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    似た者同士はうまくいかない!? 橋下徹と小池百合子「共闘」の条件

    営からは「独裁者」と呼ばれる二人の強力なキャラクターが激突し、対決すれば、はた目には面白い劇場型の「政治ショー」が見られるであろうからである。  今後、2人の関係が実際に火花を散らし合い、しのぎを削ることになるのだろうか。  実際に橋下徹氏は、小池百合子都知事の政治行動をかなり意識していたようだ。 まず、橋下氏は小池氏の都知事就任直後に俎上に上がった築地市場の移転問題に関して、東京都職員による「意思決定システム」を取り上げ、小池都知事が疑念を示す「地下空間を設けることが、土壌汚染対策に反しているとは誰も思っていない」と批判し始めた。 同時に橋下氏は、「小池百合子東京都知事はこのほど、現役の市場長を更迭した。(中略)今後小池さんが、とんでもない決済の負担を負うリスクが生じるということだ」(プレジデントオンライン)と、都職員の更迭に対して問題点を指摘する。 しかしこの時点での橋下氏は、小池都知事に対して好意的なアドバイスをするような素振りが見えていた。「小池さん、大改革をやるなら『一発目』の予算が唯一のチャンスです!」(同)などというエールも送っていたからだ。 しかし、11月17日、橋下氏自身のツイッターで小池百合子都知事が主宰する「小池塾」の講演をギャランティーの問題から断ったことを自らこう明かしている。「(小池塾)僕のマネジメント会社から連絡があった。週刊文春から問い合わせがあったとのこと。小池塾サイドは1、当初無料と思っていたのに金額を聞いてびっくりしている 2、橋下が東京に行くのだから2回講演をやらせろと言われた、と言っているがどうなのか、という問い合わせ」  そのツイッターや週刊文春の報道などによれば、事の顛末は橋下氏側が「一回200万円」の講演料を要求したのは事実だが、仲介に入った渡辺喜美氏らが「無料でやらせる」などと言って介入した。そのため、金額面で折り合いがつかなくなって断り、橋下氏側が「(小池氏とは)距離を置く」と語った―という経緯が明らかになった。「安易なリベラル主義」に走らない お互いが相当意識し合っているからこそ起きた今回の両者の「摩擦」は、いまだ「激突」という段階には至っていないようだが、二人の政治思想とそれに基づく政治姿勢をよく見ると、いわば当然の帰結であると見てもおかしくはない。 一つには、小池百合子都知事と橋下徹氏は、「強いリーダーシップ」を武器にして、「守旧派」である東京都議会や大阪府議会・市議会、「既得権益」である都庁や府庁、市役所などとマスコミを交えて対立し、常に国民に対して結果を問おうとすることで共通している。おおさか維新の会の戦略本部会議に出席した前代表の橋下徹・法律政策顧問=2月27日、大阪市中央区 そっくりに映るこの二人の政治姿勢は、既存の体制を「ぶっ壊す」という手法であり、政治的な思想で言えば、「新自由主義者」と呼べるところに共通点がある。 さらに、橋下徹氏が大阪府知事や大阪市長時代に府政や市政の「無駄遣い」を取り上げ、小池百合子氏が「都政の情報公開(明瞭化)」「東京五輪の予算削減」を打ち出す―という手法自体に特色がある。「政治・行政手法の効率化と透明性」、指揮命令系統の「トップダウンの明確化」などを重視するという点で、酷似する政治手法を採っていることになる。 つまり、「合理主義的」で「効率主義的」な政治手法を重視した「新自由主義」や「グローバリズム」の思想の流れに乗った政治を行っているという点が類似しているのだ。 その一方で、この2人は、日本に良くありがちな「安易なリベラル主義」の路線には走らない。この場合の「安易なリベラル主義」とは、政治家として常に「反国家・反権力主義」や「日米安保反対」、「日本国憲法絶対護持」などというスタンスを指すが、為政者としては過度な「平等主義」や社会的に不公正な「弱者救済主義」を採っていない。 事実、橋下氏は大阪市職員組合や日教組など労組のあり方に異論を唱え、憲法9条を含めた憲法改正には積極的。一方の小池都知事は、かつては「憲法停止論」や中国・北朝鮮への「核ミサイル防衛」にも賛成の意向を示したことがあるほどだ。「似た者同士」の2人 つまり、二人はあくまで「似た者同士」なのである。しかし、小池都知事と橋下氏が「似た者同士」だからといって、今後ずっとうまくいくとは限らない。例えば、かつての永田町で小沢一郎氏と野中広務氏は、お互いに「策士」と言われながら「犬猿の仲」だったし、逆に「盟友」と呼ばれた田中角栄氏と大平正芳氏の二人は、性格や政治手法において正反対であったが、お互いの弱点を補い、日本の政治の中枢に共に座り続けた。政治家同士が「似ている」だけでは、お互いの政治の相性や結果がうまくいくとは限らないのだ。 今後、この二人が合従連衡していくのかはハッキリ言って分からない。今のところ分かっていることは、「お互いの共通の敵」が現れ、その「敵」が強大化したときには、手を組む可能性があるということだ。小池氏(右)と橋下氏、共闘する日は来るか 現段階で、二人の「共通の敵」とは、「自公政権」ではなく、むしろリベラル的な「民共連合」だろう。だが、二重国籍問題を放置したままの蓮舫代表の民進党などの現状を見ても、今後リベラル左派的な政党勢力が勢いを増す恐れはあまりない。 しかし、仮に小池氏が新党を作り、橋下氏が政界に復帰した場合には、「小池新党」と大阪維新の会と張り合うこともあり得るだろう。そうだとすれば、このまま二人は、距離を置いた以上、いつかまた激しく反発し合う可能性も高い、と予測できるのである。

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    拙速で無理な懲戒処分に表れた「小池劇場」の行き詰まり

    郷原信郎(弁護士、関西大学社会安全学部客員教授) 小池百合子東京都知事が、11月25日の定例会見で、都幹部18人の減給の懲戒処分と、退職者に対しては給与自主返納の要請を行うことを発表した。 11月23日にアップしたブログ記事【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】でも指摘したように、今回の処分の根拠とされた「第二次自己検証報告書」は、凡そ調査報告書の体をなさない杜撰な内容であるだけでなく、技術会議報告書の結論を、「敷地全体に盛り土をするのが都の整備方針とされた」という方向に歪曲している疑いもある。同報告書は、懲戒処分の根拠となるものとは到底言えない。定例会見に臨む小池百合子知事=11月4日、都庁 毎日新聞の記事【盛り土問題 世論意識、処分急ぐ 都知事、責任解明できず】でも適切に指摘されているように、今回の懲戒処分は、小池氏が拙速にこの問題の「幕引き」を図ったものと評さざるを得ない。 今回の懲戒処分には多くの無理がある。「小池劇場」を演じることで、世論の大きな支持を得てきた小池氏だが、ここに来て、状況が徐々に変わりつつあることに気付いていないようだ。 私の【前回ブログ記事】は、同氏が世の中から圧倒的な支持を受けている中、多くの反対意見を覚悟の上で、豊洲市場問題への小池氏の対応を批判したものだったが、BLOGOSに転載された同記事は大きな支持を得、ブログのコメントやツイッターでの反応も多くが好意的だった。豊洲市場問題を、冷静に客観的に受け止め、小池氏の対応に疑問を持つ読者が増えていることが窺われた。 ツイッターで、「豊洲市場」を検索してみると、今回の小池知事の都幹部懲戒処分の発表に関して、批判的ツイートが多く並ぶ。「小池劇場」の観衆の雰囲気は、確実に変わりつつあるようだ。 そんな中、小池氏は、25日の記者会見での、都幹部懲戒処分に関する質問に対しても、明らかに不合理な回答でごまかしている。ラストシーンで主演監督自身が舞台に 前出の毎日新聞記事を書いたと思える記者からの質問で、「通常の懲戒処分は大体6ヶ月以上かかると言われる中で、処分の時期が早いのではないか」と質問され、小池氏は、 法曹界の方々を含めたご意見を聞き、今回の結論に至ったわけでございまして、決して、早すぎるから、という話ではないと思います。むしろ、市場関係者の方々からすれば、早すぎるということは全くないんじゃないだろうかと、全てが遅すぎると思われていると思います。と答えている。 「市場関係者からすると全てが遅すぎる」というが、市場関係者の多くは、小池知事が移転延期を発表して以降、混乱が続き、未だに先が見通せない豊洲への市場移転問題の早期決着を求めているのであり、都の幹部の懲戒処分が早いか遅いかなどには、誰も大きな関心を持ってはいない。 また、「法曹界の方々」からも意見を聞いたというのであるが、それは一体誰なのだろうか。処分の妥当性について弁護士見解を得ているというのであれば、その弁護士名を明らかにし、責任の所在を明確にすべきであろう。 そもそも懲戒処分の根拠とされている「事実」自体に問題があるという点を別にしても、懲戒処分の妥当性という面から考えると、今回の「5分の1減給6か月」というのは、明らかに重すぎる。刑事事件の量刑で言えば、「法定速度を20㎞オーバーしたスピード違反」を、法定刑の上限である「懲役6月」に処するようなものだ。まともな弁護士であれば、「適切な処分だ」とは言わないであろう。 今回、小池氏は、都幹部への処分と併せて、「就任前の事案ではあるが、自らけじめをつけるという意味で、知事給与の5分の1を自主返上する」として給与自主返上の方針を明らかにしている。それは、おそらく、知事給与を半額に削減する条例案の提出で、都議の給与が知事を大幅に上回り、都民から都議の給与引き下げを求める声が出る状況を作って都議会議員をゆさぶったのと同様の発想で、本来は責任のない現知事として給与自主返納を打ち出すことで、本来責任を問われるべき当時の知事の石原慎太郎氏にプレッシャーをかけることを意図したものかもしれない。 しかし、そもそも、都幹部に対する懲戒処分の前提事実自体に根本的な疑問があるのであり、それに関連して、都知事給与の自主返上を打ち出すことが、石原前知事に対してどれだけの効果があるのか疑問だ。 「小池劇場」の第1幕「豊洲市場・盛り土」を早期に幕引きして、第2幕への観衆の期待を高めようとしたのだろうが、ラストシーンで主演監督自身が唐突に舞台に登場せざるを得なかったところに、このストーリーの苦しさが透けて見える。 「小池劇場」も、行き詰りつつあるように感じざるを得ない。(ブログ「郷原信郎が斬る」より2016年11月26日分より転載)

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    小池政治塾に4000人 身体検査までは手が回っていない?

     小池百合子・東京都知事が〈東京大改革を目指して、都政を学ぶ〉と掲げた小池政治塾には募集開始(9月28日)から締め切り(10月20日)までのわずか20日あまりで4000人を超える希望者が殺到した。そのうち3割を女性が占めるという。4年前に旋風を起こして国会議員や地方議員を輩出した橋下徹・前大阪市長の維新政治塾の第1次募集の応募者(3326人)を大きく上回る人数だ。 参加者には受講料(一般男性5万円、女性4万円)に加えて小論文などの提出が課せられたが、締め切りから5日後には合格を通知し、ネットに「小池塾に合格しました」「小池塾で学んだことをネットで報告します」といった声があふれた。政治塾「希望の塾」の開講式を終え、笑顔で取材に応じる小池百合子東京都知事=10月30日、東京都豊島区 塾の規約には、〈本塾は、人材育成に主眼を置いた組織であり、特定選挙において「都民ファーストの会」「小池百合子」の公認・推薦・支持・支援を塾生に約する組織ではない〉と断わりがあるものの、合格者には「将来、選挙に立候補する意思があるか」「立候補したい選挙の種類」「所属したい党派」などのアンケートが行なわれており、来年7月の東京都議選をはじめ、国政や他の地方議会を含めた“候補者養成”を睨んでいることは明白だ。 政治塾を運営する政治団体「都民ファーストの会」会計責任者の音喜多駿・都議が語る。「政治家になる意思が本当にあるかというアンケートは行なっています。小池都知事にも政治信条が同じ人を集めたいという思いはあるでしょう。選挙対策講座を開く準備もしています」 日本の議員数は国会、都道府県議会、市区町村議会すべて合わせて約3万5000人。そのうち国会議員の約6割、都道府県議会の5割が自民党議員で、市区町村議会も自民党系無所属議員が多数派だ。そこにいきなり4000人超もの“対立候補予備軍”が出現したのだから、脅威に感じるのは当然だろう。政治評論家の浅川博忠氏がこの現象を分析する。「現在は国政も地方議会も議員の新陳代謝が起きにくい状況がある。国政選挙は自民党が4連勝して選挙区は現職議員で埋まっている。地方議会でも旧民主党系会派が衰退して自民党系会派と公明党で顔ぶれが固定化しているケースが多い。 知名度や組織のバックがない新人が自民党から選挙に出ようとしても、『資金はいくらあるのか』『票は何票あるか』といわれて候補者になれない。かといって落ち目の民進党から出たいという人は少ない。塾生は政治家になりたい人ばかりとは限らないが、行き場がない政治家希望者たちが小池人気を頼りに“この指止まれ”に応じたのではないか」 それにしても4000人は尋常ではない。「塾生の選考期間が短く、本人の資質など候補者としての身体検査までは手が回っていないと思われる。よくいえば玉石混淆、有り体にいってしまえば烏合の衆です。それでも自民党にすれば、“来年1月解散、2月総選挙”を視野に入れている中で、小池新党として塾生たちに出馬されると厄介。なんといっても政治塾の応募者の多くは熱心な小池支持者ですから、小池新党には4000人の選挙ボランティアがいると考えた方がいい」(浅川氏) 地方議会でも、政務調査費問題で自民党系議員らの辞職が相次いでいるだけに小池塾生を名乗れば風に乗って当選する者もかなり出てくる。まさに自民党は小池新党の“4000羽の烏”が風に乗って縦横無尽に羽ばたいて票数を荒らし回ることに怯えているのだ。関連記事■ SAPIO連載・業田良家4コマ漫画【1/2】「勝敗ライン」■ 小渕優子は非難せず 大メディアの「小沢献金」批判は支離滅裂■ 衆院落選議員 参院へ鞍替え図るのは借金苦から逃れる側面も■ 小池都知事 オヤジたち潜む伏魔殿の都議会とどう渡りあう?■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意

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    ブーム去って維新塾以外全滅 「小池塾」の期待と不安

    東京都知事が立ち上げた「希望の塾」は、塾生応募者数が4000人を超え、実際の受講者が2000人という政治塾としては巨大規模で始まった。注目度も期待度も大きい。10月30日に第一回講義、11月12日に第二回講義が開催された。なんといっても受講者が多い。相互の意見交換とはなかなかならないようで、手探りの状況が続きそうだ。8月2日、都庁へ初登庁し、就任記者会見に臨む小池百合子都知事(春名中撮影) こうした政党や政治家が主宰する政治塾はこれまでにもかなりある。特に2012年前後にいくつも開講され、ちょっとした政治塾ブームが起きた。2012年に、大阪維新の会の橋下徹氏は「維新政治塾」を立ち上げた。この「維新政治塾」も応募者数は3326人と3000人を超え、実際には888人が受講した。その後、一時中断するもののまた再開されている。初回のような応募者はないものの、200名弱の応募者があるようだ。2012年には、嘉田由紀子氏が「未来政治塾」、大村秀章氏が「東海大志塾」、河村たかし氏が「河村たかし政治塾」を始め、話題となった。ただ、維新政治塾以外は現在は継続されていない。最初は熱気があるものの継続するのは難しいことがわかる。 自民党は、1957年に始めた「中央政治大学院」を継続している。現在も続けており、政治家の候補者の発掘や育成に効果を持っている。民主党・民進党も各地で政治スクールを開講している。各地の状況に合わせての運営という感じだ。 松下政経塾は多くの政治家を誕生させているが、これはちょっと別格といえる。政治家・政党が主宰の政治塾は受講生が受講費を払いながらの運営になるが、松下政経塾は資金的な支援を塾側がしながら、長期にわたっての研修を行う。 今回の「希望の塾」の現時点での問題点は、受講生が多いこともあり、連続講演会の感じとなっていることだ。こうした政治塾では、講師を囲んでの討論や塾生同士の討論やワークショップが重要なポイントとなる。インターネットなどのメディアが発達した現在では、単なる講演会にはそれほどの価値はない。例えば、猪瀬氏の意見などのかなりの部分はテレビやインターネットで聞くことができる。無料で聞くことができる講演会もたくさんある。有料であっても政治系列の講演会に1万円の受講料があるものはほとんどない。政治パーティとのセットでもないと、そうした有料講演会はなかなか成立しない。今のマス連続講演会の形だけでは、期待も大きいだけに、失望に繋がる可能性がある。実際にそうした論調の記事も出てきている。 塾生が期待しているのは、実際の政治家や評論家、実業家などとの交流、そしてその交流を通じての生の声から学ぶことだろう。また志の高い塾生同士の交流や未来の政策づくりの機会が得られるのが大きな魅力のはずだ。政治家になるのを希望する人もかなりいるだろう。個々のケースで状況は異なる。それらを個別に相談できる人間関係も塾生が希望しているものだろう。つまり今の、マス講演方式では期待とかなりかけ離れてしまうケースが多くなる。連続講演会を聞くのが目的の人は少ないはずだ。小池知事やその関係者らと一緒に未来の希望の社会を作る集団に入りたいという思いだろう。 おそらく1人に人が個人的に対応できるとしたら50名程度だろう。多忙な小池知事一人で個人的な対応ができるわけがない。小池知事の下にスーパーバイザー制を作ってはどうか。2000名なら40人のスーパーバイザーが必要だが、そのスーパーバイザーがより個人的、人間的な指導をしていくのだ。講義の後に交流会をしたい人もいるだろうが、2000人ではほぼ無理だ。50名程度のグループでの活動なら可能だろう。学ぶべきなのは政治家になるための知識だけではない。政治家を目指す志を一緒に育てることが重要なはずだ。講義と小人数での活動を組み合わせることで、大きな効果が期待できる。 「希望の塾」はまだ始まったばかりで手探りの状態だろう。連続講演会を超えて、情熱を育む塾になってほしい。改善を積み重ねながら、希望に繋がる塾となることを期待したい。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年11月18日分を転載)

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    小池都政 五輪会場振り出しで民主党と同じ道辿るとの見方も

     小池百合子・東京都知事の進撃は続く。9月に募集を開始し、10月に締め切った「小池政治塾」には4000人を超える希望者が殺到した。これは、4年前に旋風を起こして国会議員や地方議員を輩出した橋下徹・前大阪市長の「維新政治塾」の第1次募集の応募者(3326人)を大きく上回る人数である。自民党は小池新党が票数を荒らし回ることに怯えている。4者協議会議を終えた小池百合子都知事(中央)と森喜朗東京2020組織委員会長=11月29日、東京都港区 安倍政権の(2017年1月の)解散戦略上、小池氏の「劇場政治」をいかに早く終わらせるかが最重要課題になる。たとえ小池新党が結成されても、追い風が止まれば国民の支持は集まらず、自民党議員たちには4000人の候補者予備軍は恐くない。 折しも、ここにきて小池劇場が行き詰まりを見せている。築地市場の豊洲移転問題では、小池氏は移転追及姿勢を転換。英国エコノミスト誌の経済イベント(10月21日)では、「築地以上に豊洲が安全だと確認しなければならない。世界標準に合わせて閉鎖施設で温度管理されたものにする」と豊洲移転での最終決着を示唆する発言をした。 東京五輪の会場見直し問題も大幅に軌道修正。ボート・カヌー競技の会場を東京臨海部に整備する「海の森」から宮城県「長沼ボート場」に変更することを検討し、現地視察まで行なったが、その後の会見で「『東京都はこれで』といった後に調整がつかないようではまた振り出しに戻ってしまう」と宮城案を後退させた。 官邸には、こうした方針転換が小池都政をイメージダウンさせる格好のチャンスと映っている。「都民にすれば“あれだけ騒いだのに、なーんだ、振り出しに戻るのか”という印象だ。民主党が子ども手当や沖縄米軍基地の県外移設を掲げて政権を取った後、実現できずに支持率が急落したのと同じ道を辿っている」(官邸筋) 来年3月までの半年間のカリキュラムが組まれている小池政治塾の前半の学習テーマは、築地移転、五輪見直しなどの都政改革だ。その都政改革の追及で、官邸の意をくんだ都議会が一斉に反撃に出る構えだ。自民党と共産党はそろって小池氏の最大のブレーンで「都政改革本部」特別顧問の上山信一・慶応大教授を追及の標的に定めつつある。都政記者が語る。「上山顧問には2つの大きな失策がある。五輪調査チームのリーダーである上山氏は村井嘉浩・宮城県知事と同郷で、ボート競技会場を宮城に持っていこうと小池・村井会談を根回しした。自民党も共産党もそのやり方を“まさにブラックボックス”と批判している。 もう一つは上山氏の五輪調査チームがIOCのバッハ会長に提出した資料に、仮設施設の整備費1500億円を都が負担すると書かれていた問題。そんな支出を議会は承認していない。上山氏の独走とみた都議会が参考人招致を要求し、不十分なら百条委員会にかけて辞任に追い込むシナリオもありうる」 都政改革批判を高めてイメージダウンさせ、塾生の熱をいっぺんに冷ましてしまおうという作戦である。関連記事■ 小池都知事 五輪会場見直しの切り札は森喜朗氏への辞任勧告■ 森喜朗氏 4年後の都知事選で「小池vs丸川」狙いか■ 築地市場移転「都民の声高まれば白紙撤回もある」との意見■ 小池都知事 オヤジたち潜む伏魔殿の都議会とどう渡りあう?■ 新都知事候補 最有力・小池百合子氏を直撃

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    「トランプ現象」先取りした橋下氏 日本で起こるのはいつなのか

    『トランプ現象』は、いずれ日本でも起きる」との記事が掲載されている。「格差社会の広がりが、最終的には政治分野にも「『エスタブリッシュメントによる大統領の独占』に対する危機感」同様のことをもたらす、のではないか、という内容だ。 立場的に言えば、それを期待したいと思いながらも、残念ながら、ワタクシはそうは思わない。「トランプ現象」は日本ではしばらく起こらない。「百合子現象」は起きても(笑) 以降、縷々、その論拠を示して行きたい。基本的にはこの6つだ。① 国のトップの選ばれ方の違い 大統領制と議院内閣制  ② 地方政治では既に「プチトランプ現象」は起きている③ 「毒」は「毒」を持って制する 「家柄」への奇妙な信頼感と「戸籍」④ 今や美味しくない「政治の仕事」⑤ 橋下徹氏が闘う、『』つきの『既得権益』⑥ あるとすると自民党が相当に傷んだとき① 国のトップの選ばれ方の違い 大統領制と議院内閣制 日本の総理大臣は、国民の直接投票では選ばれない。もちろん、選挙で第一党となった政党のトップが首班指名を受け総理大臣になるのだが、選挙時はそうであっても、政治的転換が必要となった時には「解散」ではなく「内閣総辞職」で総理大臣が生まれる。 日本としては珍しく、久しぶりの政治的エリート家庭以外に育った菅直人総理、野田佳彦総理は選挙で選ばれた総理大臣ではない。あくまで民主党内の選挙に勝っただけで、民意を十分に反映したかどうかはわからない総理である。 旧くは田中角栄総理もそうである。4年に一度、大統領を選ぶ代議員を選出すると言う形で国民が選挙権の行使をしながら、トップが誕生するアメリカとはかなり形が違う。② 地方政治では既に「プチトランプ現象」は起きている 一方で「首長」選挙は、ダイレクトに代表を選ぶ選挙だ。代議員ですらない。任期が決まってるのも大統領制と同様だ。となると「百合子現象」は起きる。国政では保守的な選択をする人も、首長選挙では別の候補に入れる、というある種バランスを取ったことが可能である。 ワタクシが育った40年前の宮城県・仙台市では、知事はド・保守、市長は社会党・革新という絶妙な選択によって、市民にとっては居心地の良い高福祉が実現していたと思う(しかし、その後の選手交代により汚職等が起こったことは、検証・研究の余地があると思っている)。「百合子現象」を見るまでもなく、実は、地方では「プチトランプ現象」は起こっているのだ。橋下徹氏の大阪府・大阪市はもちろん、あちこちで、地元の名家出身が長いこと占めて来た政治に対するアンチテーゼは起っている(もちろん、一方では固定化されたところもあるが)。 国政選挙とのバランスの中で、ちょっとした「ガス抜き」は地方政治でできるのである。③ 「毒」は「毒」を持って制する 「家柄」への奇妙な信頼感と「戸籍」 格差社会が進む以前から、ある特定の「政治一家」が権力を握り続けることに不満がなかったわけでなない。しかし、その際、それまでの権力に対して抵抗勢力として期待を担うのは、これまた「名家」出身の人だったりする(笑)細川氏しかり、鳩山氏しかり。まさに「毒」は「毒」を持って制す、である。 今回の福岡6区の補選を見ても、「知らない人より、知ってる(と思っている)人」のほうが安心感があるのだろう。まあ、名家出身の方が「悪いことをしたとしてもその程度がわかっているから」という安心感が逆にあるような気もする。 名家への信頼は別に日本に限ったことでなく、ヨーロッパ等でも、かならず「ハンガリー・オーストラリア帝国の末裔」とかが出てくる(笑)その理由は古き良き時代への回顧、つまりは「夢よ再び」プラス上記のことに帰着するような気がする。 「『アンクル・トムの小屋』とトランプ大統領のアメリカ」でも書いたが、その背景には差別と偏見が未だ解消されていない、むしろ深層では固定化されて現実がある。「白人」「男性」等いう「生まれながらの優越性」が具現化されず、不満を持っている層も含めて、いずれにせよその所在が誰にでも「分かりやすい」のである。 ところが日本の場合、その可視化は難しい。今回のことで、さまざまに文献を読んでいる中で気がついたのは、日本の場合は「だからこそ戸籍が必要」だ(った)、ということである。 逆に言えば、田中角栄ではないが「今太閤」的な新たな価値付けができればだが、その「今太閤」でも目指すは既存のエスタブリッシュメント。親が築いた人脈や地盤で子孫の生活を保障しようとすれば、一瞬の反撃はできたとしても、結局は同じ穴のムジナになる。この辺についてはまた別のところで論じたい。④ 今や美味しくない「政治の仕事」 日本の政治が抱える問題点のひとつとして、よっぽどモノ好きでなければ政治の世界で長く行き続けることが難しいということだ。 特に最近では、過去には情報を握ることによってコントロールできていたであろう利権構造もなくなり、仕事をすればするほど資産は減る、ということになりかねない。選挙も大変だ。政党から振り込まれる交付金だけでは到底賄えない。つまりは余裕のある人しか、自腹の切れる人しか、政治家として活動をし続けることはできない。小選挙区になって、当落が簡単にひっくり返るリスクが高まれば尚更、である。 また政治の世界で物ごとを計るスケール=価値観は、一般社会とはかなり違う。そうしたことを受け入れられ、持ち続けるには、家族も含めて、ある種の慣れが必要となる。 小選挙区制の導入や、公募等も含めた政治文化の変化は若い世代は非・二世議員の新規参入を可能にしたものの、逆の結果をもたらすものとなる可能性を持つというは皮肉である。⑤ 橋下徹氏に見る「既得権益」のターゲットゾーン 地方政治において、橋下徹氏の登場はある意味「トランプ現象」を先取りしたものだったかもしれない。多くのに人々が橋下氏に夢中になったのは、彼が今まで「タブー」とされたものと対峙したからである。が、闘ったのは時の「権力」ではなかった。「公務員組合」や「弱者」の、『』つきの「既得権益」だったのである。橋下徹氏(左)と米国の次期大統領、ドナルド・トランプ氏 ここもまた書くと長くなるので、ひとつだけあげるとすると、橋下氏の登場で公務員系「組合」の選挙に対する取り組みの度合いが格段に落ちたということを指摘しておきたい。それまでは選挙となれば組合の選対が独自に立ち上がり、人とモノの集中投下を行ない、ガッチリとサポートして行く、というのがある意味当たり前だった。 が、「橋下以後」は風景が変わった。まさに、ロックオン、である。「トランプ大統領のアメリカ」が政治的エスタブリッシュに対しての対抗と同時に不法移民等に対して厳しい態度を示していることと対称して見れば、その差はさらに際立つ。 『』つきの既得権益の打破だから、最終的にはエスタブリッシュの否定には行き着かない。むしろ、違う形で「エスタブリッシュ」に組み込まれて行く可能性がある。⑥あるとすれば自民党が相当傷んだとき ここが一番重要だが(笑)トランプのような候補が登場しても、今現在であれば、野党側にはそれを支える政党はない。小泉純一郎総理が誕生した時のように、自民党が相当に痛み、うちなる改革として、という形しかないように思う。それでも田中眞紀子がそれを支えたことを見ても、エスタブリッシュメントへの憧憬は残るのだが。 こうしてみると、記事の著者が指摘するような、日本が政治の世界においてはアメリカの「周回遅れ」でアメリカ政治を踏襲して行くという形態は取っていないことが分かる。むしろ、4年に一度のルーティンでの変化よりも、国政や地方ではこきざみな「プチトランプ現象」を続けながら、前進したり、後退したりを続けている。 だからこそ、政権交代を経たとしても、大きな方向転換にはいたらなかったかもしれない。実は、それこそが日本政治の独自性、強みでもあり弱みでもあるのである。(ブログ「井戸まさえ日誌」より2016年11月15日分を転載)

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    「カジノ解禁」でぼったくられる日本人

    日本でもついにカジノが解禁される。そもそも刑法が禁じる賭博を例外的に「合法化」するという、かなり強引な理屈だが、解禁されれば経済効果も大きいらしい。ただ、ことがギャンブルだけに誰かが得をすれば、必ず損もする。むろん、巨大利権だって生む。とどのつまり、誰が一番儲かるんでしょうか。

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    カネの流れが経済の原点 カジノに勝る「特効薬」はこの世にない

    木曽崇(国際カジノ研究所所長) 12月2日、衆院内閣委員会において、我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入を推進するIR推進法案(通称:カジノ法案)が採択された。12月6日の衆院本会議で与党・自民党や日本維新の会など可決し、同日中に参院に送付した。14日に閉会となる今期国会中の成立を狙っている。 そこで期待されている最大の政策効果は統合型リゾート導入に伴って発生する経済効果であるが、この点に関して反対派からは「ギャンブルはただ右から左に金を移すだけ。そこで何も生産しない」などという反論がしばしば聞かれる。 しかし、そもそもカジノはアミューズメントとホスピタリティを提供するサービス産業であり、そこに「目に見る形の財」の生産がないのは当たり前のことである。逆にいえば「客にゲームを提供する」という目には見えない「役務」を生産している産業であるワケで、それを「何も生産しない」と断ずるのなら、おおよそ世の中のサービス産業は同じく何も生産をしない産業となってしまう。…と、そもそもカジノ反対派の唱える「ギャンブルはただ右から左に金を移すだけ」という主張に対して推進派は異論があるワケだが、一方で思想信条的にそもそもギャンブルを害悪なものとして見なしている一部の人達にとっては「カジノはアミューズメントとホスピタリティを提供するサービス産業」という我々の主張自体が理解されるわけもなく、この種の論議はこのまま平行線となるのが常である。 そこで本稿においては、あえてカジノ反対論者の唱える「ギャンブルは右から左に金を移すだけ」という主張に乗った上で、「それでも、なおカジノには期待される経済効果があるのだ」という反論をしてみたいと思う。 現在、国会審議中のIR推進法案は、日本で実現すべきカジノの姿を以下のように規定している。IR推進法 第二条第一項この法律において「特定複合観光施設」とは、カジノ施設(別に法律で定めるところにより第十一条のカジノ管理委員会の許可を受けた民間事業者により特定複合観光施設区域において設置され、及び運営されるものに限る。以下同じ。)及び会議場施設、レクリエーション施設、展示施設、宿泊施設その他の観光の振興に寄与すると認められる施設が一体となっている施設であって、民間事業者が設置及び運営をするものをいう。既存の賭博施設とは違う経済循環モデル この条文が示すのは、我が国で導入されるカジノ施設は公営競技場やパチンコ店のような地域住民を対象として開発される施設ではなく、宿泊施設やレストラン、国際会議場、その他アミューズメント施設などが一体となって提供される複合的な観光施設となるということである。実はこの点が、現在構想されている統合型リゾートと、我が国に既に存在する既存の賭博施設との最大の相違点である。 我が国に存在する既存の賭博施設というのは、基本的に施設が立地する地域の居住者を顧客として扱い、彼らにゲームを提供する事で売上をあげるという「狭い」経済循環で成り立つ施設である。勿論、それが例え域内だけの循環であっても、そこに「客にゲームを提供する」という役務の生産が発生している点において、これら施設が何も生産していないワケではない。しかし、賭博そのものに価値を見出せない一部の人達にとっては、それが「ただ右から左に金を移すだけ」の行為に見えることはあるかもしれない。 一方、先述の通り、現在、我が国で導入検討が進んでいる統合型リゾートは、施設の立地地域の外に居住する観光客を主たる顧客として扱う施設である。そこで想定されている経済的な循環モデルは同一地域内で資金が動くだけの既存の賭博施設とは異なり、域外から資金を引き込んで、それを地域に還流させるという、より大きな経済循環を前提としている。 すなわち、例え反対論者の主張する通り、カジノが「ただ右から左に金を移すだけ」の行為であったとしても、地域外からの資金流入によって地域経済を還流する「富の総量」は確実に大きくなり、地域は潤う。むしろこの域外から資金を引き込み、地域の富の総量を増やす機能においては、ギャンブル以上に効率の良い商材は世の中に存在しないと言っても良い。 この統合型リゾートの持つ機能が、最も期待されている政策分野が国際観光振興である。昨年、我が国を訪れる外国人観光客は史上最多となる2000万人に達したが、現政権はさらに大きく2020年までに4000万人、2030年までに6000万人という達成目標を掲げている。このような国際観光産業の振興は「モノ造り」一辺倒で成長してきた我が国にとって新しい産業分野であり、我が国の次なる経済の「柱」としての成長が期待されている。 そして、我が国への統合型リゾートの導入は国際観光振興分野において、観光客数の増加は元より、そこから発生する観光消費額の拡大に必ず貢献できる。なぜなら域外から資金を呼び込み、それを地域に還流させる機能においてカジノ以上に効率の良い観光商品は世の中に存在しないからである。地方創生の鍵となる「稼ぐ地域商材」 実は、この理屈は地域振興分野においても同様のことが言える。現在、安倍政権は「地方創生」というキーワードの下に、大都市圏以外の地方部の経済活性化を大きな政策目標として掲げている。IR(統合型リゾート施設)候補地として有力視されている山下ふ頭=横浜市中区 なかでも、現政権で特に重視されているのが「地方の稼ぐ力を育てる」というキーワードであり、大都市圏に集中する「富」を地方に向けて還流させてゆくことの出来る「稼ぐ地域商材」の開発が積極的に推進されている。当然ながらこの分野においても期待されているのが大都市圏から地域に消費を呼び込む域内観光の振興であり、前出の国際観光振興のケースと同様にこの政策分野においても統合型リゾートの「右から左に金を移す」機能は非常に有効に機能するだろう。即ち、統合型リゾートは、必ず地域全体の「富の増大」に貢献できるのである。 実は、ここまで私が論じてきた内容は、けっして私が勝手に主張しているものではなく、現在国会で審議中のIR推進法案において明示されているモノである。IR推進法はその第一条に規定される、我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入の目的を以下のように定めている。IR推進法 第一条この法律は、特定複合観光施設区域の整備の推進が、観光及び地域経済の振興に寄与するとともに、財政の改善に資するものであることに鑑み、特定複合観光施設区域の整備の推進に関する基本理念及び基本方針その他の基本となる事項を定めるとともに、特定複合観光施設区域整備推進本部を設置することにより、これを総合的かつ集中的に行うことを目的とする。(下線は筆者) 即ち、カジノ合法化反対論者のいう「ギャンブルはただ右から左に金を移すだけ」という主張は、実は我が国のカジノ合法化と統合型リゾートに期待される経済効果を否定する論にはなっていない。むしろ、彼らのいうところの「右から左に金を移す」機能そのものが、「地域に資金を呼び込み、地域全体を還流する富の総量を増やす」という我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入に期待される経済効果の中核をなすものなのである。

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    ギャンブル大国は必ず破綻する? 国民を欺くカジノ合法化の皮算用

    鳥畑与一(静岡大学教授) 衆院内閣委員会でわずか6時間の審議で「カジノ推進法」が可決された。国会会期内での成立を目指して6日には衆院本会議で可決される予定だという。良識の府である参院でのまっとうな議論を期待して「カジノ推進法」の質疑に対する疑問を述べたい。本稿では、「統合型リゾート(IR)」の収益エンジンとして組み込まれたカジノをIR型カジノと呼ぶ。衆院内閣委員会で可決されたカジノ法案=12月2日国際観光業推進にIR型カジノは必要か 推進派は、国際観光業の発展にIR型カジノは欠かせないと言う。シンガポールでIR型カジノオープンを機に大きく外国人観光客が増大し観光収入も大きく伸びたことで、IR型カジノの絶大なる観光効果は証明済みだと言う。 確かにリーマンショック等の影響で外国観光客を減少させたシンガポールは、2010年のIR型カジノのオープン効果もあって外国観光客等が大きく伸びた。しかし2013年以降はIR型カジノの不振と相まって外国人観光客等は停滞している。カジノ頼りの観光政策の脆さを早くも露呈させているのではないだろうか。 一方で日本とシンガポールのボトム期から2015年までを比較すれば、日本の外国観光客の増加とその支出額は、シンガポールの実績をはるかに凌駕している(表1)。円安効果もあるが日本の文化と自然の魅力がビザ緩和等と相まって大きな競争力を発揮している。シンガポールこそ日本に学べと言うべき実績であり、東京オリンピックまでに外国観光客2000万人達成のためにIR型カジノが必要だという論理はすでに破綻済みなのである。そこで東京オリンピックまでに4000万人と目標を倍増させ、そのためにIR型カジノが必要だと論理の衣替えを行っているが、あまりにも恣意的ではないだろうか。ギャンブル依存症対策は成功しているのかギャンブル依存症対策は成功しているのか 推進派は、シンガポールにおけるIR型カジノの経済効果はもとより、ギャンブル依存症対策の成功を大前提にして、日本でIR型カジノをオープンさせてもギャンブル依存症の発生を最小限に抑制できるとする。カジノ収益を基にしたギャンブル依存症対策を講じることでパチンコ等の既存ギャンブル産業による依存症も抑制できると言う。 確かにシンガポールのNCPG(問題ギャンブル国家審議会)の2014年調査によれば、ギャンブル依存症率は大きく低下している(表2)。しかしそのデータを子細に見れば、カジノ参加率が7%から2%に大きく減少している。住民数に置き換えると26・5万人から7・7万人への減少となる。一方で「自己排除制度」でカジノ入場禁止措置を講じた人数は大きく増大している(本年9月には31・7万人)。住民にカジノをさせない政策が効果を発揮させている可能性が高いのである。さらに、上記調査の回答率が大きく減少しており、「隠す病気」と言われるギャンブル依存者が回答していない可能性も考えられる。 ギャンブル依存症は時間をかけて発症してくるとされており、2010年オープンのカジノの負の影響を現時点で評価するのは早すぎる。それでも自己破産数が2011年の5232件から14年には7891件へ、そして犯罪件数も2013年以降増加傾向に転じ、とりわけ「詐欺横領(コマーシャルクライム)」が2012年の3507件から15年には8329件に異常な増大を示している。米国の1999年と2013年のギャンブル依存症率の比較を行った調査によれば、さまざまな対策にもかかわらず決して減少はしていない(表3-1)。さらにカジノに通いやすい環境にある住民の依存症率が高いこともあらためて確認されている(表3-2)。シンガポールのギャンブル依存症対策の成功を結論付けるにはまだ早すぎるのである。経済効果に、どのような根拠があるのか経済効果にどのような根拠があるのか 推進派は、1兆円規模の投資と巨大なIR施設運営を支える数千億円規模の収益がカジノによって実現するという。例えば関西経済同友会の構想では毎年5500億円(50億ドル)の収益を想定している。かつて香港の投資銀行は、東京と大阪でそれぞれ80億ドルのカジノ収益が生まれると煽り立てた。カジノ単体の構想が基本であったお台場カジノの収益予想は300億円であったので、IR型カジノに衣替えすることで桁違いのカジノ収益が実現するというのである。 しかし、IR型カジノのモデルでもあるラスベガス・ストリップ地区の大型23カジノの収益合計(2015年)は53億ドルで平均2・3億ドルでしかない。例えば、米大手カジノ企業MGM(表4)のラスベガスを中心とする米国内12カジノの収益合計は27億ドル(平均2・2億ドル)でしかない。一方でマカオのMGMチャイナだけで最盛期(2013年)33億ドルの収益があったが、そのうち21億ドル(63%)はVIPからの収益である。マリナベイサンズの最盛期(2014年)は26億ドルであるが、やはり大半はVIP収益であった。 米国内よりも一桁大きなカジノ収益をアジアで実現できるのは、中国富裕層(VIP)のおかげなのであり、普通の外国人観光客にちょっとカジノに寄ってもらうだけで、マカオ、シンガポールよりもさらに大きなカジノ収益を実現できると想定するのは極めて困難である。ところが国内候補地のカジノ収益推定の根拠は、通常の観光客数の推計を基にしたものでしかなく、どうやってアジアのVIP市場で競争力を発揮できるのかの説明は一切なされていない。 推進派は、日本国内ではIR型カジノ数を制限するので過当競争にはならないというが、この肝心のアジアのVIP市場におけるIR型カジノ数を日本はコントロールできない。現にマカオのカジノ収益がVIP収益減少によって最盛期から4割減少したように、アジアのVIP市場は縮小局面に突入している。そこへ韓国のリゾート・ワールド・ジェジュをはじめ、IR型カジノの参入が相次いでいる。そこに周回遅れの日本が参入してどのような展望があるかについても願望しか語られていない。 アトランティックシティーのカジノ産業は、最盛期の収益65億ドルから15年には35億ドルに半減し、12カジノ中5件が経営破たんに追い込まれているが、同じような過当競争に巻き込まれないという保証はどこにもないのである。IR型カジノは地域経済を活性化させるかIR型カジノは地域経済を活性化させるか 外国観光客とりわけVIPが獲得できず国内客の比率が高まるほど、国内における購買力の移転でしかなくなり、日本経済の成長促進は幻想でしかなくなる。ましてや2012年以来148億ドルを株主に利益還元したと誇るラスベガス・サンズ等の外資がIR型カジノの運営を担った場合は、利益流出で日本の貧困格差を一層促進することになる。また周辺のマネーがIRに吸い込まれることで地域間の経済的格差や貧困が拡大し、犯罪誘発などの社会的被害が地域社会に負わされていく危険性が高まっていく。さらに高齢者の貯蓄等が狙われていく危険性が、米国の事例を見ても高い。 推進派は、IRのなかでカジノの占める面積はほんの一部でしかなく、あくまで家族みんなが楽しめる統合型リゾートの建設であると言う。しかしシンガポールのIRでは収益の8割をカジノ収益が占めるように、収益構造の中心はカジノである。それも巨額の投資と巨大なIR運営を支えるために毎年数千億円の高収益を必要とするカジノであり、まさに国民のギャンブル漬けへの極めて強い経済的衝動をもつカジノなのである。 大阪の夢洲構想では毎年6500万人の来客が想定されるが、うち82%は国内客とされている。ラスベガスでは、ギャンブル目的の客は10%でしかないが、平均3泊4日の滞在中に73%がギャンブルを経験するという。IR型カジノは、家族ぐるみで来訪させ、お父さんもお母さんもギャンブルを経験させることで、ギャンブル依存症になる可能性を国民全体に広げる危険性の高いカジノなのである。  年間4000万人以上の来訪があり、IRモデルの成功例とされるラスベガス。しかし全体としてはリーマンショック以降赤字に転落したままである(表5)。巨額の投資のみが先行し、期待された収益が実現しないことで、経営破たんに追い込まれたリゾート開発の繰り返しになる危険性が高いのではないだろうか。そしてその時、収益優先のために国民のギャンブル漬けに拍車をかけるような依存症対策の形骸化が進められていく可能性が高いのではないだろうか。 カジノの負の側面が明らかにされた「国家ギャンブル影響度調査」(1999年)以降、米国内で新たにカジノ合法化を進めようとする州政府は、カジノ解禁の経済的効果のみならず社会的コストの調査を行うことが一般化している。例えば、ニューハンプシャー州は地域によってはカジノのマイナス効果が上回る評価が出たことで議会では否決が続いている。 このような経済的効果の真偽と社会的コストの調査もまったくされないまま、基本法と実施法を分離することでまともな議論を回避してカジノ合法化の道を突き進むことの是非が今国会に問われているのである。

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    「賭博」を全面解禁せよ! 矛盾だらけのギャンブル禁止はもう限界

    津田岳宏(弁護士) 私はカジノ解禁に賛成であるが、専門家として捉えたとき、これの解禁について大きな法的問題点があることも確かだ。賭博罪との整合性である。現行刑法には、賭博罪及び賭博場開張図利罪が存在する(そして私は賭博罪を専門にしている弁護士である)。カジノの経営は、賭博場開張図利罪に該当する行為である。よって、これを解禁するためには特別法を制定する必要がある。 この点、現在の日本では賭博罪が存在する一方で、全ての賭博が禁じられているわけではない。公営競技である競馬や競輪は、賭博ではあるが特別法により違法性阻却がされている。 とすれば、カジノにおいても同様に特別法をつくればすむのではとも思えるが、ことはそう簡単ではない。特別法によって文字どおり「特別」な扱いをするにはこれを正当化する根拠が必要である。 判例は、競馬法による賭博の解禁の正当性について以下のように論じる。「個人のする賭博ないし賭博場開張図利は、これを一般大衆の恣意に放任するにおいては、一般国民の射幸心ないし遊惰を醸成もしくは助長させるおそれがあり、ために善良の風俗に反し公共の福祉を害するからこれを禁止すべきものとするも、公共機関の厳重、公正な規制のもとにおける射幸心の発露は害悪を比較的些少にとどめ得るから、これを許して犯罪とみないということも複雑多岐の社会生活を規制するうえからは、むしろ賢明な措置として是認されるべきであると言わねばならない」(昭和40年4月6日東京高等裁判所) 一部にのみ賭博を解禁する特別法は、憲法に定められた平等原則の例外になるため、競馬法や自転車競技法はその合憲性が裁判で争われた例が複数ある。もっとも判例は、競馬や競輪が「公営」である点を根拠として、この不平等な扱いには合理性があると判断し続けてきた。 しかし、カジノについてはここで問題が生じる。カジノによる経済効果を最大限に発揮するには、これを公営にすべきではないのだ。 シンガポールでカジノが大成功した理由のひとつには、民間から投資を募り公の負担なしに巨大な開発を実現した点がある。同国では、カジノ設営にあたり民間各社を集め入札を実施し、もっとも優れた条件を提示した会社にライセンスを付与した。国家は賭博の正当化事由を示せ カジノ経営には専門的なノウハウが必須であり、これを成功させるためにはそのようなノウハウに長けた民間企業に経営させるべきである。カジノを公営にしてしまっては、せっかくの経済効果が大きく減殺され、解禁の趣旨が損なわれる。 ただし、民間が経営するカジノを解禁するのであれば、賭博罪の特別法に関し従前使用されていた「公営性」を正当化事由にはできない。新たな正当化事由が必要になる。ここでは、もはや賭博そのものと向き合って正当化事由を提示するしかないのではないか。 現在日本では、賭博罪が存在するとはいえ、国民はきわめて手軽に賭博ができる環境にある。競馬においては、ウインズの増設やネット購入システムにより、馬券へのアクセスはひと昔前に比べて大きく整備された。 三店方式によって事実上の賭博と言ってもいいパチンコ店は至るところに存在し、政府は先日、現行の三店方式を公に承認する旨の答弁を出した。これに加えて民営カジノまでも解禁するというのであれば、もはや「賭博」を原則的に犯罪行為とする考え方では、法律的な整合を達成し得ないように思える。 私個人は賭博罪を撤廃すべきという考えであるが、まだこういう考えの人は世間に少ないであろう。しかし、カジノ解禁と賭博罪との整合性を曲がりなりにも説明するためには、少なくとも「公営だから許される」という安直な論理では不十分である。賭博という行為の本質、それが人々に与える影響、現在の日本における賭博環境、これらを全て踏まえた上で、「よって〇〇」という正当化事由を国家は示すべきだ。 カジノ解禁には、反対する声も大きい。これは解禁の根拠として「経済」の側面のみを挙げていることも影響している。賭博は原則的に犯罪だ、しかしカジノは「儲かるからやる」。このように話を進めるのであれば、儲けるためならば悪いことをしてもいいのか、という道徳や品位の面からの反論があるのは当然である。儲かるからやります、という論理には国家哲学的な思想が何もない。これでは国民の心はつかめない。禁止からコントロールへ 約60年前のイギリスでは、カジノを含むギャンブルの解禁を検討するにあたり、賭博についてのあらゆる側面を調べるために国王命令での国家的な調査を実施した。 約2年間に渡る長期的な調査の結果、「賭け事を重大犯罪の直接原因と考えるのは無意味」「小犯罪の直接原因と考えるのも現在は意味がない」「賭博は人格形成においても、有害な影響ありとは考えにくい」等の結論を出した上で、「国家は必要不可欠なもの以外に禁止を設けるべきではなく、刑法においてこれを軽々しく取り上げてはならない。禁止してかえって邪悪を生み、邪悪を減らそうとして漫然と禁止を設けることは、いかに禁止が望まれようとも、なされるべきものではない」との最終結論を出した。 これを受けイギリスでは賭博を全面的に解禁する法律が制定された。当時の内務大臣は解禁法の趣旨につき、以下のように説明した。「賭博は適正な範囲でおこなわれる限り、人の性格や家庭及び社会一般に対して大きな害毒を流すものとは考えられない。国家は社会的に問題とならない限り、一般国民の楽しみを阻害してはならない」 イギリスでは、緻密な調査を経て、賭博に対する国家の哲学を明示した上でこれを解禁したのである。 一般的な法律論として、原則に対する例外を認めるためには、必要性と許容性がいる。カジノ解禁については、必要性は、経済的な理由で足りよう。少なくとも、その国で最初につくられたカジノが失敗した例は今までに一度もない。しかし、根強い反対論を押さえるためにも、許容性の提示が必要だ。 現在の日本で、単なる賭博は、はたして刑法での規制に値する悪性の強い行為といえるのか。娯楽としての賭博は悪なのか。 スマホひとつで買える馬券は。息抜きにするパチンコは。ささやかな賭け麻雀は。これらは本来的に「悪辣」なのか。これらに法律的な扱いの差を設けるのは妥当なのか。日本国家は、そろそろ、このような問に正面から向き合って合理的な答えを出すべきだ。 賭博は悪いことである。犯罪である。この原則を維持したままで、賭博に対する何らの国家哲学を示さずに、単に経済的な理由のみでカジノ解禁法を定めるというのでは、法律的整合性の観点から問題が大きいし、反対派を説得するのは難しいであろう。 私は、賭博の解禁論者だ。賭博は規制すべきものではあるが、禁止すべきものではない。禁止からコントロールへ、これが大人の国家のあり方である。 カジノの解禁は、賭博に対する新たな国家哲学の醸成に繋げるべきだ。法律的な整合性を糊塗して臭い物にフタをしていくというのは、近代国家のあり方とは到底いえない。

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    カジノを作って依存症対策をやる 「マッチポンプ」こそ世界標準だ

    田中紀子(ギャンブル依存症を考える会代表) IR法案が審議入りし、衆議院を通過するであろうことから、にわかに「ギャンブル依存症」が大々的に取り上げられることとなりました。 一般社会の皆様も、突然のことでこれまでギャンブル依存症の事など、気にしたこともなかった・・・という方々も、否応なく耳にし、初めてこの問題について考える羽目になった、という方もいらっしゃるかと思い、今日から、日本のギャンブル依存症問題について書いていきたいと思います。 まず、現在ツイッターなどで、よくみかけるのは、「カジノを作って、依存症対策をやるなんてマッチポンプだ!」というご意見です。一般の皆様方がそう思われるのは、無理もなく有難いことですが、実は、それが世界のスタンダードです。 例えば、こちらの資料にある、カナダの場合を見て頂いてもお分かり頂ける通り、州ごとに売り上げの何パーセントかを、チャリティー費、ギャンブル依存症対策費、リスポンシブルゲーミング費に振り分けると書いてあります。Canadian Gambling Digest 2013-2014 (Canadian Partnership for Responsible Gambling. August, 2015. ) 簡単な粗訳をUPしておきますが、リスポンシブルゲーミング費というのは、この資料の見解では、「地域社会やギャンブルの供給者、政府等がギャンブルに関連するリスクを生み出す責任を共有し、ギャンブル依存症を予防または最小限に抑える環境を作り出し、促進し、ギャンブルに関する地域社会の懸念に対応するもの。」とあります。 それにしてもすごい金額ですよね。単位はカナダドルですから、為替の変動があるとしても現在の1カナダドル=およそ85円で計算すると、カナダ全体でおよそ70億円位、依存症対策費を拠出しているってことになりますよね。 その他に、リスポンシブルゲーミング費が出されていて、合計するとおよそ97億! おまけにカナダの人口は、大体3516万人と日本の2/7ですよ! これだけやれば、カナダの依存症罹患率はかなり低いだろう・・・と調べたところ、案の定、カナダのギャンブル依存症罹患率は、2016年度に出されたMGMリゾーツ・インターナショナルの調べでは、0.8%とのことでした。日本のギャンブル依存症罹患率4.8% 推定罹患者536万人とは大違いですね。 しかもこのカナダの仕組みを見るとですよ、チャリティ費よりむしろギャンブル依存症対策費が多く割かれていますよね。それに対し日本の公営ギャンブルって、売り上げの一部を福祉費にはまわすけど、このギャンブル依存症対策費、リスポンシブルゲーミング費には、まわされていないんですからね。変だと思いませんか?マッチポンプというより受益者負担 最近は、日本財団さんは福祉分野の助成で大活躍してますけど、それこそ、まずはギャンブル依存症対策に大幅に割くべきじゃないでしょうか。 その上、日本には24兆円の市場規模を誇る、パチンコがあるのに、そこに対して、ギャンブル依存症対策費の拠出を義務付けられていないって、あまりにも無責任過ぎやしないでしょうか。 で、そのツケは、税金にまわされるわけですよ。例えば、ギャンブル依存症が進行してしまって、働けなくなってしまった・・・という人の生活保護費や、夫がギャンブル依存症で離婚せざるをおえなかったというシングルマザーに対する母子手当。 さらには、犯罪を犯せば裁判費用から収監費用、もちろん被害者に対するケア他、自殺、失踪、うつ病などなど、様々な問題がおこり、それら全てを税金で賄っている訳です。 これだけ財源不足の日本で、ギャンブル依存症問題によって、どれだけ多くの財源が使われていることか・・・それらは利益を享受している産業側が拠出することが、ある意味当たり前の社会ではないでしょうか? ですから、カジノができたら、その売り上げの一部で、ギャンブル依存症対策費を拠出するという理屈は、むしろやっと世界基準に追いついたのであり、マッチポンプというよりは受益者負担だと思っています。 そして、これまでギャンブル依存症問題のために使われていた税金は、その分を是非、子育て他可及的速やかに取り組まねばならない、別の政策のために使って頂きたいと考えています。 ギャンブル依存症はギャンブルをやらなければならない病気。だったら、「ギャンブルをやって欲しい!」と、一生懸命呼びこんでいる産業側が、責任を負担することが筋じゃないでしょうか。(公式ブログ「in a family way」より2016年12月5日分を転載)

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    カジノ解禁IR法案成立へ ギャンブル依存症の境目は

     カジノを解禁する統合型リゾート(IR)推進法案が、いよいよ今国会で成立する公算が大きくなった。カジノ合法化に際して最も懸念されているのは、「ギャンブル依存症」に陥る患者がますます増え、治安の悪化も含めて深刻な社会問題に発展する恐れがあるということだ。 そもそもギャンブル依存症とはどのような疾患で、適切な治療法はあるのだろうか。『依存症のすべて』著者で、行動薬理学に詳しい廣中直行氏(医学博士)に聞いた。──ギャンブル依存症の定義とは?廣中:薬物依存などと同じく「ギャンブルをやめたくてもやめられない」のが大まかな定義といえます。具体的にギャンブルにのめり込むる頻度や使う金額の枠が決まっているわけではなく、健康が損なわれているとか苦痛があるといった主観的な問題が重要です。──きちんとした診断基準はあるのか。廣中:今日ギャンブル障害と言われている問題は「病的賭博」と言われ、1980年から精神疾患とされています。 精神医学の診断基準に照らして依存症の疑いが強い人は、ギャンブルのために学業や仕事、家庭生活がおろそかになったとか、問題を隠すためにウソをつくようなケースです。その状況は、家出や失職、犯罪、自殺といった深刻なエピソードの数々からも知られています。 私の意見としては、ギャンブルのために借金をしたことがあるかどうかが、楽しみの範囲と依存症のひとつの境目ではないかと思います。対策はどこまで進んでいるのか──ギャンブル依存症患者の人数、性別、なりやすい人の傾向などは?廣中:2009年に厚生労働省の研究班が調査したデータでは、ギャンブル依存症が疑われる人はおよそ500万人いて、男女比は6:1で圧倒的に男性が多い。この比率は外国と比べても異様に突出しています。日本にはパチンコやスロットといった日常生活に浸透した身近な娯楽が蔓延していることが大きな原因です。 ギャンブル依存症になりやすい人の傾向は、外国のデータから次の3タイプに分けられています。(1)勝つことが楽しくて自然にのめり込んでいく(2)イライラ、抑うつが強く、ネガティブな感情を解消するためにギャンブルをやる(3)攻撃的、やや反社会的で「勝負」に挑みかかっていく──。──ギャンブル依存症対策はどこまで進んでいるのか。廣中:国もようやく本腰を入れ始めたところで、各地の保健所、精神保健福祉センターなどで相談を受け入れるようになりました。これとは別に「ギャンブル依存症問題を考える会」のようなNPO法人が作られ、啓発活動や相談業務を行っています。また、各地に自助グループも作られています。──実際に相談や治療を行なう人は増えているのか。廣中:増えているとは言い難い状況です。常習的なパチンコ・スロット遊技者500名を対象に行ったWEB調査によると。ギャンブル障害に相当する人が70%、このうち39%が自分はギャンブル障害かもしれないと自覚していながら、精神科や保健所などの専門機関や自助グループにつながっている人はわずか6.5%に過ぎませんでした。 当面の課題は、一般の人々の間に「これは心の病気である」という認知度を高めることと、当事者が専門機関につながる機会を増やすことにあります。──カジノ合法化には反対か。廣中:依存症対策がいっそう推進されるのであれば、個人的に反対はしません。ただ、きっちり対策をやろうとすると、まだギャンブル障害に陥っていない人々に対する一次予防から、すでに地獄を見た人を再び社会に救い上げる仕組みをつくるまで、相当な労力が必要ですし、経費もかかります。 そう考えると、巷でいわれているように本当にカジノが地方創生などの財源になるかどうかは疑問で、きちんと試算しなければならないと思います。関連記事■ これはマズい……ギャンブルにハマる人の10パターン■ 不幸スナックママ モテない酔客の心射止め大繁盛■ 【キャラビズム】アルコール依存とゲーム依存、共通点は何?■ セックス依存症女性の多くは恋愛のトラウマや虐待経験あり■ 自殺者のうち1/3がアルコール依存気味働き盛り男性と医師指摘

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    ギャンブル依存症でカジノだけを取り上げる異常さ

    進党が「バカな政党」といわれてもしかたないことです。 パチンコ・パチスロが問題にならないのは、やはり政治家も警察も、またマスコミも業界とズブズブの関係でつながっているからじゃやないかと疑いたくもなりますね。(「大西宏のマーケティング・エッセンス」より2016年12月5日分を転載)

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    パチンコ業界に東京オリンピックが逆風になりそうな理由

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長) パチンコへの風当たりは強くなっている。警察は「射幸性を抑えた機種を!」と規制を強め、不正に「大勝ち」できるパチンコ台の撤去を指導している。問題はこれだけで済むのか、という点だ。 そもそもパチンコはグレーゾーンで経営しているギャンブル型遊技だ。見方によっては完全にギャンブルだ。それを三店方式などというやり方で、なんとか法律をくぐり抜けてきた。厳密に言い出すと現状でも法律をくぐり抜けているのか微妙なところだ。 規制や法律の適用が厳しくなれば、たちまち運営はダメージを受ける構造になっている。国会議員も新旧の入れ替えが大きく、いわゆるパチンコ族が大幅に減った。社会の風当たりも年々強くなっており、これからも厳しい状況が続くと考えられる。 まず基本的に、東京オリンピックまでに「民営ギャンブル」的なパチンコをさらに規制し、ギャンブル的要素を減らそうという動きである。これは東京オリンピックが特別に重要な要素になっているわけではないが、パチンコに反対する人は、東京オリンピックまでに「ギャンブル的」パチンコを少なくしたいという目標になっている。 スポーツ賭博の問題は社会問題化している。バドミントン男子シングルスでリオデジャネイロ五輪の金メダル候補だった桃田賢斗氏と12年ロンドン五輪代表の田児賢一氏が違法カジノ店で賭博行為を行ったことが明らかになり、リオオリンピックへの参加ができなくなった。 オリンピックの開催からするとパチンコのギャンブル的イメージはマイナスだ。ギャンブル依存症の問題も社会問題となっている。「東京オリンピックの成功のために」という錦の御旗があれば規制もやりやすいということだ。「カジノ解禁」はプラスかマイナスか 意外と重要な要素になりそうなのが、パチンコ店でも禁煙の動きだ。健康増進法にも絡んで、東京オリンピックまでにパチンコ店での全面禁煙化を図ろうとする動きがある。パチンコ遊戯者の喫煙率は50~70%といわれる。一般の喫煙率よりはるかに高い。長時間のパチンコで喫煙は不可欠に近い状態になっている感がある。 すでに分煙ボードを取り付けたり、禁煙店舗を設けたりしているところもある。例えばダイナムは「ダイナム信頼の森」を中心に全席禁煙店舗を展開している。煙草を吸える場所が少なくなっているからこそ、パチンコ店に行って煙草を吸いながらパチンコ三昧という人も多いだろう。禁煙が法制化されたらパチンコ店も大きな変革を迫られそうだ。 相当に熱い視線で見守られているのがカジノ解禁の流れだ。これはパチンコ業界にとってプラスにもマイナスにもなりうる動きだ。「東京オリンピックまでにカジノを!」という流れがあったが、相次ぐギャンブル依存症の問題などもあり、法制化が流れている。 カジノの展開のためにはカジノ法案だけでなく、「民営」であるなら業者の選定、場所の決定、規定・規制の決定、透明性の確保、地元住民との合意など相当なプロセスがあると考えられる。すでに東京オリンピックまでにカジノを作るというのは厳しくなっている。反対もある中、カジノを作るとなると、「ギャンブル」に対する透明性や清潔性が厳しく規定されることになる。これはパチンコのあり方にも大きく影響しそうだ。 一般的にはマイナスに影響する。三店方式の換金制度などは透明性を要求されるだろう。換金の時の身分証明の提示、マイナンバーの提示と課税などもありそうだ。最後には、カジノと同じような扱いで入店時における身分証明書の提示とギャンブル依存症登録がないことの確認が求められることもありうる。これに現在のパチンコ業界は耐えれるかどうか。 パチンコ業界がカジノ運営に関わるというオプションもある。実際にそのように動いているところもあるようだ。しかしこの流れも明確ではない。パチンコ業界のイメージもあり、様々なハードルがありそうだ。 もちろん東京オリンピックを契機にパチンコを日本観光の一つの名物とさせて業界を蘇らせようという動きもある。ギャンブルパチンコから、日本アニメやアイドルをモチーフにした遊戯パチンコへの転換だ。簡単ではないようには思えるが、これから東京オリンピックまでの4年間がパチンコ業界が変身のために残された時間といえる。相当に追い詰められつつある業界が、ピンチをチャンスに変えることができるかどうか。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年8月16日分を転載)

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    カジノをつくれば外国人観光客が押し寄せるというのは錯覚

     先の通常国会で継続審議となった、カジノ合法化を含む「IR(統合型リゾート)推進法案」(特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案)が、秋の臨時国会で成立する可能性が高まっている。  その一方、カジノ誘致の先陣を切ってきた東京都は、お台場のカジノ用地とされた都有地を貸し出し、カジノ誘致を担当する「大都市行政担当」を知事直轄部局から港湾局に移管する事実上の”格下げ”をし、慎重姿勢に転じたたことで、カジノの是非をめぐる論議が再燃している。だが、10年前からカジノ誘致を研究してきた大前研一氏はそれらの論議は、すべて「的外れ」と喝破する。* * *米アトランティックシティの観光名所、ボードウォーク そもそも世界的に見れば、カジノは今や斜陽産業である。たとえば、アメリカ・ニュージャージー州のカジノ都市・アトランティックシティでは、2年前に開業したばかりの「レベル・カジノ&ホテル」が閉鎖されることになり、「トランプ・プラザ」と「ショーボート」も年内閉鎖の計画を発表するなど、ドミノ倒しのようにカジノが破綻している。大型カジノを推進した次期大統領候補のクリス・クリスティ知事も、この大失策で立場が怪しくなっている。  いま日本でカジノ誘致を声高に叫んでいる人々は、こうした「カジノの経済学」を知っているのだろうか?   カジノ推進論者の多くはカジノをパチンコの延長線上と考えているようだが、ハイローラー(高額な賭け金で遊ぶギャンブラー)用のVIPルームがないと成立しないカジノと庶民の娯楽のパチンコでは、収益モデルも客層も全く違う。 逆に言えば、コツコツと”チンジャラ”やるパチンコを20兆円産業(ピーク時は30兆円産業)にした日本人のDNAにカジノは不向きだ。 ましてや風営法で縛るとなると、VIPルームのような高額な賭け金を許容するとは思えない。パチンコ玉が1発1万円、とやれば「射幸心をそそる」と警察(利権)が出てくるに決まっている。 安倍政権が地方創生を重要課題に掲げたこともあって、永田町には「おらが町へ」とばかりに各地からカジノ誘致の陳情が殺到している。しかし、カジノは地方に分散してポツンポツンとつくっても意味はない。 カジノ成功のもう一つのカギは「1か所に集中すること」だからである。マカオには30軒以上、ラスベガスには約40軒、シンガポールでも2軒の巨大カジノホテルがある。 もし東京、大阪、沖縄に1軒ずつ誘致できたとしても、マカオやシンガポールには太刀打ちできない。韓国のウォーカーヒルやオーストラリアの二の舞いになるだけだ。 カジノは観光立国や東京オリンピックと関連づけられて語られてもいるが、これは全く関係ない。カジノをつくれば外国人観光客が押し寄せるというのは錯覚であり、ましてやスポーツの祭典にカジノが必要なわけがないだろう。オリンピックとカジノは別次元の話である。 カジノの経済学を知らずにカジノをつくっても、「捕らぬ狸の皮算用」に終わるのは火を見るより明らかなのだ。関連記事■ 日本のカジノ パチンコは入らず花札がゲームに加わる可能性■ 米大手金融機関 2020年に日本が世界2位のカジノ国になると予測■ カジノ解禁にらむマルハン 大手全国紙と大型企画進行説浮上■ 舛添氏「お台場カジノ潰し」でフジ会長は首相とゴルフで反撃■ 日本にカジノができれば「3万円は使うことになる」と愛好家

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    「支持政党なし」って本当にありですか?

    政策を持たない「支持政党なし」という政治団体をご存じだろうか。先の参院選では比例64万票を獲得し注目されたが、一方で「紛らわしい」「詐欺まがい」との批判も相次いだ。彼らの活動は政治不信のはけ口か、選挙制度への冒とくか。解散風が吹き始めた今こそ、この問題を真剣に考えたい。

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    「愚かな若者は選挙に行くな」という森達也氏の奇妙な論理

    岩田温(政治学者) 映画監督の森達也氏が、『週プレニュース』で奇妙な持論を展開している。 若者は無知で同調圧力に影響を受けやすいために、周りの数人が「自民党に投票する」といえば、自民党に投票してしまう。だから、無知な若者は棄権して構わないというのだ。そして、アメリカには同調圧力がなく、若者がサンダースのような候補に投票したと持ち上げ、そういう意識を持つ若者なら、投票に行ってほしいという。 何ということはない。要するに、自分は自民党が危険な政党だと思っている。だが、多くの若者は愚かで、自民党の危険さを見抜けない。だから、自民党の危険さを見抜いているような賢い人間だけが選挙に行ってほしいというわけだ。 自民党に投票する若者は馬鹿だから、選挙に行くな、という主張を繰り返しているに過ぎない。 何度読み返してみても、とんでもない主張だ。 そもそも同調圧力がないというアメリカではトランプという極端な候補が支持を集めており、世界がその動向を危うんでいる。そんなにアメリカの若者が優秀なら、どうして、彼を支持する人々が多いのだろう。 そして、この意見が傲慢に過ぎるのは、若者を一くくりにして「同調圧力に弱い」、「政治を知らない」と決めつけているからだ。本当に若者は、同調圧力に弱いから自民党を支持しているのだろうか?頭が悪いから、自民党を支持しているのだろうか?森氏のいうように、護憲の立場から、自民党に投票するというちぐはぐな行動をする若者ばかりなのだろうか? 「互いに連立政権を組むことは出来ない」といいあっている野党同士が反・与党のスローガンだけで政治を語っていることに対する不審感を持つ若者だっているだろう。 意見の異なる相手に向かって「お前は人間じゃない。叩き斬ってやる!」などと獅子吼する政治学者に支援される野党に嫌悪感を抱く若者もいるだろう。 私は選挙権を18歳に引き下げることには反対した一人だ。だが、選挙権が与えられた以上、選挙権を行使すべきだと考えている。仮に森氏のような主張を真に受けて、「自分は若すぎて判断が出来ない」などと考えて、投票所に足を運ばなければ、全く政治に興味関心がない世代という烙印を押されることになってしまう。それは避けた方がいい。 現代民主主義の長所でもあり、短所でもある特徴は、知性の有無によって投票者を差別しない点にあるといってよいだろう。賢い人の判断だけが必要だというならば、制限選挙を実施するしかないが、そうした制限選挙を求める人は少ないはずだ。 政治のプロである政治家を学歴、所得に関係なく一般の国民が選出する。それが現代の民主主義なのだ。もちろん、完璧なシステムではない。だから、時に誤る。しかし、誤ることを恐れて政治に無関心であればよいということではない。 出来るだけ、冷静に判断し、自分自身の一票を投じればいい。サッカーや野球は独裁国家でも楽しめるかもしれないが、公正な選挙というイベントは民主主義国家でのみ成立するイベントだ。 自分たちと同じ意見をいう若者を「賢い若者」、自分たちと異なる意見をいう若者を「愚かな若者」、選挙に行く資格すらない若者とみなすような傲慢な老人の説教に耳を傾けるべきではない。(2016年07月09日「岩田温の備忘録」より転載)

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    供託金3千万円ドブに捨てても勝算あり 「支持政党なし」あくなき野望

    ところまできたんじゃないですか。欲を言えば複数の議席がほしいですね。 私たちの「支持政党なし」という政治団体の考え方に多くの国民が満足してくれているということは事実です。今まで消去法で投票したり、白票だったりする人たちの行き場のない思いを「支持政党なし」に投票することでその人たちの心の声が政治に伝わったと言えます。おかしな党のように見えますが、本来は最大の支持を得てもいい党なんです。佐野秀光氏 よく、私たちの政治団体の名前ではなく、ただ単に本当に投票する党がなくて「支持政党なし」と書いただけの票が大半だと批判する人がいますが、それは違いますよ。投票所には政党名が書いてあり、その横に略称があって、さらにその横に候補者の名前があるので、64万票は確信的な票だと思います。 週刊誌なんかで「200万人がだまされる」と書かれたりして、ある意味で注目されたことがよかったかもしれません。ですが、64万票に達したことで一部の政治評論家なんかが、当初は批判するようなコメントが多かったんですけど、最近は「そういのもアリか」みたいな論調に変わってきてますよ。 いつも選挙を見ていると、各政党がだまし合いをやっているだけじゃないですか。選挙になるとあれこれ公約を言いますが、できもしないこと言って国民をだましているだけなんです。 まして、小さな政党はあれこれやりますって言ったところで実現できるわけない。ならば国会に提出される法案をインターネットで賛否を聞いて直接民主主義の橋渡しをしてやろうというのが私たちなんです。 「支持政党なし」の役割をもう少し具体的に説明すると、そもそも政策を持たないので、国会に提出された法案などについてネットで賛否を確認します。例えば賛成7割、反対3割であれば、所属議員が10人いた場合、このうち7人が賛成、3人が反対に回るということなんです。 ということは「支持政党なし」の議員の質は問われない。政策を持たないので学歴もいらないし、とにかく法案の採否に影響を持てればそれでいいわけですから。 とにかく国をああしたい、こうしたいと仲間内で語るのは簡単ですが、実際やるとなると選挙に出て、議席を取っていかないといけない。私が主張しているのは飲み屋でグチをいうのとはちがうんです。突拍子もない手法であっても、支持政党のない人たちの思いをすくいとる受け皿になることはまちがいないですから。「支持政党なし」が議席増やせば与党はヤバい 本来、独自の政策があったら他の党に入れませんよ。党に入るということは、ただ政治家になりたいという目的だけの人は入れるけど、日本をこうしたいという思いがあったらそれはもう他の党には入れないはずです。 「支持政党なし」でやりましょうとどこかの党に言っても無駄だろうし。政策を一切捨てましょうよっていってもやってくれないでしょうし。だからもう自分でやるしかないんです。 でもこの世の中、支持政党ない人多いんですよ。本当に支持政党がない人は選挙にいかない。世論調査なんかで支持政党ないって多いですけど、そういう人たちにもこういう選択肢があるといことがわかれば選挙に行ってくれるかなと。実際、10代や20代の人の支持が高かったみたいなんですよ。佐野秀光氏 参院選では選挙区8人、比例2人で計10人立候補しました。選挙活動は基本的に私を含めて立候補している10人だけです。ポスターは立候補者に有名人がいないので顔写真なんて入れません。見た人もいると思いますけど「支持政党なし」を強調した文字だけのものです。 全国で8万枚、東京だけで5万枚貼りました。これが結構大変で途中で音を上げるやつもいましたね。街頭演説もかなりやったけど、手ごたえというより、街頭演説なんて所詮自分の満足感だけですから。 今はまだ議席獲得に至っていませんけど、この手法が広がって「支持政党なし」にもっと票があつまって議席が増えていったら、法案の採否にかなり影響力を持てるので与党はヤバいと思うはずです。  同じ党の議員でも賛成と反対に分かれないといけないので「支持政党なし」は大きな政党になってはいけないし、政権を取ってもいけない。だから、都知事選などの首長選挙には立候補しないんです。政策もないのに万一当選したら迷惑をかけますからね。まあ、万一にも当選するとは思いませんが(笑)。 かつてはしっかりとした政策を持った党でやり始めたんです。2012年の衆院選で出馬したときは「安楽死党」でした。やはり人間がだれしも不安になるのが自身の死ですからね。死について選択肢を持てるのは安心感につながるじゃないですか。だれもどこの党も大々的には言いませんが、安楽死の選択肢がないのは重大です。それより前の2009年の衆院選では「新党本質」という党名で、そのときから安楽死は政策にいれていましたね。既存政党から出馬しようとは思わない 安楽死に象徴されるようにどこの党もやらないような政策をやろうと思っていましたけど、やはり小さな党ではどうしようもない。だから直接民主主義を実現できるような「支持政党なし」に行きついたんです。 私が政治家を志したのは、何も最近になってからではありません。小学生のころから考えていました。父は普通の会社勤めで、母は幼稚園の先生で、特に親の影響はないですよ。学校の先生も関係なく、世の中動かしているのは政治家なんだと自然に小学生のころから思っていたからです。 強いて言えば、親にテレビに向かって文句言えっていわれたことはありました。でも小学生のころから、わからないなりに新聞を切り抜いて批判を書いていたんです。例えば「東北新幹線が開通」という記事があったら「おれは東北には行かないから」とか、そういうどうでもいいけど、何かしら一言新聞記事の内容に自分なりの批判を書いていました。今でもニュースを見ているとずっとそれについての話しを何時間でも続けられますよ。佐野秀光氏 新聞記事の切り抜きに批判をつけるだけではなかったですね。新しい内閣が発足すると組閣の顔ぶれというのが新聞に掲載されますが、その記事を切り取って部屋に貼っていました。もうマニアみたいな感じで、全部の閣僚を覚えました。だれが外務大臣で、だれが財務大臣でみたいに。物心ついた最初の首相は中曽根康弘さんでしたね。 大学生の時に自民党の学生部に入ったんですよ。だからといって自民党の支持者でもなんでもないんです。理由は選挙のノウハウを得るためです。自民党から出ると、自民党の言うことを聞かないといけなくなるし、政治家を志していたとはいえ、どこかの政党から出馬しようなんて考えたこともありません。 そもそも私は保守でも革新でもありません。自民党の学生部にいてもだれかを目指そうとかいう政治家もいません。まあ、強いて言うなら田中角栄ですか。自民党の人ではありましたが、無名で学歴もなくてあれだけ影響力を持っていましたから。 政治家になる近道としては芸能人とかスポーツ選手とかで有名人が選挙に出てというパターンが多いですけど、私は自分でどうやったら多くの人が支持してくれる自分オリジナルの党をつくれるかしか考えていません。 わかったのはお金がかかるということです。選挙に出るには自分で金をつくるか、だれかに出してもらうしかない。でもだれかにお金を出してもらうと、その人の言うことを聞かないといけない。だったら自分でお金を稼ぐしかないと思い、大学に入ってすぐに塾経営を始めたんです。  ある程度の資金が貯まると、今の仕事につながるんですけど、登記簿謄本取得代行サービスを始めました。当時は、不動産登記簿や法人の登記簿を入手するには各地の法務局に直接行く必要がありましたが、どこからでもファックスやネット注文で迅速に入手できるサービスを思いつきました。 全国各地に登記簿謄本を取りに行くアルバイトを配置して、注文から1時間以内にファクスするシステムで、これが結構ニーズは高くて。ただその後はインターネットで登記情報が入手できる時代になったんで、今度は登記情報をデータベース化して、法務局より安く提供することにしたんです。仕事も選挙も「日本初」のことしかやりたくない 今は法務局で定価で取得すれば一通につき335円かかりますが、当社のデータベースにある登記情報なら280円です。新規に登記情報を取る場合でも334円と法務局よりも若干安くしています。登記情報は一度取れば何度も使えますからね。登記情報が必要な業種によってはかなり多数にのぼるだけに、コスト削減にもつながるわけです。現在1日5万件の利用があります。また名前から登記情報が探せるサービスも当社しかない大きな特徴です。佐野秀光氏 登記簿は結構頻繁に内容が変わりますけど、これも「登記見張り番」というサービスで顧客に知らせることもやっています。いずれの事業も日本でうちしかやっていません。私は基本的に何をやるにしても「日本初」でないとやりません。先ほど渡した名刺もよく見てください。名刺なのに広げるとハガキになっているでしょう。これも日本初。わが社の社訓は「日本初への挑戦」なんです。 ですから「支持政党なし」という政治団体も日本初です。政策なし、イデオロギーなし、といういまだかつてないもの。日本初の党で直接民主主義を実現したい。参院選では供託金だけで計3600万円かかりました。もちろん戻ってきません。 お金はかかりますが、「支持政党なし」の政治活動はこれからもっと盛り上げていきます。今のところ有名人が協力してくれるという話はありませんし。今まで通り地道にやっていくしかないのが現状です。とにかく支持政党がないことを訴えたい人たちの思いを結集させて、それを政治に反映させていきたいですね。(聞き手 iRONNA編集部、津田大資) さの・ひでみつ 1970年9月生まれ。東京都大田区出身。日大在学中の89年に家庭教師派遣会社を設立し、実業家として複数の会社を経営。2009年に政治団体「新党本質」を立ち上げ、その後「安楽死党」に名称変更した。13年に「支持政党なし」を発足させ、14年の衆院選比例北海道ブロックで10万票以上を獲得。16年7月の参院選の比例代表では得票数が約64万票にのぼった。

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    政治にしがらみはいらない、野党共闘は「支持なし」戦法に学べ!

    間2億円近くの政党交付金の配布を受ける可能性が数字の上では成立することになる。ネット時代における民主政治の正しいスキーム 選挙に通るまでは、バラ色の政策マニフェストをいろいろ掲げるが、当選した後は、「党議拘束」とやらを持ち出し、選挙戦での公約以外のことをやってしまう議員も多い。これも政治家のプロセスが「選挙」でしかないから仕方のないことだ。しかし、「支持政党なし」は「政策もなし」というユニークな政党なのだ。国会議員は、国民の使者として議決権を行使するだけに徹するという直接民主主義の政党である。(神田敏晶撮影) だから党員は基本的に、ネットやスマホで全法案の賛否を投票することが可能だ。このスキームはネット時代における民主政治の正しい姿だと思う。すなわち国会議員は、国民の賛否の声を届ける本来の意味での「代議士」であるのだ。だいたい、ネットのなかった頃には個別の法案の賛否に参加することは不可能だったし、法案を解説してもらい、リスクとベネフィットを踏まえた上で、国民が政治参加できるプロセスをプラットフォーム化しようとしている政党はいなかった。政治引退した、日本を元気にする会の松田公太・前参議院議員(タリーズコーヒー創業者)も同様のアイデアだっただけに、連携できればよかったと思う。代表の佐野氏がもっと政治の筋に近い人だったらユニークな連携ができたのかもしれない。また、今回の「支持政党なし」の候補者たちは、みずから供託金を用意し、自分の政策を持たず、国民の使者として使える人をネットで公募して選ばれている。これもユニークだろう。 東京選挙区の方は参議院選挙の時に「支持政党なし」の4連のポスターが貼られているのを不思議に思ったのではないだろうか? なぜ、東京選挙区に候補者の顔も名前も掲載されていない政党のポスターが貼られていたのか。民進党の有田芳生議員は、「選挙管理委員会に機敏に対応すべし」とツイートしていた。これは、「支持政党なし」の4候補で支持政党なしをアピールする手法だったからだ。もちろん、公職選挙法上では、写真も候補者の名前も明記しろとの文言はないからだ。「選挙区は『支持政党なし』検索 公認候補者へ」という、候補者名を知らしめる文言があれば良いという。 では、あの抽選方式の選挙ナンバーをどうやってクリアしたのか…。 それはまさにコロンブスの卵の発想だった。そう、抽選には参加せず、余った番号に割り振られただけだったのだ。しかし、それは朝8時30分からはじまる、あのおそろしく荘厳な雰囲気の抽選会場でやってのけたというから痛快だ。4人で揃って「せーの」で、抽選会が終わりドアが閉まる瞬間に入ったという。実際に公示日は朝に抽選を行うが、届け出自体はその日の17時まで受付を行っているから全く問題もない。 筆者はITを専門としたジャーナリストであり、2007年の参議院選挙ではネット選挙解禁をテーマに国政に出馬した経験がある。今回の「支持政党なし」のチャレンジの結果はゼロであったが、記録としては、確実にパフォーマンスに応じた集票ができたと感じている。2016年東京都知事選挙の時の野党が自公潰しを狙って連携した「鳥越選挙」を想い出して欲しい。民主党が旧みんなの党派閥、維新派閥と連携した「民進党」として再スタート。勝ち目のある候補者を決めあぐねていたあげく、誰がかついだのか、タレントの石田純一氏まで出馬を匂わすなどのパフォーマンス。有力野党が戦う前から軒並み自然消滅していく体たらくぶりだ。 むしろ、「支持政党なし」のアイデアとパフォーマンスは、魅力なき野党にとっては魅力的な戦術だと思う。政治にしがらみがないからこそできる発想だからだ。しかし、政治はしがらみだらけの中で育まれている、未だに任侠の世界だ。むしろ佐野氏は、各野党の参謀として、そして現在の政治プラットフォームのASP(アプリケーションサービスプロバイダ)事業者として、新たな野党づくりをIT選挙の面でサポートしてほしいくらいだ。そして、狙いは参議院ではなく、代議士と呼ばれる衆議院だ。衆議院の法案賛否に国民が参加できる直接選挙を支持する野党が連携しやすいと思うからだ。現在の野党は分裂、吸収、合併が多すぎて、支持しにくい。だからこそ「支持政党なし」ではなく「野党支持」という政党で『鳥越方式』でまとまるしか能がなかったのだ。自民の推薦もなかった自民の小池百合子都知事の人気が上がれば上がるほど、野党も与党も忘れてしまいたい選挙となった。「当選」する為には、なんでもしでかす政党にとって「支持政党なし」はあまりにも、いさぎ良すぎた。

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    「支持政党なし」はどこへ行く 共鳴が示す日本の政党政治は終わった

    川上和久(国際医療福祉大学教授) 特定の支持政党を持たない層は、日本の政党や政治家にとって、今や、自らの死命を制する存在となっている。特定の支持政党を持たない層は、「政党支持なし層」、「支持政党なし層」、「無党派層」などと呼称されているが、本稿では「無党派層」と呼称することにする。 「無党派層」は、55年体制の下での自由民主党、社会党の「保革対立」の潮流の中でも、一定程度存在した。そんな層を捉えようと、1970年代から動きはあった。二院クラブに入会したコロムビア・トップ(下村泰)氏(中央)。(左から)喜屋武真栄、青島幸男、下村泰、野末陳平、市川房枝の各氏=昭和50年6月 ロッキード事件など、政治倫理が大きな課題となっていた1977年には、河野洋平代議士らが、保守政治の刷新を掲げて新自由クラブを結成し、12月の第34回衆院選では、革新政党を支持できないが、自民党にも不満を持っていた無党派層を引き付け、17人が当選した。 革新陣営でも無党派層を意識した動きがあった。1977年の参院選で横山ノック、1980年の参院選で中山千夏を全国区で当選させた「革新自由連合」が、比例代表制が導入された1983年の参院選に向け、「無党派市民連合」を結成したが、選挙では約51万票の獲得にとどまり、議席獲得には至らなかった。名簿順位をめぐる路線対立があったものの、「無党派」という名前を冠して無党派層を掬い取ろうという戦略は失敗に終わったのである。 一方で、マーケットや政策を絞った「ミニ政党」のほうが、議席を獲得する健闘を見せた。サラリーマンにターゲットを絞ったサラリーマン新党は約200万票で2議席、福祉政策の福祉党は約158万票で1議席、それに比例代表ではなかったが、東京選挙区で税金党の野末陳平氏が当選した。しかし、こういったミニ政党も、無党派層の継続的な支持を得るには至らなかった。新自由クラブも1986年、自民党が大勝した第38回衆院選で6議席と振るわず、解党を余儀なくされた。 新自由クラブやミニ政党の躍進に代表されるように、既存政党の政策に不満を持つ無党派層の存在は無視できない比率に達していたが、それがさらに比率を高めたのが、1993年の細川連立政権成立後の政界再編だった。自民党と共産党以外は、政党名も含めて離合集散が続くこととなり、無党派層の比率がさらに高くなった。 時事通信社は、政党支持について継続して世論調査を行っている。この調査結果によれば、「あなたは、どの政党を支持しますか」という質問に対して、「なし」「わからない」と回答した「無党派層」は、細川連立内閣の前後で大きく変化している。 海部・宮沢両内閣期(1989.8-1993.8)には平均して48.8%であった。それに対して、橋本内閣から小泉内閣(1996.1-2004.8)までの平均は61.6%であり、このめまぐるしい政界再編の時期に、無党派層が急増したことが分かる。(http://www.crs.or.jp/backno/old/No564/5641.htm 前田幸男 「時事世論調査に見る政党支持率の推移(1989-2004)」 参照)無党派層が起こす4つの投票パターン無党派層が起こす4つの投票パターン 無党派層が増加したとはいっても、選挙時には、有権者が政党の選択をすることになる。したがって、選挙時になると、無党派層の比率は下がる傾向にある。東京都知事選の候補者の街頭演説を聞く人たち=7月24日午後、東京都内 無党派層の選挙時の選択は、 第一に、その時の争点に反応して、政権政党に投票するパターン。2005年の第44回衆院選では、「郵政民営化」「官から民へ」のスローガンのもと、小泉純一郎首相が衆議院を解散して民意を問うた。結果として、投票率は比例代表で2003年衆院選の59.81%から67.46%へと上昇し、無党派層が自民党に多く投票し、自民党は296議席を得た。 たとえば、読売新聞社が行った出口調査では、無党派層は、全体の19%、無党派層が比例選で投票した政党は、自民党32%、民主党38%。民主党の方がリードしているが、同社の2003年の衆院選での出口調査では自民党21%、民主党56%だったので、自民党が11%上昇、民主党が18%下落。これが、自民党圧勝の大きな要因となったと見られる。 第二は、政権政党への批判票を無党派層が担うパターン。2009年の第45回衆院選では、政権政党だった自民党への不満が、民主党への期待に転化され、「政権交代」の大きな民意の中で、比例代表の投票率は69.27%。第44回の67.46%からさらに上昇し、無党派層が大量に民主党に投票して、民主党が308議席を得た。 同じ読売新聞社の出口調査では、無党派層は、全体の21%を占めていたが、無党派層が比例選で投票した政党は、民主党52%、自民党16%で、36%もの差がついた。第44回と比較して無党派層が民主党に投票した割合が14%上昇したのに対し、自民党は16%下落した。 第三は、新自由クラブ旋風のときと同じように、新しくできた政党に期待して投票するパターン。2009年に結党された「みんなの党」は、自民党や民主党の既存政党とは異なる「第三極」として注目を集め、2013年の第23回参院選では比例代表で470万票以上を得票し、4議席を得、選挙区と合わせて8議席を獲得した。 読売新聞社の出口調査では、無党派層19%のうち、比例選でみんなの党は23%の自民党に次いで、15%を得ている。維新の会(15%)、共産(12%)、民主(11%)を上回る支持を得たことが、躍進の一つの要因となった。 第四は、投票に行かず、棄権するパターンだ。政権支持、政権批判、新しい政党への期待共にインセンティブが働かないときは、真っ先に無党派層の棄権、投票率の低下という結果になる。「支持政党なし」はどこに行く?「支持政党なし」はどこに行く? 「支持政党なし」という政治団体は、無党派層に、第五の選択肢を提供しようとしているのだろうか? 2016年の第24回参院選で比例代表の得票は64万7071票。全国の無党派層の1%程度の得票ということになろうか。新しくできた政党の政策に期待する無党派層の投票行動の第三のパターンには、政策を掲げているわけではないので該当しない。 また、第四のパターン「棄権」よりは、こういう意思表示をする方がいい、という意見もある。 しかし、既存政党にせよ新しい政党にせよ、政党の機能は、政策を掲げ、それを実現していくことにある。「支持政党なし」は、政党としての政策は持たないとしている。インターネットなどを通して、有権者の意見を基にして、議決権を行使する、というのは、直接民主制に近い主張であり、代表制民主主義の意義を損なうという批判もある。 これまでの、無党派層をつかもうとして七転八倒し、離合集散を繰り返してきた政党の歴史を見ると、このような直接民主主義的な主張への共鳴が広がる展開が将来あるとするならば、既存の政党政治が危険水域にまでなっている、という状況が想定されよう。 また、ネット時代にあって、SNS等を通じて、さまざまな課題について「投票」が行われている。直接民主制的に、ネットでの投票結果をもって政策に反映させるという手法が、若い世代に受け入れられる可能性も否定できまい。 「支持政党なし」が一定の支持を集めることをもって、既存政党は自戒の念を強くしなければなるまい。

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    「支持政党なし」は制度の隙をついた選挙妨害ではないか

    猪野亨(弁護士) 衆議院選挙の比例区が話題になっています。「支持政党なし」という名称の「政党」です。それが何と10万票も獲得したというのです。道内の各政党の得票数 何とすごい票数です。しかし、誰もが思うところですが、このような政党に10万人もの支持が集まるはずがありません。このような政党名など聞いたことがないし、10万人もの有権者が引っ掛かったということです。ところが「衆院選で政党「支持政党なし」が10万票ーーなぜ「政策は一切なし」だったのか?」(弁護士ドットコム)では、この投票行動をこのように分析しています。そして、動画のなかでも、「支持政党なしは、政策は一切ございません」と強調。既成政党に投票すると、その政策の一部に反対だったとしても、一括して賛成したことになってしまうとして、「個別の法案ごとにみなさんの意思表示をしたくありませんか」と呼びかけている。 今回の衆院選の比例・北海道ブロックで「支持政党なし」が10万票以上を獲得したのは、このような佐野代表の主張に共感した人が多かったからなのかもしれない。 そんなはずがないでしょう。だいたい政党名だとは思いませんよ。それに事前にこの「支持政党なし」のホームページをどの程度の有権者が見ているというのでしょうか。 本当に悪質としか言いようがありませんし、これでは制度の隙を突いただけのただの選挙妨害でしょう。多くの有権者の善意を利用した、いや踏みにじった行為は批判されて当然だろうし、これ自体、制度の欠陥なのですから、早期に対策・是正が必要です。 本来、支持政党なしの有権者が示す方法は白票ということになります。この問題を考えるのであれば、やはり国民審査についても考えなければなりません。国民審査は言わずと知れた最高裁判事について、罷免を可とする場合には「×」を付け、それが過半数を超えると罷免されるという制度です。白紙は信任です。あくまで罷免を可とする場合にのみ「×」を付けます。裁判官の国民審査は「支持政党なし」と同じ手口 さて問題は、投票用紙です。これは投票所に行くと当然のように交付されます。交付されてそのまま投票箱に入れれば、信任なのです。この国民審査の投票用紙は受け取らないことができます。要は棄権です。棄権ができないという制度はあり得ないのです。 しかし、衆議院議員選挙に投票した者は、必ず国民審査の投票をしなければならないことになるような運用がなされているのです。受け取って下さいと必ず渡されるのですが、それは事実上の投票の強要にも等しいのです。 何故、これが問題になるのかといえば、白票が信任になるからです。衆議院議員候補者に対する投票の場合には白票は、どの候補者の票にもなりませんから、実質的には棄権です。事実上、投票を強要するような現行のやり方を前提にするならば、信任の場合には「○」を記載させなければ整合性は取れません。 もともと制度が罷免を可とする場合には「×」としたのは、憲法の規定の仕方がそのようになっているからです。憲法第79条第3項 前項(国民審査)の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。 この方法自体、批判の対象になっていることは周知の事実ですが、仮にこの制度を前提とする場合であれば、有権者に投票用紙を受け取らない自由を保障することが不可欠です。実際に多くの国民は、国民審査の投票用紙を受け取らなくて良いということを知りません。そのような誤解につけこんで信任を多くするようなやり方が全うであるはずもありませんが、これは「支持政党なし」の手口と同じ次元のものです。 有権者の誤解に基づき投票させるというものです。どちらも同レベルの問題なのですから、「支持政党なし」の是正だけでなく、国民審査の投票用紙の受け取りが自由であることを用紙を交付する際に説明するよう是正されなければなりません。(公式ブログ 2014年12月16日分を転載)

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    世界初の「直接民主型政党」の魅力を敢えて俗な言葉で語ってみる

    に関しては「国民(会員)の投票にかけ、その比率に応じて国会議員が投票行動を決める」という直接民主型の政治を志向・実践することにあります。2015年1月、「日本を元気にする会」の綱領発表の記者会見で、ビデオメッセージであいさつするアントニオ猪木参院議員 もちろん単なる人気投票にならないように、そこに至るまでのプロセスには幾重にも慎重な仕掛けを考えているのですが、今日のところはその話は置いておきます。 なぜこの「直接民主型」の政治が斬新で、存在価値があるのか。私はどうして、こんな思い切ったコンセプトを持つ政党に飛び込むことを決めたのか。その魅力について、本日はざっくばらんに俗な言葉で語ってみたいと思います。 国民の声を主にネット等で集めて、それを国政に届ける…と説明すると、情報感度の高い方々からは「はいはい、またそのパターンね」という反応が返ってくることがあります。確かに同様のコンセプトを持っている「政党」は世界ならばスウェーデンの直接民主党やハンガリーのインターネット民主党、ドイツの海賊党などがあります。 また日本では都知事選挙の際の「インターネッ党」や、先の衆院選で突如現れた「支持政党なし」が直接民主型を志向していました。しかしながら上記はいずれも、「地域政党」もしくは単なる「政治団体」です。地方議員が所属しているケースがあっても、国会議員が所属している政党ではありません。 「地域政党」や「政治団体」に要件はなく、基本的には申請すればだれでも作ることができます。ドイツの海賊党は国政選挙の比例代表で4%の得票率を獲得したことがありましたが、5%未満の政党は足きりされるドイツの制度に阻まれて、国政に進出することはできませんでした。もしこのまま元気会が重要法案で国民投票(会員投票)を行い、その比率通りに行動を決めて議決に票を投じたとしたら、これは紛れもなく世界の政治史上に残る偉業だと断言してかまわないでしょう。以前にも何度か触れた通り、国会議員・政治家にとって直接民主型政治に身を投じることは、自らの過去や存在価値の全否定とも受け取られかねず、非常に高いリスクを伴う思い切った、いや思い切りすぎた決断です。 この決断を下した国会議員が、しかも5人もそろってスタートした。その歴史的瞬間が、世界一少子高齢化が進み、シルバー・デモクラシーの限界に直面している日本から始まるということは、なんとも示唆深い出来事のように思えます。今までだって結局は「ポピュリズム」だった今までだって結局は「ポピュリズム」だった こういう斬新な政党が、いきなり与党になったらさすがに困ると私ですら思います。しかしながら、既存政党の陳腐化が進む日本の政界において、こうしたコンセプトを持つ政党が野党に存在することは「全然アリ」ではないでしょうか。 TPPにせよ集団的自衛権にせよ、党内の意見がまとまっていることはまずありません。賛成の議員もいれば、反対の議員もいる。それでも国会で採決の段になれば、「党議拘束」の名のもとに各党は100か0かで賛成・反対に分かれてしまう… こうした政党の融通の利かなさ、国民世論を無視する意思決定方法に飽き飽きしている有権者層・無投票層は必ず一定数存在します。 元気会の直接民主型政治はそうした層の投票行動を促し、また意思決定に参加させることで政治参画を促進させる効果が期待できます。 この新党のコンセプトに対して、もっとも多い批判が「大衆の意見に踊らされる、ポピュリズムになる」というものでしょう。私もどれだけ、こうしたご意見をいただいたかわかりません。 では、従来の仕組みはそうではなかったのでしょうか? 私は以前、中国共産党のエリートから「日本の政治家は、しょせん4年後(次の選挙)までしか考えられない。 われわれは、100年先の中国を見ている」と言われ、大変なショックを受けたことがあります。 まあ彼らが100年後のことを上手く見通せているかは別として、これは日本の現状をよく表しています。 結局、現行のシステムでも政治家は「次の選挙」のために目先の有権者におもねり、甘い言葉やバラまき政策を続けて莫大な国家の借金や世代間格差を先送りにしてきました。これを「ポピュリズム」と言わずになんというのでしょう? 問題を先送りにしているうちに少子高齢化は後戻りできないところまで行きつき、若い有権者が投票行動を次々に放棄している今、ドラスティックな改革は絶対に必要です。若年層を中心に投票率が落ちているのは、世界の先進国でも共通の事象です。これに危機感を覚えたいくつかの国では、やはり直接民主型の政策を取り入れようとしています。 その代表的なものは「国民投票」です。しかしながら、本当にダイレクトに国民が「Yes, No」を決める国民投票は、その重大さゆえに繊細な運用が必要になりますし、実際に決定までに途方もない時間がかかります。この先進事例国のスイスなどでも、まだなかなかうまく機能しているとは言えないようです。 そこで、政党が独自の仕組みで国民(党員・会員)の意見を吸い上げ、その意思通りに投票行動を決めることで疑似的な直接民主政治を実現できれば、この欠点は一気に解消され、国民の「諦めの感情」を払拭する起爆剤にすらなりえます。 …とまあ、他にも色々とあるのですが、長くなってきたので本日はこのあたりにしておきます。「うまく行くはずがない」「常識外れな試みだ」多くの人がきっとそう思っています。 しかしながら、今は当たり前になっていることで、かつては「非常識」だったことがたくさんあります。どこかで誰かが常識外れな「無理ゲー」に挑戦したからこそ、パラダイム・シフトが起こったのです。 冒頭に記載した通りいま現在わたしたちは、この世界初の試みを必ず成功させるべく、誰もが公平に、活発に、なおかつ楽しく議論に参加して投票できるような仕組みづくりを進めています。つくっている私たちのワクワクが抑えられないほど、面白いシステムが議論されている最中です。 古代ギリシアで誕生したデモクラシーの炎は、2500年の時を超えて、再びここ日本の地に点りました。この火を決して絶やすことなく、デモクラシーの炎で日本を再び元気にするため、皆さまと共に挑戦的な活動を続けていきたいと思います。(「おときた駿公式ブログ」 2015年1月26日分を転載)

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    次の選挙で「自民党大敗」を裏付ける2つのデータ

    〈与党大勝 改選過半数〉(読売)〈改憲勢力 3分の2超す〉(毎日) 新聞・テレビは一斉に参院選での自公圧勝を報じ、選挙戦はそのまま第2ラウンドの東京都知事選に突入した。 議席数だけを見れば、自民党は27年ぶりに参院での単独過半数を回復(追加入党含む)し、改憲支持4政党の勢力は衆参で3分の2を超えた。 しかし、安倍首相は喜んではいなかった。テレビカメラの前で勝利宣言したときは笑顔だったが、側近たちだけになると別の顔を見せた。「勝ってなんかいないからな」 そう吐き捨てるように語ったという。 そのうえで、安倍首相は参院選が終わると早めの夏季休暇に入った。都知事選の第一声で自公推薦候補の増田寛也・元総務相の応援に立つこともなく、休養先では選挙戦の憂さを晴らすようにゴルフに興じた。 理由がある。 参院選のデータを詳細に分析すると、2012年の政権復帰以来、国政選挙で「常勝」を重ねてきた安倍自民党の勢いに陰りが出てきたばかりか、次の総選挙で「自民党大敗」の兆候がはっきり見えてきたからだ。当選確実となった候補者にバラをつける自民党総裁の安倍晋三首相=7月10日、東京・永田町の自民党本部(斎藤良雄撮影)■データ(1)安倍応援は「勝率1割以下」 まず、選挙に強いといわれた安倍首相の「神通力」が消滅した。 自民党選対幹部が語る。「安倍首相が今回応援に入った11の重点選挙区の結果は1勝10敗、勝率が1割を切った。総理が入るのは大接戦や苦戦している選挙区とはいえ、2012年の総選挙の時は87%の勝率を誇り、前回総選挙(2014年)でも総理の応援した選挙区は38勝38敗の勝率5割だった。この有権者の動向は内閣支持率の数字だけでは決してわからない選挙特有のものだ。“俺が入れば負けない”と思っていた総理は相当ショックだったようだ」 ちなみに安倍首相は今回、事前の情勢調査で負け濃厚だった沖縄には応援に入らなかった。皮肉なことに、安倍側近の世耕弘成・官房副長官夫人で民進党の林久美子・前参院議員を落選させた(滋賀選挙区)のが唯一の勝利だったのである。■データ(2)「東北の乱」の悪夢再来 参院選で事実上の与野党一騎打ちとなった1人区で自民党は21勝11敗と予想外の苦戦を強いられた。その中でも1勝5敗と負けが込んだのが東北6県だ。 東北は安倍首相と自民党にとってまさに“鬼門”だ。公明党の基礎票は多くないが、農業地帯で保守地盤が強く、過去、自民党は自力で勝ってきた地域だった。 ところが、第1次安倍政権当時の2007年参院選で自民党は東北の1人区で全敗(当時は宮城は2人区)して与野党のねじれが生まれ、2年後の総選挙で民主党への政権交代の引き金となった。政界変動の前触れが起きる地域なのである。 安倍首相は前回参院選では東北で失っていた自民党の議席を回復し、リベンジを果たした。今回も東北を重点選挙区として首相自ら複数回応援に入って徹底的にテコ入れした。それにもかかわらず、再び「東北の乱」が起きた。「勝った」と喜べる状況ではないのである。関連記事■ 衆参ダブル選挙 18歳選挙権拡大が混乱の大きな火種に■ 7月参院選 自民尋常なる上げ潮で野党が消える日になるか■ 自民党参議院改選議員 来夏の選挙心配で安保特別委に尻込み■ 次期総選挙 無党派票が自民党批判に動き野党の乱立も解消か■ 公明党議員 選挙が遠いからと自民の公明への配慮不要は失礼

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    保守論壇よ、目を覚ませ! 「右派プロ市民」に操られた日本会議の正体

    「民族派学生運動」として誕生した。その後、母体である「宗教法人・生長の家」そのものは路線変更を経て、政治運動から撤退したが、椛島有三氏以下日青協のメンバーたちは、未だに「生長の家」の創始者・谷口雅春の思想を信奉し、谷口雅春の説いた「愛国路線」を愚直に突き進んでいる。 また、高橋史朗氏(明星大学教授)や百地章氏など日青協の幹部メンバーは、現在の「宗教法人・生長の家」に反旗を翻す宗教的原理主義団体「谷口雅春先生を学ぶ会」での活動も確認されている。日青協のメンバーは、70年代以降、弛むことなく、宗教的情熱を元に、政治運動を続けてきたのだ。 谷口雅春存命中の「生長の家政治運動」について言及される際、必ずと言って引き合いに出されるのが、「生長の家は、『帝国憲法復元改正』を唱えていた」という点だろう。確かにそれは間違いがない。谷口雅春は熱心に「昭和憲法に正統性はない。明治憲法を復元すべきだ」という主張を展開していた。だが、当時の「生長の家政治運動」が最も熱心に取り組んだのは憲法問題ではなく、「妊娠中絶反対」を主眼とした「優生保護法改正運動」だ。 「中絶は一種の殺人行為である。 法律はこれを許しても神の世界では許されない」と唱える谷口雅春の下、当時の「宗教法人・生長の家」は、苛烈に「優生保護法改正運動」に取り組んだ。当然の事ながら、その運動は、宗教法人本体の運動だけにとどまらず、学生運動にも波及する。当時の『生学連新聞』(生長の家学生運動の機関紙)では、「憲法改正」ではなく「優生保護法改正」こそが最重要課題として掲げられるのが常であったほどだ。 運動は一定の成果を見せ、当時生長の家組織候補として自民党内で有力な地位を占めつつあった玉置和郎氏や村上正邦氏の尽力もあり、国会での議論の対象にもなり、改正法案が上程されるまでにこぎつけた。しかし、こうした動きは、障害者団体や、当時勃興しつつあったフェミニズム運動の猛烈な反発を生み、ことごとく頓挫してしまう。ついに1983年(第一次中曽根内閣時代)、自民党政務調査会優生保護法等小委員会は、「優生保護法改正は時期尚早」との結論を出し、国会での法改正の道は完全に絶たれるに至った。その直後の1983年10月、生長の家は突如「政治運動撤退宣言」を出し、優生保護法改正運動のみならず、あらゆる政治運動から撤退してしまう。当時のマインドのまま現在も運動を続ける日青協 かくて「宗教法人・生長の家」は83年を境にきっぱりと政治運動から足を洗ったが、先に振り返ったように、日青協は今もって当時のマインドのまま運動を続けている。「憲法改正と同等、いやそれ以上の情熱を、中絶問題にかける」「自分たちの運動の敵はフェミニストたちだ」という認識は、未だに日青協に色濃く残る。その証拠に、日青協のフロント団体である日本会議の公式サイトに掲載された「国民運動の歩み」なるページを読んでみるといい。 確かに、「元号法制化」「天皇陛下御在位20年奉祝行事」など、「愛国運動」らしい文言もあるが、何より多出するのは、「夫婦別姓反対」「男女共同参画事業反対」「ジェンダーフリー教育反対」「性教育反対」などの「女性問題」に関する文言だ。しかもことごとくが、「みずからなにか新しい価値観を提供する」という前向きな議論ではなく、「フェミニストどもが推し進めるものを押し返してやる」とでも言いたげな、後ろ向きのものばかりであるのも特徴だろう。 こうしてみると、日青協の特異さが浮かび上がる。何も「宗教だからだめだ」というわけではない。日青協のやることは常に「反対運動」なのだ。学生時代は「左翼学生運動反対」、大人になってからは「左翼とフェミニストのやること反対」。悲しいまでにかれらには独自性がない。独自性といえば、ファナティックともいうべき谷口雅春への帰依ぐらいであり、彼ら独自の思想や新機軸など何もない。ただただ「小賢しいことを言うサヨクと女どもを怒鳴りつけてやりたい」しかないのだ。これでは居酒屋で管をまくそこいらの親父と大差ない。 そんな程度の低い人物たちが、自民党の改憲工程に影響を与えるはずがない、と思いたいだろうが、現実は一般人の想像を超えて悲惨なのだ。この程度の人物たちが、「憲法改正議論」という国家百年の計に容喙してしまうのが、今の日本の悲劇というべきだろう。信じられないというのならば、官邸を見てみればいい。日本青年協議会の設立メンバーであり現在も幹部を務める衛藤晟一氏は、首相補佐官を務めているではないか。衛藤晟一首相補佐官 国会の議論を見てみればいい。日本青年協議会の幹部である百地章氏が憲法学者として与党側の参考人招致に応じているではないか。厚労省を見てみればいい、日本青年協議会の幹部であり、学生時代は「生長の家学生連合」の代表を務めた高橋史朗氏が、男女共同参画会議の議員を務めているではないか。そして、安倍首相がビデオメッセージまで寄せる改憲運動の現場を見てみればいい、日本青年協議会のリーダーである椛島有三氏が運動を取り仕切っているではないか。 自民党の内部でさえ憲法改正に積極的ではない政治家は多数いる。メディアの世界で改憲議論をリードする保守論壇人たちも「何をどう改正するのか?」という具体論では足並みが揃わない。憲法改正が現実味を帯びた今だからこそ、今後の改憲議論は甲論乙駁の様相を呈してくるだろう。保守論壇を操る日青協に惑わされてはいけない そういう時こそ、「右側のプロ市民」である日本青年協議会の存在感が増す。彼らは今後迷走する「改憲議論」を、「これまでの運動の実績」と「高橋史朗や百地章や新田均などの組織内言論人の活用」で、綺麗にまとめ上げてくるだろう。そして議論の落とし所として「憲法9条改正や緊急事態条項は国論が二分し通りにくいため、まずは「家族の価値」という合意を得やすい論点から改憲を狙いましょう」などと言い出すはずだ。 その萌芽はすでにある。『正論』4月号が「憲法のどこを改正すべきか」というアンケートを実施した際、ほとんどの識者が「9条2項」や「前文」と答える中、ひとり高橋史朗氏だけが「憲法24条を改正し、家族の価値を盛り込むべきだ」と答えている。おそらく日本青年協議会はこの路線で、「保守論壇の意思統一」を図ろうとしてくるはずだ。彼らのいう「家族の大切さ」など、「自分たちが信奉する谷口雅春先生がそうおっしゃたから」という彼らの宗教的来歴に由来するものでしかないのは明らかだ。 更に言えば、その考え方は「社会の構成単位は個人である」という、思想的陣営の左右関係なく皆が前提とする「近代」の土俵を完全に否定するものでしかない。こうした程度の低い前近代的な文言が改憲ののち憲法に含まれる方が、憲法9条2項の存在よりよほど国辱的である。 これ以上、保守論壇人は日本青年協議会に惑わされてはいけない。彼らの運動は信仰運動の一環に過ぎない。自らの正体を隠し人を操る様はまさにカルトとしか言いようがないではないか。改憲議論が本格化する今こそ、保守論壇はきっぱりと日本青年協議会一派と決別し、自浄能力のあるところを見せる必要があるだろう。

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    知られざる巨大組織「日本会議」研究

    いま「日本会議」という保守系団体の存在に注目が集まっている。著名な保守言論人や政治家らが名を連ね、安倍政権が目指す憲法改正を下支えする組織として知られるが、関連本も多数出版され、ブームになっているという。そもそも日本会議とはどんな組織なのか。その実像を徹底研究する。

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    「日本会議・安倍悪者論」をまき散らす欧米メディアの間違い

    古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員) 日本の民間政治団体「日本会議」と安倍晋三首相をひとからげにして「戦前への危険な復帰」と断じる、一部米欧メディアの攻撃が目立ってきた。13日に日本外国特派員協会で行われた日本会議の田久保忠衛会長の記者会見の模様などはその典型だった。 会見では特派員協会を拠点に、安倍氏や自公政権の政治を抑圧の独裁のように長年たたいてきたアイルランド人のフリー記者デービッド・マクニール氏らが先頭になって、日本会議を軍国主義、帝国主義の復活を求める危険な組織のように追及していた。 こうした「日本会議・安倍晋三悪者論」の最近の究極は、米政治雑誌「ナショナル・レビュー」最新号に載った「日本のファシズムへの回帰」と題する記事だった。筆者は日本関連分野ではほぼ無名のジョシュ・ゲルトナーという人物だが、内容は安倍首相の率いる自民党が参院選で大勝し、日本会議の支持を得て憲法改正へと進むのは、日本がファシズムの国になることだと断じていた。 この記事は、日本会議は明治憲法と、戦前と同じ天皇制を復活させ、個人の自由や言論の自由も抑圧するとした上で、安倍氏が主唱する自民党の新憲法草案も全く同じ趣旨だと書いていた。だから日本は国際孤立の危険な道を暴走していくとも警告するのだった。 この種の「日本会議・安倍危険論」は程度の差こそあれ、米紙ニューヨーク・タイムズや英誌エコノミストなどの大手メディアにも登場する。 しかし、この種の悪者論を正面から否定する主張がすぐに米国の学者から発表され、米国やアジア全域の識者たちに届いたことも、日本をめぐる国際的な議論の健全な側面として注目すべきである。19日に公表された「日本の保守派の『日本会議』ロビー=心配する必要があるのか」と題する論文がそれだ。 筆者は米外交官出身で日米安全保障問題などの研究でも知られるグラント・ニューシャム氏、発表の場はアジア問題専門の英字ネット誌「アジア・タイムズ」だ。同誌は香港を拠点とし、ワシントンのアジア関連の学者や記者、官僚らの間でも広く読まれている。 ニューシャム論文は以下のような書き出しだ。 「最近の欧米メディアの『日本会議』についての記事によると、日本はいま警察国家となりつつあり、まもなく外国への軍事侵略を始める、と思わされる」 同氏は当然、日本会議について欧米メディアが描くこんなイメージは全く間違いだと指摘する。論文の主な内容は以下の通りだ。 「日本会議は民間の一ロビー団体で、日本全体がすぐにその意のままに動きはしない。民主主義国では種々の政治団体が政策論を競うのは自然だ」 「日本会議も安倍氏も日本を戦前の軍国主義や帝国主義に戻すという政策などうたっていない。安倍政権や自民党の内部でも意見は多様で、日本会議の主張に同意しない勢力も多い」 「米欧メディアの批判的な論調には『日本の最善の道のあり方は、あなた方日本人よりもわれわれのほうがよくわかっている』という傲慢さがちらつく」 外国メディアが日本をどう描くかを知ることは日本にとって欠かせないが、その描き方が多様であることも改めて銘記すべきだろう。

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    日本会議「陰謀論」に徹底反論! 安倍政権を牛耳るカルト批判のウソ

    「日本を守る国民会議」結成以後、国民運動に協力されてきた。 しかし、同教団は昭和58(1983)年に政治活動や国民運動を停止し、日本会議の前身である「日本を守る会」「日本を守る国民会議」から脱会した。以後30年以上、本会とは交流が全くない。同教団からの指導、影響が及ぶことはありえない。 一部報道では、元信者が日本会議の運営を壟断しているという指摘がある。しかし、日本会議の活動において、特定宗教の教義に影響され運動が展開されるということは全くあり得ない。日本会議は極めて民主的に運営されており、さまざまな運動方針や人事は、規約に則り政策委員会、常任理事会、全国理事会など役員会の審議を経て、決定・推進されているのである。日本会議は何を目指した団体なのか それでは日本会議は、何を目指して活動しているのか。私たちは、「誇りある国づくり」を合言葉に、以下6点の基本運動方針を掲げている。1、国民統合の象徴である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する。2、我が国本来の国柄に基づく「新憲法」の制定を推進する。3、独立国家の主権と名誉を守り、国民の安寧をはかる責任ある政治の実現を期す。4、教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する。5、国を守る気概を養い、国家の安全を保障するに足る防衛力を整備するとともに、世界の平和に貢献する。6、広く国際理解を深め、共生共栄の実現をめざし、我が国の国際的地位の向上と友好親善に寄与する。 この方針に基づき、私たちは過去さまざまな国民運動に取り組んできた。芦屋市で開催された日本会議兵庫の第15回総会 =2014年7月26日  天皇陛下御即位20年など皇室のご慶事奉祝行事、元号法・国旗国歌法の制定運動、教育基本法の改正運動、戦歿者英霊への追悼感謝活動、自衛隊海外派遣支援活動、尖閣諸島等の領土領海警備強化の活動、そして、憲法改正運動である。 現在の日本社会には、サイレントマジョリティーという顕在しない良識派の多数意志が伏在している。実は日本の文化・伝統は、こうした良識派意志によって支えられ守られてきたのではないだろうか。しかし、これは顕在化しないかぎり力にならない。私たちの国民運動は、こうした世に現れていないサイレントマジョリティーを形に表し、民主的な手続に基づいて法律や行政などの政策を実現することを目標としている。 いよいよ、憲法改正の国民運動が本格化してきた。まさにサイレントマジョリティーの真価が問われる秋といえる。憲法審査会の論議の活性化を 今回の参議院選挙において、日本国憲法施行後初めて憲法改正に前向きな政党により3分の2が確保され、衆・参両院で憲法改正発議が可能となった。各党はこの民意を厳粛に受け止め、速やかに国会の憲法審査会の審議を再開し、改正を前提とした具体的な論議を加速させるべきである。 与野党各党におかれては、国会の憲法審査会において、日本の将来を見据えた活発かつ真摯な憲法論議を繰り広げられることを期待する。制定以来70年、現行憲法は国民の意志で選択する機会を失われてきた。国民投票の機会を得て、今こそ憲法を国民の手に取り戻す好機を迎えているといえよう。むらぬし・まさと 日本会議広報担当。昭和39(1964)年、宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。

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    「日本会議」の動員力は政治力を測るメルクマールになった

    と左翼系団体の香りがしますが、日本会議が土着の保守勢力を一つのネットワークとして形成した実績は全ての政治に関わる人々は参考にすべきです。憲法改正という大事業を首相に明言させる動員力 日本会議は日本有数の保守系のグラスルーツであり、神道系・仏教系の伝統宗教・新宗教が中心となった政治勢力です。所属する国会議員数も280名程度存在しており、政界において精神面・動員面の観点から影響力を強めています。 具体的には、同団体は新憲法制定の他にも国旗国歌法の法制化や拉致被害者救出、教育基本法の改正、安全保障法制の整備などに取り組んできています。 11月10日、日本会議が主導した憲法改正に向けた大会が日本武道館で開催されて各党代表者が出席する中、安倍首相の改憲に向けたメッセージ動画が自民党総裁名で発表されました。 主催者によると、日本武道館に集まった人員数は1万1千人、憲法改正を求める署名数は447万人を集めたされており、日本会議の圧倒的な動員力が示された形となっています。国技館を一杯にする動員力あれば何でもできるのか 日本会議の主義主張は分析の対象にはしませんが、同イベントを通じて、動員人数1万人、署名人数450万人という指標は民主主義において一つの指標になりました。全政策の中で最も困難な憲法改正を口約束とはいえ、現役の内閣総理大臣に約束させるために必要な動員数のメルクマールが誕生したのです。 もちろん、日本会議の構成団体には保守系議員に強い影響力を持つ神道系の人々が多数含まれているため、一概に動員数だけの問題ではありませんが、日本武道館を一杯にすることが動員数の指標になったことは間違いありません。 日本会議主導の憲法改正のイベントは、シングルイシュー(憲法改正など)を掲げて、1万人の動員をデモなどではなく集会の形で実現することが出来た場合、首相から言質を獲得することができるという事例として極めて重要な意味を持つものとなりました。小さな政府を実現する政治勢力の大集会を実現すべき 私は「小さな政府」を実現して、力強い経済成長や世代間格差の是正を成し遂げていくべきだ、と考えています。 ただし、従来までは「小さな政府」を信望する人々は団結することがなく、逆に少人数でも集まって声を上げるタックスイーターの政治的な意向ばかりが政策に反映されてきました。 小さな政府に直結する減税改革は、その改革の恩恵が薄く広く国民に拡がることに特徴があり、限られた少人数で特定の税財源を貪るタックスイーターのように専任者を置くような継戦能力を作ることも困難でした。 しかし、仮に日本武道館を1万人の参加者で埋め尽くすことで政治的に一定の影響力を持てるとした場合、小さな政府を信望する人々が一日だけ所得税・法人税・消費税などの引き下げに同意して集会に参集することは可能だと思います。 重要なことは、全ての税金の引き上げを凍結し、全ての税金の引き下げに合意する、という一点のみで集まることです。そのため、現在働いている人・過去に働いた人から取り上げた税金で暮らそうというタックスイーターは入れないでしょう。 しかし、真面目に暮らしている多くの日本国民は参加することができるはずです。今後、日本は真面目に働いている人を大事にする政治にシフトしていく必要があります。そのための大きな流れを創り出すことが必要です。(ブログ「切捨御免!ワタセユウヤの一刀両断!」より2015年11月20日分を転載)

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    日本会議が極右? 安倍政権が嫌で嫌でたまらないマスコミの自己矛盾

    いました。 ここのコメント欄でもありました松島みどり法務大臣ですが、ある事情通に確認しました。彼女は政治家になるために朝日新聞社に入ったような人であり、政治信条は保守そのものだということです。ただ、選挙に通るためにいろんな議連に加入し少しでも票のためになるようにしているだけだということです。この情報も長年政治家と付き合ってきた人から聞いたもので、とても信憑性のあるものです。 候補者を自民党が公募した第一期生であり、左巻きであればその選考に残っておらず、松島大臣が法務大臣として安倍総理が使いやすいからここに置いたと思っていいでしょう。巷には保守系の人たちがこの人事がおかしいと言っている人たちがいますが、その人たちはただ単なる朝日新聞出身者という思い込みによる情報不足か、この松島大臣が法務大臣として仕事ができないようにしている工作員としか思えません。 集団的自衛権の憲法解釈変更を政府が認めたとしても、これからそれを具体的に法制化していかねばなりません。その時に法務大臣は首相の考えを尊重して動くという重要な役割を担います。 無能な人間でもできないし、野田聖子のように鮮明に反対を唱える人は困るし、さらに能力があり調整力もあり首相と考えが近くてもタカ派のイメージのある男性議員ではマスコミからの格好の非難の対象になります。だから、ここはある程度能力があり、首相の意図をきちんと汲んでそして女性としての発言で女性の支持を減らさないために女性の大臣が起用されたと思った方がいいでしょう。 ただ法務大臣になると死刑執行の命令書に署名せねばなりません。それを鳩山邦夫大臣や谷垣大臣のように粛々とできるかがこの人の法務大臣としての資質を問われることになるでしょう。でも、前のことでとやかく言うのは、この隙の少ない改造内閣人事に文句を言う場所がここしかないという保守層の分断を図る思惑があることも知ってほしいと思います。2011年9月、記念撮影を終えた第1次野田内閣の新閣僚(植村光貴撮影) 民主党の内閣の大臣の顔ぶれの時は、その人の出自を見たらひどかったでしょう。でも、マスコミは一切それに触れませんでした。でも、何か今回は煽っているように思えてならないのです。保守系と言われる議員たちがこれを取り上げているブログ等も散見されますが、そこまで考えて見ているのかと思う次第です。その人たちの情報収集能力の限界でしょうか。もっと中枢に太い情報を得るためのパイプを持つべきだと思います。 テレビで安倍内閣の瑕疵を見つけようと躍起になり、さらには朝鮮日報が「日本会議」を極右の団体だと言っていることを取り上げること自体がおかしいでしょう。極右かどうか、ぜひ全国各地にある日本会議の集会等に参加されてはいかがでしょう?  日の丸に敬礼して国歌を歌うから極右? 日本人として当然のことをしているだけで、それを非難する方がおかしいと思いません? またそれを極右と思いこまされているのが戦後の左巻き教育のせいかと言っていいでしょう。 国民として国旗と国歌に誇りを持つことがあたりまえであると私は思います。それに違和感を持つ日本人は自虐史観に染まっている人と考えていいのではないでしょうか? 今回の安倍内閣の顔ぶれはみんな元気に国歌を歌う人だと思います。それを私は頼もしいと思いますが、皆さんはいかがですか? サンデーモーニングのコメンテーターの先生たちはきっとそれを見て眉をしかめる人たちばかりでしょうね。(『井上政典のブログ』より2014年9月7日分を転載)

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    恐ろしい神社の本質 憲法改悪に向けて日本会議と二人三脚

    の格好の遊び場でした。コミュニケーションの場でもあり、自然の中に調和する存在でした。 ここまで露骨な政治的主張を始めてしまい、極めて残念です。(『弁護士 猪野亨のブログ』より2016年1月4日分を転載)

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    話題の「日本会議」はどんな団体なのか? 会長を直撃

    日本会議が生長の家に牛耳られているとか、生長の家の陰謀だとか、まったくの的外れです。日本会議には神道政治連盟や国民文化研究会など多岐にわたる宗教団体が参加していて、どこかに“黒幕”がいるというようなものではありません」【※注/故・谷口雅春氏が1940年に創設した宗教団体。1964年から憲法改正など保守的な主張を掲げて政治活動を展開していた。1980年代前半を境にそうした政治活動を停止した】──改憲を目指す一方で、政治団体として届け出をしていない。理由があるのか。「え、そういう登録をしていないのですか。そこは事務局に確認してほしい」(日本会議広報部によれば「任意団体であり、国民運動団体である。それ以上のことはお答えできない」)活動費は誰が支出しているのか──活動費は誰が支出しているのか。「会員費によるものだと思います」〈日本会議のホームページによれば、支払う会費によって会員として受けられる特典が異なる。年会費3800円の「支援会員」は機関誌を毎月受け取れるのみ。その他5つの種別があり、最高額の10万円を払えば、会員証(ゴールドメンバーズカード)、会員バッジ、関連書籍、DVD、カレンダーにメールマガジンが付く。また、日本会議の広報部によれば他に団体・法人協賛金、機関誌広告料、会員からの協賛金があるという〉──政権に影響力があると指摘されている。「自民党、あるいは安倍政権と日本会議との関係は世間の人が見るほど密接なものではありません。つくる国民の会の『憲法改正1000万人署名活動』を自民党が支えてくれているわけでもない。自民党の中にも衛藤晟一氏のように熱心な議員もいるが、必ずしも自民党のオールジェネレーションが支持しているわけではない。日本会議は政権に対して政策提言してはいるが、影響力はそれほどのものではありません」(日本会議広報部は「第二次安倍政権発足以降、政府に政策提言はしていない」) こうした証言について、『日本会議の研究』の著者である菅野完氏はいう。「日本会議の活動は善意の活動で、その中で田久保忠衛先生や長谷川三千子先生は改憲や日本文化を守るといった“目標”レベルで賛同して、参加されていると思う。しかし、冷静に見て、日本会議の主張に政権がなびいているのは否定しがたい。 それなのにそう見せないのは、全体をコントロールするトップや事務方の有能さにある。椛島事務総長ら生長の家出身の事務方幹部が取材に答えないのは、そこに本丸があるからということでしょう」 この不思議な組織は、これからどこへ向かうのか。関連記事■ 700万人の憲法改正署名集めた日本会議 正体掴めぬ組織■ 出版停止申し入れの『日本会議の研究』 異常ペースで売れた■ 日本会議議員懇談会 安倍氏に同調できないと居心地悪い■ 約4000人いる国会職員 国家公務員法の適用を受けない特別職■ 総選挙で新人議員184名誕生 氏名標作成業者は徹夜で名入れ

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    なぜ蓮舫氏は「バリバリの保守」を詐称したのか

    岩田温(政治学者) ほとんどの国民が興味を抱かなかったのではないか、と思わざるを得ないほど盛り上がりに欠けた代表選挙だった。国民の関心は誰が民進党の代表になるのかにはなく、蓮舫氏の二重国籍の説明にあった。コロコロと変わる蓮舫氏の説明を聞きながら、不信感を募らせた国民が多かったのではないだろうか。だが、ここでは敢えて二重国籍の問題を取り上げずに、この盛り上がりに欠けた代表選挙を振り返り、民進党の課題について考えてみたい。 国民が民進党に期待しない理由は何か。それは民進党が何を目指しているのかが明らかでないからだ。確かに民進党が与党に反対しているのはわかる。だが、反対のための反対に終始しているようにしか見えず、民進党自身が何をしたいのかが分からない。そんな思いを国民は抱いている。 いま振り返ってみれば、民主党が政権交代を実現したのは、「政権交代」という四文字を掲げた政党に国民が期待を寄せたからに他ならなかった。「政権交代」こそが旧民主党の目標であり、悲願であり、その全てであったといっても過言ではない。政権交代以前の民主党は、「一度は自民党以外の政党に我が国の舵取りを任せてみたい」という漠然とした、そして無責任な国民の思いに応えていた政党であったといってもよい。だが、民主党の目標であり、悲願であり、全てであった「政権交代」は、総選挙で勝利し、政権与党となった途端に、実現されてしまった。この瞬間から民主党は目指すべき目標を喪ってしまったのだ。民進党代表に選出され「がんばろう三唱」をした蓮舫新代表ら=9月15日、東京都港区芝公園のザ・ブリンスパークタワー(鈴木健児撮影) 目指すべき目的も理念も、そして現実感覚すらないままに右往左往し、時の経過とともに混乱を極めていったのが民主党政権だった。当初は淡い期待を寄せた国民も、「政権交代」それ自身には、何の意味もなかったという当然の事実に気づき、この「政権交代」だけを目的とした民主党政権に失望していった。 国民の期待を裏切り、没落した民進党が為すべきなのは、自らの明確な理念、目標を掲げることだ。かつての社会党を髣髴とさせるような態度で安全保障政策を語ることが民進党の役割ではないはずだ。集団的自衛権の行使容認は「立憲主義を破壊する」、「徴兵制が敷かれる」等々の過激な言説は、確かに一部の極端なイデオロギー信奉者を熱狂させたかもしれない。だが、多くの国民は、こうした過激な言説を繰り返す政党、知識人に期待を寄せなかったし、そうした熱狂を冷やかに眺めていた。国民が望んだのは過激で極端なスローガンではなかった。国民の方が成熟していたのだ。 一体、民進党は何を目標としているのだろうか。今回の代表選に挑んだ代表がそれぞれ「保守」という言葉を口にした事実が興味深い。 「私はバリバリの保守ですよ。みんな間違っているけど。野田佳彦前首相並みの保守ですよ」(蓮舫氏)「良識的な保守層を取らなければ政権交代できない」(前原氏)「リベラルで穏健な保守の理念を、民進党の中心的な価値として掲げ、国民のもう一つの選択肢を作りたい」(玉木氏) こうした無責任でデタラメな発言に呆れ返ってしまった人も多いのではないのだろうか。例えば、仮に蓮舫氏が「バリバリの保守」だとしたら、彼女と正反対の政治思想を抱く私は「急進的なリベラル」ということになるのだろうか。馬鹿馬鹿しくて話にならない。民進党が「保守」を自称するのは明らかな詐称だ 共産党と選挙協力を辞さないと主張する人々が「保守」を標榜するのは、国民を欺く言説に他ならない。20世紀、共産主義者は理想国家の建設を目指して、数々の革命を起こした。共産主義者は過去の伝統、文化を忌むべき、否定すべき存在とみなし、全くの新しい理想国家を建設しようと試みた。だが、理想国家、理想社会を建設した共産主義国家は皆無だった。理想国家ではなく、恐るべき全体主義国家を生み出したのが共産主義革命だった。国民の自由を圧殺し、無辜の国民を大量に殺戮した共産主義国家とは、人類の憎むべき敵に他ならなかった。こうした20世紀の悲しい現実から目を背け、いまだに共産主義社会の実現を夢想する人々と手を握る人々が、伝統や国柄を尊重する「保守」を自称するのは、明らかな詐称である。 なぜ、彼らは「保守」を詐称したのか。それは、自分たちの拠って立つべきリベラリズムが明らかではないからだろう。旧来の「リベラル」思想に自信が持てないこと、自身の明確なビジョンが持てないからこそ「保守」を詐称したのであろう。街頭演説に参加した左から民進党・蓮舫代表代行、共産党・吉良佳子参院議員、鳥越俊太郎候補。右端は杉尾秀哉参院議員=7月、東京・JR渋谷駅前 だが、彼らが為すべきなのは「保守」を詐称することではなかったはずだ。21世紀のリベラリズムとはいかにあるべきかを堂々と語るべきであった。 民進党に必要なのは他党との差異を明確にすることだ。自民党と民進党の違いはどこにあるのかを明確にすべきだろう。自分たち自身が「保守」ではなく「リベラル」である根拠、その意義を堂々と主張すべきであろう。現実感覚を喪失したかのような安全保障政策を語るのではなく、常識に基づいた安全保障政策を語りながら、「リベラリズム」の意義を語ればよい。また、その一方で、民進党があくまで共産党とは異なる点も強調すべきであろう。共産主義を信奉する共産党と民進党との差異がどこにあるのかを明確に打ち出すべきだ。「保守」でも「共産主義」でもない「リベラリズム」を語るべきなのだ。 私自身は紛れもなく「保守」の一人だが、我が国に現実的な「リベラル」が存在することを望む一人でもある。なぜなら、「保守」政党だけが政権を担当し続けると、残念ながら腐敗も生じるからである。 かつて岸元総理は次のように語ったことがある。「長く政権の座にあるために、自民党は、政治的に改革を要することをやりえない。一度は野に下ることが、政党の浄化のうえから必要だと思います。自民党が改めなければならないところが改革できない、これが今日、私として残念でならない」(『権力の中枢が語る自民党三十年』) 確かに、自民党だけが政権を担い続けることには問題がある。だが、現在の民進党に政権を任せるのは危険以外の何物でもない。 現在、民進党に求められているのは、「保守」を詐称することではない。リアリズムを内に含むリベラリズムを構築し、自民党に代わりうる政党へと変化することだ。残念ながら、現在の民進党と比較すれば、どれほど腐敗しようと自民党の方がマシだと思わざるを得ない。民進党、奮起せよ!

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    「二重国籍者」が首相になってもいいのか? 蓮舫氏圧勝が意味するもの

    そうだ」などというようなセンチメントな思想が、もし民進党の国会議員の脳裏にあったとすれば、逆に今後の政治判断の大きな過ちにつながる可能性が高い。民進党の「変わらぬ体質」民進党の「変わらぬ体質」 だが、それ以上に今回改めて浮き彫りになったのが、民進党の「変わらぬ体質」である。 民進党に対しては、これまで党内外から「他人や他党は攻撃するが、自らは反省しない」「私事ばかり重視し、公人としてのコンプライアンスやガバナンスの問題は重要視されない」などという批判が浴びせられた。 実は、国民を代表する国会議員として重要な「国家統治権」、つまり「国家ガバナンス」の問題は既に2009年以降の民主党政権時代から、多くの党所属国会議員の間で「我が党にはガバナンス(国家統治)意識が必要だ」などと議論されていた経緯がある。民進党の代表に決まり、一礼する蓮舫氏=9月15日、東京都港区(福島範和撮影) しかし今回、大問題となった蓮舫氏の「二重国籍問題」への対応を見ても、民進党議員が「国家の統治権」に対する正常な判断を下したとは、到底思えない。残念ながら「国家の利益よりも私事の利益を大事にする」といわれる党の体質は、変わっていないと指摘せざるを得ないだろう。 さらに今回の蓮舫氏の「二重国籍問題」は、振り返ってみれば、日本の「戦後レジーム」の枠組みを表す象徴的な問題であり、民進党は「日本の戦後体制というシステムを一切変えない」と宣言したようなものである。 戦後日本国内では、本来は憲法にも違反し、国籍法でも違法であるはずの二重国籍を持ちながら、日本に住む人の被選挙権が、事実上認められてきたーという非合理的かつ不可解な状態が今回明らかになった。これは、実は戦後占領下の日本政府が、GHQ(連合国軍総司令部)の指示通りに行われた公職選挙法によって決められていたという経緯がある。 だからこそ、「二重国籍者」であったはずの蓮舫氏のように、国会議員になれるだけでなく、民主党政権下では閣僚にも就任し、今後は自衛隊の指揮権を持つ総理大臣にまでなれるチャンスを手にできるのである。むろん、他の先進国ではあり得ないような歪(いびつ)なシステムだが、日本の占領下では「日本の弱体化」させておくことを目的としたGHQの指示という「レジーム」がこれまで残り続けてきた。そのために、今でも日本国内の「二重国籍者」は、なろうと思えば総理大臣にまでなれてしまうという問題が、今後も続いていくことを意味するのだ。実際にアメリカなど先進国では、核ミサイルのスイッチを持つ大統領には「二重国籍者」を絶対に就任させない。  今回の民進党代表選を見て、私は蓮舫氏が「圧勝」した結果に対して、心底残念に思っている。それは、これまで彼ら自身が真剣に日本の国益を守るための「国家統治権」を考えてこなかったという経緯を反省していないからだけではない。民進党は結局、戦後日本国憲法を含めた日本にとっての「不条理」や「不合理」を強いられきたさまざまな戦後問題を「このまま何もしないで解決しない」と言っているように見て取れるからでもある。

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    蓮舫氏の二重国籍は「過失」ではなく「故意」か?

    たテクニックで、道義的・良識的には許容しがたい二重国籍状態で日本の国会議員を演じ続けているとすれば、政治家という職業すら、彼女のブランディングツールでしかないのではないか、と思えてしまう。 もちろん、現段階では、二重国籍であることに目先の利益はない。それでも、長い目で見れば、様々な利用方法の可能性が広がるのが二重国籍の魅力だ。台湾国籍であれば、保持していても差し迫ったマイナス要素はない。 二重国籍という事実が「過失」ではなく「故意」だとすれば、不適切といった批判では収まらない、もっとシビアな問題だ。「不備でした。ゴメンなさい」と「意図的に二重国籍でした。バレました?」では同じ二重国籍でも、意味合いも印象も大きく異なる。むしろ、「国会議員にもかかわらず手続き不備」という点に批判が向くことは、蓮舫氏にとっては、ダメージを最小限に抑える落とし所でさえある。 有権者は、日本人・村田蓮舫に一票を投じたのであり、台湾人・謝蓮舫に投じたわけではないはずだ。民主党政権時代、日本の国際競争力や安心安全をバサバサと切り捨てる「事業仕分け」をした当事者が外国籍保有者だった・・・という事実を考えると、不可抗力に起因する法の盲点とはいえ、やはり恐ろしい。 日本国籍者の外国籍放棄は、現行法では「努力義務」に過ぎないため、公職選挙法による罰則規定や当選無効などはない。しかし、事態の重大さを考えれば、15日投開票の民進党代表選の延期もさることながら、国会議員を辞職し、改めて一人の日本人として立候補し、国民の信を問うべきではないのか。関連記事『<インターネット>の次に来るもの』が予測するAIの広がり建物の下はすべて空洞>移転どころではない豊洲新市場予算制度を無視した暴挙>舛添前知事「のり弁報告書」がすごい 自ら「炎上」へと突き進む?舛添都知事の「理論的な釈明」<熊本地震で民進党ツイッターが炎上>「中傷ツイートは職員の責任」理論は炎上が加速するだけ

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    舛添氏と蓮舫氏が抱えた問題の「共通点」

    国際機構・理事長) わずか数ヶ月前、舛添前都知事は海外出張でのファーストクラス利用、高級ホテル滞在や政治資金の私的流用などで猛烈な批判を浴び、一気に退陣に追い込まれた。あれだけ毎日、舛添問題がメディアを賑わしたのに今ではあっという間に「昔の話」になった。今は蓮舫氏の二重国籍問題がメディアを賑わしている。 舛添氏と蓮舫氏は何が問題だったのだろうか。どちらのケースも政治家の地位を利用した収賄や利権の問題などとも異なる。舛添氏が海外出張にファーストクラスを使ったからといって、1晩20万円のホテルに泊まったからといって、法律違反をしているわけではない。他にもファーストクラスを利用してきた自治体首長もいる。政治資金の私的流用などもかなり「セコイ」額の話だ。決定的な問題とはいえるようなものではない。このレベルなら国会議員も地方議員も厳しく調べれば相当にでてくるはずだ。 蓮舫氏の場合も、意図的に二重国籍をしていたわけではないし、二重国籍であったかどうかもまだよくわからない状態だ。仮にそうであったとしても、日本にはたくさんの二重国籍のままの人がいるわけで、罰則はない。つまりここまで大議論になるほどの「不正」があったわけではない。日本国籍がないのであれば大問題だが、それはしっかりしているので、本来なら大騒ぎになるような問題ではなかった。記者の質問を受ける舛添要一都知事=6月10日、東京都新宿区 舛添氏が犯した過ちは、初動対応の悪さだ。海外出張費があまりに高額であることをしてされた時、ファーストクラスを使い、高級ホテルに滞在することは、世界の東京都のトップリーダーとして当然だ、と居直ってしまった。全く問題ありません、と言い切り、それで幕切れにしようとしたことが反発を呼んでしまった。多くの人にとってファーストクラスを使うことはまずない。ビジネスクラスだって高嶺の花という人が圧倒的に多いなかで、自分はトップだから当然だ、と言うものだから、都民の怒りに火がついた。東京都の予算は足らないから様々な事業予算が削減されている中で、これだけ贅沢な海外出張の現実を見せつけられたら都知事としての資格を疑われるようになった。そこで、迅速にこれまでの海外出張のあり方を見直す方針を明確にしていたら、おそらくその後の追求もなかっただろう。政治資金の私的流用についても、美術館訪問は東京オリンピックのためとか、絵画収集は国際交流のためとか理由づけて、「問題なし」としようとしたので問題がさらに拡大していった。知事を退職するような問題ではなかったのが、そういう問題に発展してしまったのだ。 蓮舫氏の問題も初動対応に問題があった。二重国籍が解消されているかどうかの確認は容易ではない。二重国籍が問題視された時にすぐに、二重国籍の解消の確認とそれが行われていなかったときに備えて解消手続きをしておけばよかっただけだ。産経新聞のインタビューで、二重国籍について聞かれたとき「質問の意味が分からないけど、私は日本人です」と的はずれな答えをしている。「私は生まれた時から日本人です」という発言もこの疑惑の時には逆に問題発言になる。「自分は日本で生まれ、法律が整っていたら生まれた時から日本人のはずだった」という思いが強く、こうした発言になったのだろうが、それはわかったこと。現在、二重国籍かどうかということと、自分のアイデンティティをどのように思っているかを聞きたいのだ。後者は直ぐに問題なるものではないが、首相になろうという人のアイデンティティが日本人ではなく、台湾人です、ということではやはり有権者は問題にするだろう。そうではないと明確に言えばいいだけの話だった。それが弁明めいてくるので、マスコミは「蓮舫氏の発言が二転三転」と変化したことを批判することになった。  民進党代表選では地方票は12日必着の郵送となっているから、ほとんどの人はすでに投票をすませたことになっている。各調査が示しているように蓮舫氏の圧勝であろうが、これがもう1週間ほど時間があったらどうなったかわからない。蓮舫氏の勢い、発信力に民進党の復活をかけたいと思う人は少なくない。しかし二重国籍問題での対応などから不安視する人も出てくるだろう。代表に就任しても自民党は攻勢をかけてくるだろう。初動対応のまずさが民進党再生の勢いも削いでしまうかもしれない。 舛添氏も蓮舫氏もそれほど大きな問題にならないだろうと想定して、軽い対応をしてしまった。舛添氏も蓮舫氏もテレビにもよく出演してきた政治家だ。それだけに大きくならないはずの問題が初動対応の間違いから深刻な問題に発展してしまったといえる。蓮舫氏にはこういうテーマに世間の関心が向くのではなく、民進党の今後の方向について明確に打ち出し、議論して欲しかった。肝心なこのテーマにはほとんど関心が集まっていない。(Yahoo!個人 2016年9月10日分を転載 )

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    二重国籍の禁止規定がどれだけ「ガラパゴスルール」か考えてみる

     もちろんその事実を確認していなかったということが議員としてどうなのかという議論はあるかもしれない。政治家としての甘さがあったと問われれば、実際のところそうかも知れない。しかし法的に問題がないものであるかぎり、それはあくまでも選挙を通じて有権者が投票行動で判断すべきことであって、それをクリアするならばとやかく言われる筋合いではなくなるものだろう。【※注/2016年9月16日の毎日新聞紙上に、「法務省民事1課への取材に基づき、日本は台湾を国として承認していないため、台湾籍の人には中国の法律が適用されると報じてきましたが、誤りでした。」との記事 http://mainichi.jp/articles/20160916/ddm/005/010/049000c が出た。これをもって、やはり法的に問題があるという論調が現在出回っているが、この記事については解説が必要だ。なぜかというと、ようするに、この答えは、質問に対して答えていないお役人らしい韜晦の回答であるからだ。 どういうことかというと、質問者は台湾か中国かという質問なのに、いやそうでなく、日本だという答えなわけで、これは端的に言えば質問に答えていない。相手がどんな国籍だろうと、日本の法務省は日本の国籍法をもとに事務取扱をしているのは、答えるまでもない。ようするに質問に答えず、その手前の話を言っているわけである。 どうしてこんなグレー・・・というか質問者をいわばバカにしたような答えを法務省がしているのかについては、もちろん質問者が無知なのを逆手にとって、「そもそも論」でやり返しているという側面もあるのだが、この法務省の態度についてはわからないでもない。こちら、後ほどまとめて拙ブログにて書かせていただきますので、そちらご参照ください】二重国籍に対する各国の国籍法 さて、この単に国籍選択届出書を出せば、国籍の選択義務を果たすというのは、かなり甘いのではないかという意見の方もいましょう。ところが、こればかりか、法務省はこれまで長きに渡って二重国籍状態を解消するというようなことを今までやってこなかったわけです。この理由について以下まとめます。 人間は国家に紐づいているもので、そのために無国籍になったり多重国籍になってはいけないという考え方が決定的になったのは戦前の国際連盟(国際連合ではありません)の時代の話です。1930年に 「国籍法の抵触に関連するある種の問題に関する条約」という条約があって、ここには無国籍と二重国籍を人類が消滅させる義務があるとうたっています。いわゆる「国籍唯一の原則」です。 この「国籍唯一の原則」を日本政府はひたすら守り続けているわけです。(ちなみに同条約は採択された時点では日本は署名はするものの批准はしていないという話もあるわけですが・・・) ところが、戦後になり植民地が次々と解放されたばかりか、国際社会のグローバル化が進み、この「国籍唯一の原則」は時代にそぐわなくなりました。参議院の特別調査室が2009年に出した報告書には次のようにあります。国際間の人の移動の増加は、我が国においても例外ではない。毎年、多くの外国人が来日しており、また、米国等の生地主義を採用する国において勤務する日本人も多数存在し、それに伴い、重国籍者の数は、年々増加する傾向にある。このような状況は、我が国の国籍法が採用している国籍唯一の原則が十分には機能しなくなってきていることを意味し、国籍立法の理念と現実との間のかい離が大きくなっていると言えるのではないか → 重国籍と国籍唯一の原則 この国籍の理念と現実のかい離については、すでに世界中で対応しているというのが現状です。 以下、重国籍に対しての各国の国籍法の対応状況を一覧で。 アメリカをはじめ、欧州その他で、主に東アジアの一部の国を除いて、これだけ二重国籍が認められているのである。 一見してわかるのは、90年代から急速に各国で重国籍に対する保護や容認が進んでいることと、アジアでは整備が遅れていたものの、2000年代から遅ればせながら部分的に容認が進みだしたこと。そして、その中で、共産主義国の中国と、いまだ開発独裁が続き言論の自由も制限されている人権後進国のシンガポールと並んで日本に×が並ぶというわけです。法務省は事実上、重国籍を容認している さて、現実とのかい離と先のレポートで書かれているのは、このような他国とのすり合わせの話である。いくら日本が重国籍を認めないとしても、日本人がすでに「国籍唯一の原則」を放棄しはじめている他国に出て婚姻したり子供が生まれれば、そのまま二重国籍が次々とできてしまうということからです。 そのため、日本政府も他国の潮流に真っ向から反して重国籍状態の人を是正するわけにもいかなくなり、事実上の放任状態というのが実際のところなわけです。 呂比須例えば、ブラジルという国は重国籍を認めるどころか、国籍離脱が事実上できなくなっています。そのため、日本に帰化したブラジル人は自動的に二重国籍となります。法務省は当然これを承知しているわけですが、それが理由で帰化を拒んでいるということは全くありません。 例えば、97年のフランスワールドカップ予選で、絶体絶命になった日本代表を救ったのは、そのような理由で二重国籍になった呂比須選手でした。母親が死んだのにそれでも代表にその後も帯同していたというエピソードを思いだします。そうして、ラモスも闘莉王も三都主もみんなそう。サッカー日本代表は二重国籍の選手とともにあったといっても過言ではないでしょう。 いや、スポーツと政治の話を同列に語られてもなあ・・・という人もいるかも知れません。今回は蓮舫議員が党代表として日本国のトップを狙う立場としてどうなのかという話をしているということですね。なるほど一理あります。 しかし海外では重国籍の政治家も特に珍しくありません。 第一にあげられるのは元ペルー大統領のフジモリ氏ですね。大統領になり、日本との二重国籍が明らかになったあとも、日本政府が国籍離脱を勧奨したという話は聞いたことはありません。そればかりか、フジモリ氏が汚職がバレて日本に亡命したときは、二重国籍であることで日本人であるとして、ペルー政府からの引き渡し要求を拒否したりしてます。さらには、当時の国民新党(後に自民党に合流)から国政選挙に立候補までしています。ただし、このことはペルーから批判されましたが、日本では特に大きな批判は巻き起こりませんでした。まあ泡沫に近い扱いだったということもあるのでしょうが。 このフジモリ氏の流れを見ていると、とても日本の法務省が本気で「国籍唯一の原則」を死守しようとしているようには思えませんね(笑) これはもう事実上容認ということです。 他には、アーノルド・シュワルツェネッガーや共和党の大統領候補だったテッド・クルーズが重国籍だったことが知られていますが、たぶん他にも多数いるでしょう。ちなみに、テッド・クルーズはドナルド・トランプの二重国籍の人間は大統領にはなれないとの批判に対して「両親のどちらかが米国籍であれば生まれた子供はどこで生まれようとも米国籍を得られるというのが米法曹界の従来からの憲法解釈だ」との「正論」でやり返したということです。ただし、このへんはさすがにアメリカでも議論はあったようです。政治家の国籍が議論になるのをやむを得ない。だからこそ… グローバルな人の移動は世界的な潮流であるし、それにあわせて国籍概念も変わるべきだという意見もあれば、確かに国益というのものを考えて、重国籍が政治家としてふさわしいのか否かという議論もありえるのでないかというのが自分の意見です。もちろん個人的には後者の意見には自分はあまり説得力を感じないわけですが、まあ議論としてあるのは致し方ない。 そういう意味で、仮にそれが因縁に近いものであっても、テッド・クルーズがドナルド・トランプのような排外主義者に揚げ足取りされているところから考えても、蓮舫議員はあらかじめ、せめて理論武装ぐらいはしておくのが良かったのではないかと考えます。このへん、甘かったと言われればそうでしょう。ただ、自分は民主党の前代表の岡田氏の次のようなコメントに未来を見ます。「多様な価値観はわが党にとって非常に重要なキーワードだ。お父さんが台湾出身で、女性であることは多様性の象徴であり、民進党代表としてふさわしい」時事「蓮舫氏は多様性の象徴=岡田氏・民進代表選」 民進党がたぶん二大政党として生き残るには、このような世界基準の正論を前面に押し立てるしかないような気がします。 さて、昨日には卓球の福原愛さんが、台湾の卓球選手と結婚したというニュースが飛び込んできました。もし、この二人に子供が出来たなら、もちろん子供自身が国籍選択することになる22歳までは事実上の二重国籍となります。そして、その後に、台湾をとるか日本をとるかということになるでしょう。しかし、この日本と台湾(そして中国すら)をつなぐカップルならば、二重国籍というのが一番ふさわしいことなのではないかと思えてならないです。そういう時代になってきたのです。 そうした時代の移り変わりに思いをはせるにつけ、先に見た通り、ガラパゴス化した日本の二重国籍を制限するルールといい、今回の議論にはレイシズムにまで触れてしまったとしか思えないものが散見されることといい、なんともはやな思いを抱くともに、そんな時代を変えていくためにも、蓮舫議員には今後も大いに活躍してもらいたいと思わざるをえないわけです。(清義明のブログ 2016年9月9日分を転載)

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    蓮舫氏「男なら泣くな」は、本音ならばセクハラ、演出だとすれば稚拙である

    、蓮舫議員も上記の知見は当然お持ちかと思われる(さすがに、全くセクハラであるという自覚がなかったら、政治家以前の大問題だ)。従って、今回の発言はある種の「演出」、という可能性もあるだろう。 あくまでその仮説が正しければの話だが、「後輩男性をも毅然とした姿勢で叱責できる強い女性」という印象を与えたい、というとっさの判断だったのではないか。しかしながら、それはあまりに稚拙な演出と言わざるを得ない。上司が見ている前で、アピールのためにとここぞとばかり後輩を叱責する先輩社員のようなもので、将来首相になりうる立場にはふさわしくない立ち居振る舞いと言わざるを得ないだろう。 例えば「(常に冷静沈着さが求められる)国会議員なら泣くな」ならば、一定の理解は得られたかもしれない。「男は涙を見せぬもの」というステレオタイプに基づいた見解を示すことは、一部の人にウケたとしても、政治家の資質としては望ましいものとは言えないだろう。発言のセンスの問題でもある。寄り添う姿勢はリーダーの資質である 諸々の問題に便乗して一議員を叩くな、というご批判もあるだろう。しかし、国会議員はリーダーであり、我々国民の代表だ。さらに、野党第一党の代表ともなれば、首相の座にも座り得る立場の人間だ。相応の地位がある立場ゆえに、その言動が与える影響を侮ってはならない。 「国会議員が公の場でいうのだから」と、経営者や子供たちが同じような言動を繰り返す可能性もあるだろう。負の波及効果は侮れないのである。発言の真意はご本人しか知り得ないが、物おじしない発言が売りだっただけに、大変残念な気持ちである。 民間企業の社長候補者が、公の場でセクハラ発言をしたとすれば、おとがめ無しで社長とするだろうか。それは組織のコンプライアンスの問題であり、正常な組織であれば自浄作用が働くはずだ。仮にも労働者の政党を自称するならば、職場で問題視され続けているセクハラについて決してうやむやにしてほしくないし、軽視すべきではないだろう。 世の中にはセクハラ被害者は非常に多く、皆心に傷を負っている。そうした方々の心情に思いをはせることができるかも、リーダーの資質の一つと考えるが、いかがだろうか。(シェアーズカフェ・オンライン 2016年9月13日分を転載)【参考記事】■「モーレツ社員」は否定されるべきか。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント http://sharescafe.net/49485721-20160907.html■公務員の給与引き上げは正しい。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/49293753-20160812.html■男性の育休取得率、過去最高なのにたったの2.65%なのは何故? (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/49241912-20160805.html■トヨタ自動車のリコール問題について、休日返上でディーラーに行ったら死ぬほどガッカリした件。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/49117651-20160719.html■サザエさんの視聴率が急降下した本当の理由とは。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)http://sharescafe.net/49055679-20160711.html

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    民進党関係者「小池都知事と蓮舫とでは覚悟と器が違う」

    員協会の会見で約20分間の英語スピーチをして話題になったので、自分も特派員協会の会見を開きました」(政治ジャーナリスト) 小池氏の成功に続けといわんばかりの蓮舫氏。もし党首になり政権交代を実現させれば総理の椅子が目の前に──。リオパラリンピックの閉会式へ出席するため羽田空港を出発する、小池百合子東京都知事(中央)=9月15日午前、東京都大田区(寺河内美奈撮影)「蓮舫さんがそれだけの器かどうかが問題。小池さんは来年で議員25周年表彰だったのに、議席も捨てて、まさに“捨て身”で都知事に挑戦した。一方、蓮舫さんにも都知事選出馬の要請があったが、結局は決断できなかった。党首選で負けても議員バッジは外さなくてもいいですからね。パフォーマンスは秀でていますが覚悟と器が違う。だからこそライバルとして名乗りをあげようと勝負に出たのでは」(民進党関係者) 東京五輪担当相に抜擢された丸川珠代氏(45才)も、小池氏に右往左往。2人は同じキャスター出身ということもあり、お互いに応援演説したり、丸川氏の結婚披露宴に小池氏が出席するなど親しい関係だった。しかし、小池氏が都知事に立候補すると、丸川氏は小池氏が負けると踏んだのか、「チームプレーができない人はいらない」「都議連とけんかする人を都知事にしたら時間も税金も無駄になる」と痛烈に批判。「それで小池さんが当選したものだから丸川さんは顔面蒼白。小池さんは初登庁時に白いスーツに鮮やかなブルーのシャツを着ましたが、丸川さんも大臣就任日にまったく同じカラーの服を着ました。それは丸川さんから小池さんへの恭順の意を示すメッセージ。小池さんは“それぞれのお立場もあるでしょうから”とその後大人な対応をして事なきを得て、東京五輪に向けて協力できることになりました」(前出・政治ジャーナリスト) 打算と嫉妬と駆け引きの女のバトル──無節操でいられるからこそ、政治の世界で生きられるのか。かくも女はたくましい。関連記事■ 号泣お天気お姉さん 「涙のち晴れ」の大胆グラビア初挑戦■ 野沢直子、浜田雅功に紹介した女性が原因で小川菜摘と絶縁?■ 堀江貴文氏 「元カノの急死」で心境語る■ 鳩山太郎氏「何を隠そう、私はフリーメイソンです」■ 小池百合子と野田聖子 ライバルだった2人が接近した思惑

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    最も「大衆」に近い政治家、小泉進次郎が自民党批判を繰り返す理由

    鈴木哲夫(政治ジャーナリスト) 小泉進次郎衆議院議員と田中角栄元首相。二人の名前からすぐにイメージする言葉は「大衆」である。「大衆」とは社会で大部分を占める勤労者など一般の人たち、政治学の分野では指導層に対する一般の人々とされる。 “角栄”と言えば、庶民宰相として、その生い立ちから、風貌、演説、地方に分け入った政策まであらゆる要素が「大衆」にマッチし、「大衆」の中で大きな支持を得た政治家である。18歳、19歳の新有権者に取り囲まれながら支持を訴える小泉進次郎氏=6月26日、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口 それに対して進次郎氏は、一見まったくイマ風の青年、世襲議員でもあり自民党のスターだ。いかにも「大衆」とはかけ離れた政治のエリート舞台にいそうな雰囲気だが内実はまったく違うと私は思うのだ。むしろ、いまの自民党の中でも、「大衆」を知り尽くした数少ない政治家ではないか。 実は、進次郎氏は自民党の中でも選挙応援要請がトップクラスだ。全国を飛び回り、街宣車をあっという間に1000人規模の聴衆が囲み、黄色い声援も飛ぶ。人だかりに入ると握手攻め。 一見、その姿は華やかで凱旋の光景だが大事な視点を見落としている。それは、彼が応援に呼ばれる選挙というのは、実は逆にどれも自民党候補が厳しい選挙なのである。「負けているから彼が呼ばれる」(自民党選対幹部)のだ。言い換えれば、進次郎氏は応援に入る選挙区で、自民党の誰よりも「自民党への批判やいまの逆風」と「大衆の声」を実感するのである。 かつて、一時代、同じように自民党の選挙応援弁士として引っ張りだこだった故橋本龍太郎氏。番記者をしていた私にこんなことを言った。「全国から呼ばれて人気者でいいですねとか思ってるんだろうけど実は違うんだよ。俺が呼ばれるのは厳しい選挙ばかり。応援に行くと、いま自民党のどこが悪いか批判の風が読める。街宣車の前の方は動員の人たちだから声援もある。でも俺は、演説しながらずーっと遠くを歩いている人が足を止めるのかを注意深く見るんだ。メシを食いにお店に入ったら店員さんを捕まえて自民党はどうかとか聞く。そして、東京に戻ったら『これはやっちゃいけない、こうしたほうがいい』と幹事長や総理に必ず報告するんだ」 最近では全国から応援要請が来る石破茂前地方創生相なども進次郎氏と同じだろう。なるほど、「大衆」のいまの声を誰よりも全国を行脚し肌で感じているから、進次郎氏も石破氏も、よく永田町では自民党執行部批判などを口にする。「いま解散すべきじゃない」「自民党は感じ悪い」等々。これらは何も目立ちたいからと非主流派を装っているわけではないのだ。誰よりも「大衆」に近いからこそ口をついて出る批判なのだ。「困っている人を助ける、それが政治なんです」 また、政治家・進次郎氏を作り上げているものに、2011年の東日本大震災の強烈で貴重な経験がある。進次郎氏は直後にひとりで、自分でかき集めた灯油を積んだ車で被災地に入ったのだった。そこで直面した惨状と被災者は進次郎氏の政治家としての信念になった。 「復興は自分のライフワーク。政治っていうのは簡単なことなんです。困っている人を助ける。それが政治なんですね」有権者と笑顔で握手を交わす小泉進次郎氏=6月29日、福島県本宮市 進次郎氏が筆者に語った言葉だ。たった一人で被災地の崩壊した事務所の片づけを手伝いながら話を聞き失業手当問題改善に先鞭をつけたり、党青年局長としても被災地に通い詰め、内閣改造では安倍首相の要請を断ってでも復興政務官を希望してその任に就いてやってきた。永田町では、東日本大震災を口にする議員も少なくなった。そんな中で進次郎氏は、被災地の一人ひとりの元に通い続け「大衆」に分け入った。 実はここにも、“角栄”との共通点を見る。 選挙区を細かく回れ、そしてひとりひとりと握手しろ―。選挙の神様でもあった“角栄”は口を酸っぱくして若手議員らに言ったという。これを聞いた議員たちは「何十か所回った」「何百人と握手した」と数字を自慢した。 だが、この言葉は、単に選挙に勝つための手段ではなく、“角栄”は民主主義の原点を教えようとしたのである。この真理を、進次郎氏は被災地から自分の力で学びとったのだ。震災発生から1年ほど経って進次郎氏は私にこう言った。 「被災地に何度も足を運んでやってきました。そして、ひとりひとりと握手して、手を握って、ひとりひとりと話をしてきた。そういうことをどんどんやってきたんですが、みんな違うんですよ。ひとりひとり、言いたいことも、望んでいることも。全部くくって解決できない。でも、ひとつひとつを解決して行かなければならないのが政治なんです」 そして、もはや被災地の活動は、自分の選挙区での政治姿勢そのものを変えたとまで言い切った。 「たとえば自分の選挙区で小さなお祭りや集会、餅つきとかね、あるでしょ。もちろんそういうところに足繁く通って…。でもね、どこか選挙のためという気持ちがあったんでしょうね。でも被災地に通って変わった。ただ単に票集めのために回っているんじゃなくて、ひとりひとりの声を聞くために回るんだと。政治家がひとりひとりと話して握手するというのは、政治の原点なんですよ。そしてそれを実現する。それが政治家なんですね。震災以来、自分の選挙区でも被災地と同じように、ひとりひとりのところを回って話をするようになりました。被災地が教えてくれたことは、私にとって、ものすごく大きいんです」 進次郎氏の「2021年決起説」がいま永田町で囁かれている。 この年は東京五輪が終わった翌年だが、進次郎氏自身「五輪後に日本は人口減や景気後退で大変なことになる。甘くない。自分たちの世代の出番」と話しており、仲間とともに政権構想も練っているとされる。突発的な政変がなければ2021年は自民党総裁選の年。決起とは、そこで旗を掲げて名乗り出ることを意味する。 一方で、進次郎氏は必ずしも自民党にこだわらないかもしれないという見方もある。 「進次郎氏は、そもそも今の成長戦略は少子高齢化やなどを考えればそれに合っていないと思っているし、本音は脱原発。自民党とは方向感が違う。党を飛び出してでも『この指とまれ』で新しい政治勢力を作る可能性はある」(自民党若手議員) かつての“角栄”と同じ首相という頂上に、自民党からのぼり詰めるのか、それとも他の道をのぼっていくのか―。ただ、いずれにしても、常に「大衆」を足元に意識しながらの道に間違いはないだろう。

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    田中角栄どころの逸材じゃない! 有為の人、小泉進次郎はここが凄い

    屋山太郎(政治評論家) 「小泉進次郎氏は平成の角栄になれるか」  このテーマに、一言で答えれば「優になれる」といっていいだろう。総理になったあと田中角栄氏は超インフレで土木事業をストップされたあと、全く無為の人だった。彼の頭には思想がなかった。自らの国家像を抱いていないことは明らかだった。その無思想がロッキード資金程度で打ちのめされた原因だろう。生き伸びるために「自民党周辺居住者」として140人の派閥を作った。角栄氏が内心、失敗したと思ったら、もっと潔い辞め方ができたに違いない。政治の場をもっと汚さずに旅立ったはずだが、角栄氏は道路や鉄道だけを残した、ただの土建屋として終わった。  私は、角栄氏が幹事長、首相の役にある時、毎日接触し、声をかけて貰ったが、とても偉い人とは思えなかった。 これに比べて進次郎氏の政治手腕は角栄の上をいくと思う。ただどのような政治思想をもっているかが、まだ不明なので「人間として角栄氏の上」と評価を下すのは尚早だと思う。水田を視察した小泉進次郎氏=6月29日、福島県天栄村 小泉進次郎氏はまだ当選3回。昨年10月から要職の自民党農林部会長に坐っている。進次郎氏は人気抜群なのに出しゃばらない。こと更、目立つようなことはしないという生き方は立派なものだ。こういう生き方をしているからこそ、発言した時に特に注目を集める。 私などは紙面やテレビに映る“発言”を拾って判断するのだが、進次郎氏は口を開く時は問題の本質をえぐる発言をする。その的確さと鋭さは問題を知る者にとってはギョッとするほどのものである。「もっといいたいのだろうな」と思うのだが、その部分は腹の中に飲み込んで、相手の立つ瀬を残す。 進次郎氏がいま取り組んでいる対象は全国農業協同組合連合会(JA全農)で、この上にJA全中という巨大権力をもった組織が、去年までは存在した。その全中はすでに半分解体されて実力を失くした。次にJA全農に手をかけているわけだが、巨大組織を潰す時、「改善」と称して手をかけ、実は相手がいうことをきかなければ潰す――というのが進次郎式といっていいだろう。反発は出るのだが、進次郎氏の戦略の正しさが、いつも勝ちを呼び込む。 農業は戦後、ずっと農協組織に抱えられ、農協の利益とともに生きてきた。農協も儲かる。農民も儲かる二人三脚でやってきた。 第1次安倍内閣で安倍首相は「減反廃止」を宣言した。減反というのは生産制限をして食用のコメの価格を高値に据え置く政策である。制限をされた農家はコメを作るより損をする立場におかれる。損をしない作物を選べといわれても、現実には麦を作っても豆を作ってもコメ作りよりは損をする。本尊を切って捨てた進次郎 そこでどういうことが行われたか。農水官僚と農協、農水族の三者が談合して「全員コメを作ってよし」としたのである。エサ用でも主食用でも同じ値段で買うというのだ。10アール当たり10.5万円ということになっているが、主食用に買う場合は10.5万円。エサ用も同じだが、エサの場合は畜産農家が1~2万円で買う。するとエサ用に売った農家は10.5万円プラスして1~2万円の収入がある。誰でもエサ用に売る方を選ぶに決まっているのだが、こうなると主食用分が少なくなって主食米が減る。これを「減反」と呼ぶのは詐欺そのものだろう。主食以上に高いエサを牛豚に食わせているのだ。 進次郎氏は三者談合の一角に自分が座り、官僚のトップに改革派の次官を据えた。こうなると三者談合は成り立たない。自民党の小泉進次郎農林部会長(左)と全国農業協同組合中央会の奥野長衛会長=9月5日、東京都千代田区 今年3月30日、自民党本部で農林族の幹部だけで非公開のインナーが開かれた。この場で進次郎氏が「農薬の農協別の価格を公表したい」と述べた時にはその場が凍りついたという。農水族が「発表はやめた方がいい」と押えにかかった。進次郎氏が委細かまわず発表した数字は同じ薬品が青森では1621円。山形では860円。また同じ殺虫剤でも農協別の価格差は最大2倍。農業機械に至ってはエアコンやステレオのついた「レクサス農機」と呼ばれるものがある。補助金がつくから高いものが売れるという。 農産物、肥料などの価格を監査するのがJA全中の役割だったが、全中は「外部から買うな」という監督をしていたとも指摘されていた。このため監査する機能に民間監査法人も参加させることで骨抜きにした。 監査に民間人を加える。農薬などの価格差を発表するなどは当然のように思えるが、その当然のことが行われなかったのが農業界だ。「農協に手を出すな」という雰囲気の中、進次郎氏は「農林中金の融資で、農業関係が数%しかないというのなら農業金融はいらないのではないか」とご本尊を切って捨てる構えをみせた。 高知県安芸市で農家が作ったナスを出荷しようとしたところ、農協が「他の業者に売った場合は農協の選果場などを使わせない」と妨害した。こういうケースはあらゆる品目で自在に行われていたが、公取委は高知のナスのケースについて「圧力排除命令」を出した。“進次郎改革”がすでに効き始めたのではないか。私は25年ほど前に「農業革命」という本を書いたことがあるが、進次郎氏は攻め方の順番を踏んで、はずすことがない。勇気がある。難解と目された農政改革は解決の方向に向かって歩み出している。 角栄氏にはこういう“大戦略”を感ずることがなかった。所詮、人を金で動かしていただけだったのではないか。

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    小泉進次郎と田中角栄、出自は違えどあまりに似通った「因縁」の2人

    務官=2015年10月30日、東京・平河町のホテルルポール麹町(酒巻俊介撮影) 裸一貫の叩き上げと、政治家一家のサラブレッド育ちと、出自はまるっきり異なるが、二人は驚くほどよく似かよっている。育った家庭環境において〝不幸〟を背負っていること、そして演説の手法、さらに「信念」や「国民目線」といった政治観まで、そっくりである。進次郎が角栄を手本にしたのか、結果としてそうなったのか、あるいはその両方かはともかく、昭和と平成とを問わず、閉塞感の漂う時代に待望される政治家像は同じということだ。戦争を持ち出すまでもなく、「歴史は変わらない」という認識に立つなら、時代という背景が変わるだけであって、待望される政治家像もまた、本質は変わらないということになる。 では、進次郎は「平成の角栄」になれるのか。二人の共通点について、メディアでの発言とエピソードから、いくつか例をあげてみよう。 まず、家庭環境の〝不幸〟。角栄は新潟の貧農に生まれ、経済的事情から中学進学を断念して十五歳で上京。住み込みで働き始める。一方の進次郎は、一歳のときに両親が離婚して、父・純一郎側に引き取られる。母の面影を探してか、夕方になるとハンカチをくわえて離さない子供だったともいわれる。アットホームな環境でなかったということにおいて、両者は共通する。 初出馬で辛酸を舐めるのも同じだ。進次郎が父・純一郎の引退を受けて初出馬した二〇〇九年は、民主党に強烈な追い風が吹いていた。しかも、世襲批判を浴びての立候補とあって、ヤジを飛ばされ、名刺を破られ、ペットボトルまで投げつけられている。何とか当選は果たしたものの、選挙の厳しさは身にしみたことだろう。 一方の角栄も、ヤジと罵声を浴びた。演説はシロウト以下。あせり、緊張すると吃音のクセが出てくる。必死になれはなるほど、うまく言葉が出てこない。こうして角栄は落選する。 進次郎は有名候補、そして角栄は無名候補であるがゆえに逆風にさらされた。立場は対極にあっても、舐めた辛酸は同じであり、緒戦のこの体験が有権者の支持を第一とする姿勢にあらわれている。 進次郎は、時間をくっては地元をくまなくまわる。祭りに顔を出せば、取材に来たメディアそっちのけで地元の人たちに話しかけ、親しく会話する。「メディアより、私たち」――という処し方が、有権者の気持ちをくすぐる。 角栄も同じだ。目白の田中邸には、東京見物をかねて新潟の選挙区からバスを連ねてやってくるが、昼時にぶつかればみんなを座敷に呼び入れ、食事をともにする。官僚が順番待ちしていてもお構いなしで、このことが「やっぱり、おらが地元の角さん」という親近感につながっていく。進次郎が角栄を真似たのか 相手の名前を覚えるということも、二人に共通している。角栄が官僚たちのデータを頭に叩き込んでいたことはよく知られるが、進次郎も記者の名前を覚え、それを口にすることで心をつかんでいる。 このほかにも、進次郎は地方演説でその土地のお国訛りを交え、角栄は地元新潟での演説には越後訛りを入れたりするが、政治観においても二人はドンピシャリと重なる。「政治とは何か」 と問われた角栄は、「生活だ」 と即座に答え、「国民が働く場所を用意して、三度、三度のメシを食べてもらう。外国と喧嘩せず、島国で豊かに穏やかに暮らしてもらう。それが政治だよ」自民党や党の公認候補への支持を呼びかける小泉進次郎氏=2016年7月2日、茨城県常総市水海道宝町 そう語ったと、元角栄秘書の早坂茂三氏は自著『オヤジの智恵』に書いている。 一方の進次郎は、「困っている人を助けること」 という発言をしているように、二人とも「国民主体」という明確な政治信条を持っており、それにともなう実行力もある。 繰り返しておくが、進次郎が角栄を真似たのか、二人は似かよっているのか、あるいはその両方であるのかはわからないとしても、進次郎の言葉と行動力が有権者の心に響いていることは事実だ。政治観や政治手法がオリジナルであるかどうかが問題なのではなく、角栄と同じような言葉を用いる、その感性と感覚が、進次郎をして「平成の角栄」と言わしめるということなのである。 ただし、進次郎が本当に「平成の角栄」になれるかどうかは、彼にどれだけ「情」がそなわっているかにかかっていると、私は思っている。ロッキード事件で逮捕されてなお、田中派議員は角栄の元を去らなかった。打算を超えて、角栄に人間としての魅力があったからであり、これこそが政治家としての〝真の力〟ではなかったか。「政治とは生活である」とする信条の延長線上に、「メシ食ったか?」という角栄の挨拶がわりの言葉が生まれる。相手が少しでも返事をためらっていると、「メシを取ってやれ」と秘書に命じた。 これが情なのだ。「カネを渡すときは頭を下げて渡せ」と喝破した角栄の機微が、どれだけ進次郎にそなわっているか。彼の真価は、ここで問われるに違いない。

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    小泉進次郎は「平成の角栄」になれるか

    豪放磊落、人たらし、権力への執着心…。会う人すべてを魅了し、「コンピューター付きブルドーザー」の異名で知られた元首相、田中角栄。平成の今、再び角栄待望論が持ち上がるのは、閉塞した時代を憂う裏返しでもある。では若手のホープ、小泉進次郎はどうか。随所にのぞく大器の片鱗は本物の証なのか。

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    池上彰氏 安倍首相の次の次の首相は小泉進次郎と予測

    て少しずつ存在感を示していくことに専念していくと思いますよ。 では、安倍首相の次は誰なのか。番組では政治記者へのアンケート結果を紹介しました。1位になったのは岸田文雄外務大臣。その結果を本人にぶつけてみたところ、「それは私がびっくりしました」と、満面の笑みでした。ここから、まったく首相になる準備をしていないことがわかります。 4位の稲田朋美自民党政調会長も「驚きました」とこちらもにっこりしていましたから、まだまだなんだなと。ただし安倍首相の狙いは2020年まで首相を続けて、その後は稲田さんを後継指名。稲田さんはそれぐらい安倍首相の寵愛を受けています。 一方、3位の石破茂地方創生担当大臣は「総理大臣というのは、なることが目的ではないんです。なって何をやるかということなんです」と無表情のまま満点の回答をしていました。 虎視眈々と首相を狙っていることをもはや隠しません。その一方でやはり、首相になるには実力だけでなく、運も必要なことをよくご存じなのでしょう(ちなみに2位は谷垣禎一自民党幹事長)。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「どこの国の人?」■ 亀井静香氏 「今の自民党は大連立組むための能力がない」■ 進次郎vs細野で次世代対立軸示せれば旧世代安倍氏の政治終焉■ 安倍首相 公示前からの圧勝ムードに党内の反安倍勢力を恫喝■ 仙谷氏 自民党のまとめた震災対策「満面の笑み」で受け取る

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    注目すべき政治家は小泉進次郎 人気の秘訣は自民党本部に背く気概

     井上政典(歴史ナビゲーター) 自民党の東京都議連の舛添支持を受けて自民党本部もそれを尊重するというあいまいな判断を下しました。しかし、若手の注目株、小泉進次郎氏はきちっと筋を通した行動をしています。舛添を支持しないと発言し、党から注意を受けても2度目の支持しない発言しました。見ていて気持ちがいいですね。会議で司会を務める小泉進次氏=2015年10月 細川の殿さまがオリンピック辞退発言で急速にその支持を失いつつある中、マスコミはその注目を公明党の支持を取り付けた舛添氏に向けようとした矢先の行動で、時期的にもすごく的を得ていると感心しています。その理由が、舛添氏が自民党が解党危機にあった時に、国民の人気の高く注目度も高かった舛添氏が自民党の復権のために汗を掻こうともせずに、すたこらさっさと逃げ出したことを挙げています。 この当時の舛添氏の半島的な、いや反党的な行動が自民党の低落ムードに拍車をかけ、残った人たちは塗炭の苦しみを味わったのです。自民党が田母神当時航空幕僚長を「日本はいい国だ」と書いた論文が村山談話等の政府見解に反すると更迭したことにより、保守層というよりも普通の日本人の共通認識を裏切ったため、急速にその支持を失い、総選挙で大敗を喫した後のことでした。 ほんの4年ほど前のことです。その当時、自民党の金庫には莫大な借金の証書しか残っていなかったそうです。それをみた舛添氏は泥船に乗っていたら一緒に沈んでしまうとさっさと逃げ出したのです。これはあたかも次のお話を彷彿させます。 1937年12月に日本軍の南京攻略戦の際にCHINA国民党軍の司令官は日本軍を上回る兵力と日本軍よりも高性能なドイツ製の兵器を持っていたにもかかわらず、潰走を始めた国民党軍を見て、真っ先に逃げ出してしまいました。すると、30万を超える国民党軍は司令官の潰走を目の当たりにして、規律ある軍隊から、ただの武装したならず者に変身し(もともとその素養がたっぷりとあったのですが)、自国民への略奪・強姦をしはじめました。 それをいつの間にか日本軍のせいだと言い始めて、それに拍車をかけて認めたのが日本人の中にいる左巻きの連中です。その人たちが持っている共通認識は「自虐史観」です。田母神候補が昨日事務所開きの前に靖国神社に参拝されました。そこで、報道陣から「東京都知事になっても参拝されますか?」というばかげた質問が投げかけられました。靖国を参拝できない都知事なんてダメ すると田母神候補は、「もちろんです。私は靖国神社を参拝できないような都知事ではダメだ思います。」と答えました。靖国神社はご存知のように日本国の首都東京にある神社です。その東京を預かる都知事が外国に気を使って参拝もしないということはおかしいではありませんか。細川氏も舛添氏もそして宇都宮氏もぜったいに靖国神社には行きません。なぜなら彼らは自虐史観に染まっているからです。 彼らは日本がアジアで悪いことをしたと信じ込んでいるからです。もし、日本が先の戦争をしなかったら、今の世界地図はどうなっているのでしょう?国連の加盟国は今の三分の一くらいではないでしょうか?なぜなら、ほとんどの国々が欧米列強の植民地として独立できていないからです。CHINA共産党や朝鮮とは日本軍は戦っていません。CHINA共産党は国民党と和平を結ぼうとするとテロを起こし、それを妨害してきただけです。  朝鮮半島には日本から日本国民の税金を多額に投資して、すべて回収もせずにそこにおいてきました。搾取などしていません。ましてや日本を護るために亡くなった英霊を日本独自の祀ってある宗教施設に対し、外国からとやかく言われる筋合いもないし、また日本人の中からそれを否定すること自体が間違っていると思います。靖国神社で田母神候補に聞いた質問を他の候補者にも聞いてほしいですね。 それだけで明確な答えになると思います。先ほど、僭越ながら田母神候補にお電話をして、九州の支持者の声を代弁させていただきました。田母神候補から「美しい」という言葉が発せられたら私が伝えたアドバイスを聞いてくれたと思ってもいいのではないでしょうか?「永遠の0」も忙しい中、観に行ってくれていました。 田母神候補は知らない人が見たら、いかつい顔をした軍人だと思われがちですが、本当はとても素直で気さくなおじさんなのです。取り巻きの人たちが私も含めて強面が多いので、近づきにくいかもしれません。でも、田母神候補は知れば知るほど素晴らしい人間性をお持ちです。あの航空自衛隊でああいう発言を常にしながら航空幕僚長というトップに上り詰めることができたというのは、ただの人ではない強運の持ち主です。舛添氏を支持しないと明言した進次郎は立派 その秘書として傍にいるのは、先の参議院選挙で惜しくも落選しましたが、石井よしあき元空将補で、あの田母神論文事件で一番割を食った冷や飯を食わされた人です。その面倒を見ておられるのです。14日に福岡に来られた時も、スケジュールを作成する中、田母神候補から春日の自衛隊病院に行く時間を確保してくれという要望がありました。チャーターしたピンクのクラウンのタクシーで自衛隊病院に行きました。ある方のお見舞いに行かれました。更迭された後に航空幕僚長室に荷物の片づけに戻られたそうです。自宅前で取材に応じる田母神俊雄氏=2016年4月、東京都 更迭された直後です。誰も近寄ってきません。心はあってもかける言葉がなかったのか、自分の保身を考えたのかだと思います。しかしその方はその際にその片づけを手伝ってくれたそうです。しかし、その方は不幸にも後に職務中に脳梗塞をされてほぼ動けない状態で入院されているのです。前回来られた時もお見舞いに行かれましたが、今回も行かれました。ほとんど体を動かせなくなっているのですが、田母神候補が来られらたことはわかったらしく、目から一筋の涙を流されていました。 家族の方もそれに気づいてびっくりされていました。分刻みの忙しい中、せっかく福岡まで来たのだからと元部下に見せる愛情の細やかさを間近に見て、私はまたいっそう田母神候補のファンになったのです。自衛隊病院の守衛の方が田母神閣下ですかと寄ってこられたので、写真を一緒に撮りましょうかというと、ぜひ撮りたい、でもいいのでしょうかと言われるので、田母神候補にお伝えすると、気さくに二人と写真に納まっていました。 どうしても空軍のトップで、マスコミにはあまり取り上げられなく、取り上げられるときは過激な発言な時だけで、イメージ的に怖いという印象操作を受けています。元気で何でも食べ、愉快に飲み、語り、そして筋は曲げない凛とした立派な日本男児であります。それを小泉進次郎氏も理解しているのでしょう、さすがに党の手前、お父さんの手前それを言えないのでしょうが、舛添を支援することはないと明言できる彼も立派な男といえるでしょう。(『井上政典のブログ』より2014年1月18日分を転載)

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    小泉進次郎がぶちあげた「正論」 社会モデルを自らぶっ壊せるか

    少総理に!と考えていることだろう。私も同じ思いだ。当選前後から彼を取材してきた人間として、進次郎氏の政治家としての資質は本当に「とんでもないもの」があると断言できる。その進次郎氏がついに、政治家としては誰も言わなかった【正論】をぶち上げ、ニュースになっている。■小泉進次郎氏、既存の社会モデル「ぶっ壊す」(読売新聞) 自民党若手中心で集まったメンバー(「2020年以降の経済財政構想小委員会」)による中間報告だ。簡単に言うと、今ある社会保障制度を一度ぶち壊そう!と言うものだ。 そう。これは正しい。偶然にも本日の夜に生放送する AbemaTVfresh!内の私の公式チャンネルでもまさに触れる話なのだが、私は政治家でもなんでもないので『正しい』『事実』だけをはっきりと言っておきたい。 私は現在40歳。昭和50年の生まれだ。同世代のみんなはもう分かってる通りだ。私たちは「年金」などと言うものはもらえない。仮にもらってもいいが、子供たち世代に無茶な負担を押し付けるだけだ。バブルの時代の思い出話しかできない、我らの上のバカ老害世代と同じことしてもしょうがない。これはもうあきらめなけれないけない話なのだ。 メディアのせい? 政治のせい? 色々言ってりゃいいが、結論から言うと、そのバカ政治家を選び、テレビを見てそのまま信じてた「日本人全体の責任」だ。今の社会保障費を見てみよう。 よく見てほしい。これが現実だ。こんなアホみたいな勢いで増え続けているのが「日本の社会保障費」だ。2000年には78兆円だった「社会保障費」が、直近の2015年には117兆円に増加している。わずか15年で39兆円の増加だ。言うまでもなく、これはこのまま増え続ける。2025年には150兆円を超える試算が出ている。計算するまでもない。間違いなく超える。わずか10年でそこまでいく。これは100%来る現実の未来の話だ。進次郎氏は社会保障システムをぶっ壊せるか もうもたない。まずは日本人全員で、これをちゃんと受け入れるべきだ。日本は「政治を間違えた」のだ。そこを受け入れてからでなければ前に進めない、と言うのが私の持論だ。特別会計と言って政府にはブラックボックスのような…利権の塊のような予算がある。それらも全部含めたところで、日本って国はおよそ200兆円ほどの収入しかない国だ。そのうちの150兆円が社会保障費? そんな国、もつわけないだろ。 今現在、年金の積立金は135兆円ある(2015年段階)。だが、GPIFといって、この年金積立金をバカみたいに株式投資の金にじゃぶじゃぶ投入している。そこに来てこの世界の原油価格の下落と中国経済の失速ときたもんだ。 選挙対策でなんと年金の運用額の損失は「7月の末」に発表されることになった。要は「アホみたいに損失しているから選挙前には発表しないようにしました」ってことだと想定した方がいい。この年金の積み立ても5~6兆円の切り崩しが続いている。あと20年、もつかどうか…いや、そんなに持たないかも知れない。自民党の農政改革に向けた部会であいさつする小泉進次郎農林部会長=9月6日(西村利也撮影) 小泉進次郎氏の提言は確実に「正しい」。が、それを実現していけるかどうかはかなり不透明と言わざるを得ない。 特にこの1年、大阪でニュースキャスターとして取材をしてきた私にとっては『今あるシステムを壊す』ことが、日本においてどれだけの抵抗があるかを肌で感じているからだ。進次郎氏も父親の政治を見てきたはずだ。郵政を民営化するだけでどれだけのカロリーが使われるか分かっているはずだ。 日本の社会保障システムは…絶対に根っこから作り変えざるを得ない。将来的には年金は全部、民間に任せるしかないはずだ。20年以内にそうなるはずだ。少なくとも私はそう見ている。 医療システムも恐ろしいほどの変革が必要だろう。今晩、まさにその話を公式チャンネルでするが、果たして医師会や薬剤関係の会社からあれほどの献金と支援を受け続けてきた自民党にそれが可能かどうか…。 が、時間もそれほどない。医療費などは毎年、1年で1兆円ずつ増加していっている。はたして間に合うかどうか。(ブログ「本気論 本音論」より2016年04月14日分を転載)

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    挑戦しない今の政治家から新たな「角栄」は出てこない

    角栄待望論」というべき現象だ。首相就任後初となる記者会見を行った田中角栄首相=昭和47年7月19日 政治評論の世界での僕のデビューは『中央公論』1976年7月号の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」だった。 その年の2月、田中さんはロッキード事件で5億円を受け取ったとして逮捕された。僕はこの成り行きに強い疑問を持った。そこで周辺に徹底取材し、「田中はアメリカに陥れられた」、すなわち「虎の尾を踏んだ」と書いたのだ。 僕が会った田中さんは、想像したとおりの強烈な人だった。田中さんに会うと、誰もが彼に引きつけられた。僕が日本の政治に強い関心を持ったのも、この「田中角栄」という人物がきっかけだ。 1981年、田中さんにインタビューする機会を得たときのことだ。僕は、田中さんの自宅兼事務所である通称「目白御殿」を訪れた。ところが、約束の時間を1時間過ぎても田中さんが現れない。当時の秘書、早坂茂三さんにどうしたのかと尋ねると、「実は角さんから『田原についての資料を一貫目、集めてくれ』と言われましてね」と返ってきたのだ。 一貫目とは、およそ3.75kgである。本当にそんなに集めたのかはわからない。しかし、ともかく田中さんがその資料を読み込んでいて、だから遅れているというのだ。豪放磊落のようでありながら、一体どれだけ繊細な人なのか。僕はそのとき、改めて「田中角栄」に興味を持ったのである。 田中さんは、よく「コンピュータ付きブルドーザー」と評された。「ブルドーザー」は、その類(たぐい)まれなる行動力ゆえであり、「コンピュータ」である所以(ゆえん)は、とてつもない記憶力のよさにあった。 田中さんは、『広辞苑』や英和辞書、漢和辞典など片っ端から暗記し、暗記し終えたページは食べてしまったという。「六法全書」には特に詳しかった。議員立法33本という数字は、彼の後にも先にも超えた議員はいない。記憶力は人心掌握術に大いに役立った。たとえば、官僚の入省年次、誕生日、結婚記念日などをすべて記憶しており、欠かさず贈り物をしたという。 後の首相、竹下登さんも、その掌握術を真似ようとしたが、彼にはそこまでの記憶力はなかったそうだ。だから竹下さんは、覚えておきたいことをすべて書きつけておいた。このメモは「竹下の巻紙」と呼ばれていた。田原総一朗が考える「田中角栄ブーム」の理由 田中さんは、キャラクターだけでなく、構想力も一流だった。田中さんが発表した「都市政策大綱」という論文がある。簡単に言えば、日本列島をひとつの大きな都市圏にしようという構想だ。これが『日本列島改造論』につながり、そのおかげで現在、北海道から九州まで1日で往復できるようになったのだ。 田中さんへの3度めのインタビューを終えた日、「ちょっと田原、待ってろ」と言われ、僕の目の前に白い封筒が置かれた。現金だとすぐにわかった。僕は、とうとう来たかと思った。これを受け取れば、ジャーナリストとしての終わりを意味する。だが、受け取らないと田中さんのメンツをつぶすことになる。迷いに迷った末、いったん、封筒を受け取って、その足で事務所に行き、秘書の早坂さんに「お返ししたい。もしダメなら僕からの寄付というかたちで受け取ってほしい」と伝えたのだ。早坂さんは快く受けてくれた。その後、彼とは非常にいい関係を続けた。 実は、この出来事は、その後の僕にとって、大変なメリットとなった。政治ジャーナリストをしていると、さまざまな政治家が秘書などを介してお金を持ってくるのだが、「あの角栄さんのお金を受け取らなかったのだから、あなたからもいただくわけにはいかない」と、穏便に断ることができるのだ。田中さんが引退し、亡くなってからもう何年も経つというのに、いまだにこの台詞(せりふ)が通用する。なんという存在感であろうか。 今、田中角栄ブームが起きているのは、現在の政治に構想力が足りないせいだろう。アベノミクスの第1の矢の「金融政策」と、第2の矢の「財政政策」が奏功して、株価が上がった。しかし、第3の矢である「成長戦略」のための構造改革は進んでいない。構造改革は、改革した後どうするのかという構想が必要なのに、そこを描き切れないからだ。 もし、いま「田中角栄」がいたら、新しい構想を打ち出して国民に見せていただろう。守りに入ってばかりでチャレンジしない政治家たちの中からは、新たな「田中角栄」は出てこない、と僕は思う。政治家たちは、この「田中角栄ブーム」を、どう見るのだろうか。(「田原総一朗 公式ブログ」より2016年9月5日分を転載)

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    カツ丼を分け隔てなく振舞った角さん 現在の政治家に出来ない行動力

    経緯を記している。 石原氏は角栄絶頂期の74年、9月号の文芸春秋に「君、国売り給うことなかれ――金権政治の虚妄を排す――」という論文を寄稿、角栄の金権政治批判の突破口を開いた。 これが引き金となって同11月号に立花隆氏の「田中角栄研究――その金脈と人脈」、児玉孝也氏の「淋しき越山会の女王」が掲載され、12月に角栄は内閣総辞職に至る。 だが、角栄の没後23年、ロッキード事件逮捕後40年を経た今、角栄の政治を振り返ると、その偉大さがわかる。<今の政界を見渡しても、角さんに匹敵するような政治家はいませんね。……今回、『天才』に大きな反響があったことで、改めて根強い角栄人気を実感しました。この作品を書いたことで、角さんにいい弔いができたな、と思っています。>自民党「青嵐会」のメンバーとして、田中角栄首相(手前中央)を表敬訪問した石原慎太郎氏(後方中央)。田中首相の左は渡辺美智雄氏=首相官邸、昭和48年7月26日 角栄人気の一端がタイトルの「角さんと飲んだビール」にある。<私がスリーハンドレッドクラブ(神奈川県茅ヶ崎市)のテニスコートでテニスをしていた折、昼食をとりにクラブハウスに引き上げていくと、青嵐会で一緒に田中角栄批判を繰り広げた玉置和郎が座っている。その向かいにいた人物が、角さんだった。驚いたけれど仕方なく一礼したら、角さんはいかにも懐かしげに「おお石原君、久し振りだな、ちょっとここへ来て座れよ!」と言って、自分から立っていき、窓際からイスを持ってきて自分の横に据えたのです。僕が「いろいろご迷惑をおかけしまして、すみません」と頭を下げたら、「ああ、お互い政治家だ。気にするな。ここへ来て座れよ」と言ってまた自ら立ち上がり、近くにいたウエイターに「おい、ビールをもう一つ」と頼んでくれたのです。この人はなんという人だろう、と思わずにはいられませんでした。僕にとって、あれは他人との関わりで生まれて初めての、恐らくはたった一度の経験でした>誰に対してもきめ細かい「行動力の人」 考え方の違う人間を握手や酒によって巻き込み、自分の影響力をじわじわと広げるのは政治家の本能的な行動であり、上記の例は珍しいことではない。 だが、角栄は極く自然に自分から行動に出てイスを窓際から運び、ビールを勧める。それが徹底し、イヤミを感じさせないのだ。田中派などに典型的な「一致団結、ハコ弁当」の一体感を嫌う石原氏のような政治家さえ引き付けてしまう魅力を角栄は備えている。 私の極く小さな思い出話を添えよう。昔、日経ビジネスの記者をしていた時、当時の編集長(後に日本経済新聞社の社長、会長を経験した)杉田亮毅氏がロッキード事件後、マスコミがほとんど寄り付かなかった田中角栄氏に接近し、編集長インタビューを実現したことがあった。 その際、杉田編集長から聞いた話だが、昼食時に角栄氏は自ら食事を用意、編集長に振舞った。中味はカツ丼だ。当時、日経側は速記を2人つけた。速記が遠慮して「それでは(昼食中)私たちは一時、引き上げます」と言って、腰を浮かしかけると、角栄氏は「ああ、君たちもそのまま」と制して、同じカツ丼を速記にも振舞った。 上等のカツ丼である。杉田氏は「うまかった。ああして、だれにも分け隔てなく対応するのが角さんの人気の秘密だ」と言っていた。 私も同感である。誰に対してもきめ細かくあれほどの行動力を示した政治家は稀である。必要な事は夜を徹して勉強し、戦後、最も多くの法律を議員立法で成立させて通した。 だが、彼は金権政治と最も深く同居した。「君、国売り給うことなかれ」と言わざるを得ないほど。その角栄氏を石原氏は「あれほどの政治家は今いません」と指摘し、最も懐かしく想い出す。現在の政治の実情がそこにある。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2016年5月6日分を転載)

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    田中角栄の言葉は人間心理の機微を知り尽くした行動伴ってた

    局長みたいだと言ったら、ひどく怒られた」と本誌に語ったことがある。 ある正月、東京・目白の田中邸には政治家、役人たちが年始の挨拶に集まっていた。その中に地味な1人の人物がいた。建設省の官僚OBだった。「この人はな」 角栄が若手議員たちに彼の仕事ぶり、いかに有能だったかを語って聞かせると、周囲の見る目が変わった。「あのときは、一緒に徹夜して、いろいろ法律を作ったよなあ!」 政策づくりや行政実務を担う“黒衣役”の官僚にとって、政治家に自分のやった仕事を評価してもらうことが存在証明になる。田中邸に来ていた現役官僚たちが、角栄の官僚OBへの言葉を聞いて“この人なら”と思ったことは想像に難くない。「必ず返事は出せ」相手の心に残る言葉の重み〈必ず返事は出せ。たとえ結果が相手の思い通りでなかったとしても、「聞いてくれたんだ」となる。〉 角栄には地元ばかりでなく、各業界、福祉団体など数多くの陳情が寄せられた。「よっしゃ、よっしゃ」と何でも二つ返事で引き受けたわけではない。 あるとき、肢体不自由児の福祉施設「ねむの木学園」の創設者で知られる女優の宮城まり子が田中邸に飛び込んできた。「施設には、すばらしい頭脳を持った子供たちがいます。ですが予算がつけられているのは小中学校までで、いくら頭が良くても高校に進学できない。どうか高校で学べる予算をつけてください」 黙って聞いていた角栄は、「知らなかった。返事はすぐには無理なので待って欲しい。必ず返事をする」と答えた。そしてその年の予算編成で予算をつけた。 陳情を受けても実現できなかった場合もある。けれども必ず返事を出した。そうすると、「あの田中角栄が話だけでも聞いてくれた」となる。 角栄は自分が恩を受けたときの心構えを、こう説いている。〈これみよがしに「御礼に参上した」とやってはいけない。相手が困ったとき、遠くから、慎み深く返してやるんだ。〉 角栄の言葉の裏には、人間心理の機微を知り尽くした行動が伴っていた。「人たらし」の真骨頂である。関連記事■ 女性問題で窮地の若手議員が田中角栄に一生忠誠誓った理由■ 田中角栄 北方四島交渉でソ連に「イエスかノーか?」と強気■ 田中角栄と「越山会の女王」の間に生まれた女性が綴った本■ 田中角栄の金権政治にかかわる新事実を白日の下にさらした本■ 田中角栄が机をがんがん叩いたからこそ成立した日ソ共同声明

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    小池百合子はハシズムを超える独裁者なのか

    「ハシズム」。元大阪市長、橋下徹氏の独善的な政治理念と手腕を揶揄した造語が生まれたのは、彼が政治家として絶頂期を迎えたころだった。先の都知事選では、有権者の熱狂が小池都政の誕生を後押しした。小池氏の視界の先には、ハシズムを超える東京の未来が待ち受けているのか。

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    国民投票はパンドラの箱 民主主義の「怪物」は日本人にも宿る

    えるどころか、ますます深まっている。 何よりもショックだったのは、今回の国民投票、そしてそれを受けた政治過程に、私の知る、良い意味での「英国らしさ」がなかったということだ。国民投票をきっかけにして、英国の政治は、取り返しの付かないかたちで、変質し始めようとしているように見える。そして、このことは、日本にとっても決して他人事ではないと思う。英首相官邸前でEU旗を掲げる残留派の男性=6月24日、ロンドン もともと、英国は、日本と同様、長い歴史と伝統を誇る国である。その英国においては、政治は、「暗黙知」を一つの叡智としてやってきた。すべてを言わなくてもわかる、無言のうちに共有されている価値観がある。そのことを前提に、重要な「変革」をしてきたのである。 英国には成文憲法がないのは、有名な事実である。アメリカ合衆国憲法のような成文憲法は、独立戦争や革命といった劇的なことが起こる国にこそふさわしいのであって、英国のように、徐々に、慣習を積み重ねることによって社会を変えてきた国では、「これが我々の憲法だ」と声高に主張するような「派手な」行為は、むしろ、恥ずかしい、そぐわない、というくらいに思われてきた。 例えば、「首相」という地位でさえ、長年の慣習の積み重ねで、半ば自然発生的に生まれてきたのである。英国史上「最初」の首相と言われているのは、18世紀に活躍したロバート・ウォルポールだが、これも、後から振り返れば「首相」に当たる職務を果たしていた、というだけのことで、明確にそのような地位が設けられたわけではなかった。 英語では、すべてのことを明確に言う、という「俗説」が日本には流布しており、今でもそのように思い込んでいる人がいるが、それは全くの誤解である。おそらくは、同じように英語を話すアメリカの一部の人たちの振る舞いを見てそう思ったのか、あるいは、英語の理解が、そもそも中途半端だったのだろう。 日本人以上に「あうんの呼吸」が重視される英国 実際には、英国でのコンセンサスの形成は、それこそ日本で言う「あうんの呼吸」で行われる。私がケンブリッジ大学に留学していた時に、トリニティ・カレッジで見聞きしたフェローたちの振る舞いを見ても、そうだった。留学後も、私はほぼ毎年英国を訪れているが、実際には、英国人どうしのコミュニケーションは、時に、日本人以上に「あうんの呼吸」で進む。 「そのことについては・・・」と話し始めて、その途中で言いよどむことだってしょっちゅうある。あとは、言外に示唆されたニュアンスを拾って、お互いの理解が進み、また、物事が解決していくのである。 物事をはっきりさせて白黒をつけるよりも、このような曖昧なアプローチをとることには、それなりのメリットがある。 まずは、複雑な現実を、そのまま認識できることである。政治に関わる様々な状況は、単純に割り切ったり、決めつけたりできないことも多い。刻々と変化する状況に合わせて、適切な判断をするためには、一見「曖昧」に見える、慣習の積み重ねの方が適している場合が多い。 次に、人間のすぐれた「直観」の能力を用いることができることである。直観は、大脳新皮質の中の論理だけでなく、身体性と深く結びついている。いわゆる「内臓感覚」(ガッツ・フィーリング)である。英国では、伝統的にサッカーやラグビーなどのスポーツが教育の重要なポイントとされているが、そのようなカリキュラムも、直観を育むためという側面があるのだ。 さて、EU離脱の国民投票である。これまでの英国の伝統から言えば、EUに留まるかどうか、留まるとしてどのような交渉をするかということは、繊細でバランスを考えた状況認識、交渉、そして決断で行われたのではないか。首相官邸前で辞意を表明するキャメロン首相=6月24日、ロンドン 保守党内の突き上げによるものとは言え、キャメロン前首相がEU離脱についての国民投票を実施する、と表明したこと自体が、これまでの英国の政治的伝統から見れば、異質なことだと言える。 さらに、キャメロン首相を受け継いだメイ首相は、国民投票の結果を、文字通り実施すると表明している。これも、従来の英国の伝統から見ると、違和感がある。本来、情勢は微妙に変化するはずであり、ある時点での状況判断が、後にも有効であるとは限らないからである。 国民投票で、一票でも多い方が「国民の意志」であり、それは誠実に実行しなければならない、というのは、一つの「イデオロギー」であろう。多数決は、民主主義の大切なイデオロギーかもしれないが、唯一の考え方ではない。それにもかかわらず、それがわかりやすい「数」の力であるために、国民投票が一度実施されてしまうと、誰にも動きが止められない「怪物」になってしまうことも、また事実である。 英国は、長い伝統の中で、健全な現実主義を培ってきた。共産主義は、ロンドンの大英図書館に通ったマルクスによって構想されたが、英国内では、現実の政治で力を持つことはついになかった。英国の現実主義の中で、共産主義というイデオロギーの「怪物」が跋扈する余地がなかったからである。 では、「国民投票」はどうか。ある時点での、単純な「二択」(「残留」か「離脱」か)を選択させて、その結果に従うことは、本当にその国のためになるのか。EUからの離脱が、スコットランドや北アイルランドの独立の可能性など、さまざまな事態を招き、まさに「パンドラの箱」が開いた様相を呈している英国の状況を見ると、「多数決」という民主主義のイデオロギーの実態が、それが一見正しいものに見えるだけに、大いに疑問に思えてくるのである。 日本もまた、英国と同じように、長い歴史を持つ国である。時代に合わせてさまざまなことを決めていくことは大切だが、必ずしも住民投票、あるいは国民投票というかたちによらなくても良いのではないか。 脳の働きを説明する概念の一つとして、「マインドフルネス」がある。周囲の状況を、いきいきと、そのまま受け取ること。英国の政治の最良の伝統は、リーダーたちのマインドフルネスの中にあったように思う。国民投票の盲信は、刻々と変わる状況に対する「マインドフルネス」を封印することにつながりかねない。