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    朝日新聞、度し難し! 被災地急派の足を引っ張る「オスプレイ叩き」

    潮匡人(評論家、拓殖大学客員教授)朝日が報じた「疑問」 4月19日付「朝日新聞」朝刊総合面に「被災地にオスプレイ 米軍が派遣、国内初の災害対応 熊本地震」と題した記事が掲載された。記事はこう書き出す。 「米軍の新型輸送機オスプレイが18日、熊本地震の被災地へ物資輸送を始めた。オスプレイが日本の災害対応に使われるのは初めてだ。今回の救援活動に必要なのか。安全面に問題はないのか。疑問の声が出ているが、日本政府と米軍は、オスプレイの災害派遣での実績づくりを急いだ」 見てのとおり、オスプレイの投入に否定的な脈絡から「疑問」を呈している。震災の最中、救援に当たる日米両政府を批判した記事だ。支援物資を積んで、海自護衛艦「ひゅうが」から熊本県南阿蘇村へと飛び立つ米軍オスプレイ=4月19日午後2時8分、熊本県の八代海 実は朝日の公式サイトに、上記と同じ記事が別途、掲載されている。上記は「4月19日05時00分」に同日付朝刊記事がアップされたものだが、別途、朝日新聞デジタルの記事として、前日の20時58分に同じ記事がアップされている。 後者のタイトルは「米軍オスプレイ、初の災害対応 実績づくりに疑問の声も」。見出しは、こちらのほうが内容に忠実である。以下検証するとおり、記事は「初の災害対応」を「実績づくり」と断じ「疑問の声」だけを報じた。ちなみに、後者には「米軍の新型輸送機オスプレイが救援物資を載せ、熊本・南阿蘇村へ飛んだ」際の動画もアップされている。間違いなくPV(閲覧回数)に貢献したであろう。ため息を禁じ得ない。 記事は「必要性、疑問の声」の中見出しを掲げ、こう疑問を呈した。 「自衛隊にも約60人乗りの大型輸送ヘリCH47が約70機ある。約30人乗りの米軍オスプレイがさらに必要なのか。疑問の声が上がる」 私は朝日記事のほうに疑問の声を上げたい。なるほど輸送兵員数はCH47がまさる。他方、CH47Jの巡航速度は260km/hだが、オスプレイは490㎞/hと倍近く、航続距離も数倍長い(オスプレイは空中給油も可能)。またオスプレイは海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)での運用にも適しており、実際「ひゅうが」型護衛艦(DDH)での運用が予定されている。 政府の公式見解を借りよう。「中期防衛力整備計画(平成26年度~平成30年度)」(平成25年12月17日国家安全保障会議及び閣議決定)はこう明記した。 「輸送ヘリコプター(CH-47JA)の輸送能力を巡航速度や航続距離等の観点から補完・強化し得るティルト・ローター機を新たに導入する」朝日新聞か頭が悪いのか この「ティルト・ローター機」こそ、オスプレイである。中期防が明記したとおり、オスプレイはCH-47を「補完・強化し得る」。だから、自衛隊が導入する。なぜ今「米軍オスプレイがさらに必要なのか」(朝日記事)。朝日が本気で「疑問」に感じているなら、先ず中期防から勉強してほしい。さらに朝日記事はこう続く。 《「オスプレイに対する国民の恐怖感をなくすために慣れてもらおうということで、こういう機会を利用しているとすれば、けしからんことだ」。共産党の小池晃書記局長は18日、朝日新聞の取材に語った》 これ以外、記事が報じた「疑問の声」はない。もし被災者が落下事故を恐れているなら、報じる意義もあろう。だが、そうした声は聞かない。反対に感謝の声なら、ネット上にあふれている。それでも朝日は被災者ではなく、日本共産党書記局長を「取材」した。誰のため、何のために書いた記事か海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」の艦上でオスプレイに生活支援物資を積み込む自衛隊員=4月19日午後、熊本県の八代海(海上自衛隊提供) それだけではない。「政治的な効果」の見出しを掲げ、「安倍晋三首相」の「方針転換」を揶揄し、「防衛省関係者」の「説明」として「米軍オスプレイの支援は必ずしも必要ではないが、政治的な効果が期待できるからだ」と報じた。どこの誰か知らないが、オスプレイがCH-47を「補完・強化し得る」事実を御存知ないなら、もぐりであろう。さらに記事はこう続く。 「米軍普天間飛行場のオスプレイには、騒音被害や事故への懸念が絶えない。自衛隊が陸自オスプレイ17機を佐賀空港(佐賀市)に配備する計画も、地元の反対で進んでいない。/しかし、今回オスプレイを十分に活用できれば、その安全性や性能を広く知らせる機会となりうる」 明らかに読者と世論を誘導している。救援目的ではなく、「政治的な効果」を狙ったオスプレイ投入との印象を読者は抱く。暗澹たる思いを禁じ得ない。「オスプレイには騒音被害や事故への懸念が絶えない」というが、それは朝日らが自ら喧伝してきた「懸念」に過ぎない。私がテレビや雑誌で指摘してきたとおり、他の機種と比べ、特段に危険な航空機ではない。騒音もむしろ小さい。 念のため付言するが、私は御用学者ではない。事実「政府は安全神話を語るべきでない」と最初にマスメディアで苦言を呈したのは、他ならぬ私である。原発同様、オスプレイも「100%安全」とは言えない。そもそもこの世に、ゼロリスクなどあり得ない。残念ながら、いずれオスプレイも事故を起こす。今日、熊本で起きるかもしれない。だとしても、その可能性は非常に低い。 他方、オスプレイの救援活動で人命が救われたり、被災者の健康が保たれたりする蓋然性はきわめて高い。事実そうなっている。独善的なイデオロギーを排して客観的・学術的に、確率を踏まえたリスク評価をしてみよう。オスプレイ投入で得られる利得は、投入に伴う損失(リスク)より桁違いに大きい。誰がどう計算してもそうなる。 朝日新聞は頭が悪いのか。それともパシフィズム(反軍平和主義)に染まっているのか。どちらにしても度し難い。いったい誰のため、何のために書いた記事なのか。頼むから、これ以上、現場の足を引っ張るのは止めてほしい。

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    慰安婦基金、10億円は朝日が負担しろ!

    元慰安婦支援を目的に韓国が設立する財団に、少女像が撤去されなければ10億円拠出をしない意向を示した日本政府。仮に慰安婦像が撤去されて10億円を出すことになったら、朝日に負担させるべきだ。32年にわたってウソ八百を垂れ流し名誉を汚された日本人への慰謝料はどうしてくれる。

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    朝日新聞賃金大幅カット「もっとやるべきことある」と社員

     今年に入ってからの朝日新聞の紙面は、賃上げに関しての記事が目立つ。例えば1月20日から始まった連載「教えて! 春闘」では、月給と年収ベースの賃上げの違いについて説明。さらに同日の別の記事では「公共工事の賃金 5年連続アップ」と見出しを打ち、公共工事における人件費が全国平均で4%程度引き上げとなる見通しを報じている。25日夕刊では「経団連会長が賃上げを要請 加盟企業に」、翌26日朝刊は「経団連ベア慎重 賃上げは前向き」と続く。労使トップ会談の冒頭、あいさつする経団連の榊原定征会長(右から3人目)=1月29日、東京・大手町の経団連会館 そして2月2日には社説で春闘に触れ、賃金の引き上げを含めた待遇改善を論じるなど、とにかく「賃上げ」の文字が躍る。一方で、その景気の良い記事を書いている記者たちからはなぜかため息が聞こえてくる。朝日新聞の40代社員がこう話す。「僕らは紙面とは逆の立場ですよ。今年の初めに、『2017年の4月から給与、年2回の期末手当、春夏手当などを段階的に削減する』という案が通達された。最大で給与の約15%がカットされるという大幅な賃下げが行なわれるのです」 これは1月4日、東京本社で行なわれた新年の挨拶において、渡辺雅隆社長による「中期経営計画」の説明の中で提示された。経営基盤の強化をうたい、総額にして100億円規模の人件費を削減する、というものだ。 賃下げが実行された場合、最も引き下げられるのが55歳社員で、平均年収1529万円から1290万円(239万円カット)。続いて40歳は1245万円から1053万円(192万円カット)となる。  これを受けて組合側は1月19日に社長と面談したが、渡辺社長は「やっていけないなら“退場門”も用意している」と早期退職制度の存在を示唆。賃下げ中止に応じる気配はなかったという。朝日新聞労働組合は、「現在、組合としての対応を協議中です」と回答した。 2011年上半期(1月~6月)には約780万部だった朝日新聞の部数は2015年11月には663万部(日本ABC協会調べ)まで落ち込んだ。これは前年同月比で約40万部減少となる。社員の給与カットは避けられないようにも思えるが、社内からは「給料に手をつける前にもっとやるべきことがあるはずだ」(前出の社員)と憤りの声が聞こえてくる。『新聞社―破綻したビジネスモデル―』(新潮新書)の著者である、元・毎日新聞常務の河内孝氏はこう指摘する。「本来必要な経営改善を行なってこなかったツケを払うために、手を付けやすい社員の給与削減にもっていった感があります。マーケットが国内のみで、人口も減る中、やるべきはデジタル情報の有料化や、大手新聞社ごとに持っている印刷工場や流通経路を再編してのコストカットです。それをやらずに給与を削って社員の反発を買うようでは本末転倒です」関連記事■ サラリーマンの「有給休暇」「残業代」等知っておきたい知識■ 「賃上げ表彰」のローソン 2013年の年収は前年比で13万円減■ 給与カットのNHK 有働アナは課長待遇で推定年収は1300万円■ 健康保険料抑えるため 4~6月に残業や副業はしないのが吉■ アベノミクス 賃上げが達成されたのは公務員と国会議員の方々

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    呉智英氏 元号について天声人語がおかしなこと書いたと指摘

    ことが様々なことがあるが、最近評論家の呉智英氏がおかしいと感じたことは何か。同氏は、「元号」に関する朝日新聞「天声人語」の書き方に異議を呈する。* * * 1月9日付朝日新聞の「天声人語」がおかしなことを書いている。衆院予算委で自民党の新藤義孝議員が「平成二十八年、伝統的な数え方では皇紀二六七六年」と発言したのがけしからんというのだ。和暦の年号(元号)は大化以来千四百年の伝統があるのに、たかが明治以来の皇紀を伝統的だとするのがけしからん、と言いたいのかと思ったら、そうではなかった。自民党の「復古志向」、それも「無遠慮」なところがけしからんというのである。 自民党の復古志向なるものは、確かにあると言えよう。だが、無遠慮って、何がどう無遠慮なのだろう。異なる歴史観を持つ野党、さらには近隣諸国に対して無遠慮だということらしい。 どうも、天声人語は紀年法(暦数の方法)ということが分かってないようだ。日本では伝統的に年号が使われてきた。ただ、年号は明治までは数年ごとに変わったし、明治以降は一世一元制になったけれど、それぞれに年数が違うため、通歴計算が難しい。そこで通しの紀年法が必要とされ、皇紀が定められた。 皇紀は神武紀元とも呼ばれるように、神武天皇即位の年を皇紀元年としている。もちろん、これは神話に基いている。 それなら、天声人語が奨励しているらしい西暦はどうか。西暦はキリスト教暦とも言うように、キリスト生誕年を西暦元年としている。そのキリスト生誕年も、歴史学者の多数はBC4年説を採る。キリスト生誕はキリスト生誕の4年前、というおかしなことになる。それで別段問題が起きないのは、これがもともとキリスト教神話に基いているからである。皇紀だろうと西暦だろうと、宗教基準なのである。 私はキリスト教徒ではなく、日本神話も信じていないけれど、通常、西暦を使用している。それは通歴計算に便利だという「利便性」の一点である。皇紀を使わないのは、通歴計算に便利だとはいえ、欧米の歴史と比較する利便性がないからである。 これは英語学習と同じである。事実として経済的にも外交的にもアメリカが覇者であるから、英語が優勢言語であり、その学習が奨励されるのであって、英語が「正しい言語」だからではない。あくまでも利便性の故である。西暦も同じく「正しい紀元法」であるはずがなく、キリスト教文化圏が優勢である以上、利便性が高いからにすぎない。むしろ「無遠慮」なのは、西暦の方であり、それを奨励する方なのだ。 世界中には、西暦を使用しない国も多い。東南アジアには仏暦を使用する国々があるしイスラム国ではイスラム暦が使われている。 21世紀に入って、イスラム勢力の「反攻」が目立つ。万一彼らが勝利して、イスラムの世界制覇が実現したら、天声人語はそれでも「無遠慮」にキリスト教暦を奨励するのだろうか。私は利便性の前に膝を屈し、涙を飲んでイスラム暦を使うつもりである。●くれ・ともふさ/1946年生まれ。京都精華大学マンガ学部客員教授、日本マンガ学会理事。著書に『バカにつける薬』など。関連記事■ 藤原正彦氏 日本のノーベル賞多いのは文化の厚みがあるため■ 木になった状態で熟成させたグレープフルーツ使った「氷結」■ プロテスタントの一部「収入の10分の1を献金」指導する例も■ 日本のキリスト教徒率は1% 首相経験者の13%はキリスト教徒■ 一部の韓国人 イギリス人もキリストも韓国が起源と主張する

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    「恬として恥じず」朝日新聞は“再び”死んだ 

    門田隆将(作家) 昨日の朝日新聞、そして今日の産経新聞の記事を見て、目が点になった人は多かったに違いない。仰天、唖然、衝撃……どんな言葉を用いても、そのことを表現することは難しいだろう。 私は前回のブログで、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の「対日審査」での日本の主張について書かせてもらった。 外務省の杉山晋輔・外務審議官が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がなかったことを説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造」であったこと、さらには、朝日新聞の報道が国際社会に「大きな影響」を与えたことを指摘したのである。ジュネーブの国連欧州本部で開かれた国連女性差別撤廃委員会の対日審査会合=2月16日 私は、日本政府が国連の場で、こうした事実関係を「初めて」説明したことと、外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている、という趣旨のことを書かせてもらった。 しかし、昨日の朝日新聞朝刊には、その外務省に対して、朝日が「抗議をおこなった」ことが書かれていたのだ。私は職業柄、主な新聞には、すべて目を通すようにしているが、その朝日の記事には本当に驚いた。 第4面の「総合面」に〈国連委発言で慰安婦報道言及 本社、外務省に申し入れ〉と題して、朝日が国連での杉山審議官の発言に対して、〈18日、外務省に対し、「根拠を示さない発言」などとして遺憾であると文書で申し入れた〉と報じたのである。 「えっ? ウソだろ……」と呟きながら、この記事を読んだ人は少なくなかっただろう。朝日の記事の主要部分をそのまま引用する。 〈申入書(※筆者注=朝日が外務省に申し入れた文書)では、国際的な影響について、朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会でも見解が分かれ、報告書では「韓国の慰安婦問題批判を過激化させた」「吉田氏に関する『誤報』が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない」などの意見が併記されたと説明。国際社会に大きな影響があったとする杉山氏の発言には根拠が示されなかったと指摘した。 また、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じた点について、朝日新聞社はおわびし、訂正しているが、20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」と指摘した。慰安婦の人数については諸説あることを報じていることも伝えた。川村泰久外務報道官は文書を受け取った上で、「お申し入れの内容が詳細なので、精査させて頂きます」とコメントした〉“居直り強盗”という言葉が浮かんだ いかがだろうか。私は、品のない表現で大変申し訳ないが、“居直り強盗”という言葉を思い浮かべた。そして、こんな“子供の屁理屈”にも劣る言辞が通用すると「本気で思っているのだろうか」と考えた。少なくとも、自分たちが、根拠もなく慰安婦の強制連行を世界に広めたことに対して、反省のかけらもないことがわかる。 あらためて言うまでもないが、朝日新聞の報道の一例を示すと、1992年1月11日付朝刊1面トップで、朝日は、日本軍が慰安所の設置などに関与したことを示す資料が見つかった、と大々的に報じている。当時の宮沢喜一首相の訪韓わずか「5日前」にブチ上げられた記事である。 その中で朝日は「従軍慰安婦」の用語解説をおこない、〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と書いた。 しっかりと、〈挺身隊の名で強制連行〉と書き、〈その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と記述している。また、翌12日付の社説でも〈「挺身隊」の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられた〉と書いている。ジュネーブで開かれた国連女子差別撤廃委員会で、日本の立場を説明する杉山晋輔外務審議官=2月16日 これはほんの一例だが、朝日新聞は、長年の外部からの指摘に耐えかねて、ついに一昨年(2014年)8月5日、「検証記事」を掲げた。そのなかで、〈読者のみなさまへ〉と断って、わざわざ〈女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と、「混同」「誤用」を認めているのである。 杉山審議官の国連での発言は、もちろん、それらを踏まえたものだ。しかし、当の朝日新聞は、こともあろうに、これに対して「抗議」をおこなったのである。子供の屁理屈にもならない、というのは、〈20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」〉と噛みついている点だ。 では、その〈20万人〉がどこから出てきたものなのか、〈女子挺身隊との混同〉でなければ「いったい何でこんな途方もない数字が出てきたのか」、それを自ら指摘・告白するのが、礼儀であり、大人というものである。〈慰安婦の人数については諸説ある〉という申し入れの文言は、明らかに「開き直り」というほかない。「法的措置を検討する」朝日新聞からの脅し 私は、自分自身の経験を思い起こした。2014年5月20日付で朝日新聞が、「吉田調書を入手」したとして、福島第一原発の現場の人間の「9割」が所長命令に違反して撤退した、と1面トップで報じた件だ。 吉田昌郎所長をはじめ、現場の多くのプラントエンジニアたちにも取材した私は、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』というノンフィクションを2012年に出しているが、その取材結果をもとに、朝日の記事を「誤報である」と指摘した。公開された「聴取結果書(吉田調書)」 (一部モザイク加工しています) それに対して、朝日新聞は「報道機関としての名誉と信用を著しく毀損する」として、私に「謝罪と訂正」を要求する文書を送りつけてきた。そして、その文書の中には、要求に応じない場合は、「法的措置を検討する」という“脅しの文言”がしっかり入っていた。 私は、朝日新聞という報道機関が「自由な言論を封殺」しようとしたことに、一種の感慨が湧き起こった。自分たちに都合の悪いことに対しては、言論や表現の「自由な空間」を守るどころか、「圧殺する」という恐ろしい体質を同紙が持っていることがあらためてわかったからだ。 私は、これで逆に大いなる闘争心が湧き起こり、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……等々で、自分にできる最大の論陣を張らせてもらった。その意味で、私に対する朝日の“脅し戦略”は、まったくの逆効果をもたらしたことになる。 幸いに3か月後の9月11日、朝日新聞は自らの「誤報」を認め、木村伊量社長が記者会見を開き、訂正・謝罪の発表と、社長退陣と編集幹部の更迭がおこなわれた。 私はその後、朝日新聞からの正式な謝罪を受けたが、今回の外務省への抗議は、「真実」を指摘された時の「開き直り」という点で、まったく「共通」のものであることがわかる。 今回の朝日の外務省への申入書には、自らつくった慰安婦報道に対する「第三者委員会」の委員の中には、朝日の報道が「国際的な影響を与えた」ということに「そうではない」と言っている人がいます、と書いている。なんと稚拙な論理だろうか。 岡本行夫、北岡伸一両委員は、はっきりと朝日の報道が韓国による批判に弾みをつけ、過激化させたことに言及しているが、波多野澄雄、林香里両委員は、「国際的な影響はない」との見解だった、というのである。 イタズラを怒られた駄々っ子が、「でも、ボクは悪くないって言ってる人もいるもん!」と、お母さんに必死で訴えているような図である。私は、昨年末に出た朝日新聞の元スター記者、長谷川熙さんの『崩壊 朝日新聞』の一節を思い出した。長谷川さんは半世紀以上務めた「朝日新聞」にいる記者たちのことを“パブロフの犬”だと書いて、その典型例の実名まで挙げている。 〈旧陸海軍について、いかなる虚偽の悪行が伝えられても、旧軍のことであれば、記者であるのにその真否を究明することなく、なんでも実話と思い込んでしまうその現象を私は、ロシアのパブロフが犬の実験で見つけた有名な生理反射(ベルの音と同時に犬に餌をやっていると、ベルの音を聞いただけで犬は、餌がなくても唾液を出すことをパブロフは発見した)になぞらえてみた。(略)そうした条件反射のまさに典型例が、吉田証言関係の虚報でとりわけ大きな影響を内外に及ぼしたと私が見る北畠清泰であり、そして一連の虚報を背景に、OBになってからではあるが、慰安所糾弾の模擬法廷の開催へと突き進んだ松井やよりである〉 事実をそっちのけに、“条件反射”のように「日本」を貶める朝日の記者たち。彼らは、朝日に言及した国連での杉山発言の中身を今回も「抗議の段階」でしか報じていない。都合の悪いことは、ねぐり続ける朝日新聞らしい姿勢というほかない。 本日の産経新聞には、その朝日新聞広報部のコメントとして、「記事と申入書に書いてある以上は、お答えできない」というものが紹介されていた。ただ、「溜息が出る」だけである。私は思う。朝日新聞が、再び「死んだ」ことは間違いない、と。※2016.1.20 門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」より転載。

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    朝日新聞の護憲論 あまりの「倒錯」に驚く

    岩田温(政治学者) 2月6日の社説で朝日新聞は、「首相の改憲論 あまりの倒錯に驚く」と題して、安倍総理の発言を取り上げて批判している。  『東京新聞』が噛みついたのと同じ発言だ。「憲法学者の7割が、9条の解釈からすれば自衛隊の存在自体が憲法違反のおそれがあると判断している」「この状況をなくすべきではないかという考え方もある」 さらに、この総理の答弁を引き出した稲田朋美政調会長の発言も取り上げている。 「現実に合わない9条2項をこのままにしておくことこそ、立憲主義を空洞化する」との発言だ。衆院予算委で質問する稲田朋美氏(自民) 、2月3日 私は、この稲田政調会長の指摘は、もっともだと考える一人である。稲田政調会長は政治家である限り、発言できないのかもしれないから、政治家ではない私が正直に言えば、吉田茂が、本来、「自衛戦争も出来ない」と解釈していた日本国憲法を、解釈の変更によって、自衛隊を持てるようにし、敵が攻めてきた際には戦えるように変更した時点で、厳密な意味において日本の立憲主義が終わっている。仮に日本の立憲主義を破壊した政治家がいたとするならば、それは安倍晋三ではなく、吉田茂である。 さて、『朝日新聞』の安倍批判が面白い。 まず、『朝日新聞』が行ったアンケートで63%の憲法学者が、自衛隊の存在を「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」と答えた事実を認めている。 このアンケート結果は、随分正直なものだろうが、自衛隊が「合憲である」と断言できる憲法学者が殆どいないというところに日本の悲劇があるといってよいだろう。祖国を守る崇高な任務を引受けた自衛隊を「違憲だ!」「違憲かも知れない・・・」と解釈するということが異常な事態でなくて何であろうか。そして、現実には多くの国民が自衛隊を支持し、自衛隊を解体するような主張は、およそ現実離れした主張だと思われている。要するに、日本国憲法第九条第二項そのものがあまりに現実離れしており、憲法学者たちの解釈通りに解釈したら、自国の防衛すらままならないというのが現実なのだ。そして多くの国民は憲法学者の憲法解釈ではなく、現実に適った極めて「不自然な憲法解釈」を受け入れている。「戦力」も「交戦権」も否定した憲法を有しながら、「自衛隊」を保持できるという、極めて「不自然な憲法解釈」によって、日本はなんとか、自国を防衛してきた。『朝日新聞』は旗幟鮮明にすべきではないか? 『朝日新聞』は、自衛隊は違憲であるという憲法学者の見解を紹介しながら、、自衛隊の存在を否定したり、吉田茂の憲法解釈の変更を批判したりするのではなく、安倍内閣の批判へと進む。「多数の憲法学者と国民の反対を押し切り、集団的自衛権は行使できないとの歴代内閣の憲法解釈を、閣議決定だけで変えてしまったのは安倍内閣である。 自衛隊の存在と学者の見解とのへだたりを問題にするのであれば、安保法制を撤回するのが筋ではないか。「立憲主義の空洞化」を批判するなら、まずは我が身を省みるべきだろう。」 社説のタイトルが「首相の改憲論 あまりの倒錯に驚く」とあるが、私はむしろ逆に「朝日の護憲論 あまりの倒錯に驚く」とした方が相応しいと思う。衆院予算委員会で答弁に立つ安倍晋三首相 =2月4日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 何故なら、「自衛隊の存在と学者の見解のへだたり」が生じたのは遠い過去の出来事だ。これは吉田茂の解釈変更に端を発する「見解のへだたり」だろう。この根本の部分に目を向ける必要があるのではないか、というのが安倍総理、そして稲田政調会長の議論の要点だ。それに対して、『朝日新聞』は、そうした「見解のへだたり」を無視した上で、集団的自衛権の行使容認のみを「違憲だ!」と騒ごうとしているのだ。本を正さずして末に走る議論と言ってよい。 「自衛隊すら「違憲」とみなされるのは、おかしいのではないか?」と多くの国民が思うだろうが、現実に『朝日新聞』のアンケートでは、憲法学者の63%が「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」と答えているのだ。 『朝日新聞』は旗幟鮮明にすべきではないか?「我々は多数の憲法学者の見解を受け入れ、自衛隊を「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」と考えている」と表明するのか、それとも、「多数の憲法学者が自衛隊を「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」というが、それは極端な見解であるから、いくら大多数の憲法学者がそのような極端な憲法解釈をしても、そうした極論には与しないで自衛隊は合憲と認める」とするのか。 一体どちらなのか? 朝日新聞の自衛隊に関する憲法解釈が「倒錯」しているのは、自衛隊の存在に関しては、多くの憲法学者の主張を無視して、「違憲である!」と表明しないのに、集団的自衛権の行使容認に関してのみ、自衛隊違憲説を奉じる多くの憲法学者の主張を鵜呑みにして「違憲である!」と騒ぎ立てるからだ。 「自衛隊を違憲である」という人が「集団的自衛権の行使は違憲である」というのは、一貫していてよい。現実離れした主張ではあるが、「倒錯」してはいない。 だが、「政府の勝手な憲法解釈の変更を許すな!」「立憲主義を守り抜け!」と騒ぎ立てる人々が、吉田茂の解釈の変更によって作られ、多くの憲法学者が「違憲だ!」と主張している自衛隊の存在に関しては、否定せず、そして積極的に肯定もせず、口をつぐんでいるのは、まことにご都合主義的で、倒錯した「護憲論」と言わざるを得ない。※「岩田温の備忘録」2016年2月9日分を転載

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    日本を無謀な戦争に巻き込んだ「戦犯」は朝日と毎日との指摘

    て日本を戦争に引きずり込んだ、というストーリーを歴史上の事実として教えていたのである。有楽町にあった朝日新聞社旧社屋(1979年1月撮影) そうした側面もまったくなかったとは言わないが、もし日本を無謀な戦争に引きずり込んだ人間を「戦犯」あるいは「戦争犯罪人」と呼ぶならば、陸軍の強硬派に匹敵する、いやある意味でそれ以上の「戦犯」がいる。朝日新聞あるいは毎日新聞(東京日日新聞)といった戦前からある新聞社である。  戦前はテレビは無く、雑誌とラジオはあったがマスコミといえば新聞が中心であった。マスコミ=新聞と言っても過言ではない。その新聞社がいかに日本を戦争の方向に誘導したか、日本人がとにかく戦争で物事を解決するように煽動したか。 私や私よりは少し年上の団塊の世代の人々は、いわゆる戦後教育において、戦前の新聞社は軍部の弾圧を受けた被害者だと教えられてきた。学校で近代近現代史の授業は受けられなくても小説や映画やテレビドラマを通じて、戦前の新聞社はいかに軍部の弾圧に対して抵抗したかという英雄的ストーリーを叩きこまれてきた。それは大嘘である。 確かに昭和十八年以降敗戦が決定的になった頃、その事実を隠した大本営発表を強要する軍部に対し一部抵抗した記者がいたのは事実だ。だが、抵抗の事実はほとんどそれだけである。それ以前まさに、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変からの一連の日中戦争そして日米開戦まで、「日本は戦争すべきだ」と常に国民を煽り続けたのが新聞社であった。これが歴史上の真実である。 特に朝日新聞社は、満州事変が始まると戦争推進派の評論家などを動員し全国で講演会や戦地報告会を多数開催した。またテレビ以前の映像メディアとして「ニュース映画」というものがあったが、朝日のカメラマンが現地で撮影してきた事変のニュース映画も全国で多数公開された。 昔は普通の映画館に隣接して全国各地に「ニュース映画専門館」があったことを、団塊の世代ならかろうじて覚えているだろう。もちろん、これらの朝日のキャンペーンは、この戦争が正義の戦いであるから、国民は軍部の方針を支持するように訴えたものである。  それだけではまだ不充分だと朝日は戦意高揚のための「国民歌謡」の歌詞を全国から公募した。しかし応募作の中には朝日の意に沿うような作品がなかったのだろう。結局朝日新聞記者の作品を当選作としプロの作曲家に作曲を依頼し完成したのが『満州行進曲』である。これは大ヒットし親しみやすい曲調からお座敷などでも盛んに歌われた(戦後作られた「反戦映画」にはこうしたシーンはほとんど出てこない)。 世の中には新聞を読まない人、ニュース映画を見ることができない人もたくさんいたが、そういう人々にこの歌は「戦争することが正しい」と教えた。その結果日本に「満州を維持することが絶対の正義である」という強固な世論が形成された。 軍部がいかに宣伝に努めたところでそんなことは不可能である。やはり、「広報のプロ」である朝日が徹底的なキャンペーンを行なったからこそ、そうした世論が結成された。それゆえ軍部は議会を無視して突っ走るなどの「横暴」を貫くことができたし、東條(英機)首相も「英霊に申し訳ないから撤兵できない」と、天皇を頂点とする和平派の理性的な判断を突っぱねることができた。  新聞が、特に朝日が軍部以上の「戦犯」であるという意味がこれでおわかりだろう。 朝日新聞社にとって極めて幸いなことに、戦後の極東軍事裁判(東京裁判)によって東條らは「A級戦犯」とされたが朝日にはそれほどの「お咎め」はなかった。そこで朝日は「A級戦犯である極悪人東條英機らに弾圧されたわれわれも被害者である」という世論作りをこっそりと始めた。 たとえばその手口として「反戦映画」に「新聞社も被害者」というニュアンスを盛り込むというのがある。「よく言うよ」とはこのことだが、特に団塊の世代の読者たちはずっと騙され続けてきた。いやひょっとして、今も騙されている人がいるのではないか。身近にそういう人がいたら、是非この一文を読ませてあげてください(笑)。関連記事■ 日本の新聞 戦意高揚させて日露開戦を煽って部数を伸ばした■ 朝日新聞発の自分史出版事業 粗利高くOB再雇用の一石二鳥■ 野坂昭如が体罰問題や農業政策などを独自視点で記した時評集■ 2000件超問い合わせの朝日新聞発自分史事業 30部111万円も■ 朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係

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    慰安婦見舞金は朝日新聞が払え!

    治政府の名誉も辛うじて守ることができるのではないでしょうか。 従軍慰安婦が日韓の政治問題化したのは、朝日新聞の捏造記事が発端であり、本来、この金は朝日新聞が出すべきものです。私案のように一度基金として金を集めてから予算化するのであれば、最大責任者の朝日新聞に負担させることも可能です。また、この問題を大きくした河野氏や村山氏なども私財を供出すべでしょうし、左派は「かわいそうな従軍慰安婦様のため」、保守派は「先人の名誉を守るため、税金を出させぬため」に浄財を寄付してくれるのではないでしょうか。ここまで磐石だった安倍政権が、今回の慰安婦交渉で最も熱烈に安倍総理を支えた人達の支持を失いかけています。本私案は、政権の危機を救う妙手になると自負しているのですが、いかがでしょう。 ちなみに、私が別のサイトで行っている「慰安婦見舞金は朝日新聞が払え」キャンペーンは大勢の賛同を頂いています。これが国民の声、少なくとも安倍政権を支持してきた人たちの声なのです。(森口朗公式ブログ 2015年12月29日分を転載)

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    安保社説を読めば朝日の劣化がよく分かる

    朝日をはじめとする左翼メディアは安保法制反対の理由に「自衛隊のリスク」を挙げる。これまで左翼メディアが自衛隊を「税金泥棒」「憲法違反」と誹謗はしても、気遣ったことなどあっただろうか。見え透いたお為ごかしはもうやめていただきたい。

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    ちゃんちゃらおかしい朝日の「自衛官同情論」

    を一言でいえば、中国の軍事的脅威からわが国を守るためです。 しかし、共産党や民主党などの野党、学者、朝日新聞などは、中国の脅威から如何にして国を守るかではなく、この法案が憲法に違反するとか、心にもなく自衛官のリスクが増大するとか、安倍晋三首相や礒崎陽輔首相補佐官の言葉尻を捉えての非難に終始、法案の本質を逸らして国民の不安を煽り、法案成立を妨害しています。 民主党や朝日新聞などを見ますと、次に示す「孫子」(兵法)の原則が頭に浮かびます。●其の来らざるを恃むことなくして、吾が以て之を待つことあるを恃め(敵の侵攻がないことを希うのではなく、侵攻意図を断念させるための十分な備え、つまり抑止力を保持しなければならない)。本原則は「戦わずして勝つ」の前提ですが、知る人は少ないです。●用間(間者を用いる)に五あり、郷間(敵国のマスコミ、学者など)あり、内間(敵国の政治家、官僚など)あり、反間(敵国の大臣、軍人、外交官など)あり、死間(敵国を攪乱する自国民)あり、生間(敵国の情報を持ち帰らせる自国民)あり。 「孫子」や中国が見れば、朝日新聞は「郷間」、民主党や共産党は「内間」であり、与党のなかにも朝日新聞などの風評に毒されて「内間」「反間」を疑わせる議員もいます。 本論では、朝日新聞の報道を中心に安全保障関連法案に対する「間」ぶりを検証します(以下、「声」は読者投稿欄、「社」は「社説」、「天」は「天声人語」を指す)。中国の軍事的脅威を無視 軍事的脅威は、相手の国を侵略し得る能力、侵略しようとする意図、侵略を許す環境条件が整った時に生じます。が、朝日新聞の「社説」は中国に阿り、中国の軍事的脅威をオブラートに包み、具体的に報道しません。(1) 能力(軍事費、兵力、兵制) 朝日新聞は3月6日付社説で「中国国防費」について、見出しに「これで責任ある大国か」を掲げていましたが、中身を見ますと、《8868億9800万元。日本円にすると、17兆円近い。日本の防衛予算のゆうに3倍を超える規模である。……90年代以降、中国は毎年、国防費を10%前後、時にそれ以上の伸びで増やしてきた》 と述べていますが、急激に増大させている具体的な状況や兵制については説明しません。 朝日新聞は繰り返し、安保法制は国民の理解を得ていないと主張していますが、朝日新聞の記述では敵を知ることはできません。朝日の読者が法案の必要性を理解できないのも納得できます。 中国は国防費を平成元年度から、22年度を除き、毎年二ケタ増大させ、3月5日に発表した27年の国防予算は前年実績比10・1%増の8868億9800万元、日本円に換算すれば約16兆9千億円、わが国の防衛関係費、約4兆9800億円の約3・4倍です。 公表額には、研究開発費や外国からの兵器購入費などの全てを含んでいないと指摘され、アメリカの国防総省などの発表を総合すれば、実際額は公表額の2~3倍と見られています。 平成26年版防衛白書は、中国の「公表国防費の名目上の規模は、過去26年間で約40倍、過去10年間で約4倍となっている」と記述しています。兵役は苦役なのか兵役は苦役なのか 中国は膨大な軍事費に裏付けされた核兵器、各種類・各射程の弾道ミサイル、空母をも保持しています。さらに注視すべきは、人口が13億人を超え、徴兵制で兵隊は無尽蔵、兵役を「神聖な責務」「光栄ある義務」として軍人に敬意を表し、十二分の侵攻能力を保持していることです。 ちなみにわが国では、朝日新聞や民主党や共産党が、安保法制が成立すれば「徴兵制になる」と叫び、国防の任に就きたくない国民の不安を煽っています。 一方、安倍首相は7月30日の参院平和安全法制特別委員会で、自民党の森雅子氏の「子育て中のお母さんと話すと、『徴兵制になるんじゃないの』という声を聞く」(7月31日付朝日新聞)との質問に対し、 「徴兵制は憲法が禁止する意に反する苦役で、明確な憲法違反だ。今後も合憲になる余地は全くない。政権が代わっても導入はあり得ない。自衛隊はハイテク装備で固めたプロ集団で、短期間で隊員が入れ替わる徴兵制では精強な自衛隊は作れない。G7諸国で徴兵制を取っている国は一つもない」(同日付産経新聞) と答弁しました。 安倍首相の答弁にあるように、G7諸国は現在、志願制です。しかし憲法で徴兵を禁じている国はなく、徴兵、志願を問わず、「兵役を苦役」としている国もありません。 わが国の憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」は、米国憲法修正第13条「奴隷又は意に反する苦役の禁止」から流用したものです。米国憲法修正第13条は、奴隷制度が廃止された1865年に成立したものです。 マッカーサー元帥から短期間に憲法原案の作成を命ぜられたわが国の実情に疎い米軍人が、わが国にも奴隷がいると勘違いし、原案に導入したのでしょう。米国は昭和48年から志願制にしましたが、修正第13条をもって兵役を苦役とはしていないことは、それ以前は徴兵制だったことからも明白です。ドイツは平成23年7月1日から徴兵制の運用を停止していますが、基本法(憲法)上は現在も徴兵です。 軍隊はハイテク装備だけで構成されているわけではなく、経験が豊富でない徴兵された兵隊でも役に立つ分野がたくさんあります。 自衛官にも配偶者、子、親がいます。最高指揮官たる首相の「兵役は苦役」発言を何と聞くでしょうか。言葉尻を捉えて追及する野党や朝日新聞が「兵役は苦役」発言を問題にしないのは、外国では尊敬されている兵士(自衛官)を尊敬せず、心の底で蔑んでいるからではないでしょうか。(2)意図(南シナ海問題) 中国は虎視眈々とアジアの支配を狙っています。その手段の一つが、南シナ海の占有です。が、朝日新聞の社説は中国の侵攻意図に無関心です。たとえば、次のように報じています。●「南シナ海の問題もあくまで平和的に解決しなければならない。抑止力を振りかざす前に『法の支配』を浸透させる外交努力を最優先すべきだ」「万が一にも軍事衝突にいたれば、日中両国は壊滅的な打撃を被る。その現実感を欠いた安保論議は危うい」(5月20日付)●「中国の動きを受け、東南アジア各国が海軍力の強化に動いているのも心配だ。フィリピンは実効支配する島で軍事基地を強化し、ベトナムも岩礁の埋め立てをしていると伝えられる。中国を牽制する米軍の行動も緊張を高めかねない」(6月2日付)●「南シナ海を『対立の海』にしてはならない。シーレーン防衛は本来、国際社会として取り組む課題だ。長期的には、日米豪、東南アジア諸国連合(ASEAN)、さらに中国も加える形で協力しなければ安定した地域秩序は築けない。そのために日本がどんな役割を果たすべきなのか。聞きたいのはそんな本質的な議論だ」(7月14日付) 朝日新聞は、周辺国の抗議を無視してどんどん埋め立てを行ってシーレーンを脅かしているのが中国であるにもかかわらず、中国を代弁する発言に終始しています。(3)意図(尖閣諸島侵犯、東シナ海問題) 中国海警局の船が尖閣諸島周辺の領海を侵犯した日数は、今年に入って22日(8月2日現在)、領海外側にある接続水域の航行を含めると、ほぼ毎日です。この状況を産経新聞はその都度、報じていますが、朝日新聞は接続水域の航行は無視、領海侵犯すら満足に報じず、中国の脅威を国民の目から逸らしています。 政府は7月22日、中国が東シナ海の日中中間線付近でガス田を急速に開発している状況を公表しました。中国の狙いは、地下で繋がっているわが国側のガスの盗掘と軍事施設の建造です。政府の公表を受けて、23日付で産経新聞は「主張」で「『緊張の海』を示す証拠だ」、読売新聞は「社説」で「実態公開して自制を促したい」と述べました。 しかし朝日新聞は中国の反応、「産経」の「主張」や「読売」の「社説」を見て、翌24日付「社説」で「不信の連鎖に陥るな」との見出しを掲げて、こう述べています。 「日本政府がこの時期に公表したのは、中国の脅威を強調し、安全保障関連法案への理解を求める意図もありそうだ。だが、東シナ海の軍事的な緊張を高めることは避けなければならない」 「不信の連鎖に陥ることは日中双方の利益にならない。安全保障上の対立をあおるより、今後の協力関係を発展させる糸口としなければならない」 不信を高めているのが中国であるにもかかわらずわが国だと言わんばかりです。人民日報の「日本支局」ではないか、と疑ってしまいます。(4)環境条件の変化(アメリカの相対的力の低下) 一方、アメリカの2016会計年度の国防予算案は約68兆7700億円(2月4日付読売新聞)です。中国の軍事費がアメリカを追い越すのも時間の問題です。相撲にたとえれば、アメリカを横綱とすれば中国は横綱直前の登り龍の東の大関です。 つまり、中国の侵攻能力、意図が日々高まり、アメリカの中国に対する相対的な力が低下しつつあります。アメリカに「おんぶにだっこ」式の国防は成り立たないのです。日本人であれば、抑止力の低下を危惧しなければなりません。にもかかわらず、民主党や共産党、朝日新聞などは、抑止力の低下の助長に熱中しているのです。心と反対の「自衛官同情論」心と反対の「自衛官同情論」 朝日新聞や左翼は、安保法案反対理由に、自衛隊員に危険が及ぶと叫んでいます。私は自衛隊に35年間、勤務しました。この間、左翼から「税金泥棒」「憲法違反」と誹謗されたことはありましたが、気遣っていただいた記憶はありません。安保法成立を伝える9月20日付の朝日新聞一面 それゆえ、「自衛隊員のリスク云々」を耳にしますと「心にもないことを言うな」と怒りが込み上げてきます。ちなみに、自衛隊員とは事務次官などの官僚、防大教授などの文官教官を含み、いわゆる「軍人」は自衛官と言います。ここでいう「自衛隊員」は「自衛官」というべきでしょう。「自衛隊員リスク」に関する朝日新聞報道の代表例を列挙します。(1)3月1日付「声」「自衛隊が攻撃される危険話せ」(2)3月22日付「声」「自衛隊員の命は保障されない」(3)3月26日付「声」「自衛隊の海外活動拡大は危険」(4)5月23日付「声」「自衛隊員の立場から安保考えて」(5)5月28日付「社説」「リスクを語らぬ不誠実」(6)同日付「声」「自衛隊員の命 軽く考えるな」 私はこれらの意見を聞いて、思わず吹き出してしまいました。過去、朝日新聞や左翼は、次に示すように逆の発言や行動をして、自衛官の誇りを奪っていました。(1)大江氏の防大生の人権侵害 安保法制反対を叫んでいる作家の大江健三郎氏は、私が防衛大学校入校直後の昭和三十三年6月25日付毎日新聞夕刊のコラムで、こう述べました。 「ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」 大江氏の働きかけが成功して、防衛大学校の志願者がなくなったり、自衛隊がなくなったりしていたら、東日本大震災などの災害救助にも著しく支障が出たでしょう。否、その前に、わが国は中華人民共和国の「日本自治区」となり、チベットやウイグルと同じように、漢族から迫害を受けているでしょう。相次ぐ自衛隊差別(2)日教組の自衛官の子いじめ 日教組所属の教員が職権を濫用して授業中、自衛官の子をいじめました。その一例として、産経新聞編集委員の大野敏明氏が、平成8年2月2日付産経新聞夕刊で「日教組の『自衛官の子いじめ』」「『人権』はなかった……」とのタイトルで詳述しています。一部を抜粋すれば、次のとおりです。 《私の父は自衛官だった。小学生も安保反対デモのまねをしていた60年安保騒動の翌年、小学校の四年生だった私は社会科の授業中、担任の女性教師から「大野君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなっても大野君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や安保をなくすために闘っているのです」と言われたことがある》(3)住民登録の受付拒否(昭和51年版「防衛白書」) 《昭和47、48年に、ある市で隊員の住民登録の受付が拒否されたことがあったが、……こうした事例は、偏見によるものであり、……隊員の基本的人権の侵害につながるもので……》(4)入学拒否等(同) 《防衛庁では、職務上の必要から、隊員を国内の大学院等において研修させているが、受験の際その辞退を求められたり、願書が返送されたりするといった事例は、昭和39年から46年までの間に、延べ約50人に及んだ。(中略)例えば某県であった例のように、自衛官であることを理由として高校通信課程の転入学を拒否され、あるいは大学入学後自治会学生等に一年間にわたってその通学を妨害され、現地の地方法務局に人権侵犯問題として申告した事例等がある》(5)国民体育大会の出場辞退(同) 《国民体育大会の県代表チームの選手として隊員が内定したことから、その隊員の出場辞退、出場取消し又はチーム全員の不参加を招いている事例がある》(6)自衛官を「罪人」扱い 平成20年2月、漁船「清徳丸」と海上自衛隊イージス艦「あたご」が衝突しました。朝日新聞は事故原因の全く不明の段階から、イージス艦だけに回避義務があるがごとく「あたご」と海上自衛隊を叩きまくり、検察は衝突時と衝突直前の当直士官を起訴しました。 が、裁判所は「あたご側に衝突回避義務はなく、両被告の過失は認められない」とし、無罪を言い渡しました。無罪判決を受けても、朝日新聞は謝罪しません。なぜでしょうか。学者の尻馬に乗る政治家学者の尻馬に乗る政治家 おためごかしの自衛隊員リスク論や首相のヤジ発言などで、肝心の安全保障の問題が一向に論じられないなかで降って湧いたのが、6月4日の衆院憲法審査会で、与党が推薦した参考人・早稲田大学教授の長谷部恭男氏の憲法違反発言です。法案潰しの材料に共産党、民主党、朝日新聞は飛びつきました。 朝日新聞はアリバイ工作のため、「声」にはごく少数の賛成意見を載せましたが、「社説」「天声人語」「声」を総動員して違憲、反対を連発しました。代表例は次のとおりです。(1)6月5日付「社」「安保法制」「違憲との疑義に答えよ」(2)6月6日付「社説」「『違憲』法制」「崩れゆく論議の土台」「天」「一内閣の勝手な解釈変更が通るなら、憲法などあってなきがごとし。立憲主義は空洞化する」「声」「安全保障関連法案は撤回せよ」(3)6月7日付「声」「憲法に反する法あってはならぬ」「憲法改正を堂々と問うべきだ」(4)6月8日付「声」「『憲法違反』の法律を作るのか」(5)6月9日付「社説」「『違憲』法制」「政治権力は全能ですか」「天」「憲法で政治権力を縛るという立憲主義そのものが危機に瀕している」(6)6月10日付「声」「憲法を法案に合わせるのは変」(7)6月11日付「社」「『違憲』法制」「また砂川とは驚きだ」(8)6月12日付「社」「安保法制」「違憲の疑いは深まった」(9)6月16日付「社」「『違憲』の安保法制」「廃案で出直すしかない」(10)6月17日付「声」「最高責任者こそが明白な危険」(11)6月19日付「天」「安保関連法案を『違憲』とみる憲法学者は多数だ」(12)6月23日付「社」「安保法案」「違憲の疑いは晴れない」「声」「安保法制 大きな弱点がある」(13)6月25日付「声」「国会審議で立憲主義を学ぼう」(14)6月28日付「天」「安保法制を明快に『違憲』と断じた長谷部恭男・早稲田大教授らの見解である」(15)7月10日付「声」「砂川判決は根拠にならない」(16)7月14日付「社説」「生煮えの安保法制」「有識者や市民団体が『憲法違反』の法案に対し、反対の声をあげ続けている」「天」「憲法学者の石川健治・東大教授が、雑誌『世界』で語っている。これは『法秩序の連続性の破壊』であり、法学的にはクーデターだった」占領軍に「させられた」 民主党や朝日新聞は「立憲主義」と叫びますが、憲法の制定過程に口を閉ざしています。 サンフランシスコ平和条約第1条は、こう定めています。 「(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。(b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」 つまり、条約の効力が発生したのは昭和27年4月28日ですから、それまではわが国と連合国とは戦争状態にあり、日本国民の主権はなかったのです。 それゆえ、昭和21年11月3日に公布、6カ月後の22年5月3日に施行された「日本国憲法」は、公布も施行も戦争状態中、主権がなかった時の出来事で、公布や施行は自主的に「した」のではなく、占領軍から「させられた」のです。 左翼は自衛隊を違憲と言い、自分たちは兵役に服さず、平和の恩恵だけに浴してきました。が、内心は「軍隊」がなければ国の防衛はできないと思っていたのでしょう。その証拠に、社会党は自社さ政権で、すぐに自衛隊「合憲」に転向しました。集団的自衛権の行使を違憲と主張する政党や学者などは、自衛隊違憲に戻るのが筋ではないでしょうか。 憲法の字句を一切変えず、世界有数の近代的装備を有する自衛隊をいつまでも「違憲」に放置できず、国家、国民は「合憲」としたのです。わが国の周辺状況の変化に伴い、集団的自衛権の行使も「違憲」から「合憲」に解釈を変更すべきです。 わが国民にいま、求められているのは、解釈を変えるか、頑迷固陋に従来の解釈にこだわり、チベットやウイグルのように中国の一部になるかの選択なのです。この選択の権限は、国民と無縁の憲法学者やマスコミにはなく、国民が政権を委ねた政府にあるのです。 解釈変更ではなく改憲すべきだ、との主張があります。改憲すべきは当然で、並行して進めるべきです。が、占領軍はわが国を半永久的に弱小国家に留めておくことが自分たちの国益と考え、改正が不可能に近い改正規定(96条)を設けたのです。 「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」は、「泥棒を捕まえて縄」よりも難しいのです。「中身が理解できない」「中身が理解できない」 朝日新聞や民主党、共産党などは、安保法制は国民の理解を得ていないと強調します。正直言いまして、防大に入校して定年まで自衛隊に勤務した私でも、理解するには苦労するところがあります。一般の国民が理解困難なのは、ある意味で当然です。 だから戦後体制からの脱却を目指す安倍首相を信頼するか、民主党内閣の大臣就任記者会見の際、国旗に敬礼せず、「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」の「祝賀式典」を欠席した民主党代表の岡田克也元外相や安保法制の参院特別委員会の野党筆頭理事の北澤俊美元防衛相を信頼するかの選択です。アメリカと一体となって国の防衛を目指す自民党を信頼するか、共産党と連携して法案に反対する民主党を信頼するかの選択です。 ちなみに北澤氏は防衛相の時、米軍駐留地を「迷惑な施設」と発言、「『信頼してくれ』という言葉だけで(日米同盟は)維持できない」と述べた連隊長を処分し、更迭しました。 60年安保騒動の時、私は防大の3年生でした。大学生のほとんどは共産党、社会党、朝日新聞など左翼に扇動され、「安保反対」「自衛隊反対」「戦争に巻き込まれる」と騒ぎ、授業が行われていた大学は、防大など僅かでした。 が、戦争に巻き込まれることはなく、自衛隊と日米安保で平和が保たれて経済的に大発展し、デモに参加していた学生は高額の収入や多額の年金を得て、優雅な老後を送っています。 東大の二年生で、「安保反対」「自衛隊反対」デモに参加していた加藤紘一氏もその一人です。父のあとを継いで自民党から衆院議員に当選、中曽根内閣の防衛庁長官になりました。 長官任務を終えて10年近く経った平成6年11月3日付の産経新聞で、「安保の中身を知っている者は百人に二人もいなかった」と自白しています。全学連の闘士だった西部邁氏や田原総一朗氏も、「当時、安保条約など読んだこともなかった」と告白しています。 朝日新聞は60年安保騒動時の報道を反省することなく、また同じ過ちを繰り返しています。軍人としての処遇を 安保法制が成立すれば、自衛官の任務は拡大します。自衛官には、少なくとも以下に示すような任務に見合った名誉と処遇を与えなければなりません。(1)兵役を神聖な任務 兵役を「苦役」ではなく、「神聖な任務」と位置付けるべきです。(2)勲章の充実 外国軍人と同じように、自衛官全員に現役中に叙勲を授与し、かつ新たに終身年金付の「防衛功労勲章」(金鵄勲章)を設け、年齢、階級に関係なく、任務遂行中、功績のあった自衛官に授与すべきです。アメリカでは、最高位の勲章は現役の軍人にしか授与されません。(3)戦死者の処遇 戦死した場合、靖國神社にお祀りして首相以下、全閣僚が参拝し、かつ十二分な「戦死手当」を出すべきです。(4)自衛官の位置付け 統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長、陸上自衛隊の方面総監、海上自衛隊の自衛艦隊司令官、航空自衛隊の航空総隊司令官を認証官に、外国の士官学校長が現役の軍人であるように、防衛大学校長を自衛官にすべきです。(5)捜査、起訴、求刑は自衛隊が 軍人の犯罪は、外国では軍法会議が裁きますが、わが国の憲法には軍法会議がありません。任務遂行中に自衛官が罪を犯した場合、少なくとも捜査、起訴、求刑は安全地帯にいる警察、海上保安庁、検察ではなく、自衛隊に付与すべきです。平成27年度自衛隊観艦式で護衛艦「くらま」の艦上で海上自衛隊の演習を観閲する安倍首相(中央右)。左は麻生副総理=10月18日、神奈川県沖の相模湾(三尾郁恵撮影) 戦後、わが国の政策の大転換は二つありました。日米安保の改定と消費税の導入です。いずれも朝日新聞や当時の野党が国民の不安を煽り、世間を混乱させました。 その結果、平成20年12月16日付朝日新聞夕刊によれば、岸内閣が安保改定した退陣前の支持は12%、不支持は58%、竹下内閣が消費税を導入した退陣前の支持は7%、不支持は84%でしたが、いずれの大転換も歴史上、高く評価されています。 安倍内閣の支持と不支持が逆転したとはいえ、その差は10%内外、民主党の支持率は衆院採決前と同様、自民党に大差をつけられています。民意に反するとの民主党や共産党の主張や朝日新聞の報道は、国民をミスリードしているのです。 衆院は民意を問うてから半年しか経っていません。昨年暮れの衆院選挙では、集団的自衛権の行使を含む安保法制も主要争点でした。選出されて2年と5年を経過した議員の集合体である参院で議決しなければ、直近の民意である衆院の3分の2以上の可決で成立させることが、国民に対する責務ではないでしょうか。かきや・いさお 1938年、石川県生まれ。62年、防衛大学校(第6期)卒。同年、陸上自衛隊に入隊。66年、大阪大学大学院修士課程修了。陸上幕僚監部幕僚、防衛大学校教授等を経て、93年、退官(陸将補)。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』『自衛隊が国軍になる日』(展転社)がある。

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    古舘伊知郎が泣いた朝日新聞ジョン・ダワー記事を検証する

    発言していました。 ふーん。どんな「スバラシイ」インタビューなのでしょうか。 これですね、4日付けの朝日新聞にアメリカ人の著名な歴史家ジョン・ダワー氏のインタビュー記事が掲載されています。(戦後70年)日本の誇るべき力 戦後日本を研究する米国の歴史家、ジョン・ダワーさん2015年8月4日05時00分http://digital.asahi.com/articles/DA3S11897005.html うん、確かにこれなかなかの良インタビューであります。大変興味深いインタビュー記事です。 ここに表出しているのは、いわゆる護憲派『平和憲法を守れ』『九条を守れ』的な考えの人たちのひとつのテンプレ・典型的な思考パターンです。彼らの思考パターンを理解するにはよい記事だと評価します。 まず戦後70年の日本の平和国家としての歩みを肯定的に捉えています。 「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から湧き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」 ここに護憲派の論の一つのテンプレを見ることができます。戦後70年日本が平和を守ってこれたのは「平和憲法」「九条」のお蔭であるという論理です。日米安保条約並びに在日米軍・在日米艦隊の存在そして米国の核の傘に庇護されてきたことを全く無視しています。 また「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。」との箇所もあります。 「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」 過去を反省することはけっこうなのですが、従軍慰安婦問題などで顕著である事実とは異なる誇張された間違った捏造された「虚構」が一部メディアや反日的な国で拡散していることにに対しては、厳しく反証すべきなのですが、その事実にはまったくふれていません。憲法記念日に開かれた憲法集会に参加する人々=5月3日、横浜市西区 さらに「アジアにおける安全保障政策は確かに難題」との認識も「米軍と一体化するのが最善とは思えません」という危惧を提示しています。 「尖閣諸島や南シナ海をめぐる中国の振る舞いに緊張が高まっている今、アジアにおける安全保障政策は確かに難題です。民主党の鳩山政権は『東アジア共同体』構想を唱えましたが、それに見合う力量はなく、米国によって完全につぶされました」 「だからといって、米軍と一体化するのが最善とは思えません。冷戦後の米国は、世界のどんな地域でも米軍が優位に立ち続けるべきだと考えています。中国近海を含んだすべての沿岸海域を米国が管理するという考えです。これを米国は防衛と呼び、中国は挑発と見なす。米中のパワーゲームに日本が取り込まれています。ここから抜け出すのは難しいですが、日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべきです」 ここで決定的な護憲派のテンプレが登場します。「ここから抜け出すのは難しいですが、日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべき」とジョン・ダワー氏は提言しているのですが、「日本のソフトパワー」って何かと問われた彼はこう説明しています。ここ核心部分ですので、少し長いですがそのまま引用。――では、日本のソフトパワーで何ができるでしょうか。 「福島で原発事故が起き、さらに憲法がひねり潰されそうになっている今、過去のように国民から大きな声が上がるかどうかが問題でしょう。今の政策に国民は疑問を感じています。安倍首相は自らの信念を貫くために法治主義をゆがめ、解釈によって憲法違反に踏み込もうとしている。そこで、多くの国民が『ちょっと待って』と言い始めたように見えます」 「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から湧き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」 「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」 迫りくる中国の軍事的脅威に対して、日本のソフトパワーによって解決せよ、と言います。それは、世論を盛り上げて安倍政権に反対して『平和憲法』を守り、また自分たちの過去もしっかり反省することだと、要はこのように言っているわけです。 でました。ここなのです。護憲派の主張の典型です。 目の前の安全保障上の脅威に対して具体的な策がまったく示されないのです。「憲法第9条だけ唱えていれば、日本だけは平和になる」、まるでこのように主張しているようなものです。 この冷徹な現実を前に日本だけが「九条」を念仏のように唱えれば平和が確保できるなどそれこそ平和ボケ外交音痴な戯言(ざれごと)です。 この状況下で、防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、護憲派は数十年前から更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしません。 多くの護憲派メディアおよび論者は「戦争法案反対、憲法を守れ」と安倍首相をバカにするわけですが、こうした指摘自体が一歩譲って仮に妥当だったとしても、護憲派勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な、現実的な処方箋を出せていません。 これで国民の支持を得れるはずがありません。 護憲派は国家に軍事力が必要であることも、中国の軍事的膨張の脅威や近隣諸国の反日ナショナリズムの問題も一通り認めなければなりません、その上で、保守派の掲げる論以外の現実的な選択肢を提示することこそすべきなのです。 保守派の主張以外の手段を講じた方が、国防に結びつくというアピールがまったくないのです。 もっとも問題なのは、護憲派勢力のある種の大衆蔑視ともいえる自己陶酔です。 保守派は現実に起こっている変化に何とか対応しようと具体的に政策を打ち出しますが、護憲派は教条的憲法擁護論に拘泥し、自らの主張に酔い反対意見を机上で論破することのみに執着し、現実の日本を取り巻く状況に対して何ら具体的政策を国民に訴えることを放棄して、そこで自己満足しているのです。 現実に社民や共産などの護憲政党の長期凋落傾向を持ち出すまでもなく、護憲派リベラルの浮世離れした教条的憲法擁護論だけでは、すでに国民の支持を失っていることを強く自覚すべきでしょう。 冷徹な現実を見つめよ、ということです。(ブログ「木走日記」より2015年8月7日分を掲載)

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    朝日と毎日の論調が地方選挙をダメにする

    しているわけです。 日本新聞協会が綱領で「報道は正確かつ公正でなければならない」と示す建前論の影で、朝日新聞は昨年の第三者委員会の調査で「角度をつける報道」をやっていたのが暴露されたわけですが、永田町文脈を安易に持ち込む全国紙の地方選挙報道が、不毛な対立を招いたり、政策論議の空洞化につながっていたりするんじゃないでしょうかね。むしろ国政マターを安易に持ち込もうとする中央政党を戒めるような論調をすべきじゃないでしょうかね。別に争点化を避けたかった自民党の肩を持つつもりも全くないけど、政治関連の仕事をしていると、つくづくそう思います。 とりあえず、山形市長選に勝って「安倍政権の打倒へ弾み」なーんてFacebookでシェアしようと思っていたSEALDsクラスタの皆さん、空振りに終わってご愁傷様でした。逆に自民党の皆さんも調子に乗らないことですね。「安保法制が支持された」なんて言わないで粛々と国政と地方のことは切り分けて仕事していただきたいと思います。ではでは。(「新田哲史のWrite Like Talking」より2015年9月14日分を転載)

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    日本の未来への障害となっているのは中韓を煽るメディアだ

    私は、溜息が出た。読売新聞や産経新聞を除いて、むしろこの談話を非難するものが「圧倒的」だったのだ。 朝日新聞は、その中でも急先鋒だった。1面で〈引用・間接表現目立つ〉、2・3面も〈主語「私は」使わず〉〈おわび 最後は踏襲〉と攻撃一色で、社説に至っては、〈戦後70年の安倍談話 何のために出したのか〉と題して、徹底した批判を加えた。 それによれば、〈侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワード〉は盛り込まれたが、〈日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされ〉、談話は〈極めて不十分な内容〉であったというのである。 そして、社説子は、〈この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う〉と主張し、〈その責めは、首相自身が負わねばならない〉と締めくくった。 私は、正直、呆れてしまった。それは、いつまで経っても、中国や韓国に「日本攻撃」をするように「仕向ける」報道手法がとられ、これからもそれに添って、中国や韓国が延々と「日本を攻撃していく」という“未来”がわかったからである。 それは同時に、ここまで中国や韓国との間の友好関係が「誰によって破壊されてきたのか」を明確に指し示すものでもあった。 私たちの子や孫の世代、すなわち「未来」に向かって障害となっているのは「誰」なのか、という問いには、自ずと答えが出てくるはずである。それは日本のマスコミが、絶対に日本と中国・韓国との和解と真の友好への発展は「許さない」ということだ。 私は、今から30年前の1985(昭和60)年の夏を思い出す。「戦後40年」を迎えた夏だ。あの時、巷では「戦後政治の総決算」を唱えた当時の中曽根康弘首相を打倒すべく、朝日新聞をはじめ“反中曽根”メディアが激しい攻撃を繰り広げていた。それは、“打倒安倍政権”に邁進している今のメディア状況と酷似している。 この時、中曽根首相の「靖国参拝」を阻止するために大キャンペーンを張っていた朝日新聞が、「人民日報」を担ぎ出し、ついに中国共産党機関紙である同紙に、靖国参拝批判を書かせることに成功するのである。 文化大革命でも明らかなように、中国は「壁新聞」の国である。人民は、“お上”の意向を知るために、北京市の長安街通りの西単(シータン)というところに貼りだされている新聞を読み、上の“意向”に添って行動し、あの文革で権力抗争の一翼を担ったのはご承知の通りだ。 そんな国で、人民日報が取り上げて以降の「靖国参拝問題」がどうなっていったかは、あらためて説明の必要もないだろう。A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1978(昭和53)年であり、それが明らかになったのは、翌年のことだ。その後、この時まで日本の首相は計21回も靖国に参拝しているのに、どの国からも、たった一度も、問題にされたことはなかった。 しかし、朝日が反靖国参拝キャンペーンを繰り広げ、人民日報がこれに追随したこの昭和60年以降、靖国神社は中国や韓国で「軍国主義の象徴」となり、「A級戦犯を讃える施設」とされていった。 靖国神社が、吉田松陰や坂本龍馬を含む、およそ250万人もの幕末以来の「国事殉難者」を祀った神社であることは、どこかへ「消し飛んだ」のである。靖国参拝を完全に「外交問題化」「政治問題化」することに成功した朝日新聞は、より反靖国キャンペーンを強め、中国は日本に対する大きな“外交カード”を手に入れたのである。 慰安婦問題については、これまで当ブログで何度も取り上げ、しかも、昨年、朝日新聞による訂正・撤回問題に発展したので、ここでは触れない。しかし、この問題も朝日新聞によって「外交問題化」「政治問題化」していったことは周知の通りだ。 今回の安倍談話でも、中・韓に怒りを呼び起こすように記事化し、「これでもか」とばかりに一方的な紙面をつくり上げた朝日新聞をはじめとする日本のメディア。私は、溜息をつきながら、これらの記事をこの夏、読んだのである。 折も折、フランスの「ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)」がその2日後の8月17日、興味深い報道をおこなった。同ラジオは、フランス外務省の予算で運営されている国際放送サービスだ。 この放送の中国語版が安倍談話を取り上げ、これを報じた『レコード・チャイナ』によれば、「中国が歴史問題で日本に毎年のように謝罪を迫るのは根拠のないことだ」「日本は中国への反省や謝罪だけでなく、罪を償うための賠償もしている」「永遠の不戦を誓った日本に比べ、日本による侵略、植民地化をくどくどと訴える中韓は、あまりにも遅れている」と論評した。 その内容は、常識的、かつ中立的なものと言える。敗戦国も「領土割譲や賠償、戦勝国による一定期間の占領、戦争裁判などが終われば、敗戦国の謝罪や清算も終わりを告げられる」ものであり、償いを終えた敗戦国にいつまでも戦争問題を訴え続けることに疑問を呈したのである。 さらには、「平和主義、民主主義を掲げる日本が、軍事拡張路線、権威主義の中国に屈することはない」と主張し、日本の首相が替わるたびに中国が謝罪を求めていることは、同じ敗戦国である「ドイツやイタリアでは見られない事態」だというのである。 その報道は、最後に「安倍談話に盛り込まれた“謝罪”というキーワードは、表面上は中国の勝ちのように思われがちだが、国際世論を考えれば本当の勝者は安倍首相だ」とまとめられている。だが、RFIが報じたこの内容は、日本のメディアには、ほとんど無視された。 70年もの間、平和国家としての実績を積み上げてきた日本が、「力による現状変更」で、今や世界中の脅威となっている中国に対して「謝り方が足りない」と当の日本のメディアによって主張されていることを、私たちはどう判断すればいいのだろうか。 私には、代々の日本の首相などが表明してきた謝罪や談話の末に「戦後50年」の節目に出された村山談話で、日本と中・韓との関係は、どうなったかが、想起される。 朝日新聞をはじめ日本のメディアが歓迎したあの村山談話の「謝罪と反省」によって、両国との関係は、むしろ「それまで」より悪化していった。村山談話以降の歳月は、両国との関係が“最悪”に向かって突っ走っていった20年だったのである。 どんなに反省し、謝罪しようが、彼らを“煽る”日本のメディアはあとを絶たず、日本への怒りを中・韓に決して「収まらせはしない」のである。そして、この「戦後70年」夏の報道でもわかった通り、それは「今後もつづく」のである。 どんなことがあっても、日本の未来への“障害”となりつづける日本のマスコミ。私たちの子や孫の世代に大きな重荷を負わせるそんな日本の媒体が、なぜいつまでも存続できているのか、私にはわからない。

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    櫻井よしこが問う 朝日新聞が導く「戦争への道」に惑わされるな

    なかったのか 中国による急速なガス田開発を国民に知らせないという点では、メディアの責任も大きい。特に朝日新聞の報道には疑問を抱かざるを得ない。 私は7月6日の産経新聞でこの東シナ海の新たなガス田開発問題を報じたのだが、同日、菅義偉官房長官は定例記者会見で、「一方的な開発を進めていることに対し、中国側に繰り返し抗議すると同時に、作業の中止を求めている」と語った。プラットホームの数など具体的情報は明らかにしなかったが、中国が一方的に新たな開発を進めていることを認めたものだ。 7月10日には、中谷元・防衛相が衆院平和安全特別委員会で、海洋プラットホームが軍事拠点化される可能性に関して、「プラットホームにレーダーを配備する可能性がある」「東シナ海における中国の監視、警戒能力が向上し、自衛隊の活動がこれまでより把握される可能性があると考えている」と述べた。国民の知らない内に中国が東シナ海を一方的に開発し、日本の安全保障に深刻な脅威を与える状況が生まれていたとの認識であろう。 産経新聞と読売新聞は防衛相答弁を翌11日付朝刊の一面トップで報じた。中谷氏の答弁は、中国の脅威増大と密接にからむ新安保法制の審議中というタイミングからいっても、大きく報じる価値があるはずである。 しかし、朝日新聞は、このいずれのタイミングでも中国の新たなガス田開発について報道しなかった。朝日が報じたのは、7日の自民党国防部会が、本年度の国防白書にガス田開発の記述がほとんどないとして了承を見送ったこと(八日付朝刊)と、衆院平和安全特別委員会で安全保障関連法案を可決した16日、自民党国防部会が改めてこの国防白書を了承したことだけである(同日付夕刊)。 8日の記事では、「中国の東シナ海でのガス田開発についての記述がほとんどなく、安全保障法制に影響する」という部会長の佐藤正久議員のコメントはあるが、いつ、どんな開発がなされていたのかまったく不明である。16日になってようやく、中国は「13年6月以降…新たな海洋プラットホームの建設作業などを進めている」と書いたが、中谷氏も「日本の安全保障にとって新たな脅威になる」と指摘したプラットホームが持つ危険性には触れていない。これでは、朝日しか読まない人々は、東シナ海で起きていることやその脅威について全く知ることはできないのではないか。 安全保障関連法は7月15日に衆院特別委で採決されたが、翌16日付の朝日新聞は朝刊一面で、「安保採決 自公が強行」というトップの記事の下に立松朗・政治部長が、「熟議 置き去りにした政権」とコラムで書いた。 「熟議」は、あらゆる必要な情報が与野党双方に認識されていなければできないはずである。日本の安全、日本の空と海と陸をどう守るのか。国民の財産と安全をどう守るのか。日本国の安全保障を論じるとき、隣国が係争の海である東シナ海で進めている蛮行を考慮せずに、如何にして、まともな形の議論が可能なのだろうか。 朝日が熟議に必要な情報を報道したとは到底、言えないのだ。南シナ海の軍事拠点づくりで世界中を震撼させた中国の脅威が東シナ海でも急速に増大していることを報じようとしない朝日新聞は、メディアとして、報じるべきことを報じてから「熟議」を求めるべきではないのか。大局面で判断を誤り続けたのは大局面で判断を誤り続けたのは 立松氏のコラムはさらに、安倍首相が「日米安保条約改定や国連平和維持活動(PKO)協力法もメディアが批判し、反対の世論が強いなかで実現させ、今ではみんな賛成している」と主張したとして、「『どうせ理解されないし、時が解決する』と言わんばかりの態度は、政治の責任に無自覚だ」と批判している。 しかし、そのときは国民の理解を得られなくても、本当に国家に必要なことを為し、その評価を歴史の審判に委ねる姿勢は政治家の崇高な義務感の表れでもある。 逆に、朝日新聞に問いたい。朝日は日米安保条約改定やPKO協力法に反対してきた。それは歴史の審判に堪えられる見解だったのか。答えは明らかに「ノー」であろう。日米安保も自衛隊のPKO活動もいまでは国民の大多数が必要だと考え、支持している。 それだけではない。サンフランシスコ講和条約締結時における「単独講和」反対論、自衛隊を白い眼でみる論調。国家の命運をかけた重要な選択や、国家の土台である安全保障について、朝日新聞はことごとく間違ってきた。自衛隊は、いまや国民の九割の信頼を集めている。 重要課題でこれほど間違いを重ねてきた新聞は、世界でも珍しいのではないか。朝日は安倍首相を批判するよりも、自らの不明を恥じ反省することが先ではないか。 わが国の眼前に迫り来る脅威は報じずに、日本の抑止力を高めるための法整備に、「戦争法案」「戦争への道」「徴兵制」「殺し殺される国」といった情緒的なレッテルを、デモ参加者や野党議員らのコメントを利用して書き立て、反対を煽る。こうした報道姿勢は、自分たちのイデオロギーに沿わない安倍首相を敵視する「反安倍キャンペーン」だと言ってもよいもので、国の針路を誤らせかねない。中国の脅威にいま対処して抑止力を高めなければ、それこそ逆に「戦争への道」に追い込まれる危険が増大するのではないか。 そして、7月22日、政府が15点の写真と共に、中国の東シナ海でのガス田開発情報を公開した。23日付「産経」も「読売」も一面トップ扱いである。「朝日」も遂に報道したが、一面の左カタと二面を割いての報道である。政府の情報公開は遅きに失しているが、公開自体は評価したい。朝日の読者もようやくこれで中国の蛮行について知ることができたといえる。日本と安倍政権の使命 中国は、アメリカが内向き思考のオバマ政権下にある間に、中国式の世界秩序をつくろうとしているのではないか。かなりの部分、それが成功しつつあると思われる。軍事しかり、アジア投資銀行(AIIB)に象徴される金融しかり、中国語教育機関を名乗る思想宣伝機関の孔子学院の世界展開しかり、である。 7月1日には中国の全国人民代表大会が「国家安全法」を採択し、即日施行された。領土と海洋権益の防衛、テロや暴動、少数民族などの国内治安維持に加えて、宇宙やサイバー空間での安全保障、資源確保などが担保されなければならないとする内容だ。そのうえで、国家主権と領土保全の維持は「香港、マカオ、台湾の住民を含む中国人民の共同義務」とされた(産経新聞7月4日付)。 共産党批判や民主派の活動を封じ込める狙いがあるとみられるが、その対象になんと台湾人も含めたのである。反中国デモに参加したことのある台湾人が、その後に旅行や仕事などで中国を訪れるだけで、逮捕または拘留されることもあり得るのだ。中国が横暴な拡張主義を法律面でも強めている具体例である。 こうした中国の強硬策を見て、アメリカの対中姿勢が硬化しつつある。長くアメリカの外交政策をリードし、親中路線の旗振り役でもあった有力研究所「外交問題評議会」(CFR)は今年3月の特別報告書で、「現在の最大かつ最も深刻なアメリカへの戦略的挑戦は中国の強大化である」として「国防予算の削減を止めて軍備を増強し、中国包囲網を構築すべき」と提言した。国務省でさえ南シナ海の人工島を認めないとし、ハリー・ハリス太平洋軍司令官は「砂の万里の長城である」と非難した。極めつけは、統合参謀本部が七月一日に公表した「国家軍事戦略」である。中国をロシア、北朝鮮、そしてイランと並ぶ「潜在的な敵性国家」に初めて位置づけ、国際秩序を脅かす「リビジョニスト国家」とも呼んだのである。 ただ、肝心のホワイトハウスは中国の脅威を正面から受け止めかねているかのようだ。世界はいま、そのことを半ば恐怖の目で見ている。アメリカの内向き姿勢はオバマ政権だけのものではなく、国民意識の変化の表れで、今後も続くのではないかという懸念も捨てきれない。国際情勢がアメリカを中心軸とする秩序から中国の覇権を中心軸とする体制へと移行しつつあるのかもしれないとの見方が広がっている。 そんな中で、中国の脅威をリアルに実感している国際社会、特にアジア諸国の、日本への期待感が強まっている。日本の憲法改正を求め、軍事的プレゼンスも求める声は少なくない。中国の横暴に対するカウンターバランスとしての日本の存在への期待といってよい。 日本の力は、アメリカの軍事力とは比べるべくもないが、日本は自由、法の支配、人権といった善き価値観を多くの国々と共有する。加えて民族の宗教、文化、言語を大事にする非常におだやかな文明を有する。各民族がお互いを尊重しながら共存する国際社会の実現を目指している。こうした価値観や文明は中国とは対極にある。 また一方で、日本は高水準の産業・科学技術を有する。中国や韓国はもちろん、アメリカでさえ、さまざまな分野で日本の技術に支えられている面は少なくない。優れた技術、おだやかな文明と価値観を前面に掲げ、軍事的力も強化できれば日本の強さはよりよい世界の構築に貢献するはずだ。 戦後の呪縛を解き、自立国家として再生し、中国の脅威に抑止力を発揮していくのが、現在の日本国の責務であろう。その意思と能力を期待できるのが安倍首相ではないか。 にも拘らず、東シナ海のガス田の開発を隠し続けてきた。安保法制に関連して、北朝鮮の脅威には言及しながら、中国の脅威にはほとんど触れない。なぜだろう。首相には大局的な観点から、その考えを示してほしい。 終戦70年の節目に、国際情勢は大きく変化しつつある。私たちはその変化を適切に認識し、偏ったメディアや政治勢力の主張に惑わされることなく、国家の針路を考えていかねばならない。さくらい・よしこ ハワイ州立大学歴史学部卒業。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスターを経て、フリーでジャーナリスト活動を開始。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞を受賞。平成19年、国家基本問題研究所を設立し理事長に就任。著書に『日本よ、「歴史力」を磨け』(文藝春秋)、『異形の大国 中国』(新潮社)など多数。近著に『新アメリカ論』(共著、産経新聞出版)、『戦後七〇年 国家の岐路』(ダイヤモンド社)。

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    「歴史戦」英訳版は朝日が出すべきでごんす

    婦問題」の真実を海外に伝えるための試みですが、本来なら、「慰安婦=性奴隷」という誤報を世界中に広めた朝日新聞がやるべき仕事ではないでしょうか。

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    「安倍嫌い」の朝日よ、カンボジアの悲劇を思い出せ

     『朝日新聞』は、慰安婦問題で吉田清治という詐欺師の証言を全面的に信用し、ありもしなかった日本軍による組織的な「強制連行」が存在したかのような記事を書きつづけ、日本の名誉を汚し続けてきた。日本国内の読者だけでなく、海外の多くの人々も『朝日新聞』で「事実」として掲載されたことを根拠として、日本軍による組織的な慰安婦の「強制連行」が存在したと思い込まされてきた。多くの人々を欺いた張本人は吉田清治だが、その出鱈目な主張を権威づけたのが『朝日新聞』だった。秦郁彦氏の調査によって、吉田清治の証言の信憑性が乏しいことが明らかになりながらも、長年にわたって『朝日新聞』は記事を訂正しようともしなかった。 「社会の木鐸」とも称される新聞に対する国民の信用は高い。それだけに、その報道内容、主張の是非は厳しく吟味される必要があるといってよい。 さて、今般、安倍政権が整備を進めようとしているいわゆる「集団的自衛権」の一部を限定的に容認しようとする法案に関して、『朝日新聞』は、極めて批判的だ。 その社説の一部を抜粋してみよう。 首相はきのうの集中審議で、集団的自衛権の行使を容認しても「(他国の)戦争に巻き込まれることは絶対にないと断言したい」と述べた。 何を根拠に「絶対に」と言い切れるのか。政権が正しいと言えば正しい、安全だと言えば安全だ、合憲だと言えば合憲だ、そういうことなのか。 これで国民の納得がえられると思っているなら、甘すぎる。「参院審議 歯止めなき「違憲」法案」2015年7月31日 権力が恣意的に憲法を操ることは許されない。政権は根本から考えを改めねばならない。「「違憲」法案 軽視された法的安定性」2015年7月29日 日本で唯一、武力行使できる組織である自衛隊をどう動かすかの議論である。軍事抑制、国際協調を基本にしてきた戦後日本の歩みを大きく変える議論でもある。 何よりも大事なのは、幅広い国民の信頼と合意にほかならない。ところが現状では、それが決定的に欠けている。 憂うべき政治の惨状と言うほかない。国民の不信はなぜ、ここまで広がってしまったのか。「安保法案、参院審議―危機に立つ政治への信頼」2015年7月28日 憲法は権力を縛るもの、という立憲主義を軽んずる振る舞いであり、憲法を中心とする法的安定性を一方的に掘り崩す暴挙でもある。 その結果、いま危機に立たされているのは政治と国民の信頼関係だ。法案が成立すれば、自衛隊が海外で武力行使できるようになる。信頼のない政権の「総合的判断」を、国民がどこまで信じられるのか、根源的な危惧を感じざるを得ない。同上 『朝日新聞』の主張は、安倍政権が進めようとしている政策は、憲法違反であり、自衛隊を海外で武力行使をさせることになるという点にある。そしてそれは、「戦後日本の歩みを大きく変える議論」なのだという。 確かに、日本では集団的自衛権の行使が禁じられてきた。権利を持ちながらも、行使できないという状況が続いてきた。そのために、PKO活動の際の「駆けつけ警護」など、誰がどうみても、許容されるはずの行為が、「集団的自衛権の行使」に該当するとの解釈で、禁止されてきた。 だが、本稿で検討したいのは、集団的自衛権の議論そのものではない。これだけ大きな反対の声をあげている『朝日新聞』の過去の記事を検討することによって、今回の記事の書き方が極端で大袈裟なものではないかを考察してみたいのだ。 平成3(1991)年、日本ではPKO法案が成立する、しないで、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。 その当時、『朝日新聞』がどのような主張をしていたのか、御存知だろうか。 結論からいえば、『朝日新聞』は、自衛隊をPKO活動に参加させることに反対していた。自衛隊以外の非軍事のPKO活動だけに専念しろと主張していたのだ。 自衛隊のPKF派遣の法制化を急ぐよりも、非軍事のPKOの領域で、国連の諸活動への協力体制を強化すべきではないか。その意味で、この法案は、抜本的に練り直すのが望ましい。社説「PKO法案を練り直そう」1991年10月1日 『朝日新聞』が問題視したのは、自衛隊の「武器の使用」が、日本国憲法第9条で禁じている「武力行使」に該当するのではないかという疑念からだった。 政府は個々の自衛隊員の「武器の使用」と「武力行使」とは異なるものだと説明したが、『朝日新聞』は、それは「言葉じりでいいくるめようとする」「ご都合主義」だと批判したのだ。 この法案の審議を通じて、法案自体の問題点が浮き彫りになった。たとえば、憲法9条が禁じる「武力行使」と自然権的に認められる自衛のための「武器の使用」との関係である。両者は異なるものだ、とする政府の統一見解は、軍事活動のために自衛隊を海外に送ることを禁じてきたわが国の戦後史の重みを乗り越えるにしては、あまりにご都合主義に過ぎる。日本の針路にかかわる政策変更を、言葉じりで言いくるめようとしているところに無理がありはしないか。同上 こうした批判が強まったために、国会では、武器の使用に関する議論に終始し、本来、国際社会で日本の自衛隊が如何なる貢献をしていくべきかの議論については、殆どなされなかった。 とにかく、自衛隊を海外に派遣させることは危険だというのが、終始一貫した『朝日新聞』の論理だった。 その結果、自衛隊の武器使用に関しては、「正当防衛」しか認められないということになった。自分自身が攻撃されそうになった時にのみ、反撃する権利が認められるというのだ。これでは目の前のNGOの人間が狙われたときに、自衛隊は救出することが出来ない。だが、自分自身以外の他者の生命を守ることは憲法が禁ずる「武力行使」にあたる恐れがあるとの理屈から、自衛隊は正当防衛以外は全く認められなかった。平成4年9月17日、国連主導で総選挙を行うカンボジアに向け、自衛隊初のPKO海外派遣部隊が広島・呉港を出発した しかし、現実は過酷だった。 自衛隊を派遣せずに、非武装の民間人だけを派遣すればよいとの主張を嘲笑うかのように、現地の情勢は急転する。 カンボジアの民主化のために、選挙要員として訪れていた民間人の中田厚仁氏が何者かによって襲撃され、文民警察官として派遣されていた高田晴行氏も殺害された。 PKOの部隊が派遣される場所は、渋谷やロンドンといった安全な場所ではない。確かに、停戦状態になってはいるものの、治安がよいとは言い切れない。 だからこそ、各国は武装した軍隊を派遣しているのだ。 このとき、自衛隊は、日本の文民を守ることが出来なかった。能力がなかったのではない。誠意がなかったのでもない。そうした警護したり、守ったりすることが「憲法違反」だとされてしまい、守ることが出来なかったのだ。 このとき、自衛隊はどうしたのか。 余りに残酷な話だが、事実から記しておく。 先に述べたように、自衛隊に認められていた武器使用は、正当防衛だけだった。従って、自分が攻撃されなければ、相手を攻撃することは出来ない。 だが、ゲリラや殺人犯は、自衛隊ではなく文民を襲撃する可能性がある。現に、二人の日本人が殺害された。 そこで考案されたのが「人間の盾」という作戦だった。 何者かが民間人を襲ってきた際に、自衛隊が身を挺して、自らの身を盾として、民間人を守るというのだ。この場合、自分自身が攻撃されているのだから、反撃することは、「正当防衛」の範疇に属する。 本来であれば、自らの身を危険に曝すことなく、任務を遂行できるはずの自衛隊員をわざわざ生命の危険に曝してまで守る「憲法九条」「平和主義」とは一体何なのか。 『朝日新聞』をはじめ、多くのリベラルは、生命尊重、平和主義を語る。だが、現実には、身を危険に曝しながら、国民の命を守り、他国の民主化のために貢献している人々が存在するのだ。 PKO法案が成立してから、20年以上の歳月が流れた。日本のPKO活動は感謝されることはあっても恨まれることはない。立派に国際貢献をしている。 憲法違反でもなかったし、自衛隊でなければ出来ない仕事を成し遂げている。 あのとき、PKO法案で、違憲だと大騒ぎしていた同じ人たちが、今回は集団的自衛権の行使は憲法違反だと大騒ぎしている。 少しは頭を冷やして、静かに反省してはどうか。

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    慰安婦誤報で失われた32年、「濡れ衣」は朝日が晴らせ

     朝日新聞が慰安婦問題について『訂正記事』を出してから一年が過ぎました。記事では、 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。 記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。と、ストレートに誤りを認めていたのですが、ここにきて、「『慰安所は軍の施設』公文書で実証」等、新たな大学教授の見解を大宣伝しています。慰安所が軍の施設であったことは誰もが認めていますし、それを理由に日本が世界中から非難される謂れはありません。「強制連行があったかなかったか」。それが慰安婦問題の論点です。 国連女子差別撤廃委員会プレセッションで発言させていただいた翌日、ジュネーブ市内のホテルで開かれた地元の人を対象にした講演会「慰安婦は性奴隷ではなかった」の中で、英語でスピーチを行いました。今回はその内容をここに紹介したいと思います。 私は日本の前衆議院議員の杉田水脈です。 一昨年12月、慰安婦像を建立した米国カリフォルニア州グレンデール市に、日本の国会議員として初めて訪問し、現地で何が起こっているのかを調査してきました。それをもとに衆議院予算委員会、内閣委員会などでこの問題について数々の質疑を行いました。 ほぼ同時期の2014年2月20日の衆議院予算委員会において、慰安婦問題で日本が他国から攻撃される原因となっている1993年に発表された「河野官房長官談話」について、談話作成当時の副官房長官石原信雄氏より、(1)河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない(2)河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある(3)河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が生かされておらず非常に残念である旨の証言が出てきました。 この証言を受け、「河野談話の見直しを求める国民運動」を行ったところ、14万筆を超える署名が集まり、首相官邸を訪ね、菅官房長官に直接提出しました。 河野談話見直しの機運が高まる昨年の8月5日、朝日新聞が紙上で慰安婦問題のこれまでの報道の検証を行い、日本と日本人の国際的地位を貶める大誤報を認めました。吉田清治氏の記事が掲載された昭和58年10月19日付の朝日新聞紙面 1982年9月、朝日新聞は「韓国・済州島で200人の慰安婦を奴隷狩りした」という吉田清治という男性の証言を報道します。その後も16回にわたりこの証言を取り上げ、「強制連行」の根拠として報道を続けました。今回の記事は次のとおりです。 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。 日本には軍や官憲が『強制連行』を行ったという記録は全く存在せず、第1次安倍内閣でも「慰安婦の強制連行はなかった」という閣議決定がなされています。 この「吉田証言」が虚偽であったということが明らかになった以上、慰安婦の強制連行は存在しません。 また朝日新聞は、「女子挺身隊」と「慰安婦」と混同し、誤った報道を行ったことも認めました。記事は次のとおりです。 女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。 朝日新聞は、「研究の乏しさ」を原因に挙げていますが、当時はまだ女子挺身隊経験者が多数生存しており、慰安婦と全く異なることは取材すれば容易に知り得たはずです。それを怠ったのは、国連の報告書にも記された「日本政府は20万人の子女を慰安婦にした」という虚構を作り上げようという意図があったのではないか、と疑わざるを得ません。戦時中の勤労奉仕団体である女子挺身隊の数を足さなければ、あの20万人という数字は出てこないからです。 アメリカ国立公文書館で公開されている、アメリカ軍が1944年に作成した尋問調書に寄れば、慰安婦たちは相当な高給を受け取っており、その暮らしぶりは贅沢と呼べるほどだった、また、町の中では買い物に行くことも許されており、スポーツイベントに参加したり、ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身が楽しんでいた。ということが記されています。「性奴隷」という言葉から我々が想像する状態とは明らかにかけ離れています。 これまで韓国が主張してきた次の三点・20万人の少女や女性たちが・官憲により強制連行され・日本軍の性奴隷にされた これが全く事実無根であることが公になったわけですから、我々日本はこの事実を世界中に発信していかなければなりません。 先ほどの朝日新聞の訂正記事により、日本国内では「慰安婦の強制連行はなかった」ということを国民誰もが認識しています。しかし、まだまだ国外では、日本の慰安婦問題はナチスドイツのホロコーストに匹敵すると宣伝されています。 その結果、アメリカ各地に建立された慰安婦像や碑が建てられ、オーストラリアなどでは新たな像の建立が計画されています。 日本が朝日新聞の報道によって失った32年間は、非常に重くかつ大きいものがあります。しかし、当の朝日新聞は、訂正記事は掲載したものの、まだ、きちんとした謝罪を行っていません。更には、英語版朝日新聞に謝罪記事を掲載することを拒否し続けています。 このため、2015年1月、日本国内外の8749人が、吉田清治の創作証言がそのまま採用され続けてきたことなどを「虚報」とした上で、「多くの海外メディアに紹介され、ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本国と国民の国際的評価は著しく低下し、国民の人格や名誉が傷つけられた」とし、謝罪広告の掲載等を求める訴訟を東京地裁に起こしました。2月には2次訴訟に踏み切り、原告数が2万3000人に達するという、日本史上例を見ない大きな訴訟となっています。 私が住んでいる宝塚市では、2008年3月、日本の地方会議で初めて慰安婦への謝罪や賠償を求める意見書を採択し、国に提出しました。多くの地方議会がこれに続きました。 が、朝日新聞の訂正記事を受け、昨年10月「2008年の意見書は根拠を失ったことを確認する決議」が賛成多数で可決され、河野談話に基づいた意見書は事実上取り消されました。この動きは全国に拡がっています。 その空白の32年間を取り戻すために、国連においてもこの朝日新聞の虚偽の報道を認め、これまで日本に着せられた「性犯罪国家」の濡れ衣を晴らしていただきたいと思います。

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    朝日だけじゃない 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリ

    著者 田中一成(東京都) 朝日新聞の記者達が自分の属する国の政府を、何故こんなに悪し様に言うのかと、不思議に思ってしまう。但しこの傾向は朝日新聞に限ったことではない。未だに国内で跳梁跋扈している、いわゆるサヨクインテリに共通するものなのである。もちろん朝日新聞が、そのアジテーターであり主唱者であることは周知のことだ。その偏向思想や行動については、いずれ稿を改めて論じたいが、今日は取り敢えずサヨクインテリの思想や思考の内容について考えてみよう。話のきっかけとして、嘗てサヨクインテリのアイドル的な存在であった御三方、すなわち寺山修司、加藤登紀子、村上龍の御三方を取り上げてみよう。劇作家、演出家の故・寺山修司 寺山修司は、いわゆるベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の主導者ではなかった。むしろ、この運動のごく普通の賛同者に過ぎなかった。ただ一般の穏健な賛同者と違っていたのは、詩人としてのナイーブな感性のために、祖国日本に対する屈折した感情をもつに至ったことであろう。その一端を彼の「寺山修司名言集」によって伺うことができる。この本の副題は(身捨つるほどの祖国はありや)となっている。このセンチメンタルな惹句が、日本嫌いのサヨクインテリの琴線に触れたのであろう。しかし、そんなに値打ちのない国ならば、どうして国外に出て行かなかったのだろう。 加藤登紀子は反戦歌手として、サヨクインテリのアイドルであった。最近は平穏な日本で生活費を稼ぐために、古寺巡礼などの番組に出たりしてお茶を濁している。しかしその信条は、あくまで確信犯的なサヨクである。いみじくもその本心を「週刊朝日」のエッセイ欄で次のように述べている。「日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動に駆られる」と。この奇妙な考え方をどう理解したらよいのだろうか。それほど嫌いならば、出て行けばよいのである。余計なお節介かもしれないが、日本のほかに嫌悪感を催さない国があるのだろうか。たとえば中国か、韓国か、或いはロシアか。それとも無国籍人間になろうとでもいうのだろうか。そんなことが、簡単にできないことは本人もご承知のはずだ。その上で、このような言辞を弄するとは、甘えるな!としか言いようがない。 村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞を受賞した。この作品が芥川賞に値するかは、かなりの論議があったという。私の読後感としても、高い評価を与えることはできなかった。以来、この作家は大した作品を生むこともなかった。それが原因かどうかは知らないが、いつしか政治や経済の分野に関心を持ち始め、この分野で積極的に発言したり行動したりするようになった。メールマガジン『JMM』を発刊したのも、その一環であろう。それには、明らかに村上の政治思想が表明されている。彼もまた、私が言う「サヨクインテリ」なのである。その考え方は、著作を通して容易に読み取ることができる。 たとえば『希望の国のエクソダス』では、登場人物の一人に「日本には何でもある。しかし希望だけがない」と言わせている。これは村上自身の考え方でもあろう。まさにサヨクインテリの考え方そのものではないか。それに加えて現実感覚の欠如を、小説家らしい感傷的な文章で飾っているのである。敢えて私は、この作家に尋ねたい。「貴方は、アフリカやアラブ更にはインドにおける貧民の生活を体験したのか」と。雑誌やテレビ、とくに新聞で知ったからと言って、それにどれ程のリアリティがあるのか。もちろん私は、それ以上に無知だ。であるが故に、日本には希望がないなんて、とても言えない。ほんの少しの想像力があれば、これらの貧窮国で生活する人達の絶望感を察することができるはずだ。それと比べるとき、日本には希望がないなどの言辞は、まさに寝言ではないか。 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリの例として、御三方の言辞を取り上げたが、このような例は数え立てればキリがない。サヨクインテリ達は、現実感覚を何時の日か取り戻すことができるのだろうか。そうしない限り、永遠に自らの母国を罵り続けることになるのであろう。

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    欧米に浸透した日本糾弾 朝日が作った慰安婦プロパガンダ

    51年に始まり65年に決着した日韓国交正常化交渉で慰安婦問題が議論になったことはない。国交樹立後も、朝日新聞による旧日本軍の慰安婦強制連行報道が開始される90年代初期までは慰安婦問題が日韓の外交課題となることもなかった。問題の出発点は、92年1月12日付の社説「歴史から目をそむけまい」によって原型が定まり、その後大規模に展開された朝日のプロパガンダであった。 慰安婦問題が戦後70年の長きにわたって日韓の和解を妨げてきた問題だという主張は作為(さくい)である。日本人が日本を貶(おとし)めるために90年代に入って造作した話なのである。韓国の指導者にとってもこの造作は、少なくとも当初は迷惑なものであった可能性がある。韓国の盧泰愚元大統領 「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、わが国の国民の反日感情を焚(た)き付け、国民を憤激させてしまいました」というのが当時の盧泰愚大統領の発言である。何か戸惑いのようなものが感じられないか。 しかし、世論を自らにひき付けて日本に臨む絶好の外交カードとしてこれを用いようと韓国の指導者が意を転じたとして何の不思議もない。実際、「歴史問題の政治化」は功を奏し、93年には河野談話、95年には村山談話という韓国の対日糾弾に有力な論拠となる政府見解を日本側から引き出すことに成功したのである。欧米に浸透した日本糾弾 朝日報道は、後に秦郁彦氏や西岡力氏の精力的な実証分析により誤報であることが判明した。朝日自身が昨年8月の検証記事により吉田清治証言を虚偽として記事を取り消し、慰安婦と挺身(ていしん)隊との混同についての検証が不十分であったことを明らかにして、後に社長の謝罪となった。 しかしこの間、韓国は日本糾弾のキャンペーンを欧米で活発に展開、旧日本軍の「悪」は欧米のジャーナリズムとアカデミズムに深く浸透してしまった。日本人の油断に慚愧(ざんき)の思いが深い。 米国マグロウヒル社の高校生用の歴史教科書には、20万人が強制徴用、彼女らは「天皇からの贈り物」(a gift from the emperor)として兵士に供され、戦争が終わった後は証拠隠滅のために殺害されたという、まったく根拠のない、それに非礼この上ない記述が平然となされるにいたった。日本外務省も黙認することはできず、昨年末に訂正を同社に求めたものの記述に変更はない。 あまつさえ、今年2月には米国の歴史学者19人が「われわれはマグロウヒル社を応援するとともに、いかなる政府も歴史を検閲する権利をもたない」と逆襲に出たのである。 今年5月には欧米の日本研究者ら187人が連名で声明文を発表し、日本の「慰安婦」制度は、その規模、軍による組織的管理、植民地・占領地の女性搾取などの点からみて、20世紀の戦時性暴力の中でも特筆すべきものだと難じた。根拠資料は何も示してはいない。連名者の中にエズラ・ボーゲル氏やロナルド・ドーア氏といった名前があって驚かされる。真実は事実の中にのみ宿る 戦後の日本の自由と民主主義は祝福に値するものだが、真の祝福を妨げているのは日本の「歴史解釈の問題」だという。「特定の用語に焦点を当てた狭い法律的議論」や「被害者の証言に反論するためのきわめて限定された資料」にこだわってはならないと諭し、「過去の過ちについて可能な限り全体的、かつできる限り偏見なき清算をこの時代の成果としてともに残そうではないか」と結ばれる。 国家や民族による「歴史解釈」の相違を許さない傲慢を私は強く感じる。無数の民間非戦闘員を殺戮(さつりく)した広島、長崎への原爆投下や東京大空襲について、日米の歴史解釈が異なって当然のことであろう。自分の解釈に従えというのなら、国家関係は成り立たない。96年のクマラスワミ報告として知られる国連人権委員会報告、2007年の米国下院外交委員会での慰安婦決議などの「権威」には逆らうなということか。 慰安婦問題は日本国内では大方の決着が付いたものの、肝心の国際社会では日本は無援の孤立を余儀なくされている。ことは日本自身の歴史解釈に関わる。真実は事実の中にのみ宿ると考えるまっとうな日本の歴史学者を糾合、反転攻勢に出ようと臍(ほぞ)を固めている。

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    朝日元同僚が進言「植村元記者は裁判より朝生でケリつけろ」

     日本でも、すぐに「訴えてやる」という声が聞かれるようになった。朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏が、慰安婦問題について言及する。その対象は元同僚・植村隆元記者である。植村氏の書いた慰安婦関連記事を、「捏造」扱いをしたなどとの指摘をした東京基督教大学教授の西岡力氏らが、名誉棄損で訴えられた件だ。* * * 事実は一つ。真実は見る人によって色も形も違う。裁判の判決イコール真実とはいえない。新聞記者の世界で、適切な記事だったかは、法廷でカタをつけられる問題なのか。  朝日新聞元記者の植村隆氏が、東京基督教大学教授の西岡力氏らを訴えた裁判では、170人もの大弁護団の一人が、提訴時に「ほかの人々も順次訴えていく」と宣言したことなどで、歴史学者の秦郁彦氏は、「金銭、時間、精神的負担を怖れる批判者への威嚇効果は絶大」であるとし、「恫喝訴訟」という言葉を使っている(産経新聞「正論」)。  この訴訟がそこまで言われるのは、彼が西岡氏らの様々な批判や疑問に手記や講演などで誠実に答えたと思われていないからだろう。  実際、疑問はまだある。韓国人の元従軍慰安婦の聞き取りテープからの、「思い出すと今も涙」(1991年8月11日朝日新聞大阪社会面)の取材経過について大阪社会部員だった植村氏は手記で、朝日新聞ソウル支局長が当時、南北朝鮮国連同時加盟問題など忙しかったので、植村氏がソウルに出かけたというが、調べた限りでは、当時のソウル支局長が書いた8月中の国連加盟関連記事は7本で、外報面トップの4段のほか、ベタ記事が4本。応援が必要な多忙さだったのか。そして、この弁解は意見陳述から消えている。  その意見陳述などによると、植村氏は8月10日にテープを聞くと、会うことも名前も聞くこともできないまま、その日のうちに出稿した。本来はテープを聞き終えたら、提供した韓国挺身隊問題対策協議会に、「やはり本人に確認しなければ、記事にできない」と注文し、会って、事実であろうとの心証を得たうえで記事にするのが、こうした取材の基本だろう。何百万の読者がいる一般商業紙が信頼に応えるとは、そういうことのはずだが、そんなに急いで記事にしたのはどうしてか? 朝日新聞を捲っていると、翌12日紙面には朝日新聞主催の「歴史認識」をテーマにした広島でのフォーラムの特集記事2頁があった。見出しは「過ちの歴史 率直に反省」。こうした紙面計画があると、同じテーマの記事がいつもより大きく扱われる。それを意識していたのか。特に広島は大阪本社管内で、大阪社会部員なら、東京本社を経ずに出稿できる。ここも気になる。 朝日新聞記者時代に自身が書いた韓国の元慰安婦の証言を報じる記事を前に、記者会見する植村隆氏=2015年8月13日、ソウル(共同) もうひとつ付け加えたい。彼は「24年前に書いた記事で激しいバッシングを受けている」として「自分は被害者だ」との主旨の主張を意見陳述などで繰り返している。しかし、本当の被害者は、十分な取材なしの記事を読まされた朝日新聞の読者であり、考えようによっては、日韓関係なのだ。そのことを、彼はどう考えているか。聞きたいものだ。  植村氏は手記で、月刊「文藝春秋」1992年4月号で西岡氏から最初に批判された時に、朝日ジャーナル誌上で反論しようとしたが、上司らから「放っておけ」と言われたなどで、見送ったと書いている。商業新聞の記事は社会的存在だ。反論することがあれば、その時に反論すべきだった。今度も、西岡氏や櫻井よしこ氏らと「朝まで生テレビ」で論争してけりをつければ、大弁護団など必要なかった。「恫喝裁判では?」と疑われる所以だ。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「中・韓の応援」■ 朝日慰安婦問題記事 なぜ裏付け取材しなかったかの疑問残る■ 大江健三郎氏が障害を持つ長男や震災を綴ったエッセイが書籍化■ 若き頃の植村直己を知る編集者が植村の知られざる姿綴った本■ 朝日新聞慰安婦報道の「闇」と裁判担当した福島瑞穂氏の関与

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    高校生を英雄扱い? 「高野連」ってナニサマなのか

    。私は、これまで何度もこの野球害毒論について指摘させてもらっているが、これを唱えたのは、ほかならぬ「朝日新聞」である。 明治44(1911)年、朝日新聞は、「野球という遊戯は悪くいえば巾着(きんちゃく)切りの遊戯である」「野球は賤技なり、剛勇の気なし」「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」……等々、新渡戸稲造や乃木希典まで登場させて、全22回にもわたる野球への大ネガティブ・キャンペーンを張った。 朝日新聞のこの野球攻撃は、新聞の間で激しい論争を巻き起こすが、そのわずか4年後の大正4(1915)年に、朝日新聞は一転、全国中等学校優勝野球大会(現在の「全国高等学校野球選手権大会」)を開催し、当時の村山龍平社長が第1回大会で始球式をおこない、その“変わり身の速さ”にライバル社は唖然とさせられた。 今年は、その年から100年目にあたる「高校野球100周年」である。同時に、この事実は、朝日新聞の今に至る「変節の歴史」を示す貴重な1ページとも言える。 新聞販売のために高校野球を利用し、できるだけ話題になるようにヒーローをつくってマスコミに大々的に報道させ、商業的に利用してきた高野連をはじめとする大人たち――「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」などと、見当違いなことを言っている自分自身の胸に、一度、手を当ててみたらいかがだろうか、と思う。

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    きれいごとを並べたてる偽善組織 それが高野連だ

    野々村直通(開星高校前野球部監督・教育評論家) 2001年夏、開星高校は8年ぶり2度目の甲子園出場を決めた。もう、私の指導力では子供達を甲子園に連れて行ってはやれないという、諦めにも似た心境でいたところ、試合ごとに奇跡的な試合(ゲーム)を展開してくれた。なんと決勝戦は21対0という大勝であった。再び勝利監督として迎えてくれた選手たちに感謝したい。だが甲子園入りし、久し振りに抽選会場に足を踏み入れた私に新しい経験が待っていた。対戦相手が出揃うと監督もステージに招かれたのである。 前回出場した大会(1993年)では、監督は客席に居ればよかったが、今回はステージ上で主将とともにプラカードの後ろに整列せねばならなかった。戸惑った私は壇上に上がるのをためらった。私は地味な半袖のスポーツシャツ姿だったからだ。見渡すと他校の監督は皆ネクタイを着用し、上着を着ている人もいる。7年の間にすっかりシステムが変わっていた。私は恥ずかしさと同時に「来年も必ずこの会場に来てステージ上で私らしさをアピールしたい」と誓った。 翌年の夏、連続出場を果たした私は、優勝した瞬間から抽選会の服装に思いを馳せていた。その年、私は真っ白なダブルのスーツで颯爽とステージに上がった。裏地には自らが版画印刷した「胸もあらわな歌麿の浮世絵」が縫いつけてあった。民放のテレビ局がそれを見つけると取材を申し出たが、教育的配慮で断った(笑)。開星の選手達は誇らしく私の言動を見つめていた(と信じたい)。「教育者(監督)は常に生徒(選手)から羨望の眼差しで見られなければならない」という私の持論が表出されたシーンである。高校野球抽選会、和服姿で出席した開星の野々村直通監督(中央)=2011年8月3日、大阪国際会議場(塚本健一撮影) その後、2006年~2011年の間に春夏6回の甲子園出場を数えたが、抽選会場にはいずれも私は着物姿で登場した。そのことはマスコミには格好の話題を提供した。だから高野連は、目立つ私がけぶたかったのだろう。2012年3月で私は定年退職し、監督からも身を引くと高野連は、抽選会規定の中に新たな項目を定めた。それは「責任教師、監督は白の半袖シャツまたは所属連盟のスタッフシャツ着用、選手は制服を着用してください」というものである。明らかに私の着物姿を意識したものと思われる。 しかし、日本人が伝統的民族衣装に身を包み、厳粛なセレモニーに臨んで何が悪いというのか! カッターシャツにネクタイこそはアングロサクソン(西洋人)の服飾ではないか!! などと声高に叫べば、「やはり、野々村は屁理屈を言う変わり者」という評価を受けてしまう。ところが、最近のニュースで興味深いものがあった。経済産業省は、日本古来の「きもの文化」を見直し、奨励するために来年度から『きものの日』の制定を検討するというのである。その日は省内にも“きもの出勤”を勧め全国に呼びかけるという。各省にも呼びかけるが、手始めに文科省に呼びかけるとのことである。文科省傘下にある高野連は私の「着物姿」を疎外してきた訳だが、『きものの日』に向けてどんな言い訳をするのだろうか。 事程左様(ことほどさよう)に、自らの組織の中で変革や異論を唱える輩は排除してきた高野連という体質について、紙面の都合上、残りは簡潔に述べてみる。高野連は巨大な興行団体 甲子園では入場料どころか酒もビールも売り歩く。高体連(こうたいれん)の大会で、代々木体育館や武道館でビールを売り歩いたら大問題である。高野連は「プロアマ規定」で未だにプロ野球とは厳しく一線を画している。その理由はプロ野球はお金がからむ営利目的の団体だからだという。アマチュアという仮面を被った金まみれの高野連がどの面さげて言うのか。高野連は、主催新聞社と業者が結託した巨大な興行団体である。高野連は独善的権威主義団体 野球部員の不祥事が発覚した時の例を考えてみる。当該校の方針は無視され、すべての判断と処罰は高野連に負託される。教育現場の独自性から見て、文科省でも教育委員会でもない一財団法人でしかない高野連という組織が、現場の最高責任者である学校長に処分を言い渡し、校長は平身低頭で有難くそれに従うのは滑稽と言わざるを得ない。学校のレベルの問題もあり、大会に参加するのか辞退するかは現場の最高責任者たる学校長が判断するのが妥当である。野球を通じて非行少年を立派な社会人にして世に送り出す使命も実績も数多く存在するのに、その都度、全体責任で出場辞退を迫られては本当の教育はできない。それとも品行方正な子どものみで野球をしろと言うのか! 権威主義的高野連の下では野球を通じて本物の教育はできない。「特待生制度」を正しく位置づけられない高野連第93回全国高校野球選手権 日大三に敗れた開星・野々村直通監督=2011年8月14日、甲子園球場(恵守乾撮影) 数年前、特待生問題でマスコミや高野連が大騒ぎしたことがある。いかにもお金で選手を釣り上げるかの如くに報道された。「特待生制度」はほとんどの場合、私学が対象である。私学助成金のみに頼る私学は公立より授業料が高い。学業や技量に優れた生徒を公立並みにして入学してもらうのは当たり前の話である。なぜ公立は安いのか。税金が投入されているからである。私学の先生方も等しく納めている税金で公立は守られている。私学から見れば公立に通う生徒(選手)は全て税金が投入されている特待生である。公立と比べれば私学は不遇なのである。優能な子が私学に通うのに「特待制度」を利用するのは至極真っ当な話なのである。事勿れ主義の高野連 昨秋の四国大会に於いて、今治西高の監督が試合中に「気合を入れて下さい」と申し出た選手にビンタをした。直後、彼は逆転打を打ちチームを選抜へと導く。しかし、こともあろうにテレビ中継をしていたNHKはこの場面を放映し流した。匿名による抗議の電話が高野連に入り、体罰と判断した高野連の指導でこの名将は辞任した。なにかおかしくはないか!! 選手のミスを一方的に罰として叩いたのではない。選手と監督が勝利に向かって本気で「魂」のやりとりをしただけである。逆に感動を与えるシーンであったはずである。この時、事情聴取した高野連が、「今回は信頼関係にある指導者と選手の事象であり、暴力を背景としたいわゆる「体罰」とは呼べず、現場での厳粛な指導の一環であった」と毅然として発表すれば、より気高き教育現場が具現されるであろうにと思えば残念でならない。高野連の「事勿(ことなか)れ主義」を垣間見た思いである。 色々な事例を述べたが、いずれにしろ高野連は「きれいごと」を並べたてる偽善組織と言わざるを得ない。高野連はマスコミに従属し、生温い社会風潮や似非(エセ)平等主義を唱える現代の教育的価値観へのポピュリズム(大衆迎合主義)でしかないと強く訴えたいと思う。

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    高野連の「正体」見たり

    100年の節目を迎えた夏の全国高校野球選手権大会が始まった。高校野球を学校教育の一環と位置づけ、独立組織による管理・運営を理念とする高野連だが、球児の「さわやか・ひたむき」を隠れ蓑にして、権威主義・商業主義に陥っているとの批判は根強い。まさに高野連の正体、見たりだ。

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    「甲子園」を主催しながら国旗国歌を否定した朝日の矛盾

    川村二郎(元『週刊朝日』編集長)見てきたような嘘 私が高校野球を担当したのは1965年、朝日新聞の記者になって2年目の夏だった。そのころ小さい県は1県1校ではなく、私の赴任した大分は隣の熊本県代表と中九州大会をして勝たなければ甲子園に出られなかった。 1965年夏、大分の出場校は30校に満たなかった。スタンドの観客もまばらで、観客の雰囲気を伝えるスタンド雑観の取材には連日、苦労した。 その年の福岡代表は大牟田市の三池工である。大牟田ではその前の年に大きな炭坑事故があり、約400人が亡くなった。三池工は悲劇の町の代表として注目はされたが、スター選手がおらず、地元でも「奇跡の出場」と言われていた。率いたのは原・巨人監督の父、原貢さんである。 三池工についてきたのは、朝日新聞福岡総局のS先輩だった。先輩は甲子園にくる直前、パパになったばかりで、赤ちゃんを抱いたことがない。1日も早く福岡に帰りたかったのだろう。 「明日は負けて帰るよ」と、毎日、言っていた。 ところが、三池工は決勝に残った。私の受け持ちの中九州代表大分県立津久見高はベスト8で終わったが、デスクに「決勝戦の取材応援に残れ」と言われ、決勝戦が終わる前に、優勝した瞬間の三池工の選手や応援席の様子を想像して、予定稿を書かされた。 江戸の川柳に、 「能因は見てきたような嘘をいい」というのがある。 能因は平安中期の三十六歌仙の一人だが、いったことのない福島の白河の関を詠んだという話をからかった川柳である。私も能因に倣ったようなものだが、そうしないと、号外に間に合わなかったのである。 社会部から『週刊朝日』に異動し、1981年から『野村克也の目』を書くことになった。野村さんの目を通して見るプロ野球を書く企画で、自慢話をすれば、「野村スコープ」はこの企画から生まれたものである。 企画の1年目、野村さんと夏の高校野球の取材にいった。後にプロ野球で活躍する工藤公康投手のカーブが話題になった年である。野村さんは、 「工藤はカーブ・ピッチャーではないですよ。彼はストレートがいいから、カーブが生きるんです。ピッチャーの基本は、ストレートですよ」と言っていた。 野村さんの母校、京都府立峰山高校は日本海に面した町にあり、京都予選の1回戦ボーイだった。甲子園など、夢のまた夢である。野村さんは入場行進する高校球児を、まぶしそうな目をして見ていた。 その翌年は「山びこ打線」の徳島代表、池田高校の蔦監督が注目を集めた。野村さんは蔦監督のノックを見て、 「こんなに見事にノックを打ち分けられる人は、プロ野球にもいないですよ」と言った。 『週刊朝日』の副編集長になると、各県代表のチームや選手紹介を中心にした別冊『甲子園特集号』を担当した。その別冊を手に、代表校の甲子園練習を見にゆくと、小指のない人たちが別冊と赤鉛筆を手に、練習に見入っていた。どうやら、野球トバクの賭け率を決めるのに欠かせない資料になっているらしい。 ――思い出の詰まった夏の高校野球は毎年、テレビで見ている。特に開会式は、選手宣誓や、朝日新聞社長の挨拶、文科大臣の祝辞に注目している。 今年は台風で延期になり、8月11日に開幕したが、大会会長たる朝日新聞社長も文科大臣(代読)も高校野球連盟会長も、上手な祝辞とは言えなかった。心に残るような言葉、表現がなかったからである。心に届かぬ朝日社長の言葉 釈迦に説法かもしれないが、文章とは何かと言えば、その人にしか書けないことを書くものである。話すときも、その人にしか話せないことを話さなければ、聞く方は退屈する。この心がまえを司馬遼太郎さんは、「話すときも書くときも、具体的でなければあかんな」と言われた。 多くの人が間違えるのはここである。話すときも書くときも、立派な内容にしようとして、抽象論や観念論になるきらいがある。使いなれていない言葉を使おうとする傾向がある。胸に手を当てれば、誰にも思い当たることがあるだろう。 祝辞など“挨拶道”の宗家と言われたのは文化勲章作家、丸谷才一さんだが、丸谷さんに「挨拶道三部作」と呼ばれるものがある。『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』(いずれも朝日文庫)の三冊である。 祝辞にしろ中締めにしろ弔辞にしろ、人前で挨拶をするのは、厄介なことである。しかし、退屈な挨拶を聞かされる方も、負けず劣らず難儀なことである。三部作の書名には、そういう意味もある。 三部作の愛読者の一人として言わせてもらえば、先にあげた文科大臣など三人の祝辞は短くて助かった。しかし、残念ながら通り一遍で、心に残るような言葉、表現がなかった。 肩書の立派なお三方には、司馬さんの、「話すときも書くときも具体的にな」 という言葉を拳々服膺してもらいたい。 お三方には、丸谷さんの三部作を読み、心に届く挨拶に必要な心がまえと、必要な準備を学んでもらいたい。 参考までに、僭越ながら私ならどうしたか。 朝日新聞の木村伊量社長は、岐阜で記者生活を始めたと聞く。高校野球を取材したときの失敗談や、心に残るエピソードがあるだろう。その話を入れれば、社長にしかできない祝辞になったはずである。むろん、聞いた人が、何の予備知識がなくてもわかるものにしなければならない。筆力に自信がなければ、スピーチ・ライター、ゴースト・ライターを見つけることである。心に届く祝辞をすれば、慰安婦報道で泥だらけになった朝日新聞の看板をきれいにできるかもしれない。 下村博文・文科大臣は、家庭が経済的に恵まれなかったそうである。ならば、高校時代に放課後は何をしていたのか。グラウンドで練習に明け暮れる野球部を、どういう目で見ていたのか。体験を織りこめば、下村大臣にしか語れない祝辞になった。 奥島孝康・高野連会長は、昨年より短かったところは評価できる。しかし、相変わらず中身がなかった。 奥島氏は早大総長を務めた後、朝日新聞監査役になった。その時期、早大出身の朝日新聞社員に、 「朝日新聞には経営がない」 と言ったそうである。 事実とすれば、由々しいことである。監査役であれば、そういう苦言、諫言は社長、役員に言うのが務めではないか。 監査役の次に高野連会長に収まれば、監査役として言うべきことを言わず、朝日にゴマをすったのではないかと、痛くもない腹をさぐられる恐れがある。そうした噂を打ち消すためにも、心に残る祝辞が必要だった。 奥島氏は高校時代、受験勉強を猛烈にしたはずである。そのとき、いちばんの敵は何であったのか? 敵がラジオ、テレビの高校野球中継だったとすれば、ウケることは間違いない。 笑い者になるのは、退屈な挨拶をするからである。奥島氏は笑わせることと笑われることを誤解しているのではないか。笑い者になりたくなければ、聞く人を笑わせることである。 作新学院の中村幸一郎主将の選手宣誓も、例年にくらべ短いところはよかった。しかし、 「この場所に立てることを誇りに感じています」 というところは「誇りに思います」と言う方がいい。「思う」と「感じる」の厳密な違いを説明するには、紙幅が足りない。国語の担任に聞いてもらいたい。王監督の思い 無理な反対報道王監督の思い 無理な反対報道第94回全国高校野球選手権、新潟明訓-明徳義塾の試合中、雷雨により2時間18分の中断となった=2012年8月18日(澤野貴信撮影) 開会式では『君が代』に合わせて国旗掲揚がある。場内アナウンスが選手役員に回れ右をし、脱帽して掲揚台を向くよう促し、「スタンドの皆様も御協力をお願いします」と放送する。観客も選手役員と同じようにしてください、ということだろう。 見ていると、観客のほとんどは国旗掲揚の間、立って脱帽していた。驚いたのは、『君が代』に合わせて口を動かす選手がほとんどいなかったことである。 歌詞を知らないのか、あるいは高校の先生に「歌わなくていい」と教わったのか。 ワールド・カップ・サッカーで、外国の選手はほとんどが国歌を歌っていた。中には気魄がみなぎり、命がけのような形相で歌っている選手がいた。 しかし日本代表には、そこまで気魄を感じさせる選手がいなかった。精神論を賛える気はないが、予選リーグ敗退の一因は、覚悟や気魄の欠如にあったのではないか。そういう気がしてならない。 「世界のホームラン王」にインタビューし、『君が代』の話を聞いたのは2006年の春だった。第一回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本チームを率いて優勝し、帰国した直後である。私は既に朝日を離れていたが、朝日新聞の別刷りのbe編集部に、王監督と私が長いつき合いであることを知っていたデスクがいて、インタビューを頼まれたのである。 王さんは早実高校時代、中国籍のために国体には出場できなかった。それでもWBCで日の丸を背負うことの名誉を語り、『君が代』についてはこう言った。 「『千代に八千代にさざれ石の……』というところ、自然に背筋が伸びて、武者震いするんです。生まれかわるとしても日本がいいし、僕は普通の人よりずっと日本人的なのかもしれませんね」 開会式で『君が代』を歌わない球児に聞かせたい話である。 もう一つ、1999年に国旗国歌法ができるとき、朝日新聞は反対のキャンペーンをした。奇怪だったのは、政治部出身のS編集委員(彼の連載タイトルに従い、私はポリティカ君と密かに呼んでいた)が、開会式の儀式に全くふれず、反対の論陣を張ったことである。 儀式で使われているのだから、法律にする必要はないと、主張するならわかる。 しかし儀式にはふれない。それでは「朝日新聞は書いていることとやっていることが違う」と言われたら、何と答えるのか? 私には知恵がない。 キャンペーンの手法は集団的自衛権の行使容認や昨年の特定秘密保護法反対のときと同じで、連日有名人を登場させ、反対論を語らせた。その時期、スポーツの国際大会を数多く取材したというY編集委員は、 「場内に『君が代』が流れると、会場から出てゆく観客が多い」と書いた。 テレビでは、そういう場面は見たことがない。事実かい?、とY君に聞くと、こう言った。 「いや、そんなことはないですよ。だけど、今はこういうふうに書いた方がいいんです」 あまりのことに、二の句がつげなかった。目の敵にすることないのに… 私は1995年から2年間、夕刊一面のコラム『きょう』を担当し、4月30日のコラムに、『軍艦マーチ』をはじめて流したパチンコ屋を取材した。流したのは昭和26(1951)年の春である。丸の内警察署の警官がとんできて、「軍国主義の音楽はダメだ」と言われ、占領軍のMPの詰め所に連れてゆかれた。 しかしMPはレコードを手に取って見るなり、 「これは音楽だろう。音楽は決して人に危害を加えない。レコードをかけてもいい」 と言った、という話を書いた。 子供たちに『君が代』を教えるときは、 「昔、この曲や日の丸の旗を使って、悪いことをした大人がいたんだよ。君たちは悪い大人にならないように、勉強しようね」 と言えばいい。 「『君が代』の『君』は、天皇陛下と思って歌ってもいいけれど、君たちを可愛いがってくれたおじいちゃんやおばあちゃんや幼稚園の先生のことを思って歌ってもいいんだよ」と、教えればいいではないか。 このキャンペーンのとき、私は編集委員だった。こういう話は書いておきたいと思ったが、事実無根の話を書いたY君や、ポリティカ君の話を聞いていると、新聞の編集局の壁は多く、厚そうである。古巣の『週刊朝日』に売りこみにいった。ところが経済部出身のO編集長は、 「社論と整合性がないので、載せられません」 と、とりつく島もない。 「社論と整合性」と聞いたとき、この男は本当に新聞記者かと思った。記者なら、朝日新聞が言論の自由を命をかけても守る会社だと思って入社したはずである。「社論に従わなければならない」とは、どういうことか。朝日新聞は北朝鮮と同じなのか? O編集長はその後『週刊文春』に『武富士』との不明朗な関係を報じられ、退社した。理由ははっきりしないが、H社長はやはり『週刊文春』の追及を受け、新聞協会会長と社長を辞めた。この件については社内にも詳しい説明がなく、今もって全ては闇の中である。 ところで『君が代』と言えば、司馬遼太郎さんのエッセイ集『歴史の中の日本』(1976年9月発行・中公文庫)に「歴史の不思議さ――ある元旦儀式の歌」という短い文章がある。 徳川将軍家の大奥では、元旦に「おさざれ石」という儀式があった。 御台所は、午前四時に起床する。化粧をおえたあと、廊下に出る。廊下にはすでにもうせんが敷かれており、なかほどにタライがすえられている。そのなかに石が三つならべられている。やがて御台所がタライの前に着座すると、むこう側にすわった中臈が一礼し、 「君が代は千代に八千代にさざれ石の」 と、となえる。御台所はそれをうけて、 「いはほとなりて苔のむすまで」 と、下の句をとなえる。そのあと中臈が御台所の手に水をそそぐ。そういう儀式のあったあと将軍家に年賀を申しのべる。 この元旦儀式は将軍家だけでなく、国持大名級の奥にもあったという。そのもとは徳川家の創始ではなく、遠く室町幕府の典礼からひきついでいるのではないかと想像される。(中略) 君が代うんぬんというのは類似の歌が『古今集』にもある。また今様にもあれば、筑紫流の箏曲や薩摩琵琶歌にもあるところをみれば、この歌は「めでためでたの若松さま」と同様、古くはその家々のことほぎのためにうたわれていて流布したものであろう。 『歴史の中の日本』が文庫本になったのは1976年である。中央公論社からハードカバーで出版されたのはその2年前の1974年の5月である。ポリティカ君は、すでに朝日新聞の記者になっている。 読んでいなかったのだろうか。読んでいたのに「甲子園の儀式と私の書くものとは違う」と言い張ったのだろうか。 ポリティカ君の政治部の先輩には、司馬さんと親しい記者、編集委員がいたはずである。なぜ司馬さんに聞こうとしなかったのか。慰安婦報道の検証でも素直にお詫びしなかったが… ポリティカ君は現在、私立大学で特任教授をしていると聞く。学生に司馬さんのエッセイを読むように勧めてもらいたい。自分の書いたものが、間違っていたと思ったら早くお詫びをし、訂正をすることである。自国の国旗国歌に敬意を表さない者は、海外では尊敬されないと、教えるべきではないのか。 8月のはじめ、朝日新聞は慰安婦報道について、検証なるものを紙面に載せた。 この検証がどう読まれたか? 学生時代に私の作文指導を受けた記者たちに感想を聞くと、 「お詫びをしたかったのか、言い訳なのか、はっきりしない」というのが、全国紙、ブロック紙、テレビ局の記者になった若者の一致した感想だった。 特に不評だったのは、「取材をした時点では研究が進んでいなかった」というくだりと、「読売や毎日など、同業他社も似たような記事を書いた」というところである。私も、 「研究が進んでいなかった」 とあったのには、開いた口がふさがらなかった。自分のところの取材の甘さを棚に上げ、研究に責任があるとは、卑怯である。卑怯者は記者になってはいけない。 検証と言いながら、検証した記者の名がないのもおかしい。問題の記事を書いた植村隆記者(3月に退職)が、週刊誌の取材は拒否しながら、どうやら朝日新聞の“事情聴取”に応じているらしいのも妙である。 「同業他社も似たような記事を載せた」にいたっては、言語道断と言うほかない。君には誇りがないのか、と言いたい。 毎日の社内では、 「朝日とうちでは、従軍慰安婦の記事の扱いの大きさが違う」 という声があったそうである。 こういうのを、目クソ鼻クソを笑うという。 読売の社内には、 「朝日の批判は必要でも、激しくやると厄介な相手だから、ほどほどにしよう」 という記者たちがいると聞いた。シッペ返しを恐れるのは、自分のスネにキズがある証拠ではないか。そう思われてもしかたがない。それはそれ、これはこれで、堂々とやり合ってもらいたい。血の臭いのしない国歌 『君が代』の話のはずが、横道にそれた。 ポケット六法を見るとわかるが、『君が代』はわずか11小節の短い国歌である。短さもさることながら、11という奇数のメロディーは珍しいそうである。 国歌は『ラ・マルセイユズ』が典型だが、歌詞に血の臭いがある。ところが『君が代』には、野蛮な臭いがまるでない。どうしてか? 夏休みの研究課題に丁度良かったのではないか。かわむら・じろう 昭和16(1941)年、東京・本郷生まれ。慶應義塾大学卒業。39年、朝日新聞入社。社会部記者、週刊朝日編集長、朝日新聞編集委員などを歴任。退社後も、文筆家として執筆活動を続ける。今年の本誌7、8月号に朝日新聞批判を寄稿した。NPO法人日本語検定委員会審議委員。著書に『学はあってもバカはバカ』(かまくら春秋社)など。

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    左右両翼と闘う河合栄治郎の精神と朝日新聞の差

    に強かった大アジア主義にふれて、『批評』にこんな河合の冷静な言葉を私は引いた。1月5日、記者会見する朝日新聞社の渡辺雅隆社長=東京都中央区(大西正純撮影) 「アジア諸国は独立を回復することを熱望することは確かである。然(しか)し日本の力を借りることには賛成しまい。何故(なぜ)なれば英米の宣伝により日本を誤解している点もあろうが、日本の過去の外交史が彼等(かれら)に疑惑を抱かしめるからである。英米を排して日本を代わりに引き込むならば、彼等は寧(むし)ろ英米の方を選ぶだろう。何故なれば日本の内部に於(おい)て同胞に対してさえ充分(じゅうぶん)の自由を与えていないのに、その日本から外国は充分なる自由を与えられることを期待しえないからであり、又(また)英米にはたとえ不徹底なりとも自由主義的思想が浸潤している。異民族を統御するに就いて彼等は日本人よりも妙諦を解しているからである。アジアの諸国に於ける日本の信用をば、吾々は決して過超評価してはならない」真の自由主義者の系譜 河合は昭和初年、プロレタリア独裁を肯定する左翼共産主義が盛んとなるやそれを批判した。が満州事変以後、青年将校が暴発し右翼国家主義が台頭するや今度は軍部専横を批判した。真の自由主義者は今でもそうだが、左右両面の敵と戦わねばならない。河合研究会で丸山真男が河合の衣鉢を継ぐ学者だと武田清子が言うから私は真っ向から反論した。右翼には手厳しいが左翼には甘い男が河合の思想的系譜に連なるはずはない。 河合は首相暗殺をはじめとする軍人の直接行動を敢然と否定した。なぜならそれは「国民と外国との軍に対する信用を傷つけ…軍人が政治を左右する結果は、国民の中には、戦争が果して必至の運命によるか、或(あるい)は一部軍人の何らかの為(ため)にする結果かと云(い)う疑惑を生ずるであろう」。しかし当時のマスコミは犬養首相を殺害した「純粋な」青年将校を「昭和維新の志士」と称揚した。暗殺者は死刑にもならず、日本は滅びた。思想の自由守り続けた粕谷 大学を追われた河合は自己の思想信条を懸け裁判に臨んだ。弁明は学術論文のごとく見事である。一旦は無罪となるが結局は敗訴する。だが日本は一党専制のナチス・ドイツや共産国とは違う。河合は罰金刑で戦争中も河合の学生叢書(そうしょ)は広く読まれた。私の姉は『学生と生活』を昭和14年に、兄は『学生と教養』を19年に古本で求めている。その年に河合は満53で早世した。生きていれば敗戦後は首相に推されただろう。私は戦後『学生に与う』を読み、溌剌(はつらつ)とした精気と明るさに驚いた。とても苦境に立たされた人の文章とは思えない。私は河合が説く「友情」や「自我」の言葉に酔いしれた。 1960年、マスコミは一斉に「安保反対」を叫び、国会包囲のデモ参加者を「純粋な」学生と称揚した。そんな時、まだ30代の粕谷一希(1930~2014年)は事態を冷静に見ていた。粕谷は『中央公論』の編集長に抜擢(ばってき)されるや周囲の突き上げにもかかわらず思想の自由を守り続ける。その勇気に私は感心した。後年、粕谷が評伝『河合栄治郎』(1983年)を書くに及んで合点した。粕谷も若くして河合を読み、闘う自由主義者の系譜に連なったのである。この夏死去したが編集者として後世に名をとどめるだろう。 では朝日の慰安婦検証記事の関係者はどうか。「朝日撤稿」は中国紙でも先日大きく報ぜられた。それなのに、若宮啓文氏は「朝日の報道によって国際世論に火が付いたという批判はおかしい」(文芸春秋10月号)とまだ言い張っている。こんな朝日の前主筆も後世に名をとどめるだろう。ただしその悪名によって。

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    なぜ韓国人は、朝日の社旗に怒らないのか

    マッチポンプという言葉があります。日韓関係が現在のように険悪になったのは、朝日新聞のマッチポンプ報道が原因の一つであると言われています。その下品な手法をちょっと参考にしてみました。

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    中立を装う朝日新聞の欺瞞と独善

    古田博司(筑波大学大学院教授) 昨年は朝日新聞社の慰安婦誤報事件をめぐり、様々な検証が行われてきたが、どうもいまいちすっきりしない。いったい何がいけなかったのか根本が極められていないので、朝日以外の他社の新聞記者にまで世上を見る際の視座に不安を及ぼしているというのが現状ではないだろうか。 「角度を付けすぎてはいけないんだ」とか、「特権振りかざすような気分はひかえなければ」とか、「一方に過剰に偏ってはいけない」とか、いくらでも教訓は引き出せるが、教訓というのは断片にすぎないから弥縫策にしかならない。 そこで私は考えたのだが、朝日新聞のまちがいの根本は、「均衡中立性崩壊」にあるのではないか。本来、世上では様々に反対意見の集団が対峙しているし、世界では様々な国々が対立している。それがビリヤードの玉のようにぶつかり合う。そこに政治が生まれるのだが、この政治にははじめから均衡点がない。 あれば皆がそこを目指すからいつかは平和な状況がやってくると期待することができるはずである。でもないので対話の機会を設けて互いに説得し合う。あるいは似た色の玉同士で同盟を作り、圧力をかける。どうしようもなければ局地的に少し暴れる。でも現在では熱い戦いにはなかなかならない。下手をすれば自分が滅亡してしまうことをよく知っているから、摩擦を起こしながら相手を動かしていく。 国会中継を見ていても、昔のように議論白熱し武闘派が暴れるようなことは最早ない。みんなフリップをもってきて、ビジュアルに訴えるような形で説得する。議論や熱い戦いの時代は去り、説得と圧力、摩擦で反対側を動かしていくのである。均衡点はあらかじめあるわけではないから、先んじて中立点をつかむことはできない。中立性をつかんだ気になり、自分こそ客観的だと思うことが危険なのだ。 中立性と客観性は明らかに別物である。反対側の相手にだって客観性はある。だからこそ反対側の人々からも説得力のある意見が当然聞かれる。 朝日新聞社は率先してこの時代の先見性をはずしたのだと思う。はじめから均衡点があると過信する。たとえば日本と中韓もこの均衡点に向かっている。だから平和は双方が議論し、歩み寄りに努力すれば可能なのだ。 自分はこの均衡の位置から中立的に両者を高みから見下ろせばよく見えるはずだ。それで、そうしようとするのだが、そんな場所はないのでどちらかに転がり落ちる。自分は日本人だから日本側に落ちそうになるかもしれない。頑張って落ちないようにしようとすると中韓の側に落ちる。そこで日本の平和への努力不足を批判するという無難な形でこれまでやってきた。 朝日新聞の「日韓国交五十年 歴史の節目に歩み寄りを」(二〇一四年十二月三十日付)の社説は、日本と韓国の間で何とか中立性を奪取しようとする苦肉の策だった。あれほど世間的に批判されたのだからそうされないように、「角度を付けないように」「偏らないように」「傲慢にならないように」と、必死にやじろべいをした。 でも慰安婦の「強制性」を否定したら負けなのでナニクソと「一方で『韓国には軍に無理やり連れて行かれた』と証言する女性がいる」と述べた。この時点で、実は韓国側に転がり落ちている。中立性など均衡点のない世界では無理なのである。でも、次もナニクソと踏ん張る。「韓国の朴槿恵大統領も(省略)日本が加害者であるからといって、ただ提案を待つだけでは問題の決着はありえない」と、韓国側もいさめてみせる。 この時点で読者はげんなりする。こんなに相手側に転げ落ちてまで、まだ中立点に自分がたっていると信じ込んでいる愚かさが「欺瞞」という匂いで読者の鼻を衝くからである。 そして最後に、先見性から物の見事に失墜する。よせばいいのに、「国交正常化に、安倍首相の祖父の岸信介氏は大きく関わり、朴大統領の父、朴正煕氏は国内の反対を押し切って決断した。このままでは日韓双方で当時の決断を疑問視する声さえ強まりかねない」と言ってみせた。 今は過去になったのではっきりしているが、韓国は日米の圧力に屈し、六月二十一日外相会談をもち日本に妥協するとともに、翌日両国で催された日韓国交五十年式典に各々の首脳が出席し、韓国は日韓基本条約の基本線にもどったのである。 朝日新聞社の一体何がいけなかったのか。これで明らかになったと思われる。それは「均衡中立性崩壊」の現代で、崩壊に気づかずに、ことさら中立性を取ろうとして日本の反対側に転がりつづけたことである。新聞記者諸兄姉には是非注意してほしい。世界にあらかじめ均衡点などなく、中立性は取れないのだ。 どちらかに視座をしっかりと据えて、反対側の意見も無視しないことである。反対側にも客観性があることを肝に銘じ、自分がどちら側についているかしっかりと自覚して筆を執る。では、いったいどちらに付いたならばよいのか。それが先見性というものなのである。先見性から失墜すれば、当然予測を外し、せっかく正義の中立点を取ろうとした者が悪になる。朝日の誤報事件は秀才がこの先見性に恵まれていないことを秘かに暗示している。

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    新聞広告から見る朝日新聞の経営状況

     私は経済評論家なので経済的側面から朝日新聞を考えてみたい。 朝日新聞とは「株式会社朝日新聞社」が発行する日刊の商業紙である。朝日新聞社は株式会社形態を取る「営利を目的とした私企業」にすぎない。そして、その収益は、読者の払う新聞の購読料と「広告収入」により成り立っている。そして、新聞社の最も大きな収益源は販売店に手数料が入るチラシではなく、本紙に印刷されている「本紙広告」ということになる。 基本的に、新聞の広告代金は時価であり、明確な定価が存在するものではない。しかし、一応の目安は存在し、朝日新聞の場合、全面(15段)で4000万前後というのが朝日新聞社側が提示している参考価格ということになる。そして、この価格は年間の出稿回数や曜日、何面に掲載するか、期日の指定があるのかなどにより、いかようにも変動する。要は需要と供給の市場原理で決まっているわけである。 簡単に言ってしまえば、朝日新聞に広告を出したいと思う広告主が多ければ高くなり、少なくなれば安くなるわけである。また、突然広告主が降りてしまったり、広告が集まらなくなった場合、これが「タダ同然」で販売されるケースも存在するのである。いわゆる穴埋め広告である。その意味では新聞広告というのは、新聞社の経営の健全性を測る一種の目安になるといってよいのだろう。 では、どんな広告が高いのかということになる。基本的に期日の決まったカラー広告は高い。例えば、何かのイベントに合わせた企業のイメージ広告や新発売に合わせた新商品の広告などがそれにあたる。このような広告は単価も高いため、上場企業など有名企業でなければなかなか出せない。このような広告が多ければ新聞社の経営がうまくいっていると見て良いのだろう。 逆にどのような広告が安いのかといえば、1.健康食品などの通販広告2.旅行会社などの広告3.書籍などの出版物の広告 ということになる。新聞の紙面がこのような広告であふれていたら、経営的には黄色信号と見て良いのだろう。そして、一番危険なのは、系列会社や自社イベントの広告や社会啓蒙などの公共広告である。これは広告主が集まらず、穴埋めのために仕方なく入れた広告である可能性が高いからである。 実は、新聞に掲載することが出来る広告スペースは法律や規定で決まっている。新聞は郵便料金が安くなる第三種郵便の承認を受けており、この規定により全紙面の50%までとなっているわけである。そして、公職選挙法により、選挙報道を行うにはこの第三種郵便の承認を受けている必要があるため、事実上、紙面の50%に制限されているのである。そして、どこの新聞社も最大限の利益の確保のため、このギリギリのラインを広告スペースにしているわけだ。朝日新聞の場合、平均で40ページ程度なので20ページ分が広告スペースとして確保されているわけである。 新聞社の営業はこのスペースを埋めるために必死に営業を行うわけであるが、どうしても埋まらない場合、先ほどの穴埋め広告で誤魔化すしかなくなるわけである。単純に考えれば、広告が集まらないならば、記事を増やすことで対応すればよいのであるが、政治部や社会部など部別にある程度枠が決まっており、これを変えるのは簡単ではない。また、年間の使用量に合わせ紙やインクを確保している為、紙面を減らすのも容易では無いのである。 そして、朝日新聞には紙面を減らせない別の理由も存在する。なぜなら、全国紙の他紙よりも高いからである。競合する読売と毎日新聞が130円 産経新聞が110円であり、朝日は150円だからである。他紙よりも高い以上、ある程度のボリュームがなければ今以上の割高感が出てしまうからなのである。そのため、広告主がいなくなると穴埋め広告が増えるわけである。 昨年、朝日新聞問題が起きた時、穴埋めと思われる子会社の広告が急増した。これは広告主が企業イメージの悪化を恐れ、広告出稿を取りやめたことに起因するものと思われる。また、このような子会社の広告にはもうひとつの問題も存在する。いくら子会社とはいえ、別法人である以上、広告費を払っているはずであり、これが朝日新聞の売り上げとして計上されているものと思われる。これを悪用すれば、一種の売り上げの粉飾も可能なのである。100%の連結対象であれば、最終的に親会社子会社の間で利益と経費が相殺されるため、最終的には調整されるが、見た目の売り上げをよく見せることが出来るわけである。 6月25日に公表された朝日新聞決算書(2014年4月から2015年3月)によると 新聞事業4033億2500万円(前年比-7.9%)、セグメント利益29億8300万円(前年比-54.7%)と大幅な業績悪化が生じていた。また、この数字は問題が発生する前の数字を含んだものであり、問題発生後だけで見ればもっと厳しかったのだと想像できる。朝日新聞は新聞事業の売上の明細を公表していないため、具体的な実態をつかむことは出来ないが、この業績悪化の大部分が広告収入の減少によるものであると思われるのである。

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    国防を「悪玉視」して貶め続けた朝日 偏向の大罪

    井上和彦(ジャーナリスト) 朝日新聞以上に自国の歴史や国家の名誉や威信を傷つけてきた新聞が他にあるだろうか。一連の慰安婦報道や吉田調書報道に関する問題以後、もはやそれは衆目の一致するところと思う。これまで朝日新聞がふりまいてきた害毒は数え上げればきりがない。とりわけ国防・安全保障に関する報道は常軌を逸している。命がけで国民を守る自衛官の心と名誉をどれだけ傷つけたことだろう。彼らの報道で実は国民の命が危険に曝されている点も忘れてはならない。紛れもなく日本の安全保障の最大の脅威のひとつが朝日の報道である。本稿では朝日新聞の安全保障に関する偏向報道の手口を紹介したい。集団的自衛権行使容認閣議決定 まずは「集団的自衛権」に関する報道だ。 集団的自衛権の行使容認が閣議決定された翌日の平成26年7月2日の朝日新聞は、朝刊1面で『9条崩す解釈会見』と大見出しで真っ向から批判した。 《1日は自衛隊発足から60年。第2次世界大戦で多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、「専守防衛」に徹してきた日本が、直接攻撃されていなくても他国の戦争に加わることができる国に大きく転換した日となった》2014年7月1日、集団的自衛権の行使容認について、会見で説明する安倍首相 記事では「1日は自衛隊発足から60年」「第2次世界大戦で多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、専守防衛に徹してきた日本」などと並ぶ。 しかし、日本が第二次世界大戦の反省に立ってこれまで専守防衛に徹してきたからといって未来永劫世界の平和構築のために積極的に関与しなくてよい理由にはならないだろう。 それは、軍拡著しい中国から日本を守るうえで最善の策とされる集団的自衛権の行使を否定する根拠にもなり得ない。朝日は、日本が専守防衛に徹してさえいれば、平和と秩序が保てると考えているのか。日本を覆っている中国の軍事的脅威を払拭できると思っているのだろうか。 この記事の隣に掲載された連載『日本はどこへ 集団的自衛権(1) 「強兵」への道 許されない』では編集委員、三浦俊章氏が《来年は戦後70年にあたる。そのときに日本の選ぶ道が、「強兵」への復帰でよいはずはない》と結んでいる。だが、集団的自衛権の行使容認と来年が戦後70年であることとがどう関係するのか。感傷的な記述からは伝わらない。 社説でも《戦後日本が70年近くかけて築いてきた民主主義が、こうもあっさり踏みにじられるものか》と冒頭から怒りをぶつけ、独善的な“暴走”が始まるのだ。 《「東アジアで抑止力を高めるには集団的自衛権を認めた方がいい」「PKOで他国軍を助けられないとは信じがたい」 一連の議論のさなかで、欧米の識者や外交官から、こうした声を聞かされた。 だが、日本国憲法には9条がある。戦争への反省から自らの軍備にはめてきたタガである。占領政策に由来するとはいえ、欧米の軍事常識からすれば、不合理な制約と映るのだろう。 自衛隊がPKOなどで海外に出ていくようになり、国際社会からの要請との間で折り合いをつけるのが難しくなってきていることは否定しない。 それでも日本は9条を維持してきた。「不戦の国」への自らの誓いであり、アジアの国々をはじめ国際社会への宣言でもあるからだ。「改めるべきだ」という声はあっても、それは多数にはなっていない。 その大きな壁を、安倍政権は虚を突くように脇からすり抜けようとしている》 本末転倒―その一言に尽きる。こちらが恥ずかしくなるほどの論理である。では聞こう。 朝日新聞は「抑止力を高める必要はない」「PKOで助けなくてもよい」とお考えなのか? 朝日新聞が憲法9条をこよなく愛していることはわかった。しかし、憲法9条を守っても国民の命を守らなくて良いという免罪符には成りえない。安倍首相の最大の使命は国民の命を守ることである。 憲法9条の制約から集団的自衛権が行使できず、世界の平和を維持するためにPKOの現場で共に汗を流す他国の軍人の命を助けなくてよいという理屈もまた通らない。朝日新聞は「9条を守る」ことだけを強調するが、その結果、国や国民にもたらされる害毒に責任を負えるのか。 憲法9条を改めるべきだというアジアの声が「多数にはなっていない」ともあった。これもおかしい。では多数に達したら変えてもよいのか。日本国憲法の変更には外国の承認が必要とでも言っているようで綻びだらけの立論なのだ。 さらに暴走は続く。 《首相はきのうの記者会見でも、「国民の命を守るべき責任がある」と強調した。 だが、責任があるからといって、憲法を実質的に変えてしまってもいいという理由にはならない、国民も、そこは見過ごすべきではない》 《この政権の暴挙を、跳ね返すことができるかどうか。 国会論戦に臨む野党ばかりではない。草の根の異議申し立てやメディアも含めた、日本の民主主義そのものが、いま、ここから問われる》 戦争にならないよう抑止力を高める。そのために集団的自衛権行使容認を閣議決定したのだ。抑止力を高めれば、わが国への侵略意図を未然に挫くことにつながる。“他国の戦争に加担する”ためでは断じてない。わが国と国民の生命を守るためなのだ。そういう論理を頭から全否定して始まる朝日新聞の報道こそむしろ“暴挙”ではないのか。 産経新聞は『「積極的平和」へ大転換』と大見出しをつけ、『首相「今後50年 日本は安全だ」』と題した記事で、閣議決定の目的を正確に伝えた。主張も《戦後日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいたといえよう》と切り出し《反対意見には、行使容認を「戦争への道」と結びつけたものも多かったが、これはおかしい。厳しい安全保障環境に目をつむり、抑止力が働かない現状を放置することはできない》と書いた。わが国をとりまく安全保障環境は劇的に変化している。それに間断なく対処せねばならない。防衛体制に不備があれば当然それは是正する責任がある。 読売新聞も『集団的自衛権 限定容認』と、閣議決定内容を正確に伝え、田中隆之政治部長の『真に国民を守るとは』と題した記事があった。 《今回の見解にあるように一国では平和を守れない。日本が集団的自衛権を限定的に認め、対米連携を深めることが不可欠だ。それこそが真に国民を守る手段となる。時代にそぐわない憲法解釈を安倍首相が正したことは高く評価できる》 閣議決定の目的と主旨を正確に伝えている。社説でも《今回の解釈変更は、内閣が持つ公権的解釈権に基づく…いずれも憲法の三権分立に沿った対応であり、「立憲主義に反する」との批判は理解し難い》として解釈変更に何の問題もないと指摘している。 しかし、朝日新聞は、こうした冷静な報道を一顧だにしない。社会面に『不戦 叫び続ける』と題した記事を掲載、若者の「びびってます」とか元兵士の「限定的でも引きずり込まれる」といった声をちりばめて『列島 抗議のうねり』と牽強付会にあおるのだ。 日本列島が反対一色であるかのような記事だが、福井市のJR福井駅前での“市民団体”の呼びかけに応じて集まったのは、わずか「30人」だったらしい。これのどこが『列島 抗議のうねり』なのだろう? 日本列島が抗議のうねりに呑みこまる状況など一体どこに存在したのだろう。空自ヘリと取材ヘリ、ニアミスしたのは…平成19年空自ニアミスの報道 これだけではない。平成19年4月9日の朝刊ではこんな見出しが躍った。空自ヘリ、ニアミス墜落機の救助中 NHK取材ヘリと 見出しの横には『墜落機の救助中 NHK取材ヘリと』とある。ということは、墜落機の救助中の空自ヘリが取材中のNHKヘリに近づきすぎてニアミスを起こしたということになる。ところが本文を読んでみると… 《空自ヘリが遭難地点に侵入するために左旋回したところ、相手ヘリが右に旋回して急速に接近した》 つまり“相手ヘリ”が、空自ヘリに異常接近したのであって空自ヘリがニアミスをおかしたのではなかったのだ。本来この記事の見出しは、『NHK取材ヘリ、ニアミス』とすべきだろう。あたかも空自ヘリがNHKヘリにニアミスしたと読者が錯覚するような見出しを付けているのだ。NHKヘリはなぜか「相手ヘリ」として社名を隠し、空自ヘリを際立たせているところにも自衛隊への悪意が垣間見える。 しかもこの事故の隣には 持ち出し、イージス艦中枢情報も という見出しの海上自衛隊の情報漏えい事件の記事が併記されている。読者は「なんだ、航空自衛隊も不祥事をおこしたのか!」と瞬時に連想してしまう。実に巧妙な印象操作だと言わざるを得ないのだ。 そもそもこの遭難事故は、平成19年3月30日に鹿児島県徳之島で発生した救急患者の緊急空輸のため、那覇基地を飛び立った陸上自衛隊第101飛行隊(現・第15飛行隊)の大型輸送ヘリコプターCH47JAが徳之島の天城岳山中に激突して機長以下4名の隊員が殉職した痛ましい航空機事故があって、このとき陸自機の捜索・救難にあたったのが、同じ那覇基地にある航空自衛隊の那覇救難隊の救難ヘリUH60Jだったのである。 いずれにせよこの“ニアミス事故”なるものの非は、NHKの取材ヘリにある。朝日新聞の自衛隊を貶めようとする意図を感じざるを得ない。海自「おおすみ」と釣り船衝突 平成26年1月15日、瀬戸内海の広島沖を航行中の海上自衛隊輸送艦「おおすみ」に釣り船が衝突して釣り船の船長と乗客の2名が死亡するという海難事故が発生した。海上自衛隊輸送艦「おおすみ」と転覆した釣り船(手前右)=2014年1月15日午前、広島沖(本社ヘリから、山田哲司撮影) この事故を取り扱った読売新聞の見出しはこうだ。 衝突、同方向に航行中海自艦と釣り船 重体の船長死亡 ところが朝日新聞の見出しはこうなっている。 回避行動の状況調査へ 海自艦衝突 追い越す船に「義務」 海自艦と釣り船が衝突したのに、表記されているのはなぜか海自艦だけだ。これではまるで海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」に責任がある印象を読者に与えかねない。 この記事のリードも問題である。 《一方、安倍政権は過去に起きた自衛艦の事故の苦い経験を踏まえ、影響を最小限にとどめようと迅速な対応をアピールした》 書き手の悪意がにじみ出たおかしな書きぶりである。そもそも“迅速な対応”は褒められこそすれ、揶揄されることではないからである。逆に、対応が遅ければ、厳しく非難される。迅速に対応すると今度は「影響を最小限にとどめようとアピールした」。ここから安倍政権を叩いてやろういう魂胆が行間から読み取れる。始末に負えない書きぶりだ。 平成12年9月に石原慎太郎都知事(当時)の旗振りで実施された陸海空自衛隊を動員した災害派遣訓練“ビッグレスキュー”を取り扱った朝日新聞のいやみな批判記事は今も忘れられない。 一面には装甲戦闘車両の写真の下に『銀座上空に対戦車ヘリ』の見出しが躍り、銀座上空に物騒な対戦車ヘリが飛んできて軍事訓練したかのような記事となっている。 さらに社会面だ。『迷彩服だらけの首都防災訓練』と『大通り装甲車堂々』と見出しがあって『憂いあり』。いずれも白抜きの大きな文字だ。いったい何に対して、どんな憂いがあるというのだろうか? 誇大妄想も甚だしい。東京都の総合防災訓練。都営大江戸線による自衛隊部隊集結訓練で、地下鉄に乗り込んだ自衛隊員ら=2000年9月3日 迷彩服は自衛隊の制服だ。いったい何が問題なのか。装甲車は大通りを堂々と走行してはいけないのか。装甲車は人目をはばかるように移動せよというのか。 おまけに『憂いあり』の文字の下には『「治安出動」批判派デモ』なる小さな記事がぶら下がっている。自衛隊を動員した都心での災害派遣訓練がどうして「治安出動」に結び付けられて批判されなければならないのか。 どうも朝日新聞の記事には、読者を自らの偏った政治主張や特定イデオロギーに引きずり込もうとするいかがわしいトラップが随所に仕掛けられていると言わざるを得ない。気の毒なのは正確な事実が伝えられず公正な判断ができない読者である。海自「あたご」と漁船の衝突事故 コラムもやりたい放題である。 平成20年2月19日におきた海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船が衝突した海難事故について、平成20年3月3日の「ポリティカにっぽん」と題するコラムで、朝日新聞コラムニストの早野透氏はこう書いている。 《石破茂防衛相が「ハイテクの極致」とたたえるイージス艦、ハワイのミサイル防衛の訓練に疲れ、艦長が居眠りしている間に千分の一の「親子船」を撃沈してしまうとは!》 「艦長が居眠りしていた」などと、まるで任務中にコックリコックリと居眠り運転していたかのように書いている。だが、そもそも艦長は交代で就寝中だったのであって、訓練に疲れたせいでオペレーション中にうっかり居眠りしたのではない。艦長は、航海長に艦の運航の指揮を委任しており、就寝したことは何ら問題ではないのだ。「訓練に疲れ」という言葉が付け加えられ、これに続けて「居眠り」とある。これでは間違いなく誤解を誘発する書きぶりだ。 「親子船」という無条件に国民の同情を誘う言葉を使う一方で、自衛隊には「撃沈」なる言葉を使うのも首を傾げてしまう。そもそも「撃沈」とは、相手を沈める意図があって砲撃や雷撃・爆撃などの攻撃で沈没させることだ。イージス艦「あたご」に漁船を沈める意図など微塵もない。撃沈では決してないのだ。これはほとんど“捏造”の域といっていい。自衛隊の事故なら何を言っても構わないという空気に乗じたゆゆしきコラムである。中国国防費に対する記事も酷かった中国国防費めぐる報道 2010年(平成22年)の中国国防費に対する記事も酷かった。読売新聞(平成22年3月4日)はこんな見出しだ。中国国防費7・5%増2けた伸び21年止まり 開発費除外か これが朝日新聞になるとどうなるか。中国国防費 伸び鈍化10年は7・5% 22年ぶり1ケタ このニュースで読者に伝えなければならない最重要ポイントは、中国の国防費がこの年もまた7・5%も増えた客観的事実で次に兵器の開発費が除外されている可能性だ。これまで20年以上にわたって続いてきた国防費の前年度比2けたの伸び率が2010年は1けただったことは、単なる参考データでしかない。その意味で読売新聞の見出しは、このニュースの伝えるべきポイントを要領よくおさえている。 一方の朝日新聞は、参考データに過ぎない国防費の伸び率が1けただったことをまず強調し『中国国防費 伸び鈍化』と大見出しで『22年ぶり1ケタ』とアピールし、読者に、あたかも中国の軍拡がスローダウンしたかのような印象を与える記事となっている。 最も肝心な前年度比7・5%もの非常に高い国防費の増額については、『10年は7・5%』とだけ記載し、「増」の文字がない。これでは「7・5%」という数字が意味するところがよくわからないのだ。朝日新聞は「7・5%もの増額」という大幅な増額を巧みにごまかしたのである。ちなみにこの年のSACO関係費を除いた日本の防衛費は前年度比0・4%減だった。いかに中国の7・5%という伸び率が驚異的であるか。おわかりいただけよう。自衛隊と韓国軍のイラク派遣報道 自衛隊がイラクに派遣されたさいも朝日新聞は批判を繰り返した。平成19年5月16日の社説はこう述べた。 《英国ではブレア首相が世論の批判から退陣に追い込まれた。ブッシュ大統領も、米軍の期限付き撤退を条件とする予算案や決議を議会から突き付けられた。支持率は最低水準に低迷している。 そんな中で、日本では自衛隊の派遣延長がすんなりと国会を通っていく。これといった総括や反省もないままに、大義に欠ける、誤った米国の政策に参画し続ける。なんとも異様と言うよりない》 最後はこう結んだ。《政府はすみやかに自衛隊を撤収し、イラク支援を根本から練り直すべきだ》 ところが朝日新聞はこの同じ年の1月31日付の紙面で、イラク北部に派遣された韓国軍に対しては『復興支援 韓国がっちり』という見出しをつけ、こう言っているのだ。 《治安悪化で泥沼化するイラクで、唯一安全といえる北部クルド地域に2300人の部隊を駐留させる韓国が、軍と政府機関による復興事業を着々と進め、地元の信頼を勝ち得ている。すでに民間企業も進出するなど、治安の問題から南部サマワで十分な復興支援ができなかった日本との差を際立させている》 ちょっと待てよ!といいたい。あなた方は「大義に欠ける、誤った米国の政策に参画し続けている」と日本を批判したのではなかったか。なぜ韓国だけは“異様”でないのか。これは明らかにダブルスタンダードである。矛盾していることに自ら気づかないのだろうか。 記事には、『安全バックに事業次々』という小見出しがあった。 《韓国の民間人スタッフは全員、韓国軍基地内に居住。町へ買い物やレストランでの食事にも出かけるが、現地で雇った武装警護員を必ずつける。 さらに韓国軍も復興事業として学校54カ所、診療所11カ所、井戸200カ所を建設。基地内で開く自動車修理、コンピュータ技術から菓子料理までそろえた職業訓練コースは、月給110ドルがもらえる上、軍の送迎付きとあって市民に大評判だ。各地でテコンドークラブが作られ、韓国兵らが指導に当たっている。 ハウラミ・スレイマニア商工会議所会頭(32)は「韓国には本当に感謝している。投資促進にも非常に前向きだ。我々は先に来てくれた人を大切にしたい」と話す》 なぜ自衛隊と韓国軍のイラク派遣に対する評価がこうも違うのか。彼らの偏向こそ“異様”であり“異常”である。 朝日新聞は、イラクで自衛隊がどこの国の軍隊よりも歓迎され、そして感謝されていたことを知らないのだろうか。自衛隊はイラク南部サマワで病院や学校の建設、加えて橋や道路の整備を行なって地元イラクの人々からいたく感謝され、地元住民らによる自衛隊への感謝の意を表するためのデモ行進まで起きている。また自衛隊の撤収時には、地元住民が、自衛隊との別れを惜しんで涙したなどという感動のエピソードもある。朝日新聞はそんな数々の話をまったく耳にしたことがないのだろうか。否である。実は朝日新聞はこうした事実を知っているはずだ。なぜ書かないか。自衛隊を利するから書かなかったと私は考えている。海自イージス艦派遣めぐる報道 防衛報道、自衛隊報道における朝日新聞の恣意について述べてきた。最後に私自身の経験を話そう。かつて筆者は謝罪文を朝日新聞から書面で受け取ったことがあるからだ。 平成13年11月23日付の朝日新聞(西部本社発行版)に筆者のインタヴューコメントが掲載された。これは、世界を震撼させた9・11テロに端を発する対テロ戦争で海上自衛隊補給艦による多国籍軍艦艇へのインド洋上での燃料補給任務の護衛に海自イージス艦を派遣させるかどうかの問題が持ち上がったことへの筆者のコメントだった。 朝日新聞はわざわざ佐世保支局からインタヴューを取りに来た。私は記者に、相当時間を割いて海自イージス艦派遣の意義と問題点などを説明し、この記者もよく理解して帰っていった。筆者の主張の要旨はこうだった。 「洋上補給は、補給艦と受給艦が長時間真っ直ぐ並走せねばならず、そんなときに脅威が迫っても迅速な回避行動がとれない。そのため脅威をできるだけ遠くで発見しなければならず、したがって広域の上空および洋上監視ができるイージス艦がこの任務に最適である。 だがそもそもイージス艦の派遣がなぜ問題になるのか。国は、国家の命令によってインド洋に派遣される海上自衛隊の補給艦を全力を挙げて守らねばならないのだから、そのために必要なら、イージス艦であろうとなんであろうと必要な艦艇や航空機を総動員してでも守るべきだ。にもかかわらず派遣を命じた側の国会議員の中に、日本がイージス艦を派遣すると周辺諸国に脅威を与えるのではないかとか、集団的自衛権の行使はできないなどと言っている者もいるようだが、まず政府は、派遣される自衛官の命を守るために万策を講じることを最優先に考えるべきだ」 限られた字数に収めるため、掲載記事内容について記者と電話で文言や字数の調整などを繰り返した。短くなったが着地点を見出して私も納得した。ところが翌朝の新聞を見て仰天してしまった。 私のコメントは、『実績優先し 派遣迷走』という記事の中で、こう短く取り扱われていた。 《安全保障分野を得意とするジャーナリストの井上和彦氏(38)は、今回の派遣論議に自衛官の安全を考えた立場からの議論がなかったと批判する》 これではイージス艦の派遣に賛成なのか反対なのかすらわからない。ただ「批判」という最後の言葉の印象が強いため、反対しているようにも受けとれる。 私は猛然と抗議した。 その結果、次のような謝罪文が送られてきたのだった。 《先日は、ご多忙の中、取材に応じていただき、ありがとうございました。23日付、西部本社発行版(九州・山口)の第3社会面で掲載された記事の中に、井上様との取材の一部を使わせてもらいました。本紙を郵送させてもらいます。 編集の関係で短い扱いとなり、井上様のご意見を十分にくめなかった点があることは、否めません。お時間を取って頂きながら、ご不満を抱かれたことに、お詫び申し上げたいと思います。 今後とも、安全保障分野で取材をお願いすることもあると思います。こちらも、より細心の注意を払うようにします。今後ともよろしくお願いいたします》 私のコメントが朝日新聞の編集方針にそぐわず、最終段階でコメントの核心部分を外し、都合よくつなぎ合わせたのだろう。いずれにせよ、私の言いたかったことは闇に葬り去られたのだ。いのうえ・かずひこ 昭和38(1963)年、滋賀県生まれ。法政大学社会学部卒業。軍事・安全保障・外交問題などをテーマとしたテレビ番組のキャスター&コメンテーターを務める。著書に『東日本大震災秘録 自衛隊かく闘えり』(双葉社)『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』(産経新聞出版)など多数。関連記事■ 立憲主義を破壊する…わけがない解釈変更■ 朝日新聞、「角度つき」安全保障報道の系譜■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説

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    朝日新聞、「角度つき」安全保障報道の系譜

    月20日の1面には次のような「社告」が掲載された。当時の事情を知るうえで興味深いので、全文を示す。〈朝日新聞東京本社はマックアーサー最高司令官の命令により本日十五、十六、十七日附掲載記事中マックアーサー司令部指示の新聞記事取締方針第一項「眞實に反し又は公安を害すべき事項を掲載せざること」に違反したものありとの理由によつて十八日午後四時より廿日午後四時まで新聞発行の停止を受けた。よつて十九日附および二十日附本紙は休刊の止むなきに至つたが、二十一日附は特に四頁に増頁して三日間における記事、寫眞を収載しました。 右御諒承願ひます。 昭和二十年九月廿日朝日新聞東京本社〉(表記は原文のまま) 一体どうして「朝日」はマッカーサーの逆鱗に触れてしまったのか。この件は同紙にとってのトラウマとなった。そのことは1995年7月に編纂された大部の「朝日新聞社史」から読みとれる。また、「朝日文庫」収録の「新聞と『昭和』」、上巻(2013年8月刊)にもこの「社告」の件が出てくる。つまり、同紙にとっては忘れ難い事件なのだろう。GHQが問題にしたのは9月15日付で掲載された鳩山一郎講話であった。鳩山は、米国が「正義は力なり」を標榜するのなら、「原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう」と語っていた。 検閲に引っかかったもう一つの記事は、翌々日の9月17日に掲載され、「求めたい軍の釈明/“比島の暴行”発表へ国民の声」と見出しが付けられていた。この見出しから記事内容を推定することは困難だろうから説明すると、日本進駐後の米軍兵士が各地で起こした暴行事件と大戦中に日本軍がフィリピンでみせた暴虐行為とを同列に論じることへの疑問を述べたものである。一方は平時、他方は戦時であったことを考えるならば、「朝日」記事の言い分にはもっともなところがあった。 のちに『閉された言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋刊)を発表した江藤淳氏は、問題視された記事は後年首相となった石橋湛山が東洋経済新報社社長・主幹時代に書いたものだ、と詳しく考証している。いずれにせよ、GHQの高飛車の前に『朝日』は恭順の意を表するほかなかった。泣く子と地頭には勝てない。先掲の「社告」は敗戦国ジャーナリズムの屈辱の記念碑とも呼ぶべきものであった。 いずれにせよ、マッカーサー元帥の威光は絶対だった。それをいや応なしに日本人に教えたのは9月29日付の全国紙各紙に掲載された一枚の写真である。『朝日』はそれを「天皇陛下、マックアーサー元帥御訪問」と題して1面トップに掲げた。2日前の27日に昭和天皇はモーニング姿で元帥を米大使館に訪問された。迎えたマッカーサーは開襟の日常服、手を腰に回した悠然たるポーズで新聞写真を撮らせたのである。この写真は後年さまざまな出版物に繰り返し転載されたから、戦後報道写真中で最もよく知られた一枚だろう。日本国民に敗者の悲哀を味あわせたものとして、これを凌ぐ写真はあるまい。 回顧趣味に耽るのをやめて、先を急ごう。欧州での東西冷戦と日本での国内冷戦欧州での東西冷戦と日本での国内冷戦 米国には朝鮮戦争勃発の予感が働いていなかった。それだけにショックが大きく、対日占領政策は徐々にではなく、急激に右旋回した。日本はそれに振り回される。しかし同じころ、もうひとつの敗戦国であるドイツでは事情が違った。ここでは対ドイツ戦勝四国は東西に分かれて対立しはじめてからすでに久しかった。ヒトラーに対して勝利した英国の戦時指導者ウインストン・チャーチルが野党党首として訪米、ヨーロッパの東西の間に「鉄のカーテン」が降りたと有名なフルトン演説を行なったのは、欧州での大戦終結から数えてわずか10ヵ月後のことである。それは冷戦の告知となった。 東西冷戦の主要舞台となったのは、戦勝四国たる米英仏ソが分割占領したドイツである。東欧圏に順次、共産政権を擁立したスターリンは、ソ連占領地帯である東独地域にも類似の親共政権を持ち込んだ。かくて戦時大同盟は雲散霧消し、ドイツは東西冷戦の主戦場となってゆく。その過程を少し辿ってみることは、1940年代後半のわが国の問題を考えるうえで大いに参考になる。 ソ連が占領した東独ではモスクワの命令で、一九四九年秋になると軍隊類似の「待機警察」が設置されていたことが判明する。これが誘い水となり、西独でも軍備是非論が台頭する。1950年6月の朝鮮戦争の勃発よりかなり早い。当時の日本の新聞を繰ってみると、ヨーロッパでの、なかんずくドイツをめぐる冷戦機運については熱心に報道していたことが分かる。 同じ敗戦国たる日本とドイツを比較して気付くのは、欧州ないしドイツでの冷戦は東西両体制間に見られた現象であったのに対し、日本でのそれはいわば国内で戦われたという事実である。日本のこの国内冷戦を戦ったのは第一義的には国会に議席をもつ左右の政治勢力であった。なかで保守陣営では戦時中の因縁もはたらいていくつかの勢力の離合集散が絶えなかったが、左翼陣営の事情はさほど複雑ではなかった。要するに社会党と共産党の二系列があるということで説明がついた。 では報道界ではどうだったか。政党新聞は別として一般の新聞が自紙の党派性を否定するのは当り前のことである。一般読者を対象とするからだ。『朝日新聞』も例外ではなかった。1952年制定で今日なお生きている「綱領」は全体で四項から成っているが、その第一項はこうである。「一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す」。問題は、この綱領が制定された時期である。それは敗戦から7年目、まさに朝鮮戦争がきっかけとなってワシントンでは、軍事的に丸裸の日本を再軍備させるべきではないかとの議論が強まりつつある季節のことだった。『朝日』をはじめ新聞の多くが神経質そうに米国内の日本再軍備必要論をあれこれ報道していた。 それより先、1950年6月下旬には大統領により対日講和問題担当特使に任令されていたジョン・フォスター・ダレスが訪日、マッカーサー元帥との意見調整を始めていた。 まさにその機を捕えて「ダレス顧問に訴える」と題する社説が『朝日』に掲載された(6月25日付)。同紙はいう。 敗戦日本は完全に非武装化された。その日本の安全保障の方式としては国連に委ねる道もあれば、国連に代る「連合諸国」による保障など、いくつか考えられる。そのすべてが検討されるべきであるが、その結果としての選択を知りたい。それが示される場合、「日本が戦後決意しかつ連合諸国が希望して来たこの完全非武装の国は、はじめてその生き得る道を見出すことができる。それとは反対に、非武装地帯が、例えばある一国との盟約による武装によって守られるならば、事態は全く別の方向に走り出すであろう。我々はその意味で、この『完全非武装国の国際規約』の設定こそ、日本問題の解決のカギであることを唱道してきた」。『朝日』の願望表明はなお続く。「我々は、米国のもつ国際正義と高き理想主義が、何よりもまずこれをもって対日講和の第一原理として、連合諸国に呼びかけることを真剣に希望したい。我々は、それがまた、当面の東西緊張に緩和をもたらす一契機となることを疑わないのである」。 要するに『朝日』は、日本に引き続き非武装国家の道を歩み続けさせてほしいと訴えたのである。ひいてはそれが東西冷戦を緩和する一助になるのだから、との論理だった。各界からのダレス特使に向けられた要望は多種多彩であった。新聞各紙もさまざまな期待や注文を表明していた。しかし、「非武装国家の道を引続き歩ませてほしい」と要望したのは『朝日』一紙であった。 この社説は、「中立」を選ばせてほしいとは述べていなかった。もし「非武装」に加えて「中立」願望までもが表明されていたならば、それは当時の日本社会党内の左派勢力の声そのものだったはずである。その後の歩みを眺めるならば、社会党左派的な「非武装中立」論がいかに現実感覚を欠いていたかは明白だった。が、『朝日』もそれに劣らず非現実的な希望的観測に身を委ねていた。事実の規範性事実の規範性 1950年7月8日、マッカーサー元帥は吉田首相に書簡を送った。いわゆる警察予備隊の設置を命じるものである。『朝日』は即刻号外を出した。全文は以下のとおり。 国警七萬五千増員/マ元帥 吉田首相へ書簡 マックアーサー元帥は八日朝、吉田首相に書簡を送り国内警察力および海上警備力の充実を指令し、日本に国家警察予備隊約七万五千を設けることを許可した。なお現在の日本の警官総数は十二万五千名で、そのうち国家警察官は三万名である。 念のために言うと、この号外は縮刷版には収録されていない。正規の紙面ではなく号外だからである。私は通常、縮刷版を活用するが、念のためにデータベースを検索していてこの号外を発見した。驚いた。そこには「…を許可した」とあるが、本当の意味合いは「…を命じた」にほかならない。それにしても警察予備隊設置命令が号外扱いで報じられた事実は、それが如何に大ニュースであったかを雄弁に物語っている。 蜂の巣をつついたような騒ぎがはじまった。喧騒をきわめた新聞報道を紹介するかわりに、その後の経過をここでは昭和三六年に防衛庁から刊行された大部の「自衛隊十年史」に語らせよう。その冒頭「第一節 警察予備隊の創設準備」は、こう始まっている。総司令部を出るマッカーサー=1950年10月「二五年七月八日マ元帥の書簡を受領した政府は、この機会をとらえて早急にその実現を図ることとし、(中略)新しく設置される警察予備隊の性格が明らかでないこと、ことに従来の警察との関係についての疑問点を中心に、政府の意見を具して総司令部側と数回にわたって協議を重ね、その意向を十分に確かめた」(傍点引用者)。 傍点個所は意味深長である。不意討ちをくらった世間では号外騒ぎがもち上がっていたが、政府は待ってましたとばかり、「この機会をとらえ」たのだった。突発した朝鮮戦争で在日米軍が韓国へ派遣されたため、日本政府は治安の悪化を懸念し、警察力の増員を求めてGHQに打診していた。ところがマッカーサー元帥が命じてきたのは普通の警察力増強ではなかった。しかもその数たるや7万5000! 政府は度重ねて総司令部と協議、その結果、警察予備隊は従来の警察とは異なり、全組織が総理大臣直属の警官隊であること、またその使命は必要に応じ随時随所に出動し、治安確保のため重点的に運用されるものであることなどを確認した。自分たちが望んだものとはあまりにも違う。政府は喜んでいいのか、悲しんでいいのか。 これが、警察予備隊誕生にまつわる秘話である。ほどなく隊員募集が始まる。全国津々浦々に隊員募集のポスターが張り出される。そこには「平和日本はあなたを求めている」とのキャッチフレーズの下に鳩が羽ばたいていた。応募者採用試験は8月17日に全国一斉に行われたが、「募集期間がきわめて短期間であったにもかかわらず、予想以上の志願者が殺到した。すなわち、第一日においてすでに採用者の半数に近い応募者があり、締切当日には七万五〇〇〇人に対し約五倍にのぼる三八万二〇〇三名の応募者があった」(先掲「自衛隊十年史」)。『朝日』とてこの好評に目をつむることはできない。募集開始の2日後、「予備隊員の選考に慎重なれ」との社説が掲げられた。その出だしの一文はこうである。「警察予備隊の応募状況はすこぶる好評で、すでに二十万を突破し、全国各管区では第一次採用試験が始まっている」。なのに慎重な選考が必要だとはどういうわけか。ここで憲法九条が登場してくる。いわく、「終戦後、陸海空全軍隊が解体され、新憲法第九條に『陸海空その他の戦力は、これを保持しない』と宣言している建前からいって、日本が今日陸海空の軍備を保有しえないことはいうまでもない。」 募集を始めてはみたものの、志願者は少ないだろうと『朝日』は読みたかったらしい。ところが、結果は逆だった。事実の規範性が教えるところ、日本社会は警察予備隊員募集を歓迎したのである。それでも同紙はまだ半信半疑だったとみえる。右の社説掲載からほどなく、9月20日の紙面には「講和條約をどう思う?」と題して世論調査結果が発表された。そこに表われた国民の反応を『朝日』は信じたくなかっただろう。「日本も講和条約ができて独立国になったのだから、自分の力で自分の国を守るために、軍隊を作らねばならぬ」という意見があります。――そう前置をして、回答を求めた。結果はこうであった。 賛成    71% 反対    16% わからない 13% また、「もし軍隊をつくるとしたらあなたは志願兵制度と徴兵制度のどちらがよいと思われますか?」との設問もあった。志願兵制をよしとする声は五五%、徴兵制がよいとの答は二四%だった。ここでも軍配がどちらに上げられていたかは明白である。国民の大半が警察予備隊の発足を是認し、それが志願兵制であるべきだと考えていることは、疑いの余地がなかった。朝鮮戦争勃発後の日本国民の不安心理を『朝日』は完全に読み誤まっていたのである。これが最初のボタンのかけ違えだった。そのため、後年に高い授業料を払わされることになる。 しかし、ことあるごと読者にお説教したがるこの新聞は、他面で当時の全能者ともいうべきマッカーサー元帥に対しては信じ難いほど従順であった。同元帥は誇り高く、かつ野心的な将軍だった。やがてそれが仇となり、朝鮮戦争をどう進めるかでこの政治的軍人はトルーマン大統領と衝突する。それが原因で解任される。させ・まさもり 昭和9(1934)年、大連生まれ。東大大学院国際関係論専攻修士課程修了。ベルリン自由大学に留学後、東大教養学部助手、成蹊大助教授をへて防衛大学校教授。著書に『虚報はこうしてつくられた――核情報をめぐる虚と実』(力富書房)、『むしろ素人の方がよい――防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』(新潮選書)など多数。産経新聞社「国民の憲法」起草委員会委員。

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    「右傾エンタメ」の嘘

    愛国心をくすぐる作品を「右傾エンタメ」というレッテルを貼って、日本の右傾化の象徴として危険視する朝日。「永遠の0」のような感動作や、「艦隊これくしょん」のような美少女ゲームまであげつらう魂胆とは何なのか。右傾エンタメの「嘘」を暴く。

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    植村隆君、木村伊量君のようなやり方はいい加減やめなさい

    川村二郎(元朝日新聞編集委員) 朝日新聞社の社長、重役が代わり、新体制になった。新体制の評判はどうだろうと思っていると、親しい編集委員から、 「最近、社内ではやっているナゾかけがあるんですけど、ご存知ですか」と、メールがきた。 こういうナゾかけだそうである。 朝日の新体制とかけて、何と解く? ロシアの人形、マトリョーシカと解く。 そのココロは? 形が同じで、どんどん小粒になっていく。 作者は不明らしいが、 「作者に座ぶとん一枚」と、返信した。 別の編集委員からは、「会社の社長が代わって再建、再生するときは、新しい社長が自分の方針をまず明らかにして、それから社員に意見を求めるのがふつうです。ところが朝日新聞は、そうではない。社長が自分の考えははっきりさせないまま、社員に意見を求めようとする。社員としては、社長の考えがわからないまま意見を言えと言われても、困るわけですよ」 と、メールがきた。 こういうところがいかにも朝日新聞社的だと、私は思う。 自分の考えを言えば、その考え方が正しかったかどうか、結果はいずれ明らかになる。結果が出れば、責任を問われる恐れがある。朝日で偉くなる人は、責任を問われることを何よりもいやがる。責任を問われれば、出世に響くからだろう。自分の考えを言うことは、いわば“地雷原”に足を踏み入れることになる。君子、危うきに近寄らずとばかり、口をつぐむわけである。 その結果、編集の現場からカンカンガクガクの議論が消えて活気がなくなり、紙面が面白くなくなったことは、すでに本誌に繰り返し書いた通りである。朝日で出世したければ、沈黙こそが金なのである。 そういえば、渡辺雅隆新社長は就任直後の記者会見ではほとんどの質問に、 「(批判は)重く受け止めます」 と答えてすませたが、この答え方は判断を迫られた時の最も無難で重宝な、したがって見方によってはズルイ答えである。場合によっては、言論人としての資格を問われることである。メルケル来社に大喜び… 経済部の記者は、 「社長が中堅記者を10人ずつ2回に分けて集めて、話を聞く会をするそうです。どうせ、『私は社員諸君の意見を聞いていますよ』という、アリバイ作りのセレモニーのような気がしますけどね」と言ってきた。 彼が「アリバイ作りのセレモニーではないか」というのは、無理もないことだった。新体制がスタートした昨年十二月から、販売店に社長や重役が出向き、読者の声を聞く集まりをした。新聞の業界紙はその模様を報じていたが、それを読むと、わざとらしい写真がついていて、「読者の声には真摯に耳を傾けますよ」という、アリバイ作りといって悪ければ、“お芝居”という感じが強かった。中堅記者の声を聞くというのも、その延長線にあるのだろうと、カンのいい記者なら誰しも思うことだろう。 かと思うと、あるベテラン記者は、 「朝日新聞丸という船に乗っている私たち乗組員は、氷山に衝突寸前のタイタニック号に乗っているようでビクビクしているのですが、朝日丸の船長以下高級船員は、デッキでパーティーをやってます。現実を見るのは怖いので、現実は見ないようにしているのでしょう」と、メールをくれた。 これには解説が必要かもしれない。 デッキでパーティーとは、7年ぶりに訪日したドイツのメルケル首相が朝日新聞社を訪問したことを指すと思われる。高級船員たちは恐らく、 「メルケル首相はうちには来ても、読売にはゆかない。ドイツの首相は、日本を代表する新聞は朝日だと思っているんだよ」と自画自賛し、悦に入ったことだろう。ハシャグ姿が目に浮かぶようである。 実際、メルケル首相の朝日訪問を取材した週刊誌の知り合いの記者は、 「メルケル首相の案内役を務めた編集担当の西村陽一・取締役は得意満面、喜色満面でしたよ。西村さんは人前で笑顔を見せない人かと思っていましたけど、笑うこともあるんですね」と言っていた。読むに耐えない天声人語読むに耐えない天声人語 しかし西村・編集担当は、喜んでいる場合ではなかった。メルケル首相の来訪に合わせるように、2015年3月12日号の『週刊文春』で適菜収氏の「今週のバカ」という一ページの連載が、「受験生、読んではいけない『天声人語』」という見出しで、朝日新聞一番の看板コラムを批判した。最近の「天声人語」のどこがどうおかしいか、微に入り細をうがち、ユーモアというオブラートにくるんで笑いものにしたのである。 たとえば2015年2月22日の天声人語が高浜虚子の句〈春寒く子猫すりよる夕かな〉を引用して、 「飼うにせよ地域でかわいがるにせよ、責任が欠かせない。そんな一句と読み取りたい」と書いたことにふれ、「バカですか?」とからかった。 確かに2月22日の「天声人語」を読んだ読者の中には、高浜虚子の句のこの解釈にギョッとした人がいたはずである。私もその一人だった。 その翌日の「天声人語」が沖縄・辺野古の海に巨大なコンクリートブロックが投入されている記事を見て、『土佐日記』を書いた紀貫之が荒れる海に鏡を投げ入れた話を思い浮かべたと書いたことについては、 「完全にイカれていた」と書いた。 問題の「天声人語」は、私のように古典の素養のない人間が読んでも「コンクリートブロックと『土佐日記』の話はつながらないだろう」と思ったものだ。 「今週のバカ」は、 「(「天声人語」は)文章が下手とかイデオロギーに汚染されている以前の問題。偶然読んだ二日分がこれなので、バカな文章が日々垂れ流されているのだろう。朝日新聞は(「天声人語」を書き写すと=筆者注)『文章力・時事力が身につく!』と自画自賛していたけど、こんなの読んでいると、確実に大学に落ちるよ」と、“トドメ”を刺した。 このコラムを読んだ朝日新聞広告局の社員は、 「朝日の編集担当は、読んだんですかねえ。僕らでも『そうだ、そうだ』と思ったんですから、読者も『天声人語』を読まなくなるんじゃないですか。偉い人は『天声人語』を何とかしようとは、思わないんですかねえ」 と、メールで言ってきた。別の広告局の社員は、 「よその新聞のコラムの話なら、笑えるんですけど、朝日のことなので、とても笑う気になれません」と、やはりメールで言ってきた。 広告の社員は、「体制が変わっても『天声人語』が変わらなければ意味がない」と言いたいのだろう。 実は私自身、5、6年前に雑誌に「天声人語」に「ふと思う」という言い回しの多いことを指摘し、 「人間、そんなに都合よく『ふと思う』ことなど、あるものか」 と書いたことがある。「論旨も言葉遣いも粗雑で、読むに耐えない」と書いたこともある。中学や高校で講演を頼まれると「天声人語を書き写すことは余り勧めない」と話している。その手前、「天声人語」は毎日読み、「天声人語」批判には一通り目を通しているつもりだ。しかし、「今週のバカ」ほど辛辣で正鵠を射た批判は、読んだことがない。 『週刊文春』は現在、一番売れている週刊誌である。「今週のバカ」の影響は、無視できないだろう。それなのに、ドイツの首相が来社したといって自画自賛し、手放しでハシャイでいて良いのか? ベテラン記者が、 「デッキでパーティー」 と言った意味は、おそらくそういうことではないかと、私は理解している。メンツを保つための組織改変 このベテラン記者は、「調査報道」を売り物に生まれた「特別報道部」が人員削減したことを、 「自分から取材力のキバを抜いて、朝日新聞はいったい、何をするつもりなんでしょう」とも言ってきた。彼に言わせると、 「編集の幹部は社内で風当たりの強い『特別報道部』の看板を降ろしたかったようです。しかし看板を降ろすと『プロメテウスの罠』の功績まで否定することになりかねない。そこで看板は降ろさず、人員を減らすことにして、社内の批判をかわそうとしたようです。しかし、どう考えても実質的な解体ですよ」 ということになる。看板を降ろさなかったのは、メンツを保つためだというわけである。 その一方、不可解な人事が発表された。 東京本社の社会部長を務めたU君は何年か前、定年を待たずに朝日を退職し、大阪の朝日放送に転じた。そのU君が再び朝日新聞社に入社したのである。U君と年齢の近い記者は、 「他人の懐をのぞく趣味はありませんけど、U君は朝日を辞める時にそれなりの退職金を手にしたはずです。朝日放送を退社すれば、また退職金が入ったでしょう。朝日にもどって退職すれば、また退職金がもらえるんでしょうかねえ。そうだとすれば妙な話ですよね」 と言っていた。 U君が渡辺・新社長と同期の入社とあって、この人事には、社内で揣摩臆測が広がっているらしい。理由のはっきりしない人事は、社員の士気を下げるばかりである。 社員の士気と言えば、4月から出張の旅費規程が変わることが社内で話題になっているそうである。これまでは、たとえば1泊2日の出張なら、帰任日の2日目も1万円近い日当が支払われた。ところが4月からは、帰任日の日当をゼロにするというのである。帰任日はどんなに腹が空いても、食事は自腹ということになる。社員の士気が下がるのは、目に見えている。結局、池上コラム再開 ウソを謝らない木村前社長結局、池上コラム再開 ウソを謝らない木村前社長 年があらたまった1月下旬、ジャーナリスト池上彰氏のコラム『新聞ななめ読み』がほぼ半年ぶりに再開された。 池上氏は再開1回目に、朝日新聞の従軍慰安婦報道の誤りにふれ、 「朝日新聞は不良債権処理を先送りした銀行と同じで、誤りがわかった時点でさっさと訂正とお詫びをして、処理しておくべきだった。慰安婦問題を大きくした原因は、朝日の先送り体質にある」 と書いた。その通りである。 これを読んだ朝日の20代の記者からは、 「池上さんは去年、朝日に言論の自由を奪われたわけでしょう。ジャーナリストの名誉と誇りに賭けて、コラム再開を拒否してもらいたかったです」と、連絡があった。 その意気やよしと言いたいところだが、池上氏と朝日の間でどういう話し合いがあったかは、明らかではない。真相がわからない以上、口を挟むのは礼を失することになるだろう。 池上氏のコラム休載の問題で、私には気がかりなことが一つある。吉田調書についての会見を行う朝日新聞社の木村伊量社長(当時)=2014年9月11日、朝日新聞東京本社(早坂洋祐撮影)  昨年夏の朝日新聞社の記者会見で、当時の木村社長は、 「休載を命じたことはない」と言った。 私はそれを聞き、当時の杉浦信之・編集担当が社長の胸中を勝手に忖度し、休載にしたのだろうと思った。部下が上司の顔色をうかがい、「たぶん、上司はこうすることを望んでいるのだろう」と判断をする。後で判断が間違っていたとわかっても、上司は「部下のしたことです」と言って逃げることができる。詳述はしないが、私はそういう場面を何回か見てきた。朝日新聞では、さほど珍しいことではない。 ところが、第三者委員会の調査の結果、コラムの休載は、木村社長の決定であったことが明らかになった。木村社長は記者会見でウソをついたことになる。 木村前社長は、1日も早く会見を開くなりして、ウソをついたことを認め、謝罪すべきだろう。渡辺・新社長は、 「そうしないと木村さん、一生ウソつきのレッテルを付けられたままになりますよ」と、言うのが親切というものではないか。言論機関の社長が「ウソつきだった」というのでは、シャレにならない。末代までの恥だろう。 このことでもわかるように、朝日新聞が深刻な状態にあるのは、池上氏の指摘する「先送り体質」に加え、都合の悪いことには目をつぶり、具合の悪いことには取材に応じず、逃げ隠れする体質が原因の一つになっている。この体質と先送り体質は、ニワトリとタマゴのような関係にあり、どちらが先かは不明だが。 誤解のないように書いておくと、いついかなる時も逃げ隠れしない、まともな記者はいくらでもいる。OBになったが山田厚史君は、その一人である。彼は最近もアンチ朝日を売り物にするある月刊誌で、「朝日新聞は廃刊にすべし」と主張するジャーナリスト櫻井よしこさんと、正々堂々と渡り合った。 私は彼が新人記者のころから知っていて、編集委員になってからもつき合いがあった。決して卑怯な振る舞いはしない。顔にそう書いてある。 ところが困ったことに、敵を作ることを恐れず、誰に対しても言うべきことを言い、書いたものに対する反論、批判には自分で答えるこういう記者は、朝日では出世をしないことになっている。朝日新聞の一番の問題はそこにあるかもしれない。 昨年12月の、社長交代を決めた株主総会のことである。 株主総会では、歴代の社長が出席することが恒例になっていた。社長経験者にとっては、一種の晴れ舞台と考えられていたためかと思われるが、昨年末の総会には、1人も出席しなかった。社内事情に詳しい知人によると、 「従軍慰安婦問題は、歴代の社長で誰一人として無縁だった人はいない。総会に出ることは、針のムシロに座ることになる。総会で責任を追及されることはなくても、株主の冷たい視線にさらされるのは目に見えている。だから逃げたんでしょう」ということになる。社主「経営まかせて良いのか」 歴代社長の欠席が珍事なら、社主が質問に立ったことも珍事と言うより、はじめてのことだったらしい。ところが社主は社長に、 「経営をまかせて良いのか?」と質問し、軽く一蹴された。 社主は朝日新聞社のビルの建設を一手に受ける竹中工務店の竹中家の人たちと昵懇だそうで、朝日が大阪にタワーを建てることを決めると、 「大きな仕事をいただくのはありがたいが、タワーが朝日の経営を圧迫するのは目に見えている。考え直したほうがいいですよ」とアドバイスされたそうである。社主は、この話を親しい人にしている。 本気で朝日新聞の経営を心配するなら、株主総会でこの話を社長にぶつけるべきではなかったか。 ところが社主は、経営の核心を突く(と思われる)質問をしなかった。通り一遍の質問で言わばお茶を濁したのは、どういう考えからだったのか? 私には見当もつかないが、これも一種の逃げではないか? 私にはそう思われてならない。 新体制になって1カ月した2015年1月9日、朝日新聞の記者時代に「従軍慰安婦」に関する問題の記事を書いた植村隆君が、文芸春秋社と西岡力・東京基督教大学教授を名誉毀損で訴えたことには驚いた。 西岡教授が植村君の記事の間違いを指摘した文章と、文芸春秋社が『週刊文春』で報じた植村君についての記事によって名誉を傷つけられたというのが植村君の主張である。その結果、家族がいやがらせや脅迫を受け、危険を感じていることも訴えた。 私が驚いたのは、言論人なのに言論戦を挑まずいきなり裁判に訴えたことである。特に西岡教授に対して失礼ではないかと、私は考える。 西岡教授のお書きになった慰安婦報道の批判文は読んでいるつもりだが、私の見るところでは、植村君の記事は分が悪い。私のようなボンクラが読んでも、取材の甘さが目につく。事実かどうかは、裁判に訴える前に、言論で争うべきである。逃げ続けた植村君が今ごろ…逃げ続けた植村君が今ごろ… 尊敬するジャーナリストの先輩は、 「ジャーナリストのレゾンデートルは、批判に対して自分の筆で反論していくことです。言論人が法廷で正義を決めてもらうというのは、健全なジャーナリズムではない。もし言論に対する批判に対して訴えだしたら、訴訟が無限に起きるだろう」と、ある雑誌に語っていたが、まったくその通りである。 しかも植村君の場合、これまでも何回か、週刊誌の取材を受けた。言論で応える機会があったのである。しかし取材に応えず、週刊誌の記者に追われ、あたふたとタクシーに乗り込んで逃げる様子が、報じられている。見苦しいと言わざるをえない。そういうことをしておきながら裁判に訴えるのは、恥の上塗りと言うものではないか。 植村君が月刊誌『文藝春秋』に寄せた一文も読んだが、私には言い訳としか読めなかった。ジャーナリストの書いたものとはとうてい、思えなかった。あれだけのページを与えられるなら、なぜ西岡教授や櫻井よしこさんとの対談にしなかったのか?「週刊文春」の記事コピーを手に日本外国特派員協会の記者会見に臨む植村隆氏=1月9日午後、東京・有楽町の日本外国特派員協会 (川口良介撮影) もちろん、お嬢さんの写真がネットに載せられ、「売国奴の娘」などと書かれたり、いやがらせをされたり、脅迫されたりしていることには同情する。しかし、これは全て犯罪である。犯罪は警察にまかせるしかないではないか。 もう一つ不思議なのは、取材からは逃げ回っていた植村君がなぜ、一転して訴訟という手段に訴えることにしたのか?ということである。雑誌の記事によると、植村君には200人近い弁護士が“応援”に付いたようである。 悪意をもってみれば、頼もしい応援団が付いたことで植村君は風向きがアゲンストからフォローに変わったと判断し、態度を変えたのではないか?と思われる危険がある。実際、作文の教え子で記者になった若者の中には、 「もしかして植村さん、自分こそは言論の自由の旗手だと思っているんじゃないですかねえ」と言ってくる記者もいる。私は、 「そこまで言っては植村君がかわいそうだよ」と返事をしているが、こういう誤解を招くのは、植村君が言論戦を避けて、取材に対して逃げ隠れを続けたからである。記者は逃げたら終わり たびたび書いたことだが、新聞記者たる者は、書いたものに異論反論疑問が出た時は、決して逃げ隠れしないことである。 一度でもこれをすると、読者の信頼を失う。一度失った読者の信頼を書いたもので取り返すのは、至難の技である。 一度逃げ隠れしたジャーナリストは、一生、身を潜めて生きてゆくしかない。この屈辱に比べれば、過ちがわかった時はただちにお詫びと訂正をすることなど、何でもないことである。 植村君の書いたものについては、朝日新聞の第三者委員会は、 「縁戚関係者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたとはいえない。しかし(記事が)強制的に連行されたという印象を与え、安易かつ不用意な記載があった」と、指摘している。 法廷の外では、勝負はついているのではないか。 植村君の行動について、朝日の社内でどういう評価がされているのか、私にはわからない。私が望むことは、朝日の記者諸君には植村君を他山の石として、記事についての批判や反論異論には耳を塞がず、逃げ隠れせず、堂々と振る舞ってもらいたい、ということである。特に局長、役員をめざす諸君には、そうしてもらいたい。 ペンは剣よりも強しと言う。しかし、都合が悪くなると逃げ隠れするペンでは、竹光はおろか割り箸にも勝つことができないだろう。かわむら・じろう 昭和16(1941)年、東京・本郷生まれ。慶應義塾大学卒業。39年、朝日新聞入社。社会部記者、週刊朝日編集長、朝日新聞編集委員などを歴任。退社後も、文筆家として執筆活動を続ける。本誌の昨年7月号から朝日新聞の本格批判を始めた。NPO法人日本語検定委員会顧問。著書に『学はあってもバカはバカ』(かまくら春秋社)など。関連記事■  朝日はなぜ嫌われるのか 傲慢トップと社内文書■ 朝日に引導を渡すことができるのは購読者自身である■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説

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    もう一息で朝日の息の根を止められる

    朝日新聞は不動産事業で儲けているから、部数が減っても問題ないとよくいわれる。過去5年の財務諸表を徹底分析すると驚くべきことがわかった。年5%の部数減で、朝日は倒産の危機に陥るというのだ。去年のデータでは40万部減、すでに5%以上部数を減らしている。「朝日廃刊」はもう荒唐無稽の話ではない。

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    朝日に引導を渡すことができるのは購読者自身である

    も「言論機関」などというレベルのものではないことがわかる。 11月12日、吉田調書誤報事件に関して、朝日新聞の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)が提言を出した。題して、〈「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解〉 全21ページにわたるこの報告書を熟読して慄然としない人がいるだろうか。 もし、以下のような新聞社が現に存在するとしたら、誰がその新聞を購読するだろうか。 仮に、ある新聞社が、日本中が驚くようなスクープの「文書」を手に入れたとしよう。 その文書を手に入れた記者が、上司に文書を読ませもせず、また、上司の側もそれで「よし」とし、そして、記者がその文書に関係する当事者たちをたった「一人」も取材しないまま、さらには、出稿された段階で記事の見出しや中身に他部から異議が出されても、一切それが無視され、その上で「記事掲載」がなされたとしたら、どうだろうか。 また、その記事に外部から「これは誤報である」との指摘があっても、広報部門が、肝心の文書を目にしない内に、記者が言うまま「法的措置を検討する」という恫喝の文書を、その外部の指摘した人物に送りつけたとしたら、どうだろうか。 仮に、そんなメチャクチャな新聞社が日本に存在していると言ったら、誰しも「まさか」と思うに違いない。 しかし、これは嘘でも何でもない。現実の話である。 朝日新聞の「吉田調書(聴取結果書)」誤報事件を検証する第三者機関「報道と人権委員会」の委員たちが、朝日新聞内部の「26人」から聴取をおこない、「37人」から報告書の提出を受けて、正式に記述された〈「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解〉の中に、その呆れるような内実がしっかり記述されているのである。 冒頭のように、それは、もはや「言論機関」などというものではなく、「無法地帯」と呼んだ方が相応しいだろう。 慰安婦のありもしない「強制連行」報道によって、日本人を「性奴隷(sex slaves)」を弄んだ民族に仕立て上げた朝日新聞の過去の報道のことを合わせて考えると、心ある日本人には、溜息しか出てこないのではないだろうか。上司は「誰」も読んでいなかった このPRCの報告書を読んで、最も驚いたのは、なんと言っても、吉田調書報道に際して、その肝心の吉田調書を読んだ上司が「いなかった」ことではないだろうか。報告書には、こう記述されている。〈取材過程から記事掲載までにおいては、秘密保護を優先するあまり、吉田調書を読み込んだのが直前まで2人の取材記者にとどまっており、編集部門内でもその内容は共有されず、記事組み込み日当日の紙面最終責任者すら関連部分を読んでいなかったという問題点、組み込み日前日から当日にかけて、記事を出稿した特別報道部内や東京本社の他部、東京本社内の見出しを付ける編集センター、校閲センター、大阪本社から、見出しや前文等に対し疑問がいくつも出されていたのに、修正されなかったという問題点、紙面全般の最終責任を負うゼネラルエディター(以下「GE」)、担当部長が取材チームを過度に信頼し各自の役割を的確に遂行しなかったという問題点などが存在する〉 これが、あの5月20日の同紙紙面で、1・2面をぶち抜き、さらにインターネットの朝日デジタルに特設ページまでつくって大々的に報じた「吉田調書」記事の内実なのである。〈所長命令に違反 原発撤退〉〈福島第一 所員の9割〉 そんな大見出しを掲げた記事は衝撃的だった。これまでマスコミ等で報じられてきたことを完全にひっくり返すこの内容は、事実なら、まさに大スクープだった。 朝日の記事によれば格納容器爆発の危機が迫る中、2011年3月15日の朝、福島第一原発(1F)に残ったフクシマ・フィフティ(実際には「69人」)たちも、「所長命令に違反して所員の9割が逃げ出した結果、残された」だけの存在となってしまったのである。 スクープには、さまざまな種類がある。大きく分ければ、これまで全く世に知られていない事実を初めて記事としてすっぱ抜く場合と、これまで知られている事実を否定し、真実はこうだ、とひっくり返す場合の2種類である。 前者は、そこで報じられる事実そのものがスクープであり、後者は、今までなされていた事実を否定して初めて成り立つものであり、より「説得力」が求められる。 それだけに、記事の中身の吟味は幾重にもおこなわなければならないのは当然だ。 しかし、朝日新聞では、その肝心の吉田調書が2人の記者によって隠され、「上司が読むこともできないまま」記事が“GO”されていたのである。 そして、記事を出稿した段階で、他部から「これは大丈夫か」と、いくつも疑問点が出されたにもかかわらず、すべて無視されて「掲載」に至っていたのだ。 私は、自分に身を置き換えて考えてみた。そして背筋が寒くなった。 もし、私が部長、あるいは編集局長、つまり記者2人の上司だったら、吉田調書を読まないまま、記事をGOすることなど、とてもできなかっただろう。水素爆発から1日たった3号機原子炉建屋(東京電力提供) この記事は、前述のように、今まで報道されてきた事実を否定して初めて成り立つものであり、より「説得力」が求められる。それを肝心の文書を上司である自分が読むこともせずに「掲載」されることなど、想像するだけで恐ろしい。 これまでの事実を完全にひっくり返すものであれば、当然、外部からの検証や非難も大きいだろう。 それを記事の責任を負うべき立場にある「私」が中身を吟味しないまま、「出してよし」とできるわけがないからだ。無視された「現場」の状況 しかし、それが罷り通るのが朝日新聞である。 驚くべきは、そこで現場の所員を一人も取材していないことだ。 朝日新聞が問題とした2011年3月15日朝は、日本が有史以来、最大の危機を迎えた「時」だった。1Fの免震重要棟には、700名ほどの所員や協力企業の人たちがいた。その中には総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”が数多く、女性所員も少なくなかった。 彼らがそこにいたのは、1Fの中で、免震重要棟が「最も安全だったから」である。 免震重要棟は新潟中越沖地震(2007年7月)の教訓から、免震構造と放射能をシャットアウトできるフィルター構造を持つ建物として前年7月にできたばかりだ。 この建物の2階に所長をトップとする1F内の緊急時対策室(緊対室)が設けられ、所員や協力企業の面々がこの建物に避難するのは、マニュアルにも決められていた。 大津波によって全電源喪失状態に陥って5日目。事態は刻々と悪化し、放射線量が増加して、外気の汚染が広がっていったため、彼ら非戦闘員は「外部への脱出」の機会を失っていた。 吉田所長は、事故対応ではない女性所員を含む非戦闘員たちを一刻も早く1Fから退避させたかったが、広がる汚染の中で、それが叶わないまま時間が経過していた。 3月12日には1号機が水素爆発し、14日にも3号機が爆発。その間も、人々を弄ぶかのように各原子炉の水位計や圧力計が異常な数値を示したり、また放射線量も、上がったり下がったりを繰り返した。 そんな絶望的な状況の中、吉田所長の指揮の下、現場の不眠不休の闘いが継続され、プラントエンジニアたちは汚染された原子炉建屋に突入を繰り返し、またほかの所員たちは瓦礫を撤去し、さらには、原子炉への海水注入作業に挑んだ。 それでも、2号機の状態が悪化し、格納容器の圧力が限界まで上昇し、いつ爆発してもおかしくない状況で3月15日朝を迎えたわけである。 この日の朝6時過ぎ、ついに大きな衝撃音と共に2号機の圧力抑制室(通称・サプチャン)の圧力がゼロになった。「サプチャンに穴が空いたのか」 多くのプラントエンジニアはそう思った。 仮にそうなら、放射性物質大量放出の危機である。いくら免震重要棟が1F構内で最も安全といっても、できるだけ遠くに退避させる必要があった。「各班は、最少人数を残して退避!」 この時、恐れていた事態が現実になったと思った吉田所長はそう叫び、彼らを2Fに退避させたのである。 たとえ外の大気が「汚染」されていたとしても、ついに免震重要棟からも「事故対応」の人員以外を脱出させなければならない時が来たのである。無法地帯と化した編集内部無法地帯と化した編集内部 この時、吉田所長が「1F構内の線量の低いところで待機」するように命じ、その待機命令に違反して「9割の所員が2Fに撤退した」と、朝日新聞は書いた。 しかし、朝日のその記事を読んでも、吉田調書の中に、「部下に1F構内での待機を命じた」というくだりが出てこない。 それはそうだろう。1F構内で最も安全な免震重要棟を出て、いったいどこで「待機」をすればいいのだろうか。あとで判明するが、この日、福島原発事故で最大となる18京ベクレルもの放射性物質が放出されている。 朝日が書くことが本当なら、防護マスクが圧倒的に不足する中、所員は何も放射性物質を防ぐ手立てがない、素のままでの「1F構内の待機」を命じられていたことになる。私は、朝日新聞の記事を読んだ時、即座に、「これは、あり得ない」 と思った。同時に、朝日は、現場の所員、すなわち当事者たちに取材をしていないのではないか、とも思った。現場の証言をひとつでもとれば、自分たちが書こうとしていることが「ガセである」ことはたちどころにわかるからだ。 私は、この記事は、現場取材を「していない」のか、あるいは「意図的にしなかった」のか、どちらかでできたものだと思った。 言うまでもないが、現場を一人でも取材していたなら、これほど事実と真逆なことが書かれるはずがない。朝日が書く「命令違反の撤退」をしたとされる人間は、およそ650人もいる。たった1人か2人しか取材対象の人間がいなくても、ジャーナリズムの世界では、真実を知るためにできるだけその対象者に肉薄しようとする。 それが今回の場合は、取材対象が「650人」もいるのである。さまざまなルートを辿れば、当然、いきつくことができる取材対象の数だ。しかし、朝日新聞の記事からは、どこからも現場の息づかいが聞こえてこない。すなわち現場取材の形跡が感じられないのだ。 そして、今回明らかにされたPRCの報告書には、予想通り、朝日新聞が「一人の現場取材もしていなかった」ことが記述されていた。 興味深いのは、記事掲載後に、原発取材経験のある部員から指摘があって、遅ればせながら現場所員の取材に初めて走ったことが、こう書かれていた。〈担当次長は記事掲載翌日の21日、原発取材経験のある部員からの指摘を受けて、現場にいた所員に取材する必要があると考え、取材記者たちに指示した。 しかし、朝日新聞の報道に対する反発もみられ、取材の協力は得られなかった。結局、命令を聞いたという人物の取材はできなかった〉 本当に恐ろしいと思う。 担当次長が記事掲載翌日に、原発取材経験のある部員からの〈指摘を受けて〉、現場にいた所員に対して〈取材する必要がある〉と考え、取材記者たちに〈指示〉をしたのだそうである。 それは、「現場取材」と「二重三重の確認取材」というジャーナリストの根本を忘れた朝日新聞の姿が、そのまま描写されていた。それは、まさに「言論機関」ではなく、「無法地帯」というべきだろう。朝日新聞の目的は何か では、朝日新聞は何を目的として、こんな報道をおこなうのだろうか。 それは、この報道によってもたらされた外国メディアの記事を見れば、明確になる。福島第1原発3号機の原子炉建屋の拡大画像。骨組みがむき出しになり、水蒸気とみられる白煙が上がっている。米国製の小型無人ヘリコプター「T―ホーク」で撮影された=2011年4月10日(東京電力提供) それまで、命をかけて現場に残った人々を“フクシマ・フィフティ”として讃えていた外国メディアは、朝日新聞の当該の報道を受けて、姿勢を一変させた。 ニューヨーク・タイムズが、〈2011年、命令にも関わらず、パニックに陥った作業員たちは福島原発から逃げ去っていた〉 と報じれば、イギリスのBBCも、〈福島原発の作業員は命令を拒否し、事故後に原発から逃げ去った〉 と、朝日新聞の記事内容を速報した。 多くの外国メディアがこれに追随したほか、韓国の新聞は、〈日本版セウォル号…福島事故時に職員ら命令無視して原発から脱出〉(韓国・国民日報)〈福島原発事故は“日本版 セウォル号”だった! “職員90%が無断脱出…初期対応できず”〉(韓国・エコノミックレビュー) といった記事が溢れることになる。「日本人は、実は福島第一原発から逃げ出していた」 そのことが世界中を駆けめぐったのである。 韓国のフェリー「セウォル号」の船長が乗客を見捨てて真っ先に逃げ出していたことに驚愕した世界のメディアが、今度はあの福島第一原発事故の時、日本人も「逃げ出していた」ということに驚いたわけである。 私は、朝日新聞は何を目的に報道しているのか――ということを考えずに、この誤報事件を見ても、本質はわからないだろう、と思う。 慰安婦の強制連行報道を見てもわかるように、朝日新聞は、「日本と日本人を貶める」ためなら、たとえ事実と違っていても「構わない」のではないだろうか。 これまで何度も書いてきたことだが、朝日は、「済州島で慰安婦狩りをした」という自称・山口県労務報国会下関支部元動員部長の吉田清治氏の証言を皮切りに、日本軍が「八万とも二十万」ともいわれる「朝鮮人女性」を「女子挺身隊」の名で戦場に「連行」して、「慰安婦にした」というキャンペーンを繰り広げた。その報道は、ついに国際社会を動かし、今では“性奴隷(sex slaves)を弄んだ日本人”として、世界のあちこちに慰安婦像が建ち、国連の人権委員会からも賠償・謝罪の勧告を受けるまでになった。 あの貧困の時代、兵士の30倍もの収入を保証されて、春を鬻ぐ商売についた女性たちは、日本にも朝鮮にも、数多くいた。もちろん喜んでなったわけではなく、さまざまな事情があった薄幸な女性たちである。 彼女たちへの同情は、多くの日本人に共通するものだと、私は思う。だが、朝日は、彼女たちを実態とは全く異なる「日本軍に強制連行された存在」として、手を代え、品を代えて報じつづけた。そして、ついに韓国世論を動かし、今では両国の関係は完全に破壊されている。 慰安婦の「強制連行」とは、拉致・監禁・強姦の意味である。嫌がる婦女子を連行すれば「拉致」であり、慰安所に閉じ込めれば「監禁」であり、意に沿わない性交渉を強いれば「強姦」だからだ。日本を糾弾したい彼の国の応援を受けて、朝日は、「事実を捻じ曲げて、日本を貶めること」に見事に成功した。 しかし、真実が徐々に明らかになり、「強制連行」をこれ以上、主張できなくなった時、朝日は突然、これを引っ込め、「広義の強制性があった」と言い始めた。「えっ、強制連行はどうなったの?」「“広義の強制性”ってなに?」 と、多くの日本人は、開いた口が塞がらなかった。 事実を捻じ曲げてでも日本を糾弾する“反日メディア”である朝日新聞は、自らの主張に沿った記事には、チェックなど、そもそも存在しないのではないだろうか。 今回の吉田調書“スクープ”も、日本人を貶め、さらには原発の再稼働反対、すなわち「反原発」という主張を貫くためにプラスになる記事であり、そのためなら、たとえ「上司が読まなくても、また裏取りの現場取材をしなくても」記事はGOになるのである。まったく反省していない朝日 これだけの批判を世間から浴びたら、少しは反省するのが常識的な感覚だ。では、朝日新聞の社員は、反省しているのだろうか。 答えは「ノー」である。 朝日新聞の慰安婦「強制連行」報道によって日本人が受けた被害は、金額に換算したら、天文学的金額に及ぶだろう。 しかし、朝日新聞の現場の記者たちの声を拾ってみると、これがまったく「反省していない」ことがわかる。 朝日新聞の得意技に“レッテル貼り”があることを、私はこれまで何度も指摘してきた。相手にレッテルを貼った上で、自分を“善なる立場”に置き、さまざまな指摘や忠告そのものを“封殺”してしまうのである。 この慰安婦報道から「吉田調書」誤報事件へとつづく一連の騒動の中で、朝日の現場では、以下のような内容の話が交わされていることを私は聞いた。 それは、朝日新聞を叩いているのは、「右翼」であり、「偏狭なナショナリズム」であり、自分たちはあくまで「平和」を愛する「リベラリスト」だ。最近、“産経史観”に負けているものの、「時が経てば、また盛り返すことができる」というものだ。 朝日社内にいる友人の一人から、私はそんな興味深い話を聞いた。 一連の朝日批判は、社内では「産経史観」という言葉を用いて語られており、彼らによれば、「今はたまたま劣勢に陥っている」だけなのだそうだ。 私は、自分たちの主義主張のためには事実を曲げてもいい、という“朝日的体質”は、今後もなくならないだろうと思う。 それは、朝日新聞とは、 “ファクト”をもとにしたメディアではなく、あくまで、自らの“主義主張”を訴えるための、いわば政治的プロパガンダ紙だからだ。 十二月には、慰安婦報道に対する第三者委員会の提言も出る。それを待たず、吉田調書報道へのPRCの提言が出た翌日に、木村伊量氏は社長を辞任した。 朝日新聞の後継社長は、社会部出身の渡辺雅隆氏であり、木村氏自身も「特別顧問」という立場で残るという。 社会部と言えば、朝日新聞の中でも、過激な“朝日原理主義”を最も貫く部署として知られる。その社会部の出身者がトップをとり、しかも、木村氏が特別顧問として、隠然たる力を残すのだから、朝日新聞は今後も、「何も変わらない」と私は思う。 この新聞に引導を渡すことができるのは、購読者自身である。日本国民の「見識」こそが、今、問われている。関連記事■ 「信頼される新聞」と朝日新聞の社説■ 2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する■ 「3度目の危機」で朝日新聞は消え去るのか

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    そうだったのか! 朝日新聞 財務諸表徹底分析

    上念司(経済評論家)朝日は不動産屋!? 朝日新聞に対する批判が止まらない。「従軍慰安婦」「吉田調書」と、立て続けに朝日新聞の捏造報道の実態が明らかになった。長年、朝日新聞を購読していた人が失望している。朝日新聞が反省して出直すことはあり得ない。朝日の反省は廃刊である。それは、日本を貶め続けたエセ報道機関が当然、受けるべき報いだ。  一連の捏造報道に失望した人は朝日新聞を解約するだろう。解約数が増えれば、いつか朝日新聞は廃刊せざるを得なくなる。しかし、それが実際にいつになるかは分からない。たしかに解約数が増えているという報道はあるが、年間売上高4700億円、総資産5760億円の巨大企業、朝日新聞グループにどれほどのインパクトを与えたのかは不明だ。  さらに、この巨大企業は「すでに新聞出版事業ではなく、不動産賃貸事業が収益の主軸になっている」という。仮に購読者数がゼロになったとしても、賃貸事業の利益を新聞発行につぎ込んで新聞発行を続けることができる。これは本当だろうか?   朝日新聞が過去にないほど追い詰められているとはいえ、それはあくまで言論空間における「空気」のレベルの話だ。その空気が経営にダメージを与え、物理的に新聞発行そのものができなくなる状態に近づけていかなければ、真の勝利とは言えない。台湾航空戦の戦果を過大評価したために、沖縄の悲劇を招いたことを忘れてはいけない。  朝日新聞への攻撃が経営上、どの程度のダメージを与えているか、より正確に把握することは、朝日新聞を廃刊に追い込むためにぜひとも必要なことだ。  本稿では、過去10期分の有価証券報告書をベースに、朝日新聞のビジネスモデルについてより正確に把握し、今後の「掃討戦」に向けた作戦の方向性について検討する。驚きの「稼ぐ力」  まずは、「朝日新聞はすでに不動産屋になっている」という巷の噂が本当かどうか検証してみよう。有価証券報告書によれば、朝日新聞グループにおける事業の主要なセグメントは「新聞出版」「賃貸」「その他」の三つとなっている。各セグメントの売上と利益の金額は図表1のとおりである。<図表1>  2014年3月決算を金額ベースで見ると、賃貸事業の売上は本業の20分の1弱しかないにもかかわらず、利益では本業の約四割も稼いでいる。利益率は本業が1・5%であるのに対して、賃貸事業はほぼその10倍の14・6%となっている。  さらに驚きなのは、一人当たりの「稼ぐ力」だ。本業は正社員、臨時社員合計で7373人もの職員がいるが、賃貸事業は正社員127人、臨時社員1人しかいない。社員一人あたりの利益金額は本業が89万2988円、賃貸事業は2114万625円である。実に23・6倍もの大差がついている。賃貸事業がきわめて効率よく金を稼いでいることから、たしかに朝日新聞グループにとってこれはオイシイ商売であることは間違いないようだ。  とはいえ、不動産事業の売上は先述のとおり、グループ全体の20分の1でしかない。この程度の売上では、新聞を作るために必要な7373人もの社員を全員養うことは難しい。たしかに賃貸事業は利益率も高く、有望な事業ではあるが、現時点では本業に比べてまだまだその規模は桁違いに小さいといわざるを得ない。朝日新聞は毎年、部数を“順調に”減らしていて、新聞事業はかつてほど調子が良くないようだが、だからといってまだ完全に不動産賃貸専業になったわけではないのだ。  賃貸事業が好調であるという点では、巷の噂はウソではない。しかし、賃貸事業さえやっていれば新聞を止めても大丈夫というのはさすがに言い過ぎのようだ。派遣切りとブラック新聞派遣切りとブラック新聞  では、次に朝日新聞グループ全体の経営状態を把握するために、業績の推移を見てみよう。最も代表的な指標として、売上高と経常利益を2005年3月期と比較してみた(図表2参照)。<図表2>  新聞事業単体で見た場合、売上高は23%減少し、経常利益は6割減った。グループ全体で見ると、売り上げは同じく23%減少し、経常利益はほぼ半減している。グループ全体には当然、不動産業も含んでいるので、朝日新聞の事業はグループ全体で長期低落傾向にあることは間違いないようだ。この点について、過去10期分の売上と経常利益の変化率をグラフ化して確かめておこう(グラフ1参照)。<グラフ1>  このグラフは、2005年3月決算の数値を100とした場合のその後の変化を表したものだ。明らかにグラフは右肩下がりである。また、2009年から2010年にかけて経常利益は単体、連結ともに大きく減少し、一時的に赤字経営に陥ったことを示している。  しかし、経常利益は2011年に突如としてV字回復した。ただし、回復したとはいえ、10年前の水準からは半減している。売上が減少を続けるなか、おそらく大規模な経費削減によって無理やり利益を積み増したことがうかがえる。  そこで、有価証券報告書で従業員数の推移を確認してみた。案の定、この10年の間にグループ全体で正社員約3000人、臨時社員約1600人が減少している。正社員だけでみると、全社員の20%が削減されたことになる。  やはり、奇跡のV字回復は大規模人員削減(リストラ)によって実現しただけかもしれない。そこで、この点を明らかにするために従業員数推移を変化率にしてグラフ化してみた(グラフ2参照)。 <グラフ2> グラフ化すると一目瞭然だ。まずは、グループ全体(連結)の正社員数と臨時社員数の減少の推移を比較してほしい。臨時社員が急激に減少したのに対して、正社員の減少のスピードは緩やかである。おそらく、朝日新聞が正社員のリストラよりも臨時社員のリストラを積極的に進めたのだろう。これは世間一般では「派遣切り」や「アルバイトの雇い止め」などと呼ばれるもので、朝日新聞がよく糾弾しているブラック企業のやり方だ。  正社員の減り方が緩やかなのは、退職した社員の補充を行わずに自然減を狙ったのであろう。残された社員の負担は増える一方だったことは間違いない。まさか、ブラック企業批判を展開している朝日新聞に限って、残された社員のサービス残業で業務を支えていたわけではあるまい。仮にそうだとしたら、朝日新聞は自らがブラック企業であることを棚に上げて、巷の企業を「ブラックだ!」と批判していることになる。その時は、まさにブーメラン、「ブラック新聞」との誹りは免れないだろう。  さらに、2011年から2012年にかけての本業(単体)における臨時社員の急増に注目してほしい。人数で見ると、292人から670人にほぼ倍増している。リストラが激しすぎて、正社員が音を上げてしまったのだろうか? 現場の不満を鎮静化させるために増員を図ったが、正社員だとせっかくのリストラ効果がなくなってしまうので、アルバイトでその不足を補ったことが推察される。または、定年退職した社員を再雇用する際、以前のように正社員待遇の嘱託として再雇用するのではなく、アルバイト扱いとして再雇用し、給料を大幅にカットしたのかもしれない。  いずれにしても、このような大胆なリストラ策により、2011年の奇跡のV字回復は演出された。ただし、これは売上が逓減するなかでのコストカットによる延命策であって、新聞事業そのものが復活したわけではない。本業が長期低落傾向であることは紛れもない事実である。朝日の「体力」朝日の「体力」  しかし、長期低落傾向であったとしても、もともと売り上げ規模の大きい朝日新聞は毎年、巨額のキャッシュを稼いでいる。大変残念なことに、キャッシュ・フローから見ると、朝日新聞の財務状態は未だに極めて「健全」である。  この点を裏付けるために、キャッシュ・フロー計算書から朝日新聞の経営状態について考察するが、その前に一点、確認しておかなければならないことがある。それは、帳簿上の利益と実際の現金の出入り(キャッシュ・フロー)の差異についてだ。  これはどの企業でも起こりうることなのだが、実際の現金の支払いと帳簿上の処理の間には避けることができない「タイムラグ」がある。それが特に顕著に表れるのが、減価償却資産と減価償却費の問題だ。朝日新聞のように印刷所や物流設備に巨額の設備投資をしている企業の場合、この点を考慮しないととんでもない見当違いをする可能性があるので注意が必要だ。  たとえば、印刷所などに巨額の設備投資を行った場合、その年は工事代金の支払いなどで巨額の資金が流出する。しかし、同じ年の会計年度において、その巨額の資金流出はすべて損金として計上されるわけではない。なぜなら、複式簿記の原則により、設備投資を行った時点においては「現金、預金」が「機械装置及び運搬具」などに置き換わっただけだからである。印刷所の耐用年数が仮に10年だとするなら、設備投資の金額は10年かけてゆっくりと費用化されて帳簿上に反映される。  仮に、10億円の設備投資を1億円ずつ10年かけて償却するという単純な事例を考えてみよう。設備を取得した年には帳簿上、図表3のように記帳される(単純化するために、設備は期末に完成したものとし、減価償却における残存価格はないものとする)。<図表3>  10億円の現金が出て行った代わりに、10億円の設備が入ってきたという考え方である。しかし、現金の流れ(キャッシュ・フロー)で見ると、この時にすでに10億円は工事代金として支払われており、手元からなくなっている。そして、翌年から減価償却が始まると、帳簿上は以下のような形で計上されることになる(図表4参照)。<図表4>  ここで計上されている減価償却費とは、あくまでも設備が1年間で損耗した費用であり、実際に現金が出て行ったわけではない。なぜなら、10億円の設備投資費用は取得した時点ですでに支払われているからである。そして、費用として計上されているが、実際には支払っていないキャッシュはそのまま預金として預け入れられるか、何らかの形で投資されていることになる。  実際に朝日新聞の貸借対照表を見てみると、「機械装置及び運搬具」は2005年3月期の1260億円から2014年3月期の669億円へとほぼ半減している。その差額である約500億円が、減価償却費として計上された計算だ。もちろん、これは帳簿上の費用であり、実際にはキャッシュは手元に残っている。  では、そのキャッシュは何に使われたのか? 有価証券報告書のなかにあるキャッシュ・フロー計算書を見ると、その使途が大まかに把握できる(図表5参照)。<図表5>  まず、「営業活動によるキャッシュ・フロー」に注目してほしい。朝日新聞の売上、経常利益は帳簿上で見るとたしかに右肩下がりであるが、それでも毎年200~300億円ものキャッシュが流れ込んでいるのだ。本業でプラスになったキャッシュは主に投資活動に使われている。不動産などに投資した際に代金を支払ったため、「投資活動によるキャッシュ・フロー」が2012年を除いてマイナスになっている。逆に、2012年は投資活動を抑制して帳簿上の利益を嵩上げしていた可能性もある。  いずれにしても、会計の世界では一般的に「本業から上がってくるキャッシュが豊富にある企業は、稼いだキャッシュによって投資活動をしたり、借入金を返済したりする」といわれている。キャッシュ・フロー計算書から読み取れる数字は、朝日新聞グループはまさに「本業好調」のパターンに当てはまることを示唆している。残念ながら、朝日新聞にはまだまだ相当の「体力」が温存されているようだ。  とはいえ、それでは腹の虫が収まらないという人も多いだろう。そこで、“巨木”朝日新聞グループを切り倒すために必要な解約数について推計してみよう。  ヒントになるのは、2007年に805万部だった部数が2011年に778万部に減少した際に起こった経常利益とキャッシュ・フローの変化だ。部数の減少割合は約3・6%だったが、経常利益は2010年にマイナスとなり、その後、必死のリストラを経ても以前の半分までしか回復できなかった。営業キャッシュ・フローについても、2007年の307億円から、2011年の187億円へと4割減少している。資金の流れが逆回転!  この時はまだ約四年間の時間を要したために、2010年の大規模リストラのような対策を採る余裕があった。そのため、2011年の帳簿上のV字回復が演出できた。しかし、これと同程度の部数の減少が極めて短期間に起きた場合はどうなるだろう。たとえば、今年一年でこの事例を上回る五%程度の解約が発生した場合を仮定して、シミュレーションしてみよう。  2007年の経常利益は140億円だったが、2010年にはマイナス42億円となり、一時的ではあるが約180億円の帳簿上の利益が吹き飛んでいる。解約率が5%になれば、2014年3月期の経常利益83・4億円は軽く吹っ飛ぶだろう。さらなるリストラに励んだとしても、前回と同じであるなら経常利益は以前の半分までしか回復しない。  部数が5%減るごとに経常利益が半減すると考えると、3年連続の5%部数減なら経常利益は10億円以下の水準まで低下する。売上が約3000億円の朝日新聞にとって、10億円以下の経常利益というのはほとんど利益操作の範疇になってしまう。  同様に、営業キャッシュ・フローも5%の解約ごとに半減すると仮定してみよう。3年連続5%減の暁には、現在の200億円から25億円に激減する。むしろ、こちらのほうが朝日新聞の経営に大打撃を与えるかもしれない。投資や借金返済に向かっていた資金的な余裕はなくなり、資金の流れが逆回転し始めるだろう。この時、初めて“巨木”はじわじわと浸食され始めるのだ。毎年5%の部数減で  スマートフォンなどの普及により、新聞よりもネットを使って情報を得る人が多数派になりつつある。今後、このトレンドはより助長されていくだろう。紙に印刷して物理的に配るという、新聞というビジネスモデルがこういった時代の流れに逆らって部数を爆発的に伸ばすことはまず考えられない。もちろん、一度失った読者を取り戻すことはほぼ不可能だ。 「従軍慰安婦」「吉田調書」という二大捏造報道によって高まった朝日新聞に対する不信により、毎年五%の部数減少を続ければ、その時点で回復不能なダメージを蒙ることは間違いない。しかも前述のとおり、朝日新聞グループの不動産賃貸事業の規模は売り上げ規模に比べると未だに小さく、新聞部門を救済するほどの力はない。仮にできるとしたら、新聞部門を閉鎖して社員のごく一部を受け入れるぐらいであろうか。  予備校事業から撤退して不動産会社になった代々木ゼミナールにおいて、講師たちがどんな運命を辿ったのかをみれば、朝日新聞の記者たちの将来も何となく想像できるかもしれない。  そもそも今後、部数減少に歯止めがかからなくなれば、社内では2010年を上回るリストラの嵐が吹くだろう。激しくブラック企業化する朝日新聞として、週刊誌にネタを提供し続けるといった笑えない事態が起こるかもしれない。  そのために必要なのは、毎年5%の部数減だ。たった5%で朝日新聞という“巨木”は揺らぐ。今回の捏造報道で怒りを覚えた諸兄にはその怒りを忘れることなく、最低3年間はそれを持続していただくことを強くお勧めしたい。合言葉は「朝日の反省は廃刊」である。 じょうねん つかさ 1969年、東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業(在学中は日本最古の弁論部、辞達学会に所属)。日本長期信用銀行、臨海セミナーを経て独立。2007年より、経済評論家・勝間和代氏と株式会社「監査と分析」を設立。2010年、米国イェール大学経済学部の浜田宏一名誉教授に師事し、薫陶を受ける。最新刊は『《完全版》「日本ダメ論」のウソ』(イーストプレス)。関連記事■ 朝日に迫る「葬式新聞」化■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説■ いつの間に!オノレが被害者、朝日新聞(笑)■ 「3度目の危機」で朝日新聞は消え去るのか

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    危機だと思われた朝日新聞より読売新聞の方が部数減らしてた

    ことながら、一番の驚きは読売新聞のダウン幅である。なんと60万4530部減(6.13%減)。 これは朝日新聞の44万2107部減(5.87%減)を大幅に上回る。ちなみに毎日新聞は5万1587部減(1.54%減)、日経新聞2万5585部減(0.92%減)、産経新聞は2316部減(0.14%減)だ。読売の社員がうなだれる。 「慰安婦報道と東京電力福島第一原発の吉田調書報道という2つの大誤報で朝日が部数を落とすことは確実だった。そのためウチ(読売)は朝日の読者を奪う販促活動に動き、我々の間では『A紙プロジェクト』と呼ばれていた。しかし、それが功を奏するどころか、朝日以上の危機に見舞われるとは……」 「A紙」が朝日を指すことはいうまでもない。読売は「朝日叩き」のために手を尽くしていた。紙面で朝日の誤報を追及するのみならず、昨年秋には「朝日『慰安婦報道』は何が問題なのか」という小冊子や、「慰安婦報道検証 読売新聞はどう伝えたか」というビラなどを都内の販売店を通じ配ったと報じられた。  また、「読売おためし新聞」(1週間無料)に申し込むと、グループ傘下の出版社が発刊する中公新書ラクレ『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』をプレゼントするキャンペーンまで行なった。 白石興二郎・読売新聞グループ本社社長は「読売の販売現場の一部で、行き過ぎた販売活動による迷惑をかけたとすればお詫びしたい」と謝罪した。一連のキャンペーンが“現場の暴走”だったかはともかく、その現場では早くからこれはチャンスどころか「新聞の危機」という実感があったようだ。別の若手読売社員がいう。 「もともと現場の士気は低かった。“朝日の読者が購読を止めたからといって、読売にすぐさま乗り換えるなんて甘い話はない”という意見が大勢でした」  読売新聞は部数減について、「消費増税やスマホ・ネットの普及による活字離れなど複合的な要因が重なったため」(グループ本社広報部)としたうえで、「朝日誤報問題をパンフレット、書籍等で積極的に報じてきたのは広く問題の重要性を伝えるためです。(A紙プロジェクトという名の)計画を立てて販促活動を行なった事実はない」(同)と説明した。  東京大学新聞研究所教授、立正大学文学部教授などを歴任したマスコミ研究者の桂敬一氏が指摘する。 「読売のネガティブキャンペーンは、朝日のみならず、新聞業界全体への不信感を煽る逆効果になってしまった。またABC部数は販売店に届けた部数の調査であり実売数ではないので、朝日も読売も実際はもっと深刻なダメージを受けているはず。信頼回復にはこつこつとジャーナリズムの本道を進むしかない」  ジャーナリズムの世界に甘い近道などないのだ。関連記事■ 朝日新聞の全国普及率は13.2% シェア1位の県は1つも存在せず■ 渡辺恒雄氏 「94歳まで現役」宣言に読売社員ショック受ける■ 安倍政権誕生で批判の口火切るのは朝日ではなく読売、日経か■ 朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係■ 森口氏iPS騒動 各紙の誤報検証報道は大新聞同士の醜い争い

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    韓国は“兄の国” 朝日・木村前社長と韓国前首相の恐るべき現状認識

    か。私のような進歩的な人間は「兄事すべき国」などという発言を聞くと、気持ち悪くなるだけなのだが…。 朝日新聞の木村伊量前社長は在職当時の2014年10月、日韓言論人フォーラムに出席した韓国人記者たちに「朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ」と語ったという(韓国・中央日報、14年10月20日)。まさに「兄事すべき国=韓国」を語っているのだ。会見した木村伊量・朝日新聞社長=2014年9月11日午後、東京・築地(川口良介撮影) それに呼応するかのように、韓国の鄭●(=火へんに共)原(チョン・ホンウォン)首相は吹いた。 「法律の構造や制度の場合、日本が私たちに習いにきて“兄の国”と呼ぶほどであり、多方面で私たちが日本に先んじている」(韓国・国民日報、15年1月10日) 念のため、鄭氏は今年2月に首相を辞任したが、この発言があったときは現職の首相だった。 この発言が「日本に先んじていた」と過去形であったなら、それなりに理解の仕方もある。「あぁ、彼の国では、現職の首相まで《大韓ナチズム》のファンタジー古代史観の虜(とりこ)になっているのだ」と。しかし、この首相発言は現在形なのだ。 素直に読めば読むほどに、今でも韓国は多方面で日本に先んじている“兄の国”だと言っているのだから、恐ろしい現状認識だ。 鄭氏の現状認識に従えば、われわれ倭奴(=日本人に対する蔑称)は、今日も当然のこととして、韓国に「兄事」すべきなのだ。ところが「兄事」しないから、「けしからん」となるのだろう。 翻って、木村氏を見よう。 きっと、(1)マルクス史観(資本主義→社会主義→共産主義)の正しさ(2)朝鮮民族の文化的優位性-を強調した「戦後(歴史)教育」の優等生だったのだろう(誤解がないよう。褒めているのです)。 私のような進歩派から見ると、彼はいまだに「戦後(歴史)教育」の呪縛から抜け出せない「超保守派」に見えてくる。 先日、私の自宅近くで「戦争反対」を叫ぶデモ隊に遭遇した。なぜか若者がいなかった。私のような、あるいは木村氏のような「戦後教育」を受けた爺さん、婆さんばかりの集団だった。 そういえば、朝鮮日報も書いていた。韓国の左翼について「年老いた従北主義者たちの時代遅れな闘争」(15年3月7日)と…。関連記事■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説■ 親の気持ち子知らず これが朝日の現実である■ 「3度目の危機」で朝日新聞は消え去るのか

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    「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説

    川水穂(産経新聞客員論説委員)目を疑った1月22日付朝日社説 教科書の慰安婦記述に関する1月22日付朝日新聞社説「事実をなぜ削るのか」を見て、目を疑った。 教科書会社の数研出版が現行の高校公民科教科書について「従軍慰安婦」と「強制連行」の文言を削除する訂正申請を行ったことを、朝日はこう批判した。 「戦時下で将兵の性の相手をさせられた女性についての記述が、同社の教科書から消える」「『従軍慰安婦』の表現が適切かどうかという議論はあるが、軍の関与の下で慰安所がつくられたことは事実だ。安倍首相も国会で慰安婦について『筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々』と答弁している。それがなぜ『誤記』なのか」 さらに、「文科省も『誤り』ではない記述の訂正をなぜ認めたのか。『直した後の記述が間違いでないため認めた』というが、こちらも説明する責任がある」と文部科学省にも批判の矛先を向けた。 その上で、「慰安婦問題は日本にとって負の歴史だ。だからこそきちんと教え、悲劇が二度と起きないようにしなければならない」と説いた。 数研出版の訂正申請は例えば、政治・経済の教科書で「戦時中の日本への強制連行や『従軍慰安婦』などに対するつぐないなど、個人に対するさまざまな戦後補償問題も議論されている」としていた記述を、「韓国については、戦時中に日本から被害を受けた個人が、謝罪を要求したり補償を求める裁判を起こしたりしている(戦後補償問題)」と改めたものだ。 極めて当然の措置である。 まず、「従軍慰安婦」という言葉は戦後の造語だ。「従軍」は軍属を意味し、「従軍看護婦」「従軍記者」といった言葉はあったが、「従軍慰安婦」という言葉は使われていない。朝日が言う「表現が適切かどうかという議論」はとっくに終わっている。従って、教科書に「従軍慰安婦」と書くのは、明らかに不適切である。 また、「強制連行」は戦時中、朝鮮半島から日本本土に渡ってきた朝鮮人労働者を指すとみられるが、この表現も間違いだ。繰り返すまでもないが、以前の教科書で「強制連行」されたと書かれていた朝鮮人労働者のほとんどは、自分の意思で職を求めて朝鮮半島から日本本土に渡ってきた人たちとその家族である。例外として、徴用された人たちもいるが、それは国民徴用令という法律に基づくもので、「強制連行」ではない。 数研出版は訂正理由を「客観的事情の変更等」としている。それは、朝日が昨年、韓国人女性を慰安婦として強制連行したとする吉田清治氏(自称、元山口県労務報国会下関支部動員部長)の虚偽証言報道を訂正・謝罪したことを指すとみられる。にもかかわらず、朝日が同社の訂正申請を批判する理由は理解に苦しむ。 これに対し、産経は「誤解を生む不適切な記述の是正は当然」と数研出版の対応を評価した。「高校教科書ではほかにも日本史を中心に、慰安婦に関し不適切な記述がある」として、他の教科書会社にも「早急な是正」を求めた。(1月18日付主張「不当な記述是正は当然だ」) 産経が指摘する他の教科書の不適切な記述とは、「若い女性が強制的に集められ、日本兵の性の相手を強いられた」「女性のなかには、日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」など、日本軍が慰安婦を強制連行したとの誤解を招きかねない表現を指す。 読売も「慰安婦問題の本質は、旧日本軍の強制連行の有無である。これまでに政府が行った調査では、軍による強制連行を裏付ける資料は確認されていない」「数研出版が、軍により慰安婦が『強制連行された』とも読み取れる紛らわしい記述を改めたのは、妥当な措置である」と同社の訂正を評価し、他の教科書会社にも「記述の再点検」を求めた。(1月29日付社説「誤解を招く表現は訂正したい」) 教科書は公教育の主たる教材である。歴史観や教育観に多少の違いはあっても、それらはあくまで事実に基づいたものでなければならない。読売・産経の社説(主張)はごく当たり前のことを言っているのだ。 朝日は、外務省が昨年、「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」への拠金を呼びかけた文書の問題記述をホームページ(HP)から削除したことにも、「なぜ、呼びかけ文を削除しなければならないのか。国際社会からは日本政府が歴史認識をさらに後退させたと受け取られかねない」「外務省が問題意識に変わりはないというのなら、今からでもHPを元に戻すべきだ」と反発した。(10月19日付社説「貴重な女性基金の精神」) 削除されたのは「10代の少女までも含む多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた」という文言だ。これも、軍が慰安婦を強制連行したと誤解されかねない記述だった。それを削除するなとは、どういうことか。朝日はまだ、虚偽の慰安婦「強制連行」説を捨てきれないのではないか。そう思われても、仕方がない。慰安婦の強制連行などについての記述があることが判明した米国の公立高校で使用されている教科書 もとはといえば、教科書で慰安婦「強制連行」説が独り歩きしたのは、朝日の長年にわたる誤報が主たる原因である。朝日が真に誤報を反省しているというのなら、もっと歴史的事実に対して謙虚に向き合うべきではないか。 慰安婦「強制連行」説は今や、米国の教科書にも記述されるようになった。 米大手教育出版社「マグロウヒル」の世界史教科書は「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるために、強制的に募集、徴用した」「逃げようとして殺害された慰安婦もいた」「日本軍は慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」などと書いている。明白な虚偽記述である。 外務省は訂正を申し入れたが、出版社も執筆者も訂正を拒否しているという。 米国は安全保障面では、日本と互いに協力しあわなければならない関係にあるが、歴史認識をめぐっては、慰安婦問題などの誤解を正そうとする安倍晋三政権の取り組みを必ずしも歓迎していない。特に、オバマ民主党政権はその傾向が強い。 歴史戦の舞台は米国にも移りつつある。誤解を正すための粘り強い外交努力を安倍政権に期待したい。関連記事■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

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    慰安婦問題を生んだ「強制連行史観」に奪われた教育

    における一大「戦場」なのである。 河野談話発出の経緯が政府の検証で明らかになって談話の正当性が崩れ、朝日新聞も強制連行説の根拠であった吉田清治証言に関する記事を取り消した今、慰安婦に関する教科書記述も根本的に見直さなければならないことは言うまでもない。しかし、課題はそれにとどまらない。「朝鮮人強制連行」が慰安婦問題の土台 慰安婦強制連行説は、朝鮮人強制連行説の上にジェンダー論を加えたものであると指摘した。例えば、平成9年4月に検定合格した中学校の歴史教科書の記述を見てみよう。最大手の東京書籍には、先ず「朝鮮人強制連行」と題した1ページのコラムが掲載されている。 朝鮮人の強制連行は1939(昭和14)年から始まりました。最初は「募集」という形式でしたが、それは決して自由意思によるものではありませんでした。1942年からは、朝鮮総督府による「官斡旋」になりました。日本の公的機関が直接関与するようになったのです。総督府の割り当てに応じるために、警察官や役人が土足で家に上がり、寝ている男を家から連れ出すこともありました。抵抗する者は木刀でなぐりつけ、泣きさけびながらトラックに追いすがる妻子を上からけりつけたといわれます。(中略)1939~45年までの間で、約70万人もの朝鮮の人々がこうした強制連行によって日本に連れてこられたと推定されています。 こう書いた後、「もし自分が強制連行のような目にあったとしたら、どう考えるだろうか。想像してみよう」と生徒に問いかけている。 また、北海道などで多く採択されている教育出版の歴史教科書にも「地域から歴史を考える」「朝鮮・中国から強制連行された人々」と題する見開き2ページのコラムが掲載されている。■筑豊(福岡県)の炭鉱の金さん■ 金大植さんは、1943年2月、家で寝ているところを警察官と役場の職員による徴用令状をつきつけられ、集結地まで手錠をかけられたまま、125名の朝鮮人同胞とともに日本に連行されてきました。日本へ送られる途中の監視は厳しく、便所へ行く時にも7人の監視係の目が光っていた。一行が福岡県の田川後藤寺駅に着くと、彼らの逃亡を防ぐために、数百名の人々が待ち受けていた。(中略)全国の強制労働の現場では、日本人による暴行事件も多く起こった。こうした暴行や、事故・栄養失調などによって、強制連行された約70万人の朝鮮人のうち、実に約6万人もの人々が死亡したといわれている。 どうだろう。東京書籍も教育出版も、日本統治時代には朝鮮の男性たちがまるで奴隷狩りのように連行されて強制労働させられたと記述している。男を女に入れ替えれば、従軍慰安婦の強制連行説は容易に成立する。要するに慰安婦問題とは、朝鮮人強制連行説を土台に、スキャンダラスな性の問題を加えたものだということである。 実際、以上のような強制連行説が詳細に記述された後、別のページで強制連行と同じ文脈で慰安婦について記述されるのである。 また、国内の労働力不足を補うために、多数の朝鮮人や中国人が強制的に日本に連れてこられ、工場などで過酷な労働に従事させられた。従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた。(東京書籍) 労働力不足を補うため、強制的に日本に連行された約70万人の朝鮮人や、約4万人の中国人は、炭鉱などで重労働に従事させられた。さらに徴兵制のもとで、台湾や朝鮮の多くの男性が兵士として戦場に送られた。また、多くの朝鮮人女性なども、従軍慰安婦として戦地に送り出された。(教育出版) 他の教科書会社も同様である。 植民地の台湾や朝鮮でも、徴兵が実施された。慰安婦として戦場の軍に随行させられた女性もいた。国内の労働力が不足していたため、朝鮮から約70万、中国から約4万の人々が強制連行され、炭鉱などでの労働をしいられた。(日本文教出版) 朝鮮から多くの人々を強制的に日本へ連行しました…。これらの地域の出身者のなかには、従軍慰安婦だった人々、……などがいます。(帝国書院) 表現の濃淡はあれ、慰安婦の強制連行説に立った記述をしている。慰安婦の場合の強制連行の主体は明らかにしていないが、朝鮮人強制連行の場合は、警察官や朝鮮総督府の職員であるとしている。ここでは「官憲等」が「直接加担」した強制連行を記述している。 慰安婦強制連行説の根拠であった吉田清治証言を、メディアとして最も積極的に持ち上げていた朝日新聞が正式にその関連記事を取り消した今、強制連行説に立つ慰安婦記述は教科書には掲載できない。中学校段階では平成17年(2005)4月検定合格の教科書で慰安婦記述そのものが全ての教科書から消え、今日に至っている。その背景には、平成9(1997)年辺りから、民間や政界で「従軍慰安婦」の記述を中心に歴史教科書のいわゆる自虐的な記述が問題視され、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の活動が始まり、その中で強制連行説の根拠が崩れたり、教科書採択の際に慰安婦記述が社会的に大きな争点になり、慰安婦を記述した教科書の採択を避ける動きがあったりしたことが考えられる。 しかし、高校段階はそうはなっていない。明成社の教科書はあるが、他の教科書の採択を脅かすほどにはまだなっていない。そういう事情もあっていわば書き放題である。現在使用されている平成24(2012)年4月、文部科学省検定合格教科書の記述を紹介しよう。 朝鮮の人々のうち、約70万人が朝鮮総督府の行政機関や警察の圧迫などによって日本本土に強制連行され、過酷な条件で危険な作業に従事させられた。戦争末期には徴兵制もしかれ、また、多くの女性が挺身隊に集められた。…日本の植民地や占領地では、朝鮮人や中国人・フィリピン人・ベトナム人・オランダ人など、多数の女性が『慰安婦』にかりだされた。慰安所は、中国・香港・シンガポール・オランダ領東インドから、日本の沖縄諸島・北海道・樺太などにまでおよんだ。(東京書籍、日本史A) 植民地や占領地では、日本軍も設置や管理に関与した慰安所に、朝鮮人を中心に、中国人・インドネシア人・フィリピン人・オランダ人などの多数の女性を、日本軍兵士の性の相手である慰安婦として動員した。(実教出版、日本史A) また、日本の植民地だった朝鮮・台湾の人びとや、日本の占領下にあった中国の人びとが日本本土に強制連行されて、工場・鉱山などで労働させられた。 … また、慰安婦として現地の慰安施設で働かされた女性たちもいた。(山川出版社、日本史A) 日本国内の労働力が不足すると、これをおぎなうために多数の朝鮮人を強制連行した。また、朝鮮人を中心とした多くの女性が慰安婦として戦地に送られた。(第一学習社、日本史A) また、数十万人の朝鮮人や占領地域の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工事現場などで働かせた」「戦地に設置された『慰安施設』には、朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)。(山川出版社、日本史B) 朝鮮人強制連行を記述し、その文脈の中で「慰安婦」「従軍慰安婦」を記述する。「かりだされた」「動員した」「送られた」とし、主体は明らかにしていないが、軍や朝鮮総督府の行政機関、警察などによる「強制連行」を示唆している。なお、これらの記述について文部科学省は検定意見を付けていない。 ここでの課題は二つある。一つは、強制連行説の根拠である吉田証言に関する記事を朝日新聞が正式に取り消した今となっては、軍や官憲等による強制連行を示唆するような慰安婦の記述は高校段階でも止めることである。慰安婦は戦地での公娼の一つであり、慰安婦の記述をするなら、内地と外地にあった公娼についても触れなければなるまい。それに触れないなら中学校のように慰安婦の記述自体を掲載しないようにするべきである。 二つ目は、慰安婦強制連行説の土台になっている朝鮮人強制連行の記述の妥当性について検討することである。朝鮮人強制連行については、今夏、全国で採択されている小学校の歴史教科書(6年上)でも4社全てで記述されている。 戦争が長引き、日本に働き手が少なくなってくると、多数の朝鮮人や中国人が強制的に連れてこられて、工場や鉱山などでひどい条件下で、厳しい労働をさせられました。/また、朝鮮人は、姓名を日本式に変えさせられたり、神社に参拝させられたりしました。さらに、男性は日本軍の兵士として徴兵され、若い女性も工場などで働かされ、戦争に協力させられました。(東京書籍) 日本の労働力不足を補うために、朝鮮や中国から多くの人々を日本に連れてきて、鉱山などで厳しい労働にあたらせた。(教育出版) 朝鮮や台湾では、徴兵をおこなって日本の軍人として戦場に送りました。また、戦争が長引いて日本国内の労働力が不足すると、多くの朝鮮や中国の人々を、日本各地の鉱山や工場などで働かせました。(日本文教出版) 植民地だった朝鮮で、日本は、朝鮮の人々の姓名を日本式の氏名に変えさせたり、徴兵を行って、日本軍の兵士として戦場に送ったりしました。また、朝鮮や占領した中国の人々を強制的に日本に連れてきて、各地の鉱山などで、厳しい条件のもとで働かせました。(光村図書)北朝鮮の拉致の罪を相殺する強制連行 小学校、中学校、高校を通じて教科書に「朝鮮人強制連行」が記述されていることが確認できよう。 しかし、この「朝鮮人強制連行」からして、史実ではないことが現在では確認されている。朝鮮人の内地への渡航はそのほとんどが職を求めての自由渡航であった。わずかに「徴用」はあったが、「強制連行」は朝鮮大学校の講師を務めた朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)という著作が作り出した「神話」だったことが、首都大学東京特任教授の鄭大均氏の『在日・強制連行の神話』(文春新書、2004年)で明らかになっている。鄭氏は同著でこう記している。 『朝鮮人強制連行の記録』の影響力は、60年代から70年代にかけては、限定的なものであり、その影響力は左派サークルの域を出るものではなかった。だが、やがて80年代に入り、日韓の歴史や在日の問題がマス・メディアで語られるようになると、『強制連行』のテーマは一気に大衆化する。この時期は社会主義国家が軒並み崩壊する時期であるとともに、人権主義に基調を置く『カタカナ左翼』が社会に浸透した時期であり、また韓国についてのテーマが大衆化した時期であるが、その道案内の役割を担ったのが、左派系の人々であり、『強制連行』という言葉を広めたのは彼らであった。この言葉は、今や『キョーセーレンコー』という程度の響きで、しかしそれは朝鮮人の被害者性と日本人の加害者性を表象するという本来の意思を継承しつつ大衆語化していくのである。 大衆語化のみならず、教科書の記述となって、日本人の「加害者性」の意識が再生産されているのであるが、朴慶植が「強制連行」を強調したのは、それを日本の「帝国主義」的支配を象徴するものと位置づけたかったからである。朴の著書の「まえがき」には「日本帝国主義が朝鮮を植民地として支配した期間、どのように朝鮮人民を搾取し、圧迫を加えたかは、日本ではいまだにほんの一部分しか明らかにされていない」という記述がある。また、同書が別格の資料として添付している平壌発の「朝鮮民主法律家協会の声明」(1964年3月20日)という文書には「日本帝国主義が朝鮮にたいする植民地支配の時期に朝鮮人民にたいしておこなったいまひとつの大きな罪悪は、かれらが朝鮮人を大量に日本に強制連行して残忍に抑圧、搾取し、虐殺した事実である。(中略)とくに大陸侵略と太平洋戦争の時期にいたって、日本帝国主義は戦時労働力の不足を打開するために、朝鮮人民を強制的に大量徴用した。日本帝国主義は当時朝鮮人を連行するにあたり、夜中に農家を襲撃し、白昼にトラックを横付けして畑で働いている朝鮮の青壮年たちを手当たりしだいに拉致していくなど、文字どおりの『朝鮮人狩り』をおこなった」という記述がある。これまで見た一連の教科書記述や吉田清治の慰安婦強制連行説の原型と思われるものである。提訴のため札幌地裁に向かう植村隆氏(中央)と弁護士ら=2月10日午後 朴は北朝鮮当局の指示を受けたのであろうが、日本帝国主義の象徴として「朝鮮人強制連行」を作り出した。当時は支持されなかったが、80年代に入り、共産主義の落日が明らかになると、日本の国内外の共産主義勢力は、未来を語れなくなったがゆえに余計に、自らの信奉する唯物史観・発展段階説の正しさを確認するために「日本帝国主義」の蛮行のシンボルとして「朝鮮人強制連行」を強調したのだろう。そしてそこにフェミニズム・ジェンダー論が加わって慰安婦の強制連行説が作り上げられた。左派が容易に吉田証言に乗ったのもそのような背景があってのことだろうし、早稲田大学の学生時代に極左暴力集団「第四インター」の活動歴もあるとされる朝日新聞の植村隆・元記者(『日本を嵌める人々』PHP研究所、2013年)の心理もそんなところではないかと推測する。 そして、そこに共産主義の蛮行を語って余りある、北朝鮮の日本人拉致事件が発覚しそうになった。慰安婦問題を殊更に取り上げる勢力は、北朝鮮の拉致事件を否定し、冷淡に扱ってきた勢力と重なる。朝日新聞もそうである。 拉致事件という補助線を与えると、慰安婦問題の構造がよく見える。慰安婦問題は日本の冤罪であるばかりか、拉致の被害者である日本人を加害者に入れ替え、拉致の加害者である北朝鮮を含む朝鮮人を被害者に入れ替える作用を持つ。韓国内で慰安婦の支援運動をしている勢力は北朝鮮のシンパであるとも指摘されている。日本の慰安婦問題の責任を裁くとして、昭和天皇に死刑判決を出した「女性国際戦犯法廷」(2000年)にも北朝鮮の工作員が関わっていた。慰安婦問題は、拉致という北朝鮮の国家犯罪を矮小化し、慰安婦を強制連行した日本に拉致を問題視する資格があるのかと主張するための仕掛けだったのではないか。80年代以降の出来事を俯瞰して私にはそのように思える。朝日の記事撤回を歴史教育見直しの契機に 東京大学名誉教授の和田春樹氏は、『世界』9月号の「慰安婦問題 現在の争点と打開への道」と題する論文で自らが関わったこととして、民主党政権末期に慰安婦問題について驚くべき動きがあったことを紹介している。 平成24(2012)年2月、日本の慰安婦問題全国組織、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」の機関紙に、共同代表、花房俊雄氏の呼びかけが発表された。「野田政権に具体的解決を求めましょう」として「解決の内容に言及するとき、・日本政府の責任を認め、被害者の心に届く謝罪をすること、・国庫からの償い金を被害者に届けること、・『人道的な立場』とは加害者側の日本が使う言葉ではありません。責任を回避する言葉として被害者を傷つけます、等をポイントに、みなさまの思いを伝えてほしいと思います」と書かれたものだ。和田氏は「これは運動団体の側から出された重要な新提言であると私は受けとった。私はただちにこの花房提案を齋藤勁官房副長官に伝え、韓国の同憂の友人たちにも知らせた」という。齋藤勁官房副長官(当時)は政務の官房副長官で、社会党、社民党を経て民主党に入党している。横浜市役所出身とのことであるから、自治労の関係者ということだろう。そして、同年10月28日、その齋藤官房副長官と韓国の李明博大統領の特使、李東官氏が東京で会談し、以下のような解決案で合意したとのことである。「・日韓首脳会談で協議し、合意内容を首脳会談コミュニケで発表する。・日本首相が新しい謝罪文を読み上げる。従来は『道義的責任を痛感』すると述べていたが、『道義的』をのぞき、国、政府の責任を認める文言にする。・大使が被害者を訪問して、首相の謝罪文と謝罪金をお渡しする。・第三次日韓歴史共同研究委員会を立ち上げ、その中に慰安婦問題小委員会を設けて、日韓共同で研究を行うよう委嘱する」――。韓国側に全面屈服した内容だが、これについて「韓国大統領はこの案を受け入れていたが、野田首相は最後の瞬間にこの案の受け入れに踏み切ることができなかったようだ」と和田氏は書いている。この年の9月26日に自民党総裁選で安倍晋三氏が新総裁に選出され、野田佳彦首相が安倍総裁との党首討論で11月16日に衆議院を解散すると名言したのは同月14日のことだった。そして12月16日の総選挙では民主党が大敗して野田政権は崩壊し、第二次安倍政権が誕生したのは同月26日のことだった。野田首相が最終段階で「解決案」の受け入れに踏み切れなかったこともあるが、解散総選挙、そして政権交代がなければ、この「解決案」が実現した可能性は十分ある。危ういところだったと言わざるを得ない。 和田氏はまた、新たな解決策として、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が1992年8月以来、「日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」を継続開催しているが、本年5月末に東京で第12回会議を開催した。その際に採択された決議(6月2日付)に記されている必要措置を紹介している。「・明確な公式的な方法での謝罪、・謝罪の証としての被害者への賠償、・真相究明(資料全面公開、さらなる資料調査、さらなる聞き取り)、・再発防止措置(学校教育、社会教育、追悼事業、誤った公人の発言禁止)」――。 和田氏は「これは実に注目すべき提言である」とするが、ここにも「再発防止措置」として「学校教育」が入っていることに注意したい。これは「『河野談話』を継承・発展」させた措置であるとのことである。 朝日新聞の吉田清治証言記事取り消しを、単に一メディアの話にとどめてはいけない。学校教育を通じて日本人が贖罪意識を永久に持ち続けるようにし、日本の弱体化・解体を目論む国際謀略は、朝日新聞の慰安婦キャンペーンによって後押しされてきたのだ。 教科書の慰安婦記述に限っても、慰安婦強制連行説とその前提となっている朝鮮人強制連行の記述の根本的な見直しが急務であることは言うまでもない。さらには、自虐史観に囚われ、左派の運動団体や外国勢力の介入を許してきたわが国の歴史教育全体の見直しの契機とすることが求められているのだ。八木秀次氏(やぎ・ひでつぐ) 昭和37(1962)年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院政治学研究科博士課程中退。専攻は憲法学、思想史。「日本教育再生機構」理事長。著書に『反「人権」宣言』(ちくま新書)、『明治憲法の思想』『日本国憲法とは何か』(PHP研究所)など多数。平成14年、正論新風賞を受賞。関連記事■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 歴史認識で中韓に介入根拠を与えた朝日新聞■ 2001年の反日団体による慰安婦「法廷」 NHKが真面目に報道

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    朝日、「吉田証言」記事取り消しの矛盾  男性の強制連行はそのまま

    狩りのようにして強制連行したと証言した吉田清治氏について、虚偽だと判断して関連記事16本を取り消した朝日新聞の矛盾に関してである。男性連行証言 朝日は慰安婦に関する吉田証言は否定したものの、同じ吉田氏が朝鮮人男性6千人弱を同様に連行したと証言した記事は取り消していないというのだ。 なるほど、朝日の昭和57年10月1日付朝刊記事「朝鮮人こうして連行 樺太裁判で体験を証言」「壮年男子根こそぎ 集落包囲、殴りつけ」は、東京地裁での吉田氏の言葉をそのまま紹介してこう書いている。 「木刀で殴りつけ、『コラ、表に出ろ』と、男を全員道路にたたき出した。その中から二十-四十歳に思える男だけをホロでおおったトラックに乗せ、着のみ着のままで連行した」 「吉田さんが指揮した限りでも、こうして推定六千人弱を『労務動員』した」吉田清治氏を取り上げた朝日新聞の記事 朝日が歴史問題でいかに「職業的詐話師」(現代史家の秦郁彦氏)である吉田氏に執心し、また依存していたかがうかがえる。ともあれ、男性強制連行の記事はなぜそのままなのか。 藤岡氏が朝日に(1)なぜ取り消さないのか(2)記事内容は真実と認定したのか(3)今後取り消す考えはあるか-の3点を問い合わせたところ、こんな回答があった。 「記事は、当時の裁判での吉田清治氏の証言を報じたもので、裁判の証言自体をなかったことにすることはできないと考えている」 てんで理屈になっていない。この論法に従えば、吉田氏が慰安婦を強制連行したと証言したのも事実なのだから、朝日がその証言自体を紹介した記事を取り消したのも間違いだということになってしまう。不自然な放置 第一、朝日は平成5年3月20日社説「日本の道義が試されている」では、こう主張しているではないか。 「朝鮮半島からの労働者の強制連行があったのに、慰安婦についてだけは、強制がなかったと考えるのは不自然だろう」 慰安婦の強制連行証言を取り消した朝日が、同じ人物による男性の強制連行証言を取り上げた記事を放置するのは不自然である。 そもそも、労務者の「徴用」を「強制連行」と言い換えていること自体おかしいのだ。 朝日自身、昭和34年7月13日付の記事「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表」「戦時徴用は245人」ではこう書いている。 「韓国側などで『在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ』との趣旨の中傷を行っている」 また、前述の57年10月の朝日記事は、吉田氏が裁判で、「(朝鮮半島からの男性強制連行は)十八年夏から二十年二月ごろまでにかけて、毎月のように続いた」と証言したと記すが、この点についても34年7月の記事はこう指摘している。 「国民徴用令は(中略)朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年七月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運行が止まるまでのわずか七カ月間であった」 朝日がどうしても男性の強制連行に関する記事を取り消したくないのなら、いっそ34年の記事の方が間違いでしたと訂正してはどうか。関連記事■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪■ 天敵記者は忘れない ドン・輿石の原罪

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    それでも慰安婦にしがみつく朝日

    朝日新聞が、朝鮮半島で「慰安婦狩り」を行ったという吉田証言に基づくでっち上げ記事を取り消してから半年余り。いまだ慰安婦問題で貶められた日本の名誉は回復していない。本来ならば「慰安婦強制連行」の記事もすべて取り消すのが筋だが、それでも朝日が「慰安婦」にしがみつくのはなぜか。

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    歴史認識で中韓に介入根拠を与えた朝日新聞

    外交を硬化させ、米国のクオリティーペーパーに「歴史修正主義」日本のイメージを植えつけた報道の発信者が朝日新聞であったことは、今日もはや公然である。 日本が蒔(ま)いてくれたタネである。中韓の愛国的指導者にとってこんなありがたいタネはない。歴史認識という道義性を含ませた問題の提起を当の日本がやってくれたのである。この問題で日本を攻めれば外交的優位のみならず道義的優位をも掌中にできる。国益を明らかに毀損(きそん)するこのような問題提起をなぜ日本のジャーナリズムがこういう形でやってしまったのだろうか。 戦後日本の社会思潮の在処(ありか)を探る際の重要なポイントがここにあると私は考えるのだが、そのことを述べる紙幅が今はない。左翼思想の跳梁(ちょうりょう)、戦前期軍国主義からの反動、戦争への贖罪(しょくざい)意識、そういった情念の混淆(こんこう)であろうと一言を添えるにとどめる。慰安婦問題での朝日新聞の検証について同紙の紙面写真を掲載して報じる6日付の朝鮮日報や中央日報、東亜日報など韓国各大手紙 ※上が中央日報、真ん中が朝鮮日報、下が東亜日報(補正済み) 事実のみを述べれば、82年6月、旧文部省の教科書検定で「侵略」が「進出」に書き換えさせられたという日本の時のジャーナリズムの誤報に端を発し、その報道に中韓が猛烈に反発したことが出発であった。中韓の反発を受け、近現代史の記述において近隣アジア諸国への配慮を求める「近隣諸国条項」といわれる新検定基準が同年8月に内閣官房長官・宮沢喜一氏の談話として出され、日本の歴史教科書に対する中韓の介入に有力な根拠を与えてしまった。激しさ増したプロパガンダ つづいて起こったのが靖国参拝問題である。85年8月の中曽根康弘首相の参拝にいたるまで首相の靖国参拝は恒常的であったが、外国からの反発はなかった。A級戦犯合祀(ごうし)問題はどうか。合祀の事実が79年4月19日付の朝日新聞によって内外に知られるようになって以降も、中曽根参拝まで20回を超える首相参拝がなされたが、中韓の非難はなかった。非難が集中的に開始されたのは、それ以降のことであった。 現下の焦点は、慰安婦問題に関する朝日新聞の昨年8月5日、6日付の一連の検証報道である。ここでは、吉田清治証言には信憑(しんぴょう)性がなくこれに関する同紙記事を取り消すこと、女子挺身(ていしん)隊と慰安婦との混同についての検証が不十分であったことを認めた。朝日新聞の慰安婦問題報道はすでに82年から始まっていたが、これがプロパガンダの様相を呈したのは、特に91年に始まり翌年に激しさを増した一連の報道であった。 その後、秦郁彦氏をはじめとする専門家の精力的な検証により同紙記事が捏造を含む根拠不明なものであることが明らかになった。にもかかわらず、朝日新聞は記事取り消しや訂正は一切せず、逆に慰安婦問題の本質は広義の強制性、女性の人権問題にあるといった主張に転じ、何と問題のこの「すりかえ」は昨年8月の検証報道でも継承されている。 朝日新聞の最大の問題は、根拠に乏しい報道によって日本の名誉、威信、総じて国益がいかに貶(おとし)められたかにある。問題検証のために第三者委員会が設置されたが、この点に関する記述は不鮮明であった。「事実から目をそむけまい」 中西輝政氏を委員長とし、西岡力氏らの専門家を糾合した「独立検証委員会」の報告書がこの2月19日に公表された。本報告書は朝日新聞の慰安婦報道の原型が完成したのが92年1月12日付の社説「歴史から目をそむけまい」であるとし、前後する報道を「92年1月強制連行プロパガンダ」と名づけた。 注目すべきは、荒木信子氏が韓国の主要7紙、島田洋一氏が米国の主要3紙の徹底的な資料解析を通じて、韓国と米国のジャーナリズムが慰安婦問題を言い募るようになったのは「92年1月強制連行プロパガンダ」以降に集中しているという事実を、ほとんど反駁(はんばく)できない完璧さで論証したことにある。日本の国益の毀損をどう償うのか、重大な責任を朝日新聞は背負ってしまった。 朝日新聞にとって必要なのは、「歴史から目をそむけまい」ではなく「事実から目をそむけまい」という姿勢に他ならない。関連記事■ メディアの「中韓叩き記事バブル」 映し鏡としてのヘイトスピーチ■ 政治的過激主義としての韓国の反日主義■ 韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」

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    朝日新聞と日教組の共通点

    先日、このサイトで文春新書『朝日新聞』の感想について書きましたが、以前から朝日新聞とよく似ているなと思っていた組織があります。日教組、つまり日本教職員組合です。

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    世の中に新聞ほどの法螺吹きはない

    があるか」 漱石は明治39(1906)年の『坊っちゃん』で新聞をくそみそにけなしたくせに、その翌年、朝日新聞の主筆池辺三山に乞われて朝日に入社する。入社したのは朝日が大学教授なみの収入を保証したからだという。そして『虞美人草』以後、その作品のすべては朝日新聞を舞台に発表したのだから、何をかいわんや。 それから百余年、いま漱石がこの世で、朝日新聞の一連のていたらくの現状を見れば、どんな悪態を吐くのか、聞いてみたい。 それにしても、である。つくづくと思わないわけにはいかない。朝日という新聞は、なぜ性懲りもなく日本と日本人を貶める記事ばかり書くのか。最近の産経によると、今夏、朝日は沖縄戦について「日本軍は住民を守らなかったと語り継がれている」などとする中学・高校生向けの教材を作成した。それを九州各県に配布していたという。 『正論』10月号にも書いたのだが、朝日人といわれる記者たちは日本が嫌で嫌でたまらぬ人種であるらしい。日本を悪しざまにののしり、祖国をひどく貶めることが国際的な教養で、良心的な行為だと錯覚している。それが知識人的なことだと思い上がっているのである。 一体、この病理現象はどこからきているのか。西尾幹二氏にいわせると「自国や自民族の文化を蔑み、少しでもネガティブに表現することが道徳で、自らの美意識に適い、文化的な行為であるという錯覚、それに快感が伴うという病的な心理」(『WiLL』12月号)であるそうだ。 また徳岡孝夫氏はこういっている。「私が思うに、慰安婦問題の根源は、朝日記者が自らは日本人というより朝日人だと自覚していることにある」(『清流』12月号) この朝日人とは何なのか。何を志し、何をめざしているジャーナリストなのか。その精神構造をとくカギは、どうやら朝日新聞綱領にかかっているらしい。三露久男という元朝日論説副主幹氏がコミュニケーション誌に書いているところによると、朝日新聞社員の“憲法”というべきもので4項目から成る。その3項目に「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す」とあるという。 わかった、問題の根はその「進歩的精神」という奴である。「進歩的」という三文字がキーワードなのだ。すなわち進歩=善、保守=悪という往年のばかばかしい二元論パターンである。伝統や歴史という古いものを一掃し、革新や先取という新しい皮をかぶる。手取り早くいえば左翼かぶれである。事実の確認より先に、進歩的という左巻きイデオロギーの発露がある。ここに朝日人の悲劇性の宿命があった。 おかしなことだが、世にはそんな左巻きの新聞をありがたがる人が多い。盲目的な信者が少なからずいた。いや、いまなお根強くいる。 ところが、その朝日的錯誤の妄想を、当の朝日以上にばらまいている新聞があるのに驚いた。目を疑った。東京新聞、2014年10月5日付の紙面 老蛙生はすでに6月いっぱいで朝日の購読をやめている。一連の誤報問題より前の集団的自衛権報道の狂態にあきれたからだ。それでは不便だろうといわれるが、そんなことはない。いまは3紙をとっているが、『正論』営業OBのMさんが、毎週、朝日をはじめ“これは”と思った各誌紙の記事をコピーで送ってきてくれるからである。 で、何に驚いたかといえば、Mさんが届けてくれたコピー群のなかに東京新聞10月5日付の1ページがあった。それがなんと、本多勝一氏(82)の紹介インタビューで全ページ埋め尽くされているのである。 本多氏といえば、中国の反日宣伝を丸のみした悪名高い『中国の旅』の朝日記者である。その日本の悪口を国際的に広めたジャーナリストへ、歯の浮くようなオマージュ(称賛)をささげているのだ。呆れてものもいえなかった。 辛口のコラムニスト故・山本夏彦翁は「東京は朝日のまねっこ新聞です」と批評していたが、それをそのまま、本多氏は「(最近の報道は)朝日新聞と東京新聞がひっくり返ったみたいだ。今の東京新聞は、昔の朝日のように、いい記者が自由に書いている気がする」などと、おべっかをお返ししている。 老蛙生は漱石にならってその新聞コピーを丸めて、ゴミ箱に捨てた。ただし後架へ捨てるのはやめた。水洗がつまっては困るからである。関連記事■ 改めて呆れた本多勝一氏の卑劣な手口■ 朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り■ 朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

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    親の気持ち子知らず これが朝日の現実である

    笹川陽平(日本財団会長)「朝日新聞 第四者委員会設立か?」―第三者委員会ではありません―  「今年秀逸の賀状」として「感染症の世界史」の著者であられる石 弘之先生の賀状を1月16日付の本ブログで紹介させていただいた。 先生はこの中で「昨年も世界ではさまざまな問題がありました。問題が発生したら各国はどんな対処をしたでしょうか?」とした上で、日本については「第三者委員会を組織する」とし、「さて、ことしはどんな『第三者委員会』ができるのでしょうか」と書かれていた。記者会見する朝日新聞社の慰安婦報道に関する第三者委員会の中込秀樹委員長(中央)ら=2014年12月22日 一連の朝日新聞問題で、同社が設けた第三者委員会を念頭に置いた賀状で、これに対し私はブログの末尾に「第三者委員会が設置されると公平・公正な議論が行われ、まるで問題が解決したような錯覚に落ち入るのも日本人の特性でしょうか」とのコメントを付けた。 当事者が第三者委員会の結論を真摯に受け止め、改善に努めるのは当然です。現に朝日新聞も「信頼回復と再生のための行動計画」をまとめ、懸命に努力されているようです。私にも一連の問題に関し、朝日新聞関連の雑誌に寄稿するよう依頼がありました。 しかし、親の気持ち子知らずとでも言うのでしょうか。朝日新聞や新聞界には、第三者委員会の結論や朝日の対応を潔(いさぎよ)しとしない人たちもいるようです。 元韓国人慰安婦の証言を初めて記事にし、その内容が問題となった植村 隆・朝日新聞元記者は、1月10日、記事を捏造したと報じられ名誉を毀損されたとして、文芸春秋社と東京基督教大学の西岡力教授を相手取り損害賠償を求める訴訟を起こしました。 これに対し西岡教授は「言論人が言論で批判されたのであれば、言論で返すべきではないか」とコメントされています。言論人は言論で闘うのが当然であり、訴訟を起こすという行動には驚きを禁じえません。既に退職されており、朝日新聞としてどうこうできる問題ではないでしょうが、なんとも理解に苦しむ話です。 1月28日には日本新聞労働組合連合(新聞労連)が主催するジャーナリズム大賞授賞式が行われ、その特別賞を、何と! 昨年5月20日付で朝日新聞が「所長命令に違反、原発撤退」と報じた「吉田調書」記事が受賞しています。 朝日新聞は、この記述と見出しに重大な誤りがあるとして記事を取り消し、同社の第三者機関である「報道と人権委員会」(PRC)も朝日新聞社の記事取り消しを妥当と結論付けています。 「吉田調書」報道は、慰安婦問題に関する吉田清治氏(故人)の証言(吉田証言)とともに“2大誤報”として朝日新聞を揺るがし、朝日新聞は「第三者委員会」など3つの委員会に原因究明や今後の再建策を委託し、年明けには今後の行動計画を打ち出しています。 現在は全社を挙げて名誉回復に向け邁進されているところでしょう。ところが週刊文春によると、この記事を書いた木村英昭、宮崎知己の両記者は授賞式に出席、記念撮影にも応じ、「大変励みになる賞をいただいた」とコメントしたというのです。 「百の説法屁一つ」でしょうか。受賞を遠慮するのが常人のありようだとも思うのですが…。新聞労連の判断とは言え、世上の人々とは大いに異なり、朝日の新経営陣も戸惑っているのではないでしょうか。懸命の努力も「日暮れて道遠し」のような気さえします。 ジャーナリズムには、言論の自由と共に高い倫理感が求められます。朝日新聞におかれましては、これを機に、社員の倫理向上のための「第四者委員会」を設立されたら如何か。そんな気がするほど、私にとっては理解し難い話です。ささかわ・ようへい 日本財団会長。昭和14年、東京都生まれ。明治大卒。平成13年、世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧特別大使。17年から現職。25年からミャンマー国民和解担当日本政府代表。「民」の立場から「公」への貢献をモットーに内外の現場で公益活動を実践している。著書に「紳士の『品格』わが懺悔(ざんげ)録」など。関連記事■ 朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り■ 朝日は世論調査を悪用している■ 新聞マニアが分析 朝日新聞とは何か

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    朝日記者有志たちよ、自らの過ちにまだ気づいていないのか

     これは、朝日新聞記者有志(複数)が、書いた内部告発本である。 朝日新聞が広く批判を浴びることになった3つの問題、すなわち、「慰安婦」誤報、「吉田調書」誤報、池上コラム掲載拒否事件について、これら問題の背景にある社内事情を、彼らの視点から説明している。 私の関心は、このなかの吉田調書問題にあるので、他の点はここでは触れない。しかし、吉田調書誤報問題の捉え方だけを見ても、問題の本質を社内政治構造や個人的野心によるものと捉えており、「朝日のみならず日本のメディアのあり方に一石を投じる」(9ページ)本としては多いに不満が残る。 確かに、この著者たちは、「朝日危機の本質はイデオロギーではなく企業構造にある」(9ページ)ということを指摘したいと考えてこの本を書いたのだから、そういう結論になることは自然だろう。 そうした視点に立って、「吉田調書」誤報については、スクープ狙いの演出に腐心する一方での裏取りの杜撰さ、そこまでしてスクープを世に出そうとする個人的野心や企業内組織間の主導権争い、記事掲載後に起こった批判(例えば門田隆将氏によるもの)への拙い対応に主にスポットを当てている。 しかし、問題となった朝日新聞の吉田調書関連記事は、もっと大きな問題を抱えているのであり、それらを正面から捉えて論じない限り、よくある内情暴露本の域を出ないのだ。朝日新聞の記事取り消しを報じるニュース映像が映された家電量販店のテレビ売り場=2014年9月11日 第一に、本書は、政府事故調が調書を作成した目的は、個々人の責任を問うことではなく、再発防止のための教訓を得ることにあったことを忘れている。その目的を達成するためには、当事者からの事情聴取は非公開が原則であるし、実際、吉田氏もその前提の下に聴取に応じている。今回のようなことが前例になれば、今後原子力災害に限らず不幸な事故が起こっても、当事者が協力を躊躇し、事故調査が実効性を失いかねないのだ。 にもかかわらず、朝日新聞は、調書スクープの勢いに任せて政府に対して全調書公開のキャンペーンを張った(宮崎記者解説記事。本書95ページ)。しかし、調書が上記の性格を持つ以上、その公開は将来の事故調査の前提を破壊する危険性をもつ軽率な主張であると言わざるをえない。 しかし、本書が調書の公開について触れているのが、次の文脈だけだ。すなわち、朝日新聞が吉田調書の公開を政府に要求したそのこと自体、自らの誤報(調書の一部を切り取った加工記事であること)がバレることにさえ思いが至らなかったスクープチームの程度の低さ加減を表している、というものである(95ページ)。 さらに、公開されてみれば、新しい論点もなかったと言い、「『非公開の文書』とはいうものの、政府が非公開にしていた理由は、単に吉田所長自身が非公開を望んでいただけだった。内容も事実関係が精査されたものといえず、だからこそ、吉田所長も調書の非公開を望んでいたのだ」(102〜103ページ)と続く。 本書の調書の非公開性についての認識は、この程度なのである。これではスクープチームの意識程度の低さと五十歩百歩だ。自らの報道意識や姿勢についての深く鋭い反省もなく、社内のスクープチームに対する中傷にすぎない記述になっているのだ。 第二に、この記事は、作業員が現場から逃亡したとは「断言」していない。(私自身、この記事を最初に読んだ際、ツイッターに「この調書の該当部分をどう読んでも、命令違反をしたというふうには解釈できない」旨投稿したところ、同感だという旨の反応が多くあった。その後の共同通信のより深い取材に基づいた連載で、その点が明らかになっている) 問題は、断言していないが、そう思わせるような印象操作をしているところにある。実は朝日新聞は、「結果的に誤った印象を与えた」としてこの記事を撤回したが、印象操作は認めていないのだ。 しかし、このような印象操作と思える記述は、朝日新聞の長期連載「プロメテウスの罠」でも頻繁に見られる。例えば、低線量被ばくで健康被害が起こると「断言」はしていないが、そう思わせるような印象を読者に与えることを意図した記述だ。 断言しないことで逃げ道を確保した上で、印象操作による世論誘導を行っているという姑息な方法ではないかと私には思える。朝日新聞はそれでも印象操作は認めないのだろうが、本当にそうだとしたら記者の日本語の読解・記述能力に問題があると思わざるを得ない。 私は「吉田調書」誤報と「プロメテウスの罠」は同じ穴のむじなであり、風評被害などの影響を考えると後者の方が実は罪深いと思っている。吉田調書報道を検証するなら、「プロメテウスの罠」も検証するべきだろう。著者たちが否定する「イデオロギー」による記事偏向がないかどうか、この連載も対象とされなければ公平・公正さに欠ける。 しかし、著者たちにそのような意識はうかがえない。むしろ、「プロメテウスの罠」は立派な業績と思っているとうかがえる箇所がある(85ページ)。ちなみに、一連の慰安婦報道を書いたとされる朝日の元記者が某月刊誌に寄稿した手記で展開している主張も、要は「私は強制連行があったと断言していない」だ。 吉田調書報道をめぐっては、宇都宮健児氏、海渡雄一氏をはじめとする複数の弁護士が連名で、「外形的な事実関係は間違っていない」として、報道を擁護する申入書を朝日新聞に提出している。弁護士が擁護していることが象徴的だが、これらの記事が裁判沙汰になっても、朝日新聞は「断言」していないゆえに負けないのかもしれない。 著者たちによると、一連の問題の原因は朝日の左翼的イデオロギーのせいではなく、官僚化した組織構造のせいとのことだ。組織の官僚化は日本の大企業の問題としてよく言われるもので、朝日の問題も普通の企業と同じだ、と言いたいのだろう。 しかし、このような形で日本企業の一般的な問題に逃げ込むのはいかにも安易ではないか。吉田調書問題では、ジャーナリズムの基本姿勢や行動原理の本質が問われているのであって、それを組織の官僚化のせいだというなら、この程度の問題の捉え方しかできていない著者たちは、同社を去るか記者を辞めてマネジメント職に移った方がよい。その方が、朝日新聞の立て直しに真の意味で貢献できるからだ。 「慰安婦」誤報は言うに及ばす、「吉田調書」誤報も韓国メディアをして日本版セウォル号事件と報じられるなど、一連の問題が引き起こした国際的な影響は大きい。国際的なアカウンタビリティも果たしながら、朝日新聞がこの難局を乗り切って、真にジャーナリズムの範となるためには、抜本的な改革が必要であることは明白である。 東京電力は福島第一原子力発電所の事故で、国際的・国内的信用を失墜させた。その結果、原子力部門を中心に大改革を迫られ、世の中からの厳しい監視の目の中、それを曲がりなりにも実行に移しつつある。 その監視の目を築くことに貢献した朝日新聞が、自ら同じ過ちを犯し、これまでにない窮地に立たされていることは皮肉なものだ。朝日新聞は果たして改革できるのだろうか。大改革には深い反省と新たな意識構築を必要とする中、本書の認識程度では「社の再生」は望めない。さらなる検証と総括、そして改革に向けての行動着手が必要である。関連記事■ 櫻井よしこが徹底追及!「慰安婦」「吉田調書」 偽りの謝罪■ 朝日新聞だけではない 戦後ジャーナリズムが陥っている偽善■ 朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

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    朝日新聞記者有志」への違和感

    文春新書から発売中の『朝日新聞-日本型組織の崩壊』を読みました。著者は「朝日新聞記者有志」。一部を除いて匿名の記者が何人かで執筆しており、彼らにしてみれば、会社の将来を憂いて、ある意味、覚悟を決めて書いているのでしょうが、読後の感想は「やっぱり朝日は嫌な感じ」なんです。

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    百田尚樹がどうしても伝えたかった「奇跡の世代」への熱い想い

    うにギャグをたくさんしゃべるようにしているものですから。 ご存じの方も多いかもしれませんが、以前から朝日新聞を批判してきた私は、朝日から目の敵にされています。今年の8月5日に、朝日新聞は従軍慰安婦の強制連行をしたという吉田清治氏の証言を掲載した記事を取り消しましたが、私はこの機会に、さらに厳しく朝日を叩いていると、朝日がきっちり報復をしてきました。 9月28日、旧社会党(現社民党)の元党首、土井たか子が死んだというニュースを見て、私がインターネットのツイッターで、拉致問題の存在すら認めることに否定的な言動をとってきた土井を批判して、「売国奴」と書いたときのことです。社民党の又市征治幹事長が記者会見で、「党をおとしめる誹謗中傷だ」「NHKの経営委員として不適格だ」と辞任を要求してきたことを、朝日新聞は、毎日新聞や東京新聞とともに書いて、私を批判してきたわけです。 ただ、又市幹事長の発言の翌日に大々的に記事にしたのは毎日と東京で、朝日は一日遅れだったんですね。僕は初め、朝日はなぜ記事にしないのだろうと首を捻っていました。すると朝日新聞の記者が、私のところに電話をかけてきたんですね。 「百田さん、ツイッターでこう言ったのはほんとですか?」 僕はわざととぼけてやりました。 「知らんがな」 「いや、百田さんのツイッターに書かれてますけど。百田さんが書いたんですよね」。 どうやら朝日の記者はビビっているようなのです。おそらく、もし僕ではなく、僕になりすました誰かが書いていたら、また誤報、捏造と批判されると思ったのでしょうか。 もちろん僕が書いたんですけど、僕も意地悪だから「知らんがな、そんな。覚えてへんがな」と、さらにとぼけてやりました。すると、朝日の記者は「やめてください。そんなことを言うの、やめてくださいよ」と言うので、「そんなん、自分らで勝手に調べろ」と言ってやりました。 朝日がどうするか楽しみにしていましたが、翌日、やっぱり朝日新聞には、きっちり記事が掲載されていました(笑)。実は、朝日の記者が「百田さん、何か言いたいことありませんか」と聞いてきた時に、こうも言っていました。「言いたいことは特にないけど、社民党の又市に言うてくれ。『記者会見で辞任を要求するって、いったい誰に向かって言うとるねん。要求するんなら、わしに言え、あるいはNHK、政府に言え、国会に言え。なんやったら、国会に呼べ。国会でお前らと直接対決したる』と。それを書いてくれ」 まあ、朝日新聞はその部分は全然、書いてくれませんでしたが。拉致問題に冷淡だった土井たか子は許さん日本人拉致の実行犯である辛光珠死刑囚ら韓国人政治犯の釈放に関する要望書に、菅直人や土井たか子の署名が記載されていた 真面目な話、僕は土井たか子のことを本当に、許せない政治家だったと思っているのです。旧社会党―つまりいまの社民党―は、北朝鮮の朝鮮労働党と友党関係にありながら、拉致問題などないという北朝鮮のウソを長い間、そのまま受け入れてきたんです。党のホームページに「北朝鮮による拉致というのは創作である」という論文まで掲載していた。土井は、そのときの党首です。平成14年、北朝鮮が拉致を認めた時、土井はさすがにその対応の誤りを認めて謝罪しているんです。1989年には、土井は、拉致の実行犯で韓国で逮捕された辛光洙(死刑判決、後に恩赦で釈放)という男の釈放要望書にも名を連ねています。これが「売国奴」ではなくて何だというのです。 さらに、僕が最も許せないのは、土井たか子が、自分たちを頼ってきた拉致被害者の家族の声に応えようともしなかったことです。 ヨーロッパで拉致された石岡亨さんという方がいます。1988年に決死の思いで北朝鮮から日本にいる家族に手紙を書いたんですが、その手紙はある人からある人へと渡って、ポーランド経由で、同じくヨーロッパで拉致され、石岡さんと結婚していた有本恵子さんのご両親のところに、届けられたんです。これ奇跡的な出来事です。 もしこんな手紙を出したことを北朝鮮当局に知られれば、石岡さんは粛清されるかもしれない。その手紙を日本に届けるために協力した人たちの命も危険にさらされる。それでも届けられた決意の手紙を手にした有本さんのご両親は、この年の9月、北朝鮮とパイプがあるといわれた旧社会党、土井たか子に、なんとかしてくれと頼みに行ったのです。当時、日本政府も、拉致はまだよくわからないという立場だったので、有本さんのご両親は、藁をもつかむ思いで土井を頼ったのだと思います。しかし、土井たか子は、それを門前払いにしてしまったのです。なんとひどいことをすると思いませんか。 しかもこのとき実は大変なことが起こっていた恐れもあります。それはこの14年後に明らかになります。2002年、当時の小泉純一郎首相と安倍晋三官房副長官らが訪朝して、金正日に拉致の事実を認めさせました。このとき北朝鮮は拉致した人たちの情報も出してきたのですが、なんと石岡亨さんと有本恵子さんについては、1988年の11月に、お二人のお子さんも含めて家族三人がガス中毒で亡くなっていると言ったのです。 ご両親が土井たか子に手紙のことで頼みに行ったのが、1988年の9月。この2カ月後に家族3人が突如として亡くなっているというんですね。もちろん、北朝鮮の出してきた情報は信じられない。石岡さんたちは生きていると僕自身は思うし、いまも生きていてほしいと思っています。けれども、もし北朝鮮の言う通り1988年の11月に亡くなっていたとしたら、その理由として考えられることはたった一つ。つまり石岡さんが手紙をこっそり日本に送ったという、この情報を北朝鮮が掴んだということです。じゃあ、どうして掴んだのか。そういうことを考えると、僕は怒りを抑えることができないのです。無敵の戦闘機の真実の姿 朝日新聞にしても、土井たか子にしても、反日の連中は、本当に何がしたいのかと怒りを覚えますが、その批判はさておき、『永遠の0』の話に戻りましょう。いうまでもなく、この映画は零戦の映画です。この零戦というのは、日本が生んだ傑作飛行機です。完成した昭和15年当時は、世界最高速レベルの飛行機であり、同時に世界のどの戦闘機にも勝る小回りの能力も持っていたんです。スピードと小回りというのは両立が極めて難しいのですが、それを実現したのが零戦でした。しかし、実は、僕は手放しでこれを傑作と言っていいのか、難しいところだと思っているんです。というのも、これほど、ある意味、人命を軽視している飛行機もなかったからです。大日本帝国海軍 零式艦上戦闘機(零戦)特攻機。終戦まで日本海軍航空隊の主力戦闘機として使用された 零戦の防弾性能はゼロといっても過言でもないほど薄かったのです。搭乗員の操縦席の後ろは防弾用の鉄板がまったく入っていない。一発でも撃たれたら、機体に火がつく。そんな戦闘機だったのです。にもかかわらず、初め零戦が無敵の活躍だったのはなぜかというと、当時、零戦の搭乗員が世界最高の技量を持っていたからです。つまり零戦というのは、最高の技量を持った搭乗員が操縦したら、最高の性能を発揮できるという戦闘機だったんですね。 ところが、戦争というのは、どうしても人が死にます。特に搭乗員は消耗度が激しく、次々と亡くなっていきます。一番、亡くなったのは、『永遠の0』でも描いたガダルカナルの戦いです。ラバウルの航空基地から1000キロ、米軍のいるガダルカナルを爆撃する一式陸攻を護衛して、現地で空中戦をして、そしてまた1000キロを帰る。そういう過酷な戦いが連日のように、行われたんですね。 『永遠の0』の中で、主人公の宮部久蔵は「1000キロを行って、帰ってくることはできない」と言いました。しかし日本海軍は実際にそれをやったんです。ガダルカナルを取り返すために、当時の零戦の搭乗員に、往復2000キロの飛行を要求したわけです。 現在の自衛隊のパイロットに聞いたのですが、戦闘機のパイロットが本当に集中力を持続できるのは、1時間半ぐらいだそうです。それを超えると、集中力が極端に落ちる。生理学的に必ずそうなるらしいです。ところが当時、零戦の搭乗員はガダルカナルまで往復6時間も乗り続けたんです。ガダルカナル上空で戦えるのは5分か10分。それ以上戦うと、帰りの燃料がなくなってしまう。一方、米軍戦闘機は燃料がタップリあるうえに現地で待ち構えているわけですから、どんな戦いでもできる。零戦は圧倒的に不利な上、自らを犠牲にしてでも、一式陸攻という爆撃機の護衛をしなければならない。行き帰りの飛行だって、どこで雲の合間から敵が襲ってくるかわからない。後ろから、雲の間から敵が来ないか。知らぬ間に敵に回りこまれていないか。そういう極限の緊張状況の中で、6時間飛び続けるんです。 車だって6時間も一度もストップしないで運転なんてできません。もうヘトヘトになります。しかし当時の搭乗員たちは6時間飛び続け、命懸けの空戦もしているんです。当時の戦闘詳報も見ましたが、多いときは1週間に5回とか出撃してるんです。疲労困憊どころの話ではありません。 私は、実際に宮部久蔵の時代、ラバウルで戦い、生き残った本田稔さんという元零戦の搭乗員の方とお話をしたことがあります。本田さんのおっしゃるには、おそらく実際に撃墜されて死んだ人よりも、途中で疲れ果て、海に落ちて死んでいった人のほうが多かっただろうということでした。連日の空戦で歩くのもしんどいほどでも、何とか出撃はする。しかし、帰りは、もうどうしても機中で寝てしまうのだそうです。本田さんは何度も、実際に海に落ちて死んでいった搭乗員を見たそうです。横に飛んでいる列機がそのまま、いつの間にか高度を下げてスーと落ちていく。「ああ、こいつ、寝てる」と思うけれども、当時の無線はとても使えたものではなくて、起こすこともできないのだそうです。 僕は、本田さんに、その睡魔にどうやって打ち勝ったのか尋ねました。本田さんは、眠たくなったらドライバーで自分の太ももを突いて目を覚ましていたそうです。何度も何度も出撃するうち、傷が倦んで、穴が開いてしまった状態になるそうですが、もう末期になってくると、普通に突くくらいでは目が覚めない。だから、傷口にドライバーを突っ込んで、それをグリグリと捻じ込んで、その痛みで意識を取り戻したというのですから、壮絶な話です。ラバウルの基地にたどり着いても、もうとにかく疲れ果てて、操縦席から出ることもままならず、整備員とかに両脇を抱き抱えられて降りたこともあったといいます。 そういう状況の中でね、ガダルカナルは半年間も戦うんです。昭和17年の8月から、ずうっと翌年の1月か2月まで、ガダルカナルの攻防戦をやるんですが、このときに日本の誇る、歴戦のベテラン搭乗員がほとんど亡くなったんです。日本は、そこでもう敗北が決定したわけです。なぜパイロット達は死んだのか 当時は、ラバウル行きの辞令を搭乗員が貰うと、片道切符と言われていたんです。私は『永遠の0』を書くために、いろいろ調べたのですが、その地獄の戦場でも、戦い抜いて、生き抜いて、生還したすごい搭乗員が何人もいたんです。先程、紹介させていただいた本田稔さんもその一人です。もう今、九十歳を超えていらっしゃいますが、本当に素晴らしい方で、まだまだお元気でいらっしゃいます。ガダルカナル島の海辺を行進する日本陸軍部隊=1942年 戦死された方の中にも素晴らしい搭乗員がたくさんいらっしゃいました。西澤廣義さんもその一人です。おそらく日本海軍で最高級技量の搭乗員の一人で、映画では登場しませんが、私は原作で書きました。 すごいのは、西澤さんは小隊長なんですが、自分の後ろに連れている列機の二機も一度も落とされなかったのです。映画でラバウルからガダルカナルに初めて行く日が描かれていますが、この日、西澤さんは実際に出撃して、6機のグラマンを撃墜しています。とんでもない達人だったんです。 地獄のガダルカナルを生き残った西澤さんは、昭和19年10月25日、関大尉が初めて神風特攻隊として突入する際、護衛を務めています。 初めての特攻の話は冒頭に少ししましたが、関大尉は突入前に二度、出撃しています。一度目、二度目の出撃では敵空母を見つけられずに帰ってこなければならなかったため、海軍の上層部は、相当な腕の搭乗員を誘導と護衛につけるしかないと考え、わざわざ別の基地にいた西澤さんに白羽の矢を立てたのです。「おまえは敵空母まで関大尉を護衛して連れていけ。そして、そこで神風特攻隊の突入を見届けて帰ってこい」というわけです。西澤さんは三度目の出撃をした関大尉を、敵空母まで送り届け、そこで敵の飛行機を2機撃墜し、そして関大尉が突入するのを見届けて、その戦果を全部確認して、戻ってきました。 しかし、その西澤さんの最期を思うと、あまりに悲しい。戻ってきた彼は翌日、命令で零戦をその基地に置いたまま、輸送機に乗って、クラーク基地に帰らなければならなかったのですが、その途中、その輸送機が敵戦闘機に撃墜され、彼もまた命を落とすわけです。日本の生んだ最高の戦闘機乗りが、こんな形で死んでしまったのです。当時の日本軍の戦い方を見ていると、もうなんという愚かな戦い方をしているのかと思います。 零戦の製作についても愚かなことがいっぱいありました。例えば、零戦は三菱重工業の名古屋の工場で製造されていたわけですが、そこには飛行場がなかったんです。完成した零戦は配備先の各基地に飛ばして移動させるわけですが、そのために名古屋から約30キロ離れた岐阜の各務ヶ原の飛行場まで、わざわざ運んでいたのです。しかも、牛車で20何時間かけて運んでいたのです。当時、道が舗装されていなかったので、馬車で運ぶと、完成したばかりの零戦が揺れて壊れてしまうため牛車でのろのろ運んだというんですね。これが1945年の日本が降伏するまで続いたんです。信じられないでしょう。 普通に考えると、飛行場のあるところに工場を建てるか、逆に工場の横に飛行場をつくるのが当たり前。もし離れていたとしたら、道路を舗装すべきなのに、それもされなかった。日本の省庁は、当時から全部、縦割りになっていて、工場もまた民間の三菱が経営しているので、一体化した効率的運用ができなかったようなんです。 もっとひどいのは、零戦の品質が途中からどんどん落ちていったということです。 零戦は、大東亜戦争中の米国の無骨な戦闘機グラマンなどとは違い、本当に美しい。どこを取っても直線がない。すべてが素晴らしい曲線なんです。最高性能を発揮するために、とことん堀越二郎が設計し尽くして、無駄のない曲線ができているわけですが、こんな飛行機は腕が良い職人、一流の職工でないとつくれなかったんです。それなのに、昭和17年ごろから、いわゆる赤紙、徴兵で、一流の職工もみんな兵隊として出征した。日本的な平等なのでしょうが、そうすると、その分、どんどん飛行機の品質が落ちていく。職人が足らなくなると、それを中学生で間に合わせようとする。中学生もいなくなってくると、今度、女子学生につくらせるようになる。当時は現在の教育とは違いますから、女子学生は工具なんか扱ったこともない。そういう人たちに一流の職工しかできない仕事をやらせるから、戦争の後半、昭和19、20年の零戦なんか、ひどかったそうです。部品が逆に付いていたり、すぐ落ちたりとか。ひどい飛行機がどんどん製造されていたんです。日本は、長期戦を戦うという体制がまったくできていなかったんです。どこの国の報道機関なのか アメリカは逆です。計画的ですし、余裕もありました。戦争に勝つためには、もういかなることでもやる。それらはアメリカが建国以来、やってきたことですが、そこには極めて恐ろしい部分も秘められていたと私は思っています。 英国からの移民が建国したときに、先に住んでいたインディアン―今はネイティブアメリカンと呼ぶようですが―そのネイティブアメリカンを騙して土地を奪い、西部に追いやりました。西部に金の算出が確認され、ゴールドラッシュになると、またそこでネイティブアメリカンを迫害し、追い出す。勇敢なネイティブアメリカンが戦うために抵抗を受けるわけですが、そうすると、まともに戦っては大きな被害を被るので、後方支援をする女性や子供を虐殺する。そんなことをされてきたネイティブアメリカンの歴史は悲惨です。空襲で焼け野原になった東京(神田上空から東南方向、浜町、深川本所方面を望む)=1945年 私は、これと同じことをアメリカがやったのが、東京大空襲、広島・長崎の原爆だったと思っています。アメリカは昭和20年の3月9日から10日にかけて東京に大空襲をするんですが、このときに狙ったのが一般民家の密集地帯です。これは主に日本の女性や子供の虐殺です。実際、このとき一夜にして10万人、死ぬのですが、その多くが女性であり未成年、子供たちでした。 アメリカは事前に砂漠に日本の町をつくり、日本の家屋、木造建築物をつくって、家の中まで再現し、これらの家を燃やすにはどんな爆弾がいいか、何度も実験を繰り返していたんです。そうして、火の燃え広がりやすい風の強い日を選んで300機を超えるB29の大編隊に東京を襲わせたのです。その爆撃は、ただ建物の破壊が目的だったとは思えないものでした。最初、空襲警報で人々が防空壕に入ったときは、爆弾を落とさず、まず房総に抜ける。「なんだ、威力偵察だったのか」と安心して、空襲警報が解かれ、みな家に帰ったところを―ちょうど9日から10日に日付が変わったころですが、まさにそのときUターンしてきて爆弾を落としていったんです。凄まじい爆撃で10万人が死んだんです。私は絶対許せない。 私はこの話を今年2月、東京都知事選に出馬した田母神俊雄氏の応援演説でしました。「東京大空襲は大虐殺や」とね。そうしたら、毎日新聞と朝日新聞が大騒ぎしました。共同通信は、米国のキャロライン・ケネディ駐日大使が「百田尚樹氏の発言でNHKの取材に難色を示している」などと報じました。正直、怒りを感じましたよ。彼らは一体、どこの国の報道機関なのですか。百田尚樹に『永遠の0』を書かせたもの 少し話がそれました。『永遠の0』で書きたい、描きたかったことはたくさんありました。その中で、一番描きたかったのは、生きるということの素晴らしさだったんです。 よく現代人は、自分が何のために生きているのかわからないとか、自分の生きがいがわからないとか言いますね。若い人は「自分を探しに行く」とか言ってインドなど海外に行きますが、僕に言わせれば、インドに自分がおるのかという話です(笑)。20何年間、日本で見つけられなかった自分が、インドに行ってもおるわけがない。 70年前、日本人はね、自分は何のために生きているのか、誰のために生きているのかということを、本当に切実に感じていた。自分の命は誰のためにあるか。そして自分は何のために生き延びるのか。生きるということは、どれほどすばらしいかということを、本当に知っていた。僕は、今の若い人たち、現代の人たちに、まずそれを知ってもらいたかったのです。 私がこの『永遠の0』を書いたのは、ちょうど8年前、50歳のときでした。人生五十年ということを幼い頃から考えていましたから、50歳以降は違う人生を生きてみようと思って、テレビの放送作家という世界から活字の世界に飛び込んで、小説を書こうと決めたわけですが、ちょうど、そのころ、私の父親が、末期癌で余命半年の宣告を受けたのです。徴兵で大東亜戦争に行っていた親父は僕によく戦争の話をしましたが、その親父がもう半年で死ぬのかと思ったら、何か書かなければいけないと思ったんですね。『永遠の0』を書いたのには、そんな事情がありました。 私の父親は大正13年生まれで、家は貧しかった。当時、日本人はみんな、貧しかったんですけど、父親も高等小学校を卒業してすぐ働きに出て、そこから夜間中学に通ったんです。13か14歳ぐらいから、ずっと働き続けて、そして二十歳のときに徴兵にとられました。運良く生きて帰ってきたんですが、戦後も、何もかも失った日本で苦労しました。戦前から勤めていた会社も潰れていて、昭和20年代は、いろんな職を転々とし、30年代にようやく大阪市の水道局の臨時職員になって、そこで一所懸命働いて、やがてそのうち、正職員になれた。そうやって私と3歳下の妹を、大学まで行かせてくれたんです。 その親父がもうすぐ死ぬんか、あと半年で死ぬんかと思って…。その1年前に私の3人いる伯父―母の兄です―の一人も亡くなっていたんですが、やはり戦争に行っていました。伯父が他界し、今、親父が亡くなろうとしている。そうか。あの大東亜戦争を戦った人たちは今、日本の歴史から消えようとしてるんだなと。そう思った時、僕は筆を執らずにはいられなかったわけです。父親と宮部久蔵 そして子供たちの世代 僕は幼いときから、父親から、あるいは3人の伯父から、戦争の話をたっぷり聞かされていました。正月などで親戚が集まると、そういうところで、いろんな話を聞かされるわけですが、必ず戦争の話が出てくるのです。僕は昭和30年代の大阪に育ちました。10年ちょっと前はまだ戦争をしていたという時代ですから、普通の会話の中で戦争の話が出てきたんです。 「お兄ちゃんはあのとき、どこにおったんや?」「ああ、俺はもうラバウルにおってな」「大変やったろう」。「大変やったぞ。もう戦争が終わってから、もう二年ぐらい帰ってこられんかった」とかね。「おまえ、どこやねん?」「俺はビルマや」「ビルマとか、すごかったらしいな」「すごいよ。うちの部隊、3分の1ぐらい死んだ」とか。そんな話をしょっちゅう聞いていました。 おばちゃんたちも「戦地もすごかったけど、大阪もひどかったよ。もう爆弾、もうブワァーと空襲がすごくて、家、焼けるし、子供背負って逃げたんや」と、普通に話をしていました。学校の先生にも兵隊経験者がいました。近所のおっちゃん、おばちゃんも普通に戦争の話をしてきました。 その頃の大阪にはまだ、建物や鉄道の壁といったところに、アメリカの機銃掃射の跡がたくさん残っていました。私は淀川の近くに住んでいたのですが、河川敷に大きな爆弾の跡でできた穴がたくさん残っていて、水が溜まっていました。僕らはそれを「爆弾池」と呼んで、筏を浮かべて遊んでいました。梅田や難波の繁華街に行けば、戦争で腕や足を失った傷痍軍人の方が、白い傷病服を着て歩道橋やトンネルにずらっと並んでいました。僕らそういうところを歩くと、お金を置いていったものです。これが日常的な光景でした。 僕はそんなふうに育ってきたんですが、それから何十年か経って、僕に息子と娘ができたとき、親父は、僕にはあれほどたくさんした戦争の話を、僕の子供たちには一言もしなかったんです。そして、しないまま死んだ。僕の親父だけかと思って、いとこに伯父たちのことを聞いてみたら、やっぱり「そう言えば、そうやな。俺の親父や、おふくろも、結局、俺の子供にはまったく戦争の話はしないで死んだな」という答えが返ってきたんですね。ほかの多くの人に聞いても、みんな、そうでした。僕より下の世代になってくると、戦争の話をほとんど聞いてないんですね。ミッドウェー海戦で炎を上げ沈没寸前の空母「飛龍」。4空母の中で最後まで戦い続けた(共同) 親父たちが戦争の話をしなくなったのには、いろんな理由があると思いますよ。改めて嫌な話をする気がしなかったのかもしれないし、あの記憶を思い起こすのがつらかったのかもしれない。昭和20年代、30年代は、つらい思い出を共有している人がたくさんいたから話も通じたけど、そうでもなくなってくると、改めて話をする気も失せたのかもしれない。もう記憶そのものが薄れてしまったという人もいたのかもしれません。とにかく、そういうことにハッと気づいたとき、僕は、父親や伯父さんから、戦争の話を聞かされた世代として、次の世代にこの話を語り継ぐ義務があるんじゃないか。僕はそう考えたわけです。 ですから、『永遠の0』の主人公、宮部久蔵は、ちょうど私の父の世代なんです。これは私がつくった架空の人物ですが、架空の人物と言いながら、実はいろんな実在の搭乗員の話を、総合して、つくり上げた男なんですね。 そして、『永遠の0』の中に出てくる宮部の孫である姉と弟、「僕のお祖父ちゃんはどんなお祖父ちゃんでしたか」と聞いて回る2人の現代の若者ですが、これはちょうど私の子供の世代なんです。つまり、私は『永遠の0』という物語で、私の父親の世代と私の子供の世代、この二つの世代を結びつけたかったんです。 それがうまくいったかはわかりません。ただ、この本は、戦争物、戦争の小説は売れないというのが出版業界の常識となっていた時代に、ベストセラーになりました。すごく若い世代に読んでいただいているんです。最初は60代以上の男性読者が多かったけれど、だんだん読者の年代が下がっていき、そして世代が下がるごとに、女性のファンが増えてきました。最近では20代、大学生、そして高校生。そういう人たちが読んでくれている。そういう人たちが『永遠の0』を読んで、それまで学校ではほとんど習ってこなかった歴史を知り、あの時代の日本人はどんな思いで生きていたのか、そして日本は世界を相手にどんなふうに戦って、そして、どんなふうに敗れていったのか、すごく知りたいと思っている。そういう若い人が増えているのを見ると、この物語を書いて本当に良かったなと思います。 本が売れると、私ども、印税が入ってくるので大変嬉しいのですが(笑)、でも、この『永遠の0』に関しては、印税が入って嬉しいというのとは、違う喜びがあるんです。 もちろん初めは、こんなに売れるなんて思っていませんでしたよ。小説家デビュー作として、この物語を書いた時、多くの出版社に持ち込んでも、ことごとく断られたんです。太田出版という小さな出版社が拾ってくれて、平成18年に発売され、その後、講談社文庫に入って、何年も何年もかかって、少しずつ売れていったのです。 普通、ミリオンセラーになるような本はすぐ話題になって、発売1、2年で、バーンっと100万部を突破するわけですが、『永遠の0』が100万部を超えるまでには、5年か、6年かかったんですね。そして今年、400万部です。平成に入って、もっとも売れた本と言われている。出版界も非常に不思議に感じているようです。戦争を戦った男達 日本を建て直した男達 映画の中にも、戦後の日本を描いたシーンが少し出てきます。何もかも失って、みな、バラックに住んでいる。映画では大阪しか描いていませんけど、もう日本の当時、日本の都市、東京も名古屋も全部、そうだったんです。日本の大都市は、ことごとく破壊されていたんですね。 東京は焼け野原に、ポツンポツンとビルが残っているだけ。しかも、その多くは中が焼けているという状態で、もう一発の爆弾を使うのも無駄だというぐらい、破壊され尽くされていたんです。ポツダム宣言受諾は昭和20年の8月ですけど、その三カ月前の五月の時点で、アメリカ軍は東京を爆撃目標リストから外したぐらい。それほど、破壊し尽くされていた。雨露をしのぐ家のない人は1000万人を超えていました。当時、8000万人だった人口のうち、300万人は死に、生き残った多くの人も家や食べる物がない。日本は世界最貧国でした。当時、占領軍が日本を調査したときの報告書に、どういうことが書かれていたかご存じですか。この国は50年経っても昭和5年当時の生活水準に戻るのが関の山だろうと書かれていたんです。それほど荒れ果てていたんです。 しかし、その日本が20年かからないうちに、戦争で負けて19年目の昭和39年には、東京オリンピックを開いて、ホストとして、世界中の国を招いたんです。そして同じ年に当時、夢の技術といわれた新幹線開通を実現させた。米英やソ連など第二次世界大戦の戦勝国がなしえなかった、時速200キロで走る高速鉄道を、東京から大阪まで通したんです。これ、すごいことです。 あの悲惨な状況の中で、どれだけ働いたら、こんなことができたのかと思います。先の東日本大震災のとき、すぐさま自治体や政府が避難所をつくり、食料を配給し、そして仮設住宅もつくりましたが、昭和20年当時、そんなことをしてくれる自治体も、政府も何もなかったんです。自分の家を焼かれても、家族を失っても、誰も補償してくれない。戦場から帰ってきた人たちは、仕事も何もない。家族はもう空襲で死んでいる。そういう状況の中でね、もう彼らは死に物狂いで働いたんですね。 私は『永遠の0』を書いた後、戦後の日本を描いた『海賊とよばれた男』を書いたのですが、この二つの作品を書いてみて、遅ればせながら、改めて気づいたことがあります。それは、あの戦争を戦った男たちと、戦後を建て直した男たちは、実は同じ男たちだったということです。 先ほど日本は戦争で300万人、死んだと言いました。広島・長崎の原爆と空襲で一般市民が約70万人、死んでいます。ですから、実際の戦闘で戦って、死んだ人は大まかに言って約230万人です。このうち、200万人が大正世代です。わずか15年しかない大正に生まれた男たちは約1340万人に過ぎない。1340万人のうち、200万人、死んだんです。平均すると6・7人に1人が死んでるんです。しかも、このほとんどが大正8年から15年という大正後半の生まれなんです。宮部久蔵も大正8年生まれです。私の父親も13年生まれ。ちょうどこの一番死んだ大正の後半世代に入っているんです。 この大正の後半世代というのは本当に不幸な世代です。日本は昭和6年の満州事変から14年間、ほぼ常に戦争していました。この世代は、物心ついたときから日本が戦争していたことになる。子供時代、青春時代を送った日本は、どんどん悲惨な国になっていった。二・二六事件が起き、国家総動員法ができ、戦争に邁進していき、そういう中で彼らは十代を過ごし、そして二十歳になった。二十歳というのは本当に人生で最高のときですよ。若さもあり、恋もする。その人生最高のときを、彼らは戦場で過ごしたんです。その戦場も地獄の戦場です。きのうは先輩が死んだ。きょうは自分の弟分が死んだ。あすは自分が死ぬかもしれない。そういう中で戦っていたんです。 戦争に負け、ボロボロになって日本に帰ってきても、「お国のために戦ってくれた兵隊さん、どうもお疲れさんでした。あとはゆっくり休んでください」と労ってくれる祖国は、どこにもなかった。祖国に帰ってきたら、戦場以上にひどいところだった。もう何もかもなくなっていた。そんな中で、彼らは日本を、祖国を一から建て直したんです。男と言いましたけど、女も同じです。200万人の男性が死んだということはね、200万人の女性が夫を失い、恋人を失い、あるいは兄や、弟を失ったということです。私の母親も大正15年生まれなんです。まだ元気にピンピンしてますが、ずいぶん結婚が遅かった。同世代の男は多くが、死んだからだと思います。父母、伯父達…大正世代に手を合わせたい 改めてそのことに気づいたとき、僕は大正世代のすごさに、深く感じ入りました。明治以降百何十年の中で、こんなに不幸な世代はないのですが、同時に、これほど偉大な世代もなかった。すばらしい世代です。私は、ありがとうございますと、手を合わせたいと思っています。私はいま58歳。もうすぐ60になります。この年まで生きて思うのは、伯父さん、父親、おふくろ、そういう僕の上の世代の人たちに、本当に豊かな日本、本当に素晴らしい社会に育ててもらったということです。深い恩を感じています。ですから、少しでも何か日本のためになりたい。日本のためはオーバーですが、小さなことしかできないにしても、何か世の中の役に立つことをして死にたいなと思っています。この日本にいて、この豊かさの上にあぐらをかいて、先人が残してくれたものをムシャムシャ食べるだけ食べて、腹一杯になったからもう死にますわと、そんな人生を過ごしたら、あの世で父親や伯父さんに顔向けできない。 先人が残してくれた、この豊かな素晴らしい日本に、少しでも豊かさを上乗せしたい。あるいはこの豊かさを維持したまま次の世代に渡していきたい。そういうことを考えています。 しかし、こういうのに足を引っ張るのが、慰安婦の強制連行があったなんていう捏造報道をした朝日新聞ですね(笑)。朝日を始めとする反日の連中は、日本をどうしたいのか。日本を沈めたいのか。日本にやってもない汚名を着せて、日本がひどい国であると世界に言って回りたいのか。 しかし、そんなことを続けていれば、朝日新聞社は日本人から信用を失って、経営危機に陥りますよ。私は日本のためにがんばって、いろんなことをやりたいと考えています。その「いろんなこと」の中には、朝日新聞の廃刊も入っています(笑)。その日までがんばりたいと思います。きょうはどうも皆さん、ありがとうございました。(講演を再構成して掲載しています) ひゃくた・なおき 昭和31(1956)年、大阪市生まれ。同志社大学法学部中退。放送作家となり、人気番組『探偵!ナイトスクープ』のチーフ構成作家に。平成18年には『永遠の0(ゼロ)』(太田出版、現在は講談社文庫に所収)で小説家デビュー。『海賊とよばれた男』(上・下、講談社)で、2013年本屋大賞を受賞。近著に『殉愛』(幻冬舎)、『フォルトゥナの瞳』(新潮社)。関連記事■ 百田尚樹もさじを投げた! 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    朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り

     1月13日付朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」に「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」という記述があった。 わずか4行だが、この記事を読んで言葉を失った。というより強い怒りがこみ上げてきた。特攻隊とテロを同一視しているからだ。 広辞苑によると、テロはテロリズムの略で、(1)政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義(2)恐怖政治-とある。無差別攻撃行わず 特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術だった。標的は軍事施設だけであり、決して無辜(むこ)の民は標的にしなかった。無差別攻撃を行うテロとは根本的に違うのである。 戦争という非常事態の中で、国をどう守るのか。指揮官も出撃した特攻隊員も、思いは複雑だった。雑草に覆われるように丘の中腹に横たわる零式艦上戦闘機(通称・零戦)の残骸=パラオ共和国・バベルダオブ島 特攻隊の生みの親ともいわれる大西瀧治郎中将の副官だった故門司親徳氏が生前、筆者に語ってくれたことがある。大西中将は門司氏に、「棺を蔽(おお)うて定まる、とか、百年の後に知己を得る、というが、己のやったことは、棺を蔽うても定まらず、百年の後も知己を得ないかもしれんな」と漏らしたという。 門司氏は「大西長官は特攻隊員を見送る度に一緒に死ぬんだという印象を感じた。長官は自分のやったことをこれでよいのかと、自問自答しながら、人に分かってもらえなくても仕方がないと、自分に言い聞かせていたのだと思う。だが、この特攻攻撃が戦争の終結に結びついた」と語った。 大西中将の思いについては、「特攻隊と同じ若い人たちに『諸子は国の宝なり』と呼びかけ、平時においても特攻隊のような自己犠牲の精神を持ち続け、世界平和のため最善を尽くすように-と後事を託した遺書に集約されている」と話した。 実際に出撃していった若者たちも、手紙や遺書から、戦局悪化で、奈落の底が見える中での究極の選択だったことがうかがえる。 極限状態の中で愛する者たちを守りたいと強く願う気持ち、国の行く末を案じる気持ちが、行動の芯であり源だったのはまぎれもない事実だ。そして、生への執着を断ち切るまでの想像を絶する努力と決断があったことは想像に難くない。「自己放棄の精神」 フランス人文学者のモーリス・パンゲは『自死の日本史』(ちくま学芸文庫)の中で、特攻隊員の思いを次のように分析している。 〈それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、しかし極めて論理的な結論ではなかっただろうか。それを狂信だと人は言う。しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した、何物にも曇らされることのない明晰(めいせき)な結論というべきものではないだろうか〉 〈強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。しかし、実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本のために死んだ〉日本人の誇り奪う 特攻は、宗教思想を曲解した行動とは根本的に違うのである。朝日新聞は昭和19年10月29日付1面で、「身をもって神風となり、皇国悠久の大義に生きる神風特別攻撃隊五神鷲の壮挙は、戦局の帰趨(きすう)分かれんとする決戦段階に処して身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じ、一億総特攻を扇動するような記事さえ掲載している。にもかかわらず、その責任には触れず、特攻隊の英霊を冒涜(ぼうとく)、日本の伝統的価値観の象徴でもある特攻隊の誠を踏みにじり、日本人から「日本人の誇り」を奪うような論調は決して容認してはならない。(編集委員 宮本雅史)関連記事■ 百田尚樹もさじを投げた! それでもまだ報道機関を名乗るのか■ 百田尚樹より 朝日論説委員と記者の皆さんへ■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「戦勝国」史観との対決■ 戦争犯罪と歴史認識

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    改めて呆れた本多勝一氏の卑劣な手口

    014年9月4日号(発売は8月28日)の特集記事のなかの、私の短いコメントだった。特集のタイトルは「朝日新聞『売国のDNA』」。私のコメントは「松井やよりと3人のホンダの遺伝子」という記事のなかにある。 朝日新聞には、ホンダという3人の有名記者がいた。松井やよりが組織した女性国際戦犯法廷のNHK報道に安倍晋三・中川昭一の2人の政治家が圧力をかけたといって糾弾するスクープ記事を書いたのが、本田雅和記者。沖縄・西表島のサンゴに「KY」の文字が刻まれていたといって写真で報道したのが、本田嘉郎カメラマン。そして、かつての「朝日のスター記者」本多勝一氏。以上の三人である。本多氏について、『週刊文春』は次のように書いた。 本多氏は、事実とかけ離れた『南京大虐殺三十万人説』を流布させた人物だ。71年に朝日紙上で連載した『中国の旅』でこう書いている。〈歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された〉 私のコメントは、「拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏はこう呆れる」として次のように書かれている。「この記事は本多氏が中国共産党の案内で取材し、裏付けもなく執筆したもので、犠牲者30万人などは、まったくのデタラメです」 何の変哲もなく、面白味もないコメントに過ぎない。私は、こんなありきたりのコメントが問題にされるとは露とも思わなかった。 『週刊文春』が本多氏に取材を申し込んだところ、今回の朝日の検証記事は「読んでいない」とし、南京事件の死亡者数については「私自身による調査結果としての数字を書いたことはありません」と答えたそうだ。藤岡への公開質問状 発売翌日の8月29日付で、『週刊金曜日』編集部から『週刊文春』編集部に配達証明郵便が届いた。「藤岡信勝様『週刊文春』へのコメントに対する公開質問状」と題されていた。 私宛の公開質問状には、六つの質問が記されていた。その第一番目は、「約三十万人が殺されたとの記述は、本多編集委員の結論ではなく、姜眼福さんの体験の聞き取りであることをご存知ですか」となっている。以下、『中国の旅』の編注があるのを知っていたかとか、『週刊金曜日』の特定の連載記事を読んでいるかとか、私のコメントは正確に掲載されているかとか、何でこんな質問をするのだろうと首を傾げたくなるような質問が続いていた。最後の六番目の質問は、「藤岡さんは、南京事件の『被害者数』は何人であるとお考えですか」となっていた。 これを受け取った『週刊文春』編集部は、細かい公開質問に私が答えるよりも、いっそのこと、『週刊文春』と『週刊金曜日』の両編集部立ち会いのもとで本多氏と私の公開討論を行い、それを両編集部がそれぞれの責任で記事にする、という企画を提案した。もちろん、事前に私に話があり、私は承諾した。 この点について、本多氏は第一信で「藤岡氏は俺に公開討論を申し込んできました」と書いているが、間違っている。私が本多氏に公開討論を申し込んだのではない。公開討論を思いついて提案したのは『週刊文春』であり、私はそれに同意したという関係である。 これに対する本多氏の回答は、公開討論は不正確になるので文書のやりとりによる討論にしたいというものであった。公開討論が「不正確」になるというのもよくわからない話だが、ともかく口頭による討論からは逃げた形である。大虐殺派は公開討論拒否 実際、大虐殺派は著書や論文では自信たっぷりにもっともらしいことを書きながら、口頭での討論を呼びかけても出てこない。もうそれだけで、本当は自信がないこと、自信めいた書きぶりは虚勢に過ぎないことがわかる。私が体験しただけでも二つのケースがある。 私が代表を務めている自由主義史観研究会は1995年、お茶の水で南京事件について公開討論会を開いた。討論会は初めの企画では、大虐殺派、中虐殺派、「虐殺なかった」派の3人の代表的論者を呼んで論争するというものだった。 私は大虐殺派の第一人者となっている笠原十九司氏に登壇を依頼したのだが、虐殺否定派の人物は学者ではないので同席できない、との返答だった。学者であろうとジャーナリストであろうと一般人であろうと、笠原氏から見て謬論を口にする者は徹底的に論破して懲らしめてやればよいではないか。出てこないのは、逆の結果になることを自覚しているのであろう。 もう一つのケースは、2012年、河村たかし名古屋市長が南京事件はなかったのではないか、という発言をし、中国共産党に討論を呼びかけた時である。おおもとの中国共産党がそれ以来、南京事件について少しおとなしくなったのは、河村発言の影響があると考えられる。独裁国家の中国にとって、言論統制は権力の命綱である。 この問題が起きたときにメディアでは河村バッシングが起こりかけたので、「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって、河村市長を支援する運動を展開した。その一環として、名古屋で開かれた集会に参加したことがあるのだが、それに先立ち、私は日本共産党名古屋市議団に公開討論を申し入れた。彼らは、河村市長の南京事件についての認識の誤りを糾弾する声明を発表していたからである。彼らはもちろん、私との公開討論は拒否した。 こういう経験があったから、私は本多氏も100パーセント逃げるだろうと予想していた。そして、そのとおりになった。問題はその先である。文書による討論ならどうなのか。これも私は断られるだろうと予想したのだが、意外なことに、口頭での討論にかえて文書による討論にしたい、と『週刊金曜日』側が提案してきたのである。これは私にとっては意外であった。文書による討論のルール もちろん、長年希望してきた機会であるから、受けて立つことはやぶさかではない。まして相手は、1971年以後の南京事件宣伝のおおもととなった本多氏である。相手に不足はない。 誌上討論をすることで両サイドの意向が一致したので、ルールの検討に入った。まず分量だが、『週刊金曜日』側は一発言を400字詰め原稿用紙で6枚とし、誌面に交互に掲載するという案を提案した。しかし『週刊文春』側は、1、2回程度の記事としてまとめて載せるという考えだった。そこで2人の担当者が直接面会して協議し、結局、1回の発言は3枚(1200字)以内となった。やりとりは5往復とし、相手の書簡を受け取った側は5日以内に返信すること、討論が終わった最後に両者から同時に2枚の感想を寄せることになった。 どのような形で掲載するかは、両誌の編集権に属する。私としては、長く丹念に書けるので『週刊金曜日』案のほうが有り難かったが、企画を思いついたのが『週刊文春』側だったためか、そちら寄りの結論となった。 討論の第一信をどこから始めるかについては、両誌の見解は公開質問状に対する私の回答から始め、それを藤岡からの第一信とするというものであった。 これについては、私には異論があった。公開質問状という形で先方は一回、発言しているわけである。だからそれを本多氏の第一信、それに対する私の回答を私からの第一信として扱うべきである、というのが私の主張である。 もしそれができなければ、先方の公開質問に対する私の回答を討論とは別枠で行い、改めて討論を開始するという方法もある。こういう討論では、発言量をイーブンにすることが原則である。口頭ならば発言時間を全く同じにすべきだし、誌上討論ならば文字数を同じにすべきなのである。 しかし両編集部とも、ディベートに関するこの公平の原則のもつ重要性にはあまり十分なご理解をいただけなかったようで、先方の公開質問状は議論の始まりのための別格として扱い、私が第一信で口火を切り、そのなかで公開質問状に回答するとともに反対に私からも質問をする、ということになった。そのように両誌は合意した。 私は納得できなかったが、それに従った。なにしろ、多少のハンディキャップがあっても、私が勝つのは決まっているのである。「A記者」の登場に仰天 以上のような経過があったので、私の第一信はいきなり公開質問への回答から始まっている、本来、第一信は最初の立論の場であり、自己の主張を体系的に述べる場である。私の第一信を期待して読んだ読者のなかには、あまり格調が高くないことに失望した方もおられるに違いない。右のような事情があったことをご理解いただきたい。 私が第一信を送ってから5日後に、本多氏からの第一信が届いた。私は普通にメールでテキストとして送ったのだが、本多氏は原稿用紙にワープロ打ちしたものをPDFファイルに落として送ってきた。これは字数の遵守に紛れがなく、編集部が手を加えたりしていないという証拠にもなるということであろう。これはこれで一つの考え方であり、異論はない。 問題は、書かれている文章のほうである。本多氏は自ら文章を書かず、「発端が『週刊金曜日』なので、俺の担当A記者との対話を紹介することにしよう」と言って、そのあとは専ら「A記者」「本多」という発言者名をゴシックにした、雑誌の対談などと同じ形式の文書になっているのである。 これには心底驚き、呆れた。私は本多氏との誌上討論には同意したが、正体不明の「A記者」なるものと討論することを承諾した事実はない。私は1人で相手は2人だから、変則タッグマッチとでも言うべき不公平な試合だ。極めて失礼であり、ルール違反である。 両編集部が明文化したルールには「原稿は本人が書くこと」という項目はないが、それは当然の前提だから書かなかっただけである。「俺」という一人称も公的な場の発言として不適切で、相手を馬鹿にしている。もうこの時点で、私にはこの討論を拒否する十分な理由があり、この企画は水に流れてもおかしくはなかった。 そもそも、「A記者」とは誰なのか。私の周りの読者から聞こえてきた声は三通りある。(1)本多氏の言うとおり、『週刊金曜日』の担当記者であろうという常識的な見方。もしそうなら、せめてその氏名を明らかにすべきである。(2)「A記者」なるものは実在せず、集団でこの論争に対処しているグループ名ではないかという推測。(3)そもそも、「A記者」は架空の創作された人物であるとする説。様々である。 では、なぜ対談の如きこんな書き方をしたのか。私はSNSの一つであるフェイスブックをやっている。私の「友達」から今回の誌上討論について様々なコメントが寄せられている。この件についてもたくさんの投稿をいただいた。 80歳を過ぎた本多氏はもう自分で文章を書けなくなっているのではないか、という説がある。その一方で、若い頃から本多氏の文章をほとんどすべて読んできたという方は、これが本多氏の流儀であり、本多氏はボケているどころか極めて頭脳明晰な状態である、と主張している。いろいろな見方があるものだと感心する。私にはどちらが事実に近いのか、知る由もない。朝日的体質の卑怯・卑劣 それにしても、卑怯であり卑劣である。後味がよろしくない。この不快感は何かに似ていると思ったが、最初は何だかわからなかった。しかし、数分後に私は気付いた。この不快感こそ、まさに朝日新聞の記事や社説を読んだあとのあの不快感と同質のものなのだ。「朝日のスター記者」本多勝一氏は、まさに朝日的体質を体現していたのである。 こういう「A記者」なるものを登場させる手法の目的は明白だ。責任逃れである。本多氏は将来、誌上討論の発言で責任を問われかねない事態が生じるかもしれない。その時の保険として、本多氏自身ではなく「A記者」が言ったことにしておけば、逃げを打つことができる。政治家が「秘書が、秘書が」というのと全く同じである。 今度の吉田清治証言の記事を取り消す時も、朝日新聞は責任逃れの策を様々に弄した。本多氏はなるほど、朝日新聞の一員であったのだと再認識させられた。 私は討論を打ち切ることもできたのだが、せっかくの機会なので事のなりゆきを確かめることも意味があると考えた。それに何よりも、ご苦労されている両編集部、二人の担当者の努力を無駄にはしたくなかった。断っておくが、私は執筆者の本多氏にはいろいろな思いが生じるのは仕方がないとしても、『週刊金曜日』の担当編集者には、その公正で正確な仕事ぶりに感謝している。 たとえば、書簡に小見出しを付けるのは各編集部の権限だが、『週刊金曜日』の担当者は、ゲラの段階で私に必ず確認を求めている。私の第一信には、編集部は「南京事件の/『被害者はゼロ』」という見出しをつけた。私は、この見出しでは南京事件の存在を前提にしている印象を与えるので、「南京事件はなかった/『被害者はゼロ』」と訂正するように求めたが、そのとおりにしていただいた。 話が横に逸れたが、私は討論を続けるために、「A記者」の発言も含めて、書簡に書かれていることの全てを本多氏の発言として扱うことを宣言した。論理的には、それ以外に討論を続ける理由は考えられない。 驚いたことに、本多氏の第三信では、「A記者」が「私の発言を本多さんの発言とみなすのは『捏造』ではないでしょうか」と言い、それに本多氏が「俺の発言とごっちゃまぜにしてもらっては困る。藤岡氏の史料に向き合う姿勢がわかりますね」と応じて、私の個人攻撃の切り口にまでしている。 両者を独立の別人格とせよというなら、本多氏としか討論を承諾していない私は、本多氏の相槌だけを対象に議論をすることを強いられることになる。ちなみにある人の計算によると、本多氏の発言量は本多氏の書簡全体の10パーセントだそうである。これがどんなに馬鹿らしいことか、大抵の読者は呆れるのではないか。私は無視して、私の宣言を貫きとおしている。人名の誤記をめぐって 本多氏の卑劣さは、討論のなかですぐに表れた。前に引用したとおり、私宛の公開質問状の第一番目は、「約三十万人が殺されたとの記述は、本多編集委員の結論ではなく、姜眼福さんの体験の聞き取りであることをご存知ですか」となっていた。 私は第一信で、「引用部分が姜眼福という人物の証言として書かれていることは知っていました」と答えた。しかしこのとき、『中国の旅』で問題の箇所を確かめた私はあることに気付いたのだが、それにはあえて言及しなかった。 すると本多氏第一信で、冒頭に「A記者」が「藤岡氏は名前を間違っています。姜眼福は姜根福の誤りですね」と発言した。私の第一信は、先に述べた事情によって格調高いものにならなかったのだが、誤字の指摘から始まる本多氏の第一信は、それに輪をかけて格調の低いものとなった。 ところで、これは私が間違ったのではなく、本多氏側がそもそも間違ったのである。『中国の旅』では、この43歳の港湾勤務者は、たしかに「姜根福」となっている。私はこれに気付いたのだが、なにしろ相手は『中国の旅』の著者である。最大のオーソリティーだ。だからひょっとして、本多氏が取材ノートを確かめたら人名の書き間違いだった、ということもありうる。第一、「眼福」のほうが意味をなす言葉ではないか。それで私は食い違いに気付いたが、先方の質問にあるとおりの人名で答えたというわけだ。 したがって、間違っていたなら非は本多氏側にあるのに、私のほうが攻撃されている。不当なことである。 ただ、私は第二信でこのことには反論しなかった。字数がもったいないから「細部の応接は次便以降に回します」とだけ書いて、触れなかったのである。 さすがに見かねた『週刊文春』編集部が本多氏の第一信のあとに「付記」して、〈「姜眼福」という記述は、そもそも「週刊金曜日」編集部からの最初の公開質問状にあった通りの記述である〉と書いて下さった。 その後、『週刊金曜日』編集部からは公開質問状の誤字の訂正の通知がきた。私は、謝罪が必要ではないか、と返信したところ、謝罪もメールで届いた。このあたり、吉田清治証言の朝日の対応を彷彿とさせる。 だが私は、本多氏自身が私に謝罪する必要があると思う。なぜなら、本多氏は『週刊金曜日』の編集委員であり、自分の雑誌が犯した誤記を私がしたミスだと勘違いして私のいい加減さを攻撃する材料にしたのだから、氏自身が謝罪するのは当然なのである。私はそれを求めていくつもりだ。 論争はまだ続いており、この小論では内容に立ち入ることはしなかった。『週刊文春』は後半を年内に一括して掲載し、『週刊金曜日』は一回ごとの往診復信を毎週掲載している。なりゆきを注目していただければ有り難い。関連記事■ 本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない■ 記事に「角度をつける」朝日新聞■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理