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    吉田証言より酷い!「朝日」のニューギニア慰安婦報道

    がない。 平成10年7月、ラク氏一行が日本政府に補償を求めるために再来日した。待ってましたとばかりに朝日新聞は、「旧日本軍被害の補償求め来日」「パプアニューギニア民間代表団」という三段見出しで次のように報じる。「当時の日本軍の食料不足を背景に、少しずつ被害状況が明らかになってきた」とし、「少なくとも7748人が殺され、1万6161人の女性が慰安婦とされた。さらに2388人が人肉食の被害にあったという」と。 さらに一行の帰国に際しても、朝日は社会面の真ん中に五段分の囲み記事で報じる念の入れようであった(8月3日付夕刊)。 「南太平洋の声届かず」とタテに大きな活字、ヨコには「戦後補償求め3カ国から来日」「外務省に『生き証人信じて』」と書いている。 3カ国というのはパプアニューギニアのほかに、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦のことである。そして、「際立ったのが、パプアニューギニアで進んでいる被害調査の最新データだった。犠牲者と生存者、遺族合わせて被害者が約9万5000人にのぽり、人肉食の被害が二千三百余人、約6500人が強姦殺人……として驚くべき具体的な数字を次々と提示して、政府側に補償を迫った」とする。 国会議員の仲介で政府との会合が実現したが、外務省、内閣外政審議室、アジア女性基金の反応は『いまひとつだったといい、引率役の高木健一弁護士が「人肉食など日本軍が記録するはずがないじゃないか」と反論したことなどを報じている。 高木健一弁護士といえば朝日新聞同様、「従軍慰安婦」問題で大活躍したお馴染みのご仁である。 紙面のトーンは明らかに補償を認めない日本政府が不当と言わんばかりである。大量の人肉食、強姦殺人などが事実かどうかという視点などまるっきりない。日本側のウラ付け調査をする気など、はじめからなかったに違いない。日本側の反論 陸軍では二〇、四一、五一の各師団の将兵から、海軍にあっては主だった部隊から偏りのないように人選し、直接会い、あるいは電話、書面による聞き取り調査を行った。31人から回答を得ている。 回答にほとんどブレはなかった。慰安婦、強姦殺人については完全に一致した回答が得られ、人肉食については多少のブレが見られたものの、小さな違いにとどまった。今回の報道に対する反論を2、3紹介しよう。 「之が日本の一応一流と目されるマスコミのする事かと驚きあきれるばかり、腹だたしい限りです。ニューギニアの苦難の中で戦って来た私共戦友達の目からは許し難い出鱈目報道と嘆かはしいばかりでなく、之が何も知らぬ一般読者に与える悪影響が憂慮される次第です」と書くのは黒崎薫氏(五一師団、終戦時大尉)である。 「戦争の実態、戦争の悲劇も知らない者が、よくもこんな記事を書いたものだと憤慨に堪えない。現在自分が平和な日本で暮らして居られるのは誰のお陰なのか。祖国のために散華した兵隊たちのお陰ではないか。……地獄のニューギニアで散華した戦友達は、母のいる祖国に還りたくてもジャングルの土となって未に帰れないのである。戦友の慟哭が聞こえて来る様な気がし筆が震えて書けない」と記すのは、諸田照吉氏(陸軍航空部隊、曹長)である。 第十八軍の軍属として、現地人を説得しながら食料集めに苦労した後藤友作氏は、「生きて帰ってきた一人として、こんなくやしいことはない」と話す。後藤氏は東部ニューギニア戦友会の世話役であり、ニューギニア関連資料の収集家でもある。 ここで「アイタぺ戦」に進む前の日本軍の状況を簡単に記しておきたい。 十八軍所属の軍医としてニューギニア各地を転戦した故鈴木正巳少佐は、『東部ニューギニア戦線』(戦誌刊行会、昭和56年)のなかで、マダンを撤退(昭和19年2月頃)し、アイタペ、ホルランジャの集結地を目指して最後の力をふり絞る十八軍の残存将兵の姿を次のように描いている。 「ハンサヘ、ウエワクヘと、西方に向かって日本軍の大移動が続いている。陸路を歩いているどの兵の顔でも疲労の色が濃い。ぼろぼろの服、ぱっくりと口が開いた靴を蔓でからげ、腰には尻当てをだらりとたらし、杖をついてよろよろと歩く。これが申し合わせたようなニューギニア日本兵のスタイルであった」 崖からの転落、落石による犠牲、濁流に呑まれ、熱帯で予想もしなかった凍死なども加わり、二千余の死者を出した標高4000メートル級の「サラワケッ卜越え」、つづいて4000人の行方不明者を出したフィニステル山系を縦走しマダンに向かう「ガリ転進」、これらの苦難に堪え、生き残った五一、二〇師団をはじめとする将兵たちが、かつて東進した道を逆に西へと歩を運ぶ姿の描写である。 ハンサからウエワクまで170キロ、アイタペにはさらに160キロが加わる。途中、セピック、ラムの両大河がつくる泥水と底なし沼のデルタ地帯が待ち構えていた。空からは間断のない爆撃、海には高速魚雷艇が行きかう。加えて飢餓とマラリアなど病魔との戦い、勝ち目などあるはずもなかった。 こうしてウエワクにたどりついた将兵などをもって、最後のアイタぺ戦(昭和19年7月~8月)に挑んだのである。火力の差はいかんともしがたい。退却する海岸道はいたるところにドクロのような死体があり、臭気が一面に満ちていたという。そのなかをやせ衰えた兵が三々五々、幽鬼のように東へと落ちて行く。そして現地人の協力を得ながら「自活」という耐乏生活の道を切り開いてゆく。この将兵たちが、命綱ともいうべき現地人を強姦し殺害し、そのうえ大量に食ったとまでいうのである。慰安婦は一人もいなかった 性奴隷/慰安婦問題から報告したい。『週刊朝日』は1万2718人(朝日新聞は1万六千余人)の現地人女性が日本軍の性奴隷/慰安婦にされたと報じた。 だが、31人の回答者全員、東都ニューギニアに日本人を含め慰安婦は一人もいなかったし、慰安所など一カ所として存在しなかったというのである。さらに、何人かは西部ニューギニアについても同じだったと指摘する。回答は先に引用した『戦場パプアニューギニア』の記述と完全に一致している。 東部ニューギニアのラエから西部ニューギニアのデバまで足跡を残したという花輪久夫氏(陸軍二二飛行場大隊、曹長)は、「ニューギニアに慰安婦など居りません。断言いたします」と明言する。そして、「根も葉もないことを書き立てる」とし、野戦病院で身動きできない戦傷病患者を火炎放射器で焼き殺し、息のある者も穴に埋め、戦車のキャタピラで均したのは連合軍だったのだといい、日本軍の非ばかりを断罪する報道に痛烈な批判を寄せてきた。 慰安婦を「聞いたことも見たことも無かった」とする吉川正芳氏(五一歩兵団司令部、中尉)も、一連の報道を「馬鹿げた事で話にもなりません」と書く。青木修兵衛氏(四一師団二三九連隊、副官)も慰安婦は「いなかった」と明言し、海軍・第三一防空隊一等兵曹の高野修作氏もまた、自分のよく知る「ウエワクに慰安婦はいなかった」と話すなど、全員が慰安婦の存在を真っ向から否定している。 慰安婦が一人もいない以上、「性奴隷」もなにもあったものではない。それが1万人以上の自称「慰安婦」が名乗り出て、あれこれ証言したという事実の方が問題である。ニューギニアは貨幣のない世界であった。だから、慰安婦という職業もなかったろう。そのなかったはずの慰安婦がこれだけ出てくるのは、何ものかの入れ知恵がなければ起こるわけがないのである。 それとも、朝日新聞社は東部ニューギニアに慰安婦がいたという確実な証拠を持って書いたとでもいうのだろうか。混血遺児が一人もいない つづいて強姦殺害である。右のように慰安婦はいなかったと書くと、そうならば強姦が日常的に起こったはずだと主張する人間が出てくる。日本軍といえば即、悪という反応だけで書き連ね、ウラを取るなど考えようともしない。強姦して殺害するなどという行為がそうそう起こるとでも思っているのか。 「現地人たちは皮膚病などで不潔であり、そんな気を起こす日本兵が一人としていたとは思えない」と否定するのは梶塚喜久雄氏(四一師団、大尉)である。 この見方は回答者全員に支持されている。「その通り。マラリアに冒され、栄養失調の将兵は全く性欲なし」と川田浩二氏(海軍主計大尉)も全面否定する。 兵士は若い盛りに違いなかったが飢餓と隣り合わせであり、「当時、日本兵は栄養失調、マラリア、大腸炎等でとてもそんな気になる筈がない」と古川静夫氏(二〇師団、少佐)も指摘する。そんな余裕のある戦局ではなかったというのである。 「現地人(当時は現代よりもっと不潔)は異様な臭気、排便後は肛門を土でこすって始末する。その様な対象にSexする気が起こるでしょうか。まして動物性蛋白質欠如による栄養失調の体で。ニューギニア戦の実態を知らないこと甚しい」といい、記者が何も分かっていないと記すのは海軍軍医大尉・渡辺哲夫氏である。 できれば右の証言は書きたくなかった。また回答者も同じ気持ちだと思う。生還者は連合軍との戦場になったことで、パプアニューギニアの人たちに迷惑をかけたとの認識と、戦時中に彼らからよくしてもらえたからこそ生きのびたのだとの感謝の気持ちを強く感じている。 オーストラリアによる人種差別政策が現地人の白人嫌いを引き起こし、これが日本に有利な働きをしたのは事実と思う。だが、前述の『戦場パプアニューギニア』によれば、「戦場で倒れた死傷者に対するパプアの対応は、豪州兵の感情に決定的な影響を与えた。死者は敵味方の区別なく丁重に葬る。負傷兵はいたわりながら、はるか後方の基地まで送り届ける。倒れている日本兵も同じ扱いを受け捕虜となった。豪州兵の間に深い感動がわき起こったのは当然だ」とあり、豪州兵の家族への手紙には、例外なくパプアヘの感謝の言葉が書きこまれていたという。 現地人はわれわれ現代人にない、あるいはとうに忘れていた「やさしさ」を有していたのではないか。現地人を悪くいう人に出会ったことがない。 遺骨収集などで訪パすることの多かった元将兵は、現地の人たちが今も協力的であることなどから、もっとも日パ友好を願っている人たちなのである。その日パ友好に水を差すようなことを書きたくはなかった。が、書かなければ冤罪が晴らせないのである。 さらに強姦が事実でないとする客観的な状況証拠が存在する。 第十八軍の作戦補助参謀であった堀江正夫氏(少佐、元参議院議員)は一連の報道について、「荒唐無稽なのは常識で考えてもわかるではないか」といい、強姦殺害について次のように指摘する。 「第一、強姦が事実なら、混血の遺児がたくさん出たはずです。しかし、ニューギニアに遺児は一人もいません」という。 堀江氏の主張には説得力がある。朝日報道が事実なら、現地には日本人との混血がゴロゴロしているはずである。戦後、多くの人たちが遺骨収集のために東部ニューギニアを訪れた。だが、東洋系との混血児を見たという人はでてこないのである。 後藤友作氏(軍属)は前後9回、延べ150日間、須藤レポートにあるクンジキニ村を含め、各地の集落を回ったが混血児を見ていないといい、梶塚喜久雄氏(四一師団)にいたっては百回もこの地を訪れているが同じ結果という。 6回訪れた亀田英二氏(五一師団)は、「日本人との混血は見ていないが、白人との混血はいた」と話す。白人との混血者を見た人はほかにもいる。この混血児がどういう理由で生を受けたかはっきりしないが、日本人と白人とは清潔に対する感性が異なるのではないかとの指摘もある。 ともあれ、東洋系との混血児のいないことは、この地を訪れた人なら一目瞭然だったはずである。記者ならぱ当然持つべき疑間すら持たずにルポを書く。書かれる方はたまったものではない。それとも、強姦したうえ片端から殺害したから遺児は一人もでなかったとでも主張するつもりなのだろうか。人肉食について 性奴隷/慰安婦、強姦殺人が荒唐無稽であることは明らかであろう。このうえ、原住民の人肉食犠牲者1817人という話をどう信じろというのだろうか。 一人を除く全員が「見たことも聞いたこともない」と否定し、一人が「事実かどうか分からない」と強調しながらも、「ラエ、サラモア方面であったと聞いたことがある」と答えている。ラエ、サラモアはアイタペとは反対方向にある。 日本兵同士による人肉食のあったことは間違いない。故鈴木正巳軍医は、「苛烈な戦争を戦いぬいた十八軍にとって、唯一の恥部ともいうべき部分」とし、戦友の遺体を損壊、嗜食した事実を認めている。 このことを察知した軍は憲兵を派遣し、禁を破った兵を銃殺にしたという話が生還者の間につたわっている。連絡のとれた憲兵軍曹は戦友にも確かめたうえで回答を寄せ、「銃殺があったのは事実」とし、人数は不明ながら取り調べたのは「10人以下」とのことであった。 第十八軍参謀・故田中兼五郎中佐は戦後のラバウル裁判に弁護側証人として出廷、「日本軍の緊急処断令では日本軍人もおよそ70名処断されている。このうち40名は敵前逃亡および抗命の罪、30名は人肉嗜食の罪によるものであった」(岩川隆、『孤島の土となるとも』)と証言しているから、少なくとも30名程度がこれに関係したといってよかろう。 豪州兵に対してであるが、豪州側の調査資料および遺棄死体を口にしたという日本側証言もあることなどから、少数ながら起こったことと判断している。 「日本軍はオーストラリア人に何をしたか」と副題のある『知られざる戦争犯罪』(田中利幸メルボルン大学教員)に記述された豪州側レポー卜については、日本側のウラ付け調査がほとんどないという点を指摘しておく。 ラバウル裁判における日本側弁護人、松浦義教氏の緻密な日記のうち、裁判終了後に記した感想を紹介しておきたい。レポートの性格を知る一助になるはずである。 松浦氏は、初期の裁判では「真実こそ力である。真相を明らかにしさえすれば被告は救われる」という姿勢であったが、「それはまったく甘かった。彼らは真相を求めているのではない。処刑処罰の手掛かりを求めているだけだと悟った」(『真相を訴える』、元就出版社、平成9年)と記している。 アイタペ戦のあと、生きのびた将兵はアレキサンダー山脈を越え、セピック河流域など食料の得やすい地へと移動して行く。自活の道を求め、再起を待つといっても、当面は現地人から食料を分けてもらうしか方法がない。 日本名を「カトウ」という酋長のいる村落に、数人で「居候」となった尾川正二氏(二〇師団、下士官)は、このときの現地人について次のように記している。「未開といわれる彼らの、内面の明るさ、ある意味の気高さは、人間の本源に根ざすやさしさからくるもののように思われる。伸びやかであり、広い」(『東部ニューギニア戦線』、図書出版社) だが戦場となれば、日本軍側につくか連合軍側につくか、現地人が選択を迫られる場面がでてくる。日本軍が現地人に銃を持たせ、戦わせたことはなかったが、豪州軍は現地兵(土民兵)を組織し銃を持たせた。 このなかで、昭和19年12月のチンブンケ事件が起こった。チンブンケ村に駐在していた分遣隊19名(四一師団)が現地人、豪州兵の奇襲をうけ18人が死亡、残る1人が重傷を負うという事件を発端に、これを知った日本軍による報復殺害が起こる。事件の当事者、浜政一大尉(後に渡辺)は、手記(『丸』、昭和47年3月号)を残し、村民約150人を殺害したとしている(現地側では約100人)。 逆のケースも起こった。敗戦直前の昭和20年8月9日、二〇師団の野戦病院に対し顔見知りの現地人が奇襲をかけ、平賀病院長(少佐)以下約20人を蛮刀などで殺害したものである(ルニキ事件)。 小規模なものはこのほかに起こったかもしれないが、知られているのは右の2例ぐらいである。 不幸な事件もあったが、アイタペ戦以降も両者の関係はおおむね友好的といって間違いないと思う。でなければ、最後まで日本軍に協力し、その罪により3年間投獄(判決は絞首刑)されたウエワク一帯を支配するカラオ大酋長のような存在があるわけがない。 まして、現地人を殺害したうえ食うなどということが起こったなら、カラオ酋長をはじめ勇敢な彼らが黙っているわけがない。たちどころに周辺集落につたえ、音もなく近づいた彼らに徹底的に報復されていたであろう。彼らを敵にまわしたら生きていけないことを日本兵が一番よく知っていたのである。 宇佐美晃氏(五一師団、曹長)は、現地人から兄弟のように助けてもらったといい、「原住民が親切にして呉れたので、私たちは日本へ帰ることが出来たのです。今でも感謝して居ります」という受けとめ方がごく普通なのである。 あったという確かな証言はないが、ウワサがあったこと自体は事実と思えるし、日本兵全員に確かめる方法がない以上、現地人に対する人肉食問題がまったくなかったとは言えない。ただ、豪州裁判でこの問題による受刑者はなかったようだし、かりに人肉問題が起こったとしてもごく少数、それも死体損壊の範囲だと結論づけてよいのではないか。報道責任とわれわれ 化学兵器(種類不明)による死傷者1867人について、「化学兵器はなかった」と一致した回答を寄せていることを報告するにとどめたい。 今日までの朝日新聞社の日本軍にかかわる誤報を数えあげたらきりがない。 昨年8月、「記憶はさいなむ」の表題で連載され、「後悔しない、うそじゃないから」と報じた元兵士の慰安婦連行の話が、真っ赤なウソであったことが秦郁彦・日大教授によって指摘された(『諸君!』11月号)。 また、「虐殺証言、若者に届いたか」と報じた中国における毒ガス事件(8月13日付)についても、本誌12月号で柿谷勲夫氏が指摘しているところである。そして、パプアニューギニアに関するこの報道である。 これらの報道に共通する点は、記者がウラをとろうと考えた気配が見られないし、現にウラをとっていないことだ。今回の問題でも、木本良次氏(船舶工兵五連隊、大尉)が週刊朝日編集部など朝日側に抗議をつづけているが、その後日本側を調査したという痕跡は見られない。こんなアンフェアな報道があってよいのか。 日本軍といえば即、悪という紙面作りをする一方、日本軍にかかわる誤報が、朝日の手で正された例が一つでもあっただろうか。私はその例を知らないのである。この新聞社がわれわれ日本人の利害、国益にとってどういう存在なのか、しかと見きわめなければならない時期にきていると思う。 そしてこのような報道姿勢が、自浄作用によって是正されると期待するのは幻想と思うし、変わるとすればわれわれの対処の仕方にかかっていると思う。その意味で、今回の報道について一人でも多くの人に事実関係を知ってもらうために、関心を持つ読者のクチコミを、また知らせる手段をお持ちの方々の協力をお願いしたい。 過去から教訓を得、将来に生かすことは大切である。だが、日本軍といえば悪の権化とし、国に殉じた兵士に一片の敬意を抱かずにただただ貶めていく姿勢とは、はっきり決別しなくてはならないと思う。

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    朝日新聞に謝り方を教えます!

    間違った時は、徹底的に謝るしかない。妙に言い訳をしたりすると、相手の怒りはかえって増す。従軍慰安婦大誤報の謝罪を見ていると、朝日は本当に謝り方を知らないとつくづく思う。

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    わが友、木村伊量社長への「訣別状」

    政治評論家 加藤清隆  朝日新聞社長、木村伊量君との出会いは、私が時事通信のワシントン支局にいた頃です。  それまで一緒に仕事をしたことはありませんでしたが、ともに早稲田大学の出身で同じ政治部だったこともあり、ワシントンでは家族ぐるみで親しくさせてもらっていました。  木村君はテニスが好きで、奥さんは全日本アマで上位になったテニスプレイヤーということでした。  また、大阪フィルハーモニー交響楽団がシカゴに来ることを聞きつけ、一緒にコンサートを聴きに行ったり、九六年のアトランタオリンピックではアトランタ総領事(当時)で共通の友人である宮本雄二さんに招かれて私と妻、娘二人の四人と、木村君は奥さんと義母の三人で数日、一緒に過ごしたこともありました。  今年の十月二十日に東京のイギリス大使館で大英帝国勲章を授与されることが決まったときも、彼は真っ先に私へ電話をかけてきて「立会人になってほしい」と言ってくれた。  勲章の授与は彼がヨーロッパ総局長時代、ロンドンに駐在していた縁でしょう。彼がロンドンにいた当時、私の娘をイギリスに留学させることになり、彼には後見人にもなってもらいました。  家族ぐるみで仲良くさせてもらい、彼とは親友と言ってもいい親密な関係でした。 “あの事件”までは。  きっと、彼もそう思っていると思います。  事の発端は、慰安婦検証記事をめぐる私と彼とのやりとりを載せた八月二十日発売の『週刊文春』でした。あの件に関して「加藤は木村を文春に売った」と言われますが、実際に彼とのやりとりを公にしたのは、朝日の慰安婦検証記事が出たすぐあとの「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)の収録の時です。その放送後、マスコミ各社から取材が殺到しました。 木村君からの最後のメール  取材は全て断っていたのですが、『週刊文春』の記者だけは自宅まで来たので、そのまま帰すのもかわいそうに思い、喫茶店で一時間半ほど話をしました。  記事ではほとんど使われませんでしたが、基本的に『文春』の取材は「そこまで言って委員会」内の発言に対する確認にすぎません。  十七社会という政治部長時代の仲間がふた月に一度集まる私的な会合があり、私も木村君もメンバーでした。慰安婦検証記事が出た八月五日にその会があり、三十分ほど早く着いた私はたまたま、彼と一緒になりました。  そこで私は、彼にこう忠告した。 「木村君、吉田某の証言を虚偽として訂正したなら、きちんと謝罪して社内の処分をしないといけない。それですべてケリがつくわけではないけれども、それくらいしないと大変なことになるよ」  ですが彼は、「歴史的事実は変えられない。だから謝罪する必要はない」と繰り返すだけでした。 「そんなことを言っていると、君も朝日もいまに大変なことになるよ」と言ったのですが、彼は聞く耳を持ってくれませんでした。その後、二十日発売の『週刊文春』の記事を読んだのでしょう。木村君からすぐに、「勲章の授与式には来ないでくれ。理由はわかってるでしょう」という内容のメールが届きました。  はっきり申し上げますが、私は彼を貶めてやろうなんて意図は微塵もありません。むしろ、親友として彼を心配して忠告しただけの話なのです。  結果、朝日は部数は減る、広告も逃げる、ひょっとしたら木村君は国会に参考人招致されるかもしれない、と私の考えていた「大変なこと」がいま、起きている。  あの時、彼が私の忠告どおりにしていたら、ここまで悪い状況にはならなかったどころか、今ごろは“救世主”になっていたでしょう。  私は若宮啓文氏や植村隆氏を早期退職させたり、先輩の吉田慎一氏をテレビ朝日の社長に転出させる朝日の人事を見ていて、木村君が「過去の慰安婦誤報を清算する」環境を密かに整えているのではないかと思っていました。  そして八月五日、検証記事が出た。私は「ついにやった!」と歓喜しましたが喜びも束の間、どこを読んでも謝罪の言葉がない。  しかも、一面には編集担当の居直りとしか思えないような文章まで載っている。期待していただけに落胆も大きなものでした。 朝日は真相を隠している  私は昔から木村君との個人的な関係は別にして、朝日を厳しく批判してきました。  慰安婦問題などおかしいことだらけです。植村記者の捏造記事においても、本来なら朝日ソウル支局の特ダネのはず。それをなぜわざわざ大阪本社から植村記者を呼び、取材させたのか。新聞社の常識からしてあり得ません。意図的な捏造でないとしていますが、私は朝日が真相を隠していると思っています。  若宮氏は『文藝春秋』(二〇一四年十月号)で、「政治部は訂正したほうがいいと主張していたが、社会部が聞き入れなかった」などと書いていましたが、問題の本質は朝日の慰安婦報道が正しいか正しくないかです。慰安婦問題を社内の派閥問題にまでレベルを下げて議論すること自体、ナンセンスです。もはや報道機関としての体を成していない。  最近、植村氏が非常勤講師を務める北星学園大学や、朝日の元取締役の清田治史氏が教授を務める帝塚山学院大学に、彼らを辞めさせろという内容の脅迫文が送りつけられて問題となっています。清田氏は脅迫とは関係ないと言いながら、早期退職しました。  言論には言論で対抗する、それが大原則です。脅迫文を送りつけるような蛮行は言語道断ですが、彼らを擁護する団体「負けるな北星!の会」のメンバーの主張もいかがなものでしょうか。  中島岳志氏や山口二郎氏の名前を見ただけで、「朝日擁護派」の集まりであることは一目瞭然です。彼らの口から朝日への批判などまず出てきません。朝日を批判する雑誌メディアはけしからんという論陣です。  彼らが、朝日批判派への反転攻勢の機を窺っているのは目に見えています。彼らのような存在が捏造を三十年以上も放置させ、朝日の傲慢を許してきたのではないか。  第三者委員会にしてもそうです。朝日批判派が一人も入っていない。そもそも、報道を生業とする新聞社が自身で検証できないのは、ブラックジョークでしかありません。  ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは捏造記事を出してしまった際、自分たちで大々的に検証を行いました。 新聞を読む学生は七人  そんな拙劣な対応ばかりが続き、国会参考人招致への気運が徐々に高まっています。参考人招致は、NHKの籾井会長が会長就任会見での発言を問題にされた例や、九三年にテレビ朝日の椿貞良社長(当時)が日本民間放送連盟の会合内での発言を問題にされた“椿事件”の例などもあり、可能性としてはゼロではない。  もし木村君、あるいは編集局長が参考人招致されれば社会に相当なインパクトを与え、朝日が大ダメージを受けることは想像に難くありません。  新聞社の参考人招致は言論の自由に反するというような言説が一部で出ていますが、言論の自由を主張するには誤報した際、直ちに訂正・検証する義務が伴います。言論の自由とは、捏造を放置することまで許す権利ではありません。自浄能力がないにもかかわらず、言論の自由を主張することはできません。  朝日は意識的か、あるいは無意識かわかりませんが、靖國問題や南京大虐殺、慰安婦など、特定アジア、ことに中国の利益になるような報道ばかりしてきました。  中国には超限戦(情報戦)という戦術があり、次の三つに分類されているそうです。 ①世論戦 ②法律戦 ③心理戦  中国はこの三つの分類に沿って、どうすれば日本を貶め、利益をむしり取れるかを常に画策しています。  朝日はじめ、毎日、共同通信などは超限戦の手助けをしてきたと言っても過言ではないでしょう。沖縄の独立や普天間基地問題などの報道もそうです。沖縄が独立し、普天間がなくなり、どこが一番得するのかといえば、紛れもなく中国です。  もし、左翼メディアが中国の利益になるとわかったうえでこのような報道をしているとすれば、刑法の外患誘致罪以外のなにものでもありません。   私が朝日問題で最も恐れていたのは、読者が新聞業界全体に不信感を持つことです。これがいま、現実になりつつある。  私の聞いた話では、朝日の部数減だけでなく、読売などの部数も減っているといいます。朝日の部数減は対岸の火事ではないのです。 新聞消滅のシナリオ  若者の新聞離れは顕著に表れています。私が学校などで講演するとき、学生たちに必ずする質問があります。 「毎日、新聞を読む習慣のある人はいますか」  数年前、静岡県の中高一貫校で講演した際、約一千五百人の生徒に右の質問をしたのですが、手を挙げたのはたった七人でした。  彼らは十三~十八歳の若者です。あと十年以内に社会人になる。二十年経てば社会の中心にいる。彼らがそのまま成長していけば、新聞を読む習慣のない人間が社会を回していくことになる。  新聞を読む習慣は一朝一夕で身につくものではなく、若い頃からの習慣が肝要です。怖いのは、新聞を読まない人は週刊誌や月刊誌、本も読みません。そういう人たちがマス(大衆)になっていくことへの危機感が私にはあったのです。  そうならないようにするためにも、新聞は相互批判して業界全体を盛り上げていかないと、新聞、あるいは紙の媒体は消滅してしまうのではないか。  私が時事通信の解説委員長をしている時、新聞協会報にそのことを書きました。なにかしら反響があるのではと思っていたのですが、どこからも反応はありません。新聞業界に私と同じ危機感を持っている人はいないのか、と憤りさえ覚えました。  私はそういう危機感からも、朝日はきちんと謝罪・訂正をしなくてはいけないと思い、親友として、木村君に忠告をしたのです。  十七社会のメンバーの一人からは「木村は可哀想、お前が余計なことを言うからこんなことになったんだ」と批判されましたが、では彼とのやりとりを黙っていればよかったのでしょうか。私はそうは思いません。  朝日から圧力があったのか知りませんが、私の勤めていた時事通信社も「事情聴取したい。応じなければ就業規則違反だ」とまるで警察のようなことを言ってくる始末。これでは何も発言できなくなると「そこまで言って委員会」の朝日問題特集の収録の直前に辞表を出したのです。  ただし、木村君の事前了承なしにあのやりとりを公にしてしまったことに対しては申し訳ないと感じています。その件についてはメールでお詫びしましたが返信はなく、彼とはそれきりです。 木村君、朝日を変えてくれ  私は彼に謝罪するつもりはさらさらありません。時が経ち、どこかで偶然会って手打ちになるか、あるいは彼に恨まれたまま死んでいくか、それはわからない。  木村君と仲違いした私ですが、彼の能力については高く評価しています。「朝日を廃刊に追い込むべきだ」「木村社長は直ちに辞任すべきだ」とする主張がありますが、私は賛同できません。近くで彼の仕事ぶりを見てきましたが、朝日政治部のなかで彼の能力はダントツでした。  風通しが悪く、上司のご機嫌ばかり伺っているヒラメ記者ばかりの朝日を改革できるとすれば彼しかないと私は思っていたし、いまもそう思っています。  最悪の対応が続き、いま朝日は滅亡への道を突き進んでいるように見えます。ここまで事態が悪化してしまっている現状では大きな変革は難しいかもしれません。ですが、木村君には朝日の抜本的な改革に命を懸けてもらいたい、それがいま、私が彼に望んでいることです。かとう・きよたか 1952年、長崎県生まれ。77年、早稲田大政経学部卒業後、時事通信社入り。政治部配属。ワシントン特派員、官邸キャップ、政治部長、解説委員長などを経て2014年9月に退職。現在は政治評論家として活動。拓殖大客員教授。朝日新聞に関するiRONNAのテーマ■朝日新聞がいま為すべきこと(花田紀凱編集長)■朝日が誤報を認めても韓国人は変わらない(前田守人編集長)■朝日新聞が日本を嫌いな理由(小島新一編集長)

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    櫻井よしこが徹底追及!「慰安婦」「吉田調書」 偽りの謝罪

    ジャーナリスト 櫻井よしこ 朝日新聞社が九月十一日、記者会見を開き東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消しました。 会見に臨んだ木村伊量社長は「所員の九割が吉田氏の待機命令に違反し撤退した」とする五月の報道を否定し「東電社員がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になった」として記事そのものを取り消し「読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします」と述べました。 私がまず気になったのは朝日新聞が誰に謝っているのかということでした。彼らはまず「読者と東電所員」に謝っています。しかしこの出来事の本質を考えると、まず謝るべきは日本国民全員だったのではないでしょうか。確かに東電と所員は朝日報道に直接巻き込まれて濡れ衣を着せられたわけですから、彼らへの謝罪は当然だと思います。 しかし、朝日新聞の記事によって「福島の英雄」たちは実は怖くて逃げ出していたのだ、と世界中の外国のメディアは発信しました。今年四月に韓国で起こった大型旅客船「セウォル号」の転覆・沈没事故になぞらえ、「韓国のセウォル号に匹敵する責任放棄だ」と報じた外国メディアもありました。セウォル号では事故後、乗客を置き去りにして船長はじめ乗員が逃げたという失態が起きましたが、それと命を懸けて事態の収拾に尽くした「福島の英雄」が同列視され貶められたのです。これは日本人全体の名誉に関わる問題です。その意味で朝日報道の罪は重く、まず彼らは日本国民全員に謝罪すべきだったのです。相変わらずの自己弁護 記者会見を受けた翌日十二日朝刊を見ても言い訳と自己弁護は相変わらずでした。なぜこんなことになったのか、という経緯の説明では、機密を扱う記者の数を絞り込んだため、チェック機能が働かなかった─と説明しています。しかし、ジャーナリズムを掲げる新聞社としてこんな説明は通用しないでしょう。特ダネやスクープを手掛ける際、出来る限りの少人数の精鋭で、絞り込んで取材に臨むのが常だからです。 ニューヨーク・タイムズを出し抜いてウォーターゲート事件をスクープした際、ワシントン・ポスト紙で核心を掴んで取材したのは二人だけでした。その二人が厳しい二重三重のチェックを互いに課しながら、情報の真偽を確かめ事実を確定し、積み上げてスクープをものにしたのです。そうした事例と比べると今回、朝日が「取材源を秘匿するため、少人数の記者での取材にこだわるあまり、十分な人数での裏付け取材をすることや、その取材状況を確認する機能が働かなかった。紙面掲載を決める当日の会議でもチェックできなかった」とした説明が如何にお粗末か。もしこれが本当なら朝日の記者は、たとえ精鋭であっても情報の真偽すら確認する能力を有しないということになります。 朝日が「撤退した」と述べた東電職員は六百五十人にのぼり、福島フィフティーと呼ばれた人は実際には六十九人を数えました。だから総勢七百人以上の現場関係者がいることになる。ところが、ジャーナリストの門田隆将氏は、朝日は誰一人としてインタビューをしていないと指摘します。 さらに記事の作成過程も問題だらけです。確かに吉田所長の調書には《私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第二原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと》という件が出てきます。 しかし、その前後を読んで見ると、調書はこうなっています。 《本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGM(幹部)クラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。いま、二号機爆発があって、二号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、これから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して…》 つまり、吉田所長は2Fに行けと言っていないけれども、行くとしたら2Fかという話をした。それが、伝言ゲームのように2Fに行け、と伝わった。そこで幹部から帰ってくることにした─というわけです。 朝日の記事ではこうしたくだりは悉く削られています。吉田所長は「考えれば2Fに行った方がはるかに正しい」─とも語っていますが、それも記事にはありませんでした。実際に1Fに戻って仕事をしている幹部もいました。逃げたのであれば戻っては来ないでしょう。最後まで読めば、誰もがわかる。なのに、朝日は吉田所長の「2Fに行った方がはるかに正しい」というのは事後的な感想に過ぎず、必ずしも必要なデータではないと考えて盛り込まなかったと説明しましたが言い逃れです。 当時、原発の二号機が危機的な状況にあるという認識が吉田所長には強くありました。もし、ここでサブチャン(圧力抑制室)が爆発などしようものなら、強い放射能が拡散されてしまう。その時に第一原発の屋外などに職員がいようものならとても危険だ。第二原発に行った方が良かったと考えたわけでしょう。それが「(1F周辺で)何時間も退避していて、死んでしまうよね」という発言になったのです。 一方で、今いる免震棟は屋外よりも一番安全な場所ではあっても食べ物も足りない、トイレもないという過酷な状況が続いていました。限界に近い状況のなかで、踏みとどまって頑張っている職員、主としてホワイトカラーの人達をこのまま残しておくのが妥当なのか。自分自身が撤退する気は毛頭無いが、必要な人数だけ残して、それ以外の人達は今のうちに安全なところへ退避させたほうがいいのではないかと考えて、決断するわけですね。 調書には、最初四十人くらい行方不明者が出たと聞かされたとき「本当に行方不明になったら自分はここで腹括って死のう」と考えたという件がありました。吉田所長らは死ぬ覚悟をしていたのです。 予想外の困難に命がけで立ち向かった人達に対して「逃げた」─それも所長の命令に違反して─という報道は人間的に許せない。朝日の記者の人間教育はどうなっているのか、とさえ考えてしまいます。反原発のためなら、人間の名誉や誠実さなどは無視しても良いのか、という思いもこみ上げてきます。何よりもまず全体状況を把握したうえでの判断がない。なぜか。それは自分達の思惑に沿って報道することを優先したからだと言わざるをえません。 記事の取り消しが遅れた理由を見ても朝日の説明は狡猾だと感じました。他社は報道したけれども肝心の調書を全て持っていない。自分達は調書を持っている。だから自分達の判断が正しいという考えは変えずに訂正しなかった─というのです。 吉田氏と事故調との間には調書を公開しないという約束がありました。政府には吉田氏との約束を守らなければいけないという思いが、当然、あるわけです。従って公開しないだろう、公開できないだろうから他社は入手出来ないだろう。従って朝日新聞の判断を出しても否定されることはないだろうと考えていたとしか思えません。その一方で紙面では政府に吉田調書を公開せよ、と突きつけているわけです。こうした姿勢は公正ではありません。尊大で狡い姿勢だと思います。他人事で論じて欲しくない 吉田調書をめぐる報道と慰安婦をめぐる報道は根本的にとてもよく似ています。ある特定の意図がまずあって、それに向けて見合った事実を当てはめていく─そのために公正な判断は後回しにされてしまうという共通点です。 九月十四日付朝刊に星浩特別編集委員が「(日曜に想う)事実と正直に向き合いたい」と題して次のようなことを書いています。 《政治記者の仕事は、取材でできるだけ多くのファクトを集め、寝る前の風呂に入る時に、日本の明日、一週間後、一カ月後、一年後、十年後がどうなるかを考える。それを毎日、更新していくことだ…(中略)…だから、今回の慰安婦問題と「吉田調書」報道の記事取り消しは、悔しくてしようがない。慰安婦問題の吉田清治氏の証言が事実かどうか、なぜもっと早く点検できなかったのか。吉田調書を、なぜ思い込みを捨てて淡々と読み込めなかったのか。池上彰氏のコラム掲載を見合わせたことも併せて、私たちは猛省しなければならない》 星氏は今回の二つの問題を完全に自分とは切り離しているようです。「なぜもっと早く点検できなかったのか」とありますが、他人事のように言わないでほしい。朝日を代表するコラムニストがなぜ、これまで点検しなかったのか、というのが私達の抱く当然の疑問です。 私自身の体験でいいますと、一九九六年秋に横浜で開かれた教職員の講演会で「慰安婦は強制連行ではない」と講演したことがありました。当時は朝日の主張がまかり通っていた時代で、かなり激しいバッシングにあいました。私の発言が正しいことは、今は広く認識されていますが当時はそうではなかった。事実をいっているのに散々叩かれ、排除される。慰安婦の強制連行は間違いない、日本が悪い、こうした方々を助け、賠償しなければならない。こういう主張が大手を振ってまかり通っていたのです。では、このように主張した人達は例えば秦郁彦氏の研究に目を通していたのか。事実は何かとまじめに考えてきたのか、といえば決してそうではありませんでした。 秦氏の調査結果は九二年に、またその前に済州新聞の女性記者のレポートも明らかにされていました。私はそれらを読み「慰安婦は強制連行ではない」と確信し、その他の取材ももとにして発言していました。では朝日の人たちはどうだったのでしょう。「朝日新聞」という看板の影に隠れて、秦氏の研究などに真摯に目を通すことがなかったのではないでしょうか。星氏は「事実をできるだけ集めて考える」という記者としての教育を受けたそうですが、朝日がやってきたことはそれとは逆で一方の事実だけを集めて論陣を張っていたといわざるを得ません。未だ謝罪なき慰安婦報道 慰安婦問題についても記者会見で木村社長らは謝罪しました。しかし、この謝罪は記事を撤回することが遅れたことに対するお詫びに過ぎません。撤回したのは吉田清治氏の証言を取りあげた記事だけで、それ以外の記事に対するお詫びはありません。また八月五日と六日の両日に掲載された検証特集記事の中身について、会見では「自信を持っている」と述べています。国際社会の対日非難や日韓関係に与えた影響や禍根などは第三者委員会に委ねるということで、朝日自身の反省などは全く語られませんでした。特に批判を浴びている植村隆記者の記事には全くといっていいほど触れず、真摯な反省は伝わって来ませんでした。 勤労女子挺身隊と慰安婦を結びつけた植村隆元記者の記事は意図的に「挺身隊は慰安婦ではない」という事実に目をつぶったとしか言いようがないものです。八月の検証特集記事で、朝日は、慰安婦について十分な学問的研究がなされていなかったと強調しました。しかし、あの当時生きていた韓国の人達は、勤労女子挺身隊と慰安婦が全くの別物だということは常識として知っていました。それは誰かに確認すれば簡単に確認できる類いの話です。吉田清治氏の吹聴した済州島の女性狩りもそうです。前川惠司氏のように朝日新聞にいながら自分が聞く限り、嫌がる女性を強制的に連れて行って慰安婦にした例は全くありません─といった記者もいたわけです。朝日社内でも強制連行はなかった、という意見があったわけです。そう考えると植村氏の報道は意図的な捏造だとしか考えられません。報道ステーション検証の問題点 同じ朝日系のテレビ朝日の報道ステーションは記者会見があった当日に慰安婦問題の特集を放送していました。朝日新聞が慰安婦報道で誤報を認め謝罪した─という内容でしたが、番組では名乗り出た慰安婦として金学順さんを報道していました。しかし、金学順さんが女子挺身隊と全く関係がなく、家が貧しく十四歳の時にキーセン学校に親から四十円で売られたこと、さらに十七歳のときにキーセン宿のオーナーによって日本軍のいる慰安所にまた売られたことなどは一切触れずじまいでした。 彼女はそのことを訴状にも書いていましたし、一度たりとも「自分は女子挺身隊の一員だったが騙されて慰安婦として強制連行された」とは言っていませんでした。ここは朝日が作り上げた部分ですが、朝日新聞もテレビ朝日も頬被りしたままです。 植村氏が挺身隊と慰安婦を結びつけ、強制連行したと書いた。このことがどのような感情的な反発を韓国側にもたらしたのか。これも記者会見で説明はありませんでした。小学校を卒業したくらいの女の子から二十代前半のうら若き女性達を強制連行して軍の慰み者にしたと書いたのですから、それが事実ならどこの国の人だって怒る話です。 朝日新聞は今になって慰安婦問題は女性の人権問題であると言い始めています。確かにその通りです。慰安婦という存在を日本は未来永劫作らない、繰り返さない。繰り返してはいけないという思いはほぼ全員が共有しているといってよいでしょう。慰安婦として売られた貧しい女性達に対する同情もほぼ全員が共有しています。 しかし、日本がこのことで責められる唯一の理由はそれが軍などによる組織的な強制連行だったということと、もうひとつは十二、三歳のいたいけな少女まで対象にしたという二点があるからです。これはいずれも朝日がつくり出した事実無根の─捏造と言っていいでしょう─物語によってもたらされたものです。そこのところを無視して女性の人権問題だというのは明らかに論点のすり替えです。 女性の人権問題であるということは万人が認める話ですし、日本人は皆反省しているといっていいでしょう。ただ、女性の人権問題だという以上、中国や韓国、米国やドイツなどにも同じような話はあって見逃すことはできないはずです。占領中の在日米軍も然り。朝鮮戦争の米軍も、ベトナム戦争における韓国軍など、同じような話は少なくないわけで、同様に反省を求めていかなければ筋が通らない。日本だけが批判されるのは、紛れもなく朝日がつくり出した前述の二点が原因だと強調したいと思います。その種を蒔いた朝日は全く答えていないのです。 朝日新聞は慰安婦を性奴隷だと規定したクマラスワミ報告は吉田清治証言だけで成り立っているのではない、という論法を取っています。これも自己弁護以外の何者でもありません。クマラスワミ報告の出発点も紛れもなく日本軍による強制連行と、挺身隊と慰安婦を混同したことに原点があります。 朝日が審議を委ねるという第三者委員会にはどのような人が集められるのか。リベラルで朝日寄りの識者らが集められて朝日の「自己弁護」に利用されたり、都合の良い結論が導かれるようでは見識が問われることになるでしょう。本末転倒の朝日報道 ジャーナリズムにおいては事実を事実のままに伝えることが大事です。コップを上から見ると丸く見えるが横から見ると四角に見え、視点を変えて斜め上から見るとコップの全体像となる円柱に見える。このように、視点を工夫することで実態を言葉で伝えていくのがジャーナリズムです。 しかし、朝日はそういう努力をしていないように思えます。むしろ、自分達の信じるひとつのイメージを故意に作り上げようとするのが、朝日新聞なのではないでしょうか。 結論があって、そこに到達するために報道をしている感じがします。事実を伝えるよりも先にイデオロギーを伝える、そのために事実を活用している。どうしても本末転倒に思えます。 私は先月号の座談会で朝日新聞のしたことは廃刊に値するといいました。その気持ちに変わりはありません。 しかし、大事なことは廃刊が目的ではないのです。問うべきは十分な反省もできないで、きちんとしたジャーナリズムができるのか、ということなのです。 はじめは英文も出していませんでした。後に会社のウェブで公表しましたが、朝日新聞は日本の名誉を傷つけたことをもっと真摯に受け止め「日本に批判が集中している慰安婦問題で、私達は致命的な誤報をしました。日本のメディアとして非常に恥ずかしいことだ」というメッセージを自ら世界に発信すべきだと思います。 今、韓国では「右翼から攻撃されている朝日新聞を何とか助ける方法はないか」といった議論が起きているそうです。反日の旗を掲げる韓国メディアに擁護される朝日の姿が朝日問題を象徴しているようです。日本のメディアとして、朝日新聞の存在意義はどこにあるのかと問いたい思いです。 池上彰さんの原稿掲載が中止になった─誰が見てもおかしな判断ですが─時、多くの朝日の記者が疑義を唱えたそうです。良いことですが、「では、疑義を唱えた朝日の人は慰安婦問題についてどう考えているのか」と思ってしまいます。 三十二年間もの長期にわたって事実を正さずに頬被りできる感覚自体が新聞社としてどうなのか。吉田証言について事実に真摯に向き合えと朝日新聞は訴えてきました。その自分達は事実にこれほどの長期間、頬被りできる。そして今なお自己弁護に明け暮れている。「この新聞は果たして大丈夫なのか」という思いが強まるのは当然です。櫻井よしこ氏 ハワイ州立大学歴史学部卒業。日本テレビ・ニュースキャスターなどを経てフリー・ジャーナリストに。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞、第26回正論大賞を受賞。平成19年、国家基本問題研究所を設立し理事長に就任。著書に『宰相の資格』『日本の試練』『甦れ、日本』『明治人の姿』など多数。

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    潔さに欠け 往生際が悪すぎる

    湯浅博往生際が悪い朝日新聞  その前夜、ある言論人から「朝日新聞が明日の朝刊で、ついに慰安婦問題の検証記事を載せるらしい」との情報が寄せられた。朝日による誤報や誤用が、どんなに日本と韓国の関係をこじらせてきたことか。 朝日が真摯に事実と向き合って訂正・謝罪をすれば、日韓関係はもちろんのこと、米欧からの対日感情が好転するきっかけになるのではないかと考えた。 ただ、新聞記者として「報道内容が事実と異なった」と既報内容を取り消すことは苦渋以外のなにものでもなく、その勇気を待ちかねていた。 自社の慰安婦報道を検証すると決定して以来、誇り高き朝日人にとっては恥辱の日々であったに違いない。社内に検証チームをつくり、過去の報道ぶりを子細に点検し、正邪を仕分けする作業は憂鬱な仕事である。やむを得ざる場合には、新聞社を支えてきた先輩記者を追及しなければならない。 誤りを認めて報道内容を取り消し、そのうえで読者にどうお詫びするのか。あるいは、しないという選択肢はあるのだろうか。 検証チームのキャップと記者たちは、その重圧と戦ってきたのではないか。「存亡の道、察せざるべからざるなり」で、よくよく熟慮が求められる。 日本を代表すると信じた新聞社の浮沈と、国際問題に発展させてしまったことへの責任と、なにより事実の追求を旨とするジャーナリストとしての誇りとの葛藤になる。なぜなら、最終的に社の幹部の指示と手直しの筆が入るだろうからである。練られた掲載のタイミング 八月五日、その日の朝日新聞朝刊の取り組みは、私が期待したものとはほど遠いものであった。一言でいえば、潔さに欠けて往生際が悪い。一面の左肩で「慰安婦問題の本質 直視を」と見出しを掲げ、編集担当の杉浦信之氏が署名記事でエッセー風に事の末を書いていた。 だが、読者がこの見出しだけで取り消しや訂正記事と判断するのは、ほとんど不可能である。実際に私の周囲でも、朝日に目を通していながら気づかない人が多かったのはそのためである。「慰安婦問題の本質 直視を」などと、いまさら朝日からお説教を読まされてはたまらないからだ。 それは新聞人の悲しい性で、訂正はできるだけ目立たぬよう記事のなかに埋め込み、新聞のダメージを「極小化」する本性が表れてしまう。 で、その一面の署名記事を読み進めると、様々な手法を駆使したダメージコントロールの“名文”であることが分かる。「論点を整理した」という見開き二ページの検証記事「慰安婦問題を考える」に繋げる形で、全体を見事に集約している。 ただし、その手法とは「転嫁」「曲解」「相殺」「すりかえ」であったと読み取ることができる。もう一つ、「無視」というのもあった。 掲載日のタイミングも、周到に練られていたと思われる。朝日にキバを剥く週刊誌の発売日は毎週木曜日で、定期購読者である私どもには水曜日に届けられる。 検証記事の掲載日となった八月五日はその前日の火曜日であり、とても締め切りには間に合わない。ましてこのときの週刊誌はお盆休みの合併号だから、次の発売は二週間後になって、途端に情報の鮮度は落ちるだろう。 つまり、朝日は孫子の兵法でいうところの「天の時を知る」との便法で一気に勝負をかけたと思われる。 「火を発する時あり、火を起こすに日あり」(火攻篇第十二) 事の発端は、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言にある。吉田氏は戦時中に、「山口県労務報国会下関支部」の動員部長だったと自称している。 この人物が書いた『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』に触発されて、朝日は一九八二年九月、「済州島で二百人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」とする吉田氏の発言を鵜呑みにした。これが日韓の歴史認識を大きく歪める結果に繋がる。 それは単純明快であった。悪玉を発見したことで人間の闘争心がかき立てられ、その悪玉を善玉が除去していくことが正義になった。韓国紙は朝日の記事をヒントに独自解釈を施し、活動家が介在して米国に“輸出”され、やがて国連の人権委員会に届くことになる。 しかし、産経新聞が九二年四月三十日付の朝刊で現代史家、秦郁彦氏の調査から吉田氏の証言に疑問を投げかける記事を掲載し、一部の週刊誌も「創作の疑い」を報じた。 にもかかわらず、火付け役の朝日が訂正記事を出さないために、韓国では慰安婦の強制連行が実際にあったとする最大の根拠の一つになっていく。結果的に韓国の反日世論を煽っただけでなく、日本に関する誤った認識が広く世界に流布されることになった。 誤報の「極小化」と「相殺」 かつて、日米安保条約が「戦争に繋がる」と主張した人々が、いまだ日本が「戦争に巻き込まれる」どころか平和を享受してきたように、その事実に対して真に答えることは困難になる。前言を訂正しない限り、彼らは沈黙するか、「これから巻き込まれる」とごまかす以外になくなるのと同じ現象が慰安婦問題のロジックにはある。 今回の朝日による検証記事は、吉田証言を初めて虚偽と判断し、それに関連する一連の記事を初報から三十二年後に、ようやく撤回したのである。しかし、内容を読み込むと孫子のいう「兵とは詭道なり」で、随所に目くらましが施されていることが分かる。 たとえば、コラムのような一面の署名記事には、九七年三月にも慰安婦問題の特集をしたが、「その後の研究の成果も踏まえて論点を整理しました」とある。そもそも訂正なのか説明なのか、初めから検証記事の目的がはぐらかされている。 続いて、慰安婦問題に光が当たり始めた九〇年代初めは、いまだ「研究は進んでいませんでした」と専門家に責任を「転嫁」する。そしてようやく、「記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました」と、誤報の「極小化」が図られた。 ところが、その後にすぐに「似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました」と他紙との「相殺」効果を狙ったものの、かえって自社の誠意が伝わらない。 初期の頃の報道については、他紙を道連れにしようとしたつもりなのだろう。これが逆効果だったというべきか。 あとは、朝日が常用する「だからといって……」式の自己弁護に移る。 署名記事はいう。朝日の不正確な報道が慰安婦問題を混乱させているとの外部からの指摘はあるが、だからといって「慰安婦問題は捏造」「元慰安婦に謝る理由はない」という議論には同意できない、のだそうだ。 しかし、その同意できない二つの反論は「曲解」としか思われない。朝日への批判は、「朝鮮人女性を強制連行した」とする吉田証言に疑問がありながら、そのまま放置してきたことにある。 そして朝日批判者たちも、私が知る限り、元慰安婦に対しては謝罪すべきであると考えており、あくまでも強制連行について疑問を呈しているのだ。問題の本質のすり替え 朝日は八二年以降、確認できただけでも計十六回にわたって吉田氏の件を記事にしており、九二年に秦郁彦氏が吉田証言に疑問を呈しても修正することはなかった。 巨大な組織が成熟してくると、システムは必然的に官僚化してくる。不幸なことに、「大衆世論というものは、危局に際して破滅的なまちがいを起こしてきた」とするウォルター・リップマンの言葉と似た“社内世論”が醸成されてしまったのではないか。 今回の検証記事は、いまだその臍の緒が切れていないように見受けられる。「強制連行の有無」が慰安婦問題の核心であるのに、「慰安婦として自由を奪われ、女性として尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と問題を巧みにすりかえている。 そうした論理矛盾は、一九八二年に起きた日韓歴史問題の最初の誤報事件である教科書問題の処理と同じ文脈で捉えることができる。 この年の六月二十六日付朝刊各紙は、一斉に、当時の文部省が発表した教科書検定結果を大きく報じた。ある高校の世界史の教科書で、日本軍が華北に「侵略」とあったのが、文部省の検定で華北に「進出」と書き改められたという内容だった。これが事実なら、文部省に何らかの意図があったと見られても仕方がない。 それから一カ月後に、中国政府が日本に「歴史を改竄した」と抗議し、まもなく韓国政府も追随した。当時の日本政府はたちまち蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、鈴木善幸首相は記者会見で「中国、韓国の納得できる形で処理したい」と弁明せざるを得なかった。このときに出されたのが悪名高い宮澤喜一官房長官談話で、中国と韓国の脅しに屈したとしか思えない内容だった。 ところが、宮澤談話が発表されたあとに、月刊誌や週刊誌が「侵略」から「進出」への書き換えの事実はなく、誤報だったと報じた。騒動の端緒は、「文部省記者クラブのささやかな不注意にあったのだ」との結論にいたった。 絶対に謝罪をしない 産経新聞はその後の独自取材を経て、九月七日付朝刊で「読者に深くおわびします」「教科書問題『侵略』→『進出』誤報の経過」という四段見出しの異例の謝罪記事を載せた。 ところが、産経以外はほんの微調整で済ませていたといえる。では、同じ誤報をした朝日はどうしたか。 九月十九日付の朝日朝刊に社会部長名の囲みの記事で、「一部にせよ、誤りをおかしたことについては、読者におわびしなければならない」としながら、「ことの本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れの中にあるのではないでしょうか」と書いていた。 自らの失敗を糊塗する問題のすりかえである。誤報によって中国と韓国の抗議を引き起こしたことへのメディア側の責任には一切、触れていない。 もう一度、今回の「慰安婦問題を考える」との検証記事に戻れば、同じ論理の展開をしていることが分かるだろう。「強制連行の有無」が問題の核心であるのに、慰安婦が女性としての「尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」とすりかえられたのによく似ていよう。 あの一面署名記事の見出しも、「慰安婦問題の本質 直視を」と抽象化してしまっていた。そこに、ある種の偽善が入り混じる。自分の失策を「極小化」して、「問題の本質」という一般論を「極大化」して矛先を逸らしているのである。 では、八月五日付の一面で「事実関係に誤り」と認めた結果、一体どこで取り消しか訂正をしているのだろうか。それは見開きページの一番下のごく小さな囲み「読者のみなさまへ」のなかにある。 そこに「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」とあるだけで、なぜか謝罪の言葉がない。おそらく「取り消し」は「訂正」ではなく、したがって、謝罪するべき性格のものではないと考えているのかもしれない。都合悪いことは「無視」 問題はそれだけでなく、韓国人を激高させた一九九二年一月十一日の一面記事で、女子挺身隊と慰安婦を結び付けた記事である。それは「従軍慰安婦」を解説する記事で、「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる」とあった。 挺身隊とは女性を軍需工場などで勤労動員する組織で、慰安婦とはまったく関係がない。検証記事は、当時の記者が参考にした資料が両者を混同していたことから誤用に繋がったと釈明している。 検証記事はまた、強制連行を根拠づける吉田証言を否定しながら、インドネシアや中国の事例を挙げて、「兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている」と書いて、なおも強制性があったことを強調している。 内閣外政審議室審議官の話として伝えた東京基督教大学の西岡力教授によれば、これらは明らかな犯罪行為として裁かれている事例であるという。 その一つが、インドネシアで日本陸軍部隊がオランダ人捕虜の女性たちを強制的に売春宿で働かせた「戦争犯罪事件」である。戦後、オランダが行った戦争犯罪裁判で裁きを受け、軍人と民間人が死刑になっている。 今回の慰安婦問題とは明らかに別件であるにもかかわらず、ここでも「相殺」効果を持たせようとインドネシアなどの事例を挙げているとしか思えない。 その挙げ句に、「問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある」と、ここでも例の「問題の本質」論で逃げを打っている。まことに往生際が悪い。 ほかにも、都合の悪いことは検証記事の対象にしない「無視」という究極の手法もあった。これは朝日の翌六日付特集面の「3氏に聞く」の秦郁彦氏が指摘しているように、米軍がビルマで捕虜にした朝鮮人慰安婦たちの尋問調書から明らかになった「慰安婦が置かれた境遇」のことである。米軍が慰安婦たちから直接、聞き取り調査しており、米国立公文書館の公開文書で事の末が明らかになっている。 彼女たちは一カ月に三百円から一千五百円という当時としては決して悪くない稼ぎを得て、「都会では買い物も許された」という報告書である。秦氏は彼女たちが兵士の数十倍という高収入を得ており、故郷に送金までしていたという。「なぜか国際常識化しかけている性奴隷説に朝日は追随しようとしているかに見える」と結論づけていた。 朝日は検証記事への掲載を見送ることで、米軍という第三者の記録を見事に「無視」してしまったのである。 精神的便秘状態 自社の報道に記者が疑問を抱いたとしても、ある種のタブーから自由ではあり得ないのかもしれない。報道メディアやそこから派生する世論は、かくも過ちを犯し、政治的な環境や一時の熱狂に動かされやすい性格がある。しかし、メディア以外に政治権力に対する有効な制約が存在しないことも事実であり、なおも民主政治を補完する有力なチェック機関であることに間違いはない。 では、これら八月五日付の検証記事によって、朝日の「ダメージ極小化」は成功したのだろうか。一つの手掛かりとして、八月十一日付の産経・FNN世論調査では、一部を誤報だと認めた検証発表について「十分だと思わない」とする回答が七割を超えていたという事実である。 七日に放送されたフジテレビの「新報道2001」の世論調査でも、六割以上が朝日の慰安婦報道が日韓関係を悪化させたと回答しており、これらの調査結果を見る限り、「極小化」には遠いようだ。 朝日報道が慰安婦の「強制連行」イメージを国際社会に流布したとの印象は、今回の検証記事が掲載される以前から一般に広く持たれていたと思う。 しかし、検証記事を伝える新聞各社やテレビ報道から、改めて朝日による「三十二年後の撤回」に不誠実を感じ、「記事を取り消します」との表現を含む説明に潔さを感じられなかったのではないか。 新聞社が痛手を恐れるあまり検証記事に技巧をこらし過ぎ、全体として責任回避の印象をもたれたのであろう。 防衛大学校名誉教授の佐瀬昌盛氏にいわせると、朝日はメンツゆえに精神的便秘状態に陥ったのだという。あまりきれいな比喩ではないのだが、大腸から強制的に排泄するのは吉田清治氏の慰安婦強制連行説だけにして、女子挺身隊と慰安婦の混同は「誤用」で済ませた。 ただ、佐瀬氏は「世の中、そんな使い分け自在の浣腸があるだろうか」と皮肉っている(産経「正論」欄)。 自らを省みても、新聞やテレビなどのメディアが生情報を扱う限り、ある程度の誤報や誤用は避けられないのかもしれない。あるいは、誤報・誤用とまではいえないグレー領域の過誤の扱いは難しい。頬被りするか、誤りを認めるか。 問題はそうと分かったときのメディア側の素早い軌道修正、取り消し、訂正、謝罪などによって、誤報の独り歩きや再生産を防ぐことが重要であり、組織の姿勢が問われることになる。NYタイムズの誤報事件 たとえば二〇〇三年五月十一日、米紙ニューヨークタイムズは同紙の二十七歳の記者が七カ月で三十六本の捏造や盗用があったとして、一面トップ扱いで報じたことがある。映画にもなった有名なジェイソン・ブレア事件だから、ご記憶の方があるかもしれない。 タイムズ紙はこの一面記事とは別に、四ページにわたる詳細な経過報告を掲載した。一面記事では、痛恨の思いは「百五十二年の歴史で極めて深刻な不祥事である。信用を深く傷つけた」と表現していた。 長文の報告では、国内報道部に所属のジェイソン・ブレア氏が、イラク戦争で負傷した米兵士と会ってもいないのにインタビュー記事を捏造し、ワシントン周辺で起きた連続狙撃事件では関係者の談話などを創作した。 編集局では、ブレア記者が取材に行ったふりをして携帯電話で連絡してきたり、メールを送ってきたりしたことから長く気付かなかった。 発覚は、狙撃事件の地元検察局が「重大な誤り」を指摘して社内でも問題になっていた。しかし、ブレア記者が編集幹部に目をかけられていたことから指摘しにくい雰囲気があったという。タイムズ紙はブレア記者のような黒人記者を積極的に登用していた。意識的に差別を避ける社内傾向が、逆に発覚を遅らせた一因でもあった。 検証報告はこれまでの捏造に至る経過を克明な事実で積み重ね、個人の資質から不正の原因に至るまで言及していたことから、世論の一定の評価を獲得した。 この事件によって、タイムズ紙は編集主幹と編集局長が辞任し、発覚後には外部識者からなる再発防止のための調査委員会を設けて二度と捏造記事が出ない体制を整えた。すべてのメディアにとって、捏造や誤報をなくすための参考になるのではないか。 自虐思想の一角を崩す もっとも、そのタイムズ紙も最近は日本非難に熱心なあまり事実を歪曲し、批判を受けても素知らぬ顔をすることがあるから油断がならない。 タイムズ紙の社説は「安倍氏の危険な修正主義」として、安倍晋三首相が「南京大虐殺」を否定し、慰安婦への謝罪をご破算にするつもりだと非難した。 ジャーナリストの櫻井よしこ氏によると、ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授が、同紙の指摘がいずれも事実でないとして「事実誤認の非難は許されない」などと書いて投稿した。 しかし、一度だけ問い合わせがきたが、「投稿スペースがない」と素っ気ない回答だったという。櫻井氏は同紙と朝日を念頭に、「自らの嘘や事実誤認に被りする恥知らずのメディアが、洋の東西で跋扈していることを心に刻みたい」と結んだ(国家基本問題研究所「今週の直言」)。 それでも、今回の朝日による誤報「取り消し」は、戦後日本を主導してきた自虐思想の岩盤の一角を崩した。世論をリードする朝日の記事が虚構であったという事実は、内外で流布された「歴史認識」の見直しが必要であることを示している。そのための手立ては朝日が責任をもって、海外向けに外国語で発信をすることなのではないか。 一面記事の「慰安婦問題の本質 直視を」だけでも、見出しに「取り消し」を織り込んだ英訳記事を、ウェブサイトか国際版で配信すべきであろう。 大いなる誤解はすでに、一九九六年に国連人権委員会に提出されたクマラスワミ報告が、慰安婦を「軍隊性奴隷」と定義したことで起きている。この報告書は日本軍が女子挺身隊として奴隷狩りのような強制的、暴力的な連行を行ったと決めつけている。  その根拠には、朝日が今回、虚偽として取り消した吉田清治氏の発言とそれに基づいて書かれたジョージ・ヒックス氏の著書『性の奴隷 従軍慰安婦』などから引用されている。 朝日が英文で「取り消し」を発信するのか否か。あるいは、最低限の訂正だけで「速戦即決」して台風が通り過ぎるのを待つ構えなのか。あるいは、「朝日新聞の問題意識はいまも変わっていない」などと曖昧にして、今後も逃げ続けるのだろうか。

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    元朝日記者が提言 解体的出直しには何が必要か

    刊朝日』編集長)役員10人のうち8人が編集部門 私が『朝日』の記者になった1964年(昭和39年)、朝日新聞社は「お家騒動」の余震が続いていた。 お家騒動というのは、『朝日新聞』を創業した大株主である村山家の当主、村山長挙社長(当時)が人事や紙面に口を出すので、常務取締役(当時)の永井大三さんが体を張って抵抗し、社内が社主家派と永井派に分かれて争った騒動である。論説主幹、東京本社編集局長を両派から出し、どちらのポストも二人という異様、異常な事態が続いていた。 そんなことになっているとは、私は『週刊新潮』を読むまで知らなかったのだが。 永井さんは現在の一橋大学を出て朝日新聞社に入り、販売一筋を歩み、「販売の神様」といわれていた。『朝日』を実質的に日本一の新聞にした立て役者である。 左目にいつも分厚いガーゼを当てていたことから「独眼竜」とも呼ばれていた。当時は販売と広告が一緒で、永井さんは両部門を統括する「業務局長」のポストに就いていた。 新聞社では、お金を稼ぐことをしない編集部門が“虚業”とすれば、お金を稼ぐ販売と広告は“実業”である。 虚業と実業は補完し合う関係にある。それなのに朝日新聞社はある時期、役員10人のうち8人が編集部門出身で、販売部門と広告部門からはそれぞれ一人ずつということがあった。雲の上のことには興味がなかったので、人数は間違っているかもしれない。 しかし虚業が圧倒的に優勢で、クルマに例えれば虚業のタイヤはダンプカー、実業のタイヤは軽四輪のようだったことは間違いない。これでは同じ所をグルグル回るだけで、前には進めない。 私は『朝日新聞』が起こした一連の“事件”の背景には、虚業と実業のアンバランスがあったという気がしてならない。 しかし編集がどんなに巨大化しても、販売と広告には紙面に注文する権利があり、そうする義務がある。もちろん私は、販売や広告が紙面に口を挟むことを嫌うというより、許さなかった編集局幹部がいたことを知っている。 その幹部が「編集権は編集局にある」というので、 「編集権は社外に対してあるもので、社内にそんなものがあってはいけないでしょう。ビール会社や自動車メーカーは、営業や宣伝の社員に『うちの商品に注文はつけるな。商品開発の人間に文句をいうな』とは、いわないはずです。新聞社で日々読者と接しているのは販売と広告の人間ですよ」 といったこともある。 また、編集局幹部とは定期的な会合があると聞いたので、販売と広告の幹部に、 「編集局の幹部に『紙面を面白くしてください』といっても、彼らは『うちの紙面はいい紙面だ』というに決まっている。論説委員や編集委員の書いた、何がいいたいのかわからないコラムを2、3本切り抜いて、『このコラムのどこが面白いのか、説明してくれ』と、具体的に聞かないとダメだよ」 といったこともある。 しかし誰もそういうことはしなかった。 朝日新聞社では編集、販売、広告の新入社員を全員集め、合宿をして研修をする。夜は酒が入るのだが、販売局の講師役の先輩は新人の販売局員に「編集局の人に紙面について何かいうなよ」というそうである。社内の言論の自由を封じるわけである。 この話を聞いたのは5、6年前だが、こういう気風が簡単に変わるとは思えない。こんな指導をしていれば、若い記者が唯我独尊になるのは目に見えている。こういうことを続けていればやがて社内でも「編集権」を振り回す幹部になり、販売や広告の幹部が「ものいわぬ小羊」になるのは、不思議なことではない。 そう考えると、今回の事件は編集、販売、広告が寄ってたかって引き起こしたものだということができる。実業の部門がいうべきことをいわなかったために、編集が裸の王様になったという面があるからである。「いまに見てろよ」 話を50年前に戻す。 新人記者の私は、事件や事故にあまり興味がもてなかった。一方、警察や消防は「広報」という考え方がなく、何でも隠そうとした。 地元紙に、火事があると必ず現場に一番乗りをする記者がいた。彼は大分消防署の真ん前に住んでいたので、消防車が出動するとすぐわかる。地の利を得ていた。名前に「金」の字があったためと思われるが、彼は「火の見下の金ちゃん」と呼ばれていた。 私は殺人事件や火事より、古老が「カ」と「クヮ」と発音し分けることや、女性の名前、たとえば「ノリコ」なら真ん中の「リ」にアクセントを置くことのほうに興味があった。事件記者としては失格である。 初めての独り暮らしで、朝起こしてくれる母親がいない。毎朝、寝坊する。火事は抜かれて(他紙の記者に先んじて記事にされて)ばかりいる。デスク役(当時は「取材主任」といった)に、 「おまえは本当に大学を出たのか。バカッ。荷物をまとめて帰れ」 と毎晩のようにいわれた。 それでも帰らなかったのは、九州に赴任するために横浜駅を出るとき、小学校のときからの友だち7、8人が見送りに来てくれたからだ。彼らの手前、尻尾を巻いて帰るわけにはいかない。そんなことをすれば、誰も一生付き合ってくれないだろう。そう思うと、何といわれても荷物をまとめる気にはならなかった。 「パワー・ハラスメント」だの「自分探し」だの、「居場所がない」などという言い方はなかった。 子供のころは親に「獅子はかわいいわが子を谷底に落とし、這い上がってきた子だけ育てる」といわれ、それを真に受けていた。初めて書いた原稿をデスク役に丸めてゴミ箱に捨てられても、「いまに見てろよ」と思っただけだった。 あらためて思い返すと、私の育った湘南海岸では、運転免許を取ると、 「いいか、人間に格があるように、車にも格がある。フォルクス・ワーゲンでメルセデス・ベンツを抜くようなことはするなよ」 という慶應大学の先輩がいた。 「どうしてですか?」と聞こうものなら、張り倒される。理不尽で窮屈な気もする。しかし、こうした不文律があったころのほうが、世の中は落ち着いていた。そんな気がするのは、私が年を取ったせいだろうか。『朝日』への恨みは口にしない 記者の仕事が面白いと思うようになったのは記者になって4年目、福岡総局で馬場博治デスクと会ってからである。馬場デスクは東京社会部時代から「天声人語」で名を馳せることになる深代惇郎さんと親しく、とにかく文章に厳しかった。原稿を出すと、 「あかん。おもろない」 といって、突き返される。 どこが「おもろないのか」説明はしない。“自分で考えろ”というわけである。 原稿が書けなくて困っていると、「うちに来い」といわれ、奥さま手づくりの食事をいただく。食事が終わると、「書いたら起こせ」といって寝室に入る。原稿を見るときの目は、欠食児童のようにガツガツしていた。 馬場さんは大変な読書家で、 「谷崎(潤一郎)の『盲目物語』は読んだか? これは、聞き書きのお手本やで」 といわれて読むと、まさにお手本だった。 フランスの文部大臣だった政治家が文化大革命の中国をルポした『中国が目覚めるとき、世界は震撼する』(アラン・ペールフィット著、白水社)という上下2巻本も、馬場さんに薦められて読んだ。 当時、『朝日』の紙面は連日、文革礼賛の記事が溢れていた。社会部の先輩のなかには「人間は理性で欲望を制御できるか、中国は実験をしているんだよ」という記者もいた。私がこういう考えに染まらずに済んだのは、馬場デスクに薦められた上下2巻本のおかげだ。読んで、「こんな国では生きていけない」と思ったからである。 一言付け加えておくと、『朝日』の文革礼賛一色のなかにあっても、異を唱える先輩はいた。伴野 朗さんである。異を唱えたために配所の月を眺めることになり、定年を待つことなく退社した。ミステリー作家に転じ、『50万年の死角』で江戸川乱歩賞を取るまでになったところで、亡くなった。私は編集委員時代、先輩をご自宅に訪ねたことがある。『朝日新聞』への恨みはあったはずなのに、一言もそれらしいことを口にしなかった。「憧れた女性がアバズレだった」気分 1970年春、東京本社に異動になると、学生のころから「記者の神様」と思っていた疋田桂一郎さんや深代惇郎さんや森本哲郎さんがいた。憧れの先輩が、私の署名がないのに「これ、君が書いたんだろ。面白かったよ」といってくれる。3、4日は幸せだった。 社会部から『週刊朝日』に移ると、釣り支度をした作家、開高健さんが「ハーイ、セニョール」と、大声で編集長を訪ねてくる。電話を取ると作家、松本清張さんの「松本じゃがね」という割れ鐘のような声である。 新聞とは別の世界だった。社会部だけにいたら作家、司馬遼太郎さんとは、すれ違うこともなかったに違いない。井上ひさしさん、大岡信さん、大野晋さん、丸谷才一さんといった方々に文章心得を教わることなど、ありえなかったろう。 私は幸せな記者、編集長だった。そういう人生を送ることができたのは、ひとえに『朝日新聞』の看板のおかげである。大恩のある『朝日新聞』を「廃刊にしろ」という声を聞くのは辛い。私はいま、俗な言い方になるが「憧れた女性がじつは大変なアバズレだったのか」という気分である。 「泥棒にも三分の理」ということわざがあるが、アバズレの言い分を聞いてやってくださいという気にもなる。従軍慰安婦問題、東電福島第一原発・吉田所長の調書の問題、池上彰氏の「新聞ななめ読み」の扱い。こういう問題を起こしたいちばんの原因は何か? と聞かれれば、私は1980年に朝日新聞社が有楽町から現在の築地に移ったことだと答える。 有楽町時代は足の便がよいので、有名人が雨宿りをかねて朝日新聞社に立ち寄ることが珍しくなかった。言葉を換えれば、社外の監視の目に晒されていたことになる。社会部員は陽が落ちると、映画を見に行ったり、飲みに行くのが普通だった。どういうことが世間の関心を集めているか、映画館や飲み屋のおしゃべりに聞き耳を立てる。 そのまま家に帰らず、別の飲み仲間を探しに会社に戻ってくる。会社のソファでその夜に仕入れた話を披露する。そうやって、街の風とでもいうものが、絶えず社内に入っていた。 ところが地下鉄大江戸線ができるまでの築地は、陸の孤島といってもよいほど、足の便がよくなかった。「目標はがんセンター」と聞けば、二の足を踏む人がいたはずである。 おまけに、有楽町時代は1階の受付に一言声をかければ、誰でも社内に入ることができた。しかし築地に移ってからは、出入り口にガードマンが立つようになり、受付では自分の住所や面会の約束はあるかなど、「入館証」なるもののためにいろいろ書かされる。『朝日』は世間に敷居を高くしたのである。 社内に、外国のある通信社の支局がある。支局長は愛犬家で、犬のための入館証ももっていた。ある日、支局長が自分の入館証を忘れたために、犬だけが入館を許された。滑稽である。その顛末を『毎日新聞』に書いた。紙面のエクボになっていた。 その支局長と親しい記者が『毎日』にはいても『朝日』にはいなかった、ということである。「天声人語」が色あせている 築地に移ってからの記者を見ていると、出不精で、人付き合いが不得手になったように思われる。私が「司馬遼太郎さんに紹介するよ」と誘っても、「いいです」という論説委員が「天声人語」を書くようになれば、看板コラムが色あせるのは、当然かもしれない。 文化とは社交であることを知らないままに局長や役員になる傾向が目立つようになったのも、築地に移ってからのような気がする。 あれはサントリーの佐治敬三会長(故人)が朝日新聞社(当時、出版局は別会社になっていなかった)から句集を出し、出版記念会が東京会館で開かれたときのことである。句集は大岡信さんが句を選び、記念会の発起人は俳句会の最長老、森澄雄さん(故人)と大岡さんと『朝日新聞』のM社長(故人)の3人だった。私が丸谷才一さんのお伴で行くと、受付にいた会長夫人が駆け寄ってきて、 「まあ、先生。こんなつまらない本のために」 と、「つまらない本」を何回か繰り返した。 シェークスピアは「将軍の妻は将軍の将軍である」といったそうだが、なるほどそうだと思った。 佐治さんが主役とあって、政財界の大物が顔をそろえ、『読売新聞』の渡邉恒雄さん(現会長)が見えた。渡邉さんと『朝日』のM社長が並ぶと、M社長は位負けしているように見えた。 例のごとくM社長は会場がシンとなるような祝辞を述べると、主役や渡邉さんを残して中途で退席した。ショックな出来事だったが、社交を知らないだけで悪意はないと思って納得するしかなかった。 『朝日』の役員になる編集出身者は、笑わせることと笑い者になることを混同している。スピーチで笑わせるためには、教養とユーモアと巧みな話術が欠かせない。しかし笑い者になるには、そうしたものはいらない。新聞の社説のようなことを話せばよいだけである。「ものいわぬ小羊」たちが、立ち上がった 偉そうなことを書いてきたが、週刊誌の編集長から新聞の編集委員になってからも、サッカーの神様ペレの足を触ってその感触を書いたり、日本で「軍艦マーチ」を最初に流したパチンコ屋の話を聞いたり、作家、白洲正子さんの追悼文を書いたり、間違っても一面トップになるようなものや、新聞協会賞の候補になるものは書いたことがない。 その程度の者だが、「『朝日』廃刊」といわれると、黙っていられなくなる。あちこちに書いたりしゃべったりしたことだが、私は2001年11月に定年退職するとき、 「生まれ変わっても慶應義塾に学び、『朝日新聞』の記者になって現在の妻を娶り、『週刊朝日』の編集長から一記者に戻って終わりたい」 と、社内報に書いた。 この気持ちは年金生活になって13年のいまも変わらない。妻は「私はいやよ」といったが、私は夫としても父親としても落第だった。そういう自覚があるから、妻の反応は想定内である。 社内報の文字数に余裕があれば、 「生まれ変わって『朝日』に入ったら、敵を増やさぬように賢く立ち回る」 と書きたかった。 冗談はともかく、生まれ変わったときに『朝日新聞』がなくなっていると、路頭に迷うことになる。これは絶対に避けたい。廃刊論を唱える識者には、以下をぜひ読んでもらいたい。 これまでの『朝日新聞』なら、今回のようなことが起きても、社内から幹部を非難、批判する声が上がることはなかった。私がマスコミ業界雑誌『創』で『朝日』の紙面批判をやや辛辣に書いたのも、「記者諸君はいまのような紙面でよいと思っているのか。政局話ばかり書く政治部の編集委員の書くものに部内、社内から批判の声が出ないのはおかしい。自浄作用がないと思われるぞ」という気持ちがあったからである。 ところが今回は、若い『朝日』の記者たちが批判の声を上げている。私のところには、 「署名を集め、編集局長や編成局長あてに抗議文を出します。180人は超えました」 といったメールが来る。 「ものいわぬ小羊」たちが、立ち上がったのである。週刊誌によると、朝日新聞の労働組合には、実名で抗議のつぶやきが届いているそうである。「お利口さん」の集団と思っていた『朝日新聞』では、画期的なことである。 私は若いとき、陰湿なことをする出世亡者のデスク3人に反抗し、仲間を誘って反乱を企てたことがある。こういうことをすると、人間がよくわかる。人間は『軍師官兵衛』の時代と少しも変わっていない、ということである。勉強になった。 その経験から、 「抗議をするときは、報復人事をされないように、とにかく同志を増やせ」 と忠告している。 彼らはこれから20年以上、『朝日新聞』の旗の下で仕事をするのである。彼らを孤立させてはいけない。 最近の『朝日』は、記者を平気で使い捨てにするきらいがある。他社の優秀な記者を三顧の礼で迎えても、人事権を与えず、神棚に上げてしまう。彼らの多くは、すでに50も半ば過ぎになっているはずである。座して死(定年)を待つようなことはせず、若い記者たちを応援してもらいたい。 女性編集委員のなかには、きわめて優秀な記者がいる。朝日新聞社で女性が編集局長になるようなことは考えにくい。いってみれば、使い捨てになる運命にある。若い記者を支えてもらいたい。 『朝日』が、解体的出直しをするためには、社長以下役員がこれまでの考えを捨てなければならない。 「経営の神様」といわれた松下幸之助翁は、相談役になってからも芸者遊びをしたそうである。しかし、そういう席にも、 「相談役、そんなことしたらあきまへんで」 と、面と向かって直言、諫言をする重役を二人は同伴したと、女将から聞いている。 新社長には、こういう度量を期待する。イエスマンは100人いても一人、ということである。裸の王様にならずに済む方法は、じつに簡単なのである。販売店に愛された永井さん 部数はガタガタと減り、広告局員は営業先で、 「いま、おたくに広告を出すと、社内で問題になるんだよ」 といわれ、俯いている。 新体制のとくに編集出身の役員は、実業の現場の声に耳を傾けてもらいたい。 冒頭に紹介した『朝日』の「お家騒動」である。 永井さんを追放しようとする村山社長に対抗し、販売店は結束し、集金した購読料を本社に納めず、裁判所に供託した。朝日新聞本社を兵糧攻めにしたわけである。 現在、『朝日』は部数が減っているうえ、広告は年間700億円の目標に対し2、30億円足りないと聞いている。知り合いの広告マンが真夜中に「いま、家の近所の公園で、ブランコに乗っています」と、電話をしてきた。声があまりに沈んでいたので、翌朝早く電話をした。電話口で元気な声を聞いたときは、涙が出た。兵糧攻めは日に日に深刻さを増しているようである。 「お家騒動」のときとは比べものにならないほど深刻なのではないか。 このうえ「廃刊」を主張する人たちが不買運動を始めれば、生まれ変わった私は路頭に迷うかもしれない。 51年前の「お家騒動」は販売店の「供託戦術」が功を奏したようで、村山社長は退陣、永井さんも退社した。「ケンカ両成敗」ということだろう。 その当時、1万部以上の部数をもっていた販売店主のTさんに事情を聞くと、 「あれは販売店が主導したのではなくて、販売局の幹部が『永井さんを守ろう』と考えた策略に、販売店が応えたのです。『朝日』の販売幹部にも真っ当な人がいたということです。そして、販売店が永井さんのことを好きだったからできたことです」 といった。 じつは私の『朝日』入社の身元保証人は、父と親しかった永井大三さんである。古い販売店の人が私に腹を割って話してくれるのは、そういう事情を知っているからである。 永井さんは常務取締役時代、販売店を訪ねるとなると、そのお店の子供たちの名前を調べてから行く。店に入るなり、 「○○ちゃんは元気かな」 と、話しかける。 大朝日の常務取締役にいきなりこういうことをいわれて感激しない店主は、いない。おまけに帰りの車中で、必ずお礼のハガキを書いたそうである。 1988年に亡くなられ、翌年、永井さんの追悼録が編まれた。目次を見ると本田宗一郎さんや宮沢喜一さん、江戸英雄さんという方々の、故人との思い出話が載っている。どなたも永井さんとのエピソードを綴り、いかに永井さんは顔が広かったか、社交を心得ていたか、よくわかる。 その追悼録を読むたび、 「永井さんがいまの『朝日』を見たら、何といわれるだろう」 と思う。 永井さんだけではない。司馬遼太郎さんをはじめ井上ひさしさん、大野晋さん、丸谷才一さんが何とおっしゃるか、気が気ではない。 販売店のTさんは、 「せっかく若い記者が声を上げたのなら、永井さんのときのように、販売店も何かしないといけないんじゃないでしょうか。解体的な出直しには、店の協力がないとできない気がします」 といった。■川村二郎(かわむら・じろう)元『週刊朝日』編集長1941年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、朝日新聞社に入社。社会部記者、『週刊朝日』編集長、朝日新聞編集委員を経て文筆業。日本医師会広報委員会委員。NPO法人日本語検定委員会審議委員。主な著書に『炎の作文塾』(朝日文庫)、『学はあってもバカはバカ』『夕日になる前に―だから朝日は嫌われる』(以上、かまくら春秋社)、『いまなぜ白洲正子なのか』(新潮文庫)『孤高―国語学者大野晋の生涯』(東京書籍)などがある。

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    朝日は謝罪しても「広義の強制性」のスタンスは変わらない

     朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長らが9月11日夜、会見し謝罪した。評価するとともに、なお批判を述べる。慰安婦での謝罪は付け足しか 会見は、東京電力福島第1原発の故吉田昌郎(まさお)元所長が政府事故調査・検証委員会に答えた、いわゆる「吉田調書」などが政府によって公開されたのに合わせて行われた。朝日は5月、「原発所員、命令違反し撤退」と大きく報じ、第1原発所員の9割が吉田元所長の待機命令に反して福島第2原発に撤退したとした。これを海外のメディアが「パニックになって逃げた」などと引用し、原発所員の名誉を傷つける事態となっていた。 しかし調書を入手した産経新聞は8月18日、命令違反の撤退はなかったと報じ、読売なども同様に続いた。それが事実である。会見で木村社長は「命令違反し撤退」の記事を取り消すなどとし、12日付朝刊でも社長名で「みなさまに深くおわびします」とする記事を載せた。慰安婦報道についても、慰安婦を「強制連行」したという故吉田清治氏の虚偽をもとにした誤報と、訂正が遅きに失したことを謝罪した。朝日は8月5日の自社検証で故吉田清治氏の記事を取り消すとしたが、謝罪はしていなかった。 吉田元所長、そして原発所員の名誉が回復されるきっかけになるという点で、評価したい。しかし批判したいのは、慰安婦報道での謝罪が、「吉田調書」での謝罪の付け足しのように行われていることである。 慰安婦報道で朝日が明確な謝罪をしないことに対して、ごうごうたる非難が各方面から起こっていた。吉田調書が公開されるのを機に一気に、と考えたのかもしれないが、いかがなものか。 会見で木村社長は、再生に向けて道筋をつけたあと進退について決断する、としたが、それは吉田調書の問題が中心であると述べている。慰安婦問題での謝罪は「たまたま今日、こういうことでありますので。今日はいわゆる吉田調書についての会見ということで皆さまにお集まりをいただき、合わせて、ご説明をさせていただいた」と。 原発の誤報と慰安婦の誤報は、いずれも日本人の名誉を大きく傷つけている。だが故吉田清治氏の話を最初に取り上げてから32年、国際社会に積み重なった「性奴隷」といった誤解は途方もなく大きい。朝日は誤報を取り消すだけでなく、誤報によって国際社会に広まってしまった誤解を正す発信をすべきなのである。 だが会見の記録や紙面でのおわびの文を読んでも、この点は心許ない。編集担当の職を解くとされた杉浦信之取締役も会見に同席し、慰安婦には「自らの意思に反した形で軍の兵士に性の相手をさせられるという行為自体に、広い意味での強制性があった」と述べている。 「広義の強制性」に議論を持っていくスタンスは変わらないのだ。これで国際社会の誤解が解けるだろうか。筆者にはそうは思われない。国際社会の誤解を正せるか 例えば最近、クマラスワミ氏が日本のメディアに登場した。慰安婦を「性奴隷」とし、日本に謝罪や賠償を勧告する1996(平成8)の国連報告書を作成した、あのクマラスワミ氏である。朝日が故吉田清治氏の記事を取り消したのを受けて共同通信がインタビューした。 クマラスワミ報告は吉田証言を引用し、吉田氏が1000人もの女性を慰安婦として連行した奴隷狩りに加わっていた、としている。しかしインタビューに答えたク氏は、「(報告書の内容について)修正は必要ない」「(吉田証言は)証拠の一つにすぎない」といってのけた。 報告は吉田証言だけでなく元慰安婦への聞き取りをもとにしている、とク氏主張しているのだが、その聞き取りも信頼性に乏しいこと、報告自体が極めていい加減なものであることが専門家から指摘されている。 それでもク氏は修正しないというのだ。ここまで強固に、「強制連行」という誤解は国際社会に浸透しているのである。ク氏はそれに汚染されているといってもよい。「広義の強制性」があったということで、朝日はなにを言いたいのだろうか。慰安婦は「広義の性奴隷」であるとでもいいたいのだろうか。こんなことで国際社会の誤解を正していくことなどできない。(大阪正論室長 河村直哉)

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    まだまだある朝日新聞が取り消すべき記事

    朝日新聞は、福島第1原発事故の「吉田調書」と、日本軍慰安婦をめぐる誤報を認め記事を取り消した。だが、日本を貶め、国民をミスリードし続けてきたこの新聞が取り消すべき記事は数え切れないほどある。

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    過剰な朝日批判は言論封殺と同じである

     「反朝日新聞」とでもいうべき現象が起こっている。なかには度を越えているものもある。 慰安婦問題をめぐる朝日の長年の報道とその検証、その後の対応には筆者も大いに批判的である。しかし批判はあくまでも言論としてなされるべきであり、行きすぎた言動には反対する。 大阪府豊中市の朝日新聞豊中支局では、8月に看板や車が傷つけられていたことがわかった。慰安婦問題との関連は現段階では不明だが、朝日新聞への反感が背景にあると考えるのは不自然なことではない。 また、誤報を含む記事を平成3(1991)年に書いた元朝日新聞記者について、その家族の動向まで触れた書き込みがインターネット上に出ている。これも行きすぎである。ネットではヘイトスピーチ的な書き込みもなされている。 ただし、一方的に朝日を擁護することもできまい。朝日は11日、木村伊量(ただかず)社長が慰安婦問題でようやく謝罪した。福島第1原発の故吉田昌郎(まさお)元所長が政府事故調査・検証委員会に答えた、いわゆる「吉田調書」についての自社の誤報を認め、記事を取り消すとした会見の席だった。 この間、朝日では慰安婦問題で自社を批判する週刊誌の広告掲載を拒否したり、一部を黒塗りにして掲載するといったことが続けて起こった。自社の姿勢を批判したジャーナリスト、池上彰氏の連載原稿の掲載をいったん見合わせることもした。自社につごうの悪い言論は封じていると見られたとしても、仕方ない。 池上氏の原稿について、結局朝日は掲載し、6日の紙面で読者におわびした。それによると慰安婦問題を特集して以来、「関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為」などが続き、池上氏の原稿にも過剰に反応したという。脅迫的、営業妨害的な行為が何であれ池上氏とは関係ない。これでは、まともな言論空間が成立しているとはいえない。朝日を過剰に攻撃する側も、過剰に反応した朝日も、言論として展開すべきである。朝日新聞「池上彰の新聞ななめ読み」なぜ批判が続くのか おさらいになるが朝日は8月5、6日、自社の慰安婦報道について特集、検証した。慰安婦の「強制連行」を語った男性の話を虚偽と認めて記事を取り消し、慰安婦を挺身(ていしん)隊と混同した誤用も認めた。しかしそれに関し明確な謝罪は11日の会見までなく、広義の強制性、普遍的な人権などと、問題の次元を変えて論じてきた。 これに対して世間からすさまじい批判が起こった。週刊誌、月刊誌、ほかの一般紙も朝日批判を展開した。 筆者も大いに批判的だ。日本軍が人さらいのように女性を「強制連行」し、「奴隷」のように扱ってきたという間違った印象が世界に広がり、日本の名誉を傷つけている。誤解を広げてきたのが一連の朝日報道である。男性の虚偽の話をもとにした最初の記事から32年たっている。もっと早く謝罪・訂正すべきだったし、今後、国際社会の誤解を解く努力をすべきだ。 今回、謝罪したとはいえ、朝日は慰安婦に広義の強制性があったという立場は変えていない。それに対して今後も批判が続くだろう。ただし重ねていっておけば、批判はあくまでも言論によるものでなければならない。偏りを正すもの 昭和62(1987)年、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った男に襲撃され、記者が死亡した。「赤報隊」を名乗る犯行声明は、「すべての朝日社員に死刑」「反日分子」などの文言を並べていた。ほかの朝日施設も狙われた。 このような暴挙が許されないのは無論である。異なる意見や立場を力で圧することがあってはならないことは、いうまでもない。 朝日の論調は偏っていると筆者は考える。それを「左傾」と呼んでいる。しかし言論の偏りを正すことができるのは、言論である。力ではない。 戦後日本の言論界そのものに、いわば大きな偏りがあった。戦争への反動から、日本の歴史、日本という国家を罪悪視する偏った見方が、戦後の言論界では支配的だったといってよい。 過去、別のところで引いたが改めて引用する。終戦の年、昭和20(1945)年10月24日付の紙面で朝日は、「戦争責任明確化」とする記事を載せ、役員らの辞任を明らかにした。その日の社説には次のように書いた。「新生日本の出現のために、この種の過去一切への仮借なき批判と清算とが必要なる第一歩をなす」。過去への批判、清算が、戦後朝日の出発点なのである。 それは朝日に限らず、戦後の知識人らにも広く共有された考えだった。こうした左傾した戦後の言論界で、日本の過去は否定的に見られてきた。今回、慰安婦問題で批判がこれほど高まったのは、直接には先述したような、なかなか謝罪しようとしなかった朝日の姿勢によるだろう。さらに長期的に見れば、戦後日本の左傾が修正され、日本がまっすぐな国に戻ろうとしていることを示していよう。問題の根本はそこにあるのではないか。ヘイトスピーチめいた過剰な攻撃も、掲載見合わせといった過剰な反応も、重ねて筆者は批判する。公平に言論を戦わせ問題の根本を探ることが、社会に資すると考える。(大阪正論室長・河村直哉)

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    「新聞人の責任」はどこへ? 反日偏向が根付く朝日の戦後史

    永い歴史の審判する所である」 この文章は、1968年10月15日「新聞人の責任」という題で掲載された朝日新聞の社説である。戦後の朝日報道の問題点を考えるとき、真っ先に思い浮かぶのがこの文章だ。現在結論ははっきり出ている。朝日報道の主流は「長い歴史の審判」によって、偏向に他ならない。しかも朝日は、過ちを認め責任を引き受けることもなく口を拭ってきた。現在話題になっている慰安婦報道は、実はその一部にすぎない。【ソ連報道】「平和共存」の美名のもと共産党独裁の代弁者に ソ連・東欧の共産主義独裁体制が崩壊して既に20年以上が経過した。そこで崩れ去ったのは、言論の自由、平和、民主主義、人権――といった価値観を否定する独裁・全体主義体制だった。朝日新聞は戦後、こうした価値観の擁護を高く掲げてきた。であるならば、朝日にとってソ連共産党独裁体制は「敵」であり、肯定的に報じられるはずがなかったはずだ。ところが朝日は、こうした独裁体制を一貫して擁護していたのである。 確かに欧米を含め多くの左派・リベラル派知識人が、ソ連幻想に捕らわれた時代もあった。しかし、1953年のスターリン批判、56年のハンガリー動乱、68年のチェコ進駐、そして何よりもソルジェニーツィンの「収容所群島」の発行、サハロフ博士の民主化運動への弾圧などで、ソ連が自由と民主主義の敵であることは次第に明らかになっていた。そして、1979年12月24日のアフガニスタン侵略によって、その侵略性と軍事的覇権主義は明確になった。 1978年、アフガニスタンでは人民民主党による親ソ政権が成立したが、この政権はイスラム教や反ソ武装抵抗勢力により崩壊の直前まで追いつめられた。ソ連は親ソ政権を維持するために軍事介入し、当時のアミン大統領は処刑され、バブラク・カルマル政権が樹立された。この事件を朝日新聞は、12月29日社説「アフガン・クーデターとソ連」で次のように報じた。「このカルマル政権は、ソ連の強力な支持の下に、誕生した可能性が強い」が「ソ連部隊が今度のクーデターにどの程度関与したのか、カルマル新政権がソ連のかいらい政権かどうかは、即断はできない。」「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば、必要最小限の援助要員以外、直ちに部隊を撤収し、アフガニスタンの運命は民族自決に任せる原則を貫徹してほしい」 ソ連がチェコ侵略以後、東側社会主義陣営を維持するために「各国の主権は制限されても構わない」というブレジネフ・ドクトリンを掲げていたことは当時すでに国際社会では常識だった。「ソ連が真に『覇権主義』に反対ならば」などとソ連を「平和勢力」としてかばい立てするその姿勢は、尾崎秀実以来の親ソの伝統ゆえか。 なお、アフガン侵攻に抗議して日本を含む世界各国がモスクワ・オリンピックをボイコットしたが、朝日新聞は断固としてオリンピック参加を唱え続けた。 このアフガニスタン侵略は、ソ連の正体を白日のもとに曝し、日本でも「ソ連脅威論」も生まれたのだが、朝日はなんと1980年11月28日から14回にわたって「ソ連は脅威か」というソ連徹底擁護の連載を掲載した。簡略すると、ソ連脅威論は根拠がなく、日本の軍事増強を企む防衛庁や一部勢力がソ連脅威論を煽っているだけであり、ソ連の軍事力は日本侵攻を果たす能力も意志もない――とする内容で、「ひたすらソ連を非人間的な悪ものに描き、恐怖をあおりたてるような論じ方は、世論や政策対応を誤らせる方向に導かないだろうか」(連載最終回)と結んでいる。 中国や北朝鮮の体制を批判する論者に朝日がしばしば投げかける言葉とそっくりである。このように中立を装いつつ独裁政権の悪を矮小化しようとする姿勢こそ、自由な社会を守る気概も、独裁体制下で呻吟する民衆への同情も共感もない西側の自称リベラル・平和主義言論の道徳的退廃なのだ。 さらに朝日は、1982年2月に社を挙げた訪ソ団を送り、チーホノフ首相との単独会見に成功するが、その時のインタビューと解説「ソ連首相と会見を終えて」(秦正流記者)は、今読めばまさに犯罪的なものである。 1980年からポーランドでは労働組合「連帯」による民主化運動が高まっていたが、81年12月、ヤルゼルスキ政権は戒厳令を敷きワレサをはじめとする「連帯」指導者を逮捕し、軍政を敷いていた。 朝日のインタビューで、チーホノフ首相は、欧米の「連帯」への支持を「主権国家であるポーランド人民共和国に粗暴な圧力を加えること」と非難し、「戒厳令は無政府状態、混乱、そして内戦からポーランドの社会を救った」と平然とうそぶいている。 ヤルゼルスキ政権の強硬策の背後にソ連の圧力があることは明らかだったが、朝日はチーホノフ首相の発言に何ら異を唱えていない。それどころか、「ソ連が今何にもまして緊急かつ重大な課題としているのは、緊張緩和(デタント)の復活である。つまり、軍拡競争を打ち止め(中略)軍縮への軌道修正を図ること」だと、まるで平和の使徒のようにソ連を見なし、「ソ連は革命以来65年(中略)今日のような巨大な工業力を作り上げ、それなりに国民生活をも向上させてきた大国だけあって、困難に耐える強さと自信を他のどの国よりももっている」と讃えたのである。 ところが、この後わずか9年でソ連が崩壊するや、朝日のソ連評価は180度転換する。1991年8月25日の社説はこう論じている。「『自由な共和国による揺るぎない連邦』スターリンの時代以来、ソ連の指導者は自国をこう讃えてきた。それは建前に過ぎず、実はどの共和国も、共産党とそれが支配する軍、KGBなどの『鉄の腕』に締めあげられてきた。中央権力は民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはかった。抵抗する人たちは迫害した」 また翌26日社説「ソ連共産党の崩壊と新世界」では「74年にわたってソ連に君臨し、マルクス・レーニン主義の論理と価値観をもって世界に『挑戦』しつづけてきたソ連共産党がついに崩壊した」「1956年のハンガリー動乱、あるいは68年の『プラハの春』のとき、ペレストロイカの開始でやっと公に論じられた問題点の多くが、すでに指摘されていたのである」と述べている。 ではチェコやハンガリー同様、いや、直接的にはソ連崩壊や東欧民主化の先駆けとなったポーランドの「連帯」を誹謗するソ連首相談話を恭しく紹介し、しかもソ連体制は強く安泰だと予言した82年当時の報道は何だったのか。この点について、朝日はこれまでなんら反省していない。 ついでに朝日に提言しておきたい。現在、「民族の文化、言語を軽んじ、時にその抹殺さえはか」り、「抵抗する人たちは迫害」しているのは中国である。このような体制は必ず斃れることを、歴史の教訓として堂々と表明すべきだろう。【中国報道】文革礼賛から四人組批判に「転向」 文化大革命とは、劉少奇ら経済改革派の台頭に脅威を感じた毛沢東が、青年たちを扇動し紅衛兵運動を全国的に展開、改革派を攻撃させて毛沢東派が権力を握るが、同時に紅衛兵の暴力的な行動で全土に大混乱が生じ、伝統文化の破壊、少数民族の虐殺、知識人への迫害などが相次ぐ。そして国家秩序を維持するために人民解放軍が出動し、数百万を超える犠牲者を出した内戦に近い混乱と悲劇の時代だった。 朝日新聞1966年5月2日社説は、この文化大革命を、中国で新たな特権階層が中農や知識層の中に現れてきたことへの第二革命と評価し「そこには、いわば『道徳国家』とも言うべきものを目指すと共に、中ソ論争の課題に答えようとする『世紀に挑む実験』といった意欲も感じられなくはないのである」と述べていた。これはソ連を資本主義国と妥協する修正主義国家とみなしていた中国政府の立場を反映し、しかも文革を実態とかけ離れた「道徳国家」とみなす礼賛記事に他ならない。だが、この時期の朝日には、冷静な分析も載っていた。1966年8月31日社説「中国の文化大革命への疑問」では、街頭で壁新聞を貼り、父親の世代を糾弾し、宗教施設や古い美術品などを惜しげもなく破壊しつつ毛主席万歳を叫ぶ紅衛兵を批判的に論じている。 「中国の模範的青年の目に、古いものとして映るものは皆打破してよろしい、という許可が下されたのだ。ここに、紅衛兵運動の本質がある」「(彼らは)毛沢東思想という共産主義思想で教育され(中略)それのみを信じる若者である」「群集心理は行き過ぎを生む。それは青少年の場合、とくにはげしい」「権力を持つ者の許可のもとに行われる革命――急激な改造――は、国家権力による強制の偽装にすぎぬのではないか」 この時点の紅衛兵批判として正確なものである。そして前半部では、この文革が中国共産党の「年老いた幹部」が青年を扇動して自分たちの政治目的を実現しようとしている面もあると明言していた。この社説子の分析が持続していれば、朝日はおそらく文革についてもっと適切な報道を行っただろう。しかし、このような冷静な視点はすぐに消え失せ、文革報道は当時の紅衛兵の壁新聞の内容を紹介するばかりになっていく。 実は過激な紅衛兵運動は、毛沢東自身にとっても邪魔者だった。67年初頭から、毛沢東は文革の行き過ぎを抑え、軍代表・革命幹部・革命大衆の〈三結合〉による〈革命委員会〉の全国結成という、党、軍が紅衛兵を管理する体制に方針転換する。その象徴が「解放軍に学べ」というスローガンだった。朝日新聞は早速このお先棒を担がされた。1967年4月20日に掲載されたのが「人民解放軍を見る」という、朝日記者を「たっぷり七時間半の体験入隊」させた上での記事であった。 この記事は、まず解放軍兵士が、抗日戦争や朝鮮戦争でも大活躍した話が紹介され、さらに「特に林彪同志の呼びかけで」共産党内の誤った思想を糾してきたこと、毛沢東思想の学習ぶりや「階級の無い解放軍では、兵士も幹部も区別なく、食事も一緒」であり、兵士は農作業に従事しつつ「自己改造」に努めている、この軍隊は「林彪国防相の『人民戦争の勝利万歳』の論文そのままの」姿だと絶賛されて記事は終わる。この礼賛記事の影で、紅衛兵は地方に追放され、しばしば解放軍と激突して双方に多くの死者を出していく。 そして、1969年3月に全面戦争一歩手前まで行った中ソ紛争の勃発は、毛沢東にソ連への対抗策としてアメリカや西側諸国への接近を決意させた。そして、朝日新聞は再びそれに従うかのように、日中国交回復を求める論調に向かう。1970年4月22日の1面に掲載された当時の広岡知男社長の署名記事「中国訪問を終えて」はその姿勢を明確に示したものだ。 ここで広岡は、中国の生活水準は、日本よりは低いが安定しており、高級官僚と労働者の間にも経済格差はほとんどなく「都市と農村、頭脳労働者と肉体労働者、農業と工業面の格差をなくすための運動が」広範囲で徹底的に行われていると文革を高く評価した。 当時中国は、日本は軍国主義が復活し、台湾、韓国、インドシナに侵略の意図を持っているという妄想的な主張をしていたが(現在、集団的自衛権成立後はまた同じことを言い始めた)これに対して広岡は「日本はそういう危険はあっても、まだ現実のものではない」と同意とも反論ともつかない反応をし、中国側の懸念の原因は「日本はまだ戦争の被害を受けた中国の人々への陳謝の形さえも取っていない」「日本と中国の間には、理論的にはまだ戦争終結の処理さえできていない」からだと、戦後処理及び緊張緩和の必要性のみを説いた。未だその犠牲者数は定かでない「文化大革命虐殺」の実情を見ようともせずに、朝日はこの後、本多勝一記者の「南京への道」を先頭に謝罪報道路線を歩み始める。しかし、文革の犠牲を軽視し、中国政府の発表を盲信したうえでの報道は、歴史の真実をゆがめるばかりだった。 こうして常に中国政府にすり寄ってきた朝日新聞は、文革時、他の報道機関が相次いで追放される中、ただ一社北京に支局を置き続けた。広岡社長は「報道の自由がなくても(中略)日本から記者を送るということに意味がある」と強弁した。1971年9月13日、林彪のクーデター未遂と亡命途中の墜落という「林彪事件」が起きると、複数のメデイアが林彪失脚の可能性を報じたにもかかわらず、72年に当の新華社通信が報じるまで朝日新聞は報じず、林彪健在を示唆するような報道さえした。中国政府自身が発表しなければ報じる必要はないし、中国政府が許さない報道は朝日も認めないという姿勢だった。 そして1972年の日中国交回復以後、76年に周恩来、毛沢東が相次いで死去、華国鋒政権になるや、文革派の生き残りだった「四人組」江青、張春橋、姚文元、王洪文は逮捕され、1980年11月に裁判にかけられた。朝日は早速11月17日解説記事「文革への幻想を否定」を載せ「文化大革命当時の武力闘争(武闘)のすさまじさは『内戦状態』だったと言われてきたが、起訴状で(中略)内モンゴル人民党事件では、三十四万六千人が迫害を受け、一万六千人を超える死者が出たとされているが、これなどは、まさしく内戦そのものといえる」「解放軍内部でも8万人が文革派から迫害を受け、千人を超える死亡者」が出ており、「文革が『赤裸々な権力闘争そのものであった』ことを証明」されたと報じた。 正直、この朝日の節操のない卑劣な報道姿勢に比べたら、裁判で完全黙秘を貫いた張春橋や、文革は正しいと叫び続けた江青の方が、自らの信念を曲げなかった点では立派だとすら思える。平然と4人組や文革を否定する記事を書いた記者の脳裏には、この裁判の10年前の、それも自社社長の一面記事の文革評価を思い出し、少しでも反省の念がわくことはなかったのか。朝日新聞は常に中国の権力者の側に立ち続けたと私が思う所以である。 しかし、ここまで忠節を尽くしたのだが、中国政府は当初の「日本軍国主義の復活」をあっさりとりさげ、日本は日米同盟を強化すべきだと平然と語るようになる。これも中国政府の対ソ戦略だった。その時期から、先述した朝日新聞のソ連擁護論が活発化するのだが、朝日新聞内部にて、中国派とソ連派の「権力闘争」がこの時期あったのかどうか、ぜひとも当時を知る方々の「歴史の検証」をお願いしたい。【北朝鮮報道】拉致事件発覚後も世襲独裁政権を弁護 1959年12月に始まった北朝鮮帰国事業では、朝鮮総連の主導のもと、約9万3千人の在日朝鮮人及び日本人配偶者が北朝鮮に渡って行った。これには総連が北朝鮮を「地上の楽園」として宣伝した影響が大きいが、同時に朝日新聞から産経新聞まで、メデイアがこぞって帰国事業を支持したことも作用している。この点ではメデイアの責任は平等に存在する。ただし、その後、朝日新聞が韓国の朴正煕政権を軍国主義ファッショ政権と批判し、北朝鮮のテロや人権弾圧に目もくれなかったのは異常だった。 1968年、北朝鮮は武装ゲリラを朴正煕暗殺の為に韓国に送り込むというまさに国家テロを実行した。しかし、1971年9月27日、後藤基夫編集局長(当時)が北朝鮮を訪問し金日成と会見した時、この点についていっさい質問せず、「平和的統一を一番妨害しているのは南朝鮮の政治だ」「我々は『南侵』の方針をもってもいないし、したこともない」との金日成の言葉をそのまま記している。しかし、さすがの朝日も1950年6月25日の朝鮮戦争勃発時の一面の見出しは「北鮮、韓国に宣戦布告」だったのだから、少しは疑問を呈してもよかったはずだ。この会見記の見出しは「ざっくばらんな対話」だが、正直相手の言うことをただただ黙って受け入れているだけである。一方、北朝鮮の侵略に対峙した朴正煕政権の立場を同じように無批判に紹介したことは一度もなかった。 さらに朝日は1980年9月に再び訪朝団を送り、全く同様の金日成の一方的な発言を掲載、さらに10月9日には猪狩章外報部次長の「生まじめな国づくり 北朝鮮の社会主義」で、北朝鮮の社会主義経済は成功している、「機械、技術の分野でも、自力優先だ。現在、トラックやトラクターの国産化に成功」しており「労働者は一週のうち六日間、毎日、労働八時間、学習八時間、休憩八時間で過ごしており、学習の時間に『われわれががんばるのは国のためだ』ということを学ぶ」とまで報じた。しかし、睡眠時間以外はすべて労働と学習というこの仕組みは、労働者の権利もへったくれもない洗脳教育と強制労働ではないか。「国のために働くべきだ」などと日本の政治家や言論人が口にしようものなら、国家主義だの保守反動だのと痛烈に批判するであろうに、北朝鮮の労働者が使えば平然と称揚する無神経さ。これこそ「人権無視」かつ中立性を失った偏向報道である。 そして1981年9月22日に掲載された「チュチェの国の後継者 金正日氏の素顔」では、共産主義体制で指導者が世襲されることにも何の疑いもみせず、最適任者がたまたま金正日だったという北朝鮮の公式発表を載せている。金正日の「素顔」とやらも「不屈の意志」「積極果敢な行動力」「速度戦、思想戦といった新しい指導方式や、『生活も抗日遊撃戦方式で』といったスローガンつくりに卓越したアイデアを見せている」「映画『花売る乙女』歌劇『血の海』などの制作責任者でもあり、大衆に親しまれる娯楽文化面の活躍が、彼と国民の間の距離を縮めることに大きく役立っている」とプロパガンダ一色である。北朝労働党か朝鮮総連の機関紙顔負けだ。こうしてデビューした金正日が「不屈の意志」で行ったのが、日本人拉致を含む国際テロ活動だったのだ。 1983年10月9日にビルマ(ミャンマー)のラングーン爆破事件が、87年11月29日には大韓航空機爆破事件が起きる。88年1月、韓国政府は実行犯金賢姫の供述をもとに、大韓航空機爆破は北朝鮮のテロであったことを発表した。実行犯本人自身が記者会見にて赤裸々にテロを認めたこともあり、朝日新聞も1月16日社説「航空テロの裏にひそむもの」で「彼女の発言は信頼性がかなり高い」「事実とすれば(北朝鮮の行為は)国際社会の常識を拒絶する排他的で極度に独善的な発想」「憎んでも憎みあるテロ」であり、ラングーン事件もその後のビルマ警察の捜査で北朝鮮工作員の犯行であることが分かった、と述べた。ここまではよい。しかしなぜか、結論部では「こうした事件の背景には、米ソ冷戦が生んだ朝鮮半島の分断と対立の歴史」があり「南北対立は、双方の利益に反し、アジアと世界の平和を損なう」「対立を深めないための努力は、まず南北両当事者に求められる」と雲行きが怪しくなる。こういう一般論で問題が解決するはずがないことを明らかにしたのがこれらの事件ではなかったか。この時点で(いや、現在でも)北朝鮮は、事件を韓国のでっち上げだと宣伝していた。テロ犯罪国と被害国において、まず最低限必要なのは犯罪国の謝罪だろう。それなくして、対立を深めないために双方が努力すべきだという綺麗ごとは、結果としては国家テロを相対化することに他ならない。 さらに社説は最終部で、金賢姫の偽造旅券が日本国籍だったことに触れ、これは主権国としてゆるがせにできない、我が国の捜査当局は解明に努力してほしいと結んだ。ところが、金賢姫自身の証言から李恩恵こと日本人拉致被害者田口八重子さんの件が明らかにされた後の1992年3月に訪朝した松下宗之編集局長らは、全くこの件について問い糾そうとしなかった。4月2日松下編集局長記事「北朝鮮・金日成主席と会見して」では「(15日の金日成誕生日には)世界の各国から、祝賀の代表がやってくる。北朝鮮をめぐる国際的関心が高まっていることを物語る」という言葉で始まり、金日成の政策を「原則は堅持しながら現実には柔軟に対応しようとの姿勢」とこの期に及んでも一定の評価を与えている。しかも、その評価の材料があまりにもひどい。「反共的立場の文鮮明氏を招いたり、キリスト教関係者を呼」んだりしていることを挙げ、「あってみたらそうした筋からの北朝鮮非難の動きが止まったという」。まともな宗教者が聞いたら怒るだろう。金日成一族を神と仰ぎ他宗教を迫害する北朝鮮に招かれ、多少の歓待を受けたくらいで「北朝鮮非難を止める」宗教者は確実に偽物である。朝日が統一教会の文鮮明と金日成の握手を好意的に報じたこの記事は、歴史的資料として残るかもしれない。 この後、元工作員安明進の証言により横田めぐみさんを含む日本人拉致事件が明らかになったが、朝日新聞は拉致を批判しつつも、対話と国交回復の重要性を説き続けた。朝日新聞1999年8月31日社説「『テポドン』一年の教訓」では、テポドン発射に象徴される北朝鮮の恫喝・瀬戸際外交を批判しつつも「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある。しかし、植民地支配の清算をすませる意味でも(中略)正常化交渉を急ぎ、緊張緩和に寄与することは、日本の国際的な責務」と結んだ。この「障害」という言葉は、被害者家族や支援団体「救う会」から激しい抗議を受けたが、問題なのは拉致被害者をまるで障害物にたとえた非道さだけではない。批判されるべきは拉致問題が解決できなくても国交正常化を優先すべきだという、被害者の人権も国家主権も無視した姿勢、自国民救出は国家の責務としては二次的なものだと考える倒錯した論理なのだ。 だからこそ朝日新聞は、小泉純一郎首相の第一次訪朝翌日の2002年9月18日社説「悲しい拉致の結末、変化促す正常化交渉を」においても、「国家が隣国の国民をゆえなく誘拐する行為は、テロ行為に等しく、とても許すことが出来ない」が、「(拉致問題を)理由に対北朝鮮制裁などで、正常化交渉の窓口を閉ざすべきではない。(中略)交渉に入るという首相の判断を、植民地支配に対する謝罪表明とともに支持する」と述べた。 百歩譲って、非道なテロ国家に対して妥協が必要な時はあるとしよう。しかし、言論機関が、北朝鮮のような独裁体制との国交を主張するというのは、それこそ自由や人権を重んじる(らしい)朝日新聞の立場からも逸脱だ。中国、ソ連に対する偏向報道は、形を変えて、北朝鮮独裁体制弁護の報道として継続したのだ。【PKO】非現実的平和論でポル・ポト派を利する 朝日新聞は戦後全面講和を唱え、単独講和、日米安保条約に反対のスタンスをとった。しかしその安保反対と平和主義は「中立」の立場からのものではなく、現実には日本を防衛し民主主義の価値観を共有していたはずのアメリカには厳しく、中国、北朝鮮、ソ連等の側を擁護する偏向したものだったことは、これまで見てきた通りである。 そして、ベルリンの壁が崩壊し冷戦の終結を迎えると、朝日は憲法9条の理想が実現する世界平和の時代が来たと再び現実無視の夢想を唱えた。しかし、冷戦の終結は、逆に大国の重しを失った各地域における、むき出しの領土欲の表出、各民族紛争や宗教紛争が露呈する「熱戦」の始まりであった。そして、国際秩序の安定に日本も軍事面を含めて積極的に貢献せねばならないことを明らかにしたのがイラクのクウエート侵略と湾岸戦争だった。 しかし、この時も朝日新聞は自衛隊による国際貢献、特にカンボジアPKOに対し、「自衛隊の海外派兵は許されない」として断固反対の立場をとった。憲法9条擁護の立場をとるのはよい。しかし、9条擁護のために現実に目をふさぎ、国際貢献活動の必要性をゆがめて報じ、しかもその責任を取らないとなれば偏向報道である。 湾岸戦争以後、自民、民社、公明3党はPKO法案の成立をめざし、社会、共産、社民連は断固反対。しかし、国会の論戦を闘わせるのは当然だが、社会党他反対派が行ったのは徹底した「議事進行妨害」だった。1992年6月5日に参議院本会議に提出されたPKO協力法に対し、社会党らは徹底した牛歩戦術をとり、また問責決議案を連発、9日未明まで決議をずれ込ませた。抵抗戦術としてもやりすぎであり、国会議員がのろのろと歩み投票箱の前で足踏みをするような滑稽な姿勢は国際的に恥をさらしたのだが、朝日新聞は6月6日社説「PKO問題は終わっていない」にて「一国の針路を決めるような重要案件が混乱のうちに処理され、多数の国民に不信感を与える。やりきれない」と慨嘆した上で「冷戦が終わった現在、新しい時代にふさわしい柔軟な発想に基づく論議の土俵を設定する好機である。イデオロギー偏重の外交・防衛論議から抜け出すことが望ましい」と述べる。しかし、自衛隊を海外に派遣することはすべて悪だという硬直化した視点こそが「イデオロギー偏重」でなくてなんなのか。冷戦終結後の国際秩序において、自衛隊を如何に有効に活用するかという思考こそ、ただ自国を防衛すればいいという旧来の発想を乗り越えた「柔軟」で「新しい」ものではないか。 しかも、この時期はポル・ポト政権の虐殺と内戦によって疲弊しきったカンボジアに、やっと平和への希望が訪れていた。パリ和平協定に基づき、国連でUNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)が制定され、93年に民主的な選挙が予定されたが、実現のためには国際的な平和維持活動、つまりPKOが必要だった。しかし、民主化のために不可欠な活動にも朝日は反対の姿勢を示した。1993年5月3日社説「憲法論争に何が欠けているか」はまさにその典型である。 「第二次大戦を通じ『日本人は好戦的で侵略的』というイメージが広く流布された。確かに私たちは、秀吉時代の朝鮮侵略や、ほぼ十年ごとに戦争を繰り返してきた明治以降の数十年のように、『征』の歴史を持っている」。戦後の東京裁判史観を超えて、この社説はなんと豊臣秀吉まで遡る。明治以降戦争を繰り返してきたのは我が国だけではないし、アジアを征服し植民地化していたのは欧米である。また戦後の中国のチベットなどへの侵略はどうなったのか。「自衛隊の海外派兵に道を開くというのでは、表向き世界平和を説きつつ、わが国を『征』の国へと方向転換させたいだけではないか、と疑わざるをえない」「『軍事貢献に道を開く』ような改憲は、多数の国民の支持を得られないばかりか、外国からも決して賛同されまい。アジア諸国には、元々日本が軍事的な力を持つことへの警戒心が極めて強い」。 世界でPKOやPKFに参加している国家は沢山あるが、そのすべてが侵略国家であり外交的に孤立しているのだろうか。 そして同年4月8日に国連ボランテイアの中田厚仁氏が、5月4日に文民警察官二人が銃撃を受けて死亡する事件が起きると、早速5月5日社説「カンボジアの現状を直視せよ」にて「文民警察官は、PKO協力法に基づいて日本政府が派遣した人たちである。それが、活動中に攻撃を受けた(中略)政府の責任は重い」「停戦合意が大きく崩れつつある」と述べ、PKO協力法にいちゃもんをつけた。その後も朝日社説はポル・ポト派の選挙妨害の可能性を強調し、選挙直前の社説では「和平協定に盛られた理想が一つ又一つと裏切られ」「総選挙開始にあたっても未来への明るい展望を持ちえない」とまで書いた。 しかし、ポル・ポト派の選挙妨害は実際にはほとんどなく、投票は予定通り5月23日から28日にかけて無事行われた。中田厚仁氏の赴任していた地区では99%近い投票率を数え、投票箱には彼を悼む手紙も投じられた。カンボジア総選挙の失敗を予告するような社説や、PKOも文民警察官も撤退すべきだといった報道は、選挙に希望をつないでいたカンボジア民衆の思いとはかけ離れたものだった。 それでも朝日には何の反省もなかった。1993年5月28日社説「カンボジア再生の出発点に」では「カンボジアの制憲議会選挙の投票率は、九〇%に届きそうだ」「選挙に寄せたこの国の人たちの熱い期待を、ひしひしと感じ」ると、まるでこれまでの報道を無視したかのように選挙を評価し「平和と安定を希求する国民の期待を無にするようなことは、いずれの勢力もやってはならない」と述べた。しかしもし本当にそう思っているのなら、尊い犠牲を払うことを覚悟で、PKOや文民警察官の派遣を説くべきであったし、また彼らの活動の意義を正当に評価すべきなのに、あくまでPKOに疑問を呈する。「ポト派の武力という危険を前に、国連平和維持活動(PKO)協力法の枠を超えて、自衛隊による事実上の『巡回』や警護に踏み出した。(中略)法のなし崩し拡大を既成事実化することになる」。これは考えが逆である。当時の法案では充分に平和維持に貢献することは難しく、法改正が必要であることが確認されたのだ。事実、PKO法はその方向で改正されていく。 この後、自衛隊はゴラン高原、ボスニア、東チモールなどでPKOの任務に就く。しかし、国民に大きな反対運動が起きたという話も、アジア民衆が怒りの声を挙げたという話も聞かない。一定の軍事力なくしては平和が維持できない地域が存在するという世界の現実から目を背ける朝日新聞の姿勢は、結果として暴力をもって民主的な秩序や国際社会を脅かす勢力を利することになるのだ。終わりに 本稿では朝日新聞の「偏向報道」において、現在では忘れられがちな時代の論考を中心に再考してきた。この他にも、伊藤律との架空会見報道、南京「大虐殺」に関する報道、教科書検定で「侵略」が「進出」に書き換えられたという誤報、サンゴ礁における自作自演の落書きなど、朝日には歴史的な誤報や偏向報道、虚報が数多くある。しかし、こうして朝日の戦後報道を振り返って感じるのは、第二次世界大戦は民主主義とファシズムの戦いであり、悪しき日本をふくむ後者が敗れ、正義の前者の勝利に終わったという歴史観を土台にしたものの見方や思想である。この歴史観が事実と異なり、日本国民として認めがたい本質的な錯誤と「反日偏向」が根付いていることは言うまでもない。 第二次世界大戦の最終局面では、ソ連が日本との中立条約に違反して参戦し、満州や朝鮮半島にいた日本人らに残酷な悲劇をもたらした。さらには60万人ともいわれる日本人をシベリアに抑留し、多数の死者を出した。まさに「強制連行」である。そしてソ連の満州・朝鮮半島制圧によって、中華人民共和国と北朝鮮というスターリン体制を模した全体主義・一党独裁体制が生まれたのである。これが「正義の民主主義国家」陣営が勝利した結果であろうはずがない。慰安婦を当時の時代状況を無視して強制連行された被害者とみなし、ひたすら日本の戦争責任を問うのは、この現実から日本国民の目をそらすための詐術である。 しかし、ソ連や中国、北朝鮮がいかに民主主義や人権の重視といった価値観とは相容れない体制であっても、前述の歪んだ歴史観を抱き続ける朝日にとっては「悪い日本を倒した国、日本の侵略戦争の被害者、日本の起こした戦争によって分断された悲劇の国家」だとして免罪できるのだ。そうして朝日が擁護した結果、中国共産党政権下の中国と国交を樹立した日本は経済援助を続け、現在のモンスターのような国家の出現を助けてしまった。北朝鮮による日本人拉致事件は長く封印され、総連の活動も野放しで金王朝の延命を助けてきた。しかもソ連がなくなっても中朝の独裁体制は生き残り、現在の東アジアの安保環境を極めて不安定なものにしている。そして日本がそれに対抗して国防体制を整備しようとしても、朝日は「悪しき日本の再来を招く」として阻止に全力をあげてきたのである。 朝日新聞という戦後の有力メディアが擁護する偏向報道が行われ、それが戦後の日本世論や政治にいかに悪影響を与えたかを考えるとき、朝日新聞の「戦後責任」の重さを私達は戦後のゆがみの中心として再確認しなければならない。 今、世界はロシアとウクライナの対立のように、露骨な力の論理が首をもたげてきている。中東の混迷、原理主義の勃興、民族主義や宗教対立の激化など、自由と民主主義の価値観が大きく揺さぶられ、アメリカの力の低下も伴い、東アジアでは中国の覇権主義の脅威が増していく中、戦後民主主義の限界を乗り越えて新たな「強く美しい民主主義」を確立するためにも、私達は朝日的言論を直視し否定しきらなければならないのだ。三浦小太郎氏 昭和35(1960)年、東京都生まれ。獨協学園高校卒業。「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」代表。著書に『嘘の人権 偽の平和』『収容所での覚醒 民主主義の堕落』(ともに高木書房)。

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    木村社長、あの拉致コラムは取り消しませんか

    ジャーナリスト 櫻井よしこ 過去の朝日新聞のさまざまな報道を集めてみました。そのなかの小泉純一郎元首相が訪朝した翌日の平成十四年九月十八日付朝刊の「痛ましい過去、直視して 日朝首脳会談」と題するコラムを紹介しましょう。  《痛ましい。やりきれない。わが子が、孫が、兄弟姉妹が、どこかで生きてくれていると信じて、拉致被害家族は長くつらい歳月を耐え忍んできた。そのかすかな望みは打ち砕かれた。無残な結末に言葉を失う》  《北朝鮮の金正日総書記は初めて拉致の事実を認め、謝罪した。それでも拉致された8人がすでに亡くなった事実はあまりに重い》 北朝鮮から出された死亡情報には多くの疑問が指摘されています。横田めぐみさんについてはニセの遺骨までが手渡されました。ただこの時点ではコラムは北朝鮮から示された情報を額面通りに信じてしまっています。コラムは次のように続きます。 《こんな無法者の国と国交を結ぶ必要がどこにあるのか。拉致問題暗転の衝撃と憤りから、釈然としない思いに駆られる人も少なくないだろう。気持ちは理解できる》 《けれども、冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである》 拉致は正当化できないが、そもそも日朝関係が不正常である原因は日本の朝鮮統治に原因がある。だから北朝鮮との戦後処理を解決すべきで、歴史を乗り越えるには、それを直視するしかない─という内容です。 コラムの執筆者は当時、政治部長だった木村伊量社長。朝日は北朝鮮との国交正常化に最も前のめりで拉致問題の軽視が目立つメディアでした。これまでも「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」(平成十一年八月三十一日社説)と書き批判されたこともあります。このコラムがそうであるように拉致問題に言及するときは日本の過去の朝鮮統治を持ち出して相対化を図るような書きぶりを繰り返してきました。記者会見で頭を下げる木村社長すさまじい社長の自己正当化 木村社長は八月二十八日に社員全員に「揺るがぬ決意で」と題したメールを発信しています。そのなかで《私は2年前に社長に就任した折から、若い世代の記者が臆することなく慰安婦問題を報道し続け、読者や販売店ASAの皆さんの間にくすぶる漠然とした不安を取り除くためにも、本社の過去の慰安婦報道にひとつの「けじめ」をつけたうえで、反転攻勢に打って出る態勢を整えるべきだと思っていました》とあります。八月五日、六日の検証特集記事は反転攻勢の第一歩のつもりだったというわけです。 メールには《いざ紙面化すると、「朝日がついに誤報を認めた」と鬼の首を取ったかのようなネガティブキャンペーンが始まっています。この際、朝日新聞を徹底的に攻撃しよう、という狙いでしょう》《いわれのない非難も含めて火の粉をかぶることは予想していたことです…一部の朝日攻撃はしばらく続くと見ておくべきでしょう…私の決意はみじんも揺らぎません。絶対にぶれません。偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国の敵意をあおる彼らと、歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする私たちと、どちらが国益にかなうアプローチなのか、改めて問うまでもないことです》 日韓、日中関係の厳しさの原因は日本側の偏狭なナショナリズムが原因だというのでしょうか。正しいのは朝日だというのです。 すさまじい自己正当化です。木村社長は今回の問題の本質を理解し得ていないのではないか。慰安婦報道の問題点も把握し得ていないと言わざるをえません。彼らの理解能力とはこんなものなのかと呆れてしまいます。「歴史の負の部分を直視して」ほしいという言葉は木村社長にこそ向けられて相応しいでしょう。

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    珊瑚落書きから吉田調書まで 朝日新聞「お詫び会見」の歴史

    ない。いまさらと呆れるばかりの顛末である。9月11日、これまで本誌・週刊ポストが指摘してきたとおり、朝日新聞が「吉田調書」記事の誤報を認めた。 とはいえ、いみじくも会見で木村伊量社長自らが語ったように、「遅きに失した」のは誰の目にも明らかだった。2時間に及ぶ謝罪会見は誤魔化しや往生際の悪さ、「記者の思い込みだった」と責任転嫁する姑息な言い逃れに終始し、世論調査の「評価する」はわずか6.4%。とても謝罪といえる代物ではなかった。 それでも経営トップが姿を見せただけでもよしとすべきか。なにしろ、わが身への批判には恫喝まがいの抗議で迫る一方、都合が悪くなれば「黙して語らず」が“天下の朝日”の伝統だからである。 ところが、この伝統も色褪せてきたようだ。テコでも頭を下げなかった朝日が、近年は「お詫び」の会見のオンパレードである。以下、その代表的なものを、時系列で振り返ってみよう。【珊瑚落書き捏造(1989年5月)】 珊瑚の落書き写真とともに日本人のモラルを問う記事を掲載したが、カメラマンによる自作自演の捏造記事だった。【取材メモ捏造(2005年9月)】 田中康夫・長野県知事と亀井静香氏の会談について記者の架空取材メモをもとに記事を作成。この問題で、箱島信一前社長が日本新聞協会の会長を辞任。【NHK番組改変報道(2005年9月)】 安倍晋三・内閣官房副長官らが圧力をかけて、慰安婦問題などの模擬法廷を特集した番組内容を変更させたと報じた。ちなみに、後に取材が不十分だったと会見で認めたが、訂正や謝罪はなし。【読売新聞記事盗用(2007年2月)】 カメラマンによる読売新聞の記事盗用が発覚。この5日後、他紙からのさらなる盗用が発覚し再度謝罪会見を行なった。【共同通信記事盗用(2010年10月)】 マニ教の宇宙図が国内で発見されたという記事の大半が、共同通信の記事と酷似していたと謝罪。執筆した記者に盗用の認識はなかったと説明。【「吉田調書」記事取り消し(2014年9月)】 週刊ポスト記事「朝日新聞『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」に対し、朝日は訂正と謝罪を求め法的措置もちらつかせたが、結局記事は虚報だった。週刊ポスト2014年10月3日号 ・朝日新聞報道責任者 謝罪会見後「いままでの紙面に誇りある」 ・朝日社長の謝罪会見 「反朝日デモ」を恐れ超厳戒態勢だった ・朝日新聞の「言論の自由」は「朝日の」「朝日記者の」の意か ・慰安婦検証記事掲載以降朝日新聞の記者が苦労をしている実態 ・門田隆将氏「朝日新聞が屈した9・11はメディア史の転換点」

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    「3度目の危機」で朝日新聞は消え去るのか

     日本人にとって非常に不思議な存在である「朝日新聞」への非難が収まらない。中国と韓国の主張と一体化し、ひたすら日本人を貶めて来た同紙に、国民の怒りが一気に噴出しているように思える。   現在、世界から「性奴隷(sex slaves)を弄んだ民族」として日本が糾弾されているのが、朝日新聞の報道によるものであることは、これまで再三再四、書いてきた通りだ。   それが朝日新聞による「強制連行」報道に端を発しており、しかも、その「強制連行」が歴史上の「真実ではない」のだから、事情を知る日本人には、悔しく、情けなく、本当にやるせない思いだろう。   今日は、少し違った視点でこの問題を書いてみたい。9月11日におこなわれた朝日新聞の木村伊量社長の記者会見は、世のビジネスマンたちにとって「非常に興味深いものだった」という。それは、企業体としての朝日新聞社が「いかに危機管理能力が決定的に欠如していたか」を明確に表わすものだったからだそうだ。   メーカーに勤めているビジネスマンたちによって、特に関心が注がれたようだ。それは、その会社の「商品」に対する企業トップの認識という点である。   メーカーに勤務するビジネスマンたちは、まず第一に自社が売る商品を徹底的に自分なりに「分析」し、頭の中にすべてを「叩き込むこと」から始める。商品を売り込む場合でも、またクレームが来た場合でも、どんな時でも「商品」それ自体のありようが最も重要なものだからだ。   では、新聞社というのは、いったいどんな“商品”を売っているのだろうか。言うまでもないが、新聞社が消費者(購読者)に売っているのは新聞という名の「紙」である。だが、何も書いていない白い紙を売ろうとしても、誰も買ってはくれない。   新聞社は、その白い紙に「情報」と「論評」という付加価値をつけた“活字”を印刷することによって、その紙を読者に販売している。つまり新聞社の商品とは、紙面に打たれている活字で表わされた「情報」と「論評」にある。これこそが、新聞社が売る商品の「根幹」を成すものである。   今回の「吉田調書」問題を例にとってみよう。朝日新聞は政府事故調による吉田調書(聴取結果書)を「独占入手した」として、デジタル版まで動員した大キャンペーンを5月20日に始めた。その大々的な記事に対して、「これは誤報である」と私が最初にブログに書いたのは、5月31日のことだ。   朝日新聞にとっては、私は一介のライターに過ぎないかもしれない。しかし、私は、故・吉田昌郎所長をはじめ数多くの現場の人間を取材して『死の淵を見た男』というノンフィクションを書いた人間である。その人間が記事を「誤報だ」と申し立ててきたわけである。   つまり、新聞社にとって、消費者に売る「商品の根幹」であるスクープ記事に「クレームが飛んで来た」ことになる。これは、普通の企業にとっては、大変な事態だと思う。例えば、自動車メーカーに、「エンジンに欠陥がある」という指摘が、専門家から突きつけられたとしたらどうだろうか。   まともな自動車メーカーなら、大急ぎで対応にあたり、必死で検証し、事態の収拾をはかろうとするだろう。しかし、朝日新聞は違った。私が、ブログのあと、週刊ポストに「朝日新聞“吉田調書”スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」と書くと、これに「言論」で反論するのではなく、「法的措置を検討する」という信じがたい抗議書を送りつけてきた。   その企業が売っている商品の根幹にかかわる指摘を、「黙れ、黙らんとお白洲に引っ張り出すぞ」という“脅し”で応じたわけである。私は、言論機関として「自由な言論」を封じるこのやり方に呆れる前に、朝日新聞に企業体としての「危機管理」がまったくなっていないことを知った。   世のビジネスマンも、そのことに特に注目したという。自社の商品の“根幹”にクレームが来たら、これは大変な事態であり、これをどう収拾するかは、頭を悩ませる重大案件である。しかし、朝日は、これを「弾圧」によって抑え込もうとしたのである。   普通の企業なら怖くてできないような対応をとった朝日新聞は、そればかりか、当該の週刊ポストが発売になった翌日、第二社会面に私と週刊ポストに対して「事実無根」の抗議書を送ったことを発表したのである。   その後のことは、これまでも書いてきた通りなので繰り返さない。ただ、この対応によって、大きな世間の関心事となった「吉田調書」問題は、私を駆り立てた。以降、私は各メディアをレクチャーして廻り、必要なら取材先を紹介するなどの行動に出た。   そして、8月末までに、朝日を除く全新聞が「これは誤報である」という朝日包囲網を敷くことになる。9月11日の記者会見は、朝日が「やってはいけないこと」を繰り返してきた結果だと、私は思う。   さて、今回の問題での朝日新聞の粛清人事は凄まじいものだった。木村社長が「道筋がついた後の辞任」を示唆し、杉浦信之・取締役編集担当、市川速水・ゼネラルマネジャー兼東京本社報道局長、渡辺勉・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長、市川誠一・東京本社特別報道部長を解任するというのである。   これほどの更迭をおこなった限りは、朝日新聞が「生まれ変わることができるのかどうか」がポイントになる。しかし、私は、それは望み薄だと思う。ただ、今回の出来事は、朝日新聞が創刊以来、「3度目の危機」であることは間違いないだろう。   朝日新聞の最初の危機は、1918(大正8)年に起こった「白虹(はっこう)事件」である。当時、朝日新聞は、大正デモクラシーの風に乗って、デモクラシー礼讃の記事を盛んに書いていた。しかし、米騒動による寺内正毅内閣への批判が巻き起こった時に、朝日新聞は「白虹日を貫けり」と書いた。   「白い虹」というのは、秦の時代、刺客・荊軻(けいか)が始皇帝への暗殺を企てた時に現われた自然現象とされる。「帝」に危害を加え、「内乱」のきっかけになるような不吉な兆候のことだ。   朝日新聞は、これで帝の暗殺と、内乱を煽っていると右翼に糾弾され、大規模な不買運動につながっていく。さらに、当時の村山龍平社長の人力車が右翼に襲撃され、村山社長が全裸にされて電柱に縛りつけられるという事件に発展する。村山社長の首には「国賊村山龍平」と書いた札がぶらさげられていたという。   この事件をきっかけに、村山社長と編集幹部の総退陣がおこなわれた。そして、編集方針も一変する。それまで大正デモクラシーを讃えていた記事から、それとは距離を置いたものとなり、紙面が右傾化していくのである。   そして、朝日はその後、どの社よりも極端な軍国主義礼賛の新聞社として変貌を遂げていく。戦時中はもちろんだが、すでに敗戦の情報をキャッチしていたはずの昭和20年8月14日の社説でさえ、中身は凄まじい。 「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」。  これほどの煽動的な記事を書いていた朝日新聞が、それまでの路線を一気に転換するのは、同年10月24日のことだ。「戦争責任明確化 民主主義体制実現」と1面で宣言し、村山長挙(ながたか)社長以下、取締役が総退陣し、社説で「自らの旧殻を破砕するは、同胞の間になお遺存する数多の残滓の破砕への序曲をなすものである」と言ってのけたのである。  「白虹事件」で右翼新聞になり、今度は占領軍(GHQ)路線に乗って、過去の日本を徹底的に弾劾する路線を基本とするべく「宣言」をおこなったのだ。そして、それが、現在の「日本」そのものを貶める路線の原型となり、そして朝日新聞の明確な特徴となっていく。  これが全盛を迎えたのは、一九七〇年代である。全共闘世代、すなわち団塊の世代に朝日の主張は広範な支持を獲得し、それが「自分たちの主張は素晴らしい」「自分たちのイデオロギーこそ戦後日本の象徴である」との錯覚を生んでいった。  やがて、自分たちの主張やイデオロギーに沿って、情報を都合よく“加工”して、どんどん大衆に下げ渡していくという手法が確立する。これを私は「朝日的手法」と呼んでいる。朝日の記者はそれに慣れ、麻痺し、慰安婦の強制連行報道や、今回の吉田調書の誤報事件へと発展していったと、私は思う。  これまでにも指摘してきた通り、朝日がもし、“ニューメディア時代”の本当の意味を理解していたら、ここまでの「失敗」はしなかったと思う。インターネットの普及によるニューメディア時代は、これまでの「情報」のあり方を決定的に変えていたからだ。  インターネットを通じて、誰もがさまざまな情報を取得することができ、さらに個人個人が情報を発信するブログやSNSなど、さまざまなツールを持つに至った。私は、これを“情報ビッグバン”と名づけているが、かつては新聞に都合よく“加工”されて下げ渡されていた「情報」を検証する術(すべ)を持たなかった大衆が、それを個人個人ができるようになったのである。 朝日新聞は、そういう“時代の変化”を読むこともできず、全盛を誇った70年代の手法をそのまま踏襲しつづけ、今回、墓穴を掘ってしまったのである。 私は、創刊以来「3度目」の危機に朝日新聞がどう対処するかに注目している。このまま、「中国と韓国」の主張との“一体化”をつづけ、徐々に部数を減らしていくのか。それとも、新たな路線に転換するのか。 私は、いずれも茨(いばら)の道であろうと思う。生き残ることができるか否かは、年内で「部数」激減に歯止めがかかるかどうか、である。すべては、朝日新聞を長年購読してきた読者の動向にかかっている。彼らの朝日離れが続くなら、朝日新聞は「3度目の危機」によって、ついに消え去ることになる。

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    百田尚樹より 朝日論説委員と記者の皆さんへ

    、2012年の『海賊と呼ばれた男』(講談社)で翌年の本屋大賞受賞した。 世紀の大誤報が国際問題に  朝日新聞がとうとう「吉田証言」が嘘であることを認めた。 『WiLL』の読者にあらためて説明することでもないが、「吉田証言」というのは、吉田清治という稀代の大嘘つきが語ったものだ。 吉田は、「大東亜戦争中、日本軍の命令によって、(韓国の)済州島で、朝鮮人の若い女性を木剣で脅し、無理やり二百人以上も従軍慰安婦にした」と各地で講演して回っていたとんでもない男で、その後、『私の戦争犯罪─朝鮮人強制連行』(三一書房)という本を出しているが、もちろんそこに書かれている内容はことごとく嘘だ。 吉田は証言のたびに「強制連行した慰安婦」の数を増やし、最終的には一千人を超えるとまで言った。 朝日新聞は、この「吉田証言」を一九八二年に一面トップで大々的に報じた。当時、朝日新聞の威光はすごかった。「日本の良心」を標榜し、大学の入試問題で一番多く出題されるのが朝日新聞の「天声人語」だと自ら豪語していた(いまも豪語しているが)。 それだけに、多くの善良な読者たちは、記事に非常に驚き、またショックを受けた。日本軍が組織的に、罪もない朝鮮人女性を銃や木剣で脅し、何百人も慰安婦にしていたという「出来事」は、多くの日本人の心を傷つけた。 しかし、この証言は完全なる嘘だった。日本の学者や地元、済州島の新聞記者が調査をし、そんな事実はなかったことがすぐに証明された。つまり専門家でなくとも、現地に行って取材すれば誰でも容易に真相がわかることだったのだ。のちにNHKが出版元の三一書房に取材すると、『私の戦争犯罪』の担当編集者は「あれは小説です」と答えた。また、吉田自身も「証言は嘘である」と認めている(『週刊新潮』一九九六年五月二十九日号)。要するに、真偽があやふやな問題などではなく、根も葉もない「デタラメ」だったのだ。  にもかかわらず、朝日新聞はその後も「吉田証言」を何度も取り上げた。一説によると、十六回にも及ぶという。 この世紀の大誤報は、日本と韓国の国際問題に発展した。「吉田証言」は独り歩きし、どんどん浸透していった。これ以後、韓国政府は日本に対し、執拗に謝罪要求を繰り返し、ついに日本政府は何の根拠もない「河野談話」まで発表する事態となった。 もはや確信的な「捏造」 戦後四十年近く、日本と韓国のあいだに「従軍慰安婦」問題はなかった。「李承晩ライン」を引き、三千九百三十九人の日本人漁民を拘束し、うち四十四人もの日本人を虐殺して竹島を奪った韓国初代大統領の李承晩も、その後、長らく政権の座にあった朴正煕(現在の朴槿惠大統領の父親)も、「従軍慰安婦」に関しては一言も言及していないし、一度たりとも日本政府に謝罪を求めていない。 なぜか。そんなものは存在しなかったからだ。戦時慰安婦は単なる売春婦だったからだ。今日、「従軍慰安婦問題」と呼ばれるものは、一九八二年の朝日新聞の記事が発端だったのである。 そして、いつのまにかこの「嘘」が事実として世界に広まってしまった。一例を挙げると、韓国政府はこの虚偽に満ちた吉田証言を「日本軍による強制連行の証拠」として採用し、いまも修正はしていない。 また、一九九二年にはアメリカのニューヨークタイムズに「吉田は二千人の朝鮮人女性狩りを行った」という記事が載った。一九九六年には国連の「女性への暴力特別報告」(クマラスワミ報告)にも、「強制連行の証拠」として採用された。 こうしたことにより、日本人の名誉と信用がどれほど失墜したか。国益がどれほど損なわれたのか想像もつかない。 すべては朝日新聞の誤報によってである。いや、これは誤報などではない。前述したように、朝日新聞はその後、十五回も吉田証言を取り上げたのだ。これはもはや確信的な「捏造」である。一九九〇年代には吉田の嘘はとっくに証明されているにもかかわらず、その後も二十年以上にわたり平然と嘘を繰り返し続けたのだ。最初の報道から三十二年間、一度も記事の訂正も謝罪も行わなかった。三十二年間も!である。 しかし、世論の圧力に抗しきれなかったのか、先日ついに、「吉田証言を載せた記事は間違いであった」と書いた。ただ、そこには謝罪の言葉は一切ない。それどころか、「自分たちは吉田に騙された。嘘を見抜けなかった」というような書き方をしている。加害者が被害者のふりをしたわけだ。 また、「他の新聞も同じように報道した」と書き、罪は自分だけではないと嘯いた。これは実に卑劣なやり方である。たしかに当時は他紙も後追い記事を書いた。しかし他紙の多くはすぐに過ちに気付き、「吉田証言は虚偽である」という記事を何度も載せている。今回の朝日新聞の訂正は、そうした他紙からの圧力によるものでもあったはずだ。 それなのに、「自分たちだけではない」といけしゃあしゃあと言い開き直るとは、まさに厚顔無恥というしかない。もちろん、三十二年間にわたり読者を欺き続けてきたことに対する反省は一切ない。 朝日新聞としては長い間、「嘘記事を書いて訂正しない」と批判されてきたから、ここらで「訂正記事」を載せておいて、今後はそういう批判から逃れようとしたのかもしれない。それとも三十二年間、捏造記事を書き続けて、世界にそれが広まったのを確認したので、訂正記事を載せてお茶を濁したのだろうか。強制連行の証拠はない しかもこの期に及んで、「広義の強制性」があったと主張する。彼女たちは自分たちが好んで慰安婦になったのではないから、そこには「広義の強制性」があったという言い分だ。こういうのを「牽強付会」(こじつけ)という。 実は戦時慰安婦の大半は日本人女性である。不幸なことだが、当時、多くの女性が貧困ゆえに慰安婦になった。日本も朝鮮も貧しかったのだ。それを「広義の強制性」などという言葉で言いくるめようとするのは無理がある。朝日新聞はそこまで日本人を「悪の民族」に仕立てあげたいのか。 さらに朝日新聞が汚いのは、今回の記事のなかで「インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています」と書き、あたかも「軍による強制連行」の証拠があったという表現をしていることだ。 おそらく、インドネシアの「白馬事件」を指していると思われるが、これは日本陸軍の幹部候補生が起こした性犯罪で、戦後、犯人たちは戦争犯罪人として裁かれている(首謀者は死刑)。決して軍による組織立った強制連行の証拠ではないのである。 あらためて言うが、軍が朝鮮人慰安婦を「強制連行」した事実はまったくない。この三十年、反日ジャーナリストや文化人が血眼になって探しているが、「強制連行」の証拠はひとつも見つかっていない。「K・Yサンゴ」と同じ構造 それにしても、朝日新聞はなぜあんな捏造記事を三十二年間の長きにわたって書き続けてきたのだろうか。その目的はいったい何だったのだろうか。もしかしたら、戦前の日本の軍国主義の過ちを糾弾したかったのかもしれない。しかしそうだとしても、嘘までつかなければならないのか。嘘をついて何を糾弾するのか。 これで思い出すのは「K・Yサンゴ事件」である。これは、朝日新聞が一九八九年に夕刊に連載していた「地球は何色?」という記事のなかで起こった。その企画は「地球の自然を守ろう」という趣旨のもとでなされたものだと記憶しているが、四月二十日に「サンゴ汚したK・Yってだれだ」という見出しと写真が大きく載った。写真には、沖縄の西表島にあるギネスブックにも載った世界最大級のアザミサンゴに、何かで削ったような「K・Y」という無残な傷跡が付けられている六段抜きの大きなカラー写真だった。 そこに付けられた記事は以下のようなものだ。「これは一体なんのつもりだろう(中略)『K・Y』のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。(中略)日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代の日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。にしても、一体『K・Y』ってだれだ」 この記事を見た読者は、「K・Y」という心ないダイバーの行為に怒りを覚えた。 ところが、サンゴに傷をつけた「犯人」は、ほかならぬ朝日新聞のカメラマンだった。地元のダイバーたちによって追及された朝日新聞のカメラマンが、記事を作りたいためにナイフでサンゴに傷をつけたことを自白したのだ。つまり、自作自演で記事と写真を作り、「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」を糾弾したのだ。 『WiLL』の賢明な読者なら、この「K・Y記事」と「吉田証言の記事」は同じ構造であることがわかるだろう。朝日新聞は、嘘でも捏造でも「日本人を貶めたくて仕方がない」のだ。 朝日新聞は私に対する誹謗・中傷ともいえるどうでもいいような記事(なかには明らかな間違い記事もある)でも、すぐに英文で世界に発信するが、今回の訂正記事は一向に英文で発信していない(八月十九日現在)。  三十二年間、捏造を続けてきて世界に嘘が広まったことを考えれば、この訂正記事こそ真っ先に世界に向けて発信するべきではないのか。いったい何が目的なのか 朝日新聞の論説委員および記者の皆さんに言いたい。 君たちはいったい何が目的なのだ、と。この社会を良くしていきたいのか。それとも悪くしていきたいのか。君たちの捏造報道のせいで、日本と韓国の関係がどれだけ悪くなったのかわかっているのだろうか。日本人が世界から信頼と尊敬をどれだけ失ったかわかっているのだろうか。日本の国益がどれほど損なわれてきたのかわかっているのだろうか。 それとも、君たちの本当の目的はそこにあるのか。日韓の関係をこじらせ、世界中に日本人は恥ずべき民族であるということを広めるのが君たちの目的なのか。 もし君たちが日本人の誇りと名誉と信用を守りたいという意思があるなら、日本と韓国の真の友好関係を望むというなら、いますぐに世界と韓国に向けて「吉田証言は嘘である」と、記事を大々的に発表すべきである。そして、すべての日本人に謝罪すべきである。それはやりたくないというなら、朝日新聞こそ日本人の敵であり、社会の敵であることを自ら証明したことになる。

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    慰安婦報道に関与した朝日記者のやるべきこと

    次世代の党・江口克彦参院議員 慰安婦問題の大誤報を認めた朝日新聞は、マスコミとして致命的な初動ミスを犯した。32年前に吉田清治氏を取り上げたときに、証言のウラを取っていなかった。これは「報道のイロハ」だが、朝日がそれを怠ったことに、私は意図的なものすら感じる。 ナチス・ドイツで国民啓蒙・宣伝大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスは「嘘も100回言えば真実になる」と語ったというが、朝日はこの手法を使ったのではないか。 だが、嘘を積み重ねると、当然矛盾が生じる。今年になって、河野洋平官房長官談話の再検証が行われ、(1)軍や官憲が強制連行した客観的資料がない(2)聞き取り調査を行った16人の元慰安婦の証言の裏付け調査が行われていない-などの事実が明らかになった。朝日はもはや、嘘をつき通すことができなくなった。 8月5日の検証記事で、朝日は強制連行の最大の根拠だった吉田証言は虚偽と認めた。だが、植村隆記者が元慰安婦から取材して書いた「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行された」という事実と異なる記事については、「意図的な事実のねじ曲げなどはない」とした。 元慰安婦は後に「母親にキーセンに売られた」と証言したうえ、植村記者の義母が元慰安婦を支援していたなど、疑問が多々あるのにである。これこそ身内には甘い朝日の体質ではないのか。その不遜極まる態度に、私はマスコミにいた者として怒りを禁じ得ない。 私が朝日の社長ならば、事の重大さを鑑みて自ら新聞を廃刊させる。1995年のマルコポーロ事件で、文芸春秋社が雑誌廃刊と編集長更迭を決めた例もある。日本を代表する朝日が、雑誌の後塵(こうじん)を拝していいはずがない。 関与した記者にはマスコミ人としての責任を明らかにさせ、日本の名誉を回復すべく、米紙ニューヨーク・タイムズや英紙タイムズなど、世界の主要紙に訂正および謝罪文を掲載する。 さらに余生をかけて、日本国内をおわび行脚し、慰安婦決議をした諸外国や自治体に事実を説明して、決議を取り消してもらうよう尽力する。それがマスコミに身を置く者の矜持(きょうじ)、いや「人の道」だ。 それなのに、朝日はいまだ、「アジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす私たちの元来の主張を展開していく」(9月12日朝刊)などと述べている。そもそも、「元来の主張」こそが、日本とアジア近隣諸国との関係を悪化させ、日本の国益を損なわせた。 信用も失った朝日はもう「太陽が昇る朝日」ではない。いっそ「夕日新聞」と名前を変えて、地平線のかなたに沈んだらどうか。そうすれば日本には新しい夜明けがやってくる。多くの日本人がそれを望んでいるに違いない。(取材・構成 安積明子)■江口克彦(えぐち・かつひこ) 1940年、名古屋市生まれ。慶應大学卒業後、松下電器産業に入社。67年にPHP総合研究所に異動し、創業者の松下幸之助氏に秘書として仕える。同社社長などを歴任。執筆活動の後、2010年に「みんなの党」から参院選に出馬して初当選。14年7月に同党を離党し、8月に「次世代の党」に入党した。

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    朝日新聞の「構造的問題点」とは?

    古谷経衡(著述家)一連の朝日新聞による誤報問題の本質とは? 今年8月5、6日の朝日新聞による「慰安婦検証記事」から始まった朝日誤報に関する”事件”が、いよいよ「吉田調書」記事の取消しを含む、朝日新聞・木村伊量(ただかず)社長、杉浦信之編集局長ら首脳陣による緊急記者会見という前代未聞の事態に発展した。1989年の珊瑚礁損壊捏造事件以来、実に四半世紀ぶりに明るみになった「世紀の誤報」の連発に、朝日内外で激震が続いている。 木村社長による記者会見の生放送は、9月11日19時半から開始され、21時20分に終った。 この中で、「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」とした「吉田調書」に関する記事について、杉浦編集局長は「当時、朝日新聞が独自に入手した吉田調書は、当時機密性の高いものであって、よって眼に触れる記者を原発事故報道に従前から従事している専門性の高い記者ら少人数に限定し、そのことが記者の思い込みと、チェック不足を招いた」と釈明した。 特に注目したいのは、つめかけた報道陣からの以下の質問である。朝日首脳陣に対する辛辣な質問の中でも”「吉田清治証言(慰安婦問題)誤報」を含めて、今回の吉田調書の誤報問題は、「朝日新聞が抱える構造的問題に依るものではないのか?」”との声が出たことだ。 木村社長は「(今回の誤報問題)が、一部の記者の資質によるものか、社が抱える構造的問題なのか、今後精査していきたい」という趣旨の回答を行った。これこそが今回の一連の誤報をめぐる問題の本質を指摘したものであると私は考える。 杉浦局長が会見で明言した、吉田調書の記事に携わった記者が、”原発事故報道に従前から従事している専門性の高い少数”だった、という部分が示すとおり、この問題は「一部の質の悪い、粗悪な記者による落ち度」ではなく、寧ろ逆の、「専門性を有する少数精鋭の記者ら」によってもたらされた誤報である、という事実である。これは何よりも、朝日新聞の構造的問題がこの一連の誤報問題の根幹にある、と考えて間違いはない。朝日新聞の構造的問題点とは”願望”である ではその「構造的問題」は何か。それは「原発事故では現場ですら収拾がつかなかったに違いない」(吉田調書)、「日本軍は悪いことをしたに違いない」(吉田清治慰安婦証言)、という、記者が有する特有の”願望”の存在にほかならない。 会見の質疑応答部分では、産経新聞の記者が「記事の方向性は既に決まっていて、それに沿った、都合の良い記事を書いたのでは?」という、問題の本質に関する質問が飛びだした。これについては「そのようなことはない」と朝日首脳陣による否定があったが、厳しい言い訳のように映る。 ここでいう”記事の方向性”とは、既に述べたように「現場の職責を放棄して、作業員が撤退した」(吉田調書)と、「日本軍が悪辣非道な犯罪行為を、組織的に植民地(朝鮮など)で行った」という既定路線であり、正しく「そうであって欲しい」という記者らの”願望”である。 これらを朝日首脳らは「記者の思い込み」と表現したが、「思い込み」という言葉には多分に「過失」というニュアンスが混ざっている。 例えば「単なる流れ星だが、さもUFOのように見えた」は「思い込み」だが、「単なる流れ星かもしれないが、あれはUFOに違いない」というのは願望である。どちらも誤認・誤報には違いないが、後者のほうがより強く観測者の「意図」が働いている。 この意図の部分は、「思い込み」ではなく「願望」と表現されるのが正確だ。吉田所長と吉田清治の証言の両者の誤報記事に共通するのは、この「願望」の存在に他ならない。”願望”が招いた誤報と歴史的悲劇 どんな報道機関でも、願望に基づく「誤報」は存在する。現在、この件で朝日を激しく叩いている産経新聞は、例えば2012年7月16、17両日に開催された陸上自衛隊第一師団の統合防災演習に際して、「東京都内の11区が(同演習への)協力を拒否した」とする記事を掲載した。 が、当該区役所などから事実誤認と抗議を受け、2012年7月25日付けで記事の撤回と”おわび”を掲載した。この件についての詳細検証記事はこちらを参照されたい。 これは当該記事を担当した記者が、「当該区役所の職員らには、反自衛隊思想の持ち主が居るに違いない」という”願望”を元にした観測記事であったことは疑いようもない。 願望に基づいた事実の観測は、産経だけではない。人間は誰しも、事実を願望で捉え、己の都合のよいように脚色する。「あの娘は自分のことが好きに違いない」という願望の中では、何の意味もない女性の一挙手一投足が、まるで自分への好意へのアピールと感じるのと同じように。 作家の半藤一利は、著書『ソ連が満州に侵攻した夏』(文藝春秋)で、日ソ中立条約を一方的に破って1945年8月9日にソ連が対日参戦した状況を、「政府・大本営の”願望”が招いた悲劇」と厳しく論評している。ソ満(満州)国境付近に向けてナチスを打ち破ったソ連軍部隊が対日参戦のために次々と抽出され、配備されているという前線からの偵察報告を一切無視し、政府・大本営は「ソ連が日本に宣戦布告することは無い」と判断した。 当時、マリアナ・沖縄が次々と米軍の手に落ち、最後の同盟国であったナチスも降伏。それに加えソ連参戦は、「日本の死」を意味していた。「(ソ連参戦は)あって欲しくない」「(ソ連参戦に)なっては困る」という日本の戦争指導者の願望が、ソ連軍への防御を怠ることになり、満州へのソ連侵攻、続いて起きた残留孤児の問題を惹起する悲劇の結末を迎えた。 或いは、1944年10月には、台湾沖に接近した米機動部隊に対して大打撃を与えた、という所謂「台湾沖航空戦」をめぐる大戦果報道があった。既に劣勢に立たされていた政府・大本営による「(米軍に)打撃を与えたい」「(米軍に)一矢報いているに違いない」という、貧すれば鈍するの”願望”に基づいた大本営発表を、新聞各社がそのまま一斉に報じた「世紀の大誤報」であった。実際には日本軍機は一方的に米軍に撃ち落され、米機動部隊の損害は軽微であった。 願望の前では、事実は往々にして無視され、脚色される、という歴史の教訓である。単なる”思い込み””取材不足のミス”で終わるな 今回、朝日新聞は「記事制作にあたった記者が少数であり、かつチェック体制が甘かった(杉浦編集局長)」として、「吉田調書」の誤報原因は、「(一部記者の)思い込み」によるものとして、あくまで「過失的なもの」というニュアンスを強調した。しかし、これは間違いであり、「思い込み」などではなく、取材した事実を知りながら、それを都合のよいように脚色した「願望」の結果であると断定せざるを得ない。 朝日新聞の一部記者の取材力が足りなかったとか、能力が低かった、というのが原因ではない。「吉田調書」(原発事故)、「吉田証言」(慰安婦誤報)は”願望”を元にした事実の観測が引き起こした”誤報”である。 杉浦編集局長は、「吉田所長の周辺や、原発作業員関係者への聴きこみ取材は行ったものの、吉田所長の証言を裏付ける証言は無かった」と今回の記者会見で回答している。これはその事実が存在しないにも関わらず、”願望”による筋書きを優先して、事実を都合の良いように脚色した何よりの証拠である。 「吉田調書」に関しても、「吉田清治」に関しても、当然「天下のクオリティペーパー」朝日新聞の記者が、全く裏付け取材なしで、記事に書き起したとは考えられない。「原発事故に精通した記者」による取材の結果、それらが根拠に乏しいものであることを予め分かっていたに違いないはずだ。しかしその事実は、”願望”の前に消し飛んだのである。 朝日新聞は、今回、読者の信頼だけではなく(かくいう私も購読者だが)、誤報に基づき世界から日本の評価が貶められたという事実を重く受け止め、この二つの大きな誤報問題を「一部の記者のミス」などではなく、「願望で事実を観測した結果の構造的問題」であると認め、信頼回復・再生への一里塚とするべきである。

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    慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪

    が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。ナヌムの家の前庭に立ち並ぶ元慰安婦たちの胸像=韓国・広州市(阿比留瑠比撮影)山ほど根拠がある批判を「いわれなき批判」とは… 阿比留 今話題に出た杉浦さんは一面で次のように書いています。 《一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています》 いわれなきどころか、根拠も理由も十分過ぎるくらいにあるわけです。にも関わらず自分達が被害者のように書いている。それから、吉田清治氏をめぐる記事は取り消すと書いていますが、それは中面に小さく書いているだけで一面には何も書いていない。見出しもありません。はじめからごまかしたい意図がありありだと読み取れます。 門田 いわれなき批判を浴びているのは、朝日ではなく日本人です。慰安婦像が世界中に建ち、非難決議があちこちの議会で取りざたされている。ここにどう朝日が回答するのか、と思ったら逆に開き直ってしまった。 櫻井 「いわれなき批判」とは、よくそこまで仰るのね、という思いです。これは正に朝日新聞が捏造した問題です。まず強制連行という点と、全く異なる挺身隊と慰安婦を結びつけた点です。挺身隊の女性を強制連行したということが世界中に衝撃を与えているわけで、朝日はその旗振り役だったわけです。 「挺身隊=慰安婦」の実態を想像してみると、これは凄まじいことです。挺身隊とは小学校卒業のだいたい十二歳ぐらいから二十四、五歳ぐらいの女性たちの勤労奉仕隊です。小学校を卒業したか、しないかぐらいの少女から二十代前半のうら若き女性たちを日本軍が強制的に連行し、「従軍慰安婦」にしたというのですから、こんなことを書けば、韓国の世論が怒り狂うのは目に見えている。それを書いたわけです。韓国人が怒らないほうがおかしいし、怒るのは当たり前です。その結果、本来ならもっと良い関係を維持できていたかもしれない日韓関係が深刻な形で傷つけられた。そういう意味でも、朝日は韓国人にも謝らなければいけないのです。 阿比留 慰安婦と挺身隊の混同を朝日は認めましたが、それは無理がなかった、当時は研究が乏しかったなどと書いています。しかし、それはおかしい。自分の父母か祖父母にでも「挺身隊って何だったの?」って聞けばすぐにわかるような話です。 門田 常識に属することですからね、女子挺身隊なんてこれはもう常識レベルですから。 阿比留 研究なんて大上段に振りかざして言うような話ではない。そのことをここで指摘しておきたいです。「身売り」の情報を一体どう評価したのか。 櫻井 植村氏の記事について特集記事は「記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました」「裏付け取材が不十分だった点は反省します」とあります。しかしこれは裏付け取材が不十分で済まされる次元の話ではありません。 植村氏が九一年八月十一日の紙面で報じた記事では女性の名前は伏せられていました。しかし、3日後の14日にソウルで彼女は「金学順」という実名を出して記者会見に臨んでいます。そこで彼女は「私は40円で親から売られた」「三年後の17歳の時に義父から売られた」と明かしています。彼女は日本政府を相手取った訴訟をその後起こしていますが、その訴状にも「貧しさゆえにキーセンに売られた」と明確に書いているのです。こういう記述を植村記者は見ているはずです。特集記事ではいろいろと書いているけれども、「親から売られた」とある重要な情報を彼はどう評価したのでしょう。 裁判が提訴されたあとの九一年十二月二十五日にも植村氏は金氏のインタビュー記事を大きく報じています。その記事でも「貧しさゆえに売られた」などとは植村氏は書いていないのです。前後の状況をよく見れば、植村氏が意図的に金氏が身売りされたという情報を落としたと断定しても間違いないだろうと思います。挺身隊の件もそうです。挺身隊が慰安婦と何の関係もないという重要な情報を彼は報道しなかった。そういわざるを得ないのです。 阿比留 それに関連して一言。今回の朝日の特集では、植村氏の聴いたテープには「キーセンに売られた」という話はなかった、となっています。これが仮に本当だったとしても九一年八月の植村氏の記事は「挺身隊の名で戦場に連行された」となっているのです。では植村氏はテープで「挺身隊の名で戦場に連行された」と聞いたのでしょうか。恐らくそうは聞いてないはずです。やはり創作はあったと言わざるを得ない。これが捏造でなければ何なのかと思います。朝日の特集はそこを明確にしていないのです。朝日社説でも次々と表現が変わってきた「強制連行」 門田 特集ではもともとの情報はソウル支局長だった、とありますが、なぜわざわざ大阪社会部の植村氏が海外出張までしてソウル取材となったのか。これも疑問です。国内出張とは訳が違いますからね。義母と特別の関係がなかったという話を信じろ、というのはなかなか無理がありますね。 櫻井 それは私も疑問を感じています。特ダネですよね。記者の感覚からすれば、ソウル支局長の特ダネを他の部の記者に譲るなど、およそあり得ない話だと思うのです。植村氏について特集記事では植村氏が「義母との縁戚関係を利用して特別の情報を得たことはありませんでした」とありますが、氏の書いた記事が義母の主張に有利に作用したことは確かです。そう思えば、ではなぜ彼が「親から売られた」という情報を書かなかったのか、なぜ挺身隊と結びつけた記事を書いたのか、という疑問がさらに強く浮上します。こうした点については特集では全く説明がありません。 門田 強制連行が問題の根幹だということを朝日もわかっているのでしょう。強制連行があるのか、ないのか。ここが「性奴隷=Sex Slaves」の一番の核心です。「性奴隷」という以上、女性が嫌がっているところを無理やり連れていったり、閉じ込めたり、あるいは強姦によって、意に沿わない性交渉を強いた─といったことが不可欠なはずです。強制連行がなければとても「性奴隷」などとはいえないからです。もし、そこが崩れてしまえば今度は「では朝日新聞の今までの報道は何だったのか」となってしまう。強制連行がなかった、となると、朝日新聞は本当に吹っ飛ぶと思うのです。だから、ここを必死に守ろうとして「強制性はあった」と未だに旗を降ろしていないのだと思います。 特集記事は植村氏自身やソウル支局長の生証言が少なすぎます。しかし、逆にそうしたまとめ方からは何とか事態を収束させたい、切り抜けたいという朝日の意図がにじみ出ているように思えます。 阿比留 朝日の社説をみると、平成四年頃は強制連行を自明の前提条件として取り扱ってきました。ところがだんだん強制連行が怪しくなると「強制連行はあったのだろう」という書き方に後退した。やがて「強制連行の有無は問題ではない」と書き始め、ついには強制連行という言葉自体を最近は使わなくなりました。 櫻井 強制性となりましたね。 阿比留 これは明らかに誤魔化しです。そして朝日の読者に対する愚弄でもあると思います。本当の事を伝えようとしない。国民も大きな迷惑を被っていますが本当に不誠実な対応だと思います。「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題した8月5日付け朝日新聞紙面日韓関係にもたらした悪影響に対する自らへの言及なし 櫻井 強制連行が独り歩きしたために、何が起きているのか。韓国の人たちが今米国で慰安婦を題材にした「コンフォート(comfort=奴隷)」というお芝居をしていますね。ニュースで見ましたが、嫌がって泣き叫ぶ女性を暴力的に連れていく、犯そうとするシーンが舞台で描かれています。慰安婦問題について何も知らない米国の方々は「こんな話があったなんて知らなかった。なんてひどい話だ」と思うのは無理もなく、実際、そういうコメントを出しています。 朝日がつくり出した話が、こういうふうにまさに国際問題になって、あたかも事実であるかのように独り歩きを始めている。銅像の設置もそのひとつです。 責任の重さをはかり、にもかかわらず朝日がほとんど反省していないことを考えると私は、朝日新聞の廃刊を促したいと思います。文藝春秋が雑誌「マルコポーロ」でユダヤ人虐殺事件をめぐる記事で廃刊になりましたね。 門田 アウシュビッツ収容所に「ガス室はなかった」という記事だったと思います。 櫻井 それからもう一つ、アグネス・チャン氏が講演で高額の講演料だという記事を書いたけれども、それが必ずしも事実でないとわかった講談社発行の雑誌、「DAYS JAPAN」も廃刊になりました。後者の判断が妥当か否かは議論の余地があると思いますが、とにかく廃刊になった。ちなみに「DAYS JAPAN」は廃刊から十四年後に別の経営体から再び出版されています。今回朝日の行ったことは、この前二社に比べても負けず劣らずひどい。朝日の行ったことは、過去の日本人、現在の日本人、そして未来の日本人、日本国に対する犯罪的報道ではないでしょうか。 すでに少し触れましたが、朝日の報道が「日本人はそんなに悪いことはしていない」と考えていた多くの韓国人に悪影響を与えた。これも見逃せない点です。韓国でも「慰安婦の強制連行などはなかった。実は父親や夫が売ったのだ」という真面目な論文や本を書いている学者もいるわけです。しかし、そうした話を全部横に飛ばしてしまって、日本軍が強制連行したという間違った話に仕立てて、本来はもっと親日的であり得た人々を、反日に駆り立ててしまった。韓国では今や親日的なことを口にするだけで社会的に抹殺される状況です。その意味で朝日は韓国の人々にも、計り知れない不幸を負わせている。朝日の責任は大きい。だからやっぱり朝日を一回廃刊にしてジャーナリズムをやる気があるのならば、新しい陣容でもう一回新聞を立ち上げなさいというところに来ていると私は思います。 阿比留 朝日は六日付の検証記事では、一ページを割いて「日韓関係なぜこじれたか」と書いているのですが、そこに自社の責任はまったく言及がない。先の政府の河野談話の検証報告書にも、平成四年の一月十一日付の朝日新聞の記事によって韓国世論が過熱したという指摘がされている。にもかかわらず、そういうこともまったく触れていない。私はあるとき─これは冗談ですけど─「世の中に絶えて朝日のなかりせば 日韓関係のどけからまし」とちょっと詠んでみたのですが…。 櫻井 いいですね。(笑) 阿比留 ほんとに今のような状況になってしまうと、修復はなかなか難しい。けれども、もともとはもっとうまくやれたはずの日韓関係をここまでこじらせた大きな要素は朝日ですよ。 櫻井 最大の責任者でしょう。 門田 やはり一度けじめをつけないと、影響が計り知れないほど大きい。私の息子もそうですが、外国でこのことは至るところでネックになっているわけです。若者の国際進出の壁となり、そして日韓関係の真の意味の友好、若者同士の交流や友好にも大きな影を落としています。朝日のやったことは、たしかに廃刊に値すると思いますね。 阿比留 でも実際は廃刊どころか、今回の朝日の不十分な検証記事ですら、朝日は英語で発信していない。 櫻井 そうです。 阿比留 明らかに外国での評判が落ちることを気にして、日本の国益よりも自社のイメージを大事にしている印象です。 門田 しかも韓国では、この朝日新聞のその検証記事でよけい慰安婦問題が盛り上がっている。朝日が女性の人権が踏みにじられたことが本質だと書いたことが、大きく報道され、さらなる問題になっています。 櫻井 朝日は歴史の節目で大きな間違いを犯して、しかし絶対反省しない。これを繰り返してきました。昭和二十年の八月十四日の朝日新聞社説は、「敵米英」が「広島ならびに長崎の空襲において原子爆弾を使用」「無辜のわが民衆を殺戮」したと書いたうえで、「ただこれに対しては報復の一途あるのみである」「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない」と煽っているのです。しかし、五日前に下村宏情報局総裁から朝日はすでに降伏の可能性を聞かされているのです。当時の朝日幹部の日記を見ると、急に論調を変えて無条件降伏とは言えない、「知らぬ顔をして、従来の『国体護持、一億団結』を表に出して」いくのがよいということが書かれている。 新聞人としてどうかと思うのは、降伏に関する情報を取ったからには、いち早く書くべきです。書けないのならば紙面で匂わすのが当たり前だと思う。ところが、降伏前日の社説まで「一億総火の玉」説を書いている。そして戦後はすっかり変わっていくわけです。 朝日人、朝日の知識人という存在は度し難いと私は思います。どういう状況下でも反省しない。自らを常に高みに置く。国民や世論を下に見て自分たちが指導していくという考えが染みついている。こんな新聞を読者は許してはならないとさえ、思いますね。 阿比留 それに言ってきたことはほぼすべて間違いだらけですからね。単独講和に始まり、六〇年安保、PKOも然りですし、最近の反原発、特定秘密保護法、集団的自衛権だってそうです。 門田 中国の文化大革命報道から北朝鮮の〝地上の楽園〟報道もそうですね。 櫻井 カンボジアのポル・ポト革命も。 阿比留 ですから今回の集団的自衛権を巡っても、ある外務省幹部が私に言っていたのは、「朝日がこれだけ反対してくれると自信を持って断行できる」。 門田 櫻井さんのおっしゃる昭和二十年八月十四日の社説からその直後の変わり身の早さはこの新聞の特徴でもあります。高校野球があったのでそれを言うと、明治四十四年に朝日新聞は「野球害毒論」という大キャンペーンを張っている。野球は害毒だと二二回に渡る大キャンペーンを展開しているのです。 櫻井 野球の何が害毒? 門田 例えば野球では相手のプレーを盗みますよね。これは「巾着切り(きんちゃくきり)のようなスポーツだ」というわけです。盗塁もそう。相手のタイミングをはずして投げるといった技量なども「賤技」つまり卑しい技だと新渡戸稲造に言わせ、乃木希典まで駆り出しているのです。乃木希典には「こんなに時間を要する試合は若者に弊害をもたらす」といったことまで言わせて当時二二回の大連載で野球を徹底批判している。ところが、その四年後、朝日は全国中等学校優勝野球大会を始めるのです。今の夏の甲子園大会の前身ですよ。皆、唖然としたわけです。業界で朝日新聞だけは野球に反対だからライバルからはずしていたわけですが、そうしたらいきなり全国中等学校優勝野球大会を主催して、それが今、第九十六回を数える大会になっているのです。彼らの変わり身の早さは昔から何も変わっていない。節操がないわけです。あっという間に変えてしまう。朝日慰安婦報道への検証記事の致命的論理破綻 櫻井 それこそ朝日の「賤技」だってわけですね。今回の慰安婦をめぐる朝日の検証記事も非常に狡猾です。一九九二年一月十一日朝刊一面の記事「慰安所 軍関与示す資料」という記事に関して見てみましょう。 検証では「宮澤喜一首相の訪韓」の直前に報じることで政治問題化させることを意図したものではないと朝日は強調しています。しかし、タイミングは訪韓直前でした。今でも覚えていますよ。黒々とした大きな見出しで、「軍関与の資料見つかる」と一面トップで報じたのを。 阿比留 一面に六個も見出しがありましたよ。 門田 すごかったですねえ。 阿比留 あんな大きな記事ないですよ、普通。 櫻井 ところが、「軍の関与」というのはよくよく読んでみると、衛生に注意させるとか悪い業者を取り締まるといった内容でした。 阿比留 西岡力氏がよく言いますが「善意の関与」です。 櫻井 秦郁彦さんも「これはよい関与なのだ」と語っています。こういう関与なしには慰安所の管理はできなかったわけです。ところが、実際の紙面をみるとその関与のイメージが強制連行に重なるような書き方です。 阿比留 そうですね。この日の一面の下の方では「従軍慰安婦とは」とあって「主に朝鮮人女性でその数は八万とも二〇万とも言われ…女子挺身隊の名で強制連行し」と書いているわけです。たった十行ちょっとの短い原稿に三つも四つも間違いがあります。 櫻井 でも検証では、朝日の報道前に政府も文書の存在を把握していた、だから軍が関与したということを朝日が初めて政府に知らせたのではなく、このような資料があったことを日本政府も知っていたのだから、宮澤さんが韓国に行って動揺して八回も謝ったのは朝日の報道の責任ではないと言っています。これは本当にずるい逃げ方だと思いますね。 阿比留 当時の内閣外政審議室の資料を読むと、この朝日の報道で政府内が蜂の巣を突いたような大騒ぎになったという記述があります─政府の一部でああいう文書は当然当たり前の事実として把握していた人はいたのかもしれませんが─朝日の記事のような書き方で大変な騒ぎに陥ったことは間違いないのです。 櫻井 「済州島で連行」したとする吉田清治氏についても、朝日は済州島でも取材し裏付けは得られなかった─と書き、吉田証言が虚偽だという確証がなかったと言っています。「だから真偽は確認できないと表記した」と言うのですが、吉田清治の証言内容について、現地の人が誰一人「そういうことがありました」と言わないということは、吉田清治証言が本当ではないということの証拠ですよ。「吉田清治が言ったことは嘘です」とは言わなかったかもしれないけれども、「女性が連れていかれた、トラックでやってきて二〇〇人も無理やり掠っていった」といった話はないと言っているわけです。 ということは、吉田清治の書いたことは存在しなかったのですから、これは虚偽だということになりますが、ここも朝日は非常に苦しい言い訳で、「吉田清治の証言が当時は虚偽だということの確証がなかった」としています。一方で、いま証言は虚偽だと判断し、記事を取り消しますという結論を出しています。では彼らは虚偽だといつ判断したのか。それがこの八月五日でなければ、何年前だったのか、何十年前だったのか、その間彼らは何をしていたのか。全く言及がなく、さっぱりわからない。 阿比留 しかもこの記事がずるいのは、少なくとも一六本の記事を書いてそれを取り消すと言っておきながら、具体的にどの記事を取り消すのか。記述がほとんどないことです。自分たちがどんな報道をしてきたのか。何を取り消して、何を残すのか。今の読者にはわからない形でこっそり取り消すわけですね。 櫻井 自分たちの間違いをなるべく知られたくない。出来るだけ隠したいという心理が読み取れますね。 門田 朝日新聞の特徴は、日本だけが悪いといえることを書く場合はとても一生懸命ですが、例えば今回の米軍相手の慰安婦一二二人が韓国政府を六月二十五日に提訴した出来事に対しては─これなどとても大きな出来事だと思うのですが─扱いは小さかったですね。 慰安婦のような存在はさまざまな国の軍隊で歴史的にありました。昔の十字軍には売春婦部隊がついていったというぐらい、すごく古い時代から古今東西存在しているわけです。それを日本だけのものであり、日本だけが悪い、と読者に思い込ませる報道をしてきたわけです。 阿比留 しかし、今回の特集で朝日は致命的な論理破綻を来しているのです。それは何か。今まで彼らは社説で慰安婦問題に関して、他の国にも同様な事例が仮にあったとしても、他の国が謝罪してないからといって、日本がそれで済ませていいわけはないと書いているんですね。しかし、今回彼らは「他紙の報道は」という欄でわざわざ他紙の報道を並べて「うちだけじゃないよ」と言わんとしていたわけですよね。 門田 それが今回の特集では「僕だけじゃない」といっているわけですね。 阿比留 そう。今まで自分たちは社説で「『僕だけじゃない』の理屈は通じない」と言っておきながら、自分の過ちには「僕だけじゃない」といっているような話です。「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。 第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。自分達の責任と向き合っていない朝日 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。原発事故でも日本を貶めた朝日新聞 門田 慰安婦問題とよく似た図式なのですが私は東京電力福島第一原発をめぐる朝日新聞による吉田調書キャンペーンを挙げたいと思います。これは五月二十日の朝日朝刊で、福島第一の東電職員の九割が二〇一一年三月十五日朝、「所長命令に違反」して、「原発から撤退」していたことが朝日新聞が入手した政府事故調による「吉田調書」によって明らかになった─というものでした。 私は、ジャーナリストとして唯一、吉田氏に長時間インタビューをおこなっています。吉田氏に取材しただけでなく、あの事故の際、福島第一原発で何があったのか、現場の人間はどう闘ったのか、をテーマに多くの当事者たち─当時の菅直人首相や池田元久・原子力災害現地対策本部長(経産副大臣)をはじめ政府サイドの人々、また研究者として事故対策にかかわった班目春樹・原子力安全委員会委員長、あるいは吉田氏の部下だった現場のプラントエンジニア、また協力企業の面々、さらには、地元記者や元町長に至るまで─百名近い人々にすべて「実名」で証言してもらい、それは『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)として上梓しています。朝日の一報を見たときはびっくり仰天し、すぐに「そんな事実はない」と思いました。しかし、朝日の報道は忽ち世界中へ駆け抜けていきました。『ニューヨーク・タイムズ』は〈二〇一一年、命令にも関わらず、パニックに陥った作業員たちは福島原発から逃げ去っていた〉と報じ、英のBBCも、〈福島原発の労働者の約九〇%がメルトダウンの危機が目前に迫った状況で逃げた、と朝日新聞は報じた〉とし、韓国メディアのなかには〈これまで〝セウォル号事件〟が「韓国人の利己的な民族性から始まった」、「相変わらず後進国であることを示してくれた」などと韓国を卑下し、集団のために個人を犠牲にする日本のサムライ精神を自画自賛した日本の報道機関と知識人たちは、大きな衝撃に包まれた〉と報じました。それまで原発事故で発揮された日本人の勇気を讃えていた外国メディアは、報道を受けて姿勢を一変させました。最悪の事態と必死で闘った部下たちを、今は亡き吉田氏は心から称賛していましたが、朝日新聞は日本を救うために奮闘したそんな人々を世界中から嘲笑される存在に貶めてしまったのです。慰安婦報道と同一構図の吉田調書キャンペーン 門田 現場を取材すれば命令に反して撤退することなどあり得なかったことはすぐわかります。そして、そう思ったのは私だけではありません。NHKにしても共同通信にしても現場に食い込んでいる記者、ジャーナリストは一発で朝日報道が嘘だとわかっていました。現場の人たちはもちろん、そうです。直接会っていろいろ聞いても、多くの現場関係者が口を揃えるのは、朝日には話をしたくないということでした。要するに共同もNHKも─どちらも反原発報道では厳しいメディアだが─それでも事実やこちらの証言は聞いてくれる姿勢がある。しかし朝日新聞は、はじめからまともに報じてくれないことがわかっているから、朝日新聞の記者が怖いし、会いたくないと言うわけですね。私は、ああ、「従軍慰安婦」の強制連行問題と同じだなと思いました。 櫻井 産経新聞が八月十八日付朝刊で吉田調書について報じましたね。そして、吉田氏の命令に違反して九割の職員が福島第二原発(二F)に逃げた─という朝日報道を否定しましたね。 門田 自分の命令に違反して九割の職員が撤退したなんてどこにも証言がないわけです。それどころか吉田氏は「誰が撤退と言ったのか」とか、「使わないです、撤退みたいな言葉は」とか、それから「関係ない人間は退避させますからと言っただけです」「二Fまで退避させようとバスを手配したんです」「バスで退避させました、二Fのほうに」と、もう何度も言っているのです。だから「自分の命令で二Fに行かせた」ということを繰り返し言っている。命令に違反して二Fに行ったなんて、つくられた話だとわかります。 阿比留 そうですね。構図は慰安婦と変わらない。 櫻井 と言わざるを得ないですよ。 阿比留 門田さん、私が不思議だったのは、「吉田調書」キャンペーンの解説記事で吉田調書について「全面公開しろ」と、朝日は迫っていますね、今回われわれが入手した調書を読んで感じたのは、全面公開されたら朝日は困るのではないかということです。すべてを詳らかにすると、ここを隠していた、ここを書いてないとあちこち突っ込まれてしまう。どういうつもりで「全面公開を」などと書いたのでしょう。 門田 政府は公開できない、しないだろうと朝日はわかっているからわざと公開を迫っているのだと思います。朝日自身は吉田さんと約束したわけではありません。非公開を約束したわけではない。だから自分はすぐにでもできる。吉田氏と約束して絶対公開できない政府に向かっては全面公開しろと言って追い詰める。逆に私が「吉田調書」を全文公開せよ、朝日なら明日にでもできるでしょ、と言うと、朝日は何も言わなくなりましたね。 阿比留 じゃあ、自分でやれよという話ですね。 門田 自分ではできないわけで、それをやったら自分の記事のつくり方、いかに意図的な記事をつくったかというのがわかってしまう。実は公開されたら困るのではないか、と思うんですよね。 櫻井 公開されて困るのは慰安婦の証言だってそうでした。朝日新聞は日韓の政府の合意で非公開という前提があったからこそ、安心して強制連行と言えたのだと思いますよ。これだってそうでしょ。政府はできない。それをやったら政府が吉田氏との約束を反故にするということですから。 門田 できないことがわかっていて、それを主張するのですから本当に困ったものですね。 櫻井よしこ氏 ハワイ州立大学歴史学部卒業。日本テレビ・ニュースキャスターなどを経てフリー・ジャーナリストに。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞、第26回正論大賞を受賞。平成19年、国家基本問題研究所を設立し理事長に就任。著書に『宰相の資格』『日本の試練』『甦れ、日本』『明治人の姿』など多数。 門田隆将氏 昭和33(1958)年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。ジャーナリスト。政治・経済・歴史・司法・事件など幅広いジャンルで活躍中。著書に『太平洋戦争最後の証言』(集英社)、『甲子園への遺言』(講談社)、『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)などがある。 阿比留瑠比氏 昭和41年、福岡県出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後、平成2年、産経新聞社入社。仙台総局、文化部、社会部を経て政治部へ。首相官邸キャップや外務省兼遊軍担当などを務め、現在政治部編集委員。

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    訂正、謝罪しないのはメディア共通の体質

    同志社大学社会学部教授 渡辺武達 9月11日に朝日新聞社の木村伊量社長ら幹部が記者会見し、2つの「吉田ドキュメント」をめぐる誤報について全面謝罪をした。日本のメディア界は、その話題で持ちきりである。 吉田ドキュメントの一つは、いわゆる「慰安婦」の強制連行を自ら実行したという、自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の証言だ。朝日は証言が虚偽だったことが判明したとして、記事を取り消した。もう一つは、東京電力福島第1原発事故当時の所長、吉田昌郎氏が政府の事故調査委員会に語った調書。朝日は、入手した調書を基に、「命令違反で撤退」と報じたが、調書を読み解く過程で評価を誤ったとして、この記事も取り消した。会見中、打ち合わせをする朝日新聞の木村伊量社長(左)と杉浦信之取締役編集担当=9月11日午後、東京都中央区信頼、著しく低下 メディアの報道は事実に忠実かつ謙虚でなければならない。主要新聞社と放送局が加盟する日本新聞協会編集綱領には「国民の〈知る権利〉は民主主義社会をささえる普遍の原理である」「新聞の責務は正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」とあり、朝日新聞社の綱領も「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す」と宣言している。だからこそ、報道に誤りがあれば訂正と謝罪をするのが当然であるにもかかわらず、その対応が遅きに失した朝日が、責められるのも然りである。現実の報道には、誤りや間違いが頻繁にあるが、たいていは紙面の片隅や番組の一部でそのときだけ神妙に訂正したり、謝罪したりするだけだ。今回の問題で、メディアに対する信頼が著しく低下しているのは実に困ったことだ。 慰安婦をめぐる「吉田証言」の虚偽はすでに明白だが、慰安所設置に軍の関与があったことは関係文書からも証明されている。国際的に伝播した誤った情報の訂正が早急に必要だ。 それに比較すれば、「吉田調書」は取材、執筆した記者や編集者の質的劣化に直接の原因がある。調書を独自入手した朝日の記者らが「命令に背いた」と誤読したのは、あまりにも幼稚だ。「東電や政府は嘘をつき、真実を隠している」という固定観念によるミスともいえる。 当時の民主党政権と東電の経営幹部には原発の総合的知識が乏しく、適切な事故対応ができなかったことは間違いない。実際、調書でも、原子炉への海水注入をめぐり、本店や政府の中止命令を無視して、現場判断で継続した経緯が克明に証言されている。 ただ、同業他社がここぞとばかりに朝日をたたいているのはいかがなものか。朝日は、池上彰氏の原稿の掲載をいったん見送ったことでも厳しい批判を浴びているが、他紙でも依頼原稿を社論に合わないとしてボツにしたケースがないわけではない。STAPをめぐる「誤報」 メディアの“誤報”では、今だにうやむやになっている問題がある。今月13日付の新聞各紙は、「iPS細胞 世界初の移植 目の難病患者に」などと、理化学研究所による発表を大々的に報じた。それを見た大学のゼミ生の一人が筆者に、「今度の理研の発表は正しいでしょうか?」とメールしてきた。なぜなら、今年1月30日付の新聞各紙は、理研の小保方春子氏らによる新たな万能細胞の「STAP細胞」について、やはり大々的に報じたが、その後、論文に重大な疑義が生じ、取り下げられることになったためだ。 すべての新聞社、テレビ局の当初のSTAP細胞をめぐる報道は誤報であり、ほとんどのメディアが、それによってオーディエンス(読者・視聴者)を欺いたことについて謝罪していない。なかなか訂正や謝罪をしないのは、メディア共通の体質ではないだろうか。=SANKEI EXPRESS

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    朝日新聞がいま為すべきこと

    朝日新聞の紙面はこのところお詫びだらけ。だが本心では謝っていない、悪いと思っていないことは社長以下の社内メールなどで明らかだ。国際的に貶められた日本の名誉を回復するために、朝日は最低これだけはやるべきだ。