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    「保育園落ちた日本死ね!」は落書き?

    「保育園落ちた日本死ね!」という匿名ブログに端を発した待機児童問題が、今夏の国政選挙にも影響を与えそうだ。騒動を政治利用する野党は勢いづき、政府与党は後手に回る。「便所の落書き」と揶揄する向きもあるが、騒動に便乗する人々の思惑も重なり、問題の本質からはどんどん遠ざかっているようで…。

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    安倍政権「女性活躍」に透けて見える「どうせ女だろ?」的価値観

    雨宮処凛(作家、社会運動家) 「安倍晋三から保育士守れ!」「安倍晋三から介護を守れ!」 「保育園落ちたの私だ」というプラカードを掲げて人々が国会前に集まった翌週、「パートなめんな! 最低賃金1500円デモ」にて、そんなコールが叫ばれた。デモ中、スピーチをしたパートで働く女性は、アベノミクスと言われながらもちっとも楽にならない生活について語り、「本当に景気が良くなっているのなら、なぜ私たちの賃金は上がっていかないのでしょうか?」と訴えた。 一方、3月20日に新宿で開催されたAEQUITAS(エキタス 最低賃金1500円を求める若者たちの運動体)の街宣では、「派遣なめんな」「嘱託なめんな」「非正規なめんな」というコールに続いて、「保育士なめんな」「介護士なめんな」という言葉もコールされた。この街宣には民主、社民、共産の野党議員も参加し、「経済イシューで野党は共闘!」「経済にデモクラシーを!」というコールがアルタ前に響き渡った。 また、この原稿を書いている現時点でまだ開催されていないが、3月25日には、保育士を目指している人たちによって、早急な待遇改善を求めて国会前でアクションが予定されている。Twitterのハッシュタグは「♯保育士目指してるの私だ」。 「保育園落ちたの私だ」というブログから、おそらく書いた本人が予想していなかったほどの規模で広がる「怒り」と「アクション」。 背景にあるのはもちろん長らく改善されない待機児童の問題などだが、この一連の動きを見ていると、安倍政権が「女性の活躍」などと言えば言うほど、女性たちの怒りが大きくなっていくような気がして仕方ない。「女性が輝く? フザけんな!」。「女性の活躍」が掲げられてから、どれほどこの言葉を耳にしてきただろう。衆院予算委員会で民主党(当時)の山尾志桜里氏(左手前から2人目)の質問に答弁する安倍晋三首相=3月15日(斎藤良雄撮影) たぶん、安倍政権の女性の活躍は、多くの女性にとってズレているのだ。 例えば3月15日、防衛省は陸上自衛隊の戦闘ヘリ操縦士や海上自衛隊の掃海艦艇乗員に女性自衛官を起用できるようにしたと発表。昨年11月には女性自衛官の戦闘機パイロットへの起用を認めた。「女性活躍推進」の一環だという。一方で、「女性の活躍」は「きれいなトイレから」などと打ち出され、「他にもう少し考えることなかったのか」と突っ込みどころは枚挙に暇がない。長らく「女性労働」を不当に貶めてきた日本社会 女性たちが求めているのは、もっと地に足がついたものだ。そして多くの女性たちが怒っているのは、「女性活躍」と言われれば言われるほど、仕事と子育ての責任が重くなるような圧力ではないだろうか。 少なくとも、子どもを育てながら働く女性に対しては、「女性の活躍」などよりも「男性の活躍」が必要不可欠だ(もちろん、シングルマザーに対しては手厚い支援が必要である)。男性に、育児や家事の分野でもっと「活躍」してもらうこと。しかし、なぜか男性の育児、家事への「進出」は、決して「活躍」とは言われない。なぜだろう? そんなこんなや「保育園落ちた」問題を見ていて思うのは、男女のいかんともしがたい非対称性だ。ブログを書いた女性は、子どもが保育園に入れなかったことで「どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ」と困り果てている。しかし、この国では、同様のことに悩み、仕事を諦める女性が多くいる一方で、同じ境遇であっても、本気で「ヤバい会社辞めなきゃいけないかも」と悩んだり、泣く泣く会社を辞める男性は圧倒的に少ない。どうして? この理由を、誰もがわかるような言葉で合理的に説明できる人はどれくらいいるだろう。長らく、「だって女だろ?」「母親だろ?」という言葉で女性たちは口を塞がれてきた。そして安倍政権の「女性の活躍」は、至るところから「だって女だろ?」「どうせ女だろ?」的価値観が顔を覗かせているように思えるのだ。 さて、この問題が注目されるにつれ、「保育士の待遇が悪い」ということも注目されるようになった。保育士の平均月収は20万円ほど。全産業平均より10万円ほど安いという。 では、なぜ保育士の給料は安いのか。これについても合理的な理由を答えられる人はどれくらいいるだろう。そして保育士と同じく「全産業平均より10万円ほど安い月給」の職業として、介護がある。 なんのことはない、「保育」も「介護」も「女が家庭で担うべき仕事」とされてきたからこそ、それが職業として成立しても、男性が担うようになっても、ここまで賃金が低く抑えられてきたのだ。日本社会は長らく「女性労働」を不当に貶めることで成り立ってきたと言ってもいい。保育にしろ介護にしろ、重労働の上、責任が重い仕事だ。命を預かる仕事でもある。それなのに「どうせ女の仕事」と、その低賃金が改善されることはなかった。これほど「低賃金」が問題となり続けているのにも関わらずだ。だからこそ、男性職員が「寿退社」しなければならないような状況が現在まで続いているのである。 このように、日本社会には隅々まで差別と言っていい構造が浸透しているのに、もう構造自体が差別を組み込んでいるので、どこから手をつけていいのかわからない状態だ。 2015年のジェンダーギャップ指数で、日本は101位だった。 女性議員の少なさや男女の賃金格差の大きさがその理由だ。そりゃそうだろう。賃金格差は非正規も含めて女性は男性の約半分だ。男性一〇〇に対して女性九十数ポイントで大騒ぎしているヨーロッパの国々からすればとてつもない「女性差別」がまかり通る国である。 女性たちは怒っている。しかし、それは何も保育園の問題だけではない。はからずも安倍政権が「女性の活躍」なんて言い出してくれたおかげで、長年放置されてきた、或いはこの社会が見ないようにしていた、そして女性たちも諦めていた数々の問題が白日のもとに晒され始めている。そして「声を上げていいのだ」と気づき始めている。 女性たちの声は今、無視できないものになっている。地に足のついた生活者である女性たちの叫びに、政権はどう答えるのか。注視していきたい。

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    地方の中小企業経営者が現場から見た「女性活躍」のリアル

    玉木潤一郎(経営者) 「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名ブログが、国会でも取り上げられ、その後ブログの賛同者が厚労相に対し署名を手渡すまでに至った。小さな意思表示が日本中に伝わり、それが国会にまで届く速度は、SNSの普及によって飛躍的に高まったと言えるだろう。 この件については、私の周りの働く女性達からも、様々な声を聞く。日本が子育てしながら働く女性に対していかに酷薄であるか、また出産後に社会復帰して活躍したい女性の負担がいかに大きいか、共感の輪が広がっている。 保育園の整備など、国や地方自治体が取り組むべき問題は多く、そこに関する議論は数多く目にするが、反面、この手の問題に対しては、働く場を提供する側である企業の、ひいては経営者が沈黙しがちだ。 なぜか。 経営者がこの手の問題にうかつに発言すると、どうしても雇用「する側」「される側」という視点で受け取られがちであるからだ。そうでなくても労務問題はデリケートで、経営者にとっては扱いづらい。中小零細企業の経営者には、営業や技術に長けた者は多いが、労務畑の専門家は極めて少ないことも影響しているだろう。 しかし今回、地方で零細企業を経営する一人として、また地方で起業支援に取り組んできた者として、誤解を恐れずに少々もの申してみたい。 なお、日本の企業総数の99%は中小零細企業であり、日本の人口の90%は東京以外の地方に住んでいる。私の「地方で小さな会社を経営している」という立場は、経営者としては数値的にも多数派であることも申し添えておきたい。企業にとって子育て女性を受け入れる態勢とは 先のブログ炎上から飛び火して、女性が活躍するためには「企業がもっと女性活用に積極的にならないと問題は解決しない」という見方が強まっているように思う。しかし経営側にとって出産前後の女性の雇用問題は、極めて多面的な問題をはらんでおり、安易に取り組みづらいのも事実だ。 さて、女性が妊娠・出産したからといって、言うまでもなくその業務能力までが低下するわけではない。まして、これまで何らかの重要なポジションにいた女性であれば、経営側も仕事を辞めないで頂きたいし、出産後は戻ってきて欲しいと考えるのが普通だ。 私の経営するいくつかの会社でも、女性社員が妊娠した場合には、本人が望む限り、産休・育休を取得している。その女性社員が携わる業務の内容に関わらず、である。そして、育休後の女性が職場復帰する時機は、まさに今回のブログ問題と同様に、「子供を預けられる保育園が確保できた」その時である。周囲の女性の理解が必要な中小企業の産休・育休 さてその場合に、中小零細企業において問題になるのは、産休・育休中の女性が休んでいる間の業務をどうするか(具体的には誰がやるか)、という点だ。あるいは職場に復帰した後も、時短勤務中に不足する業務の配分をどうするかという点も問題になる。中小零細企業の経営者が腐心するのは、まさにそこであり、産休・育休を取得する女性と、会社・経営者との間の溝は、決して深くない。 会社全体の業務に対して、一人の女性社員が担う業務の割合は、会社の小ささに反比例して大きくなる。しかし育休後の復帰を考えると、産休・育休中の安易な人員補充は、人件費が過大になる可能性があるため、実施に踏み切れない。いきおい、現状のスタッフで乗り切るしかないのだ。 そして大抵の場合、女性が抜けた穴は女性が埋めざるを得ないことが多い。私の実感として、会社が小さいほど、そして地方になるほど、男女間で仕事の役割がより区分けされることが多いからだ。 誰かが産休や育休をとって、さらにその後の復帰を望んだ場合、経営者だけが子育て女性の活用に理解があれば良いというわけではない。最も理解を求めなければならないのは、それをフォローする他の女性社員たちなのだ。 経営者がそこを軽視すれば、配慮は贔屓に感じられ、権利行使が他の社員の不公平感をあおる事になりかねない。小さな会社の経営でもっとも注意すべき点の一つは、”不公平であると社員に感じさせない”ことだと言っていい。中小企業の産休・育休は周囲の女性の理解によってのみ成り立つ 幸いにも私の会社では、女性社員同士がフォローし合って、何人かの産休~育休~復帰のプロセスを順調にこなしており、今のところ問題は起きていない。これは決して自画自賛ではなく、経営側の仕掛けよりも、むしろ社員間の理解と思いやりに負う面が大きい。つまり今のところ問題がないからといって、それが今後の円滑な運営を約束するものではないのだ。 子育てと仕事を両立させようという女性は、社会全体の取り組みとして大切にしなければならないが、だからといって仕事に専念する他の女性に過度な負担増を強いて是とするわけではないし、企業側もそれをカバーするために労務費を増大させれば、経営そのものが揺らぐ。大抵の経営者は女性を活用したいと考えているが、小さな会社においては経営者の方針だけでは実現できないこともある。 産休・育休を対象にしたスポットの助成金程度で解消する問題でもない。ましてや地方自治体が取り組む女性活用に関わる表彰やアンケート(当社にもよく送られてくる)など、気休めにもならない。それらは毎日が戦場の中小零細企業経営者にとっては、余計な手間を強いるばかりで、むしろ迷惑だ。 「匿名だから」と切り捨てようとする国会に、子育て女性への支援に充分な配慮が行われると期待することはまだまだ難しいだろう。【参考記事】■なぜ上戸彩さんは叩かれても産後3ヶ月で復帰するのか?http://sharescafe.net/46970046-20151121.html■「賃金は1分単位で支払う」というサンクスの労働協約に対する違和感http://sharescafe.net/48110476-20160317.html■なぜスイスのマクドナルドは時給2000円を払えるのか?http://sharescafe.net/44507403-20150429.html■「残業代ゼロ法案」は正しい。http://sharescafe.net/44298878-20150416.html■退職時に有給消化をする従業員は「身勝手」なのか?http://sharescafe.net/40070575-20140728.html

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    待機児童問題を一時的なブームや選挙の道具にしてはいけない

    介撮影) また、安倍政権では、労働者減少社会への対応として、一億総括社会と働く女性への支援というのを政策課題として上げており、女性が働きやすくする環境づくりが一つの政策テーマになっているわけである。だからこそ、待機児童の解消は政権の大きな責任にもなっている。しかし、保育所建設をめぐる周辺住民との問題や保育士総数の問題など物理的限界もあり、予算をつけることは大切であるが、予算をつけただけでは解決できない問題でもあるわけだ。 では、予算について見ていこう。民主党の待機児童問題での自民党批判を受けて、インターネットでその検証が始まり、民主党にもその責任があるのではという声が広がった。 これに対して、民主党の玉木雄一郎議員は「待機児童問題に関して、民主党が事業仕分けで保育所関連経費を削減したとのネット情報があるが、全くのデマだ。公立保育所の予算は小泉政権時代の「三位一体改革」で平成16年に運営費が、福田内閣時代の平成20年に整備費が、それぞれ一般財源化されており、そもそも国の予算ではなくなっている。」と民主党の責任を否定、これを受けて、蓮舫議員は「保育所関連施設を事業仕分けの対象にした、との間違いが時々見受けられますが、そもそも自民党が一般財源化したもので国の予算ではないためあり得ません。」とツイートした。 質問を無視しツイッターをブロックした蓮舫議員 では、事実はどうだったかという話になる。確かに小泉政権下での三位一体改革で『公立』保育所の補助金カットが行われたのは事実である。しかし、これは公立に限定されており、その大半を占める『認可保育所』への支援はカットされていない。また、『認可保育所』への予算が仕分けにかけられたことも間違いのない事実である。しかし、仕分けの結果、現状維持とされたのだった。しかし、仕分けにかけられたことにより、地方自治体などの現場レベルで追加の予算獲得ができなくなったのも事実なのだ。  また、蓮舫議員の『そもそも自民党が一般財源化したもので国の予算ではないためあり得ません。』というツイートに関しては、明らかに間違った発言であり、国が関与していないならば、国会で予算審議をする必要もなく、政権批判をする事そのものが間違いということになる。 私がこの問題に関して、ツイッターで蓮舫議員に資料とともに疑問を投げかけたところ、一方的にブロックされてしまった為、残念ながら蓮舫議員の返答をもらえなかった。安倍政権に対して、国民の声を聞けといっている民主党議員として、責任のある回答をいただけると思っていたわけであるが、非常に残念である。 公的資料を元に考察すると、保育関連予算に関しては、民主党政権から自民党政権に変わってから、実に2倍以上に大幅に増やしているのが事実である。平成23年:4082億 平成24年:4304億 平成25年:4611億政権交代平成26年6248億 平成27年7975億 平成28年予算案 9294億 しかし、現実問題として、待機児童がなかなか減らない現状もある。これは生活スタイルの変化による保育希望者の増加が最大の要因であると思われる。この問題に関しては、単に認定保育所を増やせば良いという問題ではなく、税が使われる以上、どこまで社会が面倒を見るのかという議論も必要であると思われる。  また、この問題は家族と国家のあり方にも関わる問題であり、一時的なブームで終わらせるべき話ではなく、『安直な政権批判』や『選挙の道具』に使ってはいけない問題であるのだと思う。 この5年間で2倍以上に増えているのは、国会の厚生労働委員会に所属する議員の努力と審議の結果である。厚生労働委員会に属するなど厚生労働行政に全く関わっていない一部の議員が騒いでいるが、これは近く行われるであろう選挙の人気取りのために子供を利用しているようにしか私には見えないのである。

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    待機児童問題で東京都が保育園をつくるべきではない理由

    この問題解決のために、どのようなアプローチをしていく必要があるのでしょうか。以前から私が主張している政策の繰り返しになる部分もありますが、改めて以下にまとめてみたいと思います。●そもそも保育所・保育園で解決するという発想からの脱却 結論から言うと、保育所というハコモノ・施設でこの問題を解決することは不可能です。ただでさえ土地がない・高い東京都で保育所を増設するのには、非常に高いコストがかかります。 また将来的には人口減少に向かっていくことが確実なので、どれだけ国や広域自治体が補助を出して促しても、実施主体である基礎自治体がこれから保育所を新設しようとする動きは非常に鈍くなりますし、実際に鈍いです。 例えば江戸川区などは、将来的な人口予測を元に、「保育所の増設で対応するつもりはない」と言い切っています。ハコモノはいったん作ってしまうと、その後の処理が本当に大変ですからね…。新設コストが非常に高いため、基礎自治体は及び腰↓世論に押されて一定数の保育所は整備するものの、潜在需要が顕在化するので待機児童は減らない↓ますます基礎自治体の負担が増え、消極的になる保育所による待機児童解決アプローチは完全に、この負のスパイラルに陥っていると言えます。「保育所をつくるのをやめろ!その分を利用者に配れ!」●小規模保育や派遣型保育、ベビーシッターの活用に舵を切る じゃあどうするの?という点については、小規模保育や派遣型保育・ベビーシッターの活用に舵を切るしかありません。 特に小規模保育は猪瀬知事時代に一定の補助スキームが確立されましたが、派遣型保育・ベビーシッターに対しては未だにほとんど行政の補助がありません。(基礎自治体が独自に行なっていることはあっても、東京都はほぼ無策) 利用者のニーズに合わせて自宅で保育を行うシステムであれば、需要次第で供給が調整できるので、今後の少子化にも機動的に対応できます。 私が当選前から主張していることですが、フランスなどではベビーシッターが保育の中心で、保育所というハコモノに預けられている子どもはごくわずかです。参考:日本は子育て貧困国!子育て支援政策をフランス流へhttp://otokitashun.com/agenda/p01/もちろんこの方向性に舵を切るためには、「ベビーシッターなんて危険!公立の施設が安心安全」「そもそも、見ず知らずの他人に自分の子どもを預けるなんてダメだ!」という世論(偏見)を変えていかなければなりませんが、その点の普及啓発も含めて東京都が率先して努力していくべきでしょう。若い子育て世代はだいぶ、こうした偏見からは脱却しているように思えます。●補助金を供給側(施設)から需要側(利用者)へ。子育てバウチャーの導入を では具体的にどのように施策を展開していくかというと、保育所をつくる・運営するために出している補助金を、利用者側に転換していくだけ。まるまる新たな財源を創りだす必要はありません。 認可保育園というのは、本来利用者が負担すべき金額を行政が施設側に補助するから安く使えているわけで、保育園に入れない人たちはこの恩恵に預かれません。 見方によってはこれほど不公平な制度はありませんので、冒頭の記事の中でも>保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。という一文がありましたが、保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。 保育所に当選した人は、そのバウチャーを保育料に使えばいいし、ベビーシッターを利用する人はシッター代に充てることで、誰もが安価に保育サービスにたどり着くことができます。 バウチャー利用を見込んで、新規の保育事業者の民間参入も加速するでしょう。さらなる利点として、バウチャーを利用できる事業者を登録制・認可制にすることで、不安視されているベビーシッターの質を担保・高める効果も期待できます。 バウチャー導入は待機児童問題を解決するとともに、共働きで高額納税している人ほどなぜか保育園に入れないという、「受益と負担」の不公平を是正することにもつながるのです。■ …というわけで、冒頭記事の筆者の主な主張は「もっと保育所をつくれゴルァ!」ということだったのですが、むしろ解決策としては「(行政が)保育所をつくるのをやめろ!その分を利用者に配れ!」という方向が正しいのではないかと思います。もちろん民間参入による保育所の新設は必要ですし、そのためには保育士不足の改善=保育士の待遇改善に十分な投資をしていかなければなりません。 そもそも全体的に子育て世帯・子どもたちに対する投資額が、わが国は先進国にあるまじき低さであることが諸悪の根源です。オジサン政治家たちは口先ばかりで、この問題に本腰を入れませんので、次世代の政治家や世論が声を大にして突き動かしていく必要があります。 バウチャー制度の導入を唱える政治家・議員はまだそれほど多くありませんが、この理念の普及とともに、議会での政策提言も粘り強く続けて参ります。(公式ブログより2016年2月16日分を転載)

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    「保育園落ちた日本死ね」から考える政策が必要な人に届かない理由

    ―・投資家) 先日来、問題となっていた「保育園落ちた日本死ね!」話は、多くの育児世代の共感と、有効な政策の着地のむつかしさという事例を見せてくれました。 この保育園の構造は、やはり政策の縦軸と横軸、つまり過去から今に至る問題という横軸、国の政策と地方自治体の抱える現状という縦軸を孕んでいます。過去のコンテクストを無視していきなり有効な政策を打ち出すこともできないし、国が頑張るからといって解決への道筋がストレートに見えるものでもない、ということです。保育の充実を求める署名を塩崎厚労相(右端)に手渡す育児中の女性。 左端は民主党の山尾志桜里氏=3月9日、国会 まず、政策の流れで言うならば、そもそも日本が少子化問題に突入する可能性が高いことなど、事前にすべて分かっていました。なので、1994年に「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」という、通称エンゼルプランが策定されました。これは当時の文部省、労働省、厚生省、建設省の4大臣で合意されたもので、子育て世代の負担を緩和するために少子化対策が推進されてきた経緯があります。 さらに、99年12月には「少子化対策推進基本方針」に基づいて「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画」を定めた通称「新エンゼルプラン」が策定されています。これは当時の大蔵省、文部省、厚生省、労働省、建設省、自治省の6大臣が合意したもので、「少子化対策推進関係閣僚会議」にて決定された方針に沿って、子育て世代の支援をさらに拡充しようというものでした。 実際に行われた政策の是非については紙幅の関係で詳述は控えますが、99年の段階で策定された「新エンゼルプラン」では1)保育等子育て支援サービスの充実(低年齢児の受け入れ枠の拡大、延長・休日保育の推進等)2)仕事と子育て両立のための雇用環境整備(育児休業普及率の引き上げ、短時間勤務制度の拡充等3)働き方についての固定的な性別役割や職場優先の企業風土の是正など、17年後の現在でも似たような議論がされている内容についてすでに指摘され、取り組むべき重要な政策であるとして方針を打ち立てられてきました。それでも、少子化対策については目立った効果を生むことができず、結果として出生率の大幅な下落を招くことになったのです。人口減少を押し留める「終電」を逃してしまった 国立社会保障人口問題研究所では、2016年版の最新の人口統計が出ていますが、この2000年代前半の政策の失策が結果として子供を産める世代として戦後第二のボリュームゾーンであった「団塊Jr世代」の出産ブームを起こすことができず、実質的には日本の人口減少を押し留める「終電」を逃してしまったことが克明に理解できます。人口統計資料集(国立社会保障人口問題研究所)http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2016.asp その後も、少子化対策そのものについてはさまざまな政策が試みられてきました。03年7月に「次世代育成支援対策推進法」及び「少子化社会対策基本法」を制定され、さらにこれに基づいて04年6月に「少子化社会対策大綱」を策定しています。 この少子化社会対策大綱は、10年にわたって毎年の政策課題として取り上げられ、いまでも2015年版の少子化社会対策大綱が出ていたりもします。少子化社会対策大綱(2015年閣議決定)http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/law/taikou2.html具体的内容http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/law/pdf/shoushika_taikou2_b1.pdf この中でも、行く次世代に対する配慮や、所得に関すること、子供の貧困にかかわる問題について、総花的ではあるけれどもしっかりと現状の問題や将来への対策を見据えて議論が行われてきていることが良く理解できると思います。この「次の世代にツケを回さない」という話は、先日このテーマで語ったところ、それなりにご反響を戴いたことを考えるとやはり一般にも問題意識としてそれなりに浸透してきているのだとも言えるでしょう。「賢人論。」第7回やまもといちろう氏(前編)http://www.minnanokaigo.com/news/special/ichiroyamamoto1/多数の独居老人や膨れる介護ニーズにどう対応する(政策シンクネット)http://thinknet.org/theme03/2015060801.html対策を打ち続けているのになぜ保育園問題が起きるのか これだけの時間をかけ、政府も対策を打ち続けているにもかかわらず、なぜ保育園問題が起きるのかという話になります。これこそ、政策の縦軸の問題です。この方面に詳しい駒崎弘樹さんは、ヤフーニュースで問題の構造を解説しています。内容については、もちろん一理あります。「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20160217-00054487/ また、これとは別にすでにいくつかの媒体でも保育園不足や待機児童問題は東京への一極集中の弊害に過ぎないという指摘が多数生まれました。主に経済誌などでの指摘は文字通り「保育園問題は地方では発生していない」こと、対策は国ではなく区市町村など基礎自治体の取り組み方の問題であること、保育園を充実させればさせるほど託児需要が高まってしまうジレンマや、育児環境が良いところへ家族ごと移ってくる住民移動の問題など、かなり複合的な問題であるということが分かります。保育所は、なぜ需要があるのに増えないのか? 経営してみてわかった、待機児童が減らないワケhttp://toyokeizai.net/articles/-/33576断トツで保育園不足の世田谷区 東京23区でも状況は千差万別http://diamond.jp/articles/-/59984 実際、千代田区に住んでいる私は子供を預けてはいませんが、周辺の人たちで待機児童になって困っているという話を聴いたことがないので、待機児童数ゼロというのは納得です。基礎自治体の取り組み方や、地域住民の育児世帯数の多さでこれらの問題がクローズアップされやすいということは言うまでもありません。 この横軸と縦軸を見る限り、少子化対策を打っているにもかかわらず、少なくなっている子供に対する保育が政策上確保されなくて、結果として政策のボトルネックを生んで育児世代が不幸になっている現状があります。 先日、この問題について家族政策の課題をメルマガやシンポジウムなどで解きほぐしてみたのですが、突き詰めて言うならば、政策が必要な人に届いていない現状を解決する過程なのでしょう。社会保障費を減らし育児世代に回せという世代間闘争 また、政府の取り組みについても、後付けで「日本死ね!」が出て騒がれたのもありますが、そもそも昨年12月に大きな予算を家庭につけていくことで予算が審議され、可決されています。これだけ騒がれているのになぜ政府は対策しないのか、という話があったのも事実ですが、よく見てみるととっくに予算の増額を終えてこれから対応するのだという矢先のことであったという風にも見えます。育児、観光軸に73・1兆円 16年度予算、政策経費最大http://www.47news.jp/news/2015/12/post_20151221212800.html そうなると、政策の方法として認可保育園という制度のままで本当に良いのか、託児をする人への扶助ではなくて、育児世帯への家計全体への扶助と、健全な保育園間の競争を促す方向へとシフトしていかざるを得ないのかもしれません。 逆説的に、前述している駒崎さんの議論の中で、保育士への給与を増やして労働人口をあるべき方向へ動かすよりは、育児世帯に直接給付などをしながら「保育園に預けていようがいまいが、子供を育てているという社会貢献に対して国が助成する」ことのほうが政策として合理的になってしまうことになります。 少子化対策や育児世代の負担を減らしていくぞとなると、さらには財源の問題にも差し掛かります。何度も議論されてきたことですが、通り一遍に国家公務員を減らしたり、国防費を削ったりしても財源には程遠い現状です。そうなると、文字通り日本の労働人口減少による経済の衰退によって貧しくなりパイが減っていくなかで、老人に対する社会保障費を減らして育児世代に回せ、という世代間闘争が永田町や霞ヶ関の両側をはさんで勃発することになろうかと思います。 つまりは、保育園問題自体は単体で存在しているものではなく、国全体、社会全体として子供を育む環境をどう作っていくのかという長年にわたる問題である、国の根幹にかかわる課題なのだ、と知っていただきたいところです。

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    「日本死ね!!!」に子供を持つママたちは何を思ったのか

     入学、入園、新年度を控えたこの時期、「保育園落ちた 日本死ね!!!」と題した、はてな匿名ダイアリーへの書き込みが話題を呼んでいる。《何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ 私 活躍出来ねーじゃねーか。》(中略)不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。まじいい加減にしろ日本。》(原文ママ) 情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)では、書き込んだ本人に直撃。投稿者は都内に住む30代前半の女性で、3月で1才になる息子がいるという。育児休暇が終わって働こうとしたら保育園に落ち、「理不尽さを感じて」投稿したという。 激しい言葉が並び、一見すると過激な文章にも読める。でも、これを読んだママたちからは続々と共感の声があがっている。都内に住む35才のA子さんは、息子を認可外保育園に通わせている。 「私も保活、大変でした。息子が生まれる直前にいくつもの園に申し込みをして、やっと決まったのが今の保育園。本当は認可保育園がよかったけど、落ちちゃった。ママ友たちは、出産がわかってすぐに保育園選びをしていたみたいです。私も、区役所に申し込みに行ったら、“もうすぐ生まれるんですか? のんびりしてますね”みたいなことを言われました。でもそれっておかしくないですか?」 保活とは、保育園探し活動のことで、熾烈を極める戦いが繰り広げられる。その背景にあるのは、これまでも繰り返し指摘されている、保育士不足、保育園不足による待機児童問題だ。待機児童の数は2009年以降減少していたが、2015年は前年に比べて増加。そもそも、出生数が減少しているのだから、減少は極めて自然な流れだろう。しかも、政府は2001年、待機児童の数え方に大きなカラクリを用いた。 待機児童の数え方の定義について、それまで「認可保育所に入所申請したのに入れなかった人数」だったものを、「認可外保育園に入っている人数は除いてもいい」とした。 するとどうなったか? 2002年、“本来”なら3万9881人の待機児童の数は、2万5447人に“減少”したのだ。 保活の世界は、完全なる“点数制”だ。希望の保育園に入るためには、点数を多く稼ぐ必要がある。子育て・家族問題に詳しい、作家の石川結貴さんが言う。 「実家が遠い、共働きかどうか、フルタイムかパートか、週に何回働いているか、介護をしなければいけない家族がいるか、他に面倒を見なければいけない幼いきょうだいがいるか、など細かく点数がつきます。高得点であることが大前提ですが、点数だけではかれない事情もあるので、自治体によっては申込書には自由記入欄があって、そこに個々の事情を書き込むことができます」 自由業だったり、収入が少しでも高いと減点され、ハードルは高くなる。育休中でも減点されるのだ。メーカー勤務のB子さん(34才)は、“子供と一緒の時間を多く過ごす”か、“保育園に入れるか”を迫られた。 「うちの会社は、娘を産んで1年間は育休を取ることができました。でも、私が育休中だと保育園に入りにくくなる。育休が明けるのを1年待つと、娘は1才になってしまって、それもまた入りにくくなる。結局、育休を半年繰り上げて、都が認可する認証保育園に入れることができました」関連記事■ 待機児童問題 2015年の新制度前に保育園に申込み殺到か■ 待機児童が減らぬ理由 保育園のブラック化や住民の開園反対も■ 公立保育園申し込み小雪に「セレブはどうぞ幼稚園に」の声も■ 2.5万人と言われている待機児童数 潜在数は85万人との推計■ 働く女性と専業主婦 月額39万円の「子育て差別」がある例も

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    保育所を保健所 安倍首相の言い間違いの心理を学者分析

     3月11日の参議院本会議で、安倍晋三首相が待機児童問題に関連し、「保育所」と答弁すべきところを「保健所」と言い間違える一幕があった。首相は「保育所」と言い直したものの、議場が騒然となり、その後、野党から批判を浴びた。なぜ首相は誤読してしまったのか。駒沢女子大学教授で心理学者の富田隆氏が心理的な背景を分析する。* * * 精神分析のフロイトは、言い間違いや行動のミスは偶然ではなく、その背景に、無意識の要素が潜んでいると言っています。今回も無意識のプロセスが働いていると思います。 安倍首相が保健所に対して、どんなイメージを持っているのかが問題となってきます。ポジティブなのかネガティブなのか、それによって、言い間違いの意味が違ってきます。 保健所というのは全国的にあるもので、必要性もみんなが理解していて、必要な数がある施設。それと同じように、保育所もこれから増やしていくんだ、という思いが強くあれば、ポジティブな意味になりますよね。株式会社が運営する認可保育所を視察し、園児と交流する安倍晋三首相=平成27年5月、横浜市保土ケ谷区(代表撮影) しかし、保健所について、ネガティブなイメージを持つ人も少なくないと思うんです。保健所で野良犬、野良猫が処分されているということは、周知の事実です。すると、あまりポジティブなイメージを持ちませんよね。 ネガティブなイメージのものをポンと言ってしまうのは、首相が抱えている待機児童問題、保育所をさらに増やしていかなければいけないことに対して、降りかかった火の粉のように考えている、つまり、やらざるを得ないこと、仕方がないことと、ネガティブにとらえている可能性はあります。 決めつけることはできませんが、どちらの可能性もあるということです。 もちろん誰でも、疲れるとミスが増えます。ただし、ついうっかりミスの背景に、そうした無意識のプロセスがあると心理学では考えます。保育所を、同じような施設として「幼稚園」と言い間違えることはありますよね。いろんなミスの可能性がある中で、「どうして保健所なの?」という点が今回は、問題視されていると言えます。 その場合に、さきほど述べたように、保健所についてどういうイメージを持っているのか。ネガティブなのかポジティブなのかで、話が違ってくるのです。 安倍首相の誤読の3日後、自民党の藤井基之議員も、同じように保育所を保健所と言い間違えてしまいました。その理由は、安倍首相と異なると思います。 先に安倍首相の間違いがあり、とても印象的なシーンだったので、皆さんが憶えているわけです。すると、自分は同じ間違えをしちゃいけないと思うわけです。それを強く意識しすぎてしまうと、ミスしてしまうということがあります。 2人の誤読は、議場でもメディアでもバッシングされました。同じような立場の方は、2度としてはいけない間違えだと今、思っていることでしょう。その思いから、安倍首相や藤井議員と同じ誤読をしてしまう人が現れるかもしれません。関連記事■ 犬との面会や施設の見学に応じないペット引き取り業者に注意■ 舛添東京都知事 路上での弁当販売を規制強化で潰す大間違い■ 飼い主の孤独死、認知症… 高齢化社会が抱えるペット問題■ NHK紅白歌合戦珍事件 加山雄三の「仮面ライダー事件」とは■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」

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    「保育園落ちた日本死ね」の衝撃…子育て孫育ては女性活躍の場を作れる

    石蔵文信(大阪樟蔭女子大学教授) 政府は女性に活躍してもらって日本経済を立て直したい方針のようだが、女性にとっては負担ばかりを押し付ける男性に都合のよい話と受け止められているようだ。 若い世代が子供を産んで活躍するには保育園などの充実が必須であるが、需要に供給が追い付いていないのが実情。最近では、出産3カ月目から子供を預けられずに、退職に追い込まれそうな人から『保育園落ちた日本死ね』という痛烈なメールが発信され、社会問題化している。 実は保育園は確実に増えているが、入園を希望する人がそれ以上に増えて待機児童は増加する一方という実態がある。子供を預けることができれば働きたいという親は潜在的にかなりいる。 一方、子供に対する虐待が増えているが、児童相談所だけでは早期発見は困難である。そのような点から、私は仕事をしている、いないにかかわらず保育園を義務教育化すれば待機児童と虐待の問題は解決するだろうと以前から主張してきた。 問題は、保育士不足とその待遇だ。急に保育士を倍増するのも困難であるし、待遇が悪ければ、給料の良い一般企業に就職するだろう。さて、ここまでは高齢者の健康と何ら関係のない話のようだが、実は子育てと高齢者の健康は大いに関係がある。 最近よく耳にするのが、保育園の建設に反対する高齢者の話題だ。子供の声がうるさいようで、騒音と同じレベルで論議されて、保育園が過剰に萎縮しているのは悲しい。 仕事をしている人は家にいないので気にならないだろうが、家にじっとしている高齢者には子供の声ですらイラつきの原因になるようだ。自分の孫が遊びにきたときにはうるさいとはあまり感じないと思う。おそらく“他人の子”の声だからイラつくのだろう。(記事とは関係ありません) 家に引きこもっている高齢者の共通の悩みは“不眠と食欲不振”である。私からすれば疲れないから寝にくい、ご飯がおいしくないのは当たり前の話である。 早くから睡眠薬を飲んでも寝られず、夜中に追加するものだから、朝に作用が残って転倒して大腿骨骨折など引き起こして寝たきりになってしまう。食欲がないので、胃腸薬ばかり服用するから逆に体調を崩す。仕事がなければ無理に寝る必要もなく、食欲がなければ無理に三食する必要もない。薬を飲むよりも日常活動を増やして体を疲れさせれば、睡眠・食欲の問題は解決する。 では、何をすればよいのだろうか? 私が推奨するのは“子育て(孫育て)”である。自分の孫が近所にいれば積極的に送り迎えをする。1~2時間でも一緒に遊ぶ。孫がいても遠い人や孫のいない人は近所の保育園などでボランティアをすればどうだろうか? まだボランティアを受け付けている施設は多くはないが、ある程度の講習を受けた人が保育園でボランティア、特に朝早くと夕方に参加できるようになれば、保育士の負担はずいぶんと減るだろうし、参加者も子供の声をうるさいと思わなくなるだろう。 子供たちの世話は疲れる。ヘトヘトになれば食欲もわくし、よく寝られる。実際、私は二人の孫の世話をよくしているが、孫がいる日は、午後10時前には意識を失う。そのため、原稿も遅れがちになる。高齢者が健康になり医療費が削減できれば、保育園を増やし、待遇も改善できる。このように高齢者の子育て参加は多くの効果を期待できる。

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    「1億総活躍社会」は今年の流行語大賞に絶対なって欲しくない言葉?

    高橋秀樹(放送作家/日本放送作家協会・常務理事)(メディアゴンより転載) 「1億総活躍社会」というのは官僚が考えそうな、そして、「それいいね」と、安倍首相が言いそうな、実にセンスのないスローガンである。 「プロパガンダは娯楽の顔をしてやってくるもの」であるが、娯楽の顔さえ装っていない生硬な言葉である。毎年この時期、「流行語大賞」のノミネートが話題になり始めると、絶対に大賞を取って欲しくない言葉というのが見つかる。 例えば、1998年おっぱいが売りの笑いのコンビらしき女子コンビ・パイレーツの「だっちゅーの」であった。他の芸人がこれ以上の言葉を生み出せなかったのも情けない。 「これがすごい!」と思われるのも笑いを業とする者が馬鹿にされたようで不愉快だった。でも結局、大賞を取った。大賞を獲るとテレビで繰り返し放送されるからそれがまた腹立たしさを増殖する。 今年はどうか。「五郎丸ポーズ」であろう。にわかラグビーファンが蔓延して、どこの忘年会でもこのポーズをしている上司に拍手をする・・・といったお追従を見せられるかと思うと今年の年末は酒を飲みに行くのやめようかとさえ思う。 では、「1億総活躍社会」はどうか。安倍首相が会場に賞状をもらいに来るという確約があるなら是非大賞をあげて欲しい。安倍首相(右から2人目)と加藤1億総活躍担当相(右)に、一人ひとりが輝き活躍できる社会の実現に向けて申し入れをする公明党の石田政調会長(左から2人目)ら=11月24日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影) 「1億総活躍社会」は当初すぐに「一億玉砕」や「一億火の玉」が連想される言葉だとして、糾弾された。テレビを見ていると「一億総白痴」になると言われたりしたし、日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える1970年代の「一億総中流」というのもあった。 中流とはお手伝いさんを常時ひとりは雇っておける家庭のことを言うのだという反論もあった。「一億総中流」は、人並みと言うくらいの意味で使われた。 「1億総活躍社会」について、11月10日の朝日新聞「わたしの紙面批評」で湯浅誠氏(2008年・年越し派遣村の村長という説明が一番わかりやすいだろう)が、興味深い論考を書いている。(以下、引用)「(『1億総活躍社会』について)安倍総理は『若者も高齢者も、男性も女性も、困難な問題を抱えている人も、また難病や障害を持った人々もみんなにとってチャンスのある世界をつくっていく』と訓示した。個人をターゲットに『さらにがんばってもらう』とは言っていない。(略)朝日はこの部分を翌日の朝刊で報じなかった。私はそのことに違和感を覚えた。権力監視はジャーナリズムの主要任務だが、それはただクサすこととはちがうだろう」(以上、引用) 湯浅氏の論考は「1億総活躍社会」において安倍首相が言葉通りのことをやっていくかどうかこれからマスコミは注視していくべきである。と言う意味を含むと筆者は理解した。 この「1億総活躍社会」を共生という言葉で実現しようとしている人々もいる。 人種も、性別も、性同一性障害の人々も、障害者も、宗教の違いも、金持ちも、貧困な者も、政治信条の違いもすべて乗り越えて、共に生きていこうとする社会が共生だ。英語ではインクルージョン(Inclusion)という。 筆者は少なくとも「1億総活躍社会」が安倍首相のいう意味と同じなら『共生』と言う言葉の方が好きである。言葉としてのインパクトは全然無いけど、真実には大抵インパクトは求められない。 以下、蛇足としての戯れ言としてお読みいただきたい。「1億総活躍社会」の中の言葉を入れ替えていろいろな言葉をつくってみた。・出演者総活躍番組・精神科医総活躍日本・官僚総活躍省庁・仁義総活躍任侠・AKBだけ総活躍テレビ・派遣社員総活躍大企業・米軍総活躍琉球・薬メーカー総活躍病院・モンサント総活躍TPP・国民の代表総活躍国会 あなたはどれを望みますか。

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    結局よく分からない…いきなり不評の「1億総活躍相」って何?

    与党内にも存在していると露呈してしまった格好です。 1億総活躍相に就任した加藤勝信氏は「多岐にわたる政策を総動員する」としていますので、大臣本人も十分に範囲を絞り切れていないようです。ただ、重点項目として、子育て支援や高齢化対策を掲げたほか、安倍首相が記者会見で述べた社会保障の問題や、GDP600兆円の実現にも言及していますので、想定している政策は幅広いと考えられます。13日には、誰もが活躍できる社会づくりについて有識者が話し合う「国民会議」を今月中に開催すると発表しました。社会保障政策や経済政策については、明確に担当官庁が決まっていますから、やはり子育て支援や高齢化対策などが担当業務となる可能性が高いでしょう。 そうなってくると、やはり気になるのが、地方創生相や女性活躍相との重複です。両大臣が担当する業務とはかなりの部分で重複する可能性が高く、このあたりをどう切り分けるのかが課題となりそうです。ちなみに女性活躍相は加藤氏が兼務していますから、担当大臣という意味ではあまり混乱はないかもしれません。ただ組織が二重になってしまうと、調整に時間がかかり政策実行のスピードが落ちる、二重に予算配分が行われムダが発生するといったリスクもあります。(The Capital Tribune Japan)

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    「一億総活躍」私は同じことを言っちゃって、実現させました!

     第3次安倍政権が発足しましたが、総理が掲げた「一億総活躍」という言葉を巡って議論があるようです。 「一億総活躍」の担当大臣を任命するほど気合いが入っているわけですが、一方、野党は当然ながら批判しています。野党の批判内容は、「中身がない」「そもそも一億総活躍っていったい何を指しているのか」などです。私も中身についてはこれからと思っていますし、今は批判の対象になるのはしかたないと思います。 自民党の二階俊博・総務会長さえも別の大臣を前に「あんな大臣にならなくて良かった」と言っていますし、同じく石破茂・地方創生担当大臣も「国民には、なんのことでございましょうかという戸惑いが全くないとは思わない」という発言をしているほどです。 要は、誰もが「なんだかよく分からないよね」と思っているということでしょう。中田宏さん 野党議員からは「なにか戦前を思い出させるような全体主義的なキャッチコピーだ」という批判が出てるそうですが、何でもかんでも揚げ足取りで批判する野党の態度はいただけないなと思います。 この「一億総活躍」は私は言わんとすることは分かりますし、これから何をするかが大事です。 私は横浜市長になった平成14年(2002年)、施政方針演説で「民の力が存分に発揮される都市・横浜を創る」と謳いました。 ここでいう「民の力」とは、「個人」であり、「市民」「国民」を指します。また、「NPO」や「自治会・町内会」さらには株式会社や有限会社などの「会社組織」も民と考えています。 これらの民が存分に力を発揮することが出来る社会を作ることを方針として掲げたのです。 「民の力が存分に発揮される」とだけ聞いたら、何を言っているかわからないと批判されるとと思います。そこで続けて、「民」に該当する人や団体の目標実現のための活力ある社会を作るための「具体的な仕組み」について、さまざまな場面で例を挙げて細かく説明しました。 例えば、「公共」施設管理の民営化・民間委託や、NPOなどへの門戸開放、そして市民個人にも「公共」にいろいろ参加してもらうことなどで、これらの実現のための仕組みや基盤づくり、また雇用のチャンスを増やすための施策展開を実行しました。 「一億総活躍」は、私が横浜市で掲げた方針とほぼ同じ中身だと理解しています。 そしてそのためには「一億」にチャンスあふれる社会にしないとダメでしょう。 しかし、国が働く場や起業のチャンス、教育でのいろいろな学びや学問などさまざまなことを広げる、作り出すことは不可能です。 やるべきことは、国はいつも苦手ですが、しっかりと規制を緩和をして、例えば民間ビジネスを始めやすくする、学校をもっと自由に作れるようにするなど、民間自らが知恵を絞ってアクションを起こせるような社会を作ることが不可欠です。 新しく打ち出した現段階で批判されるのはしかたないでしょう。 逆にトップである総理大臣だからこそ、閣僚・内閣・行政組織を通じて各方面にチャンスを作るための仕組み作りを実現してほしいと思います。もし実現できなければ「一億総活躍」は空虚な言葉だった、結局中身はなかったとまた批判の対象になってしまうでしょう。※中田宏ホームページ「ブログ」.2015.10.12より転載

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    批判こそ全体主義? 「一億総活躍社会」批判は現代の多様な価値観に即していない

    らず、「これから決める」といった印象だ。そういう観点からみれば、「漠然としたキャッチフレーズ」のみの政策であるようにも感じる。 しかし、ちょっと考えてみれば、「一億(全国民)みんなが活躍できる社会を目指す」という構想を進めるためには、「細かい具体策が事前に設定されていない」ということは当然であり、現段階が大枠だけであることの方が妥当であることに気づく。 なぜなら今日、「多くの国民が活躍できる場面」やそのニーズは多様であり、しかもそのあり方は、日々刻々と変化している。価値観も様々だ。必ずしも特定のプランや計画を事前に用意することができるわけではないし、それが妥当でもない。 「一億総活躍社会」に向けたニーズや要望は政治家や官僚が考える以上に多様で、有機的である。特に若者層はそうだろう。従来の価値観では予測できない部分も少なくない。現在進行形で変化する社会のニーズが「官僚や政治家の事前の計画」で決められるはずがない。そんなことをしても時代に合わないし、そもそもうまく運用できるはずがない。 「一億総活躍社会」の推進を標榜する以上、前提的な目標設定よりも、その都度ニーズや要望を拾い上げ、それにあった有機的なプランやリアクションを出すというスタイルの方が現在には適している。活躍する場面やニーズが事前に決まっているなどありえないし、現実も反映しておらず、時代にも即していない。事前に具体的なプランが用意されていれば、それこそ誘導的であり、全体主義だ。 そして3つ目。加藤勝信「一億総活躍担当相」が何をすべき役職で、どのような仕事が期待されているのかが見えてこない、という批判。拉致問題なども担う加藤勝信氏が、一億総活躍大臣に就任したものの、果たして十分な活躍ができるのか。そもそも「一億総活躍」に取り組む人材として適切なのか? といったオプションもつく。 しかし、この批判への回答こそ、「一億総活躍社会」がその表現の古さとは裏腹に、これまでの日本にはなかった新しさと「もしかするとすごく重要な仕組み作り」につながる可能性を示唆しているように思う。 まず前提として、2つ目のポイントでも述べたように、アクションプランが事前に定められるべきものではない。更に現実問題として、一億総活躍社会のリーダーとして広い範囲で有機的に動かねばならない大臣を全うできるような専門家などはいるはずがない。つまり、この大臣はある程度の経験と機動力さえあれば、どの国会議員が就任しても大きな差が出るわけではない。むしろ、安倍晋三首相が兼務した方が良いぐらいの任務だ。 一億総活躍大臣に期待される役割は、国民の多様なニーズを吸い上げ、多様なニーズに対応した「活躍」への支援の可能性を提示できる窓口作り、仕組み作りを推し進める「旗振り」であろう。なまじっかの「政策通」とか「有力者」は、わかってもいないのに余計なパーソナリティが発揮される分、むしろ弊害だ。 一億総活躍大臣個人に「何かやって欲しい」わけではないのだ。「活躍したくない」という人を無理やり活躍させるような構想であるはずもなかろう。 そう考えれば、設置される「国民会議」こそ、そういった国民の細かいニーズや要望を汲み取る仕組みとして機能させることが期待されるように思う。 筆者の最大の関心は、「一億総活躍国民会議」と称する組織(その名称の是非はさておき)のメンバリングや人選で、現在感覚・国民感覚に即した人材を選ぶことができるかどうかだ。加藤勝信一億総活躍相に求められる構想の成否を分ける最大の重責であろう。 どこででも見るような「審議会の委員」やら、いつも目にする「文化人・学識経験者」やら、若者を意識したとしか思えない「(オワコン感のある)若者のオピニオンリーダー」のようなチョイスではない、より「リアル」な国民とのパイプ役、広く国民の意見を代弁してくれるような人選をしなければならない。地方との接続や連携、あるいは地方の声をダイレクトに組み上げる仕組み作りも含まれるので、意外に「難問」だ。 「一億総活躍社会」構想とは前向きに考えるべきものであって、政争のための批判の材料にすべきものではない。もしかしたら筆者の発想は楽観的すぎるのかもしれない。しかし、そのような前向きな発想を持つことは、現在の野党が忘れている重要な要素の一つだ。表現の是非や瑣末な局部の揚げ足をとることなどは、国民にとっては何の意味もないことだ。 「新三本の矢」が良い例だが、GDP600兆円にするための経済成長は過去を見ても不可能であるとか、出生率1.8人が続いても2050年までに1億人は維持できないとか、介護離職ゼロのためのコストと財源はどうするのかとか、そもそも2050年まで安倍政権も自民党政権もないだろう、など、細かい指摘をしようと思えば簡単だ。 しかし、今回の「一億総活躍社会」構想は、そういった細かい数値目標よりも、もう少し大き視点と長期的な観点から取り組まれるべき「夢のある」案件であると思う。政権批判のために「一億総活躍社会」を批判することに何のメリットも見当たらないのではないだろうか。

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    「一億総活躍社会」と笑うなかれ

    結局何がやりたいのかさっぱり分からない…。そんな声もよく耳にする。ネーミングセンスはともかく、決して政策の中身まで笑うことなかれ。

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    一億総活躍ならぬ「一億総カツアゲ」社会に私たちは生きている

    雨宮処凛 「単に金銭的な意味での『一億総中流』を私は志向しません。そうではなくて、若者もお年寄りも、女性も男性も、難病を抱えた人も障害がある人も、一度失敗した人も、みんなが活躍できる社会を作るために、それを阻むあらゆる制約を取り払いたい。そうした思いから生まれたのが『一億総活躍』なのです」 文藝春秋2015年12月号に、安倍晋三氏が執筆した「『一億総活躍』わが真意」から引用した一文だ。 この原稿には、「新・三本の矢」の説明もある。「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」―――。「何か言ってるようで何も言っていない言葉選手権」があれば、間違いなく優勝できるレベルではないだろうか。 同原稿で、安倍首相は自身の「失敗」にも触れている。 「私自身が一度失敗した人間だからこそ強く主張したいのが、失敗しても再チャレンジできる社会の構築です」 06~07年の第一次安倍政権時、突然総理の座を投げ出したことに触れているわけだが、祖父が総理大臣という政治家一家に生まれ育ち、生まれてこのかた「お金の心配」「失業の心配」「生活の心配」などとは無縁だった安倍首相の「失敗談」に共感するほど、庶民の暮らしは甘くない。 第一次安倍政権時、社会問題として大いに注目を集めたのは若者の貧困化や不安定化、非正規化だった。当時、安倍首相は「若者の再チャレンジ」という言葉を強調したが、その言葉を繰り返すだけで根本的な対策は何もしなかった。それどころか、この夏の国会では貧困化、不安定化、非正規化を更に押し進める労働者派遣法の改悪を断行。当時30代だった層はもう40代に差しかかり、更なる苦境に経たされている。自分だけが再チャンレジに成功しているのである。追いつめられる暮らし それだけではない。「アベノミクス」の恩恵などとは無縁の、圧倒的多数の人々の暮らしはじわじわと追いつめられている。第二次安倍政権になってから、貯蓄ゼロ世帯は前年比5ポイント増で31%と過去最悪の数値に(2013年「家計の金融行動に関する世論調査」)。また、15年7月に発表された国民生活基礎調査によると、「生活が苦しい」と感じている世帯はやはり過去最高の62・4%。86年の調査開始からもっとも高い数字だという。世帯ごとの平均所得も約529万円と前年比で8万円以上ダウン。特に苦しいと感じているのは「子どものいる世帯」で67・4%。高齢者世帯も58・8%が「苦しい」と回答している。 また、今年11月には厚労省が、非正規雇用率がとうとう4割に達したことを発表。学生や主婦のパートなど「選んで」非正規をしているのだから問題ない、という意見もあるだろうが、非正社員のうち、生活を支える主な収入が「自分自身の収入」という人は48%。そんな非正規の増加を裏付けるように、第二次安倍政権以降、年収200万円以下のワーキングプアは100万人増え、1100万人となった。 つまり、第二次安倍政権以降、貧困はより深刻化しているのである。「希望出生率1・8」「介護離職ゼロ」。 安倍首相はそんな勇ましい言葉も掲げる。しかし、20代、30代の非正規男性のうち、配偶者がいる割合は正社員の半分以下。非正規の年収は平均168万円。そもそも経済的に安定していないと結婚も出産も考えられないだろう。一方の正社員も長時間労働に忙殺され、「子育てなど考えられない」という声もよく耳にする。また、現在10万人にも及ぶ介護離職者をゼロにすると言いながらも、具体的な方策は何も示されていない。それどころか、今年の4月には過去最大の介護報酬引き下げを断行。介護職員不足が問題となった。 冒頭の文章では、障害者や難病を抱える人にも活躍を、と述べているが、11月、厚労省は障害福祉サービスの利用者負担を拡大する方針を発表。現在、93パーセントの人が無料で利用できているサービスが有料となる見通しだ。 一方で難病者に対しては、昨年「難病の患者に対する医療等に関する法律」(「難病対策新法」と呼ばれる)が成立した。これによって、医療費助成の対象となる疾患が56から300まで拡大され、それ自体は一歩前進と言えるものの、問題点も残った。今まで人口呼吸器などをつけている人の自己負担額はゼロだったのに対し、有料となったのだ。 「息をするだけでお金をとらないでください」 全国の人工呼吸器装着者たちや家族がそう声を上げている。「もはや貧困ビジネス」奨学金に非難 一方、若者に対してはどうか。大学生の52・5%が利用している奨学金(多くが有利子)が「もはや貧困ビジネス」と非難を受けるようになって久しいが、10月、財務省は国立大学の授業料を40万円上げる方針を発表した。これが実現すると、現在年間53万円の授業料が93万円にもなる。現在、大学生の2人に一人は卒業時点で数百万円の借金を背負っているという恐ろしい状況だが(私が会った学生の中には、1000万円を超える人も2人いた)、更に若者は借金漬けになるだろう。昨年5月、政府の有識者会議で経済同友会の前原金一氏が、奨学金の返済を滞納している若者に、防衛省や消防庁、警察庁でインターンさせたらどうか、と話して「経済的徴兵制?」「奨学金で勧誘って、アメリカの国防総省と同じじゃん!」と大きな話題となったわけだが、既に笑い話では済まされないレベルになっている。安保関連法も成立したし。 さて、安倍政権は以前から「女性の活躍」も大いに打ち出しているわけだが、こちらの事情はどうか。これについては、やはり「女性の活躍とか言いながら派遣法を改悪した時点でアウト」という意見が圧倒的に多い。なぜなら、非正規雇用の7割を占めるのは女性だからだ。「そもそも私たちの働く基盤を崩しておいて『女性の活躍』って何?」「活躍したくたって、不安定雇用じゃできるはずがない」。そんな女性たちの叫びは、安倍首相にはまったく届いていないようだ。 一方で、防衛省は「女性活躍推進」の一環として航空自衛隊の戦闘機パイロットに女性自衛官を起用していくという。そういうのが「活躍」なんだとさ・・・。おそらく、多くの女性が求めているのはそんな極端な話じゃなくて、普通に安心して働けたり子育てできたりすることなんだと思うけれど、圧倒的にセンスがどうかしてるのだ。 さて、高齢者に対してはどうなのか。同原稿では「生涯現役」「意欲ある高齢者に多様な就労機会を提供」などと「老体に鞭打つ」ようなハードな要求が続く上、「介護なしで豊かな老後を送れるよう」など、「本人だって好きで要介護だったり寝たきりじゃないんだけど」と思わず呟きたくなるような無神経な言葉が続くのだが、こちらは思い切り切り捨てるつもりだ。なんといっても、2015年度の社会保障予算は3900億円も削減。年金や医療、介護にかかわる予算がどんどん削減されているのだ。一方で、日本政府は3600億円かけてオスプレイ17機を購入するのだという。国民の生活なんかより、軍事の方が大切☆翻訳すればそういうことだろう。 ここまで見てきてわかるように、「一億総活躍」を掲げる第三次安倍政権は、若者にも高齢者にも女性にも男性にも、難病を抱えた人にも障害がある人にも猛烈に冷たいことがおわかり頂けたと思う。「一億総活躍じゃなくて、一億総カツアゲ!」 最近、芸人のおしどりマコ・ケンさんと話していた時に2人は言った。ホントにその通りだ。 ということで、消費税も増税するし、マイナンバーとかでいろいろ管理されてるし、一億総カツアゲの社会に私たちは生きているようである。

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    「一億総活躍社会」安倍政権に破壊のエネルギーはあるか

    そういう国なのだろうというあきらめでした。印象論の域をでませんが、大衆デモクラシーの時代の政権の看板政策ですから、イメージも大事です。そして、なぜそういう印象を持ったかというと、昭和の「一億総中流」を彷彿とさせる、古き良き時代への復古がモチーフだからなのです。かつての一億総中流社会に、子育て中の女性や、介護をしている人も参加してもらって、経済成長を実現しようという発想なのだろうと思うのですが、根本的な時代認識が違っています。  昭和の一億総中流社会を支えた牧歌的な経済条件はすでに過去のものです。グローバル経済の下では市場を取り合うだけでなく、資本も、情報も、人材も競争の対象となります。当然、格差が広がる素地があります。日本のような先進国が最も対応に苦しんでいるのは、労働者間の格差です。経済がグローバル経済に組み込まれるにしたがって、日本の労働者は中国やベトナムの労働者との競争に晒されます。かつて存在した国家間の格差が、国内の格差へととって代わったのです。1億総活躍社会に関する代との懇談会で話す安倍晋三首相(中央)=11月6日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影)  製造業から始まったグローバル化は、ネット化などの技術革新を媒介としてサービス業へも波及し、ブルーカラーもホワイトカラーもこの構造に直面しています。グローバル経済とのかかわりの中で国富を得て、消費者としても大きな便益を得ている我々には、そこに背を向ける選択肢はありません。 グローバルな競争の下にある企業は労働者への総体としての分配は増やせませんから、結果としてできることは、労働者内の分配を変えることなのです。この再分配は、金持ちから搾り取ろうというレベルの問題ではありません。再分配は、正社員から非正規社員へ、中高年男性から若者と女性へと行われなければならないのです。政権も、自民党も、野党も、この事実と向き合っていません。 一億総活躍社会を本当に築くためにやるべきことは、残された日本的労働環境の残滓を取り払うことなのです。そこでは、同一労働同一賃金の価値観に裏打ちされた制度設計の根本的な改変が必要であり、金銭解雇を認め、労働市場を流動化させる必要があります。一億総活躍社会を築くことは、本来は、破壊をモチーフとするものでなければいけないのです。 問われるべきは、現政権に破壊のエネルギーはあるかということであり、そこが小泉政権時代との最大の違いです。小泉構造改革への評価については諸説あるでしょうが、国民は小泉改革がその本質において破壊であることを理解していました。  一億総活躍社会と、それを支える新三本の矢に対して期待が高まらないのは、元々の三本の矢がどうなったのか総括がない中で、屋上屋を架す形で出てきたからでもあるでしょう。日本経済の雰囲気が変わった アベノミクスによって日本経済の雰囲気が変わったことは事実です。国際社会の日本を見る目も、長年の不決断に対してあきれを通り越して無関心というところから、何だか日本経済が熱いらしいというところまで戻しました。新興国経済の冷え込みによって日本のような安定した市場が再評価される気運もあります。 しかし、デフレ脱却が道半ばである中、景気が息切れしてきてしまいました。石油価格の下落など誰にも見通せなかった要素もあるのだから、政策を微修正しながら継続していく他ないでしょう。問題は、第三の矢と言われていた成長戦略が遅々として進んでいないことです。規制改革は政権の一丁目一番地と言っていたのに、どうしてしまったのでしょうか。過去30年間の議論を通じて、農業や医療や労働の分野においてやらなければならない規制改革テーマは出そろっています。 農業でいけば、農業への株式会社の農地取得を自由化して、新しい資本や技術や担い手を市場に参入させることです。農業政策は、GHQの農地改革以来の自作農家族経営主義から転換しなければなりません。農業の主流は、資本と技術と組織に基づく会社が担っていくことになります。 医療でいけば、公的保険の適用範囲を最適化して、混合診療を大幅に認めることです。そうすることで初めて、医療財政を破たんさせずに国民皆保険を守り、同時に新しい医療市場を作っていけるのです。医療政策は、すべての国民が受ける医療の結果の平等を目指すのではなく、国民としてのナショナル・ミニマムを守ることに眼目が移ります。 人口が減少局面入った超高齢化社会の日本はすでに借金漬けです。我々は撤退戦を戦っているのです。撤退戦を戦う中で、国民にとって最も大切な本丸を守るために改革が必要なのです。農業政策であれば一定の食料自給率と国土の保全が本丸であり、医療政策であれば、国民皆保険を守ることでしょう。 日本が迫られている選択肢は甘いものではありません。それを実現する政権には強い意志が必要です。現在の日本政治は、官邸一強と言われています。一億総活躍社会をぶち上げた官邸の狙いが、自民党や霞が関の抵抗勢力を押さえつけ、改革を一気に進めることであってほしいと思います。どうでしょう、希望は失っていませんが、期待が急速に萎んでいく今日この頃です。

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    「一億総活躍」で何が悪い? レッテル貼りで国民を煽る民主党の愚

    主義的なキャッチコピー」という蓮舫氏の批判だろうが、これは全くの的外れな批判だろう。 共産党が政府の政策を「個人を国家に従属させる動き」などと批判していることは、笑止千万というよりほかない。共産主義体制とは、まさに、個人の自由を蹂躙し、共産党の「指導」という名の下で、個人を国家、共産党の下に従属させる体制ではないか。自分たちが掲げる、その極端な隷従体制を棚に上げ、まるで自分たちが自由を尊重する政党であるかのように振る舞うのは、国民を欺く詭弁というものであろう。 仮に、全体主義というならば、一人一人が、このような活躍をしろという、各自の自由が抑圧され、国家の意志が押し付けられる状態が生み出されているはずだが、勿論、政府がそういう危険な状況を目指しているわけではない。各自の生き方にまで国家が不当に干渉してくるのは、無用なパターナリズムだといってよいが、この「一億総活躍」とは、そこまでパターナリスティックなものではないだろう。中身を見ずにレッテル貼りする民主党中身を見ずにレッテル貼りする民主党 首相官邸のサイトを調べてみると、「一億総活躍社会」とは、次のように説明されていた。 我が国の構造的な問題である少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢を紡ぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新三本の矢」の実現を目的とする「一億総活躍社会」。 国家が国民一人一人の生き方に干渉するなどということは微塵も感じさせない表現だ。 我が国の少子高齢化は、深刻な問題だ。この問題に対策を講ずるのは政府の責務と言ってよいだろう。 一つずつ検討してみても、当たり前のことを当たり前だといっているように思えない。 「希望を生み出す強い経済」。 これは、多くの人が期待していることではないだろうか。日本経済が崩壊して欲しいなどと望む人は、余程変わった人ではないだろうか。 「夢を紡ぐ子育て支援」。 これも何がいけないのだろうか。子育て支援の充実に関して、民主党は反対だというのだろうか。 「安心につながる社会保障」。 誰もが否定できない類の政策ではないだろうか。社会保障を破壊せよという主張は、あまりに極端だ。 要するに、目標とされている「一億総活躍社会」とは、全ての国民が、それぞれの個性に応じて活躍出来る環境を整備しようというだけの話であって、全体主義的な政策とはいえない。むしろ、これらは政治の基本であり、これを全体主義的だというならば、政治の役割を放棄していると批判されても仕方あるまい。 実際問題として、民主党は、これらの個別の政策に全て反対なのだろうか。 そうではないだろう。 中身に関しては全く触れることなく、「名称」に関して「全体主義的だ」というレッテルを貼り、国民を煽っているだけだろう。 安全保障法案を「戦争法案」と呼んだときも同じなのだが、内容について一切言及しないで、思いつきの印象論で、ただ反対の声をあげるだけなのだ。これでは、責任ある野党とはいえない。 そもそも、「一億総活躍社会」について、岡田代表は、当初、次のように述べていた。 「民主党の綱領には『すべての人に居場所と出番のある社会をつくる』とある。これのぱくりみたいな感じだ。本当にやって下さいねということだ。」(10月7日) 仮に蓮舫氏がいうように、「一億総活躍社会」を目指すことが全体主義的だということならば、岡田代表が「一億総活躍社会」を民主党の「ぱくり」だといってるのだから、ご自身も全体主義的な主張をしていたということになる。 だが、私は、民主党が掲げた「すべての人に居場所と出番のある社会をつくる」という言葉を見ても、全体主義的だとは思わない。政治の基本だと思う。むしろ、こうしたまっとうな目標を掲げながら、民主党政権は、殆ど成果を上げられなかったことを残念に思う。 中身を精査しないで、印象だけで、レッテル貼りする無責任な非難の繰り返しでは、国民の支持は得られない。民主党は、真剣に国民の支持を得るべく政策研究に取り組むべきだ。無責任な非難を繰り返す万年野党の道を歩むべきではなかろう。