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    公務員の同期年収格差 天下り後は3000万円以上差がつく例も

     会社の「同期」はサラリーマンとして苦楽をともにする仲間であり、鎬を削るライバルでもあるが、当然、キャリアを何十年も重ねれば給与・待遇は大きく違ってくる。 しかもその「同期格差」が近年、広がっている。特に大手商社や金融業界は出世コースや学閥などによって、およそ2倍の差が開くことも珍しくない。また、自動車メーカーは海外勤務の有無などが差を生むという。 有名企業以上に同期格差があるのが「公務員」だ。国家公務員試験1種(現・総合職)に合格したキャリア組は入省年ごとの出世レースが注目される。当然、同期のライバルを徹底的に意識する(金額は一般的なケースの概数、以下同)。 その一方、給料に差は少ない。熾烈な出世競争のすえ「同期で1人」といわれる事務次官になっても年収は2300万円だ。原則としては全員が年収1400万円の本省課長までは約束されている。 ここから50代前半に民間企業の役員にあたる「審議官」クラス以上に出世できるかが別れ道なのだが、問題はその先だ。「官僚はどこまで出世したかでその先の天下り先がまったく違う。なかには大手の天下り先を転々とする“渡り”で総額数億円を稼ぐケースも多い」(全国紙記者) 同期格差が退職後に最も大きくなるのだ。1年間に3000万円以上の差がつくケースもあるという。関連記事■ 自動車メーカーの同期年収格差 トヨタは拡大、ホンダは縮小■ メガバンクの同期年収格差は2倍 50代は今後無職もありえる■ 大手商社の年収格差「同期4000万円、私は1500万円」と幹部談■ 大企業で「同期の年収格差」が広がる 750万円に達する例も■ 30代と高齢者の社会保障費 生涯格差は1人あたり6000万円

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    「籠池爆弾」の破壊力やいかに

    「籠池爆弾」という言葉は今年の流行語にでもなるのだろうか。学校法人「森友学園」をめぐる一連の問題で、籠池泰典氏の証人喚問が国会で行われる。最大の焦点は、安倍首相夫人から受け取ったという100万円の真偽だが、この疑惑が持ち上がった経緯には不可解な点も多い。さて、真実やいかに。

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    矛盾に満ちた戦後保守の「ゴマカシ」を暴く籠池証言のインパクト

    むろん、事実の究明はなされるべきである。不正や腐敗が確認された場合は、厳正な処断が求められよう。だが政治権力の周辺で、利権や金銭のからんだ不祥事(または、それらに関する疑惑)が生じるのは、古今東西、普遍的に見られる現象ではないか。 裏を返せば、不祥事や疑惑が生じるかどうかは、当該の政治権力が掲げる理念の内容とは、少なくとも直接的な関係を持たない。不祥事は生じないに越したことはないし、疑惑も可能なかぎり晴らすのが望ましいが、政治が往々にしてキレイゴトではすまされないのも、世のいつわらざる真実なのだ。 では、森友学園騒ぎが浮き彫りにした保守の問題とは何か。ずばり、「ナショナリズム」や「戦前」にたいする理念的な曖昧さ、もっと言えば矛盾にほかならない。 保守(主義)とは自国の歴史や伝統を尊重しつつ、現実的な姿勢で物事に対処する理念と規定できる。とすれば「ナショナリズム」と「戦前」のどちらについても、積極的に肯定するのが筋となろう。ところがわが国の保守は、現実的な姿勢で物事に対処しようとすればするほど、これについてキッパリした態度を取れないのである。報道陣に囲まれる籠池泰典氏=2017年3月16日、大阪府豊中市 戦後日本では、いわゆる「昭和の戦争」に大敗したこともあり、それまでの自国のあり方を「間違った悪しきもの」として否定する傾向が強い。とりわけ敗戦直後は、「保守」が政治勢力として成立する余地など皆無だったと言っても過言ではなかろう。 しかるにアメリカに率いられた自由主義諸国と、ソ連(現ロシア)を筆頭とする社会主義諸国の体制的対立、つまり冷戦が激化したことにより、保守は再起のきっかけをつかんだ。理由は以下の2点にまとめられる。 (1)わが国をアジアにおける「反共(=反社会主義)の防波堤」に仕立てようとしたアメリカが、それまでの方針を転換、再軍備をうながした。安全保障はナショナリズムの肯定抜きに成り立たないため、これは日本国内の保守勢力を支援することに行き着いた。 (2)冷戦の激化が、「現実的な姿勢に徹する以外、国の存立を確保する道はない」ことを突きつけた。そして日本はアメリカの占領下にあったのだから、「現実的な姿勢」が対米協調、もしくは対米従属を意味するのも明白だった。日本国憲法の前文や九条を金科玉条と見なし、「観念的な絶対平和主義に徹すれば万事解決」といわんばかりに構えた左翼・リベラルの主張は、これによって説得力を大きく失った。 かくしてわが国では、例外的な時期を除けば、「親米路線の保守が政権を担当し、左翼・リベラルは万年野党としてそれに文句をつける」という図式ができあがる。現在の安倍政権も、くだんの図式のもとに成り立っているわけだが、このような保守のスタンスには重大な問題がひそんでいた。「森友スタンス」が持ったインパクト 親米路線が大前提である以上、戦後日本の保守は、アメリカの意向や利益に反しない範囲でしか、自国の歴史や伝統を肯定できないのだ。言い換えれば彼らのナショナリズムは、しょせん条件つきのものにすぎない。のみならず「昭和の戦争」において、わが国はアメリカを相手に総力戦を繰り広げたのだから、これは戦前を(あからさまに)肯定してはいけないことを意味しよう。 要するに「自国の歴史や伝統を肯定すること」と、「現実的な姿勢で物事に対処すること」が、根本で両立しえなくなってしまったのである。この経緯や構造については、2月に刊行した『右の売国、左の亡国 2020年、日本は世界の中心で消滅する』(アスペクト)で詳細に論じたので、そちらもぜひご覧いただきたい。(https://www.amazon.co.jp/dp/475722463X)(https://www.amazon.co.jp/dp/B06WLQ9JPX) だとしても現実主義の名のもと、自国の歴史や伝統をないがしろにするようでは、保守も何もあったものではない。ゆえにナショナリズムと戦前の双方について「頭ごなしに否定しようとする左翼・リベラル的な姿勢には反対する一方、あからさまに肯定するのも『行き過ぎ』として慎む」というのが、戦後保守、少なくともその主流派のスタンスとなった。 自民党の参院議員である片山さつき氏の言葉にならえば、「オーソドックスな保守派」は「日本の良さをきっちりと戦前に回帰しないで言おうとする」ために、さんざん神経を使うハメに陥ったのだ。腰の定まらぬ態度と言えばそれまでだが、そうでない限り、「歴史や伝統の肯定」と「現実的な姿勢」の間でバランスが取れないのだから仕方あるまい。片山氏の発言自体、「きっちりと」という語句が「戦前に回帰しない」にかかるのか、「言おうとする」にかかるのか、構文が曖昧になっていた。(https://abematimes.com/posts/2125532) 余談はさておき、ここまで来れば、森友学園騒ぎが保守勢力を揺るがすインパクトを持つことは明らかだろう。同学園が運営する「塚本幼稚園」では、運動会の宣誓で園児に中国や韓国を批判させたり、あるいは教育勅語を教え込んだりと、ナショナリズムや戦前をあからさまに肯定する教育方針が取られていると伝えられる。森友学園が建設中の「瑞穂の国記念小学院」=大阪府豊中市 「オーソドックスな保守派」にとって、これは寝た子を起こす振る舞いである。常識的に考えて、幼稚園児が運動会で他国に文句をつけるのは行き過ぎのそしりを免れない。ちなみに戦前も、日露戦争当時の政府は「日本とロシアは国際的な利害対立によって戦っているが、日本人とロシア人の間に個人として怨恨があるわけではないのだから、いたずらに相手を罵倒するような真似は大国の民として慎むべきだ」という趣旨の態度を取った。 だが、森友学園のような姿勢を頭ごなしに否定するのも、「ナショナリズムはダメ」「戦前は悪しき時代でしかなかった」という風潮に塩を送るようなものではないか。同学園のスタンスは、戦後保守が「歴史や伝統の肯定」と「現実的な姿勢」の間でどうにか保とうとしてきたバランスを揺るがしかねないものなのだ。片山氏が籠池理事長について、「全くバランスの欠けた人」と批判したのも、無理からぬ話だろう。戦前と戦後に筋を通せ だとしても、籠池理事長を批判すれば事足れりとはならない。「アメリカの意向や利益に反しない範囲でしか自国の歴史や伝統を肯定できず、ゆえに『歴史や伝統の肯定』と『現実的な姿勢』とがしばしば矛盾をきたす」という戦後保守のあり方も、いかんせん欺瞞的なものだからだ。 その根底には、敗戦の際はもとより、独立回復、さらにはそれ以後も、自国のあり方を総括し、戦前と戦後に筋を通そうとする努力を十分してこなかった問題がひそむ。意地悪な言い方をすれば、戦後保守はおのれの矛盾にきっちり立ち向かうのではなく、当の矛盾をきっちり隠蔽しようとすることにばかり神経を使ってきたのである。 これを露呈してしまったのが、3月8日の参院予算委員会における稲田朋美防衛大臣の発言だった。社民党の福島瑞穂議員から教育勅語をどう評価するかと問われ、稲田防相はこう述べている。 「私は教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行とか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして維持している」「教育勅語に流れている核の部分、そこは取り戻すべきだと考えている」「教育勅語自体が全く誤っているというのは私は違うと思う。これは(防衛相としての)所管ではありませんけれども。(中略)その精神の核自体は道義国家を目指すというのは、目指すべきだと思う」(http://www.j-cast.com/2017/03/10292840.html?p=all) だが、いかなる文書においても、内容と形式を切り離すことはできない。教育勅語の「精神の核」は、それが勅語、つまり天皇が国務大臣の副署(明治憲法下、天皇の名に添えて、助言する立場の者が記した署名)なしで発表した言葉であることと不可分なのだ。教育勅語原本(右)と謄本 日本国憲法の第三条は「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要と(する)」と定めており、第四条第一項は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行(う)」と定めている。片や教育勅語は、日本人、および日本社会のあり方について、いろいろ具体的な指針を提示しているのだから、内容に評価すべき点があろうと、憲法の規定に違反する疑いが強い。現に1948年、国会では同勅語の失効と排除が決議された。 ゆえに教育勅語をどう評価するかは、「敗戦によって、天皇の地位や役割が変わったことをどう評価するか」という問題と直結する。しかしここまで踏み込んだら最後、戦後保守としての立ち位置が崩壊するのも疑い得ない。 だからこそ稲田防衛相は、勅語の「精神」や「核」なるものを取り出して、弁護論を展開するほかないのだ。ただし国としての道義性を高めるという理念は、勅語の形式を取らなくても表明できるのだから、これでは教育勅語自体を評価したり、弁護したりしたことにはならない。 稲田防相は2月にも、南スーダンにおける自衛隊のPKO活動に関連して、「憲法上の問題があるので、戦闘ではなく衝突という言葉を使う」旨を答弁、厳しい批判にさらされた。くだんの答弁と、教育勅語をめぐる今回の答弁は、みごとに同じ構造を持つ。どちらの場合も、戦後保守の抱える矛盾、ないし欺瞞をどうにか取り繕おうとする姿勢が、「小手先のゴマカシ」としか形容しえない発言を生んでしまったのだ。 森友学園の騒ぎは、そのようなゴマカシが、もはや維持しえないことを突きつけているのではないだろうか。やはり事の本質は、利権や金銭をめぐる疑惑などにはないのである。

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    サイコパスか人格障害か 籠池氏の深層心理を心理学者が読み解く

    むことになるだろう。会社は成長し、社長の社会的評価が高まる中で、部下や下請けは泣くことになるだろう。<偉大な自分にふさわしい成功を求める 彼らは、人生や社会をまるでゲーム感覚で生きているようなものだ。だからこそ、ビジネスで大成功を収めることもできるし、またゲーム感覚で他の人を壊してしまうこともできると言えるだろう。 経営者の中には、「自己愛性パーソナリティ障害」が多いと言う人もいる。自己愛性パーソナリティ障害者は、自分を特別な存在だとみなしている。もちろん、人はひとりひとり特別な存在だ。自分を愛することも必要だ。だが健康的な人は、自分も他の人々も同様に特別な存在だと感じている。自己愛性パーソナリティ障害者は、自分だけが特別な存在だと感じている。 彼らは、ありのままの自分を愛することができず、偉大な自分にふさわしい成功を求めている。常に周囲からの賞賛と特別扱いを求めている。彼らは、一通りの成功を収めた時にも、さらに限りない成功を求めて進んでいく。 彼らは、実際に自分が偉大で才能豊かで十分な業績を持っていると感じている。そのように思ってもらえるように、表現に誇張が見られる時もある。多少の大げさな表現の場合もあれば、虚偽の経歴を示すこともある。 彼らは、周囲からの過剰な賛美を求める。社長になれば、通常の社長以上の王様のような扱いを部下に求めることもある。彼らは特権意識を持ち、部下も社会全体も自分に特別な計らいをしてくれて当然と感じている。そのような態度に乗せられてしまえば、実際に特別扱いをされることもあるだろう。相手が王様のような態度を取ってくれば、こちらは家来のような態度をとってしまうこともある。そんなことが、他社の窓口や役所の担当者にも起きてしまうかもしれない。彼らは尊大で傲慢な態度をとるが、周囲が怖れて従ってしまうこともあるのだ。 彼らは、しばしば有名な人と懇意であると強調する。実際はパーティーで一度会っただけなのに、親友だと表現することもある。彼らは、目的のために人を利用する。部下も知人も利用するし、有名人を利用することもある。彼らは、人に嫉妬する。また、自分が嫉妬されていると思い込む。身近な人々が彼らの特異な性格を助長する サイコパスも自己愛性パーソナリティ障害も、トラブルは起こしやすいが、上手くいけば社会的成功を手にすることはできる。世の中にはこのような人が多くいる。ごく身近な人からは評判が悪いが、社会的には大成功している人もいるだろう。 あるいは、特異な性格の持ち主なのだが、良いパートナーに恵まれている人もいる。家族や仕事上のパートナーが、彼らの能力と特徴を生かしつつ、同時に不法行為やあまりに不人情なことはさせずに、社会と折り合いをつけつつ成功を重ねることもある。そもそもパーソナリティ障害の傾向があっても、上手くいっている限りにおいては、問題が大きくならずに済むことも多い。 しかし、身近な人々が彼らの特異な性格を助長してしまうこともある。また私生活や仕事上でトラブルが発生すると、これまでのやり方が通用しなくなり、一気に破綻することもある。 今回の籠池氏の問題に関しては不明点も多い。だが、もしもこのように社会的な話題にならなければ、小学校は予定通り開校されていたかもしれない。様々な疑惑も明るみに出なかったかもしれない。籠池氏がマスコミから責められることもなかったかもしれない。 しかし、トラブルは起きてしまった。籠池氏の偉大な考えに基づく計画は頓挫しようとしている。問題発生以前は、彼を応援していた人々も手のひらを返すように態度を変えているだろう。こうなれば、大きな目標のために彼自身も安倍総理夫妻への態度を大変換させたのかもしれない。 人の能力も性格も、偉業を成し遂げるか破綻するかは、紙一重だ。大馬力の大型自動車を安全に運転するのには、大胆さと繊細さと善良さが必要だろう。

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    森友騒動のキーマン元しばき隊、菅野完の正体を私は知っている

    った。そして「右翼」と対峙するために特に屈強な男たちが集まった。エリック・ホッファーは言う。「どんな政治運動でも最初の段階ではアタマのおかしい狂信者がいて、それが突破口になる」と。向こう見ずで後先を考えない人間が、ある局面では必要となる。その中のひとりが菅野完だった。※注 これについては「『しばき隊』とはなんだったのか -21世紀のダーティー・ハリーの栄光と没落」という文章を書いたことがあるので、そちらを参照されたい(http://blogos.com/article/148887/?p=1)菅野氏がしばき隊で失脚したワケ 当時はサラリーマンだったというが、これについては菅野氏ともう数年に近い付き合いを続けている筆者もよく知らない。あまりに詳細すぎるゆえに却って胡散臭いWikipediaの記述もすぐに信じる気にはならない。おそらく、このしばき隊の頃はネットでの活動が唯一のものだったと思う。Twitterで様々な論陣を張っていた菅野氏は、しばき隊の以前から在特会を中心とする差別主義団体への抗議運動を目論んでいた。そのため、そのネット発信力の影響力は強かった。大向こうを相手にして勝負をかける手際も、ネット出自の一個人にしては全く見事だった。生活保護バッシングをいさめる新聞広告をネットの人たちからの寄付金で実行したのも菅野氏だ。しかし、そのうちに菅野氏はこの運動界隈から「失脚」する。報道陣に囲まれるジャーナリストの菅野完氏=3月15日、東京都港区 もともとは汚れたドブ川に体を沈めて素手でヘドロを掻くような仕事で、主義主張にはこだわらない集団であったし、それがどんな人間であってもその目的に適している人間であればよかった。人には言えないような過去をもつ者もいた。そもそも「社会運動」というものに向いていないアウトローが多かった。アメリカ大使館に火炎瓶を投げ込んだ右翼、共産党議員の親をもつアウトロー気取りのデザイナー、ネットの荒らし行為を繰り返していた音楽雑誌の編集者、逮捕歴のあるJリーグのフーリガンのリーダー、名の知れた不良の過去をもつ不動産屋の社長、外国で長いことドラッグにイカレていた写真家、これらを佇まいよく社会運動のためにコントロールしようとするのは無理だ。 一方その頃には、在特会をはじめとする差別主義団体の活動が鈍ってきていたこともあり、そのしばき隊が解散して、その反差別の活動を社会運動として組織化することになった。すると、やはりその居住まいの悪さが裏目に出るようになった。男女関係も乱れていた。とても社会運動の体裁を整えられるような集団ではない。「もともとネットのチンピラなんだから、チンピラなりの分をわきまえるべきだ」とかつてその界隈と行動をともにし、ご意見番のような存在であったひとりは、何か問題が表面化するたびに筆者に苦々しく言い放った。菅野完もいわばそうした「チンピラ」のひとりだった。もともとは女性関係に悪評があった菅野氏だったが、それがさらにエスカレートして運動内部で問題化。それを収拾しかけたかという矢先に運動の活動費用の金銭問題が明らかになった。ここでこの運動界隈の人たちは菅野氏から離れていった。今でもこの界隈から菅野氏は蛇蝎(だかつ)の扱いだ。『日本会議の研究』をものにした菅野氏 やがて、このしばき隊がコアとなった反レイシズムのネットワークは、中心を持たない「クラウド」のまま、ほとんど何も考えた形跡がないまま戦後左翼の定型にからめとられていくようにして反安保法制や沖縄問題に介入していく。反原発運動に右翼の立場から参加し続けている針谷大輔氏は、「右からの脱原発」を唱える理由として、脱原発運動が左翼の運動と思われたらそれは終わってしまうからと言う。実際、ヘイトスピーチ規制法も自民党の右派からの賛同があって初めて前に進んだものだった。沖縄問題もこれまで左派が決定的な役割を果たしたことは一度もない。沖縄問題は左翼の運動だと思われたら終わりなのだ。それなのに、よりによって悪評ふんぷんたるメンバーが、いわば沖縄の住民運動に介在していく。これが果たしてほんとうに問題解決のためのプラスになるのか私には極めて疑問だ。そこではまた例のように居住まいの悪さが続く。おそらくまた不祥事は露出するだろう。「日本会議の研究」 一方で、運動からいわば追放された菅野氏は独自の道を歩んだ。これが逆に正解となった。かつて行動をともにした人たちが、定型の戦後左翼活動をしていく一方で、これから離れた菅野氏は持ち前の押しの強さとヘドロを掻きわけるような行動力、そして何よりも狙った相手となら刺し違えてもかまわないという覚悟を武器にして新右翼と右派人脈に食い込み、そして『日本会議の研究』をものにする。 だから、研究書というよりもノンフィクションとしてのスリルに満ちたこの書は、過去の暗部から這い上がってきた菅野氏のたったひとりの「運動」なのである。そういう意味で、菅野氏を「ジャーナリスト」ではないというのはあたってもいるだろう。彼は扇動している。大向こうを相手にした運動を行おうとしているのだ。だが、もともとはジャーナリストというのはそういう存在なのではなかったか。 テレビタレントのどうでもいいような不倫スキャンダルやアイドルグループの子供じみた内紛を報じるのがジャーナリストなのか。それがドンキホーテの故事のような愚かな結末になるとしても、「巨悪」にせめて真っ向から立ち向かうのが報道なのではないのか。もちろん、これに賛否があるだろう。しかし「狂信者」は事態を打開するために突き進む。己の才覚と悪運の強さだけが彼の頼るべきものだ。きっと地獄に落ちても同じことを菅野氏はやっていくだろう。菅野完劇場は続く 菅野氏が籠池理事長に食い込んだルートはわからない。おそらくは『日本会議の研究』のベースとなった右派人脈から入りこんだのだろう。もともとは差別主義的主張をし復古主義を戯画的にまで行う狂信的な教育を行ってきた森友学園は、菅野氏は排撃する立場だった。それが今は籠池氏の代理人のようにふるまい、籠池氏からの情報をもとに政権や官僚、大阪府政との癒着を暴露する。この振る舞いは、例えば籠池氏と議員団の前に押し寄せた排外主義団体のような右翼からも、またこれまで籠池氏と森友学園の教育方針や疑獄を批判してきた人たちをも困惑させた。菅野完氏からの取材を受けた森友学園の籠池泰典理事長(右) と妻の諄子氏、長男の佳茂氏 =3月15日、東京都港区 しかしこれは菅野氏の目的意識からすればクレーバーな戦略だと思わざるをえない。籠池氏にはおそらくこの先に未来はない。せいぜい戸塚ヨットスクールが細々と存続しているように一部の狂信的な父母の子供たちを相手に私塾をやっていくのがせいぜいだろう。それならば、籠池氏をあたかも被害者のように擁護し、彼の尻尾切りをして生き延びようとしているものを告発するようにしたほうがいい。この絵図の見立てと段取りの手際よさは見事としかいいようがない。おそらく外国人記者クラブとの会見をセットしたのも菅野氏だ。だから、記者クラブの会見が中止になったのにも関わらず、籠池氏は菅野氏の自宅を訪問したのだろう。あの菅野氏の自宅前の演説の中の暴露はきっと外国人記者クラブで籠池氏が行うものだったのだろう。 おそらく現在のプロパガンダのようなテレビ向けのトークとツイッターの断片的な情報は、正確にこの森友学園問題を理解しようとしている人ならば、話は半分で聞いとくほうが無難かもしれない。しかし、おそらくまだこの後に菅野完劇場は続くだろう。そして、そのたびにこの狂信者に戦慄する人はどこかにいるはずだ。

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    「ファクト」なき籠池喚問は、史上最低の疑惑追及劇として汚点を残す

    題が発端になっていたはずだった。私の知る限り、一時期の共産党や民進党など野党は、明らかに「政府高官に政治家の関与を含めた金が渡っている贈収賄の疑獄事件」とみて疑惑を追及していた。その証拠として、民進党幹部の数人が「一大疑獄事件」と私自身に語っていたほどだった。 昔から野党の国会追及を伴う新聞社の社会部記者や週刊誌記者などの追及キャンペーン記事は、「政府要人の”首取り”という手柄となる」と言われ、今回も安倍総理の「首取り」を狙う機会であったことは間違いない。 しかし、いま野党側は「明日は真相解明の第一歩」(民進党の山井国対委員長)とトーンダウンした発言に変わった。新たな疑惑があれば、その材料を元に再び政府与党を追い込めるはずが、「事実の提示」という最も重要な行為に自信がないからであろう。民進党の蓮舫代表(右手前)の質問に答弁する安倍晋三首相=2017年3月 実際にいつの間にか、安倍昭恵夫人(籠池氏本人は「安倍総理自身」と語っている)からの「100万円の寄付問題」に焦点がすり替わっている印象は否めない。もし証人喚問の「最大の真相究明の焦点」が、この100万円の授受の有無の問題だとすれば、これほど情けない疑惑追及劇はない。 今回の証人喚問は、政府与党側から野党に持ちかけているのが実態で、現時点で政府側からの反撃は、その100万円の事実解明に焦点が絞られてきている。本質からずれた疑惑追及をかわすには、相手の最も知りたいことにスポットを当て、事実関係をきちんと答えることは極めて正攻法に近い。 実際に、今回の参議院予算委員会が「真相追及の場」にならない可能性も出てきた、と私は考えている。疑惑追及には法律や社会的道義性に違反する重大なファクトが不可欠であり、仮に重大な新事実すら提示できず、野党もマスコミも、「これは真相解明の第一歩」「疑惑は残った」として追及を続ければ、彼らにとっては「役得」ではあっても、本来の義務を果たしているとは言えない。 さらに、この100万円の寄付問題に対して、虚偽の事実があったとすれば、即座に籠池氏の元に逆にブーメランとして返ってくることになる可能性も高い。明確な現金の授受の証明が必要不可欠 落ち着いてよく考えれば、今回の件が「疑獄事件」だとすれば、学校法人の認可に奔走した籠池氏側が政治家側から資金提供を受けていなければ話の筋としてはおかしいし、その疑惑追及の「正攻法」や「本質」からはずれた問題になると考えなければおかしい。 そもそも、今回の国有地払い下げ問題が政府の言うとおり、きちんと法律に則って行われていたとすれば、あとは籠池氏側から政治家への現金の授受の証拠を突きつけるのが本来の疑惑追及の「正しいあり方」のはずだ。 大体、時代を遡って言えば、学校法人の国有地払い下げを問題化するとすれば、日本国内で頭の痛い事例がたくさんある。 例えば、東京三鷹市に広大な土地を持つ国際基督教大学は、GHQのマッカーサーが日本にキリスト教を広げるために、「隼」など戦闘機を作っていた中島飛行機を「戦犯」に指定した上で、土地を没収し、日本政府に寄付をさせた土地に設立されている。 他にも私立大学や私立高校で国有地払い下げのケースがあり、元々公立学校の敷地であれば、「国有地払い下げ問題」は存在しなかったであろう。いまのマスコミがおかしいのは、そもそもそう遠くない過去に、大手新聞社を含めた国有地払い下げの例があるにもかかわらず、それを無視するかのように、森友学園ばかりを攻め続けていることだ。 私は、国会やマスコミが疑惑追及をすることを否定しているわけでは全くない。今回の籠池氏の言動は、不可解かつ虚偽性の高い可能性があり、それを言論の府の国会で取り上げるのは自由主義国として当然だろう。報道陣に囲まれる籠池泰典氏=2017年3月16日、大阪府豊中市 しかし、今回の疑惑追及の本質は、政府与党の政治家側に対して、籠池氏側から資金提供を受けたのか否か、という事実追及を中心にすべきだという点は、くれぐれも指摘しておきたい。 田中角栄が3億円を受け取ったロッキード事件や、与野党議員に株式や現金をバラ撒いたリクルート事件がそうであったように、それが野党側やマスコミの責任追及の「正攻法」であるからだ。当然、彼らが狙う「首取り」は、そこから贈収賄を含む疑獄事件として成立し、発生してきた歴史をマスコミや野党は振り返るべきである。 万が一、今回の国会喚問で政治家側に利益を生じさせる現金の授受を含めた政治家の関与の事実を立証できなければ、野党やマスコミは潔く手を引くべきであろう。 繰り返すが、野党やマスコミの疑惑追及の基本は、「口利き」や「斡旋利得」を含め、政治家への「明確な現金の授受という行為の証明」が必要不可欠であり、それが立証できない事件は、法律的にも歴史的にも、「疑獄事件」としては成り立たないのである。

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    情で繋がり、情でつまずく保守の世界

    あった。 田母神氏の支持母体は、前述で『南京の真実』を製作した母体、日本文化チャンネル桜が傘下に持つ政治団体『頑張れ日本!全国行動委員会』で、田母神都知事選出馬のために急遽、政治資金団体「東京を守り育てる都民の会(後、田母神としおの会)」が結成され、『南京の真実』の時と同様、保守界隈=保守ムラが全精力を傾けて持てる力のすべてを総動員した総力戦の様相を呈した。 強烈なタカ派としてネット世論を熱狂させ、「閣下」の愛称までついた田母神の都知事選立候補は、保守・右派、そしてそれを支持するネット保守層にとって悲願でもあった。実はこの時、都知事選勝利の暁には、田母神新都知事のイニシアチブの下、都が一部株主であるTOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)を間接支配する、という、いま考えれば到底実現不可能な、無茶苦茶な計画すらも、筆者はある選対幹部の一人から直接聞いたことがあるのだ。2016年4月14日、自宅を出る田母神俊雄被告(松本健吾撮影) ここでまたもや彼らは、「保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」というくだんの手法を展開した。当然、自己資金が足らず政党交付金や助成金も受けられない「手作り選挙」が故に、畢竟、その資金源は寄付金に求るしか他になかったからである。 この時期、「都民の会」が製作した選挙用ポスターにある、田母神俊雄氏への賛同人・推薦人一覧には、これまた下記に一部列挙するように、保守界隈のそうそうたる面々が並んでいる。 石原慎太郎(衆議院議員、元東京都知事)、渡部昇一(上智大学教授)、平沼赳夫(衆議院議員)、西村眞悟(衆議院議員)、中山成彬(衆議院議員)、高橋史朗(明星大学教授)、デヴィ・スカルノ(元インドネシア大統領夫人)、井尻千男(拓殖大学日本文化研究所所長)、田中英道(東北大学名誉教授)、中西輝政(京都大学大学院教授)、藤岡信勝(拓殖大学教授)、水間政憲(ジャーナリスト)…etc(肩書はいずれも当時) 2007年の『南京の真実』の事例の時と実行母体が同じだから、ほぼすべての人々が重複しているのがわかるが、微細な違いもある。2007年時には賛同人の中に居なかったデヴィ・スカルノ氏がリスト入りし、櫻井よしこ氏・田久保忠衛氏らの『国家基本問題研究所(通称・国基研)』の役員メンバーが名を連ねていないことだ。恐らく櫻井・田久保両氏が自民党政権よりの言論を展開するうえで、非自民から立候補した田母神氏への推薦人になるのは得策ではないと考えたためとみられる。いずれにせよ微細な差はあれど、この面々は2007年とほぼ同じだ。異論や違和感は「情」で抹殺 田母神氏は2014年都知事選挙で得票総数60万票を獲得したが主要四候補のうち最下位に終わり、2015年に入ると選挙運動時に集めた寄付金の中に使途不明金がある疑いが濃厚となり、田母神氏自身も秘書による使い込みを認めたため、当時の選対幹事長らから刑事告発されるという事態に陥った。2016年4月、紆余曲折ののち田母神氏は公職選挙法違反の疑いで東京地検に逮捕され、現在も裁判中(検察側求刑2年)である。 「保守界隈で著名な言論人や文化人を広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」手法を展開しておきながら、その寄付金の一部が不正に使われた疑惑について、これら賛同人たちは一様に沈黙を貫いている。 いや、むしろ田母神氏が立候補する初期の段階から、「珍言」「極言」を繰り返す氏が、都知事にふさわしいのか否かについての疑問は、保守界隈の一部にはあった。筆者など、選対本部の幹部連中がいない酒席では「本当にタモさん(田母神俊雄氏の愛称)が都知事にふさわしい資質があるのか、と聞かれれば疑問」という感情を何人もの保守系言論人から聞いた記憶がある。しかし、「保守ムラの総動員・総力戦」という同調圧力は、そのわずかな猜疑の芽を摘み取り、異論を封じて、「保守ムラ翼賛選挙」へと向かわせたのだ。 そして結果としての選挙惨敗の責任は有耶無耶にされ、後日田母神氏による公職選挙法違反の疑いや寄付金の使途不明には、「まあまあ、そんなに批判しては可哀想ではないか。まあまあ良いではないか」というムラ的馴れ合いが先行した。ここにも保守ムラの「情」の理屈が理論を覆したのである。 現在、田母神氏に対する保守界隈からの批判は、同氏を刑事告発した元選対幹事長らの周辺以外、鋭敏には聞こえてこず、もっぱら保守外部からの批判・失笑のみが響き、ややもすると一部のネット保守界隈では「田母神氏は中国・韓国のスパイにはめられた可哀想な被害者」だとするトンデモ陰謀論・擁護論まで噴出する始末である。圧倒的な「情」の前に、正当な理屈は脆くも吹き飛んだのである。「安倍記念小学校」建設のために寄付金3)安倍記念小学校(瑞穂の国記念小学院)建設のために寄付金 約4億円(?) 2017年の事例 さて最後は現在疑惑の渦中にある森友学園である。報道によれば、同学園が同小学校建設のために集めた寄付金は4億円とされる。実際にどの程度の寄付金が集まったのかについては疑義があるとされるが、「保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」というくだんの手法は、例外なくこの森友学園でも発揮された。 すでに報じられているように、同学園では、公式ウェブサイト上の激励に平沼赳夫氏、竹田恒泰氏、田母神俊雄氏の言葉が載せられているほか、「森友学園にお越しいただいた方々です」と題して、同校を来訪または講演したであろう保守系言論人が「広告塔」として同学園製作の小冊子に登場する。代表的な人物を上げると以下のとおりである。 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、安倍昭恵、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一…etc(肩書は掲載されず。敬称略。※ただし竹田氏のように無断転載・無断掲載を主張する人物がこの中に含まれている)すべてが繋がる保守ムラの実相 この中で、事例1)『南京の真実』と重複している人物を太文字にすると、 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一(敬称略) この中で、事例2)『田母神選挙』と重複している人物を太文字にすると、 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一(同) となる。百田尚樹氏は田母神選挙時代の「推薦人」には登場しないものの、選挙期間中に大阪から応援演説に駆け付けたことから太文字とした。これに加えて、今次森友学園の騒動が勃発して直後、100万円の寄付を自身のブログで表明したデヴィ・スカルノ氏も、この中に加えてもよいかもしれない。 よって事例1)、2)、3)全部てに名前が登場する保守系言論人・文化人を再掲すると、再度以下の様に太文字となる。 渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一(同) ★これを整理した図は以下のとおりである。 全員、とは言わないが、多くの人々が、時期も目的も違う「保守運動」に共鳴し、同じように賛同人等(講演や応援演説を含む)になっているところが興味深い。つまるところ、きわめて限られた狭い世界で、「愛国」と銘打ってさえいれば、同じような人間が同じような場所に毎回出現しているムラ社会こそが、保守界隈の実相なのだ。「事故る」と冷たい保守の「情」「事故る」と冷たい保守の「情」 毎日新聞が3月14日に掲載した「さて今の思いは…「広告塔」の保守系文化人たち」には、森友学園の広告塔となった保守系言論人の人々の率直な思いが吐露されている。八木秀次氏「学園はなんちゃって保守だ。ひとくくりにされたくない」出典:さて今の思いは…「広告塔」の保守系文化人たち中西輝政氏「学園に思想性を感じなかった。(教育勅語の唱和は)誰かに見せるためのショーの様に感じた」出典:同上高橋史朗氏(前略)「森友の教育方針と「親学」との関連が不明でコメントできない」出典:同上中山成彬氏(前略)「私も園児に教育勅語を斉唱させている幼稚園ということで視察したことがあるが、経営者自身が勅語の精神を理解していないようだ」出典:中山なりあきツイッター平沼赳夫氏(事務所)「こちらが知らない間に掲載されていた」「本当に迷惑している」出典:テレビ朝日「スーパーJチャンネル」 などと一様に突き放している。これらの言を全面的に信ずるとしても、なぜ些かでも初手の段階から同学園の教育内容に不信や違和感を持っていたにもかかわらず、講演会に参加したり、協力する姿勢を見せたのだろうか。それは、ひとこと「情」の問題に尽きる。愛国を掲げてさえいれば、その内容の良し悪しはともかく「同志」として連帯し、有形無形に協力するというよく言えば「義理人情」、悪く言えば「なれ合い」のムラ的世界観の中にいる結果なのである。情で繋がり、情でつまずく保守の世界 2007年、2014年、2017年と3つの大きな「愛国」を標榜した保守運動や保守事業における賛同人が、くしくも「映画製作」「都知事選立候補」「学校建設」という全く違う目的にもかかわらず、それを支え、また広告塔に利用(された)人々がこれほどの割合で重複するという事実は、保守界隈=保守ムラが、いかに閉鎖的であり、またその狭い世界の中で「情」の理屈が発生し、違和感や不信や不正義が「情」の前でかき消され、ムラの中の巨大な同調圧力となって席巻していたことを何よりも物語っている。 そしてくしくも、この三つの「寄付手法」は、その集めた金額も1億円強~4億円程度(公称)という範囲で似通っている。保守系言論人・文化人を広告塔にして、市井の保守派市民から浄財を集められる上限がこの金額のレンジなのかもしれない。 森友学園に広告塔として利用された保守系言論人・文化人は、保守ムラの住人であるがゆえに、自発的に、あるいは外発的に、この狭い世界の巨大な「情」という同調の空気に無批判であった。そして、決まって何か問題が起こると、事後に「私は関係がない、知らない」という風に距離を保ち、無知・無関心を決め込むのである。「愛国」を錦の御旗にした運動や事業は、多少の不協和音を「情」で覆い隠す。 「せっかく愛国者が頑張っているんだから、批判しちゃかわいそうじゃないか、応援してやろうじゃないか、保守同士仲良くやろうじゃないか」というムラ的な「情」こそ、保守界=保守ムラに横たわる構造的欠陥である。  このように「保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める」という、「愛国」を大義とした情に訴え、また情で理屈を包囲する「寄付手法」は、ここ10年で三度も繰り返されてきた。森友問題が収束しても、この界隈で同種の問題の四度目がないとは言い切れない。 真に国を思うのなら、客観的にみて明らかに怪しい人物が主導して、「愛国」を傘に計画する事業展開に疑念を感じたのなら、毅然としてNOというべきだ。それが真の愛国者の姿だと思うが、どうだろうか。何か事故が起こってから、「無断で使用された」「知りませんでした」「いい迷惑だ」では些か虫が良すぎはしまいか。「人情」という魔物~インパール作戦と保守ムラ~「人情」という魔物~インパール作戦と保守ムラ~ 先の大戦終盤、日本陸軍によって実行されたインパール作戦。英領東インドの拠点インパールとその補給拠点コヒマを牟田口司令官率いる手持ちの3個師団(第15軍)を使って占領することで、硬直したビルマ戦線を打開し、英印軍を挫く―。 ひいてはその戦果によりインド独立運動をも鼓舞することを目的として発動されたこの大作戦は、読者諸賢のご存知の通り、補給を無視した作戦計画によって日本軍の大惨敗に終わり、ビルマ全体の戦死者5万とも8万ともいわれる戦史史上稀にみる一方的大敗北に終わった。「インパール」は現在「無謀な作戦・計画」の代名詞とすらなっているほどだ。 この大失敗は一体、何によってもたらされたのだろうか。むろん日英両軍の物量・兵質の差が第一だが、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中央公論社)には、以下のようにこの大作戦の歴史的失敗の本質が記されている。 なぜこのような杜撰な作戦計画がそのまま上級司令部の承認を得、実施に移されたのか。これには、特異な使命感に燃え、部下の異論を押さえつけ、上級司令官の幕僚の意見には従わないとする牟田口の個人的性格、またそのような彼の態度を許容した河辺(河辺正三、ビルマ方面軍司令官)のリーダーシップ・スタイルなどが関連していよう。しかし、それ以上に重要なのは、鵯越(ひよどりごえ)作戦計画が上級司令官の同意と許可を得ていくプロセスに示された、「人情」という名の人間関係重視、組織内融和の優先であろう。そしてこれは、作戦中止決定の場合にも顕著に表れた。出典:『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中央公論社)、括弧内・強調引用者 保守ムラの「情」によって形成されるなれ合いによる大きな弊害は、もしかすると保守ムラだけの事ではない、狭い社会や閉鎖的な組織に特有の、普遍的な魔物なのかもしれない。*追記:本文中にある2017年に公開された映画『南京の真実』は、第四部ではなく第三部の誤りでした。よってこれを訂正いたしました。2017.3.19.17:55、追同20:00(「Yahoo!ニュース個人」より2017年3月19日分を転載)

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    森友学園理事長長男「関係が深い自民党の先生の名前明かす」

    は国会で「会ったこともない」と繰り返す。国有地払下げ問題の疑惑拡大とともに森友学園と“親交”があった政治家たちが一斉に手の平を返すなか、「あんなに応援したのに、政治家の先生方の物言いには納得がいきません」と怒る新たな証言者が現われた。 森友学園が幼稚園児に教えている君が代や軍歌の斉唱も、教育勅語の朗読も、「安倍首相ガンバレ」の激励を含めて、安倍首相の教育観と親和性が高い。だからこそ首相は国会で同学園の籠池泰典・理事長について最初はこう激賞してみせたはずだ。「いわば私の考え方に非常に共鳴している方でですね」「妻から森友学園の先生(籠池氏)の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」 ところが、森友学園批判が強まると発言を一変させた。「学校がやってることの詳細はまったく承知していない」「個人的には一回もお会いした記憶はない」 さらには森友学園が「安倍晋三記念小学校」の名称で新設する小学校の寄付集めをしていたことについて、首相は何度も断わったと説明したうえで、「教育者の姿勢としていかがなものか」「この方は簡単に引き下がらない。非常にしつこい」と酷評した。こうした首相の“豹変”に怒っているのが籠池氏の長男・佳茂氏だ。国有地売却や小学校認可の問題を受けた会見で記者に抗議する森友学園の籠池泰典理事長(左)と長男の佳茂氏=3月10日、大阪市淀川区(柿平博文撮影)「父は安倍先生の熱狂的な支持者なんです。安倍政権ができた時には、日本という国が本当によくなると本当に喜んでいた。父の気持ちは安倍先生にも伝わっていたと思います。だから父のことを『立派な教育者だと聞いている』と仰った。 それがいまや安倍先生から、『しつこい』とか、『教育者としていかがなものか』とまで言われ、あれだけ一所懸命応援していた父がどんなにショックを受けているかと思うと黙っていられません」 佳茂氏は本誌のインタビューに応じ、安倍首相との面会から、日本会議との接点、稲田朋美・防衛相や山谷えり子・元拉致担当相との奇しき縁まで語った。安倍先生とお会いしました──安倍首相は国会で籠池理事長と会ったことがないと説明している。「父の代理で私が安倍先生とお会いしました。2012年9月の自民党総裁選の時に、安倍先生は大阪で街頭演説をしたあとリーガロイヤルホテルに向かいました。私はホテルのロビーで待っていて、『籠池です。父の名代としてきました。くれぐれもよろしく伝えてくれと言われています。応援しています』と挨拶して、父の名刺を差し出したのです。 安倍先生は父の名刺を隣にいた秘書の方に渡されていました。私は確かに父の名代として、ご挨拶をしました。安倍先生が『会ったこともない』と言われるのはどういうことかと。心にぶれがあるからなのでしょうか」 佳茂氏が「これを見てください」と差し出した名刺には、〈衆議院議員 安倍晋三〉とある。当時は総理退任後で自民党も下野しており、安倍氏は無役の“ヒラ議員”だった時期だ。山谷、稲田、中山との関係──会ったのは1度だけ?「実は、その前に直接、電話をもらったことがあります。父が安倍先生を幼稚園の講演会にお呼びしていたのが、安倍先生から急にキャンセルになると私の携帯電話にお詫びの連絡が入ったのです。間に入ってくれた人が、父と間違えて私の番号を教えたのではないでしょうか? 『すみません。私は息子です。父のほうに電話をしてください』と、父の番号を伝えました」──仲介者は誰か。「よくわからないんです」 佳茂氏は森友学園と安倍首相をつないだ「仲介者」については頑なに口をつぐんだ。山谷、稲田、中山との関係──他の議員との関係はどうか。「大学を卒業して、山谷えり子先生(第2次安倍内閣の拉致問題担当相)の事務所で半年ほどカバン持ちをしました。(落選中だった)山谷先生が自民党から参院選の比例代表に出馬する頃です。日本会議が初めて選挙で推薦したのが山谷先生でしたから、椛島有三・日本会議事務総長に連れられて、東京の事務所で紹介されたのがきっかけです。 私が事務所に出入りしていたのは半年で、次に東京で連合系の労働組合の職員になりました。父の名代で安倍先生にお会いしたのはその後、大阪に戻って事業を始めた頃です」 山谷事務所に佳茂氏がスタッフとして関わっていたのか確認すると「事実ではございません」と回答。双方の言い分は食い違っている。──森友学園の園児が自衛隊員に手作りの品を贈ったことに対して、籠池理事長は稲田朋美・防衛相から感謝状を受けている。「稲田先生が初めて政界に出馬されたときから、父は応援していました。それなのに、今になって稲田先生が感謝状取り消しも検討すると仰るなんて、ハシゴを外されたという思いはあります」 稲田事務所は、籠池理事長との関わりについて、「どういった機会に会ったかは定かではありませんが、面識はありました。が、とんでもないことをしつこく言ってくることなどがあり、無視をしていたら、稲田の私邸にFAXや電話を入れるようになったので、お付き合いは10年前に一切やめています」と回答した。──中山成彬・元文科相は森友学園について、〈園児に教育勅語を斉唱させている幼稚園ということで視察したことがあるが、経営者自身が勅語の精神を理解していないようだ〉とツイッターで批判したが。「中山成彬さんも講演にいらしたことがあり、その時には、参観して朝礼からみてもらって、どんな教育をしているのか、知っていたはず。応援してくれていた一人だと思っていました。それが、いまでは手のひら返しですから」 中山氏が語る。「10年ほど前、1度だけ森友学園の幼稚園に視察に行った。園児がワーワー言っているので、何を言っているのか分からなかったんだけど、それが教育勅語だったと。講演した記憶はないが、理事長が、『自分は一生懸命に(こういう教育を)やっているんだけれど、ここは大阪だから、日教組の小学校に入ると、全然無駄になってしまうんだ』と、そういうことを仰っていたことは記憶しています」 いくら切り捨てようとも、過去の関係までは“なかったこと”にはできないということだ。関連記事■ 電撃引退の堀北真希 直筆メッセージに込めた「本音」■ 安倍首相と記者クラブ 「赤坂飯店の夜」全真相■ 櫻井翔と小川アナ交際 ジャニーズとテレ朝が回答揃えた意図■ 思春期に激やせした愛子さまのお体を医師が心配する■ 高橋ひとみ、階下から苦情くるほど熱い50代新婚の夜

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    “安倍晋三記念小学校”総裁「夫妻と日本会議と私の関係」

     ドナルド・トランプ米大統領との「外交成果」を誇り、天皇の生前退位問題でも「政府方針」で強行突破。“オレオレ感”が増幅する安倍晋三・首相の力の源泉には保守層を中心とした高い支持がある。 中でも安倍政権と“親密”と言われてきたのが保守系団体「日本会議」であるが、大阪で建設中の小学校を巡る問題で、両者の結びつきが浮かび上がっている。「支持者への利権還流」疑惑まで浮上する中、渦中の「小学校総裁」に直撃した。その口から出てきたのは釈然としない説明と、熱烈すぎる安倍首相の礼讃だった。「いかにも朝日新聞とか新左翼による、日本の歴史と伝統を潰そうという動きですよ! 絶滅危惧種みたいな人たちが朝日と手を組んで我々の学校を潰そうとしている」 のっけから憤りを露わにした初老の男性は、問題となった小学校の総裁・籠池泰典氏(学校法人・森友学園理事長)。安倍首相の支持基盤として知られる「日本会議」大阪支部の幹部(代表委員)でもある。大阪府庁職員との面談を終え、報道陣の質問に答える森友学園の籠池泰典理事長=3月9日、大阪府豊中市(前川純一郎撮影) すでに「不可解な取引」の内容は初報の朝日新聞をはじめ複数メディアで報じられている。概要をまとめる。〈安倍昭恵氏が名誉校長を務める私立「瑞穂の國記念小學院」(大阪府豊中市。今年4月開校予定)が近畿財務局から近隣国有地の10分の1という格安価格(1億3400万円)で学校用地の払い下げを受けていた問題。朝日新聞が最初に報じた〉 要は「国有地の払い下げを巡って、安倍政権の支持者である籠池氏が、国(財務省)から特別に土地を格安で譲り受けていたのではないか」──という疑惑である。当事者である籠池氏は、これまで口利き疑惑を否定してきたが、本誌記者の直撃に「私の考えを話す」として、森友学園が運営する幼稚園に記者を招き入れた。安倍総裁の直筆手紙安倍総裁の直筆手紙 園長室に入る前に籠池氏が記者に案内したのは、金の襖で囲まれ、金屏風も置かれた「玉座の間」。「ここは尊い方をお迎えする場所です。あなたはきちんと取材してくれる人だと思ったのでお通ししました」 玄関には皇太子と園児が一緒に収まる記念写真が飾られていたので、記者が「皇太子殿下もいらしたんですか?」と訊ねると、嬉しそうな表情で「それはまぁ、そう考えてもらっても」と曖昧な言い方をする。よく聞くと、皇太子と園児たちの写真の場所は幼稚園ではなく、皇太子が大阪を行啓した際に園児がエスコート役を務めた時のものらしい。 そして園長室に促されると、籠池氏の隣に副園長を務める夫人も着席した。早速、記者が「国から払い下げを受けた小学校建設用地が安すぎると指摘されているが?」と訊くと、出てきたのが本稿冒頭の発言だった。──財務省(近畿財務局)は「埋蔵廃棄物の撤去費用を控除した金額」とする一方で、「金額を非公開としたのは法人側の要請があった」とも説明していた(国有地の売却額は公開が原則)。「(控除された額について)そんなのは知りませんでした。ただね、私たちは清廉潔白なので(売却経緯は)公開してくれていいと近畿財務局にはお答えしています」 説明や反論に具体性が見えない。ところが、安倍首相との関係について話題を変えると、俄然、籠池氏の口調は滑らかさを増す。──当初は、小学校の名称は「安倍晋三記念小学校」として寄付を募っていた。「学校名に安倍さんの名前を冠することは、総理(自民党総裁)になる前に、昭恵夫人を通じて内諾をいただいていたんです。ただ、天下の総理大臣となったらそうもいかないでしょ。ですから(安倍首相サイドが)ご辞退されたということですね」──でも昭恵夫人は「名誉校長」になりました。首相夫人が一法人の役職に就くのは異例であり、何か特別な関係があるのでは。「昭恵夫人には3~4回ほどこの幼稚園に来ていただきました。(学園の)古き日本の素晴らしい道徳性がある子供たちをご覧になって、教育方針に感動されたと思うんです。ファーストレディと言われるだけの器がある方だと思いますよ」──安倍首相も来園したことがあるのですか?「(2度目の)総理就任前に講演をお願いしていました。しかしそれが自民党総裁選のタイミングと重なってしまった。その時にはお詫びの電話をいただき、その後には直筆のご丁寧なお手紙までいただきました」『永遠の0』は5回観た『永遠の0』は5回観た──あなたは日本会議の活動もされている。当然、安倍首相の支持者ですよね。「それは当たり前ですよ。日本国をしっかり引っ張っていくのは安倍さんしかいないと思っていましたから。安倍さんは日本の国柄のことをよく認識されていると思います。純粋に我が国のことと、皇室のことを考えてらっしゃる」 ここで夫人が口を挟んだ。「安倍総理は、偽物と本物をきちんと見分けることができるんです。うちの園長先生(籠池氏)は清廉潔白」 籠池氏は夫人の話を引き取ってこう話す。「清廉潔白の人間は、相手が清廉潔白だとわかる。私の周りは天下国家を考えている人が集まるんですが、それは安倍さんも同じ。安倍さんとは共鳴する部分があるんです。一方、悪人の周りには悪人が集まる」 おもむろに夫人が、籠池氏の携帯電話の画面をチラッと見せる。何と「安倍晋三の携帯電話番号」だという(本物かどうかは確認できなかった)。親しさを証明したかったのかもしれない。さらに夫人が話を被せる。「園長は清廉潔白で清貧ですよ。背広だって私が買ってくるのを着るだけ。ATMだって使ったことがないし、(クレジット)カードも持ったことがない。それこそコンビニでチョコ買うくらいしかお金を使わない。あっ、でも『永遠の0(※注)』は5回も観ましたけどね」【※注:安倍首相と親交が深いことで知られる作家・百田尚樹氏の小説『永遠の0』の映画版】 その後も2人からは日本会議の活動と安倍政権の礼讃があふれるばかりだった。この払い下げ問題について、『日本会議の研究』の著者・菅野完氏が指摘する。「日本会議は基本的に言論ネットワークであって、利権で結びついている組織ではない。それだけに、幹部が日本会議の理念に沿った学校を建設するため、安倍首相夫人を看板に国有地の払い下げや学校設置認可を得ていたのは非常に驚きです。今後、こうした例が他に出てこないかチェックしていく必要があります」 取引の核心についてははぐらかされるばかりだったが、少なくとも「安倍首相の熱烈な支持者」の“実相”に触れることができたことがインタビューの収穫だったと思いたい。関連記事■ 消費増税延期 安倍首相対財務省の攻防は本当に存在したのか■ 安倍昭恵さんの中国関係者との交流 「主人は私の判断を信頼」■ トランプ氏と安倍首相 ゴルフの腕前と相性やいかに?■ 安倍首相 米露大統領を日本で握手させればノーベル平和賞?■ 安倍首相 サミットで米露を和解させる外交的勲章に野心

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    「私達記者は正義。」森友学園ネタで威張り散らすサヨクの本性

    発も。それだけ森友学園事件に危機感を覚えているのだろう。最近は人工地震と北朝鮮のミサイル発射は、日本政治と絡み合って起きる。そろそろ、と予想していたら、案の定である」 もうやめましょ、こういう邪悪な卑しいイカレタサヨク・リベラルを野放しにするのは。そろそろこういう嘘つきどもから「正義」だの「リベラル」だのという偽看板を取り上げるべきでしょう。こんな「卑しいやつら」がマスゴミや大学等でのうのうと「オレサマこそが正義でござい!そこのけそこのけ愚民ども!」と「威張り散らす社会」を放置していたら、いい加減日本でもトランプが生まれちゃいますよ。

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    野党と左派メディアに告ぐ! 森友学園、議論の「本質」はそこじゃない

    ていて、問題の焦点が定まっていないように感じざるを得ない。その原因の一つは、現在の一強多弱といわれる政治状況にあることは間違いない。高い支持率を維持している安倍首相に対する批判につながるものは、できるだけ多く提示しようとする野党の国会戦略にあるといってよい。 しかしながら、一方では問題に関与している人物の肩書や思想・信条などが、あまりにもユニーク(独特)なことにある。こうした多岐にわたる報道の原因は、メディアによって関心のある領域が微妙に異なるためでもある。受け手の関心に従って、伝達する内容の焦点が異なるからである。 このような状況では、えてして問題の本質とは異なる話題が先行し、過度に国民の興味を引くことで本来の問題の解決が遅れることや、ひどい場合には問題そのものがうやむやにされてしまうことが少なくない。問題の本質が理解されるようになるころには、国民の関心がすでに薄れてしまうこともある。 もちろん、その責任は、政治問題であっても、あたかもエンターテインメントの延長であるかのように関心を持つ国民にもある。80年代半ばに登場した「ニュース・ステーション」などのニュース番組やさまざまな政治討論番組は、テレポリティクスと呼ばれた政治の場におけるテレビの影響力の増大を生み出した。この延長に出現した小泉純一郎政権を典型とする劇場型政治は、こうしたテレビを利用しようとする政治家の戦略、それに呼応したメディアの責任が大きいが、そればかりでなく、それに乗っていた国民もその責任の一端を担っていたことを忘れてはならない。2001年4月、自民党総裁選に出馬した小泉純一郎元郵政相(右)のスーツに付いた埃をとる、応援に駆けつけた田中真紀子議員=神戸・三宮 さて今回の問題を整理してみよう。学校法人森友学園に国有地が安価で払い下げられたことが問題の発端である。10億円弱といわれる土地が、なぜ市価の10分の1近くの価格で払い下げられたのかという疑問が生じるのは当然である。誰でも、あるいは政治の身近にいる者であれば最初に勘ぐるのは政治家の関与である。いわゆる「口利き」が行われたのではないのかということ、これこそが問題の本質である。 また、仮に政治家の関与がないにしても、なぜ安価で払い下げたのかは、窓口の財務省に説明責任がある。国有地であるから国家に損失を与えたことになるからである。こうした点についても、8億円に上るごみ撤去費用を差し引いたとの説明がなされてはいるが、その積算根拠も明確ではない。実質的には、10億円近い土地が1億円余りという法外な価格で学園のものになった理由は、現在までも明らかにはされていない。教育者の資質が情報番組の格好の「ネタ」に この問題の登場人物に安倍首相という大物政治家の名前が挙がり、払下げを受けた学園が安倍首相の熱烈な支援者であったことが明らかになると問題は迷走する。とりわけ、森友学園が用地を取得して建設する小学校の名誉校長に安倍晋三首相の夫人が就任していたことは問題を複雑化する。関与が疑われる政治家が時の首相であれば、事態は大きくなることは明らかである。ましてや、その学園の理事長が安倍首相と考えを同じくする保守系団体の大阪府の役員であることも、その関係の深さを想像させたのである。 また、当初は用地買い入れの資金が不足して借地契約を結んでいた学園が、数年で取得できたことは、便宜供与が行われた疑いを持たせるのには十分である。この土地取得に関しては前提条件となる小学校設立の認可をめぐっても財政的な問題が指摘されていた。その前まででは設立できなかった条件を大阪府が森友学園の要請で緩和したこと、認可保留としていた状態がすぐに承認されたことなども政治家の関与を疑わせるのに十分な題材が揃いすぎていたのである。 これに輪をかけて、森友学園の愛国教育の程度が度を過ぎていること、保護者に対してヘイトスピーチともとれる文章を送っていたことなどの教育者としての資質の問題が浮かび上がってきた。教育基本法の政治的な公平に抵触するような運動会の宣誓などがテレビで放送されるや、教育の問題もワイドショーなど情報番組の格好の「ネタ」になっていったのである。 ここで問題を整理してみよう。1.国有地払下げの問題      これは払い下げた側の問題:財務省、国土交通省2.政治家の関与の問題      当面は安倍首相になる3.小学校の設置認可の問題    認可権限のある大阪府の問題:松井知事4.森友学園の教育の問題     森友学園の理事長の問題5.首相夫人の名誉校長就任問題  安倍首相夫妻である。 前記の1、2の問題は国会で積極的に議論すべき問題であるが、現在の国会を見ている限りでは、安倍首相の関与を強調したいあまり、本質とはずれた質問も少なくない。ここでは森友学園の教育方針と払下げの問題が直結しているとは思えないからである。財務省なり、国土交通省への質問が本筋であり、監督者としての大臣への質問が本来のものであると思われるが、安倍首相の関与に関する同じような質問を連日繰り返しているようにしか思えない。「森友学園」の籠池理事長らが陳情に訪れたことについて話す、自民党の鴻池祥肇元防災相=3月1日、東京都千代田区の参院議員宿舎 夫人が小学校設立に賛同していたであろうことは想像に難くないが、そのことが政治家の関与に直結するわけではない。大切な予算審議の過程で繰り返しする質問であるのかは疑問が残る。その後になって、鴻池祥肇参議院議員の証言などから森友学園側が政治家に「口利き」を依頼していたことが明らかになってきた。鴻池議員は拒否したということであるが、その後も他の自民党議員の名前が報道されている。これらは、与野党の別なく一刻も早く真相を解明するように、調査すべきであろう。大阪府の安易な認可のつけは小さくない 仮に政治家の関与が直接的にはなかったにせよ、職員の一存で価格が10分の1近くになることは考えにくい。財務省、国土交通省の真摯な説明が必要である。このことを国会で議論すべきであるし、報道もそれを強調すべきではなかろうか。一国の首相が認可や払下げの問題に、ここまでわかりやすく関与するとは思えないので、実態としてあり得るのは官僚の側もしくは政治家が「慮って」許可したり、安くしたりしたのではないかと推測することくらいであろうか。 次の3の問題は大阪府の問題である。小学校の認可は教育長の権限であるからである。もちろん教育に関わる問題であるので、文部科学省と無関係であるとは言わないが、いわば大阪府議会で十分に議論してもらいたい案件であろう。認可に関しても国会議員なり閣僚の関与が明らかになれば話は別であるが、地方自治体に権限がある以上、そこでまず議論すべき問題ではなかろうか。少なくとも国会における優先順位の高いものとは思われない。 大阪府の松井一郎知事は、森友学園に関するさまざまな問題が報道されるようになると、不認可の可能性を発言するようになっている。教育長の権限ではあるが、そうであるとすれば現在入学予定の児童たちの処遇を考えなければならない。安易な認可のつけは小さくない。 森友学園の教育方針については、明白な教育基本法などの法令違反などがあれば別であるが、愛国教育それ自体を問題とすることは難しい。しかしながら個人的には保守的な考えには理解を示しているつもりであっても、幼稚園児に軍人勅諭などを唱えさせることに個人的には違和感があるが、これも思想的な問題であるので一概にいけないということはできない。学校法人「森友学園」が建設中の瑞穂の国記念小学院=大阪府豊中市 近隣諸国からすれば、戦前の軍国教育につながるという懸念につながることは明白であり、そこに長期政権を担うとされている安倍首相が深く共鳴しているとなれば、心中穏やかではないのも容易に推測できる。ただし前者の直接的に政治的な案件である払下げ問題とは、少し距離を置いて考えるべき事柄ではなかろうか。少なくとも前者の問題と同一軸で語るものではないように感じる。 一方で、政治家に「口利き」を依頼した事実があれば、これは批判されるべきであり、教育方針というよりも、教育者としての資質にかかわる問題となろう。しかし、これも国会論議とは違うものであることは間違いない。「ためにする」質問やはぐらかす答弁が失望を招く 最後の名誉校長に関する事柄である。安倍首相の関与を深く疑わせるものではあるが、名誉校長そのものに就任することを法的に規制するものではない。しかしながら、首相夫人が私立学校の名誉校長になることの意味については、自らの置かれた立場を考えていただく必要がある。 ましてや「安倍晋三記念小学校」と名付けようとしていたこと、その名目で寄付を募ろうとしていたことを考えれば、広告塔に使われることは十分に想像できたはずである。「李下に冠を正さず」ではないが、自制的になる必要があるのではないだろうか。しかしこれは倫理的な問題であるので、指摘することは必要であるかもしれないが、繰り返し時間をとって行うことには思えない。 以上のように、国会で優先的に議論すべきは払下げの問題である。払下げをした財務省、不適切な減額を支持する見積もりを算定した国土交通省に見解を正すことが本質的な問題の解明につながることになる。これまでのスキャンダルでも分かるように、「口利き」を認めることは難しいかもしれない。そうであればこそ、こうした問題について国会の場で明らかにすることは重要である。「ためにする」ような質問やはぐらかすような答弁は、国民の失望を招きかねない。参院予算委員会で、民進党の蓮舫代表(右奥)の質問に答弁する安倍晋三首相=3月6日(斎藤良雄撮影) すべての政党、政治家、メディア、ジャーナリストが本質を欠いたと思われるようなことをしているわけではないことは重々承知しているつもりである。しかしながら、ことさら政局につながることを意識しすぎているように思える民進党をはじめとする野党の対応には不満が残る。とりわけ、旧民主党ではあるが政権を一度でも担ったことのある野党として、本格的な国会論議を期待したい。 当然のことながら、与党も数の力を背景にすることなく、野党の意見も聞き入れながら国会を運営する、国民に説明をする「横綱相撲」をしてもいいのではないか。数の力が余裕ではなく、慢心にならないようにしてもらいたい。 また劇場型政治、テレポリティクスを主導する放送局、とりわけ情報番組にもそうした問題を整理した放送を期待したい。国民の政治関心を高めるためには、劇場型政治にすることも必要な時期もあったと思うが、それが常態化することは望ましいことではない。政治家としての矜持、ジャーナリストとしての矜持を持った行動を期待したい。

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    森友学園、これだけは私に言わせろ!

    学校法人「森友学園」の国有地売却問題をめぐる議論が止まらない。安倍首相夫人の名誉校長就任や行政のずさんな対応、エセ保守を気取る学園の実態は当然批判されるべきだが、野党や左派メディアの追及はどうも議論の本質からずれている。もう看過できない。こうなれば、iRONNAからもぜひ言わせてもらおう!

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    国会中継は「お笑い番組」か? 森友学園に踊らされる滑稽な政治ショー

    ないかと思います。民進党の蓮舫代表(右奥)の質問に答弁する安倍首相 今、「口利き疑惑」をもたれている政治家の皆さんは、キチンと説明責任を果たすべきです。また「口利き」が実際あったとして、それが悪いことなのかどうかを与党も野党もご自身達の意見を明確にしていただきたいものと思います。 しかし、もし口利きというものを否定しては、与野党とも国会議員として、その期待される役割を果たし得ないという考え方もあります。現代の代議制民主主義は、複雑専門化する様々な問題に対処するため、組織もいわば機械的になりました。 行政機関はまさにその名の通り官僚機構という機械です。また、広範囲に拡大する国家の意思決定を担う立法機関もまた多数決を原理に政治家や政党をパーツとして稼働させるまさに法律製造工場の様なものです。そのような硬直した官僚制との中で多数決一辺倒でなく少数者の声を拾い上げるために「口利き」というものも長く行われてきたのではないでしょうか。  安倍首相にとっては、最近はもはや保守派の歓心を買う愛国的主張を強調することが一概に政権運営上あまりメリットがないと思ってきているかもしれません。首相に批判的な勢力は安倍首相周辺人脈に怪しい人物はいないかと探し、見つければこれを攻撃材料にしようとするのでしょう。 野党も何とか安倍政権を叩く材料を探している中で安倍首相の夫人が名誉校長を務めている森友学園が国有財産を9割引きで払い下げられたなどという事実は格好の攻撃材料となります。 また、森友学園は私学である以上、その教育内容自体に部外者が口を挟むのは適切ではないと思いますがテレビのワイドショーが取りあげる森友学園は、ことさらその「異常さ」、「気味悪さ」を強調するものです。だから国民の多くも森友学園の理事長が何かとんでもない非常識な人物ではないのかと思ってしまいがちです。まるでお笑い芸人と同じ政治家 しかし、反面として理想の学校をつくりたいが為に、その十分な資金もない私学の経営者が、想いを実現するために政治家の名声に頼ったり、民有地では用地の確保が難しい中で、国有地をできるだけ安く取得したいとあの手この手で交渉を試みるのはこれも起業家としての努力の一端ではないかとも思えます。結局のところ森友学園は与野党の戦いの中に巻き込まれたと言うのが私の印象です。  テレビやネット上では、旧態依然とした政治家の活動はいつも同じような事の繰り返しで、その言動のすべてが滑稽に見えてしまうのです。そうなると、テレビの政治ニュースとバラエティとの間に垣根はありません。政治家とお笑い芸人では演ずる役柄が違うだけで、視聴者から見ればテレビの中で騒いでいる姿は同じようなものです。参院予算委員会に臨む安倍首相(左)と麻生副総理兼財務相 そんなテレビ政治に踊る政治家たちは、「事実」よりも「見立て」が大事と考えます。「印象」がすべてと言っても過言ではないでしょう。次の選挙よりも先を見越せない政治家にとっては、それこそが最も大事なことで、まずは目立つこと、そして自分が正義のヒーローと見られることを強く望んでいるのです。 ところが実にそれが安直で、共産党はまだしも他の野党などは、週刊誌の記事に依拠するばかりで自分達で調査する努力すらしない。政治はドンドン「印象操作」に傾斜していくばかりで、ムードに流されがちな国民による選挙はその影響を如実に反映します。 昨年の参院通常選挙の比例区で64万票余を獲得するも議席獲得には至らなかった「支持政党なし」は情報化の進む中で多様化する民意を国政に反映させるために、敢えて党としての政策は一切無く、国会にあっては完全にニュートラルな立場で、法案毎にインターネットで国民に賛否を問い、その割合に応じて表決に参加するという「電子的直接民主制」を原理とする政治団体です。 この「支持政党なし」の立場から見れば、定見も無く、無責任なことを吹聴し、公約を守らない既成政党などはいずれも大きな違いは無く、「政権選択」を目的とする選挙は無意味であるとさえ考えます。 国民にとってより重要なのは「政策選択」であり、国民の利害はこれに複雑に絡み合ってくるのです。あらゆる施策、あらゆる法律にはいかなるものにもメリット、デメリットともにあり、受益者が存在すればそうでない人も、それどころか損する人達も出てくるのが常です。だからこそネット上で両論併記し広く国民の衆知を募り、政治家に頼らずとも、「口利き」によらずとも少数者の意見を決して切り捨てない政治システムこそが必要ではないでしょうか。

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    安倍首相と記者クラブ 「赤坂飯店の夜」全真相

    聞社の内実がよくわかる話だ。では、赤坂飯店で安倍首相は記者たちに2時間半もどんな話をしたのか。大手紙政治部記者が語る。「キャップの話では、最初はもっぱら森友学園問題の釈明。総理は疲れた様子で『カネのやり取りとかやましいことは全くない』と内容は国会答弁の繰り返し。昭恵夫人の名誉校長の件についても『妻がそんな役職に就任していたなんてオレは全く知らなかった』というばかり。 ちょっと元気になったのはトランプとのゴルフの話。『トランプはめったに相手のゴルフを誉めることはないが、シンゾーはうまく刻むじゃないかと誉められた』とか、『トランプとは国際会議の時に毎回会談すると約束したが、そんな約束を取り付けたのは世界で自分だけ』と鼻高々だったそうです」 さすがにかつての民主党の大臣のように「書いたらその社は終わり」という露骨な“箝口令”はなかったようだ。 安倍首相にすれば、わざわざキャップ懇を開いたのだから、余計なことはいわなくても大メディアは封じられたとタカをくくっていたのだろうか。関連記事■ 櫻井翔と小川アナ交際 ジャニーズとテレ朝が回答揃えた意図■ 電撃引退の堀北真希 直筆メッセージに込めた「本音」■ 18kg減の愛子さま 宮内庁は報道陣に「アップ写真使うな」■ 高橋ひとみ、階下から苦情くるほど熱い50代新婚の夜■ バクステ朝倉ゆり ダンスで鍛えた美くびれ&美乳を披露

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    大手メディア記者 今やネットに流すしか真相伝える手段なし

    「私は朝日新聞に勝った」──安倍晋三首相がトランプ氏との最初の会談(昨年11月)でそうメディアへの勝利宣言をしたと、産経新聞が報じた。 政権に返り咲いて以来、首相が真っ先に取り組んだのがメディア対策だった。就任してすぐの2013年から2014年にかけて、全国紙5紙、ブロック紙、通信社、そして民放キー局のトップや編集幹部と会食を重ねた。その回数は2年半で50回にのぼった。 安倍首相の言葉は敵対してきた朝日新聞だけでなく、大メディアはすべて統制下にあるという自信の表われだったといえる。 しかし、もう自分には逆らえないと安心したのか、昨年からメディア首脳との会食はめっきり減り、今年は2月2日に渡辺恒雄・読売新聞グループ本社主筆、福山正喜・共同通信社社長らと食事をしたのが目立つくらいだ。 一方で、安倍政権のメディア統制にはっきり綻びが見えてきた。国有地払い下げにまつわる森友学園問題は朝日新聞がスクープし、民放は当初、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)、『白熱ライブ ビビット』(TBS系)くらいしか取り上げていなかったが、国民の関心が高まるとフジテレビ、日本テレビなど民放各局が競うように連日ワイドショーで取り上げるようになった。 そのうえ、現場の新聞記者たちから不興を買ったのが経産省の取材規制だ。2月24日、「プレミアムフライデー」がスタートし、経済産業省を出る人ら=東京・霞が関(古厩正樹撮影) 予算案が衆院を通過した2月27日、安倍首相は、東京・赤坂の中華料理店で官邸キャップとの懇親会を行なった。その日、経産省は、【1】庁舎内のすべての局の部屋を勤務時間中もロックして記者の出入りを禁止し、【2】職員が取材を受ける際は応接室で他の職員を同席させ、【3】取材内容を広報室に報告させる──という“記者排除令”を出した。日米首脳会談前に交渉内容の一部が漏洩し、世耕弘成・経産相が安倍首相訪米の同行者から外された“腹いせ”が原因とされる。 これまで記者クラブ制度の下、特権的に役所からの情報を得てきた大手メディアの記者たちにとって、この措置は死活問題だ。「同じ動きが全省庁に広がれば記者は情報が取れなくなって食いっぱぐれる。世耕大臣がやったことはトランプ政権の報道官が気に入らない記者を会見から閉め出したことよりもおかしい」(財務省担当記者) 批判と不満は大メディアの記者全体で高まっている。 クラブ制度の特権を奪われ、記者たちはようやく政権による情報統制に愕然としたのだろうか。新聞記者からリークされた赤坂での首相と記者の懇談をベストセラー・『日本会議の研究』著者である菅野完(たもつ)氏がツイッターで流し話題を呼んだが、そのリーク元は菅野氏の知人の大手新聞記者なのだという。これは、大手メディアの記者がいまやネットで国民に直接情報を流すしか“真相”を伝える手段を持っていないことに気づいた証拠にも見える。菅野氏はいう。「新聞が反権力で動かないのはみっともない状況。現場の記者まで、『政権批判ありきで記事をつくるのはどうか』と平気でいう。新聞社内に反権力はダサイと考えるカルチャーができてしまった。だから本当に報じたいことも、ネットで書いてくれと他人任せにする」 新聞記者たちは、安倍批判記事もネットへのリークではなく堂々と署名で書いてみせたらどうなのか。関連記事■ 新聞記者 会食で民主党はケチで割り勘だが自民は個室で無料■ 安倍首相とメディア幹部の会食 3.5万円フレンチや3万円ふぐ■ 安倍氏 町村氏訃報直後「オバマの見る目変わった」と上機嫌■ 安倍首相とメディア幹部の会食 内閣発足以来最低でも60回■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本

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    役所や企業に厳しくとも「共謀罪」が日本にもたらす巨大利益

    魚市場、水道設備、発電所の建設などを次々に受注している。 ただし、インフラ事業は契約の相手が途上国の政治家や公務員であるため、また、外国企業との競争も激しいため、贈収賄のリスクが高い分野である。それなのに、日本が国連腐敗防止条約を締結していないために、日本人や日本企業の腐敗に対する意識やリスク管理が世界の常識から大きくずれているので、うっかりワイロを払ってしまうケースも少なくない。こうして日本企業が外国で有罪となり企業の評判を落としたり、外国当局から数十億円規模の罰金・解決金を科されたりする事件が毎年起きている。 国連腐敗防止条約の締結は、貿易立国であり、投資立国であり、インフラ輸出を進める日本が、収益と信頼を守るためにぜったいに必要なのだ。省庁が集まる霞が関 また、アジアやアフリカの発展途上国ではかつてはワイロが横行していたが、この10年でどの国も国連腐敗防止条約を締結し、刑法を改正するとともに贈賄防止法を新設し、公的・中立の腐敗防止委員会を設立している。日本では腐敗を告発する先はマスコミしかない。明らかな犯罪となれば警察に告発できるが、それ以外の不正について相談や届出を受けたり、調査や懲罰をしてくれたりする機関はない。だが日本や北朝鮮、シリア以外の世界のほとんどの国では、いまや警察や消防と同格に腐敗防止委員会という公的機関があるのだ。 国連腐敗防止条約の署名に関しては、2006年の国会で与野党が全会一致で承認している。だから、共謀罪の構成条件が厳格になった「テロ等準備罪」の新設には野党も反対する理由がないはずだ。不満があるなら、法案の修正に知恵を出せばよい。 国連腐敗防止条約の締結をこれ以上先送りすることはできない。

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    安倍首相が「共謀罪」で駆逐したい本当のターゲット

    山下幸夫(共謀罪法案対策本部事務局長) 政府は、かつて国会に上程して3度廃案になったいわゆる共謀罪法案を手直しして「テロ等準備罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案を国会に上程する予定である。 しかしながら、そもそも、国会で3度も廃案になったのは、国会審議を経て、共謀罪法案が極めて危険で濫用のおそれのある法案であることが明らかとなり、多くの国民の反対の声を受けて、野党が強力に反対したからであった。 我が国においては、法律上保護されるべき利益(保護法益)を侵害した既遂犯を処罰するのが原則であり、例外的に結果が発生しなかった未遂犯も処罰する。また、例外的に、重大な犯罪については準備段階から予備罪・準備罪として処罰し(約46罪)、それよりもさらに重大な犯罪(刑法で言えば内乱罪など)についてのみ、陰謀罪・共謀罪として賜与罰される(21罪)。 このように、犯罪の既遂から遡って、既遂犯←未遂犯←準備罪・予備罪←陰謀罪・共謀罪という流れの祥で、犯罪を合意したという共謀段階での処罰は極めて例外であるというのが我が国の刑事法の体系であった。「テロ等準備罪」を新設する法案をめぐり組織的犯罪集団と認定される基準について見解を示した金田勝年法相 ところが、今回新たに上程されようとしている法案では、277もの新たな共謀罪(政府はこれを「テロ等準備罪」と呼んでいる」)を新設しようとしており、極めて例外であった共謀罪・陰謀罪を一挙に10倍以上も増やそうとしているが、それは刑事法の体系を崩すものであり、刑事法による処罰は抑制的であるべきであるとする謙抑主義に反している。 そもそも、犯罪の合意(新たな法案では、これを「計画」と言い換える)だけで犯罪が成立し、しかも、言葉を直接交わさないでも、「暗黙・黙示の合意」でも良いとされることから(2005年の国会審議では、当時の法務省の大林刑事局長は、「目くばせ」でも合意が成立すると答弁したことが有名である)、果たしていかなる場合に合意が成立したのかが極めて曖昧である。 そのため捜査機関、とりわけ警察による恣意的な運用によって、市民運動や労働組合などによる反政府的な運動の弾圧に利用されるおそれがある。 「暗黙・黙示の合意」は、何ら言葉を交わしていないのであるから、実際には何の合意もしていないのに、警察が、政府に反対する運動をしている市民団体や労働組合の構成員について、「犯罪の合意があったに違いない」と認定されすれば逮捕したり家宅捜索をすることが可能になるのである。 したがって、捜査機関、とりわけ警察による恣意的な運用を招く恐れがあり、えん罪を生む恐れがある。会社組織でも「組織的犯罪集団」に? 新たな法案では、かつての政府案が、単に「団体の活動」として、団体を限定していなかったことから、一般の市民運動団体、労働組合、会社組織も適用されるのではないかと指摘され、対象となる「団体」があまりにも広すぎるとの批判があったことを受けて、新たな法案では、「団体」に変えて、「組織的犯罪集団」という用語が使用され、団体のうち、その結合関係の基礎としての共同目的が対象犯罪(長期4年以上の犯罪)を実行することにある団体と定義されるようである。 今年の通常国会の予算委員会の審議において林真琴刑事局長は、2017年1月31日、「そもそもの結合の目的が犯罪の実行にある団体に限られる」と答弁して、普通の団体は除外されると答弁していたが、金田法務大臣は、その団体の活動内容が一変すれば、普通の団体にも適用されることを認める答弁をしていたことから、法務省としての統一見解を求められ、2017年2月16日、法務省は、「もともと正当な活動を行っていた団体についても、目的が犯罪を実行することに一変したと認められる場合には、組織的犯罪集団にあたりうる」ことを認めている。画像はイメージです しかも、「一変」したかどうかは、第1次的には逮捕状を請求する警察や勾留請求をする検察官の判断による。警察は、特定の団体の構成員を四六時中尾行するなどして、その行動を監視して、その情報を集積した上で、彼らなりに「一変」したどうかを判断するのであり、そこでは恣意的な判断がされるおそれがある。 そうだとすると、普通の市民運動団体、労働組合、会社組織でも「組織的犯罪集団」に当たりうることとなり、「一般人には適用されない」という菅官房長官の説明は完全に破綻したことになる。 また、新たな法案では、単なる「計画」だけでなく、「準備行為」が必要とされる。国会に上程される法案には、例示として、「資金又は物品の手配」や「関係場所の下見」を挙げた上で、「その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」が行われたことを要求するようである。 アメリカの各州の州法においては、共謀罪の成立を認めるためには、単なる共謀だけでなく、「顕示行為」(overt act)として一定の客観的行為を要求するのが普通である。そして。これは犯罪の成立要件ではなく、処罰条件であると解されており、その考え方を我が国の法律に取り入れようとしていると考えられる。共謀(計画)しただけで広範な処罰が可能に 今年の予算委員会における審議の際に、林真琴刑事局長は「準備行為が疎明されなければ逮捕・勾留しないように法案を作成する」と述べているが、「準備行為」が処罰条件としてなのか、犯罪構成要件としてなのかは、現時点では不明である。 ただ、新たな法案が参考にしたと考えられるアメリカの州法で要求されている「顕示行為」(overt act)は、共謀を裏付ける何らかの客観的行為であれば足りるとされ、かなり緩やかに認められていると指摘されている。 したがって、新たな法案で要求される「準備行為」についても、予備罪・準備罪におけるような法益侵害の可能性のある犯罪的な行為に限らず、およそ犯罪的ではない中立的行為でも「準備行為」となると解され、例えば、ATMで現金を下ろす行為など広く日常的に行為も「準備行為」とされることになると考えられるから、何ら濫用の歯止めとはならないと考えられる。 最近、外務省は、民進党のヒアリングにおいて、この法案の根拠となっている国連国際犯罪防止条約を批准するために、新たに共謀罪を立法した国はノルウェーとブルガリアの2ヶ国であることを明らかにしているが、その2ヶ国が一体いくつの共謀罪を新設したのかは明らかにされていない。数百の単位の共謀罪を新設したとは考えにくい。 国連は2004年に、この国連条約を各国が立法するための立法担当者向けの「立法ガイド」を作成しているが、そこでは、実質的に見て重大な組織犯罪について、未遂以前の段階で処罰できるようにすれば良いとされている。 我が国の現行法上、未遂以前の段階で処罰できる犯罪としては、①陰謀罪8、②共謀罪13、③予備罪38、④準備罪8がそれぞれあり、実質的に重大な犯罪についてはこれらの犯罪が既に対応していると言える。しかも、我が国には、判例上、共謀共同正犯理論が認められており、組織犯罪について単に共謀しただけの者についても広範な処罰が可能となっており、予備罪についても共謀共同正犯が認められている。 したがって、共謀した者のうちの1人が予備行為をすれば、単に共謀(計画)しただけの者にも予備罪の共謀共同正犯が成立する。「共謀罪」法案本当のターゲット これは準備行為を共謀罪の成立に必要とするという新たな法案と、かなり近い処罰が可能になるといえるし、未遂以前の段階で処罰可能な法制度は既に存在していると言えるのである。 したがって、国連条約を批准するために何らかの立法が必要であるとしても、実質的に見て重大な組織犯罪を未遂以前の段階で処罰する罰則が足りない部分を、ゼロベースで検討して、それを必要とする立法事実があれば個別立法をすることにより対応可能であると考えられる。参院予算委員会で答弁する安倍晋三首相 =2月28日、国会・参院第1委員会室 政府は、新たな法案は、2020年東京オリンピック・パラリンピックのための「テロ対策」として必要であり、安倍首相は、「テロ等準備罪」がなければオリンピックを開催できないとまで述べている。しかし、安倍首相は、オリンピック招致の際には、「日本が世界で有数の安全国」であると述べていたのであり、矛盾している。 そもそも、国連の国際組織犯罪防止条約は、元々、経済的利益の獲得を直接又は間接な目的とする組織犯罪を対象とする条約であり、マフィアや暴力団対策のための条約であった。ただ、2001年のアメリカでの9.11同時多発テロを受けて、その後、G8においては、この条約をテロ対策のためのものであると読み替えるようになったという経緯がある。 しかし、本条約の主たるターゲットは組織犯罪であることは明らかであり、テロ対策が主たる目的ではないことは明らかである。 ちなみに、我が国は、国連の13のテロ防止関連条約の全てに加入し、そのための国内法整備も済んでいるし、政府の国際組織犯罪・国際テロ対策推進本部は、2004年12月10日に「テロの未然防止に関する行動計画」を策定し、その後、その行動計画に基づく国内法整備が実施されている。 このように、我が国は、テロ対策についての法整備はかなり実施されている。それを何のテロ対様もないかのように説明するのは極めてミスリーディングであると言わなければならない。共謀罪を実際に検挙するためには、共謀の現場を押さえるのがもっとも効果的であるが、実際には、共謀のための謀議は、密室など人から見えない場所で行われることから、実際には共謀罪を検挙することは難しいと考えられるため、謀議に加わった共犯者の自首や自白がなければ立件は難しいと考えられる。 ところで、この法案が成立すれば、それを検挙するための捜査手法が必要となる。国民のプライバシーが根こそぎ把握されるおそれ その捜査手法としては、尾行などの古典的な捜査のほかに、おとり捜査や潜入捜査(組織の中に、捜査官がその身分を隠して潜入すること)も考えられるし、なるべく早く、謀議の内容を把握する捜査方法として考えられるものとして通信傍受や室内盗聴が考えられる。 既に、通信傍受法(盗聴法)は2016年の通常国会で成立し、対象犯罪を財産犯である窃盗・強盗、詐欺・恐喝を加えるとともに、殺人、傷害、傷害致死、現住建造物等放火、爆発物使用などの殺傷犯、逮捕・監禁、略取・誘拐、児童ポルノの提供罪等のその性質上必ずしも組織犯罪ではない一般犯罪も対象犯罪する改正は、既に2016年12月1日から施行されており、既に詐欺罪での通信傍受が実施されたことが報道されている。 テロ等準備罪(共謀罪)を一挙に277も新設する法案が成立すれば、盗聴捜査が有用・必要という理由で盗聴の対象犯罪とする改正がなされることが強く予想される。画像はイメージです また、通信だけでなく、室内の会話を補足する必要があるとして、現在認められていない室内盗聴(会話傍受)の制度化を求められる声があがることも予想される。これらが実施されれば、これまで公安警察がとってきた手法が、刑事警察の分野でも日常的に行われるようになり、監視国家化が進むことは間違いない。 それだけでなく、政府は、テロ対策を掲げていることから、アメリカが9.11の後の愛国者法で認めたように、テロの未然防止のための傍受(行政盗聴)を可能にする法律を提出することも考えられる。これが実現されれば、まさに監視社会となり、国民の全てのプライバシーが根こそぎ政府に把握されるおそれがある。 政府は、本年3月10日頃までに閣議決定をして、新たな法案(組織犯罪処罰法改正案)を国会に上程する予定である。国会審議を通じて、この法案の問題について多角的な検討が行われることが期待されるが、この法案が国民の自由や人権に密接に関わる重要法案であることから、決して、数の力に頼った強行採決がされるべき法案ではない。国会での審議を通じて、この法案の問題点をあぶり出し、廃案にすべきである。

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    日本人が知らない「共謀罪」のウソ、ホント

    「共謀罪」の構成要件を厳しくして「テロ等準備罪」を新設する法案をめぐり、政府は対象犯罪を277に絞り込んだ。遅きに逸した感は否めないが、野党や左派メディアは相も変わらず「廃案ありき」の大合唱である。彼らに言いたいことは山ほどあるが、ここはあえて両論併記で議論の核心を読み解いてみよう。

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    多数の命が奪われる憎むべきテロ、その阻止のため緊急になすべきこと

    させるわけにはいかない。だからこそ、「刑事法の専門家、捜査の専門家、テロ対策の専門家、及びテロを憎む政治家」の立場から、声を大にして心から次のように訴えます。1  2020東京大会に関連して敢行される大規模テロの危険性等 周知のように、世界各地でテロが頻発しています。日本でも3年半後の2020東京大会に関連し、『大規模テロ』敢行の危険性が増大しています。   実は、平成16年に警察庁が発出した「テロ対策推進要綱」において、 既に「日本がテロの標的になる可能性が増大」、「テロ防止の法制備の必要性」が記載されていました。12年前にそうした発信がなされていたにもかかわらず、我が国では、テロ資金を規制する法律が一部成立したのみで、「テロ未然防止法(仮称)」のような抜本的法整備が全くなされないまま今日に至っています。  最近では、平成28年4月1日の衆議院内閣委員会において、警察庁警備局長(現 沖田芳樹警視総監)が「テロ対策に関する法整備は重要である」旨答弁していますが、それからほぼ1年。政府から「テロ未然防止法」のような抜本的な法整備への動向は見られません。   要は、多くの政治家においてテロという犯罪に対する具体的問題意識が弱く、国民においても、我が国における象徴的テロ行為が三菱重工爆破事件及びオウム事件の数件であることから、テロに対する具体的危機感に乏しいことが、その要因です。   しかし、2020東京大会に関連し大規模テロが敢行されれば、日本人及び外国人(含む要人)の命が瞬時に奪われるだけではなく、大会の実施が困難になります。そればかりか、テロ対策の法整備がなされないまま国際大会を大々的に開催した能天気な日本に対し世界的な批判が集まり、我が国の国際的信用が失墜しかねません。東京五輪・パラリンピックを控え、千葉海上保安部は千葉中央埠頭で県警など関係6機関とテロ対策合同訓練を実施した=2016年11月9日、千葉中央埠頭2  今、緊急になすべき課題と政治の責任   今、必要な緊急課題は、2020東京大会に関連した大規模テロの阻止であり、 そのためのテロに特化した「テロ未然防止法(仮称)」の整備です。こうした法律が大会の直前に施行されてもテロ阻止効果が半減します。ですから、その整備が今緊急に必要なのです。 未然防止という枠組みとなると、我が国の法制度上、新たな制度を取り入れることにもなります。 例えば、テロを敢行する恐れが存する者について、やむを得ない場合に、テロ阻止目的で、緊急にその身柄を拘束することです。ただ、その際、重要なことは、人権侵害の排除ないし人権擁護の価値観も重視しなければならないということです。  そこで、一つの試案ですが、既に現行法で導入されている「緊急逮捕制度」(※1)にならい、それと同様に、テロを敢行する恐れが高い者の身柄を緊急性に基づき拘束し、その身柄拘束の適否につき事後的(かつ直ち)に裁判官の判断・令状審査を得るという令状主義の徹底を図ることが考えられます。  要は、現行の緊急逮捕制度と同じ事後的令状主義の徹底のもと、テロ未然防止のため、緊急性に基づき、テロを敢行する恐れが高い者の身柄拘束を認めるとの試案です。※1 緊急逮捕制度は、裁判官から事前の令状を得て行われる「通常逮捕制度」と異なり、まず逮捕し、その後事後的速やかに裁判官の令状審査・令状を得るという制度 国民をテロから守るためには効果が乏しい   そして、こうした「テロ未然防止法」ですが、もともと2020東京大会に関連するテロ対策法であるので、その効力も大会終了時頃まで(時限立法)のものが望ましいというのであれば、それも選択肢だと思います。    いうまでもなく、政治の大きな役割は、国民の命を守ることにあります。テロに特化した「テロ未然防止法」の整備を今行わなければ、国民等の生命及び我が国の信用を危殆に陥れるものです。想定外のことへの対応では決してなく、まさに想定内の危機管理の問題です。   ことは、国民の大多数の命を守る気概が政府にあるかどうかの問題です。残された時間は最早少なく既に砂時計状態です。3  いわゆる共謀罪創設法案の射程範囲 報道によれば、政府が「テロ等準備罪」(以下、「いわゆる共謀罪」と云う)を新設すべく、それに関わる法律案 (組織犯罪処罰法改正案)を平成29年通常国会に提出すべく用意しているようです。 しかし、名称にいくら「テロ」の言葉を盛り込んでも、専門家の私から見て、この法案では、国民の多くの命をテロから守るためには効果が乏しいです。 私は、まさに、かつてこの組織犯罪処罰法の適用に係る捜査責任者、及びテロ関係の責任者に就いていた関係からこのように申し上げることができます。追って詳述します。 ですから、いわゆる共謀罪を法律化すればテロ対策に相当役立つと考える政治家がいらっしゃるとすれば、それは所管の官僚がそのように説明し、それにごまかされています。伊勢志摩サミット、東京五輪を見据えて外国人テロリストによるバスジャックを想定した対応訓練が福生署管内の富士見公園で行われた=2015年6月18日、東京都羽村市緑ケ丘 その上、いかにもテロ防止に資するような名称を付け、これでテロ対策の法律としてひと安心という誤った意識を国民と政治家に抱かせ(ミスリ−ディングする)、テロ未然防止法(仮称)の制定に至らないこと自体、何よりも極めて危険です。 政府がこの法律改正案(いわゆる共謀罪)を国会で通過させたいと考えているのは、16年前に署名した「国際組織犯罪防止条約」を締結するためには、この法改正が必要条件だからという理由です。  しかし、この条約のターゲットは、そもそも、不正な『金銭的利益』等に絡む国際組織犯罪の防止です。ですから、所管官僚等において、「テロ対策といえば法案を通過させやすい」という思いがあるとすれば、法律の作り方としては邪道です。 とにもかくにも、政府は、テロに特化した「テロ未然防止法」の制定に早急に取り組むべきです。にもかかわらず、国民をミスリーディングする恐れのある形でいわゆる共謀罪だけを通過させるようなスタンスでは、テロ対策に係る政府の責任の放棄です(組織犯罪撲滅に向けてのいわゆる共謀罪自体の導入を政治課題とすること自体に異論はありません)。 今は、国民の命を守るため、まずテロ対策に特化した「テロ未然防止法」の整備が緊急事態なのです。【この記事は、主に「水月会」のブログからの転記です】(若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」2017年1月17日分を転載)

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    第一次安倍内閣の嫌なムードに似てきたと安倍首相こぼす

    祥事で辞任に追い込まれたが、政権基盤が揺らぐことはなかった。 それがなぜ、急にガタガタになったのか。政治ジャーナリスト・野上忠興氏は「ファイアマン(火消し役)の不在」を指摘する。「安倍政権が再登板後の数々の閣僚スキャンダルを乗り切ったのは、国会の数の力で押し切った面もあるが、それ以上に政権の危機管理に長けた菅義偉・官房長官の存在が大きい。衆院予算委員会で、平成29年度予算案の集中審議について、民進党の今井雅人氏の質問に頭を押さえる安倍晋三首相(右)=14日午後、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 菅氏が官邸の中心にどっかと座り、大臣が失言すれば呼びつけて厳重注意し、不祥事が発覚すれば持ち前の情報収集力で更迭すべきか、あくまで守るべきかを的確に判断して安倍首相に報告、うまく火消しをしてきた。ところが、最近は菅氏の影が薄く、政権の危機管理に大きな穴が開いている」 確かに菅氏の対応にはかつての機敏さがみられない。 防衛省が陸上自衛隊のPKO部隊の日報を1か月以上、稲田防衛相に報告しなかった問題では、記者会見で「厳重注意に値する」と他人事のような言い方だったし、金田法相が共謀罪の国会質疑を法案提出後にするよう求めた文書を出した問題では、火消しどころか、逆に菅氏が二階俊博・自民党幹事長から「緊張感を持ってやれ」と厳重注意を受ける始末だ。 一体、菅氏はどうしてしまったのか? ジャーナリストの藤本順一氏が語る。「菅さんは権力を持ちすぎた。安倍首相の再登板以来、歴代最長の3年以上官房長官として官邸中枢に座り、官僚機構を牛耳り、党の存在を軽んじて内政を思うままに操ってきた。しかも、先の改造人事ではポスト安倍に照準を合わせて幹事長のイスを狙って安倍総理の不信を買ってしまった。 政権の重鎮である麻生太郎・副総理や二階幹事長も世代交代を促しかねない菅さんの突出ぶりを面白いはずがなく、影響力を削りにかかっています。党内に足場のない菅さんは身動き取れずに、官邸内に雪隠詰めの状態です」 官邸の“存立危機事態”だ。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ【1/2】「集団的自衛権」■ 安倍首相 民主党・小西議員を前にすると異常にヒートアップ■ 安倍首相 橋下維新との全面対決指示で菅氏の存在価値低下か

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    元民主議員「日本は異星人問題に向き合う姿勢が欠けている」

    でに宇宙人は地球を訪れているのではないかと考えています」と答え、世界を騒然とさせた。欧米各国では、「政治家とUFO」話題は時に登場する。 他ならぬ日本でも、国会で何度もUFO議論が展開されてきた経緯がある。2005年、民主党の元参議院議員・山根隆治氏が当時総務大臣だった麻生太郎氏に対し、「大臣はUFOを見たことがあるか」と質問。これに対して麻生氏は、「おふくろは見たといってえらい興奮して帰ってきたことがありますけれども、残念ながら私自身は見たことはありません」 と発言。山根氏が「防衛上の問題だ」と突っ込むと、「ある日突然にくる可能性というのは常に考えておくべき問題」と真剣に回答した。 2007年には山根氏のUFO政策に関する質問主意書に対し、政府が閣議決定で「確証できるUFO関連の事例は存在しない」との公式見解を採択。ところが、その後に町村信孝官房長官(当時)が「私は(UFOは)個人的には絶対いると思っている」と発言。防衛大臣だった石破茂氏も、「日本の航空自衛隊が未確認飛行物体(UFO)の領空侵犯にどう対処すればいいのか悩んでいる」 と真剣な表情で語った。ちなみに「宇宙人」と称され、夫人が「宇宙人にさらわれた」と公言していた鳩山由紀夫元首相は、なぜか「深入りしないほうがいい」と論争を避けたが、実は深入りされると困る事情があったのかも。2008年2月、衆議院予算委の集中審議で答弁する石破茂防衛相(矢島康弘撮影) 国会でしつこくこの問題を追及した山根氏に聞くと、「異星人が存在し、日本の安全保障が脅かされるような状況があるのかどうか、ということを確認しておきたかった。日本の場合、超能力や異星人などの問題に科学的に真摯に向き合う姿勢が欠けている」 と大真面目に答えた。 まさか夏の参院選の最大の争点は「UFOの襲来に備えるための憲法改正」――なんてことにはならないよね。関連記事■ 皮肉好き外務官僚 前原氏に「お子様ランチ」のあだ名つける■ 隠し子発覚のミヤネ屋・宮根誠司氏 「子供はどちらも宝」■ 元防衛官僚が安倍政権の安全保障政策の問題点について語る本■ 紅白出場危機の小林幸子の衣装「メガツリー」構想があった■ 球場デート発覚のアンガールズ山根 彼女の両親にも挨拶済み

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    安倍晋三「独裁亡国論」を読む

    前回、iRONNAがお届けした「こんなにもいた世界の独裁者大図鑑」では、各国に君臨する強権的な指導者たちを紹介した。実はわが国でも、高い支持率を背景に長期政権を目指す安倍首相を「独裁者」と揶揄する声が野党やリベラル陣営から聞こえてくる。彼らが言う「独裁亡国論」の信憑性やいかに。

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    私が安倍政治を「スーパー独裁政治」と呼ぶ理由

    06年9月から07年9月まで。第二次安倍政権は12年12月から今日に至る。この間、安倍首相は一切独裁政治はしていない。非合法な政治もしておらず、安倍政治にはなんら責め立てられる所はない。議会制民主主義の政治をまっとうしたと言ってもいい。 安倍首相は独裁政治をしていないと私は断言したわけだが、論を進めるにあたって独裁政治という言葉について、一応概念規定をしておきたい。衆院本会議での所信表明演説で、熱弁をふるう安倍晋三首相=2016年9月26日、国会 現代的な意味での独裁政治は、特定の個人ないし集団が権力を掌握し、専断的な支配を行う政治であり、被治者である大衆への支持調達、大衆の政治過程への参加が見られる点で、それらを欠く専制政治と区別される。一般には軍部の独裁や発展途上国に見られる開発独裁などは民主主義とは相容れないと考えられるが、内乱や戦争などの緊急事態において権力者の専断的政治的支配をあらかじめ憲法に規定している場合(立憲独裁)は、民主主義体制の防衛に貢献する。(弘文堂「政治学事典」より)とある。この定義に則って安倍政治をみたとしても、安倍政権は独裁政権ではない。 この定義の完成度が少し不十分な気がするので独裁政治の定義を私なりにし直してみたい。 独裁政治とは、特定の個人や集団の確固たる意志、思い込み、執念あるいは恣意としかいえないようなものもふくめて、政治的な意思に対する反対のあるなしに拘わらず、あるいは正・誤、要・不要、適法か・否かも含めて一切糾されることなく、あるいは糾弾されるというプロセスはあっても結果にはなんら影響がなく、政治の全面に貫徹される政治と、はなはだ独善的ではあるが、私は定義づけてみたのだが、このように定義を変えても、安倍政権は独裁政権であるとは言えないであろう。 しかし少なくとも日本の今の政治は、安倍首相でなければ思いつかなかったであろう政策的なアイディア、言い換えると安倍首相の恣意とも思い付きとも、執念ともいえるのだが、集団的自衛権の行使に関する問題で、安倍首相以外の総裁に率いられていた自由民主党は日本国憲法第9条の下、違憲としてきた自衛隊の集団的自衛権行使を、正反対に合憲と、憲法の解釈を独自にし、その実現のための安全保障関連法案をことごとく成立させたのだ。 それだけでなく、安倍首相の日本政治に対する固有の意思、思い、こだわりはすべて実現され、後は共謀罪の新設と日本国憲法改正を残すだけという状態になってしまった。しかもまもなく共謀罪は名称を変え実現され、更に日本国憲法も改正される可能性がいよいよ高まってきている。 してみると、日本の政治が独裁体制か否かを問う前に、日本の民主主義政治の実情と言うものは、内閣総理大臣の思うことが何であっても、例えばそれが明らかに日本国憲法の根本的理念とも言うべき重要な条文に違反すると、迷うことなく大多数の憲法の専門家に判断されるようなことでも、安倍首相の合憲であると言う法的根拠の無いむちゃくちゃな解釈変更による発起で、政治的には実現しうる政治であるということを、安倍首相が身を持って私たちに証明してくれたとも言える。 だから、政治的なアウトプットとそれが排出される過程を見る限りにおいては、安倍政治は、民主主義を標榜しつつ行政はもとより立法に関してすら思い願うことは実現できるという事とその過程を見れば、結果として、すべてのことが他の一切の手続きを経ず単独で専断できる独裁政治となんら変らないということにはなる。 改めて独裁政治というものを漠としてとらえるなら、それはかっての絶対王政における王の政治であり、日本で言えば、もしかしたら織田信長や徳川家康がそうであり、戦前の一時期天皇絶対の日本の政治がそうであり、目を外に向ければナチ政権下のヒトラー、スターリン下のソ連、文化大革命下の中国、ポル・ポト下のカンボジア、現代で言えば、金正恩の北朝鮮、そしてもしかしたらトランプ大統領下のアメリカの政治が急激に独裁国家に変身しようとしているのかもしれない。言い換えると絶対者と定められた者の行動判断には反対する者の力が作用しないか作用しても無力化される機能がそなわっている政治が独裁政治と言うことになる。 むしろ暴力と血まみれで人民支配を全うする通常の独裁政治を超えて、安倍政治は暴力を使わず、民主主義を標榜し、自由選挙では圧倒的に支持を受けながら、政治権力を掌握した者は憲法すら超越できる政治、しかもそれを既存の法体系の中で合法かつ合憲と言い募ることが許される政治、違法というがん細胞が法体系という生体の中で、法体系が有する違法を排除するはずの免疫能力を無効化させてしまう能力すら持ち合わせている安倍政治は、新独裁政治、あるいはスーパー独裁政治と言い換える必要性が生じているのかもしれない。(以降安倍政治をスーパー独裁政治と言う)良い独裁と悪しき独裁 良い独裁と悪しき独裁  独裁政治の定義はさておいて、安倍首相の個人的な奔放な考え(恣意)がことごとく日本の政治的現実になり、その現実が、論理的には矛盾するが、仮に日本が戦後掲げてきた政治、平和主義と民主主義と基本的人権の擁護と発展にとって、このましい結果をもたらすならば、ことさら政治の一決定方式でしかない民主主義政治という制度にこだわらなければ安倍政治をして独裁と決め付け、危惧の念を抱き、非難することも怖れることはないはずだ。 ただそれにしても一人の人間の恣意による政治が仮に良い結果をもたらしたとしても、それが正しく良い結果を何時までも続けるのかどうか。あるいは良かれと思った結果の恩恵に浴する人々が変化したりする可能性はないのか、と言えば、そんなことはない。                           その良き独裁政治に限らず政治的な成果と現実を一定化させたり永続させることを担保しうる補助的な政治制度を、私たちはうみだしてはいない。政治を取り巻く諸々の環境を制御することなどできないのであり、永続する変動の特異地点で、繁栄や安定が永続するように見えるときがあると考えたほうがいいのだ。だから政治家として問われる能力と言えば安定を持続させる能力ではなくて、変化にいかに対応できる能力があるかが問われるのであって、その能力はとりわけ政治的権力を掌握した者に要求される能力ということになるかもしれない。よい独裁政治がありえたとしても良い独裁政治には、それが悪い独裁に激変するリスクは絶えず存在し続けることになる。 そうではなく、憲法違反の政治を憲法違反ではないと言い続けられるスーパー独裁政治の安倍政権が戦後の70年の自由民主党が掲げてきた民主主義、平和主義、基本的人権の確立、擁護、発展に齟齬をきたす、マイナスになる独裁政治になるならば、安倍政治を注意深く監視し、その勢いを怖れずに、安倍政治NOを言わなければならないし、その政権の存続を許さないように勤めなければならないだろう。安倍総理の後の新安倍総理 日本の政治は日本国憲法による統制下にあり、憲法に違反する政治は存在し得ないことになっている。だから安倍政権が存在しているということは、彼がなしてきたことはことごとく日本国憲法に違反せず、もちろん非合法政権でもないということになるはずだが、もう一つの現実は、集団的自衛権の行使は違憲だという現実があることだ。 この2つの事実から、あまりにも容易に推定しうることは、政治的現実の中には憲法制定時には想定し得ない緊急事態が発生することはあるわけで、その事態の対応することが憲法に反することもありうる。だからそのような場合には、あえて政治家の責任において一時的に違憲状態という現実が発生する。しかし違憲状態は過渡的なものでなければならないので、その緊急事態が長引くようであれば憲法の改正をして違憲状態を速やかに解消しなければならない。このようにして法体系は厳守されるのだ。ところが集団的自衛権の行使のように違憲であるにもかかわらず立法者や行政者が違憲でないと主張して違憲状態が発生してしまうと、当事者からは憲法違反の解消と言う意欲は生じなくなり、最高裁判所での違憲訴訟による判断を仰がなければならなくなる。ところが最高裁判所は違憲かそうでないかの判断はしないと言う更なる状況が日本で生じてしまっていることになる。 日本の政治は安倍政権の独裁政治に対して抵抗力、抑止力を排除する力を有していないか、その独裁政治を跋扈させる機能、メカニズム、生理が内蔵されているのだ。 だから、日本の政治の生理を見極めて対策を講じなければ、安倍独裁政治は突発的な現象ではなく、安倍首相の実例が日本の政治に影響を与え続けて、今後益々容易に憲法改正などせず憲法違反の政治即ち独善的な政治が展開する新安倍とも言うべき政治家が出現することになるだろう。スーパー独裁政治を生む政治土壌スーパー独裁政治を生む政治土壌 集団的自衛権の行使は違憲だから止めろ、と叫んだものが何時間後に死体となって道路に倒れていたり、安倍政権打倒を叫んでいる私のような人間がいつの間にか消えてしまうようなことがあれば、人々はおびえて黙る様になり、安倍政権に楯突く者はいなくなり、独裁政治は完成していく。             確かに安倍首相は今のところそのように暴力を用いて政治を思うままにしていない。いずれ共謀罪などを成立させ、冗談にも「安倍政権打倒」などといえなくなるだろうが、とにかくいままでは暴力など用いずとも、憲法違反の政治を堂々とやってこれたのだ。衆院予算委員会で、平成28年度第3次補正予算案について、小野寺五典元防衛相の質問に答える安倍晋三首相=1月26日、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 私はスーパー独裁政治は、無菌の寒天にばい菌やカビが育つように、日本国憲法という寒天がスーパー独裁政治を育ててきたと思っている。あるいは「戦後レジームからの脱却」と安倍首相が叫んだその戦後レジームという日本の政治体制そのものがスーパー独裁政治を発芽させ育成する為の土壌となり、肥料を施してきたと考えるのだ。 高邁な精神を謳った日本国憲法が護ろうとした平和主義と、民主主義、基本的人権の尊重と言う熱い生命力とその免疫機構を安倍普三というがん細胞はどうして無力化できたのか、日本国憲法の条文に照らし合わせて考えてみたい。集団的自衛権の行使は違憲なのに何故抑止できないのか 日本国憲法第98条は「この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関する、その他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」とある。 だとすれば、集団的自衛権の行使が違憲か違憲ではないかを正式に確定させ、集団的自衛権の廃止がなされなければならないのだ。そこで日本国憲法第81条の「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」とある。 だから、野党の集団的自衛権の行使に反対する国会議員(だけではないはずだが)が集団的自衛権の行使は違憲だから法案の廃止を求める違憲訴訟をしなければならないのだ。この2つが正しく機能すれば集団的自衛権の行使などできるわけがないはずだ。 しかし、それが簡単ではない。最高裁判所は自ら98条に違反して(解釈して)高度に政治的な問題については司法ではなく国民が選挙で決めるべきだと言う統治行為論を持ち出して集団的自衛権行使が違憲か合憲かの判断をしないのだ。だからこの問題に決着をつけるには、安倍政権を倒すことでしか解決できないのだ。更に問題なのは第79条で「その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する」とあって、最高裁判所が違憲判断を下すにしても、裁判官たちは内閣から任命される以上、内閣の意に反する判決は下しにくいと思われる。 また法に強制力がなければ法としての機能を十分に発揮できない、とドイツの法哲学者が言っているが、憲法には憲法違反については何も記していない。だから安倍政権が憲法違反に問われたとしてもその罪はどのようにして償いさせればいいのか決定できないはずだ。日本国憲法は憲法違反に対しては防御力が致命的に弱いのだ。なぜ安保法案が成立するのか なぜ安保法案が成立するのか 日本国憲法第67条は「内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」とある。議院内閣制の採用であるが、この条文だけでは国会議員と内閣総理大臣との力関係は等しいように見える。しかしその実態は圧倒的に内閣総理大臣の力は強くなっている。 その理由であるが、国会議員が最も関心を示し、欲するものを国会議員に与える事について内閣総理大臣は決定的な影響力をもっている。地位と名誉を満足させる閣僚を始め様々な役職を付与し起用する権限、政党交付金が設けられたことによる巨大な政治資金等の配分決定、あるいは小選挙区制の採用や選挙のときの立候補者に対する公認の諾否など、国会議員の政治生命の盛衰に直結する権限などを政党のトップが握ることになり支配力が高まった。だから内閣総理大臣の言うこと、指示に対して、それが如何に総理の恣意であったり憲法違反の案件であっても、自分の政治信条に反することであっても嫌とは言いにくい関係が成立している。 政党に関する運営規定が透明化されず代表者の力が肥大化してしまうのだから政党運営に関する事項については憲法に政党に関する規定を盛り込まなければならないはず。でなければ、憲法に内閣総理大臣の任期の規定が無いために、自由民主党の総裁選出規定がそのまま内閣総理大臣の任期を規定してしまうようなことになってしまっている。首相の任期の確定こそ民主主義政治の大原則なのだ。  安倍首相が安全保障法案を議会に提出したとき当然党議拘束もし、記名投票にすれば、落選を覚悟しなければ安倍首相に反対はできないことになっている。 また憲法第69条は「内閣は、衆議院で不信任の議決案を可決し、または信任の議決案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」とあって、内閣総理大臣の権力の大きさ、影響力の強さをしめしてもいる。何かの手違いで安倍内閣提出の法案をつぶしてしまうようなことがあれば、場合によっては衆議院が解散されかねないのだ。 また野党が国民の事を考えて与党に対峙すると言うのではなくやはり与党と同じように御身大切で団結できず大きな力を形成することができないのだ。安倍政権が支持されるワケ 安倍首相のスーパー独裁政治を可能にする最大の原因は安倍首相の支持率が高いということにある。安倍首相の支持率が高ければ自由民主党にとって間違いなく有利になる。国会議員にとって最大の政治的関心は、全部ではないけれどもほとんどの国会議員は自分が選挙で勝ち続けること、即ちできるだけ長く政治家でいられることが最大の関心ごとなのだ。だから自分が内閣総理大臣になろうとすることを除けば、どの国会議員を支持してその人を政権の座につけその政権が持続することに目が向かうのだ。 この議員心理のことは安倍首相も充分承知しており、支持率維持のために安倍首相もまた全知全能を傾けるのだ。 赤字財政をものともせず、国債を発行し続け、ジャブジャブのインフレ政策を採用し、選挙前には増税すると公約していた消費税の値上げも見送る、あるいは出来もしないことをやると言って北方領土問題にとり組んだり、都合の悪い情報は国民の目につかないようにすることもできるのだ。 また国民も民主主義における個人の責務を担うという感覚に乏しく、かまどの具合がおかしくならない限り集団的自衛権の行使のことなど関心も持たないのだ。北朝鮮が日本国に向けて核ミサイルでも発射しない限り、いくら尖閣に中国の公船が領海侵犯を繰り返しても、実害がなければ関心をしめさない。また、現状のやり方に対して問題がなければ、あわてて苦労してでも現状を変えるということには、積極的になれないのだ。変化は怖いし緊張を強いられるのだ。だから民主主義においてはよほどの事がない限り、政治は変りにくいのだ。安倍政治はこういう国民が置かれている状況を正しく認識してその心理的空白を巧についてくるのだ。 また政治課題というものが極めて複雑化していて、個人の能力では新しい事に対する正しい見解と言うものを国民はもてなくなっている。 集団的自衛権の行使ができることは日本の政治にどういう影響があるのか、分からない。だから当事者である与党に任せるしかないということでの与党支持という現象もあるのだ。選挙制度の不備選挙制度の不備 民主主義政治に置いて最も権威あるものと言えば、最高裁判所裁判官に言われるまでもなく主権者たる国民の政治に対する意思だろう。この意思を政治に直結する制度として選挙制度があり議院内閣制があるのだ。 ところが国民の意思で政治を動かすと言う本質的な要件ほどないがしろにされていることはない。事実上はそんなことはできなくなっている。政治家は民主主義だといって政治をしているが選挙で政治を変えることなど偶然でしかなありえないのだ。 唯一と言ってもよい選挙で、主権者である国民は政治に対して何ができるか考えてみて欲しい。現実のスーパー独裁政治などという憂うべき状態が進行しているのに主権者はほぼ傍観せざるを得ず、現状では、それを解消する為には有効な手立てがない。 1回の投票ということで、自由民主党に投票してしまったら、自由民主党のすべてに賛成したことになり、野党にはすべて反対する結果になる。あまた繰り出される公約を見比べて、どうやって評価点をつけたらいいのか。政権政党が以前発表した公約が誠実に履行されたかどうかチェックしなくてもいいのだろうか。 トランプ政権が誕生し、矢継ぎ早に大統領令を出すアメリカ政治について、日本はどう対応すべきか、だれもわからないということではあるが、こういう選挙時に想定しなかった政治課題について国民の意思は政治のどこにいる場所を見つけたらいいのか、死票の意思は次の選挙まで無視されていいのか、安倍政権の安全保障法案の成立過程について、あらかじめどうするか自由民主党は強行採決もすると説明して選挙戦を戦ったのか。トランプ米大統領(左)の出迎えを受ける安倍首相=2月10日、ワシントンのホワイトハウス(ロイター=共同) 選挙制度に依拠した議会制民主主義では、国民は要するに主権者であるといわれるだけで、主権者の意思なんかで政治は動いていないのだ。だからこそスーパー独裁政治が成立するのだと私は考える。スーパー独裁政治に国民はいかに対応するか 私は、民主主義政治がスーパー独裁政治を許すようなことがあってはいけないと思う。どうするか最後に以下のような提案しておきたい。 政治課題は無限と言ってよい程ある。そこでまずあまたの政治課題をとにかく限定し、その上でその重要度に応じて大まかに分類する。そして、政治課題の中から特別に多くの人に重要なかかわりのある重要な政治課題を選別して抽出する。 この国民投票に付すべき政治課題の抽出にあたっては、事前に憲法に下記のような条文が用意されていなけれぱならない。(新日本国憲法X条) 国会において審議されるすべての法案の原案について審議にはいったあと、与野党で審議結果に多々問題が発生した時、法案の成立に反対の国会議員は国会審議の結果に因らないで、国民に直接決定してもらうことを衆議院議長に提案することができる。その提案者数が10日以内に衆参どちらか一方で3分の1以上になれば、その法案の採択は国民投票に付されることになる。国民投票へ、という決定が示された法律原案は、国民投票に付すと決定された日から10日以内に各政党は国民投票に付された内容について反対、賛成、また最も多くの国会議員によって作成された1つの代案、計3案を国民に提示する。そして提示の後30日以内に国民投票を実施して、最も多数の国民によって支持された案を成案(廃案)とする。  こうなれば安倍政権が集団的自衛権の行使のための法案について今のようにではなく国民投票で決めれば安倍政権の思うままにはならなくなるはずだ。 例えば、今国会で、文部省の天下りの問題と、共謀罪の審議が行われてぃる。ここで国民投票が上記の新設の憲法の条文どおりに採用されていたら、この法案は衆参の予算委員会審議が終わった時点で国民投票に付されることになりおそらく否決されることになるだろう。 野党連合が叫ばれていずれも立ち消えになるけれど、このぐらいの現状認識と代案を持って、民主主義を蘇生させスーパー独裁政治を駆除する為に立ち上がることを、私は夢見ないわけではない。

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    消極的支持で最強になった安倍独裁政権のおかしな「原動力」

    岩田温(政治学者) 安倍内閣の独走状態が続いている。当分、「一強多弱」という状態が続くだろう。だが、まことに興味深いのは、国民の多くが安倍内閣を積極的に支持しているわけではない点だ。すなわち、何かを成し遂げてくれるという期待感から安倍内閣を支持するのではなく、他の野党では政権を担えないだろうという絶望感から、国民は消極的に安倍内閣を支持しているのである。 私の友人に労働組合に所属している会社員がいる。過去、選挙で自民党の候補者に殆ど投票したことがない。だが、現在の段階で解散総選挙になれば、自民党に投票しようと思っているという。理由を尋ねると「野党では頼りないから」との一言であった。何か積極的に支持する魅力があるわけではないが、他の選択肢が余りにも酷いので、支持せざるを得ない。それが安倍内閣を支持する人々の本音なのかもしれない。皮肉な話だが、民進党の迷走こそが、安倍内閣の基盤となっているということだ。衆院予算委員会で、民進党の辻元清美氏(左)の質問に答弁する安倍晋三首相。右奥は稲田朋美防衛相=2月14日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 確かに民進党の迷走は目に余るものがある。「我々の立場は背水の陣ではない。もう水中に沈んでいる」と当の民進党の野田佳彦幹事長が述べている通り、民進党はもはや瀕死の状態にあるといっても過言ではあるまい。民進党の決定的な誤りは、安倍内閣の進めようとした平和安全法制に無理矢理な理由で反対したことだった。自衛隊を違憲だと考えるような過激な法学者や共産党と連携して、平和・安全法制が「立憲主義」を破壊する暴挙だと非難したことが間違っていたのである。 「合憲」か「違憲」かという「白」か「黒」かと突きつけるような議論をしてしまったら、議論によって妥協点を模索することは不可能になる。政権を担うことが不可能な共産党の国会議員が何を騒ごうとも、不可解な騒音だと聞き流しておけばよい話だが、政権与党を目指す野党第一党が、こうした原理主義的な反対運動を展開したのが間違いだった。 例えば、枝野幸男氏は、集団的自衛権に関して、今、読み返してみれば恥ずかしくなるような発言をしていた。「世界の警察をやるような軍隊をつくるには、志願制では困難というのが世界の常識だ。従って集団的自衛権を積極行使するようになれば、必然的に徴兵制にいかざるを得ないと思う。」(2014年05月18日『朝日新聞』より) 平和安全法制は施行されたが、当然のことながら、日本で徴兵制など導入されていないし、徴兵制を導入すべきだという声すら聞かない。余りに極端な発言で、国民の恐怖心を煽り立てるような発言だったと言わざるをえないだろう。 混迷を極める民進党は、帆を失った難破船のように、一体どこに向おうとしているのか、全く見えてこない。民進党の混乱を象徴しているのが、共産党とをも含む野党共闘に対する姿勢だろう。 一体、どのような形で連携しようとしているのか、さっぱり理解できないのだ。民進党の立場は意味不明 共産党の立場は明確だ。本年1月18日に開催された第27回大会決議では、次のように明確な目標を掲げている。「私たちは、いま、野党と市民の共闘によって、日本の政治を変えるという、かつて体験したことのない未踏の領域に足を踏み入れつつある。95年のたたかいを経てつかんだ成果、切り開いた到達点に立って、開始された新しい統一戦線を発展させ、安倍政権を倒し、野党連合政権に挑戦しよう」 昨年の参議院選挙で開始された「野党共闘」を「新しい統一戦線」と呼び、安倍内閣を打倒し、野党連合政権を樹立しようというのだ。実に分りやすい、明確な目標だといってよい。  一方で、民進党の立場は、まるで意味不明である。 共産党が結党後、初めて他党の幹部を招待し、民進党の安住淳代表代行が出席した。さらに、小池晃書記局長が「団結して頑張ろう」と叫ぶと、志位和夫委員長と民進の安住淳代表代行、自由の小沢一郎代表、社民の吉田忠智党首が手をつないで応えたという。 こうした話を聞けば、誰もが民進党は共産党と一丸となって野党連合政権に挑戦しているように思うであろう。だが、民進党の蓮舫代表は1月15日の記者会見で次のように発言している。 「安倍政権を倒すことに、まずいちばんに力を注ぐ。そのために野党4党で、国会の内外でできるかぎりの協力をこれまで以上に進めていく時だ。ただ、そこから先の話は、残念ながら共産党と私たちとは考え方が違う」 共産党とは安倍政権を倒すために共闘するが、考え方が違うので「野党連合政権」構想には反対するという。野党共闘で統一候補を擁立しながら、考え方が違うとはどういうことなのだろうか。安倍政権打倒後、何を為すべきか、考え方、方向性がバラバラに分裂した状態にある諸政党が、憎悪の念のみだけで結集し、倒閣すればよいということなのだ。倒閣後はまるで見えない。どうなるかわからないが、この内閣は気に入らないから打倒してしまえというのだから、余りに無責任な態度といわざるを得ないだろう。 そもそも、共産党と野党共闘を模索すること自体が根本的な過ちであることを民進党の議員たちは悟るべきであろう。政策、世界観が根底から異なる人々との共闘などありえないはずなのだ。 安全保障政策に関して共産党は、党の綱領で次のように述べている。「日米安保条約を、条約第十条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ」。「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」 日米安保条約を廃棄し、自衛隊の解消を目指す政党、それが共産党なのだ。そうした共産党とともに安倍政権を打倒しようというが、そもそも、無理な話なのだ。確かに、共産党は、自分たちの過激な思想、政策を全面的には押し出さないと表明している。第27回大会決議でも、共産党は次のように指摘している。「共闘の一致点を何よりも大切に考え、野党と市民の共闘に、日米安保条約や自衛隊についての独自の立場を持ち込まないという態度を、最初からとっている」 しかし、共闘のための共闘が、仮に成功した場合、どうなるのだろうか。要するに、彼らの望みどおり、自公連立政権が打倒された後には、どのような政権が出来上がるのだろうか。 民進党は共産党との野党連立政権はありえないと言うが、共産党はこれを目指すという。 一体どのような政権が出来るのか不安でならないというのが、良識ある国民の立場であろう。自ら打倒した自民党と連立政権を目指すことはありえないであろうから、野党の連立による政権が誕生すると考えた方が合理的だ。日米安保条約を廃棄し、自衛隊の解消を目指す共産党が与党になる可能性を排除できないと思うのが自然である。 また、さらに重要なのは、共産党と民進党とでは根本的に世界観が異なっているということだ。共産党という政党は極めて特異な世界観を有する政党であるという事実を我々は忘れてはならない。この極めて特異な世界観を有する人々と共闘しようとすることには、無理がある。民進党がなすべきは共産党との選挙協力ではない 共産党の志位氏は「共産党」の名称を変更しないのか、という問いに対して、次のように答えている。「名前について言いますと、私たちは共産党ですから、人類の社会は資本主義で終わりだとは思っていません。」(2014年12月8日 日本外国特派員協会における発言)共産党の第27回党大会で講演する志位和夫委員長=1月15日午後、静岡県熱海市の共産党伊豆学習会館 資本主義社会が終焉を迎え、共産主義社会が実現するというイデオロギーに執着する人々の集う政党が共産党なのである。世界観が根本的に異なる政党との連立など不可能だと考えるのが常識というものだ。 この点、民進党の最大の支持母体ともいうべき連合の神津里季生会長は、極めて常識的な指摘をしている。「そもそも両党は目指す国家像が全く違う。いわば全然違う「道」を走る存在です。今は近くに寄っているように見せているかもしれないが、「じゃあ同じ道路を一緒に走ろう」とはなりません。」(2016.12.23『産経新聞』)  「他の野党と一緒に政権を目指すなら、共産党は党名と綱領を変えなければおかしい。でも彼らは絶対変えません。」(同上) 「自分たちは「前衛」であり労働者階級を指導する立場というのが、共産党の基本的な考え方ですからね。」(同上) 神津里季生会長の発言は、良識的なリベラルの立場からなされたもので、極めて正鵠を射た指摘である。 世界観が根底から異なる共産党と連携することは不可能だ。仮に、共産党との連携が可能になる場合を考えてみれば、共産党が「共産主義」社会を目指すという「共産党」という名称を変更し、綱領そのものを根底から変更しなければならない。そうした変更をしようとしない以上、共産党は、「共産主義」社会の実現を目指す、極めて特殊なイデオロギーを信奉する集団と呼ばざるをえない。 民進党が為すべきなのは、共に政権を担うことが出来ないほど思想的距離のある共産党との選挙協力ではない。自分たちが、共産党とも、自民党ともことなる良識ある、現実的なリベラル勢力であることを証明してみせるべきなのだ。 より急進的に左傾化した民進党は、共産党との選挙協力によって、若干の議席数を伸ばすことが可能になるだろう。だが、それは民進党が政権を担う政党ではありえないことを示すことに他ならないのだ。民進党の迷走が続く限り、「一強多弱」の政治状況は変わらないだろう。

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    安倍「独裁」批判で使い分け 民主主義に善悪のレッテル貼る傲慢さ

    の知的参謀のような役割を果たしたこの人物は、日本の思想界にも甚大な影響を及ぼした。丸山眞男は、自らの政治思想をつくりあげる際、常に彼のことを意識した。一世を風靡(ふうび)した論文「超国家主義の論理と心理」でシュミットの国家観を取りあげ、日本のそれと比較した。安倍政権批判のための論理安倍政権批判のための論理 また丸山の弟子である橋川文三は、自らの戦争体験を描く際、シュミットのロマン主義批判を参考にした。シュミットの著作を読む。すると、自分が戦前に経験した日本の文化と古典へのうなされるような情熱の根源をすっきりと理解できる。だから貪(むさぼ)り読んだ。では日本の知的情熱を支えたシュミットとは一体、何者なのか。 シュミットは言っている。私たちは自由主義と民主主義を分けなくてはいけない。自由主義とは、議会制のことだ。議会では議員同士による自由で多様な討論が行われる。だから議会制=「自由」主義と呼ぶ。確かに、多様性といえば聞こえはよいだろう。だが実際は何にも「決められない政治」ではないのか。多様性とは意見が分裂し、何も決定できないとも言えるからだ。 ところが民主主義は違う。民主主義の特徴は多様性ではない。民意をまとめ、皆が同じ意見になることだ。そのためには強力な指導者、つまり意見を集約する独裁者の登場が必要なのだ-シュミットはこう言っているのである。大衆化した民衆が、拍手喝采して同じ意見になだれ込む。多様性をほうり出すことで、ヒトラーは劇的に登場してきたのだ。自由主義ではなく、民主主義によって。 だとすれば、この議論を握りしめ、現在のわが国政権を批判していることは、一目瞭然のはずだ。安倍政権を批判するために、民主主義という言葉をやすやすとほうり出し、あるいはシュミット流に読み替え、民主主義などよくないと言い募るわけだ。善悪のレッテルを貼る傲慢さ ところが今度は国会の周囲に眼を転じてみると、議事堂の前では議会制を無視した人びとが、我こそは「民主主義なり」と絶叫しているではないか。集団的自衛権をめぐって、一つの問題で意見が「同じ」人びとが議会の外で熱狂し、それを民主主義であると言っているのだ。 以上から言えることは何か。それは、私たち日本人が「民主主義」という言葉を、いかに状況にあわせ適当に使っているかということである。結局、自ら思うところの正義にかなっているときは民主主義=善、自分の思いどおりにならなければ、民主主義=悪として言葉を乱用しているのだ。 詳しい議論は、14日刊行の拙著『違和感の正体』(新潮新書)をご覧いただこう。現政権という一時的なものを否定したいからといって、先人が血の滲(にじ)む思いを込めてきた言葉「民主主義」に善悪のレッテルを貼るほど傲慢なことはない。この国では、やはりどうみても民主主義は、幽霊のように存在が希薄で、浮足立ち、かすんでいるように思えてならないのである。本当は誰ひとり民主主義など、信じていないのだ。 むしろ今こそ、安易に民主主義を否定したり絶叫したりせずに、議会制について、大衆社会について熟慮すべきではないのか。私は地に足を、つけ続けたいと思う。

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    日本人の首を絞める「無関心」 都合のいい安倍独裁は終わらない

    下がり続けている。 さて、今回のテーマは「独裁者・安倍晋三」。コトバンクによると、独裁者とは、「独裁政治を行う者のこと。また、ある団体の中における権力を独占し、恣意的に物事を進める人」だという。私が「独裁者」という言葉を聞いて思い浮かべるのは、ヒトラーや北朝鮮の金正恩だ。 安倍首相が独裁者なのかどうか、私にはわからない。ただ、「独裁者」と決めつけてしまった途端、多くのことが見えなくなる気がする。今思うのは、この国が、5年前、10年前とは随分変わってしまったということだ。 駆けつけ警護という任務を負わされた自衛隊が南スーダンに派遣され、沖縄の基地建設に反対する人々に「土人」という言葉が投げかけられる。10年以上問題となり続けている「貧困」に対する有効な処方箋がないまま、「弱い者が更に弱い者を叩く」ような貧困バッシングが蔓延する。沖縄や福島という「犠牲」に対して、面倒なので見て見ぬふりをする。徹底した無関心が、この国を包んでいる。そしてその無関心の隙をついて、政権に都合のいい政治がまかり通る。 もし、安倍首相が独裁者ならば、その独裁を許しているのは多くの人の無関心に他ならない。 今からでも、一人でも、できることはある。まずは通常国会を注視していこうと思っている。

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    自国内の権力はトランプ次期大統領より安倍首相の方が強い

     ドナルド・トランプ氏がその座を射止めた米国の大統領は「世界最強の軍隊」の最高司令官であり、事実上、世界の最高権力者といっていい。それでも、「米国の憲法では大統領が、『独裁者』にはなれない仕組みを作っている」(中岡望・東洋英和女学院大学大学院客員教授)のである。北朝鮮の弾道ミサイル発射に関して、記者会見する安倍晋三首相(左)とトランプ米大統領=2月11日午後、米フロリダ州パームビーチの「マール・ア・ラーゴ」(代表撮影) 議会と大統領と最高裁判所が厳密な三権分立の制度を取る米国では、大統領に予算提出権も法案提出権もない。必要な法案や予算は「教書」として示し、議会に作ってもらわなければならない。 しかも、米国の議員には法案の採決の際、日本のように所属政党の方針に従わせる「党議拘束」の慣例がない。そのため、共和党の議員がトランプ大統領の成立させたい法案や予算案に反対する事態は十分起こりうる。だからホワイトハウスは、法案ごとに共和党と民主党の議員たちを説得に回る。 大統領による閣僚の任命も上院の同意が必要だ。前出の中岡氏は米国の大統領の権限をこう整理する。「米国では建国当時から独裁者的な大統領をつくらないことを出発点に国の制度を定めてきた。まず、大統領単独の判断で戦争はできません。あくまで権利は議会にあり、大統領は議会の承認を得て初めて宣戦布告できる。条約の締結も議会の権限。従ってTPP(環太平洋連携協定)を通すには議会の承認がいる。 ただ、トランプ氏が公約したように議会に承認されていないTPPからの脱退は大統領判断でできるでしょう。また、メキシコ国境の壁建設も国家予算を動かすなら議会の承認が必要で、大統領の独断ではできません。建設費を全額メキシコ政府が負担するなら可能かもしれませんが」  トランプ氏が共和党全国委員長のラインス・プリーバス氏を首席補佐官に起用したことにも、大統領といえども強力な権限を持つ議会を敵に回せば国家の運営ができないという判断がある。国内での権力という面では、議院内閣制の下、与党が衆参で圧倒的な数を握って予算も法案も思うように成立させられる現在の安倍晋三・首相の方が強いほどだ。関連記事■ 【ジョーク】イラン大統領「オバマ無能」への対立候補の反応■ 支持率低いオバマ大統領が再選なら株価にマイナス材料なるか■ 米情報機関の個人情報収集に歴代大統領らが嘆息した理由とは■ 中国 来年の抗日戦勝70周年式典にオバマ大統領の参加を画策■ 安倍首相 オバマ氏会談後「遠くから来たのに冷たい」と愚痴

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    日本で進行している「静かなポピュリズム」

    だけの組織に堕しており、議会制民主主義は既に死に体であるということも間違いありません。 したがって、政治的な意思決定と切り離された人々の苛立ちが高まることによって、世界中でポピュリズムが発生していることには同意します。そして、それらは議会制民主主義というよりも直接投票による大衆の歓呼によって出現しやすい状況となっています。 この状況はナチスドイツが出現した際にも見られたものであり、この大衆の歓呼をしてポピュリズムと看做すのであれば、ポピュリズムが危険なものであることは同意します。悪いポピュリズムと良いポピュリズム しかし、既に行政国家化とそれに反発するポピュリズムの発生という政治的状況について、私たちはそれらから逃れることはできません。この状況は所与のものであり、その中でベストを尽くすことを考えていくべきだと思います。 したがって、悪いポピュリズムと良いポピュリズムは何か、ということを考えることが重要です。 筆者が考える悪いポピュリズムとは、行政国家が残されたまま、為政者が民衆の願望を叶えるために、政府組織・権限を際限なく肥大化させていくタイプのものです。つまり、ナチス・ドイツが典型的な行政国家ということになります。第193通常国会が召集され、安倍首相の施政方針演説が行われた衆院本会議=1月20日 現在の日本も与党も野党も「空気を読みながら」バラマキ・増税志向の大きな政府を志向しているので、既に議会制民主主義は死んでいて静かなポピュリズムが進行しているとも言えます。日本では、政府に対する自由とは何か、ということがほとんど政治的なテーマにすらならい状況です。これは悪いポピュリズムの典型だと思います。民衆の中に保守主義を根付かせることができるか 筆者が考える良いポピュリズムとは、行政国家を解体過程に乗せて民衆が自分の生活の自己決定権を取り戻すタイプのものです。残念ながら、既存のポピュリズムではあまり見かけることがないタイプではあるものの、私たちが目指すのはこちらのタイプのポピュリズムであるべきでしょう。 むろん、良いポピュリズムは、ハイエクが主張する「法の支配」のような考え方を重視するものであり、悪いポピュリズムに走らないように民衆が歴史や思想を深く理解することが重要になってきます。 少々理想的に過ぎるかもしれませんし、それが歴史上困難なプロジェクトであっても、そちらを志向する人々がどれだけいるかで人々の盛衰は変わるものと思います。民衆の中に保守主義を根付かせることができるか 議会制民主主義がある程度機能してきた国では、民衆の代表がポピュリズムによって政権を取ったときに行政国家に対する歯止めを機能させようとする動きが出るかもしれません。 代表的な国は米国であって合衆国憲法の構造も然ることながら、合衆国憲法を信棒する米国民は必然的に法の支配を志向する傾向があるからです。 実際、米国の共和党保守派を中心に腐敗している立法・行政の双方の権限を縮小し、人々の自己決定権を取り戻そうとする主張が激しく喧伝されています。これらは良いポピュリズムとして議会制民主主義の機能を取り戻していくことにも繋がるかもしれません。 一方、欧州のポピュリズムは行政国家化が非常に進行している上に、EUによる更なる中央集権化後の社会に起きているものです。また、その国々の根幹にも自由主義や法の支配が必ずしも共有されているわけではありません。したがって、悪いポピュリズムに走る可能性が高いです。 今年はフランスなどの欧州諸国で国政選挙がありますが、その結果として極右や極左が台頭することで、EUから自己決定権を取り戻すと同時に、多くの国民が自らが選んだ為政者によって自国内で人生の意思決定権が奪われていくことを体験することになるでしょう。 悪いポピュリズムに走る国は歴史の流れの中で衰退し潰れていくしかありません。これは避けようがない現象であり、ポピュリズムは行政国家化した政府に対する一つの薬でしかなく、その結果が薬物依存患者の国になるのか、それとも健全な人々の国になるのかは、同国民の意志にかかっています。 つまり、民衆の中に保守主義を自生的に根付かせることができるかどうかが重要なのです。そういう意味で、多くの人にハイエクの隷属への道を読んでほしいと思います。

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    鳩山・安倍…戦後の歴代総理大臣 33人中13人が親戚だった

    変化が起きている。それは、権力の中枢が「名家・名門」に回帰していることだ。政界では安倍政権の要職を「政治家一族」で占め、財界では大企業のトップが次々、「創業家一族」に戻っている。いったい何が起きているのか──。 政界の3大名門といえば、「安倍(岸)家」、「麻生家」、そして「鳩山家」だ。安倍晋三・首相と麻生太郎・副総理が縁戚にあたることは、世間にはなじみがなくても政界ではよく知られている。だが、安倍政権を支える岸田文雄・外相や宮沢洋一・前経産相(現自民党税調会長)まで結ばれ、実は政敵の鳩山家とも親戚だと聞けば驚く人は少なくないはずだ。2016年11月、閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) 安倍家と麻生家の両家を軸に系図を辿ると、吉田茂、鳩山一郎をはじめ、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、三木武夫、鈴木善幸、宮沢喜一、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫と、戦後の総理大臣のうち13人が繋がり、まさに日本政界のエスタブリッシュメント(支配階級)を構成する閨閥が構成されている。 この閨閥は皇室ともつながり、住友財閥、森コンツェルン(昭和電工)、日産コンツェルン(日産自動車)など多くの財界人、外交官、高級官僚、軍人を輩出してきたのだ。吉田茂で繋がる まず両家のルーツから辿っていこう。安倍家は平安時代末、「前九年の役」で源頼義に敗れた安倍貞任の末裔を名乗っており、安倍首相自身、岩手県を遊説した際、「安倍貞任の末裔が私となっている。ルーツは岩手県。その岩手県に帰ってきた」と演説したことがある。安倍家は長州の大庄屋(造り酒屋)を務めた家系だが、華麗なる閨閥を誇るのは岸信介、佐藤栄作の兄弟宰相を生んだ母方の佐藤・岸家だ。 岸家は長州藩の郡代官の家柄、佐藤家の祖・信寛は吉田松陰の兵学の師で明治維新後は島根県令(知事)などを務めた。両家は婚姻や養子縁組を繰り返して結びつき、戦前、「満州国の二キ三スケ」と呼ばれた岸信介、松岡洋右(満鉄総裁、外相)、鮎川義介(満州重工業=日産コンツェルン総帥)の2人の“スケ”は婚姻で結ばれている(二キは東条英機、星野直樹)。さらに佐藤栄作の次男・信二の夫人を通じて美智子皇后の実家の正田家や住友本家、森コンツェルン、三木武夫に辿ることができる。 佐藤・岸家と麻生家の繋がりは、岸信介の従兄弟の夫人が吉田茂の長女で、すなわち麻生副総理の伯母である。「ライバル」から「家族」に 麻生家も閨閥の華麗さでは安倍家に勝るとも劣らない。現在に引き継がれる日本のエスタブリッシュメントは、明治の薩長藩閥政府の時代に原型が形作られたといわれる。 安倍首相が長州閥なら、麻生副総理の母方の高祖父は薩摩閥の重鎮・大久保利通だ。父方の麻生家は代々、筑豊の庄屋の家系で、曾祖父の太吉は「炭鉱王」と呼ばれた。麻生氏の祖母は旧華族の加納子爵家の出身で、橋本龍太郎夫人は「またいとこ」にあたる。 さらに麻生氏の妹は三笠宮寬仁親王に嫁いでおり、三笠宮家を通じて細川家、近衛家と親戚になる。また、夫人の父は鈴木善幸。この鈴木家は宮沢家、岸田家と親戚にあたり、宮沢家からはブリヂストン創業家の石橋家、そして政界の名門・鳩山家や池田勇人に連なる。 かつて吉田茂と鳩山一郎が政界のライバル関係にあった時代、吉田は炭鉱王の麻生家に娘を嫁がせてスポンサーを得たし、鳩山は長男の嫁にブリヂストン創業家の石橋家の娘を迎えて資金力をつけた。 この頃はまだ両家は親戚ではなかった。その後、政略結婚などによって名門は複雑な閨閥でつながった。それから半世紀、麻生内閣を鳩山家が倒し、その鳩山家が作った民主党政権を安倍家が倒して政権を取り戻した。この時、すでに3家は親戚になっていた。 登場する13人の総理の在任期間を合わせると40年を超える。現役の政治家や財界人の顔ぶれを並べれば、内閣や経団連執行部を構成できそうだ。1つのビッグファミリー(閨閥)が戦後史の半分以上、そしていまなおこの国の政治を支配し続け、政権交代を賭けた権力闘争さえ、同じ閨閥内で行なわれている。それがこの国の権力構造なのである。関連記事■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本■ 専門家37人選考 ポスト安倍に谷垣禎一、麻生太郎、菅義偉氏■ 安倍首相の別荘 招待者の最大の特典は母・洋子さんとの同席■ 元防衛官僚が安倍政権の安全保障政策の問題点について語る本■ 内閣支持率 森9%、鳩山14%などの歴史と「落胆率」の影響

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    三浦瑠麗が読み解く トランプが狂わせる安倍総理のゲリラ解散

    三浦瑠麗(国際政治学者)1月解散を見送った理由 安倍政権が噂されていた1月解散を見送った理由について、直接的な理由は単純でしょう。要は、大義名分がない、勝算がないということです。自民党役員会に臨む安倍晋三首相(中央)ら=1月5日、東京・永田町の自民党本部(斎藤良雄撮影) 前回の総選挙ではアベノミクスは道半ばですと言って闘いました。自民党からすれば幸いにして、国民からすれば不幸なことに、現在の野党は体系的な経済政策を語る能力も意思もありません。したがって、国民の最大関心である経済政策について、自民党だけが経済政策を語り、国民も権力の負託を継続する意思を下したわけです。 今また、解散したとして、どんな大義名分で戦うのでしょうか。まだまだ「道半ば」ですが、それでも「この道しかない」と訴えるのでしょうか。野党には相変わらず、対案がありませんから、与党は勝つには勝つでしょう。ただし、現在の2/3水準の勝利ではなくて、過半数プラスアルファの水準となるでしょう。議席を大幅に減らして勝利宣言というわけにもいかないでしょうから、解散には踏み切れなかったということでしょう。 とはいえ、安倍政権が解散に踏み切れない理由、勢いを失っている、より本質的な理由について考えることは無駄ではありません。安倍政権は、来年の党総裁任期延長を睨み、戦後空前の長期政権になろうとしています。安倍政権への理解が、即ち、21世紀前半の日本政治を理解することとなりつつある。本日は、外交政策を中心に見ていきたいと思います。積みあがる外交成果 安倍政権の強みの大きな要素は外交でしょう。短命政権がコロコロ変わっていた時代を経験し、国民は安定した強い政権を望んでいました。安倍政権は、その期待に応え、外交成果を積み上げています。慰安婦問題に関する日韓合意、米大統領の広島訪問と総理の真珠湾訪問を通じた日米和解の演出、日ロ首脳会談に至る一連の動きなどです。 それらの成果が実を伴うものなのか、単に演出が優れているだけなのかは意見が分かれるところでしょうが、少なくとも、安倍政権には意味のある外交を行おうという意思が感じられる。そして、安倍総理以外の他のリーダーが総理の座にあったとして、安倍政権よりも良い結果がでるようにも思えない。 私は、国際社会の構造の問題として、そもそも、日本一国の意思で成果が出る部分というのは限られているのではないかと思っているからです。慰安婦問題も日米和解も全て構造次第韓国・釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像の前でパフォーマンスする市民=1月4日(聯合=共同) 日韓の長年の懸案事項であった慰安婦問題を解決する気運が高まったのは、日韓双方の同盟国である米国が強く促したからです。中国や北朝鮮と対峙する上で、日米韓という枠組みで臨みたい米国からすれば、日韓のゴタゴタは邪魔でしかないわけです。日韓双方の内政上は、慰安婦問題に関して歩み寄る気運はほとんどなかったけれど、米国の後押しが双方の政権の背中を押したわけです。もちろん、最後は双方の政権がぎりぎりの交渉を行って意義のある合意をまとめたわけですが。 今、釜山の日本領事館前に慰安婦像が設置されたことで、日韓合意が壊れようとしていますが、ここでも構造の問題に着目すべきです。韓国がどうして約束を守れないのか。韓国の政権は何故かくも脆弱であり、何故この時期に瓦解したのか。 韓国の大統領選を控え、勢いに乗る左派革新系の候補達は、日韓合意に反対しています。同時に、米韓で合意したTHAAD(高高度防衛ミサイル)に反対し、再び中国への傾斜を強めようとしている。米オバマ政権からトランプ政権への交代期に、日韓合意を後押しした構造が弱まり、別の構造が勢いを得ているのです。 日米の和解の演出が行われたのにも、構造的な要因があります。中国の到底平和的とは言えない台頭と、北朝鮮の核保有が既成事実化した現在にあって、日米同盟を強化することは重要である。他方で、金融危機とイラク戦争の失敗以後の米国は民主・共和両党の主流派はともに内向きになっている。結果、実のある日米同盟強化策は採用されず、演出に頼るようになる。オバマ政権も安倍政権も、演出が巧みな政権なので利害が一致する。そんなところでしょうか。 反発の大きかった安保法制を通したのは、実のあるものであり、自民党の保守として責任感と矜持が働いたのでしょう。その点は、歴史的に評価されるべきことと思っています。日本に厳しくなりつつある構造 日ロ首脳会談が、事前の期待値に比して意味のある成果を生まなかったのは、ロシア側に日本と妥協する意味がもはやないからです。ウクライナをめぐって欧米と対立し、経済制裁の対象となっているロシアは、本来は行き詰っています。 経済の高度化が叫ばれて久しいにも関わらず、エネルギー一本足打法の経済構造は変わらない。オリガルヒが特権を享受する疑似資本主義社会には腐敗が蔓延しています。ソ連時代からの兵器体系を維持し、プーチン大統領という有能なリーダーを戴いているせいで存在感を高めているだけです。その存在感さえ、米国の消極姿勢の反映という方が正しいわけです。 プーチン大統領は、自国の閉塞感をよく理解していますから、対日外交を一つの局面打開のツールにしようと思ったのでしょう。島の問題で、本当に妥協する気があったようには思えないけれど、少なくとも、妥協可能性を示唆することで日本側も動くと読んだ。安倍政権も、その構造を理解した上で敢えて乗った。ただ、結果から言えば、トランプ政権誕生を通じて、日ロ接近を支えた構造自体は吹っ飛んでいます。日本に厳しくなりつつある構造 初めの問いに戻りましょう。なぜ、安倍政権が1月解散を行わなかったか。安倍政権が勢いを生み出せない理由は、国際政治上の構造が日本にとって不利になりつつあるからです。オバマ政権期を通じて腰が引けていた米国は、トランプ政権を迎えて開き直って内向きになっています。経済交渉の文脈でも、安全保障上も日米同盟が盤石で、万能ということではなくなりつつあります。 その中で、安倍政権はどんな手を打つのか。構造が大きく変わろうとしているタイミングは、大胆な発想と行動力を持っていれば、好機にもなるものです。目下のところ、安倍総理を脅かす存在が見えない以上、政権の安定が日本の国益になる。解散云々と言っている場合ではないということでしょうか。

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    「酉年解散」安倍総理の本心やいかに

    酉年は激動、政変の年になるという。「12年前、あの劇的な郵政解散があった。その12年前は自民党が野党になり、55年体制が崩壊した歴史的な年だった」。年頭記者会見で「酉年解散」の故事を並べた首相の真意とは何だったのか。1月解散が見送られた今も憶測を呼ぶ安倍総理の本心やいかに。

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    安倍首相が「1月解散」を見送った5つの理由

    調会長(右)と談笑する安倍晋三首相=平成28年11月 同じ調査で、憲法改正について「優先的に取り組む政治課題ではない」が49.5%、「優先的に取り組む」は36.5%で、慎重な扱いを求める声が依然として多いのが懸念材料ではあるが、高い内閣支持率を背景に、「解散総選挙に打って出る」よりも、「政策をできる限り実行する」ことで、評価を安定させるほうが得策、との計算が働く可能性のほうが高い。 第三は、政党支持率も「一強」の名を欲しいままにしているということだ。同じ調査で、政党支持率は自民党が前月比2.7ポイント減の23.6%。民進党は増減なしの4.4%。公明党3.4%、共産党1.6%、日本維新の会1.5%。小選挙区でほとんど公認候補擁立作業を終えている自公に比して、野党系はまだ候補者の擁立作業も終わっていないところも多く、競合する選挙区の調整もまだ終わっていない。 しかし、民進党の支持母体である連合から、「共産党との共闘はあり得ない」との声が漏れていることに象徴されるように、野党共闘の足並みは乱れがちだ。この不協和音は、政策の違いもあり、簡単に解消するものではない。 「安倍一強打倒」で大同団結して、野党支持者が野党統一候補にすべて投票するかというと、解散を引き伸ばしたから態勢が整う、というものでもあるまい。解散の時期を延ばしても、この状況はさほど変わらない、と安倍政権は踏んでいるのではないか。 第四は、2019年10月に消費税率の10%への増税を控えていることだ。経済状況の劇的な変化もないうちに、「消費税率10%のさらなる延期」を謳うのは、いかにもポピュリズムの誹りを免れまい。 経済状況の変化を見ながら、どうしても10%への増税をさらに延期しなければならないかどうかのタイミングを計り、特段の問題がなければ10%への増税を前提として、2019年秋に解散、というシナリオもありだろう。法律に基づいて、粛々と増税を行う、というのであれば、民主党時代に「税と社会保障の一体改革」を主導してきた責任上、最大野党の民進党も争点化しづらいだろう。 第五は、2015年の国勢調査に基づいて行われる、小選挙区の区割り調整だ。衆院の定数は2016年5月、改正公職選挙法の成立で465と10議席減ることになり、選挙区の定数は青森、岩手、三重、奈良、熊本、鹿児島の六県で1つずつ減る。小選挙区は289議席、比例は180議席から176議席になる。カギになるのはやはり「改憲」 問題は、新しい区割りだが、政府の衆院選挙区画定審議会が5月27日までに決定し、改正公選法が国会で成立し、1か月程度の周知期間を経て施行されることになる。それまでの間に解散・総選挙を行えば、最高裁が「違憲状態」と判断したままで解散・総選挙を行うことになり、司法の判断を無視した、ともいわれかねない。 その間、他の選挙区の区割りの変更も行われるので、新しい選挙区で各議員らが票を掘り起こしていくのに、新しい選挙制度のもとで行えるからすぐに、というわけにもいくまい。 では、安倍政権は、解散を先送りして、何を目指していくことになるか。それはズバリ、現在の世論が必ずしも前向きではない「改憲」だ。現在、改憲に向けての議論は百家争鳴、停滞気味だ。日本維新の会が主導している「高等教育までの無償化」が改憲項目案として浮上したかと思えば、自民党内では、「緊急事態条項」や「環境権などの新しい人権規定」などに賛成論が多い。 今のところ、憲法審査会での審議の中で、改憲項目の絞込みには至っていない。この状況では、この衆議院の任期中、つまり、いわゆる「改憲勢力」が3分の2を占めている間に衆参で改憲を発議することは、各党の思惑が交錯して、困難をともなうのではないか、というのが大方の見方だ。衆院本会議の代表質問で答弁する安倍首相=2017年1月24日 しかし、それでは、「改憲勢力」が3分の2を占めている間に、手をこまねいて何もしないでいいのか。落としどころはないのか。発議のカギは、自民党、公明党、日本維新の会等の「最小公倍数」ではなく、「最大公約数」を探す、ということだろう。それは、「自衛隊を合憲ときちんと位置づける」の一点ではないかと私は考える。 戦後、憲法の中で、条文上、自衛隊は違憲であるという学説も根強い。しかし、「自衛隊を合憲の存在として位置づける」という一点に関しては、一部左翼を除いては、民進党でもむしろ賛成のほうが多いのではないか。 安倍政権は、百家争鳴の憲法改正論議の中で、解散・総選挙を先送りしてでも、自衛隊を合憲の存在としてしっかりと位置づけた政権として歴史に名を残してほしい。

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    安倍総理よ、今こそナショナリズムに舵を切れ

    ていく「現実保守主義者」とでは、今後日本人の将来に大きな「格差」が生まれてくる。 現在の世界と日本の政治・経済情勢は、旧来型の「保守勢力」だけでなく、トランプ大統領を支持する「経済保守」、あるいは国益を守ろうとする「ナショナル・リベラリスト」と呼ばれる勢力が伸張し、従来の「平等・人権」を正義論として訴えていた「リベラル派」の勢力は、どんどん縮小しているのだ。 今後、安倍政権をめぐる問題が起きるとすれば、この「トランプ新時代」に通用する保守主義者や現実主義者をどう生かし、思想的にトランプ大統領を受け入れられる「保守・現実主義者」と、従来の思想を変えられずついていけなくなる「リベラル主義者」の「思想格差」の問題だと思われるのである。 つまり、国家の価値観を大事にしてきたナショナリストや「ナショナル・リベラリスト」を含めた現実保守派が、過去の「世界市民的」な価値観を大事にしてきた古いリベラル勢力を大きく塗り替えようとしているのだ。 オセロゲームで言うと、オセロ盤がこれまで黒色で占められていた石が、どんどん白色に変わっていく姿を思い浮かべれば良い。従来は、移民や難民に対しては「寛容」、日本の歴史や伝統には常に否定的で、「人権」や「平等」を訴えるだけの「リベラル勢力」は、今後ますます影響力を失っていくはずなのだ。 トランプ大統領の強引なやり方には、今後対立する層との批判や摩擦が生じるだろうし、国際情勢や世の中についていけないリベラル勢力とのギャップが生まれることは確実だ。しかし、その両者の勝敗が明らかになった時に日本国内で政官界や経済界、マスコミ界が「トランプ批判」だけに明け暮れていれば、自分の足下の現実に気付けないリベラル一辺倒できた者たちは、気づいた時には「思想的弱者」になっているかもしれない。  第二次政権誕生以来、安倍総理はリベラルなオバマ大統領と合わせながら、リベラルな政策を次々に取り入れ、うまくバランスを取ってきた。安倍総理は、日本と世界の思想の潮流の見極めを大事にしてきたからこそ、これまでの地位を築いてきたのだ。 しかし、その安倍総理自身が今後「ナショナリズムという本来の保守」に舵を切る機会があるとすれば、世界情勢が「リベラルの衰退」という状況になったと見極めた時である。その時こそ、総理は勝負をかけた解散総選挙に踏み切るに違いない。

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    安倍首相が吹かす解散風に踊り、慌て、飛ばされる与野党議員

    は解散が恐いはずだ」 こちらも自分たちのことしか頭にない。湯淺墾道・情報セキュリティ大学院大学教授(政治制度論)が国民無視の解散狂騒曲をぶった切る。「衆院解散は本来、行政府と議会が国政の重要課題で対立し、抜き差しならない状況に陥ったときに行なわれる。そのために憲法では、議会に内閣不信任案という刀を与え、行政府の長の総理に国民の信を問うための解散権を与えている。しかし、現在の国会にそんな重要な政策対立など起きていない。一体、何のための解散で、国民に何を問うのか。新聞もその点を論じるべきでしょう」 何のために解散するのか。その答えは安倍首相も、右往左往する面々も、誰も口にしない。関連記事■ 石破茂氏 解散決定時に国会内で使用制限の携帯メールしてた■ 衆院解散風の威力強大 病床の甘利明氏を立ち上がらせる■ 安倍首相 集団的自衛権の是非問う解散総選挙を仕掛ける説も■ 衆参ダブル選挙 18歳選挙権拡大が混乱の大きな火種に■ 民進党と共産党の選挙協力で衆参W選に自民党の勝算立たず

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    衆議院解散時期にも影響する小池新党の行方

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長)衆院補選で当選した若狭勝氏と小池百合子都知事を鉢巻き姿で囲む豊島区議 =2015年10月23日、東京都豊島区 東京都知事選で小池百合子氏を支援した7人の区議、いわゆる7人の侍に対して、自民党都連は自民党からの除名処分を決めた。自民党は7人の区議に対して、対話の機会、弁明の機会を与えたが、結局彼らはそれを断り、こうした事態に至った。この自民都連との対決姿勢には当然のことながら小池知事の意向があるはずだ。小池知事は都議会の運営において、都議会自民党を懐柔するか、対決するかの選択を迫られた。様々な利権が組み込まれており、改革のためには「対決」しかないと判断したのだろう。全面対決を覚悟し、来年の都議選で「小池新党」から遠慮なく候補者を擁立し、自民党都議の数を半減させる方向に舵を切ったといえる。自民党以外の都議の多くを準与党化させれば、「小池新党」の候補者が4分の1から3分の1を占めるなら、与党的勢力で過半数を取ることができる。そこで初めて思い切った改革が可能になる。 都議選での方向は定まったと言える。東京都だけの独特のシステムであった政党復活予算の仕組みも廃止することを決めた。これは都議会自民党にとっては非常に大きな衝撃であったに違いない。最大会派の都議会自民党の裁量は大きく、これは直接的に都議の「手柄」となる。利権構造ができやすいもので、小池知事がこの仕組みにメスを入れるのは当然だ。都議会自民党からすれば、政党復活予算がなくなり、議会で野党化するとなると、これまでの状況が一変し、「権力」が激減したことを意味する。これで知事も都議会自民党も全面対決しか選択肢が残らない形となった。中途半端な懐柔路線が消えた。 これからのポイントは「小池新党」がローカルパーティとしてのみ機能するのか、国政にも進出するか、である。シナリオA ローカルパーティとしての小池新党 東京都は今後、オリンピックなどで国との協力関係を強めることが求められる。安倍政権と良好な関係を持ちつつ、大事業を成功させていかなければならない。カジノの誘致においても東京都は有力候補だ。小池新党が国政にも進出するとなると、自民党本部との関係は一気に悪化することは間違いない。その時点では小池知事にも除名処分が下る可能性が高い。それは、小池知事も安倍政権も望むところではない。国政にも進出する小池新党 あくまでも東京都内での対立構造に留めておきたいのだ。都議会選挙では「小池新党」が立候補者を擁立するものの、国政においては、自民党員の顔として振る舞うというシナリオだ。私はこれが最も可能性があると考えてきたが、7人の侍の件で、小池知事は都議会自民党と真っ向対立の構造を選択した。こうなるとローカルパーティとしてのみ留まるのは難しいかもしれない。シナリオB 国政にも進出する小池新党 現在の勢いであれば、小池新党を設立して、一気に国政にも進出することは可能だ。東京都議会の問題は全国ニュースとなり、小池新党に共感を持つ人は少なくない。日本維新の会との連携である一定の議席を獲得することも見込める。とはいっても、衆議院の小選挙区制のもとでは議席の獲得は限定的となる。現実的なのは日本維新の会の共同代表に松井一郎氏と一緒に就任して、東京都知事と大阪府知事が率いる政党とする構想だ。大きな第三極となりうるもので可能性は否定できない。新生維新の会は日本の政界の台風の目になり可能性がある。自民党の票も民進党の票も食うだろう。記者会見する小池百合子都知事=1月27日、都庁 可能性が最も高いのは小池新党としてローカルパーティで始めて、途中で国政では維新の会と合併するというものだ。この可能性とスピードは、安倍政権の小池知事への姿勢とともに、解散総選挙の時期などが密接に絡む。安倍政権は、小池新党が国政政党を目指したり、日本維新の会と連携を進める前に、解散総選挙をしてしまうという可能性が高くなった。都議会選挙での対立は仕方ないとしても、国政選挙に小池フィーバーが入り込まないようにするには、できるだけ早く解散をして、準備が整わないようにするのが一番だ。二階幹事長は年内解散はない、と明言しているが、まだこの線は残っている。年末年始で新たな動きが出る前に、打って出るというものだ。年末解散がなくても年始解散は避けられないと予想している。 小池新党の動きは都議選をにらんでもう少しゆっくりしたものになると予想していたが、事態は急変しつつある。まだ小池知事はルビコン川を渡っていない。渡るかどうか、決断を迫られている。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年12月12日分を転載)

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    安倍自民に陰り? 解散に二の足を踏ませた衆院補選

    ておりません。この事態を受けて、ね」と話されたという。さすがのご達観、というべきだろう。(室伏謙一「政治・政策を考えるヒント!」より2016年10月24日分を転載)

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    「解散」で皆が慌てるのを総理は楽しんでいるのでは?と側近

    笑に違いない。関連記事■ 石破茂氏 解散決定時に国会内で使用制限の携帯メールしてた■ 衆参同日選 「政治記事の確度高い」読売の見送り報道で沈静化■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ【1/2】「集団的自衛権」■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」

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    藤岡信勝が「しんぶん赤旗」を2週間読み続けて分かったこと

    動のころから野党共闘の流れが出来、翌年の選挙協力にまで結びついた。これを共産党は最大限に評価し、日本政治の新しい動向として強調している。日刊の赤旗は廃刊の可能性も とりわけ、今回の党大会で最も画期的なことは、日本の他の野党が党大会に来賓として挨拶に来たことである。これは1922年の党創立から初めてのことだとして、有頂天の喜びようである。民進、自由、社民3党の幹部が初めて来賓として出席した共産党の第27回党大会=1月15日、静岡県熱海市 党大会に来賓として挨拶に来た野党の代表者は、安住淳(民進党代表代行)、小沢一郎(自由党代表)、吉田忠智(社民党党首)、糸数慶子(沖縄の風代表)の4人である。このなかで、共産党との共闘に最も積極的なのは、小沢一郎であるといわれている。 ともかく、「壁」が崩れたという比喩表現のなかに、共産党の喜びようが実感として現れている。「統一戦線戦術」の恐ろしさ  共産党が、社会主義・共産主義の社会を目指す革命を行うという、本来の主義・主張を棚上げして、他の政党・政派と共同行動を取ることは、世界的な共産党組織であるコミンテルンが1935年に取り入れた「統一戦線戦術」といわれるものである。この戦術の発想はレーニンにもあったが、本格的な方針として実践されたのは右のコミンテルン大会以来であった。 この戦術は、共産党と国民党が「抗日」で手を組んだ中国において顕著な成果を挙げた。しかし、目的を達成するとともに、国民党は追放された。つまり、統一戦線とは、少数派の共産党が、その他の勢力の力を利用して政権を取る手段なのである。実際、死にかけていた中国共産党は、国共合作によって生き返ったのだ。 今、共産党は党員の減少と高齢化、機関紙の減紙に苦しんでおり、日刊紙の廃刊まで取りざたされている。もし、日刊紙が廃刊されれば、レーニンが「イスクラ」という新聞をロシアに送り込んで共産主義を組織した新聞という媒体が放棄されることであり、コミンテルン型共産党の終焉となるのだが、共産党が大会決議で提唱している「野党連合政権」の一角を占めるようになれば、起死回生の展開となる。 他の政党は安易に共産党の呼びかけに応じることは、自らの首を差し出す行為であることを、歴史に学んで考え直すべきだ。

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    政治に活力を取り戻せ!

    共産党という禁断の果実に手を出した民進党、舛添要一元東京都知事の政治資金疑惑と彼のデタラメな人間性を追及してこなかったマスコミ……。いま、政治とメディアに欠けているものはなにか。

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    政治の劣化はマスコミの劣化だ

    るとたしかにそのとおりで、都庁から東京都を出て神奈川県の湯河原の別荘に頻繁に公用車で通っているとか、政治とは何の関係もない美術品や本を経費で買っているとか、果ては正月の温泉への家族旅行まで会議費という名目の政治資金を使っていたという、なんとも破廉恥な行為が発覚した。 このあたりは法律上、情報公開が認められていることが調査報道の大きな助けとなったのである。 しかし追及する側にもそうした不正を見抜く目がなければ、この報道は成立しない。そういう意味では『週刊文春』一連の報道は高く評価すべきものだろう。 ところが第二弾、第三弾と舛添追及キャンペーンが続くうちに私はだんだん苦笑するようになった。もうやめればいいとすら思った。もちろんそれは舛添氏に対する同情ではないし、醜いことはできるだけ耳にしたくないとの短絡的反応でもない。正直言って「文春さん墓穴を掘るよ、馬脚を現すよ」と思ったのである。 もちろんそんなことを言われては『文春』は心外だろう。しかし私がそう思ったのは事実だから、どうしてそう思ったのか、ちょっと書いてみることにする。地元はもう知っていた地元はもう知っていた そもそも当初は硬派の外交・政治評論家として売り出した舛添氏が、厚生労働大臣になれたのは、母の介護体験を語った『母に襁褓をあてるとき』がベストセラーになったからである。 オムツなどと言わず襁褓などという忘れられていた漢語を使うところがいかにも舛添氏らしいが、『週刊文春』のキャンペーン第五弾「母介護の大ウソと骨肉の銭ゲバ闘争」(二〇一六年六月九日号掲載)によれば、「『政治家としての原点は母の介護』。舛添氏はそう公言して、介護本を量産し、厚労相となり、都知事にまで上り詰めた。だが氏の故郷で“美談”を信じる人はいない」とある。 察しのいい方はもうおわかりだろう。「故郷で“美談”を信じる人は(誰も)いない」ならば、なぜもっと早く舛添要一という男のデタラメぶりが報道され、糾弾されなかったのか? それはマスコミの大きな失敗ではないかということなのである。 この記事を読めば舛添要一はとんでもない人間だということがわかる。あえて言えば、まさに厚生労働大臣になるにはもっとも不適切な人物であるということだ。だからこそ舛添氏が己の欠点を隠すため、ありとあらゆる権謀術数を労し、さすがのマスコミもまんまと騙されていたというなら話はわからないでもない。 しかし、この『文春』の記事は読めば読むほど、舛添氏はインチキ野郎だということが少なくとも故郷・福岡においては周知の事実であったことがわかる。そして、逆にそれに気がつかなかった『文春』さん、いやすべてのマスコミは一体何なの?という印象を抱いてしまうのである。 たしかに『文春』には『文春』の言い分があるだろう。ここにも書かれているように、舛添氏を「介護のスター」にしたのは明らかにテレビ報道である。それに対して『文春』は「舛添要一『消せない過去』」などという記事を掲載し警鐘を鳴らしたというのは事実だろう。 しかし結局、舛添氏は厚生労働大臣を続け、さらに都知事にまでなってしまった。もし、このキャンペーン記事に書かれているとおり、「母介護の大ウソ」が故郷では周知の事実だったとしたならば、その事実をもとに舛添氏を厚労相辞任に追い込むか、そこまで行かなくてもせめて東京都知事になることを阻止できなかったのか、という感想をどうしても抱いてしまう。そうすれば膨大な税金の無駄使いは節約できたはずだ。『文春』が追及すべきこと『文春』が追及すべきこと タイトルの「小人罪無し 玉を懐いて罪有り」は中国の古典「春秋左氏伝」の言葉で、「せこくケチで人格が破綻したようなとんでもない人間(小人)でも、それだけでは罪を犯すことはない、いや犯す機会には恵まれない。身分不相応の財宝を持つとそれを利用して罪を犯すようになる」という意味である。6月15日、本会議の最後に退任の挨拶をした舛添要一都知事。最後に一礼して退席した=東京都庁 現代社会においては政治家の権力には資金(財宝)が必ず伴うものだから、この名言は「小人が身分不相応の権力を持つとそれを利用して罪を犯すようになる」と言い換えてもいいだろう。まさに今回の舛添都知事のケースがそれに当てはまる。 いかに舛添氏が国民の税金を無駄遣いしようと思っても、それが可能な地位にいなければそんなことは不可能だ。だから責任は当然当事者である舛添氏にもあるが、舛添氏を選んだ有権者にもあるということである。 そして民主主義社会において有権者が的確な判断ができるように、その目となり耳となるのがマスコミの責務だから、結果的に有権者をして舛添氏というとんでもない人間を都知事に選ばせたのはマスコミの責任でもある。その責任はかなり大きい。 一般市民は舛添氏がどんな人物か直接取材して確かめるなどということはできない。それが可能なのはマスコミだけなのである。だからこそ責任は重い。 私がいま知りたいのはどうして舛添要一という「小人」がまんまと東京都知事になってしまったのか、ということである。『文春』さん、舛添氏がどれだけ政治資金を私物化したかという報道はもういい、充分だ。それより、なぜマスコミが舛添氏をストップできなかったのかを是非解明してほしい。 そこには長年、雑誌ジャーナリズムが批判してきた、記者クラブ制度がもたらす政治家との癒着という問題もあるはずだ。私にも記者クラブの経験が若干あるが、この制度はたしかに結構大臣と密着した関係が築けることも事実である。 となれば、おそらく数十人に上る舛添厚労相担当記者のなかには当然舛添氏が「小人」であることに気づいた人間も少なからずいたはずで、彼らはなぜそこを追及しなかったのかというのは、日本のマスコミの欠陥を探るうえで重要なテーマであるはずだ。 やればできる。たとえば『文春』の報道なら宮崎謙介という「イクメン国会議員」を自称しながら、実は妻の出産直前に美人タレントと不倫をしていた「ゲス」に対する糾弾は見事だった。 それに比べてタレントのベッキーの不倫報道は、たしかに話題性はあったが日本の政治の浄化に役立ったわけではあるまい。 そうした芸能ネタより、本当に日本という国にとってプラスになり、なおかつ雑誌も売れるというネタはまだまだあると思う。 日本の政治家の質はかなり落ちてきたという認識もある。それが事実かどうかはともかく、いま日本には『暮しの手帖』の家電批評のように政治家を批評する場が、舛添氏のような政治家の出現を阻止するためにも必要だ。そしてその役目には政治家との癒着に陥りやすい新聞よりも雑誌ジャーナリズムがはるかに適しているのではないのか。いざわ・もとひこ 1954年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業後TBSに入社、報道局に勤務。80年、『猿丸幻視行』で江戸川乱歩賞受賞。退社後は、日本史と日本人についての評論活動を精力的に展開。代表作『逆説の日本史』は現在も連載中。

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    民進党が解党すべき10の理由

    「嘘」の代名詞となり、日本の政界において死語となった。旧民主党が「マニフェスト」を反故にしたことで、政治家の言葉に対する国民の信頼は地に落ち、同時に貴重な民主政治のインフラは無残に破壊された。日本の民主主義は二十年逆戻りしたといってもよく、これほどの重罪は他にない。 しかも卑怯なことに、民進党は反省するどころか今回の参院選ではこの言葉を封印した。まさにご都合主義である。 民進党は直ちに解党せよ。党首に進歩なし理由3 党首に進歩なし 「惨敗した民主党議員は大企業病に侵されて慢心し、高をくくっていた。党幹部が解散の可能性高しとの見解を出したときにはすでに素人目にも解散色は濃厚だった」 これは最近の選挙のことではない。二〇〇五年、実に十一年前に民主党(当時)が小泉総理(当時)による郵政民営化を問う総選挙で惨敗した際、私がある月刊誌に書いた記事である。驚くまいか、この時の代表はいまと同じ岡田克也である。 この間、自由民主党の党首は、小泉、安倍、福田、麻生、谷垣、安倍と変わっているが、この時、政局判断が悪く、それが原因で選挙に負けたというのに大した反省も工夫もなくまたまんまと党首に返り咲いたのは、さすが民進(民主)というべき甘さと人材の払底を示す。 民進党の新代表に蓮舫が選出されることが、ほぼ確実となった。これにより、民進党は近い将来、分裂する可能性が濃厚だ。しかし、この期に及んでなお「蓮舫頼み」であることが、いかに民進党がダメかということを示している。 今回私は、旧民主党の野党転落以降の約三年分の国会(参議院)における蓮舫の質問を調べてみたが、揚げ足取りやいわれなき非難ばかりで、蓮舫がほとんど成長しておらず、生産的な質問をしていないのに驚く。 民進党よ直ちに解党せよ。理由4 労組政党、官公労政党の本質が強まっている 今回の参議院選挙において、民進党の比例当選者は、十一名中八名が労組出身議員である。これこそまさに、「護官政党」(十一年前の郵政解散の際、当時の民主党を批判した自民党のパンフレットのキャッチフレーズ)にほかならない。 現在の連合(日本労働組合総連合会)は組合加盟者の七割近くを占めるとはいえ、そもそも組合に入っている労働者は数名にひとりしかいない。第一、大企業社員は自民党を支持している。要するに連合は「連合幹部の幹部による幹部のための労組」なのだが、これにおんぶにだっこというところが情けない。 安倍政権になってから総理自らが財界に対して賃上げを要請し、しかも実現したから、連合はもはやその存在意義を失っている。旧維新出身者は、いまこそ反連合の議員とともに民進党を去るべきである。さもないと、「民進は旧維新出身議員の救命ブイ」であることを自ら認めたことになろう。 民進党よ直ちに解党せよ。猿よりも反省をしない党の体質理由5 猿よりも反省をしない党の体質 東日本大震災時の福島第一原子力発電所の事故の際の不手際について、相変わらず当時の菅総理や枝野官房長官は反省していないとネットで話題になっている。「事業仕分け」については猿芝居だったにもかかわらず未だにそのことを認めていないし、なぜ政権を失ったかについて反省する気風も気概もない。 反省のない者には進歩なく、進歩のない者は国民を率いてはならぬ。 二〇〇九年、私は鳩山政権誕生前に鳩山政権の寿命は半年から一年と予測し、まさにそのとおりとなったのだが、その際に「こうしないと政権を失う」という十の改善提案をした。①小選挙区支部長を選挙で決めよ②官公労とは手を切れ③「子ども手当」は廃止せよ④日教組とは手を切れ⑤民主党サポーターを愚弄するな⑥国会議員の社会人経験を重視せよ⑦高速道路無料化は中止せよ⑧有権者愚弄のお色気(女性)議員路線をやめよ⑨まともな財源論を行え⑩外国人地方参政権付与の方針をやめよ─の十項目である。 何一つ聞き入れられず、その結果、あっという間に政権を失った。あまりに当然の結果といえよう。 現在の安倍政権は、ソフト面において第一次政権の数倍から十数倍パワーアップしているが、民進党が政権を得てもまた権力をオモチャにし、政治ごっこを始めるだけだ。政権をとらせてはならない政党が野党第一党であってはならない。 民進党は直ちに解党せよ。理由6 対案が出せない。特に経済政策がない 民進は、安保関連法案でまともな対案を出さなかった。酷いのが、経済が全く分かっていなかった旧民主党の総理経験者たち。鳩山氏は経済だけが分かっていなかったわけではなかった(すべてが分かっていなかった)ので論外だが、菅氏もマクロ経済学の基本のキである「乗数効果」が全く理解できておらず、国会答弁で立ち往生した。 続く野田氏は全く経済の基礎知識がなく、財務官僚に丸め込まれて三党合意に持ち込まされ、消費税増税を決めることとなった。消費増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案が参院本会議で可決、成立。厳しい表情で各党あいさつ回りに向かう野田佳彦首相 =2012年8月10日午後、国会内(酒巻俊介撮影) 今回の参院選でも、民進党の言っていることは支離滅裂であって、野田政権の時には無為無策で株価八千円台(現在一万六千円台)、為替は八十円台(現在百二円)であったのに、「アベノミクスの宴は終わった」 「この三年間に経済を立て直すべきだった」(各六月二十四日、二十六日、岡田代表)と寝言を言っている。 嘘に近い発言もある。枝野幹事長は「株や為替は外国の影響で良くなったり悪くなったりする。良かったときもアベノミクスの成果ではない」などと発言したが、金融政策が全く分かっていない。 枝野氏には、「金利を上げると景気が回復する」(二〇〇八年十月「朝まで生テレビ!」)という趣旨の有名な経済オンチ発言がある。先日も「朝まで生テレビ!」で、社民党議員が「投資を活発にするためには消費を活発にすればいい」と意味不明の発言をしていたが、これと同レベルだ。 第一、そもそも野田内閣の時の消費税率上げの合意がなければ、アベノミクスはもっと順調だったはずだ。野党第一党の民進党が存在している限り、野党側からまともな経済政策が打ち出されることはない。 民進党よ直ちに解党せよ。過度の共産党恐怖症である理由7 過度の共産党フォビア(恐怖症)である 民進党の前原誠司氏は、地元(京都選挙区)で共産党と競合していることから共産党アレルギーが強く、いったん共産党と手を組むとシロアリの如く蚕食されるという「共産党シロアリ論」が持論である。 しかし、シロアリに食われるかどうかは家の所有者の注意次第であって、端から警戒一色というのは「我々には共産党を御することはできない」「我々は政治家として未熟です」と告白しているに等しい。 かつてフランスのミッテラン大統領は、反対を押し切っていったん共産党を与党としたが、利用価値がなくなるとものの見事に切って捨てた。こうした胆力も度量もないのが民進党である。 民進党よ直ちに解党せよ。理由8 地方議会に議席が少なく有権者に根ざしていない 小選挙区制度は時の政治情勢に大きく左右され、候補者個人の資質の如何を問わず簡単に当選してしまうので議員の質が低くなったという議論がある。たしかにそのとおりだが、現在の与党(自由民主党・公明党)に比べて民進党の地方議会における地位の低さには愕然とするものがある。たとえば舛添騒動のあった東京都議会の議席は、自由民主党六十、公明党二十三、共産党十七、そして都議会民進党は十四と第四党で、小選挙区でもないのに実は共産党よりも議席が少ない。 これは一例にすぎないが、地方政治においては全く影が薄く、有権者に根ざしていない。そのくせ、とにかく国政で目立ちたい人間が多いのが民進党なのだ。 民進党よ直ちに解党せよ。人材がいない理由9 人材がいない 代表代行の長妻昭という「調査マン」には、大臣就任前にレクチャーをしたことがあるが、雑誌記者の時の性格が抜けず、私が話した内容をワープロにキーパンチングしていてまったく目を合わせない有り様だった。 一体、これは改まったのか。改まらないから官僚にそっぽを向かれて、厚労大臣職がロクに務まらなかったのではないかと危惧している。 そのほかにも、岡田のライバル(代表候補)だった細野豪志は「何がやりたいのか分からない」と同党の辻本清美が匙を投げたといわれている人物。衆院予算委で質問する細野豪志氏 前原誠司は、二〇〇五年の偽メール事件(ライブドア=当時=の堀江貴文社長が自民党幹事長の次男の口座に三千万円振り込むよう指示したと国会の党首討論で取り上げたが事実無根で、主導した民主党衆院議員がのちに自殺した事件)の責任者でありながら、未だにバッジを外すこともなく恥知らずに議員を続けている。人間性に決定的な問題があるといえよう。 民進党よ直ちに解党せよ。理由10 民進党は近く分裂するから投じた票は結局死票になる 民進党の解党は近い。解党すれば有権者の投じた票は事実上の死票であって、あとは議員の意のままになってしまう。そんな事態は不誠実である。早期に理念をはっきりとさせた、少数精鋭の複数の党になるべきだ。 もう一度いう、民進党よ、直ちに解党せよ。これが一番日本のためになるのだ。  民進党の解党後は、①連合組織内議員や組織内議員ではないが、原発反対などを主張する議員で構成する左派政党②連合と一線を画す党で原発容認、行政推進の自由主義的政党③他党さらには自由民主党とも連携して改憲もうかがう保守的な政党などに分裂するほかなく、またそれが一番有権者にとって分かりやすく誠実であろう。 何度でも言う。民進党よ、日本の将来のために解党せよ。きむら・ひでや 1965年、横浜市生まれ。東京大学文学部哲学科卒。旧民主党政策担当秘書。現在、評論、講演活動等に従事。

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    橋下徹にあって小池百合子にないもの

    違いなく永田町でも台風の目になりそうだが、どうも周囲をやきもきさせる場面が多い。これもきっとお得意の政治パフォーマンスなんでしょうが、この2人の相性って、実のところどうなんでしょう?

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    似た者同士はうまくいかない!? 橋下徹と小池百合子「共闘」の条件

    営からは「独裁者」と呼ばれる二人の強力なキャラクターが激突し、対決すれば、はた目には面白い劇場型の「政治ショー」が見られるであろうからである。  今後、2人の関係が実際に火花を散らし合い、しのぎを削ることになるのだろうか。  実際に橋下徹氏は、小池百合子都知事の政治行動をかなり意識していたようだ。 まず、橋下氏は小池氏の都知事就任直後に俎上に上がった築地市場の移転問題に関して、東京都職員による「意思決定システム」を取り上げ、小池都知事が疑念を示す「地下空間を設けることが、土壌汚染対策に反しているとは誰も思っていない」と批判し始めた。 同時に橋下氏は、「小池百合子東京都知事はこのほど、現役の市場長を更迭した。(中略)今後小池さんが、とんでもない決済の負担を負うリスクが生じるということだ」(プレジデントオンライン)と、都職員の更迭に対して問題点を指摘する。 しかしこの時点での橋下氏は、小池都知事に対して好意的なアドバイスをするような素振りが見えていた。「小池さん、大改革をやるなら『一発目』の予算が唯一のチャンスです!」(同)などというエールも送っていたからだ。 しかし、11月17日、橋下氏自身のツイッターで小池百合子都知事が主宰する「小池塾」の講演をギャランティーの問題から断ったことを自らこう明かしている。「(小池塾)僕のマネジメント会社から連絡があった。週刊文春から問い合わせがあったとのこと。小池塾サイドは1、当初無料と思っていたのに金額を聞いてびっくりしている 2、橋下が東京に行くのだから2回講演をやらせろと言われた、と言っているがどうなのか、という問い合わせ」  そのツイッターや週刊文春の報道などによれば、事の顛末は橋下氏側が「一回200万円」の講演料を要求したのは事実だが、仲介に入った渡辺喜美氏らが「無料でやらせる」などと言って介入した。そのため、金額面で折り合いがつかなくなって断り、橋下氏側が「(小池氏とは)距離を置く」と語った―という経緯が明らかになった。「安易なリベラル主義」に走らない お互いが相当意識し合っているからこそ起きた今回の両者の「摩擦」は、いまだ「激突」という段階には至っていないようだが、二人の政治思想とそれに基づく政治姿勢をよく見ると、いわば当然の帰結であると見てもおかしくはない。 一つには、小池百合子都知事と橋下徹氏は、「強いリーダーシップ」を武器にして、「守旧派」である東京都議会や大阪府議会・市議会、「既得権益」である都庁や府庁、市役所などとマスコミを交えて対立し、常に国民に対して結果を問おうとすることで共通している。おおさか維新の会の戦略本部会議に出席した前代表の橋下徹・法律政策顧問=2月27日、大阪市中央区 そっくりに映るこの二人の政治姿勢は、既存の体制を「ぶっ壊す」という手法であり、政治的な思想で言えば、「新自由主義者」と呼べるところに共通点がある。 さらに、橋下徹氏が大阪府知事や大阪市長時代に府政や市政の「無駄遣い」を取り上げ、小池百合子氏が「都政の情報公開(明瞭化)」「東京五輪の予算削減」を打ち出す―という手法自体に特色がある。「政治・行政手法の効率化と透明性」、指揮命令系統の「トップダウンの明確化」などを重視するという点で、酷似する政治手法を採っていることになる。 つまり、「合理主義的」で「効率主義的」な政治手法を重視した「新自由主義」や「グローバリズム」の思想の流れに乗った政治を行っているという点が類似しているのだ。 その一方で、この2人は、日本に良くありがちな「安易なリベラル主義」の路線には走らない。この場合の「安易なリベラル主義」とは、政治家として常に「反国家・反権力主義」や「日米安保反対」、「日本国憲法絶対護持」などというスタンスを指すが、為政者としては過度な「平等主義」や社会的に不公正な「弱者救済主義」を採っていない。 事実、橋下氏は大阪市職員組合や日教組など労組のあり方に異論を唱え、憲法9条を含めた憲法改正には積極的。一方の小池都知事は、かつては「憲法停止論」や中国・北朝鮮への「核ミサイル防衛」にも賛成の意向を示したことがあるほどだ。「似た者同士」の2人 つまり、二人はあくまで「似た者同士」なのである。しかし、小池都知事と橋下氏が「似た者同士」だからといって、今後ずっとうまくいくとは限らない。例えば、かつての永田町で小沢一郎氏と野中広務氏は、お互いに「策士」と言われながら「犬猿の仲」だったし、逆に「盟友」と呼ばれた田中角栄氏と大平正芳氏の二人は、性格や政治手法において正反対であったが、お互いの弱点を補い、日本の政治の中枢に共に座り続けた。政治家同士が「似ている」だけでは、お互いの政治の相性や結果がうまくいくとは限らないのだ。 今後、この二人が合従連衡していくのかはハッキリ言って分からない。今のところ分かっていることは、「お互いの共通の敵」が現れ、その「敵」が強大化したときには、手を組む可能性があるということだ。小池氏(右)と橋下氏、共闘する日は来るか 現段階で、二人の「共通の敵」とは、「自公政権」ではなく、むしろリベラル的な「民共連合」だろう。だが、二重国籍問題を放置したままの蓮舫代表の民進党などの現状を見ても、今後リベラル左派的な政党勢力が勢いを増す恐れはあまりない。 しかし、仮に小池氏が新党を作り、橋下氏が政界に復帰した場合には、「小池新党」と大阪維新の会と張り合うこともあり得るだろう。そうだとすれば、このまま二人は、距離を置いた以上、いつかまた激しく反発し合う可能性も高い、と予測できるのである。

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    塾生の私だから分かったことがある! 「小池塾」の実態と勝算

    ざす、都民ファーストの理念のもとに集まった同志の集団である。むしろ、今までの単なる選挙のための集団や政治応援団ではない、都政の本当のあるべき姿を学び、いびつなしがらみや空気抵抗のない「当たり前の都政」を考える私塾ととらえることもできるのではないだろうか。小池知事、いや小池塾長は3つのポジションからのアプローチを展開してさまざまな問題を解決しようとしていると想像できるからだ。 まず何よりも、都知事という都民に付託された、東京でたった1人のポジションの活用だ。その権限をフルに活用し、都政改革を都民代表として大なたを振るう。当然、一挙一投足にいたるまで行動に注目が集まる。しかし、これは今までの都知事と変わらない。小池塾長の巧みな「情報マネージメント」 2番目は、その問題解決手法を常にメディアが取り上げやすいように加工して提供する、小池知事のスキルの高さだ。まるで小池知事に世間の追い風が吹いているかのように、問題が次から次へ浮かび上がる。いや、それは「週刊文春」並に、都政内スクープの情報を張り巡らせているから知り得る問題なのだ。しかし、問題はいつまでも先延ばしにはできない。今度は解決する能力が問われ出す。 そして3番目は、世間の風を読む上手な魚の目を持つことだ。それが小池塾「希望の塾」というインフォーマルな私塾フォーマットの集団を持つことによってメリットが出てくる。税金を一銭も使わず、公務の間に都政を教え、ゲスト講師から勉強してもらう集団。マスコミに公開するのは冒頭の5分間だけ。残りは塾生のためだけの時間というプレミアム感も満足度を高めている。マスメディアは5分間しか報道できず、塾生はネットなどで内容を公開することは控えるよう厳命されている。 このオープンなのにクローズド、クローズドでありながら漏れ聞こえてくるという状況づくりが本当に巧みなのだ。知りたがるマスコミと視聴者、喋りたいけれど喋れない塾生。完全に秘密でも駄目。オープンでも駄目。微妙なさじ加減が小池塾長の「情報マネジメント」なのだ。 当然、6回の講義の間に脱落組は発生するだろう。しかし、すべてが現在進行中の豊洲問題やオリンピック問題などの当事者情報を、メディア経由ではなく当事者の講師が伝えるプラットフォームが形成されつつある。 たとえば、塾生が3000人になったとしよう。1人の塾生が10人に資料を渡すようにと、メディアには公開されていない、ここだけの情報を配布できるとしたらどうなるだろうか。それは、あっという間に3万人に配布されることを意味する。メディアやSNSがそれに加わると、30万から300万人に情報が拡散する。 これはもう、来年7月の都議会に新党を立ち上げて、ポスターを貼るなどのハナシではなくなってきている。ポスターの掲示板は東京都では1万7000箇所ある。ポスターがなくても何かのイデオロギーが浸透すれば、新党がなくても当選する確率は圧倒的に高まる。すでに選挙プランナーの松田馨(かおる)氏による立候補の心得なども講義されている。11月14日のTBS系ワイドショー「ゴゴスマ」では作家の猪瀬直樹元都知事が出演し、リアルな話をしてほしいと小池知事にお願いされて講演したと述べている。都民ファーストという名の主権者教育 すでに3000人の塾生が毎月集まり、各々が10人規模から20人規模の勉強会を開催したら、5000人ほどのインフォーマルな都政の勉強会が成立する。それがfacebookやTwitter、LINEなどのSNSで拡散される。 それが、翌日のテレビや新聞で話題になる。それは塾生のモチベーションも自然に高まるだろう。都政改革のメンバーとして、問題解決手法の裏話が、レイヤーを分けて情報公開がなされていくのだ。今までの記者会見、メディアの発表、都民はそれをなんとなく後で知るというプロセスの改革が起きはじめるだろう。 そう、都政の問題解決の「裏話」はここだけのハナシとしてSNSで拡散しやすい。それが豊洲問題、オリンピック問題、都連問題、さらに新たなネタのトピックをマスコミよりも先に知るというメリットはわかりやすい。それによって都政改革は可能なんだという確信が得られた時、都議会選挙は改革を推進できる議員しか選ばないという都民ファーストの考えが起きても不思議ではないだろう。 それは今までの献金団体でも、選挙の集票装置でもない、しかも候補者絞込みのプラットフォームでもない新たな集団となるだろう。自らが都政に関心を持ち、どうあるべきかを考えて投票を行うスマートな選挙民、つまり本当の主権者をたくさん生むこととなる。小池塾は、都民ファーストという名の主権者教育なのである。 筆者が塾生という立場に立っているからかもしれないが、立候補した人を応援するよりも、立候補するまでのプロセスを数千人、数万人で見届けるという、言わばアメリカの大統領選挙予備選を垣間見ることが出来そうな気がしている。 「希望の塾」は2017年3月4日で全6回が終了する。しかし、その3カ月後には都議会選挙が待ち構えているのだ。都議会の定数は120名だ。自民党の持つ都議会60名の議席、公明党の議席は23名だ。合計83名。自公に匹敵し、凌駕できる候補を出せた時の政党の名は、きっと「希望の党」だろう。社民党と自由党の「希望の会」はきっと忘れ去られているのではないだろうか。自民党の崎山知尚政調会長の代表質問に応じる小池百合子都知事=12月7日、都庁(納冨康撮影) 自公の大勢力は、小池知事とその勢力を味方としてそれなりのポジションを与えるのか、敵とした時の損害のリスクを考えながら都議選に臨まなくてはいけない状況になってしまった。そう、小池塾は、小池百合子の都議会選挙の「先出しジャンケン」でもある。そして半年後には筆者の予見がホンモノか妄想だったか、明確になっていることだろう。※この論考は小池塾の塾生として知り得た情報ではなくメディアやネットの情報を総合的に判断し、これから起こりうる政策を予測した憶測記事である。

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    次期首相候補はどっちだ? 橋下徹と小池百合子が秘める本当の実力

    圧倒的支持を得、ダブル選で大勝。この勢いは現在、大阪副首都構想、2025大阪万博へ向け、大阪大改革の政治的エネルギーとして脈々と生きている。ニュー大阪都構想は再来年、もう一度住民投票で問われるようだ。異色の政治家2人の共通点 その「破壊的」改革の旋風はこんど東京へ。この7月31日。自公推薦候補優勢の予想を大きく覆し、唯一政党の支援を受けなかった(正確には受けられなかった)小池百合子氏が都知事に当選した。自ら給与を半減、身を切る覚悟を鮮明に打ち出し、「見える化」「もったいない」、そして自民党都連をブラックボックスと敵視する戦いぶり。この姿は橋下徹の現役の頃とだぶって見えた。守旧派を敵とし、自らを改革派と位置づけ、改革派こそが時代の正義だと訴える選挙手法は、あの小泉純一郎の郵政解散、橋下氏の出直し選にも酷似していた。府中市内で街頭演説を行った小池百合子氏=2016年7月27日 舛添要一が「政治とカネ」で突然辞職。その後継選挙を制した小池氏の大勝で、高額な海外出張、公金、公用車の公私混同疑惑など暗雲垂れ込めていた東京の政治風景は、この半年で一変した。舛添釈明会見を報じ続けていたマスコミも、今度は一転、豊洲への移転延期、五輪施設の見直し、都庁無責任体制と気炎を上げる小池都政を、もろ手を挙げて支持しているかのような報道ぶりへ。その豹変さにマスメディアの危うさも感ずるが、ともかく都民の支持率は高く、初の女性都知事誕生で、東京はいま清みきったクリーンなイメージの政治状況に包まれている。 さて、既成政党と一線を画しての異色の政治家、橋下徹と小池百合子。この2人に共通するのは、もしかわが国でトランプ現象が起こるとすれば、いずれ次期首相候補になるかもしれないという期待感だろう。もちろん、キャリアもタイプも年齢も違う2人に首相待望論を述べるのは、筆者としてはいささか早計の感を拭えないが、世の中の見方を代弁すれば、この先トランプが熱狂されるような大改革を進めるとすれば、その予測も的外れではなかろう。 特に橋下氏はいま、政治的エネルギーを蓄積中だ。各地の講演は「大阪改革」の実績を元に「日本改革」のあり方を説く。実践に基づく、弁舌の巧みさに聴衆は多く拍手する。民間人を強調するが、この話ぶりはどう見ても政治リーダーそのもの。もちろん、本人はその空気を楽しんでいるフシがあるが。ともかく自民支配の1強多弱政治に国民が飽きたと見た時、大都市から日本を変える新しい政治勢力を立ち上げるかもしれない。また、大都市から「納税者の反乱」―身を切る改革、税金の無駄遣い排除、国が変わらないなら地方から変える、を旗印に日本版トランプとして一気に日本改革に打って出るかもしれない。 そうした日本政治が新たな局面に入るとすれば、そのよきパートナーは大票田を抱える首都知事、小池百合子ではなかろうか。わが国はいつまでも政治3流国に甘んずる必要はない。しかも都市国家になり8割の住民が都市住民になっているのに、相変わらず農村過剰代表制の政治が続く。この保守性、後進性を打破する必要性を認める有権者は相当数に上る。要は誰がそれに火をつけるかだ。「小池劇場」に見えてきた陰り 自治体改革の手法に関し両氏の共通点は多い。まず問題意識が共通で、「税金の無駄遣い」を徹底的に排除しようという点にある。橋下氏の掲げる大阪大改革の論点は次のようなもの。 ――大都市大阪の経営合理化をめざす「大阪都構想」。これは大阪の地盤沈下を食い止め競争力の強い大都市をつくる、そのため大阪府と大阪市を一旦廃止し、新たに「都制」へ移行する。これまで大阪の司令塔は見えず、中心地域は大阪市政が握り、大阪府政といえども事実上同市域に手は出せなかった。同市域に府率、市立の施設が林立しサービスの重複化も目立った。それ以上に膨大な官僚機構の大阪市と大阪府という2頭立ての統治機構が並存し、府市合わせ(不幸)が相互に軋轢を生み壮大なムダを生んできた。大阪百年戦争、これに終止符を打ち、司令塔を一本化、スリム化し、大阪都を創ることで関西経済の復権を図ろう、というシナリオ。その先は道州制も視野に。 これに対し、小池氏の掲げる東京大改革の論点は次のようなもの。 ――小池都政は始まったばかりとはいえ、次々に都政刷新の観点で様々な問題を提起、都民ファーストの視点で「都政の見える化」を図ろうとしている。都政に既定路線はないと公言し、築地市場の豊洲移転を延期し、オリンピック施設の整備費見直しなどに挑戦。土壌汚染対策として豊洲に盛り土がある前提で進められてきた市場移転プロジェクト。開けてみると、説明されてこなかった地下空間の存在や盛り土をしない決定過程の隠蔽、議会にも社会にもウソの答弁(説明)を続けてきた問題が露呈。こうした「閉じた都政体質」を徹底的に批判、変えようとする小池都政。五輪施設の整備コストの増大も、IOCまで巻き込んでのコスト削減改革に踏み込んだ。こうした動きに都民の多くは拍手を送ってきた。 橋下改革も小池改革も「劇場型政治」と言われる。ただ、ここにきて小池劇場はそろそろ終焉の感が強い。ワンイッシューポリティクス(単一争点政治)に陰りが見える。問題提起はよかったが、この先、問題解決ができるのか。5800億円も投じた豊洲市場にあたかも自分の意思で何とでもできるような振る舞い、これに対しいつ移転でき、いつどの時点で事態を収束できるのか、不満は高まっている。 それまで幾らカネがかかり、利用業者と折り合えるのか。五輪のボートカヌー会場を東京から宮城長沼ボート場に移すような動きだったが、そうならない場合、後始末はどうするのか。決定過程の「見える化」を図ることは良いが、政治は結果である。特別顧問ら一部のブレーンに振り回されている感じがする。物事をじっくり練った上で決める、巨大官僚制を生かして仕事をする、議会にしっかり説明し理解をえる。ここが弱すぎ、行動が軽すぎないか―そうした批判が強い。日本初「都市型新党」誕生への期待 話題性の高い政治塾について一言。確かに橋下氏の「維新政経塾」、小池氏の「希望の塾」は世の中から塾生を募って自らの政治理念を学ばせようという点、またそれを基礎に新党立ち上げも、という点は似ている。しかし筆者がみる限り、決定的な違いもある。小池塾はどうみてもファンクラブ的色彩が強い。ふわっとした感じの塾。政治に関心のある人、政治家をめざす人、小池さんが好きな人と3グループの混成塾の感じ。ポイントとなる政治塾の哲学、何をやりたいかがもうひとつはっきりしない。 学習塾ならそれでもよいが、新党につなげるにはパワー不足。講師陣も「好みで集め」、今のところパッとしない感じ。政治志望でも必ずしも改革の志士が集まっている訳でもなさそうだ。次期都議選などを睨んだ選挙互助会と言う人もいる。国会議員や都議からの参入者も少なく、自民を脱藩した7人の侍という豊島区議が軸のようだ。2015年5月、大阪都構想をめぐる住民投票で演説する橋下徹氏=大阪市中央区(村本聡撮影) その点、橋下塾はもっと末広がりをもつ。自らの大阪都構想に賛成する改革勢力を議会内につくろうと、大阪府議会の現職自民議員を真っ2つに割って「大阪維新の会」を創設。知事自らが党首になるという前例のない手法で議会を牛耳り、選挙選を戦った。間を空けず「維新政経塾」を立ち上げ、3000人余の立候補予備軍を全国から集め、新党・日本維新の会を創設し、2012年12月の総選挙で国政にも大躍進。大阪都構想、「国のかたち」を変える統治機構大改革という国家百年の大計という理念をもつ改革の志士団。まさに両塾には、「希望」と「維新」という、表現にみるような違いがある。 とはいえ、小池塾も温かく見守る必要がある。まだ始まったばかりでヨチヨチ歩き。徐々にノーハウを蓄積し力を得てくるかもしれない。この先、小池、橋下両氏が性格的に気脈の合う2人かどうかは分からないが、もし、この2人が組んで、日本でまだ顔をみない「都市型新党」をつくる可能性があるなら期待したい。大阪、東京という日本の2つの基幹大都市が政治的に一体化し、それに名古屋の河村たかし氏らが加わっていくなら、農村過剰代表制ともいわれる古い自民党に代わって、大都市有権者の不満、不信、不安を吸収し、都市有権者に密着した都市型新党が立ちあがるかもしれない。 その新党が新たな政治勢力として国政レベルまで台頭するなら、大阪改革の実績をもつ40代の若い橋下徹氏、女性初の都知事として辣腕を振るう小池百合子氏、この両氏に日本を託す時が来るかもしれない。

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    小池政治塾に4000人 身体検査までは手が回っていない?

     小池百合子・東京都知事が〈東京大改革を目指して、都政を学ぶ〉と掲げた小池政治塾には募集開始(9月28日)から締め切り(10月20日)までのわずか20日あまりで4000人を超える希望者が殺到した。そのうち3割を女性が占めるという。4年前に旋風を起こして国会議員や地方議員を輩出した橋下徹・前大阪市長の維新政治塾の第1次募集の応募者(3326人)を大きく上回る人数だ。 参加者には受講料(一般男性5万円、女性4万円)に加えて小論文などの提出が課せられたが、締め切りから5日後には合格を通知し、ネットに「小池塾に合格しました」「小池塾で学んだことをネットで報告します」といった声があふれた。政治塾「希望の塾」の開講式を終え、笑顔で取材に応じる小池百合子東京都知事=10月30日、東京都豊島区 塾の規約には、〈本塾は、人材育成に主眼を置いた組織であり、特定選挙において「都民ファーストの会」「小池百合子」の公認・推薦・支持・支援を塾生に約する組織ではない〉と断わりがあるものの、合格者には「将来、選挙に立候補する意思があるか」「立候補したい選挙の種類」「所属したい党派」などのアンケートが行なわれており、来年7月の東京都議選をはじめ、国政や他の地方議会を含めた“候補者養成”を睨んでいることは明白だ。 政治塾を運営する政治団体「都民ファーストの会」会計責任者の音喜多駿・都議が語る。「政治家になる意思が本当にあるかというアンケートは行なっています。小池都知事にも政治信条が同じ人を集めたいという思いはあるでしょう。選挙対策講座を開く準備もしています」 日本の議員数は国会、都道府県議会、市区町村議会すべて合わせて約3万5000人。そのうち国会議員の約6割、都道府県議会の5割が自民党議員で、市区町村議会も自民党系無所属議員が多数派だ。そこにいきなり4000人超もの“対立候補予備軍”が出現したのだから、脅威に感じるのは当然だろう。政治評論家の浅川博忠氏がこの現象を分析する。「現在は国政も地方議会も議員の新陳代謝が起きにくい状況がある。国政選挙は自民党が4連勝して選挙区は現職議員で埋まっている。地方議会でも旧民主党系会派が衰退して自民党系会派と公明党で顔ぶれが固定化しているケースが多い。 知名度や組織のバックがない新人が自民党から選挙に出ようとしても、『資金はいくらあるのか』『票は何票あるか』といわれて候補者になれない。かといって落ち目の民進党から出たいという人は少ない。塾生は政治家になりたい人ばかりとは限らないが、行き場がない政治家希望者たちが小池人気を頼りに“この指止まれ”に応じたのではないか」 それにしても4000人は尋常ではない。「塾生の選考期間が短く、本人の資質など候補者としての身体検査までは手が回っていないと思われる。よくいえば玉石混淆、有り体にいってしまえば烏合の衆です。それでも自民党にすれば、“来年1月解散、2月総選挙”を視野に入れている中で、小池新党として塾生たちに出馬されると厄介。なんといっても政治塾の応募者の多くは熱心な小池支持者ですから、小池新党には4000人の選挙ボランティアがいると考えた方がいい」(浅川氏) 地方議会でも、政務調査費問題で自民党系議員らの辞職が相次いでいるだけに小池塾生を名乗れば風に乗って当選する者もかなり出てくる。まさに自民党は小池新党の“4000羽の烏”が風に乗って縦横無尽に羽ばたいて票数を荒らし回ることに怯えているのだ。関連記事■ SAPIO連載・業田良家4コマ漫画【1/2】「勝敗ライン」■ 小渕優子は非難せず 大メディアの「小沢献金」批判は支離滅裂■ 衆院落選議員 参院へ鞍替え図るのは借金苦から逃れる側面も■ 小池都知事 オヤジたち潜む伏魔殿の都議会とどう渡りあう?■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意

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    ブーム去って維新塾以外全滅 「小池塾」の期待と不安

    東京都知事が立ち上げた「希望の塾」は、塾生応募者数が4000人を超え、実際の受講者が2000人という政治塾としては巨大規模で始まった。注目度も期待度も大きい。10月30日に第一回講義、11月12日に第二回講義が開催された。なんといっても受講者が多い。相互の意見交換とはなかなかならないようで、手探りの状況が続きそうだ。8月2日、都庁へ初登庁し、就任記者会見に臨む小池百合子都知事(春名中撮影) こうした政党や政治家が主宰する政治塾はこれまでにもかなりある。特に2012年前後にいくつも開講され、ちょっとした政治塾ブームが起きた。2012年に、大阪維新の会の橋下徹氏は「維新政治塾」を立ち上げた。この「維新政治塾」も応募者数は3326人と3000人を超え、実際には888人が受講した。その後、一時中断するもののまた再開されている。初回のような応募者はないものの、200名弱の応募者があるようだ。2012年には、嘉田由紀子氏が「未来政治塾」、大村秀章氏が「東海大志塾」、河村たかし氏が「河村たかし政治塾」を始め、話題となった。ただ、維新政治塾以外は現在は継続されていない。最初は熱気があるものの継続するのは難しいことがわかる。 自民党は、1957年に始めた「中央政治大学院」を継続している。現在も続けており、政治家の候補者の発掘や育成に効果を持っている。民主党・民進党も各地で政治スクールを開講している。各地の状況に合わせての運営という感じだ。 松下政経塾は多くの政治家を誕生させているが、これはちょっと別格といえる。政治家・政党が主宰の政治塾は受講生が受講費を払いながらの運営になるが、松下政経塾は資金的な支援を塾側がしながら、長期にわたっての研修を行う。 今回の「希望の塾」の現時点での問題点は、受講生が多いこともあり、連続講演会の感じとなっていることだ。こうした政治塾では、講師を囲んでの討論や塾生同士の討論やワークショップが重要なポイントとなる。インターネットなどのメディアが発達した現在では、単なる講演会にはそれほどの価値はない。例えば、猪瀬氏の意見などのかなりの部分はテレビやインターネットで聞くことができる。無料で聞くことができる講演会もたくさんある。有料であっても政治系列の講演会に1万円の受講料があるものはほとんどない。政治パーティとのセットでもないと、そうした有料講演会はなかなか成立しない。今のマス連続講演会の形だけでは、期待も大きいだけに、失望に繋がる可能性がある。実際にそうした論調の記事も出てきている。 塾生が期待しているのは、実際の政治家や評論家、実業家などとの交流、そしてその交流を通じての生の声から学ぶことだろう。また志の高い塾生同士の交流や未来の政策づくりの機会が得られるのが大きな魅力のはずだ。政治家になるのを希望する人もかなりいるだろう。個々のケースで状況は異なる。それらを個別に相談できる人間関係も塾生が希望しているものだろう。つまり今の、マス講演方式では期待とかなりかけ離れてしまうケースが多くなる。連続講演会を聞くのが目的の人は少ないはずだ。小池知事やその関係者らと一緒に未来の希望の社会を作る集団に入りたいという思いだろう。 おそらく1人に人が個人的に対応できるとしたら50名程度だろう。多忙な小池知事一人で個人的な対応ができるわけがない。小池知事の下にスーパーバイザー制を作ってはどうか。2000名なら40人のスーパーバイザーが必要だが、そのスーパーバイザーがより個人的、人間的な指導をしていくのだ。講義の後に交流会をしたい人もいるだろうが、2000人ではほぼ無理だ。50名程度のグループでの活動なら可能だろう。学ぶべきなのは政治家になるための知識だけではない。政治家を目指す志を一緒に育てることが重要なはずだ。講義と小人数での活動を組み合わせることで、大きな効果が期待できる。 「希望の塾」はまだ始まったばかりで手探りの状態だろう。連続講演会を超えて、情熱を育む塾になってほしい。改善を積み重ねながら、希望に繋がる塾となることを期待したい。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年11月18日分を転載)

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    拙速で無理な懲戒処分に表れた「小池劇場」の行き詰まり

    郷原信郎(弁護士、関西大学社会安全学部客員教授) 小池百合子東京都知事が、11月25日の定例会見で、都幹部18人の減給の懲戒処分と、退職者に対しては給与自主返納の要請を行うことを発表した。 11月23日にアップしたブログ記事【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】でも指摘したように、今回の処分の根拠とされた「第二次自己検証報告書」は、凡そ調査報告書の体をなさない杜撰な内容であるだけでなく、技術会議報告書の結論を、「敷地全体に盛り土をするのが都の整備方針とされた」という方向に歪曲している疑いもある。同報告書は、懲戒処分の根拠となるものとは到底言えない。定例会見に臨む小池百合子知事=11月4日、都庁 毎日新聞の記事【盛り土問題 世論意識、処分急ぐ 都知事、責任解明できず】でも適切に指摘されているように、今回の懲戒処分は、小池氏が拙速にこの問題の「幕引き」を図ったものと評さざるを得ない。 今回の懲戒処分には多くの無理がある。「小池劇場」を演じることで、世論の大きな支持を得てきた小池氏だが、ここに来て、状況が徐々に変わりつつあることに気付いていないようだ。 私の【前回ブログ記事】は、同氏が世の中から圧倒的な支持を受けている中、多くの反対意見を覚悟の上で、豊洲市場問題への小池氏の対応を批判したものだったが、BLOGOSに転載された同記事は大きな支持を得、ブログのコメントやツイッターでの反応も多くが好意的だった。豊洲市場問題を、冷静に客観的に受け止め、小池氏の対応に疑問を持つ読者が増えていることが窺われた。 ツイッターで、「豊洲市場」を検索してみると、今回の小池知事の都幹部懲戒処分の発表に関して、批判的ツイートが多く並ぶ。「小池劇場」の観衆の雰囲気は、確実に変わりつつあるようだ。 そんな中、小池氏は、25日の記者会見での、都幹部懲戒処分に関する質問に対しても、明らかに不合理な回答でごまかしている。ラストシーンで主演監督自身が舞台に 前出の毎日新聞記事を書いたと思える記者からの質問で、「通常の懲戒処分は大体6ヶ月以上かかると言われる中で、処分の時期が早いのではないか」と質問され、小池氏は、 法曹界の方々を含めたご意見を聞き、今回の結論に至ったわけでございまして、決して、早すぎるから、という話ではないと思います。むしろ、市場関係者の方々からすれば、早すぎるということは全くないんじゃないだろうかと、全てが遅すぎると思われていると思います。と答えている。 「市場関係者からすると全てが遅すぎる」というが、市場関係者の多くは、小池知事が移転延期を発表して以降、混乱が続き、未だに先が見通せない豊洲への市場移転問題の早期決着を求めているのであり、都の幹部の懲戒処分が早いか遅いかなどには、誰も大きな関心を持ってはいない。 また、「法曹界の方々」からも意見を聞いたというのであるが、それは一体誰なのだろうか。処分の妥当性について弁護士見解を得ているというのであれば、その弁護士名を明らかにし、責任の所在を明確にすべきであろう。 そもそも懲戒処分の根拠とされている「事実」自体に問題があるという点を別にしても、懲戒処分の妥当性という面から考えると、今回の「5分の1減給6か月」というのは、明らかに重すぎる。刑事事件の量刑で言えば、「法定速度を20㎞オーバーしたスピード違反」を、法定刑の上限である「懲役6月」に処するようなものだ。まともな弁護士であれば、「適切な処分だ」とは言わないであろう。 今回、小池氏は、都幹部への処分と併せて、「就任前の事案ではあるが、自らけじめをつけるという意味で、知事給与の5分の1を自主返上する」として給与自主返上の方針を明らかにしている。それは、おそらく、知事給与を半額に削減する条例案の提出で、都議の給与が知事を大幅に上回り、都民から都議の給与引き下げを求める声が出る状況を作って都議会議員をゆさぶったのと同様の発想で、本来は責任のない現知事として給与自主返納を打ち出すことで、本来責任を問われるべき当時の知事の石原慎太郎氏にプレッシャーをかけることを意図したものかもしれない。 しかし、そもそも、都幹部に対する懲戒処分の前提事実自体に根本的な疑問があるのであり、それに関連して、都知事給与の自主返上を打ち出すことが、石原前知事に対してどれだけの効果があるのか疑問だ。 「小池劇場」の第1幕「豊洲市場・盛り土」を早期に幕引きして、第2幕への観衆の期待を高めようとしたのだろうが、ラストシーンで主演監督自身が唐突に舞台に登場せざるを得なかったところに、このストーリーの苦しさが透けて見える。 「小池劇場」も、行き詰りつつあるように感じざるを得ない。(ブログ「郷原信郎が斬る」より2016年11月26日分より転載)

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    小池都政 五輪会場振り出しで民主党と同じ道辿るとの見方も

     小池百合子・東京都知事の進撃は続く。9月に募集を開始し、10月に締め切った「小池政治塾」には4000人を超える希望者が殺到した。これは、4年前に旋風を起こして国会議員や地方議員を輩出した橋下徹・前大阪市長の「維新政治塾」の第1次募集の応募者(3326人)を大きく上回る人数である。自民党は小池新党が票数を荒らし回ることに怯えている。4者協議会議を終えた小池百合子都知事(中央)と森喜朗東京2020組織委員会長=11月29日、東京都港区 安倍政権の(2017年1月の)解散戦略上、小池氏の「劇場政治」をいかに早く終わらせるかが最重要課題になる。たとえ小池新党が結成されても、追い風が止まれば国民の支持は集まらず、自民党議員たちには4000人の候補者予備軍は恐くない。 折しも、ここにきて小池劇場が行き詰まりを見せている。築地市場の豊洲移転問題では、小池氏は移転追及姿勢を転換。英国エコノミスト誌の経済イベント(10月21日)では、「築地以上に豊洲が安全だと確認しなければならない。世界標準に合わせて閉鎖施設で温度管理されたものにする」と豊洲移転での最終決着を示唆する発言をした。 東京五輪の会場見直し問題も大幅に軌道修正。ボート・カヌー競技の会場を東京臨海部に整備する「海の森」から宮城県「長沼ボート場」に変更することを検討し、現地視察まで行なったが、その後の会見で「『東京都はこれで』といった後に調整がつかないようではまた振り出しに戻ってしまう」と宮城案を後退させた。 官邸には、こうした方針転換が小池都政をイメージダウンさせる格好のチャンスと映っている。「都民にすれば“あれだけ騒いだのに、なーんだ、振り出しに戻るのか”という印象だ。民主党が子ども手当や沖縄米軍基地の県外移設を掲げて政権を取った後、実現できずに支持率が急落したのと同じ道を辿っている」(官邸筋) 来年3月までの半年間のカリキュラムが組まれている小池政治塾の前半の学習テーマは、築地移転、五輪見直しなどの都政改革だ。その都政改革の追及で、官邸の意をくんだ都議会が一斉に反撃に出る構えだ。自民党と共産党はそろって小池氏の最大のブレーンで「都政改革本部」特別顧問の上山信一・慶応大教授を追及の標的に定めつつある。都政記者が語る。「上山顧問には2つの大きな失策がある。五輪調査チームのリーダーである上山氏は村井嘉浩・宮城県知事と同郷で、ボート競技会場を宮城に持っていこうと小池・村井会談を根回しした。自民党も共産党もそのやり方を“まさにブラックボックス”と批判している。 もう一つは上山氏の五輪調査チームがIOCのバッハ会長に提出した資料に、仮設施設の整備費1500億円を都が負担すると書かれていた問題。そんな支出を議会は承認していない。上山氏の独走とみた都議会が参考人招致を要求し、不十分なら百条委員会にかけて辞任に追い込むシナリオもありうる」 都政改革批判を高めてイメージダウンさせ、塾生の熱をいっぺんに冷ましてしまおうという作戦である。関連記事■ 小池都知事 五輪会場見直しの切り札は森喜朗氏への辞任勧告■ 森喜朗氏 4年後の都知事選で「小池vs丸川」狙いか■ 築地市場移転「都民の声高まれば白紙撤回もある」との意見■ 小池都知事 オヤジたち潜む伏魔殿の都議会とどう渡りあう?■ 新都知事候補 最有力・小池百合子氏を直撃

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    「トランプ現象」先取りした橋下氏 日本で起こるのはいつなのか

    『トランプ現象』は、いずれ日本でも起きる」との記事が掲載されている。「格差社会の広がりが、最終的には政治分野にも「『エスタブリッシュメントによる大統領の独占』に対する危機感」同様のことをもたらす、のではないか、という内容だ。 立場的に言えば、それを期待したいと思いながらも、残念ながら、ワタクシはそうは思わない。「トランプ現象」は日本ではしばらく起こらない。「百合子現象」は起きても(笑) 以降、縷々、その論拠を示して行きたい。基本的にはこの6つだ。① 国のトップの選ばれ方の違い 大統領制と議院内閣制  ② 地方政治では既に「プチトランプ現象」は起きている③ 「毒」は「毒」を持って制する 「家柄」への奇妙な信頼感と「戸籍」④ 今や美味しくない「政治の仕事」⑤ 橋下徹氏が闘う、『』つきの『既得権益』⑥ あるとすると自民党が相当に傷んだとき① 国のトップの選ばれ方の違い 大統領制と議院内閣制 日本の総理大臣は、国民の直接投票では選ばれない。もちろん、選挙で第一党となった政党のトップが首班指名を受け総理大臣になるのだが、選挙時はそうであっても、政治的転換が必要となった時には「解散」ではなく「内閣総辞職」で総理大臣が生まれる。 日本としては珍しく、久しぶりの政治的エリート家庭以外に育った菅直人総理、野田佳彦総理は選挙で選ばれた総理大臣ではない。あくまで民主党内の選挙に勝っただけで、民意を十分に反映したかどうかはわからない総理である。 旧くは田中角栄総理もそうである。4年に一度、大統領を選ぶ代議員を選出すると言う形で国民が選挙権の行使をしながら、トップが誕生するアメリカとはかなり形が違う。② 地方政治では既に「プチトランプ現象」は起きている 一方で「首長」選挙は、ダイレクトに代表を選ぶ選挙だ。代議員ですらない。任期が決まってるのも大統領制と同様だ。となると「百合子現象」は起きる。国政では保守的な選択をする人も、首長選挙では別の候補に入れる、というある種バランスを取ったことが可能である。 ワタクシが育った40年前の宮城県・仙台市では、知事はド・保守、市長は社会党・革新という絶妙な選択によって、市民にとっては居心地の良い高福祉が実現していたと思う(しかし、その後の選手交代により汚職等が起こったことは、検証・研究の余地があると思っている)。「百合子現象」を見るまでもなく、実は、地方では「プチトランプ現象」は起こっているのだ。橋下徹氏の大阪府・大阪市はもちろん、あちこちで、地元の名家出身が長いこと占めて来た政治に対するアンチテーゼは起っている(もちろん、一方では固定化されたところもあるが)。 国政選挙とのバランスの中で、ちょっとした「ガス抜き」は地方政治でできるのである。③ 「毒」は「毒」を持って制する 「家柄」への奇妙な信頼感と「戸籍」 格差社会が進む以前から、ある特定の「政治一家」が権力を握り続けることに不満がなかったわけでなない。しかし、その際、それまでの権力に対して抵抗勢力として期待を担うのは、これまた「名家」出身の人だったりする(笑)細川氏しかり、鳩山氏しかり。まさに「毒」は「毒」を持って制す、である。 今回の福岡6区の補選を見ても、「知らない人より、知ってる(と思っている)人」のほうが安心感があるのだろう。まあ、名家出身の方が「悪いことをしたとしてもその程度がわかっているから」という安心感が逆にあるような気もする。 名家への信頼は別に日本に限ったことでなく、ヨーロッパ等でも、かならず「ハンガリー・オーストラリア帝国の末裔」とかが出てくる(笑)その理由は古き良き時代への回顧、つまりは「夢よ再び」プラス上記のことに帰着するような気がする。 「『アンクル・トムの小屋』とトランプ大統領のアメリカ」でも書いたが、その背景には差別と偏見が未だ解消されていない、むしろ深層では固定化されて現実がある。「白人」「男性」等いう「生まれながらの優越性」が具現化されず、不満を持っている層も含めて、いずれにせよその所在が誰にでも「分かりやすい」のである。 ところが日本の場合、その可視化は難しい。今回のことで、さまざまに文献を読んでいる中で気がついたのは、日本の場合は「だからこそ戸籍が必要」だ(った)、ということである。 逆に言えば、田中角栄ではないが「今太閤」的な新たな価値付けができればだが、その「今太閤」でも目指すは既存のエスタブリッシュメント。親が築いた人脈や地盤で子孫の生活を保障しようとすれば、一瞬の反撃はできたとしても、結局は同じ穴のムジナになる。この辺についてはまた別のところで論じたい。④ 今や美味しくない「政治の仕事」 日本の政治が抱える問題点のひとつとして、よっぽどモノ好きでなければ政治の世界で長く行き続けることが難しいということだ。 特に最近では、過去には情報を握ることによってコントロールできていたであろう利権構造もなくなり、仕事をすればするほど資産は減る、ということになりかねない。選挙も大変だ。政党から振り込まれる交付金だけでは到底賄えない。つまりは余裕のある人しか、自腹の切れる人しか、政治家として活動をし続けることはできない。小選挙区になって、当落が簡単にひっくり返るリスクが高まれば尚更、である。 また政治の世界で物ごとを計るスケール=価値観は、一般社会とはかなり違う。そうしたことを受け入れられ、持ち続けるには、家族も含めて、ある種の慣れが必要となる。 小選挙区制の導入や、公募等も含めた政治文化の変化は若い世代は非・二世議員の新規参入を可能にしたものの、逆の結果をもたらすものとなる可能性を持つというは皮肉である。⑤ 橋下徹氏に見る「既得権益」のターゲットゾーン 地方政治において、橋下徹氏の登場はある意味「トランプ現象」を先取りしたものだったかもしれない。多くのに人々が橋下氏に夢中になったのは、彼が今まで「タブー」とされたものと対峙したからである。が、闘ったのは時の「権力」ではなかった。「公務員組合」や「弱者」の、『』つきの「既得権益」だったのである。橋下徹氏(左)と米国の次期大統領、ドナルド・トランプ氏 ここもまた書くと長くなるので、ひとつだけあげるとすると、橋下氏の登場で公務員系「組合」の選挙に対する取り組みの度合いが格段に落ちたということを指摘しておきたい。それまでは選挙となれば組合の選対が独自に立ち上がり、人とモノの集中投下を行ない、ガッチリとサポートして行く、というのがある意味当たり前だった。 が、「橋下以後」は風景が変わった。まさに、ロックオン、である。「トランプ大統領のアメリカ」が政治的エスタブリッシュに対しての対抗と同時に不法移民等に対して厳しい態度を示していることと対称して見れば、その差はさらに際立つ。 『』つきの既得権益の打破だから、最終的にはエスタブリッシュの否定には行き着かない。むしろ、違う形で「エスタブリッシュ」に組み込まれて行く可能性がある。⑥あるとすれば自民党が相当傷んだとき ここが一番重要だが(笑)トランプのような候補が登場しても、今現在であれば、野党側にはそれを支える政党はない。小泉純一郎総理が誕生した時のように、自民党が相当に痛み、うちなる改革として、という形しかないように思う。それでも田中眞紀子がそれを支えたことを見ても、エスタブリッシュメントへの憧憬は残るのだが。 こうしてみると、記事の著者が指摘するような、日本が政治の世界においてはアメリカの「周回遅れ」でアメリカ政治を踏襲して行くという形態は取っていないことが分かる。むしろ、4年に一度のルーティンでの変化よりも、国政や地方ではこきざみな「プチトランプ現象」を続けながら、前進したり、後退したりを続けている。 だからこそ、政権交代を経たとしても、大きな方向転換にはいたらなかったかもしれない。実は、それこそが日本政治の独自性、強みでもあり弱みでもあるのである。(ブログ「井戸まさえ日誌」より2016年11月15日分を転載)