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    国民の声は「神の声」なのか 政治リーダーへの信頼と民意の不条理

    えた改憲志向勢力の議席数が、憲法改正国会発議に必要な参議院「三分の二」に達したことは、国民投票という政治プロセスへの対応が現実の課題となったことを示している。憲法改正プロセスは、衆参両院「三分の二」による発議の上に、国民投票による可決を要しているからである。 もっとも、国民投票付託という政治対応は、それ自体としてはリスクの大きいものである。国民投票付託という政治対応の怖さを鮮烈に世に印象付けたのは、英国のEU(欧州連合)離脱の是非を問う国民投票であった。この国民投票に際して、デーヴィッド・キャメロン(英国前首相)は、「ブリメイン」(英国のEU残留)という結果を期待しながらも、「ブレグジット」(英国のEU離脱)という結果を招いた。キャメロンの政治対応は、国際政治上の動揺のみならず、自らの政権運営の終焉を招くことになったのである。EU首脳会議後、記者会見するキャメロン英首相=6月29日、ブリュッセル(ロイター=共同) こうした経緯を前にして、国民投票という政治プロセスの意味を確認することは、大事である。それは、民主主義という政治体制の意義を、どのようなものとして認識するかということに関わる論点であるからである。国家統治に係る最終的な意思決定を国民の判断に委ねるという意味において、国民投票は民主主義の論理の究極形であるという評が一方にあれば、国家統治に係る結果責任を何ら負わない国民に判断を委ねる意味において、国民投票は「ポピュリズム」の跋扈と「モボクラシー」(衆愚政治)への転落を促すという評が他方にある。先刻の「ブレグジット」騒動の最中でも、たとえば、デニス・マックシェーン(元英国欧州担当閣外相)は、「庶民は頭(理屈)でなく腹(感情)で判断する」という言葉とともに、「ブレグジット」を招いた民意の非合理性を指摘した。英国のEC(欧州共同体)加盟以降、四十年に渉り、英国が欧州統合の輪の中で積み上げてきた社会・法制度上の蓄積が一夜にして崩される事態は、国民投票に反映された民意の「非合理性」を象徴的に表している。ド・ゴールと仏国民が互いに寄せた「信頼」 しかしながら、この「ブレグジット」騒動とは異なる国民投票の風景として思い起こすべきは、戦後フランスにおける政治上の「巨星」であるシャルル・ド・ゴールの事績である。第二次世界大戦後、久しく政界を離れていたド・ゴールが復帰した一九五〇年代半ば、フランスの世情は騒然としていた。アルジェリア植民地の独立を求める勢力と植民地権益の護持を唱える勢力の確執は、内乱とも評すべき様相を呈していたのである。ド・ゴールは、戦後のアジア・アフリカにおける植民地独立の動きを見誤ることなく、アルジェリア植民地放棄に道筋を付けたけれども、その折に採られたのも、国民投票付託という政治対応であった。ド・ゴールがアルジェリア独立を承認する国民投票に際してフランス国民に向けて発した言葉は、誠に印象深い。 「フランスは、希望に満ち、国益に一致し、未来にそなえて、無秩序、混乱のアルジェリアではなく、平和で責任あるアルジェリアにむかって決定を下そうとしている。だから私はフランス人たちに《ウィ》の投票を要請する。ためらわずに、圧倒的な《ウィ》を」。 そして、国民投票では、フランス本国在住有権者の七五パーセント、アルジェリア在住有権者の七〇パーセントが、ド・ゴールの期待する《ウィ》の票を投じたのである。パリ・クレマンソー広場にあるシャルル・ド・ゴール像 ド・ゴールは、「国民の声は神の声である」と認識し、自らの執政に対する支持を絶えず訴えたけれども、その政治姿勢は、結局のところは、「国民に対する信頼」に裏付けられていた。往時のフランス国民もまた、ド・ゴールの政治姿勢に相応の「信頼」を寄せていたのである。  こうした政治指導層と一般国民の間の「信頼」こそが、国民投票という政治プロセスを成り立たせる一つの前提である。国民投票に関して、それを「民主主義の究極形」と称揚する議論も、それを「モボクラシーへの近道」として警戒する議論も、それ自体としては余り意味のあるものではない。要は、そこに「信頼」があるかということなのである。「ブレグジット」事態を招いたデーヴィッド・キャメロンの政治姿勢には、そうした「信頼」とは裏腹な「浮薄」の風情が漂っていた。「ブレグジット」という結果に表されるものが、英国のEU離脱の是非といった政策対応の評価も然ることながら、キャメロンに対する不信任でもあったと解するのは、強ち無理だともいえまい。これは、先々の日本における憲法改正国民投票のプロセスを展望する上でも、以て瞑すべき話である。

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    日本人に国民投票は馴染まない?

    英国EU離脱をめぐる国民投票とその後の混乱は、民主主義の在り方に一石を投じた。そして、わが国でも憲法改正の是非を問う国民投票が現実味を帯び始めた。とはいえ、日本人は「和」を重んじ、「白黒」を嫌う国民性である。そもそも、憲法改正の手続きに国民投票がなぜ必要なのか。その是非から考えたい。

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    ヒトラーも好んだ国民投票、それでも最後の意志決定はこれしかない!

    とは、有権者が、政府の提示した問題に対して直接投票することで、意思を示す仕組みです。有権者が直接的に政治決定に参加する 直接民主主義の一形態です。 スイスは、国民投票をしばしばやることで有名です。2009年にはミナレットと呼ばれるイスラム教の尖塔の建設禁止案は57%の賛成で否決されています。(http://www.sudd.ch/event.php?lang=en&id=ch082009)2014年には大量移民規制案の投票が行われ、50.3%が規制に賛成しました。政府は移民数の上限を決める法律を作ることになりましたが、EUの移動と居住の自由に反するのではないかと問題になりました。(http://www.huffingtonpost.com/daniel-ammann/the-real-reasons-why-the_b_373947.html) このようにスイスのような国は、近年では特に移民問題は国の重要事項であると考えているので、国民投票を実施しているのです。 一方で、国民投票には批判が多いのも事実です。まず、 政府の権威を高めるための政治的な手段であるとしての批判があります。有権者が政府の意思と同じ決定を下すだろうなあという問題に対して 実施されるため、 政府が、権力を強化する際に行われることがあります。 また、議論になりそうなことがらの意思決定を避け、結果を国民に押し付けることで責任を回避する際に行われることもあります。国民投票はムッソリーニやヒットラーの好んだ人民決定主義 国民投票は、ナポレオン、ヒトラー、ムッソリーニなどの独裁者や、南米の権威主義政府が政治的手段として活用してきた経緯からも度々批判されています。 独裁者やポピュリストは、巧みな宣伝で、問題を簡略化し、国民の意思を欺くとされているからです。 最後の香港総督であったイギリスの政治家クリストファー・パッテンはBBCのインタビューにおいて以下のように語っています。(http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/breakfast_with_frost/2954232.stm) 「私は国民投票は最悪なものだと思いますよ。Julian Critchley がいっていた様に、国民投票というのはムッソリーニやヒットラーの好んだ人民決定主義です。政府(代議制の仕組み)を傷つけるものですよ。この前の選挙でもわかりましたが、政治家の選挙運動中に国民投票をやりましょうとなると、『ああ、それについては話しませんよ、話す必要なんかないんです。国民投票で決めるんですから』となるんです。だからこの前の選挙期間中にはユーロについて全然議論されなかった。私は国民投票というのは、私達のシステム(イギリスの代議制)では基本的に非民主主義ですし、私は関わりたくないですね。つまりですね、政府が弱い時だけにやることを許可する仕組みなんですよ」 様々な批判もありますが、しかしながら、国民投票は代議制を補完する民主主義の形態の一つであり、その結果は、有権者の意思です。国民投票の仕組みは、「民主主義的な意思決定の結果」仕組みとして存在しているからです 。つまり、国民投票の結果を批判している人々は、民主主義そのものを否定しているということです。憲法改正は国民投票で決めるべきか? 参院選の結果を受け、日本でも将来の憲法改正の国民投票について注目が集まっているようです。私は現行の憲法を改正する必要はないと考えていますが、有権者が国民投票を望むのであれば、それを否定することは難しいでしょう。発動するのが政府だとしても、その政府を選んだのは有権者であり、日本は民主主義国家だからです。民主主義が嫌だというのであれば、北朝鮮に移住するか、日本国籍を捨てて、巨大なクルーズ船の中に建設された移動国家に住むほかないのでしょう。

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    直接民主主義vs間接民主主義の二項対立発想ではダメ

    はつくづく悩まされた。市議会議員の1人ひとりと話すとけっこういいこと言うんですね。なんだかんだいって政治家を目指した以上、それなりに志もあったんでしょうし。 でも、とにかく党派の党議拘束が強くて、どんなに議論しても意味がない。ものすごい無力感がありました。上野 議会が自分で自分の首を絞めていますね。質問は全部事前に出して、時間制限して、追加の質問を認めないとか、さっきおっしゃった都の説明会と同じようなルールを自らに課して、バカじゃないかと思います。1人ひとりはいい人なんだけど、束になると……。國分 束になると何の存在感もない。単なる駒になってしまう。「特定秘密保護法案が成立」を報じる2013年12月7日付朝日新聞朝刊の1面(手前)と社会面上野 代議制民主主義とは、間接民主主義でもあります。これに対して直接民主主義に比較的近いのが首長選挙。そのために市長と議会の主張が異なって、ねじれるケースがあります。その意味での「ねじれ」が絶対に起きないようになってるのが議院内閣制。国政では議会における与党の長が総理大臣になるので、ねじれが起きない。小平市の場合は、そのねじれもなかったんですね。國分 ねじれはない。その緊張感のなさは、ちょっとびっくりするほどです。上野 私はポツダム民主主義というものに極めて深い疑念を持っていたから、支持政党なしなんです。私を満足させる政党なぞこの世にない。國分 それは非常に難しそうですね(笑)。上野 私はかなり長期にわたって、投票に行きませんでした。代議制民主主義を信じるには、あまりにラディカルだったので(笑)。でも年とともに改良主義者になって、最近はちゃんと選挙に行くようになりました。そういう人間がほかの人たちに、「選挙行った?」と聞くのはほとんど偽善に近い(笑)。だから、若い人たちに「投票に行け」とは言いません。 それにロビー活動(注:議員ひとりひとりに影響力を行使する働きかけ)も、やらなかったわけではないんだけど、非常に無力感に陥るんですよね。やっぱり代議制民主主義っていうものに対する根本的な不信感があるから。その点は國分さんとも一致すると思います。 小平市で今回使われたのは、住民投票という直接民主主義の手法ですね。國分 はい。ただ、一つ付け加えると、「直接民主主義」という言い方でいいのかどうか僕はちょっと疑問があります。そもそも「直接民主主義」という言葉はいろいろ誤解があるし、指示内容もはっきりしないので、僕自身はあまり使わないようにしているんです。よく学生から、「ほんとは直接民主主義がいいけど、それはできないから次善の策として間接民主制を採っている」みたいなことを言われるんですけど、いったい誰がそんなことを言ったのだろうか(たとえばカントは明確にこういう考えを否定しています)。代表制という仕組みは避けられないものですし。上野 確かに住民投票だって多数の専制ですからね。これを直接民主主義と呼んでいいのかどうか。直接・間接とは別の民主主義もありうると私は思うんですが、その話はあとでしましょう。住民投票不成立、そしてこれからどうするのか?住民投票不成立、そしてこれからどうするのか?上野 住民投票に関しては自治体ごとにいろんなルールがありますが、小平市では「投票率が50%を超えなければ不成立として、投票結果を開票しないことにする」と、途中で市長がゲームのルール変更を言い出して、それを議会が認めちゃったわけですね。投票率50%、有権者の半分というのは、憲法を変えるよりハードルが高い。憲法は投票数の過半数の賛成で変えられるとなっていますが、投票率の条件はありませんから。こんな首長をそのまま黙って置いておくんですか、小平市民は。國分 市長のリコール運動をやってもよかったのかもしれませんが、僕は、前向きになれなかったですね。だって、リコールは非常に否定的な運動でしょう、「あいつをやっつけろ」という。それなら道路建設で失われる雑木林の価値を訴える方向の運動をしたいと思った。少なくとも僕はそういう考えでやっていました。上野 投票した人たちは、住民の何割でしたっけ?國分 35.17%、3人に1人です。上野 3人に1人が投票所に足を運んだなんて、すごいです。でも投票率50%を下回ったからって投票箱が開けられることもなく、塩漬け状態なんですね?國分 市ははじめは投票後90日くらいで捨てると言ってたんですけど、裁判をやっている間は捨てないと言わせました。それは唯一勝ち取った点ですね。上野 廃棄の差し止め請求をやったら止められるでしょ? 投票は公文書と一緒だから。國分 廃棄差し止めはしませんでしたが、情報公開請求はして、すぐはじかれました。上野 はじかれた?國分 情報公開条例を持っている市なのに、やっていることが訳わかんないですね。上野 少なくとも投票用紙の廃棄についてはストップをかけられた。國分 はい。何も言わなかったら廃棄してたと思います。上野 そうでしょうね。それでこの後、小平市は、どうなるんです? みんな固唾(かたず)を呑んで見守ってると思うんだけど(笑)。住民投票不成立でも、まだ打つ手はある國分 先日、道路問題をめぐるイベントを開いて、吉野川の可動堰建設をめぐる住民投票で尽力された村上稔さんという方に来ていただいたのですが、村上さんがとてもあっさりと、「いやあ、まだまだいろいろやることあるんじゃないですか」とおっしゃった。それでスーッと胸のつかえが取れました。 住民投票が不成立に終わって、もう打つ手がないんじゃないかと、僕自身、とても落ち込んでいたんです。でも、それを口に出しては言えなかった。運動をやっていた他のメンバーも実は同じだったようで、イベント後の打ち上げで、みんな口々に、「いやあ、ほんとはもうダメなんじゃないかと思ってました」「ずっと落ち込んでました」と。村上さんの話を聞いて、まだできることがあると気がついて、初めて正直な気持ちを言い合えました。 僕が今、個人的に考えているのは、『来るべき民主主義』の付録1として収録した交通量の話をもっと主張しようということです。東京都が道路建設の根拠として出してきた、「これから交通量が増える」という数字はウソだということを論証しています。僕、この本でいちばん苦労したのが、付録1の数字のところなんですけど、なかなか言及してもらえない。まぁ、2回ぐらい読まないとわからないって言われましたし(笑)。だから、もっとわかりやすくしてパンフレットにしようかなと思ってます。上野 この部分はエビデンス・ベースドの議論で、とっても社会科学的ですね。國分 まあ、いちおう社会科学出身なんですけれど(笑)。上野 50年前はモータリゼーション勃興期でしたから、交通量が増えるという予測でしたが、50年経ったら人口減少社会ですから、交通量予測はほとんど下方修正してますよ。非常に説得力のあるデータだと思いました。國分 ありがとうございます! 社会学者の上野先生からそう言っていただくと嬉しいです。議会が蛇蝎のごとく嫌う「市民ワーキンググループ」議会が蛇蝎のごとく嫌う「市民ワーキンググループ」上野 國分さんは、たとえば住民投票や直接選挙などのルールをつくることを含めて、民主主義は市民の政治参加の1つのルート、そしてそのルートは1つじゃなくて数が多いほどいい、つまり複数の民主主義という素晴らしい提案をしておられます。國分 はい、そうなんです。上野 ただ私が「哲学者っていうのは、能天気で楽天的な人なんだなあ」と思っちゃうのはさ(笑)、こういうルールを決めるのはすべて議会でしょ? 議会っていうのはね、住民参加が大嫌いなんですよ。自分たちの意思決定権の基盤が取り崩されちゃうわけだから。 國分さんは本のなかで「市民のワーキンググループ」とか、いろんなアイデアを出されていますし、実際にいろんなところですでに実施されています。でも、どこでもワーキンググループ方式は、議会から蛇蠍(だかつ)のごとく嫌われていますね。國分 それはよく知っています。上野 現状ではどんな改革案にしても議会が決めるということ自体は、変えられないんじゃないですか?國分 その点は、「決める」という行為をきちんと腑分けする必要があると思うんです。僕は「行政が決める」とは言っていますが、最終的にハンコを押してるのは議会ですよね。そうやってお墨付きを与える行為と、内容をかたちづくる行為とを、区別しなきゃいけない。 議会が最終決定するということは動かないにしても、それ以前のかたちづくるところには影響を与えられるかもしれない。甘いかもしれませんが、たとえば世論、あるいはこういう本によって、「今の議会制民主主義だけではダメだから、いろんな制度がなきゃいけない」という声が高まって、議会でも受け入れざるを得ない、そういう状況をつくっていかなきゃいけないというのが、僕のいちおうの答えです。上野 こういう話をしていていつも思い出すのは、かつて日本一の福祉の町と言われていた秋田県鷹巣町のことなんです。ここではワーキンググループをつくって市民の要求を引き出しました。人口1万9000人の町で、100人以上が福祉政策を提言するワーキンググループのメンバーとなり、これが完全に議会と対立しました。 このワーキンググループは町長主導だったんですね。町長と議会とがねじれ構造になっていたために、町長が市民を味方につけて二重権力状況をつくり出すために、ワーキンググループを利用したというのが議会の見方でした。そして町長が落選したことで、ワーキンググループが主導していた福祉事業も頓挫してしまいました。住民投票だってやればいいわけじゃない國分 その点は非常に注意しなきゃいけない。市町村合併のケースが典型なんですが、市長など首長が、自分たちを正当化するために住民投票を利用することがあります。僕は住民投票はあくまで住民主導で、住民が署名集めして実施するということが決定的に重要だと思います。住民投票さえやれば素晴らしい民主主義だっていうことには全然ならない。この点は本でもはっきりと書いておきました。議会と首長が共謀すれば、住民投票を実施させるのは簡単です。だから、住民投票もワーキンググループも、やればいいってことじゃないのは、強調しておきたい点ですね。東京電力福島第1原発=2016年11月 でも僕は「住民投票なんかやらないほうがいいよ」と直接言われたことは、まだ一度もないんです。ツイッターでも一度もないんじゃないかな。「道路なんかつくらせておけばいいんだよ」とは言われたことがありますけど。だから「行政はあまりにも住民の意見を聞かなすぎる」というコンセンサスは、人々の間にわりとできているのかなという実感を持ちました。上野 こういう例はどうですか? 原発再稼働をめぐって、都民投票をやろうっていう運動がありましたね。あれに良識ある人の中から反対がありました。「今、都民投票なんかやってしまったら、取り返しのつかないことになるかもしれない」という不安からです。投票する都民を信頼できないっていうね。國分 それは原発というイシューの特殊性もあったのかもしれない。原発をつくる云々っていうのは、東京都庁が決めていることではなかったわけですから。上野 それはそうですが、東京都は東電の最大の株主ですよ。國分 そういう意味ではもちろん大きい影響力を及ぼす可能性がありましたけど、道路とはちょっと違うように思います。 ただ僕は、思い上がりかもしれませんけど、今回の小平の件で、住民投票という言葉がだいぶ広まったような気がしないでもないんです。これをきっかけに、民主主義をめぐる議論、あるいは世論を、いろんなかたちで醸成していけるんじゃないかっていう希望は持ってますね。ご近所同士で政治や原発の話ができるようになったご近所同士で政治や原発の話ができるようになった上野 小平市の住民投票では、道路建設の是非じゃなくて、住民の意思を聞こうという、ワンクッション置いた提案をなさったんですね。つまり市民に、「これ、キミの問題なんだよ。当事者になりなさいね」という、そういう働きかけをなさったと考えていいんですか?國分 そうですね。「あなたは当事者じゃないですか? どう考えますか?」という呼びかけだったと思います。「もし当事者だと感じられたら議論しましょう。そのために住民投票をやりましょう」ということです。 この選択肢をつくった時点では、僕はまだ運動に関わっていなかった。住民グループの方々がすごく議論してつくったんです。僕はその選択肢に心から感動して、これが参加型民主主義だって思った覚えがありますね。上野 道路建設是か非かを問うのではなくて、市民の意思決定への参加を問うところに持っていったのは、ひとつの知恵だったと私も思います。市民参加意識っていうのは、結果よりもプロセスにあるので。 というわけで小平市の3人に1人は市民意識をお持ちになった。諸般の事情で投票に行けなかった人もいるでしょうに、小平市の全有権者の3人に1人は投票に行ったというのはすごいことです。この事実は消えないですよ。國分 それに、地域で政治の話をするようになったんですよ。娘のママ友とか、今までだったら挨拶しかしなかった人とコンビニで会ったときに、住民投票の話をするようになった。それは大きな収穫でした。上野 そうですね。原発事故は大きな犠牲を払いましたけれども、社会学者の小熊英二さんに言わせると、そのせいで、今日本人は、原子力リテラシーが世界で最も高い国民になった。「ベクレル」という言葉がそのへんで通用するし、「シートベルト」が「シーベルト」に読めてしまうっていう(笑)。原発や政治をめぐる話を近隣の人たちとできるようになった、この意識が後退することはないでしょう。政治参加のルートは多ければ多いほどいい政治参加のルートは多ければ多いほどいい上野 もういっぺん、さっきの間接民主主義と直接民主主義の話に行きましょう。この2つを二項対立で考えると、議員を選挙で選ぶのが間接民主主義、つまりエリート政治です。他方、直接民主主義にきわめて近いのが首長選挙で、住民投票もこちらの仲間ですが、これはいいほうにも悪いほうにも働く。 たとえば千葉県では、堂本暁子知事と議会多数派の自民党がことごとく対立して、堂本さんのやりたいことを頑として通さなかった。これは間接民主主義が機能しなかった例だと言えるでしょう。おおさか維新の会の法律政策顧問を務める橋下徹氏 その一方で首長は直接民主主義で選ばれるから、たまに妙な風が吹いて、大阪の橋下さんのような人を権力の座に押し上げちゃう。彼は大阪のおばちゃんたちに人気があるんです。この調子で、「まあ、いっぺん総理やらせたったらええやないか」みたいな感じになったら大変だと思っていたら、最近になって「風俗活用」発言で失速してほっとしています。つまり首長選挙のように直接民主主義と呼ばれるものには、衆愚政治が行われるかもしれないというリスクが伴います。 さっき代議制民主主義は好きになれないと言いましたが、じゃあ、直接民主主義にもろ手を挙げて賛成と言うかというと、ここもなかなかつらい。國分 「直接民主主義」という言葉をどう理解するにせよ、現在のような「人」を選ぶ選挙だけだと、社会で問題になっていることについて自分で考える機会がなかなか与えられないということが問題だと思います。 よく「住民投票はポピュリズムになる」という批判があるけどまったく違う。それとは逆で、自分たちで決めなきゃいけなくなるから、勉強会をやったり、シンポジウムに参加したりして、知識が高まっていくんです。むしろ、ふだんの選挙ではそういうことをやらないから、ポピュリズムになってしまう。今の制度は、有権者が政治について考えることを促進するようなかたちになっていない。とくに選挙運動の期間が短いことは致命的ですよ。「地方の首長自治」になる恐怖上野 想田和弘さんが最近、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』(岩波ブックレット)っていう恐ろしいタイトルの本を書かれました。彼は、今の有権者の政治参加意識が低い根本的な原因は、自分たちが政治の消費者であるという意識を持つようになった、つまりお客様になっちゃったからだと分析しています。有権者は本当は、お客さんであると同時に、株主なんですよね。会社が潰れたらツケが来るのは株主じゃないですか。なのに、その自覚がまったくなくて、文句だけ言ってる。宮台真司さんの言う「おまかせ民主主義のブータレ」というやつですね。國分 想田さんのおっしゃることはよくわかります。ただ、「消費者」になってしまった人に、「あなたは当事者なんですよ! 何で分からないんですか!」と意識改革を迫っても、何も変わらないと思うんですよ。そこはやっぱり、自分が当事者として、実際に行動をやってみせるっていうのが僕の信念ですね。海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」に着艦する米海兵隊のオスプレイ=鹿児島県西方沖上野 その際、参加のルートは多いほどいい。行政に対しても司法に対しても、世界的なトレンドでは、市民参加の動きが起きています。裁判員制度だって司法への市民参加ですしね。指定管理者制度も評判が悪いけれど、行政への市民参加のひとつではある。公共施設の運営を、市民に委ねる制度です。役人にまかせるよりずっとよい運営ができています。やらないよりはずっとマシだと思います。こういうトレンドは絶対後退させないほうがいい。だから、日本でも政治への市民参加が進んでるのは確かだと思う。國分 そういう点から見たら、僕の言っていることを後押ししてくれるようなトレンドもあると言えるかもしれない。 ただ、僕が重視しているのはやはり行政の決定プロセスへの介入なんです。たとえば僕は、地元で保育園のことにいろいろ関わったりしていたんですけど、保育園の民営化なんかは、市役所が勝手に決めるんですよね。住民が行政に全然関われないということを最初に見たのはその事例でした。そういうことに住民がもっと関わる制度って、簡単につくれると思うんですよ。上野 だったらたとえば公務員を全部任期制にして、5年に1回、実績に応じて契約更新するとか。給料は税金から出ているので、そういうこともありかも。今は地方自治法もかなり大幅に改革されていますから、その気になれば自治体が自由にできる裁量権は前よりもずっと広がっているはずです。國分 ただ逆に「地方自治」という言葉に縛られて、地方でおかしなことが起きていても、国が介入できないという事実にも目を向ける必要があると思います。橋下氏みたいな強力な市長がいると、上からも下からも何も言えなくなってしまう。上野 地方自治は大事です。国策だからって、勝手にオスプレイを配備したり、原発を再稼働してもらったりしちゃ困る。地元自治体の同意が要るというのは、素晴らしい制度です。國分 そういうとき、主権は地域の住民が持っているんだということがきちんと確認されていかないと、「地方自治」が「地方の首長自治」になってしまい、怖い気がしますね。上野 大飯原発再稼働をめぐっては、地元の町議会は、1人だけ反対、残りは全員が賛成でしたね。(構成 長山清子)うえの・ちづこ 1948年、富山県生まれ。東京大学名誉教授。立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授。認定NPO法人WAN(ウィメンズアクションネットワーク)理事長。東京大学大学院教授を2011年に退職。日本における女性学・ジェンダー研究のパイオニア。近年は介護とケアへの研究領域を拡大。著書に『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『家父長制と資本制』『生き延びるための思想』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(法研)、『女ぎらい』(紀伊國屋書店)、『ケアの社会学』(太田出版)、『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)、『快楽上等!』(湯山玲子氏との共著、幻冬舎)など多数。新刊に対談集『ニッポンが変わる、女が変える』(中央公論社)、共著『毒婦たち』(河出書房新社)。こくぶん・こういちろう 1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。主な著書に『スピノザの哲学』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版社)など。『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)は、地元・小平市の住民運動への参加をとおして、現代の民主主義を新たな視点で捉えなおした話題作。関連記事■ 政治参加の正しい方法って何ですか?■ 「民主主義イコール多数決」ではない■ 民主主義についてよく語られる時代は民主主義危機の時代

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    ポピュリズムの支配下にある英国 国民投票が招いた愚かなEU離脱

    めるかは英国が決定できることであると反論しています。法律論を言えば、英国政府の主張に理がありますが、政治的には通りにくい議論です。思慮が浅かったキャメロン 今回、キャメロン首相が英国のEU離脱を国民投票にかけたことは、思慮が浅かったと言わざるを得ません。国家の重大事について、実質的な決断はせず、問題を国民投票に委ねると言う手続きだけを決めると言うのは、要するに問題を国民に丸投げすることであり、指導者として無責任です。そのうえ、最後は残留を強く訴えましたが、英国はEU外でもやっていけると過去に発言したこともあります。英国民投票の結果を受け、首相官邸前で辞意を表明するキャメロン首相=2016年6月24日、ロンドン(ロイター) 2014年のスコットランド独立の住民投票も、国のあり方を国の一部の住民投票で決めようとするもので、民主的でも何でもありません。ウクライナ憲法は、クリミアだけの住民投票でクリミアが独立することを違法としていますし、スペインも、カタルーニャ独立をその住民投票で決めるのは違法であるとしています。今回の件で、キャメロンは首相を辞任しましたが、当然のことでしょう。 英国のEU離脱問題は、今後とも経済面、政治面で大きな影響を与えていくでしょうが、その被害を限定的に抑えるということを念頭に置いた対処法が重要でしょう。 なお、離脱に決まったのは、移民問題の影響が大きいとこの論説は述べていますが、必ずしもそうではないかもしれません。人は、自分の運命は自分で決めたいと言う願望を持っています。EU離脱は主権を回復することになるとの宣伝の効果が大きかったとも考えられます。英国独立党のファラージ党首は6月24日を独立記念日と言いましたが、英国は植民地ではありません。独立記念日というより、連合王国崩壊の始まりの日である可能性もあるのです。

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    棄権多数でも承認? 憲法改正案の国民投票法は疑問だらけ

     猪野亨(弁護士) 先日、英国全土で行われた国民投票の結果、英国はEU離脱が決定しました。その投票結果はこれです。「離脱支持 17,410,742票」、「残留支持 16,141,241票」。1,269,501票の差です。EU離脱という大きな政策転換をわずか127万票の差で決めてしまいました。極論すれば過半数で決するということであれば1票差でも良かったわけです。 離脱票が1票でも上回れば離脱が決定するということになった場合、それは本当に民意の反映なんだろうかという疑問が沸いてきました。127万票の差でも同様です。最初からそのようなルールだということで国民投票が実施され、そのためにどちらの陣営も1票でも多くということでやってきた結果だから、それはそれで受け入れるということになるのかもしれません。英国民投票の結果判明後、ロンドンの路上で離脱派(左)とすれ違う残留派の女性(ロイター=共同) これが普通の選挙であれば、どちらが当選するのかは1票でも多い方が勝ちというのはそうなります。特に1人を選ぶ大統領選挙のようなものであれば多い方が勝ちということに必然性があります。もっとも、これが国会議員のような一定数を選ぶということになると、特に小選挙区の場合には死票の問題もあり、単純に比較1位が当選ということに問題はないわけではありませんが。 しかし、投票行動は、ちょっとしたことで投票率だったり、極論すれば投票当日のニュースによっても左右されかねないものです。英国では、投票前に残留派の女性国会議員が射殺されるという事件が起きました。この時は、どちらに有利に働くのかなどという観測記事も出ていましたが、少なからず影響を与えるものであることは間違いありません。 そのときに起きた偶然なのか故意にかはわかりませんが、こういった事件が影響を与えるというのは好ましいことではありませんし、それとは全く関係なく投票行動を決めるべきなのでしょうが、現実はそうはならなかったでしょう。もし、この事件がなければ、果たして結論が同じだったかどうかは仮定の話なので全くわかりません。 根本となる決まりごとについて、現状に変更を加えるのであれば、3分の2の賛成が必要というように承認(議決)のための要件を加重するという場合も少なからずあります。3分の2を超えるのであれば1票差であったとしても単純過半数ではありませんから、変更したいという明確な意思とみることができるからです。細かい条件の明記がない国民投票法 もっとも投票(総)数を基準とするのか、有権者総数を基準とするのかによっても全く異なります。本来、現状変更であるならば、有権者総数で見るべきだと思いますが、色々な組み合わせが考えられるところです。 有権者総数  そのうち3分の2の賛成        賛成は単純過半数で足りる      どちらもあり得る 投票(総)数  そのうち3分の2の賛成         賛成は単純過半数ではダメ。 今、英国では残留派からの投票のやり直しを求める署名が殺到しているそうでうす。「投票やり直しの請願殺到 英下院サイトがダウン」(産経新聞2016年6月25日)「報道によると、請願は昨年11月から出されていた。23日の投票率が75%未満で、多数だった方の得票率が60%未満だった場合、やり直しを求めるとの内容。今回の投票率は約72%、多数だった離脱支持は約52%で、いずれも請願の条件内だった」 極端なことをいえば、今、投票のやり直しをすれば、投票行動に変化が出て、違った結論が出ることも充分に考えられます。その意味でも、単純過半数で決したことについては、特に負けた残留派は納得がいかないのも無理からぬものがあります。賛成・反対の単純比較では、このような問題を引き起こします。 日本国憲法の憲法改正に関する国民投票では、条文上は過半数ですが、細かい条件は書かれていません。「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」棄権が多数でも承認される? 国民投票法では、憲法改正案に対する賛成の投票の数が投票総数(賛成の投票数と反対の投票数を合計した数)の2分の1を超えた場合は、国民の承認があったものと規定されています。従って、棄権が多数でも承認されることがあるという制度になっていますが、有効投票率も規定されておらず、極めて疑問の多いものになっています。参照「憲法改正国民投票法案に関する意見書」(日弁連2005年2月18日)「投票に行かない(白票)というのは、現状の追認、支持と同じだと自覚しよう。」  ちなみに恐らくこの理は、安保条約の是非にも関係はあろうかと思いますが、憲法との関係でいえば、最高裁が違憲判決を下せば、それまでという性質のものです。(この点はEU離脱とは決定的に異なります。)衆院本会議=2016年5月31日、国会 他方で、現状で安保を憲法違反と主張しているのは共産党ですが、共産党が政権を取れば日米安保廃棄に向けて段取りをしていくことになるのでしょうが、段取りを踏まずに廃棄に向けて政策転換するということになれば、支持基盤がしっかりしていない限りは無理でしょう。 それは共産党が日米安保廃棄を政権公約に掲げて政権を取らない限りは無理ということでもありますし(通常は、経済の民主化が主要な公約になるため)、逆に安保廃棄を正面から掲げて政権を獲得したのであれば、そのように実行すべきということでもあります。(弁護士 猪野亨のブログより2016年6月25日分を転載)

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    英国のEU離脱が教えてくれた「間接選挙」の良さ

    、米オバマ政権との関係は冷却化した。鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎、岡田克也、仙谷由人の各氏らが行った政治外交は、中国漁船体当たり事件、「米軍基地は最低でも県外」という鳩山首相の発言などに見るように、まさに日本の国益が犯され、「彼らが日本を滅ばす」(佐々淳行氏)と思わせたものだ。 国民はこういう経過を覚えている。国民の多くは「政権はだれでも良い。うまくやってくれればいいいい」と思っているのだ。表面的に安保法案に不安でも、安倍政権があれほど主張するのは「そうしないと、日本が危なくなると思っているからだろう」とにらんでいる。実際、米国が軍事予算を削減し、内向き志向になっている一方、中国・北朝鮮の攻勢が強まっている。安保タダ乗りの時代は過ぎたのだ。 だから、アンケート調査では安保法案に反対しても、選挙では「我々の安全のために比較的うまくやってくれそうな方を選ぼう」と自民党支持者がふえるのだ。ここで、間接選挙の利点が機能する。 だが、安保法案を国民投票にしたらどうなるか。「うまくやってくれそうな政党」かどうかに関係なく、「安保法案反対」に○をつけてしまいがちだ。安保法廃棄が多数を占める恐れは十分ある。 まさに英国でそれが起こったのだ。国会議員の多数はEU残留派で、英国の有権者はそうした議員を「うまくやってくれそう」と選んだのに、直接投票で「離脱」を選んでしまった! 離脱派の英国人も、今の混乱を予想した人はそれほど多くなかったのではあるまいか。「こんなにポンドや株価が下落し、混乱が広がるなら残留で良かった」と反省している人も少なくないと思われる。  離脱派を率いた前ロンドン市長、ボリス・ジョンソン氏は「本心は残留支持だったのではないか」といわれる。3年前のインタビューで「私は単一市場の支持者だ。国民投票が実現したら、残留に投じる」と答えたという。 ではなぜ離脱派に転じたのか。ライバルである英首相、デービッド・キャメロン氏への強烈な対抗心が原因だ。彼の目に今回の国民投票は権力奪取の好機に映った。たとえ国民投票で負けても、離脱派の保守党員の信任を確保できれば、次期党首選出の布石になる。「僅差で負けて存在感を高められるのがベストシナリオ」と考えていたフシすらある。 離脱が実現し、自らが開いた「パンドラの箱」の衝撃を思い知ったジョンソン氏の悩みは深い。「離脱後の英国」がたどるべきシナリオをほとんど考えていなかったといわれる。 民進党の岡田代表も同様ではないか。党勢拡張と安倍政権の追い落としだけが目標で、もしタナボタのように安保法案廃棄が決まったら、日米同盟の関係調整や中国への対抗をどうするか、などあまり考えていないのではないか。そうした事態を回避する意味で、英国は貴重な実例を我々日本人に示してくれたのである。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2016年7月1日分を転載)

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    予想外の結果を生む「国民投票」 ポピュリストの扇動が孕むリスク

    数を獲得した政党は政権を担当し、その選挙公約を実施する。しかし、議会民主主義は決して勝利者オンリーの政治システムではない。国民の人権尊重や少数派の権利は保障される。その上、民主主義は2重、3重の自己規制のメカニズムが機能している。  先ず、総選挙で過半数を獲得した政権の任期は決められている。ローマ法王のように終身制ではない。通常、4年から5年だ。国会議員も同様だ。所属する政党の党綱領に縛られているから、自分勝手な言動をふるまうことはできない。  選挙で落選すれば、「先生」と呼ばれてきた国会議員も「ただの人」となる。日本の永田町の住民はそのことを肌で感じている。その意味で民主主義の多数決原則には暴走防止のさまざまな規制メカニズムが機能しているわけだ。換言すれば、民主主義下で独裁者が誕生しないように防止策がとられているわけだ。なぜ国民投票の結果は予想外になるのか 過半数を獲得した政党、指導者が任期中に大多数の国民に好ましくない政策を実施した場合、有権者は次回の選挙でその政党、指導者に投票しないという制裁を下せばいい。例えば、憲法改正という国の行方を決める大きな課題の場合、議会の3分の2の支持が必要な国が多い。  一方、国民投票の場合、そのよう自己規制メカニズムは十分ではない。国民投票で一度決定した政策は無効にするのは難しい。なぜならば、「国家の主権者」の国民自らが決定したからだ。誰がその決定を無効と表明できるだろうか。民主主義下では国民以上の高位の主権者がいない。国民投票のやり直しを主張したり、その無効を叫ぶことは、国民が自身の決定に文句を告げているような錯乱状況を意味する。   それでは、国民投票では国民の意思がなぜ予想外の結果をもたらすのだろうか。国民投票の場合、国民に十分な情報を提供し、その是非を判断できるだけの時間が必要となる。例えば、イスラム寺院の建設問題やイスラム教女性のスカーフ着用の場合、国民は自身の体験から判断できるが、原発建設の是非となれば、国のエネルギー政策から安全問題まで専門的な知識が求められる。だから知識も時間も限定されている多くの国民はポピュリストの扇動などにどうしても影響を受けやすくなるのだ。  国民投票の場合、技術的な問題点もある。国の行方を決定するEU離脱問題を「イエス」か「ノー」の2者択一形式でしか問うことが出来ないから、国民の意思が100%反映した結果をもたらすことは期待できない。だから、重要な議題であればあるほど、国民投票で問うことは賢明ではないと言わざるを得ないのだ。  間接民主主義の最大の利点には、国民はやり直しが出来ることだ。自己規制のメカニズムを有する民主主義も大衆迎合主義に陥りやすい弱点もあるが、現時点では最善な政治システムと言わざるを得ないわけだ。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2016年6月30日分を転載)

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    「喜劇の主役」鳥越俊太郎の大敗に見たドリーマーの終焉

    べき「現実」を徹底的に見せつけられた。彼ら若者は、口では、耳ざわりのいいことばかりを唱えるドリーマー政治家たちの「本質」をとっくに見てとっていたのである。それを思うと、2位増田寛也氏に100万票以上、また、3位鳥越俊太郎氏にはダブルスコア以上の大差をつけた「291万票」という小池百合子氏の大勝には、さまざまな意味が含まれていたことがわかる。 日本の選挙の中で、唯一、コントロールが利かない選挙――それが東京都知事選である。1100万人(正確には、1127万4000人)の有権者を持つ東京都知事選の結果は、言うまでもなく日本の「今後」を指し示すものである。悔しくてたまらない既存メディアは、これを「若者の右傾化」と呼ぶ。あるいは、「ネトウヨ」などというレッテルを貼って、その真実を見ようとしない。だが、今回の選挙で明らかになったのは、「若者こそリアリスト」であり、彼らが「DR戦争の主役である」ということだ。 60年安保を経験した高齢者、70年安保を戦った団塊の世代。先にイデオロギーありきの「55年体制」にどっぷり浸かった、言わば“55年症候群”の人たちの時代は「終焉を迎えた」のである。世代間戦争は明らかに若者、つまり、リアリストの勝利となった。その意味で、小池氏大勝は、高らかに“新時代の到来”を宣言するものだったと思う。(門田隆将オフィシャルサイト 2016年8月2日分を転載)

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    カギは来年の都議選 小池氏と都議会のパワーバランスを読み解く

    で勝ったとしても、その後の行政運営の中では、議会との対立構造の中では動かなくなるものが多いからだ。【政治と金で知事2連続辞職、知事選3回150億円使っても東京都は「利権構造」を解決できないのか】より こちらの記事で高橋亮平さんが指摘するように、議会の力に負けて自らの対決姿勢・公約を下げてしまう首長が存在することは確かです。 ですがこうしたケースの多くは、統一地方選挙のように首長選と議員選が同時に行われた場合です。(松戸市長選挙は少しだけズレているけど) その場合、まさに首長と議会は「等しく民意で」「同時に」選ばれたことになります。これでは確かに、首長が単独でゴリゴリと物事を進めていくことはできず、議会多数派との折衝・妥協をどうしても迫られることになります。 そう、決定的に違うのは「タイミング」と「都議会の任期」です。都議選までの動きが最初のターニング・ポイント 今回の小池都知事は、まず「直近の時期に」「単独で」300万票に迫る民意を受けています。都民の期待は何かが明らかであり、相対的に知事の力は非常に強くなります。 そして何より、都議会議員選挙はなんと10ヶ月後と直近に迫っています。大きな民意を受けて誕生した知事の提案を議会が否決し続ければ、 「議会が新知事に対して嫌がらせをしている」 「あいつらは一体なんなんだ!抵抗勢力だ!」 という空気が情勢され、あっという間に次期都議会議員選挙に暗雲が漂います。これを考えると、選挙を前にしてイメージダウンを避けたい都議会側は、どうしても知事に対して歩み寄りをせざる得ないというわけです。彼女自身が一番このことをわかっているはずですから、安易な妥協は行わずに、「東京大改革」に向けて必要な闘いはしっかりと進めていくのではないでしょうか。東京都議会本会議=3月27日、都議会議事堂 逆にすぐさま自民党と手を握るような姿勢を見せてしまえば、最大のパワーの源である「改革を求める民意」はあっという間に離れてしまいます。 一方で、「小池新党誕生か?!」「都議会自民党とは、徹底的交戦をするんですか?」というのも、それはそれで極端すぎると思います。あくまで目的は「東京大改革」を進め、都政・都議会のブラックボックスを開けていくこと。そのために協調すべきところは協調し、改革派議員たちとともに歩みをすすめていくこともあるでしょう。 我々としても、いたずらに対立を煽り都政を混乱させることは本意ではありません。新知事が都民にお約束した改革が行われるかどうかをしっかりとチェックしつつ、選挙で唯一支援を行なった都議会会派として、改革に向けた揺るぎない支援を行うつもりです。 新知事が提案する=都民が望む「改革案」に対して、都議会がどう応えるのか。都民にとって目が離せない、ダイナミックな議会運営が行われるかもしれません。 10ヶ月後の都議選までの動きが、最初のターニング・ポイントです。ぜひ皆さま引き続き、東京都政にご注目いただきたいと思います。 もちろん私はその都政・都議会の最前線から、しっかりと皆さまに最新情報をお届けしてまいります。(「おときた駿公式ブログ」 2016年8月1日分を転載)

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    小池氏を阻む「都議会のドン」の壁

    国政の与野党対決の構図が持ち込まれた東京都知事選は、政党の支援を受けない小池百合子氏の圧勝で終わった。女性初の都知事となる小池氏が公約に掲げた「東京大改革」。その前に立ちはだかる「都議会のドン」との全面戦争も、もはや待ったなし。小池氏は選挙の勢いそのままに都政改革の旗手となれるか。

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    推薦外の候補支援を禁じた自民党都連の「脅迫状」

    魔する勢力が都議会にあるのであれば、来年の都議会選挙でそんな勢力は落とせばいいだけの話だ。都民の為の政治を取り戻すことを私たちは第一義に考えるべきだろう。決して、人気投票に走ったり、国政政党の論理に振り回されたりしてはならない。 各政党もそこを取り違えているように見える。公党として、オリンピック後の政治の在り方を真剣に考え、意思決定を透明にしていく努力を怠れば、有権者の政治離れは東京から日本全体に広がり、欧米で進行しているポピュリズムが日本でも加速するであろう。それが有権者にとって好ましいことかどうかは、明白だ。

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    小池氏は公約通り「都議会のドン」を都政から排除できるか

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長) 小池百合子氏が東京都知事選で圧勝した。自民党、公明党の支援を受けた増田寛也氏は終盤追い上げながらも、及ばなかった。民進党、共産党、生活の党、社民党など野党の支援を受けた鳥越俊太郎氏は女性スキャンダルもあり、票が伸びなかった。鳥越氏は無党派層の支持を最も受けるのではないかと期待されたが、やはり女性スキャンダル問題が報じられると一気に勢いを落とした。小池氏の政党に頼らない姿勢は無党派層だけでなく、政党支持者にも評価された。閉塞感のある社会を変えて欲しいという期待感があるのだろう。選挙事務所で万歳をする小池百合子氏 =7月31日、東京都豊島区 また、都知事選に対する関心が高かったことと、投開票日の天気が「曇り時々小雨」で投票率が最も伸びるとされる状況だったことから、投票率が高かったことも小池氏には有利に働いた。ちなみに、大雨の時は明らかに投票率は落ちる。しかし、晴天の時は、レジャーなどに繰り出す人が多く、投票率は下がる傾向にある。投票所に行くには支障はないが、レジャーに繰り出すには微妙な天気が最も投票率が上がるとされる。本日の東京の曇り時々小雨は投票率には最高の天気であった。 さて、これからの状況を展望してみよう。都議会、自民党との対立  小池氏は自民党東京都連会長代理でもあったので、本来ならばまさに身内的な関係のはずだが、自民党東京都連からは推薦をもらえず、都議会と自民党東京都連のやり方に反旗を翻す形となった。公約の一つも「『都議会のドン』やひと握りの幹部による都政運営を改め、都民のための『東京大改革』を進めます」というものだ。舛添前知事の時には議会は舛添知事の提案をほぼ完全にスルーさせ、異議を唱えることなく決定されるというスタイルであった。 しかし、小池氏が知事に就任した場合、かなりの提案は否決されることが想定される。ただ、対立が顕著になると、世論は小池知事につくとみられ、議会も無茶なことはできないだろう。それとともに重要なのは、都議会選挙が来年予定されていることだ。都議は選挙対策を考えざるを得ず、やみくもに反対すると改革への「抵抗勢力」というレッテルを貼られる可能性がある。そして都議選以降、新生都議会ということで雰囲気は大きく変わるだろう。小池氏の都政運営に大きな支障になることはないと思われる。 小池氏の任期は東京オリンピック直前までとなる。小池氏は東京オリンピックの半年前に辞めて、選挙とオリンピックが重ならないように工夫すればいいとか言っていたが、実際には法律を変えないと不可能なシナリオだ。知事が辞任して選挙となり、再選出されても、その人の任期は選挙をしなかった時と同じことになる。つまり、小池氏がオリンピック半年前に辞任して選挙で再選されても、また東京オリンピック直前に選挙をしなければならないのだ。ぎりぎり有り得るとすれば、東京オリンピックの半年前に都議会に対し知事の不信任決議を可決してもらい、選挙を行うというものだ。一種の「やらせ不信任決議」をしてもらわなければならない。これは極めて変な話だ。つまり1期目は東京オリンピックの直前までで、おそらく2期目の選挙があり、また小池氏が当選する確率が極めて高いということだ。余程のことがない限り、小池知事は2期8年の任期を全うすることになるだろう。民進党の責任の取り方 自民党も長期都政になりそうな小池氏との関係を殺伐としたものにはしたくないはずだ。関係が悪ければ、東京オリンピックの準備にも影響する。東京都知事選の敗北の結果は自民党都連の問題として、矮小化して対応せざるを得ない。そもそも小池氏は自民党の重鎮的存在だった人で、現在も自民党員。自民党都連の問題として矮小化すれば、小池氏の知事当選は自民党の勝利とさえ言えるのである。それでも誰かが責任を取らざるを得ない。経済再生担当大臣であり、かつ自民党東京都連会長である石原伸晃氏が責任を取らされる可能性が高いだろう。東京都議会のドンといわれる内田茂氏もなんらかの形で責任をとることを求められるかもしれない。とはいえ、内田氏はかなりの高齢。来年の都議会選挙に不出馬ということでも、実質的な支障はあまりなさそうだ。有権者に支持を訴える鳥越俊太郎候補。右は岡田克也民進党代表 =7月30日、東京都新宿区 一方、民進党の岡田克也代表は都知事選の直前に代表選に出馬しないことを公表してしまった。そうなると、都知事選の結果を受けての責任を取ったことにはならない。民進党と共産党などの野党協力路線の敗北という形にしたくなかったのかもしれない。 しかし、これでは誰も責任を取らないことになり、党内の不満は残るだろう。参議院選挙でも民進党と共産党を中心とした野党連合が成功したのか失敗したのか微妙なところとなっている。議席を大きく減らしたのだから失敗といえば失敗だ。東京都知事選が保守分裂した中、統一候補が「3位」に甘んじたことはやはり責任問題になりそうだ。 おそらく9月の民進党代表選が荒れる選挙になるのではないか。民進党にとって、共産党などの野党との選挙協力を続けるのか、独自路線を取るのかは重要な岐路だ。これは共産党や社民党等とも政策合意ができるくらいの左がかった政策路線をとるのか、リベラル保守的な路線をとるのかということにもつながる大きな問題だ。東京都知事選では鳥越氏の主張は、原発反対、平和主義、軍事反対というものであったし、形式も共産党や社民党と一緒に戦うものであった。それで完全敗北したのであるから、簡単に岡田路線を引き継ぐということにはならないのかもしれない。都知事選が最初から「負け戦」的な位置づけならダメージも少なかったが、鳥越氏が序盤では勝ちそうであっただけにダメージは残る。もちろん、実際には野党連合が否定されたというよりも、女性スキャンダルのイメージダウンが大きな敗因なのだが…。東京五輪への影響 小池氏の都政運営にとって目下、最大の重要政策となる東京五輪はどうなるだろか。小池氏はオリンピック反対論者でもなく、世界に東京の情報を発信する場にしたいという公約もあるのだから、時間を経る中で大きな問題はなくなるのではないかと予想される。 これからを考える上で、存在するリスクとしては、猪瀬氏と舛添氏が2代続けてスキャンダルで知事を失脚したケースがあることだ。オリンピックの開催もあり、東京都知事には特別な関心が向けられる。都政とあまり関係のないところでも、スキャンダル報道のリスクは誰がやってもあることになる。ある意味、大臣よりも厳しいチェックがあると考えられる。小池氏が最低でも1期4年を無事に終え、東京オリンピックが成功裏に終わることを祈りたい。(Yahoo!個人 2016年7月31日分を転載)

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    東京都議たちがいかに利権にまみれているかを大前研一氏指摘

     辞任した舛添要一・前東京都知事の疑惑で再びクローズアップされた政治とカネの問題。国会議員や大きな自治体の首長にどうしても注目がいきがちだが、実際には都道府県議会や市区町村議会の議員たちのほうが後ろ暗いだろう、と経営コンサルタントの大前研一氏は指摘している。舛添問題と、これから始まる都知事選が、地方自治体と議会の実態を根本から作り直す契機になるか。 * * * (舛添氏よりも)むしろ“脛に傷を持つ”のは都道府県議会や市区町村議会の議員たちだろう。 実際、私が1995年に東京都知事選挙に出馬した際は、都議たちがいかに利権にまみれているかという情報が、都庁職員からファクスで続々と届いた。 たとえば、東京都の施設に設置されている自動販売機は1台1台すべて、都議ごとに利権が決まっていて、そのリストを送ってきた。あるいは、都立現代美術館が新設された時は、そこに展示する絵画や彫刻などの作品ごとに、それを納入する画商と口利きする都議のリストが送られてきた。業者への“口利き利権”を、与野党を問わず都議たちがあらゆる分野で分け合っている実態がそこにはあった。 また、野党議員の中には、住民反対運動を利権にしている者もいる。つまり、自分の選挙区でビルやマンションなどの建築計画が立ち上がると周辺住民の反対運動を組織し、住民の“代弁者”となって施主や建設会社と交渉する。そして騒音対策費などの名目で補償金のようなものを獲得したら、それを住民と折半するという仕組みである。 これらを全部ひっくるめると、地方議員がいかに利権まみれかがよくわかる。多くの議員は、叩けば山ほど埃が出てくるはずだ。この話は20年以上前のことだが、もし都議たちが今は違うと言うならば、都議全員の“総当たり制バトルロイヤル”で、お互いの利権の有無を追及し合えばよい。 産経新聞(5月18日付)によると、都議の年収は1700万円超で、議会に出席すれば1日1万~1万2000円の“日当”も支給される。この報酬と月60万円の政務活動費などを合わせた127人の都議の“人件費”に、それを支える議会局職員約150人分の給与などを加えると、都議会維持費用の総額は56億円に上るという。 なのに、今年3月の都議会では舛添都知事が提出した全議案を原案通り可決した。原案可決率100%という異常事態が、少なくとも3年以上続いている。要するに、都議たちは全く仕事をしていないのである。舛添氏の絵画や中国服の購買を追及する立場にないことは明らかだ。都議会の「原案可決率100%」でわかるように、そもそも地方自治体は事実上、首長と役人が運営している。海外では、地方議員は無給のボランティアで、夕方、仕事が終わってから集まって議会を開いているところも多い。 一方、高給をもらいながら、それに見合うような仕事をしていない日本の地方議会は文字通り“無用の長物”であり、税金の無駄以外の何物でもない。では、優秀な都の職員たちは、なぜ都議たちの横暴や利権漁りを知りながら容認しているのか? これが地方議会の本質ではないかと思われるが、都の職員は自分たちの仕事や提案する予算、議案にいちゃもんをつけさせない抑止力を維持したいからである。「原案可決率100%」で、その見返りが十二分にあったことが示されている。 しかし、彼ら公僕は決してそれでよいとは思っていない。だからこそ私が都知事選に出馬すると一斉に「この議員たちの悪行を一掃してくれ!」と、驚くほど細かな「利権一覧」を送ってきたのである。 舛添問題は聞き飽きたと言う人は多いと思うが、その背景にあるおぞましいまでの地方自治体と議会の実態を根本から作り直す契機にしてもらいたい。うんざりして「次の知事」を知名度だけで選んでいる場合ではないのだ。関連記事東京都議 議員報酬以外に議会出席で日当1or1.2万円支給次期都知事候補 舛添氏、東国原氏、小池氏らの名が取り沙汰舛添氏 都知事は総理へのステップと安倍氏をライバル視民主党議員 「青少年都条例」めぐる下劣なヤジにかなり動揺都議 政務活動費で54000円スマホや1万円分のキャンディ購入

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    「自民都連のドン」に批判ツイート連発 猪瀬元知事の意趣返しか

    踏み込んだので敵扱いされた」とし、「都政で何が問題だったのか。都政の最大のガンは既得権益を仕切るボス政治なのにメディアは表層的でことの本質に迫っていない」と指摘した。そして「小泉元首相の発言の真意が伝えられていないようなので解説しておきたい。小泉氏は既得権益への斬り込みを小池氏に期待しているのだ。絶大な権力と東京五輪の利権問題 内田茂・自民党都連幹事長は既得権益の権化」と強調した。「『都議会のドン』やひと握りの幹部による都政運営を改め、都民のための『東京大改革』を進めます」。正式出馬を表明した小池氏は参院選当日の10日、都連への推薦申請を取り下げた際、吹っ切れた表情で報道陣にこう語った。同氏による「都連、都議会の『ドン』」という発言はこの日以降、日を追って回数を増す。猪瀬氏のツイッターでの発言にも拍車がかかる。同じ日のツイートは「都知事選は自民の分裂選挙になるが、実態は都連の内田幹事長にとって無難な人物か、その既得権にメスを入れようとする人物か」。 翌11日、自民党都連が石原伸晃会長、内田茂幹事長らの名で出した「都知事選における党紀の保持について」という文書に「各級議員(親族を含む)が非推薦の候補を応援した場合は(中略)除名等の処分対象となります」との条項を盛り込んだ際には、ツイッターで「親族を含むに苦笑。北朝鮮じゃないんだから」と揶揄した。  さらに13日に公開されたニュースサイト「NewsPics」のインタビューで、都連幹事長の内田氏を「東京のガン」と名指し、都連幹事長が知事選の実際の公認権に加え、都選出の国会議員の公認権も握っていると指摘した。「国会議員は都議の足で選挙してもらうのだから都議が動かないと当選できない。だからこそ、幹事長の内田氏に絶大な権力が集まり、そのポストに10年以上も居座り続けることで勢力を広げています」。その強大な力の前には石原元知事でさえ気をつけて接していたという。 インタビューの中では内田氏のいじめ、嫌がらせにあって同じ自民党の都議が11年7月に自殺したという事実も明かし、都政の正常化には「来年の都議選で内田支配をストップさせる議員を多数当選させることが大事。都議会の既得権益のボス支配をやめさせること」と訴えた。2020年の東京五輪問題にも言及し、関連予算が膨れ上がったり運営の不透明さが問題視されたりする背景には、組織委員会委員長の森喜朗元首相の存在があると明言する。インタビュー記事のネット掲載に合わせるかのように、同じ日には自らのツイッターを通して自殺した自民党都議の遺書も写真公開した。「元知事がなぜあんなことを書くのか、事実無根」と反論 一方、都議の音喜多駿氏(かがやけ)はその前日の12日、「都議会のドンの先にある森喜朗氏とその利権構造とは」と題するブログを公表し、猪瀬氏の知事辞任劇と森氏の五輪組織委員長就任との関連について論考している。 東京五輪の予算規模は2013年の招致段階では「コンパクト五輪」を売り物に3000億円程度だったのが、組織委内部の密室の話し合いの中で今や少なくとも6倍の1兆8000億円に。このうち仮設会場の整備費や既存施設の改修費に限っても、招致時点の723億円が現在約3000億円に増大しているという。都議会総務委員会集中審議で追及される舛添要一氏=2016年6月、都庁 こうした問題について、告示後の第一声で小池氏は「いつ誰が、どこで何を決めているのか分からないうちに五輪予算は2兆、3兆と言われるようになった。もっと明確にし納得のゆくものにしなければ」と語った。 増田氏は「五輪の準備が大変遅れている。都民の負担を最小限にして素晴らしい夢のある大会実現に努めたい」と訴えた。鳥越氏は第一声では五輪関連予算には触れなかったものの、15日には公約がホームページに掲載され、「五輪経費の徹底したコスト削減を行います」としている。 当の猪瀬氏は15日深夜、こんな内容のツイートを発している。「しかし、必ず流れが変わります。(ネットや夕刊紙の)次に週刊誌が登場してワイドショーが内田氏の姿を追い始めるかもしれません。闇に棲むものは光を照射すると力を失います」 なお、猪瀬氏のツイッター上などでの発言に対して内田氏の事務所は「元知事がなぜあんなことを書くのか、事実無根です」と反論している。(フリー記者・本間誠也)

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    政治を語れるタレント」になり損ねた石田純一の大誤算

    ほのめかし「断念しました」と一転。まじめに日本社会を憂う人なら不快感を持っただろうが、そもそも多くの政治家が有言不実行で、パフォーマンスに終わってきたのだから、やってることはこのタレントと大差ない。むしろ、政治家とタレントが同じ方向を見ているから「当選しやすい」タレント議員が続出しているのではないか。7月9日、大阪市内で報道陣の取材に応じる石田純一 ジャーナリスト、鳥越俊太郎氏の出馬が後出しじゃんけんと揶揄されているが、それも「どうすれば目立つか」だけを考えた末のタイミング。小池百合子・元防衛相のサプライズ出馬と発想に大差ないだろう。 その鳥越氏とは、かつてテレビ朝日の情報番組で共演したことがあるのだが、隣に座った筆者の印象はジャーナリストというより「テレビタレント」だった。番組ではあるスポーツ問題を取り上げる予定で、その手の記事を書いていた筆者は解説を頼まれたものだった。その問題を扱う直前のCM中、横の鳥越氏に「片岡さん、これどう思います?」と聞かれた。僕は何気なく問題の争点となる部分を簡潔に話したのだが、CM明け、キャスターが鳥越氏に感想を聞くや、彼はCM中にした話をそのまま「僕はこう思うんですけどね」とコメントしたのである。ここまで図太い神経のジャーナリストもいたものだと驚いたが、「画面に映っていることがすべて」のテレビタレントはこういうことが平気でやれる人がたくさんいる。当然、視聴者はそのコメントを疑いもせず聞いていたことだろう。 鳥越氏でなくとも、オンエア中に「これは許せない!」と唾を飛ばして言っていた有名コメンテーターが、CMに入った途端、「ホントは、別にいいんじゃないの?って思うけどねえ」と笑いながら真逆の本音を漏らしていた。芸能活動の一環だった出馬騒動 つまり、テレビタレントは自分の見せ方だけを気にしている種族なのである。セルフプロデュースにやたら長けているから、三原じゅん子が急に眼鏡をかけたり、今井絵理子が歌手時代にはなかった白スーツを着たり、突然の装いチェンジもお手のもの。だからしっかり当選できるのだ。出馬会見を終え、茂木敏充選挙対策委員長(左)に手話をレクチャーする今井絵理子氏(中央)=2月9日、自民党本部(福島範和撮影) 芸能記者から見れば、石田純一はとても取材しやすい「イイ人」で知られるが、今回の茶番は「自分がどう見られたいか」だけを気にしてやったことで、「政治を語れる私」のPRをしたかったのだと思う。バラエティ番組などで“素足に靴”がトレードマークとなっている彼だが、実は局の出入りにそんな恰好をせずジャージ姿で現れる。それでも、セルフプロデュースのおかげで「石田といえば素足」が浸透している。出馬会見も本人が「後押し」と言っていた市民団体の主催かと思いきや、所属事務所の仕切りだった。要するに芸能活動の一環だったということ。最近は仕事減だったためか、これでまた時の人となることはできた。 よく「政治の質が低下した」といわれるが、タレントにとって政界は非常に利用しやすい世界だ。特にスタジオで話をしたりイメージを売るだけで、大金が転がり込む割の良い職であるテレビタレントは、テレビに映っているときだけ自分を素敵に見せる業が、まさに選挙時に耳触りの良い話をする候補者とベクトルが同じだ。だから、タレントにとっては「本業で落ち目になっても再就職先として大逆転できる」という認識しかないはずだ。 テレビキャスターは馬鹿のひとつ覚えのように「選挙に行きましょう」と言うが、その本音だって「政治の本質に無関心な層が投票すれば波乱が起きてメディアが盛り上がる」ことを期待したもの。その劇場型の恩恵をもっとも受けたのが小泉純一郎元首相で、その次男もいまテレビがタレント人気を煽っている最中である。 しかし、舛添要一・前都知事に憤った人たちは思い出してほしい。その舛添氏もテレビでゴミを出す姿を見せて視聴者の好感度ばかり上げて当選してきたことを。政財界の人脈に乏しかった人だから、なおそこに特化したのだろうが、これからの選挙もテレビから伝わるイメージの良さだけで判断していたら、同じことの繰り返しだ。もっとも、選挙なんて「税金で食べていきたい幸運な人選びにしかなっていない」と思う政治不信な筆者の目には、いま手を挙げている面々も寄生虫のようにしか見えないのだが、そのぐらい怪訝な目で見た方が、むしろ失望感は少ないと思うのだ。

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    石田純一のドタバタ劇はニッポンの選挙の縮図そのものだ!

    岩渕美克(日本大学法学部教授) 猪瀬元都知事、舛添前都知事の一連の政治とカネをめぐる辞任劇を受けての、都知事選での反省は、著名な候補というだけで信頼し投票してしまえば、思わぬスキャンダルに見舞われるということではなかったのか。その最中に、今回の石田純一さんの出馬騒動が起こった。これまで政治的な活動は、目立ったところでは昨年の国会前の安保関連法案に反対するデモくらいではなかったか。もちろんキャスターなどの経験から、社会的な出来事に強い関心がおありだろうことは理解できるが、あまりに唐突な記者会見には困惑した。しかも週が開けたら、出馬断念の会見である。単に世間を騒がせただけ、と言ったら言い過ぎだろうか。せめてもう少し政治的なブレーンでもいれば、違う道を模索できたのかもしれないと思うと、少し残念な気もしないわけではない。7月11日、東京都知事選への出馬を断念することを表明し、記者会見する石田純一 これを受けた野党が、どこまで本気かはわからないが、統一候補としようという考えが頭に浮かんだのではないだろうか。参院選での野党統一候補の発想を引きずること自体が、必ずしも理解できない。ましてや蓮舫氏を担ごうとする思惑にも賛成しかねる。ただ単に勝てる候補者というだけで、そこに乗ることは舛添前都知事の場合とまったく同じだからである。そこから何かを学んだのではなかったのか。知名度に頼る戦略は、候補者名を自署する日本の選挙においては理解できないわけではない。だからといって有名であれば、名前が知られていれば、それだけで推薦できる候補者と言えるのだろうか。 そもそもタレント候補と言われるテレビなどの著名人が選挙で重宝されるようになったのは、参議院が採用していた「全国区」という制度があったからである。17日間という短期間で、日本全国を遊説することなど不可能だ。規模は違うが、アメリカ大統領選挙が1年かけていることから考えても、時間が足りないことは確かである。前述したように自署式の投票方法では、まず名前を覚えてもらうことが先決である。それゆえに、参議院、とりわけ全国区の議員は、職業組合などの組織を背景に立候補する職能団体出身者や知識人などの当選を図れることから「良識の府」などという呼ばれ方をしていたのである。 しかしながら、比例代表制導入に伴う政党化の進展とともに、議席を確保していれば後は党の指示に従えばいいと言わんばかりの人数合わせともいえるタレントに白羽の矢が立つことになった。人気のあるタレントや芸能人を立てれば、少なくともファンは投票してくれるだろうとの思惑も働いていたようである。政治経験も関心もない芸能人が立候補するようになり、政党が公認するようになったのである。名前を覚えてもらうという努力が必要ないということは、その期間の短さもあり、圧倒的なアドバンテージになる。政党の人数合わせからすれば、逆に政治に強い関心がないほうがいいのかもしれない。でも、その思惑は有権者を軽んじていることにならないだろうか。志をもって準備するタレント候補はいないのか 芸能人だからといって立候補を制限することなどはできないし、すべてのタレント候補が政治家たる資質がないというわけではない。たとえば西川きよしさんは、漫才師という、ある意味では政治とは必ずしも近くない人であったが、当選後は国会を休まず、どのベテラン政治家よりも真摯に政治活動を行っていたことは広く知られている。ご本人の性格もあるのであろうが、もはやタレント候補という範疇で話す人はいないとも聞いている。こうしてみると、芸能人だから悪いというわけではなさそうだ。 一方で、青島幸男氏は95年の東京都知事選挙で政党色を一切拒否して当選した。同時期に行われた大阪府知事選で当選した横山ノック氏とともに、政党の推した候補者を破ったことから、「無党派の反乱」とも呼ばれた。都知事選で青島氏は、選挙運動を拒否し、自宅で都政の勉強をするという戦略を採った。ご長男からの「やる気がないと思われるよ」という発言からポスターだけは印刷したとも言われているが、すべてを貼り終わることがなかったにもかかわらず当選した。もっとも青島氏は、1968年の参院選全国区から出馬したタレント候補そのものであった。すでに74年の参院選で選挙運動を一切しない戦略を採っていたので、都知事選が初めてではないし、参院議員としての経験もあったので、もはやタレントではなく政治家として評価されていたといってもよいかもしれないが、それでもこうした戦略を可能としたのは、テレビタレントとしての抜群の知名度であるといってよいだろう。ただ選挙運動を拒否する姿勢は、候補者として適切ではないし、立候補してから都政の勉強をすることも支持はできない。1995年4月、東京都知事選挙に当選し家族と喜ぶ青島幸男氏(中央) 国政に目を転じても、選挙期間中の質問にまともに答えられなかったり、政策論争ができずに、これから勉強しますという当選者もいた。歳費、いわゆる文書交通費、立法事務費を合わせれば税込み収入に換算すれば5千万円を超えるであろう金額をもらいながら、当選してから勉強をするというのでは一般の学生が浮かばれない。大学では、経済的な事情で学業を断念する学生が増えているように感じる。奨学金の返済に苦悩している若い人たちがいることを思うと認めるわけにはいかない。 そもそも後出しが有利であるとか、選挙運動を行わないことを可能とするのは、著名人であることが前提になっているからである。都知事選挙では、後出しが有利という言葉がまかり通ること自体が、著名人の当選が続いていることを示唆しているにすぎないのである。それをさも選挙の傾向のように扱うことにも疑問を感じる。今回のような突然の辞任からの選挙では、多少事情を汲んでもよいが、それでも志とそれなりの準備を持った候補者が政策で争う選挙をすることが民主主義にとって必要なことであると思われる。 もちろん、このことを一番に考えなくてはいけないのは有権者である。政治家としてふさわしいか否よりも、イメージの良さや、ファンだったなどの理由で投票しているとすれば、こうした税金の無駄使いともいえる支出も甘んじて受けなければならない。確かに、どの候補に入れたらいいのかわからないから知っている名前に投票することはあるだろう。しかしタレントとしての技量と、政治家のそれとは自ずと違うはずである。百歩譲って、初めに投票するのは仕方がないとしても、その候補者が政治家となって何をしたのかを観察していなくてはいけない。四六時中とは言わないが、気が付いた時にはチェックすることは必要だろう。その政治家が政治家としてまともに働いているのであれば、次回も投票するし、そうでない場合は、次は「著名人だから」だけではなく、そこに新たな基準を足して選ぶべきではないだろうか。政党、有権者、候補者ともに考えなくてはならない。

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    石田純一の出馬騒ぎは結局何だったのか

    4年後の五輪ホスト都市の「顔」を決める東京都知事選の投開票が目前に迫った。選挙戦は事実上の三つどもえとなり、都民の選択に注目が集まる。話題に事欠くことがなかった選挙戦でしたが、そういえば俳優の石田純一の出馬騒ぎも小ネタの一つになりましたね。あの人は結局、何がしたかったんでしょうか?

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    石田純一が構想した「奇跡の東京」って結局何だったんだろう?

    、今回。突如浮上したのが俳優の石田純一だった。正直驚いた。あのゆるふわキャラの石田がなぜ出馬?!  政治は門外漢だが、テレビ界における石田の立ち位置をやや心配していた私としては、触れておかねばならない。 石田と言えば、トレンディ俳優のはしり。バブル時代に人気を博した「抱きしめたい!」(フジ)や「オイシーのが好き!」(TBS)で、存在が鴻毛のごとき軽薄なマスコミ勤務の男を演じていた。若い人は「はいはい、中年特有の昔懐かし話でしょ」と思うだろうが、しばしお付き合いを。 私が最も記憶しているのは、今井美樹主演のTBSドラマ「想い出にかわるまで」。石田は今井との結婚を控えていたエリートサラリーマンの役だった。今井の妹・松下由樹に情熱的に迫られ、関係をもってしまうという、色に弱い男である。大人の表現で竿姉妹ね。 私の中で「なんとなく情熱に弱い」イメージは、ここから定着したように思う。 その後は不倫騒動の先駆者として、ゴシップ界に君臨。バブル紳士のファッションリーダーとして名を馳せ、キーワードは裸足に革靴、ゴルフとワイン。性悪な元モデルとの熱愛もあったよね。ゴシップネタもなくなり、落ち着いてきた頃には、バラエティ番組業界にプライベートを惜しみなく提供。前々妻との息子や前妻の娘、現在の嫁、コワモテの義父など「石田ファミリー」をテレビ界に余すところなく蔓延らせた。素直に「素晴らしい繁殖力と、敵を作らぬスーパーお人よし」と感服したものだ。が、本業の俳優としては、やや低調。ちょっと前までは、東海テレビの昼ドラの準レギュラーとして、外連味たっぷりのアホ紳士を演じたり、「僕らプレイボーイズ熟年探偵社」(テレ東)では石田純一そのものという軽薄な役柄を披露した。 しかし、年齢の割に重みがないというのは、なかなかのデメリットである。同年代の俳優に比べて、刑事モノや警察モノにはほぼ呼ばれない。類まれなるバブル感は、タレントとして重宝されるものの、俳優としては微妙だったのだ。 そこにきて、都知事選の出馬騒動。結局数日間で挫けてしまったのだが、個人的には波紋を呼んだと思っている。芸能界とテレビ界では誰も口にしない「現政権に対する違和感」を口にしたのだから。参院選と都知事選をごっちゃにするな、という意見もあるが、石田が「野党統一候補であれば」という条件付き出馬を宣言し、野党共闘で改憲阻止という願いがクローズアップされるはずだった。バブル世代の根拠のない自信と情熱が彼を突き動かしたのか ところが、である。石田が出馬する意向あり、というニュースは、7月6日の「直撃LIVEグッディ!」(フジ)を皮切りに瞬く間に広まったのだが、彼の本当の思いはテレビでほぼ伝えられなかったような気がする。残念ながら「バブル紳士が文字通り泡沫候補」という印象しか伝えられなかったのだ、テレビでは。7月11日の出馬断念の会見も、各局の夕方の番組では冒頭の数分程度しか放映せず。あっという間に永六輔の訃報へとスイッチ。あるいは嫁への配慮といった話のみを抽出し、録画映像を流しただけだった。都知事選の出馬について記者に質問を受ける石田純一氏=7月7日、羽田空港 「みんなのニュース」(フジ)だけが会見の様子を比較的長く映したのだが、なぜか途中で首相のコメントが流されるという不自然なスイッチング。生中継でもないのに、なぜ中断してまであれを流したのかしら? その後は、会見前の石田に密着した映像を流していたのだが、結局軽薄な印象しか残らない構図に。「すごい東京、奇跡の東京と呼べるような考えがあったんです」と車中で熱く語る石田。そのふわふわした言葉は、都民に響かずじまい。 このとき、私自身は宇都宮健児(3度目の正直)に投票しようと既に心を決めていたので、石田に目もくれなかったのは事実だ。しかし、その後、宇都宮氏が断腸の思いで出馬を取り下げたので、かなり困り果てておる。まっとうな感覚の人がいなくなっちゃった、というのが本音。 石田純一は結局何をもたらしたのか。もしかしたら、バブル世代の「俺たちなら何かできる!」という根拠のない自信と情熱が彼を突き動かしたのかもしれない。今、バブル世代が胸に秘めたくすぶり感と正義感のようなものが、地方創生とかなんとか言って、地方行政にこぞって向かっているような気もしている。石田のように、命と生活を重んじる方向へ進むのであればよいのだが、そうでない強大な力もあるようで不穏だ。すこぶる不安だ。 もうひとつは、野党の足並みの揃わなさや脆弱性を曝け出したとも言える。奇しくも石田が民進党について、名言を吐いたのは聞き逃すまじ。「グッディ!」の安藤優子キャスターから電話取材を受けたとき、「民進党は横に長い党」と発言。現政権に対する違和感だけでなく、民進党内の不協和音についてもしれっと暴露しちゃったというわけだ。 さて、今後の石田純一はどうなるのだろう。彼が構想していたと思われる「すごい東京、奇跡の東京」とは結局何だったのかはわからずじまいだが、人として決して間違ってはいなかった情熱が、違う形で開花することを願う。でもテレビ界からは干されちゃうんだよね? 政権批判を口にする厄介なタレントという烙印をおされて。逆に、石田を積極的に起用する気骨あるテレビ局があるならば、ぜひ注目したい。個人的には、ドラマで再びあのゆるふわな姿を観たいのだが。

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    石田純一氏が都知事選の出馬を取り止めてもテレビに出演できない理由

    7/18 こういった状況から、与党の圧力じゃないかという見方が正しいようにも見える。タレントの誰々は政治的な発言をしながらテレビに出ている、なのに石田氏は出られない、これはやはり与党寄りか野党寄りの違いじゃないか、といった批判意見も見られた。石田氏のCMが流せなくなった理由は選挙報道の公平性 さて、これらの政府の圧力説は正しいのだろうか。政治の世界は一般人に計り知れない部分があり、実際に何が起きているかは想像の域を出ない。与党の圧力という意見も根拠があるわけでも無い。ただ、ビジネス目線で見れば何らおかしいことはない。 先日の記事でも書いた通り、石田氏の出演するCMを放送中止せざるを得なかった理由は、テレビ局が選挙報道で公平性が強く求められているからだ。現在もニュース番組で都知事選を扱う際には、泡沫候補であっても名前や顔写真が必ず表示される。そんな状況で候補者が出演するテレビCMが流れれば特定の候補を利する放送として公平性の観点から問題になりかねない。大勢の報道陣が詰め掛けた石田純一氏の会見=7月8日、東京都千代田区 政治的な発言をしているのに堂々とテレビに出ているとして名前が挙がっていたタレントも、選挙に出馬すれば当然CMもドラマも放送は出来ない。政治的な発言をしているタレントは多数いるが、彼ら・彼女らと石田氏の違いは単純に選挙に出ようとしていたかどうか、そこだけだ。海外のタレントは政治的な発言をしているという意見もあったが、これも国によって選挙報道に公平性のしばりが無いというだけの話だ。 ただし、石田氏のCM中止については出馬する可能性をほのめかしただけですぐに放送中止という対応が適切な判断かどうかは議論の余地はあるだろう。前回の記事に書いた通り、現状のルールでは企業はタレントの「出馬リスク」を強く意識せざるを得ない。※実際には情報バラエティ番組で主要三候補を全員合わせたより何倍も長く石田氏の出馬とその取りやめは長時間にわたって報じられていた(芸能コーナーの扱いではあったが)。これはとても圧力のあった候補の扱いとは言えない。石田氏がテレビ番組に出演出来ない理由石田氏がテレビ番組に出演出来ない理由 ではCMは別にして、すでに出馬しないと決めた石田氏がテレビ番組に出演出来ない理由はどこにあるのか。これは番組の性質上と説明されているが、単純に信頼を失ったからというだけの話ではないのか。 今後も再度約束を破って選挙の応援に行けば、特定の候補に肩入れするタレントを番組に出演させていることになってしまう。テレビ局側からすれば、極めて神経を使わざるを得ない選挙期間中に、予測不能な行動をとるタレントを出演させて余計なリスクを取りたくない、ということになるのだろう。 これは政治問題と考えるからややこしくなるだけで、三菱自動車やマクドナルドなどトラブルのあった企業の商品をあえて買いたいか、と身近な「取引と信頼関係」の話に置き換えればなんら難しい話では無い。 石田氏を支持する人からすればフザケンナと怒りを感じるだろうが、当事者であるテレビ番組のスタッフや関係者からすれば、今後の対応を考えたり代役を立てるなど膨大な手間が発生した上に圧力に屈していると批判まで受けるのなら、とてもやってられないということになるだろう。 石田氏の所属事務所は、今回の騒動を受けて「今後一切、政治に関する発言はできなくなりました」とマスコミに説明しているが(【都知事選】石田純一、鳥越氏の応援演説しない スポーツ報知 2016/07/15)、取引先に与えた迷惑を考えれば当然ということになってしまうだろう。石田氏が受けた二回目の厳重注意 石田氏は過去にも学生団体SEALDSの集会で「戦争は文化ではない」と発言したことにより、CM出演をするスポンサー企業から厳重注意を受けたという。 当初はこの集会参加によりCM契約を打ち切られ、テレビ出演もキャンセルがいくつもあったと石田氏本人の発言として報じられたが、実際にはそのような事実は無く、それどころかテレビ出演も増えたという。その上で所属事務所は以下のように説明している。「CMは6社と契約しており、『今後は気を付けて下さい』と関係各社から言われました。安保法案には反対や賛成があり、企業の顔として、そういうお客さまの気持ちも汲んで下さいということです。事務所からも、同様なことを本人に伝えました」~中略~「言論の自由ですから、後は本人次第になります。今後のことについては答えていませんでしたが、気を付けて目立つことはしないように考えると思っています」石田純一、番組やCMの降板なかった 安保反対スピーチの影響は出たのか : J-CASTニュース 2015/10/9 これが昨年秋のことだ。石田氏のような著名なタレントが出演するCMであれば、それなりの規模の企業、つまり多数・多彩な顧客を相手にする企業のCMだろう。そこでタレントに政治色が出てしまえば、企業の顔としての役目を果たせなくなると「企業側」が考えるのも当然だ。事務所の出したコメントはごく自然なものだ。 それから1年もたたず、しかも政治的な発言ではなくまさか突然の出馬という形で約束が破られるとは事務所側は想像もしなかっただろう。このような対応を取られてしまえば一切の政治的な発言や活動はもうやめてくれと指示を出すのも仕方がないとしか言いようが無い。損失は事務所に発生する損失は事務所に発生する CMの出演契約は石田氏個人と企業の間で交わされるわけではない。出馬宣言で発生したと言われる数千万円の損失も一次的には契約の主体である事務所が負担することになるだろう。今後も同じようなことがあれば事務所としても莫大な損失の負担に耐えられるものでは無い。 さらに付け加えればこの事務所はタレントを管理できない、という印象を企業や広告代理店に与えてしまえば事務所全体の問題に発展しかねない。政治的な言動を辞めるか事務所辞めるかどっちかにしてくれ、といった話合いが持たれていたとしてもなんら不思議なことでは無い。 発言の自由を奪うなんておかしいという意見もあるだろう。確かにクライアントや事務所に石田氏の発言の自由を奪う権利は無いが、事務所や企業が何の責任も無く損失を受けなければいけない理由も無い。安保関連法廃止を求める集会に参加した石田純一氏(中央)=2015年12月6日、東京都千代田区 結局今回の騒動は石田氏が今後もタレントとして活動するのなら、取引先に損害を与えるようなことをするべきではないという契約の話、つまり政治の話ではなくビジネス上の取引に関する話に過ぎない。※政治的活動がなぜ企業に損害を与えるのかという疑問は上記の通り選挙報道の公平性というしばりがあるから、ということになる。このようなしばり・ルールが正しいかのか、そして現状でも運用方法が適切かについては議論の余地はあろう。この点は前回の記事の追記で書いた通り脳科学者の茂木健一郎氏とも同意に至った箇所だ。ビジネスが軽んじられる空気 今回の石田氏の出馬騒動では、政治の素人がバカな事をやっているといった批判がある一方、支持者からは政治活動を事務所やCMスポンサーが邪魔することはおかしいといった批判があり、ビジネスや契約の観点から企業を擁護する見解はほとんど見られなかった。 政治活動が経済活動より下という事はありえない。どちらかが優先されてどちらかが犠牲になることは許されるものではなく、車の両輪として考えるべきだ。石田氏を支持・擁護している人も、自身の勤務先で同じことが起こり、その結果自分の給料やボーナスが減らされてしまえば勘弁してくれと腹も立つだろう。 余計なお世話になるが石田氏個人について言えば、政治活動も重要だろうけど、他でもないぜひあなたに出て欲しい、会社の顔になって欲しいとCM出演を依頼してくれた企業だって同じくらい重要ではないですか?ということになる。誰にも迷惑をかけない形で出馬するのであれば、あとは政治の話だ。石田氏にはビジネス上の課題を全てクリアにしたうえで政治活動をして貰えればと思う。(シェアーズカフェのブログ 2016年7月21日分を転載)関連記事■年収1100万円なのに貯金が出来ませんという男性に、本気でアドバイスをしてみた。■グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?■1億円の借金で賃貸アパートを建てた老夫婦の苦悩。■不動産会社の「大丈夫」が全然大丈夫じゃない件について。■なぜスイスのマクドナルドは時給2000円を払えるのか?

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    芸能人を利用して政治誘導を図る朝日 保守陣営も学んだらどうか

    っこく堂」といった、モデル、女優、腹話術師であることである。 このところ朝日新聞が芸能人やタレントを政治的に利用することが、目立って多くなってきた気がする。それは東日本大震災後の原発報道から始まり、どんどんエスカレートしている。 昨年末の特定秘密保護法と今年の集団的自衛権問題では、連日のように反対する各界著名人のコメントが顔写真入りで載せられているが、そのなかには芸能人らもかなり含まれている。 最近の「集団的自衛権を問う」では、6月23日には歌手のUA(ウーア)が「急ぐ真意はっきり言えば」、同26日には漫画家の蛭子能収氏が「手出せば倍返しされる」、同28日にはロックンローラーの内田裕也が「安倍ちゃん なぜ急ぐんだ」、7月1日にはアイドルグループ「制服向上委員会」の木梨夏菜が「聞いて 戦場に行く世代の声」といった具合である。 特に、蛭子氏は集団的自衛権について「報復されるだけじゃないですか」といい、中学生時代のいじめの経験を振り返り、「腹は立つけど、相手を殴ることはしません。手を出すと倍返しされ…」などと語っている。 庶民が暴力団に絡まれたときは、抵抗はしない方がよいだろうが、国家間においてもそうしろというなら、あきれてしまう。蛭子氏には失礼かもしれないが、何をされても屈伏しろと言うのなら、完璧な敗北主義の主張としか思えない。ただし反戦平和主義者の本音が、よく表れている。芸能人を利用して政治誘導を図る朝日 保守陣営も学んだらどうか 芸能人の政治的発言、あるいは芸能人を利用した政治的誘導は、社会面のみならず、文化・芸能欄においても、巧妙にまぎれこませている。 例えば、4月18日夕刊の映画の欄では、「テルマエ・ロマエII」に古代ローマ人ルシウス役で主演した阿部寛にインタビューした記者が「強いローマ帝国の復活をもくろむ現実主義者に対し、時の皇帝ハドリアヌスは戦争のない平和なユートピアを作ろうとする理想主義者。帝が手本にするのはルシウスが見聞してきた現代日本だ」「国内外がきな臭くなっている今こそ、この映画が世界中でヒットしてほしいと願う」と記している。 では、朝日新聞はどうして芸能人に政治的発言をさせるのであろうか。 そのポイントは、親しみやすさということであろう。芸能人はマスコミを通じて日常的に大衆と接しており、身近な存在なのである。テレビで顔を売った人間が、簡単に議員や知事に当選するのは、そのためだろう。お堅い学者や文化人の発言より、一般の人々に影響力があるのではないか。 朝日新聞のこの芸能人を利用して、政治宣伝を行う手法は、なかなか巧妙である。敵の優れたところは、保守陣営も学んだら良いのではないか。さかい・のぶひこ 元東京大学教授。1943年、神奈川県生まれ。70年3月、東大大学院人文科学研究科修士課程修了。同年4月、東大史料編纂所に勤務し、「大日本史料」(11編・10編)の編纂に従事する一方、アジアの民族問題などを中心に研究する。2006年3月、定年退職。現在、明治学院大学非常勤講師や、月刊誌でコラムを執筆する。著書に「虐日偽善に狂う朝日新聞」(日新報道)など。

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    石田純一の呼び掛けは動かない野党への起爆剤だ

    猪野亨(弁護士) 東京都知事選挙が近づき、候補者の乱立の様相を呈しています。 俳優の石田純一さんが、どのような経緯で声が掛かったのかはご自身の説明でもよくわかっていないようだったのですが、会見の内容は自分がやりたいというよりも野党への統一候補の擁立を促すものであったと思います。「出馬に家族は反対「話し合いたい」芸能活動で「ペナルティーも」「靴下は履いてもいい」」(前半)(産経新聞2016年7月8日)「芸能界に「未練ない」「笑われるのも覚悟」壱成、すみれは「電話つながらない」(後半)(産経新聞2016年7月8日) 参議院選挙の最中での表明のあり方が問われていましたが、東京都知事選挙はすぐに来ますので、別に問題があるとは思えません。 むしろ、野党4党がなかなか動かないということにこそ問題があります。 私は、石田さんの会見は、このような動かない野党4党への起爆剤としての意味があり、とても良かったと思います。 民進党岡田代表も共産党志位委員長も石田さんの発言を絶賛していますが、かなり刺激を受けたことでしょう。街頭で都知事候補者への応援演説を行う(左から)、枝野幹事長(民進)、西崎共同代表(東京生活ネット)、小沢共同代表(生活)、鳥越俊太郎候補、志位中央委員長(共産)、又市幹事長(社民)の各党幹部=7月22日、東京・有楽町駅前 それ以上に気になるのは、石田純一さんがこのような表明をしたことによって芸能界から干されるのではないかと危惧する発言があることです。 発言者自身は、石田さんのことを慮ってのことだということはよくわかります。 同じような問題では、近いところで山本太郎さんが反原発の運動を行ったことが芸能界での居場所を失わせたということで、この世界は何と自由にものが言えないんだろうと思いましたが、そのようなものが言えない状態であることは、今なお改めて私たちにも突きつけられた問題です。 これが政権与党の応援だったりすると、だいたいがスルーされます。 与党からの立候補などマスコミが大騒ぎします。今井絵理子氏がその典型例です。 「当選」を前提としているからでしょうか。 あるいは政界を引退した橋下徹氏については芸能界復帰かとまで言われていましたが、あれだけ「色」がついているのに、あの極右思想であればスルーなのです。 以前は、このような世界ではなかったと思います。私が学生の頃、見たような映画では、例えば『千羽づる』などは、原爆をテーマにした反戦映画ですが、倍賞千恵子さんや前田吟さん出演ですが(どこかの映画のキャストと似ていますが)、普通に出演されていたと思います。 この映画が再び見れないのが残念です。http://movie.walkerplus.com/mv17924/ かつての『戦争と人間』のような山本薩夫監督の映画も石原裕次郎さんも出演されていました。 この中で、石原裕次郎さんは外交官の役でしたが、満州事変を引き起こした関東軍に対し、「戦争を止められないのなら外交官の存在意義はない、今日限り、外交官をやめます」という趣旨のことを述べたことが非常に印象に残っています。 体制に気に入られるようなものばかりを財界が望み、それが報道番組の内容にまで及んでいる昨今ですから、石田純一さんや山本太郎さんが干されていくということはその延長線上なのでしょうが、本当にこれだけものが言えない社会でいいのでしょうか。 それは芸能界に限られず、誰も自由にものが言えない社会になることが非常に危惧されます。「国家緊急事態条項とヘイトスピーチ規制 狙われているのはヘイトスピーチではなく、政府に反対する言動」(2016年7月9日「弁護士 猪野 亨のブログ」より転載)

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    石田純一はともかく妻の東尾理子は政治家の妻に向いてる?

    た。 「心配ですよね、いろいろ不安というか…」と言いつつも、「妻として主人を支えたい」とも。一部で「政治はダメ」という約束が夫婦間でされていたとの報道もあったが、「絶対にダメ」ということでもなさそうだ。 実は、石田の出馬“意欲”会見を見ていたとき、「石田さんはともかく、理子ちゃんは政治家の妻として相応しいかもしれない」と彼女の人柄をあれこれ思い浮かべていた。 父は東尾修氏、自分はプロゴルファー。幼少期から何不自由なく育ってきた彼女は、豪放磊落な父の人柄を知り尽くし、いまもモテる修氏とはとてもいい関係を築いている。 彼女のすごいところは、夫と前々妻の間の息子である俳優のいしだ壱成や、前妻の娘でモデル・女優のすみれと仲がいいということだ。二人から「理子ちゃん」と呼ばれ、すみれは、「理子ちゃん、かわいい」とも言う。母・松原千明と自分を苦しめた父・石田純一に対しては複雑な思いがあることだろう。だが、壱成やすみれも「家族」として自宅に招くという東尾理子。前妻との離婚後、精神的にかなり落ち込んでいた壱成は「理子ちゃんは愛の人。理子ちゃんのお陰で家庭の温かさをまた知ることができて、本当に感謝している」とまで言っていた。 東尾理子は、石田純一と結婚後、タレントとして生活情報番組やヒナ壇番組から引っ張りだこだ。セレブを気取るわけでもなく、でも“お嬢さま”ならではの特異なエピソードを有していて、しかも、人の傷みを理解し、社会派でもある。 不妊治療の末、母になるときも、デリケートな話をあまりにもオープンにするものだから一部でバッシングを受けたりもした。だが、彼女の性格を考えると、妊活事情を包み隠さず明らかにすることで、誰かの役にたてば、自分はどれだけ批判されてもいい…という想いでやっていたのではないか。 ちょうどその頃、東尾理子と、ある生活情報番組で何度か共演させてもらっていたが、CM中、彼女が妊活のために使っていた「よもぎシート」なるモノの話で盛り上がった。下着の内側に敷くと、じんわり温かくなり、よもぎの香りでリラックスできるというモノ。「へ〜、そんなのあるの? 知らなかった」と言った私のリアクションを覚えていてくれたのだろう。 その後、また共演したとき、私の楽屋の扉を叩く音と共に、「理子です」と言われ驚いて開けると、「これです!」と、その「よもぎシート」を1パック、私に差し出した東尾理子。その記憶力と気遣いに、「これは石田純一以上かもしれない」と感心したものである。 母となった彼女はますます「愛の人」となり、細やかさはそのままに、肝っ玉母ちゃん的な大らかさも備わった。お嬢さまではあるが、常識人であり、社会性もある。さらに空気も読めて、ユーモアにもあふれているので、好感度は抜群。しかも大物の“二世”ならではの大胆さも備わっている。 そして何より彼女はアスリートである。父の東尾修氏を含め、2020東京五輪に向けて、スポーツ振興や、スポーツ教育を通じて子供たちの未来についても当然考えているハズだ。 今回の都知事選出馬がなかったにせよ、政界に進出する気マンマンであることがわかった石田純一の妻・東尾理子が石田にとって、さらに最強のパートナーとなることは間違いない。関連記事会社員の年金 「石田純一型」と「加藤茶型」で明暗くっきり石田純一&東尾理子 出産2日前の命名会議 候補は「リタ」か東尾理子が石田純一をブログに登場させることを心配する声東尾理子 夫の2人の子と仲良いのは東尾修氏との関係もあり小石田純一 一押しのDVDは本家出演『抱きしめたい!』他

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    井沢元彦氏がSEALDsに意見 「9条を守れ」の主張は人権侵害

     作家・井沢元彦氏は、集団的自衛権行使容認に反対する人たちのやみくもな軍隊否定や護憲主義に疑問を投げかけている。憲法9条を守れと主張することは、ときに人権侵害にも及ぶ状況があるという。週刊ポストの連載「逆説の日本史」における井沢氏の解説を紹介しよう。 * * * 1985年(昭和60)のことである。当時イランと戦っていたイラクのフセイン大統領は、敵国イラン領空を飛ぶ飛行機はたとえ民間航空機であってもすべて撃ち落とすという、とんでもない声明を発表した。当時イランにいた日本人二百人余りは直ちに脱出しようとしたが、脱出のための航空機派遣を政府から依頼された日本の民間航空会社はこれを拒否した。労働組合が反対したのである。 もっともこれは当然の反応ではある。ミサイルが飛んでくるかもしれない危険空域に丸腰の民間機が入ったら乗務員の安全は保証できない、反対したこと自体は責められない。だからこそ、こういう時のために訓練を積んだ軍隊というものが必要なのである。警察では国外の戦争が絡んだ事件に対処する能力も権限もない。 しかしそういう能力を持った自衛隊機は現地に飛べなかった。日本社会党を中心とする護憲派が「海外派兵絶対反対」と強く反対したからである。このためイランの首都テヘランに残された日本人約二百人は脱出できず、中には死を覚悟した人もいたという。 助けてくれたのはトルコであった。トルコ共和国政府の意を受けたトルコ航空の民間パイロットが名乗りを上げ、危険を冒してテヘランに飛び日本人全員を脱出させてくれた。実は1890年(明治23)、トルコ海軍の軍艦エルトゥールル号が日本の紀州沖で沈没した時、近くの村の日本人が命がけで乗組員多数を救助してくれたという話がトルコでは歴史の教科書に載っていて、「その借りを返すため」に命がけで助けてくれたのである。 ところが、この行為に対して感謝するどころか、もっとも不快に思ったのが「護憲派の守護神」朝日新聞である。朝日は記事でトルコが助けてくれた理由を、日本が「トルコ経済援助を強化している」からだと書いた。要するに「カネがもっと欲しいんだろう」と貶めたのである。朝日がなぜそんなことを書いたか、これをきっかけに「軍隊は必要だ」という議論が高まることを恐れ「カネをバラ撒いていれば大丈夫だ」と思わせたかったのだろう。 こんな事件が過去にあったことを、つい最近まで国会を包囲していたSEALDsの若者たちは知っているのだろうか? そしてまた同じような事件が起こったら「海外派兵絶対反対」と叫んで、再び「平和憲法を守るため」戦うのか? 以上のような事例を知った上で、まだ「日本に軍隊は必要ない」と叫ぶなら、それはそれで仕方がない。論理を受け付けない人間と議論はできない。しかしそうでないなら言おう。日が落ちても続いた国会前の安保法案反対デモ。学生団体SEALDsのメンバーらも参加した=9月16日夜、国会前 軍隊の必要性を認めた上で「憲法九条を守れ」と主張することは、極めて重大な人権侵害であることに君たちは気がついているのか? 「必要ない」と言うなら仕方がないが「必要」ならば、自衛隊及び自衛隊員は法治国家日本において正式な存在であるべきだ、しかし憲法九条は法律がなんと言おうと彼等の存在を否定している。だから憲法九条を守るということは、実は自衛隊員の地位と権利を正式なものとしては絶対に認めないということになる。 これもわかりやすく時代劇にたとえようか。 ある旗本の家、そこが突然武装強盗に襲われた。先代の嫡男である当主が撃退しようとしたが日ごろから武芸にはうとく、危うく殺されそうになった。そこへ颯爽と登場したのが側室の生んだ次男、つまり当主の弟である。次男の命をかけた奮闘で賊は撃退された。そして、あそこには強い用心棒がいるという評判が立ち賊も敬遠するようになった。何もかも弟のおかげである。 ところが兄は感謝するどころかこう言う。「メカケの子のくせに図に乗るな、お前はあくまで日陰の存在だ。メシは食わせてやるが、名誉も地位も求めるな!」。  どうです? ひどい兄だとは思いませんか? 人間のクズと言っても過言ではないだろう。 しかし「憲法九条を守れ」と言うのは実はこれと同じことで、「自衛隊員よ、お前たちはあくまでメカケの子だ、引っ込んでいろ」と言っているに等しい。そのことに君たちは気がついているのだろうか? たぶん気がついてはいないのだろう。気がついているならばこんな態度をとるわけがない。瀬戸内寂聴さんや大江健三郎さんのような日本の良心と言われている人たちも気がついていないのだから仕方がない。本当の日本の歴史を知らないからだ。関連記事■ ネトウヨは変人が徒党組んでる、相手するのバカバカしいの指摘■ 国会前デモ報道のNHK 報じないことにデモ起こされたためか■ デモは出会いの場 全共闘世代の武勇伝に女子大生「すごい」■ 総選挙で新人議員184名誕生 氏名標作成業者は徹夜で名入れ■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」

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    日本を丸腰にするのか 共産党の綱領は「実現」程遠いものばかり

    筆坂秀世(政治評論家、元共産党政策委員長) 共産党という党名の政党だから、「共産党は社会主義、共産主義の社会を目指す政党だ」と思われている。だが、同党の綱領をいくら読み込んでも、日本が社会主義、共産主義になればどんな国になるのか、まったく見えてこない。綱領には、次のように書かれている。 《発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である》 「前進をめざす取り組み」が今世紀の課題なのだから、今世紀中には、社会主義にはならないということだ。「安心してください。穿いてますから」というお笑い芸人がいるが、「安心してください。社会主義日本は、100年以上先のことですから」ということだ。 さらに、次のように言う。 《社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である》《生産手段の社会化は、その所有・管理・運営が、情勢と条件に応じて多様な形態をとりうるものであり、日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要である》共産党の志位和夫委員長 生産手段の社会化が大事らしいが、それはどういうものかこれから探究するというのだ。要するに、社会主義、共産主義の未来など、まったく描くことができないのが共産党の現状なのである。その前の「民主連合政府」はどうか。この政府は、「二つの敵の支配を倒す」というのが大目標になっている。「二つの敵」とは、アメリカ帝国主義と日本独占資本主義のことである。安全保障では、真っ先に日米安保条約を廃棄し、さらに自衛隊を国民合意で解消するという方針だ。そんな国民合意ができるとは思わないが、もしできれば“丸腰の日本”にするということだ。 憲法については、《現行憲法の全条項をまもり》としており、天皇制もそのままということだ。その先については、《その存廃は、国民の総意によって》と国民の判断に丸投げしている。天皇制廃止への反対が多いから、とりあえず逃げているのだ。二つの敵のもう1つ、大企業に対しては《民主的規制》を行うという。 「民主的」とは何なのか。いまだって民主的に決められた法律に基づく規制は多くある。実は重点は、「民主的」にあるのではなく、「規制」にあるのだ。いまよりも多くの「規制」を作るということなのだ。果たして、これで経済の活力は維持できるのか。所詮、政権に就いたことのない野党であり、きれいごとは言うが、実現可能性は疑わしいものばかりなのだ。(筆坂秀世 夕刊フジ 2016.6.19)

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    18歳は「特別」じゃない! 老いゆくニッポンに世代対立は危険である

    馬淵澄夫(民進党衆院議員、党特命副幹事長)/聞き手 山本みずき政治を語るようになるには時間がかかる山本 今年6月から18歳選挙権が適用され、約240万人の有権者が新たに増えました。実際、どのような意義があったとお考えですか?馬淵 これまでは二十歳から投票できたけど投票率は極めて低い。そう考えるとそれほど大きな変化が訪れるとは思えない。今回、18歳、19歳の方はある意味注目されているので選挙に足を運んでくれるでしょう。だけど5年、10年という過程の中で18歳、19歳、20代になる人たちがちゃんと投票するのかっていうのは、僕はすごく慎重に見ている。だって2年しか変わんないんだから。(瀧誠四郎撮影) なぜ二十歳の人たちは20%台しか投票に行かないのか。18歳になったから何か特別なことが起きるわけでも何でもない。結局それは政治リテラシー、いわゆる政治教育というのが為されていないから。自分でどうしていいか分からないし、投じた1票も社会に貢献出来ているか実感が持てない。投票行動に目覚めるのはやはり社会的な課題が自分に押し寄せてきたとき。生活の課題が政治に直結するということに実感をもって、やっと参画してくれる。高齢者がなぜ投票率が高いかというとその蓄積だから。医療も介護も年金も全部自分の身の回り360度政治にかかわっていると実感できるからです。  じゃあ何をしなきゃいけないのかというと生まれた時から皆さんは政治にかかわっているんですよという政治リテラシーをしっかり教育しなきゃ駄目。それがないのに、申し訳ないけれども18歳以上になったから投票って、それは単に「パーティー・ピープル」集めただけの話。そういう政治の取り組みというのは僕は根本的に間違っていると思っているので、期待はしていますけどもそこはそう簡単じゃないと思っています。山本 18歳とか19歳でまわりの友達に政治に感心があるっていう子がいたとしたら、むしろ何か健全じゃないイメージがあります。馬淵 そういう運動してる子は僕らが学生の時にもいたわけ。ほんと1%、もっと少なかったかもしれないけど、いた。でもそういう人たちはサイレント・マジョリティーの声を代弁していないから。みんな黙って冷ややかに見ているし、それこそレジャーランド化してたっていわれるぐらいの大学時代だったからね。世の中、学生時代はほんとに勉強してる人もいたかもしれないけど、あとはモラトリアム期間として楽しんでただけよね。社会に出て、やっと厳しさが分かって、40代になったぐらいにようやく自分で政治のことを一言二言語るようになる。これだけ時間かかるっていうことをちゃんと真摯にとらまえて、じゃ若い時にそういう社会的な課題に目を向けられる何か萌芽となるようなものを、われわれが提示しているかってことだよね。二項対立において物事を考えようとするのは危険若者と高齢者の二項対立で考えるのは危険山本 最近若い18歳から20代の選挙関心を高め投票行動をうながすために若者の政治団体でもそういう活動している人がいるんですけど、彼らが口をそろえて言うのがシルバー・デモクラシーの打破なんですよ。シルバー・デモクラシーはよくないから若者が投票に行かなければいけない。それって政治への関わり方として私はおかしいと思うんですが。馬淵 高齢者も若者もって二層化するような話じゃなくて、政治はすべての人が対象だからね。確かに声が大きいっていうのはあるかもしれないけれど、若い方々も必ず高齢になっていくわけで、自分たちだけ疎外されているわけではないからね。高齢者に手厚くされすぎてて余りにも困難な状況が生まれすぎているのであれば声を上げてもらえればいいけれど、僕はその二項対立において物事を考えようとするっていうのはすごく危険を感じますよ。(瀧誠四郎撮影) 僕は議員として13年、浪人時代を入れると18年ほど政治活動をしてきて、学生さんをずっとインターンで受け入れているけど、彼らと政治の話なんかほとんどしない。むしろ礼儀作法から就職、結婚、恋愛、アルバイト、世の中で生きていくとはどういうことかってことをずっと伝える。だからうちのインターンの子たちはいろんなときに相談に来る。馬淵澄夫というおじさんはお父さんにみたいに心配してくれるけど父親だといいにくいことも、結婚のことも恋愛のことも相談乗ってくれる。第2のホストファミリーじゃないけれど人に向き合うってことを政治家がやっていれば興味を持ってくれる。山本 なかなかそこまで真剣に一人ひとりの個人的な悩みにまで向き合って接してくれるような存在がいない。馬淵 街のよろず屋なんだから、政治家はね。馬淵澄夫事務所を立ち上げた時、もちろん浪人中でバッジもないので日ごろの悩み相談ぐらいの気持ちでやってたら、何とうちにくる相談で一番多かったのが離婚と借金の申し入れ(笑)。まあまあしょうがない。それでもね、ちゃんと向き合ってあげると解決が出てくるし、ときには高齢者虐待防止法につながる事案に直接触れ合うことが出来た。年老いた80のおばあさんに55の息子が暴力を振るった事案で、配偶者あるいは子供という形の当時のDV、虐待防止法の中に当てはまらないということでなかなか手を出せない状況が続いていた。それをどうにかして社会として食い止めなきゃいけないっていうことで立法化への提案の起点になった。与党が触れられたくないのは安保と憲法与党が触れられたくないのは安保と憲法山本 民進党の結党大会でシールズ代表の奥田愛基くんがスピーチしました。馬淵 少なくとも去年の安保法制のときシールズの皆さんがある意味、若者から政治運動を起こすという大きなムーブメントを作られたのは事実なので、それとわれわれ民進党がやろうとしていることっていうのは同じ方向性なんだってところで共感をもってもらえたんじゃないかなあ。(瀧誠四郎撮影)山本 とても話題になったと思うんですけど、若者といっても意見はたくさんあるので、どちらかというと私の回りでいうとシールズに対して冷ややかな目で見ている人の方が圧倒的に多いです。馬淵 うちは不易塾と称して塾生を受け入れてるんだけど圧倒的に多いよね。「あんなところ私は行かない」と。「そんな時間があったらバイトしなきゃいけない」「勉強しなきゃいけない」ぐらいの感覚の人が多い。だけど、そうじゃないっていう子たちもああやって運動しているし、先程いったように僕らが学生のときにもいたある一定の層だとは思うね。山本 今回の参院選でも政策がとても多い。そこで目玉になる政策は何か、お聞かせいただけますか。馬淵 目玉政策と選挙争点というのはずれがあるのね。選挙争点というのは通常、与党が設定でき、勝てる土俵をつくるわけで、負ける土俵の争点をつくる阿呆はいないから。なのでマニフェストの難しさというのは政策を幅広く置いておく。選挙というのは単純に政策を並べて比較するっていう場じゃない、生きものなんですよ。流れの中で党首の発言、あるいはどこかの候補者の失言、これによって世の中の空気ががらっと変わる。いわゆる潮目というのは動く、生ものなんです。この感覚を持たないやつは選挙に負ける。 安倍さんは今回、争点はアベノミクスだと言った。だけどこの1年半、景気対策、雇用対策を含めて成果があるっていっても誰一人実感がないよね。一番メーンでやったのは何かって問われたら、皆さん頭に浮かぶのは安保法制でしょう。結局、経済と言いながら経済を置き去りにしてきた結果、消費税だって先送りせざるを得なかった。こういう状況を考えると彼らがつくった土俵は触れられたくないところが幾つかある。それは安保と憲法、国民の過半数以上がいまだに「コレ大丈夫か」っていう不安を感じている。そこに争点を持っていきたくないというのが見え隠れする。 僕は感度分析っていうのをずっとやってるんだけど、ちょっと前まで上位にあったのは「政治とカネ」。舛添都知事がやめてそれが沈静化すると、その裏返しで高くなったのが「年金」。年金はやっぱりみんな不安なんだ。高齢者だけじゃない、若者だって払ってるんだからね。「第2の消えた年金」糺せるのは民進党だけ「第2の消えた年金」ただせるのは民進党だけ山本 常に不安をあおられてるような気分です。若者が損してるみたいな。馬淵 年金、子育て支援にフォーカスを絞ると、経済政策が何一つ功を奏していないわけだからこちらに土俵をあるいはリングをこしらえて年金で戦うっていうのが今回の選挙の重要争点になるんじゃないかと僕は思っている。 安倍政権は年金の積立金140兆円を、国内国外合わせて最大67%、3分の2も株式投資できるようにした。世界中でこんな国ないからね。あの投資大国のアメリカでさえ100%国内運用です。結果、何が起きたかというと去年たった3カ月で8兆円の損失、イギリスのEU離脱で1日で1200円株価が下落して1兆円の損失。それも国民の誰も頼んでいない株の運用で株価をつり上げてアベノミクスが失敗だといわれないためで、このまま放置していいのかってことを、やはりキチッと言わないといけない。(瀧誠四郎撮影) 年金問題というのはまさに第2の消えた年金になる。これをただすことができるのは民進党しかないから。民進党が駄目だって反対してきたわけだから。安定した運用、株価つり上げのため年金を毀損させるような制度を変えなきゃいけないんだと、ちゃんと言えば新しいリングでの戦いになる。山本 野党共闘のあと、どういう社会を実現したいのかというのが見えてきません。民進党はどのようなビジョンを抱いているのか。馬淵 野党共闘は何のためにやったか。今回の選挙は政権選択じゃなく安倍政権の中間評価なの。○か☓かの評価をしてもらうときに☓をつけるところがいくつもあったら結果○が勝っちゃうから中間評価をはっきりさせるために、全国32の1人区はすべて野党共闘が実現できた。民進党という立場でいえば、ずーっと言い続けているけれども支え合う社会。個の自立ということに重きを置いて、国富という成長の果実を再び投資に振り向けるのが自民党。一方、社会保障や年金、子育て、医療、介護に振り向けるのが民進党。低成長時代にはそれが必要じゃないかということを訴えている。 明確に立ち位置と理念が違うが、自民党政治も決して否定はしない。高度経済成長時代に右肩上がりで伸びていくときには確かに再投資が必要だった。それはインフラ整備、社会の仕組みづくりに使われ、事実日本は豊かになった。でも低成長時代、場合によってはマイナス成長になるかもしれない今必要なのは、安心と安全の仕組みづくりで、だから再分配政策が必要。ともに成長は求めるが、自民党との大きな違いです。 今回はあくまでも政権選択ではなくて中間評価として野党統一の枠組みをつくった。次の総選挙、この時にはちゃんと示さなきゃいけないね。共産党と一緒になるのでなければ共産党と共に政権運営をするということは言えないですから。中途半端な協力はないし、一方、本当に共産党と連立政権なんか組めるのかという極めて厳しい現実を見つめなければならないと思う。参議院選挙が終わればまた、いろんな景色が見えてくる。その時また野党がどうなるのかというのを考えていくことになると思います。今やるべきは消費税5%への引き下げ、これ一本今やるべきは消費税5%への引き下げ、これ一本山本 馬淵さん個人の掲げている消費減税5%について。馬淵 過去においては消費税創設時、あるいは5%引き上げ時、必ず増税に対する見合いの減税がセットとして行われてきた。だから景気へのインパクトを抑えられたのだが、今回日本は史上初めての純増税を行った。これは当然ながら景気が上向きじゃなければものすごい影響を与え、事実、消費支出は下がり続けている。安倍政権はこれから大型の補正予算を組むって言ってるけど、中身は公共事業のバラ売りだからね。(瀧誠四郎撮影) 公共事業にいま何が起きてるかというと、僕らの時いろいろ怒られながら5兆円まで削って半減したのを10兆円まで膨らませた結果、いまは余ってるんです。東日本大震災の復興需要、オリンピック需要など建設業はインフラ投資が山ほどあるから、結局、公共事業を積んでも消化できず、3兆円を国庫に戻すような状況が起きている。この3兆円も相変わらず無駄なことをいっぱいやって基金に積み立てたりしてるので、これも税金の無駄遣い。いまそれを監視する仕組みが自民党には全くないので、これを徹底すれば消費税の増税分3%の税収分について十分に確保できる。  本来は景気がよくなったら上げればいい。景気が悪くなるのに上げてきたということが失敗。それは民主党がやったんじゃないかといわれるがそれは違う。われわれは附則の18条で景気条項をつけ、景気が悪化するような状況では消費税は上げないという仕組みをつくっている。本来いま何が必要かと問われれば消費税を下げるべきだ。これはぼくの個人的な意見なんでね。僕がもし代表だったら民進党の経済政策は消費税5%引き下げ、これ一本だよね。民進党は経済政策がないっていわれてるよね。それは中途半端だからだよ。まあ、おれ代表じゃないから、代表選に弱いから(笑)。人は「理念」で動くと実感した人は「理念」で動くと実感した山本 この記事を読む学生の方は政治にもちろん興味があって、中には政治家になりたいと思っている方もいるかと思います。馬淵さん自身はどのような学生生活を送っていたのですか。馬淵 僕は横浜国立大学工学部の土木学科出身で、田中角栄さんに憧れ、いずれは「土建屋になって政治家になりたい」という夢があったんですけど、当時は政治家なんて雲の上の人で、秘書に会うことすらままならない。だから自分なりのストーリーを描いて、社会人になってどういう商売をしたらいいのか、どんなふうにビジネス展開したらいいのか、友達とお酒をくみ交わして話していました。山本 政治家になりたいっていう学生は学生時代から政治活動に参加している人が多いですが、何をきっかけに政治家になられたんですか。(瀧誠四郎撮影)馬淵 大学を出て最初はゼネコンの三井建設に5年勤めました。土木技術部の研究職で、実験をやって論文を書いたり、もう完全に学術の世界に入って「こんなことやってたら商売のいろはも何も知らないまま終わってしまう」と思い、上司に「現場に出してほしい」と言ったんだけど出してもらえず、5年過ぎたとこで、予定通り会社を辞めたんです。辞めてさあ、どうしようか。就職活動も含め考えなあかんというときに、商売を始めるんだったら大阪だということで結婚したての女房と二人で大阪に行きました。 今じゃもう死語だけど、大阪で雇ってもらった不動産会社では丁稚奉公で最初草刈りで次は運転手。バブル華やかなりし時で小さな不動産屋さんに勤めたつもりが大資産家の末弟の会社で、大変な資産を持ったオーナーが株式投資をしていた。運転手をしながら耳学問でいろんなことを学んで「すごいな、こんなお金動かしてんだ。このオーナーに食らいつかなきゃだめだ」って(笑)。やがてこいつ、ちょっと面白いなって思われるような幾つかのことが起きて、オーナーから「じゃ、ちょっとお前やってみろ」って仕事をさせてもらえるようになった。オーナーがやっていた株式投資はやがて事業買収、企業買収に転換していき、買収した会社に送り込まれてはいろんなPL(損益計算書)、BS(貸借対照表)を見て企業がどういう体質でなぜダメになったのか、自ら経営を学ぶなか、やがて上場会社を傘下に収めるチャンスが来た。 敵対的買収にあっている企業をホワイトナイト、第三者割当増資で助けるという場面に遭遇し、それら一切を任されたのが29歳でした。それに勝って僕はその上場会社に送り込まれ、32歳と8カ月で当時史上最年少の非同族の役員になった。会社経営者として、世界中のさまざまな経済を触れながらの感覚だったのでそれは面白かった。夢に見てた会社経営、ビジネスの世界だった。 だけど自分の中でいうと、企業を率いるっていうことはとても大切だけど、結局、人はお金では動かない。何で動くのかというと、きれい事ではなく「理念」だった。人は理念で動くというのを企業経営を通じて実感したとき、自分の生きる道はここではなく政治の世界だという思いがより強く募った。それで帰国して「準備はまだ不十分だけど、もう、踏ん切りつけて、選挙出よう」というふうに気持ちを切り替え、39歳で選挙に出た。やっとたどりついたなーみたいなところだったです。長かった。民進党はオレがオレが人が多いから民進党はオレがオレがの人が多いから山本 当時どうして民主党を選んだんですか。馬淵 既存の政党には実は全く興味がなかった。そうはいっても政治の世界なので与党でなければ意味がないというのもあり、自民党という政党に対していろいろ見てたんだけれども、ものすごくがっかりすることが幾つかあって「いや、この政党ダメだなあ」と。既得権の中にどっぷり浸かって、ニューカマーの台頭なんか押しのけるような古い古いしきたりの中で、それってサラリーマンが長く平社員からスタートして上がっていくのとそんなに変わらないじゃないかと。自分は中小零細のオヤジだったわけだから、むしろ新しいところでやるほうがいいのかなと思ってたとき、たまたま出会ったのが民主党だった。最初は民主党も「駄目じゃん、こんなとこ」って思ってたんだけど、当時の枝野さんや前原さん、野田さん、出会った若手の政治家たちが結構、衝撃的だった。 自民党の政治家からもいっぱいアプローチを受けていたので、「どうやったら(選挙に)勝てるんですか?」と聞くと、「後援会を引き継ぐんだから、それなりのお金も用意しなきゃいけない」とかいうのが暗に出てくるわけです。「ああ、やっぱりそういう世界なんだ」と思って半ば幻滅していたときに、民主党の政治家たちは「そんなものあるわけないじゃないですか」と。「選挙やるためにどれだけのお金用意するんだ」っていうと「選挙資金は党からもらうんです」と言うんです。「そんなんでできるわけないだろ」っていう話をしたら「僕たちはこうやって勝ってきた。マイク一本で訴えて勝ってきた」。それ聞いたとき頭をがーんと殴られた感じになってね。なんか幕末の志士のようなね、清々しさがそこにあった。(瀧誠四郎撮影)山本 それは今も変わりませんか。馬淵 いやー微妙だな(笑)。既存政党になってしまったからなあ。だけど当時それぐらい清心なイメージだった。「だからこの人たちとやってみたいな。ああ、こういう人たちが集まる政党って面白いなあ」と思って「じゃあ、民主党でやろう」と。それが民主党との出会いですよね。山本 民進党には、優秀で理念もあって信念の強い政治家の方が多いと思うんですが、メディアにあまり出てきません。鳩山(由紀夫)さんは最近もいろいろ話題になっていますが。馬淵 鳩山さんの行動でいろんな方からご叱責を受けるけれども、今は党籍もたずの一般の方なわけでその人の言論を封じることなんてできないじゃないですか。まあ政党という歴史の歩みの中でみると総理を経験された方がそれはどうかなと思うことは幾つかありますよ。個人的にはね。そういう発言はあえてしなくてもいいんじゃないかなとか思うけれども、これも繰り返しになるけど言論の自由だからね。 確かに民主党というのは優秀な人が集まってるといわれるけども組織論ができていない。それは残念ながら一般社会の組織の中での経験を積んだ人が少ないんだよね。組織全体でいうと裏方のような仕事というのはものすごくたくさんある。むしろそっちが8割くらい。ところが民進党に来ている人たちというのは圧倒的にオレがオレがの人が多いから。そりゃそうだよ、自分の顔写真貼って平気な人たちだよ、おかしいでしょ、普通に考えたら。みんなテレビに映る予算委員会に出たい、何とか討論に出たいわけ。僕はもう今そういう興味ないけど、組織の中で裏方はすごく大事。だけど民進党は裏方に徹する人がすごく少ないもんだから組織としてのまとまりが欠けちゃう。山本 最後に若い方々へメッセージをいただけるとありがたいです。馬淵 ぜひ若い皆さん方には自分の一生を通じて政治は関わるんだということを直接政治家と話をして感じ取ってもらいたいんです。どんなふうに世の中を変えようと思ってるのかということを率直にぶつけてください。おざなりに返事するような人ははっきり言って投票しなくていいですから、懇切丁寧に一つひとつ寄り添って答えてくれる、そういう政治家を私は選ぶと決めてもらえれば、それがまさに政治リテラシーを吸収し消化していく第一歩になります。お祭り騒ぎの選挙ではなく、一生かかわるんだというスタートが今回の選挙だと思って取り組んでもらえればというふうに思います。まぶち・すみお 1960年奈良県出身。横浜国立大学工学部土木学科卒業。三井建設社員を経て、ゼネラル取締役就任。2003年、衆院選奈良1区にて初当選。2014年5期目当選。国土交通大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)、衆議院災害対策特別委員長などを歴任。民進党特命副幹事長を務める。

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    政治は「嫌老社会」を阻止できるか

    ろん背景にあるのは「世代間格差」である。「若肉老食」と揶揄される日本社会の先には何が待っているのか。政治はこの不毛な世代間対立に終止符を打てるのか。

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    シルバー民主主義は「現実」にあった 求められる第4世代への視線 

    小林史明(自民党衆院議員 青年局次長学生部長)/聞き手 山本みずき課題は政治家が選ばれるプロセス山本 今回の参院選から18歳選挙権が導入されますが、そもそも若者は政治の中でどんなことに関心があるのでしょうか。たとえば政治や選挙といっている人は、とにかく関心についてだけ主張しますけど、具体的な政策について何か論じている印象が私の周りにいないんですよ。安全保障と社会保障とかに関心があって、こういう社会になってほしいという。若者の関心度が高い政策は何だと思いますか。小林 やはり一つは社会保障でしょう。いきなり年金っていう人はいないと思いますが、なんとなく将来に不安がある。将来の不安をどうやったら取り除けるかが、一番の関心ではないかと若手の政治家で議論しています。たとえば奨学金もそうですし、子育、年金も。結局は人口減少が一番対策打たないといけない政策なんです。自民党として危機感を持っているのは、なんとなく日本がよくなる気がしないから。私自身も将来年金がどうなるかわからない不安に加え、結婚して子供3人育てられるのかっていう漠然とした不安はサラリーマン時代からずっと思っていた。そこをとっぱらわないと、いきなり結婚して子供を産むということになりませんよね。(瀧誠四郎撮影)山本 だからこそ若い人の多くがシルバーデモクラシーに対して不満を抱いているという声もよく聞きます。そもそも現状はシルバーデモクラシーなのか、それはいけないことなのか、打開するために若者を政治に参加させるのか、どうでしょう。小林 現実にシルバーデモクラシーは起こっていたと思います。だからサービス過剰でそれを抑えさせてくれということになって、今時点の瞬間をみるとなくなりつつあるんです。一方で、シルバーデモクラシーの是非については、やはり政治家が選ばれるプロセスをみると現実に起こり得る問題です。若者がたくさん参加すると、逆に若者の要望ばかり重視する可能性もあります。じゃあ若者がどうするべきかといえば、自分たちが政治に参加しないと、高齢者ばかりに目が向いてしまうということを実感することでしょうね。山本 参院選で自民党は若者のための具体的な政策を用意していますか。小林 もちろん、奨学金や子育てに加えて、もう一つは参政権、被選挙権も引き下げを検討しようじゃないかと。学生さんとの意見交換の中で出てきたテーマなんです。山本 きっとこの記事を読んでいる人もどのように政治に関わったらいいかわからない人もいると思うんです。自民党は若者が出した意見を党の中ですぐに反映してくれるので、意見が言いやすいというか、けっこう自民党は動いてくれますよね。小林 それが自民党のいいところだと思っていて、意思決定のやり方が明確になっているからです。まず適切にアプローチすれば検討が始まるし、その根回しをしっかりやっていけば説得することもできる。それが自民党のいいところなんです。デジタル世代の声も取り入れたい山本 その上で、18選挙権がスタートしたその意義についてどう思いますか。小林 まちがいなく言えるのはより幅広い意見を取り入れたいという政治のメッセージです。それが何歳までいけるかと考えたとき世界的にみて18歳だよねと。多様化してきているし、時代が早く変わっていくから。いまの日本は4世代が共存している。戦後復興の人、高度経済成長の人いわゆるバブル世代、それから私たちのような高度経済成長を知らない世代、それから最初からスマホを使っているデジタルメディア世代。この4世代が生きているので、上の3世代の意見だけではもうやっていけないねと。デジタル世代の人の思いも受け止めたいというのが目的ですね。山本 やはり、今まではその辺の声があまり届いていなかったのでしょうか。(瀧誠四郎撮影)小林 そうですね。いまでも自民党は一期生が120人ぐらい、だいぶ若返っていますけど、その辺の意見は入ってない。山本 18歳選挙権になったことでより若い世代、いわゆる4世代目の声は届くようになりましたか。小林 届きやすくなりましたよ。党内でも会議で若い人はどう考えているんだろうねっていう話が必ず上がってくるようになったんです。それに対して私たちが意見を言うと入りやすくなった。山本 逆に主体的に若い人から声が届くことはありますか。小林 それこそ山本さんも声をいっぱいかけられていると思いますが、いろんな若い団体が政治家にアプローチしようと動き始めてくれています。山本 小林さんは自民党の中でも若い世代にアプローチするイメージがありますが、自民党として何か取り組みは。小林 昨年、牧原秀樹さんが青年局長になったときに18歳選挙権に向けて何をやるか議論しまして、リアルユースプロジェクトを始めたんですね。これはなるべく学生でも社会人でもいいから若い人たちと議員が直接会う機会を作るという取り組みなんです。大学でも高校でも行くし、居酒屋さんでも行く。山本 実際にどうやれば参加してもらえますか。小林 青年局に連絡をもらえればいいですが、こっちからも大学や団体とかに手紙を出したりしています。居酒屋でやりませんかと呼びかけたり。京都の自民党学生部はけっこう居酒屋でやってますよ。もう全国で20回以上そういうイベントをやっています。山本 動画を使ったPRもやってますよね。小林 議員の思いや国会情勢などを動画で見せるカフェスタですね。こういう取り組みはもっとやっていかないといけない。若い人への配信方法を考えてやったのは、インフォグラフィックスといって見えやすいようにグラフにするなど、スマホユーザーが一目でわかるような見せ方をしているんです。山本 逆に若者はどのように政治に関わるべきなのでしょうか。私が思うのは、政治に関わるといってもただ単に投票に行けばいいのではなくて、それなりに教養や見識も必要だし、知識も必要だと。そうでなければ民主主義においては悪い結果にもなる可能性もあるじゃないですか。ならば、私たち若者は政治に関わるときに何に注意すべきなんでしょうか。小林 まず、その若いがゆえにスマホは使うので、だれか一人でもいいので、ツイッターとかフェイスブックでもインスタグラムでフォローしておくのがいいです。フォローして、その人が言っていることを軸にいろんなことを考える。すべてを信じる必要はないと思いますが、その人が取り上げているニュースや事柄を冷静にとらえて、この人はこう言っているけど、どうなんだろって広げていけばいいではないかと思いますね。子供は一つの情報に触れると、偏って洗脳されてしまうという人いますが、どんどんみんな冷静になっているので大丈夫でしょう。18歳選挙権をブームで終わらせたくない18歳選挙権をブームで終わらせたくない山本 それはそうだと思いますね。若い世代はイデオロギーに左右される人ってすごい少なくなっている気がします。上の世代の人が左右の闘争をしてきたからだと思いますけど、むしろ右左の闘争を敬遠するような雰囲気があるような気がします。小林 少なくとも私はすごく冷静。上の世代の人に比べるとね。たとえば、性的少数者のLGBTの問題はイデオロギー的にけっこうはじきたいと思っている保守の人は多いですから。でもわれわれからすると、それは当たり前じゃないかという感覚。その時点で感覚が違っています。山本 これから選挙に行こうとしている18歳、19歳に伝えたいことはありますか。小林 いろんな政治家や大人からまだ18歳は早いのではないかと話もありましたが、私はより若い人の方が新しい感覚を持っていて、より情報に触れていると思っていて、私たちは信じています。そういう思いもあって18、19歳は240万人で有権者の2%ぐらいだと言われますが、この世代の声も聞きたい。だから、みなさんがメッセージや手紙を出すと思って選挙に行ってほしい。白票ならもっとがんばれってことでしょうし、どこか別の党の一票ならその政党がんばれってことだと思うので、思いを表現してもらえればと思いますね。だれか政治家をベンチマークしてツイッターやフェイスブックをフォローしてあとは追いかけていくことが重要だと思います。私はこの18歳選挙権をブームで終わらせたくない。そういう意味で全国に学生担当を置いたので、ぜひ身近な政治家にアプローチしてほしい。(瀧誠四郎撮影)山本 選挙のたびに出す政策が自民党は多いですが、その中でこれが柱だという政策は何でしょうか。争点はアベノミクスですけど、自民が描く社会ビジョンと一致するようなものは。小林 一億総活躍なんでしょう。なぜかというと、人口減少時代をどうやって明るくしていくのかが重要だから。これは出生率を上げる一番の方法だと思っていて、何が暗いかというと人が減って働き手がいなくなる、社会の支え手がいなくなることが根本にあるんです。でも、一方で寿命はすごく伸びて、ほぼ人生100年時代が訪れたと言ってもいい。だから、支えられる側が、実は支える側なんですよという自覚をもって社会に参画はしているけども、もっとやってもらう政策が将来を明るくしてくれると思っています。山本 その一億総活躍の中で具体的なものは何がありますか。小林 女性が働きやすくするということで、一番のテーマは働き方改革ですね。私もサラリーマン時代に終電まで働いていたのですが、そうすると、彼女もできないし、飲み会もできない。それが結婚になるとますます大変になる。結局、日本の長時間労働が少子化を招いている。そこの長時間労働を効率的にできるか、別に会社にいなくていいし、週2でも正社員でいい。非正規と正規の区分けすら時代に合わない中で、こういう時代に合ったものにしていかないといけない。山本 そうですね。雇用の問題は女性の社会進出という面では私も女性ですから、すでに働いている先輩から聞いてみると、以前に比べて改善されたと言っていますが、それでも働きにくいようです。子供を生んでいる人は、子供をどこにあずけたらいいのか悩んでいますし、この点は自分がその立場になるまでには解決していてほしいなと思います。小林 そう思いますね。事業内保育所もどんどん企業につくってくださいと呼びかけています。駅の中でもいいですし、なんかそういうかたちで国だけがやるものでもないし、社会全体が子育てしながら働くことが当たり前にできる状態にしていかないといけない。山本 ところで、ほかの党と比べて自民党の強みと、弱みは何でしょうか。小林 強みは、意思決定する仕組みがきちんとある点で、どんなにもめても決めるときはきっちり決める。その後は決まったらそれでやる。もう一つ、意外と進化する政党なんですよ。新しいものは早く取り入れようとする。守るべきものはきちんと守って、新たに入れないといけない観点などはどんどん入れています。インターネット放送を始めたのも野党時代の自民党です。候補者選定はオープンにするべき候補者選定はオープンにするべき山本 逆に弱みはどうでしょう。小林 自民党は組織があることが強みなんですよね。全国にあってそこに青年部、学生部も今回つくって全国に窓口がありますから。でも組織がある分、候補者選定について、いかにオープンにするかということでしょうか。山本 自民党はこの前インターネット公募も始めましたよね。小林 そうです。それもその一環です。一度支部長が決まると、その選挙に勝っても負けてもやるというとか、入れ替わりができない。なぜこの人なのっていうケースが地域によってはあります。じゃあ、それをすぐに入れ替えれるかというとできない。与党としてそれは考えないとけないでしょうね。山本 最近自民党の若手は公募の方が多いようですね。小林 増えましたね。自民党も意識しているようで、候補者の選考過程をオープンにして納得してもらって代表を選ぼうとしている。これは野党時代の経験も踏まえているようですね。山本 小林さんはまだ問題を起こしていませんが(笑)、公募の議員にスキャンダルなどがあると、選考の仕方が悪いという話もありますよね。実際どうですか、厳しい審査しているようですが。(瀧誠四郎撮影)小林 さすがに身辺調査はどこの党もやっていません。企業だってやっていませんから。そういう意味で何を調査するかってことですけど、一つは論文と面接なので面接の数を増やすということでしょうか。それ以上どうするか悩ましいところがあります。一方で公募でない人も問題を起こしていて(笑)。公募だからというわけでもないかもしれません。山本 何かやらかしてしまうのは、それだけ大きな魅力を持っていることの裏返しでしょうね。小林 さあ、それはどうでしょうね。うらやましいですけど(笑)。今政治に入ってくる人はどこかネジが飛んでいるというか。自分が日本国民の意識を変えれば日本が変わるってずっと思っていて、だから携帯電話会社を選んだんですよ。携帯電話はずっとみんなが肌身離さず持っているから、そこにメッセージを届ける仕事をやっていくと人の気持ちを変えられるのじゃないかと思いました。山本 たしかに結構変わりますよね。小林 そうですよ。ハンバーガー店のクーポンが来たら食べたくなるでしょう。これが政治のメッセージなら意識が変わるかもしれないと思って携帯電話会を選びましたけど、政治の世界の方が早くできるのではないかと。だから政治の世界を選んだんですよ。山本 そういう議員さんは他にもいますか。小林 それぞれのモチベーションはあるんだと思いますね。みんな結構できるはずだと思い込んでいる。自信なのか妄想なのか、思い込みですかね。山本 野党に望むことはありますか。小林 どんどん適切な指摘をしてほしいですね。ただ、今やっている野党の戦いはもったいないと感じています。もっとちゃんと指摘すれば突っ込めるとこあるのに。なぜ言わないのと思うところはあります。本来は教育の部分などは指摘すべきでしょう。そもそも大学が多すぎるんですよ。そこは自民党として言いづらいところなですよ。なぜ奨学金を出さないのとか、大学にみんな行き過ぎるとか、ほかにもいっぱいあります。山本 野党から指摘されたら実現できますか。小林 できるでしょう。すぐに来年からとはいきませんが、この先10年間で、この基準以下の大学にはもう助成しませんとかやれば。そうすれば社会で活躍できる人材を生み出せる大学が残るでしょうね。学生への期待や教育のルールが間違っている山本 ところで、自民党青年局学生部長の小林さんはどんな大学生だったか教えてください。小林 高校では野球部だったこともあって、大学生になってようやく髪が伸ばせるようになったんです。だからうれしくて髪を伸ばして金髪にしてピアス開けていました。大学でも野球部だったんですけどね。山本 大学野球部の髪型などの規則はゆるかったんですね。小林 そうですね。野球をやりながら冬は福島でスノーボードのインストラクターもやって。本当に大学生らしい大学生でしたよ。(瀧誠四郎撮影)山本 学生時代はあまり政治との関わりがなかったように感じますが、当時から政治に興味はありましたか。小林 地元が宮沢喜一元総理の選挙区で、家族が応援していたので、なんとなく政治家に会うことが多かったという点があります。山本 では、政治家になろうと思ったきっかけは。小林 根本には政治が身近だったことがありますけど、大学の時にインターンシップで選挙を手伝ったんですよ。それで、政治家の生き方は現実にあり得るなと思ったんです。それと、決定的な理由が2つ。就職したNTTドコモで法人営業をやっていたとき、お客さんに説明する際に、国のルールでこれ以上やっちゃいけないとか、これはルールで縛られているからできないとか、すごくもったいないと思うことが多かった。もっと世界に展開すれば、面白いことができるのにという思いを何度もしたんです。もう一つは人事の採用担当になって学生さんと話していたとき、98%ぐらいの学生はとりあえず会社に入りたいと言うんです。会社って本当は生き方を選ぶ一つであって、独立してもいいし、職人という道もあるし、フリーターでもいいはずなんです。でもなんとなく会社に行きたいという考え方を植え付けている日本の教育って本当に大丈夫かって感じたんです。山本 そこに問題意識を持ったわけですね。小林 そうです。レベルの高い大学入った学生でも会社で活躍できなかったりするんです。高レベルの大学の学生は期待をかけられて、多くがそれに応えることができますが、社会に出たら活躍できませんとなる原因は、期待のかけ方がそもそも間違っているから。最初は学生の努力が足りないのかなって、いろいろ考えたんですけど、学生への期待とか教育のルールが間違っているんじゃないかと感じたんです。目指しているのは「キャリア教育基本法」山本 それは受験のための学校教育という点でしょうか。小林 そう、基本的に中学、高校から大学行きなさいって教えられるでしょ。山本 そういう進路を選ぶ生徒が褒められますよね。小林 美容師とか、パティシエとか大工になりたいとか思いたくても、そういう職業に触れる機会すらない。そしてそういう職業に行くことは道をはずれることだという雰囲気があるじゃないですか。山本 その経験を踏まえて何か実際に取り組んでいることは。(瀧誠四郎撮影)小林 議員になってすぐに仲間といっしょにキャリア教育基本法を議員立法として目指しました。小中学校の子供たちに、社会人とふれあう機会をつくっていくんです。学校をオープンして、いろんな社会人と触れ合っていく。やっぱり人は触れ合いの中で志や夢が生まれてくるものですから。その機会をつくろうじゃないかという法律なんですけど、これは議員立法ですから、まだ審議にはかけられていませんが。山本 自民党の中で受験教育の仕組みを変えるような方向性はないのでしょうか。小林 実は2020年までに大きく変わっていくんです。一番大きいのはセンター試験の形式が変わって複数回になっていきます。もう一つは記述式を入れていくことになります。人工知能が大学受験すると300ぐらいの大学に合格してしまうといわれている時代になっていて、やはり暗記するのが人間の能力として伸ばすところではないというのが共通認識ですね。山本 私は海外渡航経験が多い方ですが、外国の友人から、日本人は考える力がないと言われるんですよ。日本では大学受験のときに日本史も世界史も英語もすべて記憶、知識の詰め込みばかりじゃないすか。でも例えばフィンランドの友人は高校ではもう、大学と同じ論述式のものを定期試験で課せられるんです。その設問に対してどのように考えて、その問題を解決するためにどうすればいいかまで考えさせられるそうです。知識の詰め込みは物事を考えるよりも簡単なことなのでそれは中学までに終わらせておくべきだと。日本も早くそういう方向に進んでほしいなって思ってたんですけど、こういう方針を自民党が打ち出してくれたらうれしいです。小林 ちょっと時間かかりましたけど、その分急がなきゃいけない。一方で、中学までの日本の教育はすばらしいと思っていて。ルールも守れるし、しっかりと計算もできる。山本 政治家として社会をこうしたいという思いをうかがいましたが、どうして自民党を選んだのですか。小林 民間企業にいるときは当然ですが、最終的には結果を出していかないといけない。これと同じで要は世の中を動かせるかと考えたときに、自民党を動かさないといけないという思いがあったんです。自民党は長く与党にいたというのが一つ、もう一つは基本的に人間に可能性を感じているので、人間が自主的に前向きに動くことをいかに応援していくか、そこが重要だと思っていて、自民党が掲げる自主自立という考え方が一番フィットするなと思ったからです。山本 小林さんは政治家として今後何を目指していきますか。小林 当面はテクノロジーを最も理解している政治家になろうと思います。山本 それって珍しいなと思いますね。自民党は安全保障の色が濃いし、それに強い議員さんも多いですから。小林さんからはあまりその分野の言及がないですよね。小林 なぜかというと、日本は課題がいっぱいあるじゃないですか。それを解決するには日本が持つテクノロジー技術を社会に実装していって、より国をスマートすれば可能になるんです。結局、安全保障もテクノロジーの世界で、サイバーとか宇宙ですから。そこを理解せずして世界情勢は語れないですよ。こばやし・ふみあき 自民党青年局次長学生部長。1983年、広島県生まれ。上智大理工学部卒業後の2007年、NTTドコモに入社。2012年の衆院選に広島7区から出馬して初当選し現在2期目。現在、ネットメディア局次長、情報通信戦略調査会事務局次長なども務めている。

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    団塊世代の何割かが18~20才のことを思って投票すればいいのに

    はない、アメリカも韓国も低い。ドイツは少し高いみたいだが、この記事(投票率が低い若者の意見は、日本の政治に反映されない)によると、若者の投票率が一番高いのは、意外やブラジルだった。と思ったら、ブラジルは投票しなければペナルティー(罰金等)が課されるそうだ。 僕が若い時は選挙には行かなかった。恥ずかしながら初めて行ったのは30才手前だったかな。と自省していたら、有名ブロガーさんたちも20代後半に初めて選挙にいった人もいて、僕だけではなかったと安心した。 というより、そもそも、若者とは「権力」や「制度」や「システム」に反対する、あるいはめんどくさがる、あるいは自分とは関係ないと思うものであり、これらの一連の態度(反対、めんどくさい、関係ない)こそが「若者」の定義だ。 時代よっては、「反対」が強調されることもあり(70年前後)、「めんどくさい」が前面に出て来ることもあり(80年代)、「関係ないし」が目立ったりする(ゼロ年代かな)。 国が変わっても若者の投票率がだいたい低いのは、この「若者」自体の特性がまず関係している。僕も、めんどくさかった+権力システムが嫌いだった。 これに加えて、当欄のメインテーマでもある、階層社会化という点がある。非正規雇用4割、相対的貧困率16%という日本社会では、アンダークラス(下流階層)が4割程度だと言われており(ピケティほか)、これを大きな背景として、児童虐待やDV等の問題がアンダークラスの家庭の中で日々起こっているのは誰もが知っている。 ただし、階層化が固定すると、どうやら「他の階層」のあり方が人々は目に入らなくなるようだ。たとえば、今回の選挙でも注目されるSEALDs界隈の人々を追っていると、自分たちの「ことば」は、すべての若者に対して届いていると本当に思っているように僕には感じられる。 それを受け入れるかどうかは別として、自分たちの戦争反対ということば、それを願う思い、それを支える思想は、それに賛成するか反対するかはさておき、語ればとりあえずは「届く」と思っているフシがある。が、当欄でも触れたが(若者は、選挙にもフジロックにも行かない)、アンダークラスの若者の中には、SEALDsの若者がつかう「ことば」がそもそもわからなかったりする。たとえば「選挙」という漢字が読めなかったりする(障がいからではなく、学習の積み重ねのなさから)。もちろん、SEALDsが作成する英語のチラシは読めない。 SEALDsの人々の視界には、もしかすると、このような「選挙」を読めない若者がそもそも入っていないのではないだろうか。それは別に悪いことではなく、階層社会が確定すると、なぜか別階層のリアルな姿が遠くなり、自分たちの階層内でひきこもっていくようだ。 これは古市憲寿氏の『絶望の国の幸福な若者たち』にも出てきた、「仲間内のスモールサークルで、そこそこの幸福を楽しむ」という現象と重なる。階層社会の若者たちは、自分たちの階層内で、自分たちが共有する価値をもとに、自分たちに通用することばを用いて、団結したり遊んだり喧嘩したり恋をする。そこが「世界」のすべてだと受け入れ、やがてその「外」に対する想像性が薄くなっていく。団塊世代が最大の「援軍」になれ団塊世代が最大の「援軍」になれ ましてや、少ない。今回選挙権を与えられた18才と19才の学年はそれぞれ約120万人程度であり、20才の人々も含めたとしても、360万人しかいない。この40%が仮に投票に行ったとしても、144万人にしかならない。 このように、若者は、◯そもそも「選挙」のようなシステムと距離を置く生き物、◯階層社会内でのアンダークラス若者の一部は、選挙権を自分とは「別世界」だと捉える、◯そもそも若者は数が少ない、 といういわばハンデを抱えている。選挙が嫌いで、自分とはそれは関係なく、そもそも数自体が少ない。つまりは、「若者」にそんなに期待しても、それは「酷」だと僕は思うのだ。 それよりも、だ。たとえば、同じく3学年合わせると800万人もいて、18~20才若者よりも2.2倍も多い「団塊の世代」(現在67~69才)の何割かでも、今の子どもや若者のことを思って、つまりは次の時代の日本社会のあり方を思って、子ども若者に有利になるような政策に対して1票を投じてくれないだろうか。 高齢者になると保守的になり、保身になることは僕も十分理解しており、全体的にはそれでも仕方ないかな、とは思う。が、たとえば団塊世代はたった3学年で800万人もいるのだ。このうちの5人に1人、おおよそ150万人が どの政党ということではなく、高齢者に有利な社会保障政策ではない、子ども若者に有利な社会保障政策や教育政策に対して、「しゃーないな」的気分でもいいから、1票入れてみてはいかが、でしょうか。 学生運動は敗北したものの、団塊世代の「最後の社会改革運動」として、次世代のための社会づくりを「投票」によってフォローしていけば、数の少ない若者たち自身に投票をお願いするよりも、意外と現実的ではないだろうか。(Yahoo!個人 2016年7月9日分を転載)

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    若者に集中する「矛盾」、政治に無関心でも無関係ではいられない

    藤野保史(共産党衆院議員、前政策委員長)/聞き手 山本みずき結党時から若者が政治の主人公山本 はじめにお聞きしたいのが、若者目線の政策です。若い世代で政治活動をしている人たちがよく言うのが、シルバーデモクラシーの打破です。現在はシルバーデモクラシーが確立してしているから、それを憂いて若い世代にとっても重要な政策を政治を通して実現してほしいという発言をする人が多いんですが、今回、共産党ではど若い世代目線の政策を掲げていますか?藤野 私たちは94年前に政党をつくったのですが、その時から18歳選挙権を掲げ、若者が政治の主人公だということを訴え続けてきました。若い方々が日本の民主主義にどういうインパクトを与えてくれるか、期待しているところです。今の若者の動きにはむしろいろいろ教わっているというか、教えられることが多い。若者向けの『JCPmagazine』というパンフレットを出して奨学金・最低賃金・平和と民主主義など若者に向けた前向きな提案もしています。(瀧誠四郎撮影)山本 パンフでまず目についたのが「最低賃金1500円」。これ、実現していただけると、若者には本当にありがたいですね。この前、大分に行ってきたんですが、温泉にあったアルバイトの求人に書かれていたのが時給640円だったんです。衝撃を受けました。それに「安保法=戦争法の廃止」。共産党は安保法制に最も強く反対していた政党で、戦争法ってことでいろいろ訴えていらしたんですが、多くの人が疑問に思っているのが、安保法制がなぜ戦争法って名前になるのかというところです。藤野 安保法制は、今まで自民党政権ができないと言っていた集団的自衛権、これを行使できるとするわけです。個別的自衛権は憲法上認められていると私たちも思っていますし、自民党政権もそう言ってきたわけですけど、今回は集団的自衛権にかかわる。「北朝鮮や中国が攻めてきたらどうするんだ」という声もあるが、そういう時の対応としては個別的自衛権でやればいいわけで、今の法律、憲法でもできる。ただ集団的自衛権は全然違っていて、日本は何も攻撃されてないのに、アメリカなどと一緒になって第三国を攻撃すると、攻撃された第三国は日本にもその矛先を向けるわけで、日本の自衛とか防衛とは関係なく、まさにアメリカと一緒に戦争に加担していく。だから私たちは戦争法と言っている。山本 関係のない戦争に巻き込まれてしまう、それによって無駄な血が流れるのは悲しいことなんですけど、一方で日本のことだけを考えるのか、あるいは国際社会のことを考えて日本以外の国のために武力をもって貢献するのか。藤野 私たちはやっぱり外交が大事だと思ってます。2001年、アメリカで9.11のテロが起きてイラク戦争、アフガン戦争、ずーとやってきましたけど、テロはもうなくなるどころか世界中に拡散している。今の世界はどんな問題もかなり複雑だし単純じゃない。武力を前面に出してやると、私はむしろ解決が遠くなると思うんです。ややこしい問題だからこそ外交をして知恵を出し合って、というところに向かわないと、問題はさらに悪化していく。ましてやテロとか紛争を力で抑えこもうとすると、激化して悪循環に陥っていく。それはこの十数年間の世界が示している。日本は九条を持っている国ですから、九条を活かすことこそ考えるべきです。北東アジアは確かに大変で、いろいろあります。だからといって外交をせずに軍事対応ばかり強化していくと、抑止力以上に紛争に巻き込まれて、悪化させる危険の方が大きくなると思いますね。若者たちっていうのは矛盾が集中している若者たちっていうのは矛盾が集中している山本 シルバーデモクラシーってそもそもいいことなのか悪いことなのか、その点がまず議論されるべきだと私は思ったんですが、多くの政治家は自分たちが選挙に受かるため、より投票人口の多い年配の世代の方々にメリットのある政策ばかりを掲げている。(瀧誠四郎撮影)藤野 日本の場合は年代によって政策が変わっているというより、たとえば国民全体よりも企業の方が、国民全体よりもアメリカの意向が優遇されている。先日沖縄に行ってきたんですけど、まさに県民が、参院選でも知事選でも県議選でもあらゆる選挙で、もうこれ以上沖縄に基地をつくらないでくれって言ってるのに、アメリカ優先でつくってますよね。そうした歪みが現れてきているのかなあというのが私たちの考え方で、もちろん個々の政策で見れば、とりわけ若者たちっていうのは矛盾が集中していると思ってます。 よく財界の人なんかは、年金とか介護にお金を使いすぎてて、若者向け予算が少ないとか言われるんですけれども、社会保障全体でみれば全体として日本はGDP全体に占める社会保障の支出というのは低いんです。一人当あたり給付でOECD34カ国のうち17位ですから、あのアメリカよりも少ない。GDPの対比でみればもっと社会保障の恩恵を受けてしかるべきなのにそれがないというのが問題です。山本 社会保障の問題では、まず財源確保できないことには充実できないところで、消費増税がまた延期されました。藤野 私たちも増税路線なんですよ。ただ消費税はもう2回も増税延期して消費税に頼るやり方っていうのは決別すべき。このあいだ、中小企業同友会の幹部がおっしゃっていたのは「中小企業はだいたい利益の20%ぐらい税金を納めている。けど大企業は平均で言えば12%、連結やってるような巨大企業は6%ぐらいしか利益対比で言えば税金を払っていない。これをせめて中小企業並みに大企業が10%ぐらい払えば6兆円ぐらい出てくる」と。私たちも同じことを考えていた。いま憲法が蹂躙されているいま憲法が蹂躙されている山本 どうして大企業は12%にとどまっているんでしょうか。藤野 大企業しか使えないような研究開発減税とか連結納税制度、海外の子会社の利益をもってきた場合は非課税といった中小企業が使えないような優遇税制があって、利益は上げてるんだけど税金は収めなくていい。あのトヨタでさえ2012年までの5年間、法人税がゼロだったときがありました。もちろんリーマンショックとか東日本大震災がありましたけれど、それにしても日本は余りにも優遇されすぎている。(瀧誠四郎撮影)山本 共産党が掲げている政策の中で最も重視されている政策を三つ挙げてください。藤野 一つは戦争法、それはもう大問題ですね。もう一つは三つのチェンジってアベノミクスに変わる対案として私たちが言っている税金の集め方と使い方、働き方を変えること。三つめはやっぱり憲法。若者にとっても憲法が変わるってことは大問題ですし、これまで2回の国政選挙をみると、安倍総理は経済、経済って選挙中はやるんですけど、選挙が終わったら戦争法とやりましたから、今回も必ずそうなりますよ。山本 憲法の中でもとりわけ重視されているのはどの点なんですか?藤野 私たちはいま憲法が蹂躙されているという認識なんですね。権力者はどんなに権力があっても、暴走させてはダメだと。例えば9条でどこまでできるのか、人権はどこまで制約できるのか、憲法に書いてある。安倍総理はこの憲法をまさに一内閣の解釈で変えてしまった。これは解釈改憲による憲法の蹂躙で、まずはこの非常事態を正すことが大事。これはもう主権者である国民が選挙という場で審判を下すしかない。今回の選挙はそういう選挙だと。共産党アレルギー?ありますよね共産党アレルギー?ありますよね山本 藤野さんはどうして共産党に入られたんですか?藤野 もともと両親が共産党員で信頼感はあったんですけど、共産党は負け続けてたんで「何でこんなことやるのかな」って正直思っていた時期もありました。京大時代もずっとそういう活動はしないと思っていて、体育会のサッカー部に入ったんです。けど湾岸戦争が起きて、当時初めて自衛隊が海外に出るというので大問題になり、学内で勉強会みたいなものに呼ばれて行くようになった。そこで鋭いこと言ってるのは共産党の人なんですよね。資料もいろいろ持ってくるし「ああ大したもんやな」というのがあって、もともと信頼感もありますから合わせて一本ということで、二十歳で入党しました。(瀧誠四郎撮影)山本 共産党は自民党や民進党と比べると議席数が少ない。原因は何だと思いますか。藤野 やっぱりアレルギーはありますよね。共産党アレルギー。山本 それはご自身でも感じますか。藤野 感じますね。福岡は麻生(太郎副総理兼財務大臣)さんの地元だし、昔から感じていました。でも歴史的な経緯もありますし、そういうのがどんどんなくなってきたというのが実感で、今はそれこそ若い人がどんどんフランクに物を言ってくれる。やっぱり人間の付き合いだし、私たちも共産党内部だけで今までやってきたようなことを、もっとオープンにしてやっていけば必ず理解は広がっていくと思います。山本 共産党に対するアレルギーってどこから生まれてるんでしょうか。藤野 戦前のイメージじゃないですかね。共産党が戦争反対の旗を政党としては唯一降ろさなかった。当時の政府は目の敵にするわけですよね。あれは赤だ、国賊だというので大宣伝もやってきたというのもある。もうひとつ戦後で言えばソ連、中国のイメージ。名前は同じだけど全然違うんですよ、ソ連や中国と一番喧嘩してきたのが日本共産党。でかい国ですから他国の共産党に言うこと聞かせようと干渉してくる。私たちは自主独立の立場を持って干渉をはねのける。そしたらまた向こうがいろいろやってくる。山本 根底に流れる思想は。藤野 そこはもうロシアは変わってますし、中国は社会主義を目指すと自分たちでは言ってますよね。人権の問題とか他国への力の行使で現状変更しようとするやり方だとか、あんなもの私たちは社会主義に値しないと思ってますから、つい先日も中国大使館に申し入れしましたけれども、そういう点ではずっと厳しくやってきました。政治に無関心でもいいけど無関係ではいられない政治に無関心でもいいけど無関係ではいられない山本 共産党というのは中国、かつてのソ連でもその思想を広めるのに力を注いでいたと思います。藤野 一党独裁でもないですし政治信条を押し付けるわけでもない。むしろそういうのを駄目だと言って戦前も戦ってきたし、戦前で言えば天皇が絶対というイデオロギーですよね。それがダメだということで戦ってきた。(瀧誠四郎撮影)山本 共産党とシールズの関係性が騒がれました。藤野 全然近くないですよ。彼らは彼らの思いで活動してわれわれの背中を押す。共産党だけではなく野党頑張れ、彼らは党に勝ってほしいわけではなくて安保法制を廃止してほしい。だから野党はまとまるしかないじゃないかと。共産党はそれはそれで歓迎するというスタンスですよ。山本 政治にどのように参画したらいいのか若い人たちにアドバイスを。藤野 「政治家は言葉がむつかしい」。つい先日選挙権サミットというのに出て、何人からも言われたんです。ましてや共産党というのは堅苦しい、同じようなことしか言わないイメージがある。それに比べ若者たちは自分の言葉でしゃべるし、本気なんですよね。 「政治には無関心でもいいけど無関係ではいられない」と言います。どんな問題でも実は自分の問題だと。TPPかもしれないし原発かもしれない、必ずこれは自分の問題だって思えることがある。それを「お前そうなのか、おれはこうだ」と話し合える場所があるかどうか。どんどん声を上げて政治や社会にかかわって突き上げてほしい。 ふじの・やすふみ 1970年福岡県生まれ。京都大学法学部卒業。穀田恵二と吉井英勝、両衆議院議員の秘書を務める。2003年、党中央委員会の政策委員に就任。2014年、衆院選比例北陸信越ブロックで初当選。日本共産党中央委員会原発エネルギー問題対策委員会事務局長などを務める。

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    参院選直前、17歳からみた主権者教育のあり方

    20年以来であり、歴史的な出来事といえるだろう。 しかし、残念ながら、新しく有権者となる十代の若者の政治的な問題への関心は、高くないのが現状である。 本論の筆者である私は現在、17歳の高校2年生である。幼いころより政治や社会問題について関心を抱き、自分なりの意見をもって生きてきた。中学に入ってからは、学生団体が主催する政治、社会問題についてのイベントにもたびたび参加している。そういったイベントでは、政治や社会問題について、強い関心と深い知識をもった学生が参加しており、驚いてしまう。しかし、そうした若者はむしろ少数派であろう。十代の圧倒的大多数は、政治について無関心である。模擬投票を体験する県立日野高の3年生=6月15日午後、滋賀県日野町 現在、政府が主権者教育を推進している背景にも、私が抱いている危機感と同じものが存在する。そもそも、主権者教育とは「主権者として社会の中で自立し、他者と連携・協働しながら、社会を生き抜く力や地域の課題解決を社会の構成員の一員として主体的に担う力を発達段階に応じて、 身に付けさせるもの」(『総務省主権者教育の検討に関する検討チーム中間まとめ概要』より)を指し、従来の公民教育とは違う「思考力」を身に付けさせる教育である。 具体的には政治的な問題について他者と議論したり、政治的な問題についての模擬投票を行なうことなどが、カリキュラムに取り入れられている。 ただ現状では、実施に際して学校により主権者教育への温度差が存在し、教育現場と中央省庁との認識のズレなども指摘されている。 私の学校では主権者教育に向けて総務省制作の副教材が配布されたが、授業日数などの関係もあり、学年集会で公職選挙法について大まかな解説をしただけであった。 おそらく、日本のほとんどの高校で今年行なわれている主権者教育は私が経験したのと同程度のものだろう。そんな主権者教育に、私は漠然とした違和感を感じてしまう。それは、先ほど挙げた主権者教育の実施に際しての具体的な方法に関する違和感ではない。私は、どうしても主権者教育の根幹に関わる「思想」そのものに疑問を感じてしまうのだ。日本型デモクラシーの起源 日本型デモクラシーの起源  主権者教育の実施にあたって、総務省はイギリスのシティズンシップ教育を模範とした。 シティズンシップ教育とは、「市民」としての自覚を促す政治教育の一種である。イギリスでは初等教育の段階から実施されており、そういった他国には例を見ない独自性に総務省は目を付け、イギリスの例を参考にしたのだろう。 このシティズンシップ教育は、市民の育成を主眼としたものである。ここにおける市民とは、合理的な利益判断ができ、政治行動などにも積極的に参加する能動的な市民のことを指す。 私も能動的な市民の存在は政治、デモクラシーにおいて重要な存在だ、という考えに異論はない。しかし、それだけでは不十分に思える。 政治というもの、具体的にいえば、社会問題の解決や共同体の意思統一などを行なう際、必要とされるのは何も自身の利益を守る行動や権利意識だけではない。他者との協調や妥協などといったことも、デモクラシーにおいては必要不可欠である。 仮に近代欧米におけるデモクラシーを「討議型のデモクラシー」と定義すれば、日本におけるデモクラシーの起源とは、徹底した「熟議」によるものといえるのではないだろうか。 民俗学者の宮本常一は、自著のなかで対馬における寄合のエピソードを紹介している。 宮本は調査のため、対馬西海岸の仁田村伊奈を訪れ、そこで古文書を拝借したい、と区長に申し出た。すると区長は、その古文書は重要な文書であるから、寄合で審議しなければならないと言い、古文書の貸し出しの是非をめぐり、村人と寄合を1日にわたり、開いた。その寄合では、20人余りの村人が、古文書の件やそれ以外の地域でのさまざまな課題について、村人の皆が納得するまで、老人の知恵や村の伝統なども考慮しながら、徹底的に熟議したという。「村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。(中略)気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった」(宮本常一『忘れられた日本人』) そして、この徹底した熟議による寄合は、なにも対馬特有のものではなく、全国的に、少なくとも西日本一帯には存在したと宮本は指摘している。 この宮本の例をもって、日本は古くからデモクラシー国家であるとするのは早計だろう。しかし、少なくとも日本には日本なりのデモクラシーのあり方があったことは、否定し難い事実ではないだろうか。 村落での寄合の例を出さなくとも、戦後日本の政治史をみれば、55年体制下でのいわゆる派閥政治や職能団体と密接に関連した政治の意思決定プロセスなどは、欧米とは異なる日本型のデモクラシーがあったことを、如実に示している。 そのように考えた場合、現在進められている主権者教育には、熟議や協調などの日本的なデモクラシーの要素が軽視されているように私にはみえる。 バブル崩壊後、先ほど挙げた派閥政治や職能団体と密接に関連した政治などは、厳しく批判されてきた。そして、そういった思潮は脱派閥、脱官僚を訴える小泉政権、さらに民主党政権を誕生させた。しかし、そういった思潮は、日本の戦後政治のあり方を全否定しようとする短絡的なものであり、実際、民主党政権における「改革」の多くは失敗あるいは頓挫し、現在でも、政治不信という形で少なからず影響を残している。 われわれはたんに欧米から輸入するのではない、日本の国柄に合った新たな主権者教育、政治教育のあり方を創造していく必要があるだろう。   さらにいえば、十代の若者を立派な「主権者」にするには、その前にまず立派な「日本人」であるべきだ。 政治上の諸問題や社会問題について考える際、われわれは当然、その問題が起きている〈場所〉を知らなければならない。たとえば、日本人は、遠いアフリカのアンゴラ共和国で起きている経済問題や保健問題などの課題について解決策を考え、現地の人びとに提示することは困難である。それは当然、日本人がアンゴラという国についてよく知らない、という理由に起因する。画像はイメージです それと同じように日本という国家について何も知らずに日本の社会問題や課題について何かを論じることは、不可能である。 主権者教育が日本という国家の問題を適切かつ真面目に考え、論じることのできる「主権者」を育成するのならば、それは必然的に日本という問題の発生場所を、深く教えなければならない。そして、日本を深く知るということは、日本の伝統、文化、歴史、地理を知ることであり、何より日本の国語を学ぶということである。 現在、欧米ではグローバル化が進展し、それと並行して格差の拡大や難民の流入などさまざまな問題が指摘されている。そういったなかで欧米では「ナショナルなもの」への再評価が行なわれている。国民の同胞意識やナショナルな言語、文化、そしてそれらへの愛着(愛国心)が、じつはデモクラシーにおいては不可欠ではないか、という主張が盛んに唱えられているのである。 たとえば、議会を運営する際、国民の同胞意識、国民同士の信頼感が醸成されていなければ、そもそも、共通の問題意識に基づく政治的議論をすることは不可能である。自身の利害には無関係な貧困層の撲滅や格差是正などの問題の解決を図ろうとしても、同胞が苦しんでいるから助けたいという意識がなければ成り立たない。 現在でも、日本ではナショナリズム、愛国心はデモクラシーと敵対するものだ、という思潮が強いが、これはネーション(集合体としての国民)という枠組みがもつ意義について深く理解できていない言説だろう。 そして、そのデモクラシーに不可欠な同胞意識、連帯意識は各自がもつ「共通の特徴」に由来する。具体的には同じ宗教や人種などが連帯意識を生むが、何より共通の言語というものがなければ、同胞意識は成立しえない。 ヨーロッパのベルギーにはフラマン語圏、ワロン語圏、ドイツ語圏という3つの言語を話す地域が存在する。ベルギーは建国以来、異なる言語を話す国民同士がいかに連帯するべきか、という問題に苦心してきた。ベルギーが連邦制を採用している理由は、言語圏住民間の対立が激しく、中央集権制では国家の統一が困難であったからである。 しかし、ベルギーは連邦制を採用した新憲法を制定した1993年以後も、政治的混乱がたびたび発生している。2010年の総選挙の際は、言語圏間の対立が激化し、540日以上にわたり、組閣が実施されないという異常事態が発生した。このベルギーの事例は、統一的な国語を有さない国家を運営することがいかに困難であるかを示している。 今後、日本においてもデモクラシーを維持していくためには、じつは国語である日本語の伝統の保守こそがもっとも大切なことなのである。 そのために、先ほども述べたように、国語教育に力を入れ、深い教養を兼ね備えた「良き日本人」を育成する必要があるだろう。 しかし、主権者教育とその議論をめぐってはそういった論点がほとんど挙げられていない。このことはきわめて不可解である。年長者の責任とは 年長者の責任とは  本稿では主権者教育を実施するにあたり、私なりに以下のような問題点を指摘した。・イギリス発のシティズンシップ教育を直輸入したため、日本におけるデモクラシーの特徴である熟議という点がカリキュラム内で軽視されている点。・主権者教育の最終的な目的である、健全なデモクラシーの運営のためには、日本の歴史、伝統、文化、国語とそれらへの愛着が不可欠であるにもかかわらず、そういった視点が欠けているという点。 まず前者については、日本型の主権者教育、政治教育のあり方について、今後も政府、民間の大学、研究機関が検討し続けること。その際には、選挙や社会運動における市民の役割や権利だけでなく、政治とは何か、日本におけるデモクラシーとは何か、という広い視野で日本に合った主権者教育、政治教育を模索することが必要だろう。そうして徐々に主権者教育のあり方を日本に合ったものにしていくべきである。 後者については、主権者教育の枠組みに国語教育や歴史教育なども入れる。とくに国語教育においては日本の伝統的な古典文学や思想哲学などについて、深く教えていくべきである。 主権者教育とその議論全体を俯瞰した場合、外国流の教育方法を直輸入し、強引に日本の教育に当てはめているように私は感じる。冒頭で述べたように主権者教育は、まだまだ手探り段階であるし、それは当然なのかもしれない。とはいえ、現在の議論のまま、主権者教育が実施されていけば、日本のデモクラシーの健全な運営を促すどころか、むしろ暗い影を落とすことになりかねない。主権者たる日本国民の育成にはつながらないと思うからだ。「青春の特権といえば、一言を以てすれば無知の特権であろう」という言葉は三島由紀夫のものであるが、若者は基本的に無知で、無鉄砲な存在である。そういった時期が許容されるのは十代の青春期のみであるから、三島は特権という言葉を用いたのだろうが、この無知は時として、自身や他者を傷つけることになる。 そのようなときに、叱る、あるいは諭し、そして、失敗を許す道徳的立場にあるのが年長者であり、その行為の総体が教育であるはずだ。 しかし、主権者教育、もっといえば昨今の教育論議には、どこか機械的でそういったあるべき年長者の視点が抜けているように感じてしまう。 教育とは、たんに海外から思想や方法を直輸入すれば良いわけではない。教育とは、年長者が年少者へ過去から蓄積されてきた叡智を代々継承していくものであるはずだ。 そして「熟議」という日本型のデモクラシーの叡智を継承していくことこそが、わが国の主権者教育のあるべき姿ではないだろうか。主権者教育について議論する各役所あるいは現場の教員には、そのことについて深く考えていただきたい。(参考文献:施光恒『英語化は愚民化』集英社新書)関連記事■ 高村正彦×島田晴香(AKB48) やっぱり、選挙にいきましょう!■ 【都知事選】もう少し選挙らしい選挙がしたい■ 目先の選挙目当てにバラマキ政策を行なう愚

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    17万票を超える10代票、大阪の若者が低投票率の流れ変えるか

    (THE PAGEより転載) 10日投開票に向け、最終盤に突入した第24回参院選。大阪府の代表を選ぶ大阪選挙区(地方区時代を含む)の歴史をひもとくと、大阪は投票率で分が悪い。過去の参院選の大半で、全国平均を下回っている。とりわけ、若い有権者の動きが鈍い。祖父母世代のシニア有権者と比べると、投票率は半分にも満たないのだ。18歳、19歳の新有権者に注目が集まる中、10代有権者ブームが弾みとなって、20歳以上の若者たちも投票所を目指すだろうか。 10日投開票に向け、最終盤に突入した第24回参院選。大阪府の代表を選ぶ大阪選挙区(地方区時代を含む)の歴史をひもとくと、大阪は投票率で分が悪い。過去の参院選の大半で、全国平均を下回っている。とりわけ、若い有権者の動きが鈍い。祖父母世代のシニア有権者と比べると、投票率は半分にも満たないのだ。18歳、19歳の新有権者に注目が集まる中、10代有権者ブームが弾みとなって、20歳以上の若者たちも投票所を目指すだろうか。回顧 大阪参院選30年の激戦 選挙のたびに変わった当選陣営の顔ぶれ選挙事務所で調べてきた情報をもとに、各党の若者向け政策などについて発表する生徒ら=大阪市旭区の府立旭高校大阪参院選の投票率は全国平均より低調 第1回参院選が執行されたのは1947年(昭和22)。以来、3年ごとに通常選挙が行われてきた。23回の選挙の投票率を、大阪と全国平均で比較すると、23回のうち21回までは大阪が全国平均を下回っている。 全国平均を上回ったのは、第18回(98年・平成10)と第23回(2013年・平成25)の2回だけ。しかも、第18回59.53%(全国58.44%)、第23回52.72%(全国52.61%)と、全国平均を僅差でクリアしただけに過ぎない。 一方、全国平均を下回った際、大阪と全国平均の落差が大きい。第3回51.27%(全国63.18%)、第5回48.11%(全国58.75%)、第10回65.69%(73.20%)など、全国平均と比べて5ポイントも10ポイントも低い投票率が続出している。 80年(昭和55)の第12回選挙は、初めての衆参同日選挙となった。衆参連動の激しい選挙戦の結果、投票は全国平均で史上最高の74.54%を記録したが、大阪は70%におよばない67.38%に終わった。 過去23回で全国の投票率は70%台を4回記録しているが、大阪は1回だけ。しかも、今から66年も前に執行された50年(昭和25)の第2回選挙(71.58%)まで、さかのぼらなければならない。 半面、全国の投票率が史上最低の44.52%だった第17回をみると、大阪は40%台を割り込み、38.26%まで沈んだ。この38.26%を筆頭に、48.11%(第5回)、49.96%(第16回)が大阪投票率のワースト3だ。第18回から直近の第23回までは、6回連続で55%をはさんだ50%台で推移しており、投票率が上向く変化のきざしは見受けられない。20代の投票率は30%で70代は70%超え 低調な投票率が気になる大阪ではあるが、世代別の投票率をみると、世代間ギャップが歴然とあることが分かる。大阪市選挙管理委員会が3年前の第23回選挙で、年齢別投票行動の追跡調査を、市内有権者の約5%を対象に実施した。 大阪市内の投票率は、第22回の55.55%から52.83%と、2.72ポイント下回った。年齢別の投票率では、20歳以上24歳以下のもっとも若い年齢層が、もっとも低い29.07%だった。全体の投票率を大きく押し下げ、10人に3人程度しか投票していない。 25歳からは年齢が上がるに伴い、投票率も上昇。25歳から29歳までは31.89%で、20代平均は30.64%だった。30代は42.08%、40代は50.41%で、40代までは平均以下。50代が60.02%、60代は68.73%と、平均投票率を押し上げた。さらに70歳から74歳までが最高の73.41%を記録し、75歳から79歳も70.49%と続いた。 10人のうち3人しか投票に行かない20代とは一転して、70代は10人のうち7人以上が投票所へ赴いている。いわば孫世代と祖父母世代では、見事に対照的な投票行動を取っていたわけだ。この世代間ギャップは過去3回の選挙に共通している。 中高年世代の投票率をこれ以上押し上げるのは、たやすくないだろう。投票率上昇のカギを握るのは、若い世代に他ならない。大阪市住之江区の広報紙。1面で高校生が参院選での投票を呼びかけている =住之江区役所10代に刺激され20代も投票所を目指すか 今回の参院選大阪の有権者総数は731万7331人。このうち18歳、19歳の新有権者は17万2970人だ。730万票台の大票田といえども、改選4議席をめぐり、有力候補たちが最後の最後まで争う大激戦になれば、17万票を超える10代票は、当落に影響を与えるだけのパワーを十分秘めている。 参院議員の任期は6年で、衆院議員の4年と比べて長い。衆院と異なり、参院は任期半ばでの解散総選挙もない。参院は派手さこそないものの、長らく良識の府と呼ばれ、国のかたちをじっくり検討する重責と向き合う。これからの国づくりを討議する議員を選ぶ選挙に、次代を担う若者たちの声がしっかり反映されてしかるべきだろう。 若い世代に対する選挙啓発の一環として、高校生向けにオリジナル缶バッジを作成したり、大学構内で投票呼びかけキャンペーンなどが展開中だ。10代有権者ブームが弾みとなって、20代、30代の若手世代も一票を投じ、選挙史の流れを変えることができるか注目される。(文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)

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    初めて選挙に行く君へ伝えたいこと 世界で一番やさしい選挙教室

    「18歳選挙権」初の国政選挙となることもあって、若者へ投票を呼びかける動きがあちこちで起こり、若者の政治参加を期待するムードが高まっている。しかし、当の若者たちは選挙権を手にしてやや戸惑っている様子が伺える。「選挙って、どうやって行けばいいかわからないし、なんだか面倒くさそう」と思って彼らの多くが棄権してしまえば、10代、20代の投票率が期待されているほど伸びず、「シルバーデモクラシー」と言われる状況が変わらないどころか、加速することも懸念される。 そこで立ち上がったのが、『ギャル男でもわかる政治の話』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)で、「たとえ」を駆使したかつてない明快さで政治の基本を解説し、若い世代を中心に反響を呼んでいるブロガー議員のおときた駿氏。「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」「選挙で2枚投票用紙が渡されるって知ってる?」「どうやって投票先を決めたらいいの?」という3つのテーマを掲げ、当事者である18歳〜20歳の4人の若者たちから質問を受けつつ、極力若者の立場に立って選挙の基本を解説することを試みた。 若者代表として参加したのは、人気コラムニストの妹尾ユウカさん(@yuka_seno)、モデル・俳優の三上龍馬さん(@510rm2525)、現役大学生の森崚茉さん(@oasis18b)、同じく現役大学生の小木純之介さん(@junu_uzzz)の4人。イベント前には「そもそも、なんで選挙に行かなきゃいけないのかわからない」と話していた彼らは、日頃から抱いていた疑問をおときた氏にぶつけつつ、講義を非常に熱心に聴き入っていた。  以下では、会場からの質問を交えつつ展開されたおときた氏の講義の様子を、会場の熱気そのままにお伝えする。(文/ディスカヴァー編集部、写真/saru) おときた駿(以下、おときた):こんにちは。『ギャル男でもわかる政治の話』の著者で、東京都議会議員のおときた駿と申します。今日は、壇上にいる4人の若者たちと一緒に、若い世代の視点で選挙について考えていけたらと思っています。 おときた駿氏第一部「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」おときた:まずは壇上の4人に聞いてみましょう。なんで選挙に行かなきゃいけないんでしょうか。 小木純之介(以下、小木):僕ら若い世代が選挙に行くことで、お年寄りばかりじゃなくて僕ら若い世代の意見も政治に反映させていく必要があるっていうことを、政治家にわからせるためです。 森崚茉(以下、森):ひとことで、国のため。 三上龍馬(以下、三上):行かなきゃいけない感じがするから。 妹尾ユウカ(以下、妹尾):私は、なんとなくの義務感から、です。 おときた:ありがとうございます。小木くんだけやけに気合が入っているのは、彼は政治学科の学生だからです(笑)。  この「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」という問いに対する僕の一番シンプルな答えは、「行かないと損するから」です。これは数字で見ても明らかで、日本のGDPは約500兆円なんだけど、そのうち、どのぐらいが若者や子供のために使われているでしょうか? 妹尾:20兆円とか? おときた:惜しいな。正解はGDPの1%、500兆円あるうちの5兆円しか、子供と若者に使われていないというのが日本の現状です。これは諸外国と比べると圧倒的に低い。ヨーロッパだと最低でもGDPの2〜3%。多いところは4%、20兆円以上使われていたりします。 こういうことが起きるのは、若者の投票率が低いからです。若い世代、例えば20代の投票率って、何%か知ってますか? 森:8%ぐらい? おときた:なんでそんなに低いんだ(笑)。さすがにそんなに低くないです、正解は33%ぐらい。つまり、3人に1人しか行かないということ。逆に、一番投票率が高い世代は60代で、だいたい70%ぐらいが行っている。およそ2倍の差があるってわけだ。この状況で予算がどう使われるかと言ったら、さっき説明した通り。若者は圧倒的に損をしているんです。 なんで投票率が低いと損をするのか? そのことを説明するために、少したとえ話をしてみたいと思います。 政治家は「みんなの代表者」ではない!政治家は「みんなの代表者」ではない!おときた:政治家は僕らの代表者だって、学校で習ったと思う。これを僕は『ドラゴンボール』にたとえて、「政治家は孫悟空みたいな人」と言っています。どういうことかというと、僕たちはか弱い人間だから悪い奴らと戦えないんだけど、悟空はすごく強いからフリーザとか魔人ブウとかセルとかと戦ってくれる。で、悟空は並みいる強敵たちを倒すためにある必殺技を使う、と。人々から少しずつエネルギーをわけてもらって大きなエネルギーの玉を作り、相手にぶつけて殺す…… 三上:あ、わかった。元気玉ですか? おときた:そう! 政治家は「オラに力を分けてくれ!」と言って有権者からエネルギーを集め、その力を駆使して政治を行う悟空だってわけだ。で、悟空は誰のために戦うのかというのが問題でね。『ドラゴンボール』の世界では西の都と東の都という2つの街があるんだけど、敵を倒すために悟空はどちらかの方向に向かって元気玉を撃たなきゃいけない。当然、撃った先にある都は壊滅する。このとき、西の都の人たちは悟空に一切元気を分けてくれなかったとします。そして、東の都の人はすごいエネルギーをくれたとする。そうしたら、悟空はどっちに向けて元気玉をぶっ放すでしょうか? 妹尾:西、ですよね? おときた:その通り。教科書では「政治家はみんなの代表者です」って習ったと思うけど、これは嘘。政治家というのは、みんなの代表者ではなくて、選挙で投票に行く人の代表です。選挙で投票に行く人の利害のために政治を行うのが政治家だから、当然、投票に行かなければ自分たちの利害は守られない。つまり、損をするってわけだ。さっきも言ったように、これまでは若い人たちが選挙に行かないせいで、彼らは損をしてきた。若い世代のためにはお金が使われず、保育所や待機児童、奨学金といった問題が全然解決していない。海外に行ったら返済不要の奨学金なんていっぱいあるんだけど、いまの日本の大学生はものすごく苦労して返さなきゃいけないよね。 だから選挙に行くことによって、「こっちにもっと予算をくれ」「予算をくれないと君たちは次の選挙で当選しないぞ」と脅しをかけることが必要です。だから選挙に行かなきゃいけないというのが、一番単純な理屈なんです。 妹尾:でも若者としては、先にお金をくれると言われたら選挙行くんだけどな、という気持ちです。ニワトリが先かタマゴが先かって感じですけど、図々しいですかね……? おときた:いや、その通りだと思います。しかし残念なことに、政治家というのは別に、選挙に来てくれなくてもいいんです。なぜなら、高齢者がもうたくさん来ているから。いま元気玉を集めている政治家は、その状態で当選して政治家になっているわけだから、逆に若者が新規参入してくるとパワーバランスが変わってしまう。彼らにとっては、若者の投票率が低いまま、高齢者の票だけで勝ってるほうが幸せなんです。妹尾:でも、おじいちゃんおばあちゃんも、もっと年齢が上がってくると変わってきますよね? おときた:実際、60代は投票率が70%もあるんだけど、70代からどんどん下がっていきます。もう足腰が立たなくなってくるから。そういう意味では若い人たちも発掘していかないといけないのは確かだけど、若い人たちがいますぐ行くというよりは、歳をとってそういう価値観になってから選挙に来てくれたほうが、政治家たちは安泰なんだよね。そういういまの世の中を変えるためには、やっぱりこの循環をどこかで断ち切る必要がある。いますぐ若い人たちが選挙に行って、高齢者たちだけで勝ってのうのうとしている政治家たちを変えていかなければいけないと思います。 小木:ちょっと話が変わるんですが、18歳で選挙権を持った人が投票しようとするとき、たくさんいる政党とか立候補者とかから選ぶのって大変だと思うんですね。そういうときって、どういうところから政党の情報とか立候補者の情報を得ればいいんでしょうか。 おときた:やっぱり、インターネットってすごく便利なのでおすすめです。ただ玉石混淆だから、誰か信頼できるオピニオンリーダーを一人フォローするというのがいいと思います。その人が共有・拡散している政治の情報にアクセスして、そこから広げていく。そうすることで、自分にある程度近くて、ちゃんとした情報を得ることができます。 政治を本気で若者向けにする方法とは?政治を本気で若者向けにする方法とは?三上:若い人向けのマニフェストを公表してくるところって増えているんですか。 おときた:これまではあまり若者向けのマニフェストって各政党から出てこなかったんですけど、今回の参院選では増えています。それは見てみて僕もびっくりしました。18歳選挙権の1回目だからということで、意図的に増やしてきているんだろうと思います。でも、これを本気にさせるかどうかは、君たち若者が行くかどうかにかかっている。今回の選挙で、思ったより若い人が投票に行かなかったという結果になると、また次の選挙からは元通りになって、若者向けの政策は端っこに書かれるようになると思います。 質問者:政治家が、投票してくれた人のためだけに政治をやるんじゃなくって、全員、どの世代にとってもいいことがある政策をしっかり掲げていればいいなと思うんですが、そういう政治家はいないのでしょうか。 おときた:はっきり言うと、いません。なぜいないのかというと、それが合理的な選択になるから。選挙という弱肉強食の世界では、合理的な生き物が生き残るようになっているんです。「僕らはみんなの代表なのであって、若者も高齢者も同じ国民なんだから若者にもちゃんとお金あげなきゃね」とか言っている人は、次の選挙で淘汰されていなくなります。その結果、自分に投票してくれる人のために政治活動する政治家ばかりが残って、それがどんどん再生産されているというのが、いまの状況なわけです。  これを打破するには、そうやって気づいた政治家をなんとかして生き残らせるよう、若い有権者が応援してあげること。それがなければ、なかなかこの弱肉強食の世界に変化は起きません。 若い人たちが選挙に行かない理由はシンプルで、いまの若い人たちは政治と接点がないからなんですが、であれば若い人と政治の接点を増やすことが一つのソリューションになると僕は思います。 例えば、結婚して子どもができたりすると、途端に区役所に行って政治にめちゃくちゃ関わるちようになるんだけど、それは保育所に入れなかったり高い税金を払わなきゃいけなかったりすることに、そこで初めて気づくからです。実際、その辺りの30代、40代からだんだん投票率が上がり始める。 同じように、10代や20代でも、例えば奨学金の問題なんかは実際に苦しんでいる人が多いから、それをきっかけに政治に関心を持ってもらうことはできるはず。実際、政治家たちは奨学金の問題をマニフェストに取り入れて、若者に支援してもらおうとしているからね。 あとは、若者政策に取り組む政治家をとにかく増やすこと。「人が3人集まれば政治家が来る」という法則があるんだけど、若者向けのイベントにそういう政治家を呼んで、その政治家に対する若者の支持を増やしていく。そういうイベントを小さくたくさんやって、それをネットで広げていく。そういうスモールビジネスみたいなやり方が、この問題の一つの解決方法なんだろうなと思います。 質問者:若者向けのマニフェストというのは、本当に実行されるんでしょうか。実行されるとしたら、いつ実行されるんですか? おときた:いい質問です。政府は毎年、予算というのを組んでいるんですが、この国って突然予算をつけたりします。例えば今回の選挙前に、低所得の年金生活者、要は高齢者に3万円を配ります、ということをいきなり安倍さんが言い始めた。それでいきなり何千億というお金を使ったわけです。だから、本気になればすぐにもできるということ。 よく「政治家は人の話を聞かない」って言いますが、それは一番大きな誤解です。僕は政治家になって3年経ちますが、自分の認識を一番大きく覆されたなと思うのは、政治家が人の話をめちゃくちゃ聞くということです。ただし、票になるとわかった場合に限る。 票になるとわかるというのは、要はビーチフラッグみたいなことです。「ピッ」て笛が鳴ってフラッグが立ったら、政治家たちはわーっと我先に走り寄って、フラッグを取ろうとする。それで誰よりも早く「実現しました〜!」って言いたい。だから、フラッグが立ってからはめちゃくちゃ早いんです。 したがって、どこまで旗を立てられるかというのが重要です。旗というのは投票率の高さもそうですが、「保育園落ちた日本死ね」というブログがバズったように、社会的なムーブメントを起こすというのも一つの手。ネットで話題になって、ガチの普通の人たちまで国会前にデモに来るようになると、政治家たちは結構焦るんです。本当にこれは票になるムーブメント来てるな、やらなかったら票を落とすな、と思う。そうなると、そこからは早いですね。第二部「2枚の投票用紙が渡されるって知ってる?」第二部「2枚の投票用紙が渡されるって知ってる?」おときた:選挙に行くべき理由がだいたい理解できたら、次は選挙に行った時にどうするか、という話をします。今回の参院選の場合、投票所に行くと2枚の投票用紙を渡されることになります。これ、なんで2枚渡されるのか、わかりますか? 妹尾:小選挙区と比例区があるから? おときた:おっ、いいですね。政治学科の小木くん、その違いを説明すると? 小木:比例代表は全国を一区として政党または人に投票する形式なのに対して、小選挙区は選挙区ごとで人に投票する形式です。 妹尾:比例区って、個人に投票しても政党に投票してもいいんです? おときた:参院選ではそうだね。ただし、衆院選の比例代表は政党だけです。これは後ほど解説するとして、まずはなぜ小選挙区制と比例代表制の2つの制度があって、なぜ日本はこの2つでやっているのかということを説明しましょうか。 まず、政党って何か、わかりますか?  三上:チームみたいなこと? おときた:そう、おおむね正解です。野球のチームみたいな感じで、同じ思想の持ち主がなんとかその思想を実現させようと思って頑張っているのが政党です。日本にはいろんな政党があるんだけど、比例代表ではこの政党に投票していくわけです。 一方、小選挙区は人に投票します。例えば、A・B・C・Dの4つの政党の人が立候補したとしようか。投票の結果、A党が40%、B党が20%。C党、D党も20%の票を集めたとすると、小選挙区で当選するのは誰でしょう? 妹尾:A党? おときた:そう。すると、大体どこの選挙区でも似たような結果が出て、A党が過半数の議席を獲得するわけです。つまりA党が意思決定権を持つことになるけど、A党の支持率は40%、つまり過半数の支持を得ていないんだよね。A党は40%の人からしか「お前に任せる」とは言われていないのに、全体の意思決定ができてしまって、60%の意思は無視されてしまうという、おかしな状況が発生してしまいます。それで、「これって本当に民主主義として正しいの?」「少数派の意見ってどうなっちゃうの?」という疑問が噴出した結果、編み出されのが比例代表制度なんですね。比例というと、何かと何かが比例するって言いますよね。これ、何と何が比例しているかわかりますか。小木くん。 小木:票数と、代表する人の人数? おときた:そう。票数というのは、つまり? 小木:……意見の大きさ? おときた:そう。比例代表制では、票数と民意が比例するわけです。だから全部比例代表制で選挙をすると、もし議席数が10席で、A党、B党、C党、D党の支持率が40%、20%、20%、20%なら、各党4人、2人、2人、2人が国会議員になるわけです。国会でちゃんと少数者の20%の意思がしっかり比例して反映される。これが比例代表のとてもいいところです。でも、これにも欠点があります。例えば比例代表制で4人、2人、2人、2人という結果が出て、小さいけど国会を開くとします。議題が安保法案とかいろいろあって、わーっと議論が起きたときに、じゃあ多数決で決めましょうとなったら、これ、決まるでしょうか。 妹尾:A党が勝つ? おときた:いや、過半数を取っていないので、A党だけでは勝てないね。B・C・D党が反対で、A党だけ賛成だったら、負けるときもある。比例代表制だけだと、意思決定が非常に怪しくなったり、時間がかかりすぎたりするわけです。これが小選挙区でやれば、ほとんど10人中8人がA党になるわけなので、とにかく意思決定がスムーズ。A党が賛成って言ったら、他の党の意見は全部無視して決まってしまうわけです。一方で比例代表は少数派の意見も重視するから、バラけてしまってなかなか結論が出せない。これが比例代表の欠点です。だから、メリットとデメリット、一長一短があるのが小選挙区と比例代表なんですね。 小選挙区はアメリカとかイギリスで採用されていて、比例代表はヨーロッパが中心。で、日本はこれを見ていて思ったわけです。どっちも欠点あるな、なんかこの欠点を解消する方法ないのかな、と。そういうとき、日本人ってどうする? 妹尾:……どっちも? おときた:そう、そういうことなんです。折衷案。日本はハイブリッドなんです。両方のいいとこ取りをしようということで、小選挙区比例代表並立制になった。そうすると、4党のパワーバランスが40%、30%、20%、10%だとして、小選挙区は50議席、比例代表は20議席を決めるとする。小選挙区だと、30人、20人、0人、0人。比例代表の20人は支持率に比例して8人、6人、4人、2人。ということで、この支持率が低い20%とか10%とかしか票が取れない人たちも、4人と2人の代表者を国会に送り出せますよね。プラス、この最大与党、一番でかいA党は30人+8人で38人いるので、70人中の過半数をとっている。少数者の意見も聞き入れつつ、意思決定もちゃんとできる。そういうハイブリッドができるのが、日本の小選挙区比例代表並立制というしくみなんです。 2枚の投票用紙を最大限活用する方法2枚の投票用紙を最大限活用する方法おときた:この制度というのはすごく面白くて、小選挙区ではA党に入れるけど、比例代表ではB党に入れる、ということもできる。小選挙区では1人しか受からないから、どんなに頑張ってB党に入れても、いわゆる死票になっちゃう可能性が高い。だから、あえて受かりそうな人に入れるか、接戦のときにどっちかに入れて、勝たせようとするか。比例代表というのは、小さい政党に入れると効果が高いです。小選挙区では勝ちそうにないけど、どうしても○○党が好きで彼らに頑張って欲しいというのだったら、比例代表で入れれば1議席とか2議席とか取れるかもしれません。こういう投票行動を戦略的投票といいますが、たった1票でも戦略をもって投票することで、うまく自分の思いを託す代表者を国会に送り込むことができるわけです。 質問者:比例で1枠とったとしても、そんなに影響力がないような気がしてしまうんですが、実際はどうなんでしょうか? おときた:1人でも、参議院では結構力を持っています。たしかに総理大臣と議論するような時間はもらえないですが、議員はいつでも質問主意書っていう紙で官僚組織に質問できるんです。そうすると、官僚は質問主意書に大臣の誰かの印鑑付きで答えなきゃいけない。それを出しまくることで、世論の力を借りて政治を動かしていくことができるんです。 福島みずほさんとか山本太郎さんとかは、それでめちゃくちゃ活動している人たちです。官僚組織にとってはそういう人が1人でもいるとものすごく大変なので「嫌がらせ」という言い方もありますが、それをちゃんとネットで公開して、「こんなとんでもない回答が返ってきた」とバンバンやって議論を焚きつければ、それで世論に影響を与えることができる。それは全然一人でもできます。なのでそういう意味では、比例代表は結構いい制度だと思います。第三部「どうやって投票先を決めたらいいの?」おときた:じゃあ最後、投票先をどうやって決めたらいいのか、についてお話していきます。まず基本的な考え方としては、今の社会に不満があるかないかで投票先を判断します。選挙というのは何年か一度にありますが、それは政治に対して正しいか正しくないかをジャッジメントする機会なんですね。この3年間、ないし4年間は良かったのか悪かったのかを考える。良くなかった、いまの社会が嫌だというなら、野党に投票すればいいんです。 余談ですけど、僕が政治家になろうと思ったのは、僕があまりにも女性にモテないからです。こんなにモテないのは社会がおかしいんじゃないかと。この社会を抜本的に変えるためには政治を変えなきゃいけないと。そう思って政治家になろうとしたのが僕です。女性たち、ドン引きしないでください(笑)。 妹尾:(モテない原因は)髪型だと思います。 おときた:すみません。小泉進次郎を意識したんです(笑)。まあそれは余談ですけど、そういう風に不満があれば野党に入れる。いまは不満もないし、ということであれば、いまの政権を担っている与党に入れればいいと。これが基本的な投票行動です。ここまではわかりやすいですよね。 でも、どうしても、そんなこと言ってもよくわからん、野党といってもいっぱいあってどれがいいかよくわからないし、でもなんか行かなきゃいけないから誰かに入れたいってときは、こう稽えてください。まず、男性の政治家か女性の政治家かで言えば、女性に入れてください。そして、若い政治家か高齢の政治家で言うなら、若い人に入れてください。 妹尾:じゃあ、若い女が最高なんですね!? おときた:その通りです(笑)。なぜなら、いまの日本の議会って女性の議員が極めて少ないんですよ。国会で11%ぐらいしかいない。もうオッサン社会なんです。オッサンの論理で物事が決まってしまっていて、子育て支援とか、オッサンが理解しにくい問題はなかなか変わらないわけです。となればやっぱり、マイノリティの意見を取り入れたほうが状況は変わりやすくなる。  若い人というのも同じで、いま国会の平均年齢ってだいたい53歳とかなんですね。でも日本人の平均年齢って40代だから、圧倒的に年寄りが多い。そんな中で20代、30代の議員がもっと増えないと、教育にお金を使おうとか、子育てにお金を使おうとかやっぱり思わないわけです。そういう常識を変えていくには、新しい人材のほうが、変化を起こしてくれる可能性が比較的高い。  だから、確率論で言えば、若い女性の政治家が一番変化を起こしてくれるポテンシャルを持っている政治家だということになります。 「マニフェストに書いてることって語尾が濁されている」妹尾:それはわかるんですけど、マニフェストももうちょっとどうにかならないかなと私は思っていて。マニフェストに書いてることってすごく語尾が濁されてるじゃないですか。「〜しようと思います」とか「検討します」とか。それが言い切り型じゃないのって、どこかずるいなって感じがするんですけど、あれはなんで言い切らないんですか。やれなかったとしても、「ごめんなさい」で済むじゃないですか。 画像はイメージですおときた:「ごめんなさい」で済まないからだろうね(笑)。要は保険をかけているわけですよね。できなかった時に、「いや、検討するとは言いましたけども、やるとは言ってない」みたいな。 妹尾:そっちのほうが意地汚いな。 おときた:うん。マニフェストってよく読んでも真面目な人ほど損するのは、結局いいことしか書いてないんですよね。あれもやります、これも実現しますって書いてあるから、結局この政党は何をしてくれるのかわからない。だからポイントとして見てほしいのは、マニフェストの最初に何を持ってきているかということ。内容は大して変わらないから、一番上に持ってきている政策が何かで、この政党が一番何を重視しているかがなんとなくわかるわけです。安倍さんなら経済を持ってきているし、共産党だったら安保法案廃止、憲法改正反対を持ってきている。向こう3年間で何を強調してやろうとしているかっていうのは、この順番にすごく表れるんです。だから、それを投票の参考にするのはありだと思います。 あと、僕はぜひ若い人たちに仕掛けてほしいと思っているのは、自分の選挙区の候補者にTwitterとかFacebookで質問をぶつけてみるということ。政治家たちはみんなTwitterとかFacebookをやらなきゃいけないというのはわかっているから結構アカウントを持っているので、そこに「18歳で初めて選挙に行きます。これはどうなんですか。一番丁寧な答えを返してくれた人に比例で投票します」とか言って質問を投げてみる。すると、それにちゃんと丁寧な答えを返してくれるのか、あるいは無視するのかで、本当にネット選挙とか若者向けの政策を真面目にやろうとしているのかがわかると思います。 質問者:選挙に出られる年齢って、確か衆議院が25歳以上で、参議院が30歳以上とかだった気がするんですけど、それだといざ若い人に入れようと思っても、私から見たらおじさんおばさんたちしかいないから、正直誰に入れたらいいかわからないです。若い人が選挙に出られるように変わらないんでしょうか。 おときた:今回18歳選挙権を受けて、実はほとんどの政党がマニフェストで「被選挙権の年齢を引き下げます」というふうに書いています。でもそれをどこまで本気でやろうとしているのかというのは、さっきの妹尾さんの質問じゃないけど、政党によっては「検討する」とか「やります」だったり違いがあるから、そこは見てみると結構面白いですね。 ただ、そのときよく注意してほしいのは、被選挙権の年齢が下がるだけじゃ意味が無いということです。実は、選挙に出る時のもう一つの条件に供託金というのがあって、国政選挙だと300万円もします。どこの世界に、18歳で300万円積める人がいるでしょうか。結局、世襲の2世かタレントしかいないわけです。これを下げないということは、彼らはポーズでやっているだけとしか思えない。 彼らは、若い人が出てきたらライバルになっちゃうから、それを恐れているんです。若い女性は特に票を集めやすいから、そういう人たちが入ってこれないように、参入障壁を高くしておこうとする。そこをしっかり僕らが「当然お金も下げてくれますよね?」「下げなんだったら入れないですよ?」とプレッシャーをかけていく必要があるんです。 妹尾:私はいま18歳なんですけど、それで最近18歳選挙権がらみのお話をいただくことが多いんですね。で、そうやって政治に触れる機会が増えると、少し興味関心が増えていっている気がするんですが、でもやっぱり普通の10代の人はこういう場所にはいないですよね。18歳選挙権を導入します、18・19歳の人は選挙に来てくださいって言う割には、そんなに私たち10代が政治に触れる機会ってないなというのを感じているんですが、その点についてはどう思いますか。 おときた:いい質問です。これはやっぱり、「票育」、つまり教育現場でちゃんと教育をしなきゃいけないということに尽きると思います。 いったいこの18歳選挙権の何がチャンスかというと、実は高校生が投票に行けるようになることなんです。大学で学生が一堂に会する機会ってなかなかないんだけど、高校だと毎朝ホームルームがあるよね。で、投票日は日曜日だから、月曜日の朝のホームルームで投票結果を受けて、学校の先生が「いやあ、昨日は選挙だったけど、君ら選挙行った?」とか「投票の結果こうなったけど、どう思った?」とか聞けるわけです。そうすると、高校生はいろいろ考えるようになるから、すごくいい機会になる。そういう票育、あるいは主権者教育をちゃんと今後やっていくかどうかが、ひとつの鍵になるかと思います。 あとは、18歳だと親と同居している人がまだ結構いる、というのも大きい。僕は以前、スイスに視察に行ったことがあるんですが、スイスでは16歳から投票に行ける州が増えているんです。なぜかというと、16歳はまだ実家にいることが多いから、投票日が日曜日とかだと「ほら起きなさいアンタ、投票行くわよ!」って言われて、親に連れていかれる。それでああだこうだ話しながら家庭内で教育が行われる。一回投票に行ってしまえば、その癖が17歳、18歳にも続くから、継続して行くようになる、ということです。実際、一度16歳で投票に行った人は、将来にわたって投票する癖がつくという研究があります。 政治的に真っ白な子どもたちに政治の話を吹き込んでいいのか質問者:外国の人と話すと、本当に自分の国のことをしっている外国人の人が多くて、例えば今回のアメリカ大統領選とかでも、Aという候補者にはこういうマニフェストがあるから私は入れない、とかそういう議論を熱心にやっていて驚くことがあるんですが、日本でそれが起きないのってやっぱり教育が原因なんでしょうか。 おときた:欧米で昔から当たり前に政治教育をやっていたかというと、そうじゃないんですね。ドイツとかでも教育者が10代みたいな政治的に真っ白な子どもたちに政治の話を吹き込んでいいのかっていうのはすごい国民的な議論がありました。でも最終的には、政治教育の三か条みたいなものを作って解決したんですね。「特定の思想を押し付けない」「反対の意見もちゃんと聴かせる」「最後は生徒自身の言葉で喋らせる」とか。そういう最低限のガイドラインを守ったうえで、教師は教育現場で政治の話をどんどんしましょう、ということを、国民的な議論を経て決めていったんです。だから日本も、そういう風に議論して、政治教育を前に進めなきゃいけないんじゃないかな、ということを僕は個人的には思っています。 小木:僕はいまアルバイトで塾の先生をやっているんですけど、子どもたちに社会を教えているときに、「安倍総理は憲法を変えるから悪いやつだ!」とか急に言ってきて、「え、そんなこと思ってるの?」とびっくりしたことがあります。「それはなんで?」って聞いたら、「テレビで放送されているから、そうに決まってるじゃん」みたいに言うんです。それってなんかすごい残念だなと思っていて。反対意見とか、もっといろんな意見があって、それを全部知ったなかでそうだっていうんだったらわかるんですけど、でもそうじゃない。学校教育だと決まったことしか教えてくれないから、テレビの偏っている放送を見ているとすぐ染まっちゃうんだと思います。これからもっと投票できる年齢が下がっていって、若い人も政治参加していかなきゃいけないっていうときに、どういう教育をすれば、若い子たちが正しい情報を得られるようになるんでしょうか。 おときた:それって日本の教育現場の根本のあり方の問題だと僕は思うんです。日本の教育では情報を与えるわけですよね。あれは悪いとか、どこどこを侵略しました、とか。でも、魚釣りで言えば、本当に大事なのって魚を与えることじゃなくって、釣り方を教えることなんです。世の中にはいろんな情報があって、こういう立場があって、それを取捨選択するやり方を教えるのが、本来の教育であるはずです。与えるべきは釣り竿であって、釣り竿の使い方を教えるのが本来の教育のやり方なんです。 知ることから始めよう。おときた:じゃあ、締めに登壇者のみなさんから感想をいただきましょうか。 妹尾:そもそも感じたのは、「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」っていう疑問が生まれること自体、本来ちょっとおかしいことなのかな、ということです。それってたぶん、テレビが政治についてやっている内容がどれもあんまりいいものがないのが大きな理由なのかなと思います。やっぱり、今日みたいな機会で選挙とか政治についてお話を聞けば少しなりとも興味は出てくるものなので、やっぱりこういう機会は必要だなと思いました。 三上:選挙については本当になにもわからなかったんですけど、自分が勉強しないとなにもわからないんだなと。これからどんどん知っていくようにするのが大事かなって思いました。 森:自分も、選挙とか政治についてはそんなに知らなかったので、もちろん自分のまわりの同じ世代の若者の人たちでも絶対わからない人たちがいるんですよ。その人たちにもしっかり伝えて、まわりの人の考え方も変えていけたらいいなと思います。 小木:僕も一緒です。そこに事実としてあるのにそれを知らないって、すごくもったいないことだなって今日の話を聞いて思いました。あとは、このお話を聞く前はどうしても政治って遠いものだなと思っていたんですけど、今日のお話を聞いて、わりと親しみやすいんだなって思いました。まずは次の選挙に行ってみようと思いました。 おときた:ありがとうございます。いよいよ7月10日は、参議院議員選挙です。今日の僕の話を聞いて、選挙のことや日本のことを考えるきっかけにしていただき、ぜひ7月10日、行けない方は不在者投票でもいいです、ぜひ投票に行っていただいて、みなさんの意思を国に伝えて、政治を動かしていっていただければと思います。どうもありがとうございました。

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    政治参加の正しい方法って何ですか?

    らご発言、ご意見、場外乱闘など、ご自由にご参加いただきたいと思います。女性 私は秘密保護法案をはじめ政治的なことに関心があるんですが、周りにはそういう人があまりいないんです。たとえばバイト先では、お子さんのいる40代中心のパートの人たち10人ぐらいと一緒にお昼を食べるんですが、そういう話題を出すことにはやっぱりためらいがあります。首相官邸前の集会やデモに行けば、そういう話ができる人がいるけれど、その輪をもっと広めるために、政治に関心のない人にどう伝えればいいのか。政治的な話を嫌う国で、それを違和感なく話題にする方法について、何かいいアイデアがあったら教えていただきたいと思います。國分 どうだろう。自分がどういうふうに実践してるか、今思い出そうとしているんですが、上野さん、何かパッと思いつくことがありますか。上野 今のご質問のような苦労を、上野はしたことがないので、理解できません(笑)。ご飯食いながら、「自民党、ひどくない?」と言えばいいんじゃない?國分 いや、そう言うと離れていってしまう人の心もあるんですよ。上野 そうなの?(会場、笑)。私ね、自分の周りにさ、自民党に投票した人がいないから、「自民党のどこがいいの?」と聞けないの(会場、笑)。國分 僕は自民党の支持者の友だちもいますよ。模擬投票を行う高校生。参院選では新たに18、19歳が有権者に加わり一票を投じる上野 あら、そう? 私の周りには全然いないの。寄ってこないのよ。だから困っちゃうのよね。國分 寄ってこないでしょうね、そりゃ(笑)。思い出しましたが、僕が心がけているのは、堅い話とそうでもない話を織り交ぜることですね。それはツイッターでもけっこう意識している。上野 ご飯食べながらおしゃべりしてるときにさ、「あそこでこういうセールやってるの、なかなかいいよね。ところで自民党ひどくない?」って言うのはまずい?(会場、笑)。嫌われる? ほんとに引かれるの?國分 いや、今の言い方だったらいいかなと思いました(会場、笑)。上野 だって女子会ってこういうものなんです。男の子たちがどんな話をするのかわからないけど、コスメやバーゲンの話をしながら、ついでに特定秘密保護法とか、杉並区の待機児童問題の話も一緒にやっちゃう。要するに形而上から形而下まで全部しゃべっちゃうのが、女子会トークのとってもいいところなんだけど、男の子って違うのかしら?國分 いや、うちのゼミも同じですよ(笑)。だけど、僕は今の方のお気持ちはよくわかります。伝え方を間違えると、仲間外れは大げさだとしても、引かれたりとか、なんとなく距離をとられてしまうことはあるでしょう。だから、多少テクニックは必要になってくると思います。 でもそういった関心をお持ちになって、どうやったら話ができるかなってお考えになるのは、とても大切なことだと思うんです。僕は「自分も何かしたいけれど、いったい何をしたらいいんでしょう?」と尋ねられると、いつも、「まず隣の人に話してください」って言うんですよ。話すって素晴らしい政治活動なんですね。話を聞いた人が、自分でも考えてくれるようになるわけですから。だから上野さんのように「自民党ひどくない?」と言わないで、「今、秘密保護法とかなんとか言ってるよね」と切り出すとか、専門用語を使わないとか、そういうところに気をつけるといいのではないでしょうか。上野 「ひどくない?」というのは、エモーショナルなレスポンスなんです。感情は大事ですよ~。國分 はい(笑)。エモーショナルであるのは大切ですね。僕のゼミの飲み会にほかのゼミの子が来ると、「國分ゼミは飲みながらこんな難しい話をしているんですか」って驚くんです。で、同じ会で、下ネタも話してることに驚く(笑)。上野 やっぱり、形而上から形而下まで落差を同時に生きるっていう、これが大事。どちらか一方はまずいですね。國分 それは非常に大事だと思いますね。あんまり参考にならなかった気もしますけど(笑)、とにかくそれは大切なことだと思いますので、頑張ってください。「私は中立」という態度が最もタチが悪い「私は中立」という態度が最もタチが悪い男性1 僕は海外開発援助の仕事をしようとしていたら事業仕分けされて、仕事がなくなっちゃったので、いま大学で哲学を学んでいます。お伺いしたいのは、政治活動のやり方、運動の仕方というか、スタンスのとり方です。僕は青年海外協力隊でケニアに行っている間に、政治活動で家を焼かれたり、国外強制退去になったりしたことがあります。 それで政治的な活動からいったん離れて、哲学という世界で、隠れて生きるとまでは思わないけれど、自分の許せる仲間だけをちゃんと信じて生きていくような方法がいちばんいいんじゃないか、っていう結論に至っていたんです。でも今回、上野先生のお話を聞いて、まともな政治方法は代議制民主主義しかないのかと思っていたんですが、もう一度考え直す方法があるんじゃないかと思いました。そのためにも、正しい政治活動についてお聞きしたいと思います。國分 その前に、僕、非常に関心があるんですけど、家を焼かれちゃったというのは、ご自身の活動と関連していますか。それとも単なる放火ですか。男性1 大統領選挙で国が荒れてしまいまして、すぐ帰れるからと言われて首都に避難していたら、暴動になって家を焼かれて帰れなくなってしまい、そのまま国外強制撤去になりました。國分 じゃあ、ご自身の活動が妨害を受けたわけじゃないんですね。なんで僕がそれを聞いたかというと、哲学者のジジェクっていう人が、確かこんな事例を紹介しているんです。「反政府主義者が最初にぶっ殺したのは、中立を主張する海外団体だった」、と。ちょっと正確に覚えてなくてすみません。 僕は中立を主張するということは、ある種最も嫌われるというか、最もよくないと思っているんです。政治的主張っていうのは絶対に偏りがあるものだと思うんですね。 今回の住民投票運動では、主張をはっきり打ち出すことを、多少薄めた気持ちではあるんですけれども、ただ、「やっぱり僕は反対派なんだ」と思っています。その上で、「でも、賛成派の意見はもちろん聞きます」という態度でやりました。「中立なんですよ」という態度で出てくるものが、実は最もタチが悪いし、最も危険であるし、最もメジャーなものに利用されると思います。僕自身、中立を装う人をいちばん信用しないですね。上野 100%賛成ですね。彼の質問には答えてないけど(会場、笑)。國分 答えてないですか?(笑)。上野 今の方の質問に答えると、正しい政治参加の仕方というものはありません。さまざまな政治参加の仕方があって、そのなかに、楽しい政治参加の仕方と、楽しくない政治参加の仕方があります。だとしたら、さまざまな政治参加のなかで、ご自分が楽しいと思われる政治参加の仕方を選ばれるのがいちばんいいんじゃないでしょうか。國分 まったくそのとおりですね。「楽しい」というのをね。 あと、もし哲学を勉強なさっているんだったら、僕の人生相談の本(『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版)のなかで、犬儒派の哲学者を紹介していますから、そのことをちょっと考えてみるといいかもしません。彼らは社会規範を蔑視して自然のままに生きることを是としていたんですが、プラトンなんかからは「お前らは犬みたいな生活をして引きこもっているだけで、社会に対して何の役にも立たない」とバカにされたんです。プラトンはメジャーになることを目指し、そしてメジャーになった。 僕は犬儒派って大好きで、特にディオゲネスが好きなんですが、でも、あれでよかったのかなとは考えます。プラトンがとったメジャー路線か、それともマイナー路線か、どっちを行くのがいいのかとかを考えてみることは、哲学の問題としては面白いかもしれないと思います。上野 感想ですが、「正しい」というボキャブラリーが出てくるところが、哲学に洗脳された効果ですね(会場、笑)。でも、いいと思います。國分 哲学、そんなことないですよ(笑)。傍観者をやめ、当事者に「なる」傍観者をやめ、当事者に「なる」男性2 國分さんのツイッターで、今日(2013年12月4日)こんな発言がありました。「こういうことをしているとどうなるか。政治秩序を最終審級において支えている、あの力がどこからか出てくる可能性がある。普段は『仕方なくルールを守る』という形でそれが出現することが妨げられているのに、それが守れなくなるわけだから。本当に恐ろしい」。 今まさに秘密保護法案が採決されそうになっていて、上野先生がお嫌いな議会制民主主義さえもう守られないという状況になっている。そこで國分さんのおっしゃる、「政治審級を支えるあの力」というのは何なのかお聞きしたいと思います。またそれがどういうかたちで現れてくるかをお聞かせ願えたらと思います。國分 それは簡単で、暴力のことです。政治秩序を支えているのは、最終的には暴力ですから、今までは守られていた秩序の決まり事や建前が守られなくなると、暴力が出てくる可能性がある。一般に、政権についている与党にも、もちろん、これ以上やるとマズイだろうというリミットがいろいろあるわけですよね。そういうものを見極めながら、政権運営していくわけです。ところが、今の政府は、素知らぬ顔をしていれば、どんなことをやっても数の力で押し通せるっていう感じになってきている。 たとえば、昨年夏の参院選は一票の格差があるから違憲だったという判決が、各地の地裁で出ているわけですよね。そうしたら、ごく常識的な判断から言えば、その参院に重要法案の決定をさせるっていうことはやっぱりおかしい。裁判の最終結論が出るまで、置いておくとかとすべき。 あるいは、「反対する世論がここまで盛り上がっているんだったら、その言い分をちょっと聞いておかないと、次に何かヤバいことが起こるかもしれないから、今国会での成立はあきらめよう」とか、昔の自民党のおじいさんだったらそう判断したと思うんですよ。だけど今はそういうことを教える派閥の教育機能なんかも失われている。 今日はまだ秘密保護法案を採決してないですよね。もし今日採決するなんていうことがあったら、ちょっと何が起こるかわからない。反対派の一部が暴徒化すると、権力がその機に乗じて暴力を使ってきますから、そうするとまた反対派の暴力はエスカレートする。僕はこれをいま非常に恐れています。上野 おっしゃるとおりですね。民主主義を含めて政治というのは、非常に危ういバランスの上にかろうじて暴力を抑えているところがある。コントロールできなくなるのは、民衆の側よりもむしろ権力の側の暴力です。秘密保護法案というのは、知らないで犯してしまった罪でいつ牢屋にぶち込まれるかわからないという法律だから、この国が収容所列島になりかねない。暴力の問題は、政治の背後にいつでも不気味に控えているので、民主主義と暴力の問題を考えることは非常に重要です。國分 秩序って、ほんとに簡単に壊れるんですよ。僕はパリでデモ隊が暴徒化するのを何度も見ました。アパートから外を見下ろすと、下に止まってる車を高校生が平気でボコボコにしたりしてるんですよ。 フランスはそういうことに慣れているけれども、日本は慣れてないから、そういうことが1回起こると、どう広がっていくかわからないですよね。それが怖い。上野 秩序は簡単に壊れるとおっしゃいますが、私はもっと恐ろしいことを考えます。秩序自体が暴力で維持されているという事実があります。國分 もちろんそうです。だから、みんながなんとなく建前を維持することで、暴力の発動を回避しているわけですけど、ここまで建前を無視するようなことを政治の側、統治している側がやり続けると、ちょっと恐ろしいなと思います。上野 暗くて深い結論になってしまった。どうすればいいでしょう(会場、笑)。まあ、こういう風雲急を告げる切迫した事態に私たちがいる、と自覚していただくということでいいんじゃないですか。國分 はい、そうですね。上野 皆さん方に当事者になってもらわなくちゃ。傍観者でいてもらっちゃ困るよね、っていう結論でいいのよね?國分 はい。僕は聖書のなかの「善きサマリア人のたとえ」というエピソードが好きなんです。あの話ではイエスが最後に、「サマリア人の隣人となった者は誰か?」と聞くんですよ。「誰がサマリア人の隣人であるか」と聞くんじゃなくて、「誰がなったか」と聞く。当事者というのは、やっぱり「である」ものじゃなくて、「なる」ものだと思います。 今日はありがとうございました。(構成 長山清子)うえの・ちづこ 1948年、富山県生まれ。東京大学名誉教授。立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授。認定NPO法人WAN(ウィメンズアクションネットワーク)理事長。東京大学大学院教授を2011年に退職。日本における女性学・ジェンダー研究のパイオニア。近年は介護とケアへの研究領域を拡大。著書に『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『家父長制と資本制』『生き延びるための思想』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(法研)、『女ぎらい』(紀伊國屋書店)、『ケアの社会学』(太田出版)、『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)、『快楽上等!』(湯山玲子氏との共著、幻冬舎)など多数。新刊に対談集『ニッポンが変わる、女が変える』(中央公論社)、共著『毒婦たち』(河出書房新社)。こくぶん・こういちろう 1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。主な著書に『スピノザの哲学』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版社)など。『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)は、地元・小平市の住民運動への参加をとおして、現代の民主主義を新たな視点で捉えなおした話題作。関連記事■ 「民主主義イコール多数決」ではない■ 直接民主主義VS.間接民主主義の二項対立発想ではダメ■ 民主主義についてよく語られる時代は民主主義危機の時代

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    18歳選挙権 自民、民進の若者向けアピールは迷走

    ンフの冒頭には、「軽いノリじゃダメですか?」とのキャッチで始まる“若者啓蒙マンガ”が掲載されている。政治に疎い女子高生がイケメンで政治意識の高い男子と仲良くなるため、選挙の勉強をする物語だ。 しかし、女子高生が「さんいんナントカって私も行けるんだっけ!?」と尋ねるなど、「『女子高生は政治に無知で構わない』と言っているようなマンガ」(ジェンダー・漫画研究家の堀あきこ氏)と批判が集中。図らずも参院選公約にも掲げた女性活躍社会の看板の薄さを露呈してしまった。 各党は学生との交流にも積極的だが、やはりどこかズレている。安倍晋三・首相は6月10日、遊説先の奈良県で新有権者となる学生と昼食し、「選挙、(投票先は)誰か決めている?」と唐突に問いかけた。公示前で候補者名もわからず、戸惑う学生が「まだです」と答えると安倍首相は苦々しく笑うばかりだった。「仮面女子」と」共演し、楽曲を熱唱する民進党の枝野幸男幹事長=幕張メッセ さらに迷走するのが民進党だ。6月9日に生放送されたネット番組では、山尾志桜里政調会長がモデルらと「女性の社会進出」をテーマに「女子会」を開催。「しおりん」と呼ばれた山尾氏はかつて子役を務めたミュージカル「アニー」のポーズで写真撮影をキメた。 枝野幸男幹事長は4月29~30日に千葉市の幕張メッセで開かれた「ニコニコ超会議2016」で地下アイドルグループ『仮面女子』とコラボし、ステージ上で歌とダンスを披露した。汗だくでタオルを振り回し、「普段政治に関心のない人にも、あんな政治家いたなと思ってもらえたら」と“手応え”を口にしたが、2月に秘書が仮面女子のメンバーを幹事長室に“連れ込んだ”と公私混同が問題視されており、その言葉は軽く聞こえる。 数々の調査で「将来の総理候補」と評される民進党の玉木雄一郎・衆院議員はハフィントン・ポストの企画で行なわれた若者との対談で、「投票先を選ぶ時は、新しくスマートフォンを買う気持ちで」と発言。機種のカタログを見るように候補者の政策や経歴を調べようとの意図だが、スマホと選挙を同列に扱うセンスに違和感を覚えた若者は多い。関連記事たけし提言「選挙権をやるなら、18歳に少年法はいらねェよ」衆参ダブル選挙 18歳選挙権拡大が混乱の大きな火種に18才選挙権に異論「ろくでもない男を追っかける時期なのに…」日本だけ高い被選挙権年齢制限 米国では18歳市長登場の例も前回総選挙で約45%の投票者が60代以上 高齢者支持で当選圏

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    見識なき若者の政治的関心だけで「良い社会」になるとは限らない

    なっているため、選挙権年齢の引き下げは人数的に微増だが、打開のきっかけとなり得る」、そのほか「若者の政治的関心を高めることにつながるから」という意見もあった。 こうした意見は、政治に関心を高めるキャンペーンに取り組む若手政治活動家の間で、よく主張されている内容と同じだ。ただ、これらの主張を聞いて、私はいつも感じることがある。彼らの意見は、確かな知識やデータに裏付けされたものなのだろうか。感覚だけで公に言葉を発してはいないだろうか、と。 例えば「18歳で働いている人がいるから選挙権がないのはおかしい」との意見を考えてみる。これは18歳以下の人であっても働いているならば選挙権を与えるべきだという主張が成り立つ。「安保法制の反対を声高に叫ぶ人々が、デモに行く前に2時間程度でも外交の専門書を読んで街頭に立てば、より論理的な話ができたと思う」という発言をした人もいたが、最近は政治を知的に考える姿勢が蔑ろにされてはいないだろうかと思わざるを得ない。安全保障関連法に反対する高校生グループのデモ=2月21日、東京・渋谷 本稿では、冒頭に紹介した学生たちの意見を参考にしながら、より具体的に18歳選挙権の意義を考えてみたい。 まず、「18歳選挙権がシルバーデモクラシーを打開するきっかけとなり得る」との主張については、二つの側面がある。一つは人口の規模である。シルバーを65歳以上と定義したとき、総務省統計局の統計によると人口は3189万8千人であり(平成25年10月現在)、20代の人口は1307万4千人、30代は1668万3千人で、20代と30代を合計すると若い世代の人口は2975万7千人となる。 では、18歳選挙権が加わると、投票に参加できる人口は一体どのくらい増加するのだろうか。18歳と19歳の人口は247万人。このためシルバー層の人口3189万8千人に対して、若年層の人口は3222万7千人となり、18歳と19歳が加わることで、選挙権を持つ若年層はシルバー層を上回った(若年層を10代と20代に限定するならば、シルバーデモクラシーの打破は人口的には無理があるが)。従って第一条件である人口の問題は解決することになる。18歳選挙権は政治的関心を維持させる装置 しかし、もう一つの側面を見る必要があり、それは18歳選挙権によって、20代および30代の投票行動が変化するか否か、である。人口面ではクリアしても、実際に投票行動に変化がなければシルバーデモクラシーを打破することはできないからである。この効果は実際に結果を見てみなければわからない。来月7月10日の投開票を待つ必要があろう。 その上で、18歳選挙権がないことが、結果として20代以降の政治的関心を左右しているという分析を紹介したい。 これは慶応大教授の小林良彰氏が憲法審査会で述べたことである。小林氏は、若者の政治的関心が低い原因を、18歳を含む高校生の境遇三構造分析から導き出し、その最大の要因を「自分自身が政治に働きかけることができるかどうかという内的有効性感覚の欠如にある」とした。2015年6月に開かれた衆院憲法審査会 まず、18歳という年齢が重要なのはなぜか。それは多くの場合、年齢を重ねるにつれ、「政治経済」や「公民」の授業を通して現代日本の様々な課題を学び、「18歳」はそれについての関心が芽生える機会を得る時期である。 しかし、こうした機会を得ながらも、実際の選挙で投票する機会を得るのは早くても2年先、長い場合で4、5年先となっていた。「自分は何も関与することができない」という若者が、内的有効性感覚を持つことは難しい。 これはつまり、18歳にとっては投票行動を待たされている間に政治への関心が薄れていき、それが世代効果を通じて、その後の政治的関心にも影響しているとの分析である。この点で、18歳選挙権とは政治的関心を維持させる装置になり得ることが分かる。 筆者自身は今年21歳となり、すでに選挙権を有しているため、18歳選挙権を付与された世代の感覚を完全に理解することはできない。ただ、言えるのは、18歳選挙権によってシルバーデモクラシーが打破され、若者の政治的関心が高まっても、それ自体は評価に値しないということである。 結果として「良い社会」「良い政治」が実現されたときに初めて意義を感じるものであり、政治への関心を高めた結果が「悪い社会」「悪い政治」であれば日本に明るい未来はない。 民主主義とは、これら両方の可能性を秘めた政治形態であり、そこに落とし穴があるのではないかと強い危機感を抱く。だからこそ、知識や教養、見識を磨くための努力も同時に重視すべきではないかと切に思う。

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    18歳に政治参加を期待しても無駄である

    参院選が公示され、目玉トピックは18歳選挙権である。そもそも全有権者のわずか2%に過ぎない240万人の民意で何が変わるというのか。表題のように、タカをくくっているお年寄りも多いだろう。若者よ、もっとシルバー民主主義の現実に怒り、一票を投じて「老害」どもの鼻を明かせ!

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    トリガーは18歳選挙権 動き始める「シルバー民主主義」からの脱却

    票に行くことができるようになった。  18歳選挙権にはどんな意義があるのか。例えば、若い世代の意見が政治により多く反映されることで、世代間格差の解消に向けたトリガー(引き金)となるという点が挙げられる。世代間格差については賛否両論があるが、生涯における社会保障費等の受益と負担の差が、高齢世代と将来世代では9000万円超に上るという推計もある。全国初の「18歳選挙権」が実施される見通しの滋賀県日野町で投票体験する高校生 その背景には、少子高齢化時代に突入し、高齢者より若者の人口に占める割合が低くなってきていることに加え、国政選挙の投票率を見ても、60代の投票率は20代に比べて約30ポイント以上も高いことから、高齢者の意見や要望が政治に反映されやすい「シルバーデモクラシー」が指摘されている18歳選挙権の適用によって、若者の意見をより政策に取り入れ、「世代による偏り」をできる限り抑える政治を行うことで、世代間格差の拡大にブレーキを掛けることが期待されている。 実際、今回の参院選では、各党の公約に若い世代を意識した政策が盛り込まれている。給付型奨学金の創設や出産・子育ての支援充実、被選挙権年齢の引き下げの検討等が目白押しだ。 また、各党は「ニコニコ超会議2016」等の若者が多く集まるイベントに出展したり、高校生や大学生を招いた意見交換会を催したりと、これまでの選挙以上に、若者の意見に耳を傾け、投票先に選んでもらおうとする姿勢が見られる。パフォーマンスと切り捨てることは簡単だが、各党が若者に向き合うことで「シルバーデモクラシー」から脱却し、世代間格差の解消への挑戦を始めたとも言える。 一方、18歳選挙権には課題もある。それは低投票率だ。2014年12月に実施された第47回衆議院議員総選挙で、20代の投票率は32.58%に留まり、約7割が棄権している (総務省HP「衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移」)。「明るい選挙推進協会」の調査 によると、20代が棄権する主な理由には、「選挙にあまり関心がなかったから」や「政党の政策や候補者の人物像などの違いがよくわからなかったから」等が挙げられているが、同様の理由で、選挙権を得た18・19歳が選挙に行かない可能性もある。 そもそも、18歳選挙権の適用で有権者となる約240万人は、全体の有権者数に占める割合で見ると約2%に過ぎない。18歳選挙権の導入により、前述のように政党が若い世代に向き合おうとしているにもかかわらず、10代の投票率も低い水準に留まってしまった場合、若者の意見が政治に反映されるチャンスを失ってしまうかもしれない。ドイツの取り組みがヒントになる もちろん、筆者は「何でもいいから投票に行こう」という考えには賛同しない。政党の政策や候補者の主張について十分に判断ができなかったり、自分なりの意見を持たないまま投票に行くことは、衆愚政治に繋がる危険性があるからだ。それでは、どうすれば18・19歳の新しい有権者は、自分なりの意見をもって投票に行けるようになるのか。 この課題を考えるヒントを提供してくれるのは、日本よりも早く18歳選挙権を導入し、若者の政治参加に長年取り組んできた欧米諸国である。例えば、ドイツでは、若者たちが国政選挙に際し、興味深い「選挙キャンペーン」を実施している。その一つが「立ち位置(STAND.)」という署名活動だ。 これは、国会議員の候補者に対して、「立ち位置」と書かれたポスターを見せ、若者に関する政策への賛同の是非を問うものである。仮に、候補者が「若者のために全力を尽くします」と書かれた宣言に署名し当選した場合、若者たちは「あなたは署名したが、実際に議会等で若者に関する政策の働きかけをしているのか」というモニタリングを行うという。 この他にも、選挙権を持たない18歳未満も含めて投票機会を与える「U18」という模擬選挙のキャンペーンも全土で実施されている。若者たち自らが選挙のための教材を作成し、争点を整理し、模擬政党を作って議論し、投票箱を作成し、模擬投票の結果を「選挙特番」としてオンラインで発表している (小串聡彦・小林庸平・西野偉彦・特定非営利活動法人Rights2015「ドイツの子ども・若者参画のいま」p.63-68)。ドイツ連邦若者協議会による「立ち位置(STAND)」&「U18 」選挙キャンペーンのポスター さらに面白いのは、この選挙キャンペーンの主体は大人ではないという点だ。これらは、若者たちが政治に対する自分たちの意見反映や利益向上に努めるために組織された「連邦若者協議会」が仕掛けている。この会は、600万人以上の会員を擁するドイツ最大の若者団体だ。ドイツでは、若者の声を政治に反映させるための「ロビイング」が様々なかたちで行われており、「連邦若者協議会」も大きな影響力を有しているという。 このようなドイツの取り組みからは、選挙に対する若者の姿勢が徹底して「ポジティブ」であることが見受けられる。そこには、「投票してもどうせ政治は変わらない」とか「どの政治家も一緒だろう」などのネガティブな印象はない。 政党や候補者の違いについて、選挙キャンペーンを通じて、自分たちで情報を収集し、どこに投票するべきなのかを熟慮し判断しようとしているのである。もちろん、歴史や文化、国民性等が異なるドイツの事例を日本にそのまま導入することは望ましくないだろう。ただ、「自分なりの意見をもって投票に行く」ことの一つのあり方として参考になるし、日本の若者たちならではの「ポジティブな政治との向き合い方」を模索するヒントにはなるのではないか。18・19歳を含めた若者たちには、各党や候補者が発信している政策や主張を比べつつ、街頭演説や討論会、ソーシャルメディア等を活用して、候補者の主張を聞いてみたり、質問を投げかけたりすることで、ポジティブに選挙に関わってほしい。ドイツの事例を模した「選挙キャンペーン」を試みても面白いかも知れない。 そして、自分なりの意見を持って投票所に足を運んでほしい。今回の参院選は、18歳選挙権のスタートラインであり、長い年月をかけて日本の民主主義社会を成熟させていく道程の新たな一歩にしていきたい。

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    18歳選挙権で変わるべきは大人と社会全体だ

    年6月19日に施行された。18歳、19歳が投票できる18歳選挙権時代のスタートとなる。 自分は若者と政治をつなぐをミッションとしているものとして、この変化には思い入れが強いし、色々な仕掛けも変化に合わせて行ってきた。1年前に、国会で法律の改正が決まり、この1年間の実践や世の中の変化を通じて、改めて今の考えを簡単にまとめたい。 たとえば、10年後ぐらいから今年を振り返ったときに「2016年って選挙権年齢が下がった年だよね」なんて評価にはさせない。「選挙権年齢が下がったことをきっかけに、若者の参画が進みだした年だよね」。そのような評価につなげなければならない。 京都議定書の採択をきっかけに環境に対する動きが増えてきた。阪神大震災を契機にボランティアというものの認識が変わった。18歳選挙権をきっかけに、若者の力を社会で活かすことを考えたい。 以下は昨年6月に参議院にて参考人として招致され意見陳述をした際の動画です。変わるべきは大人PRする奈良県立橿原高校の生徒たち 「選挙権を得た10代の意識の変化が求められます」なんて偉そうなコメントをメディアなどでたまに見る。違う、変わるべきは10代じゃなくて大人。あるいは社会全体だ。 「なんか政治の話タブーみたいだから、家庭や学校で話しにくい」「政治については悪い話しか大人がしていない」「そもそも、お父さんお母さんが投票に行っていない」こんな話を、高校に授業にお邪魔する際によく耳にする。 若者は良くも悪くも社会全体の空気に敏感だ。まずは、大人自身が、“主権者の一人”である意識を改めて持つ必要がある。2014年の衆議院選挙で、40代前半までは投票率が50パーセント切っている現状も意識したい。学校現場の変化が起こりはじめた まず、高校での教育は大きく変わってきている。自分も執筆者の一人である、文科省・総務省両省による”高校生向け政治選挙に関する副読本”の全高校生への配布を皮切りに、様々な主権者教育に関する授業が行われている。 特に高校では、文部科学省の調査によると96.4%の高校で3年生向けに、なんらかの主権者教育を行うそうである。また、高校だけでなく小中高と積み重ねで進めることへの検討も進んできている。 さらには大学でも様々な動きがあり、自分も4月から岡山大学で、大学生向けの主権者教育授業の講師を行っている。これまで自分が受けてきたのとは違う教育を受けて社会に出てくる世代がいるということを、知っておきたい。選挙の仕組みを知ることにとどまらず、民主主義の一員として、主権者としての認識を持ってきている世代だ。家庭・地域の変化を作り出せるか家庭・地域の変化を作り出せるか 学校現場での教育の特徴は、中立的な指導の下に政治について同世代で政治について語っていくことだ。家庭・地域では、学校現場と違う以下の特徴を持った話の場になる。家庭では、親の考えなどを伝えながら、政治・選挙に関する話ができそうだ。 「お父さんとしては○○党のここがいいと思うだけど、どう思う??」「○○という政策に関して、親である立場としてはこう思うんだけど、どう思う?」。こんな会話をやってみてはいかがでしょうか? 学校の先生は自分自身の政治的な意見を言ってはいけないと日本では定められているので、こんな会話の切り出し方はできない。 また、地域での楽しさは多世代・多様な立場の人がいることだ。小学生・中学生、親世代、祖父母世代、様々な職業。いろんな人がいて、多様な意見に気づくきっかけになるだろう。 もちろん、「政治を話す会やるよ!」なんて言ってもなかなか人が集まるものではないと思うが、地域の何かのイベントや集まりの中で、政治とのつながりを視点として持ってその場にいるだけで全く見方は変わってくる。例えば、地域のスポーツクラブの集まりの際に、「スポーツ省について」「運動できる場や施設について」などなどが政治と関わっていることを意識してみる。町内会のイベントの際に、行政と町内化の繋がりを考えてみる。そんな視点をもって、声に出してみてはどうだろうか?政治は国政の話だけではない 参議院選挙という状況であることも加わり、どうしても「政治=国の話」となってしまいがちだが、自分の街に視点を向けてみても面白い。医療・年金・憲法・消費税などなど大事なことはわかるけど、どうも自分事として考えることができないということもあるだろう。 視点を、身近な自治体の政治に向けてみると印象が少し変わるかもしれない。「駅の周りの再開発をどうする!?」「統廃合で使わなくなる小学校の跡地をどう利用する!?」「街のPRのための企画をどうする!?」そんな話が見つかるだろう。もしかすると、そんな話は子供も大人も気軽に意見をいうことができるものかもしれない。 以上の視点を考えることのできる、発信やイベントを弊団体でも引き続き行っていきたい。

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    若者に告ぐ! 参政権と国防義務は不可分一体だ

    西村眞悟(元衆院議員) さる5月30日、大阪で高校生の政治集会があった。「高校生未来会議」と名付けられていた。    この会議は、午前中から始まり、各自持ち寄った昼食を食べながら話を続け、午後3時頃まで行われた。    高校生らは、各政党から議員らを招いて共に課題ごとにディスカッションを行い、次に、各政党が三分の時間内で訴えたいことを語り、最後に、高校生だけでどの論者を支持するかを決める。 この会議の企画も運営も高校生が行っていた。その企画運営のリーダーは、礼儀正しく立派な学生だった。  さて、各政党の訴えであるが、その順番を高校生はあみだくじで決めた。その結果、私は、自民、公明、共産、大阪維新の次ぎの最後に話した(民進は不参加)。私の前の各党は、一口で言えば、申し合わせたように、 「身近なこと」を話した。  税金の無駄使いをなくし、その財源を有意義に使った、とか保育園の増設、とか平和の大切さ、とかある党は、途中からその訴えの時間に合わせて参議院選挙の候補者を入れて宣伝をさせた。  それらを聞いてから私は次のように話した。 高校生こそ、国家を語れ、身近なことを語るな。この会議は、高校生未来会議ではないか。君たち高校生が国家を語らずして、どうして国家の未来が開けようか。その国家とは、日本である。 三島由紀夫は、 命にかえて守るべきものそれは歴史と伝統の日本であると言った。君たちも、その日本の歴史と伝統を語ってほしい。その意味で、伊勢志摩サミットの意義は計り知れないことを知ってほしい。伊勢神宮内宮を訪問し、参道を歩く安倍首相(中央)ら各国首脳 =5月26日 何故なら、その地にある伊勢神宮は、日本の天皇家と歴史と伝統の根源にある天照大神を祀る神社であるからだ。伊勢志摩サミットは、世界に日本は神話と歴史が連続して現在に至っているとてつもない国であることを世界に発信したのだ。 現在の我が国を取り巻く内外の情勢は、まことに厳しい。よって、今こそ我々は古代ローマ以来の格言を思い起こさねばならない。それは、「平和を望むならば、戦いに備えよ」という格言である。最大の福祉とは国民の命を守ること 現在、外においては、中共の暴力的台頭が、南シナ海で我が国のエネルギー供給のシーレーンを奪おうとしている。我が国はエネルギーの供給を断たれれば国民生活が麻痺して国家が崩壊する。 そして、内においては、いわゆる日本は悪いことをした国だという自虐史観を子ども達に教え続け、日本共産党と民進などの野党が連合して我が国の安全保障法制を廃止しようとしている。 これは、「平和を望むならば、戦いに備えよ」という格言の逆の動きである。従って、この共産党主導の動きは、中共が軍事力を行使しやすくするものでありますます我が国に動乱を招き寄せる動きである。 現在のこの内外の情勢こそ、亡国の危機であることを理解されたい。この危機を克服して平和を維持するために、軍備を増強しなければならない。防衛省の中庭にパトリオットを配備する自衛隊員=2013年4月、東京都新宿区(ロイター) さて、18歳から参政権を行使できる。そこで言っておく。参政権と国防の義務は、不可分一体なのだ。参政権とは、国家の在り方の決定に参加する権利でありかつ公務である。従って、国家の在り方の決定に参加したものは、はい、それで終わりではなく、国家の危機において、国家を守る義務を負うのだ。このことを忘れてくれるな。     最後に、もう一つ、格言を申し上げる。これはローマではなく、私が阪神淡路大震災の直後に被災地を歩いて見て回ったときに確信したものだ。それは、「国防は最大の福祉」、大災害の時、また、他国の軍隊に攻められたとき、最大の福祉とは、国民の命を守ることではないか。そしてその時、国民の命を守ることができるのは国防力すなわち軍隊である。この時、国民の命を守ることができない国家は福祉国家ではない。 この話をしているとき、高校生達はシーンとして聞き入ってくれた。その高校生の姿によって、私は我が国の未来を信じる。 私が話し終えてから、共産党の議員が私の横に来て、安保法制廃止は共産党の主導ではないというようなことを話してきた。私はにやりとして、「あれはなあ、コミンテルンの伝統的な人民戦線戦略やろ」と答えた。 なお、未来会議に出席した高校生達が、各党の主張に対して、如何なる評価を下したのかは公表されなかった。但し、南木隆治先生が、会議を最後まで傍聴されていたのだが、その南木先生が私を見たときの表情から、私の主張が、高校生から最高の評価を得たと確信した。(西村眞悟公式ブログ 2016年6月7日分を掲載)

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    18歳選挙権を導入しても、今のままでは気休め程度の改善策に過ぎない

    現在、240万人とされる。 この選挙権年齢の引き下げの意味について考えてみよう。 まず、若者の意見を政治に生かすことにプラスになることが挙げられる。少子化が進む中で、若者の数は減っていく。そして若者の投票率は非常に低くなった。60歳以上の高齢者の投票率と比較すると相当な差になる。選挙は勝たなければならない。そうなると、大票田を意識した政策アピールをするしかないのだ。高齢者の数が多く、投票率も高いとすると、その層をターゲットにした政策を展開するしかなくなる。候補者に聞くと、子育てが大切だ、教育が大切だ、若者が生き甲斐を感じる社会を作りたい、などを言う。しかし、政治家はそれを本気で取り組まないのだ。年金を大切にする、医療を充実する、高齢者福祉を充実する、などといった政策の方が票に結びつく。日本の教育や子育て環境が劣化してきたのには、若者の数の減少と投票率の低下が影響している。デパートで客層に応じた品揃えをするように、投票者層に応じた政策が展開されてきたといえる。240万人の若者の有権者数の増加は多少は、状況を緩和させる。ただ投票率は高くはならないだろうから、気休め程度の効果といえようか。候補者の訴えを聞く有権者ら=6月22日、大阪市 権利と義務は表裏一体の関係といわれる。これから若者への「義務」が重くなる。大きな財政赤字がある中で、景気が急に上向くとは考えられない。高齢者比率がますます増える中では、医療費や社会保障費の負担は増加していく。つまり若者世代は大きな負担をしていかなければならない。なのに、投票権もないというのでは、おかしいという議論になる。投票率が低いのは投票に行かなかったものの責任としよう。選挙権年齢を下げたことによって、国は「堂々と」若者に負担増を押し付けることができるのだ。 投票に行けるということで、政治意識が少しは高まるのではないかともいわれる。これも効果の一つではある。しかし、これまでに選挙権のある人の政治意識も低い。投票に行けるから政治を考えるようになるだろう、というのは0ではないにしても、大した効果が期待できるわけではない。 つまり、選挙権年齢が18歳に引き下げられるのは、当然のことで、歓迎すべきことだ。だが、それで状況はほとんど変わらないということだ。若者を含めた国民が本当に政治に参画できる仕組みを作ることが最も大切なことだ。選挙、選挙というけれど、選挙で政治が変わると思っている人はあまりいない。私は選挙と選挙の間が最も重要だと思っている。その間に、どれだけ社会づくり、地域づくりなど政治に実際に参画できる仕組みを作るか、が決定的に大切なのだ。 日本では政治家が政治をするものだと思われている。政治家はろくな政治をしない。政治は国民がするものだ。私は北欧に6年間住んでいたが、普通の人が国や自治体の政策に直接的に関わり、NGOが政策を動かす力を持っていたことに驚かされた。だから北欧では国政選挙の投票率は8~9割だ。政治政治家任せにしていない。 来る参議院選挙。私は、最も重要なポイントは、国民とともに政治を作りたいという姿勢を持った政治家を選ぶことだ。国民が政治参画できる仕組みと政治文化を作ること。これが実行できれば、おのずと投票率は上がっていく。そうした新たな政治ができることを願っている。今の日本では、この単純なこともあまりに遠い夢となっている。(「児玉克哉のブログ『希望開発』」より2016年6月9日分を転載)

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    被選挙権も18歳、供託金を世代設定すれば政治が変わる

    おときた駿(東京都議会議員) 昨日も成人式に関連して若者の政治参加について取り上げたところですが、民主党が「被選挙年齢の引き下げ」にも言及したことが話題となっており、News Picksのコメント欄が非常に賑やかになっています。民主 「被選挙権年齢」も引き下げをhttps://newspicks.com/news/1337677/日本では選挙権は18歳からとなったものの、被選挙権でいうと衆議院議員:25歳参議院議員:30歳都道府県知事:30歳区市町村長:25歳各種地方議員:25歳となっています。なぜかと聞かれれば、公職選挙法でそのように定まっているからなのですが、ではこれって一体どうやって決まったのでしょうか? 歴史的に見ると衆議院選挙は明治22年に選挙権25歳・被選挙権30歳でスタートし、昭和20年(1945年)に婦人参政権が認められるとともに、選挙権20歳・被選挙権25歳という近代の形が完成しました。これを受けて戦後に成立した参議院選挙の方は、昭和22年に被選挙権を30歳としてスタートしています。 主な学説では参議院は「良識の府」であり、大衆の代表である衆議院よりも完成された人格が必要とされることから、衆議院よりも高い年齢設定が課された…とされているようです。参院本会議を終え退席する議員=6月1日 ちなみに都道府県知事が公選制となったのも戦後のことで、昭和22年が第一回と参議院選挙と同時期です。なので都道府県知事の被選挙権が30歳という設定なのは、この参議院の基準に引っ張られたと言えるでしょう。端的に言えば現状は大戦直後につくられた昭和の慣習を、70年近くも盲目的に引きずって使っているだけとも考えられます。 では海外スタンダードはどうなっているんだろう…と思ってインターネットを叩くと、非常にわかりやすくまとまっている記事がありました。日本の若者を「遅らせる」3つの年齢「投票権・成人・被選挙権」- 世界の潮流は?http://tatsumarutimes.com/archives/1575・被選挙権年齢21歳が世界的にみて最も多数派の年齢であり、59カ国(約30%)が制定・続いて25歳が57カ国(約29%))で、18歳に定めているのは45カ国(約23%)である・つまり、21歳の時点で被選挙権が得られる国は世界で108カ国(約55%)ということで、日本のように30歳まで出れない選挙が存在するのは、世界的に見れば少数派(20%以下)と言えそうです。なんでもかんでも世界に合わせれば良いわけではないのは当然ですが、世界最速のスピードで少子高齢化が進むわが国でこのような制度を保つことは、ますます若者たちを「置き去りにする」可能性が極めて高いと言えます。 民主党が単独で被選挙権年齢の引き上げを提唱してきたことは、本来であれば超党派で取り組む流れに逆らうスタンドプレイのようですが、とにかく18歳選挙権の勢いでこうした議論が加速するのは前向きな傾向だと思います。 加えて被選挙権を下げるにあたっては、国選選挙・首長選挙では最低300万が必要となる悪名高き「供託金」の引き下げも合わせて検討されるべきです。18歳や20代そこそこの若者に、300万円ものお金を用意するのは至難の技。こうした歪な参入障壁は、ますます職業政治家や世襲政治家を増やすことになります。 私が個人的に面白いと思っているのは、供託金に世代別で傾斜配分をかける方法で、10代:30万20代:50万30代:100万40代:150万50代:200万60代以上:300万として若年層に有利な形でハードルを下げていけば、国会議員の若返りを促進する一手になる気がします。 もちろん供託金を下げると「泡沫候補が増える」などのリスクもあるんですけど、現時点の設定でも完全に排除はできないわけで、NHKの政見放送とか取りやめにして全部ネット配信にすればコストもかからないし、愉快犯も減るんじゃないですかね。選挙制度というのは、国の政治を形作る根幹です。ここが変われば、一気に政治が変わっていきます。未曾有の少子高齢化に突入するわが国は、選挙制度のモデル・チェンジが必要不可欠です。(「おときた駿 公式ブログ」より2016年1月12日分を転載)

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    「激しい言葉」と「鋭い質問」は違う 舛添疑惑の過熱報道に残る違和感

    (THE PAGEより2016年6月17日分を転載) 政治資金をめぐる一連の問題で辞職する東京都の舛添要一知事に対して「今回は報道が頑張った」という声が当の報道界から出ているそうです。確かにきっかけは、週刊文春によるスクープでした。しかし、過熱する一方の報道を目にしながら、言いようのない違和感を抱いた人も多かったのではないでしょうか。リスクを取らなくなった大手マスコミ 舛添氏の政治資金をめぐる問題に火を付けたのは、週刊文春の5月5日・12日合併号(4月27日発売)でした。『告発スクープ 舛添知事 「公用車」で毎週末「温泉地別荘」通い』。そして、5月11日発売の5月19日号では、「舛添都知事に政治資金規正法違反の重大疑惑!」とたたみ掛けました。舛添氏は第2弾が出た直後の定例記者会見で釈明に追われ、説明の度に疑惑が増すという循環に陥ってしまいました。 甘利明・前経済再生担当相の“口利き疑惑”をはじめ、週刊文春は最近、政界からみのスクープを立て続けに掲載しています。その連続に溜飲を下げた人も多いことでしょう。なぜ、週刊文春ばかりがこうしたスクープを連発できるのでしょうか。逆に言うと、どうして新聞からこの種のスクープが影を潜めたのでしょうか。 週刊文春の新谷学編集長は今年3月、インターネットメディアのインタビューに応じ、「いまのメディアは、批判をされない、安全なネタばかり報じる傾向が強まっているように思います。評価が定まったものに対しては『悪い』『けしからん』と叩きますが、定まっていないものは扱いたがらない」と語りました。新谷氏のこの言葉は、新聞やテレビの“ダメさ加減”を的確に言い当てています。つまり、既存の大マスコミがリスクを取らなくなった、ということです。経営悪化で調査報道が縮小傾向 かつては、新聞報道が「政界疑獄」のきっかけを作ったことがありました。竹下登内閣を崩壊に追い込んだ朝日新聞の「リクルート疑惑報道」(1988年)はその最たる実例でしょう。こうした取材・報道は「調査報道」と呼ばれますが、調査報道には時間も経費もかかります。成功するかどうかも途中では分かりません。週刊文春も甘利氏の疑惑では、1年もの時間を費やして取材し、確たる証拠を握るまで報道しなかったそうです。参院税特委に証人として出席した江副浩正リクルート前会長=昭和63年12月6日、国会 しかし本来、人も資金も潤沢に有しているはずの新聞・テレビは最近、失敗を恐れ、ほとんどリスクを取らなくなりました。理由は二つあります。一つは部数減や広告収入の減少などにより、新聞・テレビの経営環境が急速に悪化していること。特に、かろうじて調査報道を支えてきた新聞の凋落ぶりは著しく、全国の日刊紙は1年間で合計100万部前後も部数を落としています。こうなると、会社は、金のかかる調査報道の比重を落とし、危ない橋を渡ることを避けようとします。経営上、リスクを取らなくなるわけです。 特別報道部を作り、鳴り物入りで調査報道を進めていた朝日新聞も、福島第一原発事故の「吉田調書」問題をめぐる失敗をきっかけとして、特別報道部の体制を事実上、縮小してしまいました。これも“失敗”に懲りて、リスクを取ることを恐れた一例と言えます。 一方、経営悪化によって、社員のリストラに着手した新聞社も少なくありません。こうなると、現場でもリスクを恐れ、記者がますます冒険をしなくなります。「行政の言うことをそのまま書いていればいい」「街の楽しい話が読まれるはずだ」――。そんな「自粛の空気」が取材現場にじわじわと広がってきたわけです。政治資金収支報告書の点検などはかつて、調査報道の基本中の基本でしたが、舛添知事問題が起きて「初めて政治資金報告書なるものを見た」という都庁詰めの記者もいたそうです。記者クラブ制度と“構造的”な問題記者クラブ制度と“構造的”な問題 大手新聞やテレビが週刊誌にも追いつけなくなった背景には、記者クラブ問題も横たわっています。広く知られるようになりましたが、記者クラブは原則、新聞やテレビの会社員記者しか加盟できません。週刊誌やフリー、ネットメディアの記者はメンバーになれず、記者会見を取材することも不可能なことが大半です。そのぬるま湯の中で、各社の記者は「仲良しクラブ」を作り、半ば談合のような取材を繰り返してきました。 舛添氏をめぐる報道では、こんな“構造問題”も見えてきました。語るのは大手新聞の中堅記者。「都庁担当は政治部ではなく、社会部です。記者にすれば、都庁は首相官邸や外務省などと比べて格下だし、都庁にはふつう、入社数年の若い記者か、やる気を失った記者しかいません」。全国紙の場合、都内版を埋めることが都庁担当の重要な役割の一つであり、「知事の“疑惑”にふだんは目も向いていない」(同)というわけです。「言葉の激しさ」=「追及」ではない 舛添氏の釈明会見では、“中国服を着て習字を書くまねをして”といった質問も飛び出しました。そんなニュースに接し、レベルの低さにあきれた方もいるのではないでしょうか。週刊文春の新谷編集長が指摘するように、取材力が低いと、おぼれかかった犬は一斉に叩き始める傾向があります。昨年問題になった“号泣会見”の兵庫県議に対する集中砲火のような報道も、そうした事例の一つと言えるでしょう。 おそらく「舛添疑惑」のような問題を取材する大手メディアの記者は今後、会見で激しい言葉をぶつけていくでしょう。例えば、2005年のことですが、JR西日本の福知山線で列車脱線事故が起きた際、全国紙の記者が会見で“ヤクザまがい”のような言葉で罵声を浴びせて批判され、のちに会社から処分されたことがあります。「罵声や大声=追及」と勘違いした一例と言えるでしょう。 言葉の激しさ、とげとげしさは「質問の鋭さ」とは別次元の話です。結局、日々の地道な取材こそが、いざという時に力を発揮するのではないでしょうか。それがないから、常にウオッチしているはずの政治家らへの取材は甘くなり、問題が起きても記者クラブ内の「なあなあ」の雰囲気の中で追及は中途半端にしか進まず、そしてターゲットがおぼれかけていると見るや今度は一斉にたたき始める――。そんな傾向が続くのではないでしょうか。 舛添氏をめぐる問題でも、それがあからさまに見えてしまいました。大マスコミの体たらくは今に始まったことではありませんが、思わず、「おい、しっかりしろよ」と言いたくなる日々はまだ続くのかもしれません。

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    無意味なリーダー潰しではなく、舛添氏を「育てる」べきだった

    添要一氏が東京都知事の職を辞することを表明した。このニュースを聞き、私は暗澹たる気持ちとなった。民主政治の負の側面を象徴していると感じだからだ。勿論、舛添氏にも問題はあっただろう。都知事就任前の政治資金の使い途の問題について、私も、一人の納税者として、このような振る舞いは謹んで貰いたいと思う。 ただ、同時に舛添氏を、このような理由で叩くことが、果たして有権者の利益になるのかは疑問を感じる。有権者が政治家を評価する際には、その能力と限界を天秤にかけねばならない。利己的な言い方だが、東京都民として「舛添氏を辞めさせた方がいいか、都知事を続けさせた方がいいか」は、自分たちの利益を考慮して判断すべきだ。メディアの「舛添バッシング」に乗ると、最終的に自ら、あるいは子ども達がツケを支払うことになりかねない。 私は、舛添氏は、政治家としての卓越した能力を持つと考えている。過去に私がみてきた厚労大臣の中で、舛添氏の業績は傑出している。また、東京都知事としても、きっちりとした仕事をしていたと思う。本稿では、政治家舛添氏に対する私の評価をご紹介したい。妊婦死亡事件から医師不足問題に道筋 舛添氏は07年8月から09年9月まで、第一次安倍・福田・福田改造・麻生内閣の四期にわたり厚労大臣を務めた。この期間、多くの問題を片付けた。例えば、C型肝炎訴訟、年金記録、新型インフルエンザ騒動、そして医学部定員増である。 いずれの問題においても、既得権者が存在し、「改革」は困難を極めた。舛添氏の手法は、マスコミを巻き込みながら、世論を喚起し、さらに永田町の政治バランスを利用して合意を形成していくというものだった。厚生労働相に就任し、会見に臨む舛添要一氏=2008年9月 その真骨頂は、08年6月に、1997年の医師定数削減の閣議決定を撤回させることに成功したことだ。当時、わが国で医師が不足していることは自明だった。国民が医師不足を知るきっかけは、06年2月に、福島県立大野病院で癒着を伴う前置胎盤に対し、帝王切開手術を受けた妊婦が死亡した事件だ。 担当医が逮捕された。この「不当逮捕」に対し、全国の医師が憤った。そして、メディアも、この問題を調べるようになった。その結果、逮捕された医師が、一人医長として24時間365日、お産に対応していることを知った。この不幸な事件を契機に、国民は、問題の本質が「医師不足」であることを認識し、「医療崩壊」「医師不足」を繰り返し報じるようになった。 この事件に早くから取り組んだのは、当時参議院議員だった舛添氏である。国会で取り上げ、関係者を支援した。08年8月に福島地裁は無罪判決を下し、検察は控訴しなかったため、無罪が確定した。厚労官僚の信頼を得ていた舛添氏 医師不足が明白にもかかわらず、舛添氏が厚労大臣になるまでは、誰も手をつけなかった。官僚、日本医師会という抵抗勢力が存在したからだ。 官僚の抵抗は熾烈だった。舛添氏が医学部定員を増やそうとしたときには、文科省医学教育課長に出向中だった医師免許を持つ厚労省の幹部官僚が、東大などの医学部長に「医師はなるべく増やさない方向で頼みます」と電話し回ったことが判明している。日本医師会の横倉義武会長(右)=2016年4月 厚労省の幹部官僚から、直接電話で「依頼」された医学部長たちは悩んだことだろう。厚労大臣は大きな権限を持つ。しかしながら、任期は通常1~2年だ。一方、幹部官僚には、その人物が退官するまで、研究費の工面や審議会の人選などで「お世話」になる。大臣と幹部官僚の板挟みにあった場合、どちらにつけばいいかは言うまでもない。 舛添氏は様々な手法を用いて、この問題を克服した。例えば、前出の医系技官のケースでは、マスコミにリークした。舛添氏本人ではなく、彼の意向を汲んだ部下たちが動いたようだ。このことは、08年10月10日、日本経済新聞が朝刊の一面で報じ、大臣に対して面従腹背の厚労官僚の姿が国民に曝された。そして、この動きは止まった。 なぜ、舛添氏はこういうことができたのだろうか。それは厚労省内の心ある官僚たちが、舛添厚労大臣を応援したからだ。2007年夏に厚労大臣に就任後、「誠実に勤務する姿が、部下で官僚たちの信頼を得た(厚労官僚)」という。 日本医師会との闘いは、日本医師会の幹部だけでなく、その意向を受けた「族議員」との代理戦争だった。 舛添氏は、メディアが醸成した世論、及び民主党と連携することで、日本医師会・族議員の抵抗を抑えることに成功した。メディアについては、あらためて言うまでもないだろう。ただ、メディアだけでは族議員は屈服しない。最終的には永田町での多数決が勝負を決める。 注目すべきは、07年以降、参議院で与野党が逆転していたことだ。当時、最大野党の民主党の医療政策をリードした仙谷由人・元官房長官や鈴木寛・元文科副大臣だった。舛添氏は彼らと太いパイプを持っていた。仙谷氏や鈴木氏は、医師を増員すべきと考えており、彼らが中心になって作成した09年の総選挙の民主党のマニフェストは、ほぼ舛添氏の考えを踏襲していた。 この結果、舛添氏は、日本医師会や厚労官僚の抵抗を押しきることが出来た。そして、医学部定員を5割増員することが決まった。当時約8000人であった医学部定員は、1万22000人になる まで、毎年400人ずつ増員されることになった。国民の利益を代弁できる数少ない政治家 ただ、舛添氏の改革は、その後、骨抜きとなる。医学部定員が当初の予定通り増員されたのは2010年度までで、2011年度には77人の増員に減らされた。東日本大震災で東北地方の医師不足が顕在化したにもかかわらず、医学部定員の増員にはブレーキがかかったのだ。 その後、現在にいたるまで大きな変化はない。2015年度入試での定員は9234人で、前年から65人増やすだけだった。さらに、2015年9月13日には、日経は一面トップで「医学部の定員削減、政府検討 医療費膨張防ぐ」と報じた。厚労省は、20年から医学部定員を削減しようとしていることを報じ、医師数削減を既成事実化しようとしたことになる。 勿論、このままで医師不足は改善しない。図は首都圏の75才以上人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移を示す。全都県で団塊世代が亡くなる2035年頃に一時的に回復するものの、その後は悪化している。このまま無策を決め込めば、首都圏の医療は崩壊する。これでいいのだろうか。図;首都圏での75才人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移 筆者と井元清哉・東大医科研教授の共同研究  日本医師会にとっても、医師免許をもつ厚労官僚にとっても、ライバルとなる同業者は出来るだけ少ない方がいい。選挙で支援を受ける族議員も、彼らの機嫌を損ねたくない。こうやって医師不足は放置されてきた。そして、これからも放置されるだろう。 この問題を解決するには、国民が考え、そして国民の利益を代弁する政治家が必要だ。知名度が高く、独自の支持組織を持たない舛添氏は、国民の利益を代弁できる数少ない政治家の一人であった。東京五輪をダウンサイズ では、都知事として、舛添氏はどうだったろうか。「介護や医療を売り物にして当選したのに、都知事になったら何にもしなかった」と批判する人がいる。 確かに、結果的にはそうだったかもしれない。ただ、私は、これはやむを得なかったと思う。それは、13年9月に、2020年に東京五輪が開催されることが決まっていたからだ。舛添氏が都知事に当選する前のことである。 国民・都民が東京五輪の開催を希望していた以上、舛添氏は、東京五輪を着実に推進するしかない。知人の東京都庁の職員は「舛添知事の仕事のエネルギーの半分以上は、東京五輪関係に費やされていた」という。 では、その仕事の中味はどうだったろうか。私が注目するのは、東京五輪をダウンサイズしたことだ。例えば、物議を醸した新国立競技場の建設計画は、15年12月に白紙撤回され、ゼロベースで見直されることになった。予算は約3000億円から1581億円に減額され、395億円を東京都が負担することとなった。 これを主導したのは舛添知事だ。15年5月、下村博文文科大臣(当時)が「競技場は東京のど真ん中、都民のスポーツ振興にもなる」という理由で東京都に約500億円の支援を要請したとき、舛添氏は「500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」と反発し、計画が見直されるきっかけを作ったことは有名だ。 私は日本国民の一人として、国立競技場の改修が必要な事は認める。ただ、税金を使う以上、費用対効果を考える必要があると思う。舛添氏の仕事を評価したい。おそらく、普通の知事なら、こんなことはしなかったろう。巨大公共事業には利権が付きものだからだ。東京五輪のダウンサイズが、自民党都議団や彼らの支持組織の不評を買ったのは想像に難くない。都市外交の能力も都市外交にも能力を発揮 舛添氏が批判されるきっかけは、度重なる外遊だ。では4年後に五輪を開催する都市のトップとして、舛添氏はどうすればよかったのだろうか。 私は、この点について舛添氏を批判するのはお門違いだと思う。政府は勿論、都市、民間ベースで交流を続けるべきだ。これは東京五輪に限らず、東京の世界的な地位を上げるために必要なことだし、戦争や災害など危機にあたっては、個人的なネットワークがものをいうからだ。会談を終え、握手する遠藤五輪相(左)と東京都の舛添要一氏=2015年7月、都庁 幸い、舛添氏には、その能力がある。どうせなら、もっと都市外交をやって貰えばいい。そして、有機的なネットワークを作ってもらえばいい。フランスや韓国などの大統領や首相に面談を求め、実際に会って貰える政治家が、わが国にどれくらいいるのだろう。 新国立競技場の建設に500億円を支払うことには反対しないのに、一回数千万円の舛添氏の外遊費を批判することが合理的だろうか。「外遊はすべきだが、もう少しコストを下げるように」と要望するだけでいい。リーダーを使い捨てにしても無意味 わが国には優秀なリーダーが必要だ。それは、わが国が、巨額の財政赤字を抱え、かつ東アジアのパワーバランスは不安定だからだ。遠くない将来、大きな決断を迫られる可能性が高い。 国家が危機を迎えたとき、官僚では大きな方向転換は出来ないし、わが国が議会制民主主義をとっている以上、そうすべきではない。このようなとき、矢面に立つのは政治家だ。このような政治家には、歴史、文化、経済、科学などに対する広い教養が必要だ。 海外のリーダーを交渉する際には、語学力や国際関係に関する知識は勿論、タフでなければならない。急速に国力を失いつつあるロシアを支えるプーチンのイメージだろうか。 このような政治家は、一部の国民からは「性格が悪い」と映るだろう。そして、メディアにバッシングされるだろう。果たして、どの程度の国会議員や知事に、その矜持があるだろうか。また、能力があるだろうか。舛添氏には、能力と矜持がある。リーダーに何を期待するか有権者が考えるべき マスコミは、舛添氏を批判し続けたが、彼の対応は立派だったと思う。もし、自分が同じ立場に置かれたときに、同様の対応ができるか自信がない。 例えば、一連の疑惑報道に対し、舛添氏は自ら説明した。6月13日の東京都議会の総務委員会集中審議では、いくつかのメディアが完全生放送した。 記者会見では、誰でも参加可能で、全ての質問に答えなければならないという都庁記者クラブのルールに従った。二時間を超えることもあった。舛添氏は、病気」を理由に、入院したりしていない。東京都議会総務委員会の集中審議で答弁を終え、自席に戻る舛添要一氏=6月13日 また、政治資金が問題視されたとき、「秘書がやりました」とは言わなかった。これは、昨今、政治資金規正法や贈収賄の疑いを指摘された政治家とは対照的だ。 海外出張の際には「都庁の役人のお膳立て通りやった」と言ったが、おそらくその通りだったのだろう。都庁の役人の中には、都市外交に意義を感じ、率先して進めた人も少なくないはずだ。 誰と会い、何を行い、そしてどう交渉するかは舛添氏が決めただろうが、ロジについては役人に任せたのだろう。そして、役人は「前例」通りやったのだろう。費用を節減する必要があるなら、「前例」を変えればいいだけだ。 都庁の知人は「これまでの知事は、あまり出勤してこなかった。だから、政治決定すべきことがしにくかった。舛添さんになって、やっと普通の組織になったと思う」という。このように考えると、舛添騒動も全く違って見えてくる。 舛添叩きをすることは簡単だ。果たして、それでいいのだろうか。リーダーの揚げ足をとって、使い捨てにしても、有権者には何のメリットもない。舛添氏には「公私混同を慎んで下さい」と釘を刺し、さらに働いて貰えばよかった。舛添氏が「成長」するきっかけになっただろう。 リーダーは、我々が育てるものだ。リーダーに何を期待すべきか、いまこそ、我々、有権者が考えるべきである。

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    職業人として悲しくないのか? 誇りなき日本メディアの「舛添劇場」

    の問い掛けに無言で引き揚げる舛添要一都知事(中央)=6月14日、都庁 その一方で、このような報道は、政治を考える上では、所詮、「色物」にすぎないということも、どこかでわかっていなければならないと思う。色物は、人々の関心を惹く。色物は、視聴率を上げる。しかし、だからと言って、これらのことが、都政を考える上で、本質なのではない。 舛添さんが就任されてからの、都政における仕事ぶりは、どうだったのか? 外国出張が高額だと話題にされていたが、果たして、これらの「外交」は、成果が上がっていたのか? それらの検証をすることが、「本寸法」の報道だと言えるだろう。 また、そもそも、今回の一連の報道の情報をリークしたのは誰か? もし、舛添さんの辞任を望む人たちがいたのだとすれば、その人たちは誰で、その動機は何だったのか? そのような構造を明らかにすることも、「本寸法」の報道だったろう。 メディアにも、商業的な側面がある。新聞社だって、テレビ局だって、食っていかなければならない。従って、たとえ「色物」だとわかっていても、いわば「にぎやかし」としてそれらの話題を取り上げること自体が、悪いとまでは言えないだろう。 その一方で、「本寸法」の精神を忘れてしまっては、職業人として悲しい。何よりも、ジャーナリズムの名が、恥ずかしい。さらに、ヘタをすれば、国の方向を誤る。舛添さんの一連の騒動で、現場の記者たちに、そのような矜持は、どれくらいあったのだろうか。 連想されるのが、米大統領選挙をめぐる、アメリカ国内のメディア状況である。 不動産王トランプさんは、確かに注目を集めやすい人である。メキシコとの国境に壁をつくって、その費用はメキシコに負担させるとか、イスラム教徒は入国させないとか、実現の可能性が怪しい、派手な花火を打ち上げる。トランプ報道で冷静だった米国メディア その独特のヘアスタイルから、華やかなライフスタイル、さらには、父親からの資金援助が最初にあったとは言え、自らの努力で資産を築き上げた「アメリカン・ドリーム」の物語など、トランプさんが注目を浴びる要素は、たくさんある。 テレビなどのメディアは、そのようなトランプ現象に乗っかり、かなりの分量の報道をした。その過程で、それなりに利益も上がっただろう。トランプさんが事実上の共和党の候補になる上では、そのようなメディアの後押しが大いに役に立ったことだろう。 しかし、そのようなトランプ現象は、所詮、「色物」である。では、「本寸法」の報道は、忘れ去られてしまったのだろうか? そんなことはなかった。トランプさんが、共和党の候補者指名を獲得しそうだ、という情勢になった頃から、米メディアの中に、真剣な報道が目立ち始めた。もちろん、最初からあったのだろうが、騒ぎが一段落して、そのような冷静な声が聞こえ始めたのである。米ウィスコンシン州の集会会場に到着したトランプ氏=2016年3月(ロイター) トランプ現象は、確かに、今回の大統領選挙を盛り上げている。一方で、実際に、大統領になる資質があるかどうかの検証、主張されている政策の是非、さらには、トランプさんを支持している人たちの特徴についての、冷静な分析ーーこれらの「本寸法」の仕事を、米メディアは忘れていなかった。これらの報道は見応えがあるし、記事は、読み応えがある。さすがは、「ピューリッツァー賞」に象徴される、「ジャーナリズムはこうあるべき」という規範のしっかりした国らしい、ほっとさせる動きだと思う。 話は、日本のメディアに戻る。最近の日本のメディア、そしてソーシャル・ネットワークでの議論を見ていると、どうも、タガが外れてしまっているような気がしてならない。すべてが「ネタ」として話題にされ、そして消費されていく。誰も、そもそも原則論としてはどうなのか、ということを気にしない。そして、喧騒の中で再び誰かが神輿に担がれ、やがてまたスキャンダルで失脚していく。 そろそろ、日本の将来、政治の本来の課題について、冷静かつ合理的な議論をすべきなのではないか。そのような対話の助けになる、「本寸法」の報道がなされるべきなのではないか。 これは、何も、米国に見習え、という話ではない。「本寸法」、「色物」という価値観を創ったのは、私たちの祖先である。それは、日本の文化の根幹に根付いている、ある「生真面目」な感覚である。 今の報道のあり方が良くないということは、報道陣も、そして報道を消費する私たちも、どこかで気づいているのではないか。祭りの喧騒はほどほどにして、そろそろ、背筋をぴんと伸ばしてものごとを考えるべき時が来ているように思う。 日本人の生真面目さは、世界の人たちが称賛するところである。舛添さんに関する報道にそれがあまり見られなかったのは、一時的な現象だと思いたい。

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    「バカ殿」を演じた舛添氏を「切腹」させたメディアの罪

    っているのは、都民・国民ではなく、都議会の与党、そして都の役人たちである。もっと大きく言えば、日本の政治・官僚支配システムのなかで、税金で生きるすべての人々である。 なぜなら、舛添氏は、都知事としてほぼなにもせず、「素晴らしき遺産」を守り通してくれたからだ。これは、世界の民主制国家のなかで、どこの国にも見られない世界遺産に匹敵する「日本遺産」である。 では、舛添氏が守り通し、残していった遺産とはなんだろうか? 以下、列記してみよう。視察という「外遊」には常にファーストクラスで行き、宿泊は5つ星ホテルのスイートでOK(「事務方が用意してくれた」のだから問題なし)。公用車は「走る知事室」なのだから、どこに行こうとかまわない(週末別荘通い。家族といっしょに巨人戦観戦もOK)。「視察」と言えば、趣味の「美術館めぐり」をいくらでもやっていい。正月の家族旅行を「会議」にしてしまえば、旅行代を政治資金でまかなっていい。「クレヨンしんちゃん」も政治資金で買っていい。「外国からの賓客にプレゼントする」とすれば、政治資金で趣味の美術品をヤフオクで買っていい。「中国服」を書道用に使うという画期的な着用方法がある。「第三者の厳しい目」として、ヤメ検弁護士を使えば「関係者は関係者」と言ってくれる。 まだまだいくらでも「遺産」はあるが、この辺にしておこう。要するに政治家は、税金、政治資金を好きなように使えるということである。政治資金規正法は「公私混同法」 ところで、舛添氏はどうして、このようなことをしたのだろうか? どんなに優秀、頭がいい人間でも、このような素晴らしい(=セコイ方法)は思いつかない。いずれも、優秀な学者アタマでは考えられない方法である。 そこで言えるのは、彼は政治家になり、先輩政治家たちを見て、こうした方法を学んだのではないかということだ。そうでなければ、「クレヨンしんちゃん」を政治資金では買うはずがない。1件あたり3万円程度の美術品を外国の賓客にプレゼントしたら笑われるはずなのに、それを堂々と買うわけがない。 その意味で、彼の学習能力は極めて高い。 つまり、政治資金規正法が主として献金の授受に関しての規定であり、その使用法については特段の記載がない「ザル法」であることを知り、ほかの政治家がどのようにそれを活用しているのかを学習したのだろう。 その結果、この法律は「公私混同法」であることを早くから見抜いていたのだ。 舛添氏は素晴らしい「語録」を残している。「政治家というものは私利私欲を離れて公のために尽くす気持ちがなければ、政治家になるべきでない」は、そのなかでも筆頭に挙げられるものだ。 しかし、彼は政治家になって、これが「戯言」にすぎないことを、身を持って知ってしまった。マスコミが本当に追及すべきことマスコミが本当に追及すべきこと さらに、舛添氏が学んだことがある。 日本では上に立つ者はなにもしてはいけない。トップリーダーというのは、改革者であってはいけないということだ。上に立ったら、下の者たちがいうことをすべて聞き入れ、「バカ殿」として振る舞うことこそが、やるべきことだということだ。 「文春砲」が放たれるまで、舛添氏の都庁における評判はすこぶるよかった。同じく金銭疑惑で辞任した猪瀬直樹前知事は、行政改革をやろうとしたため、労働組合の強い反発を受けた。しかし、舛添氏は改革などいっさい言い出さず、官僚の言いなりに都の財源を気前よく使った。 東京五輪の“裏金招致”疑惑の追及などには無関心で、まして、五輪利権で潤う既得権者のために、いくらでも都の資金を投入することを許した。 日本の組織においては、トップは下に担がれる「神輿」、つまり「バカ殿」でいいのである。いくら、自分をアタマがいいと思っても、そのアタマを使ってはならない。アタマがいいほど「バカ殿」を演じなければ、必ず「神輿」を外される。このような日本独特の民主制のあり方は、世界でも類を見ない。 舛添氏に「バカ殿遊び」をさせていたのは、いったい誰なのだろうか? メディアが追及すべきは、セコイ公私混同疑惑ではなく、じつはこちらのほうではなかったか? さらに、政治資金規制法という「ザル法」を改正させることではなかったのか? こうして見れば、舛添氏は「素晴らしい知事」だった。国民も都民も“怒り損”「担がれるほう」もそうなら、「担ぐほう」も、税金、政治資金を勝手に使って、遊興生活を送っている。 自由民主党東京都支部連合会の収支報告書を調べれば、舛添氏と同様に「会議」名目で、都内の高級料亭などで、飲食三昧しているのがわかる。たとえば、2013年2月5日には、高級料亭「つきぢ田村」約98万円、2014年4月4日には、ミシュランの星付きの高級割烹「玄冶店 濱田家」に約52万円を支払っている。東京都議会の自民党が舛添要一知事への不信任決議案を提出した議会運営委員会=15日午前0時46分 このような会議費は、2014年までの3年間で、約3500万円に達している。 その意味で、舛添氏の「ホテル三日月」の家族旅行費は本当にセコイ。出版社社長には、部屋にあるお茶程度しか出さなかったというのだから、彼はもっと学習するべきだった。「舛添“逃げ切り失敗”劇場」が終わって、途方もない虚脱感が残った。 とくに、自民党の都議5期を務める重鎮・野村有信都議が「侍で言えば、打ち首よりも名誉ある切腹の方がいいでしょ。最後の引き際は尊敬すべきだと思いますよ。そう思って、みなさん、許してあげましょう」と述べたのには、驚きを通り越した。  この国は、まだ戦国時代、江戸時代なのだろうか?   結局、メディアの洪水報道は失敗に終わってしまった。政治資金規制法の改正も、都条例の改正も実現できなかったのだから、国民も都民も“怒り損”だ。「文春砲」がいくら放たれても、これでは日本はなにも変わらない。私たちが税金を払うのは、「受益者負担」という原則に基づいている。しかし、日本では「受益者」は、この国を支える人一人の国民ではない。

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    「舛添叩き」は正義といえるか

    高額な海外出張の是非に始まり、政治資金の公私混同でトドメを刺された東京都の舛添要一知事が辞職した。結局、舛添氏本人は何も語らず都庁を去り、疑惑の解明もうやむやになったままだ。舛添氏のどこがダメで、何がいけないのか。そして、メディアによる執拗な「舛添叩き」は何が問題なのか。

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    舛添氏に対してNOを突きつけた民衆は本当に「愚民」か

    が都知事選に立候補したらいいのではと思う。知名度はあるし、主義主張もはっきりしているし、官僚や周辺の政治家からの圧力に屈することもないだろう。愚昧ではない小林氏なら、都政は正常化できるかもしれない。私は小林氏に1票入れるよ。(ブログ「諌山裕の仕事部屋」より2016年6月15日分を転載)

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    まるで人民裁判! タダ働きでも舛添氏を許さない「生活モンスター」

    ーが細部の事象に牙をむく日はそう遠くない。東、美濃部、鈴木、青島、石原など、歴代の都知事にも当然、「政治とカネ」をめぐる疑惑はあった。特に東都政(東龍太郎、1959年~1967年)では、都議会が金銭問題・疑惑に揺れた。 そのせいで清廉潔白とみなされた美濃部革新都政が誕生する。しかし、美濃部が本当にカネにクリーンだったのかどうかは、精密に歴史を振り返る必要がある。重要なのは政策であり、何をやったか、である。美濃部が残したものは、東京の比較的快適で弱者にやさしい福祉サービスだった一方、膨大な財政赤字であった。 都知事の政策が分からない、都議会が何をやっているのかわからない、と有権者は口々に言う。普段、TOKYO MXの都議会中継に見向きもしないものが、ここぞとばかり舛添糾弾の「人民裁判(猪瀬善都知事談)」に注目する。政策が分からない、何をやっているのか知らないのではななく、単純に政治的事柄への興味がないことへの言い訳に過ぎない。 そのようなレベルの低い有権者につけこんで、無難な党からの公認と推薦さえもらえれば、特に何の実績もなくとも多額の月給が支払われ、年間平均100日の議会開催で専業として議員を行っているのが、都議会を含めた日本の地方議会の実態である。 欧米では兼業議員、土日議会、夜間議会が当たり前だが、日本ではそうではない。舛添を糾弾することでまるで「正義の代弁者」としてふるまった都議会は無謬ではない。 ひたすら巨悪から目を背け、生活モンスターの悪しき皮膚感覚でしか政治を観測しえない程度の低い有権者たちに、彼らは日々支えられている。地元の冠婚葬祭への出席頻度で、その地方政治家の評価が決定される。本質的部分とは何ら関係はない。 舛添氏を1年半タダで「奉仕させる」という主権者としての主体性もないまま、40億の選挙費用という巨費を投じてでも、何としてでも絶対に血祭りにあげないと気が済まないというのだから、なまじ「文化大革命」や「宗教警察」を笑えないであろう。

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    舛添報道「幕引きにするな」というテレビはなぜ取材をやめるのか

    都知事の「理論的な釈明」 第三者たり得るのはマスコミであろう。しかしながら、実際はそれも心もとない。政治資金の「公私混同」疑惑について、弁護士の調査結果を公表した東京都の舛添要一知事(左奥3人目)。注目の調査結果に、大勢の記者やカメラマンが集まった=6月6日(早坂洋祐撮影) キャスターやコメンテーターたちは「これで幕引きにしてはならない」とは言うものの、これは体のいいまとめの言葉。「幕引きにしてはならない」とは言いながら、残念ながら大抵それで「取材は幕引き」になってしまうのである。 舛添氏の疑惑について、明らかにしておかなければなければならないことはまだまだある。ザル法と言われる政治資金規正法についても提言を行うべきである。しかし、今後の取材は行われないだろう。 それは猪瀬直樹前知事の失脚の原因になった徳洲会からの5000万円授受問題の背景が未だに明らかになっていないことを思い出せばわかるだろう。あの話も、すでに「お蔵入り」している感は否めない。【参考】<税金も含まれる「政治資金」>舛添都知事の「政治資金」余っているなら返還すべき ではなぜ、マスコミによる以後の取材は行われないか? 理由は簡単である。取材して放送しても視聴率が取れないからである。視聴率が取れないことを今の報道番組は過剰に恐れている。バッシングは面白いが辞めてしまった人はもう過去の人だ。見る方はもう飽きている。だから取材は行われない。 その意味では、「幕引きにしてはならない」の発言は単なる区切りの思考停止でしかない。都庁クラブに1人か2人かの記者しか配置していない現状では、民放には取材能力が無いとも言えるかもしれない。 「だが!」と筆者は声を大きくして言いたい。本当に視聴率は取れないのか、と。 実は取れるかも知れないのだ。例えば、1週間に1回のペースで、舛添都知事の疑惑を調査報道するコーナーをニュース内に設けてはどうだろうか。ずっとずっとしつこく調査し続ける。密着の連載コーナーだ。手法自体は今のテレビは苦手ではないはずだ。 もしそれが実現できれば、そんなことを他の局はやっていないのだから、ユニークさで目立つ。しつこいほどやって、ある日とんでもないことが分かることもある。これであれば、確実に視聴率は取れる。調査報道は番組に力を与える。もし、記者が足りないなら、下請けでも何でも使えばよい。力を持っている者、ぜひともそれに参加したいジャーナリストはいくらでもいるはずだ。