池百合子と定義した。その都知事としての小池氏を支持する理由は①改革の姿勢や手法(42%)、②これまでの知事よりもよい(40%)、③人柄や言動(12%)がよいという(世論調査、朝日新聞6月6日)。ただ、政策となると支持率は5%程度(同)。これは非常に分かりやすい数値だ。小池都政の性格をハッキリ見抜いている。都民ファーストの会の公認候補者とフォトセッションに臨む小池百合子都知事=2017年6月 小池氏に対する期待は都庁大改革であって政策大転換ではないということ。いまや得意技になった小池氏の改革手法。「いつ、どこで、誰が決めたか」、その犯人を突き止めること。懲戒処分、証人喚問まで仕掛ける小池氏の都庁大改革、これを筆者は「刑事都政」と呼んでいる。 知らされない豊洲市場の地下空間、膨れた五輪施設経費、汚染された豊洲用地の法外な買収交渉、これを「誰が決めたか」執拗なまで犯人探しをする。それをワイドショー化し、メディアにさらす。これが「都政の見える化」の神髄。正確にいうと、見える化ではなく「見せる化」だが。世の中、『刑事コロンボ』や『相棒』など刑事ドラマの視聴率は高い。それと小池の刑事都政も同じ。なぜなら犯人探しが面白いからだ。 しかし、豊洲市場に地下空間をつくった例でいえば、「なぜ、そうしたか」という本質を説明していない。「誰がそうしたか」という犯人探し以外、何も語られていない。意図的かどうか知らないが、これは本質を外している。責任の所在を明確にすることは大事だが、それ以上に盛り土をせず地下空間をつくったのは建築工作物の耐震性、強度を重視したからではないか。建築学会、土木学会では常識とされる。それが仮設ではなく、安全を基本に50年以上使う常設の永久構築物をつくる建設態度ではないのか。なぜ、説明しない。 都民ファースト、小池氏の大看板は「東京大改革」だが中身は何か。氏が都知事就任後初の都議会(昨年9月)で「都政を透明化し、情報を公開し、都民と共に進める都政の実現」と説明している。たぶん、これだろう。とするなら、この約1年の都政は正確には東京大改革ではなく、「都庁大改革」というのが正しい。地域政党の公約もその点を正せ。 筆者などの都政経験者からすると、真の東京大改革なら大いに期待したいもの。当初、大仰なこの「東京大改革」という言い方から直観的に思ったのは、この先の「老いる東京」「劣化する東京」をどうするか、首都直下地震への防災・減災対策をどうするか、などの政策問題の大転換かと思った。 しかし、ふたを開けてみたら違って、過去の「負の遺産」をほじくり返しての真相解明だった。東京大改革という表現で、東京を大きく変えそうな期待感を持たせるマジックなら、その罪は重い。期待が落胆に変わる日は必ずやって来る。公約は舛添都政の焼き直し 都民ファーストの公約は、舛添前都知事がつくった長期計画の焼き直しに近い。ただ上手にカタカナで化粧直しをしている(以下、同党PRESSから引用)。 東京大改革は①ワイズスペンディング(賢い支出)で都民ファーストを徹底②開かれた都政・都議会を実現③ダイバーシティを実現する福祉支援④スマートシティ東京で都市間競争に勝ち続ける⑤セーフシティをめざし都市環境を整備、⑥万全の体制でオリンピック・パラリンピックを成功に導く⑦多摩・島嶼を魅力ある地域にしていくが柱。個別事業で目新しいものは無電柱化ぐらい。あとは既存事業の羅列だが、ここでもやたらカタカナでライフワークバランス、バリアフリー、イノベーション、ベンチャー、レガシープラン、クリーンエネルギー、などと化粧直しをしている。 党の公約だから、これをどうこういうつもりはないが、このにわか仕立ての公約を各候補者はどれだけ消化して語れるのかだ。42選挙区ごとに選ばれる都議は都政全体に加え、地元の個別具体の問題解決も迫られる。党の統率が取れなくなるから余計な事は言うな!と厳命されるというが、それは間違いだ。率直に候補者本人の言葉で語る公約が聞きたい。そこの力量を推し量って当落を決めていく。「全て小池さんの言う通り」では話にならない。 「豊洲移転は都知事(党首)の判断に委ねる」、これが都民ファーストの公約だ。こんな主体性なき、政策判断のできない政党が都議会の多くを占めたらどうなるか。マスコミなども豊洲移転を争点にすべきだと囃し立てるが、いったい何を争点とイメージするのか。 というのも、豊洲か築地かの議論はこの20年余、都議選のたびに争点化してきたが、しかし、移転先はもう決着している。市場も完成している。それ以外、何を争点化するのか?東京都(自治体)は昨春「豊洲市場移転条例」を制定し、豊洲移転を公式決定している。豊洲市場=2017年2月、東京都江東区(本社チャーターヘリから) ただ、小池氏の都知事就任で昨秋11月7日の移転日を執行上の都合で延期している状態。この3月まで豊洲移転の是非を都議選で争点化すると公言していた小池氏だが、世論調査で「豊洲移転をめざすべき」が55%と、「やめるべき」(29%)(4月5日朝日新聞)を大きく上回るなど潮目が変わると、突如、争点から外すと言い出した。小池寄りの都議会公明までが移転派に転向。これなどメディアファーストの一面をよく表している。 筆者はこれまで6千億円も投じて作り上げた近代装備を具備したこの豊洲市場は、追加の汚染対策工事を速やかに施したうえで有効に使うべきだと述べてきた。しかし、事態は膠着へ。専門家会議、市場問題PT、市場のあり方戦略本部と幾つも検討チームをつくり、「総合的な判断」をいつも口にしながら延々と伸ばしてきた。これは一体何なのか。  この種のプロジェクトを政争の具、選挙に有利か不利かで判断してはならない。もう市場はスイッチオンを待つばかり。行政には継続性もある。巷間もっともらしく伝えられる小池氏のブレーンらが主導する「築地市場再整備案」。これを取り上げるなら豊洲移転条例の廃止を都議会で決めてから始めるのが筋ではないか。手続きに従って粛々と進めていると小池氏は言うが、それは自ら設定した政治プログラムに沿って進めているだけだ。都という法人機関の決定を無視し、あたかも都知事がフリーハンドを持つ独裁者であるかのように振舞う、これでは行政は混乱し信用を失う。機関決定を逸脱する行為には、当然、不作為の行政責任が問われよう。都議会改革にこだわり過ぎの小池氏 昨秋以降、都知事が先頭に立って「豊洲はダメ、ダメ」と風評被害を全国にまき散らしてきた責任をどう取るか、どう事態を収めるか、争点というならそこではないのか。この種の独断専行の都政運営はこの先、小池都政のアキレス腱になる可能性がある。 都議選が近づき「決められない小池」批判が高まると、都議選に不利とみたか、告示前に豊洲移転にケリをつけるかのような言いぶりに変わってきた。「安全」「安心」「採算」の3つをクリアする対策を示し、移転延期を「解除する」ともいう。築地も併せて再利用するとも(本稿執筆時点では不明)。 しかし、元々このような豊洲移転問題を政争の具にする発想がおかしい。行政の最高責任者としての都知事は、基本的には豊洲市場に追加の汚染対策工事を速やかに施したうえで有効に活かす方向を考えるのが自然ではないか。設計規模が大きすぎるなら、他の市場の再編整備の拠点として寄せ集めて使うのもよい。 もっとも今、何もしないで豊洲を開場するのは芸がない。いろいろアイディアを尽くせ!例えば市場の新たな名称をつけるべくネーミングライツ(命名権)を民間に売り、もっと魅力的な広告塔に仕立て収入を上げる。役人任せの市場経営から民間企業を指名できる「指定管理者制度」に代え、大手の水産業者を市場長に選ぶなど市場経営全体の民営化を図るなど。いずれ、スピード感を持ってこの問題にケリをつけ、都市経営の視点からオリンピック時の大渋滞・混乱を避けるためにも環状2号線の道路建設を大車輪で進めたらどうか。 小池氏は執拗に都議会改革にこだわる。都議会のドンとか、ブラックボックスと敵視する。こうした見方を事前に刷り込んだ側近がいるようだが、それにこだわり過ぎていないか。都知事選の公約は「議会冒頭解散」だった。制度上できもしない公約をなぜ?それだけ都議会は怖いと見たか憎いとみたか、よく分からない。都議会の百条委員会で行われた証人喚問 今回、都民ファーストの公約は①議員の公用車利用の廃止(議長、副議長除く)②議員の条例提案を増やす、③議会基本条例をつくる、の3つだがこの程度が議会改革の切り札なのか。各地はすでに取り組んでいる。 もとより、この程度の改革すらもやってこなかったこれまでの都議会は怠慢だ。もともと都議会は大きすぎ動きが取れない。しかも自公体制のもと「動かぬこと、山のごとし」で、改革らしいことをしなかった。その点、現在の都議会は改革度でいうなら2周遅れ、全国ワーストワンに近い。そこにメスを入れようという点は評価できる。 ただ、公用車使用でいえば、知事、副知事、特別秘書、条例局長らの公用車使用には何も触れず、議員の公用車使用のみを廃止するという。この目線は何か。議会憎しなのか。都庁大改革で公用車使用を見直すなら、都議会と併せ知事部局の特別秘書、局長らの公用車も原則廃止したらよい。黒塗り車で朝晩遠方まで送迎する姿を都民が知ったら怒るはず。 議員提案を増やすというが希望だけでは増えない。各地でさんざん試みているが増えない。都民ファーストの公約もこのままだと都議選向けのお題目に終わる可能性が高い。どうするか。問題の本質は議員立法を支える仕組みがないということだ。都議会に「法制局」がないということ、これが致命傷ではないか。国は内閣法制局、衆院法制局、参院法制局と3つも法制局があり、立法活動を支えている。 そこで、こうしたらどうか。使途の評判が悪い政務活動費の半分を「法制局の設置・維持」費に充当して法制局を創設する。議員立法をサポートする費用に使ったらどうか。法制局に法科大院卒(専門家)の若者たちを専門委員(非常勤)として雇い、各会派が積極的に活用する。ふだん都議は条例提案の「問題意識をレポート」すればよい。それを他の法令や条例との整合性も見ながら専門家の視点で条文化するのが法制局の役割だ。政策の振り子が働いている都政 もちろん議員立法だけでなく、執行部の提案する条例の審査や予算の審議についても専門知識を生かして一定のサポートをしてもらえる可能性が高い。そうした中から将来、法曹資格を持った専門性の高い都議が続々誕生してくるかもしれない。これは日本の地方議会で初の試みになり、全国に与えるインパクトが大きい。こうした仕掛けをつくって議員立法を増やすというなら、都民ファーストの提案は評価されてよい。 もう1つ。議会基本条例の制定だが、もう地方議会の半分近くが制定済みだ。この制定自体を議論してこなかった都議会は改革が2周遅れ。都民ファーストがその制定を提案しているのは評価できる。ただ、どんなメンバーで、いつまでに、どんな中身にするのか不明だ。しかも、何のためにつくるのか。ヨソにあるからつくるという発想なら無意味。また議会基本条例をつくったからといって、それ自体が改革ではない。要はどう使うかだ。各地には制定後、一度も使われていない議会基本条例が山ほどある。 ただ制定過程こそが大事。各議員が議会のあり方、首長との関係、都民との関係、ガバナンスの役割を侃々諤々と議論し、そのうえで独自の議会基本条例に仕立てていかないと、仏つくって魂入らずになる。都民ファーストの提案はまだヨソの物まねのような印象が強い。 公約の議論とは別に、都議会の抜本改革案を示そう。この先、都議会を変えるなら年4回の定例会を廃止し、「通年議会」としたらどうか。すでにいくつかの議会で実施済み。年間100日に満たない登院日数。しかも、会期制では会期終了ごとに議会が開けなくなる。年4回の定例会を首尾よくこなせば、あとは議会活動をしなくてよい、こうした儀式型議会の時代は終わっている。例えば毎月第1週を定例会日とし本会議、各種委員会を開く。 それ以外の週に議員立法や会派の研究会を入れ闊達に議論する。決算委員会は事業仕分け、政策評価の絶好の機会。結果、登院日数が200日に及ぶかも知れない。それだけ「働く議会」に変えたら、都民のみる目も期待感も変わってくる。通年議会は事実上、知事の議会招集権を議長に移す改革にもなる。都議会改革の本丸は「法制局」をつくって、「通年議会化」し、「議員立法」活動の量と質を高めること、それが核心だ。 大きい都政の流れは、経済重視か生活重視か、ハード政策重視かソフト政策重視か、で政策の振り子が働いてきている。そうした歴史のうえに今の都政がある(下図参照)。 図:都政振り子の論理 小池都政で重要な点として「子育て支援・女性活躍」があるが、世論調査をみると、それ以上に「医療・健康・福祉・介護」、「防災・減災」が上位に並ぶ。どうもここを小池都政ではあまり重要視されていないのか、都民ファーストの都議選の公約にも前面に出ていない。この点が気になる。 この先、都政の透明化、行革などを打ち出し続けても、都民に役立つ都政になっているか、疑問符が付くかも知れない。現場を抱える市区町村長は揃ってそう見ている(日経調査、6月13日)。都政本来の仕事、それに応える戦略が見えないと都政は必ず行き詰まる。 現在の都政は、4期13年余続いた「石原都政」の残影を引きずったままだ。不良債権処理などから経済重視、ハード重視の都政に振り子が向いたまま、いま止まっている。 小池都政がこの状況に終止符を打てるか。都民ファーストという言葉を使う以上、都民が第1、生活者重視、ソフト重視の都政展開がイメージされる。図のような歴史の流れ、都政の課題からして、小池都政がやるべき政策は生活重視、ソフト重視ではないのか。特に「東京は豊かだ!」と皆が確信している間に、マンモス大東京の内部構造には大きな変化が起きている。人とインフラが老いる「老いる東京」問題だ。  少子化対策の待機児童問題と並び、高齢化対策の待機老人問題の解決は待ったなし。中長期には子供は減るから待機児童は減ろうが、待機老人は増え問題はより深刻になる。これへの対応を誤ると「東京崩壊」すら、危惧される。人口絶対減少と高齢者の急増する時代に入った東京の大都市経営、それは「老いる東京」問題の解決は待ったなしである。それは医療、福祉、介護、文化、教育、子育て支援などソフトな領域に止まらず、建設から50年以上経つ首都高、一般道、橋、上下水、地下鉄、地下道、公共施設などハードな都市インフラの劣化領域まで広範に及ぶ。これに正面から立ち向かうのが都政本来の仕事だ。「数」よりも「理」によって都政を制する 政策問題への期待感が低い小池都政とはいえ、2021年までの都議になる127名はこれを語らずにはその資格はない。空気のような「東京大改革」論、骨太の政策がないまま「東京大改革」という言葉のみが一人歩きし、中身が見えない。そこに中身を詰め込むような密度の濃い政策論争が展開できるかどうか。多くの都民はそこを見ている。都議になることが目的では困る、都議になって何をやるかだ。単なる小池支持か不支持か論争ではなく、「東京をどうするか」という中身の濃い政策論争を期待したい。都民ファーストの会の公認候補者とフォトセッションに臨む代表の小池都知事 終わりに都知事と都議会の関係について触れたい。小池都知事はこの都議選で議会に過半数の支持勢力をえて改革のエンジンを確保したいと再三述べている。 しかし、よく考えてほしい。というのも、自治体である東京都のしくみは国のような一元代表制(議院内閣制)ではないという点だ。都政は、議員と知事を別々に選び、双方が抑制均衡係を保つよう求めたのが二元代表制(大統領制)の骨格だ。政権与党の党首が首相になり、内閣を率いる国の制度とは全く違う。都知事は行政の最高責任者だから、本来は立法機関である議会とは離れた立場、公正中立の立場での都政運営を行う立場だ。 だが、いま都知事は、地域政党の党首になり、都知事(党首)が都議会で多数派を形成し、都議会を差配する。それが「よい都政」を実現する道だと主張する。果たしてそれは正しい方向か。単なる権力者、支配者の発想ではないのか。ひとつ間違うと、「会派あって議会なし」、小池派と非小池派という分断された都議会が誕生し、翼賛議会以外の何物でもなくなる可能性が大きい。知事傘下の小池塾生が多数派の都議会って何だろう。本来地方自治は政党制を前提には成り立っていない。何党が何議席取るか椅子取りゲームの選挙報道が続くが、それに乗じて「行き過ぎた政党政治」を都政に持ち込むと行政は大きく歪む。 都知事がこれだけ都議選に深入りした都政の歴史はない。都政を政党政治によって牛耳ろうという考え方もなかった。都議は会派云々の前に1人の議員として独立した存在だ。むしろ都議は、無所属を含め、様々な階層、地域、職業、性別から選ばれることが望ましい。 考えを統一された子飼いの知事分身のような議員集団が多くを占めるより、知事と独立した政治機関の都議会には、いろいろな考え方を持つ多様な127名の議員が議席を有し、それぞれの経験と見識をもって都知事と真っ向から真剣勝負をする。政党のしがらみなどなく、都民目線で修正すべきところは修正する、そうした正に「都民ファースト」の都議会が誕生することが望ましい。都議会は民意を鏡のように反映する政治機関である。 ほっておいても首長(知事ら)が2期、3期と続くにつれ議会もオール与党化しがち。小池氏は最初からそんな方向を志向すべきではない。むしろ、小池都知事は都議会としのぎを削るような論争を通じで政策を磨いたらどうか。その資質は十分備えている。「数」よりも「理」によって都政を制する、それが都民主役の都政運営への王道ではないか。

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    失速する小池新党、「決められない都知事」の汚名を晴らせるか

    に自らの進退を委ねて判断を仰ぐ場合に提出するものであると思う。したがって、小池氏には業務上、あるいは政治家としてのミスがあったということになる。 自民党の公認を得ないで都知事選に立候補したことが、自民党に対して責任を取らなくてはならないミスであったと思われるが、小池氏は、信念に基づき党の意向を無視して出馬したのではなかったのか。まして自民党の候補者と戦うことになったのであるから、離党届をそのときに出すべきである。政治家のスキャンダルや法的な問題などが起こった場合に良く聞かれる言葉だが、「政治家の出処進退は自らが決める」のが原則だから、やはり遅い感じがする。その後も小池氏は都議会自民党との対立を鮮明にしてきたのであるから、早く決断すべきであった。ただし、都議会自民党とは対立しても、自民党本部とは対立したくないという分かりづらい状況が解消されたことは、都民にとっては有益であろう。 代表就任に関しては、野田数(かずさ)代表(現幹事長)のスキャンダルや、都知事の支持率と都民ファーストの会の支持率がリンクしていない各種調査の結果から、「小池人気」に比べて都民ファーストの会の人気が盛り上がってこないことに危機感を感じたのであろう。このままでは、選挙協力を表明している公明党と連立しても過半数に届かない可能性もある。少なくとも第一党の座は確保したいというもくろみもあるだろうから、そのためのてこ入れの意味合いが強いと思われる。しかし、そもそも代表が野田氏であったことをどれだけの都民が認識していたであろうか。代表になろうがなるまいが、都民ファーストの会は小池氏の政党であることは自明の理であり、このことのインパクトはあまり大きくはないと思われる。小池人気に頼りきりなら独裁の危険も ともあれ、小池氏が政党を率いて都議選に臨むことが明確になった。このように知事が自ら政党を結成して、議会を支配しようとすることはあまり例がない。ただ、人気のある首長に特有の現象であるといってもよいかもしれない。橋下徹前大阪市長や、河村たかし名古屋市長などの例が記憶に新しい。他の首長は、政党の支持は受けているものの、あえて無所属として立候補し、議会との関係に一線を画すような配慮をしていることのほうが通例のように感じる。こうした理由をあわせて考えてみよう。 地方政治は、国政と違って「二元代表制」を採用している。すなわち首長と議会の二つの代表を住民が直接選挙によって選ぶことで、両者が互いにチェックすることで住民に寄り添った、よりよい政治を実現しようとするのである。議院内閣制を採用している国政では、衆議院と参議院の「二院制」によって、独裁的な政治にならないように互いにチェックすることでより民主的な政治の実現を目指している。二院制を採用する余裕のない地方自治では、二元代表制によってチェックしているといっても過言ではないだろう。 首長が政党を率いて議会の第一党を目指すことは、この二元代表制を否定することに他ならない。確かに、首長が自らの政策を実現するために、議会でも応援勢力を増やそうとすることは理解できなくもない。「決める政治」を実現するためには、もっとも合理的で確実な方法だからである。 しかし、一方で独裁に陥る危険性もある。小池氏は、今までの都政が、都議会自民党と自民党の応援する知事によって運営されてきたために、「頭の黒いネズミ」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してきたと批判することで、都知事選に立候補して都民の信託を得たのではなかったか。そうならば、都議会を自らの政党によって多数派を占めようとするのは、同じ轍(てつ)を踏むことにならないのだろうか。「都民ファーストの会」の東京都議選公認候補者向け研修会で講演する小池百合子知事=5月3日、東京都新宿区 知事は自らの政策を議会に説明して理解を求める。議会は、住民の利益を考えてより良い政策になるように議論する。こうしたプロセスが住民のための政策を策定し、実行することになる。自らの政党が議会の多数派を占めるようになれば、まして首長の人気に頼りきりの政党であればなおさらのこと、独裁のような体制になってしまうのではないか。本来の制度が持つチェック機能が、働かなくなる恐れがあるからだ。これでは「住民ファースト」ではなくなってしまうかもしれない。「豊洲」も判断しない都民ファースト 気になる点はほかにもある。これまでの小池都政で議会軽視の兆候が見て取れる。豊洲移転の延期や、東京五輪・パラリンピックの会場変更、組織委員会や近隣自治体との会場費などの問題を、議会に諮(はか)らず報告もせずに、決めてきたように思える。もちろん、すべてが悪いわけではなく、素早い決定が有意義であったものがないとは言わないが、こうした決定の際にも、二元代表制の認識が足りないと感じるものも少なくない。現行制度の利点を十分に生かしながら都政運営をしていただきたい。 また、これまでも述べてきたように、都政には解決しなくてはならない喫緊(きっきん)の課題が少なくない。二元代表制のもう一つの利点は、都議選が行われている間も知事は都政に専念できることにある。しかしながら、都議選にもコミットする、ましては代表として会を率いるということになれば、選挙運動に割かれる時間も少なくないであろう。もちろん、休日に行うことになるのであろうが、政治家の場合には休日の定義も難しい。議会が開かれていない期間は休日であるとすれば、なんと休みの多い仕事になろうか。とりわけ豊洲と五輪の問題は、財政的や政治的だけでなく、対外的にも早く決定することのメリットは計り知れない。にもかかわらず、小池氏は都政専念という二元代表制のよさを自ら手放そうとしている。 これらの点からも、地方政治において首長が政党を率いて議会選挙に臨むことには疑問がある。また、今回の選挙では、多数の候補者が小池人気だけを目当てに、さまざまなアプローチで都民ファーストの会から公認や支援を受けている。政党をくら替えする議員も少なくない。彼らは今までの政党や自らが訴えてきたこととの整合性は保たれるのであろうか。小池氏は「古い都議会」と「新しい都議会」という抽象的な文言で説明しているが、選挙が行われれば都議会は当然リセットされることになる。いわば必ず「新しい都議会」となるのは自明の理であろう。しかも都民ファーストの会の新しい改革案は抽象的で、具体策がはっきりしないままだ。 こうした点からも、今回の都議選で争点らしい争点は見えてこない。豊洲移転問題について各党の主張は、豊洲移転と築地残留で分かれているが、都民ファーストの会は小池知事の判断を尊重するとして、政党としての政策判断をしていない。見るからに、小池人気頼りということを示しているといってよい。東京五輪・パラリンピックなどがメディアなどで注目される争点になるのであろうが、争点といえるまでの各党の明白な違いが見えているわけではない。都民ファーストの会の街頭演説を行う小池百合子東京都知事=5月20日、東京都中野区(春名中撮影) 小池氏の人気によって、盛り上がる選挙になる可能性を秘めているだけに、各党が自らの主張をはっきりと打ち出した、争点中心の選挙になることを期待したい。また、投票率も最近では民主党政権誕生前の55%が高いものである。これを上回るような高い投票率になることも期待したい。それを可能にするのは、政治家であり、メディアであり、有権者である。

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    驕れる安倍一強、「オンナが主役」小池旋風を侮るなかれ

    つて、そう、4半世紀くらい前、私は日本新党の番記者をやっていた。当時私はフジテレビに転職して2年目、政治部の経験はなく、経済官庁を担当していた。なぜ、日本新党番なぞやっていたかって? それは、どこの馬の骨ともわからない新党に政治部の精鋭記者を配属する余裕が社にはなかったということにつきる。それが証拠に、他の新聞記者も科学部や文化部から投入されていたのだ。みな政治家の顔がわからないものだから、「おい、今、日本新党の事務所に入ったのは誰だ?」などと皆右往左往したものだ。かの小池百合子東京都知事も、細川護煕代表の半歩後を歩いていたのを今でも思い出す。 そして1993年7月の衆議院総選挙が終わり、35人もの当選者を出した日本新党だったが、当選者のポスターがずらっと貼られている事務所の壁を前にして、細川代表がこうポロリとつぶやいたものだ。いわく、「この方は存じあげないなぁ。しかし風っていうのは怖いものですね。こうした方も受かるんですから…」1994年6月、会見を行う小池百合子衆院議員と日本新党の細川護熙代表 オイオイ、と心の中でツッコミつつ、いや、党首だってあきれるくらいなんだから、やはり政治の世界の風ってのは、ものすごいパワーを秘めているんだな、と妙に得心したものだった。 それ以来、風によって政局が大きく動く場面を幾度となく目の当たりにしてきた。2005年の小泉郵政選挙の時の風もすごかったし、去年の都知事戦でも明らかに風は吹いた。告示日に無風でも、選挙日が近づくにつれ徐々に風がその強さを増していく。そして最終日を迎え、最後の街頭演説を取り囲む有権者の熱気、パワーがその候補者の当落を決めるのだ。だから1カ月前の当落予想はたいした意味を持たない。なぜならそれは予想のための予想に過ぎないからだ。去年の都知事選のときだった。ある政治評論家は自民党の組織は盤石だから増田寛也候補が絶対勝つ、と自信満々で予測しておられた。「女性都議5割」小池氏は本気で目指す さて翻って都民ファーストの会である。候補者の面々を見ると、どう見ても即席の感は否めない。自民党、民進党からの移籍組はともかく、なにせ全く知名度がない候補者が多い。選挙なんてやったこともないものだから、右も左もわからないのだ。実際、都民ファーストの候補者からは「完全手探りでやっている」とか「本部からなんのアシストもない」などの声が聞こえてくる。事務所がなかなか借りることができない候補者もいる。が、それもある意味仕方ないだろう。なにしろ発足は去年の9月、まだ生まれたばかりなのだ。 その都民ファーストの会の候補者、バラエティーに富んでいるのは間違いない。中でも女性に注目したい。これまで既存政党の公認候補と言ったら圧倒的に男性が多かった。それも20代、30代など若い世代はほとんどいなかった。それが、小池氏が都知事になり「希望の塾」を発足させたことで、多くの女性の政治参加の道が開けたことは大きい。 女性のもやもやとした政治に対する不安、不満。つまり、ある人にとってそれは子育てだったり、介護だったり、仕事の見つけにくさだったりするわけで、女性が主に負担を強いられている今の社会の仕組みを何とか変えたい、という思いを小池氏と希望の塾はすくい取ったのだ。小池氏が都知事になれるのだから自分たちも都議になれば一緒に女性が住みやすい社会を作ることができる、とまさしく「希望」を持たせたのだ。2016年8月、東京都庁に初登庁し、女性職員から花束を手渡された東京都の小池百合子知事(左)(宮川浩和撮影) そして彼女たちは都議選への出馬を決意した。このことだけとっても都民ファーストの会が誕生した意味はあると思う。もともと都議会に占める女性議員の割合は2割に満たない。数にして126人中25人だ(2017年5月10日現在)。小池氏はこれを5割まで引き上げることを狙っている。 もともと小池氏は「ウーマノミクス」の発案者だ。本気でそれを目指すに違いない。立候補した女性は小池氏の政治哲学の実現に向け、大いに力になることだろう。これは東京都の多くの女性にとって喜ばしいことであり、都民ファーストの会の最大の功績である。 「なんだ女性だけか」と言われる男性諸氏にとっても、政治の世界で女性の比率が高まることは決して悪いことではない。小池氏は待機児童対策に大きな予算を割いた。女性が働きに出ることができるようになれば、家計の収入も増える。消費が増え、景気にとって好循環となるではないか。 「女性が働く必要はない」とおっしゃる向きには、「では、一日中子どもと過ごしている専業主婦の気持ちを考えたことはありますか。本当にそれでよいのですか。彼女らのための政策を男性であるあなたが考えることができますか」と問いたい。そうした女性が孤立しないようにコミュニティーでの結びつきを作ったり、社会貢献の場を設けたり、そんな発想を期待できるのはやはり女性議員だろう。「都議会のドン」後継は27歳の女性 受動喫煙対策も、そうだ。愛煙家の味方をする政治家は多く、いまだに国会では健康増進法改正案すら成立していない。これに対し、都民ファーストの会は、受動喫煙から子供を守るための条例と、公共施設や飲食店の屋内を原則禁煙とする罰則付きの条例の制定を公約に盛り込んだ。国がダメなら自治体の条例で、これも小池氏ならではの大胆な発想だ。他の会派からはなかなか出てこない。考えてみれば誰しも自分の孫や子供をたばこの煙から守りたいに決まっている。その当たり前の政策を実行できるのは悲しいかな、女性議員の行動力であろう。そういう意味において、女性の政治進出を加速しようとしている都民ファーストの功績は大きい。 もう一つ。都民ファーストの存在が他の会派を刺激している点を忘れてはならない。最大会派の都議会自民党は危機感を募らせ、今期で引退する実力者内田茂氏も後継に51歳若い、27歳の女性候補を選んだではないか。都議会自民党からも民進党からも離脱者が出て彼らは都民ファーストから出馬するし、公明党は早々と都民ファーストとの連携を打ち出した。つまり、都議会会派の構成をダイナミックに変える可能性を生み出したのだ。もし、去年の都知事選で小池氏以外の候補が知事になっていたら、果たしてこのようなことが起きただろうか。答えは否であろう。東京都議会閉会後、報道陣の取材に応じる内田茂都議(左)。高齢や健康上の問題を理由に、議員引退を表明していた=6月7日(富永順一撮影) さらに言えば、こうした都民ファーストの動きが国政にも影響を与えようとしている点だ。都民ファーストが地域政党のままでとどまるのか、かつての日本新党のように国政に打って出るのかは現時点で知る由もないが、民進党の長島昭久衆議院議員が離党したように(後に除名)、国の政局にも影響を及ぼし始めている。長島氏は小池氏とも近く、「7月2日以降、政局が大きく動く可能性がある」と明言した。都議選の結果を受け民進党の蓮舫代表の責任論も噴出しよう。都民ファーストが誕生しなければ政局は動く可能性すらなかったろう。 おりしも国会では森友学園問題に続く加計学園問題で紛糾している。都民ファースト公認のある候補者は、有権者から安倍政権に対する不満の声を耳にするようになってきたと述べた。少しずつそうした空気がたまってきている気がする、と。 「安倍一強」が長期化する中、景気が何とか持っているうちはまだ政権の支持率は維持できるだろう。北朝鮮からの相次ぐミサイル発射も、政府与党にとってはある意味追い風になっている。しかし、だ。おごれる平家は久しからず。都民ファーストを侮るなかれ、だ。いつの時代も権力者は民の声に耳を貸さなくなった時点でその後の末路は見えていた。 都民ファーストを持ち上げたいのではない。しかし、そもそもなぜ小池百合子都知事が誕生したのか。なぜ都民ファーストの会なる地域政党ができたのか。その原因を分析せずして、これからの政治、これからの日本の行く末を読み解くことはできないと思うのだ。

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    7月都議選 小池vs自民のスキャンダル泥仕合開始

    と安倍首相との選挙ポスター用“2ショット写真”も撮影された。あまりの手際のよさに、「最初から自民党が政治塾に送り込んだトロイの木馬だったんじゃないか」と小池側近は歯ぎしりしている。 もっとも、自民党都議にいわせると「引き抜きは小池新党の方が先じゃないか」らしい。 自民党東京都連会長の下村博文・代議士の元公設秘書、平慶翔氏(29)が都民ファーストから出馬するからだ。サッカー日本代表・長友佑都氏と結婚した「アモーレ」こと女優・平愛梨の実弟でもある。 その平氏には“スキャンダル爆弾”が炸裂。『週刊新潮』(4月13日号)で下村氏の秘書時代に「カネがらみの不祥事」で事務所を解雇された疑惑が報じられたのだ(本人は否定)。 爆弾はこれだけではない。自民党は小池氏の周辺にターゲットを絞っている。「小池知事にもっと近い人物にも、カネがらみの不祥事が取りざたされており、マスコミが取材に動いている。都議選前に記事が出るんじゃないか」と都連関係者は不敵な笑みを浮かべる。 都議選最大の争点である築地市場の豊洲移転問題では文字通りの「泥仕合」が演じられている。豊洲の土壌汚染で移転に慎重姿勢を取る小池知事に対し、自民党は逆に「築地の汚染」を追及。都議会で築地市場に出没するネズミの写真をパネルに掲げて衛生状態を問題にしたり、築地には戦後、進駐軍のクリーニング工場が置かれて敷地内で大量の有機溶剤「ソルベント」が使われていた可能性が強いとも指摘した。その後都は大型連休中に土壌調査を始めた。「都民の台所」の場所を決めるのに、築地と豊洲の“どっちが汚いか”を争っているのだから、聞かされる方はげんなりである。関連記事■ 都議選 小池新党から70人擁立なら民進党は壊滅的危機に■ 自民現職都議 小池新党の女性候補は強いと悲観■ 都議選 自民党婦人部が「自民党ハンターイ」の声あげるか■ 小池百合子知事、五輪成功に導き自民党総裁選目指す青写真■ 都議選予測 大田区・怨念戦争の結末と世田谷区・自民全滅

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    小池知事 安倍官邸の「空気支配力」の怖さを熟知

     東京都議選では一時は自民党を駆逐するかに見えた小池新党「都民ファーストの会」の勢いが止まりつつある。実は、安倍官邸の「空気支配力」の効果と怖さを最も良く知るのが自民党広報本部長時代に情報戦略立案にかかわった小池百合子・知事なのだ。都民ファーストの会が「選挙対策本部」を設置に伴い、看板掛けを行った。記念撮影に応じる小池百合子都知事と都民ファーストの会の広報部メンバーら=5月16日午後、東京都新宿区(代表撮影) 安倍首相は、2013年参院選でネット選挙が解禁されると、「情報分析会議」で培ったノウハウをフルに発揮させる。とくに重視したのが不利な情報やネガティブ情報への反撃作戦。 ネット戦略の実働部隊として小池百合子・自民党広報本部長(当時)の下に議員、選挙スタッフ、ネット企業の専門家、弁護士からなる「Truth Team(T2)」を発足させ、24時間態勢でネットを常時監視、ブログやSNS、2ちゃんねるなどに候補者への誹謗中傷の書き込みがあれば直ちに削除要請する仕組みをつくりあげた。ジャーナリスト・角谷浩一氏が語る。「小池氏は自民党東京都連を『ブラックボックス』と批判して都知事選に出馬したが、これまで安倍総理に弓を引いたことはない。都知事選の公約も『アベノミクスを東京から』でした。メディア出身の彼女は、小池都政に80%近い支持があっても、安倍首相はなにやら得体の知れない世論の空気を味方に付けていて、正面切って戦うのは不利と感じ取っているからではないか」 そんな小池氏の足元を見て自民党が「ご自身の立ち位置さえも決められない知事」(萩生田光一・官房副長官)と“二重党籍”批判で反転攻勢をかけると、小池氏も決断を迫られた。 懸案の五輪費用分担問題で国が1500億円負担することが決まった翌日(6月1日)、小池氏は自民党に離党届を出して正式に都民ファーストの会代表に就任、全面対決の姿勢を鮮明にした。「小池さんは、基本は“都政と国政は別”という考え方だが、売られたケンカから逃げる人ではない。離党でケジメをつけた。彼女の戦いが都議選での自民党の不満の“ガス抜き”にとどまるのか、それとも安倍支持の国民の空気そのものを変えようと挑むのか、これから非常に難しくなっていくでしょう」(同前)『「空気」の研究』(山本七平著)の愛読者である小池氏は「空気」の微妙な変化を感じ取っているのかもしれない。関連記事■ 小池百合子知事、五輪成功に導き自民党総裁選目指す青写真■ 都議選 自民党婦人部が「自民党ハンターイ」の声あげるか■ 小池百合子氏、ケンカのうまさは小泉純一郎氏を超えた■ 森友学園疑惑で得をしたのは小池百合子氏、神風吹いた■ 森喜朗氏 4年後の都知事選で「小池vs丸川」狙いか

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    【百田尚樹独占手記】私を「差別扇動者」とレッテル貼りした人たちへ

    し、それをデータベース化することです。2017年6月現在で、私をはじめとする120名を超える文化人や政治家など2700を超える発言が、「差別発言」として認定され、データベースに載せられています。その中には故人の発言もあります。しかし、そうして挙げられた発言のほとんどは差別とは何の関係もないものです。どこがヘイトスピーチなのか ちなみに私の発言は全部で19載っています。たとえば、次のような発言もヘイトとして認定されています。「悲しいことだが、すでに戦後の自虐史観の洗脳を受けてしまった人の洗脳を解くのは無理。これはもうほとんど不可能…(涙) 私に出来ることがあるとすれば、まだ洗脳を受けていない若い人々を、洗脳から守るということ」(ツイッターより)「特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。戦争否定のためには、彼らをバカとののしれと言うのか。そんなことできるか!」(同)作家の百田尚樹氏(宮川浩和撮影) これらの発言のどこがヘイトスピーチであり、レイシズム発言なのでしょうか。まったく意味がわかりません。他の人たちの発言も同様です。ちなみに安倍総理は31の発言がヘイトスピーチであると認定されています。 ARICのデータベースはネットで見られるので、興味のある方は覗いてみてください。なぜこれがヘイトスピーチになるのかと首を傾げるものばかりです。いったい彼らの目的は何なのか、今のところはまるでわかりません。 ただ、今回の講演中止運動を見てもわかるように、彼らは「差別反対」「ヘイトスピーチ反対」を錦の御旗として活動しています。しかし差別やヘイトの定義は曖昧です。例に挙げた私の発言を見てもわかるように、彼らのヘイト認定は実に恣意的です。 恐ろしいのは、ARICは自分たちが「差別主義者」と認定した人物は、発言を封じて構わないと考えていることです。そこにはヴォルテールの有名な言葉、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という精神はどこにもありません。ARICや彼らに賛同する人たちは今後、「言論の自由」や「表現の自由」を口にする権利はないと思います。 驚いたことに、今回の講演中止が別に問題ではないと言う人もいます。ジャーナリストの安田浩一氏もその一人です。安田氏は近年、対レイシスト行動集団(前身はレイシストをしばき隊)と親密になり、活動家としての発言が多いことでも知られています。彼は東京新聞のインタビューで、私の「沖縄の二つの新聞はつぶさんとあかんのですけど」という発言に言及し、「そのような人たちが言論弾圧というのは、チャンチャラおかしい」と言っています。他者の発言を封じる言論弾圧 ここには巧妙な論理のすり替えがあります。私の発言は自民党若手議員の勉強会の場でのものとはいえ、それはあくまで「私的な会合」です。その発言は公式のものではないし、不特定多数に向けてのものでもありません。私自身が沖縄の二つの新聞に過去、さんざん悪口を書かれてきたことに対して、一言冗談で恨み節を述べたものにすぎません。実際、沖縄の新聞に対してどうするかというようなことは一切言及していません。当たり前ですが、私には沖縄の新聞を潰せる力もありません。2015年6月、自民党の「文化芸術懇話会」であいさつする百田尚樹氏(斎藤良雄撮影) しかし、ARICは実際に実力行使して、私の講演を潰したのです。これを同列に並べることこそ、「チャンチャラおかしい」ものです。 漫画家の小林よしのり氏は、「言論弾圧とは政治権力が民間に対して為すもので、これは言論弾圧にあたらない」という趣旨のことをブログで発表したようですが、これも無理があります。「言論弾圧」は何も政府がするものだけとは限りません。民間の人物や団体が不当な圧力でもって、他者の発言を封じてしまう行為もはっきりと言論弾圧と言えるものです。  公正を期して書いたつもりですが、もしかしたら被害者寄りの書き方になったかもしれません。そう受け取られたならご寛恕いただきたい。 この事件は第三者的には、たいした事件ではないのかもしれません。大学祭での一作家の講演が中止になったというだけのことですから、これ自体は大袈裟に騒ぐほどのことでもないとも言えます。 しかしながら、この事件は危ないものを内包しています。というのは、これが前例となり、ARICのような団体が、自分たちの気に入らない人物の発言を封じてしまうようなことが常習化する危険性を孕んでいるからです。 これは決して大袈裟に言っているのではありません。この事件を多くのマスコミが見逃せば、やがてこういう事例が頻繁に起こることになるでしょう。気が付けば、自由に発言できない空気が生まれているかもしれません。そうなった時、「ああ、あれが最初だったか」と思っても、その時はもう手遅れです。

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    百田氏講演中止を報じないマスコミに「言論の自由」を語る資格はない

    と、さらに手がつけられなくなり、何を言っても無駄な状態になってしまいます。 そうやって今まで何人もの政治家が餌食になりました。このように相手には容赦のない人たちですが、相手が少しでも反撃してくると「差別だ」と大騒ぎして自分たちの陣地に立てこもり、知らん顔をします。本当に、あきれるくらい卑怯な人たちです。 最近はインターネットの普及により情勢が変わりつつありますが、今まで、このような攻撃が自分たちに向くことを恐れたマスコミが真実を報じなかったため、多くの国民が知らないまま、この方法でどれだけ正論が封じられてきたことか分かりません。 彼らに共通するのは「弱者は強者に何をしても良いが、強者が弱者に力を使うのは許せない」という考え方です。そういう考え方が根底にあるので「言論弾圧というものは権力者が一般国民に対して行うものだから、今回はそれにあたらない」という言い訳が出てくるのです。確かに「弾圧」という言葉は権力で押さえつけるという意味ですが、彼らも他人を力で屈服させることができる権力者ではありませんか。そういうと「権力とは…」という話になり、どんどん話が本筋からそれていくので、この辺りでやめておきますが、問題は言葉の定義ではなく、相手の言論を力で封じ込めることの是非です。弱者ならば何をしてもいいのか また、この「弱者や被害者は強者や加害者に対して何をしても良い」という考え方を突き詰めていけば「権力者が国民に対して危害を加える事はけしからんが、国民が正義のために権力者を殺すのは正しい」というテロ行為容認の極論に行き着きます。 彼らの恐ろしいところは自分たちが絶対的な正義であると思い込み、「それに反する人間の行為を正すことが自分の使命だ」「そのためには何をやっても許される」と思い込んでいるところです。これは地下鉄サリン事件などの凶悪犯罪を引き起こした宗教団体の当時の考え方と同じです。 話を百田氏の講演会に戻すと、彼らは「ヘイトスピーチ」なるものを理由として講演会の中止を求めたそうですが、まったく意味が分かりません。今回の講演のタイトルは「現代社会におけるマスコミのありかた」というもので、大人気テレビ番組の放送作家を四半世紀以上務めた百田氏にピッタリのタイトルです。一体このタイトルから、どうやって差別を連想できるのか理解できません。そもそも、彼らに百田氏の発言の善悪を判断できる能力と権利があるのでしょうか。 20年前、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が「いわゆる従軍慰安婦問題に強制連行はない」と発言したことに対して人権を標榜(ひょうぼう)する団体が「差別だ」と圧力をかけて彼女の講演会を中止させたことがありました。当時、彼らが錦の御旗として振りかざした「差別だ」という主張が正しかったのかどうかということは、吉田清治の嘘を朝日新聞が認めた今は言うまでもないことですが、当時はその嘘を信じる人が多かったので圧力が通用し、「嘘が正しい言論を封じる」という結果になったのです。2014年8月15日、自民党議連「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」で、朝日新聞の慰安婦報道について話すジャーナリスト・櫻井よしこさん(左から2人目)。その右は古屋圭司会長=東京・永田町の自民党本部(早坂洋祐撮影) この教訓から学ぶべきことは、事実が確定していないことに対して安易に「差別」というレッテルを貼り、言論を封殺することは危険だということです。そのような能力や権利は誰も持たないし、持とうとしてはいけないのです。むしろ異なる意見を戦わせることによって真実が明らかになるのが理想ですから、明白な事実誤認でない限り、異論を排除すべきではないのです。勝手な思い込みで人の自由を奪う しかも、百田氏が講演会で話す予定だった内容については、一言も発していないことにも注目すべきです。仮に百田氏の過去の発言が害悪に満ちあふれ人々に危害をもたらしていたとしても、今の時点では誰に何の害も与えていません。これはどういうことかというと、「あいつは過去に盗みをしたから今回もやるに違いない」と断定し、おまけに「泥棒に自由を与えてはいけないから牢屋に入れておけ」と勝手な思い込みだけで人の自由を奪うようなものであり、非常に危険な考え方です。 百田氏の講演会に反対する人とテロ等準備罪に反対する人がリンクしているという前提で話しますが、彼らは今回の法改正で事前の準備段階を捜査するのはけしからんと言いながら、百田氏の発言は内容も把握せず事前に禁止しなければならないと同じ口で言っているのです。自分で言いながら矛盾を感じないのか、それとも百田氏の発言は「テロより恐ろしい」とでも思っているのでしょうか。 そして、圧力や嫌がらせの実態が具体的にわからないので断言できませんが、彼らの行為は下記の法令に違反している疑いがあります。日本国憲法第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。第二十三条 学問の自由は、これを保障する。刑法第二百二十二条(脅迫)第二百二十三条(強要)第二百三十条(名誉毀損)第二百三十一条(侮辱)第二百三十三条(信用毀損及び業務妨害)第二百三十四条(威力業務妨害)  今後、同じような被害者が出ないよう捜査機関には厳正な対処を願いたいものです。もし、現行法で捜査機関が取り締まることが困難であるならば、実際に体調不良などの被害を受けた人間がいるのですから、立法措置による被害防止などを国会で議論すべきです。日本国憲法 どこの世界にも不届き者は一定数存在し、その人間の不埒(ふらち)な言動は社会に害悪をまき散らかします。それは人間が存在する以上、決してなくなることはありません。だから法令により悪事を禁止し、それを破ったものを警察が捕まえて処罰する、それを見た人が事件に関心を持ち、同種の事件発生や被害拡大を図るという仕組みがあるのです。その中でマスコミは事件を広く国民に知らせるという重大な任務を与えられ、社会の正常性を保つ役割の一旦を担っているのです。講演中止を報道しないマスコミ ところが、今回の事件は民主主義の大原則である「言論の自由」にかかわる大問題にもかかわらず、ほとんどの大手マスコミが報じていません。(中には批判にあたらない報道を続けている人たちがいることは重々承知しておりますが、今回はあえて「マスコミ」とひとくくりにして話をします)。どういう理由で彼らが暗闘(だんまり)を決め込んでいるのかは分かりませんが、おそらく被害者が百田氏でなければ大々的に報じたであろうということは、前述した櫻井よしこ氏の講演会が中止になったときと、柳美里氏のサイン会が右翼を名乗る男の脅迫電話により中止になったときのマスコミ各社の報道姿勢の違いを比べて見れば容易に想像できます。 つまり、彼らの「言論の自由」には守るべきものと守ってはいけないものの二種類があり、それを彼らが事件ごと恣意(しい)的に判断しているのです。彼らが最もダメなのは自分たちに都合の悪い事実を報じないところです。情報源をマスコミに依存している人たちにとって、事件が報じられないということは、その事件は発生していないのと同じことになり、その結果、その人たちの「知る権利」は奪われ、さまざまな不利益を被ることになります。 仮に百田氏と反対の意見を持つのであれば、それは堂々と主張すべきであり、「一橋大の学生はレイシストと戦って大学の自由を守った」と報道すればよいだけの話なのですが、彼らは「公平中立」を装うためにそうはしません。テレビは放送法があるので建前上そうはいきませんが、完全中立な報道など不可能に近いのですから、日本の新聞も公平中立を謳(うた)うのではなく、他国のように各社の主張をもっと前面に出すべきではないでしょうか。一見、公平中立を装い、「編集権の自由」や「報道しない自由」を駆使して、自分たちの主張に沿わない事実を報道しないことにより、国民の知る権利を阻害し、自分たちに都合の良い情報だけを流すのではなく、思想的に偏っているのであれば偏っていると正直に言うべきで、それを言わないのは卑怯(ひきょう)です。昔であればいざ知らず、今はインターネットがあるのでマスコミの嘘はすぐばれます。もうマスコミが情報を独占していた時代は終わったのです。そのことに気がつかない、気がついても改善しようとしないマスコミは、これからも凋落していくことでしょう。 いずれにしても今回の事件は、まごうことなき「言論封殺」であり、言論の自由に対する挑戦です。大学はこれに屈するのであれば「学問の自由」や「大学自治」を、この事件を無視するメディアは「知る権利」を、これに異を唱えない言論人は「言論の自由」を、いくら主張しても説得力なんかありません。

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    百田氏の講演中止問題で剥がれ落ちた「護憲リベラル派」の化けの皮

    闘いに参集することができない者ならば、そもそもどのような闘いにも集うことはないだろう」(『アーレント政治思想集成』みすず書房)

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    高須院長「百田氏を助太刀してリベラルや民進党と戦う!」

     高須クリニックの高須克弥院長が世の中の様々な話題に提言するシリーズ企画「かっちゃんに訊け!!」。今回は、最近の国会の動向について訊きました。* * *──現在国会では「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法の改正案や、加計学園問題が議題となっています。高須:なんともどうしようもない議論になっているなぁ。民進党は、どうみたって意義のある質問をしていない。とにかく難癖をつけて時間を稼いでいるだけ。それなのに「強行採決だ! 十分な議論がなされていない!」と主張するんだから、どうにもならないよ。国会は、国民のためによりよい法律を作るべく議論を深める場所。野党のわがままを聞く場所ではない。税金を払っている国民のみなさんはよく我慢していると思うよ。──「テロ等準備罪」についてはどうお考えですか?高須:必要だと思う。今の世界はテロの脅威が大きな問題であることは間違いない。それを防止するための法律であり、国際組織犯罪防止条約に批准するために成立させなければならないものなのだから、反対する理由なんかない。反対するのはテロリストだけだよ。──テロリストが摘発の対象となるのは当然なのですが、一般の人でも逮捕されてしまう可能性があるという点についてはどうでしょうか?高須:よっぽど強引に解釈しない限りは、一般人が対象ではないのは分かりきっていること。本当だったらテロを準備しているのであれば、一般人だって逮捕できないとおかしいくらいだよ。でも、そこまでするとさすがに人権侵害になりかねないし、そういう意味でもすごくバランスがとれた法案だと思うけどなあ。高須クリニックの高須克弥院長(松本健吾撮影)──加計学園問題についてはどうでしょうか?高須:官邸から働きかけがあったというけど、それもまたかなり強引な解釈だと思う。そもそも、加計学園に獣医学部を新設するというのは、国家戦略特区制度による規制緩和の案件なんだよ。しかも、愛媛県としては獣医学部の新設をずっと願っていたというじゃないか。文部科学省は既得権益を守りたいがために、それを拒んでいたというんだから、どうして官邸が責められなければいけないのか分からない。 普通に考えれば、野党が責めるべきは既得権益を守っている文科省のほうであって、規制緩和を進めようとする政府のことはむしろサポートすべきだと思う。まあ、民進党サイドが既得権益を握っているということであれば、今回の流れも納得できるけどね。でも、もしそうだとしたら、そんな民進党を支持することなんてありえない。国民の利益よりも、自分たちの利益を優先する政党に何の価値があるんだ。どう考えても、規制緩和を進める政府を支持するのが筋だよ。──民進党は筋を通していない、と。高須:そりゃそうだろう。本当に国のため、国民のためを考えているというのであれば、ただ足を引っ張るだけの質問なんてありえないし、都合の悪いことから逃げまくっている姿勢もおかしいと思う。もう結局のところ、「安倍憎し」ということしか主張がないんだろうなあ。その結論ありきだから、有意義な議論ができないし、矛盾ばかりになってくるんだよ。明らかな言論弾圧に右も左もない これは国会だけじゃなくて、ツイッターをやっていても思うことなんだけど、どうも右か左かとか、安倍首相を支持するかどうかとか、そういう二元論の立場ありきで、発言する人が多い。たとえば、百田尚樹先生の一橋大学での講演会が、先生の理念に反対する人々の圧力もあって中止になった件もそう。あれは、明らかな言論弾圧だ。どんなイデオロギーを持っていたとしても、発言の場を不当に奪われることはあってはならない。しかも、それが学問の場であればなおさらのことだ。様々な意見に触れて、そこから知見を深めて、たくさん考えていくのが学問というもので、大学は一部の人々の考えを押し付ける場所ではないんだよ。 でも、なぜかネットではこの講演会の件も「ネトウヨvs左翼」みたいな構図で語られてしまう。そういうことではないと思うんだ。もちろん、僕は百田先生を尊敬しているし、だからこそ今回の件にも興味を持ったわけだけど、これが百田先生とは異なる考えの人の講演会が潰されたとしても、同じく「言論弾圧だ」と批判していたよ。発言の場を奪われることは、筋が通っていないからね。 ところがネットでの反応を見ていると、“右か左か”で発言している人が多すぎる。自分の立場ありきでものを話すから、まったく議論も噛み合わないし、建設的な結論も生まれない。これは本当に情けないことだ。──思考停止状態という感じでしょうか?高須:そう。特にリベラルを自称している人々は、安倍政権を批判するためなら何をしてもいいと思っているのか、時にすごい罵声を浴びせてくる人もいる。それで人権を守りたいというのだから、とんでもなく矛盾しているよ。そんな状況は明らかにおかしいと思うから、僕は民進党を提訴したし、百田先生の助太刀をしようと思っている。正しいことをするために、僕は戦う姿勢を見せているんだよ。* * * 筋を通さない最近の野党や自称“リベラル”な人々に苛立ちを覚えている様子の高須院長。何があっても筋を通していくその姿勢、かっこいいです!【プロフィール】高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。昭和大学医学部形成外科学客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。高須クリニック院長。人脈は芸能界、財界、政界と多岐にわたり幅広い。金色有功章、紺綬褒章を受章。『ブスの壁』(新潮社、西原理恵子との共著)、『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)、『行ったり来たり 僕の札束』(小学館)など。最新刊は『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)。関連記事■ 高須クリニック院長解説 美バスト&安全豊胸術学ぶセミナー■ 高須院長 恋人の西原理恵子さんには整形も脂肪吸引も許さず■ 高須克弥院長 「明日ママ」のCM自粛は制作者にとっても屈辱■ 高須克弥&西原理恵子が2人揃って熱愛宣言 すでに交際2年■ 扇風機おばさん執刀の高須院長 「放置すればミイラ化してた」

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    「女性宮家」の議論は急ぐべきか

    秋篠宮家の長女、眞子さまのご婚約が明らかになり、女性宮家創設をめぐる議論が活発になっている。天皇陛下の退位を実現する特例法案の付帯決議にも盛り込まれ、政府は皇族減少、皇位安定継承策の検討に入った。ただ、本当に議論を急ぐ必要はあるのか。

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    先細りする「ご公務」の担い手、女性皇族をいかに皇室にとどめるか

    小田部雄次(静岡福祉大教授) 日本国憲法に明記される天皇の「ご公務」は、国事行為のみである。しかし、天皇は実際には国事行為以外にも多くのご公務をされている。宮中祭祀(さいし)をはじめ、稲刈りなど伝統文化の継承、戦没者追悼式や被災地訪問などの国内行幸、外国訪問や来日使節団の接遇などの国際親善、園遊会と、ご高齢の身にはかなりの負担である。春の園遊会に臨まれる天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と眞子さまをはじめ皇族方 =4月27日、東京・元赤坂の赤坂御苑(早坂洋祐撮影)  天皇以外の皇族も、ご公務があり、皇太子の場合は献血運動推進全国大会、全国障害者スポーツ大会などに臨席される。秋篠宮家の眞子内親王も日本テニス協会名誉総裁などをつとめ、さきごろはブータンを公式訪問した。天皇、皇后はじめ多くの皇族方は、それぞれにご公務があり、そのつとめをすることで、日本の国際的地位の向上や国内的安定に貢献してきた。 これらのご公務は、平素は報道されないので、一般には知られないことも多い。そのため、天皇は宮中でお祈りをしているだけだし、ほかの皇族方はなにもしていないと、誤解されることもある。 しかし、歴史を遡(さかのぼ)れば、明治維新以後、天皇をはじめとする皇室は、国際親善につとめ、国内の諸地域の人々との交流につとめてきた。戦争で大きな打撃を受けて後も、世界の信頼を取り戻し、国民を励ますなど、復興の原動力となった。 戦後70年、日本は世界の信頼を得て、国内も大きく発展してきた。その底力は多くの国民によるものだが、皇室がそれを支えてきたことも否定できない。 このたび、秋篠宮家の眞子内親王の婚約が明らかになり、皇室と国民は新たな喜びに包まれた。一方、女性皇族は結婚すれば皇室を離れるため、それを惜しむ声も聞かれる。とりわけ、男性皇族の少ない現在の皇室にあっては、女性皇族が結婚で減っていくことで、ご公務はじめ多くの活動が停滞する可能性がある。 そして国際親善や国民との交流がおろそかになり、ひいては社会の活力が低下する危険がある。ご公務を減らすのも一案だが、皇族数が大幅に減少してしまえば、最低限のご公務すら担えなくなる。そのため、女性皇族が結婚しても皇室にとどまっていただく、あるいはご公務を担える立場になっていただくなどの案が考えられている。眞子内親王の婚約が、そうした機運を加速させている。男系継承者不在の度に揺れる女性宮家創設 しかし、女性宮家の創設に慎重な意見を持つ人々もいる。女性宮家創設が、将来の女系天皇の容認につながると懸念しているのである。天皇の地位や役割は世襲のものであり、皇室の長い伝統の中で女系、つまり母親は天皇の子でも、父親が天皇の血筋にないものの子の継承はなかった。皇居を出られる秋篠宮ご夫妻、眞子さま、悠仁さま=5月21日午後、皇居・乾門 神武天皇以来、125代連綿と続いた伝統が天皇家への崇敬への源であり、今後もその伝統を継承することが重要である。125代の天皇の中には何人かの女性天皇も存在したが、そのすべてが男系の子であり、その男系を今後も保持していくのが天皇家の長い伝統を保持するための大事な要素であるというのである。 そして、われわれの代に、古来の伝統を安易に変えていいものだろうかという配慮がその背景にある。 一方、現実には近代以降、男系継承は常に危険な綱渡りであった。明治天皇は正室に実子がなく、5人の側室との間に5人の男子と10人の女子をもうけた。そのうち成人したのは1人の男子と4人の女子であった。 成人した1人の男子も心身の状態が十分ではなく、その先の男子継承に大きな不安が残った。その男子がのちの大正天皇である。そのため、当初の婚約を破棄して、男子出産のための健全な母体として別の妃が求められ、結果として4人の男子が生まれて、男系の皇位は安定した。 ところが、次の昭和天皇には当初、女子しか生まれず、男系継承をめぐりさまざまな議論や策謀がなされた。昭和天皇は側室制度を廃止しており、皇后以外の子を求めなかった。そのため弟宮の継承や養子相続などの案も噴出した。昭和8年になって現在の陛下が生まれ、この問題は解消した。このとき多くの関係者や国民は大いに安堵(あんど)した。 現在の陛下は皇太子時代に2人の男子をもうけられ、男系継承の議論はあえて意識されることなく続いた。この2人の男子は、皇位を継承する長男と、継承とは無縁の次男として育ち、長男は婚期が遅かったが、次男は早々に結婚し、だれもが男系男子の不在が訪れるなど意識せずに過ごしていた。 結局、兄宮の唯一のお子さまが女子であり、弟宮の秋篠宮殿下の2人のお子さまも女子、そのほかの宮家の方々の家でも男子が生まれないという状態となった。かつてのような側室制度がなくなった現代では、後継者たる男子の出産確率はかなり低くなったのであるが、側室制度を復活するわけにもいかなかった。女性皇族を皇室にとどめるのか否か このため小泉純一郎首相は平成17年、安定した皇位継承のため、女子の天皇を容認する法案を国会に提出しようとした。しかし、長い男系の皇室の伝統を壊すものとして、反対する声も上がり、平成18年に悠仁親王がお生まれになることで、女性天皇実現の法案は提出されることなく、事態は一応の落着を見たのであった。 あれから10年がたった。悠仁親王は健やかに成長されたが、男性皇族の薨去(こうきょ)や適齢期を迎えた女性皇族の結婚などでご公務を担う皇族数はさらに減少した。今後もその傾向は続く。 そうした中で、女性皇族方を皇室にとどめる法令はない。女性宮家創設はそうした事態への対応策として提示されているが、これすら反対するとなると、ご公務の担い手は限りなく減少し、結果として国際親善や国内安定が損なわれていく。 国事行為や「祈り」のみならず、世界や国内の人々と触れ合うご公務というものがいかに重要で困難なものであるかは、今回の陛下の退位の「お言葉」からも伝わる。ブータン訪問のため、羽田空港を出発される秋篠宮家の長女、眞子さま=5月31日午前、羽田空港(代表撮影) 私は、女性皇族方にはお好きな伴侶を早く見つけて、一般国民には背負いきれない皇統維持とご公務という重荷から解放させて差し上げたいという気持ちが強いのだが、そうなるとご公務の先細りが加速する。 現状では、女性皇族方に皇室にとどまっていただくしかないと思う。他方、女性皇族の婚姻相手に旧皇族の男子を結びつけようという動きがあり、そのために女性皇族が早急に自ら相手を選び皇室を離れようとしているとも伝えられる。必ずしも良い流れではない。少なくとも、女性皇族方をご自分の将来の展望が見えない状態のままいつまでも放置するのは、国民の態度としてふさわしくない。然るべき法整備をするべきだろう。

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    女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」に他ならない

    さんの間に生まれた子供に皇族になっていただき、皇族の減少を防ごう」などという暴論が許されるなら、摂関政治などと言う迂遠(うえん)なやり方は必要なかったではないか。平安時代に権力を誇った藤原氏は、「自分の娘を次々と天皇の妻に送り込み、その二人の子を天皇に据える」ということを繰り返した。皇室は男系継承が絶対だからである。足利義満が聞いたら卒倒する ところが、一部の者が主張する女性宮家などが許されるなら、藤原道長のような権力者は内親王と結婚し、自分の子供を天皇にすればよかったではないか。なぜそれができなかったか。仮に道長がそれをやって自分の子供を天皇にしようとしたら、それは女系天皇である。皇室の歴史では許されない。平安時代に権力を掌握した藤原道長 藤原道長と言えば、三条天皇をいじめ殺すなど横暴の限りを尽くした。道長のような横暴を行った権力者は何人もいる。しかし、その誰もが「皇族の女性と結婚して自分の子供を皇族にする」などとは考えなかった。自分が皇族と結婚して子供を天皇にしてよいなら、「天皇をいじめ殺す」などという回りくどいやり方をする必要はない。 道鏡以外で自分の子供を皇族にしようなどと考えていたのは、足利義満だけである。確かに義満は自分の妻の康子を国母として扱わせ、息子の義嗣を親王の儀式で元服させた。足利義満は後円融上皇を廃人同様に追い詰めて、治天の君の如く振る舞った。 しかし、後円融上皇から治天の地位を奪い、それを朝廷に完全に認めさせるのに三十年の歳月をかけている。 史上唯一、「皇位簒奪(さんだつ)に肉薄した民間人」と評される足利義満が、現在の女性宮家の議論、「眞子さんと小室さんの間に生まれた子供に皇族になっていただき…」などという議論を聞いたら卒倒するだろう。「そんなことでいいのか?」と。 繰り返す。女性宮家にも二つの議論がある。 一つは桂宮家の先例である。男性皇族が激減している中で配偶者の方はどなたになるだろうか。あえて探すとすれば、旧皇族の方々になるのではないか。旧皇族の適齢期の方々は、男系でたどると北朝第三代崇光天皇にたどりつく。女系でたどっても、明治天皇の五世の孫の世代となる。この血の遠さが旧皇族の皇籍復帰への批判点として上げられる。ならば、その方々よりも女性宮の配偶者にふさわしいのは誰か。難問である。 もう一つは、まったくの新儀である。女性宮家を創設して、その配偶者は民間人の男性で良い、その子が皇族となり皇位を継承しても構わないとする暴論である。論外である。皇室には、神武天皇の伝説以来、「二千六百七十七年」に及ぶ先例がある。それだけに、生半可な知識で議論には参加できまい。 しかし、国民が皇室についての議論を見守る際、一つの明確な基準がある。その議論がいかなる先例に基づいているのか、である。果たして、女性宮家創設とは、いかなる先例に基づいているのか。

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    女性宮家以外にも「皇統の断絶」を防ぐ手立てはある

    家制度の創設を、来年に予定されるご結婚の前に実現し、皇位継承権も眞子さまやその男女の子供に与えようと政治的な動きをみせる勢力があることは問題である。皇位継承の原則変更という重大な問題を、個人の結婚に合わせて急いで議論するのは筋違いである。逆に言えば、女性宮家創設を前提とするなら、そもそも眞子さまのご結婚が適切どうか別の観点でのチェックが必要になってくるはずだ。 女性宮家の創設という、オブラートにくるまれて語られる問題の中で、それを推進している中核的な人々の考え方は以下のようなものである。 女性皇族が結婚した場合には、(1)新たに宮家を創設し、その配偶者と子孫を皇族とする。(2)その場合に対象となる女性皇族は内親王としての資格を持つ愛子さま、眞子さま、佳子さまの範囲に限る。つまり、三笠宮家と高円宮家の5人の女王は対象としない。(3)すでに結婚された方は対象としない。(4)皇位継承は男女を問わず「長子優先主義」とする。つまり皇太子殿下の後は愛子さま、秋篠宮殿下、眞子さま、佳子さま、悠仁さまの順位になる。 もちろん、バリエーションはある。 (1)については、本人だけに皇族身分を継承させ、その配偶者、あるいはその子供も皇族身分を与えないということが考えられる。ただし、これは家族の中で皇族と一般人が混在することになるのが難点だ。また、配偶者には皇族身分は認めるが殿下の称号を与えないという選択も否定できない。 (2)については、三笠宮家や高円宮家の女王も対象とする考えの一方で、男子がいない宮家の長女に限るという考えもある。そういう考え方だと、三笠宮承子さまは対象になるが、弟がいる眞子さまは対象にならなくなる。しかし、一般的に女系天皇推進の人々の多くは三笠宮家や高円宮家は対象としないと考える人が多いようだ。 (3)で、すでに結婚された方を対象にすると、天皇、皇后両陛下の長女、黒田清子さんだけでなく、昭和天皇の4人の皇女や三笠宮家の2人の内親王も対象にしない理由がなくなるのも難点だ。 (4)に関して、女性宮家を認めることと皇位継承は別問題であるが、後で書くように公務を事実上、結婚された女性皇族や、戦後に臣籍降下された旧宮家の人々にお願いするのはいかようにでも工夫できるので理由にならない。公務の分担を口実に、皇位継承を女系にも認めることが本当の意図である。 ただし、長子優先にするかどうかは別問題で、姉より弟を優先する場合も悠仁さまを排除して愛子さまが皇太子殿下の継承者となる。また、皇族の中で男子の継承者がいない場合のみ女性天皇を認めるという考え方や、すでに皇位継承権者となっている秋篠宮殿下、悠仁さまに限り、順序は変更しないという方法もないわけではない。制度変更を急ぐのは筋違い 私は少なくとも、眞子さまの結婚に間に合わせるように法整備を行うのは反対である。前述のように、制度変更を個人の結婚のスケジュールに合わせるのは筋違いだからだ。また、結婚で皇籍を離脱し、民間人になられた女性皇族方が後で復帰するということは絶対にありえないわけではないから、いま慌てて決める必要はどこにもない。 それに、もし女性宮家を創設して配偶者も皇族にするとなれば、眞子さまの結婚についても皇室会議の議決が必要になる。現在の皇室典範では、皇族男子の結婚は議決対象だが、女子の結婚は対象でない。 さらに、民間人の男子が皇族となる最初のケースになるわけだから、本人の人格や係累などについて慎重な検討が当然必要になる。そうなれば、ご婚約をいったん保留にせざるを得ない論理的な帰結になるが、それを望む人は少ないだろう。 皇位継承の範囲を広げる議論はいずれやらざるを得ない。悠仁さまの後、男子男系が続くとは限らないからだ。しかし、それなりの時間をかけることを排除すべきではない。むしろ、現時点の国民感情にこだわりすぎるのはよろしくない。 仮に現在のルールと異なる皇位継承が行われるとしても、それは30年以上先のことになるだろう。そのときにおける皇室の状況において適切な議論を重ねるのが大事なのであって、いま個々の皇族に対して親しみを感じていたり、好ましい人だと評価していても、その感情が数十年後も同じように維持されているとは限らない。 逆に、現在は違和感があっても、時間をかけて条件を整備すれば問題は氷解するものである。「式年造替」を終えた春日大社をご訪問、秋篠宮妃紀子さまと長女・眞子さま =2月20日、奈良市春日野町 私がかねてより提案しているのは以下のようなことだ。(1)現在のルールで決まっている順位を変更しないことを明確化すべきだ。つまり悠仁親王を廃嫡して女系天皇とすることはしない。(2)旧宮家などの復活と、女系子孫による継承は両方とも可能性を探らなければ国民的合意が得られないので、互いに排除せず両方の可能性を残す。現状は両陣営が自説にこだわりすぎだといえよう。(3)結婚された女性皇族出身者や旧宮家に公務を分担してもらうべきだが、それは宮内庁嘱託などの形で可能だ。(4)皇位継承候補を増やすためには、旧宮家の人々や愛子さまや眞子さまなども含めた明治天皇以降の女系子孫の男子を、既存の宮家か、秩父宮、高松宮など廃絶した宮家に猶子(ゆうし)(養子)という形で継承させればよい。悠仁さまと同世代の男子に成人前後になって継承させることが適当だろう。(5)形式的にせよ実質的にせよ、天皇陛下の子孫に皇位継承権を限定することは大義名分がなく避けるべきだ。なぜなら、ある天皇の子孫に継承権を限定するとすれば、その天皇が「中興の祖」のような天皇である必要があり、あるとすれば明治天皇しかない。古今東西、現在の君主の血統で王位を独占しようとして君主や取り巻きが起こした禍(わざわい)は枚挙にいとまないからだ。 (3)に関しては、現在の制度だと眞子さまには1億円を少し超える一時金が支給されるが、これは結婚する娘に対する持参金のようなものである。これまで女性皇族の結婚は、かなり裕福な相手との結婚が前提になっており、眞子さまのご婚約報道を見る限り、小室家の経済力で眞子さまが元皇族としての体面が保てるかは正直疑わしい。持参金1億円では足りない なにしろ、小室圭氏は銀行を辞めて法律事務所で補助的な仕事をしながら大学院に通っている状況だ。その収入だけで、眞子さまが元皇族としての体面を保てるめどが立っているとは到底言えまい。その補完という意味も含めて、眞子さまが公務を行うことに対して適正な報酬を支出することは現実的な方策だと思う。 また、女性皇族と結婚した相手についても、その能力に応じて、公的な仕事を与えることがあってもよいのではないか。スペインでは王女の配偶者が金銭スキャンダルに巻き込まれたことで、王制存続の危機に陥っている。そういう皇族を利用しようとする輩を排除するためにも、公的な団体などで適切なポストを与えることは、決して悪いことではないと思う。報道陣の取材に応じる小室圭さん=5月17日、東京都中央区(桐原正道撮影) (4)については、眞子さまに公務を続けていただきたいので、お二人の間に生まれた男子を将来の「皇位継承候補」とするのは、一つの可能性である。たとえば、徳川宗家18代目の恒孝氏や、近衛忠煇(ただてる)氏のように、先代の外孫が祖父母や義理の叔母の養子になって当主を継いだのと同じ形になるので、比較的自然である。 しかし、同時に旧宮家など男系男子の可能性も排除すべきではない。旧宮家が皇籍離脱してから70年がたったこともあり、国民になじみがないという人がいるが、それは現在は何も役割を与えていないからである。前述のように宮内庁嘱託などの形で活動していただくことになれば、状況は大きく変わる。だいたい、いま民間人として活動している成人男子をいきなり天皇にしようなどと言っている男系男子論者などどこにもいない。 しかも、悠仁さまと同世代の男子を宮家の猶子にしても、悠仁さまにお子さまがないまま薨去された場合にのみ皇位を継ぐわけである。仮にその人が皇位を継ぐとしても悠仁さまの後だから、皇位継承の時期は21世紀後半のことになる。もっと言えば、新たに皇族となった本人ではなく、生まれながらの皇族として誕生したその子供に継承される可能性が高いので、違和感はあまりないだろう。 さらに「合わせ技」も考えられる。旧宮家の中には、竹田宮、東久邇宮など明治天皇や昭和天皇の女系子孫もかなりの数がいるわけで、当然彼らは南北朝時代に成立した伏見宮家の流れをくむ男系男子である。さらに、現在の女性皇族と非皇族の男系男子の結婚という方法もある。旧宮家に限った議論の中で、候補者が少ないと主張する人がいるが、明治以降で終戦以前に皇籍を離脱した元皇族の子孫や、江戸時代に五摂家の近衛、一条、鷹司家に臣籍降下した親王の男系子孫も数十人いるので、候補者は意外に多い。 いずれにせよ、悠仁さまの後に皇位継承できる男子男系の維持が難しくなったとしても、それは何十年後も先の話である。ただ、そのときまでにある程度の人数の候補者を準備しておくことが大事だ。その際には、今までのルールからは外れるのだから、本人や配偶者、その子供まで含めた皇族としての資質もそれなりに考慮した方が無難であり、単に継承順位を決めればいいわけではない。 また、悠仁さまのお妃選びについても、これまでの反省を踏まえ、今から交友関係の構築など含めて始めるべきだ。悠仁さまと同世代の男系男子の子孫が多くおられたら、皇室とわが国の安定にとって、これ以上の慶事はないのだから。

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    NHKの眞子さま婚約内定報道は政治的に絶妙タイミングだった

    店で開かれた留学に関する意見交換会だったという。 NHKの婚約内定報道は、首相官邸と宮内庁の裏をかく政治的に絶妙なタイミングだった。政府は天皇の生前退位を1代限りで認める「退位法案」を5月19日に閣議決定し、与野党は今国会中に成立させることで合意していた。ただし、採決の際に行なう「付帯決議」の内容で対立があった。 民進党が決議に「女性宮家」創設議論を盛り込むように主張し、創設に慎重な官邸は、政府の有識者会議がまとめた最終報告の「皇族数の減少に対する対策について速やかに検討を行うことが必要」という表現にとどめ、「女性宮家」の文言は入れたくなかった。 婚約報道はその法案の閣議決定直前にぶつけられた。 「眞子さまが結婚して皇籍を離脱すれば未婚の女性皇族は6人に減るから、国民の間にも女性宮家問題の関心が高まる。宮内庁は婚約内定が国会審議に影響しないように、法案成立後に発表する算段をしていたが、NHKに出し抜かれてしまった」(皇室ジャーナリスト)眞子さまとの婚約について報道陣の質問に答える小室圭さん=5月17日、東京都中央区(桐原正道撮影) 国会も敏感に反応した。報道当日、自民党の竹下亘氏と民進党の山井和則氏が電話で国対委員長会談を行ない、退位法案の審議入り前に付帯決議で合意を得る方針を決めた。官邸の思惑とは逆に「女性宮家」の文言を入れざるを得ない空気が強まっている。 「眞子さまが皇籍を離脱した後、妹の佳子さまのご結婚の時に女性宮家を創設することはバランスから見ても考えにくい。女性宮家を創設するなら今回が最後のチャンスです。天皇陛下や秋篠宮のお考えを忖度した人物が、国会に問題提起するため、秋篠宮家に近いNHK記者に婚約内定報道のゴーサインを出したのではないか」(同前) お祝いムードの裏で政治的駆け引きが繰り広げられている。関連記事■ 政府発表の女性宮家論点整理に「焦って出した」と皇室専門家■ 眞子さま婚約の裏で… 官邸・宮内庁の複雑思惑と駆け引き■ 眞子さま 大学では「一般学生同様バス通学してる」と級友証言■ 持参金は?住居は?仕事は?「一般人・小室眞子さん」の今後■ 女性宮家創設議論 有識者ヒアリングするも「大丈夫か」の声

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    百田尚樹に嫌われる私でも、一橋大「講演中止」の判断は残念に思う

    も配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的・法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねている。 どちらの立場で主張している人であれ、公平さが欠けているか、悪意や頑迷さ、不寛容の感情をあらわにした態度で自説を主張する人を批判する。だが、自分とは反対の意見を持っている人に対して、その立場を根拠として、これらの態度を捨てるはずだと予想することはない。山岡洋一訳『自由論』日経BP社 寛容と賢慮。なかなか難しいものだし、また正解や公式があるわけでもない。筆者も常に失敗を重ねている問題だ。だが、少なくとも今回の百田氏のケースは彼に発言の機会を与え、さらに学生たちはその発言の内容を知るべきだったと残念に思っている。

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    首相の靖国参拝を「問題化」したのは他ならぬ日本人だった!

    述べたことです。この発言を政教分離の観点から問題視した日本のマスコミが、それ以降、靖国神社に参拝した政治家に対して、失言を引き出そうとして「公人としてですか、私人としてですか」などと、くだらない質問をするようになるとともに「公職者の公式参拝は政教分離の原則に反するのではないか」という声が高まり、日本国内で徐々に総理大臣の靖国神社参拝が問題化していきました。中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝に抗議する学生 =1985年9月、北京の天安門広場 その動きに危機感を抱いた中曽根首相が1985年に「公式参拝を行う」と大見えを切ったのですが、それに対して日本の大手新聞社が「中国が反発する」と社を挙げての批判キャンペーンを展開したため外交問題になったのです。 おまけに、社会党書記長の田辺誠が訪中し、中国政府首脳に対して「中曽根首相が軍事大国を目指す危険な動きを強めている」などとご注進したため、そうなると中国も日本を批判せざるを得なくなり、中国が日本に対して抗議した結果、中曽根首相は中国に配慮して以降の参拝を取りやめるようになったのです。 この結果に味を占めた中国が以降も、この問題を外交カードに使うようになり、それを見た韓国が中国の尻馬に乗って騒いでいるというのが「いわゆる靖国問題」の事実経過で、戦後長らく問題になっていなかったことを針小棒大に騒ぎ立て外交問題にしたのは自らの商売しか考えなかった日本のマスコミ、党利党略のために政権与党をおとしめようとした日本の野党および偽善的な自称知識人などの反日勢力なのです。日本のために戦って亡くなった方々を己の私利私欲のために利用した彼らは、いずれ歴史の裁きを受けることでしょう。エスカレートする靖国批判 このような事態になり、中韓からのクレームに恐れをなした人たちが「無宗教の施設を作るべきだ」「靖国神社から「いわゆるA級戦犯」の方々を分祀すべきだ」という意見を述べておられますが、いずれも実に浅はかな考えとしか言いようがありません。 亡くなった方の霊に感謝すること自体が宗教的なもので、もし無宗教と名乗る施設を創ったならば、新たに「無宗教」という名の宗教ができるだけの話です。分祀に関しては、そもそも神道においてそういう考えはないのですが、それ以前の問題で、中韓が「いわゆるA級戦犯」の方々を分祀すれば靖国神社に対してクレームをつけてこなくなると本気で思っているのであれば、考えが甘いとしか言いようがありません。彼らが靖国神社にクレームをつけてくる理由は何かということを考えれば、そのようなことがあり得ないということは簡単にわかります。 彼らの真の狙いはともかく参拝に反対する表向きの理由は「いわゆるA級戦犯が合祀されている」ということで、彼らが主張するところの侵略戦争を起こした人間が合祀されていることが問題だと言っているのですが、それでは彼らが侵略戦争と位置付ける満州事変や支那事変を含む先の大戦は「いわゆるA級戦犯」の方々だけで始めたのでしょうか。 真珠湾攻撃作戦を立案指揮した山本五十六元帥やその実行部隊の長であった南雲忠一大将は戦死、大東亜戦争開戦当時の参謀総長であった杉山元元帥や満洲事変当時の関東軍司令官だった本庄繁大将は自決して靖国神社に祀られていますが、今のところ何ら問題とされていません。現職首相として21年ぶりの終戦記念日参拝を 果たした小泉純一郎首相(当時)=靖国神社 実際にはありえない話ですが、仮に靖国神社が「いわゆるA級戦犯」の方々を分祀したとすれば、中韓は次に同じ理屈でこれらの満州事変から終戦まで責任ある立場にあった方々の分祀を求め、その次は「いわゆるBC級戦犯」の方々、その次は満州事変や支那事変にかかわったすべての兵士というふうに際限なく要求してくるでしょう。 事実、彼らは当初「いわゆるA級戦犯」と「首相参拝」だけを問題視していましたが、1999年にはチャイナ・デーリー紙が「A級だけでなくB級も問題視」していることを報じ、2005年春季例大祭に、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」数十名が集団参拝したことに対して、中国の副報道局長が「強烈な不満」を表明するなど徐々に批判対象を広げてきました。 そうかと思えば小泉総理の時代は8月15日だけ避けてくれと言ってみたり、その後は「首相、官房長官、外務大臣」さえ参拝しなければよいとかいうようなことを言ってみたり、中国は日本の出方によってクレーム対象を広げたり狭めたりして外交カードに使っているのです。靖国批判する本当の狙い しかし外交カードというのは表向きのことで、1963年以降、毎年8月15日に開かれている日本政府主催の全国戦没者追悼式の戦没者の対象に「いわゆるA級戦犯」の方々が含まれているにもかかわらず、何一つクレームをつけていないことから、彼らの狙いが「いわゆるA級戦犯」ではなく靖国神社そのものであることがわかります。 彼らの真の狙いは靖国神社による日本人の精神武装の阻止=日本の弱体化なのです。ですから、分祀や他に追悼施設を作るなどという、足して二で割るような方法では問題が根本的に解決することはありません。彼らが日本敵視政策を本気で止めるか靖国神社がなくなるまで問題が解決することはあり得ないということを、われわれ日本人は肝に銘じなければなりません。 この問題に限らず中国で「いわゆる南京大虐殺」などの日本に対する歴史認識問題を本格的に始めたのは、当時、曲がりなりにも実際に日本軍と戦い、日本の真の姿を知っている世代の人間ではありません。大東亜戦争終結後、共産党に入党した汪兆銘政権宣伝部副部長の息子の江沢民が、天安門事件により国内に燻(いぶ)っていた不満から国民の目をそらす目的と自らの負の経歴を隠すために反日教育で嘘の歴史を教え始めたのです。 中韓に共通しているのは戦前の日本を直接知る世代よりも教育で事実と異なる日本を教え込まれた世代の方が、より反日的であるということで、厄介なのは事実を知っている人間はその誤りを指摘すれば考えを変える可能性はあるのですが、確信的に嘘を吐いていたり嘘をかたくなに信じていたりする人間にはその可能性が限りなく低いということです。靖国神社で参拝に臨む安倍晋三首相(中央)=2013年12月 さらに彼らの嘘が自らの正当性にかかわるということが問題で、それを嘘だと認めてしまえば自分たちの正当性を否定することにつながり、自らの地位が危うくなるため意地でも嘘を認めるわけにはいかないのです。われわれ日本人は彼らが自ら吐いた嘘により自縄自縛に陥っているということ理解し、これらの歴史認識問題で日本がいくら譲歩しても終わりがないということを認識しなければなりません。 最後に、当たり前のことを言っておきます。先の大戦において日本が主に戦ったのは米英蘭および支那(国民党)であり、彼らは表面上、日本の戦争責任うんぬんということはもう言いません。いまだにそのようなことを言っている中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の3カ国はいずれも戦後にできた国であり、朝鮮戦争を除き、日本は戦ったことはありません。 かつて朝鮮半島の人々は、さまざまな理由により日本国民となり、懸命に生き、ともに戦争を戦い敗れた同朋でした。その歴史的事実を無視した行いは自らの先人をおとしめるだけではなく、自らの国をおとしめることに他なりません。当時のことを知る人が少なくなってきた今こそ、歴史を直視して、未来を語るべきではないでしょうか。

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    加計学園問題のキーマン、前川氏のどこが「正義の告発者」なのか

    須田慎一郎(ジャーナリスト) そもそも文部科学省の前事務次官、前川喜平氏は「正義の告発者」なのか、それとも「岩盤規制の守護者」なのだろうか。 ここ最近の多くのマスコミ論調には、こうした視点がまったく欠けているように思える。 言うところの「加計学園問題」の本質は、前述の問題提起を明らかにしない限り見えてこない、というのが筆者の基本的な認識だ。 議論を進めていく上で大前提となるのが、日本の大学において獣医学部が新設されたのは、昭和41(1966)年の北里大学(青森県十和田市)のケースが最後、という事実だ。 つまり半世紀以上の永きにわたって、わが国においては獣医学部を新設しなかったというのが実情なのだ。記者会見する文科省の前川喜平前事務次官=5月25日、東京・霞が関 それでは、なぜ獣医学部の新設は封印され続けてきたのか。それは改めて指摘するまでもないことだが、学部開設の許認可権を持つ文科省がそのことを方針として墨守(ぼくしゅ)してきたからに他ならない。その理由として挙げられてきたのが獣医師や獣医学部の「質の確保」だった。そして、全国の7割近い獣医師が加入する日本獣医師会も、こうした「基本方針」を全面的にバックアップしてきたと言っていいだろう。 もちろん、獣医師の数が十分に足りているならば、前述したような「規制」は公共の利益にかなっていると言えるだろう。しかし、そうでない場合はネガティブな意味での「岩盤規制」と化してしまうのだ。 それでは加計学園が運営する獣医学部の誘致に積極的だった愛媛県の場合はどうだったのだろうか。筆者が取材した限り、まったく足りていない、というのがその結論である。具体的には、県内の畜産業振興を目的に県職員として獣医師を募集しても、必要数に満たないのが実情なのだ。このため愛媛県では、定年退職者の再雇用で何とかしのいでいるという。「このままの状態が続いたならば、県の畜産行政に大きな支障が生じることになる」(県幹部)のは必至と言えるだろう。 加えて、実際に獣医学部の誘致に名乗りをあげた今治市はその背景に、ある地域事情を抱えていた。これも実際に現地で取材をして見えてきたことだ。獣医学部新設は岩盤規制? 意外に思われるかもしれないが、今治市は全国的に見ても経済的にかなり豊かな地方都市だと言っていい。それというのも、地場産業がここ近年好調に推移しているからに他ならない。今治市の経済を支えている主力産業は大きく二つ。一つは、全国的なブランド化に成功した「今治タオル」を中心とする繊維業。そしてもう一つは新造船竣工量が全国トップで、世界シェア第2位の座にある「今治造船」を中核とする造船業だ。 このことからも明らかなように経済的には活況を呈する今治市だが、それでも他の地方都市同様に人口減少化という悩みを抱えているのだという。もっとも今治市の出生率は1・8と、安倍内閣が掲げる目標数値(全国平均ベース)1・8についてはもう既にクリアしているのだが、人口増加に転じるレベル(2・04~2・05以上)への到達は、まだ遙かかなたの状況にある。そして今治市の出生率は、現状でもはや頭打ちの状態にあるのだという。 その理由について、今治市在住の企業経営者がこう説明する。 「その最大の理由は、高校を卒業した人が、大学に入学するために市外、県外へ転出してしまい、そのまま就職してしまうことにある。そうした状況を変えるためには、今治市に大学を誘致し、さらにはそのまま就職できる環境を整える必要がある」 そうした意味でも、獣医学部の開設は、今治市にとってはまさに「理想形」だったと言えよう。「加計学園」岡山理科大の獣医学部を新設予定地=5月17日、愛媛県今治市(共同通信社ヘリから) ただ、加計学園を伴った今治市の獣医学部誘致に関して言えば、平成19(2007)年以降の8年間で、実に15回もの申請が繰り返されてきたが、ことごとく申請がはねつけられている。 これは意外に知られていないことだが(というよりも意図的に無視されているきらいがあるが…)、実を言うと第一次安倍政権下でも、この申請は却下されているのである。 もし仮に朝日新聞など安倍首相に批判的なメディアが指摘するように、安倍首相と加計学園との間に特別な関係があり、それをタテに強引に事を進めようとしたならば、とうに今治市の獣医学部開設は認められていたはずだ。 一連の事態が進み始めるのは、第二次安倍政権下で、規制改革などの経済活性化策を進めることを目的とした「日本再興戦略2015」が閣議決定され、国家戦略特区に獣医学部を新設する方針が示されてからだ。 この事実だけをとらえても、それでもなお規制官庁の思惑だけで獣医学部開設を認めないというのは「岩盤規制」そのものと言えないだろうか。 ただ、いずれにしても前川氏が「正義の告発者」ではないことは明らかだ。 その前川氏が、獣医学部開設に絡んで今治市を訪れたという話は、少なくとも筆者は寡聞にして知らない。週に3回も「出会い系バー」に行く時間があったならば、ぜひとも今治市に足を運び、地域の実情に目を向けるべきだったのではないだろうか。残念ながら、筆者の取材では今治市に出会い系バーは見当たらなかったが…。

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    加計学園「議論の本質」を読む

    森友と加計。二つの学園をめぐる一連の騒動が、どうにも分かりづらい。そんな声をあちこちで聞く。学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題も泥仕合の様相をみせており、議論の核心からどんどん遠ざかりつつある。結局、何が問題だったのか。iRONNAが総力特集でお届けする。

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    前川氏の「出会い系バー」ネタを首相官邸はどうやってつかんだのか

    たく同じ大きさで同じタイトルで社会面の同じ場所に掲載されている。普通ではありえない扱いなのだ。ここに政治的意図を見るのは当然だろう。大勢の報道陣が詰め掛けた、文科省の前川喜平前事務次官(奥中央左)の記者会見=5月25日、東京・霞が関 しかも菅官房長官は、前川氏がこのバーに「50回も、100回も通っていた」とオフレコで語っている。いかにも怪しいバーに出入りしていたという印象を与えたかったことは明らかだ。昨年秋に前川氏は杉田和博官房副長官に呼び出され「こんなところに出入りしているのか」と注意を受けた。杉田氏が警察庁出身であることに注目したい。 官邸は、いかにして前川氏が歌舞伎町の雑居ビルにある出会い系バーに出入りしていることを確認したのだろうか。私の関心の中心はもちろん加計学園疑惑の真相だが、その周辺で続く情報戦のあり方についても批判的に監視しなければならない。なぜなら、情報によって個人の人格をゆがめ、社会的に抹殺することさえ可能だと思われるからだ。官邸はなぜ出会い系バー通いを知ったのか 官邸はいったいどのようにして前川氏が歌舞伎町の雑居ビルにある出会い系バーに通っていることを知ったのだろうか。その発端と経過はまったく明らかになっていない。ありうることは二つ。前川氏を知っていた記者など誰かが歌舞伎町を歩いていたところを目撃、尾行して出会い系バーに入っていくところを確認し、のちに官邸に報告した可能性だ。 もう一つは前川氏を快く思っていなかった官邸筋が、最初から意図して尾行をしていたのだろう。菅官房長官が「50回も、100回も通っていた」と発言したのは、人格をおとしめるための印象操作だ。しかし、この内容にはある時点から前川氏に尾行をつけたことが十分に伺える。まさに監視国家である。 出会い系バーが違法店でないことは明らかで、しかも前川氏がそこに出入りした目的が現在の貧困状況を知るためのものであったことは6月2日の『週刊文春』に明らかだ。加計学園疑惑をきっかけに浮き彫りになったのは、安倍政権のもとで、監視国家体制がどこまで進んでいるかを示したものである。1995年3月22日に実施されたオウム真理教への強制捜査=山梨県上九一色村(当時) ここまで書いてきて私の経験を思い出した。1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件を取材したときのことだ。それから10年後、事件当時に関わっていた警視庁幹部たちと一献を交わす機会があった。「いまだから言えることを教えてください」。そう言った私に、かつての公安幹部は「有田さんには税金がかかったねえ」と口にした。何のことだかわからなかった。その内容を聞いてびっくりした。1日にのべ50人の捜査員が私の行動確認をしていたというのだ。「どうしてですか」と問うと、「オウムから身辺を守るためですよ」と答えた。多忙な日々に、たまには酒場に行くこともあった。そのときも複数の捜査員が私の安全のために「見守っていた」という。 さらに驚いたのは、妻がスーパーで買い物していたことまで監視していたことだ。「有田さんが今晩自宅に戻るかどうか、食材の数を見て判断するためでした」。こうも言われた。「有田さんの事務所は汚かったねえ」。池袋本町のアパートの四畳半一間を当時借りていた。そこに少なくとも2回入っていたのだ。おそらく「安全確保のため」などと管理人に申し入れて内部を盗み見したのだろう。いまから22年も前の出来事だ。私は自らが行動確認の対象になっていたことにいっさい気付かなかった。 権力が目をつけた者は、その私生活まで監視する。元米国家安全保障局(NSA)職員のエドワード・スノーデンが告発したように、個人情報の収集は、オウム事件当時よりはるかに深刻な水準に達している。加計学園疑惑からひょっこり姿を見せたのは、この日本が行きついた恐るべき地平である。

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    加計学園と天下り「総理の意向」ありきのネタは無理がありすぎる

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 文部科学省の前川喜平前事務次官が5月25日の記者会見で、加計(かけ)学園問題に関する「総理のご意向」などとする文書を「本物だ」と発言した。官僚のトップであった事務次官がなぜこのような“告発”を行ったのか。 筆者は同年代の官僚だったがまったく面識はない。ただ、本当に前文科次官だったの? と思うくらいに、会見の中身は、筆者から見ればボロボロだ。それについては、29日の「前川・前事務次官の記者会見は、官僚目線で見れば『大失敗』だった 致命的なミスがそこかしこに…」を見てほしい。 簡単にいえば、文科省は閣議決定に獣医学部の参入条件を書きながらそれを示せなかったという、許認可権を持つ役所としては情けないお粗末さであり、内閣府との議論に負けただけだ。それなのに、自らの責任を他省庁のせいと責任を転嫁する厚かましさで、文科省の事情を臆面もなく説明する前川氏の会見に対して、筆者が記者であればその場で同氏の間違った考え方を正していただろう。 実際に議論で完勝しただろう内閣府は、「総理の意向」なんて使うこともなかったはずだ。むしろ、例の文書、筆者は文科省の官僚が書いた可能性があると思っているが、むしろ、内閣府に完敗したのをカムフラージュするために、「総理の意向」なる言葉を文科省官僚が自省の文書に書いた可能性すらあると思っている。 そんなことも予感させる会見を行った前川氏はどのような人か。 はっきりしているのは、前川氏が3月に辞任したのは、文科省の天下りを斡旋(あっせん)していたからだ。これは、組織ぐるみで自らが違法である天下り斡旋を当然のように行っていた。他方、今回の加計学園問題では、新規参入阻止、つまり既得権を擁護し、新規参入者を不当差別しながら、新規参入を持ち出す内閣府を「文科省行政の横やり」という。まさに、役人の既得権擁護だけの役人人生だ。 一方、筆者の役人人生は、官邸で天下り斡旋禁止と特区による新規参入を推進しており、前川氏とはまったく真逆だ。天下り斡旋禁止については、第1次安倍政権時代に筆者が企画立案した国家公務員法改正によるものだ。 天下り問題を通して、今回の問題をみてみよう。筆者にはこうした役人時代の経験があるので、天下り斡旋違反については、ことのほか厳しいだろう。以前の論考でも、天下り問題を論じたことがある。天下りの背景にある補助金の私物化 天下りはそれほど悪くないという人もいる。おそらく、前川氏も同僚を助けて何が悪いのかと思っていただろう。しかし、斡旋されて天下った人はいいのかしれないが、その半面、実力がありながら、不条理にも就職できなかった人や昇進が遅れた人は必ずいるはずだ。そうした人の無念に思いがいかないのだろう。 はっきりいえば、まわりに優しいが、天下りの背景にある大学の交付金などの補助金を私物化していることに気がつかないのだろう。 今だから明かすが、40年くらい前に筆者も不愉快な経験をしたことがある。東大数学科を卒業して、文部省所管(当時)の統計数理研究所に勤めることが内定していた。ただし、その当時は内定といっても、きちんとした手続きがあるわけでない。数学科の大学院に行こうと思っていたら、統計数理研究所のある教授が、東大の筆者の恩師を通じて一人採用するからどうかといってくれた。大学院のように学費を払うのではなく給料をもらいながら、研究して、将来は博士号もとれるということで、お世話になることを決めた。個室、秘書もあてがってもらい、毎日論文を読み、時たま研究成果を発表するという恵まれた環境だった。正式採用は、大学卒業後ではなく、ちょっと見習い期間があった。 ところが、正式採用の直前、受け入れ教授から申しわけないが、採用はできないといわれた。筆者を推薦してくれた東大の恩師が事情を聴くと、文科省からの横やりがあり、別の人が採用になったということだった。その当時、筆者は社会の仕組みは難しいなと思ったくらいで、怒った記憶はない。そのおかげで、公務員試験を受けて大蔵省に入ったわけで、筆者に不満はなく、まさに人間万事塞翁が馬である。 今から思えば、筆者もたまたま東大の恩師の推薦という公募ではないし、筆者を採用するのが絶対的に正当ともいえない。ただし、給料なしとはいえ一定期間事実上の研究員生活をしていたので、文部省の横やりが不愉快であったのは事実だ。 ところで、筆者の天下り問題に関する論考で、筆者の独自の表を見てほしい。驚くほど多数の大学が、文科省に限らず天下りを受け入れている。 筆者は、受け入れ大学を気の毒に思っている。官庁ににらまれないようにするために、必要経費と割り切る大学関係者も多い。しかし、そうした大学の弱みにつけ込み、天下りを押し込む官庁は本当にひどい。「新設認可するから、天下りを受け入れろ」 この論考では、2012年4月から2016年3月までの国家公務員退職者を内閣官房が公表する「国家公務員の再就職状況」から集計している。そこには、今回の加計学園も1人、総務省から受け入れている。 論考の表にもあるが、国際医療福祉大は9人で、財務省、警察庁、文科省、厚労省から受け入れている。なぜ、加計学園とともに、国際医療福祉大を取り上げたのかといえば、今回の加計学園とともに、同時期の戦略特区によって、医学部新設が認められたからだ。場所は成田市にあり、多額の補助金を受けている点では、加計学園と同じである。また、加計学園の獣医学部新設が52年ぶりであれば、国際医療福祉大の医学部新設も38年ぶりだ。 役人の再就職について、役人側からみれば、国際医療福祉大は9人で「よくやっている」が、加計学園は1人だけで「認可をもらうなら、もっと採ってもいいだろ」と思うだろう。東京・霞が関の文部科学省 文科省の組織的な天下り斡旋を指示していた前川氏からみれば、加計学園へは過去には文科省からの再就職もあったが、最近はない。文科省が新設認可権を持っているのを知らないのか、総理の友人ということで調子に乗っている、と考えたか、考えなかったかは外部からはうかがい知れないが、そんな邪推もありえる。 そもそも、天下りと許認可には密接な関係がある。許認可を厳しく運用することによって天下りを引き出すというのは、役人の常套(じょうとう)手段である。 今回の場合にも、大学医学部、獣医学部新設に認可が必要であり、文科省は背後の医師会、獣医師会の反対を盾にして、長年新設を認めてこなかった。それが、特区によって風向きが変わり、医師会、獣医師会も柔軟姿勢に転じた。文科省としても、新設認可をしてもいいが、それなら天下りを受け入れろという誠に身勝手な論理で役人は考えるものだ。 加計学園の場合、獣医学部新設の要望は古く、小泉政権下で構造改革特区制度が作られたときからである。民主党政権時に機運が盛り上がり、第2次安倍政権になって、38年ぶりの医学部新設とともに、52年ぶりの獣医学部も実現したというのが経緯だ。もし、加計学園理事長が安倍首相の友人ということで「総理の意向」であれば、小泉、第1次安倍政権時に認可されていても不思議でない。天下りと許認可は切っても切れない関係 特区の議論をみれば、獣医学部の他にも数多くの課題があり、安倍首相が獣医学部の是非なんて言える場面はまずない。それにも関わらず、他の案件や経緯を無視して、加計学園問題のみを、根拠のない「総理の意向」を前提として論じる野党・マスコミのロジックには違和感がある。 獣医師会から1校なら容認するという事実が明らかになっているのにも関わらず、加計学園1校に絞ったのが不自然という議論が再三でてくるのもうんざりする。 むしろ、加計学園は最近文科省から天下りがなかったので、天下りを重要視する前川氏が、天下りなしで認可してしまったが、これは「総理の意向」があったからとデッチあげたというほうが、筆者にはよりスッキリとして納得的な説明である。実際のところは不明であるが、「総理の意向」ありきの話には無理がありすぎ、「総理の意向」は勝手に文科省側で作られた可能性があると思う。これが、筆者の邪推する天下り問題からみた加計学園問題の真相である。2月7日衆院予算委員会で、文部科学省の天下り斡旋問題をめぐる集中審議に参考人として出席した前川喜平前事務次官(右)と人事課OBの嶋貫和男氏(斎藤良雄撮影) いずれにしても、天下りと許認可は切っても切れない関係である。天下りは身内の役人という既得権に甘く、それ以外の人には雇用を奪われる。新規参入の許認可も、既に参入している既得権者に有利で、新規参入者を不当に差別する。こうした意味で、天下り斡旋を行うことは、新規参入阻止と整合的である。 はじめに書いたように、前川氏と筆者は、天下りと新規参入規制緩和の2点についてまったく真逆の役人人生を送っており、どうも筆者には前川氏の行動は理解を超えている。 ただ、文科省の天下り問題で、あれだけ前川氏をたたいていたはずが、この加計学園問題では、前川氏擁護になっているマスコミも、朝日、毎日、東京と一部にある。その点も、天下り問題と新規参入許認可問題をパラレル(平行)に考える筆者にとっては理解できないところだ。

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    民進党よ、加計学園問題を追及しても時間のムダである

    回問題を追及している玉木幹事長代理は、父親が香川県獣医師会の副会長であり、平成24年に日本獣医師会の政治団体「日本獣医師連盟」から100万円の献金を受けていた事実が発覚している。 また、学部新設に猛反対している日本獣医師会の総会で「おかしな方向に向かいそうになった際はしっかり止める」などと、計画阻止を約束していたこともわかっている。贈収賄などが成立するかどうかは別であるが、獣医師会側の代弁者であることは間違いのないところであろう。 選挙で選ばれる議員に自らの思いや要望を託し、それを政治に反映してもらうことは代議制民主主義の基本であり、そのための代表者選びが選挙であるといえる。そして、選ばれた政治家がその実現に向けて努力するのは当然の話でしかない。そして、その権利調整を行うのが議会であり、議会で決まったことを実現するのが政府の役割なのである。 これをことさらにスキャンダラスチックに扱い、自らの主張を実現するために他人の権利を侵害することは許されるものではなく、それを政局の具にしようとするのは明らかな間違いであるといえる。前川喜平氏(左)の記者会見に集まった多くの報道陣=2017年5月 また、民進党などが一部のマスメディアの出した怪文書ともいえる真偽不明の文書を利用し政権批判を繰り返しているが、たとえ、その文書が本物であったとしても、それ自体には何の法的問題もないのである。 本当に国民のためを思うのであれば、獣医学部設置が必要であるか、そして、その規模などは適正であるかを議論すべきであり、それ以上でも以下でもない。 ちなみに今治市の特区認定引き上げは「民主党政権の間にも7回にわたって要望があり、それまで『対応不可』とされてきた措置を、平成21年度の要望以降は『実現に向けて検討』に格上げされている。そして、それを安倍政権がさらに前進させ、実現させた」(菅義偉官房長官)のであり、自民党ではなく民主党の鳩山政権が必要性を認めたものであるのだ。やはり、この問題に無駄に時間を使うのは間違いであるといえる。

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    元文科省の官僚「前川さんはもっとも人望のある事務次官」

     ここ3か月で安倍政権の「権力の横暴」と指摘されるような事態が次々に表面化している。最初に発覚したのが森友学園スキャンダルだ。 学校法人・森友学園が13億円以上の土地をタダ同然で手にしたこの問題。背後には、以前から同学園の理事長と深い関係のあった安倍晋三首相(62才)や妻・昭恵さん(54才)の口利きがあったと疑われている。 森友問題がうやむやになるなか、続けて飛び出したのが加計学園スキャンダルだった。「首相の“腹心の友”が理事長を務める加計学園グループが獣医学部を新設する際、安倍首相が文科省に口利きをした疑惑です。同グループへは約440億円もの税金が流れた可能性も指摘されています。昭恵さんはこのグループの保育施設で名誉園長についています」(全国紙記者) 安倍首相と昭恵さんに近しい人だけが甘い汁を吸うことができる――そんなことが、許されていいはずがない。そして、そんな“国の私物化”といえる事態を告発しようとした人は、国家権力から攻撃されることにもなりかねない恐怖を私たちは目の当たりにしている。 文部科学省の官僚のトップまで務めた前川喜平氏(62才)。事の発端は5月22日の読売新聞だ。前川氏が在職中、援助交際や売春の温床となっている東京・歌舞伎町の「出会い系バー」に出入りしていたと報じられた。通常、全国紙が法に触れるわけでもない公務員の“下半身事情”を報じることはほとんどない。異例中の異例のことだった。文化庁の全面的移転に関する協議会に出席した(左から)唐沢剛地方創生総括官、前川喜平文科事務次官=2016年12月19日午前、文科省「背景には官邸の意向があるといわれています。報道の5日前、加計学園の獣医学部の新設について『総理のご意向だと聞いている』と記された文科省の文書の存在が報じられました。この文書について、官邸は前川氏がリークしたと疑った。それ以上の告発を封じるため、官邸は警察関係者を利用して入手した前川氏のプライベートを読売新聞に流したとみられているんです」(前出・全国紙記者) 重要なのは獣医学部の新設に「総理の意向があったのか、なかったのか」であり、告発者のスキャンダルを流すことは問題のすり替えでしかない。 菅義偉官房長官(68才)は会見で、前川氏の出会い系バーへの出入りについて「強い違和感を覚えた」と述べているが、安倍首相と親しい自民党の元大臣が東京・吉原の高級風俗店に通っていることをつい半年前に報じられていることを忘れたわけでもないはずだ。物言えば唇寒し秋の風、とはこのことだ。ノルウェイの森の華麗なる一族ノルウェイの森の華麗なる一族 官邸の横やりにもめげず、前川氏は会見を開き、各マスコミの個別インタビューも受け、「『総理のご意向』と記された記録文書は間違いなく本物だ」と公言した。文科省の元トップが総理の関与を示す前代未聞の証言に、永田町に激震が走った。 安倍首相を窮地に追いやる“前川の乱”。官邸に1人で立ち向かう前川氏とはどんな人物か。 前川氏の祖父・前川喜作氏(享年91)は年商812億円を誇る大手冷凍機器メーカー・前川製作所の創業者。また、村上春樹氏(68才)の名作小説『ノルウェイの森』の舞台とされる男子学生寮「和敬塾」の創始者でもある。前川氏の妹は中曽根康弘元首相(99才)の息子・弘文氏(71才)に嫁いだという華麗なる一族だ。元文科省の官僚で、前川氏と20年来のつきあいがあるという寺脇研さんが語る。「前川さんの奥さんは資産家の令嬢で、美人と聞いている。奥さんは妹さんの友達で、彼の入省3年後に結婚しました。都内の高級ホテルで開かれた盛大な披露宴には首相就任前の中曽根康弘さんが出席していました」 寺脇さんは、前川氏の「逆恨み」を否定する。「私が文科省に入って42年経つけど、前川さんはその間の事務次官では最も人望のある人。素晴らしい次官は今までもいたけど、前川さんはバイトの子から地方の研修生まで、全職員から人望がありました。弱い人に寄り添い、常に教育とはどうあるべきかを考えている。そんな前川さんが逆恨みや腹いせで省内の重要な文書を漏らすなんてことは考えられない」 約30年間、毎朝4~5時に帰宅して定時に出勤する仕事人間で省内の人望は非常に厚かった。そんな前川氏が自分の身を危険に晒してでも会見に臨んだのは、強い使命感からだった。「彼を慕う文科省職員がマスコミに文書を流したと前川さんは悟り、役人生命にかけて告発した者のために闘わなければいけないと思ったのでしょう。今、前川さんは自宅から離れて都内に身を隠しているようだけど、それも奥さんが支えているはずです」(前出・寺脇さん)関連記事■ 舛添要一氏 バッシングを「最高のサーカスだった」と述懐■ 城島茂のお相手、E乳グラドルが出していた過激DVDの内容■ 前川前文科次官 出会い系バー通いを官房副長官が注意してた■ 首相腹心記者の強姦告発会見 全国紙は1行も報じなかった■ 元関西系国民的アイドルGメンバーが衝撃のMUTEKIデビュー

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    西山事件を彷彿させる加計問題、官邸「アンコン」が真実をもみ消す?

    1971年の沖縄返還協定との関係で、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩(ろうえい)した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件で、「沖縄密約事件」や「外務省機密漏洩事件」とも呼ばれる。沖縄密約訴訟で敗訴が確定し、記者会見する元毎日新聞記者の西山太吉氏(手前)=2014年7月 第3次佐藤内閣の1971年、日米間で沖縄返還協定が締結されたが、その際、米国政府が地権者に支払う土地現状復旧費用の400万ドル(約12億円)を日本政府が米国政府に秘密裏に支払うという密約が存在することがばれてしまったのだ。 そうした密約が存在することを野党から追及された佐藤政権はどのような作戦に出たのか? 佐藤政権は検察とタッグを組み、そしてメディアも動員して、西山記者は女性事務官に酒を飲ませて泥酔させ、半ば強制的に肉体関係を持った上で、外務省の極秘電文のコピーを盗み出させたという主張を展開したのだ。 そうしたイメージが世間に広がるにつれ政府を追及する勢いがなくなってしまい、密約の存在はうやむやにされてしまったと言われている。だが、真実はどうであったかといえば、密約は実際に存在したことが40年近く経過した後、明らかになっている。 文科省の前川喜平前事務次官が次官時代に「出会い系バー」に出入りしていたということが事実だとして、どうしてそのようなことがニュースになり得るのか? 官邸はそのような些細な事実を暴露するだけの信じられない記事を読売新聞に書いてもらい、前川氏のイメージをダウンさせ、そのような男の言うことに信ぴょう性はないという作戦に出ているとしか思えない。 現に、官邸関係者はメディアに対して、「前川がパクられたらどうするつもりなんだ。犯罪者の証言を垂れ流したことになるぞ」などと脅かしていたとも噂されている。疑惑を深める官邸の印象操作 西山記者の場合は、外務省の女性事務官と不倫関係にあったのが事実であり、そのことについてはそれなりの社会的責任があったかもしれないが、前川氏の場合は、出会い系バーだ。だが、そこに出入りすること自体は違法でもなんでもないのだから、そのことを記事にすること自体、全くおかしいのだ。報道機関として矩(のり)を超えているとしか思えない。 森友学園疑惑と加計学園疑惑について検証すると、安倍総理夫妻が関与したことを証明する決定的な証拠はいくつもあると思われる。ただし、必ずしも関与イコール違法行為となるわけではない。違法であるかどうかは別の角度からの検討が必要だ。それぞれの疑惑を整理すると以下のようになる。<森友学園疑惑関係>・森友学園の名誉校長に就任していた安倍昭恵夫人が、総理夫人付きの職員を通じて財務省側に様々な照会や要望を出していたことが明らかになっていること(総理夫人付きが籠池氏に送ったファクスでそのことがほぼ証明される)。・籠池夫妻が昭恵夫人の名に言及して財務省に直談判した後、財務省は8億円余りを値引きした価格で国有地を売却したが、値引きの合理的な理由が存在しないこと(値引きの根拠となるゴミの存在が合理的に立証できていない)。・財務省は、国有地売却の関係資料が一部を除いてすでに廃棄したとしているが、それについての合理的説明がないこと。・財務省は、籠池氏側に対し国有財産審議会を開催する以前に国有地の売却までの手続きを説明する詳しい書類を渡していること。・昭恵夫人と親密な関係にあった籠池氏自身が、安倍総理から寄付がなされた他、ある時期から物事がスピーディーに進むようになったと証言していること。<加計学園疑惑関係>・安倍総理が深い関心を有していることを示す文書を含め、文科省の多数の内部文書が発見されていること。・それらの文書は実在のものだと前川氏が証言していること。・加計学園を優先的に扱うような手続きで物事が進められていること。 以上のような決定的とも思われる証拠が存在しているにもかかわらず、官邸側はそれに真正面から反論することをしないで、例えば前川氏は素行が悪く、そのような人の言うことは信ずるべきではないというような印象操作をしているので余計に疑惑が深まるのだ。 それに、前川氏の言うことに信憑性がないと言うのであれば、なおのこと証人喚問をすればいいのに、それを認めようとしないので国民としてはなおさら分からなくなる。 以上から、安倍総理あるいは昭恵夫人が森友学園や加計学園の問題に相当に関与したのは事実と思われるのだが、仮にそれが事実だとして、本来総理を辞任するほどの問題なのかと言えば、何とも言えない。「クロ」と判定するのが常識的感覚 まず、森友学園疑惑については、約8億円の値引きが合理的な根拠のないものであるとすれば、相当重い責任が伴うべきだと思うが、ただし、昭恵夫人の関与はある程度立証できても、総理自身の関与となるとこれを立証するのは、役人が口を割らない以上難しいとも思われる。 それに、仮に総理が直接財務省の幹部に口をきいた事実があったとして、そしてその幹部がそうであったと証言したとしても、総理自身がそれを否定するならば、言った言わないの話になってしまう。 一方、加計学園疑惑については、総理の関与を立証するのは、上に挙げた証拠でそれほど困難なことではないと思われるものの、それまで新設が認められていなかった獣医学部の新設を認めることに総理が熱心であったのが事実だとして、それが即、なぜ問題になるのかという疑問も生じる。 つまり、獣医学部の新設を認めること自体の適不適の問題があるにしても、それ自体が即、違法とは言えないからである。従って、総理に責任があるとすれば、それは加計学園のみを有利に扱ったという証拠が存在しなければならない。加計学園が獣医学部を新設する予定の建設現場=愛媛県今治市 そして、それに関しては、上の証拠だけでは十分でないかもしれない。もう少し積極的に加計学園だけを贔屓(ひいき)していたという証拠が必要かもしれないということだが、ただ全体として眺めれば、多くの国民は「クロ」だと判定することになるだろう。それが常識的感覚である。 そもそも森友学園疑惑のときから言われていたことだが、仮に総理が関与していたとして、総理がもしそれが事実なら辞職するなんてことを言わなければよかったという指摘がある。 私も、それはその通りだと思う。というのも、官庁であれ、民間企業であれ、偉い人の意向をある程度尊重するのは当然みたいなところがあるからだ。社長はそう考えているのだから、大臣はそう考えているのだから、だったら総理がどう考えているかを考慮というか、忖度しても不思議ではないといえる。 しかし、総理は自分や妻は全く関与していないと言い切ってしまった。加計学園についても同じだ。関与していないし、もし関与しているのが明らかになれば責任を取る、と。  だが、昭恵夫人が森友学園の小学校の名誉校長に就任していたのは事実だし、また夫人付きの職員を通じて森友学園の代わりに財務省に照会や要望を出していたのも事実なのだから、全く関与してないと言うのはどう考えても無理である。 加計学園疑惑に関しては、明らかにされた文科省の内部文書の存在についても、そんなものが存在するかもしれない、あるいは自分の意向を内閣府の事務方が文科省に伝えたということがあったかもしれない、という対応もあり得たと思う。獣医学部の新設に自分が熱心であったとして、それのどこが問題なのかという反論がとりあえず可能であったからだ。 しかし、早い段階で自分は一切関与していないと断言してしまったものだから、後の対応の選択肢が狭められてしまった。そして、そのことがさらなる虚偽の答弁を誘発してしまったのである。  官邸は文科省の内部文書の存在を全く否定した。文科省にしても、存在は確認できていないと言葉を濁す。 要するに、総理が格好をつけるから、つまりうそを言うからさらにうそを誘発するという構図になっているのである(仮に総理がうそをついていたとしての話)。そうなると、うそばかりの答弁になり、国民は全く納得がいかなくなってしまう。「偽装国家」の道を進む日本 例えば、財務省が「文書は廃棄済みであるから資料提出要請には応えることができない」と言っても、誰が信じるだろうか。文科省がそのような文書の存在は確認できなかったと言っても同じである。 国有地を売却して1年も経過していないのに、しかも10年分割で売っているような案件なのに関係資料のほとんどを廃棄するなんてあり得ない。それに、まだ会計検査院の検査も済んでいないのだから、会計検査院ですら納得はしないだろう。 そうなると、会計検査院の検査において、不合理な処分がなされた事案として指摘される恐れが出てくる。ただし、資料が不存在であるため、そうした不適切な処理がなされた原因の一つに昭恵夫人の関与があったということは明らかにはならず、その結果、安倍総理を守るという役割を果たすことは可能になる(仮にそうした事実があったとしての話)。 野党の議員が役所の入館記録を開示しろといっても、財務省や内閣府は「即日廃棄するので記録はない」などとバカバカしい答弁をしていたが、誰がそんな答弁に納得するだろうか? 処分する合理的な理由がないからだ。 もし、処分したとして資料の提出を拒否することがあるとしたら、それは資料を提出したくない、つまり資料の提出によって「不都合な事実」が明らかになるからに他ならない。 ということで、仮に安倍総理が身の潔白を証明するにしても、自分は全く関与していないなんて言い方をしていなければ、役所としての対応の範囲がもう少し広がった可能性があるのだ。 5月29日の参議院本会議で、加計学園の問題をめぐって安倍総理は次のように述べた。 「特区の指定、規制改革項目の追加、事業者の選定のいずれのプロセスも関係法令に基づき適切に実施しており、圧力は一切ない」 関係法令に基づき適切にと言ってはいるものの、多くの国民からすれば、個々の疑惑に一つひとつ明確に反論できない以上、納得はできない。圧力は一切ないと言っても、現実に前川氏が圧力を感じたからこそ敢えて記者会見までして自分の考えを世間に訴えているのだ。会見に臨む前文部科学事務次官の前川喜平氏(左)=2017年5月、東京都千代田区(福島範和撮影) 少なくとも前川氏の証人喚問抜きで多くの国民が納得することはあり得ない。 総理及び官邸がうそを言っているかどうかは別にして、多くの国民が、総理がうそを言っていると心の底で思い続ける以上、日本は「偽装国家」の道を進み続けることになり、今後も粉飾決算を続けていた東芝と同じ運命に陥る企業、役所が続出することが懸念される。

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    前川前文科次官 出会い系バー通いを官房副長官が注意してた

    には大きな問題がありますが、メディアがそれを報じてくれないと国民は何が起きているか知ることができず、政治へのコントロールが利かなくなる。メディアが権力に支配され、権力に都合のいい情報しか流さなくなってしまうと、状況は本当に危機的です」(前川氏) 文科省の事務方トップを務めた経歴を持ちながら、政権に異を唱える告発に踏み切り、注目を集める前川氏。 だが、告発に先立つ5月22日には読売新聞の朝刊社会面において、〈前川前次官 出会い系バー通い〉という見出しで、前川氏が次官在任中に新宿・歌舞伎町の出会い系バーに出入りしていたことが報じられた。8段ブチ抜きの“スクープ”だった。 菅義偉・官房長官は報道当日の会見で、「事実関係について政府としては承知していない」としながらも、「国家公務員というのは国民全体の奉仕者であって、公共の利益のために勤務し、かつ職務の遂行にあたっては全力でこれに専念しなければならないと思っている」と暗に前川氏を非難した。 教育行政のトップだった文科省の事務次官が〈売春の温床〉(読売)だという出会い系バーに通っていた真意についての前川氏本人の説明は後述するが、注目すべきは安倍官邸がその事実を、“かなり早い段階”で把握していたようであることだ。前川氏はこういう。「(次官)在職中だった去年の秋頃、杉田和博・官房副長官に『君、そんなところ(出会い系バー)に行っているのか。今後注意しろ』といわれたことがあった。どうして杉田さんが私の個人的行動を知っているのか疑問に思いました。やましいことはしていないが、『ご心配をおかけして申し訳ありません。もう行きません』といいました」 前川氏は買春も未成年との淫行もしていないと説明し、出会い系バーへ行った理由はあくまでも「彼女たちに食事をおごって身の上話を聞いた」と語っている。官邸はこの時点では、前川氏を不問としていたわけだ。それがなぜか、退任後の今になって大手紙に報じられ、官房長官から批判の的にされた。 前川氏が「国家に狙われる男」になった──それが理由ではないのか。関連記事■ AKB最終候補者が出会い喫茶に潜入 露骨な交渉の一部始終■ 現役グラドルが愛人クラブに潜入 巨額報酬に心揺らぐ■ ムロツヨシ 本名が明かせない理由と猫が飼えない理由■ 菊川怜 明かされる夫の過去に「知りたくなかった」と脱力感■ 和地つかさ Gカップ爆乳がマジでポロリする5秒前!

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    私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない

    、ぜひ社会的養護への関心を深めてほしいと私は願っている。 また、RFCの活動を続ける中で、さまざまな政治家と話をして、非常に興味深いと思ったことがある。それは、今回の報道に関して、政治家のイデオロギー面での思想と、同性カップルの里親認定に対する賛否が一致しなかったことだ。つまり、「保守=同性里親反対」「リベラル=同性里親賛成」というような形では、意見がわかれなかったのだ。 今回の塩崎恭久厚労相の発言のように「子どものための家庭を増やすことだからいいことだ」と応援してくれる保守層の方もいれば、「実現性も低ければ、優先順位も低い」と相手にしてくれないリベラル層の方もいた。塩崎恭久厚労相=4月7日、国会(斎藤良雄撮影) 今回の報道に関して、塩崎氏は「同性カップルでも男女のカップルでも、子どもが安定した家庭でしっかり育つことが大事で、それが達成されれば、われわれとしてはありがたい」と述べている。 私は常に「子どもたちのため、一つでも多くの里親家庭を増やそうとしている中で、マイノリティーへの無理解や偏見がその妨げになっている。そのような構造を変えたい」と訴えてきた。 今回の報道に関し、ネット上では「子どものためならいいがLGBTの人権推進なら反対」という意見も見かけたが、そのような「どちらの人権の問題なのか?」といった無意味な議論を行うのはやめにしよう。 「マイノリティーへの偏見に固執しているうちに、他の誰かのチャンスを摘み取ること」は、「同性カップルと里親」の問題以外にも起こりうることではないだろうか。今一度、社会の課題を振り返り、同じような問題が起こっていないか、皆で考えるきっかけにしてほしいと私は願っている。

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    子供の幸せを奪う同性カップルの「里親」などもってのほか!

    小坂実(日本政策研究センター研究部長)  今年4月、「男性カップル 里親に」という新聞の見出しを見て驚愕(きょうがく)した。虐待などで親と一緒に暮らせない子供を育てる「養育里親」に、なんと大阪市が30代と40代の男性カップルを認定したというのである。4月6日付の東京新聞はこう報じている。 「2人は2月から、市側に委託された十代の男の子を預かっている。厚生労働省は『同性カップルを認定した事例はない』としており、全国初とみられる。/社会が多様化する中、市は2人の里親制度への理解、経済的な安定など生活状況を詳細に調査した上で認定した。/自治体によっては、同性カップルを男女の結婚に相当する関係と認める動きもあるが、里親は夫婦や個人が認定されており、同性カップルに対し慎重な意見もある」 吉村洋文大阪市長は「LGBT(性的少数者)のカップルでは子育てができないのか。僕はそうは思わない。子どもの意思確認もした」とツイートし、市の判断の正当性をアピールした。だが、同市の判断には深刻な懸念を抱かざるを得ない。 というのも、同性カップルの里親認定には、「子供の福祉」の面で重大な疑問が拭えないからだ。論より証拠、同性婚が容認された米国では、同性カップルに育てられることが、子供に及ぼすさまざまな問題が専門家らの調査を通して指摘されている。※写真はイメージ 例えば、テキサス大オースティン校のマーク・レグニラス准教授による18~39歳の男女約3千人の調査だ。同性愛者の親に育てられた人は、結婚した男女の親に育てられた人に比べて、経済的、社会的、精神的問題を抱えている割合が高いことが分かった。 米カトリック大のポール・サリンズ教授が発表した研究結果では、4~17歳の同性カップルの子供は異性の親の子供に比べ、情緒・発達面で問題を抱える割合が2倍前後高いことが判明した(以上は森田清策・早川俊行編著『揺らぐ「結婚」』による)。 実際、同性愛などについての書き込みがあるブログ「ジャックの談話室」には、父母が揃った家庭に生まれ、両親の離婚後に同性カップル(レズビアン)の家庭で育つことになり、成人してから男性と結婚して子供を持った米国人女性たちの、次のような切実な証言も紹介されている。 「結婚して子供を持ってはじめて父親の役割がいかに重要であるか、また母親としての私の存在がいかにかけがえのないものであるかよく分かりました」 「初めて子供とその男親を持ったことは私にとって美しい、畏敬の念に打たれる経験でした。子供には父親と母親の両方が必要であるという信念がますます強まりました」深刻な「同性カップル家族」の認定 もちろん、これらの調査が今度の大阪市の事例に当てはまるということではない。ただ、こうした公開された知見がある以上、いかに里親が足りなかったとしても、同性カップルを里親に認定するのは、子供の福祉の観点から言って、甚だ軽率と考えざるを得ない。 養育里親は、18歳未満の子供を一時的に夫婦や個人が養育する児童福祉法上の制度で、里親認定の基準は、運営主体の都道府県や政令都市によって異なる。東京都は、同性カップルが里親になれない基準を設けているが、他の自治体には同性カップルを除外する規定はないと報道されている(4月16日付毎日新聞)。だが、以上のような知見を踏まえれば、それは同性カップルを容認しているからではなく、そもそも同性カップルを想定していないからだと考えるのが妥当であろう。※写真はイメージ とはいえ、問題はそれだけではない。同性カップルの里親認定の先には、同性カップルの特別養子縁組への参入、さらに同性婚の合法化が見据えられていることも指摘したい。 今回の大阪市の認定の背後には、一般社団法人「レインボーフォスターケア」の活動があったと言われている。事実、同団体の藤めぐみ代表理事はネットメディアBuzzFeedNewsで、最初に区長がLGBT施策に熱心だった淀川区に足を運んだことや、次に大阪市こども相談センター職員と2時間激論を交わしたことなど、実に興味深い「舞台裏」を語っている(「同性カップルの里親」はこうやって誕生した。立役者が語った「舞台裏」)。 見過ごせないのは、同団体の活動方針だ。同団体のホームページには、1 国や自治体に対して、里親・養親の候補として積極的にLGBTを受け入れるよう働きかけます。 とあるが、それに続いて、次のような方針が掲げられている。2 国に対して、特別養子縁組の養親に同性カップルが含まれるよう働きかけます。3 養子縁組あっせん団体に向けて、養親の候補としてLGBTを受け入れられるよう提案・連携をします。 要は、同性カップルの里親認定の先には、特別養子縁組の「養親」に道を開くという明確な目標があるわけだ。これは法律上の「同性カップル家族」を作ることを意味しており、同性カップルの里親認定とは比較にならない重大かつ深刻な意味を持つ。 先に触れたように、養育里親が18歳未満の子供を一時的に養育する制度であるのに対して、特別養子縁組は、養親との間に実の親子と同様の親子関係を成立させる民法上の制度だ。そのため民法第817条の3は、特別養子縁組については、「養親となる者は、配偶者のある者でなければならない」と定めている。この「配偶者」は、法的には「婚姻関係」にあるものに限られており、夫婦共同縁組が原則とされる。危うい大阪市の判断 つまり養育里親とは違い、特別養子縁組は法律上の親子関係を創設するものであり、結婚が条件となる。しかし、日本には同性婚の制度がないので、現状では同性カップルは特別養子縁組の養親にはなれない。同性カップルが特別養子縁組の養親となるには、民法第817条を改正するか、あるいは同性婚を合法化しなければならないわけだ。 いずれにしても、仮に同性カップルが特別養子縁組の養親になれるようになれば、法律に基づく「同性カップル家族」が誕生することとなる。これは「裏口からの同性婚」の容認ともいえ、そうなれば同性婚の合法化に向けた動きが加速するのは明らかだと思われる。 こう考えると、同性カップルの里親認定は、特別養子縁組の議論に進むための「呼び水」でもあり、同性カップルの特別養子縁組への参入は、同性婚合法化への「呼び水」と言うこともできるわけである。「子供の意思確認もした」などと言って、同性カップルへの養育里親を認定した大阪市の判断の「危うさ」は明らかではなかろうか。※写真イメージ  ちなみに、筆者は同性婚の合法化には反対である。同性婚の合法化によって、子供や社会の利益のための制度としての結婚は本質的な変質を余儀なくされるからだ。 長崎大の池谷和子准教授が指摘しているように、同性婚は結婚の定義から「子供の福祉」という視点を完全に抜き去ることで、一夫一婦制や貞操義務を弱め、親が生まれてくる子供を取捨選択する傾向を強め、男女の結婚や血縁に基づく家族の良さを強調できなくなるなど、結婚や家族の制度に重大な影響を及ぼすことが危惧される(月刊『正論』27年12月号)。 今回の大阪市の動きが、同性婚の合法化―つまり、結婚と家族という「子供の福祉」と「社会の持続可能性」を支える最も重要な社会制度の解体へ向けた「アリの一穴」とならないことを願うばかりである。

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    加計学園、前川氏の爆弾文書よりヤバい「レント・シーキング」

    たとおり、安倍晋三首相に違法性や道義上の責任を生じさせるものではない。例えば、官僚たちが首相の暗黙の政治的圧力を「忖度(そんたく)」して認可のスピードを速めたというが、このような他人に「忖度させた罪」「忖度させた道義的責任」などは合理的な論点にはなりえない。他人が内心でどう思っているかの責任を「忖度させた」の一言で取らせることは、ただの魔女狩りである。マスコミの多くがこの「忖度させた罪」というものがあるかのように安易に報道していることは極めて危険だ。 もうひとつは、いわゆる「出会い系バー」に前川氏が出入りし、それを「貧困調査」のためだと説明した事例である。この問題については、正直、筆者はそもそも「出会い系バー」という存在の詳細を知らない。この論点については、テレビで取材したと述べたジャーナリストの須田慎一郎氏ら適切な方々が論評していくことだろう。 筆者は主に最初の論点を考える。といっても怪文書の出所が前川氏であることを除いては、前回の論説に付け加えるものはない。このような安易な「疑惑」作りは、民主主義を本当の意味で危機にさらすことだろう。 今回は、この「加計学園問題」をより経済学的な視点から再考してみる。獣医学部の新設については、日本獣医師会やその関係する政治家たち、また文科省自体も長年にわたって反対してきた。52年間もの間、獣医学部の新設が認められてこなかったまさに「岩盤規制」であった。「忖度」批判を繰り広げる既得権者たち 今回の獣医学部新設を安倍首相が「忖度させた」と批判している人たちが、「岩盤」側の既得権者であることは注目していい事実だろう。要するに、加計問題とは単なる既得権者と規制緩和側との政治的抗争であり、そこに「安倍下ろし」を画策する野党や一部メディア、識者がただ乗りしているという構図だろう。さらにいえば、文科省の天下り斡旋(あっせん)問題で引責辞任した前川氏の個人的な思惑も当然に絡んでくるに違いない。 ところで今回の規制緩和の枠組みは、国家戦略特区という極めて限定されたものだ。しかもわざわざ既得権者側に配慮したとしか思えないのだが、獣医学部が周辺にない「空白地域」に絞って、あえて大学間競争の可能性をもできるだけ排除しているようだ。このような極めて限定された規制緩和であっても、猛烈な反発を得ているのが実情だ。それだけ新規参入を規制することによって、既得権者が得ていたレント(規制によって生じる利得)が大きかったということだろう。 またこの「岩盤」が継続された理由を、経済学者のマンサー・オルソンが、彼の代表的な業績である「ただ乗り」の観点から、かつて以下のように分析した。集団の規模が大きくなればなるほど、その組織に属する人たちは、自ら負担して組織改善のために動こうとはせずに、ただ乗りを選ぶだろう。 例えば、これを政府に置き換えてみれば、多くの有権者は自分が政府の改善を熱心に行っても、そこから得る追加的な利益が自分の犠牲に見合わないことを知っている。そのため、他者の努力にただ乗りをする方を選ぶだろう。 またこのようなただ乗りは、自分のただ乗り自体が損なわれない限り、政府がよくなろうが悪くなろうが知ったことではないとする「合理的な無関心」を生み出してしまう。実際に、獣医学部が52年間新設されなかった事実は、今回の問題が発覚するまで、多くの国民は「無関心」だったのではないか。分け前増加しか関心がない集団の正体 オルソンはこの分析を「国家がなぜ興隆し、また衰退するのか」という問題にまで広げた。オルソンは、ここで「分配結託」という考えを強調している。どの国でも保護貿易的な考え方を支持する集団はあるだろう。日本では農協やその関連団体、米国では自動車メーカーがすぐにあげられる。これら「特殊利益集団」と呼ばれる集団は、もちろん自分たちの集団の利益しか関心がない。集団が直接自分たちに利害が発生する仕組みになっているので、こちらは規模が大きくなればなるほど、自分たち一人当たりの分け前が増えることに関心をもつ。2015年10月、JA全国大会であいさつをするJA全中の奥野長衛会長(左)。右手前は安倍晋三首相(西村利也撮影) つまり特殊利益集団は自分の特殊利害という目的に合わせて集団を効率化することが多い。手法も洗練化され、時にはマスコミや政治家と「分配結託」をする場合もある。今回の加計学園問題の件も、この「分配結託」の1ケースといえるかもしれない。 そしてこの「分配結託」を可能にしている組織的な利益が、先ほどのレントの発生であり、これを追い求める行為を「レント・シーキング」という。レント・シーキングが国家の中で大きなウェイトを占めれば、その国は衰退してしまう。オルソンはそのような主張を展開した。 官僚組織は一般的に、規制を設け、それを運用する権限をできるだけ最大化することを最優先の目的としている。そして規制があれば、それによってレントが発生する。つまり規制の権限があるところ「常にレントあり」といえる。そのわかりやすいレントの代表が、「天下り」である。官僚が規制先の対象組織に天下りをする行為こそ、最もわかりやすいレントの一例である。その本質は「賄賂」と変わらない場合が圧倒的だ。それゆえ、天下り規制が行われた。 今回の前川氏の発言や行動はそもそもこのレント・シーキングを具現化しているように思える。天下りの斡旋、そして獣医学部新設のあまりに極端な規制。首相が「忖度させた」罪などというトンデモ議論よりも、筆者にはこのレント・シーキング行動の方が比較にならないほど、日本の問題のように思える。

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    なにがなんでも「安倍降ろし」 フェイク臭あふれる加計学園疑惑

    法案」の衆院通過を控えてのことなのか。もちろん政権批判がまっとうな理由によるものならば、むしろ公正な政治を進展させるために必要な条件だろう。だが、最近明らかになった事例をみれば、むしろ日本の政治そのものを壊しかねない危惧を抱くものだ。 典型的な事例が「加計(かけ)学園問題」といわれるものだ。先に書いておくが、これは「加計学園が生み出した問題」という意味ではない。まったく落ち度のない学校法人加計学園と愛媛県今治市のそれぞれの関係者や市民、そしてこの件に関して安倍首相を政争の手段として「生贄(いけにえ)」にしている民進党、そして朝日新聞の「共謀」のことを指して言っている。もっとも、この「共謀」には法律の適用はない。われわれが全力で批判する代物であるにすぎない。 問題の経緯は以下の通りだ。朝日新聞は今月16日の朝刊一面に、今治市の国家戦略特区に獣医学部を新設する件で、「官邸の最高レベル」「総理のご意向」によって早期に計画をすすめるように促す文書を掲載した。これは内閣府から文部科学省に提示された文書だという。文部科学省が作成したとされる「加計学園」に関する文書 17日には、国会で民進党の玉木雄一郎議員が、松野博一文部科学相にこの文書の真偽について問いただした。朝日新聞と民進党が入手した文書は同一のものだったようである。この連係プレーにも似た動きは、たちまち国民の注目することになった。あたかも「森友学園」第二幕のようであったが、あまりにもフェイク臭があふれる第二幕であった。 まず文書はいわゆる「怪文書」である可能性が大きい。記述については事実を反映している部分もある。世の怪文書あるいはトンデモ経済論といわれるものは、全部がデタラメではなく、核心部分がデタラメ以外はだいたい「真実」によって構成されている。それで読み手を巧妙に釣るのである。朝日新聞などはこの核心部分以外が事実であることを、かなり詳細に報道していて感心してしまう。もはや「魔女狩り」 ところで核心部分はもちろん「総理のご意向」といわれる部分だ。この「総理のご意向」については総理自身が否定している。また政府はこの文書が公式には存在しない、まさに「怪文書」であることを現時点の調査で明らかにしているといえよう。 だが、そもそもこの文書に書かれていることが真実だとして何が問題になるのだろうか。繰り返すが文書の核心部分が真実だとしても、要は獣医学部の開設をできるだけスピード感をもって進めろ、と首相が命じているだけなのだ。 国家戦略特区というのは、首相官邸ホームページの説明だと、「国家戦略特区は、産業の国際競争力の強化および国際的な経済活動の拠点の形成に関する施策の総合的かつ集中的な推進を図るため、2015年度までの期間を集中取組期間とし、いわゆる岩盤規制全般について突破口を開いていくものです」というものだ。「加計学園」が岡山理科大の獣医学部を新設予定の建設現場=5月17日午後、愛媛県今治市 簡単にいうと、規制緩和を短期集中的に行う枠組みである。規制緩和を早急に進めていくことを、首相が指示したとして何の不思議もない。「総理のご意向」などがあったとしてそれは違法でもなければ、道義的責任をもたらすものでもない。 ましてや加計学園の理事長が首相の友人であり、その友人と会食やゴルフをすることが何の問題になるのだろうか。まるで友人関係があるために、不正なことが行われているかのような報道を目にするがあまりにもひどく、「魔女狩り」に近いものである。 だが、この種の悪質な釣り、もしくは現代版魔女狩りの効果はバカにはできない。私のTwitterなどでもしばしば、「事実関係はわからないのですが」というコメントを頂戴する。つまり疑いの芽を少なからずもっている人たちがいるのだ。法的にも道義的にも何の問題もないのだが、マスコミが報道するだけで不安や疑心を抱く人たちが少なからず生まれるのだ。もちろん報道にそれなりの正当性があれば推測記事もありだろう。「疑惑」は簡単に人の心に芽生える しかし今回の件は、違法性も道義的な問題もまったくない。現在の情報を前提にすればゼロだ。例えばネットでみかけた「疑惑」の例だが、「公募期間が1週間なのは加計学園ありきだ」というが、実は1週間とは公募期間の平均的な設定で優遇では全くないのだ。あるいは「土地の無償譲渡は首相が便宜したもの」という指摘もあったが、今治市議会が賛成多数で決めたことで、あくまで地方自治の成果だということになる。まさに「疑惑」は簡単に人の心に芽生えるという好例だ。 実はこの件については、国会で追及した玉木議員自身が、フジテレビ系報道番組「ユアタイム」で違法性がないことを認めており、まったく理解に苦しむ。だが、民進党の蓮舫代表は、「いま急がれるのは共謀罪よりも加計学園や森友学園の究明だ」と断言している。違法性もなければ道義的責任もない、加計学園を単に政争のために利用していることは明瞭すぎるほどだ。なお森友学園については以前の連載で書いたので参照されたい。 また最近では、そもそも獣医学部新設の動きは、民主党や民主党議員、つまり現在の民進党議員らが積極的にすすめていたことが明らかになっている。これだけでも政党としてまったく首尾一貫していない。さらに追及の急先鋒(せんぽう)である玉木議員には、現段階でいくつかの問題が指摘されている。日本獣医師政治連盟から玉木議員は政治献金をうけ、または父親が獣医師であることで、既存の獣医師の利益を守るために行動する私的なインセンティブ(動機付け)が存在するということだ。 既存の獣医師たちの多く、特に日本獣医師会は、特区における獣医学部の設置については従来反対であった。つまり、この意図を忖度(そんたく)しての政治的な動きではないか、という疑念だ。もちろん民進党が規制緩和に反対するのなら、それはそれで政策論争の意味で興味深い。加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左)=5月17日、国会 だが、蓮舫代表や玉木議員がやっていることは、なにがなんでも安倍氏を首相の座から引きずりおろすための、怪文書を利用した不公正な扇動だけしかない。そこに朝日新聞など一部マスコミが安易に同調していることは、さらにあきれ果てるしかない。

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    北朝鮮と同じ「世界の三流国化」を受け入れた江戸幕府の大誤算

    ルトガル人の宣教師、ルイス・フロイスも驚いたように、女性たちは自由で独立した人格を認められていたし、政治的にも大きな役割を果たしていたことは、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でもおなじみだ。孔子 ところが、儒教の女性蔑視、男女隔離の思想が朱子学とともに入ってきて、女性への差別が徹底され、政治の表舞台からも追放された。 また、江戸時代以前にも賤民のように扱われる人々や職業はあったが、多くの人々が明確なかたちで体系的に差別されるようになったのは、江戸時代に身分制度が確立されてからのことだ。しかも、儒教道徳を体現したような「名君」といわれた大名ほど、身分秩序を厳格にして、服装まで変えさせるなどして、差別を徹底したのである。 それは、武士の立場でも同じで、「士農工商」の身分制が基本というのは疑問である。中津藩士だった福沢諭吉も、庶民と足軽や徒士(かち、いわゆる下級武士)とは行き来もあったが、上級武士に下級武士が昇格できたのは、中津藩200年の歴史でも数例だけだといっている。 殿様が自分の家臣と意識しているのも、上士だけだった。もっとも、身分制度は藩によってかなり違いがあるのだが、明治になって士族と位置づけられた階級の中でも、馬に乗れて袴(はかま)を履く「上士」、袴は履くが馬に乗れない「徒士」「足軽」、武家奉公人たる「中間(ちゅうげん)」などに分かれていた。 侍というのは上士の中でも上層部を指すことが多かったし、足軽以下は武士ではなかった。したがって、足軽が先祖だったら、「私の祖先は明治時代に士族になりました」とは言えるが、「武士でした」とか「侍の子孫です」「藩士でした」といえば詐称だ。 それでも、科挙があるから無教養ではダメな中国や朝鮮の政府の役人に比べて、旗本や大名の家来はあまり学問を要求されなかったし、出来が悪くても育ちだけで役職に就けた。といっても、当然実務などできるはずがない。そこで勘定方や儒者、藩医、砲術型、剣道師範などといったグループが別にいて、それぞれ世襲で技能を磨いて実務を担当した。福沢諭吉の家系は勘定方だし、久坂玄瑞は藩医、吉田松陰は兵法家の出身だ。 さらに、幕府や藩の財政の仕組みもじり貧にならざるを得ないものだった。戦国大名や信長、秀吉は、米の年貢を基本としたが、ほかの収入も重視した。商工業の発展を図り、鉱山開発を盛んに行ったうえに、貿易から上がる利益も大きかった。 しかし、儒教的な農本主義にたった江戸幕府は、米に対する年貢に頼った極端な税収構造にした。それが差し当たって可能だったのは、徳川将軍家が俗に天領といわれた幕府直轄領を400万石にし、旗本知行地の300万石と合わせて700万石と広く取ったからだ。豊臣家の直轄地が200万石くらいだったからかなり多い。しかも江戸時代の前半には、戦国時代に発達した土木、治水技術の応用で容易に新田開発も可能だった。米偏重で財政は火の車 さらに外政では、朝鮮への再出兵も行わず、外国からの侵略に備えることもせず、琉球を薩摩藩の支配下に置いた。内政ではキリシタンを弾圧し、檀家(だんか)制度で仏教を骨抜きする宗教政策を進め、大名の領地を取り上げて将来の不安を解消することもしなかったので、軍事費が減り、築城や大砲の進歩に対応した城の増強もしなかった。だから、鎖国して貿易利益が縮小しても、当面は大丈夫だったのだ。 ところが、この米中心の財政構造は無理があった。今でいう国内総生産(GDP)に対する租税負担率が徐々に下がることが避けられなかったからである。 まず、米の需要には限りがある。ところが、米以外からでは年貢が取れないので、各藩は米を増産する。そうすると当然過剰生産になり米価が下がってしまった。なにしろ、江戸時代後期には全国の人口が3千万人に対し、米の生産量を示す石高は3千万石だった。 つまり1人あたり1石の消費だが、これは1日換算では5合にもなる。つまり、江戸時代の日本人は無理な税収構造の果てに、過剰生産により安かった米のご飯を、みそだ、漬物だ、小魚だといった貧弱なおかずでひたすらかき込んでいたのである。 また、天変地異に弱い米に偏った作付けは、冷害や干魃(かんばつ)による飢饉(ききん)を何度も引き起こし、そのたびに現代の北朝鮮のように膨大な餓死者を出した。しかも、貿易をしないから輸入ができない上、民政を各藩に任せたために、気の利いた「名君」だけがあらかじめ米を買い占めて自藩の領民を救ったので、特定の藩では生き地獄の事態を招いたのである。 飢饉のときには、餓死までいかなくとも栄養不足により人口減が見られた。現代の北朝鮮でも文字通りの餓死以外に同様の事態がしばしば起こっているのである。 また、年貢の取り方としては、当初は検見(けみ)法といって作柄を役人が調査して税額を決めていた。しかし、これでは収入が不安定だし、検査に経費がかかるし、不正の温床となった。 そこで定免(じょうめん)法という定額制に移行していった。これは、導入当初は税収の安定をもたらし、行政経費の削減にもなって領主にとっては有利だった。しかし、時間がたつと、農民は工夫して増産をしても年貢は変わらなかったので、実質的に税率の低下をもたらした。 さらに、鎖国といえども新しい技術や作物がわずかながら導入され、独自の技術発展もあったので、さまざまな商品作物が栽培され、工業製品も考案されたので、米の年貢から上がる税収の対GDP比率はますます下がった。そこで、西日本の雄藩などは商品作物の作付け奨励や、専売制の実施といった政策で、新しい税収の確保に努めたのだが、幕府や東日本の藩は全般的に、税収確保の流れを「体制の危機」ととらえて抑制した。 その結果、幕府は松平定信の寛政の改革(1790年前後)に代表される贅沢禁止などにより、税収が増えないならGDPを減らせば租税負担率は低下しないというとんでもない政策に走った。また、貨幣改鋳は幕府にとって最大の収入増になるはずだったが、道義的に好ましくないと考えられ、実施されるのはいつも時期外れで、しかも稚拙だった。貿易嫌いの江戸幕府 貿易も、鎖国当初は長崎を通じてかなりの規模で行われていた。そのころは金銀の生産が多かったので輸入が容易だったのである。しかし、鉱山開発の最新技術導入ができないまま、生産はどんどん低下し競争力も失われた。主力品だった陶磁器も明の滅亡前後の混乱による景徳鎮の衰退に乗じて、一時的に市場が拡大したが、中国王朝の復活とヨーロッパでのマイセン焼の発展で全盛期は長く続かなかった。19世紀の長崎 そこで、本来であれば幕府が率先して大々的に輸出産業の振興を図らねばならない。実際、江戸中期に田沼意次が「乾隆帝バブル」の清王朝にナマコやアワビ、フカヒレなどを俵に詰めた俵物(たわらもの)を積極的に輸出して莫大な利益を得た。ところが、田沼失脚後の松平定信は、できればオランダとの貿易もやめたいくらいという貿易に後ろ向きの態度に終始して事態を悪化させた。 当たり前のことだが、鎖国して技術交流もせず、まったく代わり映えのしない製品を国内でつくり、変わらぬ生活をしていれば、産業の国際競争力が落ちる。そうすれば、細々と行っていた貿易でも輸入品に対する国産品の格差が大きくなるのは当然だ。 そのツケは、鎖国期も払っていたが、開国したら、長く職場を離れていた病み上がりの人が新しい仕事に適応できないのと同じことになったのである。そして、特に武器の分野では、火縄銃で最新のライフル銃と対峙(たいじ)する羽目になるほど、ひどい目にあったのである。 先に書いたように、江戸幕府や多くの藩は、生活や経済構造をなんとか変えないようにした。しかし、新しい商品が生産されるのを完全に封じるわけにはいかないので、租税負担率が低下し、その結果、武士の生活は惨めになった。 農民は、商品作物のおかげで豊かになることもあったが、主力作物の米に重税を課された上に米価も低迷したので苦しい生活が続いた。それに対して、町民は税金もあまり取られないため豊かになった。だから農民は逃散して都市に出たがる。実際、飢饉などによる人口低迷もあって、耕作する農民がいない田地が続出したのである。そこで、農民の移住はもちろん、旅行すら原則禁止する藩も多かった。 こういう状態を「農奴に近い」と表現しても何もおかしくあるまい。 一方、町民は自由だったし、武士や農民より良い生活ができた。とくに江戸はインフラもしっかりしているのでなおさらだった。時代劇に出てくる江戸の町民が幸せそうなのは、実際に豊かなわけではないが、地方の農民に比べて格段に恵まれていたのだから当たり前で、それは平壌の市民が体制を熱烈に支持しているのと同じような状態だったのである。 また、藩が農民の逃亡を恐れて縛り付けても、江戸や大坂の周辺には、小領地が錯綜(さくそう)していたので統制のしようがなかったし、都市でアルバイトをするチャンスもあったのは事実だ。 いずれにしても、このように、幕府や東国の各藩が財政破綻、農民の不足、武士の窮乏化に悩んでいるときに、西南雄藩では税収も人口も増え、農民も相対的に豊かになっていった。「東西格差」が明治維新の伏線に また、薩摩藩は琉球を支配していた上に、江戸中期以降は、徳川家との縁組を強化し、ついには、11代将軍徳川家斉と13代将軍徳川家定の御台所を出すまでになり、御三家に劣らない治外法権的な地位を確立した。この地位を利用して密貿易や、大坂商人から強引な借金棒引きにも成功した。 言ってみれば、北朝鮮と韓国の国力差が西日本と東日本でも生じたようなもので、その格差が倒幕と明治維新の伏線になったわけである。 最後に、江戸時代の技術や教育水準について簡単に書いておく。鎖国期には独自の工夫で砂糖や綿花に代表される日本の気候に向かない産物を生産したり、ガラパゴスな技術で工業を発展させた。 しかし、そうした製品は、開国した途端に輸入品に駆逐された。それは東西冷戦時代に、西側から揶揄(やゆ)された東ドイツの「段ボール製自動車」や、ポーランドで温室に石炭をたいて生産していたバナナと同じようなものだ。 江戸時代のそうした工夫を褒める人もいるが、ポーランド産のバナナと同様に、鎖国というバカげた政策のあだ花に過ぎなかった。そして何より問題だったのは、軍事技術で大きな遅れを生じさせ、19世紀を迎えても火縄銃とライフル銃で列強と対峙する羽目になり、日本は危うく植民地にされかかったことである。 「鎖国していなければ植民地にされた」などと愚かなことを言う人がいるが、17世紀のスペインやポルトガルは、インドのゴアのような貿易拠点や、フィリピンのように国家が成立していなかった地域を占領したり、金属製の武器を持たなかった南米を征服したわけで、日本のような国を植民地支配することは不可能だった。 また、日本の教育が先進的だったというのも大嘘だ。よく言われる識字率の高さについては、日本では仮名が読み書きできるかどうかだが、中国では数千字の漢字の読み書きで判断していたのだから、そもそも比較基準が大きく違う。 また、寺子屋の普及も藩校がでそろったのも天保年間(1830-44年)のころで、西洋では既に近代的な学校制度ができ上がっていた。しかも、藩校では算術を教えなかったので、武士たちは軍人としても官僚としても役立たずで、戦国時代の先祖の功績による「年金生活者」に過ぎなかったのである。