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    元文科省の官僚「前川さんはもっとも人望のある事務次官」

     ここ3か月で安倍政権の「権力の横暴」と指摘されるような事態が次々に表面化している。最初に発覚したのが森友学園スキャンダルだ。 学校法人・森友学園が13億円以上の土地をタダ同然で手にしたこの問題。背後には、以前から同学園の理事長と深い関係のあった安倍晋三首相(62才)や妻・昭恵さん(54才)の口利きがあったと疑われている。 森友問題がうやむやになるなか、続けて飛び出したのが加計学園スキャンダルだった。「首相の“腹心の友”が理事長を務める加計学園グループが獣医学部を新設する際、安倍首相が文科省に口利きをした疑惑です。同グループへは約440億円もの税金が流れた可能性も指摘されています。昭恵さんはこのグループの保育施設で名誉園長についています」(全国紙記者) 安倍首相と昭恵さんに近しい人だけが甘い汁を吸うことができる――そんなことが、許されていいはずがない。そして、そんな“国の私物化”といえる事態を告発しようとした人は、国家権力から攻撃されることにもなりかねない恐怖を私たちは目の当たりにしている。 文部科学省の官僚のトップまで務めた前川喜平氏(62才)。事の発端は5月22日の読売新聞だ。前川氏が在職中、援助交際や売春の温床となっている東京・歌舞伎町の「出会い系バー」に出入りしていたと報じられた。通常、全国紙が法に触れるわけでもない公務員の“下半身事情”を報じることはほとんどない。異例中の異例のことだった。文化庁の全面的移転に関する協議会に出席した(左から)唐沢剛地方創生総括官、前川喜平文科事務次官=2016年12月19日午前、文科省「背景には官邸の意向があるといわれています。報道の5日前、加計学園の獣医学部の新設について『総理のご意向だと聞いている』と記された文科省の文書の存在が報じられました。この文書について、官邸は前川氏がリークしたと疑った。それ以上の告発を封じるため、官邸は警察関係者を利用して入手した前川氏のプライベートを読売新聞に流したとみられているんです」(前出・全国紙記者) 重要なのは獣医学部の新設に「総理の意向があったのか、なかったのか」であり、告発者のスキャンダルを流すことは問題のすり替えでしかない。 菅義偉官房長官(68才)は会見で、前川氏の出会い系バーへの出入りについて「強い違和感を覚えた」と述べているが、安倍首相と親しい自民党の元大臣が東京・吉原の高級風俗店に通っていることをつい半年前に報じられていることを忘れたわけでもないはずだ。物言えば唇寒し秋の風、とはこのことだ。ノルウェイの森の華麗なる一族ノルウェイの森の華麗なる一族 官邸の横やりにもめげず、前川氏は会見を開き、各マスコミの個別インタビューも受け、「『総理のご意向』と記された記録文書は間違いなく本物だ」と公言した。文科省の元トップが総理の関与を示す前代未聞の証言に、永田町に激震が走った。 安倍首相を窮地に追いやる“前川の乱”。官邸に1人で立ち向かう前川氏とはどんな人物か。 前川氏の祖父・前川喜作氏(享年91)は年商812億円を誇る大手冷凍機器メーカー・前川製作所の創業者。また、村上春樹氏(68才)の名作小説『ノルウェイの森』の舞台とされる男子学生寮「和敬塾」の創始者でもある。前川氏の妹は中曽根康弘元首相(99才)の息子・弘文氏(71才)に嫁いだという華麗なる一族だ。元文科省の官僚で、前川氏と20年来のつきあいがあるという寺脇研さんが語る。「前川さんの奥さんは資産家の令嬢で、美人と聞いている。奥さんは妹さんの友達で、彼の入省3年後に結婚しました。都内の高級ホテルで開かれた盛大な披露宴には首相就任前の中曽根康弘さんが出席していました」 寺脇さんは、前川氏の「逆恨み」を否定する。「私が文科省に入って42年経つけど、前川さんはその間の事務次官では最も人望のある人。素晴らしい次官は今までもいたけど、前川さんはバイトの子から地方の研修生まで、全職員から人望がありました。弱い人に寄り添い、常に教育とはどうあるべきかを考えている。そんな前川さんが逆恨みや腹いせで省内の重要な文書を漏らすなんてことは考えられない」 約30年間、毎朝4~5時に帰宅して定時に出勤する仕事人間で省内の人望は非常に厚かった。そんな前川氏が自分の身を危険に晒してでも会見に臨んだのは、強い使命感からだった。「彼を慕う文科省職員がマスコミに文書を流したと前川さんは悟り、役人生命にかけて告発した者のために闘わなければいけないと思ったのでしょう。今、前川さんは自宅から離れて都内に身を隠しているようだけど、それも奥さんが支えているはずです」(前出・寺脇さん)関連記事■ 舛添要一氏 バッシングを「最高のサーカスだった」と述懐■ 城島茂のお相手、E乳グラドルが出していた過激DVDの内容■ 前川前文科次官 出会い系バー通いを官房副長官が注意してた■ 首相腹心記者の強姦告発会見 全国紙は1行も報じなかった■ 元関西系国民的アイドルGメンバーが衝撃のMUTEKIデビュー

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    前川前文科次官 出会い系バー通いを官房副長官が注意してた

    には大きな問題がありますが、メディアがそれを報じてくれないと国民は何が起きているか知ることができず、政治へのコントロールが利かなくなる。メディアが権力に支配され、権力に都合のいい情報しか流さなくなってしまうと、状況は本当に危機的です」(前川氏) 文科省の事務方トップを務めた経歴を持ちながら、政権に異を唱える告発に踏み切り、注目を集める前川氏。 だが、告発に先立つ5月22日には読売新聞の朝刊社会面において、〈前川前次官 出会い系バー通い〉という見出しで、前川氏が次官在任中に新宿・歌舞伎町の出会い系バーに出入りしていたことが報じられた。8段ブチ抜きの“スクープ”だった。 菅義偉・官房長官は報道当日の会見で、「事実関係について政府としては承知していない」としながらも、「国家公務員というのは国民全体の奉仕者であって、公共の利益のために勤務し、かつ職務の遂行にあたっては全力でこれに専念しなければならないと思っている」と暗に前川氏を非難した。 教育行政のトップだった文科省の事務次官が〈売春の温床〉(読売)だという出会い系バーに通っていた真意についての前川氏本人の説明は後述するが、注目すべきは安倍官邸がその事実を、“かなり早い段階”で把握していたようであることだ。前川氏はこういう。「(次官)在職中だった去年の秋頃、杉田和博・官房副長官に『君、そんなところ(出会い系バー)に行っているのか。今後注意しろ』といわれたことがあった。どうして杉田さんが私の個人的行動を知っているのか疑問に思いました。やましいことはしていないが、『ご心配をおかけして申し訳ありません。もう行きません』といいました」 前川氏は買春も未成年との淫行もしていないと説明し、出会い系バーへ行った理由はあくまでも「彼女たちに食事をおごって身の上話を聞いた」と語っている。官邸はこの時点では、前川氏を不問としていたわけだ。それがなぜか、退任後の今になって大手紙に報じられ、官房長官から批判の的にされた。 前川氏が「国家に狙われる男」になった──それが理由ではないのか。関連記事■ AKB最終候補者が出会い喫茶に潜入 露骨な交渉の一部始終■ 現役グラドルが愛人クラブに潜入 巨額報酬に心揺らぐ■ ムロツヨシ 本名が明かせない理由と猫が飼えない理由■ 菊川怜 明かされる夫の過去に「知りたくなかった」と脱力感■ 和地つかさ Gカップ爆乳がマジでポロリする5秒前!

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    私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない

    、ぜひ社会的養護への関心を深めてほしいと私は願っている。 また、RFCの活動を続ける中で、さまざまな政治家と話をして、非常に興味深いと思ったことがある。それは、今回の報道に関して、政治家のイデオロギー面での思想と、同性カップルの里親認定に対する賛否が一致しなかったことだ。つまり、「保守=同性里親反対」「リベラル=同性里親賛成」というような形では、意見がわかれなかったのだ。 今回の塩崎恭久厚労相の発言のように「子どものための家庭を増やすことだからいいことだ」と応援してくれる保守層の方もいれば、「実現性も低ければ、優先順位も低い」と相手にしてくれないリベラル層の方もいた。塩崎恭久厚労相=4月7日、国会(斎藤良雄撮影) 今回の報道に関して、塩崎氏は「同性カップルでも男女のカップルでも、子どもが安定した家庭でしっかり育つことが大事で、それが達成されれば、われわれとしてはありがたい」と述べている。 私は常に「子どもたちのため、一つでも多くの里親家庭を増やそうとしている中で、マイノリティーへの無理解や偏見がその妨げになっている。そのような構造を変えたい」と訴えてきた。 今回の報道に関し、ネット上では「子どものためならいいがLGBTの人権推進なら反対」という意見も見かけたが、そのような「どちらの人権の問題なのか?」といった無意味な議論を行うのはやめにしよう。 「マイノリティーへの偏見に固執しているうちに、他の誰かのチャンスを摘み取ること」は、「同性カップルと里親」の問題以外にも起こりうることではないだろうか。今一度、社会の課題を振り返り、同じような問題が起こっていないか、皆で考えるきっかけにしてほしいと私は願っている。

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    子供の幸せを奪う同性カップルの「里親」などもってのほか!

    小坂実(日本政策研究センター研究部長)  今年4月、「男性カップル 里親に」という新聞の見出しを見て驚愕(きょうがく)した。虐待などで親と一緒に暮らせない子供を育てる「養育里親」に、なんと大阪市が30代と40代の男性カップルを認定したというのである。4月6日付の東京新聞はこう報じている。 「2人は2月から、市側に委託された十代の男の子を預かっている。厚生労働省は『同性カップルを認定した事例はない』としており、全国初とみられる。/社会が多様化する中、市は2人の里親制度への理解、経済的な安定など生活状況を詳細に調査した上で認定した。/自治体によっては、同性カップルを男女の結婚に相当する関係と認める動きもあるが、里親は夫婦や個人が認定されており、同性カップルに対し慎重な意見もある」 吉村洋文大阪市長は「LGBT(性的少数者)のカップルでは子育てができないのか。僕はそうは思わない。子どもの意思確認もした」とツイートし、市の判断の正当性をアピールした。だが、同市の判断には深刻な懸念を抱かざるを得ない。 というのも、同性カップルの里親認定には、「子供の福祉」の面で重大な疑問が拭えないからだ。論より証拠、同性婚が容認された米国では、同性カップルに育てられることが、子供に及ぼすさまざまな問題が専門家らの調査を通して指摘されている。※写真はイメージ 例えば、テキサス大オースティン校のマーク・レグニラス准教授による18~39歳の男女約3千人の調査だ。同性愛者の親に育てられた人は、結婚した男女の親に育てられた人に比べて、経済的、社会的、精神的問題を抱えている割合が高いことが分かった。 米カトリック大のポール・サリンズ教授が発表した研究結果では、4~17歳の同性カップルの子供は異性の親の子供に比べ、情緒・発達面で問題を抱える割合が2倍前後高いことが判明した(以上は森田清策・早川俊行編著『揺らぐ「結婚」』による)。 実際、同性愛などについての書き込みがあるブログ「ジャックの談話室」には、父母が揃った家庭に生まれ、両親の離婚後に同性カップル(レズビアン)の家庭で育つことになり、成人してから男性と結婚して子供を持った米国人女性たちの、次のような切実な証言も紹介されている。 「結婚して子供を持ってはじめて父親の役割がいかに重要であるか、また母親としての私の存在がいかにかけがえのないものであるかよく分かりました」 「初めて子供とその男親を持ったことは私にとって美しい、畏敬の念に打たれる経験でした。子供には父親と母親の両方が必要であるという信念がますます強まりました」深刻な「同性カップル家族」の認定 もちろん、これらの調査が今度の大阪市の事例に当てはまるということではない。ただ、こうした公開された知見がある以上、いかに里親が足りなかったとしても、同性カップルを里親に認定するのは、子供の福祉の観点から言って、甚だ軽率と考えざるを得ない。 養育里親は、18歳未満の子供を一時的に夫婦や個人が養育する児童福祉法上の制度で、里親認定の基準は、運営主体の都道府県や政令都市によって異なる。東京都は、同性カップルが里親になれない基準を設けているが、他の自治体には同性カップルを除外する規定はないと報道されている(4月16日付毎日新聞)。だが、以上のような知見を踏まえれば、それは同性カップルを容認しているからではなく、そもそも同性カップルを想定していないからだと考えるのが妥当であろう。※写真はイメージ とはいえ、問題はそれだけではない。同性カップルの里親認定の先には、同性カップルの特別養子縁組への参入、さらに同性婚の合法化が見据えられていることも指摘したい。 今回の大阪市の認定の背後には、一般社団法人「レインボーフォスターケア」の活動があったと言われている。事実、同団体の藤めぐみ代表理事はネットメディアBuzzFeedNewsで、最初に区長がLGBT施策に熱心だった淀川区に足を運んだことや、次に大阪市こども相談センター職員と2時間激論を交わしたことなど、実に興味深い「舞台裏」を語っている(「同性カップルの里親」はこうやって誕生した。立役者が語った「舞台裏」)。 見過ごせないのは、同団体の活動方針だ。同団体のホームページには、1 国や自治体に対して、里親・養親の候補として積極的にLGBTを受け入れるよう働きかけます。 とあるが、それに続いて、次のような方針が掲げられている。2 国に対して、特別養子縁組の養親に同性カップルが含まれるよう働きかけます。3 養子縁組あっせん団体に向けて、養親の候補としてLGBTを受け入れられるよう提案・連携をします。 要は、同性カップルの里親認定の先には、特別養子縁組の「養親」に道を開くという明確な目標があるわけだ。これは法律上の「同性カップル家族」を作ることを意味しており、同性カップルの里親認定とは比較にならない重大かつ深刻な意味を持つ。 先に触れたように、養育里親が18歳未満の子供を一時的に養育する制度であるのに対して、特別養子縁組は、養親との間に実の親子と同様の親子関係を成立させる民法上の制度だ。そのため民法第817条の3は、特別養子縁組については、「養親となる者は、配偶者のある者でなければならない」と定めている。この「配偶者」は、法的には「婚姻関係」にあるものに限られており、夫婦共同縁組が原則とされる。危うい大阪市の判断 つまり養育里親とは違い、特別養子縁組は法律上の親子関係を創設するものであり、結婚が条件となる。しかし、日本には同性婚の制度がないので、現状では同性カップルは特別養子縁組の養親にはなれない。同性カップルが特別養子縁組の養親となるには、民法第817条を改正するか、あるいは同性婚を合法化しなければならないわけだ。 いずれにしても、仮に同性カップルが特別養子縁組の養親になれるようになれば、法律に基づく「同性カップル家族」が誕生することとなる。これは「裏口からの同性婚」の容認ともいえ、そうなれば同性婚の合法化に向けた動きが加速するのは明らかだと思われる。 こう考えると、同性カップルの里親認定は、特別養子縁組の議論に進むための「呼び水」でもあり、同性カップルの特別養子縁組への参入は、同性婚合法化への「呼び水」と言うこともできるわけである。「子供の意思確認もした」などと言って、同性カップルへの養育里親を認定した大阪市の判断の「危うさ」は明らかではなかろうか。※写真イメージ  ちなみに、筆者は同性婚の合法化には反対である。同性婚の合法化によって、子供や社会の利益のための制度としての結婚は本質的な変質を余儀なくされるからだ。 長崎大の池谷和子准教授が指摘しているように、同性婚は結婚の定義から「子供の福祉」という視点を完全に抜き去ることで、一夫一婦制や貞操義務を弱め、親が生まれてくる子供を取捨選択する傾向を強め、男女の結婚や血縁に基づく家族の良さを強調できなくなるなど、結婚や家族の制度に重大な影響を及ぼすことが危惧される(月刊『正論』27年12月号)。 今回の大阪市の動きが、同性婚の合法化―つまり、結婚と家族という「子供の福祉」と「社会の持続可能性」を支える最も重要な社会制度の解体へ向けた「アリの一穴」とならないことを願うばかりである。

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    加計学園、前川氏の爆弾文書よりヤバい「レント・シーキング」

    たとおり、安倍晋三首相に違法性や道義上の責任を生じさせるものではない。例えば、官僚たちが首相の暗黙の政治的圧力を「忖度(そんたく)」して認可のスピードを速めたというが、このような他人に「忖度させた罪」「忖度させた道義的責任」などは合理的な論点にはなりえない。他人が内心でどう思っているかの責任を「忖度させた」の一言で取らせることは、ただの魔女狩りである。マスコミの多くがこの「忖度させた罪」というものがあるかのように安易に報道していることは極めて危険だ。 もうひとつは、いわゆる「出会い系バー」に前川氏が出入りし、それを「貧困調査」のためだと説明した事例である。この問題については、正直、筆者はそもそも「出会い系バー」という存在の詳細を知らない。この論点については、テレビで取材したと述べたジャーナリストの須田慎一郎氏ら適切な方々が論評していくことだろう。 筆者は主に最初の論点を考える。といっても怪文書の出所が前川氏であることを除いては、前回の論説に付け加えるものはない。このような安易な「疑惑」作りは、民主主義を本当の意味で危機にさらすことだろう。 今回は、この「加計学園問題」をより経済学的な視点から再考してみる。獣医学部の新設については、日本獣医師会やその関係する政治家たち、また文科省自体も長年にわたって反対してきた。52年間もの間、獣医学部の新設が認められてこなかったまさに「岩盤規制」であった。「忖度」批判を繰り広げる既得権者たち 今回の獣医学部新設を安倍首相が「忖度させた」と批判している人たちが、「岩盤」側の既得権者であることは注目していい事実だろう。要するに、加計問題とは単なる既得権者と規制緩和側との政治的抗争であり、そこに「安倍下ろし」を画策する野党や一部メディア、識者がただ乗りしているという構図だろう。さらにいえば、文科省の天下り斡旋(あっせん)問題で引責辞任した前川氏の個人的な思惑も当然に絡んでくるに違いない。 ところで今回の規制緩和の枠組みは、国家戦略特区という極めて限定されたものだ。しかもわざわざ既得権者側に配慮したとしか思えないのだが、獣医学部が周辺にない「空白地域」に絞って、あえて大学間競争の可能性をもできるだけ排除しているようだ。このような極めて限定された規制緩和であっても、猛烈な反発を得ているのが実情だ。それだけ新規参入を規制することによって、既得権者が得ていたレント(規制によって生じる利得)が大きかったということだろう。 またこの「岩盤」が継続された理由を、経済学者のマンサー・オルソンが、彼の代表的な業績である「ただ乗り」の観点から、かつて以下のように分析した。集団の規模が大きくなればなるほど、その組織に属する人たちは、自ら負担して組織改善のために動こうとはせずに、ただ乗りを選ぶだろう。 例えば、これを政府に置き換えてみれば、多くの有権者は自分が政府の改善を熱心に行っても、そこから得る追加的な利益が自分の犠牲に見合わないことを知っている。そのため、他者の努力にただ乗りをする方を選ぶだろう。 またこのようなただ乗りは、自分のただ乗り自体が損なわれない限り、政府がよくなろうが悪くなろうが知ったことではないとする「合理的な無関心」を生み出してしまう。実際に、獣医学部が52年間新設されなかった事実は、今回の問題が発覚するまで、多くの国民は「無関心」だったのではないか。分け前増加しか関心がない集団の正体 オルソンはこの分析を「国家がなぜ興隆し、また衰退するのか」という問題にまで広げた。オルソンは、ここで「分配結託」という考えを強調している。どの国でも保護貿易的な考え方を支持する集団はあるだろう。日本では農協やその関連団体、米国では自動車メーカーがすぐにあげられる。これら「特殊利益集団」と呼ばれる集団は、もちろん自分たちの集団の利益しか関心がない。集団が直接自分たちに利害が発生する仕組みになっているので、こちらは規模が大きくなればなるほど、自分たち一人当たりの分け前が増えることに関心をもつ。2015年10月、JA全国大会であいさつをするJA全中の奥野長衛会長(左)。右手前は安倍晋三首相(西村利也撮影) つまり特殊利益集団は自分の特殊利害という目的に合わせて集団を効率化することが多い。手法も洗練化され、時にはマスコミや政治家と「分配結託」をする場合もある。今回の加計学園問題の件も、この「分配結託」の1ケースといえるかもしれない。 そしてこの「分配結託」を可能にしている組織的な利益が、先ほどのレントの発生であり、これを追い求める行為を「レント・シーキング」という。レント・シーキングが国家の中で大きなウェイトを占めれば、その国は衰退してしまう。オルソンはそのような主張を展開した。 官僚組織は一般的に、規制を設け、それを運用する権限をできるだけ最大化することを最優先の目的としている。そして規制があれば、それによってレントが発生する。つまり規制の権限があるところ「常にレントあり」といえる。そのわかりやすいレントの代表が、「天下り」である。官僚が規制先の対象組織に天下りをする行為こそ、最もわかりやすいレントの一例である。その本質は「賄賂」と変わらない場合が圧倒的だ。それゆえ、天下り規制が行われた。 今回の前川氏の発言や行動はそもそもこのレント・シーキングを具現化しているように思える。天下りの斡旋、そして獣医学部新設のあまりに極端な規制。首相が「忖度させた」罪などというトンデモ議論よりも、筆者にはこのレント・シーキング行動の方が比較にならないほど、日本の問題のように思える。

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    なにがなんでも「安倍降ろし」 フェイク臭あふれる加計学園疑惑

    法案」の衆院通過を控えてのことなのか。もちろん政権批判がまっとうな理由によるものならば、むしろ公正な政治を進展させるために必要な条件だろう。だが、最近明らかになった事例をみれば、むしろ日本の政治そのものを壊しかねない危惧を抱くものだ。 典型的な事例が「加計(かけ)学園問題」といわれるものだ。先に書いておくが、これは「加計学園が生み出した問題」という意味ではない。まったく落ち度のない学校法人加計学園と愛媛県今治市のそれぞれの関係者や市民、そしてこの件に関して安倍首相を政争の手段として「生贄(いけにえ)」にしている民進党、そして朝日新聞の「共謀」のことを指して言っている。もっとも、この「共謀」には法律の適用はない。われわれが全力で批判する代物であるにすぎない。 問題の経緯は以下の通りだ。朝日新聞は今月16日の朝刊一面に、今治市の国家戦略特区に獣医学部を新設する件で、「官邸の最高レベル」「総理のご意向」によって早期に計画をすすめるように促す文書を掲載した。これは内閣府から文部科学省に提示された文書だという。文部科学省が作成したとされる「加計学園」に関する文書 17日には、国会で民進党の玉木雄一郎議員が、松野博一文部科学相にこの文書の真偽について問いただした。朝日新聞と民進党が入手した文書は同一のものだったようである。この連係プレーにも似た動きは、たちまち国民の注目することになった。あたかも「森友学園」第二幕のようであったが、あまりにもフェイク臭があふれる第二幕であった。 まず文書はいわゆる「怪文書」である可能性が大きい。記述については事実を反映している部分もある。世の怪文書あるいはトンデモ経済論といわれるものは、全部がデタラメではなく、核心部分がデタラメ以外はだいたい「真実」によって構成されている。それで読み手を巧妙に釣るのである。朝日新聞などはこの核心部分以外が事実であることを、かなり詳細に報道していて感心してしまう。もはや「魔女狩り」 ところで核心部分はもちろん「総理のご意向」といわれる部分だ。この「総理のご意向」については総理自身が否定している。また政府はこの文書が公式には存在しない、まさに「怪文書」であることを現時点の調査で明らかにしているといえよう。 だが、そもそもこの文書に書かれていることが真実だとして何が問題になるのだろうか。繰り返すが文書の核心部分が真実だとしても、要は獣医学部の開設をできるだけスピード感をもって進めろ、と首相が命じているだけなのだ。 国家戦略特区というのは、首相官邸ホームページの説明だと、「国家戦略特区は、産業の国際競争力の強化および国際的な経済活動の拠点の形成に関する施策の総合的かつ集中的な推進を図るため、2015年度までの期間を集中取組期間とし、いわゆる岩盤規制全般について突破口を開いていくものです」というものだ。「加計学園」が岡山理科大の獣医学部を新設予定の建設現場=5月17日午後、愛媛県今治市 簡単にいうと、規制緩和を短期集中的に行う枠組みである。規制緩和を早急に進めていくことを、首相が指示したとして何の不思議もない。「総理のご意向」などがあったとしてそれは違法でもなければ、道義的責任をもたらすものでもない。 ましてや加計学園の理事長が首相の友人であり、その友人と会食やゴルフをすることが何の問題になるのだろうか。まるで友人関係があるために、不正なことが行われているかのような報道を目にするがあまりにもひどく、「魔女狩り」に近いものである。 だが、この種の悪質な釣り、もしくは現代版魔女狩りの効果はバカにはできない。私のTwitterなどでもしばしば、「事実関係はわからないのですが」というコメントを頂戴する。つまり疑いの芽を少なからずもっている人たちがいるのだ。法的にも道義的にも何の問題もないのだが、マスコミが報道するだけで不安や疑心を抱く人たちが少なからず生まれるのだ。もちろん報道にそれなりの正当性があれば推測記事もありだろう。「疑惑」は簡単に人の心に芽生える しかし今回の件は、違法性も道義的な問題もまったくない。現在の情報を前提にすればゼロだ。例えばネットでみかけた「疑惑」の例だが、「公募期間が1週間なのは加計学園ありきだ」というが、実は1週間とは公募期間の平均的な設定で優遇では全くないのだ。あるいは「土地の無償譲渡は首相が便宜したもの」という指摘もあったが、今治市議会が賛成多数で決めたことで、あくまで地方自治の成果だということになる。まさに「疑惑」は簡単に人の心に芽生えるという好例だ。 実はこの件については、国会で追及した玉木議員自身が、フジテレビ系報道番組「ユアタイム」で違法性がないことを認めており、まったく理解に苦しむ。だが、民進党の蓮舫代表は、「いま急がれるのは共謀罪よりも加計学園や森友学園の究明だ」と断言している。違法性もなければ道義的責任もない、加計学園を単に政争のために利用していることは明瞭すぎるほどだ。なお森友学園については以前の連載で書いたので参照されたい。 また最近では、そもそも獣医学部新設の動きは、民主党や民主党議員、つまり現在の民進党議員らが積極的にすすめていたことが明らかになっている。これだけでも政党としてまったく首尾一貫していない。さらに追及の急先鋒(せんぽう)である玉木議員には、現段階でいくつかの問題が指摘されている。日本獣医師政治連盟から玉木議員は政治献金をうけ、または父親が獣医師であることで、既存の獣医師の利益を守るために行動する私的なインセンティブ(動機付け)が存在するということだ。 既存の獣医師たちの多く、特に日本獣医師会は、特区における獣医学部の設置については従来反対であった。つまり、この意図を忖度(そんたく)しての政治的な動きではないか、という疑念だ。もちろん民進党が規制緩和に反対するのなら、それはそれで政策論争の意味で興味深い。加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左)=5月17日、国会 だが、蓮舫代表や玉木議員がやっていることは、なにがなんでも安倍氏を首相の座から引きずりおろすための、怪文書を利用した不公正な扇動だけしかない。そこに朝日新聞など一部マスコミが安易に同調していることは、さらにあきれ果てるしかない。

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    北朝鮮と同じ「世界の三流国化」を受け入れた江戸幕府の大誤算

    ルトガル人の宣教師、ルイス・フロイスも驚いたように、女性たちは自由で独立した人格を認められていたし、政治的にも大きな役割を果たしていたことは、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でもおなじみだ。孔子 ところが、儒教の女性蔑視、男女隔離の思想が朱子学とともに入ってきて、女性への差別が徹底され、政治の表舞台からも追放された。 また、江戸時代以前にも賤民のように扱われる人々や職業はあったが、多くの人々が明確なかたちで体系的に差別されるようになったのは、江戸時代に身分制度が確立されてからのことだ。しかも、儒教道徳を体現したような「名君」といわれた大名ほど、身分秩序を厳格にして、服装まで変えさせるなどして、差別を徹底したのである。 それは、武士の立場でも同じで、「士農工商」の身分制が基本というのは疑問である。中津藩士だった福沢諭吉も、庶民と足軽や徒士(かち、いわゆる下級武士)とは行き来もあったが、上級武士に下級武士が昇格できたのは、中津藩200年の歴史でも数例だけだといっている。 殿様が自分の家臣と意識しているのも、上士だけだった。もっとも、身分制度は藩によってかなり違いがあるのだが、明治になって士族と位置づけられた階級の中でも、馬に乗れて袴(はかま)を履く「上士」、袴は履くが馬に乗れない「徒士」「足軽」、武家奉公人たる「中間(ちゅうげん)」などに分かれていた。 侍というのは上士の中でも上層部を指すことが多かったし、足軽以下は武士ではなかった。したがって、足軽が先祖だったら、「私の祖先は明治時代に士族になりました」とは言えるが、「武士でした」とか「侍の子孫です」「藩士でした」といえば詐称だ。 それでも、科挙があるから無教養ではダメな中国や朝鮮の政府の役人に比べて、旗本や大名の家来はあまり学問を要求されなかったし、出来が悪くても育ちだけで役職に就けた。といっても、当然実務などできるはずがない。そこで勘定方や儒者、藩医、砲術型、剣道師範などといったグループが別にいて、それぞれ世襲で技能を磨いて実務を担当した。福沢諭吉の家系は勘定方だし、久坂玄瑞は藩医、吉田松陰は兵法家の出身だ。 さらに、幕府や藩の財政の仕組みもじり貧にならざるを得ないものだった。戦国大名や信長、秀吉は、米の年貢を基本としたが、ほかの収入も重視した。商工業の発展を図り、鉱山開発を盛んに行ったうえに、貿易から上がる利益も大きかった。 しかし、儒教的な農本主義にたった江戸幕府は、米に対する年貢に頼った極端な税収構造にした。それが差し当たって可能だったのは、徳川将軍家が俗に天領といわれた幕府直轄領を400万石にし、旗本知行地の300万石と合わせて700万石と広く取ったからだ。豊臣家の直轄地が200万石くらいだったからかなり多い。しかも江戸時代の前半には、戦国時代に発達した土木、治水技術の応用で容易に新田開発も可能だった。米偏重で財政は火の車 さらに外政では、朝鮮への再出兵も行わず、外国からの侵略に備えることもせず、琉球を薩摩藩の支配下に置いた。内政ではキリシタンを弾圧し、檀家(だんか)制度で仏教を骨抜きする宗教政策を進め、大名の領地を取り上げて将来の不安を解消することもしなかったので、軍事費が減り、築城や大砲の進歩に対応した城の増強もしなかった。だから、鎖国して貿易利益が縮小しても、当面は大丈夫だったのだ。 ところが、この米中心の財政構造は無理があった。今でいう国内総生産(GDP)に対する租税負担率が徐々に下がることが避けられなかったからである。 まず、米の需要には限りがある。ところが、米以外からでは年貢が取れないので、各藩は米を増産する。そうすると当然過剰生産になり米価が下がってしまった。なにしろ、江戸時代後期には全国の人口が3千万人に対し、米の生産量を示す石高は3千万石だった。 つまり1人あたり1石の消費だが、これは1日換算では5合にもなる。つまり、江戸時代の日本人は無理な税収構造の果てに、過剰生産により安かった米のご飯を、みそだ、漬物だ、小魚だといった貧弱なおかずでひたすらかき込んでいたのである。 また、天変地異に弱い米に偏った作付けは、冷害や干魃(かんばつ)による飢饉(ききん)を何度も引き起こし、そのたびに現代の北朝鮮のように膨大な餓死者を出した。しかも、貿易をしないから輸入ができない上、民政を各藩に任せたために、気の利いた「名君」だけがあらかじめ米を買い占めて自藩の領民を救ったので、特定の藩では生き地獄の事態を招いたのである。 飢饉のときには、餓死までいかなくとも栄養不足により人口減が見られた。現代の北朝鮮でも文字通りの餓死以外に同様の事態がしばしば起こっているのである。 また、年貢の取り方としては、当初は検見(けみ)法といって作柄を役人が調査して税額を決めていた。しかし、これでは収入が不安定だし、検査に経費がかかるし、不正の温床となった。 そこで定免(じょうめん)法という定額制に移行していった。これは、導入当初は税収の安定をもたらし、行政経費の削減にもなって領主にとっては有利だった。しかし、時間がたつと、農民は工夫して増産をしても年貢は変わらなかったので、実質的に税率の低下をもたらした。 さらに、鎖国といえども新しい技術や作物がわずかながら導入され、独自の技術発展もあったので、さまざまな商品作物が栽培され、工業製品も考案されたので、米の年貢から上がる税収の対GDP比率はますます下がった。そこで、西日本の雄藩などは商品作物の作付け奨励や、専売制の実施といった政策で、新しい税収の確保に努めたのだが、幕府や東日本の藩は全般的に、税収確保の流れを「体制の危機」ととらえて抑制した。 その結果、幕府は松平定信の寛政の改革(1790年前後)に代表される贅沢禁止などにより、税収が増えないならGDPを減らせば租税負担率は低下しないというとんでもない政策に走った。また、貨幣改鋳は幕府にとって最大の収入増になるはずだったが、道義的に好ましくないと考えられ、実施されるのはいつも時期外れで、しかも稚拙だった。貿易嫌いの江戸幕府 貿易も、鎖国当初は長崎を通じてかなりの規模で行われていた。そのころは金銀の生産が多かったので輸入が容易だったのである。しかし、鉱山開発の最新技術導入ができないまま、生産はどんどん低下し競争力も失われた。主力品だった陶磁器も明の滅亡前後の混乱による景徳鎮の衰退に乗じて、一時的に市場が拡大したが、中国王朝の復活とヨーロッパでのマイセン焼の発展で全盛期は長く続かなかった。19世紀の長崎 そこで、本来であれば幕府が率先して大々的に輸出産業の振興を図らねばならない。実際、江戸中期に田沼意次が「乾隆帝バブル」の清王朝にナマコやアワビ、フカヒレなどを俵に詰めた俵物(たわらもの)を積極的に輸出して莫大な利益を得た。ところが、田沼失脚後の松平定信は、できればオランダとの貿易もやめたいくらいという貿易に後ろ向きの態度に終始して事態を悪化させた。 当たり前のことだが、鎖国して技術交流もせず、まったく代わり映えのしない製品を国内でつくり、変わらぬ生活をしていれば、産業の国際競争力が落ちる。そうすれば、細々と行っていた貿易でも輸入品に対する国産品の格差が大きくなるのは当然だ。 そのツケは、鎖国期も払っていたが、開国したら、長く職場を離れていた病み上がりの人が新しい仕事に適応できないのと同じことになったのである。そして、特に武器の分野では、火縄銃で最新のライフル銃と対峙(たいじ)する羽目になるほど、ひどい目にあったのである。 先に書いたように、江戸幕府や多くの藩は、生活や経済構造をなんとか変えないようにした。しかし、新しい商品が生産されるのを完全に封じるわけにはいかないので、租税負担率が低下し、その結果、武士の生活は惨めになった。 農民は、商品作物のおかげで豊かになることもあったが、主力作物の米に重税を課された上に米価も低迷したので苦しい生活が続いた。それに対して、町民は税金もあまり取られないため豊かになった。だから農民は逃散して都市に出たがる。実際、飢饉などによる人口低迷もあって、耕作する農民がいない田地が続出したのである。そこで、農民の移住はもちろん、旅行すら原則禁止する藩も多かった。 こういう状態を「農奴に近い」と表現しても何もおかしくあるまい。 一方、町民は自由だったし、武士や農民より良い生活ができた。とくに江戸はインフラもしっかりしているのでなおさらだった。時代劇に出てくる江戸の町民が幸せそうなのは、実際に豊かなわけではないが、地方の農民に比べて格段に恵まれていたのだから当たり前で、それは平壌の市民が体制を熱烈に支持しているのと同じような状態だったのである。 また、藩が農民の逃亡を恐れて縛り付けても、江戸や大坂の周辺には、小領地が錯綜(さくそう)していたので統制のしようがなかったし、都市でアルバイトをするチャンスもあったのは事実だ。 いずれにしても、このように、幕府や東国の各藩が財政破綻、農民の不足、武士の窮乏化に悩んでいるときに、西南雄藩では税収も人口も増え、農民も相対的に豊かになっていった。「東西格差」が明治維新の伏線に また、薩摩藩は琉球を支配していた上に、江戸中期以降は、徳川家との縁組を強化し、ついには、11代将軍徳川家斉と13代将軍徳川家定の御台所を出すまでになり、御三家に劣らない治外法権的な地位を確立した。この地位を利用して密貿易や、大坂商人から強引な借金棒引きにも成功した。 言ってみれば、北朝鮮と韓国の国力差が西日本と東日本でも生じたようなもので、その格差が倒幕と明治維新の伏線になったわけである。 最後に、江戸時代の技術や教育水準について簡単に書いておく。鎖国期には独自の工夫で砂糖や綿花に代表される日本の気候に向かない産物を生産したり、ガラパゴスな技術で工業を発展させた。 しかし、そうした製品は、開国した途端に輸入品に駆逐された。それは東西冷戦時代に、西側から揶揄(やゆ)された東ドイツの「段ボール製自動車」や、ポーランドで温室に石炭をたいて生産していたバナナと同じようなものだ。 江戸時代のそうした工夫を褒める人もいるが、ポーランド産のバナナと同様に、鎖国というバカげた政策のあだ花に過ぎなかった。そして何より問題だったのは、軍事技術で大きな遅れを生じさせ、19世紀を迎えても火縄銃とライフル銃で列強と対峙する羽目になり、日本は危うく植民地にされかかったことである。 「鎖国していなければ植民地にされた」などと愚かなことを言う人がいるが、17世紀のスペインやポルトガルは、インドのゴアのような貿易拠点や、フィリピンのように国家が成立していなかった地域を占領したり、金属製の武器を持たなかった南米を征服したわけで、日本のような国を植民地支配することは不可能だった。 また、日本の教育が先進的だったというのも大嘘だ。よく言われる識字率の高さについては、日本では仮名が読み書きできるかどうかだが、中国では数千字の漢字の読み書きで判断していたのだから、そもそも比較基準が大きく違う。 また、寺子屋の普及も藩校がでそろったのも天保年間(1830-44年)のころで、西洋では既に近代的な学校制度ができ上がっていた。しかも、藩校では算術を教えなかったので、武士たちは軍人としても官僚としても役立たずで、戦国時代の先祖の功績による「年金生活者」に過ぎなかったのである。

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    江戸時代はなぜ260年も続いたのか

    「江戸時代の日本に戻れ」。月刊誌『文藝春秋』の最新号に、人口減少社会を迎えた現代日本が目指すべき「国のかたち」を提唱する細川護熙元首相の論考があった。中身はともかく、近世史研究が進んだ今、江戸時代を再評価する言説が流行りである。とはいえ、ホントに良い時代だったのか?

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    徳川幕府の危機を何度も救った江戸時代版「3本の矢」の真実

    制に移行して、この危機を乗り切った。 政策転換も図られた。それまでのように大名を容赦なく取り潰す武断政治から、大名への統制を緩和し一定の配慮をする文治政治に転換した。戦国時代以来、当たり前とされてきた殉死の禁止にも踏み切った。 武断政治から文治政治への転換は、幕府の基本戦略そのものを転換したことを意味する。今日で言えば、時代の変化に合わせて企業がビジネスモデルを変えていったようなものだ。これがあったからこそ、徳川幕府がその後、長期間にわたって続くことができたのである。 2度目の危機は、1712~16年にやって来た。6代将軍・家宣が病死し(1712年)、唯一の後継ぎだった家継が5歳で7代将軍に就任した。しかし、その家継もわずか8歳で病死したのである(16年)。これで家康―秀忠―家光の子孫の男子は事実上だれもいなくなってしまった。 そこで、紀州藩主だった徳川吉宗が8代将軍に就任したのだった。吉宗は徳川家康の十男、頼宣の孫にあたるが、いわば徳川の分家の子孫という存在であり、普通なら将軍になれる立場ではなかった。しかし、家康が構築していた危機管理策のおかげで将軍に就任することができた。御三家体制の確立 では、家康はどのような手を打っていたのか。家康は長年苦労に苦労を重ね、60歳を過ぎてようやく天下統一を果たしたことから、徳川政権が未来永劫に続くことを願い、徳川政権を脅かす芽を徹底的に摘み取った。 大名の容赦ない取り潰しをはじめ、大名の妻子を人質として江戸に住まわせる、参勤交代や普請(現在の公共事業)などで経済力を弱める、外様大名を遠隔地に移封して幕政に参加させない代わりに石高は多くするなど、謀反を起こさせないように何重にも対策を張り巡らせた。 しかし、肝心の徳川家の血筋が絶えてしまっては元も子もない。そこで家康と、その遺志を受け継いだ秀忠が作ったのが御三家の体制だった。家康の11人の息子のうち、九男を尾張、十男を紀伊、十一男を水戸の藩主とした。もし将来、秀忠の子孫の血筋が絶えた場合に備えて、この御三家の中から誰かが将軍を継ぐことができるようにしたのだ。究極の危機管理策である。静岡市にある徳川家康公之像 吉宗の8代将軍就任は、その危機管理策が約100年後に効力を発揮したことを示している。吉宗が将軍になるにあたっては、次期将軍の座をめぐって尾張藩との争いがあったと言われているが、それも幕府存続を大前提とした中でのことであり、それほど御三家という危機管理策が浸透していたことがうかがえる。 吉宗が享保の改革などで幕府を立て直したことは良く知られるとおりで、それが徳川政権のさらなる長期化につながったことは明らかである。血筋の面でも14代将軍まで代々、吉宗の子孫が将軍となっている。もし御三家という危機管理策がなかったなら、名君・吉宗の登場と徳川の長期政権はなかったかもしれない。 第3は、成長戦略である。江戸時代の経済は成長と低迷を繰り返してきたが、大きな経済成長の波は3度あった。最初の経済成長は元禄時代(1688~1704年)、5代将軍・綱吉の時代である。 これは前述の武断政治から文治政治への路線転換がきっかけとなっている。世の中が安定して各藩主は領国経営に力を注げるようになり、農業生産が上昇した。人々の生活が向上すると余裕が生まれ、その中から文化や学問も発展した。いわゆる元禄文化である。今日で言えば高度経済成長、あるいはバブル経済といったところだろうか。 実は、元禄時代より少し前の時代、江戸は未曽有の大災害に見舞われた。1657年の明暦の大火(振袖火事)で、江戸の大半が焼け野原となり江戸城内にも燃え移り天守閣が焼失した。死者は10万人に及ぶと言われる。 幕府は前述の保科正之を中心に、江戸の復興に取り組んだ。延焼を食い止めるため各地の道路を拡幅し広小路を作った。現在も地名を残す上野広小路はこの時に作られたものだ。また、それまで幕府は江戸防衛の観点から隅田川にはほとんど橋を架けていなかったが、そのために大火の際に多くの人が川を渡って逃げることができず焼死したことから、現在のように川に多くの橋を架けた。 江戸はこうしてインフラ再整備と再開発が進み、復興を成し遂げることができた。これが元禄時代の江戸の繁栄につながったのである。しかし、元禄以後、経済は下降し始める。現代風に言えばバブル崩壊だ。 これには、綱吉の後を継いだ6代将軍の家宣と7代の家継時代の政策も影響している。家宣は生類憐みの令を廃止するなど、綱吉政治を否定する政策をとったが、その一環として貨幣の改鋳を行った。元禄時代に発行された貨幣は金銀の含有率を低下させていたため、将軍のブレーンだった朱子学者の新井白石は「公儀(幕府)の威厳を低下させるもの」と非難し、金銀の含有率を幕府開びゃく当初の慶長金貨並みに引き上げることを提言し実行した。アベノミクスの原点 しかし、それは時代に逆行するものだった。金銀の含有率を引き上げ、新貨幣の価値を保つため貨幣発行量を減少させた。いわばデフレ政策で、景気を冷え込ませる結果となった。 そうした中で登場したのが8代将軍・吉宗だ。吉宗の享保の改革は当初は、質素倹約、年貢の強化などで幕府財政の立て直しを図ろうとしており、いわばデフレ政策の継続が中心だった。 しかし、注目すべきなのは、途中から貨幣の金含有率を再び引き下げて貨幣の発行量を増やすインフレ政策に転換したことだ。デフレから脱却して緩やかなインフレをめざす――今日のリフレ政策、アベノミクスの“原点”とも言えるものだ。 吉宗はまた新田開墾、産業振興を奨励した。成長戦略の導入である。その結果、経済は再び上向き幕府財政も好転する。弱っていた幕府の政治的経済的基盤は強化された。これが江戸時代の経済成長第2の波だ。 吉宗の政策は、次の9代・家重と10代・家治にも引き継がれたが、その時代に実権を握ったのが田沼意次だ。田沼は印旛沼開拓や鉱山開発、蝦夷地開発などを進めるとともに、商業の振興や貨幣経済の発展を図った。長崎貿易を奨励して貿易による収入を増やす方針も打ち出した。田沼の政策は当時としてはかなり先進的で、成長戦略のメニューがそろっていたと言える。その結果、幕府の備蓄金は元禄時代並みの水準まで回復する成果をあげた。 田沼意次は「賄賂政治家」と言われるが、それは当時の反田沼派の批判キャンペーンによって過大に作り上げられたイメージだとの指摘が少なくない。結局、将軍・家治の死去とともに田沼は失脚し、成長戦略は頓挫する。 その後を継いだ11代将軍・家斉の下で老中に就任した松平定信は、田沼政治をことごとく否定し、経済政策においてもデフレ政策に逆戻りさせた。松平定信が行った寛政の改革は、3大改革の一つとして必ず教科書に出てくるが、実際には経済を停滞させる結果となったのである。 その松平定信もまた厳しすぎた政策が原因で失脚し、そのあとに3度目の経済成長の時代を迎えることになる。文化・文政年間(1804~30年)のことだ。元禄、吉宗・田沼時代、そして文化・文政の3度の経済成長期を経て、全国の農業生産は着実に増加していた。 ある推計によれば、全国のコメの生産量は元禄時代の2900万石から、1840年ごろには3400万石へと増加している。年率わずか0.1%余りの低成長だが、技術革新などがほとんどなかったこの時代に生産力向上が持続していたことは特筆に値する。このことが徳川長期政権を支える役割を果たしたことは間違いない。 江戸時代の経済繁栄は文化・文政時代が最後となった。文政の次の天保年間に幕府は老中・水野忠邦の下で天保の改革を行うが失敗に終わり、その後は幕末に向かって崩壊の道を歩むこととなる。幕府とは対照的に、同じ天保年間以後に薩摩や長州などの雄藩は藩政改革に取り組んで自力で経済力を向上させることに成功した。それがやがて明治維新につながったのだ。 「江戸時代版・3本の矢」によって長期政権を築いた徳川幕府だったが、最後の最後で、ペリー来航など時代の変化に合わせて戦略を転換することに失敗し、危機管理の効果も発揮できず、成長戦略も挫折してしまったのだった。逆に言えば、その「3本の矢」がいかに重要な役割を果たしていたかを物語っている。 

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    「文在寅の韓国」に日本が迫る踏み絵はたった一枚しかない

    年12月、韓国国会での大統領弾劾案可決によって朴槿恵前大統領の大統領権限が停止されて以降、韓国の国際政治上の位置は、「幽霊」のようなものであった。そのことは、ドナルド・J・トランプ米国大統領が政権を発足させた後の100日の間、韓国がトランプ大統領と紡ぐべき「縁」を紡げなかったことを意味する。 そもそも、トランプ大統領は、大統領就任以前からの言動から推察する限り、アジア・太平洋地域の事情に格別な関心を抱いていたわけではない。トランプ大統領が北朝鮮の脅威を切迫したものとして意識するようになったのは、トランプ大統領が安倍晋三首相をフロリダに迎えた2月の日米首脳会談以降、北朝鮮が相次いで「挑発」に走ったことに因る。 こうした国際政治局面の中で、トランプ大統領麾下の米国政府は、日本とは頻繁に連絡を取り、中国に対朝圧力の面での期待を表明したけれども、韓国には実質上「蚊帳の外」に置く対応をした。3月中旬、レックス・ティラーソン国務長官は、日本を「米国の最も重要な同盟国(our most important ally)」と呼ぶ一方で、韓国を「重要なパートナー(important partner)」と位置付けた。この発言は、「大統領の不在」状況下の韓国に与えられた国際政治上の位置付けを象徴的に表していたといえるであろう。THAADの搬入に反対し、警官隊と対峙する住民ら(手前)=4月26日、韓国南部の慶尚北道星州郡(聯合=共同) 確かに、トランプ大統領の対韓姿勢は、傍目から見ても冷淡な印象が強い。トランプ大統領が対韓関係の文脈で打ち出している政策対応は、米韓自由貿易協定(FTA)の「再交渉、あるいは破棄」の示唆にせよ、「高高度防衛ミサイル(THAAD)」配備に係る費用の追加負担要求にせよ、韓国の癇(かん)に障るものであろう。 もっとも、トランプ大統領の論理からすれば、米韓FTAの「再交渉、あるいは破棄」の示唆は、環太平洋経済連携協定(TPP)離脱や北米自由貿易協定(NAFTA)見直しと同様の趣旨の政策展開であろうし、THAAD配備費用の負担要求は、日本や北大西洋条約機構(NATO)に対するものと同様に安全保障上の「応分の負担」を求める対応であろう。THAAD配備の表向きの大義は、「韓国防衛」にあるのだから、そういう評価になる。 しかしながら、韓国政府にとっては、THAAD配備費用に絡む追加負担は、にわかに受け容れられまい。THAAD配備それ自体は、国内の紛糾を乗り越えてようやく決めた揚げ句、対中関係の悪化という代償を払ったのに、その上で費用まで拠出せよというのでは、理不尽な印象は確かに拭えない。トランプが韓国の「頭痛の種」をまいてきた思惑 ところで、「朴槿恵後」の韓国を統治することになったのは、文在寅(ムン・ジェイン)共に民主党前代表である。文在寅新大統領は政権発足早々、対米関係の文脈では米韓FTAとTHAAD配備の扱いに取り組まなければならない。文在寅新大統領は、従来の彼の言動から推察する限りは、THAAD配備費用負担要求を突っ跳ねるであろうし、事の次第によってはTHAAD配備同意それ自体の撤回に走るかもしれない。仮に、文在寅新大統領がそのような挙に出れば、米韓同盟の先行きはいよいよ怪しくなる。韓国大統領選の投票締め切り後、支持者の前に現れ声援に応える「共に民主党」の文在寅氏=5月9日夜、ソウル(共同) そうであるならば、米韓FTAとTHAAD配備の扱いに関して、トランプ大統領麾下の米国政府が、韓国にとっての「頭痛の種」をまいてきた思惑が浮かび上がる。一つの解釈は、韓国にとって癇(かん)に障る要求を突き付けることで、「文在寅の韓国」に「本当に『こちら側』に与(くみ)する気があるか」と「踏み絵」を迫ったというものである。 そうでなければ、もう一つの解釈としては、「文在寅の韓国」の「親北朝鮮・離米」傾向を見越した上で、北朝鮮情勢対応でささやかれる米中両国の「談合」の一環として、「西側同盟ネットワーク」からの韓国の「切り離し」を考え始めているというものである。米国にとってアジア・太平洋地域において絶対に維持されるべき「権益」が朝鮮半島ではなく日本であり、中国が朝鮮半島全域を自らの影響圏内にあるものだと認識しているのであれば、そうした解釈によるシナリオも決して荒唐無稽だとはいえまい。 「文在寅の韓国」は、果たして米国を含む「西側同盟ネットワーク」に忠誠を尽くすのか、それとも米中両国の「談合」に乗じて南北融和の夢を追うのか。韓国には、そうした旗幟(きし)を明確にすべき刻限が来ている。 日本政府が「文在寅の韓国」に対して示すべき政策方針は畢竟(ひっきょう)、一つしかない。それは、韓国が米国を主軸とする「西側同盟ネットワーク」の一翼を担うということの証しを立てさせることである。朴槿恵政権末期の永き「大統領の不在」状況に加え、文在寅新大統領が「親北朝鮮・離米」傾向をもって語られてきた政治家であればこそ、そうした証しの意義は重いものになる。 その証しには、具体的にはTHAAD配備の円滑な実行は無論、日韓慰安婦合意の確実な履行も含まれる。日韓慰安婦合意がバラク・H・オバマ米国前大統領麾下の米国政府の「仲介」によって成り、往時の米国政府の「歓迎」を得た文書であるならば、それは、「西側同盟ネットワーク」の結束を担保する文書でもある。この際、日本政府としては、日韓慰安婦合意を「歓迎する」としたオバマ前政権の評価をトランプ政権が踏襲していることの確認を求めるのが宜しかろう。 日本にとって対韓関係は、対外政策上の「独立変数」ではない。それは、「西側同盟ネットワーク」を円滑に機能させるための政策展開における一つの「従属変数」でしかない。そうした割り切った姿勢は、「文在寅の韓国」を迎える上では大事である。

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    盧武鉉の「生き写し」韓国新大統領、文在寅の末路が目に浮かぶ

    になるのが、第16代・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の行跡と治績(ちせき)である。盧氏と文氏の経歴や政治姿勢は瓜二つであり、大統領を取り巻く政治状況や国際情勢も酷似しているからだ。 盧氏は1946年、慶尚南道金海の貧農に生まれた。高卒ながらも司法試験に合格し、判事を経て弁護士となり、法律事務所を開業。80年代には学生運動にかかわりを持ち、「人権弁護士」として80年代中盤の民主化運動にもかかわることになる。 88年4月の国会議員選挙で当選し、国会で全斗煥(チョン・ドゥファン)時代の不正を厳しく追及したことで有名となった。その後、数回の落選を経て98年の補欠選挙で再び国会議員に復帰するも、2000年の選挙では再び落選。金大中政権下では海洋水産部長官に任命された。2002年の大統領選挙に立候補し、同年に発生した在韓米軍における女子中学生轢殺(れきさつ)事件に対する反米感情が追い風(「盧風」と呼ばれた)になり、接戦を制して大統領に当選している。2007年5月、盧武鉉大統領(当時、右)と 秘書室長時代の文在寅氏 一方、文氏は1953年に盧氏の出身地に近い慶尚南道巨済の貧家に生まれた。釜山の高校を卒業後、慶煕大学校法学部に入学。75年、朴正煕政権に反対する民主化運動にかかわった容疑で逮捕された。 大学を卒業後、82年に弁護士となり、盧氏が当時運営していた法律事務所に入所、80年代中盤の民主化運動に取り組んだ。2002年の大統領選挙では釜山地域の選挙対策本部長を務め、盧氏が当選した後には青瓦台(大統領府)入りし、2007年には大統領秘書室長となっている。2012年の国会議員選挙で初当選、2012年の大統領選挙に立候補するも朴槿恵前大統領に僅差で敗れた。その後、朴氏が弾劾辞職した後、朴氏糾弾の世論の追い風を受け、今般大統領に当選した。 これだけ見ても盧氏と文氏の経歴が瓜二つであることが分かるだろう。二人とも韓国南西部の慶尚道出身。貧しい境遇から身を起こし、ともに司法試験に合格、法曹界を経て政界入りしている。保守色の強い地域の出身でありながら、二人とも民主化運動に参加し、「人権弁護士」として知られ、後に進歩系政党から大統領に立候補して当選している。ここまで似通った経歴を持った二人であるから、当然、新大統領の今後の行跡を予測するうえで、盧氏の行跡は大いに参考になるのである。文氏にとって盧氏は法律事務所の共同運営者であり、民主化運動の同志でもあり、側近として国政を補佐したわけでもあるから、政治的信条においても大きな影響を受けていることは容易に想像できる。文氏は盧武鉉を模倣する では、新大統領はいかなる政策を遂行するのか。ここでは文氏が核実験とミサイル発射を繰り返す北朝鮮にどのように対応し、また日韓関係はどのように変化するのか、この2点に絞って考えたい。 これらを予測するにあたっては、盧氏の行跡が参考になる。盧氏が金大中の「太陽政策」を継承し、ズブズブの親北朝鮮路線をとっていたことはよく知られている。あろうことか在任中に北朝鮮の核兵器開発やミサイル発射を容認する発言を行い、北朝鮮に手厚い経済援助を与えただけでなく、支持率が急落した政権末期には突然平壌を訪問して金正日総書記と何らの必要性もない会談を行っている。 文氏も米軍による戦術核の韓国再配置に否定的であり、THAAD(高高度防衛ミサイル)の配備にも及び腰である。その一方で、北朝鮮の開城工業団地を再開すると公約している。ちなみに今回の大統領選に出馬した有力5候補の中で開城工業団地の再開を公約していたのは文氏だけだった。 文氏は北朝鮮の核問題について「韓米同盟強化と周辺国家との協力を通じた根本的解決」を公約として掲げているが、いったい北朝鮮への融和的姿勢と「韓米同盟強化」をどうやって両立させるつもりなのだろうか。THAAD配備に及び腰なのは恐らく中国の顔色をうかがっているからだろうが、この辺り「東アジアのバランサー」という空虚な言辞を弄びながら、何の目算もなく親北朝鮮・反米反日的な発言を繰り返した末に、北朝鮮に核実験を強行された盧氏の外交姿勢を彷彿(ほうふつ)とさせるものがある。街頭演説に臨む「共に民主党」の文在寅候補 =5月8日、韓国・ソウル(川口良介撮影) 恐らく、在任中には対北朝鮮政策をめぐって日米と何の得にもならない摩擦を起こし、「民族和合」という美名の下に北朝鮮をあれこれ援助し、結局は金正恩のいいように手玉に取られるのではないだろうか。 むろん、日韓関係については「絶望的である」と言わざるを得ない。これまでもそうであったように、これからもろくなことが起こらないだろう。日本では朴前大統領が史上最悪の「反日大統領」だと思われているが、文氏はその比ではない。 なにしろ、日本政府との慰安婦合意を反故(ほご)にする、ということを堂々と選挙公約に掲げているのである。このような反日姿勢も、あらゆる機会を捉えて日本非難に熱を上げていた盧氏に通じるものがある。ちなみに今回の大統領選有力5候補はすべて「日本政府との慰安婦合意は無効」と主張していた。そう主張しないと落選することは火を見るより明らかであり、有権者の大多数が「反日」という韓国の内情をよく表している。このような有権者によって選ばれた大統領が反日であるのは当然の帰結であろう。 おまけに昨年には竹島(韓国名・独島)にも上陸しているし、「親日(派)清算をしたい」となどと公言し、「真実と和解委員会」なるものを設置して過去の歴史を総括する、とも述べている。これは盧政権下で結成された「親日反民族行為真相糾明委員会」が「親日派名簿」を作成し、一部の「親日派」の子孫の財産を没収したことの模倣と思われる。文氏の末期を予言する もちろん日本大使館の慰安婦像撤去にも反対で、おまけに釜山の日本領事館前の慰安婦像設置にも大賛成である。こんな人物が大統領に当選したわけであるから、日韓関係がますます悪化するだろうということは三尺の童子でも容易に理解できる。近いうちに済州にある日本領事館前にも慰安婦像が設置され、大使館や領事館前に設置されている慰安婦像の周囲にもさまざまな日本糾弾用の銅像が増殖するだろう、ということも付言しておく。 最後に新大統領の国政運営について予測してみたい。クリーンで民主的だが、実務経験に乏しく、国際感覚が欠如しており、民族至上主義で親北朝鮮である、という文氏の姿は盧氏の「生き写し」である。 恐らく文氏は公約にあるように旧政権の不正追及や財閥への規制、厳しい対日姿勢、融和的な対北朝鮮政策、過去史清算などでしばらくは点数を稼ぐだろう。過去に盧氏がそうだったように。来年2月の平昌五輪が終わる辺りまでは、そうした手法が人気を博するに違いない。ソウルの国会議員会館会見場に入り、支持者らと握手を交わす文在寅氏(川口良介撮影 問題はその後である。良好な対米関係を維持できず、北朝鮮の挑発を抑えきれなければ保守派の激しい反発を招くだろうし、雇用や福祉、格差解消に失敗すれば進歩派の支持も失うだろう。中韓関係の改善が望めなければ、中国依存度の高い韓国経済には負担とならざるを得ないし、北朝鮮に対して圧力を加えてもらうこともできない。こうした懸案に対して新政権が有効な手を打てるか、と問われれば甚だ心もとないと言わざるを得ない。「クリーンで民主的」というだけでは解決できない問題ばかりだからである。 数年のうちに内政、外交、経済、福祉で目立った成果がなければ、たちまちのうちに進歩派の「ロウソクデモ」や保守派の「太極旗デモ」が発生し、政権を窮地に追い込むということは、過去の政権において立証済みである。 最後に大胆な予言をしてみたい。数年の後に韓国人は文政権に失望し、「すべては文大統領のせいだ!」と叫び出すだろう。かつての盧政権末期がそうであったように。

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    韓国大統領選で先頭走る文在寅氏とは何者か

    を追い風に息を吹き返し、野党内の主流派に戻ったのだ。 文氏は番組で「盧大統領が亡くなっていなければ、政治の道に入ることはなかっただろう」と語った。文氏のそれまでの経歴を考えれば本音だろうし、盧氏の死がなければ側近たちが復権を果たすにはさらに時間が必要だったかもしれない。 当時の取材メモを見ると、康元澤ソウル大教授(韓国政治)は「保守派の李明博政権下で格差拡大が社会問題になっている。弱者を助けようとしたイメージのある盧氏に対する再評価が、盧氏側近グループへの期待が高まる背景にあるのだろう」と話していた。両親は朝鮮戦争で北から逃げた避難民 文在寅氏と朴槿恵氏は同い年だが、独裁者の娘として育った朴氏と朝鮮戦争の戦火を逃れて北から南に渡ってきた家庭に生まれた文氏の人生はあまりにも違う。朴氏の人生も平凡とは言えないが、文氏もまた波乱万丈の日々を送ってきた人物である。朴槿恵(パク・クネ)前大統領が収容されているソウル拘置所。拘置所前には前大統領の写真が掲げられている=5月7日、韓国京畿道義王市(川口良介撮影) 文氏の両親は開戦半年後の1950年末、北朝鮮北東部・咸興(ハムフン)市の興南(フンナム)地区から米軍艦艇に乗って脱出した。10万人近い民間人が米軍輸送船に鈴なりになって脱出した「興南撤収」と呼ばれる有名な出来事だ。釜山に近い巨済島に避難民キャンプが作られ、文氏は53年に巨済島で生まれている。 生活の基盤がまったくない異郷での生活が楽なわけはない。学校に弁当を持っていくこともできなかったという。韓国の学校では当時、弁当を持ってこられない学生たちには牛乳やトウモロコシがゆの給食が出たのだが、食器は用意されていなかった。弁当を持ってきた級友からフタを借り、そこに給食を盛ってもらって食べたという。 番組が放送された時、韓国では給食無償化の是非が話題となっていた。生活に余裕のない児童生徒に限った無償化という主張もあったが、それでは各家庭の経済状況を子供たちにわざわざ意識させることになるから全面無償化でなければならないという主張もあった。文氏は番組で「(どちらにしても)給食を食べる子供たちの自尊心を傷つけないよう細心の注意が必要だ」と語った。文氏にとって給食は、胸の痛む記憶なのだろう。 釜山の名門である慶南高校を卒業してソウルの慶煕大法学部に進学。高校時代から社会の不条理に対する怒りを抱くようになっていたといい、朴正煕政権に反対するデモの先頭に立った大学3年の時に逮捕された。そして、韓国人男性の義務である兵役。軍隊生活にはうまく適応できたといい、陸軍特殊戦司令部の空挺部隊で爆破任務を担う優秀隊員として司令官表彰を受けた。 除隊後に復学し、司法試験に挑戦した。1次試験に合格し、2次試験を受けたのが80年春。朴正煕殺害後の政治的混乱の中、民主化運動の弾圧で200人以上の死者を出した光州事件の直前だった。光州での鎮圧作戦が始まる前日に戒厳令が全国に拡大された際、文氏は「危険人物」として再び収監されてしまった。司法試験の合格通知を受け取ったのは、ソウル市内の警察署の留置場でだった。 面白いのは、合格の報を受けて留置場での扱いが一変したことだ。署長から「令監(ヨンガム)」という敬称を付けて呼ばれるようになり、お祝いに来た知人と留置場の中での酒盛りまで認められたそうだ。軍事独裁とはいえ社会におおらかな面があったことともに、科挙の伝統を持ち、知識人が支配勢力となってきた伝統を持つ韓国ならではの光景だと言えそうだ。盧武鉉弁護士とともに民主化運動 次席という優秀な成績で司法修習を終えると、ソウルの大手事務所からの誘いを断って釜山に戻った。そこで人権派弁護士だった盧武鉉氏に出会った。82年のことだ。故盧武鉉元大統領の肖像写真を掲げる文在寅氏の支持者=5月4日、韓国・高陽(ロイター) 文在寅氏は番組で「それまでに会った法曹界の先輩たちは、権威主義というかエリート意識を感じさせる人ばかりだった。盧弁護士にはそういった雰囲気がまったくなく、私と同じ部類の人間だと感じた」と語った。その場で意気投合して盧氏の事務所に加わり、民主化運動にも一緒に身を投じた。 盧氏は87年の民主化後、後に大統領となる金泳三氏に見出されて国会議員となったが、文氏は釜山で人権派弁護士としての活動を続けた。 2002年大統領選で盧氏が当選すると、盧氏に強く請われて青瓦台(大統領府)に入った。常に盧氏に寄り添う姿から「影法師」と呼ばれるようになり、政権後半には実質的なナンバー2である大統領秘書室長を務めた。04年に盧氏に対する弾劾訴追案が国会で可決された時には、盧氏の代理人弁護士として「弾劾棄却」を勝ち取ってもいる。 盧氏退陣後は釜山での弁護士活動に戻っていたが、09年に盧氏が自殺したことで状況が変わる。盧氏逝去を受けて設立された盧武鉉財団の理事となり、その後理事長に。そして、2年後には盧氏の遺志を継ぐ存在として大統領選に担ぎ出されることになった。 朴氏に惜敗した後は「5年後」をにらんで本格的な政治活動を展開。16年秋に朴氏を巡る一連のスキャンダルが発覚した際には辞任要求の先頭に立ち、最大で100万人以上を集めたとされる「ロウソク集会」も積極的に後押しした。 文氏と同じ「共に民主党」に所属する重鎮の政治家は私に「文氏はロウソク集会に大きな借りがあると感じている」と話した。ロウソク集会に代表される世論の高まりが朴氏罷免という事態を招き、大幅に前倒しされた大統領選で文氏が有利になったからだろう。今後は、その思いとともに盧政権での教訓をいかに活かしていくかが問われることになる。

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    「脱悪魔路線」を進めたルペンを極右批判するのは大間違い

    、国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン候補が勝つとか、接戦になるなどとデマを流す識者もいたが、フランス政治に対する無知か、アングロサクソンの欧州懐疑主義の願望か、ユーロなどの相場を撹乱(かくらん)してひともうけしようとした人に踊らされたのかどれかであって、まったくばかげた話である。 特に第1回の投票がほぼ世論調査どおりの得票で、本心を気恥ずかしくて言わない「隠れルペン」もいないことが立証されていたのだから、決選投票の段階になってからも隠れルペンの存在を語り続けるなど誠実さに欠ける態度だった。 ルペン氏が勝つかもしれないとか、善戦するだろうなどといった識者は反省が必要だし、もうフランス政治のことなど知ったかぶりして書かないほうがよいと思う。5月4日、フランス北部での集会で支持者の前に姿を見せるルペン氏(ロイター=共同) ルペン氏の支持者は第1回投票で示された21・3%という数字より多くも少なくもないのだ。確かに、父親のジャンマリ・ルペン氏が2002年の出馬で獲得した16・9%よりは多いが、あくまでソフト化路線の成果であって、当時の16人の候補者に比べて11人と少なかった。また、決選投票の約34%という数字も、父が02年に獲得した17・8%よりは大躍進したが、保守派の現職、シラク大統領相手だったのだからあまり比較にならない。 そこで、iRONNA編集部からいただいた「どうしてフランスのような伝統的に左派支持層が多い国でルペン氏が人気を集めるのか」というテーマについて論じたいのだが、議論をいくつかに分ける必要がある。 ひとつは、フランスではもともと反体制的な極右政党が一定の支持を集めることがあるということだ。そして、父親のジャンマリ氏のときからの国民戦線の成功の原因、ルペン氏になってからの躍進の理由、そして今後の可能性だ。 フランスでは、18世紀末のフランス革命後もナポレオン帝政、王政復古、7月王政、第二帝政が続き、共和制が安定しなかったが、普仏戦争の後に訪れた王政復古の機会が、フランス王家だったブルボン家が共和派のフランス三色旗を認めなかったことで頓挫し、ようやく共和制が確立された。それ以来フランスの政体では、「革命の伝統を引き継ぐ」という理念に結集することが体制派であることの条件になっている。 必ずしも、狂信的な国粋主義者とはいえない現在のルペン氏と国民戦線が極右といわれるのは、この定義によるものだ。娘が進めた「脱悪魔路線」 ただ、常に「自由・平等・博愛」や「ライシテ」と呼ばれる徹底した政教分離策といった共和国の理念に疑問を持つ勢力が出てきて、保守的な小市民の受け皿になってきた。 その勢力は、人気のある軍人を担ぎ、政府を武力転覆しようとしたブーランジェ事件や、ユダヤ人を排斥しフランス世論を二分したドレフュス事件に登場し、その敗北の反動から生まれた極右団体「アクション・フランセーズ」や、第二次大戦中ナチスに協力したペタン将軍のヴィシー政府などで中核を担ったのである。 そして、戦後は「プジャード運動」というのがあった。1953年、フランス中南部の文具書籍商ピエール・プジャードが中小商工業者への税金に対する不満を背景に税の不払いを呼びかけ、54年には右派政党の商工業者防衛同盟(UDCA)を創設し、56年の国民議会(下院)選挙で52人を当選させた。中小商工業者や農民など近代化に取り残された階層や後進地域の不満を吸い上げた結果だった。しかし、議員の内部分裂があり、ドゴール再登場後の58年の下院選挙で敗れ衰退した。 ジャンマリ・ルペン氏は、56年にプジャードのもとで下院選挙に出馬し、最年少の27歳で当選した。アルジェリア戦争に議員を休職して従軍し、58年にアルジェリア独立に反対して大統領選挙に立候補したが敗れ、そのときのトラブルで左目を失明した。5月1日、パリで「愛国者デモ」に参加し、報道陣に囲まれる国民戦線のジャンマリ・ルペン元党首(中央)(共同) その後右派諸派の糾合を目指し、72年に国民戦線を結成し党首となる。国民戦線は移民排斥、妊娠中絶反対、治安強化、欧州連合(EU)からの脱退(のちにユーロからフランへの回帰)、国籍取得制限の強化などを訴えた。 そして、2002年の大統領選では社会党のジョスパン候補を上回って決選投票に残った。しかし、07年の大統領選挙では与党国民運動連合のサルコジ候補がジャンマリ氏の政策に歩み寄るかたちで取り入れたので、11%の得票率に後退し、11年には娘のルペン氏に党首の座を譲った。 娘のルペン氏が進めたのは「脱悪魔路線」である。国民戦線をステレオタイプな極右政党から脱却させ、国民の広い支持を集める政党に脱皮させた。とくに、ナチスやペタン政権に一方的な非難をすることに疑問を呈しがちな父親を否定した。 14年、ジャンマリ氏が国民戦線を批判したフランスのユダヤ人歌手らに対し「驚きを感じない。今度はこちらが窯に入れてやる」と発言したが、第二次大戦中のアウシュビッツ強制収容所を連想させたため、ルペン氏は党のサイトに連載されていた父親のブログを削除した。ジャンマリ氏は翌年国民戦線の党員資格を停止され、10月には党を除名された。極右が不適切な保守政党として認知される日 さらにルペン氏は個人の権利や自由、中絶まで含めて女性の権利を擁護し、事実婚や性的マイノリティーに対しても寛容な姿勢を示した。自身も2回の離婚歴を持ち、服装もジーンズを好むなど伝統的な極右主義者の雰囲気は感じられない。 これを受けて支持層にも一定の広がりをみせ、12年の大統領選挙では17・9%と父の02年の得票率を上回ってみせた。 今回の選挙では、保守派の共和党がフィヨン前首相を候補者に選んだ。予備選ではポピュリスト的イメージで国民戦線の支持者とやや重なるが新自由主義的な経済政策を掲げたサルコジ前大統領、中道左派的でリベラルなジュペ元首相を退け、経済政策では誰よりも新自由主義的だがカトリックの伝統的な価値観に寄り添ったフィヨン氏が選ばれた。 また、社会党のアモン前国民教育相はマリフアナ解禁や最低所得保障(ベーシックインカム)制度の導入といった特異な左派的主張を展開。すでに何度も大統領選挙に立候補していた急進左派のメランション左派党元共同党首もややアンチEU的だが移民には好意的な綱領を掲げた。そして、社会党を飛び出したマクロン氏は、親EU、移民に好意的、市場経済を生かしつつ合理化した上で社会政策を維持するという新しい路線を打ち出した。 ただ、選挙戦が事実上始まってから、ルペン氏の票を一定割合食うとみられていたフィヨン氏が妻の架空雇用疑惑スキャンダルへの対応のまずさで沈没したことは、ルペン氏だけでなくマクロン氏をも利した。また、メランション氏が健闘したことで、ルペン氏はある程度の競合を余儀なくされ、やや精彩を欠いた。5月6日、フランス北部エナンボモンの投票所前に張り出された大統領選候補のマクロン氏(左)とルペン氏のポスター(AP=共同) 決選投票に残る候補者について、当初はフィヨン氏が確実でルペン氏が2位、マクロン氏がそれを追うとみられた。しかし、フィヨン氏の脱落で、マクロン氏とルペン氏が優勢となり、フィヨン氏とメランション氏の終盤の追撃を振り切ったが、僅差の結果に終わった。 さて、今後のフランス政治の見通しだが、マクロン与党が左派中心か、共和党を大きく取り込むかたちとなるか分からないし、何より共和党がどのような路線で再建を図るかが問題だ。ただ、今回の選挙で、ルペン氏のEUやユーロ離脱(最終的にはユーロとフランの併用と言っていたが)のような非現実的で、経済の行方に不安を与える政策を放棄し、いずれも運用の見直しをドイツなどに迫るような方向に政策の舵を切れば、極右が不適切な保守政党として、いよいよ認知される可能性も少なくないだろう。

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    私だけが知っているマリーヌ・ルペン「歴史的大躍進」3つの理由

    感されているのである。フランスのみならず欧州諸国ではEUの政策に対する不満が高まり、近年「反EU」を政治政策に掲げる政党が支持を伸ばしている。マリーヌ氏と会った時のこと さて、マリーヌ氏といえば、昨今では元党首でマリーヌ氏の父であるジャン=マリー・ルペン氏との確執がしばしば話題となっている。ジャン=マリー氏は2014年、国民戦線を批判したユダヤ人歌手に対して差別的な発言を行い大問題となった。その後、マリーヌ氏は2015年10月に父親を党から除名。国民戦線を立ち上げた始祖であるにもかかわらず、名誉会長の座も剥奪されたことは不当だとして、父親は実の娘を訴え、親子の確執は最高裁の判断を仰ぐところまでもつれた。マリーヌ氏は、党のためひいては国民のために情よりも理を優先し、『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』ことのできる決断力の持ち主であるといえるだろう。私から見ると、マリーヌ氏は最初に会った13年前から、自分の思ったことをストレートに話し、凛(りん)として仕事をこなす、できるキャリアウーマンのような印象だった。父親はそんなマリーヌ氏に『わが政治家人生で唯一やり遂げられなかったのは大統領になれなかったことだ』と言って国民戦線の代表の座を譲った。マリーヌ・ルペン候補=5月1日、パリ近郊のヴィルパント つまり、大統領になるためには自分とは違うやり方で戦えと悲願を託したのだ。だからこそ、マリーヌ氏は国民戦線のイメージを一新させ、柔軟性をもったアプローチで国民に訴えた。国民戦線には既成政党、共和党、社会党、共産党の出身者が入党し合流している。結集軸が同戦線にあるということだ。既成政党の多くがEU等のグローバリズムな体制に甘んじているのに彼らは耐えられなくなり、「フランスの社会、伝統、文化を守るのは国民戦線だけだ」と見定め、党を割って合流してきているのである。今回の大統領選も、もう建前だけでは前に進めないことを国民が理解し「利益共同体としてのEUにこだわるのか」、それとも「フランス人としての主権を取り戻すのか」、フランス全体にこの二者択一の選択を迫った局面があったと言えるだろう。グローバリズムからフランスを解放しようとする国民戦線こそがフランスを救う唯一の国民政党であるとして支持が広がることも、十分にうなずける。 先述した今年2月のフランス訪問の際、私はリヨンで開かれた国民戦線の決起大会にも参加し、大会直前にマリーヌ氏と会見した。国民戦線の躍進については「われわれが長年主張してきたことが、国民にやっと理解されるようになったということだと思う」と語っていたのが印象的だった。さらに、マリーヌ氏は「私は日本を尊重しています。都合のよい時期に日本を訪問したい」と述べており、早ければ年内か来年にも来日する可能性があるだろう。愛国者としての立場から、日本人に対して現状認識を生の声で語っていただきたいと思っている。 改めて、フランスでは国民議会選挙が行われる。第一回投票が6月11日、決選投票が18日。今回、多くのフランス国民がマリーヌ氏に寄せた期待がどのような影響を与えるのか。ここが重要なポイントになると思っている。今回の大統領選では結果的に、現在のEU政策を維持するマクロン氏が選ばれ、向こう5年間は政治をつかさどる立場となるが、現状に対する国民の不満が高まっている中で、フランスの舵取りは今後も厳しい局面が続くことが予想される。

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    ルペン旋風、ポピュリズムを侮るなかれ

    「ポピュリズム」という言葉を耳にして、どんな印象を抱くだろうか。きっと多くの人が愛国主義や排外主義といったマイナスイメージに受け止めるだろう。世界が注目したフランス大統領選。ポピュリストを自認するマリーヌ・ルペン氏の敗北に安堵感が広がった。ポピュリズムは本当に「絶対悪」なのか。

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    伝統的左派をも熱狂させたルペンの知られざる「政治的実験」

    は盤石なものではない。と同時に限界的な政党であったルペン氏が率いる国民戦線は他の伝統的な政党を抑え、政治の主流に位置することになり、政府に対してポピュリスト的な政治課題を突き付けることになるだろう。 2016年5月のオーストリアの大統領選で極右の自由党党首、ホーファー氏の敗北に続くフランスのルペン氏の敗北で、欧州大陸ではポピュリスト政権の誕生は実現しなかった。しかし、ホーファー氏の得票率は49%で、惜敗であった。ルペン氏の得票率も選挙ごとに着実に増えている。大統領選に敗れ、会見するホーファー氏=2016年12月、ウィーン(AP) 12年の大統領選のルペン氏の得票率(第一回投票)は17.9%で3位に留まった。1位はオランド氏で、得票率は28.6%であった。今回の大統領選挙の一回目の投票の得票率はルペン氏が21%で2位に付けた。1位はマクロン氏で24%であった。その差は3ポイントに過ぎない。3位、4位の候補がマクロン氏を支持したことで同氏が勝利を得たが、ルペン氏の得票率も16ポイントも増えている。 この結果を見れば、マクロン氏の勝利というよりも、ルペン氏の健闘ぶりが目立ったと言っても過言ではないだろう。国民戦線の主張が国民の間で一定程度の支持を得ていることが明らかになった。 では、何がフランスに起こっているのだろうか。世界的にネオリベラリズム(新自由主義)に基づくグローバリズムに対する逆流が起こっている。アメリカではポピュリズムを主張するトランプ政権が誕生し、イギリスはEU脱退を求める孤立主義が勝利している。こうしたポピュリズムの潮流は決して一時的なものではない。アメリカではトランプ氏の登場でポピュリズムが急に注目されるようになった。アメリカのポピュリズムは、既存の民主党と共和党から疎外されていた白人労働者がトランプ氏という代弁者を見つけることで表面化した。 だが、欧州では数十年にわたってグローバリズムに反対する動きがみられた。トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」政策を掲げているが、オーストリアの自由党は1992年に「オーストリア・ファースト」政策を打ち出している。ポピュリスト的な政策を掲げる政党は早い時点から欧州各国に存在している。弱小の極右政党を成長させたルペン ルペン氏が党首を務める国民戦線も同氏の父親、ジャン=マリー・ルペン氏が72年に設立した政党である。その主張は、反共主義、政府の植民地政策批判、戦争中の親ナチのヴィシー政権支持、ヒットラーの好意的評価、反ユダヤ主義、ユダヤ人大虐殺のホロコーストの否定、反移民を主張することで極右政党として批判されてきた。国民戦線はプチブル政党で、当初は泡沫的な政党と見られていた。事実、結党直後の74年の大統領選では、ルペン氏の得票率はわずか0.76%に過ぎなかった。 ところが、この弱小な極右政党が次第にフランス社会に受け入れられるようになっていく。特に90年代に地方の小都市や中小企業主、小規模農民に支持基盤を拡大していく。さらに既存の政党に不満を抱く労働者層にも食い込んでいく。02年の大統領ではジャン=マリー・ルペン氏の得票率は16.8%まで増えている。こうした国民戦線の支持基盤の確立の背景には80年代以降のフランス経済を含む欧州経済の低迷がある。欧州各国は戦後、経済的な繁栄を享受した。社会民主主義路線に基づく福祉政策の充実、ケインズ政策による経済運営が行われた。 70年代の変動相場制への移行、2度の石油ショックで欧州諸国は財政赤字と貿易赤字の拡大に直面する。欧州各国は緊縮財政、福祉予算の削減を迫られた。フランス政府はインフレを抑制するために労働者の賃金凍結を実施する。そうした政策は労働組合の反発を招くようになる。不況を打開するために欧州各国はグローバリストの政策を採用し、欧州経済の統合を目指し始める。 80年代にイギリスとアメリカから始まった国際化、規制緩和、市場主義、競争主義を柱とするネオリベラリズムの政策が欧州を飲み込み、グローバリゼーションが急激に進んでいく。EUはグローバリゼーションの象徴的な存在である。国民戦線は当初はEUを積極的に評価していたが、85年の党綱領で「反EU」を打ち出す。 グローバリゼーションは規制緩和、資本の自由化などを通して経済の効率性を高めたが、同時に雇用の喪失、所得格差拡大など大きな犠牲ももたらした。中産階級の空洞化も深刻な問題となった。先進諸国の製造業の衰退をもたらし、その最大の犠牲者は工場労働者であった。 トランプ氏の支持基盤となったのが低学歴の白人労働者であったのと同じように、フランスの国民戦線も「反ネオリベラリズム」や「反国際主義」を掲げ、次第にポピュリスト政党として受け入れられるようになる。大統領選の開票結果予測を受けて演説するルペン氏=フランス北部(ロイター=共同) ポピュリズム政党には、もうひとつの共通点がある。それは反移民である。欧州諸国は戦後の繁栄の時代に労働者不足で積極的に外国人労働者を受け入れてきた。だが80年代以降、不況の深化で外人労働者が国内の労働者と競合するようになる。さらに一時的に受け入れたはずの外人労働者が定住し、次第に人口を増やしていった。それが社会的な軋轢(あつれき)を生む要因となった。移民労働が賃金低下の要因であるとか、犯罪増加をもたらしたと主張されるようになる。 また、フランスには、もうひとつの重要な要因がある。それはイスラム系住民との文化的、宗教的軋轢である。それが遠因となって、フランス国内での相次ぐイスラム過激派のテロ事件へと結びつく。さらに最近のシリアなどからの大量の亡命者の流入もフランス国内の状況をさらに悪化させている。それが、移民を積極的に受け入れるべきだと主張するグローバリストと移民を規制し、フランスの文化や社会を守るべきだとするポピュリストの対立を招いている。左派も取り込んだルペンの「政治的な実験室」 こうした状況の変化の中で、ジャン=マリー・ルペン氏が率いる国民戦線の政策には限界があった。支持基盤を拡大するためには“極右”のイメージを払拭する必要があった。その役割を担ったのが、マリーヌ・ルペン氏である。彼女はバリ第二大学で法律を学び、弁護士となった。国選弁護士として強制送還を迫られた不法移民を弁護した経験も持っている。 30歳の時、北部の元炭鉱町エナン=ボーモンの地区選挙で国民戦線から立候補し、当選を果たした。従来、この地域は社会党などの左派政党の地盤であったが、地域経済の崩壊に有効な手立てを講ずることができなかった左派政党は影響力を失っていく。彼女はここでの経験を、自分にとっての「政治的な実験室」だったと回顧している。グローバリゼーションの影響を受けて疲弊する労働者や地域住民に寄り添うことを学ぶ。また、そうした人々に向かって反移民や反脱工業化を訴えることで支持基盤を拡大できることを学んだ。本来は左派政党が行うべきことを国民戦線は担ったのである。 ルペン氏は父親の選挙スタッフとして働いたが、2011年の党大会で新党首に選出される。彼女の最初の課題は、党の支持基盤を拡大することであった。そのために彼女が取った手段は、15年に極右的言辞を吐き続ける父親を党から追放することであった。党を除名された父親は訴訟を起こし親子の確執も見られたが、この決断は国民戦線のイメージ転換に極めて効果があった。 同時に、ルペン氏は父親とは違い福祉政策を擁護し、小さな政府の主張を退けるなどネオリベラリズムに反対する立場をより鮮明に打ち出した。グローバリゼーションは労働者に犠牲を強いること、EUからの離脱、フランス・フランの復活などを訴えることで、従来、敵対する存在であった左派や中道派、中間階級、若者層の支持を獲得することができた。大統領選挙ではマクロン氏を金融資本の代弁者だと批判を加えている。国内のエスタブリッシュメントに留まらず、EUや北大西洋条約機構(NATO)の国際機関のエリート批判も展開するなど典型的なポピュリストの政策を展開した。マクロン氏(左)とルペン氏のポスター ルペン氏は敗北宣言を行った。選挙は終わったが、選挙が提起した問題はなにひとつ解決していない。マクロン氏は勝利演説で、多くの国民を受け入れる幅広い政策を取ると主張しているが、同氏は基本的にグローバリストであり、フランスはEUに留まり続けるだろう。だが、ネオリベラリズム政策とグローバリゼーションでもたらされた社会、経済問題の解決は容易ではない。格差拡大は様々な局面でみられる。単に所得格差に留まらず、地域格差も無視できないほど大きくなっている。大都市の繁栄と地方都市の衰退は明白である。経営者や専門職、技術者と労働者の所得格差は許容範囲を超えている。人種による格差も極めて大きい。所得再配分政策や福祉政策が求められているが、誰も明確な地図を描き切れないでいるのが現状である。 また、文化・社会面では、移民問題が深刻な影を投げかけている。保守的なインテリ層はフランス文化固有のアイデンティティの維持を主張している。だが、グローバリストは新しいヨーロッパのアイデンティティの確立を模索している。その意見は妥協の余地がないほど違った方向を目指している。 フランス国民は現状維持を選んだ。しかし、問題は先送りされたに過ぎない。こうした状況の下で、ルペン氏が率いる国民戦線が従来以上に大きな存在になったことは間違いない。ルペン氏が提起した政治課題は選挙が終わったからと言って消えるものではない。選挙で敗北したが、ルペン氏の影響力は間違いなく強まるだろう。国民戦線を極右政党として切り捨てることはできなくなっている。これからルペン氏のもとで国民戦線がどう変貌を遂げるのかも注目点であろう。

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    ヒゲの隊長が緊急警告! 今の自衛隊では在韓邦人6万人を救えない

    佐藤正久(参議院議員) 3月6日、北朝鮮は東倉里(トンチャンリ)から4発のミサイルを発射し、そのうちの3発が日本の排他的経済水域(EEZ)に着弾しました。北朝鮮のミサイル技術は日々精度と射程が向上し、発射手段も多様化しています。米国の人工衛星画像などからの分析によると、核実験の準備も進んでいる模様です。 トランプ米大統領は「第一空母打撃群を派遣した」と発言。4月18日に来日したマイク・ペンス米副大統領は「平和は力によってのみ初めて達成される」と、北朝鮮の行動を強く牽制し、安倍総理も「新たな段階の脅威」と述べました。朝鮮半島の緊張状態は、朝鮮戦争以来ピークに達しているといえます。朝鮮半島情勢に関心を持つ日本人は増えていますが、かたや備えは十分できていると言えるでしょうか。 もし、北朝鮮がミサイルを発射した場合、ミサイルは10分ないし15分以内にわが国本土に到達します。早期警戒衛星などの情報をもとに全国瞬時警報システム(Jアラート)を使って自治体が国民に速報を打つことができるのは3~4分後になります。北朝鮮の軍事パレードに登場した、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)「北極星」=4月15日(共同) 政府並びに自治体が「弾道ミサイル」を想定した住民避難訓練を実施したのは、実は今年3月、秋田県男鹿市が初めてです。地震や津波の防災訓練をやるように、外国からの攻撃や弾道ミサイルを想定した訓練も、国民の生命を守るという点では同じことです。 北朝鮮の脅威が新たな段階に入ったのであれば、日本でも新たな備えが必要です。さらに、朝鮮半島有事の際は、韓国内にいる邦人の安全と避難についても考えなくてはなりません。 私は自衛官時代、朝鮮半島有事を想定した演習を実施してきましたが、未解決の課題はたくさんあります。有事になる前に邦人を避難させることができればよいのですが、情勢が急変する場合も想定し備えなければなりません。 韓国に滞在している邦人は、約6万人と言われています。日本大使館に滞在届けを出しているのは約3万8千人ですが、旅行者や出張の人が一日あたり約2万人と推定されており、実際の旅行者等の数や行動を把握するのは困難な現状です。 さらに、自衛隊を邦人救出に向かわせようと計画をしても、韓国政府の同意がなければ、自衛隊は韓国内に入ることはできません。その韓国政府との調整も歴史的背景から進んでいない現状もあります。「憂いあれども備えなし」は無責任 一昨年、平和安全法制を整備しましたが、自衛隊が邦人救出のために外国へ行って活動するには、次の3条件が必要です。① 当該外国の権限ある当局(警察など)が、現に公共の安全と秩序の維持に当たっており、かつ、戦闘行為が行われることがないと認められること。② 自衛隊が当該保護措置(邦人救出)を行うことについて、当該外国の同意があること。③ 当該外国の権限ある当局(警察など)との間の連携及び協力が確保されると見込まれること。 仮に韓国政府が自衛隊を受け入れたとしても、自衛隊は現地の警察が機能していて、現地の警察との連携の下で邦人を保護するという活動しか認められていないということです。 さらに、韓国に滞在している外国人は約200万人。そのうち半数は中国人です。アメリカ人が約20万人、ベトナム人が約14万人、タイ人は約8万人いると見込まれています。韓国の人口は約5100万人ですが、その半分の約2500万人が、ソウルと仁川、その周辺の京幾道の数十キロの狭い地域に暮らしています。 そこが〝火の海〟になれば、韓国は大混乱に陥り、韓国に滞在する外国人も、韓国人も、日本への避難を考えるでしょう。これは最悪のケースで、日本には数十万人から100万人の避難民が押し寄せる可能性もあります。邦人だけ救出するという状況は、実際には想定できないのです。 今から7年前の2010年、北朝鮮が韓国の延坪(ヨンピヨン)島を砲撃し、海兵隊員2人と民間の2人が亡くなりました。その時、フィリピン政府から「韓国にいるフィリピン人約5万人を避難させてほしい」と日本政府に申し入れがありました。韓国からフィリピンまで帰国させるには遠いので、一番近い日本にとりあえず避難させようと考えるのは自然です。他国も同じ考えでしょう。 もし、フィリピン人5万人を避難させるとなったら、韓国ー日本間をピストン輸送する必要があります。200人乗りの飛行機で250往復は現実的ではありません。 実際には、アメリカ人、ベトナム人、タイ人あるいは韓国人も日本に避難してくることを想定して備えなければいけません。すなわち、避難する人たちをどこに移送するのか。空港や港湾の利用状況は。滞在施設や生活支援はどこまですればいいのか。期間はどれくらいになるのかなど、東日本大震災や熊本地震などの経験を踏まえても、予め検討しておくべき課題は多くあるのですが、政府も地方自治体もこういう視点からの避難訓練をしたとは耳にしていません。陸上自衛隊11次隊の先発隊=2016年11月21日、首都ジュバの空港(共同) そもそも、邦人ではない外国人を避難させる場合、誰が輸送するのでしょうか。実は、私が自衛官時代にイラク人道復興支援でイラクに向かう際にも、迷彩服を着た自衛官を乗せると攻撃対象になるかもしれないという理由で、日本の航空会社から搭乗を断られた経験があります。 もし、朝鮮半島で緊張が高まった時、民間の航空会社が邦人救出に協力してくれるかどうかはわかりません。政府も、民間企業に「行け」とは命令できません。国民の自由と権利は憲法で保障されているからです。 結局、邦人を救出するには、自衛隊が十分に活動できるような法整備と、関係国との平素からの信頼醸成が肝となります。危機管理とは、最悪に備え、想定外をできるだけなくし訓練しておくことに他なりません。 「憂いあれども備えなし」は無責任です。「備えあれば憂いなし」がどれほど重い言葉か、東日本大震災から学んだはずです。

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    「在韓邦人救出も米国任せ」 日本人よ、ホントにこれで良いのか?

    一色正春(元海上保安官) 風雲急を告げる朝鮮半島。目に見えて進歩する北朝鮮のミサイルや核、生物化学兵器の脅威。そんな中でも北朝鮮に強硬姿勢を貫く大統領を罷免し、国連の北朝鮮人権決議案の採決前に当の北朝鮮に意見を求め、それに従い棄権を決めた疑惑のある人物を、今まさに大統領に選ぼうとしている韓国。 その韓国のTHAADミサイル(終末高高度防衛ミサイル)配備に対し、激しく反発する一方で北朝鮮との距離を取り始めたかのような動きを見せる中国。これまでの北朝鮮融和政策の誤りを認め「戦略的忍耐は終わった」と述べ、先制攻撃も辞さない姿勢をみせる米国。そして、今なお不気味に沈黙を続けるロシア――。 各国が、それぞれの思惑を秘めた駆け引きを行い、予断を許さない状況ですが、翻ってわが国の国会といえば、予算審議はそっちのけで朝から晩まで多くの国民とは直接関係のない小学校問題で大騒ぎし、ようやく落ち着いてきたかと思えば、今度は朝鮮半島情勢いかんで起こり得る大規模テロを未然に防ぐための法律に対して荒唐無稽な理屈を並べ立てて反対する。しかも、政務官の女性問題や復興大臣の失言を理由に野党が審議をサボタージュしている有り様です。参院予算委員会の集中審議で答弁する安倍晋三首相=2017年3月、国会・参院第1委員会室 このかつてない戦争の危機であると同時に、拉致被害者や竹島を奪還することができるかもしれない千載一遇の機会にいったい何をやっているのか。これが日本国民の代表だと思うと本当に情けない気持ちになります。 万が一、朝鮮半島で有事が勃発した場合、わが国がやらなければならないことは・拉致被害者および竹島奪還・在留邦人の救出・ミサイル防衛・テロ防止・難民流入阻止・尖閣死守 などなど、さまざまな重要かつ困難な課題が山積しており、国会は党利党略のために無駄な時間を浪費している暇などありません。これら全ての問題について語る時間はないので、本稿では拉致被害者及び在留邦人の救出に絞って論じてみたいと思います。 日本で生まれ、幼年時代を朝鮮半島で過ごし、結婚を機に渡米したヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんという方が、先の大戦終了を朝鮮半島で迎えた自らの体験をもとに書かれた「So Far from the Bamboo Grove(竹林はるか遠く)」という物語があります。終戦後の朝鮮半島では日本人とみれば乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働く輩が少なくなかったため、時には身を隠して夜通し歩き、家族が離れ離れになりながらも、苦難の末に朝鮮半島を縦断して、命からがら日本にたどり着いた話で、今も反日感情が渦巻く朝鮮半島に事が起これば、在留邦人の運命はこの物語の少女のように悲惨な目に合うことは想像に難くありません。特に、自らの意思とは関係なく拉致され、何十年も故国の土を踏めずに、自由を制限されたままの拉致被害者であればなおのことです。 そこで、まず問題になるのが救出すべき人の数ですが、在韓邦人は定住者が3~4万人、旅行などの一時滞在者が1~2万人だとすると、多く見積もって5~6万人、北朝鮮には政府が認定した12人の拉致被害者以外にも、拉致の疑いが濃厚な77名を含む860人の特定失踪者がいる可能性があります。 それに加えて、帰国事業の時に北朝鮮に渡った朝鮮人の配偶者や子供が千人単位でいるとされ、他にもメディアなど仕事の関係で滞在している人がいますが、その人数はそれほど多くないと思われますので、北朝鮮国内の日本人は多く見積もって5千人くらいだと思われます。 次に救出に使用する輸送手段ですが、航空機の輸送能力は民間のジャンボジェット機で500人、自衛隊の輸送機で100人程度しか運べませんので、上記人数の救出には船による輸送が欠かせません。物理的に使えるのは自衛隊の艦船、海上保安庁の巡視船、民間船会社が所有する旅客船となりますが、自衛隊の艦船は現行法上、受け入れ国の同意がないと入港できないため、日本政府との協議にすらまともに応じようとしない韓国政府の態度に鑑みれば、現状での自衛隊の艦船を使用しての救出は難しいと言わざるを得ません。自衛隊の艦船による救出は困難 また、巡視船は物理的な輸送能力の問題や難民対策任務があるため、これも救出作業の主力とはなりえず、民間の旅客船に頼らなければいけないのが現状です。 防衛省は昨年2月にPFI法に基づき設立された特別目的会社「高速マリン・トランスポート株式会社」と同社が運航管理するカーフェリー2隻を有事の際に使用することができる契約を結んでいるので、日本政府は朝鮮半島有事の際はこの船を使って邦人輸送を行うことを想定していると思われます。 しかし昨年、北朝鮮による長距離弾道ミサイルの発射に際し自衛隊が同船による部隊移動を検討したにもかかわらず、船員が加盟する全日本海員組合が難色を示して同船の使用を断念した経緯もあり、併せて海技免状を持つ予備自衛官の数が不足していることを考慮すれば、有事の際の対応に不安要素がないとは言えません。だからこそ、朝鮮半島の在留邦人を無事に救出するためには防衛省、海上保安庁、民間船会社が協力して、各自が持てる力を発揮しなければなりません。 ただ、自衛隊は「専守防衛本土決戦」を基本戦略としているため、大型輸送船の保有に積極的ではありませんでしたが、このような朝鮮半島や中国大陸での有事に際しての邦人救出だけではなく、災害対応や南西諸島の防衛を考慮すれば、今後はその方針を改めることを検討する必要があります。予算上、建艦が難しいのであれば、借金をしてでも輸送艦をつくり、就役後借金を返すまでは海運業務に従事するなど従来の枠組みにとらわれない柔軟な政策が求められます。 そして、何よりも法整備が喫緊の課題です。一昨年、すったもんだの大騒動の末に安保関連法案が改正され、自衛隊の邦人救出要件が多少緩和されたとはいえ、今なお他国への派遣は相手国の同意が必要であり、武器の使用要件は正当防衛を原則としているなど隊員や救出される国民の生命を守る措置が他国の水準に達したとはとても言えない状況です。「危険だから救出しなければならない」「危険だからこそ自衛隊が行く必要がある」という基本的な認識が、いまだ薄いように感じられます。 何と言っても、わが国の政府が一番に考えなければならないのは、自国民の生命財産を守ることです。ただ、残念ながら自衛官を含めた在外邦人に対してはその責務を果たしているとは言い難く、憲法をはじめとする各種法令を早急に改正していく必要があります。 海上保安庁の本来業務は沿岸警備なので、巡視船は大量の人員輸送を想定していません。例外として、阪神淡路大震災の教訓から建造された災害対応型巡視船「いず」と、普段は練習船として使用されている「みうら」「こじま」の3隻が比較的多人数を収容できますが、それでも最大搭載人員は百数十人と桁が一つ少ないのが現状です。とはいえ、ごく短時間に限り居住性を考慮しなければ千名程度の人員を収容することが可能なので、非常時には簡易的な船検で最大搭載人数を増やして邦人救出等に使用できるよう法整備をしておく必要があります。航行する巡視船(海上保安庁提供動画から) ただし、海上保安庁は半島有事など近隣諸国で動乱が発生すれば小型ボートに乗って押し寄せてくる難民対策が主任務になるので、邦人救出にはなかなか手が回らないことが予想されます。つまり、あくまでも「補助的な役割」しか担えないのです。そこでこの際、邦人救出だけを目的とするのではなく、災害対策や国際貢献をも見据えて、国として「病院船」を持つことを検討すべきだと考えます。 前述した特別会社から防衛省がチャーターしている2隻のカーフェリー「ナッチャンWorld」と「はくおう」は、いずれも居住性を無視して車両甲板などにも人員を詰め込めば、一回で2千~3千人くらい運ぶことができ、速力も30ノット近く出ますから釜山ー博多間であれば一日2往復することが可能です。これを単純計算すれば2隻で一日1万人程度を輸送することができるので物理的な輸送能力としては申し分ありません。 しかし、前述した朝鮮半島にいる日本人の数や人道上、他国の人間も救助しなければならなくなることを考えると状況次第では船の数が足りなくなる恐れがあります。今後は契約船の数を増やすか、万が一の場合はスムーズに民間船会社からカーフェリーなどの旅客船をチャーターすることができるような法整備と官民交流により役所と船会社の意思疎通を図っておくことが必要です。「日本は自国民を救うこともできない」 船の確保も重要な課題ですが、民間人の場合は乗組員が任務を拒否することが可能であるため、直前になって船員が乗船を拒否すれば船があっても運航できない事態も起こり得ます。有事の際でも任務をこなすことができる船員の確保も重要です。 前述した北朝鮮ミサイル危機の時のように海員組合が部隊輸送に難色を示すなど、彼らが軍事作戦を忌避することは、先の大戦において船員が最も死亡率の高い職業であったことに鑑みれば、やむを得ないことなのかもしれません。とはいえ、事は同胞の命を救うことなので日頃から任務についての理解を求め、有事を想定した訓練をするなど防衛省職員と船員がコミュニケーションを深めておかなければ、イラン・イラク戦争の最中に日本の航空機ではなくトルコの航空機によって邦人が救出され「日本は自国民を救うこともできない」と陰口を叩かれたときのような醜態を晒しかねません。 そのような事態を避けるために、防衛省は有事の際には命令を拒否できない予備自衛官を乗り組ませて任務を行わせようともくろんでいるようですが、自衛隊の船と民間船では戦車と大型バスくらい操縦性能が違います。つまり、自衛隊の艦船しか乗ってこなかった隊員が大型民間船を乗りこなすためには一定の習熟期間が必要であり、また旅客船ぐらいしか乗ったことのない民間人に軍事作戦の一部を担わせるためには、それなりの訓練が必要です。 そのため、いざとなれば現役自衛官が民間の旅客船等に乗り組んで任務を遂行できるよう、海上自衛隊の定員を確保した上で日ごろから官民交流と称して自衛官が民間の船に乗り、民間船の乗組員が支障のない範囲で自衛隊の艦船に乗るというような技術交流を図ることも検討するべきです。 次に北朝鮮からの救出ですが、現行法通りに動こうとすれば、まず北朝鮮が無政府状態になったことを国連が認め、かつ日本政府が北朝鮮国内に組織的な武装勢力が存在しないことを確認して「安全」に任務が行えると判断しなければなりませんが、果たしてそんなことが現実的に可能なのでしょうか。軍事パレードで手を振って応える金正恩・朝鮮労働党委員長 仮にそのハードルがクリアできたとしても、現行法では外務省の職員が救出対象者の識別確認、スクリーニングやセキュリティーチェックを行い、自衛官は邦人の輸送任務に当たるだけで、組織的な抵抗は想定していません。しかし、いくら無政府状態になったとしても百万人以上いる反日教育を受けた北朝鮮軍人が邦人救出を黙ってみていることは考えにくいので、外務省の職員や自衛官が攻撃を受け交戦状態に陥る可能性は高く、「現行憲法は自衛隊の海外での交戦を禁じている」との解釈を政府が認めている以上、法的には作戦を発動すること自体が難しいと言わざるを得ません。 細かい話は抜きにしても、2013年に起きたアルジェリア人質事件や中東などで日本人が人質になった時の日本政府の対応や、今も安倍総理が拉致被害者の救出を米国に要請している実情を見れば、残念ながら現在の日本政府には「他国にお願いする」くらいしか打つ手がないことが分かると思います。では、もし朝鮮半島で有事が起こっても、わが国は指をくわえて眺めていることしかできないのかといえば、実はそうではありません。「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」 当然、憲法や法令改正のために努力を続けていく必要はありますが、不幸にして有事勃発までに法改正が間に合わなかった場合はダッカ日航機ハイジャック事件の時のように総理大臣が「超法規的措置」を決断すれば法的問題はクリアされます。法治国家としては本来選択すべき手段ではありませんが、「一人の生命は地球より重い」と述べ、身代金600万ドルを支払って凶悪犯を野に放ち、結果として新たな犯罪を誘発した過去に比べれば、純粋に日本人の生命を守る行為が非難される謂れはありません。ハイジャックによる人質の命も、拉致被害者の命も、その重みは一緒なのですから。ただ、くれぐれもソ連崩壊時に北方領土返還への道筋をつけられなかったことや、来日した金正男を無条件に釈放したときのように、千載一遇の機会を逃すことがないようにしてもらいたいものです。合同潜水訓練に臨む海上保安庁の隊員ら ここまで邦人救出について簡単に書いてきましたが、実際の任務に当たっては「韓国政府の同意をどうやって得るのか」「米軍や韓国軍との連携はどうするのか」「どうやって他国の人間を一緒に救出するのか」「各省庁間の連携はどうするのか」など問題点は少なくありません。現実問題として日本は世界の国々、特に米国、韓国と協力していかねばならないのは言うまでもないことですが、北朝鮮の拉致被害者奪還に関しては中国、オランダ、フランス、ギニア、イタリア、ヨルダン、レバノン、マレーシア、シンガポール、タイ、ルーマニアなどの国々とも同じ拉致被害国であるという共通認識を持ち、連携していく必要があります。 最後に、邦人救出だけではなくわれわれ日本列島に住む日本国民も戦争に備えなければなりません。北朝鮮の大使が「戦争になれば真っ先に被害を受けるのは日本だ」と言っていましたが、あながちハッタリではなく彼らなりの理由があります。それは・日本は経済制裁という戦争行為を行っている・朝鮮戦争の時に兵站基地となったのが日本・敵国の中で最も反撃を受ける恐れが少ない・日本国内に多数の工作員がいる からです。いまだに朝鮮半島で起きている出来事は日本に関係ないと思っている人が少なくないようですが、何十年も戦争のことばかり考え子供のころから反日教育を受けてきた国と、「平和平和」とお題目を唱えるだけで国家安全保障について深く考えることを拒否して能天気に暮らしてきた国とは考え方が大きく違うということを改めて認識し、彼らが日本に対して攻撃してくる可能性を排除せず、それに備えなければなりません。 日本人は今こそ、この言葉の重みを感じなければなりません。古人曰く「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」。

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    北朝鮮有事は「想定内」 在留邦人退避のためにまずやるべきこと

    吉富望(日本大学危機管理学部教授) 4月12日、菅義偉官房長官は「朝鮮半島で在留邦人の保護や退避が必要になった場合を想定し、常日頃から必要な準備、検討を行い、いかなる事態にも対応できるよう万全な態勢を取っている」と述べた。朝鮮半島情勢に対する国民の懸念が増す中での大変力強い発言である。しかし、「朝鮮半島で在留邦人の保護や退避が必要になった場合」における具体的な状況をイメージしてみると、菅官房長官に「在留邦人の保護や退避の態勢は、真に万全なのでしょうか?」と質問したくなる。 「朝鮮半島で在留邦人の保護や退避が必要になった場合」とは、朝鮮半島で戦争が切迫している場合、あるいは戦争が勃発した場合である。前者の場合には自衛隊による邦人の輸送は法的に可能であるが、韓国政府が自衛隊の受け入れに同意していない現状では、民間の航空機や船舶の使用を検討せざるを得ない。 しかし、いつ戦争が勃発しても不思議ではない切迫した状態の中で、政府は本当に民間の航空機や船舶に危険覚悟での派遣を要請するのだろうか。また、民間の航空機や船舶の乗員組合は運航に同意するのだろうか。結局のところ、民間の航空機や船舶の派遣には大きな疑問符がつく。(※写真はイメージです) 韓国には邦人以外にも多数の外国人が滞在している。戦争が切迫している場合、多くの国は自国民を退避させるだろう。しかし、米国でさえ約20万人の在韓米人を自力のみで退避させることは難しいだろう。 したがって、多くの国が韓国に隣接する日本に自国民の退避への協力・支援を依頼し、日米を含む多国籍での大規模な退避作戦が実施されることも考えられる。この時に隣国の日本が日の丸を掲げた民間機、民間船舶、そして自衛隊も派遣せず、代わりに外国の民航機をチャーターして邦人や外国人の退避を行う姿は、日本の国際的な信頼にどのような影響を与えるだろうか。 日本が1991年の湾岸戦争において資金協力しかできず、国際的に評価されなかった轍(てつ)を踏むことは避けねばならない。政府は米国、韓国に多数の自国民が滞在する国々と連携し、韓国政府に対して邦人及び外国人の退避のための自衛隊の受け入れを強く働きかける必要がある。全面戦争レベルじゃなくても武力行使を行う北朝鮮 ここで仮に、韓国政府が在留邦人などの退避のための自衛隊の艦艇や航空機の受け入れを認めたとしよう。しかし、それでも懸念は残る。朝鮮半島で戦争が切迫している状況下では、自衛隊の艦艇や航空機は平素を上回るレベルで情報収集、警戒・監視、部隊輸送などの任務に従事し、本土防衛のための即応態勢の維持を求められる。その結果、韓国に派遣できる艦艇や航空機の数が制約される可能性は否めない。この際、自衛隊が保有する輸送機や輸送ヘリの搭載人員数は多くないことから、1隻で多数の人員輸送が可能な艦艇による在留邦人などの退避への期待が高まる。韓国・ソウル しかし、戦争が切迫している状況は、危険が全くないという状況ではない。2010年3月に韓国海軍の哨戒艇が北朝鮮の小型潜水艇による魚雷攻撃を受けて沈没した事件と、同年11月に北朝鮮が韓国北西部の延坪島(ヨンピョンド)を砲撃した事件は、北朝鮮が平素においても全面戦争に至らないレベルで武力行使を行う可能性を示唆している。 この際、特に警戒が必要なのは、10年の哨戒艦沈没事件と同様の小型潜水艇による艦艇への魚雷攻撃である。こうした攻撃は匿名性が高く、北朝鮮にとっては好都合なのだ。加えて、水深の浅い海域に潜伏する小型潜水艇を発見するには時間と困難が伴う。 また、いつ戦争が勃発しても不思議ではない切迫した状態の中では、艦艇で在留邦人などを退避させる前に潜水艇の捜索に十分な時間をかける余裕はない。したがって、在留邦人などを乗せた艦艇が魚雷攻撃を受けるリスクは覚悟せざるを得ない。 しかし、幸いなことに日本と韓国は近接しており、たとえば博多-釜山の距離は約200キロしかない。この距離であれば小型・中型艇を使った退避作戦も可能であり、喫水の浅い高速艇であれば、「おおすみ」型輸送艦などの大型艦に比べて魚雷攻撃を受けるリスクは大幅に低下する。したがって、人員を200-300人積載可能で、40ノット程度の高速性を有し、約800キロ以上の航続距離(無給油で博多-釜山間を2往復以上)を有し、海岸へのビーチング(直接乗り上げ)や岸壁への接岸も可能な高速揚陸艇を自衛隊が多数保有することは、朝鮮半島からの在留邦人などの退避にあたって意義が極めて大きい。邦人救出、現在の法制度でできること 現在、海上自衛隊は巨大ホーバークラフト「エアクッション艇(LCAC=エルキャック)」を6隻保有している。しかし、LCACの航続距離は40ノットでの航行時に約370キロと短く、一般の船舶に比べて小回りが利かないため小規模な漁港湾には入港しづらく、岸壁に接岸した場合には人員の乗降に時間がかかるという欠点を有するため、朝鮮半島からの在留邦人などの退避に適しているとはいえない。政府は、朝鮮半島からの在留邦人などの退避に備えて、LCACとは別の新たな高速揚陸艇を10隻以上自衛隊に保有させるべきだろう。2016年9月、支援車両を乗せて西表島の大原港に上陸する、海上自衛隊のエアクッション艇「LCAC(エルキャック)」(宮崎瑞穂撮影) もちろん、こうした新たな高速揚陸艇の導入には一定の時間を要し、現在の朝鮮半島情勢の緊張に直ちに対応はできない。しかし、北朝鮮が現在の危険な体制を維持する限り、朝鮮半島では今後も緊張が繰り返されることが予想され、それに備えた装備品の導入は急ぐ必要がある。また、高速揚陸艇は朝鮮半島からの邦人などの退避のみならず、南西諸島などでの離島防衛あるいは大規模震災における海路からの救援活動においても有効性が高く、「四面環海」の日本には不可欠の装備である。 最後に、危機管理の基本は「最悪の事態に備えた準備をしておく」ことであり、戦争が勃発した場合における在留邦人の退避態勢の整備を政府・与党に強く求めたい。現在の法制度では戦闘下における在留邦人の退避は外国頼りであり、イラン・イラク戦争中のトルコ航空機による在留邦人のテヘランからの救出劇(1985年)の再現を祈るほかに手段はない。野党も、在留邦人の命を守るという国家の責任に思いを致し、現実的な姿勢で議論に臨んでほしい。 6年前の東日本大震災は「想定外」だったのかもしれない。しかし、朝鮮半島で戦争が勃発した場合に多くの在留邦人が命の危険にさらされることは「想定内」である。「想定内」の事態に備えないことは、「想定外」の事態への準備がなかったことに比べれば、はるかに罪が重い。

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    日本国憲法が70年間一度も改正できなかったホントの理由

    倉山満(憲政史家) あれは23年前の春だった。ある偉大な政治家が獅子吼(ししく)していた。 「自由民主党の使命とは何か。日米同盟を堅持し、議会制民主主義を守る自由主義国の一員であることを世界に示し、経済成長による富の公正配分を行い、日本国が地球上で文明国として生存し、未来を子供たちに引き継ぐことである」 その政治家の名は、故浜田幸一。生前は“ハマコー”の愛称で知られた政治家だった。とある講演会での話である。あの時、ハマコーが何を言っていたかよくわからなかったが、今となっては、はっきりとわかる。 ハマコーは常に「自主憲法制定」を訴え、日米同盟堅持を絶叫しながらも、米軍の駐留を許している日本の現状を「植民地」と喝破していた。 果たして、ハマコーの警世に対し、現状の日本はいかほどの進歩をしているだろうか。あるいは、70年前に敗戦、そして日本国憲法を押し付けられてから、状況はどれほど改善されただろうか。 むしろ悪化しているのではないか。 敗戦によりアメリカの持ち物にされてしまった。それどころか、中国やロシア、あまつさえコリアにすら小突き回されている。 日本国憲法とは戦後レジーム、すなわち日本を敗戦国のままにさせる体制の中核である。 三島由紀夫が「憲法に体当たりして死ぬ奴はいないのか?」と絶叫してからでも、45年以上。誰一人、かすり傷一つつけていない。自衛隊駐屯地のバルコニーで演説する三島由紀夫=1970年 なぜ70年間、日本国憲法を改正できなかったのか? 私の答えはただ一つ。去年の参議院選挙の前、あれほど言ったのに私の言うことに何一つ耳を貸さなかったからではないか。以下の2本は、これまでにiRONNAに寄稿した私の論考である。「改憲はこの条文から始めよ!倉山満が評す安倍内閣の憲法論」「本気で憲法改正をしたい人たちへ その『方法論』を私が提示する!」 安倍内閣は千載一遇の好機を逃し、今に至っている。世の人は民進党を嗤(わら)う。その無能無策無定見は枚挙にいとまがない。私などは逆に、感謝したくなる。安倍内閣を支えてきた功労者として、海江田万里、岡田克也、蓮舫の三人以上に功績がある人がいるだろうか。 国民がいかに不満を抱こうとも、民進党ある限り、安倍自民党内閣は安泰である。 そして、誤植も含めて日本国憲法は一条も、一字一句、健在である。 読者諸氏は気付かれたであろうか。政権は保守が握っている。しかし、日本国憲法体制そのものは健在である。常に与党に居たい自民党、憲法改正さえ阻止すれば政権を担う責任など不要と割り切っている民進党。まるで自民党と社会党による55年体制の焼き直しであることに。 日本は敗戦国のままではイヤだと本気で思う勢力を保守と呼ぼう。 保守は、この負けっぱなしなのだと認識すべきだ。 では、この惨状をどう捉えるべきなのか。厳しい現実であっても、正確に認識すべきだ。その上でなくては、未来への道筋は見えてこない。 また、本稿では一条の光を示す。改憲に向けての具体的なキーマンが現れた。別に裏情報でもなんでもない。日常的に新聞でもテレビでも流れているが、気づく人が少ないだけだ。それを知らせるのが、私の仕事だ。9条を変えなければ何もできないのか かつて吉田松陰先生は名もなき下級武士や庶民の子供に、「自分が日本を率いるつもりで勉強しろ」と弟子たちに説いた。あげくは牢屋の中で死刑囚にも勉強しろと説いた。 なぜ? 松陰先生曰く、「知って死ぬのと知らずに死ぬのは意味が違う」と。 読者諸氏には、「憲法をどうするのか」、すなわち「日本をどうするのか」を考えながら読んでほしい。 「タマに撃つ タマが無いのが タマに傷」 何十年も自衛隊で自虐的に歌われ続けた狂歌だ。まるで冗談になっていない。戦車兵や砲兵はまだ良い。彼ら射撃訓練をするために予算を削られている他の陸上自衛官は、平均して年間200発も射撃訓練をしていないと聞く。これはアメリカ軍楽隊以下の水準だ。 海と空に至っては、さらに悲惨だ。2~3年に1回しか射撃訓練をしていないとのことだ。 では、海上自衛隊や航空自衛隊の基地をテロリストが襲撃してきたら、誰が守るのか。最低限は海上自衛官や航空自衛官が自力で守ってもらわねばならないが、そんな訓練など存在しないに等しい。では、陸上自衛隊が守るのかと問われれば、「聞いていない」と答えるだろう。陸上自衛隊与那国駐屯地で開かれた創設1年の記念式典2017年4月 吉田茂内閣の時に、自衛隊の前身である警察予備隊が発足し、「軽武装」が主張されて今に至っている。では「軽武装」とは何人か。32万人である。 この数字の根拠は、首相官邸周辺・自衛隊基地・主要港湾・主要幹線を最低限度の日数は防衛できるだけの数である。ここに原発は入っていない。原発の電線が切られれば日本人がパニックになるのは、東日本大震災の教訓だ。それよりなにより、自衛隊は発足以来、25万人の定足数が足りたことはない。 こういう話をすると、返ってくる決まり文句がある。「9条を変えなければ何もできない」と。 本当か。 では、全国の自衛隊駐屯地でトイレットペーパーは2ロール目から自腹である。予算が無いからだ。これも憲法9条を変えないと改善できないのか。 予算を付ければ良いだけの話である。 それとも自衛隊にトイレットペーパーが常備されれば、軍国主義が復活するとでも言うのか。護憲派左翼とて、そこまで恥ずかしいことは言えまい。もし本気で「自衛隊にトイレットペーパーが常備されれば軍国主義が復活し、戦争になる」などと言いだすなら、全メディアを通じて大々的に宣伝させればいい。日本国民は「そこまで自衛隊の状態は悲惨なのか」と同情してくれるだろう。護憲派左翼こそ笑い者になるのは必定だ。 訓練費も定足数も、同じ話である。憲法どころか、法律の改正すらいらない。 必要なものを必要と主張すればよい。堂々と財務省主計局に予算請求すればよいのだ。ところが、防衛省自衛隊関係者の前では、予算の話はタブーである。どこの省庁も、もはや錦の御旗と化している「財政健全化」を持ち出されたら、予算支出の増額を言いにくくなるが、官界では最弱小官庁の防衛省自衛隊は主計局の前では蛇に睨まれた蛙である。憲法を変えなくてもできることはある こうした表現の批判に文句があるのならば、来年度から防衛費を毎年5兆円にしていただきたい。その際にはひれ伏して謝罪する。 安倍内閣で防衛費が5年連続増額しているのを、評価する向きもあろう。しかし、防衛費1%枠などという何の根拠もない霞が関の掟を頑なに守っている枠内での話だ。合格最低点が60点だとたとえるならば、これまでが30点だったのが40点に上がったとて評価に値するのだろうか。 トランプ米大統領は、「同盟国は義務を果たすべきだ。せめて防衛費を文明国水準のGDP2%にまで引き上げよ」と訴えている。 好機ではないか。やれば良い。これだけ北朝鮮が暴れまわり、中国やロシアといった不安定要だらけの隣国に囲まれているのだ。日本が防衛費をGDP2%に増やしたとて文句を言うのは敵国だけだ。 だが、国内には防衛費増額を拒む勢力がいる。財政支出抑制を金科玉条とする財務省主計局、彼らに唯々諾々と従う防衛省自衛隊、そして安倍首相。 防衛費増額と憲法は何の関係もない。それとも、自衛隊が軽武装をできるだけの人数を充足させる、アメリカ軍楽隊よりもマシな訓練を行えるようにする、自衛官がトイレットペーパーの減り具合を気にしないで済むようになる。これらの予算請求もすべて憲法改正をしなければできないのか。だとしたら、その因果関係を立証できるのか。 憲法改正をしなくてもできることなどいくらでもある。 それを、「憲法を変えなければ何もできない」などと何もしなければ、「憲法の理念を守って何もするな」とする勢力と同じである。それとも、憲法の理念に従って防衛費増額をすべきではないと考えているから、「憲法9条を変えなければ何もできない」と考えているのか。 だとしたら護憲派と改憲派は同じ穴のムジナである。 本気で日本を想うなら、憲法9条を変えなくてもできることを先に全部やるべきではないのか。 昔、阪神タイガースのオーナーは言い放ったらしい。「2位が一番や。優勝したら給料を上げなアカン」 昭和40年から48年まで、読売巨人軍が空前絶後のV9を達成した。阪神タイガースなかりせば、不可能だっただろう。 長期低迷していたころの阪神タイガースを「ダメ虎」と言う。 そもそも「2位が目標」など、目標そのものが間違っている。勝つ気がないのだから、勝てないのは当たり前だろう。そもそもが、「巨人のやられ役で飯を食おう」という負け犬ならぬダメ虎根性なのだ。かつては「ダメ虎」と呼ばれた阪神の金本知憲監督ら=2017年4月、東京ドーム 某オーナー氏の理想は、シーズン最終戦まで優勝争いを展開し、負ける。ファンは最後まで一喜一憂するので消化試合が無い。そして優勝しないので給料は上げなくてよい。そして「今年は良く頑張りました。来年こそ優勝しましょう!」と盛り上がるが、いつまでも勝つ気はない。「やられ役商売」である。 昭和40年代は2位争いの常連だったから、まだいい。最下位争いが指定席となっていた平成時代など、もっと悲惨だった。内輪もめと足の引っ張り合いは絶えず、強力な指導力を発揮した人物は一人もいないが、それでいて真の敗戦責任を感じ改革を成し遂げた人もいない。そうした惨状でもファンは見放さなかった、と言えば聞こえがいいが、要するに甘やかし続けた。誰もがぬるま湯に慣れていたのだ。だから、ぬるま湯から出たくなかったのだし、出ようとする人間を引き摺り下ろし続けたのだ。  政治の世界でも似たような人たちがいる。 日本社会党である。 昭和20年に結成したこの党は、早くも2年後には第一党に躍進し、政権を奪取した。ところが党内の派閥抗争で何もできないまま、あっさり瓦解。以後は「政権恐怖症」とも言うべき状態に陥った。自民党に好都合だった「社会党」 しかし、社会党の国会議員たちも当選はしたい。そこで考え付いたのが「護憲」である。 衆参両院のどちらでも良いから34%の議席があれば、憲法改正発議は阻止できる。つまり、拒否権集団として生きる道を選んだのだ。 34%の議席があれば51%はいらない。政権意欲の全くない、政党としての最低条件すら有していない恥ずべき集団の、最大受益者が自民党である。自民党は何が何でも衆議院に51%の議席が欲しい。そうした自民党にとって、絶対に自分を脅かさない社会党ほど好都合な存在はいない。社会党が野党第一党でいてくれこと、他の野党が伸びない。 ここに自社の野合が成立した。品の良い人は「55年体制」、口の悪い人は「風呂屋の釜の関係」と評した。前者は二派に分裂していた社会党の再結集と、保守合同による自民党結成がいずれも1955年に行われたことに由来する。後者は、男湯と女湯に別れていても、目に見えない釜は一つにつながっていて、同じお湯を使っている関係だとの意味だ。 現に国会で激しく乱闘を繰り広げた両党の議員が、銭湯で背中を流し合うなど、日常的な光景だった。 こうして、政権亡者の自民党と、護憲を飯のタネにする社会党の癒着が続いた。社会党の姿を今の民進党に見る向きも多いだろう。それもそのはず、民進党は社会党の末裔なのだから。民主党時代はまだ政権獲得の意欲だけはあったが、民進党に衣替えしたら社会党に先祖がえりである。 55年体制時代は、「まさか社会党に政権を渡すわけにはいかない」が自民党の合言葉だった。そして自民党のあらゆる腐敗が「社会党よりマシだから」で正当化された。 こうした中で、憲法改正を本気で言う自民党の首相が出てくるはずがない。 最も緊張感を欠いたのが、中曽根康弘だった。国会で「佐藤内閣のような長期政権位なれば憲法改正をしますか」と問われ、「そんな長期政権になりません」と緊張感のカケラも無い答弁をした。その通り、佐藤栄作政権ほどの長期政権にはならなかったが、憲法改正には指一本触れなかった。「戦後政治の総決算」などと掛け声だけは勇ましかったが。中曽根康弘首相(右)とロナルド・レーガン大統領=1983年1月、ホワイトハウス(共同) そもそも自由民主党は、自由党と日本民主党の保守合同によって成立した。自民党は自主憲法制定を党是としており、保守合同はその手段にすぎなかったことは知られている。 しかし、自主憲法制定すら手段にすぎなかったことは、どれだけの人が覚えているだろうか。そもそも、何のための自主憲法制定か。自主防衛のためである。いずれも「目的」になった護憲派と改憲派 昭和20~30年代、日本国憲法や日米安保条約など、暫定的な法律であると認識されていた。保守政党のみならず、社会党をも含めて、政界全体の常識であった。 ところが、自主防衛はおろか、「自主憲法」という言葉そのものが死語になった。憲法改正と言おうが、自主憲法制定と言おうが、言葉はどちらでもいい。問題は中身だ。 現在の改憲論議が、日本国憲法の条文を変えるか変えないかの議論に終始してきた弊害は、各所で指摘してきた。 本来の憲法論議は、先に「日本国をどうするのか」の国家経営の議論があって、後に憲法典の条文をどうするのかの議論であるべきだ。ところが、誤植も含めて一字一句変えたくない護憲派と、日本国憲法(特に9条)の字句を何でもいいから変えたい改憲派。一体何がしたいのか。日本国憲法第7条四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 7条の「総」一字が誤植である。衆参同日選挙でも参議院は半数改選なので、「国会議員の総選挙」は日本国憲法では存在しない。この誤植一文字すら、変えられなかった。 9条をよく読んでほしい。どこに「自衛隊にトイレットペーパーを支給してはならない」などと書いてあるのか。それとも、「そもそも自衛隊は違憲の存在なのだから、トイレットペーパーを1ロール以上支給してはならない」などという解釈でもひねり出す気か。ならば1ロールに限る根拠は何なのか。9条をめぐる憲法論議など、この程度である。 かつて、岸信介内閣は憲法9条下でも核武装は可能との解釈をひねり出した。日本国憲法など、そのような解釈も可能なほどデタラメなのである。 別の例を出す。「憲法9条を変えない限り、北朝鮮拉致被害者は奪還できない」としたり顔で説教する自称改憲派にも、しばしば出くわす。 では、拉致被害者や家族は、百年河清を待つがごとく憲法改正を待てと言うのか。それよりも、憲法典と何の関係もなく拉致被害者を取り返した小泉純一郎のような政治家を望んでいるのではないのか。 なぜ小泉内閣が拉致被害者を取り返せたか、一言しておく。 2001年当時、9.11テロでアメリカは「テロとの戦争」を宣言した。小泉内閣はいち早く応じ、イージス艦をインド洋に派遣するなど同盟の義務を果たした。年末には、北朝鮮の不審船を自沈に追い込み、その上で残骸を引き上げてさらし者にした。「1人も返さないような態度なら、殺すぞ」との国家意思を示したのだ。負け犬根性から抜け出せ! なんでもかんでも日本国憲法、特に9条のせいにして、できることすらやらない。 政界では社会党が「やられ役」だったが、言論界では護憲派は常に多数であり続けている。改憲派が「やられ役」に甘んじているとしたら、社会党やかつての阪神タイガースを嗤(わら)えるだろうか。 社会党の末路は哀れだが、阪神タイガースは一人の傑出した指導者により蘇った。 野村克也監督である。野村監督は、阪神タイガースの完全な外様であり、異分子だった。それだけに、ぬるま湯体質を容赦なくぶち壊し、選手に基礎を徹底的に叩き込み、フロントやファンを教育した。野村監督の時代には成果が出なかったが、次の星野仙一監督の時代からは二年に一度優勝する強豪チームに生まれ変わった。 憲政史家を名乗る私の役目は、野村監督のようなものだと思っている。一、 負け犬根性から抜け出す。二、 何が勝利なのか、明確に目標を定める。三、 憲法学に関する基本的な議論を普及する。四、 小さくても良いから、勝利を積み重ねる。 ここまでできれば、御の字と思っている。 何だかんだと自民党の存在価値は何か。国民を食わせることである。 安倍首相がいかなる失政をしようが、民進党が何をわめこうが、経済で間違わない限り安倍内閣は安泰だろう。 現在の経済状態は、20年に及んだ大デフレ不況から、緩やかに回復しつつある。回復しつつあるのは日銀の「黒田バズーカ」の破壊力の効果であり、「緩やか」でしかないのは消費増税8%の威力である。何とか10%の再増税を阻止し、黒田東彦日銀総裁が追加緩和を行ったので何とか日本経済も回復してきた。 今や失業率は2%を切るまでに減り、都内アルバイトの時給は1000円を下らず、大学生の就職はバブル期並みまで回復した。安倍内閣を支えているのは、少数の熱心な保守ではない。アベノミクスの恩恵を受けている多数の日本国民である。特に若者の支持率が高い。参院予算委員会で答弁する安倍晋三首相=2017年2月 ならば、景気回復を加速させて憲法改正に有無を言わせない世論の支持を得ればよい。詳述はしないが、金融緩和の加速、インフレ目標の引き上げ、消費減税、財務省人事への介入など、いくらでもやることはある。何より最も効果的な財政政策は、防衛費増額である。トランプの望む通り、来年度から5兆円の増額を打ち出せばよい。外為特会を10年切り崩しても、まだ財源におつりがくる。 希望はある。 キーマンは、日銀政策決定員会審議委員に安倍首相が指名した片岡剛士氏である。片岡氏は歴代民主党政権を批判、現在アベノミクスと呼ばれているような経済政策を主張したリフレ派の論客である。その中でも、アベノミクスにはまだまだやれる余地があるとの立場での指摘をしてきたエコノミストだ。安倍首相はその通りやれば良い。 果たして、安倍内閣の生命線である経済政策、国際情勢、そして政局が一つの問題だと考えられるだろうか。憲法改正は、この三つの別の問題に見えて一つの問題の先にあるのだ。 世の人は「安倍右傾化内閣」と言う。あるいは逆に、そうした批判に耐えて政権運営している安倍首相を「良くやっている」と評する人もいる。本当だろうか。では、仮に考えてみよう。 現在、東アジアの緊張が高まっている。現在どころか、ソ連崩壊以来、常に高まりっぱなしである。米中露の三大国に加え、ならず者の北朝鮮までが核武装して睨み合っている。日本と韓国だけが平和ボケして、当事者意識を無くしている。 こうした中で、安倍首相の「緩やかな景気回復」「申し訳程度の防衛費増額」「民進党よりはマシだから高支持率で内閣は安泰」の状態が、後世の評価に耐えられるだろうか。 現実には考えにくいが、まったく無い訳ではない仮定の話をしよう。 何かの拍子で、東アジアで大戦が起きる。その時、ヒトラーやスターリンに侵略された第二次大戦の小国の如く日本が蹂躙されたとして、その時の安倍首相を「よくやっていた」と称揚できるだろうか。あるいは、安倍内閣がそうした最悪の情勢への備えをしていると自信を持って言えるだろうか。 ここまで言って、「北朝鮮のミサイルが落ちるまで日本人は気付かない」などと何もしないなら、それこそ護憲派と同じである。賢明な読者諸氏は、自分が何をすべきかを考えてほしい。 なぜ憲法改正ができなかったか。 憲法改正など目的ではなく、自主防衛への手段にすぎない。こんな基本的な認識すら忘れているのだから、勝てるはずがないではないか。

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    「自衛隊は違憲の軍隊である」 この現実をあなたはどう思いますか?

    筆坂秀世(政治評論家) これまでなぜ憲法改正がなされてこなかったのか。その理由は簡単だ。真剣に取り組む政党も政治家もいなかったからである。 自民党が昭和30年に結党された際、「党の政綱」の中で、「六、独立体制の整備」という項目を立て、「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」「世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」と唱えていた。 この間、ほとんどの時期を自民党は政権党であった。だが現在の安倍政権を除いて、本気で憲法を改正しようとした自民党政権はあっただろうか。寡聞にして知らない。東京・永田町の自民党本部 もちろん、その責任がすべて自民党にあるとは思わない。やみくもに憲法改正を提起すれば、それでことが成就するというほど簡単な課題ではないからだ。 それは憲法改正についての世論調査を見ても明らかだ。時には改正に賛成が反対を上回る場合もあるが、その逆もしばしばある。世論の動向は、政党として無視できないのは当然である。 また日本には、日米安保条約に基づいて強力な米軍が駐留し、安全保障をアメリカの核の傘に委ねているという事情もある。この米軍と自衛隊の協力強化に注力すればよいという考え方が蔓延(まんえん)しても不思議ではない。 ましてや日本において憲法改正というのは、簡単な仕事ではない。相当な説得力を持たなければ、国民多数の賛同を得ることは困難である。こんなリスクの大きい仕事をどの政権も避けてきたということだ。 日本を占領したアメリカの占領政策の基本は、日本を軍事的に丸裸にし、「日本には民主主義がなく、道徳的にも誤った戦争を行って敗北した」ということを徹底的に、たたき込むことであった。 それはポツダム宣言の「我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまで…」、「日本国民を欺瞞(ぎまん)して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する」「一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える」などという文言に、よく示されている。 昭和21年11月3日に公布された現在の憲法が、多くの国民に歓迎されたことは間違いない。私自身、23年生まれの団塊の世代だが、昭和22年から23年に生まれた同級生には、憲一など憲法の「憲」の字を使った名前が少なからずあった。軍事力によって国際問題の解決することを放棄した憲法の新理念に、共感したからであろう。長く続いた戦争や軍部の独走に、軍事アレルギーともいうべきものが生まれていたこともあったのだろう。 これを決定的にしたのが、現在の憲法の制定である。この憲法によって、武力を持つことはやましいことであり、間違いであるということが喧伝(けんでん)されてきた。「平和」、「平和」と叫ぶ護憲派の人々は、共通して軍事を忌避する人たちである。自衛隊をも忌み嫌っている。かつて存在した日本社会党の「非武装中立」論などは、その最たるものである。ちなみに、今の日本共産党は、社会党と同じ「非武装中立」論に立っている。アメリカの思惑通りというか、想定以上になったということだ。共産党がすべきこと 昭和25年6月に北朝鮮の南進による朝鮮戦争が勃発した。駐留米軍は、この戦争に参戦したため、国内の治安維持のため警察予備隊が創設された。これがその後、自衛隊になっていく。 憲法9条2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されているにもかかわらず、なぜ自衛隊を保持できるのか。防衛省のホームページには、次のようにある。 「平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています」 これが自衛隊合憲の論理立てである。 憲法の専門家などの一部では、芦田修正(憲法改正小委員長だった芦田均による修正)によって、9条2項に「前項の目的を達するため」という文言が挿入されたことによって、侵略を目的とする戦争や武力行使のための戦力は保持できないが、自衛目的の戦力なら保持が可能になったという説もある。ただ歴代政府は、この解釈は採用していない。そのため自衛隊を「戦力」ではなく、「自衛力」としてきた。 自衛隊は、国際的には軍隊と見なされているにもかかわらず、軍隊ではないというのが政府見解である。しかし、この憲法解釈が憲法改正の足かせとなってきた。「自衛のための合憲の実力組織があるのだから、9条改正は必要ない」という理解を生んでしまったからだ。 安倍晋三首相(右)も出席した「新しい憲法を制定する推進大会」であいさつする中曽根康弘元首相=5月1日、東京都千代田区の憲政記念館(飯田英男撮影) 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法9条2項は、普通に読めば軍隊そのものの自衛隊は保持できないとするのが当然だろう。これを合憲だとしてきたことにそもそも無理があるのだ。合憲としてきたことが足かせとなって、逆に憲法改正を提起できなくなってきたのである。 憲法学者の圧倒的多数も自衛隊を違憲としている。だがこれらの人々が違憲の自衛隊の即時解散を主張しているかといえば、そうではない。たとえ違憲の立場にたってはいても、自衛隊の存在意義は認めているのだ。これは憲法学者だけではなく、一般の国民も同様だろう。 だったらこの際、改憲を本気で目指すのであれば、自衛隊は違憲であるという立場から出発すべきなのだ。「自衛隊は違憲です。しかし、米ソが対決する当時の国際情勢のもとで自衛隊を創設するしかなかったのです。自衛隊はいらないという人はいないでしょう。この際、憲法9条を改正して、曲芸のような憲法解釈ではなく、憲法に沿った自衛軍を堂々と持つようにしましょう」というように。 逆に護憲派は、日本共産党のように「自衛隊は違憲の軍隊」というのではなく、「自衛隊は合憲です。だから9条改正の必要はありません」と主張すべきなのだ。 改憲派と護憲派は、主張が逆立ちしているのだ。

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    「築70年の物件」日本国憲法はどれくらいガタがきたのか

    かったのか。一言でいえば、これまで改正する必要がなかったから、ということになるだろう。日本国憲法は、政治権力を実効的に組織し発動させるとともにその乱用を防止する統治制度の仕組みと、個人の尊重を基礎とする「基本的人権の保障」という伝統的な原理に加え、これらの原理やルールの実現を確保する「違憲審査制度」「平和主義」という、第2次世界大戦後に諸国でも広まった、比較的新しい立憲主義の原理をもいち早く備えていた憲法典である。 これらの原理は普遍的なものであり、日本国憲法は、今日でも世界に通用する内容を持っている。そして現に、この日本国憲法のもとで、日本社会は戦後復興から高度成長を経て、個々にはさまざまな問題があるにしても、総じて平和と繁栄を享受してきたのである。この事実は無視できない。その意味で、日本国憲法はうまく機能し、だからこそ国民もこれを暗黙のうちに支持してきたのではないか。昭和天皇の署名がある日本国憲法の公布原本=4月7日、東京都千代田区の国立公文書館 ただ、一切改正をせずに済んでいる理由として、日本国憲法が憲法典としては簡素であるという特徴をもっている点は重要である(この点は多くの専門家が述べるところであり、このサイトでも、九州大の井上武史准教授が、主要国の憲法典の単語数を掲げて論じているのでご覧いただきたい)。憲法典として簡素であるということは、上記の諸原理やルールを、国会が定める法律や、裁判所の判例で補足し、具体化し、そして、憲法典が定める骨格を損なわない限りで発展させていく余地が大きいことを意味する。 例えば、選挙制度は民主的な統治の仕組みの根幹をなすものであるが、日本国憲法は、15条や44条で普通選挙や秘密投票、選挙人資格の平等などの原則を明記するだけで、47条で「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」として、その構築をおしなべて法律に委ねている。90年代初頭の政治改革により、衆議院の選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に改められたことで、それ以降の日本の政治のあり方が変わったことが指摘されるが、このような変革も憲法改正なしに行うことが可能であったのである。基本的な原理・原則だけを掲げる基本的人権 また、憲法典で定めが置かれていても、その条文そのものが簡潔なために、基本的な原理・原則だけを掲げていると解釈すべきものも多い。基本的人権の規定の多くはそうである。例えば、憲法21条1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。しかし、だからといって、名誉やプライバシーを傷つける表現行為を考えればわかるように、どのような表現行為であっても保護されることにはならない。 そこで、憲法21条1項は、表現の自由を基本原理として保障したものであり、法律によって表現の自由と他の利益との調整を図ることも、説得的な理由がある場合には認められる、と解釈することになる。法律の規制が強すぎて、表現の自由が侵害されてしまわないようにするため、法律を定める際に政府でも内閣法制局を中心に検討するし、国会でも議論が行われるが、最終的には、法律が定められた後に、その法律が適用される具体的な事案をめぐる裁判の中で、最高裁判所が、具体的な事実関係に即して現実に表現の自由が他の利益との間でどこまで保障されるのかを明らかにする。 こうして、最高裁判所の判例によって憲法の条文の意味が補充され、具体的なものとして姿を現す。そして、判例の積み重ねの中で、具体的な人権保障のありようが展開していくことになる。 たとえば、日本国憲法に明文化されていない「新しい人権」は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める13条から導き出すことが可能であると説かれ、判例も、慎重な歩みではあるが、プライバシー権を憲法上の人権であると実質的に認めるに至っている。 このように、日本国憲法が統治機構の仕組みや人権の保障に関する規範など重要な事項だけを定める簡素なものであることによって、時代の変化に応じた社会の要請に対しても、法律や判例により柔軟に対応し、憲法秩序の「バージョンアップ」を図っていくことができているのである。ここ20年をみても、90年代末からの行政改革(内閣の機能強化など)、司法改革(裁判員制度の導入など)も大規模な統治機構改革であったが、これらも法律の定めによって実施されている。 また、人権保障の場面でも、最高裁は、在外日本人に選挙権の行使を認めていなかったことが憲法15条に違反すると判断したり、嫡出でない子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする民法の規定、そして女性の再婚禁止期間を6カ月とする民法の規定がそれぞれ憲法14条1項に違反すると判断したりするなど、時代の流れや社会の変化に応じて人権保障を図るようになってきている。 これを家に例えれば、一方で、本数は多くないが十分に家を支えることのできる土台や柱、はりが整っており、他方で、それらを傷つけない限り、間仕切りや床板を動かし取り換えることで、住んでいる人々が快適に生活していけるようにリフォーム、リノベーションが可能となっている。だからこそ、日本国憲法は長寿を保っているのではないだろうか。改正論議に欠ける「憲法のバランス」 それゆえ、近ごろの憲法改正論議を見るときに持っておきたいのは、家の例えでいえば、「その改築をするために、本当に土台や柱、はりの入れ替えや増設をしなければならないのか」という視点である。これらの工事に踏み切るならば、時間も費用もかかり、またそれによって建物全体のバランスが崩れてしまう恐れもある。そのような諸々のリスクを冒してまで工事を検討するというのであれば、建築の専門家の意見も聞いて、慎重に議論を進める必要があるだろう。憲法改正論議も同じである。そのような視点からみると、近ごろ議論されている憲法改正の提案内容の多くには疑問を抱かざるをえない。 例えば、緊急事態時の国会任期延長を憲法典に盛り込むべきとの提案がある。これは、憲法54条1項が「衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない」と定めているところ、衆議院解散後に、例えば首都圏を含む広範囲にわたり大規模な地震が発生して、40日以内に総選挙を行うことができなくなる事態が起きれば憲法違反となるので、それを避けるために緊急事態時の国会任期延長を憲法典に盛り込むべきではないか、という提案である。 しかし、公職選挙法は、天災などで投票が行えない場合のために「繰延投票」という仕組みを予定しており、一部の被災地域で40日以内に投票できなかったとしても、全国的にみて40日以内に総選挙を実施できているのであれば、憲法に違反しないと考えられる。大規模かつ広範囲の災害といっても、定足数の3分の1の議員すら選出できなくなる事態は考えづらい。 現在の仕組みでは、全国で一つの選挙区である比例代表は、被災地域の投票数が確定しないとすべての議席を確定することができず議員を選出できない、つまり、475人の衆議院議員のうち180人の比例代表選出議員が選出されないとされているが、一部の議席を暫定的に確定する技術的な工夫も考えられるし、ブロック別にしたり比例代表選出議員数を減らしたりするなどして対処することができるだろう。 「災害時に国会が動けるよう備える」という発想は重要であるが、それならば、上記のように極めて限られた場面だけに注目するのではなく、より一般的に、国会開会中であれ、任期途中の閉会中であれ、首都直下地震が起きて国会議事堂が使えない、さらには国会議員が東京にいることができない事態が起きたときに、どのような手順を踏んでどこで国会を開くのかといった、憲法改正のいらない実際上の段取りを議論し、国会議員・両議院の事務局の間で共有する方が、はるかに重要ではないだろうか。一向に進んでいない「立法改革」 また、憲法26条2項後段は「義務教育は、これを無償とする」と定めるが、これを改正して、教育費の無償化を義務教育だけでなく高校、大学にも拡大する旨の提案がなされている。教育費の無償化を拡大するという内容自体には異論は少ないだろう。しかし、この政策は、わざわざ時間とコストをかけて憲法改正に訴えなくても、法律を定めればすぐに実現できる。そのような法律は、憲法に違反しないからである。しかしそれが実現しない理由には、財政上の制約があるからだろう。その点を無視して、一足飛びに、法律であれば将来容易に改正が可能となるので憲法で保障をするのだ、と主張するのは無責任ではないか。 むしろ、この政策に本気で取り組むつもりがあるのであれば、法律によって直ちに無償化を実現して、そのあと様子を見る方が実際的ではないか。現に、義務教育における教科書の無償は、憲法26条2項の保障には含まれないとされたものの、1963年に法律が定められて以来、50年以上にわたり定着しているところである。教育費の無償化の拡大という政策についても、これと同じ道筋をたどって実現、定着させることは十分に考えられる。 繰り返すが、「その改築をするために、本当に土台や柱、はりに触れなければならないのか」という視点が重要である。そしてそこでは、一本の柱やはりばかりに目を向けるのではなく、なんのためにそれに触れるのか、それにより建物のバランスは崩れないか、建物全体を眺めたトータルな議論と検討を、専門家の意見も参考にしながら行うのが望ましい。 とはいえ、築70年の建物全体を見渡してどこかにガタがきていないかチェックを行い、必要なメンテナンスを検討することは、もちろん大事なことである。その中で一つ気になるのは、国会のあり方である。上記の通り、三権のうち、行政部、司法部については、行政改革、司法改革によって「バージョンアップ」が行われたが、立法部の改革は一向に進んでいない。 立法手続では、政府提出法案の国会提出前に非公開の与党政調部会で行われる事前審査で法案の内容が固められてしまい、国会提出後の法案修正には応じないのが原則となっている。これに反対する野党は、会期が終わればそれまでに成立しなかった法案は廃案となるので、日程消化を目指すことになる。そして会議の日程とシナリオは、国会の公式の会議ではなく、これまた非公開の与野党国会対策委員会での話し合いで決められる。このように、立法手続は、国民の目に審議の内容が見えづらい不透明なやり方が続けられている。国対委員長会談に臨む、自民党の竹下亘氏(中央右)、民進党の山井和則氏(同左)ら=4月21日(斎藤良雄撮影) また、「官邸主導」という言葉の通り、内閣、内閣総理大臣の政治権力が強まる中、それとバランスをとるために、政策遂行に対して事後的に政府から情報提供と説明をさせて議論を行う行政監視(政府統制)という役割が国会、国会議員には期待される。しかし、実際にはこの機能もあまり果たされていない。グローバル化が進み、迅速かつ実効的な政策の立案と遂行が求められる状況下で、内閣や首相の政治権力が強まること自体は決して悪いことではないが、このような国会のありさまは、諸外国と比べても独特であって改善を要するものである。  さらに、これらに関連して、二院制(両院制)のあり方も問題となる。日本国憲法の定める二院制は、内閣総理大臣の指名、法律、予算、条約の承認の議決で衆議院が優越し、また内閣不信任決議権をもつのも衆議院だけとされている。しかし、法律の議決については、憲法59条2項が、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる」と定めており、衆議院が勝つためには3分の2以上の多数の支持が必要となる。2016年7月10日、参院選の投票所で一票を投じる有権者=大阪市内の小学校(村本聡撮影) 参議院で野党が過半数を占める「ねじれ国会」となったとき、この規定があるために衆議院で多数を占める政府=与党は、法律を野党の協力なしには成立させることができない事態に陥った。このような状況を「決められない政治」として批判するならば、両議院の役割と関係を整理し直す必要があることになるだろう。 もちろん、これらの国会改革も、憲法を改正せずに実現可能だ。立法手続や行政監視に関する改革は、議院規則や運用の修正によって、憲法改正によらず実現することができる。二院制についても、「ねじれ」が起きて、ある法律案に対する賛否が両議院で異なる場合に、両院協議会を開いて議論をしても衆議院が譲らないときには最終的に参議院が譲るといった、参議院がその権限行使を自制する慣行を作り、当事者である政治家たちがこれを守るべきものとして捉えて規範(「習律」と呼ぶ)に高められることができれば、憲法改正によらなくても両議院の関係を整理することが可能である。 しかし、現在までの政治の流れを見る限り、政治的に強い力を持つことを覚えた参議院(議員)が、その力を自ら手放すことは考えづらい。そうであるならば、憲法59条2項を改正して、「三分の二」を「過半数」とすることが考えられる。あるいはそれだけだと参議院が弱くなりすぎる、というのであれば、衆議院の再可決を「参議院の議決から1年を経過した後に」として、冷却期間を置くことも考えられる。 ある規範を法律ではなく憲法典で定めることの意義の一つとして、その規範に行政(政府)だけでなく立法(国会)をも拘束させることがある。憲法典は、行政や司法、地方自治といった国会以外の部門の権限や組織の骨格を定めることで、国会が法律の定めによってそれらを動かし変えることができないようにするだけでなく、国会の権限や活動のあり方そのものの骨格を定めることで、国会のあり方をも規定している。 国会は、上で述べたように、その権限や活動を自ら律することで「バージョンアップ」を図るという方法を取ることもできるのだが、それがうまくいかない場合には、憲法典による拘束に訴える形で「バージョンアップ」を図らなければならない。憲法改正にもつながりうる重要な検討事項として、国会(議員)自らの権限や活動のあり方があることを、国会議員にはもっと自覚してもらう必要がある。

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    施行70年、憲法改正はいま

    「この節目の年に必ずや歴史的な一歩を踏み出す」。悲願の憲法改正。その言葉は自らを奮い立たせる首相の決意の表れだった。日本国憲法が施行から70年を迎えた。改憲か、護憲か。国論を二分する難しいテーマだが、そもそもわが国の憲法はなぜ一度も改正されなかったのか。憲法のいま、そして未来を考えたい。

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    憲法は、国家が失敗しないための「貼紙」

    木村草太(憲法学者)×出口治明(ライフネット生命保険会長)出口:この対談は、僕がいろいろな先生方に教えを請うという場です。今日は木村先生から「日本国憲法」のお話をうかがうことを楽しみにしてきました。よろしくお願いします。木村:まずは、日本国憲法というよりも、「憲法とは何か」というところからお話をしましょうか。憲法とは、国家権力が過去にしてきた失敗を繰り返さないために、その失敗をリスト化して禁止したもの。言ってみれば貼紙のようなものなんです。出口:なるほど。木村:たとえば、小学校には「廊下を走らない」という貼紙がしてありますね。子どもたちが集まると廊下を走り出してしまうのは、人類普遍の原理です(笑)。それを繰り返させないために貼紙をするわけです。どんな団体や組織にも失敗しがちなことはあります。たとえば、学校の場合は廊下を走らないですが、国家の場合は「戦争をしないようにしよう」とか「人権侵害をやめよう」とか。憲法は、そのような貼紙だと思えばいいんです。出口:すごくわかりやすくて面白い! 実は僕、恥ずかしいんですが、大学は憲法ゼミだったんですよ。木村:えっ、そうなんですか?出口:でも憲法自体は全然勉強しなかった。表現の自由を勉強していたんです。木村:なるほど、そうでしたか。出口:僕は単純に考えれば、どんな社会でも権力は必要だと思っています。国家がなぜ作られたかといえば、権力をひとところに集めて治安を維持し、住みやすい世の中をつくるためですよね。そして、ルールを決めていった。連合王国の、マグナカルタ以降の慣習法のように、みんながルールを意識すればいいのですが、近代国家の憲法は、みんなに向けて明文化したほうがいいということですよね。木村草太さん(左)、出口治明さん(右)木村:その通りです。たとえば会社でも、失敗しやすいことや気を付けなければいけないことがあると思うんです。出口さんが会長を務めるライフネット生命はどうですか?出口:あります、あります。当社の場合、マニフェストという形でパンフレットに書いています。たとえば「生命保険を、もっと、わかりやすく」とか。木村:それは、非常にいいフレーズですね。保険というのは難しい商品なので、放っておくとどんどんわかりにくくなってしまいますから。ところで出口さんは、子どもたちに保険が大事なものだと伝えるとき、どんな説明をしますか?出口:うちの会社にはよく小学生が遊びにくるのですが、紙芝居などを作って説明しています。「きみが交通事故に遭ってケガをしたとする。病院に行ったら、薬を塗ったり包帯を巻いてもらったりするよね。そうするとお金を払わなければいけない。入院すればもっとたくさんのお金が必要になる。不時の出費は大変だよね。でも、保険に入っていればそこでお金がもらえるから、普段の生活には変わりないんだよ」などと。木村:なるほど。出口:保険の本質は、ロス・ファイナンシングです。社会で生きていると、何かしらロスが起きる。たとえば火事で家が焼けたら、建て直さなきゃいけません。お金持ちなら自分でファイナンスできますが、持っていない人は建て直せません。そのときの手段が保険なんです。木村:「本当に困ったときのことを想像してみよう」というところから教えているわけですね。出口:ええ。困らなければ必要のないものですから。木村:普段は気づかないけれど、いざというとき頼りにできる。そういう意味で、保険は憲法と似ているなあと思うんです。テレビなら買ったその日に見られますが、保険は買ったからといってすぐには使えません。でも、事故や病気など本当に困ったときに、救われるものです。出口:たしかに憲法も、争いごとなどなくて、社会がうまくいっているときは関係ないですねえ。木村:憲法のありがたみは、人権侵害されたり、逮捕されたりして初めてわかるんですよ。出口さんが、「困ったときのことを想像してみよう」と伝えているのは、すごく参考になります。憲法も、単に条文を教えるだけではなかなか伝わらない。「憲法って、こういうときに使うんだよ」ということを合わせて教えないと、と思います。「日本国憲法は標準装備度が高い」出口:では、日本国憲法はどのようにとらえたらいいでしょうか。木村:他国との一番の違いは、できた時代です。フランスの人権宣言やアメリカの憲法は、18世紀の終わりに作られたので、憲法に何を盛り込まなければいけないか、まだよくわかっていなかった時代なんですね。その後、修正や改正を繰り返してようやく、書いておかなくてはいけないものが書き込まれた感じです。出口:連合王国の慣習法に近いやり方ですね。成文にはしていますが、ちょっとずつプラスして憲法を作っている。木村:そうです。フランスもアメリカも、どんどん建て増しをしている。一方、日本国憲法ができたのは第二次世界大戦後です。「憲法には、こういうものが必要だ」と、だいたいわかっていた時期ですね。そのため、「軍隊をコントロールする」「人権を保障する」「権力を分立する」「人権保障のために裁判所に違憲立法審査権を付与する」といった立憲主義の基本メニューが最初から装備されています。 連合王国の憲法は、昔からの慣習法としてあった憲法を修正しながら使っているので、標準装備が整っていないところがある。たとえば、憲法裁判所や最高裁判所による人権を守るための違憲立法審査の仕組みがありません。法律でOKしたことについて、国民は基本的に文句を言えないんです。アメリカでもドイツでも日本でも、人権侵害を侵す法律があった場合、国民はダメだと言えるのに。出口さんはロンドンに住んでいたことがあるそうですね?出口:はい、あります。木村:私の理解では、連合王国の人たちは「自分たちは自由の祖国である」という意識を強く持っている。非常に人権意識が高い印象ですが、どうでしょうか。出口:その通りだと思います。木村:なので、「私たちの議会が人権を侵害するなんて、ないんじゃないか」という考え方だったのです。木村草太さん出口:議会の歴史そのものが、自由を勝ち取るための戦いだったので、そこに対する信頼感が高い。わざわざそんな仕組みを入れなくても、我々はマネージできるという考え方なんでしょうね。木村:そうなんですよ。ただ、EU化の流れの中で、連合王国もヨーロッパ人権条約に加入することになりました。加入国の国民は、自国の人権侵害について、ヨーロッパ人権裁判所に訴えることができるんです。連合王国は、この条約に加入するとき非常に楽観的で、「自分たちは自由の祖国なのだから、国民が人権裁判所にお世話になることなどない」とプライドを持っていた。ところが実際は、人口当たりの人権裁判所に出訴した割合と、裁判所で国の側が敗訴した割合が、いずれもヨーロッパワースト1位なんですよ。出口:ええっ、まったく知りませんでした。木村:イギリス人としては「こんなはずじゃなかった」というところでしょう。ドイツやフランスなどには、自国内に憲法裁判所、憲法院や違憲立法審査権を持つ裁判所などがあるので、人権問題が起きたらまずそこで訴えます。しかし、連合王国の場合は議会が最高決定者なので、問題が起きたら即座にヨーロッパ人権裁判所に行くんですね。連合王国の自由の歴史はすごく大事ですし学ぶべきところがありますが、標準装備が入ってないがゆえに問題が起きるのです。出口:そういう面で、日本国憲法は非常に標準装備度が高い、と。木村:そうです。後からできた方がやっぱり装備が整っていると思いますね。「憲法9条は、13条や国際法と合わせて立体的に読んでほしい」出口:次に考えたいのは、日本国憲法の中身です。最も特色があるのは、やはり9条でしょうか?木村:憲法9条はなかなか難しい条文ですが、改憲派護憲派問わず9条しか読まない人が多いのが、私は不満なんです。出口:ほう。木村:現在の国際法では、「武力不行使原則」が確立しています。19世紀までの国際法では、戦争は違法ではありませんでした。それが20世紀に入って、戦争自体を違法とする不戦条約が結ばれました。不戦条約の最初は1904年ですが、「国債を回収するために武力行使してはいけない」というところからスタートしています。逆に言うと、当時は金を回収するために武力行使していたことになるんですね。 そして、1919年の国際連盟規約、1928年のパリ不戦条約などが積み重なり、第二次世界大戦後に、「武力行使は一般的に違法である」という原則が確立。現在は国連憲章にも書かれています。「武力行使をやめよう」というのは、実は憲法9条に言われるまでもないわけです。出口:グローバルスタンダードなんですね。木村:あくまで紙の上では、アメリカ、ロシア、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、タイ、これらの国々全てが国連加盟国である以上、武力行使しないという原則にコミットしています。木村:ただし、国連憲章には「武力不行使原則を破って侵略する国が現れたときだけは、武力行使をして良い」というルールが定められている。侵略国家が現れた場合には、国連の安保理決議に基づく措置として、みんなで対応するのが原則です。もっとも安保理決議が出るには時間もかかるし、場合によっては拒否権が行使されるなどして、国連が措置を取れないこともあります。そこを補うために、各国が個別または集団の自衛権を行使するというルールです。 そこで、「憲法9条がどうか」という話です。9条1項は「侵略戦争をしない」という趣旨の規定なので、「1項がおかしい」と主張する人は、改憲派にもあまりいません。変える必要はない、むしろ守るべきだという人が多いんです。 問題は2項です。「軍と戦力を持たない」と書いてある。これを読むと、集団的自衛権はもちろん個別的自衛権も含めて、日本は武力を行使してはいけないということになります。 「9条があらゆる武力行使を禁じている」という点については、ほとんどの人が認める見解ですし、現在の安倍政権含め、日本政府もそう解釈している。ただ、法律の条文は例外を認めることがあるんですね。9条についても例外があるのではないか、についての検討が必要になります。国会議事堂出口:いわゆる、自衛隊合憲説ですね。木村:はい。日本国憲法13条には、「国民の生命の自由、幸福追求の権利は、国政の上で最大限尊重しなくてはいけない」と書いてあります。外国からの侵略があったとき、その侵略を放置すると、国民の生命の自由や幸福を尊重しているとは言えない。したがって、「武力行使するな」という9条のルールと、「国民の生命を最大限尊重しよう」という13条のルールがぶつかってしまうのです。 どちらが優先するかは解釈で決めるしかないんですが、日本政府は「国民を守るのはどの国でも最低限の義務だから、9条に対して13条が優先する。つまり、国民を守るという範囲においては、9条の例外として武力行使は許されるし、そのための実力保持も許される」と解釈しているのです。憲法9条は、それだけを読むと、両極端な議論で終わってしまうのですが、ぜひ国際法や憲法13条と合わせて立体的に読んでほしいんです。「自衛隊の海外活動は国民の監視が甘くなる」出口:憲法13条や国際法など全体の法体系の中で、自衛隊は合憲ということですが、実際に自衛隊は何をしているのでしょう?南スーダンPKOから帰国した陸上自衛隊員=2017年4月木村:自衛隊には仕事が3つ+1くらいあるんです。ひとつは「外国の侵略から日本を守る」。これが一番重要で、13条から導かれるものです。それだけでなく、テロリストや警察の手にあまる犯罪者が出てきたときには、「治安出動」で押さえます。これも非常に大事な仕事です。最後に、「災害から国民を守る」。実際、自衛隊がこれまで出動したのは災害のときだけです。大災害が起きたときにレスキューに行ったり、がれきを除去したりします。木村:それとは別に、自衛隊は大きな組織でさまざまな技術を持っているので、「国際貢献」を求められることがあります。PKO活動などが典型ですが、外国のインフラ整備や、場合によっては治安維持を手伝うこともあります。たとえばソマリア沖の海賊対策。相手は犯罪者なので、海賊を捕まえたら日本の刑法を適用するため日本に連れてくるのですが、ソマリ語を話せる人が少ないんですよ。出口:弁護士、裁判官ともに立件が大変ですね。木村:単純な効率を考えたら、ソマリア周辺国の人たちに治安活動をしてもらう方がいい。でも、「みんなでやっているので来い」と言われて派遣するわけです。 ただ、自衛隊の国外活動には、注意すべき点もあります。南スーダンのケースを見ても、国外でやっていることはメディアも取材しにくいので国民の関心が高まりにくく、監視が甘くなります。そこが非常に危ないんですね。自衛隊は侵略活動をしているわけではなく、その国の政府に協力するために活動しているのですが、自衛隊員の安全は確保できているかとか、外国政府が自国民を抑圧するのに加担してしまっていないかなど、気をつけなければいけないと思います。出口:国際貢献をしようと思うと、それなりの装備と技術を持った集団は、自衛隊以外にないですよね。木村:これも結構微妙なところです。たとえばPKOにもいろいろなやり方があって、文民警察官を配置する場合もある。自衛隊がこれまでやってきたことって、HPを見ると、ほとんどがインフラ整備なんですよ。出口:道路を作った、学校を作った、橋をかけた、などですね。木村:どちらかというと、土木事業者のHPみたいになっているんです。出口さんはいろいろな国際交流をされているのでわかると思いますが、こちらの技術をポンと出してしまうことが、その国のために本当にいいかというと微妙ですよね。むしろ重機の使い方を教えて、道路はその国の人たちで作る方が国際貢献になるのでは。出口:パンを与えるのではなく、魚の釣り方を教えるということですね。木村:そうです、そうです。道路を作れば誰もが喜ぶし、役立っている感じがしますが、もっとできることがあるのではないでしょうか。自衛隊の国際貢献を考えると、今やっていることが本当にいいのかという視点を持たなければいけないと思います。

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    復興大臣はバカしかいないのか

    「まだ東北で、あっちの方だから良かった」。東日本大震災の被災者を愚弄する、こんなバカな発言をした人物が復興行政のトップだったというのだから、唖然とするほかない。今村雅弘復興相の更迭は当然だが、にもましてこの要職が旧民主党時代から数えて7人目になるという事態の方が驚きである。次は大丈夫か?

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    失言なんかクソ食らえ! 安倍内閣「在庫一掃セール」のススメ

    た記事が「そんなでよくカネをもらえるな」などとボロくそにたたかれ、何度か炎上を経験しているので、実は政治家の「失言・暴言」には「許せない」というより、むしろ「なんでなのか」と疑問を持つとともに、たたかれることにいささか同情することも多い。今回はそうだ。 今村失言は「東日本大震災はまだ東北だったからよかった。これが首都圏だったら莫大(ばくだい)な被害になっていた」というものだから、事実誤認はないし、誰かを誹謗(ひぼう)しているわけでもない。ただ、「よかった」がいけない。記者会見する今村復興相。フリーの記者に対し「うるさい」などと述べた=4月4日、復興庁 「よかった」など言わなければいいのだ。単に「東日本大震災は、首都圏だったら莫大な被害になっていた」と言えば、問題はなかっただろう。 また、たとえ「よかった」と言ったとしても、今村氏が被災地の東北出身ならそれほど問題にはならなかっただろう。ところが、今村氏は九州・佐賀の出身だから救いようがない。 こうなると、エヴァンゲリオン・ネクタイが逆効果になる。見え透いたことをしていると思われるだけだからだ。よって、ここでの教訓は、自分が好きでもないネクタイなどすべきではないということか-。  現在、安倍政権は、閣僚の失言・暴言と「スキャンダルドミノ」に見舞われている。約4年半にわたる長期政権による弛みが一気に噴き出しているという批判にさらされている。 つい先日、務台俊介内閣府兼復興政務官がおんぶで視察した揚げ句「長靴業界はだいぶもうかった」と失言したと思ったら、山本幸三地方創生相が、地方講演で「一番のがんは学芸員」と続いた。さらに先週は、「ハワイ重婚ウエディング」を強行した史上最強のゲス不倫議員、中川俊直経産政務官が辞任逃亡している。これでは、こういう批判が出るのも無理はない。 さらにさかのぼれば、失言・失態はまだいくらでもある。 たとえば、金田勝年法相の「共謀罪」論議発言には目が点になった。しどろもどろになったうえ「私の頭脳が対応できない」と詫びたのだから、質問者も腰を抜かすしかない。財務官僚を長くやると、このような見事なボキャボラリーが身につくのだろう。一般人はこういう場合、「わかりません」と素直に言う。 また、稲田朋美防衛相にいたっては、首相の女友達なら、嘘をついても、涙ぐめばなにも言わなくても許されるという前例をつくってしまった。国会を学校のホームルームにしてしまい、女子力防衛で「辞めろ」コールを交わしたのだ。そして、いまをときめく「保守女子」のロールモデルをつくり上げた。リアル世界の警察より怖い「個々民の声」 いったいなぜ、こんなことばかり続くのか。前記したように、「長期政権によって議員たちの気が緩んでいる。なにをしても許されるというムードになっている」と言われているが、それだけではないと私は思う。そこで以下、そのことを2点挙げておきたい。 まず、「失言・暴言」というレッテル貼りがいとも簡単に行われ、あっという間に拡散してしまう世の中になったことだ。昔なら、失言かどうかもう少し考え、発言者の背景や意図、その裏にある社会問題をもっと考えた。しかし、いまは、「ネット言論」(とても言論とはいえないが)によりレッテルが貼られると、もう止められない。 しかも、ネット民の、なんとか引きずり下ろそうとする嫉妬心はすさまじく、失言者・暴言者よりもはるかにレベルが上の誹謗(ひぼう)中傷の限りを尽くす。 例えば、今村氏に対するネットの書き込みを見ると、こんな具合だ。 「ばかたれ」「いったい何様だ!」「おめえ、死ね」「さすがにこれはダメだ」「全然こたえていない!クビにしろ!」「こんなゲスが大臣やっていいのか」「いまから東北行ってそれを言ってこい」「辞任、当ったり前だよな」「辞任のときもエヴァのネクタイしてて、ワロタw」 これが正義の声なのだろうか。「国民の声」だというノーテンキなメディアもあるが、「国民の声」などというものはない。あるのは、個々民の声だけではないのか。これらの個々民の声が結集して、「サイバーポリス」(電脳警察)となっている。リアル世界の警察より怖い。なぜなら、リアル警察は法に背く者(違反者)を取り締まるが、サイバーポリスが取り締まるのは違反者ではないからだ。 次に指摘したいのは、トランプという、とんでもない米大統領が出現したため、世界中がなにを言ってもいいという雰囲気になったことだ。いまやこの世界は「ポスト・トゥルース」(真実後)の世界と化し、フェイクニュース(偽のニュース)であふれかえっている。当然、失言・暴言はインフレを起こし、歯止めが利かなくなった。1月11日、米ニューヨークのトランプタワーで行われた当選後初の記者会見で、厳しい口調でメディアを選別するドナルド・トランプ次期米大統領(AP=共同) トランプ氏に比べたら、日本の政治家の失言・暴言などたわいないものだ。かつて、中曽根康弘元首相は「アメリカには、黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い」などと言い、最近では丸山和也参議院議員が「米国は黒人が大統領になっているんです」と言ったが、トランプ氏は「黒人は貧しく、教育も悪い。仕事もなく、58%の若者が失業している。トランプ大統領(オレが大統領)になったとしてもなにを失うというんだ」と言って、大喝采を浴びたのだ。“器が違う人間”は暴言を吐くな 今村失言は、被災者に対する配慮を欠いたものだが、トランプ大統領の登場で、マイノリティー差別発言、人種差別発言など、いくらしても平気になってしまった。配慮など「クソ食らえ」なのだ。 なにしろ、トランプ氏は「メキシコ人はレイプ魔だ」と言い、米大統領選の共和党予備選で対立候補だったカーリー・フィオリーナ氏に対しては、「あの顔を見てみろ、誰があんな女に投票するんだ」と、女性差別発言までやった。さらに、民主党候補だったヒラリー・クリントン元国務長官に対しては「ナスティウーマン(くそたれ女)」、民主党の重鎮エリザベス・ウォーレン上院議員に対しては「ポカホンタス(米先住民の女性)」とまで言って、大統領になったのである。 2014年、東京都の塩村文夏都議が、自民党の鈴木章浩都議に「早く結婚したほうがいいんじゃないか」とヤジられたことが大問題になったが、器が違う人間は暴言を吐いてはいけないのだ。 話は飛躍するかもしれないが、これでわかるのは、「失言・暴言」に対する糾弾は、発言内容そのものではなく、誰がそれを言ったかのほうが大きな問題だということだ。麻生太郎財務相(鈴木健児撮影) そうでなければ、トランプ氏が大統領になれるわけがない。このことを日本で端的に物語っているのが、麻生太郎副総理だ。私は、麻生氏のボルサリーノ・ハットをかぶったマフィア・スタイルが気に入っていて、そのスタイルから「べらんめえ口調」で失言・暴言が飛び出すのが爽快だ。 なにしろ、憲法改正では「ナチスの手口に学んだらどうかね」、終末期医療では「さっさと死ねるようにしてもらわないといけない」と述べたわけで、本来なら辞任ものだ。さらに、カップ麺の値段がわかるかどうかと質問されたときは、「400円ぐらい?」と答弁した。これで「庶民感覚がない」とものすごくたたかれたが、なぜ庶民感覚がなければいけないのか。私にはよくわからない。 ところで、「暴言=毒舌」で日本を代表する人物といえば、ビートたけし氏である。じつは私は、昨年5月『ビートたけしのTVタックル』で米大統領選を取り上げたとき、トランプ擁護派のコメンテーターとして出演し、「トランプの毒舌はたけしさんも真っ青ですね」と発言して、あとから見たらこの部分はカットされていた。 私の真意は、トランプ氏の暴言はあまりにもひどすぎて、ユーモアやギャグたっぷりのたけし氏を超えすぎているというものだったが、理解されなかった。同じく出演し、「トランプが大統領になったらアメリカから逃げる」と発言したパックンはわかったかもしれない。失言するセンスもなければ、器でもない たけし氏は、失言・暴言続きの政治家に「お笑いを教えたい」と話したことがある。「オレならもっとセンスよく話す」ということだ。つまり、日本の政治家は失言・暴言をするセンスもなければ、その器でもないということだ。 失言・暴言閣僚を生み出す背景には、閣僚になるのが、実力やキャリアでなく、単なる年功だということがある。つまり、議員を何期か続けて初めて大臣候補となり、その中から当選回数の多い順に大臣になっていくということだ。 ところが、最近は自民党が大勝を重ねて、当選回数が多い議員が増えすぎた。今回、失言辞任した今村氏も、「学芸員発言」の山本氏も、衆院当選7回で、昨年8月の内閣改造でやっと初入閣した「逸材」である。 現在、自民党内には当選回数を重ねても入閣できない「待機組」と呼ばれる議員が60~70人いるとされる。この待機組を「在庫」と呼んでいる。つまり、自民党は「在庫一掃セール」を続けていかなければならない宿命にある。ということは、今後も失言・暴言閣僚は、続々登場するということだ。4月8日、福島県浪江町の仮設商業施設を視察する今村復興相(左)と安倍首相 そうとわかれば、メディアも野党も、そしてサイバーポリス気取りのネット民も、今後は、失言・暴言パトロールをさらに強化していくべきだろう。彼らにどんどん失言させて、閣僚の首をすげかえ、自民党に在庫一掃セールを続けさせる。メディアは「今月の失言」ランキングをつくり、ランキング1位を選んだりしてみたらどうだろうか。 自民党も「失言チケット」を切って、3枚たまったら閣僚辞任などとしたらどうか。こうしたことを続けていけば、1、2年後には、素晴らしい内閣ができるだろう。

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    「東北でよかった」失言を誘引した安倍政権の逆ギレ論法

    佐藤健志(作家、評論家) 2016年8月、第6代復興大臣に就任した今村雅弘衆院議員が、相次ぐ失言によって4月26日、辞任に追い込まれた。失言は救いようのないものばかりだが、では、なぜこのような失言をしたのか? これに対する最も簡単な説明は、本人の不見識のせい、というものだろう。しかし、問題の発言を振り返ると、それだけでは済まされないものが潜んでいるのだ。 今村氏は4月4日、記者会見の席で「(被災地に)帰れない自主避難者は自己責任」という趣旨の発言をしてしまう。おまけに記者の一人に対して激高、「出て行きなさい!もう二度と来ないでください」「うるさい!」などと暴言を吐いた。 このときは発言を撤回し、陳謝することで収拾をみたものの、3週間後の25日、所属する自民党二階派のパーティーにおける失言が致命傷となる。「荒海を航(い)く! 強いニッポンを創ろう」と題された講演のさなか、大臣は東日本大震災について、こう述べたのだ。 「死者が1万5893、行方不明者2585、計1万8478人。この方が一瞬にして命を失ったわけで。社会資本の毀損(きそん)も、色んな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もある。これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったと思う」二階俊博幹事長(前列左から2人目)から離れた場所で乾杯する今村雅弘復興相(右から2人目)=2017年4月25日、東京都千代田区 報道によると、講演後の懇親会に現れた安倍総理は、開口一番「今村復興大臣の講演の中におきまして、東北の方々を傷つける、極めて不適切な発言がございましたので、総理大臣としてまずもって、冒頭におわびをさせていただきたいと思う次第でございます」と発言。会場の空気は凍りつき、年に一度のパーティーは暗転したと伝えられる。 4月25日の講演は、「自己責任」発言からの名誉挽回をはかるチャンスとして、二階派がわざわざ用意した「ひのき舞台」だったという。よりによってその席で、前回以上の大失言をしでかしたのだから、まさしく自滅的と評さねばならない。ひょっとしたら「首都直下地震や南海トラフ地震にたいする対応を万全にすべきだ」と述べたかったのかも知れないが、これでは「東北だったら震災にあっても構わない」と言ったも同じではないか。 政府・与党の間でも、今村氏をかばう声はほとんど聞かれなかった。公明党の大口善徳・国対委員長は、「言語道断。本当に許し難い」とバッサリ。みずから復興大臣を務めた経験がある自民党の竹下亘・国対委員長も、「被災者の皆さん方の気持ちを思うと、なんでこんなこと言ったんだろうという怒りに近い感情を覚えました」とコメントする。 こうした、誰もがかばいきれない今村氏の発言は、次のような論理構造に基づいて成立しているのだ。架空の大失態と比較する「手法」 1)現在、起きている事態は悪いものである。 2)ただし、もっと悪い事態も想像することができる。 3)ゆえに現在の事態は、実は良いものか、少なくともそれほど悪くないものである。 上記の論理構造、三段論法の形を取ってこそいるものの、理屈にも何もなっていない。こんな主張が許されるのであれば、架空の「もっと悪い事態」を想像しうるかぎり、どんな事態でも正当化できるではないか。そして架空のものである以上、「もっと悪い事態」はいくらでも想像しうる。 ところが2012年に第二次安倍政権が発足して以来、同政権を擁護したがる人々は、この論法をしばしば活用してきた。政権の失点となりそうな出来事が起きるたびに、いわゆる保守層の間では、次のような主張が見られたのである。 1) 今回の出来事は、たしかに悪いものである。 2)ただし安倍政権でなければ、もっと悪い結果になっていただろう。 3)ゆえに今回の出来事も、実は良いものか、少なくともそれほど悪くないものであり、安倍政権の失点だという批判は当たらない。 架空の政権による架空の大失態を想像し、安倍政権による現実の失態と比較するふりをしてみせることで、正当化を図る次第なのだ。前者の失態は架空のものなので、実際には比較など成立しないのだが、そこはそれ、適当に言いくるめればよい。ゴマカシが通用しそうにない場合は、「じゃあ、安倍総理以外に誰がいるんだ!」と激高する手もあることを付記しておこう。今村復興相辞任について記者の質問に答える安倍首相=2017年4月26日 むろん、これは詭弁(きべん)、ないし居直り以外の何物でもない。こんな論法を持ち出さねばならないこと自体、政権が十分な成果を挙げていないことを認めたに等しいのだ。しかるに2012年以来、安倍政権は選挙に勝ち続けており、今も高い支持率を誇っている。 第二次安倍政権が、2009年から3年余り続いた民主党政権の崩壊を受けて成立したことを想起すれば、その理由は明らかだろう。民主党政権に対する国民の評価は、とくに末期において極めて低かった。下野した後も民主党は勢いを取り戻すことができないままであり、それは「民進党」と改称した現在も変わらない。 「安倍政権でなければ、もっと悪い結果になっていただろう」という主張は、民主党政権の顛末(てんまつ)を思い出すとき、一定の説得力を持ってしまうのである。けれどもこれは、要するに「下には下がある」だけのことであり、わが国が直面する内政・外交の諸問題に対し、現政権がしっかり対処していることを保証しない。近著『右の売国、左の亡国』で詳細に論じたように、わが国の保守と左翼・リベラルの違いは、しょせん「売国」と「亡国」程度のものでしかない恐れが強いのだ。 今村氏が辞任に至った経緯は、こう考えるとき意味深長となる。すでに見た通り、大臣の言動にうかがわれる論理は「現政権擁護の定番」とも評すべきものだった。 ただしこの定番、かつての民主党政権、ないし民進党を引き合いに出せば、話にカタがつく場合にのみ通用する代物にすぎない。安倍総理自身、国会論戦では「民主党政権当時はもっと悪かった」旨の発言をすることがあるものの、それが「返り討ち」として効果を発揮し得るのは、現実の状況が切迫していない限りにおいてなのだ。「下には下がある」という詭弁 今村氏はこの点に気づかず、東日本大震災による甚大な被害という厳しい状況に対して、「架空の大惨事に基づいた現実の大惨事の正当化」をやらかした。そのせいで、くだんの論法の詭弁(きべん)ぶりが浮き彫りになってしまったのである。大臣の講演は「荒海を航(い)く! 強いニッポンを創ろう」と題されていたものの、大波が荒れ狂っているとき、「もっとひどい嵐だってありうるんだぞ! これくらいの波で良かった!」といくら叫んでも、船が転覆や沈没を免れるわけではあるまい。安倍晋三首相に辞表提出後、謝罪する今村雅弘前復興相=2017年4月26日、首相官邸 今回の件に限らず、最近の安倍政権では閣僚の失言や不祥事が目立つ。これは普通「政権基盤が盤石であるがゆえの気の緩み」と解釈されるが、今村氏の辞任劇の構造を踏まえるならば、そうとばかりも言い切れない。われわれは「下には下がある」式の詭弁(きべん)や居直りで物事を正当化しようとする態度が、現実の状況の前に崩壊し始めるさまを目の当たりにしているのではないだろうか。 朝鮮半島情勢の緊迫に伴い、わが国では北朝鮮の弾道ミサイルが飛来する可能性が、かなり真剣に取り沙汰されている。仮にミサイルが(たとえば)九州に着弾、多大な被害が出た後で、防衛大臣が「まだ九州で、あっちの方だったから良かった。首都圏や阪神地域だったりしたら、莫大(ばくだい)なですね、甚大な被害があったと思う」などと口走ったらどうなるか? 大臣辞任どころか、一撃で内閣が吹っ飛ぶに違いない。 それに比べれば今村発言もマシ、と言うのではない。いやしくも閣僚が、現実の問題に対し、架空の「もっと悪い事態」を持ち出して正当化を図るようでは、国はずぶずぶ沈んでゆくばかりで、決して浮上できないと指摘しているのである。

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    安倍首相、麻生副総理、二階幹事長による菅氏の実権剥奪作戦

    されやすい。そのため、新聞各社はエース級の記者を官邸クラブから自民党担当の平河クラブに戻す流れだ」(政治部記者)というのである。 安倍首相と麻生副総理、二階幹事長による菅氏の“実権剥奪作戦”は確実に効果をあげているように見える。しかし、政治ジャーナリスト・野上忠興氏は「ファイアマン(火消し役)の不在」を指摘する。「安倍政権が再登板後の数々の閣僚スキャンダルを乗り切ったのは、国会の数の力で押し切った面もあるが、それ以上に政権の危機管理に長けた菅義偉・官房長官の存在が大きい。 菅氏が官邸の中心にどっかと座り、大臣が失言すれば呼びつけて厳重注意し、不祥事が発覚すれば持ち前の情報収集力で更迭すべきか、あくまで守るべきかを的確に判断して安倍首相に報告、うまく火消しをしてきた。ところが、最近は菅氏の影が薄く、政権の危機管理に大きな穴が開いている」 ファイアマンの手足を縛ることで政権の危機管理能力は低下し、首相は閣僚のドミノ辞任という「10年前の悪夢」に悩むという“副作用”も露呈しつつある。 光がなくなれば影も消えるが、「影のない光」も存在しない。政権を守護してきた「影の総理」が消された時、安倍政権に大きな地割れが走る。関連記事■ 日米首脳会談が契機 霞が関は菅詣でから麻生詣でへシフト■ 安倍首相 菅氏から安倍-下村ラインへ組み替え視野に■ ポスト安倍氏 菅義偉氏が総理になるウルトラCの陰に二階氏■ 安倍首相 橋下維新との全面対決指示で菅氏の存在価値低下か■ 菅義偉官房長官を幹事長起用説 安倍首相の年内解散の狙いも

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    激高会見で今村復興相を「悪者」に仕立て上げた罪深き大メディア

     門田隆将(ノンフィクション作家) 議論する時に、相手の意見を捻じ曲げたり、歪めたりして自分が主張しやすいように変えるやり方を「ストローマン手法」、あるいは、「わら人形論法」と言う。そのままでは、議論に負ける時に、相手の言っていること自体を変えてしまうのだ。わら人形や案山子(かかし)は「簡単に倒す」ことができるので、つけられた名称とされ、欧米では最も軽蔑されるディベートの方法でもある。記者会見での対応を謝罪する今村復興相=2017年4月4日、復興庁 しかし、日本の新聞やテレビでは、この手法が「日常的に」取り入れられている。当事者の発言内容を意図的な編集で切り取り、歪めてしまうのだ。その上で、発言主を徹底的に攻撃するのである。  今、大きな問題となっている今村雅弘・復興相の発言に対する報道でも、典型的な「ストローマン手法」が用いられている。国民の多くは、今村大臣の激高部分だけをくりかえし見させられて、「なんて横暴な大臣だ」と思い込んでいるだろう。 しかし、実際のやり取りはどうだったのか。意図的な編集をされていないだろうか。そんな観点で問題となった4月4日午前10時から行われた閣議後会見を見てみると、新たな事実に気がつかされる。むしろ、その「一部始終」を見た人は、逆に、今村大臣の方に同情してしまうのではないだろうか。 まず、問題は「自主避難者」の問題であることを頭に置かなければならない。自主避難者とは、政府の避難指示の範囲外から、自主的に県外へ避難した人々のことだ。福島第一原発から遠く離れた会津地方の人もいれば、郡山といった大都市から、自主的に県外へ出て行った人もいる。噛み合わない議論 その自主避難者への住宅の無償提供が、震災後6年を経て2017年3月末で、福島県が打ち切った。震災後、6年もの長期にわたって「自主的に」避難していた人たちに住宅の無償提供が続いていたこと自体が驚きだが、フリーランスの記者は、このことについて、こう質問している(以下、復興庁ホームページと録画テープの聞き起こしによる)。 (問)福島県外、関東各地からも避難している方もいらっしゃるので、やはり国が率先して責任をとるという対応がなければ、福島県に押しつけるのは絶対に無理だと思うんですけれども、本当にこれから母子家庭なんかで路頭に迷うような家族が出てくると思うんですが、それに対してはどのように責任をとるおつもりでしょうか。 (答)いや、これは、国がどうだこうだというよりも、基本的には、やはり、ご本人が判断をされることなんですよ。それについて、こういった期間についてのいろいろな条件つきで環境づくりをしっかりやっていきましょうということで、そういった住宅の問題も含めて、やっぱり身近にいる福島県民の一番親元である福島県が中心になって寄り添ってやる方がいいだろうと。  国の役人がね、そのよく福島県の事情も、その人たちの事情もわからない人たちが、国の役人がやったってしようがないでしょう。あるいは、ほかの自治体の人らが……。だから、それは、あくまでやっぱり一番の肝心の福島県にやっていっていただくということが一番いいという風に思っています。それをしっかり国としてもサポートするということで、この図式は当分これでいきたいという風に思っています。 (問)それは大臣ご自身が福島県の内実とか、なぜ帰れないのかという実情を、大臣自身がご存じないからじゃないでしょうか。それを人のせいにするのは、僕は、それは……。 (答)人のせいになんかしてないじゃないですか。誰がそんなことをしたんですか。ご本人が要するに、どうするんだ、ということを言っています。 (問)でも、帰れないですよ、実際に。 (答)えっ。 (問)実際に帰れないから、避難生活をしているわけです。 (答)帰っている人もいるじゃないですか。 (問)帰っている人ももちろんいます。ただ、帰れない人もいらっしゃいます。 (答)それはね、帰っている人だって、いろんな難しい問題を抱えながらも、やっぱり帰ってもらってるんですよ。 (問)福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています。 (答)だから、それ…… (問)千葉からも避難されています。 (答)いや、だから…… (問)それについては、どう考えていらっしゃるのか。 (答)それは、それぞれの人が、さっき言ったように判断でやれればいいわけであります。 (問)判断ができないんだから、帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか。 (答)いや、だから、国はそういった方たちに、いろんな形で対応しているじゃないですか。現に帰っている人もいるじゃないですか、こうやっていろんな問題をね……。 (問)帰れない人はどうなんでしょう。 (答)えっ。 (問)帰れない人はどうするんでしょうか。 (答)どうするって、それは本人の責任でしょう。本人の判断でしょう。 (問)自己責任ですか。 (答)えっ。 (問)自己責任だと考え……。 (答)それは、基本はそうだと思いますよ。 (問)そうですか。わかりました。国はそういう姿勢なわけですね。責任をとらない、と。 (答)だって、そういう一応の線引きをして、そして、こういうルールでのっとって今まで進んできたわけだから、そこの経過はわかってもらわなきゃいけない。だから、それはさっき、あなたが言われたように、裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない。またやったじゃないですか。それなりに国の責任もありますねといった。しかし、現実に問題としては、補償の金額だって、ご存じのとおりの状況でしょう。  だから、そこは、ある程度これらの大災害が起きた後の対応として、国としては、できるだけのことはやったつもりでありますし、まだまだ足りないということがあれば、いま言ったように福島県なり、一番身近に寄り添う人を中心にして、そして、国が支援をするという仕組みでこれはやっていきます。 (問)自主避難の人には、お金は出ていません。 (答)ちょっと待ってください。あなたはどういう意味でこういう、こうやってやるのか知らないけど、そういう風にここは論争の場ではありませんから、後で来てください。そんなことを言うんなら。 (問)責任を持った回答をしてください。 (答)責任持ってやってるじゃないですか。なんていう君は無礼なことを言うんだ。ここは公式の場なんだよ。 (問)そうです。 (答)だから、何だ、無責任だって言うんだよ。 (問)ですから、ちゃんと責任…… (答)撤回しなさい。 (問)撤回しません。 (答)しなさい。出ていきなさい。もう二度と来ないでください、あなたは。 以上である。二人の議論は嚙み合っていない。自主的に避難した人たちに「6年間」も援助を行い、それが、打ち切られたことに、このフリーランスの記者は異議を唱えている。メディアはいつもの「ストローマン手法」 「帰れない人はどうするんでしょうか」「栃木からも群馬からも、千葉からも避難されています」「自己責任ですか」「責任を持った回答してください」……等、かなり強引な質問をおこなっている。これに対して、今村大臣は、「本人の責任」であり、「本人の判断」だと答えている。記者会見する今村復興相。フリーの記者に対し「うるさい」などと述べた=2017年4月4日、復興庁 政府の避難指示の範囲外から「自主的に」避難した人たちに対して、「6年間」も住宅援助してきたこと自体に驚く人もいるのではないだろうか。このフリーランスの記者と自主避難者の論理は、福島は「これからもずっと人の住めない土地」であり、そのために援助が続けられるのは「当然だ」ということにあるのだろう。 しかし、風評被害に苦しむ福島では、懸命な調査によって集められた科学データが、その手の偏見を打ち砕きつつある。福島県内の大半の地域で、放射線量は日本の他のどの地域とも変わりはしないという客観的事実が浮かび上がり、地元紙の福島民友新聞には、毎日の朝刊に、県下286か所での放射線量の測定数値が掲載されている。 だが、福島県内の線量が正常値を示し、復興してくれては困る人たちも現に存在している。それらを「都合の悪い数値」と捉える人もいるのである。いまも、数値的になんの問題もない地域から自主的に避難している人々には、これらの「数値」はどう映っているのだろうか。それらは、「援助を出せ」と迫る根拠を失わせるものであることは間違いない。 この質問の中で、フリーランスの記者は、「群馬」や「栃木」、「千葉」からの避難者に対しても「帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか」と質問している。 きっと今村大臣は、「なんで、そんな人まで……」と思ったに違いないが、それでも丁寧に答えている。本来は、会見を仕切る役所の人間が、その時点で質疑をストップさせるのが当然だろう。 もう、大臣とやりとりするような話のレベルではないからだ。しかし、それを怠ったところから、今回の事態が惹起(じゃっき)されたことがわかる。 「群馬」や「栃木」、「千葉」からの避難者に対しても、私たち国民の税金から援助をしなければならないのだろうか。そもそも、なぜ「群馬」や「栃木」、「千葉」から避難しなければならないのか。風評被害に苦しむ福島の人々の姿を知る私には、とても納得することはできない。しかし、日本の新聞は、これらを以下のように報じている。 朝日新聞 〈「切り捨てたい国の本音」 自主避難者ら反発 復興相発言〉(4月6日付) 〈今村復興相 避難への無理解に驚く〉(同日社説) 毎日新聞 〈「自主避難者帰還は自己責任」 復興相発言、野党が批判〉(6日付) 〈復興相発言「悲しい」 自主避難者ら抗議次々〉(同) まともに報じれば、大臣側に同情が集まる可能性がある。そこで、各メディアは、いつもの「ストローマン手法」を用いて、できるだけ今村大臣への怒りが増幅されるように記事を仕立て上げている。 しかし、そんな日本の新聞やテレビのやり方は、とっくにバレている。ネットでは、フリーランスの記者の質問内容に対して、喧々諤々(けんけんがくがく)の論争が巻き起こっている。新聞が、とても「若者の信頼」を勝ち取ることができないメディアになり果てたことを「再確認」させてくれる出来事だったことは間違いない。

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    まだいうか、安倍ファシズム! 偏向に満ちた欧米メディアの対日報道

    外マスコミにおける日本のイメージ」という研究報告をまとめています。 私が長年、ワシントンでアメリカの政治や外交を取材して感じるのも、まさに対日報道の在り方に問題がある、という点です。とくに『ニューヨーク・タイムズ』などリベラル系のメディアでは、日本に関する偏見に近いイメージから報道が行なわれており、アカデミズムの領域でも、なぜか日本研究に携わるアメリカ人学者のなかに誤った対日イメージをもつ人が多い。 たとえばアメリカのメディアは、安倍晋三首相に対して「右翼」や「軍国主義者」「歴史修正主義者」など侮蔑的なレッテル表現で再三、批判をぶつけてきました。しかも根拠が不明のままに、です。今村復興相辞任について記者の質問に答える安倍首相=4月26日午前、首相官邸 これは安倍氏個人のみならず、日本の国際的なイメージを貶めており、とうてい看過できません。キンモンスさんはどのように感じていますか。キンモンス 私も、安倍首相を「ファシスト」や「ナショナリスト」などと表現する記事を数多く目にしてきました。最近はトランプ大統領が悪役になっているおかげでだいぶイメージが改善しているようですが(笑)。しかし、おっしゃるように欧米ではいまだに安倍氏をファシズムやナショナリズムの文脈で語っています。 しかしそもそも、政府のリーダーがナショナリストではない国が世界に存在するでしょうか。あったとしたら、そのほうが問題です。また、アメリカのアカデミズムでいわれる歴史修正主義者(revisionist)とは、むしろ伝統的な歴史観に異を唱えるリベラルな学者を指すことが多い。日本では右翼に対して「おまえは歴史修正主義だ」と批判することが多いですが、アメリカとは言葉の使い方が逆です(笑)。古森 ちなみに、日本の左翼とアメリカのリベラルも少し意味合いが異なりますね。アメリカでは、日本の左翼のように共産主義者や社会主義者のことではなく、自由でオープンだけれども政府が大きな役割を果たす社会とか、伝統的な価値観や歴史に批判的な人びとをリベラルと呼んでいる。その意味で、キンモンスさんも決して右翼でも左翼でもないということになりますかね(笑)。 私は、NBR(TheNationalBureauofAsianResearch)というインターネット上の論壇サイトでキンモンスさんのことを知りました。NBRに寄せられる批評の論調も全体としては対日批判が色濃く、私自身もバッシングの対象になったことがあります。しかし、そのなかでもキンモンスさんのコメントは冷静で、「アメリカの日本研究者にもこれほど歪みのない視点をもった人がいるのか」と知って驚いた記憶があります。キンモンス 私は長くイギリスに住んでいた経験から、ヨーロッパの常識的な見方からして、安倍氏は中道右派(centerright)である、と思っています。彼のことを右翼(rightwing)と呼ぶのは、日本の街中で軍服を着て大音量で軍歌を流す車に乗っている人、というイメージ。イギリスやアメリカでrightwingというのは「最小の政府こそ最善である」と考え、「小さな政府」を推進する人たちのことです(たとえばイギリスのサッチャー元首相など)。具体的には、民営化や規制緩和による財政削減をモットーとする政治家などを指します。 もし仮に安倍首相がアメリカの定義でいうところの「右翼」であれば、彼はただちに日本の国民皆保険制度を廃止して人工妊娠中絶を禁じ、教室での祈禱を法制化して銃の所持を解禁することでしょう。しかし、これらはどれも安倍首相の政策には当てはまりません。彼を「ファシスト」ということさえあるアメリカのメディアは、たんに安倍氏を批判したいために安直な言葉を持ち出しているにすぎない気がします。「日本会議は圧力団体」はナンセンス古森 おっしゃるように、アメリカの一部メディアは安倍氏を批判するため、意図的に悪意のあるレッテル貼りを行なっています。その結果、いまや日本に関する偏向報道は安倍首相にとどまらず、その周辺にまで及んでいる。たとえば憲法改正を掲げ、安倍政権を支援する日本会議という民間団体があります。アメリカのメディアは、あたかもこの団体が安倍政権を裏で動かしているかのように「日本会議が日本の政治を支配している」と書いています。また同じ歪みの傾向として「日本政府は言論を弾圧している」「日本の改憲の動きは軍国主義の復活だ」などと報じています。アメリカの『THE DAILY BEAST』なるメディアに至っては、日本会議について「日本を裏から操るカルト」という見出しの記事を載せ、日本会議をカルト教団呼ばわりさえしている。カルト(cult)というのは、日本でいえばオウム真理教のようなテロまで行なう集団のことですよ。きわめて悪質で異常な報道といわざるをえません。キンモンス まったくナンセンスですね。その種の外国メディアは「日本会議は政権を動かす圧力団体」と報じていますが、日本会議の会員数は約3万8000人だそうです。全米ライフル協会の会員数をご存じですか? 400万人ですよ(笑)。こういう組織こそ「圧力団体」というのであって、先ほどの右翼の例と同じく、言葉の意味を理解しないまま批判の道具に使っている。事実すら伝える力がない日本のメディア事実すら伝える力がない日本のメディア古森 欧米のリベラル系メディアが、事実を曲げてまで日本叩きや陰謀説を繰り返し流す理由はどこにある、と考えていますか。キンモンス 安倍首相や日本という国がいくら批判しても反撃してこない、都合のよい対象だからではないかと思います。たとえばアメリカの新聞やテレビがアメリカの政治家を批判すると、反撃を受けることが多い。とくにトランプ大統領の場合は、即座に彼のツイッターや記者会見で「偽メディア」という反撃が返ってくる。その点、日本は安全です。それでおとなしい日本を批判し、自分たちが進歩的な言論を行なっているという自己満足に浸っている。そうした歪んだ心理構造があるのではないか、と私は考えています。古森 それは納得のいく説明ですね。その一方で、日本のメディアは現地で取材もせず、ひたすらアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』、3大テレビネットワーク(CBS、NBC、ABC)のようなリベラル系メディアの流したニュースを輸入して再生産しているだけです。だから、アメリカ国民の本当の声がまったく伝わってこない。キンモンス アメリカ人の民意が日本にあまり伝わっていない例として、2017年1月にトランプ大統領が発表した移民の入国禁止令が挙げられます。トランプ政権が行なう移民政策については、さまざまな意見があります。アメリカのある世論調査では国民の49%がトランプ大統領の政策に賛成しており、反対の41%を上回っている。しかし、日本の新聞、テレビはこうした側面よりも大統領令に反対する人びとの動きのほうを大きく取り上げていました。古森 まさにそのとおりで、いまキンモンスさんが挙げた数字はロイター通信によるインターネット調査の結果ですが、ギャラップなど他の機関が行なった世論調査でも、総じて移民入国禁止令への賛成が反対を上回っています。ラスムセンという大手世論調査会社の結果に至っては、賛成が57%、反対が32%という大差がついている(例外はCNN調査で、53%が反対)。日本では衛星放送・ケーブルテレビで比較的、流れているのでCNNの認知度が高く、鵜呑みにする人が多いのですが、本国のアメリカではFOXと比べて半分以下の視聴率です。完全に傍流メディアの位置付けですよ。 ところが日本のメディアはトランプ大統領の移民政策をめぐる議論以前のレベルで、事実を伝える意欲がないようなのです。アメリカの左傾メディアの受け売り報道を行なっているのです。結果として、大統領選挙のときはトランプの勝利を読み誤り、それでもなお懲りずに、いまだにトランプ大統領や安倍首相を叩いて進歩派気取りで溜飲を下げている。日本の報道がこのレベルに留まっているうちは、韓国や中国が繰り出す「日本は軍国主義の戦争犯罪国である」「安倍首相は20万人の性奴隷の罪を認めよ」という偽りの宣伝に抗し、正しい歴史を世界に向けて発信するのは無理だといわざるをえません。はっきりいえば人種差別的な思想はっきりいえば人種差別的な思想キンモンス 先ほどお話しした日本に対する欧米メディアの報道の歪みは、政治だけではなく、経済・経営論においても顕著だと私は考えています。出生率の低下やひきこもり、離婚率の上昇といった社会的な現象だけではなく、たとえば日本で企業の不祥事が起きると、イギリスやアメリカのメディアは必ずといってよいほど、それらを「日本人の文化」のせいにする論調があります。 たとえば2010年1月にトヨタ自動車がカローラ、RAV4、カムリなどのリコール(回収・無償修理)をアメリカで発表したとき、英語圏のメディアには「日本人の無責任体質」といった文化・風土に基づく批判的論評が山ほど掲載されました。2017年の現在に至っても、欧米メディアの風潮は基本的に同じです。たとえば東芝の巨額損失が報道されたときも、「頼まれたら断れないという日本文化」が目標達成のために架空の売り上げを計上する粉飾決算の体質を生んだのだ、というふうに。 ところが他方、アメリカの企業で不祥事や不正が発覚しても、その理由として文化という言葉はいっさい出てこない。たとえば2014年、GM(ゼネラル・モーターズ)のリコール隠しが問題になりました。イグニッション(点火)スイッチの不具合によって死者が出ていたにもかかわらず、GMはそれを発表しなかった。しかし、この事件をアメリカ人の文化のせいにする論調は皆無でした。この差はいったいなぜ起きるのでしょうか。古森 悪しき日本文化原因論や、はっきりいえば人種差別的な思想に基づくアメリカの「日本人特殊論」「日本異質論」は1980年代からあったように思います。徹夜で働く日本のサラリーマンや、都会の満員電車の光景をテレビで流して揶揄するというのもその一端でした。「アメリカ人には文化がない」キンモンス そこでいま、私が慶應義塾大学で行なった講義や研究を基に構想中の本があります。タイトルはAmericansAin’tNoCulture。古森 日本の読者に向けて説明すると、「ain’t」という言葉は「amnot」や「aren’t」「isn’t」「hasn’t」「haven’t」(「~がない」「~をもっていない」の意)を全部ひっくるめた省略語で、単数形も複数形も気にせずに使えるスラング的表現のことですね。キンモンス 要するに、下品な言葉遣いのことです(笑)。古森 キンモンス先生の本のタイトルを直訳すると、「アメリカ人には文化がない」。おまけに「ain’t(=not)」と「no」が重複しているから、文法上も間違っています。二重の意味であえて下級で下品に響くタイトルになっているわけです(笑)。もちろん皮肉を込めているからです。 しかし個別の特殊な事例を日本人全体、日本全体の文化のせいにして日本人を貶めるのは間違いです。アメリカの過激な日本研究者たちが「日本軍の組織的な強制連行による20万人女性の性的奴隷化」といって日本を糾弾した背景にも、日本人は女性の人権を軽視する文化的に遅れた民族だというジェンダーフリー思想に基づく対日差別があります。こうした誤った見方に対しては、日本国民を代表するという意味で日本の政府機関がまず正式に反論するべきです。日本のメディアも徹底抗戦しなければならない。キンモンスさんのように良識ある学者が世界にいることを励みに、私も微力ながら発信していきたい、と考えています。関連記事■ 日本の尖閣認識はアメリカ以下だ■ 学歴エリートではない安倍首相だからこそ発揮される強みと個性■ 韓国に圧倒される日本の対外発信

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    失言政治家の謝罪会見 赤いネクタイには要注意

    人をピックアップ。記者会見などでの表情や仕草から、その人物の深層心理を推察する「今週の顔」。今回は、政治家のネクタイの色に注目。* * * 閣僚の失言が止まらない。今月初め、今村雅弘復興担当相がフリーの記者の質問に激高し謝罪したばかりだが、今度は山本幸三地方創生相が、滋賀県の講演で「一番のがんは学芸員」と発言し謝罪した。今年の2月には、金田勝年法務相の曖昧な答弁と失言が大きな問題になったばかり。ということで、失言大臣たちの心の内を、そのネクタイの色を中心に分析してみる。 まずは今村復興相。記者の質問に自主避難は「本人の責任」と答え、「自己責任か?」と問い直されると表情が強張る。「責任」という言葉を無自覚に用いたことに、まずいと気がついたのだろう。さらに詰め寄られると、一気に感情を爆発させた。この会見で、今村氏が締めていたのはエヴァンゲリオンのネクタイ。エヴァの制作会社が福島にあり、プレゼントされた今村氏には応援の意味があったという。 失言当日の謝罪会見、今村氏が締めたのは淡い緑と紺の柄のネクタイ。福島への応援や復興への意気込みのはずだったエヴァのネクタイはあっけなくはずされていた。淡い緑は感情を落ち着かせる色であり、謙虚さや調和、平和をイメージさせる色である。気持ちを穏やかにし反省を示すにはいい色だが、自主避難者の方々への謝罪でもあるなら、なぜわざわざ替えたのか? 数日後の閣議後会見、再び謝罪した時に締めていたネクタイは淡いピンク。淡いピンクは柔和、思いやり、細やかな気配りを印象づけたい時に身につけるといい色で、謝罪する気持ちがあるという印象は与えた。だが本当に復興を考えているなら、ここでこそエヴァのネクタイだったはず。演台の前に立ち、エヴァのネクタイをまっすぐに締め直して襟元を正し、大きく深呼吸してから謝罪する──これぐらいの印象操作ぐらいはできてほしいものだ。 山本創生相の場合も失言翌日、記者たちの前に現れた時のネクタイはピンク。だがこちらはショッキングピンクに赤い柄だ。それも曲がって締められている。顔には唇が見えなくなるほど口元をしっかり結んだ渋い表情を浮かべていたが、派手なピンクに曲がったままのネクタイで謝罪とは…。 このピンクに赤の色合いを見ると、本当は赤にしたかったが、とりあえず今日はピンクにしておこうという意味に取れる。ピンクは赤の代用であり、気持ち的には赤を選んだのと同じだ。パワーのある赤を選んでしまうワケ 赤のネクタイといえばトランプ大統領が思い浮かぶ。選挙中や勝負時の赤は成功の可能性をアピールし、積極的、攻撃的、情熱的、リーダーシップをイメージさせる。赤はそんなパワーのある色だが、同時に人の心に恐怖や脅威を呼び起こして威嚇し、回避行動を取らせる色でもある。 ショッキングピンクを選んだ山本氏の心中を推測すると、謝罪は建前、自分の失敗に対してあれこれ突っこむなと牽制したかったのだろう。とりあえず発言を撤回し謝罪するも、質問する記者たちの顔を見ながら、「二条城では書道もお茶もお花もできない」という自分なりの問題意識を主張したのだ。 さらに次の日、閣議後の記者会見で山本氏が締めていたのは、なんと鮮やかな赤のネクタイ! 閣議後の記者会見ではいつもこの赤のネクタイ姿だが、菅官房長官が苦言を呈していたこともあり、今回ぐらいは変えるだろうという予想を見事に裏切った。 というのも強い赤を身につける人は、地位の高さを印象づけたいという気持ちがあり、権力欲、支配欲、顕示欲が強いほど強い赤を好むといわれる。強い赤は激怒の色でもあり、謝罪に最も向かない色だ。彼の心にあったのは反省よりもいら立ち、怒りではないだろうか。 主張の間違いがマスコミで指摘された山本氏は、度々、口角に力を入れ、唇が見えなくなるほど巻きこんで口先をふくらませ、眉を下げて不満と怒りの表情を見せた。発言中も一切、記者たちの顔を見ない。だが、自身が関係する書道教室の先生が、一昨年、二条城でパフォーマンスをやりたいと申し入れたが断られたと話すと、口を一文字に結んであごを上げ、「さあどうだ」と言わんばかりに、記者たちを上から目線で見回したのだ。 あぁやっぱり…である。講演での発言を聞いた時、「がんは学芸員だ」に続けて、「この連中を一掃させなければならない」と、「この」という言葉に力を込め強調して述べていたのが気になった。その声音にこもった強い怒りや憎悪の感情と「がん」という言葉使い。やはり学芸員の誰かに対する個人的恨みや嫌悪感が根底にあったのだ。この時、締めていたのも赤のネクタイ。赤は心の奥底にある感情と関係する色でもある。 さて赤といえば、金田法相も赤いネクタイがお好みのようだ。国会答弁に何度となく赤いネクタイを締め、ふてぶてしく登壇している。金田氏といえば、共謀罪に関してまともな答弁ができないどころか、「私の頭脳が、対応できない」という発言に驚いた人も多いだろう。 赤とこの発言にどんな関係があるのか?と思われるだろうが、赤い色には複雑な認知的活動を阻害し影響を与えるという研究結果があるといったら、納得できるはず。もちろん例外もあるが、心理学者のアンドリュー・J・エリオットらの研究グループによると、赤は身体を使う課題のパフォーマンスは向上させるのだが、頭を使う課題のパフォーマンスには悪影響を及ぼすというのだ。 …つまり、赤のネクタイを好む政治家には、要注意ということだ。関連記事■ ピンクの服で入学式出席親子 即座に「林家ぺー」の渾名つく■ 渡辺恒雄氏 好きな「渡鬼」見るため木曜夜は自宅直行してた■ スーパークールビズ 派手柄、ハーフパンツ、サンダルNG■ 仙谷氏 防災服の上から同系色のネクタイ出すコーディネート■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意

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    辻元さん、総理と同じことが起こってますよ

    民進党と産経新聞が因縁バトル―。つい最近、ネット上にはこんな書き込みが飛び交った。森友学園問題を奇貨として追及を続けた民進党だが、所属議員の辻元清美氏に疑惑が飛び火するや、これを報じた産経新聞に猛抗議したのである。この際、はっきり申し上げます。辻元さん、本当に安倍総理のこと言えますか?

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    「森友劇場」はもう飽きた! 辻元問題を黙殺した嘘つきメディアの大罪

    る。閣議を終え、記者の質問に答える稲田防衛相=2017年3月、首相官邸 蛇足ながら拙著最新刊『日本の政治報道はなぜ「嘘八百」なのか』(PHP新書)に巻かれた帯のコピーを借りよう。「迫り来る危機をなぜ報じない!?」。与野党の国会議員にも、こう聞きたい。迫り来る危機をなぜ論じない!? もう、森友劇場は閉じよう。私は見飽きた。もはや国会の質疑に興味もわかない。

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    辻元さん、あなたに安倍総理と同じ「悪魔の証明」ができますか?

    016年2月3日の衆議院予算委員会の場で、甘利明前経済再生相の現金授受問題に関し、TPPなどの政策が政治献金で左右されていたのではないかとの可能性を指摘した民主党の岡田克也代表(当時)と以下のやりとりがあった。岡田「首相が本会議場で安倍内閣の政策が、政治献金で影響を受けることはないと断言されたから言っている。断言された以上は、その根拠を示さなければならないのはあなたではないか」安倍「ないことをない、と証明するのは『悪魔の証明』だ。あるんだ、と言うんだったら、あるということを主張している側に立証責任がある。当たり前じゃないですか。私はないものについてはないと言う以外はないじゃないですか」「森友問題」が「籠池問題」にすり替わり 野党の追及に対し、総理は「悪魔の証明」という言葉を使うことが多いようだ。その是非はともかく、今回期せずして野党の辻元議員に説明責任が生じた格好だが、もとはといえば民進党の国会対策の稚拙さがなせる業である。「森友学園問題」は土地取得の経緯、特に大幅なディスカウントが行われた経緯の不透明さがそもそもの始まりだったはず。それが籠池氏を国会に証人喚問したものだから、いつの間にか「籠池問題」にすり替わってしまった。 今の焦点は昭恵夫人が100万円の寄付をしたかしなかったかとか、辻元議員が嘘をついているかどうかとか、本題から外れた議論で「場外乱闘」状態となっている。今後、籠池氏の告発やら、昭恵夫人や夫人の元秘書らの証人喚問などということになれば、国会の権威は地に堕ち、国民はあきれるどころか失望するだろう。早晩、この問題を正常な議論に戻すべきだ。 森友学園周辺の土地は沼地であり、長年ごみが大量に捨てられていたという。だから廃棄物処理をしなければならないということと、その費用を国が負担することに大きな違和感はない。しかし今回のケースは、国有地払い下げの金額が極めて格安で、貸借の契約から購入するまでのプロセスが異例な形を取っていた。したがって、財務省や国交省を中心とした契約の中で政治的圧力があったのではないか、との疑惑が持ち上がったのだ。 また、森友学園の隣の(市有地にある)野田中央公園は、確かに額面は約14億2千万円だが、国庫補助金、特別交付金が約14億円入っており、豊中市が実質負担したのは約2千百万円だった。この問題について民進党は当初全く触れずに「隣の公園は14億円、森友学園は1億円」と追及していた。巨額な国庫補助金や交付金が出た経緯と理由をしっかりと追及していたら、国民の見る目も違ったのではないか。学校法人「森友学園」の取得用地(左)。右(赤枠)は豊中市が公園用地として購入した国有地(野田中央公園)=大阪府豊中市(本社ヘリから) 「森友学園問題」は安倍政権に少なからず打撃を与え、内閣支持率を下げることに貢献した。しかし、民進党の支持率も同時に下がっていることを民進党の執行部は深刻にとらえた方が良い。「辻元議員を追及すれば、安倍政権は墓穴を掘る」などという楽観的な声も民進党内から聞こえてくるが、今の国会での民進党の戦略を見る限り、ダメージは民進党の方が大きいと思う。生活と安全保障を議論せずに何の国会か 野党が絶えず攻め続けなければならないのは自明の理だが、相手に「悪魔の証明」を持ち出されて逃げられては元も子もない。言い逃れができないように証拠を固め、不正があるなら「ある」と立証する必要がある。それを行わず、「籠池発言」や「籠池夫人のファクス」など信頼性に疑問符が付くものを盾に取り、相手を追い詰めようとするのは悪手としかいいようがない。3月28日、参院決算委で民進党の斎藤嘉隆氏の質問に答弁する安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) そうこうしているうちに過去最大の平成29年度予算はすんなり通り、「共謀罪」法案や「働き方改革」関連法案の議論も進まない。それどころか、北朝鮮が近いうちに核実験やICBM(大陸間弾道ミサイル)発射を行う可能性が浮上している。私たちの生活と国家の安全保障に関する問題を議論しないで、何の国会か。民進党ら野党には猛省を促したい。 同時に安倍政権側も野党の疑惑に正面から向き合い、出すものは出して疑惑解明に真摯に取り組むべきだ。政治的圧力があったのかなかったのか、そこに違法性があるのかないのか。国民の知りたいことはその一点だ。このまま不毛な議論を国会で続けると政権の信頼性も毀損し続けることを申し添えておく。国政に影響を与える都議会選挙も7月に控える。悠長に構えている時間は、ない。 最後に、テレビにも苦言を呈しておく。朝の一部の民放ワイドショーなどは、毎日1時間近くこの問題を扱っている。ほかに扱うテーマがあるだろう、と言いたくなる。先に述べた私たちが本当に知りたい重要な問題を取り上げず、「籠池問題」にかまけていると、視聴者も辟易(へきえき)して離れて行ってしまうだろう。

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    森友騒動を煽ったメディアに言論の自由を語る資格はあるか

    る騒動が大きな話題になっている。しかし、問題点が明確ではなく、インターネットなどでは、一部の関係者や政治家の発言を裏取りせず、そのまま報じるメディアに対して強い不満の声も上がり始めている。当初、贈収賄事案のように報じられたこの問題であるが、籠池氏側から安倍総理などへの献金事実は確認できず、違法性が確認できない事態に陥ってしまっている。しかし、このような状態になっても、野党の一部は総理周辺の証人喚問を求め、政権への批判を繰り返している。参院予算委の証人喚問で、本人確認のため挙手する籠池泰典氏=3月23日 また、当初の疑惑であった土地代金に関しても、産廃処理費用や周辺の土地の売買実態から見て、著しく安いわけではなく、逆に高いぐらいであるという意見も出始めている。また、産業廃棄物の処理に関しても、籠池氏側は適正だとしており、籠池氏の妻から安倍総理夫人に送られたメールでは、メディアへの証言者による捏造疑惑まで取り沙汰されている。 一つはっきりしていることは、籠池氏が安倍総理の名前や陛下の名前を勝手に利用して献金を集めていた事実であり、この点に関しては、政治家側に責任を問うのは難しいといえる。つまり、政治家側に違法性が確認されない状況でありながら、まるで大きな問題であるかのように騒ぎ続け、一部のメディアはそれを煽ったわけである。そして、違法性を問えなくなった時、それを誤魔化すために多用されたのが「忖度(そんたく)」という言葉であり、それがまるで違法行為のように伝えられていることに大きな問題がある。 わが国の憲法では、憲法16条により「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と請願の権利を認めており、差別待遇すらも否定している。決して籠池氏を擁護するわけではないが、籠池氏も立派な日本国民であり、請願権を有しているのである。この点に関して、籠池氏やその請願を受けた政治家を責めるべきではない。共産党の請願紹介は全体の6割 基本的に、請願や陳情を受けることは国民の声を政治に反映させるための大切な手段であり、そこに贈収賄などの違法性がない限り、否定してはいけないものなのである。ちなみに、国会請願紹介の首位は共産党であり、共産党の機関紙「赤旗」でも 先の第190通常国会(1月4日~6月1日)に提出された請願署名のうち、日本共産党国会議員団が紹介議員になって提出した請願署名は2541万4000人分に及び、請願署名全体の63・56%を占めました。政党のなかで断然トップで、自民党(10・81%)、公明党(1・17%)を大きく上回っています。草の根で活動し国民の運動と全国各地で結びつき、ともに要求実現に取り組む日本共産党の姿が鮮明に浮かび上がっています」(2016年6月17日 しんぶん赤旗) と自画自賛している。確かに、あっせん収賄などの場合、その政治家に権限があったかどうかがその判断基準になるが、著しく高額であったり不正な金をもらっていなければそれを批判することこそが憲法違反であるといえるわけである。そして、それを許せば政治が間違った方向に誘導されることになってしまうのである。3月9日、報道陣の質問に答える籠池泰典理事長=大阪府豊中市 また、学校法人としての資金面などでの問題と教育内容に関しては、別に考える必要があり、私立学校に関しては、法の認める範囲で一定の自由が認められているわけである。教育基本法では(私立学校)第八条 に「私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない」と定義しており、一定の自由を認め、過度の行政や政治家などによる介入を否定している。 これは公立学校も同様であり、行政や政治家が直接指導する形ではなく、教育委員会を設けることで公平性を保っているわけである。そして、これを否定するならば、全国の学校法人を平等に評価するべきである。またそれを認めるならば、教育理念に宗教的価値観を含むすべての宗教系学校も批判すべきなのであろう。それは、教育の自由を著しく損ねるものであり、宗教思想の自由を制限するものでもあり、それこそがファシズムそのものなのであろう。 日本では近年、リベラルを名乗る他人の人権に興味がない人権派や暴力的な平和主義者などがさまざまなところで権利ばかりを大声で騒ぎ、一部のメディアと結託して、それを社会問題化させようとしているように思う。その典型が今回の森友学園問題であるのだと思っている。そして、それは絶対に許されない行為であり、自由を守るためにもそれを否定し続ける必要が、今まさにあるように思えてならない。     最後にフランスの哲学者、ヴォルテールの有名な言葉で締めくくりたい。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。これこそがリベラルであり、言論の自由を守るメディア本来の役割なのである。※4月5日午前7時~11時ごろにかけて、記事内に関係のない文言を誤って掲載してしまい、当該部分を削除いたしました。読者及び関係者の皆さんにお詫び申し上げます。

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    民進党はあくまで「隠れ蓑」 森友学園に絡む左翼勢力の闇

    【杉田水脈のなでしこリポート】 50日もの長きにわたり国会の委員会とテレビのニュース情報番組を「ジャック」してきた森友問題もそろそろ終焉に近づいてきたようです。昭恵夫人と森友学園理事長の妻・籠池諄子氏のメールが全文開示され、火種は民進党に飛び火しています。 インターネット上では、メールの中に書かれた辻元清美代議士の行動や背景を報道しないマスコミの隠蔽体質について非難する声が上がり、さすがのテレビや新聞も無視することができなくなってきたようです。が、未だ辻元氏が幼稚園に行ったかどうかといった表面的な報道に過ぎず、その背景について深入りはしていません。 今回の件、表に立って目立つ「民進党」はあくまでも隠れ蓑です。 まず、学園の小学校建設地に隣接する「野田中央公園」について。もともと国有地であった土地を平成22年3月に豊中市が購入。国との契約金額は14億2386万3000円でしたが、計14億262万円の国庫補助金などを得て、最終的に市の負担は2124万3000円であることが確認できます。これは民主党政権発足から間もない時期で、辻元清美氏はこの年の5月まで国交副大臣でした。当時、彼女は民主党ではなく、連立を組んでいた社民党に所属していましたが、社民党の連立離脱に伴い7月に社民党に離党届を出し、8月に受理されています。そして9月には民主党に入党するのですが、彼女の支援団体は社民党の頃からほとんど変わっていません。今回メールの中に出てくる「関西生コン」との関係も社民党時代から継続しているものです。森友学園の小学校建設予定地の視察を行う辻元清美議員=2月28日午前、大阪府豊中市(永田直也撮影) 「関西生コン」は正式名称を「連帯ユニオン関西地区生コン支部」と言い、関西を拠点にする労働組合です。もともと日本共産党の影響が強い全日本運輸一般労働組合(運輸一般、現・建交労)に加盟していましたが、闘争方式を巡り党と対立、運輸一般を脱退して独立し、現在は社民党や新社会党の支持団体となっています。本人は献金以外の関係を否定していますが、辻元清美氏の地元の強力なバックとみられます。今年の新春旗びらきでは、社民党の福島瑞穂副党首とともに彼女が挨拶をしています。 その連帯ユニオンのホームページを見てみると、関西に拠点を置く労組にもかかわらず、沖縄で行われたデモなどの活動報告が目立ちます。「関西生コン」との関係 ここに一枚のチラシがあります。 東京MXテレビの番組「ニュース女子」の問題で、BPOに内容の審議を申し立てた辛淑玉氏が出演した大阪で開催されたシンポジウムの案内です。連帯労組関西生コン支部委員長がパネリストとして辛淑玉氏と名前を並べています。沖縄の基地反対運動と森友問題に絡んだ左翼勢力が一本の線でつながります。東京MXテレビが放送した番組「ニュース女子」に対し、抗議の記者会見をする「のりこえねっと」の辛淑玉共同代表(右)ら=1月27日、国会 辛淑玉氏はヘイトスピーチに反対する目的で作られた団体「のりこえねっと」の共同代表です。のりこえねっとの共同代表は全部で23人。上野千鶴子(東京大学名誉教授)、宇都宮健児(前日弁連会長)、佐高信(評論家)ら著名人に交じって、部落解放同盟中央書記長、前部落解放同盟中央本部書記長らも名前を連ねています。今年3月にジュネーブで行われた国連人権理事会において、「(高江の基地移設反対運動のリーダーと言われている)山城博治を早く釈放しろ」「日本において少数民族である韓国人が、『ゴキブリ』と言われ差別されているのに、日本政府は何もしない」と訴えた前田朗東京造形大学教授も、のりこえねっと共同代表の一人です。 改めて、社民党の支援団体を見ていくと、自治労や日教組、全労協などの労働組合と部落解放同盟などの同和関係の組織が中心となっています。また、沖縄県は社民党の唯一の票田でもあります。 先日保釈された沖縄の平和活動家・山城博治氏は、沖縄平和運動センター議長という肩書を持っていますが、この沖縄平和運動センターの構成員の多くが社民党。その山城氏の後援会の運営資金の多くは社民党からの寄付で賄われています。また、山城氏は2度参議院選に立候補しており、1回目は社民党推薦、2回目は社民党公認で比例名簿の2位という位置づけでした。この時、部落解放同盟全国連合会は、「参議院選挙の比例区は 山シロ博治」と書くよう方針決定し、呼びかけを行っています。 この山城氏の釈放を訴えたアムネスティの声明文を読み上げたのは、バンクーバー9条の会の乗松聡子氏です。1月31日付の沖縄タイムス、琉球新報には雨の中で声明文を読み上げる彼女の姿が掲載されています。拙著「慰安婦像を世界中に建てる日本人たち」の中で、カナダのバンクーバーで「うりずんの雨」という沖縄の基地反対運動を美化する映画が上映されていたことを書き、彼女の活動を紹介しています。この映画の中には日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」が運営する「女たちの戦争と平和資料館」が出てきます。慰安婦問題のユネスコ登録の主導権を握っている団体ですが、この資料館がある住所が「西早稲田2-3-18」、左翼の巣窟と呼ばれるところです。差別を作る「被害者ビジネス」 月刊「Hanada」5月号の中で、西岡力麗澤大学客員教授が、辛淑玉氏の履歴と活動歴をまとめています。彼女は2000年、当時の石原慎太郎都知事の「三国人発言」に対して「在日コリアンに対する侮辱」とレッテル張りをし、「石原やめろネットワーク」という市民団体を立ち上げています。この「石原やめろネットワーク」の本部も「西早稲田2-3-18」で登録されていました。沖縄問題や在日問題、そして慰安婦問題もまた一本の線でつながるのです。 2015年7月、国連の女子差別撤廃委員会の準備会合に初めて参加し、日本から参加している日弁連をはじめとするNGOの反日発言に驚きました。中でも一番びっくりしたのが、「日本には激しいマイノリティ差別がある。アイヌ民族、同和部落、在日韓国人・朝鮮人、そして琉球民族だ」という発言です。そのような差別を日本での生活の中で実感したことがありません。まさに自ら差別を作り出す「被害者ビジネス」だと感じました。 これらのマイノリティ差別を利用した被害者ビジネスを国内で実施している人たちも、慰安婦問題などの反日プロパガンダを世界で広げる人たちもすべてつながっているという事がお分かりいただけたと思います。 その最大のノイジーマジョリティである社民党、共産党が、マスコミを利用して世論を扇動したのが今回の森友問題であると言えます。その背後に存在するのは、在日団体や部落解放同盟です。森友問題、アパホテルやニュース女子に対する攻撃。組織は複雑に絡み合っていますが、やっている人間は同じなのです。杉田水脈(すぎた・みお) 昭和42年4月生まれ。鳥取大農学部林学科卒。西宮市職員などを経て、平成24年に日本維新の会公認で衆院選に出馬し、初当選。平成26年に落選後は、民間国際NGOの一員として国際社会での日本の汚名をそそぐために活動を続けている。好きな言葉は「過去と人は変えられない。自分と未来は変えられる」。

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    森友騒動が国益を毀損する 「パワー系ネット右翼」に手を振るな

    ある。国会で「証言」する籠池氏(写真:ロイター) 資本主義的営利という「損得」を追及するなら、無難な政治的に無色の幼稚園や小学校(院)の運営を志向するのが当然のはずだ。損得勘定ができず、他者からの批判をすべて「反日メディアの工作」「在日韓国・朝鮮人の仕業」と決めつけ、頓狂なイデオロギーに突き進むところが、彼らの異様な直進性を表している。だから「嘘を言えば罪に問われる場で、ウソを言うはずはない」という損得理論は、籠池氏には通用しないと私は考える。 同学園の塚本幼稚園と籠池氏は5,6年前から一部のネット右翼界隈で有名であったが、当時世間的には知名度はゼロに等しかった。この種の、小ブルジョワともいうべき中小の自営業者が後天的に右派的な世界観に「目覚め」ることはよくあり、また本件ではその「覚醒」のエネルギーがたまたま幼稚園・小学校(院)など教育方面へと向かったというだけで、籠池氏のようなネット右翼的世界観を有した小ブルジョワは、一般に可視化されていないだけで、この国の主要都市とその郊外に至る所に存在する。そしてすでに詳報したように、それを賞賛する一部の「保守系言論人」が毎度ルーチンの如く取り巻いている事もまた、よくある光景なのである。「パワー系ネット右翼」とは何か「パワー系ネット右翼」とは何か 私はこのような、当初どこにでもいるネット右翼だったものが、「保守系言論人」などの講演などの実績を梃子として、社会的に影響力を行使していく(かに見える)ようになるまでに成長したものを、「パワー系ネット右翼」と定義している。「パワー系」とは、巨躯・怪力など腕力自慢の登場人物やキャラクターなどを指すネットスラングだが、この場合の「パワー」とは、筋力ではなく社会的影響力の大なるを指す。 この「どこにでもいるネット右翼」が「パワー系ネット右翼」に進化する原因は、一重にも二重にもそれに恩典を与える存在、つまり増幅器の存在である。今回、籠池夫妻の例にあってのそれは、同学園の広告塔に使われた「保守系言論人」だが、やはり最大のものは安倍昭恵夫人(以下昭恵夫人)による名誉校長就任である。 並みの保守系言論人ではなく、「現職総理大臣の妻」が同学園最大の広告塔になったことにより、豊中の一介の小ブルジョワに過ぎなかった籠池夫妻が、社会的影響力を持った「パワー系ネット右翼」に変貌してしまった。この昭恵夫人の軽佻浮薄なる行為は、厳に批判されて仕方がないであろう。しかし、本件の端緒となった国有地払い下げ問題は、その妥当性についてもはや司法官憲に委ねるところにより、それ以上の追及に本質的意味があるとは思えない。森友学園の籠池泰典氏(左)と妻の諄子氏(右)=山田哲司撮影矮小化する国会と日本社会 山東議員が言うように、今上陛下の退位、テロ対策の方がより国家規模の喫緊の課題であろう。まさしく森友騒動で騒げば騒ぐほど、「籠池という人物が、よほどの大人物であるかのようになってしまう」(同)。籠池夫妻は「どこにでもいるネット右翼」が「パワー系ネット右翼」に進化しただけの存在にすぎず、到底大人物ではない。 こんな人物のために国会が空転し、本質的に議論すべき課題がなおざりになっているのだとすれば、著しい国益の毀損であるといわなければならない。ロッキード事件や、リクルート事件、佐川急便事件と比べると、騒動そのものの規模が著しく矮小化しているように思える。 どうせ国会で追及するのなら、疑惑の首魁がアメリカの軍産複合体とか上場大企業等であって欲しいものだ。豊中の一介の小ブルジョワを証人喚問するなど、まさに山東氏が指摘する「国会のレベルの低下」の象徴たる事例であろう。この騒動自体、20年続くデフレで経済のみならず精神すら矮小化してしまった日本人の象徴的事例、として後世記憶されるのではないだろうか。 国会の開催には、1日当たり3億とも、4億とも、5億ともいわれる運営費用が掛かっているという。国有地払い下げについて、評価額約9億5000万円の土地が約8億円値下げされた(疑惑)、とあるが、仮に8億円の疑惑の追及について1日あたり4億円使っているとすると、実にこの騒動が徒労なのかがわかろうというもの。この程度の、「パワー系ネット右翼」の証言の真贋を、雁首揃えてそれこそ、その真意を「忖度」しているのだから、開いた口が塞がらないとはこのことである。このような人物を、国会に招致すること自体が間違っている。森友騒動と社会的躁状態森友騒動と社会的躁状態 欧米のメディアを礼賛するわけではないが、CNNやBBCでは連日「トランプ政権とロシアの疑惑」を報じ、仏大統領選の行方が喫緊のテーマだ。万が一フランスで極右政権が誕生するとなると、「西欧近代の破壊」という歴史的変動を否が応でも目の当たりにするからである。豊中の「パワー系ネット右翼」を連日連日、こんなにも熱心に騒ぎ立てているのは、すわ異様の感すら覚える。 STAP騒動、芸能人や議員の不倫、桝添元都知事の支出、豊洲云々と来て森友…。こうしている間にも、減り続ける人口・出生率上昇を阻む待機児童の問題・将来に禍根を残す大学学費高騰問題や、周辺国のミサイル実験や軍拡への脅威など、真に、連日議論の俎上にのせられるべき問題はどこかに消えてしまっている。 森友騒動を見るたびに、この国が改革すべき巨大な悪や本質的巨悪に向き合わず、矮小化された卑近な騒動に対してのみ、近視眼的に躁状態になることに、着実に「日本国」のトレンド自体が衰亡に向かっていることを感じさせるのは、私だけの感覚なのであろうか。これは近年のハロウィン騒動にも通底するある種の社会的躁状態である。 国益を考えるときにイデオロギーの左・右の別はないはずだが、こうして「同胞」同志、相争いて少ない戦力をまっことどうでも良い事案に振り向け続け、気がついた時には取り返しがつかないほど、国力が衰微していくのが、繰り返されてきた帝国崩壊の道程なのだろう。 「―同じ仲間の意見対立は、敵に対するより執拗な憎悪を伴う」(バートランド・ラッセル)(2017年3月31日 Yahoo!ニュース個人「だれ日。」より転載)

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    行政調査権限は「犯罪捜査」のためのものと解してはならない

    郷原信郎(弁護士) 森友学園と籠池氏をめぐる事態は一層、異常かつ深刻なものとなっている。 一昨日出したブログ記事【籠池氏「告発」をめぐる“二つの重大な謎”】でも述べたように、籠池氏の衆参両院予算委員会の証人喚問での証言について、「偽証告発」をめざす調査が行われている。告発の権限を持つ各院の予算委員会とは無関係に、自民党の西村康稔議員らによって調査が行われ、「偽証の疑いがある」「事実が確定したら告発をする」などと表明されたのが3月28日。翌29日には、国会ではなく内閣の側の菅官房長官が国会で、「(証言が)事実と違ったら告発」などと答弁し、その日のうちに、大阪地検が、前日に補助金が全額返還されているにもかかわらず、補助金適正化法違反の告発を突然受理し、最高検又は法務省からのリークとも思える「籠池氏告発受理」の報道が大々的に行われた。 そして、昨日31日には、森友学園に対する大阪府による立入調査が大々的に報道された。塚本幼稚園幼児教育学園へ立ち入り調査に入る府の職員=大阪市淀川区 大阪府の松井一郎知事は、森友学園に犯罪の疑いがあるかのような発言をかねてから繰り返していた。「偽計業務妨害」「私文書偽造」等、なぜそのような犯罪が成立するのが全く理解できない罪名から始まって、補助金不正受給の「補助金適正化法違反」の疑いがある旨のコメントが繰り返されていた。 3月29日と31日の記者会見で、松井知事は、次のように発言している。(3月29日)知事)籠池さんのことは、補助金の詐欺の疑いとかそういうものがあるのなら、それはもう、最後は司法に任せてやるべきだと思う。大阪府とすると、来週、調査に入りますから、その調査結果においては、教育長の方でね。職員)明後日。知事)明後日。調査に入るんで、そこに明確な、そういう補助金に対して違法性があるのなら、これはもう、教育長の方は警察の方へ届けるということになるでしょう。記者)細かいんですけど、その刑事告訴・告発は、教育長が、大阪府知事として…知事)これは大阪府知事名で、教育長が代理人になると思います。だってやっぱりこれは予算の不正取得になるのでね。<中略>記者)確認なんですが、先ほど知事は国会の偽証罪での告発について「ええ加減にした方がええ」というふうにおっしゃっていましたが、告発は予算委で3分の2以上の賛成が必要ですけども、維新としては、賛成反対という議論についても加わらないということですか。知事)それは議論には入らないとダメだとは思いますけどね。そこは国会の対応なのでね、国会議員団の団長と幹事長が判断したらいいと思います。記者)今のところ、代表として賛成すべき、反対すべき、というのはありますか。知事)その、告発すること?記者)そうですね。知事)告発するのならやっぱり理屈というか理由がきちっと固まっていないとダメだと思いますけどね。まあでも僕は、大阪府としては、31日に調査に入れば、補助金の不正な搾取があれば、これは、知事としては、やっぱり府民の税金が不正に取られたということになれば、これはやっぱり警察・検察にきちっと申し立てはします。松井知事の発言に隠された意図(3月31日)記者)仮に今日の調査で事実と異なるですとか、虚偽があった場合、府の対応について現時点でいかがでしょうか。知事)これ教育長が判断することですけれども、やはり補助金を不正に取得されていたということになると、司法に判断を仰ぐような形になるんじゃないですかね。記者)刑事告発が既に受理されていてですね、そちらの方の捜査もおそらく始まっているだろうという中で、契約書の話はその辺すごく絡んでくる部分があると思うんですけども、その辺、どういう風に整合性を取っていくかというか、その辺どのようにお考えでしょうか。知事)いやもう整合性というか…この事実を知っているのは施主である森友さん側と、請負された建築会社、設計事務所、この皆さん方が誠実に真実を話すべきだと、こう思っています。記者)その刑事的な話が進んでいることを理由に、今回の調査を断られたりということは、想定されているんでしょうか。知事)まあ、誠実に対応されると、僕は思っています。記者)補助金の問題とも絡むんですけど、偽計業務妨害としても検討されていることを思えば、今回の立入調査の結果を踏まえて、それはもう最終的に結論を出すということですか。知事)そうですね。やはり立入調査で事実を明らかにしないと。 松井知事は、大阪府が森友学園に立入調査に入るのは、「補助金の詐欺」などの不正を突き止めることが目的で、調査の結果不正が明らかになれば、警察、検察に告発する方針であることを明確に述べている。「司法に任せてやる」「警察の方へ届ける」「司法に判断を仰ぐ」など表現は様々だが、大阪府の行為としては「告発」するということであり、さらに、「告発の名義人」を尋ねた記者の質問に答えて、「大阪府知事名で、教育長が代理人になる」とまで答えている。 もちろん、「調査の結果不正が見つかれば」と言っているが、不正が見つからなければ、そもそも告発も何も問題になるわけがないのであるから、それは当然のことだ。 松井知事の発言には、自分が行政のトップの立場にある大阪府の権限を使って、森友学園の犯罪を行政の手で明らかにしようという意図が露骨に表れている。 特に、31日の会見では、記者は国会での籠池氏偽証告発について、松井知事が反対するようなコメントをしていたことについて聞いているのに、自分の方から、大阪府の調査のことに話題を変え、「31日に調査に入れば、補助金の不正な搾取があれば、これは、知事としては、やっぱり府民の税金が不正に取られたということになれば、これはやっぱり警察・検察にきちっと申し立てはします」などと述べているのである。 また、既に補助金適正化法違反の告発を大阪地検が受理したと報じられていることから、記者が「刑事的な話が進んでいることを理由に、今回の調査を断られたり」と言って、「大阪府が補助金適正化法違反の事実を突き止めるために立入調査を行おうとしても、森友学園側が拒否するのではないか」という趣旨のことを聞いても、「誠実に対応されると、僕は思っています」などと述べて、そのような拒否はさせない、大阪府の調査に対しては「誠実」に対応するのが当たり前だという趣旨の発言をしているのである。 「不正の事実があれば処罰を求めて告発をする」、それだけ聞くと当然のことのように思える。しかし、行政機関の立入調査(正確には「立入検査」)をその手段とすることには法律上重大な問題があることを、この際、声を大にして言っておきたい。行政が、自らの調査権限を使って、司法のチェックも受けないで、犯罪捜査まがいのことを好き放題に行うようになったら、それこそ、専制国家そのものである。行政調査は拒絶できない 行政機関による行政調査は、本来、「行政上の目的」で行われるものであり、それを拒否したり、質問に対して虚偽の陳述をしたりすることに対しては「罰則」の制裁がある。つまり、「行政目的で行う」という大前提の下で、立入検査という形で「家宅捜索」のような調査を受けることも、質問に対して答えることも、「拒絶できない」ことになっているのだ。土砂の搬出作業が進む森友学園の小学校建設現場=4月3日、大阪府豊中市 行政目的のために立入検査などを行った結果、刑事罰に処するべき悪質な違反事実がみつかったという場合、その段階で告発の要否を検討し、当該行政庁が警察、検察に告発を行う場合がある。それは、まず一定の行政目的での立入検査が行われた「結果」、犯罪事実が「発見」され、それを当該行政目的に照らして考えたとき、「行政機関に与えられた行政処分等の権限では行政の目的が達せられない」と判断されるからこそ、「告発すべき」ということになり、最終的には、捜査機関側の意見も聞いて、行政庁としての告発の判断が行われることになるのである。 「補助金の不正受給」の事実があったとしても、まずは「補助金の返還」を求めることが先決であり、その上で、悪質・重大な犯罪の疑いがある場合に、告発を検討することになる。 私が総務省顧問・コンプライアンス室長を務めていた2010年に、ICT関係の補助金に関して、コンプライアンス室への内部通報を端緒に、補助金適正化法違反で補助金をめぐる不正の事実をつかみ、総務省で特別チームを作って調査し、補助金適正化法違反による立入検査を行った事案もあった。多数解明した事案の中には、多額の補助金を私物化している悪質事案があり、告発に向けて検察庁と協議も行ったが、告発には至らなかった。 「最初から、犯罪の証拠を発見して告発することをめざして立入検査等の行政調査を行うこと」は、それによって、「無令状」の捜索や「黙秘権侵害」の聴取が行われることになるので違法であることは言うまでもない。逮捕,勾留,捜索,押収などの強制処分は,裁判官または裁判所の発する令状によらなければ,実行できないとする原則が「令状主義」である。 強制処分の理由と必要性を第三者が審査することで権限濫用を防ぎ、人権を保護するのが目的だ。 考えてみてもらいたい。例えば、あなたの会社について、犯罪の疑いがあるとの噂が流れ、管轄の行政庁又は自治体が、「噂がその通りであれば、告発する」と公言した上で、行政上の立入検査に入ってきて、「拒否すると罰則が科されますよ」と言われて、書類の提出を求められたり、「噂されている事実があるのか」と質問されるという状況に立たされたら、あなたならどうするだろう。 犯罪の疑いがあれば、捜査機関の判断によって捜査の対象にされることもある。しかしそれば、あくまで「任意」が原則であり、「強制」的に行う場合は、裁判官による「令状」が必要だ。犯罪捜査に応じることを、罰則で強制されることは、刑事手続きに関する憲法上の権利を侵害するものだ。 行政調査と憲法35条の「令状主義」・38条の「黙秘権の保障」との関係については、古くから税務調査等に関して問題にされてきた。昭和47年11月22日の川崎民商事件最高裁判決では、「刑事責任追及のための証拠収集と行政調査との関係」について、右規定(憲法第38条の)による保障は、純然たる刑事手続においてばかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする。 との判断が示された。松井知事の発言により森友学園側に有利に働く それ以降、行政調査権限に関する規定には、必ず「犯罪捜査のためのものと解してはならない」との規定が設けられるようになった。補助金適正化法(第23条3項)においても、(行政調査)権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない と定められている。 行政調査の現場では、告発を視野にいれている場合であっても、絶対に表には出ないよう十分な配慮がなされてきた。行政調査が「犯罪捜査の目的ではないか」と疑われた場合、それを理由にして、被調査者側から調査を拒否されても致し方ないからである。この場合、拒否に対する罰則適用も不可能である。日本維新の会の党大会後、記者会見する代表の松井一郎大阪府知事(中央) =3月25日、東京都内のホテル 松井知事の、森友学園に対する調査に関する発言を見る限り、そのような「行政調査と犯罪捜査との関係」についての理解を欠いているとしか思えない。立入調査に入る行政機関のトップが、事前に、「不正や犯罪を発見して警察、検察に処罰を求める」と公言しているのだから、全く弁解の余地がないのだ。 重要なことは、松井知事のこのような発言が、かえって森友学園側に有利に働くということだ。森友学園側としては、立入検査に対して、「犯罪捜査のために行われている」と言って重要書類の提出や、質問への回答を拒絶することができる。それに対して罰則適用することはできない。しかも、「行政調査で解明しようとしている事項については、まず行政機関の手続きを優先させるべき」と判断するのが一般的であり、警察などの捜査機関が犯罪捜査で介入をすることは、適切ではないということになる。結局、大阪府に関連する問題に関して、森友学園の不正の解明は遅れてしまうことになりかねないのだ。 昨日は朝から、大阪府が立入調査に入ることがマスコミで大々的に報じられ、テレビのワイドショーは、さながら「立入調査の実況中継」のような状態であった。その中で、松井知事のかねてからの「調査の結果不正がみつかったら警察に」というような発言が、改めて映像で流され、キャスターが「松井知事は不正がみつかったら告発すると明言している」という趣旨の解説をしていた。そして、スタジオのパネルは、森友学園の様々な「犯罪の疑い」で埋め尽くされ、森友学園の犯罪に対して大阪府の調査でメスが入る、ということが強調されていた。 私は、森友学園とも籠池理事長とも何の関係もないし、もちろん、弁護人でも、代理人でもない。森友学園の幼稚園等で何が行われていたのか、小学校の開設をめぐって何が行われてきたのかを知る由もないし、実際に、犯罪が行われた可能性を否定するものでは決してない。しかし、仮に犯罪事実があったとしても、それは、「適正な手続」によって証拠収集され、事実解明されなければならないことは、憲法上の保障から言っても、当然のことだ。行政のトップが、その大原則を露骨に踏みにじる発言をすることは決して許されない。 このような知事の発言によって、行政の立入調査が、森友学園の犯罪を明らかにするためであるかのように強調する放送が行われることは、弁護士の立場から見過ごすことができない。 「偽証告発」をめざす動きの異常さ、補助金全額返還後の「告発受理報道」の異常さに加え、大阪府が、「犯罪事実を明らかにするために行政調査に入る」という異常さまで加わる。 日本は、いつから非法治国家、非立憲国家になってしまったのだろうか。(「郷原信郎が斬る」より2017年4月1日分を転載)

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    “森友祭り”で一番の勝ち組は首相に食い込むフジサンケイG

    ディアに流す。総理が苦しくなればなるほど親安倍メディア、とくに産経にタナボタでネタが集まっている」(政治部記者)おいしい話には毒 さらに産経新聞は森友疑惑追及を強める野党を牽制するように、証人喚問までは「再び解散風が吹き始めた」(3月6日付)などと4月衆院解散説を書き立て、喚問が終わった途端に「首相、4月総選挙見送り」(3月28日付)と“スクープ仕立て”で報じた。自社スクープを自社スクープでひっくり返す離れ業だ。 いまや森友疑惑は意固地になった安倍首相と開き直る籠池氏の非難合戦にとどまらず、籠池夫人のメールで「幼稚園に侵入しかけた」と名指しされた民進党の辻元清美氏という新たな登場人物まで加わった三つ巴の泥仕合と化し、与野党とも幕を引きたくても引けなくなっている。メディアにとっては面白おかしい話題が提供され続けるわけだが、おいしい話には毒がある。 メディアが籠池劇場の高視聴率に浮かれて思考停止になっているのを見て、陰で「ありがとう」と喜んでいる人たちがいることを忘れてはならない。関連記事■ 森友学園疑惑で得をしたのは小池百合子氏、神風吹いた■ 籠池氏「清廉潔白の人間は相手が清廉潔白とわかるんですよ」■ 安倍首相とメディア幹部の会食 内閣発足以来最低でも60回■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」■ 読売や朝日 産経に後れるなと首相にすり寄り監視機能形骸化

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    稲田朋美の「軽さ」は安倍総理の油断の象徴である

    期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正が行われた。この党則改正に「安倍一強」と評される現下の政治情勢が反映されているのは、あらためて指摘するまでもない。こうした「鉄壁」とも評すべき安倍内閣の政権運営には、俄(にわか)に軋みが印象付けられるようになっている。 その軋みの焦点になっているのが、稲田朋美防衛大臣である。「西の豊中」案件や「南スーダン派遣自衛隊部隊日誌」管理案件だけではなく、教育勅語の評価に絡む発言でも、彼女は批判を浴びている。『読売新聞』(3月16日付、電子版)社説は、「防衛省日報隠し 稲田氏に『統率力』はあるのか」と題して、彼女の政治姿勢における「軽さ」を批判している。彼女は、安倍内閣の「弱い環」になった感がある。何故、そのような仕儀に至ったのか。この疑問を前にして、次に挙げる二つのことを考える必要があろう。 第一に、防衛大臣という政治官職は、どのようなものとして扱われてきたのか。2007年の防衛省発足以前、前身官庁としての防衛庁は、総理府(後に内閣府)外局の位置付けに過ぎず、その長たる防衛庁長官も、「55年体制」下の自民党内では、大して食指の動かない「陪席ポスト」としてしか扱われなかった。2007年1月8日、省への移行を翌日に控え、「防衛庁」から「防衛省」へ掛け替えられる正門の看板(大西正純撮影) 第二次世界大戦後、日本の大方の国民が政治家に対して期待したのは、社会福祉を含めて様々な「便益」を届けてくれる「サンタクロースの代理人」の役割であり、「猛獣」(国家の本質としての暴力)を飼い慣らす「猛獣使い」として役割ではなかった。特に1990年代以前。政治家が「猛獣使い」として本来の役割を果たそうとするとき、それを阻んできたのが、戦後日本の平和主義思潮とそれを代弁した左翼・革新政治勢力であった。 この永き歳月の中で、政治家が「サンタクロースの代理人」に徹すればよいという一つの諒解を成したという点において、自民党サイドの「利益誘導」政治と革新政党サイドの「平和主義」信条は、一つの共犯関係にある。こうした関係が払拭されなかったことにこそ、「猛獣使い」官職が軽んじられてきた所以がある。 しかし、1990年代以降、日本を取り巻く安全保障環境の変化は、そうした有り様への修正を迫った。防衛庁の省昇格に象徴される諸々の安全保障政策展開は、日本の「右傾化」の証左ではなく、安全保障環境の変化に対する「適応」に過ぎない。その一方で、政治家に対して「猛獣使い」ではなく「サンタクロースの代理人」としての役割を期待した日本国民の意識は、どこまで変わったのか。「親心」に表れた安倍一強の油断 第二に、このような防衛大臣という官職の位置付けの変化にもかかわらず、何故、稲田朋美という政治家は、防衛大臣職に任用されたのか。彼女は、その政治上の経歴から判断する限りは、外交・安全保障政策領域に特段の見識を持たない「ドメスティック志向」の政治家である。靖国神社案件や歴史認識案件で彼女が過去に披露したナショナリスト色の濃厚な言説は、外交・安全保障政策領域の見識を担保するわけではない。もし、安倍晋三総理が彼女の防衛大臣起用に際して、「経験を積ませよう…」という類の「親心」を働かせたのであれば、そうした「親心」は、現下の安全保障環境に照らし合わせて、不要であったと評すべきであろう。 そもそも、目下、北朝鮮の脅威は「新たなステージ」に入り、東シナ海や南シナ海での中国の海洋進出は露骨の度を高めている。加えて、日本は、米国を含む各国と「2+2」(外務・防衛担当閣僚会合)の枠組を設定している。それは、「どの国々も自分だけで安全保障を確保できない」という安全保障政策上の要請に沿ったものである。来日したマティス米国防長官(左)を出迎える稲田朋美防衛相=2月4日、防衛省(納冨康撮影) しかも、そうした安全保障上の国際協調の中核である米国において、ドナルド・J・トランプ政権下、その役割を担うのは、「狂犬」「闘う修道士」とも渾名されるジェームズ・N・マティス国防長官である。イラクやアフガニスタンでの実戦経験と蔵書7千冊とも評される読書に裏付けられた見識を誰も疑わぬマティス長官を前にして、稲田大臣は、果たして太刀打ちできるのか。 前に触れた『読売新聞』社説で指摘された彼女の「軽さ」は、そうした安全保障環境の下での「不安」を増幅させている。それは、「この大臣で本当に大丈夫か…」という不安である。彼女は、そうした「不安」を払拭すべく真摯に臨んでいるであろうか。そうした真摯さをこそ、彼女は何よりも世に伝えるべきではないのであろうか。 2000年代以前、防衛庁長官という政治官職は、「少壮政治家の跳躍台」のように扱われてきたけれども、そうした「常識」が防衛大臣に関しても残っているのであれば、それは、改めた方が宜しかろう。防衛大臣という政治官職は、外務大臣や財務大臣と同様に、自民党であれば派閥領袖級の重鎮政治家が担うものであるという新たな「常識」を形成する必要がある。そうでなければ、最低限でも外務、防衛の副大臣職を経験し、外交・安全保障政策領域の見識が明らかな政治家を起用するかである。 その意味では、安倍第二次内閣発足以降、小野寺五典、中谷元の両氏を防衛大臣に起用したのは、安倍総理における正当な判断であった。それは、安倍総理が防衛大臣の「重み」を十分に理解したが故の判断であったといえよう。しかしながら、その判断は、稲田大臣起用に至って、何故曇ったのか。それは「安倍一強」と評される政治情勢の下、安倍総理の「油断」を表していなかったとは果たして断言できるのか。

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    稲田朋美はもう「限界」かもしれない

    いま、日本で最も火だるまになっている女性が2人います。一人は前回のテーマでお届けした首相夫人、安倍昭恵さん。そして、もう一人は本日のテーマで取り上げる防衛大臣、稲田朋美さんです。「女性初の総理」ともてはやされた入閣当時が懐かしいですが、それにしてもなぜここまで「炎上」したのでしょうか?

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    自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ

    たことは明らかだ。教育勅語を大事にすることなどで共感した稲田氏が弁護士として籠池氏を支援し、籠池氏も政治家である稲田氏を応援する関係を築く基盤となったことは疑いようがない。首相夫人の安倍昭恵さんに至っては、籠池氏妻との関係が最近まで続いていたことも明らかになっている。 ところが、森友学園のことが政治問題に発展し、政治家としての自分の立場に悪影響を及ぼすようになると、稲田氏は(安倍氏も)突然、籠池氏との間には何の関係もなかったかのように立場を翻した。人間と人間の関係はそういうものなのだろうか。自分に不利な関係になったとはいえ、即座に切り捨てるというのは人の在り様としてどうなのかと思いたくもなる。 そういう疑念を生じさせることが、私だけではなく、稲田氏に対する世論の冷たい視線の背景になっているように思えてならない(安倍内閣の支持率低下も同じだ)。そして、それが「戦闘」や「日報」をめぐって、自衛官からも信頼を勝ち得ていないのではないかという危惧とも重なってくる。 稲田氏にとって最も大切なことは、いったい何なのか。自分の部下、仲間や同志、それとも自分の政治的経歴なのか。そこが問われているだけに、現在の苦境から抜け出すのは簡単ではないだろう。 憲法9条の下での防衛大臣の仕事には特有の難しさがつきまとう。だからこそ苦労のしがいがあるポストでもある。防衛大臣たるもの、自分の身を捨ててでも、職務に邁進(まいしん)してほしい。それができないなら、潔く身を引くべきではないか。

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    「オンナが武器」なら稲田さんは女性総理になんかなれっこない!

    です。牧師の父親の娘として共産主義だった東ドイツに産まれ、数学とロシア語が得意な少女として育ちます。政治家になるタイプの女性というのは、日本だとチーママ系の男たらしも多いのですが、メルケル首相の場合は、刈り上げ頭にサンダルという、色気も何もない東ドイツの典型的な理系女子でした。東ベルリンにある科学アカデミーに就職し、理論物理学を研究していた物理学者として働いていた際にベルリンの壁が崩壊。政治の道に進むことを決めます。 メルケル首相はドイツでは「お母さん」と呼ばれ、かつてはイギリスのサッチャー首相と対比する形で、「鉄のお嬢さん」(Eisernes Mädchen)というニックネームがありました。メルケルが「鉄のお嬢さん」と呼ばれたワケ 「鉄のお嬢さん」には「鋼鉄の処女」という意味もあります。これはイギリスを代表するヘビーメタルバンド「Iron Maiden」のバンド名の元ネタであり、中世の拷問器具の名前でもあります。これは乙女の形をした鉄の人形の中は棘(とげ)だらけで、人が中に入れられてガチャンとされると足元から血が滴るという恐ろしい拷問具です。 こんな「拷問具」に例えられたメルケル首相の政治手腕というのは、科学者らしく大胆かつ現実主義的で冷静沈着であります。政敵は容赦なく叩きのめし、時には自分の師匠にさえとどめを刺します。 メルケル首相が政治の表舞台に立つきっけかけは、コール元首相の弟子になったことでした。コール氏の党費流用疑惑が起きた時は「責任を取るべきだ」とドイツの新聞が厳しく批判しました。このとき、メルケル首相は自分の身内であっても、正しくないことは正しくないとコール氏を批判し、筋を通したのです。 このような厳格な態度は、メルケル首相の地味でドイツ人らしさを絵に描いたようなキャラとあいまって、ドイツ国内で絶賛され、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)党首に就任します。 党首就任後も、おしゃれや華やかさとは無縁でドイツ人らしく倹約や厳格さを善とし、着実に忍耐強く物事を進めていきます。無駄使いで国が破綻したギリシャへの緊縮財政を要求し、福島の原発事故を受けて原発全廃と再生可能エネルギーへの転換を決定します。 このような媚びない態度、ぶれない姿勢はドイツ国内だけではなく、欧州でも尊敬されるリーダーとして注目を浴びています。ここ数年は、欧州におけるドイツの「一人勝ち」的な立場や、シリア難民受け入れに関する決定で他国からの批判を浴びていますが、しかしながら、周辺国の経済が芳しくない中、ドイツ経済の好調を維持する手腕は今なお評価されています。 そんなメルケル首相は、スーパーで寿司の材料を買って、レジで列に並んでいるところを目撃されたりしています。SPもつけず地元の主婦に混じって買い物をしているのです。派手な生活とは一切無縁なのです。ただ、そこはドイツなので首相を目撃しても誰も何も言いません。歓迎式典でメイ英首相(左)を迎えるメルケル独首相=2016年7月21日、ベルリン イギリス首相も女性です。 テリーザ・メイ首相は、キャラクター的にメルケル首相と被るところがあります。牧師で、厳格かつ質素な家庭に育ちます。学生のころは難病で車椅子の母親を看病しながら勉学に励んでいました。 オックスフォード大学の学友であった夫との結婚式の当日、会場に向かおうとしたお父さんが自動車事故で亡くなります。その数年後にお母さんも亡くなるという不幸にも見舞われます。I型糖尿病を抱えているので、会議ではこっそりとナッツをかじりながら血糖値を管理して仕事をするというストイックな面もあります。日本で出世する女性は稲田大臣のような人 美容院は20年以上同じで一回1万円もかからない庶民的な店。髪型も毎回同じ。夫と庶民的な家に住み、今でも日曜日の教会礼拝を欠かしません。今でも20年以上通っている庶民向けのパブやカフェでご飯を食べ、村祭りにも参加します。夏はチェックのシャツと登山靴を履いてスイスでハイキングですが、休暇のパターンは何年も同じです。前首相のキャメロン氏とは大違いの地味で清貧な生活です。 政治手腕は有言実行であり、誰も怒らせないが、やるべきことはズンズン進めるという現実主義者です。法務大臣のころは不法移民の取り締まりをかなり厳しくやったり、非EU(欧州連合)の人のビザ要件が恐ろしく厳しくなりました。見た目の華やかさにはとらわれず、冷静に、じっくりと、しかしやることはやるというイングランド人を絵に描いたような人です。 メルケル首相やメイ首相をみていると、ドイツやイギリスでは、なぜ女性リーダーが育つのか、ということがよく分かります。そう、男か女とか関係なく「結果」を出す人が好まれるのです。要するにメリトクラシー、職能主義です。合理性を好むドイツやイギリスらしいですね。参院予算委員会で答弁後、麻生太郎副総理兼財務相(左)の話を聞く稲田朋美防衛相=3月8日、国会 これは政治の世界だけではなくビジネスやアカデミックな世界でも同じです。結果さえ出れば、何人でも性別がなんだろうが関係ないのです。その裏返しは、結果を出せない人間には厳しいということでもありますが。馴れ合いもお友達関係もそこには通用しません。「オンナの武器」さえも役には立ちません。結果が出なければ、さまざまな方向から攻撃されるので、巨乳やキレイな足があっても、実はどうしようもないのです。 一方、日本の場合はどうでしょうか。誤解を恐れずに言えば、出世する女性は稲田大臣のような人です。自分が年を重ねても、少女のような恥ずかしげもない格好で、年上や目上の男性の覚えをよくし、敵や周囲を決して攻撃せず、擬似的な娘や妹のような振る舞いをすることが重要であり、結果を出すことは必ずしも求められていません。 もっと言えば、日本において最も重要なのは、女性としての「あるべき役割」を演じているかどうかであり、結果を出すことではありません。 ですから、それを演じるのがうまい女性ばかりが昇進します。しかし、実力は伴いませんので「やっぱり女はダメだ」と言われ、女性の地位がますます固定化されていくのです。 これは周囲のオトコも悪いし、オンナという役割を悪用し、楽して上に上がろうとする女も悪いのです。

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    籠池夫人が明かす稲田朋美大臣の「大変失礼なこと」の真相

    くちゃいかんのです」 その小学校は完成を目前にして設立認可取り下げに追い込まれた。そして交わっていた政治家、称賛していた政治家は逃げるように夫妻との過去を隠している。関連記事■ 菅野完氏、TV局から「籠池氏もっとイジって」と要求された■ 元清楚系モデル大澤玲美 赤の極小ビキニで悩殺ポーズ■ 激やせ心配される愛子さま 後手に回った宮内庁と雅子さま■ SASUKE女版「KUNOICHI」 真剣勝負ながら男目線にも対応■ 籠池氏「清廉潔白の人間は相手が清廉潔白とわかるんですよ」

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    稲田防衛相 弁護士のくせに自己弁護がヘタすぎる理由

    安倍-菅コンビに不仲説 きっかけは稲田朋美氏の入閣見送り■ 稲田防衛相 ゲス宮崎夫妻への結婚祝儀を政治資金で拠出

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    元制服幹部が諫言「稲田氏に防衛大臣の資質はない」

    委員会で、前日の答弁を撤回、謝罪する稲田朋美防衛相=2017年3月14日 クラウゼヴィッツの「戦争は政治の継続である」は、換言すれば「自衛隊の海外派遣は、政治の継続であり、自衛隊は政争の具である」との観が拭(ぬぐ)えない。 稲田朋美防衛大臣就任後、駆けつけ警護や共同防護発令、舌の根も乾かぬうちの国民が理解できない撤収と、陸自PKO派遣部隊の翻弄が続いた。それは、南スーダンの都合や期待を忖度していない、また前線にいる自衛隊員の懸命を斟酌できない「政争の象徴」でもある。 この渦中に稲田防衛大臣がいる。国会での「戦闘」の解釈に関する言い合いには実りがない。腹立たしいのは、『日報』の扱いをめぐり、指揮官として部下の失敗の責任を共に負う、あるいは「尻を拭く」のではなく、部下に責任を押し付け、指揮官自から部下を非難したことだ。 相前後した「某学園某理事長」との関係で二転三転した答弁同様、それは「戦闘」を捻じ曲げた答弁に端を発して自ら蒔(ま)いた種子ではないか。ここに至り指揮官の資質を疑うのは早計だろうか。 じかに隊員と接する機会の多い防衛大臣の指揮・統率は、その「一挙手一投足」に注目する部下隊員を感化、薫陶する。今日の自衛隊における命令・服従の関係は、徴兵時代の盲目的服従と異なり、指揮官の良し悪しが精強性を左右する。それは、任務遂行の意欲をかき立てる根源となり、指揮官次第で部下が命懸けになれるという、高いレベルの徳と識見に基づく特筆すべき「優れた統率の現象」でもある。安全保障の弱点はシビリアン・コントロール 昨年10月、稲田防衛大臣は、「駆けつけ警護」発令に先んじて、PKO派遣の要件を満たす政府判断の一助を得るため南スーダン派遣陸自部隊を視察した。その立場は、閣僚である政治家であり、自衛隊の指揮官であった。視察の結果、自衛隊指揮官としてのアピールは希薄だった。報道の範囲であるが、隊員に対する訓示は、指揮官が一身に責任を負い、隊員を気遣い、士気の高揚を図るのではなく、閣僚である政治家としての姿勢が強調され、自衛隊派遣の妥当性に適う有利な政争の具を求める立場を示したにとどまっていた。南スーダン・ジュバで、陸上自衛隊部隊の栄誉礼を受ける稲田朋美防衛相=2016年10月(代表撮影・共同) 視察中、危険な状況の証として、「避難民向け退避壕構築」「自動小銃携行の政府軍兵士約10人、トラック2台が稲田防衛大臣一向の陸自防弾四駆のジュバ市内移動を警護」「視察当日、首都ジュバ近傍の幹線道路でトラックが銃撃され市民21人が殺されたと南スーダン政府が発表」があったが、これらは顧みられてない。 また、イラク派遣隊員が鉄帽、防弾チョッキ着装で受察する中、稲田防衛大臣の軽装は、現地の治安は落ち着いているという意図的パーフォーマンスではないかと疑うほど遊離していた。残念ながら、そこには、身命を賭して努めている隊員と共有できる思い入れは見つからなかった。 稲田防衛大臣は、帰国後の国会で「法的な意味における『戦闘行為』ではなく、『衝突』であると思う」と述べ、安倍首相も「『戦闘』の定義がないから、『戦闘行為』ではなかった。しかし、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった」と政治的、法的見解を述べた。 2013年12月の『防衛研究所ニュース』に「戦争の概念変化」を紹介し、「国際社会においては、21世紀の『新たな戦争』を国家間の武力衝突に加え、テロ、内紛などほぼ全ての武力衝突、殺戮・破壊を指して言うようになっている」と指摘している。だが、国会は、国際社会の通念とする「戦争」や「PKO」と乖離していた。 稲田防衛大臣が不祥の諸事象について言葉を弄し、指揮官自ら組織を貶めた悪影響は大きい。限られた情報に拠る批判が的を射てない恐れがある。しかし、改めて「防衛大臣職」に求められる資格を問う機会が得られたことについては良としたい。残念ながら、日本の安全保障の弱点はシビリアン・コントロールにあるとは言い過ぎであろうか。

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    「拉致解決で訪朝」の仰天プラン! 誰も知らない昭恵夫人ホントの裏話

    依頼があった日のことである。「天衣無縫」は精神の自由の発露であって、必ずしもマイナスではない。しかし政治的文脈に置かれると今回のような難題として一挙に襲いかかってくることがある。ご本人に計算された政治的配慮などないからこそやってきた危機的事態である。米大統領との首脳会談のため米国に向け政府専用機で出発する安倍晋三首相(左)と昭恵夫人=2月9日午後、羽田空港(古厩正樹撮影) 私が昭恵さんの人柄を聞いたのは、音楽評論家の湯川れい子さんからだった。たしか第一次安倍政権のころだった。女性たちの会合に昭恵さんもかかわっていて「とてもいい人よ」という言葉を聞いた覚えがある。直接にお目にかかったのは国会の議院会館の会議室だ。東日本大震災関連の会合で、私は上梓したばかりの『ヘイトスピーチとたたかう!』(岩波書店)をお渡しした。まだヘイトスピーチ解消法が成立するきざしもないころのことで、昭恵さんがヘイトスピーチの攻撃対象である韓国の文化に関心を持っていることを知っていたので、きっと理解していただけるだろうと思っていた。  安倍昭恵さんについて私が語れることといえば、知人の記者がご本人から聞いたという「家庭内事情」ぐらいのことだ。首相が午後9時ぐらいに帰宅しても、昭恵さんは午後11時ぐらいに帰ってくることがしばしばあったという。「家庭ではほとんど会話がない」「主人の食事は母(注、首相の母の洋子さん)が作っている」といったことも、ご本人が語ったというのだが、真偽は不明である。ただしもう一つ、報道されていない事実がある。それは、昭恵さんの人物像を知る上で興味深いテーマである。週刊誌のタイトル風に書けば「拉致問題解決に総理夫人を派遣か」といったところだろう。 新事実! 昭恵夫人訪朝計画の内幕 昨秋のことだ。長年にわたって拉致問題に取り組んでいるある人物からこんな相談を受けた。「拉致問題が動かないのでどうしたらいいのか。夫人外交がいいのではないかと思うのです。首相の昭恵夫人が北朝鮮に乗り込んで、ダメなら第三国で交渉するのです。横田早紀江さんにも同行してもらいます」。北朝鮮による拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表(中央)や横田早紀江さん(左)と面会した安倍晋三首相。拉致問題解決への決意を改めて示した=2017年2月22日、首相官邸 昭恵さんにはすでに合意を得ていたという。その提案を聞いたとき、「そんな簡単なことではない」とは思ったが、口にはしなかった。局面を打開するには水面下での交渉が必要であり、たとえ首相夫人が訪朝しても、ただの話題にはなってもそれだけのことだからだ。 小泉純一郎元首相が2002年に訪朝したときも、1年ほどかけて水面下の交渉があり、そこである程度の合意ができていた。外交交渉は「こちら」の獲得目標もあれば「あちら」の意図もある。拉致問題でいえば、日本の目的は生存者の一刻も早い帰国であり、北朝鮮は国交回復の実現と経済協力である。ストックホルム合意からの日朝交渉で日本側に欠けていたのは、この課題を避けてきたことだと私は判断している。官邸にその意志がないからだ。 この夫人外交について、日朝交渉にかつて取り組んできた自民党長老に相談をしてみた。「それはいいアイデアです。しかし日本側が本気だということを示す人物、たとえば今なら二階幹事長のような立場の政治家が同行し、金銭を提示しなければ動かないですよ」と言われた。要するに、首相の覚悟があるかどうかが問題だった。この計画はある筋を通して首相や官房長官にも伝わった。その結果は却下。官房長官の表現では「つぶした」。昭恵夫人の天衣無縫は話題にはなっても、実りあるものにはならず、むしろ批判を招くという判断だったのだろう。 首相夫人外交を提案した人物への回答はこうである。北朝鮮への渡航自粛があること、さらに国際的に制裁があるので第三国での交渉も認められないこと、他に提案があれば教えて欲しいというものだった。こうして北朝鮮に対する「首相夫人外交計画」は一切、表面化することなく消えてしまった。昭恵さんはこうしたプランに易々と乗ってしまうところがある。 沖縄県でヘリパッド建設をめぐって問題になっている高江に姿を現すことなど、よくいえば「腰が軽い」が、悪くいえば「軽率」と見られかねない。森友学園問題でも籠池夫人と問題発覚後も頻繁にメールのやりとりをしていたことが象徴的である。おそらく人を疑うことの少ない人間なのだろう。その美質が総理夫人という立場にあっては暗転することがある。「ある時の真、他の時の誤り」(モンテスキュー)である。

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    安倍昭恵さんはどこがマズかったのか

    首相夫人は「公人」か「私人」か。大阪の学校法人「森友学園」をめぐる問題が尾を引く中で、そんな議論が国会でも取り上げられた。正直、どーでもいい論争だが、ネット上には謎のサイト「アキエリークス」まで出現するなど泥仕合はまだ続く。日本のファーストレディ、安倍昭恵さんの言動はどこがマズかったのか。

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    首相夫人は「安倍昭恵」という自我に目覚めた典型的な意識高い系

    。 実を言うと昭恵夫人には脱原発も三宅洋平にも興味はないのかもしれない。ただ「夫(安倍晋三)とは違う政治思想を持った人々とも、対等に対話できる自分ってすごいでしょう」という、コンプレックスが故の歪んだ自意識の道具の一つとして、無数のフェイスブック・フレンドやフォロワーからの「いいね」という承認を期待しての行為だったのであろう。そしてその期待は見事に成就する。 通常、「意識高い系」は、大学生や新社会人など、若年層に好発する特有のコンプレックスの転写だと思われている。しかし時としてその中には、齢50歳を過ぎて後発的に自意識に覚醒する「意識高い系」も存在する。人生のほとんどの期間を「承認」と無縁に過ごしてきた人間が、後天的に承認欲求の怪物となった場合、その反動は若年層よりも鬱屈とした時間の積み重ねが長い分、より重篤になりかねない。 純粋な承認欲求の塊であるがゆえに、「昭恵夫人が100万円を籠池氏に渡した(寄付した)」という所謂「籠池証言」は、昭恵夫人が典型的「意識高い系」であることを勘案すると、その信ぴょう性が揺らぐのがわかるであろう。昭恵夫人は不特定多数の世間から承認されたいのであって、籠池個人から承認されても意味がない。「おつきの人を人払いして密室で籠池に100万円を渡す」という行為は、「他者に自慢できぬ」が故に、実は昭恵夫人のような「意識高い系」の人々にとってすれば何の意味のない行為だからである。講演する安倍昭恵夫人 「意識高い系」の人々が行う寄付行為は、「わたし、被災地のために〇〇のチャリティーに参加しました!」と他者への喧伝と常に対になって存在している。公に語ることができない寄付行為に、昭恵夫人は意味を感じないはずだ。名誉校長への就任だけで十分にその承認欲求は満たされたはずである。よってこの部分で昭恵夫人はシロだと思うが、根本的には後発に「意識高い系」と化した昭恵夫人の心の中にある根本的な「承認欲求」という病巣は、今後も色々な形で発露されていくのではないか。政権最大のリスクとは昭恵夫人自身である。 「妻は夫の後を三歩離れてついていけ」という家長権的押しつけを言うのではない。自分の承認欲求のために国家権力を笠にするな、と言いたいだけである。総理の妻、G8という世界の大国の一角を占める国の首相夫人という立場だけに、まっことタチの悪い「意識高い系」である。

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    昭恵夫人、ファーストレディは立場であって仕事ではありません

    家庭における内助の功とか、選挙区で多忙な夫のかわりに日ごろの草刈りや、選挙で演説することはあっても、政治的な助言者であるとか、ファーストレディとして注目を浴びるとか、魅力的だと話題になったのも皆無に近い。 しいて、華やかに目立ったというと、ミニスカートが話題になった佐藤栄作元首相夫人の寛子さんくらいだった。 誰の娘であるといったことが意味があったのも、三菱の創始者、岩崎弥太郎の娘婿だった加藤高明と幣原喜重郎、内大臣、牧野伸顕の娘婿だった吉田茂、それに薩摩出身の先輩の娘と結婚して藩閥に連なった斎藤実、国粋主義団体幹部の娘と結婚して色眼鏡で見られた広田弘毅くらいに限られた。 自分でそれなりの仕事をしていた人もほとんどいない。鳩山一郎夫人の薫子さんは、共立女子大の学長として活躍したが、義母から引き継いだもので嫁としての立場でのものだ。三木総理夫人の睦子さんが、女傑といわれ夫の死後も平和運動などに活発に参加しており、その後は細川護煕夫人が目立つくらいだ。アメリカのファーストレディは? その中で、安倍昭恵夫人の活躍ぶりは、欧米のファーストレディ並みの華やかさだった。ここでは、昭恵夫人について論じる前に、アメリカのファーストレディの歴史を少し見てみよう。 「ファーストレディは立場であって仕事ではない」と大統領候補になる以前のヒラリー・クリントンは自著で述べている。「その役割は象徴的なものでアメリカ婦人という概念の理想像であり神話的な像を表徴することを期待されてきた」(「リビング・ヒストリー」ヒラリー・ロダム・クリントン自伝より)。 それはまた国家に対する無償・無休の奉仕活動のようなものであり、ヘアスタイルから子供の学校選びまで、一挙一動が国民に厳しくチェックされる精神的負担の重みに耐えかねて、依存症等に追い込まれた気の毒なケースも稀ではない。そうした難しい状況で高い評価を受ける大統領夫人たちには二つのタイプがある。 「建国の母」として知られるマーサ・ワシントン(初代)に代表される「良妻賢母」型は夫の活動を全面的に支え、安心できる家庭を築くことでアメリカ主婦の理想として好感を持たれた。クールな「ベストマザー」のエディス・ルーズベルト(26代)、サイレント・カルといわれる寡黙な夫を「サンシャイン」と呼ばれた明るさで支えたグレイス・クーリッジ(30代)、古き良きアメリカのホームドラマのように陽気なメイミー・アイゼンハワー(34代)、良家の奥様的雰囲気のローラ・ブッシュ(43代)などがこの中に入るだろう。 ローラの姑にあたるバーバラ・ブッシュも白髪や顔のしわを隠さず「アメリカのお祖母ちゃん」というキャラクターで人気を得ていた。ただし控え目な日本的内助の功とは異なり、積極的に自分や家族のアピールをすることも重要なポイントになる。 また、社会的な貢献に結びつく独自のライフワークを持つことが近年、必要条件になっている。しかし、家庭生活が犠牲になるほど本格的な活動は逆に非難の対象になってしまうのでほどほどが大事なようである。保守層の受けが良いタイプなので共和党の夫人が多い。 リベラル層に評価されるのは、自らの魅力や主体的行動で国民を惹きつけ夫のイメージアップに貢献するカリスマ型である。先進的な見識で女性史に名を記した知性的なアビゲイル・アダムズ(2代)、優秀な個人秘書として夫の業績に多大な貢献を果たしたサラ・ポーク(11代)、「ニュー・ウーマン」と歓迎されたルーシー・ヘイズ(19代)、人権運動のエレノア・ルーズベルト(32代)らの名前が挙げられる。 しかし、その美貌や貴族的なライフスタイルゆえにジャクリーン・ケネディ(35代)がこのタイプでは他を圧倒している。また社交の天才でファッションリーダーでもあったドリー・マディソン(4代)は「カリスマ的内助の功」を発揮してどちらの基準でもトップクラスの位置を占め「皇太后」と尊敬されたようにやはり特別な存在である。 ところで、冒頭のヒラリー・クリントンをファーストレディとして評価するのは難しい。彼女なりに努力もしていたし(一期目はカリスマ、二期目は内助の功的に)、標準以上の成果もあげていたが、いかにも収まりが悪いので「ファースト・パートナー」「スーパー・スパウズ(配偶者)」などとマスコミも呼び方に苦労した。感性で動く昭恵さんは首相夫人にふさわしくない 知事夫人時代には二度も「全米・最も優秀な弁護士百人」に選ばれ、託された州の教育改革を成功に導く活躍ができたが、ホワイトハウスではケネディ大統領が弟のロバートを法務長官に任命した後「縁者採用禁止」が法文化されていたので彼女は正式な役職に就けず「ワシントンがアーカンソーより保守的だなんて…」と戸惑い落ち込むことが多かった。 ヒラリーの後、その反動からかローラ・ブッシュが好評を博したが、ではミッシェル・オバマはどうだったのか。オバマが演説はうまいが社交的でない中で、むしろ好感をより持たれないようなところもある。 しかし、大統領夫人がいるべきときに不在だったことが多かったのも事実だ。そういう意味でも私は歴史的評価がどうなるかもうひとつという気もする。 そして、トランプ夫人はエレガントであることではジャクリーン・ケネディ以来だが、ファーストレディとしての役割のかなりは娘のイバンカが代替しそうだ。 さて、安倍昭恵夫人だが、これまでさんざん夫人を持ち上げていた左派系マスコミが手のひらを返して、「アッキード事件」などとこれ以上ない悪質な印象操作で人格否定しリンチ状態に持ち込んだ。これを「いじめ」と言わずに何と言おうか。2月11日、安倍首相夫人の昭恵さん(左)と日本庭園を散策するトランプ米大統領の夫人メラニアさん=米フロリダ州デルレービーチ(ロイター=共同) 籠池氏の証人喚問があった23日の夜、夫人はFacebookに見解を掲載した。曖昧なところを残さずに、明確に立場を明らかにされたことは結構なことだ。この内容について検証し、事実と違う部分が多数出てくれば、そのときは証人喚問などが議論されるべきというのがバランスの取れた考え方だ。 安倍首相が自分や夫人がかかわっていたら辞めるなどと言ったから大事になっているが、100万円の寄付を渡していたとしても何が問題なのか。昭恵夫人が世間知らずのお嬢様というだけのことではないか。 私は、極端でなければ首相夫人が首相とは少し違うポジションで社会的な活動をしてもいいと思うが、都合の良いときだけ「共同責任」を持ち出して攻撃するのは良くないと思う。一言で言って卑怯だ。首相夫人としての立場を露骨に利用して行ったのでなければそれほど強く非難すべきことでもない。 昭恵夫人が幼稚園の名誉園長だったことで首相まで攻撃されているが、ならば夫人が辺野古に行ったり、反原発派などの人々と交流したり、韓国に融和的な態度を示したり、安倍首相とズレがある行動はやるべきでないという「論理的帰結」になる。 ただし、現実にこのように政治利用する人が出てくるとなると、首相の反対派を喜ばせているような振る舞いも含めて、独自の活動は全般的に抑制してもらわざるを得ないかもしれない。要は、口の上手な危ない人と付き合わないほうがいいというのは確かだ。百戦錬磨のワルどもを相手に感性で動くのは、首相夫人にふさわしくない。 それから蛇足だが、東京都の小池百合子知事も左派系マスコミの「声援」にいい気になっていると、いつか昭恵夫人と同じ目に遭わないか心配である。彼らは上げてから落とすのが「得意」なのだから。