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    共産党スパイ5万人の恐怖! 中国の「動員力」が日本の安全を脅かす

    拳骨拓史(作家)シルクロード構想の一端 平成28年8月6日、世界がリオデジャネイロ五輪の開会式で沸き上がる最中、東シナ海の尖閣諸島の接続水域で、中国の海上民兵を乗せた漁船約230隻と海警局の武装した船6隻が大挙して押し寄せた。その後、漁船400隻以上、海警局の船は20隻以上へと増加し、現在でも周辺では緊張感が漂っている。 だが、すでに6月には中国軍艦が日本の領海へたびたび出現し、7月の参議院選の最中には戦闘機や軍艦がこれまでと違う示威行動を見せていた。7月12日にオランダ・ハーグ仲裁裁判所が南シナ海での中国領有権を認めない判決を下し、加えて経済が不安定になりつつあるため、いまのうちに有利な態勢をつくりたい、とメンツにこだわる中国が「攻撃は最大の防御」と尖閣をターゲットに行動することは必然的だったといえる。沖縄県・尖閣諸島周辺の接続水域を航行する中国公船。背後には漁船も見える=2016年8月7日午後(第11管区海上保安本部提供) これら一連の中国の動きは、2013年に打ち出した中国と欧州を結ぶ「陸上シルクロード」と、ASEAN(東南アジア諸国連合)・南アジア経由で結ぶ「海上シルクロード」による“シルクロード構想”が深く関わっている。 中国の狙いはシルクロード沿線諸国、主としてユーラシア地域のインフラ需要を取り込み、減速する中国経済を下支えすることである(アジアインフラ投資銀行=AIIBは、これを金融面で支援する構想の一端)。 すでに中国は最高裁にあたる最高人民法院で8月1日、管轄海域で違法漁労や領海侵入をした場合に刑事責任を追及する「規定」を定めた。これにより、尖閣諸島周辺で日本人を逮捕することを合法化した。 今後の世界はアメリカ主導のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)と中国主導の新シルクロードによる経済強化で二分され、問題となる東シナ海・南シナ海は、両国の覇権が激突する地域となる。尖閣諸島を有するわが国は、さながら中国覇権に対する真田丸の役割を果たすことになる。 巨大化する中国の覇権に対抗する布石を打つには、大統領選挙で身動きが取れないアメリカではなく、世界第3位の経済力を有する日本が中国包囲網に対する主導権を握るべきなのだ。 2003年、中国人民解放軍政治工作条例に「三戦」という言葉が表れた。三戦とは「世論戦(自軍の士気を鼓舞するほか、敵の戦闘意欲を減退させる世論醸成)」「心理戦(敵の抵抗意思を破砕するため、宣伝、威嚇、欺騙、離間を仕掛ける)」「法律戦(自軍の作戦行動の合法性を確保することで、敵を受動の立場に置くとともに、軍事行動の補助)」のことだという。 逆をいえば、中国が蜂起したときは日本の国内は獅子身中の虫により腹を食い破られた状態となっているのであり、このような事態を避けるためにも、国内のスパイ工作情勢にわれわれは留意する必要がある。自衛隊に対するスパイ工作自衛隊に対するスパイ工作 中国は1992年に「中国共産党中央七号文件」を全国の省・軍に配布し、対外情報収集の積極化を図って以来、現在まで情報工作を実施しているが、とくに中国が日本から獲たいと考える情報は「政治」「防衛」「マスメディア」「電子機器」「通信機器」「反中国団体の動向」である。 中国は国防のためには日本からの技術移転が必要不可欠と考えており、先端技術や防衛関連企業関係者等に技術移転の働きかけを行なっている。 古くは1976年に発覚した「汪養然事件」(香港で貿易商社を経営していた汪養然が、中国情報機関から中国と貿易取引を継続する見返りとして日本における軍事・産業技術に関する情報収集をするよう指示され、日本人協力者数名を利用しつつ情報活動を実施した)や、1987年の「横田基地 中ソスパイ事件」(在日旧ソ連大使館で工作を受けた中国人と親中団体幹部が、横田基地従業員と軍事評論家らと共に、8年間にわたって在日米空軍の資料を旧ソ連や中国に売却していた)などが有名である。 近年でも、2004年に在上海日本国総領事館に勤務する領事館員がカラオケ店でハニートラップに引っかかり、総領事館の全館員の出身官庁を教えるよう責められたうえ、情報システムの開示を要求されることを恐れ、自殺した事件が起きている。 2006年にはこの領事館員と同じカラオケ店でハニートラップに引っかかった海上自衛隊上対馬警備所の自衛官が、内部情報を無断で持ち出したうえ、中国へ無断渡航を繰り返したことで取り調べを受け、1人が自殺した。 2007年にはイージス艦システムの構造図面が中国の手に渡った(2等海曹の中国籍の妻を出入国管理及び難民認定法違反容疑で調べた際、神奈川県警が押収したハードディスクにイージス艦の情報が発見され発覚。中国籍の妻は国外追放となるも、再度日本に潜伏した)ことで当時の海上幕僚長が辞任したが、自衛隊に対する中国人スパイの工作は“疑惑”を含めればその後も「防衛省情報本部情報漏洩疑惑」(2013年)、「防大生スパイ疑惑」(2014年)など枚挙に遑がない。 東日本大震災では中国から派遣された救助隊はわずか15名だったのに対し、200名以上の報道記者が訪れた。これは自衛隊の動きを偵察するため派遣されたものと見るのが正しい。 日本へ送り込むスパイは中国人ビジネスマンや有名人を買収、日中友好を謳う組織のメンバー、貿易をしている日本人やマスコミなどもターゲットとし、機関員が前面に出ることなく、日本人エージェント等を活用するなどの方法で工作活動を展開している。 また中国の情報収集は中国共産党員が出国する場合、国家安全部から定期的に訪問国で起きた事項についてレポートを提出し、報告することを義務付けられる。後述するが現在、日本国内には5万人もの中国共産党員が滞在していることを考えると、この情報網は脅威以外の何物でもない。 私は実際にレポートの内容について、共産党員である中国人留学生らに取材したが、皆一様に「大したことは書いていない。いつも適当に書いている」と笑って答えた。だが本人が大したものはない、と考える情報も束になれば話が変わる。たんなる愚痴や自慢話も組織の内情を暴露することであり、中国に付け入らせる隙になる。 一流企業や一流大学に入る優秀な人材の多くは中国共産党員であることから、たとえ彼らが末端社員であっても、報告する膨大かつ断片的な情報はジグソーパズルのように組み合わせられ、新事実として解明されていく。きわめて非効率ではあるが、情報収集が行なわれていること自体がわれわれにも、そして提供者自身にも認識されにくいという特徴がある。 本当に意味がなければこのような諜報は廃止するはずで、現在も継続しているのはこの手法が有効であることを示す。在日中国人の動員力在日中国人の動員力 中国が、在日中国人および帰化した元中国人の組織化を図っているのも見逃せない点である。中国は彼らを「日籍華人(日本国籍中国人)」と呼ぶ。2010年6月には日籍華人聯誼会が組織され、彼らを組織的に運営できる基盤をつくった。 2004年に尖閣諸島へ中国人活動家が上陸する事件が起きたが、その際には沖縄にいる在日中国人や留学生が海上保安庁の巡視船の動きなどを調べ、裏で手引きしたことが明らかになっている。尖閣諸島・魚釣島に不法上陸した中国人活動家ら=2004年3月24日(産経新聞社機から、芹沢伸生撮影) これに加え、中国は同年7月に「国防動員法」を施行した。これは中国国内で有事が発生した場合、「中国国外に住む中国人(帰化人含む)も対象」として動員が発令されることを法令化したものである。先の日籍華人聯誼会の発足時期と照らし合わせれば、その真意を知ることは容易ではないか。 在日中国人の動員力については、長野オリンピックを思い起こせばよい。 長野オリンピックでは在日中国人留学生組織「学友会」が2000人規模の留学生を動員すると警察は予測していたが、在日中国大使館によるカネ・モノ、マニュアル配布に及ぶ組織的支援があり、実際は想定を上回る4000人が集結し、中国によるチベット弾圧に抗議する人びとに暴行を加え、警備に混乱を来した。 中国による動員と暴力、混乱はわれわれ日本人の想定を上回るものであった。 2015年6月時点で、在日中国人の数は官民合わせ約80万人に及ぶ。これらが一斉に蜂起することがあれば、国内の治安に深刻な影響を与えることは間違いない。 また中国人の人口約14億人に対し、中国共産党員は約8800万人(2014年末)といわれ、約16人に1人が共産党員となっていることを考えれば、単純計算でも日本国内には5万人の中国共産党員が入国していることになる。中国建国60年の軍事パレードで、北京・天安門広場を行進する人民解放軍兵士(共同) 2013年には、在日中国大使館は公式サイトで在日中国人に対し「緊急事態に備えて連絡先を登録するよう」通知しており、有事に対する備えを着々と進めつつあるのだ。 転じて北朝鮮の話にはなるが、今年に入ってから急速に核実験や弾道ミサイル発射実験を繰り返す背景に、東大・京大・名大・阪大などで核関連の研究をした在日朝鮮人が大量破壊兵器などへの転用可能な技術を伝えたと見られ、北朝鮮を渡航先とした場合の再入国禁止が決定した(京都大学では現職の准教授が含まれる)。 日本のヒト・モノ・カネによってつくられた技術が敵性国家に転用され、わが国の安全を脅かす現状を考えれば、再入国不許可は在日朝鮮人全員に適用すべきである。また核やミサイル技術を敵性国家に持ち出す行為は、現行法では逮捕できない。速やかに立法し、厳罰に処する対応を取るべきで、これを中国にも適用することは当然である。政治家から情報が筒抜けに政治家から情報が筒抜けに 民進党代表選に絡み、蓮舫候補(当時)に二重国籍問題が巻き起こったことは記憶に新しいが、連合の神津里季生会長が「二重国籍の国会議員はほかにもいる」「あまり目くじらを立ててどうこうということではない」と述べたように、国籍法が明確に二重国籍を違法としているのに、マスメディアをはじめこれを擁護する動きが盛んであることに留意したい。 二重国籍の国会議員については、日本維新の会が日本以外の国籍をもつ人が国会議員や国家公務員になることを禁止するための法案を提出したが、当然ともいえるこの動きに対し、各政党に温度差があるのは不可解である。 そもそも多重国籍者に被選挙権を与えることは、国と国の利害が衝突する安全保障に携わる場合、“忠誠の衝突”が起こる可能性が高く、外国政府の影響を受けやすくなる危険をはらむ。早期に対応して然るべき問題ではないか。 民進党の馬淵澄夫選対委員長は、二重国籍状態にある国会議員が「十数人いるようだ」と発言しているが、蓮舫代表の1件は氷山の一角にすぎない。膿はすべて出しきったほうがよい。 そして二重国籍問題に加え、深刻なのは在日1世議員や外国人秘書の問題である。 たとえば民進党の某議員は、帰化する前は在日中国人であった。帰化しても日本のためになる政策を推し進めるならばよいが、彼は外国人参政権、ヘイトスピーチ規制法の推進のほか、特定秘密保護法案、安全保障関連法案等には反対するなど、日本の国益を守る政策には断固反対する動きを示している。 ほかにも落選した民進党の櫛渕万里前議員の夫は李松という中国人であるが、元刑事である坂東忠信氏によると、「日本人配偶者後援会」という中国人女性の日本での不法滞在を指南する団体を運営していたという。 さらに坂東氏は、李松氏が中国の民主化運動家であるのに、妻の櫛渕議員が2009年の小沢一郎議員による中国への訪問団に参加できたことを疑問視し、李松氏が中国の反政府活動家の仮面をかぶった中国のスパイである可能性を指摘している。 また第18回統一地方選挙では、選挙が始まるわずか2カ月前に帰化した李小牧氏が新宿区議選に立候補(その後、落選)するなどの動きもあり、地方分権や外国人参政権が叫ばれる昨今の情勢を考えれば、国政同様に地方の動向についても目を配る必要がある。 国会議員や地方議員は国政調査権・行政調査権があり、国や地方の機密資料を閲覧できる立場にある。日本の安全と平和を守るためには、二重国籍議員の禁止だけでなく、帰化1世、またはその配偶者が外国人である場合には立候補を禁止するとともに、外国人秘書の登用についても、中国や北朝鮮・韓国のようにわが国と価値観を共有しない国については同様に制限すべきだと考える。 アメリカでは帰化すれば1世でも選挙権、被選挙権を得ることができるが、大統領選に出馬することはできない。日本のように有権者数が多くはなく、内閣総理大臣の選出がアメリカの大統領選のような直接選挙で行なわれているわけではないことを考慮すれば、これらに制限を掛けるのは当然だといえるのではないか。 むろん、これは二重国籍、帰化1世等だけに限定される話ではない。 かつて橋本龍太郎元首相が中国人女性工作員のハニートラップに引っかかったことは有名だ。この2人の出会いは、1970年代に在日中国大使館に勤務していた女性工作員がホテルニューオータニのロビーにいた橋本の前で白いハンドバッグを落とし、それを拾ってもらったことから始まった。 以後、逢瀬を重ね、政府の実権を握った橋本氏を使って北京市の病院への資金援助と天安門事件で凍結されていたODA(政府開発援助)26億円の支援に成功している。「1人の優秀なスパイは一個師団に匹敵する」との言葉を彷彿とさせる出来事だといえるだろう。 官公庁の防諜(カウンターインテリジェンス)を高めても、政治家から情報が筒抜けになるのであれば何の意味もない。スパイ防止法の早期制定と国会議員、有権者の良識が求められることはいうまでもない。MI6構想より防諜が急務MI6構想より防諜が急務 中国では2015年5月から在中邦人をスパイ容疑で逮捕、起訴する事件が相次いでいる。 拘束された人物は、中朝国境地帯で個人貿易をしながら北朝鮮情勢の情報を収集していた男性や、浙江省で人材派遣業を営む男性(人材派遣はヒト・モノ・カネを扱うため、情報を得やすい)、中国と35年にわたる付き合いがあり、中国人観光客誘致や技術指導をしていた人物(親中派のように振る舞っていたが、日本の二重スパイ)など多岐にわたる。 いずれにせよ、これだけの数の情報協力者が一斉に逮捕されるというのは、日本側の情報が中国へ筒抜けになっている可能性が高い。むろん、これまでも中国で捕まった事例はあるが、裏で該当日本人を国外追放するなどで済ませてきた。 私がこの事件から想起するのは、日経新聞記者北朝鮮拘束事件である。 この事件は、1999年に日経新聞記者(当時)杉嶋岑氏が北朝鮮にスパイ容疑で拘束された事件である。 帰国後、杉嶋氏は日本の公安調査庁(以下、公安)に協力して提供した資料がことごとく北朝鮮当局の手に渡っていたうえ(公安に北朝鮮の二重スパイがいる可能性)、日本に協力した民間人が拘束された際に、政府がトカゲの尻尾切りのように「知らぬ、存ぜぬ」で乗り切ろうとした姿勢を厳しく批判している。 日本では内閣情報調査室、公安、警察庁、外務省、防衛省などさまざまな機関が独自で情報を入手しているが、今回、中国に逮捕された日本人はいずれも公安の協力者と見られることから、かつての杉嶋氏の事件と同じ事が起きているのではないだろうか。 2013年には、朱建栄東洋学園大学教授が日本との二重スパイの容疑で中国で逮捕されたが、その際、公安を含めたわが国の情報機関関係者との接触について厳しく取り調べられたという。この動きを見ても、わが国の動きが筒抜けになっている可能性は高い。羽田空港に到着後、報道陣の取材に応じる東洋学園大学の中国人学者、朱建栄教授。中国当局に拘束された後、1月中旬に解放され、約7カ月ぶりに日本に戻った=2014年2月28日、羽田空港 早期に情報漏洩の原因を調査し、責任者を処分しなければ、このままでは身の危険を感じ、日本のために情報提供をしようとする者は現れないであろう。 現在、安倍内閣の下で日本版MI6構想が持ち上がっている。だが、それよりも急務なのは防諜であり、国内に潜むスパイおよび二重スパイを排除するための法整備と体制づくりであり、事態が発覚した際に日本政府への情報提供者を安全に保護するための仕組みをつくることではなかろうか。関連記事■ ついに領海侵犯した中国の「灰色の船」■ 日本の底なしの「性善説」が自ら招く罠■ なぜ中国はいつまでも近代国家になれないのか?

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    中国が仕掛けるオンナの「歴史戦」に断固対抗せよ

    杉田水脈(前衆議院議員)×河添恵子(ノンフィクション作家)宋美齢、アイリス・チャン、クマラスワミ……。米中を舞台とするオンナたちの策動で、日本は不当なレッテルを貼られてきた。私たちは同じオンナとして、日本人として、もう黙ってはいられない!!天安門事件(1989年6月)以前からの中国社会を熟知するノンフィクション作家の河添恵子氏と、国連へ乗り込み、慰安婦問題の嘘に果敢に斬り込んだ前衆議院議員・杉田水脈氏。保守の女性論客2人が世界での見聞・体験をまじえながら、日本は「歴史戦」にいかに臨むべきかを徹底討論した『「歴史戦」はオンナの闘い』が、PHP研究所より発売された。そこで今回は「中国が仕掛けるオンナの歴史戦」について、本書よりその一部を抜粋して紹介する。戦後70年の8月15日にオープンした「抗日戦争記念館」 河添 中国は上海閥のドン、江沢民が国家主席だった1990年代より、「愛国主義教育模範基地」と称した「反日拠点」を国内に設け、アメリカなどの華僑・華人団体とも密接につながり、韓国系とも連携し、アメリカを主舞台に「南京大虐殺」「従軍慰安婦」など、捏造の史実の拡散と戦争責任の追及に心血を注ぐ活動を展開しています。 現在、その中心的な海外拠点と言えるのが米カリフォルニア州サンフランシスコ市です。私は同市を基点にカリフォルニア州の広範囲を取材し、書籍や雑誌などで記事を発表しながら定点観測も続けてきました。そして恐れていたというか、やっぱりそうなったかという事態が2015年8月に報じられました。 杉田 サンフランシスコ市のチャイナタウンにできた、「抗日戦争記念館」の件ですね。 河添 そうです。中国国外で初となる抗日戦争記念館が、終戦70年の8月15日にオープンしました。中国語の表記は「海外抗日戦争紀念館」で、財団創設者で名誉館長は在米女性実業家で社会活動家の方李邦琴(フローレンス・ファン、Florence Fang)。海外初の抗日戦争記念館=2015年8月15日、米カリフォルニア州サンフランシスコの中華街 中国語と英語で併記されたA4のパンフレットの挨拶文には、「第二次世界大戦のあいだ、ナチス・ドイツに約600万人のユダヤ人が虐殺され、全世界に167カ所のユダヤ記念館や記念碑がある。一方、日本軍国主義により3500万人以上の中国人が抹殺されたが、海外に記念館は一つもない。これではこの悲惨な歴史を世界が理解できない」などと記されています。新たな「歴史戦」への宣戦布告 杉田 中国人だけで3500万人! ありえない数字です。 河添 「中国人同士で殺し合った死傷者数ですか?」ってね。「展示コーナー」の盧溝橋事件(1937年7月7日)から始まる展示パネルに何らリアリティはないのですが、記念館は将来的に地下階までフロアを広げる予定で、パンフレットには「戦争の遺産は世界各所にまだある。同館は現物の日本語の資料の収集も広く行っている。是非とも提供をお願いしたい」との呼びかけまで記されています。 開館にあたってはチャイナタウンの街頭で開幕セレモニーを催していますが、戦後70年を区切りに、新たな「歴史戦」への宣戦布告をしたのだなと私は受け取りました。 杉田 同感です。まさに新たな「歴史戦」が火蓋を切っていますね。カリフォルニア州ロサンゼルス郡グレンデール市に行った際、ユダヤのホロコースト記念館や博物館に慰安婦の展示コーナーを設けるといった話が進んでいると聞きました。「日本軍の侵略、さらには慰安婦の強制連行、性奴隷はユダヤのホロコーストに匹敵する、酷い戦争犯罪だ」と印象づけるためにね。 抗日戦争記念館の関係者には、日系三世のマイク・ホンダ下院議員の名前も含まれていますよね。 河添 そろそろ用なしかと思っていたのに、しぶとくて困ったジイさんです。その他、抗日戦争記念館の創設に関係した人物として、戦後に台湾へ逃げた中華民国陸軍上将で1919年生まれの郝柏村の名前もありますし、フライング・タイガー・ヒストリカル・オーガニゼーションのチェアマンの名前も記されています。郝柏村の息子、郝龍斌は台北市長や中国国民党副主席を務めるなど台湾政界のエリートです。 名前こそ記されていませんが、超大物の陳香梅女史、英語名ではアンナ・チェン・シェンノートも関わったようです。「海外抗日記念館の名誉議長」との記述もあります。 1930年代、日本軍と戦争状態にあった中国国民党政府を支援し、日本軍を攻撃するためのアメリカ空軍兵らによる義勇兵組織、フライング・タイガー(飛虎隊)を指揮したクレア・L・シェンノート将軍の妻だった女性です。すでに九十歳をすぎていますが、創設者の方李邦琴女史とのツーショットの近影も確認しました。 陳香梅女史は、私の見立てでは戦後の米中台関係、丁寧に表現しなおすと、アメリカの共和党と民主党、そして中華民国の中国国民党、そして中華人民共和国の中国共産党の関係構築に表で裏で奔走してきたナンバーワン・ロビイストです。 彼女の母方の家系は孫文側近の廖仲凱です。その息子で、共産党政権で華僑工作を一手に取り仕切った廖承志ともつながるわけです。中国の政治工作はオンナの使い方が巧み!中国の政治工作はオンナの使い方が巧み! 杉田 抗日戦争記念館は、「世界抗日戦争史実維護連合会」のサンフランシスコ支部が置かれていた建物ですよね。 河添 そうです。「世界抗日戦争史実維護連合会」の本部はカリフォルニア州クパチーノ市にありますが、サンフランシスコ支部が置かれていた建物をリフォームして、抗日戦争記念館としてリニューアルしました。建物の所有者は方李邦琴女史です。 1994年前後に発足した世界抗日連合会の英語名は、Global Alliance for Preserving the History of WWII in Asiaですから、中国名とはまったく違いますよね!  杉田 中国名と英語名の違いについて、私も以前、訪米した際に在住邦人の方からお話を伺いました。中国名には「抗日」とあるのに英語名にはその表現が含まれていないので、日本バッシングが目的だとわかっていないアメリカ人がほとんどだと。 河添 ホント巧妙というか、我々日本人にはわかりやすいウソ(苦笑)。アメリカ、カナダ、香港を中心とする世界中の30歳前後の中国系、韓国系、日系団体を結集させて世界抗日連合会を結成させた、といった内容を読んだことがありますが、結成の目的は、「日本政府に正式に謝罪させること」「人民はじめアジアの被害者すべてに補償を実施させる」「日本の歴史教科書の誤りを正す」「日本が再び不当な侵略行為を開始することを阻止するため、アメリカ、中国、日本および他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう、国際世論を喚起する」などです。 そして1997年、手始めに中国系アメリカ人のアイリス・チャンに『ザ・レイプ・オブ・南京』を書かせて、大々的に宣伝し、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名を全世界規模で数千万人集めたり、2012年9月には、日本政府による尖閣諸島の国有化に抗議する反日デモをサンフランシスコで指揮するなど、これまで数々の「実績」があります。米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のロスアルトス市の小高い丘の上にある中国系米国人ジャーナリスト、アイリス・チャンの墓。「最愛の妻で母、作家、歴史家、人権活動家」。墓碑にはそう刻まれている=2014年11月 杉田 アイリス・チャンも世界抗日連合会のメンバーだったようですが、若くして亡くなりましたよね。 河添 公には自殺ですが、「他殺では?」との声もずっとくすぶっています。しかもサンフランシスコの抗日戦争記念館に、アイリス・チャンの足跡や彼女の著書の展示コーナーはあるのですが、中2階をさらに進み、「プライベート」と書かれたドアを開けて、階段を上った場所、つまり通常の参観コースから外れた、お蔵入り寸前のエリアにひっそりと─なんですよね。 杉田 すでに用済みってことでしょうね。「女子力」こそが鍵 河添 使い倒されて、おしまいってことかな。ここで注目しておきたいのはアイリス・チャンが中国系アメリカ人だったことのみならず、大学院卒の若き才媛だった点です。中国の政治工作は、オンナの使い方が実に巧みなのです。アピール度の高い美女がリクルーティングされ、適材適所で操られます。チャン女史は、自らの意志というより誰かに指図されてチャイナドレスを着たのではないかと思います。勝負服というか演技服ってことでしょうかね。 もしベテランのおじいちゃん学者や歴史作家が、『ザ・レイプ・オブ・南京』を発表していたら、いくらヤラセ本だったとはいえ、『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーリストに10週間も掲載されることはなかったはずです。 アメリカ社会から「中国人女性は、日本軍に酷い目に遭ったのね」的な同情をマックスで盛り上げるためには、「女子力」こそが鍵ってことなんです。 杉田 なるほど! 私も慰安婦問題に取り組むなか、「この問題は女性がやったほうがいい」とよく言われます。性の問題はどうしても「男が強者で女が弱者」というイメージがあり、広める側がそれを巧みに使っていることは徐々に気づいていましたが、「女子力」という視点は斬新です。国連も、私が奮闘している部署は左派女子の世界ですからね! 河添 これからも要所、要所、キーパーソンとして女性が登場しますよ! これが、我々の「女子会」ならぬ「女子対談」の肝になりそうです。 日本人男性は、とくに中国の政治や戦史を考察する際、妻やら愛人やらオンナが何をしていたのかがよくわかっていないというか、その視点が抜け落ちているように感じます。現代のハニー・トラップもそうですが、中国社会はいつの時代もオンナが実に上手く立ち回っている、表に裏に暗躍している社会なのですけれどね。 抗日戦争記念館にしても、いま申し上げたとおり、在米女性実業家で社会活動家の方李邦琴……まぁ、この方は現在すでに十分ご年配で80歳を超えたようですが、若き時代もあったわけですし、長年、サンフランシスコの反日活動のキーパーソンでありつづけているのです。 方は夫の名字で李が彼女の名字ですが、フローレンス・ファンがクリスチャンネームですし、「ファン女史」と呼ばせてもらいます。 ファン女史は若い頃から眼鏡がトレードマークのようですが、知的でスラッとしたなかなかの美女で、ここ一番のときに体の線にピッタリのチャイナドレスを身にまとい、中華民族を全面にアピールしています。胸に詰め物でも入れているかなと疑いたくなるほど、お年の割には胸の形もお美しい。アメリカ社会は、老婆でも「強姦されました」なんて自慢する社会ですしね。 杉田 男性の意識もですが、女性の意識も日本人とはかなり違いますね(笑)。 河添 日本は「カワイイ文化」、西洋社会は「セクシー文化」です(笑)。かわそえ・けいこ ノンフィクション作家。1963 年、千葉県松戸市生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、1986 年より北京外国語学院、1987 年より遼寧師範大学(大連)へ留学。1994年に作家活動をスタート。2010年に上梓した『中国人の世界乗っ取り計画』(産経新聞出版)は、ネット書店Amazon〈中国〉〈社会学概論〉の2部門で半年以上、1位を記録するベストセラー。主な著書は『世界はこれほど日本が好き №1親日国・ポーランドが教えてくれた「美しい日本人」』(祥伝社)、『だから中国は日本の農地を買いにやって来る TPPのためのレポート』『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』(共に産経新聞出版)、『国防女子が行く』(共著、ビジネス社)など。世界の学校・教育関連の取材・著作物として図鑑(47冊)他、『エリートの条件――世界の学校・教育最新事情』(全て学研)などがある。『産経新聞』や『正論』『WiLL』『週刊文春』『新潮45』『テーミス』などで執筆。NHK、フジテレビ、テレビ朝日ほか、TVコメンテーターとしての出演も多数。ネットTV(チャンネルAJER、チャンネルくらら)にレギュラー出演中。40 カ国以上を取材。すぎた・みお 前衆議院議員。1967 年、兵庫県神戸市生まれ。前衆議院議員(1 期)。日本のこころを大切にする党(旧:次世代の党)所属。鳥取大学農学部を卒業後、住宅メーカー勤務を経て、兵庫県西宮市役所に勤める。2010 年に退職し、2012 年、日本維新の会から出馬し、衆議院議員初当選。従軍慰安婦問題など数々のタブーに切り込み一躍注目を浴びる。他にも子育てや歴史外交問題に積極的に取り組む。充電中の現在も、国際NGOの一員として国連の「女子差別撤廃委員会」「人権基本理事会」などで日本の真実を国際的に発信するなど、東奔西走の日々を送る。国家基本問題研究所客員研究員、チャンネル桜、チャンネルくらら、チャンネルAJERのキャスターを務める。先の著書に『なでしこ復活――女性政治家ができること』(青林堂)、『みんなで学ぼう日本の軍閥』(共著、青林堂)、『胸を張って子ども世代に引き継ぎたい:日本人が誇るべき〈日本の近現代史〉』(共著、ヒカルランド)。現在、『産経新聞Web』に「杉田水脈のなでしこレポート」を連載中。関連記事■ 日本の底なしの「性善説」が自ら招く罠■ 慰安婦問題に対するアメリカ人の対日批判が後退している実態!■ 政治家の世代交代が進めば日韓関係は改善するか

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    良心的外交官は甘すぎる! 「友好」で日本を利用する中国

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 約10年前の2006年7月に発刊された「大地の咆哮」(PHP)という中国観察記と対中外交論がある。著者の杉本信行氏は、いわゆる「チャイナスクール」の外交官だ。 杉本氏は2006年、末期癌で57歳で病死。本書はその覚悟のもとに書かれている。それだけに中国の反応を気にせずに書かれた内容は率直で、チャイナスクールとは思えないほど相手の問題点についての洞察は深い。幹部の汚職と腐敗、深刻な水不足問題、搾取される農民、反日運動の背景、靖国神社参拝問題の政治的背景、格差拡大など、深刻な問題の真実をえぐっている。 私は史実を捏造、歪曲し、世界に宣伝する中国や韓国に対抗するために外務省が全力を上げて取り組むべきだと、当ブログで繰り返し提唱してきた。それをやらずに沈黙を通してきた外交官を無為無策、面倒な仕事をやりたがらず怠慢だと厳しく批判してきた。 だが、実際には一生懸命やっているまじめな外交官も少なくない。杉本氏はそうした良心的外交官の典型だろう。氏は日本のODAが十分に生かされるよう、日本のODAを活用した地方の農村で小学校建設などに注力してきた。それが長期的に日中友好に役立つと信じてのことだ。 ここにこそ良心的外交官の限界がある。杉本氏は中国の腐敗、汚職、非民主的な地方での経済運営と、それによる人民の貧しさ、苦闘を見聞きし、肌身で感じている。一党独裁のこの国で、格差拡大、腐敗・汚職を廃絶することなど容易ではないこともわかっている。 中国政府の幹部が国のためでなく、私利私欲、自己保身のために備えていることを、杉本氏は良く知っている。<(幹部の)子弟たちの多くは海外留学に出ているが、将来、中国人民共和国のために働くというより、共産党の支配体制が崩れた場合に備えているといったほうが正しいのではないだろうか。海外留学生たちの多くが中国に帰らず、そのまま留学先にとどまり、そこでの永住権を得る例が多いことがそれを物語っているともいえる> これだけ、実態を正確に把握しながら、杉本氏は中国と距離を置こうとしない。<中国は日本にとって、時としてやっかいな隣国である。しかし、だからといって日本は引っ越すわけにはいかない。中国が日本にとって好ましい存在になるように全力を尽くすのが外交の要諦だと考える。少なくとも中国の失敗のつけが日本に回ってこないよう賢明に立ち回ることが大事だ> 日中友好第一なのである。この考え方こそが、日本の外務省の間違いであり、日本の国益を害してきたといえる。国家間に友情なし 杉本氏の元同僚で、元外交官の岡本行夫氏は本書を激賞する解説を寄せている。その最後の方にこんなエピソードがある。<二年前、病気が発覚する直前に、杉本氏と共に、彼が研修した瀋陽の遼寧大学を尋ねた。暮れなずむ大学のグラウンドを見ながら、彼は「日中は必ず理解しあえます」と静かに、しかも自信をもって断言した> なんとも甘い! 杉本氏も、美しい描写で杉本氏を評価する岡本氏もそう言わざるをえない。「人間同士には友情があるが、国家間には友情はない。あるのは共通の利益だけだ」。こう言ったのは2013年2月から2014昨年11月までオバマ政権の国防長官を努めたチャック・ヘーゲル氏である。 また、「スピーク・ソフトリィ ウィズ ビッグ スティック(棍棒片手に優しく語りかける微笑外交)」が外交の要諦なのだ、とも昔から言われる。 こうした冷徹な認識こそ欧米での国家関係、外交の常識なのだ。 ところが、日本外交は友好第一。対象国と溝が生じるのはいけない、と考えてしまう。だから、相手に舐められるのだ。「日本は第2次大戦で謝罪していない」『賠償も不十分だ」などと言われると、多額のODAを出したり、支援金を支払う。 中国には過去数十年で何兆円ものカネをばら撒いてきた。国富の流出である。だが、外務省はそれが良かれと思っている。支払うのは国民の税金であり、自分のカネでないから平気なのだ。 「良心的外交官」ながら、彼らは国富をドブに棄ていているようなものである。日中国交正常化以来、何兆円も中国に振り向けながら、対中関係は少しも良くならないどころか、軍事的緊張が高まっている。日本の巨額の援助金が日本を圧迫する中国の軍事費に化けている事を彼らはわかっていない。 友好第一に弱い日本の外交を見抜いて「友好」を殺し文句に、日本をさんざん利用してきたのが中国だろう。「日中友好」という錦の御旗を掲げれば、日本は譲歩し、中国の主張を飲むと思って政略、戦略として活用してきた。 「歴史を鑑に」「歴史を直視せよ」というのも、日本が「過去の侵略、犯罪」に弱いと思っているからだ。何度でも使えると思っている古証文。韓国が「慰安婦問題」を繰り返し持ち出すのも同じである。 「日本の犯罪」を口にすれば、いくらでもカネを出すことを知っているのだ。日本がそれに援助金で答えても少しも感謝しない。「日中は必ず理解しあえます」などと、青臭いことを良く言えたものだ。 2004年春、上海総領事館員が中国公安部より強迫され、「このままでは国を売らない限り出国できなくなる」との遺書を残し、自殺に追い込まれる事件があったが、その際の上司で上海総領事が杉本氏だ。厳しく言うだが、そうした中国の酷薄な手口を理解しているとは思えないのだ。 「近隣国家で、お互い引越しできない。だから仲良く」も良く言われる事だが、「だからどうした」と言いたい。近隣国家だろうと、淡々と付き合うことはできる。相手が武器を出して来ることに備えて「棍棒片手」で臨みながら、それでいて常に「やさしく語りかける微笑外交」が平和維持のために大事なのだ。それが大人の常識なのである。 日本の外交官には、この自覚が乏しいのである。(「鎌倉橋残日録 ~井本省吾のOB記者日誌~」より2016年4月10日分を転載)

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    中国共産党がひた隠す毛沢東のタブー、尖閣侵略に秘められた「真実」

    遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士)  アメリカ大統領選におけるトランプ氏の当選により、中国の海洋覇権に関する影響を見てみよう。 トランプ氏は選挙期間中に、たしかに「世界の警察にならない」と何度も言ったが、しかし当選後の人事候補の過程で、安全保障や国防に関して保守強硬派で固める動きがあるようだ。トランプ氏はコロコロと言動が変化していくので、まだなんとも言えないが、もしそうならば、軍事面における対中包囲網は、これまでと大きくは変わらないだろうことが予測される。 11月10日、米ワシントン・ホワイトハウスの大統領執務室で、オバマ大統領との会談の間に、マスコミと話をする次期大統領のドナルド・トランプ氏(AP) 中国政府シンクタンクの中国南海研究院の呉士存院長は「アメリカの軍事戦略を決めるのはペンタゴンなので、トランプ政権になったからと言って特段の変化は起きない」と分析し、南シナ海における米中対立関係は続くだろうと11月25日に述べた。 ただ、南シナ海問題に関して、アメリカがこれまで通り「航行の自由」を主張してきたとしても、中国としてはすでにラオス、カンボジア、フィリピン、ミャンマー、マレーシアおよびベトナムなど関係国を一つずつ「落として」きているので、安泰だと見ている。南シナ海に関する中国の領有権を否定したオランダ・ハーグの仲裁裁判所の判決が出ていても、結果的に無効化し乗り切ったと、中国はみなしているのである。 残るは東シナ海、尖閣諸島問題だ。日米安保条約が揺らぐことはないだろうが、南シナ海における中国にとっての「成功例」は、中国に「力による既成事実」を創り、先手を打ってしまう方が勝ちだということを学習させてしまった。 しかし中国の海洋覇権が意図するところには、実はもっと根源的な問題が潜んでいる。それは中国共産党政権が創りあげた「中華人民共和国」という国家に横たわっている「闇」だ。 本稿ではその「闇」をあぶりだし、それが、どのように尖閣問題と関係しているかを解剖してみよう。 習近平政権は抗日戦争時代の「中流砥柱」(砥柱は黄河の中に柱のようにそそり立っている石で、激流の中でも微動だにしないことから、乱世にあっても毅然として節義を守っていること。闘いの中心、大黒柱)は中国共産党であると、声高らかに叫び続けている。そのため2015年には抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70周年記念日に、建国後初めて軍事パレードを行い、全世界に中国の軍事力をアピールしようとした。 全国レベルの抗日戦争勝利記念日と反ファシズム戦争勝利記念日さえ、初めて行ったのは、1995年のことで、それ以前に行ったことはない。 毛沢東時代(1949年~1976年)には、ただの一度も、いかなる形でも抗日戦争勝利記念を祝賀したことがないだけでなく、南京事件(中国で言うところの「南京大虐殺」)でさえ、教科書に載せることを禁止したほどだった。共産党軍を強大化させた毛沢東の戦略 なぜか-。それは拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に詳述したように、日中戦争時代(中国では「抗日戦争」と称する)、毛沢東が率いる中国共産党軍は、日本軍とまともに戦わなかったどころか、日本軍と共謀していたからである。 日中戦争で日本が戦っていた相手は、当時の「中華民国」の国民党軍だ。国民党軍を率いていたのは蒋介石で、毛沢東は、この蒋介石を倒して天下を取りたいと狙っていた。それだけが毛沢東の狙いだった。 そのため毛沢東は中共スパイに命じて、国民党軍の軍事情報を日本側に高値で売り渡していた。 中共スパイの中で最も有名なのは潘漢年(はん・かんねん)という男で、彼はモスクワで特訓を受けたプロのスパイである。スパイを統率していたのは周恩来(中華人民共和国誕生後に首相)で、潘漢年は周恩来の下で活動していた。 1937年から国共合作(国民党軍と共産党軍が協力して共に日本軍と戦うという合作)を始めたが、軍事情報を共有するために蒋介石率いる国民党軍の重慶政府にいたのは周恩来である。 国共合作の条件として、中国共産党軍の毛沢東は国民党軍に「国民党軍の軍事情報を共産党軍に与えて共有すること」を要求していた。そのための軍事委員会の副委員長(中共側軍事委員会トップ)を周恩来が務めていたので、国民党側の軍事情報はそのまま中共軍の手の中に、そして潘漢年の手の中に入っていたのである。 1937年11月12日、日本軍によって上海が陥落すると、毛沢東は同日、潘漢年に電報を打ち、「上海における秘密工作」を直接指令している(中共中央の最高権威の一つである中央文献研究室編『毛沢東年譜』より)。 やがて潘漢年は日本外務省管轄下の岩井公館の岩井英一に接近し、頻繁に岩井と直接会って、国民党軍の軍事情報を高値で売り付けるようになる。 そればかりではない。岩井が書いた『回想の上海』(私家本。1983年)によれば、潘漢年は岩井に日本軍と中共軍の間の停戦をさえ要求している。 毛沢東の戦略は、あくまでも日中戦争中に国民党軍を弱体化させ、共産党軍を強大化させるためにあった。この事実に関しては、日本側資料を含んでいないものの、謝幼田氏による『中共壮大之謎』(明鏡出版社)があり、その日本語版『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか-覆い隠された歴史の事実』(坂井臣之助訳、草思社)にも毛沢東が日本軍と共謀していた事実が書いてある。 事実、1979年2月、胡耀邦・元総書記は「もし中国人民が中国共産党の歴史の真相を知ったならば、中国人民は必ず立ち上がり、中国政府を覆すだろう」とさえ述べている。その胡耀邦はやがて口を封じられ下野させられて1989年4月に憤死し、1989年6月4日に起きた天安門事件のきっかけを作った。同時期(1991年)に共産主義国家として最大の国家であったソ連が崩壊すると、中国は民衆を抑えつけて言論統一を強化し、1994年から愛国主義教育を始めた。 「中国共産党こそが日本軍を倒した」とする「抗日神話」を創りだし、1995年から全国的に盛大に抗日戦争勝利記念日を全国レベルで祝賀し、同時に、中国を「反ファシズム戦争で重要な役割を果たした国」として位置づけるようになったのである。歴史を書き換えようと必死で闘う中国共産党 この傾向は習近平政権になってから先鋭化し、昨年9月3日に挙行した中国建国後初の軍事パレードは、その象徴と言っていいだろう。 そこには中国を、「反ファシズム戦争のチャンピオン」と位置づけ「戦後秩序(国連)を形成した中心と位置付ける」ことにより、「中国の軍事大国化を正当化する意図」が潜んでいることを見逃してはならない。 戦後秩序は1945年に「中華民国」が入ることによって形成されたのに、4年後の1945年10月1日に誕生した中華人民共和国(現在の中国)が、国連を通して戦後秩序を創り上げたと、歴史を差し替えているのである。 それにより、「中国は軍事大国になって戦後秩序を守り、日本の再軍備を防がなければならない」と主張するようになった。その結果、日本に「歴史カード」を突きつけることを情報戦の強力な武器として使用するようになったのである。 つまり「中国共産党の歴史の塗り替え」と「中国の世界的な軍事覇権」は同一線上にあり、歴史の塗り替えを貫徹させるために軍事覇権を強行しているということができる。これが中国覇権の実態であり、尖閣諸島領海侵入の根源なのである。 このことにいち早く気が付いたのはアメリカ共和党系の大手シンクタンク「Project(プロジェクト)2049」だ。今年9月20日、ワシントンDCにあるナショナル・プレス・クラブで国際シンポジウムを開催し、筆者はそのトップ・スピーカーとして招聘された。 テーマは「実事求是-中国共産党の歴史戦」。「実事求是」というのは「事実に基づいて真実を求める」という意味で、毛沢東も鄧小平もよく使った、清代からある言葉だ。「中国共産党の歴史戦」というのは「中国共産党が歴史を書き換えようと必死で闘っている」という意味である。だから中国の方針通りに、「事実に基づいて真相を求めようではないか」という、皮肉が込められている。 今年は中国建国の父、毛沢東の没後40周年記念とあって、筆者は拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』を中心に、中国共産党の歴史の真相と、それが持つ現代性に関してスピーチをおこなった。もちろんそこには上述の視点を込めた分析を含んでいる。Project2049のランディ・シュライバー会長は共和党ジョージ・ブッシュ前政権時代の国務次官補代理を務めていた人物である。 独裁国家が世界制覇を遂げることが如何に危険であるかを国際世論に訴え、中国の暴走を抑えるために、筆者はProject2049におけるスピーチの動画のURL(http://www.project2049.net/Events.2049.html)を、シュライバー会長を通してトランプ氏に渡すつもりだ。【注】スピーチの画面は「實事求是」の動画の▲をクリックして、左下にある紅い●にカーソルを当てて右に動かし、観たい画面の所で離せば観ることができる。

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    尖閣占領に「王手」をかけた中国 日本が取るべき一発逆転のシナリオ

    一色正春(元海上保安官) 前回の(「一色正春が読み解く尖閣史、日本はいつまで中国の侵略を許すのか」)に引き続き、中国が東シナ海で行ってきた主な侵略行為について振り返ります。震災から丸一年が経過した2012年3月16日に満を持して中国国家海洋局所属の海監が我が国領海を侵犯し(通算3度目)、その5日後に同局海監東海総隊の責任者が人民日報のインタビューに答えて、その行為を「日本の実効支配打破を目的とした定期巡視」と述べました。 海監総隊という中国の海洋権益を確保するための実行部隊の責任者が「日本の領海を実力で取りに行く」と明言したのですから、言われた我が国は宣戦布告がなされたくらいの認識がなければならないのですが、この時も日本政府の反応は鈍くマスコミも大々的に報じることはありませんでした。如何にこれが異常な事かは、日本の海上保安庁第十一管区本部長が「中国の西沙諸島実効支配を打破するために定期巡視を行う」と新聞のインタビューに答えたらどうなるかを考えてみればよくわかるかと思います。 ちなみに現在、アメリカが行っている航行の自由作戦は中国を含む13カ国が、領海を持たない人工島や国連海洋法条約で認められている範囲(12海里)を超えて主張する領海などを根拠にして他国の船舶や航空機の航行を制限しようとしていることに対して、それを容認しないという意思表示として単に航行するだけなので、他国を侵略する意図を持って行っている中国の蛮行とは全く異なるものです。 そんな中、その約1カ月後の4月17日に石原東京都知事(当時)が、アメリカのシンクタンクのシンポジウムで「東京都が尖閣を買い取る」と宣言したのです。自称識者の方たちの中には、この石原氏の言動により中国の攻勢が強まったとして、いまだに同氏を非難しますが、はたしてそうでしょうか。 この表を見ていただければ分かるとおり3月16日から定期的に行われるはずであった中国の定期巡視が石原氏の宣言後、約3カ月間行われていません。おそらく日本国民の熱狂的な反応と、何をするかわからない石原氏を警戒して定期巡視を行うことを控えたのでしょう。それは日本政府の国有化方針が報道されるようになってから中国公船による領海侵犯が再開されたことからも推測できます。 ですから、中国が石原氏の言動により尖閣への攻勢を強めることになったというのは事実誤認で、逆に中国の定期巡視を止める効果があったのです。それだけではなく一時的とはいえ中国の尖閣諸島への圧力をレベルダウンさせました。南シナ海の過去の事例を見ると中国の諸島侵略は、ある程度パターン化しており、それを簡単に言うと「漁船」と「活動家」を使い分けて既成事実を作り、「公船」や「軍艦」で海上抵抗勢力を排除し、最後に上陸占領するというものです。石原氏の発言で後退した中国 中国にしてみれば、3月に「日本の実効支配打破を目的とした定期巡視」などと大見得を切った以上、以降の主役は漁船から公船に移り、2016年10月現在のように公船が定期的に領海侵犯する予定であったものを、石原氏の発言により一旦後退し、一時的とはいえ台湾の船や活動家を使って様子を伺うしかない状況に追い込まれたのです。この試みは結果的には失敗に終わりましたが、中国が1970年代から一方的に行ってきた尖閣諸島侵略に対する、日本の数少ない実効的な反撃であったと言えます。 ですから中国のプロパガンダ通りに石原氏の「尖閣買取宣言」が中国の尖閣諸島侵略の原因であると吹聴するのは中国に尖閣侵略の口実を与えるだけではなく日本の反撃を封じることになり、結果的に尖閣諸島を危機にさらす行為に他なりません。それにしても、この時もそうですが日本青年社の灯台建設にしても本来は国家の責務である領土保全を民間や地方自治体が率先して行わなければならないこと自体が間違っているのですが、日頃から政府批判が大好きなマスコミもそこは指摘しません。東京都の尖閣諸島購入について語る石原慎太郎知事 =2012年4月17日、米国・ワシントン 石原氏の思わぬ反撃に少し怯んだかに見えた中国ですが、暫くすると自分たちの息のかかった台湾や香港の活動家を使って日本政府の反応をうかがい、尖閣諸島は東京都ではなく国が買い取るという話がメディアに流れ始めたころ、尖閣諸島付近海域への公船派遣を再開して日本の反応を確かめ、日本政府が石原氏のように反撃してこないと見るや9月に日本政府が国有化を発表したのを契機に堰を切ったように公船を尖閣諸島に送り込んでくるようになり現在に至っています。 つまり中国が日本の国有化を契機に尖閣への圧力を強めたというのは事実ですが、動機は日本の国有化に憤慨したというより、東京都と違い日本政府は何もしてこないので安心して行動できるようになったからというのが本当のところです。ところがマスコミは、連日、中国本土で起きる管制反日デモの映像を繰り返し流しながら、まるで日本が国有化したから暴動が起こるのは当然だというような論調で報道していました。そして、いつの間にか中国公船が我が国領海を侵犯する行為が当たり前のようになったのです。 自国の侵略行為を日本が原因であるかのようにイメージ操作をして自己反省が大好きな日本人の自虐意識に訴えかけ、その陰に隠れるような形で公船の領海侵犯という重大な主権侵害を既成事実化する。これが中国の情報戦というもので、戦いは既に始まっており、現在までのところ日本は一方的にやられています。 しかも、それに日本のマスコミや、いわゆる識者が結果的に協力した為、多くの国民は真実に気が付いておらず、事ここに至っているというにもかかわらずいまだに危機意識を持つ人が少なく、そしてそのような他国のプロパガンダを助長する利敵行為を取り締まる法令がないのが我が国の現状です。日本のグレーゾーンに隙をつく中国 それから3カ月経った総選挙投票日3日前の12月13日、中国は海だけでは飽きたりず空でも触手を伸ばし始め、初めて国家海洋局所属の航空機が尖閣諸島領空を侵犯しました。そして年が明けた2013年の1月には2010年の中国漁船体当たり事件を口実に日中ガス田協議を避け続けていた中国が日本との合意に反して、東シナ海に新たな採掘施設を建造していることが確認されました。尖閣諸島の我が国領海に対する侵犯行為も、東シナ海の日中いずれの国の排他的経済水域であるのかが確定していない海域におけるガス田開発も、日本がいくら抗議しても一向に止めない中国。それに対して、この期に及んでも「話し合うのが大事だ」という人もいれば、武力行使を検討すべきだという人もいます。 どちらが正しいかは、さて置いて、相手と話し合うにしても武力を行使するにしても、我が国の自衛隊が100パーセントの能力を発揮できるよう法整備を行い相手に圧力をかけるべきなのですが、国会内にはいまだ有効な代案も示さずに「安保法廃止」を訴えている人間が少なからずいることには絶望感を感じざるを得ません。だいたい彼らが昨年の安保法案審議の時に「戦争法案」「徴兵制」などと荒唐無稽な話を持ち出し、国会内でまともな論争をすることなく国会外でデモに明け暮れたため、肝心のグレーゾーンに対応する法整備が御座なりにされ、今、中国にその隙を突かれているのです。いったい彼らは誰のために自衛隊の手足を縛ろうとしているのでしょうか。外務省が公表した中国の海洋プラットホーム (第12基) =防衛省提供 今のところ中国が正面切って攻めてこないのは、人民解放軍を動かしたにもかかわらず尖閣攻略に失敗すれば、国内の批判により政権が持たないことがわかっているからです。だから米軍と協力するなど日本が尖閣防衛の体制を万全に整え、中国が力で奪おうとすれば失敗する可能性が高いと思わせることこそが最大の抑止力になるのです。 そんなことは過去の歴史を振り返れば簡単にわかることで朝鮮戦争が勃発したのは金日成が南進してもアメリカの介入はないと誤った判断をしたからです。それなのに沖縄を日本が自力で守ることが難しい現状を無視して基地反対運動を行っている人たち、特に国会議員は無責任としか言いようがありません。 そうこうしている間も日本国外務省は再々中国に話し合いを呼び掛けてきましが、中国は一向に応じる気配がありませんでした。そんな中国政府の身勝手な態度に業を煮やした日本政府は2015年7月に東シナ海での中国によるガス田開発の現状を示す写真や地図を外務省ホームページ上に公表しましたが、中国にとっては、この程度の反撃など痛くも痒くもないようで、目立った反応は返ってきませんでした。 彼らは日本からの度重なる開発中止の要請や交渉再開の呼びかけを無視する一方で、その間、東シナ海に16基もの海上プラットフォームを建設し、今この瞬間にも採掘を行っています。尖閣の島が難攻不落の要塞と化す日 こうしている間にも、そこから中国本土にガスが送り続けられ、海底でつながっていると思われる我が国ガス田の貴重な資源が吸い取られている可能性が非常に高いのですが、日本政府は何一つ有効な対抗策を取るどころか、そんな中国に年間300億円もの援助を行っているのですから、訳が分かりません。 それにしても恐るべきは2013年6月から約2年の間に、南シナ海の埋め立て工事を行いながら、東シナ海に12基もの海上プラットフォームを建造設置する中国の実行力です。仮に尖閣諸島の一部でも中国に占領されてしまえば、この強大な建造能力により、あっという間に尖閣の島が難攻不落の要塞と化してしまいかねません。一旦そうなってしまえば、たとえ取り返すことができたとしても多大な犠牲を払わなければならなくなるので何としても中国人の上陸を防がなければならないのですが、我が国の目に見える対応策は石垣島の巡視船増強だけです。沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に侵入した中国公船(左)に 退去を促す海上保安庁の巡視船(同庁提供) 尖閣諸島と一口に言っても端から端まで約100キロメートルもあるため船だけで守ろうとすれば生半可な数では足りず、万全を期すためには中国漁船と同数以上の船が必要になります。しかも巡視船をいくら増やしても、相手が軍艦を出して来れば対応できないので島嶼防衛という観点から見れば戦力になりません。 やはり普通の国がやっているように島に人を配置するのが一番効果的で、ミサイル部隊を配備すれば、今のように敵が近寄ることすらできなくなるでしょう。それに巡視船10数隻を運用するためには年間数十億という多額の費用が掛かるので経済的にも島に人を常駐させる方が安く済みます。また、万が一上陸された場合に備えて海兵隊のような組織を創設することも必要です。 このようにして中国は東シナ海ガス田を独占的に採掘し、ゆっくりと時間をかけて中国公船を尖閣諸島周辺海域に常駐化させ、そしてとうとう今年の6月9日に尖閣諸島の接続水域に、6月15日には口永良部島の我が国領海に中国海軍の軍艦が侵入してくるようになりました。つまり中国の諸島侵略パターンの最終段階に入ったのです。 にもかかわらず、日本政府は6月9日のフリゲート艦の接続水域航行に対しては厳重に抗議したものの、6月15日の情報収集艦の領海侵入については、彼らが国連海洋法条約に明記された違反行為を行っているにもかかわらず「無害航行の可能性がある」と相手が言ってもいない言い訳まで代わりにして問題視しませんでした。そして8月5日には冒頭で述べた中国海警局の巡視船2隻と中国漁船6隻が同時に尖閣諸島周辺の領海に侵入する事件が発生したのです。誰かが死ななければ反撃できない それだけではありません。中国の侵略の魔の手は海の上だけではなく空にも伸びてきています。多少時間は前後しますが、今年の6月28日に航空自衛隊OBの元航空支援集団司令官が、中国軍戦闘機が我が国自衛隊機に空中戦を挑んだというような内容の記事を発表しました。記事の内容によると、故意に日本の領空に接近した中国軍戦闘機が、スクランブル対応した日本の戦闘機に対して、日本側が絶対先に攻撃してこないのを良いことに攻撃動作をとり、結果として日本の戦闘機が尻尾を巻いて逃げ帰ったということで、残念ながら、これが我が国の防衛体制の現状です。中国軍の戦闘機 いくら優れた性能の戦闘機に優秀なパイロットが乗っていても、彼らは相手から撃たれるまで何もできず、超音速の世界では先に撃たれた方がかなりの確率で撃墜されます。つまり誰かが死ななければ反撃できないということなのです。そして犠牲はパイロット1人にとどまるという保証はありません。 仮に戦闘機の後ろに爆撃機がいたとすれば、最悪の場合は核爆弾を積んだ爆撃機に我が国領空への侵入を許してしまい、多くの日本国民が無駄に命を失うという事態になりかねず、それから反撃しても失われた命は帰ってきません。 当然、現場の人間は、そうさせないために努力しますが、突き詰めていくと、いざという時に、今の法体系では現場の人間が自身の責任で法を破らなければならない事態に陥りかねません。 いくら机上の空論で迎撃は可能だとか色々と理屈をこねまわしても「自分たちは自国の国内法に従い、祖国防衛のために戦う」という信念に基づいて攻撃してくる敵と、いかに憲法や自衛隊法などの法令に違反しないように対応するのかということを一義的に考えなければいけない自衛官とのハンデは歴然としており、それは埋めようがありません。専守防衛というのはそういうことなのです。 このように歪な防衛体制を、60年以上も党利党略に明け暮れ法整備を怠り、現場に責任を押し付けてきた立法府の責任は誠に重いとしか言いようがありません。立党精神をなおざりにして政権維持のために存在してきた自民党、その自民党に反対するためだけに存在してきた野党、もういい加減、国会で「自衛隊が海外侵略を始める」というような、ありもしない危機を煽るのではなく、東シナ海や南シナ海で起こっている現実を直視して、実りある憲法改正論議を行ってもらわなければなりません。 そのためには我々国民も黙って見ているのではなく世論を喚起しなければならないのですが、政府もマスコミも、その判断材料となる東シナ海や南シナ海で起こっている事実を国民になかなか教えようとはしません。軍事機密までとは言いませんが、東シナ海や南シナ海における中国の動向は我が国の命運にかかわる重大な問題なのですから政府は嘘偽りなく発表し、マスコミはそれを厳しく監視するべきなのですが、まったくもって不十分です。そして、なぜか特定秘密保護法に反対している人たちも、このことについては何も言いません。国内法で既成事実をつくる中国 以上、日中国交樹立前後から中国が東シナ海で行ってきた主な侵略行為について簡単に振り返ってみましたが、書いていて嫌になるほどの日本政府の体たらくと、それに付け込んで、どんどんと侵略の度合いを深めてくる中国という図式が良くわかるかと思います。 最初は漁船を使い違法操業から始め、時折活動家に上陸を試みさせるなど段々と力を強め、自国の海軍力が充実したと見るや公船を送り込み、今や軍艦と戦闘機を使って我が国の領域を脅かすまでになりました。これら一連の流れを良く見れば中国が尖閣に注ぐ力をレベルアップするタイミングが何度かあったのがわかりますが、その時に日本政府はやるべきことをやってきませんでした。 繰り返しになりますが、1992年に中国が尖閣諸島を国有化した時、当時の中国の海軍力など取るに足らないもので、しかも天安門事件により世界的に孤立していたので、日本も同様に国有化して本格的な灯台を建造していたとしても中国は日本に対して有効な対応策をとれなかったはずです。2009年に中国が海島保護法制定した時も、相手が合意に反して単独でガス田を採掘しているのですから日本も試掘など有効な対応策を取るべきでした。尖閣諸島周辺の領海に侵入した中国漁船 =8月5日(海上保安庁提供) この2例を見てもわかるように、中国はまず国内法を制定して、それを根拠に既成事実を作るというパターンが多いので、彼らが中国の侵略行為を正当化するような国内法を作った時点で日本が対応すれば少なくとも後手に回ることはなかったのですが、歴代政権の無為無策が今日の事態を招いてしまいました。 今後は、このような事例の反省の上に立って中国に対抗していかねばならないのですが、今年の8月1日に中国の最高裁に当たる最高人民法院が中国の管轄海域で違法漁労や領海侵入をした場合に刑事責任を追及できるとする「中国の管轄海域で発生する関係事案審理における若干の問題に関する最高人民法院規定」を定めた(最高人民法院が海洋権益に関し具体的な条文で司法解釈を定めるのは初めて)ことに対して、10月17日時点で私の知る限り日本政府は何ら対応策を講じていません。 そもそも、これは2年前に尖閣諸島付近の公海で起こったパナマ船籍(船主は日本法人)の貨物船と中国漁船との衝突事故に端を発します。この事件の後に、中国漁船側が貨物船の船主を厦門海事裁判所に訴え、今年3月、最終的に当事者同士が和解しました。 その結果について、最高人民法院の周強院長が全人代で「我が国が釣魚島海域で司法管轄権を行使した典型例」「尖閣諸島に対する中国の司法管轄権が明確になった」と発表したのです。これに関して日本側の関係者は衝突場所が公海上であるため、和解協議の過程に裁判所は関与していないと述べており、百歩譲って中国の裁判所が和解案を取りまとめたとしても、公海上で起きた民事事件が尖閣諸島の様々な権利に影響を与えるはずがありません。漁民の生活を犠牲にする日本 要は中国の裁判所のトップが事実に基づかない話を根拠にして日本の主権を侵害するようなプロパガンダを行ったということなのですが、この時も日本政府は通り一遍の抗議しかしなかったので、その反応を見て味を占めた最高人民法院が5カ月後にこの規定を定めたということなのです。つまり、この問題に関しても日本は、すでに後手に回っており、いつものようにマスコミが大々的に取り上げることもなく、国会で質問されることもありません。 産経新聞の記事によれば条文の内容は条文では海上の自国領域での環境汚染や、シャコやサンゴなどの生物、資源の違法採取を厳重に刑事処分することを強調した上で、「ひそかに国境を越えて中国領海に違法侵入」し「域外への退去を拒む」場合などに厳罰を科すことができるとしている。規定が適用される「管轄海域」については、「内水、領海、接続水域、EEZ、大陸棚」などとしている となっています。条文の詳しい内容は確認できていないので断定はできませんが、この記事の内容を素直に読めば国連海洋法条約に定められている無害通航権を否定しているようにもとれます。それよりも日本にとって問題なのは規定が適用される管轄海域に内水、領海、接続水域だけではなく排他的経済水域と大陸棚を含めていることです。 彼らの主張する排他的経済水域は、東シナ海は沖縄トラフ(沖縄本島の西方約60海里)まで、南シナ海に至ってはほぼ全域の九段線ですから、東シナ海で操業する漁船だけではなくペルシャ湾から日本にエネルギーを運ぶタンカーも対象になりかねません。ここは南シナ海沿岸諸国と連携しながら厳重なる抗議を行って国際法に反する取り締まりを行わないよう釘を刺しておく必要があります。2014年12月、中国国家海洋局が立ち上げた尖閣諸島の 領有権を主張する専門のサイト 私は当初、8月5日に中国海警局の巡視船2隻と中国漁船6隻が同時に尖閣諸島の我が国領海に侵入したのは、中国の巡視船が自国の漁船に対して執行管轄権を行使して尖閣諸島海域で主権を行使したという実績を作るためだという見方をしていたのですが、この最高人民法院規定が制定されたことと重ね合わせて見ると、むしろ同規定により日本の漁船を拿捕して人質外交に使おうとしているのではないかという思いが強くなってきました。 なにしろ日本は竹島や北方領土で漁船の乗組員を人質に取られ良いようにやられた過去がありますから要注意です。それを警戒してか現在、日本政府は石垣島など地元の漁船を尖閣諸島に接近させないようにしていますが、そんなことを続けても漁民の生活を犠牲にするだけで何の解決にもなりません。日本が約40年間耐え忍んできた結果 とりあえずは中国のこの動きに対抗するため日本側も法整備を行い、いざというときは中国漁船を拿捕できるようにしておかなければなりません。 というのも現状、違法操業を行う中国漁船に対して尖閣諸島の領海内は外国人漁業の取締に関する法律(外規法)で対応できますが、領海を一歩出た排他的経済水域においては日中漁業協定に付属する書簡により北緯27度以南の東シナ海(領海を除く)において両国は互いに相手国の国民に対して漁業に関する自国の法令を適用しないとし、あえて国内法の適用範囲から同海域を除外しているため日本には中国漁船を取り締まる法律がないからです。沖縄県・尖閣諸島の大正島=2011年6月 具体的には、まず排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律(EEZ漁業法)施行令で定めている法律適用の特例海域から中国最高人民法院規定を精査して、それに対応する海域を外し、何かあればいつでも尖閣諸島沖の我が国領海及び排他的経済水域において、違法な中国漁船を取り締まることができるような体制を法的に整えます。 ちなみにEEZ漁業法施行令は政令ですから国会の審議を経なくとも閣議決定で改正可能なので、首相が決意すればすぐにでも出来ます。そして関係省庁間の調整を行い物理的に大量の人間を検挙することができる体制を整え、中国に対して「やられたらやり返す」という日本の意思を明確に示すことこそが抑止になるのです。その上で、日本も九州から沖縄の各漁協が協力して漁船団を組むよう行政が音頭を取り、海上保安庁の巡視船を護衛につけて尖閣諸島沖で操業し、日本の漁業権益を守らなければなりません。 日本は東シナ海の問題に対して今まで約40年間耐え忍んできました。このままで耐え忍ぶだけでは、じり貧でますます状況が悪くなるだけです。日本はそろそろ反転攻勢に出るべきです。

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    中国の尖閣侵犯の狙いは「世論戦」 日本は自衛隊出動で本気を示せ!

    山田吉彦(東海大学教授) 2010年9月7日、尖閣諸島海域で中国の漁船が、海上保安庁の2隻の巡視船に体当たりをする事件を起こした。この事件を契機に中国の尖閣諸島侵出の動きが本格化した。当時の民主党政権は、ことの重大さを認識せず、事件を起こした中国漁船の船長を処分保留で釈放してしまった。 当時の内閣は、中国への過度の配慮から尖閣諸島における日本の主権を放棄するような判断をしたのである。以後、中国船の尖閣諸島海域への侵入が続くようになった。2012年、民主党政権は、再び尖閣諸島の管理において大きな過ちを犯した。東京都の石原慎太郎知事(当時)の発案により、東京都が尖閣諸島を購入し、実効支配体制を確立しようとする動きに対抗し、国が尖閣諸島の魚釣島、南小島、北小島の三島を買い取り、国家管理の下、何も開発行為をしないことを選択したのだ。尖閣諸島沖で2010年に起きた中国漁船衝突事件で、動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」に当時投稿された事件のビデオとみられる動画 日本国政府の消極的な管理体制に対し、中国は恒常的に尖閣諸島海域への侵入を繰り返すようになった。現在では、3隻から4隻の中国海警局の警備船が、月に3回ほどの頻度で日本領海への侵入を続けている。これらの行為は、中国が尖閣諸島を管理しているという既成事実を作ることを目的としている。日本も島の開発を行わず海上保安庁が洋上から管理するだけなので、日本と中国の管理状況は、同等であるとしているのだ。 さらに中国は、尖閣諸島周辺海域に漁船団を送り込んでいる。今年8月には300隻を超える漁船が押し寄せたのだ。このような状況を中国中央電子台(CCTV)によるテレビ放送、特に衛星放送を通じて、「尖閣海域を管理し利用しているのは中国である」と国際社会にアピールしているのである。中国の侵略行為の非軍事作戦である「三戦」の中の「世論戦」である。国際世論を中国に有利になるように導こうとしているのだ。 先般、カタールの放送局アルジャジーラの記者から尖閣諸島問題に関する取材を受けた。取材後、記者に対し、尖閣諸島問題をどのように見ているのか質問をしたところ、「日本は尖閣諸島を必要としていないのではないか。 現状では管理しているとは言えない」との答えを得た。これが、国際社会における一般的な見方であるのかも知れない。島の開発を放棄し、周辺海域の監視だけを行う消極的な管理体制では、領有権の主張さえも危うくしているのだ。優先順位は南シナ海から東シナ海へ 今年7月、フィリピンが、中国の人工島建設などによる南シナ海への強引な侵出を抑止しようとしてオランダ・ハーグにある常設仲裁裁判所に訴えていた裁判の判断が示された。 判断の内容は、中国の九段線による南シナ海支配は、歴史的に法的な根拠はないと一蹴され、人工島の建設も国連海洋法に規定された環境保全の義務に違反していることを指摘された。中国は、仲裁裁判所には管轄権が無いとし、判断を受け入れない意向を示したが、アジア諸国や欧米諸国は、中国に対し国際法の順守を強く求めている。中国の習近平国家主席=9月4日、中国・杭州 主催国としてなるG20を控え、国際的な孤立を恐れる中国は、一旦、南シナ海への侵出を控え、フィリピンに懐柔策を進める戦略に移行した。しかし、中国国内では、習近平政権の海洋戦略に対する疑念が広がり、ネット社会を中心に政策を批判する動きも現れ始めた。 習近平氏は、国家主席就任時に海洋強国になることを掲げた。海洋侵出を止めることは政権への信頼を失いことにつながりかねない。そこで、南シナ海戦略から東シナ海への侵出に、優先順位を移したようである。対日強硬策を採ることは、中国のナショナリズムを満足させることにつながる。 今年8月、中国は尖閣諸島侵出をこれまでにない規模で推し進めた。前述の300隻ほどの漁船団とともに15隻の中国海警局の警備船などを同時に日本の接続水域に送り込んだのである。 尖閣諸島を守る海上保安庁は、2015年度、第11管区海上保安本部石垣海上保安部に600人体制の尖閣専従部隊を設置した。この部隊は10隻の1500トンクラスの巡視船に交代要員を配置することで、12隻相当の能力を有し、那覇海上保安部に所属する2隻の3000トン級ヘリコプター搭載型の巡視船と連動し、総勢14隻相当の勢力をもっている。海上保安庁としては、かつて例をみない大規模な陣容である。 この専従部隊が、交代で常時、尖閣諸島周辺海域の警備にあたっている。しかし、中国側は、海上保安庁の警戒態勢や装備を十分に研究し対応策を打ち出して来る。今年8月に押し寄せた中国海警局の警備船は、日本の尖閣専従部隊に対抗し、3000トン級の指揮船の下、1500トン、1000トン級の警備船で構成されていたのだ。 この船団を構成するために本来、尖閣諸島を担当する東海分局所属の船だけではなく、他の地域で管理している船も動員しているのである。さらに、海上保安庁の主力装備である20ミリ機関砲を上回る、30ミリ機関砲を搭載している警備船も含まれていた。中国に性善説で向き合うことはできない 昨年12月までは、尖閣諸島周辺に姿を現す中国公船は、武器を搭載していなかったが、今は機関砲を装備している船が含まれている。恒常的に日本の管轄海域に侵入する船舶が増加していることも含め、中国側の尖閣諸島奪取戦略は、さらに一段階ステップアップしているのである。 中国は、軍艦の色を塗り替え、軍人を海上警備員に配置換えすることで、容易に海上警備能力の増強を果している。さらに、数限りない漁民、漁船をその配下に組み入れ、日本の領土、領海を脅かしているのである。この中国の拡大戦略に対抗するためには、海上保安庁の増強だけでは対応できない。447万平方キロに及ぶ領海+排他的経済水域を持つ日本の海を守るためには、現行の海上保安庁の体制では無理があるのだ。自衛隊との連携も不可欠であろう。サンゴ密漁中の中国船(左)に対し、監視と警告を発する海上保安庁の巡視船「するが」=2014年11月9日、小笠原村父島の領海内で(大山文兄撮影) 2012年には、106隻の漁船に乗った総勢2000人ほどの中国漁船が、五島列島の玉之浦という入り江を占拠した。2014年には、212隻、2000人を超える漁船がサンゴの密漁船といわれる小笠原諸島周辺に押し寄せた。さらに、今年は300隻、3000人以上が尖閣周辺海域を占拠したのだ。 この漁船団に乗る漁民が、島嶼への上陸をめざし動き出した場合、海上保安庁や島嶼に配備されている警察能力だけでは阻止することはできないだろう。無人島や過疎化、高齢化が進む島嶼を占領するためには、屈強な漁師であれば武器を持たなくても可能である。武器を持たない漁民に対しては、国土が脅かされても自衛隊の対応は難しいのだ。現行の自衛隊による警備出動もしくは治安出動において、島嶼防衛、島嶼警備が可能な制度を検討すべきである。 国際法廷の判断を「紙屑」とまでいう中国の暴走が、日本に領土、領海への侵出に向いているのである。中国の海洋侵出に対し、性善説で向き合うことはできない。紛争を予防するためにも、用意周到な対応策を持つことが必要である。

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    中国の尖閣侵略はこうやれば阻止できる

    次期米大統領、トランプ氏がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の離脱を明言した。「対中包囲網」を念頭に参加を決めた日本にとって、尖閣を含む東シナ海の防衛戦略を根底から見直す必要に迫られたとも言える。今も領海侵犯を続ける中国とどう対峙すべきか。日本が取るべき道はこれしかない!

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    中国に先に手を出させて尖閣諸島を死守せよ

    領は理想ばかり唱え、口先だけでなにもやらないので、信用できない。 尖閣を日本独自で守れないとしたら、日中関係はもとより日米同盟も崩壊する。このまま、中国経済が低迷するか、あるいは習近平政権が倒れるのを待つという戦略もあるが、それははてしない消耗戦で、日本にとっては不利だろう。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年9月6日分を転載)

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    日本の尖閣認識はアメリカ以下! ワシントンの専門家が指摘する国難

    海軍大学の教授で中国海洋研究所の研究員トシ・ヨシハラ氏だった。「中国のこうした活動拡大はたんに日本や日中関係への影響だけでなく、東シナ海全体でのパワーシフトを進めるという意図を示す点を最も懸念する」 この場合のパワーシフトとはもちろん中国の力が強くなるシフトのことだった。中国のパワーが東シナ海全体で広がり、強くなることへの懸念である。中国による東シナ海の覇権志向という意味でもある。 ヨシハラ氏は名前のように日系アメリカ人である。高等教育はすべてアメリカで受け、タフツ大学で博士号を取得して中国の軍事戦略、とくに海洋戦略を専門に研究してきた。ランド研究所などに所属した経歴がある。同氏は日本人の父親の職業の関係で、台湾で暮らした時期も長く、中国語が堪能だという。 ヨシハラ氏は中国側の狙いについてさらに語った。「中国はまず尖閣海域に恒常的な存在を確立して、日本側の施政権を突き崩そうとしている。尖閣上陸も可能な軍事能力を築きながら、日本側の出方をうかがっているわけだ」 施政権というのは尖閣問題ではきわめて重要である。アメリカは日米安保条約の規定で「日本の施政権下にある領土」を守ることになっている。オバマ政権は尖閣諸島が現在は日本の施政権下にあると認めるからこそ、有事のその防衛責務を言明するわけだ。だが尖閣の日本領海に中国の艦艇がいつでも自由に入ってくるとなると、日本の施政権も根本から揺らぐことになる。「ミサイル配備とオスプレイの増強が欠かせない」 元国防総省日本部長でいまは民間のアジア安保研究機関「グローバル戦略変容」会長のポール・ジアラ氏も、中国の狙いの日本にとっての危険性を強調した。 ジアラ氏は米海軍パイロットの出身で、国防総省では長年、日米安保関係の実務を担当してきたが、ここ数年は中国の軍事動向により多い注意を向けるようになったという。「今回、数百隻も出てきた中国の『漁船』というのは事実上は民兵組織なのだ。皆、人民解放軍の指揮下にあり、一部は武装までしている。この民兵漁船を多数、動員して日本に軍事圧力を掛け、いざという際には尖閣上陸までを狙う中国の手法はきわめて危険だ。日本はまず尖閣諸島の防衛能力を高めねばならないが、いまの事態はアメリカにとっても深刻であり、日米同盟としての対処が必要となった」 ジアラ氏はそして、アメリカ政府がこれまでの尖閣の主権に対する「中立」の立場を変えて、日本の主張を支持し、尖閣海域で米軍演習を実施すべきだとも主張した。すでに米軍が出動して、その実力を誇示し、中国側の攻勢エスカレーションを抑える時期が来たというのだ。「民兵」による尖閣奇襲上陸作戦 アメリカの対応については、前述のサター氏もオバマ政権が日本支援の政策をもっと明確かつ強固に打ち出すべきだと述べていた。 だが一方、同じく前述のダットン氏は「アメリカの当面の役割は軍事衝突を抑止することだと思う」と語っていた。軍事衝突とはもちろん、まず中国と日本との衝突という意味である。 同氏がこんな論評をするのは、なんといってもいまの尖閣情勢が軍事衝突に発展する危険があると懸念しているからだろう。「軍事衝突」という言葉自体が事態の重視を感じさせるのだった。ただし、その抑止はまず中国側に向けられるべきだろう。現状を軍事絡みの手段で変えようとしているのは明らかに中国だからだ。そして日本はアメリカの同盟国なのである。 中国の軍事戦略を研究する民間シンクタンク「国際評価戦略センター」のリチャード・フィッシャー主任研究員はさらに明確に、尖閣の現在の事態が日本にとっての危機だと強調した。「中国は今回の拡大作戦で尖閣奪取の軍事能力を高めることに努め、日本側の防衛の能力や意思を探っている。日本側の抑止が弱いとなれば、必ず攻撃を掛けてくるだろう」 フィッシャー氏もジアラ氏と同様に、中国側の「漁船」が実際には軍の指揮でどうにでも動く民兵組織であり、一気に武装舟艇や戦闘要員に変わりうる集団なのだという点を強調した。「中国側はまず数の多い『漁船』民兵を利用し、さらにヘリコプターや潜水艦を使っての尖閣奇襲上陸作戦を計画している気配が強い。さらに中国が最近、ウクライナなどから調達した大型ホバークラフトの使用もありうる」 フィッシャー氏も中国の軍事研究では広く知られる研究者である。議会の両院各種委員会で中国政策を担当し、議会諮問機関の米中経済安保調査委員会では顧問を務めてきた。大手シンクタンクのヘリテージ財団のアジア部長をも歴任した。 フィッシャー氏によると、中国軍は最近、浙江省の南麂列島に新たなヘリコプター発着基地の建設を始めた。またすでに新型の重量級ヘリコプターをも調達し、尖閣急襲用に配備を開始したともいう。「中国軍は同時にロシアとウクライナから空気浮揚の高速水上走行の大型ホバークラフトを4隻ほど購入し、東シナ海に配備中だ。このホバークラフトが尖閣急襲作戦では最初に上陸するヘリ部隊を後方から敏速に支援できることになる」 中国軍が尖閣諸島を日本から奪おうとする危機はもう目前にあるというのだ。「だから日本としては、中国の尖閣への軍事侵攻を防ぐにはその攻撃を抑止する防衛能力を高めることだ。まずは先島諸島への自衛隊のミサイル配備を強化することや、沖縄などのオスプレイの増強が欠かせないだろう」 日本側も尖閣諸島から170kmほどの先島諸島の宮古島などに地対艦ミサイルを配備しはじめたが、フィッシャー氏はそのさらなる増強と加速を提言するわけである。また、日本側の一部ではその配備への激しい反対が出たオスプレイが尖閣防衛のためには増強されるべきだ、というのも皮肉なギャップである。いずれにしてもフィッシャー氏のこうした防衛強化提案の前提は当然、いまの尖閣事態が日本にとっての国家的な危機だとする認識だといえよう。目前も周囲も見ない「ダチョウの平和」目前も周囲も見ない「ダチョウの平和」 では日本は、この国難と呼べる現状に何をなすべきなのか。 尖閣諸島の防衛や中国の攻撃への抑止へのアピールはフィッシャー氏らからなされたが、アメリカ側の他の専門家からはたんなる防衛増強に限らない対応も提起された。 サター氏は次のように述べていた。「日本は尖閣の防衛自体を強化することも必要だが、その備えを中国側に見せるために尖閣周辺での軍事演習をすることも効果的だろう。だが同時に、いま展開している中国の無法を国際的に訴える努力もさらに強めることが望ましい。フィリピン、ベトナム、さらにはインドという中国の威圧的な膨張を懸念する諸国との連帯を強めることも効果があるだろう。中国がいまの無法な攻勢を続ければ、その代償を払わねばならなくなると認識させることが必要なのだ」 サター氏は中国にとってのそのような「代償」として日本が台湾への支援を強め、アメリカの台湾の安全保障への関与を規定する「台湾関係法」の日本版構想を打ち上げるとか、中国の人権弾圧、少数民族抑圧への抗議に日本ももっと強く同調するなど、からめ手からの中国への反撃をも提案するのだった。 ヨシハラ氏も日本の対応について慎重に言葉を選びながら語った。「日本はいま深刻なジレンマに直面したといえる。しかし当面は、尖閣諸島に人員を配置するなど新たな措置を正面からは取らないことが賢明だと思う。中国は日本に『挑発行動』を取らせたいと意図している気配があるからだ」 そのうえでヨシハラ氏は、興味のある対中策を提案したのだった。「日本はその代わりに、尖閣事態に関しての中国への対抗策として『水平エスカレーション』に出ることも効果があると思う。東シナ海の尖閣諸島への中国の威圧に対して、日本が南シナ海での中国の海洋膨張行動に対し、アメリカなどと協力して積極的に安全保障行動を取るという戦略だ。この対応は尖閣諸島での垂直エスカレーションを試みている中国の挑発を巧みに逸らすことを可能にするかもしれない」 日中両国が尖閣諸島をめぐる対立で新たな措置を尖閣を舞台として取れば、垂直なエスカレーションとなる。だが、日本が尖閣からは離れた南シナ海での中国の膨張抑止という措置に出れば、中国に対する水平エスカレーションになる、というわけだ。 これらアメリカ側の5人の専門家たちに共通するのは現在の尖閣諸島をめぐり、中国側の新たな動きによって起き始めた新事態が日本の国家安全保障にとっても、また日米同盟にとっても、アメリカの対外政策にとっても、きわめて深刻だと見る認識だといえよう。とくに日本にとっては目前に迫った危機だとするアメリカ側の認識でもあった。  こうしたアメリカ側の対応に比べると、日本はアベノミクスの是非論に忙殺され、東京オリンピックへの夢に酔い、日本という国家の土台となる国家安全保障には官民ともに、なんとリラックスした姿勢のままでいることか、と痛感させられる。そして、いまの日本国民が享受する平和が目前も周囲も見ない「ダチョウの平和」つまり敵が近づくと、それを見ずに、頭を砂に突っ込んでしまうダチョウのような反応ではないことをついつい切望してしまうのである。関連記事■ 韓国に圧倒される日本の対外発信■ 慰安婦問題に対するアメリカ人の対日批判が後退している実態!■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ

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    背景にあるのは権力闘争?尖閣に押し寄せる大量の中国船 

    に行動をエスカレートさせる可能性もある。 日本に対する強いけん制の意味があることは間違いがなくとも、日中関係が主たる問題ではないとすると、日本の対応は難しくなる。日本が中国に対して何を働きかけようが、中国の関心は国内政治にあるからだ。 日本に対する強硬な姿勢に中国の権力闘争が影響していることは、中国の研究者たちも認めるが、大量の漁船と公船を送り込んだのは習主席側であるという話も聞く。習主席の政策に批判的な指導者たちの反対を抑え込み、党内の結束を図るために日中間の危機を演出しているというものだ。中国国内政治は、日本で言われるように、「太子党(或いは紅二代)」、「共青団(共産党青年団)」、「江沢民派(或いは上海幇)」間の闘争といった単純な構造ではない。個人の権益等によって、合従連衡を繰り返している。そのために、北戴河会議のような場が重要なのだ。中国の権力闘争の様相がよくわからないように、内政が対外政策に及ぼす影響の度合いも計ることは難しい。問われる日本の覚悟問われる日本の覚悟 しかし、日本にとって、その理由がどうであれ、尖閣諸島周辺海域に中国が大量の漁船と公船を送り込んできている事実が重要である。中国が力の信奉者であるとすれば、日本が自衛隊を使用しないと考える範囲において、エスカレートする行動を止めることはない。また、日本が抗議しても、中国に非があるとは考えないだろう。それどころか、強く抗議をすれば、「日本が国際社会を煽っている」とさえ捉えかねない。 日本は、中国との間で、軍事衝突を避けるための議論を進めなければならないのは当然である。一方で、中国の行動を止めるためには、最終的に日本は自衛隊を使用しなければならないことを覚悟しなければならない。その時に、国際社会から非難されないためには、普段から、尖閣諸島周辺海域における中国のエスカレーションの状況を、日本国内外に明確に知らしめなければならない。そして、実際に衝突した際には米軍が必ず参戦するよう、腰が引け気味の米国を巻き込んでおかなければならない。 危険な状況になりつつある尖閣諸島を巡る状況に対して、日本がやらなければならないことは多いはずだ。「その時に日本はどう対応するのか」についての議論は、一刻も早く始めなければならないのではないだろうか。

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    尖閣最前線の島に勃発した騒乱 自衛隊基地巡り本土活動家「上陸」

    【WEDGE REPORT】WEDGE編集部 伊藤 悟 「ハイムヌヤ ブールヌグラヌンキ ウヤシワリヨー」 日本最西端の島として知られる与那国島で見かけた立て看板に記されていた標語だ。「食べ物はぜんぶ残さず食べましょう」という意味の与那国方言だが、島では与那国の言葉で会話する人も多く、石垣島や沖縄本島の島民でも会話内容はまったくわからない。 今年3月、この最果ての島に陸上自衛隊の沿岸監視隊が配備された。島は軍備を拡張する中国を念頭に置いた、南西諸島を中心としたエリアの防衛を強化する「南西シフト」の最前線で、隊員はまさに「防人(さきもり)」の役割を担う。わずか人口1500人ほどの島は、自衛隊配備を巡って揉めに揉め、昨年2月の住民投票でようやく受け入れが決まった。島を訪れると想像以上にコミュニティーは狭い。島内に集落は3つあるが、島民はそれぞれほとんどが顔見知りだ。国境の島に発生した「自衛隊バブル」与那国島には警察官が2人しかいない(写真・WEDGE) 自衛隊基地の誘致賛成派であった与那国町議会の糸数健一議長は「沖縄は好むと好まざるにかかわらず、要衝の地にある。なかでも国境にあるこの島は、尖閣諸島に近く、とりわけ重要な位置にある。これまで基地がなかったのがおかしいぐらい」と話す。 与那国島は尖閣諸島への距離が約150キロともっとも近い島のひとつだ。沖縄本島へは約520キロ、台湾へは約110キロの場所に位置する。島には警察官が2人だけ駐在しており、「拳銃2丁のみで守られている島」と不安視されてきた。 同じく誘致を推進してきた与那国町長の外間守吉氏は「1970年代にベトナムのボートピープルが与那国島に流れ着いたが、彼らは開口一番『この島に軍隊はいないのか?』と聞いてきたそうだ。国境の島に軍隊がいるのは当然という認識があったようだが、あれから約40年が経ち、ようやく自衛隊が配備された」と話す。与那国島最大の集落である祖納地区(写真・WEDGE) 「戦後、島には1万2000人ほどが暮らしていたが、一貫して減り続け、ついには1500人を割ってしまった。だが、自衛隊員とその家族が移り住んできたことにより、島民人口は10年前の水準に戻った」と喜ぶ。今年から自衛隊員160人とその家族90人を合わせた250人が新たに島民となったが、これは島民人口の約15%に相当し、そのインパクトは小さくない。上/自衛隊駐屯地、下/ 自衛隊員と家族の官舎(写真・WEDGE) 町長自ら「自衛隊バブル」と呼ぶ経済的恩恵を享受する島民は多い。現在も自衛隊関連施設の工事は続いているが、最盛期には600~700人ほどの作業員が島に常駐していた。 今回、売店、弁当屋、食堂、居酒屋、ホテル・旅館、タクシー、レンタカー、ガソリンスタンドなど、様々な商売を営む島民に、「自衛隊基地配備の経済効果」を尋ねたが、一様に「売り上げが上がっている」と答えた。 「昨年の売り上げは例年の倍以上。税金をたくさん納めないといけないので大変」、「通常の7倍の売り上げを記録した日もあった」、「民宿は連日満員だった」など、景気の良い話が次から次へと耳に入ってきた。 自衛隊関連施設が順に完成していくにつれて、作業員の数が徐々に減ってきていることもあり、「バブル」は一時期ほどではないというものの、自衛隊配備前と比較すると売り上げは上がっているという。なかには、もともと自衛隊基地配備に反対していたものの、経済的メリットの享受により、反対の主張を取り下げた島民もいることがわかった。 日本最西端の地といえども、島民の目の前に国境はない。国防的な観点より、経済的な観点で自衛隊基地を語る島民が多かった。昨年9月に発生した台風21号で風力発電機のブレード(羽根)が落下した(写真・WEDGE) 「基地配備は経済的なメリットにとどまらない」と外間町長は続ける。昨年9月、最大瞬間風速81メートルを記録した台風21号で、民家10棟が全壊し、電柱が倒れるなど、島は壊滅的なダメージを受けたが、「災害派遣要請を受けて島に来た20人の自衛隊員のおかげで復旧作業を迅速に進めることができた」と振り返る。島には毎年のように強烈な台風が上陸してくる。自衛隊に寄せる期待は大きい。 与那国町観光協会の新嵩(あらたけ)喜八郎相談役は「自衛隊員は、観光地の清掃や集落の草むしりを行ってくれる。大変ありがたい存在」と感謝を口にする。敗北した基地反対派が狙う〝次の一手〟敗北した基地反対派が狙う〝次の一手〟 「精子が減る、うつ病になる、耳鳴りがする。新たに島に造られたレーダーは、将来こうした健康被害を生ずる可能性があると聞いている。国は専門家を連れてきて『健康被害は生じない』と説明したが、鵜呑みにはできない」。基地の配備に反対してきた与那国改革会議の崎原正吉議長はそう話す。 「島外の人の応援がとても心強かった。東京や大阪など内地から教職員や鉄道関係の労働組合などが応援に来て、反対運動のノウハウを教えてくれた」と振り返る。現在、こうした島外の支援者は、反原発運動や沖縄本島の辺野古や高江などで活動しているという。新たに島に設置されたレーダー(写真・WEDGE)与那国島の基地反対を掲げる看板の数は激減していた(写真・WEDGE) 4年前に島を訪れたときには、反対派ののぼりや看板がいたるところにあり、目立っていたが、その数は激減し、ペンキの色は褪せていた。 同じく反対派で与那国町議会議員を務める田里千代基氏は、「基地の必要性について納得できていない。中国の軍事費が伸びているといっても13億人の人口がいて、GDP(国内総生産)も日本より上。人口比で考えると、ある意味、日本の13倍規模の軍事力があって当たり前。様々な摩擦はあるが、近隣国とは仲良くしなければならない」と語気を強める。 「今後、条例でどのような規制をできるかが焦点」と話すが、具体的には、迷彩服で集落を歩かせない、公共施設の出入りをさせない、基地や隊員の規模をこれ以上拡大させないといったことを考えているという。 気の毒なのは、国を守る使命を帯びて島に移り住み、一部の島民の冷たい視線を浴びる自衛隊員だ。隊員とその家族は島民との距離を縮めるため、集落対抗の運動会や漁民最大の行事である「ハーリー」と呼ばれるクリ舟の競漕イベントに参加するなど、島に溶け込む努力を欠かしていない。駐屯地の周辺は牧場のため、隣接する道路では馬が行き交う(写真・WEDGE) 国が主導する「南西シフト」の拠点は与那国島だけでない。「検討地域」として具体的に石垣島、宮古島、奄美大島の名があがっている。反対派の田里町議会議員は「島外の反対派の人たちと力を合わせて、新たに離島に基地を造らせないことを考えている。マスコミや裁判を使うといった手法も視野に入れている」と話す。検討地域のなかで、もっとも混乱が生じる可能性が高いといわれる石垣島へ向かった。好漁場失ったと嘆く石垣島の漁師好漁場失ったと嘆く石垣島の漁師 「魚釣島というぐらいだからね。尖閣諸島周辺は本当によい漁場」「尖閣で漁ができなくなった」と嘆く漁師の高橋拓也氏(左)と具志堅用治氏(右)(写真・WEDGE) 石垣島出身の元プロボクサー・具志堅用高氏の従兄弟である具志堅用治氏が会長を務める八重山鮪船主会のメンバーは口を揃えてそう話す。この船主会に属するメンバーは尖閣諸島周辺でマグロやカツオなどを獲っていたが、「2012年の尖閣諸島国有化からいよいよ周辺海域に近付けなくなった。中国船とのトラブルを恐れてか、海上保安庁に止められる」と嘆く。今でも同海域で漁をする権利は有するが、実態として好漁場を失ったかたちだ。 「尖閣周辺に限らず、石垣島の南側でも国籍不明の不審船はよく見かける。夜なのに電気がまったくついていなかったりする」という。リゾート地のイメージが強い石垣島だが、あらためて国境防衛の最前線の地であることを感じさせる。 尖閣諸島周辺海域の警備強化のため、石垣島に停泊する海保の巡視船は増えている(写真・WEDGE) 漁港の隣に目を向けると、海上保安庁の巡視船が所狭しと並んでいた。尖閣諸島を巡る摩擦が本格化して以来、石垣島に常駐する巡視船が増え、停泊スペースが不足したことから、桟橋も新たに建設された。10年に中国漁船に衝突された「みずき」の姿も見えた。中国漁船に衝突された「みずき(海洋巡視艇)」(写真・WEDGE) この石垣島も与那国島同様、すんなり自衛隊基地が配備されることはない。基地予定地といわれるエリアに隣接する開南、於茂登、嵩田の3地区は、今年に入ってそれぞれ総会を開き、反対の立場を表明した。「手探り」の反対運動 基地予定地を通る県道87号線を車で走っていると「自衛隊配備断固反対」の看板が目に飛び込んできたため、車を止めて、パイナップル畑で作業をしていた川平重治氏に話を聞いた。川平氏は開南地区の前自治会長で反対運動を展開する中心人物の一人である。 「反対の最大の理由は騒音。ここは市街地から離れた静かな集落だが、基地ができるとヘリやトラックの音に悩まされることになる。徹底的に戦っていく」と鼻息は荒い。 「反対運動を行った経験はないので手探り状態だが、地元の3地区以外の集落や他の組織とも連携していく」と続ける。始まったばかりの反対運動だが、今後島外からの「応援」も加わり、戦いが本格化していくことが予想される。地元紙・八重山日報の仲新城誠編集長も「基地誘致の是非が2年後の市長選の争点になる可能性は高い」と指摘する。左/石垣島の基地予定地といわれる場所にはサトウキビ畑が広がっていた 右/自衛隊基地反対の看板(写真・WEDGE) 膨張する中国に対抗するために必要な南西シフトだが、その実現は容易ではない。与那国島の反対派議員が話していたように、与那国島における「失敗」の教訓をいかして、反対派は次なる戦いを挑もうとしている。 石垣島の人口は4万9000人。1700人の与那国島とは文字通りケタ違いで、利害関係者も多いことから話が簡単にまとまることはないだろう。与那国島で発生した混乱が、スケールアップして石垣島に上陸する──。そんな現実が訪れようとしている。

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    中国が世界の魚介類の35%を消費 尖閣へも影響あるか

     世界銀行によると、2015年1年間の中国における魚介類消費量は世界全体の35%を占めた。中国はいまや世界最大の魚介類消費国だが、今後も増加することが予想され、今から14年後の2030年までに世界全体の消費量の43%に達する見通しだ。漁期を終えて港に停泊する中国の漁船=広東省陽江市 中国全体の漁獲量は昨年1年間で1300万トンに達し乱獲が深刻化していることから、中国政府は中国近海の魚介類保護が必要と判断。中国漁船の操業規模を削減する方針を初めて打ち出した。 中国の韓長賦・農業相は8月中旬、中国中央ラジオの単独インタビューに応じ、「東中国海(東シナ海)など中国沿海と長江(揚子江)や黄河などの国内の河川には事実上魚がいなくなり、漁民が漁場を求めてさまようなど困難に直面している」と指摘。 そのうえで、韓氏は「政府は漁船団の規模を削減する計画がある」ことを明らかにした。しかし、具体的な削減目標とスケジュールは示さなかった。 香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」によると、一部地域で漁船を3%程度減らすよう指示があったが、大半の漁港では何の指示も受けていないという。 中国農業省によると、中国の領海と排他的経済水域(EEZ)での漁獲可能量は年間800万~900万トン。それ以上の漁獲量だと、海の生態系が崩れる可能性が高いが、実際の年間捕獲量は1300万トンと大幅に超過している。 韓氏の発言は中国政府が生態系破壊の責任を追及されるのを回避する狙いがあるとの見方も出ている。 米金融経済通信社ブルームバーグによると、中国では1979年から2013年まで、漁船が5万5225隻から69万4905隻に、漁業者は225万人から1400万人に急増した。昨年の漁業の漁獲額は年間約2600億ドル(約26兆円)と国内総生産(GDP)の3%を占めている。 日本の沖縄県尖閣諸島近海でさきごろ、中国海警局の公船が一時15隻に加え、250隻以上の漁船が押し寄せた。尖閣諸島周辺はこれまで「手つかずの優良漁場」といわれているだけに、中国当局が社会的な示威効果を狙い、民間の漁船団に対して、尖閣周辺海域での漁業活動の許可を与えたとの見方も出ている。 いずれにしろ、南シナ海や東シナ海では中国政府が主権を主張している海域も多いだけに、中国漁船が日本や韓国、東南アジア諸国の領海に侵入する事態が発生することが予想されるのである。関連記事■ 3000名もの中国漁民のゴミや糞尿が五島列島の海を汚している■ 韓国漁船がサンマを乱獲 鈴木宗男の影響あり抗議に効果なし■ 漁船衝突の前に中国は270隻の大船団を尖閣に送り込んでいた■ 島根県の漁業組合が「正社員漁師」を募集中 月給21万円以上■ 日台漁業協定 台湾漁船の延縄切断やブイ投棄問題懸念する声

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    失速する中国、尖閣に集まる船は習近平の焦りそのもの

    岡本裕明(Blue Tree Management 株式会社 代表取締役) 尖閣周辺に漁船と公船らしき船が突如集まりだしています。日本政府は中国側に連日の抗議をしていますが、いったい中国に何が起きているのでしょうか?中国から一時の勢いを感じさせる話題が聞こえなくなった気がします。尖閣諸島・魚釣島周辺を警戒航行する海上保安庁の巡視船  今からちょうど1年前、中国の株価が暴落、そして今年1月に二度目の試練がありました。それから約半年強、中国の株式市場は政府の必死の市場介入で指数を維持し、不安感を鎮静させることに努めました。 ところが臭いものにいくら蓋をしても歪んだ蓋はきちんと閉まらず匂いは漏れます。不都合なことに鉄道部門でも問題は起きてしまいます。中国が威信をかけた高速鉄道輸出計画はメキシコやアメリカでの白紙撤回、そして、唯一受注しているインドネシアでも工事はほとんど進んでおらず、インドネシアと中国側でその責任の擦り付け合いをしています。 もともと日本への発注で10中8、9決まっていたもののインドネシアのジョコ大統領の慢心でひっくり返ったような経緯があります。ジョコ大統領は今になって日本に再びすり寄る姿勢を見せているともされています。いずれにせよ、中国の鉄道輸出が失敗したことは世界における周知の事実となっています。 そこに更なる打撃となったのが6月、英国が国民投票の結果、EUからの離脱を選択したことであります。これは中国政府にとっても想定外の結果でありました。中国は対欧州経済政策について英国との関係を強化し、英国を通じてEUへの食い込みを図るプランでありました。 事実、習近平国家主席が英国に訪問した際、女王をはじめ熱烈な歓待を受け、習国家主席としては自身の力を内外に示す真骨頂そのものでありました。英国の不都合はEUの離脱選択だけではありませんでした。親中派のキャメロン氏があっさり首相の席を降り、メイ首相に変わった途端、お約束だった中国による英国の原発事業を見直すと発表したのです。つまり、中国にとって完全にメンツを潰された形となりました。 問題は経済関係に留まりません。南シナ海に人工島を作り、飛行場まで建設した中国に対して仲裁裁判所の裁定で完全なるクロの判断が下されました。中国側はもちろん一歩も引かない態度でありますが、国際会議の席ではその件について言及せず、各国個別にやり取りするという外交的ディフェンスの姿勢に転じています。尖閣への船団は習近平のパフォーマンスか 更にアメリカは韓国に高高度防衛ミサイル(THAAD)を配備することを決定しました。これは表向き、北朝鮮との対立軸となっていますが、当然ながら中国への脅威ともなります。中国はこの事実に大きく反発していますが、今のところ、これが覆る可能性は低そうです。 では今さらの尖閣の船団は何か、といえば中国の力を示す数少ない方法の一つともいえるのではないでしょうか?そしてこの作戦が中国全体の和をもって行われているとは思えず、習近平国家主席の苦しさそのものを表しているともいえましょう。G20首脳会議で議長を務めた中国の習近平国家主席 現在、中国では北戴河会議なるものが開催されています。これは共産党長老と現役指導部が現状を様々な見地から討議する年次の重要会議でありますが、長老には当然ながら反習近平派もあり、これらの施策の失敗を糾弾している可能性は否定できないでしょう。今年は2017年党大会に向けた人事問題が主題とされますが、当然、そこには激しい派閥争いが繰り広げられます。 個人的見地とすれば尖閣への船団は習国家主席とその派閥の北戴河会議向けパフォーマンスではないかという気がしてなりません。この会議があくまでも国内の力関係を見せつけるものである以上、習氏としてはコトがうまくいっていると見せつけなくてはいけません。 が、全体像としては反習近平派が攻め入る余地はかなりあるように思え、今後、共産党内の軋みが生じる可能性は否定できないと思います。中国数千年の歴史で皆丸く収まって仲良しが長く続いたことはなく、現代のように利害関係が複雑になればその力関係はより接戦となることでしょう。日本が中国国内事情で振り回されるのは全くありがたくないことであり、岸田外相の怒り心頭はこのあたりからくるのではないかと思います。(岡本裕明公式ブログ 2016年8月10日分を転載)

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    尖閣諸島を襲う中国漁船に乗船する「海上民兵」の正体

     尖閣諸島周辺に、姿を現す中国漁船に国防関係者が警戒心を募らせている。そこには軍事訓練を積んだ海上民兵が乗船しているのだ。国防問題に精通するジャーナリスト・織田重明氏が、「海上民兵」の正体に迫った。* * * 赤い中国旗を掲げた漁船が水平線の彼方まで蝟集するさまに戦慄を禁じ得ない。 8月5日に尖閣諸島周辺の接続水域に現れた200~300隻にも上る中国漁船。その後、5日間にわたってこの海域にとどまり操業を続ける様子を、警戒にあたった海上保安庁の航空機がしっかりと映像に捉えていた。「視界の及ぶ限り延々と中国漁船が浮かんでいました。この漁船団とともに最大で15隻もの中国海警局の公船が一体となって、日本の領海への侵入を繰り返していたのです。警戒にあたる巡視船の基本は、マンツーマンディフェンスですが、これほどの数だと、対応しきれません」(海上保安庁幹部) 尖閣の海は、もはや一触即発の状況といっても過言ではない。現場からはさらに驚くべき動きが伝えられた。「尖閣諸島周辺海域に押しかけた中国漁船に多数の海上民兵が乗船していたというのです。その数は100人を下らない。多くは漁船の船長として、乗組員である一般の漁民らを指揮していたと見られています」(同前) 今回だけでなく、近年、尖閣周辺に入り込む中国漁船に海上民兵が乗船するのは、もはや日常の光景と化している。「尖閣周辺の上空で毎日欠かさず警戒にあたる海上自衛隊の哨戒機P─3Cが捉えた中国漁船の写真には、海上民兵と思しき軍服を着た人物が乗り込み、船体には軍の識別番号、甲板には20mm連装機関銃を搭載した様子まで映っていた」(防衛省関係者) そもそも海上民兵とは、漁民や民間の船会社の船員などのうち、軍事的な訓練を施され、必要に応じて漁船などで軍の支援活動をする者たちをいう。漁業繁忙期には漁にいそしみ、漁閑期には国防を担うことで日当を政府からもらう、パートタイムの軍人というべきか。民兵(Min Bing)の略である、MBのワッペンや記章が付いた軍服を着て活動する。 中国国防法22条には、「人民の武装力は中国人民解放軍および予備部隊、人民武装警察部隊、民兵組織によって構成される」と謳われ、民兵は軍を所掌する中央軍事委員会の指導下にあるが、彼らはフルタイムで軍務に従事するわけではない。その数は10万人以上とも言われるが、正確には判明していない。 この海上民兵が米軍や自衛隊関係者の間で大きく注目されている。近年、急激に活動を活発化させているからだ。「2009年に海南島沖の公海上で米海軍の音響測定艦インペッカブルが、中国の海上民兵が乗り込んだトロール漁船などから執拗に妨害を受けるということがありました。 南シナ海で中国が進める人工島の埋め立て作業にも海南島などの海上民兵が動員され、さらに昨年から米軍が始めた『航行の自由』作戦に参加したイージス艦が、海上民兵が乗る武装漁船によって取り囲まれるという事態が二度にわたり起きたことを米太平洋艦隊の司令官が今年5月に明らかにしています。 海上民兵は単なる半漁半軍の集団ではなく、米中の軍事的緊張の最前線に躍り出る存在となったのです」(同前)その海上民兵たちの拠点となる漁村は、東シナ海および南シナ海に面した浙江省から福建省、広東省、海南省にかけての海岸線沿いに複数点在している。 日本の公安当局はその実態の把握に躍起となっている。「浙江省や福建省などでは海軍の教育施設で海軍兵士と一緒に30日ほどの軍事訓練を受けており、その活動は海軍艦船への燃料や弾薬の補給から偵察、修理、医療など幅広く行います。なかには、機雷の設置や対空ミサイルの使用に習熟した民兵もおり、敵国艦船への海上ゲリラ攻撃を仕掛けるよう訓練された部隊もあるようです」(公安関係者) この他にも中国が西沙諸島や南沙諸島などに作った人工島をあわせて新設した三沙市への移住を海上民兵に対して促すこともあるという。 1日あたり35元から80元(約500~1200円)の居住手当が支払われるというが、移住先の人工島で漁業などに従事させることで、中国領であるとの既成事実を作り上げようというわけか。この場合の海上民兵は、北海道開拓にあたった屯田兵のようなものだろう。関連記事■ 尖閣に侵入する中国漁民は武器を操る「海上民兵」だ■ 韓国 実は領海侵犯の中国人を年間5000人以上拘束している■ 3000名もの中国漁民のゴミや糞尿が五島列島の海を汚している■ 尖閣ビデオの隠された映像 船長の泥酔状態と日本侮蔑のシーン■ 漁船衝突の前に中国は270隻の大船団を尖閣に送り込んでいた

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    安倍外交を阻む日中外相会談「大失敗」の意味

    会談を前に中国の王毅外相(右)と握手する岸田外相=4月30日、北京の釣魚台迎賓館 「この数年の間に、日中関係は絶えず波乱がありました。その原因については日本側が一番よくおわかりでしょう。近年、日本はたびたび関係改善を希望しています。もしあなたが誠心誠意で来たのであれば、私たちは歓迎します」 「中国には“その言葉を聞き、その行動を見る”という言葉があります。今日はあなたがどのように日中関係を改善するか意見を伺いたい。それと同時に、日本側が本当に行動に移すかということも見なければなりません」 「日中は隣国。私たちは当然日本と健全で安定した友好関係を発展させることを希望しています。同時に、この関係は必ず、歴史を正視するという基礎、約束を守るという基礎、協力であり対抗ではないという基礎の上に築かれなければなりません。あなたの今回の訪中が、日中関係の実質的な改善に作用することを期待しています」 これらは一読すればわかるように、「外交の常識」では考えられないような非礼な言葉の連続である。一国の外相を迎える時に、これほどの礼を失した態度と言辞で会談に臨んだ例は、なかなかあるものではない。 岸田外相に対して王毅外相が発言した中身は、要するに「日本が関係改善を希望しているから、あなたに会ってやった。もし、誠心誠意、日本が態度を改めるなら歓迎してやる」「日本にどんな関係改善の意見があるのかは聞く。しかし、問題はそれを日本が本当に行動に移すかどうかだ」「日本は、歴史を正視し、約束を守れ。中国に対抗するのではなく、中国に協力的であれ」ということである。中国の一方的攻撃に終わった外相会談 私は、2014年11月にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で訪中した安倍首相に対して、習近平国家主席が、憮然とした態度で会見したことを思い出した。ほかの国の首脳との会見では、バックに両国の国旗を配して、にこやかに接遇したが、安倍首相に対してだけは、あからさまに「我々は、あなたを歓迎していない」という態度をとったのである。今回も予想されたこととはいえ、王毅外相の態度に、多くの日本人が呆れ返ったに違いない。1970年代から80年代に持て囃された「日中友好」という概念が、もはや「とうに存在しなくなったこと」がわかる。中国の習近平国家主席=6月5日、中国・杭州 読売新聞によると、これに対して、岸田外相は日本の記者団から会談での発言内容を質問されても、「日本の立場をしっかり伝えた」と語るだけだったという。一方、中国側は王毅外相の発言を詳しく公表し、その中には、岸田外相が「歴史の反省」に言及したとも指摘したそうだ。つまり、王毅-岸田会談は、中国側の「一方的な攻撃」で終わったのである。 産経新聞は、王毅外相の発言を中国側が以下の「4項目」の対日要求を岸田外相に出した、という視点で報じている。  (1)誠実に歴史を反省し、「一つの中国」政策を守る。  (2)「中国脅威論」や「中国経済衰退論」をまき散らさない。  (3)経済面で中国を対等に扱い、互恵を基礎に各領域の協力を推進する。  (4)国際・地域協力で中国への対抗心を捨てる。 いやはや凄まじい要求である。まるで宗主国が属国を指導し、窘(たしな)めるかのような文言というほかない。これらの報道を読んで、根本的な疑問を持たない人がいるだろうか。「一体、日本は何を期待して、中国を訪問しているのだろうか」ということである。今回の訪中は、中国とのパイプの太さを強調する自民党の二階俊博総務会長と外務省における‟チャイナスクール”の積極的な動きによって実現したものとされる。 チャイナスクールとは、中国で「中国語の研修」を受けた日本の外交官たちのことだ。彼らは、語学研修時代から中国政府と深い関係を結んでいる。彼らの特徴は、中国の意向に従順で、中国を利用して自らの立身出世をはかることにある。言うなれば、「どっぷりと中国に浸った外交官たち」である。 この3月には、外務省の「チャイナスクール」を代表する横井裕氏(前トルコ大使)が駐中国大使に就任し、安倍政権下で‟干されて”いたチャイナスクール組は復活を遂げていた。中国側の思惑通りの今回の展開は、中国がそのチャイナスクールを利用して日本側を見事に「手玉にとった」ということにほかならない。そして、今月20日に、台湾で民進党の「蔡英文政権」が発足する前に、「日台接近」に対する警鐘を鳴らすことにも成功したことになる。 着々と成果を挙げていた政権発足以来の「対中包囲網外交」を安倍首相はなぜ「転換」したのだろうか。しかし、いずれにせよ、きっかけが、前述の2014年11月に北京で開かれたAPECにあったことは確かだろう。この時、日本は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで一致したことを「認める」という大失態を犯している。安倍政権へのボディブロー 日本政府がそれまでの「尖閣は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場から「日中両国が『異なる見解』の存在を‟認識”した」というものに転じたのである。私はそのニュースを聞いて、耳を疑った。中国は、これからはこの合意をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出し、「日本もそれを‟認識”していたではないか」と強調してくるだろう。 「必要ならば、武力で自国の領土(※釣魚島のこと)を守る準備はできている」と事あるごとに言い続けている中国にとって、それは計り知れないほど望ましい「日本側の譲歩」だったのである。この時も、それを押し進めたのは、チャイナスクールの面々だった。会うたびに、日本が譲歩を迫られる中国との「会談」。岸田外相は、今回の訪中で中国の李克強首相とも会談し、同氏の今秋の「訪日」を要請したという。これだけコケにされても、それでもまだ中国の首脳に日本に「来てもらいたい」らしい。東シナ海上空から臨む尖閣諸島 私は、せっかく成果を挙げていた安倍首相の対中外交が「変質している」ことを深く懸念する。中国との「真の友好」を目指すなら、今は中国と「接近する」ことではなく「距離を置く」ことの方が重要だからだ。日本が中国に対して、毅然と距離を置き、中国側から日本への「接近」のシグナルとメッセージを引き出さなければならなかったはずである。経済的にも、また南シナ海での領土問題や、あるいはPM2・5などの環境問題でも、困っているのは「中国の側」だからだ。 今回の岸田訪中は、日本国民だけでなく、他のアジア諸国にも大いなる失望を生んだ。周辺諸国と摩擦を繰り返し、国際的に孤立化する習近平政権に、なぜ日本はこうも擦り寄らなければならなかったのか。絶対に譲歩してはならない国に対して、誤ったメッセージを伝えてしまった岸田外相。チャイナスクールの復活と、対中包囲網外交の変質は、これから安倍政権に重いボディブローとなって効いてくるだろう

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    虐殺史に浮かぶシナの心性 「日本軍の暴虐」はどう創作されたか

    別冊正論26号「『南京』斬り」(日工ムック) より黄文雄(評論家・文明史研究家)支那の伝統文化としての虐殺 歴史や生態によって社会の仕組みも異なり、風習も文化も異なるのは、ごく当たり前のことだ。 国共内戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争が起きた近隣諸国と違い、戦後日本が70年も平和を守り続けていることは、世界では稀有な例である。もちろん「憲法九条」があるからではなく、誰かの努力でも、英明な指導者のおかげでもない。それは社会の仕組みのおかげだと私は考える。 江戸や平安の世にも数百年の平和な時代があり、縄文時代の平和はもっと長い。それは自然生態から生まれた社会の仕組みそのもの。日本の神々には、古代ギリシャの「神々の戦い」もない。戦争のない年はなかった支那と、日本は社会も文化も異なる。戦争は生活や風習の延長でもあり、文化の一つでもある。日支の戦争様式(かたち)が違うのは、戦争文化が異なるからだ。 日本の戦争は古来武士が主役だった。支那は全民戦争が多いので、日本の賤ケ岳の役や関ケ原の戦いのように、百姓が山上で観戦する余裕などない。京師(けいし)(王朝の都)は二重、三重の城壁に囲まれ、村落も学校までも囲まれていた。決して万里の長城だけではないのである。 戦争のかたちが異なる支那では、「虐殺」は伝統、風習になり、戦国時代から「屠城(とじよう)=市中皆殺し」が戦勝の一大行事だった。長安、洛陽、開封などの京師では、歴代王朝による大虐殺がよく知られる。戦史によく「穴埋め」も出てくる。秦将・白起(はくき)が趙の40万人以上の投降兵を生き埋めにしたことは史上有名である。武将が戦功を誇るために、敵の遺体を集めて「京観(けいかん)」を造ることが盛んに行われた。その遺跡が「万人坑」(万人塚)である。秦の白起が敗れた趙兵40万人を生き埋めにした長平の戦い(前260年)古戦場跡。少し掘っただけで大量の人骨が出土した。現在は展示館になっている 村対村、部落対部落の集団武力抗争が「械闘(かいとう)」で、史前から人民共和国の文化大革命期を経て現在も続く。地域の長老だけでなく党書記まで先頭に立ち、武器を持ち出して行う虐殺は民間の風習にもなっている。 ことに民間の武術集団は、匪賊(ひぞく)退治だけでなく異教徒の皆殺しも行う。19世紀末のイスラム教徒大虐殺(洗回(シイホエイ))や、20世紀初めのキリスト教徒大虐殺の北清事変(義和団の乱)は歴史的大事件となった。文革期はあらゆる宗教が絶滅された。 1989年の6・4北京天安門虐殺に世界は震撼したが、それは「木を見て森を見ない」支那観である。虐殺史から支那史を読む虐殺史から支那史を読む 近代支那思想界の傑物・梁啓超は支那人を「戮民(りくみん)」と称した。頻繁な戦乱と虐殺から逃れられないからだろう。支那人が他人に無関心で、「他人の不幸を喜ぶ」メンタリティなのは、こんな中華世界に生きるからである。だから、今の中国人は「僥倖(ぎようこう)な生き残り」とも言われる。 支那史を「奴隷史」と読む者もいる。魯迅(ろじん)は「奴隷になろうとしてもなれなかった時代と、奴隷になれてしばらく満足している時代に二分すればいい」と説いた。 支那史を虐殺史として読む根拠は、古代春秋戦国時代の穴埋めや屠城だけではない。民国時代の殺し合いや文革期の「武闘」もそうで、被害者は1億人以上とまで言われる。『共産主義黒書』には、人民共和国の血の粛清被害者は8千万人以上とある。 各王朝正史だけでも、類例なき「虐殺史」と読める。人民共和国になって論争にもなった唐「黄巣の乱」は、殺された民衆が800万人とされる。長安城外に巨大な舂磨砦(しようまさい)が造られ、捕獲民衆を日に千人この巨大な臼に入れ、骨ごとの人肉ミンチを生産し、乾尸(かんし)(干し肉)や塩尸(えんし)(塩漬け肉)まで作って兵糧にした。これは、正史『唐書』『新唐書』や『資治通鑑』だけでなく、アラビア商人の『印度・支那物語』にも出てくる話である。 黄巣の乱では、広州でも大虐殺があり、イスラム商人も虐殺され尽くした。近代でも、太平天国の虐殺はよく語られる。天理教(白蓮教徒)の乱では、広東で約百人が虐殺された。孫文が広州で軍政府をつくった際には、北方から「客軍」(外省人部隊)が乱入し、ジリ貧になった孫文は広州大虐殺を行った。 支那虐殺史の中では、四川の蜀(しよく)人は南方の越(えつ)人よりもっと哀れだ。秦に征服され、三国時代には蜀漢(しよくかん)として中原の魏、南方の呉と鼎立(ていりつ)し、『三国志演義』の舞台にもなった。 蜀は中原の地から遠く離れた奥地であるが、「天下大乱の前にはまず蜀が先に乱れ、天下が鎮まった後でも蜀はまだ鎮まらない」と言われ、蜀人は三国時代に蜀漢から何度も大虐殺に遭い、人口がそっくり入れ替わることさえあった。明末の張献忠の大虐殺(屠蜀(としよく))では、女性だけでも400万人が殺された。 辛亥革命で中華民国となっても五代十国時代より激しい殺し合いに突入し、十数年間に蜀人の内戦が500回以上も起きた。知名な文学者・林語堂は、国民党の7年間の内戦だけで3千万人が死んだとし、そんな中国人を「敗類」(クズども)と呼ぶ。異族異教徒大虐殺の国風異族異教徒大虐殺の国風 支那人の大同思想は、共生共存を絶対に許さない。日本でよく「革命の哲学」と称賛される陽明学は、実に異民族虐殺を正当化する天誅学である。開祖・王陽明が軍人として国内の非漢族を大虐殺したことは有名で、「天に代わり天誅した」と誇らしげに正当化した。もちろん朱子学の排他性も陽明学に引けをとらない。 支那歴代王朝の易姓革命(天命による王朝交代)期には、天下が崩壊し、カルト集団を中心に民乱が絶えなかった。実際は、世俗化した漢人が宗教と絡めて異民族を虐殺した場合が多い。ダライ・ラマ十四世に言わせると「文化虐殺」である。辛亥革命後の満洲人大虐殺や、人民共和国のモンゴル人「革人党」粛清は、宗教とイデオロギーにも絡む。 支那の宗教問題は、世俗対宗教であることがほとんどである。有名な「三武一宗」の廃仏毀釈は、道教だけでなく儒教徒も絡んだ。太平天国は儒教の世俗的な団練(民軍)と「拝上帝会」というキリスト教系カルト集団との殺し合いだった。前述の「洗回」なども然り。 異民族虐殺は、宗教などの文化虐殺と連動しながら、世俗対宗教というかたちをとる。チベット問題やウイグル問題は、それぞれ、孔子対釈迦、孔子対マホメットのケンカと捉えることがより本質的と考える。無為自然を説いた老子虐殺を正当化する儒家思想 支那の思想には二大潮流がある。「人為」を語る孔子・孟子の儒学思想と、「無為」「自然」を説く老子・荘子の道家思想で、儒家思想は黄河文明、道家思想は長江文明の精神的・思想的申し子ともみなされる。 2千余年前の漢では文帝・景帝の代に道家思想が主役で、自由放任な「黄老の術」が泰平な「文景の治」を生んだ。しかし次の武帝が「百家排斥」「儒家独尊」として以来、儒学は国教・国是となった。ただ儒教の「徳治」など実際は不可能で、歴代王朝では「建前」だけの官学となった。東洋学の大家・橘樸(たちばなしらき)は「官は儒、民は道」であり「まさしく二つの民族」とまで指摘している。 儒学思想の本質は「昔は好かった」という「尚古主義」であるが、「人為」の過信から「人は自然に勝つ」という考え方が強い。老荘の道家とは違って、自然との共生を拒否し、華夷意識が強烈である。孔子の著とされる『春秋』は「尊王攘夷」と「華夷の別」を強く説き、支那人の「春秋の大義」の思想的根拠となる。 中華世界への脅威は、秦の万里長城でわかるように、匈奴(きようど)はじめ北方の夷狄(いてき)が主であったが、孔子の時代はむしろ長江文明の流れをくむ南の楚(そ)が敵であった。ことに楚が呉越を呑み込んでから、中原の国々にとってこの南蛮が最大の脅威であった。 ではなぜ、儒教は虐殺の論拠となったのか。孔孟の古儒学だけでなく、宋から明までの新儒学も、夷狄との対立から華夷の別を強く主張している。朱子学も陽明学も同様である。とくに陽明学は、夷狄虐殺を「天誅」「天殺」とし、ジェノサイドを正当化している。明末の大儒・王夫之(ふし)以後の新儒学は、たいてい「仁義は人間のみに適用され、夷狄は禽獣だから、殺しても不仁と言わず、裏切っても不信不義とは言えない」と説き、近現代支那の虐殺の国学となった。20世紀支那人の心性と振る舞い20世紀支那人の心性と振る舞い 辛亥革命後の支那は、わずか40年ほどで帝国から民国そして人民共和国と、三度も国体と政体が変わった。もちろん人民共和国も、毛沢東時代と鄧小平以後では政体が異なることは「常識」である。 なぜ20世紀の支那はそこまで動揺し不安定なのか。「20世紀の支那人に独特のメンタリティ(心性)とビヘイビア(振る舞い)は何か」を知ることは、現在の中国を知ることにもなる。日本人はそれで、彼らに振り回されないことにもなる。孔子の儒家思想は華夷秩序を明確にし虐殺の温床となった 歴史のスパンをもう少し伸ばせば、視野も広くなる。たとえば、明は漢人の王朝であり、中華民国も人民共和国も漢族が主役であった。 満洲人による清朝は、康熙(こうき)・雍正(ようせい)・乾隆(けんりゆう)帝の三代が史上初めて「人頭税」までをも減免し、支那人が最も幸せな時代だったといわれる。逆に明代は廷臣の人権どころか、全民が特務の監視下で雁字搦(がんじがら)めにされ、最も暗黒の時代とまでいわれる。この清朝、さらに民国の時代について文化・文明史的比較は進んでいない。日本では「日本の中国侵略」ばかり流布するから、本質の多くが語られない。私が漢文で『中華民国百騙』(前衛出版)を書いたのは「目を中国の真実にもっと向けよ」の意図もある。 中華民国は支那史上、五代十国を上回る未曾有のカオス(混沌)の時代だったという「常識」は、日本ではあまり語られない。 唐は安史の乱後に50前後の国家に分裂し、五代十国まで統廃合して宋となっても、北方の契丹(きつたん)、女真(じよしん)、モンゴルに脅かされ、その国際環境下で新儒学が再生した。 江戸時代の朱子学者も、それ以後の東洋学者も支那学者も、戦後の中国学者も、漢字と漢文で支那を知った。人民共和国については中共のお墨付きでなければ知ることが困難で、しかもこの国では国と民がずっと対立関係にあるので、結果的に国家像は「偏見」となる宿命をもつ。 20世紀支那は未曾有の乱世だっただけでなく、支那人自身に「戮民」という虐殺の心性と振る舞いが増長した時代でもある。政権が多すぎたためだ。国民党だけでも、有力者や党派が広州、武漢、南京、北京などに勝手に政府をつくり、内ゲバの中原(ちゆうげん)大戦だけで150万兵力が動員され、死者30万人を出した。匪賊は常に政府軍の十倍にものぼり、各武装勢力の殺し合いが続き、「匪賊社会」「匪賊共和国」とも称された。支那人の最も幸せな時代を築いた清朝の右から康熙帝、雍正帝、乾隆帝は漢人ではなく満洲人だった孫文、蒋介石、毛沢東の虐殺孫文、蒋介石、毛沢東の虐殺 辛亥革命、中華民国建国百年を記念して漢文で上梓した『中華民国一百騙(百年百の嘘)』(前衛出版)で、孫文・蒋介石・毛沢東について書いた。満人と漢人の国民性が異なるだけではなく、漢人も地方によって同じではない。今でも俚諺(りげん)にあるように「北京人愛国、上海人出国、広東人売国、香港人無国」なのだ。イデオロギーだけでなくアイデンティティも、地域によってここまで違う。 日本人の国民性が漢人よりも満人に近く、清は日清戦争で敗けても戊戌維新、立憲運動などが起きている。樽井藤吉が言う「大東合邦」とまではいかなくても、日清は一蓮托生の関係に近い。しかし辛亥革命の際に日本の志士たちがあれほど「支那革命」で粉骨砕身をしても、支那事変後にかぎらず中華民国、ことに孫文・蒋介石らには裏切られ、以後の漢人は反日に走った。この史実を決して見逃してはならぬ。 孫文の革命生涯はその約3分の2を日本で過ごした。義兄の孔祥煕に言わせれば「皇帝の生活」で、カネの切れ目が縁の切れ目となる。内田良平は早くから孫文が卑怯者であると見抜き、付き合うのを止めている。頭山満(とうやまみつる)翁は孫文に裏切られたが、孫文がレーニンからカネを貰ったことを頭山翁が知った後だと私は推測する。頭山や内田らの根回しで楚人の華興会、呉人の光復会、越人の興中会の革命三派が東京で「革命同盟会」を旗揚げしたが、楚、呉、越は心性が異なり、内輪揉めは絶えなかった。 孫文の革命資金盗用は、呉人の章炳麟や陶成章らに暴かれて告発ビラが華僑にばらまかれ、孫文は追われ、革命同盟会も空中分解した。呉越の争いは終わらない。辛亥革命後に南京で成立した臨時政府は、またも孫文のカネの不正で3カ月に満たず崩壊。孫文は北京政府の袁世凱を「中国のワシントン」と礼賛して南京政府をあっさりと売り渡し、自らは北京政府の鉄道大臣となり、美女を連れて豪華列車で全国周遊に出た。 支那の天下人には、孫文や劉邦のような口だけのイカサマ人物と、蒋介石や毛沢東、項羽のような実力でのし上がる二つのタイプがある。 孫文は北京政府に対抗して広州で三度も軍政府をつくり、二度追われた。手持ちの軍隊がなかったので、「客軍」と称される匪賊も含んだ外省人部隊を広東に入れたため、土着の農民軍、工人軍、商人軍と揉めに揉め、商人軍の新兵器掠奪をめぐって故郷広州で大虐殺まで行った。 越人は、毛沢東や項羽ら楚人とはそこが違う。楚の覇王・項羽は、劉邦の「四面楚歌」の計にやられ、一路逃げたが、父老に面目が立たないと自刎(じふん)した。楚人と越人はここまで心性が違うのである。 蒋介石と毛沢東の虐殺話は、蒋の上海での赤狩りと台湾での白色テロ、毛沢東の十大党内抗争で知られる。「以徳報怨」に対する悲しい誤解「以徳報怨」に対する悲しい誤解 戦後日本の保守層には、蒋介石主席の「徳を以って怨に報いる」発言を信じ込んでいる者が多い。私も台湾では小中高校時代から、耳にタコができるほど聞かされてきた。 話の出所はっきりしないが、結論を書けば、国民党政府のプロパガンダとしての作り話、イカサマである。「伝聞」はわんさとあるが、終戦前後まで支那派遣軍の重慶政府からのラジオの傍受記録にも、文字記録にもなかったし、第一、内外の情勢はそれどころではなかった。 国民党軍が追い詰めた共産党の紅軍は、いつしか百万人に膨らんだ。 終戦当時、南京政府の汪兆銘はすでに亡く、残る反蒋派は「漢奸」裁判で済んだが、問題なのは宿敵の閻錫山(えんしゃくざん)や李宗仁らが生き残っていた。 国共内戦に敗けた後、蒋介石は台湾、残りはアメリカに逃れた。腹心の陳誠は先に台湾に上陸し、続々敗退する蒋派以外の国民党軍は上陸させず、海に追い落としていった。 別系の友軍を上陸させると後患を残すため、海の藻屑と消し去る方が都合が好かった。トルーマン大統領が第七艦隊による台湾防御を発言するまで、蒋親子は「台湾も駄目ならアメリカまで」と考えたほどで、とても「以徳報怨」など神話のような話を口にする余裕はなかった。 蒋は「四維八徳」の道徳教育を唱え、儒家思想を保護したが、「徳を以って怨に報いる」のは孔子の主張ではない。むしろ逆である。 ある人が「徳を以って怨みに報いるは、如何(いかん)」と孔子に尋ねると、子曰く「何以報徳、以直報怨、以徳報徳」(『論語』)。「怨を以って徳に報いる」は老荘の思想で、孔子ははっきり「怨みに徳を以って報いるならば、徳には何を持って報いるのか。怨みにはそれに相応(ふさわ)しく(怨みで)報い、恵んでもらった徳には徳を以って報いるのが好(い)い」と答えた。  つまり「老荘の『以徳報怨』では損をするばかり」という損得勘定である。孔子はどちらかというとイスラムの「目には目を、歯には歯を」であり、老荘はキリストの「右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せ」という考え方に近い。戦後日本の中国製ヒット作と駄作戦後日本の中国製ヒット作と駄作 「日本軍の暴虐」として、戦後日本には中国から多くの戦争話が流入している。最大にして〝ロングセラー〟の「南京大虐殺」のようなヒット作もあるが、すべてがそうではない。日本軍の進攻を阻止しようと自ら堤防を破壊、百万人の自国民を水死させ、被災者600万人も出した「黄河決壊」を「日本軍の暴虐」として広めようとしたが、たった数日でフランス人記者に「自作自演の愚挙」と見破られた。同様な決壊作戦は「八年抗日戦争」とされる間に、失敗を含めて12回も行われている。 「黄河決壊」に続く駄作は「長沙(ちようさ)大火」である。千古の名城が三昼夜も延焼し、死者2万人以上も出した。日本軍に向けた蒋介石の焦土作戦で、蒋は長沙警備司令、警備団長、省警察局長の三人を銃殺して責任を逃れた。放火実行犯の長沙警備司令部参謀長・許権が回顧録『造魂』で、大火の裏には長沙に潜伏した共産党の周恩来、葉剣英を焼き殺す計画もあったことを打ち明けた。同様な「焚城」「焦土」作戦の駄作は、長沙にかぎらず各地で繰り返し行われた。 「支那を征服せんと欲すれば、必ず先ず満蒙を征服せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず」とした「明治大帝の遺策」とされる田中義一首相の「田中上奏文」は、支那侵略の証文とされたが、すぐに捏造とわかり、外務省は国民党政府に抗議。東京裁判でも取り上げられなかった。それでも中共はこの偽書を毎年8月に繰り返し取り上げている。 ほかに中共が戦後流布しているものに「三光作戦」「万人坑」「七三一部隊のBC兵器」などがある。「七三一部隊」は一時勢いがあったが、ロングセラーには至らなかった。 理由は多々ある。そもそも日本人には「三光」の意味がわからない。漢語の「光(クワン)」は「空っぽ」を意味するが、日本語の「光」にその意はない。「焼光(シヤオクワン)」(焼き尽くす)、「殺光(シヤークワン)」(殺し尽くす)、「搶光(チアンクワン)」(奪い尽くす)という「三光(サンクワン)政策(ジエンツエー)」は本来、国共内戦で双方が相手の「暴行・悪行」を非難したものだが、やがて「日本軍の仕業」に変えられてしまった。「万人坑(まんにんこう)」は、前述した支那古代の「京観」からくるもので、各地の古戦場だけでなく、支那歴代軍隊の風習ともいえる。反日日本人には珍しいので、すぐに飛びついたわけだ。「黄河決壊事件」は、南京攻略後の日本軍の進軍を阻止しようと昭和13年6月、蒋介石国民党軍が河南省開封北方の黄河堤防を増水期に決壊するよう弱体工作した。日本軍は決壊しそうな堤防を修復したり、船で被災者を救出したりした。㊤は船で流された人々の救助を続ける日本軍の様子を伝える同盟通信の写真ニュース日本軍が救助した被災民「七三一部隊」のBC(生物化学)兵器は、森村誠一『悪魔の飽食』(光文社、昭和56)で書かれた直後に話題となり、中共政府と反日日本人が手を携え、日本全国で展示会まで開いた。そもそも「七三一部隊」は「防疫給水部隊」である。終戦直後に米軍が石井軍医中将など部隊幹部に聞き取り調査を行い、「フェル・レポート」と「トムソン・レポート」まで出ている。風聞やらで流布された「七三一部隊」は事実とまったく異なるので、「南京大虐殺」の二匹目のドジョウにはならなかった。「南京大虐殺」の種本は何か「南京大虐殺」の種本は何か 日本南京学会の第2回総会で、私は晋以後の歴代南京で行われた十数回もの「南京大虐殺史」を報告した。 東晋と前秦の「淝水(ひすい)の戦い」での「南京」大虐殺、梁の侯景と太平天国時代の清将・曽国荃の「南京」大虐殺、そして辛亥革命後の張勲の「南京」大虐殺など、十数回にもわたる南京大虐殺史について、いわゆる日本軍の「南京大虐殺」との類似性を比較したうえで、種本になっているという説を取り上げたのである。湖南省の省都長沙の全市街を焼き尽くした「長沙大火」。日本軍の進軍阻止や共産党幹部焼殺のための支那ならではの焦土作戦で、まさしく三光作戦の一つだ もちろん「南京大虐殺史」だけでなく、長安、洛陽、開封、北京などほかの京師の大虐殺史や、楊州の大虐殺など史上知られる屠城史も種本になっていると分析した。 南京(金陵、建康)は、六朝時代に歴代の京師(都)として栄えた半面、幾度も大虐殺に見舞われ、南朝・宋代には血で血を洗う争いから皇帝の後継者がいなくなった。梁代には百万人の仏教都市として復活したが、侯景の大虐殺で4千人しか生き残ることができなかった。『資治通鑑』の梁記によれば、その生き残りもすべて奴隷として北朝に売られている。 梁以後は、陳王朝が再興したが、隋の晋王・楊広(後の煬帝)に滅ぼされた。陳を滅ぼした際の王僧弁による南京大虐殺の規模は、梁の侯景を上回るともされる。 史上最悪の南京大虐殺は、清末の最高実力者・曽国藩の九弟・曽国荃が行った「天京(南京)大虐殺」。曽国藩が弟の目付役として送った趙烈文が『能静居士日記』にその様子を記している。放火、掠奪、虐殺が1カ月も続き、太平天国の遺産搬出の車隊は1カ月以上途切れなかった。 「日本軍による南京大虐殺」については、百数十人の学者からなる日本「南京」学会によって、すでにそれが架空のものと実証され、役割を終えた学会は解散に至っている。残るは嘘を真と言い張る人民共和国だけで、これをどうするかしかない。支那史から創作「日本軍の暴行」支那史から創作「日本軍の暴行」 近代科学と違い、支那伝統の諸学は「経(けい)」(四書(ししよ)五経(ごきよう))、「史」(史書)、「子」(諸子百家)、「集」(詩詞)に四分される。正史編纂はたいてい次王朝が易姓革命の正当性を主張するために創作し、歴史カードとして政敵の悪行非難に利用することが多い。 日本の大学で史学は文学部に属するが、人民共和国では政治学部になる。だから「正しい歴史認識」を執拗に押し付ける相手は日本だけでなく、国内の政敵も同様。国民党と中共との非難合戦でもよくみられる。 近現代史に限らず、古典にも偽経・偽史が多い。清代から考証学が発達して指摘されており、「弁偽学」を学ばなければ、嘘だらけの支那古典に惑わされる。清末の湖広総督・張之洞は『輶軒(ゆうけん)語』で「古典について真偽を気にしたら、その大半は捨てざるをえない」と書いている。 「日本軍の暴虐」というプロパガンダのたいていは、支那史をモデルにした創作であり、「南京大虐殺」も例外ではない。 私は高校時代によく、軍事教官に指示されて「共匪(共産党ゲリラの)暴行」の大字報(壁新聞)を作り、自転車に積んで田舎の小学校へのプロパガンダ活動に駆り出された。その時と同じ写真が、中共が主張する「南京大虐殺」にも使われている。日本「南京」学会の専門家3人が3年をかけて写真を検証した結果、一枚として「南京大虐殺」とは関係がないことが突き止められた。 「日本軍の南京大虐殺」の一つに、「郵便袋に人を入れて楽しんで殺した」がある。「日本の郵便袋では人は入れない」などの指摘があったし、人に布袋を被せて撲殺するのは支那の風習で、現在も行われている。国民党の職業学生がアメリカの大学で台湾の反国民党活動家に行う手口であるし、中国の公安警察が民主活動家を裸にして写真を撮ってから布袋で北京に送致することは、亡命活動家がアメリカ議会で証言している。 「南京」研究で知られる元TBS記者・鈴木明氏が、南京の「虐殺博物館」の日本兵が人の肝や肉で作った餃子を食べているパネルについて「まさか日本人が人肉を食べるとは…」と尋ねてきたことがある。支那人の風習を理解できるよう、明の漢方医学の大著で李時珍の『本草綱目』から「人の部」の一読を勧めた。百科大全書「四庫全書」には、人食いの記録が1200以上もある。支那の風習をモデルに創作した「日本軍の暴虐」には、おのずと限界がある。国是としての「南京」歴史教育国是としての「南京」歴史教育 戦後、私は小学3年生になってから、北京語教育を受け始める。当時の台湾での歴史教育は、小学5、6年から歴史と地理を、中学と高校でより詳しい歴史教科が行われた。高3では軍事教官による『蘇俄侵華史(ソ連ロシアの侵華史)』という副教材を使った歴史教育もあった。 小中高時代の歴史では、「誰が誰を殺した」という人名と年代の暗記が重視された。私は進級するごとに「歴史」とは「嘘を教える教科」だと知り、試験の際は教わったように解答するか、良心と良識にもとづいて書くか、幼心にもかなり悩んだ。 歴史観については、伝統史観・史説ではなく、経済・社会史や歴史哲学など、科学的な視点が大学院時代から培われた。 私が小中高時代、歴史教科書に支那事変(八年抗戦)の記述はあっても、「南京大虐殺」はなかった。1950年代後半、私は高校を出ていたが、次の世代の教科書にもなかった。60年代後半から文革中の中国は学校教育まで「十年酷劫」(十年の動乱)として停止していた。このころ私は、大学の先生から「人民日報」の内容分析を請け負ったが、「南京」については一言も書かれていなかった。虐殺が繰り返された太平天国の乱の戦闘を描いた清軍戦報を英国人が模写した絵 人民共和国政府は「南京大虐殺」とほとんど関係がない。支那事変では、共産党軍は国民党軍に追い詰められ、一時は根拠地延安さえ国民党軍に占領されたほどで、毛沢東も「南京大虐殺」どころではなかった。「南京大虐殺」が国民党政府のプロパガンダであることは、日本「南京」学会で詳しく語られている。 中共の社会主義革命そして社会主義社会建設は、文革を最後に完全挫折した。「世界革命、人類解放」の自信は消え、「改革開放」の迷走で、前ではなく後ろを向く必要に迫られたからこそ「南京大虐殺」などが歴史カードとして欠かせないのだ。 戦後日本に米ソが仕掛けた歴史内戦は、昭和57年の「『侵略』を『進出』に改竄した」という「誤報」を切掛けに中国が参戦し、韓国も中国の尻馬に乗っている。「改革開放」をめぐる中国の内ゲバは、89年の6・4天安門事件の鎮圧が転換点となった。90年代に入ってからは「民族主義、愛国主義、中華振興」セットを国是国策とし、「南京」「靖國」などを歴史カードに、反日の教育、映画、観光スポットづくりに狂奔するのである。中国軍の2・28台湾人大虐殺中国軍の2・28台湾人大虐殺 太平洋を跨ぐ日米戦争後期、日本に敗色が出てきた。アメリカを首とする連合国は、戦後の日本処分について、カイロ、ヤルタ、ポツダムなどの会議(談合)が行われた。 米ルーズベルト大統領が蒋介石をカイロまで呼び、英チャーチル首相とともに会談したのにはわけがある。援蒋ルートによる支援物資などは半分が各地の匪賊に奪われ、残りも蒋系官僚の私物となっている。ソ連は延安政府、日本は南京政府を支援して、蒋の重慶政府はジリ貧になり、いわゆる謬斌(みようひん)工作として、日本と裏で単独講和の動きをみせていた。ルーズベルトは蒋をなだめるため、米軍機でカイロに運び、連合国首脳と顔合わせをさせただけのことだ。 ヤルタでスターリンが北海道占領をも求めたように、蒋は九州進駐をルーズベルトに要望したが、「とんでもない男だ」と拒否される。山奥の重慶に逃げ隠れたくせに「九州まで欲しい」とは貪欲だと。とはいえ、スターリンと朝鮮半島を分割進駐、仏印三国は英・中で分割進駐、台湾にはマッカーサーの第一号命令で、中国国民党軍が進駐した。 国民党軍による台湾人大虐殺は、この翌々年の1947年2月28日、私が小学4年生のときだった。戦後の台湾と中華民国はまったくの別世界で、たとえば近代化の基準として、台湾の平均電力使用量は大陸の200倍以上。文化摩擦と文明衝突が起こるのは当たり前だった。 支那の政権は軍事占領した新領土の統治方法として、たいていは各界指導者を皆殺しにするという〝掟〟に従う。重慶時代の国民党は、台湾のラジオ傍受によって文化、政治、経済など各界指導者からオピニオンリーダー、エリートに至るまで5千人を「虐殺名簿」にリストアップした。実際には、各分野ともオピニオンリーダーが予想以上に多く、3万人もが虐殺された。大学生や高校生まで片っ端から虐殺され、各地の駅前では見せしめの処刑が行われた。 小中学生時代の私は好奇心が強く、友達に誘われて処刑を見に行った。叔母は棒を持って追いかけてきて、「見るな!」と友達まで殴った。しかし、叔父まで銃殺されてから「見せしめ」を見る気はなくなった。 私の高雄中学の先輩である周英明・東京理科大教授は、高雄駅広場での銃殺刑を見て「人間の血とはあんなにいっぱいあるのかと初めて知った」と話している。京都大学出身の連根藤博士も、中学時代の3年間毎日、橋の下での銃殺刑を通学中に見続けたという。嘉義駅前広場での知名画家・陳澄波の処刑は、じつに恐ろしい。陳は戦前、帝展に二度入賞し、日展などにも入賞した実力者だから、国民党はその影響力を恐れた。駅広場で見せしめにされた陳は、目、耳、鼻、口から血を流し、屍(かばね)となってハエがたかっていた。 半世紀前の光景に、羅福全・前駐日台湾代表(大使)は「駅前の自宅からその虐殺現場を覗き見ながら、恐怖に震えていた」と話す。蒋親子白色テロの恐怖蒋親子白色テロの恐怖 蒋介石が上海で行った「赤狩り」は〝戦後日本文化人〟の語り草となっているが、台湾における人類史上最長39年にわたる戒厳令や「白色テロ」については案外と知らない、というより知らんぷりだ。 李登輝総統が「台湾人として生まれた悲しみ」をテーマに司馬遼太郎と対談したのはなぜか。台湾人以外にはその心情を知る由もなかろう。 「アメリカは日本に原爆を二つ落としただけ。しかし台湾には蒋介石を落とした」という俚諺がある。 実際に台湾に落とされたのは介石・経国の蒋親子で、原爆二つの方がまだましだという意味もある。 私が小学6年の頃、国共内戦の敗残兵が次々台湾に逃げ込んできた。兵舎が足りず校舎の一部を充てたので、教室が足りず授業は2部、3部制となった。毎日教室反共歌の合唱を練習し、たまに街に出て「共匪スパイの自首」の歌を歌いながら練り歩いた。「密告しないと同罪」と歌わせられ、3人一緒にいると取り締まられ、逮捕されることになる。 蒋親子時代の80年代後半まで39年も敷かれた戒厳令下、「密告しないと同罪」は「知情不報」といわれ、密告者は共匪スパイ嫌疑者の財産の40%をも受け取れた。密告業者が暗躍し、一大賞金稼ぎ事業となった。誰も信用できなくなり、いつ隣人に密告されるか戦々恐々の人間不信の社会となり、台湾は監獄島となる。 李登輝・陳水扁の時代になって政治犯連誼(連絡)会が明らかにした数字では、白色テロ期に荒唐無稽な罪で逮捕、入獄、処刑された政治犯は十数万人にものぼる。 時が流れれば世も変わる。蒋一族は北朝鮮のように3代目まで帝位を継げなかった。台湾は開かれた通商国家であり、支那人とはアイデンティティも民度も、社会の成熟度も違う。ことに20世紀支那大陸の内戦から生まれた心性は、いくら強引に押し付けても台湾に根を下ろせず、体制がいくら変わっても「中国」に魅力はなかった。だから、いかなる手を使っても、台湾で「中国人意識」をもつ者はたったの2%台である。 そしてもう一つ、虐殺風習以上に台湾に大きな恐怖を与え続けたのは、大陸からの瘟疫(うんえき)である。敗残兵らの大量流入により、ペスト、天然痘、コレラの大流行に襲われ、SARS以上の被害を出した。なぜ「虐殺」が国風、国魂なのかなぜ「虐殺」が国風、国魂なのか 支那人が「戮民」と称され、「虐殺」を国風、国魂にまでしたのはなぜか。戦争が激化する理由は古代から指摘され、たとえば『韓非子』は「昔は人が少なく、物が多かった。いまは人が多く、物が少ないから争いが起こるのだ」と単純明快に説く。2千余年前の漢代には、ほどんどの人口は中原の関中に集中し、黄河南岸の人口過密が昂進した。たとえば「汝南郡は1平方㌔当り人口密度が700人を超えた」という。 人口過密で自然環境が悪化し、社会も劣化して資源をめぐる殺し合いが激化する。生き残るには領土を拡大するか、競争相手を根絶やすしかない。宮廷内の骨肉の争いで、一族郎党数万人が皆殺しにされたことが史書にも出てくる。 漢人は心身ともに兵に適さない。いくら「兵経七書」を学んでも漢人社会にしか通用せず、北方夷狄などの遊牧民には10人対1人でも勝てず、日本兵に対しても同様に10人対1人であってさえ互角になれない。しかも「好人不当兵、好鉄不打釘」(好男児は兵にならず、好鉄は釘として打たれず)の俗諺もあるように、兵隊のほとんどは流民かゴロツキ、「拉夫」として村々から強制連行された者たちであった。後ろに督戦隊(支那伝統の部隊で、最前線の兵隊が死ぬまで戦うよう監視した)がいないと逃げてしまうほどだった。 韓人も漢人と同様に兵には適さず、いざというときは国王が真っ先に逃げ、兵士は掠奪し、民衆は泣き喚く。奴婢(奴隷)の反乱で焼き討ちも起きた。韓国軍がベトナム戦争で民間人を虐殺した原因は、いざというときにはパニック状態になり、見境がなくなるからである。朝鮮の軍隊は朝鮮人を虐殺したことの方がむしろ多い。最近では朝鮮戦争やらその後によくみられた。その前は、たとえば『朝鮮開化史』にある。明から清、牛から馬へと乗り換えた後も、明の民間人約5万人を大虐殺した。蒋介石を顕彰する中正紀念堂(台北市)。台湾でも人々を弾圧して独裁権力を握った〝専制皇帝〟らしく、支那歴代皇帝の御殿にも劣らぬ豪勢さだ 支那兵が国内でも「兵匪」と称されるのは、匪賊が暗夜で掠奪をするのに対し、兵は昼間に公然と掠奪をするからである。ことに敗残兵による虐殺と掠奪はいちばん怖い。敗けてすべてを失う兵は、虐殺と掠奪でしか生きる道はないからである。 ことに支那人は遠く春秋戦国時代から世俗化して宗教心が失われ、神仏など怖いものはなくなり、極悪非道がまかり通った。怖いものがなくなると物欲の高まりが止まらなくなり、やりたい放題になる。それが、いまの中国人のビヘイビアとして世界から驚かれているのである。こう・ぶんゆう 昭和13年台湾高雄市生まれ。39年から日本に留学し、44年早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院政治経済学研究科で西洋経済史を専攻し46年修士課程修了。平成9年から拓殖大学日本文化研究所客員教授。支那を中心とした東アジアの文明史や政治分析に造詣が深く、『中国の没落』(前衛出版=台湾)が反響を呼び1994年に台湾ペンクラブ賞などを受賞。台湾の主権国家としての独立維持を期する台灣獨立建国聯盟の主要メンバーとして長年活動し、平成11年から日本本部委員長。著書はほかに『中国食人史』(前衛出版=台湾)、『中華帝国の興亡―「歴史の罠」から抜け出せない隣国』(PHP研究所)、『戦争の歴史・日本と中国―こんなに違う、日中の戦争観!』(ワック)、『中国人が死んでも認めない 捏造だらけの中国史』(産経新聞出版)など多数。

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    まさに中国の言いなり!左傾マスコミはなぜ「虐殺」を創るのか

    別冊正論26号「『南京』斬り」(日工ムック) より柿谷勲夫(軍事評論家・元防衛大学校教授) 朝日新聞は、「虐殺証言、若者に届いたか」との記事を平成10年8月13日付夕刊で掲載した。前夜に二十代の青年たちが、東京・原宿で戦争で被害を受けたとされる「中国人の証言集会」(参加者十人足らず)を主催、昭和17年5月27日、日本軍によって虐殺されたと主張する、中国河北省・北疃村(朝日新聞、岩波は「疃」、その他は「担」と表現)の李慶祥氏(71)の体験談を紹介していた。 朝日新聞は、日本軍の攻撃を『北瞳村大虐殺』と呼称、中国側の調査では約1400人が殺された、と述べていた。「北疃村大虐殺」とは、耳慣れない用語で、今回朝日新聞が新たに創り出したものである。状況によっては、いわゆる「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」と同様、一人歩きし、今後に禍根を残すことになり兼ねない。また、それが朝日の狙いでもあろう。 北疃村に対する歩兵第百六十三連隊の攻撃については朝日新聞だけではなく、毎日新聞、NHK、岩波書店の月刊誌「世界」も報道している。 いずれも中国側の発表、中国人の発言だけを伝達、公刊されているわが国の防衛庁防衛研修所戦史室編纂の『戦史叢書』(いわゆる公刊戦史)や『歩兵第百六十三聯隊史』を無視している。この行為は、偏った報道によって、視聴者、読者に著しい誤解を与えるものである。毎日新聞の場合 平成8年5月11日付毎日新聞は、「中国人500人 毒ガス戦 賠償要求へ」との見出しで、概要次のように記述している。 ―中国河北省北担村の農民、李化民さん(73)ら約500人が、今月末をめどに、日本政府に10億円を超える損害賠償と謝罪を求める要求書を北京の日本大使館に出す。 中国側の記録によると、日本軍(第110師団百63連隊)は1942年5月27日、北京の西南約250キロにある八路軍拠点の同村を襲った。村民や八路軍部隊の一部が避難した地下道の入口をあちこちに見つけ、毒ガスのあか筒(くしゃみ・おう吐剤)、みどり筒(催涙剤)を大量に投げ込んだ。苦しくて地上にはい出したところを老若男女の別なく殺した。村民の3分の1に当たる約一千人が犠牲になった。八路軍兵士の犠牲は数十人だった― 李さんは、ジャーナリスト、新井利男氏に「私は村を留守にしていて難を免れたが、父、妻、弟妹ら12人の家族が殺された。村の家はすべて焼かれ、乳飲み子は火の中に投げ込まれた。毒ガス戦という国際法違反に時効はないことを知り、半世紀余り積もり積もったおん念を日本政府にぶつけることにした」。 この事件では、指揮した大隊長が当時書いた記録に「毒ガス投入」の事項があり、日中双方の記録が一致する。NHKの場合NHKの場合 NHKは平成8年9月22日、NHKスペシャル「『化学兵器をどう処理するのか』―迫られる日本の選択―」を放映、概要次のように述べている。 一、上坂勝供述と赤筒―中国河北省北担村です。この村で旧日本軍は、大規模に化学兵器を使用しました。北担村では地下道に逃げ込み抵抗していた中国側の兵士と住民合わせて800人以上が犠牲になりました。当時の地下道の跡には犠牲者の遺骨が収められていました。 化学兵器を携え北担村の戦闘を行った歩兵第百六十三連隊です。作戦を指揮した上坂連隊長は軍事裁判で、赤筒と呼ばれる化学兵器を使用したと供述しています。 赤筒とは吐き気や呼吸困難を引き起こすガスを発生させる化学兵器です。毒性は低いものの密閉された状態で使うと死に至ることもあります―(下線筆者)。 二、李徳祥氏の証言―毒ガス弾はこれくらいの大きさで、灰色の懐中電灯のような形でした。長さはこれくらいで赤い線がついていました。ガスを吸った途端に息ができなくなり、苦しくて喘ぎ始めます。そうして鼻から血がでてくると、もう助かりません―朝日新聞は〝新たな虐殺〟を検証なしに報じることで「日本軍の残虐行為」はまた一つ既成事実化していった 三、旧日本軍の資料―化学兵器は1935年ごろから、対ソビエト戦に備えて、旧満州に持ち込まれました。そして、1940年には一年間で化学砲弾10万発を持ち込んでいます。その中には当時国際法で使用が禁止されていた化学砲弾も含まれていました。そのため旧日本軍は証拠を隠滅しながら密かに化学兵器を使っていたのです―(下線筆者)。岩波「世界」の場合岩波「世界」の場合 新井利男氏が平成10年4月、中国による、いわゆる「中国の日本人戦犯裁判」(昭和31年)で、有罪判決を受けた45人が書いたとされる供述書のコピーを発表した。 この中から師団長など5人の将官の供述書とされるものが月刊誌「世界」5月号に掲載された。その中でNHKスペシャルにも登場した上坂勝少将の「供述書」、李徳祥氏の証言が載っている。一、上坂供述書(関係箇所抜粋) ―(1)第一大隊方面 第一大隊は五月二十七日早朝定県を出発し、侵略前進中、同地東南方約二十二粁(キロ)の地点に於て八路軍と遭遇しました。大隊は直ちに主力を展開して之を包囲攻撃し、八路軍戦士に対し殲滅的打撃を与へたのみならず、多数の平和住民をも殺害いたしました。 大隊は此の戦闘に於て赤筒及緑筒の毒瓦斯(ガス)を使用し、機関銃の掃射と相俟(あいま)って八路軍戦士のみならず、逃げ迷ふ住民をも射殺しました。又部落内を「掃蕩(そうとう)」し多数の住民が遁入(とんにゆう)せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ、或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました。 私は此の戦闘に於て第一大隊をして八路軍戦士及住民を殺害すること約八百人に上り、又多数の兵器や物資を掠奪させました。以上は第一大隊長大江少佐の報告に依るものであります。 (2)聯隊主力方面(略) (3)結果 此の侵略作戦に於て聯隊が中国人民に与へた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、焼失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)、其の他中国人民約二四〇名を框舎(きようしや)構築(八個)のため酷使しました(約十日間)―(ふりがなは筆者)二、李徳祥氏の証言「証言―毒ガスと三光作戦」とのタイトルで、新井氏が聞き手となって、NHKスペシャルに登場した李徳祥氏が証言している。抜粋すれば次のとおりである。 ―四二年五月二七日の早朝五時頃、北疃村(南を南疃、北を北疃と分けているが、両方合わせて北疃村と呼ぶ)は完全包囲されました。…私たち民兵隊は急いで子ども、女性、老人たちを誘導して地道に避難させました。…地道口から毒ガスを投げ込んだんです。ガスが外に漏れないように蒲団でふさいだ入口もあります。私たち民兵は最後に地道に入ったので、入口に近い方にいました。 毒ガスが投げ込まれた後、村人たちは泣き叫ぶ間もなくバタバタ倒れていきました。私は急に目が痛くなり涙と鼻水がしきりなしに流れ、ノドが乾き、吐き気をもよおし、息がつまり、意識が薄れてふらふらになりました。よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かっていきました。 入口にたどり着きほっとして上を見ると、そこにはたくさんの日本兵がいました。私はとっさにこう言いました。「わたし満州行って井原先生のところで働きました。大君(タイジユン)(日本軍を中国人はこう呼んだ)、助けて下さい。いたい、いたいで、みず」。私は満州で四年間、日本人の家の家事手伝いをしていたのです。「おっ、こいつ日本語を話す」と一人の日本兵が仲間に話しかけ、私にこう言ったんです。「小人、水が飲みたいか?」。私は当時一九歳、童顔でしたので子どもに見えたのでしょう。私はさらに腹を押さえて「いたい!」と顔をしかめると、三包の薬と水をくれました。私は急いで飲みました。すると間もなく、頭がすっきりしたんです。私が日本軍と関係ある者とみたんでしょう。私は何もされずに、その場にひき止められました。そのすぐあとで私はとても恐ろしい光景を目にしました。 私の後から瀕死の状態で大勢の者が這い出してきましたが、日本兵は残虐非道な方法でそれら無抵抗の者を次々と殺し、犯したのです。日本兵が若い男性を樹に縛ると軍犬を放しました。犬は狂ったように男性に飛びかかり、まずノドをかみ切り、次に腹を食いちぎって内臓を引き出しました。毎日新聞も中国側の言いなりに「日本軍の残虐行為」を報じた 日本兵に抵抗したやはり若い男性は、耳、鼻をそがれ、目玉をえぐられた後斬り殺されました。母親から赤ん坊を奪い取った日本兵が燃える家の中に放り投げました。…日本兵は捕まえた村人たちをその井戸の所に連れていき、銃剣で刺した後、けとばして突き落としました。井戸は死体でいっぱいでした。 村を占領した日本軍は、二八日の夕方引き上げるまでの二日間、大勢の女性を強姦し、ある者はその後殺しました。…この侵略によって北疃、南疃あわせて一三〇〇人ほどの人が殺されました―朝日新聞の場合朝日新聞の場合一、李徳祥氏の証言 朝日新聞(平成10年5月10日付)は、「生存者が初来日集会で惨劇証言」とのタイトルで「中国・河北省での旧日本軍による毒ガス攻撃で住民多数が虐殺された事件の生き残りの一人、李徳祥さん(75)が初来日し、9日、東京の集会で惨劇のもようを証言した」と記述、以下「世界」において新井氏に述べた内容とほぼ同じ証言を掲載している。二、李慶祥氏の証言 同8月13日付朝日新聞夕刊は、李氏の発言の概要を「一九四二年五月二十七日、抗日運動の拠点だった村が、二日間にわたって日本軍に襲われた。中国側の調査では約千四百人が殺された。地下道に逃げた人も投げ込まれた毒ガス弾にやられた。慶祥さんも兄弟姉妹四人を亡くし、家を焼かれた」と述べ、さらに、証言として「事件の後しばらくは、子を探す親、親を探す子たちの泣き声が響いた。村は死んだ。人類史上でも珍しい事件だ。今の日本人には理解出来ないかも知れないが、鉄のような(確かな)事実なのです」と記述している。歩兵第百六十三連隊の行動 冒頭で述べたように、歩兵第百六十三連隊の行動に関する資料には、公刊戦史たる『戦史叢書・北支の治安戦(2)』(朝雲新聞社、昭和46)、歩兵第百六十三聯隊史編集委員会が編集した『歩兵第百六十三聯隊史』(歩兵第百六十三聯隊史刊行委員会、昭和63)がある。一、北支の治安戦(2)『戦史叢書・北支の治安戦(2)』では、昭和17年5月27日の歩兵第百六十三連隊・第一大隊(大隊長・大江芳若少佐)の行動を以下のように記述している。 ―担任地域南部の沙河(さか)流域は従来から治安が悪く、民衆は日本軍に親しまず、大隊は再三討伐を実施したが、敵と交戦することができなかった。五月二十七日、召村南東方北担村付近に中共軍一コ営(筆者注・営は日本軍の大隊に相当)が坑道作業中との情報を得た。 大隊はその夜、各警備隊駐屯地から企図を秘匿して行動を起こし、路外機動により、払暁(ふつぎよう)までに北担村を完全包囲した。夜明けと共に戦闘が始まり、敵は猛射を加えてきたが、逐次包囲圈を圧縮して部落に突入したところ、今まで戦闘していた敵兵は忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。 時折屋根の上から手榴弾の投擲(とうてき)を受け、また数カ所で地雷の爆発があった。そこで直ちに部落外囲の坑道および部落内の坑道口を捜索し、隣村に通ずる坑道は遮断した。部落内の坑道、地下室には敵兵が充満しており、頑強に抵抗するので手間取ったが、これをことごとく殲滅し多数の鹵獲品(ろかくひん)を得た。 わが方も将校以下戦死三、戦傷五の損害を受けた。 爾来(じらい)、この地区の治安は急速に良好となり、隣接地区にも好影響を及ぼした。 成功の原因は、日本軍の精強、軍紀の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたこと、中共側の坑道戦法をあらかじめ研究し、敵の潜伏と同時に不意急襲し坑道囗を押さえたことである。二、聯隊史第一大隊定県南方北担村での殲滅戦 ―第一大隊長 大江芳若少佐五月二十七日、第一大隊の殲滅戦…従来中共軍は一応応戦するが、相手が強いと見れば遁走するのが常套戦法であるが、今度は違う。執拗に抵抗し一歩も譲らず、土壁に接近すると、銃眼と屋上陣地を巧に利用し正確な狙撃に徹し、手榴弾を投擲して一切近接を許さず、天晴(あつぱれ)、精兵振(ぶ)りを発揮した。兵力も一コ営如きではなく、相当な兵力と察せられた。 十六時頃に至るも、戦闘は進展しないまま時間は経過した。 大江大隊長は突撃を決意し、各隊は逐次包囲網を圧縮接敵(せつてき)に勉めた。大隊長は敢然と突撃を下命した。頑強に抵抗を続けた敵も遂に抵抗を断念し、我が突撃を許すに至った。 突入して見ると、今が今まで眼前の銃眼、屋上・土壁陣地より狙撃、手榴弾に依る抵抗を強行した敵は忽然(こつぜん)と消え、家屋掃蕩をはじめ扉を開けば仕掛地雷が爆発するなど実に危険な状態であったが、敵影なし。 兼ねてより北担村には地下坑道あり、隣村に通じているとの情報を得ていた。 大隊長は各隊長に命じ、隣村に通ずる坑道の探索遮断、出入口の発見を急がせた。数力所の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じない、日没も間近い止むを得ず発煙筒の投入を下命した。抑留された元日本兵の「供述書」を新井利夫氏らが集めた単行本。中共による過酷な洗脳には触れていない 敵は苦しまぎれに一人又一人、穴の中から這い上り次々と先を競って出て来た。 便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者もいた、本当の住民もいたであろう。 併(しか)し敵の幹部は坑道内に於て手榴弾で自爆し降伏する者はなかった。    坑道内の敵引出(ひきだし)をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かしたが、何事もなく朝を迎え、部落内の掃蕩を再開した―NHK、岩波、朝日報道の問題点NHK、岩波、朝日報道の問題点一、上坂供述 北疃村に対する毒ガス攻撃は、上坂勝少将(昭和17年当時歩兵第百六十三連隊長)の平成8年のNHKスペシャルにおける供述、「世界」10年5月号の供述書が根拠となっている。 新井氏が10年4月発表した供述書のコピーについては、月刊「正論」同6月号で田辺敏雄氏が「朝日・岩波が報じる『中国戦犯供述書』の信用度」とのタイトルで、信頼性への疑問など、詳述されている。 朝日新聞(同4月5日付)によれば、45人中、生存を確認できたのはわずかに4人である。 特に、供述書の骨幹をなす「世界」同5月号に掲載された将官5人全員は、すでに40―15年前(一人は中国に拘禁中)に世を去っている。本人の手によるものであるか否かの確証がなく、今となれば確証を得る手段さえない。真実か否かを確認する手段がなくなった現時点に尤(もつと)もらしく真実として「公表」する行為は、自ら贋作(がんさく)と白状しているようなものである。 百歩譲って、仮に本人の直筆であったにしても、長期にわたる抑留、拘禁、連日連夜、「思想改造教育」と称する想像に絶する地獄の責め苦の下、何十回、何百回もの書き直しを命じられ、精神に異常を来し書かされたものである。証拠とすることはできない。 上坂少将は供述書で、北疃村に対する攻撃のための前進を「侵略前進」、本論で紹介した以外の箇所で捕虜となった敵の将軍の逃亡を「逃走された」、八路軍の攻撃を「反攻されて来た八路軍」、自分の出した命令を「悪辣な命令」などと表現している。極めて不自然である。二、李徳祥証言 李氏の証言は矛盾点が少なくない。例えば、 (一)民兵だった李氏は、地道に最後に入ったと言いながら、毒ガスが投げ込まれた後、よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かった、と述べている。最後に入ったのであれば、倒れている人たちを踏みこえる必要はない。また、入口に近い人は先に入口に殺到するであろう。 (二)日本兵が赤筒、緑筒を使用したとすれば、防毒マスクをしていた筈(はず)だが、その描写がないのは不自然である。このようなことから、使用されたガスは発煙剤だったのであろう。また、子供に水を与えた優しい日本兵が、母親から赤ん坊を奪い取り燃える家の中に放り投げる筈がない。 (三)李氏が、日本語ができるだけの理由で日本軍関係者と見られ、何もされずに、虐殺、強姦場面を二日間にわたり見学できるとは思えない。むしろ日本語ができればゲリラと怪しまれるのではないか。 『聯隊史』は「坑道内の敵引出をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かした…」と述べている。『聯隊史』の記述こそ、命のやり取りをする戦場の実態である。敵の夜襲が予測される中、強姦などできるが筈ない。なお、虐殺、強姦などについて李氏は、平成8年のNHKスペシャルでは一言も触れていない。三、化学兵器とは 化学兵器とは、岩波書店発行の 『広辞苑』第一版では「毒ガス・発煙剤・焼夷剤及びこれらを使用する兵器の総称」となっている。 一方、毒ガスは、びらん剤、神経剤、窒息剤、血液剤などの有毒化学剤とくしゃみ剤、催涙剤、錯乱剤などの無傷害化学剤に分類される。防衛庁防衛研修所戦史室(現防衛省防衛研究所戦史研究センター)の『戦史叢書』は当時の記録を丹念に集めて事実に基づき、史料価値が高い 赤筒とはくしゃみ性のガス、緑筒とは催涙性のガスで、ともに、生理的効果によって、一時的に無力化するために使用するものである。 大隊が使用したガスは『聯隊史』では発煙剤、毎日新聞が記述する大隊長の記録では毒ガスと述べている。『聯隊史』は作戦に参加した戦友の殆ど全員が読む故、虚偽の記述をしたとは考え難い。大隊長が記録で毒ガスと表現したのは、発煙剤も化学兵器の範疇(はんちゆう)に入り、また、くしゃみガスなども煙を出すが故に、化学の専門家ではない歩兵が、発煙剤のことを広い意味で、毒ガスと呼んだであろうことは十分考えられる。素人が虫垂炎のことを盲腸炎と称するに似ているのではなかろうか。 NHKスペシャルでは、「赤筒とは吐き気や呼吸困難を引き起こすガスを発生させる化学兵器です。毒性は低いものの密閉された状態で使うと死に至ることもあります」(傍点筆者)と述べている。 密閉した場所で使用すれば、車の排ガス、炭火でも中毒死する。 平成9年に発効した「化学兵器禁止条約」においてさえ条約が禁じないくしゃみガスや催涙ガスは「暴動鎮圧剤」と位置付け、「戦闘の方法として使用しないことを約束する」としているが、同条約が定義する「化学兵器」ではない。 大江少佐が、地下道に逃げ込んだ兵隊(ゲリラを含む)に降伏勧告後、追い出すために、発煙剤ではなく、仮に赤筒、緑筒を使用したとしても当時違法ではなかった。四、殲滅と虐殺 日本軍の北疃村攻撃を、『戦史叢書』も『聯隊史』も「殲滅」と呼んでいる。軍事用語における殲滅は、いわゆる皆殺しではなく、大勝を意味する。戦史上有名なタンネンベルヒの殲滅戦(第一次世界大戦初頭の1914年、タンネンベルヒで独軍が露軍に大勝した戦い)でもロシア軍二十数万中、死傷は約5万、捕虜は9万余で、死傷者は4分の1である。 読者の中には、殲滅を皆殺し、虐殺と考えている人がおれば、誤解を解いておかねばならない。 大江大隊長は、坑道の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じないから、止むを得ず発煙筒の投入を下命。投入後壕から出たものは捕虜にした。壕から出ず自爆、或いは窒息しても、虐殺ではない。また『戦史叢書』や『聯隊史』で、攻撃成功の原因を、日本軍の精強、軍規の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたことにあると述べている。中国側の記録、中国におけるいわゆる「軍事裁判」での上坂少将の「供述書」、中国人の発言などのような民衆に対する虐殺を行っている筈がない。五、犠牲者、焼失家屋 犠牲者数は、毎日新聞(平成8年)の中国側の記録で約千人、10年の「世界」で李氏が新井氏に対し1300人ほど、10年8月13日付朝日新聞夕刊では「中国側の調査では約千四百人」と述べ、いわゆる「南京事件」同様、年月の経過とともに増大している。この分では21世紀中に万を超えるであろう。 毎日新聞は、中国側の記録による犠牲者は村民約千人、八路軍兵士数十人と述べている。しかし、『戦史叢書』では「中共軍一コ営」、『聯隊史』では「一コ営如きではなく、相当な兵力」と述べている。一コ営は3~500人だから、八路軍の兵力は一千人近かったと思われる。中国側記録で兵士数十人、村民約千人は、『聯隊史』に、便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者がいた、とあるように、兵士のかなりの者がシナ兵の常套手段である便衣に着替えたものと思われる。 また、李化民氏は、村の家はすべて焼かれたと述べているが、上坂供述書なるものでさえ焼失家屋約3軒となっている。『戦史叢書』『聯隊史』にも家屋焼失の記述はない。 本作戦の遂行には、家屋の焼却は不要、逆に民衆の反発を招く、無用な焼却をする筈がない。通州虐殺事件通州虐殺事件 通州虐殺事件とは、昭和12年7月29日、中国保安隊によって、幼児十数人を含む二百数十人の、わが守備隊、居留民が虐殺された事件である。 虐殺の状況について、東京朝日新聞、極東国際軍事裁判(東京裁判)における目撃者は、次のように述べている。一、東京朝日新聞 8月4日付(3日発行)夕刊は、第一面で、見出しに「恨み深し 通州暴虐の全貌」「保安隊変じて鬼畜」「罪なき同胞を虐殺」「銃声杜絶(とだ)え忽(たちま)ち掠奪」「宛(さなが)ら地獄絵巻!」「鬼畜の残虐言語に絶す」を挙げる。通州事件の現場と救援の日本軍部隊に保護された邦人ら(『支那事変聖戦写真史』忠勇社、昭和15) 本文では「あゝ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曾てこれほどの侮辱を與(あた)へられたことがあるだらうか」、「男女の区別さへ付かぬ目を蔽(おお)ふ惨憺たる有樣である、身體(しんたい)の各所を青龍刀で抉(えぐ)られ可憐な子供、幼児迄も多数純真な魂を奪はれてゐるではないか、又東門の他の池にも二十九名の惨殺死体が抛(ほう)り込まれ、これ等はいづれも縛られた儘でこゝまで連れられ嬲(なぶ)り殺しに遭ったのだ、近水(きんすい)旅館は日頃保安隊の無理を聞いてゐながら十一名の女給達が全部裏の池に投げ込まれ人情を絶した鬼の仕業だ、在留邦人中僅かに百廿一名が警備隊に収容されたのみで数百余名は虐殺されたのだ、生き残った者はいづれも銃声と共に支那人に化け女は髪を短く切り日頃親しい支那人の家にかくまはれた者ばかりで、一瞬の間に気転を利かして危機一髪を逃れた運命の導きである、併し子を呼び親を搜して街を彷徨(さまよ)ふ姿の哀れは真に言語を絶した惨状である」と述べている。二、極東国際軍事裁判 「極東国際軍事裁判速記録」第五巻で、当時の目撃者は次のように供述している(抜粋)。 (一)萓嶋高(元陸軍中将、救援のために通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長) ―旭軒とか云ふ飲食店を見ました。そこには四十から十七、八歳迄の女七、八名は皆強姦され、裸体で陰部を露出した儘(まま)、射殺されて居りました。其の中(うち)四、五名は陰部を銃剣で突刺されてゐました― (二)桂鎮雄(元陸軍少佐、第二連隊の歩兵砲中隊長代理) ―錦水楼の門に至るや…男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣の様でありました― ―私は一年前に行ったことのあるカフェーヘ行きました。…一つのボックスの中に、素っ裸の女の屍体がありました。これは縄で絞殺されてをりました。カフェーの裏に日本人の家があり、そこに二人の親子が惨殺されて居りました。子供は手の指を揃へて切断されてをりました―通州事件でシナ兵に惨殺された邦人の遺体。遠目にはわからないが、それぞれの遺体には日本人に想像できない残忍な殺害の手口が、ありのままに残されていた(支那駐屯軍北平憲兵分隊撮影) (三)桜井文雄(元陸軍少佐、第二連隊小隊長) ―東門の近くの鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せて、それに八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠繋ぎにして引廻された形跡、歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染まって居たのを目撃しました―三、「北疃村」は通州虐殺の引用 李慶祥氏は朝日新聞で「事件の後しばらくは、子を探す親、親を探す子たちの泣き声が響いた。村は死んだ。人類史上でも珍しい事件だ。今の日本人には理解出来ないかも知れないが、鉄のような(確かな)事実なのです」と述べている。 が、この表現は通州虐殺事件に関する東京朝日新聞の「子を呼び親を搜して街を彷徨ふ姿の哀れ」「あゝ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曾てこれほどの侮辱を與へられたことがあるだらうか」とほぼ同じ表現である。 また、李徳祥氏が述べた強姦、幼児虐殺、目玉の抉り取り、井戸(池)への投げ捨てなどの虐殺方法も、東京朝日新聞などが述べている通州事件におけるシナ人の虐殺行為のコピー発言である。日本人にはシナ人のような虐殺の習慣はない。 通州虐殺事件に関する東京朝日などの新聞記事、東京裁判での目撃者の証言を転用したものである。中国の意図 中国の意図        中国が、戦後50年以上も経ってから将官等の供述書と称するものを発表した理由は、供述者だけではなく、供述書に実名を挙げられている兵士のほとんどが死亡しているので、嘘八百でも、当事者から反論を受ける心配がない。戦後賠償の新たな要求材料になると目論んだからであろう。 朝日新聞(平成10年4月10日付夕刊)によれば、当時の「撫順(ぶじゅん)戦犯管理所」の管理教育科長で後に所長となった金源氏(72)=朝鮮慶尚北道出身=が、朝日新聞の質問に対し「当初は『百人程度を裁いて約七十人を死刑にする』との案を固め、当時の所長らが北京の周恩来首相に会って報告した。すると、首相は『裁判にかける人数はもっと少なく、死刑や無期(禁固)は一人も出すな。有期刑は最高でも二十年。今は納得できないかもしれないが、二十年後に分かる』と命じた」とのことである。 金源氏の言を信ずれば、周恩来は、70人くらいを殺害しても、中国は得るものが一つもない。白髪三千丈式の偽供述書を書かせた方が国益であると判断したのであろう。朝日新聞は「寛大な処分」として、偽供述書を宣伝している。「死せる周恩来、生ける日本のマスコミを走らす」である。 江沢民中国主席来日に合わせ、タイミングよく発表、わが国に精神的負い目を負わせた中国の狙いが見え見えである。 問題になっている中国系米人女性アイリス・チャン氏の南京事件に関する根拠に基づかない〝でっち上げ″著書『レイプ・オブ・南京』も、中国に、平身低頭する、わが国の政治家、国民を見て、わが国を永久に中国の精神的奴隷にすることを狙ったものであることは疑いの余地がない。東京裁判の検事役より日本の魂を 普通の国の国民は、敵国に捕虜となった自国民の供述書は、偽物もしくは脅迫、強要によるものだと一笑に付す。また、50年以上も前のことを尤(もつと)もらしく、自国の悪口を述べる外国人の証言は信用せず、逆に非難する。 ところが、日本国民から受信料を徴収しているNHK、社会の公器を豪語する朝日新聞などは、敵国だった中国の裁判記録、中国人の発言だけを、真偽を確かめず、真実として大々的に報道し、味方である防衛庁の戦史、聯隊史の内容を報道しないばかりか、その存在さえ伝えない。 特に朝日は冒頭に述べたように、『北疃村大虐殺』との新語まで創作した。反論を加えないで放置すれば、虚偽が一人歩きして真実になり兼ねない。NHKや朝日新聞などの報道は、当時の日本軍人ばかりでなく、子孫の名誉と人権を著しく奪い、日本人としての矜持が微塵も感じられず、とても同胞のものではなく、「日本人の皮を被った中国人」としか思えない。 朝日新聞は昭和12年の通州虐殺についての自紙の記事を読み直し、目を覚まし日本人の魂を取り戻すべきである。 わが国民にもいずれは愛国心が芽生え、普通の国並みに戻るであろう。朝日新聞は、その時の日本国民の評価を恐れるべきである。(月刊「正論」平成10年12月号初出)かきや・いさお 昭和13年石川県生まれ。昭和37年防衛大学校卒業(第6期)と同時に陸上自衛隊入隊。41年大阪大学大学院修士課程(精密機械学)修了。陸上幕僚監部防衛部、陸上自衛隊幹部学校戦略教官、陸上幕僚監部教育訓練部教範・教養班長、西部方面武器隊長などを経て、平成元年防衛大学校教授。国防論講座主任として国防論を指導。4年陸上自衛隊武器学校副校長。5年退官(陸将補)。退官後は軍事評論家となり、戦勝国やマスコミなどによって歪められた日本軍の実際の姿を正しく検証し、国際関係についても評論を続ける。同時に国民一人一人が国防意識を持ち、実戦する大切さを訴える。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』、近著に『自衛隊が国軍になる日―「兵役」を「神聖な任務」とし普通の国に』(いずれも展転社)。

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    蒋介石の視点から見た「南京」  浮かぶ日中のさまざまなズレ

    た。その原因は、日本の歴史教科書をめぐる誤報にあった。 同年6月26日付の新聞各紙は、文部省が検定で日中関係に関して「日本軍が侵略」を「進出」などと書き改めさせたと報じた。後に「誤報」と明らかになったが、6月30日付人民日報は「日本文部省が検定した教科書は歴史を歪曲し侵略を美化する」という記事を掲載した。 そして、8月2日には南京事件の特集「どうして歴史を改竄(かいざん)することができるのだろうか―日本軍の南京大虐殺実録」を組み、日本兵が中国人の生首をぶら下げているなどの写真を掲載してその惨状を報じ、日本政府が「歴史を正視」すべきであると強調した。 さらに、8月15日付では、社説で日本の教科書の「改竄」を批判し、南京ばかりでなく、日本がシンガポールやフィリピンでも「大虐殺」をおこなったと激しく非難した。そして、鄧小平は南京市郊外に「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京大虐殺記念館)」を建設することを指示した。1985年8月15日にオープンした同館の入り口には「遇難者(被害者)300000」の文字が刻まれ、現在に至っている。 これら人民日報の記事には大変大きな「歴史の改竄」がある。それは、南京事件が「中国の軍隊の激烈な抵抗」の末起きたと書いてあることである。 中国共産党は、抗日戦争を「偉大な中国の軍隊と人民の勇敢さ」と「光栄な犠牲」によって勝利を得たと語ってきた。南京事件もその物語の中に組み込もうとしているが、それはとても困難な作業である。 すなわち、南京事件が起きた12月13日の未明、南京を守っていた中国の正規軍は、蒋介石の撤退命令によって、揚子江(長江)を渡って退散し、日本軍が突入したときに残っていたのは逃げ遅れた兵士と一般市民、そして平服に着替えて市民になりすました便衣兵のみであったのである。いわば、日本軍は無血入城した訳であるが、その事実を日中両国共にいまだに正視しようとしない。日本軍の南京攻略を前に軍幹部を引き連れて早々に重慶へと退避した蒋介石(左から2人目)。南京には衛戌軍の兵隊と多くの住民が置き去りにされた また、南京事件はその後中国の歴史教科書に一節を設けて特集されるようになるが、そこには、一律南京陥落後に国民政府が首都を重慶に移したと書かれている。これは、日本のほとんどの歴史教科書もおかしている誤った認識である。 国民政府による重慶への首都移転は、南京事件の以前に実行されていた。南京はいわば「棄都」であり、南京の民は「棄民」であった。日本は、南京を首都と報道し続け、首都陥落を大々的に報じ、日本全体が祝賀ムードに酔いしれた。その時の認識が正されず、今日の歴史教科書にまで反映され続けていることには驚きを隠せない。南京撤退にのぞく蒋介石の遠望南京撤退にのぞく蒋介石の遠望 では、なぜ蒋介石は日本軍が南京を取り囲み、突入の構えをしている情況の中で、撤退命令を出したのか。その解明は、南京事件がなぜ起きたのかを考える上で、重要な意味を持つ。 1937年7月7日の盧溝橋事変勃発後、蒋介石は国内の抗日民族統一戦線結成要求の盛り上がりへ対応するために、武力行使を余儀なくされていく。しかし、同年5月にアメリカが「中立法」を拡大解釈し、正式に成立させたことへの対応に苦慮するようになる。すなわち、対日宣戦布告をすれば、アメリカからは兵器・弾薬・軍用器材などの援助はもとより、財政的な支援も望めない状況となる。 それは、日本も同じことであった。日本は、石油やくず鉄など多くの物資をアメリカからの輸入に頼っていた。この点では、日中の利害は一致していた。そのため、日中戦争は双方共に宣戦布告をしない、歪んだ戦争となったのである。 アメリカの国務長官であったハルは、8月23日公式に声明を発表し、日中双方に停戦を呼びかけ、アメリカの立場を明確にした。その後国民政府は8月30日と9月10日国際連盟に声明文を提出して、①中国は「平和を愛護する方針」には変りがないが、②事の成り行きによっては「自衛を実行せざるを得ない」として、その「苦衷」を世界に向けてアピールしていく。 これに対して国際連盟はこの声明文を加盟国全体に送り、アメリカを代表とする「中日問題諮問委員会」において日中紛争の審議を開始する(中央日報9月11日付)。 このような国際情勢の中で、日本の上海・南京・広州など主要都市に対する空爆は日増しに激しくなり、1937年9月22日の第二次国共合作成立以後中国国内の抗日の機運も高まっていく。しかし、英米はこの時期あくまでも日中双方に対して停戦と和平を勧告する姿勢を貫く。蒋介石が上海と南京の防衛戦で見せた作戦の不徹底の原因には、このような英米の姿勢に対する「苦衷」があったといえる。 この時期蒋は各所で日本に対する国際制裁の必要性を訴え、そのことが国際平和につながることを強調した。また、十月二十九日国防最高会議において、首都を四川省重慶に移転させることを決定した。蒋は、2年前から奥地建設に力を入れ、不測の事態に備えていたのである。この政策は、蒋介石の「持久戦論」実践のための戦略であったということができる。 そのため、蒋介石は11月3日ブリュッセルで開幕した「九国条約会議」の決定に強い期待をかけた。この時期、蒋介石は共産党勢力の「跋扈」を「内憂日ごとに増大する」として警戒感を強めていた。すなわち、蒋にとって英米の協力を得られないままでの対日全面抗戦は、共産党およびソ連の影響力を増大させることになるため、なんとしても避けなければならなかったのである。主要国の鈍い反応主要国の鈍い反応 しかし、蒋介石の期待に反して、九カ国条約会議は11月15日「宣言」を発表し、あくまでも「中立」の立場を堅持する姿勢をみせ、日中両国の「武装衝突」の「継続進行」は会議参加国の「生命財産」に重大な「損害」を与えているとし、「即時停戦」を合意勧告した。 このような九カ国条約会議に対し、国民政府代表として出席した顧(こ)維鈞(いきん)は、11月23日の会議での演説で強い不満と憤りを表明し、「各国が物質上の援助を中国に与え、並に兵器・弾薬および金銭的援助を日本に与えることを停止すべきこと」を要求した(新中華報11月24日付)。米スタンフォード大学フーヴァー研究所で公開されている「蒋介石日記」 それでも翌日同会議は、あくまでも「商務財政上の相互利潤の目的」から軍縮と「非武力」の原則を貫く必要を強調した上で、「無定期延会」を宣告して閉幕したのであった。日本はこのような九カ国会議の状況を具(つぶさ)に報道し、「支那事変」に対する国際制裁がおこなわれないことを、当然のことと受けとめたのである。 日本軍による南京攻略は、中国にとっては日本に対する国際制裁の可能性が望めなくなったと同時に、各国が強く和平と停戦を勧告するという状況の中でおこなわれていった。 1937年11月20日、国民政府は首都の重慶移転を公式に発表した。同日公布された「国民政府遷都宣言」には日本との戦いは「持久戦」になるため、抗戦を継続するためには「国際的同情」と「民衆の団結」が必要であることが述べられている。蒋介石にとって、「持久戦論」は長年の持論であるが、「持久戦」は国際的、特に英米による支援獲得のための闘いをも意味した。 蒋介石は九カ国条約会議が無期延期を決定して閉会した11月24日、唐生智(とうせいち)を南京衛戌(えいじゆ)(護衛)司令長官に任命し、その総指揮を任せる。28日唐は外国公館・教会・報道関係者らに「南京と存亡を共にする」覚悟を語った。そのような状況下で蒋介石は、12月7日南京を離れ廬山へと移る。日本の新聞各紙は蒋の「離京」を一斉に「都落ち」と論評して、翌8日付で大きく報じた。 12月11日、日本軍は南京城外中山陵を占領する。蒋介石は、南京撤退命令の文書を11日の午後に腹心の部下であった陳布雷(ちんふらい)と秘密裏に作成したとその日記にはある。この時蒋は南京の戦況を、雨花台(うかだい)、中山門(ちゆうざんもん)、富貴山(ふうきさん)砲台は日本軍の手に落ち、紫金山(しきんざん)はなお中国軍の手にあり、光華門、通済門(つうさいもん)は平穏であるとの報告をうけていた(「蒋介石日記」12月11日)。三年がかりの持久戦を覚悟3年がかりの持久戦を覚悟 中山門には軍官学校があり、10日日本の空爆を受け、壊滅的に破壊されている。このことが蒋介石に与えた影響は大きかった。蒋にとって、軍官学校は特別の存在であった。蒋はこの日、日本軍が疲弊し、国際干渉がおこなわれるまで「準備に3年かかり、それまで苦闘しなくてはならない」との決意を述べている。 すなわち、蒋介石は中国の最高軍事指導者として、南京完全破壊の前に撤退を決定したということができる。その理由には、①日本と南京衛戌軍との軍事力の差に対する認識②ソ連の軍事援助の拒否、そして③アメリカの中立法と不戦条約の枠組み維持という形での国際的援助が期待できない情況であったこと―が考えられる。さらに蒋は、南京で徹底抗戦をおこなえば、共産党勢力が拡大することになると怖れていた。 蒋は、日本との戦争を持久戦に持ち込めば必ずや国際世論を味方につけることができると信じていたため、最終的には勝利できると予測していた。また、ドイツの駐華大使であったトラウトマンの和平工作も秘密裏に動いていた。そのため、一時的に撤退し、南京を日本軍の手に落としても、共産主義がはびこるよりは取り戻しやすいと判断したと考えられる。 12日日本軍は中華門に進撃し、中山門から城内に攻め込む。このような状況の中で午後3時南京司令部に「命令」が下され、五時南京を護衛していた唐生智は各高級将領会議を招集し、蒋介石の撤退命令を伝える。将校たちに動揺はなく、速やかに撤退の準備に入った。 しかし、この命令は、一定の地位以上の兵士までしか伝わらなかった。逃げ遅れ、捕虜となった兵士が多かったのはそのためである。夜中の11時、南京衛戌軍は撤退を開始し、13日未明に撤退を完了する。同日日本軍は、正規軍が退散した南京を占領する。 蒋介石は南京撤退に関する宣言を無線伝達で送信したのであるが、抗日戦を継続させ、持久戦に持ち込むための撤退であることを強調している。蒋がこの時期最も望んだことは、各国の利権が絡む国際都市であった上海や南京の日本軍による占領に関して、反対する国際世論が起き、各国に自然発生的に日貨排斥運動や日本との協力関係を断絶する動きがおきてくることであった。 しかし、日本はこの時期、アメリカの方針があくまでも「支那事変」を戦争とは見なさず、「中立法」の適用をおこなわず、「不介入」政策を堅持するものと確信していたのである(東京朝日新聞12月8日付)。一人歩きする「数字」検証が重要一人歩きする「数字」検証が重要  12月15日、蒋介石は「南京退出宣言(「我軍退出南京告国民書」)」を公表する。ここで、蒋は「この度の抗戦開始から今まで、我が前線将士の死傷者はすでに三〇万人に達している」と述べている。この数字が、南京大虐殺30万人説へと一人歩きした可能性は高い。 また、アメリカのスタンフォード大学フーヴァー研究所で公開中の「蒋介石日記」を見ると、この時期蒋介石は、南京から大量に逃げてくる難民の「安置」方策を考えるようになり、特別予算の捻出等の南京陥落後の処置の仕事に追われるようになる。 この南京からの難民の数と「南京大虐殺」の被害者数の人口減少根拠説とは、慎重にすり合わせる必要がある。 蒋介石が南京の民に対する日本軍による残虐行為に言及するのは翌38年の1月22日になってからである(「蒋介石日記」)。それは、サンケイ新聞社『蒋介石秘録』の記述と符合する。『秘録』には「倭寇(わこう)(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫を繰り広げている。野獣にも似たこの暴力は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ」とある。ただ、ここには被害数などの記述は見ることはできない。台湾逃避後も専制的な政治で支配者として君臨した蒋介石。晩年も日記を付け続けた 台湾の国史館の檔案(とうあん)史料には、南京を護衛していた唐生智・羅(ら)卓英(たくえい)・劉興(りゆうこう)が1937年の12月27日になって蒋介石に提出した南京撤退に関する報告書が残されている。ここには南京のそれぞれの通用門を守っていた各部隊の「功罪と得失」が分析されている。 ここで総括された南京陥落の最大の要因は、「新しく補充した兵士」が多すぎ、上下関係、命令系統が認識されず、戦況が激烈になると敗走する兵士が多かったことにあり、前線は蒋介石の撤退命令が出るかなり前から収拾がつかない状況に陥っていたことが克明に描かれている。 このことは、日本軍が日々増えていく逃げ遅れた中国軍正規兵の「捕虜」、捕えた便衣兵などの多さに窮し、殺害へと向かった状況を裏付ける。この唐生智らの報告は、日本側の南京戦に参加した兵士たちの証言と一致する点が多いのである。いえちか・りょうこ 東京都生まれ。昭和52年慶應大学法学部卒業、平成4年同大学院法学研究科博士課程満期退学、13年「南京国民政府の研究―支配の不浸透要因の分析」で博士号取得。10年敬愛大学国際学部専任に就任、20年から現職。蒋介石の中華民国を中心とした中国近現代史が専門。蒋の末裔が保管を米スタンフォード大学に託し、順次公開された「蒋介石日記」研究の第一人者で、同日記初の本格研究書『蒋介石の外交戦略と日中戦争』(岩波書店、平成12)で第8回樫山純三賞受賞。著書はほかに『蒋介石と南京国民政府』(慶應大学出版会)、『日中関係の基礎構造』『増補版中国近現代政治史年表』(ともに晃洋書房)、共著に『改訂版 岐路に立つ日中関係』(同)、『東アジアの政治社会と国際関係』(放送大学教科書)、論文に「一九三七年十二月の蒋介石―『蒋介石日記』から読み解く南京情勢」など多数。

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    日本はこうして世界の「嫌われ者」になった

    なぜ、事実にない「南京大虐殺」が世界記憶遺産に登録されたのか。理由は反日活動に腐心する中国や韓国のでっち上げだけではない。日本の左翼メディアも彼らのウソに乗っかって積極的に世界に発信してきたのである。日本はいかにして世界の「嫌われ者」にされたのか。その歴史をひも解く。

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    米国に飛び火した「反日」拠点 ウソで塗り固めた戦争記念館の実態

    河添恵子(ノンフィクション作家)杉田水脈(前衆議院議員)「歴史戦」の新たな海外拠点 河添 昨年10月、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界記憶遺産に、中国が申請していた南京事件の関連資料11点が登録されました。“負の遺産”ならぬ“ウソの遺産”の登録となりました。 杉田 まったく! 日本の一般の方々がそういったことをスルーしてしまうからこそ、中国にやられ放題なのですよね! 自分たちの祖先が残虐非道なことをしたって、嘘を言われていても平気という神経がおかしいと思いませんか? 河添 ホント、そう思います。上海閥のドン、江沢民氏が国家主席だった1990年代より、中国は「愛国主義教育模範基地」と称した「反日拠点」を国内に設け、アメリカなどの華僑・華人団体とも密接につながり、韓国系とも連携してきました。アメリカを主舞台に「南京大虐殺」「従軍慰安婦」など、捏造の史実の拡散と戦争責任の追及に血道をあげる活動を展開しています。現在、その中心的な海外拠点といえるのが、米カリフォルニア州サンフランシスコ市です。私は、同市を基点にカリフォルニア州の広範囲を取材し、書籍や雑誌などで記事を発表しながら、定点観測を続けてきました。そして恐れていたというか、やっぱりそうなったかという事態が昨年8月に報じられました。 杉田 サンフランシスコ市のチャイナタウンにできた「抗日戦争記念館」の件ですね。 河添 はい。中国国外で初となる抗日戦争記念館が、終戦70年の8月15日にオープンしました。財団の創設者で名誉館長は、在米女性実業家で社会活動家の方李邦琴(フローレンス・ファン)氏です。創設に関係した人物として、戦後に台湾へ逃げた中華民国陸軍上将の郝柏村氏の名前もあります。彼の息子、郝龍斌氏は台北市長や中国国民党副主席を務めるなど台湾政界のエリートです。海外初の抗日戦争記念館前には見学希望者が並んだ=米サンフランシスコ 名前こそ記されていませんが、超大物の陳香梅(アンナ・チェン・シェンノート)女史も創設に関わったようです。蔣介石の国民党軍を支援し、日本軍を攻撃するためにアメリカから送り込まれた義勇兵組織、フライング・タイガー(飛虎隊)を指揮したクレア・L・シェンノート将軍の妻だった女性です。すでに90歳を過ぎていますが、ご健在です。中国語と英語で併記された当館のパンフレットの挨拶文には、「第2次世界大戦のあいだ、ナチス・ドイツに約600万人のユダヤ人が虐殺され、全世界に167カ所のユダヤ記念館や記念碑がある。一方、日本軍国主義により3500万人以上の中国人が抹殺されたが、海外に記念館は一つもない。これではこの悲惨な歴史を世界が理解できない」などと記されています。 杉田 中国人だけで3500万人! ありえない数字です。 河添 「中国人同士で殺し合った死傷者数ですか?」ってね。「展示コーナー1」の盧溝橋事件(1937年7月7日)から始まる展示パネルに何らリアリティはないのですが、記念館は将来的に地下階までフロアを広げる予定で、パンフレットには「戦争の遺産は世界各所にまだある。同館は現物の日本語の資料の収集も広く行なっている。是非とも提供をお願いしたい」との呼びかけまで記されています。開館にあたっては、チャイナタウンの街頭で開幕セレモニーを催していますが、戦後70年を区切りに、新たな「歴史戦」への宣戦布告をしたのだな、と私は受け取りました。 杉田 同感です。日本の国会議員として初めて、カリフォルニア州ロサンゼルス郡グレンデール市に建立された慰安婦像の視察に行った際、ユダヤのホロコースト記念館や博物館に慰安婦の展示コーナーを設けるという話が進んでいると聞きました。「日本軍の侵略、さらには慰安婦の強制連行、性奴隷はユダヤのホロコーストに匹敵する、酷い戦争犯罪だ」と印象づけるためです。さらに、2013年7月9日の市議会の特別委員会で慰安婦像の設置が承認され、7月30日がグレンデール市の「韓国慰安婦記念日」に定められました。これ以外にも、アメリカの複数の都市に慰安婦碑や像が立ち、国際世論はウソを信じてしまっているのです。 河添 中国系や韓国系議員と住民がアメリカで増えているとはいえ、本当に迷惑! 杉田 韓国は現在も、主な輸出品が「売春婦」なんです。売春禁止法(性売買特別法)が国内で成立したことで、活動の場を海外へ移した。2010年10月に行なわれた女性家族部(「省」に相当)への国会国政監査で、当時の金玉伊議員は「海外で売春をする韓国人女性の数は日本に約5万人、欧米にも相当数存在するとみられ、全世界では10万人余りに達する」と発言しました。昨年9月には、韓国内で大規模な「売春させろデモ」が行なわれました。売春を合法化しろ、売春婦を労働者として認めろ、社会保険も付けて、年金も出せ、と約800人が雄たけびを上げたのです。碑文の内容が滅茶苦茶碑文の内容が滅茶苦茶  河添 衆議院議員時代から、慰安婦問題のほか日本の“膿”にズバッとメスを入れ、それ以降も国連へガンガン乗り込み、真実の歴史を流布すべく活動を続ける“男前”の杉田さんを私は心底、尊敬申し上げています。 杉田 いえいえ、そんな! ただ、この1年で国連へは4回、ジュネーブ国連欧州本部へ三回とニューヨーク国連本部へ1回、行かせていただきました。ニューヨークは国連内部ではありませんが、女性の地位委員会開催に合わせて行なわれた関連イベントで講演しました。グレンデール市の慰安婦像の話に戻りますが、そこにしつらえられた碑文の内容が滅茶苦茶なんです。「1932年から1945年にかけて、20万人以上のアジア人とオランダ人の女性たちが、韓国、中国、台湾、日本、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモール、インドネシアの彼女たちの家から拉致され、大日本帝国軍によって強制的に性奴隷にされました」と記されているのですから。米ニューヨークの国連本部 河添 まるで日本軍兵士が戦時中、アジアの女性を犯しまくったみたいな感じ。恐ろしい内容! 杉田 驚くべきことに、国連へそれと同じ内容を告げ口したのは、左派の日本人なのです。「日本は戦時中に朝鮮半島の女性を強制連行して、性奴隷にしました」ということが女子差別撤廃委員会の審議対象にされたのは、1994年1月に行なわれた第13回委員会の審議まで遡ります。これは河野談話が発表された翌年に当たります。韓国が国連に訴えたわけではなく……。 河添 日本人が国連に持ち込んだってことですね。 杉田 そうなのです。河添さんもご存じのとおり、在米邦人の方々は「こういった動きの背後に、世界抗日戦争史実維護連合会がついている。中国からお金が出ている」といっています。ところで、サンフランシスコ市のチャイナタウンにできた抗日戦争記念館は、もともと「世界抗日戦争史実維護連合会」のサンフランシスコ支部が置かれていた建物ですよね。 河添 そうです。「世界抗日戦争史実維護連合会」の本部はカリフォルニア州クパチーノ市にありますが、サンフランシスコ支部が置かれていた建物をリフォームして、抗日戦争記念館としてリニューアルしました。1994年前後に発足した世界抗日連合会の英語名は、Global Alliance for Preserving the History of WWII in Asiaですから、中国名とはまったく違いますよね! 杉田 中国名と英語名の違いについて、私も以前、訪米した際に在留邦人からお話を伺いました。中国名には「抗日」とあるのに英語名にはその表現が含まれていないので、日本バッシングが目的だとわかっていないアメリカ人がほとんどだと。 河添 ホント巧妙というか、むしろ日本人にはわかりやすいウソ(苦笑)。アメリカ、カナダ、香港を中心とする世界中の30歳前後の中国系、韓国系、日系団体を結集させて、世界抗日連合会を結成させたといった内容を読んだことがありますが、結成の目的は「日本政府に正式に謝罪させること」「人民はじめアジアの被害者すべてに補償を実施させる」「日本の歴史教科書の誤りを正す」「日本が再び不当な侵略行為を開始することを阻止するため、アメリカ、中国、日本および他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう、国際世論を喚起する」などです。 そして1997年、手始めに中国系アメリカ人のアイリス・チャンに『ザ・レイプ・オブ・南京』を書かせて、大々的に宣伝しました。2005年には日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名を全世界規模で数千万人集めたり、2012年9月には、日本政府による尖閣諸島の国有化に抗議する反日デモをサンフランシスコで指揮するなど、これまで数々の「実績」があります。中国の政治工作はオンナの使い方巧み 杉田 アイリス・チャンも世界抗日連合会のメンバーだったようですが、若くして亡くなりましたよね。 河添 公には自殺ですが、「他殺では?」との声もずっとくすぶっています。ここで注目しておきたいのは、アイリス・チャンが中国系アメリカ人だったことのみならず、大学院卒の若き才媛だった点です。中国の政治工作は、オンナの使い方がじつに巧みなのです。アピール度の高い美女がリクルーティングされ、適材適所で操られています。チャン女史は、自らの意思というより誰かに指図されてチャイナドレスを着たのではないかと思います。勝負服というか演技服ってことでしょうかね。 もしベテランのおじいちゃん学者や歴史作家が『ザ・レイプ・オブ・南京』を発表していたら、いくらヤラセ本だったとはいえ、『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーリストに10週間も掲載されることはなかったはずです。アメリカ社会から「中国人女性は、日本軍に酷い目に遭ったのね」的な同情をマックスで盛り上げるためには、「女子力」こそが鍵ということなんです。 杉田 私も慰安婦問題に取り組むなか、「この問題は女性がやったほうがいい」とよく言われます。性の問題はどうしても「男が強者で女が弱者」というイメージがあります。広める側がそれを巧みに使っていることは徐々に気付いていましたが、「女子力」という視点は斬新です。私がこの1年、奮闘している国連の女子差別撤廃委員会などは、左派女子の世界ですから。ソウルの日本大使館前の慰安婦像 河添 日本人男性は、とくに中国の政治や戦史を考察する際、妻やら愛人やらオンナが何をしていたのか、これがよくわかっていないというか、その視点が抜け落ちているように感じます。現代のハニー・トラップもそうです。中国社会はいつの時代もオンナがじつにうまく立ち回っていて、表に裏に暗躍している社会なのですけれどね。サンフランシスコの反日工作のドンであるファン女史は(この方は80歳を超えたようですが)、メガネの知的美女で、ここ一番のときに、体の線にピッタリのチャイナドレスを身にまとい、中華民族を前面にアピールしています。 杉田 サンフランシスコのファン女史にまつわる周辺のディープな内容は、新刊の『「歴史戦」はオンナの闘い』(PHP研究所)を読んでいただくとして(笑)。 河添 そうですね。簡単に要約しますと、アジアン・ウィーク社を経営しているファン夫妻は、そもそも中国国民党系でした。しかし、90年代に2代目社長の息子が中国共産党の上海閥の高官の娘と結婚。現地メディアは「国共聨姻」と記し、「ファン家は国民党を食い、共産党も食う」などと報じました。その“予言”どおり、アジアン・ウィーク社は地元の英字メディアを次々と買収、合併していったのです。つまり江沢民派(上海閥)との“密接すぎる関係”で大躍進していったのが、サンフランシスコの抗日戦争記念館の創始者兼館長であるファン家族なのです。 ファン女史は、2000年1月に北カリフォルニア州中国和平統一促進会をサンフランシスコで創設。その名誉会長という立場で同年8月、欧州で開催された全世界華僑華人中国平和統一促進大会に出席して、「中国と台湾、両岸の平和統一のために支えます。統一してこそ中華民族が飛躍し、21世紀を華人世紀にするという理想を実現させることができます」と発言したと、中国語メディアに記されています。戦後の勝者はコミンテルン? 杉田 国民党系から共産党系に乗り換えたのか、双方を合体させていったのか? 両岸でずっと対立していたと思われてきた2つの政党が、アメリカを舞台に90年代より共存共栄を企てていたのですね。まさに「オール・チャイナ」といえます。 河添 つまり、サンフランシスコの抗日戦争記念館は“新・国共合作”による「歴史戦の旗艦施設」という立ち位置なのかなと思います。中国人は主義・主張というより権力、すなわち利益と結託しますし、われわれが入り込めないネットワークを基軸に動いています。そもそも「誰が米中を舞台に抗日プロパガンダをやってきたのか?」といえば、そのパイオニアは宋美齢だったと私は考えています。 無能力で腐敗しきった蔣介石政権を美化し、キリスト教徒である西洋社会との共通性を強調しながら、英語力でルーズベルト大統領を説得してアメリカから多大な資金と物資を供給させる。そして、フライング・タイガーを呼び込んで日本軍と交戦させ、石油など必要物資の日本への禁輸にまで踏み切らせたのです。さらに、米ルーズベルト大統領にオネダリし、1943年11月27日、英国ウィンストン・チャーチル首相との米英中三国会談――対日方針などを決めたとされるカイロ会談に蔣介石を押し込みました。 杉田 実質的には、宋美齢とルーズベルト、チャーチル会談だったのでしょうね。宋美齢にまつわる四方山話というか初暴露は、このたびの新刊でもたっぷり披露しています。 戦後の勝者はコミンテルン?  杉田 噂にあったとおり、韓国に事務局を置く日中韓などの8カ国・地域の民間団体からなる「国際連帯委員会」が、慰安婦関連資料をユネスコへの記憶遺産に登録申請しました。中国外務省の報道官は「被害国の民間組織による共同申請を支持する」と公式に表明しています。今回の申請では、歴史問題で日本と徹底的に対抗したい中国政府が裏で大きな影響力を発揮した可能性が高いですよね。 河添 そう考えます。両国が結託する意図は、「残虐非道な日本人」を拡散し、反日組織をより拡大させ、世界へ発信していくこと。さらに賠償請求と請求金額のつり上げにあるのでしょう。そして、その先が日本の財閥系企業を破綻させるか、乗っ取ろうって流れではないでしょうか。 杉田 なにせ、今回の申請では強制連行された慰安婦の数が20万人から40万人以上に膨らんでいます。賠償請求に関して言及すれば、被害者はすでにほぼあの世ですが、遺族の数が多ければそれだけガッツリ賠償請求ができるってことですよね。なりすましは、さらに増えそうです。 河添 中華人民共和国の習政権が仕掛ける「歴史戦」の本丸は、「参加していない」サンフランシスコ講和条約の否定であり、「カイロ宣言」「ポツダム宣言」を規範とする戦後体制への転換なのです。他方、サンフランシスコ講和会議に呼ばれなかった中華民国、つまり国民党政権は、日本と1952年4月に日華平和条約を締結し、その際、賠償請求権が放棄されています。中華人民共和国も1972年に日中国交を樹立した際、賠償請求を放棄しているのですが、日華平和条約はこの時点で破棄され、無効となったと主張する中華人民共和国とそれを認めていない中華民国とのあいだで歴史のすり合わせをしなければ、どうにもなりませんけれど……。平和ボケが進行して、すでに不感症 杉田 中国共産党と中国国民党という双子の政党が国際社会で並走しながら、そうした矛盾をご都合主義的にどう修正していくのか。今後も、ずっと注視しなくてはなりません。 河添 ただ、日中戦争を戦ったのもカイロ宣言に関わったのも、中華民国であり中国国民党です。だからこそ、政党として弱体化しようが、中国共産党からすれば存在価値はまだまだあるのでしょう。ポツダム宣言には「日本国軍隊の完全な武装解除」「日本国領土の占領」などが謳われていますが、これは“日本の属国化”や“日米安保の破棄”などを虎視眈々と狙う中国政府の野望、さらにはコミンテルンの悪巧みとも合致します。ドイツ・ポツダムでの首脳会議の合間に、スターリン・ソ連首相(左)の宿舎を訪問したトルーマン米大統領=1945年7月 杉田 国連を使って、とうとう皇室典範にまで踏み込んできました。 河添 そうですね。中国政府そしてコミンテルンは、これまで皇室の解体と神社潰しを目論んできました。日本の強さの根源が、天皇陛下と皇室にあると分析しているのです。さらに、日本人の大多数が望んでいないはずの“ジェンダーフリーな社会”に向けた工作にも注力しています。日本は敗戦後、38度線で分断された北朝鮮と韓国のようにはならなかったけれど、思想の分断工作についてはかなりやられてしまった。日本国民は、サイレントマジョリティとその声を代弁する一部の保守がいて(まぁ右翼などと揶揄されますが)、それに対してマジョリティのフリをした左翼が真ん中に居座っています。 杉田 事なかれ主義と能天気さゆえに放置しつづけてきた挙げ句が、醜く肥大化してしまったような……。「平和ボケ」が進行して、すでに不感症? 河添 まったくねぇ。このたびの新刊の『「歴史戦」はオンナの闘い』は、杉田さんの大きな力が加わっていますので、国内のみならず世界でも話題になるよう頑張りたいです。 杉田 私も頑張ります! われわれ女子が、皆さんの危機感を刺激しつづけることを期待して!すぎた・みお 前衆議院議員。1967 年、兵庫県神戸市生まれ。前衆議院議員(1 期)。日本のこころを大切にする党(旧:次世代の党)所属。鳥取大学農学部を卒業後、住宅メーカー勤務を経て、兵庫県西宮市役所に勤める。2010 年に退職し、2012 年、日本維新の会から出馬し、衆議院議員初当選。従軍慰安婦問題など数々のタブーに切り込み一躍注目を浴びる。他にも子育てや歴史外交問題に積極的に取り組む。充電中の現在も、国際NGOの一員として国連の「女子差別撤廃委員会」「人権基本理事会」などで日本の真実を国際的に発信するなど、東奔西走の日々を送る。国家基本問題研究所客員研究員、チャンネル桜、チャンネルくらら、チャンネルAJERのキャスターを務める。先の著書に『なでしこ復活――女性政治家ができること』(青林堂)、『みんなで学ぼう日本の軍閥』(共著、青林堂)、『胸を張って子ども世代に引き継ぎたい:日本人が誇るべき〈日本の近現代史〉』(共著、ヒカルランド)。現在、『産経新聞Web』に「杉田水脈のなでしこレポート」を連載中。 かわそえ・けいこ ノンフィクション作家。1963 年、千葉県松戸市生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、1986 年より北京外国語学院、1987 年より遼寧師範大学(大連)へ留学。1994年に作家活動をスタート。2010年に上梓した『中国人の世界乗っ取り計画』(産経新聞出版)は、ネット書店Amazon〈中国〉〈社会学概論〉の2部門で半年以上、1位を記録するベストセラー。主な著書は『世界はこれほど日本が好き №1親日国・ポーランドが教えてくれた「美しい日本人」』(祥伝社)、『だから中国は日本の農地を買いにやって来る TPPのためのレポート』『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』(共に産経新聞出版)、『国防女子が行く』(共著、ビジネス社)など。世界の学校・教育関連の取材・著作物として図鑑(47冊)他、『エリートの条件――世界の学校・教育最新事情』(全て学研)などがある。『産経新聞』や『正論』『WiLL』『週刊文春』『新潮45』『テーミス』などで執筆。NHK、フジテレビ、テレビ朝日ほか、TVコメンテーターとしての出演も多数。ネットTV(チャンネルAJER、チャンネルくらら)にレギュラー出演中。40 カ国以上を取材。関連記事■ 中国が仕掛けるオンナの「歴史戦」に断固対抗せよ■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ 日本のメディアはまだGHQの占領下にある

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    石川の中学教諭 旧日本軍の加害性を強調する授業を実施

     18歳選挙権がスタートする一方で、特定思想を植え付ける洗脳まがいの「政治教育」に突っ走るケースが続出している。日本の教育現場を蝕む偏向教育の数々をフリーライターの森下毅氏がレポートする。* * * 主権者教育は18歳のためだけではない。小中学校の段階から中長期的に、政治的中立に留意しつつじっくりと身につけさせるべきものだ。そのため文部科学省も啓発計画を策定したが、それを逆手にとってじっくりと自虐的な考え方を刷り込む教員も少なくない。2月5日、岩手県滝沢市で開かれた日教組の第65回教育研究全国集会 先述の教研集会で報告された石川県小松市の女性中学教諭の授業はなかなか強烈だ。中学3年間を通じて沖縄戦や原爆投下などを平和学習として学ぶが、問題視すべきは2年時の授業内容。日本軍の残虐性をことさら強調し、中国共産党のプロパガンダ説も囁かれる反戦マンガ「はだしのゲン」(*)の視聴は序の口だ。【*同作の単行本全10巻のうち、特に第6巻以降で原爆投下を容認する主人公の台詞や日本軍の残虐行為を強調する描写が多く、近年、一部の図書館などで閲覧制限を実施するなど騒動となった】 計12時間にわたるワークシート学習では太平洋戦争の原因と原爆投下理由、東京大空襲と沖縄戦による戦争被害などを学んでいくが、注目すべきは南京大虐殺、皇民化政策、強制連行など旧日本軍の加害性をことさら強調する授業を丸々1時間も実施していることだ。 南京大虐殺をめぐっては死者数で依然論争が続いており、中学の歴史教科書でもさらっと触れている程度だが、この授業では重点的に学習する。 さらに驚くべきは、日本の加害性をさらに誇張するため、シンガポールの小学4年生の教科書を使って、日本軍による植民地支配の苛烈さを教えていることだ。教科書ではイギリスから日本に支配権者が代わって生活が厳しくなったことや、多数の中国人がスパイ容疑で処刑された「華僑虐殺」も盛り込まれている。自虐史観の刷り込み以外の何物でもない。【PROFILE】森下毅●1970年東京都生まれ。学校現場や行政機関に幅広い取材源を持ち、経済から教育まで幅広く取材、執筆している。関連記事■ 池上彰氏が実際に中学で行った世界を知る為の授業を収めた本■ アメリカの原爆投下に戦争責任はないのかを真正面から問う本■ 「性教育増進で興味がわき、性環境が悪化」と保護者クレーム■ 中学必修化のダンス「キレやすさ」改善に効果アリと脳科学者■ 学習塾塾長らが選ぶ“英語・理数教育に力を入れている学校”

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    中国「日本軍が女性200人要求」と嘘をバチカンに告発

     日本に関するデマを世界中にまき散らかしてきた中国は、今度はバチカンを舞台に日本を貶める新たな嘘をバラ撒こうとしている。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が、その中国の新たな戦略を解説する。* * *「南京大虐殺」をはじめとする嘘によって日本を貶めてきた中国が、今、ローマ・カトリック教会の総本山・バチカンを巻き込んだ新たな謀略を進めています。再び、歴史を歪めようとしているのです。ローマ法王フランシスコ 日本軍が南京に入城する2か月前の1937年10月9日、中国河北省の正定という場所にあるカトリックのミッション(伝道団)の支部に強盗が押し入り、宣教師9人が誘拐、後に殺害される事件がありました。正定事件と呼ばれます。 最近になって中国は、この事件について、「日本軍が女性200人を要求」し、宣教師たちはそれを断ったために誘拐、殺害されたと主張し始めたのです。中国はオランダと共同でバチカンにそう主張し、200人の女性を救うために自ら犠牲になったとして、9人の宣教師の「列福」を申請したのです。「列福」とは、「聖人」に次いで聖性の高い「福者」に列せられることで、列福が実現すれば、ローマ法王は9人の宣教師を聖なる人物として全世界のカトリック教徒に宣伝します。それは「日本の悪辣非道ぶり」と対になるもので、日本は世界11億人のカトリック教徒の非難に晒されることになるのです。 しかも、「列福」の後に日本が「そんな事実はない」と主張すれば、「福者を貶めた」としてカトリック教徒を敵に回すことになります。 もちろん中国の主張は大嘘です。中国がバチカンに対してそうした動きを始めたという情報を日本に最初にもたらしたのは、ジュネーブの国際機関で働く白石千尋さんです。白石さんは、当時のミッションを庇護していて事件を調査していたフランス政府の資料を調べました。 その資料は6人の証言で作成されており、うち2人がオランダの神父、2人が中国人でしたが、いずれも女性の要求については一切触れられていませんでした。 女性の要求について証言したのは1人の神父のみでした。それさえも伝聞に過ぎません。伝聞では「日本兵がやってきて女性を要求」し、宣教師が拒否すると「戻ってきて宣教師たちを誘拐し、後に殺害した」となっていますが、「200人」という数字は出てきません。つまり、200人の女性を要求したというのは捏造と考えてよいのです。 それどころか資料の中には日本軍が使っていない「ダムダム弾10発」と「中国刀一振り」が残されていたとの証言のほか、強盗が「完璧な中国語を喋っていた」との証言も複数ありました。 中国が、捏造情報によって日本を世界の悪者に仕立て上げようとしていることは、日本人が常に頭に刻み込んでおかなければならないことだと考えます。【PROFILE】新潟県長岡市出身。ハワイ州立大学卒業。元日本テレビ「きょうの出来事」キャスター。1995年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で大宅賞受賞。関連記事■ 世界の体位 1位は「騎乗位」2位「バック」3位「正常位」■ 日本人の知識欲、勉さ、美徳等を台湾出身論客が紹介する本■ 中国のネットで流行る歌 「日本殺すにゃ武器要らず」■ 50年前の女性 「バックでヤられるのはイヌ扱いです!」と怒る■ 中国人観光客に「ストリップ劇場」が人気 夫婦で鑑賞が定番

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    中韓の間違いを正す気なし! 日本の国益を守れぬ外務省の「敗北主義」

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 宮家邦彦氏は優れた元外交官かつ外交評論家であり、その論考は学ぶべき点が多い。2015年9月に発行された「日本の敵」(文春新書)もその例にもれない。だが、終章「日本の敵」に至って、前回のブログ「慰安婦問題が好転し始めた--外務省の無策の中で」の関連で、強い違和感、反発を感じた。「やはり日本の外交官の限界か」という失望も。<(ロシア、中東、中国、朝鮮半島などに新民族主義が広がる今)日本が生き残るための、日本の最大の敵は「自分自身」である。……日本民族のサバイバルのためには、日本自身が普遍的価値を掲げ、自らの民族主義的衝動を適切に制御する必要がある> ここまでに異論はない。だが、この後に強い違和感を覚えるくだりが出てきて当惑させられる。<日本が国際社会において守りたい伝統や価値があれば、自由、民主……法の支配といった普遍的価値のロジックで説明していくことだ。日本が世界各国と競争しているのは国際政治であり、過去の歴史の事実関係の判断ではない><イルカ、捕鯨、慰安婦……ナショナリズムは時に普遍的価値と対立するが、これを日本人にしか理解できないロジックで何度説明を試みても、結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である><(過去の歴史の議論は)国際政治ではなく……教室の中でとことんやれば良いではないか。日本の政治指導者が今真剣に考えるべきことは、普遍的価値に基づき、過去の事実を受け止めた上で、これを対外的に説明する能力を高めることだ> イルカ、捕鯨の問題は置いておき、慰安婦問題に焦点を絞ろう。慰安婦問題は「日本人にしか理解できないロジック」でしか説明できない、と宮家氏は本気で思っているのか。 また、中国や韓国が現在、日本の歴史を糾弾する情報戦を国際外交戦略として大々的に展開している現実をどう思っているのか。彼らは世界各国が自分たちに呼応して日本を糾弾するように、史実を歪曲、誇張、捏造し、巧妙な論理で日本を貶めようとしている。「ウソも100回言えば、本当になる」とばかりに。それによって日本に対し道徳的優位に立ち、日本の国際的地位を引き下げようとしているのである。抗議は国益を守る外交活動だ 例えば、この秋、中国は1937年の南京事件について「南京大虐殺」という誇大、誇張した記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出、ユネスコはこれを世界記憶遺産として登録してしまった。 日本がこれに抗議することは日本の国益を守るための国際政治である。偏頗なナショナリズムではない。国益を維持するためのまっとうな外交活動である。日本の若い世代、将来世代がいわれなき屈辱にひたされることなく、胸を張って生きていけるようにするための健全な政治である。 史実を歪曲され、濡れ衣を着せられた状態になっても沈黙していて、どんな国益があるというのか。史実を駆使して中国や韓国の主張の間違いを正すことは、歴史学の本道であり、学問の普遍的価値に基づいたものだ。決して「日本人にしか理解できないロジック」ではない。 宮家氏は、歴史について何度日本の主張をしても「結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である」という。だが、これこそが日本の外務省に見られる典型的な敗北主義、役人の怠慢なのである。 戦後、日本の民間企業の多くは国際市場に自社の製品を売り込みに行って、何度も苦杯をなめた。知名度も信用もなく、いくら説明しても相手にしてくれなかった。だが、それでもひるむことなく「ウチの製品は世界のライバルに負けない」という自負をバネに、さらに説明に行き、次第に顧客を獲得して行った。 売れなければ倒産が待っている。その危機感が企業家をビジネスに駆り立てた。外交官らはそれだけの危機感をもって、史実の間違いを正す努力をしているだろうか。 前回のブログで紹介したように、日本を思う民間の篤志家たちが慰安婦問題に果敢に挑み、まだわずかではあるが、日本側の主張が少しづつ、米国や国連に浸透しつつある。その努力を外交官たちはどう見ているのか。 宮家氏は「普遍的価値に基づいて説明する」ことが大事だなどと書いているが、彼の言うのは実は普遍的価値などではなく、「米国など国際的な軍事・外交力のある国々の意見、主張に従え。これが国際政治の現実だ」と言っているにすぎない。要するに「長いものに巻かれろ」ということだ。 むろん、国際政治では「長いものに巻かれる」ことも重要だ。が、同時に少しでも、国際政治の風向きを自国の国益に沿った方向に導く努力も怠ってはならない。もちろん史実という普遍的価値に沿った努力だ。 米国はじめ国際社会に対して慰安婦問題や南京事件の史実を粘り強く知らせていく。長期戦を覚悟のうえで、世界の理解を得ることが正しい外交戦略というべきだろう。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2015年12月24日分を転載)

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    「在日米軍撤退なら中国は沖縄を獲りに来る」と専門家

     米共和党大統領候補・ドナルド・トランプ氏が2016年11月の大統領選で勝利し、大統領に就任し「在日米軍完全撤退」の道を選べば、中国は尖閣どころか沖縄を獲りに来ると軍事アナリスト・毒島刀也氏は指摘する。具体的にはどのような道筋をたどるのか? 毒島氏がシミュレートする。2015年9月の軍事パレードに登場した中国軍の無人機。日本政府が尖閣を国有化した2012年9月の前後に中国がたびたび無人機を使い、同諸島の地理データを収集したり測量したりしていたことが分かった=北京(共同)【2017年2月】〈トランプ大統領が執務開始。同年3月、海外駐留する米軍の引き揚げ交渉を開始。在日米軍は2019年12月までの完全撤退で合意。これを受け、中国政府は、沖縄→南シナ海→台湾を侵攻する「東方侵攻作戦」を策定。作戦開始日は日本の沖縄防衛戦力が整わず、東京五輪閉幕直後で大量の中国人が本土、沖縄に滞留しても怪しまれない2020年8月15日に決定した〉【2020年8月15日正午】〈沖縄各地に潜伏中のスリーパー(中国人工作員)が同時多発テロを仕掛け、県内は一時騒乱状態に。時を同じくして、中国共産党の息がかかった沖縄の極左団体“琉球救国委員会”が勝手に行った会見動画をネット配信し、中国に「沖縄の治安維持と独立支援」を要請。日本政府は騒乱に乗じた悪質ないたずらと見て黙殺したが、極左団体の“会見”は中国政府が周到に準備した作戦の一環だった〉【8月15日、日没後】〈観光客や留学生に偽装し沖縄に滞留していた中国軍特殊工作部隊が、複数の電気・通信施設を破壊。作戦には、企業研修や社員旅行を装い潜伏中の中国軍空挺部隊3個大隊(2100名前後)も加わり、自衛隊の各施設と警察署を奇襲。襲撃には、事前に海上密輸で沖縄県内に集積していた小火器、弾薬が用いられた〉〈日本国内閣総理大臣は直ちに自衛隊に治安出動を命じたが、空自の那覇基地をはじめとする沖縄の各自衛隊基地は中国軍空挺部隊の奇襲を受け使用不能。その隙を突いて、中国本土から複数の戦闘機、AWACSが沖縄上空に飛来する。九州の新田原、築城基地に配備中の空自機は航続距離の関係でスクランブル発進を断念。イージス艦も単体での対空戦を行えず、中国側が制空権を先取。 続いて中国艦隊(フリゲート、潜水艦、揚陸艦、上陸部隊、輸送部隊)の沖縄接近が確認されるが、海保と海自は大量の中国偽装船団に阻まれ、対応に苦慮〉【8月16日】〈占領された港湾に中国陸軍本体が続々と上陸。中国軍に制圧された沖縄県庁は「臨時琉球政府」を名乗り、戒厳令を発令する。一方、中国政府は「上陸した部隊は“琉球救国委員会”の要請に応じた沖縄解放義勇軍であり、中国政府とは無関係」と声明。 日本政府は引き続き沖縄奪還を図るが沖縄諸島の各部隊も身動きが取れず、急行した海自護衛艦2隻も中国艦隊により撃沈。この時点で日本側の犠牲者は官民合わせ500名を超えた〉【8月17日】〈中国の支配下に置かれた沖縄県知事、県議会主流派を首班とする「琉球臨時政府」が成立し日本からの独立を宣言。騒乱を収めるため中国政府に救援を正式要請。これを受諾した中国は、「琉球臨時政府への攻撃は中国への攻撃とみなし、容赦なく反撃する」と宣言。事実上の沖縄支配を開始した〉 このシナリオが現実となれば、初動を抑えられ反撃ルートも絶たれた日本は、事態を傍観するほかない。仮にその後、米国の支援を得て反撃に転じても、沖縄奪還までの代償は計り知れないものになる。 中国共産党支配下の沖縄ではさまざまな弾圧、粛清が行われ、多数の沖縄県民が犠牲になることは想像に難くない。トランプ氏がぶちまけた「米軍撤退論」は、日本の自主防衛の在り方を問い直す同盟国からの苦言と捉えるべきではないか。【PROFILE】毒島刀也●1971年、千葉県生まれ。航空専門誌の編集者を経てフリーランスの軍事アナリスト、技術ライターとして活動。主著に『戦車パーフェクトBOOK』(共著、コスミック出版刊)、『陸上自衛隊「装備」のすべて』(ソフトバンククリエイティブ刊)、『図解 戦闘機の戦い方』(遊タイム出版刊)がある。関連記事■ 中国の学者 「沖縄の主権は中国に属する」と叫び始めている■ 中国 来年の抗日戦勝70周年式典にオバマ大統領の参加を画策■ 韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた■ 中国 尖閣に異議唱えたのは石油埋蔵指摘された1970年代から■ 佐野眞一氏が数々の資料や証言で沖縄戦の悲劇に迫った最新刊

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    孤立深める中国軍暴走の危機 「アメリカ頼み」では尖閣を守れない

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所は、中国が南シナ海に設定した独自の境界線「九段線」には国際法上の法的根拠がないと認定した。 同裁判所はこのほか、「南沙諸島には排他的経済水域(EEZ)を設けられる国連海洋法条約上の『島』はなく、中国はEEZを主張できない」「中国がスカボロー礁でフィリピン漁民を締め出したのは国際法違反」「ミスチーフ礁とセカンドトーマス礁はフィリピンのEEZ内にある」などと認定。中国の主張をほとんど退け、中国の国際的孤立を浮き彫りにした。 案の定、中国は逆上し(たふりをし)、「違法茶番劇」(中国メディア)、「紙くず(注―裁判所の判決)に外交努力が邪魔されるべきではない」(駐米大使)と批判して、領有権問題は当事者間の対話で解決されるべきだと、中国政府の従来の主張を繰り返した。中国は二国間対話を進めれば、孤立しないと思い込んでいるのだ。 「これは中国の錯誤である」――。米国の世界的な戦略家であるエドワード・ルトワック氏は近著「中国4.0――暴発する中華帝国」(文春新書)の中で、中国の動きを予測するかのように書いている。 (ベトナムのような)小国は圧倒的なパワーを持つ中国と二国間交渉をするはずはなく、他国の支援、同盟によって対抗しようとする。ベトナムより大きい日本でも同様だ。<中国が大きくなればなるほど、それに対抗しようとする同盟も大きくなるのだ。……中国が日本に対して圧力をかけようとすると、アメリカが助けに来るし、べトナム、フィリピン、それにインドネシアなども次々と日本の支持にまわり、この流れの帰結として、中国は最初の時点よりも弱い立場に追い込まれる。これが(中国の錯誤の)核心である> 安倍首相の活発な海外歴訪が示すように、実際の昨今の動きはそうなってきている。その分、国際法を無視する中国の孤立化が進んでいる。オランダの仲裁裁判所の判決はその決定打というべきものなのだが、中国はそれに気付いていない。あるいは気付いていても対応を変えられないのだ。中国人民解放軍の陸軍機関を視察する習近平国家主席(手前右)=7月27日(新華社=共同) ルトワック氏の「チャイナ4.0」とは、かつて国民党軍の高官が酔っ払って書いた「九段戦」という馬鹿げた地図を放棄し、アメリカの警戒感を解消するために空母の建設を放棄することにある。<(このチャイナ4.0は)今の中国にとって究極の最適な戦略だが、現在の中国にはおそらく実行不可能(だ)> 1つは今の中国は内向きで海外の正確な情報が習近平にまで届かず、極めて不安定だからだ。また、外国を理解できず、「自分たちこそ世界一、後の国は我々の家来だ」という昔ながら「冊封体制」のメンタリティが外国への理解を阻んでしまう。2000年代半ば以降の経済大国化(の幻想、過信)が「冊封」メンタリティをいやまし高め、それが大きな弊害となっている。<今1つは習近平がチャイナ4.0を思いついたとしても、彼は人民解放軍に殺されるかもしれないし、人民解放軍がわざと対外危機を起こすかも知れない> 世界の大国にのし上がりながら、北朝鮮とそれほど変わらない独裁国家の不安定性が増長されている。「今そこにある危機」である。日本の役所の大好きな「先延ばし戦略」は逆効果 では、日本はどうすればいいのか。日本人は今、昨今の尖閣領域への中国軍の侵入の増加などから「中国政府が軍をコントロールできていないために、現場が暴走するのではないか」という懸念を持っている。ルトワック氏は「この懸念は実に真っ当なもの」として対中「封じ込め政策」を提案している。 その提案は結論から言えば「尖閣領域のような小さな島の問題はアメリカに頼らず、自分でやれ」ということだ。米国は核抑止や大規模な本土侵略に対する抑止は日米条約によって提供する。だが、島嶼奪還のような小規模なことにまで責任は持てない。「日本が自分で担うべき責任の範囲なのである」。 ルトワック氏は戦略家として米国の軍事戦略にも深くかかわっている。だから、この姿勢は米政府もほぼ同様だ、と言っていい。 島嶼防衛は日本独自の責務--。そのためには多元的な対中封じ込め戦略が不可欠だ、と提案する。<(海上保安庁、海上自衛隊、陸上自衛隊、航空自衛隊、外務省などが)独自の対応策を考えておくべきなのである。「多元的能力」を予め備えておくことによって、尖閣に関する「封じ込め政策」は、初めて実行可能なものとなる>中国海軍艦が尖閣諸島周辺の接続水域に侵入した問題で記者会見する河野克俊統合幕僚長=6月9日、防衛省 その際、「慎重で忍耐強い対応」という日本の役所の大好きな「先延ばし戦略」は逆効果だ、とルトワック氏は警告する。<そもそも中国は、(過去)15年のうちに三度も政策を変更している。さらに作戦レベルや現場レベルで、ソ連でさえ決して許さなかったような軍事冒険主義が実質的に容認されている> 昨今の東シナ海、南シナ海での中国海軍の危なっかしい行動にそれが現れている。<これに対抗するには、有事に自動的に発動される迅速な対応策が予め用意されていなければならない。中国が突然、尖閣に上陸したとき、それに素早く対応できず、そこから対応策を検討したり、アメリカに相談をもちかけたりするようでは、大きな失敗につながるだろう> 自分でやらずに、すぐにアメリカに頼る日本の外務省の体質を熟知したような指摘である。そして外務省も尖閣侵入のような有事に備えて海外諸国と連携した対応策を用意しておかねばならない、と説く。 例えば、中国との貿易が多いEU(欧州連合)に依頼して、中国からの貨物処理のスピードを遅らせるよう手配する。<こうすれば中国はグローバルな規模で実質的に「貿易取引禁止状態」に直面することになり……かなり深刻な状況に追い込まれるはずだ> 大事なのは、こうした具体的な行動が実現できるように、平時から自力で準備しておくこと。対米依存度の高い外務省や防衛省は「今そこにある危機」に対応し、それをやっているだろうか。そこが問題である。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2016年7月14日分を転載)

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    尖閣接続水域進入は中露連携なのか? 中国政府関係者を直撃取材

    遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士) 8日から9日にかけての中露海軍艦艇による尖閣諸島接続水域進入に中露連携はあったのか?中国のメディアは「日本は中露が連携したとは、どうしても認めたがらない」と報道。そこで中国政府関係者を直撃取材した。中国メディアの報道 日本の防衛省によると、6月8日午後9時50分ごろ、ロシア海軍の駆逐艦など3隻が尖閣諸島の久場島と大正島の間を南から北に向かって航行しているのを海上自衛隊の護衛艦が確認し、9日午前0時50分ごろ、中国海軍のフリゲート艦1隻が沖縄 県の尖閣諸島の久場島の北東で、日本の領海のすぐ外側にある接続水域に入ったのを確認したとのこと。 これに関して、日本のおおかたのメディアは、ロシアの艦艇3隻は通常の「軍艦に関する無害航行」であり、これまでにもあったことから大きな問題ではないとする一方、中国の軍艦が尖閣諸島周辺の接続水域に入ったのは初めてで、これまでの中国国家海警局の巡視船による進入とは違うと警戒しているというものが多い。 日本政府の見解も、おおむねこの範囲内にあり、ロシアに対しては外交ルートを通した注意喚起に留めたのに対し、中国に関しては真夜中の2時に程永華・中国大使を呼びつけて激しい抗議をしたようだ。尖閣諸島の領有権は日本にあるので、自国の領土だと主張する中国に対して厳しく処するのは良いことだ。 ただ、これら一連の動きに対して、中国のメディアは異口同音に「日本は中露が連携したとは、どうしても認めたがらない」とか「認めてしまうと日本が中露連携によって孤立化させられていることを認めざるを得ないからだ」と書き立てている。実際はどうなのか? 中国政府関係者を直撃取材 少しでも実態に近づきたいと思い、中国政府関係者に連絡し、単独取材した。 「中国のメディアは、“日本が認めたがらない”という言葉を仲介して、まるで中露連携があったように書き立てているが、中国が実際にどのような行動に出たのかに関しては書いていない。実際はどうなのか」という旨の質問をぶつけてみた。 すると、以下のような回答が戻ってきた。●現象を見れば、説明するまでもないだろう。一目瞭然ではないか。中国がなぜ、手の内を明かさなければならないのか?●そもそも中国とロシアの間には「中露戦略合作(協力)パートナーシップ」がある。戦略的に何も話し合わないと考えるのは、むしろ奇妙なことだ。●もちろんロシアという国は、自国の利益しか考えない国だ。中国が南シナ海問題で日米を中心とした西側諸国から非難されようと、自分の利益に関係ないと思ったら、一切関わってこようとしない。アメリカと余計な摩擦を招くことを嫌うからだ。●しかし、G7の動きを考えてみてくれ。ついこの間まではG8だった。そのロシアを、ウクライナ問題を口実にG8から追い出したのはアメリカだ。日本はそのアメリカに追随しているではないか。今般の出来事が、G7が終わって間もない時期であったことに注目してほしい。中露、どちら側が誘ったのか?中露、どちら側が誘ったのか? 「では、ロシア側から話があったのですか?」 筆者は食い下がった。すると相手は、「いやなことを聞くな」という語調になりながらも、次のような説明をしてくれた。●中国が、ロシア海軍の動きを知らないということは、逆に不自然だろう。ロシア海軍は、世界の各地でさまざまな軍事演習を行っている。これまでもよくあることだが、今回は3月に東南アジアで反テロ対策の国際的な軍事演習に参加していて、自国に帰る途中だった。●覚えているだろうか?3月10日、全人代開催の真っ最中に、王毅(外相)が突然姿を消してロシアに行きラブロフ(外相)と会っただろう? なんであの厳粛な全人代を中断してまでロシアに行かなければならなかったと思っているんだい?北朝鮮の問題だけだと思ったかもしれないが、実は3月下旬にはロシアの大型対潜艦アドミラル・ヴィノグラードフなど3隻がウラジオストックを出航して南シナ海に向かうことになっていた。出航前のさまざまな打ち合わせがあったと見ていいだろう。日本はどこを見ているのかなぁ……。●実はロシアはかつて(2013年)、南シナ海で中国に不利な発言をしたことがある。それを食い止める意味もあっただろう。今ではアメリカがウクライナ問題を使って「国際社会での虐めっ子ごっこ」のようなことをするから、中露の意気が投合しても不思議ではないだろう。G7では、関係のないヨーロッパ諸国まで巻き込んで、南シナ海問題を批難したりしたんだから、中露の利害が一致するところに追い込んだのはアメリカさ。それに追随する日本も悪い。●特にロシアとしてはバルト海を中心にして6月5日から始まった米軍とNATO関係国による軍事演習には激怒している。アメリカが東ヨーロッパ諸国を煽って、ロシアを牽制するため、かつてない大規模な実弾軍事演習を展開している。そのアメリカに日本が追随するなら、ロシアは容赦しない。●現に中露両国は5月28日から“空天安全-2016”シミュレーション演習を行なっている(国防部網情報)。中露の利害が一致しないはずがないし、中露が緊密に連携を取ってないはずがないということだ。●でも、日本は北方領土問題があるから、ロシアの恨みを買うようなことをしたくはないのだろう。だから「中露連携」があったとは認めたくない。中国メディアの報道の意味は、そういうことだ。 以上が取材した結果、中国政府関係者から得た回答である。 たしかに3月10日、全人代開催中だというのに、記者会見を終えた王毅外相は、突然姿を消したことがある。その裏には、このような戦略が隠されていたとは……。握手を交わすロシアのラブロフ外相(右)と中国の王毅外相=3月11日、モスクワ(ロイター) しかし軍事演習関係なら、なぜ外相が行って国防部長(大臣)が行かなかったのだろうか。それを含めた(カモフラージュのための)戦略なのかを聞いてみた。「露骨に分かるようなことはしない」という答えがが戻ってきた。そうだったのか……。筆者にも読み切れなかった。 それにしても、日本側が「中露は連携していただろう!」と厳しく詰問して、中国が「いや、そんなことはしていない」とか「そのようなことを明かす義務はない」といった否定的態度に出るのなら話は分かるが、今回は全く逆で「さあ、疑えよ」と言わんばかりだ。要するに、「いざとなったら中露が連携するぞ」という新たな威嚇なのかもしれない。 少なくとも、背景にある経緯はわかった。そういった要素も頭に入れながら、今後はどのような動きに出るのか、慎重に見極めていきたい。追記:以上はあくまでも中国政府関係者が「私個人の意見だが」という条件を付けて話したものであり、おまけに「中露連携があった」と断言する言葉は最後まで避けた。したがって「当たらずとも遠からず」といったところか。またロシア外務省は連携を否定しているが、いずれの国も「いくつもの顔」を持っているのが外交の世界。ロシアとしては日本に嫌われたくはなく、日露首脳の交流を通して、アメリカにより孤立化させられている現状から逃れるためにも、親日的姿勢を一方では模索しているものと考えられる。(『Yahoo!ニュース個人』より2016年6月13日分を転載)えんどう・ほまれ 東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。 1941年、中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』など多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)。

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    中国に譲歩続ける日本 手玉に取られた「親中」外交官

    を紹介している。それによれば、中国の王毅外相は岸田文雄外相にこう述べたのだそうだ。「この数年の間に、日中関係は絶えず波乱がありました。その原因については日本側が一番よくおわかりでしょう。近年、日本はたびたび関係改善を希望しています。もしあなたが誠心誠意で来たのであれば、私たちは歓迎します」「中国には“その言葉を聞き、その行動を見る”という言葉があります。今日はあなたがどのように日中関係を改善するか意見を伺いたい。それと同時に、日本側が本当に行動に移すかということも見なければなりません」「日中は隣国。私たちは当然日本と健全で安定した友好関係を発展させることを希望しています。同時に、この関係は必ず、歴史を正視するという基礎、約束を守るという基礎、協力であり対抗ではないという基礎の上に築かれなければなりません。あなたの今回の訪中が、日中関係の実質的な改善に作用することを期待しています」中国の王毅外相(右)との会談に臨む岸田外相=4月30日、北京の釣魚台迎賓館(共同) これらは一読すればわかるように、「外交の常識」では考えられないような非礼な言葉の連続である。一国の外相を迎える時に、これほどの礼を失した態度と言辞で会談に臨んだ例は、なかなかあるものではない。 岸田外相に対して王毅外相が発言した中身は、要するに「日本が関係改善を希望しているから、あなたに会ってやった。もし、誠心誠意、日本が態度を改めるなら歓迎してやる」「日本にどんな関係改善の意見があるのかは聞く。しかし、問題はそれを日本が本当に行動に移すかどうかだ」「日本は、歴史を正視し、約束を守れ。中国に対抗するのではなく、中国に協力的であれ」ということである。「日中友好」はもはや存在しなくなった 私は、2014年11月にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で訪中した安倍首相に対して、習近平国家主席が、憮然とした態度で会見したことを思い出した。ほかの国の首脳との会見では、バックに両国の国旗を配して、にこやかに接遇したが、安倍首相に対してだけは、あからさまに「我々は、あなたを歓迎していない」という態度をとったのである。 今回も予想されたこととはいえ、王毅外相の態度に、多くの日本人が呆れ返ったに違いない。1970年代から80年代に持て囃(はや)された「日中友好」という概念が、もはや「とうに存在しなくなったこと」がわかる。 読売新聞によると、これに対して、岸田外相は日本の記者団から会談での発言内容を質問されても、「日本の立場をしっかり伝えた」と語るだけだったという。一方、中国側は王毅外相の発言を詳しく公表し、その中には、岸田外相が「歴史の反省」に言及したとも指摘したそうだ。つまり、王毅―岸田会談は、中国側の「一方的な攻撃」で終わったのである。 産経新聞は、王毅外相の発言を中国側が以下の「4項目」の対日要求を岸田外相に出した、という視点で報じている。(1)誠実に歴史を反省し、「一つの中国」政策を守る。(2)「中国脅威論」や「中国経済衰退論」をまき散らさない。(3)経済面で中国を対等に扱い、互恵を基礎に各領域の協力を推進する。(4)国際・地域協力で中国への対抗心を捨てる。いやはや凄まじい要求である。まるで宗主国が属国を指導し、窘(たしな)めるかのような文言というほかない。これらの報道を読んで、根本的な疑問を持たない人がいるだろうか。 「一体、日本は何を期待して、中国を訪問しているのだろうか」ということである。今回の訪中は、中国とのパイプの太さを強調する自民党の二階俊博総務会長と外務省における‟チャイナスクール”の積極的な動きによって実現したものとされる。 チャイナスクールとは、中国で「中国語の研修」を受けた日本の外交官たちのことだ。彼らは、語学研修時代から中国政府と深い関係を結んでいる。彼らの特徴は、中国の意向に従順で、中国を利用して自らの立身出世をはかることにある。言うなれば、「どっぷりと中国に浸った外交官たち」である。 この3月には、外務省の「チャイナスクール」を代表する横井裕氏(前トルコ大使)が駐中国大使に就任し、安倍政権下で‟干されて”いたチャイナスクール組は復活を遂げていた。「真の友好」を目指すなら、今は「距離を置く」ことの方が重要だ 中国側の思惑通りの今回の展開は、中国がそのチャイナスクールを利用して日本側を見事に「手玉にとった」ということにほかならない。そして、今月20日に、台湾で民進党の「蔡英文政権」が発足する前に、「日台接近」に対する警鐘を鳴らすことにも成功したことになる。 着々と成果を挙げていた政権発足以来の「対中包囲網外交」を安倍首相はなぜ「転換」したのだろうか。しかし、いずれにせよ、きっかけが、前述の2014年11月に北京で開かれたAPECにあったことは確かだろう。この時、日本は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで一致したことを「認める」という大失態を犯している。 日本政府がそれまでの「尖閣は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場から「日中両国が『異なる見解』の存在を‟認識”した」というものに転じたのである。私はそのニュースを聞いて、耳を疑った。 中国は、これからはこの合意をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出し、「日本もそれを‟認識”していたではないか」と強調してくるだろう。尖閣諸島の魚釣島「必要ならば、武力で自国の領土(※釣魚島のこと)を守る準備はできている」と事あるごとに言い続けている中国にとって、それは計り知れないほど望ましい「日本側の譲歩」だったのである。この時も、それを押し進めたのは、チャイナスクールの面々だった。 会うたびに、日本が譲歩を迫られる中国との「会談」。岸田外相は、今回の訪中で中国の李克強首相とも会談し、同氏の今秋の「訪日」を要請したという。これだけコケにされても、それでもまだ中国の首脳に日本に「来てもらいたい」らしい。 私は、せっかく成果を挙げていた安倍首相の対中外交が「変質している」ことを深く懸念する。中国との「真の友好」を目指すなら、今は中国と「接近する」ことではなく「距離を置く」ことの方が重要だからだ。 日本が中国に対して、毅然と距離を置き、中国側から日本への「接近」のシグナルとメッセージを引き出さなければならなかったはずである。経済的にも、また南シナ海での領土問題や、あるいはPM2・5などの環境問題でも、困っているのは「中国の側」だからだ。 今回の岸田訪中は、日本国民だけでなく、他のアジア諸国にも大いなる失望を生んだ。周辺諸国と摩擦を繰り返し、国際的に孤立化する習近平政権に、なぜ日本はこうも擦(す)り寄らなければならなかったのか。 絶対に譲歩してはならない国に対して、誤ったメッセージを伝えてしまった岸田外相。チャイナスクールの復活と、対中包囲網外交の変質は、これから安倍政権に重いボディブローとなって効いてくるだろう。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2016年5月2日分を転載)

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    「南京大虐殺」のウソと実像

    「侵略」「慰安婦」と並び反日喧伝の”三馬鹿トリオ”を成す「南京大虐殺」が世界記憶遺産にまんまと登録され、私たち日本人の多くが中国への不信を募らせている。蒋介石が捏造した「南京」のウソと事実を検証する。

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    紛争はひたすら回避 外交無策の外務省が国を亡ぼす

    著者 長尾勝男 近年、米国内では中国系を中心とする「世界抗日戦争史実維護連合会」が連邦・地方議会をはじめ首都ワシントンなどを舞台に、日本の戦時行動を糾弾し訴訟や宣伝工作を展開しており、慰安婦や南京虐殺にとどまらず、尖閣諸島や竹島領有まで日本たたきが行われている。にもかかわらず、火消し役であるはずの外務省は無策のまま、やられっぱなしの現状である。 なぜなのだろうと思うのは私一人ではあるまい。今まで公表されている書籍や各種メディアを通して得た情報をもとに、その理由について考えるとともに想起される状況について述べることとしたい。紛争回避が我が国外交のスタンス 2010年9月に起こった魚釣島近海で違法操業の中国漁船が我が国巡視船に体当たりした事件は、中国の加害漁船船長を無罪放免にし、犯行現場を撮影した映像を非公開としたことで明らかなように、できる限り波風を立てず、事を穏便に済ませようとしたのがうかがえる。 これらは政府、とりわけ外務省の意向を汲んだ措置である。背景には自国船長の逮捕を知った中国政府による日本向けレアアースの禁輸制裁、日本企業社員をスパイ容疑ででっち上げ逮捕拘留するなどの報復、我が国国民の反中感情が沸騰するのを恐れたことなどによるのは明らかである。 これには過去に幾つかの先例がある。1970年3月に起こった赤軍派によるよど号ハイジャック事件の際には、犯人グループの言うがまま北朝鮮に亡命させた。人質をとり日本政府を脅した、いわゆるテロであったが、極度に人命をおもんぱかったため、やすやすと相手の脅しに乗ったのである。身柄を拘束され、強制退去のため、成田空港に姿を見せた金正男=2001年05月04日 2002年5月、中国の瀋陽事件では、日本領事館に助けを求めてきた脱北者を現地外交官が見殺しにし、中国の官憲に領事館内への侵入を許したあげく逮捕させた。2001年5月の金日正の長男、正男の密入国事件では、成田空港の入国管理局が拘束したものの小泉首相・田中真紀子外相の強い意向で国外退去処分として全日空機を用意しわざわざ北京まで送った。 また「朝鮮王室儀軌」は、韓国の要求にこたえ、返す必要がないのに言われるまま返還、一方で対馬の寺院から盗まれた仏像(銅像観世音菩薩坐像)は、いまだ韓国が日本から略奪されたものだと主張し返還を渋っている。 これらのことを思い起こせば、問題が起きたとき相手を極力刺激しないように配慮するあまり相手の圧力に屈し、予見される紛争をひたすら回避することが外交の基本的スタンスであるとうかがい知ることができる。省内に巣食う反日分子の存在省内に巣食う反日分子の存在 歴史非難に関して、慰安婦問題および世界遺産問題を事例にみると、現在50人の日本の学者たちが'慰安婦'問題に関し、マグロウヒル社および米国学会に抗議を行っているにもかかわらず、外務省は外交手段を用いようともしない。 中国による南京大虐殺文書の記憶遺産登録で問題化したユネスコ審査部は、日本人の審査員を小人数しか置かず、3月7日に国連女子差別撤廃委員会が出した「最終見解」には、慰安婦問題について極めて不当な見解が出されている。その原案には、「皇室典範」の「男系の皇位継承」が女子差別にあたり、改正を求める趣旨の記述まであった。 同委員会委員長の林陽子氏を国連に推薦したのは、ほかならぬ外務省である。1996年、性奴隷と認定したクラスワミ報告書に対し明快な反論文を作成しながら、なぜか別文書にすり替えた件などを考え合わせると、省内に我が国をおとしめようとする勢力が存在するのは明らかである。 平成19年、アジア女性基金解散後、外務省独自にフォローアップ事業と称して毎年度、韓国の元慰安婦と称する人々に1500万円の予算を付け生活必需品を支給したり、中国緑化運動に支援金90億円を計上したりするのは、相手国側に忠節を尽くす意図の表れにほかならない。明らかに君側の奸が存在することの証しである。無責任な体質の継承 1941年12月8日、日本時間の午前8時までに行うべき最後通告が、在米日本大使館員の不手際で間に合わなかった結果、日本は米国に対してだまし討ちをしたことになった。 このことに対し外務省の直接の担当者及びその上司が責任をとったという話を聞いたことがない。在米一等書記官の奥村勝蔵は開戦前日の最後通告解読文をタイプに打ち込む担当であり、最後通告の手交遅延の直接責任者であった。当日遊びに出て大使館を留守にした。その彼が戦後マッカーサーと天皇の通訳を長らく務め、講和条約発効後は外務省の外務次官になっている。 井口貞夫・在米参事官は真珠湾攻撃の前日、本省からあらかじめ万端の準備指示があったにもかかわらず、緊急態勢を敷かなかった。その後彼は1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約締結時外務次官として列席した。結局、外務省は真珠湾だまし討ちの謝罪を公には全くしていないのである。なぜなら自分たちの責任に及ぶからである。 真珠湾50周年に際し、時の外相、渡辺美智雄がワシントンポストに「旧日本軍の無謀な判断で始まった」と述べており、悪いのは軍部で外務省に責任はないと言っているのである。 2年前の2014年7月、北朝鮮とのストックホルム合意に基づき制裁の一部を解除したその後拉致被害者に関する進展はなく交渉に当たった責任者(伊原純一アジア大洋州局長)は何らおとがめなしであるところを見れば、省内に延々と受け継がれていることが分かるのである。つまり、結果に対し責任をとらないでよいことになっていると考えざるを得ない。札束外交の虚しい影響力札束外交の虚しい影響力 昨年11月マレーシアで行われたASEAN国防相拡大会議では、南シナ海問題で意見の一致が見られず共同宣言が見送られた。背景にあるのは中国のASEANに対する経済的、軍事的圧力であり、中国の了解なしには何も決められない実態が明らかである。 安倍首相は福島県いわき市で開催された「太平洋・島サミット」で、パラオなど南太平洋の島しょ国に今後3年間で550億円以上の財政支援を表明した。首相は、「力による威嚇や力の行使とは無縁の太平洋市民社会の秩序」の構築を呼びかけ、名指しは避けたが、中国を牽制した。要するに、島しょ国が“中国寄り”にならないように、カネを渡して日本シンパにしようということだった。「太平洋・島サミット」の首脳会議に臨む、太平洋島しょ国14カ国の首脳ら=2015年5月23日、福島県いわき市 これは、当初から外務省がお得意のODAや各種支援金と軌を一にしたやり方である。なんと、この2年半で、アフリカ支援に3兆円、バングラデシュ支援に6000億円と、ODAや円借款を積み上げると26兆円に上る。支援がすべてムダとは思わないが、いったい、どれほどの成果があったのか。だから手の内を読まれ、足元を見透かされている。外国にとっては、格好のカネづるになりかねない。資金援助してもらえる国はニコニコして、表面上は日本をチヤホヤしてくれるだろうがそれだけのこと。支援が途切れたらソッポを向かれるのは明らかである。亡国への道筋を避けるには はっきり言えば、外務省がやろうしている外交が全く機能しないから、バラマキや軍事的抑止力に頼らざるを得なくなってしまうのである。仮にこのままの外交姿勢を続けていくと、徐々に国家主権を奪われ、いずれ日本は詰んでしまうことになる。 既に首相の靖国参拝参拝がはばかられる事態をはじめ、国連人権理事会や差別撤廃委員会による人種差別撤廃(ヘイトスピーチ)の法的規制や皇室範典の違法性、竹島など主権侵害の進行がそれを物語っている。手を替え品を替えて国民の手足が縛られていくのを、亡国と言わずして何と表すればよいのであろうか。 クラウゼヴィッツの言を待つまでもなく、戦争とは意思を敵国に強要するための暴力行為である。あくまで暴力行為は手段であり、目的は意思の強要である。意思の強要さえできれば、暴力行為は必ずしも必要ではない。外交が血を流さない戦争といわれるゆえんである。外交官はじめ外務省職員がこのような自覚を持たない限り、日本は亡国への坂を下り続けるに違いない。 国際社会は指摘されたことを"素直に認めて謝罪すれば、それで相手は矛を収め、真の和解につながるというほど甘くはない。逆に日本が受け入れられないと拒否する姿勢を示したことで、国連が微妙にスタンスを変更した例が、それを証明している。  例えばクラマスワミ報告に対して、ラディカ・クラマスワミの出身国であるスリランカを、今後、ODAを一切提供しないと恫喝すれば多分採択されなかった可能性が大きい。"良い、悪い"ではなく、国際社会とはそうした力学によって動いているのである。 北朝鮮政策では対話と圧力といわれる。対話については幾度となく行われているが、相手が音を上げるまで圧力をかけたことは一度も聞いたことがない。かけすぎると暴発の恐れがあるとの脅し文句が必ず浮上する。それではいつまでたっても拉致被害者は帰っては来ない。相手の反撃を恐れて手をこまねいていては問題は一向に解決はしないのである。 ただし、ここで忘れてはならないことは、国連詣でを繰り返し、職員を焚き付け、日本をおとしめる勧告を採択させているのは、日本人だということである。何しろ、真の敵は反日日本人なのである。外交の健全化にはまず、このような反日分子及び圧力団体を一掃することが先決である。(海自OB)

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    日本よ、南シナ海の対中警備包囲網をリードせよ

    山田吉彦(東海大学教授)会談を前にベトナム最高指導者のグエン・フー・チョン共産党書記長(左)と握手を交わす安倍晋三首相=2015年9月15日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 9月15日、安倍晋三首相は、ベトナムの最高指導者であるグエン・フー・チョン共産党書記長と会談し、ベトナムの海上警備能力の向上のため新造の巡視船や巡視艇を供与する方針を表明した。巡視船は南シナ海のパラセル諸島(中国名・西沙諸島)の海域で紛争を未然に防ぐための警戒にあたることになる。日本は既に6隻の中古巡視船(漁業取り締まり船)を供与しているが、安倍首相はさらに同国の海上警備体制を支援する姿勢を明確に示したのだ。 いうまでもなく、これは南シナ海を自国の海にしようとする中国への対抗と見るべきである。パラセル諸島は1974年に中国軍がベトナム軍(旧南ベトナム)を駆逐し、以降、諸島の全域を支配下においているが、地理的にはベトナムにも近く、ベトナム漁民の生活の海ともなっている。周辺海域はベトナムと中国、台湾が領有権を主張しており、武装した中国船とみられる船舶にベトナム漁船が襲われ、漁獲した魚や漁具、航海計器などが奪われる事件が頻発している。ベトナム国内の報道では、今年に入り8月までに約40隻のベトナム漁船が、中国船とみられる船から攻撃を受けているという。今年7月には、操業中の漁船が3隻の中国船らしき船に体当たりされ、沈没する事件も起きている。11名の漁師は僚船に救助されたが、体当たりした船は救助もせず逃亡した。中国海警局の警備船ではなく、民間船を使って、ベトナム漁船をパラセル諸島周辺海域から排除するという中国の戦略がうかがえるのだ。 南シナ海をはじめとしたアジア海域では、密輸、密航、密漁、海洋環境破壊などにより海洋秩序が乱れているのが現状だ。国家間では海底資源の開発の競合、漁業管轄権を巡る対立など、紛争の火種となる事象が山積している。この混沌とした情勢の中、中国の海洋侵出は、フィリピンやベトナムなどアジア諸国の脅威となっている。南シナ海においては、中国がスプラトリー諸島(中国名・南沙諸島)で7つの人工島建設を強行するなど「力による現状の変更」が進められ、紛争の気配が見え始めている上、民間船を使った中国による海域支配の既成事実化も進められているのだ。これらは脅威としかいいようがない。脆弱なASEAN諸国の力脆弱なASEAN諸国の力 中国とASEAN諸国の間では、2002年に「南シナ海行動宣言(DOC)」を合意し、領有権紛争の平和的解決、事態を悪化させる行為の自制、協力事業の推進などを確認しているが、中国が合意を守らず強引に海洋侵出を進めるため、ASEAN諸国は、DOCに法的拘束力を持つ「南シナ海行動規範(COC)」の策定を求めている。一国対一国の紛争解決を求める中国に対し、多国間のルールづくりにより中国の横暴に対峙しようというのだ。今年8月、マレーシアで開催されたASEAN地域フォーラムにおいて、ASEAN諸国と中国の間ではCOC協議を加速することで合意したようだ。 しかし、妥協する素振りを見せながら、一切本質を変えず、国家すなわち共産党の意思を貫き通すのが中国である。協議を引き伸ばしながら、着実に中国海警局の態勢を充実させるなど、自国の海洋管理を確立させる動きを進めている。 2014年にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議に中国の代表として参加した王冠中・人民解放軍副参謀長は「南シナ海は2000年以上前から中国の支配下にある」という趣旨の発言をした。中国が、習近平国家主席の指導の下、「中華民族の偉大なる復興」を目指して「海洋強国」となる戦略を進めているのは周知の事実だ。 中国は、南シナ海海域全体を「九段線」の考えに基づき、中国の領海と位置づける。九段線は、南シナ海に点在する島々を囲い込むように九つの線を引き、その内側の海域全体を管理下に置こうとするものである。1994年に発効した国連海洋法条約では、領土である陸地を基点として、その陸地から最大12海里(約22・2キロ)の領海と200海里(約370キロ)までの排他的経済水域の設定が認められているが、九段線内側にあるスプラトリー諸島には20ほどの島や岩礁があり、中国、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどの国々の領有権の主張が重複し、簡単に領海や排他的経済水域を設定できる状態にない。そのために中国は島の領有問題を無視し、海域全体を支配しようというのだ。 これに対抗するアジア各国の海洋警備力はまだまだ脆弱であり、中国には太刀打ちできないのが実情である。中国とフィリピンやベトナムなどの国々が、偶発的に武力衝突を起こす可能性も高く、紛争を事前に抑止するためにも、一刻も早くCOCを合意しなければならないのだ。 それと並行して進めなければならないのが、アジア各国の海上警備力の強化における国際協力体制の構築である。COCにより、海域の安全確保のための法的拘束力ができたとしても、現状ではそれを管理する機関はない。そのため、各国の海上警備機関の能力向上と連携、協力体制の構築が求められるのだ。「海賊対策」で支援に実績「海賊対策」で支援に実績 まずは、各国の海上警備機関の人材育成と能力向上が課題だが、ここで重要になるのが日本の役割だ。先にも述べたように、中国は軍事力や自国の警備船の力を背景にしながらも必ずしもこれを表面に出さず、民間船を使うなどして、支配の既成事実を進めている。これまで「海賊対策」として、アジア各国の海上警備能力の向上を支援してきた我が国の役割に対する国際的な期待は大きくなっているのだ。 日本の積極的関与のきっかけはマラッカ海峡における海賊事件だった。マラッカ海峡を中心とした東南アジア海域において海賊が多発し、問題になっていた1999年、日本人の船長、機関長と15人のフィリピン人の船員の乗った貨物船アロンドラレインボー号が海賊に襲撃され、積荷のアルミニュームインゴットを乗せたまま行方不明となる事件が起きた。アロンドラ号の17人の船員は、海賊により救命いかだに乗せられてマラッカ海峡に放置され、11日間漂流したうえ、通りかかったタイの漁船に救助されたが、この事件は日本人の生命財産を守るためには国際的な海洋安全施策が必要であることを教えたのだった。マラッカ海峡で海賊の襲撃を受けたアロンドラ・レインボー号 その後、日本が中心となり、海賊対策でアジア各国の海上警備機関が協力する枠組み構築へ動き出したのである。2000年、東京において海賊対策国際会議が開かれ、それに続き、東南アジア各国が持ち回りで海賊対策長官級会議、専門家会合などを開催し、情報の連携、共同訓練などを実現した。日本は、アジア各国で開催される会合の支援、フィリピンコーストガードの人材育成やマレーシアの海上警備機関「マレーシア海事法令執行庁」の創設サポートなど、各国の能力向上に貢献したのだ。 アジアにおける海上警備協力の成果として、2009年には、アジア海賊対策地域協力協定(ReCAAP)が結ばれた。現在、この協定はアジア諸国のみならず、英国、米国、ノルウエー、オランダなどの国々が参加し、加盟国は20ヶ国に上っている。インドネシア、マレーシアは条約に加盟していないものの、オブザーバーとして協力関係にある。ReCAAPの締結は、アジア海域の凶悪な海賊事件を減少させるとともに、アジア各国の海上警備機関の相互連携を促進させる役目を果たした。この日本が中心に進められた海賊対策は、「マラッカモデル」と呼ばれ、国際的な海上警備協力の成功例として高く評価され、後年ソマリア海賊対策にも応用されている。 こうした実績を踏まえ、アジア海域における海洋警備を中心とした安全保障体制の構築に寄与することが日本に求められているのだ。実際、日本はアジア各国の海上警備能力の向上を装備の面でも支援してきた。2008年、インドネシアに対し、海賊対策のため3隻の巡視船を供与したのを始めとして巡視船、巡視艇の供与を進めている。当初、武器輸出三原則に抵触するのではないかと議論されたが、2011年12月、「平和貢献、国際協力に伴う案件は、防御装備品の海外移転を可能とする」という当時の野田佳彦首相(民主党)の方針により武器輸出三原則が緩和され、巡視船供与は円滑化されることになった。平和安全保障法制の成立に反対した民主党だが、当時、海外において展開する安全保障協力に積極的であった。NEATで日本主導の提案 最近も、冒頭に紹介したベトナムへの中古巡視船、新造船の供与のほか、2013年安倍首相がマニラを訪問した際に、フィリピンに対して政府開発援助(ODA)の資金を使い、10隻の巡視船を供与する方針を表明している。そして今年6月には10隻のフィリピン向け多目的船の新造が開始された。長さ44メートル、25人乗りの多目的船は、2016年から2018年にかけて、フィリピン当局に引き渡され、現地で改装されコーストガードの巡視船として活躍することになる。NEATで日本主導の提案 最近、アジアの海上警備に関する協力関係構築に向け、新たな外交的な動きが始まった。インドネシアのバンドンにおいてNEAT(東アジアシンクタンクネットワーク)の代表者会議があったのだ。この会議はASEAN+3(日中韓)に参加する国々のシンクタンク代表者が集まり、ASEAN+3首脳会議に上程する議題を決める会議だが、参加者は各国の外務省関係者も含まれていた。この会議が開催されるにあたり4つのワーキンググループが設けられ、代表者会議にそれぞれのプランが提出された。その4つのプランは首脳会議に上程される議題の候補としてこの会議で審議されるのだが、中国も含む全参加国が満場一致でなければ、廃案となるという厳しい条件も課される。 4つのワーキンググループのテーマは、中国が中心となった「貧困の削減」、シンガポールが取りまとめた「持続可能な開発とより質の高い生活に向けた都市計画」、タイにて作成された「交通システムのシームレスな連続性の構築─経済回廊における多様な交通システムへの移行」、そして、日本が中心となり提案した「東アジアの海洋安全協力」である。この日本中心の提案は、いわば海洋安全保障の問題であり、国家の主権の枠組みを超え、国際法に基づきアジア海域の海洋管理を行おうとするものだ。当初から白熱した議論が展開されることが予想されていたが、実は筆者も関わっていて、会議にも参加した。 一概に海洋安全保障といってもそれに関わる分野は、多様であり複雑化している。アジア各国ごとに重視する点が微妙に異なる。ベトナムは経済発展を重視し、その阻害要因となる中国の軍事的脅威を問題視している。マレーシア、ミャンマーは密輸、密航。特にロヒンギャ族などの難民の流入、流出の問題。インドネシアは、密漁を中心とした漁業管理の問題を重視している。今回の会議には参加しなかったが、フィリピンは中国による領土、領海の侵略を重要な問題として意識している。シンガポールや日本は、自由航行の保証と安全確保を前面に打ち立てている。さらに、各国からは海洋環境の保全を求める声も強い。 何よりASEAN諸国と中国の間では、COC南シナ海行動規範の策定を巡る意見の対立もあり、海洋安全保障に向けた動きは、各国ともに必要であることを認識していても、動き出すことが難しい。そこで、海賊対策における国際協力関係の構築で原動力となった日本が中心となり、新たな海洋安全保障のフレームづくりを進めようというのだ。日本外しで対抗? 中国の暗闘 日本の提案は「総合海洋管理」という考えに着目し、アジア海域における航行安全の確保、海洋犯罪の根絶、海洋環境破壊の防止などを推進するため、アジアの国々が連携し国際的な海洋安全保障のためのフレームづくりを進めるものである。そして、エリアケーパビリティと呼ばれる「国」という枠組みを超えた「地域力」の強化を目指す。 海洋管理に関する情報共有センターの設置も求めるものだが、・国際法に基づく海洋管理に関する人材の育成、・ASEAN+3参加国による海洋関連大臣会合の実施、・海洋に関し総合的に情報共有するための専門家会合の実施、・海洋の生物多様性の保全、海洋資源開発などアジア海域の「地域力」を付けるための共同研究─などが提案の中に盛り込まれている。日本外しで対抗? 中国の暗闘 提案を通すための最大の障壁は、他国を無視して海洋侵出を進める中国の存在といっていいだろう。実際、事前に行われたワーキンググループの会合では、マレーシア、フィリピンから中国の戦略への非難があり、アジア海域の海洋管理、海洋警備協力の難しさを感じた。 中国との調整は本会議の前夜、「場外」において行われた。中国の要望は、COCを今回の提案には織り込まないというもので、COCの協議に日本を絡ませたくないという意思が透けて見えた。結局、COCに関しては今回のプランで上程しなくても、COCだけでも議論が可能なので触れないことで合意したが、中国の要望には海洋のみならず上空の安全の問題も含まれており、この点は警戒しなければならない。会議からの日本外し、さらに米国の影響力排除につながる恐れがあるのだ。 海上では、船は他国の領海でも自由に通航できる無害通航権を持つが、領土と領海の上空である「領空」の通過は、国家の主権の範囲にあり、自由に行うことはできない。つまり、南シナ海の海洋安全確保の議論であれば、自由通航が許されているため日本も海域利用者としての意見を述べることができるが、上空の問題となると南シナ海に領土を持たない日本は発言権を持たないことになるのだ。海洋と上空の議論を一体化することにより、日本と、そしてアメリカを「域外国」として、議論の場から排除しようというのが中国の狙いと考えられる。今回のプランでは海洋問題に絞り提案することになったが、今後も警戒が必要であることはいうまでもない。 アジアの海洋安全保障協力は、本格的に動き出そうとしている。大国の力による現状の変更を阻止するためにも関係国の協力することは重要である。総合海洋管理のフレームづくりが進められ、海上警備機関の協力体制が確立すれば、いずれ、アジア諸国による合同海洋警備船隊の創設も可能となるだろう。海は人類共通の財産である。海の安全を守るためには国家の枠組みを超えて活動することが不可欠である。日本は、海洋国家日本はその中心となり、海洋アジアの地域力の強化のために貢献する必要があるのだ。やまだ・よしひこ 昭和37(1962)年生まれ。学習院大学経済学部卒業。埼玉大大学院経済科学研究科博士課程修了。第15回正論新風賞受賞。著書に『国境の人々 再考・島国日本の肖像』(新潮社)など。

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    「日本は核武装を狙っている」 中国が進める日本悪魔化計画

     「アメリカを超える大国」を目指す中国は、その大目標の邪魔になる日本を貶める動きを加速させている。その試みは欧米の識者から日本の「悪魔化」と呼ばれ、警戒されている。産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏が、中国による日本の「悪魔化」の現実をレポートする。* * * 中国共産党政権が日本をことさら悪として断じ、その善や和の特徴をあえて無視する実態は私自身も1998年から2年余、産経新聞中国総局長として北京に駐在した時期から、いやというほど体験してきた。 小中高校用の歴史教科書は日本について戦時の「残虐行為」だけを誇張して教え、戦後の平和主義、民主主義の特徴はなにも教えない。日本が賠償の意味もこめて中国に供与した巨額の政府開発援助(ODA)など戦後の対中友好外交も教えない。 官営メディアは抗日戦争での日本軍の「侵略と虐殺」の歴史を繰り返し、ドラマも同様に悪逆非道の日本人ばかりが登場する。この反日宣伝の実例は自著の『日中再考』(産経新聞社刊)などで詳述した。 さてこの中国の「日本悪魔化」戦略はアメリカでも中国軍事研究の最高権威によって指摘されていた。1970年代のニクソン政権時代から一貫して国防総省の高官として中国の軍事動向を研究してきたマイケル・ピルズベリー氏の指摘であり、警告だった。 同氏は2015年2月刊行の著書『100年のマラソン=アメリカに替わりグローバル超大国になろうとする中国の秘密戦略』(日本語版の書名は『China2049』)で日本悪魔化戦略を明らかにした。 ピルズベリー氏は中国語に堪能で共産党や人民解放軍の軍事戦略関連文書を読みこなす一方、中国軍首脳との親密な交流を保ってきた。同氏はこの新著でアメリカ歴代政権の対中政策は間違っていたとして「中国を豊かにすれば、やがて国際社会の健全な一員となるという米側の期待に反し、中国は当初から建国の1949年からの100年の長期努力でアメリカを圧することを狙ってきた」と述べた。その世界覇権への長期の闘争を中国自身が「100年のマラソン」と呼ぶのだという。 同氏は中国のこのアメリカ凌駕の長期戦略の重要部分が「現在の日本は戦前の軍国主義の復活を真剣に意図する危険な存在だ」とする「日本悪魔化」工作なのだと明言している。日本の悪魔イメージを国際的さらには日本国内にも投射して日本を衰退させ、日米同盟やアメリカ自体までの骨抜きにつなげる一方、「軍国主義の日本との闘争」を中国共産党の一党独裁永遠統治の正当性ともする狙いだという。 逆にいえば、習氏にとって日本がいま平和、民主のままで国際的な影響力を強めれば、共産党統治の正当性を失いかねない。さらには中国の最大脅威であるアメリカのパワーをアジアで支えるのはやはり日本そして日米同盟であり、その両者が強くなることは中国の対外戦略全体を圧することにもなる。だから習氏はいまの日本をいかにも恐れるような異様な工作を進めるのだろう。ピルズベリー氏はその日本悪魔化工作の例証として以下の諸点を列記している。◆習近平氏が愛読する書『中国の夢』(劉明福・人民解放軍大佐著)は「日本は常に中国を敵視するから中国が軍事的に日本と戦い、屈服させることが対米闘争でもきわめて有効だ」と強調している。◆清華大学の劉江永教授は最近の論文で「日本の首相の靖国神社参拝は中国への再度の軍事侵略への精神的国家総動員のためだ」と断言した。◆李鵬・元首相に近い学者の何新・社会科学院研究員は一連の論文で「日本は中国の植民地化を一貫した国策とし、今後もそのために中国を分割し、孤立させようとする」と警告している。◆多数の中国の軍人たちが「日本は中国攻撃のための軍事能力を整備しており、日本の宇宙ロケット打ち上げはすべて弾道ミサイル開発のため、プルトニウム保有は核兵器製造のためだ」と主張している。  私はピルズベリー氏とは30年以上も交流があり、今回の彼の本についても対談する機会を得たが、氏によれば、これらの主張はほぼすべて事実に反するものの、現実には中国首脳部への真剣なインプットとなっているという。 日本はこの中国の「悪魔化」プロパガンダに対して常にその害悪を意識して正面から反撃し、論争を挑むことが不可欠だろう。関連記事■ 中国の軍拡事情を産経新聞論説委員・古森義久氏が分析した本■ 中国の軍事関連情報や分析 世界でワシントンが最も豊富な宝庫■ 日中海戦レポート著者「日本は現実に対して自信を持つべき」■ 中国 2049年の「月面軍事基地建設」と資源獲得意志を表明■ 米国製軍用ジープを丸パクリした中国製軍用ジープの写真公開

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    軍事パレードで分かった習近平「反日」外交の挫折

    矢板明夫(産経新聞中国総局特派員) 中国の首都、北京で9月3日に抗日戦争勝利70周年の軍事パレードが世界中で注目されるなかで行われた。「パレードブルー」と呼ばれる快晴の下、北京市中心部を東西に走る長安街の大通りを約1万2千人の人民解放軍の兵士たちが軍靴を響かせて行進した。戦闘機200機あまりの飛行や、初公開の武器など500点強の軍装備を披露し、中国の軍事大国ぶりを内外に誇示した。 しかし、この日の主役である習近平国家主席は始終、さえない表情をしていた。車に乗って解放軍の隊列を検閲したときも、高揚感はまったくなく、ひどく疲れた様子だった。国内のメディアを総動員して宣伝し、長い時間をかけて準備した大きなイベントにも関わらず、内外から多くの批判が寄せられ、欧米などの主要国に参加をボイコットされたことは習氏にとって想定外だったに違いない。習氏の表情には、その悔しさが出ていたのかもしれない。 一方、習氏と比べて、一緒に天安門楼上に並んだロシアのプーチン大統領や、久々に表舞台に登場した江沢民元国家主席ら党長老たちは、最後まで、リラックスした表情で手を振り、元気な姿をみせ続けた。脇役であるはずの彼らは、今回の軍事パレードを通じて習氏よりも多くのものを手に入れたからかもしれない。「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事に臨む(左から)ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、韓国の朴槿恵大統領=2015年10月3日、北京(新華社=共同) クリミア併合問題で欧米や日本などから経済制裁を受け、国際社会から“村八分”にされたプーチン大統領には、自身の存在感を示す大きな晴れ舞台が提供された。軍事パレードのメインゲストとして習氏の隣に立ち続け、中露の蜜月ぶりを演出し、国際社会の孤立と国内経済低迷を払拭し、ロシア国内の支持者を勇気づけようとする思惑もあったとみられる。 また、これまで失脚説が何度も流された江沢民氏にとって、自身の健在ぶりを示す最高の場面となった。習国家主席が主導する反腐敗キャンペーンで、江氏の側近だった周永康・前政治局常務委員や、徐才厚前軍事委員会副主席らが次々と拘束されたことで、習派と江派の対立が深刻化したといわれる。式典の約2週間前の8月中旬、米国を拠点とする中国語ニュースサイトには、「江沢民氏が天津市の爆発に関与したとして拘束された」との情報が流れた。北京の当局関係者はすぐに否定したが、習派が江氏の影響力を低下させようとして流した偽情報の可能性が指摘された。 この日の軍事パレードで、江氏は強い日差しの中を約2時間立ち続ける壮健ぶりを見せた。また、親族の不正蓄財で調査を受けていると香港メディアに伝えられた曽慶紅元国家副主席や、李鵬元首相、温家宝前首相らも楼上から笑顔で手を振った。党長老たちは、習氏が最近、官製メディアを使って自身への個人崇拝を進めていることや、反腐敗の名目で政敵を次々と倒していくやり方に不満を募らせている。今夏に開かれた、共産党内の現、元最高幹部による北戴河会議でも、習氏らに対して長老からは批判が集まったとされる。 ある共産党関係者は、「今回の軍事パレードは習氏にとって権力集中を誇示する晴れ舞台であり、長老たちに出てきてほしくないのは本音だ」と説明した。中国で10年ごとに行われる建国記念日を祝う軍事パレードに、党長老を招待する慣習はあったが、今回は抗日戦争をテーマに行われた初の式典。しかも約30人もの外国首脳を招待した。場所が狭いことなどを理由に、天安門楼上ではなく、長安街沿いに長老たちのために特別観覧席をつくるという選択肢もあった。 しかし、結果として98歳の宋平・元政治局常務委員を含めて、存命中の約20人の長老は全員、天安門に上った。共産党関係者は「それを阻止できなかったことは、習氏にとって大きな誤算であり、政治力がまだ不十分であることをも内外に示す結果となった」と指摘した。 習陣営にとって一つだけ“朗報”があった。今回の軍事パレードに出席した、胡錦濤前国家主席の手が微かに震え続けていたことがテレビを通じて流れたことだ。「パーキンソン病など病気を患っているのではないか」といった憶測がインターネットに次々と書き込まれた。習派にとって間もなく90歳を迎える江氏よりも、3年前に引退した72歳の胡錦濤氏の方が大きな脅威になっている。胡氏の健康不安が国民に広く知られることになれば、その影響力が低下することは必至で、現在の指導部による政権運営がやりやすくなる可能性もある。軍事パレードの効果軍事パレードの効果 ロシアは第二次世界大戦後、10年ごとに対ドイツ戦勝利を祝う軍事パレードを実施してきたが、これに対し中国は昨年まで対日戦争を祝う軍事パレードを一度も行ったことはなかった。 日中戦争を戦った経験者はほとんどいなくなり、100周年ではなく70周年という中途半端の時期に、なぜこんなに大規模な行事を行うのか。その目的は三つあると考えられる。 一つ目は、習氏の個人の威信を高めることである。2012年11月に発足した習指導部は、外交、経済面などで目立った実績がほとんどない。しかも、反腐敗キャンペーンの中で、強引な形で軍制服組元トップだった郭伯雄と徐才厚両氏を失脚させた。軍を掌握しているように見えても、軍の中で自分を敵視している勢力があるのではないかという不安を抱えている。今回の軍事パレードを通じて、自分が軍のトップであることを改めて強調する必要があった。 二つ目の目的は、共産党による一党独裁の指導体制の正当性をアピールするためである。共産党は選挙によって選ばれた政権ではないため、その合法性について疑問が持たれている。毛沢東や小平ら革命世代の指導者らが亡き後、官僚出身の指導者が続き、彼らは国民に本当に支持されているのかについて不安になることがある。軍事パレードのようなイベントを開催し、国民を結束させる必要があった。 とくに抗日戦争について、共産党指導部は「共産党軍が中心となり、侵略者である日本軍を中国から追い出したため、中華民族の独立が保たれた」と主張している。このことを国民にアピールすることも軍事パレードの主要目的といわれる。 もちろん、これは事実ではない。日中戦争における中国側の主役は中国国民党軍であることは言うまでもない。中国当局は歴史を歪曲し、小学校の教科書から、日中戦争は共産党軍が戦ったと強調して、国民党が果たした役割をほとんど教えていない。軍事パレードで行進する中国人民解放軍兵士=2015年9月、北京(共同) 三つ目の目的は国民の不満を外に向けさせることである。具体的に言うと、貧富の格差や、景気低迷、それから最近の株価の暴落、さらに天津の爆発に代表されるようなずさんな管理、深刻な環境問題など、多くの国民は今の政府に対し大きな不満を持っている。 そうした不満をかわし、国民の関心をほかの方向にそらす必要があった。ほかの方向とは、日本である。習政権発足後、日本叩きをしつづけたことで政権の求心力を繋いできたのが実情だ。今回の軍事パレードの前後に、メディアなどを使って、旧日本軍が中国人を虐殺した蛮行が強調され、安倍政権の安全保障政策を批判した。「日本で軍国主義勢力が復活しつつある」との印象を国民に植え付けようとした。 では、軍事パレートを終えて、以上の目的は達成できたかどうかを検証してみたい。まず、若者や貧困層の間で一定の効果があったと考える。レストランの店員や、タクシー運転手、農民工たちに軍事パレードの感想を聞くと、「習主席の格好がよかった」「兵隊さんの行進が美しかった」といった反応が多かった。普段、下層社会で厳しい生活を強いられている彼らは、軍事パレードを見ることで中国が強くなったことを実感し、中国の一員である自分への自信をいくらか取り戻した効果があったかもしれない。 インターネットを見ても、とくに大学生ら若者が集まる掲示板などには「祖国万歳」「習近平主席万歳」といった内容の書き込みが多かった。中国に招待されたにもかかわらず、欧米や日本がボイコットしたことに対し批判する声も多かった。 一九〇〇年の北清事変で清国の都北京に攻め入った日、英、米、仏、独、露、伊、墺の八カ国連合軍の歴史に触れ「ロシアを除き列強が中国を再びいじめはじめた」といった書き込みもみられた。 しかし一方、富裕層と知識人たちの間で、今回の軍事パレードに対し「金の無駄遣い」「冷戦時代の発想だ」といった批判が多かった。香港紙の試算によれば、今回の軍事パレードの予算と経済損失は合わせて、215億元(約4000億円)に達した。 政権に強く失望した知識人もあった。ある大学教授は「日米欧をみな敵に回してしまい、小平以来、中国が30年以上も続けてきた善隣友好外交が台無しとなった」と嘆いた。 当局は今回の軍事パレード前後の3日間を休日に決めたが、この期間を利用して、日本に観光にきた富裕層も多かった。彼らは政府の日本批判キャンペーンを全く気にしていなかった。 また、青空を実現させるために、周辺数千の工場の操業を停止し、経済活動が停滞した。企業の経営者からは恨み節が聞かれた。ある製鉄会社の社長は「うちの溶鉱炉は一旦止めると壊れてしまう。昨年のAPECの時に止まって、新しく設備を入れたばかりだ。まだ一年もたたないうちにまた操業停止となり、大損だ」と嘆いた。 しかも、これらの操業停止はすべて行政命令の形で行われ、法的根拠がない。習政権が昨年秋の党中央総会で「法による支配」という執政方針を打ち出したのに、早くも自らがその方針を否定した形となった。 貧困層や若者は人数的に多いけれど、富裕層と知識人の方がより社会的に影響力を持っている。軍事パレードで富裕層と知識人の政府に対する不満が高まり、批判を浴びたことは、習政権にとって大きなマイナスといえる。パレード外交でも失敗したパレード外交でも失敗した 今回の軍事パレードに対し国際社会の反応も決して良くなかった。習政権にとって外交成果もマイナスだった。今年2月、軍事パレードの実施を決めたとき、習氏の脳裏でイメージしたのは、米国をはじめ、世界中の主要国のリーダーがみんな北京に集まり、出迎える自分のところに一人ずつやってきて握手する場面だったかもしれない。 しかし、ふたを開けてみれば、日本や米国など先進7カ国(G7)の首脳は全員参加を見送った。太平洋戦争の戦場となったフィリピンやインドネシアの首脳も姿を見せなかった。 習政権発足後、唯一関係が良くなったといわれた韓国の朴槿恵大統領でさえ、直前になるまで、態度をあきらかにしなかった。30人の出席者のなかに、朴大統領とロシアのプーチン大統領以外に、ほとんど国際社会で知名度も影響力も低いリーダーばかりだ。 人民解放軍の隊列に続き行進したパキスタン、キューバ、メキシコなど11カ国の外国軍の部隊のほとんどは、旧日本軍と戦ったこともなければ、日中戦争中に中国を支援したこともない。むしろ、中国から支援を受けている国が大半を占めた。 ベネズエラ軍代表も行進に参加したが、派遣された兵士はわずか9人だった。軍事パレードのあと、中国がベネズエラに対し50億ドルを融資することを発表した。中国の外交関係者の間で「一人当たり5億ドル弱、史上最高の出場費を中国が支払った」などと揶揄された。 1980年に独立し、人口わずか20万人あまりのバヌアツ共和国のロンズデール大統領は夫人とともに参加した。同国は今年3月、サイクロンの被害に遭ったとき、中国から3千万元(約6億円)という破格の支援を受けた。「お礼のための出席ではないか」と話す欧米記者もいた。 また、別の理由で国際社会に注目された出席者がいる。スーダンのバシル大統領である。バシル氏はダルフールでの虐殺に関与した疑いで、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出されており、現在、国際指名手配を受けているからだ。「反ファシズム勝利を祝うイベントなのに、ファシストのような犯罪者を呼んでいいのか」と複数の人権団体から抗議の声が上がっている。 5月にロシアで行われた対ドイツ戦勝70周年の記念式典には25カ国が参加した。このことを受け、中国が苦心してそれを上まわる30カ国を集めた感が否めない。モスクワでの軍事パレードを観閲するロシアのプーチン大統領(右から2人目)と中国の習近平国家主席(その左)(ロイター=共同) 国の数では、クリミア併合問題で国際社会から制裁を受けているロシアには勝ったようにみえた。しかし、2008年夏に北京でオリンピックが行われたとき、その開幕式に、米国のブッシュ大統領、日本の福田康夫首相、フランスのサルコジ大統領(肩書はいずれも当時)ら世界中から86人の首脳と王室関係者が参加した。 胡錦濤政権当時と比べて、いまの中国の外交環境が著しく悪化したことがうかがえる。そういう意味で、習政権が展開した軍事パレード外交は完全に失敗したといえる。 ただ、一つだけ成果があるとすれば、中露が主導する国際組織、上海協力機構のメンバー全部が出席したことだ。中央アジアの旧ソ連に加盟していた国々を中心に構成している組織だが、最近、欧州でNATO(北大西洋条約機構)と対抗して、東アジアで日米同盟と対抗する構図がいよいよ鮮明化した。 これらの国々は中国の習政権が推進する、欧州やアフリカまで結び、新しい経済圏を生み出そうとする「一帯一路」構想と深く関わっており、今後、中国のこれらの国々に対する影響力はますます高まる可能性がある。上海協力機構が中露中央アジア軍事同盟の雛形になりつつあることを、日本をはじめ、国際社会は注目する必要があるかもしれない。左手で敬礼の波紋左手で敬礼の波紋 今回の軍事パレードで、思わぬところで話題になったことがある。習主席が自動車に乗り、立ち上がって閲兵した際に、左手で敬礼したことが注目された。中国軍の規定では、けがや障害など特別な理由がなければ、「右手で敬礼する」と決められている。習氏がこれを守らず左手で敬礼したことに「兵士たちはあれだけ必死になって練習したのに、上司は常識も覚えようとしない」といった批判がよせられた。このことが習氏の人気にマイナス効果をもたらす可能性もある。 3日午前、中国のテレビのほぼ全チャンネルが軍事パレードを生中継した。習主席は車上で、緊張していたせいか、ほとんど無表情だった。長安街をUターンして天安門方向に戻ろうとしたとき、部隊の方を眺めて左手を顔の横まで持ち上げ、「敬礼」をした。不自然な感じがあり、インターネットには「習主席は左利きなのか」「いや左利きでも右手で敬礼しなければならない」といった書き込みが殺到した。 「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事に出席した(左から)韓国の朴槿恵大統領、ロシアのプーチン大統領、習近平国家主席、江沢民元国家主席、胡錦濤前国家主席=3日、北京の天安門(共同) その後、各ネットメディアはそれぞれ、独自の解説をし始めた。あるメディアは中国の古典「老子」のなかに、「吉事は左、凶事は右に属する。君子は左を貴ぶ、用兵は右を貴ぶ」を紹介し、習主席が左手で敬礼をしたのは、「軍事パレードは戦争ではなく、武力を使用しない吉事である」と解釈した。 また、別のメディアは、「軍服を着たものが敬礼をする場合は右手だが、私服の習主席は左手でするのは当然だ」とも説明した。 その後、共産党の機関紙、人民日報(電子版)で「実際には撮影の角度で(敬礼との)誤解を招いただけ。本当は、習近平主席が軍の将兵に左手であいさつをしただけだ」と説明した。これが共産党の公式見解となり、その後、すべての中国メディアは「敬礼」という言葉をつかわなくなり「単なるあいさつ」と報じはじめた。 しかし、これまで、毛沢東、小平、江沢民など軍事パレードで閲兵した指導者はみな、敬礼も挨拶も右手をつかったのに、習氏だけが左手を使うのは明らかに不自然だ。「緊張しすぎたため手を間違った」とみる共産党関係者がいる。現場の近くにいた同関係者によると、テレビ画面に映らなかったが、実は習氏が敬礼する直前に、陳情者と思われる男性が習氏に近づこうとして長安街に一瞬突入し、警察に抑えられた場面があった。「それをみた習主席が動揺したのが、あげる手を間違った原因ではないか」と推測した。 米国在住の民主化活動家の胡平氏も「単純ミス」と見ている。胡氏は米国メディアに対し、米国大統領も就任宣誓の時に言葉を間違ったことがあるのを指摘した上で、「人間は誰でもミスをする。しかし、ミスをしてもそれを認めず、官製メディアを使ってそれを正当化するのは独裁国家の特徴だ」と指摘した。 ある軍関係者は、「習氏の左手による敬礼について、兵士の中に『失礼だ』と思っている人もいる」と紹介したうえで、「習氏が翌日に、自分の言葉で左手をあげた理由を説明すべきだった。ミスであっても兵士たちに謝罪すれば、好感度は上がるかもしれない」と指摘した。 しかし、毛沢東のような偉大な指導者を目指している習氏は、メディアを使って、自分自身をミスのない神様のような指導者に仕立てようとしているため、謝罪はしないだろう。情報を完全にコントロールすることは不可能のいま、「こういうことをすればするほど、習氏に対する国民の信頼がうしなわれていく」と指摘する声もある。発行されなかった取材証発行されなかった取材証 今回の軍事パレードで、筆者(矢板)も珍しい経験をした。外国人記者の中で唯一、取材する取材証が発行されなかったことだ。思わぬ形でニュースの当事者となり、菅義偉官房長官が会見で「記者の扱いは平等に行うことは民主国家として当然だ」と中国を批判するなど意外な展開となった。 経緯を簡単に説明する。8月中旬、中国で外国人記者を管理する外務省記者センターに軍事パレードの取材証の発行を申請したが、同月下旬に同僚記者と支局の二人の中国人スタッフの分が出ただけで、筆者の分は降りなかった。当初は手続きミスだと思い、何度も問い合わせをしたが、9月になってから担当者は「審査を通過しなかった」と回答してきた。北京にある日本大使館に報告すると、大使館は中国外務省に対し「遺憾の意」を表明してくれた。 取材証が発行されなかったことで、取材に支障が出た。軍事パレード当日は、管制区域内にある支局にもいけなかった。自宅でテレビと電話取材だけで原稿を書かざるをえなかった。 取材証が発行されなかった理由はいまもはっきりしない。日々の原稿で中国当局を批判することが多いため、中国当局が不満を募らせたのかもしれないが、北京駐在になってからすでに8年が過ぎた。これまで電話や呼び出しなどで抗議を受けることはよくあったが、取材証の発行拒否は初めてだ。 心当たりが一つだけあった。8月中旬に北京郊外で軍事パレードに参加する予定のヘリコプターが墜落した事故があった。ある軍関係者が情報を教えてくれてすぐ現場にかけつけたが、すでに周辺が封鎖され、目撃者にも厳しい緘口令がしかれた。 なかなか厳しい取材だったが、翌日になってようやく全容がつかめた。しかし、軍の秘密に絡む話で、中国当局が否定する可能性もある。記事にすれば情報提供者にも迷惑をかけるかもしれないと思いすぐには書かなかった。その後、共同通信が北京市関係者の話としてこのニュースを配信したため、後追いの形で記事にし、共同電よりかなり踏み込んだ内容を盛り込んだ。 今から思えば、へリ墜落後、現場に到着した時から軍からマークされていた可能性があった。軍からみれば、ヘリの墜落の現場を駆け回る記者は、軍事パレードの成功を邪魔しようとしているようにみえたかもしれない。外務省に対し、取材証を出さないように圧力をかけた可能性もある。 今回、取材証のことで、日中間の外交問題に発展したことは、中国は産経新聞と筆者に対し大きな不快感を覚えたに違いない。今後、取材妨害などの嫌がらせが増える可能性がある。私たち北京に駐在する外国人記者にとって、もっとも大きな嫌がらせは年末に記者証更新が拒否され、国外追放されることだ。 2007年末、産経新聞中国総局の福島香織記者がブログで、当時の胡錦濤国家主席ら中国の指導者を批判する記事などを連続して掲載したことを、中国外務省が問題視し、年末の記者証を更新しないことを示唆したことがあった。しかし、これを受けた福島記者がまたブログで、「私が追放されれば、元日号の一面トップにそれを書く」とブログで宣言した。 その後、当時の産経新聞の伊藤正総局長が粘り強く交渉した結果、北京五輪を控えた中国は態度を軟化させ、記者証の更新を認めた。しかし、当時は温厚な胡錦濤政権だったが、今は日本に対する態度がもっとも厳しいといわれる習近平政権である。同じようなことになれば、厳しい結果になるかもしれない。 もっとも、中国当局からどんな嫌がらせがあっても、筆者は中国報道の姿勢を変えるつもりはない。

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    満州の歴史に見る「破壊者」支那の流儀

    小名木善行(日本の心をつたえる会代表) もともと「清」という国は、現在の支那の東北省、昔の満洲国のあたりに住んでいた女真族の王のヌルハチ(努爾哈赤、太祖)が、1616年に明から独立して建国した「後金国」が前身です。ヌルハチは満洲文字(無圏点文字)を制定し、八旗制を創始する等、満洲人が発展する為の基礎を築き、1619年にサルフの戦いで明軍を破りました。 1636年、女真族、モンゴル族、漢人の代表が瀋陽に集まって大会議を開き、そこで元の末裔であるモンゴルのリンダン・ハーンの遺子から元の玉璽を譲られて、ヌルハチが大清皇帝として即位して「清」は建国されました。そして女真の民族名を「満洲」に改めました。 「満洲」という民族名は“文殊菩薩(もんじゅぼさつ)”に由来たと言われています。文殊菩薩というのは、梵名をマンジュシュリー (मञ्जुश्री [maJjuzrii])といいます。智慧を司る仏で、武力ではなく「智慧」で国を治めようとした建国の理念が、そうした名称にも表れているといえます。 もっとも清王朝で独自に考えたわけではなくて、どうやらチベットから、いわゆる「よいしょ」された文殊菩薩から、満洲の名が生まれているようです。 清を支那全土の王朝にしたのは第四代皇帝である康熙帝(こうきてい:在位1661年~1722年)です。康熙帝は、清代のみならず、唐の太宗とともに、中国歴代最高の名君とされいます。自ら倹約に努め、明代の1日分の経費を1年分の宮廷費用として遣ったり、使用人の数を1万人以上から数百人にまで減らすなど国費の無駄遣いを抑え、さらに治安の維持を図って、支那全土の物流を盛んにし、内需を拡大し、民の生活の向上を図ったとされています。 また「康熙字典」、「大清会典」、「歴代題画」、「全唐詩」、「佩文韻府」などを編纂し、「古今図書集成」の編纂を命じて文学の興隆を図り、また朱子学を尊重し、自ら儒学者から熱心に教えを受けて血を吐くまで読書を止めなかったともいわれています。「朱子全書」、「性理大全」など、朱子に関する著作をまとめ、明史を編纂し、イエズス会宣教師ジョアシャン・ブーヴェらを用いて、支那で初の実測による支那全土の地図「皇輿全覧図」を作成させたりもしています。 要するに、歳費の無駄を省き、自ら質素倹約を旨とするとともに、国内経済の振興を図り、民を豊かにし、文化の興隆を図った立派な皇帝だったわけです。 康熙帝が行った重要な命令に「封禁令」というものがあります。どういう命令かといいますと、「漢人は清国皇帝の聖地である満洲国に入るべからず」としたのです。 要するに康熙帝は、自らの出身地である満州地方を聖地とし、漢人の立ち入りを禁じたのです。これが今日のお話の最大のポイントです。清の第四代康熙帝 康熙帝は、漢人(支那人)の立ち入りを禁じただけでなく、支那と満洲の国境である山海関に、関所を設け、支那人の入国を規制しました。 要するに明代末期に支那の治世が乱れ、漢人に平和と安定を脅かされた女真族が、ついには漢人の本拠地を占領して皇帝となり、自らの出身地である満州を聖地化して、漢人の立ち入りを禁じて、故郷の平和と安定を図ったわけです。 逆にいえば、女真族(満洲人)が、自国の平和と安定を図るためには、暴虐極まりない支那(漢人)たちの本拠地を制圧し、そこに首都を移転して漢人たちに君臨し、自国(満洲)の平和と安寧を図るしかなかったということです。ロシアの南下と蛮行 万里の長城の出発点には「山海関」という城門があります。康熙帝は、封禁令によって、満洲国と支那との間の交通は、この関所以外、一切認めませんでした。立ち入れば、即、死刑です。おかげで、満洲地方は、この後約二百年にわたり、平和と安定を得ています。 ところが、清の治世が乱れ、欧米列強が支那の大地への浸食を始めると、満洲地方の安定が損ねられてしまうようになりました。何が起きたかというと、ロシアの南下です。 義和団事件(1894~1901)の後、乱の当時はろくな働きをしなかったロシアが、勝手に南下をはじめ、ついには大連のあたりまで浸食してしまうのです。 ロシア人も漢人と同じです。武力を用いて一般人を脅し、富と女を収奪します。 ロシア人たちが南下したとき、どれだけヒドイ仕打ちを現地の人にするかは、戦後、満洲から引き揚げようとする日本人達に、彼らがどのような振舞をしたかを見ても明らかだし、カザフやその他、何何スタンと名のつく国々が、ロシアや旧ソ連によってどれだけ酷い仕打ちを受けてきたかの歴史をみれば、なお一層明らかです。 ベラ・ルーシー(白ロシア)という名称があります。これはモンゴルの騎馬軍団がモスクワからポーランドへと侵攻していくとき、湖沼が多い白ロシアの地を避けて通った。だから「レイプがなかったルーシー(ロシア)」という意味で「ベラ(白、純潔)」ルーシーと呼ばれています。 どういうことかというと、13世紀のモンゴル軍というのは、支配地における強姦が将兵の職務となっていた。だからモンゴルの正統な継承国であるロシアは、それが現在にいたるまで不変の文化として残っていて、そうした文化は、そのまま旧ソ連に引き継がれた。ソ連軍による無制限の強姦については、数限りないほどの証言が残っています。 「ドイツ人の女性は老女から4歳の女児に至るまで、エルベ川の東方(ソ連占領地区)で暴行されずに残ったものはいなかった。あるロシア人将校は、一週間のうち少なくとも250人に暴行された少女に出会った」(「スターリン」ニコライ・トルストイ著) 「ベルリンの二つの主要病院によるレイプ犠牲者の推定数は9万5千ないし13万人。ある医師の推定では、ベルリンでレイプされた十万の女性のうち、その結果死亡した人が1万人前後、その多くは自殺だった」 「東プロイセン、ポンメルン、シュレージェンでは、すくなくとも2百万人のドイツ女性がレイプされ、繰り返し被害を受けた人も、過半数とまでいかなくても、かなりの数にのぽる」(「ベルリン陥落1945」アントニー・ビーヴァー著自水杜) こうしたロシア兵が、満洲に南下し、さらに朝鮮半島を経由して日本に襲いかかろうとした、というのが明治の中頃の日本の持っていた危機感です。日本は、国を守るために、朝鮮北部から満洲にかけて(当時は朝鮮は日本の一部です)南下するロシア軍との戦いに臨みました。これが日露戦争(1904~1905)です。 日露戦争が終わると、日本は、ロシアが満洲に持っていた権益を合法的に手に入れました。ところが当時の満州は、「馬賊と阿片は満洲の花」といわれるくらいの、盗賊王国、麻薬王国です。 そりゃあそうです。清の国力が弱まり、ロシアが南下して暴行のし放題。田畑は荒らされ、仕事はなく、飯も食えない。女房や娘は強姦され、子供たちは虐殺されたのです。 ある程度元気の良いものは、馬賊になって徒党を組んで強盗団にでもならなければ生きていけなかったし、馬賊となった人々を食わせるためには、馬賊の頭領は、アヘンを売り捌くのがいちばん手っ取り早かったのです。リットン調査団ですら日本を賞賛 日本は、混迷を続ける満洲で、きわめて生真面目に馬賊を退治し、法を定めて治安を保ち、産業を興し、農業を活性化し、道路や街を作り、あのリットン調査団ですら賞賛せざるを得なかった街づくり、国づくりを行いました。 下の図は、全満洲の発電量のグラフです。当時の満州は、発電機、変圧器、送電線など、世界水準を超えるものとなっていた。 これだけではありません。日本は、満洲に「国道建設10か年計画」を策定し、道路や橋梁を築いた。昭和12(1937)年頃には、全満洲の全国道は、1万キロを超え、四季を通じて自動車の運行が可能にしています。 なにもない荒野に、新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルピン、吉林、チチハル、承徳、営口、錦洲、牡丹江といった近代都市を次々建設しました。鞍山製鉄所では、年間20万トンもの鉄鋼資源が製造され、大連発電所、豊満ダム他、数々の近代工業設備投資が行なわれました。 満州人、朝鮮人、支那人にわけへだてなく諸学校を作り、近代的医療を施し、司法・行政機関を作り、支那大陸の歴史始まって以来、初の法治が行われました。近代的警察制度を行い、軍閥や匪賊を討伐し、街を整備してアジアの奇跡と呼ばれるほどの近代化を促進したのです。要するに、日本が行ったことは、現地人を教育し、彼らの生活水準を日本の内地と同じ水準に引き上げるというものです。これは、欧米列強による植民地化・・・富の収奪を目的とするものと、その心得がまるで違うものです。 このため当時の満州は、治安は日本の軍が守り、街は建設の息吹に燃えました。そこには旺盛な労働需要が発生し、農業も振興され、日本の指導によって、きちんと灌漑が行われて土地が肥沃になりました。 つまり満洲は、食えて、働けて、安心して住むことができる土地になったのです。 断っておきますが、ここまでの満洲の国家的インフラ整備は、満洲事変前、つまり、満洲国が起こる前の出来事です。いまでもそうだけれど、支那人という人種は、そこが食えて、働けて、住めるということがわかると、大挙して押し寄せます。 マンションの一室に、ある日、支那人が住み始める。気がつくと、その支那人の親戚やら友人といった連中が、次々と支那からやってきて、そのマンションに住み始める。気がつくとそのマンションは、ほぼ全棟、支那人ばかりという情況になる。こうした行動パターンは、古来、支那人(漢人)の特徴です。 当時の満州は、日本が介入して後、わずか20年ほどの間に、もとは満蒙人しか住んでいなかったのに、なんと9人中8人までもが漢人(支那人)になってしまいました。【昭和5年当時の満洲の人口】満蒙人   300万人支那人  2600万人朝鮮人   100万人日本人    23万人 このことを、左翼系に偏向した歴史教科書などは「清王朝の政策によって支那人の満洲地方への入植が行われた」などと書いていますが、とんでもない大嘘で、当時の清朝政府には、それだけの指導力も資金力もありません。要するに、南京において、日本が統治を始めたわずか2ヶ月後には、南京の人口20万が、25万人に増えたのと同様、民衆は、治安が保たれ、仕事があり、食えるところに人が集まったのです。毎年100万人規模で支那人達が満洲へ 支那全土が軍閥や共産主義者、窃盗団等によって、好き放題荒らされ、農地が荒廃し、建物が破壊され、惚れた女房は強姦され、旦那や息子が虐殺されるという無法地帯と化した中にあって、多くの人々が、治安が良くて仕事があり、安心して暮らせる土地を目指したというのは、ごく自然な行動です。 その結果、昭和になると、なんと毎年100万人規模で、支那人達が満洲に流入しました。満州事変勃発前の昭和5(1930)年には、ついに全人口の9割が支那人になりました。支那人が増えるとどうなるか。これも昨今の日本の各所でみることができるけれど、彼らは彼らだけのコミュニティを作り、平気で暴行を働き、治安を乱します。そしてついに、満洲国内で、支那人たちによる主権をも主張するようになりました。 これは支那人のいわば習い性のようなもので、彼らの行動は、時代が変わってもまるで変化しない。いまでも支那共産党が、チベット、東トルキスタン、南モンゴルなどで異民族を統治するに至る方程式は、まるで同じです。これからはアメリカが危ないかもです。1 まず漢人が入植する。はじめは少数で。次第に大人数になる。2 漢民族との混血化を進めようとする。はじめは現地の人との婚姻で。次第に大胆になり、果ては異民族の若い女性を数万人規模で拉致し、妊娠を強要する。3 現地の文化財を破壊する。4 天然資源を盗掘し、収奪する。5 漢人だけの自治を要求し、国家を乗っ取る。 昭和のはじめの満洲がそうでした。人口の9割が漢人になると、自分たちで軍閥を営み、満洲の自治を奪いました。これをやったのが、張作霖(ちょうさくりん)です。 張作霖は、もともと匪賊(ひぞく・盗賊集団)の頭で、勢力を伸ばして軍閥となり、ついには、満洲国に軍事独裁政権を打ち立てました。昭和4年、全満洲の歳入は、1億2千万元だった。そのうち、1億2百万元を、張作霖は自己の利益と軍事費に遣っています。なんと歳入の8割を軍事費にしたのです。 いまで言ったら、汚沢一郎が支那の人民解放軍を率いて日本の政府を乗っ取り、95兆円の歳費の8割にあたる76兆円を軍事費に振り向けた、というに等しいことです。しかもその軍事力の矛先は、なんと自国に住む満州人です。ありえないお馬鹿な話です。 要するに、せっかく都市インフラが進み、みんなが豊かに生活できるようになったと思ったら、その富を横から出てきた漢人で、まるごと横取りしたのです。         張作霖 張作霖が、実質的な満洲の支配者となって行った政策の、一端が、次に示すものです。1 財産家の誘拐、処刑2 過酷な課税  なんと5年先の税金まで徴収した。農作物や家畜にまで課税し、収税の名目はなんと130種類。3 通貨の乱発  各省が勝手に紙幣を乱発。当然通貨は大暴落した。4 請負徴収制度  税吏は、税額を超えて集金した分は、奨励金として自分の収入になった。 いま日本では、友愛などというゴタクを並べる総理がいたり、大喜びで支那に朝貢する売国議員などがいて、支那人達に労働力1000万人受け入れを約束したり、彼らの最低時給を1000円にしようだとか、ついでに参政権まで与えようなどと言い出す、ボンクラがいるけれど、そういう行動がもたらした結果がどうなるかが、当時の満洲に見て取れるわけです。支那人の「人治主義」 日本人は、道義主義の国家です。だから規則があればそれに従います。日本人のマインドは、常に相互信頼が基本にあるから、信頼に応えるためには、リーダーであっても規則があればそれに従うのが常識です。 ところが支那人は、人治主義です。法より人が偉い社会です。法をどれだけ無視することができるかが、大人(だいじん)の風格として尊ばれます。先日来日した習近平の行動もその典型で、日本に1ヶ月ルールを破らせることが、大物としての風格(あるいは貫禄)の証明とされています。法よりも人が偉いから、権力を持った人間は、なんでもかんでも好き放題できるし、それをすることが偉い人を偉い人たらしめる理由となります。 張作霖は、満洲国を軍事制圧すると、国民から税金として金銭をむしりとり、自身は老虎庁と呼ばれる豪邸に住み、贅沢の限りを尽くしました。そしてついに張作霖は、日本を追い出して満州を完全に自己の支配下に置こうとしたのみならず、支那までも征服し、支那皇帝にまでのぼりつめようと画策しました。張作霖の公邸「老虎庁」 そんな折に起こったのが、張作霖の爆殺です。この張作霖爆殺は、長く日本の河本大佐の仕業と言われ続けていたけれど、公開された旧ソ連の外交文書には、ソ連の陰謀であったと書かれているともいいます。 すなわち、張作霖を爆死させ、それを日本軍のせいにすることによって、日本を糾弾し、さらに日本と支那最大の軍閥である蒋介石を戦わせることで、両国を疲弊させ、最後にソ連が、支那と日本の両方をいただく・・・というシナリオであったという説ですが、実態は藪の中です。 張作霖が爆死したとき、満洲の一般市民がどういう反応を示したかというと、これが拍手喝采して喜んでいます。当然です。むごい税金の取り立てで、国内を泥沼のような混乱に陥れたのです。その張本人がいなくなれば、みんな大喜びになる。ごく自然なことです。 張作霖が死ぬと、その息子の張学良が後継者として奉天軍閥を掌握し、蒋介石を頼って反日政策を進めました。ところが張学良は、満州事変で満洲から追い出されます。すると支那共産党と結び、蒋介石との国共合作に引き入れる西安事件を起こしています。 朝鮮半島でも、支那、満洲でも同じなのだけれど、いわゆる反日・侮日政策を採った者たちには、「民衆の幸せ」という観念がないという共通点があります。。どこの国にも、多くの民衆がいて、誰もが家族の幸せ、生活の安定を求めて生きているのです。それは昔も今もなんら変わることのない、人々のごく普通な、普遍的な思いです。 日本が統治した国は、いずこもそこに平和と安定と建設の息吹が芽生えています。台湾、朝鮮半島はいうにおよばず、インドネシア、パラオ、タイ、ビルマ、シンガポール、マレーシア、カンボジア等々。満洲人の不幸は、内乱が続く支那と陸続きでかつては同一行政単位の国だったということです。 満洲の政治が安定し、工業や農業が盛んになり、学校や医療設備ができ、治安が良くなると、そこに内乱が続く支那から、こぞって漢人たちがやってきた。そしてこの漢人という種族は、大量にやってくるだけでなく、放置しておけば、その国の国民の数をはるかに凌駕するだけの人を呼び込む。そして自分たちだけの自治を要求する。その国のや文化や伝統を破壊する。そしてひとたび政権を取るや否や、権力を利用して、普通の神経では考えられないような暴政をひき、逆らう者、邪魔になるものは、かつての恩人であれ、平気で奪い、殺し、足蹴にする。 これが過去の歴史が証明している支那・漢人の流儀です。いま日本は、きわめて親支那寄りの政権が誕生し、実際にあった過去の真実の歴史を踏みにじり、日本の庶民が築いてきたありとあらゆる文化・伝統を破壊し、企業活動を損ね、経済を壊そうとしています。そして支那から1000万人の労働力を呼び寄せ・・・1千万人で終わるはずがない・・・彼らに最低時給1000円を保障し、日本の戸籍を与え、ついでに参政権まで与えようとしています。その先にあるものは、どのような日本なのでしょう。 京都に青蓮院というお寺があります。このたび青蓮院は、1200年ぶりにはじめてのご本仏、青不動尊の御開帳を行いました。しかも京都近郊の不動尊を一堂に集めての御開帳でした。 なぜそのようなことをしたのかというと、我が国の道徳心の荒廃があまりに顕著であり、まさにいま、「1200年来最大の国難のときにある」からだからなのだそうです。辛い事件があまりにも多すぎます。「この混迷の世の中で、青不動の強いお力をいただいて、いろいろな問題を少しでも良い方向に導いていただきたいと考え、ご開帳を行うことにいたしました」のだそうです。 日本を護るということは「庶民の幸せこそ国家の幸せである」という人類共通の理念を護るということなのではないかと、思います。 その日本がいま、貶められ、解体されようとしています。私たちは、わたしたちの手で、この日本を護りぬかなければならない。 そうしなければ、この国を、そして「民の幸せ」を希求して亡くなっていかれた英霊たちに申し訳ない。そのように思います。(「小名木善行 ねずさんの ひとりごと」 2011年2月2日より転載)おなぎ・ぜんこう 1956年生まれ。大手信販会社にて債権管理、法務を担当し、本社経営企画部のあと、営業店支店長として全国一の成績を連続して達成。その後独立して食品会社経営者となり、2009年より保守系徳育団体「日本の心をつたえる会」を主催、代表を勤める。ブログ「ねずさんのひとりごと」は、政治部門で常に全国ベスト10に入る人気ブログとなっている。

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    「侵略」だなんて

    中国はことあるごとに、「侵略戦争」を発動した日本という〝歴史問題〟を持ち出して、日本を国際社会における「永遠の罪人」に仕立て上げようとする―。これは『日中戦争の「不都合な真実」』(北村稔・林思雲 PHP文庫)からの引用だが、この一書を読めば、事柄の大筋と本質がよくわかる。

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    今や「戦国時代」の様相 中国の目先の利益に乗るな

    石平(評論家) 今月(編集部注:2015年11月)に入って中国は、アジア太平洋地域において一連の慌ただしい近隣外交を展開してきた。 1日、韓国のソウルで李克強首相は3年半ぶりの日中韓首脳会談に参加し、日本の安倍晋三首相との初の公式首脳会談を行った。5日には、今度は習近平国家主席が就任後初めてベトナムを訪問し「関係の改善」を図った。10日、王毅外相はマニラを訪れてフィリピンの大統領、外相と相次いで会談した。 この一連の外交活動の対象となった3カ国が抱えている共通問題といえば、やはり南シナ海だ。同海での中国の拡張戦略に対し、当事者として激しく反発しているのはベトナムとフィリピンの両国である。一方の日本もまた、自国のシーレーンとなる南シナ海の「航海の自由」を守るべく、中国の戦略に強く反対する立場を取っている。こうした中で中国がこの3カ国に急接近してきた意図がはっきりと見えてくる。 10月末の米海軍による南シナ海哨戒活動の展開によって米中対立が一気に高まった中、中国政府は南シナ海問題の当事者諸国との緊張を緩和させることによって、中国批判を強める米国を牽制(けんせい)するつもりであろう。当事者同士が話し合いで問題解決に向かうのなら「部外者」のアメリカは口出しが難しくなる計算である。 さらにAPECの前に、関係諸国を取り込んだ上でアメリカの攻勢を封じ込めておくのが一連の中国外交の狙いだったろう。 要するに、アメリカを中心とした「有志連合」が中国の拡張戦略に立ち向かおうとするとき、「有志連合」の参加国と個別に関係改善を図ることによって「連合」の無力化を図る策略なのだ。それは中国で古来使われてきた伝統的得意技である。 中国では紀元前8世紀から同3世紀まで戦国という時代があった。秦国をはじめとする「戦国七雄」の7カ国が国の存亡をかけて戦った時代だったが、7カ国の中で一番問題となったのが軍事強国で侵略国家の秦であった。 いかにして秦国の拡張戦略を食い止めるかは当然他の6カ国の共通した関心事であったが、その際、対策として採用されたのが、6カ国が連合して「秦国包囲網」を作るという「合従策」である。 6カ国が一致団結して「合従」を固めておけば、秦国の勢いが大きくそがれることになるが、一方の秦国が6カ国の「合従」を破るために進めたのが「連衡策」である。6カ国の一部の国々と個別的に良い関係をつくることによって「合従連衡」を離反させ、各個撃破する戦略だ。 この策で秦国は敵対する国々を次から次へと滅ぼしていったが、最終的には当然、秦国との「連衡」に応じたはずの「友好国」をも容赦なく滅ぼしてしまった。秦国の連衡策は完全な勝利を収めたわけである。 それから二千数百年がたった今、アジア太平洋地域もまさに「戦国時代」さながらの様相を呈している。中国の拡張戦略を封じ込めるために米国や日本を中心にした現代版の「合従連衡」が出来上がりつつある一方、それに対し、中国の方はかつての秦国の「連衡策」に学ぶべく、「対中国合従連衡」の諸参加国を個別的に取り込もうとする戦略に打って出たのである。 その際、日本もベトナムもフィリピンも、目先の「経済利益」に惑わされて中国の策に簡単に乗ってしまってはダメだ。あるいは、中国と良い関係さえ作っておけば自分たちの国だけが安泰であるとの幻想を抱いてもいけない。 秦国によって滅ぼされた戦国6カ国の悲惨な運命は、まさにアジア諸国にとっての「前車の轍(てつ)」となるのではないか。

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    女優「李香蘭」は日中にとってどんな存在だったのか

     (THE PAGEより転載) 「李香蘭」の名で広く知られ、戦後は参院議員もつとめた女優・歌手の山口淑子(やまぐちよしこ)氏が2014年9月7日、94歳で亡くなりました。若い世代の人は、李香蘭という名前を知らないかもしれませんが、かつて日本が満州を支配していた時代には、日中両国において、知らぬ人がいないほどの有名人でした。李香蘭とはどのような人だったのでしょうか。 李香蘭は、女優です。美しい容姿とネイティブ並みの中国語能力を持っていた山口氏は、李香蘭の名前で中国人女優としてデビューしたのです(山口氏の父親は満鉄で社員に中国語を教えていた)。 山口氏が李香蘭としてデビューした背景には、大陸に進出しようとしていた当時の日本の国策がありました。日本は満州事変をきっかけに、清朝最後の皇帝溥儀を迎え、満州国を設立しました。日本は軍事力で大陸を支配しようとする一方、文化的な支配も実現しようと試みており、そのために設立されたのが満映という会社でした。「李香蘭」の名で知られた山口淑子さん(1959年1月撮影) 当時の満映理事長には、元陸軍憲兵で、無政府主義者殺害の容疑で服役したこともある甘粕正彦氏が就任していました。日本側は日中の架け橋となるような大女優を求めており、白羽の矢が立ったのが山口氏だったわけです。少し古い映画ですが、溥儀の生涯を描いた「ラストエンペラー」では、音楽家の坂本龍一氏が、音楽を担当すると同時に、甘粕氏の役で出演しています。 軍部の狙い通り、李香蘭は日中で大変な人気となり、次々と映画に出演し、歌も大ヒットします。しかし中国の人は、李香蘭が本当に中国人だと思っていました。このため、日本が無条件降伏を受け入れた際には、日本軍に協力した罪(漢奸罪=国家反逆罪)で起訴されてしまいます。 その後、日本人であることが法廷で証明され、ようやく日本に帰国することができます。帰国後は、日本での芸能活動を経て、自民党から参院選に出馬し、参議院議員を3期つとめています。 山口氏は女優としてデビューすることにあまり乗り気ではありませんでしたが、父親が満鉄の関係者だったこともあり「お国のため」と仕事を引き受けたそうです。しかし、日本人であるにもかかわらず、それを隠して中国人女優として活動してきたことについて、山口氏には相当な葛藤があったといわれています。 女優として有名になり、日本公演のために一時帰国した際には、日本の入国係官から「おい!」と呼び止められ「一等国民である日本人が三等国民である中国人の服など着て恥ずかしくないのか。それでも日本人か」と罵声を浴びせられたと自著に記しています。 日本は大陸進出にあたり「五族協和」というスローガンを掲げ、アジア人が団結して欧米に対抗すべきだと主張していました。しかし、現実は相当かけ離れていたようです。

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    「中国侵略」の肝といわれる満州事変はなぜ起きたのか

    れた範囲で当然のことをしているという思いがある。そこに両者の根本的な見解の相違がありました。そういう日中関係にアメリカ、イギリス、それにドイツ、ソ連などの思惑が絡んで、非常に複雑な国際関係が展開していた。最終的には、中国はターゲットを日本一国に絞って欧米諸国とうまく関係を取り結び、対日包囲網を形成しました。そうしたなか、日本の行動は色々な意味で単純に過ぎたと言わざるをえません。 これは現代にも通じるところがあって、イギリスは最近中国中心のアジアインフラ投資銀行AIIBに突然入って驚かされましたし、訪英した習近平国家主席を「大歓迎」しましたが、イギリスが中国に対して抜け駆け的行動をとる傾向があるのは、一九二六年に「十二月メモランダム」という中英提携を突然発表して日本から「ワシントン条約の精神を無視し」たと強硬に抗議された時と変わっていません。 また、中国と最初に平等な条約を結び、日中戦争時に蔣介石を軍事支援していたドイツは、現在のメルケル首相に至るまで非常に親中的です。 こうした大国間の複雑な関係の中でワシントン条約体制という国際協調関係に一番忠実だったつもりの日本は気が付いたら孤立していた。日本が国際社会において失敗を繰り返さないようにするためには、こうした孤立に陥らないようにすることが大事ではないかと思います。「国際中間地帯」等松 日本の近現代史を国際的文脈の中に置いてケース・スタディとして見ると、国際連盟を脱退した日本が、なぜそれ以降も国際連盟規約で規定されていた委任統治を南洋群島において続けられたのかという疑問がわきます。一九三〇年代には満洲問題と南洋群島の問題がパラレルで出てくる。英仏豪のような国際連盟の委任統治に関わっている国々、あるいは米ソ独のような南洋群島に関心のある国々はそれをどう見ていたのか。満洲事変は日中間の問題であると同時に、誰が実効支配しているかよくわからない曖昧な地域を巡る紛争、つまり世界的に存在していた問題の一つでもあったのです。 そのことに一部の先覚者は当時から気づいていて、たとえば神川彦松という著名な国際政治学者は、複数の国家が権利を主張する地域を「国際中間地帯」と呼んでいました。ヨーロッパでいえばバルカン半島やクリミア半島やシレジア地方がそれにあたり、帝国主義の時代には列強のせめぎ合いの場になっていた。のみならず現地のローカルな勢力もそれぞれの思惑のもとに蠢いている。ご承知のように第一次世界大戦はバルカン半島というヨーロッパの国際中間地帯を巡る争いから始まりました。いま現在でもクリミア半島では同様のことが生じています。これは普遍的な、現在でも解決されていない問題です。東アジアにおいては満洲がまさに「国際中間地帯」でした。満洲は日中間だけの問題ではなかった。 第一次世界大戦後に国際連盟が作られ、委任統治制度が設けられた目的の一つも、国際中間地帯における武力紛争を避けるためでした。そういう観点から満洲事変を見ると、帝国主義批判、あるいは日中関係のみで見るのとはずいぶん違う景色が見えてきます。 一九三二年秋に発表された「リットン報告書」を読み直してみると、満洲をどのようなかたちで国際管理下におくか、治安をどう維持するかに関して、公表されていない部分では、連盟主導の暫定統治であるとか、現在で言う多国籍の平和維持軍のようなものまで、複数の構想があったことがわかります。ところが日本がリットン報告書を不服として早々と国際連盟からの脱退を通告してしまったため、そこから先の議論が進まなかったのですが、蔣介石は中国の権利さえ保障してもらえれば満洲をしばらくのあいだ国際管理下におくことに基本的に賛成でした。 実は日本でも、「リットン報告書」が発表されたときには、外務省や陸軍の一部には国際連盟の提案を受け入れて考え直そうという意見があった。しかし、満洲国に対する世論の熱狂的な支持があったり、満鉄や関東軍が権益を手放そうとしなかったりで、「リットン報告書」の構想は幻に終わりますが、実は国際的な正統性を獲得できれば満洲国も生き延びることができたのかもしれないのです。安易に使われすぎる「侵略」安易に使われすぎる「侵略」北村 「満洲事変」は満鉄の線路が爆破された昭和六年(一九三一)の柳条湖事件に端を発し、日本の〝侵略戦争〟の出発点とされるわけですが、「侵略」というのは、単純に考えれば他人が住んでいるところへ一方的に攻め込んでいって勢力下におくようなものでしょう。しかし、日本にそんなつもりはなくて、むしろ中国人のほうが戦争をする気満々だった。そもそも「侵略戦争」というのは“aggressive war”の訳語ですが、東京裁判で道義的、犯罪的な意味で使われるまでは、「先に攻撃を仕掛けた」という戦争の開始状態を示すだけで特別なニュアンスはなかった言葉だから、安易に使うべきではありません。 もともと日露戦争に勝った日本はロシアから賠償金を取れずに、遼東半島の旅順・大連(関東州)と東清鉄道南部支線の一部(後の南満洲鉄道)および附属地を譲り受けることで講和しました。しかし、これはもちろん領土の割譲ではなく、期限付きの借地のまた貸しみたいなもので、主権は〝地主〟の清にある。だから、十年後の「対華二十一カ条」(一九一五)で租借権の期限延長をめぐって揉めますね。しかも、「対華二十一カ条」要求に怒った中国人がやがては日本人を襲い、現地の日本人居留民は中国人にたびたび暴力をふるわれ、ひどい目にあわされることになる。日本人は最近ようやく中国人の乱暴さや無法さを知ったようですが(笑)、それは昔から変わらない。 だから、満洲国をつくったのは、ある意味しかたのないことだったのかもしれませんね。いつまでも近代化しないし、法の支配が及ぶ国にならない。しかし満洲には日露戦争後の一九〇七年に清朝が省制度を導入し行政区画を万里の長城の内外で一体化していた。また二千万人といわれた住民の九割は漢人種です。清朝が倒れそのあと国民党による国民革命が唱えられて久しい一九三〇年代に、旧満洲人皇帝の権威で新国家を作る建国理念は、五族協和(満、日、漢、蒙、朝鮮の各民族の協調)を唱えても説得力に欠けます。張作霖も張学良も、みな漢人種です。満洲国とイラク等松 仮に日本人が中国に居留するとしたら、どうやってガバナンスを確立するか、どうやって安定した状態を保つかというのが大きな課題でした。清朝末期から民国初期の中国は混乱状態で、軍閥が割拠する力の世界だから法の支配さえ怪しい。匪賊とさして変わらないような軍閥が勝手に税金を取ったり住民を酷使したりする。 そういう状況を安定させるには、帝国主義の全盛期ならば武力で支配すればよかったのですが、第一次世界大戦を境にして、ベルサイユ会議以降、植民地主義への反省から「民族自決主義」という潮流が生まれました。そのあたり、イギリスなどは新しい時代の流れの中でうまく立ち回っています。狡猾というか賢明というか、逆に自国の行動を〝合法化〟していくのです。日本の場合には旧式の外交から新時代の外交、つまり帝国主義から反帝国主義への切り替えがうまくいかず、中国だけでなく中国に利権を持つ列強と衝突してしまう。イギリスなどと比べて明らかに日本は立ち回りが下手だったと言えます。 実は満洲事変とほぼ同じ時期にイギリスはイラクの問題を抱えていました。第一次世界大戦中にイギリス軍はオスマン=トルコ軍をメソポタミアから追い出してイラクを占領した。満洲以上に治安が悪い地域で、北部にはクルド人がいるし、アラブ人もスンナ派とシーア派に分かれて争っているから、イギリスは強権で支配した。しかし、第一次大戦後の潮流のなかでは、そのまま植民地にしてしまうと帝国主義であるとの批判を浴びますから、それはできない。とはいえイラクは石油も出るし中東支配の要だから、ぜひとも確保したい。そこでイラクを国際連盟のA式委任統治領にして自らが受任国となるのです。こうして事実上イラクはイギリスの保護国となったのですが、国際連盟のお墨付きですから、合法性があります。将来は独立させて有利な条約を結ぶ。いわば「名を捨てて実をとる」戦略です。 奇しくも満洲国建国と同じ一九三二年にイラクは独立して国際連盟に加盟し、そして独立国としてイギリスと条約を結びます。しかし、独立国とは名ばかりの虚構の国家で、イギリス人顧問があちこちにいて、英国軍の駐留も認め、イギリスに最恵国待遇を与えるなど、その内容は日満議定書と大差ないものでした。ただ国際連盟の委任統治制度を経ての「独立」ですから、合法性・正統性という点ではまったく問題がない。 日本の場合は、出発点であからさまな軍事力の行使という形で国際連盟規約を破っていますから、イラクにおけるイギリスと同様のことをしていても国際的に非難され、国家としての実態はイラクとさして変わりなかったのに、満洲国はついに広範な承認を得られませんでした。既存の制度や国際秩序を巧みに利用したイギリスに比べ、われわれには関係ないとそれを頭から否定してしまった日本は率直と言えば率直ですが、早まったとしか言いようがありません。このように、満洲国もイラクも、まさに国際中間地帯の管理をめぐるテーマだったわけです。「幣原外交」と「田中外交」「幣原外交」と「田中外交」幣原喜重郎北村 満洲事変が起こった頃、雑誌『文藝春秋』に掲載された世論調査をみると、ほとんどの人が軍の行動を全面的に支持しています。協調外交、いわゆる「幣原外交」でいくべきだと言っている人はほんのわずかで、「満蒙は日本の生命線である。弱い女子供まで襲う憎き中国人を懲らしめるのは当然だ」という意見が圧倒的多数を占めている。筒井 再検討しなければいけない史実の一つは、加藤高明・若槻禮次郎内閣の外務大臣、幣原喜重郎の国際協調外交、いまおっしゃったいわゆる「幣原外交」ですね。 中国人労働者の大規模なデモと発砲が起きた五・三〇事件(一九二五)ではイギリスの再三の日本軍出兵要請にも幣原外相はなかなか動かず、第二次南京事件、漢口事件でも「不干渉政策」の方針に基づいてイギリスの共同軍事行動の呼びかけを拒絶し、日本だけが砲撃に加わらなかった。イギリスも怒りましたが、日本人居留民の出兵要請にも応えなかったから、国内でも幣原外交に批判が集まった。田中義一 若槻内閣に代わって組閣した田中義一首相は、居留民保護のため第一次山東出兵を行います。これはイギリスとアメリカに大歓迎され、とくにイギリスは田中外交に大きな期待を寄せました。戦後、田中メモランダムがあったせいもあり田中外交は強く批判されていましたが、これが偽書であったこともはっきりしています。 そうすると幣原外交と田中外交をどう見直すかという問題が出てくる。ただし、幣原外交であまりに隠忍自重しすぎた結果、不満がたまって関東軍や世論が暴発したように見えるのですが、それなら、一々小刻みに反撃していたら、そうはならなかったのかというと、一概にはそうとも言えないような気がします。そのあたりは難しいところですね。等松 当時の国民感情がそれだけ反中的になってしまった理由の一つには、日本も不平等条約に苦しめられた過去があったからではないでしょうか。日本の場合は徳川幕府という前政権が安政年間に結んだ不平等条約を、明治新政府が鹿鳴館の舞踏会のような涙ぐましい努力までしながら徐々に改正し、五十年以上かけて明治時代末期の一九一一年にようやくすべて改正することができた。 ずっと屈辱に耐えてきた日本人の国民感情からすれば、蔣介石が「革命外交」と称して実力行使に訴えることに反発する気持ちはわかります。石橋湛山は、「われわれにもかつては欧米列強の横暴に対して激昂した尊皇攘夷の時代があった。いまの支那はそれと同じなのだから、もう少し静観すべきだ」と言っていました。結果的には正論だったと思うのですが、「そんな甘いことを言っていられるか」というのが自然な国民感情だったという気はします。東京・日比谷公園で講和条約反対を訴える民衆によって開かれた 決起集会を発端に日比谷焼打ち事件が起こった(1905年9月5日)筒井 明治の末期から、群衆・大衆というものが日本の政治に大きな影響力を持つようになります。その最初の事件が「日比谷焼打ち事件」(一九〇五)でした。新聞は連日「日本の大勝利」という報道をしていたのに、国民から見ると賠償はほんのわずかだったから、国民の不満が爆発して暴動が起こった。日本で最初の戒厳令が敷かれ、死者十七名、負傷者約二千名、検挙者約二千名を出す大事件になりました。 その後、桂太郎内閣を倒した護憲運動(一九一一)、日本最大の民衆反乱だった米騒動(一九一八)、反排日移民法運動(一九二四)など、群衆騒擾事件が相次ぎます。統治する方から見れば、恐るべきことだったでしょう。米騒動以降、元老の山縣有朋は米相場の指数を毎日見ていたといいます。反排日移民法運動では反米の歌までつくられ、アメリカ大使館の前で切腹する人が出たり、幕末の攘夷運動のように横浜でアメリカ人が襲撃されたりした。この運動はなぜかよく研究されていませんけれど。北村 「排日移民法」以後、アメリカは日本をどんどん追い詰めていった。一九三二年の満洲事変直後には、米国務長官のスティムソンが、日本の大陸における領土拡張はいっさい認めないという声明を出している。いわゆる「スティムソン・ドクトリン」です。筒井 日中関係と日米関係はつねにリンクしています。日露戦争の直後、アメリカの鉄道王ハリマンが南満洲鉄道の共同開発をもちかけたときから、アメリカは日中間の問題に関わってくる。日露戦争で疲弊したいま、米国資本を満洲に導入したほうが国益にかなうと判断した時の桂太郎首相はこの提案を受け入れ、覚書が交わされます。 ところが、ポーツマス講和条約を終えて帰国した外務大臣の小村寿太郎が共同開発に猛反対し、白紙撤回させる。異説もありますが、国民が日露戦争の賠償が少なすぎると騒いでいるところへ、さらに満洲の権益をアメリカと分け合うようなことをしたら国民は絶対に納得しないだろうというのが小村の考え方だと見られています。ここにも世論がはたらいているのです。「日比谷焼打ち事件」で日本の政治シーンに初めて「大衆」が登場し、デモや暴力によって世論が表明されるようになった。以後、湧き上がる大衆世論の支持なしには政治や外交の方向が決められなくなった。そして、そうした世論とそれを煽動するマスメディアとが、大正から昭和初期に中国との関係を悪化させる一つの大きな要因になったのです。国際連盟脱退北村 国際連盟総会に日本主席全権として派遣された松岡洋右は、西園寺公望に「連盟を脱退するつもりはない」と言っていたようですね。にもかかわらず、松岡は「欧米諸国は日本を十字架上で磔刑に処そうとしているが、キリストが後世において理解されたように、日本の正当性も後々必ず明らかになるだろう」という有名な大演説をして国内で喝采され、「リットン報告書」が圧倒的多数で採択されると、脱退を宣言して退場してしまいました。その要因も大衆世論と国民感情でしょうか。等松 大衆社会的な現象が現れ、日本の政党政治がまだ十分に成熟していなかったこともあって政府が世論に振り回されてしまった。正統的なエリートではなかった松岡は世論を味方につける必要もあり、ポピュリストにならざるを得ないところもありました。筒井 罰則規定はないのだから、日本は脱退する必要はなかった。リットン調査団の勧告が出たと言われたら、「そうですか」と受け流しておけばよいと東大国際法の立作太郎教授なども言っており、そうするはずだった。日本は時間を稼いで情勢の変化を待つべきだったのです。 その後、イタリアがエチオピアに侵攻し、ソ連はフィンランドを侵略して国際連盟を除名されている。国際情勢はつねに流動的で、国際連盟をめぐっていろいろな問題が起こり、日本の位置も変わっていくのですから脱退しなければよかったのです。そうすればまた国際社会に復帰できた。が、「ゆきつくところ戦争も辞さない」(朝日新聞)などという圧倒的な世論の脱退論に松岡らは迎合してしまったのです。等松 これは意外に忘れられがちですが、一九三三年三月の時点で日本は連盟脱退を通告しただけで、実は通告から二年後まで発効しないという規定がある。言い換えれば通告後も二年間は加盟国としての義務を果たさなければならないのです。だからその間に脱退通告を取り下げることもあり得た。英米仏などの列強が日本に対する道徳的な非難以上のことはせずに事態を静観していたのは、「満洲国」という新国家の建設は容易なことではないし、いずれ頓挫するだろうと考えていたからです。そうなると連盟に戻って「リットン報告書」を基に満洲の国際管理を認めるかもしれないから、あまり日本を刺激せずにしばらく様子を見ようとしていた。すなわち、一九三三年から三五年という二年間は、実はいろいろな可能性があった時期だったのです。 逆に言えば、列強が強硬な態度をとらず、対日経済制裁も行わなかったために満洲国建国が順調に軌道に乗り、日本もこれで行けるぞと思ってしまったのではないか。筒井 私は、松岡は後藤新平的大風呂敷ラインにつながっていると思います。後藤新平という人は何かといえば大風呂敷を広げるから、マスメディアには人気があった。 アメリカに対抗するための「ユーラシア大陸ブロック連合」構想のような後藤の大風呂敷に影響を受けた松岡は、日本・中国・満洲を中核とした「大東亜共栄圏」をつくるなどと言ってマスメディアと大衆を喜ばせました。世界を四つのブロック(アメリカ、ロシア、西欧、大東亜)に分けるというのです。当時日本のやるべきことは泥沼に陥った日中戦争を解決することに専心するしかなかったはずです。そういう地に足が着いていない大風呂敷が亡国につながったと私は思いますね。 日露戦争の終結後も陸軍が満洲に留まって「軍政」を敷き続けたため英米が強硬に抗議してくるという国際的紛議が起こったときの当事者の中にも後藤がいました。児玉源太郎参謀総長とその配下だった後藤は、軍政を長期化させ、そのまま統合的植民地支配にもっていこうと考えていたようです。児玉・後藤コンビは一九〇〇年にも、義和団事件に際して厦門占領を企てて英米列強の批判を浴びています。 この厦門事件は伊藤博文がことを収めたのですが、在満陸軍に対する英米の抗議を受けて開かれた政府首脳会議でも、当時は韓国統監だった伊藤博文がリーダーシップを発揮して、満洲の軍政を排し、日本の権益の明確化、限定化を行ってことなきを得ました。この会議で伊藤は、「満洲における日本の権利は、講和条約によってロシアから譲られた遼東半島租借地と(南満洲)鉄道のほかには何もない。満洲はわが国の属地ではない。純然たる清国領土の一部である」と発言しています。この伊藤の見識は何度でも見直されるべきでしょう。重光葵の言葉重光葵の言葉等松 わが国は国際社会の中でどの程度の国なのかという明治以降の日本人の自己イメージの問題もあったのではないでしょうか。何も明治が素晴らしくて昭和がダメだったという司馬史観のような単純なことを言うつもりはありませんが、明治維新の第一世代、第二世代までは弱小国日本が欧米列強による植民地化の危機にさらされ、不平等条約を押しつけられたことを実体験していますから、慎重な人たちが多かった。ただ、その次の次の世代ぐらいになると、日本の国力増進と自らの精神形成期がほとんど重なっていますから、実力以上に国力を過信したところがあるような気がします。 これは単なる「if」ですが、もし日本が第一次世界大戦に本格的に参加して悲惨な目に遭っていれば、もう少し堅実な帝国になったかもしれません。実際には第一次世界大戦のとき、日本陸軍は非常に熱心に戦争を研究しているのです。調査員を何百人も欧州の戦場に派遣して研究させ綿密な報告書を大量につくっている。しかし、堅実な道を選ぶのではなく、将来の国家総力戦に備えなければならないという結論になった。場合によっては米中ソと同時に戦争になるかもしれないから、資源を押さえて防衛線をなるべく外側へ延ばしておきたい、それには満洲を確保する必要がある。そういう思考をたどったと思います。そういう意味では、満洲事変は第一次大戦の結果の一つだったと言えるかもしれません。重光葵筒井 この時期の日本は世界の五大国、三大国のひとつとまで言われるようになっていましたが、重光葵は、「日本の地位は躍進したが、日本は個人も国家も謙譲なる態度と努力によってのみ大成するものであるという極めて見やすい道理を忘却してしまった」と言い、結局、日本はまだ大国として成長していなかったと結論づけています。等松 江戸時代まで三千万人足らずだった日本の人口が、医学の進歩や産業の発達によってどんどん増えていって、先の大戦のころには本土だけで八千万人ぐらいになった。戦時中のスローガン「進め一億火の玉だ」というのは植民地朝鮮・台湾の人口を含めての数字でした。農業中心の自給自足で養える本土の人口は三千万ぐらいが限度であるにもかかわらず、幕末からたかだか七十年で二倍半になってしまった。そこで、人口爆発に対処するために朝鮮や台湾、さらには満洲に出て行こうということになるのです。北村 ただ満洲移民は二十三万人くらいだからそんなに大きな数ではありませんね。実際問題としては国内で人が余ってどうしようもないという状況ではなかったのに、数字に惑わされてしまったということでしょうか。「のらくろ」開拓団等松 たしかに宣伝されたほどには移民していない。メディアが発達した弊害かもしれませんが、人口問題について人々が情報を鵜呑みにしてしまう、あるいは何らかの意図があって国民に信じさせたところがあると思います。工夫すれば国内産業だけでも十分食べていけると冷静な主張をする人が多ければ、安易な移民政策は取らなかったかもしれませんし、ましてや悲惨な結末に終わった満洲への武装開拓移民などせずに済んだと思います。昭和37年(1962)に復刻された普通社版『のらくろ二等兵』。後ろはブル連隊長 ところで、戦前に大人気を博した「のらくろ」という田河水泡作の漫画がありますね。野良犬の黒吉が「猛犬連隊」という軍隊に入って活躍し、二等兵から徐々に出世していく話ですが、日本の世論のバロメーターの一つとして見るとおもしろい。昭和六年、ちょうど満洲事変勃発の年に『少年俱楽部』で連載が始まるのですが、実は同年の年末号が「満洲事変特別号」で、子供向けにわかりやすく書かれた「満洲事変はなぜ起こったのでしょうか」というイラスト入り記事が掲載されています。「日本は合法的に権利を持っているのに、暴虐なシナ人が日本を貶めようとしているから、ついに正義の日本は立ち上がって、国際社会での孤立も恐れずに悪いシナ人を懲らしめているのだ」というような内容です。 一方、「のらくろ」はその後大尉で退役して大陸に渡り、歓迎してくれた朝鮮半島出身の白犬「金剛くん」を従え、大陸のブタ、羊、ヤギとともに開拓団をつくって資源を開発するという展開になる。そうして見つけた金鉱や炭坑を現地の動物たちに譲ってしまって、さらに奥地の開拓に旅立つところで終わります。 そういうものを読んで育った子供は、昭和六年の連載開始当時十歳くらいとすると、ちょうど昭和十六年の日米開戦のころは軍隊へ行く年齢になっています。『少年俱楽部』や「のらくろ」はメディアとして子供たちに大きな影響を与えたのではないでしょうか。さきほどの「大衆とメディア」の話につながる気がします。ソ連への警戒心ソ連への警戒心北村 満洲事変の二年前に、ソ連が持っていた権益を国民政府が回収しようとして中ソ戦争が起こっていますね。ソ連も同じことをしていたからといって、日本の行動をすべて正当化するつもりはありませんが、やはり満洲を侵略したというより日本は面倒に引きずり込まれたという印象を受けます。等松 中ソ戦争といっても、その実態は張学良軍と極東ソ連軍との戦いでしたが、北満洲でソ連に対してさまざまな嫌がらせをしていた張学良の軍隊はさんざんにやられて惨敗を喫し、利権回収はできませんでした。 これは関東軍にとって、いろいろな意味で教訓になったと思います。ソ連のように強権を発動し、軍事力で断固として利権を守るべきだ。極東ソ連軍は、およそ三十万人の張学良軍を約三万の兵力で破っていますから、一万程度の関東軍でも装備と戦略次第では烏合の衆の張学良軍には勝てるだろう。同時に、極東ソ連軍の脅威に対処するため、いまのうちに南満洲をしっかり固めておかなければいけないという発想にもなったはずです。 それから、一九二四年に外モンゴル、いわゆる外蒙がモンゴル人民共和国となります。一九二一年にモンゴル人民の要請を受けたと称してソ連が軍事介入し、やがてモンゴル人民革命党による一党独裁の傀儡政権をつくった。一九七九年のアフガン侵攻と同じ論理です。 満洲事変に先立ってソ連がまさに満洲国建国と類似のことをしていたと言えるわけで、関東軍は、同じことが南満州でできないかと考えたと思います。これも満洲事変の伏線となりました。 ですから中ソ戦争やモンゴル人民共和国の成立は、満洲事変の前史としてきちんと位置づけなければならない。愛新覚羅溥儀北村 モンゴル人民共和国ができるまで、清朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀は一九一二年に清朝が滅んで退位したあとも、ラストエンペラーとして袁世凱政府から歳費をもらって紫禁城に住んでいました。清の皇帝はモンゴル人にとっては大ハーンだったし、チベット人にとってはチベット仏教の大施主だったから、モンゴルやチベットを自分たちの側につなぎ止めておくためでした。 ところがモンゴル人民共和国ができてしまうと、モンゴルと歴史的に深いつながりのある溥儀が邪魔になる。それで、ソ連から援助を受けていた、いわばソ連の手先である馮玉祥が紫禁城に乗り込んで溥儀を追い出してしまった。それがまさにモンゴル人民共和国が誕生した一九二四年のことです。 その溥儀を日本人が担ぎ出して満洲国の皇帝にした。もともと満洲は愛新覚羅氏の故地で、溥儀は満洲人の皇帝だったわけですから、それなりの筋は通っています。等松 先ほどのイラクの話ですが、実はイギリスも、日本が溥儀を連れてきたのとまったく同じことをしている。外部から王朝を移植しているのです。愛新覚羅氏とハーシム家北村 ほかの国から王様を連れてきたのですか。ハーシム家のファイサル一世等松 第一次世界大戦、例の「アラビアのロレンス」の時代ですが、聖地マッカやマディーナなどアラビア半島の西岸を支配していた名門のハーシム家をイギリスは支援して中東に介入していった。ところが、ハーシム家は大戦後の勢力争いでサウド家という新興勢力に敗れ、アラビア半島がサウジアラビアという別の国になってしまったため、イギリスは手が出せなくなった。 そこでイギリスはハーシム家の人々を強引にイラクとトランスヨルダン(現在のヨルダン)の王として連れてきたのです。 イスラーム世界では預言者ムハンマドの子孫であるハーシム家は大変な名門で権威もあるのですが、しかし、イラクやヨルダンの地元にもそれなりの有力者たちがいるわけで、両地域の住民にとって所詮はよそ者ですから、大きな反発を買いました。それをイギリスは軍事力で抑え込み、イラク国王にファイサル一世、トランスヨルダン国王にアブドゥラー一世を据えたのです。 満洲事変を正当化するための議論と思われては困るのですが、イギリスも、アラビア半島の西岸、紅海の近くにあった王朝の一族をメソポタミアやパレスチナに連れてくるなどという強引なことを実はしているのです。北村 天津の日本租界にいた溥儀を連れてきて、もともと満洲人の皇帝だった人間を元首にした日本はまだかわいげがあった。筒井 当時の日本政府・外務省には多様な意見があったこともよく理解しておく必要がありますね。 代理駐華公使だった重光葵は、中国の激しい利権回収・排日運動は「民族解放主義思想」に基づくもので、人為で阻止することは不可能だから、日本は不平等条約の根本的な改定に先鞭をつけて好意を示すべきだとして、蘇州・杭州の居留地の返還を提議しています。そうすれば決してどこまでも帝国主義的ではない日本の立場を明示することにもなり、列国の理解が得られるだろうと重光は考えたのです。 しかし、幣原は、いまの政府にその力はなく、とうてい実現不可能だと重光の提案を受け入れなかった。そこで重光が主張したのは、軍部に慎重な態度をとらせて衝突を起こさないように努め、そうした方向で日本の世論を導くとともに、国際連盟のような国際的な場所に出ても外国を納得させられるよう公明正大なものに日本の立場をはっきりとさせておくべきだということでした。つまり、日本の方から暴発しないようにしつつ中国の条約上の違法行為については英米などが納得するようにあらかじめ理解させておく必要があるというわけです。 そのために重光は国民政府の要人と通じ事態の解決に勤しんでいたのですが、その努力が実を結ぶ前に、残念ながら満洲事変が勃発してしまった。だから、中国と協調関係を確立することに力を尽くした重光葵のような人間がいたことにも目を向け、尊重するようにしなければいけませんね。 冒頭でも言いましたが、満洲事変に限らず、この時期の歴史について先進国で日本ぐらい不正確で実証的でない歴史がまかり通っている国はありません。その点でマスメディアの責任は大きいと思います。清沢洌が言っていますが、昭和の前期もそうでした。これでは敗戦から何も学んでいないことになります。最近『昭和史講義』(筒井清忠編・ちくま新書)という正確な歴史研究の成果に基づく研究者・一般向けの昭和史書を出しましたが、これを第一弾にして、こうした努力を続けていき、二、三年中には、不正確なものはなくなるというようにしていきたいと思っています。みなさんのご協力をお願いしたいですね。 不正確なものを見つけたらどんどん声を上げて行きましょう。つつい・きよただ 1948年大分県生まれ。帝京大学文学部日本文化学科教授・文学部長。東京財団上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。著書に『昭和戦前期の政党政治』『二・二六事件とその時代』『近衛文麿』『二・二六事件と青年将校』『西條八十』『満州事変はなぜ起きたのか』など。きたむら・みのる 1948年、京都府生まれ。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程中退。三重大学助教授を経て、立命館大学教授。法学博士。著書に『第一次国共合作の研究』(岩波書店)、『「南京事件」の探求』(文春新書)、『中国は社会主義で幸せになったのか』(PHP新書)、共著『日中戦争』(PHP研究所)など。とうまつ・はるお 1962年、米カリフォルニア州生まれ。防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。オックスフォード大学大学院国際関係学研究科博士課程修了。博士(政治学)。専門は政治外交史、比較戦争史。著書に『日本帝国と委任統治』、共著に『日中戦争の軍事的展開』『日英交流史1600-2000 3 軍事』『昭和史講義―最新研究で見る戦争への道』など。

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    習近平も信じない「大虐殺」を許した外務省の大罪

    阿羅健一(近現代史研究家) とうとう南京事件がユネスコの世界記憶遺産に登録された。ユネスコにはよく知られている世界遺産のほかに世界記憶遺産がある。世界記憶遺産にはイギリスのマグナカルタ(大憲章)、フランスの人権宣言、日本の御堂関白記などが登録されている。今回の登録で南京事件はそれらと同じように歴史的事実となり、事件に関する文書は保存すべき貴重なもの、と認められてしまったのである。 南京事件とはなにか。戦時宣伝であり、架空の出来事である。記憶遺産に登録されたことで日本人は数十万の南京市民を殺した残虐民族、という烙印が押されたことになる。次の世代に日本が残虐民族だと負い目を背負わせてしまったのだ。阻止への動きが鈍かった日本政府 何故こんなことになったのか。まず中国の国際政治力だ。しかし申請以降の日本政府の態度にも問題があった。 中国がユネスコに申請したと判明した昨年六月、菅義偉官房長官は抗議する一方、「日中間の過去の一時期における負の遺産をいたずらに強調することは極めて遺憾だ」と事件を認めている。外務省の動きも皆目わからない。彼らは「旧日本軍が南京に入った際に、非戦闘員の殺害や掠奪などがあったことは否定できない事実」とたびたび述べてきた。外務省が所管した5年前の日中共同歴史研究でも「日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている」と認めていた。書店に並ぶ南京事件に関する著作は半分以上が事件を架空なものと見なしているのに、こうした研究は全く無視された。中国が30万以上の虐殺を主張し、日本も規模はともかく事件そのものを認めているのだから、申請が認められるのは自然の流れだった。中国の資料は反論が可能なシロモノ しかし、そうだとしても阻止できなくはなかった。というのは、事件は架空なので登録すべき史料がないのだ。申請するに当たって当初中国が提出した資料は、マギーフィルム、程瑞芳日記、谷寿夫中将の裁判記録というようなものであった。史料という点からいえば、マギーフィルムと程瑞芳日記が当たるかもしれない。 マギーフィルムは、当時南京にいたマギー牧師が撮影したもので、病室の負傷者や民家が写っている。昭和十三年五月のアメリカの写真週刊誌「ライフ」にも紹介されたが、写っているのは数人の負傷者で、それらもほかの写真も戦場の写真としてはありふれ、大虐殺を写したものでもなければ、髣髴させるものでもない。政治ショーのような東京裁判でも証拠として提出されなかった。南京大虐殺記念館で行われた追悼式典で演説する中国の習近平国家主席=2015年12月13日、中国江蘇省南京市(代表撮影・共同) 程瑞芳日記は、金陵女子文理学院の舎監であった程瑞芳の十二月の日記を指し、難民収容所になった金陵女子文理学院の様子が記録されている。それによると殺戮を暗示するような噂話が記載されているものの、程自身の見た殺人は一件もない。強姦と掠奪が九件起きたと記述されているだけである。二十万の虐殺があったとしたなら、収容人数の比率からいって金陵女子文理学院では一万人ほどの殺害があってよいはずである。強姦にしても二万件の強姦があったとの判決であるから、若い女性を中心に収容した金陵女子文理学院では数千件の強姦があって当然である。翌年一月四日の「ニューヨーク・タイムズ」は、金陵女子文理学院で中国軍大佐をトップとした中国人の一団が日本軍の仕業に見せかけて強姦をしていたと報道しており、程が挙げた強姦にしても日本軍によるものかどうか。強姦と同数起きたとされた掠奪は食料の鶏やお金といったものである。 このように、ふたつは事件の史料とはなっていない。むしろ南京が通常の戦場であることの証拠である。 また、谷寿夫中将は戦後南京に連行され、昭和二十二年に銃殺刑に処せられているが、谷中将率いる第六師団が城内に入ったのは数百メートルまでで、数日すると主力は蕪湖方面に転進していった。谷中将も入城式に参加するため一週間ほど南京にとどまっただけである。南京事件は翌年まで続いていたと判決はいっているが、その責任を谷中将に問い、裁判で日本の弁護士がついたのでもなかった。谷中将の反駁書によれば、南京事件というものを知ったのは戦後にアメリカ軍が発表した「太平洋戦争史」によってである。そういう戦争裁判の記録にすぎない。 今回の世界記憶遺産への申請は九十六件あったという。今年初夏、審査小委員会で事前審査がなされ、そのうちの五から七件に問題があると判断され、追加資料の提出が求められた。南京事件もその一つであった。 こういったことを踏まえればいくらでも反論できたはずである。一目瞭然だった働きかけの違い一目瞭然だった働きかけの違い 今年、日本の民間団体がパリのユネスコ本部と接触を取りはじめ、ユネスコの日本政府代表部とも会った。「幸福の科学」は早くからユネスコ本部に行き、中国がどのような資料を提出しているか調べ、詳細な反論書を提出している。さらに、中国が政治的な立場から申請していることを訴え、都合四回もユネスコ本部に赴いた。「『南京の真実』国民運動」や「なでしこアクション」は、やはりユネスコ本部に赴き、十四名の専門委員にそれぞれ英文の反論書を提出し、反対署名も添えた。しかし民間では限界がある。 一方、中国はどうか。十年ほど前、中国は南京虐殺記念館を世界文化遺産にと言いだし、条件をクリアするため記念館を三倍に拡張したことがあった。このときは認められなかったが、昨年、十二月十三日を国家記念日に格上げし、あらためて力を入れていることが明らかになった。 ユネスコが申請を認めるかどうかは、登録小委員会が史料を検討してある程度の評価をし、十四人からなる国際諮問委員会に送る。国際諮問委員会が最終審議を行い、決定はユネスコ事務局長に委ねられる。ユネスコ総会で演説する馳文科相=2015年11月5日、パリのユネスコ本部(共同) 昨年三月、習近平主席はイリナ・ボコバ事務局長に会っている。四月、ドイツを訪れた習近平は講演を行い三十万虐殺に言及した。世界記憶遺産にはすでにアンネの日記が登録されており、ドイツで言及したというのは、南京事件をホロコーストと並べる意図があったからだろう。同じ四月、デンマーク女王を南京虐殺記念館に案内している。登録することによって、日本に対する外交武器として強めようとしていたのがはっきり見てとれていた。このように、日中の取り組み方には格段の違いがある。まともに説明できる中国人はいない では習近平が南京事件を信じているかといえば、そうではない。習近平は、中学校でも、清華大学でも、南京事件を学んだことがない。中国が教科書に載せるのは昭和五十六年、習近平が二十八歳になった時だ。二十八歳のとき突然教科書に現れた南京事件を信じてはいまい。 習近平がなかったと考える理由の第二は、共産党員が学ばなければならない党史、たとえば胡喬木の「中国共産党の三十年」は事件を記述していない。党史にないことを習近平は事実と見なすか。第三は、中国の高官たちが事件をなかったと見なしてきたことだ。習近平だけがあったと見なすことは考えられない。 中国高官たちが南京事件をなかったとする例を挙げる。突然南京事件を言いだしたことへの気持ちを初めて中国高官へぶつけたのは、私が知るかぎり三岡徤次郎である。 三岡徤次郎は昭和九年に陸軍士官学校を卒業、戦争中は大本営で船舶課参謀を務めた。戦後自衛隊に入り、アメリカ陸軍参謀大学で学び、第九師団長を務め、昭和四十四年陸将で退官している。三岡が中国と関わりを持ったのはそれから八年経った五十二年に中国を訪れたときである。十月七日、鄧小平副総理と会い、一時間余り忌憚なく意見を述べあう。 それをきっかけに、退役自衛官を集めて中国政経懇談会を設立し、会長に就く。引きつづき中国を訪れ、徐向前、王震、張愛萍といった副総理とも会談する。中日友好協会の会長を務めていた孫平化によれば、三岡の設立した中国政経懇談会は遠藤三郎の日中友好元軍人の会と並んで日中友好のため大いに貢献している軍人の集まりだという。鄧小平も南京事件をよく知らない 三岡が初めて中国を訪れたとき、中国で南京事件は語られてなかった。鄧小平と会談したとき、鄧小平はこう述べた。「日本の軍国主義は中国を侵略した。そのため蒋介石は後退し、それにより八路軍は勢力を広げることができ、最後は蒋介石を打ち破ることができた」 鄧小平は日本軍を非難するとともに日本軍に感謝もしていたが、南京事件を語ることはなかった。三岡は黙って聞いていた。四年後、中国は教科書に南京事件を記述し、さらに四年後、南京市に虐殺記念館を建てる。記念館が建立された翌年、さっそく三岡も案内される。 三岡は士官学校卒業とともに兵隊の教育に従事したが、その兵隊と南京戦に従軍した兵隊は同じ年齢である。日本兵の素質を知っていた三岡は、かりに南京で不祥事があっても、事件として指摘されるようなことは起きえない、ととらえていた。 三岡は鄧小平との会談で臆せず意見を述べたが、礼を失することのないよう努めた。ほかの高官との会談でもそう務めてきたが、こうなっては中国に問いたださないわけにいかない。六十一年九月、党政治局員兼書記の余秋里と会談したとき、南京事件を持ちだした。 余秋里は、毛沢東の腹心として知られており、文化大革命のころは石油鉱業相を務めていた。会談の四年前に当たる五十七年の第十二回党大会で政治局員に選ばれ、その翌年に国家中央軍事委員会副主席となり、会談が持たれたときは軍のなかできわめて重要な地位にいた。 三岡は余秋里にこう尋ねた。「二十万人しかいない南京で三十万虐殺があったと中国は主張しているが、話が合わないではないか」 それに対して余秋里はまともに答えず、「揚子江寄りの下関で二万人を殺したと日本から言ってきている」とはぐらかした。そこで三岡は戦場というものに言及し、「二万人の死体がどれくらいか、軍人なら君もわかるだろう」とたたみかけた。すると、余秋里はそこで話を切りあげてしまう。逃げるだけであった。 三岡は納得できなかったが、相手の立場も考えなければならない。切りあげざるをえなかった。といって三岡の追及が終わったわけでない。平成三年九月、中央軍事委員会副主席の劉華清と会談するとき、再び声を上げた。 劉華清は、海軍司令を務めた後、昭和六十三年四月、中央軍事委員会副主席に就任、余秋里と同じように軍のなかで強い影響力を持っていた軍人である。三岡が劉華清と会談した翌年、鄧小平から江沢民への権力継承が行われ、そのときの第十四回党大会で劉華清は軍事委員会で二番目、政治局常務委員会で六番目の地位に上る。中央軍事委員会と政治局常務委員会双方を兼任しているのは江沢民と劉華清だけである。 その劉華清に三岡はこう質問した。「南京虐殺記念館を案内されたが、なぜ事実でもない虐殺の記念館を建てるのか」 対して劉華清はこう答えた。「中国が解放される前の時代を若い人へ知らせるために行なっている。虐殺記念館は中国のなかでのことだ」 やはりまともには答えていない。 そのころ中国は改革開放の時代に入り、国民党と戦っていたころを知る若者はいなくなっていると言われていた。劉華清たちの言わんとしていることはわかるが、日本としてはそれで引きさがるわけにいかない。三岡はさらに三十万という数字を出して質問した。すると劉華清は黙ってしまい、答えなかった。答えられなかったと言うべきだろう。 余秋里は日本軍を批判していたわけでない。そして劉華清の答えである。このとき三岡には鄧小平との会談がよぎった。鄧小平から始まって彼らは答えたくないときは話を切りあげてしまう。それらを思い返した三岡は、南京事件は中国内の政治的発言であり、それらを問題にする日本が間違っていると自分を納得させ、以後、問いただすことをやめた。 中国の言うままにしてはおけないと考えた人は三岡の後にもいた。丹羽春喜京都産業大学教授たち中国を訪れた一行もそうだし、国会議員のなかにもいる。陸軍士官学校を卒業し、戦後は衆議院議員となり、建設大臣を務めた亀岡高夫は、中国の軍高官に、南京事件は作りごとであり、まして三十万人などとは、と抗議した。戦場と日本軍をよく知っている亀岡には黙せないことであった。 すると軍高官から、日本社会党の田辺誠委員長から言ってきている、と反論された。やはり衆議院議員の稲葉大和も三十万人という数字について中国軍の高官に抗議した。稲葉大和が自民党の代議士となるのは平成五年で、それ以降のことであるが、すると、虐殺記念館の建設は日本から言いだしたことだ、と言われて二の句が継げなかった。 同じような中国側の言い訳は三岡徤次郎も経験している。盧溝橋にある反日記念館に行きあまりの残虐さに驚いた。田辺誠から言ってきている、と反論され、黙るしかなかった。 共通点は、中国の高官が南京事件を事実だと捉えていない、三十万という数字にまともな反論をしていないことである。また、展示を追及されると、日本の記者から言ってきている、日本の政治家からの要請だと答えて逃げるということだ。中国高官は事件を事実と見なしていないのだ。鄧小平も南京事件をよく知らない それでは南京虐殺記念館が建てられたとき館名を書いた鄧小平が南京事件をよく知っていたかといえば、これもそうではない。 昭和十二年七月に支那事変が始まり、八月、中国共産党の軍事組織である紅軍は国民革命軍第八路軍に編成される。このとき鄧小平は八路軍の総政治部副主任に任命される。九月、鄧小平は山西省に向かい、山西省に作られた民族革命戦争戦地総動員委員会の八路軍の代表に就く。十月、日本軍は山西省に攻め入り、省都太原を陥落させる。日本軍と戦った閻錫山の支配組織は急激に崩壊していき、代わりに共産党が勢力を広げる。南京が陥落するころ、鄧小平は日本軍と正面から対峙せずに山西省の西部、南部と移動していた。 年が明けた一月十八日、鄧小平は第百二十九師団の政治委員に任命される。第百二十九師団司令部は山西省東部の太行山の麓にあり、鄧小平は一帯で師団長の劉白承とともに日本軍との戦いの準備を進める。 このように鄧小平は支那事変が始まると前線で共産党軍を指揮し、それに追われていた。その地位からさまざまな情報が入り、南京陥落も知ったであろうが、奔走していたのは山西省であり、そのころ漢口の新聞に載った南京事件も知らなかっただろう。 戦後、鄧小平は文化大革命で失脚、昭和四十八年、副総理として復帰、昭和五十二年に復権が決議された。三岡徤次郎が鄧小平と会ったのはこういうときである。 鄧小平の復帰と並行するように、昭和五十年、蒋介石が死亡、昭和五十二年一月、周恩来が亡くなり、九月、毛沢東が亡くなる。南京事件について知る人たちが亡くなって数年、初めて南京事件が中華人民共和国で語られるようになる。日本軍が南京を攻めてから四十四年も経っていた。 鄧小平の側近といわれた劉華清ですら三岡の質問に答えられなかったことは鄧小平が知らなかったことを如実に表しているが、ともあれ鄧小平が揮毫したとなると、公に事件を否定することはできなくなる。たとえ劉華清でも公然と否定することはできない。田辺誠は中国に何を吹き込んだか田辺誠は中国に何を吹き込んだか それにしても、中国人の口から田辺誠という日本人の名前が出てくる。田辺誠はなにを根拠に言っているのか尋ねなければならない。 田辺誠は全逓労組を基盤に群馬県選出の衆議院議員になった。昭和五十七年十二月に日本社会党の副委員長に就任、五十八年二月に書記長を兼務する。五十九年二月に書記長専任となり、平成三年に委員長に就いて平成五年まで在任した。この間、昭和六十二年と平成元年に北朝鮮を訪問、平成二年、自民党、社会党、朝鮮労働党との間で共同宣言が行われたときの社会党の代表である。共同宣言をあらためて引用する。「三党は、日本が過去において三十六年間、朝鮮人民に大きな不幸と災難を与えた事実と、戦後四十五年間、朝鮮人民に蒙らせた損失に対して朝鮮人民共和国に公式に謝罪し、十分に補償すべきであると認める」 言い添えれば、田辺誠は、昭和十八年に徴兵され、予備士官の道を進み、終戦のとき千葉県稲毛にある戦車予備士官学校に在学中だった。 平成十一年、私は田辺誠に、お目にかかって話を伺いたいとお願いした。電話口で田辺誠は、「電話で話をしたい」と言う。電話越しでできる話ではないが、面会を強要できるものでない。そのため電話での質問となったが、やはり十分といえず、あらためて電話を差しあげることになった。平成十一年十一月二十八日と十二月七日の二回にわたった質問と答をまとめるとこうなる。 ――田辺議員から南京事件は事実だと言ってきた、と中国側は言っていますが。 田辺「パールハーバー五十周年のさいに日本の反省を述べたことはあるが、南京事件については知らないので、中国に対して南京事件について言ったことはない」 ――亀岡高夫議員が中国から聞いていますが。 田辺「亀岡さんは親しく、知っています。養蚕議員連盟で一緒だった。しかし、亀岡さんと南京事件について触れたことはありません。君から手紙をもらったので、昔を思い出そうとしているのだが、まったく思いうかばない。 議員では、同じ厚生委員会で斉藤邦吉、橋本龍太郎と親しかったし、安倍晋太郎、金丸信、竹下登とは政治の上で付き合って親しい。彼らとは親しかったが、それと比べれば亀岡さんとはそれほど親しいわけではない。そういう関係です」 ――盧溝橋の展示について、これも田辺議員から言ってきたと中国側は言っていますが。 田辺「三岡さんという人を知らない。展示館に行ったとき署名はしたがそれだけで、歴史は詳しくないのでそういう発言はしていない。歴史の事実関係を調べるつもりもない。 亀岡さんも三岡さんも士官学校出身らしいが、私も予備士官学校に行った。同じといえば同じだが、私が朝鮮や中国と関係があったので、そう言うのではないか」 電話越しなので、微妙なところはわからない。微妙なところがわからないので、質問は簡単だが、二度の電話となった。 誰かがまともに答えていないのだろう。中国高官か、亀岡高夫や稲葉大和か、あるいは田辺誠か。田辺と答えた中国高官は同一人物ではない。亀岡高夫と稲葉大和のあいだに関連はない。だとすると、まともに答えていないのは? ともあれ習近平が南京事件を信じていないことはたしかだ。失策続きの外務省への最後通牒失策続きの外務省への最後通牒 ユネスコの決定まであとひと月と迫った九月七日、われわれは外務省を訪れ、早急に対応するよう求めた。その際、「南京事件のユネスコ記憶遺産申請に抗議する」と題する文書を担当者に手渡した。ひと月ほどまえに作成したもので、その最後に私はこう書いた。「登録決定を二か月後に控え、この問題に立ち向かうべきは日本政府以外にない。日本政府が第一に行うべきことは南京事件が架空であることを認識することである。そして第二に、最近認識しはじめた対外広報の必要性を発揮することだ。じっくり発揮するというのでは遅い。国を挙げていますぐに発揮すべきである。万が一登録されたなら、責任は政府にあることを肝に銘じて行動せよ」 ここに至っては政府が直ちに全力挙げて働きかけるしか方法は残されていない。日本はこれまで世界二位という分担金を拠出し、ここ数年はアメリカが国内法との兼ね合いで拠出していないため日本が一位となっていた。かつて日本は事務局長も務めたこともあり、いくらでも動けるはずである。 外務省の言い分によれば、国際諮問委員会の十四人に働きかけるが、彼らは公文書保管の専門家などで働きかけを嫌うという。しかし歴史の専門家でないなら、それこそきちんと説明すべきではないのか。南京事件の登録は、世界文化遺産での明治日本の産業革命遺産の際と同じように日本の失策であり、責任はいつに外務省にある。あら・けんいち 昭和19(1944)年、仙台市生まれ。東北大学文学部卒。レコード会社勤務をへて近現代史研究家に。「中国の抗日記念館の不当な写真の撤去を求める国民の会」会長などを務める。著書に『「南京事件」日本人48人の証言』『【再検証】南京で本当は何が起こったのか』『日中戦争はドイツが仕組んだ――上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ』『秘録・日本国防軍クーデター計画』など。

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    南京大虐殺、中国の反日宣伝に打つ手なし

    国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺の記録」が登録された。そもそも文化財保護の制度を「反日宣伝」に政治利用した中国外交のしたたかさ。歴史的裏付けもなく、独善的な歴史認識を国際社会に定着させようとする中国の陰謀に、日本外交は為す術がないのか。

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    宮崎への石材返還要求 南京大虐殺記憶遺産登録と連動と識者

     今年10月1日、中国の団体と交流をする宮崎県内の団体が宮崎県庁を訪れ、「八紘一宇の塔」と呼ばれる75年前に建立された塔の石材を中国へ返還せよと求めてきた。この石材はかつて中国・南京にあったもので、中国では“侵略の象徴”と扱われているというのだ。初めての要求に戸惑う地元と、申し入れた市民団体を取材したジャーナリストの小川寛大氏が、日本外交にとっての大きな損失につながりかねないと警鐘を鳴らす。宮崎・平和の塔 * * * 返還の是非以前に、それには一つの物理的難関が待ち構えている。「塔は多くの石が組み合わさっている古い建造物で、一部の石材だけを抜き取るようなことは技術的にできない」(県庁都市計画課)というのだ。つまり、返還するには塔そのものを取り壊すしかない。県としては「現状のまましっかり保存したい」と返還には応じないという。 今回の問題について地元県民の最大の関心は、「なぜいまになって中国はこんな要求をしてきたのか」ということだ。「今回の動きは、いわゆる『南京大虐殺』がユネスコの世界記憶遺産に登録されたことと連動しているのではないか」 そう分析するのは、中国情勢に詳しい評論家の宮崎正弘氏だ。「この要求は明確に中国政府の意向に沿って行なわれているものでしょう。中国では国民の自由な政治活動は禁止されており、こうした政治的運動の背後には国家公安部などの存在があると見るのが自然です。 中国としては、世界記憶遺産への登録と前後して、同じ南京カードで日本を揺さぶっているのではないでしょうか。中国は、いまこの問題を持ち出して心理戦に持ち込めば、日本人はさまざまなことでひるむと考えているはずです」 問題の中国の“民間団体”は10月末に地元メディアとともに来日し、宮崎県庁を訪問して石の返還を直接要求するという。日本政府は、地方の問題として放置すべきではない。関連記事■ 宮崎県の塔の石材 日中市民団体が連帯し中国への返還を要求■ 難読漢字「度」を3文字で何と読む? 宮崎美子からの挑戦状■ 中国のネットで流行る歌 「日本殺すにゃ武器要らず」■ 異常な韓国司法 盗難仏像返還や靖国放火中国人の引渡し拒否■ 米国製軍用ジープを丸パクリした中国製軍用ジープの写真公開

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    エコノミスト誌が牽制  歴史を歪曲する中国の野望

    [世界潮流を読む 岡崎研究所論評集]岡崎研究所 エコノミスト誌8月15-21日号は、東アジアではかつての日本に代わって中国が「破壊的な」非民主主義国家として台頭、その中国が歴史を歪曲して己の野心を正当化しようとしている、と中国を牽制する記事を掲載しています。 すなわち、今の中国の論法は、「中国は日本の帝国主義打破で重要な役割を果たした。従って、過去の中国の勇気と苦しみは正当に評価されるべきであり、現在のアジアのあり方についても大きな発言権を有してしかるべきだ。それに、日本は今も危険な国だ。だからこそ中国の学校、博物館や記念館、テレビ番組、党機関紙は絶えず日本の侵略性を警告し、中国は日本の脅威に立ち向かっている」というものだ。 しかし、この主張は、歴史を歪曲しなければ成立しない。第一に、日本軍と戦ったのは中国共産党ではなく、宿敵の国民党だった。第二に、今日の日本は、南京市民を虐殺し、中国や朝鮮の女性を慰安婦にし、民間人に生物兵器を試した、戦争当時の日本とは全く異なる。 確かに、日本はドイツほど明白に謝罪していない。日本の極右は日本の戦争犯罪すら否定する。しかし、日本が今も好戦的な国だと言うのは馬鹿げている。日本は1945年以降、怒って銃弾を発射したことは一度もない。民主主義は深く根を下ろし、人権を尊重している。大多数の日本人は戦争犯罪を認めており、歴代の政府は謝罪してきた。今の日本は人口減少と高齢化が進む平和主義の国で、広島と長崎のトラウマから核兵器を持つ可能性もほとんどない。 日本に関する中国の主張は不当であるだけでなく、危険でもある。政府が煽った民族主義的な憎悪は、政府にも制御できなくなる可能性がある。また、これまでは、日本の尖閣支配に対する中国の挑戦は威嚇の範囲内に留まっているが、誤算によって事態がエスカレートする危険性は常にある。 東アジアでは戦争の古傷はまだ癒えていない。台湾海峡と南北朝鮮の国境は今も一触即発の危険を秘めている。そして、これらが暴力的事態に発展するかどうかはほぼ中国次第で、米国が常に紛争の勃発を抑えられると思うのは甘い。 それどころか、アジアでは、中国はその野心によっていずれ米国や米国傘下の諸国と衝突することになるだろうと懸念されている。中国が日本に喧嘩を売る、あるいは、南シナ海の岩礁に滑走路を作ることは、こうした恐れを増大させ、さらには、米国を領土争いに巻き込んで、紛争が起きる可能性を高める。 西欧と違い、東アジアにはかつての敵国同士を結ぶNATOやEUのような仕組みがない。東アジアは、富裕国と貧困国、民主国家と専制国家が混在し、共通の価値観を欠き、不安定で分裂し易い。一党独裁の大国、中国が、歴史的被害者を標榜してその是正を求めれば、アジア諸国が動揺するのは当然である。 中国が過去ではなく、現在の建設的行動に基づいて地域の主導権を主張してくれたら、どれほど良いことか。習が地域に安定をもたらすべく多国間主義をとるのなら、彼は真に歴史の教訓を学んだことになる。歴史は繰り返すのではなく、学ぶべきものだ、と論じています。出典:‘Xi’s history lessons’(Economist, August 15-21, 2015)http://www.economist.com/news/leaders/21660977-communist-party-plundering-history-justify-its-presen...* * * これは、日本人から見ると全く納得できる議論です。これに対し、中国人の歴史に対する見方はどうでしょうか。例えば『中国の歴史認識はどう作られたのか』(ワン・ジョン著)は、共産党の統治の正当化の必要のために、歴史が大きく塗り替えられることを指摘しています。中国共産党の歴史の記述は、毛沢東の「勝者の物語」から、天安門事件を経て「被害者としての物語」に大きく変わりました。そして「中華の復興」がもう一つの柱として加わり、愛国主義教育の形をとって、被害者の側面が強調されました。イデオロギーとしての共産主義が消え、ナショナリズムがそれに取って代わりました。胡錦濤もこの路線を全面的に推し進めました。 ナショナリズムは対外強硬姿勢を生み出し、対日強硬論を助長します。ところが、対外強硬姿勢は、中国外交と中国経済の運営をさらに難しくしました。反日は結局、反政府の動きとなり、習近平は徐々に制限を加え、反日デモは原則、禁じられました。習近平は、もう一度、新たな「勝者の物語」への動きを始めた可能性があります。それは、新たなイデオロギーに向けての模索であり、それには歴史の「物語」が変わる必要があります。第三国の識者による公正な歴史認識の注入が、中国の国内的議論に積極的な影響を与える可能性が出てきたのかもしれません。日本の対外世論工作も、このような第三者の声を強化することに重点を置く必要が高まっていると言えるかもしれません。

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    中国による「30万人南京大虐殺」ユネスコ登録の真の生みの親は朝日

    木走正水 さて、「30万人以上」の犠牲者を出した南京大虐殺に関する資料が、中国政府により国連機関ユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。 30万人という数字について少し触れておきましょう。 日本軍が南京市に迫った当時、南京には国際的に住人を戦闘行為から保護する目的の安全区が設置されていました。 安全区委員会委員長ジョン・ラーベは、南京戦が始まった12月10日付日記に南京市の人口を「20万」と記しています。 その後、日本軍による市内制圧・占領と続くが、委員会の認識は12月17日付文書以降一貫して「20万人」でありました。 こと人口に対する限り、委員会の認識はかなり正確であったことが判っています。 何故なら難民たちの食糧問題に頭を悩ました委員会にとって、南京市およびその中核の安全区の人口を正確に把握することはどうしても必要だったからであります。 また「大虐殺」後の2月上旬に安全区が解散された後、スマイス教授は多数の中国人を動員して人口調査を行い、3月下旬の南京の人口を「25万ないし27万」と推定しています。 同じく3月28日に発足した南京維新政府南京市政公署が登録した住民の数は「27万7千人」でありました。 不思議なことです。 大虐殺前に人口20万あまりの南京市で「30万人以上」の「大虐殺」が行われ、その虐殺後、南京市の人口は27万7千人と逆に増えているわけです。 これらの人口推移を「真実」の数値とするためには、虐殺後に、極めて短期間に30~40万人規模の日本軍占領下の南京市への緊急移住が成されなければ数字が合いません。中国江蘇省南京市の南京大虐殺記念館を訪れた人たち(共同) というか、虐殺中にも住民が次々と戦火のもとの南京市に続々移住していないと、人口20万あまりの南京市で「30万人以上」の「大虐殺」を行うことは不可能なわけです。 もうひとつ不思議なことに、毛沢東は一度も戦時中も戦後も日本軍による「南京大虐殺」を批判したことはありませんでした。 まるでそんな「大虐殺」などなかったかのように、です。 このような不確かな数字が、国連機関ユネスコの「世界記憶遺産」に登録され「公式」に認められたのは、同時に登録申請されていた「20万人以上が強制連行された日本軍による従軍慰安婦関連の記録文書」が信ぴょう性に疑義があるとして却下されたことと対照的であります。 なぜ「南京大虐殺」は認められ「従軍慰安婦」は却下されたのか。 当ブログとしては、捏造報道で歪んだ「史実」を世界中に拡散してきた火元である朝日新聞が、「従軍慰安婦」捏造報道に限ってはその報道の一部が捏造であるとことを認めたことにある、と考えています。 戦時中、南京市で「30万人以上」の「大虐殺」が行われたことを検証もなく垂れ流し的に大々的に報道し、国際的に拡散したのは朝日新聞社なのですが、こちらの「南京大虐殺」に関するデタラメ報道に関しては、朝日新聞はいっさい謝罪や訂正をせず、いや自ら記事の検証すらせずに、沈黙を守っているのです。 ・・・ 日本軍による大虐殺の舞台とされる南京市に建立された南京大虐殺記念館は、1985年に落成します。 中国の反日教育のシンボルともされるこの記念館において、英雄扱いをされている唯一の日本人ジャーナリストがいる。朝日新聞の元スター記者、本多勝一氏です。 71年8月から朝日新聞紙上で連載された『中国の旅』において、南京大虐殺により<約30万人が殺された>と世界で初めて報じた本多氏であります。 同館の解説冊子では、本多氏がこのように持ち上げられています。 日本でも多くの南京大虐殺を研究する学者がおり、さまざまな南京大虐殺に関する日本語版の書籍を出版しています。その中でも有名なのは日本『朝日新聞』の記者本多勝一先生です。 同館でこうした「お褒めの言葉」を頂いている日本のジャーナリストは本多氏のみです。 しかし、この”南京大虐殺三十万人説”が疑問視されているのは周知の通りです。 当時の本多氏の取材は、中国共産党に案内されたものであり、証言者もすべて党から紹介され、御膳立てされています。 犠牲者が三十万人というのも、根拠のある話ではまったくありませんでした。 そこに使用されていた写真の多くが全く関係のない「捏造」写真であったこともすでに証明されていて、その事実は昨年ですが、本多勝一元記者自身が認めています。(参考記事)本多勝一元記者が、「南京大虐殺」写真の捏造認める!http://japan-plus.net/182/ しかし、この本多氏の報道が南京問題に火をつけたのです。 ”南京大虐殺三十万人説”を国際的に広めたのも、中国政府ではなくほかでもない朝日新聞のエース記者による「裏取り」のまったくない「捏造」報道がキッカケなのでした。 しかし結果”南京大虐殺三十万人説”は国際的に「正しい」事実と認知され、クォリティーペーパー紙上でのこうした本多氏の報道は、いまなお中国に利用され続けているのであります。 ・・・ 朝日新聞社として、速やかに1971年に朝日本誌に掲載した本多勝一記者のルポ「中国の旅」と、それをまとめた書籍『中国の旅』(本多勝一著、朝日新聞社)、および一連の「南京大虐殺」報道に関する検証作業に着手することを要求します。 そのうえで、裏付けのない記事、および事実に反する記事の取り消しと訂正そして、読者への謝罪を求めます。 合わせて提携紙のニューヨークタイムズや世界各国の新聞で現地の言葉で、「朝日が報じた南京大虐殺は取材の裏付けが取れていない出鱈目であり30万人という犠牲者の数も中国に言われたままに報じた嘘っぱちの数字でした」と謝罪することを求めます。

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    日本はいつまで「爆買い」に浮かれるのか?

    木曽崇(国際カジノ研究所所長) 過日、シンガポール在住の古い友人から色々、仕事上の問合せの電話がかかってきて、その中で行った雑談で感じたことをメモ代わりに本エントリに記します。 この1、2年、安倍政権の産業政策の中で最も「好調」なものの一つがインバウンド観光産業です。今年上半期の訪日外国人客数は前年度比46.0%増の914万人となっており、年末までに2000万人達成という目標が既に現実のものとして見えて来たところです。一方で市井の商業に目を向けると、銀座やお台場は常に外国人観光客で溢れており、中国人観光客を中心として大量に商品を購買する「爆買い」などという言葉が一種の流行語のようになっているところです。 我が国のインバウンド観光は、2001年に成立した小泉政権以来「まずは年間1000万人の訪日外国人を」と達成目標を設定しながら、ついこの間の2013年までそれが「未達」の状態のままで推移してきたワケですから、ここ数年、安倍政権成立以降の「観光ブーム」というのは、我々業界人にとっても予想を遥かに超える驚きの業績であるのは事実であります。 一方で、話はシンガポールからかかってきた電話での雑談に戻るワケですが、シンガポールの友人は私にこういうワケです。「木曽さんならば同意してくれると思うから敢えて言うけど、日本はいつまで中国人の『爆買い』なんかに浮かれてるのかね?」と。ハイ、私もそう思います。 以前、私は本ブログにこんなエントリを書いたことがあります。訪日外国人1000万人達成!なんて浮かれていたら、あっという間に足元をすくわれるhttp://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/8453624.html昨年、1000万人の訪日外国人が達成されたのには大きく3つの要因が存在しています。1)ここのところ続く円安傾向で、外国人にとっての相対的な観光コストが下がっていること2)LCCの本格的なスタートにより、外国人にとっての日本への到達コストが下がっていること3)訪日ビザの免除により、特に東南アジア諸国の人々が日本に来やすくなったこと このうち最も影響が大きいのが1)の円安。国際観光産業は一種の輸出産業であり、円安になれば相対的な価格競争力が上がり、当然ながら外に向けてたくさん売り易くなります。しかし、為替なんてのはミズモノであって、政府の施策によってあっという間にトレンドが変わるもの。いつ、またモノが売れない時代が来てもおかしくありません。 安倍政権成立以降長らくつづく円安傾向の元、今の日本は外国人にとって「国を挙げてのバーゲンセール」が続いている状態であって、今市井の小売店などで「爆買い」をしている人達というのはその「為替差益」を享受するために大量購入をする、一種の「バーゲンハンター」的な存在です。 この種の人達というのは、バーゲンが続く限りは足しげく通って大量購入をしてくれますが、一方でバーゲンが終わり、その店舗が通常営業に戻ると、次なるバーゲンを求めて他店に移ってゆく。即ち、今の「爆買い」中国人などというのは、その大半が為替相場が円高に振れ始めれば一気に日本から引いて行って、相対的により「お得な」国に向かって流れてゆくタイプの消費者であるワケで、そんな顧客に頼って中長期的な観光戦略は立てられないというのが実態です。シンガポールの観光スポット、クラーク・キー 何でこれをシンガポールの友人が私に向かって主張するのかというと、1980年代から90年代前半のシンガポールがまさにそのような存在だったから。当時の「バーゲンハンター」であったのは、紛う事なき我々「日本人」であり、当時のシンガポールは「買い物の聖地」として、「強い円」による購買力を背景とした日本人観光客の観光消費を余すことなく享受する存在でありました。 ところが、シンガポールの国力が上がり、シンガポールドルと日本円の間に「為替差益」が生まれなくなる状況になると、日本人のシンガポール渡航熱は一気に冷め、より相対的な「お得」度の高い香港へとショッピング旅行の対象を切り替えることとなりました。この当時の日本人観光客の大移動は、1990年代後半から長らく続いたシンガポールの観光産業の低迷の一因であったと言われています。 ところが、時は流れ2015年、今度は立場が変わって何故か日本人が「円安」を背景とした外国人観光客の高い消費力に、文字通り「踊っている」状況が生まれている。シンガポールの人からしてみれば、「オイオイ、日本の観光産業、大丈夫かよ…」となって全く不思議ではないと言えるでしょう。 実は1990年代半ば以降、シンガポールの観光産業は低迷期が続くワケですが、2005年あたりから一気に再び観光ブームが起こります。そして、現在のシンガポール政府における観光政策の目標の中にも「ショッピングの聖地としての復権」というのは未だ大きく掲げられているワケですが、彼らは以前のようなバーゲンハンターの誘客は目指していません。 シンガポールの友人は、私に向かってこのようにいうワケです。 確かに我々もショッピングで売ってるけど、少なくとも袋菓子を大量購入したり、100円ショップで散在するような客層は全く目標としてない。我々が誘客を目指しているのは、多少の為替変動に購買行動が左右されない富裕層だからね。 そして、最後に出て来たコメントが、先にご紹介した以下のようなものなのです。 木曽さんならば同意してくれると思うから敢えて言うけど、日本はいつまで中国人の『爆買い』なんかに浮かれてるのかね?…と。我々日本人としては「耳の痛い」コメントでありますが、そこにはひとつの真理があると思います。(ブログ『カジノ合法化に関する100の質問』より2015年8月6日分より転載)

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    いつまで続く? 中国人の爆買いバブル

    中国経済が後退しても、日本を訪れる中国人観光客は増え続けている。「爆買いツアー」とも呼ばれる彼らの購買意欲に日本経済の底支えを期待する一方、主要な観光地では訪日中国人によるトラブルも後を絶たない。日本を買い尽くす「爆買いバブル」。異常な消費行動からみる中国人の訪日マナーを考えたい。

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    中国人マナー問題の根源は共産党支配による「相互不信」

    じ入り、社会的な調和がより保たれている外国のありさまを目にして、謙虚に学ぼうとしている。 とりわけ、日中関係が良くないにも関わらず、敢えて日本にやって来る観光客や、日本と関わろうとする人々の一定数は、共産党のイデオロギーを決して鵜呑みにすることなく自分で判断し、外国の良いところを取り入れたいと考える人々である。たとえば最近の中国で、『知日』というムック本が驚異的な売り上げを誇っているのはそのあらわれである。 彼らが本当に日本を楽しんでいるらしいことは、例えば神社仏閣の絵馬から見て取れる。中共が長年来、靖国神社の存在を「妖魔化」していることから、神社と一言聞けば身構える中国人もいることはやむを得ない。その一方、日本人が台湾や香港を訪れれば仏教・道教寺院に詣でる如く、神社仏閣を訪ねた中国人観光客が簡体字で願いを託しているのを見かけると、微笑ましい気分になる(筆者が思うに、日本と中国の御利益信仰的な宗教観は似ていると思う)。 一部の韓国人が「日本人は読めないだろう」と早合点し、わざわざ「独島は韓国の土地」と落書きして回るのと比べれば、中国からの訪日観光客に悪意はないものと考える (そもそも、党のいうことを真に受けて「反日」を叫ぶ中国人「憤怒青年」は、海外旅行はおろか国内旅行する余裕もない、社会的に厳しい境遇に置かれた層である)。 あるいは、ごく最近出版された宇田川敬介氏の『ほんとうは中国共産党が嫌いな中国人』、あるいは青樹明子氏の『中国人の頭の中』でも示されている通り、そもそも彼らは極端な話「天下」の住人であって、場合によっては中国共産党、あるいは中国・中国人という縛りすらどうでも良いと思っている。 ちなみに、そんな状況のもと依然として共産党に従うとすれば、取り敢えず自分の生活と将来設計にとっての便宜に基づいており、そんな期待が全社会で続く限り中共は続く。期待がなくなれば、石平氏の最新刊『暴走を始めた中国2億6000万人の現代流民』が論じるとおり、共産党の支配は中国歴代王朝末期と同様に吹き飛びかねない。だからこそ習近平氏は強権政治に走るとともに、対外的に強硬な態度を見せざるを得ない。 それにもかかわらず、依然としてマナーをめぐる問題はある。その鍵を単刀直入に言えば、中国の歴史が長きにわたって「万人の万人に対する闘争」であったこと、あるいはモノやサービスを求める需要に対して供給が圧倒的に足りない国であったことによる。 中国の歴史ではたびたび大規模な戦乱や飢饉があり、地震は少ないにせよ生きづらい環境が長く続いて来た。そんな中、独裁権力にせよ何にせよ、政治の力が人々に安心をもたらそうと努めればまだ良かったものの、権力者は往々にして真逆の存在であった。一握りの聖人君子の集団が「民を思い」君臨すれば、自ずと安定が実現するものと思い込み、税金や労役で民力を吸うだけであった。 但しその代わり、官僚の数そのものは人口に対して極端に少ない。その結果、人々は政治的・社会的なサービスには何も期待しない一方、官の世界がなるべく自分に関わらず、没交渉であることを良しとした。こうして、統治そのものは「皇帝による中央集権・独裁」のイメージとは裏腹に粗放なものとなり、十分な管理やサービスが提供されない結果、誰もが不安定な社会の中で他者との争奪戦を展開しなければ生きていけなくなった。 したがって、中国社会では伝統的に、不特定多数の社会や他人を安易に信頼することはない。信頼は、使いうるコネをフルに動員して自ら作るしかない。そこで権力者には、「紅包」と呼ばれる「賄賂と後ろ指を指されない程度のカネやモノ」を渡して保護を願う。 いっぽう日常生活では、血のつながった一族や朋友の関係を固めるしかない。自分を取り巻く顔見知りへの極めて強い信頼・配慮と、見ず知らずの他者に対する不信・配慮の無さは、同じ源から発する現象である。漠然とした不安まみれの混沌を生き抜くためには、絶対に他人を押しのけてでも自己主張し、得た利益は気前よく身内で分け合う。そうすることで、一族や仲間内における自らの位置づけ=面子を上げるのである。 しかし、これは生存共存上、やむを得ずそうするに過ぎない。その必要が無くなる=他者を信用し、自分も他者からの信用に応えたいと思えるような秩序が存在するのであれば、自ずとマナーやモラルは高まる。これが現在の香港・台湾、あるいは日本社会に適応した在日中国人の姿ということになる。 ところが中華人民共和国は、この種の相互信頼をつくることに失敗しただけでなく、毛沢東時代の過酷な支配により、生存競争の混沌を極限まで深めた。全ての価値は毛沢東が独占し、誰もが「毛沢東への近さ」を主張して他人を罵倒しなければならなくなったし、個人で工夫して豊かさを追求すれば「資本主義の権化」として抹殺された。 他人を信用できず、隙を見せたら罵倒され、何事も手を抜くしかなく、そのくせ自分だけは生き延びようという発想に陥らざるを得なかった。その後、中国は改革開放で、表向きの物質的には豊かになったかも知れない。 それでも、外資依存と大都市偏重の発展、そして共産党がいつでも個人の信条と創意工夫に介入する可能性がある中、本当に他者を信頼して互いに貢献しようという境地はなかなか根付きにくい状況がある。 このように見れば、一部のマナー無き中国人が (1) 行列を無視したり、バイキングで食べきれない量を山盛りにしたり、試食コーナーの食べ物を食べ尽くしたりするのは、目の前で確保しうるものを先んじて確保しなければならないという生存競争の歴史の遺産である。(2) 大声で会話するのは悪意ではなく、互いに信頼し合う親しい間柄では盛り上がりたい(中国語で「開心」という)という思いの表れである。日本人でもこういう人はいるだろう。(3) 何かを注意すれば大声で反論し、飛行機の遅れなどサービスの不全に対し激しく抗議するのは、自己主張せず黙っていれば相手の「無茶(=無情無理)」を認めてしまい、自らの面子を失うという緊張感の表れである。(4) 立ち入り不可なスペースに勝手に入ったり、勘定の前に商品を我が物として開封してしまうのは、彼らなりの基準で「別に迷惑はかけていない。制限を設けないのが悪」と考えていることの表れである。(5) 「爆買い」は、自国の製品(=他者)をなかなか信用できない中、単なる自己防衛というにとどまらず、贈り物を買う自らと、与えられた側の面子をともに高め、相互扶助し合うための手段である。 しかし、そこでは往々にして、不特定多数の他者への配慮や責任はない。婉曲な表現や態度で場を和らげようという発想も薄い(中国の中国語は、台湾・香港や華人社会の中国語と比べて簡素で直接的である。簡体字と、繁体字=正字が併記された案内の看板などを見れば一目瞭然である)。それは、日本はもとより、他者への配慮や婉曲を愛する社会と異なる世界であると言って良い。 それでも、配慮と婉曲の文化・社会の方が良いと思う中国人は確実にいる。したがって、究極的には中国の内部が次第に改まり、相互信頼の社会に変わって行くことが望ましい。そうすれば自ず、マナーやモラルの問題も「よりまし」になって行くであろう。とはいえ、共産党の支配による深刻な社会矛盾と経済の悪化が続く限り、万人の万人に対する闘争と相互不信(そして、それを押さえると称する共産党の言説が信じられてしまう状況)は変わらない。したがって、マナーやモラルをめぐる問題は続くという、暗い予想にならざるを得ない。ひらの・さとし 歴者学者、政治学者。1970年横浜市生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。東京大学大学院法学政治学研究科教授。博士(法学)。専門はアジア政治外交史。博士論文を出版した『清帝国とチベット問題』(名古屋大学出版会)で、2004年にサントリー学芸賞受賞。著書に『清帝国とチベット問題――多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)、『興亡の世界史(17) 大清帝国と中華の混迷』(講談社,)、『「反日」中国の文明史』(筑摩書房〈ちくま新書〉がある。

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    メンツと意地で爆買いする中国人観光客のマナーより深刻な犯罪

    坂東忠信(外国人犯罪対策講師) 一時は日本を抜いた経済大国の国民による「爆買い」は、そのGDP指標に疑いが持たれていても実在する、中国経済を計り知る一つの目安です。しかしながら彼らのタガが外れた購買意欲の強さは経済のみによるものではないため、その社会背景となる中国人のメンツや意地を抜きに語れば片手落ちとなるでしょう。 中国では信頼と安全性から高値となる日本製品を日本に買いに行くということ自体がまずステイタス。さらにその人柄より財力や権力に繋がる人脈が評価される中華社会においては、人物評価の噂が更なるビジネスや人脈拡張に直結するため、日本に行って手ぶらで帰ってきました!というわけには行かず、親戚知人や同僚にも、侮りを招くことのない程度のおみやげを準備しなくてはいけません。 日本人ならこれをプレッシャーと思うでしょうが、それはそうしたメンツにかける意地を理解しない日本人ならではの疑問。中国人の場合は負担の大きいおみやげも財力をしめすチャンスと捉えますし、メンツのためにはなりふり構わない、そこにこそ日本人をうならせる「爆買い」の底力があるのです。大幅に増えた中国など訪日外国人を送迎する観光バスで混雑するミナミ・道頓堀近くの日本橋。多重駐車に加え、間をすり抜けようとする自転車の危険な走行も問題になっている=大阪市中央区 また相手の喜ぶものよりも自分の成功ぶりを示すことを第一としていたおみやげも、最近はiPhoneなど端末の普及により、事前に商品を確認し、おみやげを期待する地元の友人に画像で確認し購入するなど、変化が出てきた模様。自分がどれくらいの財力と人脈でどれほど役に立つ人間かを誇示したがる中国人の思考回路は、爆買いの目的をおみやげ購入からプチ個人輸入代行業重視に変質させつつあります。 その結果手に入れたものがMade in Chinaであったとしても「日本で購入した日本メーカー品」ということに付加価値があるので問題ないといいます。 どのような理由であれ、メンツを賭けて多数お買い上げになる中国人旅行者にはお店もホクホクなのですが、だからこそ語ることのできない裏面も存在します。それは、「おみやげ万引」です。 財力はなくてもメンツを示したいと考えるのは当たり前だとしても、このおみやげ万引問題が存在していることは、警視庁で北京語を使い刑事や通訳捜査官をしていた私の経歴から、皆さんにお伝えせざるを得ません。特に中国人の日本出入国が多くなる国慶節(10月1日)連休終盤と、親戚一同が郷里に集まるため出国が多くなる春節(旧暦の正月)は、みな、手ぶらで帰るわけには行かないことから、空港への道すがら、おみやげ万引きが多発します。 警察官が臨場した時には犯人はすでに空の上となる計画的犯行なのですが、必ず複数で実行し、肘から指先までを使って陳列品をかき集め、持参したバックに落とし込んだり、陳列してあるペンなどの筆記具を鷲づかみで次々とバッグにつっこむなどして一斉に逃げるという荒っぽい手口。しかし店員を脅していないので「強盗」でもなく、店員の目を盗んで行われる「かっぱらい」でもなく、人がいない時間に侵入する「出店荒らし」でもなく、忍び込んでいるわけでもないので「侵入盗」にも該当しないという、日本人の概念にない荒業故に、警察でも「万引」のカテゴリーに分類し統計されていますが、被害金額は桁違いなのです。 犯人側もここで捕まると帰国できなくなって、実家や親戚にメンツを示すどころか、ともに来日していた同郷の噂にのぼってしまうので、その抵抗が半端ではありません。このため、逮捕に暴力で抵抗して一気に凶悪犯罪の一種である「事後強盗」にランクアップすることもあり、押さえつければ暴れるだけでなく、相手を殴る蹴る、噛みつく、路上で無実を訴えて泣きさけぶなど、その展開は日本人の予想を超えています。当然一人や二人の店員で手に負えるものではありませんし、たとえ警察官が逮捕して取調室に連れて行ってもまた大変。無実を訴え椅子から転げて泣きわめいたかと思うと逃走しようとするし、目撃者の供述や被害届を完全否定し続け、予約の飛行機が離陸してもメンツのために罪を認めず泣き叫び、誤認逮捕であることをしきりに訴え釈放を積極的に勝ち取りに来ます。 検事への新件書類送致が終わった3日後の落ち着いた頃、犯人に「これまでまじめにやってきたのになんで帰国寸前でこんなことをするのか」と聞けば、「私にもメンツがある。親戚知人に認めてもらうため、多数のおみやげが必要だ。でも私はやっていない、もうどうでもいい」と、ちょっと落ち着きながらも投げやりな会話が成り立つようになります(笑) 特にこの時期に万引が多発することは、成田や羽田など中国便が発着する空港沿線のファンシーグッズ販売店や商店街ではすでに知られているため、特に警戒されていますし、実際警察の取り扱いもぐっと増えて通訳捜査官が足りなくなるのですが、万引などニュース性もありませんし、そんなことを報道すると局が中国進出企業のスポンサーを失いかねないなどの理由から、せいぜい報道されるのはマナーの悪さ程度。マナーの悪さを超えた深刻な問題は爆買いの影に確実に存在し、その被害はこの上客集団を前に決して公に語られることはないのです。

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    中国人客「商品無断撮影」「棚を爆買い後に一括返品」の狙い

     高級ブランド店が立ち並ぶ東京・銀座。いわゆる「爆買い」で活況を呈す一方、不審な動きを見せる中国人が出没していた。高級店の店員が語る。  「集団で押し寄せる中国人客の中に、店内で堂々と新作のバッグや財布、洋服の写真を撮る人がいます。店内での撮影はNGなのですが注意しても聞かず、商品の内側までバシャバシャと写真に収め、購入せず満足気に帰っていきます」(銀座の高級ブランド店店員)  「『この棚全部欲しい』と商品を一気に購入した中国人客がその数日後、いきなり店に現われて、『気に入らないから返品したい』と要求してきた。通常では考えられないケースなので驚きました」 中国からの団体客らでにぎわう東京・銀座の免税店 2014年に来日した中国人観光客は240万人。旅行消費額5583億円は前年比で倍以上となり、訪日観光客による旅行消費全体の4分の1以上を占める。国別ではダントツの1位だ(観光庁『観光統計』)。  今年に入るとこの流れはさらに加速し、2月の春節(旧正月)にはわずか1週間で45万人もの中国人観光客が日本に押し寄せ、消費金額は1140億円に上ったと報じられた。  商機を逃さぬよう、日本にある多くの高級ブランド店は中国人スタッフや中国語が堪能な日本人スタッフまで雇う注力ぶりだが、最近になって、前述したような不審な客が混じっていることに気付き始めた。銀座の高級ブランド店関係者が首を傾げる。  「当店ではご購入の際、お客さまには商品に傷やほつれがないか必ず確認していただいていますが、中国人客が返品しようとする商品は購入から数日しか経っていないのにシワや縫製のほつれが目立つ」  この店では今月に入ってから、片言の日本語を話す中国人男性が「最新デザインのバッグが欲しい」といって来店し、複数の女性用バッグを購入したが、わずか2日後に「商品にシワがある」と返品に訪れた。購入時に商品の状態を確認したはずだと断わると、「なぜダメなんだ。おかしいじゃないか」と執拗に食い下がられたという。  一体、彼らは何者か? 前出の店員が明かす。 「ブランド品のコピー業者が交じっているんだと思います。旅行者を装って写真を隠し撮りし、精密なコピー品を作ろうとしているようです。業界の隠語ではそういった方を“フォトグラファー”と呼んでいます。  うちの店で返品を希望されたのはその数日前に『棚全部ください』といって購入された方でした。ですが持ち込まれたものは、バッグの縫製を解いてから雑に縫い直していたのですぐに分かりました」  その大量返品をしようとした男性客も女性モノの「最新のデザインが欲しい」と店員に尋ねていたという。  中国はありとあらゆる商品を模倣するコピー大国として知られる。日本で仕入れた情報をもとにしたブランド品のコピー製品が本国で直ちに製造され、表裏の様々なルートで国内外に流通する。一昔前は素人目にもコピーと分かる代物が多かったが、精緻であるほど値段が吊り上がるので、日本発の写真や図面が「資料」となっているのだろうか。  型を取り終われば用済みだから、返品客が相次ぐのもうなずける。ただし、前述の通り、高級ブランド店は購入時にほつれなど商品の状態を客に確認させ、返品はNGという店舗が多い。しかし相手もさる者。コピー業者は次なる手を用意しているという。  「ブランド店に断わられたその足で質屋に持ち込んで高値で買い取らせようとする。持ち込まれるバッグのなかには解体後にコピーの素材と本物の素材を組み合わせて作った“混合品”もある。一つの本物から二つも三つも混合品が作れる上に、我々がコピー商品を見分けるためのポイントである、金具や取っ手などが本物だと騙されてしまう。少しでも投資を回収しようとするのが彼らのやり方です」(新宿の質店店主)  コピー品の「爆売り」も進んでいるのだ。関連記事■ いま中国人に「アツい」スポットは静岡 “聖地巡礼”もする■ 中国人 日本のティッシュ・黒烏龍茶・ベビースターが好き■ 家電爆買い中国人 日本製優秀との認識強く高値でネット取引■ 中国の愛人は1000万人 高級ブランド品の3割を購買との試算■ ネットに登場の「中国人クズ番付」など中国の民意に迫った本

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    中国人観光客よ、もう日本に来るな!「恥」の輸出が意味するもの

    安田峰俊(ノンフィクション作家) 某国出身の海外旅行客による、あさましい買いあさり行為を指す「爆買い」という概念が、すっかり定着した感のある昨今である。 ほんの数十年前まで、国策の大失敗に起因する極度の社会混乱と貧困に苦しんでいたはずの国家が、若年層国民の増加による人口ボーナスと経済の対外開放の追い風を受けて、奇跡的な高度経済成長を達成。やがてバブル化した社会を拝金主義が覆い尽くし、手元にキャッシュを貯め込んだ同国の国民は、世界中に飛び出して不動産物件や美術品やブランド品はもちろん、お酒やお菓子や化粧品までも買いまくるようになった。――とはいえ、経済力と品性はもとより別の問題である。 彼らは自分たちがどれほど一等国でございと自画自賛したところで、ブクブクと膨れ上がった財布の中身に比べて、「民度」はちっとも向上していない醜悪な銭ゲバの成金どもだ。所詮は人品骨柄卑しき野蛮人なのである。 ゆえに海外旅行先においても、こうした連中に、ちゃんとマナーを守ったり現地の文化を尊重したりする「文明的」な振る舞いなど、もとより期待できるはずはない。 下記に、同国の海外旅行客のマナーの悪さを揶揄した戯れ歌の一部を紹介しておこう。何度も繰り返される「中国加油(中国ガンバレ)」という言葉は、オリンピックや国際競技会の場で、かの国の人民が自国チームを応援するときの掛け声である。『無敵の中国海外旅行』中国加油 中国加油 ハウマッチ ハウマッチ 中国加油中国加油 中国加油 世界に誇る 中国加油腰にウエストバッグは 中国人のしるし無敵の国民性 飛ぶ鳥落とすようブランド品の店の前に 群れを作って買いあさる旅の思い出は 両手いっぱいに 抱えたバッグや香水進め! 進め! 進め!現地7泊6か国 分刻みで大移動お土産とヒンシュクを 買いにいくようなもの中国加油 中国加油 カメラ撮りまくれ 中国加油中国加油 中国加油 ビデオもあるぞ 中国加油中国加油 中国加油 ヒンシュク! ヒンシュク! 中国加油中国加油 中国加油 恥はかきすて 中国加油 その後、この歌は2番で「買うぞ! 買うぞ! 買うぞ!」「金ならあるぞ」と爆買い客の様子を歌い上げ、「お土産とヒンシュクを買いに行くようなもの」と彼らの行為をバッサリと斬り捨てる。世界中に大恥をバラ撒く、さもしい成金旅行者たちの姿がありありと目に浮かぶ秀逸な歌詞だ。……さて、そろそろ賢明な読者はお気づきかと思うが、私がここまで述べたのは、実はかつてのバブル経済期に急増した日本人海外旅行客に関する解説であった。 上記で引用した歌の元ネタは、コミックシンガーの嘉門達夫が1990年に発表した『無敵の日本海外旅行』だ。その1番の歌詞原文の「日本人」を「中国人」に、「ニッポン・チャチャチャ」を「中国加油」に書き換えて、テニヲハや漢字変換を一部修正して紹介したまでのことである。1990年に発表された嘉門達夫のアルバム『リゾート計画』。本文で紹介した『無敵の日本海外旅行』は15曲目。こちらから試聴もできる万里の長城から子供におしっこをさせる 当時、日本人海外旅行客のマナーの悪さや世間知らずぶりは、同時代のギャグ漫画家の間でも格好のネタだった。 いま私がパッと思い出しただけでも、中年団体旅行客の振る舞いに苦言を呈したえんどコイチの「コイチのオーストラリア紀行」(『ついでにとんちんかん』15巻所収)、南の島で現地の若い男性を性の捌け口にする「リゾラバ子」を再三にわたり糾弾していた小林よしのり『ゴーマニズム宣言』、大原部長と両津勘吉のヨーロッパ珍道中を描いた秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など、具体的な事例を数多く挙げることができる。 特に当時の雰囲気をよく伝えているのは、1980~90年代に大ヒットした堀田かつひこの四コマ漫画『オバタリアン』だ。同作の8巻の口絵では、海外旅行中のオバタリアンの所業をこう記す。・1990年5月 中国、万里の長城から子供におしっこをさせる。・1991年1月 米国、ラスベガスのカジノで大負け。金返せとどなる。・1992年8月 日本、成田。迷子になる。 もちろんギャグとしての誇張もあるはずだが、火のないところに煙は立つまい。往年の(少なくとも一部の)日本人観光客は、現代の中国人観光客を笑えるほどお行儀が良いとは到底言えない人たちだったのだ。現地のムードをぶち壊しにして世界各地を闊歩し、爆買いにいそしむ往年のオバタリアンの雄姿 ……ちなみに昨今、いわゆる「保守系」の新聞や雑誌の主要読者は、50~70代の中高年層である。中国人観光客のマナー問題を報じるニュースに優越感をくすぐられ、彼らの「民度」の低さを知って溜飲を下げている人々のなかには、おそらくバブル時代に「生涯初の海外旅行」を経験した人も多く含まれていることだろう。 バブル崩壊からの「失われた24年」を経て、かつて海外でヒンシュクを買っていた当事者たちは、いまや中国人客のマナーの悪さを嘲笑できるほど「文明的」な人々に生まれ変わるに至った。これはきっと、世界でいちばん立派でスゴい日本民族だからこそ成し遂げられた偉業だろう。まことに、――欣幸の至りに甚えない話である。「恥」の輸出は何を意味していたのか さて一方で、ちかごろ私が海外に出るたびに驚かされているのは、日本人の旅行者や留学生のマナーの良さや目的意識の高さと、それと表裏一体をなす存在感の希薄さだ。これは自分の主戦場である中国・台湾・香港はもちろん、パリやロンドンの繁華街でも、果てはニューデリーやバンコクのバックパッカー街ですらも等しく見られる現象である。 いまや海外において、バブル時代のような「爆買い系」や「民度低い系」の日本人は絶滅危惧種だ。また、小林紀晴のベストセラー『アジアン・ジャパニーズ』(1995年)に登場するような、90年代のポストバブル時代的な「自分探し系」「外ごもり系」の若者すらも激減している。ろくに英語も話せずにマリファナばかり吸っている自称留学生や、東南アジアの買春オヤジやリゾラバ女子を目にする機会もずいぶん減った。 近年、海外で出会う日本人は、就活で語学を武器にするために中国に留学して毎日真剣に学んでいる女子学生(北京)や、貧困層へのボランティアのためにインドにやってきた青年(ニューデリー)など、お行儀が良くて意識の高い人ばかりだ。 一方で日本人の旅行者や留学生の人数そのものは目に見えて減っており、観光地の商店の客引きからは日本語ではなく韓国語や中国語で声を掛けられることがずいぶん増えた。かつては真っ先に日本語が書かれていた位置に、韓国語と中国語が書かれた薬局の張り紙。しかも中国語は比較的正確な文法なのに、日本語はメチャクチャだ。2014年12月、インドのニューデリー市内ハウズ・カース・ヴィレッジにて筆者撮影 もちろん、こうした真面目でマトモな人たちはバブル時代にもちゃんと存在した。ただ、当時はそれを何倍も上回る数の「国の恥」のような人たちが海外に溢れ出ていたため、悪貨が良貨を駆逐してしまい、優秀な人の姿が見えなくなっていたのである。 反面、近年になり海外で意識の高い日本人留学生や行儀のいい日本人旅行客ばかりが目につく背景も、やはり簡単に説明できる。 まず、バブル時代と比べて日本人が海外慣れしたことや、日本政府が出国者のマナー向上キャンペーンにかなり力を入れたこと、ここ二十数年間で日本人全体(特に若者層)の公共空間での振る舞いが格段に垢抜けたことなども、その要因であるのは間違いない。 だが、それと同じくらい大きな要因となっているのは、長年続く不景気や地方の衰退によって、多くの日本の庶民が金銭や時間の余裕を失ったことだ。特に若者層の場合、往年のように「『終わりなき日常』に飽きた」と海外でモラトリアムの時間を過ごす行為は、そのまま十年後の自分の死活問題に直結しかねない。結果、気軽な海外旅行や娯楽目的の留学ができる人が減少し、(どんな社会状況のもとでも海外に出るという明確な理由や、生活の余裕を持つ)優秀な人の姿だけが、相対的に目立つようになったのである。(日本人の年間出国者統計の数字自体は1990年代半ばからほぼ横ばいだが、これは経済のグローバル化に伴って何度も出入国を繰り返すビジネスマンが増え、減少した海外旅行客の数を補っているからだと考えられる) やや忸怩たる思いも覚えるが、意識が低くてマナーの悪い「国の恥」のような人々が全世界に飛び出す現象の発生とは、送り出し国の国力の賜物なのだ。 従来のようなエリート層のみならず、本来ならば人様の前に出してはいけないような文化水準の人たちまでも海外に出かけ、札ビラをちらつかせて大きな顔ができる。こうした現象は、その国家が強く豊かになり、社会が爛熟期を迎えたという事実の反映に他ならない。中国人観光客よ、日本のみならず全世界から消滅せよ!免税用の受け付けに並ぶ外国人観光客ら=和歌山市 ゆえに、私は本稿において、声を大にしてそう叫びたい。 なぜなら、意識が低くてマナーの悪い中国人観光客が世界中から消え去る事態とは、すなわち中国が「国の恥」を海外に輸出できるだけの国力を喪失したことを意味しているからだ。 バブル崩壊から数十年間の日本の歴史が証明するように、国力が衰退した国家からは企業や個人の活力が失われ、国際社会における政治・経済面での重要度も低下する。アメリカと世界を二分するといった無謀な妄想も、社会が停滞すれば跡形もなく消し飛ぶ。 わが国の「仮想敵国」である中国がそんな状態の国家に変わることは、日本の国防上の観点から見ればかなり嬉しい事態だ。近ごろ世間を騒がせている憲法改正や安保法制の整備だって、わざわざ急いで話を進める必要はなくなる。良いことばかりである。――再び言う。中国人観光客が全世界から消滅する未来よ来たれ! 実のところ、近年報じられて久しいように、中国経済はすでに停滞期に突入しつつあるようだ。あまり心配をせずとも、さして遠からぬ将来、雲霞のごとく押し寄せる中国人客が海外で大々的に爆買いを繰り返すような事態は、おそらく過去のものとなっていく。 では、私たち日本人は現時点では何をすればいいのか。 答えは簡単だ。彼らがカネを使ってくれるうちにできるだけ誘致に力を入れ、しっかりとインバウンド市場で儲けさせてもらうのである。調子に乗った中国の「高転び」をひそかに期待することと、一時の春を謳歌する成金旅行者たちから1円でも多くの外貨を回収するための経営努力を惜しまないことは、まったく矛盾しない行動なのだ。 少なくとも、四半世紀前に日本から大量の爆買い客や買春オヤジやリゾラバ女子を受け入れていた世界の各国は、そんな姿勢で「野蛮人」どもの襲来をやり過ごし、がっつりと儲けていた。日本人はいまこそ、過去の事例に学ぶべきときを迎えているのだ。

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    櫻井よしこが問う 朝日新聞が導く「戦争への道」に惑わされるな

    櫻井よしこ(ジャーナリスト)林立する海洋プラットホーム いま世界中が、中国の国際秩序への横暴な挑戦に警戒心を強めている。中国の侵略的行動が加速したきっかけは、アメリカのオバマ大統領が2013年9月10日、シリアへの軍事介入を否定した演説で「アメリカは世界の警察ではない」と宣言したことだった。その後、世界情勢は目に見えて混沌とし始めた。半年後の2014年3月、ロシアはクリミア半島を奪ったが、このときのアメリカの第一声は「軍事力は使わない」だった。アメリカの消極的反応を待っていたかのように、中国も南シナ海で、岩礁の埋め立てを急加速させ始めた。 2015年7月現在、中国はスプラトリー諸島で七つの島(環礁)の「埋め立ては完了した」とうそぶき、人工島上で軍事施設の建設を続けている。火砲を搬入し、ファイアリークロス礁では3千メートル級の滑走路の建設も進行中だ。 中国は、オバマ大統領の「世界の警察官の役割を果たすつもりはない」という宣言が本音であると確信し、「埋め立て」という名の侵略、力による現状変更に及んだと見てよいだろう。 だが、アメリカも南シナ海の事態を座視できず、国防総省は5月に入ると、人工島から12カイリ以内への米軍機・艦船の派遣を検討すると発表した。同月20日には、最新の対潜哨戒機P8AポセイドンにCNNの取材クルーを同乗させてスプラトリー諸島海域の上空を飛び、埋め立て工事の様子や、中国海軍機から「出ていけ!」と警告を受ける緊迫した状況を、映像で全世界に流した。 アメリカの情報公開は、南シナ海への国際社会の注目を一気に高め、中国の侵略行動に対する国際社会の抗議を促した。日本でも、南シナ海問題の日本への影響と、日本は一体が何をすべきかの議論が始まった。海上自衛隊のP3C哨戒機がフィリピン軍との共同訓練で初めて南シナ海を飛行したのも、中国へのメッセージである。 ところが、実は南シナ海と同時に、私たちの眼前の東シナ海でも中国がほぼ同様の侵略行動に及んでいたことが、7月に入って明らかになった。東シナ海の日中中間線からほんの少し、申し訳程度中国側に入ったところで、新たなガス田開発を急速に拡大させ、関連施設(海洋プラットホーム)を次々と建造していたのだ。 中国による日中中間線付近のガス田開発は、20世紀末から続けられ、両国の係争の種となってきた。平成10(1998)年11月までに、中国は白樺(中国名・春暁)、樫(天外天)、平湖、八角亭の4カ所でガス田の開発に着手し、各々数十メートルのプラットホームを建設してしまった。それが平成25年に新たに三カ所のガス田が開発され、平成26年にはさらに五カ所、今年はまたもや4カ所で開発された。この三年間で雨後の竹の子のように12カ所が開発されてしまっていた。それ以前の4カ所と、合計16カ所で中国は建造物を完成させたわけだ。ジャーナリストの櫻井よしこ氏=2014年12月、大阪市北区 それぞれのガス田には、海面から高さ数十メートルの海洋プラットホームが建造されている。各プラットホームには精製工場のほかに三階建ての作業員の宿泊所、ヘリポートなどがある。これらは後述するように容易に軍事拠点に転用可能だ。 これらのガス田のほとんどは、北緯30度、東経125度の半径60キロ圏内に集中している。そこにガス田が広がっているという理由も勿論あるだろう。この海域には中東に匹敵するほどの資源が眠っているという指摘があり、中国の積極的攻勢は、同海域の資源の有望性を示すものと考えられる。 ガス田はいずれも中間線近くにある。中国が白樺の開発を本格化させたのを契機に共同開発が両国間で検討されたとき、中国は、中間線から中国側の排他的経済水域(EEZ)では中国が単独で開発し、共同開発は日本側のEEZ内に限ると、驚くべき一方的主張を展開した。彼らの理屈は以下のようなものだった。《日本は中間線までの日本側の海しか領有権を主張していない。対して、中国は大陸棚が伸びている日本の海岸に近い沖縄トラフまでを中国の海だと主張している。したがって係争の海は、中間線から日本側のみであり、そこでは中国は共同開発に応ずるが、中国側の海は、そもそも日本が権利を主張していないのであるから、中国の単独開発だ》という言い分だ。 あまりに身勝手な中国の言い分に立ち向かったのが、故・中川昭一氏だった。経済産業大臣だった氏は当時の私のインタビューで「中国の理屈は、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものということだ」と述べて憤慨した。中川氏は日本も試掘すべきだと決意したが、海洋大国であるにもかかわらず、当時の日本政府は海底調査船すら保有していなかった。そこでノルウェーから調査船を借り、数億円の経費を使って調査を行い、白樺及び樫は、海底で日本側のガス田とつながっていることを突き止めた。中国が計画中だった翌檜(龍井)も楠(断橋)も同様である。これでは、採掘地点が中国側であっても、ストロー効果で日本側の資源もチューチューと吸い取られる。 このため中川氏は、平成7(2005)年7月14日、帝国石油に試掘権を認めた。帝国石油はそれまで幾度も試掘を認めるよう政府に要請してきたが、このときは簡単には首を縦に振ろうとしなかった。当時、周辺海域にはすでに海洋開発していた中国の軍艦や調査船が展開していたからである。日本の民間船が単独で出ていって無事で済むとは思えない、海上自衛隊や海上保安庁の護衛が必要だというのが帝国石油の考えであり、それは十分に理解できる要請だった。中川氏は、その護衛も検討しつつ、試掘の決断をした。 ところが、時の首相、小泉純一郎氏は、同年10月、内閣改造を断行し、中川氏を農水大臣にポスト替えした。中川氏の後任、二階俊博氏は「私は試掘の道はとらない」と断言し、試掘は止められた。以来、日本のガス田開発の動きは止まったままだ。ただ海上自衛隊は同海域の哨戒活動を続け、この間にも中国はガスを取り続けてきたこと、この3年間、猛然と開発を加速させていることを見てきた。 気になる情報がある。中国が傾斜掘削という手法をとっているのではないかという情報である。これは中間線より中国側に掘った井戸から、掘削パイプを海底の地形に沿うように這わせながら日本側海域に伸ばし、ガス田に到達させてガスを吸い上げる手法だという。このような技術が使われているとしたら、中国側とはつながっていない日本のガス田からも資源が盗まれることになる。これは侵略そのものであろう。東シナが中国の海に!?東シナが中国の海に!? 中国によるガス田開発のもうひとつの深刻な問題が、軍事的側面である。中国が2013年11月、尖閣諸島上空を含む東シナ海で一方的に防空識別圏(ADIZ)を設定し、国際社会の批判を浴びたことは記憶に新しい。ただ、大陸にある彼らのレーダー基地からは日中中間線あたりまでしか監視できず、彼らの防空識別圏は実際には機能してこなかった。 だが、中間線付近のガス田の海洋プラットホームを軍事利用すれば、防空識別圏の航空管制が現実に可能になる。さらには沖縄本島も含め南西諸島すべてが中国の監視下に置かれ、沖縄や東シナ海の米軍、自衛隊の動きが丸裸にされる。 ヘリポートは、軍用ヘリのみならず無人機(ドローン)の基地にもなる。参議院議員の佐藤正久氏は、固定式の対空ミサイルを据え付けることも可能だという。その場合、自衛隊と米軍の空からの哨戒も容易でなくなる。海底にソナーを置いて海中の動きを監視することもできるのであり、林立する海洋プラットホームは、中国が軍事利用を公言する南シナ海の人工島と同様、東シナ海全体を中国の海にするための拠点になりかねない。 私の疑問は、我が国にとって、これほど重大な脅威となりうる中国の海洋開発を知りながら、なぜ政府が情報をひた隠しにしてきたかという点である。 中国が急速にわが国の眼前で一方的に開発を進めてきた事実は、海上自衛隊の哨戒活動で日本は逐一把握している。 海自の情報は防衛省、外務省、経済産業省に上げられ、さらに国家安全保障会議(NSC)に報告される。このプロセスの中で東シナ海の情報は公開しないことが決定されたと情報筋は語る。複数の情報筋は非公開を決めた主体は外務省だと指摘する。南シナ海のスービ礁で中国が進めている埋め立て作業。礁の右側の砂で埋め立てられている部分は、周囲に停泊している船の大きさなどから、滑走路が建設可能な規模で造成されていることが確認できる。撮影は7月12日(フィリピン軍提供・共同) 外務省の対中融和外交の影響だとすれば、それは、国際法を順守し、力による現状変更には断固反対するという安倍晋三首相の対中外交の基本とは相容れないはずだ。もうひとつの見方は、外務省は防衛省から上がってくる情報に余り重きを置かず、十分にその意味を理解できなかったというものだ。有り体にいえば、東シナ海のことまで考えが及ばなかった、というのである。 いずれにしても、これが外務省の実態であれば、日本の外交を担う資格があるのかと、問わねばならない。 南シナ海では、CNNの映像が全世界に発信されたことで国際社会の批判が強まり、中国は「埋め立て完了」と言わざるをえなくなった。日本も、同様の蛮行が東シナ海でも行われていることを、まず日本国民に、そして世界に知らせるべきである。中国の力に物を言わせる蛮行は、現在国会で行われている新たな安保法制の審議と密接に関係する。 安倍政権が集団的自衛権の行使を限定的ながら可能にしようとしている背景には、北朝鮮のミサイルや核開発の問題、そしてより大きな要因として覇権奪取の野心を剥き出しにする中国の脅威の増大がある。日本は日米同盟を重要な抑止力として恃むが、同盟国アメリカは、オバマ政権下で内向き思考を強め、財政難で国防費の大幅削減を迫られている。 新たな安保法制整備の意義は、この状況下で自衛隊の機能を弱めている、がんじがらめの規制を少し緩和し、米国との同盟関係をより緊密にして中国の脅威の増大に対処することである。今回明らかになったガス田開発の急拡大は、中国の帝国主義的脅威を目に見える形で私たちに示している。本来なら新安保法制の議論はこの危機的状況に基づいて行われるべきであろう。国民の理解を深めるためにも、このように私たちの眼前で進行している危機の情報こそ広く伝えられるべきだと思う。官房長官会見と防衛相答弁をなぜ報じなかったのか 中国による急速なガス田開発を国民に知らせないという点では、メディアの責任も大きい。特に朝日新聞の報道には疑問を抱かざるを得ない。 私は7月6日の産経新聞でこの東シナ海の新たなガス田開発問題を報じたのだが、同日、菅義偉官房長官は定例記者会見で、「一方的な開発を進めていることに対し、中国側に繰り返し抗議すると同時に、作業の中止を求めている」と語った。プラットホームの数など具体的情報は明らかにしなかったが、中国が一方的に新たな開発を進めていることを認めたものだ。 7月10日には、中谷元・防衛相が衆院平和安全特別委員会で、海洋プラットホームが軍事拠点化される可能性に関して、「プラットホームにレーダーを配備する可能性がある」「東シナ海における中国の監視、警戒能力が向上し、自衛隊の活動がこれまでより把握される可能性があると考えている」と述べた。国民の知らない内に中国が東シナ海を一方的に開発し、日本の安全保障に深刻な脅威を与える状況が生まれていたとの認識であろう。 産経新聞と読売新聞は防衛相答弁を翌11日付朝刊の一面トップで報じた。中谷氏の答弁は、中国の脅威増大と密接にからむ新安保法制の審議中というタイミングからいっても、大きく報じる価値があるはずである。 しかし、朝日新聞は、このいずれのタイミングでも中国の新たなガス田開発について報道しなかった。朝日が報じたのは、7日の自民党国防部会が、本年度の国防白書にガス田開発の記述がほとんどないとして了承を見送ったこと(八日付朝刊)と、衆院平和安全特別委員会で安全保障関連法案を可決した16日、自民党国防部会が改めてこの国防白書を了承したことだけである(同日付夕刊)。 8日の記事では、「中国の東シナ海でのガス田開発についての記述がほとんどなく、安全保障法制に影響する」という部会長の佐藤正久議員のコメントはあるが、いつ、どんな開発がなされていたのかまったく不明である。16日になってようやく、中国は「13年6月以降…新たな海洋プラットホームの建設作業などを進めている」と書いたが、中谷氏も「日本の安全保障にとって新たな脅威になる」と指摘したプラットホームが持つ危険性には触れていない。これでは、朝日しか読まない人々は、東シナ海で起きていることやその脅威について全く知ることはできないのではないか。 安全保障関連法は7月15日に衆院特別委で採決されたが、翌16日付の朝日新聞は朝刊一面で、「安保採決 自公が強行」というトップの記事の下に立松朗・政治部長が、「熟議 置き去りにした政権」とコラムで書いた。 「熟議」は、あらゆる必要な情報が与野党双方に認識されていなければできないはずである。日本の安全、日本の空と海と陸をどう守るのか。国民の財産と安全をどう守るのか。日本国の安全保障を論じるとき、隣国が係争の海である東シナ海で進めている蛮行を考慮せずに、如何にして、まともな形の議論が可能なのだろうか。 朝日が熟議に必要な情報を報道したとは到底、言えないのだ。南シナ海の軍事拠点づくりで世界中を震撼させた中国の脅威が東シナ海でも急速に増大していることを報じようとしない朝日新聞は、メディアとして、報じるべきことを報じてから「熟議」を求めるべきではないのか。大局面で判断を誤り続けたのは大局面で判断を誤り続けたのは 立松氏のコラムはさらに、安倍首相が「日米安保条約改定や国連平和維持活動(PKO)協力法もメディアが批判し、反対の世論が強いなかで実現させ、今ではみんな賛成している」と主張したとして、「『どうせ理解されないし、時が解決する』と言わんばかりの態度は、政治の責任に無自覚だ」と批判している。 しかし、そのときは国民の理解を得られなくても、本当に国家に必要なことを為し、その評価を歴史の審判に委ねる姿勢は政治家の崇高な義務感の表れでもある。 逆に、朝日新聞に問いたい。朝日は日米安保条約改定やPKO協力法に反対してきた。それは歴史の審判に堪えられる見解だったのか。答えは明らかに「ノー」であろう。日米安保も自衛隊のPKO活動もいまでは国民の大多数が必要だと考え、支持している。 それだけではない。サンフランシスコ講和条約締結時における「単独講和」反対論、自衛隊を白い眼でみる論調。国家の命運をかけた重要な選択や、国家の土台である安全保障について、朝日新聞はことごとく間違ってきた。自衛隊は、いまや国民の九割の信頼を集めている。 重要課題でこれほど間違いを重ねてきた新聞は、世界でも珍しいのではないか。朝日は安倍首相を批判するよりも、自らの不明を恥じ反省することが先ではないか。 わが国の眼前に迫り来る脅威は報じずに、日本の抑止力を高めるための法整備に、「戦争法案」「戦争への道」「徴兵制」「殺し殺される国」といった情緒的なレッテルを、デモ参加者や野党議員らのコメントを利用して書き立て、反対を煽る。こうした報道姿勢は、自分たちのイデオロギーに沿わない安倍首相を敵視する「反安倍キャンペーン」だと言ってもよいもので、国の針路を誤らせかねない。中国の脅威にいま対処して抑止力を高めなければ、それこそ逆に「戦争への道」に追い込まれる危険が増大するのではないか。 そして、7月22日、政府が15点の写真と共に、中国の東シナ海でのガス田開発情報を公開した。23日付「産経」も「読売」も一面トップ扱いである。「朝日」も遂に報道したが、一面の左カタと二面を割いての報道である。政府の情報公開は遅きに失しているが、公開自体は評価したい。朝日の読者もようやくこれで中国の蛮行について知ることができたといえる。日本と安倍政権の使命 中国は、アメリカが内向き思考のオバマ政権下にある間に、中国式の世界秩序をつくろうとしているのではないか。かなりの部分、それが成功しつつあると思われる。軍事しかり、アジア投資銀行(AIIB)に象徴される金融しかり、中国語教育機関を名乗る思想宣伝機関の孔子学院の世界展開しかり、である。 7月1日には中国の全国人民代表大会が「国家安全法」を採択し、即日施行された。領土と海洋権益の防衛、テロや暴動、少数民族などの国内治安維持に加えて、宇宙やサイバー空間での安全保障、資源確保などが担保されなければならないとする内容だ。そのうえで、国家主権と領土保全の維持は「香港、マカオ、台湾の住民を含む中国人民の共同義務」とされた(産経新聞7月4日付)。 共産党批判や民主派の活動を封じ込める狙いがあるとみられるが、その対象になんと台湾人も含めたのである。反中国デモに参加したことのある台湾人が、その後に旅行や仕事などで中国を訪れるだけで、逮捕または拘留されることもあり得るのだ。中国が横暴な拡張主義を法律面でも強めている具体例である。 こうした中国の強硬策を見て、アメリカの対中姿勢が硬化しつつある。長くアメリカの外交政策をリードし、親中路線の旗振り役でもあった有力研究所「外交問題評議会」(CFR)は今年3月の特別報告書で、「現在の最大かつ最も深刻なアメリカへの戦略的挑戦は中国の強大化である」として「国防予算の削減を止めて軍備を増強し、中国包囲網を構築すべき」と提言した。国務省でさえ南シナ海の人工島を認めないとし、ハリー・ハリス太平洋軍司令官は「砂の万里の長城である」と非難した。極めつけは、統合参謀本部が七月一日に公表した「国家軍事戦略」である。中国をロシア、北朝鮮、そしてイランと並ぶ「潜在的な敵性国家」に初めて位置づけ、国際秩序を脅かす「リビジョニスト国家」とも呼んだのである。 ただ、肝心のホワイトハウスは中国の脅威を正面から受け止めかねているかのようだ。世界はいま、そのことを半ば恐怖の目で見ている。アメリカの内向き姿勢はオバマ政権だけのものではなく、国民意識の変化の表れで、今後も続くのではないかという懸念も捨てきれない。国際情勢がアメリカを中心軸とする秩序から中国の覇権を中心軸とする体制へと移行しつつあるのかもしれないとの見方が広がっている。 そんな中で、中国の脅威をリアルに実感している国際社会、特にアジア諸国の、日本への期待感が強まっている。日本の憲法改正を求め、軍事的プレゼンスも求める声は少なくない。中国の横暴に対するカウンターバランスとしての日本の存在への期待といってよい。 日本の力は、アメリカの軍事力とは比べるべくもないが、日本は自由、法の支配、人権といった善き価値観を多くの国々と共有する。加えて民族の宗教、文化、言語を大事にする非常におだやかな文明を有する。各民族がお互いを尊重しながら共存する国際社会の実現を目指している。こうした価値観や文明は中国とは対極にある。 また一方で、日本は高水準の産業・科学技術を有する。中国や韓国はもちろん、アメリカでさえ、さまざまな分野で日本の技術に支えられている面は少なくない。優れた技術、おだやかな文明と価値観を前面に掲げ、軍事的力も強化できれば日本の強さはよりよい世界の構築に貢献するはずだ。 戦後の呪縛を解き、自立国家として再生し、中国の脅威に抑止力を発揮していくのが、現在の日本国の責務であろう。その意思と能力を期待できるのが安倍首相ではないか。 にも拘らず、東シナ海のガス田の開発を隠し続けてきた。安保法制に関連して、北朝鮮の脅威には言及しながら、中国の脅威にはほとんど触れない。なぜだろう。首相には大局的な観点から、その考えを示してほしい。 終戦70年の節目に、国際情勢は大きく変化しつつある。私たちはその変化を適切に認識し、偏ったメディアや政治勢力の主張に惑わされることなく、国家の針路を考えていかねばならない。さくらい・よしこ ハワイ州立大学歴史学部卒業。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスターを経て、フリーでジャーナリスト活動を開始。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞を受賞。平成19年、国家基本問題研究所を設立し理事長に就任。著書に『日本よ、「歴史力」を磨け』(文藝春秋)、『異形の大国 中国』(新潮社)など多数。近著に『新アメリカ論』(共著、産経新聞出版)、『戦後七〇年 国家の岐路』(ダイヤモンド社)。

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    暴走する習近平

    トラもハエも叩く――習近平国家主席が掲げた「反腐敗キャンペーン」も度が過ぎると反発を買う。経済が低成長時代に突入したいま、労働者から見放されたリーダーに巨大国家を率いていけるのだろうか。