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    籠池夫妻はどうしてこうなった?

    あのお騒がせ夫婦が久しぶりにメディアをにぎわせた。学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐる補助金不正受給事件で、大阪地検特捜部による初の取り調べを受けた籠池夫妻である。第一報からはや半年。被害妄想にも似たド派手なパフォーマンスは相変わらずだが、どうしてこうなったのか。

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    籠池夫妻を「捨て身の行動」に走らせた引き金は何だったか

    が表面化したとき、安倍政権に大きなダメージを与える問題になるとは思っていなかった。これは、日本の地方政治で日常的によく行われていることに思えたからだ。しつこく繰り返された「普通の陳情」 一般的に、籠池氏のような学校経営者と政治家の間に、日常レベルでさまざまな接触があったとしても、別におかしな話ではない。運動会など学校行事に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すのはよく知られていることだ。自民党や日本維新の会のような「保守」が塚本幼稚園に顔を出し、「教育方針が素晴らしい」などリップサービスを交えた来賓祝辞をしたことは、容易に想像できることである。 そんな日常的で気楽な付き合いの延長線上で、籠池氏が「小学校を設置したい」と、言い出すようになったのだろう。最初は地方議員に陳情を繰り返し、話がなかなか進まないと鴻池祥肇元防災担当相のような国会議員に陳情をしていったということだ。「学校の認可・設置に関する政治家への陳情」というだけならば、どこの地方でもよくあることだ。「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」程度のことなら、別に珍しい話ではない。 実際、鴻池事務所に対する籠池氏の「陳情報告書」の記録が明らかになっている。そこには、鴻池氏の元秘書・黒川治兵庫県議会議員(自民党)や、中川隆弘大阪府議会議員(大阪維新の会)らの名前が出てくる。彼らは、再三再四に渡って、籠池氏から「鴻池事務所につないでほしい」と依頼を受けていた。そして、「相談に乗ってあげてよ」という形で、鴻池事務所につないだという。ここまでも、まだ通常の陳情の範囲内だ。3月1日、森友学園の籠池泰典理事長との面会について説明する自民党の鴻池祥肇参院議員。口利きなどの関与を強く否定した しかし、2016年3月に森友学園が、くい打ち工事を行う過程で新たな地下埋蔵物が発見されたことをきっかけに、資金不足のために土地を賃貸することから、突然購入に方針転換してからは、陳情攻勢のしつこさが尋常ではなくなった。報告書には、「うちはコンサルタント業ではありませんので」「うちは不動産屋と違いますので。当事者同士で交渉を!」「どこが教育者やねん!」「大阪府の担当者は、土地以外(の生徒募集)を一番懸念されているようですが」などと、籠池氏のあまりにしつこい陳情に、鴻池事務所があきれかえっていた様子が記されていた。 そして、籠池氏は、要求に応じない近畿財務局を飛び越えて、財務省理財局を訪れて直談判に及んだ。その際、理事長は鴻池事務所にアポイント取りを依頼したが、断られていた。しかしアポイントなしで理財局に乗り込み、ゴミ処理代を8億1900万円とする内諾を得て、評価額9億5600万円の国有地を、1億3400万円で購入したのである。 要するに、籠池氏は地方・国のさまざまな政治家に接触し、近畿理財局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。彼が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのだ。つまり、地方議員も鴻池氏も、ルールに従って事務的に対応していた近畿理財局を動かすことはできなかったのだし、そもそも動かす気がなかったように思われる。ここまでは全て通常の「陳情」であり、何も違法性はない。首相が「口利き」するはずがない理由 結局、財務省理財局で何がどのように決められたかが問題であり、そこに政治家の関与、それも鴻池元防災相を超える「大物」、はっきり言えば安倍首相が関与したかだけに焦点が絞られることになる。 だが、基本的に安倍首相が「口利き」をしたはずがない。首相は、2006年9月に発足した第1次政権をわずか「365日」の短命政権に終わらせるという失敗を経験している。その一因は、年金未納問題や度重なる閣僚のスキャンダルなどで支持率が低下し、求心力を失ったからだ。スキャンダルが頻発したに背景には、教育基本法改正など、首相が保守的な信念を貫こうとして、左翼勢力を本気で怒らせたからだと考えている。5月9日、学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題を巡り、昭恵夫人のメールの記録などを手に答弁する安倍首相 安倍首相は、2012年12月に政権復帰するにあたって、この第1次政権期の失敗からさまざまな教訓を得ていたはずだ。それは、政敵に隙を与えないために、「守り」を固めるということだ。例えば、首相は、自身の保守的な思想信条を表明するのに非常に慎重だった。もちろんその間、特定秘密保護法、安保法制などを実現してきた。それでも、愚直に政策実現を目指した第1次政権期と比べれば、「アベノミクス」による経済重視を打ち出し支持率維持を図るなど、相当に慎重に振る舞ってきていた。 そんな慎重な安倍首相が、保守系の学校法人の土地取得に関与するなど、危ない橋を渡るはずがない。本人ではなくても、スタッフが関与したというかもしれないが、本人以上にスタッフが慎重なはずで、ありえないことである。 そのことを考えれば、結局、財務省理財局が籠池氏の直談判を自らの判断で受け入れてしまったと考えるべきだ。要は、籠池氏が安倍首相と「近い関係にある」と思い、安倍首相の意向を「忖度(そんたく)」して、理財局の判断だけで話を通してしまったのではないだろうか。 これも一般論だが、日本社会では「うるさい人」がやってきたら、いちいち理屈で抵抗しないで、できるだけ触らない、関わらないということで話を通してしまうということがよくある。まして、権力を持つ人がバックにいるとなれば、なおさらである。 籠池氏が財務省理財局に直接乗り込んできて、「安倍首相がバックにいる」とか、あることないことを言って圧力をかけたことは容易に想像できる。理財局からすれば、本当に首相がバックにいるのかどうかはわからない。しかし、杓子(しゃくし)定規に断った後で、本当に首相が出てきたら面倒な話になってしまう。事態を一変させた証人喚問 当時、麻生太郎財務相が国会で「適切に処理した」と再三答弁しているように、国有地の売却自体は、財務省理財局の権限でできるもので、違法ではないのだろう。だから、首相などに確認することもなく通したということだ。それならば、至って「日本的な話」だということになるのではないだろうか。 もちろん、14億円相当の国有地が森友学園に実質200万円で売却された経緯は不可解であり、真相が明らかにされなければならない。だが、この仕事はスキャンダラスな報道を続けるメディアを背景にした野党の追及では限界がある。学校法人「森友学園」が小学校用地として取得していた大阪府豊中市の国有地=7月27日 安倍首相はこの問題が発覚した当初から、「会計検査院」に調査を委ねるとしたが、それは別にこの問題から逃げたかったわけではないだろう。強い調査権限を持つ会計検査院の調査結果がないと、内閣は行政の誤りを認められないからだ。 繰り返すが、麻生財務相が国会で再三説明したように、国有地の売却については財務省に権限があり、その範囲内で処理したものには「違法性」はない。違法性がなければ、いくら野党が追及しても、財務省は誤りを認めようがない。それ以上に踏み込んで、国有地売却の不適切さを指摘しようとするならば、第三者機関である会計検査院の調査結果を待たなければならないということになる。実際、会計検査院は国有地売却の不適切性の是正に関して、多くの実績がある。 仮に、野党の追及に耐えられず、安倍首相や麻生財務相が不適切であったことを認めたら、それは、国有地の売却の決定に政治介入できるということになり、むしろ問題が大きくなる。役所の権限で決定し、第三者のチェックを受けるというシステムのほうが、政治的な影響を受けず、オープンで公平なのだ。ここまでは、安倍政権は野党とメディアの追及にいらだちを見せながらも、まだ冷静さを保っていた。 ところが、3月23日に籠池氏への証人喚問が行われたことで、事態は一変した。証人喚問の実施をずっと否定してきた自民党が一転、実施を決めたのは、籠池氏が「安倍昭恵夫人から『安倍晋三からです』と言って、100万円の寄付を受けた」と発言したからだ。「売られたけんかは買う」とばかりに「そこまで言うなら、『偽証罪』に問われる証人喚問で白黒つけてやろう」ということだった。正直、これは余計なことだった。 籠池氏は証人喚問で、昭恵夫人が森友学園の経営する塚本幼稚園で講演会を行った際、籠池氏と2人きりの状態で「安倍晋三から」として「寄付金として、封筒に入った100万円をくださいました」と、偽証罪を恐れることなく、事前にメディアに話した通りに証言した。また、籠池氏からは、大阪府の小学校設置基準緩和について、政治家に協力を求めたとして、以前から名前が出ていた鴻池氏に加えて、東徹氏(日本維新の会)、柳本卓治氏(自民党)らを挙げた。「捨て身の転向」で繰り返された暴露 だが、証人喚問で籠池氏が証言したことは、前述の通り、運動会など学校行事に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すという「日本政治・社会の日常」の範囲を超えるものではなかった。証人喚問で明らかになったのは、その政治家の実名だけだった。しかし、政治家に役所を動かす力があったことが明らかになったわけではない。「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」という通常の陳情があっただけだ。名前が挙がった政治家も、陳情があったこと自体を否定していないし、そこに違法性はない。 結局、籠池氏が地方・国のさまざまな政治家に接触し、近畿財務局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。籠池氏が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのであり、政治家はルールに従って事務的に対応していた近畿財務局を動かすことはできなかったという、既に明らかになっていたことを超える事実は出てこなかったのだ。参院予算委員会の集中審議で、質問に答弁に立つ元近畿財務局長の武内良樹財務省国際局長(前列右)と元財務省理財局長の迫田英典国税庁長官(同左)=3月24日(斎藤良雄撮影) 一方、昭恵夫人はフェイスブック上で「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料をいただいたこともありません。私は講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません」と完全否定した。昭恵夫人の主張が事実なら、籠池氏は偽証罪に問われることになる。ただし、そもそも安倍首相が寄付金を渡すこと自体は問題ない。政治家が学校に寄付をするという行為自体は、自らの選挙区外であれば違法ではないからだ。 仮に、寄付が事実だとしても、首相のプロセスへの関与を疑うならば、それは首相が「カネをもらった」ケースだろう。今回は、首相が「カネをあげた」のであり、そこから「首相と森友学園は深い関係だ」と推測することはできても、首相の関与との因果関係の証明は極めて難しい。今回の森友学園を巡る問題の中で、これは本質的に重要な問題ではなかったはずだ。 結局、「首相が100万円を寄付した」という籠池氏の発言に対して、「売り言葉に買い言葉」的に証人喚問を実施したものの、そもそも確固たる思想信条がなく、いわばファッション的に保守陣営に加わっていただけの籠池氏は、偽証罪におびえておとなしくなるどころか、「捨て身の行動」に走ってしまった。籠池氏は、右翼から左翼にあっという間に「転向」し、森友学園問題に関して暴露を繰り返すことになった。その結果、証人喚問によって、問題の本質ではないはずの「首相の寄付」「昭恵夫人のメール」に国民の関心が過度に集中してしまうことになったのである。軽率な権力行使を露呈した安倍政権 その後、森友学園をはるかに上回る深刻な問題として、加計学園問題が明らかになり、「お友達」に便宜を図るために批判されることなった。また、首相の「お友達」のジャーナリストの犯罪をもみ消したとされる騒動の発覚や、テロ等準備罪成立のあまりの強引さなど、「首相の権力の乱用」に、国民の厳しい視線が集中することになった。籠池氏を偽証罪に訴えると脅して逆切れさせた証人喚問実施は、安倍政権にとって、取り返しのつかない判断ミスだったといえるだろう。 「首相の権力強化」は、90年代以降に取り組まれてきた政治・行政改革の成果なのだ。逆に言えば、「首相の指導力欠如」は日本政治の永遠の課題といっても過言ではないものであった。小選挙区比例代表並立制という選挙制度改革によって権力は派閥の領袖から首相に移った。内閣府の設置と省庁再編によって、官僚支配は「首相官邸主導」に変わった内閣人事局の設置によって、首相官邸は各省庁の幹部の人事権を掌握した。首相官邸に入る菅義偉官房長官=6月8日 この改革は、自民党よりも、むしろ現在の民進党幹部が民主党の若手議員だった時代に強く実現を迫ったものだった。今、安倍首相を「独裁者」と批判する彼らは、かつて英国流の二大政党制の導入を目指した。英国政治の特徴は「交代可能な独裁」であり、その肝は「政権は任期の間、独裁的に物事を決められるが、失政を犯せば選挙で交代させられる」というものだ。「安倍一強」とは、「交代可能な独裁」そのものであり、民進党がかつて実現を望んだ改革が成功したことを示しているのは、皮肉なものである。 つまり、首相の権力が強化されたことは、日本政治の長年の課題を解決したことであり、それ自体は問題がないといえる。ただし、安倍首相の権力の使い方は問題が大きいと言わざるを得ない。「友達に便宜を図るため」「官僚のプライバシーを首相の御用メディアに流させるため」「首相の友人の犯罪をもみ消すため」に権力が使われたといわれている。もちろん、その真偽はわからないのだが、安倍政権には、それが事実だと思われても仕方がない「軽率さ」がある。 本来、強力な首相の権力は、財政再建・規制緩和のような各省庁・族議員の強い抵抗が予想される政策の断行に用いられるべきであり、究極的には「有事」において、首相が指導力を発揮するためにあるはずだ。ところが、安倍政権の「軽率さ」によって、首相の権力に対する国民の支持・信頼が失われてしまうことは深刻な問題だ。 重要政策の決断や有事の際に、首相の指導力が国民に信頼されないならば、それは国益を損ねることになる。強い権力を持つからこそ、何をしてもいいのではなく、普段はその扱いには慎重になるべきだ。そうでないと、いざというときに権力を使えなくなってしまうのだ。安倍政権は都議選の惨敗を機に、権力行使のあり方を厳しく反省する必要があるだろう。

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    籠池泰典氏長男「この先、加計さんも父みたいな目に遭うはず」

     学校法人を巡る「疑惑」の渦中にいる加計学園の加計孝太郎理事長に、ぜひ“先輩”からのアドバイスを──。そう森友学園の籠池泰典・前理事長に取材を試みたところ、「父の代わりに答える」と大阪の取材会場のホテルに現われたのは長男の佳茂氏だった。「父は秋葉原で(都議選の)安倍さんの街頭演説を見に行っただけなのに、警察に両脇を抱えられて連れていかれた。それもあって今は出ないようにしています」 沈黙を守る加計理事長に対して、証人喚問にも応じた籠池前理事長としては思うところがあると言う。「学校法人の理事長という意味では同じですが、経営の規模も学校の種類も違います。決定的な違いは、加計は経営が先にあり、森友は理念が先にあること。父は小学校設立のために奔走して無理な資金繰りもやってきて、借金もかなりある。父は日本のための人材を育てる教育者だが、加計さんは金儲けをする経営者なのでしょう」家宅捜索中の籠池泰典氏の自宅前で、報道陣に囲まれ厳しい表情で話す長男の佳茂氏=6月19日、大阪府豊中市(彦野公太朗撮影) 森友学園は業務停止になり、補助金適正化法違反などの疑いで大阪地検特捜部の家宅捜索も受けた。「森友の先行きは暗いばかりですが、加計さんは日本のエスタブリッシュメントで、根っからの権力側なのでしょう。だから、今回の“躓き”があっても安泰で、だんまりを決め込むことが得策だと思っている。でも本当にやましいことがなく、教育者という自負と理念があるのなら、事実を全て国会で話したほうがいい。初めは父も大変叩かれたが、事実をすべて話したことで、今はメディアや一般の人からも応援されていますよ」 最後に、安倍首相との“お友達関係”について忠告した。「安倍さんは、父と理念でつながっていたはずなのに、いきなり手の平を返した。そういう人ですから、この先、“腹心の友”の加計さんも、父みたいな目に遭うはずですよ」関連記事■ 稲田朋美氏を籠池氏に“応援”させるという落選運動■ “総理のご意向文書”作成女性課長補佐 異動→辞職懸念する声も■ 加計学園グループの敷地内に自民党支部が存在した■ 高須院長が都議選総括「反安倍派が喜ぶのはとんだ見当違い」■ 田村英里子 伝説の「半裸カレンダー」写真リバイバル公開

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    籠池泰典氏は首相周辺の空気をうまく利用した「魔術師」か

     数年前、場の雰囲気に合わせないことを「KY(空気が読めない)」などと避難する意味をこめた言葉が流布した。そしていま再び、「忖度」という似たような言葉が脚光を浴びている。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、「空気」をうまく利用する人たちについて考えた。* * *「忖度」という言葉が、一躍脚光を浴びている。発信源はもちろん、国有地格安払い下げ問題で証人喚問された森友学園の籠池泰典理事長(当時)の発言だ。 小学校の建設のための用地として、9億5600万円の土地を、1億3400万円という破格の額で購入した。その際、安倍首相の口利きがあったかどうかを問われた籠池氏は、「忖度をしたということでしょう」と答えた。5月8日、衆院予算委員会の集中審議を傍聴する籠池泰典氏(斎藤良雄撮影) 忖度とは、「他人の心を推し量ること」という意味だ。それ自体は悪いことではない。むしろ、相手の身になって考える風潮は、日本の「おもてなし文化」などを発展させてきた。 でも、忖度も、行き過ぎると害になる。そのことは、1977年に出た山本七平の『「空気」の研究』に詳しい。山本七平は、人の意思決定に、得体の知れない「空気」というものがかかわっていると指摘している。「結論を採用する場合も、それは論理的結果としてではなく、『空気』に適合しているからである。採否は『空気』がきめる」 圧倒的に力の差があるのを理解しながら、アメリカと開戦してしまったのも「空気」だ。その結果、負け続け、艦隊や戦闘機を失い、裸になった戦艦大和を、敵機動部隊が跳梁する外海に突入させていく。それが、作戦としては考えられないと認識しながらも、「空気」に逆らえなかったというエリートたち。「空気」というあいまいなものに支配され、判断や結果に対しては、だれも責任を取らない。 ぼくたちは、いまだその「空気」に支配され続けている。見えない同調圧力のなかで、みんなが小さく縮こまってしまうことに危機感をもったぼくは、2010年『空気は読まない』(集英社)を書いた。当時、「空気が読めない人」は「KY」などと呼ばれ、のけものにされる風潮が目立った。最近は、目立つ発言をした人たちが、「不謹慎狩り」の総攻撃のやり玉にされている。やっていることは、相変わらずだ。 森友学園の国有地払い下げが、籠池氏の言うように「忖度」でなされたのだとしたら、氏は、安倍首相周辺の「空気」をうまく利用した「空気の魔術師」だ。財務省までが、土地払い下げの経緯を示す「資料はない」と言っている。与党にも「ダメといえる」勇気を アメリカは、トランプ大統領就任以来、突風が吹き荒れている。だが、トランプ大統領の方針は、良識によって次々と覆されている。 オバマケアを廃案にし、新制度に置き換える法案を出したが、共和党内に異論が出て、法案を取り下げた。「空気」に流されない人たちがいるのだ。敗北を喫したトランプ大統領は、ツイッターに「オバマケアは破裂するだろう。国民のためのすばらしい医療保険制度案をつくるため、われわれは結束していく。心配は無用だ」と悔しい投稿をした。 イスラム系7か国の一時入国禁止を命じた大統領令に対しても、司法省のトップが異を唱えた。このトップはクビになったが、それでも勇気をもって、おかしいことにはおかしいと言える人間がいることが大事だ。その後、イラクを除いたイスラム系6か国を一時入国禁止とする新大統領令が出たが、再び、ハワイ州のホノルル連邦地裁は発効の一時差し止めを命じる仮処分を出した。 山本七平は、その場を支配する「空気」に、「水を差す」ことの重要性も訴えているが、アメリカではこの「水を差す」という機能がうまく働いている。 森友学園では、幼稚園の子どもたちに教育勅語を朗誦させるエキセントリックな教育方針でも、注目された。教育勅語とは、緊急事態の場合、皇国のために奉仕するというものだった。それを子どもたちに唱和させている大人の意図とは何だろうか。 安倍内閣が、教育勅語について、憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用を認める閣議決定をした。閣僚が、教育勅語を肯定しはじめるこの動きは、いったい何なのだろうか。 この国の「空気」は、おかしな方向に行こうとしている。一強になった首相の思いを、みんなが読み合っている。自分がいい思いをするために、より激しく右へ動く競争をはじめたように思えてならない。志の高いホンモノの保守に、ニセモノの保守を駆逐してもらいたいものだ。 この流れを止めるために、ダメなものはダメと言える勇気が、与党のなかにもっとあっていいはず。 ぼくたち国民も、マスコミも、顰蹙を買ってでも、自由に発言することを忘れてはならない。少なくとも、明るみに出た問題は、忖度せず、きちんと事実を解明してもらいたいものだ。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『遊行を生きる』『検査なんか嫌いだ』。関連記事■ 激ヤセのクリントン氏 1回数千万円の講演料で年収10億以上■ 【ジョーク】イラン大統領「オバマ無能」への対立候補の反応■ 【ジョーク】ヒラリー・クリントン氏が大統領目指すのはなぜ?■ 「徳川家康は教育パパだった」等歴史上人物の逸話満載した本■ 【ジョーク】オバマ米大統領とプーチン・ロシア大統領の違い

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    「加計ありき」で発狂するワイドショーの安倍叩きがヒドすぎる

    惑があるという。 では、どんな具体的な「疑惑」なのだろうか? そしてそれは違法性があったり、あるいは政治的、道義的責任を発生させる「問題」なのだろうか? 具体的ならば一言で表現できるはずである。だが、繰り返されるのは「加計ありき」というおうむ返しと、なんの実体も伴わない「疑惑」のバーゲンセールである。 「疑惑」を持つことは結構である。実際に政府にはさまざまな権力が集中していて、それをチェックするのは政治家やメディア、そしてなによりも私たち国民の責務である。だが、その「疑惑」は少なくともある程度の具体性を持たなければならない。7月24日、衆院予算委の集中審議で、答弁に立つ和泉洋人首相補佐官(左)と前川喜平前文部科学事務次官(斎藤良雄撮影) 例えば、「総理のご意向」を書かれた文部科学省の内部メモである。出所がいまだにはっきりしないこの内部メモには、和泉洋人首相補佐官から「総理の口から言えないから」としてスピード感を持って取り組むように、と前川喜平前文科事務次官に伝えたとある。どうも「総理の口から言えないから」の存否が論点らしい。前川氏はそのような発言があったとする一方、他方で和泉氏は否定している。 しかしそもそもこの文言があったとして、何か重大な法律違反や不公平な審議が国家戦略特区諮問会議の中で起こったのであろうか。むしろ規制緩和のスピードを速めることは、国家戦略特区のあり方でいえば正しい。ましてやその内部メモには、加計学園に決めよ、という誘導を示すものは何もない。だが、多くの報道は、なぜかこの点を飛び越えてしまい、「加計ありき」のシナリオとして読み込んでいる。「ありき」論者たちの思い込みである。 ちなみにこの内部メモが作成された段階では、京都産業大も候補として残っていたのだから、「京産大ありき」や「加計も京産大もありき」の可能性さえも、「ありき」論者たちの読み込みに付き合えばありえるだろう。だが、もちろん「ありき」論者たちは、加計学園の加計孝太郎理事長が安倍首相の「お友達」なので、「加計ありき」だと証拠も論理的根拠さえもなく、断定するわけである。およそ良識外だ。ニュースの消費は「娯楽の消費」 連日のように新聞やワイドショーなどのテレビ番組が、このような実体のおよそ考えられない良識外の「疑惑」を2カ月にわたり流し続けてきた。他にもさまざまな要因があるだろうが、安倍政権の支持率はがた落ちである。ワイドショーなど既存メディアの権力の強さを改めて実感している。7月25日、参院予算の集中審議で、民進党・蓮舫代表(右下)の質問に答弁する安倍晋三首相(川口良介撮影) 加計学園「問題」の真偽については、筆者も以前この論説などで書いた。また当サイトでも他の論者たちが実証的に議論しているだろう。ここでは、主に森友学園「問題」や加計学園「問題」などで明らかになってきた、ワイドショーなどマスメディアの報道の経済学について簡単に解説しておきたい。 経済学者でハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ジェンセン教授が、1976年に発表した「報道の経済学に向けて」という野心的な論文がある。通常の経済理論では、財やサービスに対する消費者の好み自体には無関心である。ある特定の好みを前提にして、単に価格の高低にしたがって需要と供給が一致することで現実の取引が決まると考える。だが報道の経済では、ニュースという「財」そのものが消費者の好みを作り出すことに特徴がある。ここでいうニュースは、政治、経済、芸能などの中身を問わない多様なメディアが提供する広告宣伝以外のサービス総体を指す。 ジェンセン氏は、ニュースの消費は、「情報」の獲得よりも、エンターテインメント(娯楽)の消費であると喝破する。つまりテレビなどの「報道」は、ディズニーランドで遊ぶことや、または映画や音楽鑑賞、アイドルのライブで沸き立つことと同じだということだ。これは慧眼(けいがん)だろう。日本のようにワイドショー的な「報道」方法が主流ではなおさらのことだ。 ジェンセン氏は、この報道=娯楽、という視点から、どんなニュースが消費者の好みを作り出し、また消費者は実際にそれを好むかを主に3点から解説している。1 「あいまいさへの不寛容」…ニュースがもたらす「疑問」「問題」よりも、単純明快な「解答」をニュースの視聴者は求める。証拠と矛盾していても、また複雑な問題であっても、単純明快な「答え」が好まれる。ニュースの消費者の多くは、科学的な方法を学ぶことにメリットを見いだしていない。つまり学ぶことのコストの方が便益よりも大きいと感じているのだ。そのためニュースの消費は、いきおい、感情的なもの、ロマンチシズム、宗教的信条などが中核を占める。単純明快な二元論を好む消費者2 「悪魔理論」…単純明快な二元論を好む。善(天使)VS悪(悪魔)の二項対立で考える傾向が強い。極端なものと極端なものを組み合わせて論じる報道が大好きである。特に政府は「悪魔」になりやすく、政府のやることはすべて失敗が運命づけられているような報道を好む。まさにいまの「学園シリーズ」の報道はこの図式にあてはまる。「天使」は前川喜平氏なのだろうか。「悪魔」は安倍首相であることは間違いないだろう。その友人や知人は「悪魔」の一族なのだろうか。 また対立する意見や見解を明らかにするよりも、「人間」そのものやゴシップを好む。それが「面白い」娯楽になるからで、それ以外の理由などない。戦前も朝日や毎日などの大新聞は、政治家や著名人のスキャンダルを虚実ないまぜにして取り上げては、政権批判につなげていた。このような悪しき人物評論については、戦前もかなり批判があった。政策の議論よりも政治家の「人間性」という実体のわからないものに国民の関心が向き、それで政策の評価がなおざりになるのである。3 「反市場的バイアス」…市場的価値への嫌悪をニュースの消費者は持ちやすい。例えば規制緩和や自由貿易への否定的感情がどの国も強い。例えば、今回の加計学園「問題」は、規制緩和が敵役になっているといっていい。規制緩和は、国民全体の経済的厚生を改善するのだが、それよりも規制緩和は、むしろ国民の利害を損なうものとしてニュースの消費者から捉えられるという。今回も既得権側の日本獣医師会や、また文科省などの官僚組織、そしてそれを支援する政治家たちの方が、安倍政権の批判者たちには人気のようである。 ジェンセン氏の報道の経済学はいまの日本の政治状況、そして報道のあり方を考える上で示唆的である。しかし、いまの日本の報道が、もし真実よりも「娯楽」の提供を中心にするものだったとしたらどんなことがいえるのか。その答えは簡単である。現在、新聞やテレビなどの企業群が、報道の「公正中立」などを担保として持つさまざまな特権が、国民にとってアンフェアなものだということだ。 さまざまな遊園地や映画館、そしてアイドルたちも政府から優遇的な規制を受けてはいない。それと同じように、日本の報道機関は、いまのような「娯楽」中心の報道を重ねるかぎり、政府からのさまざまな優遇措置を保証する国民が納得する根拠はない。軽減税率の適用除外、再販売価格維持の見直し、記者クラブ廃止、新聞とテレビのクロスオーナーシップ禁止、新聞社の株式売買自由化などが検討されるべきだ。今回の新聞やワイドショーなどテレビの「学園シリーズ」をめぐる報道は、日本の報道のあり方を再考するまたとない機会になっている。

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    鈴木涼美が読み解く「オトコとしての安倍晋三論」

    翌日、世の女性たちはリベラルな都会人としての立場も忘れてその凛々(りり)しい姿に見ほれた。 そもそも政治家を好きだ嫌いだと言うとき人は必ずしも政策や思想では判断しないし、歴代首相が全て「異性」となる女性目線では、政策より性格、さらには見栄えなどが関係してくるのは当然だろう。「男として」魅力を感じれば、結構細かい政策の不一致などは目に入らない。しかし、そういった点で安倍首相は女性に好かれる要素がないかというと、それは結構疑問で、むしろ各国の、あるいは日本の歴代首脳を見比べて、割といい線いってるといえなくもない。 オバマ元米大統領やブレア元首相、あるいは亡くなった中川昭一元財務相に比べるとややフォトジェニックさに欠けるような気もするが、安倍首相と石破茂氏であれば首相の方がタイプ、という女性が多くてもおかしくないし、髪形だって某米大統領よりはずっとマシだ(ちなみにトランプ大統領も女性からの支持は男性からの支持に比べて少ない)。そもそも女性は故・宮沢喜一元首相のようなおじいちゃんよりは、若々しい政治家が好きである。 また、性格的な面でも、男性にモテる男性というのはポイントが高い。あれだけ政治家に好かれる政治家であれば性格もものすごく悪い印象は受けないだろうし、橋下徹氏的な「頭はいいけど若干いやなやつ」というイメージもない。笑顔のチャーミングさは米国の田舎のおばさまたちが大変気に入っていたブッシュ元米大統領にも引けを取らない。 さて、しかし、安倍首相、ひいては安倍政権に向けられる女性の評価は辛辣(しんらつ)だ。ポイントとしてはこれは2012年以降、つまり再登板後に特に顕著に見られる傾向だということだ。小泉政権下の官房長官時代は小泉人気も手伝って、黄色い声が上がるほどであったし、あるいは2006年に戦後最年少で首相となった頃は、若きトップ誕生に女性も割と沸いていた。その後度重なる閣僚の不祥事などを経て、07年の参院選では歴史的大敗を喫すのだが、その辺りは男女関係なく支持率は下がっていたので、女性人気がどうという話とはあまり関係がない。すぐに退陣せずに粘ったものの、下痢が止まらず結局辞任。塩爺(塩川正十郎)も中途半端に放り出した、とかなり心象が悪かったイメージだ。この辺りもあまり男女は関係なさそうである。安倍首相の女性不人気は2012年にも 私がはじめに男女の意見に温度差を感じたのは、12年の自民党総裁選の頃である。当時、地味だけど誰にも嫌われていなかった感のある谷垣禎一総裁に続く総裁の座を狙って出馬した面々は知名度も高くキャラも濃かったため、誰になってほしいか、という話題はかなり意見の分かれるところであった。町村信孝氏、石破茂氏、石原伸晃氏、林芳正氏、そして現在の安倍首相とそれぞれが人気を分けており、選挙自体ももつれ込んだのは覚えている方も多いだろう。自民党総裁選後の両院議員総会(左から)林芳正氏、町村信孝氏、谷垣禎一氏、安倍晋三氏、石破茂氏、石原伸晃氏=2012年9月26日、東京(大西史朗撮影) 当時、私は新聞社で記者として働いており、ちょうど選挙班で主に同月の衆院選の候補者名簿を作ったり世論調査のページづくりを手伝ったりしていたので、当然総裁選もかなり真剣に見ざるを得ない立場であった。そんな経緯もあり雑談レベルでもかなり「やっぱり頭いい人がいいよね、石破さんがいい」とか「石原さんの人脈は絶対必要」とかいう会話を聞いたのだが、その中で、男性には一定程度「安倍さんの再就任を期待している」という意見があったのに対し、女性からそのような声は上がらなかった。 「女性は安倍に厳しい」。これは何も私の個人的な知人間だけではなく、当時比較的よくささやかれていた通説であった。気になってもう少し取材してみたところ、女性は安倍支持が少ないどころか、「安倍さんにだけはなってほしくない」と積極的に批判する声すら上がっている。理由は大体三つに分かれていた。 第一に、当時、自らが所属していた清和会の会長であった町村信孝氏が出馬への意欲をすでに明らかにしていたにも関わらず、派閥のドンの顔を立てずに自分が立候補したこと。これは森喜一氏や町村氏本人から立候補を自重するようにとの要請があったにも関わらず、その意見をくまずに出馬したため、当時かなり報道された話である。ここに一部の女性は、「自分勝手」で「上の顔を立てない」「恩知らず」な「出たがり」と悪い印象を持ったらしい。 第二に、第一次安倍内閣が、結局は小泉前首相の人気にあやかっただけの、空虚なものであったという批判。確かに第一次安倍内閣の印象として、「美しい国」の礎をつくったとか中韓との関係を改善したとか思っている人は少なく、どちらかというと疑惑でつるし上げられていた農水相が自殺したとか、税制会長が愛人問題で辞任したとかいう方が印象は強い。元気な頃の安倍首相のイメージは小泉首相と二人三脚していた官房長官時代を想起する女性も多く、「トップには向かないのでは」という声は実際に聞かれた。「男らしくない」退陣が未だに許せない 第三に、これが圧倒的に存在感を持っていた意見だが、「あんなみっともない辞め方をして、よく堂々と出てきた」という、失脚時の悪い印象を語るものである。男性からは、どちらかというと「よく復活した」とねぎらうような声を聞くこともあったのだが、女性は「退陣を促されても政権にしがみつき、揚げ句の果てに結局ほうり投げたくせに」とかなり恨みがましく思っている人も多かったようで、選挙班の上司などは「女の人って一回失敗した人に厳しいよね」「もう一度チャンスをっていう人を応援しないよね」などともらしていたのを覚えている。 ただ、別に女性が一度辞めた人に再挑戦の機会を与えたがらないか、というとそんなことはないと私には感じられる。別に鈴木宗男氏の現在の支持者が男性だけに偏っているようにも思えないし、マッキーやホリエモンや小室哲哉の復活を心待ちにしていた女性も多い。また、女性は必ずしも失脚した人間に冷たいわけでもないような気がする。むしろ同性間と違って根底にライバル視する気持ちが少ないため、ザマミロというより同情の方が先にくる。それこそ自殺した松岡利勝元農水相は、女性からも気の毒だという声が多かったように思う。2007年、就任から1年足らずで辞任。目に涙をためて会見する安倍晋三首相=9月12日(宮川浩和撮影) おそらく、政治戦争に負けた、とか、身内の裏切りにあった、あるいは男らしく責任をとった、という、男社会の荒波のはざまに消えていったものに対しては敬意があっても、安倍首相の退陣は許せない、という微妙さがそこにある。選挙で大敗したのに首相の座にしがみついていたのは「男らしくない」。病気は気の毒でも、リーダーとしてひどい顔色になっていって「頼りない」。体調を理由に、かなりボロボロの政権をほっぽり出して「卑怯(ひきょう)だ」。批判されて心身ともにげっそりしていった姿は「打たれ弱い」。なのに、けろっと元気になって、派閥の会長まで押しのけて出馬するなんて「ずうずうしい」。 引き際の美学、というと男の美学であると思っている人も多かろうが、実際のところ、女性の方が引き際の潔さを愛し、情けなさや弱々しさには厳しいようだ。そして私たち女性特有の割とねちっこい性格からか、一度ついたそのイメージを払拭するほどの力を発揮できていないのか、その頃の嫌悪感を持ち続けている有権者は結構いるのではないかと私は思っている。逆境で弱々しく退いた男が、虚勢を張っているのを見ると、そうそう支持する気にはならないんじゃないか。

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    女性活躍どころか「バカをかばう」安倍首相、女の恨みは恐いですよ

    グダグダしています。安倍さんは「圧力なんかない」と言い張っていますが、ちゃんと説明をしていません。 政治家だったら「口利き」やってんだろというのが世間の認識ですが、それが度を越してしまい、大金が動くとなると、多少はお目こぼしをしていた庶民も激怒するというものです。 なんとなく誠実そうな男に見えた安倍さんも、やっぱりその辺の脂ぎった悪徳政治家と同じじゃないの、ちょっと駅までの土地を安くゲットしたって噂のPTA会長と変わんないじゃん、と女は激怒しているのです。民進党の辻元清美氏の質問に対し、稲田朋美防衛相(奥)に代わって答弁する安倍晋三首相=2017年2月14日(斎藤良雄撮影) 女は嘘をつく人間が嫌いです。背広のポケットにクラブのママの名刺が入っていたのに、行ってないと言い張る夫の不誠実さを思いだして、怒りが爆発です。安倍さんは夫ではありませんが、自分と子供が住む土地の運命を握っているわけですから、ウソつき夫のように感じて怒りがマックスです。 安倍政権は女性活躍政策を打ち出してきましたが、大風呂敷を広げるものの、具体的な施策が実行されるわけでも予算がつくわけでもなく、当事者の女性の生活は楽になるどころか苦しくなる一方です。 介護保険は要支援1、2の高齢者には適用されなくなり、介護の負担は女性に回ります。要介護の人の自己負担率も上昇。わが家も老親が要介護ですから、この削減はかなり痛いです。 年金も徐々に減っています。もともと年金が少ない人が多い女性には数千円の削減でも大打撃であります。私の老親およびその周辺でも怒りの声が挙がっています。稲田大臣「好きな服も着られない…」 待機児童をゼロにするという掛け声はむなしく、相変わらず保育所は増えませんし、保育所の費用やベビーシッターの費用を税控除するなんて声はでてきません。女性雇用を増やすと大風呂敷を広げてみたものの、増えているのは非正規雇用ばかり。女性管理職を増やしますといっても、企業の自助努力に委ねている状態で、罰則も何もできたわけではありません。 その一方で公共事業や軍事には予算がついているわけで、これでは女性が怒らないほうがおかしい。 さらに女性の怒りをかってしまっているのが、安倍さん周辺の女性がアホだらけであることです。女性の地位を高めるどころか、世間様に女はバカだと宣伝するような状況です。 その一人は稲田朋美防衛相であります。 フツーの女には届かなかった世界にいる人だからこそ、立派な人格と振る舞いをもって、世の中の男に女の力を見せつけてほしいと真に願う女は多いのです。 ところが稲田防衛大臣は、その経歴とは正反対の、みっともない行動や発言が目立ちます。 自衛隊の行事や視察にはまるで軽井沢に行くような格好で現れ、公式な場では田舎の高校生のような服で登場、舌っ足らずで60近い人間とは思えない話し方であります。 東京都議選の応援演説では法律違反をするわ、「アジア安全保障会議」では、公の場で自分を含む防衛大臣は美人ばかりというトンデモ発言をして世界をドン引きさせるわ、森友学園の代理人弁護士だったのに、依頼を受けたことがないとウソを繰り返す始末。南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に参加した陸上自衛隊の日報の隠蔽疑惑まで浮上してしまいます。 さらに最近放送された日本テレビ系の「バンキシャ!」という番組では「昔のように自由な発言もできないし、好きな服も着られない。とても苦しい…」「服もメガネも黒中心でなるべく地味に、地味に」という、親しい知人に漏らした本音というのが紹介されていましたが、九州豪雨の最中に何をいっているのでしょうか?記者会見で渋い表情を浮かべる稲田朋美防衛相=6月30日、防衛省 防衛大臣とは国の運命を左右する要職なのですから、嫌ならスパッとやめればよろしい。自衛隊員というのは死ぬ覚悟をした人たちでありますが、そのトップがワガママな大学生のような意識だというのはどういうことでしょうか? 私の身内は帝国海軍と防衛庁の人間でありましたので、中の人々の覚悟というのはよくわかります。こんな人が社長では塹壕(ざんごう)掘るのがバカらしくなります。 コマッタさんをいつまでたってもクビにしない安倍さんは、お友達ばかり優先して女の地位を辱める敵だと思われて当たり前です。 奥様の昭恵さんも、首相夫人という立場にも関わらず、森友学園では発言がメチャクチャ、立場にふさわしくない会合に出かけたり、意味不明な左翼系の人々と交流するなど、何も考えていないんだろうなという行動が目立ちます。SNSでも意味不明な 「いいね!」ボタンを押すわ。ほんとに大丈夫なんでしょうか? 何も考えてない人に国政を引っかき回されてはたまりませんし、奥様に注意すらできない安倍さんってどうなの、と思われても仕方ありません。 安倍さん、政権を延命させたいなら、いますぐ介護保険を改良し、保育所を増やし、バカな大臣をクビにし、奥様に注意してくださいませ。 女の恨みは思った以上に怖いのでございますよ。

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    「女難の安倍内閣」最大の鬼門は他ならぬ昭恵夫人だった

    性閣僚としては稲田の他には代表するところ、総務大臣の高市早苗である。高市は、2016年2月、放送局が政治的公正さを欠く報道をした場合の、電波停止の可能性に言及。既存マスメディアから一斉に「報道の自由への侵害ではないか」と反発が起こった。 高市の発言は放送法第四条などを根拠としたものであったが、元来放送法の立法趣旨は戦時体制下において、本来権力者の批判・監視を行うべきメディアが大本営発表をそのまま垂れ流して戦時宣伝に加担した反省の意味から、メディアを政治権力から遠ざけ、政治的中立性・公平性を目指したものである。 高市の発言は、「政府(自民党)を批判するメディアは懲罰する」と解釈しかねないニュアンスを含んでおり、結果としてこの高市発言は米国務省の人権報告書により「報道の自由を侵害する恐れ」の一端として指摘されるまでにいたった。むろん、アメリカ国務省に言われたからどうだという訳ではないが、国際的にみて高市発言は日本における「報道の自由」に対するイメージを毀損しかねない発言であったとみるべきであろう。稲田ほどではないにせよ、高市も安倍内閣の鬼門の一つである。 さらに最大の鬼門は、公人ではない(ということになっている)、安倍総理大臣夫人、安倍昭恵その人である。昭恵夫人は自民党の政策と悉く反対の立場の民間活動を推進。脱原発運動家でミュージシャンの三宅洋平とも対等に交友するその姿は、良い意味でも悪い意味でも世間を騒がせた。首相公邸の中庭に設置したミツバチの巣箱から蜂蜜を初収穫した昭恵夫人= 2015年9月(酒巻俊介撮影) もっとも驚愕(きょうがく)だったのが、安倍昭恵夫人による「大麻解禁論」である。大麻特区として指定された鳥取県の某町の許可大麻畑にて、笑顔で「大麻解禁」を訴える昭恵夫人のスマイルは、微笑みを通り越して多くの有権者にとって異様なものに映った。 事実、同県の大麻特区で「大麻で町おこし」を掲げていた会社社長が逮捕されたことをきっかけに、大麻特区なるもの自体の期待論も急速にしぼんだ。にもかかわらず昭恵夫人は、「日本古来の精神性は大麻と結びついている」などとトンデモ・オカルト的大麻容認論、解禁論を繰り返すばかり。某女性週刊誌によると、安倍首相の親族から「これ以上大麻解禁を繰り返すのなら最悪、(安倍首相との)離婚もありうる」と忠言されたというが、彼女は聞く耳を持たなかったともいう。元凶は昭恵夫人 第一安倍内閣が倒れて以降、急速に「自分探し」に躍起となり大学院にまで通った昭恵夫人。それでも飽き足らず、山口県の有機野菜を使った自身経営の小料理屋を開店するなど、およそ良く言えば自由奔放・豪放磊落(ごうほうらいらく)、悪く言えば「意識高い系的奇行」を繰り返す昭恵夫人の墓穴の集大成が、安直に森友学園が設置予定であった大阪府の私立小学校の名誉校長の職を引き受けたことである。 世間を騒がせた森友学園疑惑は、いち大阪のネット右翼的傾向を色濃く持つ小ブルジョワ・籠池某による大阪ローカルの問題でしかなかった。が、それが一直線に安倍首相にまでその疑惑の矛先が向けられたのは、ほぼすべて昭恵夫人による名誉校長就任に端を発する。 もし、昭恵夫人が森友学園の森友校長を引き受けなかったら、かの疑惑はとっくに大阪ローカルの話題として消費され、終わっていた。すべての因は昭恵夫人の軽佻浮薄(けいちょうふはく)な自己顕示欲、承認欲求が根本にあると断罪してよい。 森友問題の後、つづけて沸騰した加計学園の疑惑についても、昭恵夫人の関与は欠かせない。2015年末、加計学園の加計孝太郎氏と安倍首相らによる飲み会の様子を「クリスマスイブ 男たちの悪巧み(?)」と称して喜々としてフェイスブックに投稿していたのである。安倍昭恵夫人 当然、この投稿には悪意など無いのであろう。単に夫の交友関係を広く衆目に知らしめたかったのであろう。しかし、その根底は、フェイスブックという承認多寡の世界で、どこの誰とも知れぬ人間から無数の「いいね」が押されることを期待しての行為である。 昭恵夫人の自著などを読むに、彼女は自身へのネット上の反応を常にエゴサーチして毎日のように一喜一憂していたという。端的に言えば自己顕示と承認欲求に飢えた「意識高い系」の一人なのだが、昭恵夫人の度重なるこのような軽佻浮薄の行為が、「安倍内閣の女性閣僚やその周辺の女性」の軽薄さ・素人加減を際立たせるのに一役も二役も買っている。これで、女性からの支持を得ようということなど、土台不可能であろう。 また、大臣ではないが頓狂(とんきょう)な女性議員の存在も耳目を集めることになった。埼玉選挙区から当選した自民党の豊田真由子議員である。自身の秘書に暴行、暴言を吐いた録音が公開され、一挙に悪い意味で「全国区」の代議士となった。すでに自民党に離党届が出されているが、経歴だけをみればエリート女性代議士の、議員はもとより、人としての人格を疑うような暴言の数々は、確実に自民党支持と女性離れを加速させた。いや、この問題に限っては相当の男性有権者もあらゆる意味で「恐怖」を感じたに違いないのである。「輝くに値しない」女性登用で墓穴 加えての痛打は、「安倍総理に最も近い」として連日メディアに引っ張りだこであったジャーナリスト・山口敬之氏の婦女準強姦疑惑(不起訴)が週刊誌で一斉に報じられ、被害者とされる女性が顔出しでその不起訴の不可解さを訴え、事の顛末が検察審査会で審議されるようになった一連の事象である。元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏に酒を飲まされ乱暴されたとして、会見する詩織さん(中央)=2017年5月 私個人的には、山口氏のくだんの疑惑についての白黒の判断はでき兼ねるし、それは最終的に司法の領分なのでコメントできないが、くだんの疑惑が週刊誌で報道されるや、一切メディアに登場しなくなった山口氏が強烈な安倍擁護の論客であったことは間違いのない事実であり、安倍首相との関係があるやなしやに関わらず、婦女準強姦疑惑が少なくとも安倍首相の強力な擁護者のひとりから発生するということ自体、ますます女性支持者からの支持獲得は難しくなったであろう。 この件がシロと断定されても、いったん持ち上がった性犯罪への嫌疑は、法がシロとしても心情がシロにしない。この点は安倍首相や山口氏に対してややアンフェアーな気がするが、ともあれ各種事情を総覧しても、安倍内閣の「女性離れ」には、こうして積み重なってきた「内閣の内外」での女性に関する問題が積み重なった結果であろう。 聡明で優秀な女性は、世の中に幾らでもいる。また、と同時に聡明で優秀なファーストレディーや議員も、世の中にいくらでもいる。女性関係に潔癖なジャーナリストもまた然りである。しかし、安倍内閣はまるで「わざと」「あえて」そうしているかのように、明らかに政治家としての基礎的素養や素養のない人物を抜擢し続け、そして明らかにファーストレディーとしてふさわしくない女性を野放図にコントロールできないでいる。 「女性が輝く」と謳(うた)っておきながら、「輝くに値しない」女性が下駄を履かされて偽りの光をはなっている状況に、世の才女たちはだんだんとこの政権から距離を取り始めているのではないか。そんな気がしてならない。 内閣改造での人事刷新や「不良女性代議士」の次期選挙での公認取り消し、「閣外」での女性問題の清算など、スローガンに反して次々と女性に関連した醜聞に彩られる安倍内閣の解決すべき課題はあまりにも多い。

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    なぜ安倍総理はオンナに嫌われるのか

    安倍内閣の支持率低下が止まらない。学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、安倍首相は衆院予算委の閉会中審査で「真摯に受け止める」と答弁した。世論の「安倍離れ」で特に顕著なのが女性の支持急落。個別の政策ではなく、「人間的に信頼できない」との理由が最も大きいらしい。なぜ安倍首相はオンナに嫌われるのか。

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    稲田朋美を偏愛する安倍首相なんか見たくなかった

    倍首相の恣意(しい)的解釈をむりやり押し通して安全保障関連法案を成立させ、さらに特定秘密保護法という政治情報に関する情報公開の原則に真っ向から反対する法案を成立させ、あまつさえ、犯罪を共謀することだけで、実行が伴わなくても逮捕できるとする「共謀罪」法案を名前を変えるというあざとい方法で成立させてしまった。 自民党は日本を戦前型の国民総監視社会へ押し戻すことに大きく成果をあげた。安倍政権を支えたのは、選挙を通して安倍総裁を頂く自民党を支持した多数の国民であり、そのことに私は大いに危機感を抱いていたが、この7月2日の都議選で自民党は改選前57議席が23に激減すると言う結果になって、磐石だった安倍政権が大きく揺らぐことになった。 安倍政権に対して明確にNOという主権者が増えてきた結果であり、この原因を考えると、時間はかかったけれども、安倍政治に不信感を抱いたり、危険視する人が男女を問わず増え、それが投票に結びついた。 また、安倍政権の施策とは別問題として、安倍内閣の法務大臣、総務大臣、防衛大臣、副総理、また自民党の国会議員たちによる、拙劣かつ非常識で高度な政治的見識のかけらもない様子もまた、自由民主党の劣化を印象付け、これも今回の都議選に男女の性差に関係なく影響を与えたと思う。 さらに、森友学園問題や加計学園問題など、身内であるはずの文部科学省の前川喜平・前事務次官から安倍首相側からの圧力の内情を暴露され、さらに続々と安倍首相に不利な傍証(ぼうしょう)が露呈してもなお、ひとかけらの反省の色を示さなかったことは、嫌悪感情を抱かせるに十分であった。                                都議選の大敗について語る安倍晋三首相=7月3日、首相官邸 今回の都議選の結果に対して、上記の理由のほかに、特に女性の支持率が下がったことが指摘されている。7月8日と9日に行われた朝日新聞の全国世論調査(電話)によると安倍内閣の支持率は33%で前回の調査の38%から1週間で5%も下がり、第2次安倍内閣発足以来最低の支持率になった。不支持率は47%で、特に女性の支持率は27%になり、かつての60%以上の支持率を半減させてしまった。 この世論調査のように、なぜ女性が自民党を支持しなくなったのか、その理由について明確に指摘できる点が二つある。 一つは安倍チルドレンの豊田真由子衆院議員の秘書に対する絶叫暴行事件がある。録音された豊田議員の罵声は都議選中にメデイアを通して何回も繰り返された。豊田議員の発言に政治的なことは一切ないが、これほどストレートに人の心に食い込む言動はなく、あの罵声を聞いた人は理屈抜きで豊田議員を軽蔑しただろう。なぜ稲田朋美を偏愛するのか もう一つの理由は稲田朋美防衛大臣の発言だ。 豊田議員以上に今回の都議選に深刻な影響を与えたのは、なんと言っても稲田防衛大臣だろう。稲田氏はこれまで多くの致命的な間違いを何度もくりかえしてきた。例えば、最近では、森友学園事件は全く関係ないと言い逃れ、後で訂正。PKOに関する報告書はないと発言し、これも後になって存在したと訂正する。さらに、これまでも「国民の生活が大事だなんて政治は間違っている」「国のために命を賭けるものだけに選挙権を」「『戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教行事だ』が考えの根本』」といった驚くような発言を繰り返している。 決定的だったのが、稲田大臣が都議選での自民党候補の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」と訴えたことだ。これはどう見ても防衛省、自衛隊を自由民主党の私兵とする意見で憲法違反になる。 この時点で、安倍首相は速やかに稲田氏の解任を即断速攻すれば、今回の都議選や、支持率の急落は避けられたかもしれない。このように考えるのは、私だけでなく、政治に少しでも関心があれば考えるはずで、当然、安倍首相だって稲田大臣のクビを切らなければならないことは分かっていたはずだ。そのリスクを超越して安倍総理が稲田大臣をしてクビを切れなかったのはそれ相当の理由があるはずだ。 それではなぜ、稲田氏は防衛大臣のままで居続けることができたのか。任期途中で、クビを切られた大臣は、一人や二人ではないのに、なぜ稲田氏は防衛大臣のまま存在し続けることができるのか。それは安倍首相以外誰も分からない。 稲田大臣が超右翼的な政治信条を有する点において、安倍首相はある意味で自分を見るような気持ちで稲田大臣を見ていたのではないかとも思うのだが、だからといって、稲田大臣を日本初の女性総理大臣にふさわしいと思うのは安倍首相の恣意(しい)、勝手な思い込みであって、そんな個人的な思いで日本政治を仕切られては、たまったものではない。安倍首相だけが稲田大臣を偏愛し、えこひいきしているように見えてしまう。安倍首相という男性と稲田朋美防衛大臣という女性の間に、理屈では説明のできないただならぬものを感じ、不審に思う女性は多いのではないか、と思うのだ。 防衛省で栄誉礼を受ける安倍首相(左)と稲田防衛相 =2016年9月 安倍首相は男女共同参加型社会を提唱して閣僚にも女性を登用してきた。もちろん安倍首相のほかの政策、ふるさと創生も安全保障政策も財政再建もインフレ策も何もかも行き詰まり、成果があげられていないのと同じように、この男女共同参画社会の提唱も成果をあげないどころか、最悪の事態を招いている。女性を閣僚として採用してきたことは、男女不平等問題に不満やいらだちを感じている女性たちを十分には満足はさせなくとも、スタート時にはいささか期待を抱かせたはずだ。                             しかし、そのはかない期待をこともあろうに安倍首相が自ら採用した女性閣僚、あるいは自民党が公募して採用した女性議員によって、女性を採用することが逆効果になってしまうという皮肉な結果を招いてしまった。安倍首相は女性を評価していると思い込んで支持した女性こそ、完全に裏切られたはずで、彼女たちは今回の件で自民党から心は離れたはずだ。男たちに足りない能力を持っているにもかかわらず、自分たちは不当な扱いをされていると感じる女性たち、そしてもとより安倍政治ではダメだと思っていた女性たちにとって、救いになったのが小池百合子都知事が率いる都民ファーストの会である。 女性たちがよりどころとして小池百合子を求めたことは、容易に理解できる。安倍首相がダメだからといっても、もしその人たちにとって、頼れる他のリーダーがなければ、安倍首相を見放した人々の票は分散してしまい、その声は目立たず雲散霧消してしまっただろう。

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    安倍内閣を「危険水域」のどん底まで叩き落とした3人のオンナ

    支持率回復は難しい さらに昨年登場した東京都の小池百合子知事は、こうした女性の支持を集めるのに最適な政治家であったといえる。都議選で「守旧派」といえる都議会自民党を敵に回したこともあり、安倍首相と小池知事の比較では、女性活躍の期待感は小池知事のほうが高い。これらが総合的に女性の支持を失ったのではなかろうか。東京五輪・パラリンピック費用負担問題で安倍晋三首相(右)との会談に臨む東京都の小池百合子知事=5月11日、首相官邸(斎藤良雄撮影) したがって、8月に予定されている内閣改造で支持率を回復することは難しいのではなかろうか。女性を登用すればいいというほど簡単なものではないだろう。女性の政治参加も増えていることを考えると、当たり前のことではあるが、女性の登用や要職就任の数値設定ではなく、1億総活躍社会のあり方を根本的に考えなくてはならない。たとえば、待機児童の問題も、その大きな要因となるだろう。国全体として考える発想を持たないことには解決は程遠いように感じる。 もちろん女性に限らず、男性からの支持も離れているため、より大きな問題点もあると考えざるを得ない。例えば、加計問題や防衛省の日報問題などに関して中堅官僚と思われるリークも気になるところである。「官高政低」といわれた状況を打破するために、政治主導を取り戻そうとしたのが安倍政権ではなかったのか。その意味では、官僚を押さえつけるのではなく、使いこなすか共生することが必要となる。人事権を握れば、官僚の反発を抑えることにつながると考えているようであれば間違いである。 こうした点が「政権のおごり」ともいわれる状況になったことを表している。やはり強引な法案採決や説明を省略したかのような姿勢は問題があると言わざるを得ない。高い支持率が過信につながったとしか思えない。一方で、必ずしも発想や政策そのものに大きな失点があるわけではなく、手続きの齟齬(そご)や官僚の推量が疑惑の温床となった。 やはり国民に直接向き合うことが必要である。国会審議も、対野党ではなく国民に対する説明だと思えば、今国会で見られたような、木で鼻をくくったような説明ではなかったに違いない。権力に長く居座れば腐敗するという「権腐十年」ではないが、安定政権を目指すことの難しさともいえるかもしれない。

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    内閣支持率急落 投票率高くなれば大逆転ありえる水準

    、60代が54%から36%へ急落したのに対して、20代は支持率60%以上と高かったことを報じている。政治ジャーナリスト・野上忠興氏は、この数字から選挙への影響の深刻さがわかると指摘する。「60歳代は各世代で人口が一番多く、投票率が非常に高い世代です。この世代の支持率が急落しているのは、次の選挙で安倍政権は従来の支持票をごっそり減らす可能性が高いことを示している」 野上氏の協力で投票に結びつく〈投票者支持率〉を世代間で比較してみた。20歳代の人口(有権者)は約1250万人で、前回総選挙の投票率は33%だった。投票に行ったのはざっと412万人。この世代の内閣支持率が65%と高くても安倍政権の支持者は268万人だ。 それに対して60代の人口は約1800万人で投票率は68%、人数では20代の3倍、ざっと1224万人が投票している計算だ。この世代の支持率が18%下がったということは、それだけで20代の支持者に匹敵する220万人の支持を失ったことを意味している。「毎日の支持政党別内閣支持率によると、無党派層の内閣支持率は18%と低く、不支持率が53%にハネ上がっている。選挙の投票率が高くなれば、議席の大逆転さえ起きかねない危険水域といっていい」(野上氏)「安倍一強」で停滞していた政治に再び激震が走ろうとしている。しかもその「震源」は無数にある──。関連記事■ 新聞各紙の内閣支持率 なぜ読売と日経は高いのか■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 30歳未経験グラドル池田裕子に「本当に?」と確認してみた■ 東京新聞・望月衣塑子記者 部外者だからできた執拗な追及■ 北海道新聞調査の内閣支持率が大幅ダウン 今後全国に波及か

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    笹川堯氏「安倍さんは正直に友達です、といえばよかった」

     東京都議選で大惨敗を喫した自民党。かつて党の中枢を担った議員たちには「政治とはかくあるべし」の矜持があった。彼らは言う。「今の自民党は、もはや国民のために在る政党ではない」──と。党総務会長、科学技術政策担当大臣を歴任した笹川堯氏(81)が諫言する。* * * 安倍(晋三)さんはよくやっているが、加計問題でチョンボした。何が悪かったのかというと、獣医学部の認可を受けた加計と仲が良過ぎたこと。たまたま安倍さんの友達の学校に許可が出たことで疑われたが、国民からすると疑うのが当然です。 しかも、疑惑への対処法が悪すぎた。最初の段階で、菅(義偉)官房長官が怪文書と断言したことが疑惑を深める原因になってしまった。笹川堯・自民党元総務会長 そもそも政府には怪文書というものはありません。政治の世界で怪文書とは政府以外の文書で、私の事務所にも送りつけられてくるが、氏名の書かれていないものをいう。菅さんは署名がないので怪文書と思ったのかもしれませんが、役所のなかにはメモ書きのような文書が多数あります。 そのうえ、ろくに調べもせず、文科省には「ない」と答えた。しかし、役所では、一人の人が仕入れてきた情報は全部、上の人が共有するシステムになっています。大臣が陳情を受けるときも、必ず書記官などが記録する。几帳面にあらゆる情報が記録に残されるので、文書は必ずあるのです。 菅さんは初動を誤ったため、後に引けなくなってしまった。「言葉が過ぎた。公式文書ではないといえばよかった」といえば済んだのに、それもしなかった。 安倍総理にしても、ああいうつっけんどんな答弁でなく、正直に「友達です。ゴルフやる仲間です」と認め、「総理大臣として法律を曲げたことはありません」といえばよかったのです。ペン書きで直した文書が出てきたときも、萩生田官房副長官が指示していたのなら、それは政治的指導なのだから、何の問題もない。特区というのはそもそも政治的判断なのだから、その通り説明すればいいのです。変に隠すから疑われてしまう。自滅を繰り返したといわざるを得ません。関連記事■ 怪文書騒動 「握り潰された読売スクープ」の内容と読売の見解■ 菅義偉・官房長官、山本幸三・地方創生相の情報隠蔽術■ NHK内で真偽不明の怪文書多数飛び交い局内が疑心暗鬼に陥る■ 自称・福山雅治の交際相手女性3人 事実無根の怪文書を送る■ 菅氏「ワタシ、あなたに…」ほか 最悪国会の珍発言集を紹介

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    民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 世の中に取り組まなければならない政治問題が100しかないとすれば、民進党の蓮舫代表のいわゆる「二重国籍問題」は、その中でも99番目か100番目の重要度しか持っていないというのが私の見方である。日本と台湾の「二重国籍」解消に関する記者会見に臨む民進党の蓮舫代表=7月18日、東京・永田町の民進党本部(酒巻俊介撮影) この二重国籍「問題」について、ネットでは執着して批判する人たちがわりと多い印象を持っていた。ただ「問題」が発覚してからだいぶ時間も経過し、一部の人たちの熱い関心以外は、このまま立ち消えするものと思っていた。ところが最近、またこの「問題」が再炎上している。 そのきっかけは東京都議選の民進党の惨敗である。具体的には民進党の今井雅人衆院議員が「この問題をうやむやにしてきたから、党はピリッとしない」などとツイッターで書いたことがきっかけのようだ。同党の原口一博衆院議員も同じ趣旨のツイートをしている。これらの民進党議員の発言は、安倍政権への支持率の急低下が生じている半面、その反対票の受け皿として全く機能していない同党衰退への危機感が裏側にある。実際に世論調査をみても、民進党への支持は相変わらず低調だ。 私見だが、蓮舫氏の二重国籍「問題」は、まず説明が二転三転したこと、そして過去のメディアでの発言との非整合性など、その政治家としての発言の首尾一貫性への疑問に尽きるだろう。昨秋米国との「二重国籍」状態が発覚、その後解消した自民党の小野田紀美議員が指摘しているように、だいたいの人たちは蓮舫氏の出自や差別の話などはしていないだろう。 もちろん差別主義的な発言も目にするが、蓮舫氏の発言が矛盾していることへの疑問が多数だ。むしろ、蓮舫氏がこの機会に自分の立場を国民の多くが納得する形で発言すれば、差別主義的な発言に抗するいい機会にもなるかもしれない。そのときに戸籍謄本の開示が必要かどうかは、それは単なるひとつの証拠物が必要かそうでないかのレベルだと筆者は思う。別に開示がなくても、蓮舫氏が国民の疑念を払拭(ふっしょく)できると思うならば、それだけの話である。言い換えれば、戸籍謄本の開示なしで説得に失敗しても、またそれだけの話でしかなく、周りが強制すべき話では一切ない。もちろんこの点については議論が分かれるだろう。筆者も自分の見解が最善だというつもりもない。身内が指摘する民進党「低迷の根源」 だが、民進党が本当に国民の信頼を取り戻そうとするならば、その方向性だけは明瞭である。例えば、民進党の金子洋一前参院議員が以下のように発言している。「民進党の議員たちに問う。蓮舫氏が戸籍を公開すれば、党勢は上向く。そう本気で思っているのか。なぜ、野党第1党の民進党が、政権の受け皿として認知されないのか」 金子氏はいわゆるリフレ政策の主張者として長く知られてきている人だ。現在のアベノミクスの骨格部分である、大胆な金融緩和政策を基本とする政策をリフレ政策という。そもそも安倍晋三首相よりも金子氏の方がリフレ政策の理解は熟達している。公平にいえば、安倍首相の理解もかなり上級だ。こう書くとすぐに安倍擁護だという人がいるが、あくまで国会答弁を見た客観的な評価である。民進党の金子洋一前参院議員 いずれにせよ、金子氏が言いたいことは、おそらく民進党の低迷の根源には、その政策無策、特に経済政策の無策があるということだろう。金子氏の従来の発言を追ってみても、そのことは明瞭である。より具体的にいえば、いまの蓮舫代表と野田佳彦幹事長の体制に色濃い、反リフレ政策、消費増税路線への批判である。これらの政策が、民進党が国民に全く支持されない原因であることを、金子氏は言いたいのではないか。 金子氏の著作『日本経済復活のシナリオ』(青林堂、2014年)では、以下の3点をあげている。1)日本銀行による金融緩和は強化すべきだ。また、消費増税の判断は慎重にすべきだ。2)景気対策として数兆円規模の輸入物価上昇対策のための補助金を実現すべきだ3)政府の経済政策を「雇用重視」にかじを取るべきだ。 これらの提言は、多少の修正が必要かもしれないが、現在の日本経済を考えるうえで重要だ。そしてこのような政策提言こそ、いまの民進党にこそ求められているのではないだろうか。大変貌に必要なのはこの政策 例えば「雇用重視」だが、金子氏も強調しているように、いまの日本には「雇用の最大化」すなわち失業を予防するために働く官庁がない。金融緩和政策は、日本の雇用を大幅に改善したのだが、本来、日銀にとってその使命は法的に自明ではない。現在、たまたま安倍政権と協調しているために雇用重視のスタンスをとっているだけだ。そのため「雇用最大化」と「物価安定」のふたつを日銀に課すような日銀法改正を目指すことを金子氏は説いていた。これは現在の安倍政権でも全くなおざりにされている点だ。この日銀法改正によってさらにリフレ政策は強化される。もちろん民進党の政策として採用されるならば、筆者は応援するだろう。2011年11月、民主党政権時代の野田佳彦首相(左)と蓮舫行政刷新担当相=東京・サンシャインシティ文化会館(瀧誠四郎撮影) また消費増税を明確に否定することも重要である。これは民主党時代の野田政権での政治的な大失敗だし、また今日の安倍政権が2014年に行った現実的な失敗でもある。もし消費増税の放棄と、それに代わるリフレ政策による財政健全化を優先することを表明すれば、国民の多くは民進党の性格が大変貌したことを瞬時に悟るだろう。 また民進党ならではの「弱者」保護政策も重要だ。例えば上記2番目の補助金政策は、電気料金の引き下げや、ガソリン税・軽油引取税などの廃止ないし引き下げなど、低所得者層へ恩恵のあるものである。 だが実際には、民進党は金子氏を参院選で見殺しにしたといっていい。神奈川選挙区に複数候補を立ててこの有為な人材を国会から失った。その損失は計り知れない。 他方で、自民党もそうだが、国会議員の多くが「消費増税主義」を全く変えることがなく、しかもバーゲンセールできるほど存在している。この病は深刻である。蓮舫氏の二重国籍「問題」は人によっては重要かもしれない。しかし私見では、その「問題」がどうあれ、ほとんどの国民にとって、政治、経済、外交の多くの課題の前では優先度は限りなく低い。 筆者は民進党の政策を批判する点では、日本の論者の中でも筆頭に位置するくらい辛辣(しんらつ)であると認識している。だが、それでも最大野党が本当にどうしようもない事態であることには危機感もある。 ちなみに、金子氏は経済政策でも卓越しているが、8月13日に東京・ビックサイトで行われている国内最大規模の同人誌即売会、コミックマーケットに参加するらしい。筆者も時間が合えば行くつもりだ。もはや民進党関係では、金子氏のコミケ参加が個人的に最大の注目になってしまったのである。

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    日本の円圏構想をパクった中国の「一帯一路」はどうせ失敗する

    上念司(経済評論家) 中国が主導する一帯一路構想を一言で表現するなら「リスキーな投資」である。中国共産党が口で言うほど簡単ではない。なぜなら、投資した瞬間に不良債権の山になるような政情不安定な国への投資だからである。当然、それがうまくいくかどうか全く保証はない。そもそも、中国の債権問題は最近再びクローズアップされている。なぜなら、上海市場の金利がここのところ急騰しているからだ。 金利の急騰は社債の借り換えにダイレクトに影響する。すでに社債の発行が全体的に低調になり始めている。ロイターは先月次のように報じた。 中国企業は今年1300億ドル、来年には2480億ドルの借り換えが必要になる。しかしトムソン・ロイターの推計によると、今年1─4月の国内の債券発行額は約1320億ドルと、前年同期の7960億ドルに比べ5分の1未満に減った。ドイツ銀行の推計では、中国の債券市場は昨年、前年比32%拡大して9兆3000億ドルに達していたが、情勢が一変。このペースが続けば来年の借り換え分を賄えなくなる。(ロイター 2017.5.9) 金利の急騰は為替操作の副作用である。現在、中国は人民元の暴落を防ぐために巨額の為替介入と厳しい資本取引規制を実施している。人民元を買い支えるためには市場から人民元を吸い上げなければならない。これはすなわち市場の資金不足を意味する。資本取引が自由であれば、不足した国内市場に海外から資金が流入するが、中国の場合はこれを厳しく規制しているため資金は流入しない。むしろ、中国共産党は国内経済がボロボロであることを嫌気した国内資金が海外に逃避することを恐れているのだ。香港島の観光名所に展示されている中国の習近平国家主席のろう人形=6月5日(共同) しかし、国内が資金不足に陥れば、国内のビッグプロジェクトは借り換え困難に陥る。資金難が深刻化すればその事業は頓挫するだろう。しかし、こうしたプロジェクトの多くは政府や地方政府が主導した公共事業である。どの事業が救済され、どの事業が見捨てられるのか。共産党内部の激しい権力闘争が始まりそうな予感だ。 こんな状態にある中国に「一帯一路」を進める余力はあるのだろうか。むしろ、国内経済の問題からエネルギー切れになる可能性の方が高いように思える。実際に、各種プロジェクトの遅れはそれを象徴しているのではないだろうか。新聞報道によれば、インドネシアの高速鉄道が先月ようやく融資に合意したそうだ。 このプロジェクトは2015年に合意したものの、2016年1月の起工式以降まったく進捗(しんちょく)がない状態が続いていた。おそらく当初の約束だった2019年完成という目標は達成されないだろう。一帯一路の重要なプロジェクトであるはずなのに、なぜこれほど遅れたのか。やはり中国国内が「金欠病」に陥っており、進めたくても進められなかったのかもしれない。※注1一帯一路は日本のパクリ そもそも、一帯一路構想とはかつて日本がやっていた「円圏構想」のパクリだ。「円圏構想」とは、「東アジア共同体構想の目的として、アジア共通通貨単位の導入による為替レート安定」を目指すものである。主に大蔵省を中心として1980年代の後半に本気で検討されていたようだ。しかし、この構想には大きな問題がある。早稲田大学教授の若田部昌純氏は次のように指摘している。 これが経済学的にいかに問題かは、通貨バスケット制やドルペッグ制のような広い意味での固定相場制の問題点を考えてみればよい。国際経済学には、安定的な為替相場、国際間の資本移動の自由、および金融政策の自立的な運営の三つが確立しないという「不整合な三角形」と呼ばれる関係がある。この関係のもつ政策的な意味はきわめて大きい。すなわち、固定相場制(安定的な為替相場)を維持しようとすれば、資本移動を規制するか、金融政策の自立性を放棄するしかない。そして、固定相場制というのは投機攻撃にさらされやすいのである。(若田部昌澄『経済学者たちの闘い』東洋経済新報社)会談の席に向かう安倍首相(左)と中国の習近平国家主席=7月8日、ドイツ・ハンブルク 産経新聞の北京支局に9年勤務し、昨年末に帰国した矢板明夫記者によると、中国共産党幹部は総じて元高を歓迎しているという。なぜなら人民元の価値が高い方が外国企業を買収するのに都合が良いと考えているからだそうだ。まさに円圏構想的な発想にとらわれていると言っていいだろう。 私に言わせれば、彼らは基軸通貨というものの本質が全く分かっていない。為替レートを高く維持することと、その通貨の利便性が高いことは必ずしも一致しないからだ。実際に、彼らが頭でっかちに考えているほど、プロジェクトは進んでいない。フィナンシャル・タイムズは次のように報じている。中国商務省のデータによると、一帯一路の沿線国家に対する中国からの直接投資は昨年、前年比で2%減少し、今年は現時点で18%減となっている。沿線53カ国に対する昨年の金融を除く直接投資は総額145億ドルで、対外投資全体のわずか9%だった。しかもこの投資の減少は、中国の対外直接投資が前年と比べて40%も増え、過去最高を更新する状況の中で起きた。中国当局が資本流出を止めるために対外取引の制限に動いたほどだ。(日本経済新聞 2017.5.12) やはり、一帯一路は巨大な不良資産の山を積み上げて終わるかもしれない。かつて、日本が円圏構想でバブル崩壊を迎え、その後長期停滞に陥った歴史が被って見えるのは気のせいだろうか。注1:「インドネシア高速鉄道建設、中国ようやく融資に合意」(朝日新聞デジタル 2017年5月15日)

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    安倍首相の「一帯一路に協力」は早計だったかもしれない

    考えられる。 確かにシルクロードという誰もが知る歴史的テーマを前面に押し出した一帯一路構想は、大きな政治的インパクトをもたらすかもしれない。だが、地政学的なリアリズムに徹した場合、一帯一路構想の重要度はAIIBよりも低い。その理由は、海上交通網が整備された現代においては、陸路の輸送力は経済的に見てあまりにも貧弱だからである。 大航海時代以前であれば、ユーラシア大陸における物資の移動は陸路に頼るしかなく、シルクロードはまさに交易の拠点であった。だが近代以降は貿易の中心は海上交通路となり、その図式は今も変わっていない。 中国は現在、世界の工場としてあらゆる工業製品を米国や日本、欧州に輸出しているが、これらの大半はコンテナ船など使って海上輸送される。電子部品など軽量で即納が必要なものは空路で輸送されるケースもあるが割合は少ない。その理由は、船の経済性が突出していることによる。 条件によって輸送コストは異なるので単純な比較は難しいが、筆者が各種データから試算したところでは、1トンの荷物を1000キロ輸送するコストは、船が約1万円 鉄道は1万2千円、トラックは2万5千円、航空機は15万円になる。船は港があればすぐに運用が可能であり、鉄道や道路という長大なインフラを建設する必要がない。トータルすると船による輸送は圧倒的な経済力を持つことになる。アジアの地域開発に変形させた中国 地政学という学問は英国で発達したものだが、そのベースとなっているのは地理学である。地政学の世界では、ユーラシア大陸の中央部には西と東を断絶するエリア(ハートランド)があり、これが各国のパワーバランスを決める大きな要因になっていると考える。このハートランドこそが、中央アジアであり、まさにシルクロードの中枢部ということになる。 中国は西部に行くと高い山や砂漠が連なり環境が厳しくなる。中央アジアも基本的に山岳地帯が多く、ここに道路や鉄道を建設するコストは極めて高い。仮に建設できたとしても、その輸送能力には限界がある。ハートランドが世界のパワーバランスに大きく影響するのは、このエリアを境に東西の移動が極端に難しくなるという根源的な要因が関係しているのだ。 2105年度における中国の貿易総額は4・3兆ドル(約480兆円)と日本のGDPに匹敵する金額だが、このうち18%が欧州向け、14%が北米向け、7%が日本向け、15%が豪州、アフリカ、中南米向けとなっている。これらの貿易の多くは海上輸送となっており、ロシアやインドといった内陸部の国との貿易はごくわずかしない。上海の港に並べられたコンテナ=上海(ロイター) 中国にとっては海洋覇権の方が圧倒的に重要度が高く、そうであるがゆえに、南シナ海や東シナ海における制海権にこだわっている。 一帯一路における海上ルートは、現時点においては、米軍が制海権を握っており、中国は手も足も出ない。陸路の開拓は、経済的にはある程度の効果はあるものの、地政学的な状況を劇的に変化させるほどの力を持つとは考えにくい。結果として一帯一路は、道路や鉄道といったインフラ建設による景気対策という側面が強くなる。 中国経済は、何とか6%台の経済成長を維持しているが、国内のインフラ建設は完全に飽和状態にある。景気対策としてのインフラ投資を、アジアの地域開発という形に変形させたものが、今回の一帯一路ということになる。 案件を受注する日本企業にとってはうま味がある話かもしれないが、基本的には中国企業が潤うためのプロジェクトであることに変わりはない。AIIBに対して慎重であるにもかかわらず、一帯一路については積極的ということでは、中国側に足元を見透かされる可能性がある。中国に対して距離を置くのか、積極的にコミットするのか、もっと包括的な判断が必要だろう。

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    日本を侵略する外来種との「終わりなき戦い」を食い止める方法がある

    辻村千尋(日本自然保護協会保護室室長) 「ヒアリ」が発見されたというニュースが日本列島を席巻しています。毒を持っていることから人的被害への恐れがこのニュースをより大きくしている側面もあります。しかし、外来種問題の本当の恐ろしさは、人的被害だけではありません。そのことの理解のために「外来種とは何か」というところから整理します。 外来種とは、人の移動手段が人力から動力に変化し移動速度が格段に上がってから、人の手によって移動させられた生きものをいいます。日本では明治時代以降になります。そして、その外来種の中でも、他に競合する生きものがなく、もともとその地で暮らしていた生きもの(在来種)を駆逐して爆発的に生息・生育地を拡大していくものを「侵略的外来種」としています。 歴史的にできあがった自然のつながりが壊されることこそが、外来種問題の本当に怖いことなのです。ヒアリや、同時期に見つかった毒アリ「アカミミアリ」も生態系への影響に対する危険を重視しなければいけません。外来種の侵入が確認された場合、初期段階で完全駆除を徹底しなければなりません。一度定着してしまうと、根絶は非常に困難になってしまうからです。天然記念物アカガシラカラスバトの繁殖地を「サンクチュアリー」に設定し生態系保護に取り組む=東京都小笠原村父島(2011年撮影) 世界自然遺産に登録されている小笠原諸島での外来種問題をみれば、そのことの意味がよくわかると思います。 小笠原はその自然の価値から世界自然遺産に登録されています。しかし、登録前から外来種問題を抱えており、その対策の確実な履行が登録の条件でもありました。最も遺産の価値として位置付けられたカタツムリなどの陸産貝類については、再生能力を持つ扁形(へんけい)動物「プラナリア」の侵入により父島では壊滅的な状況になっていますし、特定外来生物のトカゲ「グリーンアノール」により固有の昆虫類も父島では絶滅してしまったものもいます。 野生化した猫「ノネコ」は絶滅危惧種のアカガシラカラスバトや海鳥類、ノヤギは固有の植物にそれぞれ大きなダメージを与えました。環境省や林野庁、東京都などの行政機関や研究者、地元のNPO等の活動で、例えばノネコの捕獲が進んだことでアカガシラカラスバトの生息数が劇的に改善されたり、属島からノヤギが完全駆除されたりと成果も多く上がっています。外来種問題を引き起こさない方法とは しかし、その一方で新たにグリーンアノールが兄島という無人島に侵入してしまうなど次々に問題も浮上しています。さらには、捕獲して減少したノネコの影響でクマネズミが増加したり、ノヤギによって被圧されていた外来植物が繁茂拡大する問題も起きています。このように一度定着してしまうと単純に駆除すればよいという状況ではなくなり、生物間の相互作用を予測評価しながらの対策が必要となり、結果、完全駆除ができないものも出てきてしまうのが、外来種問題の大きな課題です。 ところで、費用対効果が高く、かつ外来種問題を引き起こさない方法として、どんな方法が思い浮かびますか? それは、外来種を「入れない」ことです。しかし、グローバルなつながりがある現代では、最も難しいことでもあります。ヒアリもそうでしたが、外来種はいろいろなものと一緒に混入して運ばれてくるので、物流を止めない限り実現できないからです。もう一度鎖国するということは現実的ではありません。神戸港のコンテナヤードを調査する環境省の職員ら=6月16日(神戸市提供) それでも、できることもあります。それは不必要な物資の移動をやめることです。日本は島国です。そしてその成り立ちから地形や地質が複雑に入り組んだ箱庭のような自然環境をしています。同じ日本という国であっても、その土地土地でそれぞれの生態系があります。ましてや、国内といっても海を挟んだ島と島では生態系は全く別物のこともあります。 せめて、島と島の間で土砂の移動を制限するとか、やむをえず入れなければならないのであれば徹底した検疫システムを作るなど、できることもあるのです。 固有種の多い島では、島外から持ち込む海の埋め立てに使う土砂は、すべて焼却処理を施すことも考えられます。そんな対策をしたらいったいいくら費用がかかるのか、費用がかかりすぎて現実的ではないとの意見もあるでしょう。しかし、外来種が蔓延(まんえん)し、在来の自然に致命的な打撃を与え、多くの絶滅種や危惧種を作りながらも「終わりなき戦い」を続けることと比較した場合、どちらが「安い」のでしょうか。一度そのことを真剣に議論するべき時に来ているのではないでしょうか。

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    なぜ「パンダフィーバー」は上野動物園でしか起きないのか

    佐藤栄記(動物ジャーナリスト) 先日、東京・上野動物園のジャイアントパンダが出産し、「パンダフィーバー」という大昔の流行語がまたよみがえりました。1972年に爆発的に使われ、やがて徐々に廃れていったこの死語は、なぜか「上野で」パンダの話題が生まれたときにだけ蘇生(そせい)する不思議な言葉です。 その間に、和歌山県の南紀白浜では、10数頭ものジャイアントパンダが産声を上げているにも関わらず、たまに上野でジャイアントパンダが妊娠の兆候があったり、出産したときだけ、この言葉に突如火が付くのです。なぜ、上野限定なのでしょう。 2009年、政府の事業仕分けの際に民進党の蓮舫代表が言った「2位じゃダメなんでしょうか?」ではないですが、和歌山県のアドベンチャーワールドではダメなのでしょうか。上野のパンダでないとダメなのでしょうか。そんなことを、ふと疑問に感じたことがある人はけっこういらっしゃるのではないでしょうか。この件について1972年の発端から振り返ってみたいと思います。 通称、上野動物園。正式名称は恩賜上野動物園。頭に「恩賜」とあるように、この動物園は1924年の皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して東京市(当時)に下賜されたものです。しかし上野動物園は、実際にはその40年以上も前の1882年に博物館の付属施設として既に開園しており、日本で最も古い動物園なのです。つまり、その歴史的背景を見ても日本の動物園を代表する老舗ブランドであることは間違いありません。 だからこそ、「パンダ外交」として日本に贈られた日中国交正常化のシンボル、ランランとカンカンは日本の首都・東京に位置し、日本一有名な老舗動物園「上野」に来たのです。1972年10月28日、上野動物園に到着したカンカン(康康・左)とランラン(蘭蘭) それにしても、当時、ジャイアントパンダ2頭が初来日したときの熱狂ぶりはすさまじく、フィーバー(熱狂的大流行)という言葉はまさに当たっていました。当時10歳だった私の記憶の中にも、45年も前の興奮がいまだに残っています。その背景には、時代というものが多分にあったと思います。 今のように、インターネットがないあの頃は、情報が一極集中する傾向にありました。テレビひとつ取ってみても、BSもCSもネットチャンネルもオンデマンドもなければ、ビデオも普及していないわけです。情報の発信源が少なかったため、みんなが同じ情報を共有し、学校や会社でその情報をお互いに確認し、反復するかのように伝達しあいました。「熱狂」が決定づけたブランドイメージ 当時の情報の一極集中ぶりがよく現れていたのが歌謡曲です。ランラン、カンカンが来日した1972年のレコード売り上げ1位は宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、2位は小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」ですが、当時物心ついていた人なら、どちらの曲も、すぐさまそのメロディーが出てくるのではないでしょうか。 一方、去年のオリコンの年間CD売り上げランキング1位は、AKB48の「翼はいらない」、2位もAKB48で「君はメロディー」ですが、果たして口ずさめる人はどれぐらいいるでしょう。SNSやYoutubeの登場で、国民全員が情報の発信源となりうる今は、情報がありとあらゆる分野で蔓延(まんえん)し、人々は自分の好みの情報をえりすぐっているため、一極集中にはなり得ないのです。 そのような背景も手伝って、日本人特有ともいえる「皆がしていることは自分もしなければならない」的な性質が、パンダフィーバーをさらに加熱させました。日本人は流行を追うのがとても好きなようで、ミシュランガイドの星が1つでも付けば、その店はたちまち大行列ができるのです。 おそらく、今以上に流行に敏感だった高度成長期末期の日本人は、当然のことながら上野に殺到しました。ランラン、カンカンの公開当日、1キロもの行列ができ、約5万6千人がパンダを一目見ようと押しかけました。実際にパンダを見られた人は、わずか3割程度だといわれています。3時間待ちの長蛇の列に断念せざるを得なかったのです。中国から来日したパンダのランラン、カンカンが上野動物園で初公開され、観客が殺到した=1972年11月5日 幸運にもパンダを見ることができた約1万8千人は、パンダの前で立ち止まることは許されず、見られる時間はたった30秒程度でした。その30秒の間、パンダは背を向けていたり、あるいは微動だにしなかったことはザラで、たまたま観客のほうを向いていたり、何かを食べていたりしたら大ラッキーで自慢の種になったのです。 当時は良くも悪くも、世の中に「忖度(そんたく)」がゴロゴロ転がっていた時代で、私は上野動物園の関係者だった父の友人の忖度で閉園後にパンダ舎のバックヤードにこっそりと入れてもらいました。子供心に、もう十分だと思われる程の時間、ランランとカンカンを妹と2人だけで見させてもらったという、今では考えられないような思い出があります。その光景は、セピアカラーながらも、今でも鮮烈に記憶に残っています。その後数日間は、ずっとその話を友達に自慢し、友人たちもその都度、大きなリアクションをしていたのを覚えています。 このような、一般にはなかなか見られないという希少性やチラリズムが、上野のパンダをさらに貴重な存在へと押し上げていきました。パンダ来日決定から公開の間に、「パンダ」と「上野」が合体した強烈なブランドイメージが出来上がってしまったのです。当時小学生だった私の世代、つまり今の50代から上の世代は、今でもそれをずっと引きずり、その思考が自分たちの子供の世代へと受け継がれたのではないでしょうか。フィーバーが植え付けた意外な「言葉」 上野動物園のブランドイメージ同様に、この時期に人々の意識を固定させてしまったのが、「パンダ」という呼び方です。本来、ただパンダと言った場合は先に発見されたレッサーパンダを指していました。そこで、後から発見された白黒の大きな、いわゆるパンダの方はジャイアントパンダという名前にしたわけで、日本では正式和名はあくまでジャイアントパンダです。京都市動物園の特任園長に任命されたレッサーパンダのジャスミン ところが、今、パンダと言ってレッサーパンダを想像する人はまずいないでしょう。実はこれも、当時のマスメディアによる影響が大きいのです。実際、羽田空港に日本航空の特別機でジャイアントパンダが到着した時点では、そのコンテナに「大パンダ」という文字が大きく記されていました。ところが、待ち受ける上野動物園では、横断幕や看板に「パンダ」としか書かれていなかったのです。 既に上野動物園にはレッサーパンダがいたのですが、その元祖パンダをそっちのけにして、ジャイアントパンダをマスコミもこぞって「パンダ」と言い放ちました。その方が、響きもよく覚えやすくインパクトがあったからでしょう。爆発的ブームの中、人々は何のためらいもなく、ジャイアントパンダ=パンダという認識を固定化させ、現在に至っているのです。 1972年のあの熱狂が、「パンダは上野」「ジャイアントパンダはパンダ」という固定観念のようなものを植え付け、今もそれが続いているわけです。 上野に遅れること22年、94年からは和歌山県のアドベンチャーワールドでジャイアントパンダの飼育が始まり、2000、01、03、05、06、08、10、12、14、16年と恐ろしいほどコンスタントに子供が生まれています。パンダ外交は日本のみに行われているわけではなく、旧ソ連、フランス、イギリス、メキシコ、スペイン、ドイツ、アメリカ、韓国、オーストラリアといった国々にもパンダは貸し出されましたが、アドベンチャーワールドの繁殖実績は、中国本土を除けば文句なしに世界一なのです。 もちろん、生まれるたびに報道はされているのですが、誕生したその日限りの報道が多く、上野のような経過報道はほとんどされず、人々の記憶にはあまり残らないというのが現状です。たとえ実績が1位になっても、老舗ブランドには勝てなかったわけです。「2位じゃダメなんでしょうか?」どころの騒ぎではなく、ことパンダに関しては、上野以外は1位になってもダメだったのです。上野のパンダの系譜は、高度成長期末期のあの熱狂を、宿命的に今も引き継いでいるのでしょう。日本に「パンダ」は何頭いる? そして、その上野のパンダでさえも、盛んに報道されているお母さんパンダのシンシンとその赤ちゃんだけが話題に上がり、ニュース映像に映し出されないお父さんパンダの方は、ほとんどの人がその名前さえ知らないのです。よくよく考えてみれば、とても不思議な話ですが、これもマスメディアの影響なのです。 今回、上野のパンダが誕生して以来、2週間以上もの間、赤ちゃんの成育状況は欠かすことなく毎日、テレビのニュースなどで報道されています。でも、少なくとも私の知る限り、雄のリーリーの名前は赤ちゃん誕生のその日しか出てきていません。 また、上野動物園には、ジャイアントパンダよりも生息数が少なく、絶滅の危機にひんしている希少動物がたくさんいますが、それらがメディアで取り上げられることはまれです。たとえ取り上げられても和歌山のジャイアントパンダと同様で、単発的にちょっと報じられる程度にすぎません。 例えば、上野動物園の正門を入ってすぐ右手には、アカガシラカラスバトという鳥がいますが、ほとんどの入場客は、その前を通過せず、まっすぐに行ってしまいます。しかし、この鳥は小笠原諸島だけに生息し、野生個体数は約40羽しかいない日本の天然記念物です。上野動物園では、このアカガシラカラスバトの飼育繁殖に取り組み、成果をあげてきましたが、それを知る人は皆無に近いでしょう。 この差は、あのジャイアントパンダの容姿やしぐさといったパンダ独特のアイドル性も大きな要因だと思いますが、やはり最初のパンダ外交とその報道の強烈なインパクトがいまだに尾を引いているからではないでしょうか。 ところで、今日現在、日本には何頭のジャイアントパンダがいるかご存じでしょうか。正解は9頭ですが、内訳は、上野に赤ちゃんパンダを含めて3頭。和歌山に5頭。神戸の王子動物園に1頭です。ところが1カ月程前までは、12頭もいたということを知る人はほとんどいないでしょう。 2017年6月12日に、上野のパンダ、シンシンが1頭のパンダを産んだことで、日本国内のジャイアントパンダは1頭増えた計算ですが、実はそのちょうど1週間前の6月5日、日本のジャイアントパンダが3頭も減ったのです。和歌山のアドベンチャーワールドで生まれ育ったジャイアントパンダの海浜、陽浜、優浜の3頭が中国・四川省の研究施設へ返還されました。繁殖のため中国に行くジャイアントパンダの「優浜」(左)と「海浜」=4月7日、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールド 実は、現在日本にいるジャイアントパンダは全てレンタル扱いで、たとえ日本の飼育下で子供が生まれても、基本的には性成熟する4歳ぐらいまでに中国に引き渡されることになっているのです。上野のシンシンが産んだ今の赤ちゃんパンダも2年をメドに中国に返されるようです。それを知ると、このパンダフィーバーもなんだか切ない気がします。 田中角栄、周恩来両首相による日中国交正常化の外交として湧き上がったパンダフィーバーは、マスコミによってさらに大きな熱を帯び、今もときどき、その炎を燃え上がらせては切なく消えていくのです。

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    都議選惨敗、安倍首相に残された道は「消費減税」しかない

    。候補者の名前が並ぶボードを背に開票を待つ自民党の下村博文都連会長=7月2日、東京・永田町の党本部 政治的には、都民ファーストの大勝よりも、自民党の惨敗の方が重要だと思う。国政への影響が避けられないからだ。いくつかその影響を考えることができる。あくまで予測の域をでないのだが、いまの政治状況を前提にすれば、年内の衆議院解散は無理だろう。2018年12月の任期満了に近くなるかもしれない。もっとも、1980年代から現在まで3年を超えての解散が多いので、それほど不思議ではない。ひょっとしたらこれはすでに織り込み済みかもしれない。ここまでの大敗北はさすがに自民党も予測はしていなかったろうが。 国政に与える影響で興味の焦点は、安倍晋三政権の持続可能性についてである。あくまで都議選でしかないことが注意すべきところだが、今後いままで以上にマスコミの安倍批判が加速することは間違いない。都議選の有権者が東京都民だけにもかかわらず、それを世論と等値して、国民から不信任を食らったと煽(あお)るかもしれない。 もちろん煽らなくても、今回の都議選大敗により、世論調査で内閣支持率がさらに低下し、自民党の支持率も急減する可能性はある。ただその場合、国政には都議選で受け皿となった都民ファーストがないし、また野党も受け皿にはなれない。つまり支持率の低下はほぼ無党派層の増加に吸収される可能性が大きい。この現象がみられるとすれば、都議選の大敗北は、安倍政権への世論の逆風が全国的に吹いたままだということを意味するだろう。 この潜在的な逆風が、安倍政権をレームダック(死に体)化するだろうか。ここでのレームダック化は、安倍首相が現状のアベノミクスなど基本政策を実施することが難しくなる状況、あるいは転換を迫られる状況としたい。当面はその可能性は低いと思われる。「増税」で激化する自民の政治闘争 ただし、党内の政治闘争は以前よりも格段に顕在化するだろう。そのキーワードは、やはり消費税を含めた「増税主義」である。2017年度の政府の基本的な経済政策の見立てを描いた「骨太の方針」には、19年10月に予定されている消費増税の記述が姿を消した。また20年度のプライマリーバランス黒字化の目標もトーンが下がったとの識者たちの評価もある。 おそらくそのような「評価」をうけてのことだろう。石破茂前地方創生担当相は、消費税を必ず上げることが国債の価値を安定化させていること、またプライマリーバランスの20年度の黒字化目標を捨てることも「変えたら終わりだ」とマスコミのインタビューに答えている。今回の都議選大敗に際しても、石破氏は即時に事実上の政権批判を展開していて、党内野党たる意欲は十分のようである。日本記者クラブの会見で「こども保険」の構想について説明する小泉進次郎衆院議員=6月1日(佐藤徳昭撮影) また財務省OBの野田毅前党税制調査会長を代表発起人とし、財政再建という名の「増税主義者の牙城」といえる勉強会もすでに発足している。またその他にも反リフレ政策と増税主義を支持する有力政治家は多く、小泉進次郎氏、石原伸晃経済再生相ら数えればきりがないくらいである。また金融緩和政策への理解はまったく不透明だが(たぶんなさそうだが)、消費増税に反対し、公共事業推進を唱える自民党内の勉強会も発足している。 これらの動きが今後ますます勢いを増すのではないだろうか。もっとも安倍政権への世論の批判は、筆者からみれば実体がないのだが、森友学園や加計学園問題、続出した議員不祥事などいくつかに対してである。そもそもアベノミクスに対して世論が否定的な評価を与えたわけではない。それでも自民党も野党も含めて、アベノミクスに代わる経済政策はほぼすべて増税主義か、反リフレ政策(金融緩和政策の否定)か、その両方である。 もちろん世論が、アベノミクスの成果を評価しても、それを脇において安倍政権にノーをつきつける可能性はある。アベノミクスの中核は、リフレ政策(大胆な金融緩和政策)である。現在の政治状況では、いまも書いたが安倍政権が終わればリフレ政策もほぼ終焉(しゅうえん)を迎える。日本銀行の政策は、政策決定会合での多数決によって決まる仕組みだ。日銀にはリフレ政策を熱心に支持する政策委員たちがいるにはいるが過半数ではない。政府のスタンスが劇的に変化すると、それに応じていままでの前言を撤回して真逆の政策スタンスを採用する可能性はある。首相が経済政策スタンスで慢心したわけ都議選での自民党大敗が伝えられる中、飲食店を後にする安倍首相(右)=7月2日、東京都新宿区 そもそも、安倍首相と同じリフレ政策の支持者は、菅義偉官房長官はじめ、自民党内にはわずかしかいない。次の日銀の正副総裁人事が来年の3月に行われるはずだが、そのときに最低1人のリフレ政策支持者、できれば2人を任命しないと、リフレ政策すなわちアベノミクスの維持可能性に赤信号が点灯するだろう。このリフレ政策を支持する人事を行えるのは、安倍首相しかいないのである。それが安倍政権の終わりがリフレ政策のほぼ終わりを意味するということだ。 もちろん日銀人事だけの問題ではない。仮に日銀人事をリフレ政策寄りにできたとしても、政府が日銀と協調した財政政策のスタンスをとらないと意味はない。デフレを完全に脱却するまでは、緊縮政策(14年の消費増税と同様のインパクト)は絶対に避ける必要がある。デフレ脱却には、金融政策と財政政策の協調、両輪が必要なのだ。 さて、安倍首相もこのまま党内闘争に巻き込まれ、守勢に立たされるのだろうか。それとも攻勢に出るのだろうか。そのきっかけは大胆な内閣改造や、より強化された経済政策を行うことにあるだろう。後者は18年夏頃までのインフレ目標の達成や、教育・社会保障の充実などが挙げられるが、端的には減税が考えられる。何より国民にとって目に見える成果をもたらす政策パッケージが必要だ。それこそ筆者がたびたび指摘しているように消費減税がもっともわかりやすい。 実際に、消費増税が行われた14年以降、政府が実施してきた中で、消費増税の先送りや毎年の最低賃金引き上げ、そして昨年度末の補正予算ぐらいが「意欲的」な政策姿勢だったという厳しい評価もできる。2%のインフレ目標の早期実現を強く日銀に要請することはいつでもできたはずだ。ある意味で、雇用の改善が安倍首相の経済政策スタンスの慢心をもたらしている、ともいえる。 いまも書いたように、さらなるアベノミクスの拡大には実現の余地はある。ただ、それを行うだけの政治力が安倍首相にまだ残っているだろうか。そこが最大の注目点だろう。

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    猪瀬直樹元側近が読み解く「小池劇場」終わりの始まり

    広野真嗣(ジャーナリスト) 今年最大の政治決戦、東京都議選で小池百合子知事が代表を務める都民ファーストの会が大勝し、議会の刷新を掲げる小池氏を支持する勢力が過半数を獲得した。 政策が評価され、都政のチェックや決定を委ねる人物として適した者が選ばれたのであれば違和感はない。だが、この大差がついた原因は、国政における自民党のオウンゴールである。 「現状へのノー」という表現といえばそれまでだが、今回は「安倍内閣にノー」の表明であり、都政とはかけ離れたものさしで投じられた選択だったという点は記憶しておきたい。 都議会において刷新を唱える小池系勢力が主導権を握れば、当然ながら善かれ悪しかれ今後、政治的な対立や混乱が予想される。今回、とりわけ不安要素に見えるのは、3年後には東京五輪が控えている現実があるからだ。主催都市である東京都には、対立をもてあそんでいるような時間的余裕がほとんど残されていない。すでに時間を空費してきたからだ。 最大の懸案となっていた市場移転問題で、小池知事は告示直前の6月20日、「豊洲移転+築地再開発」の方針を発表した。小池百合子都知事=7月2日、東京都新宿区(納冨康撮影) 築地が所在する中央区のまちづくりを知悉(ちしつ)している吉田不曇副区長は歓迎しつつ、心中穏やかではない。「豊洲移転の決定を高く評価します。しかし、都心と湾岸エリアを結ぶ環状2号整備だけでなく、五輪開催時の輸送計画の策定など急いでやらなければいけないことがいくつもある」 環状2号線は市場移転後、築地跡地を通って選手村(晴海)と新国立競技場(新宿区)などがある都心を結ぶ幹線道路。市場の移転延期で、築地を前後する約500メートルの地下トンネル部分の工事が中断していた。すでに五輪に間に合わなくなった地下トンネルは先送りし、地上部の暫定道路で対応する方針が今回、確定した。 道路だけではない。築地跡地には選手・関係者向けバス1000台などを収容する仮設の巨大車両輸送拠点が整備される。その整備に1年を、アスベスト対策が必要になる築地の解体工事には1年半をそれぞれ要する。20年7月の五輪に向け3年と迫る中、インフラ整備の日程に、もはや「遊び」は存在しない。 小池氏は移転時期の目標を来年5月としているが、再び築地残留の「夢」を抱いてしまった約500の仲卸業者の心情を、もういちど移転に向けて動かすことができるのか。もう時間は無駄にできない 過去を「断罪」した小池都政10カ月の間に、都庁で長く移転に携わった幹部の多くは市場の職場を去っている。政治家自らが足を運び、汗かく努力を重ねなければ信頼は得られないだろう。築地市場の関係者に頭を下げる小池百合子東京都知事 =6月17日、東京・築地(桐山弘太撮影) 築地からの移転をよしとしない者が現れれば、五輪の足かせとなりかねない。小池知事はもちろん、都民ファーストの会の都議たちも「なったばかりでわからない」とは言っていられない。待ったなしなのだ。 ハード整備の遅れよりも深刻なのは、五輪時の交通・輸送計画をどうするか、全く見えていないことだ。 例えば環状2号を東京湾側に抜けていくと、バレーボール(有明アリーナ)、体操(有明体操競技場)、テニス(有明テニスの森)、自転車競技(有明BMXコース)など人気種目の会場が集積し、プレスセンターとなる東京ビッグサイトもある。 観客の大半を占める日本の地方からの来場者がこれらのエリアにどうアクセスする想像してみればよい。 迷路のような東京駅に降り、困り果てた高齢の観客をどう誘導するのか。仮にそういう人たちがタクシーに流れれば、環状2号や晴海通りは目詰まりを起こし、選手が試合開始に間に合わない事態すら引き起こしかねない。 りんかい線(東京臨海高速鉄道)やJR京葉線といった公共交通網を最大限活用するのは当然としても、出勤ラッシュやテロ対策と合わせ、安全を確保した計画づくりは一刻を争う。 五輪後を見据えた小池都政も気になる。小池氏の発表によると築地の跡地は「5年をめどに再開発」との方針だ。 豊洲整備の借金(都市場会計が発行する企業債)残高3500億円は、4000億円超の築地跡地の売却益を充てる予定だった。この借金は20年から26年にかけて順次返済予定で、ピークの25年には1322億円を返済しなければならない。築地を売却しない以上、新たに一般会計で借り換える。すなわち新たな都債を発行する可能性が高い。当然だが、一般会計で新たに発生する金利負担は「小池裁定」によって新たに生じる税の支出となるのだ。 「改革派」を演出するためなのか施設の見直しにご執心だった小池知事だが、もはや「見直し」の段階はとうに過ぎ、計画を「詰める」リーダーシップこそ求められている。 逆に都議会はその準備に抜け穴がないか、超党派で徹底的にチェックしなければいけない。第一党を失った自民党も、もはや品のないヤジや、ファクトを問わない嫌みな質疑をしている時間はない。平慶翔氏の「疑惑」 安倍政権を一気にぐらつかせたのは、安倍チルドレンとして当選2回、豊田真由子代議士の「暴言」報道、そして安倍氏が後継候補の一人と重用してきた稲田朋美防衛相の「失言」だった。だが、今回大量当選した「小池チルドレン」にもすでに兆候はあった。 投開票3日前の6月29日、自民党都連の「司令塔」である下村博文会長に、加計側からの違法献金疑惑という特大の「文春砲」が放たれた。自民党へのトドメの一撃だった。 即座に開いた記者会見で全面否定し「反撃」に出た下村氏は、昨年8月に下村事務所を退職した元秘書、平慶翔氏からの情報流出の可能性に触れた。平氏は、おひざ元の板橋区で敵対する都民ファーストの会から当選を果たした人物である。 「流出源」の可能性に挙げる根拠として下村氏は、事務所在職中、紛失騒ぎがあった職場のパソコンを持ち出したほか、約30万円と少ないとはいえ事務所費用を詐取した人物であったこと。その事実を認める内容の「上申書」に署名して退職に至ったことを挙げた。 これに対して平氏は同日深夜のニコファーレでの演説会で、デジタルデータの流出をさせた事実を否定した上で、署名も「私の字ではない」と述べた。都民ファーストの会代表として候補の過去を問われた小池氏は30日の定例会見で「知りませんよ」とはぐらかしたが、有権者に対してそれで政治家の説明責任が果たされたか。「都民ファーストの会」平慶翔候補(右)と姉で女優の平愛梨=6月4日、東京都板橋区(大西正純撮影) 昨年8月の平氏の退職直後、板橋区内のすし店で送別会が開かれている。筆者は出席した下村後援会幹部を取材したが、退職の理由について「兵庫の実家の父親の仕事を手伝いに帰る」との本人の説明をきいた人物が複数人いる。また「皆にはそう話したが、実は東京の大手デベロッパーに就職する予定です」と述べるのを聞いた者もいた。平氏にインタビューでこの点を聞くと「私がそう話したことはない」と答え、退職の理由については小池氏に感化されたことが退職の直接の引き金になったと述べた。       これまでは過去の知事や都議を糾弾することで人気を得てきた小池氏。現職知事として問われ始めているように、党代表としても、自らの言動と組織を率いる責任を問われる局面に入った。都民ファーストの「選良たち」も今後、小池知事の「ご意向」と都民の目線の間で自らの独立した政治判断が問われる。 権力は知事にもドンにも集中させるべきではない。相互に知事と議会チェックしあう緊張関係こそが、われわれ有権者にとって最もメリットを生み出す構造なのだから。

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    「うっかり1票、がっかり4年」小池バブルはどうせ弾ける

    か。 もっとも、これだけの大有権者市場での選挙は「結局、選挙なんて正確な緻密な政策選択よりも、現状の政治をそのまま続けるか、変えるかの選択にしかならない。それで選挙は十分だ」という、ざっくりとした見方がある。案外、その見方が妥当なのかもしれない。東京のような大票田では、争点を「ワンイシュー」に定めない限り、有権者の関心は拡散し、何かの選択を迫ること自体、無理なのかもしれない。応援演説をする小池百合子代表=6月23日 とはいえ、少なくも今回の選挙でハッキリしたのは「何かを変えて欲しい」という意思の存在だ。「現状に対する強い不満のエネルギー」が蓄積している民意だけは確認できた。だからといって、この先も豊洲移転や五輪見直しの騒動を引き続きやれという話ではなかろう。何を変えるのか、東京大改革という「妖怪」が覆っているだけでは、そのうち行き詰まる。ここからが小池都政の正念場となろう。 約1年に及ぶ小池都政は、あたかも今回の都議選のためにあるような「小池ブーム」だった。そこで選挙中、聞こえてきたのは「都民ファースト」の連呼と、東京大改革をオウム返しのように叫ぶ若い男性、女性候補者の声だった。 有権者1100万人の巨大な選挙市場をどう制するか。出身地の地元を地縁、血縁、学縁などを頼りに支持(票)を集めるドブ板選挙と違い、マスメディアの取り上げる争点をめぐって「空中戦」が展開される。それが首都選挙で、それを制したのはメディア操作に長けた小池氏、そして氏が率いる「都民ファーストの会」だった。 結果として、小池氏が党首を務める新興勢力、地域政党「都民ファーストの会」が自民、民進らを大きく上回り第1党になった。これで途中から小池支持に変わった公明を加えると、小池氏の支持勢力は過半数を超える。 他会派への都民ファーストの推薦まで入れると、石原都政など以前の自公3分の2与党体制から、自共を除く都民ファーストら小池支持勢力で3分の2の与党体制ができ上がったことになる。ただ、このことが今後の都議会、都政運営に「吉」と出るか「凶」と出るか、まだ分からない。 当初、小池人気が直接、都民ファーストの票にはつながりにくいとみられたが、国政での「森友・加計問題」の隠ぺい、自民党の相次ぐ議員の不祥事や不適切発言に救われ、与党を切り崩す力も示せない民進党の力量不足もあって、不満の受け皿は都民ファーストへ向いた。その点、都民ファーストへの積極支持と自民、民進の「敵失」に対する消極支持の入り交じった票がすべて小池新党に向いたという理解もできよう。 ただ、今回の選挙を振り返り、立候補者の顔ぶれもよく分からないまま、都民ファーストというだけで投票した人も相当数いたのではないだろうか。劇場型選挙で大量の票が流れ込んだこの現象を、筆者は政治の「小池バブル現象」と呼んでおきたい。経済のバブル現象と同じように期待値が高く、票数も議席数も膨れ上がった現象を指す。 90年代初頭に日本経済が味わったように、いずれバブル経済と同じように弾ける時が来る。ただ、その時期は選挙後の都政運営が本格化してみないと分からない。都議会は変われるか 小池氏が掲げた「東京大改革は都議選に勝つこと」。この目標は見事に達成されたことになるが、キャッチフレーズとした「古い議会を新しい議会に変える」はどうなるのか。都議会改革は確かに都政改革の大きな柱といえる。 ただ、メンバーが変わり、当会派の勢力図が変わったからといって、それだけで新しい都議会になるわけではない。大東京の都政改革は、議会サイドも役所サイドも従来の個別事業中心の事業官庁から全体を俯瞰し、都市経営に持ち上げていく。「政策官庁」に脱皮できるかどうかが核心的な論点だ。 都議会が「政策都議会」に脱皮できるか、そのためにやるべき改革は何か、そこが焦点になる。古いメンバーを新しいメンバーに変えたからといって、やることが同じなら何も変わらない。たぶん、小池氏の問題意識も「議論のできる」「提案のできる」議会に変えたいと主張した点を見ると、この点は同じではないか。 もともと「通りやすく、落ちやすい」というのが都議選の特徴である。毎回、何かしらの風が吹き、その風に乗って当選する議員が多く、だいたい3分の1が入れ替わる。結果、当選回数も少なく、ある意味「素人議員集団」に近いのが都議会であり、平均年齢も若く当選1、2回という新人議員が6割近くも占める。都議選の期間中、候補者の第一声に耳を傾ける聴衆=6月23日、東京都渋谷区 冷静にみると、今回の都民ファーストの大量当選でメンバーは大幅に入れ替わったが、これまでの都議選とそう大きくは変わらない。そうした素人集団の間隙を縫うように、ごく一部の多選議員が「ボス化」し、議会運営を差配する構造が生まれやすくなる。 それを小池氏は「ブラックボックス」とか、「ドン支配」と表現したが、今回の選挙結果でその構図が大きく変わるのか。なかなか信じがたい。その手掛かりをどこに求めればいいのか。 東京大改革というなら、その勢力図の変わった都議会を通じて、どのように東京の抱えるさまざまな大問題を解決していくのか。「役に立つ都議会」にどう変えて行くのかが問われよう。そこまで見ていかないと、今回の都議選の結果が都政にプラスになるかどうか、その評価も難しい。 都議会改革は報酬や手当の改革より、政策自立、都政の政策の質を高めることがテーマだ。政策問題と格闘し、質を高めるような都議会活動に変えられるかどうか。都政は、議員と知事を別々に選び、双方が抑制均衡関係を保つよう求めた「二元代表制」だ。政権与党の党首が首相になり、内閣を率いる国の制度とは全く異なる。議会は知事を翼賛する機関でもなければ、投票マシーンでもない。独自の代表からなる都政の政治機関である。 対して、都知事は行政の最高責任者であり、本来は執行機関の立場と立法権を有する議会とは離れた立場、つまり公正中立の立場から都政運営が求められる。だが、ここまでの流れを見る限り、あたかも都知事が政党の党首になり、都議会で多数勢力を形成し議会を差配する。都議会に与党勢力を意図的につくり、それが政権与党として都知事を支えるという「議院内閣制モデル」を前提にコトを進めているように見える。それが「良い都政」を実現する近道だと主張する。果たして、それは本当に正しい方向なのか。 都民ファーストが第1党になったからといって、議会本来の役割、つまり決定者、監視者、提案者、集約者の役割を放棄するような行動は許されない。あくまでも機関対立主義を前提に、執行機関の知事と対峙していくスタンスが求められる。 都議会は知事の追認機関であってはならない。これは地方自治の大原則である。地方自治を支える「車の両輪」として、都議会は都知事と抑制緊張関係を保ちながら、予算や施策を監視する責任がある。 この春の都議会で、石原都政で展開された豊洲市場の土地購入、移転の経緯を28人の証人喚問までしてつぶさに調べ上げた。その結果、その不透明ぶりも浮き彫りになり、小池氏はそれを長年にわたって知事与党だった自民、公明両党が、チェック機能を十分果たしてこなかった証左と強く批判した。そのことを今回の選挙で小池新党も強く批判し、その改革姿勢に多くの都民が支持した。「会派あって議会なし」 しかしこの先、批判の図式は小池氏にも向くのではないか。小池氏は知事だが、地域政党の党首であり、東京五輪を主催する最高責任者でもある。この「3つの役回り」を一人でこなすのは容易でない。筆者が思うに最低2人の知事は必要だろう。だとすれば、小池氏は地域政党の党首を辞任した方がいい。 というのも、この先の都政運営で一番懸念されるのは、今回の選挙で大量議席を得た「都民ファーストの会」が小池氏の子飼いの集団に過ぎないからだ。どう考えても小池知事の方針に追従する性格が強い。その集団が「判断は知事の方針に従う」というのなら、議会本来の役割を果たせるのか大いに疑問である。 執行機関の知事は、議決機関である議会と権力分立の観点からも意図して分離する選択をすべきではないだろうか。でなければ、行政は大きく歪む可能性がある。東京都議会本会議=3月30日、都庁(酒巻俊介撮影) 一つ間違うと「会派あって議会なし」、小池派と非小池派という分断された都議会となりかねない。行き過ぎた政党政治の考え方を都政に持ち込むと、「知事独裁体制」に突き進んでしまう。予算編成権を独占する知事だけに、その地位を利用して都民ファーストの公約を中心とする「予算重点化」を図る可能性がある。多くの有権者はそんな事は期待していない。あくまで公正中立な都政運営に期待を寄せている。 筆者は以前、iRONNAで「都民ファースト=小池百合子」、ただしそれは「きれいな包装紙に包まれたお中元のようなもの」だと指摘した。封を開けてみるまで中身は分からない。新党に期待するという意味では、筆者も多くの有権者と同じだが、過去の新党ブームは選挙が終わると萎(しぼ)み、4年後には消え去るという苦い経験があるので人一倍注意深くみている。というのも、都民ファーストという新党も、そのメンバーをみると、売りは新人の「小池塾出身者」とは言うが、半数以上は既成政党からの移籍組、今回そのままでは落選可能性が予想された面々が多いことだ。 「玉石混交」といっては失礼かもしれないが、都議選への緊急避難、駆け込みで集まったメンバーが相当数いる。志がないとまで言わないが、どうも「選挙ファースト」の色彩が強い点が気になる。元民進系、元自民系、元みんな系といった移籍組がズラリと顔をそろえる。彼らは選挙前に移籍の理由をいろいろ弁明していたが、本音は小池ブーム(風)に乗っかりたかっただけである。首尾よく当選したので、それで目的を果たしたことになるのかもしれない。 国政で日本維新の会から渡辺喜美氏(元みんなの党主)が離党し、民進党から長島昭久氏が離党し、自民党からも若狭勝氏が離党し、みんなが小池新党の選挙応援に入った。こうした動きがこの先、都民ファーストが国政政党を目指す際の牽引力になると想定される。ただ、「4種混合」の政党では一つの会派を維持することが当然難しくなる。4つのグループに分断され、バラバラの行動をする中小会派にもなりかねない。都議選から2年経ち、折り返しに入ると次の都議選に目が向く。すると、また当選第一主義の動きが出て分裂、移籍が始まる。都民ファーストもそうならないとは限らない。混声合唱団まがいの都民ファースト 昔から選挙目当てで寄ってくる集団を「選挙互助会」と呼ぶ。新味があるとすれば、小池塾の出身には期待できる。選挙前から小池氏もここを売りに「素晴らしい人たち」「専門家の集まり」と宣伝していたので、そこは額面通り受け止めたい。 ただ小池氏と同じように、メディアファースト志向が強い点がどうも気になる。テレビ映りだけを気にして行動する。都政に役立つ仕事ができるのか、この先はチェックしたい。ただ、こうした新党なりブームで当選した新人に危惧されるのは、いま自民党2回生議員を中心に起きている、いわゆる「安倍チルドレン」の相次ぐ不祥事だ。 名前はいちいち挙げないが、この人たちが最初に当選したのは2012年の解散総選挙である。民主党(当時)から自民党が政権を奪回したあの選挙で、大量の新人議員が「安倍ブーム」の中で当選した。これら新人議員の誕生に共通して言えるのは、特定の政治思想や政治家に強く感銘を受けて議員を志したというより、むしろ特定の権力者が自分や所属する党会派の勢力を拡大するために大量の新人を立候補させる必要があったということである。つまり、たとえ「粗製乱造」であっても、頭数を必要としてやむなく公認した人たちも相当含まれているという事実だ。 当選確実の報道を受け千代田区の石川雅己区長に譲り受けていた緑色のネクタイを返却する「都民ファーストの会」の樋口高顕氏(左)=7月2日、東京都千代田区(松本健吾撮影) では、都民ファーストの会はどうか。新人議員を多数誕生させる必要があるときには、じっくり人物を見極める暇などなく、粗製乱造がどうしても避けられない面がある。今後、国政の前例のような問題が都議会で起こらないか。もちろん起こらないよう望むが、果たしてどうだろうか。それは小池都政の今後に暗い影を落とすことになろう。とはいえ、「小池チルドレン」は大量当選した。どんな新機軸を打ち出し、都議会を、そして都政をどう変えて行くのか、「うっかり1票、がっかり4年」という言葉が都政史にはある。都議選が終わり、新しい時代の都政へ新たな扉が開かれることを期待したい。

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    運と勢いだけの「小池チルドレン」に都政の課題が解決できるのか

    川上和久(国際医療福祉大学教授) 小池百合子という政治家はどこまで運がいいのか。 首都決戦となった東京都議会選挙は、自民党と小池知事率いる「都民ファーストの会」が都議会第1党をめぐり激しい戦いを繰り広げたが、結果は都民ファーストの会の圧勝だった。 自民党は、豊田真由子衆院議員の暴言・暴行問題や稲田朋美防衛相の失言、下村博文都連会長の政治資金問題などが立て続けに週刊誌などで報道され、事実上「オウンゴール」の連続で、自民党への批判票が奔流のごとく都民ファーストに流れ込んだ。有権者へ向け、東京都議選候補者への最後のお願いを行う都民ファースト・小池百合子代表=7月1日、東京都豊島区(春名中撮影) 昨年7月から約1年間の小池知事の動きをみていると、あたかも浮き沈みを繰り返しながら、メディアにニュースを提供し、相手のミスを巧みに利用しながら勝ち残りをかけていく米大統領選を彷彿(ほうふつ)とさせる「メディア・ポリティクス」のお手本のような動きを見せている。 2016年7月に実施された都知事選で小池知事は約291万票を獲得した。「都議会はブラックボックス」と都議会のドン、内田茂都議(当時)を悪者に仕立て上げ、メディア受けする「戦いの構図」を作り上げた。 築地市場を豊洲市場に移転することが11月7日と決められていたにもかかわらず、選挙公約に従って移転を延期し、盛り土がなされていなかった問題を掘り出し、「地下空間」にメディアの注目を集めさせ、地下水の汚染問題などを喧伝(けんでん)して移転延期の正当化に成功。東京五輪・パラリンピックの会場問題でも、経費節減をうたってボート会場の変更、バレーボール会場の変更などを打ち出し、他の自治体も巻き込んで、騒動を巻き起こした。 小池知事が繰り出す「アピール」にメディアも飛びつき、毎週金曜日の知事定例会見となれば、民放各局が生中継し、それが視聴率にも結び付くというWIN-WIN効果で、小池知事はすっかり「メディアの寵児(ちょうじ)」となった。 2017年2月5日に投開票された千代田区長選挙では、現職の石川雅己区長を支援し、石川氏は都議会自民党と自民党東京都連が擁立した与謝野馨元衆議院議員のおい、信氏をトリプルスコアで破り、当選した。 この時点では、都議会自民党も「小池知事の勢い」に相当な危機感を抱いていた。この勢いが続けば、多くの自民党都議会議員がはじき出されてしまう。そんな中、小池知事にも「アキレス腱(けん)」はあった。 第一のアキレス腱は、自分自身が選挙公約として打ち出した「豊洲市場への移転の延期問題」だ。盛り土がなされていなかった問題を掘り出したまでは良かったが、地下水の汚染などについては、専門家に「安全に影響はない」と言われ、逆に築地市場の汚染問題なども報道され、石原慎太郎元知事から「安心と安全をごちゃまぜにしている」と批判された。ことごとく断裂を免れた小池知事の「アキレス腱」 都議会自民党は、「豊洲への市場移転」を早々と都議選の公約に掲げ、小池知事に対して「決められない知事」のレッテルを貼り攻撃を始めた。豊洲市場への移転に関して、何らかの決断をしなければ、都議選でますます攻撃を受ける状況だった。築地市場の豊洲移転問題で会見する小池百合子都知事=6月20日(桐原正道撮影) 小池知事は、いわば追いつめられた形で「決められない知事」の汚名を返上すべく、都議選の告示直前になって「豊洲移転、5年後に築地の市場機能復活も含めた活用を検討」という、なんとも中途半端な併用案を打ち出し、「決めました」とばかりに選挙戦に持ち込んだ。 小池知事の併用案は、「豊洲と築地の両方に市場機能など不可能」「財源をどうするのか、まったく明らかにしていない」などと玄人筋にはきわめて評判が悪かった。「選挙目当てのパフォーマンス」と都議会自民党も攻撃のトーンを高めたが、意外や意外、告示期間中の6月24、25両日に通信社・新聞社等が共同で行った世論調査では、小池知事の「豊洲・築地併用案」を約55%が「評価する」と答えた。 巧みな争点隠しだ。「豊洲には移転するが、自民党案とは違う」と見せることで、有権者を納得させてしまった。第一のアキレス腱が断裂せずに済んだ。 第二のアキレス腱は、小池知事が都知事選に立候補する際、自民党本部に「進退伺」を出して、そのままになっていた、ということだ。 これも、都議会自民党は、「自分の出処進退も決められないのか」と「決められない知事」のイメージ強化に躍起となった。だが、6月になって小池知事が自民党に離党届を提出、都民ファースト代表になったことで、「都民ファーストの会VS都議会自民党」の対立図式がかえって鮮明となった。 もともと、小池知事が約291万票を獲得した中には、自民党支持層も含まれていたため、自民党を離党したことで、自民党支持層が離れるのではないかと懸念された。その自民党が、国政レベルで組織犯罪処罰法改正案の中間報告による国会採決、加計学園問題での野党の批判、「魔の2回生」豊田議員の暴言・暴力問題が明るみに出るなど守勢に立たされ、都民ファーストが国政レベルでの自民党の対応に不満を持つ党支持層の「受け皿」になってしまった。第二のアキレス腱も、自民党の「オウンゴール」で断裂を免れた。 第三のアキレス腱は、「都民ファーストの会」という地域政党の存在そのものにある。都議会自民党は「二元代表制の中で、小池知事の意向を一方的に実現する勢力を都議会で作るのは健全ではない」と攻め立てた。けだし正論ではある。 世論調査の結果を見ても、小池知事への支持は、一時期の8割超から漸減し、都議選の告示後は60%台半ばくらいにはなっていたが、それでも高い支持率を誇っていた。一方、都民ファーストへの支持は、小池知事への支持よりはるかに低かった。都政の課題への見識に早くも疑問符 いくつかの地域で、都民ファーストの候補者演説を聞いた範囲では、都政のさまざまな課題についての詳しい見識を持っているわけではなく、「小池知事と一緒に東京大改革を実現する都民ファーストの会です」というような、抽象的な内容しか話していない候補もいた。 豊洲市場の移転問題にしても「小池知事の意向を尊重する」というようなスタンスでは、地域政党とはいえ「小池知事のお抱え議員集団」というそしりは免れまい。 その二元代表制の本旨からいえば疑問とされるような都民ファーストが、都議会第1党となった。今後は、都議会第1党として知事へのチェック機能も果たしていかなければならないが、果たしてそれができるのだろうか。 過去の選挙を振り返ってみても、「ブーム」は何度もあった。1993年6月27日に行われた都議選では、「日本新党ブーム」で日本新党が公認だけで20議席を獲得、自民党、公明党に次ぐ都議会第3党となった。その立役者となったのが当時、日本新党の参院議員だった小池氏だが、その後の衆院選での「新党ブーム」の先駆けとなった。 2009年7月12日に行われた都議選では、民主党が54議席を獲得して都議会第1党となり、自民党38議席、公明党23議席を合わせても61議席と過半数割れにまで追い込み、その後の「政権交代」の序曲となった。 だが、こういった「ブーム」がもたらすものは、経験不足の新人議員の大量生産だ。日本新党も民主党も、新人議員が大量に誕生したものの、その4年後の都議選では惨敗している。 小池知事の支持率はいまだに高いものの、都議会自民党はこれからも豊洲と築地の併用案に「都民の税金を無駄遣いするのか」と厳しい姿勢で臨む可能性がある。小池知事の意向を実現するための都民ファーストだが、もし小池知事への支持が失われたら、それでも都民ファーストに存在意義があると言えるのか。 「小池チルドレン」と言われる新人議員が多くを占める中で、次の選挙を戦う足腰を鍛えることはできるのか。既成政党のように、政策を学び、都庁と渡り合いながら政策を実現していく教育機能を都民ファーストは担うことができるのか。小池知事の意向に従うだけなら、単なる頭数だという批判も浴びることになる。「都民ファーストの会」総決起大会で公認候補者とフォトセッションに臨む、小池百合子都知事=6月1日、東京都目黒区(川口良介撮影) 小池知事の第三のアキレス腱、都民ファーストは断裂の危険性を抱えながら小池知事と二人三脚で歩みを進めていくことになる。 運とメディア戦略で都議選までを乗り切った小池知事。1年間は選挙キャンペーンを上手に展開したが、このまま順調に進んでいることはできるか。4年間の任期をこれまでのような選挙キャンペーンのノリで乗り切ることはできまい。都知事としてのかじ取りが、これからさらに厳しく問われることになる。

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    ところで「小池チルドレン」は大丈夫?

    小池百合子知事率いる「都民ファーストの会」が東京都議選で圧勝した。「東京大改革」の風は、安倍一強と揶揄される自民党を歴史的大敗に追い込んだ。国政への影響は必至だが、爆誕した「小池チルドレン」の資質もやはり気になるところ。僭越ながら小池さん、あなたの子飼いはホントに大丈夫?

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    小池新党候補に「高学歴女の幸せ請負人」20年学んだ知見聞いた

    キャリア・アドバイザーとして独立した。 調査票では、「女性のキャリアと起業の支援」などを公約にあげ、政治家を志望した動機をこう書いている。〈家庭と仕事の両立についてアドバイザーとして活動する中で、より公共・公益に直接貢献したいという想いが強くなったため〉都議選に向けての高円寺駅南口での演説後、自身の政策について記者に語る杉並区から都民ファーストの会公認で出馬する茜ヶ久保嘉代子氏=6月12日、東京都杉並区 まさに「女性活躍推進本部」の“伝道師”にふさわしい意気込みではないか。もっとも、彼女は3年ほど前、〈高学歴女の「女の幸せ」請負います〉を合い言葉に、「高嶺の花-倶楽部」というサロンを立ちあげたことがある。公式ブログは現在更新されていないが、こんなことが書かれていた。〈高学歴女性のあなたは、そんじょそこらの凡人にはちょっと近寄りにくい存在かもしれないけれど、「本当に実力のある賢い男性」や「知性と品のあるチャーミングな女友達」に囲まれた、上質で刺激的なライフスタイルを目指すことができる可能性を十分に秘めているのですよ〉〈筋金入りの「高学歴女子」がその道のプロから必死で学んできた「いい女への道」を同じ想いを持つあなたには、特別に伝授いたします。20年の歳月をかけて学んだ、血と涙と汗の結晶である数々のノウハウであなたも、あなたの望む形で「女の幸せ」を手に入れて下さい〉 茜ヶ久保氏は20年の歳月をかけて、どんなノウハウを学んだのか。質問書を送ると、秘書を務める茜ヶ久保氏の夫が、こう回答した。「(サロンは)実質活動はしていません。ブログは初期設定をしましたが、実質的に利用していない。私的に開設したブログを、ネタとして取り上げられること自体が不本意です」 どうやら消したい過去のようだ。関連記事■ 都知事は戦後わずか6人 都知事の権力や仕事を分析した本■ 高学歴女 学歴コンプレックスないガテン系男に魅力を感じる■ 大卒女性の24%が“肛門性交”の経験アリ 高卒女性は17%■ 小泉純一郎氏 11月の福島県知事選に進次郎担ぎ出すプランも■ 新党結成の石原慎太郎氏 知事辞任は側近にも伏せられていた

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    都民ファースト鞍替え元自民区議が失神パワハラ疑惑に反論

     小池百合子・都知事の自民党離党と代表就任で「都民ファーストの会」はいよいよ東京都議選(7月2日投開票)に向けた戦闘態勢を整えた。都議選は「スキャンダル合戦」もヒートアップしている。とくに標的になっているのが、造反組候補だ。渦中の都民ファーストの目玉候補に反論を聞いた。 まずは小池氏の地盤・豊島区から出馬する本橋弘隆・区議(55)。自民党の方針に造反して都知事選で小池氏を応援した「7人の侍」の1人で、自民党から除名処分を受けると、都議選を前に「パワハラ疑惑」が流れ出した。新会派「都民ファーストの会」結成記者会見で、東京都議選の第1次公認候補を受けた本橋弘隆豊島区議(右)=1月23日、東京都庁(納冨康撮影) 今年2月17日、豊島区議会で本橋氏が議場の席替えに関して議会事務局長に抗議し、その10分後、同席した部下の職員が失神、救急搬送された。そのことが、「職員は本橋氏の怒鳴り声にショックを受けた」とパワハラ疑惑になったのだ。 本誌は議会事務局がその場に居合わせた一般職員6人に行なった調査資料を入手した。『本橋議員が事務所内で大声を出した件に関するアンケート調査結果』という仰々しい表題の文書によると、複数回答可で、「恐怖を感じた」(3人)、「恫喝だと感じた」(3人)、「大人げないと思った」(2人)とあり、さらに2人の職員がこの件を目撃した後、「体調に異変があった」と答えている。 本橋氏が大声で怒鳴ったとすれば問題はあるが、さすがに議会事務局のアンケートの内容も大人げない。 失神した職員にはもともと持病があったという情報もある。本橋氏には他にも盆踊り会場でのパワハラ、地元の書店での大声トラブル情報などがあった。本橋氏が言う。「こういう状況だから出る杭は打たれるんじゃないですか。仕組まれてますよね。身に覚えがありません」関連記事■ 都民ファースト幹事長 野田ゴレンジャーとショーパブ会合■ 「SOD女子社員」シリーズ 本当に社員なのか?■ 「小池新党」を牛耳る最側近の「六本木ハレンチ豪遊」撮■ 「9頭身」女優・田中道子が魅せた大人のセクシー■ 元テレ朝・龍円愛梨氏 資金不足で選挙事務所借りられず

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    首都東京は大丈夫か? 都議選公約に隠された3つの問題点

    会は「議会改革条例をつくります」「議員特権を廃止します」「『不当口利き』禁止条例をつくります」などの政治改革を先頭に掲げ、待機児童対策など小池都知事の公約とほとんど同一の内容、つまり都民目線の公約を掲げている。 他方、都議会自民党は「個人都民税10%減税」「事業所税50%減額」などの斬新な政策から「東京2020大会を起爆剤とした、日本全体の景気浮揚。全国への経済波及効果は32兆円」といった壮大な政策を提言している。 そして公明党は「鉄道駅のホームドア整備を拡充」「私立高校授業料の無償化について、対象を年収約910万円未満の世帯へ拡充」といった人にやさしい政策を、民進党は「小・中学校の給食費等を無償化」「口きき記録を公開し、補助金などの適正化を検証」など具体的かつ実施可能な政策を、共産党は「認可保育園を9万人分増設」「特養ホーム2万人分増設」といった弱者に寄り添った政策を掲げている。 それぞれの「らしさ」全開のメニューだ。その順番や書き方、まとめ方にも政党の個性が表れており比較すると面白い。こうした各党の努力については敬意を示したい。前提となる知識を持っていない人にとっては理解しやすい言葉が並び、その意味では素晴らしいものも多い。 しかし、厳しい言い方をすると、専門家の見地から見て「政策」でも何でもないものも多い。主に3つの問題がある。具体例を示しながら見ていこう。 問題1 イメージ先行の抽象的な言葉のオンパレード「教育カリキュラムの充実、多様な教育の展開」(都議会自民党)「学童クラブの充実」(都民ファーストの会) 上記の文言から何を言っているのか理解できるだろうか? 「どのように」充実・展開するのか示されていない。実際すでに行われていることをただそのまま書いているだけともいえる。東京都の各種計画を見れば近い内容は書かれている。つまり、これは方針・指針のようなもので、進め方や度合いの違いにしかすぎない。 抽象度が上がれば上がるほど公約の責任追及からは逃れられるわけで、具体性を隠す政治的な高等技術ともいえる。無用な対立を避ける必要性があった時代ならまだしも、地方自治体が指標やKPI(Key Performance Indicator 編集部注:重要業績評価指標)を掲げ、数値目標の達成度を追及される時代にこれでは困る。第2、第3の問題点とは?問題2 明確な目的が存在しない「被災地と東京の子どもたちの絆を深めていくために、スポーツを通した交流事業をさらに展開」(公明党)「議会基本条例の制定に取り組みます」(民進党)「中小企業がとりくむ職業訓練への東京都の助成制度を充実させる」(共産党) 現実問題として何のためにその政策を行うのか、どのような問題解決につながるのかということが明示されていない。このような目的がよく分からない政策や公約が存在する。空気のようにはっきりしない理念にもかかわらず、もはやそれを実施すること自体が目的になっているようにも見える。運用できない、機能しない条例や自立を促さない助成事業ほど、行政職員の時間を奪い、やる気を損ねる事業はない。問題3 行政の役割範囲を超える「『おもてなしの心』で世界中から訪れる人々を歓迎するまちを実現」(都議会自民党)「金融とITを融合した「フィンテック」を推進」(都民ファーストの会) 上記のような政策に対しては、「行政の行うべき範囲を超えているのではないか」「民間が行うことではないか」との疑問を呈さざるを得ない。都政の予算には限界がある。行政でやってほしいという要望に取り組めば取り組むほど肥大化してしまう。 政治が率先してアピールすればするほど、「時代を先行する」人気取り事業に走りがちになる。そういった事業は人目を引きやすく、体の良い宣伝材料とニュースになるからである。そうなると見た目の良い「新規事業」に予算が確保されることによって本当に必要な事業の予算が削られる。もちろん事業の見直しとセットであれば良いが実際にはそういうわけにもいかない。これらは筆者がよく見てきた光景だ。 上記の3つの問題を改めて考えると残念だと思わざるをえない。都政の基本が分かっていないのではないかという疑問を覚えるし、このレベルでは優秀な都職員をバックにする都知事に対峙(たいじ)できるとは思えない。本来の役割である都政をチェックできるのだろうか。われわれは何を求めるべきかという点を考察したい。(1)前回の都議選の公約を示した上での説明(与党)達成できた成果を具体的な数値(KPI)で示す(野党)未達成であることの理由、シナリオを提示(2)今回の公約に対しての説明 政策をなぜ実施するのかを明らかにする 政策の目標、実現のための前提条件やシナリオを明示 ということが求められるのではないだろうか。自民、公明、民進は実績を示しているので、あともう少しがんばってほしいところである。首都東京の現実を前に責任政党の今後の取り組みに期待したい。

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    施行から70年、浮かび上がる日本国憲法に刻まれた「敗戦国の烙印」

    とを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 この前文によって明らかにされているのは、主権者が「国民」であること、国民から信託を受けた代表者がその権利を行使すること、その利益は国民が享受することが定められています。また「基本的人権」の概念や「平和主義」の精神がうたわれ、「理想国家の実現」が宣言されています。 ただ、一国の法の権限の及ぶ範囲は、その国家の領域内のみであり、他国を規定することはできません。それにもかかわらず他国のありように言及する部分があるのは独善的で、いささか専横に過ぎるかと思われます。 一国の国内法でありながら、複数国を実効的に規定する法律が実は存在します。「アメリカ合衆国憲法」です。アメリカはいくつもの国の集合体なのです。その価値観を取ってつけたように日本国にあてはめたようなものなのですが、残念ながら日本国は合衆国ではないということに気がつかなかったようです。 合衆国仕様の法規を単一国に採用した結果、至る所で不具合が生じています。まず自国の平和を他国の善意に委ねるかのような表現は随分と他力本願的であり、自立心に欠けているとも感じます。他者に価値観を押しつけながら自らは受け身であるとは奇々怪々です。 国の定義ともいえる憲法のこのような姿勢が国民の性質に影響を及ぼしてはいないかと懸念します。自ら思考したというよりも、「言わされた感」が強いと感じています。有体に申しますと「いかにもアメリカ人の考えそうな」という印象を受けます。しかしながら第一要件である「秩序の維持」に逆行してはいないようです。第二要件「正当な手続き」を満たすのか 問題は第二要件の「正当な手続き」がなされたと見なすことが困難であるところです。一般にはあまり認知されていないようですが、現行の日本国憲法は戦後に制定された「新憲法」とは言い難く、実のところ「改正大日本帝国憲法」を「天皇が承認」し発布されたものです。1945年8月30日バタアン号から厚木基地に降り立ったマッカーサー連合軍最高司令官 しかも当時の日本は敗戦国としてGHQの占領下にあり、GHQの指導の下に臨時政府である「帝国議会」が策定し、「大日本帝国憲法73条」の憲法改正手続を経て公布されました。その経緯が、ハーグ陸戦条約43条(戦時国際法)『国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。』これに抵触しているのではないかと指摘されています。 占領下における主権者はGHQであり、具体的にはマッカーサー最高司令官ですので、その指揮の下で憲法改正が行われたことは不当ではありません。「憲法が絶対的な支障である」と判断されたのなら、いたしかたのないことです。国際社会が容認したのなら是非もなしです。「大日本帝国憲法」における主権者は天皇であるので、その承認がある以上、現行憲法の公布は不当なものではありません。 しかしながら、実施されたその瞬間から主権者は日本国民でありますので、当然、その承認を得なければなりません。ところが現在に至るまでなんとなく既成事実化した「みなし承認」で運用されてきており、正当性があるのか非常に曖昧です。 不適切な仕様が原因で生じた不具合の一例として、文言の表す意味が極めて矮小(わいしょう)なものになってしまった部分が、いわゆる「諸国民」が用いられている個所です。「諸国民の公正と信義(に)信頼して」の(に)の一文字ですが、なぜ(を)ではなく(に)なのでしょうか? 「単なる言い方の違いじゃないか、問題はない」と思われるかもしれませんが、この(に)であるか(を)であるかは、そのまま受動的(従属)であるか能動的(対等)であるかの違いです。「諸国民」とはすなわち「日本国民以外」を指し、主権者の権限の及ばない外国となります。一方、合衆国における諸国民とは各州の市民でありますのでまったく状況が異なります。 意訳をすれば「外国の善意(に)寄り添って、この命預けます」と読めてしまいます。これでは国家としての主体性を持たないことを表明する文言となっています。対等ではないかのような表現を用いながら、後述では対等であることが責務であると表明するのはどうにも矛盾していると感じます。それもそのはず仕様が不適切なのです。ガソリンエンジン車に軽油を給油したり、その逆を行って、まともに動くと考える方がどうかしているというものです。独立国家の矜持はいったいどこへ? 「押しつけでも素晴らしい憲法なのだから良いじゃないか」との意見も多数あり、それも一理あるとは思いますが、植民地であるならばいざ知らず、曲がりなりにも独立主権国家としての矜持(きょうじ)にかんがみて、そこのところを譲歩してはいけないのではないかと思えてなりません。 日本の主権のために戦った兵士のみならず、空襲で亡くなった無垢(むく)の市民や沖縄の激戦で犠牲になった幾多の命の流した血潮のしみ込んだ大地の上に今われわれが生きているのだと、そうしみじみ思うのです。現行憲法はまるで「敗戦国の烙印(らくいん)」のようなものだと、私には思えてならないのです。 まだまだ不条理の止まるところは知れません。第一章第一条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 さて、ここで確認しなければならないことは、そもそも「天皇」とは何か? どのように定義されてきた存在なのか? 「象徴」と再定義することが可能であるか? 再定義された「新天皇」に存在意義はあるのか? 畏れ多くはあってもそれを思索することを避けて通れません。 学術的な真偽は考慮せず、建前として「古事記」等に記されている日本神話の設定を受け入れることを是とした場合、初代神武天皇より第125代天皇陛下に至るまで2600年以上にわたり「父系」によって血統(皇統)が受け継がれ、その血統は日本国の創造主たる「イザナギ・イザナミ」の2神(2柱)を原初としています。 すなわち、「天皇」とは「神様の系譜を継承する存在(神様の子孫)」と定義されます。重要なのは「血統」であって「家名」や「家督」ではありません。そこが「皇室」とその他の一族との決定的な相違です。豊臣秀吉や徳川家康が天下人と成りながらもなお、自ら天皇を名乗れず家臣として官位を授かることで「成就」としたのは正に「血統」によるものです。 「血統」が象徴するものは「一族」であり、せいぜい「民族」であって「国家」ではありません。日本国民の中にはさまざまな国を出身とする人々がいます。そのような異民族の人々を「天皇」が象徴することは定義上不可能です。唯一、民族を超えて日本国民すべてを象徴することができるのは「日本国籍」のみです。 「天皇」という存在を受け入れるのであれば、それは国民より下に置くわけにはまいりません。「天皇」の呼称は「神様」と同義です。「人」にその呼称を使うのは不適当です。現行憲法以前は「天皇は元首」であり「国民は臣民」でありました。なぜならば「だって相手は神様ですもの」倫理的にそれ以外の形式はありえません。「是」か「非」か、はたまた「可」であるか「否」であるか、二者択一の問題です。 たしかにこれは「身分制度」であります。しかも「人」と「神族」であります。良いか悪いかの話ではなく「天皇」を規定している時点で「身分制度」も同時に容認しているということです。天皇と国民主権の両立には問題がないのか? 天皇と国民主権の両立には何の問題もありません。天皇以外が主権者であることは通例でした。江戸時代もそうでしたし、明治維新以降もそうでした。真に天皇が主権者であったのは平安時代までのことです。「人の世」の主権が人にあったところで、「神様」の存在が脅かされることはないからです。しかしながら、天皇の存在を認めながらも元首とせず、「象徴」という筋違いの地位に置く現行憲法の規定は、論理的に破綻しているのです。理論的合理性すなわち「理性」を欠きます。昭和天皇の署名がある日本国憲法の公布原本=2017年4月7日、東京都千代田区の国立公文書館 念のため申し上げますが、私は現行憲法の矛盾点、不条理を指摘しているのであって、「天皇」を賛美しているのではありません。私の価値観においては、「天皇」の存在は「有意義」ではあるけれど「不可欠」ではない事象です。温室の花であれば庇護の手も必要でしょうが、あえて路傍の雑草あれかしと願うからです。踏まれてもなお根を張り生きようとする雑草あれかしと願うからです。私は「人草」の末裔(まつえい)です。 正当な手続きも怪しく、論理破綻も濃厚な現行憲法ではありますが、秩序の維持だけはなんとか保っているかと思いきや、それさえもむなしく瓦解(がかい)する条文が待ち受けています。皆さんお待ちかねの第二章第九条と愉快な仲間たちの登場です。第二章第九条第一項日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 「正義」とは主権者にとっての正義であり、「秩序」とは主権者のための秩序であるので一国の国内においては絶対的な基準となり得ます。しかし、複数国を想定した場合では、それぞれの国にそれぞれの主権者が存在する以上は、相対的基準でしかなく、国際平和の基調とすることは不可能なのです。 不可能な事象を希求したところでそこには空虚しかありません。理論的にそれが可能となる状況はただひとつ、全世界が統合され統一法規の元に主権者が集約されて、「正義と秩序」が相反することなく、絶対的な基準として機能する場合のみであります。ちょうどアメリカが合衆国として成立しているようにです。 そのような目的を達成するために、武力を放棄することがいったいどんな貢献をするのか、さっぱり意味不明なのです。「○○のために、××をする」つまり目的を達成するために方策を行うからには、そこに実効性が伴っていなければ意味をなしません。 例えば「お湯を沸かすために加熱する」「空腹を満たすために食べる」などで分かるとおり熱量の問題には熱量で、栄養の問題には栄養で対処しなければ効果がありません。目的と方策は同じ要素であるか、相互互換の関係性が成り立っていなければなりません。「お湯を沸かすために歌う」では、上がるのはテンションであって温度ではありません。実効性が置いてきぼりにされている 第二項では、方策として「戦力の不保持」が示されていますので、必然的にその目的は「武力放棄」以外に効力を発揮しえません。しかしながら第一項には、2つの主題が同列に掲げられています。「国際平和」および「武力放棄」ですが、そのうちで実効的方策が示されているのは「武力放棄」のみで「国際平和」が宙に浮いた状態になっています。 では「国際平和」を目的とし「武力放棄」を方策とすることが可能でしょうか? 複数国を対象とする問題に自国の憲法の規定が実効力を持つはずもなく、残念ながら、ただの希望が記述されているだけです。結果的に「無抵抗の表明」をしている文言となっています。「外交的努力があるじゃないか!」との指摘もありますが、そこで注目すべきであるのは「国際紛争」とはいかなる状態を指しているのかです。単純化のために2国間での場合を想定して考察します。1、なんらかの事由で利害の対立が生じ、2、互いに非難しあい、3、臨界を超えて物理的衝突に至る。 「紛争」とはどの段階を表す文言でしょうか? 1には「摩擦」という表現がよりふさわしいのであてはまりません。2には「係争」というより適切な文言がある以上、それを押しのけて当てはめるのも不条理です。3「争い紛れる」とは、彼我が入り乱れ、分別の定かではない状態であり、正に物理的衝突の最中にあるという文言です。 外交的努力が意味を成すのは2の状況までであり。3の段階はその努力が失敗した事後なのです。そのような状況に無抵抗であることがどのような結果をもたらすのか想像に難くありません。無抵抗であるからには当然のことながら自衛権も放棄しているのであって、どう解釈すれば自衛隊が合法化できるのか理解できません。 個人的に極めて不本意ながら、日本共産党の違憲とする主張の方が筋が通っています。「ほら!なにもしないよ。僕を信じて!LOVE&PEACE」「日米安全保障条約があるから、いざというときはアメリカが助けてくれる」。 本当ですか? 彼らはこの国を焦土と化した人たちですよ? 抵抗もせずただ蹂躙(じゅうりん)されている者のために、肉親家族を戦場に送ることをかの国の国民が認めると本当に思いますか? 自立と独立をなによりも重んじる国の国民が? もし、私がアメリカ国民ならば、こう言うでしょう。「死にたいなら勝手に死ね!まず自ら武器を手にしてあらがえ、そうしたら一緒に戦ってやる」日本国憲法は「ポンコツ」 前段で、私は現行憲法は主権者たる日本国民の承認を得ているとは言い難いと論じました。それはあくまでも私の考えに基づく判断ではありますが、そのまま推し進めるとするならば、「国権・国の交戦権」なるものがそもそも存在しません。前文によって国民主権が確立されているからには、主権を有しているのは日本国民であって、国は行政上の義務を負っているに過ぎないからです。 権威も権利も権力もすべては国民の所有し認証する事項です。主権者の承認もなく主権者の権利を国権などと称して勝手に放棄することは秩序の破壊そのものであり、もはや「法」と名付けることに値しません。「放棄」の是非を論じているのではありません。「持ち主に断りもなく捨てるな!まず許可をとれ!!」と主張するものであります。 私は日本国憲法の可否を問うています。同じものであっても人それぞれの感性や価値観によって評価が違うのは当然です。私が検証したのは理論的不合理が発生してはいないか、論理破綻に陥っていないか、法としての体裁に欠陥はないかを考察しているのです。 その結果としてかなりの「ポンコツ憲法」であると思っているわけです。主体性を持たず、理性を失い、脅威に無抵抗であることを国是とした最高法規を、それでもなお「可」とするか、それとも「否」と断ずるかをせめて一度は国民に、その信を問うべきだと申し上げている次第です。 憲法というものは本来たやすく変えてはいけない類のものです。国のあり方がコロコロかわるようでは、どんな顔をして信念を説けばよいのでしょう。良不良を別にして70年間一言も変えずに、掲げ続けてきた日本国民の不屈の信念はなんとまぁ見上げたものだとあきれもすれば、また誇らしくもあります。 人は己の意思を他者に伝える、あるいはその逆の場合において、身ぶり手ぶりや表情やうなり声では不十分であることに気がつき言葉を生み出しました。やがてその言葉を時空間的な束縛から解放する手段として、単なる記号でしかなかった印に言葉を対応させました。文字、そして文言の誕生です。 それは人の意思を伝え人になにがしかの影響を及ぼす力を持ちます。文言はそれ自体が生命体として最低限の要素を備えているとさえ言えます。人は文言に意思を込めることによって、生命を創造するに等しいのです。 人はどのような文言を信念とするかによって、その認識にかかわらず、その文言の持つ性質に同化していきます。炎の中に身を投じるとその人が炎をどのように認識していようとも、皮膚は焼けただれ肉は焦げやがて灰となるでしょう。 国はどのような憲法を国是とするかによって、その解釈にかかわらず、その憲法の持つ傾向を体現していきます。だからこそその中身に齟齬(そご)があってはならないと私は思います。「ツッコミどころ満載!!」であってはいけないと私は考えます。あらゆる批判に耐えうる堅牢(けんろう)さを構築したまえと私は小声で申し上げます。

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    現役信者がすべて明かす 「生長の家」は本当に左傾化したのか?

    立場を明確にしました。 生長の家はかつて、「優生保護法」の廃止(反優生学・反堕胎)を目的に「生長の家政治連合」を結成し、「大日本帝国憲法」の復原・改正や靖国神社の国家護持を訴えるなど、「保守」の立場を鮮明にしていました。しかし、「反安倍政権」の声明以降、ネット上では肯定派・否定派ともに「生長の家は左傾化した」という論調が盛んになっています。 ネットだけでなく雑誌『SAPIO』の29年3月号でも、反政権側の宗教もいくつか「保守」に分類しているにもかかわらず、生長の家を「リベラル派」の宗教としていました。 安倍政権を支持する生長の家の別派の中にも、ネット上に「今の生長の家は左傾化した」とか「共産党を支持するようになった」という書き込みをされている方もおられます。私は、生長の家の現役の青年会の会員で、組織内での活動もしています。また、今年の2月から3月にかけて、生長の家宇治別格本山で1カ月間「研修生」として修行していました。 その私からすると、今の生長の家が「左傾化」したという外部からの評価は意外でした。別派の中には私のことも「左翼学生」として名指しにされている方もいますが、どうしてそのような誤解を生むのか納得できない面もあります。  私は、ブログに『大日本帝国憲法』の復原・改正を訴える文章を掲載したり、保守系オピニオンサイトに堕胎や野党共闘に反対する記事を寄稿したりしたこともあります。私の主張は決して「左翼」とはいえず、むしろ「右翼」的なものであると自分では思っています。 宗教団体の教義や活動は外部からは分かりにくい面もあるでしょうから、ここでは内部から見た実態を伝え、本当に生長の家は「左傾化」しているのかを考えていただきたいと思います。 私が生長の家宇治別格本山の研修生であったころ、毎朝「早朝行事」と呼ばれる時間がありました。朝4時45分に起きて「宝蔵神社」という生長の家の神殿に行き、そこで祈りとお経の読誦を行った後、境内の清掃をするというものです。本山の職員と研修生には参加が義務づけられており、一日の始まりの重要な行事として認識されています。 その「早朝行事」では必ず、境内清掃の前に「皇居遥拝(こうきょようはい)」を行います。しかも、生長の家の行事で「最敬礼」を行うのは、「神想観(しんそうかん)」という祈りを行う場合を除くと、この早朝行事での皇居遥拝の時だけなのです。 また、毎日午後1時になると「幽斎殿(ゆうさいでん)」という建物で天照大御神(あまてらすおおみかみ)・住吉大御神(すみよしおおみかみ)・塩椎大御神(しおつちおおみかみ)の三柱の神様を前で神想観という祈りを捧げます。生長の家で天照大御神を祀っているのはここだけなのですが、この幽斎殿で行う神想観は他の場所とは文言が異なる特別な神想観であり、いかにここでの祈りが重要かを示しています。生長の家の教義の原点は「天皇信仰」にある さらに、早朝行事での国旗掲揚と夕食時の国旗降納の際には、国旗に向かって起立し国歌を歌います。夕食では多くの職員・研修生が食堂にいますが、食事中であっても食事を中断して食堂の中から国旗掲揚台のある方角に向かって起立し、「君が代」を歌うのです。一体、これのどこが「共産党を支持する新興宗教」「左傾化した教団」の儀式なのでしょうか? 他にも、大東亜戦争の戦没者に祈りを捧げたり、全国流産児無縁霊供養塔で水子さんたちにお経を読誦したりと、左翼団体の人間には死んでもしたくないであろう儀式がたくさんあります。このような実態を知らずに「生長の家は左傾化した」とか「今の生長の家はエコロジー左翼」などと評価するのは、誤解と無知からくる偏見にすぎません。 今の生長の家が地球環境問題に取り組んでいるのも、生長の家における「天皇信仰」の教義が原点にあります。 生長の家では天皇を天照大御神の化身であると捉えており、そして天照大御神は単なる太陽神であるのみならず、全宇宙を遍く(あまねく)照らす毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)であって、宇宙の大自然と一体にして中心者であるとされています。 したがって、大自然と天皇陛下が一体であるという信仰的立場から地球環境問題に取り組んでいるのであり、決してエコ・フェミニズムなどの左翼思想に染まっているわけではないのです。 事実、神武天皇以来の歴代天皇陛下が天地の大自然の神様に祈りを捧げて来られたことは紛れもない事実であり、ハゼの研究で高名な今上天皇陛下も自然環境に多大な関心を払われていることは広く知られていると思います。 また、昨年、皇后陛下は誕生日のおことばで、「ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がかない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。(略)日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています」と述べられ、天皇・皇后両陛下が環境問題に関心を持たれていることを改めて示されました。 このように、環境問題と尊皇愛国の精神とは全く矛盾するものではなく、生長の家が環境問題に精力的に取り組んでいるからと言って「エコロジー左翼」などと評するのはナンセンスです。 むろん、世の中には「右翼」と「左翼」の定義についていろいろな考え方があるのは承知しています。しかし、上記で述べたような今の生長の家の実態を知った上で、本当に生長の家が「左傾化」したといえるのでしょうか? これを読まれた皆様には偏見を持たずに考えていただきたいと思います。

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    大阪市版「豊洲問題」だ! デタラメ行政が生じさせた医療空白地

    著者 宇山卓栄 東京都のデタラメな行政運営の象徴が「豊洲市場移転問題」である。だが、大阪市にも、この問題に劣らないくらい大きな問題が発生している。「市民病院跡地問題」である。両者に共通するのは、デタラメな行政が住民に大損害を与えているということだ。  今年3月、大阪市では、とんでもないことが明らかになった。ごく簡潔に、この問題の経緯を説明する。 老朽化した市民病院(「大阪市立住吉市民病院」、大阪市住之江区)の統廃合に伴い、民間病院がその跡地に誘致されることが決まっていた。2013年の橋下徹前市長時代の話だ。ところが、この民間病院の新病棟建設ができなくなった。日影(日照権)規制に引っ掛かり、既定の病床数(209床)を満たす大規模病棟建設が法的に認められなかったからだ。 平成30年3月末をもって閉院する大阪市立住吉市民病院=2016年10月28日、大阪市 毎日新聞などでは、「民間病院側の設計ミス」で日影規制に引っ掛かったと報じているが、これは事実と異なる。民間病院のミスではなく、市行政の過失が原因である。  大阪市健康局は、跡地の指定区域に、日影規制で209床もの大規模病棟を建てられない予見可能性を持ちながら、この民間病院の提案スキームを2015年8月に受け入れた。日影規制の障壁があり、新病棟建設ができないということを、健康局が吉村洋文市長(橋下氏の後継者)に報告したのがなんと、1年後の2016年9月である。「1年間、いったい何をやっていたんだ!」という話である。議会には、11月まで報告はなかった。  この1年間、厚生労働省の認可を得たり、市民病院の府立病院への統廃合の予算を通したりしている。しかし、結局、指定区域に新病棟が建てられないという結果となり、当初のロードマップに大きな狂いが生じはじめたのだ。 こうしたゴタゴタの中で、5月17日、民間病院側が誘致計画そのものから撤退することを表明した。民間病院としても、市のズサンな対応に業を煮やしたというところだろう。市は跡地の病院誘致を断念し、跡地の売却などを検討している。 この病院は大阪市の地域(住之江区など)の小児・周産期医療の主要な部分を市民病院が担っていた。今後、医療空白が生じ、それらの小児・周産期医療を代替する医療機関はこの地域からなくなってしまう。これは地域住民にとっての大きなリスクだ。  3月の市議会で、自民党の山本長助市議がこの問題を徹底追及した。山本市議の調査によって、市健康局が市民病院の跡地で、タイトな日影規制が掛かっていることを以前から認識していたことを裏付ける書類も出てきた。  当初、吉村市長も健康局も、上記の民間病院の建設スキームの選定に対し、日影規制を認識していなかったと主張していた。しかし、山本市議の手厳しい追及もあり、3月17日の市議会民生保健委員会では、吉村市長が「日影規制を知り得る機会があった」と答弁。  また、市は一連の経過について内部調査を実施し、その報告書で「選定段階で図面提出が義務づけられていなかったことに起因する」として、上記民間病院を選定した市に過失があることを認めた。  今後は、この行政過失がどのような背景から生じたのかを情報開示させるとともに、どこに責任が帰属するのかを明らかにしなければならない。  東京をはじめ、他の府県の方々に、われわれのこの大阪の問題が分かっていただきたいと思う。大阪府庁は「森友学園問題」、大阪市役所は「市民病院跡地問題」をそれぞれ抱えている。今、大阪はメチャクチャである。 行政が怠慢で不作為、意思決定がズサン。こうしたことは豊洲問題を抱える東京都庁も同じであろう。行政機構におけるガバナンスがまるで利いていない。怠慢な文学者気取りの知事やポピュリズム市長に加え、行政のチェックもできない無能議員を選んだ有権者が結局、こうしたツケを払わされる。そして、役人たちは大手を振って、「役人天国」を満喫し続ける。 

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    田中眞紀子の秘書暴行をスッパ抜いた上杉隆「17年目の反省文」

    「作り話だ」「陥れるための記事だ」 時はちょうど眞紀子ブームの全盛期。アンケートでは総理大臣にしたい政治家ナンバーワンの人気を誇る政治家への批判ということもあって、当初、すべてのメディアが「そんなバカな話があるはずがない」と決めつけ、後追い取材をするメディアもなかった。 ところが、その4カ月後、小泉政権で田中眞紀子氏が外務大臣に就任すると、外務省内で同様の騒動が起き続け、メディアの状況も一変、産経新聞が一面で私の記事を紹介する形で報じたのを皮切りに、議員秘書への「暴行」がようやく世に問われることになったのだ。 いま思えば、当時の永田町では、議員による秘書への「暴行」「虐待」などは決して珍しい話ではなく、テレビや新聞などでは報じられない「闇の世界」が日常化していた。 多くの政治記者たちも議員による秘書への暴行話を見たり聞いたりしながらも、それがあまり問題視される時代ではなかったのだろう。 実際、他の議員事務所を取材した当時の私自身も、軽度の「暴行」は容認していた気がする。 私が議員秘書として鳩山邦夫事務所に入った1994年は、まだ国会議員の秘書稼業は丁稚奉公(でっちぼうこう)的な色合いを深く残しており、忠誠心を持って議員に仕え、ときに身代わりとして自己犠牲すら厭(いと)わない秘書こそが優秀な秘書とされている時代だった。 たとえば、「経世会」(旧田中派)の秘書会の大先輩が、議員のスキャンダルが報じられた後、自ら命を絶ったという話も「秘書の鏡」として美談になって語られていた時代だった。鳩山邦夫の秘書時代 当時の国会議員は、主に「官僚派」と「党人派」に別れ、とくに後者は自らも議員秘書時代に鍛えられた経験から、同じ厳しさを秘書に求める傾向にあったように思う。 私のボスである鳩山邦夫議員も、田中角栄首相の秘書を務めた「党人派」であり、その例に漏れず、厳しいルールを自らの秘書たちに強いていた。2009年8月、総選挙の決起集会で演説する,、福岡8区から出馬した鳩山邦夫元総務相=福岡県久留米市内のホテル 私自身も入所して3カ月間は一切、家に帰ることはなかった。というのも、勤務時間は午前7時から深夜23時が定時で、土・日、祝日は一切なく、新人は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰らなければならないというルールが徹底されていた。 それ以上に、私たち若手秘書は、鳩山代議士の自宅に寝泊まりして、朝は掃除やゴミ捨て、夜は家族が寝るまで夜回りの記者などの対応を担当し、結局、鳩山家のお手伝いさんの部屋か、事務所に寝泊まりするのを余儀なくされていたのだ。 入所1年後、運転随行秘書になった私はより厳しい労働環境に置かれた。盆も暮れもない。軽井沢の別荘で鳩山代議士と二人っきりで過ごす2週間は、私にとっては逃げ場のない苦役だった。 初めて休みをもらったのは秘書になって1年半がたったある夏の日、父が急逝した翌日のことだった。それまで本当に1日たりとも、休みがなかった。 そうした厳しい世界を経験した秘書仲間、同僚や先輩や後輩たちがいまバッジを付けている。自民党の2回生が問題となっているが、その中にもかつての秘書仲間はいる。当時永田町で育った議員や秘書の多くは、いまだに古い永田町文化をひきずっているように思う。 もちろん、それで免罪されるわけではない。だが、時代の変化に対応できない議員が「自民党2回生」に集中していると断じるのは、早計にすぎるのではないかと思う。 問題を起こした議員が「自民党2回生」に多いというのはたまたまだろう。3回生にも、4回生にもその種の問題議員はいるし、また自民党だけではなく、野党にも間違いなくそうした議員は存在する。 すなわち、安倍チルドレンだけの問題ではなく、永田町全体の問題であり、その一端は、それを知っていて見て見ぬふりをしてきたメディアの報道姿勢にもあると私は思う。 実際、罵倒を繰り返して、言葉の「暴行」を繰り返す議員を、日頃、永田町で取材している政治記者たちが知らないはずはない。 仮に知らないとしたら、よほど愚鈍か、あるいはスタジオでご高説を垂れる取材をしないテレビコメンテーターや政治評論家の一団に違いない。いまの秘書は恵まれている さて、こうした関係は議員と秘書の間だけではないだろう。私が知っているだけでも、役人に向かって「絶叫暴行」を繰り返す議員や秘書は少なからずいたし、制作子会社のスタッフに「暴行」を続けるテレビ局の社員も複数知っている。 つまり、日本社会全体に存在している相対的弱者に対する「イジメ」が、より目立つ形で、永田町で噴出したのが今回の「絶叫暴行」事案だと言った方が正確なのかもしれない。 元国会議員秘書経験者からすれば、いまの秘書は恵まれていると思う。定時には帰宅することができるし、休日も保証されている。思えば、それは当然のことだが、わずか20年前とはいえ、どうしても自分自身の経験を基準とし、厳しい目を持ってしまう。 人はそうやって自分の経験からしか物事を見られないのだろう。おそらく、私の先輩秘書も、私たち後輩に対して同様の気持ちを抱いていたに違いない。 秘書稼業の厳しさは、生きてきた時代が規定する。そう考えると、時代によって議員と秘書の関係も変わるに違いない。 鳩山事務所を退所した1999年から3年間、私は米国の新聞社(ニューヨーク・タイムズ)に働いた。その際、米国の議員と秘書の関係も知ることになる。米国のように、公費で20人も秘書を雇える制度ならば、秘書は秘書、本来の秘書業務に専念させることも可能だろうと実感した。2月19日、地元の埼玉県朝霞市長選で万歳三唱する豊田真由子衆院議員(菅野真沙美撮影) しかし、公設秘書を3人しか置けない日本の現行制度では、選挙というものがある以上、とりわけ衆議院では、議員と秘書の雇用関係に、法律や常識の枠では収まらない厳しい現状が発生するのも無理もないという考えに至ってしまう。 豊田議員をかばうつもりはない。だが、彼女の事務所以上に、ひどい扱いを受けている秘書が存在するのは紛れもない事実だし、そうした状況を許してきた永田町の慣習を無視して、いまの私には、ひとり彼女だけを追及する気にはなれない。 あの田中眞紀子議員を追及して、議員辞職まで追いつめたジャーナリストの反省として、誰かひとりをスケープゴートにしてつるし上げても何も変わらないと知っている。そうした報道は、社会に進歩も発展ももたらさないことを、私たちはこの20年間の報道で学んだはずだ。 政治部を中心とするテレビ・新聞は、自分たちの不都合も含めて、今回のことを俯瞰的に調査・報道してもらいたい。大局を持って今回の「暴行」事件を報道・分析すれば、きっとその先に、議員と秘書の健全な関係が待っているに違いない。

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    安倍政権に朗報! こうすれば「モンスター議員」はいなくなる

    員数そのものを減らせばいい。日本の国会議員の数が多いか少ないかは、いろいろな議論がある。各国によって政治制度が違うので、単純に数の比較だけでは議論は成り立たない。ただし、現在の日本の状況、つまり財政は毎年赤字で破綻も視野に入っていること、すでに人口減社会に突入し、有権者数も減少していくことを考えれば、現行の国会議員数「衆議院議員475人・参議院議員242人、合わせて717人」は多すぎるのではないだろうか。公選法改正案を可決した衆院本会議=6月8日 国会議員に支払われる「歳費」(給与)は月額約130万円、期末手当が約630万円で年間約2200万円。これに、文書通信交通費として毎月100万円、立法事務費として毎月65万円、政党交付金として毎年4000万円、秘書の給与(政策秘書、第1・第2公設秘書の3人)約2500万円などが加わり、議員1人辺りに税金が約1億円も注ぎ込まれている。つまり、議員数を減らせばおのずと税金が浮くわけで、減らすにこしたことはないだろう。新人大量当選にも意義がある これまで、どの政党も口をそろえて「議員数削減」を叫んできた。たとえば、民主党は、2009年のマニフェストに議員定数を80人削減すると明記して政権を取ったにもかかわらず、たった5人しか削減(0増5減)できなかった。 自民党も、昨年2月に安倍晋三首相が「議員定数10削減」の実施時期を、自民党案が示した「2020年以降」から前倒しすると明言したら、反対が続出する結果を招いた。かつて、2012年に衛藤征士郎衆議院議員が会長を務める超党派議連が、「衆参対等統合一院制国会創設案」を提出したことがある。その案によると、衆議院と参議院を統合して一院としたたうえで、「国会議員の定数は、現行722人を3割(222人)削減し、500人以内として別に法律で定める」(編集部注:2012年当時の定数)と明記されている。この議連の顧問には安倍首相も名を連ねていた。国会議員数を500人まで削減すれば、計算上、年間約230億円もの税金が浮くことになる。 最後に、小選挙区制によって、選挙が「風向き」に左右され新人が大量に当選するので、これを廃止すべきだという意見に反論しておきたい。 この意見は、新人が未熟である、議員としての質が低い、つまり「チルドレン」ということからきているので、本来の改善策は質を向上させることで、システムの変更ではない。つまり、そのためにはどうすべきかを議論すべきだ。 実は、新人大量当選にも意義がある。それは、当選の反動で、たとえば「老害議員」が落選することが多くなったことだ。国会を昼寝の場とするような高齢議員がいつまでも実権を握り、当選回数によって大臣になるというような年功序列システムが残っているようでは、この国の未来は暗い。 もともと、「衆議院議員で5回以上、参議院議員で3回以上」が大臣の条件というのは、田中角栄内閣以降に確立されたものだ。それが、小選挙区制になり、小泉、安倍内閣などにより、現在はある程度崩壊してきている。もともと政党は、当選回数よりも見識、実力、知恵を重視する「メリットクラシー」(能力本位)でなければならない。そうでなければ選挙をやる意味がない。参院法務委で、「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について、民進党議員の質問に対応する金田勝年法相(中央)=6月13日(斎藤良雄撮影) 本来、議員にもっとも求められるのは、国民の側に立った政策立案能力だ。だから、英語では議員は「ローメーカー」(立法者)と呼ばれるように、多くの法律が議員立法でできている。じつは戦後の日本も、人身保護法、優生保護法(現在は母体保護法)などの重要法案は議員立法で制定されている。しかし、保守合同と社会党の統一によって、与野党の勢力が固定したいわゆる「55年体制」が実現すると、議員立法は減少してしまった。 こうして、日本の国会議員の多くはローメーカーではなく「トラブルメーカー」になってしまった。それなら、議員数を思い切って削減したほうが、どれほど国民のためになるか、真剣に議論すべきときだ。

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    「安倍チルドレン」はモンスターばかり?

    出るわ出るわの醜聞で「安倍チルドレン」の評判が今や駄々下がりである。秘書へのパワハラが週刊誌でスッパ抜かれた豊田真由子議員をはじめ、カネや不倫、失言といった問題行動が次から次へと明るみになり、身内からも追い詰められる安倍政権。「モンスター議員」は他にもいるのか。

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    「秘書イジメ」豊田真由子議員だけが悪いのか

    岩田温(政治学者) この数日間の日本列島では、偶然、テレビから耳に入ってきた罵声に震撼(しんかん)させられた人が多かったのではないだろうか。言うまでもなく、豊田真由子代議士の罵声だ。「このハゲ~~~」という悪罵(あくば)から始まる「違うだろ!」「違うだろ!」等々のヒステリックじみた、いや、狂気すら感じさせるような、秘書に対する一連の漫罵(まんば)である。 私自身ハゲているわけでもないし、この代議士と一度も顔も会わせたことすらないのだが、何か自分が罵(ののし)るられているようで、非常に不愉快な気分に陥った。よく聞いていると、ところどころで暴力を振るったと思われる鈍い音もあり、まことに恐ろしい音声といわざるを得ない。そもそも、他人を批判する際の言葉が、「ハゲ」などという能力と無関係な身体的特徴であるという時点で、あまりに低俗に過ぎる発言だろう。よく考えれば「ハゲ」ていることは罪でも何でもないのだから、そもそも、非難の言葉だと捉えること自体が差別主義的なのだ。 ところで、豊田真由子代議士といって、多くの人が思い出したのが、園遊会の際の乱暴な言動ではないだろうか。園遊会では、招待された方の配偶者しか入場が認められていないが、豊田代議士は自身の母親を強引に入場させてしまったという事件が関係者の間ではかなり評判になっていた。私も話を聞いた際に、随分強引で、我の強い性格だと思っていたのだが、その凶暴さは想像以上のものであった。多くの国民があきれ返ったのは間違いないだろう。豊田真由子氏 だが、この豊田代議士の発言に対する自民党の重鎮たちの発言も、かなり、不適切な発言が多かった。すぐに撤回することになったが、河村建夫元官房長官は「ちょっとかわいそうだ。あんな男の代議士はいっぱいいる」と述べ、麻生太郎副総理も「あれ女性ですよ女性。男と書き間違えているんじゃないか」と述べている。 河村元官房長官の発言が事実だとすれば、自民党の男性代議士の中には、豊田代議士のような暴言、暴行が日常茶飯事になっている代議士が多いということになってしまうだろう。また、麻生副総理の発言は、豊田代議士が「女性」であるから、そのような暴言、暴行に及ぶことが信じがたいという意味に取れるので、結果として、男性代議士であれば、そのような暴言、暴行があっても仕方ないと受け止められてしまいかねないだろう。どちらも軽率な発言だといってよい。 そもそも社会的弱者を守る使命を帯びた政治家が、自身より弱者である秘書に対して、暴言、暴行の限りを尽くしたという時点で、豊田代議士の責任は重く、決して擁護できるものではない。 ただ、一点だけ豊田代議士に同情できる点があるとするならば、恐らく、彼女自身は、非常に優秀な人物で、ミスを仕出かす人々の気持ちが本当に理解できないのではないだろうか。彼女の経歴をみると、東大法学部卒業、厚生労働省入省、ハーバード大大学院修了、そして衆議院議員に当選している。およそ非の打ち所のないほど華麗な経歴で、彼女自身が相当な努力家で優秀な人間であったことがうかがえよう。こうした優秀な人間にありがちな欠点は、他者が自分と同様に優秀であるという錯覚を抱いてしまう点にある。自身が優秀だからこそ陥る欠点 要するに、本来であればできるはずなのに、意図的に努力を怠っているから、仕事ができないという風に思い込んでしまうのだ。自身が優秀であればあるほど陥りがちな欠点といってよいだろう。この罵声を浴びせられた秘書のミスを許すことができなかったのだろう。 だが、人間は皆、豊田代議士ほど努力家でも優秀でもない。別に彼女の才能を持ち上げるわけではないが、誰もが豊田代議士ほど優秀ではないというのが、世の中の常である。確かに豊田氏は優秀な官僚ではあったかもしれないが、一人一人の庶民の心をおもんばかることができないという意味において、政治家には絶対に不適格な人物であった。このような人物を公認候補として選出してしまった自民党関係者も猛省すべきであろう。支援者とともに満面の笑みで万歳三唱する豊田真由子氏(中央)=平成26年12月、埼玉県新座市 もう一点、別の観点から、この事件について一つだけ指摘しておきたいことがある。それはこの男性秘書の身の処し方についてだ。 恐らく、何度も信じられないほどの暴言を浴びせられ、嫌気が差したことは理解できる。だが、本来、彼がなすべきだったのは、ミスをした点に関しては、豊田代議士に対する心からの謝罪であり、その後になすべきは、豊田氏の異常な言動に対する「諫言」ではなかっただろうか。 失敗した点は謝罪すべきだが、本来、非難されるべき点ではない身体的特徴を揶揄(やゆ)され、人格を否定されるような発言がなされた点に対しては、いさめるべき立場にあったのではないだろうか。いさめて聞き入れないというのならば、断固として、その点は認めがたいと面を冒してでも堂々と主張すべきではなかったのか。 こうした低俗な議論に持ち出すにはいささか気が引けるが、『孫子』には「将、軍に在りては君命も受けざるところあり」との言葉がある。例え、上司から命令されようとも、引き受けてはならぬことがあるという意味だ。この場合、命令が下されているわけではない。自分自身の人格、名誉が否定されているのだ。その場で曖昧な態度を取るのではなく、毅然(きぜん)とした反論をなすのが秘書という職務というものだろう。 代議士もひどければ、秘書もひどい。日本の政治は一体どうなってしまうのかと思わざるを得ない低俗な事件だった。

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    「超傲慢エリート」元官僚議員はなぜ量産されるのか

    議員たちばかりを思い出してしまうが、なぜなのだろうか。チルドレンとは、そもそも子供たちを意味するが、政治の世界などでは特定の人物の影響を受けた人たちの意味もある。 小泉純一郎総理や小沢一郎氏(幹事長、党首)、あるいは安倍総理の影響を強く受けた議員という意味があるわけだが、これらの新人議員の誕生に関して共通して言えることは、特定の政治家の思想などに強く感銘を受けて政治家を志したというよりも、むしろ特定の政治家が自分や所属する党の勢力を拡大するために大量に新人を立候補させる必要があったということである。 要は粗製乱造。その典型例は杉村太蔵元議員。最近の杉村氏は社会的な常識が身に付いたように見受けられるが、当選直後には「早く料亭に行ってみたい」だとか、あまりにも軽い発言を連発して顰蹙(ひんしゅく)をかったものだ。新人議員を多数誕生させる必要があるときには、じっくりと人物を見極める暇などなく、粗製乱造がどうしても避けられないのであろう。 事実、麻生太郎副総理は、先日、次のようなことを言っていた。「(自民党の衆院当選2回生は)全国に数多くおります。(2012年衆院選で)119人もの新人が通りましたから、こりゃいろいろいるのです」。とはいえ、自民党としては公募の手続きをとり、ちゃんと審査をして決めたわけで、少しは責任を感じてもらわなければいけない。ただ、そうは言っても、時間も限られているし、数をそろえることが優先されるので致し方ない面もあるのだろう。 つまり、学歴や職歴、そして、話しぶりやルックスがまあまあであれば決定するか、と。まして、豊田氏については学歴や職歴が抜群であり、実際の人柄について詮索するまでもなく決定されたことが容易に想像できる。 我々も東大卒、中央省庁採用、海外留学などという経歴をみると、それだけですごいなと思ってしまうわけなのだから。それに、選挙では当選することが一番大事なことで、後々明らかになる人柄の問題はどうしても軽視されがちになると言っていい。 そして安倍チルドレンの質が劣る理由は他にも考えられる。繰り返しになるが、チルドレンとは特定の人の影響を受けた人たちを意味する。そして安倍総理は、森友学園事件や加計学園疑惑が判明する以前から約束を破るというか、自分の言った言葉に対する信頼度が低い政治家と少なくても一部では見られている。だから、そうした総理の影響を受けた新人議員たちがどのような立ち居振る舞いをしがちになるのかは容易に想像がつくであろう。問題になりにくいキャリア官僚の暴言 ただ、以上のような事情からだけでは豊田氏の異常な言動を説明することはできない。つまり、新人議員粗製乱造システムによって適正のある議員が選ばれることの方が難しいからだ。また、安倍総理の個人的な資質が多くの新人議員の言動に相当な影響を及ぼしていることが事実であったとしても、豊田氏の言動は、そもそも議員になる以前から相当に常識はずれであったことがかつての同僚や部下たちの発言から明らかになっている。 豊田氏は少なくとも厚生労働省にいたときから部下を怒鳴り散らすなどの言動が頻繁に見られていたのだ。では、そうしたパワハラまがいの言動をどうしてするようになったのか。 豊田氏のケースに限定せず一般論を言わせてもらえば、本省採用のキャリア官僚は、自分たちは一般職員とは全く違うというエリート意識を持っている者がほとんどであり、また、そうしたキャリア官僚の中には、一部とは言え、自分たちは他の人間とは違うと、あからさまに見下すような態度をとる人間がいるということだ。実際に私は、こうした一部のキャリア官僚が、他人の人間性を全く否定するかのような言葉で部下を罵倒する現場に何度も遭遇したことがあるのでわかるのだ。 では、そのような傍若無人の態度を取って、職場で問題にならないのか。通常、このような暴言が問題になるのは、極めて稀(まれ)だと言っていい。というのも、そのような鼻持ちならない一部のキャリア官僚は、普通、上司には精一杯ゴマをすり、気づかれずに済むことが多いので、職場内で問題になることはまずないからだ。つまり、上司や組織からそうした暴言が注意されることは一切ない。その代わり、常に部下たちのアフターファイブで愚痴の対象にはなる。どれだけノンキャリたちの酒の席での話題になっていることか!霞が関の官庁街 まあ、役所は2年程度で人事異動が行われるのが普通だから、1年もすれば自分が異動するか、問題の上司が異動するかと思い、我慢することが普通だ。最悪2年たてば、どちらかが少なくとも変われるであろう、と。 しかし、事実は小説よりも奇なり。私の場合、福岡にある出先機関のある課に2年間勤めた後、東京にある出先機関に異動になったことがあるが、なんという偶然か、私の上司である部長も同時に東京の出先機関に異動になり、再び私の上司になったことがあったのだ。まあ、そのときの上司は格別暴言を吐くタイプではなかったので、問題はなかったが。 ところで多くの人は、豊田氏の東大卒、厚労省入省、そして、ハーバード大大学院留学という経歴をみて、なんと華麗な経歴で、超エリートなのだと思ってしまうに違いない。これまでトントン拍子で人生を歩んできて、挫折など経験したことがないと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。 彼女が実際に挫折を経験したことがあるかどうかは知らないが、一般論として言えば、財務官僚(大蔵官僚)といえども、全く挫折を経験したことのないという人がどれだけいるのだろうか。本当の意味での超エリートというのはほんの一握りではないかと思う。 私はかつて環境庁に課長補佐として出向していたことがあったが、そのときに、私と同じように大蔵省から課長が出向してきたことがあった。その課長に、勝手な想像で「課長は今まで挫折など経験されたことがないのでしょうね」と言ったことがあるが、そのとき「いや、高校受験で志望校に落ちた経験がある」と言われて驚いたことがある。 ただし、その後、東大法学部を卒業し、大蔵省に入省した訳であるから、世間の尺度からすれば超エリートなのだが、それでも途中で挫折を経験したことは事実なのだ。元官僚議員は「挫折組」 それ以外にも、財務省OBで有名な方にもいろんな経験をした人がいる。例えば、かつて通貨マフィア(財務官)として名を馳せた行天豊雄氏(東京銀行会長、国際通貨研究所理事長を歴任)も、最初は東大の入試に失敗して早稲田にいったん入学した。その後、再び東大に入り直しているし、政治家の中山恭子氏(日本のこころ代表)は、東大文学部を卒業後、外務省勤務(外務省キャリアではない)を経て大蔵省に入省している。 また、たとえ中央省庁にキャリアとして採用されても、多くは事務次官や局長になるコースを外れた道を歩んでいることが年を経るにつれ明らかになるので、ある種の挫折感というか諦めを感じるのである。そして、事務次官や局長になる可能性が小さいなと自覚するようになると、中には国会議員になる道を目指す者も出てくる。 中央省庁勤務を経て国会議員になるといかにも華麗な道を歩んできたかの印象を抱く人が多いと思うが、今述べたように、次官や局長になる可能性がないと気が付いたから国会議員になったという人も多いのだ。だから、役所ではかつて、事務次官になる方が大臣、ましてや政務次官になるよりも難しいなんて言われたものなのである。このように一般の人々の高級官僚を見る目と、彼ら自身がどう感じているかには相当のギャップがあるのが現実なのである。 そういえば、今回の豊田氏の不祥事の報道を聞いて、ひどい上司は役所だけでなく民間にもいる、なんて話をかつて役所に出向していた人から聞いたことを思い出した。ある都市銀行の支店での話であったが、ノルマを達成できなかった行員さんたちが机の上に正座させられることがあった、と。今から28年ほど前の話なのだが、日本社会が未だに似たような状況にあることを再認識してびっくりした次第だ。 こんなことを言ってはやや言い過ぎになるかもしれないが、安倍総理の財務省いじめも似たような性格を有するのではないのか?如何に財務省が官邸からいじめられていたかは元財務官僚の山口真由氏が証言している。東京・霞が関の財務省 私の経験からすれば、日本にはそういった職場のいじめっ子である上司には逆らわないという文化があるように思われる。逆らっても逆に問題をこじらすだけだからじっと耐えているしかないのだ、と。私は、かつてそのような類の上司に遭遇したことがあるが、そんな輩(やから)は、こちらが下手に出るから益々恫喝的な態度に出るのだ。だから、偶には毅然として反抗することも必要なのだ。 超エリートたちは、まさか部下が反抗するなんて思ってもいないので、実際に反抗的な態度を取られると対応に困るのだ。もちろん、そうして反抗するからには辞職も辞さない覚悟が必要だが、その代わり相手が態度を変えるかもしれないのだ。 ひと悶着が起きる可能性があるが、いじめられて精神的にダメージを受けるくらいなら、その方が、自分のため、そして職場のためにもなり、多いにプラスになると今でも信じている。 今回、音声データを公表した元秘書を悪く言う向きもあるが、そのような意味で私は決して悪い行為だとは思わない。豊田氏にとっても、それをきっかけにして反省することになるならば、本当に良い薬であろう。

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    鎌田實医師 大西英男議員の失言に対して言いたい2つのこと

     受動喫煙対策強化の法案提出は先送りされたが、議論百出の状態だ。もっとも大きな話題となったのは、5月15日に開かれた自民党厚生労働部会で、大西英男・衆議院議員が、「がん患者は働かなくていい」、とヤジを飛ばしたことだろう。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、大西議員の言動に対して、2つの言いたいことを述べる。* * * 受動喫煙の防止策を検討していた自民党厚生労働部会で、失言の多い議員がまた失言した。「(がん患者は)働かなくていい」 多くの食堂や居酒屋では、受動喫煙の対策がすすんでいない。受動喫煙の健康に対する害はよく知られているが、その害にさらされながら働くがん患者の実情を訴える三原じゅん子議員に対し、大西英男議員がヤジを飛ばしたのだ。自らの発言が、がん患者や元患者の気持ちを傷つけたとして謝罪する自民党の大西英男衆院議員=5月22日、東京・永田町の党本部 全国がん患者団体連合会は、がん患者の尊厳を否定しかねない、と抗議文を出した。大西議員は、「がん患者らの気持ちを傷つけた」として謝罪。しかし、発言は撤回しなかった。喫煙可能の店で、無理して働かなくていいのではないかという趣旨だったと言い訳した。この大西議員の言動に対して、2つ言いたいことがある。 一つは、働かなければならないがん患者の実情をまったく理解していないということだ。がん患者は「患者」であると同時に、自分や家族を支えていく「生活者」である。最近は、親になる年齢が高齢化していることに伴って、小さな子どもを育てながら、治療を受けている人も多い。生きるためには治療が必要であるが、生きれば生きるほど治療費がかかり、子どもや家族の生活を圧迫していくという状況に苦しむ人もいる。そんな厳しい状況で、働いているがん患者がいることを想像してほしい。 二つ目は、喫煙の害を甘く考えていることだ。これは医師としてどうしても言っておきたい。 タバコは、がん患者だけでなく、すべての人の健康によくない。たとえば、タバコを吸う男性は、吸わない人に比べて、すべてのがんでリスクが2倍高い。食道がんは3.3倍超、肺がんは4.8倍、膀胱がんや尿路がんは5.4倍にも跳ね上がる。 がんだけではない。脳卒中や心筋梗塞は1.7倍、肺気腫や高血圧も喫煙が影響しているといわれている。大西議員よ、額に汗して働け さらに問題なのは、受動喫煙だ。タバコの副流煙には、健康を害する物質がたくさん含まれているといわれ、喫煙者の周りの人たちに対する健康被害が明らかになってきた。 厚生労働省の研究班は、受動喫煙により年間1万5000人が死亡していると発表している。また、肺がんでは、夫がタバコを吸っているだけで1.3倍、脳卒中も1.3倍高まる。 医療費を抑制するためには、喫煙率の低下や、受動喫煙防止はとても重要なカギとなるはずだ。だが、憲法で保障する「幸福を追求する権利」などを持ち出して、どこでもタバコを吸えるようにしたほうがいいという愛煙家や、タバコ産業のロビー活動がおそらくあり、なかなか実現しないのだろう。 小規模の飲食店では受動喫煙の防止策を徹底すると、客が減って収入が落ちるのではないかと心配しているようだが、WHOの調査では、逆の結果が出ている。完全禁煙を実施したら、むしろタバコを吸わない人たちや家族づれが安心して来るようになり、利用者が増えたという調査も出ている。 日本は、WHOの「たばこ規制枠組条約」の締約国となっている。アメリカの半数以上の州や、カナダ、ロシア、オーストラリア、南米諸国、韓国などが、第8条の「飲食店等を含む屋内施設を完全禁煙化することによる受動喫煙の防止」をすでに実現している。日本は、世界でも遅れているのである。 改正がん対策基本法では、患者が仕事を続けられるように、企業に配慮を求める施策がつくられた。当然、がん患者が安心して働けるように、きちんと受動喫煙を防止することは必須である。 本当は「あなたこそ働かなくていい」とヤジりたい気持ちを抑え、大西議員が額に汗して働くべきことは、自民党の先頭を走って、病気のために仕事を続けられなくなったがん患者が安心して働けるような社会にすることである。それが、国民全体のためにも働いたことになるはずだ。関連記事■ 「メンソールを吸うとEDになる」説 科学的根拠ナシ■ 習近平喫煙写真出回る 中国禁煙キャンペーンに反発との説も■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ たばこ副流煙で肺がんになる人「4万人に1人」と武田邦彦氏■ 50歳以上の男性喫煙者が血尿になったら膀胱がんの疑いもあり

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    自民若手の連続不祥事 選挙が楽でカネと暇ある環境が一因

    )。自民党が大敗した2009年当選組(小泉進次郎氏など4人)と比べると、国会質問の数でも大きく劣り、政治キャリア、政務能力の“劣化”が問題視されている。 宮崎氏が国会で質問をした回数は1年間でわずか2回。下積みの努力がない分、宮崎氏は「育休宣言」のパフォーマンスで手っ取り早い知名度アップを図ろうとした。政治家として拙劣すぎる。村上正邦・元自民党参議院議員会長はこう憤る。 「今の2回生はどうしようもない奴らばかりだし、それを厳しく指導する先輩もいない。かつても自民党の議席が多い時代はあったが、新人なりに質問させてくれと頼んで先輩から『10年早い!』と怒鳴られ、それでも食い下がってチャンスを掴んで、その1回の国会質問に思いを込めていた。本当に情けない」2015年8月、未公開株をめぐる金銭トラブルで自民党を離党、記者会見に臨む武藤貴也衆院議員(斎藤良雄撮影) そんな危機感も当人たちには届いていない。2012年組の大半は2014年の前回総選挙も楽々当選で2回生になった。そうなると、地元活動のための「金帰火来」(金曜に地元に戻り火曜に上京)を次第に怠り、「土帰日来」で地元後援者の目が届かない東京に長く滞在し、「ハナ月~ハナ金」を楽しみたくなる。 その舞台の一つが「議員宿舎」だ。臨時国会召集が見送られ、若手議員にはますます仕事のない“バカンス”となっていた昨年秋から年末にかけて、東京・青山の衆議院議員宿舎の一室では夜な夜な嬌声が上がっていた。青山宿舎は繁華街の六本木から目と鼻の先。部屋の主は六本木で飲み歩くことから「ポンギ組」と呼ばれる2012年組の議員だった。「部屋に呼ばれた人によると、中には数人の水商売風の女性と同期の議員たちがいて『相席居酒屋かよ』という状態。一緒に飲まないかと誘われた議員もいた。同じ部屋で何日も続いたのでたまりかねた近隣の議員から苦情が出ていた」 そうした苦情もあって騒音は止んだというが、「外で同じようなことをやっているのでは」(同前)といわれている。議員合コンの成果は上々? 2012年組は独身議員が多く、議員秘書や衆院事務局の若い女性、政治部の女性記者などに声をかけた合コンが頻繁にあるとの情報も多い。 議員合コンに出席したことのある女性秘書は、「中には感じのいい方もいましたが、官僚出身のあるセンセイは『僕はこれまで女性にフラれたことがないんだよね』とかいいながら、自分では連絡をせず一緒にいた男性を通じて『後で会いたい』と誘ってくるんです。何か男らしくないなとヒキましたね」と打ち明ける。 ただ、政治とは違って、こちらの2012年組の成果は上々のようだ。「ある30代の2回生は美人で評判の先輩議員の秘書と噂になり、“手が早い”と周りの同僚にやっかまれていた」(大手紙政治部記者) 女子アナを射止めた議員も少なくない。辻清人・代議士はNHKの出田奈々アナウンサー、日銀出身の小倉将信・代議士は2013年にテレビ朝日の島本真衣アナウンサーとゴールインした(2015年に離婚)。「スポーツ選手や芸能人ならともかく、国会議員が女子アナと結婚なんて私らの世代には考えられなかった。全員がダメだとは言わないが、今の若手は自分がタレントか何かと勘違いしている」 とは自民党ベテラン議員の述懐だ。小人閑居して不善を為す──安倍自民党の若手の不祥事が止まらないのは、「国会で仕事はなく、選挙は楽、そしてカネと暇はふんだんにある」という恵まれすぎた環境にある。それが安倍一強政権の力の源泉なのだから空恐ろしくなる。関連記事■ 自民若手 役人が作った法案通す委員会数合わせの採決要員に■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意■ ベレー帽の元女性議員長谷百合子氏 ゴールデン街でバー経営■ 石破茂氏 解散決定時に国会内で使用制限の携帯メールしてた■ 丸川珠代 三原じゅん子の自民党内での台頭に愚痴をこぼす

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    ヘイトを逆手に取る「差別ビジネス」から沖縄を護れ

    ないのぼりやプラカードを持ったデモ隊が騒ぐようになり、心を合わせてともに祈る場であるはずの慰霊祭が「政治利用」されるようになりました。これは非常に残念なことだと多くの県民は心を痛めています。 沖縄県の「被害感情」や「平和を希求する心」がうまく利用され、民主党政権の鳩山由紀夫元総理の「最低でも県外」というウソの公約がきっかけとなり、「沖縄県民をバカにするな!」と火がついてしまったのです。その元総理は現在、平気な顔をして何度も沖縄の過激な抗議現場を激励に訪れ、何食わぬ顔で基地反対を叫んでいますが、もともと「やっぱり県内」と言って、基地を沖縄に押し付けてきた張本人であり、ロシアによるクリミア併合を支持しています。そんな「言行不一致」な人物がいま、平和の象徴として祭り上げられているのです。 慰霊の日を迎えるにあたり、今年はどんな騒ぎがあるのかと非常に不安を抱えています。戦死された多くの魂に安らかに眠ってもらうための慰霊祭がまるで戦場と化してしまう現在の「平和活動」に全く賛同できません。 さて、基地反対派ですが、厳密に分けると「暴力肯定派」と「暴力反対派」がいます。ただし、暴力的でない対話派は非常に少数であり、100かゼロかの議論に終始せず、相手の立場に配慮し、現実的な事情を把握するような、冷静に議論できる反対派の「左派」が少なくなったような気がします。 実は、「辺野古移設」だけを見ると保守層の中にもそれなりの反対派が存在し、本土で報道されている「反対派」と言ってもひとくくりにすることはできません。例えば、辺野古移設が実現すると、職や借地料が無くなる「普天間基地」周辺の人たちは当然反対します。 普天間基地周辺の不動産業界は、広大な土地の返還に伴う返還前の危険物の調査や除去などの整備、そして区画や名義の確認などにかかる空白期間が10年近く及ぶことを知っています。その空白期間は土地の有効利用されず、一切お金を生みません。また、それだけ広大な土地が返還されるということは、不動産の価格、または賃料が劇的に下がるということが確実視されています。翁長知事の街づくりは失敗 翁長雄志知事は、現在の「那覇新都心」が過去に米軍基地として利用されていた時代と比較して、返還前の52億円に対して、返還後は1634億円と経済効果で32倍も上昇したというような趣旨の発言をしていますが、普天間基地返還後の跡地利用について、那覇新都心と同じような開発プランしかありません。どう考えても、大型ショッピングセンターやオフィスビルを整備することくらいしか案はなく、県民と来訪する観光客のキャパシティーを考えても、互いに少ない客を奪い合う現象しか想像できません。 実際に、返還された米軍施設「泡瀬ゴルフ場跡」の跡地に国内有数の規模を誇る「イオンモール沖縄ライカム」が建設されましたが、テナントの出入りが激しく、当初の売上目標に及ばないばかりか、地元零細産業に大きな打撃を与えています。つまり、町づくりに失敗していると断言せざるを得ません。 さて、反対派について話を戻します。経済的な理由で反対している保守側を除き、沖縄県では社民党(社会大衆党含む)系と共産党系に別れますが、一般的に「革新勢力」と呼んでいます。 この「革新」というのは、非常に便利な言葉で、本来、全く連携や連帯をすることがない共産党と社民党が沖縄県では共闘するファジー(曖昧)な関係を構築しています。沖縄の革新系反対派(以後、反対派)に聞くと、そのほとんどは、自分が「革新系」だと答えるくらいで、本土で言うところの共産主義や社会主義のイデオロギーはほとんど浸透しておらず、自分がなぜ共産党または社民党を支持するのか説明できる人はほとんどいません。革新という呼称は、沖縄左派にとっては非常に便利な名称だったわけです。2016年12月21日、沖縄県東村高江の米軍高江ヘリパッド建設に抗議する反対派とにらみ合う機動隊員ら。反対派による通行妨害や機動隊員に対する挑発行為も目立った これまではそれでうまくやってきたのですが、最近、本土の政党本部からの影響力が増したせいか、そのイデオロギーをハッキリさせるという風潮が強化され、狭い島の「物事を白黒ハッキリとさせない」という処世術、知恵のようなものを否定するような圧力を受けています。 つまり、「おまえは共産党員なのか社民党員なのか?」という踏み絵を踏まされるのです。沖縄県民独特の「ハッキリさせない」融和主義が崩壊し始めたことにより、最近の首長選挙では「保守」対「革新」という構図から、「共産党」対「社民党」という風に移り変わっています。 翁長知事も「オール沖縄」という共産党主体の枠組みの中で、自身と支援候補の当選のためには、共産党との共闘を意識せねばならず、東京の「都民ファースト」や「民進党」と同じように、共産党の方針に引きずられた政策を打ち出していくような姿へと変化してきています。反対派の暴力 反対派の活動ですが、社民系の活動家がどんどん本土から流入していく中で、「山城博治」というリーダー(現在は複数の暴力事件で保釈中の被告)の下、過激さが日ごとに増し、昨年夏の東村高江地区でのヘリパッド建設(着工は約10年前)の集中工事に伴って、現地を完全に無法地帯と変えてしまいました。 その抗議団体の構成もさまざまで、労働組合を始め、宗教団体、同和系反差別団体、在日朝鮮系、韓国系団体、反原発系など大小100以上の団体が名を連ねています。特に際立って暴れたのがいわゆる「しばき隊(レイシストしばき隊)」と言われる暴力組織です。本土においても「十三ベース事件」など身内同士の暴力事件を数々起こしている団体であり、在日朝鮮、韓国系の構成員を多く含み、辛淑玉(シンスゴ)氏を頂点とする「のりこえねっと」などの協力で、沖縄県に闘争という目的を持って沖縄に上陸してきました。 当然、先述の「穏健非暴力派」からは活動参入後、非常に大きな抵抗にあい、「日本人でもないのにここで何をしているんだ」という声を浴びせられたと辛淑玉氏本人が証言しています。そういうこともあり、その過激運動は山城被告周辺で行われるようになり、カンパ資金を集めるために、機動隊員にケンカを仕掛けたり、検問している様子をネット配信するなど組織的な活動を開始しました。この抗議行動は全国に知られるようになりましたが、同時に彼らの蛮行が配信されるようになりました。「平和運動」そのものにも疑問符が付くようになり、元山口組組員を自称する、しばき隊の「男組」組長、添田充啓被告の逮捕と同時に、現場での彼らの影は急激に薄れ始めました。 ただし、どういう理由からなのか、地元新聞の琉球新報と沖縄タイムスにいたっては、辛淑玉氏や添田被告、そして山城被告を英雄視し、逮捕された後も「容疑者」起訴後の「被告」を付けずに報道して全面的にバックアップしています。 もうすでにネットなどでご覧の方に説明は不要ですが、車が違法に公道上でバリケードにされ、地元住民が全く往来できない時期が長期間発生し、過激派による違法な検問が行われ、住民がいちいち身分証明を見せないと通してもらえないほど現状が悪化していたにもかかわらず、それらの報道は皆無でした。「警察を呼べばいい」といった声を多く頂きましたが、沖縄県の現状は非常に複雑で、当初は政府の過激派に対する遠慮もあり、山城被告の独壇場でした。 そもそも地元の人間による反対運動というのは「高江住民の会」として存在していましたが、共産党主体で非常に穏健的だったものが、辺野古の過激グループが運動を乗っ取ったというのが僕の見立てです。その証拠に、住民の会のメンバーは、山城被告と行動を共にしていないし、一緒に逮捕されたメンバーもいません。僕も個人的に親しい共産党の村議がいますが、彼の口癖は「地元民から抗議を受けるような反対活動は絶対に支持されない」というもので、僕もそれに賛同していました。自称「人権の専門家たち」 さて、今回の国連での直接行動に至った背景やわが国をおとしめる集団について、私がこれまでに観察してきた、誰がどのように「ヘイトジャパン運動」を画策し、主導してきたかということをお話したいと思います。 まず、国連人権理事会の「特別報告者」ですが、通常は大学教授など民間の学者が選任される場合が多く、最近の日本に対する代表的な報告を行ったものとして、クマラスワミ(スリランカ)、ブキッキオ(オランダ)、マクドゥーガル(アメリカ)、ビクトリア・コープス(フィリピン)、カナタチ(マルタ)、そしてデービッド・ケイ(アメリカ)といった、自称「人権の専門家たち」がとんでもないウソで日本をおとしめてきました。記者会見するデービッド・ケイ国連特別報告者=6月2日、東京都千代田区(佐藤徳昭撮影) これらの報告者は、日本語を全く話さず、日本について、ほとんど知識が乏しい中、わが国が国費で招待し、必要な調査に対して100%協力しているにも関わらず、派遣される前のブリーフィング段階で、国連の認定NGOの反日活動家による「悪魔のイニシエーション」を受けています。 クマラスワミは、その報告の根拠を「吉田証言」に頼り切っており、国連において、日本の「慰安婦強制連行」は認定されたままとなっています。吉田証言が覆され、あの朝日新聞まで謝罪に追い込まれた後でも、クマラスワミはその報告の修正は必要ないと断言しています。 ブキッキオは、それに輪をかけたとんでもない人物で「日本の中高生の13%が少女売春を行っている」と報告し、大問題を引き起こした人物です。 マクドゥーガルは慰安所は「レイプセンター」であり、20万人以上のアジア女性を強制的に性奴隷にし、その多くが11歳〜20歳、毎日数回強制的にレイプされ、肉体的な虐待、性病罹患(りかん)の虐待を受け、生き延びたのは25%だったなどと報告。また、個人的に米国ジョージア州における慰安婦像の設置に積極的に協力しています。 コープスは、フィリピンにおける自国民の差別や殺人について一切発言せず、あの有名な翁長知事の国連スピーチを実現させ、辺野古の抗議団体の前で激励のスピーチを述べるなど、報告者としての中立性を完全に無視した行動で知られています。「沖縄県民は差別され、自己決定権はある」と無責任にけしかけた張本人でもあります。 カナタチとケイは、最近出没するようになりましたが、「報道や表現の自由」という担当分野の自称エキスパートで、日本におけるテロ対策法「共謀罪」や「表現の自由」の制約について、以下の国連反日活動エキスパートたちの意見を「うのみ」にして、日本政府に警告文を送ったり、国連で報告を行いました。組織的「差別ビジネス」 今回の「山城博治被告」の国連人権理事会のスピーチを実現させたのは、NGOヒューマンライツナウの伊藤和子氏と反差別国際運動(IMADR)の藤田早苗法学博士の両名であり、ここでも、「慰安婦」「在日朝鮮韓国活動家」「同和」「社民党」のキーワードですべてがつながってきます。ちなみに、平成10年に3人の女子高校生が同じ場所で「制服強制は人権弾圧だ!」と叫んだのもこういう人たちのお膳立て。国連では「甘ったれ!」と相当なひんしゅくを買っていました。伊藤和子弁護士(NGOヒューマンライツナウ) 13%の少女売春について情報提供を行ったと言われ、本人は否定していますが、ブキッキオと唯一の接触者であったことは認めています。また、その前後の特別報告者とも密接な関係を持っていることから、そう言われても仕方が無い。藤田早苗法学博士(英エセックス大学、IMADR) 伊藤和子弁護士が表に出ている中で、国連のキーマンと内通し、非常に巧妙にそして戦略的に日本をおとしめている陰の立役者。私も目撃しましたが、「さなえ」「デービッド!」とハグをするくらい特別報告者と親密で、本来必要のなかった来日を実現させたのも彼女だと言われています。政府の共謀罪法案をすぐに英訳し、特別報告者に送ったり、とにかく国連人権屋界隈では日本政府をしのぐ力を持っています。 ヒューマンライツナウの理事長は、青山学院大学教授で在日朝鮮人の申惠丰(シンヘボン)氏。その申氏が同じくIMADRの理事にしっかり入っているし、在日活動家の名前と同和団体(部落解放同盟)の幹部もIMADRの役人に名を連ねています。 この二つの組織を連携させた功績を持っているのが先述の「のりこえねっと」辛淑玉氏だと言われています。その彼女が「沖縄ヘイト」という言葉を生み出し、「沖縄人も日本人じゃない」「琉球人として差別されてきた」「一緒に戦おう」などと沖縄に介入し始めてから沖縄県がおかしくなり始めました。 つまり、陳腐化し、マンネリ化してきた彼らの組織活動にとって、沖縄県は、これら差別ビジネス、被害者ビジネスの一番ホットな「稼ぎ頭」または「存在意義」となりつつあり、これについては、本来反戦平和の運動を担ってきた地元の共産党員のほとんどがかなり困惑している状態なのです。 社民系は手段を選びません。「暴力を平気で使う」「言葉や態度が汚い」「対話ができない」といった共産党幹部が吐いた言葉からそれが分かります。 上記組織を簡単に説明すると、組織的「差別ビジネス」の在日版と同和版。つまり沖縄県をこれらの「魔の手」から護ることは、わが国日本を守ることなのです。 彼らの得意な戦略(手口)は、国連に自ら「告げ口」しておいて、日本のメディアの取材を受けて「日本政府の独裁体制は国連で問題視されている」と喧伝すること。日本に対して国際基準に合わせた人権意識をしっかり持ってほしいと言います。海外に一歩出れば分かりますが、こんなに人権が保障された国は世界でも珍しいくらいです。これだけねつ造された事実で日本をおとしめた特別報告者だって、自分の国については一切言わない。「国連は自分以外の国の恥部をさらけ出し、辱めるところだ」と表現する人もいるくらいです。国連人権委で行ったスピーチの内容を説明する我那覇真子さん(右)。左はともに国連人権委に出席した筆者=6月16日、日本記者クラブ 日本国民の国連に対する「公共的な国際機関」に対する信頼が逆手に取られ、国内の反日団体のスピーカーとして利用されているのです。国際社会での風評を落としたくないという政府の寛容な態度が逆に反日活動家たちの格好のステージを用意してしまっていると言えます。 私たちの先祖が護ってきた誇りある日本を取り戻す必要があると強く信じています。そのためにも「ダメなものはダメ」と毅然と対処する政府を作らなければなりませんし、そのための政治家を育てていかなければなりません。

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    沖縄の民意に裏切られた「翁長王国」崩壊の危機

    るま市長選)で、「オール沖縄」は3連敗を喫している。 市長選の場合、当該自治体固有の課題や地域固有の政治力学が色濃く反映するので、「翁長派VS反翁長派」という対立の構図がそのまま当てはまるわけではないが、「翁長支持・オール沖縄」で凝り固まった地元メディアが対立の構図をいたずらに強調しすぎたきらいがあり、県民のあいだに「翁長派敗北」が必要以上に強く印象づけられてしまった。その結果、県民の「翁長離れ」が進み始めている。いわば「自殺点」である。沖縄県民大会でメッセージボードを一斉に掲げる参加者=2016年6月、那覇市(竹川禎一郎撮影) 第2に、翁長知事やその支援者、そして地元メディアなどが繰り返し述べてきた「沖縄VS日本」という構図もまた「沖縄の民意」を動揺させている。「沖縄は差別されている」「沖縄は虐げられている」という彼らの主張は一時県民を刺激し、反対運動も盛り上げたが、辺野古や高江などの闘争の現場で、県民以外の活動家が次々に逮捕される現状が明るみになるにつれ、翁長知事を支援する保守層のあいだにも、「一体誰のための反対運動なのか。『沖縄VS日本』ではなく『反政府運動VS政府』が実態ではないのか。沖縄はその構図に巻き込まれているだけではないのか」といった疑問が浮上している。 第3に、辺野古埋め立て承認訴訟での翁長知事の敗訴も民意に影響を与えている。敗訴に直面して、「やっぱり国にはかなわないのか」という諦めを感じた県民も多いというが、県民のあいだには「知事は勇ましいことをいってきたが、成果は何もない」といったように翁長知事自身の責を問う声も少なくない。敗訴によって、保守層から共産党まで広く支持を集めていた「オール沖縄」に大きな軋みが生じたということだ。 第4に、国による「懐柔策」が功を奏しているという側面がある。実はこれがもっとも重要なポイントである。「埋め立て承認」を撤回しない理由 菅官房長官は、5月に入ってから沖縄に対する特例的な財政支援の枠組みである「沖縄振興計画」の延長を数回にわたり示唆した。1972年の復帰以来、計画期間10年の沖縄振興計画は5度にわたり実施されており、これまで投入されてきた沖縄振興予算は累計12兆円に上るが、政府はこれを現行計画が終了する2022年度以降も継続するというのである。 振興計画延長は翁長知事の「悲願」だった。私見だが、翁長知事はそのために日の丸保守という立場を捨て、「辺野古反対」まで訴えて政府に圧力をかけたと推量している。筆者は、振興計画の継続は沖縄経済を蝕むだけの愚策だと考えているが、翁長知事を始め、振興計画こそ沖縄経済の屋台骨だと考える政治家・財界人はいまだに数多い。菅官房長官が延長を示唆したことで、「振興計画継続」の旗頭だった翁長知事は、これまでのように強力な「反政府姿勢」を取れなくなってしまったのである。 知事が「埋め立て承認」を撤回しない最大の理由はここにある、と筆者は読んでいる。要するに「辺野古反対」は、翁長知事にとってあくまで振興計画継続を勝ち取るための手段にすぎなかったのだ。 もっとも、自身の体面を保つために、知事が政府に対する「矛」を完全に収めることはないだろう。実際、翁長知事は、勝ち目の薄い「訴訟合戦」をまだまだ続ける意向を持っているようだ。が、すでに目的は達してしまったのだから、知事の「矛先」は以前よりもはるかに鈍いものになるに違いない。 誤解を恐れずにいえば、翁長知事は事実上政府にすり寄ったのである。共産党、社民党などの移設反対派からみれば、これははっきりいって「裏切り」だが、彼らはまだその事実を認めようとしてはいない。とはいえ、翁長派のあいだでも翁長知事に対する不信感が広がり、「民意」は大きく揺らぎつつある。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」=2017年5月 以上見てきた通り、翁長知事はもはや求心力を失い、「翁長王国」は音を立てて崩壊し始めている。基地負担の問題、日米同盟の問題、沖縄経済の脆弱性の問題など複数の問題をきちんと整理しないまま、「辺野古反対」だけに県民の民意を集約させようとした「オール沖縄」の戦略は、ここにきて完全に破綻したといえる。 翁長派・反翁長派を問わず、沖縄の政治的リーダーの中にも、「オール沖縄は終わった」「辺野古は終わった」という認識を持つ者は少なくない。両派ともすでに「ポスト辺野古」の県内政局を睨んだ生臭い動きに関心を寄せ、2018年11月に行われる沖縄県知事選に焦点は移り始めている。崩壊しつつある「翁長王国」 反翁長陣営からは、西銘恒三郎衆院議員(自民党)、安里繁信シンバホールディングス代表取締役会長、古謝景春南城市長、我喜屋優興南学園理事長(元興南高校野球部監督)などといった候補者名が聞こえてくるが、候補者選びは始まったばかりだ。反翁長陣営から複数の候補が正式に名乗りを上げる可能性も否定できない。演説する沖縄県の翁長雄2016年6月、那覇市 いちばん問題が大きいのは、翁長知事以外に有力候補が見あたらない翁長派だ。政府との「対決」で事実上力負けしてしまった翁長知事は、健康問題も抱えているといわれ、出馬を見合わせる可能性がある。二階俊博自民党幹事長は、翁長派・反翁長派に分かれている保守を「手打ち」させようという思惑を抱いているようだが、翁長知事と仲井眞前知事のあいだの根深い確執もあり、今のところ先行きは不透明だ。 これまで翁長知事を載せた御輿を、保守系翁長派とともに担いできた共産党、社会民主党、社会大衆党(沖縄の地域政党)の動きも大いに気になる。彼らは表面的にはまだ「オール沖縄の崩壊」を認めていないが、崩壊を認めたとしても候補者探しは難渋しそうだ。 行き過ぎた抗議活動で逮捕された山城博治沖縄平和運動センター議長の名前も浮上しているが、山城氏のように保守票を集められない候補では苦戦を強いられることになる。彼らが「民意の揺らぎ」を正面から受けとめながら、仕切り直す意思があるのかどうか不明だが、少なくとも「辺野古反対」だけでは県民生活の安定は得られないことをしっかり認識すべきである。 波乱はまだまだ続くだろうが、現状では、あれだけ盛り上がったかのように見えた「辺野古反対」「オール沖縄」とは一体何だったのかという反省や総括を欠いたまま、「県内政局」への関心だけで次の知事が選ばれることになりそうだ。 誰が当選しても、それは県内の利害対立と利害調整の結果にすぎず、「基地」に対する県民の意思とは異なるレベルで雌雄が決するという意味である。「普天間飛行場の辺野古移設」が決着に向かい、基地縮小プロセスが着々と進むのは結構なことだが、県民・国民を翻弄し、莫大な税を投入してきた「辺野古移設」をめぐる大混乱が、責任者不在のまま「政治的駆け引き」のようなものによって幕を引かれるとしたら、何か釈然としない思いが残される。 要するに「何事もなかったかのように曖昧に済ませてよいのか」というのが筆者の疑問である。県民や国民を不幸にするだけの、あのような混乱は二度と起きてほしくないが、曖昧に済ませれば問題は必ず再燃する。「翁長王国」は崩壊しつつあるが、火種はまだ残されたままなのである。

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    怒声は関西弁ばかり 「ウチナーンチュ」不在の基地反対運動の真実

    野古の護岸工事に着手したためだ。今後、移設工事は後戻りできない段階まで進む。「オール沖縄」には共通の政治理念もなく、さまざまな政党や団体が移設反対という一点だけで結集しているに過ぎない。今後も民意をつなぎとめられるか、正念場である。 だが、当の沖縄で「オール沖縄」の終焉(しゅうえん)を感じている県民は、どれほどいるだろうか。沖縄メディア、全国メディアを問わず、相変わらず辺野古移設問題で「沖縄が政府にいじめられている」と印象操作する報道があふれかえっている。 県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」を開けば、正義の「オール沖縄」が負けるはずがない、と言わんばかりの強気の記事ばかりだ。最近では、近く工事の差し止め訴訟を起こす翁長知事の主張が、法的にいかに正当であるか力説する記事をよく見かける。しかし、実際のところ移設反対運動は、現場レベルで県民にどこまで支持されているのか。 辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前では、工事を実力で阻止しようと反対派が座り込んでおり、機動隊から連日のように排除されている。私の見たところ、反対派は20~30人と言ったレベルであり、機動隊を押し返すほどの勢いはない。米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、機動隊員に排除される普天間飛行場の辺野古移設反対派=2017年4月 反対派リーダーは、辺野古での集会で「現場に多くの人が集まることで工事を遅らせることができる。毎日200人、300人集めたい」と呼びかけているが、一般県民が平日の朝から、仕事を休んでまで反対派に呼応するはずがない。 過激な反基地運動が一般県民のレベルで広がるきざしはなく、最前線で活動しているのは一握りの特殊な人たちである。多くはリタイヤ組と思われる高齢者たちだ。話すと一応は沖縄出身者だが、現役時代から労働組合運動に打ち込んできたような、バリバリの思想傾向の人たちが中心のようだ。「職業的活動家」がほとんど 沖縄という土地の特徴は、現地の住民と少し話しただけで、この人が沖縄出身の「ウチナーンチュ」か、本土出身の「ヤマトーンチュ」か、容易に判断できるケースが多いということだ。言葉のイントネーションが大きく違うからだ。 辺野古で機動隊による強制排除の現場を取材すると、明らかに本土出身者のイントネーションで「美(ちゅ)ら海を守れ」「警察権力の乱用だ」などという絶叫が聞こえる。叫ぶ元気がある比較的若い世代は、県外から流入したと思われる職業的活動家がほとんどのようだ。 辺野古に行って反対派の話を聞いたり、リーダー格の演説に耳を傾けると、それは歴然となる。最前線の反対運動は間違いなく、本土出身者が一翼を担っている。沖縄出身者はもちろんいるが、辺野古住民はほとんどいない。しかし、それは反対派もメディアも決して発信したがらない「不都合な真実」だ。 反対派のリーダーというと公務執行妨害容疑などで逮捕、起訴された山城博治氏が有名だが、彼がやたらと表に出るのは、恐らく沖縄出身だからだろう。本土出身者は用心深く、スポットライトに当たらないようにしている。メディアもそこは心得ており、新聞やテレビを見ると基地反対運動の現場で、意識的に沖縄出身者を取材する傾向があるように見受けられる。スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で演説する沖縄平和運動センター議長の山城博治氏=2017年6月 沖縄出身者と本土出身者の微妙な関係をめぐっては、沖縄メディアにも同じような状況が存在する。実際、反基地を発信する県紙の基地担当記者には、本土出身者が目立つ。 沖縄の人材の市場はもともと狭い。県紙のように、ある程度大きな企業になると、沖縄出身者だけでは到底支えられず、優秀な本土出身者が登用されるのは当然だ。八重山日報は中小零細企業だが、本土出身者はいる。 沖縄の基地反対運動の現場で飛び交う「クソ」「ボケ」などという反対派の怒号は関西弁。「これが沖縄の民意だ」と県紙に書く記者も関西人、「辺野古住民の多くは移設容認」と、県紙とは違う視点で取材する八重山日報の記者も関西出身、というコメディのような事態も現実に起こっている。 ついでに言うと、沖縄に駐在して基地問題の記事を書いている全国紙の記者も、もちろん数年単位で転勤を繰り返す本土出身者である。こうした記者たちの特徴は「ステレオタイプの記事を書く」ということだ。印象操作を重ねる地元メディア 安倍政権に不祥事が起きれば「安倍一強の緩み」という決まり文句の記事が氾濫するように、彼らに沖縄の記事を書かせれば、ほとんど「政府が沖縄の民意を踏みにじり、基地建設を強行している」という例文通りになる。本質的に、当事者ではなく傍観者なのである。 もう一つ、現場に行くと一目瞭然なのは、辺野古移設の反対運動というのが一般県民のレベルで浸透するような平和運動ではなく、特定の政治勢力に奉仕する政治運動だということだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる集会の参加者ら=2017年5月 私は4月以降、辺野古で開かれた抗議集会を3カ月足らずで3度取材した。登壇した国会議員や県議は共産党、社民党、自由党など、いずれも国政野党である。参加者が手にするのぼりはほとんどが労働組合の赤旗であり、参加者に配布されるチラシには「革マル派」と明記してある。沖縄では「オール沖縄」と称しても、国政では「反自公」「反安倍政権」を掲げる野党連合の運動に過ぎないことは、これだけでも明らかだ。 しかし、全国メディア、沖縄メディアを問わず、辺野古反対が平和運動であるかのように報道されているのが、私には奇怪なのである。沖縄は6月23日に「慰霊の日」を迎えたが、この日に向け、地元のある民放テレビ局がニュース枠で特集を組んだ。 それは辺野古で座り込む一人の高齢者に焦点を当てた番組で、彼は「戦争につながるすべてのものに反対する」と言い切る。アナウンサーは「辺野古には、この人のように戦争を体験した多くの高齢者が座り込みに参加しています」とナレーションを入れる。県民の負担軽減策である辺野古移設が、戦争準備の新基地建設であるかのような印象操作番組だ。 とはいえ、沖縄ではこのような番組に対する批判の声を全く聞かない。作り手も受け手もあまり違和感がないようだ。沖縄では県紙2紙の寡占状態となっている新聞をはじめ、あらゆるメディアがこうした状態であり、おそらく慣れてしまっているのだろう。

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    中国の「沖縄包囲網」は最終段階に入った

    える。 この祝賀会には、日中友好協会の丹羽宇一郎会長も参加し、乾杯の音頭をとっている。だが、参加した政治家は翁長氏を応援する「オール沖縄」系ではなく、自民党などの保守系がほとんどだった。中国の一部メディアは、沖縄県日中友好協会が「沖縄県議会議員の提唱によって、官民ともに設立した一般社団」と報じている。その県議会議員とは特別参与に就任した県議会議員を指していると推測されるが、彼もやはり自民党所属議員だ。 沖縄県と福建省の経済的な動きは既に加速度的に進み始めている。県内企業の中国貿易を支援する琉球経済戦略研究会(琉経会、方徳輝会長)は2月23日、中国国際貿易促進委員会の福建省委員会と貿易や投資促進を目指す覚書を交わした。会長の方氏は貿易業のダイレクトチャイナ社長であり、中国現地の会社と連携して県産品を中国に送り込むビジネスを展開している人物である。県と福建省が昨年12月から規制緩和や手続きの簡素化に取り組む中、企業間交流を加速させ、具体的な取引を始めさせる算段だ。中国・福建省の中心都市、廈門(アモイ)の海岸 3月には新たな福建省に進出が決まった企業のニュースも報じられた。沖縄本島南部にある与那原町の合同会社「くに企画」が7月から県産化粧品7商品を福建省のドラッグストアで販売することが決まったというのだ。この実現には県と中国政府の手厚い支援がある。中国では化粧品を輸入する会社は、政府の国家食品薬品監督管理局の許可を得ることが必要である。「くに企画」の商品を輸入するケースでは、「上海尚肌(しょうき)貿易有限公司」が許可を取得し、福建省内のドラッグストア十数店と契約を締結した。 一方、沖縄県のほうでも、くに企画に政府系金融機関の「沖縄振興開発金融公庫」から1000万円の融資が行われたという。くに企画を調べると、2015年10月設立された法人の存在は確認できるが、会社のホームページすら存在しない。その実態は、くに企画によるビジネスというより、中国の会社が沖縄からの仕入れを計画し、くに企画にたまたま白羽の矢が立って、沖縄振興開発金融公庫が融資を行ったようにしか見えないのだ。人民解放軍の軍人が潜伏? 日本では日中国交正常化以来、中国に進出した企業の多くは、人件費の高騰や政策変更などリスクがつきまとい、撤退を始めている。しかし、現在の沖縄では、福建省に進出するといえば誰でももうけさせてもらえるような、上げ膳据え膳のサポート態勢が整いつつある。沖縄では20年以上遅れて、中国と福建省の合作で人為的な中国進出ブームが起きようとしているのだ。 一方、観光客のみならず、さまざまな切り口で沖縄に中国人を呼び込むプロジェクトも進められている。昨年3月、中国で高齢者福祉などを支援する中国老齢事業発展基金会(李宝庫理事長)が、中国への介護技術の普及に向けた「沖縄国際介護先端技術訓練センター」建設のために、本島南部の南城市にある約4300平方メートルの土地を買収したのだ。 沖縄をモデル地域に位置付け、中国からの研修生が日本の介護技術を習得し、中国国内約300都市に設置予定の訓練センターで介護技術普及を図るという。この案件を進めたのも、前述した河野洋平氏が会長を務める国貿促だ。国貿促の担当者は沖縄を選んだ理由に、アジアの中心に位置し国家戦略特区であることを挙げたという。 その訓練センターの事業体として、昨年9月13日、東京都赤坂のアジア開発キャピタル(網屋信介社長)と中国和禾(わか)投資(周嶸、しゅうえい代表)が共同出資を行い、新会社「アジア和禾投資」を設立した。新会社はアジアキャピタルの連結子会社となり、所在地もアジアキャピタルと同じビルとなっている。新会社への出資比率はアジアキャピタルが55%と多いが、社長は中国に多くの人脈を持つ中国和禾投資の周代表が就いている。沖縄に中国人が社長を務める巨大な介護訓練センターが出現するのだ。 もう一つ、気になるプロジェクトがある。航空パイロットの育成を手がけるFSO(玉那覇尚也社長)が中国の海南航空学校と業務提携の覚書を締結し、今年から70人程度の訓練生を受け入れるというのだ。FSOは沖縄県にフライトシミュレーターと実際のフライトを組み合わせた訓練場を、宮古諸島にある下地島空港の活用策として提案しており、県から空港利活用の候補事業者としても選定されている。中国人訓練生の中には人民解放軍の軍人が潜り込んでいる可能性もあり、かなり危険なビジネスである。有事の際、下地島空港で破壊活動や工作活動をされるリスクを招くのではないだろうか。翁長敗北で起こる「最悪のシナリオ」 沖縄は既に、多くの中国人観光客が訪れ、街も変貌してきたが、これら2つの事業が本格化しただけで沖縄のビジネス界も様変わりしてしまう。沖縄は既に中国経済に飲み込まれるレールが敷かれているのだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する集会で演説する沖縄県の翁長雄志知事=3月25日午前、沖縄県名護市 以上、中国による官民一体となった沖縄経済の取り込み工作の実態を確認してきた。このままいけば、沖縄では中国人観光客があふれるだけではなく、「社員が中国人」という会社が多くなり、「私の会社の社長は中国人」というケースも増えていくことになるだろう。そんな中、来年の県知事選で辺野古移設阻止に失敗した翁長氏を自民党系候補が破り、県政奪還に成功しても、新知事も福建省との経済交流推進者にならざるを得ない「最悪のシナリオ」が起こる可能性は大きい。自民党にターゲットを定めたかのような沖縄県日中友好協会の設立はそのための伏線ではないだろうか。そうなれば、沖縄が後戻りすることはもはや不可能になってしまう。 また、尖閣諸島で紛争が起きたとき、中国政府は中国進出企業との取引を停止する制裁を科すだろう。「中国依存度」の高い会社からは、政府や沖縄県に取引再開の交渉を求める声が当然上がってくる。会社が倒産したら、社員の明日の生計が立たなくなるからだ。琉球新報や沖縄タイムスには「政府は無人の尖閣諸島より県民の生活を守れ!」という趣旨の見出しが掲載されるだろう。そこで、中国は紛争の解決策として「尖閣諸島の共同管理」を提案してくることは間違いない。そのとき「沖縄は中国と経済交流してここまで豊かになってきた。中国と戦争して貧しくなるより、尖閣諸島を共同管理、共同開発して豊かな生活をしたほうが良い」という声が上がったら否定するのは極めて困難になってくる。 現代の戦争は軍事衝突だけではない。平時においても戦争は行われている。それは外交戦、経済戦、歴史戦、国際法律戦など、ありとあらゆる手段を使った戦争が行われているのだ。武力戦が始まるときにはほぼ勝負は決まっている。今、東シナ海の真ん中にある沖縄は、その総力戦のまっただ中にある。 沖縄をハブ空港として発展させるビジョンは正しいが、その背後に経済・防衛政策がなければならない。なによりも、沖縄を日本の経済圏の中に断固として組み込み、中国にコントロールされるような隙をつくらないことが必要だ。沖縄防衛は自衛隊だけでは不可能な時代である。手遅れにならないためにも、日本政府は経済や歴史、文化侵略など、あらゆる側面から沖縄防衛計画の策定を急がなければならない。

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    世界一厳しい「共謀罪」がある英国でなぜ無差別テロは続発するのか

    中盤くらいまでは主流であった要人暗殺テロよりも、現代において一般市民を狙った無差別テロが増えたのは、政治家など権力者の警備が極めて強固になったことにより、要人暗殺テロの実行が容易でなくなったことの反動である。また同時に、社会が民主化されることにより、国民の生命の価値がより尊重される時代が到来したこともその遠因の一つである。テロリズムと対策の「いたちごっこ」 また、ホームグロウン型が増加したのは、2001年の米同時多発テロ事件以降、世界各国のテロ対策が強化され、出入国管理が極めて厳しい状況に変わったことが大きい。米同時多発テロ事件は、中東各国から国際テロ組織「アルカーイダ」によってリクルートされた若者たちがアメリカに入国して潜伏することにより実行された。事件後、出入国管理が強化され、外国からテロ組織に関与する人物が入国することが極めて困難になったことにより、もともとその国に生まれ育った国民を過激化させ、その国内でテロ事件を起こさせるという手法に切り替わったというのが、ホームグロウン型が潮流となった原因である。 一方、ローン・ウルフ型が増加したのは、テロ対策の一環で監視カメラの運用や、電話やメールなどの通信傍受が強化されたことの反動である。通信傍受や監視カメラなどテロ対策における監視の強化によって、テロ組織がメンバー同士で会合をしたり、連絡を取り合ったりすることが極めて困難となった。そこで、テロリズムを実行するためにグループでメールや電話の連絡を取り合う必要のない、単独犯の個人または兄弟など極めて近しい関係者だけで実行されるローン・ウルフ型が増加したのである。ロンドンで起きたテロ事件で、車が通行人をはねたロンドン橋付近を警戒する警官ら=6月3日(ロイター=共同) このように、テロ対策やインテリジェンス活動が強化され、進化すると同時に、テロリズムの形、テロリズムの特徴も変化してきたことがわかる(※1)。テロ対策と監視活動を強化するほど、それをすり抜けるための新しい形のテロリズムが誕生する。さらに先日6月4日にロンドンで発生したテロ事件は、3人の容疑者が車を暴走させて市民を引き倒し、その後市街地のレストランやバーでもナイフを使って無差別に刺殺するという犯行であった。このように近年増加している車やトラックの暴走により一般市民をひき殺すテロ、ナイフなど身近な道具を使ったテロは、未然に防止することが極めて困難である。 イギリスには2006年に制定されたテロリズム法や2005年のテロリズム防止法など、テロ対策に関する基本法的な法制度が存在する。これらの包括的なテロ対策の仕組みにより、イギリスでは容疑があれば令状なしで48時間拘束することができる。 同時に、共謀罪の枠組みも整備されており、イギリスは最もテロ対策、特にテロを防止するための法制度が進んでいる国の一つだといえる。さらには、情報局保安部(MI5)、秘密情報部(MI6)などの機関によるインテリジェンス活動も世界でトップレベルの運用がなされている。しかしながら、このようにテロ対策が進んでいるイギリスにおいても、こうしたテロ事件を食い止めることが難しいという現状がある。それは、テロ対策の進化と同時に、それをすり抜けるためのテロリズムの形も変容し、進化しているためである。文化的多元主義を許容できるか マンチェスター爆弾テロ事件の容疑者は、事件前からインテリジェンス機関の要注意人物リストに含まれていたという情報がある。それでもこの事件は未然に防ぐことはできなかった。それはインテリジェンス活動におけるテロリズムの監視の「5W1H」に鍵が潜んでいる(※2)。 インテリジェンス機関はその諜報活動、監視活動により危険人物が誰か(WHO?)を特定することはできる。だが、その危険人物が、いつ(WHEN?)、どこで(WHERE?)、テロリズムを実行するかを特定するのは極めて難しい。それがローン・ウルフ型のテロリズムの防止、監視の難しさであり、この5W1Hを完全に把握するためには、より強大な監視体制を構築せねばならなくなる。テロ対策による「安全・安心」の価値と、監視や諜報活動により損なわれる可能性のある「自由・人権」の価値のバランスこそが民主主義社会においては重要であり、市民の「自由・人権」を守ることができる民主的でリベラルなテロ対策のあり方が求められている。5月23日、英マンチェスターの市役所前にささげられた花の前でうなだれる女性(ゲッティ=共同) マンチェスター爆弾テロ事件において、ISが犯行声明を出した。その声明の中には、このような表現があった。「爆弾は恥知らずな祝宴のためのアリーナで爆発し、約30人の十字軍兵士を殺害、約70人を負傷させた」。グローバル・ジハード戦略によって世界各国で発生するホームグロウン型テロに対して、ISは事後的に犯行声明を発表して追認する姿勢を常にとってきた。 イスラム原理主義者、イスラム過激派の思想には、こうした欧米のポップシンガーのライブが「恥知らずな祝宴」であると映ること、こうした欧米の大衆音楽、ハリウッド映画、ディズニーランドといった欧米型エンターテインメントが文化帝国主義的な「十字軍兵士」と映ることに、世俗社会に生きる私たちは想像力を巡らせなくてはならない。文化的多元主義を許容できる社会を目指して、孤立する個人やコミュニティーの過激化を根本的に防ぐ長期的なアプローチの構築が必要であることを、このテロ事件は示している。【参考文献】(※1)福田充『メディアとテロリズム』(2009、新潮新書)(※2)福田充『テロとインテリジェンス~覇権国家アメリカのジレンマ』(2010、慶應義塾大学出版会)

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    安倍総理が絶対に言いたくない「共謀罪」の恐るべき狙い

    小口幸人(弁護士) テロ対策にならない「共謀罪」が成立しました。政府与党は、最後まで「テロ対策」として成立させました。この事実は、二つのことを物語っています。 一つは、安倍政権はテロ対策を真面目にやっていないということです。一国民としてはとても心配ですが、裏を返せば、日本でテロが行われるという危険はそこまで差し迫っていないということなのかもしれません。 もう一つは、目的不明の共謀罪が成立したということです。任意捜査の名の下に警察による監視活動が広がることは止めようもありませんし、通信傍受法改正も数年以内に行われるでしょう。 将来、どの政権が共謀罪を戦前の治安維持法のように乱用的に使い始めるかはわかりませんが、そのボタンはセットされてしまいました。 そのボタンが押される対象としては、沖縄の辺野古新基地建設反対運動が最有力でしょうが、原発再稼働反対運動もその候補です。今後予定されている、核のゴミの最終処分場選定にまつわる反対運動も候補でしょう。 望み薄だとは思いますが。乱用される前に、警察が「任意捜査」の名の下に行う捜査・監視に法規制をかけることで実質的に法の支配を確保し、捜査の必要と人権保障を適正に両立できるようになることを期待したいと思います。※以上6月15日追記、以下は法案成立前に執筆テロ等準備罪法が成立。記者団の質問に答える安倍晋三首相=6月15日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 政府は、テロ等準備罪(共謀罪)法案は、国際組織犯罪防止(TOC)条約の批准に必要だとし、TOC条約に批准することがテロ対策になるとしています。しかし、TOC条約を批准している国でテロが起きています。共謀罪発祥の地とも言われるイギリスでもテロが続いています。 TOC条約や共謀罪がそろっている国でなぜテロが起きているのか。答えは簡単です。TOC条約はテロ対策ではないからです。共謀罪もテロ対策の役に立たないからです。政府は事実と異なる説明をしているということです。 TOC条約がテロ対策でないことは、条約の立法ガイドを書いた張本人であるニコス・パッサス教授が断言したことで、議論の余地がないほどはっきりしました。疑問に思われる方は、ネットで検索して外務省のホームページから和訳を読んでください。最初の数条を読めば、経済目的の犯罪対策、つまりテロ対策ではなくマフィア対策であることがおわかりいただけます。政府は説明してくれない そもそもTOC条約は、インターネットもまだ普及していない1992年にイタリアで起きたマフィア犯罪をきっかけに成立した条約です。主な内容はマネーロンダリング(資金洗浄)対策です。1993年から会合が重ねられ2000年に国連総会で採択されています。2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロより前に採択された条約が、今のテロ対策になると強弁するのは、余りに国民をばかにしていると思います。 そして、共謀罪法案もテロ対策になりません。共謀罪は、今でも犯罪として定められている277の罪を、実行されなくても、計画段階でも犯罪にするという法案でしかありません。計画段階で処罰できるようになったからといって、警察が突然パワーアップするわけではありません。 もっとも、わが国は9.11の翌年に行われた日韓ワールドカップを無事開催した国です。サミットも開催し続けています。日本の安全対策は国際オリンピック連盟にも高く評価されるほどであり、その結果、オリンピックが東京にやってくることになりました。 そもそも犯罪の未然防止は、今でも警察法に定められた、警察の立派な使命です。警察は今も犯罪の未然防止に力を尽くしており、手を抜いているわけではありません。そしてその結果、犯罪は減り続けています。刑事事件の数は、統計上戦後最低水準にあります。 なお、TOC条約に批准したとしても、その結果海外から提供されるようになる情報はマフィア犯罪に関する情報です。よって、この点でもテロ対策能力が高まるわけではありません。テロ対策訓練で化学兵器を調べる県警NBCテロ対応専門部隊 =5月18日、千葉県の幕張メッセ(長谷裕太撮影) 他方で、わが国はテロ対策の代表的な条約を全て批准しています。政府も2004年から体系的なテロ対策を立てており、安倍政権になった後も2013年12月10日に「世界一安全な日本創造戦略」を立て、その中で独立した項目を設け、オリンピック開催に備えたテロ対策を講じています。 ここまで述べたとおり、TOC条約はテロ対策ではありませんし、共謀罪もテロ対策の役には立ちません。どちらもテロ対策でないとわかれば、既に批准した国で、共謀罪のある国でテロが起きているのも何ら不思議ではありません。 では、さらなるテロ対策を講じる必要はないのかということですが、正直なところ、私にはよくわかりません。どんなテロがどの程度懸念されているのか、具体的にどんな事象があったのかを、政府が説明してくれないからです。嘘をそのままにするな! ただ少なくとも言えることは、新たなテロ対策を検討する必要があるならば、まずすべきことは2013年に策定されたテロ対策「世界一安全な日本創造戦略」を改定し、体系的な対策を検討することでしょう。テロ対策でない条約をテロ対策と言ってみたり、2003年から何度も出してきた共謀罪を突如テロ対策として出してくることではありません。 その上で、日本人のわれわれが、なぜイギリスでテロが起きたのか、そして防ぎきることができないのかを考えるのは重要なことだと思います。イギリスは防犯カメラ対策が最も講じられている国であるとされ、通信の監視等もアメリカのそれに近いものが行われていると言われています。それでもテロが起きていることに照らせば、日本が新たに2、3法律をつくったところで、果たしてどうなんだろうという気がします。 この部分で、一弁護士にすぎない私がお伝えできることは数多くありませんが、考えていることは三つあります。一つめは、見ている世界地図が違うということです。日本人は日本が真ん中の世界地図を見ていますが、多くの人は大西洋が中心の世界地図を見ています 日本は極東の島国に過ぎません。二つめに考えていることは、わが国がイスラム国に不利益なことを、他国と比べてどれほどしているかということです。三つめは、テロを減らすために、なくすために本当に必要なことは何なのかということです。自分と異なる価値観を認め合える社会を築き、貧富の差を縮める努力をし続ける、そこに尽きるのではないかと思います。組織犯罪処罰法改正案の採決で牛歩で投票に向かう野党議員(左下奥)=6月15日、国会(斎藤良雄撮影) 仮に、本当にテロ対策を講じる必要があるのであれば、検討するのは捜査機関の捜査能力をパワーアップすることであって、共謀罪を設けることではありません。新たな捜査手法を警察に付与し、装備や設備や人員を増強、日本版の国家安全保障局(NSA)や連邦捜査局(FBI)を設けることなどでしょう。そして、正直に国民に話すこと。これだけテロが起きそうな予兆があり、テロを防ぐためには監視を強め捜査権限を高める必要がある。だから一般市民も幅広く監視するし、通信も監視する。自由も狭められる。衛星利用測位システム(GPS)捜査も幅広く行うし、通信記録も携帯電話会社から開示してもらう。アメリカから提供された監視システム「XKEYSCORE(エックスキースコア)」も使う。それぐらいしないとテロは防げないから国民のみなさん我慢してください、と。 しかし、ご存じのとおり政府はそんなことは言いません。一般の人は対象にならないと強弁し続けるだけです。これで信用しろというのは無理というものです。 そして歴史は教えてくれます。政府が本当の目的を言わないときは危険だということを。もし、国を憂い、テロ対策を真面目に考えるのであれば、共謀罪がテロ対策だという嘘をそのままにして成立させてはならないと思います。テロ対策でないことを明確にし、本当にテロ対策が必要なら、そっちの議論を求めるべきです。

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    「監視カメラ大国」英国の共謀罪はここまで進んでいる

    宮坂直史(防衛大学校教授) イギリス・マンチェスターのコンサート会場で先月23日に自爆テロが起き、多数の死傷者が出ました。今月4日にはロンドン橋とその付近でもテロが起きました。もちろんイギリスだけではありません。この2つの事件の間にも、バンコク、バクダッド、アテネ、ミニヤ(エジプト)、ホースト(アフガニスタン)、ジャカルタなどでテロは起きていますし、年間の総数では全世界で1万件は下らない不安定な情勢が、ここ何年も続いています。 ただ、イギリスの場合、先進民主主義国家としては最も厳しいテロ対策を導入している国ということもあって、ひとたび事件が起きると、大きな関心が向けられます。日本で15日に成立した、いわゆる「共謀罪」も長年イギリスにはあります。 加えて、2001年の「反テロ法」制定以降の取り組みの中では、容疑者の無期限拘束を可能としたり、テロを称賛することを禁止するなどしてきました。令状なしの身柄拘束という日本ではありえないこともできますし、「監視カメラ大国」(約600万台)とさえ揶揄されています。犠牲者へのメッセージや花束、供え物を見て涙を流す警察官=2017年5月、英マンチェスターのアン女王広場 そういう国でテロが起きると、取り締まりや規制を中心とする小手先のテロ対策をしても、あるいは共謀罪などを導入しても結局、テロは防げないではないか、だから不要だといわんばかりの議論も出ています。 このような考え方は、テロやテロ対策についての無知や誤解に基づくものだといえます。イギリスでは2005年7月に同時テロが発生しましたが(その国で育った人が起こす「ホームグロウンテロ」の先駆けと言われた)、同国に在住している2万人以上といわれるイスラム過激主義者の多さに比べて、よくテロを防いできた方です。 一例をあげると、2006年に24人もの英国人を逮捕して、米国とカナダに向かう旅客機10機の同時爆破計画を共謀・準備段階で防ぎました。これは、過去最大級の未然防止の成功例になるでしょう。 この事件をきっかけに、航空機内への液体の持ち込みに厳しい規制がかかったので、それを記憶している方も多いと思います。ロンドン五輪(2012年)当時もグローバルテロの情勢は不穏でしたが、当局はテロを封じ込めました。では、どのようにしてテロを防ぐのでしょうか。共謀罪に限らず、何か法律を整備したからといって自動的にテロが防げるものではありません。法的万能薬など、どこにもありません。 まず、テロを企てるのではないかと思われる人物に関する情報収集や分析と、関係機関での情報共有がカギになります。マンチェスター事件の自爆犯は、英情報局保安部(MI5)の監視対象者でした。それは約3千人もいるうちの1人です。監視といっても1人に対して何人もの要員が必要で、対象者を24時間、通信傍受も含めてすべて見ていることは物理的にできません。 ロンドン橋での実行犯のうち1人はイタリア人であり、同国で監視対象者だったようですが、イギリスとの情報共有が問題になっています。 上記した航空機テロの防止は、住民の通報に依拠していた点も見逃せません。市民が周囲の異変に気づいて警察に一報を入れることは、初動として決定的に重要になるでしょう。他にも、テロ組織内およびその周辺にいる情報提供者の役割もあります。 例えば、おとり捜査では、実行直前に容疑者を逮捕しても、情報提供した容疑者については不起訴処分にして捜査側のために働かせるのです。テロを100%なくすのは無理 テロリストは、次々と最新の電子ツールを使って謀議を図り、情報・捜査当局はそれを見破る努力をしています。こういう時代だからこそ、尾行さえついていなければ、昔のように喫茶店の奥のテーブルで、小声で謀議したほうが察知されないかもしれません。 テロの防止が難しいのは、テロの主体が「組織」に限定されないからでもあります。組織として一定期間存続し、メンバーシップが明確ならば、監視も、封じ込めもそれなりの手を打てます。 しかし、1回の事件のために一時的にグループを作る場合や、ましてや単独犯ですと、よほど前科があるとかでなければ、当局の目にはとまりません。市民から通報が不可欠になってきます。自宅で爆弾をつくっていたり、不自然なまでの車両や人の出入りがあれば、周囲に怪しさを発散させているものです。 単独犯でも大勢の犠牲者数を出す例がありますが、テロの歴史を振り返れば、組織・グループのほうがはるかに大きな被害をもたらしてきました。ですから、共謀段階で察知し摘発するか、遅くとも準備に着手しているときに摘発することが最も望ましいのです。けが人を救急車に運ぶ救急隊員=ロンドン国会議事堂近く 最後に、「テロを防ぐ」という意味もよく考えねばなりません。完璧になくすということであれば、自由で民主的な社会とは決別しなければなりません。北朝鮮では、統計上テロは発生していません。 全体主義国家では、テロリスト(非国家主体)が活動する余地などありません。国民がテロのリスクをゼロにして欲しいと願うのは逆に危険なことです。いざ起きてしまうと、政府は何をやっていたんだと批判し、その結果、今より厳しい規制をとらざるを得なくなります。 すべてを政府や警察任せにするのは、自由民主主義の価値から遠ざかります。市民ひとり一人が身近なところで異変に気づき、防止に貢献する意識と行動が必要です。また、海外でテロに巻き込まれないような注意情報は外務省などからも出されていますが、それを真摯に受け止め、回避行動をとるかどうかも、市民の判断にかかっているのです。 テロは100%防げない。だからこそ、日本でもテロ発生後を想定した「国民保護訓練」などが全国的に多数行われてきたことも付言しておきます。

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    「時間の問題だった」英国テロ、一匹オオカミか

    どでも極右勢力が勢いを増している。テロが続発すれば、こうした極右が勝利することになりかねない。欧州の政治にテロは直結している。

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    哲学なき小池百合子「都民ファースト」

    東京都の小池百合子知事が自民党に離党届を出し、地域政党「都民ファーストの会」代表に就任した。「忖度だらけの古い都議会の刷新」を公約に掲げ、自民との対立姿勢を鮮明に打ち出すが、早くも期待外れとの声も聞こえる。再び小池旋風は起こるのか。都民ファーストの行方を占う。

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    「豊洲はダメ、ダメ」都民ファーストが苦しむ小池劇場第二幕の呪縛

    倍政権の支持率が急落した。そこで、あわてて再調査すると発表する顛末だ。 この動きを逆手に、「オッサン政治」「忖度政治」と小池氏は街頭でボルテージを上げている。「いつ、どこで、誰が」の犯人探しで「都政の見える化」を図ってきた自信からか、国の「閉じた体質」を徹底的に批判、自民政治の闇を際立たせる戦略だ。都民ファーストと言いながらメディアファースト、選挙ファーストへ傾いているが、そこは横に置いといて、都政の見える化に対し国政の隠ぺい体質を際立て自民を責め立てるのが小池氏だ。 もとより、自民も黙っていない。この約1年に及ぶ小池都政、「問題提起はよいが、問題解決ができない」、「決められない知事」批判を強める。この両者、どちらの主張も一面の真理だが、いずれこの都議選は「攻める小池」VS「守る自民」の攻防の様相にある。「希望の塾」の第1回都議選対策講座で、あいさつする小池百合子知事=2017年1月、東京都千代田区 ふつうの地方選と違い、首都東京の都議選には必ず売り物が出る。今回は「都民ファーストの会」という売り物。昨年夏の都知事就任後、小池ブームのなか小池塾ができ、小池新党ができた。今回、その小池新党から48名(6月1日時点)もの大人数が立つ。自民60名、共産38名、民進24名と真っ向勝負の形だが、本当に中身のある政党なのか。 包装紙に包んだままだと、中身がどんなものか分からない。お中元だとうれしく受け取るが、果たしてどんな代物か、味はどうか、もらう時ドキドキする。今の段階で、“都民ファースト”という小池新党は、包装紙に包まれたお中元のようなものではないか。この地域政党は何をやりたいか、どんなメンバーか、誰も食べたことがないから分からない。ただ、小池さんが「おいしいですよ!おいしいですよ!」と毎日セールスに回っているから、そうかなと思う人も結構いるようだ。メディア戦術に長けた小池氏らしい戦略だ。 もっとも政治とカネで都知事が相次ぎ辞職した後だけに、「何かを変えて欲しい」という空気が充満していることは事実。その空気(風)を満帆に受けて小池丸は航行中だ。世論調査で「都議会第1党をも伺う勢い!」という見出も散見するが、果たしてホントなのか。 公約の「東京大改革」という大仰な表現とは裏腹に、やっていることは意外に細かい。豊洲移転、五輪施設の見直しなど「負の遺産」とされるこれまでの事案を掘り起こし、そこでのムダ遣い、隠し事、不透明さを事細かく指摘する。「いつ、どこで、誰が決めたか」式の犯人探しがメイン。自民党都連をブラックボックス、自民長老を都議会のドン、石原都政を無責任体制と呼んできた。政治ショーに明け暮れる小池都政 敵をつくって守旧派、抵抗勢力、悪玉に仕立て、一方の自分は正義、改革派、善玉、都民ファーストだと主張する。このやり方を政治マーケティングというが、15年前そして2年前に小泉純一郎の郵政解散、橋下徹の大阪都構想に使われた手法と類似している。 ここまで小池氏に敵と指名されたのは森喜朗(五輪組織委会長)、内田茂(元自民都連幹事長)、石原慎太郎(元都知事)の3氏だ。次は誰かいるか。もう誰もいないかも。そこで今度は「古い都議会(守旧派)」を敵にすえ、新しい都議会に変えよう!(改革派)と訴える。この間、全ての議案に賛成し何の抵抗もなかった自民を敵だという。論理に矛盾があるが何が何でも敵がいないとこの手法は成り立たず。この手法はそのうち破綻する。百条委員会で宣誓書に拇印を押す石原慎太郎元都知事=2017年3月 旧自公体制を切り崩し、公明を自陣に引き込み、都民ファーストと合わせて127議席の過半数(64以上)を制する、これが小池氏の戦略だ。あたかも都議選の勝利を都政改革のメインのように仕立て、豊洲移転も五輪施設見直しもすべて政局化しワイドショーに仕立てるこのやり方。果たして、このやり方が都民のためになっているか。誰もが認める点は小池改革が都政への関心を高めたことだろう。 だが一方で、五輪準備は1年も遅れこの先の展望も危うく、豊洲移転の延期で都民はすでに100億円近いカネを新たに費消させられ、本来業務の都民向けの仕事は総じて停滞気味、組織全体及び都庁官僚に活気が出ていない。「ただ騒がしく他人を叩くだけのワイドショー政治」「空疎なスタンドプレーだけを繰り広げる『小池劇場』」(有本香『小池劇場が日本を滅ぼす』)といった痛烈な批判もある。 2020五輪を含め、いま大都市東京が置かれている状況は、そんな政治ショーに明け暮れている暇があるのか、冷静にみると大いなる不安を感ずる。もとより、政治とカネで失墜・混乱した都政を収拾し、「閉じた都政」を「開いた都政」に変えようとする、この1点でみる限り、小池改革は高く評価してよい。筆者も「60点」の及第点をつけている。 では、都民ファーストという政党をどうみるか。その点、筆者はどうしても触れておきたいことがある。少し古い話だが、竹下内閣のころ、ふるさと創生がブームだった。過疎からの脱却!を合言葉に当時の3300市町村へ一律に1億円ずつ配った。地方創生の奔(はし)りだが、各地では金塊を買ったり、花嫁探しに渡航したり、委託でふるさと創生計画をつくったりと忙しかった。そんな中、小さな町村で流行ったのが観光農園づくりだった。 ただ、「観光農園」というネーミングでは何の目新しさもなく、客も来ない。そこで受託シンクタンクは考え抜いた。そうだ!カタカナで攻めよう、「フルーツパーク!」と呼び勝負に出ようと提案。すると、町村長の多くがワッと飛びついた。この話を噂で聞いた町の人々は、わが町にフルーツパークができる!あたかもニューヨークのセントラルパークでもできるのかのように浮足立った。その後がどうなったか、誰も検証していない。耳触りのいい「都民ファースト」 政治でもこの種の話は何度もあった。「都民が主役」「都民参加」「国民生活が第1」。このフレーズは理念としては正しい。だが、もうこれでは売れない。有権者は“ウッカリ1票、ガッカリ4年”を嫌というほど味わったから、もう騙されない。そこで目くらまし。日本人はカタカナに弱い!そこを攻める。「都民が第1」を「都民ファースト」と呼ぶ、するとワッ~と売れる。苺狩り園をフルーツパークと呼び代えただけで客がどっと来るのと同じロジックだ。「都民ファースト」といえば耳触りもよく、何か新しいコトが始まるように期待する。そんな印象を持つが、どうだろうか。 私たち庶民の悲しい性。世にあふれる新商品、新サービスもこの種の罠が多い。商品名はマーケティングの肝、ネーミングは大事だ。ただ中身がないとすぐ飽きられる。もちろん「都政に既定路線はない」と断言、都政の継続性を否定し、全てを自分の色に塗り染めようとする小池氏だから、何かが始まるかもしれない。豊洲移転も五輪施設の見直しも、既定路線化した「決定」をことごとく覆してきた人だから…。 ただ、包装紙に包まれた都民ファーストという新党も少し中身を覗くと、そのメンバーにガッカリする。同党の売りは新人の小池塾出身者らしいが、立候補メンバーの半数以上は移籍組、落選可能性が高いと言われた既成政党の面々。元民進系15名、元自民系10名、みんな系3名といった議員ら移籍組がズラリ並ぶ。移籍の理由はいろいろ飾って言うが、ホンネは小池ブーム(風)に乗って議員であり続けることが主たる理由ではないのか。 新味があるとすれば、小池氏が好き、小池氏と一緒に仕事をしてみたいと集まった小池政治塾から選んだ20名だろう。小池氏もここを売りに「素晴らしい人達」と宣伝する。ここは額面通り受け止めよう。ただ小池氏同様、メディアファースト志向が強い点がどうか。都政に役立つ仕事ができるのか。ここが試されるが選挙戦を通じて見えるかどうか。ともかく、こうした移籍組と素人組という異物混合集団が都民ファーストの会。どんな音色を奏でるのか、混声合唱団まがいの地域政党・都民ファーストの動きを注視しよう。都民ファーストの会の政策発表会見に出席した斎藤礼伊奈氏(左端)。中央は小池百合子代表=2017年5月 公約はどうか。「豊洲移転は知事(党首)の判断に委ねる」が一丁目一番地。それぞれの候補の自己主張は封印しろ、街頭演説の中身は党の了解を得ろ!と厳命が飛ぶとか。これって何なの。小池氏が都議会に絶対賛成の仲間が多く欲しい、議員は数だ、票だというならそれもありだ。しかし、少し減額したとはいえ待遇(報酬+政務活動費)は1議員年俸2千万円。これを払わされるのは都民だ。都議って議会の採決要員?そんな存在か。昔から選挙目当てで寄ってくる集団を「選挙互助会」と呼ぶ。これに当てはまらないか。 東京大改革!東京大改革!とオウム返しのように繰り返す小池氏。確かに世論調査で小池氏の支持率は60%近い。一方、地域政党「都民ファースト」は、得体が知れないのか20%レベル。このギャップを埋めようと党代表に乗り出し露出度を高めているのが最近の小池氏だ。シャカリキに街頭で「都議選で勝たせて下さい!」と絶叫している。 この地域政党モデルは大阪維新かもしれない。就任当初の口ぶりもそうだった。しかし、大阪府議会、市議会の自民系を真2つに割り改革派が脱藩し大阪維新の会という新党を創設。その志士軍団(議員集団)がめざすのは、大阪都構想(府市合体、司令塔一本化で強い大阪づくり)という大機構改革だ。国政まで乗り込み法改正にまで挑む。これと都民ファーストの会は全く違うのではないか。「犯人探し」の刑事都政 端的にいうと、小池人気を頼りに集まった政治の小池ファンクラブに近い。「改革」「改革」というが何をどうしたいのか、パッとしない。ただ党首と同じように、外向けの顔はよく、化粧もうまい。 冒頭、筆者は都民ファーストの会=小池百合子と定義した。その都知事としての小池氏を支持する理由は①改革の姿勢や手法(42%)、②これまでの知事よりもよい(40%)、③人柄や言動(12%)がよいという(世論調査、朝日新聞6月6日)。ただ、政策となると支持率は5%程度(同)。これは非常に分かりやすい数値だ。小池都政の性格をハッキリ見抜いている。都民ファーストの会の公認候補者とフォトセッションに臨む小池百合子都知事=2017年6月 小池氏に対する期待は都庁大改革であって政策大転換ではないということ。いまや得意技になった小池氏の改革手法。「いつ、どこで、誰が決めたか」、その犯人を突き止めること。懲戒処分、証人喚問まで仕掛ける小池氏の都庁大改革、これを筆者は「刑事都政」と呼んでいる。 知らされない豊洲市場の地下空間、膨れた五輪施設経費、汚染された豊洲用地の法外な買収交渉、これを「誰が決めたか」執拗なまで犯人探しをする。それをワイドショー化し、メディアにさらす。これが「都政の見える化」の神髄。正確にいうと、見える化ではなく「見せる化」だが。世の中、『刑事コロンボ』や『相棒』など刑事ドラマの視聴率は高い。それと小池の刑事都政も同じ。なぜなら犯人探しが面白いからだ。 しかし、豊洲市場に地下空間をつくった例でいえば、「なぜ、そうしたか」という本質を説明していない。「誰がそうしたか」という犯人探し以外、何も語られていない。意図的かどうか知らないが、これは本質を外している。責任の所在を明確にすることは大事だが、それ以上に盛り土をせず地下空間をつくったのは建築工作物の耐震性、強度を重視したからではないか。建築学会、土木学会では常識とされる。それが仮設ではなく、安全を基本に50年以上使う常設の永久構築物をつくる建設態度ではないのか。なぜ、説明しない。 都民ファースト、小池氏の大看板は「東京大改革」だが中身は何か。氏が都知事就任後初の都議会(昨年9月)で「都政を透明化し、情報を公開し、都民と共に進める都政の実現」と説明している。たぶん、これだろう。とするなら、この約1年の都政は正確には東京大改革ではなく、「都庁大改革」というのが正しい。地域政党の公約もその点を正せ。 筆者などの都政経験者からすると、真の東京大改革なら大いに期待したいもの。当初、大仰なこの「東京大改革」という言い方から直観的に思ったのは、この先の「老いる東京」「劣化する東京」をどうするか、首都直下地震への防災・減災対策をどうするか、などの政策問題の大転換かと思った。 しかし、ふたを開けてみたら違って、過去の「負の遺産」をほじくり返しての真相解明だった。東京大改革という表現で、東京を大きく変えそうな期待感を持たせるマジックなら、その罪は重い。期待が落胆に変わる日は必ずやって来る。公約は舛添都政の焼き直し 都民ファーストの公約は、舛添前都知事がつくった長期計画の焼き直しに近い。ただ上手にカタカナで化粧直しをしている(以下、同党PRESSから引用)。 東京大改革は①ワイズスペンディング(賢い支出)で都民ファーストを徹底②開かれた都政・都議会を実現③ダイバーシティを実現する福祉支援④スマートシティ東京で都市間競争に勝ち続ける⑤セーフシティをめざし都市環境を整備、⑥万全の体制でオリンピック・パラリンピックを成功に導く⑦多摩・島嶼を魅力ある地域にしていくが柱。個別事業で目新しいものは無電柱化ぐらい。あとは既存事業の羅列だが、ここでもやたらカタカナでライフワークバランス、バリアフリー、イノベーション、ベンチャー、レガシープラン、クリーンエネルギー、などと化粧直しをしている。 党の公約だから、これをどうこういうつもりはないが、このにわか仕立ての公約を各候補者はどれだけ消化して語れるのかだ。42選挙区ごとに選ばれる都議は都政全体に加え、地元の個別具体の問題解決も迫られる。党の統率が取れなくなるから余計な事は言うな!と厳命されるというが、それは間違いだ。率直に候補者本人の言葉で語る公約が聞きたい。そこの力量を推し量って当落を決めていく。「全て小池さんの言う通り」では話にならない。 「豊洲移転は都知事(党首)の判断に委ねる」、これが都民ファーストの公約だ。こんな主体性なき、政策判断のできない政党が都議会の多くを占めたらどうなるか。マスコミなども豊洲移転を争点にすべきだと囃し立てるが、いったい何を争点とイメージするのか。 というのも、豊洲か築地かの議論はこの20年余、都議選のたびに争点化してきたが、しかし、移転先はもう決着している。市場も完成している。それ以外、何を争点化するのか?東京都(自治体)は昨春「豊洲市場移転条例」を制定し、豊洲移転を公式決定している。豊洲市場=2017年2月、東京都江東区(本社チャーターヘリから) ただ、小池氏の都知事就任で昨秋11月7日の移転日を執行上の都合で延期している状態。この3月まで豊洲移転の是非を都議選で争点化すると公言していた小池氏だが、世論調査で「豊洲移転をめざすべき」が55%と、「やめるべき」(29%)(4月5日朝日新聞)を大きく上回るなど潮目が変わると、突如、争点から外すと言い出した。小池寄りの都議会公明までが移転派に転向。これなどメディアファーストの一面をよく表している。 筆者はこれまで6千億円も投じて作り上げた近代装備を具備したこの豊洲市場は、追加の汚染対策工事を速やかに施したうえで有効に使うべきだと述べてきた。しかし、事態は膠着へ。専門家会議、市場問題PT、市場のあり方戦略本部と幾つも検討チームをつくり、「総合的な判断」をいつも口にしながら延々と伸ばしてきた。これは一体何なのか。  この種のプロジェクトを政争の具、選挙に有利か不利かで判断してはならない。もう市場はスイッチオンを待つばかり。行政には継続性もある。巷間もっともらしく伝えられる小池氏のブレーンらが主導する「築地市場再整備案」。これを取り上げるなら豊洲移転条例の廃止を都議会で決めてから始めるのが筋ではないか。手続きに従って粛々と進めていると小池氏は言うが、それは自ら設定した政治プログラムに沿って進めているだけだ。都という法人機関の決定を無視し、あたかも都知事がフリーハンドを持つ独裁者であるかのように振舞う、これでは行政は混乱し信用を失う。機関決定を逸脱する行為には、当然、不作為の行政責任が問われよう。都議会改革にこだわり過ぎの小池氏 昨秋以降、都知事が先頭に立って「豊洲はダメ、ダメ」と風評被害を全国にまき散らしてきた責任をどう取るか、どう事態を収めるか、争点というならそこではないのか。この種の独断専行の都政運営はこの先、小池都政のアキレス腱になる可能性がある。 都議選が近づき「決められない小池」批判が高まると、都議選に不利とみたか、告示前に豊洲移転にケリをつけるかのような言いぶりに変わってきた。「安全」「安心」「採算」の3つをクリアする対策を示し、移転延期を「解除する」ともいう。築地も併せて再利用するとも(本稿執筆時点では不明)。 しかし、元々このような豊洲移転問題を政争の具にする発想がおかしい。行政の最高責任者としての都知事は、基本的には豊洲市場に追加の汚染対策工事を速やかに施したうえで有効に活かす方向を考えるのが自然ではないか。設計規模が大きすぎるなら、他の市場の再編整備の拠点として寄せ集めて使うのもよい。 もっとも今、何もしないで豊洲を開場するのは芸がない。いろいろアイディアを尽くせ!例えば市場の新たな名称をつけるべくネーミングライツ(命名権)を民間に売り、もっと魅力的な広告塔に仕立て収入を上げる。役人任せの市場経営から民間企業を指名できる「指定管理者制度」に代え、大手の水産業者を市場長に選ぶなど市場経営全体の民営化を図るなど。いずれ、スピード感を持ってこの問題にケリをつけ、都市経営の視点からオリンピック時の大渋滞・混乱を避けるためにも環状2号線の道路建設を大車輪で進めたらどうか。 小池氏は執拗に都議会改革にこだわる。都議会のドンとか、ブラックボックスと敵視する。こうした見方を事前に刷り込んだ側近がいるようだが、それにこだわり過ぎていないか。都知事選の公約は「議会冒頭解散」だった。制度上できもしない公約をなぜ?それだけ都議会は怖いと見たか憎いとみたか、よく分からない。都議会の百条委員会で行われた証人喚問 今回、都民ファーストの公約は①議員の公用車利用の廃止(議長、副議長除く)②議員の条例提案を増やす、③議会基本条例をつくる、の3つだがこの程度が議会改革の切り札なのか。各地はすでに取り組んでいる。 もとより、この程度の改革すらもやってこなかったこれまでの都議会は怠慢だ。もともと都議会は大きすぎ動きが取れない。しかも自公体制のもと「動かぬこと、山のごとし」で、改革らしいことをしなかった。その点、現在の都議会は改革度でいうなら2周遅れ、全国ワーストワンに近い。そこにメスを入れようという点は評価できる。 ただ、公用車使用でいえば、知事、副知事、特別秘書、条例局長らの公用車使用には何も触れず、議員の公用車使用のみを廃止するという。この目線は何か。議会憎しなのか。都庁大改革で公用車使用を見直すなら、都議会と併せ知事部局の特別秘書、局長らの公用車も原則廃止したらよい。黒塗り車で朝晩遠方まで送迎する姿を都民が知ったら怒るはず。 議員提案を増やすというが希望だけでは増えない。各地でさんざん試みているが増えない。都民ファーストの公約もこのままだと都議選向けのお題目に終わる可能性が高い。どうするか。問題の本質は議員立法を支える仕組みがないということだ。都議会に「法制局」がないということ、これが致命傷ではないか。国は内閣法制局、衆院法制局、参院法制局と3つも法制局があり、立法活動を支えている。 そこで、こうしたらどうか。使途の評判が悪い政務活動費の半分を「法制局の設置・維持」費に充当して法制局を創設する。議員立法をサポートする費用に使ったらどうか。法制局に法科大院卒(専門家)の若者たちを専門委員(非常勤)として雇い、各会派が積極的に活用する。ふだん都議は条例提案の「問題意識をレポート」すればよい。それを他の法令や条例との整合性も見ながら専門家の視点で条文化するのが法制局の役割だ。政策の振り子が働いている都政 もちろん議員立法だけでなく、執行部の提案する条例の審査や予算の審議についても専門知識を生かして一定のサポートをしてもらえる可能性が高い。そうした中から将来、法曹資格を持った専門性の高い都議が続々誕生してくるかもしれない。これは日本の地方議会で初の試みになり、全国に与えるインパクトが大きい。こうした仕掛けをつくって議員立法を増やすというなら、都民ファーストの提案は評価されてよい。 もう1つ。議会基本条例の制定だが、もう地方議会の半分近くが制定済みだ。この制定自体を議論してこなかった都議会は改革が2周遅れ。都民ファーストがその制定を提案しているのは評価できる。ただ、どんなメンバーで、いつまでに、どんな中身にするのか不明だ。しかも、何のためにつくるのか。ヨソにあるからつくるという発想なら無意味。また議会基本条例をつくったからといって、それ自体が改革ではない。要はどう使うかだ。各地には制定後、一度も使われていない議会基本条例が山ほどある。 ただ制定過程こそが大事。各議員が議会のあり方、首長との関係、都民との関係、ガバナンスの役割を侃々諤々と議論し、そのうえで独自の議会基本条例に仕立てていかないと、仏つくって魂入らずになる。都民ファーストの提案はまだヨソの物まねのような印象が強い。 公約の議論とは別に、都議会の抜本改革案を示そう。この先、都議会を変えるなら年4回の定例会を廃止し、「通年議会」としたらどうか。すでにいくつかの議会で実施済み。年間100日に満たない登院日数。しかも、会期制では会期終了ごとに議会が開けなくなる。年4回の定例会を首尾よくこなせば、あとは議会活動をしなくてよい、こうした儀式型議会の時代は終わっている。例えば毎月第1週を定例会日とし本会議、各種委員会を開く。 それ以外の週に議員立法や会派の研究会を入れ闊達に議論する。決算委員会は事業仕分け、政策評価の絶好の機会。結果、登院日数が200日に及ぶかも知れない。それだけ「働く議会」に変えたら、都民のみる目も期待感も変わってくる。通年議会は事実上、知事の議会招集権を議長に移す改革にもなる。都議会改革の本丸は「法制局」をつくって、「通年議会化」し、「議員立法」活動の量と質を高めること、それが核心だ。 大きい都政の流れは、経済重視か生活重視か、ハード政策重視かソフト政策重視か、で政策の振り子が働いてきている。そうした歴史のうえに今の都政がある(下図参照)。 図:都政振り子の論理 小池都政で重要な点として「子育て支援・女性活躍」があるが、世論調査をみると、それ以上に「医療・健康・福祉・介護」、「防災・減災」が上位に並ぶ。どうもここを小池都政ではあまり重要視されていないのか、都民ファーストの都議選の公約にも前面に出ていない。この点が気になる。 この先、都政の透明化、行革などを打ち出し続けても、都民に役立つ都政になっているか、疑問符が付くかも知れない。現場を抱える市区町村長は揃ってそう見ている(日経調査、6月13日)。都政本来の仕事、それに応える戦略が見えないと都政は必ず行き詰まる。 現在の都政は、4期13年余続いた「石原都政」の残影を引きずったままだ。不良債権処理などから経済重視、ハード重視の都政に振り子が向いたまま、いま止まっている。 小池都政がこの状況に終止符を打てるか。都民ファーストという言葉を使う以上、都民が第1、生活者重視、ソフト重視の都政展開がイメージされる。図のような歴史の流れ、都政の課題からして、小池都政がやるべき政策は生活重視、ソフト重視ではないのか。特に「東京は豊かだ!」と皆が確信している間に、マンモス大東京の内部構造には大きな変化が起きている。人とインフラが老いる「老いる東京」問題だ。  少子化対策の待機児童問題と並び、高齢化対策の待機老人問題の解決は待ったなし。中長期には子供は減るから待機児童は減ろうが、待機老人は増え問題はより深刻になる。これへの対応を誤ると「東京崩壊」すら、危惧される。人口絶対減少と高齢者の急増する時代に入った東京の大都市経営、それは「老いる東京」問題の解決は待ったなしである。それは医療、福祉、介護、文化、教育、子育て支援などソフトな領域に止まらず、建設から50年以上経つ首都高、一般道、橋、上下水、地下鉄、地下道、公共施設などハードな都市インフラの劣化領域まで広範に及ぶ。これに正面から立ち向かうのが都政本来の仕事だ。「数」よりも「理」によって都政を制する 政策問題への期待感が低い小池都政とはいえ、2021年までの都議になる127名はこれを語らずにはその資格はない。空気のような「東京大改革」論、骨太の政策がないまま「東京大改革」という言葉のみが一人歩きし、中身が見えない。そこに中身を詰め込むような密度の濃い政策論争が展開できるかどうか。多くの都民はそこを見ている。都議になることが目的では困る、都議になって何をやるかだ。単なる小池支持か不支持か論争ではなく、「東京をどうするか」という中身の濃い政策論争を期待したい。都民ファーストの会の公認候補者とフォトセッションに臨む代表の小池都知事 終わりに都知事と都議会の関係について触れたい。小池都知事はこの都議選で議会に過半数の支持勢力をえて改革のエンジンを確保したいと再三述べている。 しかし、よく考えてほしい。というのも、自治体である東京都のしくみは国のような一元代表制(議院内閣制)ではないという点だ。都政は、議員と知事を別々に選び、双方が抑制均衡係を保つよう求めたのが二元代表制(大統領制)の骨格だ。政権与党の党首が首相になり、内閣を率いる国の制度とは全く違う。都知事は行政の最高責任者だから、本来は立法機関である議会とは離れた立場、公正中立の立場での都政運営を行う立場だ。 だが、いま都知事は、地域政党の党首になり、都知事(党首)が都議会で多数派を形成し、都議会を差配する。それが「よい都政」を実現する道だと主張する。果たしてそれは正しい方向か。単なる権力者、支配者の発想ではないのか。ひとつ間違うと、「会派あって議会なし」、小池派と非小池派という分断された都議会が誕生し、翼賛議会以外の何物でもなくなる可能性が大きい。知事傘下の小池塾生が多数派の都議会って何だろう。本来地方自治は政党制を前提には成り立っていない。何党が何議席取るか椅子取りゲームの選挙報道が続くが、それに乗じて「行き過ぎた政党政治」を都政に持ち込むと行政は大きく歪む。 都知事がこれだけ都議選に深入りした都政の歴史はない。都政を政党政治によって牛耳ろうという考え方もなかった。都議は会派云々の前に1人の議員として独立した存在だ。むしろ都議は、無所属を含め、様々な階層、地域、職業、性別から選ばれることが望ましい。 考えを統一された子飼いの知事分身のような議員集団が多くを占めるより、知事と独立した政治機関の都議会には、いろいろな考え方を持つ多様な127名の議員が議席を有し、それぞれの経験と見識をもって都知事と真っ向から真剣勝負をする。政党のしがらみなどなく、都民目線で修正すべきところは修正する、そうした正に「都民ファースト」の都議会が誕生することが望ましい。都議会は民意を鏡のように反映する政治機関である。 ほっておいても首長(知事ら)が2期、3期と続くにつれ議会もオール与党化しがち。小池氏は最初からそんな方向を志向すべきではない。むしろ、小池都知事は都議会としのぎを削るような論争を通じで政策を磨いたらどうか。その資質は十分備えている。「数」よりも「理」によって都政を制する、それが都民主役の都政運営への王道ではないか。

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    【若狭勝緊急寄稿】小池百合子に政治生命を賭けた我が真意

    ) 昨年の都知事選において、私が自民党東京都連の指示に反し、小池さんを応援したのは、東京都政を含めた政治全般の今後のあり方を考察するに、小池都知事の誕生が極めて重要であると思ったからです。 これまで日本の政治は、いわゆる「しがらみ政治」が脈々と続いてきています。 もともと、日本社会では、「黒白の決着をあえて付けないとか、互譲・妥協・忖度(そんたく)・根回しで物事を動かす」などの曖昧な文化が受け入れられてきた面があるため、「しがらみ政治」がそれほど糾弾されずに続けられてきました。 ここにきて、法律の分野では、明治時代に制定された、民法の一部(債権部分)が120年ぶり、刑法の一部(性犯罪部分)が110年ぶりに改正されることになりました。時代の変化で、明治時代の価値観が法律面では一部修正されたのです。 にもかかわらず、政治分野では依然として「しがらみ政治」が続き、国政においても「しがらみ政治」を背景に、いろいろな問題が次から次へと噴出しています。 そもそも、「しがらみ政治」というのは、(1)利権構造になじみ、特定の人・団体の利益の便宜供与に結びつきやすい(2)決定過程のいわゆる「見える化」に乏しく、透明性を遠ざけ情報公開に消極である(3)税金の使途についても、都民・国民目線に立たず、無駄が多く、コスト意識が少ない(4)議会が活性化せず、議員がなれ合い・ぬるま湯政治につかっている(5)旧来体制の維持に強い価値観を置き、新しいシステム等の提言には耳を傾けない傾向 などの特徴を有し、悪弊・弊害をもたらすことになる政治の総称です。  私は、特捜部検事などとして、これまで長きにわたり政治家の不正・汚職を追及する中で、まさに「しがらみ政治」がその原因であると思い続けてきました。 「しがらみ政治」のもとでは、素朴な正義感が後退し、「良いものを良い」、「悪いものを悪い」と言えない雰囲気が作り出されていきます。 例えば談合です。税金の不要な出費につながるものの、かつては「必要悪」と言って是認され続けてきました。私も含め、談合の刑事責任を追及し続けたこともあり、今では、税金の無駄遣いとの考え方が共有されるようになりました。東京都知事選で小池百合子氏(左)の応援に駆けつけた若狭勝衆院議員=2016年7月25日、東京都三鷹市(荻窪佳撮影) こうした「しがらみ政治」から脱却し、それに終止符を打つ。利権構造を絶ち切り、公正でクリーンな政治、清濁併せのむ政治からの脱却、透明性を確保し、情報公開を格段に進める政治、都民・国民目線に立って税金を使うことを第一に考える、などの政治指針の確立が今、求められています。 特に価値観が多様化し、各人の価値基準も異なるようになった今こそ、多くの人が共有できる、そうした政治指針が必要とされるのです。そうした新たな枠組みを構築できるのは、「しがらみ政治」からの脱却を目指す小池都知事です。 また、日本は国連から、毎年のように「女性差別の撤廃が進んでいない」という不名誉な勧告を受けています。小池都知事が、女性として、東京オリンピック・パラリンピックを華々しく開催することによって、日本の女性の役割・活躍が相当進んでいるということを国際社会にアピールする絶好の機会になると思っています。 上述の理由等から、小池都知事を応援しているのです。女性の象徴的リーダーとして 外国の予算規模と比較しても、東京は一つの国のようなものです。してみると、都知事は、一つの国の大統領のようなものです。 そうした枠組みの中で、小池都知事には、持ち前の創造力、洞察力、即断力、実行力を発揮してもらい、強いリーダーシップで日本社会の在り方を変革してもらいたい。ちなみに、創造力と実行力を有する小池環境大臣がいなければ、クールビスがこれほど夏の男性の服装を変えることはなかった。また、洞察力・即断力を有する小池防衛大臣がいなければ、防衛省の天皇と言われた事務次官を退官に追い込み、逮捕起訴されることもありませんでした。 上述の「しがらみ政治」に終止符を打ち、利権構造に鋭くメスを入れ、透明性・情報公開を強力に推進し、都民目線に立って税金の使途を考えるなどを実践していただくことはもとより、積極的な施策として、東京都を世界の中で輝き、そして「わくわく」させ、東京ブランドをさまざまな分野で作り出していく。さらに、女性の象徴的リーダーとして、今後日本社会の活力となり、女性にかかわる諸問題を確実に解消していただきたいです。 今回の都民ファースト公認候補者は、年齢層・世代が異なり幅広い意見が集約できるだけではなく、何よりも、その保有資格、スキル、経験、専門性にそれぞれ秀でている人が多いのです。 実は、これまでの都議会では、議員自らが条例案を作成し、議会に提出する形での条例制定が極めて少なかったです。自民党所属議員が数多くいながらも、全くお寒い限りでした。都民ファーストの会の政策発表会見に出席した斎藤礼伊奈氏(左端)。中央は小池百合子代表=5月23日、東京都新宿区の都庁(佐藤徳昭撮影) 議員自らが作成した条例案を議会に提出し条例を制定するには、当該議員が、都民のさまざまな声を聞き取り、行政側では気付かない視点のもと、調査と各種法令の研究を重ねるなどのきめ細かさが必要となります。その結果、一人一人の議員活動が実り多くなり、議会における審議も活発化します。してみると、自民党所属の都議会議員が多くいる中で、長きにわたりそうした議員提出に係る条例制定がほとんどなかったというのは、驚きのほか何ものでもなく、そもそも自民党の都議会議員に条例案作成能力があるのかについて疑問符が付きます。また、まさにこの実態こそが「しがらみ政治」「ぬるま湯政治」の象徴と言えます。 都民ファーストでは、議員自らが作成した条例案を議会へ提出することによって、古い議会体質を変革していくことを目指しております。実際に公認候補(予定)者の各専門性に照らし、これが可能と思われ、今後は、東京都議会は都民のために見違えるように活性化すると思われます。 一般的には、男性よりも女性の方が「しがらみ社会」に染まっておらず、そのため、政治分野においても、女性の方が「しがらみ政治」の脱却に力を尽くせると思われます。 都民ファーストの公認候補(予定)者の女性の割合は約3割超であって比較的多いことも、「しがらみ政治」の脱却に向けた勢いが一層高まるものと期待できます。「東京が変われば国が変わる」 なお、二元代表制のもとでは、小池知事が代表を務める都民ファースト側の議員が増えれば、知事のいいなりになる議員が多くなり、議会が都政をチェックできないという批判をする向きがあります。 しかし、上述のとおり、なんと言っても、専門性・資格を有している者であれば、条例案を議会に提出し、制定するようになって議会を活性化するとともに、知事とは別の自らの視点・観点で行政をチェックする(例えば公認会計士の観点で都の予算・決算をチェックする等)ことが十分期待できます。 「東京が変われば国が変わる」。東京都は国の縮図です。東京都には過疎・人口減少が進んでいる地区や島もあります。同じ23区でも人口増と人口減の区があります。木造密集地区がある一方、タワーマンション建築地区もあります。 要は、全国各地域のそれぞれの特殊事情が東京都の中においても同じように併存しています。東京都がさまざまな工夫や特区制度を利用して、さまざまな問題・課題にモデルケースとして取り組み、それが効果的であれば、そのノウハウを全国の同じ特殊事情を抱える地域に伝えることができます。 昨今、地方創生・地方活性化の動向が強まっています。それ自体大切なことですが、地方と東京がいわば「VS」になってはいけません。財政が現時点において比較的豊かな東京都が率先し新たな試みを続け、その成功事例のノウハウを地方に伝授すれば、東京都と地方はWin-Winの関係になることができます。 安心安全のまちづくりも同じことが言えます。まさしく東京都は人口も多く犯罪発生件数も多いですが、これも23区の例をとれば、区によってその犯罪情勢や犯罪件数の推移も異なります。その理由と傾向を探ることで、その結果を区と同じ環境化にある全国の地区に情報提供することで、新たな安心安全まちづくりの指針となり得ます。東京都知事選。街頭演説する小池百合子氏(左)と若狭勝氏=東京都品川区(伴龍二撮影)  東京都選出の国会議員である本職としては、東京都の問題、それは、ひいては国の問題と考え、東京都の問題に係る解決策を探ることで、国全体にも良い影響を及ぼす、それに関わることで、本職の役割も一つ果たせると思っています。  今回の都議選は、重要な選挙と位置付けております。まさに上述のとおり、「しがらみ政治」をこのまま続けてしまうのか、あるいは「しがらみ政治」から脱却し、それに終止符を打てるかの選択の選挙です。 「しがらみ政治」に染まっていない「都民ファースト側の立候補(予定)者」に「しがらみ政治からの脱却力」を発揮してもらいたいと考えております。

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    失速する小池新党、「決められない都知事」の汚名を晴らせるか

    に自らの進退を委ねて判断を仰ぐ場合に提出するものであると思う。したがって、小池氏には業務上、あるいは政治家としてのミスがあったということになる。 自民党の公認を得ないで都知事選に立候補したことが、自民党に対して責任を取らなくてはならないミスであったと思われるが、小池氏は、信念に基づき党の意向を無視して出馬したのではなかったのか。まして自民党の候補者と戦うことになったのであるから、離党届をそのときに出すべきである。政治家のスキャンダルや法的な問題などが起こった場合に良く聞かれる言葉だが、「政治家の出処進退は自らが決める」のが原則だから、やはり遅い感じがする。その後も小池氏は都議会自民党との対立を鮮明にしてきたのであるから、早く決断すべきであった。ただし、都議会自民党とは対立しても、自民党本部とは対立したくないという分かりづらい状況が解消されたことは、都民にとっては有益であろう。 代表就任に関しては、野田数(かずさ)代表(現幹事長)のスキャンダルや、都知事の支持率と都民ファーストの会の支持率がリンクしていない各種調査の結果から、「小池人気」に比べて都民ファーストの会の人気が盛り上がってこないことに危機感を感じたのであろう。このままでは、選挙協力を表明している公明党と連立しても過半数に届かない可能性もある。少なくとも第一党の座は確保したいというもくろみもあるだろうから、そのためのてこ入れの意味合いが強いと思われる。しかし、そもそも代表が野田氏であったことをどれだけの都民が認識していたであろうか。代表になろうがなるまいが、都民ファーストの会は小池氏の政党であることは自明の理であり、このことのインパクトはあまり大きくはないと思われる。小池人気に頼りきりなら独裁の危険も ともあれ、小池氏が政党を率いて都議選に臨むことが明確になった。このように知事が自ら政党を結成して、議会を支配しようとすることはあまり例がない。ただ、人気のある首長に特有の現象であるといってもよいかもしれない。橋下徹前大阪市長や、河村たかし名古屋市長などの例が記憶に新しい。他の首長は、政党の支持は受けているものの、あえて無所属として立候補し、議会との関係に一線を画すような配慮をしていることのほうが通例のように感じる。こうした理由をあわせて考えてみよう。 地方政治は、国政と違って「二元代表制」を採用している。すなわち首長と議会の二つの代表を住民が直接選挙によって選ぶことで、両者が互いにチェックすることで住民に寄り添った、よりよい政治を実現しようとするのである。議院内閣制を採用している国政では、衆議院と参議院の「二院制」によって、独裁的な政治にならないように互いにチェックすることでより民主的な政治の実現を目指している。二院制を採用する余裕のない地方自治では、二元代表制によってチェックしているといっても過言ではないだろう。 首長が政党を率いて議会の第一党を目指すことは、この二元代表制を否定することに他ならない。確かに、首長が自らの政策を実現するために、議会でも応援勢力を増やそうとすることは理解できなくもない。「決める政治」を実現するためには、もっとも合理的で確実な方法だからである。 しかし、一方で独裁に陥る危険性もある。小池氏は、今までの都政が、都議会自民党と自民党の応援する知事によって運営されてきたために、「頭の黒いネズミ」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してきたと批判することで、都知事選に立候補して都民の信託を得たのではなかったか。そうならば、都議会を自らの政党によって多数派を占めようとするのは、同じ轍(てつ)を踏むことにならないのだろうか。「都民ファーストの会」の東京都議選公認候補者向け研修会で講演する小池百合子知事=5月3日、東京都新宿区 知事は自らの政策を議会に説明して理解を求める。議会は、住民の利益を考えてより良い政策になるように議論する。こうしたプロセスが住民のための政策を策定し、実行することになる。自らの政党が議会の多数派を占めるようになれば、まして首長の人気に頼りきりの政党であればなおさらのこと、独裁のような体制になってしまうのではないか。本来の制度が持つチェック機能が、働かなくなる恐れがあるからだ。これでは「住民ファースト」ではなくなってしまうかもしれない。「豊洲」も判断しない都民ファースト 気になる点はほかにもある。これまでの小池都政で議会軽視の兆候が見て取れる。豊洲移転の延期や、東京五輪・パラリンピックの会場変更、組織委員会や近隣自治体との会場費などの問題を、議会に諮(はか)らず報告もせずに、決めてきたように思える。もちろん、すべてが悪いわけではなく、素早い決定が有意義であったものがないとは言わないが、こうした決定の際にも、二元代表制の認識が足りないと感じるものも少なくない。現行制度の利点を十分に生かしながら都政運営をしていただきたい。 また、これまでも述べてきたように、都政には解決しなくてはならない喫緊(きっきん)の課題が少なくない。二元代表制のもう一つの利点は、都議選が行われている間も知事は都政に専念できることにある。しかしながら、都議選にもコミットする、ましては代表として会を率いるということになれば、選挙運動に割かれる時間も少なくないであろう。もちろん、休日に行うことになるのであろうが、政治家の場合には休日の定義も難しい。議会が開かれていない期間は休日であるとすれば、なんと休みの多い仕事になろうか。とりわけ豊洲と五輪の問題は、財政的や政治的だけでなく、対外的にも早く決定することのメリットは計り知れない。にもかかわらず、小池氏は都政専念という二元代表制のよさを自ら手放そうとしている。 これらの点からも、地方政治において首長が政党を率いて議会選挙に臨むことには疑問がある。また、今回の選挙では、多数の候補者が小池人気だけを目当てに、さまざまなアプローチで都民ファーストの会から公認や支援を受けている。政党をくら替えする議員も少なくない。彼らは今までの政党や自らが訴えてきたこととの整合性は保たれるのであろうか。小池氏は「古い都議会」と「新しい都議会」という抽象的な文言で説明しているが、選挙が行われれば都議会は当然リセットされることになる。いわば必ず「新しい都議会」となるのは自明の理であろう。しかも都民ファーストの会の新しい改革案は抽象的で、具体策がはっきりしないままだ。 こうした点からも、今回の都議選で争点らしい争点は見えてこない。豊洲移転問題について各党の主張は、豊洲移転と築地残留で分かれているが、都民ファーストの会は小池知事の判断を尊重するとして、政党としての政策判断をしていない。見るからに、小池人気頼りということを示しているといってよい。東京五輪・パラリンピックなどがメディアなどで注目される争点になるのであろうが、争点といえるまでの各党の明白な違いが見えているわけではない。都民ファーストの会の街頭演説を行う小池百合子東京都知事=5月20日、東京都中野区(春名中撮影) 小池氏の人気によって、盛り上がる選挙になる可能性を秘めているだけに、各党が自らの主張をはっきりと打ち出した、争点中心の選挙になることを期待したい。また、投票率も最近では民主党政権誕生前の55%が高いものである。これを上回るような高い投票率になることも期待したい。それを可能にするのは、政治家であり、メディアであり、有権者である。

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    驕れる安倍一強、「オンナが主役」小池旋風を侮るなかれ

    つて、そう、4半世紀くらい前、私は日本新党の番記者をやっていた。当時私はフジテレビに転職して2年目、政治部の経験はなく、経済官庁を担当していた。なぜ、日本新党番なぞやっていたかって? それは、どこの馬の骨ともわからない新党に政治部の精鋭記者を配属する余裕が社にはなかったということにつきる。それが証拠に、他の新聞記者も科学部や文化部から投入されていたのだ。みな政治家の顔がわからないものだから、「おい、今、日本新党の事務所に入ったのは誰だ?」などと皆右往左往したものだ。かの小池百合子東京都知事も、細川護煕代表の半歩後を歩いていたのを今でも思い出す。 そして1993年7月の衆議院総選挙が終わり、35人もの当選者を出した日本新党だったが、当選者のポスターがずらっと貼られている事務所の壁を前にして、細川代表がこうポロリとつぶやいたものだ。いわく、「この方は存じあげないなぁ。しかし風っていうのは怖いものですね。こうした方も受かるんですから…」1994年6月、会見を行う小池百合子衆院議員と日本新党の細川護熙代表 オイオイ、と心の中でツッコミつつ、いや、党首だってあきれるくらいなんだから、やはり政治の世界の風ってのは、ものすごいパワーを秘めているんだな、と妙に得心したものだった。 それ以来、風によって政局が大きく動く場面を幾度となく目の当たりにしてきた。2005年の小泉郵政選挙の時の風もすごかったし、去年の都知事戦でも明らかに風は吹いた。告示日に無風でも、選挙日が近づくにつれ徐々に風がその強さを増していく。そして最終日を迎え、最後の街頭演説を取り囲む有権者の熱気、パワーがその候補者の当落を決めるのだ。だから1カ月前の当落予想はたいした意味を持たない。なぜならそれは予想のための予想に過ぎないからだ。去年の都知事選のときだった。ある政治評論家は自民党の組織は盤石だから増田寛也候補が絶対勝つ、と自信満々で予測しておられた。「女性都議5割」小池氏は本気で目指す さて翻って都民ファーストの会である。候補者の面々を見ると、どう見ても即席の感は否めない。自民党、民進党からの移籍組はともかく、なにせ全く知名度がない候補者が多い。選挙なんてやったこともないものだから、右も左もわからないのだ。実際、都民ファーストの候補者からは「完全手探りでやっている」とか「本部からなんのアシストもない」などの声が聞こえてくる。事務所がなかなか借りることができない候補者もいる。が、それもある意味仕方ないだろう。なにしろ発足は去年の9月、まだ生まれたばかりなのだ。 その都民ファーストの会の候補者、バラエティーに富んでいるのは間違いない。中でも女性に注目したい。これまで既存政党の公認候補と言ったら圧倒的に男性が多かった。それも20代、30代など若い世代はほとんどいなかった。それが、小池氏が都知事になり「希望の塾」を発足させたことで、多くの女性の政治参加の道が開けたことは大きい。 女性のもやもやとした政治に対する不安、不満。つまり、ある人にとってそれは子育てだったり、介護だったり、仕事の見つけにくさだったりするわけで、女性が主に負担を強いられている今の社会の仕組みを何とか変えたい、という思いを小池氏と希望の塾はすくい取ったのだ。小池氏が都知事になれるのだから自分たちも都議になれば一緒に女性が住みやすい社会を作ることができる、とまさしく「希望」を持たせたのだ。2016年8月、東京都庁に初登庁し、女性職員から花束を手渡された東京都の小池百合子知事(左)(宮川浩和撮影) そして彼女たちは都議選への出馬を決意した。このことだけとっても都民ファーストの会が誕生した意味はあると思う。もともと都議会に占める女性議員の割合は2割に満たない。数にして126人中25人だ(2017年5月10日現在)。小池氏はこれを5割まで引き上げることを狙っている。 もともと小池氏は「ウーマノミクス」の発案者だ。本気でそれを目指すに違いない。立候補した女性は小池氏の政治哲学の実現に向け、大いに力になることだろう。これは東京都の多くの女性にとって喜ばしいことであり、都民ファーストの会の最大の功績である。 「なんだ女性だけか」と言われる男性諸氏にとっても、政治の世界で女性の比率が高まることは決して悪いことではない。小池氏は待機児童対策に大きな予算を割いた。女性が働きに出ることができるようになれば、家計の収入も増える。消費が増え、景気にとって好循環となるではないか。 「女性が働く必要はない」とおっしゃる向きには、「では、一日中子どもと過ごしている専業主婦の気持ちを考えたことはありますか。本当にそれでよいのですか。彼女らのための政策を男性であるあなたが考えることができますか」と問いたい。そうした女性が孤立しないようにコミュニティーでの結びつきを作ったり、社会貢献の場を設けたり、そんな発想を期待できるのはやはり女性議員だろう。「都議会のドン」後継は27歳の女性 受動喫煙対策も、そうだ。愛煙家の味方をする政治家は多く、いまだに国会では健康増進法改正案すら成立していない。これに対し、都民ファーストの会は、受動喫煙から子供を守るための条例と、公共施設や飲食店の屋内を原則禁煙とする罰則付きの条例の制定を公約に盛り込んだ。国がダメなら自治体の条例で、これも小池氏ならではの大胆な発想だ。他の会派からはなかなか出てこない。考えてみれば誰しも自分の孫や子供をたばこの煙から守りたいに決まっている。その当たり前の政策を実行できるのは悲しいかな、女性議員の行動力であろう。そういう意味において、女性の政治進出を加速しようとしている都民ファーストの功績は大きい。 もう一つ。都民ファーストの存在が他の会派を刺激している点を忘れてはならない。最大会派の都議会自民党は危機感を募らせ、今期で引退する実力者内田茂氏も後継に51歳若い、27歳の女性候補を選んだではないか。都議会自民党からも民進党からも離脱者が出て彼らは都民ファーストから出馬するし、公明党は早々と都民ファーストとの連携を打ち出した。つまり、都議会会派の構成をダイナミックに変える可能性を生み出したのだ。もし、去年の都知事選で小池氏以外の候補が知事になっていたら、果たしてこのようなことが起きただろうか。答えは否であろう。東京都議会閉会後、報道陣の取材に応じる内田茂都議(左)。高齢や健康上の問題を理由に、議員引退を表明していた=6月7日(富永順一撮影) さらに言えば、こうした都民ファーストの動きが国政にも影響を与えようとしている点だ。都民ファーストが地域政党のままでとどまるのか、かつての日本新党のように国政に打って出るのかは現時点で知る由もないが、民進党の長島昭久衆議院議員が離党したように(後に除名)、国の政局にも影響を及ぼし始めている。長島氏は小池氏とも近く、「7月2日以降、政局が大きく動く可能性がある」と明言した。都議選の結果を受け民進党の蓮舫代表の責任論も噴出しよう。都民ファーストが誕生しなければ政局は動く可能性すらなかったろう。 おりしも国会では森友学園問題に続く加計学園問題で紛糾している。都民ファースト公認のある候補者は、有権者から安倍政権に対する不満の声を耳にするようになってきたと述べた。少しずつそうした空気がたまってきている気がする、と。 「安倍一強」が長期化する中、景気が何とか持っているうちはまだ政権の支持率は維持できるだろう。北朝鮮からの相次ぐミサイル発射も、政府与党にとってはある意味追い風になっている。しかし、だ。おごれる平家は久しからず。都民ファーストを侮るなかれ、だ。いつの時代も権力者は民の声に耳を貸さなくなった時点でその後の末路は見えていた。 都民ファーストを持ち上げたいのではない。しかし、そもそもなぜ小池百合子都知事が誕生したのか。なぜ都民ファーストの会なる地域政党ができたのか。その原因を分析せずして、これからの政治、これからの日本の行く末を読み解くことはできないと思うのだ。

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    小池知事 安倍官邸の「空気支配力」の怖さを熟知

     東京都議選では一時は自民党を駆逐するかに見えた小池新党「都民ファーストの会」の勢いが止まりつつある。実は、安倍官邸の「空気支配力」の効果と怖さを最も良く知るのが自民党広報本部長時代に情報戦略立案にかかわった小池百合子・知事なのだ。都民ファーストの会が「選挙対策本部」を設置に伴い、看板掛けを行った。記念撮影に応じる小池百合子都知事と都民ファーストの会の広報部メンバーら=5月16日午後、東京都新宿区(代表撮影) 安倍首相は、2013年参院選でネット選挙が解禁されると、「情報分析会議」で培ったノウハウをフルに発揮させる。とくに重視したのが不利な情報やネガティブ情報への反撃作戦。 ネット戦略の実働部隊として小池百合子・自民党広報本部長(当時)の下に議員、選挙スタッフ、ネット企業の専門家、弁護士からなる「Truth Team(T2)」を発足させ、24時間態勢でネットを常時監視、ブログやSNS、2ちゃんねるなどに候補者への誹謗中傷の書き込みがあれば直ちに削除要請する仕組みをつくりあげた。ジャーナリスト・角谷浩一氏が語る。「小池氏は自民党東京都連を『ブラックボックス』と批判して都知事選に出馬したが、これまで安倍総理に弓を引いたことはない。都知事選の公約も『アベノミクスを東京から』でした。メディア出身の彼女は、小池都政に80%近い支持があっても、安倍首相はなにやら得体の知れない世論の空気を味方に付けていて、正面切って戦うのは不利と感じ取っているからではないか」 そんな小池氏の足元を見て自民党が「ご自身の立ち位置さえも決められない知事」(萩生田光一・官房副長官)と“二重党籍”批判で反転攻勢をかけると、小池氏も決断を迫られた。 懸案の五輪費用分担問題で国が1500億円負担することが決まった翌日(6月1日)、小池氏は自民党に離党届を出して正式に都民ファーストの会代表に就任、全面対決の姿勢を鮮明にした。「小池さんは、基本は“都政と国政は別”という考え方だが、売られたケンカから逃げる人ではない。離党でケジメをつけた。彼女の戦いが都議選での自民党の不満の“ガス抜き”にとどまるのか、それとも安倍支持の国民の空気そのものを変えようと挑むのか、これから非常に難しくなっていくでしょう」(同前)『「空気」の研究』(山本七平著)の愛読者である小池氏は「空気」の微妙な変化を感じ取っているのかもしれない。関連記事■ 小池百合子知事、五輪成功に導き自民党総裁選目指す青写真■ 都議選 自民党婦人部が「自民党ハンターイ」の声あげるか■ 小池百合子氏、ケンカのうまさは小泉純一郎氏を超えた■ 森友学園疑惑で得をしたのは小池百合子氏、神風吹いた■ 森喜朗氏 4年後の都知事選で「小池vs丸川」狙いか