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    消極的支持で最強になった安倍独裁政権のおかしな「原動力」

    岩田温(政治学者) 安倍内閣の独走状態が続いている。当分、「一強多弱」という状態が続くだろう。だが、まことに興味深いのは、国民の多くが安倍内閣を積極的に支持しているわけではない点だ。すなわち、何かを成し遂げてくれるという期待感から安倍内閣を支持するのではなく、他の野党では政権を担えないだろうという絶望感から、国民は消極的に安倍内閣を支持しているのである。 私の友人に労働組合に所属している会社員がいる。過去、選挙で自民党の候補者に殆ど投票したことがない。だが、現在の段階で解散総選挙になれば、自民党に投票しようと思っているという。理由を尋ねると「野党では頼りないから」との一言であった。何か積極的に支持する魅力があるわけではないが、他の選択肢が余りにも酷いので、支持せざるを得ない。それが安倍内閣を支持する人々の本音なのかもしれない。皮肉な話だが、民進党の迷走こそが、安倍内閣の基盤となっているということだ。衆院予算委員会で、民進党の辻元清美氏(左)の質問に答弁する安倍晋三首相。右奥は稲田朋美防衛相=2月14日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 確かに民進党の迷走は目に余るものがある。「我々の立場は背水の陣ではない。もう水中に沈んでいる」と当の民進党の野田佳彦幹事長が述べている通り、民進党はもはや瀕死の状態にあるといっても過言ではあるまい。民進党の決定的な誤りは、安倍内閣の進めようとした平和安全法制に無理矢理な理由で反対したことだった。自衛隊を違憲だと考えるような過激な法学者や共産党と連携して、平和・安全法制が「立憲主義」を破壊する暴挙だと非難したことが間違っていたのである。 「合憲」か「違憲」かという「白」か「黒」かと突きつけるような議論をしてしまったら、議論によって妥協点を模索することは不可能になる。政権を担うことが不可能な共産党の国会議員が何を騒ごうとも、不可解な騒音だと聞き流しておけばよい話だが、政権与党を目指す野党第一党が、こうした原理主義的な反対運動を展開したのが間違いだった。 例えば、枝野幸男氏は、集団的自衛権に関して、今、読み返してみれば恥ずかしくなるような発言をしていた。「世界の警察をやるような軍隊をつくるには、志願制では困難というのが世界の常識だ。従って集団的自衛権を積極行使するようになれば、必然的に徴兵制にいかざるを得ないと思う。」(2014年05月18日『朝日新聞』より) 平和安全法制は施行されたが、当然のことながら、日本で徴兵制など導入されていないし、徴兵制を導入すべきだという声すら聞かない。余りに極端な発言で、国民の恐怖心を煽り立てるような発言だったと言わざるをえないだろう。 混迷を極める民進党は、帆を失った難破船のように、一体どこに向おうとしているのか、全く見えてこない。民進党の混乱を象徴しているのが、共産党とをも含む野党共闘に対する姿勢だろう。 一体、どのような形で連携しようとしているのか、さっぱり理解できないのだ。民進党の立場は意味不明 共産党の立場は明確だ。本年1月18日に開催された第27回大会決議では、次のように明確な目標を掲げている。「私たちは、いま、野党と市民の共闘によって、日本の政治を変えるという、かつて体験したことのない未踏の領域に足を踏み入れつつある。95年のたたかいを経てつかんだ成果、切り開いた到達点に立って、開始された新しい統一戦線を発展させ、安倍政権を倒し、野党連合政権に挑戦しよう」 昨年の参議院選挙で開始された「野党共闘」を「新しい統一戦線」と呼び、安倍内閣を打倒し、野党連合政権を樹立しようというのだ。実に分りやすい、明確な目標だといってよい。  一方で、民進党の立場は、まるで意味不明である。 共産党が結党後、初めて他党の幹部を招待し、民進党の安住淳代表代行が出席した。さらに、小池晃書記局長が「団結して頑張ろう」と叫ぶと、志位和夫委員長と民進の安住淳代表代行、自由の小沢一郎代表、社民の吉田忠智党首が手をつないで応えたという。 こうした話を聞けば、誰もが民進党は共産党と一丸となって野党連合政権に挑戦しているように思うであろう。だが、民進党の蓮舫代表は1月15日の記者会見で次のように発言している。 「安倍政権を倒すことに、まずいちばんに力を注ぐ。そのために野党4党で、国会の内外でできるかぎりの協力をこれまで以上に進めていく時だ。ただ、そこから先の話は、残念ながら共産党と私たちとは考え方が違う」 共産党とは安倍政権を倒すために共闘するが、考え方が違うので「野党連合政権」構想には反対するという。野党共闘で統一候補を擁立しながら、考え方が違うとはどういうことなのだろうか。安倍政権打倒後、何を為すべきか、考え方、方向性がバラバラに分裂した状態にある諸政党が、憎悪の念のみだけで結集し、倒閣すればよいということなのだ。倒閣後はまるで見えない。どうなるかわからないが、この内閣は気に入らないから打倒してしまえというのだから、余りに無責任な態度といわざるを得ないだろう。 そもそも、共産党と野党共闘を模索すること自体が根本的な過ちであることを民進党の議員たちは悟るべきであろう。政策、世界観が根底から異なる人々との共闘などありえないはずなのだ。 安全保障政策に関して共産党は、党の綱領で次のように述べている。「日米安保条約を、条約第十条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ」。「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」 日米安保条約を廃棄し、自衛隊の解消を目指す政党、それが共産党なのだ。そうした共産党とともに安倍政権を打倒しようというが、そもそも、無理な話なのだ。確かに、共産党は、自分たちの過激な思想、政策を全面的には押し出さないと表明している。第27回大会決議でも、共産党は次のように指摘している。「共闘の一致点を何よりも大切に考え、野党と市民の共闘に、日米安保条約や自衛隊についての独自の立場を持ち込まないという態度を、最初からとっている」 しかし、共闘のための共闘が、仮に成功した場合、どうなるのだろうか。要するに、彼らの望みどおり、自公連立政権が打倒された後には、どのような政権が出来上がるのだろうか。 民進党は共産党との野党連立政権はありえないと言うが、共産党はこれを目指すという。 一体どのような政権が出来るのか不安でならないというのが、良識ある国民の立場であろう。自ら打倒した自民党と連立政権を目指すことはありえないであろうから、野党の連立による政権が誕生すると考えた方が合理的だ。日米安保条約を廃棄し、自衛隊の解消を目指す共産党が与党になる可能性を排除できないと思うのが自然である。 また、さらに重要なのは、共産党と民進党とでは根本的に世界観が異なっているということだ。共産党という政党は極めて特異な世界観を有する政党であるという事実を我々は忘れてはならない。この極めて特異な世界観を有する人々と共闘しようとすることには、無理がある。民進党がなすべきは共産党との選挙協力ではない 共産党の志位氏は「共産党」の名称を変更しないのか、という問いに対して、次のように答えている。「名前について言いますと、私たちは共産党ですから、人類の社会は資本主義で終わりだとは思っていません。」(2014年12月8日 日本外国特派員協会における発言)共産党の第27回党大会で講演する志位和夫委員長=1月15日午後、静岡県熱海市の共産党伊豆学習会館 資本主義社会が終焉を迎え、共産主義社会が実現するというイデオロギーに執着する人々の集う政党が共産党なのである。世界観が根本的に異なる政党との連立など不可能だと考えるのが常識というものだ。 この点、民進党の最大の支持母体ともいうべき連合の神津里季生会長は、極めて常識的な指摘をしている。「そもそも両党は目指す国家像が全く違う。いわば全然違う「道」を走る存在です。今は近くに寄っているように見せているかもしれないが、「じゃあ同じ道路を一緒に走ろう」とはなりません。」(2016.12.23『産経新聞』)  「他の野党と一緒に政権を目指すなら、共産党は党名と綱領を変えなければおかしい。でも彼らは絶対変えません。」(同上) 「自分たちは「前衛」であり労働者階級を指導する立場というのが、共産党の基本的な考え方ですからね。」(同上) 神津里季生会長の発言は、良識的なリベラルの立場からなされたもので、極めて正鵠を射た指摘である。 世界観が根底から異なる共産党と連携することは不可能だ。仮に、共産党との連携が可能になる場合を考えてみれば、共産党が「共産主義」社会を目指すという「共産党」という名称を変更し、綱領そのものを根底から変更しなければならない。そうした変更をしようとしない以上、共産党は、「共産主義」社会の実現を目指す、極めて特殊なイデオロギーを信奉する集団と呼ばざるをえない。 民進党が為すべきなのは、共に政権を担うことが出来ないほど思想的距離のある共産党との選挙協力ではない。自分たちが、共産党とも、自民党ともことなる良識ある、現実的なリベラル勢力であることを証明してみせるべきなのだ。 より急進的に左傾化した民進党は、共産党との選挙協力によって、若干の議席数を伸ばすことが可能になるだろう。だが、それは民進党が政権を担う政党ではありえないことを示すことに他ならないのだ。民進党の迷走が続く限り、「一強多弱」の政治状況は変わらないだろう。

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    私が安倍政治を「スーパー独裁政治」と呼ぶ理由

    06年9月から07年9月まで。第二次安倍政権は12年12月から今日に至る。この間、安倍首相は一切独裁政治はしていない。非合法な政治もしておらず、安倍政治にはなんら責め立てられる所はない。議会制民主主義の政治をまっとうしたと言ってもいい。 安倍首相は独裁政治をしていないと私は断言したわけだが、論を進めるにあたって独裁政治という言葉について、一応概念規定をしておきたい。衆院本会議での所信表明演説で、熱弁をふるう安倍晋三首相=2016年9月26日、国会 現代的な意味での独裁政治は、特定の個人ないし集団が権力を掌握し、専断的な支配を行う政治であり、被治者である大衆への支持調達、大衆の政治過程への参加が見られる点で、それらを欠く専制政治と区別される。一般には軍部の独裁や発展途上国に見られる開発独裁などは民主主義とは相容れないと考えられるが、内乱や戦争などの緊急事態において権力者の専断的政治的支配をあらかじめ憲法に規定している場合(立憲独裁)は、民主主義体制の防衛に貢献する。(弘文堂「政治学事典」より)とある。この定義に則って安倍政治をみたとしても、安倍政権は独裁政権ではない。 この定義の完成度が少し不十分な気がするので独裁政治の定義を私なりにし直してみたい。 独裁政治とは、特定の個人や集団の確固たる意志、思い込み、執念あるいは恣意としかいえないようなものもふくめて、政治的な意思に対する反対のあるなしに拘わらず、あるいは正・誤、要・不要、適法か・否かも含めて一切糾されることなく、あるいは糾弾されるというプロセスはあっても結果にはなんら影響がなく、政治の全面に貫徹される政治と、はなはだ独善的ではあるが、私は定義づけてみたのだが、このように定義を変えても、安倍政権は独裁政権であるとは言えないであろう。 しかし少なくとも日本の今の政治は、安倍首相でなければ思いつかなかったであろう政策的なアイディア、言い換えると安倍首相の恣意とも思い付きとも、執念ともいえるのだが、集団的自衛権の行使に関する問題で、安倍首相以外の総裁に率いられていた自由民主党は日本国憲法第9条の下、違憲としてきた自衛隊の集団的自衛権行使を、正反対に合憲と、憲法の解釈を独自にし、その実現のための安全保障関連法案をことごとく成立させたのだ。 それだけでなく、安倍首相の日本政治に対する固有の意思、思い、こだわりはすべて実現され、後は共謀罪の新設と日本国憲法改正を残すだけという状態になってしまった。しかもまもなく共謀罪は名称を変え実現され、更に日本国憲法も改正される可能性がいよいよ高まってきている。 してみると、日本の政治が独裁体制か否かを問う前に、日本の民主主義政治の実情と言うものは、内閣総理大臣の思うことが何であっても、例えばそれが明らかに日本国憲法の根本的理念とも言うべき重要な条文に違反すると、迷うことなく大多数の憲法の専門家に判断されるようなことでも、安倍首相の合憲であると言う法的根拠の無いむちゃくちゃな解釈変更による発起で、政治的には実現しうる政治であるということを、安倍首相が身を持って私たちに証明してくれたとも言える。 だから、政治的なアウトプットとそれが排出される過程を見る限りにおいては、安倍政治は、民主主義を標榜しつつ行政はもとより立法に関してすら思い願うことは実現できるという事とその過程を見れば、結果として、すべてのことが他の一切の手続きを経ず単独で専断できる独裁政治となんら変らないということにはなる。 改めて独裁政治というものを漠としてとらえるなら、それはかっての絶対王政における王の政治であり、日本で言えば、もしかしたら織田信長や徳川家康がそうであり、戦前の一時期天皇絶対の日本の政治がそうであり、目を外に向ければナチ政権下のヒトラー、スターリン下のソ連、文化大革命下の中国、ポル・ポト下のカンボジア、現代で言えば、金正恩の北朝鮮、そしてもしかしたらトランプ大統領下のアメリカの政治が急激に独裁国家に変身しようとしているのかもしれない。言い換えると絶対者と定められた者の行動判断には反対する者の力が作用しないか作用しても無力化される機能がそなわっている政治が独裁政治と言うことになる。 むしろ暴力と血まみれで人民支配を全うする通常の独裁政治を超えて、安倍政治は暴力を使わず、民主主義を標榜し、自由選挙では圧倒的に支持を受けながら、政治権力を掌握した者は憲法すら超越できる政治、しかもそれを既存の法体系の中で合法かつ合憲と言い募ることが許される政治、違法というがん細胞が法体系という生体の中で、法体系が有する違法を排除するはずの免疫能力を無効化させてしまう能力すら持ち合わせている安倍政治は、新独裁政治、あるいはスーパー独裁政治と言い換える必要性が生じているのかもしれない。(以降安倍政治をスーパー独裁政治と言う)良い独裁と悪しき独裁 良い独裁と悪しき独裁  独裁政治の定義はさておいて、安倍首相の個人的な奔放な考え(恣意)がことごとく日本の政治的現実になり、その現実が、論理的には矛盾するが、仮に日本が戦後掲げてきた政治、平和主義と民主主義と基本的人権の擁護と発展にとって、このましい結果をもたらすならば、ことさら政治の一決定方式でしかない民主主義政治という制度にこだわらなければ安倍政治をして独裁と決め付け、危惧の念を抱き、非難することも怖れることはないはずだ。 ただそれにしても一人の人間の恣意による政治が仮に良い結果をもたらしたとしても、それが正しく良い結果を何時までも続けるのかどうか。あるいは良かれと思った結果の恩恵に浴する人々が変化したりする可能性はないのか、と言えば、そんなことはない。                           その良き独裁政治に限らず政治的な成果と現実を一定化させたり永続させることを担保しうる補助的な政治制度を、私たちはうみだしてはいない。政治を取り巻く諸々の環境を制御することなどできないのであり、永続する変動の特異地点で、繁栄や安定が永続するように見えるときがあると考えたほうがいいのだ。だから政治家として問われる能力と言えば安定を持続させる能力ではなくて、変化にいかに対応できる能力があるかが問われるのであって、その能力はとりわけ政治的権力を掌握した者に要求される能力ということになるかもしれない。よい独裁政治がありえたとしても良い独裁政治には、それが悪い独裁に激変するリスクは絶えず存在し続けることになる。 そうではなく、憲法違反の政治を憲法違反ではないと言い続けられるスーパー独裁政治の安倍政権が戦後の70年の自由民主党が掲げてきた民主主義、平和主義、基本的人権の確立、擁護、発展に齟齬をきたす、マイナスになる独裁政治になるならば、安倍政治を注意深く監視し、その勢いを怖れずに、安倍政治NOを言わなければならないし、その政権の存続を許さないように勤めなければならないだろう。安倍総理の後の新安倍総理 日本の政治は日本国憲法による統制下にあり、憲法に違反する政治は存在し得ないことになっている。だから安倍政権が存在しているということは、彼がなしてきたことはことごとく日本国憲法に違反せず、もちろん非合法政権でもないということになるはずだが、もう一つの現実は、集団的自衛権の行使は違憲だという現実があることだ。 この2つの事実から、あまりにも容易に推定しうることは、政治的現実の中には憲法制定時には想定し得ない緊急事態が発生することはあるわけで、その事態の対応することが憲法に反することもありうる。だからそのような場合には、あえて政治家の責任において一時的に違憲状態という現実が発生する。しかし違憲状態は過渡的なものでなければならないので、その緊急事態が長引くようであれば憲法の改正をして違憲状態を速やかに解消しなければならない。このようにして法体系は厳守されるのだ。ところが集団的自衛権の行使のように違憲であるにもかかわらず立法者や行政者が違憲でないと主張して違憲状態が発生してしまうと、当事者からは憲法違反の解消と言う意欲は生じなくなり、最高裁判所での違憲訴訟による判断を仰がなければならなくなる。ところが最高裁判所は違憲かそうでないかの判断はしないと言う更なる状況が日本で生じてしまっていることになる。 日本の政治は安倍政権の独裁政治に対して抵抗力、抑止力を排除する力を有していないか、その独裁政治を跋扈させる機能、メカニズム、生理が内蔵されているのだ。 だから、日本の政治の生理を見極めて対策を講じなければ、安倍独裁政治は突発的な現象ではなく、安倍首相の実例が日本の政治に影響を与え続けて、今後益々容易に憲法改正などせず憲法違反の政治即ち独善的な政治が展開する新安倍とも言うべき政治家が出現することになるだろう。スーパー独裁政治を生む政治土壌スーパー独裁政治を生む政治土壌 集団的自衛権の行使は違憲だから止めろ、と叫んだものが何時間後に死体となって道路に倒れていたり、安倍政権打倒を叫んでいる私のような人間がいつの間にか消えてしまうようなことがあれば、人々はおびえて黙る様になり、安倍政権に楯突く者はいなくなり、独裁政治は完成していく。             確かに安倍首相は今のところそのように暴力を用いて政治を思うままにしていない。いずれ共謀罪などを成立させ、冗談にも「安倍政権打倒」などといえなくなるだろうが、とにかくいままでは暴力など用いずとも、憲法違反の政治を堂々とやってこれたのだ。衆院予算委員会で、平成28年度第3次補正予算案について、小野寺五典元防衛相の質問に答える安倍晋三首相=1月26日、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 私はスーパー独裁政治は、無菌の寒天にばい菌やカビが育つように、日本国憲法という寒天がスーパー独裁政治を育ててきたと思っている。あるいは「戦後レジームからの脱却」と安倍首相が叫んだその戦後レジームという日本の政治体制そのものがスーパー独裁政治を発芽させ育成する為の土壌となり、肥料を施してきたと考えるのだ。 高邁な精神を謳った日本国憲法が護ろうとした平和主義と、民主主義、基本的人権の尊重と言う熱い生命力とその免疫機構を安倍普三というがん細胞はどうして無力化できたのか、日本国憲法の条文に照らし合わせて考えてみたい。集団的自衛権の行使は違憲なのに何故抑止できないのか 日本国憲法第98条は「この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関する、その他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」とある。 だとすれば、集団的自衛権の行使が違憲か違憲ではないかを正式に確定させ、集団的自衛権の廃止がなされなければならないのだ。そこで日本国憲法第81条の「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」とある。 だから、野党の集団的自衛権の行使に反対する国会議員(だけではないはずだが)が集団的自衛権の行使は違憲だから法案の廃止を求める違憲訴訟をしなければならないのだ。この2つが正しく機能すれば集団的自衛権の行使などできるわけがないはずだ。 しかし、それが簡単ではない。最高裁判所は自ら98条に違反して(解釈して)高度に政治的な問題については司法ではなく国民が選挙で決めるべきだと言う統治行為論を持ち出して集団的自衛権行使が違憲か合憲かの判断をしないのだ。だからこの問題に決着をつけるには、安倍政権を倒すことでしか解決できないのだ。更に問題なのは第79条で「その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する」とあって、最高裁判所が違憲判断を下すにしても、裁判官たちは内閣から任命される以上、内閣の意に反する判決は下しにくいと思われる。 また法に強制力がなければ法としての機能を十分に発揮できない、とドイツの法哲学者が言っているが、憲法には憲法違反については何も記していない。だから安倍政権が憲法違反に問われたとしてもその罪はどのようにして償いさせればいいのか決定できないはずだ。日本国憲法は憲法違反に対しては防御力が致命的に弱いのだ。なぜ安保法案が成立するのか なぜ安保法案が成立するのか 日本国憲法第67条は「内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」とある。議院内閣制の採用であるが、この条文だけでは国会議員と内閣総理大臣との力関係は等しいように見える。しかしその実態は圧倒的に内閣総理大臣の力は強くなっている。 その理由であるが、国会議員が最も関心を示し、欲するものを国会議員に与える事について内閣総理大臣は決定的な影響力をもっている。地位と名誉を満足させる閣僚を始め様々な役職を付与し起用する権限、政党交付金が設けられたことによる巨大な政治資金等の配分決定、あるいは小選挙区制の採用や選挙のときの立候補者に対する公認の諾否など、国会議員の政治生命の盛衰に直結する権限などを政党のトップが握ることになり支配力が高まった。だから内閣総理大臣の言うこと、指示に対して、それが如何に総理の恣意であったり憲法違反の案件であっても、自分の政治信条に反することであっても嫌とは言いにくい関係が成立している。 政党に関する運営規定が透明化されず代表者の力が肥大化してしまうのだから政党運営に関する事項については憲法に政党に関する規定を盛り込まなければならないはず。でなければ、憲法に内閣総理大臣の任期の規定が無いために、自由民主党の総裁選出規定がそのまま内閣総理大臣の任期を規定してしまうようなことになってしまっている。首相の任期の確定こそ民主主義政治の大原則なのだ。  安倍首相が安全保障法案を議会に提出したとき当然党議拘束もし、記名投票にすれば、落選を覚悟しなければ安倍首相に反対はできないことになっている。 また憲法第69条は「内閣は、衆議院で不信任の議決案を可決し、または信任の議決案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」とあって、内閣総理大臣の権力の大きさ、影響力の強さをしめしてもいる。何かの手違いで安倍内閣提出の法案をつぶしてしまうようなことがあれば、場合によっては衆議院が解散されかねないのだ。 また野党が国民の事を考えて与党に対峙すると言うのではなくやはり与党と同じように御身大切で団結できず大きな力を形成することができないのだ。安倍政権が支持されるワケ 安倍首相のスーパー独裁政治を可能にする最大の原因は安倍首相の支持率が高いということにある。安倍首相の支持率が高ければ自由民主党にとって間違いなく有利になる。国会議員にとって最大の政治的関心は、全部ではないけれどもほとんどの国会議員は自分が選挙で勝ち続けること、即ちできるだけ長く政治家でいられることが最大の関心ごとなのだ。だから自分が内閣総理大臣になろうとすることを除けば、どの国会議員を支持してその人を政権の座につけその政権が持続することに目が向かうのだ。 この議員心理のことは安倍首相も充分承知しており、支持率維持のために安倍首相もまた全知全能を傾けるのだ。 赤字財政をものともせず、国債を発行し続け、ジャブジャブのインフレ政策を採用し、選挙前には増税すると公約していた消費税の値上げも見送る、あるいは出来もしないことをやると言って北方領土問題にとり組んだり、都合の悪い情報は国民の目につかないようにすることもできるのだ。 また国民も民主主義における個人の責務を担うという感覚に乏しく、かまどの具合がおかしくならない限り集団的自衛権の行使のことなど関心も持たないのだ。北朝鮮が日本国に向けて核ミサイルでも発射しない限り、いくら尖閣に中国の公船が領海侵犯を繰り返しても、実害がなければ関心をしめさない。また、現状のやり方に対して問題がなければ、あわてて苦労してでも現状を変えるということには、積極的になれないのだ。変化は怖いし緊張を強いられるのだ。だから民主主義においてはよほどの事がない限り、政治は変りにくいのだ。安倍政治はこういう国民が置かれている状況を正しく認識してその心理的空白を巧についてくるのだ。 また政治課題というものが極めて複雑化していて、個人の能力では新しい事に対する正しい見解と言うものを国民はもてなくなっている。 集団的自衛権の行使ができることは日本の政治にどういう影響があるのか、分からない。だから当事者である与党に任せるしかないということでの与党支持という現象もあるのだ。選挙制度の不備選挙制度の不備 民主主義政治に置いて最も権威あるものと言えば、最高裁判所裁判官に言われるまでもなく主権者たる国民の政治に対する意思だろう。この意思を政治に直結する制度として選挙制度があり議院内閣制があるのだ。 ところが国民の意思で政治を動かすと言う本質的な要件ほどないがしろにされていることはない。事実上はそんなことはできなくなっている。政治家は民主主義だといって政治をしているが選挙で政治を変えることなど偶然でしかなありえないのだ。 唯一と言ってもよい選挙で、主権者である国民は政治に対して何ができるか考えてみて欲しい。現実のスーパー独裁政治などという憂うべき状態が進行しているのに主権者はほぼ傍観せざるを得ず、現状では、それを解消する為には有効な手立てがない。 1回の投票ということで、自由民主党に投票してしまったら、自由民主党のすべてに賛成したことになり、野党にはすべて反対する結果になる。あまた繰り出される公約を見比べて、どうやって評価点をつけたらいいのか。政権政党が以前発表した公約が誠実に履行されたかどうかチェックしなくてもいいのだろうか。 トランプ政権が誕生し、矢継ぎ早に大統領令を出すアメリカ政治について、日本はどう対応すべきか、だれもわからないということではあるが、こういう選挙時に想定しなかった政治課題について国民の意思は政治のどこにいる場所を見つけたらいいのか、死票の意思は次の選挙まで無視されていいのか、安倍政権の安全保障法案の成立過程について、あらかじめどうするか自由民主党は強行採決もすると説明して選挙戦を戦ったのか。トランプ米大統領(左)の出迎えを受ける安倍首相=2月10日、ワシントンのホワイトハウス(ロイター=共同) 選挙制度に依拠した議会制民主主義では、国民は要するに主権者であるといわれるだけで、主権者の意思なんかで政治は動いていないのだ。だからこそスーパー独裁政治が成立するのだと私は考える。スーパー独裁政治に国民はいかに対応するか 私は、民主主義政治がスーパー独裁政治を許すようなことがあってはいけないと思う。どうするか最後に以下のような提案しておきたい。 政治課題は無限と言ってよい程ある。そこでまずあまたの政治課題をとにかく限定し、その上でその重要度に応じて大まかに分類する。そして、政治課題の中から特別に多くの人に重要なかかわりのある重要な政治課題を選別して抽出する。 この国民投票に付すべき政治課題の抽出にあたっては、事前に憲法に下記のような条文が用意されていなけれぱならない。(新日本国憲法X条) 国会において審議されるすべての法案の原案について審議にはいったあと、与野党で審議結果に多々問題が発生した時、法案の成立に反対の国会議員は国会審議の結果に因らないで、国民に直接決定してもらうことを衆議院議長に提案することができる。その提案者数が10日以内に衆参どちらか一方で3分の1以上になれば、その法案の採択は国民投票に付されることになる。国民投票へ、という決定が示された法律原案は、国民投票に付すと決定された日から10日以内に各政党は国民投票に付された内容について反対、賛成、また最も多くの国会議員によって作成された1つの代案、計3案を国民に提示する。そして提示の後30日以内に国民投票を実施して、最も多数の国民によって支持された案を成案(廃案)とする。  こうなれば安倍政権が集団的自衛権の行使のための法案について今のようにではなく国民投票で決めれば安倍政権の思うままにはならなくなるはずだ。 例えば、今国会で、文部省の天下りの問題と、共謀罪の審議が行われてぃる。ここで国民投票が上記の新設の憲法の条文どおりに採用されていたら、この法案は衆参の予算委員会審議が終わった時点で国民投票に付されることになりおそらく否決されることになるだろう。 野党連合が叫ばれていずれも立ち消えになるけれど、このぐらいの現状認識と代案を持って、民主主義を蘇生させスーパー独裁政治を駆除する為に立ち上がることを、私は夢見ないわけではない。

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    安倍晋三「独裁亡国論」を読む

    前回、iRONNAがお届けした「こんなにもいた世界の独裁者大図鑑」では、各国に君臨する強権的な指導者たちを紹介した。実はわが国でも、高い支持率を背景に長期政権を目指す安倍首相を「独裁者」と揶揄する声が野党やリベラル陣営から聞こえてくる。彼らが言う「独裁亡国論」の信憑性やいかに。

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    安倍「独裁」批判で使い分け 民主主義に善悪のレッテル貼る傲慢さ

    の知的参謀のような役割を果たしたこの人物は、日本の思想界にも甚大な影響を及ぼした。丸山眞男は、自らの政治思想をつくりあげる際、常に彼のことを意識した。一世を風靡(ふうび)した論文「超国家主義の論理と心理」でシュミットの国家観を取りあげ、日本のそれと比較した。安倍政権批判のための論理安倍政権批判のための論理 また丸山の弟子である橋川文三は、自らの戦争体験を描く際、シュミットのロマン主義批判を参考にした。シュミットの著作を読む。すると、自分が戦前に経験した日本の文化と古典へのうなされるような情熱の根源をすっきりと理解できる。だから貪(むさぼ)り読んだ。では日本の知的情熱を支えたシュミットとは一体、何者なのか。 シュミットは言っている。私たちは自由主義と民主主義を分けなくてはいけない。自由主義とは、議会制のことだ。議会では議員同士による自由で多様な討論が行われる。だから議会制=「自由」主義と呼ぶ。確かに、多様性といえば聞こえはよいだろう。だが実際は何にも「決められない政治」ではないのか。多様性とは意見が分裂し、何も決定できないとも言えるからだ。 ところが民主主義は違う。民主主義の特徴は多様性ではない。民意をまとめ、皆が同じ意見になることだ。そのためには強力な指導者、つまり意見を集約する独裁者の登場が必要なのだ-シュミットはこう言っているのである。大衆化した民衆が、拍手喝采して同じ意見になだれ込む。多様性をほうり出すことで、ヒトラーは劇的に登場してきたのだ。自由主義ではなく、民主主義によって。 だとすれば、この議論を握りしめ、現在のわが国政権を批判していることは、一目瞭然のはずだ。安倍政権を批判するために、民主主義という言葉をやすやすとほうり出し、あるいはシュミット流に読み替え、民主主義などよくないと言い募るわけだ。善悪のレッテルを貼る傲慢さ ところが今度は国会の周囲に眼を転じてみると、議事堂の前では議会制を無視した人びとが、我こそは「民主主義なり」と絶叫しているではないか。集団的自衛権をめぐって、一つの問題で意見が「同じ」人びとが議会の外で熱狂し、それを民主主義であると言っているのだ。 以上から言えることは何か。それは、私たち日本人が「民主主義」という言葉を、いかに状況にあわせ適当に使っているかということである。結局、自ら思うところの正義にかなっているときは民主主義=善、自分の思いどおりにならなければ、民主主義=悪として言葉を乱用しているのだ。 詳しい議論は、14日刊行の拙著『違和感の正体』(新潮新書)をご覧いただこう。現政権という一時的なものを否定したいからといって、先人が血の滲(にじ)む思いを込めてきた言葉「民主主義」に善悪のレッテルを貼るほど傲慢なことはない。この国では、やはりどうみても民主主義は、幽霊のように存在が希薄で、浮足立ち、かすんでいるように思えてならないのである。本当は誰ひとり民主主義など、信じていないのだ。 むしろ今こそ、安易に民主主義を否定したり絶叫したりせずに、議会制について、大衆社会について熟慮すべきではないのか。私は地に足を、つけ続けたいと思う。

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    自国内の権力はトランプ次期大統領より安倍首相の方が強い

     ドナルド・トランプ氏がその座を射止めた米国の大統領は「世界最強の軍隊」の最高司令官であり、事実上、世界の最高権力者といっていい。それでも、「米国の憲法では大統領が、『独裁者』にはなれない仕組みを作っている」(中岡望・東洋英和女学院大学大学院客員教授)のである。北朝鮮の弾道ミサイル発射に関して、記者会見する安倍晋三首相(左)とトランプ米大統領=2月11日午後、米フロリダ州パームビーチの「マール・ア・ラーゴ」(代表撮影) 議会と大統領と最高裁判所が厳密な三権分立の制度を取る米国では、大統領に予算提出権も法案提出権もない。必要な法案や予算は「教書」として示し、議会に作ってもらわなければならない。 しかも、米国の議員には法案の採決の際、日本のように所属政党の方針に従わせる「党議拘束」の慣例がない。そのため、共和党の議員がトランプ大統領の成立させたい法案や予算案に反対する事態は十分起こりうる。だからホワイトハウスは、法案ごとに共和党と民主党の議員たちを説得に回る。 大統領による閣僚の任命も上院の同意が必要だ。前出の中岡氏は米国の大統領の権限をこう整理する。「米国では建国当時から独裁者的な大統領をつくらないことを出発点に国の制度を定めてきた。まず、大統領単独の判断で戦争はできません。あくまで権利は議会にあり、大統領は議会の承認を得て初めて宣戦布告できる。条約の締結も議会の権限。従ってTPP(環太平洋連携協定)を通すには議会の承認がいる。 ただ、トランプ氏が公約したように議会に承認されていないTPPからの脱退は大統領判断でできるでしょう。また、メキシコ国境の壁建設も国家予算を動かすなら議会の承認が必要で、大統領の独断ではできません。建設費を全額メキシコ政府が負担するなら可能かもしれませんが」  トランプ氏が共和党全国委員長のラインス・プリーバス氏を首席補佐官に起用したことにも、大統領といえども強力な権限を持つ議会を敵に回せば国家の運営ができないという判断がある。国内での権力という面では、議院内閣制の下、与党が衆参で圧倒的な数を握って予算も法案も思うように成立させられる現在の安倍晋三・首相の方が強いほどだ。関連記事■ 【ジョーク】イラン大統領「オバマ無能」への対立候補の反応■ 支持率低いオバマ大統領が再選なら株価にマイナス材料なるか■ 米情報機関の個人情報収集に歴代大統領らが嘆息した理由とは■ 中国 来年の抗日戦勝70周年式典にオバマ大統領の参加を画策■ 安倍首相 オバマ氏会談後「遠くから来たのに冷たい」と愚痴

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    日本人の首を絞める「無関心」 都合のいい安倍独裁は終わらない

    下がり続けている。 さて、今回のテーマは「独裁者・安倍晋三」。コトバンクによると、独裁者とは、「独裁政治を行う者のこと。また、ある団体の中における権力を独占し、恣意的に物事を進める人」だという。私が「独裁者」という言葉を聞いて思い浮かべるのは、ヒトラーや北朝鮮の金正恩だ。 安倍首相が独裁者なのかどうか、私にはわからない。ただ、「独裁者」と決めつけてしまった途端、多くのことが見えなくなる気がする。今思うのは、この国が、5年前、10年前とは随分変わってしまったということだ。 駆けつけ警護という任務を負わされた自衛隊が南スーダンに派遣され、沖縄の基地建設に反対する人々に「土人」という言葉が投げかけられる。10年以上問題となり続けている「貧困」に対する有効な処方箋がないまま、「弱い者が更に弱い者を叩く」ような貧困バッシングが蔓延する。沖縄や福島という「犠牲」に対して、面倒なので見て見ぬふりをする。徹底した無関心が、この国を包んでいる。そしてその無関心の隙をついて、政権に都合のいい政治がまかり通る。 もし、安倍首相が独裁者ならば、その独裁を許しているのは多くの人の無関心に他ならない。 今からでも、一人でも、できることはある。まずは通常国会を注視していこうと思っている。

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    日本で進行している「静かなポピュリズム」

    だけの組織に堕しており、議会制民主主義は既に死に体であるということも間違いありません。 したがって、政治的な意思決定と切り離された人々の苛立ちが高まることによって、世界中でポピュリズムが発生していることには同意します。そして、それらは議会制民主主義というよりも直接投票による大衆の歓呼によって出現しやすい状況となっています。 この状況はナチスドイツが出現した際にも見られたものであり、この大衆の歓呼をしてポピュリズムと看做すのであれば、ポピュリズムが危険なものであることは同意します。悪いポピュリズムと良いポピュリズム しかし、既に行政国家化とそれに反発するポピュリズムの発生という政治的状況について、私たちはそれらから逃れることはできません。この状況は所与のものであり、その中でベストを尽くすことを考えていくべきだと思います。 したがって、悪いポピュリズムと良いポピュリズムは何か、ということを考えることが重要です。 筆者が考える悪いポピュリズムとは、行政国家が残されたまま、為政者が民衆の願望を叶えるために、政府組織・権限を際限なく肥大化させていくタイプのものです。つまり、ナチス・ドイツが典型的な行政国家ということになります。第193通常国会が召集され、安倍首相の施政方針演説が行われた衆院本会議=1月20日 現在の日本も与党も野党も「空気を読みながら」バラマキ・増税志向の大きな政府を志向しているので、既に議会制民主主義は死んでいて静かなポピュリズムが進行しているとも言えます。日本では、政府に対する自由とは何か、ということがほとんど政治的なテーマにすらならい状況です。これは悪いポピュリズムの典型だと思います。民衆の中に保守主義を根付かせることができるか 筆者が考える良いポピュリズムとは、行政国家を解体過程に乗せて民衆が自分の生活の自己決定権を取り戻すタイプのものです。残念ながら、既存のポピュリズムではあまり見かけることがないタイプではあるものの、私たちが目指すのはこちらのタイプのポピュリズムであるべきでしょう。 むろん、良いポピュリズムは、ハイエクが主張する「法の支配」のような考え方を重視するものであり、悪いポピュリズムに走らないように民衆が歴史や思想を深く理解することが重要になってきます。 少々理想的に過ぎるかもしれませんし、それが歴史上困難なプロジェクトであっても、そちらを志向する人々がどれだけいるかで人々の盛衰は変わるものと思います。民衆の中に保守主義を根付かせることができるか 議会制民主主義がある程度機能してきた国では、民衆の代表がポピュリズムによって政権を取ったときに行政国家に対する歯止めを機能させようとする動きが出るかもしれません。 代表的な国は米国であって合衆国憲法の構造も然ることながら、合衆国憲法を信棒する米国民は必然的に法の支配を志向する傾向があるからです。 実際、米国の共和党保守派を中心に腐敗している立法・行政の双方の権限を縮小し、人々の自己決定権を取り戻そうとする主張が激しく喧伝されています。これらは良いポピュリズムとして議会制民主主義の機能を取り戻していくことにも繋がるかもしれません。 一方、欧州のポピュリズムは行政国家化が非常に進行している上に、EUによる更なる中央集権化後の社会に起きているものです。また、その国々の根幹にも自由主義や法の支配が必ずしも共有されているわけではありません。したがって、悪いポピュリズムに走る可能性が高いです。 今年はフランスなどの欧州諸国で国政選挙がありますが、その結果として極右や極左が台頭することで、EUから自己決定権を取り戻すと同時に、多くの国民が自らが選んだ為政者によって自国内で人生の意思決定権が奪われていくことを体験することになるでしょう。 悪いポピュリズムに走る国は歴史の流れの中で衰退し潰れていくしかありません。これは避けようがない現象であり、ポピュリズムは行政国家化した政府に対する一つの薬でしかなく、その結果が薬物依存患者の国になるのか、それとも健全な人々の国になるのかは、同国民の意志にかかっています。 つまり、民衆の中に保守主義を自生的に根付かせることができるかどうかが重要なのです。そういう意味で、多くの人にハイエクの隷属への道を読んでほしいと思います。

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    鳩山・安倍…戦後の歴代総理大臣 33人中13人が親戚だった

    変化が起きている。それは、権力の中枢が「名家・名門」に回帰していることだ。政界では安倍政権の要職を「政治家一族」で占め、財界では大企業のトップが次々、「創業家一族」に戻っている。いったい何が起きているのか──。 政界の3大名門といえば、「安倍(岸)家」、「麻生家」、そして「鳩山家」だ。安倍晋三・首相と麻生太郎・副総理が縁戚にあたることは、世間にはなじみがなくても政界ではよく知られている。だが、安倍政権を支える岸田文雄・外相や宮沢洋一・前経産相(現自民党税調会長)まで結ばれ、実は政敵の鳩山家とも親戚だと聞けば驚く人は少なくないはずだ。2016年11月、閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) 安倍家と麻生家の両家を軸に系図を辿ると、吉田茂、鳩山一郎をはじめ、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、三木武夫、鈴木善幸、宮沢喜一、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫と、戦後の総理大臣のうち13人が繋がり、まさに日本政界のエスタブリッシュメント(支配階級)を構成する閨閥が構成されている。 この閨閥は皇室ともつながり、住友財閥、森コンツェルン(昭和電工)、日産コンツェルン(日産自動車)など多くの財界人、外交官、高級官僚、軍人を輩出してきたのだ。吉田茂で繋がる まず両家のルーツから辿っていこう。安倍家は平安時代末、「前九年の役」で源頼義に敗れた安倍貞任の末裔を名乗っており、安倍首相自身、岩手県を遊説した際、「安倍貞任の末裔が私となっている。ルーツは岩手県。その岩手県に帰ってきた」と演説したことがある。安倍家は長州の大庄屋(造り酒屋)を務めた家系だが、華麗なる閨閥を誇るのは岸信介、佐藤栄作の兄弟宰相を生んだ母方の佐藤・岸家だ。 岸家は長州藩の郡代官の家柄、佐藤家の祖・信寛は吉田松陰の兵学の師で明治維新後は島根県令(知事)などを務めた。両家は婚姻や養子縁組を繰り返して結びつき、戦前、「満州国の二キ三スケ」と呼ばれた岸信介、松岡洋右(満鉄総裁、外相)、鮎川義介(満州重工業=日産コンツェルン総帥)の2人の“スケ”は婚姻で結ばれている(二キは東条英機、星野直樹)。さらに佐藤栄作の次男・信二の夫人を通じて美智子皇后の実家の正田家や住友本家、森コンツェルン、三木武夫に辿ることができる。 佐藤・岸家と麻生家の繋がりは、岸信介の従兄弟の夫人が吉田茂の長女で、すなわち麻生副総理の伯母である。「ライバル」から「家族」に 麻生家も閨閥の華麗さでは安倍家に勝るとも劣らない。現在に引き継がれる日本のエスタブリッシュメントは、明治の薩長藩閥政府の時代に原型が形作られたといわれる。 安倍首相が長州閥なら、麻生副総理の母方の高祖父は薩摩閥の重鎮・大久保利通だ。父方の麻生家は代々、筑豊の庄屋の家系で、曾祖父の太吉は「炭鉱王」と呼ばれた。麻生氏の祖母は旧華族の加納子爵家の出身で、橋本龍太郎夫人は「またいとこ」にあたる。 さらに麻生氏の妹は三笠宮寬仁親王に嫁いでおり、三笠宮家を通じて細川家、近衛家と親戚になる。また、夫人の父は鈴木善幸。この鈴木家は宮沢家、岸田家と親戚にあたり、宮沢家からはブリヂストン創業家の石橋家、そして政界の名門・鳩山家や池田勇人に連なる。 かつて吉田茂と鳩山一郎が政界のライバル関係にあった時代、吉田は炭鉱王の麻生家に娘を嫁がせてスポンサーを得たし、鳩山は長男の嫁にブリヂストン創業家の石橋家の娘を迎えて資金力をつけた。 この頃はまだ両家は親戚ではなかった。その後、政略結婚などによって名門は複雑な閨閥でつながった。それから半世紀、麻生内閣を鳩山家が倒し、その鳩山家が作った民主党政権を安倍家が倒して政権を取り戻した。この時、すでに3家は親戚になっていた。 登場する13人の総理の在任期間を合わせると40年を超える。現役の政治家や財界人の顔ぶれを並べれば、内閣や経団連執行部を構成できそうだ。1つのビッグファミリー(閨閥)が戦後史の半分以上、そしていまなおこの国の政治を支配し続け、政権交代を賭けた権力闘争さえ、同じ閨閥内で行なわれている。それがこの国の権力構造なのである。関連記事■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本■ 専門家37人選考 ポスト安倍に谷垣禎一、麻生太郎、菅義偉氏■ 安倍首相の別荘 招待者の最大の特典は母・洋子さんとの同席■ 元防衛官僚が安倍政権の安全保障政策の問題点について語る本■ 内閣支持率 森9%、鳩山14%などの歴史と「落胆率」の影響

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    三浦瑠麗が読み解く トランプが狂わせる安倍総理のゲリラ解散

    三浦瑠麗(国際政治学者)1月解散を見送った理由 安倍政権が噂されていた1月解散を見送った理由について、直接的な理由は単純でしょう。要は、大義名分がない、勝算がないということです。自民党役員会に臨む安倍晋三首相(中央)ら=1月5日、東京・永田町の自民党本部(斎藤良雄撮影) 前回の総選挙ではアベノミクスは道半ばですと言って闘いました。自民党からすれば幸いにして、国民からすれば不幸なことに、現在の野党は体系的な経済政策を語る能力も意思もありません。したがって、国民の最大関心である経済政策について、自民党だけが経済政策を語り、国民も権力の負託を継続する意思を下したわけです。 今また、解散したとして、どんな大義名分で戦うのでしょうか。まだまだ「道半ば」ですが、それでも「この道しかない」と訴えるのでしょうか。野党には相変わらず、対案がありませんから、与党は勝つには勝つでしょう。ただし、現在の2/3水準の勝利ではなくて、過半数プラスアルファの水準となるでしょう。議席を大幅に減らして勝利宣言というわけにもいかないでしょうから、解散には踏み切れなかったということでしょう。 とはいえ、安倍政権が解散に踏み切れない理由、勢いを失っている、より本質的な理由について考えることは無駄ではありません。安倍政権は、来年の党総裁任期延長を睨み、戦後空前の長期政権になろうとしています。安倍政権への理解が、即ち、21世紀前半の日本政治を理解することとなりつつある。本日は、外交政策を中心に見ていきたいと思います。積みあがる外交成果 安倍政権の強みの大きな要素は外交でしょう。短命政権がコロコロ変わっていた時代を経験し、国民は安定した強い政権を望んでいました。安倍政権は、その期待に応え、外交成果を積み上げています。慰安婦問題に関する日韓合意、米大統領の広島訪問と総理の真珠湾訪問を通じた日米和解の演出、日ロ首脳会談に至る一連の動きなどです。 それらの成果が実を伴うものなのか、単に演出が優れているだけなのかは意見が分かれるところでしょうが、少なくとも、安倍政権には意味のある外交を行おうという意思が感じられる。そして、安倍総理以外の他のリーダーが総理の座にあったとして、安倍政権よりも良い結果がでるようにも思えない。 私は、国際社会の構造の問題として、そもそも、日本一国の意思で成果が出る部分というのは限られているのではないかと思っているからです。慰安婦問題も日米和解も全て構造次第韓国・釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像の前でパフォーマンスする市民=1月4日(聯合=共同) 日韓の長年の懸案事項であった慰安婦問題を解決する気運が高まったのは、日韓双方の同盟国である米国が強く促したからです。中国や北朝鮮と対峙する上で、日米韓という枠組みで臨みたい米国からすれば、日韓のゴタゴタは邪魔でしかないわけです。日韓双方の内政上は、慰安婦問題に関して歩み寄る気運はほとんどなかったけれど、米国の後押しが双方の政権の背中を押したわけです。もちろん、最後は双方の政権がぎりぎりの交渉を行って意義のある合意をまとめたわけですが。 今、釜山の日本領事館前に慰安婦像が設置されたことで、日韓合意が壊れようとしていますが、ここでも構造の問題に着目すべきです。韓国がどうして約束を守れないのか。韓国の政権は何故かくも脆弱であり、何故この時期に瓦解したのか。 韓国の大統領選を控え、勢いに乗る左派革新系の候補達は、日韓合意に反対しています。同時に、米韓で合意したTHAAD(高高度防衛ミサイル)に反対し、再び中国への傾斜を強めようとしている。米オバマ政権からトランプ政権への交代期に、日韓合意を後押しした構造が弱まり、別の構造が勢いを得ているのです。 日米の和解の演出が行われたのにも、構造的な要因があります。中国の到底平和的とは言えない台頭と、北朝鮮の核保有が既成事実化した現在にあって、日米同盟を強化することは重要である。他方で、金融危機とイラク戦争の失敗以後の米国は民主・共和両党の主流派はともに内向きになっている。結果、実のある日米同盟強化策は採用されず、演出に頼るようになる。オバマ政権も安倍政権も、演出が巧みな政権なので利害が一致する。そんなところでしょうか。 反発の大きかった安保法制を通したのは、実のあるものであり、自民党の保守として責任感と矜持が働いたのでしょう。その点は、歴史的に評価されるべきことと思っています。日本に厳しくなりつつある構造 日ロ首脳会談が、事前の期待値に比して意味のある成果を生まなかったのは、ロシア側に日本と妥協する意味がもはやないからです。ウクライナをめぐって欧米と対立し、経済制裁の対象となっているロシアは、本来は行き詰っています。 経済の高度化が叫ばれて久しいにも関わらず、エネルギー一本足打法の経済構造は変わらない。オリガルヒが特権を享受する疑似資本主義社会には腐敗が蔓延しています。ソ連時代からの兵器体系を維持し、プーチン大統領という有能なリーダーを戴いているせいで存在感を高めているだけです。その存在感さえ、米国の消極姿勢の反映という方が正しいわけです。 プーチン大統領は、自国の閉塞感をよく理解していますから、対日外交を一つの局面打開のツールにしようと思ったのでしょう。島の問題で、本当に妥協する気があったようには思えないけれど、少なくとも、妥協可能性を示唆することで日本側も動くと読んだ。安倍政権も、その構造を理解した上で敢えて乗った。ただ、結果から言えば、トランプ政権誕生を通じて、日ロ接近を支えた構造自体は吹っ飛んでいます。日本に厳しくなりつつある構造 初めの問いに戻りましょう。なぜ、安倍政権が1月解散を行わなかったか。安倍政権が勢いを生み出せない理由は、国際政治上の構造が日本にとって不利になりつつあるからです。オバマ政権期を通じて腰が引けていた米国は、トランプ政権を迎えて開き直って内向きになっています。経済交渉の文脈でも、安全保障上も日米同盟が盤石で、万能ということではなくなりつつあります。 その中で、安倍政権はどんな手を打つのか。構造が大きく変わろうとしているタイミングは、大胆な発想と行動力を持っていれば、好機にもなるものです。目下のところ、安倍総理を脅かす存在が見えない以上、政権の安定が日本の国益になる。解散云々と言っている場合ではないということでしょうか。

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    「酉年解散」安倍総理の本心やいかに

    酉年は激動、政変の年になるという。「12年前、あの劇的な郵政解散があった。その12年前は自民党が野党になり、55年体制が崩壊した歴史的な年だった」。年頭記者会見で「酉年解散」の故事を並べた首相の真意とは何だったのか。1月解散が見送られた今も憶測を呼ぶ安倍総理の本心やいかに。

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    安倍首相が「1月解散」を見送った5つの理由

    調会長(右)と談笑する安倍晋三首相=平成28年11月 同じ調査で、憲法改正について「優先的に取り組む政治課題ではない」が49.5%、「優先的に取り組む」は36.5%で、慎重な扱いを求める声が依然として多いのが懸念材料ではあるが、高い内閣支持率を背景に、「解散総選挙に打って出る」よりも、「政策をできる限り実行する」ことで、評価を安定させるほうが得策、との計算が働く可能性のほうが高い。 第三は、政党支持率も「一強」の名を欲しいままにしているということだ。同じ調査で、政党支持率は自民党が前月比2.7ポイント減の23.6%。民進党は増減なしの4.4%。公明党3.4%、共産党1.6%、日本維新の会1.5%。小選挙区でほとんど公認候補擁立作業を終えている自公に比して、野党系はまだ候補者の擁立作業も終わっていないところも多く、競合する選挙区の調整もまだ終わっていない。 しかし、民進党の支持母体である連合から、「共産党との共闘はあり得ない」との声が漏れていることに象徴されるように、野党共闘の足並みは乱れがちだ。この不協和音は、政策の違いもあり、簡単に解消するものではない。 「安倍一強打倒」で大同団結して、野党支持者が野党統一候補にすべて投票するかというと、解散を引き伸ばしたから態勢が整う、というものでもあるまい。解散の時期を延ばしても、この状況はさほど変わらない、と安倍政権は踏んでいるのではないか。 第四は、2019年10月に消費税率の10%への増税を控えていることだ。経済状況の劇的な変化もないうちに、「消費税率10%のさらなる延期」を謳うのは、いかにもポピュリズムの誹りを免れまい。 経済状況の変化を見ながら、どうしても10%への増税をさらに延期しなければならないかどうかのタイミングを計り、特段の問題がなければ10%への増税を前提として、2019年秋に解散、というシナリオもありだろう。法律に基づいて、粛々と増税を行う、というのであれば、民主党時代に「税と社会保障の一体改革」を主導してきた責任上、最大野党の民進党も争点化しづらいだろう。 第五は、2015年の国勢調査に基づいて行われる、小選挙区の区割り調整だ。衆院の定数は2016年5月、改正公職選挙法の成立で465と10議席減ることになり、選挙区の定数は青森、岩手、三重、奈良、熊本、鹿児島の六県で1つずつ減る。小選挙区は289議席、比例は180議席から176議席になる。カギになるのはやはり「改憲」 問題は、新しい区割りだが、政府の衆院選挙区画定審議会が5月27日までに決定し、改正公選法が国会で成立し、1か月程度の周知期間を経て施行されることになる。それまでの間に解散・総選挙を行えば、最高裁が「違憲状態」と判断したままで解散・総選挙を行うことになり、司法の判断を無視した、ともいわれかねない。 その間、他の選挙区の区割りの変更も行われるので、新しい選挙区で各議員らが票を掘り起こしていくのに、新しい選挙制度のもとで行えるからすぐに、というわけにもいくまい。 では、安倍政権は、解散を先送りして、何を目指していくことになるか。それはズバリ、現在の世論が必ずしも前向きではない「改憲」だ。現在、改憲に向けての議論は百家争鳴、停滞気味だ。日本維新の会が主導している「高等教育までの無償化」が改憲項目案として浮上したかと思えば、自民党内では、「緊急事態条項」や「環境権などの新しい人権規定」などに賛成論が多い。 今のところ、憲法審査会での審議の中で、改憲項目の絞込みには至っていない。この状況では、この衆議院の任期中、つまり、いわゆる「改憲勢力」が3分の2を占めている間に衆参で改憲を発議することは、各党の思惑が交錯して、困難をともなうのではないか、というのが大方の見方だ。衆院本会議の代表質問で答弁する安倍首相=2017年1月24日 しかし、それでは、「改憲勢力」が3分の2を占めている間に、手をこまねいて何もしないでいいのか。落としどころはないのか。発議のカギは、自民党、公明党、日本維新の会等の「最小公倍数」ではなく、「最大公約数」を探す、ということだろう。それは、「自衛隊を合憲ときちんと位置づける」の一点ではないかと私は考える。 戦後、憲法の中で、条文上、自衛隊は違憲であるという学説も根強い。しかし、「自衛隊を合憲の存在として位置づける」という一点に関しては、一部左翼を除いては、民進党でもむしろ賛成のほうが多いのではないか。 安倍政権は、百家争鳴の憲法改正論議の中で、解散・総選挙を先送りしてでも、自衛隊を合憲の存在としてしっかりと位置づけた政権として歴史に名を残してほしい。

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    安倍総理よ、今こそナショナリズムに舵を切れ

    ていく「現実保守主義者」とでは、今後日本人の将来に大きな「格差」が生まれてくる。 現在の世界と日本の政治・経済情勢は、旧来型の「保守勢力」だけでなく、トランプ大統領を支持する「経済保守」、あるいは国益を守ろうとする「ナショナル・リベラリスト」と呼ばれる勢力が伸張し、従来の「平等・人権」を正義論として訴えていた「リベラル派」の勢力は、どんどん縮小しているのだ。 今後、安倍政権をめぐる問題が起きるとすれば、この「トランプ新時代」に通用する保守主義者や現実主義者をどう生かし、思想的にトランプ大統領を受け入れられる「保守・現実主義者」と、従来の思想を変えられずついていけなくなる「リベラル主義者」の「思想格差」の問題だと思われるのである。 つまり、国家の価値観を大事にしてきたナショナリストや「ナショナル・リベラリスト」を含めた現実保守派が、過去の「世界市民的」な価値観を大事にしてきた古いリベラル勢力を大きく塗り替えようとしているのだ。 オセロゲームで言うと、オセロ盤がこれまで黒色で占められていた石が、どんどん白色に変わっていく姿を思い浮かべれば良い。従来は、移民や難民に対しては「寛容」、日本の歴史や伝統には常に否定的で、「人権」や「平等」を訴えるだけの「リベラル勢力」は、今後ますます影響力を失っていくはずなのだ。 トランプ大統領の強引なやり方には、今後対立する層との批判や摩擦が生じるだろうし、国際情勢や世の中についていけないリベラル勢力とのギャップが生まれることは確実だ。しかし、その両者の勝敗が明らかになった時に日本国内で政官界や経済界、マスコミ界が「トランプ批判」だけに明け暮れていれば、自分の足下の現実に気付けないリベラル一辺倒できた者たちは、気づいた時には「思想的弱者」になっているかもしれない。  第二次政権誕生以来、安倍総理はリベラルなオバマ大統領と合わせながら、リベラルな政策を次々に取り入れ、うまくバランスを取ってきた。安倍総理は、日本と世界の思想の潮流の見極めを大事にしてきたからこそ、これまでの地位を築いてきたのだ。 しかし、その安倍総理自身が今後「ナショナリズムという本来の保守」に舵を切る機会があるとすれば、世界情勢が「リベラルの衰退」という状況になったと見極めた時である。その時こそ、総理は勝負をかけた解散総選挙に踏み切るに違いない。

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    衆議院解散時期にも影響する小池新党の行方

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長)衆院補選で当選した若狭勝氏と小池百合子都知事を鉢巻き姿で囲む豊島区議 =2015年10月23日、東京都豊島区 東京都知事選で小池百合子氏を支援した7人の区議、いわゆる7人の侍に対して、自民党都連は自民党からの除名処分を決めた。自民党は7人の区議に対して、対話の機会、弁明の機会を与えたが、結局彼らはそれを断り、こうした事態に至った。この自民都連との対決姿勢には当然のことながら小池知事の意向があるはずだ。小池知事は都議会の運営において、都議会自民党を懐柔するか、対決するかの選択を迫られた。様々な利権が組み込まれており、改革のためには「対決」しかないと判断したのだろう。全面対決を覚悟し、来年の都議選で「小池新党」から遠慮なく候補者を擁立し、自民党都議の数を半減させる方向に舵を切ったといえる。自民党以外の都議の多くを準与党化させれば、「小池新党」の候補者が4分の1から3分の1を占めるなら、与党的勢力で過半数を取ることができる。そこで初めて思い切った改革が可能になる。 都議選での方向は定まったと言える。東京都だけの独特のシステムであった政党復活予算の仕組みも廃止することを決めた。これは都議会自民党にとっては非常に大きな衝撃であったに違いない。最大会派の都議会自民党の裁量は大きく、これは直接的に都議の「手柄」となる。利権構造ができやすいもので、小池知事がこの仕組みにメスを入れるのは当然だ。都議会自民党からすれば、政党復活予算がなくなり、議会で野党化するとなると、これまでの状況が一変し、「権力」が激減したことを意味する。これで知事も都議会自民党も全面対決しか選択肢が残らない形となった。中途半端な懐柔路線が消えた。 これからのポイントは「小池新党」がローカルパーティとしてのみ機能するのか、国政にも進出するか、である。シナリオA ローカルパーティとしての小池新党 東京都は今後、オリンピックなどで国との協力関係を強めることが求められる。安倍政権と良好な関係を持ちつつ、大事業を成功させていかなければならない。カジノの誘致においても東京都は有力候補だ。小池新党が国政にも進出するとなると、自民党本部との関係は一気に悪化することは間違いない。その時点では小池知事にも除名処分が下る可能性が高い。それは、小池知事も安倍政権も望むところではない。国政にも進出する小池新党 あくまでも東京都内での対立構造に留めておきたいのだ。都議会選挙では「小池新党」が立候補者を擁立するものの、国政においては、自民党員の顔として振る舞うというシナリオだ。私はこれが最も可能性があると考えてきたが、7人の侍の件で、小池知事は都議会自民党と真っ向対立の構造を選択した。こうなるとローカルパーティとしてのみ留まるのは難しいかもしれない。シナリオB 国政にも進出する小池新党 現在の勢いであれば、小池新党を設立して、一気に国政にも進出することは可能だ。東京都議会の問題は全国ニュースとなり、小池新党に共感を持つ人は少なくない。日本維新の会との連携である一定の議席を獲得することも見込める。とはいっても、衆議院の小選挙区制のもとでは議席の獲得は限定的となる。現実的なのは日本維新の会の共同代表に松井一郎氏と一緒に就任して、東京都知事と大阪府知事が率いる政党とする構想だ。大きな第三極となりうるもので可能性は否定できない。新生維新の会は日本の政界の台風の目になり可能性がある。自民党の票も民進党の票も食うだろう。記者会見する小池百合子都知事=1月27日、都庁 可能性が最も高いのは小池新党としてローカルパーティで始めて、途中で国政では維新の会と合併するというものだ。この可能性とスピードは、安倍政権の小池知事への姿勢とともに、解散総選挙の時期などが密接に絡む。安倍政権は、小池新党が国政政党を目指したり、日本維新の会と連携を進める前に、解散総選挙をしてしまうという可能性が高くなった。都議会選挙での対立は仕方ないとしても、国政選挙に小池フィーバーが入り込まないようにするには、できるだけ早く解散をして、準備が整わないようにするのが一番だ。二階幹事長は年内解散はない、と明言しているが、まだこの線は残っている。年末年始で新たな動きが出る前に、打って出るというものだ。年末解散がなくても年始解散は避けられないと予想している。 小池新党の動きは都議選をにらんでもう少しゆっくりしたものになると予想していたが、事態は急変しつつある。まだ小池知事はルビコン川を渡っていない。渡るかどうか、決断を迫られている。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年12月12日分を転載)

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    安倍首相が吹かす解散風に踊り、慌て、飛ばされる与野党議員

    は解散が恐いはずだ」 こちらも自分たちのことしか頭にない。湯淺墾道・情報セキュリティ大学院大学教授(政治制度論)が国民無視の解散狂騒曲をぶった切る。「衆院解散は本来、行政府と議会が国政の重要課題で対立し、抜き差しならない状況に陥ったときに行なわれる。そのために憲法では、議会に内閣不信任案という刀を与え、行政府の長の総理に国民の信を問うための解散権を与えている。しかし、現在の国会にそんな重要な政策対立など起きていない。一体、何のための解散で、国民に何を問うのか。新聞もその点を論じるべきでしょう」 何のために解散するのか。その答えは安倍首相も、右往左往する面々も、誰も口にしない。関連記事■ 石破茂氏 解散決定時に国会内で使用制限の携帯メールしてた■ 衆院解散風の威力強大 病床の甘利明氏を立ち上がらせる■ 安倍首相 集団的自衛権の是非問う解散総選挙を仕掛ける説も■ 衆参ダブル選挙 18歳選挙権拡大が混乱の大きな火種に■ 民進党と共産党の選挙協力で衆参W選に自民党の勝算立たず

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    安倍自民に陰り? 解散に二の足を踏ませた衆院補選

    ておりません。この事態を受けて、ね」と話されたという。さすがのご達観、というべきだろう。(室伏謙一「政治・政策を考えるヒント!」より2016年10月24日分を転載)

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    「解散」で皆が慌てるのを総理は楽しんでいるのでは?と側近

    笑に違いない。関連記事■ 石破茂氏 解散決定時に国会内で使用制限の携帯メールしてた■ 衆参同日選 「政治記事の確度高い」読売の見送り報道で沈静化■ 安部首相ウェブマガジンから44本の記事を厳選・再録した本■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ【1/2】「集団的自衛権」■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」

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    藤岡信勝が「しんぶん赤旗」を2週間読み続けて分かったこと

    動のころから野党共闘の流れが出来、翌年の選挙協力にまで結びついた。これを共産党は最大限に評価し、日本政治の新しい動向として強調している。日刊の赤旗は廃刊の可能性も とりわけ、今回の党大会で最も画期的なことは、日本の他の野党が党大会に来賓として挨拶に来たことである。これは1922年の党創立から初めてのことだとして、有頂天の喜びようである。民進、自由、社民3党の幹部が初めて来賓として出席した共産党の第27回党大会=1月15日、静岡県熱海市 党大会に来賓として挨拶に来た野党の代表者は、安住淳(民進党代表代行)、小沢一郎(自由党代表)、吉田忠智(社民党党首)、糸数慶子(沖縄の風代表)の4人である。このなかで、共産党との共闘に最も積極的なのは、小沢一郎であるといわれている。 ともかく、「壁」が崩れたという比喩表現のなかに、共産党の喜びようが実感として現れている。「統一戦線戦術」の恐ろしさ  共産党が、社会主義・共産主義の社会を目指す革命を行うという、本来の主義・主張を棚上げして、他の政党・政派と共同行動を取ることは、世界的な共産党組織であるコミンテルンが1935年に取り入れた「統一戦線戦術」といわれるものである。この戦術の発想はレーニンにもあったが、本格的な方針として実践されたのは右のコミンテルン大会以来であった。 この戦術は、共産党と国民党が「抗日」で手を組んだ中国において顕著な成果を挙げた。しかし、目的を達成するとともに、国民党は追放された。つまり、統一戦線とは、少数派の共産党が、その他の勢力の力を利用して政権を取る手段なのである。実際、死にかけていた中国共産党は、国共合作によって生き返ったのだ。 今、共産党は党員の減少と高齢化、機関紙の減紙に苦しんでおり、日刊紙の廃刊まで取りざたされている。もし、日刊紙が廃刊されれば、レーニンが「イスクラ」という新聞をロシアに送り込んで共産主義を組織した新聞という媒体が放棄されることであり、コミンテルン型共産党の終焉となるのだが、共産党が大会決議で提唱している「野党連合政権」の一角を占めるようになれば、起死回生の展開となる。 他の政党は安易に共産党の呼びかけに応じることは、自らの首を差し出す行為であることを、歴史に学んで考え直すべきだ。

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    政治に活力を取り戻せ!

    共産党という禁断の果実に手を出した民進党、舛添要一元東京都知事の政治資金疑惑と彼のデタラメな人間性を追及してこなかったマスコミ……。いま、政治とメディアに欠けているものはなにか。

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    民進党が解党すべき10の理由

    「嘘」の代名詞となり、日本の政界において死語となった。旧民主党が「マニフェスト」を反故にしたことで、政治家の言葉に対する国民の信頼は地に落ち、同時に貴重な民主政治のインフラは無残に破壊された。日本の民主主義は二十年逆戻りしたといってもよく、これほどの重罪は他にない。 しかも卑怯なことに、民進党は反省するどころか今回の参院選ではこの言葉を封印した。まさにご都合主義である。 民進党は直ちに解党せよ。党首に進歩なし理由3 党首に進歩なし 「惨敗した民主党議員は大企業病に侵されて慢心し、高をくくっていた。党幹部が解散の可能性高しとの見解を出したときにはすでに素人目にも解散色は濃厚だった」 これは最近の選挙のことではない。二〇〇五年、実に十一年前に民主党(当時)が小泉総理(当時)による郵政民営化を問う総選挙で惨敗した際、私がある月刊誌に書いた記事である。驚くまいか、この時の代表はいまと同じ岡田克也である。 この間、自由民主党の党首は、小泉、安倍、福田、麻生、谷垣、安倍と変わっているが、この時、政局判断が悪く、それが原因で選挙に負けたというのに大した反省も工夫もなくまたまんまと党首に返り咲いたのは、さすが民進(民主)というべき甘さと人材の払底を示す。 民進党の新代表に蓮舫が選出されることが、ほぼ確実となった。これにより、民進党は近い将来、分裂する可能性が濃厚だ。しかし、この期に及んでなお「蓮舫頼み」であることが、いかに民進党がダメかということを示している。 今回私は、旧民主党の野党転落以降の約三年分の国会(参議院)における蓮舫の質問を調べてみたが、揚げ足取りやいわれなき非難ばかりで、蓮舫がほとんど成長しておらず、生産的な質問をしていないのに驚く。 民進党よ直ちに解党せよ。理由4 労組政党、官公労政党の本質が強まっている 今回の参議院選挙において、民進党の比例当選者は、十一名中八名が労組出身議員である。これこそまさに、「護官政党」(十一年前の郵政解散の際、当時の民主党を批判した自民党のパンフレットのキャッチフレーズ)にほかならない。 現在の連合(日本労働組合総連合会)は組合加盟者の七割近くを占めるとはいえ、そもそも組合に入っている労働者は数名にひとりしかいない。第一、大企業社員は自民党を支持している。要するに連合は「連合幹部の幹部による幹部のための労組」なのだが、これにおんぶにだっこというところが情けない。 安倍政権になってから総理自らが財界に対して賃上げを要請し、しかも実現したから、連合はもはやその存在意義を失っている。旧維新出身者は、いまこそ反連合の議員とともに民進党を去るべきである。さもないと、「民進は旧維新出身議員の救命ブイ」であることを自ら認めたことになろう。 民進党よ直ちに解党せよ。猿よりも反省をしない党の体質理由5 猿よりも反省をしない党の体質 東日本大震災時の福島第一原子力発電所の事故の際の不手際について、相変わらず当時の菅総理や枝野官房長官は反省していないとネットで話題になっている。「事業仕分け」については猿芝居だったにもかかわらず未だにそのことを認めていないし、なぜ政権を失ったかについて反省する気風も気概もない。 反省のない者には進歩なく、進歩のない者は国民を率いてはならぬ。 二〇〇九年、私は鳩山政権誕生前に鳩山政権の寿命は半年から一年と予測し、まさにそのとおりとなったのだが、その際に「こうしないと政権を失う」という十の改善提案をした。①小選挙区支部長を選挙で決めよ②官公労とは手を切れ③「子ども手当」は廃止せよ④日教組とは手を切れ⑤民主党サポーターを愚弄するな⑥国会議員の社会人経験を重視せよ⑦高速道路無料化は中止せよ⑧有権者愚弄のお色気(女性)議員路線をやめよ⑨まともな財源論を行え⑩外国人地方参政権付与の方針をやめよ─の十項目である。 何一つ聞き入れられず、その結果、あっという間に政権を失った。あまりに当然の結果といえよう。 現在の安倍政権は、ソフト面において第一次政権の数倍から十数倍パワーアップしているが、民進党が政権を得てもまた権力をオモチャにし、政治ごっこを始めるだけだ。政権をとらせてはならない政党が野党第一党であってはならない。 民進党は直ちに解党せよ。理由6 対案が出せない。特に経済政策がない 民進は、安保関連法案でまともな対案を出さなかった。酷いのが、経済が全く分かっていなかった旧民主党の総理経験者たち。鳩山氏は経済だけが分かっていなかったわけではなかった(すべてが分かっていなかった)ので論外だが、菅氏もマクロ経済学の基本のキである「乗数効果」が全く理解できておらず、国会答弁で立ち往生した。 続く野田氏は全く経済の基礎知識がなく、財務官僚に丸め込まれて三党合意に持ち込まされ、消費税増税を決めることとなった。消費増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案が参院本会議で可決、成立。厳しい表情で各党あいさつ回りに向かう野田佳彦首相 =2012年8月10日午後、国会内(酒巻俊介撮影) 今回の参院選でも、民進党の言っていることは支離滅裂であって、野田政権の時には無為無策で株価八千円台(現在一万六千円台)、為替は八十円台(現在百二円)であったのに、「アベノミクスの宴は終わった」 「この三年間に経済を立て直すべきだった」(各六月二十四日、二十六日、岡田代表)と寝言を言っている。 嘘に近い発言もある。枝野幹事長は「株や為替は外国の影響で良くなったり悪くなったりする。良かったときもアベノミクスの成果ではない」などと発言したが、金融政策が全く分かっていない。 枝野氏には、「金利を上げると景気が回復する」(二〇〇八年十月「朝まで生テレビ!」)という趣旨の有名な経済オンチ発言がある。先日も「朝まで生テレビ!」で、社民党議員が「投資を活発にするためには消費を活発にすればいい」と意味不明の発言をしていたが、これと同レベルだ。 第一、そもそも野田内閣の時の消費税率上げの合意がなければ、アベノミクスはもっと順調だったはずだ。野党第一党の民進党が存在している限り、野党側からまともな経済政策が打ち出されることはない。 民進党よ直ちに解党せよ。過度の共産党恐怖症である理由7 過度の共産党フォビア(恐怖症)である 民進党の前原誠司氏は、地元(京都選挙区)で共産党と競合していることから共産党アレルギーが強く、いったん共産党と手を組むとシロアリの如く蚕食されるという「共産党シロアリ論」が持論である。 しかし、シロアリに食われるかどうかは家の所有者の注意次第であって、端から警戒一色というのは「我々には共産党を御することはできない」「我々は政治家として未熟です」と告白しているに等しい。 かつてフランスのミッテラン大統領は、反対を押し切っていったん共産党を与党としたが、利用価値がなくなるとものの見事に切って捨てた。こうした胆力も度量もないのが民進党である。 民進党よ直ちに解党せよ。理由8 地方議会に議席が少なく有権者に根ざしていない 小選挙区制度は時の政治情勢に大きく左右され、候補者個人の資質の如何を問わず簡単に当選してしまうので議員の質が低くなったという議論がある。たしかにそのとおりだが、現在の与党(自由民主党・公明党)に比べて民進党の地方議会における地位の低さには愕然とするものがある。たとえば舛添騒動のあった東京都議会の議席は、自由民主党六十、公明党二十三、共産党十七、そして都議会民進党は十四と第四党で、小選挙区でもないのに実は共産党よりも議席が少ない。 これは一例にすぎないが、地方政治においては全く影が薄く、有権者に根ざしていない。そのくせ、とにかく国政で目立ちたい人間が多いのが民進党なのだ。 民進党よ直ちに解党せよ。人材がいない理由9 人材がいない 代表代行の長妻昭という「調査マン」には、大臣就任前にレクチャーをしたことがあるが、雑誌記者の時の性格が抜けず、私が話した内容をワープロにキーパンチングしていてまったく目を合わせない有り様だった。 一体、これは改まったのか。改まらないから官僚にそっぽを向かれて、厚労大臣職がロクに務まらなかったのではないかと危惧している。 そのほかにも、岡田のライバル(代表候補)だった細野豪志は「何がやりたいのか分からない」と同党の辻本清美が匙を投げたといわれている人物。衆院予算委で質問する細野豪志氏 前原誠司は、二〇〇五年の偽メール事件(ライブドア=当時=の堀江貴文社長が自民党幹事長の次男の口座に三千万円振り込むよう指示したと国会の党首討論で取り上げたが事実無根で、主導した民主党衆院議員がのちに自殺した事件)の責任者でありながら、未だにバッジを外すこともなく恥知らずに議員を続けている。人間性に決定的な問題があるといえよう。 民進党よ直ちに解党せよ。理由10 民進党は近く分裂するから投じた票は結局死票になる 民進党の解党は近い。解党すれば有権者の投じた票は事実上の死票であって、あとは議員の意のままになってしまう。そんな事態は不誠実である。早期に理念をはっきりとさせた、少数精鋭の複数の党になるべきだ。 もう一度いう、民進党よ、直ちに解党せよ。これが一番日本のためになるのだ。  民進党の解党後は、①連合組織内議員や組織内議員ではないが、原発反対などを主張する議員で構成する左派政党②連合と一線を画す党で原発容認、行政推進の自由主義的政党③他党さらには自由民主党とも連携して改憲もうかがう保守的な政党などに分裂するほかなく、またそれが一番有権者にとって分かりやすく誠実であろう。 何度でも言う。民進党よ、日本の将来のために解党せよ。きむら・ひでや 1965年、横浜市生まれ。東京大学文学部哲学科卒。旧民主党政策担当秘書。現在、評論、講演活動等に従事。

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    政治の劣化はマスコミの劣化だ

    るとたしかにそのとおりで、都庁から東京都を出て神奈川県の湯河原の別荘に頻繁に公用車で通っているとか、政治とは何の関係もない美術品や本を経費で買っているとか、果ては正月の温泉への家族旅行まで会議費という名目の政治資金を使っていたという、なんとも破廉恥な行為が発覚した。 このあたりは法律上、情報公開が認められていることが調査報道の大きな助けとなったのである。 しかし追及する側にもそうした不正を見抜く目がなければ、この報道は成立しない。そういう意味では『週刊文春』一連の報道は高く評価すべきものだろう。 ところが第二弾、第三弾と舛添追及キャンペーンが続くうちに私はだんだん苦笑するようになった。もうやめればいいとすら思った。もちろんそれは舛添氏に対する同情ではないし、醜いことはできるだけ耳にしたくないとの短絡的反応でもない。正直言って「文春さん墓穴を掘るよ、馬脚を現すよ」と思ったのである。 もちろんそんなことを言われては『文春』は心外だろう。しかし私がそう思ったのは事実だから、どうしてそう思ったのか、ちょっと書いてみることにする。地元はもう知っていた地元はもう知っていた そもそも当初は硬派の外交・政治評論家として売り出した舛添氏が、厚生労働大臣になれたのは、母の介護体験を語った『母に襁褓をあてるとき』がベストセラーになったからである。 オムツなどと言わず襁褓などという忘れられていた漢語を使うところがいかにも舛添氏らしいが、『週刊文春』のキャンペーン第五弾「母介護の大ウソと骨肉の銭ゲバ闘争」(二〇一六年六月九日号掲載)によれば、「『政治家としての原点は母の介護』。舛添氏はそう公言して、介護本を量産し、厚労相となり、都知事にまで上り詰めた。だが氏の故郷で“美談”を信じる人はいない」とある。 察しのいい方はもうおわかりだろう。「故郷で“美談”を信じる人は(誰も)いない」ならば、なぜもっと早く舛添要一という男のデタラメぶりが報道され、糾弾されなかったのか? それはマスコミの大きな失敗ではないかということなのである。 この記事を読めば舛添要一はとんでもない人間だということがわかる。あえて言えば、まさに厚生労働大臣になるにはもっとも不適切な人物であるということだ。だからこそ舛添氏が己の欠点を隠すため、ありとあらゆる権謀術数を労し、さすがのマスコミもまんまと騙されていたというなら話はわからないでもない。 しかし、この『文春』の記事は読めば読むほど、舛添氏はインチキ野郎だということが少なくとも故郷・福岡においては周知の事実であったことがわかる。そして、逆にそれに気がつかなかった『文春』さん、いやすべてのマスコミは一体何なの?という印象を抱いてしまうのである。 たしかに『文春』には『文春』の言い分があるだろう。ここにも書かれているように、舛添氏を「介護のスター」にしたのは明らかにテレビ報道である。それに対して『文春』は「舛添要一『消せない過去』」などという記事を掲載し警鐘を鳴らしたというのは事実だろう。 しかし結局、舛添氏は厚生労働大臣を続け、さらに都知事にまでなってしまった。もし、このキャンペーン記事に書かれているとおり、「母介護の大ウソ」が故郷では周知の事実だったとしたならば、その事実をもとに舛添氏を厚労相辞任に追い込むか、そこまで行かなくてもせめて東京都知事になることを阻止できなかったのか、という感想をどうしても抱いてしまう。そうすれば膨大な税金の無駄使いは節約できたはずだ。『文春』が追及すべきこと『文春』が追及すべきこと タイトルの「小人罪無し 玉を懐いて罪有り」は中国の古典「春秋左氏伝」の言葉で、「せこくケチで人格が破綻したようなとんでもない人間(小人)でも、それだけでは罪を犯すことはない、いや犯す機会には恵まれない。身分不相応の財宝を持つとそれを利用して罪を犯すようになる」という意味である。6月15日、本会議の最後に退任の挨拶をした舛添要一都知事。最後に一礼して退席した=東京都庁 現代社会においては政治家の権力には資金(財宝)が必ず伴うものだから、この名言は「小人が身分不相応の権力を持つとそれを利用して罪を犯すようになる」と言い換えてもいいだろう。まさに今回の舛添都知事のケースがそれに当てはまる。 いかに舛添氏が国民の税金を無駄遣いしようと思っても、それが可能な地位にいなければそんなことは不可能だ。だから責任は当然当事者である舛添氏にもあるが、舛添氏を選んだ有権者にもあるということである。 そして民主主義社会において有権者が的確な判断ができるように、その目となり耳となるのがマスコミの責務だから、結果的に有権者をして舛添氏というとんでもない人間を都知事に選ばせたのはマスコミの責任でもある。その責任はかなり大きい。 一般市民は舛添氏がどんな人物か直接取材して確かめるなどということはできない。それが可能なのはマスコミだけなのである。だからこそ責任は重い。 私がいま知りたいのはどうして舛添要一という「小人」がまんまと東京都知事になってしまったのか、ということである。『文春』さん、舛添氏がどれだけ政治資金を私物化したかという報道はもういい、充分だ。それより、なぜマスコミが舛添氏をストップできなかったのかを是非解明してほしい。 そこには長年、雑誌ジャーナリズムが批判してきた、記者クラブ制度がもたらす政治家との癒着という問題もあるはずだ。私にも記者クラブの経験が若干あるが、この制度はたしかに結構大臣と密着した関係が築けることも事実である。 となれば、おそらく数十人に上る舛添厚労相担当記者のなかには当然舛添氏が「小人」であることに気づいた人間も少なからずいたはずで、彼らはなぜそこを追及しなかったのかというのは、日本のマスコミの欠陥を探るうえで重要なテーマであるはずだ。 やればできる。たとえば『文春』の報道なら宮崎謙介という「イクメン国会議員」を自称しながら、実は妻の出産直前に美人タレントと不倫をしていた「ゲス」に対する糾弾は見事だった。 それに比べてタレントのベッキーの不倫報道は、たしかに話題性はあったが日本の政治の浄化に役立ったわけではあるまい。 そうした芸能ネタより、本当に日本という国にとってプラスになり、なおかつ雑誌も売れるというネタはまだまだあると思う。 日本の政治家の質はかなり落ちてきたという認識もある。それが事実かどうかはともかく、いま日本には『暮しの手帖』の家電批評のように政治家を批評する場が、舛添氏のような政治家の出現を阻止するためにも必要だ。そしてその役目には政治家との癒着に陥りやすい新聞よりも雑誌ジャーナリズムがはるかに適しているのではないのか。いざわ・もとひこ 1954年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業後TBSに入社、報道局に勤務。80年、『猿丸幻視行』で江戸川乱歩賞受賞。退社後は、日本史と日本人についての評論活動を精力的に展開。代表作『逆説の日本史』は現在も連載中。

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    橋下徹にあって小池百合子にないもの

    違いなく永田町でも台風の目になりそうだが、どうも周囲をやきもきさせる場面が多い。これもきっとお得意の政治パフォーマンスなんでしょうが、この2人の相性って、実のところどうなんでしょう?

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    次期首相候補はどっちだ? 橋下徹と小池百合子が秘める本当の実力

    圧倒的支持を得、ダブル選で大勝。この勢いは現在、大阪副首都構想、2025大阪万博へ向け、大阪大改革の政治的エネルギーとして脈々と生きている。ニュー大阪都構想は再来年、もう一度住民投票で問われるようだ。異色の政治家2人の共通点 その「破壊的」改革の旋風はこんど東京へ。この7月31日。自公推薦候補優勢の予想を大きく覆し、唯一政党の支援を受けなかった(正確には受けられなかった)小池百合子氏が都知事に当選した。自ら給与を半減、身を切る覚悟を鮮明に打ち出し、「見える化」「もったいない」、そして自民党都連をブラックボックスと敵視する戦いぶり。この姿は橋下徹の現役の頃とだぶって見えた。守旧派を敵とし、自らを改革派と位置づけ、改革派こそが時代の正義だと訴える選挙手法は、あの小泉純一郎の郵政解散、橋下氏の出直し選にも酷似していた。府中市内で街頭演説を行った小池百合子氏=2016年7月27日 舛添要一が「政治とカネ」で突然辞職。その後継選挙を制した小池氏の大勝で、高額な海外出張、公金、公用車の公私混同疑惑など暗雲垂れ込めていた東京の政治風景は、この半年で一変した。舛添釈明会見を報じ続けていたマスコミも、今度は一転、豊洲への移転延期、五輪施設の見直し、都庁無責任体制と気炎を上げる小池都政を、もろ手を挙げて支持しているかのような報道ぶりへ。その豹変さにマスメディアの危うさも感ずるが、ともかく都民の支持率は高く、初の女性都知事誕生で、東京はいま清みきったクリーンなイメージの政治状況に包まれている。 さて、既成政党と一線を画しての異色の政治家、橋下徹と小池百合子。この2人に共通するのは、もしかわが国でトランプ現象が起こるとすれば、いずれ次期首相候補になるかもしれないという期待感だろう。もちろん、キャリアもタイプも年齢も違う2人に首相待望論を述べるのは、筆者としてはいささか早計の感を拭えないが、世の中の見方を代弁すれば、この先トランプが熱狂されるような大改革を進めるとすれば、その予測も的外れではなかろう。 特に橋下氏はいま、政治的エネルギーを蓄積中だ。各地の講演は「大阪改革」の実績を元に「日本改革」のあり方を説く。実践に基づく、弁舌の巧みさに聴衆は多く拍手する。民間人を強調するが、この話ぶりはどう見ても政治リーダーそのもの。もちろん、本人はその空気を楽しんでいるフシがあるが。ともかく自民支配の1強多弱政治に国民が飽きたと見た時、大都市から日本を変える新しい政治勢力を立ち上げるかもしれない。また、大都市から「納税者の反乱」―身を切る改革、税金の無駄遣い排除、国が変わらないなら地方から変える、を旗印に日本版トランプとして一気に日本改革に打って出るかもしれない。 そうした日本政治が新たな局面に入るとすれば、そのよきパートナーは大票田を抱える首都知事、小池百合子ではなかろうか。わが国はいつまでも政治3流国に甘んずる必要はない。しかも都市国家になり8割の住民が都市住民になっているのに、相変わらず農村過剰代表制の政治が続く。この保守性、後進性を打破する必要性を認める有権者は相当数に上る。要は誰がそれに火をつけるかだ。「小池劇場」に見えてきた陰り 自治体改革の手法に関し両氏の共通点は多い。まず問題意識が共通で、「税金の無駄遣い」を徹底的に排除しようという点にある。橋下氏の掲げる大阪大改革の論点は次のようなもの。 ――大都市大阪の経営合理化をめざす「大阪都構想」。これは大阪の地盤沈下を食い止め競争力の強い大都市をつくる、そのため大阪府と大阪市を一旦廃止し、新たに「都制」へ移行する。これまで大阪の司令塔は見えず、中心地域は大阪市政が握り、大阪府政といえども事実上同市域に手は出せなかった。同市域に府率、市立の施設が林立しサービスの重複化も目立った。それ以上に膨大な官僚機構の大阪市と大阪府という2頭立ての統治機構が並存し、府市合わせ(不幸)が相互に軋轢を生み壮大なムダを生んできた。大阪百年戦争、これに終止符を打ち、司令塔を一本化、スリム化し、大阪都を創ることで関西経済の復権を図ろう、というシナリオ。その先は道州制も視野に。 これに対し、小池氏の掲げる東京大改革の論点は次のようなもの。 ――小池都政は始まったばかりとはいえ、次々に都政刷新の観点で様々な問題を提起、都民ファーストの視点で「都政の見える化」を図ろうとしている。都政に既定路線はないと公言し、築地市場の豊洲移転を延期し、オリンピック施設の整備費見直しなどに挑戦。土壌汚染対策として豊洲に盛り土がある前提で進められてきた市場移転プロジェクト。開けてみると、説明されてこなかった地下空間の存在や盛り土をしない決定過程の隠蔽、議会にも社会にもウソの答弁(説明)を続けてきた問題が露呈。こうした「閉じた都政体質」を徹底的に批判、変えようとする小池都政。五輪施設の整備コストの増大も、IOCまで巻き込んでのコスト削減改革に踏み込んだ。こうした動きに都民の多くは拍手を送ってきた。 橋下改革も小池改革も「劇場型政治」と言われる。ただ、ここにきて小池劇場はそろそろ終焉の感が強い。ワンイッシューポリティクス(単一争点政治)に陰りが見える。問題提起はよかったが、この先、問題解決ができるのか。5800億円も投じた豊洲市場にあたかも自分の意思で何とでもできるような振る舞い、これに対しいつ移転でき、いつどの時点で事態を収束できるのか、不満は高まっている。 それまで幾らカネがかかり、利用業者と折り合えるのか。五輪のボートカヌー会場を東京から宮城長沼ボート場に移すような動きだったが、そうならない場合、後始末はどうするのか。決定過程の「見える化」を図ることは良いが、政治は結果である。特別顧問ら一部のブレーンに振り回されている感じがする。物事をじっくり練った上で決める、巨大官僚制を生かして仕事をする、議会にしっかり説明し理解をえる。ここが弱すぎ、行動が軽すぎないか―そうした批判が強い。日本初「都市型新党」誕生への期待 話題性の高い政治塾について一言。確かに橋下氏の「維新政経塾」、小池氏の「希望の塾」は世の中から塾生を募って自らの政治理念を学ばせようという点、またそれを基礎に新党立ち上げも、という点は似ている。しかし筆者がみる限り、決定的な違いもある。小池塾はどうみてもファンクラブ的色彩が強い。ふわっとした感じの塾。政治に関心のある人、政治家をめざす人、小池さんが好きな人と3グループの混成塾の感じ。ポイントとなる政治塾の哲学、何をやりたいかがもうひとつはっきりしない。 学習塾ならそれでもよいが、新党につなげるにはパワー不足。講師陣も「好みで集め」、今のところパッとしない感じ。政治志望でも必ずしも改革の志士が集まっている訳でもなさそうだ。次期都議選などを睨んだ選挙互助会と言う人もいる。国会議員や都議からの参入者も少なく、自民を脱藩した7人の侍という豊島区議が軸のようだ。2015年5月、大阪都構想をめぐる住民投票で演説する橋下徹氏=大阪市中央区(村本聡撮影) その点、橋下塾はもっと末広がりをもつ。自らの大阪都構想に賛成する改革勢力を議会内につくろうと、大阪府議会の現職自民議員を真っ2つに割って「大阪維新の会」を創設。知事自らが党首になるという前例のない手法で議会を牛耳り、選挙選を戦った。間を空けず「維新政経塾」を立ち上げ、3000人余の立候補予備軍を全国から集め、新党・日本維新の会を創設し、2012年12月の総選挙で国政にも大躍進。大阪都構想、「国のかたち」を変える統治機構大改革という国家百年の大計という理念をもつ改革の志士団。まさに両塾には、「希望」と「維新」という、表現にみるような違いがある。 とはいえ、小池塾も温かく見守る必要がある。まだ始まったばかりでヨチヨチ歩き。徐々にノーハウを蓄積し力を得てくるかもしれない。この先、小池、橋下両氏が性格的に気脈の合う2人かどうかは分からないが、もし、この2人が組んで、日本でまだ顔をみない「都市型新党」をつくる可能性があるなら期待したい。大阪、東京という日本の2つの基幹大都市が政治的に一体化し、それに名古屋の河村たかし氏らが加わっていくなら、農村過剰代表制ともいわれる古い自民党に代わって、大都市有権者の不満、不信、不安を吸収し、都市有権者に密着した都市型新党が立ちあがるかもしれない。 その新党が新たな政治勢力として国政レベルまで台頭するなら、大阪改革の実績をもつ40代の若い橋下徹氏、女性初の都知事として辣腕を振るう小池百合子氏、この両氏に日本を託す時が来るかもしれない。

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    塾生の私だから分かったことがある! 「小池塾」の実態と勝算

    ざす、都民ファーストの理念のもとに集まった同志の集団である。むしろ、今までの単なる選挙のための集団や政治応援団ではない、都政の本当のあるべき姿を学び、いびつなしがらみや空気抵抗のない「当たり前の都政」を考える私塾ととらえることもできるのではないだろうか。小池知事、いや小池塾長は3つのポジションからのアプローチを展開してさまざまな問題を解決しようとしていると想像できるからだ。 まず何よりも、都知事という都民に付託された、東京でたった1人のポジションの活用だ。その権限をフルに活用し、都政改革を都民代表として大なたを振るう。当然、一挙一投足にいたるまで行動に注目が集まる。しかし、これは今までの都知事と変わらない。小池塾長の巧みな「情報マネージメント」 2番目は、その問題解決手法を常にメディアが取り上げやすいように加工して提供する、小池知事のスキルの高さだ。まるで小池知事に世間の追い風が吹いているかのように、問題が次から次へ浮かび上がる。いや、それは「週刊文春」並に、都政内スクープの情報を張り巡らせているから知り得る問題なのだ。しかし、問題はいつまでも先延ばしにはできない。今度は解決する能力が問われ出す。 そして3番目は、世間の風を読む上手な魚の目を持つことだ。それが小池塾「希望の塾」というインフォーマルな私塾フォーマットの集団を持つことによってメリットが出てくる。税金を一銭も使わず、公務の間に都政を教え、ゲスト講師から勉強してもらう集団。マスコミに公開するのは冒頭の5分間だけ。残りは塾生のためだけの時間というプレミアム感も満足度を高めている。マスメディアは5分間しか報道できず、塾生はネットなどで内容を公開することは控えるよう厳命されている。 このオープンなのにクローズド、クローズドでありながら漏れ聞こえてくるという状況づくりが本当に巧みなのだ。知りたがるマスコミと視聴者、喋りたいけれど喋れない塾生。完全に秘密でも駄目。オープンでも駄目。微妙なさじ加減が小池塾長の「情報マネジメント」なのだ。 当然、6回の講義の間に脱落組は発生するだろう。しかし、すべてが現在進行中の豊洲問題やオリンピック問題などの当事者情報を、メディア経由ではなく当事者の講師が伝えるプラットフォームが形成されつつある。 たとえば、塾生が3000人になったとしよう。1人の塾生が10人に資料を渡すようにと、メディアには公開されていない、ここだけの情報を配布できるとしたらどうなるだろうか。それは、あっという間に3万人に配布されることを意味する。メディアやSNSがそれに加わると、30万から300万人に情報が拡散する。 これはもう、来年7月の都議会に新党を立ち上げて、ポスターを貼るなどのハナシではなくなってきている。ポスターの掲示板は東京都では1万7000箇所ある。ポスターがなくても何かのイデオロギーが浸透すれば、新党がなくても当選する確率は圧倒的に高まる。すでに選挙プランナーの松田馨(かおる)氏による立候補の心得なども講義されている。11月14日のTBS系ワイドショー「ゴゴスマ」では作家の猪瀬直樹元都知事が出演し、リアルな話をしてほしいと小池知事にお願いされて講演したと述べている。都民ファーストという名の主権者教育 すでに3000人の塾生が毎月集まり、各々が10人規模から20人規模の勉強会を開催したら、5000人ほどのインフォーマルな都政の勉強会が成立する。それがfacebookやTwitter、LINEなどのSNSで拡散される。 それが、翌日のテレビや新聞で話題になる。それは塾生のモチベーションも自然に高まるだろう。都政改革のメンバーとして、問題解決手法の裏話が、レイヤーを分けて情報公開がなされていくのだ。今までの記者会見、メディアの発表、都民はそれをなんとなく後で知るというプロセスの改革が起きはじめるだろう。 そう、都政の問題解決の「裏話」はここだけのハナシとしてSNSで拡散しやすい。それが豊洲問題、オリンピック問題、都連問題、さらに新たなネタのトピックをマスコミよりも先に知るというメリットはわかりやすい。それによって都政改革は可能なんだという確信が得られた時、都議会選挙は改革を推進できる議員しか選ばないという都民ファーストの考えが起きても不思議ではないだろう。 それは今までの献金団体でも、選挙の集票装置でもない、しかも候補者絞込みのプラットフォームでもない新たな集団となるだろう。自らが都政に関心を持ち、どうあるべきかを考えて投票を行うスマートな選挙民、つまり本当の主権者をたくさん生むこととなる。小池塾は、都民ファーストという名の主権者教育なのである。 筆者が塾生という立場に立っているからかもしれないが、立候補した人を応援するよりも、立候補するまでのプロセスを数千人、数万人で見届けるという、言わばアメリカの大統領選挙予備選を垣間見ることが出来そうな気がしている。 「希望の塾」は2017年3月4日で全6回が終了する。しかし、その3カ月後には都議会選挙が待ち構えているのだ。都議会の定数は120名だ。自民党の持つ都議会60名の議席、公明党の議席は23名だ。合計83名。自公に匹敵し、凌駕できる候補を出せた時の政党の名は、きっと「希望の党」だろう。社民党と自由党の「希望の会」はきっと忘れ去られているのではないだろうか。自民党の崎山知尚政調会長の代表質問に応じる小池百合子都知事=12月7日、都庁(納冨康撮影) 自公の大勢力は、小池知事とその勢力を味方としてそれなりのポジションを与えるのか、敵とした時の損害のリスクを考えながら都議選に臨まなくてはいけない状況になってしまった。そう、小池塾は、小池百合子の都議会選挙の「先出しジャンケン」でもある。そして半年後には筆者の予見がホンモノか妄想だったか、明確になっていることだろう。※この論考は小池塾の塾生として知り得た情報ではなくメディアやネットの情報を総合的に判断し、これから起こりうる政策を予測した憶測記事である。

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    似た者同士はうまくいかない!? 橋下徹と小池百合子「共闘」の条件

    営からは「独裁者」と呼ばれる二人の強力なキャラクターが激突し、対決すれば、はた目には面白い劇場型の「政治ショー」が見られるであろうからである。  今後、2人の関係が実際に火花を散らし合い、しのぎを削ることになるのだろうか。  実際に橋下徹氏は、小池百合子都知事の政治行動をかなり意識していたようだ。 まず、橋下氏は小池氏の都知事就任直後に俎上に上がった築地市場の移転問題に関して、東京都職員による「意思決定システム」を取り上げ、小池都知事が疑念を示す「地下空間を設けることが、土壌汚染対策に反しているとは誰も思っていない」と批判し始めた。 同時に橋下氏は、「小池百合子東京都知事はこのほど、現役の市場長を更迭した。(中略)今後小池さんが、とんでもない決済の負担を負うリスクが生じるということだ」(プレジデントオンライン)と、都職員の更迭に対して問題点を指摘する。 しかしこの時点での橋下氏は、小池都知事に対して好意的なアドバイスをするような素振りが見えていた。「小池さん、大改革をやるなら『一発目』の予算が唯一のチャンスです!」(同)などというエールも送っていたからだ。 しかし、11月17日、橋下氏自身のツイッターで小池百合子都知事が主宰する「小池塾」の講演をギャランティーの問題から断ったことを自らこう明かしている。「(小池塾)僕のマネジメント会社から連絡があった。週刊文春から問い合わせがあったとのこと。小池塾サイドは1、当初無料と思っていたのに金額を聞いてびっくりしている 2、橋下が東京に行くのだから2回講演をやらせろと言われた、と言っているがどうなのか、という問い合わせ」  そのツイッターや週刊文春の報道などによれば、事の顛末は橋下氏側が「一回200万円」の講演料を要求したのは事実だが、仲介に入った渡辺喜美氏らが「無料でやらせる」などと言って介入した。そのため、金額面で折り合いがつかなくなって断り、橋下氏側が「(小池氏とは)距離を置く」と語った―という経緯が明らかになった。「安易なリベラル主義」に走らない お互いが相当意識し合っているからこそ起きた今回の両者の「摩擦」は、いまだ「激突」という段階には至っていないようだが、二人の政治思想とそれに基づく政治姿勢をよく見ると、いわば当然の帰結であると見てもおかしくはない。 一つには、小池百合子都知事と橋下徹氏は、「強いリーダーシップ」を武器にして、「守旧派」である東京都議会や大阪府議会・市議会、「既得権益」である都庁や府庁、市役所などとマスコミを交えて対立し、常に国民に対して結果を問おうとすることで共通している。おおさか維新の会の戦略本部会議に出席した前代表の橋下徹・法律政策顧問=2月27日、大阪市中央区 そっくりに映るこの二人の政治姿勢は、既存の体制を「ぶっ壊す」という手法であり、政治的な思想で言えば、「新自由主義者」と呼べるところに共通点がある。 さらに、橋下徹氏が大阪府知事や大阪市長時代に府政や市政の「無駄遣い」を取り上げ、小池百合子氏が「都政の情報公開(明瞭化)」「東京五輪の予算削減」を打ち出す―という手法自体に特色がある。「政治・行政手法の効率化と透明性」、指揮命令系統の「トップダウンの明確化」などを重視するという点で、酷似する政治手法を採っていることになる。 つまり、「合理主義的」で「効率主義的」な政治手法を重視した「新自由主義」や「グローバリズム」の思想の流れに乗った政治を行っているという点が類似しているのだ。 その一方で、この2人は、日本に良くありがちな「安易なリベラル主義」の路線には走らない。この場合の「安易なリベラル主義」とは、政治家として常に「反国家・反権力主義」や「日米安保反対」、「日本国憲法絶対護持」などというスタンスを指すが、為政者としては過度な「平等主義」や社会的に不公正な「弱者救済主義」を採っていない。 事実、橋下氏は大阪市職員組合や日教組など労組のあり方に異論を唱え、憲法9条を含めた憲法改正には積極的。一方の小池都知事は、かつては「憲法停止論」や中国・北朝鮮への「核ミサイル防衛」にも賛成の意向を示したことがあるほどだ。「似た者同士」の2人 つまり、二人はあくまで「似た者同士」なのである。しかし、小池都知事と橋下氏が「似た者同士」だからといって、今後ずっとうまくいくとは限らない。例えば、かつての永田町で小沢一郎氏と野中広務氏は、お互いに「策士」と言われながら「犬猿の仲」だったし、逆に「盟友」と呼ばれた田中角栄氏と大平正芳氏の二人は、性格や政治手法において正反対であったが、お互いの弱点を補い、日本の政治の中枢に共に座り続けた。政治家同士が「似ている」だけでは、お互いの政治の相性や結果がうまくいくとは限らないのだ。 今後、この二人が合従連衡していくのかはハッキリ言って分からない。今のところ分かっていることは、「お互いの共通の敵」が現れ、その「敵」が強大化したときには、手を組む可能性があるということだ。小池氏(右)と橋下氏、共闘する日は来るか 現段階で、二人の「共通の敵」とは、「自公政権」ではなく、むしろリベラル的な「民共連合」だろう。だが、二重国籍問題を放置したままの蓮舫代表の民進党などの現状を見ても、今後リベラル左派的な政党勢力が勢いを増す恐れはあまりない。 しかし、仮に小池氏が新党を作り、橋下氏が政界に復帰した場合には、「小池新党」と大阪維新の会と張り合うこともあり得るだろう。そうだとすれば、このまま二人は、距離を置いた以上、いつかまた激しく反発し合う可能性も高い、と予測できるのである。

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    拙速で無理な懲戒処分に表れた「小池劇場」の行き詰まり

    郷原信郎(弁護士、関西大学社会安全学部客員教授) 小池百合子東京都知事が、11月25日の定例会見で、都幹部18人の減給の懲戒処分と、退職者に対しては給与自主返納の要請を行うことを発表した。 11月23日にアップしたブログ記事【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】でも指摘したように、今回の処分の根拠とされた「第二次自己検証報告書」は、凡そ調査報告書の体をなさない杜撰な内容であるだけでなく、技術会議報告書の結論を、「敷地全体に盛り土をするのが都の整備方針とされた」という方向に歪曲している疑いもある。同報告書は、懲戒処分の根拠となるものとは到底言えない。定例会見に臨む小池百合子知事=11月4日、都庁 毎日新聞の記事【盛り土問題 世論意識、処分急ぐ 都知事、責任解明できず】でも適切に指摘されているように、今回の懲戒処分は、小池氏が拙速にこの問題の「幕引き」を図ったものと評さざるを得ない。 今回の懲戒処分には多くの無理がある。「小池劇場」を演じることで、世論の大きな支持を得てきた小池氏だが、ここに来て、状況が徐々に変わりつつあることに気付いていないようだ。 私の【前回ブログ記事】は、同氏が世の中から圧倒的な支持を受けている中、多くの反対意見を覚悟の上で、豊洲市場問題への小池氏の対応を批判したものだったが、BLOGOSに転載された同記事は大きな支持を得、ブログのコメントやツイッターでの反応も多くが好意的だった。豊洲市場問題を、冷静に客観的に受け止め、小池氏の対応に疑問を持つ読者が増えていることが窺われた。 ツイッターで、「豊洲市場」を検索してみると、今回の小池知事の都幹部懲戒処分の発表に関して、批判的ツイートが多く並ぶ。「小池劇場」の観衆の雰囲気は、確実に変わりつつあるようだ。 そんな中、小池氏は、25日の記者会見での、都幹部懲戒処分に関する質問に対しても、明らかに不合理な回答でごまかしている。ラストシーンで主演監督自身が舞台に 前出の毎日新聞記事を書いたと思える記者からの質問で、「通常の懲戒処分は大体6ヶ月以上かかると言われる中で、処分の時期が早いのではないか」と質問され、小池氏は、 法曹界の方々を含めたご意見を聞き、今回の結論に至ったわけでございまして、決して、早すぎるから、という話ではないと思います。むしろ、市場関係者の方々からすれば、早すぎるということは全くないんじゃないだろうかと、全てが遅すぎると思われていると思います。と答えている。 「市場関係者からすると全てが遅すぎる」というが、市場関係者の多くは、小池知事が移転延期を発表して以降、混乱が続き、未だに先が見通せない豊洲への市場移転問題の早期決着を求めているのであり、都の幹部の懲戒処分が早いか遅いかなどには、誰も大きな関心を持ってはいない。 また、「法曹界の方々」からも意見を聞いたというのであるが、それは一体誰なのだろうか。処分の妥当性について弁護士見解を得ているというのであれば、その弁護士名を明らかにし、責任の所在を明確にすべきであろう。 そもそも懲戒処分の根拠とされている「事実」自体に問題があるという点を別にしても、懲戒処分の妥当性という面から考えると、今回の「5分の1減給6か月」というのは、明らかに重すぎる。刑事事件の量刑で言えば、「法定速度を20㎞オーバーしたスピード違反」を、法定刑の上限である「懲役6月」に処するようなものだ。まともな弁護士であれば、「適切な処分だ」とは言わないであろう。 今回、小池氏は、都幹部への処分と併せて、「就任前の事案ではあるが、自らけじめをつけるという意味で、知事給与の5分の1を自主返上する」として給与自主返上の方針を明らかにしている。それは、おそらく、知事給与を半額に削減する条例案の提出で、都議の給与が知事を大幅に上回り、都民から都議の給与引き下げを求める声が出る状況を作って都議会議員をゆさぶったのと同様の発想で、本来は責任のない現知事として給与自主返納を打ち出すことで、本来責任を問われるべき当時の知事の石原慎太郎氏にプレッシャーをかけることを意図したものかもしれない。 しかし、そもそも、都幹部に対する懲戒処分の前提事実自体に根本的な疑問があるのであり、それに関連して、都知事給与の自主返上を打ち出すことが、石原前知事に対してどれだけの効果があるのか疑問だ。 「小池劇場」の第1幕「豊洲市場・盛り土」を早期に幕引きして、第2幕への観衆の期待を高めようとしたのだろうが、ラストシーンで主演監督自身が唐突に舞台に登場せざるを得なかったところに、このストーリーの苦しさが透けて見える。 「小池劇場」も、行き詰りつつあるように感じざるを得ない。(ブログ「郷原信郎が斬る」より2016年11月26日分より転載)

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    小池政治塾に4000人 身体検査までは手が回っていない?

     小池百合子・東京都知事が〈東京大改革を目指して、都政を学ぶ〉と掲げた小池政治塾には募集開始(9月28日)から締め切り(10月20日)までのわずか20日あまりで4000人を超える希望者が殺到した。そのうち3割を女性が占めるという。4年前に旋風を起こして国会議員や地方議員を輩出した橋下徹・前大阪市長の維新政治塾の第1次募集の応募者(3326人)を大きく上回る人数だ。 参加者には受講料(一般男性5万円、女性4万円)に加えて小論文などの提出が課せられたが、締め切りから5日後には合格を通知し、ネットに「小池塾に合格しました」「小池塾で学んだことをネットで報告します」といった声があふれた。政治塾「希望の塾」の開講式を終え、笑顔で取材に応じる小池百合子東京都知事=10月30日、東京都豊島区 塾の規約には、〈本塾は、人材育成に主眼を置いた組織であり、特定選挙において「都民ファーストの会」「小池百合子」の公認・推薦・支持・支援を塾生に約する組織ではない〉と断わりがあるものの、合格者には「将来、選挙に立候補する意思があるか」「立候補したい選挙の種類」「所属したい党派」などのアンケートが行なわれており、来年7月の東京都議選をはじめ、国政や他の地方議会を含めた“候補者養成”を睨んでいることは明白だ。 政治塾を運営する政治団体「都民ファーストの会」会計責任者の音喜多駿・都議が語る。「政治家になる意思が本当にあるかというアンケートは行なっています。小池都知事にも政治信条が同じ人を集めたいという思いはあるでしょう。選挙対策講座を開く準備もしています」 日本の議員数は国会、都道府県議会、市区町村議会すべて合わせて約3万5000人。そのうち国会議員の約6割、都道府県議会の5割が自民党議員で、市区町村議会も自民党系無所属議員が多数派だ。そこにいきなり4000人超もの“対立候補予備軍”が出現したのだから、脅威に感じるのは当然だろう。政治評論家の浅川博忠氏がこの現象を分析する。「現在は国政も地方議会も議員の新陳代謝が起きにくい状況がある。国政選挙は自民党が4連勝して選挙区は現職議員で埋まっている。地方議会でも旧民主党系会派が衰退して自民党系会派と公明党で顔ぶれが固定化しているケースが多い。 知名度や組織のバックがない新人が自民党から選挙に出ようとしても、『資金はいくらあるのか』『票は何票あるか』といわれて候補者になれない。かといって落ち目の民進党から出たいという人は少ない。塾生は政治家になりたい人ばかりとは限らないが、行き場がない政治家希望者たちが小池人気を頼りに“この指止まれ”に応じたのではないか」 それにしても4000人は尋常ではない。「塾生の選考期間が短く、本人の資質など候補者としての身体検査までは手が回っていないと思われる。よくいえば玉石混淆、有り体にいってしまえば烏合の衆です。それでも自民党にすれば、“来年1月解散、2月総選挙”を視野に入れている中で、小池新党として塾生たちに出馬されると厄介。なんといっても政治塾の応募者の多くは熱心な小池支持者ですから、小池新党には4000人の選挙ボランティアがいると考えた方がいい」(浅川氏) 地方議会でも、政務調査費問題で自民党系議員らの辞職が相次いでいるだけに小池塾生を名乗れば風に乗って当選する者もかなり出てくる。まさに自民党は小池新党の“4000羽の烏”が風に乗って縦横無尽に羽ばたいて票数を荒らし回ることに怯えているのだ。関連記事■ SAPIO連載・業田良家4コマ漫画【1/2】「勝敗ライン」■ 小渕優子は非難せず 大メディアの「小沢献金」批判は支離滅裂■ 衆院落選議員 参院へ鞍替え図るのは借金苦から逃れる側面も■ 小池都知事 オヤジたち潜む伏魔殿の都議会とどう渡りあう?■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意

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    ブーム去って維新塾以外全滅 「小池塾」の期待と不安

    東京都知事が立ち上げた「希望の塾」は、塾生応募者数が4000人を超え、実際の受講者が2000人という政治塾としては巨大規模で始まった。注目度も期待度も大きい。10月30日に第一回講義、11月12日に第二回講義が開催された。なんといっても受講者が多い。相互の意見交換とはなかなかならないようで、手探りの状況が続きそうだ。8月2日、都庁へ初登庁し、就任記者会見に臨む小池百合子都知事(春名中撮影) こうした政党や政治家が主宰する政治塾はこれまでにもかなりある。特に2012年前後にいくつも開講され、ちょっとした政治塾ブームが起きた。2012年に、大阪維新の会の橋下徹氏は「維新政治塾」を立ち上げた。この「維新政治塾」も応募者数は3326人と3000人を超え、実際には888人が受講した。その後、一時中断するもののまた再開されている。初回のような応募者はないものの、200名弱の応募者があるようだ。2012年には、嘉田由紀子氏が「未来政治塾」、大村秀章氏が「東海大志塾」、河村たかし氏が「河村たかし政治塾」を始め、話題となった。ただ、維新政治塾以外は現在は継続されていない。最初は熱気があるものの継続するのは難しいことがわかる。 自民党は、1957年に始めた「中央政治大学院」を継続している。現在も続けており、政治家の候補者の発掘や育成に効果を持っている。民主党・民進党も各地で政治スクールを開講している。各地の状況に合わせての運営という感じだ。 松下政経塾は多くの政治家を誕生させているが、これはちょっと別格といえる。政治家・政党が主宰の政治塾は受講生が受講費を払いながらの運営になるが、松下政経塾は資金的な支援を塾側がしながら、長期にわたっての研修を行う。 今回の「希望の塾」の現時点での問題点は、受講生が多いこともあり、連続講演会の感じとなっていることだ。こうした政治塾では、講師を囲んでの討論や塾生同士の討論やワークショップが重要なポイントとなる。インターネットなどのメディアが発達した現在では、単なる講演会にはそれほどの価値はない。例えば、猪瀬氏の意見などのかなりの部分はテレビやインターネットで聞くことができる。無料で聞くことができる講演会もたくさんある。有料であっても政治系列の講演会に1万円の受講料があるものはほとんどない。政治パーティとのセットでもないと、そうした有料講演会はなかなか成立しない。今のマス連続講演会の形だけでは、期待も大きいだけに、失望に繋がる可能性がある。実際にそうした論調の記事も出てきている。 塾生が期待しているのは、実際の政治家や評論家、実業家などとの交流、そしてその交流を通じての生の声から学ぶことだろう。また志の高い塾生同士の交流や未来の政策づくりの機会が得られるのが大きな魅力のはずだ。政治家になるのを希望する人もかなりいるだろう。個々のケースで状況は異なる。それらを個別に相談できる人間関係も塾生が希望しているものだろう。つまり今の、マス講演方式では期待とかなりかけ離れてしまうケースが多くなる。連続講演会を聞くのが目的の人は少ないはずだ。小池知事やその関係者らと一緒に未来の希望の社会を作る集団に入りたいという思いだろう。 おそらく1人に人が個人的に対応できるとしたら50名程度だろう。多忙な小池知事一人で個人的な対応ができるわけがない。小池知事の下にスーパーバイザー制を作ってはどうか。2000名なら40人のスーパーバイザーが必要だが、そのスーパーバイザーがより個人的、人間的な指導をしていくのだ。講義の後に交流会をしたい人もいるだろうが、2000人ではほぼ無理だ。50名程度のグループでの活動なら可能だろう。学ぶべきなのは政治家になるための知識だけではない。政治家を目指す志を一緒に育てることが重要なはずだ。講義と小人数での活動を組み合わせることで、大きな効果が期待できる。 「希望の塾」はまだ始まったばかりで手探りの状態だろう。連続講演会を超えて、情熱を育む塾になってほしい。改善を積み重ねながら、希望に繋がる塾となることを期待したい。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年11月18日分を転載)

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    小池都政 五輪会場振り出しで民主党と同じ道辿るとの見方も

     小池百合子・東京都知事の進撃は続く。9月に募集を開始し、10月に締め切った「小池政治塾」には4000人を超える希望者が殺到した。これは、4年前に旋風を起こして国会議員や地方議員を輩出した橋下徹・前大阪市長の「維新政治塾」の第1次募集の応募者(3326人)を大きく上回る人数である。自民党は小池新党が票数を荒らし回ることに怯えている。4者協議会議を終えた小池百合子都知事(中央)と森喜朗東京2020組織委員会長=11月29日、東京都港区 安倍政権の(2017年1月の)解散戦略上、小池氏の「劇場政治」をいかに早く終わらせるかが最重要課題になる。たとえ小池新党が結成されても、追い風が止まれば国民の支持は集まらず、自民党議員たちには4000人の候補者予備軍は恐くない。 折しも、ここにきて小池劇場が行き詰まりを見せている。築地市場の豊洲移転問題では、小池氏は移転追及姿勢を転換。英国エコノミスト誌の経済イベント(10月21日)では、「築地以上に豊洲が安全だと確認しなければならない。世界標準に合わせて閉鎖施設で温度管理されたものにする」と豊洲移転での最終決着を示唆する発言をした。 東京五輪の会場見直し問題も大幅に軌道修正。ボート・カヌー競技の会場を東京臨海部に整備する「海の森」から宮城県「長沼ボート場」に変更することを検討し、現地視察まで行なったが、その後の会見で「『東京都はこれで』といった後に調整がつかないようではまた振り出しに戻ってしまう」と宮城案を後退させた。 官邸には、こうした方針転換が小池都政をイメージダウンさせる格好のチャンスと映っている。「都民にすれば“あれだけ騒いだのに、なーんだ、振り出しに戻るのか”という印象だ。民主党が子ども手当や沖縄米軍基地の県外移設を掲げて政権を取った後、実現できずに支持率が急落したのと同じ道を辿っている」(官邸筋) 来年3月までの半年間のカリキュラムが組まれている小池政治塾の前半の学習テーマは、築地移転、五輪見直しなどの都政改革だ。その都政改革の追及で、官邸の意をくんだ都議会が一斉に反撃に出る構えだ。自民党と共産党はそろって小池氏の最大のブレーンで「都政改革本部」特別顧問の上山信一・慶応大教授を追及の標的に定めつつある。都政記者が語る。「上山顧問には2つの大きな失策がある。五輪調査チームのリーダーである上山氏は村井嘉浩・宮城県知事と同郷で、ボート競技会場を宮城に持っていこうと小池・村井会談を根回しした。自民党も共産党もそのやり方を“まさにブラックボックス”と批判している。 もう一つは上山氏の五輪調査チームがIOCのバッハ会長に提出した資料に、仮設施設の整備費1500億円を都が負担すると書かれていた問題。そんな支出を議会は承認していない。上山氏の独走とみた都議会が参考人招致を要求し、不十分なら百条委員会にかけて辞任に追い込むシナリオもありうる」 都政改革批判を高めてイメージダウンさせ、塾生の熱をいっぺんに冷ましてしまおうという作戦である。関連記事■ 小池都知事 五輪会場見直しの切り札は森喜朗氏への辞任勧告■ 森喜朗氏 4年後の都知事選で「小池vs丸川」狙いか■ 築地市場移転「都民の声高まれば白紙撤回もある」との意見■ 小池都知事 オヤジたち潜む伏魔殿の都議会とどう渡りあう?■ 新都知事候補 最有力・小池百合子氏を直撃

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    「トランプ現象」先取りした橋下氏 日本で起こるのはいつなのか

    『トランプ現象』は、いずれ日本でも起きる」との記事が掲載されている。「格差社会の広がりが、最終的には政治分野にも「『エスタブリッシュメントによる大統領の独占』に対する危機感」同様のことをもたらす、のではないか、という内容だ。 立場的に言えば、それを期待したいと思いながらも、残念ながら、ワタクシはそうは思わない。「トランプ現象」は日本ではしばらく起こらない。「百合子現象」は起きても(笑) 以降、縷々、その論拠を示して行きたい。基本的にはこの6つだ。① 国のトップの選ばれ方の違い 大統領制と議院内閣制  ② 地方政治では既に「プチトランプ現象」は起きている③ 「毒」は「毒」を持って制する 「家柄」への奇妙な信頼感と「戸籍」④ 今や美味しくない「政治の仕事」⑤ 橋下徹氏が闘う、『』つきの『既得権益』⑥ あるとすると自民党が相当に傷んだとき① 国のトップの選ばれ方の違い 大統領制と議院内閣制 日本の総理大臣は、国民の直接投票では選ばれない。もちろん、選挙で第一党となった政党のトップが首班指名を受け総理大臣になるのだが、選挙時はそうであっても、政治的転換が必要となった時には「解散」ではなく「内閣総辞職」で総理大臣が生まれる。 日本としては珍しく、久しぶりの政治的エリート家庭以外に育った菅直人総理、野田佳彦総理は選挙で選ばれた総理大臣ではない。あくまで民主党内の選挙に勝っただけで、民意を十分に反映したかどうかはわからない総理である。 旧くは田中角栄総理もそうである。4年に一度、大統領を選ぶ代議員を選出すると言う形で国民が選挙権の行使をしながら、トップが誕生するアメリカとはかなり形が違う。② 地方政治では既に「プチトランプ現象」は起きている 一方で「首長」選挙は、ダイレクトに代表を選ぶ選挙だ。代議員ですらない。任期が決まってるのも大統領制と同様だ。となると「百合子現象」は起きる。国政では保守的な選択をする人も、首長選挙では別の候補に入れる、というある種バランスを取ったことが可能である。 ワタクシが育った40年前の宮城県・仙台市では、知事はド・保守、市長は社会党・革新という絶妙な選択によって、市民にとっては居心地の良い高福祉が実現していたと思う(しかし、その後の選手交代により汚職等が起こったことは、検証・研究の余地があると思っている)。「百合子現象」を見るまでもなく、実は、地方では「プチトランプ現象」は起こっているのだ。橋下徹氏の大阪府・大阪市はもちろん、あちこちで、地元の名家出身が長いこと占めて来た政治に対するアンチテーゼは起っている(もちろん、一方では固定化されたところもあるが)。 国政選挙とのバランスの中で、ちょっとした「ガス抜き」は地方政治でできるのである。③ 「毒」は「毒」を持って制する 「家柄」への奇妙な信頼感と「戸籍」 格差社会が進む以前から、ある特定の「政治一家」が権力を握り続けることに不満がなかったわけでなない。しかし、その際、それまでの権力に対して抵抗勢力として期待を担うのは、これまた「名家」出身の人だったりする(笑)細川氏しかり、鳩山氏しかり。まさに「毒」は「毒」を持って制す、である。 今回の福岡6区の補選を見ても、「知らない人より、知ってる(と思っている)人」のほうが安心感があるのだろう。まあ、名家出身の方が「悪いことをしたとしてもその程度がわかっているから」という安心感が逆にあるような気もする。 名家への信頼は別に日本に限ったことでなく、ヨーロッパ等でも、かならず「ハンガリー・オーストラリア帝国の末裔」とかが出てくる(笑)その理由は古き良き時代への回顧、つまりは「夢よ再び」プラス上記のことに帰着するような気がする。 「『アンクル・トムの小屋』とトランプ大統領のアメリカ」でも書いたが、その背景には差別と偏見が未だ解消されていない、むしろ深層では固定化されて現実がある。「白人」「男性」等いう「生まれながらの優越性」が具現化されず、不満を持っている層も含めて、いずれにせよその所在が誰にでも「分かりやすい」のである。 ところが日本の場合、その可視化は難しい。今回のことで、さまざまに文献を読んでいる中で気がついたのは、日本の場合は「だからこそ戸籍が必要」だ(った)、ということである。 逆に言えば、田中角栄ではないが「今太閤」的な新たな価値付けができればだが、その「今太閤」でも目指すは既存のエスタブリッシュメント。親が築いた人脈や地盤で子孫の生活を保障しようとすれば、一瞬の反撃はできたとしても、結局は同じ穴のムジナになる。この辺についてはまた別のところで論じたい。④ 今や美味しくない「政治の仕事」 日本の政治が抱える問題点のひとつとして、よっぽどモノ好きでなければ政治の世界で長く行き続けることが難しいということだ。 特に最近では、過去には情報を握ることによってコントロールできていたであろう利権構造もなくなり、仕事をすればするほど資産は減る、ということになりかねない。選挙も大変だ。政党から振り込まれる交付金だけでは到底賄えない。つまりは余裕のある人しか、自腹の切れる人しか、政治家として活動をし続けることはできない。小選挙区になって、当落が簡単にひっくり返るリスクが高まれば尚更、である。 また政治の世界で物ごとを計るスケール=価値観は、一般社会とはかなり違う。そうしたことを受け入れられ、持ち続けるには、家族も含めて、ある種の慣れが必要となる。 小選挙区制の導入や、公募等も含めた政治文化の変化は若い世代は非・二世議員の新規参入を可能にしたものの、逆の結果をもたらすものとなる可能性を持つというは皮肉である。⑤ 橋下徹氏に見る「既得権益」のターゲットゾーン 地方政治において、橋下徹氏の登場はある意味「トランプ現象」を先取りしたものだったかもしれない。多くのに人々が橋下氏に夢中になったのは、彼が今まで「タブー」とされたものと対峙したからである。が、闘ったのは時の「権力」ではなかった。「公務員組合」や「弱者」の、『』つきの「既得権益」だったのである。橋下徹氏(左)と米国の次期大統領、ドナルド・トランプ氏 ここもまた書くと長くなるので、ひとつだけあげるとすると、橋下氏の登場で公務員系「組合」の選挙に対する取り組みの度合いが格段に落ちたということを指摘しておきたい。それまでは選挙となれば組合の選対が独自に立ち上がり、人とモノの集中投下を行ない、ガッチリとサポートして行く、というのがある意味当たり前だった。 が、「橋下以後」は風景が変わった。まさに、ロックオン、である。「トランプ大統領のアメリカ」が政治的エスタブリッシュに対しての対抗と同時に不法移民等に対して厳しい態度を示していることと対称して見れば、その差はさらに際立つ。 『』つきの既得権益の打破だから、最終的にはエスタブリッシュの否定には行き着かない。むしろ、違う形で「エスタブリッシュ」に組み込まれて行く可能性がある。⑥あるとすれば自民党が相当傷んだとき ここが一番重要だが(笑)トランプのような候補が登場しても、今現在であれば、野党側にはそれを支える政党はない。小泉純一郎総理が誕生した時のように、自民党が相当に痛み、うちなる改革として、という形しかないように思う。それでも田中眞紀子がそれを支えたことを見ても、エスタブリッシュメントへの憧憬は残るのだが。 こうしてみると、記事の著者が指摘するような、日本が政治の世界においてはアメリカの「周回遅れ」でアメリカ政治を踏襲して行くという形態は取っていないことが分かる。むしろ、4年に一度のルーティンでの変化よりも、国政や地方ではこきざみな「プチトランプ現象」を続けながら、前進したり、後退したりを続けている。 だからこそ、政権交代を経たとしても、大きな方向転換にはいたらなかったかもしれない。実は、それこそが日本政治の独自性、強みでもあり弱みでもあるのである。(ブログ「井戸まさえ日誌」より2016年11月15日分を転載)

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    「カジノ解禁」でぼったくられる日本人

    日本でもついにカジノが解禁される。そもそも刑法が禁じる賭博を例外的に「合法化」するという、かなり強引な理屈だが、解禁されれば経済効果も大きいらしい。ただ、ことがギャンブルだけに誰かが得をすれば、必ず損もする。むろん、巨大利権だって生む。とどのつまり、誰が一番儲かるんでしょうか。

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    ギャンブル大国は必ず破綻する? 国民を欺くカジノ合法化の皮算用

    鳥畑与一(静岡大学教授) 衆院内閣委員会でわずか6時間の審議で「カジノ推進法」が可決された。国会会期内での成立を目指して6日には衆院本会議で可決される予定だという。良識の府である参院でのまっとうな議論を期待して「カジノ推進法」の質疑に対する疑問を述べたい。本稿では、「統合型リゾート(IR)」の収益エンジンとして組み込まれたカジノをIR型カジノと呼ぶ。衆院内閣委員会で可決されたカジノ法案=12月2日国際観光業推進にIR型カジノは必要か 推進派は、国際観光業の発展にIR型カジノは欠かせないと言う。シンガポールでIR型カジノオープンを機に大きく外国人観光客が増大し観光収入も大きく伸びたことで、IR型カジノの絶大なる観光効果は証明済みだと言う。 確かにリーマンショック等の影響で外国観光客を減少させたシンガポールは、2010年のIR型カジノのオープン効果もあって外国観光客等が大きく伸びた。しかし2013年以降はIR型カジノの不振と相まって外国人観光客等は停滞している。カジノ頼りの観光政策の脆さを早くも露呈させているのではないだろうか。 一方で日本とシンガポールのボトム期から2015年までを比較すれば、日本の外国観光客の増加とその支出額は、シンガポールの実績をはるかに凌駕している(表1)。円安効果もあるが日本の文化と自然の魅力がビザ緩和等と相まって大きな競争力を発揮している。シンガポールこそ日本に学べと言うべき実績であり、東京オリンピックまでに外国観光客2000万人達成のためにIR型カジノが必要だという論理はすでに破綻済みなのである。そこで東京オリンピックまでに4000万人と目標を倍増させ、そのためにIR型カジノが必要だと論理の衣替えを行っているが、あまりにも恣意的ではないだろうか。ギャンブル依存症対策は成功しているのかギャンブル依存症対策は成功しているのか 推進派は、シンガポールにおけるIR型カジノの経済効果はもとより、ギャンブル依存症対策の成功を大前提にして、日本でIR型カジノをオープンさせてもギャンブル依存症の発生を最小限に抑制できるとする。カジノ収益を基にしたギャンブル依存症対策を講じることでパチンコ等の既存ギャンブル産業による依存症も抑制できると言う。 確かにシンガポールのNCPG(問題ギャンブル国家審議会)の2014年調査によれば、ギャンブル依存症率は大きく低下している(表2)。しかしそのデータを子細に見れば、カジノ参加率が7%から2%に大きく減少している。住民数に置き換えると26・5万人から7・7万人への減少となる。一方で「自己排除制度」でカジノ入場禁止措置を講じた人数は大きく増大している(本年9月には31・7万人)。住民にカジノをさせない政策が効果を発揮させている可能性が高いのである。さらに、上記調査の回答率が大きく減少しており、「隠す病気」と言われるギャンブル依存者が回答していない可能性も考えられる。 ギャンブル依存症は時間をかけて発症してくるとされており、2010年オープンのカジノの負の影響を現時点で評価するのは早すぎる。それでも自己破産数が2011年の5232件から14年には7891件へ、そして犯罪件数も2013年以降増加傾向に転じ、とりわけ「詐欺横領(コマーシャルクライム)」が2012年の3507件から15年には8329件に異常な増大を示している。米国の1999年と2013年のギャンブル依存症率の比較を行った調査によれば、さまざまな対策にもかかわらず決して減少はしていない(表3-1)。さらにカジノに通いやすい環境にある住民の依存症率が高いこともあらためて確認されている(表3-2)。シンガポールのギャンブル依存症対策の成功を結論付けるにはまだ早すぎるのである。経済効果に、どのような根拠があるのか経済効果にどのような根拠があるのか 推進派は、1兆円規模の投資と巨大なIR施設運営を支える数千億円規模の収益がカジノによって実現するという。例えば関西経済同友会の構想では毎年5500億円(50億ドル)の収益を想定している。かつて香港の投資銀行は、東京と大阪でそれぞれ80億ドルのカジノ収益が生まれると煽り立てた。カジノ単体の構想が基本であったお台場カジノの収益予想は300億円であったので、IR型カジノに衣替えすることで桁違いのカジノ収益が実現するというのである。 しかし、IR型カジノのモデルでもあるラスベガス・ストリップ地区の大型23カジノの収益合計(2015年)は53億ドルで平均2・3億ドルでしかない。例えば、米大手カジノ企業MGM(表4)のラスベガスを中心とする米国内12カジノの収益合計は27億ドル(平均2・2億ドル)でしかない。一方でマカオのMGMチャイナだけで最盛期(2013年)33億ドルの収益があったが、そのうち21億ドル(63%)はVIPからの収益である。マリナベイサンズの最盛期(2014年)は26億ドルであるが、やはり大半はVIP収益であった。 米国内よりも一桁大きなカジノ収益をアジアで実現できるのは、中国富裕層(VIP)のおかげなのであり、普通の外国人観光客にちょっとカジノに寄ってもらうだけで、マカオ、シンガポールよりもさらに大きなカジノ収益を実現できると想定するのは極めて困難である。ところが国内候補地のカジノ収益推定の根拠は、通常の観光客数の推計を基にしたものでしかなく、どうやってアジアのVIP市場で競争力を発揮できるのかの説明は一切なされていない。 推進派は、日本国内ではIR型カジノ数を制限するので過当競争にはならないというが、この肝心のアジアのVIP市場におけるIR型カジノ数を日本はコントロールできない。現にマカオのカジノ収益がVIP収益減少によって最盛期から4割減少したように、アジアのVIP市場は縮小局面に突入している。そこへ韓国のリゾート・ワールド・ジェジュをはじめ、IR型カジノの参入が相次いでいる。そこに周回遅れの日本が参入してどのような展望があるかについても願望しか語られていない。 アトランティックシティーのカジノ産業は、最盛期の収益65億ドルから15年には35億ドルに半減し、12カジノ中5件が経営破たんに追い込まれているが、同じような過当競争に巻き込まれないという保証はどこにもないのである。IR型カジノは地域経済を活性化させるかIR型カジノは地域経済を活性化させるか 外国観光客とりわけVIPが獲得できず国内客の比率が高まるほど、国内における購買力の移転でしかなくなり、日本経済の成長促進は幻想でしかなくなる。ましてや2012年以来148億ドルを株主に利益還元したと誇るラスベガス・サンズ等の外資がIR型カジノの運営を担った場合は、利益流出で日本の貧困格差を一層促進することになる。また周辺のマネーがIRに吸い込まれることで地域間の経済的格差や貧困が拡大し、犯罪誘発などの社会的被害が地域社会に負わされていく危険性が高まっていく。さらに高齢者の貯蓄等が狙われていく危険性が、米国の事例を見ても高い。 推進派は、IRのなかでカジノの占める面積はほんの一部でしかなく、あくまで家族みんなが楽しめる統合型リゾートの建設であると言う。しかしシンガポールのIRでは収益の8割をカジノ収益が占めるように、収益構造の中心はカジノである。それも巨額の投資と巨大なIR運営を支えるために毎年数千億円の高収益を必要とするカジノであり、まさに国民のギャンブル漬けへの極めて強い経済的衝動をもつカジノなのである。 大阪の夢洲構想では毎年6500万人の来客が想定されるが、うち82%は国内客とされている。ラスベガスでは、ギャンブル目的の客は10%でしかないが、平均3泊4日の滞在中に73%がギャンブルを経験するという。IR型カジノは、家族ぐるみで来訪させ、お父さんもお母さんもギャンブルを経験させることで、ギャンブル依存症になる可能性を国民全体に広げる危険性の高いカジノなのである。  年間4000万人以上の来訪があり、IRモデルの成功例とされるラスベガス。しかし全体としてはリーマンショック以降赤字に転落したままである(表5)。巨額の投資のみが先行し、期待された収益が実現しないことで、経営破たんに追い込まれたリゾート開発の繰り返しになる危険性が高いのではないだろうか。そしてその時、収益優先のために国民のギャンブル漬けに拍車をかけるような依存症対策の形骸化が進められていく可能性が高いのではないだろうか。 カジノの負の側面が明らかにされた「国家ギャンブル影響度調査」(1999年)以降、米国内で新たにカジノ合法化を進めようとする州政府は、カジノ解禁の経済的効果のみならず社会的コストの調査を行うことが一般化している。例えば、ニューハンプシャー州は地域によってはカジノのマイナス効果が上回る評価が出たことで議会では否決が続いている。 このような経済的効果の真偽と社会的コストの調査もまったくされないまま、基本法と実施法を分離することでまともな議論を回避してカジノ合法化の道を突き進むことの是非が今国会に問われているのである。

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    カネの流れが経済の原点 カジノに勝る「特効薬」はこの世にない

    木曽崇(国際カジノ研究所所長) 12月2日、衆院内閣委員会において、我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入を推進するIR推進法案(通称:カジノ法案)が採択された。12月6日の衆院本会議で与党・自民党や日本維新の会など可決し、同日中に参院に送付した。14日に閉会となる今期国会中の成立を狙っている。 そこで期待されている最大の政策効果は統合型リゾート導入に伴って発生する経済効果であるが、この点に関して反対派からは「ギャンブルはただ右から左に金を移すだけ。そこで何も生産しない」などという反論がしばしば聞かれる。 しかし、そもそもカジノはアミューズメントとホスピタリティを提供するサービス産業であり、そこに「目に見る形の財」の生産がないのは当たり前のことである。逆にいえば「客にゲームを提供する」という目には見えない「役務」を生産している産業であるワケで、それを「何も生産しない」と断ずるのなら、おおよそ世の中のサービス産業は同じく何も生産をしない産業となってしまう。…と、そもそもカジノ反対派の唱える「ギャンブルはただ右から左に金を移すだけ」という主張に対して推進派は異論があるワケだが、一方で思想信条的にそもそもギャンブルを害悪なものとして見なしている一部の人達にとっては「カジノはアミューズメントとホスピタリティを提供するサービス産業」という我々の主張自体が理解されるわけもなく、この種の論議はこのまま平行線となるのが常である。 そこで本稿においては、あえてカジノ反対論者の唱える「ギャンブルは右から左に金を移すだけ」という主張に乗った上で、「それでも、なおカジノには期待される経済効果があるのだ」という反論をしてみたいと思う。 現在、国会審議中のIR推進法案は、日本で実現すべきカジノの姿を以下のように規定している。IR推進法 第二条第一項この法律において「特定複合観光施設」とは、カジノ施設(別に法律で定めるところにより第十一条のカジノ管理委員会の許可を受けた民間事業者により特定複合観光施設区域において設置され、及び運営されるものに限る。以下同じ。)及び会議場施設、レクリエーション施設、展示施設、宿泊施設その他の観光の振興に寄与すると認められる施設が一体となっている施設であって、民間事業者が設置及び運営をするものをいう。既存の賭博施設とは違う経済循環モデル この条文が示すのは、我が国で導入されるカジノ施設は公営競技場やパチンコ店のような地域住民を対象として開発される施設ではなく、宿泊施設やレストラン、国際会議場、その他アミューズメント施設などが一体となって提供される複合的な観光施設となるということである。実はこの点が、現在構想されている統合型リゾートと、我が国に既に存在する既存の賭博施設との最大の相違点である。 我が国に存在する既存の賭博施設というのは、基本的に施設が立地する地域の居住者を顧客として扱い、彼らにゲームを提供する事で売上をあげるという「狭い」経済循環で成り立つ施設である。勿論、それが例え域内だけの循環であっても、そこに「客にゲームを提供する」という役務の生産が発生している点において、これら施設が何も生産していないワケではない。しかし、賭博そのものに価値を見出せない一部の人達にとっては、それが「ただ右から左に金を移すだけ」の行為に見えることはあるかもしれない。 一方、先述の通り、現在、我が国で導入検討が進んでいる統合型リゾートは、施設の立地地域の外に居住する観光客を主たる顧客として扱う施設である。そこで想定されている経済的な循環モデルは同一地域内で資金が動くだけの既存の賭博施設とは異なり、域外から資金を引き込んで、それを地域に還流させるという、より大きな経済循環を前提としている。 すなわち、例え反対論者の主張する通り、カジノが「ただ右から左に金を移すだけ」の行為であったとしても、地域外からの資金流入によって地域経済を還流する「富の総量」は確実に大きくなり、地域は潤う。むしろこの域外から資金を引き込み、地域の富の総量を増やす機能においては、ギャンブル以上に効率の良い商材は世の中に存在しないと言っても良い。 この統合型リゾートの持つ機能が、最も期待されている政策分野が国際観光振興である。昨年、我が国を訪れる外国人観光客は史上最多となる2000万人に達したが、現政権はさらに大きく2020年までに4000万人、2030年までに6000万人という達成目標を掲げている。このような国際観光産業の振興は「モノ造り」一辺倒で成長してきた我が国にとって新しい産業分野であり、我が国の次なる経済の「柱」としての成長が期待されている。 そして、我が国への統合型リゾートの導入は国際観光振興分野において、観光客数の増加は元より、そこから発生する観光消費額の拡大に必ず貢献できる。なぜなら域外から資金を呼び込み、それを地域に還流させる機能においてカジノ以上に効率の良い観光商品は世の中に存在しないからである。地方創生の鍵となる「稼ぐ地域商材」 実は、この理屈は地域振興分野においても同様のことが言える。現在、安倍政権は「地方創生」というキーワードの下に、大都市圏以外の地方部の経済活性化を大きな政策目標として掲げている。IR(統合型リゾート施設)候補地として有力視されている山下ふ頭=横浜市中区 なかでも、現政権で特に重視されているのが「地方の稼ぐ力を育てる」というキーワードであり、大都市圏に集中する「富」を地方に向けて還流させてゆくことの出来る「稼ぐ地域商材」の開発が積極的に推進されている。当然ながらこの分野においても期待されているのが大都市圏から地域に消費を呼び込む域内観光の振興であり、前出の国際観光振興のケースと同様にこの政策分野においても統合型リゾートの「右から左に金を移す」機能は非常に有効に機能するだろう。即ち、統合型リゾートは、必ず地域全体の「富の増大」に貢献できるのである。 実は、ここまで私が論じてきた内容は、けっして私が勝手に主張しているものではなく、現在国会で審議中のIR推進法案において明示されているモノである。IR推進法はその第一条に規定される、我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入の目的を以下のように定めている。IR推進法 第一条この法律は、特定複合観光施設区域の整備の推進が、観光及び地域経済の振興に寄与するとともに、財政の改善に資するものであることに鑑み、特定複合観光施設区域の整備の推進に関する基本理念及び基本方針その他の基本となる事項を定めるとともに、特定複合観光施設区域整備推進本部を設置することにより、これを総合的かつ集中的に行うことを目的とする。(下線は筆者) 即ち、カジノ合法化反対論者のいう「ギャンブルはただ右から左に金を移すだけ」という主張は、実は我が国のカジノ合法化と統合型リゾートに期待される経済効果を否定する論にはなっていない。むしろ、彼らのいうところの「右から左に金を移す」機能そのものが、「地域に資金を呼び込み、地域全体を還流する富の総量を増やす」という我が国のカジノ合法化と統合型リゾート導入に期待される経済効果の中核をなすものなのである。

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    「賭博」を全面解禁せよ! 矛盾だらけのギャンブル禁止はもう限界

    津田岳宏(弁護士) 私はカジノ解禁に賛成であるが、専門家として捉えたとき、これの解禁について大きな法的問題点があることも確かだ。賭博罪との整合性である。現行刑法には、賭博罪及び賭博場開張図利罪が存在する(そして私は賭博罪を専門にしている弁護士である)。カジノの経営は、賭博場開張図利罪に該当する行為である。よって、これを解禁するためには特別法を制定する必要がある。 この点、現在の日本では賭博罪が存在する一方で、全ての賭博が禁じられているわけではない。公営競技である競馬や競輪は、賭博ではあるが特別法により違法性阻却がされている。 とすれば、カジノにおいても同様に特別法をつくればすむのではとも思えるが、ことはそう簡単ではない。特別法によって文字どおり「特別」な扱いをするにはこれを正当化する根拠が必要である。 判例は、競馬法による賭博の解禁の正当性について以下のように論じる。「個人のする賭博ないし賭博場開張図利は、これを一般大衆の恣意に放任するにおいては、一般国民の射幸心ないし遊惰を醸成もしくは助長させるおそれがあり、ために善良の風俗に反し公共の福祉を害するからこれを禁止すべきものとするも、公共機関の厳重、公正な規制のもとにおける射幸心の発露は害悪を比較的些少にとどめ得るから、これを許して犯罪とみないということも複雑多岐の社会生活を規制するうえからは、むしろ賢明な措置として是認されるべきであると言わねばならない」(昭和40年4月6日東京高等裁判所) 一部にのみ賭博を解禁する特別法は、憲法に定められた平等原則の例外になるため、競馬法や自転車競技法はその合憲性が裁判で争われた例が複数ある。もっとも判例は、競馬や競輪が「公営」である点を根拠として、この不平等な扱いには合理性があると判断し続けてきた。 しかし、カジノについてはここで問題が生じる。カジノによる経済効果を最大限に発揮するには、これを公営にすべきではないのだ。 シンガポールでカジノが大成功した理由のひとつには、民間から投資を募り公の負担なしに巨大な開発を実現した点がある。同国では、カジノ設営にあたり民間各社を集め入札を実施し、もっとも優れた条件を提示した会社にライセンスを付与した。国家は賭博の正当化事由を示せ カジノ経営には専門的なノウハウが必須であり、これを成功させるためにはそのようなノウハウに長けた民間企業に経営させるべきである。カジノを公営にしてしまっては、せっかくの経済効果が大きく減殺され、解禁の趣旨が損なわれる。 ただし、民間が経営するカジノを解禁するのであれば、賭博罪の特別法に関し従前使用されていた「公営性」を正当化事由にはできない。新たな正当化事由が必要になる。ここでは、もはや賭博そのものと向き合って正当化事由を提示するしかないのではないか。 現在日本では、賭博罪が存在するとはいえ、国民はきわめて手軽に賭博ができる環境にある。競馬においては、ウインズの増設やネット購入システムにより、馬券へのアクセスはひと昔前に比べて大きく整備された。 三店方式によって事実上の賭博と言ってもいいパチンコ店は至るところに存在し、政府は先日、現行の三店方式を公に承認する旨の答弁を出した。これに加えて民営カジノまでも解禁するというのであれば、もはや「賭博」を原則的に犯罪行為とする考え方では、法律的な整合を達成し得ないように思える。 私個人は賭博罪を撤廃すべきという考えであるが、まだこういう考えの人は世間に少ないであろう。しかし、カジノ解禁と賭博罪との整合性を曲がりなりにも説明するためには、少なくとも「公営だから許される」という安直な論理では不十分である。賭博という行為の本質、それが人々に与える影響、現在の日本における賭博環境、これらを全て踏まえた上で、「よって〇〇」という正当化事由を国家は示すべきだ。 カジノ解禁には、反対する声も大きい。これは解禁の根拠として「経済」の側面のみを挙げていることも影響している。賭博は原則的に犯罪だ、しかしカジノは「儲かるからやる」。このように話を進めるのであれば、儲けるためならば悪いことをしてもいいのか、という道徳や品位の面からの反論があるのは当然である。儲かるからやります、という論理には国家哲学的な思想が何もない。これでは国民の心はつかめない。禁止からコントロールへ 約60年前のイギリスでは、カジノを含むギャンブルの解禁を検討するにあたり、賭博についてのあらゆる側面を調べるために国王命令での国家的な調査を実施した。 約2年間に渡る長期的な調査の結果、「賭け事を重大犯罪の直接原因と考えるのは無意味」「小犯罪の直接原因と考えるのも現在は意味がない」「賭博は人格形成においても、有害な影響ありとは考えにくい」等の結論を出した上で、「国家は必要不可欠なもの以外に禁止を設けるべきではなく、刑法においてこれを軽々しく取り上げてはならない。禁止してかえって邪悪を生み、邪悪を減らそうとして漫然と禁止を設けることは、いかに禁止が望まれようとも、なされるべきものではない」との最終結論を出した。 これを受けイギリスでは賭博を全面的に解禁する法律が制定された。当時の内務大臣は解禁法の趣旨につき、以下のように説明した。「賭博は適正な範囲でおこなわれる限り、人の性格や家庭及び社会一般に対して大きな害毒を流すものとは考えられない。国家は社会的に問題とならない限り、一般国民の楽しみを阻害してはならない」 イギリスでは、緻密な調査を経て、賭博に対する国家の哲学を明示した上でこれを解禁したのである。 一般的な法律論として、原則に対する例外を認めるためには、必要性と許容性がいる。カジノ解禁については、必要性は、経済的な理由で足りよう。少なくとも、その国で最初につくられたカジノが失敗した例は今までに一度もない。しかし、根強い反対論を押さえるためにも、許容性の提示が必要だ。 現在の日本で、単なる賭博は、はたして刑法での規制に値する悪性の強い行為といえるのか。娯楽としての賭博は悪なのか。 スマホひとつで買える馬券は。息抜きにするパチンコは。ささやかな賭け麻雀は。これらは本来的に「悪辣」なのか。これらに法律的な扱いの差を設けるのは妥当なのか。日本国家は、そろそろ、このような問に正面から向き合って合理的な答えを出すべきだ。 賭博は悪いことである。犯罪である。この原則を維持したままで、賭博に対する何らの国家哲学を示さずに、単に経済的な理由のみでカジノ解禁法を定めるというのでは、法律的整合性の観点から問題が大きいし、反対派を説得するのは難しいであろう。 私は、賭博の解禁論者だ。賭博は規制すべきものではあるが、禁止すべきものではない。禁止からコントロールへ、これが大人の国家のあり方である。 カジノの解禁は、賭博に対する新たな国家哲学の醸成に繋げるべきだ。法律的な整合性を糊塗して臭い物にフタをしていくというのは、近代国家のあり方とは到底いえない。

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    カジノを作って依存症対策をやる 「マッチポンプ」こそ世界標準だ

    田中紀子(ギャンブル依存症を考える会代表) IR法案が審議入りし、衆議院を通過するであろうことから、にわかに「ギャンブル依存症」が大々的に取り上げられることとなりました。 一般社会の皆様も、突然のことでこれまでギャンブル依存症の事など、気にしたこともなかった・・・という方々も、否応なく耳にし、初めてこの問題について考える羽目になった、という方もいらっしゃるかと思い、今日から、日本のギャンブル依存症問題について書いていきたいと思います。 まず、現在ツイッターなどで、よくみかけるのは、「カジノを作って、依存症対策をやるなんてマッチポンプだ!」というご意見です。一般の皆様方がそう思われるのは、無理もなく有難いことですが、実は、それが世界のスタンダードです。 例えば、こちらの資料にある、カナダの場合を見て頂いてもお分かり頂ける通り、州ごとに売り上げの何パーセントかを、チャリティー費、ギャンブル依存症対策費、リスポンシブルゲーミング費に振り分けると書いてあります。Canadian Gambling Digest 2013-2014 (Canadian Partnership for Responsible Gambling. August, 2015. ) 簡単な粗訳をUPしておきますが、リスポンシブルゲーミング費というのは、この資料の見解では、「地域社会やギャンブルの供給者、政府等がギャンブルに関連するリスクを生み出す責任を共有し、ギャンブル依存症を予防または最小限に抑える環境を作り出し、促進し、ギャンブルに関する地域社会の懸念に対応するもの。」とあります。 それにしてもすごい金額ですよね。単位はカナダドルですから、為替の変動があるとしても現在の1カナダドル=およそ85円で計算すると、カナダ全体でおよそ70億円位、依存症対策費を拠出しているってことになりますよね。 その他に、リスポンシブルゲーミング費が出されていて、合計するとおよそ97億! おまけにカナダの人口は、大体3516万人と日本の2/7ですよ! これだけやれば、カナダの依存症罹患率はかなり低いだろう・・・と調べたところ、案の定、カナダのギャンブル依存症罹患率は、2016年度に出されたMGMリゾーツ・インターナショナルの調べでは、0.8%とのことでした。日本のギャンブル依存症罹患率4.8% 推定罹患者536万人とは大違いですね。 しかもこのカナダの仕組みを見るとですよ、チャリティ費よりむしろギャンブル依存症対策費が多く割かれていますよね。それに対し日本の公営ギャンブルって、売り上げの一部を福祉費にはまわすけど、このギャンブル依存症対策費、リスポンシブルゲーミング費には、まわされていないんですからね。変だと思いませんか?マッチポンプというより受益者負担 最近は、日本財団さんは福祉分野の助成で大活躍してますけど、それこそ、まずはギャンブル依存症対策に大幅に割くべきじゃないでしょうか。 その上、日本には24兆円の市場規模を誇る、パチンコがあるのに、そこに対して、ギャンブル依存症対策費の拠出を義務付けられていないって、あまりにも無責任過ぎやしないでしょうか。 で、そのツケは、税金にまわされるわけですよ。例えば、ギャンブル依存症が進行してしまって、働けなくなってしまった・・・という人の生活保護費や、夫がギャンブル依存症で離婚せざるをおえなかったというシングルマザーに対する母子手当。 さらには、犯罪を犯せば裁判費用から収監費用、もちろん被害者に対するケア他、自殺、失踪、うつ病などなど、様々な問題がおこり、それら全てを税金で賄っている訳です。 これだけ財源不足の日本で、ギャンブル依存症問題によって、どれだけ多くの財源が使われていることか・・・それらは利益を享受している産業側が拠出することが、ある意味当たり前の社会ではないでしょうか? ですから、カジノができたら、その売り上げの一部で、ギャンブル依存症対策費を拠出するという理屈は、むしろやっと世界基準に追いついたのであり、マッチポンプというよりは受益者負担だと思っています。 そして、これまでギャンブル依存症問題のために使われていた税金は、その分を是非、子育て他可及的速やかに取り組まねばならない、別の政策のために使って頂きたいと考えています。 ギャンブル依存症はギャンブルをやらなければならない病気。だったら、「ギャンブルをやって欲しい!」と、一生懸命呼びこんでいる産業側が、責任を負担することが筋じゃないでしょうか。(公式ブログ「in a family way」より2016年12月5日分を転載)

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    ギャンブル依存症でカジノだけを取り上げる異常さ

    進党が「バカな政党」といわれてもしかたないことです。 パチンコ・パチスロが問題にならないのは、やはり政治家も警察も、またマスコミも業界とズブズブの関係でつながっているからじゃやないかと疑いたくもなりますね。(「大西宏のマーケティング・エッセンス」より2016年12月5日分を転載)

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    パチンコ業界に東京オリンピックが逆風になりそうな理由

    児玉克哉(社会貢献推進機構理事長) パチンコへの風当たりは強くなっている。警察は「射幸性を抑えた機種を!」と規制を強め、不正に「大勝ち」できるパチンコ台の撤去を指導している。問題はこれだけで済むのか、という点だ。 そもそもパチンコはグレーゾーンで経営しているギャンブル型遊技だ。見方によっては完全にギャンブルだ。それを三店方式などというやり方で、なんとか法律をくぐり抜けてきた。厳密に言い出すと現状でも法律をくぐり抜けているのか微妙なところだ。 規制や法律の適用が厳しくなれば、たちまち運営はダメージを受ける構造になっている。国会議員も新旧の入れ替えが大きく、いわゆるパチンコ族が大幅に減った。社会の風当たりも年々強くなっており、これからも厳しい状況が続くと考えられる。 まず基本的に、東京オリンピックまでに「民営ギャンブル」的なパチンコをさらに規制し、ギャンブル的要素を減らそうという動きである。これは東京オリンピックが特別に重要な要素になっているわけではないが、パチンコに反対する人は、東京オリンピックまでに「ギャンブル的」パチンコを少なくしたいという目標になっている。 スポーツ賭博の問題は社会問題化している。バドミントン男子シングルスでリオデジャネイロ五輪の金メダル候補だった桃田賢斗氏と12年ロンドン五輪代表の田児賢一氏が違法カジノ店で賭博行為を行ったことが明らかになり、リオオリンピックへの参加ができなくなった。 オリンピックの開催からするとパチンコのギャンブル的イメージはマイナスだ。ギャンブル依存症の問題も社会問題となっている。「東京オリンピックの成功のために」という錦の御旗があれば規制もやりやすいということだ。「カジノ解禁」はプラスかマイナスか 意外と重要な要素になりそうなのが、パチンコ店でも禁煙の動きだ。健康増進法にも絡んで、東京オリンピックまでにパチンコ店での全面禁煙化を図ろうとする動きがある。パチンコ遊戯者の喫煙率は50~70%といわれる。一般の喫煙率よりはるかに高い。長時間のパチンコで喫煙は不可欠に近い状態になっている感がある。 すでに分煙ボードを取り付けたり、禁煙店舗を設けたりしているところもある。例えばダイナムは「ダイナム信頼の森」を中心に全席禁煙店舗を展開している。煙草を吸える場所が少なくなっているからこそ、パチンコ店に行って煙草を吸いながらパチンコ三昧という人も多いだろう。禁煙が法制化されたらパチンコ店も大きな変革を迫られそうだ。 相当に熱い視線で見守られているのがカジノ解禁の流れだ。これはパチンコ業界にとってプラスにもマイナスにもなりうる動きだ。「東京オリンピックまでにカジノを!」という流れがあったが、相次ぐギャンブル依存症の問題などもあり、法制化が流れている。 カジノの展開のためにはカジノ法案だけでなく、「民営」であるなら業者の選定、場所の決定、規定・規制の決定、透明性の確保、地元住民との合意など相当なプロセスがあると考えられる。すでに東京オリンピックまでにカジノを作るというのは厳しくなっている。反対もある中、カジノを作るとなると、「ギャンブル」に対する透明性や清潔性が厳しく規定されることになる。これはパチンコのあり方にも大きく影響しそうだ。 一般的にはマイナスに影響する。三店方式の換金制度などは透明性を要求されるだろう。換金の時の身分証明の提示、マイナンバーの提示と課税などもありそうだ。最後には、カジノと同じような扱いで入店時における身分証明書の提示とギャンブル依存症登録がないことの確認が求められることもありうる。これに現在のパチンコ業界は耐えれるかどうか。 パチンコ業界がカジノ運営に関わるというオプションもある。実際にそのように動いているところもあるようだ。しかしこの流れも明確ではない。パチンコ業界のイメージもあり、様々なハードルがありそうだ。 もちろん東京オリンピックを契機にパチンコを日本観光の一つの名物とさせて業界を蘇らせようという動きもある。ギャンブルパチンコから、日本アニメやアイドルをモチーフにした遊戯パチンコへの転換だ。簡単ではないようには思えるが、これから東京オリンピックまでの4年間がパチンコ業界が変身のために残された時間といえる。相当に追い詰められつつある業界が、ピンチをチャンスに変えることができるかどうか。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年8月16日分を転載)

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    カジノ解禁IR法案成立へ ギャンブル依存症の境目は

     カジノを解禁する統合型リゾート(IR)推進法案が、いよいよ今国会で成立する公算が大きくなった。カジノ合法化に際して最も懸念されているのは、「ギャンブル依存症」に陥る患者がますます増え、治安の悪化も含めて深刻な社会問題に発展する恐れがあるということだ。 そもそもギャンブル依存症とはどのような疾患で、適切な治療法はあるのだろうか。『依存症のすべて』著者で、行動薬理学に詳しい廣中直行氏(医学博士)に聞いた。──ギャンブル依存症の定義とは?廣中:薬物依存などと同じく「ギャンブルをやめたくてもやめられない」のが大まかな定義といえます。具体的にギャンブルにのめり込むる頻度や使う金額の枠が決まっているわけではなく、健康が損なわれているとか苦痛があるといった主観的な問題が重要です。──きちんとした診断基準はあるのか。廣中:今日ギャンブル障害と言われている問題は「病的賭博」と言われ、1980年から精神疾患とされています。 精神医学の診断基準に照らして依存症の疑いが強い人は、ギャンブルのために学業や仕事、家庭生活がおろそかになったとか、問題を隠すためにウソをつくようなケースです。その状況は、家出や失職、犯罪、自殺といった深刻なエピソードの数々からも知られています。 私の意見としては、ギャンブルのために借金をしたことがあるかどうかが、楽しみの範囲と依存症のひとつの境目ではないかと思います。対策はどこまで進んでいるのか──ギャンブル依存症患者の人数、性別、なりやすい人の傾向などは?廣中:2009年に厚生労働省の研究班が調査したデータでは、ギャンブル依存症が疑われる人はおよそ500万人いて、男女比は6:1で圧倒的に男性が多い。この比率は外国と比べても異様に突出しています。日本にはパチンコやスロットといった日常生活に浸透した身近な娯楽が蔓延していることが大きな原因です。 ギャンブル依存症になりやすい人の傾向は、外国のデータから次の3タイプに分けられています。(1)勝つことが楽しくて自然にのめり込んでいく(2)イライラ、抑うつが強く、ネガティブな感情を解消するためにギャンブルをやる(3)攻撃的、やや反社会的で「勝負」に挑みかかっていく──。──ギャンブル依存症対策はどこまで進んでいるのか。廣中:国もようやく本腰を入れ始めたところで、各地の保健所、精神保健福祉センターなどで相談を受け入れるようになりました。これとは別に「ギャンブル依存症問題を考える会」のようなNPO法人が作られ、啓発活動や相談業務を行っています。また、各地に自助グループも作られています。──実際に相談や治療を行なう人は増えているのか。廣中:増えているとは言い難い状況です。常習的なパチンコ・スロット遊技者500名を対象に行ったWEB調査によると。ギャンブル障害に相当する人が70%、このうち39%が自分はギャンブル障害かもしれないと自覚していながら、精神科や保健所などの専門機関や自助グループにつながっている人はわずか6.5%に過ぎませんでした。 当面の課題は、一般の人々の間に「これは心の病気である」という認知度を高めることと、当事者が専門機関につながる機会を増やすことにあります。──カジノ合法化には反対か。廣中:依存症対策がいっそう推進されるのであれば、個人的に反対はしません。ただ、きっちり対策をやろうとすると、まだギャンブル障害に陥っていない人々に対する一次予防から、すでに地獄を見た人を再び社会に救い上げる仕組みをつくるまで、相当な労力が必要ですし、経費もかかります。 そう考えると、巷でいわれているように本当にカジノが地方創生などの財源になるかどうかは疑問で、きちんと試算しなければならないと思います。関連記事■ これはマズい……ギャンブルにハマる人の10パターン■ 不幸スナックママ モテない酔客の心射止め大繁盛■ 【キャラビズム】アルコール依存とゲーム依存、共通点は何?■ セックス依存症女性の多くは恋愛のトラウマや虐待経験あり■ 自殺者のうち1/3がアルコール依存気味働き盛り男性と医師指摘

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    カジノをつくれば外国人観光客が押し寄せるというのは錯覚

     先の通常国会で継続審議となった、カジノ合法化を含む「IR(統合型リゾート)推進法案」(特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案)が、秋の臨時国会で成立する可能性が高まっている。  その一方、カジノ誘致の先陣を切ってきた東京都は、お台場のカジノ用地とされた都有地を貸し出し、カジノ誘致を担当する「大都市行政担当」を知事直轄部局から港湾局に移管する事実上の”格下げ”をし、慎重姿勢に転じたたことで、カジノの是非をめぐる論議が再燃している。だが、10年前からカジノ誘致を研究してきた大前研一氏はそれらの論議は、すべて「的外れ」と喝破する。* * *米アトランティックシティの観光名所、ボードウォーク そもそも世界的に見れば、カジノは今や斜陽産業である。たとえば、アメリカ・ニュージャージー州のカジノ都市・アトランティックシティでは、2年前に開業したばかりの「レベル・カジノ&ホテル」が閉鎖されることになり、「トランプ・プラザ」と「ショーボート」も年内閉鎖の計画を発表するなど、ドミノ倒しのようにカジノが破綻している。大型カジノを推進した次期大統領候補のクリス・クリスティ知事も、この大失策で立場が怪しくなっている。  いま日本でカジノ誘致を声高に叫んでいる人々は、こうした「カジノの経済学」を知っているのだろうか?   カジノ推進論者の多くはカジノをパチンコの延長線上と考えているようだが、ハイローラー(高額な賭け金で遊ぶギャンブラー)用のVIPルームがないと成立しないカジノと庶民の娯楽のパチンコでは、収益モデルも客層も全く違う。 逆に言えば、コツコツと”チンジャラ”やるパチンコを20兆円産業(ピーク時は30兆円産業)にした日本人のDNAにカジノは不向きだ。 ましてや風営法で縛るとなると、VIPルームのような高額な賭け金を許容するとは思えない。パチンコ玉が1発1万円、とやれば「射幸心をそそる」と警察(利権)が出てくるに決まっている。 安倍政権が地方創生を重要課題に掲げたこともあって、永田町には「おらが町へ」とばかりに各地からカジノ誘致の陳情が殺到している。しかし、カジノは地方に分散してポツンポツンとつくっても意味はない。 カジノ成功のもう一つのカギは「1か所に集中すること」だからである。マカオには30軒以上、ラスベガスには約40軒、シンガポールでも2軒の巨大カジノホテルがある。 もし東京、大阪、沖縄に1軒ずつ誘致できたとしても、マカオやシンガポールには太刀打ちできない。韓国のウォーカーヒルやオーストラリアの二の舞いになるだけだ。 カジノは観光立国や東京オリンピックと関連づけられて語られてもいるが、これは全く関係ない。カジノをつくれば外国人観光客が押し寄せるというのは錯覚であり、ましてやスポーツの祭典にカジノが必要なわけがないだろう。オリンピックとカジノは別次元の話である。 カジノの経済学を知らずにカジノをつくっても、「捕らぬ狸の皮算用」に終わるのは火を見るより明らかなのだ。関連記事■ 日本のカジノ パチンコは入らず花札がゲームに加わる可能性■ 米大手金融機関 2020年に日本が世界2位のカジノ国になると予測■ カジノ解禁にらむマルハン 大手全国紙と大型企画進行説浮上■ 舛添氏「お台場カジノ潰し」でフジ会長は首相とゴルフで反撃■ 日本にカジノができれば「3万円は使うことになる」と愛好家

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    「支持政党なし」って本当にありですか?

    政策を持たない「支持政党なし」という政治団体をご存じだろうか。先の参院選では比例64万票を獲得し注目されたが、一方で「紛らわしい」「詐欺まがい」との批判も相次いだ。彼らの活動は政治不信のはけ口か、選挙制度への冒とくか。解散風が吹き始めた今こそ、この問題を真剣に考えたい。

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    「愚かな若者は選挙に行くな」という森達也氏の奇妙な論理

    岩田温(政治学者) 映画監督の森達也氏が、『週プレニュース』で奇妙な持論を展開している。 若者は無知で同調圧力に影響を受けやすいために、周りの数人が「自民党に投票する」といえば、自民党に投票してしまう。だから、無知な若者は棄権して構わないというのだ。そして、アメリカには同調圧力がなく、若者がサンダースのような候補に投票したと持ち上げ、そういう意識を持つ若者なら、投票に行ってほしいという。 何ということはない。要するに、自分は自民党が危険な政党だと思っている。だが、多くの若者は愚かで、自民党の危険さを見抜けない。だから、自民党の危険さを見抜いているような賢い人間だけが選挙に行ってほしいというわけだ。 自民党に投票する若者は馬鹿だから、選挙に行くな、という主張を繰り返しているに過ぎない。 何度読み返してみても、とんでもない主張だ。 そもそも同調圧力がないというアメリカではトランプという極端な候補が支持を集めており、世界がその動向を危うんでいる。そんなにアメリカの若者が優秀なら、どうして、彼を支持する人々が多いのだろう。 そして、この意見が傲慢に過ぎるのは、若者を一くくりにして「同調圧力に弱い」、「政治を知らない」と決めつけているからだ。本当に若者は、同調圧力に弱いから自民党を支持しているのだろうか?頭が悪いから、自民党を支持しているのだろうか?森氏のいうように、護憲の立場から、自民党に投票するというちぐはぐな行動をする若者ばかりなのだろうか? 「互いに連立政権を組むことは出来ない」といいあっている野党同士が反・与党のスローガンだけで政治を語っていることに対する不審感を持つ若者だっているだろう。 意見の異なる相手に向かって「お前は人間じゃない。叩き斬ってやる!」などと獅子吼する政治学者に支援される野党に嫌悪感を抱く若者もいるだろう。 私は選挙権を18歳に引き下げることには反対した一人だ。だが、選挙権が与えられた以上、選挙権を行使すべきだと考えている。仮に森氏のような主張を真に受けて、「自分は若すぎて判断が出来ない」などと考えて、投票所に足を運ばなければ、全く政治に興味関心がない世代という烙印を押されることになってしまう。それは避けた方がいい。 現代民主主義の長所でもあり、短所でもある特徴は、知性の有無によって投票者を差別しない点にあるといってよいだろう。賢い人の判断だけが必要だというならば、制限選挙を実施するしかないが、そうした制限選挙を求める人は少ないはずだ。 政治のプロである政治家を学歴、所得に関係なく一般の国民が選出する。それが現代の民主主義なのだ。もちろん、完璧なシステムではない。だから、時に誤る。しかし、誤ることを恐れて政治に無関心であればよいということではない。 出来るだけ、冷静に判断し、自分自身の一票を投じればいい。サッカーや野球は独裁国家でも楽しめるかもしれないが、公正な選挙というイベントは民主主義国家でのみ成立するイベントだ。 自分たちと同じ意見をいう若者を「賢い若者」、自分たちと異なる意見をいう若者を「愚かな若者」、選挙に行く資格すらない若者とみなすような傲慢な老人の説教に耳を傾けるべきではない。(2016年07月09日「岩田温の備忘録」より転載)

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    「支持政党なし」はどこへ行く 共鳴が示す日本の政党政治は終わった

    川上和久(国際医療福祉大学教授) 特定の支持政党を持たない層は、日本の政党や政治家にとって、今や、自らの死命を制する存在となっている。特定の支持政党を持たない層は、「政党支持なし層」、「支持政党なし層」、「無党派層」などと呼称されているが、本稿では「無党派層」と呼称することにする。 「無党派層」は、55年体制の下での自由民主党、社会党の「保革対立」の潮流の中でも、一定程度存在した。そんな層を捉えようと、1970年代から動きはあった。二院クラブに入会したコロムビア・トップ(下村泰)氏(中央)。(左から)喜屋武真栄、青島幸男、下村泰、野末陳平、市川房枝の各氏=昭和50年6月 ロッキード事件など、政治倫理が大きな課題となっていた1977年には、河野洋平代議士らが、保守政治の刷新を掲げて新自由クラブを結成し、12月の第34回衆院選では、革新政党を支持できないが、自民党にも不満を持っていた無党派層を引き付け、17人が当選した。 革新陣営でも無党派層を意識した動きがあった。1977年の参院選で横山ノック、1980年の参院選で中山千夏を全国区で当選させた「革新自由連合」が、比例代表制が導入された1983年の参院選に向け、「無党派市民連合」を結成したが、選挙では約51万票の獲得にとどまり、議席獲得には至らなかった。名簿順位をめぐる路線対立があったものの、「無党派」という名前を冠して無党派層を掬い取ろうという戦略は失敗に終わったのである。 一方で、マーケットや政策を絞った「ミニ政党」のほうが、議席を獲得する健闘を見せた。サラリーマンにターゲットを絞ったサラリーマン新党は約200万票で2議席、福祉政策の福祉党は約158万票で1議席、それに比例代表ではなかったが、東京選挙区で税金党の野末陳平氏が当選した。しかし、こういったミニ政党も、無党派層の継続的な支持を得るには至らなかった。新自由クラブも1986年、自民党が大勝した第38回衆院選で6議席と振るわず、解党を余儀なくされた。 新自由クラブやミニ政党の躍進に代表されるように、既存政党の政策に不満を持つ無党派層の存在は無視できない比率に達していたが、それがさらに比率を高めたのが、1993年の細川連立政権成立後の政界再編だった。自民党と共産党以外は、政党名も含めて離合集散が続くこととなり、無党派層の比率がさらに高くなった。 時事通信社は、政党支持について継続して世論調査を行っている。この調査結果によれば、「あなたは、どの政党を支持しますか」という質問に対して、「なし」「わからない」と回答した「無党派層」は、細川連立内閣の前後で大きく変化している。 海部・宮沢両内閣期(1989.8-1993.8)には平均して48.8%であった。それに対して、橋本内閣から小泉内閣(1996.1-2004.8)までの平均は61.6%であり、このめまぐるしい政界再編の時期に、無党派層が急増したことが分かる。(http://www.crs.or.jp/backno/old/No564/5641.htm 前田幸男 「時事世論調査に見る政党支持率の推移(1989-2004)」 参照)無党派層が起こす4つの投票パターン無党派層が起こす4つの投票パターン 無党派層が増加したとはいっても、選挙時には、有権者が政党の選択をすることになる。したがって、選挙時になると、無党派層の比率は下がる傾向にある。東京都知事選の候補者の街頭演説を聞く人たち=7月24日午後、東京都内 無党派層の選挙時の選択は、 第一に、その時の争点に反応して、政権政党に投票するパターン。2005年の第44回衆院選では、「郵政民営化」「官から民へ」のスローガンのもと、小泉純一郎首相が衆議院を解散して民意を問うた。結果として、投票率は比例代表で2003年衆院選の59.81%から67.46%へと上昇し、無党派層が自民党に多く投票し、自民党は296議席を得た。 たとえば、読売新聞社が行った出口調査では、無党派層は、全体の19%、無党派層が比例選で投票した政党は、自民党32%、民主党38%。民主党の方がリードしているが、同社の2003年の衆院選での出口調査では自民党21%、民主党56%だったので、自民党が11%上昇、民主党が18%下落。これが、自民党圧勝の大きな要因となったと見られる。 第二は、政権政党への批判票を無党派層が担うパターン。2009年の第45回衆院選では、政権政党だった自民党への不満が、民主党への期待に転化され、「政権交代」の大きな民意の中で、比例代表の投票率は69.27%。第44回の67.46%からさらに上昇し、無党派層が大量に民主党に投票して、民主党が308議席を得た。 同じ読売新聞社の出口調査では、無党派層は、全体の21%を占めていたが、無党派層が比例選で投票した政党は、民主党52%、自民党16%で、36%もの差がついた。第44回と比較して無党派層が民主党に投票した割合が14%上昇したのに対し、自民党は16%下落した。 第三は、新自由クラブ旋風のときと同じように、新しくできた政党に期待して投票するパターン。2009年に結党された「みんなの党」は、自民党や民主党の既存政党とは異なる「第三極」として注目を集め、2013年の第23回参院選では比例代表で470万票以上を得票し、4議席を得、選挙区と合わせて8議席を獲得した。 読売新聞社の出口調査では、無党派層19%のうち、比例選でみんなの党は23%の自民党に次いで、15%を得ている。維新の会(15%)、共産(12%)、民主(11%)を上回る支持を得たことが、躍進の一つの要因となった。 第四は、投票に行かず、棄権するパターンだ。政権支持、政権批判、新しい政党への期待共にインセンティブが働かないときは、真っ先に無党派層の棄権、投票率の低下という結果になる。「支持政党なし」はどこに行く?「支持政党なし」はどこに行く? 「支持政党なし」という政治団体は、無党派層に、第五の選択肢を提供しようとしているのだろうか? 2016年の第24回参院選で比例代表の得票は64万7071票。全国の無党派層の1%程度の得票ということになろうか。新しくできた政党の政策に期待する無党派層の投票行動の第三のパターンには、政策を掲げているわけではないので該当しない。 また、第四のパターン「棄権」よりは、こういう意思表示をする方がいい、という意見もある。 しかし、既存政党にせよ新しい政党にせよ、政党の機能は、政策を掲げ、それを実現していくことにある。「支持政党なし」は、政党としての政策は持たないとしている。インターネットなどを通して、有権者の意見を基にして、議決権を行使する、というのは、直接民主制に近い主張であり、代表制民主主義の意義を損なうという批判もある。 これまでの、無党派層をつかもうとして七転八倒し、離合集散を繰り返してきた政党の歴史を見ると、このような直接民主主義的な主張への共鳴が広がる展開が将来あるとするならば、既存の政党政治が危険水域にまでなっている、という状況が想定されよう。 また、ネット時代にあって、SNS等を通じて、さまざまな課題について「投票」が行われている。直接民主制的に、ネットでの投票結果をもって政策に反映させるという手法が、若い世代に受け入れられる可能性も否定できまい。 「支持政党なし」が一定の支持を集めることをもって、既存政党は自戒の念を強くしなければなるまい。

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    供託金3千万円ドブに捨てても勝算あり 「支持政党なし」あくなき野望

    ところまできたんじゃないですか。欲を言えば複数の議席がほしいですね。 私たちの「支持政党なし」という政治団体の考え方に多くの国民が満足してくれているということは事実です。今まで消去法で投票したり、白票だったりする人たちの行き場のない思いを「支持政党なし」に投票することでその人たちの心の声が政治に伝わったと言えます。おかしな党のように見えますが、本来は最大の支持を得てもいい党なんです。佐野秀光氏 よく、私たちの政治団体の名前ではなく、ただ単に本当に投票する党がなくて「支持政党なし」と書いただけの票が大半だと批判する人がいますが、それは違いますよ。投票所には政党名が書いてあり、その横に略称があって、さらにその横に候補者の名前があるので、64万票は確信的な票だと思います。 週刊誌なんかで「200万人がだまされる」と書かれたりして、ある意味で注目されたことがよかったかもしれません。ですが、64万票に達したことで一部の政治評論家なんかが、当初は批判するようなコメントが多かったんですけど、最近は「そういのもアリか」みたいな論調に変わってきてますよ。 いつも選挙を見ていると、各政党がだまし合いをやっているだけじゃないですか。選挙になるとあれこれ公約を言いますが、できもしないこと言って国民をだましているだけなんです。 まして、小さな政党はあれこれやりますって言ったところで実現できるわけない。ならば国会に提出される法案をインターネットで賛否を聞いて直接民主主義の橋渡しをしてやろうというのが私たちなんです。 「支持政党なし」の役割をもう少し具体的に説明すると、そもそも政策を持たないので、国会に提出された法案などについてネットで賛否を確認します。例えば賛成7割、反対3割であれば、所属議員が10人いた場合、このうち7人が賛成、3人が反対に回るということなんです。 ということは「支持政党なし」の議員の質は問われない。政策を持たないので学歴もいらないし、とにかく法案の採否に影響を持てればそれでいいわけですから。 とにかく国をああしたい、こうしたいと仲間内で語るのは簡単ですが、実際やるとなると選挙に出て、議席を取っていかないといけない。私が主張しているのは飲み屋でグチをいうのとはちがうんです。突拍子もない手法であっても、支持政党のない人たちの思いをすくいとる受け皿になることはまちがいないですから。「支持政党なし」が議席増やせば与党はヤバい 本来、独自の政策があったら他の党に入れませんよ。党に入るということは、ただ政治家になりたいという目的だけの人は入れるけど、日本をこうしたいという思いがあったらそれはもう他の党には入れないはずです。 「支持政党なし」でやりましょうとどこかの党に言っても無駄だろうし。政策を一切捨てましょうよっていってもやってくれないでしょうし。だからもう自分でやるしかないんです。 でもこの世の中、支持政党ない人多いんですよ。本当に支持政党がない人は選挙にいかない。世論調査なんかで支持政党ないって多いですけど、そういう人たちにもこういう選択肢があるといことがわかれば選挙に行ってくれるかなと。実際、10代や20代の人の支持が高かったみたいなんですよ。佐野秀光氏 参院選では選挙区8人、比例2人で計10人立候補しました。選挙活動は基本的に私を含めて立候補している10人だけです。ポスターは立候補者に有名人がいないので顔写真なんて入れません。見た人もいると思いますけど「支持政党なし」を強調した文字だけのものです。 全国で8万枚、東京だけで5万枚貼りました。これが結構大変で途中で音を上げるやつもいましたね。街頭演説もかなりやったけど、手ごたえというより、街頭演説なんて所詮自分の満足感だけですから。 今はまだ議席獲得に至っていませんけど、この手法が広がって「支持政党なし」にもっと票があつまって議席が増えていったら、法案の採否にかなり影響力を持てるので与党はヤバいと思うはずです。  同じ党の議員でも賛成と反対に分かれないといけないので「支持政党なし」は大きな政党になってはいけないし、政権を取ってもいけない。だから、都知事選などの首長選挙には立候補しないんです。政策もないのに万一当選したら迷惑をかけますからね。まあ、万一にも当選するとは思いませんが(笑)。 かつてはしっかりとした政策を持った党でやり始めたんです。2012年の衆院選で出馬したときは「安楽死党」でした。やはり人間がだれしも不安になるのが自身の死ですからね。死について選択肢を持てるのは安心感につながるじゃないですか。だれもどこの党も大々的には言いませんが、安楽死の選択肢がないのは重大です。それより前の2009年の衆院選では「新党本質」という党名で、そのときから安楽死は政策にいれていましたね。既存政党から出馬しようとは思わない 安楽死に象徴されるようにどこの党もやらないような政策をやろうと思っていましたけど、やはり小さな党ではどうしようもない。だから直接民主主義を実現できるような「支持政党なし」に行きついたんです。 私が政治家を志したのは、何も最近になってからではありません。小学生のころから考えていました。父は普通の会社勤めで、母は幼稚園の先生で、特に親の影響はないですよ。学校の先生も関係なく、世の中動かしているのは政治家なんだと自然に小学生のころから思っていたからです。 強いて言えば、親にテレビに向かって文句言えっていわれたことはありました。でも小学生のころから、わからないなりに新聞を切り抜いて批判を書いていたんです。例えば「東北新幹線が開通」という記事があったら「おれは東北には行かないから」とか、そういうどうでもいいけど、何かしら一言新聞記事の内容に自分なりの批判を書いていました。今でもニュースを見ているとずっとそれについての話しを何時間でも続けられますよ。佐野秀光氏 新聞記事の切り抜きに批判をつけるだけではなかったですね。新しい内閣が発足すると組閣の顔ぶれというのが新聞に掲載されますが、その記事を切り取って部屋に貼っていました。もうマニアみたいな感じで、全部の閣僚を覚えました。だれが外務大臣で、だれが財務大臣でみたいに。物心ついた最初の首相は中曽根康弘さんでしたね。 大学生の時に自民党の学生部に入ったんですよ。だからといって自民党の支持者でもなんでもないんです。理由は選挙のノウハウを得るためです。自民党から出ると、自民党の言うことを聞かないといけなくなるし、政治家を志していたとはいえ、どこかの政党から出馬しようなんて考えたこともありません。 そもそも私は保守でも革新でもありません。自民党の学生部にいてもだれかを目指そうとかいう政治家もいません。まあ、強いて言うなら田中角栄ですか。自民党の人ではありましたが、無名で学歴もなくてあれだけ影響力を持っていましたから。 政治家になる近道としては芸能人とかスポーツ選手とかで有名人が選挙に出てというパターンが多いですけど、私は自分でどうやったら多くの人が支持してくれる自分オリジナルの党をつくれるかしか考えていません。 わかったのはお金がかかるということです。選挙に出るには自分で金をつくるか、だれかに出してもらうしかない。でもだれかにお金を出してもらうと、その人の言うことを聞かないといけない。だったら自分でお金を稼ぐしかないと思い、大学に入ってすぐに塾経営を始めたんです。  ある程度の資金が貯まると、今の仕事につながるんですけど、登記簿謄本取得代行サービスを始めました。当時は、不動産登記簿や法人の登記簿を入手するには各地の法務局に直接行く必要がありましたが、どこからでもファックスやネット注文で迅速に入手できるサービスを思いつきました。 全国各地に登記簿謄本を取りに行くアルバイトを配置して、注文から1時間以内にファクスするシステムで、これが結構ニーズは高くて。ただその後はインターネットで登記情報が入手できる時代になったんで、今度は登記情報をデータベース化して、法務局より安く提供することにしたんです。仕事も選挙も「日本初」のことしかやりたくない 今は法務局で定価で取得すれば一通につき335円かかりますが、当社のデータベースにある登記情報なら280円です。新規に登記情報を取る場合でも334円と法務局よりも若干安くしています。登記情報は一度取れば何度も使えますからね。登記情報が必要な業種によってはかなり多数にのぼるだけに、コスト削減にもつながるわけです。現在1日5万件の利用があります。また名前から登記情報が探せるサービスも当社しかない大きな特徴です。佐野秀光氏 登記簿は結構頻繁に内容が変わりますけど、これも「登記見張り番」というサービスで顧客に知らせることもやっています。いずれの事業も日本でうちしかやっていません。私は基本的に何をやるにしても「日本初」でないとやりません。先ほど渡した名刺もよく見てください。名刺なのに広げるとハガキになっているでしょう。これも日本初。わが社の社訓は「日本初への挑戦」なんです。 ですから「支持政党なし」という政治団体も日本初です。政策なし、イデオロギーなし、といういまだかつてないもの。日本初の党で直接民主主義を実現したい。参院選では供託金だけで計3600万円かかりました。もちろん戻ってきません。 お金はかかりますが、「支持政党なし」の政治活動はこれからもっと盛り上げていきます。今のところ有名人が協力してくれるという話はありませんし。今まで通り地道にやっていくしかないのが現状です。とにかく支持政党がないことを訴えたい人たちの思いを結集させて、それを政治に反映させていきたいですね。(聞き手 iRONNA編集部、津田大資) さの・ひでみつ 1970年9月生まれ。東京都大田区出身。日大在学中の89年に家庭教師派遣会社を設立し、実業家として複数の会社を経営。2009年に政治団体「新党本質」を立ち上げ、その後「安楽死党」に名称変更した。13年に「支持政党なし」を発足させ、14年の衆院選比例北海道ブロックで10万票以上を獲得。16年7月の参院選の比例代表では得票数が約64万票にのぼった。

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    政治にしがらみはいらない、野党共闘は「支持なし」戦法に学べ!

    間2億円近くの政党交付金の配布を受ける可能性が数字の上では成立することになる。ネット時代における民主政治の正しいスキーム 選挙に通るまでは、バラ色の政策マニフェストをいろいろ掲げるが、当選した後は、「党議拘束」とやらを持ち出し、選挙戦での公約以外のことをやってしまう議員も多い。これも政治家のプロセスが「選挙」でしかないから仕方のないことだ。しかし、「支持政党なし」は「政策もなし」というユニークな政党なのだ。国会議員は、国民の使者として議決権を行使するだけに徹するという直接民主主義の政党である。(神田敏晶撮影) だから党員は基本的に、ネットやスマホで全法案の賛否を投票することが可能だ。このスキームはネット時代における民主政治の正しい姿だと思う。すなわち国会議員は、国民の賛否の声を届ける本来の意味での「代議士」であるのだ。だいたい、ネットのなかった頃には個別の法案の賛否に参加することは不可能だったし、法案を解説してもらい、リスクとベネフィットを踏まえた上で、国民が政治参加できるプロセスをプラットフォーム化しようとしている政党はいなかった。政治引退した、日本を元気にする会の松田公太・前参議院議員(タリーズコーヒー創業者)も同様のアイデアだっただけに、連携できればよかったと思う。代表の佐野氏がもっと政治の筋に近い人だったらユニークな連携ができたのかもしれない。また、今回の「支持政党なし」の候補者たちは、みずから供託金を用意し、自分の政策を持たず、国民の使者として使える人をネットで公募して選ばれている。これもユニークだろう。 東京選挙区の方は参議院選挙の時に「支持政党なし」の4連のポスターが貼られているのを不思議に思ったのではないだろうか? なぜ、東京選挙区に候補者の顔も名前も掲載されていない政党のポスターが貼られていたのか。民進党の有田芳生議員は、「選挙管理委員会に機敏に対応すべし」とツイートしていた。これは、「支持政党なし」の4候補で支持政党なしをアピールする手法だったからだ。もちろん、公職選挙法上では、写真も候補者の名前も明記しろとの文言はないからだ。「選挙区は『支持政党なし』検索 公認候補者へ」という、候補者名を知らしめる文言があれば良いという。 では、あの抽選方式の選挙ナンバーをどうやってクリアしたのか…。 それはまさにコロンブスの卵の発想だった。そう、抽選には参加せず、余った番号に割り振られただけだったのだ。しかし、それは朝8時30分からはじまる、あのおそろしく荘厳な雰囲気の抽選会場でやってのけたというから痛快だ。4人で揃って「せーの」で、抽選会が終わりドアが閉まる瞬間に入ったという。実際に公示日は朝に抽選を行うが、届け出自体はその日の17時まで受付を行っているから全く問題もない。 筆者はITを専門としたジャーナリストであり、2007年の参議院選挙ではネット選挙解禁をテーマに国政に出馬した経験がある。今回の「支持政党なし」のチャレンジの結果はゼロであったが、記録としては、確実にパフォーマンスに応じた集票ができたと感じている。2016年東京都知事選挙の時の野党が自公潰しを狙って連携した「鳥越選挙」を想い出して欲しい。民主党が旧みんなの党派閥、維新派閥と連携した「民進党」として再スタート。勝ち目のある候補者を決めあぐねていたあげく、誰がかついだのか、タレントの石田純一氏まで出馬を匂わすなどのパフォーマンス。有力野党が戦う前から軒並み自然消滅していく体たらくぶりだ。 むしろ、「支持政党なし」のアイデアとパフォーマンスは、魅力なき野党にとっては魅力的な戦術だと思う。政治にしがらみがないからこそできる発想だからだ。しかし、政治はしがらみだらけの中で育まれている、未だに任侠の世界だ。むしろ佐野氏は、各野党の参謀として、そして現在の政治プラットフォームのASP(アプリケーションサービスプロバイダ)事業者として、新たな野党づくりをIT選挙の面でサポートしてほしいくらいだ。そして、狙いは参議院ではなく、代議士と呼ばれる衆議院だ。衆議院の法案賛否に国民が参加できる直接選挙を支持する野党が連携しやすいと思うからだ。現在の野党は分裂、吸収、合併が多すぎて、支持しにくい。だからこそ「支持政党なし」ではなく「野党支持」という政党で『鳥越方式』でまとまるしか能がなかったのだ。自民の推薦もなかった自民の小池百合子都知事の人気が上がれば上がるほど、野党も与党も忘れてしまいたい選挙となった。「当選」する為には、なんでもしでかす政党にとって「支持政党なし」はあまりにも、いさぎ良すぎた。

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    世界初の「直接民主型政党」の魅力を敢えて俗な言葉で語ってみる

    に関しては「国民(会員)の投票にかけ、その比率に応じて国会議員が投票行動を決める」という直接民主型の政治を志向・実践することにあります。2015年1月、「日本を元気にする会」の綱領発表の記者会見で、ビデオメッセージであいさつするアントニオ猪木参院議員 もちろん単なる人気投票にならないように、そこに至るまでのプロセスには幾重にも慎重な仕掛けを考えているのですが、今日のところはその話は置いておきます。 なぜこの「直接民主型」の政治が斬新で、存在価値があるのか。私はどうして、こんな思い切ったコンセプトを持つ政党に飛び込むことを決めたのか。その魅力について、本日はざっくばらんに俗な言葉で語ってみたいと思います。 国民の声を主にネット等で集めて、それを国政に届ける…と説明すると、情報感度の高い方々からは「はいはい、またそのパターンね」という反応が返ってくることがあります。確かに同様のコンセプトを持っている「政党」は世界ならばスウェーデンの直接民主党やハンガリーのインターネット民主党、ドイツの海賊党などがあります。 また日本では都知事選挙の際の「インターネッ党」や、先の衆院選で突如現れた「支持政党なし」が直接民主型を志向していました。しかしながら上記はいずれも、「地域政党」もしくは単なる「政治団体」です。地方議員が所属しているケースがあっても、国会議員が所属している政党ではありません。 「地域政党」や「政治団体」に要件はなく、基本的には申請すればだれでも作ることができます。ドイツの海賊党は国政選挙の比例代表で4%の得票率を獲得したことがありましたが、5%未満の政党は足きりされるドイツの制度に阻まれて、国政に進出することはできませんでした。もしこのまま元気会が重要法案で国民投票(会員投票)を行い、その比率通りに行動を決めて議決に票を投じたとしたら、これは紛れもなく世界の政治史上に残る偉業だと断言してかまわないでしょう。以前にも何度か触れた通り、国会議員・政治家にとって直接民主型政治に身を投じることは、自らの過去や存在価値の全否定とも受け取られかねず、非常に高いリスクを伴う思い切った、いや思い切りすぎた決断です。 この決断を下した国会議員が、しかも5人もそろってスタートした。その歴史的瞬間が、世界一少子高齢化が進み、シルバー・デモクラシーの限界に直面している日本から始まるということは、なんとも示唆深い出来事のように思えます。今までだって結局は「ポピュリズム」だった今までだって結局は「ポピュリズム」だった こういう斬新な政党が、いきなり与党になったらさすがに困ると私ですら思います。しかしながら、既存政党の陳腐化が進む日本の政界において、こうしたコンセプトを持つ政党が野党に存在することは「全然アリ」ではないでしょうか。 TPPにせよ集団的自衛権にせよ、党内の意見がまとまっていることはまずありません。賛成の議員もいれば、反対の議員もいる。それでも国会で採決の段になれば、「党議拘束」の名のもとに各党は100か0かで賛成・反対に分かれてしまう… こうした政党の融通の利かなさ、国民世論を無視する意思決定方法に飽き飽きしている有権者層・無投票層は必ず一定数存在します。 元気会の直接民主型政治はそうした層の投票行動を促し、また意思決定に参加させることで政治参画を促進させる効果が期待できます。 この新党のコンセプトに対して、もっとも多い批判が「大衆の意見に踊らされる、ポピュリズムになる」というものでしょう。私もどれだけ、こうしたご意見をいただいたかわかりません。 では、従来の仕組みはそうではなかったのでしょうか? 私は以前、中国共産党のエリートから「日本の政治家は、しょせん4年後(次の選挙)までしか考えられない。 われわれは、100年先の中国を見ている」と言われ、大変なショックを受けたことがあります。 まあ彼らが100年後のことを上手く見通せているかは別として、これは日本の現状をよく表しています。 結局、現行のシステムでも政治家は「次の選挙」のために目先の有権者におもねり、甘い言葉やバラまき政策を続けて莫大な国家の借金や世代間格差を先送りにしてきました。これを「ポピュリズム」と言わずになんというのでしょう? 問題を先送りにしているうちに少子高齢化は後戻りできないところまで行きつき、若い有権者が投票行動を次々に放棄している今、ドラスティックな改革は絶対に必要です。若年層を中心に投票率が落ちているのは、世界の先進国でも共通の事象です。これに危機感を覚えたいくつかの国では、やはり直接民主型の政策を取り入れようとしています。 その代表的なものは「国民投票」です。しかしながら、本当にダイレクトに国民が「Yes, No」を決める国民投票は、その重大さゆえに繊細な運用が必要になりますし、実際に決定までに途方もない時間がかかります。この先進事例国のスイスなどでも、まだなかなかうまく機能しているとは言えないようです。 そこで、政党が独自の仕組みで国民(党員・会員)の意見を吸い上げ、その意思通りに投票行動を決めることで疑似的な直接民主政治を実現できれば、この欠点は一気に解消され、国民の「諦めの感情」を払拭する起爆剤にすらなりえます。 …とまあ、他にも色々とあるのですが、長くなってきたので本日はこのあたりにしておきます。「うまく行くはずがない」「常識外れな試みだ」多くの人がきっとそう思っています。 しかしながら、今は当たり前になっていることで、かつては「非常識」だったことがたくさんあります。どこかで誰かが常識外れな「無理ゲー」に挑戦したからこそ、パラダイム・シフトが起こったのです。 冒頭に記載した通りいま現在わたしたちは、この世界初の試みを必ず成功させるべく、誰もが公平に、活発に、なおかつ楽しく議論に参加して投票できるような仕組みづくりを進めています。つくっている私たちのワクワクが抑えられないほど、面白いシステムが議論されている最中です。 古代ギリシアで誕生したデモクラシーの炎は、2500年の時を超えて、再びここ日本の地に点りました。この火を決して絶やすことなく、デモクラシーの炎で日本を再び元気にするため、皆さまと共に挑戦的な活動を続けていきたいと思います。(「おときた駿公式ブログ」 2015年1月26日分を転載)

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    「支持政党なし」は制度の隙をついた選挙妨害ではないか

    猪野亨(弁護士) 衆議院選挙の比例区が話題になっています。「支持政党なし」という名称の「政党」です。それが何と10万票も獲得したというのです。道内の各政党の得票数 何とすごい票数です。しかし、誰もが思うところですが、このような政党に10万人もの支持が集まるはずがありません。このような政党名など聞いたことがないし、10万人もの有権者が引っ掛かったということです。ところが「衆院選で政党「支持政党なし」が10万票ーーなぜ「政策は一切なし」だったのか?」(弁護士ドットコム)では、この投票行動をこのように分析しています。そして、動画のなかでも、「支持政党なしは、政策は一切ございません」と強調。既成政党に投票すると、その政策の一部に反対だったとしても、一括して賛成したことになってしまうとして、「個別の法案ごとにみなさんの意思表示をしたくありませんか」と呼びかけている。 今回の衆院選の比例・北海道ブロックで「支持政党なし」が10万票以上を獲得したのは、このような佐野代表の主張に共感した人が多かったからなのかもしれない。 そんなはずがないでしょう。だいたい政党名だとは思いませんよ。それに事前にこの「支持政党なし」のホームページをどの程度の有権者が見ているというのでしょうか。 本当に悪質としか言いようがありませんし、これでは制度の隙を突いただけのただの選挙妨害でしょう。多くの有権者の善意を利用した、いや踏みにじった行為は批判されて当然だろうし、これ自体、制度の欠陥なのですから、早期に対策・是正が必要です。 本来、支持政党なしの有権者が示す方法は白票ということになります。この問題を考えるのであれば、やはり国民審査についても考えなければなりません。国民審査は言わずと知れた最高裁判事について、罷免を可とする場合には「×」を付け、それが過半数を超えると罷免されるという制度です。白紙は信任です。あくまで罷免を可とする場合にのみ「×」を付けます。裁判官の国民審査は「支持政党なし」と同じ手口 さて問題は、投票用紙です。これは投票所に行くと当然のように交付されます。交付されてそのまま投票箱に入れれば、信任なのです。この国民審査の投票用紙は受け取らないことができます。要は棄権です。棄権ができないという制度はあり得ないのです。 しかし、衆議院議員選挙に投票した者は、必ず国民審査の投票をしなければならないことになるような運用がなされているのです。受け取って下さいと必ず渡されるのですが、それは事実上の投票の強要にも等しいのです。 何故、これが問題になるのかといえば、白票が信任になるからです。衆議院議員候補者に対する投票の場合には白票は、どの候補者の票にもなりませんから、実質的には棄権です。事実上、投票を強要するような現行のやり方を前提にするならば、信任の場合には「○」を記載させなければ整合性は取れません。 もともと制度が罷免を可とする場合には「×」としたのは、憲法の規定の仕方がそのようになっているからです。憲法第79条第3項 前項(国民審査)の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。 この方法自体、批判の対象になっていることは周知の事実ですが、仮にこの制度を前提とする場合であれば、有権者に投票用紙を受け取らない自由を保障することが不可欠です。実際に多くの国民は、国民審査の投票用紙を受け取らなくて良いということを知りません。そのような誤解につけこんで信任を多くするようなやり方が全うであるはずもありませんが、これは「支持政党なし」の手口と同じ次元のものです。 有権者の誤解に基づき投票させるというものです。どちらも同レベルの問題なのですから、「支持政党なし」の是正だけでなく、国民審査の投票用紙の受け取りが自由であることを用紙を交付する際に説明するよう是正されなければなりません。(公式ブログ 2014年12月16日分を転載)

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    次の選挙で「自民党大敗」を裏付ける2つのデータ

    〈与党大勝 改選過半数〉(読売)〈改憲勢力 3分の2超す〉(毎日) 新聞・テレビは一斉に参院選での自公圧勝を報じ、選挙戦はそのまま第2ラウンドの東京都知事選に突入した。 議席数だけを見れば、自民党は27年ぶりに参院での単独過半数を回復(追加入党含む)し、改憲支持4政党の勢力は衆参で3分の2を超えた。 しかし、安倍首相は喜んではいなかった。テレビカメラの前で勝利宣言したときは笑顔だったが、側近たちだけになると別の顔を見せた。「勝ってなんかいないからな」 そう吐き捨てるように語ったという。 そのうえで、安倍首相は参院選が終わると早めの夏季休暇に入った。都知事選の第一声で自公推薦候補の増田寛也・元総務相の応援に立つこともなく、休養先では選挙戦の憂さを晴らすようにゴルフに興じた。 理由がある。 参院選のデータを詳細に分析すると、2012年の政権復帰以来、国政選挙で「常勝」を重ねてきた安倍自民党の勢いに陰りが出てきたばかりか、次の総選挙で「自民党大敗」の兆候がはっきり見えてきたからだ。当選確実となった候補者にバラをつける自民党総裁の安倍晋三首相=7月10日、東京・永田町の自民党本部(斎藤良雄撮影)■データ(1)安倍応援は「勝率1割以下」 まず、選挙に強いといわれた安倍首相の「神通力」が消滅した。 自民党選対幹部が語る。「安倍首相が今回応援に入った11の重点選挙区の結果は1勝10敗、勝率が1割を切った。総理が入るのは大接戦や苦戦している選挙区とはいえ、2012年の総選挙の時は87%の勝率を誇り、前回総選挙(2014年)でも総理の応援した選挙区は38勝38敗の勝率5割だった。この有権者の動向は内閣支持率の数字だけでは決してわからない選挙特有のものだ。“俺が入れば負けない”と思っていた総理は相当ショックだったようだ」 ちなみに安倍首相は今回、事前の情勢調査で負け濃厚だった沖縄には応援に入らなかった。皮肉なことに、安倍側近の世耕弘成・官房副長官夫人で民進党の林久美子・前参院議員を落選させた(滋賀選挙区)のが唯一の勝利だったのである。■データ(2)「東北の乱」の悪夢再来 参院選で事実上の与野党一騎打ちとなった1人区で自民党は21勝11敗と予想外の苦戦を強いられた。その中でも1勝5敗と負けが込んだのが東北6県だ。 東北は安倍首相と自民党にとってまさに“鬼門”だ。公明党の基礎票は多くないが、農業地帯で保守地盤が強く、過去、自民党は自力で勝ってきた地域だった。 ところが、第1次安倍政権当時の2007年参院選で自民党は東北の1人区で全敗(当時は宮城は2人区)して与野党のねじれが生まれ、2年後の総選挙で民主党への政権交代の引き金となった。政界変動の前触れが起きる地域なのである。 安倍首相は前回参院選では東北で失っていた自民党の議席を回復し、リベンジを果たした。今回も東北を重点選挙区として首相自ら複数回応援に入って徹底的にテコ入れした。それにもかかわらず、再び「東北の乱」が起きた。「勝った」と喜べる状況ではないのである。関連記事■ 衆参ダブル選挙 18歳選挙権拡大が混乱の大きな火種に■ 7月参院選 自民尋常なる上げ潮で野党が消える日になるか■ 自民党参議院改選議員 来夏の選挙心配で安保特別委に尻込み■ 次期総選挙 無党派票が自民党批判に動き野党の乱立も解消か■ 公明党議員 選挙が遠いからと自民の公明への配慮不要は失礼

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    知られざる巨大組織「日本会議」研究

    いま「日本会議」という保守系団体の存在に注目が集まっている。著名な保守言論人や政治家らが名を連ね、安倍政権が目指す憲法改正を下支えする組織として知られるが、関連本も多数出版され、ブームになっているという。そもそも日本会議とはどんな組織なのか。その実像を徹底研究する。

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    保守論壇よ、目を覚ませ! 「右派プロ市民」に操られた日本会議の正体

    「民族派学生運動」として誕生した。その後、母体である「宗教法人・生長の家」そのものは路線変更を経て、政治運動から撤退したが、椛島有三氏以下日青協のメンバーたちは、未だに「生長の家」の創始者・谷口雅春の思想を信奉し、谷口雅春の説いた「愛国路線」を愚直に突き進んでいる。 また、高橋史朗氏(明星大学教授)や百地章氏など日青協の幹部メンバーは、現在の「宗教法人・生長の家」に反旗を翻す宗教的原理主義団体「谷口雅春先生を学ぶ会」での活動も確認されている。日青協のメンバーは、70年代以降、弛むことなく、宗教的情熱を元に、政治運動を続けてきたのだ。 谷口雅春存命中の「生長の家政治運動」について言及される際、必ずと言って引き合いに出されるのが、「生長の家は、『帝国憲法復元改正』を唱えていた」という点だろう。確かにそれは間違いがない。谷口雅春は熱心に「昭和憲法に正統性はない。明治憲法を復元すべきだ」という主張を展開していた。だが、当時の「生長の家政治運動」が最も熱心に取り組んだのは憲法問題ではなく、「妊娠中絶反対」を主眼とした「優生保護法改正運動」だ。 「中絶は一種の殺人行為である。 法律はこれを許しても神の世界では許されない」と唱える谷口雅春の下、当時の「宗教法人・生長の家」は、苛烈に「優生保護法改正運動」に取り組んだ。当然の事ながら、その運動は、宗教法人本体の運動だけにとどまらず、学生運動にも波及する。当時の『生学連新聞』(生長の家学生運動の機関紙)では、「憲法改正」ではなく「優生保護法改正」こそが最重要課題として掲げられるのが常であったほどだ。 運動は一定の成果を見せ、当時生長の家組織候補として自民党内で有力な地位を占めつつあった玉置和郎氏や村上正邦氏の尽力もあり、国会での議論の対象にもなり、改正法案が上程されるまでにこぎつけた。しかし、こうした動きは、障害者団体や、当時勃興しつつあったフェミニズム運動の猛烈な反発を生み、ことごとく頓挫してしまう。ついに1983年(第一次中曽根内閣時代)、自民党政務調査会優生保護法等小委員会は、「優生保護法改正は時期尚早」との結論を出し、国会での法改正の道は完全に絶たれるに至った。その直後の1983年10月、生長の家は突如「政治運動撤退宣言」を出し、優生保護法改正運動のみならず、あらゆる政治運動から撤退してしまう。当時のマインドのまま現在も運動を続ける日青協 かくて「宗教法人・生長の家」は83年を境にきっぱりと政治運動から足を洗ったが、先に振り返ったように、日青協は今もって当時のマインドのまま運動を続けている。「憲法改正と同等、いやそれ以上の情熱を、中絶問題にかける」「自分たちの運動の敵はフェミニストたちだ」という認識は、未だに日青協に色濃く残る。その証拠に、日青協のフロント団体である日本会議の公式サイトに掲載された「国民運動の歩み」なるページを読んでみるといい。 確かに、「元号法制化」「天皇陛下御在位20年奉祝行事」など、「愛国運動」らしい文言もあるが、何より多出するのは、「夫婦別姓反対」「男女共同参画事業反対」「ジェンダーフリー教育反対」「性教育反対」などの「女性問題」に関する文言だ。しかもことごとくが、「みずからなにか新しい価値観を提供する」という前向きな議論ではなく、「フェミニストどもが推し進めるものを押し返してやる」とでも言いたげな、後ろ向きのものばかりであるのも特徴だろう。 こうしてみると、日青協の特異さが浮かび上がる。何も「宗教だからだめだ」というわけではない。日青協のやることは常に「反対運動」なのだ。学生時代は「左翼学生運動反対」、大人になってからは「左翼とフェミニストのやること反対」。悲しいまでにかれらには独自性がない。独自性といえば、ファナティックともいうべき谷口雅春への帰依ぐらいであり、彼ら独自の思想や新機軸など何もない。ただただ「小賢しいことを言うサヨクと女どもを怒鳴りつけてやりたい」しかないのだ。これでは居酒屋で管をまくそこいらの親父と大差ない。 そんな程度の低い人物たちが、自民党の改憲工程に影響を与えるはずがない、と思いたいだろうが、現実は一般人の想像を超えて悲惨なのだ。この程度の人物たちが、「憲法改正議論」という国家百年の計に容喙してしまうのが、今の日本の悲劇というべきだろう。信じられないというのならば、官邸を見てみればいい。日本青年協議会の設立メンバーであり現在も幹部を務める衛藤晟一氏は、首相補佐官を務めているではないか。衛藤晟一首相補佐官 国会の議論を見てみればいい。日本青年協議会の幹部である百地章氏が憲法学者として与党側の参考人招致に応じているではないか。厚労省を見てみればいい、日本青年協議会の幹部であり、学生時代は「生長の家学生連合」の代表を務めた高橋史朗氏が、男女共同参画会議の議員を務めているではないか。そして、安倍首相がビデオメッセージまで寄せる改憲運動の現場を見てみればいい、日本青年協議会のリーダーである椛島有三氏が運動を取り仕切っているではないか。 自民党の内部でさえ憲法改正に積極的ではない政治家は多数いる。メディアの世界で改憲議論をリードする保守論壇人たちも「何をどう改正するのか?」という具体論では足並みが揃わない。憲法改正が現実味を帯びた今だからこそ、今後の改憲議論は甲論乙駁の様相を呈してくるだろう。保守論壇を操る日青協に惑わされてはいけない そういう時こそ、「右側のプロ市民」である日本青年協議会の存在感が増す。彼らは今後迷走する「改憲議論」を、「これまでの運動の実績」と「高橋史朗や百地章や新田均などの組織内言論人の活用」で、綺麗にまとめ上げてくるだろう。そして議論の落とし所として「憲法9条改正や緊急事態条項は国論が二分し通りにくいため、まずは「家族の価値」という合意を得やすい論点から改憲を狙いましょう」などと言い出すはずだ。 その萌芽はすでにある。『正論』4月号が「憲法のどこを改正すべきか」というアンケートを実施した際、ほとんどの識者が「9条2項」や「前文」と答える中、ひとり高橋史朗氏だけが「憲法24条を改正し、家族の価値を盛り込むべきだ」と答えている。おそらく日本青年協議会はこの路線で、「保守論壇の意思統一」を図ろうとしてくるはずだ。彼らのいう「家族の大切さ」など、「自分たちが信奉する谷口雅春先生がそうおっしゃたから」という彼らの宗教的来歴に由来するものでしかないのは明らかだ。 更に言えば、その考え方は「社会の構成単位は個人である」という、思想的陣営の左右関係なく皆が前提とする「近代」の土俵を完全に否定するものでしかない。こうした程度の低い前近代的な文言が改憲ののち憲法に含まれる方が、憲法9条2項の存在よりよほど国辱的である。 これ以上、保守論壇人は日本青年協議会に惑わされてはいけない。彼らの運動は信仰運動の一環に過ぎない。自らの正体を隠し人を操る様はまさにカルトとしか言いようがないではないか。改憲議論が本格化する今こそ、保守論壇はきっぱりと日本青年協議会一派と決別し、自浄能力のあるところを見せる必要があるだろう。

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    日本会議「陰謀論」に徹底反論! 安倍政権を牛耳るカルト批判のウソ

    「日本を守る国民会議」結成以後、国民運動に協力されてきた。 しかし、同教団は昭和58(1983)年に政治活動や国民運動を停止し、日本会議の前身である「日本を守る会」「日本を守る国民会議」から脱会した。以後30年以上、本会とは交流が全くない。同教団からの指導、影響が及ぶことはありえない。 一部報道では、元信者が日本会議の運営を壟断しているという指摘がある。しかし、日本会議の活動において、特定宗教の教義に影響され運動が展開されるということは全くあり得ない。日本会議は極めて民主的に運営されており、さまざまな運動方針や人事は、規約に則り政策委員会、常任理事会、全国理事会など役員会の審議を経て、決定・推進されているのである。日本会議は何を目指した団体なのか それでは日本会議は、何を目指して活動しているのか。私たちは、「誇りある国づくり」を合言葉に、以下6点の基本運動方針を掲げている。1、国民統合の象徴である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する。2、我が国本来の国柄に基づく「新憲法」の制定を推進する。3、独立国家の主権と名誉を守り、国民の安寧をはかる責任ある政治の実現を期す。4、教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する。5、国を守る気概を養い、国家の安全を保障するに足る防衛力を整備するとともに、世界の平和に貢献する。6、広く国際理解を深め、共生共栄の実現をめざし、我が国の国際的地位の向上と友好親善に寄与する。 この方針に基づき、私たちは過去さまざまな国民運動に取り組んできた。芦屋市で開催された日本会議兵庫の第15回総会 =2014年7月26日  天皇陛下御即位20年など皇室のご慶事奉祝行事、元号法・国旗国歌法の制定運動、教育基本法の改正運動、戦歿者英霊への追悼感謝活動、自衛隊海外派遣支援活動、尖閣諸島等の領土領海警備強化の活動、そして、憲法改正運動である。 現在の日本社会には、サイレントマジョリティーという顕在しない良識派の多数意志が伏在している。実は日本の文化・伝統は、こうした良識派意志によって支えられ守られてきたのではないだろうか。しかし、これは顕在化しないかぎり力にならない。私たちの国民運動は、こうした世に現れていないサイレントマジョリティーを形に表し、民主的な手続に基づいて法律や行政などの政策を実現することを目標としている。 いよいよ、憲法改正の国民運動が本格化してきた。まさにサイレントマジョリティーの真価が問われる秋といえる。憲法審査会の論議の活性化を 今回の参議院選挙において、日本国憲法施行後初めて憲法改正に前向きな政党により3分の2が確保され、衆・参両院で憲法改正発議が可能となった。各党はこの民意を厳粛に受け止め、速やかに国会の憲法審査会の審議を再開し、改正を前提とした具体的な論議を加速させるべきである。 与野党各党におかれては、国会の憲法審査会において、日本の将来を見据えた活発かつ真摯な憲法論議を繰り広げられることを期待する。制定以来70年、現行憲法は国民の意志で選択する機会を失われてきた。国民投票の機会を得て、今こそ憲法を国民の手に取り戻す好機を迎えているといえよう。むらぬし・まさと 日本会議広報担当。昭和39(1964)年、宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。

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    「日本会議・安倍悪者論」をまき散らす欧米メディアの間違い

    古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員) 日本の民間政治団体「日本会議」と安倍晋三首相をひとからげにして「戦前への危険な復帰」と断じる、一部米欧メディアの攻撃が目立ってきた。13日に日本外国特派員協会で行われた日本会議の田久保忠衛会長の記者会見の模様などはその典型だった。 会見では特派員協会を拠点に、安倍氏や自公政権の政治を抑圧の独裁のように長年たたいてきたアイルランド人のフリー記者デービッド・マクニール氏らが先頭になって、日本会議を軍国主義、帝国主義の復活を求める危険な組織のように追及していた。 こうした「日本会議・安倍晋三悪者論」の最近の究極は、米政治雑誌「ナショナル・レビュー」最新号に載った「日本のファシズムへの回帰」と題する記事だった。筆者は日本関連分野ではほぼ無名のジョシュ・ゲルトナーという人物だが、内容は安倍首相の率いる自民党が参院選で大勝し、日本会議の支持を得て憲法改正へと進むのは、日本がファシズムの国になることだと断じていた。 この記事は、日本会議は明治憲法と、戦前と同じ天皇制を復活させ、個人の自由や言論の自由も抑圧するとした上で、安倍氏が主唱する自民党の新憲法草案も全く同じ趣旨だと書いていた。だから日本は国際孤立の危険な道を暴走していくとも警告するのだった。 この種の「日本会議・安倍危険論」は程度の差こそあれ、米紙ニューヨーク・タイムズや英誌エコノミストなどの大手メディアにも登場する。 しかし、この種の悪者論を正面から否定する主張がすぐに米国の学者から発表され、米国やアジア全域の識者たちに届いたことも、日本をめぐる国際的な議論の健全な側面として注目すべきである。19日に公表された「日本の保守派の『日本会議』ロビー=心配する必要があるのか」と題する論文がそれだ。 筆者は米外交官出身で日米安全保障問題などの研究でも知られるグラント・ニューシャム氏、発表の場はアジア問題専門の英字ネット誌「アジア・タイムズ」だ。同誌は香港を拠点とし、ワシントンのアジア関連の学者や記者、官僚らの間でも広く読まれている。 ニューシャム論文は以下のような書き出しだ。 「最近の欧米メディアの『日本会議』についての記事によると、日本はいま警察国家となりつつあり、まもなく外国への軍事侵略を始める、と思わされる」 同氏は当然、日本会議について欧米メディアが描くこんなイメージは全く間違いだと指摘する。論文の主な内容は以下の通りだ。 「日本会議は民間の一ロビー団体で、日本全体がすぐにその意のままに動きはしない。民主主義国では種々の政治団体が政策論を競うのは自然だ」 「日本会議も安倍氏も日本を戦前の軍国主義や帝国主義に戻すという政策などうたっていない。安倍政権や自民党の内部でも意見は多様で、日本会議の主張に同意しない勢力も多い」 「米欧メディアの批判的な論調には『日本の最善の道のあり方は、あなた方日本人よりもわれわれのほうがよくわかっている』という傲慢さがちらつく」 外国メディアが日本をどう描くかを知ることは日本にとって欠かせないが、その描き方が多様であることも改めて銘記すべきだろう。