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    総力特集! 田原総一朗とは何者か

    める田原総一朗といえば、80歳を超えた今も歯に衣着せぬ発言で番組を仕切り、圧倒的な存在感をみせる。「政治をテレビ化した」ともいわれる彼はいったい何者なのか。iRONNA編集部が総力特集で「田原総一朗」の人物像に迫る。

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    来月末も、もう一杯。「朝生」は定期的に食べたいカツ丼だ

    古谷経衡(著述家) 朝ナマといえば何と言っても私の記憶に鮮明なのは「聖徳太子って知っている?」との田原氏発言に生放送中にブチ切れた著述家の四宮正貴氏の放送回(2004年6月25日)である、というのは嘘で、一番痛烈だったのは『激論! 日本はアメリカの属国なのか?!』という回だ。 資料が手元にあるから引用しよう。放送回は2006年5月26日。出演者は武見敬三(自民党・参)、長島昭久(民主・衆)、小池晃(共産・参)、福島みずほ(社民・参)、下地幹郎(無所属・衆)、青山繁晴、姜尚中、金美齢、志方俊之、村田晃嗣、森本敏、湯浅一郎の面々(所属政党などは当時のもの)だ。田原総一朗氏=2014年12月22日 10年近く前の放送だが、今でも鮮明に記憶している。「日本はアメリカの属国だってみんなうすうす感じているけど、あえて言葉にはし辛い色々なこと」というウディ・アレンの映画のタイトルのような、長いけれども漠として日本人全部が思い描いていた違和感を見事に番組の中で言葉にしてくれた回だった。 討論は初っ端からお通夜状態で、「…日本は、アメリカの属国であるということを、認めざるをえない、状況である…」という現状認識をほぼ全員が追認した状況が、最も面白かった。こんなにも「しいん」とする回は珍しかった。 朝ナマはタブーを斬る討論番組、として開始早々大きな話題となって現在に至っている。田原氏の自伝的著書である『塀の上を走る』(講談社、田原総一朗著、2012年)では、1986年秋に同番組が開始される時の企画目論見について、田原氏自身の言葉で以下のようにある。”テレビで繰り広げられる命がけのディスカッションなら、間違いなく面白い。その問題に人生をかけてきた人間たちが、本音むき出しの討論を展開する。声の大きさ、激しさ、表情や目の動き、テーブルを叩くパフォーマンスなど、あらゆる表現手段を使っての応酬となるはずだ。”(『塀の上を走る』P.271) として、「タブーを斬る解放区」としての朝ナマを明瞭に規定する以上に、テレビならではの視覚効果の妙味を第一に据えた企画であったことが伺える。大学生時代(ゼロ年代前半~中盤)熱心な同番組の視聴者であった私は、当然、冒頭の四宮氏の件もそうだし、いつアズマン(東浩紀氏)がキレて退場するのかをヒヤヒヤしながらも心底待ち望んでいた。朝ナマは至高ではない 部落差別、天皇、右翼など、番組開始当初に交わされた「タブーを斬る」という意味での朝ナマの歴史を、私はリアルタイムでは知らない。あたりまえだが80年代後半は私はまだ小学生にすらなっているかいないかで、朝ナマの楽しさなど理解できるはずがない。そういう意味で私は、野坂昭如氏や西部邁氏、野村秋介氏など朝ナマの黎明期を支えた重鎮たちの出番がひと通り一巡した、ゼロ年代以降の「中興」の時代の朝ナマ以降しか知らないのは、なんとも時代のめぐり合わせとはいえ、慙愧に堪えないのである。 前述の通り、いみじくも田原氏が言うように、人間の本音をあぶり出すことによって時に激高し、ときに絶叫する出演者たちの様相は、面白くもあったが、同時に本質的ではない部分も孕んでいる。 絶叫している本人自身が、一体自分が何を言っているのかよくわからないのではないか、という場面に遭遇するのは1回の放送で1度や2度ではない。会話(?)の内容は支離滅裂なのだが、観ているだけで楽しい、というのが朝ナマの最大の魅力の一つでもあり、また同時に欠陥でもある。それは繰り返すように、テレビは映像メディアであるがゆえに「本質的な部分」が蔑ろにされかねない、ということだ。 だから朝ナマを画像なしの音声だけで聞くと、何をか言わんや明鏡止水、パネリスト達の本心と本質、あるいは前述した支離滅裂な部分が途端に浮かび上がってきて興味深い。私は個人的にはテレビメディアよりもラジオメディアの方が好きだが、それはサウンドオンリーのメディアは、その話者の本質を隠すことが出来ないからだ。 田原氏が言うように、声の大きさや身振りで、朝ナマの討論の主軸は時として明後日の方向に飛んで行く時がある。これは音声だけを聞けばより明瞭になる。田原氏は司会者としてうまくコントロールしているが、完全には制御できていない。一度ラジオ専門の朝ナマも聴いてい見たいと思うところではある。”テレビディレクターを努め、活字の原稿を書いて、私はテレビの強さと弱さ、そして活字の強さと弱さが分かるようになった。たとえば、戦後ドイツは東西に分断されていた。そして冷戦が終わり、結局西ドイツに東ドイツが統合される形になるのだが、東ドイツの人間たちが、自分たちの時代遅れ、そして貧しさを強く感じたのはテレビのせいだった。(中略)たとえば『朝まで生テレビ!』の出演者たちの討論でも、言葉は表現のワン・オブ・ゼムであった。表情、目、そして声の高さ、強さ、大きさ、さらには身振り、手振りなど、テレビの表現手段は多様である。それに対して活字メディアでは、文字だけが表現手段であるが、それゆえにテレビとは比較に成らない緻密な理論の枝葉によって思考を深めることができる。また、テレビは具体的な映像が逆に邪魔になって、さまざまな出来事、事件などの抽象化という作業をやりにくい。この点でも文字だけのメディアの方が優れている。”(『田原総一朗 元祖テレビディレクター、炎上の歴史』別冊文藝春秋、2014年、P228) このように田原氏は、テレビメディアの利点と欠点を上げ、場合によっては活字メディアに軍配を上げている。「朝ナマは至高ではない」という自明を、きちんと踏まえている「素直さ」が田原総一朗氏の傑物たる由縁であろう。「朝ナマ」はカツ丼である 私はそういった意味で、『朝ナマ』という番組は田原総一朗氏が創ったカツ丼である、と思っている。どういう意味かといえば、地の文で説明すると冗長になるので、『カツ丼』と『童貞』をなぞらえた以下の漫画(『西武新宿線戦線異常なし』押井守原作、大野安之画、角川書店)の「とっつあん」なる人物の台詞を引用して代弁としたい。”「セイガクよ、初めての女ってのはな、ガキの頃に食ったカツ丼みてえなもんなんだ」「だからよ、そンときは、ああ旨い、この世にこんな旨いモンがあるのか! 生きててヨカッタ!…と思ったとしてもよ、手前の金で自由に食えるようになってみると、何故あれほど感動したのかわからねえ…不味くはねえがそれほどのモンじゃねえ。お前ェ不思議だとは思わねえか?」”(『西武新宿線戦線異常なし』) インターネットの動画には、『朝ナマ』を模倣したかのような各種のイデオロギーに偏向した「討論番組」が氾濫し、高校生レベルの粗悪な知識しか持ち得ないユーチューバーなるものが森羅万象の全てを3分とか5分でまとめようとする馬鹿げた動画が人気を博したり、それらしき社会派のブログやツイッター有名人がもてはやされたりする一方で、出版業界が空前の不況だというが、出版点数自体は全盛時代よりも激増している。 「タブーを斬る」だとか「解放区」だとかいう姿勢そのものは、『朝ナマ』出発当初よりも格段に「聖域」の幅が狭まった。そういう意味では、相対的に『朝ナマ』の影響力は低下している。 こんなことテレビで言ってしまってよいの?という不安と興奮が雑居した感覚は、最早あまりない。それは朝ナマよりも遥かに過激な言説がネットや雑誌(或いはムック)にあふれているからで、そういう意味で「初めて食ったカツ丼」(前掲)に『朝ナマ』は似ている。いざ自分の金でカツ丼が食えるようになると、「初めて食ったカツ丼」の感激は薄れ、焼き肉とか高い寿司とか小料理屋のもつ煮込みとか、そっちの方が美味いと思い、感激は薄れていく。 しかし、人間とは不思議なもので、原初的に出会った感激は、一旦は遠ざかるが、やがて一巡して戻っていくものだ。つまり、「ガキの頃に食ったカツ丼」が30歳や40歳のおとなになって、もう一度「やっぱり最高にうまい」と思う瞬間が訪れる、ということだ。何故だろう。多分それは、『朝ナマ』の歴史の蓄積だろう。インターネットの空間がどんなに『朝ナマ』の上を行く過激と解放度合いを謳っても、それは刹那である。齢30年の年季が入った親父の職人芸に戻っていくというのが、我々の本質というか母体回帰である。 そういう意味で、『朝ナマ』は、「毎日ではないけれども定期的に食べたいカツ丼」というのが適当だろう。来月末も、もう一杯。

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    「反骨」の男、田原総一朗はテレビ界の妖刀だ

    自民党総理総裁のタマを取ってきた実績もある。1993年のテレビ朝日「サンデープロジェクト」において、政治改革への意気込みについて当時の宮沢喜一首相を「今の国会でやるのか」と厳しく問い詰め、宮沢から「政治改革は絶対やる。私は嘘はつかない」との言質を取り、結果として政権崩壊に追い込んだことなどはその代表例と言える。 しかし彼を単純に反日サヨクとみなすのは誤りである。例えば、サヨク連中から「ウルトラ右翼」とみなされている石原慎太郎を「文学者として尊敬する人物」と褒めそやしたことにより、それまで交流のあったサヨク文化人達から絶縁されたという話もあるのが田原という男だ。 「朝まで生テレビ」においても、2009年4月の放送で「極東国際軍事裁判は正しくない。戦勝国が戦敗国を裁くんだからこんなものは集団リンチ。ソ連は日ソ中立条約を破ってきた。あんなものは明らかに戦犯」などという、サヨク連中にとっては到底受け入れがたい認識を披露している。 この発言は別にその場限りの突発的な失言ではない。彼の意外な非サヨク的思想はその著書を読めば一目瞭然である。例えば、小泉訪朝により北朝鮮による拉致の事実が判明し、社民党をはじめとするサヨクによる「拉致は日米による捏造」との大嘘が判明する2年前の2000年に、田原は『日本の戦争』(小学館)という本を出版している。その中で彼は、サヨクが「軍部による暴走により国民が巻き込まれた」とみなす太平洋戦争について、「あの戦争が始まった原因は、軍部の暴走ではなく、世論迎合だった」と主張している。現在と違いサヨクの暴走がとどまるところを知らず「拉致は捏造」などという大嘘を平気でホームページに掲げることがまかり通っていたサヨク天国の時代のことである。これは極めて政治的に危険な姿勢である。サヨク連中からの様々な圧力もあったに違いない。サヨクの醜さを暴く最も辛辣な手法 ここから見えるのは、彼を表すには「反日」などではなく「反骨」という言葉こそふさわしいのではないかということだ。2010年に野中広務元官房長官が、内閣官房報償費(内閣機密費)をジャーナリストや評論家に一人当たり数百万単位の金を定期的にばらまいていたと証言したことがある。その際にも野中は、田原だけがその金を突き返してきたと述べており、これも田原の反骨精神の証左といえるかも知れない。 そんな反骨精神が最も発揮されるのが、原則的にライブで放映される朝まで生テレビであろう。自民党議員や保守系知識人へのツッコミが激しいことで知られる田原であるが、その矛先はサヨクに対しても容赦ない。2011年2月の放送では、日韓併合の不当性をまくし立てる日本共産党の笠井亮衆院議員に対し「この人は人間じゃない」との暴言を吐き、後日しんぶん赤旗から猛攻撃を受けている。 しかし録画番組や雑誌記事と異なり生放送という特性を大いに活かした田原は、笠井がギャーギャーとわめきたて他のパネリストの議論や発言を圧殺する醜い姿を全国のお茶の間に見せつけることにより、共産党やサヨク勢力の非民主的で暴力的な本性を知らしめることに成功した。 サヨクの醜さを暴く田原の手法が最も辛辣な形で観察できるのが、元東大教授で在日朝鮮人の姜尚中が出演する回においてである。一般に田原は、パネリストの都合の悪い発言を「はい!CM!」などと強引に遮りぶった切るということで定評がある。しかしなぜか、姜尚中の発言中にそのような「妨害」がなされることは極めてまれである。姜が北朝鮮の将軍様をいくら必死で擁護しようが、口汚く反日演説を垂れ流そうが、いつまでも長々と喋らせ続けるのが常である。 このような田原の姿勢は世間では「親北朝鮮」とか「ダブルスタンダード」などと批判されることが多い。しかし私はそうは思わない。なぜなら、姜のような無思慮な人物は滔々とさえずらせておけば、勝手にいくらでも失言を自ら吐いてくれるからだ。田原が強制的に実力行使せねば失言を引き出せぬ宮沢喜一等のような知性ある相手の場合と対応が異なってくるのは当然であり、それこそが田原の真骨頂と言える。 姜尚中といえば、「よく“北朝鮮が拉致をしたかもしれない”という報道があるけれど、“なぜ?何の目的で?”と、僕が聞きたいですね」など言い立てて拉致を否定してきたサヨクの首魁である。著書の中でも「ミサイルや『拉致疑惑』で正常化交渉は遅々として進まない」(『東北アジア共同の家をめざして』平凡社)等、拉致はあくまでもただの疑惑で、しかも日朝関係の「障壁」とまで呼び、北の将軍様のために拉致被害者を傷つけ貶めることに邁進してきた。06年11月25日の世界海外韓人貿易協会での講演では、「北朝鮮核問題や拉致問題を取り上げて北朝鮮を批判する日本の世論を変えねばならない。在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わず、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾したことだ。私は横に横田夫妻がいても、これを言うことができる」と、「この人は人間じゃない」と言われても仕方がない発言を行ったと伝えられている。 しかし、姜のそうした異常性や非人間性が槍玉に挙げられることは殆ど無い。文字媒体や録画番組なら、第三者がマイルドに「編集」してその非人間性を覆い隠すことが可能であるからだ。しかし朝まで生テレビではそうは行かない。小泉訪朝により、姜が将軍様のために「拉致は疑惑に過ぎない」とプロパガンダに励んできたことが無駄になってしまった直後の03年1月の放送では、田原に突っ込まれて不用意に「五人の家族を(いったん北朝鮮に)帰す。どんな形でもよい。返す」と口走り、反省という言葉を知らぬサヨクや反日在日朝鮮人の邪悪さが白日のもとに晒された。 北朝鮮が核実験を強行し核による脅しを繰り返していた中、08年1月の朝まで生テレビにおいて姜尚中のお笑い発言を引き出した田原の功績は特に大きい。番組中姜は「三八度線の南側に、韓国に在韓米軍が今後長きにわたっていても、北朝鮮はそれに反対しない可能性がある」とそのご高説を披露したのであるが、なんとその翌日にこんなニュースが全世界を駆け巡った。「北朝鮮、在韓米軍の撤収を要求」 最早笑いを通り越して、敬愛する将軍様に裏切られてしまう姜のピエロぶりに涙さえ誘われる。 田原のツッコミにより姜が間抜けな「予想」を開陳し笑いものになるという現象は他にも多く、例えば06年9月29日放送の朝まで生テレビ「激論!安倍政権と日本の命運」では姜は「北朝鮮には、強硬姿勢を示すカードは無い」と断言したもの、その直後の10月9日は、北による初の核実験という暴挙が強行され、その「予想」能力の稚拙さ、あるいは息を吐くように嘘をついてまで北の将軍様に忠誠を尽くす在日朝鮮人学者の邪悪さが明らかとなった。 田原は切れ味の鋭い凶器である。なまくら刀ばかりがはびこるテレビ業界において、他に替え難い妖刀である。今後もバッサバッサと辻斬りに励んで頂きたいものだ。

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    あのワクワク感をもう一度 「朝生」はリベラルと漂流し自壊した

    潮匡人(評論家) 名実とも「激論」を売りにしてきた日本で唯一の討論番組。それが「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)である。放送開始は1987年(昭和62年)。四半世紀以上続く長寿番組である。馬齢を重ねてきたわけではない。月末金曜の深夜、特定のテーマを巡り、論客が口角泡を飛ばす。2月26日深夜のテーマは「激論!“憲法改正”是か?非か?」(仮)。このようにテーマの冒頭に決まって「激論」とつく。 さて今週末、タイトルどおり「激論」が交わされるのか。それとも看板倒れに終わるのか。放送前に締切りを迎える拙稿に知る由はないが、推測はできる。おそらく「激論」は起きないであろう。残念ながら、この番組で「激論」を見ることは、絶えて久しい。 一昔前は違った。最盛期は自他ともに認める「タブーなき討論番組」であった。具体的には「1980年末から90年代前半」。その当時「大学時代を過ごした人なら、月末(の朝生)が近づくとワクワクするあの感覚を覚えているだろう」――朝生を取り上げた週刊誌「AERA」(朝日新聞出版、2015年8月10日号)は記事本文をそう書き出した。田原総一朗氏=1990年12月 果たして今も、そうしたワクワク感があるだろうか。たとえばキャンパスに。あるいはお茶の間に。正直どこにも、そのような感覚は見いだせない。なぜ、ワクワク感は消えたのか。いつから、そうなったのか。アエラ記事から探ってみよう。記事は昨夏の大特集「戦後70年 終わらない戦後」の一本であった。 題して《「リベラル」は漂流し自壊した》。もちろん保守系の論壇誌ではない、紛うことなき「朝日」の看板週刊誌が付けたタイトルである。記事は末尾もこう締める。「リベラルは、敗れたというより自壊したのだ」。 ならば、その理由はなにか。いつ、どのようにしてリベラルは漂流し自壊したのか。 記事は「90年代はリベラルが活躍」との見出しで、「2000年前後から宮崎哲弥、八木秀次、小林よしのりら保守論客の活躍が目立ち始め、保守優勢の時代に切り替わった」と分析する。事実そのとおりかもしれない。ただ固有名詞には異論を覚える。たとえば「小林よしのり」は保守なのか。私は違うと思う。司会者の田原総一朗も記事でこう語る。「もともとは右だった小林さんが、左の論客になってしまった」。ふつう「左」を保守とは呼ばない。 記事は他に舛添要一や猪瀬直樹、池田信夫などの名前も挙げる(合計11名)。八木はともかく、その他は「保守」と呼べるだろうか。個々の検証は控えるが、私は疑念を拭えない。いずれにせよ、彼らは最近ほとんど出演していない。保守が不在なら討論は成立しない。最盛期の「激論」とは程遠い。朝生は漂流し自壊した 昨年、週刊「東洋経済創刊120年企画」記事「漂流するリベラル言論」で私はこうコメントした。「保守・リベラルの双方があって初めて商店街がにぎわう。隣がシャッターを締めたら、やがて商店街全体がさびれる。(中略)悪貨は良貨を駆逐する」(「リベラルとは何か?」2015年11月21日号) もとより朝生を念頭に置いたコメントではないが、期せずして、番組からワクワク感が消えた経緯とも重なる。アエラ記事で猪瀬直樹は「いまはあんな(天皇)タブーはない」と嘆く。挑戦すべきタブーが消滅すれば、「タブーなき討論」も成立し得ない。そうして「朝生は漂流し自壊した」。アエラを借りてポレミックに言えば、そういうことになる。 アエラは「朝生に多数出演したリベラル、保守双方の論客をリストアップしたチャート」も掲げた。11名の保守論客の中に私の名前もある。それも、いちばん右側に。名実とも最右翼の保守という位置づけだ。私が最初に出演したのは1993年。防衛庁長官官房(現防衛省大臣官房)で防衛庁広報誌の編集長を務めていた。「自衛隊の顔」と呼ばれ、メディアに今より露出していた制服幹部(私)が最盛期の朝生で国連PKO派遣に積極発言した。発言内容は内外から評価されたが、出演したこと自体が部内で問題視された。かくて内示もなく解職され……等々、朝生との関わりは四半世紀近くにわたり、密度も濃い。失ったものも大きいが、得たものも少なくない。 いずれにせよ「多数出演した」当事者なので、これ以上の論評は避けたい。ただ一部「保守」の朝生批判には異論を表明しておこう。とくに電波停止に言及する批判には、はっきり異を唱える。アエラに言わせれば「保守優勢」の番組、それすら標的にするのは、おかしい。さらに言えば「リベラルの自壊」を喜ぶ「保守」は卑しい。そんな暇があるなら、自ら「タブーなき討論」に挑戦すべきであろう。 自由と「開かれた社会」を守り「その敵」と闘う。そこに保守の正統はある。ところが、今やどうだ。保守自ら「閉ざされた言語空間」を形成している。その狭い空間で互いを罵り合う。路上やネット空間で汚いコトバを吐き散らす。そんな連中を、多くの人が「保守」と呼ぶ。リベラルだけではない、保守こそ漂流し自壊した。私はそう思う。 来年、朝生は30周年を迎える。司会の田原は「『30年でひと区切り』と公言する」(アエラ)。なら、その後どうなるのか。地上波から名実とも「激論」が消えるのか。そうなら寂しい。私も覚えている、80年末から90年代前半のワクワク感を。 もし、朝生関係者に〝あの頃〟を取り戻す気概がないのなら、このiRONNAが「開かれた言語空間」になればよい。ここから「タブーなき激論」に挑戦してほしい。もし「いろんな」と名乗りながら特定の主張だけを掲載するなら、看板倒れではないか。そこに希望や展望はない。私は失望する。「自由と民主主義のために闘う正論路線」を掲げるフジサンケイグループこそ、勇猛果敢に挑戦すべきであろう。勇気をもって闘う、自由と民主主義の礎となる「開かれた言語空間」のために。本来の「正論」はそこから生まれる。 べつに堅苦しい話ではない。「闘う正論路線」はきっと、人をワクワクさせる。あの頃の朝生のように。あの頃を知る私たちは、こうも知っている。「楽しくなければテレビじゃない」(フジテレビジョン)(文中敬称略)

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    甘利氏辞任、罠に嵌った政治家の末路

    で受け取ったことを認めた。いわくの「告発」をきっかけに、閣僚辞任に追い込まれた甘利氏。「罠」に嵌った政治家の末路はこんなにもあっけない。

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    甘利氏を嵌めた週刊文春「禁じ手」スクープに屋山太郎がモノ申す!

    屋山太郎(政治評論家) はっきり言って、今回の週刊文春のやり方は感心しない。甘利氏の疑惑を告発した「ネタ元」とタッグを組んで写真を撮ったり、録音したりするとか、はじめから甘利氏を罠に嵌めて「事件」にしてやろうという魂胆が見え見えだ。こんなのは、オーソドックスな雑誌記者のやり方じゃないし、何度も言うけど文春らしくない。 もちろん、安倍政権の最重要閣僚を辞任に追い込むぐらいの大スクープなんだけど、なぜかスカッとしない。それは彼らが真っ向勝負をしていないからに他ならない。こんな「禁じ手」まで使ってしまうようでは、もうジャーナリズムなんてあったもんじゃない。かつて、立花隆が月刊誌「文藝春秋」で田中角栄の金脈を暴いたときは、誰もが文句のつけようのない完璧な「調査報道」だった。私はね、どうせ政治家のスキャンダルを暴くんなら、ああいうスカッとした調査報道をしてもらいたいと常々思っている。「天下の文春」には特にそれを期待していたしね。甘利氏の収賄疑惑告発第2弾を報じた週刊文春 2月4日号 それはさておき、今回のスキャンダルは、野党にとってはおいしいネタではあったよね。国会で安倍政権を責める材料が何もないだろうから、本筋のTPP交渉とかで議論もできないだろうし、甘利さんのスキャンダルをことさら追及していた。もうこうなるときりがなくなる。ところが、甘利さんは弁護士に調査を依頼して、あっさり辞任を表明した。ぱっと身を引いちゃったもんだから、野党にしてみれば肩透かしをくらったみたいなもんだね。こうなると、野党の方がひっくり返ってしまう。いくら野党が反発したところで、疑惑の当事者が辞めちゃったものは仕方がないし、国会に呼ぶわけにだっていかない。そう考えると、甘利さんはうまく切り抜けたと思う。 甘利さんはTPP交渉を推し進めたが、もっと大きな視野で見ればTPPによって日本の市場は確実に増える。例えば、1955年に日本はGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟したが、その時は市場が広がるといって日本中が歓迎した。これは私の個人的な見解だけど、今回のTPPによって、世界のGDPの4割を占める巨大な経済圏ができるっていうのに「反対」というのは違うと思う。甘利さんはフロマン(米通商代表部代表)に怒鳴られたこともあったが、アベノミクスの柱でもあるし、国のためとの思いで必死になってやっていた。 私が記憶している限り、今回のような「禁じ手」を使ったスキャンダルは過去になかったのではないか。現金を手渡す時も用意周到に記者が録音や撮影をするなんて、こんな露骨なやり方はこれまでなかった。スキャンダルが発覚した当初、自民党内でも「ヤラセではないか?」という疑念の声が上がったのも無理はない。昔はユルかった政治とカネ 昔は政治家の秘書の給料なんて、今とは比べものにならないくらいずっと安かった。給料の半分はチップで補う欧州の給仕みたいなものだった。政治家秘書の給料がびっくりするほど安いもんだから、どうやって生活しているのかと思ったら、政治家の事務所を訪れた陳情客を案内するたびに、彼らはお金をもらってたんだよ。たとえば、秘書が陳情客に対して「先生に会わせてやる」と言って20万円を受け取って、その半分をポケットに入れるとか、そんなことは当たり前だった。秘書を雇う政治家なんかも、彼らに大した給料を支払っていないから、そのことを黙認していた。でも、時代が変わって、それまでの「常識」が金権政治の元凶になっているという批判の方が大きくなったから、政治家のカネと秘書の給与については、とにかく法律で縛って厳しくするという流れになった。 しかし、甘利さんなんかは当選11回の大ベテラン。これは推測なんだけど、古い体質が残っていたんだね、きっと。その典型的な例が一昨年、政治資金規正法違反で元会計責任者の秘書2人が有罪判決を受け、辞任した小渕優子(元経産相)。親父の代からの「金庫番」が勝手にやっていたんだから、小渕さんは本当に何にも知らなかった。 ロッキード事件のころだったら、政治資金をいくら集めようが犯罪要件は成立しなかった。田中角栄(元首相)なんかは、公共工事をばらまいて集めていたんだから。いま、角栄みたいなことを政治家がやったら、翌朝には留置場だよ(笑)。だから、昔とはまったく違う。政治家の倫理観というのは、とにかくカネを絞ることで育つ時代になったんだ。 甘利さんは、安倍さんが最も信頼を寄せる政治家の一人だよね。麻生(太郎副総理兼財務相)さんと菅(義偉官房長官)さんを含めたこの3人は、安倍さんにとって特別な存在だったと思う。そんな甘利さんも、安倍さんの信頼に応えて懸命に支えることで日本を良くしようと考えていた。それしか手はないと。安倍さんを利用するだけ利用して、次の総理の座を狙うとか、そんな野心すらなかったはずだ。私欲がない人で、頭が真っ白になるまで安倍さんを支えた。彼にとってのそれは、本当にお国のためなんだな。だからこそ、安倍さんは、甘利さんや菅さんたちには心を許していた。この2人は邪心なく、日本を良くしたいという一心で政治を動かしているよね。 甘利さんの後任には、石原伸晃元幹事長が選ばれたけど、その理由は今の閣僚の顔触れをみれば分かる。現職閣僚の中に石原派の議員がいないよね。安倍さんにしても、いつまでも彼を干していてはまずいと思ったんじゃないかな。彼の政治家としての手腕や人物を評価しているというより、派閥の力学というか、バランスを重視しての判断だったと思う。そういう余裕が、今の安倍政権にはある。 では、甘利さんはどうなるのか。もし復帰のタイミングがあるとすれば、安倍さんが首相をやっている間しかないでしょう。もしかしたら、1年ぐらい冷や飯を食って、それから重要ポストに復帰するかもしれない。いま、最も考えられるポストとしては、自民党政調会長とかなんだろうけど、これだけは確実に言えるのは、今回のスキャンダルで野党がいくらあがこうとも、今夏の参院選にはほとんど影響しないと思いますよ。(聞き手、iRONNA編集部・川畑希望)ややま・たろう 政治評論家。昭和7年、福岡県生まれ。東北大卒。時事通信社入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップなどを歴任。56年から第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。平成13年に正論大賞を受賞。近著に『安倍晋三興国論』(海竜社)など。

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    安倍総理だろうが、いつでも嵌められる「悪意」の献金は避けられない

    潮匡人(評論家、元3等陸佐) 甘利明・経済再生担当相が28日の会見で認めた通り、政治家というのは「脇が甘く」なればこうなるということです。甘利さんにすれば嵌められたという見方になるのかもしれないが、はっきり言って騙された方も悪い。それは戦争も軍隊も政治も同じ。そんな言い訳がまかり通るなら、これまでだって誰も大臣を辞める必要なんてなかった。もし、秘書のせいにしていたら一昨年、約3億円の虚偽記載で元秘書2人が有罪となって辞任した小渕優子さんとの違いは何だ、ということになる。甘利さんにはもはや、辞任以外の結論はなかった。 でも、「悪意」のある人が政治家を貶める目的で献金し、それをネタにしてマスコミに売り込んだスキャンダルが発覚すれば、必ず大臣を辞めなければいけないということになると、政治家はすべての献金者の素性を調べてからでないと、政治資金を受け取れないということになる。当たり前の話だが、すべての献金者の身元を調べるなんてことは、国会議員の事務所や政治家秘書の能力をはるかに超えていることで、事実上不可能です。ということは安倍総理であれ、嵌めようと思えばいつでも嵌められるっていうことです。記者会見で閣僚辞任の意向を表明し、涙ぐむ甘利経済再生相=28日夕方、内閣府 甘利さんは政治資金報告書に後日記載したとはいえ、大臣室と事務室でそれぞれ50万円ずつ直接もらっている。秘書が500万円もらって200万円しか申告せず、残りの300万円は全部遊興費に使ったということですから、普通なら収賄罪が成立します。少なくとも、500万円のケースについては政治資金規正法が守られていなかったわけですから、たとえ秘書が単独でやったにせよ、議員の責任が問われるのは当然のことです。こうなると、甘利さんが辞任しない限り、国会の審議も始まりませんし、参院選の日程も組めなくなる。6月1日までに通常国会が終わらなければ、国政運営は大変なことになる。結論は初めから甘利さんを本気で続投させるのか、やめていただくかの二つに一つしかなかった。 ただ、『週刊文春』の記事を読んだ人は誰もがおかしいと感じたと思いますが、なぜ甘利さんの会話が録音され、隠しカメラで撮られていたのか。政治家が何か悪いことをしたのがバレて、正義の『週刊文春』がスクープしたという構図とは全然違うことは誰でも分かる。どうしても、金を渡し文春にネタを売った告発した人物の側にきな臭さを感じる。『週刊文春』にしてみれば、大臣の首一つ取ったわけですから、週刊誌ジャーナリズムとしては「金星」です。ただ、問題なのはそれで今後こういうことが起きないのか? いや、きっとまた起きるでしょうという。与野党を問わず小選挙区の厳しい選挙を勝ち上がらなければならない国会議員にとって、同様な手法で「悪意」のある人がアクセスしてきたら、我が身を守るのは非常に難しいだろうということが、今回すべての政治家が学ぶべき教訓とも言えます。 実を言うと、私も2010年12月から2011年6月まで、宇都隆史参院議員の政策秘書を務めた経験がありますが、国会議員の周りに群がってくるのはすごく「変な人」が多いんです。まともな人や常識のある人は頻繁に事務所に来たりしません。議員会館の中を意味もなくうろうろする「政治ゴロ」と呼ばれる人たちがいる。おいしい話があれば、ガンガン食い込んでいって飯を食っているような連中がいっぱいいて、大体が筋の悪い人たちです。そういう人であっても、小選挙区を抱える国会議員は地元の選挙民だったら「胡散臭いやつだなあ…」と思いながらも、とりあえず大臣室に入れざるを得ないのが実情なんです。辞任劇はまた繰り返される 甘利さんの金銭授受疑惑に限って言えば、甘利さんは当初の対応がちょっとまずかったと思います。「記憶を整理したい」とは、政治家が絶対に言ってはいけない「禁句」だった。甘利さんを擁護するつもりはないけれど、例えば『週刊文春』の記事になぜ甘利氏の写真、録音があったのかということを読者もいま一度冷静に考えるべきだと思います。 今回のような記事内容の『週刊文春』が完売するというのが、われわれが今生きているこの国の世論なんです。それが日本の主権者の意識であり、レベルなんです。政治家は献金に対してもっと慎重であるべきだし、読者ももっと賢くなるべきです。「辞任した甘利大臣は最後は潔かった」などと適当なことを言うのではなく、甘利さんはどこがまずかったのか、刑法の第何条に違反しているのか。もし仮に法律上の問題がないのであれば、なぜ甘利さんは大臣を辞任しなければならなかったのか。それをきちんと説明できない人は、意見を求められても言うべきではない。 いま純粋な「善意」で政治家を応援し、献金をするような日本国民がどれだけいるでしょうか? 正直いないのではないでしょうか。政治家に献金する人たちは何か「下心」があるというのが実際のところではないでしょうか。アメリカだったら、オバマさんを絶対大統領にしたいと思って手弁当で選挙応援をするとか、巨額な献金をするとか、見返りを求めない純粋な支援者がゴマンといるわけです。創価学会や民青は別にして、普通の政治家に投票している普通の国民はただ投票しているだけです。私に言わせれば、あんまり政治を批判する資格がないんじゃないかということです。 今回の一件に関して言えば、問題を起こした甘利さんの公設秘書がまずかったということになるんでしょうが、別の事務所から移籍してきた人物だと聞いています。そもそも秘書という職業には「人格」がない。永田町では名前を呼ばず、「秘書さん」という呼び方をします。政治家本人の代理人であり代行者であり、自衛隊で言うと当直幕僚みたいなものだから、秘書がお金をもらうのは政治家本人がもらったのと同じことで、秘書がまずかったでは通らない。 では問題を起こさないような秘書を雇えるかというとこれが簡単ではない。例えば、一番給料が高い政策担当秘書は、弁護士や医師の国家資格があれば国家試験なしでもなることができますが、実際、医者や弁護士をやめてまで秘書になろうという人がいるでしょうか。逆立ちしても国家試験には受からない学力の人しか秘書になっていないということです。「秘書さん」扱いをし、何の敬意も払われていないわけです。その人たちに高い倫理観を求めるのは身勝手な話ではないですか。政治家は落選したら「ただの人」といいますが、秘書も大変です。 自民党議員の秘書の後任に元民主党議員の秘書がなるといったことが政治の世界では普通にある。だから、国会議員は秘書に相当気を使っていないと優秀な人であれば、どんどん辞めてしまいます。石破茂・元防衛庁長官の政策担当秘書、吉村麻央さんは永田町では珍しく、ちゃんと試験に合格した政策担当秘書で、石破氏が合格者名簿から面接し、制度が始まってすぐ採用されたそうですが、そんな秘書についての「美談」を他の政治家の事務所で聞くことなんて、ほとんどないですよ(笑)。 今回のような閣僚辞任劇は、また繰り返されるでしょう。なかなか難しいですが一旦仕切り直して政治献金に関する新たなルールをつくるのが一番良い方法だと思います。政党助成金は一つの解決策にはなり得たが、より透明性を持たせつつも、「悪意」のある反社会的勢力からお金を受け取ったとしても罪には問われない、社会的な非難も制裁も受けないような規範を作る。そういう風にしていかないと、国会議員を嵌めたやつだけが得をする、本末転倒の結果をもたらすのだということを、これを機会に多くの人が考えるべきです。(聞き手、iRONNA編集部・溝川好男)うしお・まさと 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程修了)、長官官房などを経て3等空佐で退官。帝京大准教授など歴任。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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    政治家の金銭スキャンダル 「裏切り者」はいったい誰か

    授、評論家) 週刊文春のスクープ記事をきっかけに辞任に追い込まれた甘利明経済再生相ですが、このような政治家をめぐる金銭授受疑惑の場合、一般的にその要因は複合的であるケースが多く、一つの原因で起こることはめったにないと思います。 今回の件で言えば、まず甘利さん自身が2013年に舌がんを患い、健康だったときとは異なり、事務所や秘書に対する監督が甘くなった可能性があります。さらに、文春に告発した人物が、そもそも悪意を持って甘利氏側を引っ掛けようとしたと考えるのが普通の感覚ではないでしょうか。 報道で出ている以上に詳しいことはよく知りませんが、あそこまで周到に準備していたという状況を考えると、甘利氏側に「謝礼」をしてきたにもかかわらず、彼らが結果として何も動いてくれなかったことへの逆恨みで表沙汰にしたという単純な動機だけではなさそうです。もしかすると、既に報じられている通り、甘利氏の公設秘書と女絡みでトラブルだってあったのかもしれない。一連の報道では公設秘書とフィリピン・パブによく行ったとも話していましたよね。甘利明経済再生相の辞任のニュースを伝える街頭ビジョン=1月28日午後6時、大阪市北区(柿平博文撮影) 他に考えられることとすれば、この秘書自身も甘利氏が病に倒れたことで自分の将来を悲観しただけでなく、甘利氏の存在を無意識のうちに見下すようになっていたのかもしれません。病を患っていなければ、甘利氏も注意深く秘書を監視できていたでしょうし、こんなスキャンダルに発展することはなかったのではないでしょうか。 政治家が金銭をめぐるスキャンダルに巻き込まれるケースはこれまでもよくありましたが、その原因の一端として特に多いのが秘書に裏切られるパターンです。政治家は一人で悪さをすることは少なく、取り巻きの秘書がまったく知らないなんてことはまず考えられません。つまり、秘書に何か秘密をベラベラしゃべられたらアウトの政治家なんて、今さら言うまでもないですが、ほとんどがそうだと思います。かなりの大物政治家だって、スキャンダルが表面化したケースは、秘書だけじゃなく家族にまで裏切られるというパターンが多いですよね。 例えば、ロッキード事件。田中角栄元首相の榎本敏夫秘書がその典型ですよね。世間がロッキード一色で、いよいよ田中氏が逮捕されるという直前だったと記憶していますが、通産省(現・経済産業省)に入省して間もない私に「田中角栄が危ないぞ。でも、別の実力者は大丈夫だろう」と耳打ちしてきた人がいました。理由を聞くと、当時榎本秘書と児玉誉士夫の秘書だった太刀川恒夫氏が逮捕され、検察の事情聴取を受けていたんですが、その人は「太刀川はアウトローで自供したら殺されるから口を割らない。でも榎本はカタギだから自供しても殺されない」と言ったんです。カタギは身柄を拘束されて取り調べを受けると弱いですから、榎本秘書は捜査段階で現金授受をあっさり認めてしまったわけです。検察の取り調べはものすごく厳しいでしょうから、普段言わないこともベラベラしゃべっちゃったわけです。 先ほどもお話したように秘書だけではなく、家族に裏切られて失脚する場合もあります。みなさんも記憶に新しいと思いますが、小沢一郎氏の政治生命をほぼ終わらせたのは、小沢氏の元妻、和子さんですよね。小沢氏の支援者に向けて書いたとされる「離縁状」でさえ週刊誌に公開されましたが、痴情のもつれがこじれてスキャンダルが明るみになるケースなんて珍しくはありません。結局はお金に困っていたのか 男女のもつれということで言えば、政治家が自分の愛人に裏切られるというパターンも実に多いですよね。宇野宗佑元首相なんか、自分の女性スキャンダルが表に出たのは宇野さん自身がケチだったからです(笑)。宇野さんはとても健全な金銭感覚の持ち主で、愛人への口止め料なんか無駄な金だと考えて払うのをしぶったんです。「あいつなんて放っとけばいい!」と言わんばかりに、愛人への手切れ金をケチったことが仇になったんです。 海外に目を向けると、内部告発サイト「ウィキリークス」のように、これまでの技術では考えられなかった盗聴や情報流出が起きて政治家のスキャンダルが発覚したというケースもありました。中国なんかでは、政治家に女をあてがう「ハニートラップ」なんか当たり前のように起こり得ます。 そういえば、かの国で最近起こった政治家をめぐるスキャンダルといえば「薄熙来事件」がありました。ご存じの方も多いでしょうが、自分の腹心で公安のトップだった王立軍が抹殺されるのを恐れて、こともあろうに成都の米総領事館に逃げ込んだことが失脚の糸口になりましたよね。こうなると、江沢民と親しい関係で権勢を誇っていた薄熙来でも、コントロールが効かなくなりますから、もう手の打ちようがなくなります。 どこの国でもそうですが、政治家というのは建前では清廉潔白を求められる職業です。わが国でも、政治家が反社会的組織の人物とのツーショット写真が週刊誌等に掲載され、釈明に追われるというスキャンダルがよくあります。でも、常識で考えれば、政治家が「一緒に写真を撮ってください」と支援者かもしれない人物に言われて、それを断るなんてことはなかなか出来ませんよね。こんなケースではむしろ、ことさら問題にして取り上げるマスコミや野党の側だって悪い。暴力団関係者と知りながら、誕生パーティーに出席するのとはワケが違う。もちろん、一瞬話題にはなっても、その後大きな問題にはならずに収まっていますよね。 政治家に限らずどんな職業であれ、未熟な人間であれば罠にひっかかりやすいのは当然です。要するに個々人の「脇が甘い」わけです。ただ、今回の甘利氏のように、海千山千の政治家が引っかかるのは、それなりの「理由」があると思いますよ。それに報酬や供与が賄賂になるのかどうか、基準がはっきりしていればいいんですけど、どれもこれも曖昧なもんだから、「お前、カネを受け取っただろ」と脅される隙がどうしても生じてしまう。 私の官僚時代で言えば、贈答品などでも月給の20分の1までならOKなどという暗黙の「目安」がありましたね。先輩からは「ジョニ赤はセーフ、ジョニ黒はアウト」などと教えられた記憶があります。当時の私の初任給なんて約10万円程度でしたから、ウイスキーの昔の価格でいえば、5千円のジョニ赤なら問題ないが、20分の1を超える1万円のジョニ黒ならダメとなるわけです。ある銀行では「いただいたモノの半返しならセーフ」というルールなんかあったそうです。 アメリカなんかは、日本よりもっとはっきりしていますから、食事も贈り物も上限がきっちり決まっている。ワシントンでは「オフィサーズランチ」というのがあって、高級レストランの1万円のメニューでも高官だけが割安になる制度なんてのもありました。 まあ話はいろいろ横道になりましたが、今回の疑惑で考えれば、甘利氏の疑惑を告発した人物は、決定的な証拠をつかんだ上で甘利事務所側を強請ろうという意図なんかがあったのかは知りませんけど、結局はお金に困っていたんじゃないのかと疑わしい部分もありますよね。いずれにせよ、甘利氏はこの人物の告発がもとで失脚したことは間違いないですが、甘利氏が辞任したところでTPP交渉に影響が出て、御破算になるわけではありません。いま、甘利氏を辞任に追い込んで得をする利害関係者なんか見当たらないし、告発した人物の背後に誰かいるとも考えづらい。このスキャンダルは、甘利氏と告発した人物をめぐる利害のもつれが引き起こしたと考えるのが一番自然なんじゃないでしょうか。(聞き手、iRONNA編集部・松田穣)やわた・かずお 1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。徳島文理大学教授。著書に『誤解だらけの韓国史の真実』(イースト新書)、『歴史ドラマが100倍おもしろくなる 江戸300藩 読む辞典』(講談社+α文庫)など多数。

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    甘利氏をめぐる事件で真価を問われる検察

    円については甘利氏が代表となっている「自民党神奈川県第13選挙区支部」の領収書を渡されたが、同支部の政治資金収支報告書には、寄付100万円の記載しかない。また、甘利大臣が受け取った100万円のうち、最初の50万円は、政治資金収支報告書に記載がないとされており、これらについて政治資金規正法違反(政治資金収支報告書の虚偽記入罪)が成立する可能性が高い。家宅捜索に入る東京地検特捜部の係官=2011年6月、東京都千代田区(岡嶋大城撮影)裏金献金摘発へのハードル このような、政治資金収支報告書に記載されない「裏献金」の問題を政治資金規正法違反の犯罪で摘発する際にハードルとなるのが、「政治資金の帰属」の問題だ。 政治資金規正法は、政党や政治団体の会計責任者に政治資金収支報告書の作成・提出を義務づけている。国会議員であれば、個人の政治資金管理団体のほかに、代表を務める政党支部があり、そのほかにも後援会など複数の政治団体があるのが一般的だ。このような政治家が、企業側から直接政治献金を受け取ったのに、領収書も渡さず、政治資金収支報告書にも全く記載しなかったとすれば、政治資金の透明化に露骨に反する最も悪質な行為だが、このような「裏献金」の事実について政治資金規正法違反で刑事責任を問うことは容易ではない。 政治資金規正法違反の事実として考えられるのは、「企業等は政党または資金管理団体以外に対して寄附をしてはならない」との規定に違反して「政治家個人宛の寄附」を受領した事実か、受領した寄附を収支報告書に記載しなかったという虚偽記載の事実である。ところが、その「裏献金」が、政治家個人に宛てたものか、資金管理団体、政党支部などの団体に宛てたものかがはっきりしないと、どちらの規定に違反するのかが特定できない。裏金は、最初から寄附を「表」に出すことを考えていないのだから、政治家個人宛か、どの団体宛かなどということは考えないでやり取りするのが普通であり、結局、「政治資金の宛先」が特定できないために、政治資金規正法違反の事実が構成できず刑事責任が問えないということになる。 議員の職務権限との関連性が認められないために賄賂にはならない「贈収賄崩れ」のような裏金のやり取りは、政治資金の透明化という法の趣旨から言うと最も悪質な行為だが、このような「政治資金の帰属」の問題があい路となって立件できない結果に終わる場合が多かった。裏金献金摘発が容易な例外的ケース裏金献金摘発が容易な例外的ケース しかし、例外的に、この「刑事立件の壁」を超えられるケースがある。それは、政治団体名等で領収書が交付され政治資金収支報告に記載される「表の献金」と「裏の献金」の両方がある場合だ。 その典型例が、2002年から03年にかけて、私が、長崎地検次席検事として捜査を指揮した「自民党長崎県連事件」だ(拙著【検察の正義】(ちくま新書)の「最終章 長崎の奇跡」で、地方の中小地検の全庁一丸となった独自捜査で、政権政党の地方組織の公共工事受注業者からの集金構造に迫ったこの事件について述べている。)。 この事件は、自民党長崎県連が、公共工事の受注額に応じて政治献金をするようゼネコンに要求し、多額の寄附が行われていた事件だ。政党への政治献金に対して公職選挙法を初めて適用したことで全国的にも注目を集めたが、長崎県知事選挙に関して公共工事受注業者から寄附を受けたという公選法違反に加えて、多額の「裏献金」を政治資金収支報告書の虚偽記入罪で立件・起訴した。 それが可能だったのは、長崎県連の幹事長と事務局長が、正規に領収書を発行して収支報告書にも記載して処理する「表の献金」を受ける一方で、同じような形態でゼネコン側から受け取った献金の一部については、領収書を渡さず、収支報告書にも記載しないで処理し、県連の「裏金」に回していたからだ。「自民党長崎県連宛の寄附」として収支報告書に記載すべき寄附であるのに、その記載をしなかったことの立証が容易だった。 今回の甘利大臣をめぐる政治資金の問題も、長崎県連事件と同様に、収支報告書に記載された「表の寄附」と、記載しない「裏献金」の両方がある。例外的に、政治資金規正法違反で立件可能なケースだと言えよう。 文春の記事を前提にすれば、甘利事務所の政治資金の処理はあまりに杜撰であり、しかも、大臣の現金授受についての記憶は「曖昧」であり、このような政治家の事務所に捜索に入れば、不正な金の流れがほかにも発見される可能性も高い。 甘利大臣をめぐる疑惑は、事件の中身としては、検察が大物政治家をターゲットとして捜査に着手することが十分に可能だと言えよう。政界捜査で繰り返されてきた法務省からの圧力 もっとも、この種の政治家に関連する事件の場合、しばしば検察と法務省との関係が問題になる。 人事・予算を内閣に握られている法務省の側には、安倍内閣の有力閣僚の事件を摘発することに対しては、相当な抵抗があるであろう。 とりわけ、現在の法務省にとっては、「日本版司法取引」の導入や盗聴の範囲の拡大などを盛り込んだ刑事訴訟法改正案が、昨年の通常国会で成立せず、参議院で継続審議となっており、今国会での議案の取扱いは、安倍政権側の判断に委ねられている。法務省側からは、甘利大臣の事件の検察の捜査を抑え込むことと引き換えに、刑訴法改正案の審議を進めることを求めるという「闇取引」を持ち掛けるというのも考えられないことではない。 安倍政権が絶大な政治権力を誇る状況下で、法務省サイドの圧力を跳ね返して、甘利大臣自身の事件をも視野に入れた捜査を積極的に進めていくことができるか、検察の真価が問われることになる。 前記の自民党長崎県連事件の捜査でも、ちょうど小泉政権の絶頂期だったこともあり、政権与党に打撃を与えること避けようとする法務省サイドから強烈な圧力がかかった。当時、長崎地検では、議長を逮捕して、自民党有力政治家の疑惑に迫ろうとしており、県連の裏金に関して、中央の有力政治家に絡む事件のネタも多数あったが、捜査が政権政党に大きな打撃を与えることを懸念した法務省や法務省系の最高検幹部の猛烈な反対に行く手を阻まれ、在宅捜査に切り替えて略式起訴に持ち込み、捜査を終結させざるを得なかった。検察の正義を巡る環境を変えた検察審査会の起訴議決検察の正義を巡る環境を変えた検察審査会の起訴議決 過去にも、政治に絡む事件で検察と法務省との確執が繰り返されてきた。しかし、今では、そのような法務省側の消極意見があったとしても、法改正によって権限が強化された検察審査会の存在が、圧力を跳ね返す大きな力となり得る。「検察の正義」をめぐる環境が大きく変わっているのである。東京電力福島第1原発事故で、検察審査会が当時の東電経営陣の「起訴相当」を議決し、議決書を張り出す職員=2014年7月31日、東京・霞が関(栗橋隆悦撮影) 近著【告発の正義】(ちくま新書)でも書いたように、2009年の検察審査会法の改正で、検察審査会の議決によって起訴される制度が導入されたため、告発された事件が不起訴になった場合、告発人は検察審査会に審査の申立てを行うことができる。そこで、「起訴相当」の議決が出ると、検察は再捜査を行うことになる。以前は、再捜査の結果、検察が再度不起訴にすれば、刑事事件はそれで終結していたが、法改正により、検察官が二度目の不起訴を行っても、検察審査会で再度審査して「起訴議決」を行えば、裁判所が指定する弁護士によって起訴手続きがとられることになった。 起訴議決制度が導入されたことで、検察は、社会的に注目を集めた告発事件については、検察審査会の議決によって起訴議決に持ち込まれる可能性がないかどうかという観点から検討せざるを得なくなった。「市民の常識」を尊重した捜査・処分をせざるを得なくなっている。 週刊文春の記事によって、甘利大臣の疑惑もあっせん利得処罰法違反、政治資金規正法違反の犯罪に該当する可能性があることが広く世の中に認識されていることから、市民団体等が告発を行ってくる可能性は高い。告発された場合、いろいろ理屈をつけて検察が不起訴にしても、検察審査会への審査申立てが行われ、「市民の常識」に基づいて起訴議決が行われる可能性がある。検察にとって千載一遇のチャンス 2009年、政権交代をめざす野党第一党の民主党党首小沢一郎氏の秘書を、僅か2000万円の、しかも政治資金収支報告に記載された「表の寄附」に関する政治資金規正法違反で逮捕した検察にとって、現政権の有力閣僚の秘書の事件の捜査に消極的な姿勢をとることなど許されない。 法務省の圧力に屈し、十分な捜査を行わず、告発をされても不起訴にするというような姿勢をとれば、市民を代表する検察審査会の審査員から「起訴議決」の鉄槌を下されることになることとなるだろう。 その時は、大阪地検特捜部の証拠改ざん等の不祥事、東京地検特捜部の陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書による検察審査会の議決誘導問題など、一連の不祥事で大きく傷ついた検察への国民の信頼は完全に回復不能となる。 逆に、甘利大臣とその秘書に対して、適切な捜査を行って証拠を固め、適切な刑事処分を行うことができれば、不祥事で失われていた検察への信頼を、一気に回復させることができる。本来であれば、即刻辞任してもおかしくない重大な疑惑が表面化しているのに、TPP問題の国会審議の関係などで大臣を辞めるに辞められない状況は、検察にとっては、まさに千載一遇のチャンスだと言えよう。 文春の早刷り版で、記事の内容が明らかになってから既に2日経過している。その間にも罪証隠滅が行われている可能性が高い。しかも、甘利大臣は、「第三者を入れて調査を行う」というようなことを言っている。明らかに犯罪に当たる今回の問題について「非犯罪ストーリー」で関係者証言を固めてしまう罪証隠滅になりかねない。 速やかに強制捜査に着手し、証拠を収集しなければ、刑事事件として立件・起訴できる可能性が低下していくことは確実だ。もはや一刻の猶予も許されない。 一連の不祥事に関して、厳しく検察を批判し、今も、美濃加茂市長事件の控訴審で検察と徹底的に戦っている私だが、今回の事件については、検察の威信をかけた戦いに期待したい。(ブログ「郷原信郎が斬る」より2016年1月22日分より転載)

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    甘利氏は「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか

    ら多額の金品を受領していたことを報じている。この記事には、その行為について、あっせん利得処罰法違反や政治資金規正法違反が成立する可能性がある旨の私のコメントも掲載されている。報じられている疑惑の中身は以下のようなものだ。甘利TPP担当相の収賄疑惑を報じた「週刊文春」の記事(古厩正樹撮影) 甘利大臣の公設第一秘書が、URの道路用地買収をめぐるトラブルに関して、UR側に補償金を要求していた業者から依頼を受け、UR側との交渉に介入し、URに2億2000万円の補償金を支払わせ、2013年8月に、その謝礼として500万円を受け取った。 それに加え、甘利大臣自身も、業者と直接会って、URと業者との産業廃棄物処理に関するトラブルについて説明を受けて補償交渉に関する対応を依頼され、同年11月に大臣室、2014年2月には神奈川県内の事務所で、現金50万円ずつ計100万円を直接受け取った。 その後、別の秘書(現・政策秘書)が環境省の課長と面談し、URの担当者と面談するなどして、産廃処理をめぐるトラブルに介入。その秘書は業者から多額の接待を受け、URの監督官庁である国交省の局長への「口利き」の経費などと称して合計6百万円以上を受領するなどしていた。 公設第一秘書が受け取った500万円のうち400万円については甘利氏が代表となっている「自民党神奈川県第13選挙区支部」の領収書を渡されたが、同支部の政治資金収支報告書には、寄付100万円の記載しかない。また、甘利大臣が受け取った100万円のうち、最初の50万円は、政治資金収支報告書に記載がないという。 日曜日(1月17日)に、週刊文春の記者からの電話で、甘利大臣と秘書に関する疑惑の内容を聞かされ、私は耳を疑った。いまどき、そんな“絵に描いたような”国会議員や秘書による「口利き・あっせん利得」というのが行われているなどとは、にわかに信じ難かったからだ。しかも、甘利大臣はTPP担当大臣、最も有力な現職閣僚の一人だ。それが、大臣在任中の2013年から14年に、大臣自身や秘書による「口利き」に関して、多額の金品のやり取りが行われたというのだ。 「あっせん利得処罰法」は、国会議員等の政治家が、行政機関等に「口利き」をして金品を受け取る行為を処罰する法律だ。政治家が「口利き」をし、その見返りとして「報酬」を受け取るという行為は、政治家と行政との腐敗の象徴としてかねてから批判されてきたが、2000年に中尾元建設大臣が、公共工事発注の口利きの見返りに建設会社から賄賂を受領して受託収賄事件で逮捕されたのを契機に、改めて国民から批判が高まったことを受け、2002年に法律が制定された。その後も、「政治とカネ」をめぐる問題が表面化する度に、国民の政治不信が高まり、政治家のモラルが問われ、政治資金の透明化のため政治資金規正法の強化・改正も行われてきた。このような流れの中、2003年に施行された「あっせん利得処罰法」が実際に適用されて摘発された事例としては、市町村議会議員が公共工事の発注に関して「口利き」をして利益供与を受けた事件が数件ある程度で、国会議員や秘書が関わる事件が摘発された例はない。 国会議員レベルの政治家に関して言えば、政治資金の透明化、政治活動の浄化が進み、「口利き」による金品の受領などというのは「過去の遺物」になりつつあると、少なくとも私は認識していたし、多くの国民の認識もそれに近かったはずだ。あっせん利得処罰法違反、政治資金規正法違反 成否のポイント ところが、週刊文春の記事によると、まさに国論を二分したTPP交渉の最前線に立って活躍する政治家の甘利大臣の秘書が、古典的とも言える「口利き」を平然と行って、業者から金をせしめていた。しかも、大臣自身も関わったり、現金を受領したりしていたというのだ。 私は、コメントを求めてきた記者に、そのような疑惑を裏付ける証拠があるのかと聞いた。記者によれば、甘利大臣側と業者とのやり取りや「口利き」の経過に関して、録音等の確かな証拠もあるとのことだ。 この問題は、久々に「政治とカネ」に関する重大な疑惑として、国会等で追及されることは必至だろうが、何と言っても焦点となるのは、現職大臣やその秘書について、検察当局による犯罪捜査がどのように行われ、どのような刑事処罰に発展するのか、特に注目されるのは、本件について、過去に例がない「あっせん利得処罰法」の国会議員やその秘書に対する適用が行われるか否かであろう。 週刊文春の記事を前提に、甘利大臣や秘書に関するあっせん利得処罰法違反、政治資金規正法違反の成否に関してポイントとなる点を述べておくこととしよう。 あっせん利得処罰法1条1項は、「衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長が、国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、その報酬として財産上の利益を収受したときは、3年以下の懲役に処する」と定めており、2項で、「国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人」の「役員又は職員」に対しての行為も同様としている。また、同法2条は、「衆議院議員又は参議院議員の秘書」が同様の行為をおこなったときは2年以下の懲役に処するとしている。 URは国交省が100%出資している独立行政法人であり同法2項の「法人」に該当すること、甘利大臣は衆議院議員であり、その秘書が、2項の「衆議院議員の秘書」に該当することは明らかだ。 問題は、①秘書のURの職員に対する行為が、法人の「契約」に関するものと言えるか、②「請託」があったと言えるか、③「権限に基づく影響力を行使」したと言えるか、である。 ①については、秘書が関わった問題は、URの道路用地買収をめぐる業者との間の補償交渉であり、公共工事などとは違い、契約の内容が具体化しているものではない。しかし、補償交渉の結果、URと業者との間で合意が成立すれば、それは契約であり、その合意が業者にとって有利なものとなるよう、URの役職員に対して働きかけが行われたのであれば、「契約」に関するものと言うことができるであろう。 ②の「請託」とは「一定の行為を行うよう又は行わないよう依頼すること」である。請託事項は、その案件の具体的事情に照らして、ある程度の特定性・具体性を要するものでなければならない。「請託を受け」とは、単に依頼されたという受身の立場では足らず、その職務に関する事項につき依頼を受け、これを承諾したことが必要である。記事によれば、甘利大臣の秘書は、実際にURの職員と面談したりしているのであるから、URの役職員に補償に関する「職務上の行為」を行わせるよう働きかけるという「具体的行為」を、業者が依頼したことは明らかであろう。 ③についても、ここでの「権限に基づく影響力の行使」というのは、「大臣としての権限」ではなく、「国会議員の権限」に基づくものでなければならないが、政権与党の有力閣僚である甘利大臣は、国会議員としても、予算や法案の審議や評決に関して大きな影響力を持っていることは明らかであり、その秘書も、それを十分に認識した上で活動しているはずなので、UR側への働きかけが「権限に基づく影響力の行使」であることは否定できないであろう。 甘利大臣についても、「権限に基づく影響力」を行使してUR側に一定の職務行為を行うことの「請託」を受け、現金をその報酬として受領したのであれば、あっせん利得が成立することになる。「請託」について緩やかな解釈を取る検察 記事では、甘利大臣は、業者とURとのトラブルに関して、資料に基づいて説明を受け、同席した秘書に、「これ(資料)を、東京の河野君(現・大臣秘書官の河野一郎氏)に預けなさい」と指示したとされているが、大臣自身がその後、実際に業者からの依頼に基づく行為、例えば、自ら行政庁やURに働きかけたり、秘書へ指示するなどの行為を行ったのか否かは明らかではない。 また、「請託」というのは、依頼する行為が、何らかの具体性を持ったものであることが必要であり、漠然としたものでは「請託」とは言えないというのが一般的な理解であろうが、記事を前提にしても、業者側が大臣に具体的にどのような行為を依頼したのかは明らかではない。 しかし、検察は、「請託」の具体性についてはかなり緩やかに解している。 現在名古屋高裁に控訴中の美濃加茂市長事件では、一審で賄賂の授受が否定され無罪判決が言い渡されているが、この事件で、検察は、藤井美濃加茂市長が市議時代に業者から浄水プラントの導入に関して依頼を受けたとして、受託収賄、事前収賄と併せて、「あっせん利得処罰法」違反の事実も起訴している。 この事件での検察の主張は、浄水プラントの導入に関して、具体的に市議会議員としてどのような職務を依頼したのかが特定されていなくても「請託」に当たるというものである。 もちろん、同事件で市長の主任弁護人を務める私は、そのような「請託」の要件の拡張解釈は不当だと考えており、同事件の公判でも「請託」を認める余地がないことは強く主張しているが、一審では弁護側の主張どおり「賄賂の授受」そのものが否定されているので、「請託」の有無は裁判所の判断の対象にはなっていない。しかし、検察は、「請託」について、そのような緩やかな解釈で起訴し、無罪判決に対して控訴まで行って有罪判決を求めているのである。これからすると、今回の甘利大臣の事件について、「請託」が認められないことを理由に消極判断をすることはあり得ないであろう。参院決算委で、民主党の江崎孝氏の質問に答える甘利経済再生相               =1月21日(斎藤良雄撮影) また、大臣自身についてのあっせん利得罪は成立せず、秘書についてのみ同罪が成立する場合であっても、秘書と大臣との共謀による犯罪の成立が問題になり得る。過去に、「政治とカネ」の問題について、政治家が秘書に責任を押し付けているとの批判が繰り返され、秘書について、政治的責任のみならず、秘書との共謀による刑事責任の追及が遡上に上った例は枚挙にいとまがない(最近の例では、小沢一郎氏の秘書が政治資金規正法違反に問われた例で、小沢氏自身も共謀による刑事責任が問題とされた。)が、実際には共謀の立証は困難であり、刑事責任が問われた例はほとんどない。本件でも、秘書が業者から受け取った金について、甘利大臣が認識していたことの証拠が得られるかどうかが鍵となるだろう。 今日の参議院決算委で、この問題について質問された甘利大臣は、「会社の社長一行が大臣室を表敬訪問されたことは事実だ。一行が来られて正確に何をされたのか、記憶があいまいなところがある。きちんと整理をして説明したい」と答弁した。 まさに、唖然とするような答弁である。50万円もの現金を受け取ったか否か記憶が曖昧だ、ということは、その程度の現金は、いちいち覚えていないぐらい受け取っているということであろうか。 現職有力閣僚をめぐる「絵に描いたようなあっせん利得」の疑惑は、一層深まっている。(ブログ「郷原信郎が斬る」より2016年1月21日分より転載)

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    甘利氏だけじゃない TPPにも逆風が吹き荒れている

    岡本裕明(Blue Tree Management 株式会社 代表取締役) TPPの署名式が2月4日にニュージーランドで執り行われることになりました。渦中の甘利大臣がニュージーランド行きの切符を手にすることが出来るのかも含め、注目に値するイベントとなりそうです。 この署名式はTPPの12の協定参加国が集まり、協議、合意した内容について署名するものです。大きなベンチマークとなります。プロセスとしてはこの署名された合意文書を各国が自国に持ち帰り、内容を検討し、それぞれの国が批准することになります。日本は政権が安定し、可決批准するハードルが最も低い国の一つとされ、日本のリーダーシップがまずはポイントとなります。 通常、各国の議員はTPPの内容を精査するため、数か月程度の時間をあてがわれ、その後、審議に入ります。この審議が曲者で必ず反対派は存在し、関連産業、業界ではロビー活動も活発に行われています。よって様々な議論が想定されるわけですが、この署名された内容は修正が出来ず、take or leave it(無条件で飲むか拒否するか)しか選択肢がありません。 批准は書名から2年以内を目標としていますから上手くいっても発効そのものは2018年ごろになる見込みです。 さて、その中で一番注目されるのはアメリカの動きでしょう。オバマ大統領は氏がまだ大統領でいるうちに批准させたいと考えているようですが実態は厳しいように見えます。これは民主、共和ともに反対派が存在し、クリントン候補も「現時点では賛成しがたい」と発言している意味を慎重に考える必要があります。オバマ氏の描く批准に対して議会を相当紛糾させることで時間稼ぎをし、オバマ大統領のレガシーにはさせない勢力が勝るようです。TPP交渉が閣僚会合で大筋合意し、共同記者会見に出席した甘利明TPP担当相(左)とフロマン米通商代表部(USTR)代表=2015年10月6日、米アトランタ(共同) では、クリントン氏が「現時点では」と述べる理由の裏は何でしょうか?多分、選挙を考慮しているものと思われます。今、TPP賛成の旗を振ることは大統領候補としては不利な立場に追いやられるとみていないでしょうか?とすれば、それは議会の思った以上に強い抵抗勢力とも受け止められ、新大統領が決まった際にちゃぶ台返しがないとは言い切れない気がします。それぐらい今のアメリカは一枚岩ではなく、微妙なバランスを維持している感があります。 アメリカが批准しなければどうなるのか、ですが、結論から言うとTPPは流れます。 TPPは発効の前提として参加国全てが批准するのが前提です。原則一カ国も脱落が許されません。仮に2年以内に全ての国で批准できなければ「国内総生産(GDP)で全体の85%以上を占める6カ国以上の批准」が条件となっています。このGDP 85%を満たすにはアメリカ(60%)と日本(17%)が批准しないと絶対にパスできない為、アメリカの不参加はTPPの不成立を意味するのです。 以前にも申し上げました通りTPPの関門は貿易、関税だけではなく人の往来を緩和するところもポイントです。ところがテロが頻繁に起きている現代に於いて国家はその門戸をなるべく細目にする傾向が強まります。欧州を自由に行き来できるシェンゲン協定の行方が注目されています。テロリストが自国に自由に入り込めるからで協定参加国の中で国境管理が甘いところがあればそこからなだれ込む図式が懸念されているのです。 とすれば、TPPが内包する人の往来の緩和はシェンゲン協定とは違うものの当然、各国としては言葉通りに受け止められない事象となるでしょう。ところが冒頭に申し上げたようにこのTPPの草案は修正不可であります。よってそれを受け入れたくない派閥は批准遅延策に出るしか対抗手段がなく、結果として時間切れすら想定できることになります。 先日駐日カナダ大使の講演においてTPPについてちらっと触れていたのですが、正直、全く前向きな感じがしませんでした。「我々はアメリカにフォローする」というスタンスだったのですが、これは裏を返せばカナダとして国内でTPPを批准するにはアメリカというドライバーが必要で、さもなければ国内の反対派を押し切れないと聞こえます。 マスコミはアメリカの批准の可能性は5分5分(つまりTPPの成立の確率も5割という意です)と見ていますが、私はもう少し分が悪い気がします。あとは今後2年間の経済状況、テロ問題、中国の動きが展開のカギを握るかと思います。 甘利大臣はそこまで持つか分かりません。今回の報道が週刊文春に書かれている通りだとし、賄賂を渡した証拠があるとすれば大臣職を全うするのは厳しくなります。それは国内批准の責任者すら全うできなくなる意でもあります。 TPPには相当の逆風が吹き荒れているという感がいたします。(ブログ『外から見る日本、見られる日本人』より2016年1月25日分を転載)

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    若者に一人5票の選挙権を与えよう

    った若者の発言力を強めるために、1票の価値を2倍程度に引き上げる思い切った手段が考えられます。また、政治は今後の日本のありかたを決めていくのですから、今後の日本に長く住む若者(平均余命が高齢者に比して3~4倍長い)は、政治の影響を高齢者よりずっと長い間受け続けるわけですから、政治に対する発言力を、さらに大きくしても良いと考えられます。 総論では、誰でも『日本の将来は若者の双肩にかかっている』と一致しているのですから、思い切って、若者に一人5票の選挙権を与えてはどうでしょうか。この世代間発言力の不均衡是正措置により、若者の政治離れも一気に解消して、老いも若きも日本の将来を真剣に論じ合える風土が実現するのではないでしょうか。 役割を認められ、権限を付与された若者の活躍は、歴史が実証しています。24歳、24歳、29歳、26歳、28歳、29歳という若い顔ぶれは、誰だと思われますか。 大阪夏の陣以来、250年ぶりの内戦となった蛤御門の変。その中心人物であった、久坂玄瑞、高杉晋作、有栖川宮熾仁親王、一橋慶喜、松平容保、近藤勇その人達の当時の年齢です。(ニッセイ基礎研究所 レポート『研究員の眼』2012年3月12日 より転載)関連記事■ それでも、若者の政治参加って必要ですか?■ 政治変えるか 子供の「一票」■ デフレ世代からみる解散決意の違和感

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    「わが軍」批判の民主党は保護対象外の絶滅種

    野口裕之(産経新聞政治部専門委員) アンポ反対系DNAを受け継ぐ「絶滅危惧種」がいまだ生息している永田町の生態系にはウンザリする。国会で、自衛隊を「わが軍」と表現した安倍晋三首相(60)の言葉尻をとらえ、重要政策を棚上げして揚げ足取りに時間を浪費する執拗な“古典的攻撃”を、民主党議員らは恥ずかしいと感じないのだろうか。軍の保持を曖昧にした日本国憲法への「違反」を引き出す戦法のようだが、もはや憲法改正前の集団的自衛権行使の合法的実現は時間の問題。集団的自衛権は国際法上、国家の命を受けた国軍が武力行使するのであって、国軍以外の他組織による集団的自衛権行使は極めてわずかな特殊例だけ。国際の大勢も行使実現を歓迎し始めた今、無駄な抵抗は止めたがよい。絶滅危惧種は「絶滅」が「危惧」されるため保護対象になるが、小欄は危惧していない。むしろ健全な安全保障政策論議に思考停止し、国際が理解不能な愚問を蒸し返す政治家は「絶滅推進種」に指定したい。左翼イデオロギーなる賞味期限が切れた栄養をすすり、しぶとく生き残る絶滅推進種は滑稽を通り越し哀れでさえある。「わが社」と呼ぶ自衛官 栄養源の中でも高カロリーなのが日本国憲法だ。憲法の本格的検討→制定→施行は連合軍占領下の1946~47年。米国を筆頭に連合国が「日本はアジア諸国を苦しめた侵略国=悪い国」と罪悪感を植え付ける非軍事・民族骨抜き政策に邁進した時期だった。憲法は洗脳道具として、素人米国人が1週間程度で速成した。その後、朝鮮戦争(1950~53年休戦)が勃発し、米国など国際社会はあわてて日本の再軍備を支援する。以来、軍の保持が曖昧なままの憲法は左翼の「メシの種」となった。衆院予算委員会で質問に立つ民主党の細野豪志政調会長=4日午前、国会・衆院第1委員室 ただし、自衛隊は国家防衛を担任する唯一の組織であり、国際法上の交戦資格を有し、自衛官は戦闘員とみなされる。自衛隊の艦艇・航空機も国際法上軍艦・軍用機として扱われる。外国賓客が来日時、自衛隊による栄誉礼を受け、自衛隊艦艇に民間船舶が国旗を下げて敬意を払うのも、入港時に「両軍」が礼砲を撃ち合う儀礼も、国際社会が自衛隊を完全に国軍として公認している証左である。 安倍氏が「わが軍」ではなく「わが社」と呼べば絶滅推進種は満足なのか。少し前まで「わが社」と表現する自衛隊員は多かった。特に駐屯地・基地外で会えば尚のこと「わが社」を強調した。軍=戦争=悪などとデマにさらされ、自衛隊という呼称を極力使わぬよう意識していたのだ。さすがに、災害出動や国際支援などでの八面六臂の大活躍を、社会が高く評価せざるを得なくなり少なくなったが、時々耳に入る。聞き耳を立て言葉狩りを狙う、絶滅推進種を恐れての自衛策でもある。 従って、軍事用語は徹底的に葬られ、自衛官の側も抵抗できぬまま慣らされてしまった。専門別に育成される各兵科の場合、歩兵は普通科、工兵は施設科、砲兵は特科…。小欄は講演後、聴衆の主婦に「普通科の他に商業科も有るか?」と尋ねられている。そも、兵科を「職種」と呼ぶのだから「わが社」という表現もむべなるかな。保守政治家の「落語家」化 絶滅推進種はいっそ国会で、戦車を自衛隊創成期の呼称「特車」に戻すよう提案、海上自衛隊が演奏し、多くの国民が大感激する軍艦行進曲(軍艦マーチ)を問題にしてはどうか。人としての常識は疑われるが、前時代的な志は貫徹できよう。言葉狩りが政策論争だと心得違いする不勉強な絶滅推進種。自衛隊≠軍だと付きまとうなら、もう少しまともなツッコミができぬものか。 例えば、北朝鮮などによる弾道ミサイル発射に対処すべく2005年、自衛隊法に加わった《弾道ミサイル破壊措置》は「警察力行使」の一環。当時の防衛庁長官は参院外交防衛委で、防衛出動命令下令以前の措置で、武力行使には当たらない武器使用だとの主旨を答弁した。つまり「わが警察」は、数多の外国国軍には実行できぬほど難しいといわれる弾道ミサイルを迎撃できるミサイル・システムを保有。互角に戦える外国国軍はそう多くはない「世界一精強な警察」という“理屈”になる。 揚げ足取りに磨きをかけ続けてきた左翼系政治家の跋扈は、保守系政治家の「落語家」化を生んだ。八っつぁん・熊さん(左翼系議員)の「自衛隊は軍か?」といったたぐいの素っ頓狂な国会質問に、ご隠居(政府・自民党)が苦し紛れに珍説を披露する対決図。落語家の熟達した話芸にはあきれるやら、ほれぼれするやら。真打ちをご紹介しよう。 ある意味で軍隊。憲法でいう戦力ではない=吉田茂首相▼外国の侵略に対するものを軍隊というならば自衛隊も軍隊=防衛庁長官▼国際法上、軍隊・軍艦に適用される法規を自衛隊に適用する(が)普通の諸外国の制約のない軍隊とは異なる=法制局長官▼通常の軍隊とは性格が違う=別の法制局長官▼自衛隊を軍隊と呼称することはしない=佐藤栄作首相▼通常の観念の軍隊ではないが、国際法上は軍隊で自衛官は軍隊の構成員=外務相…など。民主党政権の防衛相も「外国から攻められれば戦うという姿勢だから軍隊という位置付けでも良い」と答弁している。日本軍の呼称=抑止強化 ところで、世界で《自衛隊》と称する国軍は皆無。一部は《国防軍》《防衛軍》を名乗るが、主流は《国名+軍》。英語の「自衛」とは個人の護身といった意味合いが強く、国家を守護するのなら「国防」「防衛」である。ところがわが国は「国防」「防衛」より弱々しさを醸し出す「自衛」と名付けた。さらに「軍」を構成する一単位で、小規模を印象付ける「隊」とすることで自衛隊をひねり出した。自衛隊の英語名を直訳すれば《日本自衛軍》となるが、この点でも矛盾をはらむ。 保守系の議員や団体の勉強会で、小欄は「憲法改正後の改名は、自衛軍と防衛軍のどちらが良いか?」と度々聞かれる。そして、毎回こう聞き返す。 「日本(にっぽん)陸軍、日本海軍、日本空軍ではダメなのか?」 安全保障分野で合理性なき自制を重ねると、敵性国家はその分凶暴になる。逆に日本陸海軍の名乗りは、人民に銃口を向けるくせに“人民解放”軍を詐称する上から目線の隣国を萎縮させ、抑止力強化に資する。関連記事■ 政治の「大義」とは何なのか■ 国民は知っている「ブレた」岡田氏■ 鳩山氏、菅氏、中川氏…政治家の自覚はないのか■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である