検索ワード:朝日新聞/119件ヒットしました

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    世の中に新聞ほどの法螺吹きはない

    があるか」 漱石は明治39(1906)年の『坊っちゃん』で新聞をくそみそにけなしたくせに、その翌年、朝日新聞の主筆池辺三山に乞われて朝日に入社する。入社したのは朝日が大学教授なみの収入を保証したからだという。そして『虞美人草』以後、その作品のすべては朝日新聞を舞台に発表したのだから、何をかいわんや。 それから百余年、いま漱石がこの世で、朝日新聞の一連のていたらくの現状を見れば、どんな悪態を吐くのか、聞いてみたい。 それにしても、である。つくづくと思わないわけにはいかない。朝日という新聞は、なぜ性懲りもなく日本と日本人を貶める記事ばかり書くのか。最近の産経によると、今夏、朝日は沖縄戦について「日本軍は住民を守らなかったと語り継がれている」などとする中学・高校生向けの教材を作成した。それを九州各県に配布していたという。 『正論』10月号にも書いたのだが、朝日人といわれる記者たちは日本が嫌で嫌でたまらぬ人種であるらしい。日本を悪しざまにののしり、祖国をひどく貶めることが国際的な教養で、良心的な行為だと錯覚している。それが知識人的なことだと思い上がっているのである。 一体、この病理現象はどこからきているのか。西尾幹二氏にいわせると「自国や自民族の文化を蔑み、少しでもネガティブに表現することが道徳で、自らの美意識に適い、文化的な行為であるという錯覚、それに快感が伴うという病的な心理」(『WiLL』12月号)であるそうだ。 また徳岡孝夫氏はこういっている。「私が思うに、慰安婦問題の根源は、朝日記者が自らは日本人というより朝日人だと自覚していることにある」(『清流』12月号) この朝日人とは何なのか。何を志し、何をめざしているジャーナリストなのか。その精神構造をとくカギは、どうやら朝日新聞綱領にかかっているらしい。三露久男という元朝日論説副主幹氏がコミュニケーション誌に書いているところによると、朝日新聞社員の“憲法”というべきもので4項目から成る。その3項目に「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す」とあるという。 わかった、問題の根はその「進歩的精神」という奴である。「進歩的」という三文字がキーワードなのだ。すなわち進歩=善、保守=悪という往年のばかばかしい二元論パターンである。伝統や歴史という古いものを一掃し、革新や先取という新しい皮をかぶる。手取り早くいえば左翼かぶれである。事実の確認より先に、進歩的という左巻きイデオロギーの発露がある。ここに朝日人の悲劇性の宿命があった。 おかしなことだが、世にはそんな左巻きの新聞をありがたがる人が多い。盲目的な信者が少なからずいた。いや、いまなお根強くいる。 ところが、その朝日的錯誤の妄想を、当の朝日以上にばらまいている新聞があるのに驚いた。目を疑った。東京新聞、2014年10月5日付の紙面 老蛙生はすでに6月いっぱいで朝日の購読をやめている。一連の誤報問題より前の集団的自衛権報道の狂態にあきれたからだ。それでは不便だろうといわれるが、そんなことはない。いまは3紙をとっているが、『正論』営業OBのMさんが、毎週、朝日をはじめ“これは”と思った各誌紙の記事をコピーで送ってきてくれるからである。 で、何に驚いたかといえば、Mさんが届けてくれたコピー群のなかに東京新聞10月5日付の1ページがあった。それがなんと、本多勝一氏(82)の紹介インタビューで全ページ埋め尽くされているのである。 本多氏といえば、中国の反日宣伝を丸のみした悪名高い『中国の旅』の朝日記者である。その日本の悪口を国際的に広めたジャーナリストへ、歯の浮くようなオマージュ(称賛)をささげているのだ。呆れてものもいえなかった。 辛口のコラムニスト故・山本夏彦翁は「東京は朝日のまねっこ新聞です」と批評していたが、それをそのまま、本多氏は「(最近の報道は)朝日新聞と東京新聞がひっくり返ったみたいだ。今の東京新聞は、昔の朝日のように、いい記者が自由に書いている気がする」などと、おべっかをお返ししている。 老蛙生は漱石にならってその新聞コピーを丸めて、ゴミ箱に捨てた。ただし後架へ捨てるのはやめた。水洗がつまっては困るからである。関連記事■ 改めて呆れた本多勝一氏の卑劣な手口■ 朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り■ 朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

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    親の気持ち子知らず これが朝日の現実である

    笹川陽平(日本財団会長)「朝日新聞 第四者委員会設立か?」―第三者委員会ではありません―  「今年秀逸の賀状」として「感染症の世界史」の著者であられる石 弘之先生の賀状を1月16日付の本ブログで紹介させていただいた。 先生はこの中で「昨年も世界ではさまざまな問題がありました。問題が発生したら各国はどんな対処をしたでしょうか?」とした上で、日本については「第三者委員会を組織する」とし、「さて、ことしはどんな『第三者委員会』ができるのでしょうか」と書かれていた。記者会見する朝日新聞社の慰安婦報道に関する第三者委員会の中込秀樹委員長(中央)ら=2014年12月22日 一連の朝日新聞問題で、同社が設けた第三者委員会を念頭に置いた賀状で、これに対し私はブログの末尾に「第三者委員会が設置されると公平・公正な議論が行われ、まるで問題が解決したような錯覚に落ち入るのも日本人の特性でしょうか」とのコメントを付けた。 当事者が第三者委員会の結論を真摯に受け止め、改善に努めるのは当然です。現に朝日新聞も「信頼回復と再生のための行動計画」をまとめ、懸命に努力されているようです。私にも一連の問題に関し、朝日新聞関連の雑誌に寄稿するよう依頼がありました。 しかし、親の気持ち子知らずとでも言うのでしょうか。朝日新聞や新聞界には、第三者委員会の結論や朝日の対応を潔(いさぎよ)しとしない人たちもいるようです。 元韓国人慰安婦の証言を初めて記事にし、その内容が問題となった植村 隆・朝日新聞元記者は、1月10日、記事を捏造したと報じられ名誉を毀損されたとして、文芸春秋社と東京基督教大学の西岡力教授を相手取り損害賠償を求める訴訟を起こしました。 これに対し西岡教授は「言論人が言論で批判されたのであれば、言論で返すべきではないか」とコメントされています。言論人は言論で闘うのが当然であり、訴訟を起こすという行動には驚きを禁じえません。既に退職されており、朝日新聞としてどうこうできる問題ではないでしょうが、なんとも理解に苦しむ話です。 1月28日には日本新聞労働組合連合(新聞労連)が主催するジャーナリズム大賞授賞式が行われ、その特別賞を、何と! 昨年5月20日付で朝日新聞が「所長命令に違反、原発撤退」と報じた「吉田調書」記事が受賞しています。 朝日新聞は、この記述と見出しに重大な誤りがあるとして記事を取り消し、同社の第三者機関である「報道と人権委員会」(PRC)も朝日新聞社の記事取り消しを妥当と結論付けています。 「吉田調書」報道は、慰安婦問題に関する吉田清治氏(故人)の証言(吉田証言)とともに“2大誤報”として朝日新聞を揺るがし、朝日新聞は「第三者委員会」など3つの委員会に原因究明や今後の再建策を委託し、年明けには今後の行動計画を打ち出しています。 現在は全社を挙げて名誉回復に向け邁進されているところでしょう。ところが週刊文春によると、この記事を書いた木村英昭、宮崎知己の両記者は授賞式に出席、記念撮影にも応じ、「大変励みになる賞をいただいた」とコメントしたというのです。 「百の説法屁一つ」でしょうか。受賞を遠慮するのが常人のありようだとも思うのですが…。新聞労連の判断とは言え、世上の人々とは大いに異なり、朝日の新経営陣も戸惑っているのではないでしょうか。懸命の努力も「日暮れて道遠し」のような気さえします。 ジャーナリズムには、言論の自由と共に高い倫理感が求められます。朝日新聞におかれましては、これを機に、社員の倫理向上のための「第四者委員会」を設立されたら如何か。そんな気がするほど、私にとっては理解し難い話です。ささかわ・ようへい 日本財団会長。昭和14年、東京都生まれ。明治大卒。平成13年、世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧特別大使。17年から現職。25年からミャンマー国民和解担当日本政府代表。「民」の立場から「公」への貢献をモットーに内外の現場で公益活動を実践している。著書に「紳士の『品格』わが懺悔(ざんげ)録」など。関連記事■ 朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り■ 朝日は世論調査を悪用している■ 新聞マニアが分析 朝日新聞とは何か

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    朝日新聞記者有志」への違和感

    文春新書から発売中の『朝日新聞-日本型組織の崩壊』を読みました。著者は「朝日新聞記者有志」。一部を除いて匿名の記者が何人かで執筆しており、彼らにしてみれば、会社の将来を憂いて、ある意味、覚悟を決めて書いているのでしょうが、読後の感想は「やっぱり朝日は嫌な感じ」なんです。

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    百田尚樹がどうしても伝えたかった「奇跡の世代」への熱い想い

    うにギャグをたくさんしゃべるようにしているものですから。 ご存じの方も多いかもしれませんが、以前から朝日新聞を批判してきた私は、朝日から目の敵にされています。今年の8月5日に、朝日新聞は従軍慰安婦の強制連行をしたという吉田清治氏の証言を掲載した記事を取り消しましたが、私はこの機会に、さらに厳しく朝日を叩いていると、朝日がきっちり報復をしてきました。 9月28日、旧社会党(現社民党)の元党首、土井たか子が死んだというニュースを見て、私がインターネットのツイッターで、拉致問題の存在すら認めることに否定的な言動をとってきた土井を批判して、「売国奴」と書いたときのことです。社民党の又市征治幹事長が記者会見で、「党をおとしめる誹謗中傷だ」「NHKの経営委員として不適格だ」と辞任を要求してきたことを、朝日新聞は、毎日新聞や東京新聞とともに書いて、私を批判してきたわけです。 ただ、又市幹事長の発言の翌日に大々的に記事にしたのは毎日と東京で、朝日は一日遅れだったんですね。僕は初め、朝日はなぜ記事にしないのだろうと首を捻っていました。すると朝日新聞の記者が、私のところに電話をかけてきたんですね。 「百田さん、ツイッターでこう言ったのはほんとですか?」 僕はわざととぼけてやりました。 「知らんがな」 「いや、百田さんのツイッターに書かれてますけど。百田さんが書いたんですよね」。 どうやら朝日の記者はビビっているようなのです。おそらく、もし僕ではなく、僕になりすました誰かが書いていたら、また誤報、捏造と批判されると思ったのでしょうか。 もちろん僕が書いたんですけど、僕も意地悪だから「知らんがな、そんな。覚えてへんがな」と、さらにとぼけてやりました。すると、朝日の記者は「やめてください。そんなことを言うの、やめてくださいよ」と言うので、「そんなん、自分らで勝手に調べろ」と言ってやりました。 朝日がどうするか楽しみにしていましたが、翌日、やっぱり朝日新聞には、きっちり記事が掲載されていました(笑)。実は、朝日の記者が「百田さん、何か言いたいことありませんか」と聞いてきた時に、こうも言っていました。「言いたいことは特にないけど、社民党の又市に言うてくれ。『記者会見で辞任を要求するって、いったい誰に向かって言うとるねん。要求するんなら、わしに言え、あるいはNHK、政府に言え、国会に言え。なんやったら、国会に呼べ。国会でお前らと直接対決したる』と。それを書いてくれ」 まあ、朝日新聞はその部分は全然、書いてくれませんでしたが。拉致問題に冷淡だった土井たか子は許さん日本人拉致の実行犯である辛光珠死刑囚ら韓国人政治犯の釈放に関する要望書に、菅直人や土井たか子の署名が記載されていた 真面目な話、僕は土井たか子のことを本当に、許せない政治家だったと思っているのです。旧社会党―つまりいまの社民党―は、北朝鮮の朝鮮労働党と友党関係にありながら、拉致問題などないという北朝鮮のウソを長い間、そのまま受け入れてきたんです。党のホームページに「北朝鮮による拉致というのは創作である」という論文まで掲載していた。土井は、そのときの党首です。平成14年、北朝鮮が拉致を認めた時、土井はさすがにその対応の誤りを認めて謝罪しているんです。1989年には、土井は、拉致の実行犯で韓国で逮捕された辛光洙(死刑判決、後に恩赦で釈放)という男の釈放要望書にも名を連ねています。これが「売国奴」ではなくて何だというのです。 さらに、僕が最も許せないのは、土井たか子が、自分たちを頼ってきた拉致被害者の家族の声に応えようともしなかったことです。 ヨーロッパで拉致された石岡亨さんという方がいます。1988年に決死の思いで北朝鮮から日本にいる家族に手紙を書いたんですが、その手紙はある人からある人へと渡って、ポーランド経由で、同じくヨーロッパで拉致され、石岡さんと結婚していた有本恵子さんのご両親のところに、届けられたんです。これ奇跡的な出来事です。 もしこんな手紙を出したことを北朝鮮当局に知られれば、石岡さんは粛清されるかもしれない。その手紙を日本に届けるために協力した人たちの命も危険にさらされる。それでも届けられた決意の手紙を手にした有本さんのご両親は、この年の9月、北朝鮮とパイプがあるといわれた旧社会党、土井たか子に、なんとかしてくれと頼みに行ったのです。当時、日本政府も、拉致はまだよくわからないという立場だったので、有本さんのご両親は、藁をもつかむ思いで土井を頼ったのだと思います。しかし、土井たか子は、それを門前払いにしてしまったのです。なんとひどいことをすると思いませんか。 しかもこのとき実は大変なことが起こっていた恐れもあります。それはこの14年後に明らかになります。2002年、当時の小泉純一郎首相と安倍晋三官房副長官らが訪朝して、金正日に拉致の事実を認めさせました。このとき北朝鮮は拉致した人たちの情報も出してきたのですが、なんと石岡亨さんと有本恵子さんについては、1988年の11月に、お二人のお子さんも含めて家族三人がガス中毒で亡くなっていると言ったのです。 ご両親が土井たか子に手紙のことで頼みに行ったのが、1988年の9月。この2カ月後に家族3人が突如として亡くなっているというんですね。もちろん、北朝鮮の出してきた情報は信じられない。石岡さんたちは生きていると僕自身は思うし、いまも生きていてほしいと思っています。けれども、もし北朝鮮の言う通り1988年の11月に亡くなっていたとしたら、その理由として考えられることはたった一つ。つまり石岡さんが手紙をこっそり日本に送ったという、この情報を北朝鮮が掴んだということです。じゃあ、どうして掴んだのか。そういうことを考えると、僕は怒りを抑えることができないのです。無敵の戦闘機の真実の姿 朝日新聞にしても、土井たか子にしても、反日の連中は、本当に何がしたいのかと怒りを覚えますが、その批判はさておき、『永遠の0』の話に戻りましょう。いうまでもなく、この映画は零戦の映画です。この零戦というのは、日本が生んだ傑作飛行機です。完成した昭和15年当時は、世界最高速レベルの飛行機であり、同時に世界のどの戦闘機にも勝る小回りの能力も持っていたんです。スピードと小回りというのは両立が極めて難しいのですが、それを実現したのが零戦でした。しかし、実は、僕は手放しでこれを傑作と言っていいのか、難しいところだと思っているんです。というのも、これほど、ある意味、人命を軽視している飛行機もなかったからです。大日本帝国海軍 零式艦上戦闘機(零戦)特攻機。終戦まで日本海軍航空隊の主力戦闘機として使用された 零戦の防弾性能はゼロといっても過言でもないほど薄かったのです。搭乗員の操縦席の後ろは防弾用の鉄板がまったく入っていない。一発でも撃たれたら、機体に火がつく。そんな戦闘機だったのです。にもかかわらず、初め零戦が無敵の活躍だったのはなぜかというと、当時、零戦の搭乗員が世界最高の技量を持っていたからです。つまり零戦というのは、最高の技量を持った搭乗員が操縦したら、最高の性能を発揮できるという戦闘機だったんですね。 ところが、戦争というのは、どうしても人が死にます。特に搭乗員は消耗度が激しく、次々と亡くなっていきます。一番、亡くなったのは、『永遠の0』でも描いたガダルカナルの戦いです。ラバウルの航空基地から1000キロ、米軍のいるガダルカナルを爆撃する一式陸攻を護衛して、現地で空中戦をして、そしてまた1000キロを帰る。そういう過酷な戦いが連日のように、行われたんですね。 『永遠の0』の中で、主人公の宮部久蔵は「1000キロを行って、帰ってくることはできない」と言いました。しかし日本海軍は実際にそれをやったんです。ガダルカナルを取り返すために、当時の零戦の搭乗員に、往復2000キロの飛行を要求したわけです。 現在の自衛隊のパイロットに聞いたのですが、戦闘機のパイロットが本当に集中力を持続できるのは、1時間半ぐらいだそうです。それを超えると、集中力が極端に落ちる。生理学的に必ずそうなるらしいです。ところが当時、零戦の搭乗員はガダルカナルまで往復6時間も乗り続けたんです。ガダルカナル上空で戦えるのは5分か10分。それ以上戦うと、帰りの燃料がなくなってしまう。一方、米軍戦闘機は燃料がタップリあるうえに現地で待ち構えているわけですから、どんな戦いでもできる。零戦は圧倒的に不利な上、自らを犠牲にしてでも、一式陸攻という爆撃機の護衛をしなければならない。行き帰りの飛行だって、どこで雲の合間から敵が襲ってくるかわからない。後ろから、雲の間から敵が来ないか。知らぬ間に敵に回りこまれていないか。そういう極限の緊張状況の中で、6時間飛び続けるんです。 車だって6時間も一度もストップしないで運転なんてできません。もうヘトヘトになります。しかし当時の搭乗員たちは6時間飛び続け、命懸けの空戦もしているんです。当時の戦闘詳報も見ましたが、多いときは1週間に5回とか出撃してるんです。疲労困憊どころの話ではありません。 私は、実際に宮部久蔵の時代、ラバウルで戦い、生き残った本田稔さんという元零戦の搭乗員の方とお話をしたことがあります。本田さんのおっしゃるには、おそらく実際に撃墜されて死んだ人よりも、途中で疲れ果て、海に落ちて死んでいった人のほうが多かっただろうということでした。連日の空戦で歩くのもしんどいほどでも、何とか出撃はする。しかし、帰りは、もうどうしても機中で寝てしまうのだそうです。本田さんは何度も、実際に海に落ちて死んでいった搭乗員を見たそうです。横に飛んでいる列機がそのまま、いつの間にか高度を下げてスーと落ちていく。「ああ、こいつ、寝てる」と思うけれども、当時の無線はとても使えたものではなくて、起こすこともできないのだそうです。 僕は、本田さんに、その睡魔にどうやって打ち勝ったのか尋ねました。本田さんは、眠たくなったらドライバーで自分の太ももを突いて目を覚ましていたそうです。何度も何度も出撃するうち、傷が倦んで、穴が開いてしまった状態になるそうですが、もう末期になってくると、普通に突くくらいでは目が覚めない。だから、傷口にドライバーを突っ込んで、それをグリグリと捻じ込んで、その痛みで意識を取り戻したというのですから、壮絶な話です。ラバウルの基地にたどり着いても、もうとにかく疲れ果てて、操縦席から出ることもままならず、整備員とかに両脇を抱き抱えられて降りたこともあったといいます。 そういう状況の中でね、ガダルカナルは半年間も戦うんです。昭和17年の8月から、ずうっと翌年の1月か2月まで、ガダルカナルの攻防戦をやるんですが、このときに日本の誇る、歴戦のベテラン搭乗員がほとんど亡くなったんです。日本は、そこでもう敗北が決定したわけです。なぜパイロット達は死んだのか 当時は、ラバウル行きの辞令を搭乗員が貰うと、片道切符と言われていたんです。私は『永遠の0』を書くために、いろいろ調べたのですが、その地獄の戦場でも、戦い抜いて、生き抜いて、生還したすごい搭乗員が何人もいたんです。先程、紹介させていただいた本田稔さんもその一人です。もう今、九十歳を超えていらっしゃいますが、本当に素晴らしい方で、まだまだお元気でいらっしゃいます。ガダルカナル島の海辺を行進する日本陸軍部隊=1942年 戦死された方の中にも素晴らしい搭乗員がたくさんいらっしゃいました。西澤廣義さんもその一人です。おそらく日本海軍で最高級技量の搭乗員の一人で、映画では登場しませんが、私は原作で書きました。 すごいのは、西澤さんは小隊長なんですが、自分の後ろに連れている列機の二機も一度も落とされなかったのです。映画でラバウルからガダルカナルに初めて行く日が描かれていますが、この日、西澤さんは実際に出撃して、6機のグラマンを撃墜しています。とんでもない達人だったんです。 地獄のガダルカナルを生き残った西澤さんは、昭和19年10月25日、関大尉が初めて神風特攻隊として突入する際、護衛を務めています。 初めての特攻の話は冒頭に少ししましたが、関大尉は突入前に二度、出撃しています。一度目、二度目の出撃では敵空母を見つけられずに帰ってこなければならなかったため、海軍の上層部は、相当な腕の搭乗員を誘導と護衛につけるしかないと考え、わざわざ別の基地にいた西澤さんに白羽の矢を立てたのです。「おまえは敵空母まで関大尉を護衛して連れていけ。そして、そこで神風特攻隊の突入を見届けて帰ってこい」というわけです。西澤さんは三度目の出撃をした関大尉を、敵空母まで送り届け、そこで敵の飛行機を2機撃墜し、そして関大尉が突入するのを見届けて、その戦果を全部確認して、戻ってきました。 しかし、その西澤さんの最期を思うと、あまりに悲しい。戻ってきた彼は翌日、命令で零戦をその基地に置いたまま、輸送機に乗って、クラーク基地に帰らなければならなかったのですが、その途中、その輸送機が敵戦闘機に撃墜され、彼もまた命を落とすわけです。日本の生んだ最高の戦闘機乗りが、こんな形で死んでしまったのです。当時の日本軍の戦い方を見ていると、もうなんという愚かな戦い方をしているのかと思います。 零戦の製作についても愚かなことがいっぱいありました。例えば、零戦は三菱重工業の名古屋の工場で製造されていたわけですが、そこには飛行場がなかったんです。完成した零戦は配備先の各基地に飛ばして移動させるわけですが、そのために名古屋から約30キロ離れた岐阜の各務ヶ原の飛行場まで、わざわざ運んでいたのです。しかも、牛車で20何時間かけて運んでいたのです。当時、道が舗装されていなかったので、馬車で運ぶと、完成したばかりの零戦が揺れて壊れてしまうため牛車でのろのろ運んだというんですね。これが1945年の日本が降伏するまで続いたんです。信じられないでしょう。 普通に考えると、飛行場のあるところに工場を建てるか、逆に工場の横に飛行場をつくるのが当たり前。もし離れていたとしたら、道路を舗装すべきなのに、それもされなかった。日本の省庁は、当時から全部、縦割りになっていて、工場もまた民間の三菱が経営しているので、一体化した効率的運用ができなかったようなんです。 もっとひどいのは、零戦の品質が途中からどんどん落ちていったということです。 零戦は、大東亜戦争中の米国の無骨な戦闘機グラマンなどとは違い、本当に美しい。どこを取っても直線がない。すべてが素晴らしい曲線なんです。最高性能を発揮するために、とことん堀越二郎が設計し尽くして、無駄のない曲線ができているわけですが、こんな飛行機は腕が良い職人、一流の職工でないとつくれなかったんです。それなのに、昭和17年ごろから、いわゆる赤紙、徴兵で、一流の職工もみんな兵隊として出征した。日本的な平等なのでしょうが、そうすると、その分、どんどん飛行機の品質が落ちていく。職人が足らなくなると、それを中学生で間に合わせようとする。中学生もいなくなってくると、今度、女子学生につくらせるようになる。当時は現在の教育とは違いますから、女子学生は工具なんか扱ったこともない。そういう人たちに一流の職工しかできない仕事をやらせるから、戦争の後半、昭和19、20年の零戦なんか、ひどかったそうです。部品が逆に付いていたり、すぐ落ちたりとか。ひどい飛行機がどんどん製造されていたんです。日本は、長期戦を戦うという体制がまったくできていなかったんです。どこの国の報道機関なのか アメリカは逆です。計画的ですし、余裕もありました。戦争に勝つためには、もういかなることでもやる。それらはアメリカが建国以来、やってきたことですが、そこには極めて恐ろしい部分も秘められていたと私は思っています。 英国からの移民が建国したときに、先に住んでいたインディアン―今はネイティブアメリカンと呼ぶようですが―そのネイティブアメリカンを騙して土地を奪い、西部に追いやりました。西部に金の算出が確認され、ゴールドラッシュになると、またそこでネイティブアメリカンを迫害し、追い出す。勇敢なネイティブアメリカンが戦うために抵抗を受けるわけですが、そうすると、まともに戦っては大きな被害を被るので、後方支援をする女性や子供を虐殺する。そんなことをされてきたネイティブアメリカンの歴史は悲惨です。空襲で焼け野原になった東京(神田上空から東南方向、浜町、深川本所方面を望む)=1945年 私は、これと同じことをアメリカがやったのが、東京大空襲、広島・長崎の原爆だったと思っています。アメリカは昭和20年の3月9日から10日にかけて東京に大空襲をするんですが、このときに狙ったのが一般民家の密集地帯です。これは主に日本の女性や子供の虐殺です。実際、このとき一夜にして10万人、死ぬのですが、その多くが女性であり未成年、子供たちでした。 アメリカは事前に砂漠に日本の町をつくり、日本の家屋、木造建築物をつくって、家の中まで再現し、これらの家を燃やすにはどんな爆弾がいいか、何度も実験を繰り返していたんです。そうして、火の燃え広がりやすい風の強い日を選んで300機を超えるB29の大編隊に東京を襲わせたのです。その爆撃は、ただ建物の破壊が目的だったとは思えないものでした。最初、空襲警報で人々が防空壕に入ったときは、爆弾を落とさず、まず房総に抜ける。「なんだ、威力偵察だったのか」と安心して、空襲警報が解かれ、みな家に帰ったところを―ちょうど9日から10日に日付が変わったころですが、まさにそのときUターンしてきて爆弾を落としていったんです。凄まじい爆撃で10万人が死んだんです。私は絶対許せない。 私はこの話を今年2月、東京都知事選に出馬した田母神俊雄氏の応援演説でしました。「東京大空襲は大虐殺や」とね。そうしたら、毎日新聞と朝日新聞が大騒ぎしました。共同通信は、米国のキャロライン・ケネディ駐日大使が「百田尚樹氏の発言でNHKの取材に難色を示している」などと報じました。正直、怒りを感じましたよ。彼らは一体、どこの国の報道機関なのですか。百田尚樹に『永遠の0』を書かせたもの 少し話がそれました。『永遠の0』で書きたい、描きたかったことはたくさんありました。その中で、一番描きたかったのは、生きるということの素晴らしさだったんです。 よく現代人は、自分が何のために生きているのかわからないとか、自分の生きがいがわからないとか言いますね。若い人は「自分を探しに行く」とか言ってインドなど海外に行きますが、僕に言わせれば、インドに自分がおるのかという話です(笑)。20何年間、日本で見つけられなかった自分が、インドに行ってもおるわけがない。 70年前、日本人はね、自分は何のために生きているのか、誰のために生きているのかということを、本当に切実に感じていた。自分の命は誰のためにあるか。そして自分は何のために生き延びるのか。生きるということは、どれほどすばらしいかということを、本当に知っていた。僕は、今の若い人たち、現代の人たちに、まずそれを知ってもらいたかったのです。 私がこの『永遠の0』を書いたのは、ちょうど8年前、50歳のときでした。人生五十年ということを幼い頃から考えていましたから、50歳以降は違う人生を生きてみようと思って、テレビの放送作家という世界から活字の世界に飛び込んで、小説を書こうと決めたわけですが、ちょうど、そのころ、私の父親が、末期癌で余命半年の宣告を受けたのです。徴兵で大東亜戦争に行っていた親父は僕によく戦争の話をしましたが、その親父がもう半年で死ぬのかと思ったら、何か書かなければいけないと思ったんですね。『永遠の0』を書いたのには、そんな事情がありました。 私の父親は大正13年生まれで、家は貧しかった。当時、日本人はみんな、貧しかったんですけど、父親も高等小学校を卒業してすぐ働きに出て、そこから夜間中学に通ったんです。13か14歳ぐらいから、ずっと働き続けて、そして二十歳のときに徴兵にとられました。運良く生きて帰ってきたんですが、戦後も、何もかも失った日本で苦労しました。戦前から勤めていた会社も潰れていて、昭和20年代は、いろんな職を転々とし、30年代にようやく大阪市の水道局の臨時職員になって、そこで一所懸命働いて、やがてそのうち、正職員になれた。そうやって私と3歳下の妹を、大学まで行かせてくれたんです。 その親父がもうすぐ死ぬんか、あと半年で死ぬんかと思って…。その1年前に私の3人いる伯父―母の兄です―の一人も亡くなっていたんですが、やはり戦争に行っていました。伯父が他界し、今、親父が亡くなろうとしている。そうか。あの大東亜戦争を戦った人たちは今、日本の歴史から消えようとしてるんだなと。そう思った時、僕は筆を執らずにはいられなかったわけです。父親と宮部久蔵 そして子供たちの世代 僕は幼いときから、父親から、あるいは3人の伯父から、戦争の話をたっぷり聞かされていました。正月などで親戚が集まると、そういうところで、いろんな話を聞かされるわけですが、必ず戦争の話が出てくるのです。僕は昭和30年代の大阪に育ちました。10年ちょっと前はまだ戦争をしていたという時代ですから、普通の会話の中で戦争の話が出てきたんです。 「お兄ちゃんはあのとき、どこにおったんや?」「ああ、俺はもうラバウルにおってな」「大変やったろう」。「大変やったぞ。もう戦争が終わってから、もう二年ぐらい帰ってこられんかった」とかね。「おまえ、どこやねん?」「俺はビルマや」「ビルマとか、すごかったらしいな」「すごいよ。うちの部隊、3分の1ぐらい死んだ」とか。そんな話をしょっちゅう聞いていました。 おばちゃんたちも「戦地もすごかったけど、大阪もひどかったよ。もう爆弾、もうブワァーと空襲がすごくて、家、焼けるし、子供背負って逃げたんや」と、普通に話をしていました。学校の先生にも兵隊経験者がいました。近所のおっちゃん、おばちゃんも普通に戦争の話をしてきました。 その頃の大阪にはまだ、建物や鉄道の壁といったところに、アメリカの機銃掃射の跡がたくさん残っていました。私は淀川の近くに住んでいたのですが、河川敷に大きな爆弾の跡でできた穴がたくさん残っていて、水が溜まっていました。僕らはそれを「爆弾池」と呼んで、筏を浮かべて遊んでいました。梅田や難波の繁華街に行けば、戦争で腕や足を失った傷痍軍人の方が、白い傷病服を着て歩道橋やトンネルにずらっと並んでいました。僕らそういうところを歩くと、お金を置いていったものです。これが日常的な光景でした。 僕はそんなふうに育ってきたんですが、それから何十年か経って、僕に息子と娘ができたとき、親父は、僕にはあれほどたくさんした戦争の話を、僕の子供たちには一言もしなかったんです。そして、しないまま死んだ。僕の親父だけかと思って、いとこに伯父たちのことを聞いてみたら、やっぱり「そう言えば、そうやな。俺の親父や、おふくろも、結局、俺の子供にはまったく戦争の話はしないで死んだな」という答えが返ってきたんですね。ほかの多くの人に聞いても、みんな、そうでした。僕より下の世代になってくると、戦争の話をほとんど聞いてないんですね。ミッドウェー海戦で炎を上げ沈没寸前の空母「飛龍」。4空母の中で最後まで戦い続けた(共同) 親父たちが戦争の話をしなくなったのには、いろんな理由があると思いますよ。改めて嫌な話をする気がしなかったのかもしれないし、あの記憶を思い起こすのがつらかったのかもしれない。昭和20年代、30年代は、つらい思い出を共有している人がたくさんいたから話も通じたけど、そうでもなくなってくると、改めて話をする気も失せたのかもしれない。もう記憶そのものが薄れてしまったという人もいたのかもしれません。とにかく、そういうことにハッと気づいたとき、僕は、父親や伯父さんから、戦争の話を聞かされた世代として、次の世代にこの話を語り継ぐ義務があるんじゃないか。僕はそう考えたわけです。 ですから、『永遠の0』の主人公、宮部久蔵は、ちょうど私の父の世代なんです。これは私がつくった架空の人物ですが、架空の人物と言いながら、実はいろんな実在の搭乗員の話を、総合して、つくり上げた男なんですね。 そして、『永遠の0』の中に出てくる宮部の孫である姉と弟、「僕のお祖父ちゃんはどんなお祖父ちゃんでしたか」と聞いて回る2人の現代の若者ですが、これはちょうど私の子供の世代なんです。つまり、私は『永遠の0』という物語で、私の父親の世代と私の子供の世代、この二つの世代を結びつけたかったんです。 それがうまくいったかはわかりません。ただ、この本は、戦争物、戦争の小説は売れないというのが出版業界の常識となっていた時代に、ベストセラーになりました。すごく若い世代に読んでいただいているんです。最初は60代以上の男性読者が多かったけれど、だんだん読者の年代が下がっていき、そして世代が下がるごとに、女性のファンが増えてきました。最近では20代、大学生、そして高校生。そういう人たちが読んでくれている。そういう人たちが『永遠の0』を読んで、それまで学校ではほとんど習ってこなかった歴史を知り、あの時代の日本人はどんな思いで生きていたのか、そして日本は世界を相手にどんなふうに戦って、そして、どんなふうに敗れていったのか、すごく知りたいと思っている。そういう若い人が増えているのを見ると、この物語を書いて本当に良かったなと思います。 本が売れると、私ども、印税が入ってくるので大変嬉しいのですが(笑)、でも、この『永遠の0』に関しては、印税が入って嬉しいというのとは、違う喜びがあるんです。 もちろん初めは、こんなに売れるなんて思っていませんでしたよ。小説家デビュー作として、この物語を書いた時、多くの出版社に持ち込んでも、ことごとく断られたんです。太田出版という小さな出版社が拾ってくれて、平成18年に発売され、その後、講談社文庫に入って、何年も何年もかかって、少しずつ売れていったのです。 普通、ミリオンセラーになるような本はすぐ話題になって、発売1、2年で、バーンっと100万部を突破するわけですが、『永遠の0』が100万部を超えるまでには、5年か、6年かかったんですね。そして今年、400万部です。平成に入って、もっとも売れた本と言われている。出版界も非常に不思議に感じているようです。戦争を戦った男達 日本を建て直した男達 映画の中にも、戦後の日本を描いたシーンが少し出てきます。何もかも失って、みな、バラックに住んでいる。映画では大阪しか描いていませんけど、もう日本の当時、日本の都市、東京も名古屋も全部、そうだったんです。日本の大都市は、ことごとく破壊されていたんですね。 東京は焼け野原に、ポツンポツンとビルが残っているだけ。しかも、その多くは中が焼けているという状態で、もう一発の爆弾を使うのも無駄だというぐらい、破壊され尽くされていたんです。ポツダム宣言受諾は昭和20年の8月ですけど、その三カ月前の五月の時点で、アメリカ軍は東京を爆撃目標リストから外したぐらい。それほど、破壊し尽くされていた。雨露をしのぐ家のない人は1000万人を超えていました。当時、8000万人だった人口のうち、300万人は死に、生き残った多くの人も家や食べる物がない。日本は世界最貧国でした。当時、占領軍が日本を調査したときの報告書に、どういうことが書かれていたかご存じですか。この国は50年経っても昭和5年当時の生活水準に戻るのが関の山だろうと書かれていたんです。それほど荒れ果てていたんです。 しかし、その日本が20年かからないうちに、戦争で負けて19年目の昭和39年には、東京オリンピックを開いて、ホストとして、世界中の国を招いたんです。そして同じ年に当時、夢の技術といわれた新幹線開通を実現させた。米英やソ連など第二次世界大戦の戦勝国がなしえなかった、時速200キロで走る高速鉄道を、東京から大阪まで通したんです。これ、すごいことです。 あの悲惨な状況の中で、どれだけ働いたら、こんなことができたのかと思います。先の東日本大震災のとき、すぐさま自治体や政府が避難所をつくり、食料を配給し、そして仮設住宅もつくりましたが、昭和20年当時、そんなことをしてくれる自治体も、政府も何もなかったんです。自分の家を焼かれても、家族を失っても、誰も補償してくれない。戦場から帰ってきた人たちは、仕事も何もない。家族はもう空襲で死んでいる。そういう状況の中でね、もう彼らは死に物狂いで働いたんですね。 私は『永遠の0』を書いた後、戦後の日本を描いた『海賊とよばれた男』を書いたのですが、この二つの作品を書いてみて、遅ればせながら、改めて気づいたことがあります。それは、あの戦争を戦った男たちと、戦後を建て直した男たちは、実は同じ男たちだったということです。 先ほど日本は戦争で300万人、死んだと言いました。広島・長崎の原爆と空襲で一般市民が約70万人、死んでいます。ですから、実際の戦闘で戦って、死んだ人は大まかに言って約230万人です。このうち、200万人が大正世代です。わずか15年しかない大正に生まれた男たちは約1340万人に過ぎない。1340万人のうち、200万人、死んだんです。平均すると6・7人に1人が死んでるんです。しかも、このほとんどが大正8年から15年という大正後半の生まれなんです。宮部久蔵も大正8年生まれです。私の父親も13年生まれ。ちょうどこの一番死んだ大正の後半世代に入っているんです。 この大正の後半世代というのは本当に不幸な世代です。日本は昭和6年の満州事変から14年間、ほぼ常に戦争していました。この世代は、物心ついたときから日本が戦争していたことになる。子供時代、青春時代を送った日本は、どんどん悲惨な国になっていった。二・二六事件が起き、国家総動員法ができ、戦争に邁進していき、そういう中で彼らは十代を過ごし、そして二十歳になった。二十歳というのは本当に人生で最高のときですよ。若さもあり、恋もする。その人生最高のときを、彼らは戦場で過ごしたんです。その戦場も地獄の戦場です。きのうは先輩が死んだ。きょうは自分の弟分が死んだ。あすは自分が死ぬかもしれない。そういう中で戦っていたんです。 戦争に負け、ボロボロになって日本に帰ってきても、「お国のために戦ってくれた兵隊さん、どうもお疲れさんでした。あとはゆっくり休んでください」と労ってくれる祖国は、どこにもなかった。祖国に帰ってきたら、戦場以上にひどいところだった。もう何もかもなくなっていた。そんな中で、彼らは日本を、祖国を一から建て直したんです。男と言いましたけど、女も同じです。200万人の男性が死んだということはね、200万人の女性が夫を失い、恋人を失い、あるいは兄や、弟を失ったということです。私の母親も大正15年生まれなんです。まだ元気にピンピンしてますが、ずいぶん結婚が遅かった。同世代の男は多くが、死んだからだと思います。父母、伯父達…大正世代に手を合わせたい 改めてそのことに気づいたとき、僕は大正世代のすごさに、深く感じ入りました。明治以降百何十年の中で、こんなに不幸な世代はないのですが、同時に、これほど偉大な世代もなかった。すばらしい世代です。私は、ありがとうございますと、手を合わせたいと思っています。私はいま58歳。もうすぐ60になります。この年まで生きて思うのは、伯父さん、父親、おふくろ、そういう僕の上の世代の人たちに、本当に豊かな日本、本当に素晴らしい社会に育ててもらったということです。深い恩を感じています。ですから、少しでも何か日本のためになりたい。日本のためはオーバーですが、小さなことしかできないにしても、何か世の中の役に立つことをして死にたいなと思っています。この日本にいて、この豊かさの上にあぐらをかいて、先人が残してくれたものをムシャムシャ食べるだけ食べて、腹一杯になったからもう死にますわと、そんな人生を過ごしたら、あの世で父親や伯父さんに顔向けできない。 先人が残してくれた、この豊かな素晴らしい日本に、少しでも豊かさを上乗せしたい。あるいはこの豊かさを維持したまま次の世代に渡していきたい。そういうことを考えています。 しかし、こういうのに足を引っ張るのが、慰安婦の強制連行があったなんていう捏造報道をした朝日新聞ですね(笑)。朝日を始めとする反日の連中は、日本をどうしたいのか。日本を沈めたいのか。日本にやってもない汚名を着せて、日本がひどい国であると世界に言って回りたいのか。 しかし、そんなことを続けていれば、朝日新聞社は日本人から信用を失って、経営危機に陥りますよ。私は日本のためにがんばって、いろんなことをやりたいと考えています。その「いろんなこと」の中には、朝日新聞の廃刊も入っています(笑)。その日までがんばりたいと思います。きょうはどうも皆さん、ありがとうございました。(講演を再構成して掲載しています) ひゃくた・なおき 昭和31(1956)年、大阪市生まれ。同志社大学法学部中退。放送作家となり、人気番組『探偵!ナイトスクープ』のチーフ構成作家に。平成18年には『永遠の0(ゼロ)』(太田出版、現在は講談社文庫に所収)で小説家デビュー。『海賊とよばれた男』(上・下、講談社)で、2013年本屋大賞を受賞。近著に『殉愛』(幻冬舎)、『フォルトゥナの瞳』(新潮社)。関連記事■ 百田尚樹もさじを投げた! それでもまだ報道機関を名乗るのか■ 百田尚樹より 朝日論説委員と記者の皆さんへ■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「戦勝国」史観との対決■ 戦争犯罪と歴史認識

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    朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り

     1月13日付朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」に「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」という記述があった。 わずか4行だが、この記事を読んで言葉を失った。というより強い怒りがこみ上げてきた。特攻隊とテロを同一視しているからだ。 広辞苑によると、テロはテロリズムの略で、(1)政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義(2)恐怖政治-とある。無差別攻撃行わず 特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術だった。標的は軍事施設だけであり、決して無辜(むこ)の民は標的にしなかった。無差別攻撃を行うテロとは根本的に違うのである。 戦争という非常事態の中で、国をどう守るのか。指揮官も出撃した特攻隊員も、思いは複雑だった。雑草に覆われるように丘の中腹に横たわる零式艦上戦闘機(通称・零戦)の残骸=パラオ共和国・バベルダオブ島 特攻隊の生みの親ともいわれる大西瀧治郎中将の副官だった故門司親徳氏が生前、筆者に語ってくれたことがある。大西中将は門司氏に、「棺を蔽(おお)うて定まる、とか、百年の後に知己を得る、というが、己のやったことは、棺を蔽うても定まらず、百年の後も知己を得ないかもしれんな」と漏らしたという。 門司氏は「大西長官は特攻隊員を見送る度に一緒に死ぬんだという印象を感じた。長官は自分のやったことをこれでよいのかと、自問自答しながら、人に分かってもらえなくても仕方がないと、自分に言い聞かせていたのだと思う。だが、この特攻攻撃が戦争の終結に結びついた」と語った。 大西中将の思いについては、「特攻隊と同じ若い人たちに『諸子は国の宝なり』と呼びかけ、平時においても特攻隊のような自己犠牲の精神を持ち続け、世界平和のため最善を尽くすように-と後事を託した遺書に集約されている」と話した。 実際に出撃していった若者たちも、手紙や遺書から、戦局悪化で、奈落の底が見える中での究極の選択だったことがうかがえる。 極限状態の中で愛する者たちを守りたいと強く願う気持ち、国の行く末を案じる気持ちが、行動の芯であり源だったのはまぎれもない事実だ。そして、生への執着を断ち切るまでの想像を絶する努力と決断があったことは想像に難くない。「自己放棄の精神」 フランス人文学者のモーリス・パンゲは『自死の日本史』(ちくま学芸文庫)の中で、特攻隊員の思いを次のように分析している。 〈それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、しかし極めて論理的な結論ではなかっただろうか。それを狂信だと人は言う。しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した、何物にも曇らされることのない明晰(めいせき)な結論というべきものではないだろうか〉 〈強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。しかし、実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本のために死んだ〉日本人の誇り奪う 特攻は、宗教思想を曲解した行動とは根本的に違うのである。朝日新聞は昭和19年10月29日付1面で、「身をもって神風となり、皇国悠久の大義に生きる神風特別攻撃隊五神鷲の壮挙は、戦局の帰趨(きすう)分かれんとする決戦段階に処して身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じ、一億総特攻を扇動するような記事さえ掲載している。にもかかわらず、その責任には触れず、特攻隊の英霊を冒涜(ぼうとく)、日本の伝統的価値観の象徴でもある特攻隊の誠を踏みにじり、日本人から「日本人の誇り」を奪うような論調は決して容認してはならない。(編集委員 宮本雅史)関連記事■ 百田尚樹もさじを投げた! それでもまだ報道機関を名乗るのか■ 百田尚樹より 朝日論説委員と記者の皆さんへ■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「戦勝国」史観との対決■ 戦争犯罪と歴史認識

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    改めて呆れた本多勝一氏の卑劣な手口

    014年9月4日号(発売は8月28日)の特集記事のなかの、私の短いコメントだった。特集のタイトルは「朝日新聞『売国のDNA』」。私のコメントは「松井やよりと3人のホンダの遺伝子」という記事のなかにある。 朝日新聞には、ホンダという3人の有名記者がいた。松井やよりが組織した女性国際戦犯法廷のNHK報道に安倍晋三・中川昭一の2人の政治家が圧力をかけたといって糾弾するスクープ記事を書いたのが、本田雅和記者。沖縄・西表島のサンゴに「KY」の文字が刻まれていたといって写真で報道したのが、本田嘉郎カメラマン。そして、かつての「朝日のスター記者」本多勝一氏。以上の三人である。本多氏について、『週刊文春』は次のように書いた。 本多氏は、事実とかけ離れた『南京大虐殺三十万人説』を流布させた人物だ。71年に朝日紙上で連載した『中国の旅』でこう書いている。〈歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された〉 私のコメントは、「拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏はこう呆れる」として次のように書かれている。「この記事は本多氏が中国共産党の案内で取材し、裏付けもなく執筆したもので、犠牲者30万人などは、まったくのデタラメです」 何の変哲もなく、面白味もないコメントに過ぎない。私は、こんなありきたりのコメントが問題にされるとは露とも思わなかった。 『週刊文春』が本多氏に取材を申し込んだところ、今回の朝日の検証記事は「読んでいない」とし、南京事件の死亡者数については「私自身による調査結果としての数字を書いたことはありません」と答えたそうだ。藤岡への公開質問状 発売翌日の8月29日付で、『週刊金曜日』編集部から『週刊文春』編集部に配達証明郵便が届いた。「藤岡信勝様『週刊文春』へのコメントに対する公開質問状」と題されていた。 私宛の公開質問状には、六つの質問が記されていた。その第一番目は、「約三十万人が殺されたとの記述は、本多編集委員の結論ではなく、姜眼福さんの体験の聞き取りであることをご存知ですか」となっている。以下、『中国の旅』の編注があるのを知っていたかとか、『週刊金曜日』の特定の連載記事を読んでいるかとか、私のコメントは正確に掲載されているかとか、何でこんな質問をするのだろうと首を傾げたくなるような質問が続いていた。最後の六番目の質問は、「藤岡さんは、南京事件の『被害者数』は何人であるとお考えですか」となっていた。 これを受け取った『週刊文春』編集部は、細かい公開質問に私が答えるよりも、いっそのこと、『週刊文春』と『週刊金曜日』の両編集部立ち会いのもとで本多氏と私の公開討論を行い、それを両編集部がそれぞれの責任で記事にする、という企画を提案した。もちろん、事前に私に話があり、私は承諾した。 この点について、本多氏は第一信で「藤岡氏は俺に公開討論を申し込んできました」と書いているが、間違っている。私が本多氏に公開討論を申し込んだのではない。公開討論を思いついて提案したのは『週刊文春』であり、私はそれに同意したという関係である。 これに対する本多氏の回答は、公開討論は不正確になるので文書のやりとりによる討論にしたいというものであった。公開討論が「不正確」になるというのもよくわからない話だが、ともかく口頭による討論からは逃げた形である。大虐殺派は公開討論拒否 実際、大虐殺派は著書や論文では自信たっぷりにもっともらしいことを書きながら、口頭での討論を呼びかけても出てこない。もうそれだけで、本当は自信がないこと、自信めいた書きぶりは虚勢に過ぎないことがわかる。私が体験しただけでも二つのケースがある。 私が代表を務めている自由主義史観研究会は1995年、お茶の水で南京事件について公開討論会を開いた。討論会は初めの企画では、大虐殺派、中虐殺派、「虐殺なかった」派の3人の代表的論者を呼んで論争するというものだった。 私は大虐殺派の第一人者となっている笠原十九司氏に登壇を依頼したのだが、虐殺否定派の人物は学者ではないので同席できない、との返答だった。学者であろうとジャーナリストであろうと一般人であろうと、笠原氏から見て謬論を口にする者は徹底的に論破して懲らしめてやればよいではないか。出てこないのは、逆の結果になることを自覚しているのであろう。 もう一つのケースは、2012年、河村たかし名古屋市長が南京事件はなかったのではないか、という発言をし、中国共産党に討論を呼びかけた時である。おおもとの中国共産党がそれ以来、南京事件について少しおとなしくなったのは、河村発言の影響があると考えられる。独裁国家の中国にとって、言論統制は権力の命綱である。 この問題が起きたときにメディアでは河村バッシングが起こりかけたので、「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって、河村市長を支援する運動を展開した。その一環として、名古屋で開かれた集会に参加したことがあるのだが、それに先立ち、私は日本共産党名古屋市議団に公開討論を申し入れた。彼らは、河村市長の南京事件についての認識の誤りを糾弾する声明を発表していたからである。彼らはもちろん、私との公開討論は拒否した。 こういう経験があったから、私は本多氏も100パーセント逃げるだろうと予想していた。そして、そのとおりになった。問題はその先である。文書による討論ならどうなのか。これも私は断られるだろうと予想したのだが、意外なことに、口頭での討論にかえて文書による討論にしたい、と『週刊金曜日』側が提案してきたのである。これは私にとっては意外であった。文書による討論のルール もちろん、長年希望してきた機会であるから、受けて立つことはやぶさかではない。まして相手は、1971年以後の南京事件宣伝のおおもととなった本多氏である。相手に不足はない。 誌上討論をすることで両サイドの意向が一致したので、ルールの検討に入った。まず分量だが、『週刊金曜日』側は一発言を400字詰め原稿用紙で6枚とし、誌面に交互に掲載するという案を提案した。しかし『週刊文春』側は、1、2回程度の記事としてまとめて載せるという考えだった。そこで2人の担当者が直接面会して協議し、結局、1回の発言は3枚(1200字)以内となった。やりとりは5往復とし、相手の書簡を受け取った側は5日以内に返信すること、討論が終わった最後に両者から同時に2枚の感想を寄せることになった。 どのような形で掲載するかは、両誌の編集権に属する。私としては、長く丹念に書けるので『週刊金曜日』案のほうが有り難かったが、企画を思いついたのが『週刊文春』側だったためか、そちら寄りの結論となった。 討論の第一信をどこから始めるかについては、両誌の見解は公開質問状に対する私の回答から始め、それを藤岡からの第一信とするというものであった。 これについては、私には異論があった。公開質問状という形で先方は一回、発言しているわけである。だからそれを本多氏の第一信、それに対する私の回答を私からの第一信として扱うべきである、というのが私の主張である。 もしそれができなければ、先方の公開質問に対する私の回答を討論とは別枠で行い、改めて討論を開始するという方法もある。こういう討論では、発言量をイーブンにすることが原則である。口頭ならば発言時間を全く同じにすべきだし、誌上討論ならば文字数を同じにすべきなのである。 しかし両編集部とも、ディベートに関するこの公平の原則のもつ重要性にはあまり十分なご理解をいただけなかったようで、先方の公開質問状は議論の始まりのための別格として扱い、私が第一信で口火を切り、そのなかで公開質問状に回答するとともに反対に私からも質問をする、ということになった。そのように両誌は合意した。 私は納得できなかったが、それに従った。なにしろ、多少のハンディキャップがあっても、私が勝つのは決まっているのである。「A記者」の登場に仰天 以上のような経過があったので、私の第一信はいきなり公開質問への回答から始まっている、本来、第一信は最初の立論の場であり、自己の主張を体系的に述べる場である。私の第一信を期待して読んだ読者のなかには、あまり格調が高くないことに失望した方もおられるに違いない。右のような事情があったことをご理解いただきたい。 私が第一信を送ってから5日後に、本多氏からの第一信が届いた。私は普通にメールでテキストとして送ったのだが、本多氏は原稿用紙にワープロ打ちしたものをPDFファイルに落として送ってきた。これは字数の遵守に紛れがなく、編集部が手を加えたりしていないという証拠にもなるということであろう。これはこれで一つの考え方であり、異論はない。 問題は、書かれている文章のほうである。本多氏は自ら文章を書かず、「発端が『週刊金曜日』なので、俺の担当A記者との対話を紹介することにしよう」と言って、そのあとは専ら「A記者」「本多」という発言者名をゴシックにした、雑誌の対談などと同じ形式の文書になっているのである。 これには心底驚き、呆れた。私は本多氏との誌上討論には同意したが、正体不明の「A記者」なるものと討論することを承諾した事実はない。私は1人で相手は2人だから、変則タッグマッチとでも言うべき不公平な試合だ。極めて失礼であり、ルール違反である。 両編集部が明文化したルールには「原稿は本人が書くこと」という項目はないが、それは当然の前提だから書かなかっただけである。「俺」という一人称も公的な場の発言として不適切で、相手を馬鹿にしている。もうこの時点で、私にはこの討論を拒否する十分な理由があり、この企画は水に流れてもおかしくはなかった。 そもそも、「A記者」とは誰なのか。私の周りの読者から聞こえてきた声は三通りある。(1)本多氏の言うとおり、『週刊金曜日』の担当記者であろうという常識的な見方。もしそうなら、せめてその氏名を明らかにすべきである。(2)「A記者」なるものは実在せず、集団でこの論争に対処しているグループ名ではないかという推測。(3)そもそも、「A記者」は架空の創作された人物であるとする説。様々である。 では、なぜ対談の如きこんな書き方をしたのか。私はSNSの一つであるフェイスブックをやっている。私の「友達」から今回の誌上討論について様々なコメントが寄せられている。この件についてもたくさんの投稿をいただいた。 80歳を過ぎた本多氏はもう自分で文章を書けなくなっているのではないか、という説がある。その一方で、若い頃から本多氏の文章をほとんどすべて読んできたという方は、これが本多氏の流儀であり、本多氏はボケているどころか極めて頭脳明晰な状態である、と主張している。いろいろな見方があるものだと感心する。私にはどちらが事実に近いのか、知る由もない。朝日的体質の卑怯・卑劣 それにしても、卑怯であり卑劣である。後味がよろしくない。この不快感は何かに似ていると思ったが、最初は何だかわからなかった。しかし、数分後に私は気付いた。この不快感こそ、まさに朝日新聞の記事や社説を読んだあとのあの不快感と同質のものなのだ。「朝日のスター記者」本多勝一氏は、まさに朝日的体質を体現していたのである。 こういう「A記者」なるものを登場させる手法の目的は明白だ。責任逃れである。本多氏は将来、誌上討論の発言で責任を問われかねない事態が生じるかもしれない。その時の保険として、本多氏自身ではなく「A記者」が言ったことにしておけば、逃げを打つことができる。政治家が「秘書が、秘書が」というのと全く同じである。 今度の吉田清治証言の記事を取り消す時も、朝日新聞は責任逃れの策を様々に弄した。本多氏はなるほど、朝日新聞の一員であったのだと再認識させられた。 私は討論を打ち切ることもできたのだが、せっかくの機会なので事のなりゆきを確かめることも意味があると考えた。それに何よりも、ご苦労されている両編集部、二人の担当者の努力を無駄にはしたくなかった。断っておくが、私は執筆者の本多氏にはいろいろな思いが生じるのは仕方がないとしても、『週刊金曜日』の担当編集者には、その公正で正確な仕事ぶりに感謝している。 たとえば、書簡に小見出しを付けるのは各編集部の権限だが、『週刊金曜日』の担当者は、ゲラの段階で私に必ず確認を求めている。私の第一信には、編集部は「南京事件の/『被害者はゼロ』」という見出しをつけた。私は、この見出しでは南京事件の存在を前提にしている印象を与えるので、「南京事件はなかった/『被害者はゼロ』」と訂正するように求めたが、そのとおりにしていただいた。 話が横に逸れたが、私は討論を続けるために、「A記者」の発言も含めて、書簡に書かれていることの全てを本多氏の発言として扱うことを宣言した。論理的には、それ以外に討論を続ける理由は考えられない。 驚いたことに、本多氏の第三信では、「A記者」が「私の発言を本多さんの発言とみなすのは『捏造』ではないでしょうか」と言い、それに本多氏が「俺の発言とごっちゃまぜにしてもらっては困る。藤岡氏の史料に向き合う姿勢がわかりますね」と応じて、私の個人攻撃の切り口にまでしている。 両者を独立の別人格とせよというなら、本多氏としか討論を承諾していない私は、本多氏の相槌だけを対象に議論をすることを強いられることになる。ちなみにある人の計算によると、本多氏の発言量は本多氏の書簡全体の10パーセントだそうである。これがどんなに馬鹿らしいことか、大抵の読者は呆れるのではないか。私は無視して、私の宣言を貫きとおしている。人名の誤記をめぐって 本多氏の卑劣さは、討論のなかですぐに表れた。前に引用したとおり、私宛の公開質問状の第一番目は、「約三十万人が殺されたとの記述は、本多編集委員の結論ではなく、姜眼福さんの体験の聞き取りであることをご存知ですか」となっていた。 私は第一信で、「引用部分が姜眼福という人物の証言として書かれていることは知っていました」と答えた。しかしこのとき、『中国の旅』で問題の箇所を確かめた私はあることに気付いたのだが、それにはあえて言及しなかった。 すると本多氏第一信で、冒頭に「A記者」が「藤岡氏は名前を間違っています。姜眼福は姜根福の誤りですね」と発言した。私の第一信は、先に述べた事情によって格調高いものにならなかったのだが、誤字の指摘から始まる本多氏の第一信は、それに輪をかけて格調の低いものとなった。 ところで、これは私が間違ったのではなく、本多氏側がそもそも間違ったのである。『中国の旅』では、この43歳の港湾勤務者は、たしかに「姜根福」となっている。私はこれに気付いたのだが、なにしろ相手は『中国の旅』の著者である。最大のオーソリティーだ。だからひょっとして、本多氏が取材ノートを確かめたら人名の書き間違いだった、ということもありうる。第一、「眼福」のほうが意味をなす言葉ではないか。それで私は食い違いに気付いたが、先方の質問にあるとおりの人名で答えたというわけだ。 したがって、間違っていたなら非は本多氏側にあるのに、私のほうが攻撃されている。不当なことである。 ただ、私は第二信でこのことには反論しなかった。字数がもったいないから「細部の応接は次便以降に回します」とだけ書いて、触れなかったのである。 さすがに見かねた『週刊文春』編集部が本多氏の第一信のあとに「付記」して、〈「姜眼福」という記述は、そもそも「週刊金曜日」編集部からの最初の公開質問状にあった通りの記述である〉と書いて下さった。 その後、『週刊金曜日』編集部からは公開質問状の誤字の訂正の通知がきた。私は、謝罪が必要ではないか、と返信したところ、謝罪もメールで届いた。このあたり、吉田清治証言の朝日の対応を彷彿とさせる。 だが私は、本多氏自身が私に謝罪する必要があると思う。なぜなら、本多氏は『週刊金曜日』の編集委員であり、自分の雑誌が犯した誤記を私がしたミスだと勘違いして私のいい加減さを攻撃する材料にしたのだから、氏自身が謝罪するのは当然なのである。私はそれを求めていくつもりだ。 論争はまだ続いており、この小論では内容に立ち入ることはしなかった。『週刊文春』は後半を年内に一括して掲載し、『週刊金曜日』は一回ごとの往診復信を毎週掲載している。なりゆきを注目していただければ有り難い。関連記事■ 本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない■ 記事に「角度をつける」朝日新聞■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理

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    朝日の反転攻勢に反撃

    朝日新聞の一連の問題は第三者委員会の報告ですべて済んだわけではない。被害者面して、西岡力氏ら筆者、掲載誌を次々と訴えるという植村隆元記者。言論には言論で戦うのが筋だろう。

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    新聞マニアが分析 朝日新聞とは何か

    実感から、率直な感想を述べたい。1)紙面を構成するページ枚数 試みに平成26年12月17日に於ける、朝日新聞の紙面構成を見てみよう。当日の総頁数は38頁であるが、各頁は12段になっている。したがって全ページを段数に換算すると456段になる。またA5版の書籍に換算すると、頁数は304になる。つまり朝日の朝刊だけで、新書1冊分の大量情報が、毎朝配達されていることになる。では、その大量情報の内容はどうなっているのか。次の表は、それを分析したものである。 この表を作成しながら私は、大きな疑問を抱いた。新聞は何故に、このような広い領域をカバーしなければならないのか?しかもその大半は、新聞本来のミッションであるニュース性を必要としない。例を挙げれば、生活、教育、文化、福祉欄だ。その一方では、専門紙と重複する分野もある。経済・株式、番組、地方、スポーツの各欄だ。これらを除いて新聞本来の特徴を発揮できるのは、わずかに総合、社会、国際およびオピニオンの4欄であろう。しかしこの4欄については、読者として大いに不満を表明しなければなるまい。 第1の総合欄では、最も期待されるのが政治関連のニュースであろう。当然ながら記事の内容は、視野の広さと中立性が期待される。まず視野の広さについては、政治を政策の見地で報道し、政局的な見解を控える態度が望ましい。しかし、これに関する新聞の記事はどうであったか。嘗ては派閥や政治家の人事に関する政局記事が中心であった。そのため特定の政治家をマークする番記者というスペシャリスト?が、存在したほどだ。最近はかなり改善されているが、それに代わって、特定のイデオロギーや政党に肩入れする態度が顕著になった。先年、民主党が大勝した総選挙がその好例である。この選挙キャンペーン記事で見せつけた、朝日新聞社全グループを挙げての偏向ぶりは凄まじかった。朝日グループの政治偏向ぶりは今に始まったことではない。少なくとも政治に関心を持つ人たちは、この選挙で1993年に全国朝日放送(現・テレビ朝日)が引きおこした放送法違反の椿事件を想起したに違いない。 第2の社会欄については、情報の多くを警察に依存している。そのくせゼスチャーとしては警察国家化への懸念を示さなければならない。最近でこそ影を潜めたが、嘗ては事件発生で警官が発砲したとき、記事の見出しは先ず「警官拳銃発砲!」であった。そもそも1億3000万人が生活する社会において、日常発生する事件の数は無数としか言いようがない。僅かな紙面でそれを網羅することは不可能であろう。当然ながら記者は、それを取捨選択して記事にする。それは一種の特権とも言えるであろう。その特権の行使に於いて、特に朝日には独自の思想に基づく偏りが見られる。 第3の国際欄の記事については、朝日のみならず全ての新聞社に共通する問題がある。国際社会という極めて広範な領域での出来事を、一企業に過ぎない新聞社がカバーすることなど、とても出来ることではない。したがって記事の大部分を、国内外の通信社に依存せざるを得ない。社内で出来ることは、その取捨選択と若干の取材記事を付加するだけである。但しこの作業には、偏向記事を偽装するためのトリックを潜ませることができる。嘗て中国で、文化大革命が行われたときの朝日新聞の紙面には、「中国の街角には蠅が一匹もいない」と書かれていた。 第4のオピニオン欄では、発言の自由を装いながら、特定の考え方を読者に押し付ける場合がある。とくに朝日は、その特権!をフルに活用している。特権の行使にもトリックが用いられる。例えば少数意見の扱い方である。対立する意見があって、その一方の極小の意見を支持したい場合は、両論を併記する。しかし構成比は隠蔽される。逆に自社意見への同調者が多い場合は、その人数と構成比が示される。また看板にしている『声』欄への投稿採択では、露骨なフィルターがかけられる。かつて私は、この新聞の偏向記事について意見文を投稿したことがある。しかし、それは二度とも採択されなかった。 このほか、自説に副わない事件や事実を、記事にしないという”消極的な偏向”もある。この事例は極めて多いが、紙幅が足りないので省略する。2)新聞の性格 上述したように、新聞の編集で目立つのは記事項目の多様さである。この朝日新聞の事例では14項目に上るが、たぶん他紙も大同小異であろう。この多様さは、文藝春秋や中央公論などの月刊”総合雑誌”とよく似ている。違いは月刊ではなく日刊であることだ。その点を強調するならば、新聞紙というよりは、むしろ“雑紙”と称すべきだろう。 本来の新聞、とくに一般紙を特徴づけるものは、この表でいえば総合と、社会、国際およびオピニオンの4欄に過ぎない。他の項目については、それぞれの専門紙があるのだから、一般紙が割り込む必要はあるまい。しかし、それではボリュームが足りない。不足の理由は、総合、社会、国際の三大分野に関する取材能力が不足しているからであろう。能力には質と量の両面があるが、とくに問題にすべきは質である。中でも総合欄については、主筆や編集長と称する看板記者が大いに腕をふるわなければならない。私の感想を言えば、この面に於ける朝日・産経の記事は大いに読み応えがある。ただし朝日については、特定のイデオロギーへの偏向が目立ちすぎる。国籍不明のコスモポリタリズムやアナーキズムに、毒されているのではないかと危惧させられる。3)新聞の編集と解説 購読者としては、本来は事実だけを知りたい。しかし事実の背景には、複雑な事情がある場合が多い。また金融経済や国際関係、法規など専門知識を要する場合も少なくない。従ってそれらについては、たんに事実だけでなく背景や前提となる知識が必要だ。その意味で、新聞が編集や解説をやってくれるので、大いに助かることになる。但しそれには、客観性と中立性を守って欲しい。実は私は、その面で朝日を充分に信用することが出来ない。前に述べたように、特定の政治グループやイデオロギーへの偏向を感じさせられるからである。 このような不信感を取り除くにはどうしたらよいか。参考例として、私はインターネットで配信されるグーグルのニュースを挙げたい。この画面では、項目が発生順に羅列されるだけである。読者はその項目を選んで、クリックすれば詳細を読むことが出来る。グーグルは、新聞がやるような、印象付けの編集手法を用いない。ここで言う編集手法とは、見出しの表現、活字の大きさ、スペース、紙面のレイアウトなどである。これらの手法を用いることによって、新聞は巧みに自らの主観や価値観、イデオロギーを押し付けてきた。然しその一方では、報道の客観性や公平さをアピールするのである。私は朝日新聞が引きおこした今回の事件を好機にして、新聞編集と記事のあり方を見直すべきだと考える。4)日本の新聞の特殊性 欧米諸国の新聞と日本の新聞を比べると、かなりの相違を認めることができる。そのうちの幾つかを指摘したい。 (1)商業性の隠蔽 新聞は営利企業であるから利益を求めるのは当然だし、実際にその目的に副った経営を行っている。例えば上で示した朝日新聞の「紙面を構成するページ枚数」では、広告の全紙面に占める割合は48%である。つまり購読者は、料金を払って広告を読まされている。そのダブルプレイを認めるとしても、気になるのは、報道の公益性だけを声高にアピールするゼスチャーである。この傾向がとくに目立つ朝日新聞の経営実態をみると、以下の通りである。       売上高 約4700億円       経常利益 約170億円       従業員数 約4640名 一般に経営と従業員の緊張関係を緩和し忠誠心を維持する手段として、高賃金と福祉システムが用いられるが、上で見る朝日の実態もそれを如実に示している。つまり事業経営や経営管理の側面でみる限り、朝日は典型的な優良会社である。 (2)読者の知的怠惰をもたらす宅配システム 私の知人は、朝日と日経を半日かけて隅々まで読むという。それだけで、世の中の動きが全て把握できると思い込んでいる。しかし、新聞は自らのイデオロギーや偏向思想を巧みに隠蔽して、ひたすら公平さをアピールする場合が多い。それを信じる読者は、他紙と比較する気にもならないのだ。しかもその新聞は毎朝宅配されるので、わざわざ買いに行く必要がない。この日本独特の宅配システムは、新聞社と読者の両方に便利さをもたらす。しかし反面では、情報選択という知的行為を怠らしめるのである。この怠慢が続くと、読者はいつの間にか「習慣病」に冒される危険がある。肉体面での習慣病はよく知られている。しかし精神面での「習慣病」は、もっと恐ろしい。考える意思と能力を衰弱させるからである。それは一種の麻薬効果というべきであろう。 (3)奇妙な思い込み 嘗て朝日の編集者はニューズウイーク誌に、自社の編集方針を「反権力と啓蒙」と述べたことがある。しかし現在の民主主義国家の政治で、行使されている権力とは何だろう。それは特定の行政現場で行われている、意思決定機能と執行機能に過ぎない。何はさておき、意思決定のない行政があり得ないのは自明のことである。それに対し、反権力という大げさな表現で反対するのは、あまりにも幼稚な妄想であろう。嘗てのスターリンやヒトラーなどによる独裁国家の権力を、イメージしているのだろうか。もう一つの啓蒙については、思い上がりも甚だしい。この考え方に基づいて記事を書いているとすれば、それ即ち読者を見下していることになるではないか。 (4)客観性を装う情報操作 産経を除く日本の有力紙は、信奉するイデオロギーや政治的な偏向を、隠蔽する場合が多い。しかし記事を読めば意図は明らかになるのだから、隠す必要はないではないか。たとえば民主党が大勝した前々回の総選挙に於いて、朝日が露骨に行った民主党支持のキャンペーンは今なお記憶に新しい。また少数派意見の尊重という詭弁も多用される。たとえば朝日は自社説を強制するために、屡々このキャッチフレーズを用いて記事を書く。例えば、あるアンケートで回答者数が賛成100名、反対10名であったとする。それでも朝日が少数派に与する場合は、両者の意見を併記する。しかし賛成者と不賛成者の数は示されない。 この他でも、いろいろな手段で情報の操作を行っている。嘗て私は、朝日批判の文章を二度にわたり声欄に投稿したが、何れも採択されなかった。また、意図的に記事にしない方法もあるらしい。嘗て私は、文京シビックホールで催された「新しい歴史教科書の会」の会合に出席したことがある。この時の参加者はおそらく1000名を越えていた筈だ。日本の歴史教育のあり方を憂慮する人たちの、素朴で熱気溢れる集会であった。しかし当日の朝日新聞は、そのことに全く触れていない。その代わり片隅の小さい囲みには『教科書の会に反対するグループのデモ』として、数十名の参加者があったことが記されていたのである。 (5)エリート意識と特権意識 文藝春秋2014年12月号の『朝日新聞若手社員緊急大アンケート』を読むと、この質問に応じた18名の回答は概ね謙虚で反省的であり、好感をもつことができる。しかし問題は、回答者が僅か18名に過ぎないことだ。役員や管理職を除いても社員の数は、3000名に達するはずだが、アンケートへの回答はこの程度である。実質的には、無視したことになる。全社に漲るエリート意識は、今なお健在ということなのか。嘗て取材に赴く記者達は、社旗を翻す社用車で事件現場に乗りつけていた。それはまるで、除け!除け!といった感じであった。まさか今なお、そのような特権意識をお持ちとは思えないが…。5)朝日新聞のノウハウ (1)独特の表現手法 朝日新聞の記事文章には、独特の臭みと味わいがある。一部の読者にとっては、それが好ましいらしい。その典型が「天声人語」であるが、嘗ては模範文として入試に出題されるほどであった。しかしこの新聞の主張や論旨は、しばしば韜晦そのものである。その点を鋭く指摘する泰郁彦氏は「歴史から目をそむけまい」とか「○○問題は柔軟な発想で」式の表現を、真意が汲みとれぬ曖昧で空疎な修辞だと批判している。 (2)巧みな詭弁術 朝日の記者達は、詭弁術ともいえる独特のノウハウを身につけている。事例としてWiLL-2015年1月号と2月号に連載された『「朝日問題」で問われる日本のジャーナリズム:大闘論4時間』を挙げてみよう。これはジャーナリストの櫻井よしこ氏と、元朝日新聞編集委員の山田厚史氏との間で行われた討論のうち、「吉田調書」を巡る部分である。やや長文になるが、問題の部分(2月号の54頁以降)を引用しよう。(敬称略)山田 記事そのものについては、取り消しに値する誤りはなかったと思います。確かに「所長命令に違反 原発撤退」という見出しは誤解を招きましたが、内容は事故で指揮系統が乱れて所長の指示に反する集団行動が起きてしまった、という事実を書いたものです。(中略)櫻井 あの記事は、記者の反原発イデオロギーに沿う形で書かれたものであるとの疑惑を強く抱かざるを得ません。同じ日の二面に、担当記者が「再稼働論議 現実直視を」として次のように書いています。 「暴走する原子炉を残し、所員の9割が現場を離脱した事実をどう受け止めたら良いのか」 「吉田氏は所員の9割が自らの待機命令に違反したことを知った時、『しょうがないな』と思ったと率直に語っている」 「命令違反」で「現場を離脱した」無責任な東電社員や下請け企業の従業員は信用できず、彼らが動かす原発の再稼働など絶対に許さない、という強い意思が読み取れます。山田 櫻井さんがおっしゃるような「無責任な東電社員や下請作業者は信用できない」など、記事にはどこにも書いていませんよ。(中略)櫻井 山田さんのおっしゃることは朝日知識人の典型的な騙しの論理で、私はいま、お話を伺っていて正直、腹が立ちました。たしかに言葉のうえだけを見ると、「東電は信用ならない」とは書いていないかもしれません。しかし紙面全体を読めば、明らかに「東電は信用ならない。そんな彼らが動かす原発など絶対に許してはならない」との印象を受ける書き方をしています。9割が現場から逃げたという…。山田 「逃げた」なんて書いていないじゃないですか。この記事のどこにそう書いてあるんですか?櫻井 朝刊一面のトップで「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一所員の9割」、二面では「葬られた命令違反」などの見出しを大々的に掲げ、「11年3月15日朝、第1原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していた」と書いた。事実上、「逃げた」と紙面全体で言っている。山田さんは言葉の字面だけを追って「書いていない」とおっしゃいますが、これはきわめて悪意のある印象操作だと断じざるを得ません。山田 それは印象であって、印象で人を批判するのはよくない。(後略)月刊『WiLL』2015年2月号 『「朝日問題」で問われる日本のジャーナリズム』より 以上のようなやり取りが延々と続く。実はこの山田氏の論法こそ、私が先に3)新聞の役割で強調した「排除すべき編集手法」なのである。結び 長年にわたり疑問を抱きながらも私は、新聞とくに朝日を熟読してきた。しかし最近になって、この新聞が行ってきた記事・編集の実態を知った。そして今更ながら、なぜ朝日新聞がこのような偏った記事や論説を続けることができたのか、不思議でならない。その理由を解明しなければ、再び同じ過ちを犯すかも知れない。この不思議をもたらしたのは、何であったか。この短文を書き終えて私の脳裏に浮かんだ戯れ唄は、次の通りである。幽霊の 正体みたり 枯れ尾花関連記事■ 1カ月間、朝日新聞だけ読んでみた■ 「新聞人の責任」はどこへ? 反日偏向が根付く朝日の戦後史■ 朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

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    「信頼される新聞」と朝日新聞の社説

     昨日(1月23日)は、朝日新聞の「誤報」問題をテーマにして「信頼される新聞とは」と題されたシンポジウム(於:毎日ホール)にパネラーとして参加した。パネラーは、ジャーナリストの池上彰さん、朝日新聞で慰安婦検証作業に携わった武田肇・朝日新聞大阪社会部記者、そして私の3人である。 シンポジウムは1977年に毎日新聞社が編集綱領を制定したのを記念し、毎日労組が87年から毎年開いているものだ。池上さんとも、武田記者とも、初めてお会いする私にとっては、どういうシンポジウムになるのか、パネラーでありながら、同時に興味津々でもあった。 私にこのシンポジウムの声がかかったのは、「吉田調書」報道をめぐって朝日新聞の誤報を指摘した当事者だったからだろうが、それと共に新聞メディアに対して“批判的”な立場として招かれたのではないかと想像する。 しかし、私は、日本にとって新聞は「なくてはならない存在」だと思っており、朝日新聞に対しても、それだからこそ、常日頃、厳しい論評をさせてもらっている。 シンポジウムは、2時間だったので、話し尽くすことはもちろんできなかった。しかし、プロ中のプロである池上彰さんが真ん中に座ってリードしてくれたので、聴衆はそれなりに面白かったのではないか、と思う。 私は、朝日新聞に対して日頃、「日本を貶めることを目的としているのか」と問いかけ、論評している。武田記者は言うまでもなく、私のその論評に批判的だった。 池上さんも「新聞社に日本を貶める目的で入ってくる人はいない」と発言していた。その通りだと思う。いや、今でも「自分は日本を貶めるためにやっている」などと思っている朝日新聞記者も、ほとんどいないだろう。 しかし逆に、私は、だからこそ「罪が深い」と思う。私には、朝日新聞の内部に友人が多い。彼らの特徴は、自分たちは「権力の監視」をおこなっている、という自負を持っていることにある。話の端々にそれを感じるが、「権力の監視」はジャーナリズムの大きな役割なので、当然だろう、と思う。 しかし、あの細川政権の時、あるいは、民主党政権の時に、果たして朝日新聞は本当に「権力の監視」をしていたのだろうか。私には、政権とべったりになった朝日新聞の露骨な姿しか思い浮かばないが、この際、そのことは措(お)いておこう。 やはり、武田記者もシンポジウムで「権力の監視」や、「歴史の負の部分を見つめること」の大切さについて、発言していた。私は「それを真の意味でおこなうなら」まったく異論がない。だが、「事実を曲げてまで」という言葉をその頭につけるとどうだろうか。 もし、それが「事実を曲げてもいいから“権力の監視”をおこなう」、あるいは、「事実を曲げてまで“歴史の負の部分を見つめる”」というものだったとしたら、私は日本人の一人として、それは絶対にやめて欲しいと思う。 慰安婦問題をここまで大きな国際問題にしたのは、言うまでもなく朝日新聞だ。世界中が貧困だったあの時代、さまざまな事情で、身を売らなければならなかった女性や、親に売られていった女性など、春を鬻(ひさ)ぐ商売につかざるをえなかった薄幸な女性たちは数多くいた。 しかし、朝日新聞は、慰安婦となった彼女たちのことを「日本軍や日本の官憲によって強制連行されてきた“被害者”」として報道し、まったく異なる大問題としてきたのである。 不幸にも身を売らなければならなかった女性たちがいたことと、いやがる婦女子を無理やり国家が戦場に強制連行することは、まったく違う。後者こそが、朝日新聞によってつくり上げられた「慰安婦=性奴隷(sex slaves)」であり、いま国際的に日本が浴びている、いわれなき非難の根源でもある。 昨年6月に、韓国政府を訴えた洋公主(ヤンコンジュ)と呼ばれた米兵相手の朝鮮人女性たちも、その貧困の時代の薄幸な女性たちだ。朝鮮戦争時にアメリカ軍の兵士たちに身を売る商売についた彼女たちは、当時の韓国軍に「第五種補給品」と呼ばれ、なかにはドラム缶に詰め込まれて前線に運ばれた人もいた。 歴史家の秦郁彦氏による『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)には、各国の慰安婦の有様が詳細に記述されている。女性の人権問題として、また「戦場の性」の問題として大いに議論していけばいいと思う。 しかし、朝日新聞が報じ、これほどの国際問題にしてきたのは、前述のように「日本軍と日本の官憲が、朝鮮の女性たちを戦場に連行して、兵士たちとの性交渉を強いた」という「虚偽」なのだ。ここを絶対に忘れてはならない。朝日新聞の慰安婦報道の第三者委員会の報告書に関する会見を前に、中込秀樹委員長(右)から報告書を受け取る朝日新聞の渡辺雅隆社長=12月22日、東京都港区(早坂洋祐撮影) 朝日新聞が言うように「歴史の負の部分を見つめること」は重要だ。しかし、それが「事実でないことをデッチ上げ」、「先人を貶めること」であることは許されない。そして、朝日新聞は、昨年12月22日に、第三者委員会がこの問題を検証し、報告書まで提出したのである。 その報告書には、「論理のすりかえ」や「レッテル張り」、あるいは「他者の言説への歪曲」など、朝日新聞がこれまで使ってきた手法に対して、厳しい指弾が成されていた。 しかし、一昨日(1月22日付)の朝日新聞の社説には驚かされた。いったい、あの第三者委員会の報告書は何だったんだろう、と思わざるを得ないものだった。 それは、〈「慰安婦」記述 事実をなぜ削るのか〉と題して、教科書会社の数研出版が、高校の公民科の教科書3点から「従軍慰安婦」の言葉を削除することを取り上げたものだ。 私は、どんな論理展開をするのか興味があったので読んでみた。朝日が「従軍慰安婦」が教科書から削られることに大いに不満であることはタイトルからもわかった。しかし、読みすすめる内に、これは第三者委員会で指摘された「論理のすりかえ」そのものの社説であることがわかった。以下は一部抜粋である。 朝日新聞は、慰安婦にするため女性を暴力的に無理やり連れ出したとする故吉田清治氏の証言記事を取り消した。同会(※門田注:「新しい歴史教科書をつくる会」のこと)はそれを挙げ「『慰安婦問題』は問題として消滅した」と主張する。だがそういった極端な主張は、日本が人権を軽視しているという国際社会の見方を生む。 慰安婦問題は日本にとって負の歴史だ。だからこそきちんと教え、悲劇が二度と起きないようにしなければならない。論争のあるテーマだが、避けて通るべきではない。議論の背景や論点など多様な視点を示す必要がある。教科書はそのためのものであってほしい。 ここで記述されているように、「新しい歴史教科書をつくる会」が本当に「『慰安婦問題』は問題として消滅した」というのなら、それは朝日が長年、主張してきた「強制連行問題に決着がついた」ということだろう。 朝日新聞がつくり上げた「慰安婦の強制連行」、すなわちこの問題の本質が「消えた」以上、そう表現するのはおかしくない。しかし、この社説は、それを、慰安婦問題そのものを「消そう」としている「悪い奴がいる」と読者に思わせている。そして、慰安婦問題という「日本にとって負の歴史」から目をそらしてはいけない、と自分たちを正義の立場に置き、さらにその上で、教科書からこれを削るな、と主張しているのである。 第三者員会が指摘した「自らの主張のために、他社の言説を歪曲ないし貶める傾向」や「論理のすりかえ」の手法が巧みに用いられていることにお気づきになるだろうか。 私は、「ああ、朝日は何も変わらないなあ」と思う。少なくとも年明け以降の社説を読むかぎり、昨年暮れの第三者委員会の指摘は、朝日の論調や手法に何の変化ももたらしていない。 昨日のシンポジウムでは、パネラーの武田記者の真面目で前向きな姿勢に、私は、朝日新聞の将来に若干の希望を持たせてもらった。だが、実際の社説とその論調を読むかぎり、朝日が「信頼される新聞」になる道のりは、極めて険しいと思わざるを得ないのである。関連記事■ 2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する■ 朝日新聞だけではない 戦後ジャーナリズムが陥っている偽善■ 朝日は「左派メディア」として有志で再出発すべきである

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    最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理

    氏は不幸な子供を大量につくり出そうという無意識の破壊衝動にかられ、多様な家族を推奨しているのです。 朝日新聞はもっと露骨に、平成22年から23年にかけて「孤族の国」キャンペーンを行って家族の解体を推奨しました。日本社会の破壊を狙う朝日新聞の「孤族」キャンペーンは今もネットで継続中 経済的豊かさの果てに共同体が崩壊し、「家族の時代には戻れぬ」として、新しい生き方を探す時代がきたと言い、「個を求め、弧に向き合う。そんな私たちのことを『孤族』と呼びたい。家族から、『孤族』へ、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。『孤族』の時代が始まる」のだそうです。さらに「未婚で生涯を送る『孤族』たちが不安を抱えずに生きていける、そんな社会であってほしい」とも記事には書かれています。 未婚で生涯を送る誰もが不安を抱えずに生きていける社会など存在するはずがありません。家族ではなく、一人一人が単位となる社会、家庭も親子関係も否定する社会が果たして幸せでしょうか。朝日新聞のこの「孤族の国」キャンペーンは、日本の破壊行為そのものです。朝日の倒錯した願望 中国や韓国の反日史観が、自らを欺いて客観的な歴史を改竄し、憎悪に導かれて生まれたものであることは言うまでもありませんが、朝日新聞は中韓の反日キャンペーンをことさらに煽り、増長させてきたメディアです。韓国が執拗なまでに言いつのる「慰安婦問題」についても、朝日新聞には大きな責任があります。 朝日新聞は平成3年8月11日、「慰安婦の痛み、切々と」という記事を掲載しました。「日中戦争や第二次大戦の際、戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり」という書き出しの記事でした。 この報道はその後、この女性が14歳のとき、貧しさから身売りされていたことがわかり、事実に反することが明らかになりました。しかし、朝日新聞は懲りることなく、翌平成4年には1月11日付の一面トップで「慰安所 軍関与を示す資料」という記事を掲載し、「政府見解揺らぐ」と報じます。翌日には「歴史から目をそむけまい」という見出しの社説を掲載しました。その冒頭の一節は次のようなものです。〈日中戦争や太平洋戦争中に、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人女性などのいわゆる「従軍慰安婦」について、軍当局が募集を監督したり、慰安所の設置などに関与していたことを裏付ける公文書類が発見された。〉 しかし、「軍当局が関与していた」と言っても、その内容は、慰安所を経営する民間業者に対して、慰安婦を強制的に集めたりしないように軍が伝えたというだけの、むしろ売春行為の強制はなかったことを示すものでした。 にもかかわらず、当時の加藤紘一官房長官は「軍の関与は否定できない」と国の責任に言及したため、韓国でも大きく報道され、1月16日に訪韓した宮澤喜一首相は盧泰愚大統領に何度も謝罪することになりました。 朝日新聞はさらに、1月23日付夕刊の紙面で、「日本軍人が先の戦争中、朝鮮半島に住む女性を強制連行し、慰安婦にした」という吉田清治なる人物の証言を掲載しました。 この証言も結局は虚偽だったのですが、宮澤政権は「日本政府による関与があったと認められる」と表明し、それでも韓国が批判をゆるめないとみるや、翌平成5年8月、退陣を前にしたどさくさまぎれに河野洋平官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、いわゆる「河野談話」を公表しました。 この河野談話には「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」などといった文言が含まれています。事実に基づく証拠が希薄であるにもかかわらず、この談話がその後ひとり歩きを始め、「日本軍が若い女性を強制連行し、慰安婦にした」というとんでもない誤解を国際社会に広めることになりました。 そのきっかけとなったのが朝日新聞の一連の報道です。日本の国益を損うこうした報道を、敵対国の新聞が行うならともかく、れっきとしたわが国の新聞が行うのはどうしたことでしょう。朝日新聞は自国を貶めたいという倒錯した願望を抱いているとしか思えません。「九条信奉」と「神州不滅」「自分をだます」自己欺瞞の一つに、「見たいものだけを見て、見たくないものは見ない」主観主義と呼ばれる現象があります。 「日本が外国から侵略されそうになったらどう対処すべきか」と普通なら考えるところですが、憲法9条を信じている護憲派は、外国からの侵略などあり得ないと言う。 毎日新聞の岩見隆夫氏が、「憲法九条を信じている人は、戦時下に神州不滅(日本は神の国であるから絶対に滅びるはずがないというスローガン)を唱えていた人に似ている」と書いていました。戦争には、こちらから攻撃する場合もあれば、向こうから攻撃される場合も当然あります。それを彼らはまったく考えない。 それどころか、戦後70年間にわたって平和だったのは憲法9条があったおかげだと言い出す始末です。福島瑞穂氏は、平和憲法こそ日本の最大の抑止力だと国会で発言していました。まさしく「見たいものだけを見て、見たくないものは見ない」主観主義です。いくら憲法九条を信じ、外国の侵入などありえないと主張していても、夜、寝るときは家に鍵をかけるはずですが……(笑)。 もしも中国に攻め込まれたら、喜んで奴隷になる、“中国日本省”の人民になる、銃をとって戦うくらいなら、そのほうがずっとましだと発言するテレビのコメンテーターも何人かいます。平和憲法こそ日本の最大の抑止力だと主張する人間も含め、破壊衝動を秘めた人間の典型と言えるでしょう。 実は、先ほど名前の出たバートランド・ラッセルも同じようなことを言っています。アメリカが核を独占している時代には、「共産主義は悪の帝国だから、核兵器でソ連を攻撃すべし」と言っていたのが、ソ連も核武装すると「核戦争を避けるためには西側が核を一方的に放棄するべきだ」と180度主張が変わったのです。 ラッセルの家系も、祖父が二度首相を務めている名門なのですが、彼も幼児期に両親を失い、厳格なキリスト教徒だった祖母に育てられています。おばあさんの愛情がどれほどのものだったかはわかりませんが、彼にそうした破壊衝動が生まれたのは両親の愛情と無縁に育てられたせいかもしれません。 無意識の「破壊衝動」は、現代の脳科学・進化心理学で広く認められつつあるのですが、欧米のような人間性悪説に基づくキリスト教圏と違って、性善説の国民性を持つ日本人には、なかなか受け入れにくいかもしれません。しかし、3年3カ月にわたる民主党政権を振り返ってみれば、納得できるのではないでしょうか。 「平和」「人権」「平等」「権利」「友愛」などといった耳に心地よく響く美辞麗句を並べながら彼らが行ったのは、まさしく日本の破壊そのものでした。 脳科学・進化心理学という科学的な基準によって、「心の核兵器」とでも形容すべき政治家の破壊衝動を見極め、政治を客観的にとらえることが、いま求められています。その第一歩として、憲法9条の非合理性と欺瞞を科学的に暴き、日本国民に伝えていきたいと私は考えています。 関連記事■世界が羨む「日本の力」■日本人が靖国参拝して何が悪い!■戦後70年 落ち着いて歴史を語れる国に■「敗北を抱きしめて」などいられない

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    池上彰が語る朝日と日本のメディア論

    朝日新聞のコラム不掲載をめぐり、渦中にいたジャーナリスト、池上彰氏が一連の経緯や真相についてiRONNA編集部に独占激白した。経営の介入から編集権の独立をどう守るのか。朝日バッシングからみえる既存メディアの問題点とは…。日本のメディア論について、あの「池上節」が炸裂する!

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    朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

    小浜逸郎(批評家) 両吉田問題に関わるこのたびの朝日新聞の、あきれ返る愚挙の連続に関しては、いまさら多言を要しますまい。クォリティ・ペーパーなる看板の虚妄性が完膚なきまでに露見したといってよいでしょう。本欄では、少し違った観点から、この愚挙が巻き起こしている現象の問題点を指摘しておきたいと思います。 ご承知のように、ほとんどの保守系メディアは、ここぞとばかりに朝日叩きに膨大なエネルギーを注ぎ込んでいます。そのことは朝日新聞というインチキメディアの体質を暴き、少しでも日本のジャーナリズムをよい方向に導くことにとってぜひ必要でしょう。またいずれにせよ、このホットな話題はビジネスとして使えるので、ここ当分朝日攻撃の流れは続くと思います。 しかし気になることが一つあります。それは、朝日新聞という一民間会社への攻撃と責任追及に血道を上げる空気に支配されるあまり、朝日が作り出した大きな国益毀損に対して、政府として今後何をすべきかがあまり論じられず、政権の具体的な動きも鈍いように思えることです。 従軍慰安婦問題に関しては、中韓の強引極まる反日攻勢が国際舞台でのさばっているために、日本のイメージの汚染を払拭することが難しくなっています。この第一の難事業の遂行を、訂正報道の英訳版さえこそこそとしか発表していない当の朝日に期待することは無理でしょう。まず政府こそが率先して誤ったイメージ払拭のための強力な宣伝戦に乗り出さなくてはなりません。 国会内には、朝日新聞関係者や河野洋平氏を国会に参考人招致すべきだとか、朝日新聞自身が根本的に検証すべきだなどの意見もありますが、そんな内向きの指摘は、ほとんど何の意味も効果もないでしょう。こういう日本お得意の悠長な「ムラ社会」論議をやっているから、わが国は舐められるのです。 とはいえ政府部内では、わずかに稲田朋美政調会長が9月3日のBSフジの番組で、河野談話について「虚偽で国の名誉が世界中で失墜している状況は嘆かわしい。名誉回復のために全力で政府も与党も頑張る必要がある」と述べ、談話見直しも含めた対応の必要性を指摘しました。この発言には大いに期待したいと思います。 しかし、河野談話の見直しという方向性については、安倍総理がかつて「見直しは考えていない」と発言しており、言質をマスコミに取られている関係上、「見直し」は難しいと思います。中途半端な弥縫策は取らないほうがいい。また河野談話は恥ずべき歴史資料としてそのまま残す必要もあります。そこですでに稲田氏も言及している提案ですが、朝日の失態による情勢の新たな展開を存分に活用し、まったく新しく慰安婦問題に関する「安倍談話」を発表するというのはどうでしょうか。安倍総理は「河野談話をそのまま引き継ぐ」とはいっていないのですから、「慰安婦問題そのものが虚偽に基づいていたことが判明したので意味がなくなりました」といえばよい。「見直しは考えていない」という弱気発言を逆用して強気発言に転化するのですね。 ただし、これをいきなり出すのは拙速です。まず順序として政府があらゆる外交ルートを通じてクマラスワミ報告などを撤回させます。そしてこの問題に関する国際社会における信用がほぼ回復できたと見込めた時点で、きちんとした声明として発信する。これが賢いやり方でしょう。 もう一つの「吉田調書」問題に関してですが、これもただ朝日攻撃だけを繰り返していても仕方がありません。要点は、所員が吉田所長の命令に違反して撤退したという朝日の捏造記事によって、日本原発の現場技術者のイメージが国際的に毀損されたところにあります。ですから、政府自身が、あれは国内一メディアの誤報であり捏造であったというメッセージをしつこく発信し、真実を伝え直す努力をしなくてはなりません。 福島原発事故にまつわる風評被害は数知れませんが、この捏造記事は、たんに命を懸けて事に当たっていた所員の人たちの名誉を傷つけただけでなく、原発そのものの危険を過大に印象づけることに貢献したでしょう。じっさい反原発イデオロギーの煽動にこれ努めてきた朝日新聞には、そういう意図があったと筆者は思います。 ですから、この点でも、朝日の捏造を倫理的に糾弾しているだけでは足りないのです。原発再稼働が日本のエネルギー安全保障にとって喫緊の課題であることは、本欄でも触れましたが、すでにベースロード電源として位置付けられている原子力の重要性を、これを機会にさらにアッピールして、国民の理解を得る必要があります。そのためには、福島事故以降の原子力研究者や現場技術者たちが、いかにより安全な原子力発電の実現をめざして日夜努力を重ねているかを広く知らせるのが一つの方法でしょう。その努力を支えている意志は、あの日、吉田所長の退避勧告にもかかわらず現場に戻ってきた所員たちの心意気と同じものなのです。 いまだに6割の人たちが原発の存続に反対していますが、これは多くが、確かな知識や情報もないままのただの気分に基づくものです。この現状を少しでも打破することは、国民の福利を何よりも優先すべき国家の責任ではないでしょうか。 政府の要人は、ムラ社会的な「朝日いじめ」の空気だけに流されず、いま何をなすべきなのかを、広い視野のもとに冷静に考えるのでなくてはなりません。関連記事■ 「ネオ・アベノミクス」のすすめ■ 吉田昌郎所長と「現場」の真実~門田隆将著『死の淵を見た男』が描く当事者の想い■ なぜ人を殺してはいけないのか

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    秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

     政府による「河野談話」の検証や朝日新聞社長の辞任など「慰安婦問題」が大きな転換点を迎えた平成26年。明けて本年、半島情勢や北朝鮮による日本人拉致事件で進展はあるのか。第30回正論大賞受賞者の現代史家、秦郁彦氏(82)と東京基督教大教授、西岡力氏(58)が対談。歴史の真実を訴え続ける2人が見解を述べた。(司会・構成 正論調査室次長 大野正利) ――「慰安婦問題」をめぐって昨年12月10日、朝日新聞元記者の植村隆氏が「文芸春秋」に手記を発表、西岡先生への反論も含まれていました。一部メディアの取材にも応じています。慰安婦問題は新たな展開を迎えるのでしょうか 西岡 私は月刊「正論」の最新号(2月号)で植村氏に全面的に反論しました。彼は手記で捏造(ねつぞう)記事を書いていないと主張しますが、元慰安婦本人が一度も話していない「女子挺身(ていしん)隊として連行」という架空の履歴を勝手に付け加えたこと、彼女が繰り返し話していた「貧困の結果、妓生(キーセン)になるために置き屋に売られ、置き屋の養父に慰安所に連れて行かれた」という本当の履歴を書かなかったことが捏造だと批判しました。 秦 12月22日に朝日が委嘱した第三者委員会の報告書が出ました。植村氏の北星学園大講師雇いどめをめぐって騒動になっていたので注目していましたが、「安易かつ不用意」ではあるが「不自然はない」と浅い突っ込みに終わったのでがっかりしました。“スクープ”の元になった元慰安婦の証言を録音したテープですが、当時のソウル支局長が存在を知り、植村氏に伝えたのでソウルに出張してテープを聴いて記事にしたとしているが、支局長はなぜわざわざ大阪社会部から植村氏を呼んだのでしょうか。不可解ですよね。 西岡 朝日の中で当時、東京と大阪の両本社で温度差があり、大阪は「女たちの太平洋戦争」という特集企画で「戦前の日本人は本当に悪かった」など強い信念で展開していたが、東京版には掲載されない記事も多かった。東京外信部の管轄になるソウル支局長は大阪に書かせようとしたのではないでしょうか。 秦 それにしても誰が吹き込んだのかはっきりしないテープを元に記事を書いたことで、いかがわしさは残りますよね。韓国挺身隊問題対策協議会の代表からテープを聴かせてもらったということですが、元慰安婦本人と会わずに帰国している。あと3日間、現地に残ったら、名乗り出た金学順さんの会見に出ることもできた。そうすれば完全なスクープになったと思うのですが。朝日OBのなかにはテープ録音なるものが実在したのか、疑う人もいます。第三者委員会の報告は全般的に厳しい論調ですが、事実関係については8月の朝日による検証をなぞった感じで、新事実の発掘はなく、慰安婦問題の本質に迫る新たな認識も示されず、少なからず失望しました。吉田証言(注(1))は洗いざらい論じ尽くされ、今後は新たな論点にはならないと思います。 西岡 朝日はなぜ、昨年8月に検証記事を出したのか。朴槿恵政権の露骨な反日外交と、以前から米国などでの在外韓国人による慰安婦キャンペーンで植村記事や吉田清治氏の最初の証言そのまま、「セックス・スレイブ(性奴隷)、20万人」として発信されていた。一般の日本国民は「おかしいのでは」と思い始め、調べると朝日が誤報したのではと気付いた。20年以上前の誤報が世界中でじわじわと日本の名誉を傷つけてきた責任は重い、という議論が高まった結果と思います。 秦 同感ですね。朝日の世論への影響力が急速に冷め始め、むしろ慰安婦問題に対するスタンスを強く批判する風潮が高まってきた。朝日はそれ以外でも世論との乖離(かいり)が目立ってきた。なんとか少し方角を変えないと困ると意識したのではないですかね。 西岡 検証のやり方も「読者の皆さんへ」という形で、あくまで読者の疑問に答えますという姿勢です。23年前に秦先生が済州島に行かれ、吉田氏の主張が捏造だということを最初に問題提起されたわけですが、秦先生に答えるという姿勢ではない。批判が高まっているが、「濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられていることにお答えします」というやり方ですよね。言論機関である以上、批判に対して「あの西岡論文に答える」と応じるべきだと思います。植村手記も西岡論文に答えてません。 ――昨年、政府は河野談話(注(2))の検証を行いました。歴史の真実を明らかにすることで、日韓関係の将来は開けてくるのでしょうか 西岡 日韓関係に大きな影響を与えたのは1992年1月、訪韓した宮沢喜一首相の盧泰愚大統領への謝罪だと思います。日韓国交正常化交渉が始まった1951年以降、慰安婦問題が外交問題として取り上げられたことはなかった。本当に問題があるなら65年の日韓基本条約締結の際に取り上げられるべきですがここでもなかった。その後、80年代になって吉田氏が本を書いて韓国まで謝りに行き、さらに91年に日本の戦後補償の専門弁護士が付いて元慰安婦たちが裁判を起こし、朝日がリアルタイムで報道し続けた。それまで韓国のマスコミは慰安婦問題の扱いは小さかったのに、91年の朝日の大キャンペーンを境に大きく扱われるようになった。 秦 それを背景にして朝日は92年1月11日にトリックめいた手法で「軍関与の証拠を発見」「女子挺身隊の名目で強制連行して慰安婦に」「慰安婦の大多数は朝鮮人女性」と大キャンペーン記事を書き、翌日の社説は「謝罪して補償すべきだ」と主張しました。私はこれを「ビッグバン」と呼んでいるのですが、実際に慰安婦問題は朝日の筋書き通りに展開しました。 西岡 追い打ちをかけたのが外務省のまず謝罪ありきという姿勢で、朝日報道とセットで慰安婦問題が外交問題になってしまった。今回の河野談話の検証でも91年12月の段階で謝罪することを検討したとしている。吉田氏が証言したような強制連行について事実関係が分かっておらず、実態を調べる前に謝ってはいけない。ここでなぜ外交的に謝るのか。謝罪は調べてからすべきものです。 秦 慰安婦問題がこんな大問題になってしまった責任の半分以上は日本にあると思いますね。韓国は受け身なんですよ、吉田氏にはじまり、アジア各地に出かけて元慰安婦を探し出し、補償裁判に持ち込んだ弁護士、国連人権委員会(現理事会)で慰安婦を性奴隷と呼びかえるべきだと訴え、実現させた弁護士も。僕はなぜそういう自国を貶(おとし)めるようなことに熱中する日本人がいるのか、不思議でならない。他国なら社会的制裁が下るはずなんだけど、日本はそうではない。むしろメディアは持ち上げてしまう。 西岡 慰安婦問題については昨年8月の朝日の検証から物事が始まったように見えますが、実はそうではない。河野談話の根拠だとされていた元慰安婦16人の聞き取り調査が裏付け調査のないでたらめな調査だったことを当時の記録を入手して暴露し、さらに外務省が一度国連に提出して突然取り下げたクマラスワミ報告(注(3))に対する幻の反論文書を入手して全文公開したことなど、産経新聞と月刊「正論」のスクープは大きい。極秘とされていた政府文書を公開し、新しいファクトを出したことが議論の水準を上げることになった。慰安婦報道の急展開にはこうした背景があったと思います。報道現場で何か言いたいのであれば、新しいファクトを見いだすとか、新しいものの見方を提案することが絶対に必要です。新年はこうした建設的な議論が進むことを期待したいですね。関連記事■ 慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪■ 「慰安婦狩り」吉田証言を報じた朝日記者の心性 ■ 慰安婦問題解決を阻んだ朝日と韓国

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    2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する

    を描かせてもらった私は、5月以降、今度は、別の新聞とまったく異なる闘いを余儀なくされることになる。 朝日新聞である。同紙は、故吉田昌郎・福島第一原発元所長が政府事故調の聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」を独占入手したとして、今年5月20日、「2011年3月15日朝、所員の9割が吉田所長の命令に違反して福島第二(2F)に撤退した」という大報道をおこなった。総務・人事・広報など女性所員を含む700名あまりが詰めていた免震重要棟から、所長命令に「従って」2Fへ退避した所員たちが、「命令違反」と真逆に書かれていることに私は仰天した。 なぜなら、私は、吉田氏本人や90名ほどの現場の人間たちに取材し、実名であの土壇場での闘いを『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)に描いている。朝日が書いた場面は、拙著のメインとなる、まさにそのヤマ場である。 詳細な実名証言による拙著の記述を、朝日新聞は全面否定してきたことになる。私は、まずブログで朝日新聞の記事は「誤報である」と指摘し、以後、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……と、あらゆる媒体で「なぜ誤報なのか」という指摘をさせてもらった。 論評をおこなう私に対して、朝日新聞は、「謝罪と訂正記事の掲載」を要求し、それをしない場合は、「法的措置を検討する」という脅しの抗議書を送ってきた。しかし、8月に入って、産経新聞、読売新聞、共同通信が相次いで「吉田調書」を入手し、朝日新聞の報道を全面否定した。そして、9月11日に前代未聞の記事の撤回・謝罪、編集幹部の更迭、社長の辞任が発表された。 朝日新聞社内に置かれている「報道と人権委員会(PRC)」は11月に見解を出した。それは、全編、驚きの連続だった。特に、「吉田調書」そのものを担当の記者以外、上司は誰も読んでおらず、編集幹部がこれを読んだのが、政府が吉田調書の公開を決定した「8月21日」だったことに絶句した。 朝日新聞は、肝心の吉田調書すら読まずに、言論弾圧の抗議書を私に送りつけていたのである。それだけではない。朝日新聞は、取材対象者が700人以上もいたにもかかわらず、「たった一人」の現場の人間も取材もしていなかった。 私は、同じジャーナリズムの世界にいる人間として、唖然とした。福島民友新聞の記者たちが命をかけて「真実」を切り取ろうとしたことを描いたノンフィクション作品を上梓した私にとって、それは驚き以外のなにものでもなかった。あまりにお粗末なその実態と経緯は、ブログや拙著『吉田調書を読み解く―朝日誤報事件と現場の真実』(PHP)で書かせてもらったので、詳細はそちらでお読みいただきたい。 私は、暮れが近くなって(12月22日)発表された朝日新聞の第三者委員会の「従軍慰安婦問題」に関する報告書の中で、ある部分に目が吸い寄せられた。それは、外交評論家でもある岡本行夫・第三者委員会委員の見解が記された箇所である。そこには、こんなことが書かれていた。〈新しい方向へレールが敷かれた時の朝日の実行力と効率には並々ならぬものがある。しかしレールが敷かれていない時には、いかなる指摘を受けても自己正当化を続ける。その保守性にも並々ならぬものがある。 当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。朝日新聞社への入社は難関だ。エリートである社員は独善的とならないか。「物事の価値と意味は自分が決める」という思いが強すぎないか。 ここでは控えるが、ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない〉(一部略)。岡本氏の見解に私は同意する。新聞社は運動体ではない――当たり前のことであり、読者も同じ思いだろう。日本は思想、信条も、すべてが許され、そして表現の自由も保証された社会である。反原発活動でも、反日運動でも、好きなだけやればいい。 大いに自分の信じる活動に邁進すればいいのである。ただし、それは新聞記者を「やめてから」の話であろうと思う。新聞記者が客観情報をねじ曲げてまで「自分の主義や主張を押し通すこと」は許されない。それは、驕り以外のなにものでもない。私は今回の朝日誤報事件が、“新聞離れ”を進めるのではないか、と危惧している。たしかに「運動体」と化し、「角度をつける」ような新聞に国民が愛想を尽かすのは無理もないだろう。 しかし、本来の新聞は、そんなものでもないし、日本にあるのは朝日新聞のような新聞社だけではない。私は、新聞の役割は、「気づき」にあると思っている。毎朝毎朝、さまざまな客観情報を提供し、各界の知識人が、独自の論評を掲載し、“へぇー”と心底、唸らせてくれる新聞もある。 「こういう見方もあるのか」「そういう事実があったのか」と、それまで気づかなかったことを教えてくれる貴重な存在が「新聞」なのだ。決して、新聞は「同じ」ではない。それぞれに“生きている記事”を掲載しているところは多い。新聞を取るのを「やめる」のではなく、「代えて」みて欲しい。そして“気づき”の役割を果たしている本当の新聞に、もう一度、チャンスを与えてあげて欲しいと思う。 2015年。それは、将来、生き残る新聞と消えていく新聞が“二極化”していく年になるのではないだろうか。2014年の最後の日に、私はそんなことを考えさせてもらった。関連記事■ 朝日新聞だけではない 戦後ジャーナリズムが陥っている偽善■ 慰安婦問題解決を阻んだ朝日と韓国■ 井沢元彦より 言葉の凶器を弄ぶ「朝日人」たちへ

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    産経さんだって人のこと言えないでしょ?

    「編集権」についてとやかく言うつもりはなかった(瀧誠四郎撮影) 私が朝日新聞での連載「新聞ななめ読み」を始めたのは、朝日だけでなく、いろんな新聞の比較をすることがそもそもの狙いでした。月に1回、言ってみれば新聞時評みたいなものですよね。「朝日新聞の記事は分かりにくい」と随分批判もしてきましたが、それに対して担当部局のデスクから抗議が来たりすると、それも紹介しつつ、反論も書いたりして、新聞記者との双方向性を持つというやり方でやってきました。 朝日以外にも読売や産経の話も書いたりしたことはあったんですが、ある日突然、掲載できないという話になったんです。もちろん、新聞社には編集権がありますから、最終的に掲載する、しないを判断するのは、それぞれの新聞社が決める編集権ですよね。それについて著者が「載せないのはおかしい」とか、そういうことを言う立場ではないと思うんですよ。 朝日は編集権を行使したに過ぎないわけですから、「それはどうぞ」と。もちろん、それについてはとやかく言いませんとも。ただし、これまで「何を書いてもいいよ」と言われてたのが、突然そうじゃなくなるんだから信頼関係が失われたも同然ですよね。 だから、私は「もう書きませんよ」と言っただけなんです。それは、朝日新聞と私との間の、要するに発注者と著者との間の話でしょ。それはどこの新聞社だってやりとりはあるわけだし、出版社だって雑誌社だってあるわけですから。それについて、私は誰にも言うつもりはなかった。あくまで会社との話でもあるから、もう終わった話だし、もう連載はきれいさっぱり終わったんだもんね、と思っていました。 そしたら、突然週刊誌から次々に問い合わせがあり、まあ朝日の社内で、週刊誌に言った人がいるわけですよね。週刊文春も週刊新潮も「朝日の人から聞いたんですけど」ってきましたから。で、こんな騒ぎになっちゃった。私の中では終わってた話ですし、それがこんな形になってしまった。 当時、コラムの不掲載を決めたのは「上層部で…」という言い方を朝日の担当者もしていました。現場は掲載したいと思っているのに「上層部がうんと言いません」という言い方でした。こちらとしては「上層部って誰ですか?」と聞こうとも思わなかった。さっきも言ったように編集権を行使されただけですから。別に関心もなかったので、確認もしなかった。ただ、それだけのことです。 朝日の第三者委員会では木村伊量前社長が不掲載を決めたという結論が最終的に出ましたよね。本人もそれを受け入れるみたいな。渋々認めるような不思議な展開でしたけど。でも、本当は会社の中で、きちんと何があったのかということを調べて検証する、という自浄作用が働かなければいけないんだけど、朝日にはそれができなかった。そのことは残念だけど、よく言えば朝日は第三者委員会ってものを設置して、事実が解明されたわけですよね。考えてみれば、新聞記者だってサラリーマンなんですから、自分が勤める会社の社長だった人を問い詰めて確認するってやっぱりなかなかできない。そういう意味では、第三者委員会で一連の経緯が明らかになったことは良い事だと思う。 そこでいろんな膿といいますか、角度をつけすぎた記事であるとか、あるいは過剰な使命感から記事が歪められてしまったみたいな指摘を受けて、「朝日の病根」っていう言い方は言いすぎかもしれませんけど、そういうものを明らかにして紙面に出して説明したことは、これまでにない前向きなことではないか。そして、さらに言えば、1月5日の朝日社長会見でも「編集」と「経営」をきちんと分離すると明言しました。これはマスメディアにとって永遠の課題ですよね。産経新聞だって編集権は独立しているでしょうけど、でも会社の危機になれば、そのときの社長が何を言うか分からないというのは有り得るわけでしょ。いや、きっとありますよね。あまり人のことを言っていられないわけですよね。 そういう意味でも、「経営」と「編集」の分離、あるいはどうしても経営にかかわる時には第三者を入れてきちんとオープンにするんだ、という姿勢は画期的なことだと思う。他の新聞社はできてないでしょ。他のテレビ局だってできてないと思うんですね。他にも訂正のコーナーを常設するというのは、これも画期的なことですよね。これまでどの新聞社も、なるべく訂正は載せたくない。たとえ載せても目立たないようにする。一面トップの大きな記事でも小さく訂正を載せるというのは、産経新聞でもあったと思いますけど、一連の問題を受けての朝日の対応は画期的なことではないかなと思う。 もちろん、本当にそうなるかどうかは分からない。これからやるっていうんだったら、じゃあ、こちらはそれを監視し批評をするという役割で「連載を再開しましょう」と決めました。1月5日の夜に申し上げたんですが、各社からは「コメントください、ください」とずっと追いかけ回されてました(笑)。現場の「屈辱感」が編集権の独立を担保する現場の「屈辱感」が編集権の独立を担保する 朝日の人と話していて、なるほどと思ったのは、今回の場合でいうと、編集部門は僕のコラムを掲載しようとしていたわけです。でも上層部、第三者委員会でいうところだと当時の社長ですよね。経営陣から載せるなと言われて、現場は抵抗したけど最終的に屈服しちゃったわけです。その「屈辱感」を現場の誰しもが持っている。こういうことが二度とあってはいけないという反省みたいなもの。実はそれが「編集権の独立」を担保するのではないかと言っている人がいて、なるほどなと思いましたね。(瀧誠四郎撮影) 逆に言えば、今後もし経営者が編集に介入しようとしたら、「第三者を呼ぶんだよ」「オープンにするんだ」という仕組みが朝日にはできたわけですから。これは経営者がうっかり編集に介入しようとすれば、オープンになってしまうと思ったら、それだけで歯止めになる。つまり、会社の体質うんぬんではなくて、歯止めをつけるとか、ブレーキをかける仕組みを朝日はつくったんですよね。 むろん、代が変わっても、その精神や仕組みが継承されるかどうかという懸念はあるわけですけど。あなた方も新聞記者である以上、自分が書いた記事について正当な理由もなく、上層部から「これはやめろ」と言われたら許せないはずです。屈辱ですよね。やっぱりそれに屈してしまったということは記者人生において、ものすごい汚点だと思うんです。朝日の人たちにとってみれば、今回のことにかかわった一人ひとりの記者人生においての汚点でもある。これからもトラウマになるかもしれませんけど、その反省から二度とそんな失敗はしないっていうことを思うことが大事なんじゃないかな。 これは他の新聞社の記者からも言われたんですが、「朝日のような対応はうちじゃできない」と。朝日の問題を受けて、ここのところいろんな新聞が訂正を大きくしたり、訂正の内容を分かりやすくしましたよね。そういやこの前、産経さんが朝日の件で江川紹子さんのコメントを無断で使ったことが問題になりました。あの後、産経新聞が記者を処分した経緯の記事がとっても分かりにくいと聞いたんですけど。なんで、どんなことをやったから処分になったかと書いてないんですよね。こんなことになれば、当然産経さんだって批判される側に立つ。 ましてや、朝日のことを散々叩いてきたわけでしょ。江川さんの件でなぜ処分したかまったく説明がないわけですよ。読者のことをまだ考えてないなと思いますよね。最近、日経新聞の訂正も非常に丁寧になりました。前はただ「訂正します」という言葉だったのに、最近は「お詫びして訂正します」に変わった。そういう意味でも、それぞれの新聞社が襟を正すようになったのは、とても良い事なんじゃないかな。 もちろん、これはあえてメディアにおける今回の朝日問題のプラス面を言えばですよ。ただ、その一方でマイナス面を言うと、やっぱり新聞に対する不信感が大きい。最初は朝日に対する不信感だったわけですけど、今度はそれをライバル紙である産経さんや読売なんかも激しく叩くわけでしょ。これも読者にしてみると、「本当に真実とか事実を追及するためのものなんだろうか」と思ってしまう。でも、すぐに販売店からチラシが入るわけですよ。「うちの新聞をとりましょう」と。それを見ちゃうと「あれ? 商売のためなんじゃないの」と思ってしまう。たとえ、そういうつもりがなかったとしても、きっと読者はそう思いますよね。 だから、今回の問題は結果的に新聞業界全体に対する不信感に広がっていったんじゃないかと思っています。朝日が部数を減らしてますけど、はたして読売さんや産経さんは増えてます? そういや毎日新聞は微増だと言ってましたね。減り続けていたのが微増ということは結構増えているということになるのかもしれないけど、たぶん朝日の購読を止めた人の多くがこれを機に新聞購読をやめたんじゃないかと思うんですよね。新聞業界全体が実はマイナスになっていると。そういう危機感を持った方がいいんじゃないかなと思いますね。だからこそ、今回の朝日問題は他の新聞社においても「他山の石」にしてほしいなと思います。「角度」をつけて記事をつくることとは「角度」をつけて記事をつくることとは そういえば、朝日の第三者委員会の報告について、産経新聞は朝日の過去の記事が国際的に悪い影響を与えたと、大きく報じていましたよね。それが見出しにもなっていたでしょ。産経は産経で「角度をつけて記事を書いているよな」と思いました。 それにしても「角度」をつけるっていう表現は不思議ですよね。かつて私が勤めていたNHKでもそんな言葉はなかった。ただ、よくあるでしょ。例えば、新聞記者が第二社会面トップぐらいというつもりで書いたら、突然デスクから「一社トップで行くぞ」とか、「一面で行くぞ」とか言われたりする。デスクからは「リード(前文)を工夫しろ」とか、「イーハンつけろ」とか言われません? きっとあるでしょ。今の若い人には意味が分からないかもしれないけど。 どんな記者だって、突然「トップにするぞ」と言われたら、「イーハンつけろ」と言われたらやるでしょ。なんとかでは初めてとか。世界初と言えないならアジア初とか。なんじゃそれ、みたいなのが時々ありますよね。 つまり、イーハンつけろよというのが、朝日でいうところの「角度をつける」ということなんでしょうね。でも、角度をつけるということは、ちょっと偏ってしまうことになるのかなとも思います。イーハンつけるということは、もう少しニュースバリューを際立たせろということですよね。でも「角度」という言い方は不思議だなと今でも思います(笑)。朝日の問題は「不良債権処理」と同じ1月5日、記者会見する朝日新聞社の渡辺雅隆社長(大西正純撮影) 朝日について言えば、一連の問題を訂正したり、お詫びする機会はあったはずなのに、それをずっと放置してきたという人がいます。これはものすごく、日本的な企業風土だと思うわけですよ。朝日だけではなくて、日本の企業だったらどこにでもある話。新聞社の感覚で言えば、大阪社会部が書いた記事だから、東京社会部は知らないよと。こんな経験あるでしょ? あるいは、過去に起きたことだし、なんで今さらほじくり返すの? みたいなことになる。当時書いた人が今、会社の上層部にいたら、その人の過去を掘り起こすことになってしまう。それはそっとしておこうとか、自分の時に問題にならなければいいから先送りするって、誰しもが思う感覚なんですよね。 バブル経済が弾けた後の日本の金融機関はみんなそれをやってきたわけですよ。バブルが弾けて、どんどん不良債権が積み上がり始めた。担保となった土地を早く処分すればいいのに、それを処分して不良債権だと切って捨てると、前任者が間違っていたということになる。たとえば、それをやった人が今は本社の偉い人になっていれば、こんなことをやると自分の出世に響いたりするから、自分の時だけは何事もなく、後に任せればいいやと思う。「先送り、先送り」といって気がついてみたら、不良債権がものすごいことになって、「飛ばし」にした。飛ばしにして、帳簿から消したでしょ。あれと同じですよ。  あるいは、不良債権の額をわざと低めに抑えたりして、実際に金融庁が調べてみると、どーんと額が増えましたよね。結果的に不良債権処理に失敗して金融破綻が深刻な問題にもなった。朝日新聞とそっくりだと思いますよ。いや、朝日新聞だけじゃなくて、日本の企業風土としてよくあることだと思う。むしろ、そっちの観点からこの問題を考えた方がいいんじゃないかと思います。 当然ながら、産経新聞にだってあり得るということです。もちろん、今のご時勢なら、すぐ膿を出す努力はするでしょうけど。昔は産経さんだって、誤報を出してもほっかぶりしたことがあるわけですから。それは朝日特有の問題とみてしまうのは間違いなんじゃないかな。日本的な企業風土として、どこでも有り得ることなんだよと考えた方がいいんじゃないかな。だからこそ、朝日が報じた吉田証言というのは「不良債権」そのものだったんですよ。不良債権の処理をしないで、放置している間にどんどんそれが膨らんでしまった。それが今回、やっと不良債権処理に踏み出したわけですよね。朝日新聞の国際的影響力とは朝日新聞の国際的影響力とは 朝日の問題で言えばもう一つ、一連の慰安婦報道が日本の国際的評価を貶めたという指摘があります。これについて第三者委員会の中で、本当にどれほど影響があったのかどうか、林(香里)先生が定量的に分析しています。■データから見る「慰安婦」問題の国際報道状況(朝日新聞デジタル)http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122204.pdf データによれば、実は思ったほどの影響ではないという話になっていましたよね。あれがなかなか難しいのは、産経さんが日本を貶めたのは朝日の影響力が大きいと言えば言うほど、朝日新聞は国際的信用度が高いみたいに思えてしまう。朝日を叩くことがかえって、日本を代表する新聞という風に持ち上げられてしまって、これは痛しかゆしだなって感じがする。林先生が分析したデータを見ると、確かに言われているほどの影響力はないって結果なんですよ。あれはあれで結構、おもしろかったですけどね。 もちろん、報道の影響力というのは活字の面積やテレビで放映された時間だけで計れるものではありません。ごく小さな記事でも、人間の記憶に残ることだってあります。「強制連行した」という証言が日本国内でそれなりの衝撃を持って受け止められた部分が、海外ではどうなのかというのは実際のところよく分からない。別に朝日の影響力がなかったとは言いませんし、逆にどれだけあったのかと言えるだけの根拠を私は持っていないので。全くなかったはずではないけど、じゃあ、どれだけあったのかというのも、実はよく分からない。 ただ一つ言えるのは、「慰安婦」という言葉自体がひとり歩きしたという影響はあるわけでしょ。「女子挺身隊」が「慰安婦」とイコールの、あの間違いの方が大きいと思います。女子挺身隊を慰安婦と混同した部分に関しては、たとえば韓国では「慰安婦20万人説」っていう話まで出てきちゃうわけです。この責任はありますよね。明らかにね。強制性に関しての国際的な影響力っていうのは、私もそれを判断するだけの材料がないので自分としては言えませんけど、女子挺身隊と慰安婦を混同させたのはやっぱり問題だと思います。これは朝日の責任として、今後も国内外に向けて「実は間違っていました」ということを言い続けるべきだと思います。 この問題について、一読者として最も違和感があるのは、産経さんが「朝日はその責任をどうするんだ、どうするんだ」と追及してるでしょ。極論かもしれないけど、産経新聞が朝日に代わって世界にアピールすればいいんじゃないですか? 少なくとも私はそう言いたくなるんです。日本を代表する新聞としてきちんと論陣を張り、世界に向けて「朝日は間違っている」ということを発信すればいいじゃないですか。やはり言論をもって言論をということだと思うんです。読売さんだって、朝日は違うとかやっているわけでしょ。読売は読売できちんと論陣を張る。産経は産経でやる。また、毎日や東京もまた別のやり方をやればいい。それが本来のあり方じゃないですか。人を叩いている暇があったら、自分のところで誇りをもってやりなさいよと、私は言いたいですけどね。朝日を叩くなら言論を戦わせるべき朝日を叩くなら言論を戦わせるべき 私は昨年、週刊文春に「朝日のことを言えない新聞社やテレビ局だってあるんじゃないんですか?」という記事を書きました。過去には私の連載を突然打ち切った新聞社だってあるわけです。それは編集権の問題だから、私はそれについて誰にもとやかく言ってませんけど、たまたまその新聞社は組織内で鉄の結束があって、社員は誰も外部に漏らさなかった。だから、今まで知られないで来ただけの話でしょ。 かつて私がいたNHKにおいても、経営が編集に介入するというのはあって、みんなが地団駄を踏んで悔しがったこともあります。そんなことは、いろんなところであるんじゃないですか。週刊誌の広告掲載を拒否した新聞社だって他にもあるのに、朝日新聞が週刊誌の広告掲載を拒否したことだけが、けしからんと書くのは違うんじゃないですかということを言ったわけです。私は「朝日叩き」が悪いとはどこにも書いていない。自分たちだって過去に同じことをやっているのに、朝日だけを叩くというのは違うんじゃないかと思います。産経新聞に掲載された週刊新潮、週刊文春の広告と、朝日新聞の慰安婦問題に関する特集記事=8月28日 そういえば、週刊文春は「売国」という言葉を使って朝日の問題を報じましたよね。「売国」っていう言葉は、メディアとして使うべきではないと思います。光文社のフラッシュでは「朝日新聞の社長を国会招致せよ」という見出しをつけた。出版社が政治介入を積極的に求めるってどういうことですか。要はフラッシュの記事をめぐって何かあったときに光文社の社長を国会招致せよって言われたら、どんな気持ちになりますか? そこですよね、私が言いたいのは。だからこそ、言論には言論でやりましょうと常々思うわけです。 「メディアスクラム」とかよく言われますけど、メディアスクラムが問題になるのは、たとえば事件があった時の、一個人、いわゆる市井の人、一般の人に対してメディアが「ワーっ」と押しかけてやるっていうのは、やっぱり人権問題だと思います。でも、朝日について言えば、メディア界においてそれなりの権威がある。大企業に対しての過熱報道というのは、それはありですよね。ありって言い方は変だな。それについて、とやかく言うことはないんだろうと思いますよ。 新聞社の場合、そこに販売店が絡んでくるから、またちょっとおかしな話になってくるけど。読者からみれば、結局部数を増やしたいからだろうと見られちゃいますよね。そこでまた編集と経営の分離という観点からみると、経営者から「朝日を叩け、やれやれ」と言われて報道が過熱しているのではないか、と勘繰ってしまいますよね。 もちろん、新聞社だって民間企業だし、営利企業、株式会社なんだから当然といえば当然なんですけど。その一方で、読者は言論機関、報道機関として新聞をみているわけですよね。そこで疑いを持たれるようなことがあっちゃいけないと思います。 この問題に関して言えば、元朝日記者の植村隆さんがひどい個人攻撃を受けてしまった。そこら辺の経緯は私も良く分からないからコメントできないですけど、ただ植村さんが最初は神戸かなんかの大学の先生に決まっていたでしょ。あの時、週刊文春がそれを暴露した。あれはやりすぎだと私は思いましたね。こんなやつをとってもいいのか、この大学への抗議をみんなでやろうと、あたかも煽ったかのように思えますよ。 これについては週刊文春の責任が大きいと思います。植村さんが誤報したのだとしたら、それを追及されるのは当たり前ですが、だからといってその人の第二の就職先はここだと暴露する必要があるのか。それが結局、個人攻撃になっていったり、娘さんの写真がさらされたりみたいなことになっていっちゃうわけでしょ。ものすごくエスカレートする。逆に言えば、産経さんはこの件に一切関与していないにもかかわらず、なんとなく植村さんへの個人攻撃から娘さんの写真をさらすことまで、全部ひっくるめて朝日をバッシングしているのが、産経さんであるかのようにみられてませんか? 産経さんの誰かが書いていましたよね。うちはちゃんと分けているのに、全部ひっくるめて批判するのはおかしいって。そんな風になってしまったのは、これまた不幸なことだと思いますね。ラジオからテレビ、紙からネットへの変革ラジオからテレビ、紙からネットへの変革テレビ東京系選挙特番「池上彰の総選挙ライブ」の会見を行った池上彰氏=2014年12月2日 朝日の問題は、ネットでも特に注目を集めました。ネットを利用する人が情報収集する時にググると、産経の記事もネトウヨのブログも一緒になって出てきちゃうわけでしょ。並列で出てきちゃって、次々に読んでいると、どこで読んだかよく覚えてなかったりしたという経験だって誰しもきっとある。 新聞社の記事というのは、きちんと訓練を受けた記者が「プロ」として書き、さらにデスクが手直しして、校閲がもう一度チェックするという、何段階ものプロセスを経て世に出ますよね。 その一方で個人がやっているブログなんてのは、思い込みだったり、勝手な意見を随分出していますよね。ネットの世界では、それが一緒にされている危険がものすごくあると思うんですよね。 確かにインターネットができて誰もが記者になれる。みんなが情報発信できる。それはその通りなんですけど、結果的に取材をし、事実関係を確認し、報道することの恐ろしさって、我々は知ってますよね。間違えたらどれだけ大変なことになるのか。でもネットしかやらない人はそういう怖さを知らないわけでしょ。結局、人違いになったりして名誉棄損で訴えられたりっていうことがたびたび起きている。こういう時こそまさに「プロの力」というのが、ネットの中でもとりわけ必要だと思うし、今まさに問われているんだと思います。 ただ、ネットの記事っていうのはPV(ページビュー)を稼いで広告料をとるわけでしょ。週刊誌と同じですよね。一定の購読料とは別になってます。今、話をしていてふと気がついたんですけど、そもそも紙媒体とは根本のビジネスモデルが異なるのがネットメディアですよね。 メディアの歴史をひもとけば、民放テレビが始まったとき、ラジオ局がテレビを始めたんです。ラジオこそが本流だと思っていた連中は当時、テレビには誰も行きたがらなかった。当時のエリートコースの連中がみんなラジオに残って、上の評価がめでたくなかったり、はぐれ者がテレビに行かされたんです。そういうエリートじゃない、いろんな連中がいたことによって、テレビは活性化していくんです。だから、今の紙媒体とネットメディアって、かつてのラジオとテレビの関係に近いのかなとも思います。 テレビが出てきたときに、映画界では映画俳優をテレビに一切出さないという「五社協定」というのがあって、東映とか日活とか、5社が協定をして、映画俳優は一切テレビに出なかったんです。そうやってテレビを困らせようとしたわけですが、テレビ局は仕方がないから、自分たちでテレビドラマの俳優を発掘した。そこからみるみるテレビドラマの人気者が誕生していった。 いつしか映画が没落していき、結局は映画俳優も「テレビに出してください」という流れに逆転するわけです。明暗を分けるというか、新しく主役が代わるという時は、そういうことが起きるんだろうと思う。今はネットのルールというか、作法というのか、そういうものがまだ成熟していない。でも、これからきっと成熟していくのだと思う。いや既存メディアこそ、そういうものを積極的につくっていく役回りを担う必要があると思います。既存メディアが進む未来とは既存メディアが進む未来とは ただ、ネットユーザーの中には、ネットにこそすべての正しい情報がある。マスゴミは信用できない。ネットには真実があるみたいに、本気で思い込んでいる連中がいる。困ったもんですよね。すべて同列にみえてしまうっていうところが怖いですよね。そこが、まさに既存メディアが苦戦、苦闘していることでもあります。その中から何かルールなり、作法が生まれてくる。それを作っていかなければいけないんだろうと思います。なかなか見えてこないですけど。それはひょっとして我々のような古い、オールドメディアの連中だから分からないのかもしれない。もしかしたら、物心ついたころからインターネットでずっと慣れ親しんできた人たちが、また新しいものをつくるのかなとも思います。(瀧誠四郎撮影) それでも、既存メディアの将来について一つだけ言えるとしたら、これから紙の新聞ってのは必ず減っていきます。この先も減り続けると思ってます。でも、絶対になくならない。必ずどこかで止まるんですよ。逆に、日本の新聞の発行部数が異常に多すぎる。産経さんは少ない少ないって言うけど、いま160万部もあるんでしょ? ニューヨークタイムズやワシントンポストってどのくらいです? 100万部ちょっとでしょ。ニューヨークタイムズ、ワシントンポストに比べれば産経新聞ははるかに多いんです。だから1千万部なんて言っている新聞があるけど、実際はもうちょっと少ないんでしょうけど、世界規模でみると日本は異常なんですよ、あれ。 実はこれまでが異常だった。本当に紙のものをある程度きちんと読んでくれる人のレベルって、こんなにたくさんいるわけないですから。そういう意味では減りますよ、日本中の新聞すべてが。朝日も産経もまだまだ減りますよ。でもどっかで止まるんだと思っています。ちゃんと手に取って読んでくれる良質な読者をどうやって抱えていくのか。そして、紙では読まないけれど、ネットでは読んでくれる人をどれだけ取り込むのか。理想をいえば、ネットでも重要な記事やコンテンツは課金する流れができたらもっといい。 課金に関しては、ニューヨークタイムズも成功しているわけでしょ。日本だと日経新聞がとりあえず成功している。金儲けの部分だけはうまくいっているわけです。産経新聞だって正式名称は「産業経済新聞」なんですよね。経済ネタだけは課金をするような形とか。うまいやり方は正直分かりませんけど、あるいは産経ならではの正論なり、主張なりという部分は「お金を出して読んでください」みたいなこともできる。利益は出なくても赤字にはならないで済むようなビジネスモデルを考える。持続可能なものとしてね。いまどこの新聞社もデジタル部門はトータルとして赤字なんじゃないですか? 今後、その赤字をどれだけ減らしていくのか、そこで利益を上げようとしても現時点ではとても無理ですから。より良いビジネスモデルを模索する時期なんだと思う。やっぱりメディアというのは、結局は読者がお金を出してでも読みたいと思う記事をどこまで出せるかに尽きる。いま、新聞を定期購読をしている人っていうのは、その多くが惰性で取っているでしょ。でも、数は減っているとはいえ、キヨスクでお金を出して買ってくれる人もいるわけです。110円を出して産経新聞を買っている人が必ずいる。そこには買った人が読みたいなと思う記事があるからですよね。個人的な意見ですが、近い将来、ネットメディアでも100円を出してでも読みたいっていう記事がもっと増えればいいなと思いますけどね。(聞き手 iRONNA編集長、白岩賢太/川畑希望)池上彰(いけがみ・あきら) 昭和25年、長野県生まれ。元NHK記者。平成6年から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役を務めた。17年にNHKを退局し、フリージャーナリストに。 東京工業大学リベラルアーツセンター教授。近著に佐藤優氏との共著『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』(文春新書)。関連記事■ 井沢元彦より 言葉の凶器を弄ぶ「朝日人」たちへ■ 百田尚樹より 朝日論説委員と記者の皆さんへ■ やはり「本質」に踏み込まなかった朝日新聞「第三者委員会」

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    8月5日は朝日新聞の「敗戦記念日」

     2014年8月5日、朝日新聞はこれまで認めなかった慰安婦強制連行に関する吉田清治氏の証言を虚報と認め謝罪した。これは歴史的な出来事であり、日本を不当に辱めてきた証拠を自ら否定した非常に大きな出来事となった。戦後の朝日新聞を考えた場合、この吉田清治氏の慰安婦強制連行という虚偽に事実が成立することにより、自らの正当性を保ってきた経緯がある。だからこそ、これを守ってきたし、これを否定することが出来なかったわけである。 慰安婦をめぐる問題を考えた場合、当事者の多くが死去し当時の証言が取れない中で、事実関係を立証する「物証」となるものは、過去において文献になっている吉田証言以外存在しない。このため、これを否定することは、証拠能力のある唯一といってよい資料が失われたことを意味するのである。 朝日新聞にとっての吉田証言の否定は、その後に書かれた朝日ファンタジーの否定にほかならない。朝日新聞は吉田証言を基に、朝鮮人の女性が強制的に売春させられたとして、日本や日本人の責任を問うてきた。しかし、これが「自発的」な売春行為となれば、話は大きく異なるわけである。朝日は自己正当化のために、本人の意志ではなく、生活維持など必要性に迫られそうせざる得なかったという「広義の強制性」という新たな定義を持ち出し保険をかけながら、吉田証言を盾に強制連行の事実は存在したという事実認定を変えなかった。この盾を自ら壊したのが8月5日の訂正記事なのである。 その後、吉田調書問題など、他の不祥事が多数発覚し、慰安婦問題に関しても第三者委員会が設置され、同時に社長が責任を取り辞任する事になったが、これで朝日新聞で何かが変わったとは思えない。何故なら、第三者委員会の人選も朝日新聞の利害関係者ばかりであり、朝日新聞擁護のための委員会でしかなかったわけだ。そして、朝日新聞は非を認めたが、自社の読者や慰安婦報道で傷ついた日本や日本人の名誉について、何も被害回復を行っていない。 朝日新聞は、これまで、慰安婦問題に関して、日本政府に対して、謝罪と賠償をセットで求め続けてきた。この理屈に従うのであれば、朝日新聞は謝罪だけでなく、読者に対する賠償と日本政府と日本人に対する名誉回復と賠償を行うべきなのだ。 現在、朝日新聞は3000億円近い純資産を保有している。この全額とは言わないが、せめて半分程度を使い、被害回復のための基金を設立し、それをこれまでの記事の訂正と間違った報道により被害を受けた方に対しての賠償を行うべきである。1500億円もあれば、世界中に広告を出すことが出来るであろうし、世界各国で訂正のためのロビイ活動ができる。今までの経緯を考えた場合、これは当然の行いであるといえる。もし、それが出来ないのであれば、朝日新聞には、早急に報道の世界から、そして、日本社会からご退場いただきたいものである。

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    朝日は「左派メディア」として有志で再出発すべきである

    著者 Dean 先日行われた朝日新聞・渡辺社長の会見は読むに堪えない内容だった。あくまで“今後も”朝日新聞が存続するという前提での会見であり、第三者委員会の結論として「廃刊すべき」ということにはならないとみなしてのものだ。それは本来、検証される側の態度としておかしい。下駄を預けた筈であるので、その結論が出てから言及すべきところだ。 現在はどうかは知らないが、かつては「朝日新聞の『天声人語』を読まなければ大学入試に合格できない」といったことが平然と言われていた。大学入試の国語問題に天声人語が使われていたことも事実だ。 また、90年代当時大学生だった私は歴史研究サークルに入部希望した際に「従軍慰安婦についてどう思うか?」と尋ねられ、「本当にそんなことがあったかどうか疑わしい」と答えたところ入部を拒否された。今となってはそのような左翼系サークルに在籍せずに良かったと思うが、朝日新聞の報道はそうしたごく身近なところにまで影響を及ぼしていたのだ。 韓国に与えた影響も大きい。反日を掲げる彼らは雪だるま式に従軍慰安婦問題を誇張して、ありもしない幻想を信じているが、その発端となったのは明らかに朝日新聞の報道だ。 日本の反保守を掲げるNew York Timesも「朝日新聞は不当なバッシングを受けている」などと見当違いも甚だしいことを述べているが、もし仮に従軍慰安婦の強制連行などという戦争犯罪が事実なら、それを追求しなかった連合国側にも重大な問題があるわけで、NYTの主張も結果的には「戦争犯罪を告発せず、その証拠を見つけられなかったアメリカ軍が無能」と言っているのも同じ事である。そのように指摘したならば記事を書いたNYTの記者も相当慌てることだろう。 そもそも従軍慰安婦を誰がどのように強制連行したりしたのだろう?我々の父親・祖父・曾祖父の誰かが「犯人」ということになる。具体的な人名、連隊名まで朝日新聞は追求しなかった。さもあろう。実際にそんなことが行われておらず、当時の公娼制度に則って慰安婦はいて慰安所はあったが、それは新聞などで公然と募集され高級で待遇されていたのだから。 大体、当時の朝鮮半島は日本の統治下で、金日成の率いた反日活動家はともかくとして、ほとんどの朝鮮人民は日本側で戦争に参加しており、当時の朝鮮人は大日本帝国民であったわけだ。すると、帝国軍は「自国民」の婦女子を慰安婦として強制連行したことになる。 当時、大日本帝国軍には多くの朝鮮人士官もいた。韓国初代大統領で朴槿惠現大統領の父、朴正煕も日本軍士官だった。朝鮮人女性のみを性奴隷として徴用したら彼らの反発を招かなかっただろうか? 朝鮮半島統治に深刻な害をもたらすそのようなことを政府が許したろうか? 答えは「否」だ。だから、どこをどう探したところで強制連行を裏付ける証拠は出てくるわけがない。 むしろ逆説的に人身売買、売春目的で女性を騙したり掠ったりする斡旋業者が日本国内でも朝鮮半島でも官憲に摘発されたという報道は当時の新聞記事に書いてある通りだ。勿論彼らは日本軍ではないし、軍の関与を裏付ける証拠もない。また当時の新聞にも「恥ずべき事」と書いてある。残念ながら当時の朝日新聞を確認していないが、当時の朝日新聞でも「恥ずべき事」との報道をしたであろう。当時の朝日新聞が強制連行の事実を軍からの検閲により報道規制されていたのなら、戦後すぐに事実を公表することも出来たし、吉田証言などという人づての話を根拠にせずとも良かった筈だ。そこに大きな矛盾がある。 すなわち、朝日新聞が慰安婦報道をするまでに30年かかっていることだ。なぜ、当事者が存命していた当時に告発しなかったのだ?それを妨げるものがなんだったというのか?もし仮に朝日新聞が告発していたような人権蹂躙をした人間がいたとしたら、生きているうちに捕まえて裁けば良いだけのことだったのだ。ホロコーストに関与して戦争犯罪人となったナチスの将兵たちと同様に当事者が当事者として裁かれてさえいれば、国民の連帯責任というような事態にはならなかった筈だ。 それに事は人の命にも間違いなく関わっている。戦時中の日本軍の蛮行や虐殺行為を歴史教育を通じて信じ込まされた世代には「こんな国に生まれなければ良かった」と本気で思った人もいた筈だ。私自身、「生まれながらに敗戦国民」であるという事実に悩んだし、そういう日本人としてどう振る舞うかに悩んだ。中には自身のままならない境遇と合わせて自死した人もいるだろうかと思う。事はそれほどまでに大きく深刻だ。 今、様々な点で世界から日本が見直されて魅力ある国として評価されていることを嬉しく思うのも、そうした屈辱感や絶望感が少しでも癒やされたと感じるからだ。 同じく吉田なのでややこしいが、吉田調書問題についてもどこをどう読めばああした記事が書けるのか疑問でならない。悪意を持たない人間ならば、たとえ小学生でももっと納得の行く記事が書ける。つまり、そこに「悪意」があって悪意に基づいて都合良く記事を書いたとしか思えない。 朝日新聞の見解通りに記者の国語力に問題があったというなら、その程度の読解力しかない記者が入社試験をパスし、天下の朝日新聞の記者として我々一般人が立ち入ることが出来ない場所まで記者章をつけて「取材」出来ることが心底恐怖に思われてならない。 今回の誤報問題は朝日新聞の一企業としての在り方そのものに問題があるものだ。そもそも大本営発表を垂れ流しにした反省から現在のように体制に批判的な左翼メディアになったので、今後今回の誤報問題の反省から体制に迎合的なメディアになったらなったで我々は困る。 一度廃刊して、新しい社名で出直すべきではないのか。当然ながら、現在の読者に対しては違約金を支払う必要があるし、法的措置を受けてからのことになる。 左派メディアは左派メディアとして必要だ。体制に批判的な意見は必要だ。今の日本人はそうしたバランス感覚に長けている。だから、先の総選挙でも日本共産党が躍進した。自民党に対して常に対論を用意する政党の必要性を国民が肌で感じているからこそ、あの党は存在するし支持もされる。 大政党による安定政権は国民の希求だが、一党独裁の弊害は中国を見るまでもなく、55年体制後の自民党が辿った腐敗、派閥、金権政治を我々は散々目にしてきた。そして嫌悪している。だからどこの政党だろうが一党独裁は許さない。それが日本人の多くが抱く本音だと思う。 特定秘密保護法案も出来ることなら、「わけのわからない批判議論」にして欲しくなかった。日本の国益を損なう情報を漏洩する公務員を裁くための法律なのに、「報道の自由が損なわれる」とかいうのは明らかにおかしい。新聞記者は公務員ではないし、国民の知る権利を保障した憲法に明らかに違反する。違憲の法律なら違憲立法審査にかけられる筈だが、そんな話にはなっていない。朝日の主張は明らかに正常な議論を妨害してしまった。もし抜け道があったとしたらそれは特秘法反対の論陣を張った側にある。 体制に批判的なのは結構だが、反日的では困る。それが海外メディアなら仕方の無いことだ。だが、日本のメディアとして反日的態度をとるということは、読者も含めた日本人全員に対して敵対的ということになる。一連の誤報騒ぎは「そこ」に…つまり、朝日新聞の持つ反日的姿勢に問題の核心があるように思えてならない。 だから、朝日新聞を愛読し、支持する読者さえも裏切れたのではないのか。根拠の曖昧な記事を掲載し、誤報の事実を認めようとせず、挙げ句に問題がのっぴきならない段階に入ってから社長の首切りで事を収めようとする。朝日新聞のしたことは我々日本人全員を戦争犯罪人とその協力者に仕立て上げた。その罪は法廷で争うとして、こうしたことが起きた以上は廃刊はやむを得ない。 有志で新しい新聞社を作り、左派メディアとして再出発することが正しい道だと思われてならない。それはインターネットが普及した今日、スポンサーに都合が悪いことが書けず、特定の団体からの圧力に弱く、公務員の不祥事は書き立てるのに自社職員の不祥事は書かず、「報道しない自由」などというものを平然と掲げるマスメディアがその必要性や意義、報道姿勢を問われている今だからこそ必要な措置だと思う。 朝日だからではなく、読売・毎日・産経・日経でも同じ事が起きたら同じような処分にすべきだと思う。サンゴ問題でも椿問題でも尻尾切りで逃げてきた朝日だが、今度ばかりは許されることではない。

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    喜べ朝日新聞!世は「左傾化」ですよ(笑)

    「右傾化」には拒否反応を示すのに「左傾化」には無警戒な人が多いようです。大誤報を犯した朝日新聞は今も元気ですし、テレビでは相変わらず、古舘伊知郎氏や関口宏氏が大手を振って政権批判を繰り返しています。今回の選挙では次世代の党が惨敗し、共産党が大躍進しました。よかったね、朝日新聞

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    次世代の党 壊滅の意味とその分析

    古谷経衡(著述家)「一人負け」の次世代 第47回衆議院議員総選挙の結果が出揃った。自民党は改選前(293)からわずかに2議席減らして291議席。公明党は同じく4議席増の35議席。結果、自公の与党では改選前から2議席増の上積みとなった。しかも選挙区定数が5削減された事を考えると、「さらに増」と言えなくもない。自公政権にとっては「大勝利」である。 一方、民主党は海江田党首が落選という衝撃の事態に陥ったとはいえ、11議席増の73議席で「そこそこの数字」。苦戦が予想された維新は、1議席減の41議席を確保し「かなり善戦」。選挙のたびに「消滅」が危惧された社民党は現有2議席を死守して何とか「踏ん張」り、逆に共産党は改選前の3倍弱となる21議席を獲得して大きく躍進し、「大勝利」である。 そんな中、「自民党より右」を掲げて選挙戦を戦った次世代の党。改選前の19議席から、ほぼ10分の1の「2議席」にとどまり、社民党と同数となってしまうという壊滅的敗北を喫した。今次の選挙で「唯一の敗者」がいるとすれば、明らかに「次世代の党」というよりほか無い。誰が次世代の党を支持したのか 次世代の党は旧太陽の党の田母神俊雄、西村眞悟の両氏を公認し、さらに一時引退も噂された石原慎太郎氏も比例擁立したが、結果、比例で一議席も獲得することが出来ず、わずかに小選挙区で、元来地盤のある平沼(岡山)・園田(熊本)の両2名が当選したにとどまった。 「自民党の右に確固たる軸を作る」をスローガンに戦った次世代の党は、ネットでの広報活動を積極的に行うなど当初からネット重視を鮮明にした。 若い人たちは新聞やテレビよりも、インターネットでニュースを得ていると思う。我が党はネットでの人気は野党第1党だ。ネットでは若い人たちの保守化傾向は強い。従って次世代の党の支持も高いと思う 出典:「ネットでの人気は野党第1党だ」 次世代・山田幹事長 このように明らかに次世代の党は「ネット保守(ネット右翼とも)」を意識し、また彼ら(ネット保守)もそれに応える形で、「ネット保守」から広範な支持を集めたこと(それが若者かどうかは兎も角)は間違いない。 私は「ネット保守」を「2002年頃から登場し始めた、ネット上で保守的、右派的な言説を行う人々」と定義しているが、次世代の党を支持した人々は、明らかにこの「自民党より右」を謳った同党の主張に賛同するネット上の人々が多かった。 一方、「ネット保守」の対義語として私が使用する「保守」という言葉は、「自民党清和会が主張するタカ派的価値観」を支持する非ネットを出自とした伝統的な自民党支持層(産経・正論路線)のことを指す。 次世代の党の支持層の核となっているのは「ネット保守」だが、ネットの普及により「保守」と「ネット保守」が部分的に重複している場合がある。が、話がややこしくなるので次世代の党は「ネット保守」をその支持の中核にした、という前提で話を進めたい。「ネット保守」の中でも更に最右翼に支持された次世代 しかし、いきなり前提を翻すようだが今次の選挙では「ネット保守」の全てが次世代の党を応援していたわけではない。今次の選挙における、「ネット保守」の投票行動を概観するとおおよそ次のように成る。 「ネット保守」の多くは、基本的に憲法9条改正や外交安保政策でタカ派的傾向が強い、第二次安倍政権について好意的である。つまり、本来「ネット保守」はその投票先が自民党になるはずだが、「自民党より右」を標榜する次世代の党の誕生で、自民党支持でありながら次世代の党を支持する、という倒錯した状況が生まれることになった。 自民党を支持する「ネット保守」の少なくない数の人々は、上手一番左の「1型」、小選挙区も比例代表も自民に投票した。この投票行動は、ストレートに安倍政権への応援に成る。ただ、上図の「2型」「3型」の場合だと、小選挙区は自民だが比例は次世代、選挙区と比例の両方が次世代、という風に、「保守色」が強まるに連れて「次世代」の成分が高まっていく、という現象が見られた。 実際、在特会(在日特権を許さない市民の会)の元会長は、自身のツイッターで「小選挙区も比例も次世代」に投票した(期日前)ことを明かした(12月9日)。朝一期日前投票に赴き小選挙区・比例ともに次世代の党に一票を投じてきました。出典:桜井誠Twitter@Dronpa01(2014.12.9)「ネット保守」の中でも、更に右派色、保守色が強くなればなるほど、次世代の選択肢が増えていくことは興味深い。在特会に代表される、「ネット保守」の中にあって最も過激な「行動する保守」に親和性を感じてる人々の多くが、SNS上などでこぞって次世代の党応援を打ち出していたことからも、その傾向は伺える。「自公分離論」と「君側の奸理論」の瓦解 「自民党支持でありながら投票先は次世代」というこの矛盾を解決するために、考案されたのが「自公分離論(離間論)」である。 つまり、「現在、自民党と連立を組む公明党は憲法9条改正を妨害し、集団的自衛権の解釈変更を骨ぬきにしたので、邪魔な存在である。公明党に代わって次世代の党が連立入りすれば、公明党を追放し、自民党が持つ本来の”保守色”が発揮されるだろう」というものである。 この「自公分離論」は東京12区のから立候補した田母神俊雄元航空幕僚長も、同区の太田昭宏氏(公明党党首)と競ったときに、盛んに口にしていた言葉だ。この「自公分離論」によって、「自民党支持でありながら投票先は次世代」という矛盾の解決を一気に図ろうとした。しかし、どう考えてもこの理屈は無理筋であった。 安倍首相自身が「公明党と連立を解消して次世代をパートナーにしたい」と発言したことは一度もないばかりか、舛添都知事と共に自ら東京12区に乗り込んで太田氏を応援・激励した(2014年12月8日)。 「安倍首相は本当は、私と組みたいに決まっているが、周りの大臣や官僚が邪魔をして本心を言わないだけ」という、典型的な「君側の奸理論(善人の君主が、周囲の人間に騙されている)」こそが「自公分離論」だが、安倍首相自身の行動によって、脆くもこの理屈は瓦解した。タブーブタのウソと「穏健なネット保守層」の離反 また、次世代の党がPRのために製作した「タブーブタのうた」というネット上の広報ビデオも、各方面で物議をかもした。その中では「生活保護のタブー」と称して、「日本の生活保護なのに 日本国民なぜ少ない 僕らの税金つかうのに 外国人なぜ8倍」というフレーズが登場した。 日本の生活保護は、その97%が日本人世帯に支給されているのであって、「日本人は少ない」どころか、日本人の受給が圧倒的である。 「外国人なぜ8倍」というのは、次世代の党の公式見解では「在日コリアンの受給世帯の割合と日本人の保護人員を比べたのも」というものだが、そもそも人員と世帯を比較することはかなり無理がある。「外国人」と謳っているのに、実際に指し示すのは「在日コリアン」であり、その数字にも統計的な根拠はない。ちなみに、在日コリアンの生活保護受給世帯の割合は約14%と、全世帯の受給率3.1%の約4.7倍と成る。 確かにこれは高率だが、それなら「在日コリアンの受給率なぜ4.7倍」とするべきであって「外国人なぜ8倍」のフレーズの根拠はやはりない。4と8では全然違う。こういう細かいところに、政党の善悪を判断するバロメーターがある。有権者は冷静にその部分を見つめている。 このような「自公離間論」のそもそもの無理筋と、「タブーブタのうた」に代表される、「そもそも事実ではないことをタブーと称して、それに斬り込むという理論の乱雑さ」が影響して、「ネット保守」の少なくない一部は、従前通り「小選挙区も、比例も、自民党」という上図「1型」の投票行動を選んだ。 2014年2月の東京都知事選の折り、「史上初のネット保守独自候補」とされた田母神俊雄氏を支持した「ネット保守」の人々が、私の知る限り少なくない数「今回は次世代の党は支持できないので、順当に自民党に入れる」と回答している。 投票日の前日、12月13日に次世代の党の田母神候補は東京都・赤羽駅東口で演説を行った。寒風吹きすさぶ中、私も見に行った。明らかに、都知事選挙の時の熱気は失われていた。その後、太田候補が同じ場所で最後の演説を行ったが、支持母体の動員もあってか黒山の人だかりだった。 誰がどう観ても明らかに無理筋な「自公分離論」と、次世代の党の事実に正確ではない広報のやり方が、有権者を離反させていると感じた。「ネット保守=250万人説」の証明 私は2014年の2月10日に、都知事選挙の結果を独自に分析し、「日本全国のネット保守人口は約250万人(200万人~250万人の間)」とする論考を発表した。では、今回の衆院選挙では、「ネット保守」から広範な支持を受けたとされる次世代の党の得票数は幾らだったのだろうか。 全国の比例ブロックの次世代の党の獲得総数をまとめた所、その総数は「約141万票」であった。これでもなお、私の推計から60万票から100万票、開きがあるので「当たらずも遠からず」というところだ。 が、上記のように「小選挙区も、比例も自民」という「ネット保守」の中でも比較的穏健なクラスタが「離反」していることを鑑みると、「ネット保守(250万人)の半分強から3分の2が次世代に投票した」と仮定すれば、約120万~160万票の比例票ということになる。これが実際には141万票だったのだから「ほぼ私の推測の通り」だったということができると思う。 またこの予想では、「ネット保守は国会議員にして2~3議席分の勢力」としたが、今回、比例では獲得に至らなかったものの、小選挙区で次世代は2議席を獲得したから予想通りの結果である。 これが参院選の全国比例だった場合は、前回の参院選でほぼ同数(約126万票)で社民党が1議席を得ているので、投票率にもよるが恐らく次世代の党は1~2議席を獲得していたと思われる。こちらもほぼ、私の予想通りである。 「ネット保守」の全国的趨勢が、今回の選挙で改めて浮き彫りになったと言える。「自民党より右」の否定 今次選挙の唯一の敗者である次世代の党の獲得議席「2」が意味するものはなにか。それは端的に言えば「自民党より右」の存在を、有権者が明確に拒絶した、ということである。今次の選挙を通じて日本人が出した答えは、「安倍政権を積極的に全肯定はしないが、強く否定はしない。でもあんまり過激なのは駄目だよ。とりあえず2年じゃ分からないから、もうしばらくやってみては」という事に尽きると思う。 この中の「あんまり過激なのは駄目」というのは、「自民党より右」を標榜し、余りに現実の政治力学や事実ベースを無視した主張を繰り広げた、次世代の党の「余りにも過激な主張」へのNOとイコールだ。生活保護の不正受給は確かに許されるものではないが、事実に基づかない生活保護批判は、時として外国人一般への呪詛と読み取られる。 既に述べたとおり、「ネット保守」の中でも、右派成分が特に強い在特会に代表される「行動する保守」が、次世代の党への支持と親和性が高いことは既に述べたとおりだ。 次世代の党の支持者の全てが差別やヘイトスピーチを肯定している、と断定しているわけではないが、明らかに差別やヘイトスピーチと親和性の高い人々が、今回こぞって次世代の党を応援したことは、事実である。それに対するNOが、今回の選挙で有権者からつきつけられたのは、否定のしようのない事実だ。 安倍首相は、自身の発言として、「特定の外国人に対するヘイトスピーチには断固反対」の意見を明言している。実際、2014年11月には、法務省が「ヘイトスピーチ禁止の啓発活動」を開始し、主にネット上での差別的発言の禁止を周知している処である。更には、2014年12月11日には、京都市で在特会会員らが行った差別的な街宣に対する損害賠償の訴訟の上告審が、在特会の上告棄却(最高裁)という形で確定した。 事実に基づかない、粗悪で過激な差別の表現は、国をあげて取り締まり、抑制する方向性が現政権下で明確に示されている。差別を憎み、断固反対する「良心のネット保守」は、今回、次世代の党からこぞって離反した。また、そういった関係性を知らない大多数の有権者は、皮膚感覚として「自民党より右」を標榜する次世代の党を黙殺し、彼らに一票を投じようとはしなかった。「ネット保守」の実勢を読み違えた次世代 ネットの世界の、一部のクラスタによる熱狂的な支持を観て、「我が党はネットでの人気は野党第1党だ。ネットでは若い人たちの保守化傾向は強い。従って次世代の党の支持も高い」(前出・次世代の党、幹事長談話)のような「錯覚」に陥り、彼らの好むような、過激な保守色を次世代の党が全面に打ち出したことは容易に想像できる。 次世代の党は、そもそも維新の所属議員であった。橋下徹氏の個人的人気と相俟った「維新ブーム」が2012年の総選挙で沸き起こると、維新の躍進に乗じて、後に分離独立する「次世代の党」のメンバーが多数当選した。橋下人気・維新ブームに乗っかったに過ぎない次世代の党が、あくまでネット上に「保守の大票田」があると錯覚したのが、最大の間違いだと思う。 私が予想したように「ネット保守」はそもそも、そこまでの大勢力に至ってはいない。拙著『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)で指摘したとおり、「ネット保守」は若者ではなく、およそ40代とか50代の中高年層が主軸であって、「若者」の世界ではない。インターネット=若者という図式は、とっくの昔に瓦解した旧世界のネット観である。 ネットの実勢も、「ネット保守」の実勢も、全く読み違えた次世代の党が壊滅したのは必然といえる。有権者の多くは、「安倍政権には疑問はあるが、さりとて野党に期待すべき代案はない」という消極的な姿勢で、自民党に一票を入れたことは想像に難くない。 安倍政権を批判的に見る人は、「安倍政権は極右だ」などというが、それは行き過ぎである。有権者の多くは、たとえ消去法であっても、「自民党より右」を否定し、より現実的な安倍政権を普通の皮膚感覚で選んだ。少なくとも自民党の獲得議席は静かにそれを物語っている。示された日本人の良心~ネット保守は「国会議員2議席分」 今回の選挙で示されたのは、日本人の常識性と、穏健性と、逞しさである。「2年では、なんにも判断しようがないでしょう」という常識的な判断こそが、日本人の出した回答だ。そこには、殊更天下国家論や、事実に基づかない外国人攻撃が入り込む余地はなかった。 次世代の党の失敗は、「ネット保守」を過大評価しすぎたことに尽きる。 多分、都知事選挙の折、60万票を取った田母神候補が、単純に東京都の人口の10倍が日本人の人口ということで、600万票とか、700万票取れると考えていた(となると、比例での獲得議席は公明党と同等程度の20―30議席=自公分離論の誕生)のだと思う。しかし、実際の有権者は冷静に判断している。無理筋で極端な理屈は、常に日本人の「常識」から排除される。 「ネット保守(の中でも更に濃い人々)」の実勢が、「国会議員2人分」であることが判明した今、現有議席を維持した安倍政権は、何の気なしに、「ネット保守スルー」の政策を取り始めると予想される。 現状ですらヘイトスピーチ抑制の方向を示している安倍政権だが、「ネット保守」の票田が予想以上に少ないことが示されたので、躊躇なく「ヘイト規制法」などの立法を行う可能性がある(ただ私は、実効性などの観点から反対ではあるが)。 更に「行動する保守」などへの規制も、ますます進むことだろうと思う。ネット上で湧き上がる、時として差別的な言説の数々は、「日本人一般の常識から外れた、ごく一部の人々による行い」であることが確認された今、政権与党にとっての「ネット保守」の比重は、殆どゼロに近しいものとなったのだから。 安倍政権を100%信任したのではない。自民党に手放しでハンドリングを任せたわけではない。今次の選挙は、過去最低の投票率も相まって「消去法」での現政権支持だ。その中で、私は「現実的で穏健な保守」に期待する。 「自民党より右」を否定した有権者が望むのは、差別や民族呪詛に断固NOを発する、弱者にやさしい穏健で微温的な、常識的な感覚の「保守」の確立ではないのか。*参考「自民党より右は評価されるか」

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    「売れますよ、ふふふ」…『呆韓論』20万部に朝日が目くじら

    「売れますよ、ふふふ」 突如として、朝日新聞の記者を名乗る女性、守記者から電話を受けたのは2月10日。 私は不在だったのですが、「かけ直せ」との伝言がありました。このへんの尊大さがいかにも朝日らしい。もちろん、かけ直す義理はありませんが、「『呆韓論』のことで」という話だったので、著者への取材の申し込みなどかもしれない、と折り返し電話したわけです。 守記者は電話に出るとすぐさま、 「『呆韓論』という本ですが、売れてますか」と聞いてくる。 「売れていますが何か?」 「現在、何万部ですか?」 「20万部ですが」 「すごいですね、先日聞いたときはまだ……それがもう20万部ですか! それはなぜ売れているんでしょうか」 あまりに矢継ぎ早にどんどんと聞いてくるため、どんな記事で、何のために聞かれているかも、こちらとしてはわからない。 そこで、「これは取材なんですか」と聞いたところ、「まあそう、ふふふ、ですね」と、のらりくらり。 朝日新聞が、「韓国に関する本が売れているという事実」から、どのような記事を書こうとしているかは、だいたいこちらも想像がつきます。 ですから、「取材ならきっちり取材として受けたいのですが。どのような記事ですか?」と聞いたのですが、次々と聞いてくる。 「韓国や中国に関する本が売れているという記事なのですが、どのようなことで売れているか、その理由を入れろと言われて。読者からの感想などがあれば入れるように上司から言われまして」 それを聞いて私は、「売れている理由」を記事に盛り込むことで、「取材した」免罪符にするつもりなんだなと考えました。ストーリーはすでにできていると思ったわけです。 「角度のある記事ではない」 彼女の質問に答える義務はまったくないので答えなくてもよかったのですが、放置して勝手なことを書かれても困ります。そこで次のように言いました。 「感想はたくさん来ていますよ。朝日新聞に広告を出し、そこにも読者の声は多数出ていたはずですが?」 すると、のらりくらりと「たとえばどのような」などと聞いてくる。 おたくの新聞に載せた広告なので自分で見てください、調べてください、と普通なら言うところですが、「のらりくらり感」にすでにそれも面倒になっていたので、朝日新聞に出稿した広告(2月2日)に掲載した「読者の声」を読み上げました。 すると、「では、その『韓国がなぜあそこまで反日になるかよく分かりました』に(します)」と言う。 「反日になるかよく分かった……、いや分かりました、ですか……」などと、ぶつぶつ言いながら。 「取材」ともつかない「電話」で、「のらりくらり」して他人の時間を奪った挙げ句、確認のポイントがずれているので、この「先兵」大丈夫かなとは思いましたが、最後に「いつ、どこに載せる記事ですか? どのような記事ですか?」ともう一度確認しました。すると、 「明日の朝刊の文化面に載ります。韓国や中国に関する本が売れているという記事で、そんなに角度のある記事ではないと思うんですけど(笑)。記事を読んでみてください(笑)」 彼女は「ふふふ」と笑いながら、そう言って電話を切りました。朝日が「憎韓」を捏造 そして記事は、翌2月11日に掲載されました。出だしは次のようなものです。〈「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつある。ベストセラーリストには韓国や中国を非難する作品が並び、週刊誌も両国を揶揄(やゆ)する見出しが目立つ〉 いきなりの決めつけで始まり、その後も再度、こう書いています。〈多くの書店が、こうした本を集めたコーナーを設け始めており、「嫌中憎韓」は出版物の一ジャンルとして確立しつつある〉 しかし、そもそもこの記事に出てくる書籍は3点です。〈今年に入ってから既に、新書・ノンフィクション部門の週刊ベストセラーリスト(トーハン)のトップ10には『呆韓論』『侮日論』『嘘だらけの日韓近現代史』の3冊が登場した。昨年の同時期には1冊もなかった〉 見出しにも、先の引用部分にも「嫌中憎韓」という言葉が何度も出てきますが、弊社『呆韓論』をはじめ、この3冊は「憎韓」本ではありません。『呆韓論』の著者は、時事通信でソウル特派員も経験された室谷克実氏で、本書では主に韓国メディアが報じた記事を元に、韓国の国柄や反日の理由などについて書かれています。つまり、出典は韓国メディア自身です。 まさか、大朝日の記者が本も読まずに記事を書いたのでしょうか。それとも、韓国の真の姿を書くことが「差別を助長する」と考えているのか。そう考えるほうが韓国を下に見ていて失礼じゃないですか。 朝日新聞が韓国の本当の姿を報じて来なかったために、日本国民はなぜ韓国がここまで日本叩きを続けるのか「わからない」ので、弊社の書籍などを買ってくださっているのです。 「憎韓」で事が足りるなら、誰もわざわざお金を払って苦労して本など読みません。 私の知る限り、「憎韓」とタイトル周りに打った書籍はありません。朝日新聞こそが「憎韓」を連呼して定着させ、まるで日本中が「憎韓」であるかのように演出し、対立を煽っているわけです。 この記事のどこが「角度のある記事ではない」のでしょうか。ひょっとして「角度がついている」ことも、もはやわからないのかもしれません。 ともかく、守記者の取材ともつかぬ「電話」を受けて、弊社の書籍は「憎韓」本だとレッテル貼りをされたわけです。「憎日」の記事はいいのか 守記者は記事のなかで、週刊誌の見出しにも「中国」「韓国」「尖閣」「慰安婦」を掲げた記事が多いと号数を数え上げ、それは「売れるのでやめられない」からだと週刊誌記者に言わせています。 しかし、朝日新聞が「本当のこと」「読者が知りたいこと」を書いてこなかったからこそ、週刊誌がそれを書いて売れているのではないでしょうか。 そもそも、「尖閣」は新聞も報じている大問題ですし、「慰安婦」は朝日新聞自身も、〈韓国、元慰安婦の「記念日」検討 女性家族省が方針明示〉〈元慰安婦証言、「世界遺産」申請へ韓国政府が方針〉〈韓国政府が「慰安婦被害者展」 朴政権の姿勢をアピール〉と大喜びで報じています。 また、朝日新聞デジタルでは「従軍慰安婦問題」というトピックスを立てて一覧で見られるようにしています。いまだ「従軍慰安婦」という言葉を使っている神経に驚きますが。 朝日新聞が運営する「WEB新書」というデジタルの記事配信システムでは、「日韓関係」や「韓国」というジャンルがあり、そこには他社のものも含めてズラリと記事が並んでいます。 日韓関係は日本人の関心事になっているので当然ですが、朝日新聞の韓国代弁記事はよくて、週刊誌の韓国批判記事がよくない理由はなんですか? そもそもこの記事は、韓国に関する本は「出してはいけない」「売れてはいけない」という前提でモノを言っているように思います。いや、朝日新聞も「従軍慰安婦」については続々報じていますから、朝日的でないものは「出してはいけない」ということなのでしょうか。お得意の「言論の自由」はどこへ行ったのか。私からすれば、特定秘密保護法よりも朝日新聞のほうが怖い。 しかも、〈昨年秋ごろから日本を賛美する内容の本と並んで、韓国や中国を批判する内容の本が売れ始めた〉とも書いてあります。「日本を賛美する内容の本と並んで」という一文を入れているところからも意図が伺えます。「日本は自国を賛美し、他国を叩く嫌な国ですよ~、皆さん~」という呼びかけでしょう。 では朝日新聞に聞きますが、「日本を貶める」記事は垂れ流されてもいいのでしょうか。「憎日」の記事や本は売れてもいいのですか。 朝日新聞がレッテル貼りした韓国に関する三冊の書籍は、全部合わせても現在のところ30万4千部です。朝日新聞朝刊の公称部数は、現在760万部(朝日新聞 MEDIA DATA 2014)だそうで、毎日毎日配られています。 先の社会学者、小宮さんに「ヘイトスピーチに荷担している」と言われた全国の書店員さんのなかの、ある方がツイッターでこうつぶやかれています。〈自分と違う考え方の存在を認めること、民主主義だかリベラルだかの基本じゃなかったっけ。 RT 鍵「そんな本屋は潰れちまえ」という言葉は、「そんな奴は母国に帰れ」と同じベクトルじゃないですかね。極端な例ですが〉読者を馬鹿にしている 『呆韓論』を読まれた感想は様々で、「近くて遠い国が少し近くなった気がします(七十代)」「今や多くの日本人がこの本に共感すると思います。しかしそれでも韓国と仲良くしていきたい(五十代)」から、多数頂いている「世界に向かって翻訳出版すべき」「憤りを感じる」「呆れます」「もっと知らなければ」「表面のつき合いはごめんです」などのご意見まであります。 また、「韓流ドラマ」に嵌っていたときから、ドラマに出てくる「外華内貧」に違和感を抱いていたという方もいらっしゃいます。 守記者に教えてさしあげた「韓国がなぜあそこまで反日になるかよく分かった」というご意見も非常に多い。 文面から共通して読み取れるのは、朝日新聞がことさら問題視する「右傾化」ではなく、「知りたい」ということです。読者は知って、どうつきあうか、様々に考えておられる。 「朝日、毎日など新聞社説をもっともらしく書いている人に本書を読ませたい(六十代)」「永年『国際正義派』を気取っているいわゆる一流大新聞を購読していたので韓国の実情をよく知らなかった。本書で目が覚めたようによくわかった(八十代以上)」「日韓問題の本質的な部分を解説して頂き大変参考になった(六十代)」 こういうご意見も非常に多い。朝日新聞は、日韓関係の本質が「ちっともわからない」記事を書いていると自覚したほうがいい。 産経新聞出版書籍編集部のフェイスブックページに、守記者の振る舞いについて長いレポートを書いたところ、たくさんの方がコメントをくださいました。『呆韓論』を読んでくださった方は、「(朝日新聞の記事は)単なるブームということで終わらせようとしている」「馬鹿にされた気がします」と感想をくださいました。 たしかに、「売れるから」韓国叩きをしている、ブームだから「買っている」と、私たちや読者を馬鹿にしていると思います。読者を馬鹿にされるのは黙っていられません。 私は、この朝日新聞の記事を一読して、まるで以前、同じく『呆韓論』について書いた「中央日報」(〈【取材日記】嫌韓から呆韓まで〉二〇一三年十二月十七日)のごとく、自社の報道に反省のない記事だと感じました。「従軍慰安婦」と同じ構図 守記者の記事では、最後に慶応大の大石裕教授(ジャーナリズム論)が次のようにおっしゃっています。〈週刊誌などだけがブームを作ったわけではない。メディアが日韓・日中の対立ばかりを報じ、日常的な交流のニュースを捨象してきたことも根本にある。報道全体の検証が必要だ〉 しかし本来ならば、朝日新聞自身が、こう自社の報道を反省して締めくくっていただきたいところです。〈週刊誌などだけがブームを作ったわけではない。朝日新聞が先頭に立って日韓・日中の対立ばかりを報じ、「従軍慰安婦」を捏造して問題化して対立を煽り、『いたずらに差別を助長する』と本質的な国柄の違いを報じてこなかったことが根本にある。報道全体の検証が必要だ〉 これなら、この記事の意味があったのに、と残念です(笑)。 まずは、慰安婦問題で煙もないところに火をつけ、煽りに煽った自らの虚報を謝罪してからモノを言っていただきたい。間違いは誰にでもありますから、謝ればいいではないですか。 2月11日、この朝日新聞の記事が出て、すぐに韓国紙「ハンギョレ新聞」に、朝日を引用した記事が出ました。翌12日には、「ハンギョレ新聞日本版」に日本語訳でアップされました。同じく韓国紙「毎日経済新聞」にも引用されています。 まさに、「従軍慰安婦」のときと同じ構図が目の前で繰り広げられて驚きます。朝日新聞が捏造し、火つけして、韓国の新聞に報じさせて問題化し、それを逆輸入して「問題になっている」と騒ぐ。公式どおりで怖いくらいです。 日韓関係の「諸悪の根元」はまったく反省をしていないようですので、『呆朝論』を出版するか検討したいくらいです。読者の皆さんからは『憎朝論』にしたほうがいいとお叱りを受けそうですが(笑)、決して朝日新聞を憎んでいるわけではありませんので。(産経新聞出版書籍編集部編集長 瀬尾友子)「呆韓論」 室谷克実 (著)産経新聞出版950円

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    ニューヨークタイムズにいじめ訴える朝日元記者

    れるなどしている。以前、別のところで書いたが、言論を戦わせる以上の過激な行為に筆者は反対する。しかし朝日新聞批判の動きを、NYTのように右派の標的だの、歴史修正主義だのとひとからげに否定的にとらえることにも異を唱える。 当欄で何度も書いているように、慰安婦問題でこの間、起こっていることは、戦後日本の左傾の修正の一つなのだ。この左傾は終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が方向を定め、戦後の日本人が拡大再生産してきたものなのである。そのように過剰に自らの来歴をおとしめる歴史観はおかしいと、多くの日本人が思い始めているのだ。勝者の歴史の押しつけ 歴史(ヒストリー)はある意味では、「彼の・物語(ヒズ・ストーリー)」、王の物語である。勝者の側から見た物語の要素を持つ。 昭和20(1945)年の敗戦からしばらくの間、日本を占領していたのはだれか。いうまでもなくアメリカである。そしてそのごく初期に、占領者の側からの歴史の押しつけがなされた。 昭和20年12月8日、GHQは日本の新聞にいわゆる「太平洋戦争史」の連載を始めさせた。日米開戦の端緒となった同16(1941)年の、真珠湾攻撃の日である。アメリカの報復的な意図を読まないほうが不自然だろう。 ひとことでいえば日本の戦争を悪とする歴史である。満州事変にまでさかのぼって日本の戦争が断罪された。たとえば南京事件はこのとき大きく扱われる。「近代史最大の虐殺事件として証人達の述ぶる所によればこのとき実に二万人からの男女、子供達が殺戮(さつりく)された事が確証されている。四週間に亘って南京は血の街と化し切りきざまれた肉片が散乱していた…」 だが北村稔氏の研究により、南京事件をいち早く英文で伝えたマンチェスター・ガーディアン特派員のティンパーリーは、当時の中国国民党中央宣伝部から金をもらい、その意向を受けて書いていることなどが明らかになっている。つまり中国のプロパガンダの色合いが濃いのだ。「近代史最大の虐殺事件」といった誇張された見方は一方的にすぎるのである。ちなみに、さきに行われた南京事件の追悼式典で、習近平国家主席は犠牲者数を30万人と改めて述べたが、GHQによるこの記事でも2万人であることは注意しておいてよい。 いずれにしてもこのような一方的な、のちに東京裁判史観と呼ばれることになる歴史観が占領軍によって日本人に植え付けられ、それとかみ合った日本の左傾勢力によって、日本の歴史をあしざまに見る見方が独立後も踏襲された。ときには増幅され、日本の歴史が過剰におとしめられてきたのだった。敗戦国史観の克服を 朝日の慰安婦問題とは、この自虐的な歴史観の行き着いた果てであることはいうまでもない。そしてこの歴史観はこのように、欧米の側のいわば戦勝国史観とでもいうべきものと呼応しているのだ。この戦勝国史観がアメリカではいまもなお息づき、NYTに見られるような反日世論を形成しているといえる。 さきの元朝日記者の記事が出た翌日、NYTは「日本における歴史のごまかし」とする社説を掲載した。日本の右翼政治勢力が第二次大戦の不名誉な歴史を否定する脅迫キャンペーンを行っている、などとするものだ。何万人もの女性が韓国などから性奴隷に強制されたことを日本は認めている、と社説は書き、「歴史修正主義者のたくらみにかかわらず、そこに歴史の真実がある」などとしている。 歴史戦争において心ある日本人が戦っていくべき相手は国内の左傾勢力だけでなく、こうした欧米の世論でもある。それは、戦争の歴史から反省を汲み、一貫して平和国家として歩んできた戦後の日本の歩みを否定するものではない。 私たちが父祖から受け継ぎ子孫に伝えていくべきは、日本人自身の歴史でなくてはならない。欧米の戦勝国史観と呼応した日本のいわば敗戦国史観を、日本人自身が克服していくべきなのである。  

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    自らの過ちを省みぬサヨク・リベラル勢力の現状

    ら野党の大勝利」とまで言い出す到底正気とは思えぬ輩まで出てくる有様だ。 一部の特殊な異常者ばかりか、朝日新聞等のサヨクマスゴミまでそうした妄想に与するのだから、サヨクの病は深刻だ。 選挙翌日12月15日の天声人語は、かつて09年に民主党が勝利し政権に就いた際には社説で「民主圧勝 政権交代―民意の雪崩受け止めよ」と民主党への白紙委任を表明した過去も忘れ、「勝利すなわち白紙委任ではないことを、お忘れなく」などと厭味ったらしく言わずもがなの当てこすりに終始し、反省の態度からは程遠い。そればかりか、「選挙結果は必ずしも多数派の正しさを保証するものではない」などと、選挙制度を引いては民主主義の否定に繋がりかねない二枚舌を駆使した上、「かつて英首相を務めたアトリーは、民主主義の基礎を「『他の人が自分より賢いかも知れないと考える心の準備です』と語っていた」と、「お前が言うな」と総ツッコミされること間違いない傲慢さを隠そうともしない。 「他の人が自分より賢いかも知れないと考える心」のカケラも持たぬ朝日に比べ、12月16日付 の徳島新聞社説は「衆院野党伸び悩み  敗因分析し態勢立て直せ」と題し、野党の反省の要を以下のように冷静に分析している。 「安倍晋三首相が経済政策・アベノミクスの評価を衆院選最大の争点に掲げたのに対し、民主党など野党は国民の支持を得るだけの具体的な対案を示し切れなかった。 それが、議席が伸び悩んだ大きな原因だろう。 政権選択を国民に問う衆院選で、野党第1党の民主党が政権を担う覚悟を示さず、選挙戦が盛り上がりに欠けたのは残念だった。 だが、野党は、もたもたしている暇はない。早急に態勢を立て直し、年明けの通常国会での論戦に備えなければならない」 そう、野党やその支持基盤であるサヨク勢力には、敗因の分析と真摯な反省こそが必要なのである。それこそが、国民の支持どころか信頼さえ失ったサヨク・リベラル勢力が、信用を回復し、健全な野党勢力を育成することに繋がる唯一の道だ。 ところが…… かつて製薬会社のCMのキャッチコピーに「反省だけなら猿でもできる」というものがあったが、だとすると我が国のサヨク・リベラル勢力はサルにも劣ることになる。いや、そもそも「反省」という概念とは無縁なサルにも劣る犬畜生がサヨクに走り偉そうに「反差別」だの「平和」だのと唱えているのが我が国の状況だと言っても過言はあるまい。 反省どころか、12月17日付けのハフィントンポストによると、かつてテレビ朝日の番組「ニュースステーション」の司会者として日夜反日プロパガンダに励んでいた久米宏は、今回の選挙を「安倍の陰謀」と言い放ったという。「久米宏氏、衆院選の低投票率は「安倍の陰謀」 会見で批判」 フリーアナウンサーの久米宏(70)が12月16日、都内で会見し、14日に投開票された衆院選の投票率が戦後最低だったことについて「ミスター安倍の陰謀」と安倍晋三首相を批判した」 ニュースステーションと並び「反日の双璧」と称されてきたTBSのNEWS23はもっと凄い。反省どころか平気で嘘をばらまき日本国民をたぶらかす気満々である。12月17日の放送で、コメンテーターの岸井成格は何とこう言い切ったのである。「原発の再稼働の是非というのは総選挙で真正面から争点にならなかった」 このあからさまな大嘘に対して、インターネット上ではすぐさま過去の放送の検証が行われ、岸井の嘘は白日の下に晒され笑いものとなった。なんと、選挙前の11月18日のNEWS23の放送で、わざわざ「選挙の争点」というフリップまで作り「原発再稼働」とのデカ文字を日本全国に自ら宣言していた事実が判明したのである。 「しばき隊」と称し、反差別をお題目に数々の暴力事件を引き起こし、味方にならぬ在日朝鮮人には「糞チョソン人」などと平気で差別発言をして憚らぬサヨク暴力団体に至っては、もはやお笑い草である。何しろ彼らにとって、今回の選挙結果は自分たちの大勝利だということになっているらしいのだ。ツイッターにおける彼らの発言を拾ってみよう。「【祝】自民党、公示前の議席数を上回れないこと確定!!!!!!」「野党は大健闘」「ここ数回の選挙のなかで一番気分が良いな」 彼らサヨクは、「日本が右傾化している」「安倍自民党は極右」などと金切り声を上げてきたような連中である。ところが今回の選挙では、彼らが言うところの極右政党「次世代の党」は大幅に議席を失い、共産党は躍進した。これでは右傾化どころか左傾化である。ところがサヨク連中は自らの過去の発言を省みるどころか、メディアで堂々と嘘をばらまくばかりか、こうした妄想世界に逃避する者までいるのである。 論語の中に、「過ちをしても改めないことこそ、本当の過ちである」という孔子の言葉がある。自らの過ちを省みぬ邪悪な輩ばかりが幅を利かせているサヨク・リベラル勢力の現状を見る限り、自民党政権は安泰であるとしか言いようがない。「サヨク・リベラル」が邪悪と無能と代名詞でしかない故の自民大勝は、我が国の民主主義の健全性にとって決してプラスとは言えまい。

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    「天下の朝日」の新しい友達探し

    在住ジャーナリスト) 慰安婦問題と福島第1原発問題の報道で歴史的な間違いと意図的な偏向報道をしてきた朝日新聞は目下、国内のメディアばかりか政府、国民まで、あらゆる層からバッシングを受けている。自身が撒いた種だから、その結果を刈り取るのは当然で、本来、誰も同情しないだろう。 ところで、誰にも友達が必要だ。独りで歩む人生は淋しいからだ。苦難を理解してくれる真の友達を探しているのが偽りのない人生だろう。「天下の朝日」と自負してきた朝日新聞も現在、新しい友達を必死に探しているところだろう。 世の中には、水に落ちた人を徹底的に叩き、岸に這い上がれないようにする人と、溺れている人がいれば、その信条や過去の罪状とは関係なく、救いの手を差し出そうとする人がいるものだ。 朝日新聞が連日、政府関係者、同業者の仲間から殴打されている姿をみて、手を差し出そうとする後者の人が出てきても不思議ではない。ある意味で、バッシングが激しさを増せば、それを救おうと手を差し伸べる人が出てきてもおかしくはない。 私たちが生きている社会は論理や事実だけで動かされているのではなく、人情が幅を利かす世の中だ。狡猾な「天下の朝日」はそのことを十分知っているはずだ。自身に手を差し出そうとする人が出てくるのを首を長くして待っているはずだ。 それでは、「溺れようとする朝日」に手を差し出そうとする人(グループ、機関)はどのような人だろうか。慰安婦問題や原発問題で朝日をこれまで支援し、朝日新聞の記事を武器に戦ってきた反政府活動家、反原発関係者たちはここ暫くは朝日を擁護できないだろう。自身の主張や見解の信頼性を自ら破壊することになるからだ。事態の推移を静かに見守りながら、朝日バッシングが終わる日を待つだろう。 いずれにしても、朝日にとって、彼らは旧友だが、今緊急に必要としている新しい友達ではない。「困った時の友こそ真の友」(friend in need is a friend indeed)という諺があるが、彼らは朝日の真の友ではない。 それでは誰が「天下の朝日」の新しい友達になれるだろうか。朝日と同じように頻繁に誤報を繰り返してきたメディア機関だろうか。朝日が犯した誤報は恣意的であり、その影響は国家の名誉にも及ぶものだった。そのようなメガ級誤報は日本では朝日しかできない。だから、他のメディア機関も唖然とするだけで、あえて同情することはできない。とすれば、同業者から朝日の新しい友達になるメディアやジャーナリストが現れる可能性は少ない。 唯一、考えられるのは、海外メディアが朝日を擁護することだ。彼らの多くは日本の歴史やその動向に精通していない。特に、米国メディアは上からの視点が多いから、些細な点も諭すような論調で批判する傾向がある。ニューヨーク・タイムズなど米メディアは朝日誤報事件が明らかになった後もまだ事態の深刻さに気がついていない。 もちろん、政府主導の反日報道を繰り返してきた中国や韓国のメディアはこれまで自身の反日攻撃の材料を提供してくれた「天下の朝日」がこのまま沈没すれば困る。しかし、誰の目にも誤報と分かる慰安婦問題や福島第1原発関係の朝日報道を表立って擁護できないから、事態の好転を待つ以外にない。 すなわち、「天下の朝日」が近い将来、新しい友達を見つけ出す可能性は少ない。現実的なシナリオは、ここ暫くは旧友の励まし以外は期待できない。 ここまで書いて、「天下の朝日」とローマ・カトリック教会の総本山バチカンが酷似していることに気が付いた。聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発したバチカンと、誤報で国家と民族の名誉を傷つけた「天下の朝日」の現状は、信頼性を一度失うとそれを回復することが如何に難しいかを端的に物語っている。 

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    本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない

    とドイツ軍事顧問団のナゾ』『秘録・日本国防軍クーデター計画』など。日本人の常識と相容れない ようやく朝日新聞が慰安婦強制連行の記事を取り消した。ここに至るまでに32年かかり、よく居直りつづけたと感心してしまうが、32年目で取り消したのなら、43年前の報道も取り消せるのではないかと私は考える。43年前、つまりは昭和46年。言うまでもなく本多勝一記者が執筆した「中国の旅」のことである。 「中国の旅」は昭和46年8月から12月まで朝日新聞に連載された。中国人が戦争中の日本軍を語る形を取ったルポルタージュで、毎回、残虐で非人道的な日本軍が語られた。これほど残虐で猟奇的なことを新聞が掲載してよいのかと感じるほどだったから、その残虐さと猟奇さに度肝を抜かれた日本人はいただろう。 しかし、語られている日本軍の行為は日本人の感覚からは考えられないもので、常識的な日本人なら躊躇なく疑うものだ。もし日本軍の実情を知っている人なら言下に打ち消すだろうし、日本の歴史に照らしあわせれば、これも直ちに否定できる。「記事に対するごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(「朝日新聞社史」)というように、朝日新聞の読者ですら拒否したのである。 社内からも批判の声が上がった。「中国の旅」は4部に分けて連載され、残虐で非人道的な話の圧巻はそのうちの「南京事件」だが、当時従軍した記者たちが取材した南京と、「中国の旅」に書かれている南京とはまったく違っていたからである。 こんなことから、連載をまともに受け取る日本人などいないだろうと考えられたが、実際は多くの日本人が受け入れた。連載から半年後に単行本となり、やがて学校の副読本として使われだし、しかも文部省はそれに反対しなかった。それから十数年して南京に虐殺記念館が建てられると、献花する政治家が次々と現れた。同じように、国交回復のとき話題にもならなかった南京事件を中華人民共和国が言いだすと、外務省は反論することもなく認めた。なぜ受け入れたのですかと彼らに問えば、朝日新聞に掲載されたからと答えるだろう。常識から判断できるのにしないで朝日新聞を信ずる。なぜそうするか不思議なのだが、それほど朝日新聞が信じられていたことになる。「中国の旅」の虚偽を示す記録の数々 改めて「中国の旅」が虚偽に満ちた内容であることを示す。「南京事件」にしぼると、その冒頭で南京に攻め入った日本軍はこう記述されている。「日本軍がなだれこむ。大混乱の群集や敗残兵に向かって、日本軍は機関銃、小銃、手榴弾などを乱射した。飢えた軍用犬も放たれ、エサとして食うために中国人を襲った。二つの門に通ずる中山北路と中央路の大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」 この記述が文字通りの虚偽であることはあまたの事実が示している。日本軍が南京城内に入ったのは昭和12年12月13日で、城内の第三国人を保護するため、翌日には日本の外交官も入った。外交官の名は福田篤泰といい、戦後、衆議院議員となり、総務庁長官などを務めた人である。南京市民でごったがえす中心部で第三国人の応対に当たった福田領事官補はこう証言している。「街路に死体がごろごろしていた情景はついぞ見たことはない」(『一億人の昭和史』毎日新聞社) 南京市の中心には日本の新聞社や通信社の支局があった。同盟通信(現在の共同通信と時事通信)の従軍記者である前田雄二は15日に城内に入った。前田雄二記者は支局を拠点に取材をするのだが、そのときの支局周辺の様子をこう記述している。「まだ店は閉じたままだが、多くの生活が生き残り、平和は息を吹き返していた」(『戦争の流れの中に』) 死体もなければ、血にもおおわれていない。南京はまったくの落ち着いた街だった。 中国人の話だけで成り立つ「中国の旅」からすると、日本人の証言では不十分とされそうなので、第三国人の証言をあげる。 南京には数十人の第三国人がいて、一部は南京安全区国際委員会を作って南京市民の保護に当たった。彼らは南京にやってきた日本の外交官に手紙や要望書を出すが、福田領事官補が南京に入った14日、さっそく手紙が出された。その手紙第1号の冒頭はこう書かれている。「謹啓 私どもは貴砲兵部隊が安全地帯に砲撃を加えなかった立派なやり方に感謝」(『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』) 日本軍が南京市民を殺戮することなどなかったのである。 第三国人の証拠を持ち出すまでもない。14日の南京の中心の様子を朝日新聞がこう報道している。「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。十四日午前表道路を走る自動車の警笛、車の音を聞くともう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」(『東京朝日新聞 十二月十六日』) 死体と血におおわれた地獄というのはまったくの虚偽なのである。 軍用犬を放したという記述にいたっては腹を抱えて笑うしかない。軍用犬は、最前線と後方の連絡に使われるが、偵察に使ったり、傷兵を救護したり、軍需品の運搬にも使う。そのため飼育され、訓練が繰り返され、人間を食べることなどありえない。 虚偽の記述は冒頭で終わるわけでない。続いて「川岸は水面が死体でおおわれ、長江の巨大な濁流さえも血で赤く染まった」「どこへ行っても空気は死臭で充満していました」といった死の世界の描写が続く。「中国の旅」とは、冒頭からこのような虚偽と噴飯ものに溢れ、それが最後まで続くものであった。当時の日本兵も全員が否定 「中国の旅」は政治家や外務省や文部省を誤らせただけではない。 「中国の旅」を読まされた子供たちは、どこの日本兵がこのようなことをしたのか、と思っただろう。人間らしい気持がひとかけらもなかったのか。それを止める日本兵は1人もいなかったのか。これら日本兵は軍法会議にかけられることがなかったのか。 「中国の旅」は子供たちが国に対していだく尊敬の念を奪ったのである。 私は連載から十数年して、健在だった兵士にいろいろ尋ねまわったことがある。 「中国の旅」で語られているのは城内の安全区や揚子江岸でのことで、日本軍は部隊ごとに戦闘地が決められているから、どこの日本兵が行ったかすぐにわかる。安全区は金沢の兵隊が掃蕩し、揚子江岸には津の兵隊が真っ先に進出したので、「中国の旅」が事実なら、殺戮や強姦は彼らが行ったことになる。 兵士たちに会ったとき、まず軍紀について尋ねたのだが、どれほど多くの兵士に会っても、「中国の旅」で語られた話を聞きだすことはできなかった。「中国の旅」に記述されている例をあげてたずねても、首をかしげるだけである。反対にこんな返事が返ってきた。「戦前の日本が農村社会だったことは知っていますね。ひとつの村から何人も同じ中隊に入りました。もし強姦などすれば、すぐ郷里に知れわたり、除隊しても村に帰れなくなります。日本の軍隊が同じ郷土の若者から成り立っていたことは、軍紀を守らせる役目をはたしていたんです」 このように、どの兵士もが「中国の旅」の内容を否定した。 それでも、金沢や津の兵隊は気づかないが、ほかの土地の兵士と比べて残忍であるとか、そこの風土が猟奇的ということがあるのかもしれない。そう考えなおして調べてみたが、そのようなことももちろんなかった。金沢の特徴をいえば宗教心の篤い土地柄である。 どの面からも「中国の旅」は否定された。 なぜそんなものが活字になったのか。活字になるまで社内で反対する人はいなかったのかと不思議に思う。朝日新聞は日本の常識が通用しないところなのだろう。中国の歴史がデッチあげた日本軍の蛮行 批判はその後も続いたが、平成2年9月、批判に対して本多勝一記者は本誌にこう書いた。「問題があるとすれば中国自体ではありませんか」 反論になっていないが、「中国の旅」が虚偽に満ちていたことをよく知っていたのである。それとともにこの記述は、なぜ「中国の旅」が虚偽だらけであるか解く鍵になる。 つまり、中国人が語っていることは自分たちが行ってきたことをおうむ返しに語っているだけではないかと気づかせるからである。 たとえば、李圭の「思痛記」という本が手元にある。李圭という人物は清朝の役人で、この本は1879(明治12)年に書かれた。 書かれる30年ほどまえの1850年、広西で長髪賊の乱が起こった。指導したのは洪秀全で、3年後には南京を落とし、支配した地域を太平天国と称した。当時は清の時代で、北京に首都があった。太平天国はその清と戦いを続け、1864年に敗れ滅びる。 著者の李圭は、南京郊外の豪族の家に生まれたが、1860年に長髪賊に捕まり、2年以上軟禁された。どうにか逃れて、やがて清朝の役人となる。役人になると、軟禁されていたころの体験をまとめた。それが「思痛記」である。訳者の松枝茂夫によれば、李圭は欧米に派遣され、途中、日本にも寄ったことがあるという。 「思痛記」の中で李圭は周りで起こった悲惨な出来事を記述しているが、その数はおびただしく、日本人からは想像できないことばかりである。そして「中国の旅」で語られる日本軍の残虐な行動は「思痛記」にもしばしば見られる。そのいくつかを列挙する。「日本兵が現れて、若い女性を見つけ次第連行していった。彼女たちはすべて強姦されたが、反抗して殺された者もかなりあったという」(「中国の旅」)「美しい女は路傍の近くに連れこまれて淫を迫られた。必死に拒んで惨たらしい死に方をするのが十の六、七であった」(「思痛記」)「川岸は水面が死体でおおわれ、長江の巨大な濁流さえも血で赤く染まった」(「中国の旅」)「長柄の槍で争って突き刺されるか、鉄砲で撃たれるかして、百の一人も助からなかった。水はそのため真っ赤になった」(「思痛記」)「強姦のあと腹を切り開いた写真。やはりそのあと局部に棒を突立てた写真」(「中国の旅」)「女の死体が一つ仰向けになって転がっていた。全身に魚の鱗のような傷を受け、局部に矢が一本突き刺さっていた」(「思痛記」)「日本軍は機関銃、小銃、手榴弾などを乱射した。(中略)大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」(「中国の旅」)「刀がふりおろされるごとに一人又一人と死にゆき、頃刻にして数十の命が畢った。地はそのため赤くなった」(「思痛記」)「水ぎわに死体がぎっしり漂着しているので、水をくむにはそれを踏みこえて行かねばならなかった」(「中国の旅」)「河べりには見渡すかぎりおびただしい死体が流れ寄っていた」(「思痛記」)「逮捕した青年たちの両手足首を針金で一つにしばり高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた。電気は停電している。こうしておいて下で火をたき、火あぶりにして殺した」(「中国の旅」)「河べりに大きな木が百本ばかりあったが、その木の下にはみなそれぞれ一つか二つずつ死体があった。木の根元に搦手に縛りつけられ、肢体は黒焦げになって満足なところは一つもなかった。それらの木にしても、枝も葉もなかった。多分賊や官軍らは人をつかまえて財物をせびり、聞かれなかったために、人を木に縛って火を放ったものであろう」(「思痛記」)「赤ん坊を抱いた母をみつけると、ひきずり出して、その場で強姦しようとした。母は末子を抱きしめて抵抗した。怒った日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した。半狂乱になった母親が、わが子を地面から抱き上げようと腰をかがめた瞬間、日本兵は母をうしろから撃った」(「中国の旅」)「(賊の頭目の一人汪は)夫人と女の子を家に送り帰してやるといった。嘘とは知らないものだから婦人は非常に喜び、娘を先に立てて歩かせ、自分はそのあとにつづいた。汪は刀を引っ下げてついていったが、数十歩も歩いたか歩かぬに、いきなり後ろから婦人の頸部をめがけて、えいとばかりに斬りつけた。夫人はぶっ倒れて『命だけは』と哀願した。が、またもや一刀、首はころりと落ちた。汪はその首を女の子の肩に乗せて、背負って帰れといった。女の子は力およばず、地に倒れた。汪はこれを抱えおこし、刀をふりあげて女の子の顋門めがけて力まかせに斬りつけると、立ちどころに死んだ」(「思痛記」)「『永利亜化学工場』では、日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという」(「中国の旅」)「蕎(賊の頭目の一人)はひどく腹を立て立ちどころに2人を殺し、さらにその肝をえぐり取って、それをさっきの同伴者に命じて鍋の中に捧げ入れさせ、油で揚げて煮た上で一同に食べさせた」(「思痛記」) このように「中国の旅」で語られているのは日本人に想像もつかないことであるが、これと似たことが「思痛記」にはあり、中国人にとっては当たり前のこととして記述されている。最後に挙げた食人肉の話は、魯迅の出世作「狂人日記」にもある。「狂人日記」は、中国では四千年のあいだ人を食ってきた、妹が死んだとき母が泣きやまなかったのは兄貴が妹を食べたからではないか、と書く。 中国人の語ることが日本の常識や歴史から説明がつかないことと、それが中国では当たり前のように起きていることを考えると、日本軍が南京で行ったと語られた蛮行は、中国人が歴史的に繰り返して行ってきたことであり、日本人も同じことを行ったに違いないと彼らが思い込んだからなのだ。城市戦で繰り返された虐殺 その身勝手な思い込みが、なぜ日本が南京を攻めたとき語られたかの手がかりも「思痛記」にある。 南京から80キロメートルほどに金壇という街がある。長髪賊は南京を落とすとき、金壇城も攻めたが、金壇城が陥落した日のことはこう記述されている。「入城した。新しい死骸、古い死骸が大路小路を埋めつくしていて、おそろしくきたなかった。城濠はもとから狭くもあったが、そのために流れがとまった。赤い膏白い膏が水面に盛り上がって、あぶくが盆よりも大きかった。それというのが、住民たちは城が陥ちたら必ず惨殺されることを予期して、選んでみずから果てたものもあったが、城の陥落する前に、官軍中の悪い奴らの姦淫強奪に会い、抵抗して従わなかったために殺されたものもあった」 城が陥落すれば必ず惨殺される、と金壇の住民は考えていたというのだ。 それは事実で、そういったことが起きるのは金壇城陥落時にかぎらない。たとえば1644年、日本でいえば江戸の初期、清は万里の長城を越えて北京を落とし、明を滅ぼした。明朝の一族は南京城に逃れた。その南京城も翌年には陥落し、このとき江南では南京だけでなく、一帯の都市が次々攻めおとされた。まず揚州が落とされ、続いて南京、そして嘉定、江陰と続いた。 これらの都市が陥落したときの様子は「揚州十日記」「嘉定屠城紀略」「江陰城守記」といった記録として残されている。 それによると、陥落と共に公然と強姦が行われ、殺戮が繰り返され、死骸が山のように積まれる。腸はえぐられ、手足はばらばらにされる。腹は割かれ、心肝は食われる。流血は踝を没するほどで、嘉定では10日間で80万人以上の死者が出たとまで記述されている。 つまり、昔から城壁をはさんだ攻防では負けたほうがことごとく惨殺されてきた。そして七十数年前も金壇で同じことが起こった。 しばしば首都の置かれた南京はその典型である。早くも549年、粱王朝の首都であったときに起こった。このときは臣の侯景が反乱して南京を攻め落とすのだが、城にいた男女十余万、兵士2万余のうち、最後に残ったのは四千に満たなかったという。 日本が南京を攻略したとき、さまざまな残虐なことが起こったと中国市民は語ったが、そう語るには、このような歴史背景があったのである。 中国の城は、城市とも言い、街を取りかこむ城壁である。日本にこのような城はないから、城壁を取りかこんで攻めることも、陥落させたとき殺戮強姦する歴史もない。親中工作員・スメドレーも記した中国人の残虐 「思痛記」は日本でいえば明治初期のことであるが、中国人の残虐な行為はその後も続いた。明治33年の義和団の乱でも起きた。そのことは欧米人の記録した「北京最後の日」や「北京籠城」に詳しく記述されている。昭和に入り中国を支配した蒋介石が掃共戦を行うときも頻発した。アグネス・スメドレーは、中国共産党と行動をともにしたアメリカのジャーナリストで、昭和8年に国民党と中国共産党の戦いを「中国の夜明け前」にまとめた。そこにも中国人の残酷な殺戮が羅列されている。こんな具合だ。「将校は見つけ次第、労働者や学生を殺しました。ある時は立ちどまらせて射殺し、また時には捕まえてひざまずかせて首をはねたり、また5体をバラバラに切り殺したりしました。捕えられた断髪の少女たちは裸にされ、まるで当然のように凌辱されたのち、脚の方から頭の方へと、身体を二つにひきさかれました」「ソビエト・ロシアの領事館の5人は逮捕され、街頭を歩かされ、ポケットに持っていた金は全部まきあげられました。靴はむりやりぬがされて、あげくのはてに殺されました。そのうちの1人の女性は性器から、太い棒を身体につきさされて殺されました」「老農婦はそばにいって母親の腕から赤ん坊を無理にはぎとり、高くあげ地面にたたきつけた。くりかえし彼女は拾いあげて、また地面にほおり投げた」 日本人の想像つかないようなことが、日本軍が南京に攻め入る何年か前にも繰り返されていたのである。もっとも、スメドレーはコミンテルンや中国共産党とも繋がった人物(戦後ソ連スパイの嫌疑をかけられるとイギリスに亡命、直後に死亡。遺体は遺志により北京に葬られた)だけに、上記の記述は国民党を貶めるためのプロパガンダだった可能性は考慮せねばならぬ。ただその場合でも、中国で繰り返されてきた虐殺・蛮行の歴史にならったことは間違いない。取り繕いも果たせぬ朝日新聞 昭和12年12月の朝日新聞の報道によれば、南京は微笑んでいたが、「中国の旅」によると、南京は死臭で充満していた街である。両者に整合性はまったくない。当時の報道と「中国の旅」がまるっきり違うことは朝日新聞がよく知っていて、慰安婦強制連行と同様に、このことについても取り繕おうとしてきた。 長いあいだ沈黙を守ってきた朝日新聞が初めて取り繕いをしたのは平成3年である。「朝日新聞社史 大正・昭和戦前編」のなかでこう書いたのだ。南京で取材していた朝日新聞の記者はなんとか事件を報道しようと努めており、「中国への旅」で語られたことが事実である、と。 このとき「社史」はある1人の記者の手記を引用した。記者とは、南京戦に従軍し、戦後に朝日新聞を辞めてから南京での体験を発表している人物である。何十人もの記者が従軍したのに、なぜ辞めた記者の、しかも朝日新聞と関わりのない雑誌に発表した手記を利用するのか不思議だが、そういう手記が反論になっていないのは言うまでもない。この手記は捏造と剽窃から成り立っていることがその後判明している。そういうものしか朝日新聞には取り繕う手段として持ってない。「社史」が説明になっていなかったことは朝日新聞自身が知っており、取り繕いは続く。最近では「新聞と戦争 南京」(平成19年12月)や「記者風伝 守山義雄」(平成20年4月)で取り繕いを試みた。しかしここでも、事件を報道しようとしてもできなかったという事実は示せていない。「新聞と戦争 南京」は15回にわたった連載だが、そういうものは一切出てこない。取り繕おうとして恥の上塗りをしているだけである。「社史」は「中国の旅」への非難について「多くは『中国の旅』が中国側の証言を素直に伝えたことに対する反発であった」と書いた。中国人の証言は正しく、あらぬ濡れ衣が着せられようとしていると言わんばかりである。朝日新聞社の社員の半分以上は「社史」が刊行されてから入社した社員である。「中国の旅」が虚偽に満ちていることを知らず、社史の言い訳を信じているかもしれないが、それは間違っている。 新聞社の使命が事実の報道であるとすれば、「中国の旅」は新聞社の使命を否定している。「中国の旅」を取り消さないかぎり、朝日新聞は新聞社の使命を放棄していると世間に示しつづけていることになる。32年目で取り消したいまこそ「中国の旅」を取り消すときであろう。

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    記事に「角度をつける」朝日新聞

     法律家や評論家ら有識者による朝日新聞の第三者委員会が、同紙の慰安婦報道について検証した報告をまとめた。 検証は、慰安婦問題に関して同紙が行った取材や報道、訂正や取り消しのあり方が適切なものであったかを明らかにしたもので、各項目で「ジャーナリズムのあり方として非難されるべきである」といった厳しい文言が並んだ。 ただし問題の本質は、朝日新聞の報道姿勢にとどまらない。真の被害者は、虚偽の報道によって不当におとしめられた、日本と日本国民である。 朝日新聞は今月5日、渡辺雅隆新社長の就任会見でも慰安婦問題をめぐる具体的対応には「第三者委の結論が出る前に話すのは差し控えたい」と避けてきた。 報告書を手渡された渡辺社長は「真摯(しんし)に受け止め、社を根底からつくり変える覚悟で改革を進める」と述べた。 これを受けて朝日新聞は、日本国民の名誉回復に向けて主体的、具体的に何をするのか、内外に明らかにすべきである。 第三者委は、8月5、6日付で同紙が報じた「慰安婦問題を考える」の検証紙面について、総じて「自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度も示されず、何を言わんとするのか分かりにくいものになった」と批判した。国連文書に働きかけを 「慰安婦狩りに関わった」とする「吉田清治証言」について、虚報は認めたが、当初は1面掲載の囲み記事で訂正、おわびをする紙面案が作成されながら、当時の木村伊量社長の反対で謝罪はしないことになったという経緯を紹介している。 その上で、「経営幹部において最終的に謝罪はしないと判断したことは誤りであった」とし、これを受け入れた編集部門も強く批判している。 また、大型検証記事が組まれた経緯について、「読者の中にも不信感を抱く者が増加し、これが販売部数や広告にも影響を見せ始めてきたことから、販売や広報の立場からも放置できないという意見が高まった」とある。 社内に「日本の名誉回復を図るべきだ」といった議論の形跡がないことが残念である。 元同紙記者の植村隆氏による「元慰安婦 初の証言」の記事については、証言者がキーセン学校の出身者であることを知りながら書かなかったことにより、「事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある」とした。 だが、同紙が検証記事で「意図的なねじ曲げはない」とした結論については、「さらに踏み込んで検討すべきであった」と書くにとどまった。都合の悪い事実に触れないことは「意図的なねじ曲げ」に通じるものだ。 一連の記事が国際社会に与えた影響については、総じて小さく評価された印象だ。だが、慰安婦を「性奴隷」と断じた国連の人権委員会のクマラスワミ報告には、朝日が虚偽だと認めた「吉田証言」が証拠として引用されている。 日本政府はクマラスワミ氏に撤回を要請したが拒否された。この機に、朝日自ら「吉田証言」の虚構性を同氏に説明し、撤回へ向けて動くべきだろう。同紙が盛んに説く「広義の強制性」についても「狭義の強制性」に傾いた報道から、吉田証言の危うさが明らかになって論点をすり替えた、と指摘した。真の信頼と友好目指せ 外交評論家の岡本行夫委員は個別意見で、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた、と記した。 「事実を伝えるだけでは報道にならない。朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」のだという。大変な思い上がりであり、これでは岡本氏が指摘するように、新聞社ではなく「運動体」である。朝日新聞のみならず、報道に関わるものが陥ってはならない落とし穴でもある。絶えず自戒しなくてはならない。 一連の報道問題を検証する同紙の第三者機関「信頼回復と再生のための委員会」でも、委員から、朝日は自らの主張にこだわるあまり「事実に対する謙虚さ」が欠けていたとする指摘があった。 重ねて指摘したいのは、事実のみによって歴史問題を正しく伝えていくことが、長期的に近隣諸国を含め、国際的な信頼と友好につながるということだ。

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    ゼッタイに反省しないのが「朝日人」

    朝日新聞の報道を検証した第三者委員会は、誤報を放置した原因として、木村伊量前社長ら経営陣の判断に誤りがあったと指摘した。「長年放置したことをお詫びする」。26日に会見した渡辺雅隆社長は謝罪したが、第三者委の報告書からは読者よりも社のメンツを優先する「朝日人」の気質も透けてみえる。

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    弱者=正義にすがる知性の貧困

    弱者とは誰か』(PHP新書)、『日本の七大思想家』(幻冬舎新書)など多数。弱者の味方という権威主義 朝日新聞という新聞がいかに性根の腐った偽善的な新聞であるかということは、一部では古くからよく知られていました。これは、単に反権力・反日左翼メディアであるからけしからんという意味だけではありません。そういう筋を通しているならまだご愛嬌があります。そうではなくて、この新聞は、およそ一貫したポリシーや思想性というものを持たず、ある時代状況の中で、このあたりを狙っておけば情緒に弱い読者はついてくるだろうという下司な当て込みだけで運営されています。民衆の中にひそむルサンチマンや根拠なき恐怖感情にたえず媚び、そのことによってまさに民衆を堕落させる新聞なのです。 たとえば大東亜戦争中は率先して好戦気分を煽りつづけ、1945年8月14日には、ポツダム宣言受諾の決定を知りつつ「一億玉砕」を叫んでいました。その舌の根も乾かぬわずか2カ月後には、ちゃっかりアメリカ渡来の「民主主義」を標榜します。これは誤りを反省したなどという代物ではさらさらなく、要するに支配権を握った占領者GHQのご機嫌をうかがっただけの卑屈な奴隷根性のなせる技なのです。そこさえ狙っておけば当分安泰と、変わり身の早さを見せたのでしょうね。それなのに、一流紙だの、クォリティーペーパーだのと自任してきたその傲りこそが問題なのです。 その後この新聞は、反日左翼、反権力リベラルに代表される戦後レジームが有効と感じられる間は、空想的平和主義、親北朝鮮、媚中、媚韓、国際派気取り、知識人好みのコスモポリタニズム、反原発、エコロジー、お子様中心主義、障害者礼賛主義といった万年野党的・体制批判的・弱者代表者的お題目に安易に自己同一性を見出し、それらにひたすら寄りかかりつづけてきました。文化大革命礼賛、サンゴ礁に傷をつけて環境問題を訴えた自作自演、教科書の「侵略→進出」書き換え誤報(捏造)など、私たちの記憶に刻まれている悪例は、枚挙にいとまがありません。 こういう新聞が、いつの時代にも一定の購読者を獲得できるのは、残念ながら、ある意味では必定です。それというのも、「私はいつも弱者の味方です」という良心的ポーズをとることで逆説的に権威主義に居直ることができるからです。「弱者」という抽象的な記号を特権化してそれをご本尊に据えておきさえすれば、戦後の言論空間のなかでは、自分がジャーナリズム界で優先権を勝ち取れることが直感できます。朝日が別に本当の意味で弱者の味方でも何でもなく、じつは権威主義という名の奴隷根性を丸出しにしていることは、この間の経済問題に関する記事を見てもわかります。 この新聞は、反権力の幟を掲げながら、一方では財政健全化路線という財務省発のペテンをそのまま受け売りして消費増税の必要を説き、公共事業悪玉論を説いて財務官僚のポチを平然と演じています。消費増税がいかに国民経済にとってマイナスの効果しか生まず、特に低所得者層を苦しめるものでしかないかについて、この新聞が自ら進んで真剣に論じたことがあるのを、どなたか見たことがあるでしょうか。 またTPP交渉なるものが、自国の国益だけを考えたアメリカのゴリ押しでしかなく、これをそのまま呑めば、あらゆる意味で日本社会のよき制度慣習を破壊するものである事実について、この新聞は一度でも報じたことがあるでしょうか。TPPが環太平洋の多国間条約という形をとっているために、この新聞は、アメリカの推奨する「自由」という「普遍的価値」にわが国も追随して、国際社会に向かってもっと己れを開くべきだという抽象的な理念に金縛りになっているようです。TPP参加が日米修好通商条約と同じような不平等条約に屈することを意味するという自覚を持たない分だけ、「アメリカ」や「外務省」という権威に喜んで尻尾を振っているわけです。 つまり、ことほど左様にこの新聞は、定見など何も持たずに、幻想された弱者に媚び、現実社会を知らない空想的な知識人に媚び、時々の権威に媚び、欧米社会のスタンダードなるものに媚び、ジャーナリズムとしての体面を保つために反政権の幟だけは掲げてカッコウをつけておくといった、矛盾だらけの態度を平気で取り続けてきたのです。幻想の弱者を後ろ盾に 権威主義といえば、私はある市井の人がこの新聞の体質に対する根本的な不信感を漏らしたのを聞いたことがあります。何年も前のことになりますが、軽い交通事故に遭いました。相手の人は自分の非を全面的に認め、拙宅にお見舞いに訪れてたいへん誠実で紳士的な態度で接してくれたので、私たちはいっとき、和気藹々で世間話に興じることになりました。聞けば彼は銀行員で、渉外係を担当したことがあったそうです。 ある時、勤務する支店に強盗が入り被害が出たので、新聞記者たちが詰めかけ、彼が対応しなくてはなりませんでした。強盗事件のいきさつについて注意深く、かつ詳しく話すことが任務で、それ以上のことは記者たちも求めていません。これは当然ですね。ところが彼は「朝日新聞はひどいですね」と言い出しました。何と朝日の記者は彼に向かって、「あなたがた金融機関は、資本主義の悪を代表していてけしからん」と横柄な態度で説教したというのです。まるで悪いのは銀行で、だから強盗に遭うのも当然だとでも言わんばかりの口ぶりです。私もその非常識にあきれました。この記者には、一支店が強盗の被害に遭っているのを取材する「任務」と、金融資本体制が一般的に社会矛盾をはらむという「認識」とを区別する感覚がまったくないらしい。いずれにせよ、この一事をもってしても、この新聞が「幻想の弱者」を後ろ盾にして、言いたい放題をやってきたことは明瞭です。朝日の記者は春を買わぬか さて今回、度重なる不祥事とその恥の上塗りによって、この新聞のひどさが白日の下にさらされました。これについてはすでに何度も報じられているので詳しく論じますまい。まことに慶賀の至りとだけ申し上げておきましょう。もっとも朝日の一連の愚挙がすでに日本の国際的信用を著しく毀損した事態に対しては、朝日にきちんと責任を取ってもらわねばならず(ほとんど期待できませんが)、同時に、これからこの不名誉を雪ぐため、政府その他の関係機関に頑張ってもらわなくてはならないので、ただ喜んでばかりもいられません。とりあえずここでは、今回具体的にどういう点がひどいと明らかになったのか、いわゆる従軍慰安婦問題と福島事故における吉田調書問題の二つにつき、新聞見出しふうに整理して、寸評を加えておきましょう。冒頭にすべて「朝日新聞、」とつけるべきですが、それは省略します。・吉田清治の証言や慰安婦報道記事を誤報と認める――誤報じゃなくて明らかな捏造でしょ。しかも30年遅れのぶざまさ。ちなみに吉田の問題著書『私の戦争犯罪』は1983年刊。・女子挺身隊と慰安婦とを混同――研究不足だとさ。ちょっとでも戦中史に関心のある人なら両者の違いをだれでも知っているのに、そんな言い訳通るわけないでしょ。・「広義の強制性が問題」とすり替え――「広義」の定義は? この問題はもともと自分が軍の強制連行があったと主張したところから始まったはず。見え透いたすり替えをせずに失敗をきちんと認めなさい。・河野談話とは無関係と弁解――河野談話を導いた張本人はだれですか。盗人猛々しいとはこのことです。・批判誌の広告を墨塗りで掲載――言論の自由を一番主張してきた本人が言論の自由を圧殺。私が経営者だったら堂々と許容して懐の深さを見せるんだけどなあ。・福島第一原発所長・吉田昌郎氏の調書の内容公開。所員が所長の命令に背いて撤退と発表――捏造の決定版。事実は、退避勧告にもかかわらず、所員の多くが職業的使命を果たすために戻ってきたのです。日本語がまともに読めない人が朝日の記者になるんですな。・池上彰氏の批判記事掲載を拒否。のち池上氏に謝罪――もう、どうしていいかわからず、へっぴり腰で刃先が震えちゃってるのね。・「慰安婦問題の本質とは、戦時下の女性の尊厳や人権」とすり替え――今度はすり替えの決定版。戦時下の慰安所の存在が人権蹂躙か否かを問題にするなら、朝日さんは他国のそれを問題にしたことがあるのか。それに、人類史上なくなった験しがなく現在も行われている膨大な売買春行為一般を、人間の尊厳にかかわる重要な思想課題として一度でも取り上げたことがあるのか(ちなみに不肖・私はやっております。『なぜ人を殺してはいけないのか』PHP文庫参照)。韓国のキーセンはいいの? 江戸文化が花開いた吉原は? 朝日新聞の社内規則にはフーゾク通い禁止項目でもあるんですか? ほかにも、批判記事を書いた人を訴えると恫喝しているなど、まだまだいろいろあるようですが、これくらいにしておきましょう。いやはや、ひどさのオンパレードですね。その「知性」の正体「サンゴ破壊」のねつ造問題で会見する、朝日新聞・青山昌史取締役=平成元年5月15日 ところで、これらの批判材料は、概ね、ジャーナリストとしての朝日の姿勢に対する倫理的な批判に終始するものですね。しかし、もっと違った角度から批判することも必要です。一つは、この新聞はオピニオンリーダーぶっているけれど、じつは時代の空気が読めないKY新聞だということ。そういえば例のサンゴ礁事件で自ら刻んだ文字は「K.Y.」でした。傑作というべきです。 もう一つは、この新聞は知性を気取っているけれど、じつは日本の重要問題に対してきわめて狭い視野しか持っていず、ほとんど何も考えていないバカ新聞だということ。 例を挙げないと公正ではありませんね。まず前者について二つ。・去る5月15日付の社説で、3年前、反原発デモに6万人が集まった(この数字、怪しいですけどね)のに、集団的自衛権容認反対のデモでは400人しか集まっていないことをわざわざ記して、なんと次のように締めくくっています。たんぽぽのように、日常に深く根を張り、種をつけた綿毛が風に乗って飛んでいく。それがどこかで、新たに根を張る。 きょう、集団的自衛権の行使容認に向け、安倍政権が一歩を踏み出す。また多くの綿毛が、空に舞いゆくことだろう。 社会は変わっている。 深く、静かに、緩やかに。 たんぽぽの綿毛云々は、金子みすゞの詩「星とたんぽぽ」の一節を援用したもの。ここだけ読むと、まるで安倍政権の行使容認が多くの綿毛を飛ばして、社会をよい方に変えていくと言ってるみたいですね。でももちろんそんなはずはない。たった400人のデモが行使容認反対の勢力を「深く、静かに、緩やかに」広げていくにちがいないという超希望的観測を語ろうとしているのです。これを書いた論説委員の頭の中はたんぽぽの綿毛がいっぱい詰まっていて、そのため、重度のKY症候群にかかっているようです。・去る9月20日、「やるっきゃない」のおたかさんが大往生を遂げられました。その9日後の「天声人語」に、次のようにあります。93年の、ひいては2009年に起きた政権交代の遠い橋を、かつての土井社会党に見出してもいい。日本の政治も変わりうるのだということを土井さんは身をもって示したのだから。その奮闘が後の世代に手渡したものはとても大きい。(中略)理屈以前のその気持ち(反戦と厭戦――引用者注)が土台にしっかりあるかどうかが決め手では――。評論家の佐高信さんとの共著(中略)でそう語っていた。(中略)よりどころにしたのは政治のプロにはない素人の感覚だった これ、やっぱりぜんぜん時代が読めてませんね。2009年の政権交代って民主党政権のことでしょ。民主党がその後いかにぶざまな政権運営を行ったか、国民がこの政党にいかに愛想をつかしたか、人語氏はまったく理解していないようです。たしかにそのまた後の政権交代を見ると、「日本の政治も変わりうるのだということを土井さんは身をもって示した」ことになりますな。死者をなみする気は毛頭ありませんが、「理屈以前のその気持ちが決め手」とは、とんでもないことを言うものです。理屈以前の素人の感覚をよりどころにすればいいなら、右翼やテロリストの「理屈以前の感覚」も許されるわけです。人語さん、それでよろしいですね。 しかも朝日新聞は――これは知人から聞いた話で私は実物を見ていませんが――おたかさんが亡くなった時になんと号外を出したそうです。「えっ、土井たか子って誰?」と思った若い人もいるのでは。要するにこれは「ガラパゴス島で絶滅種の化石発見!」の号外でしょう。こうして朝日はじつは世の動きに何周も遅れた新聞なんですね。主張のために視野を閉ざす 後者について。私はこれまで何回もこの新聞の社説のおバカぶり、視野狭窄ぶりを論じてきたのですが、ごく最近のものにもそれが如実にあらわれています。以下は10月13日付。これは「原発なき夏冬――節電実績を変革の糧に」と題して、この夏原発ゼロだったにもかかわらず電力供給が賄えたのは、皆が節電に協力したからで、この実績を励みとして冬も乗り切り、さらに脱原発依存の方向性をしっかり固めようという趣旨の文章です。今年は3%の余裕しかないと言われていましたが、ピーク時でも6・6%の余裕があったから節電によって冬も大丈夫だと言いたいようです。しかし電力需要は供給の9割未満が望ましいというのは、この業界の常識です。余裕はもっともっとなくてはなりません。しかも節電努力によって需要を抑えることは、ただちに産業界の萎縮を意味します。消費増税によってただでさえGDPが縮小しているのに、これではデフレ不況を長引かせるだけです。このようにこの新聞は、反原発という単純な主張を通すために、多角的な視野を自ら遮断してしまうのですね。同じ社説から――福島第一原発事故後の安全策強化で、原発の売り文句だった「安くて安定的な電源」は過去のものとなった。16年以降の電力自由化によって、経費を料金で回収できる総括原価方式が撤廃されれば、経営上の重荷になる可能性も強まっている。 生き残るためにも、電力会社は代替電源を確保し、原発頼みを改めていくしかあるまい。 ここにきて、電力各社が他地域への供給に乗り出す動きが目立ち始めた。一方、送電線の容量が足りなくなったとして、再生可能エネルギーの買い取りを多くの社が中断した。事故から3年を経ているのに、何ともちぐはぐな対応に見える。 ここに書かれていることはでたらめであり、支離滅裂です。安全策強化が進んだのなら原発はそれだけ再稼働の可能性が高まったはずで、しかもその費用は電気料金には反映されませんから、「安くて安定的」という原発のメリットはそのまま生かされます。また論者は電力自由化を無条件に肯定してものを言っていますが、そもそも自由化の方針は競争によるサービスの劣化や寡占化による公共性の喪失、停電の頻発の危険など、問題点山積みです。さらに代替電源と簡単に言いますが、再生可能エネルギーは現在でも2%に過ぎず、供給の不安定や送電線の確保の困難その他、すでにその限界がいくつも指摘されています。 また電力各社の他地域への供給は相互扶助の精神を生かしたよい試みです。買い取りを多くの社が中断したのは、再生可能エネルギーがビジネスになるとにらんだ事業者が殺到して仮想の供給量が過大になったからで、これら事業者にはハゲタカ的な意図が見え透いています。電力各社が安定供給という公共性を確保する立場から、供給量を確定できない怪しげな申請を拒否するのは当然で、これと他地域への供給とは少しも矛盾せず、何もちぐはぐなところなどありません。すでに経産省は固定価格買取制度の難点に気づき、本格的な見直しに入っているのです。さらにこの社説では、火力に過度に依存することが日本のエネルギー安全保障全体にとっていかに危険かという視点がまったく見られません。 とかく朝日の社説はいつもこんな調子で、子どもっぽい理念や主張を貫こうとするために、ものごとを総合的に見ることがけっしてできないのです。幼稚の極みです。 朝日新聞は今後どうなるのでしょう。右翼新聞になればよいという冗談も聞かれますが、人の噂も七十五日、おそらく第三者委員会などでお茶を濁し、体質をそのまま温存して延命し続けるのでしょうね。この新聞が潰れることを私は切に望みますが、日本社会の習性を見る限り、見通しは悲観的です。とにかく今後も監視を怠らないようにしましょう。

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    社長が代わっても朝日の罪は消えません

    いわゆる「吉田調書」や「慰安婦問題」に関する報道をめぐり、朝日新聞の木村伊量社長が5日、一連の問題の責任を取り辞任した。木村氏は経営から退き、渡辺雅隆氏が社長に就任。新体制がスタートしたが、わが国を貶めた朝日の罪はまだ消えていない。

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    慰安婦問題解決を阻んだ朝日と韓国

    前川惠司(ジャーナリスト、元朝日新聞ソウル特派員)支援団体に踏みにじられた元慰安婦たち 「日本が挺対協の人たちに妥協する必要性は絶対にない。あの人たちは、(元慰安婦の)おばあさんたちを踏みにじっています。おばあさんたちは、あの人たちにセカンドレイプされているようなもの。それをコントロールできない韓国政府は何とだらしないのか」 朝日新聞の「誤報取り消し」と「謝罪」でも、日韓間で慰安婦問題解決の兆しは見えない。どうしてか。 慰安婦問題の解決のために日本が官民一体で1995年に設立し、2007年に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の元理事、下村満子さんに尋ねると、冒頭のように厳しく韓国の対応ぶりを責める言葉が返ってきた。 下村さんが言う“挺対協”とは、「韓国挺身隊問題対策協議会」の略称だ。慰安婦問題の解決を日本に迫る韓国の市民団体の一つで、女性人権団体を母体に結成された。「日本政府は法的責任を認め、国家賠償し、責任者を処罰すべきだ」と主張し、ソウルの日本大使館前に慰安婦の像を建て、この像を囲むように毎週の「水曜デモ」をしていることで知られる。アジア女性基金による元慰安婦への「償い金」の支払いや首相の手紙による解決には強く反発。97年1月に、アジア女性基金が韓国で初めて、韓国の元慰安婦7人に、当時の橋本首相のお詫びの手紙とともに各500万円の「償い金」の目録を渡した直後には、「アジア女性基金の金を受け取ることは、ふたたび汚れた金で身を売ることだ」と、元慰安婦のおばあさんたちを締め上げて受け取り拒否を強要した。 下村さんはこうも語る。「挺対協のメンバーと来日した慰安婦のおばあさんが、『宿泊所に閉じ込められ、外に出るなと言われて嫌になる』と電話をかけてきたこともあります。おばあさんたちは、内心で挺対協を恨んでいましたが、挺対協が怖いから、公の場に出てこいと言われれば出て行き、デモをしろと言われればデモをした。気の毒な弱者でした」右も左も昔から反日 これでは元慰安婦のおばあさんたちを抑圧しているのは挺対協ではないかと言われても仕方ないだろう。いったい、どのような組織か。 挺対協の尹貞玉元共同代表は、韓国一の名門女子大、梨花女子大出身で、同大教授という経歴の持ち主だ。金大中元大統領の夫人とは同窓だ。「挺対協のほかの主要メンバーも、大学教授や弁護士、学者、金持ちなどのインテリ層ばかり」と関係者は口をそろえる。韓国社会の女性エリート層が主導する団体なのだ。 挺対協や元朝日新聞編集委員の松井やよりさんらが中心となった1992年、ソウルでの「アジア女性会議」や、「昭和天皇有罪」を宣言した2000年、東京での「女性国際戦犯法廷」の開催に協力した「日本基督教婦人矯風会」の高橋喜久江さんは、尹貞玉元共同代表とは80年代、韓国のキーセン観光などアジアの売買春反対運動で知り合ったと話している。このつながりのなかで、尹貞玉元共同代表は、韓国民主化以後に慰安婦問題で日韓共闘を始めたが、資料などは日本側にほぼ頼っていたと言われる。 ところで、キーセン観光は、当時は世界の最貧国だった韓国が同胞女性の肉体でドルを稼ごうとした、朴正煕政権の国策的な事業だった。それだけにキーセン反対運動の実際は、反日運動であり、同時に朴正煕政権打倒運動だったと見るのが正しいだろう。 65年に日韓国交正常化を実現させた朴正煕政権は、日本からの経済支援での国づくりを進める一方で、強烈な民族主義も掲げていた。娘の朴槿恵現大統領が、伊藤博文を暗殺した安重根の記念碑建立を中国に要請したことから今年1月、記念館が暗殺現場のハルビン駅にでき、日本社会の反韓感情をさらに刺激したが、ソウルの「安重根義士記念館」は70年に朴正煕政権の肝いりで開設されている。ハルビンの記念館は朴槿恵大統領にしてみれば、父の気持ちを継いだだけということだっただろう。 余談だが、日本で人気の青磁や白磁を、民族文化の継承として復活させたのも朴正煕大統領で、ソウル郊外の利川に陶芸村をつくった。もっとも、この陶芸再興の狙いには、キーセン観光に来た日本人男性客に売りつける土産品が何もない中で、日本人が好きな陶磁器に目をつけたこともあったそうだ。なかなか逞しい商才だ。さらに脱線するが、韓国の陶芸専門家から、昔と同じ土が韓国内でほとんど見つからないため、かつての味わいがうまく再現できないという話を聞いた。 韓国の「反日の殿堂」と呼ばれる天安市の独立記念館は、独立運動家などが日本の官憲に残酷な取り調べを受けている蝋人形の展示や、悲鳴の擬音などで日本でも知られている。ここも全斗煥軍事独裁政権時代に建設されている。慰安婦問題に火がついた92年にソウルの日本人学校中等部の生徒が見学に出かけた様子がテレビ朝日で放映された。このときの後日談を、当時の校長から聞いたことがある。日本に留学中の韓国人青年から「韓国の子どもたちに自国の正しい歴史を教えず、植民地時代が残酷であったとだけ強調し、いたずらに反日感情を掻き立て、日本を憎むことが憂国だと勘違いさせるところが、独立記念館だと思っている。あそこは軍事独裁政権が、自らの非道を誤魔化すために、国民に募金させて作った施設だ」という手紙が届いたというのだ。 日本では一般的に、朴正煕や全斗煥の反共政権は親日で、進歩派左翼政権は反日だと感じている人たちが多いようだが、どちらにも己の正当化の手段としての反日の論理が内包されていることが分かるエピソードだ。 反日と韓国ナショナリズムは一体化している。それは、「いつかまた、日本が侵略してくる」という恐怖心が韓国人の深層心理のなかに潜んでいるからだろう。解放直後に、「米国の奴らを信じず、ソ連の奴らにだまされるな。日本の奴らが立ち上がるから、朝鮮人は気をつけろ」という言葉が流行ったことは、元東亜日報記者の李鍾珏さんが、「韓国いまどき世相史」(亜紀書房)で書いている通りだ。日本人支援者も入国拒否 話を慰安婦問題に戻そう。挺対協をはじめ韓国側に非があると指摘するアジア女性基金の関係者は、下村さんだけでない。今年8月に韓国メディアの訪日取材団のインタビューに応じた同基金理事の大沼保昭明治大学特任教授は「どれほど謝罪しても韓国は満足しないという空気が日本にある」と述べ、「日本の右傾化をもたらした理由の一つに、日本側の解決努力に対する韓国側の冷ややかな評価をあげた」と韓国で報じられた(同月31日、韓国聯合通信ウェブ版)。大沼教授は、挺対協が、慰安婦問題を、「慰安婦だったおばあさんたちを幸福にするために解決する」という観点でなく、「韓国社会に根深い反日問題へと持って行った」とも指摘している。 韓国メディアへの発言の真意を大沼教授に直接尋ねた。「韓国の市民社会は成熟していると期待していた。しかし、そうでなかったことにもがっかりしているが、最後までお互いに絶望せずにやろうよ、そのために韓国のメディアも反省して欲しい」という主旨での発言だったそうだ。韓国の取材団も大沼教授に、「私たちも、挺対協の言い分だけをうのみにしていた点は、問題があった」と打ち明けていたそうだ。 元慰安婦のおばあさんたちは、日本に国家賠償を求める「東京従軍慰安婦訴訟」を91年に起こした。この訴訟の支援を日本側で続けた「日本の戦争責任をハッキリさせる会」の臼杵敬子代表は、韓国人元慰安婦が初めて「償い金」などを受け取った97年1月の約半年後、韓国当局から入国禁止措置を受けた。 臼杵さんは入国拒否についてこう語る。「入国拒否になる前に、韓国大使館から接触があった。訴訟の打ち合わせもあるし、韓国のためにやっている人間をどうして入国拒否するのかと聞いたら、挺対協が法務省と外交通商省に、臼杵は基金を受け取れと言って動いているから入国させるなと申し入れたという返事だった」 挺対協に逆らって金を受け取ったおばあさんたちは、強烈ないじめにあっていた。脅迫電話が絶えず、日本の支援者が1万円ずつ出しあって、電話機を録音機能のあるものに替えた。ただ、おばあさんたちもやられる一方ではなかったようだ。臼杵さんの話だ。「外交通商省の担当者が挺対協の方ばかり見ていて、自分らの意見を封殺していると怒ったおばあさんたちが、外交通商省に押しかけて、エレベーターの前で担当者のネクタイを引っ張るようなこともあった」 そうした動きのバックに臼杵さんがいるのではと疑った末の入国禁止でもあったのだろう。日本からの「償い金」を受け取ったために挺対協のメンバーに罵倒されたおばあさんの一人は、こう悔しがったという。「私だって、母が幼いときに亡くならなければ、尹貞玉さんと同じように梨花女子大ぐらい卒業できた」「在野」勢力が次の権力となる韓国の政治風土 それはともかく、一市民団体がどうして政府まで動かし、入国禁止措置を取らすことまで可能なのか。それは、民主化闘争を担った反政府団体の発言権が、87年の民主化実現で一気に高まったからだ。93年の金泳三政権誕生とともに、日本側の解決策としての河野談話発表からアジア女性基金設立への流れが始まったのだが、大沼教授は、「この問題は日韓基本条約の請求権協定で解決しているが、道義的立場からアジア女性基金を作ったことを、村山内閣の五十嵐広三官房長官が直接、金泳三大統領に伝えた。韓国側は批判したり妨害したりしないとの回答を得て、本格的にスタートしたとたんに、挺対協などの支援団体が強硬に反対し、それが日韓のマスコミに増幅して報道された」と振り返る。 96年、慰安婦を「性奴隷」と規定し、日本に国家補償を要求するクマラスワミ報告が国連人権委員会に提出されると、挺対協と同調する支援団体はさらに勢いづく。その暴風雨下で金泳三政権は揺れに揺れ、アジア女性基金を支持するほとんど唯一といえる団体だったハッキリ会代表への入国拒否へとなったのだ。 韓国では、その時々の反体制派などを「在野」「運動圏」と呼ぶ。南北に分断し、地域、保守と進歩、世代、階層などの激しい対立が重なり合う韓国には、今日の敗者が明日の勝者となる政治風土がある。在野とは、そうした「明日の権力者」がだれになってもおかしくない、韓国の対決の社会が生んだ勢力だ。 98年の左派進歩政権、金大中政権の誕生で、アジア女性基金の運命は決定づけられたと言える。軍事独裁政権下で金大中氏の反独裁闘争の一翼を担った層が加わる挺対協は、まさに「権力」になったからだ。 その年の雑誌「世界」10月号のインタビュー記事で、訪日を前にした金大中大統領自身が、「我々は国民基金のお金をハルモニ(おばあさん)たちが受け取るのに反対しました」と述べ、アジア女性基金という卓袱台をひっくり返したことを強調した。前政権を完全否定することで新政権が正当性をアピールするのが常の朝鮮半島の長い政治風土のなかで「在野」が権力と一体となった時、どのような力を発揮するかの好例でもあるが、こうした事態に至った時、日本政府や関係者の対応はいかがだったか。検証しなければならないところだろう。それにしても、当時の小渕恵三首相とともに、「21世紀に向けた日韓パートナーシップ」を宣言し、日韓関係の改善に力を発揮したと評価されがちな金大中大統領だが、慰安婦問題で見る限り、政権の沃土といえる「在野パワー」に煽られ、今日の日韓の深刻な対立を引き起こした大統領だった、ともいえるのではないか。日本側に、在野を説得する迫力が欠けていたことが、最大の要因ではあるにしても…。 大沼教授、五十嵐官房長官、原文兵衛アジア女性基金初代理事長、それに東京従軍慰安婦訴訟の高木健一弁護士は、アジア女性基金に先立つ、サハリン残留韓国人問題で、訴訟の結末とは別に、日本政府の資金でサハリン残留韓国人の韓国永住帰国を実現させた。その成功体験を、アジア女性基金に重ねすぎたとの見方もある。尋ねると大沼教授は、「サハリンとの違いは、超党派の国会議員による応援団ができたか、できなかったかにある」と答えた。なぜ、できなかったのか。そのことも今後の検証課題だろう。 大沼教授は、朝日新聞がアジア女性基金の償い金などを否定的にとらえ、「元慰安婦個人への国家補償が正しい」という主旨の報道を主に社会面で続けたと残念がる。先の下村さんも、「国交正常化の時の請求権協定からして、挺対協が主張するような国家補償はありえない」と見ている。そうした中で興味深いのは、先の大沼教授のインタビューで、韓国メディアの記者は、慰安婦報道の反省として、「挺対協を鵜呑みにした」ことを挙げていることだ。 このことは、朝日新聞などの日本マスコミの当時の報道姿勢や論調に韓国マスコミが影響を受けて、挺対協の主張が韓国でより説得力をもっていく結果になったということを物語っているのではないか。 韓国では、軍事独裁政権の言論弾圧下、事実を追えば記事が書けなくなるという現実の中での「事実」の軽視、一方での新聞資本と政権との「もたれ合い」への疑惑などで、国内メディアより日本の報道が影響力を持つ時期が長く続いた。 92年1月の宮沢喜一首相(当時)の訪韓直前、日本軍が11歳の韓国人少女を慰安婦にして弄んだなどの根拠のない話を東亜日報が報じ、韓国社会は激高したが、これは、作り話だった「吉田証言」を明らかに下絵にした誤報であっただろうことが、好例のひとつだ。 朝日新聞は、「吉田証言」などをめぐる誤報が、日韓関係などに与えた影響を第三者委員会が検証するとしているが、慰安婦報道の全体を、社説やコラムを含めて検証しなければ、朝日新聞の慰安婦報道がどのように韓国社会に刷り込まれていったかは分からない気がする。 韓国の大学教授らの話では、現在の挺対協尹美香代表の夫らが北朝鮮スパイとして疑われ有罪判決を受けたことや、これまでの活動内容から北朝鮮のために活動する従北団体ではないかとの見方が出て、韓国社会でも挺対協への批判が強まり、影響力は減っているという。だからだろうか、韓国メディアによる大沼教授へのインタビューでは、アジア女性基金の再稼働による問題解決の可能性も問われた。大沼教授は「現在の日本の右傾化した雰囲気のなかでは受けいれることはできないだろう」との見方を述べている。こうした卒直な見方を、韓国はどう受け止めるだろうか。200年後の補償は誰のため? 韓国政府に登録された元慰安婦236人のうち、今年6月の政府「河野談話検討チーム」の報告書では、償い金を受け取ったのは61人だった。 冒頭の下村さんにもう一度語ってもらおう。「挺対協の人たちは、200年戦争だ、とも言っていた。彼らが反日運動をやるのは自由だけど、おばあさんたちがどんどん死んで、仮に国家賠償が20、30年後に取れたとしても何なのですか、みんな死んでいるでしょうと、いくらいっても、おばあさんが死のうが生きようが、我々には関係ないと言っていた。おばあさんたちに償い金をもらわれてしまったら、彼らの運動は終わってしまうから、人権とか尊厳とかは口先だけでおばあさんのことを反日運動の看板として利用しているだけだ」 臼杵さんは、こう語る。「ジャングルの中を兵隊と手をひっぱりあい進んだおばあさんもいた。部隊の中に、おばあさんを助けた兵隊さんが何人かいたケースもあったろう。恋仲になった日本の兵隊の名前を万年筆のペン先で彫った刺青を右手にしていたおばあさんがいた。平和な時が来たら一緒になろうねと約束して、彫りあったようだったが、その広島出身の飛行機乗りは戦死してしまったそうだ。日本の兵隊だって1銭5厘で集められた命。お互いに青春時代、いつ死ぬか、殺されるか分からないなかで出会った、ある意味ではピュアな間柄の面もあった。しかし、おばあさんたちは、挺対協の調査でそんな一面は言えなかっただろう」 おばあさんの相当数は、体験のすべてを世に向かって語ることなく亡くなった。 大沼教授は、性差別や女性への抑圧をなくし、女性の権利拡大を目指す世界的なフェミニズム運動の高まりが、挺対協による国際的な運動の展開に時の利を与えたと見ている。それは確かかもしれない。 臼杵さんが明らかにする、おばあさんたちの「思い出話」は、フェミニズム運動などの勇ましい言葉とは無縁のつぶやきでしかないかもしれない。 しかし、20世紀が戦争と帝国主義の時代だったとしても、その実相は、おどろおどろしい被害の誇張だけでは捉えきれないはずだ。辛い日々であったことは変わりないだろうが、同時に夢や幸福、人と人とのつながりがあったことも伝える支援運動であったなら、日本社会の受け止め方は、今とはもっと違っている結果であったかもしれない。 もしかしたら、慰安婦問題の解決の糸口は、日本政府が時間をかけ、おばあさんたちの心のある事柄を丁寧に掬っていき、そこから拾い上げた事実を残そうとする作業のなかにあったのかもしれない。 最近の産経新聞元ソウル支局長起訴事件。そして、今回の仁川アジア大会でもそうであったが、国際的なスポーツ大会で相手国選手への非礼や不正疑惑が当たり前のように飛び出すのは、自分たちが勝てばよい、俺たちの主張さえ通ればいいというウリナラ(我が国)主義が、依然として跋扈しているからだろう。 挺対協もまた、普遍的な法治や公正よりも、民族的ナショナリズムがすべてとする韓国社会の裏返しの姿のひとつかもしれない。 挺対協を構成する女性団体は、ベトナムでの韓国軍の残虐行為や米軍慰安婦問題へと、追及のテーマを変えつつあるように見える。二つはともに、朴槿恵大統領の父親の朴正煕時代に起きた韓国現代史の恥部でもある。韓国在野は、すでにポスト朴槿恵を巡って、保守勢力との政治闘争に入ったようだ。絶えず、前政権を生贄にしようと牙をむく政治風土のなかで、朴槿恵政権が日本との妥協に舵を切れるかどうか。日韓国交正常化50年に突き刺さるとげは容易に抜けそうはないようだ。

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    責任も果たさず被害者ヅラだけはご立派ですね

    HP新書)『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)など多数。平成14年、正論新風賞を受賞。 朝日新聞は本当に反省しているのだろうか。9月11日夜の木村伊量社長の謝罪も、「吉田調書」についての記事への謝罪がメインで、慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を16本の記事で使用したことや、慰安婦と女子挺身隊を「誤用」したことへの謝罪は序でないし付け足しで、如何にも誠意を感じなかった。さらにここに来て朝日は、なんと被害者ヅラをし始めている。同時に、吉田証言をめぐる自社の報道の影響について矮小化し、他人事視あるいは責任回避を決め込んでいる。 10月1日付朝刊第2社会面に「慰安婦報道めぐり脅迫文 2大学に元朝日記者の退職要求」との見出しの記事が掲載された。記事の前半は「北星学園大(札幌市厚別区)に今年5月と7月、慰安婦問題に関する記事を書いた非常勤講師の元朝日新聞記者(56)の退職を求め、応じなければ学生に危害を加えると脅す文書が届いていたことが捜査関係者への取材で分かった」とするもので、匿名となっているが、非常勤講師の元朝日記者とは植村隆氏であることは周知のことだ。記事によれば、文書は学長ら宛で、5月29日と7月28日に郵送で届いた。印刷された字で「元記者を辞めさせなければ天誅として学生を痛めつける」「釘を混ぜたガスボンベを爆発させる」などと書かれ、それぞれ数本の虫ピンが同封されていたという。9月中旬には「爆弾を仕掛ける」との内容の電話もあったという。記事の後半は「帝塚山学院大(大阪府大阪狭山市)にも9月13日、慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の人間科学部教授(67)の退職を要求する脅迫文が届き、(中略)元記者は同日付で退職した」とするもので、ここでも「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」などと記されていたことが書かれている。 脅迫は卑劣で決して許されないが、手口が古典的で、「天誅」という表現や「釘を入れたガスボンベ(ガス爆弾)を爆発させる」などという言い方など、北朝鮮への批判が強まった時に折よく起きた朝鮮学校生徒のチマチョゴリ制服切り裂き事件などをも彷彿させる。本当に朝日新聞の慰安婦報道に怒った人々の仕業なのかと、不自然さも感じる。 しかし、この記事の掲載を合図に朝日は被害者ヅラをし始めた。翌2日付の社説は「大学への脅迫 暴力は、許さない」と題し、脅迫文の内容を紹介した後、「攻撃の対象は元記者本人にとどまらない。家族までもがネット上に顔写真や実名をさらされ、『自殺するまで追い込むしかない』『日本から出て行け』などと書き込まれた」と被害者ぶりを書く。「間違った記事を掲載してしまったことに対して多くの批判が寄せられており、真摯に受け止めている」とも書いているが、北星学園大学へ脅迫文が送られたのは、8月5、6日の慰安婦報道検証記事掲載の前、木村社長の謝罪の前である。脅迫が許されないのは勿論だが、「間違った記事を掲載してしまった」のに訂正も謝罪もなく、朝日新聞社にも元記者にも「真摯」な姿勢が微塵も感じられないことが大学への抗議となり、思い余って脅迫につながったとも考えられる。 7日には1面コラム「天声人語」でもこの問題を取り上げ、第3社会面で「慰安婦報道 元記者の家族も攻撃」「ネットに子の写真や実名」との見出しを付けた「Media Times メディアタイムズ」という大型の記事が掲載されている。記事では「この元記者は今春、朝日新聞社を早期退職した植村隆氏(56)」と実名を明らかにし、「3月以降、電話やメール、ファックス、手紙が教職員あてに数多く届き、大学周辺では政治団体などによるビラまきや街宣活動もあった」とする。そして同僚教員に「もはや植村さんだけの問題ではない。大学教育、学問の自由が脅かされている」と語らせている。さらに学者や弁護士、ジャーナリストらが「負けるな北星!の会」を結成し、記者会見で「学問と言論の自由を守るため市民は結束すべきだ」と訴えたとする記事も併せて掲載している。自由と民主主義を守るためには学問と言論の自由が重要であることは言うまでもない。しかし、大学への脅迫という事態にまで発展したのは、植村氏が「間違った記事を書いてしまったこと」について、その経緯を明らかにすることなく、メディアの取材からも逃げ回り、挙句の果てには「記事は捏造ではない」と現在も言い張っていることにも原因がある。彼に「学問や言論の自由」に伴う責任を果たす気はあるのだろうか。 この点、私はこの大型記事に他の二人の識者とともにコメントを寄せ、「慰安婦問題を報じた元記者が中傷されていることを当事者の朝日が問題視して、読者の理解を得られるだろうか。普段、企業や役所の不祥事を厳しく追及しているのだから、執筆の経緯を元記者が自ら説明すべきだ。ただ、個人を『さらし者』にして攻撃するネット文化にくみすることはできない。脅迫は許されないし、職を奪うまでの行為は行きすぎている」と話した。「脅迫は許されない」との見出しが付けられたが、言いたいことはもちろん前半にある。 この記事には当の植村氏の「家族や職場の攻撃は卑劣だ」と題するコメントも掲載されている。「1981年5月、朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃で当時29歳の記者が殺された。私は彼の同期だ。問答無用で記者が殺されたあの事件と今回のケースは異なるが、身近に思えてならない。家族や職場まで攻撃するのは卑劣だ。私が書いた元慰安婦に関する記事に批判があるが、記事を捏造した事実は断じてない。今後、手記を発表するなどしてきちんと説明していきたい」─。「盗っ人猛々しい」という言葉がつい出そうになる。植村氏は完全に被害者の立場に立ち、居直っている。日本と日本人をこれだけ貶める記事を書いたのに自身をテロの被害者と同列に置いている。朝日の社説が「間違った記事を掲載してしまった」とまで言う記事を書いたことへの反省は微塵もない。 しかし、この植村氏のコメントは個人のものとは思えない。朝日新聞社の主張とも考えられる。この大型記事には、私のコメントも掲載されてはいるが、それ以外は、前出の「負けるな北星!の会」結成の記者会見で「言論を暴力で封じ込めるのはテロリズム。市民も結束して『許さない』というメッセージを社会に送るべきだ」(海渡雄一弁護士)、「学問の自由の封じ込めで、憲法違反だ」(小森陽一・東大院教授)との発言があったことや、識者のコメントも「民主主義の要である言論の自由を暴力で屈服させるテロ行為と等しく、大変危険だ。ネットや雑誌で『売国奴』『国賊』という言葉が飛び交う中、短絡的なレッテル貼りが今回の事件を惹起していると考えられる(後略)」(五野井郁夫・高千穂大准教授)、「嫌韓・反中やヘイトスピーチにつながる排他的な考えのはけ口として、朝日新聞の関係者を攻撃する構図がある。背景に現在の社会への様々な不満も重なっている。雑誌が『売れる』ことだけを考え扇情的な記事を書き、こうした暴力性をあおっている側面もある(後略)」(鈴木秀美・大阪大教授)とするものばかりを掲載している。それらに囲まれた中での植村氏のコメントである。記事全体で「テロだ!テロだ!」「私たちはテロの被害者だ!」との大合唱が聞こえる。朝日報道が国連「性奴隷」報告に与えた「広義の影響」 植村氏には「記事を捏造した事実は断じてない」と言い張る根拠を明確に説明し、朝日新聞も社としての見解を示してもらいたいが、多くは期待できない。朝日新聞は自社の慰安婦報道の問題点を矮小化し、責任回避を図ろうとしているからだ。 10月17日付朝刊3面に「慰安婦めぐる国連クマラスワミ報告 政府、一部修正を要請 元特別報告官は応ぜず」との大きな記事が掲載されている。「旧日本軍の慰安婦問題について1996年、国連人権委員会(現・理事会)の特別報告官ラディカ・クマラスワミ氏がまとめた『クマラスワミ報告』の一部修正を、日本政府が求めていたことが16日、明らかになった。慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の著書を引用した部分の修正要請だったが、クマラスワミ氏は拒否した」とする記事だ。 記事は「クマラスワミ氏はスリランカの法律家。A4判37・の報告のうち著書からの引用は英文字で283字。『国家総動員法の一部として労務報国会のもとで自ら奴隷狩りに加わり、その他の朝鮮人とともに千人もの女性たちを「慰安婦」任務のために獲得したと告白している』と記されている。現代史家・秦郁彦氏が吉田氏の著書に異議を唱えたことも掲載している」と書き、最後の段落を「朝日新聞は8月、吉田氏の証言を報じた過去の記事を取り消した。報告は吉田氏の証言を含めて朝日新聞の報道を引用していない」とする。朝日の吉田証言報道がクマラスワミ報告に何も影響を与えていないと言わんばかりの書きぶりだ。 確かに直接の引用はない。しかし、クマラスワミ報告が多くを依拠しているオーストラリア人経済学者、ジョージ・ヒックス氏の『The Comfort Women』(邦訳『性の奴隷 従軍慰安婦』浜田徹訳、三一書房、1995年)の内容も、現在の目から見ればそのトンデモぶりが明らかだが、そのトンデモぶりが当時通用したのは、朝日が同様にトンデモな吉田「慰安婦狩り」証言を「事実」として報道してきたことと関係がある。慰安婦問題で朝日が多用する「狭義の強制性」と「広義の強制性」という考え方になぞらえて言おう。クマラスワミ報告に朝日の記事の直接の引用はないという意味で「狭義の影響」はないが、慰安婦問題についての当時の言説の全体の雰囲気をつくったという意味での「広義の影響」は朝日の報道が決定的に与えている。そこに頬かむりするのは無責任も甚だしい。 クマラスワミ報告(邦訳)を改めて読んでみたが、そのトンデモぶりは想像を絶する。これが国連の人権機関が正式に出した報告書であり、現在もその内容が広く国際社会で信じられていると思うと背筋が寒くなる思いだ。同報告は「戦時中、軍隊によって、また軍隊のために性的サービスを強要された女性たちの事例は軍性奴隷制の実施であった」とし、「軍性奴隷」という用語を使うとする。「非常に多くの女性被害者が、娘が連行されるのを阻止しようとした家族に暴力が加えられたと語り、時には無理矢理連れて行かれる前に両親の前で兵隊にレイプされたと言う。ヨ・ボクシルについての調査によれば、彼女も多くの少女と同様に家で捕まえられ、娘を取られまいと抵抗した父親が暴行されたあげく連れ出されたという」と書き、「前線に送られた女性被害者の多くは、兵隊と一緒に決死隊に加わるなど、軍事作戦にもかり出された」「村から連行された少女は非常に若く、14歳から18歳が大半を占めていたことは明らかであるほか、学校制度も少女を集めるために利用された」「慰安婦は一日60人から70人の相手をさせられた」などとする。冷静に考えて信じがたい話ばかりだ。 同報告は元慰安婦16人からの聞き取り調査をもとに書かれ、北朝鮮で会った元慰安婦の証言も紹介されている。「当時13歳だった私は畑で働く両親のために昼食を用意するため、村の井戸に水くみに行きました。そこで日本人の守備兵の一人に襲われ、連れて行かれたのです。両親は娘に何が起きたのか知らずじまいでした。トラックで警察署に連れていかれ、そこで数人の警官にレイプされました。私が泣き叫ぶと、ソックスを口に突っ込まれ、レイプが続きました。警察署の所長(ママ)は私が泣き叫ぶので、左目を殴りつけました。それ以来、私は左目が見えません」「ある朝鮮人の少女はあまりに何度もレイプされたため性病にかかり、その結果、50人以上の日本兵が感染しました。性病が広がるのを止め、少女を『殺菌消毒』するため、彼女の局部に熱した鉄の棒を突っ込みました」などの記述が続く。北朝鮮側の意図は明らかに横田めぐみさんら日本人拉致事件を打ち消すことにある。拉致=強制連行した上にレイプしたのだから、日本人拉致は大した問題ではないということだ。同報告はこのような北朝鮮側の思惑に気付いている節はない。元慰安婦と称する証言者の発言をそのまま受け止めている。あまりにもナイーブだ。 クマラスワミ報告とはこの程度の代物だ。日本政府が修正を求めるのは遅すぎるほどだし、反論も必要だ。17日付の朝日の記事は「慰安婦問題で日本政府に歴史的責任と謝罪を求めた2007年の米下院決議採択は、安倍晋三首相が『強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実』と発言したことが発端だったが、クマラスワミ報告による影響を指摘する声もある」と書いている。そこまで分かっているなら、朝日新聞も社としてクマラスワミ報告のでたらめぶりを明らかにし、慰安婦問題をめぐる国際社会での誤解を説くことに取り組んではどうなのか。しかし、それも期待薄だろう。基金呼びかけ文削除にもイチャモン 朝日新聞は吉田証言に関する記事を取り消し、「慰安婦」と「女子挺身隊」との誤用を認めただけである。強制連行自体を否定したわけではない。慰安所における「強制」を強調し、それこそが女性の人権を否定する慰安婦問題の「本質」であると言い張っている。慰安婦問題は日本人が背負う十字架として存在し続けると言おうとしている。 「10代の少女までも含む多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた」との記述のあったアジア女性基金への参加呼びかけ文を、外務省がホームページから削除したこと対しても、10月19日付の社説で「なぜ、呼びかけ文を削除しなければならないのか。国際社会から日本政府が歴史認識をさらに後退させたと受け取られかねない」「もとより海外での評価だけが問題なのではない。私たちが過去とどう向き合うのかが問われているのである」「今からでもHPを元に戻すべきだ」と批判している。軍や官憲が強制連行したことを示す証拠は存在しないのだから、「強制的に軍に従わせた」という表現は誤解を生む不適当なものであることは言うまでもないのに、あくまでそこに拘ろうとする。 9月11日の木村社長の謝罪は一体なんだったのか。やはり渋々、仕方なく、序でに、付け足しで行った謝罪だったと思わざるを得ない。

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    えっ? 今年の流行語は「アサヒる」だと思ってました

     朝日新聞が今年もまたたくさんアサヒった。 何のことだかわからない方のために念のためご説明させていただくと、この世には息を吐くように嘘をつく朝日新聞のために作られた「朝日る」という言葉があるのである。 きっかけは、7年前の2007年9月25日の朝日新聞朝刊に掲載されたこんな記事だ。 「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。 仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ。 そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」 我が国で11万人の患者が苦しんでいるとも言われる難病「潰瘍性大腸炎」で当時の安倍晋三総理大臣が辞意を表明した際の、自称「クオリティーペーパー」の言い草である。どう見ても、ゲスなタブロイド紙の落書きにしか見えない一文であるが、更に問題なのは、この文章自体が極めて悪質な捏造記事であるという点だ。 当時、「ほう、世の中にはそんな流行語があるのか」と感心した私は、早速グーグルで「アベしちゃおう」を検索してみた。しかし私のパソコンに表示されたのは、朝日にとって残念なことに、このような無情な結果であった。「"アベしちゃおう"に一致するページは見つかりませんでした。検索のヒント:* キーワードに誤字・脱字がないか確認します。* 別のキーワードを試してみます。* もっと一般的なキーワードに変えてみます」 インターネットで検索してもただの一件も発見できない言葉を、朝日新聞は「流行語」であるなどと厚顔無恥にも言い張ったのである。これをきっかけに、捏造の総合商社朝日新聞にふさわしい「朝日る(アサヒる)」という流行語が誕生した。ネットで検索しても一件も存在しなかった「 アベしちゃおう」と違い、「アサヒる」をググるとちゃんと160万件も引っかかるので、今や堂々たる流行語であろう。 ところがである。今年も発表された、毎年恒例ユーキャン新語・流行語大賞に選ばれたのはこの「アサヒる」ではなく、女性お笑いコンビ日本エレキテル連合のネタだとかいう「ダメよ~ダメダメ」と「集団的自衛権」なのだそうだ。まぁ選考委員が、朝日とつるんで日々アサヒっていることで定評のある姜尚中聖学院大学学長だの、ジャーナリストの鳥越俊太郎だのなんだから、「拉致は存在しない」とホームページでアサヒってきた社民党の福島みずほがさっそく流行語大賞を悪用しTwitterにおいて「今年の流行語大賞に、『ダメよ~ダメダメ』『集団的自衛権』」。  これを合わせて「『ダメよ~ダメダメ、集団的自衛権』。どう考えてもダメです。ダメなものはダメ」などとツイートした見事な「連携」の裏を勘ぐらざるをえない。 1984年に始まり、正確には「ユーキャン新語・流行語大賞」と称され毎年12月1日に発表されるこの国民的行事であるが、もはや朝日新聞を始めとするサヨク勢力により反日プロパガンダの道具と堕している。その証拠に、アンケートで寄せられた今年の上位10位以内の流行語に、「ダメよ~ダメダメ」も「集団的自衛権」存在しない。「アンケートで募集している」などと称して公平中立を装ってはいるが、実際はそんな結果は無視して「選考委員」の反日サヨク人士たちが好き勝手に「大賞」を選んで発表されたものに過ぎない。09年に民主党の鳩山由紀夫総理が誕生した際にもランク外の「政権交代」が大賞に選ばれている。流行語大賞はもはや、サヨク勢力が国民の選んだ結果など「そんなの関係ねぇ」(07年アンケートトップテン)と無視し、「ありのままで」(14年アンケートトップテン)息を吐くように嘘をつく反日「風評被害」(11年アンケートトップテン)を「どや顔」(11年アンケートトップテン)で垂れ流し続ける政治宣伝装置であると言っても過言ではあるまい。 品性どころかユーモアセンスさえも無くクスりとも笑えない反日サヨクの「ジコチュー」(00年アンケートトップテン)大賞なんて「ヤだねったら、ヤだね」(01年アンケートトップテン)。

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    朝日を読むとやっぱりバカになる

    朝日新聞は、いまだに安倍政権のやることなすことにケチをつけている。代案なき批判なら誰でもできる。 だから、朝日を読むとバカになるというのだ。

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    1カ月間、朝日新聞だけ読んでみた

    三宮幸子すべて反対意見 6月から集団的自衛権行使容認の閣議決定までの1カ月間、朝日新聞だけを読んでみました。 誰に強要されたわけでもないのに、なぜそんな“暴挙”(のちに“暴挙”だと思った理由を挙げます)に出たか。戦中、戦争を煽った朝日が「戦争になる」と言っている。一度、じっくりご意見を聞いてみようと思ったわけです。 6月に入ってからは、多くの方が指摘されているとおり、1面から社説、天声人語、社会面まで使った「集団的自衛権反対! 大キャンペーン」紙と化しました。 朝日しか読んでいないと、当然、その大キャンペーンに乗せられることになります。 なかでも私自身が影響を受けてしまったのは、じつは声欄です。 社説で喚いたり、天声人語で皮肉ったりするよりも、この声欄がいちばん「普通の人」に対しては効くと思います。かくいう私にも効きました。 声欄には、本当にこんな人たちが投書を送ってくるのだろうか、と疑いたくなるくらい、戦争体験者、教師、大学教授、主婦、小学生等々、ありとあらゆる立場からの集団的自衛権「反対論」が繰り広げられました。6月からの1カ月で、集団的自衛権に繋がる「声」は60近く掲載されましたが、そのほぼすべてが「反対」。中間的と言える意見は二つくらい。7月4日になって、アリバイ的に〈説得力欠ける護憲派の反対論〉を一つ載せていました。 たとえば、非常に朝日的な「声」に次のようなものがありますので、ごく一部をご紹介。ほんの序の口です。 〈不測の事態回避へ信頼関係を〉(無職58)  〈憲法は国民を守る警告の碑文〉(校正業52)  〈自衛隊を「緊急災害平和隊」に〉(無職68) 〈思い出すイラクでの日本人犠牲〉(大学生28)  〈民意と違う首相の進め方に疑問〉(看護師44) たとえば〈不測の事態……〉は、こう書き出します。 〈東シナ海の日中中間線付近を監視飛行していた自衛隊機に、中国の戦闘機が異常接近した。極めて危険な行為だ。昨年は、中国の軍艦が海上自衛隊の護衛艦などに火器管制レーダーを照射したこともあった。度重なる危険行為は重大事故を誘発しかねない。政府は、事前に回避できるよう外交努力で信頼関係の構築に取り組むべきだ〉 「極めて危険な行為だ」と書きながらも「政府は(中略)外交努力で信頼関係の構築に取り組むべきだ」とのロジックは、朝日そのものではないですか。 どんなに抗議しても、日本の領土を「核心的利益」と言い、領海侵入、さらに自衛隊機に体当たりしてくるほどになっているから現在、日本は困っているわけです。 最後はこうです。 〈安倍晋三首相は、習近平主席とトップレベルで意思疎通を図るべきだ。その上で、中国軍の行為は戦争につながりかねない行為だと国際世論に訴えていくべきではないか。集団的自衛権を前面に出すばかりでは戦争回避は遠のくばかりだ〉 対話のドアはオープンにしている、とずっと安倍総理は言っておられるわけですが……これも朝日の主張そのものです。戦争体験を巧みに使う さて、先に挙げたような「声」は朝日の社説と見紛うようなものなので、普段、その他の情報に触れていれば読んだからといって影響されません。 では、どのようなものが効いてくるか。それは「語り継ぐ戦争」シリーズに代表されるお年寄りの話です。 〈「前線俳句」に哀切さと感嘆と〉(無職83)  〈旧満州で1年余の逃亡生活〉(無職88)  〈悲惨な体験語るのが私の使命〉(無職84)  〈戦死した少年隊員からの手紙〉(無職80)  これらはすべて、6月17日に掲載されました。 たとえば、〈悲惨な体験語るのが私の使命〉は次のようなものです。 〈45年8月7日のことです。愛知県豊川市にあった豊川海軍工廠で米軍の大空襲に遭いました。私は14歳。学業半ばにして学徒動員中でした。B29のすさまじい攻撃は、朝の10時13分から26分間も続きました。(中略)/午前中に働き、午後から帰省することを楽しみにしていた同じ年の道子さんは戻ってきませんでした。/翌日、道子さんを探しに工廠に向かいました。路上には焼けただれた遺体が転がり、防空壕では学生たちが折り重なって窒息していました。道子さんはついに見つかりませんでした〉  〈戦死した少年隊員からの手紙〉は、海軍特攻基地近くで少年隊員を慰労した家族が、戦後、少年隊員の両親から彼の手紙を見せてもらう話です。 これらの「声」は、「戦争」の残酷さや失ってしまった命への悲しみを思い出させます。 〈「前線俳句」に哀切さと感嘆と〉はこうです。  〈天気予報で「南の海上に梅雨前線が停滞し……」などと聞くと、反射的に「銀翼連ねて南の前線」と歌っていたのを思い出す。戦意高揚歌「ラバウル海軍航空隊」の歌い出しである〉 こう始まる投書はご自身の体験を交えつつ、「歌を用いて士気を奮いたたせようとする教育がなされていた」などとチクリと刺し、さらに最前線の兵士が詠んでいた「前線俳句」について語る。 締めくくりはこうきます。  〈平和国家・日本は新たな「南の前線」を展開することを考えてはならない。再び前線基地を設けてはならない。前途ある若者に、前線俳句を詠ませてはならない。「前線」は桜前線、梅雨前線、秋雨前線、紅葉前線で十分だ〉  こじつけ風で、うますぎるところに疑問があると言えばあるのですが、他にもこのレベルのものがある。本当に素人の投書なのか?  それはさておき、戦争体験者からのこのような「声」を読むと、「ああ、戦争はしたくないな」とやはり思います。戦争は誰だってしたくない。当たり前だ。 そして、この日の1面には、この見出しなのです。 〈閣議決定案 公明が難色 「生命・自由覆されるおそれ」 集団的自衛権〉 そうでなくても毎日、「反対」の声と「大反対」の紙面づくり。 その文脈で、おじいさんの「声」。 すると、 「安倍政権はなんと取り返しのつかないことをしようとしているのか」 「また前線俳句を詠む若者が出るのだ、安倍政権のせいで!」  こうなります、確実に。集団的自衛権と戦争、安倍政権と戦争が繋がる。 私自身が危うくそうなりかけていました(笑)。 普段、私は朝日新聞だけを読んでいるわけではありませんが、この1カ月、朝日新聞以外はほぼシャットアウトしていましたので、これらを読むとだんだん「歯止め」がかからないことが不安になってきます。 ドラマに自身を重ねる」 お母さんたちの「声」というものもありました。 〈息子を戦場に送りたくない〉(主婦47)  〈平和守るため4人で活動開始〉(主婦63) 〈徴兵制なんて考えすぎですか〉(パート55) 〈「人を殺さない」が憲法の原点〉(主婦65) 〈子どもたちが銃をとらないように〉(パート42)  〈息子を戦場に送りたくない〉は、かなり想像力逞しい。  〈だが、最近取り沙汰されている憲法改正や集団的自衛権の行使容認、さらに徴兵制の話まで飛び出してくるに至って、日本の平和はついえてしまうのではないかという不安に日々さいなまれている。/中学生の我が息子が近い将来戦争に行って、人を殺めたり、殺められたりするかもしれないと考えただけで、胸が押しつぶされそうになる。小説やテレビドラマで息子の出征を見送る母親の悲哀を数多く目にしてきたが、その悲しみや苦しみを本当には理解していなかったらしい〉  「人を殺める」ねえ。いくらなんでも小説やテレビドラマにご自身を重ねるのは酔いすぎではないか、とも思いますが、朝日新聞を読んでいればそれも致し方なし、と同情します。しかし、この「声」は次々と想像力逞しい人を生み出してしまいました。 〈平和守るため4人で活動開始〉の方。 〈「息子を戦場に送りたくない」と「9条平和賞 署名集め続ける」を読み、まさに私たちと同じ思いの人がいらっしゃるんだと心強く思いました。/私を含めた近所の主婦仲間4人が、4月に集まりました。何かできないかと話し合って「4人から始める本気の会」を発足させました。(中略)/「憲法9条にノーベル平和賞を」の署名活動があることを知り、実行委員の方と連絡を取って署名集めを始めました。(中略)/自分たちのできる方法で、声を上げてみませんか〉  さらにどんどん拡がりそうな……と思いながらふと年齢を見ると、この方、63歳。「息子を戦場に送りたくない」に同じ思いとのことですが、さてはて、ご子息はいったいおいくつなのでしょうか?  福島原発事故前よりも東京の放射線量が低くなっている事実が信じられないお母さんたちと、子を思う親の気持ちは同じ。ただ、情報のスジが悪いだけです。 著名な作家も投書  教師の「声」も多い。  〈人殺しを命じられる身を考えて〉(大学名誉教授91)  〈集団的自衛権よりも子育て支援〉(中学校教員57) 〈「慰霊の日」に平和かみしめよう〉(高校非常勤講師52) 〈民間人を殺す危険性も議論を〉(高校講師54)  特に、おどろおどろしく集団的自衛権と「戦争」を重ね合わせるのが「教師」の「声」です。 また、専門家軍団の「声」もあった。 〈信頼損なう集団的自衛権行使〉(NGO職員38) 〈集団的自衛権、国民の声を聞け〉(県議74)  〈憲法9条が日本を守ってきた〉(作家81) 〈閣議決定は違憲で無効です〉(弁護士71)  さらりと入る「作家」は、ただの作家ではありません。あの森村誠一さんです。『人間の証明』で著名ですが、『悪魔の飽食』で731部隊の嘘をでっち上げて日本軍を貶めた方です。  〈安倍政権はなぜ、解釈改憲で集団的自衛権を使えるようにする閣議決定を急ぐのでしょうか〉 〈平和とは「戦争がない」だけでなく、戦争を許さない安全保障構造が確立していることです。戦争の過ちを学習した日本の場合、9条を核とした平和憲法がそれにあたります。安倍首相は日本が学んだことを忘れ、中国の挑発に乗っているようです。首相は権力を私物化するのではなく、国の看板である平和主義を守る責任があります〉  「九条の会」と同じですね。『悪魔の飽食』に見られるように、「日本軍は悪」だから「戦争を許さない安全保障構造」が必要だということでしょう。普通に考えれば、「戦争を許さない安全保障構造」は日本だけが持っていても仕方ないと思うのですが。コバンザメを正当化  投書とは離れますが、この「日本軍は悪」「日本だけが悪い」という思想は、朝日新聞のあちらこちらに出てきます。7月1日の「社説余滴」、〈南シナ海、波高し〉は面白かった。国際社説担当の村上太輝夫氏によります。  〈南シナ海の西沙諸島沖に、中国の国有石油企業が石油掘削装置を運び込み、ベトナムとの間で摩擦を引き起こしているためだ。/6月中旬、日中の有識者が両国関係の改善策を話し合う会合に同席する機会があった。時節柄、日本側が「ベトナムのような国をいじめるのは大国にふさわしくない振る舞いだ」と指摘した。/反論は強烈だった。「米国が中国の台頭を邪魔していることが問題の根本にある」〉  不思議なのですが、ベトナムの話だとすんなり中国の「いじめ」を認識できるわけです。しかも続けて、こう書いています。 〈この問題で私は「中国は力で押し通すな」と社説に書いたが、とても通じそうにない。溝は相当深い。中国側主張の起点には、南シナ海は我々の海だという認識がある〉 「とても通じそうにない」(笑)。  だから日本も困っているわけですよ、朝日さん。  驚いたのは7月2日以降。朝日新聞は閣議決定後、やることがなくなったのか、『アエラ』的とも言えるキャッチーな広告的手法に突き進むことになります。 『アエラ』的表現でいちばん面白く読んだのは、7月4日にオピニオン欄に掲載された「コバンザメで悪いか」という題字の特集。 リードにはこうあります。  〈強いものにくっついているだけではダメだ、対等に助け合うようになろう──。そんな声が高まる今だからこそ、小さな体でしたたかに生き抜くコバンザメに学んでみませんか〉 これはすごい。「コバンザメ」の正当化です。 「コバンザメ」って、いわゆる「コバンザメ商法」と言われるように、悪い意味で使われることが多いかと思いますが、逆転の発想。意表を突く広告的手法で長期戦略、啓蒙活動に切り替えたか。 もう一つ、同じ文脈のものに、7月6日に掲載された〈「草食の国柄」を捨て去る軽挙〉があります。こちらは特別編集委員・冨永格氏によるものです。 冨永氏はこう言います。 〈戦後日本は、他国との関係において肉食より草食、さらにいえば植物的な生き方を選んだ。静かに誇り高く、周りと仲良く、世界のために……。 「遅れて来た肉食獣」として滅んだ反省が原点だった〉 さすがにここまでの表現をされると、「集団的自衛権=戦争」となりかけていた私も目が覚めるというものです。面白いんですか、これ?  〈草食の国柄はどうにか70年ほど続いた。だが肉食系の国々に囲まれ、フツーの国への誘惑は断ちがたいらしい。安倍晋三首相は姑息な手で国の性格を変えようとしている。支持率を読み違えた「満腹のおごり」にみえる。/世界が敬い、時代の先を行く国柄を捨て去り、日本はどこへ向かうのか。幾多の命と引き換えに得た9条、たかが強権国家の挑発と相殺するのは忍びない。一国の政治史ではなく、人類史に刻まれる軽挙である〉 ギャグなのかマジなのかわかりませんが、ただ、朝日新聞の言っていることはこの1カ月間、ともに過ごした私にはよくわかります。 「九条」という世界に燦然と輝く唯一無二の「平和憲法」を崩してはいけない、ダチョウのことも考えてみたけれども「コバンザメ」がいいね! キーワードは「草食」だ!  ……“気分”としては、「九条」のためなら「死ねる」感じでしょうか。「フツーの国」を嘲笑うのも最近の論調です。現実を見ない朝日 この1カ月、声欄も含めて「戦争こわい~」「徴兵制~」「子供が死ぬ~」「安倍政権はひどい~」の大合唱。集団的自衛権を、「戦争」の惨さと力業で直接結びつける「紙面づくり」はすごかった。後遺症はありますが、7月2日から「洗脳」が解けた人間として、一言。 冒頭で申し上げましたが、朝日新聞だけを読むことの何が“暴挙”だったか。 これは確信を持って言えますが、朝日だけを読んでいると日本の置かれている状況がまったくわからなくなるということです。いま、南シナ海、東シナ海で起こっていることは、先の「草食」原稿がいう「たかが強権国家の挑発」なのか。 なぜ、国際法も踏みつける隣国の横暴には触れず、それに対する現実的対処法も示さず、「閣議決定」で戦争になると言い続けているのか。 朝日新聞だけを読んでいると、この間の隣国の振る舞いは幻だったのかと思えてきます。 国際面では朝日といえども、現在ただいま戦争をしている地域について報じています。 にもかかわらず、「コバンザメ」で「草食」なら戦争を避けられると言い、その根拠は示されません。いままでそれでやってきたのだから大丈夫だ、と言うのです。 ちなみに、朝日新聞を読んでいると「抑止力」というものがまったく語られません。『WiLL』などは一所懸命、抑止力について語っておられますが、それを朝日新聞やその読者に説いても、そもそも抑止力というものを受け入れたくも見たくもないわけですから、何の効果もない。 彼らは「九条」こそが“抑止”になると言っているのです。どこまでいっても折り合えない、わかり合えないでしょう。 この1カ月間の総評は、「朝日新聞は恐ろしく楽観的である」。 朝日という「オピニオン紙」は徹底した「現実無視」で貫かれています。現実無視で「九条を守れば大丈夫」というのですから、楽観主義と言わざるを得ない。 朝日につきあっているうちに、日本が戦地になるのでは? という不安が拭えません。 戦前の反省をするならば、自分たちが「戦争を煽った」という「結果」ではなく、その「原因」である「事実を報じなかった」ことを反省すべきだと思います。

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    やはり「本質」に踏み込まなかった朝日新聞「第三者委員会」

     朝日新聞の「吉田調書」誤報事件に対する第三者委員会の「検証結果」が明らかにされた。題して〈「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解〉。全21ページにわたる報告書である。 私は、さまざまな感慨を持ちながら読ませてもらった。第三者委員会の3人の委員には申し訳ないが、それは「まったく“本質”に踏み込めていない」ものだった。しかし、致し方ない、と私は思う。 報告書を書くにあたり、委員たちは「26人」から聴取をおこない、「37人」から報告書の提出を受けたそうだ。計63人に対する調査結果である。冒頭にそう書いてあるので、私は少しだけ期待しながら読んだ。 しかし、読みすすめる内に、すべて予想通りの「提言」であり、まるで「予定調和」そのものであることがわかった。なぜなら、第三者委員会はこの事件の「本質」には絶対に「触れて」はならず、もし、そのことを指摘でもしたら、「朝日新聞は解体しなさい」という提言にしかならなかっただろうからだ。 これまでも書いてきた通り、第三者委員会とは、お役所や不祥事を起こした大企業が、世間の非難をかわすために設置されるものだ。いわば批判を少しでもやわらげ、国民の“ガス抜き”をするための委員会である そのためには、ある程度きびしい意見を出してもらう必要がある。それに“真摯に”反省する態度を示して、「2度とこんなことは繰り返しません」と宣言し、「再出発」をするための“道具”が第三者委員会なのだ。 すなわち、設置された時点で、シナリオと着地点は決まっている。私は、言論機関である新聞社が「第三者委員会」を立ち上げた時点で、「着地点」が想像できたが、今回の報告書を読んで、これで「果たして幕引きができるのか」と思った。 本日、私は、『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』(PHP研究所)を出版した。その発売に合わせるかのように、第三者委員会の結論が出たことに、私は驚いた。 拙著で指摘したのは、「朝日新聞は自らの主張やイデオロギーに沿って事実をねじ曲げる」ということだ。報告書の中には、マスコミの常識では考えられない内部の出来事が書かれている。たとえば、あの「命令違反による撤退」報道がおこなわれた時、編集幹部は、「秘匿性が高い」ことを理由に担当記者にこの吉田調書を読ませてもらえなかったそうだ。 また、当該記事の締切の時に、記事自体への疑問点が大阪編集局をはじめ、さまざまなところから寄せられたが、それらはすべて無視されたという。 上司にすら肝心の吉田調書を見せず、他の記者にも一切、見せないまま、あの記事は書かれ、私からの「これは誤報である」との指摘があっても、それでも上司が吉田調書そのものを「見なかった」というのである。 この編集局の恐るべき実態には、開いた口が塞がらない。何度も書いてきたので繰り返さないが、当該の記事は「命令違反による撤退」という構成要件が成り立っていないお粗末なものだ。つまり、吉田調書を見なくても、「誤報であること」がわかるものだった。 それでも、吉田調書を持って来させて「確認」すらせず、「誤報である」との指摘をしてきたジャーナリストに対して「法的措置を検討する」という抗議書を送りつけてきた「体質」を、国民はどう考えるべきなのか。 そこには、驕りと独善によって目が眩んだ朝日新聞の真実の姿がある。自分たちで吉田調書を検証もしないまま、私の論評に対して「黙れ。お白洲に引っ張り出すぞ」という抗議書を送りつけて来たのは、もはや、朝日新聞は「言論機関には値しない」ことを示している。 従軍慰安婦の「強制連行」報道と同じく、朝日の体質とは、自らの主張やイデオロギーに都合のよい事実を引っ張って来て、それをつなぎ合わせて「真実とはかけ離れた報道」をすることにある。 私は長くつづいてきたこのやり方を「朝日的手法」と呼んできた。つまり、自らの主張やイデオロギーに沿った記事なら、朝日には「真実などどうでもいい」のである。つまり、その手の記事には「チェックなど必要ない」のだ。 私は、朝日新聞とは、「言論機関」ではなく、ある政治的目的を実現させるための「プロパガンダ機関」なのだと思う。従軍慰安婦のありもしない「強制連行」を「日本人を貶めるため」には、チェックもしないまま記事として掲げて、世界中に流布させたことでもわかる。そして、今回は、「反原発」「再稼働反対」という方針に基づく記事なら、「吉田調書」の真実など、簡単に捻じ曲げてしまったのである。 報告書は、「報道内容に重大な誤りがあり、公正で正確な報道姿勢に欠ける点があった。記事の取り消しは妥当だった」と書いている。しかし、外部の委員なら、この長くつづいてきた「朝日の体質」こそ指摘するべきであって、報告書に書いてあるような部下を「過度に信頼したこと」が誤報の原因などと、するべきではないはずである。あまりに事前の想像通りの「予定調和」のような報告書を読み、私は、ただただ溜息を吐(つ)いている。

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    いつの間に!オノレが被害者、朝日新聞(笑)

    は、タオ和俊氏との対談本「怒れるおっさん会議inひみつ基地」(西日本出版社)。朝日、反転攻勢に出る 朝日新聞は10月7日、〈慰安婦報道、元記者の家族も攻撃 ネットに子の写真や実名〉と題する記事を掲載、植村氏が特別講師を務めていた北海道の北星学園大学にも脅迫が及んでいることを受け、〈学者や弁護士、ジャーナリストらが6日、同大を支援する「負けるな北星!の会」を結成〉したことを報じた。  同日の天声人語も、この会の結成について触れている。 〈(北星学園)大学を応援する会が、きのう発足した。「負けるな北星!の会」という。作家の池澤夏樹さんや森村誠一さん、政治学者の山口二郎さん、思想家の内田樹さんらが呼びかけた。元自民党幹事長の野中広務さんらも賛同人に名を連ねる〉  これを読んで、私は椅子から転げ落ちそうになった。これは朝日お得意の「市民が動き出した」の所作ではないか。  朝日は慰安婦検証記事以降、メディアが続けてきた「朝日バッシング」に対し、言論弾圧の被害者を装うことで「全面反転攻勢」を仕掛けようとしているのである。  この「言論弾圧」の発端はご存知のとおりだ。簡単に振り返っておこう。  今年3月、植村隆元朝日新聞記者が神戸松蔭女子学院大学教授に就任予定であったが、直前になって大学側から雇用契約を解消された。  非常勤講師として働いていた北海道の北星学園大学で、8月の朝日新聞「従軍慰安婦検証記事」のあと、「植村を辞めさせなければ『天誅』として学生に危害を加える」との脅迫文が届いた。  また、元朝日新聞取締役の清田治史氏も退職後、帝塚山学院大学教授として職を得ていたが、これも今年9月13日午前、同大学に「(教授を)辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」という脅迫文が届き、清田氏はその日のうちに大学を退職した。天下り先の確保のために社説まで使った!?(10月2日付)  清田氏は82年、吉田清治なる稀代の詐話師が行った「済州島で一週間に二百人の若い朝鮮人女性を狩りだした」という虚偽の講演内容を記事にした責任者だ。  誤解のないよう強調しておくが、「脅迫」は最低の行為である。だが、日頃「ジャーナリスト宣言」なるものを高らかに謳い、「いかなる脅迫にも屈してはならない」とあれほど言ってきた朝日新聞出身者が、脅迫文が届くやいなや辞職するとは情けない限りである。  しかも伝わってくる話では、大学側は「辞職は個人的」理由と言っているらしい。どうもおかしい。植村氏もなぜ、大学への脅迫に対して堂々と抵抗して見せなかったのか。大学側も、メディア出身の人間を雇う以上、学問の自由と言論の自由を掲げて戦うべきだった。 天下り先確保が狙い? そもそもメディアは、そしてジャーナリストは、時として批判を受けるものだ。私にだって、某宗教団体などから、どうやったのか実家の電話番号まで調べ上げて嫌がらせの電話がかかってくるほどだ。ジャーナリズムの世界では珍しいことではない。大学側がそのことを知らなかったとしたら、あまりにウブというものだ。  その程度で負けていたら、言論人なんてやっていられない。  メディアでもジャーナリズムでもない理研にさえ、例のSTAP細胞問題で、朝日とは比べものにならない数の批判が押し寄せているのだ。だが、そのことを理由に職員が理研をやめたという話は聞かない。  しかも朝日新聞は、この10月7日の一連の記事に先立つ10月2日、会社を離れた人間への脅迫に対して「大学への脅迫 暴力は、許さない」と題する社説で反論している。  普通なら「弊社を辞めて民間の大学へ行った元記者が攻撃を受けているのは許し難いことではあるが、ペンを持って闘った人間にはこういうことは起こりうる」としたうえで、言論弾圧に立ち向かえばいい。なぜ、やらないのか。  社説はこうも述べている。  〈自由にものを言う。学びたいことを学ぶ。それらを暴力によって押しつぶそうとする行為を、許すわけにはいかない〉 〈学生を「人質」に、気に入らない相手や、自分と異なる考えを持つ者を力ずくで排除しようとする、そんな卑劣な行いを座視するわけにはいかない〉 イヤらしい「説教エロ」  10月7日の天声人語もこう書く。  〈過去の報道の誤りに対する批判に本紙は真摯に耳を傾ける。しかし、報道と関係のない大学を暴力で屈服させようとする行為は許されない。このさい思想信条や立場を超え、学問や表現の自由、大学の自治を守ろうという識者らの呼びかけは力強い〉  よく読むと、いずれも「言論弾圧一般に対する批判」以上に、「大学への圧力」を際立たせて批判しているのである。  常々指摘していることだが、朝日は近年、「今、大学生の就職率が低い」と大騒ぎしている。それは日本に程度の低い“アホ大学”が増えたからだ。アホ大学を出たところで、就職などできないのは当然だ。しかし、朝日はそれを絶対に書かない。  なぜなら、ちょうど今頃の季節になると、新聞紙面には聞いたこともない名前の大学の四色刷りの全面広告が入る。つまり広告料は入るわ、植村・清田両氏の例を挙げるまでもなくOBは大学に天下りはできるわで、朝日新聞は絶対に「大学批判」ができないのだ。  社説や天声人語の「大学への圧力」批判も、「朝日の記者を受け入れると同じ目に遭うぞ」と言われないように、この先の天下り先を確保しようとしているのではないか……そう勘繰られても仕方があるまい。  10月2日の社説は、こう締めくくられている。  〈朝日新聞への批判から逃げるつもりはない。しかし、暴力は許さないという思いは共にしてほしい。この社会の、ひとりひとりの自由を守るために〉  そしてそれを補強するように、7日の記事には植村元記者が「家族や職場への攻撃は卑怯だ」として、こんなコメントを寄せている。  〈一九八七年五月、朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃で当時29歳の記者が殺された。私は彼の同期だ。問答無用で記者が殺されたあの事件と今回のケースは異なるが、身近に思えてならない。家族や職場まで攻撃するのは卑劣だ。私が書いた元慰安婦に関する記事に批判があるが、記事を捏造した事実は断じてない〉  暴力は許さない。これには誰も反論できない。だが、これは私がかねて「説教エロ」と呼んでいる表現だ。 つまり、週刊誌やワイドショーなどで「最近の女子高生はけしからん、援助交際などが横行し、乱れている」と批判しながら、援助交際の詳細な描写を描く。すると、それを見ている親父たちが「いまどきの女子高生はそんなに乱れているのか! けしからん!」と興奮しつつ読み進めるのを分かっていながら、「どうすれば風紀紊乱を防げるのだろうか」など社会派の記事であるが如く装う手法だ。  立派なことを書いているようでその実、読者の、あるいは書き手の劣情をかきたてる。今回の記事でいえば、「言論弾圧はいけない!」「負けるな北星!」と興奮するであろう読者の反応を見越した記事である。まことイヤらしい。  誤解してほしくないのだが、「朝日よ、清廉潔白であれ」などと言っているわけではない。メディアとは基本的にイヤらしいものである。何しろ商売だ。読者が中吊りを見て興奮してキヨスクに走る、そんなスクープをモノにするのが信条だ。そこには政治家のスキャンダルもあるが、大物芸能人カップルの離婚もある。「あの美人女優が脱いだ!」といった類の記事もある。買ってもらえなければ成り立たない。  朝日新聞がそれを自覚して、「自分たちは説教エロをやっているのだ」と分かって書いているのなら問題はない。だがそうでないことは、社長謝罪後の紙面から滲み出ている。 読者を便衣兵に使う姑息  「朝日新聞の9・11」こと、木村社長の謝罪会見には心底驚いた。「あの朝日がついに謝ったか!」と。  この謝罪会見を受け、わが畏友・百田尚樹氏は『週刊新潮』に「木村伊量はゴルバチョフではないか」と書いた。慧眼である。私も百田さんの説に、その段階では大いに賛同した。木村社長がここで責任を被り、すべての膿を出し切るのだと思ったからだ。  ところが、木村伊量社長は社内をガバナンスしきれなかった。本誌連載「築地をどり」風に言えば、舞台上で木村宗家はたしかに頭を下げていたが、ふと見回すと他の大名取の皆様方が「本日も反省の色なし」で、舞台上で相変わらずの踊りを披露していたのである。  つまり朝日新聞は社長が謝ったにもかかわらず、まるでパルチザンのような人々が社内から続々と現れ、勝手に紛争をやりだしたのだ。トップが謝罪したのに、部下たちはその直後から「反転攻勢」を仕掛け始めていた。  その兆候は朝日の「声」欄、そしてその横にある朝日川柳にまず表れた。ここを戦場にして、朝日の社員・記者たちが軍服を脱ぎ捨て、非戦闘員のふりをして小銃を撃ちまくっている。まるで便衣兵だ。これには本当に驚いた。 朝日反撃の狼煙 読者を洗脳(啓蒙?)しているつもりが、社員まで洗脳されていたのである。社長が「わが社には間違いがあった」「ここは襟を正して悔い改めていこう」と言っているのに、社員は暴走をやめないのだ。  謝罪した社長や、池上彰氏の原稿を不掲載にした幹部に不満を持つ朝日記者が朝日を飛び出し、産経新聞の記者として「さらば朝日新聞!」というような記事を書くくらいの度胸があればいい。  だが、朝日記者は会社から給料を貰っておきながら、あるいは会社でスマホをいじくってネットに書き込み、あるいは朝日の紙面で読者という便衣兵を使って、パルチザンを展開している。  川柳欄を使っての「工作」については連載「築地をどり」に詳述したが、「声」欄は一見、朝日の今回の一連の報道を批判しつつも必ず一点、「やっぱり朝日が好き」「応援してます」というオチが加えられている。この採用傾向は、つまり、社長が謝ったところで社員たちは根本のところでは悪いと思っていないのだ。  最たるものは9月18日の「声」特集だ。〈「声」に寄せられた投稿は千通を超えています。多くは厳しい批判です〉と言いながら、5歳の時にお父さんを亡くした高校生のお嬢さんによるこんな投稿を掲載した。  〈小学生のころ、授業で使うために新聞を持って行くと、先生から「朝日新聞なの? すごいね」と褒められた〉 〈毎朝、「お父さん、新聞」と言って仏壇まで持っていくことが、いまも日課だ〉  〈その朝日新聞が誤報で非難されている姿を見ると、悲しく、悔しくなる。(中略)「すごいね」と褒められたあの日のようになるまで、父と一緒に朝日新聞を応援し続けたい〉  お涙頂戴、朝日愛に溢れている。  投稿者に罪はない。純粋な方々なのだ。しかし、それを恥ずかしげもなく選んで載せる編集担当者の神経は何だ。まさに「説教エロ」としか言いようがない。 そして、冒頭の「言論弾圧を許さない」の記事に繋がる。社内パルチザンを展開し、読者という便衣兵まで使って戦線を拡大していた勢力が、ついに「言論の自由」を掲げ、まるで被害者のような顔をしながら社を挙げて全面的に反転攻勢に出たのである。  10月2日の社説はその狼煙である。  〈「反日朝日は五十年前にかえれ」。1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に男が押し入り散弾銃を発砲、記者一人が殺害された。犯行声明に使われた「反日」は、当時はあまり耳慣れない言葉だった。 あれから27年。ネットや雑誌には「反日」「売国奴」「国賊」などの言葉が平然と躍っている。社会はますます寛容さを失い、異なる価値観に対して攻撃的になってはいないか〉 朝日は遠くなりにけり まさに『週刊文春』や『週刊新潮』、そして『WiLL』を意識した宣戦布告である。 振り返れば、私と朝日との闘争は1980年代後半、『週刊文春』の新米記者として「天声人語は天皇がお嫌い」という記事を書いたのが最初だった。  だがこの頃の朝日との闘いは、いわば誌面上で繰り広げられるプロレスだった。メディアには右も左も、上も下も斜め横もあって当然。『文春』も朝日も、お互いに本気で憎み合っているのではなく、それぞれを正々堂々批判し合っていこう、判断するのはあくまで読者だ、という姿勢だった。  あれから30年あまり。朝日新聞はあまりに遠くまで行ってしまったものである。 

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    朝日に迫る「葬式新聞」化

    部への抗議の電話も多数あったらしい。だが、慰安婦に関してはそれ以降、付け加えることは一行もない。  朝日新聞の危機はどこから来たのかといえば「販売の危機」で、これには朝日も問答無用で対応せざるを得ない。日教組や組合を“お得意様”として商売していればいい、という時代がとっくに終わっていたことに気づかなかった。  私はかねてより、「日本を変えるのは赤字だ」と言ってきた。役所もそうだが、いくら財政危機を言ったところで、役所は予算を取れるだけ取ろうとするもので「赤字になる」までは観念しないものだ。  私がそれを思いついたのは銀行での経験で、日本長期信用銀行が潰れるまでの間も、私がいくら「このままでは長銀は危ない」と言っても「まさかそんなはずはない」という声が行内の大半だった。内部留保が5兆円もあったからで、いよいよ赤字になってからではもう手遅れだった。  朝日にも赤字の恐怖が近付いてきたので、小出しに謝ったのがあの8月5日、6日の「慰安婦報道検証」記事であり、9月11日の社長会見だったのだろう。だが、朝日新聞が「なぜこのような事態になったのか」を根本から理解せず、小細工での対処を続ける限り、状況は繰り返されるばかりとなる。  部数減の原因を根本から調査し、部数増の方策を探さなければならないが、朝日がやろうとしたことは根本的な解決とはほど遠いものだった。景品をつけての購読勧誘に押し紙と、販売店に責任を押し付けて、新聞社の社員たちは自ら動かずともできる小手先の対策に走ったが、偏った報道による部数減は広告減でもあった。  昔は「健康食品などの広告は載せない。広告も記事のうちで、広告も社会を指導する義務がある」と言っていたが、それが「広告なら何でも掲載」になった。それは読者にはすぐ分かった。新聞1部は40ページだが、そのうちに20ページが広告になった。 紙面の半分が広告   しかし、朝日新聞の広告欄には指導性などどこにもなくなってしまった。  こんなエピソードもある。  昔の朝日新聞は、不動産関係の広告を掲載しなかった。そこで安心したのかどうか、「不動産業にはインチキが多い」という批判記事を続けて掲載すると、不動産協会から「広告を出していませんで、すみませんでした」という申し入れがあった。  その結果、不良業者の摘発は官庁の仕事となって新聞は官庁の尻を叩き、業者からは広告料を取るようになった。  そうして不動産の広告も朝日に載るようになったが、これにより朝日は「広告を出さない会社は容赦なく叩くことができる」という自由を捨てた。いまも朝日新聞は大口の顧客である自動車会社の批判ができない。  いつの間にか、新聞広告は健康食品やお年寄り向けの通信販売で溢れている。これはもちろん朝日だけの現象ではなく、地方紙はもっと悲惨で、死亡記事と葬式や墓の広告で溢れる「葬式新聞化」が起こっている。古い読者にだけサービスしているからこうなるのだが、朝日新聞にも葬式新聞化は迫っている。  朝日新聞の凋落は広告を見るだけでも分かるのだが、経営悪化を広告で取り戻すという路線を変えられないため、いまも紙面の半分が広告になっている。新聞協会が「広告は5割まで」と抑えているからこの程度で済んでいるが、申し合わせがなければいくらでも増えるだろう。  広告偏重から脱することができないでいると、そのうちに報道力がみるみる落ちていく。広告のための紙面刷新はあっても報道のための刷新はなく、いまだに日教組、労組などの左翼勢力を頼りにして、彼らが喜ぶような記事を載せている。だが、これからもその路線を続けていくのは無理がある。 報道ではなく政治ゴロ  以前、朝日新聞幹部にこういったことがある。「新聞は結局、編集長やデスク次第。第一線の記者たちは自分の記事を掲載してもらいたいがために、上の顔色を見ながら上の意見に沿うものを作ろうと、結論ありきの取材をしている。これでは記者の力も部数も伸びないから、時々『一日編集長』を内外から登用して新鮮な紙面を展開するべきだ。 若い記者が取材力を磨き、新しい産業、新しい事業を見つけてくれば、それは未来の広告主にもなり得るのだからやってみなさい」 。幹部は賛成したが、内部の抵抗が強く、実行できなかったそうだ。  また、ある地方紙の幹部に「なぜ地方をよくするための開発や改善の記事を自ら発せず、衰退を黙って甘受しているのか」と言ったが、相手は黙りこくっている。こちらも黙っているとしばらくして、「……しかし、わが新聞は県知事を落選させる力がある」と、冗談でなく本気で言った。これでは政治ゴロそのものだが、全国紙が首相叩きに熱心なのも同じ理由かもしれない。総選挙となれば報道は中立を守るので仕事が楽になり、しかも新聞は売れる。  本来は報道力の回復で社を立て直さなければならないのだが、そのことに気づかず、新商品の開発で何とかなると考えるのも危うい傾向だ。  朝日新聞は以前から「朝日カルチャーセンター」や「朝日文化財団」などを手掛けてきたが、結局はOBなどのための仕事を作ってやる場所で、商売として成立させようという気が全くない。  最近、力を入れているのは「朝日新聞デジタル」というインターネットでの展開だ。中身が良くならないのに形態だけ変えても、部数や業績が伸びるはずがない。「朝日自分史」という「朝日新聞があなたの人生を一冊の本にまとめます」という自費出版事業もそうだ。  記者が実際に取材してまとめ、出版する代金は100万円だというが、実際は録音したテープを安く外注に出し、ある程度でき上がったものを記者が“直してやる”というものだろう。現に、記者が顧客を訪ねるのではなく、「首都圏在住の方もしくは東京本社に来社可能な方のみ」の申し込みに限定するそうだ。これでは事業が伸びる見込みはない。 やる以上は、「当社一流の記者が引き受けるのですから売れるものにします」と言わなければプロではない。単なる取次屋で、「朝日の記者が手掛けてやるんだからいいだろう」というのでは新商品も伸びる見込みがない。 すっかり上から目線 朝日新聞はかつて「ジャーナリスト宣言」を発表し、「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」と大きく掲載した。 「ジャーナル」(journal)の語源は「ヤヌス」(Janus)というローマの神様で、顔が2つあり、1年の始まりに立っていて、過去と未来の両方を見ている。しかし、朝日には過去と未来を見通す力は全くないのではないか。 朝日新聞はすっかり上から目線になり、謙虚さを忘れ、在野精神を忘れた。新聞の起こりは明治時代、失職した旗本たちが薩長政府批判をやり始めたのが最初だったが、いまの朝日からはそのような気概は感じられない。  朝日はいつも上から目線で、自分の不勉強が原因の劣等感を隠すために、メディアの優越感を丸出しにして「読者に教えてやろう」「誘導してやろう」とするが、これは報道ではない。  朝日が本当に報道や解説で尊敬されるという本来の道に進みたいのであれば、なるべく大きなものを根本から批判し、さらに新しいイベントを興して価値を発信することだろう。  たとえば、朝日は「権力批判がメディアの使命」などと言って政権批判はするが、情報がもらえなくなることを恐れて外務省批判、財務省批判はほとんどしない。国連やサミットやオリンピックのような巨大な欺瞞に対しても全く批判しない。  国連については言うまでもないが、サミットは「ややこしい国内問題から逃避したい各国首脳の集団サボタージュ」だし、オリンピックはもともとギリシャ神話の全知全能の神・ゼウスに誓う競技会だから、日本に「オリンピック精神」はまるで関係がない。  教育のエンタメ化はすでに始まっているのに、「旧来のお得意さん」である日教組に遠慮して、朝日はこれらの変化を取り上げることができない。子供に責任を転嫁して学力低下と書くが、新時代の新学力を論じる力がない。  政治のイベント化もそうだ。記者は政党に依存し、大物政治家にぶら下がって仕事をしているから、この変化に気づかない。与党はこうあるべき、野党はこうせよという解説すら書けず、ただ「誰が誰と会った」「人事はどうだ」と日々の目先のニュースを追いかけるだけで、大局的な変化や目指す道筋を報じることができない。 朝日は緩やかに消滅 このような状況がありながら社内改革ができないのは、出世目当てのごますり社員ばかりが社内で大きな顔をして、まともな社員は来ないし、来ても逃げてしまうからだ。  いまや新聞は“情報のブローカー”でしかなく、ただ公表される情報を新聞に書くだけ。新聞が自らを「媒体」と呼ぶのも、「単に情報を右から左へ流すだけ」だからであり、これでは「自ら発信する」社風は育たない。  今後はブローカーではなくクリエーターとなり、誰もが気づかないような情報、新しい兆候を誰よりも早くキャッチし、価値を作り出し、指導性を発揮して報じなければ、存在意義がなくなる。  地方の人に聞くと、新聞社の人は高給取りだから危機感がないんですよ、と教えてくれる。身近な存在だから正体がよく見えるらしい。特に社会部は世の中を上下両方からくまなく眺める力がなければならないが、そこを直す気はないので、すでに毎日新聞社がそうなっているが、新聞で儲けられなくなると土地や自社ビル管理の不動産業になり下がる。  こんなことでは当然、資本そのものにも揺らぎが出てくる。朝日新聞社の大株主だった村山美知子氏が朝日新聞社の株をテレビ朝日に売却したのは08年、朝日新聞社社員持株会への譲渡は09年だった。  朝日新聞社持株会は「これでうるさい株主がいなくなる」と大喜びで高く買い取ったが、「権力を取り上げたい」というだけで喜んだのは甘かった。朝日はアメリカから吹いてきていた「株主資本主義」の風を感じていなかったのだろう。この風のなかでは株主が最も偉い。従業員を奴隷にしてでも株価を下げるなというのが風潮で、結局、朝日はテレビ朝日などの新株主が乗り込んで来て威張るという風潮に見舞われただけだった。  ロマノフ王朝崩壊時、真っ先に逃げ出したのは王様の側近だったのだが、甘い汁を吸っていた人間ほど、機を見るに敏でもあるということだ。 「驕る平家」と朝日新聞 こういう事態に至っては、朝日新聞は資産の切り売りをしながら緩やかに消滅に向かうしかない。これは私が朝日を嫌って言っているのではなく、こういう経路を辿った会社をいくつも知っているからだ(たとえば長銀)。  切り売りの過程で社の精神はすり減っていく。やがて記者も逃げ出す。朝日新聞が2010年に実施した早期退職制度は、破格の条件だったとはいえ、予想以上に多くの人が飛びついた。残っている人も「自分が退職金をもらって辞めるまで会社が持てばいい」と考えているのだろう。  巨大・強大な組織の没落の前兆として必ず起こることだが、中心部の人のほうが売りぬけをする、いわばインサイダー取引である。  朝日新聞は『平家物語』のストーリーを辿っている。朝日の記者たちは「そんなものはよく知っている」というかもしれないが、しっかり味わって、わが事として読み直すことをお勧めしたい。 『週刊新潮』はそれが分かっていて、朝日特集のタイトルに「おごる朝日は久しからず」とつけた。新聞社の黄金期は40年続いた。が、ここ十年ほどは、まさに朝日新聞が時々刻々と平家になりつつあった。そのことに気づいていた人もいるはずだが、朝日新聞はそのことに気づいていなかったのである。  朝日は9月11日、社長が記者会見を開き、福島原発の吉田調書に関する報道について謝罪、慰安婦報道についても一部お詫びを述べた。だが、いま謝ったところで、朝日離れは収まらないだろう。ここまで述べたとおり、来るべきものが来ただけで、謝罪によって朝日が良くなるというものではない。  反省し、謝罪したからと言って、朝日はこのままではもはや新しい記事は書けないだろう。自分で取材し、自分で考えて記事を書くことができず、特ダネ捜しよりも「特オチ」を怖れているようではお客がいなくなる。朝日の新入社員に東大卒がいなくなったという話題もあったが、学歴云々ではなく、「どんな就職先にでも行ける人材が朝日を選ばなくなった」ことを重く受け止めるべきだろう。 朝日新聞の今年の内定者の会で、内定者の大学生から、慰安婦報道について「検証記事などで慰安婦問題が話題になっていますが、それについてどうお考えですか?」との質問が飛んだところ、その場は凍りついたという。その場で役員は「正しいことをやっている」と言ったらしいが、このような認識では先はない。 また、学生のほうもこれから記者になる人間ならば、「私ならこうします」という答えを用意していないようでは情けない。  朝日に内定が決まっている新入社員はいまさらやめられないだろうが、朝日の上層部は後輩の道を狭めることだけは絶対にやってはならない。朝日の人々には、上からの勤務評定を気にするのではなく、下から感謝されることのほうが大事だということを肝に銘じてもらいたい。  世間の声に耳を傾け、報道の使命を自覚しない限り、朝日新聞の再興はない。

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    井沢元彦より 言葉の凶器を弄ぶ「朝日人」たちへ

    作家 井沢元彦(いざわ・もとひこ) 私と朝日新聞とのかかわりを聞かれた時に、私は「卑怯な手段で朝日に殺されそうになりました」と答えます。もちろん相手は冗談か誇張して言っていると思うようですが、必ずしもそうではありません。確かに肉体的に殺されかけたわけでは無いのですが、言論人としてはまさに抹殺されそうになりました。 あれは1995年2月のことですから、もう20年近く前のことになりますが、当初はミステリー作家として文壇デビューした私は、当時は雑誌でマスコミ評論を中心に活動していました。もともとは報道機関(TBS)出身でしたから、朝日新聞の報道姿勢に極めて違和感を持ち「虚報の構造、オオカミ少年の系譜」という「SAPIO」誌(小学館発行)の連載でしばしば朝日の記事を取り上げその偏向ぶりを批判していました。 ところが、ある日、小学館社長および「SAPIO」編集人宛に「一犬虚に吠える…「オオカミ少年」の空想的朝日論に反ばくする」というタイトルのついた朝日新聞からの抗議文が届きました。朝日新聞読者広報室長山本博昭、同外報部長中川謙(当時)連名の文書です。それは私の文章を極めて事実とは異なる「悪質なことばの凶器」と決めつけたうえで、「厳重に抗議するとともに責任ある釈明と最近刊の同誌での明快なおわび訂正を求めます(「」内は原文のまま)」というもので、ここが肝心ですが私に対する直接の抗議は一切ありませんでした。 マスコミ人なら、いや一般常識を持つ社会人なら、この行為がどれほど悪質でルールに外れた行為であることがわかるでしょう。私の意見に反対なら「SAPIO」誌に反論を寄せるとか、あるいは朝日新聞社発行の雑誌の中で反論するという、まともな言論人なら誰でも知っているルールで対抗すればいいのです。 ところが朝日新聞社が要求して来た事は「この記事は間違っているから撤回しろ、井沢はおろせ」ということです。暴力団や総会屋のやり口ではありませんか、これが言論機関のやることでしょうか? 当時の遠藤邦正SAPIO編集長や小学館の相賀昌宏社長(現任)が、朝日の悪辣な圧力に対して断固私を擁護してくれる姿勢を示してくれなければ、私は今頃言論人として生きていなかったかもしれません。 朝日にとっては残念ながら狙い通りにはならなかったわけです。ちなみに、私はこの件について朝日新聞記者や社員の人々から謝ってもらったことがただの1度もありません。つまりOBも含めれば何万人もいる朝日社員たちは、今でもこの行為を悪いことだとは思っていないのでしょう。32年ぶりに記事を訂正する度量があるなら、この件に関しても改めて謝罪してくれてもいいと思うのですが、無理かもしれません。朝日はOBの力が大変強いところで、まるで天下り官僚のような影響力を持っています。たとえばこの山本博昭読者広報室長はその後は熊本朝日放送の会長に、また中川謙外報部長は論説委員に御出世なさったようです。民放といえば報道機関も兼ねているはず。さて山本会長は在任時には「言論の自由は是非とも守らなければならない」などと部下に説教していたのでしょうか? そうだとしたらまさに噴飯ものですが。歴代社長はなぜ批判されない そうそうOBで思い出しました。現在の朝日批判に対して多くのマスコミが失念しているとしか思えないことがあります。「吉田証言」を虚偽だと知りながら、検証も訂正もせず放置していた朝日新聞歴代社長たちをどうして批判しないのかということです。 現任の木村伊量社長の姿勢にも多くの問題点がありますが、すくなくとも一点評価しなければならないのはこの問題に手をつけたことです。そして着手したという点で木村社長は、歴代のOB社長よりも遥かにマシ(といっても泥棒が殺人犯よりは人を殺さない点でマシというレベルの話ですが)な人物です。この間の歴代社長は一柳東一郎、中江利忠、松下宗之、箱島信一、秋山耿太郎といった方々です。中には故人となった方もおられるようですが、今どうされているのでしょうか? どこかの民放などに天下りして、部下の記者に「誤報は決して出してはいけないぞ」などと説教していなければいいのですが。それとも朝日新聞の「社風」通り「愚かな大衆を正しい方向に導くためには虚偽の情報を出すことも許される。もちろんそれは正しいことなのだから、嘘がばれても謝罪する必要は一切無い」などと教えているのでしょうか。 朝日が糾弾してやまない戦前の体制、特にそれを取り仕切っていた軍部の、情報に関する最大の罪といえば「大本営発表」でしょう。実際にはボロボロに負けているにもかかわらず「勝った、勝った」と嘘を言って、国民をだました。彼等の心理を分析すれば「今国民が心を合わせて苦しい戦いを戦っているのに、負けたと言えば士気にかかわる。だから本当のことは発表しない。これは正義だ」という感覚でしょう。平たく言えば「国民を正しい方向に導くためには嘘の情報を出しても許される」ということです。こういうことをする連中にあるのは相手に対する心の底からの侮蔑です。人間でも組織でも、相手が対等の知性を持つ人間であると考えるならば、正確な情報を提供することに専念します。相手はそれで的確な判断をするはずで、嘘の情報を出して「導く」必要などまったく無いからです。実は読者をバカにしている朝日新聞 私は朝日新聞の愛読者と言われる方々が、なぜそうまでして朝日を支持するのか、まったく理解できません。今回の「吉田証言」問題で露呈されたように、朝日は結局戦前の軍部と同じです。読者を心の底から侮蔑しているからこそ、こういうことができるわけでしょう? どうしてインテリ層が多いと言われる朝日の読者にこれがわからないのか。私ならすぐに「バカにするな」の一言と共に購読を止めているでしょう。そこまでバカにされているのに、そのことに気がつかないということが不思議で仕方がありません。それとも気づきたくないのかな。そこは自分に不都合な現実を見ないという点で朝日新聞との共通性があるのかもしれません。 朝日新聞社は組織として強大な力を持っています。報道機関としての顔がすべてではありません。ですから私はこのように、朝日新聞に「犬」呼ばわりされても朝日新聞社がやる事業が、社会的意義をもつと考えた場合には協力してきました。たとえば考古学シンポジウムへのパネリストとしての参加です。世話になった先生方への義理もありました。ところがこういう協力が「朝日人」から見ると「朝日にしっぽを振った」ようにみえるらしい。実際にそういうことを口にした「朝日人」を目撃したこともあります。酒席での発言ですので実名は書きませんが、本当に「朝日人」の品位の低さには呆れました。 戦前の軍部それも日本を破滅に導いた参謀本部のエリート軍人の特徴といえば、自分が最も優秀で絶対に間違いは犯さないという鼻持ちならないエリート意識と、それから生まれる無責任さでしょう。自分は優秀だから失敗するとは思わず、作戦がうまくいかないと「現場の責任」だと担当者を自決させる。ノモンハン事件など典型的な例ですね。 ここに私が日本マスコミ史上最低最悪と評した記事があります。中年以上の読者はご記憶があると思いますが、かつて朝日を中心としたマスコミが「教科書誤報事件」というのをやらかしました。文部省(当時)が日本史の教科書の記述を、検定で「中国への侵略」から「進出」と改めさせたという誤報が流れたものです。 これは朝日だけの誤報ではありませんでしたが、問題はなぜ誤報を出してしまったかを説明した「読者と朝日新聞」という中川昇三東京本社社会部長署名入りの記事です。その中で編集幹部でもある中川部長は次のように書いています。 「今回問題となった個所については、当該教科書の「原稿本」が入手出来なかったこと、関係者への確認取材の際に、相手が「侵略→進出」への書き換えがあったと証言したことから、表の一部に間違いを生じてしまいました」1982年9月12日付 おわかりでしょうか? 「表の一部」などという言い方をして、いかにも小さなミスであるようにみせかけているのも問題ですが、最大の問題は現場の記者が、「記者にとって最も基本であるウラも取らず(事実の確認もせずに)、証言者の嘘にダマされた」それが誤報の原因だと言い切っているところです。朝日の社会部記者というのはそんなに間抜けぞろいなのでしょうか? もしこれが本当なら朝日新聞の記者教育がなっていないということになるし、嘘ならば編集幹部は現場に責任を押し付けて逃げたということになります。どちらにしてもマスコミとして許されることではないでしょう。 そして最大の問題はこんな言い訳をして恬として恥じない姿勢にあります。最近の一連の不祥事を見ても、朝日新聞の根本姿勢はこの頃とまるで変わっていません。彼等が批判してやまない戦前の軍部とまるで同じです。そんな朝日新聞に報道機関としての存在意義は到底あるとは思えません。 それが「犬」としての私の意見です。井沢元彦氏 愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。大学卒業後、TBSの報道記者として入社。報道局記者時代に『猿丸幻視行』で江戸川乱歩賞を受賞。作家活動に専念する。『逆説の日本史』など独特の歴史推理が好評。小林よしのり氏との共著『朝日新聞の正義 逆説の(新)ゴーマニズム宣言』(小学館)など著書多数。

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    木村社長、これで朝日は変わりますか

    朝日新聞の木村伊量社長が14日、引責辞任を発表した。「ジャーナリズムの本質的な役割である調査報道で、誤報や記事取り消しを招いたことは痛恨の極み」。辞任理由は文書で公表されたが、残された課題は多い。トップの交代で朝日は生まれ変われるのか。

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    百田尚樹もさじを投げた! それでもまだ報道機関を名乗るのか

    作家 百田尚樹(ひゃくた・なおき) これで朝日新聞は、報道機関として完全に終わった。9月11日に木村伊量社長ら3人の役員が行った記者会見をインターネットで見ながら、私は確信した。慰安婦報道についてようやく謝罪したからではない。謝罪しなかったからである。朝日新聞には大新聞社としての驕りはあっても、報道機関としての矜恃はかけらもない、そうはっきりした。 あの会見について、多くの新聞やテレビが「謝罪」「謝罪」と書きたてて、慰安婦報道でも朝日新聞が詫びたかのように報じた。確かに木村社長は「謝罪」という言葉は使ったが、発言をよくよく見れば、謝罪したのは表面的なごく一部の行為だけで、本質的には何も詫びていないことが分かる。 「(8月5日付朝刊の記事で)吉田清治氏の証言に基づく記事について、証言は虚偽と判断して取り消しました」「ただ、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、ご批判をいただきました。裏付け取材が不十分だった点は反省しますとしましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきだったと痛感しております。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて、読者の皆様におわび申し上げます」 ここで謝っているのは、朝鮮半島の済州島で慰安婦狩りを行ったという虚言を弄した吉田についての32年前からの「誤った報道」と、その記事の取り消しが遅れたことだけなのである。捏造報道を続けてきたこと、海外に「日本が朝鮮半島の女性を性奴隷にした」という誤った印象を広めたこと、これら問題の核心については何一つ、謝っていないのだ。 むしろ、捏造については、否定したのも同然だった。「事実のねじ曲げではないか」と追及されても認めず、自分たちの説明を強調した。謝罪もなく、批判を浴びた8月5日の検証記事と「強制性」を訴えてきた報道については、木村社長がこう自画自賛した。 「検証の内容については自信を持っているし、慰安婦問題をこれからも、こうした過去の問題はあったにせよ、きちんとした反省の上に、われわれは大事な問題、アジアとの和解の問題、戦地の中での女性の人権、尊厳の問題として、これからも明確に従来の主張を続けていくことは、いささかも変わりません」 美辞麗句で飾っているが、つまり慰安婦報道の根幹は何も変えないし、詫びる気はまったくないと宣言したわけだ。これだけ日本中から批判され、池上彰氏の連載コラム掲載見合わせなどでは傲慢な姿勢が総スカンを食らったというのに、何ら反省をしていないのである。読者はバカではない。こんな誤魔化しの謝罪はすぐに見破る。そのとき、朝日は残る読者からも完全に見放されるだろう。朝日新聞は、自分で自分の首を絞めているようなものなのである。 私が朝日新聞の報道を意図的な捏造だと断定し、報道機関として終わったと言い切るのは、単に32年前に虚偽の吉田証言を記事として取り上げたからではない。それだけなら、まだ意図せぬ誤報という言い訳も通用するかもしれない。問題は1992年に吉田証言は産経新聞と本誌で秦郁彦氏による調査結果をもとに虚偽の可能性を指摘され、週刊誌などの報道で次々と疑問点が浮上した後も、この記事を取り消さず放置し続けたことだ。 97年の自社記事でも、取材で裏付けが得られなかったことを認めている。明らかに誤りだと分かっているはずだ。しかし、それなのに、約20年も放置し続けたのである。結局32年間で16回も吉田証言を取り上げているというのだから、そこにどうして意図がないといえるだろうか。木村社長らの会見では、訂正しなかった理由について何の説明もなかったが、それは、しなかったのではなく、できなかったのである。 そういう自らのやましさは棚に上げて、8月5日朝刊の検証記事では、産経新聞、読売新聞、毎日新聞も誤報したと責任転嫁までしていた。朝日新聞とは記事の扱いの大きさが全然違うし、産経などは虚偽証言と気づいたら、その訂正を図っている。しかし、朝日はそれを20年以上もしてこなかったのだ。「自分たちだけではない」と言い張るというのは、子供でもしない言い訳である。日本人の名誉と信用を傷つけ もちろん朝日新聞が自滅しようが、私の知ったことではない。しかし、朝日新聞が、国際社会において、日本の国家と国民の名誉と信用を傷つけたこと、そしてそれを謝罪しようとしないことだけは、決して許せない。 朝日はすぐに日韓関係、日中関係の悪化を問題視するが、その種をまいたのは、自分たちなのである。それなのに、木村社長たちは、その罪を問われても、はぐらかすだけだった。 「海外でどのように報じられているか、一部だが承知している。これが実際どのようなことだったのか、今までの報道すべて掌握しているわけではないので、このあたりもきちっとしながら報告したい」(木村社長) 「朝日新聞の慰安婦報道がどのようにそういった問題(国際関係など)に影響を与えたかは、朝日新聞自身がどう総括していくかなかなか難しい。新しい第三者委員会に具体的検討を委ねたい」(杉浦信之編集担当取締役=当時) いま、自分たち会社のトップには分からないから、そのうちに検証してもらいます─そういって逃げているのだ。こういうのをまさに「姑息」という。 8月28日付の朝刊では、慰安婦問題で国際社会に向かって「強制性」を認め、謝罪と反省を表明した河野談話は吉田証言に依拠していないと主張するなど、朝日は吉田証言を世界に広めた自らの罪を過小評価させようと必死のようだ。しかし、そんなことが理解されるわけがない。 いまでも韓国政府は吉田証言を「日本軍による強制連行」の証拠として採用しているし、1992年には、アメリカのニューヨーク・タイムズに「吉田は2000人の朝鮮人女性狩りを行った」という驚くべき記事が載った。1996年には国連の「女性への暴力特別報告」(クマラスワミ報告)にも、「強制連行の証拠」として吉田証言が採用されているのだ。 河野談話作成段階で、ときの政府関係者は吉田証言がインチキであることに気づいていたから、その直接的論拠にすることは避けられた。しかし、そもそも、なぜ日本政府が、河野談話を出さなければならなくなったのか。それは、吉田証言の虚偽記事が一般的には事実として拡がり、韓国に日本に対する攻撃の材料を与えることになったからなのだ。 その証拠に、朝日の吉田証言の記事以前、戦後40年近く日韓関係には、慰安婦問題などなかった。勝手に「李承晩ライン」を引き、多くの日本人の漁民を拘束して少なくとも44人もの死傷者を出したうえ、竹島を奪った韓国大統領・李承晩ですら、その後、クーデターで政権を握った朴正煕(朴槿恵現大統領の父親)ですら、「従軍慰安婦」には言及していないし、日本政府に謝罪を求めたこともなかった。つまり、外交問題にしたのは、韓国人ではなく、日本の朝日なのである。朝日の名誉と信用は守る 日韓関係だけではない。日本人は罪もない朝鮮半島の女性たちを強制連行し、性奴隷にしたという驚くべき誤解が、世界中に広まった。それで、どれだけ日本人が差別的な目で見られているか。私たちの子供や孫、子孫までもが傷つけられるのである。その原因を作った朝日新聞は一刻も早く世界に向け訂正記事と謝罪記事を発表しなければならないはずだ。にもかかわらず、慰安婦問題の「強制性」を訴え続けるというのだから、私はどうしても許せない。 9月の会見でも、強制連行は、杉浦氏が「そういった事実はないと取り消した。しかし、いわゆる慰安婦が、自らの意思に反して兵士の相手をさせられるという事態に、広い意味での強制性はあった」と、相変わらずの詭弁で自己正当化していた。一方で、自社の検証記事などを「捏造」「売国」と批判した週刊文春や週刊新潮の広告掲載を拒否したり、黒塗りにしたりし、「朝日新聞の名誉と信用が傷つけられた」と、抗議文で謝罪を求めていたというのである。 私は木村社長や杉浦氏に聞きたかった。 一体、日本人の名誉と信用を、どう考えているのか。 インターネットの世界では、他人を批判した言葉がそのまま自分に返ってくることを「ブーメラン」と呼ぶが、私がこれまでに見た中で、これほど巨大なブーメランはなかった。木村会長らの会見では、原発事故対応をめぐる批判記事への抗議は取り下げると明言していたが、慰安婦検証批判への抗議も当然、取り下げるべきだ。朝日新聞がすべきは、マスコミへの抗議などではない。日本という国家と日本人への謝罪である。池上コラム問題の本質 ここのところ朝日新聞の混乱ぶりは際立っていて、組織のコントロールを失いつつある。9月初めには、自社を批判した池上彰氏の連載コラムの掲載を見合わせながら、批判を受けて掲載に転じるという騒動があったが、そのとき、はっきりそれが分かった。 池上氏のコラムは、誤報の訂正が遅きに失したことを指摘し、謝罪がないと批判したもので、朝日新聞は、上層部の意向で、掲載を見合わせる方針を池上氏に伝えた。朝日にとっては触れられたくない傷だっただろうが、マスコミ各社から批判を受けている状況の中で、掲載を見合わせれば、さらに猛烈な批判を受けるのは火を見るよりも明らかだった。子供でも分かることを、社の上層部が分からなかったというのは、本当に上層部が状況判断能力、危機管理能力を完全に失っていたとしか言わざるを得ない。これは悲惨である。 私が思うに、朝日の上層部は相当、混乱しているのだろう。軍隊に例えれば、司令官が混乱して作戦が完全に機能しなくなった状態だ。「こうしろ」と命令した直後に、正反対の司令を出すのだから、組織としての体をなしていない。 しかも、コラム掲載時には、お詫びコメントまで付けてしまった。慰安婦報道の検証では、記事を取り消しても謝罪しなかったのに、池上氏にはお詫びするというのだから、これにはもう呆れ果てたとしかいいようがない。 一体、掲載の方針をころころと変えた上層部とは誰なのか。会見では杉浦氏が「池上さんのコラムの一時的な見合わせを判断したのは私です。結果として間違っていたと考えています。社内での議論、多くの社員からの批判を含めて、最終的に掲載するという判断をしました」と説明していたが、本当だろうか。何度も口ごもりながらの発言は、とても正直に話しているようには見えなかった。 一体、朝日新聞の社員は、どういう心持ちで会社の問題を見ているのかと考える。自分たちがこういう会社をつくりあげたことを反省しているのだろうか。ネットのツイッターで、多くの朝日新聞の社員がツイートしているのを眺めると、自分の会社に酔っているのではないかと思える。 沢村亙氏という朝日新聞の編集長がいる。編集長というのは、毎日の新聞紙面全体の責任者だそうで、朝日新聞東京本社には3人しかいないという。つまり重要幹部だ。その人物が、池上氏のコラム掲載決定を受け、9月3日にツイートした内容はこうだ。 「多様な意見を載せる。その原則を守れと同僚たちが声をあげる。社が受け入れる。結果的にそうできたことに誇りを感じる」 あたかも社内の声が、自主的に社の方針を変えた美談のように書いている。確かに内部からの声もあったのだろうが、一番大きかったのは外部からの批判であったはずだ。悪いことをして怒られてそれをやめるのは、当然のことであり、謝罪、反省すべきことなのに、逆に誇りを感じているのだという。品のない例えだが、万引きしようとして店の商品を手に取ったものの、大勢の人に非難されてそれを商品棚に返した万引き犯が、その行為を誇っているようなものだ。しかも、「さすが我が社や」という調子のツイートは、この沢村氏だけではないのだから驚く。沢村氏は、こうもツイートしている。 「うちの会社も官僚的な体質があるが、主筆とか社長とかトップの鶴のひと声で軍隊のように一糸乱れず動くこともできない。だからこそ情報が漏れ、現場が声を上げる」 いかにも記者たちが自由に発言しているように、会社に自由な気風があるように書いている。しかし、もしその通り自由な気風の会社であるならば、日本を貶める虚偽記事を32年間放置したことをおかしいと思っていた記者が朝日新聞には一人もいなかったということになる。多くの日本人が「これはおかしい」と言っているのに、朝日新聞の記者だけは誰一人、声を上げる必然性を感じなかったということになる。自分たちが愚かであったことを堂々と認めていることになるのだ。編集長でありながら、頭が混乱しているのか、そのことに気づいていないのには、もう笑うしかない。南京、靖国も同じ歪曲体質 いうまでもなく新聞社のもっとも大切な使命は事実を報道することのはずだが、朝日新聞は目的のためには、事実をねじ曲げるという体質があるのだと私は思う。慰安婦の問題でも、戦前の日本をとにかく否定したいと考え、慰安婦制度があったということを、なんとしても徹底批判したいという目的があった。そのためによりインパクトのある材料を探したのだが、なかったために、吉田証言という虚偽の材料を持ち出したのではないだろうか。 そんな体質を象徴するのが、1989年のK・Yサンゴ事件だ。沖縄の西表島にあるサンゴに、朝日のカメラマンが「K・Y」と傷を付けて、自ら撮った写真が、「サンゴを汚したK・Yってだれだ」という大きな見出しとともに掲載された自作自演事件だ。 まず、沖縄の美しい自然を守りたいという目的がある。それを守らない奴を「ダメだよ」と批判したいが、ちょうどいい批判の対象がいない。そこで、自らサンゴに傷を付けて、自然破壊を捏造する。日本人を貶めておこうと、「80年代の日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の…」と記事に載せ、こんな悪い奴がいるからダメなんだと訴えたのだが、本当は、そんな自然破壊は存在しなかったのである。 いま中国が大きな問題としている閣僚の靖国神社参拝も、南京事件も、実は同じ構造だといえる。 南京事件も1970年までは日中間で問題になっていなかったが、71年に当時の本多勝一記者が中国を訪れ、中国側の出してきたウソ証言やデータを基に、南京で大虐殺が行われたというレポートを約40回にわたって執筆した。朝日は「南京大虐殺」という史実があったかのようにキャンペーンを展開し、それに中国が反応して国際問題に発展した。しかし、中国側の示した犠牲者数30万人に対し、当時の南京の人口は20万人。明らかにおかしいのだ。 靖国参拝についても同じだ。戦後40年間、歴代首相は計58回も靖国を参拝していたが、中国政府は一度も抗議しなかった。 しかし、85年に朝日新聞が大々的に参拝を批判、中国に対して〝ご注進〟に及び、それを受けて中国が抗議した。相乗りするように、韓国も抗議に加わった。 南京、靖国そして慰安婦問題。すべて1970年代以降に朝日新聞がつくりだした問題である。朝日は慰安婦問題に続き、南京大虐殺報道についても、自社報道の検証に取りかかるべきなのだ。朝日新聞VS百田尚樹 私は、これまでさまざまな朝日新聞の捏造報道と闘ってきた。 昨年暮れ、安倍晋三首相が靖国参拝をした直後には、朝日新聞デジタルに「百田尚樹さんが安倍首相と今年会った際、靖国神社に参拝するよう進言したと打ち明ける」と捏造記事を書かれた。 朝日新聞の記者に取材を受けた際に「百田さんが安倍総理に進言したんですね」と訊かれた。私は「進言はしていない。私はあくまで『靖国に行っていただきたい』という個人的な希望を申し上げたのであって、絶対に進言はしていない。進言とは書かないで下さい」と答え、記者も「分かりました」と言ったのに、記事には「進言」。進言とは、首相に対して影響力のある人物がする行為だ。然るべき立場の人物が「総理、このようになさるべきです」と言うものだが、私は個人的な希望として「行っていただきたい」と伝えただけ。まったく違うはずだが、朝日新聞は、それを知りながら、私が安倍総理に行かせたというストーリーのために、事実をねじ曲げたのではないだろうか。 私が今年1月にNHK経営委員として経営委員会で竹島、尖閣、靖国などについて「歴史的経緯を国民にしっかり知らせる番組があってもいいのではないか」などと発言したときには、個人攻撃のような報道があった。私の発言の意図をねじ曲げ、「『個別』の番組への干渉は禁じられている」と、あたかも個別番組の干渉をしたかのようにとれる書き方をした。 最近では7月25日にも、被害にあった。「ニュースウオッチ9」の大越健介キャスターが番組内で、「在日コリアン1世は1910年の日韓併合で強制的に連れてこられたり、職を求めて移り住んできた人たち」という趣旨の発言をしていたので、経営委員会で「そういう歴史的事実はない。強制連行はしていない。にも関わらず、そういう発言をしたのは、NHKとして検証したからなのか。NHKの歴史についての見解はどうなのか」と質問したときも、3日後の朝日新聞朝刊に「放送法抵触の恐れ」と書かれた。 放送法は個別番組への干渉を禁じており、放送前の番組編集に口を出したり圧力をかけたりすれば法律違反だ。しかし、放送した番組について意見を述べるのは放送法に違反しないはずだ。私が「おかしいのではないか」と朝日の記者に伝えると、朝日はそのコメントを載せて「放送後の番組でも、その後の番組内容に影響が出れば、放送法に抵触したと判断される可能性もある」と訴えた。牽強付会も甚だしいが、百田尚樹を「敵」と認定し、批判する目的なら事実のねじ曲げも辞さないのだ。 私は思う。朝日新聞にとって、目的の前には事実はどうでもいいのであろう。しかし、朝日新聞がこの体質を改める気がまったくないのなら、もはや報道機関とはいえないのではないか。百田尚樹氏 昭和31(1956)年、大阪市生まれ。同志社大学法学部中退。放送作家となり、人気番組『探偵ナイトスクープ』のチーフ構成作家に。平成18年には『永遠の0(ゼロ)』(太田出版、現在は講談社文庫に所収)で小説家デビュー。『海賊とよばれた男』(上・下、講談社)で、2013年本屋大賞を受賞。最新作に『フォルトゥナの瞳』(新潮社)

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    朝日再生のカギは「リアリズム」

    来の伝統だろうか。彼が主張していたのはコスモポリタニズムであるが、この思想こそが愛国心を否定し続ける朝日新聞の編集方針になっているのである。 次に日経について言えば、まさに「経済」の専門紙を自負しているらしい。しかし私はそのようには評価しない。この新聞は、たんなる経済界の情報紙に過ぎない。その時々の経済トピックスを取り上げて、尤もらしく解説したり、アジッたりするだけのことだ。どこに、経済問題に関する見識があるというのだろうか。事例はいくつもあるが、ここではそのうちの一つを挙げてみよう。バブル崩壊後の90年代前半以降、この新聞は日本のGDP成長率が一向に好転しない状況を批判して、“失われた十年”、さらには“失われた二十年”と称して、経済政策や経済活動の不甲斐なさを揶揄してきた。その一方でアメリカの好調ぶりを囃し続けた。しかしリーマンショックによって、アメリカ経済の好調が偽りであることが明らかになると、それ以後は手の平を返すように、「失われた〇〇年」という言葉を紙面から消し去った。途上国に比べて経済成長率が低いのは、先進国すべてに共通していることであって日本固有の問題ではない。いやしくも経済専門紙であるならば、この点にこそ焦点を当てて論評するべきであろう。 読売についていえば、いかにも大衆紙らしく政治欄や経済欄は平凡で、最も精彩を放っているのは「文化・スポーツ」欄であろう。何しろそのために球団一つを所有するほど熱を入れている。いわば自作自演の記事づくりにもなっている。ここまで徹底すると、他紙のように、社会の木鐸という気取りがないので、むしろ親近感さえ持ち得るのである。ただし、かの読売球団の清武代表と、渡辺会長の争いはお粗末だった。渡辺氏は政界にも影響力を及ぼすボスである。しかし実像は時代のリーダーを装いながら、旧態依然たるものがある。彼等マスコミが揶揄して止まない産業界の、トップマネジメントの保守性の、さらにその上をいく旧弊ぶりである。このワンマンにひれ伏すサラリーマン集団に過ぎない読売新聞も、結局は似非ジャーナリストの巣窟というべきか。 毎日新聞については、取り上げる価値もあるまい。この十年来、やらかしてきた数々の誤報や歪曲記事などを、一々取り上げる必要もあるまい。要するに、この新聞の命脈は、すでに尽きているのである。 産経新聞は発行部数から言って5位、つまり大手新聞の番外にすぎない。しかし堕落した大新聞と比べて、もっとも注目に値するのではないだろうか。今後における新聞の、生き残りの方向を示唆しているように思われる。 産経の個性を最もよく表しているのは「政治欄」である。この新聞が報じる政治記事の特徴を一言でいうならば、徹底したリアリズムである。偏った思想や、現実無視の理想論にとらわれることなく、透徹した現実感覚で事件を観察し記事にしている。このスタンスは、複雑極まりない政治を対象にする場合、大へんな威力を発揮する。たとえば朝日新聞は嘗て中国の文化大革命報道において、路上には蠅が一匹もいないといった類いの、拭うことのできない虚偽報道を何年も続けた。これほど極端でなくても、当時は読売、毎日、日経などの他紙にも、似たような記事が多かった。しかし産経には、そのような熱にうなされた記事は一つもなかった。その冷静さの所以は、巷間で批判される右傾思想ではなく、リアリズムに徹した編集方針にあると思われる。 朝日新聞を筆頭にした日本のジャーナリズムビジネスは、今こそ虚飾をかなぐり捨ててリアリズムに徹した記事を書いて貰いたい。とくに朝日の再生が成るかどうかは、この観点に立つ評価に耐えうるかどうかであろう。

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    朝日はなぜ嫌われるのか 傲慢トップと社内文書

    話をしてから中條さんは、 「たかがアサヒビール風情でもそうなのだから川村さん、難しい入社試験をなさる朝日新聞社では、なおさらそうだと思って、申し上げる」 と言われ、座り直すとこう言われた。 「そこそこの人間がいて、そこそこの物を作っているのに売れないのは、どこかでお客様を見下ろしているのではありませんか」 実は、閣下の陸軍士官学校の同期生に、朝日新聞で販売一筋を歩き、専務取締役になった前沢健則さんがいた。前沢さんは職業軍人の家に生まれ、陸軍幼年学校から陸軍士官学校に進み、敗戦後、一橋大学で学び直し朝日新聞社に入った。 中條閣下は前沢さんと親しかったから、私などよりはるかに、朝日新聞社の内情に通じていたわけである。そうとは知らず閣下を訪ねた私はうかつと言えばうかつ、しかし幸運と言えないこともなかった。とにもかくにも「お客様を見下ろしていませんか」という言葉は胸に刺さった。 「お客様を見下ろす」とは、とりも直さず「傲慢」ということである。思いあたることが多々あったからである。社長はいつも途中退席 私が社会部から『週刊朝日』に異動になったのは1975年だが、そのころ社会部には読者からの紙面についての苦情や批判の電話に、 「あなたのような人には、読んでもらわなくていいッ」 と言って電話を切る記者がいた。 新聞が購読料と広告収入によって成り立っていることを知っていれば、口が裂けても言ってはならないことである。しかし「天下の朝日」「大朝日」と言われることに慣れてくると、「読者に読んでもらっている」という意識が薄れ、「読ませてやっている」と思うようになるのかもしれない。 これは編集長になって何か月かして聞いたことだが、大阪の料亭で司馬遼太郎さんと会った朝日のN社長が司馬さんに、『週刊朝日』に「街道をゆく」を書かせてやっていると、とられかねない発言をし、女将は肝を冷やしたそうである。 週刊誌は毎週毎週どれだけ売れたか、わかる仕組みになっている。編集部員は買ってもらうことがどんなに大変か、読んでもらうことがいかに難しいか、知っている。編集部にかかってくる電話の向こうにはお客様のいることを承知している。市場経済の風にさらされているからである。 私は1981年から「プロ野球、野村克也の目」を書くようになったが、電車の中でこのページを開いている人を見ると、 「それを書いたのは僕です。ありがとうございます」 と、最敬礼したくなったものだ。 当時のデスクの一人は、朝日新聞と『週刊朝日』の違いをこう言った。 「新聞は路線バス、週刊誌は流しのタクシーなんだよ。バスは客が乗っていなくても、時間がくれば走るけど、タクシーはそうはいかない。カラで走っても意味がないから、客のいそうなところを探して走るんだよ」 雑誌に16年いて1991年に新聞の世界にもどると、編集委員たちが読まれる紙面をどう作るか、議論をしていた。聞いていると、「読ませてやる」という意識が感じられるので、口を挟むと、 「川村さん、そんなに読者に迎合する必要はないんですよ」 と言われることがあった。 週刊誌を作っていると、どうすれば読者に迎合できるか、毎週ない知恵を絞らなければならない。結局わからないままに終わるのだが、私は新聞の世界だけを生きてきた編集委員には、こう言うことにしていた。 「私がキャバクラの経営者なら、ホステスに『もっと客の体を触わってやれ。客にもっと触わらせてやれ』と、迎合をするように言います。けれど雑誌も新聞も、与えられた手段は活字と写真です。活字と写真だけで、どうやって読者に迎合するんですか。うまい方法があったら、教えて下さい」 話が前後するが、編集長になると毎年1月の末に帝国ホテルでおこなわれる「朝日賞・大仏賞」の授賞式とパーティーに招ばれる。朝日賞は科学、芸術、文化の分野で業績を残した人を表彰するもので、受賞者は何年か後に文化勲章を受章することが珍しくない。『天皇の世紀』を書いた作家、大仏次郎の名を冠した「大仏賞論壇賞」も、朝日賞に負けず劣らず権威のある賞である。 私が招ばれるようになった1990年代に入ると、朝日の幹部の祝辞が長く退屈で、 「朝日新聞では、話の下手な人しか出世しないんですか」 とからかわれ、返答に困ることがあった。 それより驚いたのは、社長が毎回、パーティーの途中で退席することである。こんな礼を失したことはあるまい。 客を自宅に招いておいて主人が途中でいなくなれば、客は「バカにするな」と言って、二度と来なくなるだろう。 それだけではない。N社長をはじめ歴代の社長はパーティーの間、自分から名刺を配って回るという普通のことを、まずしない。じっと立って、お客様が挨拶に来るのを待っている。その周りを役員が囲み、その周りに局長や部長クラスが群がっている。お客様の相手をしているのは、ヒラの担当者である。そういう光景が、毎年見られた。異様と言うしかない。 私は『週刊朝日』でお世話になった作家や写真家やデザイナーに御礼を言わなければならないので、定年後も毎年出席した。パーティーの事務局には、 「社長が途中で退席するのは失礼だよ。ホストがお客様を見送るのは、最低の礼儀だろう。読売のドンは、そうしているよ。当たり前のことをしないから『朝日は傲慢だ』と言われるんだよ」 と言い続けてきた。 社長本人に直接、言ったこともある。 しかし、聞き入れてもらえなかった。少なくとも去年のパーティーまでは、社長は途中で退席した。今年はどうだったのか、私は確かめることができなかった。昨秋、マスコミ業界の雑誌で、「朝日の紙面は読むところが少ない。編集委員の書く文章は稚拙すぎる。政治部は、記者にメモではなく原稿を書かせるようにすべきだ」 と書いたことが「誹謗中傷だ」と朝日新聞社広報部に言われ、社友資格停止の処分を受けた。 社友資格には授賞式や宴の出席もあるらしく、今年は招ばれなかった。そのため、木村社長が途中で退席したかどうか、見届けることができなかった。 気がかりなのは、「朝日賞・大仏賞授賞式」のパーティーに出席下さる顔ぶれが年々寂しくなっていることである。ある時期まで、この宴に招かれることは一種の名誉と考えられていたフシがある。特にデザイナー、作家といった文化にたずさわる方々の間には、そういう意識があった。かつて朝日新聞社が有楽町にあったころ、最上階にあったレストラン『アラスカ』に、朝日の学芸部の記者に招かれることは、「文化人と認められた証拠」 と言われていた。 それほど朝日新聞の信頼度が高かったと言うことになる。私には、朝日のパーティーが年々寂しくなることは、朝日への信頼度が低くなった証拠のように思われてならなかった。 しかし社長が途中で退席するようなことを続けていれば、そうなるのはしかたのないことである。「広告は選ばせて頂く」 以前、経済部の編集委員から、「残念ながら朝日新聞社には、ガバナンスの能力がないんです」 と言われたことがある。 日本を代表する世界的なメーカーが、社長が交代したので朝日の社長に御挨拶にうかがいたいと、朝日の秘書課(室?)に連絡をした。すると電話に出た秘書が、「社長は日程が詰まっていて忙しいので、受付に名刺を置いていって下さい」 と言ったというのである。 経済部の編集委員は、 「それを知った経済部長があわてて走り回ってことなきをえましたが、朝日にはこの種のことが多いんです。こんなにガバナンス能力のない会社はないでしょう」 と言っていた。 その結果、最もワリを食うのは広告局員である。 日航がまだ半官半民の会社だったころ、編集の幹部(経済部出身)が広告担当取締役になった。大広告主の日航に挨拶にゆくにあたり、広告の日航担当者が事前に「日航にいったら、御巣鷹山の事故の話はしないで下さい」と、何回も念を押した。 ところが広告担当役員は開口一番「ジャンボ機が落ちた時、私は○○省の記者クラブにいて」と話し始め、担当者は翌日、お詫びにゆかねばならなかった。 『GLOBE』という別刷りを発行することが決まり、朝日新聞社は社長の名で広告主を招いてパーティーをした。この別刷りはある最高幹部の発案で作ることになったと聞いているが、社長は講談社の社長などを前にして、 「この紙面は特別なものです。広告は厳選させていただきます」 と挨拶した。 「広告主がどの新聞雑誌に広告を出すか、媒体を厳選する時代ですよ。朝日新聞以外、こんなことを言う社長はいませんよ。社員がかわいそうです」 と翌日、電通や博報堂の知り合いから電話をもらった。朝日の広告マンたちが広告主の会社にお詫びして回ったのは、言うまでもない。 このように目や耳を疑うような朝日の傲慢な言動を見てきた私のような者には、従軍慰安婦報道に始まる一連の朝日の対応を見ていると、 「朝日、とくに編集部門の威張りくさる体質は直りそうにないぞ。白洲正子さんに『朝日は偉そうで嫌いよ』と言われてもしかたがないな」 と思われてならない。 まず8月5日付朝刊1面の、 「慰安婦問題の本質、直視を」 と見出しのついた、杉浦信之・編集担当の一文である。一読して、 「これは、朝日批判の火に油を注ぐことになるのではないか」 と思った。 お詫びなのか、言い訳なのか、はっきりしないからである。 筆者が何を言いたいのか、始めに決めなければ、文章にはならない。冒頭の「日韓関係がどうの」「韓国の反発がこうの」ということは、いらない。問題は、朝日新聞の従軍慰安婦報道が事実に基づいたものだったかどうかである。焦点をそこに絞らなければならないのに、いきなり日韓関係の話から始めたのはどういうつもりなのか。 冒頭から26行目に、 「一部の論壇やネット上には『慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ』といういわれなき批判が起きています。」 というくだりがある。 批判があるのは事実である。しかし「いわれなき」は杉浦担当の感想である。事実と感想を一緒にしてはいけない。 これは事実を伝えるのが使命の、記者のイロハである。編集担当取締役と言えば、記者を束ねる頭領である。記者の頭領が記者のイロハを知らないとは、どういうことだろう。 中をめくると、「検証」と称するものがあった。検証と言いながら、検証をした記者の名前がない。検証は誰がしたのか、わからない。普段の紙面には、 「こんなに短い記事なのに、3人の署名がある。取材と執筆はどうやって分担したのだろう。いっそ『この項はA記者。こちらはB記者』と、分けたほうがいいのではないか」 と思うことさえあるのに、こういう大事な検証をした記者の名がないのは、どういうことか。 おまけに「他紙でも報じていた」とか、「研究が進んでいなかった」とか、もし私がデスクをしていたら、 「顔を洗って出直せッ」 と言って、原稿を紙クズ籠に捨てたかもしれない。 他紙や研究の話は誇りのある者なら決して書かないことである。私が社会部にいたころは、 「他の新聞では許されても、朝日では許されないことがあるんだ」 と、先輩に耳にタコができるほど言われた。 それをカン違いした記者が「俺は朝日だぞ」と威張るようになったのだが、誇りがあれば、 「他紙は他紙。朝日は朝日」 と思うはずである。 それぞれの新聞社が「うちはうち。よそはよそ」と切磋琢磨し合ってこそ、健全な言論機関と言うものではないか。「朝日以外の新聞も従軍慰安婦を記事にしていた」というくだりを読んで、喜んだのは他国の戦争にもレイプのようなことがあったという意味のことを言って批判された橋下徹・大阪市長と、従軍慰安婦問題に火をつけ、3月いっぱいで朝日を早期退社した植村記者くらいではなかろうか。 検証記事を一字一句検証し直し、このくだりは削除してもらいたいくらいである。経営陣の傲岸不遜 私は9月11日の朝日新聞・木村伊量社長と杉浦編集担当の記者会見をテレビで見て、ここに書いてきたようなこと、たとえば事実と感想を分けずに書くな、といったことを編集担当に求めるのは酷であることを知った。ああいう場では、潔く俎板に乗って、どんな質問にも怯むことなく言葉を選んで答えなければならない。 しかし杉浦担当には、その覚悟ができていなかった。マイクを持つ手が震えたのは、その証拠だろう。言語感覚が豊かにも見えなかった。頭領の資質に欠けると思われても、やむをえまい。 8月5日の文章と同じで、何のための会見か、わかっていないのではないかとさえ、私には思われた。書きたいこと、書くべきことがはっきりしないものは、文章とは言えない。それと同じように、語るべきことがはっきりしないままに会見をすれば、朝日新聞のイメージは悪くなるばかりである。 1989年に私が週刊朝日編集長になると同時に起きたのが、朝日新聞のサンゴ事件だが、その時に記者会見をしたA広報担当役員は政治部の出身で、有楽町時代から社会部では「威張りすぎる」と言われていた。会見の時のイスの座り方からして傲岸不遜で、「お前らに話してやる」 という感じがして、見ていてハラハラした。 会見にきた記者、特に雑誌記者の間ではすこぶる評判が悪かった。後世、9月11日の会見はA担当と同じように、悪しき例として記憶されなければよいがと願うばかりである。 東電福島原発の吉田所長(故人)の政府事故調に対する証言の真相は、ヤブの中ではないかと、私は思っている。 吉田所長はあの時、日本人何百万人かの命を救うためには、自分を含めて何十人かが命を捨てなければならないと、覚悟を決めたと私は思う。ヒューマニズムのために、最もヒューマニズムに反する決定を強いられたわけである。 そういう時、現場の人たちに何を、どういう言い方で伝えるのがよかったのか、息をひきとる間際まで考えておられたろうと想像する。事故調の聴取に対しても、生きるか死ぬかの瀬戸際にある時に言ったことを、一語一句誤りなく思い出せと言うのは、無理である。無茶である。 問題の記事を書いた一人、K記者がいかに優秀な記者か、私は知っている。記事は書いても、見出しは整理という別の部署が付けるものであることも知っている。 しかし、あの記事を受け取ったデスクが何と言ったのか、知らない。あの見出しにデスクやさらに上の者が異議を唱えたのかどうかも、知らない。知らないことが多すぎるので、意見をひかえる。ただし、これだけは書いておきたい。K記者にだけ責任を負わせるな、ということである。 彼の〝スクープ〟がなければ、吉田調書が世に出ることはなかっただろう。どんなことがあっても、そのことを忘れてはならない。朝日新聞社は彼の功績を覚えていなければいけない。 ついでと言っては何だが、夕刊紙などは彼の所属する「特別報道部を廃止しろ」という論を唱えているようである。特別報道部員の中には、早くから、 「私たちは何も特別なことをしていません。他の記者と同じように、普通に取材をして書いているだけです。『特別報道部』なんて、読者の疑問を持たれるような看板は、おろすほうがいい」 という記者がいる。 まともな記者はいるのである。 読者の中には「朝日は信用できない」と思っている人がいるようだが、「フロントやベンチはアホでも、グラウンドには一生懸命プレーしている選手のいることを忘れないで下さい」とお願いしたい。広告問題でコロコロと態度を… 池上彰さんの『新聞ななめ読み』を何日か載せなかったのは、言語道断と言うほかない。 「いつから北朝鮮になったのか。批判を許さない言論機関は、言論機関と言えるのか」 と言ってやりたい。 掲載を決めた時の説明も、説明になっていなかった。池上さんの文章のどういう言葉、書き方、表現が良くなかったのか、何の説明もなかった。具体的なことが何もなくて、「載せなかったのは間違いだったので、載せることにしました」 と言われても、「それは通りません。伝兵衛さん」と言うものである。 朝日新聞はしばしば政治家や経済人を、 「説明責任を果たしていない」 と非難する。 こういうものを載せれば、「お前のほうはどうなんだ」 と反発に遭うのは、予測できることである。予測しなかったとすれば、頭がどうかしている。頭を冷やし、一連の検証を再検証し、『新聞ななめ読み』はどこが問題だったのか、改めて説明してもらいたい。 『週刊文春』と『週刊新潮』の広告を断った件についても、納得がゆくように説明してもらいたい。 朝日新聞社広報部は『週刊新潮』宛て、8月28日に「抗議文」を出して、「訂正と謝罪」を要求し、9月2日には池上彰氏との問題で「申入書」を発送し、9月4日には『おわび』を出している。こんなに無方針、無定見、無節操では出版社を担当する広告マンが気の毒である。 以上、朝日新聞がなぜ嫌われるか、私の体験を基に理由を書いた。編集担当は杉浦君からアメリカ取材の経験が豊富な、政治部出身の西村陽一君に代わるそうである。来年一月末の「朝日賞・大仏賞」授賞式とパーティーで、どういう挨拶をするのか。社長が途中退席しようとしたら止めるのか。今から興味がある。 そういえば中條閣下に言われた肝心なことを思い出した。こう言われたのである。 「アサヒビールはスーパードライで失敗したら、会社が失くなる瀬戸際にあったんだよ。朝日新聞のようなお金持ちは、そこまで追い込まれることはないだろう。お金に余裕があるうちは、本当の改革は難しいよ」 閣下に異を唱えるのは失礼かもしれない。しかし私は、経済的に余裕がある今こそ、解体的出直しのチャンスだと思っている。問題は、出直しに必要な人材はいるのか、ということである。川村二郎氏 昭和16(1941)年、東京・本郷生まれ。慶應義塾大学卒業。39年、朝日新聞入社。社会部記者、週刊朝日編集長、朝日新聞編集委員などを歴任。退社後も文筆活動を続けている。著書に『夕日になる前に だから朝日は嫌われる』『学はあってもバカはバカ』(いずれも、かまくら春秋社)など。

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    日本を貶めた戦後最大のメディア犯罪

    朝日新聞』の社長は謝罪したものの、これで幕引きではない。世界中に広がった誤解を正さなければ、日本人は女性を強制連行して性奴隷にしたひどい民族だと思われてしまう。中韓とリベラルが主導する「反日」報道を許すな!

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    日本のマスジャーナリズムはどこへいく? 

    きるかとの視点に立って自然から仕事、恋愛にいたるまで幅広く扱っているが、その根底にあるのは、戦時中、朝日新聞の従軍記者として、戦争に協力してきたという強烈な反省である。  むのさんは、終戦とともに潔く朝日新聞を辞め、地方でほとんど独力で小新聞を起こした。当然ながら、その考え方の基本は反戦平和であり、いまだに優れたジャーナリストとして尊敬されている。戦後最悪の朝日誤報問題  それにしても、そのむのさんがかつていた朝日新聞がおこした誤報問題は、戦後最悪のマスジャーナリズムの汚点といっていい。 すでに周知の事柄になっているが、ことの発端は、8月5日の朝日新聞の紙面に、従軍慰安婦問題を検証と称して、強制連行を裏付けたとした故吉田清治氏の証言を削除したのだ。さらに、9月11日には、木村社長自らが記者会見して、福島第一原発事故の吉田調書について、5月20日付けで一面トップで報じた記事を取り消し、謝罪した。  新聞記者も人の子であるから、事実誤認などミスはあるが、紙面を汚したら直ちに訂正し、読者にお詫びするというのが基本ルールだ。しかし、朝日の慰安婦報道は32年も放置し、その間吉田証言を16回も紙面掲載している。そのこと自体、にわかに信じがたいことであるが、この慰安婦を強制連行したという報道が、慰安婦問題が国際法違反とした国連の「クワラスワミ報告」を誘導し、世界に対し、日本は「性奴隷」の国家だとの印象を植え付けてしまった。  この罪はあまりにも大きい。誠実、謙虚であることが、ジャーナリストの最低の資格である。「むのたけじ」さんは、この朝日の惨状ぶりにどんな想いをいだくのであろうか。 止まらぬ新聞の経営基盤沈下  今回の朝日新聞のダブル吉田誤報問題の特徴は、他の大手新聞により、鋭く追及されて、表面化したことだ。これまで新聞業界では、同業他社を叩くことは避けるのが一つの不文律になっていた。非公開だった吉田証言を政府が公開したその日に、朝日が社長会見し、自らの一面トップの特報を取り下げ、お詫びしたのは、他紙に追い詰められ、「逃げ場」を失ったからにほかならない。 言論機関同士が、意見の対立があるのは当然だし、事実確認について相互に徹底的に検証するのは、むしろ健全なあり方でもある。だが、読売新聞などは、新聞紙面だけでなく、販売店に朝日問題の解説パンフレットを大量に配布し、さらに朝日撃墜キャンペーンよろしく、単行本まで緊急出版した。ある新聞人は、その読売の動きに「たしかに朝日の誤報は重大な問題だが、読売は鬼も首をとったかようなやり方で、言論機関として限度を越している」と眉をひそめる。  読売はほかの新聞社より、販売が力をもっているとされているが、そうした異常な行動をとる背景には、実はいま新聞業界が抱えている「紙離れ」による危機的な経営問題がある。  新聞社の収入の根幹は、言うまでもなく、発行する新聞から得られる販売収入と紙面に掲載する企業PRなどの広告収入の二つである。危機的なのはここ数年、この販売と広告の収入が一向に下げ止まらないことだ。  数字をみてみよう。新聞・雑誌の発行部数をまとめているABC協会によると、全国紙の今年1-6月の朝刊部数は約2,470万部と昨年下期(9―12月)に比べ約68万部も減っている。これが朝夕刊セット版だと、1990年には2,062万部とピークをつけたあと、最近は1,200万部強と約40%も大きく減っている。  広告はというと、新聞協会の調べでは、2003年の新聞社全体の広告収入は、7,544億円だったものが、2013年には4,417億円と41%も減少している。  各社ともこうした危機を脱するために、多様なコストカットを実行している。販売面では、他社販売店に自社新聞の配達を委託する「合販店化」により、販売店コストを下げようとしているし、新聞印刷では膨大な印刷費用を下げるためにやはり他社に新聞印刷を委託したりしている。産経は、大胆にも採算の取れない夕刊を廃止してしまった。新聞販売店は、1999年に全国で2万2,311店あったのが、いまや1万8,000店前後までになった。  読売の行動は、あきらかに朝日の購読を止めた読者を奪ってこようとする狙いだ。減少するパイの食い合いの構図である。  オペレーター化する現場の記者 最近のインターネットメディアの目覚ましい台頭も新聞業界の凋落に拍車をかけている。通勤時間の電車の中では、いまや新聞の代わりにスマートフォンを覗き込んでいるのがごく普通の風景になってしまった。確かに、ニュースだけみるならヤフーやグーグルのニュースサイトにアクセスすれば事足りる。特にiPadなどの大画面モバイル端末が登場したことで、若年層を中心に新聞離れが加速している。 新聞自体も電子新聞などでデジタル分野に挑戦しているが、成功と言えるのは、日本経済新聞の電子版だけであって、他紙の電子新聞は採算的に苦しい状況だ。   部数減や新興メディアの台頭など新聞業界を取り巻く環境は厳しいが、実は水面下でより深刻な危機が進行している。それは現場での編集記者の質の低下だ。「今の紙面は面白くない。目先の現象ばかり追いかけ、その背後にある本質的な問題を鋭く突く記事が少ない」という声がいたるところから聞こえてくる。  それを裏付けるのが、記者会見である。テレビに映る記者会見では、大多数の記者がパソコンに向かってパシャパシャとキーをたたいている。異様な風景である。  本来、記者会見は勝負の場であり、そこでは発表者の公式的な発言の隙や矛盾を突いて、相手をたじたじとさせるような質問を浴びせ、本音を引き出すところに記者会見としての価値がある。それには、記者は常に発言内容や表情に全神経を集中しなければならないが、パソコンを叩いていては、そんなことはできない。  かつて新聞記者は、報告だけの「ポーター」ではなく、情報内容を深く咀嚼して再発信する「リポーター」たれと言われていた。ところが、最近はポーターですらない。あるベテラン記者は「若い人たちは記者というか、オペレーターという感じ」と指摘する。  こんなケースもある。ある大手金融機関が、かつての引き受け自主ルールを上回るような大量時価発行増資を実施したとき、ダイリューション(株式価値の希薄化)という視点から批判した記事はすぐには出なかった。その金融機関のOBすらも、一様に「非常識な増資だ」とあきれたにもかかわらずだ。  最近の現場の風潮について、ある現場の記者は「新聞広告を大量に出してくれる企業に批判的な記事を書くと、部長を含めた上司が嫌がるんですよ」という。上司にとがめられるのなら、ごく「普通」の原稿を書こうとしてしまうのも無理はない。これでは気骨があり、牙をもつ記者はたぶん、組織から徐々に疎外されてしまう。  販売・広告の落ち込みー収益悪化ー経営陣の営業重視―編集現場の弱体化―紙面魅力低下―さらなる部数低下。いまや大手新聞はこの悪循環に陥っている。今回の朝日の誤報問題は、既存メディアとしての大手新聞の信頼感を失わせ、この悪循環の流れをさらに加速させるだろう。  そして、その行方は・・・。たとえば、家電産業のように、さらなる衰退への道なのかもしれない。※「先見創意の会」コラムより転載。※ 先見創意の会 最新のコラム/オピニオン/海外トピックス

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    朝日の日本貶めるキャンペーン 従軍慰安婦以外に南京事件も

     9月11日に朝日新聞の木村伊量社長による、東日本大震災時の福島第一原子力発電所での事故当時の様子を吉田昌郎元所長(故人)に聞き取り調査した報告書「吉田調書」報道(5月20日)の取り消しと謝罪を主とした記者会見がおこなわれた。 同報道では、福島第一原発の作業員が職場放棄して逃げたと記述。世界にもこの記事は拡散し、韓国ではセウォル号沈没事故と重ねあわせる報道さえ出たほどである。この謝罪会見が国内外に広げた波紋は、朝日の「従軍慰安婦」誤報と相似形をなしている。「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」とする吉田清治氏(故人)の虚偽証言を朝日が初めて紹介したのは1982年9月2日(大阪版朝刊)だった。吉田氏は翌1983年、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)と題した著書を出版し、これも「慰安婦=強制連行された性奴隷」説が広く知られるきっかけとなった(韓国では1989年に翻訳出版)。 朝日は1990年代にかけ、吉田証言について「確認できただけで16回」掲載したとする。しかし、「強制連行」「性奴隷」を印象づける朝日の「慰安婦」報道はそれ以上に膨大だ。朝日のキャンペーンに呼応して韓国でも吉田証言を基にした「従軍慰安婦問題」が脚光を浴び、日韓における政治問題と化したのは周知の通りだ。 そうして火がついた「従軍慰安婦問題」がその後、世界中に広まった。 1993年6月、オーストリア・ウィーンで開催された「世界人権会議」では、部会として「日本軍性奴隷に関するアジア女性フォーラム」が開かれた。全体会議で採択された『ウィーン宣言および行動計画』には女性に対する暴力や差別を撤廃する条項の中に「性的奴隷」という言葉が盛り込まれている。 1996年、国連人権委員会に「女性への暴力に関する特別報告書」が提出された際は、付属文書(いわゆる「クマラスワミ報告」)で慰安婦を性奴隷として明記した。その根拠として、吉田証言がそのまま採用されている。 日本の評判を貶めかねない朝日の報道キャンペーンはほかにもある。もっとも有名なのは本多勝一記者が1970年代初頭に中国を取材した『中国の旅』の連載だろう(後に単行本化)。記事では「南京事件」や「731部隊による人体実験」などを事細かに描写し、中国における旧日本軍の“残虐行為”を追及している。特に南京事件に関しては、虐殺の存否や規模などを巡る論争のきっかけを作った。 1982年には朝日の「教科書検定誤報」に絡んで南京事件の記述が日中間で政治問題化。その後双方による調査研究が進んだが、例えば虐殺数を巡っては数千から30万人以上とするものまでかなりの開きがある。にもかかわらず1990年代になると特に米国では中国系移民を中心に「日本叩き」が行なわれ、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』が出版されると、各国語に翻訳され論争は世界へと広がった。 中国では〈肯定派の本多氏は南京大虐殺が日本で広まる上で特別な役割を果たした〉(南方週末  2009年4月30日)と評価されている。※SAPIO2014年11月号■中韓歴史博物館 日本人自ら過ち認めた証拠に日本の新聞使う■朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係■朝日OB2人 慰安婦報道の検証・関連特集記事をどう読んだか■中国で提案の「南京大虐殺否定罪」に政府は抗議すべきとの声え■韓国紙 慰安婦のために闘った朝日新聞を助けようと呼びかけ

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    慰安婦問題は朝日が捏造した「戦後最大のメディア犯罪」である

    犯罪』などの著書で、済州島で戦時中に朝鮮人女性を慰安婦にしたと嘘の告白本の出版を行なったからです。『朝日新聞』がその内容を何度も取り上げ、植村隆記者が事実ではないとわかっていたのに、元慰安婦と称する金学順氏が「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と虚偽の報道を繰り返したんです。さらに、1992年1月23日の夕刊コラムでは、『朝日』の北畠清泰大阪本社論説委員が「従軍慰安婦」と題して発表した記事が、軍の強制連行と性奴隷と報じられる原因になった。引用してみますと、  「記憶のなかで、特に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。吉田さんと部下、十人か十五人が朝鮮半島に出張する。総督府の五十人、あるいは百人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。一つの村から三人、十人と連行して警察の留置所に入れておき、予定の百人、二百人になれば、下関に運ぶ。女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られていった。吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた。『国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、一年二年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います』」 と書いた。  こんな記事を自国の大新聞『朝日』が書き続けていれば、どこの国の人でも「日本はかつて従軍慰安婦20万人を朝鮮から強制連行し、性奴隷とした」と信じてしまう。  その『朝日新聞』がようやく32年ぶりにやっとそれが誤報であると認めた検証記事を書いて、社長が謝罪した。私は、これは誤報ではなく、反日メディアの『朝日』が捏造した「戦後最大のメディア犯罪」であり、社長をはじめ、これに関わったすべての者が即刻辞職すべきであると思っています。また、歴代の社長にも責任を取ってもらいたいんです。 マラーノ 『朝日新聞』はまず事実をしっかり伝える報道機関に生まれ変わるべきです。これまで韓国の反日とうまく結びついていたから、従軍慰安婦の嘘を書き立ててきたんでしょう。アメリカの公園に慰安婦像が建てられるのも、アメリカを巻き込んで、韓国は日本への憎悪を推進するためなんです。日米に亀裂を生じさせようとの策略があることは間違いない。また、「日本への嫌悪感」が慰安婦問題を増幅させ、欧米だけでなく、国連にも広がってしまった。  私は7月14日から16日に、スイスの国連自由権規約委員会に出席し、初めてその議論を傍聴した。そこでは、2008年に採択された慰安婦問題に関する日本への非難決議の内容が事実とまるで違うものだったんです。まさに国連は、リベラル勢力の巣窟で、ジョークでもいっているのかと思いました。  NGO団体から出てきた議題を証拠も確認せずに、国家を非難するんです。まずは自国政府に問うのが筋でしょう。それをせずに、国連報告というかたちで日本政府に圧力をかける。そのことを日本のメディアがほとんど報じないのはおかしい。 元谷 国連も変わらなければいけない時期です。国際連合憲章の条文にも唱えられている「敵国条項」があるにもかかわらず、日本やドイツ、イタリアなど計7カ国が国連で多額の分担金を負担することにも疑問があります。国連は、敵国が敵国でなくなる状態について言及しておらず、その措置についてもなんら制限を定義していません。このため「旧敵国を永久に無法者と宣言する」ということです。  しかし、先の大戦から70年近くが経過しようとしており、国家間の戦争を回避しようとする国連の役割も機能してきている。そろそろ国連は大改革を行なって、加盟国の真の平等を実現した国際組織へと生まれ変わるべきでしょう。日本は国連分担金もアメリカに次いで2位であるにもかかわらず、国連職員数は少ない。そのうえ、マラーノさんが指摘するように、リベラル勢力が跋扈しているようでは、公平な機関とはいえないですからね。 マラーノ 日弁連(日本弁護士連合会)などNGO団体はアピールできるブリーフィングがあるものの、われわれのグループは排除されてしまった。これこそ、まさに差別そのものでしょう。 元谷 私は世界中で日本に関するメディアの報道も含め、あらゆる情報を収集し、分析する情報省をつくってはどうかと提言しているんです。日本に不利な報道や誤った報道があれば、24時間以内にその国の言語で反論するような体制を構築するのです。3000億円ぐらいの予算で、3000人規模の機関をイメージしています。中国も韓国も情報戦で日本を攻撃しているんですから、日本も当然対抗するべきでしょう。本来外務省がやるべきですが、これまでの経緯をみれば、ほとんど期待できない。  『朝日新聞』の社長は謝罪したものの  マラーノ まさに国連は政治的に利用されていることは間違いないですね。欧米型のポリティカル・コレクトネス(政治的正当性)や地球市民思想の人たちが被害者意識丸出しで、言いたい放題。呆れてものが言えなくなってしまいました。  ところで、国連に行ったあと、カトリック教徒として、バチカンにも行きました。ここでは1980年にB級、C級戦犯1068人のミサが行なわれたといわれているんです。事実であれば、中国や韓国は靖国神社ばかりを批判できないでしょう。  ご存知のように、A級は「平和に対する罪」として、戦争を開始し、遂行していくための計画立案などに関わった戦争指導者のこと。B級は「通常の戦争犯罪」で捕虜虐待などの罪。C級は「人道に対する罪」として、戦前、戦時中になされた殺人、奴隷的虐使などの非人道的理由に基づく迫害行為などとされています。  靖国神社には日本滞在中何度も足を運んだんですが、そこには250万人にものぼる人々が祀られているわけです。中国や韓国は、「A級戦犯の14人、BC級を加えても1000人の戦犯が祀られていること」を理由に、「その他の250万人のために祈ることも許されない」と主張しているんですが、これほど傲慢な言い分もないでしょう。 元谷 日本が正面から反論しないために、中国と韓国の言い分が海外のメディアで報道されてしまうんです。  慰安婦問題で『朝日』の社長は謝罪したものの、韓国が主張するような20万人の強制連行の話は世界で独り歩きしているんです。『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)などの著書で知られる現代史家の秦郁彦氏は、陸軍省の資料を研究した結果、慰安婦の総数は1万数千人でその4割が日本人で、半島出身者は2割だったとしています。  また、慰安婦が置かれた環境が「性奴隷」などと呼ばれるものでなかったことも、いくつか指摘されています。『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長をしていたヘンリー・ストークス氏は、『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)にも明確に書いています。マラーノさんもワシントンの国立公文書館に問い合わせて、先の大戦中にアメリカ軍が捕虜となった朝鮮人慰安婦に対して行なった尋問の調書を入手し、発表していますね。 マラーノ 2013年にカリフォルニアのグレンデールに慰安婦像ができたとき、私はワシントンD.C.の国立公文書館で調べてみたんです。  「アメリカ戦時情報局心理作戦班アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域軍所属APO689」という報告書から始まるこの調書は、レド捕虜収容所で1944年8月から9月にかけて、ビルマのミートキーナ陥落後の掃討作戦において捕えられた朝鮮人慰安婦20名と2名の日本の民間人に対して行なわれた尋問に基づいているんです。その報告書にはこう書かれていました。  「ミートキーナでは慰安婦たちは、通常、個室のある2階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。  彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、またピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された」  彼女たちの証言によると、慰安婦たちは接客を断る権利を認められていて、接客拒否は客が泥酔している場合にしばしば起こったようです。そのうえ、借金の返済が終われば、国(朝鮮)に帰ることもでき、中には日本兵と結婚する慰安婦もいたとあります。彼女たちのどこが「性奴隷」なのでしょうか。 元谷 「慰安婦=性奴隷」という偽りのイメージは、韓国人によって世界中に浸透しつつあります。日本政府も、アメリカの国立公文書館にある尋問調書のコピーを、すべての駐日大使や世界の外務省に向けて発信するなど、対抗策を打つべきです。 マラーノ  もし、慰安婦が無理やりに性奴隷にさせられていたのなら、その慰安所の周りには刑務所のように警備兵がいてもおかしくないが、そんな報告はない。  そもそも、慰安婦問題はなぜ戦後すぐに問題視されなかったのか、1965年の日韓基本条約締結の際にはいっさい出てこないのに、ある時期「慰安婦=性奴隷」と言われ始めるのはおかしいんです。  言論を弾圧した「プレスコード」  元谷 なぜ、こんな虚構が蔓延るのでしょうか。一つは、作家の百田尚樹氏が指摘されていますが、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を正当化するために行なわれた東京裁判が原因ではないでしょうか。先の大戦末期、戦後の世界赤化との戦いを予見していたアメリカは、第三次世界大戦の勃発を避けるためにも、当時のソ連を牽制する必要を感じ、どうしても戦争中の日本に議会機密費で造った原爆を投下して、その威力を誇示したかったのではないでしょうか。  そこで、日本の終戦工作を知りながら、原爆の完成まで天皇制の存続を曖昧にすることで、終戦を遅らせ時間を稼ぎ、原爆実験の成功後、即座に広島・長崎に原爆を投下したのでしょう。この「残虐行為」を正当化してアメリカが正義の国であり続けるためには、日本をそれ以上の悪の国に仕立て上げる必要があった。だから、東京裁判では、南京30万人虐殺説を取り上げ、その後に、朝鮮半島から20万人を強制連行したという慰安婦問題も、アメリカは「日本は悪い国」というストーリーにしたがって、韓国の主張を否定しないのではないでしょうか。  このストーリーに沿って、原爆投下によって日本は真っ当な民主主義国家になったという意識を日本人に植え付けるために、日本を占領したアメリカ軍は大規模な思想改造を行ない、それまでの日本的な考えを排除するために、日教組をつくり、都合のよい教科書をつくらせ、不都合な大量の書籍の「焚書」を行なったのでしょう。 マラーノ 靖国神社の敷地内にある遊就館に行くと、日本の戦時中の苦労がよくわかります。アメリカも当時の日本のように、戦時中は鉄をはじめ金属の供出がありました。日本軍が勇敢だったため、アメリカ軍はそうとう手を焼いたと思います。いまでも海兵隊などで当時の戦いを学習するそうです。 元谷 戦後のことになりますが、GHQは戦争を遂行したとして要職に就く日本人20万人を公職から追放したのです。また、占領直後の9月18日には、『朝日新聞』が「原爆は国際法違反の戦争犯罪である」といった鳩山一郎談話を掲載したことで、2日間の発行停止処分をし、翌19日には「プレスコード(新聞編集綱領)」を発令し、日本の歴史上類を見ない言論弾圧を行なってきたのです。長くなりますが、そのプレスコードを列挙してみます。 ①    SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判②    極東国際軍事裁判批判 ③    GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判 ④    検閲制度への言及 ⑤    アメリカ合衆国への批判 ⑥    ソ連邦への批判 ⑦    英国への批判 ⑧    朝鮮人への批判 ⑨    中国への批判 ⑩    その他の連合国への批判 ⑪    連合国一般への批判(国を特定しなくとも) ⑫    満州における日本人取り扱いについての批判 ⑬    連合国の戦前の政策に対する批判 ⑭    第三次世界大戦への言及 ⑮    冷戦に関する言及 ⑯    戦争擁護の宣伝 ⑰    神国日本の宣伝 ⑱    軍国主義の宣伝 ⑲    ナショナリズムの宣伝 ⑳    大東亜共栄圏の宣伝 ㉑    その他の宣伝 ㉒    戦争犯罪人の正当化および擁護 ㉓    占領軍兵士と日本女性との交渉 ㉔    闇市の状況 ㉕    占領軍軍隊に対する批判 ㉖    飢餓の誇張 ㉗    暴力と不穏の行動の煽動 ㉘    虚偽の報道 ㉙    GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及 ㉚    解禁されていない報道の公表  このプレスコードに沿って、日本の税金を使って雇われた5~6千人もの日本人検閲官と三百数十人ものGHQの検閲スタッフによって、すべての出版物や放送の事前検閲や影響力のある人の私信を900万通も開封し、電話盗聴まで行なわれたといいます。そのため、日本人の考えはどんどん偏ったものになっていった。  また、検閲官は占領統治終了後、官界や法曹界、メディア界へと流れ、偏差値(記憶力重視)教育による日本のトップエリート、東大法学部卒業者を中心に引き継がれていったのです。いまもプレスコードによる言論統制の流れは、日本社会に脈々と受け継がれているのです。 マラーノ いまでも言論統制が生き続けているのは驚きです。話は少し変わりますが、アメリカでもリベラリストたちは、環境保護団体や動物愛護団体を動かし、アメリカ政府を攻撃しているんです。本来リベラルは「自由主義」を意味するはずですが、その意味を忘れて、大きな政府と規制の必要性ばかりを叫んでいる。私は、最大限に個人の自由を尊重し、そのために政府を小さくして、国による規制を少なくすべきだと主張しています。  偽のリベラリストの行く先には、旧ソ連や中国のような共産主義や全体主義につながる思想が見え隠れするんです。だから、アメリカであろうと、日本であろうと、リベラルな考えは危険だと思ってほしい。  かつて日本とアメリカには不幸な歴史があったかもしれないが、いまでは日米は運命共同体といってもいいほどです。中国や北朝鮮に対峙して、ともに戦うことに反対する在日米軍はいないのではないでしょうか。在日米軍基地に駐屯した経験をもつアメリカ人のなかには、日本が好きだという人が多い。彼らは日本人がどれほど親切かを話してくれるし、私自身も経験でよく知っている。米軍基地が集中する沖縄では、基地反対の人たちもいるが、米軍基地を気に入っている人もけっこう多い。反対する人の裏では中国が暗躍しているともいわれています。  こうした状況で、いまほど、日米の絆の強さが問われている時代もないのではないでしょうか。元谷外志雄(もとや・としお)石川県生まれ。ホテルやマンション、都市開発事業などを手がけるアパグループを一代で築き上げる。同グループ代表。政治や経済、軍事に関する知識も豊富で、自ら編集長を務める月刊誌『アップルタウン』に、ペンネームを用いて社会時評エッセイを執筆する。著書に『誇れる祖国「日本」』(幻冬舎)、『報道されない近現代史』(産経新聞出版)などがある。トニー・マラーノ 1949年、米コネティカット州生まれ。生後間もなくニューヨーク・ブルックリンに移る。両親はイタリアからの移民二世。ニューヨーク市立大学卒(専攻は歴史学)。2006年、電話会社AT&Tを退職し、現在はテキサス州在住。著書に『テキサス親父、韓国・中国を叱る!』(PHP研究所)などがある。関連記事■安倍政権は大本営発表をやめよ/小浜逸郎■政治ニュースの読み方~安倍政権の命運は?/田原総一朗■賢い!現実逃避術~ネットには「温泉気分」で浸かろう!/五味一男

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    朝日新聞だけではない 戦後ジャーナリズムが陥っている偽善

    門田隆将(ノンフィクション作家)吉田所長本人が最も憤慨する内容 ――9月11日に『朝日新聞』の木村伊量社長が記者会見を開き、同紙が5月20日の一面トップで「所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割」と大々的に報じた記事について、「多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した」と謝罪しました。 5月20日の『朝日新聞』記事は当時、非公開だった「吉田調書」(吉田昌郎・福島第一原発所長が、政府事故調の聴取に答えたもの)を独占入手したとして報じたものでしたが、門田さんは「吉田調書」の内容が明らかになる前から、いち早くこの記事の問題性について発言されてきました。それはなぜだったのでしょう? 門田 私は吉田昌郎さんに生前インタビューを行ない、さらに実際に現場で作業された方々など90名を取材して、『死の淵を見た男』(PHP研究所)を書きました。その取材の折に、吉田昌郎さんが強調されていたのは「私のことはどうでもいいから、現場で奮闘した人びとの真実を書いてほしい。彼らの姿を後世に残してほしいんだ」ということでした。その吉田さんが「多くの所員が逃げ出した」なんていうはずがない。いや、逆に「逃げ出した」なんて、吉田さん自身が最も憤慨する内容です。 このことは、吉田さん本人にインタビューせずとも、少しでも現場を取材していればすぐにわかるはずでした。 ――9月11日の記者会見で『朝日新聞』は、現場の所員たちへの裏付け取材などができていなかった、と述べていますね。 門田 これだけの記事を書く以上、裏付け取材を幾重にもすることはジャーナリストの基本です。取材対象が少数で、しかも雲隠れしているようなときは、周辺取材と資料だけで記事を打つことはありえます。しかし今回は、現場の当事者がおよそ700人もいたのです。まして、『朝日新聞デジタル』も動員して大がかりな「吉田調書」キャンペーンを展開すべく取材していた。「取材できない」なんてことはありえません。 私の取材に答えてくれた人たちが語ったのは、とてつもない葛藤でした。じつは誰を退避させるかという選別は、あの3月15日朝の実際の退避の数時間前から進められていました。班長を務めた人に聞くと、部下に「おまえは2F(福島第二原発)へ行ってくれ」というと「いや、自分は残ります」という答えが次々に返ってきて、説得が大変だった。では、班長たちはどうやって説得したか。「みんなここで一緒に大量被曝したら、次の作業ができなくなる。最初は俺たちがやる。俺たちがアウトになったら、あとは頼む。だからおまえたちはこの場から出てくれ。この事故は、そういう戦いなんだ」。自らの死をも覚悟して、そう部下たちを説得している。その場にいる誰もが、切迫した事態はわかっていました。葛藤のなかで、悩みながら去った人もいる。泣きながら退避した人もいる。そういう現場だったのです。 ――しかし、『朝日新聞』は、「(命令違反の撤退で)事故対応が不十分になった可能性がある」と書きました。 門田 まさに取材していなかったからこそ、あるいは反原発を推し進めようとする予断があったからこそ、そこまで現場の人びとを貶める記事にできたのだと思います。普通なら、こういう記事が記者から上がってきたら、担当デスクの段階で「現場は取材できているのか?」「ほかの証言がないじゃないか?」「こんな記事、怖くて出せないぞ」となるはずです。 原発事故を取材していた別の新聞の記者からも、かなり早い段階で「門田さん、『朝日』の捏造記事は許せません」という声を聞きました。それがあの壮絶な現場を取材したことのある人間の普通の反応だと、私は思います。 ――『朝日新聞デジタル』の特集記事でも、「所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性がある」と書いていますね。 門田 しかも、本誌8月号での川村二郎さんとの対談(「『吉田調書』を全文公開せよ」)でも指摘したように、このデジタルの記事では放射線量の単位を使い分けて「印象操作」をやっています。吉田所長の1F構内での待機命令について述べる部分では 「毎時5ミリシーベルトだった」と、あたかも数値が低くて(命令が)妥当だったかのように書くのに対し、「退避したために対応が遅れた」と指摘する箇所では「1万1930マイクロシーベルト」に上昇したと書くのです。5ミリシーベルトとは、5000マイクロシーベルトのことです。このように同じ記事のなかで1000倍の違いのある単位を書き分けていることに、読者の印象を左右しようという意図を感じます。非常に悪質な書き方だと思いました。 ――しかも、『朝日新聞デジタル』の記事はWebの特性を最大限に活かして、事故当時の生々しい写真や、爆発発生時の東電テレビ会議の音声などをふんだんに入れ込み、いかにも臨場感たっぷりにつくられています。吉田所長の緊迫した声などを聞かされると、記事の内容までもが、丸っきり本当であるかのように思えてしまいます。指摘されなければ、誰もが「ああ、現場はこうだったのだろう」と考えてしまっていたはずです。 門田 メディアの発達に伴う「怖さ」の一つでしょう。ジャーナリズムの担い手は、ますます真実に真摯に向き合わなければならなくなっているともいえます。 ただ、膨大な「吉田調書」のごく一部だけを恣意的に切り出して「命令違反の撤退」と打ち出す手法そのものが、『朝日新聞』の報道手法の根幹に関わるものではなかったのか。そもそも、そこが問われねばなりません。 8月末に『産経新聞』はじめ各紙が「吉田調書」を入手して「朝日の誤報」と打ち出したことからもわかるとおり、あの「吉田調書」を普通に読めば、「命令違反の撤退」などと報じられるはずがない。それなのに、なぜそんな偏向した記事になってしまったのか。それは、記事の目的が反原発、そして原発の再稼働反対を訴えるためのものだったということです。さらにもし、上司も、また会社全体も同様の考えをもっていれば、チェックは甘くなるに決まっています。事実を積み上げていって真実を報じるのではなく、自分が訴えたいことが先にあり、そのために「都合のいい」ことだけをピックアップして編集し、記事を作り上げてしまう。私はこれを「朝日的手法」と呼んでいますが、『朝日新聞』にはこの手の記事が多いですね。『人民日報』と連動した大キャンペーン ――『朝日』の報道でさまざまな問題が引き起こされたことが、最近とみに指摘されるようになっています。 門田 私は、恣意的な記事づくりという手法が大きな不幸をもたらした一つが「日中関係」だと思っています。じつは私は昭和57年(1982)から毎年、中国に行っていましたが、中国の人は基本的に人がよくて優しく、そのころ、嫌な思いをすることは少なかった。ところが、昭和60年(1985)を境にして、大きく変わってくるのです。 このとき、中曽根首相が「戦後政治の総決算」をスローガンに、さまざまな政策を打ち出していました。それを打倒しようとしていたのが『朝日新聞』です。そのための一つのツールが、靖国神社公式参拝の阻止でした。昭和60年8月に『朝日』は「『靖国』問題 アジア諸国の目」と題して、アジア各地の人びとの靖国公式参拝に対する見方を伝える特集記事を掲載しました。いうまでもありませんが、アジアの人びとはそもそも靖国参拝問題など知らない。どうにかしてこれを問題化したかった『朝日』は、アジア各地にいる特派員に、その地の人びとがどのような思いでこの問題を見ているかを記事として出させたわけです。だが、いくら読んでも『朝日』の問題意識とはほとんど合っていない。当たり前です。関心がないわけですから。ただわかったのは、いかに『朝日』が靖国参拝を阻止したいのか、ということでした。 しかし同月、ついに『人民日報』が動き、初めて靖国参拝で「日本の動きを注視している」と書くのです。さらに8月14日に中国政府のスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」と表明します。私は「ああ、これはやってはいけないことをやったな」と、思いました。言論の自由が制限されている中国では、共産党の機関紙である『人民日報』の影響は日本人の想像をはるかに超えています。 『朝日新聞』の特派員には、退職後、『人民日報』や『人民中国』の日本側代理店となったり、編集顧問に就いたりした人がいます。これらのメディアと、それほど関係が深いのです。あの文革(文化大革命)のときも、批判的に報じる日本メディアが次々と追放されるなかで、『朝日』は唯一、北京に特派員を置くことが許されるなど、一貫して中国共産党と濃密な関係にありました。 だから、いくら中曽根政権打倒という自分たちの目的のためとはいえ、『人民日報』を動かすのはまずい、と思ったわけです。 戦後、靖国神社には日本の総理大臣が60回以上参拝し、昭和53年(1978)にA級戦犯が合祀されてから昭和59年(1984)までの6年間だけでも19回もしています。 それでも、靖国参拝は中国側に一度も問題視されたことはなかった。それがこの昭和60年に、中曽根政権の戦後政治の総決算を阻止しようとする『朝日』の大キャンペーンと『人民日報』との連動によって一挙に国際問題になり、靖国参拝が中国の外交カードになってしまったわけです。 ――それまで中国共産党は「日本の軍国主義は悪かった。しかし現在の一般の日本人民と日本軍国主義は違う」という言い方をしてきましたね。 門田 そうです。しかし、靖国参拝を取り上げることによって「軍国主義」が「いま現在」のものになってしまいました。さらにその後、江沢民政権が反日教育を進めたことで、決定的に対日感情が悪化し、いまでは日中関係は完全に破壊されています。きっかけは、『朝日新聞』なのです。 私は『朝日新聞』によって日中関係が破壊される昭和60年以前の中国の人びとの姿を知っているので、ますます何ともいえない感慨を覚えます。『朝日新聞』には、日中関係をそこまで破壊して嬉しいのか、と聞きたいですね。 ――9月11日の記者会見で、『朝日』の木村社長は慰安婦誤報についても部分的な謝罪を行ないましたが、この問題が日韓問題に及ぼした影響も大きいですね。 門田 慰安婦という薄幸な女性たちがいたことは歴史の厳然たる事実です。社会保障も整備されていないあの貧困の時代、何かがあれば、娘が身を売らなければならなかったあの時代のことを思うと胸が痛みます。『朝日』がいう慰安婦の大半が朝鮮人だったというのは誤りで、日本人慰安婦のほうが圧倒的に多かった。しかし、幸せ薄い女性たちへの同情は、現在を生きる日本国民の皆にあるはずです。 しかし、彼女たちへのそういった同情と、日本軍が彼女たちを無理やり戦場に連行して「性奴隷(sex slaves)」にしたという“虚偽”とを一緒にしてはいけません。『朝日』は、「女子挺身隊」の名で、戦場に連行されていった朝鮮人女性が8万とも、20万人ともいわれる、と報じ、これが、日本人が「性奴隷を弄んだ民族」として世界中で非難を浴びる原点となったのです。『朝日』の責任は、計り知れないほど大きいと思います。  ――『朝日』が書き立てた「強制連行報道」の罪は重いですね。 門田 強制連行とは拉致・監禁・強姦という意味です。無理やり連行したなら「拉致」であり、それで慰安所に閉じ込めたら「監禁」、そして意に沿わない性交渉を強いたとしたら「強姦」だからです。すなわち「強制連行」があったとなれば、それは、文字どおり「性奴隷」ということになります。 しかし、これは事実とまったく違います。当時の朝鮮の新聞には「慰安婦大募集 月収三百圓保証 委細面談」という広告がよく出ていました。上等兵の給料が十圓のときに三百圓を保証するというのです。兵士の給料の30倍です。先に述べたように、さまざまな事情で身を売らなければならなかった女性が慰安婦となりました。 にもかかわらず、従軍慰安婦とは、無理やり日本軍によって戦場に強制連行された「性奴隷」である、と『朝日』は世界中に流布させたのです。しかも、これは虚偽です。そのことによって、日韓関係が少しでもよくなったでしょうか? 「ノー」 です。逆に徹底的に破壊されました。「これで満足ですか」と、『朝日』には、ここでも聞きたいのです。 いまでは、『朝日』は「強制連行」を引っ込め、「広義の強制性はあった」と、論理をすり替えてきています。朝鮮人女性を強制連行したという「吉田清治証言」をあれだけ垂れ流し、「性奴隷」という認識をここまで大きくし、「吉田清治証言」の信憑性が疑われたらとことん頬被りし、どうにもならなくなった時点で「吉田証言」を取り消しつつ、「広義の強制性はあった」と開き直る。なおかつ、先の記者会見でも「あの慰安婦報道検証記事には自信をもっています」と胸を張ってみせました。この報道で大きなマイナスイメージを背負わされてしまった日本人の一人として、もはや「何をいっているんだ」と声を上げざるをえません。 しかし、彼らは日中関係、日韓関係を破壊したくて、そんな報道をしたわけではないと思うんですね。ただ、「中曽根政権を倒す」「安倍政権を倒す」「権力と対峙し、監視する」という目的があっただけなのでしょう。そういう目的で報道し、そういう自分自身にある意味、酔っていたかもしれません。しかし、だからこそ、より罪が深いともいえます。 日本や日本人を自分たちが貶めているという意識さえもたず、「俺たちは戦争を礼賛する右翼と闘っているのだ」とさえ思っている。自分たちで勝手に敵をつくり、そこにレッテル貼りをして、自己満足している。そうとしか思えません。そして、自分たちの立ち位置が、中国や韓国と一体化して、日本を貶めているだけだという“現実”に気付こうともしない。大多数の日本人にとって、本当にどうしようもない存在となっていることが彼らはわかっていないように思います。 私は、今回の記者会見から、いよいよ『朝日新聞』問題の本質を問う「本番の戦い」が始まると思っています。『朝日新聞』が再生したいなら、国連の人権委員会にも、また、韓国にも足を運んで「強制連行報道は間違いでした」と心からお詫びすることから始めるしかないのではないでしょうか。『朝日新聞』が直面した3度の危機 ――多くの人にとって、なぜ『朝日』が権力に対峙する体質なのかは、じつに不思議です。 門田 それを探るためには、『朝日』の歴史をひもとかねばなりません。ブログにも書きましたが、私は今回の件は『朝日新聞』の3度目の危機だと思うのです。 1度目は、大正7年(1918)の白虹事件です。当時、『朝日』は大正デモクラシーの風潮に乗った記事を盛んに書いていましたが、米騒動が起こって寺内正毅内閣への批判が巻き起こったときに、『朝日』は「白虹日を貫けり」と書くのです。 「白い虹」というのは、始皇帝の暗殺を荊軻が企てたときに現れた自然現象とされます。つまり帝に危害を与え、内乱の引き金になるような不吉な兆候です。この記事は大きな問題となり、怒った右翼が『朝日』不買運動を起こし、ついには当時の村山龍平社長の人力車を襲撃して、全裸にして電柱に縛り付け、首に「国賊」と書いた札をぶらさげる事態にまで至ったのです。 結局、村山社長は辞任し、長谷川如是閑社会部長をはじめ幹部も多数退社します。『朝日』の論調はここで大きく転換して、その後、どの社よりもすごい軍国主義礼賛の新聞社になっていきます。 『正論』10月号(「廃刊せよ!消えぬ反日報道の大罪」)で櫻井よしこさんも指摘していますが、『朝日』は昭和20年(1945)8月14日の社説(資料1)で原爆の惨禍に対して「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」と書いています。このときにはすでに、日本がポツダム宣言を受諾する方向であることはつかんでいたはずなのに、臆面もなく、こういう扇動的な記事を載せていたのです。 その『朝日』が2番目の危機に直面したのが、太平洋戦争の敗戦でしょう。『朝日』は同年10月24日に「一億火の玉」路線から大転換します。一面(資料2)で「戦争責任明確化 民主主義体制実現」と大々的に打ち出して村山長挙社長以下、幹部が総退陣することを発表し、社説では「吾人が今にして決然起って自らの旧殻を破砕するは、同胞の間になお遺存する数多の残滓の破砕への序曲をなすものである」と書きました。 ――これまた、何とも「猛々しい」主張ですね。 門田 『朝日』の特徴は極端に振れることです。「白虹事件」で右翼新聞になり、今度は占領軍(GHQ)路線、つまり過去の日本を徹底的に攻撃し、貶める路線に転換していく。それは占領時代が終わっても、さらに加速していきました。 それが全盛を迎えたのは、1970年代でしょう。この時代のベトナム反戦やアメリカの公民権運動、学生運動などの世界的な潮流を追い風にして、全共闘世代、すなわち団塊の世代に『朝日』の主張は広範な支持を得ていく。その過程で『朝日』は「自分たちの主張が受け入れられている」という自信と驕りをもつようになった。そして、「自分たちの主張やイデオロギーに従って、情報を加工して都合よく編集し、どんどん大衆に下げ渡していく」という手法に慣れ、麻痺してしまうのです。 そんな『朝日』に「それは違う」と対抗していく役割を担ったのが雑誌メディアでした。『朝日』の主張が先鋭化すればするほど、それを衝く週刊誌や月刊誌も売れて、出版文化も全盛時代を迎えていくのです。 ――もちつ、もたれつだったわけですね。ファクトを基にした新聞社に生まれ変われるか ――そしていまが、『朝日』の3度目の危機ですか。 門田 私は今回、『朝日新聞』は“ニューメディアの時代”の本当の意味を理解できずに敗れ去ったと思っています。インターネットの登場で、「情報」というものがそれまでとは決定的に変わりました。情報が、マスコミが独占するものではなくなったのです。インターネットを通じて、誰もがさまざまな情報を取得することができ、さらに個人個人が情報を発信するツールを手にしました。私は、これを“情報ビッグバン”と呼んでいます。かつては、大衆は新聞に情報を与えられても、それを検証する術をもちませんでした。しかし、いまは違います。メディアが情報を独占し、それを自分たちの主張やイデオロギーに沿って都合よく“加工”して下げ渡せる時代ではなくなったのです。 ――門田さんが最初に「吉田調書」報道に反論したのも、ブログでのことでした。 門田 たまたま5月後半に取材で台湾に行っていたこともあって、ブログに「お粗末な朝日新聞『吉田調書』のキャンペーン記事」と題して「これは誤報である」と書いたのは帰国後の5月31日のことでした。すると、それがあちこちに転載されて広がっていった。それを読んだ旧知の『週刊ポスト』の編集長から「自分の編集長最後の号だから書いてくれないか」と依頼され、「朝日新聞“吉田調書”スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」という記事を寄稿したわけです。その記事に対して『朝日』は、「報道機関としての朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損しており、到底看過できない」「誠実な対応をとらない場合は法的措置をとることも検討する」との抗議書を送ってきました。 これは言論機関としてだけでなく、一般企業の危機管理の面からいっても、最低のやり方でした。新聞社というのは、いったいどんな“商品”を売っているのか、木村伊量社長にはわかっていない証拠でもあります。新聞社は、何も書いていない白い紙に「情報」と「論評」という付加価値を付けた活字を印刷し、それを商品として読者に売っています。つまり紙面に掲載されている「記事」というのは、新聞社が売る商品の「根幹」です。しかも今回の場合は、デジタル版まで動員した大キャンペーンです。その大々的な記事に対して、故・吉田昌郎所長をはじめ数多くの現場の人間を取材して『死の淵を見た男』というノンフィクションを書いた人間が「誤報」だと申し立ててきた。 普通なら、これは企業にとっては、大変なことです。商品の根幹に対するクレームなのですから、まさに「修羅場がやって来た」と捉えてもいいでしょう。『朝日』を自動車メーカーに例えるなら、「エンジンに欠陥がある」という指摘が、いわば専門家から突き付けられたようなものです。まともな自動車メーカーだったら大慌てで、実際にどうなのか、必死で検証するでしょう。しかし『朝日』は検証するのでも、言論で反論するのでもなく、「くだらぬことをいったら、お白洲(法廷)に引っ張り出すぞ」と法的措置をチラつかせる脅しを行なったのです。 おそらく、驕りと傲慢さで目がくらみ、ノンフィクション作家の一人や二人、簡単に踏みつぶせるとでも思っていたのでしょう。とても言論機関がやることではないし、企業体としての危機管理もなっていない。正直、呆れるようなやり方だったと思います。 ――そのような『朝日』の姿勢がWebでも取り上げられ、批判がさらに広がっていくことになりました。 門田 インターネット上では、「どう見ても門田に分がある」という意見が早くから多く書き込まれていました。しかし『朝日』は最後の最後まで突っ張った。8月18日付『産経新聞』に私が寄稿した記事にも抗議書が送られてきました。私が『週刊新潮』にいた時代も『朝日』は強烈な抗議をかなりしてきたものですが、だんだん官僚組織のような硬直化して居丈高な対応が際立つようになってきたように感じます。しかし新聞各社が「吉田調書」を入手して『朝日』の誤報を指摘しはじめると、完全に『朝日』包囲網が形づくられました。結局、『朝日』の木村社長が「改革と再生の道筋をつけた上で進退を決める」と表明し、杉浦信之・取締役編集担当、市川速水・ゼネラルマネジャー兼東京本社報道局長、渡辺勉・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長、市川誠一・東京本社特別報道部長を解任するという事態にまでなってしまいました。まさに「三度目の危機」に直面しているのです。 ――『朝日新聞』が今後どうなるか、注目されます。 門田 コツコツと努力し、一生懸命生きている多くの日本人が、ここまで日本を貶めてきた『朝日新聞』を、許すはずがありません。『朝日』が生き残るには、「ファクトを基にした新聞社に生まれ変われるかどうか」でしょう。根底に横たわっているのは、『朝日』のみならず戦後ジャーナリズムが陥っている偽善だと思います。つまり、すべてを単純正義に基づいて類型化してしまう態度です。 今回の記事でいえば、「原発=悪、東電=悪、東電社員=悪」という図式で簡単に切って捨てる。拙著『死の淵を見た男』をお読みいただければわかると思いますが、これは東電本店に対する現場の反乱の本ともいえるものです。現場は、じつは事故と戦っただけではなくて、官邸とも戦い、東電本店とも戦っていた。なぜなら、現場の所員の多くは福島県浜通り出身の地元の人間で、その人たちが、愛する郷土とそこに住む人びとを守るために奮闘したという側面があるからです。物事をきちんとファクトに基づいて分析していけば、ただ「東電=現場=悪」とひと括りにできるようなものではないことに気付かされます。 太平洋戦争における日本軍も、大本営、指揮官、中堅、兵隊を全部ひと括りにして批判できるようなものではない。物事とは、光をどちらから当てるかによって、いろいろな相貌をもつものです。亡くなられた兵士一人ひとりの無念を思うと、物事を類型化して一緒くたに切り捨ててしまうというようなことは、とてもできないわけです。 戦後ジャーナリズムでは、自分たちのイデオロギーと主張に基づいて一面から光を当てただけで「よし」とされてきました。そんな驕りに満ちた単純化は、インターネットが発達して、誰もが多様な議論を受発信できるようになった現在、もはや通用しません。その意味で『朝日新聞』が謝罪記者会見を開いた2014年9月11日は、ジャーナリズムの転換点であり、時代の転換点でもあった、と私は思っています。関連記事■安倍政権は大本営発表をやめよ/小浜逸郎■政治ニュースの読み方~安倍政権の命運は?/田原総一朗■賢い!現実逃避術~ネットには「温泉気分」で浸かろう!/五味一男

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    朝日新聞が日本を嫌いな理由

    「日本はあの戦争で酷いことした」「日本は悪い国だ」と喧伝し続けてきた朝日新聞。彼ら好みの言葉で言えば、それは巨大メディアが日本人に対して大々的に行ってきたヘイトスピーチではなかったか。慰安婦報道に携わった記者は、背筋が寒くなるような日本憎悪も吐露している。

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    朝日的なるものと日本人の「心の闇」

    メディアや言論界や歴史学界や教育委員会等でいわばとぐろを巻いて伏在している。ほかでもない、これこそが朝日新聞の32年間の大虚報を可能にした、他の国では考えられないばかばかしい「心の闇」の正体である。私は名付けて「朝日新聞的なもの」と呼ぶ。  本当に子供っぽいのである。しかしこれは手ごわい。恐ろしい。日本人の愚劣さそのものだが、愚劣さは商売になるからである。朝から晩までテレビのコメンテーターは何を喋りまくっているか知っているだろう。集団的自衛権を批評するのは勿論いい。しかし中国が軍事的威嚇をしているという前提を決して言わない。日本政府が戦争の準備をしているとばかり言う。フェアーではない。愚民は騙される。千年一日のごとくこの調子である。朝日新聞は大誤報を告知したが、このあとも決して変わるまい。知能はあるが、知性のない手合いがこの新聞のお得意さまで、残念ながら後から後から量産される。「天声人語」は入試によく出る知性の結晶というコマーシャルを耳にするたびに、私は腹をかかえて笑う。  ドイツの戦争は日本とは違ってまことに能動的積極的な侵略戦争であった。が、ドイツ人は今まで侵略について謝罪もしていないし、反省もしない。ヨーロッパの歴史で各国みなやっていたことを謝る理由はないからである。600万人とされるユダヤ人の虐殺、ホロコーストについてだけ謝る。それもドイツ民族がやったのではない、ナチ党という例外者がやったのだと言い募り、ドイツ人に「集団の罪」は認めない。罪はどこまでも「個人の心」の問題だと、宗教を持ち出して言い張る。だからドイツ国家に道徳的責任はない。ただし政治的責任があるので金は支払うというのである。これをしないと周辺国と貿易を出来なかったからである。  私は自己欺瞞を重ねざるを得なかったドイツ人の苦しい胸の内に戦後ずっと同情してきたが、ホロコーストの歴史を知らない日本が謝罪や反省に関してドイツ人に付き合う必要はないと思ってきた。しかしここが「朝日新聞的なるもの」に埋没した人が理解しないか、わざと誤解して踏み出す点で、彼らは南京虐殺を持ち出して、日本はドイツと同じホロコーストをしたと言いふらし、このもの言いが中国や韓国に次第に伝わり、両国に乗り移って今の騒ぎになっている。  南京虐殺の実在しないことは北村稔氏、東中野修道氏その他多くの方々の献身的作業で論じ尽くされ、敵性国家中国の対日攻撃手段の一つと今では見なされている。つまり、南京を言い立てる者は中国のイヌである。そこまで分かってきているが、それでも沼のようなあの「心の闇」に閉ざされている多くの日本人はまだ目覚めない。「どうして日本と日本人を貶めるストーリーが、巨大なメディアや政府中枢で温存され、発信されるのか。日本は一刻も早く、この病を完治しなければならない」と書いているのは英国人ジャーナリストのストークス氏である。「慰安婦問題だけではない。いわゆる『南京大虐殺』も、歴史の事実としては存在しなかった。それなのに、なぜ『南京大虐殺』という表現が刷り込みのように使われるのか。この表現を報道ではもう使うべきではない」(ZAKZAK8月14日)。  思えばまだ慰安婦も南京も話題ですらなかった1960年の安保騒動で、日本の立場を有利にするはずの条約改定の合理性には、いっさい目をつむり、安保改定は戦争への道と騒ぎ立てた筆頭は朝日新聞だった。反米の旗幟鮮明で、反米こそ朝日の平和主義の柱だった。それがアメリカへの甘えだということには気づかず、この会社はそのうちいつの間にか親米に傾き、アメリカの虎の威を借りて日本の国家としての主体性をなくそうとする潮流に今や夢中になって手を貸す方向に動いている。最近同紙に採用される言論人の所説をよく見てほしい。護憲左翼と親米保守が仲良く手を結んでいる曖昧さが特徴である。そこにはあの「心の闇」、世界がたとえ嵐でも、鵞鳥が砂の中に頭を突っ込んで動かないような盲目的敗北的平和主義、「何もしない」主義の未来喪失の姿を認めることができよう。そしてひたすら中国に媚びるのである。  GHQが戦後七千余点、数十万冊の日本の本を没収廃棄したことは知られていようが、出版元別にみて最も多く廃棄されたベストスリーは、朝日新聞社140点、講談社83点、毎日新聞社81点の順であった。いうまでもなく戦時体制にその出版物で最も迎合的に協力した筆頭三社である。そしてこの三社は周知の通り、戦後長いあいだ反日左翼のムードを代弁し、日本の侵略、アジアの撹乱を言い続けてきた歴史自虐の代表マスコミである。見事に逆転した心理構造には私は尽きせぬ興味を感じている。ここには間違いなくあの「心の闇」の秘密が潜んでいる。  岩波書店は日共系知識人に支配された出版社だから、そこの左傾化は純粋に戦後の現象である。朝日、毎日、講談社はそうではない。代表的戦時カラーから代表的戦後カラーにがらっとものの見事に衣替えした。戦前までの自分の姿を忘れたというより、さながら過去の自分を憎んでいるかのごとき情緒的反応である。GHQに「焚書」されたことと深層心理的に深い関係があると私は見ている。  戦争の敗北者は精神の深部を叩き壊されると、勝利者にすり寄り、へつらい、勝利者の神をわが神として崇めるようになるものだからである。今の朝日新聞は戦争に敗れて自分を喪った敗残者の最も背徳的な無節操を代弁しているように見える。

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    「慰安婦狩り」吉田証言を報じた朝日記者の心性

    安婦問題に関わるようになったのは、22年前の1992(平成4)年のことだ。 前年91年8月11日付の朝日新聞(大阪本社版)に、「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』 のうち、1人がソウル市内に生存していたことがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』(中略)が聞き取り作業を始めた」という記事が掲載された。筆者は植村隆記者(当時)である。 この記事が大きなきっかけとなり、91年秋ごろから92年にかけて、朝日新聞を中心に国内メディアは集中的に慰安婦問題報道を展開した。「日本政府は慰安婦に謝罪して補償すべきだ」という各社そろっての一大キャンペーンだった。そこに民間の運動も連動し、91年12月には、植村記事では匿名で紹介されていた金学順さんら元慰安婦たちが高木健一弁護士らの支援により、日本政府に補償と謝罪を求めて提訴した。 私はソウルでの取材の結果、この慰安婦騒ぎの発端となった植村記事が捏造だと考え、『文藝春秋』92年4月号で、植村記者を名指しで批判した。 実はその『文藝春秋』発売直前に出た月刊『正論』4月号でも、本特別増刊号再録の「慰安婦と挺身隊と」を書いた。私の最初の慰安婦関連の論文である。『文春』論文のように本格的な調査や取材を踏まえたものではなかったが、①「慰安婦」と「挺身隊」の混同、②「慰安婦の強制連行」はなかったのではないか、③韓国は日本政府に補償の請求はできない――という議論の骨格は同じである。 慰安婦問題で「謝罪と補償をせよ」と日本政府を糾弾する論調一色だった当時、論壇でそれに異を唱える主張は他にほとんどなかったと記憶しているが、この2つの論文で提起した議論は、「慰安婦」で日本を糾弾する勢力とのその後の論争を通じて正しさが証明されたと考える。 当時、多くの日本人は、「吉田清治が言う『奴隷狩り』のような強制連行が本当にあったのなら、補償や謝罪を求めるのも一理ある」と考えていた。「吉田清治の『奴隷狩り』」は、朝日新聞が1982年以降繰り返し報じ、今年8月5日に掲載した自社の慰安婦報道の「検証」記事でようやく虚偽と認めた嘘話である。 その吉田清治の証言には、常識次元での明らかな矛盾があった。彼は自らの体験として、「『皇軍慰問女子挺身隊』の名で朝鮮人女性を慰安婦として狩り出した」と語っていたが、「挺身隊」の業務は勤労奉仕であり、慰安婦とはまったく関係ない。このことは戦時を知る日本人、さらには日本統治を経験した韓国人も実体験として知っていたし、戦後生まれの日本人も歴史を学んでいれば知識として持っていた。ところが、朝日の植村記事は「女子挺身隊の名で連行された『朝鮮人慰安婦』のうち1人」が名乗り出たと書いた。その結果、「狩られたという本人が名乗り出たのだから、吉田証言は真実だったのだ」と日本中が信じてしまったのだ。 朝日新聞はさらに92年1月11日付の1面トップ記事で、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」ことを示す資料が見つかったと大々的に報じ、「従軍慰安婦」についても、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と書いた。 この解説は、現在、アメリカ各地で建てられている慰安婦の碑に刻まれた「20万人がセックス・スレイブ(性奴隷)として強制連行された」という日本糾弾碑文の原形だが、この報道によって韓国世論は激高し、直後に訪韓した宮沢喜一首相は、強制連行の有無など事実関係を調べることもなしに8回も謝罪と反省を繰り返した。国民の間でも、一種の催眠術にかけられたかのように「慰安婦に謝罪するべきだ」との声が高まっていった。 私も一時はこうした報道を信じかけたが、調べて始めてすぐに、慰安婦だったと名乗り出た女性たちが実は強制連行されたとは言ってはいないことに気付いた。詳しくは、本増刊号再録の「慰安婦と挺身隊と」に譲る。戦時を知る世代の怒り 『文藝春秋』編集部から韓国取材の相談があったのは、「慰安婦と挺身隊」との執筆途中だった。同編集部は、植村記者が、日本政府に謝罪と補償を求める裁判を起こした団体(太平洋戦争犠牲者遺族会)の幹部の娘と結婚していることを掴んでいた。植村記者は裁判を起こした当事者団体の幹部の親族という利害関係者でありながら、裁判を後押しするような記事を書いたことになる。メディアの倫理として問題だ。私の許にも、金学順さんらが起こした戦後補償裁判自体、大分県の主婦が韓国でチラシを配って原告を集めて始まったという情報が入っていた。「不明なことが多すぎる。なぜ突然慰安婦問題が浮上したのかを取材してほしい」という依頼だった。 だが、先述したように、日本も韓国も「日本政府は慰安婦に謝罪せよ」という空気一色だった。そんな中で、元慰安婦サイドを批判するのには覚悟も必要だった。『文藝春秋』の編集長が「西岡さんと私が世間から極悪な人非人と呼ばれる覚悟で真実を追究しましょう」と言ったほどである。 一方、この頃、私が編集長だった『現代コリア』という朝鮮問題専門誌の編集部には、「韓国は嘘つきだ」「韓国は嫌いだ」という投書やメッセージが続々と寄せられていた。いまの「嫌韓」の走りだともいえるが、それらを送ってきたのは日本の年長者、つまり戦争当時を知る世代の人たちだった。彼らは「女子挺身隊と慰安婦は別だ。それなのに、『挺身隊の名前で強制連行された』と言っている。嘘つきではないか」と身が震えるほど怒っていた。 『現代コリア』だけではない。この特別増刊号を企画し、90年代に掲載された慰安婦問題関連の論文を洗い出した『正論』編集部に、その一部を見せてもらった。元日本軍人、慰安婦たちの性病検査をした軍医の家族ら、『正論』のような論壇誌に文章を寄せる専門家ではない人たちの論文が多数あった。今回はその中の僅かしか再録できないとのことだったが、戦前戦中の実情を知っている人たちが、朝日新聞が宣伝する吉田清治的な「慰安婦強制連行」は事実無根であり、戦後生まれの人たちは騙されているのだ――と強い違和感を持って、慣れない原稿を書いて編集部に持ち込んできていたことが分かる。『正論』は、そういう人たちの駆け込み寺になっていたのだ。 話を92年当時に戻す。慰安婦に同情的な空気が充満する一方で、戦争当時の実情を知る世代の人たちが怒りを募らせているのをみて、私は、このままでは日韓関係は悪化する、とくに日本人の対韓感情は決定的に悪化するだろうと心配になった。早く真実を究明して日韓両国民に広く知ってもらうべきだという思いが強まり、2本の論文執筆の動機となった。両論文の冒頭には、いずれもこの懸念について触れた。それから20年が経過し、日韓関係が極めて感情的に反発しあっている現状をみると、このときの懸念も故なしではなかったと改めて思う。 考えてみれば、元慰安婦たちも「挺身隊の名で強制連行された」とは言っていなかった。金学順さんも、植村記事掲載直後の韓国メディアとの会見や裁判の訴状では「挺身隊」とも「強制連行された」とも言っていなかった。しかし、彼女たちがそう証言しているかのように朝日新聞が報道した結果、彼女たちを誤解し、対韓感情を害する日本人が増えてしまったのだ。吉田証言報道を誤報だと認めた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日の謝罪会見の場で、慰安婦報道が日韓関係の悪化にどう影響したのか第三者組織を起ち上げて検証すると表明した。しかしこのことだけをみても、朝日新聞の責任は明らかである。歴史捏造の恐ろしさ 「慰安婦強制連行」の虚構に反発せず、信じてしまった多くの日本人がいた理由も考えておきたい。私は、その背景にも朝日新聞の存在があったと考えている。1970年代、朝日新聞は本多勝一氏の『中国への旅』を掲載し、「南京大虐殺」をはじめ、日本軍が中国大陸で残虐の限りを尽くしたと報じた。日本軍の「悪行暴き」はその後も続き、当時を知らない戦後生まれの世代に「日本の軍人は虐殺や残虐行為をする人たちだったのだ」と刷り込み続けた。その結果、自虐史観や日本人としての罪悪感に囚われた人たちが、「そんな残虐非道な日本軍人であれば、『女狩り』をやっていたとしてもおかしくない」と信じるのも無理はない。多くの日本人はこうして「慰安婦強制連行」という嘘話を無批判に受け入れたのではなかったか。 私は当時を知る人たちとの接触があったので、比較的早く、「慰安婦強制連行」の虚構に気付くことができた。日本人だけではない。『文藝春秋』の依頼で92年2月にソウルで取材したところ、当時を知る年長者たちは口をそろえて「強制連行などなかった」と語った。特に、李命英・成均館大学教授の体験を聞くに及んで、私は「慰安婦強制連行」は虚構だと確信した。 李先生は、現在は北朝鮮となった咸鏡南道北青(プクチョン)出身で、北朝鮮が共産化された後に韓国に脱出した。北朝鮮問題の大家で、私の師匠でもある。取材に訪れると開口一番、「君、慰安婦の強制連行などなかったんだよ」と言い、日本の敗戦直後の次のような出来事を語ってくれた。 李先生の父親は医師で、北青にソ連軍が進駐してきたとき、小学校の日本人校長から手紙で秘かに相談を持ちかけられた。北青にいた日本人は、その小学校に集められ、男女別に教室に入れられていた。校長はソ連軍の隊長から「若い女を出せ」と命令され、地元の名士同士で交流のあった李先生の父親に助けを求めてきたのだ。 偶然にも、李先生の父親の病院に、ソ連軍の隊長が診療を受けにきた。満州でレイプをしたらしく性病に罹患し、軍医にかかると出世に響くのでこっそりと民間の病院に来ていたのだ。李先生の父親が、その隊長に「日本の女性は貞操観念がなく、危ない。着物の帯もすぐに枕として使えるようになっているほどだ」「安全なのは性病の検査を受けているその道の女性だ。そういう人たちにしなさい」と話すと、隊長はそれを信じ込み、「若い女を出せ」という命令は取り消しになり、花柳界にいた女性を探すことになった――。 当時京城帝大の医学部に在籍し、病院の助手をしていた李先生は、隊長の治療をしながら父親の話を聞いていたのだという。 もし朝鮮半島で日本軍が「慰安婦狩り」のような酷いことをやっていたとしたら、その日本人校長は朝鮮人に助けを求めようと考えただろうか。またいくら医者であっても、李先生の父親は嘘話でソ連の軍人を脅してまで日本人を助けただろうか。 李先生の父親は、日本統治に積極的に協力した「親日派」ではなかった。李先生は旧制高校時代、父親から日本の陸軍士官学校に行けと言われていた。それはそこで軍事技術を学ばせ、その後、中国や満州でゲリラ活動をしていた「独立軍」に参加させようと考えていたからだった。父親は日本と軍事的戦争をしてでも朝鮮独立を成し遂げたいと考えていたのだ。にもかかわらずその日本の女性が理不尽にソ連軍にレイプされることは許さなかった。吉田清治が言っていた「奴隷狩り」のような慰安婦強制連行があったとは到底思えないのだ。 その李先生は、北朝鮮の工作により、1980年代から歪んだ韓国現代史の見方が広がっていることを懸念されていた。北朝鮮は親日派を処断し、中国やソ連とも一定の距離を置いて「自主の国づくり」を進めたのに対し、韓国は親日派を処断せず、さらには親日派の朴正煕がクーデターを起こして政権を掌握して親日派の国になってしまった――という「反韓史観」である。その歴史観によれば、経済的には韓国は見せかけの繁栄はしているけれども、民族主義の立場からすると、国家としての正統性は北朝鮮にあるというのだ。 民主主義国家として先進国の仲間入りも果たした韓国よりも、独裁世襲体制下で住民が密告・監視の恐怖に怯え、大多数が飢餓と貧困に苦しむ北朝鮮を評価する論理の倒錯は説明するまでもない。だが、朴槿恵大統領が反日強硬姿勢を止めることができなくなっているのも、この反韓史観の蔓延が背景にある。「おまえの父親・朴正煕大統領は日本の陸軍士官学校を卒業した親日派だった」と批判されることを恐れているからであり、韓国発展の大功労者である朴正煕氏でさえ「親日派」として否定する歪んだ歴史観に正面から反論できず、迎合しているのだ。 こうしてみると、日本と韓国のそれぞれの歴史を否定する歴史観によって、両国関係が悪化してきたことが分かる。北朝鮮と中国という全体主義勢力と一致して対峙せねばならない自由主義陣営の亀裂を目論む勢力が、ほくそ笑んでいることだろう。2度の論争を経て その後、92年5月1日発売の『正論』6月号に、歴史的論文が掲載された。秦郁彦氏が、吉田清治が「慰安婦狩り」を行ったと証言していた韓国済州島での調査結果を発表したのだ(正論11月号・12月特別増刊号に再録)。その内容は4月30日付の産経新聞でも紹介された。そして河野談話が出された93年にかけて、『正論』『文藝春秋』『諸君!』(休刊)が、朝日新聞など「慰安婦強制連行・日本糾弾」派の主張は事実と違うという議論を積極的に発信し、専門家レベルでは日本糾弾派も吉田清治の証言は使えなくなっていた。一方で、テレビなどでは依然として吉田の証言映像が無批判に流されていた。 慰安婦問題の調査を行っていた日本政府は、募集に「強制」があったことを認めるよう韓国から要求されていた。ところが、当時の資料をどれだけ調べても強制連行したという事実は見つからず、困った挙げ句に、「本人の意思に反していれば『強制』だ」という論理を開発して、93年8月4日に河野談話を発表した。さらに河野洋平官房長官は会見で、談話では認めていなかった強制連行について、「そういう事実があったと。結構です」と発言した。慰安婦の強制連行があったことを日本政府が認めて謝ったとの誤解を生むのも当然だった。 つまり、専門家同士の論争では強制連行否定派が勝っていたのに、広報戦・世論戦・外交戦に負けたために、人類史上に残るほどの大罪を日本軍が犯したかのような印象がその後さらに拡大してしまったのだ。 日韓関係では、「強制を認めればお金は要らない」と言っていた金泳三政権の要求に屈して河野談話を出したことで外交的に決着し、韓国政府が元慰安婦の女性たちの生活補助にも乗り出して問題はすべて落着したかのように思えた。ところが、村山政権がアジア女性基金をつくり、元慰安婦一人一人に「償い金」と日本国総理大臣の謝罪の手紙を渡すという方針を決めたことが新たな火だねとなった。「償い金」は、日韓基本条約締結時に補償問題は決着していることから、原資には国民からの寄付をあてた。これに対し、韓国の慰安婦支援団体は「国民からの寄付では日本政府が本当に謝罪したことにならない」と批判し、元慰安婦らに「償い金」の受け取り拒否を押しつけた。 96年12月には「新しい歴史教科書をつくる会」が設立され、97年4月使用開始の中学校の全歴史教科書に「慰安婦強制連行」が記載されることを問題視したことで再び論争が活発化した。産経新聞も教科書の自虐的記述を批判し、「慰安婦強制連行」説に明確に反対し始めた。ようやく国内では、公権力による組織的な慰安婦強制連行は証明されてないということが広く理解された。教科書の慰安婦強制連行の記述も次第になくなっていくプロセスとなり、正常化に向かっていったのである。「性奴隷」はまったくのデマ 一方、大きな油断もあった。この間に、「日本は朝鮮人女性を強制連行して性奴隷にした」などという酷い誤解が国際社会にこれほどまでに広がっているとは思ってもいなかった。「性奴隷」が広まるきっかけとなったのは、周知の通り、1996年に国連人権委員会(現在は理事会)に提出された「クマラスワミ報告」である。では「性奴隷」とは誰が言い出したのか。これも『正論』で最初に報告したのだが(2012年5月号)、調べてみると、実は戸塚悦郎という日本人弁護士だったのだ。 詳細は、本特別増刊号のクマラスワミ報告に対する日本政府「幻の反論書」の解説を参照していただきたいが、戸塚弁護士は我々が日本国内で激しい論争をしていた92年からクマラスワミ報告が出る96年までの間、ほぼ3カ月に1度のペースでジュネーブの国連人権員会を訪れ、「セックス・スレイブ(性奴隷)」という言葉を持ち込んでいたのである。 ジュネーブの人権委員会は、国家間外交の舞台であるニューヨークの国連本部と違ってNGOにも発言権があり、NGOと外交官たちのミーティングが頻繁に開かれている。慰安婦問題で特別報告者(調査官)に任命されたスリランカ人のクマラスワミ女史は日本問題の専門家でも朝鮮史の専門家でもない。英語の資料しか頼るものがない彼女に、ジュネーブに集まるNGOが資料を渡していたのだ。言うまでもなく、彼らは慰安婦問題で日本糾弾を目論む勢力である。報告をみれば、それらがいかに信憑性の低いものであるかが分かる。 日本政府は当初、慰安婦の強制連行や虐殺、さらには「セックス・スレイブ」という用語が入った報告書に徹底反論する文書を用意しながらなぜか撤回し(「幻の反論書」)、報告書は「テーク・ノート(留意)」という低い評価ながら採択されてしまった。そして日本軍慰安婦は性奴隷」というレッテルは国際社会に広がり、2007年にはアメリカ連邦議会の下院で、「セックス・スレイブ」という言葉で日本を非難する決議がなされるに至ったのだ。 では慰安婦は本当に「セックス・スレイブ」だったのか。「スレイブ」、つまり「奴隷」とは、主人の所有権の対象になるということだ。しかし、日本社会には長い歴史を通じてそのような奴隷制は存在しなかった。貧困のための身売りも、借金返済のためだった。女性が身売りされて遊女となっても、決まった年季が明ければ廃業できた。身請け制度もあって、誰かが借金を帳消しにすれば廃業できた。雇用主からみて遊女は所有権の対象ではなかったのだ。欧米のように自由人や農場主が奴隷を完全に所有し、売買するような身分制度はいつの時代にもなかった。 しかも日本軍の慰安所は民間人が経営し、貧困のために売られた女性が働き、お金を返せば廃業できた。民間の私娼窟よりも衛生管理が徹底され、経営者が搾取しないように官憲が目を光らせ、慰安婦が誘拐された女性ではないかということまでチェックしていた。「性奴隷」というレッテルは、こうした日本の歴史や文化、慰安所の実態を無視したデマに過ぎない。吉田証言を報じた朝日記者の心性 いま、日本では嫌韓感情が高まっていて、韓国は「しつこい」「ウソつきだ」と批判する人が増えている。しかし、これまで述べてきた慰安婦問題の経過からすると、慰安婦を問題視し続けてきたのは韓国の側だと批判することはできない。朝日新聞が、慰安婦の強制連行があったと書くまでは対日外交交渉で取り上げたことはなかったし、韓国のマスコミもほとんど報道しなかった。朝日新聞が火をつけて、日本人が韓国にまで行って原告を募集して裁判を起こした後、外交問題になったのである。日本が河野談話を出すと、韓国政府は2011年までは外交問題にしなかった。 ところが、日本人が国連を媒介にして「セックス・スレイブ」というデマを広めた結果、アメリカの連邦議会まで対日非難決議を出した。勢いづいた韓国の運動団体が、韓国政府が日本政府に補償を求めないのは憲法違反だとして提訴し、2011年に憲法裁判所が違憲という判決を出した。そのため、韓国は再び外交問題として取り上げ始めたのだ。 慰安婦問題での韓国の対日攻勢は、韓国の問題だと批判するだけで済ますことはできない問題なのだ。日本の中の反日勢力が悪意を持って歴史問題を利用して日本を叩き、国際社会の一部がそれを利用して日本の弱体化、地位低下を謀っている。中国共産党が組織的に世界中で反日ネットワークを作っていることは、かなり知られてきた。「歴史戦争」「歴史戦」と呼ばれる現在の対日国際情報戦・世論線の構図でもある。最も根本的な問題は、日本の中に「戦前の日本の姿が悪ければ悪いほどいい」と考える勢力があり、その「悪しき過去」に日本は向き合っていないと世界中で批判して回っていることなのだ。ほかならぬ日本人が言うのだから、日本政府には確かに問題があると国際社会が受け取るのも無理はない。 朝日新聞で慰安婦問題を取り上げた記者たちの中には、そうした反日勢力と共鳴する心性の持ち主が間違いなくいる。吉田清治の証言を取り上げた朝日新聞の一連の報道の中で、強く印象に残る記事の1本は、1992年1月23日夕刊の北畠清泰論説委員のコラム「窓」だろう。「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した」と吉田の証言を紹介し、「私(西岡補;吉田)が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」とまで書いた。 その北畠氏は91年、大阪本社企画報道室長として「女たちの太平洋戦争」という通年大型企画を手がけていた。この連載をまとめた単行本の「あとがき」に、氏はこんなことを書いている。 「大戦時の異常さを、ひそかに懐かしんでいる者が、この社会のどこかに身をひそめていないか。/一般社会の階層秩序が通用しない軍隊なればこそ、人を遠慮なく殴打できた者。平時の倫理が無視される戦時なればこそ、女性の性を蹂躙できた者。…」 この文章からうかがえるのは、過去現在を問わぬ日本人への妄想まじりの不信と嫌悪である。日本の「悪行」を暴き立て、告発することでしか、そのネガティブな心根を満たすことができない。そんな「反日的日本人」像が浮かび上がる。彼にとっては、吉田清治の証言の真偽など二の次だったのかもしれない。歴史戦争の勝利は内なる「敵」の退治から その朝日新聞も、8月5日と6日に自社の慰安婦報道の「検証」特集を掲載して、吉田証言は虚偽だったとし、慰安婦と挺身隊の混同も認めた。「検証」せざるを得なくなった理由については、「一部の論壇とネット上」で「『慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ』といういわれなき批判が起き」、「元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷される事態」になっているからだとした(8月5日付1面「慰安婦問題の本質、直視を」)。 論壇で朝日新聞の慰安婦報道を批判し続けてきたのは『正論』だけである。90年代前半には共同歩調だった『文藝春秋』は90年代後半から積極的でなくなった。『諸君!』も2009年に休刊している。「慰安婦問題は朝日の捏造」という一文は真意不明だが、『正論』で、私をはじめ多くの識者が「朝日の誤報・捏造報道が慰安婦問題に火を付けた」と批判し続けてきたことは確かである。 アメリカ各地に慰安婦像を建立するなど韓国の「したい放題」の反日宣伝に国民の怒りが高まる中で、その原因の一つが、「慰安婦狩り」の虚報をはじめ朝日新聞の誤報や捏造報道にあるという理解が広がり、多くのメディアが今年に入って朝日新聞に公開質問状を出し始めた。最初に公開質問状を出したのも『正論』であり(2013年7月号)、質問も私が編集部と相談しながら作ったものだった。 「記者が名指しで中傷されている」という点についても、植村記者の捏造報道を最初に指摘し、22年間批判し続けてきたのも私である。この杉浦信之・編集担当取締役(当時)の文章は、私や『正論』への挑戦だと言える。 「検証」の内容も、植村記事に「事実のねじ曲げはなかった」という「事実のねじ曲げ」をしたのをはじめ、自己正当化が大部分であり、吉田清治というウソつきに朝日新聞も騙された、産経も読売も騙されていたではないかという責任逃れ、隠蔽、誤魔化しだらけであることは、私も『正論』10月号や11月号で批判してきた。 この22年間を振り返って言えることは、日本の敵は外だけではなく、国内にもいたということだ。慰安婦問題で「いわれなき批判」「名指しの中傷」を浴びているのは、朝日新聞ではなく日本である。日本国内にいる反日勢力に打ち勝たなければ、日本への「いわれなき批判」は解消できない。 朝日新聞がいかに事実を歪曲し、捏造してきたのか。そのことを問い続けて国際社会で日本が不当に貶められている責任を朝日に認めさせない限り、日本の名誉回復はないと改めて思う。関連記事■ いつの間に!オノレが被害者、朝日新聞(笑)■ 慰安婦報道に関与した朝日記者のやるべきこと■ 責任も果たさず被害者ヅラだけはご立派ですね

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    ≪徹底討論≫OBが語る なぜ朝日の偏向報道はやまないのか

    稲垣 武(元「週刊朝日」副編集長)/本郷美則(元朝日新聞研修所長)/聞き手 石川瑞穂(元産経新聞論説委員)朝日は戦後左翼社会の鏡だった 稲垣 いつも言っているのだが、朝日新聞は戦後民主主義の守護神であることを自任しているわけです。その戦後民主主義がもたらした歪みはどこからどう来たのか。それはそっくり朝日の論調に反映されているといっていいと思うのです。マスコミとは社会の鏡だという言い方がされます。しかし、戦後民主主義が左翼に牛耳られ、歪められてきたことを考えると、朝日新聞とは日本のいわゆる左翼社会の鏡でもある。左翼と朝日は互いに影響し合って動いているともいえる。 では、互いに共鳴しあう左翼とは何だろうか。容共ではあっても、必ずしも共産党ではないのです。共産党のようにがっちりと構築された理論を持っているわけではない。むしろ、ムードに基づくもので、その方が格好いいと考えるモードと言っても良い。つまり一種の心情左翼的なところがあるね。 本郷 朝日が最初に左翼的なカラーを明確に出すのは終戦直後です。昭和20年10月、朝日社内では十月革命と言っているのですが、要するにそれまで地下に隠れていた聴涛克己氏(のち日本共産党中央委員)や、後年、「私はマルキストだった」と自著で告白した森恭三氏(のち論説主幹)らが素顔で表に出てきて、理論武装を支えた。 稲垣 渡邉誠毅氏(のち社長)もそうだよね。 本郷 彼は、たしか横浜事件で辞めた。 稲垣 いや会社を辞めたのに、戦後復帰したんですよ。 本郷 田中慎次郎氏も復職してくる。のちに出版局長として『朝日ジャーナル』を創刊した人物です。 稲垣 彼はゾルゲ事件に連座したんですよね。 本郷 そう。彼はゾルゲ事件のときに政経部長だった。不思議にもゾルゲ事件で起訴されてはいないが、大阪経済部の出身ですよね。田中氏は広岡知男氏や森恭三氏と一緒に大阪経済部の出身でした。大阪編集局というのは、権力中枢の東京から遠く、戦前からいささか反体制的な雰囲気があったようです。 昭和11年に、当時の東証で朝日記者が絡んだ不祥事が起こり、東京の経済部改革が迫られたときに、大阪から田中氏が広岡氏やらを率いて東京へ転じているのです。そのころの東京本社には、尾崎秀実もいました。彼は、その後、社を辞めて満鉄で働いているときに、ゾルゲ事件を起こすわけですが、尾崎に「御前会議」の最高機密「南進」を耳打ちしたのが、部下から情報を仕入れた田中でした。 そういう人たちが戦争中は社内に潜んでおり、終戦を機に一斉に表に出てきた。GHQの公職追放令は21年だったが、その前年、朝日は独自に当時の編集幹部や村山家、上野家の当主たちを追い出して、21年春に重役を公選するわけです。これは組合が選挙して選ぶということです。社長には、まだ編集局次長だった長谷部忠氏が就任するわけですが、一種の組合管理に近い形になった。 これが、朝日に赤い旗が立った最初だと思う。だけど、重要なことは、こうした流れの底流は、戦前からあったということですよ。そして占領政策を推し進めたGHQにも革新派がいて、これと呼応して朝日の左傾路線が始まったというわけです。 稲垣 革新派とは当時の民政局や社会教育畑に多かったみたいですね。 本郷 そう。中にはニューディール政策を進めた連中もいたわけですよ。 稲垣 ニューディール派でもニューディール左派だから。 本郷 アメリカで夢が叶わなかった連中といっていい。 稲垣 もともと彼らは容共的社会主義者なんだよ。共産党とそう変わらない。共産主義というとアメリカ国民には生理的な嫌悪感があるでしょう。だから「リベラル」などとごまかして、それでいろんな政府機関に潜りこんだわけで、なかでも相当に過激な連中が日本へなだれ込んできた。マッカーサー司令部の社会教育畑に潜りこんでいたわけです。 本郷 それでこの連中は、日本の民主化に新聞を使おうと目論んだ。戦争中に抑圧された連中を表に出し、新聞を先兵にして、日本のいわゆる民主化を進めていくわけです。読売は読売で激しい争議があった。あれは鈴木東民氏に率いられたけど、鈴木自身も戦争中は朝日の在欧通信員です。 ところが世界情勢は劇的に変わっていく。昭和21年3月には、早くもチャーチルが「鉄のカーテン演説」をし、中共が蒋介石をどんどん負かしていく。さらに朝鮮戦争が兆す。そうすると、米国はガラッと占領政策を変えるわけです。それまで戦前戦中の指導者を公職追放で斥けていたのに、一転してレッドパージに乗り出す。その際、教育界の次に狙ったのが新聞業界だった。 追放者が最も多かったのはNHKの119人、次いで朝日の104人だった。手法としては、職場内の密告を推し進めた。長谷部社長は苦汁を飲まされ、GHQに「やらないと朝日新聞を潰す」とまで強要されるわけです。彼が最も懸命に守ったのは笠信太郎氏(論説主幹)だったと言われています。 いったん表舞台に現れて、労組を母体に花形となった広岡氏、田中氏、森氏といった連中も、ここで本来の職場に戻されてしまう。そして、公職追放令が解除され上野精一氏も村山長挙氏も社に復帰してくる。もっとも、二人とも社主家の二代目で「よきにはからえ」の体質は否めなかった。 稲垣 正力氏(松太郎・読売社長・第一次岸改造内閣で科学技術庁長官)のような指導力がなかったんだよなあ。 本郷 もともと長挙さんは、子爵をもらっていた殿様の三男坊だからね。精一さんも「敵前逃亡のDNAがある」といわれるくらい(笑)おとなしい。それで結局、戦中から生き残った、比較的若く経営能力のある連中が、昭和23、24年から先、戦後の新聞ブームを築いていくわけです。業務系は永井大三氏(のち常務)という大物、編集系統は信夫韓一郎氏(のち専務)が両輪になり、昭和30年代の初めまで戦後の黄金時代を築いていくわけです。 石川 村山さんの時代ですね。転機となった村山騒動 本郷 というより「信夫・永井」の時代。だから終戦直後、いったん左翼が乗っ取ったけど、それはひっくり返された。その連中は元の現場に戻ったわけです。でもね、戦後の企業に共通した悩みとして、能力の高い人ほど多く戦争で失っているわけですね。だから、現場に戻された左翼でも、現場を握る強さで、どんどん出世の階段を上っていくわけですよ。 石川 それが広岡さんであり、森さんであり、渡邉誠毅さんだということですね。 本郷 森さんも渡邉氏も、それで現場から上がっていった。それに本社の編集局といっても、当時は非常に人も少なかった。そして、昭和34年の暮れ、96時間のストライキ「九六スト」がある。「60年安保」の前年ですからね。この前後から、社内で再び左翼が跳梁跋扈し始めるわけです。現実に、30年代の初めから、紙面がひどく左傾化していった。とくにひどかった盛岡支局などは、社内でも「朝日新聞の赤旗県版」と呼ばれるぐらいの左傾県版を作っていました。のちの北朝鮮報道で有名な岩垂弘記者たちがいたころです。 稲垣 社会党の岩垂寿喜男元衆議院議員の弟かな。 本郷 「長野の秀才兄弟」なんて言われていたが、彼の報道は、北朝鮮べったりだった。 ところが「九六スト」の直後に、専務の信夫さんがスパっと辞めるわけです。自分で役員定年制を決めた手前もあったが、左を抑え切れなかった責任を取ったようなものだった。 そして、「自分でやってみたい」と意欲を燃やした村山長挙社長が親政を始め、まず左翼征伐をやろうとした。そのとき東京編集局長に起用したのが、編集局次長だった木村照彦氏でした。九六スト、それからそのすぐ後の「60年安保」のときに、広岡氏はヒラ取締役で東京編集局長だった。 村山社長は、その広岡氏を快く思わず、紙面の左傾を問うて九州に飛ばした。当時は西部本社担当と言ったが、この人事について、森氏は『私の朝日新聞社史』という回想録の中で、「広岡氏が西部に追われて、社に暗黒時代がやってきた」と書いている。暗黒時代とは村山親政を指し、それに付き随った木村氏についても悪口を書いている。木村氏は、かねてから右翼系政治結社黒龍会と関係があり、思想的にはむしろ中道右派だった。 ところが、村山親政で致命的な失政が起こってしまった。村山社主家に、公私の別をわきまえぬ行為が重なったのです。そうして、昭和38年から、お家騒動が始まる。すったもんだのあげく、九州に流されていた広岡氏が、39年1月20日の取締役会で村山社長解任の動議を出し、それが通ってしまう。 彼はヒラ取締役から一足飛びに専務になり、その翌日、大阪経済部時代からの刎頸の友、森氏を論説主幹に据えるわけです。ここからずっと左翼路線が固まっていく。 稲垣 この「村山騒動」が、一つの転機になったんだ。確かにそれまでの朝日新聞は、左旋回してはいたけれども、それは社会全体が左がかってたから、その反映でもあった。そのころの朝日の社内は、言論はかなり自由だった。実際、社内にはいろんな人間がいたのです。森氏のような左翼的な連中がまだ人事権まで握っていなかったから、採用で、いろんな人間を入れていた。だから、当然意見も違うし、お互いに論争する場面もあった。 ところが、村山騒動後、いわゆる広岡体制になると一変するのです。というのも広岡氏の権力基盤は極めて脆弱だった。支配株は50%に満たない。それで組合員の持ってる株券を一所懸命かき集めたりした。 本郷 株式受託委員会ですね。これは、実は法的な資格を持っていなかったのです。法人格もなく、株だけかき集めるという体裁上の組織でしてね。しばしば職権まで使って株を広岡政権に集め゛翼賛体制″を作った。 ところが、出世願望の上役が、中間管理職に「おまえの部下に、まだ株を信託しないやつがいる。早く信託させろ」などと言ってくる。私などが、「冗談じゃない、なんで私有権を侵害できるのか。株集めなどは、職制を使ってやることじゃないでしょう」と言うと、「おまえ、そんなこと言ってたら将来ないぞ」なんて言われた。そういう時代がずっと続いた。 広岡氏が政権を取る以前は、社内に、非上場ながら朝日株の取引市場があり、「ある方がお辞めになるので、300株出ますよ」といった掲示が出てね。みんなが入札で買ったんですよ。ところがそれを、広岡氏らが全部潰して、職権を使って集めてこいとなった。はなはだしいのは、通夜の晩に担当者が行って「亡くなったご主人、1000株持っていたはずだけど、すいませんが社のほうに」と言って集めたりした。 稲垣 組合のボスを通じても集めたんだよ。そこで組合との腐れ縁ができたわけだ。 本郷 そのとおりです。 稲垣 つまり、そういうことで、広岡体制になってから、人事も連中が完全に握ったもんだから、左がかったやつばかり入れるようになった。つまり、明々白々の共産党員であると、親父もそうだし、共産党一家みたいなやつの子弟を入れたり、NHKの番組改変問題で話題となった本田氏のような記者も入れているわけですよ。 石川 ああ、本田雅和さん。 稲垣 ああいう記者を平然と入れているわけです。だから、事件が絶えないわけです。整理部の裁量を抑制し、職人集団に 稲垣 さっき広岡氏以前は非常にリベラルな雰囲気があったと言ったでしょう。左も右もいたしね。それから、自由にものをけっこう言えた。組合は組合でそれなりのことをやってたけど、縛るようなことはなかった。 本郷 私が入社した年の暮れに「九六スト」があった。このとき、編集局のカナメである整理部が、経営側の期待に反してストに加わったものだから、紙面の出来ばえが無惨になった。整理出身の専務だった信夫さんには、痛手だったはずです。 ところが、広岡さんが政権を取って、まずやったのが整理部の奪権です。それまで朝日新聞の大幹部になる人は、みんな整理の経験があった。緒方さんも美土路一さんも、信夫さんも長いこと整理をやっていたし、木村さんもそうだった。朝日の中では、整理をやらないと幹部になれないという不文律があったくらいでね。 なぜかというと、整理部門は編集局にありながら、号外をいつ出すとか、特別版をどう作るとか、こんな広告は載せられないとか、要するに社業全体を見渡していないとできない。その上、読者のニーズを理解しながら、これが今日の一面トップだとか、これは10行に削っちゃえというふうな仕事をやるのが整理部なんです。だから、整理を経験した人は、社業全般に通じることになる。 ところが、広岡さんには整理の経験がない。森さんも渡邉さんにもない。広岡知男さん以後の社長にも、整理経験者はほとんどいない。逆に、整理部を煙たがって弱体化した。 稲垣 私は整理に入ったときに「おまえらは、まずまっさきにニュース価値の客観的判断をする義務があるんだよ」と言われた。これはトップに値するのかどうか。あるいは3段にするかという判断をまずおまえらが判断せよと言われて、それで張りきったことがある。そうした気概や矜恃は今なくなってしまっている。 本郷 変わって、上から指示がくるようになった。 稲垣 そう、上から指示がくる。とくに広岡氏、秋岡家栄北京特派員の時代はひどくてね。秋岡氏の中国べったりのくだらない原稿をトップにしろとか、そういう指示が判断なしで罷り通るようになった。だから、見映えよく見えればいいという、整理職人になっちゃった。 石川 権限を失っちゃったんですね。 稲垣 私なんか生意気だったからね、大阪の整理部時代、森氏の感想文みたいなくだらない原稿を削って怒られたことがある(笑)。 本郷 それが東京だと、とんでもない事件に膨れてしまうんだよね。森氏が主幹になってからは、論説の原稿は事実の間違いがあっても、誤字や脱字があっても、整理部は手を入れられなくなった。整理部を職人集団にしていった。これは非常に大きな変化だな。言論の一元統制。左翼の常套手段だ。たとえば、広岡氏が政権を取ったあとの昭和41年だったかな。蒋介石の写真を使っちゃいけない、というお触れが出た。 稲垣 ああ、そういうことあったねえ。 本郷 理由の説明もなく、蒋介石の顔写真はダメとなった。整理部には、連絡事項を記した引継帳があり、毎日の業務の前に、必ずそれを見た上で仕事に入るのですが、そのお触れを呼んで、おいおい、馬鹿なこと言うなと思った。蒋介石は「徳をもって怨みに報いる」と言って、日本の兵隊を無事に返してくれた恩人じゃないか。まさか死んだときも顔写真を扱わないのかと、私が社内で大きな声を出したら「おい、おまえ、ダメダメダメ」とデスクに制止された。 稲垣 大阪の整理で経験したのは、文革時代に、毛沢東のマンガを載せちゃいかんと言われたことだったなあ。私も頭に来た。でっかい声で怒鳴ったら、みんな、顔を上向けている。ヒラメだってわれわれは言ったんだ。上ばっかり見てるやつがえらくなっていくんだ。段々、デスクにはなっても、何段に扱っていいかわからないような整理記者が偉くなる。そういう滑稽な時代が到来したわけですよ。無謬主義が始まったわけ 本郷 それから、これは私の大阪整理部時代だな。ちょうど文革で紅衛兵が騒いでいた時分で、しょっちゅう社内でも組合部会があった。みんなが、森さんなんかに媚びて、文革礼賛を合唱するので、『あんなもなぁ長続きせん。どだい、中国人てのは、歴史的に根は利己主義なんだ。簡単には変わらんよ』と言ったら、これもやられたな、こっぴどく。すごい中国崇拝派みたいなのがいて、これがまたアホなことばっかり言うわけですよ。 稲垣 戦前から、ソ連が社会主義の祖国と言われていたが、戦後、ソ連は日本兵の捕虜を国際法に反して長期抑留したり、虐待したり、その異常ぶりがわかってきた。旧満州に侵攻してきたときなんざ婦女暴行も多発したし、いくら口をふさいでも、復員兵が家族に言い、それが世の中に伝わってくる。スターリンの大粛清も、なんとなく伝わってきて日本の左翼のソ連に対する信仰は地に墜ちてしまった。そこへ代わりにやってきたのが中国であり、中共なんです。新聞で北京にはハエ一匹飛んでないとかね。そういう讃歌を平然と書いていたし、日本人の左翼の大半はそれを信じていた。 本郷 戦後間もなく中国礼賛の風を吹かしたのがいっぱいいたんだ。いわゆる文化人の中にもね。だけど、そういう連中を嘲笑って書いた記者もいたんだよ。広岡体制以前には、門田勲さんという大物記者がいて、「中共拝見」というタイトルで、いま読んでも実におもしろいことを書いている。ハエがいないなんてウソだと、ちゃんと書いているしね。 石川 それはいつごろですか。 本郷 昭和30年代の初め。30年の連載ルポ「中共拝見」のころは、まだ「中共」と書いてますよ。「中国」なんて呼んでません。中国と書けとか、北鮮と書いちゃだめだとか、北朝鮮と書いちゃだめだ、ちゃんと朝鮮民主主義人民共和国と書かなければいけないなんて言い出したのは、広岡体制以降だよ。アホな、まあ、くだらんことを大マジメにやった。しかも、今でもそうだけど、みんなそれに唯々諾々と従っていたんだ。 稲垣 それは偉くなりたいから、睨まれたくないからですよ。新聞記者にとって一番怖いのは何かというと、干されることで、次に飛ばされるということなんだ。干されれば、記事を書けなくなる。たとえ書いてもボツにされる。そのうち地方支局へ吹っ飛ばされる。こういうのが一番いやなんだよね。社が中国になびくと親中派になる奴もいた。中国産野菜の残留農薬問題が持ち上がり、輸入禁止になったさいも、わざわざ学芸部の記者が中国の現地に行って、中国の農民がかわいそうだと書いたりした。せっかく作った農産物が輸出できないと。平気でそう書いていたわけよ。学芸部が何で中国へ行かないとならないのかと思ったけどね。どうも学芸部の中にはそういう一派もいたんだよな。 石川 広岡さんが、朝日が偏向報道に走る礎を築いたという認識でお2人は一致するようですが、広岡さんご本人はどんな方なんですか? 稲垣 広岡氏は、まったく特定のイデオロギーも何もない。 本郷 そのとおり。私も彼は筋肉の男、権力指向の人間だと思う。 稲垣 東大野球部出身でね、体育会系なんだよな。深い思想を持ち合わせていたわけではない。 本郷 広岡氏が社長になってから、左傾紙面への統制が露骨に始まった。これは顕著でしたね。代表的なのは、さっきも言った整理部の権限を奪い、紙面へのコントロールをトップ・ダウンでやり、人事面でも素直に言うことを聞く人間だけを優先的に引き上げていった。 それから、「無謬主義」を植え付けたな。「朝日は絶対に間違えない」という信仰みたいなものです。なんでそんなになったかというと、さっき言った株の問題が密接に関係しているわけです。業務上のミスがあると、株主総会で村山社主家側から攻撃される。権力基盤が脆弱だから、そんなことがあっては絶対ならない、ということで「ノーエラー」が唱えられはじめ、これが基本になったということですよ。ところが、人間だからエラーをしますよね。するとどうするか、頬被りなんだよ。訂正しない。みんなが見ぬふり。みんな黙っている。 石川 エピソードってありますか。 本郷 それが典型的に表れているのは、『朝日新聞縮刷版』でしょう。そのころの『縮刷版』は、私ら整理が最終版を作ったあと、「縮刷直し」という作業をやった。読者に配る新聞には訂正を入れるが、永久に残る『縮刷版』には訂正を残さずに出版するために、訂正を引っこ抜いて、空いた穴を埋め記事で埋めて帳尻を合わせる。 ところが、当時、防衛大学校の教授だった佐瀬昌盛氏が朝日の論説記事が誤っている、おかしいと騒ぎ出した。すると、言を左右にして逃げまくるんだけど、結局、直さない。すると今度は、『縮刷版』だけ直していたと再び問題になったのです。 稲垣 『縮刷版』では文章自体を直していたんだよね。 石川 米ソの冷戦下の、中距離核ミサイルをめぐる問題でしたね。ミサイルが「導入された」とあったのが、佐瀬氏に『諸君!』で指摘され、「導入を決めた」とこっそり直してしまった。「導入された」と「導入を決めた」では大違いですね。 本郷 「無謬主義」も影響して、社内の人事評価は減点主義になっていったんです。エラーすると、もうあいつはだめだと。社員の採用も、どこを切っても同じような顔が出てくる。金太郎飴みたいな人間ばかり集めた。だから、いまでもそういう雰囲気が残っている。硬直化してね。 稲垣 そうそう。例のNHKの事件でもそう。あれも本田記者のやったことは、間違いなく大誤報なんですよ。政治家が事前にNHKの幹部を呼びつけた事実はないのに、呼びつけたと書いちゃったわけですから、これは明白な誤りでしょう。そういう致命的で重大な間違いがあるにもかかわらず、今度はご丁寧に検証委員会とかを、紙面に逃げ口上を出すために組織する。結局、それが事実であるとは断言できるような証拠はなかったという風ないい方をするわけです。この物言い自体が実にトリッキーで悪辣ですよね。記事に書いたことがウソだったのかどうかということなんですよ、要は。でもそうはいわない。結局はごまかしてるわけだよ。 石川 無謬主義ですね。 本郷 上に責任が及ぶから、担当デスクとか部長とかね。だからそういう組織を作って一所懸命にごまかす。 石川 なるほどね。 本郷 『諸君!』が、「朝日は日本のプラウダか」というタイトルの論文を掲載した時の、広告の話を覚えてますか。 稲垣 編集長が堤尭さんの時ですね。 本郷 そう。上智大学の渡部昇一名誉教授が、この表題で論文を書いた。内容は朝日の左翼偏向を衝いたものでした。当時、私は東京の広告局で、広告の掲載審査にあずかる部長だった。当時は、雑誌の広告などに社の名前が出ていたら、必ず社長室に持っていくことになっていた。で、その広告の原稿を社長室に持っていった。 そこで、「どう思うかね」と聞かれたので、「私はこれは載せるべきだと思います。なぜかというと、載せないと言ったら、それ見たことか、やっぱり朝日は日本のプラウダだと言われる。だから載せましょう」と言った。ところが、編集の最上層部が、絶対ダメだから断れというわけ。 石川 それは広告掲載を。 本郷 そう。要するに『諸君!』の見出しが、誹謗中傷だというわけです。 石川 覚えてます。「日本のプラウダか」という表題が印象的でした。 本郷 そうなんだ。そこで、掲載を断る意向を『諸君!』に伝えたら、堤氏が乗り込んできて、丁々発止やった。私は、内輪では、載せるべきだと突っ張ったもんだから、上司の広告局長が「君はもう引っ込んでいてくれ」という。業務の連中は、編集には逆らわない。上を見てるんだ。結局、広告局が広告掲載を断って、以来、出稿がなくなっちゃった。ケンカ別れ。 石川 それ以来、『諸君!』は朝日に出してないんですか。 本郷 そう。そういう「言輪の府」だったのよ。 稲垣 産経が報じた朝日の毒ガスの誤報だって中国戦線に従軍したという男から変な写真を持ち込まれたのがきっかけだった。これ、日本軍の前線から煙がモクモク立ち上ってるもんだから、あ、こいつは毒ガスだとなり、一橋大学の藤原彰という教授のところへ行って、「これは毒ガスじゃないでしょうか」、「間違いなく毒ガスだ」みたいになって(笑)。藤原教授は旧職業軍人だから間違うはずはなく、毒ガスか煙幕かの区別ぐらいつきそうなもんだけど、毒ガスだとお墨付きを与えたもんだからね。それを一面に出してしまった。 本郷 それを見てね、ヘンだなあ、毒ガスに色がついてたら、敵はみんな逃げちゃうじゃないかって、社内で笑っていたんだよ。そしたら煙幕だとなった。でも結局、何も訂正せずに終わってしまった。屁理屈機関の名人芸 稲垣 とにかく、朝日の社説でも論説の類ね。つまり、そういう事実に基づかないことを書くから、どうしてもそれをごまかす屁理屈ばっかり上達してくるわけよ。屁理屈のレトリックというのはいまや名人芸化している。でもどんな名人芸を尽くしても、どうしても自分に都合の悪いことがあるでしょう。そういうときは喧嘩両成敗にしてしまう。北朝鮮も悪いけど、それにちゃんと対応できない日本も悪いというわけ。喧嘩両成敗にしてしまうんだ。それが一つの例です。それもできないとなると、今度は言葉を失って黙っちゃうんだなあ。 本郷 叩いても揺すっても黙っている。いるじゃない、そういうやつさ。まったく卑怯だよなあ。 稲垣 都合の悪いことは絶対書かないんだね。初めから黙っちゃう。そういえば神戸で小学生の猟奇殺人事件をやったA少年な。事件発生直後の社説は冒頭で「言葉を失う」と書いてある。言葉が商売の論説委員が言葉を失ってどうするんだと思ったよ。その後は例によって例のごとく、社会が悪い、社会が悪いと言っていたけどね。この屁理屈たるや、もう噴飯ものだよね。 本郷 広告部門に転属になって、朝日がいかに評判の悪い新聞かがよくわかったよな。大阪で、冷蔵庫が爆発する事故があった。東芝の冷蔵庫が爆発。ドカーンと4段のゴシックで見出しが立った。何も「東芝の冷蔵庫が爆発」としなくてもいいんだけど、そんな見出しを立てる。しかし、調べてみると、冷蔵庫にガスライター用のボンベが入っていて、そいつが腐食してガスが漏れ、それにサーモスタットの火花が引火、爆発したというんです。東芝はまったく被害者で、何の瑕疵もない。何とか後追い記事を出してくれと懇願するんだけど、社会部は、「そんな必要はない、警察の発表どおり書いただけだ」と、こうなんだよ。で、関東者で分が悪い東芝は、やむなく全5段の謹告広告を出した。「爆発の新聞報道があったけれど、実は中にガスボンベが入っていて…」と。もちろん、朝日は広告料を取った(笑)。 それを聞いてね、これはひどいと思ったな。当時、科学部長が同期入社の男だったから、「メーカーが冷暗所に保存を、と勧めるガスボンベを冷蔵庫に保存するのは危険」と、科学的啓蒙記事を書いてくれといったら、「関係ありません」と、ニベもないんだ。こいつも社会部出身でね。 稲垣 朝日新聞で案外みんなに知られてないのだけど、科学関係の記事はお粗末なんだ。ウソが結構多いんだよ。たとえば、環境庁が、ポリカーボネートというプラスティックを給食用の食器に使えるかテストした。どこまで使えば使用が不能になるかという一種の限界テストだった。だから、高温の苛性ソーダの液で100回ぐらい洗った。そうするとポリカーボネートが白っぽくなった。それをあたかも実用テストであるかのように、100回洗ったら白っぽくなった。環境ホルモンも溶出した(実際は許容濃度以下)ので、普及事業も中止されたと書いた(これもウソ)。それで環境庁は抗議する。これは耐用テストで実用テストじゃない。でも全然知らん顔ですよ。陰湿な社内いじめ 石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。 稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。 GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。 「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。 本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。 ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。 石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。 稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。 石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。 稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。 本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。 稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。 本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。 稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。 本郷 そう。実に陰湿なんだ。『中国の旅』の舞台裏 石川 ところで、たとえば本多勝一さんや秋岡さんはどういう記者だったんですか。 稲垣 本多勝一氏の『中国の旅』を例に挙げると、あれは、広岡社長命で後藤基夫編集局長を使った周恩来独占会見と連動している。このやり方は、やはり後藤編集局長の金日成独占会見のときにと同じやり方よね。これは、宮田浩人という朝鮮総連べったりの記者によるものでしたが、会見取材に合わせて連載をやって「北朝鮮では学費は要らない、全部ただだ」と、ベタベタに賛美するんだよね。 本郷 本多氏の場合は『カナダエスキモー』などの、要するに゛冒険ダン吉″で確立された名声が利用されたんだな。面白い作品を作らせたのは名物社会部長だった田代喜久雄氏(のち編集担当・テレビ朝日社長)ですよ。それを広岡一派がうまく使って、日中に使ったというわけですよ。でも、もともと゛冒険ダン吉″だから、政治や思想のことなんか何もわかりはしないのです。 稲垣 向こうが言ったことをそのまま書くわけだからね。 本郷 それは自分でも言っているよ。「僕は聞いたまま書いただけなんだ」と。 稲垣 『中国の旅』が始まると、当時はまだ旧満州の関係者が生きていたから、猛烈な抗議がきた。「これは全然、事実とは違う」というわけです。撫順炭鉱で死んだ中国人を万人坑に投げ込んだと書いてあるが、撫順炭鉱は露天掘りで普通の炭鉱とは違う。事故なんて起こるはずがないじゃないかという抗議がきた。 本郷 平頂山事件にしても、私のはるか先輩で、満鉄社員の息子だった人が、「これウソだ」と社内でも言っていたし、「これは違っている」と、OBが大勢、会社に抗議に来たが、それを…。 稲垣 全部門前払いしたんだよね。本多氏自身は私は中国の言うことをそのまま書いただけだから、文句があるなら中国に言ってくれと、こういう言い草をしていた。私はそれを聞いてびっくり仰天したけどな。 本郷 いや、それは方便であって、実態はプロパガンダに自ら加担したんでしょう。それがプロパガンダであることは社内でも多くの人がわかっていたじゃない。罪深いですよ。こういう抗議が来ているという情報は、社内でさえ全部抑えたし、OBからの疑問にも同じ態度ですよ。 さっき私は朝日の一つの特徴に無謬主義を挙げたけれど、もう一つ、「ぬるま湯体質」を挙げたい。それは、朝日にじっとしていると、月給はいいし、少しずつ地位も上がっていくわけです。そこで、会社を飛び出るのを覚悟で喧嘩するなんて、馬鹿じゃないのかという空気が生まれていくんですよ。もともと、みんな平和主義の優等生だしね。林彪、拉致事件の内実 石川 広岡-秋岡時代の林彪事件報道のときの雰囲気を聞かせてもらえませんか。北京特派員だった秋岡さんは、林彪の失脚を否定しましたが…。 本郷 後に推理小説家になった伴野朗上海支局長が、中国の放送、新聞を地方でもあれこれ調べて、何かおかしい、林彪失脚があったらしいと『週刊朝日』に書いた。 石川 稲垣さんが副編集長時代ですか。 稲垣 その前です。すると、広岡にゴマをする社内の魑魅魍魎どもが、ワッと週刊朝日編集部に来て抗議した。「そんなこと書いて済むと思うか!」という言い方でやられるわけよな。当時の編集長が「何だ!それでは戦前の新聞と同じじゃないか」と怒った。当時の特派員だった秋岡氏は後で、西園寺公一の秘書から、実際に林彪事件があったのだと聞かされているわけだが、それは朝日の本社には伝わらなかった。 彼は辞めたあと、日中学院という語学学校に行った。朝日も金出してやったんだろ。日中学院の幹部に据えた。 本郷 そのあとも、人民日報の日本総支配人になったはずだ。 稲垣 北京支局長経験者で日本語版の中国の雑誌「人民中国」の編集幹部に行く人もあった。こうなると、北京のご機嫌を損じるようなことは書けなくなる。将来の就職のことまで考えてしまうからね。 石川 秋岡さん自身はその林彪事件のときに、失脚していないと、しばらく言ってた。後に笑われるわけですよね。そのことについてはご本人はどう受けとめてるのでしょうか。 稲垣 何も言ってない。都合が悪いことは黙ってるんだよね。 本郷 それで、何か言われりゃ、親分の広岡氏を指させばいいわけでしょ。 稲垣 広岡氏は広岡氏で「私が悪いのではなく、私は最大の被害者だ」と言うわけでしょう。でも広岡氏は中国のご機嫌を損じるようなことは書かなくていい、そこに、いるだけでいいと明言しているわけですよ。歴史の証人としていればいいと言っているわけです。でも秋岡氏は歴史の証人として、本当の歴史を書いたことなんかなかった。彼はもともと、外報部時代から、文章の書けない記者として評判だったんだよ。 石川 秋岡さんが? 稲垣 そう。文章、へたくそですよ。読んだらわかるよ。読むに耐えない。 本郷 外報部記者のなかには、えてして文章の書けない記者がいる。作業としては、横書きの資料を縦書きにしているだけという記者が案外多いんだ。結局、本多氏も秋岡氏も謀略や宣伝に関してはまったく無知で、それは広岡氏も同じだったと思う。ジャーナリストとしては失格です。 稲垣 慧眼の士を志すということがまったくないんだね。 石川 北の拉致問題の場合はどうなんですか。 稲垣 この問題では、朝日は明白なウソをついている。たとえば、産経より先に朝日が拉致問題を書いているという記事を出しているけれど、それは違うんだよ。 石川 久米裕さんに関して最初に朝日が報じたという記事(昭和52年11月10日)ですね。 稲垣 それは工作員の絡んだ拉致事件として書いているのではない。単なる密航事件として書いているわけだ。それを最初に拉致問題を書いたのは朝日新聞だと、金正日が拉致を認めた後で平気で紙面に載せるけれど、これは誰が見ても明白なウソなんだよ。ウソを平気で通してるうえに、しかもその記事のおかげで、朝日は名誉を救われたと書く馬鹿まで出てくる。 石川 縮刷版をめくって真偽を確かめるためには、かなりの手間がかかります。 稲垣 普通の読者は、記事を読んで、ああ、そうなのかと思って終わり。そういう読者の実態を、高をくくった上でウソを書くわけだ。だから、朝日新聞は眉に唾つけて読まなきゃいかん。まあ、その楽しみもあるけどさ(笑)。だけど、本当によくこんなにしらじらしいウソをつくなというのがある。朝日が書いて初めてニュースという思い上がり 本郷 もう亡くなったが、和田俊氏は覚えてますか。ポル・ポト政権を賛美した。 稲垣 ああ、和田さんね。あれは、カンボジアにはいないで書いたんだよね。 本郷 微笑みの革命とか何とか。 稲垣 いい加減な作文を書いちゃうわけ。ウソで固めた作文を書かせると実にうまい。 石川 いわゆる57年の教科書問題というのは、朝日だけが誤報したわけでなかった。朝日が書いたこと自体は、全社横並びでどの社も書いた。ただ、朝日の釈明は変だったという印象がある。 稲垣 あれは謝っていないんですよ。 本郷 それは、さっき言った無謬主義と通ずるし、それから、あらゆる報道は、朝日が書いて初めてニュースになるんだという、そういうアタマがどこかにあるんだね。朝日の人間は、平気でそういう愚かなことを口にして憚らないからね。 稲垣 傲慢だね。朝日の書かないものはニュースじゃないと、こう言っているわけだからね。だから、もちろん、拉致事件なんか朝日が書かなきゃ存在しないわけだよ。 本郷 思い上がりもはなはだしいんだけど、それがいいと思っている。朝日の常識は、世間の非常識なんだ、ほんとに。そういうことを平気でやってきたんだ。 稲垣 まったく根拠のない思い上がりがあるんだよね 石川 それはいつごろからですか。 本郷 広岡氏以降に確立したと思ったらいいですよ。 稲垣 戦前から多少あったけどね。 石川 昔は、左は左でも、あるいはリベラルはリベラルでも、言論の自由はあったわけですよね、稲垣さんとか本郷さんが入ったころ、あるいは入る前には。 本郷 あのころの新聞小説で映画になったのは、ほとんど朝日だね。朝日に連載小説が載ると、講談社とか文春から出版され、それがすぐ映画になった。そういう時代があった。政界を見ても朝日出身の国会議員が四十数人、閣僚経験者も大勢いた時代があった。だから、朝日はどの世界でも別格、という感じさえあったね。 石川 そうですね。石井光次郎さん(副社長・第五次吉田内閣運輸相)とかね、政治家以外でもそうだもんね。 稲垣 下村海南(宏・副社長・NHK会長)もそうでしょ。緒方竹虎(副社長・第五次吉田内閣副総理)、美土路昌一(社長・全日空社長)ね。ところが、これに対しては、大阪サイドでは、新聞人が政治家になる、付き合いを深めるべきではないという冷ややかな見方もあった。緒方竹虎批判というのは大阪で隠然とあったのです。 本郷 そう言えば、信夫さんは大阪整理育ちで、この人は政界とまったくつきあわず、財界ともつきあわなかった。わずかにつきあいがあったのは文人墨客ですよ。石川達三だとか井上靖、池島信平とかね。みんなゴルフ仲間だな。ある意味で正しい。戦後では、この人の時代が朝日が商売のジャーナリズムとしては一番繁栄してますよ。 企画催事もそうだ。南極探検だとか、いろんな展覧会。広岡氏の唯一の功績は、電算編集かなあ。でも、これも厳密には日経が先行しているし、読売に部数を抜かれるのも昭和52年だったか、広岡氏のときだ。抜かれると、「君ねえ、新聞は中身だよ」と言った。それまで部数だ、部数だって、さんざん言っていたくせに、本当に御都合主義でね。 稲垣 最初に言ったけど、朝日の新聞の内容というのは、ずっと戦後の容共左翼の世界を反映してるんだよね。戦後の日本の左翼というのは、つまり戦前戦中、日本の軍部のアホさ加減のイメージをそのまま受け継いでいる。現実を見ないからで、ただ観念で遊んでるだけだからさ。たとえば、必勝の信念があれば必ず勝てる。負ける、負けると言うやつがいるから負けるとかさ。朝日はこれと全く似ている。 戦争を放棄した憲法9条さえあれば日本は侵略を受けることはないとの観念論から長い間日米安保に反対し続けてきたんです。 現実を見ないという、いわゆる戦前の病弊をそのまま引き継いでる。これが最も端的に出ているのが朝日新聞の社説ですよ。つまり、現実をありのままに見ようとしないで、自分に都合のいいように解釈して、見ようとするから、いろんな無理が生ずるわけです。それは、その場は繕えても、しばらくするうちにすぐバレるわけだな。そうすると、今度はそれを知らん顔してネグるか、それとも弁解するときは、いわゆる喧嘩両成敗方式。どっちも悪いとしたら、これは一番楽なのよ。 本郷 自衛隊の海外派遣なんてとんでもないと言ってたのが、何か変なこと書くからね。後になって。 稲垣 最初は絶対反対だったのに、なぜぐずぐずしていたんだ、みたいなことを書いているでしょ。よくみると、実におかしな主張をする。相も変わらぬ論説の体質 石川 いまの朝日新聞、秋山社長が、解体的出直しを宣言しましたが、昔に比べると変わっているのでしょうか。 本郷 私は最近、変わってきたなと思うことがある。とくに中国報道ね。もう、かつてのように相手が嫌がることは書かないとか、きれいごとだけ書いてればいいという時代ではなくなってきている。それは何故か。インターネットの影響ですよ。たとえばきのう、おとといの事件が、隠しようがなく流れるでしょう。 6月に起きた貴州省の少女強姦事件で、1万人クラスの暴動が起き、みんながハンディカメラで撮影してそれを流すわけでしょ。自由社会で最初に報道したのは、フランスのテレビですよ。それをやると、バーッと他のメディアも取りあげる。そうすると、嫌がることは書くなとはいえないし、逆に何やっているんだ、おまえらは!となってくる。 たとえば4月の朝日の紙面では、中国で虐げられている活動家がどんな目に遭っているか、9人並べて紹介してましたよ。こういうことは、かつてはとても考えられなかった。もはや、上からの統制は利かないし、むちゃな統制もしない。真実の流れに任せていこうという姿勢が、秋山社長になって芽生えていると思う。 石川 社内の風土は。 稲垣 いままでのような中国報道では、読者に決定的にソッポを向かれる。世の中の雰囲気がね、『諸君!』とか『WiLL』とか、もちろん『正論』、そういう雑誌もあるけれどさ。それに週刊誌も全部中国のいろんな悪いところ、欠陥を洗いざらい書いてくる。それは、結構浸透しているでしょう。 しかも、決定的なのが毒入りギョーザ事件だな、中国はやっぱりおかしい、気をつけないとどうごまかすかわからないと国民がしっかり認識しているし、中国のやり方がばれて、呆れられているわけでしょう。インターネットで情報を直接入手できるから、新聞を読むと、いかにウソが多いかがわかる。だんだん見放されてくるんじゃないかと思うな。中国に下手に迎合したような記事を書いたら、自殺行為ですよ。そういう意味で、社会状況が変わってきたんだよね。 本郷 中国に対する日本の国民感情が急速に変わっているでしょ。ギョーザ事件でも、結果として中国が嫌いという声が6割ぐらいあり、東シナ海のガス田の問題でも、中国という国は気を付けないといけないぞ、という警戒感が広がってきています。 中国の所得格差なんかの問題でも、NHKが特集でやるでしょ。これはとんでもないことになってきたぞと、国民がわかってくるわけでね。それからこの間の長野のオリンピックの聖火ランナーの問題ね。これも、ひどい。ひと様の座敷で、あんな旗を振り回して、いったい何様なんだという反応が、次から次に出てくる。 稲垣 毒ギョーザ事件でも紹介された無菌豚でも飼っていたのかと思わせる作業室の映像もすごかった。ピカピカに磨いた部屋を、これが作業室ですって中国は平気で出すでしょう。あれを見て、誰もが「これはウソだろう!」と思う。中国は臆面もなく出しているけど、それがウソだと思われていることを知らないんだよ。気がつかない。 いわゆる聖火リレーのときでも、フランスで轟々たる批判があったけど、屈強の若者に制服着せて、青シャツ隊にして、ランナーの周りを取り巻く。チベット旗でも持っていようものなら殴りかかる。そんなことを長野まで来て平気でやっているわけですよ。そんなことやったらかえって日本人の反感を買うぞということに気がつかないんだよ。中国という国は、もともと非常に酷薄な社会なんだよ。だから自己主張も120%までやらないと通用しない。「独りよがり」は旧日本軍とウリ二つ 石川 稲垣さんも、やっぱり朝日新聞の最近の中国報道は変わってきたと思いますか。 稲垣 うん、ちょっと変わってきたのは事実だ。少しまともにやれば、多少は取材力はあるし、優秀な記者もいないことはないから、それなりの成果は上がるんですよ。だけど、以前はひどかったし。しかし変わったのは報道関係に限った話だね。論説は相変わらずだな。 本郷 だから、私は論説委員室を廃止しろと言っている。けど、まだ相変わらずだね。定年になったことだし、若宮啓文氏(前論説主幹)の降板は大いに観迎だったけど、まだ「本社コラムニスト」で残っている。ああいう人間を支持する同志が、いまだにいるんです。 石川 論説は変わらない気がしますね。記事と論説が全く逆のときがある。 本郷 新旧の交代中は、それはしょうがないかも。 稲垣 まだね、論説、社説のほうは、ああでもない、こうでもないと屁理屈を言っている。東シナ海のガス田開発も社説は、共同開発に協力すべきだと書いてるわけですよ。 本郷 しかもまた、それに迎合してる政治家や財界人がいるんだよなあ。 石川 これだけは朝日新聞に対して言いたいことがあればどうぞ。 稲垣 私はもうじき死ぬけども(笑)。朝日も、もうちょっと往生際をよくしなさいよと、これを言いたいな。自分が悪かったこと、間違ったことは素直に認めてね。それで再出発しないとダメだ。そこに初めて生きる道もあるかもしれんけどね。メディアの役割自体が変化している中で、未だに本土決戦みたいなこと言ったってだめだよ。 本郷 とにかく朝日には、頭でっかちな秀才みたいなのばかり入るわけだ。ところが、日本人が言う「秀才」は、非常に間違って認識をされてるんだね。要するに、試験ができればいい、ということなんですよ。だから、先生が教えてくれたことをきれいに覚えてきて、そのとおりに答案を書けば、優等な成績を取って、進学校に入って大学入試も受かる、入社試験もとおるわけだ。 しかし、人間は間違うんですよ。間違ったときに、「私は間違うはずがない」と間違うのが、日本型の秀才なんだな。朝日では、それが無謬主義になっているから、世間の常識が社内では通用しない。この間の、鳩山前法相を「死に神」にしたコラムなんかも、後であんな言い訳を書いてみたって、ちっとも謝ったことにならないし、釈明になっていない。 そこに気づいてくれれば救いがあるが、気づいてないでしょう。逆に、己が正しいと、世間を見下す。役人の世界によくある行動パターンが、朝日人の本質みたいなところにもできてしまっていると思うんだよね。稲垣さんが言ったように、往生際が悪いのもそのせいよ、ほんとに。 稲垣 教科書を一所懸命読んで、教科書どおりに書いて、いい成績を取ってきたやつがそのまま入って。朝日に入っても、教科書どおりのことを書いてるから。 旧海軍と一緒なんだよ。日露戦争で、日本海大海戦で勝った東郷元帥の書いた教科書を、何十年もそのまま拳々服膺してやったらね、ボロ負けしたわけだな。それが最後までボロ負けするということに気がつかないというところが、また悲劇なんだよな。 朝日の論説の本質は「独りよがり」です。日本の敗戦の要因となったレーダー開発の遅れも、夜戦をお家芸としていた日本海軍の水雷屋連中が「そんな強力な電波を出したら、忽ち敵にこちらの位置を知られる」と強硬に開発に反対したからです。 しかし、敵がレーダーを開発すれば、夜でも一方的に狙い撃ちされる。同様に日本が戦争を放棄しても戦争は日本を放棄しない。憲法九条があるからといって金正日が日本への武力攻撃を遠慮するなんて有り得ない。それを阻止しているのは九条ではなくて日米安保です。九条に依存する朝日は「独りよがり」そのものでしょう。 本郷 いや、私はだから、朝日新聞の役割はもう終わったんじゃないかと思うことすらある。だから、ネットの時代に本当に生き残りたいなら、本気で換骨奪胎しなきゃだめよと言っている。往生際が悪いですよって。 石川 長時間ありがとうございました。 稲垣 武氏(いながき・たけし) 昭和9(1934)年、埼玉県生まれ。京都大学卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」副編集長を経て平成元年退社、フリージャーナリストに。「悪魔祓いの戦後史」で第三回山本七平賞受賞。正論でマスコミ照魔鏡を長期連載していたが、病気のため現在自宅療養中。 本郷 美則氏(ほんごう・よしのり) 昭和9(1934)年、北海道生まれ、湘南育ち。早稲田大学新聞学科を卒業後、1959年朝日新聞社入社、社会部、整理部などを経て、広告局、研修所長などを歴任。1994年、定年退職。フリージャーナリスト、評論家として、多彩な文筆活動を続けている。