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    政治は「嫌老社会」を阻止できるか

    ろん背景にあるのは「世代間格差」である。「若肉老食」と揶揄される日本社会の先には何が待っているのか。政治はこの不毛な世代間対立に終止符を打てるのか。

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    若者に集中する「矛盾」、政治に無関心でも無関係ではいられない

    藤野保史(共産党衆院議員、前政策委員長)/聞き手 山本みずき結党時から若者が政治の主人公山本 はじめにお聞きしたいのが、若者目線の政策です。若い世代で政治活動をしている人たちがよく言うのが、シルバーデモクラシーの打破です。現在はシルバーデモクラシーが確立してしているから、それを憂いて若い世代にとっても重要な政策を政治を通して実現してほしいという発言をする人が多いんですが、今回、共産党ではど若い世代目線の政策を掲げていますか?藤野 私たちは94年前に政党をつくったのですが、その時から18歳選挙権を掲げ、若者が政治の主人公だということを訴え続けてきました。若い方々が日本の民主主義にどういうインパクトを与えてくれるか、期待しているところです。今の若者の動きにはむしろいろいろ教わっているというか、教えられることが多い。若者向けの『JCPmagazine』というパンフレットを出して奨学金・最低賃金・平和と民主主義など若者に向けた前向きな提案もしています。(瀧誠四郎撮影)山本 パンフでまず目についたのが「最低賃金1500円」。これ、実現していただけると、若者には本当にありがたいですね。この前、大分に行ってきたんですが、温泉にあったアルバイトの求人に書かれていたのが時給640円だったんです。衝撃を受けました。それに「安保法=戦争法の廃止」。共産党は安保法制に最も強く反対していた政党で、戦争法ってことでいろいろ訴えていらしたんですが、多くの人が疑問に思っているのが、安保法制がなぜ戦争法って名前になるのかというところです。藤野 安保法制は、今まで自民党政権ができないと言っていた集団的自衛権、これを行使できるとするわけです。個別的自衛権は憲法上認められていると私たちも思っていますし、自民党政権もそう言ってきたわけですけど、今回は集団的自衛権にかかわる。「北朝鮮や中国が攻めてきたらどうするんだ」という声もあるが、そういう時の対応としては個別的自衛権でやればいいわけで、今の法律、憲法でもできる。ただ集団的自衛権は全然違っていて、日本は何も攻撃されてないのに、アメリカなどと一緒になって第三国を攻撃すると、攻撃された第三国は日本にもその矛先を向けるわけで、日本の自衛とか防衛とは関係なく、まさにアメリカと一緒に戦争に加担していく。だから私たちは戦争法と言っている。山本 関係のない戦争に巻き込まれてしまう、それによって無駄な血が流れるのは悲しいことなんですけど、一方で日本のことだけを考えるのか、あるいは国際社会のことを考えて日本以外の国のために武力をもって貢献するのか。藤野 私たちはやっぱり外交が大事だと思ってます。2001年、アメリカで9.11のテロが起きてイラク戦争、アフガン戦争、ずーとやってきましたけど、テロはもうなくなるどころか世界中に拡散している。今の世界はどんな問題もかなり複雑だし単純じゃない。武力を前面に出してやると、私はむしろ解決が遠くなると思うんです。ややこしい問題だからこそ外交をして知恵を出し合って、というところに向かわないと、問題はさらに悪化していく。ましてやテロとか紛争を力で抑えこもうとすると、激化して悪循環に陥っていく。それはこの十数年間の世界が示している。日本は九条を持っている国ですから、九条を活かすことこそ考えるべきです。北東アジアは確かに大変で、いろいろあります。だからといって外交をせずに軍事対応ばかり強化していくと、抑止力以上に紛争に巻き込まれて、悪化させる危険の方が大きくなると思いますね。若者たちっていうのは矛盾が集中している若者たちっていうのは矛盾が集中している山本 シルバーデモクラシーってそもそもいいことなのか悪いことなのか、その点がまず議論されるべきだと私は思ったんですが、多くの政治家は自分たちが選挙に受かるため、より投票人口の多い年配の世代の方々にメリットのある政策ばかりを掲げている。(瀧誠四郎撮影)藤野 日本の場合は年代によって政策が変わっているというより、たとえば国民全体よりも企業の方が、国民全体よりもアメリカの意向が優遇されている。先日沖縄に行ってきたんですけど、まさに県民が、参院選でも知事選でも県議選でもあらゆる選挙で、もうこれ以上沖縄に基地をつくらないでくれって言ってるのに、アメリカ優先でつくってますよね。そうした歪みが現れてきているのかなあというのが私たちの考え方で、もちろん個々の政策で見れば、とりわけ若者たちっていうのは矛盾が集中していると思ってます。 よく財界の人なんかは、年金とか介護にお金を使いすぎてて、若者向け予算が少ないとか言われるんですけれども、社会保障全体でみれば全体として日本はGDP全体に占める社会保障の支出というのは低いんです。一人当あたり給付でOECD34カ国のうち17位ですから、あのアメリカよりも少ない。GDPの対比でみればもっと社会保障の恩恵を受けてしかるべきなのにそれがないというのが問題です。山本 社会保障の問題では、まず財源確保できないことには充実できないところで、消費増税がまた延期されました。藤野 私たちも増税路線なんですよ。ただ消費税はもう2回も増税延期して消費税に頼るやり方っていうのは決別すべき。このあいだ、中小企業同友会の幹部がおっしゃっていたのは「中小企業はだいたい利益の20%ぐらい税金を納めている。けど大企業は平均で言えば12%、連結やってるような巨大企業は6%ぐらいしか利益対比で言えば税金を払っていない。これをせめて中小企業並みに大企業が10%ぐらい払えば6兆円ぐらい出てくる」と。私たちも同じことを考えていた。いま憲法が蹂躙されているいま憲法が蹂躙されている山本 どうして大企業は12%にとどまっているんでしょうか。藤野 大企業しか使えないような研究開発減税とか連結納税制度、海外の子会社の利益をもってきた場合は非課税といった中小企業が使えないような優遇税制があって、利益は上げてるんだけど税金は収めなくていい。あのトヨタでさえ2012年までの5年間、法人税がゼロだったときがありました。もちろんリーマンショックとか東日本大震災がありましたけれど、それにしても日本は余りにも優遇されすぎている。(瀧誠四郎撮影)山本 共産党が掲げている政策の中で最も重視されている政策を三つ挙げてください。藤野 一つは戦争法、それはもう大問題ですね。もう一つは三つのチェンジってアベノミクスに変わる対案として私たちが言っている税金の集め方と使い方、働き方を変えること。三つめはやっぱり憲法。若者にとっても憲法が変わるってことは大問題ですし、これまで2回の国政選挙をみると、安倍総理は経済、経済って選挙中はやるんですけど、選挙が終わったら戦争法とやりましたから、今回も必ずそうなりますよ。山本 憲法の中でもとりわけ重視されているのはどの点なんですか?藤野 私たちはいま憲法が蹂躙されているという認識なんですね。権力者はどんなに権力があっても、暴走させてはダメだと。例えば9条でどこまでできるのか、人権はどこまで制約できるのか、憲法に書いてある。安倍総理はこの憲法をまさに一内閣の解釈で変えてしまった。これは解釈改憲による憲法の蹂躙で、まずはこの非常事態を正すことが大事。これはもう主権者である国民が選挙という場で審判を下すしかない。今回の選挙はそういう選挙だと。共産党アレルギー?ありますよね共産党アレルギー?ありますよね山本 藤野さんはどうして共産党に入られたんですか?藤野 もともと両親が共産党員で信頼感はあったんですけど、共産党は負け続けてたんで「何でこんなことやるのかな」って正直思っていた時期もありました。京大時代もずっとそういう活動はしないと思っていて、体育会のサッカー部に入ったんです。けど湾岸戦争が起きて、当時初めて自衛隊が海外に出るというので大問題になり、学内で勉強会みたいなものに呼ばれて行くようになった。そこで鋭いこと言ってるのは共産党の人なんですよね。資料もいろいろ持ってくるし「ああ大したもんやな」というのがあって、もともと信頼感もありますから合わせて一本ということで、二十歳で入党しました。(瀧誠四郎撮影)山本 共産党は自民党や民進党と比べると議席数が少ない。原因は何だと思いますか。藤野 やっぱりアレルギーはありますよね。共産党アレルギー。山本 それはご自身でも感じますか。藤野 感じますね。福岡は麻生(太郎副総理兼財務大臣)さんの地元だし、昔から感じていました。でも歴史的な経緯もありますし、そういうのがどんどんなくなってきたというのが実感で、今はそれこそ若い人がどんどんフランクに物を言ってくれる。やっぱり人間の付き合いだし、私たちも共産党内部だけで今までやってきたようなことを、もっとオープンにしてやっていけば必ず理解は広がっていくと思います。山本 共産党に対するアレルギーってどこから生まれてるんでしょうか。藤野 戦前のイメージじゃないですかね。共産党が戦争反対の旗を政党としては唯一降ろさなかった。当時の政府は目の敵にするわけですよね。あれは赤だ、国賊だというので大宣伝もやってきたというのもある。もうひとつ戦後で言えばソ連、中国のイメージ。名前は同じだけど全然違うんですよ、ソ連や中国と一番喧嘩してきたのが日本共産党。でかい国ですから他国の共産党に言うこと聞かせようと干渉してくる。私たちは自主独立の立場を持って干渉をはねのける。そしたらまた向こうがいろいろやってくる。山本 根底に流れる思想は。藤野 そこはもうロシアは変わってますし、中国は社会主義を目指すと自分たちでは言ってますよね。人権の問題とか他国への力の行使で現状変更しようとするやり方だとか、あんなもの私たちは社会主義に値しないと思ってますから、つい先日も中国大使館に申し入れしましたけれども、そういう点ではずっと厳しくやってきました。政治に無関心でもいいけど無関係ではいられない政治に無関心でもいいけど無関係ではいられない山本 共産党というのは中国、かつてのソ連でもその思想を広めるのに力を注いでいたと思います。藤野 一党独裁でもないですし政治信条を押し付けるわけでもない。むしろそういうのを駄目だと言って戦前も戦ってきたし、戦前で言えば天皇が絶対というイデオロギーですよね。それがダメだということで戦ってきた。(瀧誠四郎撮影)山本 共産党とシールズの関係性が騒がれました。藤野 全然近くないですよ。彼らは彼らの思いで活動してわれわれの背中を押す。共産党だけではなく野党頑張れ、彼らは党に勝ってほしいわけではなくて安保法制を廃止してほしい。だから野党はまとまるしかないじゃないかと。共産党はそれはそれで歓迎するというスタンスですよ。山本 政治にどのように参画したらいいのか若い人たちにアドバイスを。藤野 「政治家は言葉がむつかしい」。つい先日選挙権サミットというのに出て、何人からも言われたんです。ましてや共産党というのは堅苦しい、同じようなことしか言わないイメージがある。それに比べ若者たちは自分の言葉でしゃべるし、本気なんですよね。 「政治には無関心でもいいけど無関係ではいられない」と言います。どんな問題でも実は自分の問題だと。TPPかもしれないし原発かもしれない、必ずこれは自分の問題だって思えることがある。それを「お前そうなのか、おれはこうだ」と話し合える場所があるかどうか。どんどん声を上げて政治や社会にかかわって突き上げてほしい。 ふじの・やすふみ 1970年福岡県生まれ。京都大学法学部卒業。穀田恵二と吉井英勝、両衆議院議員の秘書を務める。2003年、党中央委員会の政策委員に就任。2014年、衆院選比例北陸信越ブロックで初当選。日本共産党中央委員会原発エネルギー問題対策委員会事務局長などを務める。

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    団塊世代の何割かが18~20才のことを思って投票すればいいのに

    はない、アメリカも韓国も低い。ドイツは少し高いみたいだが、この記事(投票率が低い若者の意見は、日本の政治に反映されない)によると、若者の投票率が一番高いのは、意外やブラジルだった。と思ったら、ブラジルは投票しなければペナルティー(罰金等)が課されるそうだ。 僕が若い時は選挙には行かなかった。恥ずかしながら初めて行ったのは30才手前だったかな。と自省していたら、有名ブロガーさんたちも20代後半に初めて選挙にいった人もいて、僕だけではなかったと安心した。 というより、そもそも、若者とは「権力」や「制度」や「システム」に反対する、あるいはめんどくさがる、あるいは自分とは関係ないと思うものであり、これらの一連の態度(反対、めんどくさい、関係ない)こそが「若者」の定義だ。 時代よっては、「反対」が強調されることもあり(70年前後)、「めんどくさい」が前面に出て来ることもあり(80年代)、「関係ないし」が目立ったりする(ゼロ年代かな)。 国が変わっても若者の投票率がだいたい低いのは、この「若者」自体の特性がまず関係している。僕も、めんどくさかった+権力システムが嫌いだった。 これに加えて、当欄のメインテーマでもある、階層社会化という点がある。非正規雇用4割、相対的貧困率16%という日本社会では、アンダークラス(下流階層)が4割程度だと言われており(ピケティほか)、これを大きな背景として、児童虐待やDV等の問題がアンダークラスの家庭の中で日々起こっているのは誰もが知っている。 ただし、階層化が固定すると、どうやら「他の階層」のあり方が人々は目に入らなくなるようだ。たとえば、今回の選挙でも注目されるSEALDs界隈の人々を追っていると、自分たちの「ことば」は、すべての若者に対して届いていると本当に思っているように僕には感じられる。 それを受け入れるかどうかは別として、自分たちの戦争反対ということば、それを願う思い、それを支える思想は、それに賛成するか反対するかはさておき、語ればとりあえずは「届く」と思っているフシがある。が、当欄でも触れたが(若者は、選挙にもフジロックにも行かない)、アンダークラスの若者の中には、SEALDsの若者がつかう「ことば」がそもそもわからなかったりする。たとえば「選挙」という漢字が読めなかったりする(障がいからではなく、学習の積み重ねのなさから)。もちろん、SEALDsが作成する英語のチラシは読めない。 SEALDsの人々の視界には、もしかすると、このような「選挙」を読めない若者がそもそも入っていないのではないだろうか。それは別に悪いことではなく、階層社会が確定すると、なぜか別階層のリアルな姿が遠くなり、自分たちの階層内でひきこもっていくようだ。 これは古市憲寿氏の『絶望の国の幸福な若者たち』にも出てきた、「仲間内のスモールサークルで、そこそこの幸福を楽しむ」という現象と重なる。階層社会の若者たちは、自分たちの階層内で、自分たちが共有する価値をもとに、自分たちに通用することばを用いて、団結したり遊んだり喧嘩したり恋をする。そこが「世界」のすべてだと受け入れ、やがてその「外」に対する想像性が薄くなっていく。団塊世代が最大の「援軍」になれ団塊世代が最大の「援軍」になれ ましてや、少ない。今回選挙権を与えられた18才と19才の学年はそれぞれ約120万人程度であり、20才の人々も含めたとしても、360万人しかいない。この40%が仮に投票に行ったとしても、144万人にしかならない。 このように、若者は、◯そもそも「選挙」のようなシステムと距離を置く生き物、◯階層社会内でのアンダークラス若者の一部は、選挙権を自分とは「別世界」だと捉える、◯そもそも若者は数が少ない、 といういわばハンデを抱えている。選挙が嫌いで、自分とはそれは関係なく、そもそも数自体が少ない。つまりは、「若者」にそんなに期待しても、それは「酷」だと僕は思うのだ。 それよりも、だ。たとえば、同じく3学年合わせると800万人もいて、18~20才若者よりも2.2倍も多い「団塊の世代」(現在67~69才)の何割かでも、今の子どもや若者のことを思って、つまりは次の時代の日本社会のあり方を思って、子ども若者に有利になるような政策に対して1票を投じてくれないだろうか。 高齢者になると保守的になり、保身になることは僕も十分理解しており、全体的にはそれでも仕方ないかな、とは思う。が、たとえば団塊世代はたった3学年で800万人もいるのだ。このうちの5人に1人、おおよそ150万人が どの政党ということではなく、高齢者に有利な社会保障政策ではない、子ども若者に有利な社会保障政策や教育政策に対して、「しゃーないな」的気分でもいいから、1票入れてみてはいかが、でしょうか。 学生運動は敗北したものの、団塊世代の「最後の社会改革運動」として、次世代のための社会づくりを「投票」によってフォローしていけば、数の少ない若者たち自身に投票をお願いするよりも、意外と現実的ではないだろうか。(Yahoo!個人 2016年7月9日分を転載)

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    参院選直前、17歳からみた主権者教育のあり方

    20年以来であり、歴史的な出来事といえるだろう。 しかし、残念ながら、新しく有権者となる十代の若者の政治的な問題への関心は、高くないのが現状である。 本論の筆者である私は現在、17歳の高校2年生である。幼いころより政治や社会問題について関心を抱き、自分なりの意見をもって生きてきた。中学に入ってからは、学生団体が主催する政治、社会問題についてのイベントにもたびたび参加している。そういったイベントでは、政治や社会問題について、強い関心と深い知識をもった学生が参加しており、驚いてしまう。しかし、そうした若者はむしろ少数派であろう。十代の圧倒的大多数は、政治について無関心である。模擬投票を体験する県立日野高の3年生=6月15日午後、滋賀県日野町 現在、政府が主権者教育を推進している背景にも、私が抱いている危機感と同じものが存在する。そもそも、主権者教育とは「主権者として社会の中で自立し、他者と連携・協働しながら、社会を生き抜く力や地域の課題解決を社会の構成員の一員として主体的に担う力を発達段階に応じて、 身に付けさせるもの」(『総務省主権者教育の検討に関する検討チーム中間まとめ概要』より)を指し、従来の公民教育とは違う「思考力」を身に付けさせる教育である。 具体的には政治的な問題について他者と議論したり、政治的な問題についての模擬投票を行なうことなどが、カリキュラムに取り入れられている。 ただ現状では、実施に際して学校により主権者教育への温度差が存在し、教育現場と中央省庁との認識のズレなども指摘されている。 私の学校では主権者教育に向けて総務省制作の副教材が配布されたが、授業日数などの関係もあり、学年集会で公職選挙法について大まかな解説をしただけであった。 おそらく、日本のほとんどの高校で今年行なわれている主権者教育は私が経験したのと同程度のものだろう。そんな主権者教育に、私は漠然とした違和感を感じてしまう。それは、先ほど挙げた主権者教育の実施に際しての具体的な方法に関する違和感ではない。私は、どうしても主権者教育の根幹に関わる「思想」そのものに疑問を感じてしまうのだ。日本型デモクラシーの起源 日本型デモクラシーの起源  主権者教育の実施にあたって、総務省はイギリスのシティズンシップ教育を模範とした。 シティズンシップ教育とは、「市民」としての自覚を促す政治教育の一種である。イギリスでは初等教育の段階から実施されており、そういった他国には例を見ない独自性に総務省は目を付け、イギリスの例を参考にしたのだろう。 このシティズンシップ教育は、市民の育成を主眼としたものである。ここにおける市民とは、合理的な利益判断ができ、政治行動などにも積極的に参加する能動的な市民のことを指す。 私も能動的な市民の存在は政治、デモクラシーにおいて重要な存在だ、という考えに異論はない。しかし、それだけでは不十分に思える。 政治というもの、具体的にいえば、社会問題の解決や共同体の意思統一などを行なう際、必要とされるのは何も自身の利益を守る行動や権利意識だけではない。他者との協調や妥協などといったことも、デモクラシーにおいては必要不可欠である。 仮に近代欧米におけるデモクラシーを「討議型のデモクラシー」と定義すれば、日本におけるデモクラシーの起源とは、徹底した「熟議」によるものといえるのではないだろうか。 民俗学者の宮本常一は、自著のなかで対馬における寄合のエピソードを紹介している。 宮本は調査のため、対馬西海岸の仁田村伊奈を訪れ、そこで古文書を拝借したい、と区長に申し出た。すると区長は、その古文書は重要な文書であるから、寄合で審議しなければならないと言い、古文書の貸し出しの是非をめぐり、村人と寄合を1日にわたり、開いた。その寄合では、20人余りの村人が、古文書の件やそれ以外の地域でのさまざまな課題について、村人の皆が納得するまで、老人の知恵や村の伝統なども考慮しながら、徹底的に熟議したという。「村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。(中略)気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった」(宮本常一『忘れられた日本人』) そして、この徹底した熟議による寄合は、なにも対馬特有のものではなく、全国的に、少なくとも西日本一帯には存在したと宮本は指摘している。 この宮本の例をもって、日本は古くからデモクラシー国家であるとするのは早計だろう。しかし、少なくとも日本には日本なりのデモクラシーのあり方があったことは、否定し難い事実ではないだろうか。 村落での寄合の例を出さなくとも、戦後日本の政治史をみれば、55年体制下でのいわゆる派閥政治や職能団体と密接に関連した政治の意思決定プロセスなどは、欧米とは異なる日本型のデモクラシーがあったことを、如実に示している。 そのように考えた場合、現在進められている主権者教育には、熟議や協調などの日本的なデモクラシーの要素が軽視されているように私にはみえる。 バブル崩壊後、先ほど挙げた派閥政治や職能団体と密接に関連した政治などは、厳しく批判されてきた。そして、そういった思潮は脱派閥、脱官僚を訴える小泉政権、さらに民主党政権を誕生させた。しかし、そういった思潮は、日本の戦後政治のあり方を全否定しようとする短絡的なものであり、実際、民主党政権における「改革」の多くは失敗あるいは頓挫し、現在でも、政治不信という形で少なからず影響を残している。 われわれはたんに欧米から輸入するのではない、日本の国柄に合った新たな主権者教育、政治教育のあり方を創造していく必要があるだろう。   さらにいえば、十代の若者を立派な「主権者」にするには、その前にまず立派な「日本人」であるべきだ。 政治上の諸問題や社会問題について考える際、われわれは当然、その問題が起きている〈場所〉を知らなければならない。たとえば、日本人は、遠いアフリカのアンゴラ共和国で起きている経済問題や保健問題などの課題について解決策を考え、現地の人びとに提示することは困難である。それは当然、日本人がアンゴラという国についてよく知らない、という理由に起因する。画像はイメージです それと同じように日本という国家について何も知らずに日本の社会問題や課題について何かを論じることは、不可能である。 主権者教育が日本という国家の問題を適切かつ真面目に考え、論じることのできる「主権者」を育成するのならば、それは必然的に日本という問題の発生場所を、深く教えなければならない。そして、日本を深く知るということは、日本の伝統、文化、歴史、地理を知ることであり、何より日本の国語を学ぶということである。 現在、欧米ではグローバル化が進展し、それと並行して格差の拡大や難民の流入などさまざまな問題が指摘されている。そういったなかで欧米では「ナショナルなもの」への再評価が行なわれている。国民の同胞意識やナショナルな言語、文化、そしてそれらへの愛着(愛国心)が、じつはデモクラシーにおいては不可欠ではないか、という主張が盛んに唱えられているのである。 たとえば、議会を運営する際、国民の同胞意識、国民同士の信頼感が醸成されていなければ、そもそも、共通の問題意識に基づく政治的議論をすることは不可能である。自身の利害には無関係な貧困層の撲滅や格差是正などの問題の解決を図ろうとしても、同胞が苦しんでいるから助けたいという意識がなければ成り立たない。 現在でも、日本ではナショナリズム、愛国心はデモクラシーと敵対するものだ、という思潮が強いが、これはネーション(集合体としての国民)という枠組みがもつ意義について深く理解できていない言説だろう。 そして、そのデモクラシーに不可欠な同胞意識、連帯意識は各自がもつ「共通の特徴」に由来する。具体的には同じ宗教や人種などが連帯意識を生むが、何より共通の言語というものがなければ、同胞意識は成立しえない。 ヨーロッパのベルギーにはフラマン語圏、ワロン語圏、ドイツ語圏という3つの言語を話す地域が存在する。ベルギーは建国以来、異なる言語を話す国民同士がいかに連帯するべきか、という問題に苦心してきた。ベルギーが連邦制を採用している理由は、言語圏住民間の対立が激しく、中央集権制では国家の統一が困難であったからである。 しかし、ベルギーは連邦制を採用した新憲法を制定した1993年以後も、政治的混乱がたびたび発生している。2010年の総選挙の際は、言語圏間の対立が激化し、540日以上にわたり、組閣が実施されないという異常事態が発生した。このベルギーの事例は、統一的な国語を有さない国家を運営することがいかに困難であるかを示している。 今後、日本においてもデモクラシーを維持していくためには、じつは国語である日本語の伝統の保守こそがもっとも大切なことなのである。 そのために、先ほども述べたように、国語教育に力を入れ、深い教養を兼ね備えた「良き日本人」を育成する必要があるだろう。 しかし、主権者教育とその議論をめぐってはそういった論点がほとんど挙げられていない。このことはきわめて不可解である。年長者の責任とは 年長者の責任とは  本稿では主権者教育を実施するにあたり、私なりに以下のような問題点を指摘した。・イギリス発のシティズンシップ教育を直輸入したため、日本におけるデモクラシーの特徴である熟議という点がカリキュラム内で軽視されている点。・主権者教育の最終的な目的である、健全なデモクラシーの運営のためには、日本の歴史、伝統、文化、国語とそれらへの愛着が不可欠であるにもかかわらず、そういった視点が欠けているという点。 まず前者については、日本型の主権者教育、政治教育のあり方について、今後も政府、民間の大学、研究機関が検討し続けること。その際には、選挙や社会運動における市民の役割や権利だけでなく、政治とは何か、日本におけるデモクラシーとは何か、という広い視野で日本に合った主権者教育、政治教育を模索することが必要だろう。そうして徐々に主権者教育のあり方を日本に合ったものにしていくべきである。 後者については、主権者教育の枠組みに国語教育や歴史教育なども入れる。とくに国語教育においては日本の伝統的な古典文学や思想哲学などについて、深く教えていくべきである。 主権者教育とその議論全体を俯瞰した場合、外国流の教育方法を直輸入し、強引に日本の教育に当てはめているように私は感じる。冒頭で述べたように主権者教育は、まだまだ手探り段階であるし、それは当然なのかもしれない。とはいえ、現在の議論のまま、主権者教育が実施されていけば、日本のデモクラシーの健全な運営を促すどころか、むしろ暗い影を落とすことになりかねない。主権者たる日本国民の育成にはつながらないと思うからだ。「青春の特権といえば、一言を以てすれば無知の特権であろう」という言葉は三島由紀夫のものであるが、若者は基本的に無知で、無鉄砲な存在である。そういった時期が許容されるのは十代の青春期のみであるから、三島は特権という言葉を用いたのだろうが、この無知は時として、自身や他者を傷つけることになる。 そのようなときに、叱る、あるいは諭し、そして、失敗を許す道徳的立場にあるのが年長者であり、その行為の総体が教育であるはずだ。 しかし、主権者教育、もっといえば昨今の教育論議には、どこか機械的でそういったあるべき年長者の視点が抜けているように感じてしまう。 教育とは、たんに海外から思想や方法を直輸入すれば良いわけではない。教育とは、年長者が年少者へ過去から蓄積されてきた叡智を代々継承していくものであるはずだ。 そして「熟議」という日本型のデモクラシーの叡智を継承していくことこそが、わが国の主権者教育のあるべき姿ではないだろうか。主権者教育について議論する各役所あるいは現場の教員には、そのことについて深く考えていただきたい。(参考文献:施光恒『英語化は愚民化』集英社新書)関連記事■ 高村正彦×島田晴香(AKB48) やっぱり、選挙にいきましょう!■ 【都知事選】もう少し選挙らしい選挙がしたい■ 目先の選挙目当てにバラマキ政策を行なう愚

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    17万票を超える10代票、大阪の若者が低投票率の流れ変えるか

    (THE PAGEより転載) 10日投開票に向け、最終盤に突入した第24回参院選。大阪府の代表を選ぶ大阪選挙区(地方区時代を含む)の歴史をひもとくと、大阪は投票率で分が悪い。過去の参院選の大半で、全国平均を下回っている。とりわけ、若い有権者の動きが鈍い。祖父母世代のシニア有権者と比べると、投票率は半分にも満たないのだ。18歳、19歳の新有権者に注目が集まる中、10代有権者ブームが弾みとなって、20歳以上の若者たちも投票所を目指すだろうか。 10日投開票に向け、最終盤に突入した第24回参院選。大阪府の代表を選ぶ大阪選挙区(地方区時代を含む)の歴史をひもとくと、大阪は投票率で分が悪い。過去の参院選の大半で、全国平均を下回っている。とりわけ、若い有権者の動きが鈍い。祖父母世代のシニア有権者と比べると、投票率は半分にも満たないのだ。18歳、19歳の新有権者に注目が集まる中、10代有権者ブームが弾みとなって、20歳以上の若者たちも投票所を目指すだろうか。回顧 大阪参院選30年の激戦 選挙のたびに変わった当選陣営の顔ぶれ選挙事務所で調べてきた情報をもとに、各党の若者向け政策などについて発表する生徒ら=大阪市旭区の府立旭高校大阪参院選の投票率は全国平均より低調 第1回参院選が執行されたのは1947年(昭和22)。以来、3年ごとに通常選挙が行われてきた。23回の選挙の投票率を、大阪と全国平均で比較すると、23回のうち21回までは大阪が全国平均を下回っている。 全国平均を上回ったのは、第18回(98年・平成10)と第23回(2013年・平成25)の2回だけ。しかも、第18回59.53%(全国58.44%)、第23回52.72%(全国52.61%)と、全国平均を僅差でクリアしただけに過ぎない。 一方、全国平均を下回った際、大阪と全国平均の落差が大きい。第3回51.27%(全国63.18%)、第5回48.11%(全国58.75%)、第10回65.69%(73.20%)など、全国平均と比べて5ポイントも10ポイントも低い投票率が続出している。 80年(昭和55)の第12回選挙は、初めての衆参同日選挙となった。衆参連動の激しい選挙戦の結果、投票は全国平均で史上最高の74.54%を記録したが、大阪は70%におよばない67.38%に終わった。 過去23回で全国の投票率は70%台を4回記録しているが、大阪は1回だけ。しかも、今から66年も前に執行された50年(昭和25)の第2回選挙(71.58%)まで、さかのぼらなければならない。 半面、全国の投票率が史上最低の44.52%だった第17回をみると、大阪は40%台を割り込み、38.26%まで沈んだ。この38.26%を筆頭に、48.11%(第5回)、49.96%(第16回)が大阪投票率のワースト3だ。第18回から直近の第23回までは、6回連続で55%をはさんだ50%台で推移しており、投票率が上向く変化のきざしは見受けられない。20代の投票率は30%で70代は70%超え 低調な投票率が気になる大阪ではあるが、世代別の投票率をみると、世代間ギャップが歴然とあることが分かる。大阪市選挙管理委員会が3年前の第23回選挙で、年齢別投票行動の追跡調査を、市内有権者の約5%を対象に実施した。 大阪市内の投票率は、第22回の55.55%から52.83%と、2.72ポイント下回った。年齢別の投票率では、20歳以上24歳以下のもっとも若い年齢層が、もっとも低い29.07%だった。全体の投票率を大きく押し下げ、10人に3人程度しか投票していない。 25歳からは年齢が上がるに伴い、投票率も上昇。25歳から29歳までは31.89%で、20代平均は30.64%だった。30代は42.08%、40代は50.41%で、40代までは平均以下。50代が60.02%、60代は68.73%と、平均投票率を押し上げた。さらに70歳から74歳までが最高の73.41%を記録し、75歳から79歳も70.49%と続いた。 10人のうち3人しか投票に行かない20代とは一転して、70代は10人のうち7人以上が投票所へ赴いている。いわば孫世代と祖父母世代では、見事に対照的な投票行動を取っていたわけだ。この世代間ギャップは過去3回の選挙に共通している。 中高年世代の投票率をこれ以上押し上げるのは、たやすくないだろう。投票率上昇のカギを握るのは、若い世代に他ならない。大阪市住之江区の広報紙。1面で高校生が参院選での投票を呼びかけている =住之江区役所10代に刺激され20代も投票所を目指すか 今回の参院選大阪の有権者総数は731万7331人。このうち18歳、19歳の新有権者は17万2970人だ。730万票台の大票田といえども、改選4議席をめぐり、有力候補たちが最後の最後まで争う大激戦になれば、17万票を超える10代票は、当落に影響を与えるだけのパワーを十分秘めている。 参院議員の任期は6年で、衆院議員の4年と比べて長い。衆院と異なり、参院は任期半ばでの解散総選挙もない。参院は派手さこそないものの、長らく良識の府と呼ばれ、国のかたちをじっくり検討する重責と向き合う。これからの国づくりを討議する議員を選ぶ選挙に、次代を担う若者たちの声がしっかり反映されてしかるべきだろう。 若い世代に対する選挙啓発の一環として、高校生向けにオリジナル缶バッジを作成したり、大学構内で投票呼びかけキャンペーンなどが展開中だ。10代有権者ブームが弾みとなって、20代、30代の若手世代も一票を投じ、選挙史の流れを変えることができるか注目される。(文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)

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    政治参加の正しい方法って何ですか?

    らご発言、ご意見、場外乱闘など、ご自由にご参加いただきたいと思います。女性 私は秘密保護法案をはじめ政治的なことに関心があるんですが、周りにはそういう人があまりいないんです。たとえばバイト先では、お子さんのいる40代中心のパートの人たち10人ぐらいと一緒にお昼を食べるんですが、そういう話題を出すことにはやっぱりためらいがあります。首相官邸前の集会やデモに行けば、そういう話ができる人がいるけれど、その輪をもっと広めるために、政治に関心のない人にどう伝えればいいのか。政治的な話を嫌う国で、それを違和感なく話題にする方法について、何かいいアイデアがあったら教えていただきたいと思います。國分 どうだろう。自分がどういうふうに実践してるか、今思い出そうとしているんですが、上野さん、何かパッと思いつくことがありますか。上野 今のご質問のような苦労を、上野はしたことがないので、理解できません(笑)。ご飯食いながら、「自民党、ひどくない?」と言えばいいんじゃない?國分 いや、そう言うと離れていってしまう人の心もあるんですよ。上野 そうなの?(会場、笑)。私ね、自分の周りにさ、自民党に投票した人がいないから、「自民党のどこがいいの?」と聞けないの(会場、笑)。國分 僕は自民党の支持者の友だちもいますよ。模擬投票を行う高校生。参院選では新たに18、19歳が有権者に加わり一票を投じる上野 あら、そう? 私の周りには全然いないの。寄ってこないのよ。だから困っちゃうのよね。國分 寄ってこないでしょうね、そりゃ(笑)。思い出しましたが、僕が心がけているのは、堅い話とそうでもない話を織り交ぜることですね。それはツイッターでもけっこう意識している。上野 ご飯食べながらおしゃべりしてるときにさ、「あそこでこういうセールやってるの、なかなかいいよね。ところで自民党ひどくない?」って言うのはまずい?(会場、笑)。嫌われる? ほんとに引かれるの?國分 いや、今の言い方だったらいいかなと思いました(会場、笑)。上野 だって女子会ってこういうものなんです。男の子たちがどんな話をするのかわからないけど、コスメやバーゲンの話をしながら、ついでに特定秘密保護法とか、杉並区の待機児童問題の話も一緒にやっちゃう。要するに形而上から形而下まで全部しゃべっちゃうのが、女子会トークのとってもいいところなんだけど、男の子って違うのかしら?國分 いや、うちのゼミも同じですよ(笑)。だけど、僕は今の方のお気持ちはよくわかります。伝え方を間違えると、仲間外れは大げさだとしても、引かれたりとか、なんとなく距離をとられてしまうことはあるでしょう。だから、多少テクニックは必要になってくると思います。 でもそういった関心をお持ちになって、どうやったら話ができるかなってお考えになるのは、とても大切なことだと思うんです。僕は「自分も何かしたいけれど、いったい何をしたらいいんでしょう?」と尋ねられると、いつも、「まず隣の人に話してください」って言うんですよ。話すって素晴らしい政治活動なんですね。話を聞いた人が、自分でも考えてくれるようになるわけですから。だから上野さんのように「自民党ひどくない?」と言わないで、「今、秘密保護法とかなんとか言ってるよね」と切り出すとか、専門用語を使わないとか、そういうところに気をつけるといいのではないでしょうか。上野 「ひどくない?」というのは、エモーショナルなレスポンスなんです。感情は大事ですよ~。國分 はい(笑)。エモーショナルであるのは大切ですね。僕のゼミの飲み会にほかのゼミの子が来ると、「國分ゼミは飲みながらこんな難しい話をしているんですか」って驚くんです。で、同じ会で、下ネタも話してることに驚く(笑)。上野 やっぱり、形而上から形而下まで落差を同時に生きるっていう、これが大事。どちらか一方はまずいですね。國分 それは非常に大事だと思いますね。あんまり参考にならなかった気もしますけど(笑)、とにかくそれは大切なことだと思いますので、頑張ってください。「私は中立」という態度が最もタチが悪い「私は中立」という態度が最もタチが悪い男性1 僕は海外開発援助の仕事をしようとしていたら事業仕分けされて、仕事がなくなっちゃったので、いま大学で哲学を学んでいます。お伺いしたいのは、政治活動のやり方、運動の仕方というか、スタンスのとり方です。僕は青年海外協力隊でケニアに行っている間に、政治活動で家を焼かれたり、国外強制退去になったりしたことがあります。 それで政治的な活動からいったん離れて、哲学という世界で、隠れて生きるとまでは思わないけれど、自分の許せる仲間だけをちゃんと信じて生きていくような方法がいちばんいいんじゃないか、っていう結論に至っていたんです。でも今回、上野先生のお話を聞いて、まともな政治方法は代議制民主主義しかないのかと思っていたんですが、もう一度考え直す方法があるんじゃないかと思いました。そのためにも、正しい政治活動についてお聞きしたいと思います。國分 その前に、僕、非常に関心があるんですけど、家を焼かれちゃったというのは、ご自身の活動と関連していますか。それとも単なる放火ですか。男性1 大統領選挙で国が荒れてしまいまして、すぐ帰れるからと言われて首都に避難していたら、暴動になって家を焼かれて帰れなくなってしまい、そのまま国外強制撤去になりました。國分 じゃあ、ご自身の活動が妨害を受けたわけじゃないんですね。なんで僕がそれを聞いたかというと、哲学者のジジェクっていう人が、確かこんな事例を紹介しているんです。「反政府主義者が最初にぶっ殺したのは、中立を主張する海外団体だった」、と。ちょっと正確に覚えてなくてすみません。 僕は中立を主張するということは、ある種最も嫌われるというか、最もよくないと思っているんです。政治的主張っていうのは絶対に偏りがあるものだと思うんですね。 今回の住民投票運動では、主張をはっきり打ち出すことを、多少薄めた気持ちではあるんですけれども、ただ、「やっぱり僕は反対派なんだ」と思っています。その上で、「でも、賛成派の意見はもちろん聞きます」という態度でやりました。「中立なんですよ」という態度で出てくるものが、実は最もタチが悪いし、最も危険であるし、最もメジャーなものに利用されると思います。僕自身、中立を装う人をいちばん信用しないですね。上野 100%賛成ですね。彼の質問には答えてないけど(会場、笑)。國分 答えてないですか?(笑)。上野 今の方の質問に答えると、正しい政治参加の仕方というものはありません。さまざまな政治参加の仕方があって、そのなかに、楽しい政治参加の仕方と、楽しくない政治参加の仕方があります。だとしたら、さまざまな政治参加のなかで、ご自分が楽しいと思われる政治参加の仕方を選ばれるのがいちばんいいんじゃないでしょうか。國分 まったくそのとおりですね。「楽しい」というのをね。 あと、もし哲学を勉強なさっているんだったら、僕の人生相談の本(『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版)のなかで、犬儒派の哲学者を紹介していますから、そのことをちょっと考えてみるといいかもしません。彼らは社会規範を蔑視して自然のままに生きることを是としていたんですが、プラトンなんかからは「お前らは犬みたいな生活をして引きこもっているだけで、社会に対して何の役にも立たない」とバカにされたんです。プラトンはメジャーになることを目指し、そしてメジャーになった。 僕は犬儒派って大好きで、特にディオゲネスが好きなんですが、でも、あれでよかったのかなとは考えます。プラトンがとったメジャー路線か、それともマイナー路線か、どっちを行くのがいいのかとかを考えてみることは、哲学の問題としては面白いかもしれないと思います。上野 感想ですが、「正しい」というボキャブラリーが出てくるところが、哲学に洗脳された効果ですね(会場、笑)。でも、いいと思います。國分 哲学、そんなことないですよ(笑)。傍観者をやめ、当事者に「なる」傍観者をやめ、当事者に「なる」男性2 國分さんのツイッターで、今日(2013年12月4日)こんな発言がありました。「こういうことをしているとどうなるか。政治秩序を最終審級において支えている、あの力がどこからか出てくる可能性がある。普段は『仕方なくルールを守る』という形でそれが出現することが妨げられているのに、それが守れなくなるわけだから。本当に恐ろしい」。 今まさに秘密保護法案が採決されそうになっていて、上野先生がお嫌いな議会制民主主義さえもう守られないという状況になっている。そこで國分さんのおっしゃる、「政治審級を支えるあの力」というのは何なのかお聞きしたいと思います。またそれがどういうかたちで現れてくるかをお聞かせ願えたらと思います。國分 それは簡単で、暴力のことです。政治秩序を支えているのは、最終的には暴力ですから、今までは守られていた秩序の決まり事や建前が守られなくなると、暴力が出てくる可能性がある。一般に、政権についている与党にも、もちろん、これ以上やるとマズイだろうというリミットがいろいろあるわけですよね。そういうものを見極めながら、政権運営していくわけです。ところが、今の政府は、素知らぬ顔をしていれば、どんなことをやっても数の力で押し通せるっていう感じになってきている。 たとえば、昨年夏の参院選は一票の格差があるから違憲だったという判決が、各地の地裁で出ているわけですよね。そうしたら、ごく常識的な判断から言えば、その参院に重要法案の決定をさせるっていうことはやっぱりおかしい。裁判の最終結論が出るまで、置いておくとかとすべき。 あるいは、「反対する世論がここまで盛り上がっているんだったら、その言い分をちょっと聞いておかないと、次に何かヤバいことが起こるかもしれないから、今国会での成立はあきらめよう」とか、昔の自民党のおじいさんだったらそう判断したと思うんですよ。だけど今はそういうことを教える派閥の教育機能なんかも失われている。 今日はまだ秘密保護法案を採決してないですよね。もし今日採決するなんていうことがあったら、ちょっと何が起こるかわからない。反対派の一部が暴徒化すると、権力がその機に乗じて暴力を使ってきますから、そうするとまた反対派の暴力はエスカレートする。僕はこれをいま非常に恐れています。上野 おっしゃるとおりですね。民主主義を含めて政治というのは、非常に危ういバランスの上にかろうじて暴力を抑えているところがある。コントロールできなくなるのは、民衆の側よりもむしろ権力の側の暴力です。秘密保護法案というのは、知らないで犯してしまった罪でいつ牢屋にぶち込まれるかわからないという法律だから、この国が収容所列島になりかねない。暴力の問題は、政治の背後にいつでも不気味に控えているので、民主主義と暴力の問題を考えることは非常に重要です。國分 秩序って、ほんとに簡単に壊れるんですよ。僕はパリでデモ隊が暴徒化するのを何度も見ました。アパートから外を見下ろすと、下に止まってる車を高校生が平気でボコボコにしたりしてるんですよ。 フランスはそういうことに慣れているけれども、日本は慣れてないから、そういうことが1回起こると、どう広がっていくかわからないですよね。それが怖い。上野 秩序は簡単に壊れるとおっしゃいますが、私はもっと恐ろしいことを考えます。秩序自体が暴力で維持されているという事実があります。國分 もちろんそうです。だから、みんながなんとなく建前を維持することで、暴力の発動を回避しているわけですけど、ここまで建前を無視するようなことを政治の側、統治している側がやり続けると、ちょっと恐ろしいなと思います。上野 暗くて深い結論になってしまった。どうすればいいでしょう(会場、笑)。まあ、こういう風雲急を告げる切迫した事態に私たちがいる、と自覚していただくということでいいんじゃないですか。國分 はい、そうですね。上野 皆さん方に当事者になってもらわなくちゃ。傍観者でいてもらっちゃ困るよね、っていう結論でいいのよね?國分 はい。僕は聖書のなかの「善きサマリア人のたとえ」というエピソードが好きなんです。あの話ではイエスが最後に、「サマリア人の隣人となった者は誰か?」と聞くんですよ。「誰がサマリア人の隣人であるか」と聞くんじゃなくて、「誰がなったか」と聞く。当事者というのは、やっぱり「である」ものじゃなくて、「なる」ものだと思います。 今日はありがとうございました。(構成 長山清子)うえの・ちづこ 1948年、富山県生まれ。東京大学名誉教授。立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授。認定NPO法人WAN(ウィメンズアクションネットワーク)理事長。東京大学大学院教授を2011年に退職。日本における女性学・ジェンダー研究のパイオニア。近年は介護とケアへの研究領域を拡大。著書に『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『家父長制と資本制』『生き延びるための思想』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(法研)、『女ぎらい』(紀伊國屋書店)、『ケアの社会学』(太田出版)、『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)、『快楽上等!』(湯山玲子氏との共著、幻冬舎)など多数。新刊に対談集『ニッポンが変わる、女が変える』(中央公論社)、共著『毒婦たち』(河出書房新社)。こくぶん・こういちろう 1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。主な著書に『スピノザの哲学』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版社)など。『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)は、地元・小平市の住民運動への参加をとおして、現代の民主主義を新たな視点で捉えなおした話題作。関連記事■ 「民主主義イコール多数決」ではない■ 直接民主主義VS.間接民主主義の二項対立発想ではダメ■ 民主主義についてよく語られる時代は民主主義危機の時代

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    初めて選挙に行く君へ伝えたいこと 世界で一番やさしい選挙教室

    「18歳選挙権」初の国政選挙となることもあって、若者へ投票を呼びかける動きがあちこちで起こり、若者の政治参加を期待するムードが高まっている。しかし、当の若者たちは選挙権を手にしてやや戸惑っている様子が伺える。「選挙って、どうやって行けばいいかわからないし、なんだか面倒くさそう」と思って彼らの多くが棄権してしまえば、10代、20代の投票率が期待されているほど伸びず、「シルバーデモクラシー」と言われる状況が変わらないどころか、加速することも懸念される。 そこで立ち上がったのが、『ギャル男でもわかる政治の話』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)で、「たとえ」を駆使したかつてない明快さで政治の基本を解説し、若い世代を中心に反響を呼んでいるブロガー議員のおときた駿氏。「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」「選挙で2枚投票用紙が渡されるって知ってる?」「どうやって投票先を決めたらいいの?」という3つのテーマを掲げ、当事者である18歳〜20歳の4人の若者たちから質問を受けつつ、極力若者の立場に立って選挙の基本を解説することを試みた。 若者代表として参加したのは、人気コラムニストの妹尾ユウカさん(@yuka_seno)、モデル・俳優の三上龍馬さん(@510rm2525)、現役大学生の森崚茉さん(@oasis18b)、同じく現役大学生の小木純之介さん(@junu_uzzz)の4人。イベント前には「そもそも、なんで選挙に行かなきゃいけないのかわからない」と話していた彼らは、日頃から抱いていた疑問をおときた氏にぶつけつつ、講義を非常に熱心に聴き入っていた。  以下では、会場からの質問を交えつつ展開されたおときた氏の講義の様子を、会場の熱気そのままにお伝えする。(文/ディスカヴァー編集部、写真/saru) おときた駿(以下、おときた):こんにちは。『ギャル男でもわかる政治の話』の著者で、東京都議会議員のおときた駿と申します。今日は、壇上にいる4人の若者たちと一緒に、若い世代の視点で選挙について考えていけたらと思っています。 おときた駿氏第一部「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」おときた:まずは壇上の4人に聞いてみましょう。なんで選挙に行かなきゃいけないんでしょうか。 小木純之介(以下、小木):僕ら若い世代が選挙に行くことで、お年寄りばかりじゃなくて僕ら若い世代の意見も政治に反映させていく必要があるっていうことを、政治家にわからせるためです。 森崚茉(以下、森):ひとことで、国のため。 三上龍馬(以下、三上):行かなきゃいけない感じがするから。 妹尾ユウカ(以下、妹尾):私は、なんとなくの義務感から、です。 おときた:ありがとうございます。小木くんだけやけに気合が入っているのは、彼は政治学科の学生だからです(笑)。  この「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」という問いに対する僕の一番シンプルな答えは、「行かないと損するから」です。これは数字で見ても明らかで、日本のGDPは約500兆円なんだけど、そのうち、どのぐらいが若者や子供のために使われているでしょうか? 妹尾:20兆円とか? おときた:惜しいな。正解はGDPの1%、500兆円あるうちの5兆円しか、子供と若者に使われていないというのが日本の現状です。これは諸外国と比べると圧倒的に低い。ヨーロッパだと最低でもGDPの2〜3%。多いところは4%、20兆円以上使われていたりします。 こういうことが起きるのは、若者の投票率が低いからです。若い世代、例えば20代の投票率って、何%か知ってますか? 森:8%ぐらい? おときた:なんでそんなに低いんだ(笑)。さすがにそんなに低くないです、正解は33%ぐらい。つまり、3人に1人しか行かないということ。逆に、一番投票率が高い世代は60代で、だいたい70%ぐらいが行っている。およそ2倍の差があるってわけだ。この状況で予算がどう使われるかと言ったら、さっき説明した通り。若者は圧倒的に損をしているんです。 なんで投票率が低いと損をするのか? そのことを説明するために、少したとえ話をしてみたいと思います。 政治家は「みんなの代表者」ではない!政治家は「みんなの代表者」ではない!おときた:政治家は僕らの代表者だって、学校で習ったと思う。これを僕は『ドラゴンボール』にたとえて、「政治家は孫悟空みたいな人」と言っています。どういうことかというと、僕たちはか弱い人間だから悪い奴らと戦えないんだけど、悟空はすごく強いからフリーザとか魔人ブウとかセルとかと戦ってくれる。で、悟空は並みいる強敵たちを倒すためにある必殺技を使う、と。人々から少しずつエネルギーをわけてもらって大きなエネルギーの玉を作り、相手にぶつけて殺す…… 三上:あ、わかった。元気玉ですか? おときた:そう! 政治家は「オラに力を分けてくれ!」と言って有権者からエネルギーを集め、その力を駆使して政治を行う悟空だってわけだ。で、悟空は誰のために戦うのかというのが問題でね。『ドラゴンボール』の世界では西の都と東の都という2つの街があるんだけど、敵を倒すために悟空はどちらかの方向に向かって元気玉を撃たなきゃいけない。当然、撃った先にある都は壊滅する。このとき、西の都の人たちは悟空に一切元気を分けてくれなかったとします。そして、東の都の人はすごいエネルギーをくれたとする。そうしたら、悟空はどっちに向けて元気玉をぶっ放すでしょうか? 妹尾:西、ですよね? おときた:その通り。教科書では「政治家はみんなの代表者です」って習ったと思うけど、これは嘘。政治家というのは、みんなの代表者ではなくて、選挙で投票に行く人の代表です。選挙で投票に行く人の利害のために政治を行うのが政治家だから、当然、投票に行かなければ自分たちの利害は守られない。つまり、損をするってわけだ。さっきも言ったように、これまでは若い人たちが選挙に行かないせいで、彼らは損をしてきた。若い世代のためにはお金が使われず、保育所や待機児童、奨学金といった問題が全然解決していない。海外に行ったら返済不要の奨学金なんていっぱいあるんだけど、いまの日本の大学生はものすごく苦労して返さなきゃいけないよね。 だから選挙に行くことによって、「こっちにもっと予算をくれ」「予算をくれないと君たちは次の選挙で当選しないぞ」と脅しをかけることが必要です。だから選挙に行かなきゃいけないというのが、一番単純な理屈なんです。 妹尾:でも若者としては、先にお金をくれると言われたら選挙行くんだけどな、という気持ちです。ニワトリが先かタマゴが先かって感じですけど、図々しいですかね……? おときた:いや、その通りだと思います。しかし残念なことに、政治家というのは別に、選挙に来てくれなくてもいいんです。なぜなら、高齢者がもうたくさん来ているから。いま元気玉を集めている政治家は、その状態で当選して政治家になっているわけだから、逆に若者が新規参入してくるとパワーバランスが変わってしまう。彼らにとっては、若者の投票率が低いまま、高齢者の票だけで勝ってるほうが幸せなんです。妹尾:でも、おじいちゃんおばあちゃんも、もっと年齢が上がってくると変わってきますよね? おときた:実際、60代は投票率が70%もあるんだけど、70代からどんどん下がっていきます。もう足腰が立たなくなってくるから。そういう意味では若い人たちも発掘していかないといけないのは確かだけど、若い人たちがいますぐ行くというよりは、歳をとってそういう価値観になってから選挙に来てくれたほうが、政治家たちは安泰なんだよね。そういういまの世の中を変えるためには、やっぱりこの循環をどこかで断ち切る必要がある。いますぐ若い人たちが選挙に行って、高齢者たちだけで勝ってのうのうとしている政治家たちを変えていかなければいけないと思います。 小木:ちょっと話が変わるんですが、18歳で選挙権を持った人が投票しようとするとき、たくさんいる政党とか立候補者とかから選ぶのって大変だと思うんですね。そういうときって、どういうところから政党の情報とか立候補者の情報を得ればいいんでしょうか。 おときた:やっぱり、インターネットってすごく便利なのでおすすめです。ただ玉石混淆だから、誰か信頼できるオピニオンリーダーを一人フォローするというのがいいと思います。その人が共有・拡散している政治の情報にアクセスして、そこから広げていく。そうすることで、自分にある程度近くて、ちゃんとした情報を得ることができます。 政治を本気で若者向けにする方法とは?政治を本気で若者向けにする方法とは?三上:若い人向けのマニフェストを公表してくるところって増えているんですか。 おときた:これまではあまり若者向けのマニフェストって各政党から出てこなかったんですけど、今回の参院選では増えています。それは見てみて僕もびっくりしました。18歳選挙権の1回目だからということで、意図的に増やしてきているんだろうと思います。でも、これを本気にさせるかどうかは、君たち若者が行くかどうかにかかっている。今回の選挙で、思ったより若い人が投票に行かなかったという結果になると、また次の選挙からは元通りになって、若者向けの政策は端っこに書かれるようになると思います。 質問者:政治家が、投票してくれた人のためだけに政治をやるんじゃなくって、全員、どの世代にとってもいいことがある政策をしっかり掲げていればいいなと思うんですが、そういう政治家はいないのでしょうか。 おときた:はっきり言うと、いません。なぜいないのかというと、それが合理的な選択になるから。選挙という弱肉強食の世界では、合理的な生き物が生き残るようになっているんです。「僕らはみんなの代表なのであって、若者も高齢者も同じ国民なんだから若者にもちゃんとお金あげなきゃね」とか言っている人は、次の選挙で淘汰されていなくなります。その結果、自分に投票してくれる人のために政治活動する政治家ばかりが残って、それがどんどん再生産されているというのが、いまの状況なわけです。  これを打破するには、そうやって気づいた政治家をなんとかして生き残らせるよう、若い有権者が応援してあげること。それがなければ、なかなかこの弱肉強食の世界に変化は起きません。 若い人たちが選挙に行かない理由はシンプルで、いまの若い人たちは政治と接点がないからなんですが、であれば若い人と政治の接点を増やすことが一つのソリューションになると僕は思います。 例えば、結婚して子どもができたりすると、途端に区役所に行って政治にめちゃくちゃ関わるちようになるんだけど、それは保育所に入れなかったり高い税金を払わなきゃいけなかったりすることに、そこで初めて気づくからです。実際、その辺りの30代、40代からだんだん投票率が上がり始める。 同じように、10代や20代でも、例えば奨学金の問題なんかは実際に苦しんでいる人が多いから、それをきっかけに政治に関心を持ってもらうことはできるはず。実際、政治家たちは奨学金の問題をマニフェストに取り入れて、若者に支援してもらおうとしているからね。 あとは、若者政策に取り組む政治家をとにかく増やすこと。「人が3人集まれば政治家が来る」という法則があるんだけど、若者向けのイベントにそういう政治家を呼んで、その政治家に対する若者の支持を増やしていく。そういうイベントを小さくたくさんやって、それをネットで広げていく。そういうスモールビジネスみたいなやり方が、この問題の一つの解決方法なんだろうなと思います。 質問者:若者向けのマニフェストというのは、本当に実行されるんでしょうか。実行されるとしたら、いつ実行されるんですか? おときた:いい質問です。政府は毎年、予算というのを組んでいるんですが、この国って突然予算をつけたりします。例えば今回の選挙前に、低所得の年金生活者、要は高齢者に3万円を配ります、ということをいきなり安倍さんが言い始めた。それでいきなり何千億というお金を使ったわけです。だから、本気になればすぐにもできるということ。 よく「政治家は人の話を聞かない」って言いますが、それは一番大きな誤解です。僕は政治家になって3年経ちますが、自分の認識を一番大きく覆されたなと思うのは、政治家が人の話をめちゃくちゃ聞くということです。ただし、票になるとわかった場合に限る。 票になるとわかるというのは、要はビーチフラッグみたいなことです。「ピッ」て笛が鳴ってフラッグが立ったら、政治家たちはわーっと我先に走り寄って、フラッグを取ろうとする。それで誰よりも早く「実現しました〜!」って言いたい。だから、フラッグが立ってからはめちゃくちゃ早いんです。 したがって、どこまで旗を立てられるかというのが重要です。旗というのは投票率の高さもそうですが、「保育園落ちた日本死ね」というブログがバズったように、社会的なムーブメントを起こすというのも一つの手。ネットで話題になって、ガチの普通の人たちまで国会前にデモに来るようになると、政治家たちは結構焦るんです。本当にこれは票になるムーブメント来てるな、やらなかったら票を落とすな、と思う。そうなると、そこからは早いですね。第二部「2枚の投票用紙が渡されるって知ってる?」第二部「2枚の投票用紙が渡されるって知ってる?」おときた:選挙に行くべき理由がだいたい理解できたら、次は選挙に行った時にどうするか、という話をします。今回の参院選の場合、投票所に行くと2枚の投票用紙を渡されることになります。これ、なんで2枚渡されるのか、わかりますか? 妹尾:小選挙区と比例区があるから? おときた:おっ、いいですね。政治学科の小木くん、その違いを説明すると? 小木:比例代表は全国を一区として政党または人に投票する形式なのに対して、小選挙区は選挙区ごとで人に投票する形式です。 妹尾:比例区って、個人に投票しても政党に投票してもいいんです? おときた:参院選ではそうだね。ただし、衆院選の比例代表は政党だけです。これは後ほど解説するとして、まずはなぜ小選挙区制と比例代表制の2つの制度があって、なぜ日本はこの2つでやっているのかということを説明しましょうか。 まず、政党って何か、わかりますか?  三上:チームみたいなこと? おときた:そう、おおむね正解です。野球のチームみたいな感じで、同じ思想の持ち主がなんとかその思想を実現させようと思って頑張っているのが政党です。日本にはいろんな政党があるんだけど、比例代表ではこの政党に投票していくわけです。 一方、小選挙区は人に投票します。例えば、A・B・C・Dの4つの政党の人が立候補したとしようか。投票の結果、A党が40%、B党が20%。C党、D党も20%の票を集めたとすると、小選挙区で当選するのは誰でしょう? 妹尾:A党? おときた:そう。すると、大体どこの選挙区でも似たような結果が出て、A党が過半数の議席を獲得するわけです。つまりA党が意思決定権を持つことになるけど、A党の支持率は40%、つまり過半数の支持を得ていないんだよね。A党は40%の人からしか「お前に任せる」とは言われていないのに、全体の意思決定ができてしまって、60%の意思は無視されてしまうという、おかしな状況が発生してしまいます。それで、「これって本当に民主主義として正しいの?」「少数派の意見ってどうなっちゃうの?」という疑問が噴出した結果、編み出されのが比例代表制度なんですね。比例というと、何かと何かが比例するって言いますよね。これ、何と何が比例しているかわかりますか。小木くん。 小木:票数と、代表する人の人数? おときた:そう。票数というのは、つまり? 小木:……意見の大きさ? おときた:そう。比例代表制では、票数と民意が比例するわけです。だから全部比例代表制で選挙をすると、もし議席数が10席で、A党、B党、C党、D党の支持率が40%、20%、20%、20%なら、各党4人、2人、2人、2人が国会議員になるわけです。国会でちゃんと少数者の20%の意思がしっかり比例して反映される。これが比例代表のとてもいいところです。でも、これにも欠点があります。例えば比例代表制で4人、2人、2人、2人という結果が出て、小さいけど国会を開くとします。議題が安保法案とかいろいろあって、わーっと議論が起きたときに、じゃあ多数決で決めましょうとなったら、これ、決まるでしょうか。 妹尾:A党が勝つ? おときた:いや、過半数を取っていないので、A党だけでは勝てないね。B・C・D党が反対で、A党だけ賛成だったら、負けるときもある。比例代表制だけだと、意思決定が非常に怪しくなったり、時間がかかりすぎたりするわけです。これが小選挙区でやれば、ほとんど10人中8人がA党になるわけなので、とにかく意思決定がスムーズ。A党が賛成って言ったら、他の党の意見は全部無視して決まってしまうわけです。一方で比例代表は少数派の意見も重視するから、バラけてしまってなかなか結論が出せない。これが比例代表の欠点です。だから、メリットとデメリット、一長一短があるのが小選挙区と比例代表なんですね。 小選挙区はアメリカとかイギリスで採用されていて、比例代表はヨーロッパが中心。で、日本はこれを見ていて思ったわけです。どっちも欠点あるな、なんかこの欠点を解消する方法ないのかな、と。そういうとき、日本人ってどうする? 妹尾:……どっちも? おときた:そう、そういうことなんです。折衷案。日本はハイブリッドなんです。両方のいいとこ取りをしようということで、小選挙区比例代表並立制になった。そうすると、4党のパワーバランスが40%、30%、20%、10%だとして、小選挙区は50議席、比例代表は20議席を決めるとする。小選挙区だと、30人、20人、0人、0人。比例代表の20人は支持率に比例して8人、6人、4人、2人。ということで、この支持率が低い20%とか10%とかしか票が取れない人たちも、4人と2人の代表者を国会に送り出せますよね。プラス、この最大与党、一番でかいA党は30人+8人で38人いるので、70人中の過半数をとっている。少数者の意見も聞き入れつつ、意思決定もちゃんとできる。そういうハイブリッドができるのが、日本の小選挙区比例代表並立制というしくみなんです。 2枚の投票用紙を最大限活用する方法2枚の投票用紙を最大限活用する方法おときた:この制度というのはすごく面白くて、小選挙区ではA党に入れるけど、比例代表ではB党に入れる、ということもできる。小選挙区では1人しか受からないから、どんなに頑張ってB党に入れても、いわゆる死票になっちゃう可能性が高い。だから、あえて受かりそうな人に入れるか、接戦のときにどっちかに入れて、勝たせようとするか。比例代表というのは、小さい政党に入れると効果が高いです。小選挙区では勝ちそうにないけど、どうしても○○党が好きで彼らに頑張って欲しいというのだったら、比例代表で入れれば1議席とか2議席とか取れるかもしれません。こういう投票行動を戦略的投票といいますが、たった1票でも戦略をもって投票することで、うまく自分の思いを託す代表者を国会に送り込むことができるわけです。 質問者:比例で1枠とったとしても、そんなに影響力がないような気がしてしまうんですが、実際はどうなんでしょうか? おときた:1人でも、参議院では結構力を持っています。たしかに総理大臣と議論するような時間はもらえないですが、議員はいつでも質問主意書っていう紙で官僚組織に質問できるんです。そうすると、官僚は質問主意書に大臣の誰かの印鑑付きで答えなきゃいけない。それを出しまくることで、世論の力を借りて政治を動かしていくことができるんです。 福島みずほさんとか山本太郎さんとかは、それでめちゃくちゃ活動している人たちです。官僚組織にとってはそういう人が1人でもいるとものすごく大変なので「嫌がらせ」という言い方もありますが、それをちゃんとネットで公開して、「こんなとんでもない回答が返ってきた」とバンバンやって議論を焚きつければ、それで世論に影響を与えることができる。それは全然一人でもできます。なのでそういう意味では、比例代表は結構いい制度だと思います。第三部「どうやって投票先を決めたらいいの?」おときた:じゃあ最後、投票先をどうやって決めたらいいのか、についてお話していきます。まず基本的な考え方としては、今の社会に不満があるかないかで投票先を判断します。選挙というのは何年か一度にありますが、それは政治に対して正しいか正しくないかをジャッジメントする機会なんですね。この3年間、ないし4年間は良かったのか悪かったのかを考える。良くなかった、いまの社会が嫌だというなら、野党に投票すればいいんです。 余談ですけど、僕が政治家になろうと思ったのは、僕があまりにも女性にモテないからです。こんなにモテないのは社会がおかしいんじゃないかと。この社会を抜本的に変えるためには政治を変えなきゃいけないと。そう思って政治家になろうとしたのが僕です。女性たち、ドン引きしないでください(笑)。 妹尾:(モテない原因は)髪型だと思います。 おときた:すみません。小泉進次郎を意識したんです(笑)。まあそれは余談ですけど、そういう風に不満があれば野党に入れる。いまは不満もないし、ということであれば、いまの政権を担っている与党に入れればいいと。これが基本的な投票行動です。ここまではわかりやすいですよね。 でも、どうしても、そんなこと言ってもよくわからん、野党といってもいっぱいあってどれがいいかよくわからないし、でもなんか行かなきゃいけないから誰かに入れたいってときは、こう稽えてください。まず、男性の政治家か女性の政治家かで言えば、女性に入れてください。そして、若い政治家か高齢の政治家で言うなら、若い人に入れてください。 妹尾:じゃあ、若い女が最高なんですね!? おときた:その通りです(笑)。なぜなら、いまの日本の議会って女性の議員が極めて少ないんですよ。国会で11%ぐらいしかいない。もうオッサン社会なんです。オッサンの論理で物事が決まってしまっていて、子育て支援とか、オッサンが理解しにくい問題はなかなか変わらないわけです。となればやっぱり、マイノリティの意見を取り入れたほうが状況は変わりやすくなる。  若い人というのも同じで、いま国会の平均年齢ってだいたい53歳とかなんですね。でも日本人の平均年齢って40代だから、圧倒的に年寄りが多い。そんな中で20代、30代の議員がもっと増えないと、教育にお金を使おうとか、子育てにお金を使おうとかやっぱり思わないわけです。そういう常識を変えていくには、新しい人材のほうが、変化を起こしてくれる可能性が比較的高い。  だから、確率論で言えば、若い女性の政治家が一番変化を起こしてくれるポテンシャルを持っている政治家だということになります。 「マニフェストに書いてることって語尾が濁されている」妹尾:それはわかるんですけど、マニフェストももうちょっとどうにかならないかなと私は思っていて。マニフェストに書いてることってすごく語尾が濁されてるじゃないですか。「〜しようと思います」とか「検討します」とか。それが言い切り型じゃないのって、どこかずるいなって感じがするんですけど、あれはなんで言い切らないんですか。やれなかったとしても、「ごめんなさい」で済むじゃないですか。 画像はイメージですおときた:「ごめんなさい」で済まないからだろうね(笑)。要は保険をかけているわけですよね。できなかった時に、「いや、検討するとは言いましたけども、やるとは言ってない」みたいな。 妹尾:そっちのほうが意地汚いな。 おときた:うん。マニフェストってよく読んでも真面目な人ほど損するのは、結局いいことしか書いてないんですよね。あれもやります、これも実現しますって書いてあるから、結局この政党は何をしてくれるのかわからない。だからポイントとして見てほしいのは、マニフェストの最初に何を持ってきているかということ。内容は大して変わらないから、一番上に持ってきている政策が何かで、この政党が一番何を重視しているかがなんとなくわかるわけです。安倍さんなら経済を持ってきているし、共産党だったら安保法案廃止、憲法改正反対を持ってきている。向こう3年間で何を強調してやろうとしているかっていうのは、この順番にすごく表れるんです。だから、それを投票の参考にするのはありだと思います。 あと、僕はぜひ若い人たちに仕掛けてほしいと思っているのは、自分の選挙区の候補者にTwitterとかFacebookで質問をぶつけてみるということ。政治家たちはみんなTwitterとかFacebookをやらなきゃいけないというのはわかっているから結構アカウントを持っているので、そこに「18歳で初めて選挙に行きます。これはどうなんですか。一番丁寧な答えを返してくれた人に比例で投票します」とか言って質問を投げてみる。すると、それにちゃんと丁寧な答えを返してくれるのか、あるいは無視するのかで、本当にネット選挙とか若者向けの政策を真面目にやろうとしているのかがわかると思います。 質問者:選挙に出られる年齢って、確か衆議院が25歳以上で、参議院が30歳以上とかだった気がするんですけど、それだといざ若い人に入れようと思っても、私から見たらおじさんおばさんたちしかいないから、正直誰に入れたらいいかわからないです。若い人が選挙に出られるように変わらないんでしょうか。 おときた:今回18歳選挙権を受けて、実はほとんどの政党がマニフェストで「被選挙権の年齢を引き下げます」というふうに書いています。でもそれをどこまで本気でやろうとしているのかというのは、さっきの妹尾さんの質問じゃないけど、政党によっては「検討する」とか「やります」だったり違いがあるから、そこは見てみると結構面白いですね。 ただ、そのときよく注意してほしいのは、被選挙権の年齢が下がるだけじゃ意味が無いということです。実は、選挙に出る時のもう一つの条件に供託金というのがあって、国政選挙だと300万円もします。どこの世界に、18歳で300万円積める人がいるでしょうか。結局、世襲の2世かタレントしかいないわけです。これを下げないということは、彼らはポーズでやっているだけとしか思えない。 彼らは、若い人が出てきたらライバルになっちゃうから、それを恐れているんです。若い女性は特に票を集めやすいから、そういう人たちが入ってこれないように、参入障壁を高くしておこうとする。そこをしっかり僕らが「当然お金も下げてくれますよね?」「下げなんだったら入れないですよ?」とプレッシャーをかけていく必要があるんです。 妹尾:私はいま18歳なんですけど、それで最近18歳選挙権がらみのお話をいただくことが多いんですね。で、そうやって政治に触れる機会が増えると、少し興味関心が増えていっている気がするんですが、でもやっぱり普通の10代の人はこういう場所にはいないですよね。18歳選挙権を導入します、18・19歳の人は選挙に来てくださいって言う割には、そんなに私たち10代が政治に触れる機会ってないなというのを感じているんですが、その点についてはどう思いますか。 おときた:いい質問です。これはやっぱり、「票育」、つまり教育現場でちゃんと教育をしなきゃいけないということに尽きると思います。 いったいこの18歳選挙権の何がチャンスかというと、実は高校生が投票に行けるようになることなんです。大学で学生が一堂に会する機会ってなかなかないんだけど、高校だと毎朝ホームルームがあるよね。で、投票日は日曜日だから、月曜日の朝のホームルームで投票結果を受けて、学校の先生が「いやあ、昨日は選挙だったけど、君ら選挙行った?」とか「投票の結果こうなったけど、どう思った?」とか聞けるわけです。そうすると、高校生はいろいろ考えるようになるから、すごくいい機会になる。そういう票育、あるいは主権者教育をちゃんと今後やっていくかどうかが、ひとつの鍵になるかと思います。 あとは、18歳だと親と同居している人がまだ結構いる、というのも大きい。僕は以前、スイスに視察に行ったことがあるんですが、スイスでは16歳から投票に行ける州が増えているんです。なぜかというと、16歳はまだ実家にいることが多いから、投票日が日曜日とかだと「ほら起きなさいアンタ、投票行くわよ!」って言われて、親に連れていかれる。それでああだこうだ話しながら家庭内で教育が行われる。一回投票に行ってしまえば、その癖が17歳、18歳にも続くから、継続して行くようになる、ということです。実際、一度16歳で投票に行った人は、将来にわたって投票する癖がつくという研究があります。 政治的に真っ白な子どもたちに政治の話を吹き込んでいいのか質問者:外国の人と話すと、本当に自分の国のことをしっている外国人の人が多くて、例えば今回のアメリカ大統領選とかでも、Aという候補者にはこういうマニフェストがあるから私は入れない、とかそういう議論を熱心にやっていて驚くことがあるんですが、日本でそれが起きないのってやっぱり教育が原因なんでしょうか。 おときた:欧米で昔から当たり前に政治教育をやっていたかというと、そうじゃないんですね。ドイツとかでも教育者が10代みたいな政治的に真っ白な子どもたちに政治の話を吹き込んでいいのかっていうのはすごい国民的な議論がありました。でも最終的には、政治教育の三か条みたいなものを作って解決したんですね。「特定の思想を押し付けない」「反対の意見もちゃんと聴かせる」「最後は生徒自身の言葉で喋らせる」とか。そういう最低限のガイドラインを守ったうえで、教師は教育現場で政治の話をどんどんしましょう、ということを、国民的な議論を経て決めていったんです。だから日本も、そういう風に議論して、政治教育を前に進めなきゃいけないんじゃないかな、ということを僕は個人的には思っています。 小木:僕はいまアルバイトで塾の先生をやっているんですけど、子どもたちに社会を教えているときに、「安倍総理は憲法を変えるから悪いやつだ!」とか急に言ってきて、「え、そんなこと思ってるの?」とびっくりしたことがあります。「それはなんで?」って聞いたら、「テレビで放送されているから、そうに決まってるじゃん」みたいに言うんです。それってなんかすごい残念だなと思っていて。反対意見とか、もっといろんな意見があって、それを全部知ったなかでそうだっていうんだったらわかるんですけど、でもそうじゃない。学校教育だと決まったことしか教えてくれないから、テレビの偏っている放送を見ているとすぐ染まっちゃうんだと思います。これからもっと投票できる年齢が下がっていって、若い人も政治参加していかなきゃいけないっていうときに、どういう教育をすれば、若い子たちが正しい情報を得られるようになるんでしょうか。 おときた:それって日本の教育現場の根本のあり方の問題だと僕は思うんです。日本の教育では情報を与えるわけですよね。あれは悪いとか、どこどこを侵略しました、とか。でも、魚釣りで言えば、本当に大事なのって魚を与えることじゃなくって、釣り方を教えることなんです。世の中にはいろんな情報があって、こういう立場があって、それを取捨選択するやり方を教えるのが、本来の教育であるはずです。与えるべきは釣り竿であって、釣り竿の使い方を教えるのが本来の教育のやり方なんです。 知ることから始めよう。おときた:じゃあ、締めに登壇者のみなさんから感想をいただきましょうか。 妹尾:そもそも感じたのは、「なんで選挙に行かなきゃいけないの?」っていう疑問が生まれること自体、本来ちょっとおかしいことなのかな、ということです。それってたぶん、テレビが政治についてやっている内容がどれもあんまりいいものがないのが大きな理由なのかなと思います。やっぱり、今日みたいな機会で選挙とか政治についてお話を聞けば少しなりとも興味は出てくるものなので、やっぱりこういう機会は必要だなと思いました。 三上:選挙については本当になにもわからなかったんですけど、自分が勉強しないとなにもわからないんだなと。これからどんどん知っていくようにするのが大事かなって思いました。 森:自分も、選挙とか政治についてはそんなに知らなかったので、もちろん自分のまわりの同じ世代の若者の人たちでも絶対わからない人たちがいるんですよ。その人たちにもしっかり伝えて、まわりの人の考え方も変えていけたらいいなと思います。 小木:僕も一緒です。そこに事実としてあるのにそれを知らないって、すごくもったいないことだなって今日の話を聞いて思いました。あとは、このお話を聞く前はどうしても政治って遠いものだなと思っていたんですけど、今日のお話を聞いて、わりと親しみやすいんだなって思いました。まずは次の選挙に行ってみようと思いました。 おときた:ありがとうございます。いよいよ7月10日は、参議院議員選挙です。今日の僕の話を聞いて、選挙のことや日本のことを考えるきっかけにしていただき、ぜひ7月10日、行けない方は不在者投票でもいいです、ぜひ投票に行っていただいて、みなさんの意思を国に伝えて、政治を動かしていっていただければと思います。どうもありがとうございました。

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    18歳選挙権 自民、民進の若者向けアピールは迷走

    ンフの冒頭には、「軽いノリじゃダメですか?」とのキャッチで始まる“若者啓蒙マンガ”が掲載されている。政治に疎い女子高生がイケメンで政治意識の高い男子と仲良くなるため、選挙の勉強をする物語だ。 しかし、女子高生が「さんいんナントカって私も行けるんだっけ!?」と尋ねるなど、「『女子高生は政治に無知で構わない』と言っているようなマンガ」(ジェンダー・漫画研究家の堀あきこ氏)と批判が集中。図らずも参院選公約にも掲げた女性活躍社会の看板の薄さを露呈してしまった。 各党は学生との交流にも積極的だが、やはりどこかズレている。安倍晋三・首相は6月10日、遊説先の奈良県で新有権者となる学生と昼食し、「選挙、(投票先は)誰か決めている?」と唐突に問いかけた。公示前で候補者名もわからず、戸惑う学生が「まだです」と答えると安倍首相は苦々しく笑うばかりだった。「仮面女子」と」共演し、楽曲を熱唱する民進党の枝野幸男幹事長=幕張メッセ さらに迷走するのが民進党だ。6月9日に生放送されたネット番組では、山尾志桜里政調会長がモデルらと「女性の社会進出」をテーマに「女子会」を開催。「しおりん」と呼ばれた山尾氏はかつて子役を務めたミュージカル「アニー」のポーズで写真撮影をキメた。 枝野幸男幹事長は4月29~30日に千葉市の幕張メッセで開かれた「ニコニコ超会議2016」で地下アイドルグループ『仮面女子』とコラボし、ステージ上で歌とダンスを披露した。汗だくでタオルを振り回し、「普段政治に関心のない人にも、あんな政治家いたなと思ってもらえたら」と“手応え”を口にしたが、2月に秘書が仮面女子のメンバーを幹事長室に“連れ込んだ”と公私混同が問題視されており、その言葉は軽く聞こえる。 数々の調査で「将来の総理候補」と評される民進党の玉木雄一郎・衆院議員はハフィントン・ポストの企画で行なわれた若者との対談で、「投票先を選ぶ時は、新しくスマートフォンを買う気持ちで」と発言。機種のカタログを見るように候補者の政策や経歴を調べようとの意図だが、スマホと選挙を同列に扱うセンスに違和感を覚えた若者は多い。関連記事たけし提言「選挙権をやるなら、18歳に少年法はいらねェよ」衆参ダブル選挙 18歳選挙権拡大が混乱の大きな火種に18才選挙権に異論「ろくでもない男を追っかける時期なのに…」日本だけ高い被選挙権年齢制限 米国では18歳市長登場の例も前回総選挙で約45%の投票者が60代以上 高齢者支持で当選圏

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    見識なき若者の政治的関心だけで「良い社会」になるとは限らない

    なっているため、選挙権年齢の引き下げは人数的に微増だが、打開のきっかけとなり得る」、そのほか「若者の政治的関心を高めることにつながるから」という意見もあった。 こうした意見は、政治に関心を高めるキャンペーンに取り組む若手政治活動家の間で、よく主張されている内容と同じだ。ただ、これらの主張を聞いて、私はいつも感じることがある。彼らの意見は、確かな知識やデータに裏付けされたものなのだろうか。感覚だけで公に言葉を発してはいないだろうか、と。 例えば「18歳で働いている人がいるから選挙権がないのはおかしい」との意見を考えてみる。これは18歳以下の人であっても働いているならば選挙権を与えるべきだという主張が成り立つ。「安保法制の反対を声高に叫ぶ人々が、デモに行く前に2時間程度でも外交の専門書を読んで街頭に立てば、より論理的な話ができたと思う」という発言をした人もいたが、最近は政治を知的に考える姿勢が蔑ろにされてはいないだろうかと思わざるを得ない。安全保障関連法に反対する高校生グループのデモ=2月21日、東京・渋谷 本稿では、冒頭に紹介した学生たちの意見を参考にしながら、より具体的に18歳選挙権の意義を考えてみたい。 まず、「18歳選挙権がシルバーデモクラシーを打開するきっかけとなり得る」との主張については、二つの側面がある。一つは人口の規模である。シルバーを65歳以上と定義したとき、総務省統計局の統計によると人口は3189万8千人であり(平成25年10月現在)、20代の人口は1307万4千人、30代は1668万3千人で、20代と30代を合計すると若い世代の人口は2975万7千人となる。 では、18歳選挙権が加わると、投票に参加できる人口は一体どのくらい増加するのだろうか。18歳と19歳の人口は247万人。このためシルバー層の人口3189万8千人に対して、若年層の人口は3222万7千人となり、18歳と19歳が加わることで、選挙権を持つ若年層はシルバー層を上回った(若年層を10代と20代に限定するならば、シルバーデモクラシーの打破は人口的には無理があるが)。従って第一条件である人口の問題は解決することになる。18歳選挙権は政治的関心を維持させる装置 しかし、もう一つの側面を見る必要があり、それは18歳選挙権によって、20代および30代の投票行動が変化するか否か、である。人口面ではクリアしても、実際に投票行動に変化がなければシルバーデモクラシーを打破することはできないからである。この効果は実際に結果を見てみなければわからない。来月7月10日の投開票を待つ必要があろう。 その上で、18歳選挙権がないことが、結果として20代以降の政治的関心を左右しているという分析を紹介したい。 これは慶応大教授の小林良彰氏が憲法審査会で述べたことである。小林氏は、若者の政治的関心が低い原因を、18歳を含む高校生の境遇三構造分析から導き出し、その最大の要因を「自分自身が政治に働きかけることができるかどうかという内的有効性感覚の欠如にある」とした。2015年6月に開かれた衆院憲法審査会 まず、18歳という年齢が重要なのはなぜか。それは多くの場合、年齢を重ねるにつれ、「政治経済」や「公民」の授業を通して現代日本の様々な課題を学び、「18歳」はそれについての関心が芽生える機会を得る時期である。 しかし、こうした機会を得ながらも、実際の選挙で投票する機会を得るのは早くても2年先、長い場合で4、5年先となっていた。「自分は何も関与することができない」という若者が、内的有効性感覚を持つことは難しい。 これはつまり、18歳にとっては投票行動を待たされている間に政治への関心が薄れていき、それが世代効果を通じて、その後の政治的関心にも影響しているとの分析である。この点で、18歳選挙権とは政治的関心を維持させる装置になり得ることが分かる。 筆者自身は今年21歳となり、すでに選挙権を有しているため、18歳選挙権を付与された世代の感覚を完全に理解することはできない。ただ、言えるのは、18歳選挙権によってシルバーデモクラシーが打破され、若者の政治的関心が高まっても、それ自体は評価に値しないということである。 結果として「良い社会」「良い政治」が実現されたときに初めて意義を感じるものであり、政治への関心を高めた結果が「悪い社会」「悪い政治」であれば日本に明るい未来はない。 民主主義とは、これら両方の可能性を秘めた政治形態であり、そこに落とし穴があるのではないかと強い危機感を抱く。だからこそ、知識や教養、見識を磨くための努力も同時に重視すべきではないかと切に思う。

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    18歳に政治参加を期待しても無駄である

    参院選が公示され、目玉トピックは18歳選挙権である。そもそも全有権者のわずか2%に過ぎない240万人の民意で何が変わるというのか。表題のように、タカをくくっているお年寄りも多いだろう。若者よ、もっとシルバー民主主義の現実に怒り、一票を投じて「老害」どもの鼻を明かせ!

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    トリガーは18歳選挙権 動き始める「シルバー民主主義」からの脱却

    票に行くことができるようになった。  18歳選挙権にはどんな意義があるのか。例えば、若い世代の意見が政治により多く反映されることで、世代間格差の解消に向けたトリガー(引き金)となるという点が挙げられる。世代間格差については賛否両論があるが、生涯における社会保障費等の受益と負担の差が、高齢世代と将来世代では9000万円超に上るという推計もある。全国初の「18歳選挙権」が実施される見通しの滋賀県日野町で投票体験する高校生 その背景には、少子高齢化時代に突入し、高齢者より若者の人口に占める割合が低くなってきていることに加え、国政選挙の投票率を見ても、60代の投票率は20代に比べて約30ポイント以上も高いことから、高齢者の意見や要望が政治に反映されやすい「シルバーデモクラシー」が指摘されている18歳選挙権の適用によって、若者の意見をより政策に取り入れ、「世代による偏り」をできる限り抑える政治を行うことで、世代間格差の拡大にブレーキを掛けることが期待されている。 実際、今回の参院選では、各党の公約に若い世代を意識した政策が盛り込まれている。給付型奨学金の創設や出産・子育ての支援充実、被選挙権年齢の引き下げの検討等が目白押しだ。 また、各党は「ニコニコ超会議2016」等の若者が多く集まるイベントに出展したり、高校生や大学生を招いた意見交換会を催したりと、これまでの選挙以上に、若者の意見に耳を傾け、投票先に選んでもらおうとする姿勢が見られる。パフォーマンスと切り捨てることは簡単だが、各党が若者に向き合うことで「シルバーデモクラシー」から脱却し、世代間格差の解消への挑戦を始めたとも言える。 一方、18歳選挙権には課題もある。それは低投票率だ。2014年12月に実施された第47回衆議院議員総選挙で、20代の投票率は32.58%に留まり、約7割が棄権している (総務省HP「衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移」)。「明るい選挙推進協会」の調査 によると、20代が棄権する主な理由には、「選挙にあまり関心がなかったから」や「政党の政策や候補者の人物像などの違いがよくわからなかったから」等が挙げられているが、同様の理由で、選挙権を得た18・19歳が選挙に行かない可能性もある。 そもそも、18歳選挙権の適用で有権者となる約240万人は、全体の有権者数に占める割合で見ると約2%に過ぎない。18歳選挙権の導入により、前述のように政党が若い世代に向き合おうとしているにもかかわらず、10代の投票率も低い水準に留まってしまった場合、若者の意見が政治に反映されるチャンスを失ってしまうかもしれない。ドイツの取り組みがヒントになる もちろん、筆者は「何でもいいから投票に行こう」という考えには賛同しない。政党の政策や候補者の主張について十分に判断ができなかったり、自分なりの意見を持たないまま投票に行くことは、衆愚政治に繋がる危険性があるからだ。それでは、どうすれば18・19歳の新しい有権者は、自分なりの意見をもって投票に行けるようになるのか。 この課題を考えるヒントを提供してくれるのは、日本よりも早く18歳選挙権を導入し、若者の政治参加に長年取り組んできた欧米諸国である。例えば、ドイツでは、若者たちが国政選挙に際し、興味深い「選挙キャンペーン」を実施している。その一つが「立ち位置(STAND.)」という署名活動だ。 これは、国会議員の候補者に対して、「立ち位置」と書かれたポスターを見せ、若者に関する政策への賛同の是非を問うものである。仮に、候補者が「若者のために全力を尽くします」と書かれた宣言に署名し当選した場合、若者たちは「あなたは署名したが、実際に議会等で若者に関する政策の働きかけをしているのか」というモニタリングを行うという。 この他にも、選挙権を持たない18歳未満も含めて投票機会を与える「U18」という模擬選挙のキャンペーンも全土で実施されている。若者たち自らが選挙のための教材を作成し、争点を整理し、模擬政党を作って議論し、投票箱を作成し、模擬投票の結果を「選挙特番」としてオンラインで発表している (小串聡彦・小林庸平・西野偉彦・特定非営利活動法人Rights2015「ドイツの子ども・若者参画のいま」p.63-68)。ドイツ連邦若者協議会による「立ち位置(STAND)」&「U18 」選挙キャンペーンのポスター さらに面白いのは、この選挙キャンペーンの主体は大人ではないという点だ。これらは、若者たちが政治に対する自分たちの意見反映や利益向上に努めるために組織された「連邦若者協議会」が仕掛けている。この会は、600万人以上の会員を擁するドイツ最大の若者団体だ。ドイツでは、若者の声を政治に反映させるための「ロビイング」が様々なかたちで行われており、「連邦若者協議会」も大きな影響力を有しているという。 このようなドイツの取り組みからは、選挙に対する若者の姿勢が徹底して「ポジティブ」であることが見受けられる。そこには、「投票してもどうせ政治は変わらない」とか「どの政治家も一緒だろう」などのネガティブな印象はない。 政党や候補者の違いについて、選挙キャンペーンを通じて、自分たちで情報を収集し、どこに投票するべきなのかを熟慮し判断しようとしているのである。もちろん、歴史や文化、国民性等が異なるドイツの事例を日本にそのまま導入することは望ましくないだろう。ただ、「自分なりの意見をもって投票に行く」ことの一つのあり方として参考になるし、日本の若者たちならではの「ポジティブな政治との向き合い方」を模索するヒントにはなるのではないか。18・19歳を含めた若者たちには、各党や候補者が発信している政策や主張を比べつつ、街頭演説や討論会、ソーシャルメディア等を活用して、候補者の主張を聞いてみたり、質問を投げかけたりすることで、ポジティブに選挙に関わってほしい。ドイツの事例を模した「選挙キャンペーン」を試みても面白いかも知れない。 そして、自分なりの意見を持って投票所に足を運んでほしい。今回の参院選は、18歳選挙権のスタートラインであり、長い年月をかけて日本の民主主義社会を成熟させていく道程の新たな一歩にしていきたい。

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    18歳選挙権で変わるべきは大人と社会全体だ

    年6月19日に施行された。18歳、19歳が投票できる18歳選挙権時代のスタートとなる。 自分は若者と政治をつなぐをミッションとしているものとして、この変化には思い入れが強いし、色々な仕掛けも変化に合わせて行ってきた。1年前に、国会で法律の改正が決まり、この1年間の実践や世の中の変化を通じて、改めて今の考えを簡単にまとめたい。 たとえば、10年後ぐらいから今年を振り返ったときに「2016年って選挙権年齢が下がった年だよね」なんて評価にはさせない。「選挙権年齢が下がったことをきっかけに、若者の参画が進みだした年だよね」。そのような評価につなげなければならない。 京都議定書の採択をきっかけに環境に対する動きが増えてきた。阪神大震災を契機にボランティアというものの認識が変わった。18歳選挙権をきっかけに、若者の力を社会で活かすことを考えたい。 以下は昨年6月に参議院にて参考人として招致され意見陳述をした際の動画です。変わるべきは大人PRする奈良県立橿原高校の生徒たち 「選挙権を得た10代の意識の変化が求められます」なんて偉そうなコメントをメディアなどでたまに見る。違う、変わるべきは10代じゃなくて大人。あるいは社会全体だ。 「なんか政治の話タブーみたいだから、家庭や学校で話しにくい」「政治については悪い話しか大人がしていない」「そもそも、お父さんお母さんが投票に行っていない」こんな話を、高校に授業にお邪魔する際によく耳にする。 若者は良くも悪くも社会全体の空気に敏感だ。まずは、大人自身が、“主権者の一人”である意識を改めて持つ必要がある。2014年の衆議院選挙で、40代前半までは投票率が50パーセント切っている現状も意識したい。学校現場の変化が起こりはじめた まず、高校での教育は大きく変わってきている。自分も執筆者の一人である、文科省・総務省両省による”高校生向け政治選挙に関する副読本”の全高校生への配布を皮切りに、様々な主権者教育に関する授業が行われている。 特に高校では、文部科学省の調査によると96.4%の高校で3年生向けに、なんらかの主権者教育を行うそうである。また、高校だけでなく小中高と積み重ねで進めることへの検討も進んできている。 さらには大学でも様々な動きがあり、自分も4月から岡山大学で、大学生向けの主権者教育授業の講師を行っている。これまで自分が受けてきたのとは違う教育を受けて社会に出てくる世代がいるということを、知っておきたい。選挙の仕組みを知ることにとどまらず、民主主義の一員として、主権者としての認識を持ってきている世代だ。家庭・地域の変化を作り出せるか家庭・地域の変化を作り出せるか 学校現場での教育の特徴は、中立的な指導の下に政治について同世代で政治について語っていくことだ。家庭・地域では、学校現場と違う以下の特徴を持った話の場になる。家庭では、親の考えなどを伝えながら、政治・選挙に関する話ができそうだ。 「お父さんとしては○○党のここがいいと思うだけど、どう思う??」「○○という政策に関して、親である立場としてはこう思うんだけど、どう思う?」。こんな会話をやってみてはいかがでしょうか? 学校の先生は自分自身の政治的な意見を言ってはいけないと日本では定められているので、こんな会話の切り出し方はできない。 また、地域での楽しさは多世代・多様な立場の人がいることだ。小学生・中学生、親世代、祖父母世代、様々な職業。いろんな人がいて、多様な意見に気づくきっかけになるだろう。 もちろん、「政治を話す会やるよ!」なんて言ってもなかなか人が集まるものではないと思うが、地域の何かのイベントや集まりの中で、政治とのつながりを視点として持ってその場にいるだけで全く見方は変わってくる。例えば、地域のスポーツクラブの集まりの際に、「スポーツ省について」「運動できる場や施設について」などなどが政治と関わっていることを意識してみる。町内会のイベントの際に、行政と町内化の繋がりを考えてみる。そんな視点をもって、声に出してみてはどうだろうか?政治は国政の話だけではない 参議院選挙という状況であることも加わり、どうしても「政治=国の話」となってしまいがちだが、自分の街に視点を向けてみても面白い。医療・年金・憲法・消費税などなど大事なことはわかるけど、どうも自分事として考えることができないということもあるだろう。 視点を、身近な自治体の政治に向けてみると印象が少し変わるかもしれない。「駅の周りの再開発をどうする!?」「統廃合で使わなくなる小学校の跡地をどう利用する!?」「街のPRのための企画をどうする!?」そんな話が見つかるだろう。もしかすると、そんな話は子供も大人も気軽に意見をいうことができるものかもしれない。 以上の視点を考えることのできる、発信やイベントを弊団体でも引き続き行っていきたい。

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    若者に告ぐ! 参政権と国防義務は不可分一体だ

    西村眞悟(元衆院議員) さる5月30日、大阪で高校生の政治集会があった。「高校生未来会議」と名付けられていた。    この会議は、午前中から始まり、各自持ち寄った昼食を食べながら話を続け、午後3時頃まで行われた。    高校生らは、各政党から議員らを招いて共に課題ごとにディスカッションを行い、次に、各政党が三分の時間内で訴えたいことを語り、最後に、高校生だけでどの論者を支持するかを決める。 この会議の企画も運営も高校生が行っていた。その企画運営のリーダーは、礼儀正しく立派な学生だった。  さて、各政党の訴えであるが、その順番を高校生はあみだくじで決めた。その結果、私は、自民、公明、共産、大阪維新の次ぎの最後に話した(民進は不参加)。私の前の各党は、一口で言えば、申し合わせたように、 「身近なこと」を話した。  税金の無駄使いをなくし、その財源を有意義に使った、とか保育園の増設、とか平和の大切さ、とかある党は、途中からその訴えの時間に合わせて参議院選挙の候補者を入れて宣伝をさせた。  それらを聞いてから私は次のように話した。 高校生こそ、国家を語れ、身近なことを語るな。この会議は、高校生未来会議ではないか。君たち高校生が国家を語らずして、どうして国家の未来が開けようか。その国家とは、日本である。 三島由紀夫は、 命にかえて守るべきものそれは歴史と伝統の日本であると言った。君たちも、その日本の歴史と伝統を語ってほしい。その意味で、伊勢志摩サミットの意義は計り知れないことを知ってほしい。伊勢神宮内宮を訪問し、参道を歩く安倍首相(中央)ら各国首脳 =5月26日 何故なら、その地にある伊勢神宮は、日本の天皇家と歴史と伝統の根源にある天照大神を祀る神社であるからだ。伊勢志摩サミットは、世界に日本は神話と歴史が連続して現在に至っているとてつもない国であることを世界に発信したのだ。 現在の我が国を取り巻く内外の情勢は、まことに厳しい。よって、今こそ我々は古代ローマ以来の格言を思い起こさねばならない。それは、「平和を望むならば、戦いに備えよ」という格言である。最大の福祉とは国民の命を守ること 現在、外においては、中共の暴力的台頭が、南シナ海で我が国のエネルギー供給のシーレーンを奪おうとしている。我が国はエネルギーの供給を断たれれば国民生活が麻痺して国家が崩壊する。 そして、内においては、いわゆる日本は悪いことをした国だという自虐史観を子ども達に教え続け、日本共産党と民進などの野党が連合して我が国の安全保障法制を廃止しようとしている。 これは、「平和を望むならば、戦いに備えよ」という格言の逆の動きである。従って、この共産党主導の動きは、中共が軍事力を行使しやすくするものでありますます我が国に動乱を招き寄せる動きである。 現在のこの内外の情勢こそ、亡国の危機であることを理解されたい。この危機を克服して平和を維持するために、軍備を増強しなければならない。防衛省の中庭にパトリオットを配備する自衛隊員=2013年4月、東京都新宿区(ロイター) さて、18歳から参政権を行使できる。そこで言っておく。参政権と国防の義務は、不可分一体なのだ。参政権とは、国家の在り方の決定に参加する権利でありかつ公務である。従って、国家の在り方の決定に参加したものは、はい、それで終わりではなく、国家の危機において、国家を守る義務を負うのだ。このことを忘れてくれるな。     最後に、もう一つ、格言を申し上げる。これはローマではなく、私が阪神淡路大震災の直後に被災地を歩いて見て回ったときに確信したものだ。それは、「国防は最大の福祉」、大災害の時、また、他国の軍隊に攻められたとき、最大の福祉とは、国民の命を守ることではないか。そしてその時、国民の命を守ることができるのは国防力すなわち軍隊である。この時、国民の命を守ることができない国家は福祉国家ではない。 この話をしているとき、高校生達はシーンとして聞き入ってくれた。その高校生の姿によって、私は我が国の未来を信じる。 私が話し終えてから、共産党の議員が私の横に来て、安保法制廃止は共産党の主導ではないというようなことを話してきた。私はにやりとして、「あれはなあ、コミンテルンの伝統的な人民戦線戦略やろ」と答えた。 なお、未来会議に出席した高校生達が、各党の主張に対して、如何なる評価を下したのかは公表されなかった。但し、南木隆治先生が、会議を最後まで傍聴されていたのだが、その南木先生が私を見たときの表情から、私の主張が、高校生から最高の評価を得たと確信した。(西村眞悟公式ブログ 2016年6月7日分を掲載)

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    18歳選挙権を導入しても、今のままでは気休め程度の改善策に過ぎない

    現在、240万人とされる。 この選挙権年齢の引き下げの意味について考えてみよう。 まず、若者の意見を政治に生かすことにプラスになることが挙げられる。少子化が進む中で、若者の数は減っていく。そして若者の投票率は非常に低くなった。60歳以上の高齢者の投票率と比較すると相当な差になる。選挙は勝たなければならない。そうなると、大票田を意識した政策アピールをするしかないのだ。高齢者の数が多く、投票率も高いとすると、その層をターゲットにした政策を展開するしかなくなる。候補者に聞くと、子育てが大切だ、教育が大切だ、若者が生き甲斐を感じる社会を作りたい、などを言う。しかし、政治家はそれを本気で取り組まないのだ。年金を大切にする、医療を充実する、高齢者福祉を充実する、などといった政策の方が票に結びつく。日本の教育や子育て環境が劣化してきたのには、若者の数の減少と投票率の低下が影響している。デパートで客層に応じた品揃えをするように、投票者層に応じた政策が展開されてきたといえる。240万人の若者の有権者数の増加は多少は、状況を緩和させる。ただ投票率は高くはならないだろうから、気休め程度の効果といえようか。候補者の訴えを聞く有権者ら=6月22日、大阪市 権利と義務は表裏一体の関係といわれる。これから若者への「義務」が重くなる。大きな財政赤字がある中で、景気が急に上向くとは考えられない。高齢者比率がますます増える中では、医療費や社会保障費の負担は増加していく。つまり若者世代は大きな負担をしていかなければならない。なのに、投票権もないというのでは、おかしいという議論になる。投票率が低いのは投票に行かなかったものの責任としよう。選挙権年齢を下げたことによって、国は「堂々と」若者に負担増を押し付けることができるのだ。 投票に行けるということで、政治意識が少しは高まるのではないかともいわれる。これも効果の一つではある。しかし、これまでに選挙権のある人の政治意識も低い。投票に行けるから政治を考えるようになるだろう、というのは0ではないにしても、大した効果が期待できるわけではない。 つまり、選挙権年齢が18歳に引き下げられるのは、当然のことで、歓迎すべきことだ。だが、それで状況はほとんど変わらないということだ。若者を含めた国民が本当に政治に参画できる仕組みを作ることが最も大切なことだ。選挙、選挙というけれど、選挙で政治が変わると思っている人はあまりいない。私は選挙と選挙の間が最も重要だと思っている。その間に、どれだけ社会づくり、地域づくりなど政治に実際に参画できる仕組みを作るか、が決定的に大切なのだ。 日本では政治家が政治をするものだと思われている。政治家はろくな政治をしない。政治は国民がするものだ。私は北欧に6年間住んでいたが、普通の人が国や自治体の政策に直接的に関わり、NGOが政策を動かす力を持っていたことに驚かされた。だから北欧では国政選挙の投票率は8~9割だ。政治政治家任せにしていない。 来る参議院選挙。私は、最も重要なポイントは、国民とともに政治を作りたいという姿勢を持った政治家を選ぶことだ。国民が政治参画できる仕組みと政治文化を作ること。これが実行できれば、おのずと投票率は上がっていく。そうした新たな政治ができることを願っている。今の日本では、この単純なこともあまりに遠い夢となっている。(「児玉克哉のブログ『希望開発』」より2016年6月9日分を転載)

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    被選挙権も18歳、供託金を世代設定すれば政治が変わる

    おときた駿(東京都議会議員) 昨日も成人式に関連して若者の政治参加について取り上げたところですが、民主党が「被選挙年齢の引き下げ」にも言及したことが話題となっており、News Picksのコメント欄が非常に賑やかになっています。民主 「被選挙権年齢」も引き下げをhttps://newspicks.com/news/1337677/日本では選挙権は18歳からとなったものの、被選挙権でいうと衆議院議員:25歳参議院議員:30歳都道府県知事:30歳区市町村長:25歳各種地方議員:25歳となっています。なぜかと聞かれれば、公職選挙法でそのように定まっているからなのですが、ではこれって一体どうやって決まったのでしょうか? 歴史的に見ると衆議院選挙は明治22年に選挙権25歳・被選挙権30歳でスタートし、昭和20年(1945年)に婦人参政権が認められるとともに、選挙権20歳・被選挙権25歳という近代の形が完成しました。これを受けて戦後に成立した参議院選挙の方は、昭和22年に被選挙権を30歳としてスタートしています。 主な学説では参議院は「良識の府」であり、大衆の代表である衆議院よりも完成された人格が必要とされることから、衆議院よりも高い年齢設定が課された…とされているようです。参院本会議を終え退席する議員=6月1日 ちなみに都道府県知事が公選制となったのも戦後のことで、昭和22年が第一回と参議院選挙と同時期です。なので都道府県知事の被選挙権が30歳という設定なのは、この参議院の基準に引っ張られたと言えるでしょう。端的に言えば現状は大戦直後につくられた昭和の慣習を、70年近くも盲目的に引きずって使っているだけとも考えられます。 では海外スタンダードはどうなっているんだろう…と思ってインターネットを叩くと、非常にわかりやすくまとまっている記事がありました。日本の若者を「遅らせる」3つの年齢「投票権・成人・被選挙権」- 世界の潮流は?http://tatsumarutimes.com/archives/1575・被選挙権年齢21歳が世界的にみて最も多数派の年齢であり、59カ国(約30%)が制定・続いて25歳が57カ国(約29%))で、18歳に定めているのは45カ国(約23%)である・つまり、21歳の時点で被選挙権が得られる国は世界で108カ国(約55%)ということで、日本のように30歳まで出れない選挙が存在するのは、世界的に見れば少数派(20%以下)と言えそうです。なんでもかんでも世界に合わせれば良いわけではないのは当然ですが、世界最速のスピードで少子高齢化が進むわが国でこのような制度を保つことは、ますます若者たちを「置き去りにする」可能性が極めて高いと言えます。 民主党が単独で被選挙権年齢の引き上げを提唱してきたことは、本来であれば超党派で取り組む流れに逆らうスタンドプレイのようですが、とにかく18歳選挙権の勢いでこうした議論が加速するのは前向きな傾向だと思います。 加えて被選挙権を下げるにあたっては、国選選挙・首長選挙では最低300万が必要となる悪名高き「供託金」の引き下げも合わせて検討されるべきです。18歳や20代そこそこの若者に、300万円ものお金を用意するのは至難の技。こうした歪な参入障壁は、ますます職業政治家や世襲政治家を増やすことになります。 私が個人的に面白いと思っているのは、供託金に世代別で傾斜配分をかける方法で、10代:30万20代:50万30代:100万40代:150万50代:200万60代以上:300万として若年層に有利な形でハードルを下げていけば、国会議員の若返りを促進する一手になる気がします。 もちろん供託金を下げると「泡沫候補が増える」などのリスクもあるんですけど、現時点の設定でも完全に排除はできないわけで、NHKの政見放送とか取りやめにして全部ネット配信にすればコストもかからないし、愉快犯も減るんじゃないですかね。選挙制度というのは、国の政治を形作る根幹です。ここが変われば、一気に政治が変わっていきます。未曾有の少子高齢化に突入するわが国は、選挙制度のモデル・チェンジが必要不可欠です。(「おときた駿 公式ブログ」より2016年1月12日分を転載)

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    「激しい言葉」と「鋭い質問」は違う 舛添疑惑の過熱報道に残る違和感

    (THE PAGEより2016年6月17日分を転載) 政治資金をめぐる一連の問題で辞職する東京都の舛添要一知事に対して「今回は報道が頑張った」という声が当の報道界から出ているそうです。確かにきっかけは、週刊文春によるスクープでした。しかし、過熱する一方の報道を目にしながら、言いようのない違和感を抱いた人も多かったのではないでしょうか。リスクを取らなくなった大手マスコミ 舛添氏の政治資金をめぐる問題に火を付けたのは、週刊文春の5月5日・12日合併号(4月27日発売)でした。『告発スクープ 舛添知事 「公用車」で毎週末「温泉地別荘」通い』。そして、5月11日発売の5月19日号では、「舛添都知事に政治資金規正法違反の重大疑惑!」とたたみ掛けました。舛添氏は第2弾が出た直後の定例記者会見で釈明に追われ、説明の度に疑惑が増すという循環に陥ってしまいました。 甘利明・前経済再生担当相の“口利き疑惑”をはじめ、週刊文春は最近、政界からみのスクープを立て続けに掲載しています。その連続に溜飲を下げた人も多いことでしょう。なぜ、週刊文春ばかりがこうしたスクープを連発できるのでしょうか。逆に言うと、どうして新聞からこの種のスクープが影を潜めたのでしょうか。 週刊文春の新谷学編集長は今年3月、インターネットメディアのインタビューに応じ、「いまのメディアは、批判をされない、安全なネタばかり報じる傾向が強まっているように思います。評価が定まったものに対しては『悪い』『けしからん』と叩きますが、定まっていないものは扱いたがらない」と語りました。新谷氏のこの言葉は、新聞やテレビの“ダメさ加減”を的確に言い当てています。つまり、既存の大マスコミがリスクを取らなくなった、ということです。経営悪化で調査報道が縮小傾向 かつては、新聞報道が「政界疑獄」のきっかけを作ったことがありました。竹下登内閣を崩壊に追い込んだ朝日新聞の「リクルート疑惑報道」(1988年)はその最たる実例でしょう。こうした取材・報道は「調査報道」と呼ばれますが、調査報道には時間も経費もかかります。成功するかどうかも途中では分かりません。週刊文春も甘利氏の疑惑では、1年もの時間を費やして取材し、確たる証拠を握るまで報道しなかったそうです。参院税特委に証人として出席した江副浩正リクルート前会長=昭和63年12月6日、国会 しかし本来、人も資金も潤沢に有しているはずの新聞・テレビは最近、失敗を恐れ、ほとんどリスクを取らなくなりました。理由は二つあります。一つは部数減や広告収入の減少などにより、新聞・テレビの経営環境が急速に悪化していること。特に、かろうじて調査報道を支えてきた新聞の凋落ぶりは著しく、全国の日刊紙は1年間で合計100万部前後も部数を落としています。こうなると、会社は、金のかかる調査報道の比重を落とし、危ない橋を渡ることを避けようとします。経営上、リスクを取らなくなるわけです。 特別報道部を作り、鳴り物入りで調査報道を進めていた朝日新聞も、福島第一原発事故の「吉田調書」問題をめぐる失敗をきっかけとして、特別報道部の体制を事実上、縮小してしまいました。これも“失敗”に懲りて、リスクを取ることを恐れた一例と言えます。 一方、経営悪化によって、社員のリストラに着手した新聞社も少なくありません。こうなると、現場でもリスクを恐れ、記者がますます冒険をしなくなります。「行政の言うことをそのまま書いていればいい」「街の楽しい話が読まれるはずだ」――。そんな「自粛の空気」が取材現場にじわじわと広がってきたわけです。政治資金収支報告書の点検などはかつて、調査報道の基本中の基本でしたが、舛添知事問題が起きて「初めて政治資金報告書なるものを見た」という都庁詰めの記者もいたそうです。記者クラブ制度と“構造的”な問題記者クラブ制度と“構造的”な問題 大手新聞やテレビが週刊誌にも追いつけなくなった背景には、記者クラブ問題も横たわっています。広く知られるようになりましたが、記者クラブは原則、新聞やテレビの会社員記者しか加盟できません。週刊誌やフリー、ネットメディアの記者はメンバーになれず、記者会見を取材することも不可能なことが大半です。そのぬるま湯の中で、各社の記者は「仲良しクラブ」を作り、半ば談合のような取材を繰り返してきました。 舛添氏をめぐる報道では、こんな“構造問題”も見えてきました。語るのは大手新聞の中堅記者。「都庁担当は政治部ではなく、社会部です。記者にすれば、都庁は首相官邸や外務省などと比べて格下だし、都庁にはふつう、入社数年の若い記者か、やる気を失った記者しかいません」。全国紙の場合、都内版を埋めることが都庁担当の重要な役割の一つであり、「知事の“疑惑”にふだんは目も向いていない」(同)というわけです。「言葉の激しさ」=「追及」ではない 舛添氏の釈明会見では、“中国服を着て習字を書くまねをして”といった質問も飛び出しました。そんなニュースに接し、レベルの低さにあきれた方もいるのではないでしょうか。週刊文春の新谷編集長が指摘するように、取材力が低いと、おぼれかかった犬は一斉に叩き始める傾向があります。昨年問題になった“号泣会見”の兵庫県議に対する集中砲火のような報道も、そうした事例の一つと言えるでしょう。 おそらく「舛添疑惑」のような問題を取材する大手メディアの記者は今後、会見で激しい言葉をぶつけていくでしょう。例えば、2005年のことですが、JR西日本の福知山線で列車脱線事故が起きた際、全国紙の記者が会見で“ヤクザまがい”のような言葉で罵声を浴びせて批判され、のちに会社から処分されたことがあります。「罵声や大声=追及」と勘違いした一例と言えるでしょう。 言葉の激しさ、とげとげしさは「質問の鋭さ」とは別次元の話です。結局、日々の地道な取材こそが、いざという時に力を発揮するのではないでしょうか。それがないから、常にウオッチしているはずの政治家らへの取材は甘くなり、問題が起きても記者クラブ内の「なあなあ」の雰囲気の中で追及は中途半端にしか進まず、そしてターゲットがおぼれかけていると見るや今度は一斉にたたき始める――。そんな傾向が続くのではないでしょうか。 舛添氏をめぐる問題でも、それがあからさまに見えてしまいました。大マスコミの体たらくは今に始まったことではありませんが、思わず、「おい、しっかりしろよ」と言いたくなる日々はまだ続くのかもしれません。

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    無意味なリーダー潰しではなく、舛添氏を「育てる」べきだった

    添要一氏が東京都知事の職を辞することを表明した。このニュースを聞き、私は暗澹たる気持ちとなった。民主政治の負の側面を象徴していると感じだからだ。勿論、舛添氏にも問題はあっただろう。都知事就任前の政治資金の使い途の問題について、私も、一人の納税者として、このような振る舞いは謹んで貰いたいと思う。 ただ、同時に舛添氏を、このような理由で叩くことが、果たして有権者の利益になるのかは疑問を感じる。有権者が政治家を評価する際には、その能力と限界を天秤にかけねばならない。利己的な言い方だが、東京都民として「舛添氏を辞めさせた方がいいか、都知事を続けさせた方がいいか」は、自分たちの利益を考慮して判断すべきだ。メディアの「舛添バッシング」に乗ると、最終的に自ら、あるいは子ども達がツケを支払うことになりかねない。 私は、舛添氏は、政治家としての卓越した能力を持つと考えている。過去に私がみてきた厚労大臣の中で、舛添氏の業績は傑出している。また、東京都知事としても、きっちりとした仕事をしていたと思う。本稿では、政治家舛添氏に対する私の評価をご紹介したい。妊婦死亡事件から医師不足問題に道筋 舛添氏は07年8月から09年9月まで、第一次安倍・福田・福田改造・麻生内閣の四期にわたり厚労大臣を務めた。この期間、多くの問題を片付けた。例えば、C型肝炎訴訟、年金記録、新型インフルエンザ騒動、そして医学部定員増である。 いずれの問題においても、既得権者が存在し、「改革」は困難を極めた。舛添氏の手法は、マスコミを巻き込みながら、世論を喚起し、さらに永田町の政治バランスを利用して合意を形成していくというものだった。厚生労働相に就任し、会見に臨む舛添要一氏=2008年9月 その真骨頂は、08年6月に、1997年の医師定数削減の閣議決定を撤回させることに成功したことだ。当時、わが国で医師が不足していることは自明だった。国民が医師不足を知るきっかけは、06年2月に、福島県立大野病院で癒着を伴う前置胎盤に対し、帝王切開手術を受けた妊婦が死亡した事件だ。 担当医が逮捕された。この「不当逮捕」に対し、全国の医師が憤った。そして、メディアも、この問題を調べるようになった。その結果、逮捕された医師が、一人医長として24時間365日、お産に対応していることを知った。この不幸な事件を契機に、国民は、問題の本質が「医師不足」であることを認識し、「医療崩壊」「医師不足」を繰り返し報じるようになった。 この事件に早くから取り組んだのは、当時参議院議員だった舛添氏である。国会で取り上げ、関係者を支援した。08年8月に福島地裁は無罪判決を下し、検察は控訴しなかったため、無罪が確定した。厚労官僚の信頼を得ていた舛添氏 医師不足が明白にもかかわらず、舛添氏が厚労大臣になるまでは、誰も手をつけなかった。官僚、日本医師会という抵抗勢力が存在したからだ。 官僚の抵抗は熾烈だった。舛添氏が医学部定員を増やそうとしたときには、文科省医学教育課長に出向中だった医師免許を持つ厚労省の幹部官僚が、東大などの医学部長に「医師はなるべく増やさない方向で頼みます」と電話し回ったことが判明している。日本医師会の横倉義武会長(右)=2016年4月 厚労省の幹部官僚から、直接電話で「依頼」された医学部長たちは悩んだことだろう。厚労大臣は大きな権限を持つ。しかしながら、任期は通常1~2年だ。一方、幹部官僚には、その人物が退官するまで、研究費の工面や審議会の人選などで「お世話」になる。大臣と幹部官僚の板挟みにあった場合、どちらにつけばいいかは言うまでもない。 舛添氏は様々な手法を用いて、この問題を克服した。例えば、前出の医系技官のケースでは、マスコミにリークした。舛添氏本人ではなく、彼の意向を汲んだ部下たちが動いたようだ。このことは、08年10月10日、日本経済新聞が朝刊の一面で報じ、大臣に対して面従腹背の厚労官僚の姿が国民に曝された。そして、この動きは止まった。 なぜ、舛添氏はこういうことができたのだろうか。それは厚労省内の心ある官僚たちが、舛添厚労大臣を応援したからだ。2007年夏に厚労大臣に就任後、「誠実に勤務する姿が、部下で官僚たちの信頼を得た(厚労官僚)」という。 日本医師会との闘いは、日本医師会の幹部だけでなく、その意向を受けた「族議員」との代理戦争だった。 舛添氏は、メディアが醸成した世論、及び民主党と連携することで、日本医師会・族議員の抵抗を抑えることに成功した。メディアについては、あらためて言うまでもないだろう。ただ、メディアだけでは族議員は屈服しない。最終的には永田町での多数決が勝負を決める。 注目すべきは、07年以降、参議院で与野党が逆転していたことだ。当時、最大野党の民主党の医療政策をリードした仙谷由人・元官房長官や鈴木寛・元文科副大臣だった。舛添氏は彼らと太いパイプを持っていた。仙谷氏や鈴木氏は、医師を増員すべきと考えており、彼らが中心になって作成した09年の総選挙の民主党のマニフェストは、ほぼ舛添氏の考えを踏襲していた。 この結果、舛添氏は、日本医師会や厚労官僚の抵抗を押しきることが出来た。そして、医学部定員を5割増員することが決まった。当時約8000人であった医学部定員は、1万22000人になる まで、毎年400人ずつ増員されることになった。国民の利益を代弁できる数少ない政治家 ただ、舛添氏の改革は、その後、骨抜きとなる。医学部定員が当初の予定通り増員されたのは2010年度までで、2011年度には77人の増員に減らされた。東日本大震災で東北地方の医師不足が顕在化したにもかかわらず、医学部定員の増員にはブレーキがかかったのだ。 その後、現在にいたるまで大きな変化はない。2015年度入試での定員は9234人で、前年から65人増やすだけだった。さらに、2015年9月13日には、日経は一面トップで「医学部の定員削減、政府検討 医療費膨張防ぐ」と報じた。厚労省は、20年から医学部定員を削減しようとしていることを報じ、医師数削減を既成事実化しようとしたことになる。 勿論、このままで医師不足は改善しない。図は首都圏の75才以上人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移を示す。全都県で団塊世代が亡くなる2035年頃に一時的に回復するものの、その後は悪化している。このまま無策を決め込めば、首都圏の医療は崩壊する。これでいいのだろうか。図;首都圏での75才人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移 筆者と井元清哉・東大医科研教授の共同研究  日本医師会にとっても、医師免許をもつ厚労官僚にとっても、ライバルとなる同業者は出来るだけ少ない方がいい。選挙で支援を受ける族議員も、彼らの機嫌を損ねたくない。こうやって医師不足は放置されてきた。そして、これからも放置されるだろう。 この問題を解決するには、国民が考え、そして国民の利益を代弁する政治家が必要だ。知名度が高く、独自の支持組織を持たない舛添氏は、国民の利益を代弁できる数少ない政治家の一人であった。東京五輪をダウンサイズ では、都知事として、舛添氏はどうだったろうか。「介護や医療を売り物にして当選したのに、都知事になったら何にもしなかった」と批判する人がいる。 確かに、結果的にはそうだったかもしれない。ただ、私は、これはやむを得なかったと思う。それは、13年9月に、2020年に東京五輪が開催されることが決まっていたからだ。舛添氏が都知事に当選する前のことである。 国民・都民が東京五輪の開催を希望していた以上、舛添氏は、東京五輪を着実に推進するしかない。知人の東京都庁の職員は「舛添知事の仕事のエネルギーの半分以上は、東京五輪関係に費やされていた」という。 では、その仕事の中味はどうだったろうか。私が注目するのは、東京五輪をダウンサイズしたことだ。例えば、物議を醸した新国立競技場の建設計画は、15年12月に白紙撤回され、ゼロベースで見直されることになった。予算は約3000億円から1581億円に減額され、395億円を東京都が負担することとなった。 これを主導したのは舛添知事だ。15年5月、下村博文文科大臣(当時)が「競技場は東京のど真ん中、都民のスポーツ振興にもなる」という理由で東京都に約500億円の支援を要請したとき、舛添氏は「500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」と反発し、計画が見直されるきっかけを作ったことは有名だ。 私は日本国民の一人として、国立競技場の改修が必要な事は認める。ただ、税金を使う以上、費用対効果を考える必要があると思う。舛添氏の仕事を評価したい。おそらく、普通の知事なら、こんなことはしなかったろう。巨大公共事業には利権が付きものだからだ。東京五輪のダウンサイズが、自民党都議団や彼らの支持組織の不評を買ったのは想像に難くない。都市外交の能力も都市外交にも能力を発揮 舛添氏が批判されるきっかけは、度重なる外遊だ。では4年後に五輪を開催する都市のトップとして、舛添氏はどうすればよかったのだろうか。 私は、この点について舛添氏を批判するのはお門違いだと思う。政府は勿論、都市、民間ベースで交流を続けるべきだ。これは東京五輪に限らず、東京の世界的な地位を上げるために必要なことだし、戦争や災害など危機にあたっては、個人的なネットワークがものをいうからだ。会談を終え、握手する遠藤五輪相(左)と東京都の舛添要一氏=2015年7月、都庁 幸い、舛添氏には、その能力がある。どうせなら、もっと都市外交をやって貰えばいい。そして、有機的なネットワークを作ってもらえばいい。フランスや韓国などの大統領や首相に面談を求め、実際に会って貰える政治家が、わが国にどれくらいいるのだろう。 新国立競技場の建設に500億円を支払うことには反対しないのに、一回数千万円の舛添氏の外遊費を批判することが合理的だろうか。「外遊はすべきだが、もう少しコストを下げるように」と要望するだけでいい。リーダーを使い捨てにしても無意味 わが国には優秀なリーダーが必要だ。それは、わが国が、巨額の財政赤字を抱え、かつ東アジアのパワーバランスは不安定だからだ。遠くない将来、大きな決断を迫られる可能性が高い。 国家が危機を迎えたとき、官僚では大きな方向転換は出来ないし、わが国が議会制民主主義をとっている以上、そうすべきではない。このようなとき、矢面に立つのは政治家だ。このような政治家には、歴史、文化、経済、科学などに対する広い教養が必要だ。 海外のリーダーを交渉する際には、語学力や国際関係に関する知識は勿論、タフでなければならない。急速に国力を失いつつあるロシアを支えるプーチンのイメージだろうか。 このような政治家は、一部の国民からは「性格が悪い」と映るだろう。そして、メディアにバッシングされるだろう。果たして、どの程度の国会議員や知事に、その矜持があるだろうか。また、能力があるだろうか。舛添氏には、能力と矜持がある。リーダーに何を期待するか有権者が考えるべき マスコミは、舛添氏を批判し続けたが、彼の対応は立派だったと思う。もし、自分が同じ立場に置かれたときに、同様の対応ができるか自信がない。 例えば、一連の疑惑報道に対し、舛添氏は自ら説明した。6月13日の東京都議会の総務委員会集中審議では、いくつかのメディアが完全生放送した。 記者会見では、誰でも参加可能で、全ての質問に答えなければならないという都庁記者クラブのルールに従った。二時間を超えることもあった。舛添氏は、病気」を理由に、入院したりしていない。東京都議会総務委員会の集中審議で答弁を終え、自席に戻る舛添要一氏=6月13日 また、政治資金が問題視されたとき、「秘書がやりました」とは言わなかった。これは、昨今、政治資金規正法や贈収賄の疑いを指摘された政治家とは対照的だ。 海外出張の際には「都庁の役人のお膳立て通りやった」と言ったが、おそらくその通りだったのだろう。都庁の役人の中には、都市外交に意義を感じ、率先して進めた人も少なくないはずだ。 誰と会い、何を行い、そしてどう交渉するかは舛添氏が決めただろうが、ロジについては役人に任せたのだろう。そして、役人は「前例」通りやったのだろう。費用を節減する必要があるなら、「前例」を変えればいいだけだ。 都庁の知人は「これまでの知事は、あまり出勤してこなかった。だから、政治決定すべきことがしにくかった。舛添さんになって、やっと普通の組織になったと思う」という。このように考えると、舛添騒動も全く違って見えてくる。 舛添叩きをすることは簡単だ。果たして、それでいいのだろうか。リーダーの揚げ足をとって、使い捨てにしても、有権者には何のメリットもない。舛添氏には「公私混同を慎んで下さい」と釘を刺し、さらに働いて貰えばよかった。舛添氏が「成長」するきっかけになっただろう。 リーダーは、我々が育てるものだ。リーダーに何を期待すべきか、いまこそ、我々、有権者が考えるべきである。

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    「舛添叩き」は正義といえるか

    高額な海外出張の是非に始まり、政治資金の公私混同でトドメを刺された東京都の舛添要一知事が辞職した。結局、舛添氏本人は何も語らず都庁を去り、疑惑の解明もうやむやになったままだ。舛添氏のどこがダメで、何がいけないのか。そして、メディアによる執拗な「舛添叩き」は何が問題なのか。

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    「バカ殿」を演じた舛添氏を「切腹」させたメディアの罪

    っているのは、都民・国民ではなく、都議会の与党、そして都の役人たちである。もっと大きく言えば、日本の政治・官僚支配システムのなかで、税金で生きるすべての人々である。 なぜなら、舛添氏は、都知事としてほぼなにもせず、「素晴らしき遺産」を守り通してくれたからだ。これは、世界の民主制国家のなかで、どこの国にも見られない世界遺産に匹敵する「日本遺産」である。 では、舛添氏が守り通し、残していった遺産とはなんだろうか? 以下、列記してみよう。視察という「外遊」には常にファーストクラスで行き、宿泊は5つ星ホテルのスイートでOK(「事務方が用意してくれた」のだから問題なし)。公用車は「走る知事室」なのだから、どこに行こうとかまわない(週末別荘通い。家族といっしょに巨人戦観戦もOK)。「視察」と言えば、趣味の「美術館めぐり」をいくらでもやっていい。正月の家族旅行を「会議」にしてしまえば、旅行代を政治資金でまかなっていい。「クレヨンしんちゃん」も政治資金で買っていい。「外国からの賓客にプレゼントする」とすれば、政治資金で趣味の美術品をヤフオクで買っていい。「中国服」を書道用に使うという画期的な着用方法がある。「第三者の厳しい目」として、ヤメ検弁護士を使えば「関係者は関係者」と言ってくれる。 まだまだいくらでも「遺産」はあるが、この辺にしておこう。要するに政治家は、税金、政治資金を好きなように使えるということである。政治資金規正法は「公私混同法」 ところで、舛添氏はどうして、このようなことをしたのだろうか? どんなに優秀、頭がいい人間でも、このような素晴らしい(=セコイ方法)は思いつかない。いずれも、優秀な学者アタマでは考えられない方法である。 そこで言えるのは、彼は政治家になり、先輩政治家たちを見て、こうした方法を学んだのではないかということだ。そうでなければ、「クレヨンしんちゃん」を政治資金では買うはずがない。1件あたり3万円程度の美術品を外国の賓客にプレゼントしたら笑われるはずなのに、それを堂々と買うわけがない。 その意味で、彼の学習能力は極めて高い。 つまり、政治資金規正法が主として献金の授受に関しての規定であり、その使用法については特段の記載がない「ザル法」であることを知り、ほかの政治家がどのようにそれを活用しているのかを学習したのだろう。 その結果、この法律は「公私混同法」であることを早くから見抜いていたのだ。 舛添氏は素晴らしい「語録」を残している。「政治家というものは私利私欲を離れて公のために尽くす気持ちがなければ、政治家になるべきでない」は、そのなかでも筆頭に挙げられるものだ。 しかし、彼は政治家になって、これが「戯言」にすぎないことを、身を持って知ってしまった。マスコミが本当に追及すべきことマスコミが本当に追及すべきこと さらに、舛添氏が学んだことがある。 日本では上に立つ者はなにもしてはいけない。トップリーダーというのは、改革者であってはいけないということだ。上に立ったら、下の者たちがいうことをすべて聞き入れ、「バカ殿」として振る舞うことこそが、やるべきことだということだ。 「文春砲」が放たれるまで、舛添氏の都庁における評判はすこぶるよかった。同じく金銭疑惑で辞任した猪瀬直樹前知事は、行政改革をやろうとしたため、労働組合の強い反発を受けた。しかし、舛添氏は改革などいっさい言い出さず、官僚の言いなりに都の財源を気前よく使った。 東京五輪の“裏金招致”疑惑の追及などには無関心で、まして、五輪利権で潤う既得権者のために、いくらでも都の資金を投入することを許した。 日本の組織においては、トップは下に担がれる「神輿」、つまり「バカ殿」でいいのである。いくら、自分をアタマがいいと思っても、そのアタマを使ってはならない。アタマがいいほど「バカ殿」を演じなければ、必ず「神輿」を外される。このような日本独特の民主制のあり方は、世界でも類を見ない。 舛添氏に「バカ殿遊び」をさせていたのは、いったい誰なのだろうか? メディアが追及すべきは、セコイ公私混同疑惑ではなく、じつはこちらのほうではなかったか? さらに、政治資金規制法という「ザル法」を改正させることではなかったのか? こうして見れば、舛添氏は「素晴らしい知事」だった。国民も都民も“怒り損”「担がれるほう」もそうなら、「担ぐほう」も、税金、政治資金を勝手に使って、遊興生活を送っている。 自由民主党東京都支部連合会の収支報告書を調べれば、舛添氏と同様に「会議」名目で、都内の高級料亭などで、飲食三昧しているのがわかる。たとえば、2013年2月5日には、高級料亭「つきぢ田村」約98万円、2014年4月4日には、ミシュランの星付きの高級割烹「玄冶店 濱田家」に約52万円を支払っている。東京都議会の自民党が舛添要一知事への不信任決議案を提出した議会運営委員会=15日午前0時46分 このような会議費は、2014年までの3年間で、約3500万円に達している。 その意味で、舛添氏の「ホテル三日月」の家族旅行費は本当にセコイ。出版社社長には、部屋にあるお茶程度しか出さなかったというのだから、彼はもっと学習するべきだった。「舛添“逃げ切り失敗”劇場」が終わって、途方もない虚脱感が残った。 とくに、自民党の都議5期を務める重鎮・野村有信都議が「侍で言えば、打ち首よりも名誉ある切腹の方がいいでしょ。最後の引き際は尊敬すべきだと思いますよ。そう思って、みなさん、許してあげましょう」と述べたのには、驚きを通り越した。  この国は、まだ戦国時代、江戸時代なのだろうか?   結局、メディアの洪水報道は失敗に終わってしまった。政治資金規制法の改正も、都条例の改正も実現できなかったのだから、国民も都民も“怒り損”だ。「文春砲」がいくら放たれても、これでは日本はなにも変わらない。私たちが税金を払うのは、「受益者負担」という原則に基づいている。しかし、日本では「受益者」は、この国を支える人一人の国民ではない。

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    職業人として悲しくないのか? 誇りなき日本メディアの「舛添劇場」

    の問い掛けに無言で引き揚げる舛添要一都知事(中央)=6月14日、都庁 その一方で、このような報道は、政治を考える上では、所詮、「色物」にすぎないということも、どこかでわかっていなければならないと思う。色物は、人々の関心を惹く。色物は、視聴率を上げる。しかし、だからと言って、これらのことが、都政を考える上で、本質なのではない。 舛添さんが就任されてからの、都政における仕事ぶりは、どうだったのか? 外国出張が高額だと話題にされていたが、果たして、これらの「外交」は、成果が上がっていたのか? それらの検証をすることが、「本寸法」の報道だと言えるだろう。 また、そもそも、今回の一連の報道の情報をリークしたのは誰か? もし、舛添さんの辞任を望む人たちがいたのだとすれば、その人たちは誰で、その動機は何だったのか? そのような構造を明らかにすることも、「本寸法」の報道だったろう。 メディアにも、商業的な側面がある。新聞社だって、テレビ局だって、食っていかなければならない。従って、たとえ「色物」だとわかっていても、いわば「にぎやかし」としてそれらの話題を取り上げること自体が、悪いとまでは言えないだろう。 その一方で、「本寸法」の精神を忘れてしまっては、職業人として悲しい。何よりも、ジャーナリズムの名が、恥ずかしい。さらに、ヘタをすれば、国の方向を誤る。舛添さんの一連の騒動で、現場の記者たちに、そのような矜持は、どれくらいあったのだろうか。 連想されるのが、米大統領選挙をめぐる、アメリカ国内のメディア状況である。 不動産王トランプさんは、確かに注目を集めやすい人である。メキシコとの国境に壁をつくって、その費用はメキシコに負担させるとか、イスラム教徒は入国させないとか、実現の可能性が怪しい、派手な花火を打ち上げる。トランプ報道で冷静だった米国メディア その独特のヘアスタイルから、華やかなライフスタイル、さらには、父親からの資金援助が最初にあったとは言え、自らの努力で資産を築き上げた「アメリカン・ドリーム」の物語など、トランプさんが注目を浴びる要素は、たくさんある。 テレビなどのメディアは、そのようなトランプ現象に乗っかり、かなりの分量の報道をした。その過程で、それなりに利益も上がっただろう。トランプさんが事実上の共和党の候補になる上では、そのようなメディアの後押しが大いに役に立ったことだろう。 しかし、そのようなトランプ現象は、所詮、「色物」である。では、「本寸法」の報道は、忘れ去られてしまったのだろうか? そんなことはなかった。トランプさんが、共和党の候補者指名を獲得しそうだ、という情勢になった頃から、米メディアの中に、真剣な報道が目立ち始めた。もちろん、最初からあったのだろうが、騒ぎが一段落して、そのような冷静な声が聞こえ始めたのである。米ウィスコンシン州の集会会場に到着したトランプ氏=2016年3月(ロイター) トランプ現象は、確かに、今回の大統領選挙を盛り上げている。一方で、実際に、大統領になる資質があるかどうかの検証、主張されている政策の是非、さらには、トランプさんを支持している人たちの特徴についての、冷静な分析ーーこれらの「本寸法」の仕事を、米メディアは忘れていなかった。これらの報道は見応えがあるし、記事は、読み応えがある。さすがは、「ピューリッツァー賞」に象徴される、「ジャーナリズムはこうあるべき」という規範のしっかりした国らしい、ほっとさせる動きだと思う。 話は、日本のメディアに戻る。最近の日本のメディア、そしてソーシャル・ネットワークでの議論を見ていると、どうも、タガが外れてしまっているような気がしてならない。すべてが「ネタ」として話題にされ、そして消費されていく。誰も、そもそも原則論としてはどうなのか、ということを気にしない。そして、喧騒の中で再び誰かが神輿に担がれ、やがてまたスキャンダルで失脚していく。 そろそろ、日本の将来、政治の本来の課題について、冷静かつ合理的な議論をすべきなのではないか。そのような対話の助けになる、「本寸法」の報道がなされるべきなのではないか。 これは、何も、米国に見習え、という話ではない。「本寸法」、「色物」という価値観を創ったのは、私たちの祖先である。それは、日本の文化の根幹に根付いている、ある「生真面目」な感覚である。 今の報道のあり方が良くないということは、報道陣も、そして報道を消費する私たちも、どこかで気づいているのではないか。祭りの喧騒はほどほどにして、そろそろ、背筋をぴんと伸ばしてものごとを考えるべき時が来ているように思う。 日本人の生真面目さは、世界の人たちが称賛するところである。舛添さんに関する報道にそれがあまり見られなかったのは、一時的な現象だと思いたい。

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    舛添氏に対してNOを突きつけた民衆は本当に「愚民」か

    が都知事選に立候補したらいいのではと思う。知名度はあるし、主義主張もはっきりしているし、官僚や周辺の政治家からの圧力に屈することもないだろう。愚昧ではない小林氏なら、都政は正常化できるかもしれない。私は小林氏に1票入れるよ。(ブログ「諌山裕の仕事部屋」より2016年6月15日分を転載)

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    まるで人民裁判! タダ働きでも舛添氏を許さない「生活モンスター」

    ーが細部の事象に牙をむく日はそう遠くない。東、美濃部、鈴木、青島、石原など、歴代の都知事にも当然、「政治とカネ」をめぐる疑惑はあった。特に東都政(東龍太郎、1959年~1967年)では、都議会が金銭問題・疑惑に揺れた。 そのせいで清廉潔白とみなされた美濃部革新都政が誕生する。しかし、美濃部が本当にカネにクリーンだったのかどうかは、精密に歴史を振り返る必要がある。重要なのは政策であり、何をやったか、である。美濃部が残したものは、東京の比較的快適で弱者にやさしい福祉サービスだった一方、膨大な財政赤字であった。 都知事の政策が分からない、都議会が何をやっているのかわからない、と有権者は口々に言う。普段、TOKYO MXの都議会中継に見向きもしないものが、ここぞとばかり舛添糾弾の「人民裁判(猪瀬善都知事談)」に注目する。政策が分からない、何をやっているのか知らないのではななく、単純に政治的事柄への興味がないことへの言い訳に過ぎない。 そのようなレベルの低い有権者につけこんで、無難な党からの公認と推薦さえもらえれば、特に何の実績もなくとも多額の月給が支払われ、年間平均100日の議会開催で専業として議員を行っているのが、都議会を含めた日本の地方議会の実態である。 欧米では兼業議員、土日議会、夜間議会が当たり前だが、日本ではそうではない。舛添を糾弾することでまるで「正義の代弁者」としてふるまった都議会は無謬ではない。 ひたすら巨悪から目を背け、生活モンスターの悪しき皮膚感覚でしか政治を観測しえない程度の低い有権者たちに、彼らは日々支えられている。地元の冠婚葬祭への出席頻度で、その地方政治家の評価が決定される。本質的部分とは何ら関係はない。 舛添氏を1年半タダで「奉仕させる」という主権者としての主体性もないまま、40億の選挙費用という巨費を投じてでも、何としてでも絶対に血祭りにあげないと気が済まないというのだから、なまじ「文化大革命」や「宗教警察」を笑えないであろう。

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    舛添報道「幕引きにするな」というテレビはなぜ取材をやめるのか

    都知事の「理論的な釈明」 第三者たり得るのはマスコミであろう。しかしながら、実際はそれも心もとない。政治資金の「公私混同」疑惑について、弁護士の調査結果を公表した東京都の舛添要一知事(左奥3人目)。注目の調査結果に、大勢の記者やカメラマンが集まった=6月6日(早坂洋祐撮影) キャスターやコメンテーターたちは「これで幕引きにしてはならない」とは言うものの、これは体のいいまとめの言葉。「幕引きにしてはならない」とは言いながら、残念ながら大抵それで「取材は幕引き」になってしまうのである。 舛添氏の疑惑について、明らかにしておかなければなければならないことはまだまだある。ザル法と言われる政治資金規正法についても提言を行うべきである。しかし、今後の取材は行われないだろう。 それは猪瀬直樹前知事の失脚の原因になった徳洲会からの5000万円授受問題の背景が未だに明らかになっていないことを思い出せばわかるだろう。あの話も、すでに「お蔵入り」している感は否めない。【参考】<税金も含まれる「政治資金」>舛添都知事の「政治資金」余っているなら返還すべき ではなぜ、マスコミによる以後の取材は行われないか? 理由は簡単である。取材して放送しても視聴率が取れないからである。視聴率が取れないことを今の報道番組は過剰に恐れている。バッシングは面白いが辞めてしまった人はもう過去の人だ。見る方はもう飽きている。だから取材は行われない。 その意味では、「幕引きにしてはならない」の発言は単なる区切りの思考停止でしかない。都庁クラブに1人か2人かの記者しか配置していない現状では、民放には取材能力が無いとも言えるかもしれない。 「だが!」と筆者は声を大きくして言いたい。本当に視聴率は取れないのか、と。 実は取れるかも知れないのだ。例えば、1週間に1回のペースで、舛添都知事の疑惑を調査報道するコーナーをニュース内に設けてはどうだろうか。ずっとずっとしつこく調査し続ける。密着の連載コーナーだ。手法自体は今のテレビは苦手ではないはずだ。 もしそれが実現できれば、そんなことを他の局はやっていないのだから、ユニークさで目立つ。しつこいほどやって、ある日とんでもないことが分かることもある。これであれば、確実に視聴率は取れる。調査報道は番組に力を与える。もし、記者が足りないなら、下請けでも何でも使えばよい。力を持っている者、ぜひともそれに参加したいジャーナリストはいくらでもいるはずだ。

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    開き直れなかった舛添要一氏の陰で「飛んで」しまった課題

    (弁護士) 舛添要一・東京都知事が辞表を提出しました。舛添氏の問題は、出張旅費の濫用の問題に始まり、政治資金の濫用・流用の問題に発展していきましたが、前者は所詮ローカルな東京都の財政の問題で、後者については東京都の財政にすらあまり関係ない一政治家・舛添要一の問題でした。日本国民の将来がかかった7月10日の参議院選挙を前にして、「事実上の選挙戦」が始まっているにもかかわらず、毎日一定量しかないニュースの時間を東京ローカルのネタに占領されることに、筆者は「それでいいのか」という思いに駆られていました。しかし、舛添氏は辞任し、参院選・東京都知事選に向けてことは動き始めました。そこで、舛添氏の問題でどこかへ飛んで行ってしまった、法的にも、政治的にも重要な問題について、いくつか指摘しておこうと思います。舛添氏を都知事候補に担いだ人たちがいること すでに拙稿「ひらきなおれ!舛添要一」で指摘したことですが、舛添氏の政治資金に関する疑惑は2014年2月の舛添氏が当選した東京都知事選の前から指摘されていました。東京都知事の旅費濫用についても、石原慎太郎氏のガラパゴス旅行以来、東京都では“当たり前”になっていたことでした。 それらの問題がすでに顕在化していたのに、特に問題にされることもなく、舛添氏は都知事候補として担がれたのです。下記動画をご覧下さい。YouTubeの舛添氏の公式ページにアップされていたものですが、タイトルは「舛添要一(ますぞえよういち)【東京都知事選 2014 街頭演説動画】自民党の安倍総裁、公明党の山口代表と共に支持を訴えました!- 2月2日(日) 銀座編-」です。 司会は東京都選出の自民党の参議院議員・丸川珠代氏ですね。舛添氏を紹介するときに「私たちにはこの人しかいない」(2:36~)と言っています。 舛添氏本人の演説の後に登場するのは山口那津男・公明党代表(10:47~)です。街宣に公明党の街宣車が使われていることを指摘した後、「ぜひとも、舛添さんに勝ってもって、この世界の都市東京、日本の首都東京、素晴らしい世界一の都市東京を作ろうではありませんか」(11:18~)と述べます。 その次にマイクを握ったのは安倍晋三・自由民主党総裁(総理大臣)(19:23~)です。「この東京の良さを引き出し、競争力を引き出し、国際社会における、この競争に打ち勝つことができる、その都知事候補は、舛添要一さんしか、みなさん、いないじゃないですか」(25:46~)と言った上、安倍氏、舛添氏、山口氏が三人で手をつなぎます。 すでに指摘されていた舛添氏の政治資金問題に知らん顔して、舛添氏を推薦した人たちに、責任はないのでしょうか。「裏金問題」と政治資金規正法はどこへ行った東京五輪の裏金問題がどこかへ行ってしまった件 思い返してみると、舛添氏の問題に火がつく直前まで、私たちが目にしていた政治ニュースは、2020年の東京五輪招致に絡む裏金問題でした。2億2千万円ものお金(実際には10億円ものお金が動いた、という報道も一部にあります)が投票権を持つ国際オリンピック委員会の委員の買収工作に関連して使われた、とも言われています。フランスでは、現在でもこの問題の捜査が続いており、万が一の可能性としては東京五輪が取り消しになることもありうるとさえ言われています。東京五輪ののぼりを横目に、都庁を後にする舛添要一知事(右手前)=6月20日午後 五輪招致委員会は、東京都や日本オリンピック委員会などが中心になって作られたNPO法人ですが、すでにホームページの主要部分は消され、財政報告を見ることはできません。一方、オリンピック招致に多額の都税(平成24年度、25年度だけで33億円)が投入されたことは明らかであり、本来、6月の東京都議会では、この問題も審議されるものと思っていました。が、舛添氏の問題で完全にどこかへ行ってしまいました。 私も一国民として支払っている税金が、疑惑にまみれた東京五輪に関連して投入されるのは、正直言って御免被りたいです。また、報道されていることが本当であれば、五輪絡みの不正な金員の額は、舛添氏が不正に使用したお金の比ではないはずです。参院選でも、都議会でも、焦点にされるべきこの問題が舛添氏個人の問題に押し出される形でどこかへ行ってしまったのは遺憾としか言いようがなく、今後の都知事選、参院選で改めて議論をして頂く必要があると思います。徹底調査と、クロだった場合のオリンピック返上を掲げるくらいの都知事候補は出てこないのでしょうか。そういう政党はないのでしょうか。政治資金規正法、収賄関係の法律の改正こそ急務 舛添氏の政治資金問題は、一部、違法の可能性もありますが、多くの部分は乱脈ではあっても、現行法では責任すら問えない可能性すらあります。これは舛添氏に限った話ではなく、今の政治資金規正法はあまりにザル法過ぎ、小渕優子氏(元経産大臣)、下村博文氏(前文科大臣)など、安倍政権の閣僚たちがザルの目をかいくぐって責任を問われないままになっています。安倍首相自身の多額のガソリン代の問題は利益供与の可能性すら指摘されながら大きな話題になっていません。これを機に、政治資金規正法の改正をすべき事は、国民の大方が一致する意見なのではないでしょうか。そして、政治家と金の問題では、この間、甘利明(前特命大臣)によるあっせん利得の問題について、東京地検特捜部が不起訴にする、という大変ショッキングな話題がありました。この件も、舛添氏の問題に押しのけられる形で、どこかへ行こうとしています。あれだけ証拠が揃っているのに不起訴になるのなら、今後、政治家が汚職めいたことをやっても、ほとんどは無罪放免になってしまうでしょう。そうであるのなら、悪いのは法律です。政治家の贈収賄をもっと厳しく取り締まる法律の制定は待ったなしの課題であるはずなのです。 報道各社は、舛添氏に対する微に入り細に穿った報道と同じレベルで、これらの問題を報道し、追及し、不正を暴き、厳しい法律を制定するために、頑張って戴きたいと思います。そうしないと、我が国の政治倫理は、崩壊してしまいます。政権に近い者だけが免罪され、そうでない者はマスコミ総動員でクビを飛ばすことになってしまうのですから。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年6月15日分を転載)

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    舛添知事を辞任に追い込む有権者の行動の危うさ

    猪野亨(弁護士) 都議会自民党も舛添都知事に対する不信任決議案の提出を決めました。議会解散を恐れる自民党は舛添氏の自主的な辞職を求めているようですが、舛添氏は拒否しています。そこまでしてリオ五輪に出席したいのかということですが、その程度の理由ではもはや説得力はありません。 カネにせこいという程度のものではなく、高額な外遊も含めて都の財政の私物化ですから、カネを戻せば済むという話ではなく、辞職は当然のことです。 政策に問題があるから辞職を求めているわけではありません。都議会自民党が動いたのは、はっきりと「世論」です。この「世論」によって参議院選挙への影響を懸念した自民党が観念したというところです。都議会、都庁や自民党への抗議の電話が多数、寄せられているようですが、こういった事情も無視しえなくなったことでもあります。 風見鶏の公明党は、さっさと決断しています。背景には公明党は都議会議員選挙には強いということ、つまり不信任決議案が可決され、知事が議会を解散しても何も怖くはないからです。 ところで、最近、辞職した人といえば宮崎謙介議員です。イクメンを宣言した最中での不貞行動でしたから、なお一層、世論の反発は強く、議員辞職に追い込まれ、おまけに自民党は補選で公認候補を立てられないところまできました。 しかし、同時期にカネまみれの問題で甘利明氏は、検察庁が不起訴処分にするまで引き籠もり、只ひたすら嵐が過ぎ去るのを待っていたという感じなのですが、実は宮崎氏に対する批判に比べたら、大した嵐でもありませんでした。辞職すらもしないで済み、今や晴れ晴れとしています。このままでは次期選挙でも当選するでしょう。 責任の重さは、こんな感じなのです。 宮崎謙介氏            >     甘利明氏 舛添要一氏「議員としての問題行動の重さ ≠ 責任の取り方 自民党の論理は違う」なぜあの人との扱いがここまで違うのか さらに比べたいのが石原慎太郎氏です。この石原氏は、都庁にもほとんど来ず、外遊は頻繁、高級ホテルは当たり前。都の職員は、石原氏に怒鳴られることでビクビクしていたとも都知事現職時代にも報じられていました。「舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由」(リテラ) しかし、大マスコミはほとんど報じず仕舞い。石原氏は、当時、圧倒的な支持率を背景にしていましたが、それでも何故、有権者は、石原氏との扱いがここまで違うのかということです。日本外国特派員協会で会見する石原慎太郎元東京都知事=5月19日(山崎冬紘撮影) 今、舛添都知事のことで、都庁や自民党などに抗議の電話を入れている人たちが、石原都政時代に同じような抗議をしたのかということが問われているといえます。 確かに、舛添氏が弁明すればするほど、醜態をさらしていますし、それがマスコミを通じて広く知れ渡ったからということになるのですが、そのような動画なり印象を植え付けるようなものがなければ行動には移さないのか、それとも動画を見ることによって行動に駆り立てられてしまったのか、いずれにしてもこのような傾向は情報操作のもとでは危うい「世論」ということになります。 世論は一度、火が付くと止められない危うさがあり、今回の舛添氏の問題は、この危うさを露呈しています。私たちは、舛添氏を辞職に追い込むだけでなく、それが何故、今回、このような舛添氏への批判の嵐になったのかを自らにも問うべきです。ただの自己満足だけの行動ではあってはならないということです。(「弁護士 猪野 亨のブログ」より2016年6月14日分より転載)

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    ポスト舛添はこの人しかいない

    東京都の舛添要一知事が任期途中で辞職を表明した。巷では早くもポスト舛添の候補者の名前がいくつも上がり、来月の国政選挙より「首都の顔」選びの方が俄然注目を集める皮肉な結末になった。都民の負託に応えるまともな候補者は今度こそ現れるか。

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    橋下徹が首都の顔はシャレにならん! 有力候補出せない自民の焦り

    鈴木哲夫(政治ジャーナリスト) 東京都議会の与党で圧倒的な強さを誇る自民党と公明党。ところが、今回舛添要一都知事の辞任騒動の最中に、自民党ベテラン都議がこんなことを言った。 「実は1995年以来、もう20年以上もゼロからじっくり都知事候補を出せていないんだ」 確かに言われてみればそうだ。95年は青島幸男氏、99年は明石康氏を擁立したが石原慎太郎氏に敗れ、その後の猪瀬直樹氏にしても舛添氏にしても、自公が十分に吟味して戦略的に与党として立てた候補ではなかった。 だが、自公のうまさは、誕生した知事をうまく手のひらに乗せコントロールするところだ。たとえば自民党は慎太郎氏の息子たちを抱えることで、いわば「人質」(前出ベテラン)として使うなどうまく折衝したりした。猪瀬氏も舛添氏もアメやムチを使い分け実質与党の立場をキープしてきたから、実は生粋の自公の候補を出していなかったことはついつい忘れられがちだったのだ。 今回舛添氏の辞任問題で、いよいよ前出ベテランが「今度はきっちり自公候補を」と言うのは、そうしたいわば「後(あと)乗り知事」ではまた何が起きるか分からないという思いだろう。舛添氏の辞任問題が浮上すると同時に、自民党内では並行して知事選候補を模索する動きが早々に見えてきていた。舛添要一東京都知事と面会した日本重量挙げ協会の小池百合子会長ら=2月26日、東京都庁 本命は小池百合子衆議院議員だと話すのは自民党の東京選出国会議員だ。 「政治のこれからのキーワードは女性だ。女性初の都知事。しかも東京オリンピックでは世界の舞台に立つという歴史的な役割を果たす。小池さんは、このまま国政で行くよりは知事の方が絶対いい」 本人は名前が出ていることに対して可能性を否定し、一部自民党の長老からは反対の声も出ていると言うが、前出国会議員は「長老が何と言おうと決めるのは東京自民党。都連みんなでお膳立てすれば小池さんも乗ってくれる」という。 これに対して、大穴として石原伸晃経済財政担当相の名前を挙げるのは、自民党東京都議数人だ。中でも都議団幹部の一人は「オヤジ(慎太郎氏)を傍で見てきて都政に明るい。長く都連会長も務め都議団やドンの内田氏との関係もいい。ポスト安倍で労力を費やすよりは、今後3期12年都知事として政治家の仕上げをすればいい」と話す。ウルトラCは民進党議員 また、官邸の安倍首相周辺は、政権と都政の良好な関係を築くことや話題性を考えて、総務省の桜井俊事務次官の名前を東京の自民党国会議員に挙げたという。桜井氏はジャニーズ“嵐”の櫻井翔の父として知られ、近く事務次官を退任する。長島昭久衆院議員=国会内 さらに、ウルトラCとして、東京選出の民進党衆議院議員の長島昭久氏をオール与党で担いではどうかというプランを示す自民党幹部もいる。 「ここまでゴタゴタした都政を、東京オリンピックが終わるまでは安定させる必要があるんじゃないか。地方議会ではよくあるオール与党相乗りで長島氏を担ぐのも方法。長島氏は元々伸晃氏の秘書で自民党に近い。オール与党で組織選挙をやれば選挙では盤石だ」 無党派層が圧倒的に多い東京の選挙の場合、知名度の高い候補がいきなり参戦して勝利をさらうケースも多い。たとえば、橋下徹前大阪市長や東国原英夫氏などの名前が一部メディアなどで取り上げられているが、自民党都議の一人も「シャレにならない。橋下氏がいきなり当選したら都議会も大混乱だ。そのためにも、オール与党の長島氏はありかもしれない」と党幹部のプランに理解を示している。 一方、常に名前が挙がる民進党の蓮舫参議院議員だが、「国政で民進党は女性が主役になりつつある。蓮舫さんは、そこでもたとえば初の女性代表などになる可能性もあり、都政より国政だろう」(民進党都連幹部)と今回は可能性が薄いとされる。 各党の知事候補選びは本格化するが、これだけ言っておきたいのは、「徹底した身体検査も含めて行い、知事としての資質を今度こそはしっかり保証できるよう、各党の責任と矜持を求めたい」ということだ。

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    噂の37人をぶった斬り! 「ポスト舛添」に必要なたった一つの能力

    費用を返還するかどうかという話だ。騒ぎのきっかけになった韓国人学校の問題も取り消せばいいだけ。個人の政治団体の少額の不適切使用も解職理由にはならない。 しかし、あまりの対応の悪さで、参議院選挙を前に与党も守りようがなくなったということか。というより、都議会対策を疎かにした報いか。マスコミも普通はやり過ぎと指摘するのが仕事だが、まったくのポピュリスト的報道に終始した。都知事選で当選確実となり、選挙事務所で支援者から花束を受け取る舛添要一氏(左)と雅美夫人=2014年2月9日(松本健吾撮影) もっとも、これまで知事や市長の解職は刑事事件化するか、事件に発展しそうでなければほとんど成功しなかった。少々のスキャンダルや議会や職員との不適切な対応があっても、だいたい再選されるという異常が続いていたという意味で、これから首長も議員もどしどしクビに出来る前例が出来たことはそれはそれで良いかと思う。 さて、ポスト舛添に向けて、アイドルグループ・嵐のメンバー、櫻井翔のパパである桜井俊総務事務次官の名前が取り沙汰されている。タレントの父親としてスキャンダルにはとくに気を遣っていただろうから、叩いても埃がでないし、近く退官する現役の官僚で実務能力には問題ないから有力候補になるかもしれない。 ただ、次の都知事は東京五輪を控え、語学力も含めて国際的なコミュニケーション能力が大事であり、経歴を見る限りその点が物足りない。 過去に出馬したなかでは、宇都宮健児氏は立候補する可能性が大だが、これは参加賞に終わるとみるのが普通だ。東国原英夫氏は、舛添氏がこの程度の軽微なスキャンダルで辞めたあとでは苦しい。 それは石原伸晃経済再生相も同様で、冷静に考えれば、舛添氏が辞めねばならないのだから、「真っ黒け」だった石原慎太郎知事時代のことを蒸し返されてしまうだけだろう。 自民党の政治家のなかでは、小池百合子元防衛相、林芳正前農相、岸田文雄外相あたりが適任者か。三人とも語学力も含めた国際的なコミュニケーション能力、実務能力などからいって申し分ない。岸田氏は安倍後継の有力候補だから難しいだろうが、林氏は地元山口県で安倍首相と同じ選挙区で衆議院転出の見込みもつかず、このままでは期待されながら鳴かず飛ばずで終わりかねないので、心機一転、立候補してお国替えするのもいいのではないか。 二人とも選挙区は東京でないが、両方とも通産官僚の子として東京で生まれ、岸田氏は麹町中学、開成高校、早稲田大学、林氏は小学校の途中で下関に引っ越したが、大学入学で東京に戻っている。 小池氏はもっとも出馬しやすい立場だが、はたして、本人が舛添氏のように重箱の隅をつつかれても大丈夫という自信があるかどうかにかかっている。丸川珠代環境相は閣僚経験に加えて、地球温暖化パリ会議で国際経験を積んだ。 東京選出の国会議員では、蓮舫民進党代表代行が小池氏とともによく名前が出る。首都に元外国人の女性知事というのは、スペイン出身のイダルゴ・パリ市長を思わせ、日本のイメージ向上につながるかもしれないが、本人の日本国家に対する忠誠度にかなり疑問がある。菅直人元首相というウルトラCは突っ込みどころ満載で厳しい。緊急事態だからこそタレントはやめて欲しい 海江田万里民主党元代表は落選党首だし、安愚楽牧場問題をみんな忘れていない。長妻昭民進党代表代行は実務能力に根本的問題がある。社会保険庁の年金記録問題も長妻氏のマネージメント放棄が原因だ。山本太郎氏が知事になって東京を機能不全にして首都移転機運でも復活するなら、政治的自爆テロとして関西人から万が一歓迎されるかもしれない。 帰国子女ということで言うなら、柿沢未途氏は父親が都知事に立候補したゆかりもあり、木内孝胤氏は前回の細川護煕候補かつぎだしの中心メンバーでもあったので考えられそうだが、二人とも将来のホープでも今回はまだ早いとみる。 長島昭久氏なら与野党相乗り可能ではないかと言う人もいるが、彼は民進党が誤った方向にいかないために国会で頑張ってもらったほうがいい。 下村博文自民党総裁特別補佐は本来なら適任だが、新国立競技場問題など東京五輪をめぐるスキャンダルで責めを負っているので無理だろう。鈴木寛元文部科学副大臣も同様だ。 東京選出以外の政治家では、小沢鋭仁元環境相や、伊藤博文の玄孫である松本剛明元外相あたりは挙がるかもしれない。いずれも、選挙区事情がややこしいので本人にとっていいチャンスかもしれない。政治家でないが、名門の子孫というなら、明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏の名も出てきそうだが父親がJOC会長なので、むしろ徳川家19代当主の徳川家広氏の名を挙げる人もいる。細川護煕氏の秘書だった白洲信哉氏の父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄だ。 今回のような緊急事態には、他県の元知事、現知事の横滑りも無難なところだ。橋下徹前大阪市長が出てくればそれなりに強いだろうが、これも、普通には攻撃されるようなことはない金の作り方や使い道を問題視されるのに耐えられるかどうか。 現職の知事では、京都府の山田啓二知事は全国知事会会長で、サンフランシスコ駐在経験もあるから、本当は最適任かもしれない。総務省組では鳥取の平井伸治知事、経産省OBでは福岡の小川洋、岐阜の古田肇、和歌山の仁坂吉伸、北海道の高橋はるみの各知事も条件に当てはまるが現実性は低い。鳥取県の片山善博前知事を推す人もいるが、片山氏の業績は、零細企業らしく見栄を張らないで全国最小県を上手に運営したことにあるのだから少し違うと思う。まだ、滋賀県の嘉田由紀子前知事のほうが現実的か。ウィスコンシン州大学に留学しているし、びわこ成蹊スポーツ大学学長というのも好ましい。 ただ緊急事態だからこそタレントなどやめて欲しい。茂木健一郎、国谷裕子などという名前を出す人がいるが、知名度は十分でも実務能力があるとは思えない。 スポーツ選手の中では、谷亮子氏は国会議員としての能力を見せられなかったのだから論外で、鈴木大地スポーツ庁長官のほうがましか。半分冗談みたい話だが、松岡修造というウルトラCの名前も。東京五輪時の知事にはうってつけかもしれない。林芳正前農水相  以上、噂に出ている人を中心に、片っ端から名前を挙げてみたが、私は行政能力と国際人としてのコミュニケーション能力を最優先すべきだと思う。そして、都知事にふさわしい「風格」にスキャンダルのなさか。そういう意味では、最初に書いた小池、林、岸田の三氏は申し分ないところだ。

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    もう有名人はうんざりだ! 駄知事を選ばないための「三戒」

    が強い舛添氏であったが、完全にその使い方を間違えていた。韓国人学校の件も、豪華海外出張の件も、一連の政治資金の件も、本来そんなところで頑張るべき場面ではなかった。その頭脳と強すぎるハートは韓国のためでなく、東京都民のために使ってほしかった。能力のある人だっただけに返す返すも残念だ。 さて、都知事辞任という事態に至って、世間は次の都知事に誰がふさわしいかという話題で持ちきりだ。しかし、私はいまそのことを議論してもあまり意味がないと思う。なぜなら、いま次の都知事として名前の挙がっている人は、有名人ばかりだからだ。もう有名人はうんざりである。今度こそ都知事としての「スペック」が比較されるべきではないか? しかし、この「スペック」比較が曲者だ。そもそも、比較する方法は大まかに分けて2つある。一つは好ましい条件を挙げ、それをどれだけ充足するか比較するというやり方。そしてももう一つは「こういう条件を満たす場合はお断り」というネガティブリストを挙げるやり方である。駄馬ならぬ駄知事をつかまされないための「三戒」 支那の故事によれば、馬の優劣を見分ける名人の伯楽は、嫌いな相手に「名馬」の見分け方を教え、好きな相手には「駄馬」を見分ける方法を教えていたという。二回連続で駄馬をつかまされた東京都民にとって、いま必要なことは「名知事」を選ぶことではなく、駄「知事」をつかまされないことではないだろうか。名馬の見分け方を知るより、駄馬の見分け方を知る方が実用性が高い。 そこで、百田尚樹先生の名著『カエルの楽園』に習って、駄馬ならぬ駄知事をつかまされないための「三戒」を提唱してみたいと思う。ニューヨークのデブラシオ市長と会談する東京都の舛添要一知事 =4月12日、米ニューヨーク市一、外交をするべからず 外交は政府の専権事項であり、地方自治体が口を差し挟むべきものではない。地方自治体が行うのは国際親善であり、それはあくまでも政府が設定した土俵の上での話だ。都知事が勝手に反日国家にいって、変な約束をするなどもってのほかである。 舛添氏は「都市外交」なるものに凝っていた。しかし、これは完全に間違いだった。特に韓国人学校への土地提供をめぐっては多くの人が疑問を持った。あの時は持ち前の知力とメンタルで乗り切ったが、あれこそがミソのつきはじめだったことを忘れてはならない。二、公用車を私用に使うべからず 公用車は公用のために使う者であって、プロ野球の観戦などに使うものではない。何が公用で何が私用か分からないのであれば、最初から乗らない方がいい。東京都には都営バスもあるし都営地下鉄もある。トップが自社製品、サービスのクオリティを随時チェックするのはビジネスの世界では当たり前の話だ。 もちろん、これに関連して「湯河原に別荘は持たない」といった派生的な戒めもいろいろと書けるが、紙幅の関係でとりあえずこれだけに留めておく。一事が万事である。三、 政治資金を私的に流用するべからず 政治資金は政治活動に使うべきものであって、高級ホテルでの家族旅行や、子どもの本や、美術品や、チャイナ服などに使うものではない。出版社の社長との打ち合わせは私用であって、政治活動ではない。何が政治活動か判断できないなら、その資金は恵まれない人々に寄付すればいい。むしろ、その方が話題になって政治活動にはプラスになるのではないか? 一言で言えば、「李下に冠を正さず」である。「違法ではないが不適切」などいう言い訳をもう二度と都民は聞きたくない。そもそも、法律に違反しなければ何をしていいというわけではないのだ。そんな常識の欠如はある種の思考停止である。法律や憲法の条文を生かすも殺すも、それを解釈する常識である。目に見えない、どこにも書いていない日本人の常識は歴史に宿っている。韓国人学校の問題から垣間見える舛添氏の歴史認識は極めてお粗末だったと言わざるを得ない。 私が挙げた三戒はあくまでも最低限の話であり、問題はこの三戒の背後にある守らねばならない常識である。新しい知事にはそれを共有できる人を望みたい。

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    次は韓国に媚びを売らない人がいい? ポスト舛添「3つの条件」

    当たって、私自身は「3つの条件」があると考えている。 まず、猪瀬直樹氏と舛添氏の都知事が2人続けて「政治と金」の問題で辞任しただけに、基本的に金銭面にクリーンであり、かつ舛添氏のように「ケチ」のイメージがないことが不可欠だろう。また、与野党共に得票数が前回舛添氏の獲得した「約211万票」を上回ることの出来る候補者を見つけなければならない。さらに3つめは、外国の特定の国に対して「卑屈」にならないことが必要である。 実際に今回の舛添氏の問題の一つに、新宿区の都立高校を韓国政府のみに貸与することがあった。また、舛添氏が韓国に訪問した際に、朴槿恵大統領と会談し、その後講演した際に「90%の都民は韓国が好き」などと事実と異なり、特定の外国一カ国のみに媚びを売るかのような言動を取っていた。直接的には決定的な問題だったのは、舛添氏の外遊を含めた金銭問題だったが、就任以来、韓国のみに卑下した態度を取ったことに対して、眉をひそめた東京都民も少なくなかった。 もし舛添氏が「都市外交」の持論を展開するのなら、「日本らしさ」や「日本の国益」を堂々と主張すれば良かったはずである。次は「ケチではない人材」? さて、都知事選を前に、都議会でも最大会派の自民党都連は、この17日に緊急の選対会議を開くというが、自民党は候補者調整に頭を悩ませているのが実態だ。 現在、有力視されている石原伸晃東京都連会長や小池百合子衆院議員、丸川珠代参院議員らは、「当選ラインの200万票にはかろうじて届くだろう」(自民党都連関係者)と指摘されているが、「石原氏や丸川氏は現職大臣だし、今回の舛添氏の一件で国会議員の多くは政治と金の問題で完全にクリーンとは言えなくなった」という。そうなると、与党側は現職国会議員を擁立しにくい。また、一部で取り沙汰されているおおさか維新の会の橋下徹前大阪市長は、「知名度」やクリーンさは文句なしだが、「テレビ局との契約が秋まで残っており、今回は難しいだろう」という見方が有力だ。 一方、野党側は前回候補者が細川護煕氏と宇都宮健児氏に分裂したかたちになった民進党と共産党の統一候補が可能かどうかだ。まず、民進党の長島昭久衆院議員(都連幹事長)や長妻昭衆院議員(代表代行)は、非公式な席で不出馬の意志を表明しており、共産党は統一候補の調整に前向きな姿勢だ。となると、知名度があり民進党の代表代行である蓮舫参院議員の名前が上がるが、蓮舫氏は今回の参院選で東京選挙区から出馬予定のため、後釜の参議院候補を探さなければならなくなる。 「クリーンなイメージで実務家の候補者」としては、この6月末で退任する総務省前事務次官の桜井俊氏は、アイドルグループ「嵐」の桜井遼氏の父親として名前が上がっていたが、15日に「有り難いが、絶対に出ない」とコメントしている。同じく6月末に退任する外務省の斎木昭隆事務次官らも同様の姿勢だという。「東京五輪の顔」としてスポーツ関係者で名前が上がっているのは、水泳金メダリストの鈴木大地スポーツ庁長官や引退したばかりの北島康介氏、元Jリーグの川渕三郎チェアマンらだが、最終的には、7月14日の告示日前に、これまで「出馬しない」と表明していた候補者や、知名度の高い候補者が出てくるかもしれない。2014年4月、北京五輪メイン会場の国家体育場を視察する東京都の舛添要一知事(共同) それにしても、過去の東京都知事選では、「票の取れる知名度のある候補者」や「政党同士が相乗り出来る無難な候補者」、さらには過度に「国際都市を代表する存在」を意識しすぎて、人材選びが上手く行かないケースが少なくなかった。しかし、東京五輪・パラリンピックをちょうど4年後に控えたこの期に及んでは、あえて過去の常識に縛られず、世界に対して日本の良さや日本の国益を大胆にかつ堂々と主張できる候補者を探し出すことがいま、必要なのではないか。 舛添氏のような特定の国家や組織など周囲や相手の顔色を窺うばかりの「せこい姑息なイメージ」を持つ候補者を擁立するよりも、ここはむしろ、世界でも有数の「国際都市・東京」のトップとして、どの国家に対しても同じように凛とした態度のとれる「ケチではない人材」が求められているのではないのだろうか。

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    舛添知事は開き直るべきだった! やりたい放題は石原都政時代から

    出張時の宿泊費の無駄遣い問題に始まり、公用車の乱用、都知事立候補時の政党助成金の流用、都知事就任後の政治資金の不適切な使用など様々な問題で追及されています。6月初旬からは東京都議会も始まるので、いよいよ、針のむしろに座ることになりそうですね。筆者は、舛添氏を擁護するつもりは全くなく、指摘されている問題が事実なら辞任止むなしか、と思います。しかし、舛添バッシングがここまで盛り上がった経過についてはどうにも納得いかない部分があり、他の事例との均衡から、いくつか指摘したいと思います。 「やりたい放題」は石原都政時代から 都知事の海外出張時の豪遊は以前から問題になっており、筆者が知っている限り、もっとも度が過ぎていたのは石原慎太郎氏が都知事だった時代です。当時、しんぶん赤旗は一生懸命追及していましたが、社会全体での問題にはついになりませんでした。石原氏の豪遊っぷりに比べると、舛添氏のなんてセコイくらいだと思います(だから許されるということではありません)。 たとえば、2001年6月11―21日に行ったガラパゴス諸島(エクアドル)の視察。石原知事と2人の特別秘書など計8人で出張し、総額1444万円を支出しました。 ~中略~  石原知事らは、エクアドル政府主催の昼食会などに出席した後、13日にガラパゴス諸島に入り、翌14日から18日まで4泊5日で、小型クルーザーと「ホテル並みの施設」(旅行会社ホームページ)を備える大型クルーズ船「サンタクルス」号で、ガラパゴス諸島を周回しました。  出典:2006年11月16日しんぶん赤旗「石原東京都知事 税金使った“海外旅行”豪遊 1回平均2000万円」 公用車の乱用についても、確かに、別荘くらい自分の車で行けよ、恥を知れ、と思うわけですが、これも週3日しか都庁に来なかった石原慎太郎氏に比べると都庁に出勤するだけマシなんじゃないかとすら思えます(だから許されるわけではありません)。 元東京都知事の石原慎太郎氏 舛添氏を追及するのであれば、一緒に、石原慎太郎氏の数々の所行も追及すべきなんじゃないかなと思います。法律と違い、政治責任に時効はありませんので。 政党助成金の流用は立候補時から指摘されていた 舛添氏の新党改革時代の政党助成金等の不正な流用についても、政治資金オンブズマンの活動で有名な上脇博之・神戸学院大学教授が、2014年2月の都知事選前の時期からずっと指摘していたことです(下記記事参照)。ドリル優子こと小渕優子氏の件などをみても、選挙前に指摘されていた「政治と金」問題は、当選すると“みそぎが済む”のが政権与党界隈の考え方のように思えるので、舛添氏にだけ潔白を求めるのが突出してみえます。五輪招致2億円問題は都議会でも追及するべき なのでドリル氏や下村博文氏についてももっと突いてはどうでしょうか。そういえば、安倍首相の献金禁止企業からの政治献金問題や、地球13週分のガソリン代の問題もいつのまにかどこかへ行ってしまいましたね。 後者についてはつい1カ月半ほど前の話で、支援者に対する利益供与の可能性すら指摘されている(週刊朝日2016.4.13)だけに、本来は捨て置けない問題のはずです。ガソリーヌ山尾こと民進党の山尾志桜里議員が、秘書を追及する、と言った記者会見の続報がいつまで経っても出てこないことも合わせ、丹念な報道が求められます。 上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場 「新党改革」(舛添要一代表)の借入金2億5000万円の違法返済問題「新党改革」(舛添要一・代表)のマネーロンダリングにおける「グローバルネットワーク研究会」(舛添・代表)の重要な役 不正な献金の話で言えば、最近ニュースになった話題で圧倒的にどす黒いのは甘利明氏の献金問題で、元検察官の複数の弁護士から、甘利氏やその秘書があっせん利得罪に問われる可能性すら指摘されています(拙稿「朝日・毎日は甘利氏の疑惑追及を幕引きしないと信じる」参照)。この件は、政治家が自分で集めたお金のセコイ流用の話ではなく、ワイロ性すら想定される話なので、問題の質がずっしりと重くなります。当の甘利氏は、国会には出てこない一方で、地元では元気に活動している、という指摘も一部にあり(日刊ゲンダイ「国会サボリの甘利氏も真っ青 地元で“落選させる会”が発足」)、舛添氏に対する疑惑と比べても、捨て置けない問題なのではないかと思います。 五輪招致の2億円問題は都議会でも追及されるべき 6月初旬には、東京都議会が開催されるようです。今の展開だと、火だるまになった舛添都知事が、その前後に辞任に追い込まれる可能性もあり得るように思います。しかし、それで脇に追いやられてしまう可能性があるのが、2020年の東京オリンピック招致に絡む2億円の「コンサル料」問題です。  この「コンサル料」については、フランスで捜査当局が捜査に乗り出す一方で、日本ではJOC(日本オリンピック委員会)竹田恒和会長が、すでに存在しないと報道されているコンサル会社相手の守秘義務を楯に契約書の公開を拒否する法的には奇妙な展開の中で、主務大臣である馳文科大臣が早々に火消しを始めており(2016.5.17産経「東京五輪 馳文科相「核心に触れる情報必要だった」 コンサル料の妥当性強調」)、日本政府がこの問題を深める気がないのは明らかでしょう。 ひらきなおれ!舛添要一さん! この点、「コンサル料」を支出したオリンピック招致委員会は東京都とJOCが中心になって結成されていたところ、東京都は、平成24年度、平成25年度に合計して33億円余の税金をオリンピック招致につぎ込んでいると思われ、25年度については使用途が「テクニカル・プレゼンテーション IOC総会での最終プレゼンテーション等」とされています。 使用途として示されている時期が、「コンサル料」の支払いの時期と一致しているのです。この2億円の「コンサル料」については、出所が一向に明らかにならない点も含め、不自然な点が多すぎます。都民の税金が万一「コンサル料」に使われていないか、または、関連する他の不正な用途に使われていないか、都知事・都議会を挙げてチェックすべきと筆者は思うのです。 オリンピック開催となれば、都民の税金のみならず、多額の国税が投入される祭典となるわけで、“言い出しっぺ”である都知事・都議会の責務は重大です。ところが、舛添氏のカネの問題で6月議会が紛糾すれば、この件がどこかへ吹き飛んでしまう可能性は大いにあるでしょう。 IOC名誉委員を辞任した国際陸連のディアク前会長(AP)ひらきなおれ!舛添要一さん! このような諸処の事情を鑑みると、舛添氏があっさり辞任する展開は、好ましくないように思います。まずは自身の疑惑について説明責任を果たしつつ、「政治と金」問題の先達たちに「貴方たちも同じ穴の狢じゃないか。何で私だけ火だるまなんだ」と開き直り、“ガソリンに火をつけて回る” のが、公平・正義の観点から重要と思います。 オリンピック招致を巡る問題は、舛添氏就任前の問題であるだけに、本来的には追及しやすい立場のはずです。辞めるのであれば、せめて「コンサル料」に関する都の見解を明らかにしてからにして頂きたいと思います。  まかり間違っても、舛添氏辞任と参院選で、オリンピック招致の問題が何やらうやむやになる超絶展開だけは止めて頂きたいと思います。(渡辺輝人氏ブログ「ナベテル法蕩記」 から2016.5.20分を転載)

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    次の都知事には「本義に生きる人」を選びたい

    である。 先週号で「独走第6弾」となっていたが、まさに政党交付金という名の「税金」にたかる公私混同の政治家の姿について、実に細かく、丹念に、辛抱強く、報道してくれたと思う。それは、国民の税金で政治資金、すなわち政党交付金を賄うべきか否か、ということの是非まで問うものでもあっただろう。 物事の真相や疑問点への解明を週刊誌に“丸投げ”するマスコミばかりの中で、またひとつ週刊誌の役割を果たしてくれたのではないだろうか。 私事で恐縮だが、私は、人間の器量は、土壇場でこそ発揮され、ホンモノのリーダーとは、大きな使命、すなわち「本義」に忠実に生きる人たちであることを著わした『リーダーの本義』というビジネス書をちょうど上梓した。東京電力福島第1原発の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長(中央)と細野豪志・原発担当相(その右)=2011年11月12日、福島県大熊町(代表撮影) これは、福島第一原発所長だった吉田昌郎氏や、終戦時、内蒙古の在留邦人の命を救い、戦後は「台湾」を救った根本博・陸軍中将、あるいは「義」のために闘い、悟りを得て「不識庵」と名乗った戦国最強武将・上杉謙信……等々、「本義」に生き、死んでいった多くのリーダーたちの姿を描かせてもらったものだ。 私は、この3か月間、この本の校了作業をしながら、舛添氏の醜態を見つづけた。都知事の本義とは何か――。私は、その意味では、舛添氏が、そのことをわかっているのか、あるいは、考えたことがあるのか、ということを、この3か月間、ずっと考えていたことになる。 都民の生命・財産を守るという最大の「本義」を忘れ、毎週末、都外の湯河原に公用車で通い、豪華外遊では都民の税金を惜しげもなく使い、生活費にさえ自身の身銭は切らず、ひたすら“税金”にたかり、待機老人や待機児童の問題など都の喫緊の課題への「視察」は一度もおこなわず、ひたすら趣味の美術館まわりを視察名目でやり続けた人物。 そんなリーダーが、すべてが明らかになっても、それでも開き直ろうとした姿は、日本人の美徳とされる「恥」の概念からも、本当に多くの教訓を私たちに与えてくれたと思う。 「私欲」のみで生きる人は世の中に多いので、それは責められるべきことでもない。しかし、1300万人の都民の生命と財産を守る「使命」のある都知事には、私は「本義」のために生きる人を選びたい。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2016年6月15日分を転載)

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    次の都知事に櫻井翔の父浮上 本人も首を縦に振るとの見込み

     政治資金の公私混同問題で“第三者”の検証が火に油を注ぎ、都議会では舛添要一・知事への厳しい追及が続く。舛添氏の辞任は不可避とみて「次の都知事」を巡る情報が錯綜する中で、思いがけないシナリオが検討されているという。 前回の都知事選で推薦を出した自民党都連の議員からも、「あまりにセコい。セコすぎる」と問い詰められ、さらなる追及のための集中審議開催も決まった。崖っぷちに立たされる舛添氏だが、自民党都連関係者は「6月中に辞任する可能性は低い」と説明する。記者の質問に答える桜井俊総務事務次官=15日午後、東京・霞ケ関 「後任探しが難航している。自公で推薦を出すには、野党候補に知名度で負けず、スキャンダルと無縁の人間でなければいけない。猪瀬(直樹・前都知事)、舛添と2人続けて醜聞辞任が続くから、手を挙げる人も少ない。 いずれにせよ7月10日の参院選前に辞められると選挙にマイナスなので、舛添氏には8月のリオ五輪閉会式出席を花道に辞めてもらうのが一番だ。それまでに後釜を決める」 そうした中で永田町・霞が関で浮上しているのが、総務省の事務方トップである桜井俊・次官をポスト舛添に担ごうとする動きだ。 桜井氏は1977年に東京大学法学部卒業後、旧郵政省に入省。総合通信基盤局長、総務審議官(郵政・通信担当)などを経て昨年、事務次官に就任した。 桜井氏の次官就任は、普通なら霞が関人事を取り上げないワイドショーでも大きく紹介された。桜井氏がジャニーズ所属の人気アイドルグループ「嵐」のメンバー・櫻井翔の父親だからである。女性週刊誌でも「翔くんのパパ」として何度も取り上げられ、女性も含めた知名度は霞が関ナンバーワンといっていい。 その桜井氏の名前が、なぜ次期都知事候補として挙がっているのか。安倍官邸と近い桜井氏 「金銭スキャンダルで見苦しい言い訳をする知事が続き、都民には“次は派手さはなくていいから、地道に政策に取り組んでくれる人がいい”という心理が生まれている。その意味で、次の都知事選では官僚出身という経歴が有利に働く。だから関係者の間で、霞が関官僚でとくに知名度が高い桜井氏の名前が挙がり、自治事務次官から都知事に転じた鈴木俊一氏のような安定した都政運営が期待されているのでしょう。 息子の櫻井翔も人気タレントというだけでなく、慶應義塾大学経済学部卒で日テレの『NEWS ZERO』でキャスターを務めるなど、知的で真面目なイメージがあるからプラスにはたらく」(政治評論家・小林吉弥氏) しかも、「8月舛添辞任」ならタイミングはぴったりだ。安倍政権は6月に入って、霞が関の各省庁の幹部人事を固めているが、「桜井氏の後任も佐藤文俊・総務審議官に決まった。今月中には桜井氏が退任の運びとなる」(大手紙政治部記者)という状況だ。 “桜井出馬情報”が関係者にリアリティを持って受け止められているのは、「桜井氏は現職官僚の中でも安倍官邸とのパイプが太い」(前出・小林氏)というポイントもある。 とくに内閣の実力者である菅義偉・官房長官の評価が高いとされる。 「菅氏は官邸に新設した内閣人事局を通じて、霞が関の各省幹部の事実上の人事権を掌握しているが、とくに第一次安倍政権(2006~2007年)で大臣を務めた総務省は“菅カラー”が強い役所。菅氏の覚えがめでたくなければ、桜井氏が次官になれるはずがない。 また、桜井氏は総務省の中でもとくに通信行政の畑を歩んできており、NTT出身の世耕弘成・官房副長官もその手腕を評価していた」(前出・大手紙記者) 総務省にとっても「OBからの都知事」は悲願だ。 戦前の官選知事制度(※)のもとでは、旧内務省出身者が首都・東京の首長ポストを牛耳ってきた。戦後も総務省の前身・自治省出身の鈴木氏が4期(1979~1995年)にわたって都知事を務めている。「桜井次官は旧郵政省入省組だが、ポスト舛添の椅子に座れるとなれば、省をあげての悲願達成であることに変わりはない」(総務省中堅官僚)という。【※官選知事制度/都道府県知事を選挙ではなく、国や省庁の任命によって決めていた制度。旧内務省の地方行政部門の官僚が各地の知事になる仕組みが1947年の地方自治法施行まで続いていた】 総務省大臣官房秘書課は、「まだ(次官を)退任することも発表されていません」と答えるのみだが、エリート官僚としての評価に加え、自公の組織票、そして“息子の知名度”が加われば、「当選圏に届くのは間違いない。本人もクビを縦に振るはずだ」(前出・総務省中堅官僚)とみられている。関連記事■ 元夫・舛添氏罵った片山さつき氏 政治資金で自著1900冊購入■ アンタ柴田 F加藤の子供を身ごもる元妻の代わりに買い物■ 市川海老蔵 箝口令敷き妻・麻央の乳がん闘病に献身■ 中島史恵「47歳の極上ボディ」を後ろから■ フジ山崎アナ バナナ設楽の要望で超過密スケジュールに

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    都知事選、誰が出馬するのか? 「ポスト舛添」に求める6条件

    に告示となるので、この2~3週間で候補者を決めなければならない。7月10日には参議院選挙があるので、政治家はそれどころではない状態。都知事選に有望と思われる人の中には本人が参議院選挙に立候補する予定の人もいる。そうでなくても、各地の応援に忙しくしている。相当に難しい候補者探しとなりそうだ。今度の都知事に求められるものは非常に多い。1.不祥事の可能性が少ないこと なんといっても猪瀬知事、舛添知事と連続して不祥事があり、任期途中での交代となった。また途中での交代となることだけは避けたい。任期4年を終えるとすぐに東京オリンピック。そのまま都知事としてオリンピックを迎えてもらうほうがいいのは当然だ。4年後のオリンピック直前に本格的選挙となるのはオリンピックの準備からしても望ましいとは言えない。つまり次の8年を任せることができる人を選びたいのだ。2.東京都の顔になれる人 東京都知事は東京オリンピックの開催地のトップである。オリンピックには多くのVIPが世界から訪れる。そうしたVIPをもてなすことができる人材であって欲しいと願う人は多い。政治資金問題で代表質問を受けるため、東京都議会の本会議に出席した舛添要一東京都知事(前列左)=6月7日(寺河内美奈撮影)3.対話型の人 舛添知事の問題は、コミュニケーションが不十分であったことといわれる。不祥事が出たときに舛添氏をかばう人は非常に少なかった。東京都の職員の間での人気もなかったといわれる。東京都は大きく、対話だけで事務が行えるとは思えないものの、より対話ができて支援を集めることができる人に知事になってほしい。4.与野党が総じて応援できる人 こうした特別な状態で次期都知事を選んでいかなければならない。しかも国家プロジェクトのオリンピックを控えての重要な時期にだ。東京都議会は現在は自民党が圧倒的多数を占めているが、自民党・公明党が推した舛添知事の辞任を受けての選挙であり、一方的に主導権を持つのは望ましくない。5.知名度があること 東京都の選挙は、 知名度の選挙とさえ言われる。巨大な首都圏での選挙であり、浮動票が非常に多い。選挙に勝つには少なくともある一定の知名度が求められる。与野党が統一候補で官僚を推薦しても、もっと知名度があるタレントが出馬するとタレント候補が勝利することも考えられる。タレント候補などは告示の数日前に決断して、一気に選挙戦に入っても勝ち目がある。地道な選挙活動より、知名度がはるかに重要な選挙地域だ。6.優れた経営能力 東京都の事業は多岐にわたり、また事業の費用は国家なみに大きい。全くのお飾りでは対応できない。かなりの知識、見識、実行能力が求められる。ベストは困難でもベターな人は誰? このように考えると、東京都知事に求められるものは非常に多様で、ベストの人を見つけるのは困難だとわかる。だから、もう少し舛添知事に続投してもらって、時間をかけて有力候補者を探そう、ということでもあった。しかし、舛添氏が辞任という事態になった以上、ベターな人を選んでいく必要がある。 現在、候補者になりうる人としてあがっている名前を書いてみよう。ちなみに1か月前にもポスト舛添知事の可能性の人について書いている。「舛添東京都知事の今後の展開~ポスト舛添知事の顔ぶれは?」小池百合子、石原伸晃、下村博文、小泉進次郎、蓮舫、橋本聖子、丸川珠代、橋下徹、東国原英夫、片山さつき、櫻井俊、安藤優子、羽島慎一、古舘伊知郎、池上彰、辛坊治郎、宮根誠司、関口宏、櫻井よしこ、東京都副知事 上記の様々な条件を全て満たすことはできない。現在のところ、小池百合子氏、下村博文氏、石原伸晃氏、丸山珠代氏らが有望視されている。自民党から現職議員が複数出馬することはまずないので、自民党内での調整となる。小泉進次郎氏がその気になるなら、当選しそうだ。自民党内部での了解がとれるかどうか。自民党の現職議員からの出馬であれば、当然、野党は反発する。できれば政治家以外からの擁立をしたいところだ。 野党にもあまり有力な候補者がいない。民進党では蓮舫氏の名前が挙がるが、彼女は7月10日の参議院選挙に立候補予定である。参議院選挙をやめて、都知事選に出馬というのは考えにくい。また都知事選となると民進党から勝利するのはかなり厳しい。櫻井俊氏の名前もあがっている。本人が決断すれば、与野党が相乗りでき、また嵐の知名度から当選しそうだ。本人が決断するかどうか、にかかる。橋下氏は有望視されているが、都議会との対立の可能性もありリスクを孕む。自民党の中でも評価が分かれる。野党は嫌がるだろう。しかし、そうしたことを考えずに前に進むのが橋下流。自民党に担がれるのではなく、本人がやりたい、と思ったら出馬を決断するかも知れない。そうすると非常に強い候補者になる。ただ、荒れる都議会の可能性は残る。 有名なキャスターは名前が挙がる。しかしレギュラー番組を持っている人がほとんどで、現実的に出馬しそうな人はいない。池上氏などは都民も納得、政党も支持しやすい人であろうが、前回も出馬しなかった。今回もまずないだろう。 東京都副知事の一人を与野党の相乗りで担ぐという案もある。しかしこうした手法には反発も来る。有力な対応馬が出馬を決めれば、こうした相乗りは一気に崩れる。特に浮動票の多い東京都ではとりにくい路線だ。 今のところ、小池百合子氏、下村博文氏、石原伸晃氏、丸山珠代氏のいずれかが出馬を決めて、選出されるのではないかと予想される。東京都知事は呪われたポストとさえ言われ始めた。この呪いを解くのは誰か?意外な人が急に出馬を決めて、一気に当選するというシナリオもある。今後の展開を待つしかない。(「児玉克哉のブログ『希望開発』」より2016年6月15日分を転載)

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    舛添都知事の「政治資金」余っているなら返還すべきだ

    、という意味です。 そのような人は東京都知事は言うまでもなく地方自治体のリーダーたる首長はもとより、政治家には向かない。それは自分でも分かっているようで、 「都知事の座に、『れんめん』としてしがみつくつもりはない」と、答弁しています。『れんめん』とは連綿。綿(コットン)は最初に綿花という綿の繊維のなる木の花から採られます。その採った花のはしをつまんで持ち上げると、繊維の絡みで綿がどんどん連なってくるさまを『連綿』と言うわけです。【参考】自ら「炎上」へと突き進む?舛添都知事の「理論的な釈明」 しかしながら、これまでの状況や挙動を鑑みれば、「都知事の座に、連綿としてしがみつくつもりはない」と言う答弁は、ドラマや映画の脚本の世界で言えば『裏ゼリフ』に分類されるのではないか、と疑ってしまいます。例えば、 「お前のことなんか大嫌いだ」というセリフ。ドラマや映画の中で、これが全く反対の意味を表している時があります。このような使い方が『裏ゼリフ』。舛添都知事の発言が『裏ゼリフ』とすれば、やっぱり『いつまでも都知事でいたい』ということでしょうか。記者の質問を受ける舛添要一都知事=10日午後、東京都新宿区(山崎冬紘撮影) ところで、正月に家族で泊まったホテル代や、書道のためのシルクの着物。これらは政治活動に使ったと言うことですが、普通の感覚なら自分のお金で支払う類いのお金です。それを政治活動費として計上していたわけですが、これが意味することは、「政治資金が使い切れないほどある」と言うことのように思います。 政治活動に多額の資金がかかることは、誰でもが知ることです。多くの政治家がカツカツの中で、借金までして政治活動をしています。「政治活動=資金集め」と言っても過言ではありません。そんな中、舛添都知事は、私的な娯楽と思しき事物に回す「政治資金」があるわけです。 そう考えれば、舛添都知事には有り余るほどの政治資金がある、私用で処理すれば済むお金を政治資金として計上できるぐらい「政治資金が余っている」と考えざるをえません。 もし、「政治資金が余っている」のであれば、税金も含まれているお金ですから、返還すべきが筋でしょう。実際、使い切れなかった政務活動費を返還している政治家はいます。【参考】都知事の高額出張費は「わかりやすいところを叩く」ネット世論の格好のターゲット 舛添都知事は「給与を全額返還する」と言っていますが、むしろそれは別。湯河原の別荘でも公私なく激務をこなした(らしい)都知事としての正当な報酬なのですから、返還する必要はありません。 しかしながら、政治資金に関しては話は違います。税金として納められたお金である政党交付金も含められているのですから、余っているのなら1円まできちんと精査をし、「余っている」のであれば返還すべきです。 もちろん、政治資金の返還には様々なルールや難しい手続きもあるでしょう。しかし、やっぱり「返して」欲しいと思う多くの都民の正常な感覚でしょう。ホテルで舛添一家が食べたかもしれない「正月特別ディナー」の代金を政治資金で払って欲しくはありませんから。 正月の家族旅行にまで呼ぶという「最重要の出版社社長」ともよく相談して、返還の方法を探るべきです。フランス好きの舛添都知事のことですから、その社長さんとシャンパンの一本ぐらい空けているかもしれません。いづれにせよ、これらは全て「給料=個人のお金」とは全く別ですから、返還は必須です。 これを「庶民感情」といいます。関連記事自ら「炎上」へと突き進む?舛添都知事の「理論的な釈明」舛添都知事のお金にまつわる「セコい話」に唖然都知事の高額出張費は「わかりやすいところを叩く」ネット世論の格好のターゲット[茂木健一郎]<報道の危機?>政権に及び腰の「お行儀よすぎる記者会見」の常態化に危惧高学歴芸能人クイズ番組よりも、国会議員を集めた「政治資金がテーマのクイズ番組」を制作すべき

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    いま日本に必要なのは田中角栄だ!

    の人生を描いた作家、石原慎太郎の『天才』がベストセラーとなり、空前の角栄ブームが起こっている。「金権政治」の象徴として語り継がれる彼の業績が、なぜ再評価されるのか。セコさが際立つ東京都の舛添要一知事のような政治家はもういらない。いま日本に必要なのは田中角栄だ!

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    庶民の顔を立てる「天才」だった田中角栄

    岩田温(政治学者) 昭和58年10月12日、東京地裁で田中角栄に懲役4年の実刑判決が言い渡された。その2か月後の総選挙、新潟3区で田中角栄は22万761票という驚異的な大量票で当選を決めた。私事にわたり恐縮だが、私はこの昭和58年の9月に生を享けた。当然、田中角栄の記憶はなく、私にとって田中角栄とは本の中でのみ知りうる歴史上の人物ということになる。 田中角栄といえば、金権政治の象徴のような人物で、私はほとんど興味を持てなかった。積極的に田中角栄から学ぼうという気持ちになれなかったからだ。そんな私が田中角栄に興味を持ったのは、ある先輩との出会いからだ。 大学生だったか大学院生の頃だったか、判然としないのだが、今から10年ほど前に、静岡県のある勉強会に講師として招かれた。その講演会で司会を務めていたのが早稲田大学のOBの中小企業の社長だった。講演会では「岩田先生」と持ち上げてくれたが、二次会では「岩田君」と呼ばれ、色々とお話を伺った。 「中小企業がこの国を支えてるんだ。大企業なんて入れるのは本当にごく少数。中小企業が元気にならなければ、日本は元気にならない」 中小企業の社長の悲哀について語ることが多かったが、その夜、私に厳しい指摘をしてくれたことが心に残ってる。 「岩田君の話は、ほとんど賛成だけど、難しすぎる。憲法、大東亜戦争、保守主義も、普通の人には難しいんだ。『普通の人』っていったときに、岩田君は自分の友達を想定するだろう。それがインテリの悪い癖なんだ。中小企業で働いてるおじさん、パートに出てるおばさんが、普通の人なんだ。大学なんかいってないし、本なんて読まない。新聞も社説を読むのは難しい。それが普通の人なんだ。こういう人たちがほとんどなんだ」 確かに指摘された通りなのだが、それでは学問は成り立たないではないか、と反論すると、先輩は問いかけてきた。 「田中角栄、どう思う?」 私は、正直に、そんなに興味がないと答えると先輩はつづけた。中曽根総理・田中角栄会談後、イヨッ!のポーズでホテルを出る田中角栄=1983年10月 「そうだろう。だから、まだ未熟なんだ。多くの国民が角さん、角さんと慕う理由を考えたことあるか。まずは、田中角栄について勉強しろ」 先輩の話も一理あると納得する部分もあったし、そこまでいうなら、次回は田中角栄論でも戦わせてやろうと考えて、その日以来、田中角栄に関する本を本格的に読み始めた。多くの角栄論があったが、一番興味深かったのは、やはり早坂茂三の角栄論だった。もちろん、側近であった早坂が書くのだから、美化している部分も多いだろうし、負の側面については触れていないものも多いだろう。 だが、私は田中角栄を断罪しようと本を読み始めたのではなく、何故、多くの国民が田中角栄が好きだったのかを考察しようとしていたので、俗にいう「金権政治」の部分に関してはそれほど神経質にならずに読み進めた。多くの国民が、田中角栄のことを愛したのは、庶民の心、弱者の心を読み解く天才だったからに他ならない。思想やイデオロギーではなく、庶民の「生活」を重視し、一人一人の顔を立てる天才だった。「届けるお前が土下座しろ」 早坂の著作から、幾つかの象徴的な逸話を引用しておこう。まずは、選挙の際に、全国の候補者に現金を配るときの心構えについての指導だ。「この金は、心して渡せ。ほら、くれてやる。ポン。なんていう気持ちが、お前に露かけらほどもあれば、相手もすぐわかる。それでは百万円の金を渡しても、一銭の値打ちもない。届けるお前が土下座しろ」(『駕籠に乗る人担ぐ人』詳伝社、70頁) 「届けるお前が土下座しろ」 常識では考えられない指導だが、確かに、政治家はプライドが高い。そうしたプライドの高い政治家に高飛車な態度で金を配れば、面従腹背というような事態になることも予想されよう。 一見突拍子もないような指導だが、田中角栄の指導は恐ろしいまでに具体的だ。角栄に対する報告の仕方についても早坂に指導している。「角栄は私に対してオレに言うことがあれば、初めに結論を言えと命じた。そして、理由は三つに限定しろ。それは口で言うな。口で言っても、ほかに仕事が多いから忘れる。メモしろ。便箋用紙一枚に大きめの字で書け。」(『捨てる神に拾う神』詳伝社 57頁) また、初めて新潟三区の選挙応援に入る際には、次のような指導をしたという。 「ウソをつくな。すぐばれる。気が利いたことを言おうとするな。後が続かない。若い君が本当に思っていることを話せ。自分の言葉で喋りなさい。借りものは駄目だ。大声を出し、汗まみれでやれ。お百姓衆を侮って手抜きをするな。火の玉になることだ。それで他人様が燃えてくれる。小理屈で人間は動かない」(『鈍牛にも角がある』光文社、145頁)  「小理屈で人間は動かない」。人間を動かすのは理性ではなく、情熱であり、飾らない姿勢だということだろう。左から田中角栄、福田赳夫、大平正芳の3元首相。昭和52年7月、13回忌となる池田勇人元首相をしのぶ会でのシーン つくづく思うのは、田中角栄という人物は「世知」に長けた人物であったということだ。全てが計算されているが、その計算は、「普通の人」を大切にしようとする温かさから生まれた計算で、決して冷たい計算ではない。愛情と知性というものが、必ずしも相反する存在ではないということを証明したのが田中角栄の人心掌握術というものだろう。 日本人、若い人々に対する愛情を感じさせる逸話も紹介しておこう。 ある日、フランスの高級紙『ル・モンド』の極東総局長ロベール・ギランが、角栄と会っている際、自民党の党本部前を「アンポ、反対」の叫び声をあげながら、デモ行進する若者たちがいた。ロベール・ギランが、角栄に、その若者たちの評価を問うた際、角栄は次のように答えたという。「彼らは日本の大事な息子たちです。いま、ハシカにかかっているが、間もなく直る。学窓を出て、社会人になり、世帯を持って、子どもができ、父親になれば、世の中が理想や理屈どおりにいかない、それがわかってくる。大学でろくに勉強もせず、マージャンだこを作り、女の子の尻を追いかけ、外車の名前ばかり覚えてくる者に比べて、連中のほうが、はるかにみこみがあります。バカとハサミは使いようである。使うほうさえ、しっかりしていれば、将来、あの学生たちは世の中の役に立つ」(『駕籠に乗る人 担ぐ人』138-139頁) 愛情をもって一人ひとりに気を配りながら、「普通の人」の「生活」を第一にという政策を掲げたのが田中角栄だった。彼は決して日本の将来に悲観せず、若者に期待し続けた。角栄の政治的理念「憲法改正」 イデオロギーに拘泥されず、融通無碍。魅力的な人物であったのは間違いないだろう。私も先輩の強い指導で田中角栄について学び、大きく成長できたと感謝している。田中角栄を学んだことで、政治とは何か、という問題について、より考察を深めることができた。思想やイデオロギーではなく、「生活」を重視する姿勢を学んだことは大きかった。 だが、そんな田中角栄にも、政治的理念があったことを看過すべきではない。それは「憲法改正」である。田中は、吉田茂が再軍備せずに、経済成長に専念したことを高く評価しながらも、日本国憲法に関しては、違和感を持ち続けていた政治家の一人だった。 角栄は指摘する。「いずれにしてもね、憲法はどこの国のものでもなく、日本の憲法であるということだ。その成立に関しては、少しの疑義もあってはならんわけだ。国家に自由がないとき、主権お存在せざるときに憲法がつくれるものか。どうかね?そんなことは自明じゃないか。主権を拘束する力の存在するときにつくられた憲法は無効である、と。これがわたしが代議士になったころから先輩に教えられてきたことだ」『田中角栄回想録』集英社文庫、45頁「今にして思えば、占領が終結して日本が独立を回復したときに、いまの憲法が是か非かを国民投票に付すべきであった。とにかく、現行憲法について何かモヤモヤしていたり、国民の半数近くが憲法の成立過程に疑義を持っていたりするのはいけない。やっぱり時代の変遷に応じて変えなくてはいけないんだ。そしてね、自分の子供たちや孫たち、次代の国民が将来、長きにわたって国の基本法、最高法規として守っていけるものをつくるべきなんだ。…(略)…憲法のような大事なものは、国民すべてがいつでも議論できるよう、いつもちゃんとテーブルに置いておくべきなんだ」(『田中角栄回想録』集英社文庫、46頁) 田中角栄は、人心掌握の天才であると同時に、憲法改正を説く政治家でもあったのだ。現在、田中角栄が注目されているが、憲法改正論者としての田中角栄は忘れ去られている。角栄の魅力、人心掌握術を学ぶことは、意義深いことであるのは間違いない。だが、あれほど融通無碍であった田中角栄が一貫した憲法改正論者であったことも忘れるべきではない。

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    政治は欲望の調整作業」と見抜いた天才 角栄神話は何度でも蘇る

    期デフレ」に見舞われた。角栄ブームは、ポスト成長型社会の停滞感と閉塞感が一つの原因だ。 田中氏が現役政治家だった1980年代までは右肩上がりの成長型社会の時代で、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた田中氏は、成長型社会の推進力、あるいはシンボル、ときには守護神と見られた存在だった。現役政治家時代の記憶に残る40歳代以上には、彼なら今の停滞感と閉塞感を打破してくれるのでは、と思う人がたくさんいる。昭和55年12月、田中派・木曜クラブの忘年会に出席した田中角栄元首相 健在だった時代、関係者を取材して田中評を尋ねると、「人のできないことをやる政治家」「無から有を生み出す天才」という答えをよく耳にした。パワーの秘密は実行力と突破力と実現力だった。実行し、突破し、実現するにはどんな能力と才腕が必要かも知り尽くしていて、人心収攬、ネットワーク掌握、官僚操縦などの天才といわれた。 「政治の本質とは」と突然、質問を浴びたとき、田中氏は「それは欲望の調整作業」と答えた。社会と人間関係の本質を見抜く透徹した眼の持ち主だった。 人心収攬術、ネットワーク掌握術、官僚操縦術をテクニックやノウハウとして身につけているリーダーは珍しくないが、天才と評されたのは、腕前だけでなく、「愛される政治家」という人間的魅力が人を動かしたからだ。人情の機微にも通じた「情の人」でもあった。それは天性の資質だったと思われる。 だが、人によってこれほど評価が大きく割れた政治家も珍しかった。「存在感の大きさ、実際に政治を動かした実績からいって、戦後の政治家の五指に入る人物」と位置づける見方もあれば、「もともと首相にしてはいけない政治家」と言い切る人もいた。 コインの裏表のように、明と暗、功と罪、プラスとマイナスが背中合わせだった。「暗」「罪」「マイナス」と指弾を浴びたのは、金権と腐敗、ばらまき型政治、闇将軍による政治支配、権力私物化などである。代議制民主主義と政党政治の再生に「田中型」は必要か 他界から8年が過ぎた平成13年、小泉純一郎首相は「自民党をぶっ壊す」と叫んで政権を手にしたが、ぶっ壊そうとしたのは、1990年代まで自民党を支配してきた田中型の派閥政治であった。小泉氏を筆頭に、田中後の政治は、広くはびこった「田中型」の払拭と打破という闘いを余儀なくされた。 田中型政治の基本構造は派閥力学による与党支配であった。それを支えていたのが中選挙区制という衆議院の選挙制度である。 長期にわたって権力を握り続けるため、田中氏は政権獲得前から、自民党政権による長期政治支配、最大派閥の維持・膨張による自民党支配、選挙での系列議員の拡大による派閥支配という3段階の支配構造をつくり上げるのに懸命となり、実際に3つの支配構造を掌握した。それが堅固な「田中支配」の基本システムであった。参院選大阪地方区補選、大阪駅前で遊説カーの上から熱弁をふるう田中首相=昭和48年3月、国鉄大阪駅東口 死去の4カ月前に非自民8党派連立の細川護煕内閣が誕生し、自民党長期一党支配が終わる。以後、連立の時代に入った。 衆議院の選挙制度も現行の小選挙区・比例代表制に変わり、派閥の衰退が始まる。田中派の後継の竹下派、小渕派、橋本派が凋落し、小泉政権以後は、かつて田中氏と激しく争った福田赳夫元首相の流れを汲む勢力が自民党の中心勢力となった。 現在の安倍晋三首相も、その潮流に乗って「1強」を誇っている。だが、現在の政治を見て気づくのは、安倍首相も含め、「党の掌握」ができていない党首と政党という実態だ。 安倍政権は首相官邸主導を推し進め、官邸による政権の掌握はそれなりに実現していると映るが、自民党の掌握となると、心もとない。民進党の岡田克也代表も党の掌握は不十分で、それが弱体野党の一因となっている。 目を海外に転じると、アメリカでも、大統領選挙で「党の掌握」ができていない候補同士の争いとなり、大統領制の下での政党政治のあり方という点で注目を集めている。 今夏の参院選で衆参同日選説がくすぶり続けていたが、選挙を控えて、党を掌握していない政治リーダーたちによる政党政治という現状も、今、田中氏の残像に目を向ける人が多い理由の一つではないかと思う。 派閥支配、金権選挙はごめんだが、党を背負うリーダーたちが、有為・有能で「愛される政治家」を発掘・育成し、政界に登用するシステムをつくり上げる。幅広い民意を汲み上げ、集約する機能を備えた柔軟で強靭な政党につくり変える。そうやって代議制民主主義と政党政治の再生を図る必要がある。 「暗」「罪」「マイナス」を背負わないニュータイプの田中型リーダーなら、その役目を果たしてくれるのでは、と期待する人も多いのではないか。

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    「お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」田中角栄の増長と妄想

    屋山太郎(政治評論家)「お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」 石原慎太郎氏が近著『天才』(幻冬舎)のなかで、田中角栄を偉大な政治家と評価しているのには仰天した。田中氏は悪徳の衣を着た大政治家ではある。人間、最後は悪徳の衣を脱ぐものだ。その瞬間に人の見方は評価に変わるものだが、田中氏は最後まで悪徳の衣を脱いだことはなかった。 私が政治記者を始めたころ、田中氏はもう自民党の幹事長一歩手前まで来ていた。私は朝から晩まで田中氏を見張る“田中番”を務めたが、この“番記者”というのはつねに田中氏の側に寄り付いて、政治情報や枢機に参画するベテランの番記者とは違う。田中氏について見たり、聞いたりしたことをデスクに報告する使いっ走りの記者である。 角さん主催の祝賀会が椿山荘で開かれたときのこと。庭に組まれた大きな櫓の上で角さんが挨拶するにあたって、一人の着物姿の令嬢が大きな花束を持って階段を上ってきた。角さんは大ニコニコで花束を掲げつつ、下りようとした娘さんを呼びとめた。何をするのかと思ったら、懐から財布を取り出して1万円を出し、娘さんに「ご苦労、ご苦労」といって差し出したのである。娘さんは手を振って峻拒しているのだが、角さんは委細構わず、お札を握らせた。断ればお祝いを台無しにする雰囲気である。娘さんは全身に恥ずかしさが溢れていたが、膝をかがめて受け取った。聞いてみれば娘さんは出席していた財界人の娘さんで、いきなり花束を渡す役割を荷なわされたのだった。満座のなかで現金を渡されたのは初めての経験だったろう。 私はあとで角さんに「娘さんは恥ずかしい思いをしたのではないですか」と耳打ちしたところ、「人はな、お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」と平然と答えたのには驚いた。このたった一つの場面に田中角栄の金銭感覚が表現されている。あいさつを終え、通産省の職員に拍手をうけながら引きあげる自民党の田中新総裁=昭和47年7月 後年、私は田中角栄首相時代、官邸のキャップをやる巡り合わせになった。ニュージーランド、オーストラリア、ビルマ(現ミャンマー)三国を歴訪する“最後の旅”に同行することになった。ニュージーランドの上空から下を見下すと、ひたすら続く緑の草原である。あまりの美しさに息を呑んで見ていると、隣に来た首相が「あのへんは坪いくらだろう」というのに驚いた。この人は景色の美しさとか雰囲気にまったく関係なく生きていて、地面師のような感覚しかもっていないのだ、と思った。 あるとき、無断で幹事長室に入っていったことがある。角さんは向こうを向いて日本地図に定規で熱心に赤線を引いていた。私が覗き込むと「ここにね、新幹線を敷くんだよ。すごいだろ」という。日本海側のことを当時「裏日本」といったものだが、角さんの夢は「裏」に光を当てることだった。このため新幹線や高速道路を日本列島中央の山を貫いて引きまくった。角さんの道路敷設案は自民党の鉄道建設審議会に諮って決めることになっていたが、つねに角さんのつくった原案どおりに決まる仕掛けになっていた。鉄道建設審議会の会長は党の総務会長が兼任することになっており、その総務会長には盟友の鈴木善幸氏(元首相)を充てていた。善幸氏によって田中原案はそのまま決まるのである。公共事業の推進は“理想”だったか公共事業の推進は“理想”だったか 当時、参院議長をやっていた重宗雄三氏がいったものである。「オレたちは助平根性を起こして、この辺に鉄道やら高速道路が通ると思うと、山の中腹から海岸にかけて数十m幅の土地を買う。すると用地買収に当たった部分だけバカ高値で売れ、それで選挙資金をつくったもんだ」。自慢話をしているのかと思ったら「ところが角栄の奴はウナギの寝床のような土地を買い、そこに鉄道を串刺しだ。あいつにはかなわねえ」と悔しがるのである。 当局が用地買収にかかると肝心の場所はすべて刎頸の友といわれた小佐野賢治氏(国際興業社主)が買い占めたあとだった、といわれた。このことを国会で問われた角さんは刎頚の友について「小佐野氏ではなく○○」と別の人物の名を挙げたことがある。事前に計画を漏らして買い占めておくというのは明らかな犯罪行為だが、その裏の役割を負う“専門家”がいたわけだ。共に首を刎ねられてもよいと思う陰の刎頸の友は、ほかにも何人かいたようだ。角さんは権力さえもてばパクられない、という信念をもっていた。 角さんのいう「裏」と「表」を同じにすることを、自民党流にいえば「国土の均衡ある発展」という。結構なお題目だが、この壮大な公共事業の推進が、はたして角さんの“理想”だったのかどうかについて私はいまだに疑っている。日本は国家成長の過程で公共投資をやるべき時代だった。欧州ではとっくに済んだ仕事である。角さんは、じつは公共事業だけがやりたい。やればやるほど角さんの懐にカネが入ってくる仕組みが政治のなかに仕組まれていた。だから各県に一つずつ飛行場をつくったが、面倒な接続する道路も鉄道も考えなかった。 田中氏は若いころから田中土建工業という建設会社をやっていたが、商売で財を成したとは思えない。目白の2000坪の邸宅や各地にもっている資産は政治家になってから取得したはずだ。記者会見でそのことを追及された角さんは「財産を成した経過と理由を国会の場で明らかにする」と言い置いて首相を辞めた。その弁明のためにかつての秘書官が集まって辻褄合わせをしたが、ついに完結しなかった。それどころか、辞めてなお子分を140人も集めることができた。まさに錬金術師というにふさわしい。田中氏が逮捕に追い込まれたのはロッキード社から受け取った5億円の端金のせいだが、土地に絡む係争で角さんは負けたことがない。 角さんは辞任にあたって最後の記者会見に臨んだ。常日頃、秘書官が「これについては質問しないでください」と根回しに来るので、会見に先立ってこちらから「今回はチェックなしだぞ」と気合を入れておいた。私が聞きたかったのは一つである。 「総理はあちこちの土地の買収でスキャンダルに包まれていますが、政治家の倫理に照らして恥ずかしいことだと思いませんか」 私は恥の観念について聞いたのだが、これに対して返ってきた答えは意外なものだった。 「私はね、この土地が欲しいと思えば隣に一坪買って、朝から晩まで鉦、太鼓を叩く、向こうの地主がイヤになって手放すというようなあくどいことはやったことがありませんよ」 モラルを問うているのに、角さんは土地の売買の手法の話としてしか受け取れないのだ。それを報じた新聞の街のコメントに「まさに土建屋そのもの」というのがあった。集めたカネで大邸宅、心はガサツそのもの 角さんは道路と新幹線を遮二無二、つくりまくった。その過程で超大土地成金となった。そのカネで派閥を拡大し、子分数で総裁の座を獲得した。私は岸信介時代の末期に政治記者となったのだが、官界も政界も「田中角栄氏が総裁になることはない」と断言していたものである。理由は「叩けばホコリが出る」「官僚出身ではないからだ」という。官僚出身者がカネにきれいだったのは、官界に天下りがおり、財界に同期が居座っているから、ひと声かければカネはいくらでも集まったからだ。しかしそのカネで邸宅を建てるとか、自分のために使うなどはしなかった。池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫といった首相が住んでいた家はどれも官僚時代につくったままのみすぼらしい家だった。生活態度にも謙虚さが滲み出ていたが、角さんにはその種の教養のかけらもなかった。心はガサツそのものだった。こういう人はいくら権力をもっても尊敬する気にはならない。昭和45年8月、福田赳夫蔵相(左)と田中角栄自民党幹事長が、長野県のゴルフ場でゴルフ・マッチ 角さんがいまの日本を想定して、国土づくりに励んだと石原氏は見ているようだが、私にはそういう理想家だったとはとうてい思えない。当時は日教組の全盛時代で、偏向教育がまかり通っていた。いま安倍晋三氏は偏向の元となってきた教育委員会を改革して、将来的な手を打ったが、角さんの手法は「人材確保法」をつくって教員の待遇を2割増やしただけである。「カネを増やせばデモは収まる」というのだ。日教組は革命家を育てる、という意思で運動している。そういう意思をもった者が、カネで折り合いをつけるわけがない。偏向教育がまかり通る仕組みを変えることこそ重要だったのだが、角さんは「余分にカネをもらってデモをするはずがない」と考えるのである。 総理になった角さんは、財政資金はオレのものとばかりに使いまくった。道路族や鉄道族の言いなりに予算をつけまくった。途端に猛烈なインフレに襲われ、政府は3割もの賃上げをせざるをえなくなった。政財界に強烈な角栄非難がほとばしった。慌てた自民党幹部は福田赳夫氏を担ぎ出して蔵相(現財務相)に据えた。福田氏は“角福戦争”で負けた側で角さんを嫌っていたが、それどころではないという非常事態だった。蔵相として担ぎ出された福田氏が下した診断は「日本経済全治3年」というもので、財政支出を締めてインフレを3年でぴたりと収めた。  政治はしょせんカネで片がつくものだが、その裏に“精神”がないと、収まる話も収まらない。関連記事■ 財務省を「成敗」した安倍総理■ 日本は同胞を救わない国のままでいいのか!■ JALは潰してこそ甦る

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    政治に正解なし! だからこそ角栄のごとき「信念」を求める

    間力」を書いてみたい思い、何度なく書籍化を提案したが、ローキード事件を知るベテラン編集者たちは、その政治手腕を評価しながらも、「いまさら角栄でもないでしょう」と腰が引けたものだった。 無理もあるまい。ロッキード事件が起こった当時、週刊誌の駆け出し記者だった私も取材に狩り出されたが、元総理の逮捕は衝撃だった。しかも、「今太閤」ともてはやされた立志伝の人物だけにその反動は大きく、長く尾を引いた。待望論は酒の肴にはなっても、肯定的なテーマとして「田中角栄」は成立し得なかったのである。高速道路と見分けがつかない一般道の通称「角栄道路」と呼ばれる国道8号線(左から奥に伸びる道)と北陸自動車道(右旋回) 風向きが変わったな──と私が肌で感じたのは、二〇一〇年の春先のこと。Webで、「田中角栄氏のような人が現れたら日本は変わるでしょうか」といった質問を目にしたときだった。質問者の年齢や立場は不明だが、文章の背景に「政治不信」と「日本はこのままでいいのか」という危機感が読み取れた。 二〇一〇年春先といえば、総理は民主党・鳩山由紀夫氏。その前年九月の衆議院総選挙で、鳩山氏は普天間飛行場の移設について「最低でも県外」とブチ上げ、民主党は単独政党として史上最多の三〇八議席を獲得して政権与党となった。「鳩山なら何かやってくれるのではないか」「日本に新風を吹き込んでくれるのではないか」「この不況を克服してくれるのではないか」──と国民は期待したのは周知のとおりだ。 その舌の根も乾かぬうちに、鳩山総理は馬脚を現し、言い訳をし、結果、石もて追われてしまう。鳩山氏個人についてここで言及する気はないが、彼の〝二枚舌〟が国民に与えた政治不信は大きく、その対極として、「田中角栄だったら、どうするだろう」 という待望論が──酒の肴としてではなく──本気で語られるようになったと、これは私が肌身で感じたことだった。政治にカネがかかると国民は知っている ロッキード事件については、角栄を追い落とすためのアメリカ陰謀説も根強く、彼の政治手腕や人格を否定する国民は少ないのではないか。金権政治として批判もされるが、金権でない政治がこれまであっただろうか。金権であっていいはずがなく、これは言うまでもないことだが、政治にカネがかかるのは現実であり、このことを国民は知っている。責められるべきは、政治にお金を使うことではなく、マスゾエ某などのように公私混同と私腹を肥やすことではないか。 このことを国民は承知しているからこそ、刑事被告人にされた元総理でありながら待望されるのだと私は考える。後世、マスゾエ某やイノセ某に待望論が起こるかどうかを考えれば、政治家のあるべき資質と姿が見えてくることだろう。引退表明後、娘の真紀子さん(左)とお国入りし、支持者らの出迎えに涙ぐむ田中角栄元首相=1989年12月 日本の、そして自分たちの将来──それも、ごく近い将来に対して、国民は不安を抱いている。高齢社会における経済的な問題、非正規労働者の劣悪な待遇、子供の貧困などに加えてアジア近隣諸国から内政干渉され、中国とは緊張が日増しに高まっている。「一億総活躍社会」は結構だが、何をどうすれば活躍できるというのか。言葉だけで煽るのは、もうたくさんだ。安倍総理には具体的で現実的な道筋を示してもらいたい。岩礁と機雷が仕掛けられた狭い水路をいかに通り抜け、広い海原に〝日本丸〟を導いていけるのか。名船長として待望されるのが、「田中角栄」ということなのである。 政治に「正解」はない。これが、私の持論だ。「正解」か「不正解」かは歴史において判断されるべきだが、歴史の評価と解釈は時代と立場によって変わっていく。広島・長崎に落とした原爆でさえ、「正解」と「不正解」の両方の立場がある。あるいは、今日の日本の経済的繁栄を築いたのは原子力発電だが、これとて賛否は時代によって大きく揺れ動く。 だから、私は政治決断に「正解」を求めない。求めるのは政治家の「信念」であり、その信念に私は一票を投じる。言い換えれば、有権者には、それだけの覚悟が求められるということになる。 田中角栄は、この世にはいない。だが、彼の見識とスケール、そして政治手腕は学ぶことができるのではないか。田中角栄が、いま日本に必要とされる所以である。「いまさら角栄ねぇ」 と、かつて渋い顔をした編集者たちが、競って〝角栄本〟の企画を求めてくる。時代は大きく変わりつつある。私の実感である。

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    イデオロギーよりも豊かさを 国民は「田中角栄」を求めているのか?

      (THE PAGEより転載) 政界、とくに自民党には世襲の政治家があふれ、いまの首相・安倍晋三も、「岸信介の孫」ということを自らの政治信念としている。政界だけではない。経済界や文化・学術、あるいは市民運動の世界さえ、毛並みのよさやふるまいのエレガントさを持っていないと、上に立つのは難しい。そんな時代に、多くの人はある政治家を懐かしんでいる。田中角栄だ。 「高等小学校卒」の学歴を堂々と掲げながら、世襲でも官僚出身でもないのに54歳で首相に就任し、「今太閤」と呼ばれた。『朝日新聞』が昨年11月30日朝刊に発表した「自民党員への朝日新聞社調査」の「もっとも評価する総裁」(自民党総裁は一部の例外を除き総理大臣に就任している)では安倍晋三、小泉純一郎に続き第3位であり、現代の人が高く評価されるのは当然にせよ、1972年に総理総裁に就任した田中が、いまもって高く評価されていることを示している。記事では「イデオロギーに血道をあげる政治はよくないと、開発利益を日本中にもたらすことをめざした」と評している。新潟県魚沼市の上越新幹線浦佐駅前にある「田中角栄先生像」 田中角栄関連書籍も売れている。『田中角栄 100の言葉』『田中角栄という生き方』『田中角栄の一生』(すべて宝島社)はベストセラーになり、あわせて48万部を突破している。とくに『田中角栄 100の言葉』は26万部となっており、宝島社によると「政治家本としては今年もっとも売れている1冊」となっているという。同社は、「週刊誌やテレビからの問い合わせも多い」という。 昨年の『週刊新潮』12月17日号でも田中についての大きな特集が組まれた。昨年12月16日は田中の二十三回忌ということもあり、石破茂・地方創生相やかつての越山会のメンバー、田中派番記者などが田中を偲ぶ声を寄せている。田中の後援会・越山会の元メンバーは、田中角栄に自分たちの夢を託していたと語っている。 田中は、1983年のロッキード事件の実刑判決直後の第37回総選挙で、中選挙区だった新潟県第3区から立候補し、22万761票の票でトップ当選し、得票率は46.6%に達した。 かつての新潟3区、それも長岡市などの都市部ではなく、山奥へいくと冬は雪に閉ざされていたような地域の人が、田中を当選させた。田中の政治によって生きられた人たちの一票一票が、田中を驚異的なトップ当選へと導いた。新潟3区の有権者は、田中角栄を通じて自らの夢を実現させた。その恩返しなのだ。 田中の主著『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)は、政治家の本としては珍しく、イデオロギーがメインとなっているのではなく、政治家が具体的に何をするかをしめしたものである。多くの国民が今なお慕い続ける田中角栄 どのように道路や新幹線を作るか、どこに工場を置くか、都市と地方の均衡ある発展をどう作っていくのかということを示した本である。田中自身、一級建築士の免許を持っており、「土方は地球の彫刻家だ」(『田中角栄 100の言葉』より)という言葉を残している。 日本という国家をカンバスに、どう芸術作品を作っていくかを理論建てて書いている。そして同書では、情報通信の全国ネットワークにも触れている。 田中はいう。「日本じゅうの家庭に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光りが輝やく社会をつくりあげたい」。かえって現在、そういった社会は遠ざかっている。それゆえに、田中角栄関連本が売れるのかもしれない。「Miso Noodle Spot 角栄」のラーメン 東京・代々木駅近くに「Miso Noodle Spot 角栄」という新潟ラーメンの店がある。新潟県で育った店主が開いた店だ。麺は太麺、スープは濃厚な味噌味である。しかしながら、女性でも食べやすいように、胃にもたれるような感じはさせない。刻んだ生の白菜とニラが、爽快感を食べる側に与えている。女性向けに麺を少なくする代わり、トッピングをサービスするというきめの細かさがあった。 田中角栄は、濃い味のものが好きだったという。それと同時に、気配りの人であった。1983年の衆院選で、金権政治を批判して新潟3区から立候補した野坂昭如に対して「風邪をひくから靴下、長靴、手袋を差し入れてやれ」(『田中角栄 100の言葉』より)と陣中見舞いを届けた。「祝い事には遅れてもいい。ただし葬式には真っ先に駆けつけろ。本当に人が悲しんでいるときに寄り添ってやることが大事だ」(同)。そんなやさしさが、角栄の名を冠するラーメン店のスープからも伝わってくる。 いま、この国の政治、この国のリーダーに求められているのは、国民一人ひとりが豊かで、安心した生活を送れるようにすることである。徒手空拳で総理大臣の地位に登りつめた田中角栄は、それを実現しようとした。そんな田中を、かつての新潟3区の人たちは支持し、田中に夢を託した。いまなお多くの日本国民が田中を慕い続けている。 格差が広まり、貧しくなっていくこの国で、いま求められている政治家はイデオロギーの政治家ではなく、国民を豊かにしていく政治家ではないか。だからこそ、人々は田中角栄を懐かしむのかもしれない。(ライター・小林拓矢)

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    田中角栄の再評価と舛添知事の「セコい話」

    民党臨時党大会で第6代総裁に選ばれ、右手を挙げる田中角栄通産相=昭和47年7月5日 田中角栄元首相は政治の『天才』だったのかもしれませんが、ありとあらゆる手法を駆使した裏金作りと税金逃れの『天才』だったことは立花隆氏の著作により明らかです。 世の中には形ばかりの法人を作って節税をはかる方が少なくありません。また法人に実態があっても、自家用車を社用車にしたり、個人別荘を法人の福利厚生施設にしたり、家族旅行を会社の出張扱いにするなどの税金逃れはよく聞く話です。 脱税は違法ですが、節税や税金逃れは手続きが整っていればおとがめはありません。『ルールに従っているから問題ない』ということです。 では、税務署長が法の抜け穴を探して節税や税金逃れに熱心だったらどうでしょう。違法でなければ問題はないのでしょうか。総理大臣ならどうでしょう。【参考】都知事の高額出張費は「わかりやすいところを叩く」ネット世論の格好のターゲット[茂木健一郎] 田中金脈が騒がれたころ、立花隆氏の著作を読みながら、形式的には違法と言えなくても総理大臣が節税や税金逃れに走るってどうなの?と思いました。総理大臣は税務署長の行政組織上の最上位者であり、もとより国民に公平に税を納めることを求める立場なのですから。 下種の勘ぐりと言われそうですが、今回の舛添要一都知事のニュースを視ていると、どうしても同様の疑問を感じてしまいます。 問題の湯河原の別荘、表札には株式会社舛添政治経済研究所とあります。別荘は舛添さん個人の所有ではないようです。 世田谷の立派なご自宅も同じ株式会社舛添政治経済研究所からの賃借の形をとり、高額な家賃のやりとりが問題になったことがありました。 株式会社舛添政治経済研究所の社長は舛添さんの奥様です。役員に親族の名前もあるとか。社長である奥様に政治や経済を研究されているような経歴は見当たりません。 実態としてどの程度、研究やシンクタンク機能を果たしているのかうかがい知れません。また報道によれば株は舛添要一さんが全株所有されています。要するに典型的なファミリー企業のように受け取れます。 世間によくあるこの形は、舛添さん個人と株式会社舛添政治経済研究所との間で、公私の区別が見分けにくく、筆者から見ると節税や税金逃れ、あるいは個人資産隠しのご努力をされているような感じがしないでもありません。もちろん仮に節税行為があったとしてもすべて合法に処理され、『ルールに従っているのだから問題はまったくない』とおっしゃるのでしょうが。どうしても舛添知事につきまとう「セコイ感じ」 しかし、税に関して都知事のような高位の行政官と一般人とでは求められるモラルのレベルは違うはずです。税務署を含む行政のトップが総理大臣であるように、都知事は都民に公平な都税負担を求める都税事務所のトップでもあります。 もし万が一にも、舛添都知事がファミリー企業を楯に公私を使い分けて節税や諸負担軽減に走っているとしたら、たとえそれが合法であっても世界的大都市の知事さんとしてはいささかセコイと言われるのではないでしょうか。 公用車以外でも、飛行機はファーストクラス、ホテルはスイートと公費を使う時は大盤振る舞いと指摘されている舛添都知事ですが、調べればお金にまつわる話はいろいろあります。 一昨年、「しんぶん赤旗」が指摘したのは、舛添さん自身が結成した「新党改革」が、借金返済に使うことを禁じられている政党助成金や立法事務費を借金返済に充てた疑いでした。 また、元妻の片山さつきさんが語っていますが、舛添さんが隠し子の養育費減額をめぐり元愛人と争ったという話や、舛添さんの実姉が生活保護を受ける際、1万円でも2万円でもという役所からの負担要請を舛添さんが断ったという話もありました。 それぞれ部外者にはうかがい知れない事情があるにしても、舛添都知事にはお金に関してどうにもセコイ感じがつきまとい、人物としてのイメージは大物感に欠けます。 アメリカではトランプ氏が大統領選選挙活動をほとんど自費で賄っていることも人気の要因と言われています。舛添さんは、北海道とか福岡に別荘をお持ちだとか。土地を買い漁るなど資産形成にとても熱心だったとも一部で言われましたから、相当な資産家であり、かなりお金をお持ちなのではないでしょうか。 ならば、『ルールに従っているのだから問題はまったくない』などと強弁されるのはお止めになって、公用車もファーストクラスもスイートルームも、一定の範囲を越えたものはこの際どかーんと自腹をお切りになったらいかがでしょうか。 そうすれば、もしかしたら誤解なのかも知れない世間のセコイ印象が払拭され、大物感が出て、今後を考えればその方がきっとお得になるのでは。【参考】<キー局全部になぜ出ない?>安倍首相『ワイドナショー』出演情報で考えるテレビの公平中立他社製品を大声でPRしたセールスマン お金の問題を離れて、もうひとつ書き添えれば、いかがなものかと思うのが問題の別荘が湯河原にあることです。 知事とはその都道府県、とりわけその観光地をPRするのも重要な仕事です。今回の騒ぎは、東京都知事が、都の公用車を使い、毎週毎週、遠路はるばる神奈川県湯河原まで出かけていたという話です。 舛添都知事はその批難に対し、『ルールに従っているのだから問題はまったくない』と言うほかに、湯河原は『のんびり、ゆっくりと落ち着いて公務ができる』と弁明しました。定例会見に臨む東京都の舛添知事。公用車を使い、ほぼ毎週末に湯河原にある別荘に通っていた問題で、自身の立場を改めて主張した=4月28日(荻窪佳撮影) さらに危機管理上の問題を指摘されると、『湯河原は奥多摩より早く帰ってこられる』とまで高言されました。しかし、フジテレビの『新報道2001』は奥多摩の方が早く都庁まで帰れることを実証しています。 これでは都知事がわざわざ具体的な地名と不確実なデータをあげてまで、東京の観光地よりも神奈川の観光地の方が知事の別荘に適していると断言したことになります。まるでセールスマンが自社製品を差し置き、他社製品を大声でPRしたようなものではありませんか。 たとえば奥多摩にある蛇の湯温泉とか、奥秩父の柴原温泉など、のんびり、ゆっくりと公務が出来そうな温泉地は東京にもあるのです。都知事ならこういうところをPRするのが大事なお仕事なのに真逆のとこをやっていてるのですから、名指しされた奥多摩のみなさんをはじめ都民はお怒りになって当然です。 舛添さんはオリンピックを控えた世界に冠たる大東京の知事です。堂々としていなければいけません。 自身にまつわるお金のことでとやかく言われ、その度に聞く人が納得しそうもない弁明をべらべらとしゃべりまくるようなセコいことはもうおやめになりませんか。関連記事都知事の高額出張費は「わかりやすいところを叩く」ネット世論の格好のターゲット[茂木健一郎]<NHK籾井会長の問題発言>「政府公式発表」以外を排除する傾向は報道機関としての危機<女性政治家つぶしの技術>捏造スキャンダルや悪質な噂による情報操作の手口<企業が倒産する現場>信用貸出の先が倒産したら銀行だって回収できない<キー局全部になぜ出ない?>安倍首相『ワイドナショー』出演情報で考えるテレビの公平中立

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    石原慎太郎氏 宿敵だからわかる天才・田中角栄の「霊言」

     田中金権政治を批判する急先鋒だった石原慎太郎氏が、『天才』というタイトルで上梓した新刊は、田中角栄の人生を一人称で書くというまさかの“霊言”だった。幼少期の吃音コンプレックスから政界入り、角福戦争やロッキード事件の内幕、家族との軋轢までが、すべて「角栄目線」で描かれている。なぜいま角栄なのか。石原氏に聞いた。* * * 政治から引退した直後に、森元孝さんという早稲田大学の教授が、『石原慎太郎の社会現象学──亀裂の弁証法』という本で、俺の小説について緻密に評価してくれた。日本の社会は狭量だから、著名な政治家が良い小説を書くということを認めないんだ。だから、この本で自分の文学が浮かばれたと思った。 その感謝を込めて食事に誘った席で、森さんが「石原さん、あなた実は田中角栄という人物が好きなのではないですか?」と聞くから、「たしかに、現代にあんな中世期的でバルザック的な人物はいないので、とても興味がありました」と言ったんだ。すると、「あの人のことを一人称で書いたらどうですか」と提案してきた。彼は俺の『生還』や『再生』といった一人称の小説を高く評価してくれていたから。それで「面白い、書いてみよう」と。 これまで政治家であることで自分の文学に申し訳ないことをしてきたと思っていたけど、これは政治家を経験しなければ書けなかった。本当に皮肉な取り合わせだと思うね。〈その言葉には理由がある。石原氏は約40年前に「君 国売り給うことなかれ──金権の虚妄を排す──」(文藝春秋1974年9月号)を発表。今回のあとがきにも「私はまぎれもなく田中角栄の金権主義を最初に批判し真っ向から弓を引いた人間だった」と記している。〉(〈 〉内は編集部。以下同) 後悔しているのは、文藝春秋(2011年11月号)に「田中角栄の恋文」という記事が出て、(秘書で愛人だった)佐藤昭子の娘が本当の実子で、しかも当時、リストカットや飛び降り自殺未遂までしていたとわかったこと。気の毒だとおもったし、楯突いて申し訳なかったという気持ちもある。 一方で、金権政治を批判した後、こんなことがあった。スリーハンドレッドクラブ(高級ゴルフ場)でテニスをしていて昼食を取りにクラブハウスに引き揚げようとしたら、たまたま玉置和郎(青嵐会に参加していた参院議員)がいたんだよな。俺を見てびっくりした顔をして、バツが悪そうに片手を挙げている。それを見て向かいに座っていた相手が怪訝そうに振り返って、それが角さんだったんだ。 俺もびっくりして、まずいなと思ったんだけど、「おお石原くん、久しぶりだな、こっち来て座れよ!」と手招きする。そこで俺は「いろいろご迷惑おかけしてすいません」と頭を下げたら、「お互いに政治家だ、気にするな」って。「テニスは身体にいいんだよな」とか言いながら、一杯飲めとボーイを呼んで「おい、ビールをもう一つ」。それは、飲まないわけにはいかない。  その体験は、ショックとも感動とも違う。あぁ、こんな人間っているのかなと思ったね。〈そして、かつて批判した金権主義についても、いまは別の視点を持つ。〉 たしかに、金権が角さんに権力を持たせた。しかしあの人のおかげで、日本は変わったじゃないか。現代は歴史の一コマだし、私たちはその中で生きている。いまテレビを見るとくだらんお笑い番組が多くて、まさにかつて言われた「一億総白痴化」が起こっているけど、これも日本人の文化の一片なんだ、高いか低いかの差はあってもね。 この現実のなかに私たちは生きてるわけで、それをだれがつくったかって、すべて角さんがつくったんだよ。テレビもそうだし、新幹線や高速道路、空港もそう。日本(の都市間の距離)を狭くした。 角さんのどこが政治家として天才なのか。彼には予見性があり、さらに正確な文明史観を持っていた。今後やってくる新しい文明に対する、世界の社会の変化に対する予感みたいなものがあったということ。それは、今の政治家には一人もいない。それから、本当のインテリもいない。だって、角さんっていうのは超インテリだよ、『六法全書』を暗記しちゃったんだから。関連記事■ 読売新聞記者が執筆 読めば戦後政治40余年が俯瞰できる本■ 田中角栄の金権政治にかかわる新事実を白日の下にさらした本■ 強者にすり寄らず弱者によって立った角栄を森永卓郎氏が絶賛■ 石原慎太郎が信長、角栄、サッチャーらのエゴについて語る本■ ロッキード選挙でも圧勝当選の田中角栄 自宅に近隣住民招く

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    角栄とトランプ共通点 反エリート期待の空気と娘の存在

    リートである福田赳夫優位の下馬評を角栄がひっくり返す劇的な結末に、国民は喝采を送った。長く続いた官僚政治の閉塞感が庶民宰相誕生の背景にあったのだ。 トランプ人気にも似た空気が読み取れる。候補者選びが始まった当初、本命と見られていたのは父と兄が大統領経験者のジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事。同氏に「退屈」「低エネルギー」のレッテルを貼って支持を広げた。そこにはやはり名門エリート一家への不満、物足りなさがあった。「政治は数、数は力、力はカネ」の“名言”は、角栄流政治の象徴といわれる。その資金力が首相にのぼりつめるには欠かせなかった。 米国の大統領選ではテレビCMに巨額を投じる必要があるため通常は各種団体からの寄付が不可欠だが、トランプ氏の場合、総資産45億ドルといわれる自前の財力がある。『トランプ革命』(双葉社刊)の著者・あえば直道氏(政治評論家)が指摘する。「お金があるから寄付を求める必要がなく、関係各所を気にしてペコペコする必要もなくなる。有権者はそれを『ウソがない』と評価している」 こうした共通点の他にも2人には共通点がある。角栄の娘・眞紀子氏は「晩年、病に倒れた角栄が座る車イスを押して、有権者の前で父に代わって演説した」(政治評論家の小林吉弥氏)。トランプの娘・イヴァンカ氏も父を支える。父と同じペンシルベニア大卒の元モデルで、トランプ氏の会社の役員も務める。 選挙活動にも同行。共和党唯一の女性候補だったフィオリーナ氏に対しトランプ氏が「あの顔を見ろ、誰が投票するだろうか」と女性蔑視の暴言を吐いて批判されそうになると、「父は性差別主義者だと思わない。そんな考えなら私が彼の会社で要職に就くことはなかった」と即座にフォローする。その機転から有権者の人気も高い。“じゃじゃ馬娘”の存在は、どちらの父も心強く思ったことだろう。関連記事■ 角栄とトランプの共通点 ビジネスマンとしての実績■ トランプと角栄の共通点に人の心を動かすスピーチ術■ トランプと角栄 人心掌握術と突破力という共通点■ 江沢民、トウ小平 田中角栄が被告になった後も敬意払い訪問■ 田中角栄 北方四島交渉でソ連に「イエスかノーか?」と強気

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    破綻するまで変わらないニッポン! 経済政策を語れない政治はまだ続く

    三浦瑠麗(国際政治学者) アベノミクスとは、金融政策と財政政策と構造改革のセットであるはずなので、本来であれば、個別の政策ごとに評価をすべきところでしょう。本稿の立場は、アベノミクスのうちの金融政策はデフレ脱却に向けて評価できるが、その後に来るべき構造改革案件が存在しないことが問題、というものです。期待が先行していた第三の矢については、そもそもやる気がないのではないかとの認識に到達しつつあります。そのことについては、これまでも申し上げてきたとおりです。 しかし、最近思うのは、このような個別の政策分野を取り出して論じる方法にはあまり意味がないのではないかということです。 日本政治において経済問題を評価する枠組みがそもそもそのような発想に基づいていないから、という感覚です。有権者は個別の政策を評価するのではなく、あくまで「経済運営」の全体を評価しているのではないか。消費増税の有無や、予算の無駄使いというように、より注目される政策分野は存在しても、ものを言うのはあくまで経済運営の全体性であると。 ということで、本稿の目的は個別の論点に入る前段階の、経済運営の骨子やその発想そのものを取り上げ、評価することとしたいと思います。 骨太の経済政策を語れない日本政治 経済政策の全体像について考えるという立場を取る際には、日本政治における経済政策のリテラシーの低さを指摘しないわけにはいきません。 これは、各国の政治を比較して見ていれば明らかな日本政治の際立った特徴です。経済政策についての論争は、あっという間にその時々の細目の論点に矮小化されてしまいます。個別の政策が論じられる場合でも、政策の拠って立つ思想や前提ではなく、しばしば特定の組織との距離感を軸に議論が展開されるのです。内閣不信任決議案が否決された衆院本会議=5月31日午後、国会(斎藤良雄撮影) 典型的な例が、財務省との距離感をめぐる言説です。 旧大蔵省、現財務省が日本政治の中で特別な地位を与えられてきたことは事実です。財務省は、行政に大幅な裁量が残された日本政治における最エリートの集団として、財政規律という価値観を軸に国家の経営にあたってきました。強固な自律性と団体性をもち、徴税権力という執行権力までを傘下に持つ組織として、組織的なロビーイングを行ってきた唯一の存在と言っていいでしょう。 ただ、その存在感が大きいからと言って、経済論争の構造を一組織との距離感で読み解くのは政治を語るものの怠慢ではないかと思うのです。 そもそも、日本政治において経済政策をめぐる骨太の議論が成立しない背景には日本がたどってきた歴史があります。冷戦の初期には、共産主義の経済運営に一定の魅力が存在しました。日本を含む先進各国の保守政権は、統治の至上命題に赤化防止を置き、社会主義的な要素を次々と取り込んでいきました。そして、保守政党の経済分野での左傾化に最も成功したのが自民党です。 自民党の「大きな政府」路線は、「お上」からの恩恵を期待する国民意識にも、予算増大を領土拡張的に捉える官僚組織の本能とも一致し、安定した日本の政治・社会モデルとなったのでした。 ただ、安定の対価は知的停滞でした。 政治家や官僚から情報をもらってくる存在であるメディアは、政権が設定する論点をそのまま受け入れることがほとんどでした。調査報道とは、政権の失態やスキャンダルを暴くことを言うのであって、政権が拠って立つ論理構成や事実認識に挑戦するのは自分達の仕事ではないと言っているかのようでした。経済政策についての根本的な路線選択を迫る発想は、かろうじて日経新聞において存在するくらいでしょうか。 現在でも、リベラル寄りとされる新聞が緊縮路線であったり、保守的とされる新聞が市場重視の改革に敵対的であったりと、かなりの混乱が見られます。数字に基づく全体像の議論はあまりなく、どうしても経緯論に偏りがちになってしまう。経済政策リテラシーを克服せよ 自民党の左側に存在する野党勢力は、「大きな政府」の自民党よりも、「もっと大きな政府」を求めるという戦略を採用せざるを得ませんでした。国民全体に対しては弱者にやさしいというイメージを売り込みつつ、その実は自らの支持勢力に「分け前」を持ってくるという存在に自らを矮小化していったのです。結果、経済運営で自民党と差別化できず、経済の運営主体としての国民からの信頼感も育成されませんでした。この構造は、今に至るまで続いています。 この構造が一瞬だけ翻されたのが2009年の政権交代の前後においてです。小泉政権後の自民党政治は、必要な改革に手が付かず、年金をはじめとする福祉政策において失政を繰り返していました。民主党は、都市住民には「無駄使い」を止め、行政に規律を取り戻すという「小さな政府」的なメッセージを出し、農業従事者や年金受給者などには新たなバラマキを約束する「大きな政府」的なメッセージを発しました。権力を奪取するための小沢氏主導のマキャベリズムは、その本質において矛盾を抱え込み、統治能力の稚拙さとあいまって空中分解したのでした。経済政策リテラシーの低さを克服せよ 経済政策リテラシーの低さとは、経済政策をめぐる最低限の共通言語と基本認識が共有されていない状態のことを言います。経済リテラシーが低いと、政策論争が深まらず、事実に基づかない似非科学や暴論が許容される状態が持続してしまいます。 以下で試みる経済政策の整理は、まったくもって目新しいものではないと予め断っておくべきでしょう。本来的には経済学者がやるべき仕事かもしれません。しかし、経済政策が政治のプロセスを経て決められていくもので、しかも、国民の関心も高い分野とすれば、政治的な言説としてこそ整理が必要とも思っています。整理の題材は、アベノミクスを構成する金融政策、財政政策、構造改革についてです。 金融政策とは、一言で言えば金融的な環境を整える政策です。その最も重要な要素が、金利を上下させる狭義の金融政策です。これは、結果的に市中に出回るお金の価値を決めるものですから、経済主体の投資や消費行動に影響を与えます。政策の目的は、金利にせよ為替にせよ、過度の乱高下を避け、成長に必要な条件を作り出すことです。アベノミクスにおける金融政策の目標は、日本経済の成長にとって最大の足かせとなっていたデフレを克服することでした。 金融政策が持っている政治的な特徴は、短期間で効果が期待できるということと、民主主義のプロセスを通じたチェック機能が甘いということです。アベノミクスの第一の矢は、為替や株価に対して短期間で大きな影響を与えました。日銀は政府からは独立して政策判断を行うことが建前となっていますから、総裁のリーダーシップがものを言います。日銀への民主的統制は、審議員の国会承認という形で担保されてはいますが、国会が「ねじれ」状態にない限り政権にとってそれほど強い制約とはなりません。 他方で、金融政策は「環境を整える」政策であるという性質から、経済の成長性や競争力を根本的に変化させる政策ではありません。成長や競争の担い手は、民間の経済主体だからです。あくまで企業や家計などの民間の経済主体が活動しやすくするための政策であるという、抑制的な、サブ的な政策です。金融政策を重視することが正しい一方で、金融政策を万能視することは間違っているということです。 財政政策とは、自らも経済主体であるところの国の財政的な行動を通じて経済に働きかける政策です。一般的に財政政策という場合、国が何にお金を使うかという歳出側に注目が集まります。その際に、重要な視点は、国がどのくらいお金を使うかという量の議論と、国が何にお金を使うかという質の議論です。 もちろん、歳入側の議論も同様に重要です。特に、歳入の原資である税徴収のあり方は、民間の経済主体の富を強制的に収奪する国家の強い権能ですから影響も絶大です。 国の債務のあり方は、世代間の富の分配に働きかける政策であり、金融的な環境にも影響を与える政策です。 政治的に、財政政策には民主的なチェックがより厳しく働く傾向があります。予算を審議するという確立されたプロセスが存在し、野党にとっての見せ場となっています。何より、財政政策は国民にとってわかりやすい。国が、何にどれだけお金を使っているかということはイメージしやすいし、ある政策が自分にとって損か得かということも認知しやすいからです。 財政政策は、経済主体としての国自らの活動ですから、国がコントロールしやすいという点も重要です。短期的に効果を出すことが可能な一方、経済全体に対する効果が持続しないという欠点があります。しかも、国の経済活動と結びつきが強い業界や企業を利する一方で、一般国民への影響は薄いという平等性の問題も大きい。近代国家にあって、経済主体としての国の役割を否定する者はいないでしょうが、その役割の大きさについては、やはり、抑制的であるべきという発想が健全です。体系的な経済政策のない野党 構造改革とは、経済主体間の構造に働きかける政策です。資本主義経済の下では民間の経済主体間の関係性は自由競争に委ねられているというのが建前です。実際には、国が様々な規制を張り巡らせることによって事実上の影響を与えてきました。であるからこそ、成長や効率の妨げとなり、経済主体間の平等性に問題を生じさせている規制を変更することが重要となります。現状を変えることに意味があることから、構造「改革」という変化を前提とした表現が用いられるのが一般的です。 政治的に、構造改革は国のコントロールが効きにくいという特徴があります。過去には、国の規制変更が民間主体の構造を通じて意図せざる結果を招くこともありましたし、効果が発揮されるまでに時間を要することもしばしばです。そもそも、構造改革が政策として効果を発揮するのは、民間の経済主体間での「競争」を促すからです。規制は緩和される場合も、強化される場合もありますが、重要なことは競争が強化されることです。しかし、戦後政治の伝統として競争には人気がない。しかも、競争は既得権者の利益を減らし、他者に分け与えるという傾向がありますから、必死の抵抗を招くことになります。 構造改革と似て非なるものとして、産業政策と言われる政策分野もあります。成長戦略という文脈において十把一絡げに論じられることもありますが、区別されるべきです。厳密な定義はないのですが、乱暴に言うと特定の分野への投融資を促す政策です。国が投融資の直接の当事者である場合と、国が補助金、金利優遇、税優遇等のコストをかけて民間資金による投融資を促す場合とがあります。そういう意味では、広義には財政政策ですが、成長に重点をおいているという点に特徴があります。 産業政策は、政府が何に投資すべきかが明確で、経済がキャッチアップ局面にあるときには一定の効果を持つこともあります。が、それ以外の場合にはほとんど機能しません。経済を成長させるのは民間の主体であり、投融資はリスクを負って身銭を切るからこそ結果が実を結ぶものです。そもそも、政府が競争に参加することで競争を歪め、経済の効率や成長性が全体として阻害されることすらあります。 体系的な経済政策のない野党 経済政策の基本的な考え方と政治的な特性を長々と説明してきたのは、一定の共通言語なくしては、意味のある政策論議を展開できないからです。以上を踏まえて、各党の経済運営の全体像を見ていくと、自民党一強の政治状況を生む構造がよくわかります。 現在の安倍政権は、そのレトリックとは裏腹に自民党の伝統に忠実な現世利益型の利益誘導政治に回帰しています。その特徴は、緩和的な金融政策、拡張的な財政政策、そして、構造改革への消極性です。上潮派や改革派と言われた方々も存在はするのですが、各国の保守政党と比較すれば、いずれもマイルドな範囲内です。官僚機構と二人三脚で政策を進めてきた結果として、すべての政策分野において漸進的であるのも特徴です。基本的に現状維持に軸足を置きながら、時々プラス・アルファの政策を混ぜてくるわけです。 民進党と共産党が考える経済運営の骨子が何であるのかははっきりしません。おそらく体系的な形では存在せず、しいて言えば、財政政策だけがあるようです。基本的な発想は、「もっと大きな政府」であり、福祉の充実であり、分配の強化ということです。予算における「無駄の排除」に熱心なのも、あくまで財政政策の範囲内の話です。金融政策については、アベノミクスを批判する一方で、タカ派なのかハト派なのかはっきりしません。構造改革については、概して競争回避的であるので、消極的に見えます。配慮する既得権益層が、自民党のそれとは微妙にずれているということはあるのでしょうが。 その他の野党にも体系的な経済政策と言えるものはないようです。おおさか維新の会は、小さな政府的な発想をするように見える瞬間もあるのですが、はっきりしません。そもそも、政党の歴史や規模が一定水準に達しておらず、党としての考え方というよりは何人かのリーダーやアドバイザーの意見の域を出ていないのかもしれません。 経済運営に関する基本的な考え方がはっきりしない段階では、政権に挑戦する権利さえないというのが実態でしょう。そもそも、国民は経済運営を託せる政党にしか政権を与えません。そして、自民党が政権にある限り、経済政策は現状維持プラス・アルファが続きます。 それは、緩やかな衰退とも見え、危機のエネルギーが蓄積する過程とも見えます。高齢化と一票の格差の温存によって日本の有権者の平均年齢は60歳近くになっていますから、どうしても現状維持が心地よくなってしまう。結局のところ、この国は破たんするまでは変わらないのだと思います。(ブログ山猫日記より 2016年5月31日分を転載)

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    デフレとの闘いを辞めた舛添氏には即刻退場を求む!

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 舛添要一都知事の政治家としての資質に批判が殺到している。批判の共通点は、舛添氏の“消費の有り方”にある。都市外交に伴う過剰な数の随行員、豪華な宿泊先や交通手段の選択、そして最近では政治資金を利用した家族旅行への疑惑まで報道されている。税金と政治資金という“公金”がその派手な消費のあり方を支えている。世論はもちろんのこと、有識者の多くやメディアの批判も厳しいものがある。舛添氏は登庁時に報道陣に囲まれたが、わずか数年前の正月の「家族旅行」の有無も答えられなかった=5月11日、都庁 あるテレビ番組に生出演した舛添氏は政治資金の家族旅行への流用を追及され、自らの政治家としての資質を謙虚に反省する旨を述べたが、その言葉を支える行動がどうなるのか、その具体的な形はまったく見えない。また世論の批判も衰えることがない。 舛添氏の税金を利用した豪勢な消費は、経済学では「見せびらかしの消費」(誇示的消費)として知られるものだ。異能の経済学者、ソースティン・ヴェブレンが『有閑階級の理論』(1899年)に提示した考え方だ。この書籍の表題になっている有閑階級とは、自分は生産に一切貢献せずに、合法・非合法を問わず、自分の既得権益に基づいて、世間に対して影響力を与えようとする階級のことである。舛添氏のような政治的既得権(知事や国会議員などで得た収入や権力)を所持している人物は、ヴェブレンのいう有閑階級の代表といえるだろう。 ヴェブレンはこの有閑階級が、「見せびらかしの消費」を強力に行う人たちであると指摘した。自分に必要なものを消費するのではなく、他人に見せびらかし、自分の社会的ステータスを認知させること自体が快楽になるのである。舛添氏の濫費のありさまをみていると、このヴェブレンの指摘そのものであろう。 このヴェブレンの「見せびらかしの消費」は、デフレ的な経済においてきわめて重要な意味を持ってくる。デフレ的な経済というのはいわば経済の大きさが一定か、もしくは縮小している状態である。パイ(経済の大きさ)が一定にしかならないのであれば、そのパイをいかに分けるかに、人々の関心が集まるだろう。このようなデフレ的経済が続くことは、「舛添的」な有閑階級の人々にとっては絶好の機会になる。経済状況が悪い中でも、自分の方が他者に比べてより多くの権力や社会的ステータスをもち、それゆえにこのような贅沢で無駄な消費を行えるのだ、という見せびらかしは、この種の人々の極上の快楽になるのだ。既得権益を重視する舛添氏 他方で、まっとうに働き、その生産から報酬を得る人々の行動(ヴェブレンは製作者本能とも表現した)はないがしろにされてしまい、しばしば社会的イメージとしてみじめなもの、貧しいものというレッテルを貼られてしまう。デフレ的経済は、経済の大きさが一定であることにより、このような歪んだ消費の有り方を一層加速してしまうだろう。 例えば現在の東京都の経済指標をみてみると、デフレ的な経済が色濃く反映している。アベノミクスが発動した2012年末から13年にかけて東京都の消費は力強く上昇し、名目消費も実質消費も増加した(13年終わりの消費税の駆け込み需要の影響を除いても増加)。だが、2014年の消費税導入から東京都の消費状況は前年比マイナスに転落する。そして現在までその消費は回復するに遠く、いまだ低水準を維持し、本格的な回復にほど遠い。消費活動の鈍さを反映して東京都の景気回復指数なども力強さに欠いたままである。 例えば最新の統計では、2人以上の世帯(全世帯)の消費支出は、前年同月比実質 2.7%の減少である。また、昨年度の統計をみると、低所得者層ほど消費の落ち込みが激しいこともわかっている。少ない所得の中で税負担のために消費を控える行動が顕著であるのだ。 東京都の消費の落ち込みは、都の物価指数にも直接に表れている。東京都区部消費者物価指数でみると、3月の統計では総合指数で前年同月比でマイナスであり、東京都の水準でみた場合のデフレ的経済からの脱却には遠い状況だ。 ところで舛添氏は、日本経済全体のデフレが深刻な状況であった2002年に森永卓郎氏と共著で『日本経済復活へのファイナルアンサー』(廣済堂出版)を世に問うている。その内容はデフレ脱却を目的にしたインフレターゲット政策を主張するものであった。インフレターゲット政策は今日、アベノミクスの核に位置する政策として目覚ましい貢献をなしている。それと同じことを舛添氏は、当時としても早い段階で強く主張し、そのデフレ経済からの脱却を唱えていたのだ。つまり、舛添氏は年来のデフレ脱却論者であったわけだ。国会に初登院する自民党の舛添要一参院議員=2001年8月7日 今の日本経済と東京都経済は、ここでも解説したように、消費増税の影響を特に強く受けてデフレ的な経済のままである。雇用状況は堅調であるものの、人々の名目所得の伸びは鈍く、税金が非常に重くのしかかっている。昔と同じ主張をもつのであれば、まず舛添氏がすべきは、無駄にしか思えない都市外交ではなく、政府に対する消費再増税凍結、むしろ消費減税の提案であろう。 だが、そのような発想はない。これには理由がある。消費増税の一部分は地方消費税として東京都の財源にも組み込まれるうまみがあるからだ。この既得権を捨てるわけにはいかない。また冒頭でも解説した、都知事という社会的ステータスがもたらす「見せびらかしの消費」もこのデフレ的経済の中ではむしろ威力を発揮するものだ。簡単にいうと、舛添氏はそのデフレ経済との戦いという初心を失ったのだろう(もし初心というものが本気であったのならばだが)。いまの彼の行動や発言はすべてデフレ的経済の申し子そのものである。低所得者層の状況が悪化する東京 実は東京都には、デフレ的経済と闘う手段がある。2009年、私は朝日新聞に東京都のオリンピック誘致に反対するコメントを寄せたことがある。東京都の財政をオリンピック誘致に使うのではなく、東京都の消費刺激として利用すべきだとした。そのときに自分のブログでも関連する記事を書いた(http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090208#p2)。これは東京都で地域通貨(アービング・フィッシャー流の日付け貨幣というもの)を発行するという提案である。ただ、現在行われてる地域通貨と決定的に違うのは、これを取得したものは一定期限に利用しないと事実上のペナルティ(追加の増税)を受けることにある。最寄りの地方自治体の窓口に行き、この「日付け貨幣」を受け取った者(希望者に限定する)は、一定の期間に消費してしまわないと、むしろ追加の税負担を要求されるのである。そのためこの追加の税負担を避ける目的で、「日付け貨幣」を得たものは積極的に消費する、という政策の枠組みである。これに類した政策の枠組みは多数ある。要はやる気の問題なのだ。 東京都の経済が活性化すれば、都の財政状況も改善し、必要な社会保障などの財源として貢献するだろう。だが、いまの東京都の現状では、むしろ低所得者層の状況を悪化させている消費増税の負担で、社会保障を充実しようという倒錯した形になってしまっている。そしてそれは東京都だけではなく、日本全体の縮図でもある。 このようなデフレ的経済の申し子になった舛添氏には、一刻も早く都知事の座からの退場をお願いしたいというのが偽ることのできない私の意見である。

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    何気ない発言が批判の対象に?被災地で気をつけるべき意外な落とし穴

    柴川淳一(著述業)(メディアゴンより転載) 東日本大震災の時、某県の地方公務員の中から有志ボランティアが被災地に派遣された時のことである。彼らは志願して出向いた人たちだから、その志は尊い。しかし、後が悪かった。被災地復興支援の日程が終了し、打ち上げの為の、ささやかな宴が催された。 その時、一人の地方公務員が発した言葉が物議を醸し出した。「姉ちゃん、酒はねえんかのう?」 言った方はむろん悪気があったわけではない。田舎者の粗忽さと言えばそれまでだが、世間の反発たるや、すざまじいものだった。「酒を飲むために被災地に行ったのか?」、「女性を差別しているようで不愉快。」、「被災者を侮辱した発言だ。」等々の声が聞こえた。 彼の被災地に対する真摯な思い、公務を休んでまで被災者の為に働いた尊い行為も、砕けた方言と時節を読めない思考で台無しになってしまった。【参考】<熊本地震で民進党ツイッターが炎上>「中傷ツイートは職員の責任」理論は炎上が加速するだけ 今回の熊本地震でも、失言・暴言が話題になっている。例えば、おおさか維新の会共同代表・片山虎之助氏は岡山県笠岡市出身の八十歳になる経験豊富な代議士である。誠実で義理に熱い笠岡地方の有権者に絶対の信頼がある・・・と、思っていたところが、熊本地震について「タイミングのいい地震」などと言う大暴言を発した。「おおさか維新の会」新代表に選出され、記者会見する松井一郎大阪府知事。左は共同代表に決まった片山虎之助参院議員=2015年12月12日午後、大阪市 筆者も岡山県民の一人としてまことに恥ずかしい。片山代議士に成り代わってお詫び申し上げたいぐらいである。【参考】<熊本地震 非常災害対策船の常備を>災害大国なのに過去の経験が生きていない日本 片山議員の暴言はあくまで「暴言」だが、その一方で、必ずしも「暴言」のつもりではないのに、暴言として受け取られてしまうことは、岡山弁ではめずらしくない。岡山に限った話ではないかもしれないが、地方特有の言い回しや口調が、一般的に悪印象を与えてしまうのだ。 例えば、岡山県のタクシー会社・岡山交通では、他県からの乗客を乗せた時には、標準語での受け答えをするように指導している。岡山弁の中に他県の人には誤解されかねない方言や語調が多々あるからだ。 東京生まれの作家・原田宗典さんは岡山県の高校に進学して、初めて岡山弁に触れて驚いたという。幼稚園児が自分のことを「わし」、相手のことを「おめえ」と呼ぶ。例えば、「わしゃー、幼稚園へ行かにゃーならんけんのう。おめえは、どうするんならー?」。 別に喧嘩を売っているのではない。訳すと、「僕は幼稚園に行かなきゃいけないんだけど、君はどうするの?」となる。 被災地で苦しい思いをしている人たちがたくさんいる。誤解を招くような言葉使いは特に慎みたい。例え、それが馴れ親しんだ方言であっても。方言は放言に通じ、暴言にもなるときがある。 被災地で気をつけるべき意外な注意点かもしれない。

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    震災の政治利用、露骨なのはどっち?

    熊本地震をめぐる政治パフォーマンスが少し露骨すぎはしないか。安倍政権は憲法改正の第一歩となる「緊急事態条項」の新設をちらつかせ、民進党や共産党などの野党もオスプレイ投入や原発再稼働にいちゃもんをつける。被災地復興よりも政治利用。震災をダシに使っているのはどっち?

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    狙いは政権転覆!? 熊本地震でもにじみ出る共産党の「危険」な本性

    山村明義(作家・ジャーナリスト)政治利用しているのはどっちなのか 今回の熊本地震をきっかけに、政府や各政党の言動に対して、一部の政党やマスコミなどが「政治利用」や「政治的パフォーマンス」という政権批判を行っていることが、永田町だけでなく、ネット上でも話題になっている。それは、熊本の震災を「本当に政治利用しているのは与野党のどっちなのか」という問題である。 例えば、最初の熊本地震直後の民進党は、公式ツイッターで、「東日本大震災の自民党のような対応を望みます」という投稿に対して、「それじゃあダメでしょうね」、「一部の自民党の有力議員が原発対応についてデマを流して政権の足を引っ張ったのも有名な話」などと強気に答えたところ、多くの読者からの批判を浴びて炎上。一転して削除、謝罪するに追い込まれた。避難所となっている益城町総合体育館。炊き出しを行う自衛隊員のヘルメットには手書きの「頑張るばい!!熊本!!」のメッセージ=4月22日午前、熊本県益城町 (川口良介撮影) 選挙の近いこの時期、震災対応に関して、安倍政権や自民党を批判し、「政治利用したい」という気持ちはわからなくもない。しかし、客観的に安倍政権は東日本大震災の教訓を生かして現地視察を中止し、早い段階で自衛隊派遣の規模を2千人から2万人への増派増員などを決めたり、90万食以上の支援物資は届けていて、現地では私の聞く限り、「安倍政権時で良かった」という声も上がっていたほどだ。 災害の時ほど、組織や人の「本性」が現れるという。災害の時期に不安と混乱を掻き立てる情報を流す。あるいは相手を貶め、自らを宣伝して逆に何か得をしたいと考える組織や人は、落ち着いて見ればわかるのである。 民進党の例は、彼らが政権を獲りたいがために安易にツイッターを「政治利用」したところ、自らの身にブーメランとなって返って来たという典型例だろう。実際に、この大変な災害時に、「政治利用」という言葉そのものを「与党への攻撃材料として確信犯的に利用している」としか思えない政党もある。 その一つは日本共産党である。志位和夫委員長は、現場では安全確認が出来ているにもかかわらず、「川内原発は止めるべき」と、同党が主張する「原発停止」という発言を行い大きな物議を醸した。安倍総理が災害支援を増強することは「政治利用」だが、彼らの党の主張である「反原発」をここぞとばかりに主張することは、「政治利用」ではないらしい。事実、熊本県の電気の停電状態は、県民に大きな不安と困難をもたらしたはずなのに、それを増長しようという言動である。 さらに、同党では小池晃新書記局長が、岩国基地から被災地へ派遣された米海兵隊のMV22オスプレイに対して、「国民の恐怖感をなくすために慣れてもらおうということで、こういう機会を利用しているとすれば、けしからんことだ」と記者会見で語った「政権批判」のニュースが流れたとたん、ネット上では逆に多くの批判が相次いだ。 他にも、震災中の熊本駅前で、日本共産党員が「アベ政治を許さない!」というプラカードを下げ、署名運動を行う光景が見られ、「この時期に何をやっているんだ」と、被災者たちの強い怒りを買っていたという。「必要性」を無視した批判「必要性」を無視した批判 震災時に野党側の主張する「安倍政権の政治利用」とは、一体何が目的なのだろうか。野党側は安倍総理の現地視察の予定を「政治利用」と批判していたが、急遽予定を中止したとたん、「なぜ行かないのか」と批判する。熊本地震 輸送支援を行う米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイから物資を運ぶ自衛隊員ら =4月18日午後、熊本県南阿蘇村(福島範和撮影) 安倍政権を批判している人たちは、こういう時期のいたずらな批判者の一部が、ある意図を持って「自己利益」のために言っていることになぜ気づかないのだろうか。東日本大震災の際に菅直人元総理が福島を視察し、非難が集まった教訓を覚えていないのだろうか。 大震災の時に自衛隊を増派したり、オスプレイに物資の輸送を依頼したりすることは、必要性に迫られた政治行動であり、とてもではないが「政治利用」とは言えない。むしろ「必要性」を無視して批判する立場の方が、「より悪質な政治利用」をしている可能性が高い。 というのは、今回最も被害の大きかった熊本の出身者である私には、多くの被災者の家族、友人、知人がいて彼らの気持ちがよくわかるからだ。 被災者は、自らは何もせず、「政府の政治的利用」などと口だけで批判する組織や党に対しては、極めて苦々しく考え、実際にその不満を口々に語っている。熊本県人は気丈で、基本的には災害に対して強い精神性を持っているが、それでも二度にわたる震度7クラスの地震後、皆が初めての経験に、不安と恐怖を感じている。そこで「政権が悪い」という過度な情報を流せば、それを信じた人々は、いまだに不安がパニックに転じかねない状態なのだ。 実際に、県中南部の八代市や水俣市という地域では、「今度はここへ地震が来る」などという情報が口コミやネットで広がり、家を逃げ出すケースが後を絶たないという。熊本は活断層が多く、噴火中の阿蘇山という世界有数の火山のある県だ。今回は「パニックを助長しかねない」という意味でも、与党と野党の言動のどちらが「政治利用」しているかについては、野党の方がより「悪質な政治利用」だと言えるだろう。ひっくり返しの技法ひっくり返しの技法 なぜなら、歴史的に日本共産党は、混乱期に便乗し、「何とか世の中をひっくり返してやろう」という行動を実際に行っているからだ。  それは、日本共産党の理論と体質が「ひっくり返しの技法」にあり、実際に戦後GHQの混乱期には、「暴力革命路線」を行っている事実である。最近私は、共産党に関する著作を書いているが、その歴史的調査分析で判明したことは、日本共産党の信奉していた「マルクス=レーニン主義」そのものが、混乱時に世の中をひっくり返す「革命」を指導しているーという事実であった。 警察庁の見解では、共産党の「暴力革命路線」は基本的に変わっていないという。だからこそ、このような震災混乱時には、彼らは「革命」を起こしたいという言動にかられるのだろう、なぜかことさら政権批判を行う。しかし、豊かな自然に守られた本来の日本では、混乱時に与党も野党もないと考えるのが常識だ。ましてや災害緊急時には、イデオロギーの「右」と「左」もないはずである。 それが正しいとすれば、緊急時には「自分たちの政治的主張については、出来る限り控えるべきである」というのが正しい言動になる。 何より重要なことは、この震災時に政治家は、政権批判を行う余裕があれば、とにかく「一刻も早く困っている人を救い助けるための策を練る」という一点に尽きるだろう。 それが具体的な対策も作らず、自ら被災者を救う「自己犠牲の精神」のかけらもなく、口だけで外野から与党を批判するだけと言うのであれば、とにかく「安倍政権を倒したい」と考えていると受け取られても仕方がない。月が出る中、夜間の捜索活動の準備を行う自衛隊員ら=4月20日午後6時47分、熊本県南阿蘇村(彦野公太朗撮影) もし彼らの「政権転覆のためのマジックワード」が「政治利用」という言葉だとすれば、その精神性自体が、「災害大国・日本」の国民として、日本の歴史と伝統に学ばない「卑しい言動だ」と言えるだろう。それは東日本大震災の時に東北の被災者が、日本人の「絆」を求めたのと正反対の「分断行為」だからだ。 緊急事態のオスプレイ派遣に対して異議を唱える主張も、「この災害時に反米政策を訴えよう」という彼らの気持ちが透けて見える。それは、今回7月の参院選で民進党と選挙協力を行い、将来は「国民連合政府」を作ることを目指す、と公言しているからだ。 こう考えてみると、「オスプレイ反対」の政治的主張の本当の狙いも「政権転覆」にあるのではないかという可能性が出てくるのだ。 今回の「政権批判者」が、本当に国民の利益を考える「平和的組織」であるならば、この混乱の時期だからこそ「平和」と「安定」を求めなければならないはずだ。 にもかかわらず、安倍政権を「政治利用だ」と非難しながら、実際には人心を不安に陥らせることになっている実態は、「平和的組織」にあるまじき行為だと考えるべきであろう。 震災時、本音では「政権打倒・転覆」を志向しながら、それを隠して意図的に人心をかき乱して動かそうとする不穏な言動ほど、警戒しなければならないものはない。

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    なぜ日本人として「オスプレイ派遣」を有り難いと思えないのか?

    岩田温(政治学者)日本人として素直に有難い 新聞各紙の報道によれば、4月18日、在日米海兵隊のオスプレイが被災地に派遣された。沖縄県の普天間飛行場に所属するオスプレイが米軍の岩国基地を経て、熊本県益城町に到着したのだ。米軍は、水、食料、毛布等を被災者に届けた。19日には、海上自衛隊のひゅうがに着艦し、水、食料、簡易トイレなどを搭載し、再び、これらの物資を被災地に届けた。 日本人の一人として、素直に有難いことだと思った。 中谷元防衛大臣も「効率的で迅速な活動を行うため、自衛隊の輸送力に加え、高い機動力と即応力を併せ持つオスプレイの活用が必要だ」と指摘し、「米側の力を利用できるのはありがたい。困っているときに支援してくれるのが本当の友だ」との感謝の言葉を述べた。 多くの日本人が米軍の救援活動に対して、有難いと思ったはずだ。だが、米軍がオスプレイを被災地に派遣したことを批判している人々も存在している。着陸態勢にはいる米軍の輸送機オスプレイ=4月14日午後、熊本県南阿蘇村(山田哲司撮影) 二人の言葉を紹介しよう。  「(阿蘇山の)南阿蘇は小規模だが、噴火が続いている。(オスプレイは)ハワイの事故で、砂を吸い込んで落ちている。防衛省の資料を見ると、我が国の航空機がヘリコプターを含めたくさん活躍している。わざわざオスプレイをもってきて、避難している皆さんも非常に不安に思われている。砂を吸い込んで落ちるものが、噴煙に対して大丈夫なのだろうか。米軍の協力はありがたいが、ぜひやめてほしい。」(原口一博・民進党常任幹事会議長の発言2016年4月19日 朝日新聞) 「オスプレイに対する国民の恐怖感をなくすために慣れてもらおうということで、こういう機会を利用しているとすれば、けしからんことだ」 (日本共産党小池晃書記局長の発言2016年4月19日 朝日新聞) 原口氏の発言で疑問に思うのは、「オスプレイをもってきて、避難している皆さんも非常に不安に思われている」という部分だ。被災者の人々が本当にオスプレイに恐怖しているというのならば、当然、直ちにオスプレイの派遣を停止すべく要請すべきだ。救援活動が被災者を恐怖の底に落ち込ませているというような愚かな事態があってはならない。しかし、被災地の人々が不安に思っているのはオスプレイが来ることではなく、地震そのものであり、あるいは物資が不足してしまうことではないだろうか。 また、こうした震災を通じて米軍がオスプレイを派遣したのは政治利用だという小池氏の指摘だが、こういう批判をし始めたら、自衛隊の派遣も政治利用だということになりかねない。確かに被災地に自衛隊が派遣され、数多くの人々を救出すれば、自衛隊に対する感謝の念から、自衛隊そのものの評価は高まるだろう。東日本大震災の被災者の一人から、「自衛隊の皆さんに本当に感謝していて、心の底から尊敬しています」という言葉を耳にしたことがあるが、当然のことだろう。こうした自衛隊の働きを政治利用と呼ぶことは出来ないだろう。被災者はどう思ったのか被災者はどう思ったのか ふたりの発言から、強く感じたのは、被災者はどう思ったのか、という視点が欠落した発言だということだ。米軍や政府が地震という機会を利用して、オスプレイへの恐怖感をなくすために画策しているという批判は、オスプレイ批判のためなら、被災者の気持ちは考慮しない、全ての言動はオスプレイ批判に行き着くという教条主義者の批判としか思えない。実際にオスプレイは必要な物資を被災者に届けているのだ。本当にオスプレイが被災者を不安がらせているのか、甚だ疑問である。 実際に、被災者が、オスプレイの派遣に対して、どのように感じているのかを確認することが重要だろう。 『毎日新聞』が実際の被災者の声を掲載しているので紹介したい。 「カロリーが少ないためか自宅の後片付けも力が出ない。素直にありがたい」(36歳、男性)被災者に炊き出しなどの案内をする女性たち=4月16日午前11時1分、熊本県益城町 実際に被災者の方が、必要としている物資を届けた場合、オスプレイで来たか、否かが重要なのではなく、物資が届くか、否かが大事ということだろう。必要な物資の輸送を依頼したが、米軍が来てくれなかったというなら、被災者から非難の声があがるだろうが、とにかく物資が不足している状況では、誰が、どのような道具で運んだかということに関心を払う余裕がないというのが実際のところだろう。 また、オスプレイの派遣に対する批判の声も『毎日新聞』は掲載しているので紹介しておきたい。。「被災者の方々はおにぎり一つでもありがたいと思う状況。政府は(オスプレイの国内配備のために)どんな状況でも利用するのか」(64歳、女性) この方はオスプレイの佐賀空港配備に反対している主婦の方のようだが、批判が批判になっていない。 「被災者の方々はおにぎり一つでもありがたいと思う状況」において、米軍がオスプレイで物資を輸送しているのだから、被災者はやはり「ありがたいと思う」だろう。被災者が「ありがたい」ということを実施して非難されるべきではない。災害時に重要なのは、何よりも被災者の人命救助であり、様々な物資を被災者に届けることだ。 オスプレイの国内配置に反対するのは構わないが、実際にオスプレイが被災者に必要な物資を輸送している事実を、まるで、政府と米軍による陰謀であるかのように語るのは誤っている。少なくとも、こうした物資を受け取った人の多く-全てではないだろう-は、誰が、どのような手段で必要な物資を届けたかに無関心だろう。オスプレイの派遣に反対する人よりも、必要な物資を手に入れ、安堵する人々のほうが多いはずだ。  一人の日本国民として、被災者に必要物資を届けてくれた米軍に感謝したい。