検索ワード:格差社会/58件ヒットしました

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    生活保護はそんなに悪いのか

    不正受給がクローズアップされがちな「生活保護」。神奈川県小田原市では担当職員が「保護なめんな」とプリントされたジャンパーを着用し問題となった。第三者委員会で検証が始まったが、支援する職員の差別意識が見え隠れする。生活保護はそんなに「悪」なのか。

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    まだまだある! 公務員のおいしい「特権」

    お手盛りだの、厚遇だのとメディアが公務員叩きに躍起になるのも無理はない。つい先日も、副業でミナミのクラブを経営し、無断欠勤を繰り返した大阪市の元職員に1千万円もの退職金を支払っていたことが明らかになった。あまりに浮世離れした公務員天国の実態には呆れるばかりだが、「官民格差」を象徴するおいしい特権はまだまだある。

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    公務員だけが「バラ色の人生」を送れる国

    若林亜紀(ジャーナリスト) 昨年10月、人事院が勧告した国家公務員給与の引き上げを政府が承認し、3年連続の賃上げとなった。モデル給与は、22歳の大学新卒で289万円、ノンキャリアの30歳で381万円、40歳の係長で525万円、50歳の地方課長で705万円となる(残業手当を除く)。エリートである総合職だと、35歳の本省課長補佐で756万円、45歳課長で1219万円、局長で1765万円、次官で2318万円となる。民間と違いリストラがなく、課長までは同期横並びの年功序列で誰でも出世できる。人事院の資料によれば、国家公務員の過半数、55%が管理職だという。なんとお気楽なことか。 一方、国の借金である国債残高は1053兆円。国民一人あたり830万円。2016年度は税収58兆円見込みに対して新たに37兆円の国債を発行する。「収支のアンバランスが著しい。(家計ならば)現実的に銀行が融資してくれる水準にはない」と財務省も認めている(財務省「日本の財政関係資料」平成28年4月)。 家計ならば赤字を減らすため倹約をする。企業ならば経費を削減する。赤字が大きければ給料を下げ、ボーナスはなし、というところも多いだろう。ところが国は違う。赤字でも公務員の給与は上がる一方だ。 給与だけではない。公務員は他にも役得が多い。筆者自身、国の労働問題研究機関に10年務め、課長代理で内部告発をして退職した。だから身をもってわかる。 たとえば、公務員は家賃がいらないか格安で済む。官舎が充実しているからだ。首都圏勤務の公務員ならば、東京都内で3LDK70平米というのが、標準的な官舎である。それも、千代田区、港区、中央区の都心3区に1600戸分の官舎があり、その半分は家賃が無料だ。公務員官舎「東郷台住宅」 =東京都渋谷区 渋谷、六本木、広尾といった、企業経営者や芸能人が住むような高級住宅地にも官舎が多い。2012年に、人気お笑いコンビのオセロの中島知子が霊能者に洗脳されたとされマンションの家賃を滞納していた騒動があった。そのマンションは渋谷駅から歩ける高台の高級住宅地にあり、家賃が2LDKで月65万円と報じられた。実は、その隣りの隣りに国家公務員住宅がある。3LDK、月家賃2万7900円である。30歳前後の公務員世帯が30家族住んでいるという。戸数も多すぎる官舎 自衛隊を除く一般職公務員約29万人に対し、公務員住宅の数は16万戸ある。そのため、希望すれば必ず入れ、空き家も多い。 国家公務員には全国転勤の可能性があるため、官舎はある程度必要だ。しかし、礼金や敷金をなくするだけで十分である。戸数も多すぎる。 公務員には休みも多い。まず、有給休暇が初年度から20日間ある。平均取得日数は13.1日である(人事院、2014年)。民間では労働基準法で定められているとおりの10日という企業が多く、平均取得日数は8.8日だった(厚生省就労条件総合調査、2014年)。 さらに、公務員にはこのほかに民間にはないような特別休暇がある。夏季休暇、ボランティア休暇、結婚休暇、親族が亡くなったときの忌引きに親の法要のための休暇まである。妻の出産への付き添い休暇や、妻が専業主婦や育児休業中であっても夫が育児参加休暇をとれるなど、イクメン押しである。病気休暇は90日。民間サラリーマンなら有給休暇で都合をつけたり給与が減らされるところだが、公務員は特別休暇をとっても有給も給料も減らない。また、有給休暇は一時間単位でとれる。 公務員には査定もなかった。2009年に初めて勤務評定が行われ、2011年からボーナスに反映するようになった。しかし、全職員の6割が「成績優秀」であり、それ以外は「成績標準」という大甘査定だそうだ(総務省)。※写真はイメージ また、民間の場合、部長は大部屋で部下を管理するのが通例である。だが、国家公務員の場合は部長になるとテレビつきの個室をもらえる。個室で新聞を読み、テレビの高校野球を見、パソコンでゲームをして時間をつぶす部長たちを多く見てきた。もちろん、中には個室で集中して政策を考える、という管理職もいるであろうが少数だ。 退職時には多額の退職金がもらえる。世間の批判を受け、年々下がっているが、内閣人事局によれば、2014年度に定年退職した国家公務員の平均額は2167万円であった。50代前半で定年となる自衛官の数が多いので平均は高くないが、5000万円台が103名、6000万円台が76名、7000万円台が3名もいる。公務員が不当に厚遇であることを知るべき 退職後は関連法人や出入り業者に天下る者が多い。業者は役所との契約締結時に、天下りの人件費を上乗せした価格を請求している。また、役所は天下り先を作るためになくても困らないような関連法人をたくさん作っている。 財政赤字の原因は、政治家の利益誘導による予算のばらまきにもある。それでも、民間なら「役員の過剰投資のために赤字決算が続くが、社員には関係ないので給与を上げ続ける」というわけにはいかない。 国の場合は、国債のツケは政治家でも公務員でもなく国民に負わされる。国債の引き受け手は主に日銀、銀行・生損保、そして年金基金だ。国債が償還のあてなく増え続けていくと、日銀の信用が落ち、銀行預金の償還や保険の支払いが額面割れを起こし、年金の支給水準が下がる。 むろん、公務員の中には国のために懸命に働く優秀な公務員も少なくないであろう。だが、全体を見ると、非常識な厚遇、財政への無責任さがあることは否めない。 われわれ国民はどうしたらよいのだろうか。少なくとも、財政が危機的であることと公務員が不当に厚遇であることを知っておくこと、そして、それを改革する動きがあれば応援することが大切である。

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    やっぱり役人天国のニッポン! 公務員年金「豪華4階建て」のカラクリ

    荻原博子(経済ジャーナリスト) 経済の先が見えなくなっている中、多くの人が、老後不安に怯えています。生活保護受給世帯のうち、65歳以上の高齢者が過去最多の82万6656世帯となり、受給世帯の中で50・8%と半数を超えました(3月時点)。低年金や無年金で老後を迎える高齢者も増えていて、こうした世相を反映して、「下流老人」「老後破綻」などという本も売れています。誰もが老後に不安を感じる中、老後の不安がほとんどないのが公務員。なぜなら、彼らには老後を支える、「豪華4階建て」の年金が用意されているからです。財務省の正門=東京都千代田区 「豪華4階建て」などと書くと、違和感を持たれる方もいることでしょう。なぜなら、公務員が加入する共済年金は、昨年10月に厚生年金と統合され一元化しているからです。それまで、公務員が加入する共済年金は、「国民年金」「共済年金」の上に「職域加算部分」という年金がつく3階建てでした。いっぽう厚生年金は、「国民年金」と「厚生年金保険」の2階建て。これが、官民格差につながるということで、公務員も厚生年金同様に2階建ての年金になったはずでした。 ところが、実際には一元化するといいながら、公務員だけには、今までの「職域加算部分」に代わる「年金払い退職給付」という新しい年金がつくられ、しっかり3階建てになっています。なぜ、こんなことになったのかといえば、そもそも今回の年金の一元化という話は、表向きは官民格差の是正ですが、実際には公務員の年金を守るために行われたことだったからです。30年前に閣議決定されながら放置された「年金の一元化」 そもそも、「年金の一元化」は、1984年の中曽根内閣時代に閣議決定されています。ですから、本来ならばとうの昔に実現していてもおかしくない話でした。けれど、それが進まなかったのは、厚生年金よりも有利な3階建ての共済年金を手放すことに官僚が抵抗し続けたからです。では、なぜここにきて、一元化の話が急にスムーズに進んだのか。それは、共済年金が破綻しそうな状況になってきたからです。 たとえば、国家公務員共済を見ると、平成2年には組合員数112万人に対して年金受給者は66万人でした。ところが、1981年の118万人をピークに組合員が減少し続け、2012年に組合員が106万人になっています。いっぽう年金の受給者はうなぎ上りに増えて、2012年にはなんと年金受給者が124万人になっています。106万人で124万人を支えるということは、1人で1・1人の受給者を支えるということ。確定拠出年金は年収が高い公務員に有利 しかも、この先も公務員の数は減るのに、年金をもらう退職した公務員の数は増えていくのですから、その先に待ち受けているのは破綻のシナリオです。だとすれば、まだ共済よりは加入者が多いぶん健全な厚生年金に、いまのうちに共済をくっつけて破綻を回避しよう。それが、30年間も停滞していた年金の一元化が、ここ数年であっという間に進んだ背景だと私は思います。 もちろん公務員も家族がいますから、年金が破綻しては気の毒なので、厚生年金で救済するということも必要でしょう。それについては、批判しようとは思いません。けれど問題は、厚生年金といっしょになるなら、それまで積み立ててきたお金も全額を厚生年金に出して一緒になるべきでしょう。ところが、共済で積み立ててきたお金は自分たちのものとばかりに、そのお金の中から新たに「年金払い退職給付」という新しい年金をつくり、共済年金に上乗せしたのです。つまり、一元化したといっても、新たな上乗せ年金ができたので、共済年金はいまだに3階建てのままということです。※写真はイメージ これについては、「会社にも企業年金があるのだから、公務員にも企業年金にあたるものがあってもいい」といいうのが官僚の言い分。ですが、企業年金はすべての会社にあるわけではありません。厚生年金加入者3472万人のうち、企業年金がある人は1812万人で約半数。いっぽう、共済加入者は全員が3階建て。しかも、厚生年金と一元化することで将来の不安もある程度まで払拭されたのですから、まさにぬれ手に粟の偽装一元化と言えます。しかも、公務員は、今年1月から、確定拠出年金にも入れるようになり、4階建てになります。確定拠出年金は年収が高い公務員に有利 昨年5月24日に改正確定拠出年金法が衆院本会議で成立し、専業主婦と公務員が確定拠出年金に加入することが可能になりました。報道では、専業主婦が確定拠出年金に加入できるようになるということばかりが目立ちますが、実は、専業主婦にとって確定拠出年金に加入するメリットはあまりありません。なぜなら、確定拠出年金の最も大きなメリットは掛け金が税額控除になることですが、そもそも専業主婦のほとんどは自分では税金を支払っていないので節税メリットを享受できないのです。 では、誰にメリットがあるのか。ズバリ公務員。なぜなら、公務員の年収は一般よりも高いので、そのぶん節税効果も高いからです。 総務省が発表している「地方公務員給与実態調査」(2014年度)を見ると、1位は東京で平均年収735万円。600万円台の自治体もありますが、平均すると700万円前後。国家公務員なども、やはり700万円前後です。ですから、家族構成によってもちがうでしょうが、所得税率20%という人が多い。ところが、国税庁が公表している「民間給与実態統計調査」(2014年)を見ると、民間の平均給与は415万円。家族構成にもよりますが所得税率は10%という方が多い。つまり、同じ掛け金だったら、公務員のほうが2倍多く税金が戻ってくるということです。ちなみに、公務員が確定拠出年金に加入できる上限は年間14万4000円なので、満額入れば年間2万8800の税金が戻ってきます。ますます広がる官民格差 今まで、公務員が確定拠出年金に加入することについては、税金から給料をもらうのに、それでさらに税金が戻るような制度が利用できるのはおかしいという議論がありました。また、専業主婦についても、サラリーマンの妻である専業主婦はそもそも国民年金保険料を払っていないので、保険料を払わない人が上乗せ部分の確定拠出年金に入れるのはおかしいという議論がありました。 けれど、自民党が多数を占める中で法案が通過したことで、こうした議論は吹っ飛んでしまいました。しかも、これまで一番の難関だった「公務員はダメ」という壁を突破したことで、今後は掛け金などもより大きく引き上げられていく可能性があります。※写真はイメージ いま、多くのサラリーマンの年金は、あっても3階建て。もちろん、4階建てにしている企業が無いわけではありませんがごく少数です。こうした中で、公務員だけは全員3階建てというだけでなく、使わなきゃ損な4階までできたのです。しかも、サラリーマンはいつ会社をクビになるのかわからないので、基本的には60歳まで引き出せない確定拠出年金にはリスクもあります。けれど公務員は、よほどのことが無い限り60歳までは務められるのでリストラ不安はほとんどありません。 実は、トクをするのは公務員だけではありません。政権にとっても、60歳になるまで引き出せない確定拠出年金は、その間に株価の買い支えなどいろいろなことにお金が使えて、使い勝手がいい。穿った見方をすれば、そのためにスンナリ法案を通したとも思えます。年金が一元化されたといっても、官民格差はますます広がっています。その象徴が、「豪華4階建て」の公務員の年金ではないでしょうか。

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    公務員の給与はこうやって決まる! 最強の「抵抗勢力」人事院のいびつ

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 公務員が恵まれているものとして、給料、共済年金が恵まれていること、年休が自由にとれることなどがしばしば挙げられる。それに加えて、倒産がなく失業がないこと、雇用保険を払わなくてもいいことも公務員優遇とされている。 これらの根っこにあるのは、公務員は民間の大企業並みであるという制度だ。大企業なのだから給料は一般企業より高い。大企業の年金は、個人の基礎年金、一般企業の厚生年金の他に、独自の上乗せ年金があり充実している。年休など福利厚生についても大企業は一般企業よりもいい。 役所は、民間の基準を大企業並みとしている。それによって、結果として公務員の給料の優遇がもたらされている。 さらに、事実として大企業は一般企業より倒産する確率が低い。このため、公務員は雇用保険料も払わない。 普通の経済原理では、ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンである。しかし、公務員の待遇については、ローリスク・ハイリターンになっている。 こう考えてくると、倒産しない役所の公務員を、給与面などで大企業並みとする制度がおかしいと考えるべきだが、それにメスを入れる政治家は少ない。 制度というが、官民の様々な比較をするのが、人事院である。この組織は、国民のためではなく、公務員改革においてしばしば「抵抗勢力」になっている。人事院は、国家公務員がストライキできないなど労働基本権が制約を受けているので、その代償措置として設けられている中立的かつ独立性の強い機関である。そのためなのであろうか、その調査は公務員にとって「やさしい」ものだった。 何よりもまず人事院の調査は、優良大企業に偏っている。事業所従業員数50人以上の企業を調査しているというが、調査数1万社のうち500人以上の企業は4000社程度、100~500人の企業も4000社程度、50~100人の企業は2000社程度となっている。 一方、国税庁でも同じような調査(民間給与実態統計調査)を行っている。その調査では、従業員1人以上の企業を調査し、調査2万社のうち500人以上の企業は8000社程度、100~500人の企業は3000社程度、100人未満の企業9000社程度を調査している。その結果、人事院調査での民間給与は国税庁調査より高くなっている。 一昨年8月に出された人事院勧告では、民間給与は月収40万5539円、国家公務員給与は減額前で月収40万5463円、減額後で月収37万6257円と書かれている(除くボーナス)。これにより官民の差をなくすように国家公務員給与が改訂される。今ベースとなる民間給与は、年収換算すると486.6万円になる。 一方、昨年9月に出された国税庁の民間給与実態統計調査では、年収349万円だ。本当に官民格差をなくすなら28%のカットでもいい。頑張っていない人でも給料が上がる!? なお、人事院調査の対象は正規職員給与だが、国税庁調査では非正規職員給与も含まれている。この点、政府は正規と非正規を均等扱いすべき立場であるので、人事院調査が正規だけを対象にしていることはおかしい。 次に、人事院は官のいびつな組織構造には目をつぶっている。国家公務員について、役職は係員、係長、課長補佐、課長以上と分かれる。それに対応する民間企業では、係員・主任、係長・課長代理、課長、部長以上という役職だろう。人員をおおざっぱに言えば、国家公務員では、係員は2割、係長は5割、課長補佐は2割、課長以上1割だ。一方、民間企業では、係員・主任は6割、係長・課長代理は2割、課長1割、部長以上1割である。このような組織構造の下で官民比較をすると、各役職の給料が同じであっても、国家公務員は相対的に高い給料になるはずだ。 さらに、若干テクニカルであるが、公務員では、給与表の重なりと人事評価の機能不全があり、結果として頑張っていない人でも年功で給与がアップしていく仕組みがある。 給与表の重なりの前に、公務員の給与表を説明しよう。給与表は、役職に応じた等級と年齢などに応じた号俸がある。等級が上がるのは役職が上がったときで昇級といわれる。一方、定期昇給では号俸が上がることになる。こうした仕組みは官民で基本的に似ているが、民間企業の場合には、ある等級の最高号俸が次の等級の号俸を超えることはまずない。というのは、役職に応じた給料が基本であるからだ。その場合、給与表の重なりはないという。 ところが、役人の場合、給与表の重なりがあり、上位級に昇級しなくとも号俸が上がることで給与が十分アップすることがしばしばである。その結果、係員や係長であっても、給料が高くなることがよくある。 それでも、キチンとした人事評価があれば、まだ給与表の重なりの弊害は少ないが、公務員の人事評価はかなり機能していないのである。 基本的に、人事評価はA、B、C、Dと四段階である。筆者の大学の試験評価は相対評価である。例えばA2割、B3割、C4割、D1割などと割り振られる。ところが、役人は絶対評価になっているため、国家公務員では一般職員でもA6割、B4割で、CとDは基本的になく、幹部職員に至ってはA9割、B1割、やはりCとD評価はない。このため、病欠など特殊な事情の人間を除いて、誰でも年功により給与アップする仕組みになっている。 以上のように、制度として公務員給与の決まり方には大きな問題がある。公務員の場合、会社がつぶれる心配がないので、民間給与より低い水準でもいいはずだ。となれば、3割以上カットしてもいいくらいだ。 公務員給与をカットする動きがあると、景気に悪影響などという的外れの議論が出る。マクロ経済の有効需要の観点から言えば、公務員の給与カット分は他の公的支出に回ったり、増税額の縮小になるので悪影響は少ない。そもそも公務員の給与が民間より高い水準であること自体がまったく正当化できないので、その是正を行うのが当然である。

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    上流化する公務員という誤解

    山本隆三(国際環境経済研究所所長、常葉大学経営学部教授) 11月16日号の週刊アエラは、「上流化する公務員」との特集を掲げていた。公務員の上流意識が3割に達し、民間企業の正社員の2倍以上との内容だ。記事のなかでも、公務員が優雅な生活を送っている姿が描かれていた。本当に公務員はそんなに優雅なのだろうか。内閣府が入る中央合同庁舎第5号館=東京・霞が関 私が知っている公務員の姿とは随分差があるように思う。夜遅くまで残業する中央官庁の公務員、地方公務員を見ているとそんなに優雅にはみえないからだ。「アエラ」によると公務員で「上流」と思う人は32%、民間企業の15%の2倍以上だ。中流は公務員48%、民間企業40.5%、下流は公務員20%、民間企業39.5%だ。ちなみに公務員で上流と思う人は10年間で2倍以上になっているとのことだ。 この10年間の地方公務員と民間企業の給与の推移を図-1に示した。総務省の地方公務員給与のデータは毎年4月の全ての手当を含む支払額、国税庁の民間企業のデータは、賞与を除く年間支払額を12で割ったものなので、どちらも全ての手当を含む月額給だ。公務員の給与は相対的に民間より多いものの、この10年では民間企業以上の下落率だ。給与が下落しながら上流と思う人が増えているのは不思議な感じがする。これには理由がありそうだ。 民間の賞与額を含めた年収額と地方公務員の月額給の推移を比較すると図-2の通り、民間の年収額は大きく変動している。地方公務員の年収に関する公式データはないが、賞与の額は毎年それほど大きくは変わっていないだろう。公務員年収は相対的に安定している筈だ。要は、安定していることが、公務員が上流化していると感じている理由のようだ。 幸福感は、周囲との比較の結果による相対的な要素が大きいことが分かっている。公務員給与は下落していても、民間給与との比較で相対的に安定していれば、上流と感じる人が増えるということだろう。公務員の給与が増え、生活がよくなっているわけではなく、相対的な問題なのだ。民間企業の給与が、大きく変動すること、下落していることがよほど大きな問題だ。 「上流化する公務員」ではなく、図-3の民間給与額の推移をみれば、「下流化する日本の働く人」が正しいような気がする。どうすれば、下流化を止められるのか。図-4の業種別賃金にヒントがある。平均より給与が高い業界の雇用増加が重要だが、どうすれば伸ばすことができるかだ。 平均より給与が高い業界は、給与は付加価値額から支払われるのだから、当然だが1人当たりの付加価値額が大きい産業になる。図-5の通り、1人当たり付加価値額が大きい業界は日本では製造業を含め設備産業に多い。設備により生産性をあげることができるからだろう。 下流化を止めるには、これらの産業の成長が重要だ。製造業を中心とした企業が生産性改善の設備投資を行い、さらに研究開発投資を増やすことにより雇用の増加を図ることだ。日本企業の研究開発投資は最近漸く増加傾向にあるが、デフレ期間中の研究開発投資は表の通り、主要国中最低レベルまで落ち込んでいた。韓国企業に差をつけられたのには理由があるのだ。 装置産業の成長には、原発の再稼働による安価、安定的な電力供給が必要だ。図-6が示す通り装置産業の電力コスト比率は相対的に高い。「アエラ」は面白おかしく、上流化する公務員と記事にするのではなく、その背景にあるものを深く分析する必要があったのではないか。朝日新聞系列の雑誌が、「安価、安定的な電力供給が必要だから原発の再稼働を」との記事は書けないのだろうが。(山本隆三 ブログ「エネルギーの常識を疑う」  2015年12月10日分を転載)

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    日本の公務員は国際スタンダードなのか

    細田晴子(日本大学商学部准教授)/坂井一成(神戸大学大学院国際文化学研究科教授) 日本の公務員制度改革をめぐる議論の中でよく耳にするのは、公務員の数が多すぎる、業務に向かうモラールが低い、そのため無駄が多い、という指摘であろう。しかし、日本の労働人口に占める公務員数(一般政府雇用者数)の比率は、6.7%と極めて低い水準で、OECD諸国でも下から2番目の33位である(OECD 2011)。 OECD諸国との比較を通じて見る限り、日本の労働市場における公務員比率の低さは明白であり、公務員の数を減らすことが必ずしも無駄の削減や経済効率の改善に直結するとは言えない。また、給与の削減による待遇の悪化は、公務員を目指す若年層の減少につながり、むしろ、公共サービスのさらなる質の低下という問題を生み出す可能性が高い。 そもそも日本の公務員制度は国際スタンダードから見て、どの程度「逸脱」しているのだろうか。本稿では、欧州信用危機の渦中でしばしば取り上げられたギリシャ、スペイン、イタリアといった南欧諸国や、こうした国々を救済する役割を演じながらも自ら大きな課題を抱えているフランスの公務員制度をひもときながら、そこに見いだされる問題点を踏まえ、日本の公務員改革の進むべき方向性を検討したい。南欧の公務員制度を巡る問題:ギリシャ、スペイン、イタリア、ポルトガル1.歴史的文脈からみた公務員 歴史的にみると、南欧四カ国の官僚制度には、フランス革命後のナポレオン時代のシステム(ナポレオン法典)の影響が基盤にあり、中央集権的、均質性、議会による改正(民主主義)といった特徴がある。これに加え、公務員のストライキ権が導入されるなど、時代を経ての変化もある。 また四カ国のうちイタリア以外は、第二次世界大戦後の独裁・権威主義体制による支配を経て1970年代に民主化に至ったという共通項を有している。そのため、民衆の中に政府や官僚に対する不信感が根強い。ギリシャでは、インフォーマルセクターの存在、徴税能力の低さが問題となっている。スペインおよびポルトガルについては、1986年にようやくECに加盟したことも認識しておく必要がある。特にポルトガルは、1974年の革命後、30年間で民主主義、社会・政治・労働権、公務員を含む海外領土の引揚者、EC加盟といった新たな課題に次々に立ち向かわねばならなかった。人材活用の非効率性2.構造問題 これら四カ国に共通する構造問題は、第1に公務員制度が地方で細分化され、中間エージェンシーが多いということである。ポルトガルでは中央政府の権力が強いが、スペインでは民主化後の80年代に地方政府が自治憲章を完成させ、中央政府の権限が地方に移譲されつつある。イタリアでは、国よりは地方への帰属感が強いことに見られるように、非中央集権的である。ギリシャでは、EU諸国に比すと市町村が極度に細分化され、個々の自治体は政治力、財政面で脆弱である。地方政府はEUからの基金受け入れに伴って仕事量が増加していながら、財政難に陥っているケースも多い。また、中間エージェンシーの増設も、不透明性・非効率性を助長している。 第2に、政治任用制度などに代表されるように、政・官の癒着が強い点がある。四カ国に根付くクライエンテリズムの影響もあって、特に地方レベルの公的セクターの仕事は政党支持者の報酬として使われ、非効率・不透明な任用が公務員への不信につながっている。四カ国とも、高級官僚の多くが政治任用である(OECD 2011)。スペインでは、公務員が議員となっても、任期終了後は再度公務員に復帰することが可能である。 第3に、社会的インフラの未整備の問題がある。四カ国の電子政府サービスの洗練度は、ギリシャ以外はOECD平均以上であるが、市民のインターネットへのアクセス状態が悪い。市民がインターネットによって公のサービスにアクセスできる割合は、2010年OECD平均の42%に対し、スペイン32%、ポルトガル23%、イタリア17%、ギリシャ13%である(OECD 2009、OECD 2011)。これは、政府の透明性や信頼性に関する問題にも繋がる。3.人材活用の非効率性:保護された公務員 四カ国の労働人口に比した公務員数は、日本の6.7%と比べて多いが、OECD諸国の平均(2000-2008年)である15%を下回っており、最も多いイタリアで14.3%、スペインが12.3%、ポルトガルは12.1%、ギリシャは7.9%である(OECD 2011)。しかし、詳細に見ていくと、人材活用の非効率性が浮き彫りとなる。 第1にパフォーマンスに比例した給与制度となっておらず、ギリシャに見られるように、働くインセンティブが低いものと思われる。人事における業績評価の中央政府レベルでの活用度は、イタリア、スペイン、ポルトガルとも、OECD諸国の平均を若干上回る程度である(ギリシャはデータなし)(OECD 2011)。革命後のポルトガルでは、公務員は何年間か昇進も給与アップも望めず、モラールが非常に低かった。80年代には政府・労組関係が改善したが、政治的には不安定だった。21世紀に入ると、期限付き雇用の増加により公務員数が急増し、国家予算を圧迫している。 第2に、適材適所の人材活用が行われていない。例えばギリシャでは、試験制度への信頼がなく、クライエンテリズムによる不透明でインフォーマルな採用が一層促進されている。イタリアでもクライエンテリズムにより効率性は損なわれている。すなわち、専門を持たぬ人材、あるいは専門外の人材が雇用されるということが起こる。ナポレオン時代のモデルから発達した公務員制度 第3に、高給の官僚や、シニア層の官僚が多いことが挙げられる。ほとんどすべてのOECD諸国において、50歳以上の中央政府職員の割合は年々上昇する傾向にあるが、特に高いのは49.2%のイタリアで、ギリシャは37.3%、スペインは36.5%(2005年統計)、ポルトガルは32.1%である(OECD2011)。この割合は今後、新規採用を制限することで更に上昇するであろう。スペインでは、退職した人材の補充をしないことにより、労働人口における公務員の割合を12.3%から10%に引き下げようとしている。そのため、例えば、2013年まで非正規の公務員は新規に雇用しないこととし、この2年間は外交官、中央官庁、地方公務員の採用も凍結している。 第4に、社会保障など、雇用に関する費用の多さが挙げられる。欧州は、「欧州社会モデル」に基づく経済発展を推進するにあたり、労働者や弱者の権利の保護を重視している。示威行進やストライキ権は、労働者に与えられた権利として憲法で保障されている。公務員の労組組織率は、フランスの15%と比すと、イタリア28%、ギリシャ27%、ポルトガル19%、スペイン20%と高い。中でもギリシャの労働組合は強力である。ただしスペインなどで民主化移行期に見られた政党と労働組合の強い結び付きは、徐々に薄まる傾向にある。他方、2010年、中央政府の公務員の年間平均労働時間は、ギリシャ1678時間、イタリア1676時間、スペイン1663時間、ポルトガル1545時間(加盟国の中で最低)と、共にOECD諸国の平均値(1742時間)を下回っている(OECD 2011)。4.グローバリズムの中で新たな課題への対処 ナポレオン時代の中央集権モデルから公務員制度が発達した南欧四カ国であるが、現在では、EUの「補完性原理」に従って、中央から地方への権限移譲が行われており、地方政府の仕事量が増加してきている。しかしスペインでは、地方への交付金が増大した結果、中央のコントロールが利かなくなり地方の赤字が膨らんだため、中央に権限を返還することを主張する声もある。 こうした中、公務員の待遇、採用、人材育成の見直しが急務である。南欧は日本と同様、一旦正規雇用のポストを得ると、解雇補償金などが発生して解雇しづらくなることから、若年の新規雇用が滞っている。いたずらに新規採用を削れば、若年失業率は高まる一方となる。実際スペインでは、高学歴の人材の頭脳流出も始まっている。問題は公務員数を減らすことでは解決しない。経済危機で真っ先に費用削減の対象となる人材育成にこそ、長期的観点から取り組むことが急務である。加えて、業績の評価メカニズムを効率的に導入し、シニア層の手厚い保護を見直していくべきである。フランスにおける公務員制度と社会構造 次に、同じく地中海に面する南欧の一国であり、かつ今般の欧州金融危機でドイツとともに救済側の主要国であるフランスについて見てみたい。 フランスの労働人口に占める公務員の割合は21.9%(2006年)でOECD加盟国の第5位と高い。フランスは資本主義の経済大国の一つでありながら、一方でディリジスム(dirigisme)という言葉で表される産業構造に特徴がある。これは国家主導主義などと訳され、市場経済に極力国家が介入しない米英などの新自由主義的手法と対照的に、積極的に国家が介入していく志向性を指す。ガス、電気、水道などの公共インフラ部門は民間企業が担うが、これらの企業は政権によっては国有化されたこともあり、おしなべて国家の統制力は非常に強い。企業の雇用調整に政府が強く介入する点など、アメリカと大きく異なるヨーロッパ全体の傾向だが、フランスでは特に顕著である(長部 2006)。社会保障もこの例外ではない。フランスの社会保障制度は、歴史的に、政府にも企業にも依存しない自立した共済組合により担われてきたが、今日ではこの自立は擬制化し、政府の介入なしには運営できなくなっている(企業の負担も重い)。一方、医療や老齢などのリスクに備える各金庫が、企業・職域別に細分化されて作られており、特に公務員を含む公共セクターの労働者の加入する制度は「特別制度」と呼ばれ、エリート職域のための既得権益化した存在となっているのである。「数」の削減ではなく「質」の向上へ フランスにおいても、公務員ポストの削減を巡る議論がなかったわけではない。サルコジ政権(2007-2012年)の下では、退職者2人のうち1人しか補充採用しないかたちで公務員ポストの削減が進められた(OECD 2011)。しかし、大きな変化が生まれる前に政権は交代し、その後のオランド政権は、この削減システムの廃止を打ち出すとともに、公務員の最大数を占める教員を2017年までに6万人増やすと公約するなど、今後はむしろ公務員数の増加が見込まれている(2012年4月19日付、ル・モンド紙)。オランド政権の施策は、サルコジ政権が目指した「小さな政府」路線を批判する社会民主主義の観点に立つもので、それゆえ経済成長や雇用増大に公共部門を強く活用する姿勢が顕著であるが、「公務員天国」とも揶揄(やゆ)されるフランスの社会・雇用構造が簡単に変わらないことは確かなようだ。上述の社会保障システムを含む「フランス社会モデル」は、共済原理によって企業の社会保障負担が過重であり、それによって雇用が抑制され、競争力の低下を生むという連鎖的な問題を抱えているが、このモデルの抜本的改革にはなかなか手が出ない。 フランスの公務員の数は確かに多く、国家財政の圧迫という問題をはらんでいる。また、日本と同様、終身雇用型の採用を行っていることから、一度採用すると解雇が難しいという事情もある。そこで、公務員に対する業績評価型の人材活用システムの拡充を通じ、業務効率の改善と労働インセンティブの向上を図る必要が指摘されているのである。日本の公務員制度改革:「数」の削減でなく「質」の向上へ 以上の南欧諸国の事情を踏まえて、日本の公務員制度を検討してみたい。 これまで、自民党・小泉政権の郵政民営化改革、2009年に発足した民主党政権の「仕分け」作業を通じて、歳出の無駄の削減を目指した公務員数や給与の引き下げが行われてきた。しかしそこには、南欧諸国と比較することで見えてくる問題も多々ある。 南欧諸国のケースで見た問題点が、地方分権化とそれに伴う公務員人事の不透明性や非効率性、任用におけるクライエンテリズム、人材活用の非効率性や高齢化などであったように、いたずらにポストや給与などの「数」を減らせば良いという議論は正鵠(せいこく)を射たものとは言えない。「数」の削減に頼る改革は、むしろ優秀な若者の新規雇用の道を閉ざし、在職者のモラールを低下させるリスクを多分に負うことになる。 現在、日本政府は、国家公務員制度の改革を進めており、2012年度から新たな国家公務員採用試験を導入した。従来の「Ⅰ種・Ⅱ種・Ⅲ種」という区分が「総合職・一般職・専門職」という区分に改められ、それぞれの職分にも改革がなされる。 人事院によると、改革の主眼は、第1に、能力・実績に基づく人事管理への転換を行い、キャリア・システムと慣行的に連関している採用試験体系を抜本的に見直して、採用後の能力の発揮と実績に応じた適正な昇進選抜を実現することである。第2には、総合職試験に専門職大学院を含む大学院修了者を対象とした院卒者試験を設けるなど、新たな人材供給源に対応した試験体系に組み替えて、総合職試験に大学院修了者の枠を独立させて設置すること。第3に、総合職試験に企画立案に係る基礎的な能力の検証を重視した「教養区分」を設置し、民間企業等経験者などの採用のための試験を設けるなどして、多様な人材の確保に努めること。第4に、知識よりも論理的思考力や応用能力の検証に重点を置いた「基礎能力試験」を設けたり、総合職試験の院卒者試験及び大卒程度試験「教養区分」に、政策の企画立案能力及びプレゼンテーション能力を検証する「政策課題討議試験」を導入するなどして、ディスカッションの能力や幅広い教養に立脚した「知能」を採用において重視する方向にシフトすること、とされている。 この中で特に目を引くのが、大学院修了者の採用枠と「教養区分」の新設である。これまで、縦割り行政の壁という制度的な問題に加え、専門性の穴に閉じこもり、コミュニケーション能力を柔軟に駆使しながら、広い視野の下に大きな戦略を立てることに欠けるとされてきた国家公務員であるが、大学院レベルでの教育を受けた人材を多く登用し、専門性を有しつつも、幅広い教養と柔軟な対応能力を備え、国際的視野を携えた人材を積極的に採用することで、官庁の業務文化にも変革をもたらすことが期待される。広く深い教養があれば、高度な専門化による知の断片化を避けることも可能である。日本の公務員制度を国際スタンダードへ 先に見たように、南欧諸国の置かれる状況に学ぶなら、特別待遇や既得権益、クライエンテリズム等の無駄や非効率を生み出すネガティブ要素を取り除く改革を進めると同時に、公務員が魅力ある職業であるとの認識を特に若年層に対して醸成していくことが欠かせない。また、人事・採用に当たっては、中長期的観点とグローバルな視点で日本(地方公務員であれば当該自治体)の立ち位置を的確に認識することができ、社会に内在する問題を自ら発掘し、その解決策の立案に取り組める教養力や対応力に満ちた若い人材を、積極的に登用するようシフトさせていくことが肝要であろう。 公務員制度に関する国際スタンダードを、むしろ日本が作り出していくことが望まれる。 参考文献Ongaro, Edoardo (ed), Public Management Reform and Modernization, (Edward Elgar Pub. 2010).Special Issue: Public management reform in countries in the Napoleonic administrative tradition: France, Greece, Italy, Portugal, Spain, International Journal of Public Sector Management, Vol.21 Iss:2, 2008.OECD, Government at a Glance 2011, OECD Publishing, 2011.OECD編『図表で見る世界の行政改革:政府・公共ガバナンスの国際比較』(明石書店、2010年)。長部重康『現代フランスの病理解剖』(山川出版社、2006年)。白井さゆり『欧州激震:金融危機はどこまで拡がるのか』(日本経済新聞出版社、2010年)。

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    バブル期以来24年ぶり公務員の給与UPの法案に憤慨の声

     1月20日の参議院本会議で、2015年度の国家公務員の給与を引き上げる改正給与法が賛成多数で成立した。一般職の月給が平均0.36%、ボーナス(期末・手当)が0.1か月分増え、一般職の平均年間給与は5万9000円引き上げられ666万5000円となった。 引き上げ分は昨年4月にさかのぼって1月にまとめて支給されるので、ちょっとしたボーナスが支給されるようなもの。もちろん、国会議員である安倍晋三首相の給与も増える。 公務員の給与アップは、昨年度に続いて2年連続。月給とボーナスが引き上げられるのは、バブル期だった1991年以来で24年ぶりのことだ。安倍首相はその理由を「アベノミクス成果で政府の税収が増えたから」と説明。※写真はイメージ つまりアベノミクス効果で景気は回復傾向にあるからいいじゃないか、ということなのだろうが、国の借金が約800兆円もあり、社会保障費がかさむなかで、給料アップしている場合なのだろうか。というか、一般庶民の家庭は、増税で負担が増えて、夫の給料は下がる一方なんですけど!? 憤慨する国民をまるでバカにでもするかのように、安倍首相は年明けの国会答弁で、実質賃金が減少している理由について、「雇用が増加する過程において、パートで働く人が増えているから」と説明した。 そしてその際、共働き家庭の例として「妻は働いていなかったけど、景気がよくなってきたからそろそろ働こうかと働き始めたら、わが家の収入は私が50万円、妻が25万円。だとしたら(2人で)75万円」と発言。「パートで25万円」とは、いったいどこの国の話なのか。例えにするにはあまりにも現実とかけ離れている。この発言がクローズアップされ、批判されるやいなや、「パートで25万円とは言っていない」とあわてて反論しているが、問題なのは、そこではない。「安全保障関連法に反対する学者の会」に名を連ねる、社会学者の上野千鶴子さんが、一蹴する。「本当にありえない。こんなに生活感覚のない人が政策を意思決定しているんです。公務員の給料を上げる一方で、低所得の年金受給者を対象とした給付金3万円は1回きり。単なるバラまきにすぎません。 しかも、この夏に行われる参院選前に給付するなんて、票をお金で買おうとでもいうんでしょうか」(上野さん) 関連記事■ 健康保険料抑えるため 4~6月に残業や副業はしないのが吉■ 年収減少時代 公務員の給料は1001万円に増えている■ 60才以降 低下した賃金補う「高年齢雇用継続基本給付金」も■ 44の職業に就く女性の給与明細・残業時間・長短を紹介した書■ サラリーマンの「有給休暇」「残業代」等知っておきたい知識

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    天下りの根絶が難しい理由 国会答弁を役人が書いているから

     安倍晋三首相は第一次内閣(2006~2007年)では、天下り規制に力を注ぎ、4大政府系金融機関の総裁や社長には次々に民間人が起用された。しかし、2012年12月に首相に返り咲くと4機関のうち3つで天下りを復活させた。元キャリア官僚で規制改革担当大臣補佐官を務めた原英史氏(政策工房社長)は7月1日に発売される『日本人を縛りつける役人の掟』(小学館)の中で天下りと戦うことの難しさを解説している。* * *「岩盤規制」を巡る問題の多くには役所からの天下りが絡んでくる。規制の権限をバックに民間企業や所管の団体にOBを再就職させ、見返りに業界の既得権が守られる。そうした構図を壊すためにできたのが国家公務員への「天下り規制」のはずだったが、実効性ある規制にするのは難しい。 よく陥る罠として「天下りの押し付け(役所が再就職先にOBを無理やり押し付けること)だけを規制すればよい」という議論がある。 これをやると、規制が意味をなさなくなる。国も自治体も、役所の公式見解としては「天下りの押し付けなどやっていない。あくまで受け入れ先から『こんな優秀な方にぜひ来ていただきたい』という要請があった」という建前だからだ。 かつて第一次安倍内閣で天下り規制を導入した際にも、それが問題となった。当初、安倍首相は「押し付け的天下りを禁止」という方針を示していた。そうした文言になったのは、規制導入に抵抗する官僚機構の策謀によるものだったのだろう。 当時の政府の公式見解によれば「押し付け的天下り」は存在しない。つまり、「禁止」といっても「これまでも存在しなかったことを禁止する」というだけだ。 この時は筆者も規制改革担当大臣補佐官として関与していたが、政府内での激しい議論を経て最終的に、「押し付け的天下り」だけでなく、役所があっせんして行なう再就職全般を規制することになった。名ばかり規制にしてしまおうとの策謀を何とか突破したのだ。 ところが、である。2014年1月の衆議院本会議での安倍首相答弁を見て、筆者は愕然とした。衆院本会議  野党議員から天下り問題への対応を問われ、「国家公務員の再就職については、……再就職の押し付け等の不適切な行為を厳格に規制し、天下りを根絶してまいります」と答弁しているではないか。 こうした国会答弁のペーパーは首相ではなく役人が書いている。答弁の中に自分たちに都合のいい文言をこっそり入れ込み、既成事実化するのは霞が関官僚の常套手段だ。その罠に安倍首相もかかり、再び名ばかり規制路線に戻ってしまうのだろうか。※原英史・著『日本人を縛りつける役人の掟』(小学館)より関連記事■ 官僚常套手段 首相答弁に都合の良い文言盛り込み既成事実化■ 東京都の天下り問題は国より深刻 行き先は外郭団体が過半数■ 独立行政法人トップ 官僚OBの天下り完全復活で民間人はゼロ■ 安倍首相 民主党・小西議員を前にすると異常にヒートアップ■ 「リストラ奨励金」拡充 予算規模は約2億円から約300億円に

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    貧困女子高生という安易な「記号」に飛びついたNHKとネットの呪縛

    北条かや(著述家)それでも炎上事件を取り上げる理由 正直に告白すると、この原稿を書くのは気が重い。NHKが報じた「子供の貧困」特集で、家庭の窮状を訴えた高校生のツイッターが特定され、ネットで集中的にバッシングされた件についてである。自身もよくネットで炎上してしまう者として、誤解に基づく記事や中傷的な書き込みが一生ネットに残ることの気持ち悪さ、誰を責めて良いのかわからず結局自分をすり減らす虚しさなど、炎上が文字通り「業火で身を焼かれるような苦しみ」であることが思い出される。この件について書くこと自体が、バッシングされた彼女を苦しめる「炎上」に火をくべることにならないか。だからできるだけ彼女の個人情報(ツイッターやテレビでの発言など)には触れず、炎上した細かな内容についても説明を避ける。その上で今回は、少し別の視点からこの問題を掘り下げることにする。 NHKの番組に登場した女子高生のツイッターが暴かれ、叩かれる様子は見ていていたたまれなかった。番組が終了した直後から、私のツイッターのタイムラインには次々とこの件に関するRTが流れては消え、それらの扇情的なタイトルを見るだけでも嫌な気持ちになる。以前から生活保護受給者に厳しい目を向けていた片山さつき議員も便乗し、まるでその女子高生を非難するかのようなツイートを重ねた。大々的に「NHKのやらせ」とか、貧困が「女子高生自身の問題」と報じたネットメディアもある。万が一、NHKの報道に問題があったとしても、この個人バッシングは一体なんだろう。 後日、バッシング記事が根拠のない「捏造」であることが露呈し、議論は一気に「貧困の当事者を叩くのはよくない」との方向へ傾く。炎上の的になった彼女を擁護する意見も相次ぎ、人権侵害であるとの見方も広まっているが、彼女が受けた傷は計り知れない。ネットには、中傷記事やコメントが一生残るのである。大きなリスクを負って訴訟を起こしても、表現の自由との兼ね合いで削除できないものは多い。ネットに溢れる「自由な言論」は、簡単に責任を問えないのである。どうしてこんなことになってしまったのか。 私たちはどこかで、自分の感情を吐き出したい、発散させたいと思っている。匿名でどろどろした感情を発信できるインターネットは、このカタルシス願望を叶えてくれる。今回の件にかぎらず、ネットに溢れる罵詈雑言は、「匿名で感情を吐き出すことの快楽」に裏付けされている。 何かを吐き出したい私たちは、分かりやすいコンテンツを求める。分かりやすいコンテンツとは、容易に理解できそうで、ゴシップ的な興味をそそり、楽しめそうな内容だ。たとえば「貧困」「女子高生の私生活」「NHKのやらせ疑惑」。それらはコンテンツというより、もはや記号=ある種の属性に還元されている。炎上に加担する人は、安易で分かりやすい記号に反応しているのである。テレビに出て窮状を訴えた彼女の人生や、貧困問題について深く考える必要はない。「女子高生」「やらせ」「NHK」などの記号を消費し、上から目線で論評することで、世間と一体化した「強い自分」がカタルシスを得られればいいのだから。今回の炎上に加担した(しているかもしれない)1人として、筆者もまたこの批判を免れ得ない。テレビにつきまとう「分かりやすさ」の呪縛テレビにつきまとう「分かりやすさ」の呪縛 ネットだけが悪いわけではない。テレビもまた、その本質からして分かりやすさとカタルシスにまみれたメディアである。お硬いニュースさえ、物事の本質を深く考えさせることには向かない。数分間の映像と解説が、それらを省略したテロップと共に流れ消えていく。数千万という視聴者にニュースを知らせ、何らかのコンテンツを提供するテレビの役割は、「分かりやすさ」に縛られざるをえない。 NHKの番組制作サイドは今回のニュース特集を作成するにあたって、分かりやすく現状を伝えるために「使えそうな」人材を探していただろう。そこで、神奈川で行われた「子どもの貧困」を考えるフォーラムで登壇したある女子高生がたまたま目をつけられたのである。表現は悪いが、彼女が視聴者にとって分かりやすいコンテンツになりそうだったから、NHK側が取材した部分はあるだろう。「こんなに良い子が、家庭の事情で進学の夢を諦めなくてはならないなんて」と、視聴者のカタルシスを叶えられそうだったから、彼女は選ばれたのである。選ばれた彼女に一切の非はない。「貧困」「女子高生の私生活」「夢を諦める辛さ」……いずれも分かりやすい記号が、たまたま彼女に関係していた。それを取り上げたのはテレビだ。制作側に貧困問題の複雑さを報じようとする使命があったとしても、テレビにつきまとう「分かりやすく」との呪縛が、それを難しくさせる。 加えてインターネットには、もっともっと多くのカタルシス願望があふれていた。分かりやすく問題を報じたと思っていたNHK側は、ネットがここまでやるとは思っていなかっただろう。人々は、安易に記号を消費し、バッシングする。それが炎上だ。「女子高生」「貧困」というコンテンツを分かりやすく紹介したテレビと、カタルシスを欲しがる私たち。両者の欲望が、悲しくも一致してしまったのが今回の炎上事件だ。この問題で、相対的貧困なる概念に人々の注目が集まったことを評価する向きもあるが、傷ついたであろう当事者の心を思えば、その代償はあまりに大きい。

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    NHK「貧困女子騒動」はここがおかしい

    NHKのニュース番組が取り上げた「貧困女子高生」をめぐるバッシングが止まない。当該女子高生のツイッターが特定され、ネット上では「またやらせではないのか?」との憶測が広がり、片山さつき議員までも参戦する騒ぎに発展した。さてこの騒動、いったい何がどうなっているのか。

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    これが本当の「貧困」だ! 女子高生バッシングで分かった日本社会の闇

    大内裕和(中京大学教授) NHKニュースの貧困高校生報道に対して、大きな反響がありました。シングルマザーの家庭で母親の仕事がアルバイトであり、パソコンが買えず、希望する専門学校への進学を費用負担の大きさのためにあきらめたこと、などが報道されました。 これに対して、放送に自宅にあるアニメグッズなどの趣味の品々が映ったり、放送後に特定されたツイッターによって、高校生自身が昼食1000円のランチを食べたり、好きな映画を観ていたりしていたことが判明し、「あれでは貧困とは呼べない。貧困のふりをしているだけだ」「好きな昼食や映画を楽しんでいるから、支援の必要はない」などのバッシングが、ネットやツイッターなどのSNSにあふれました。 ここには第一に、相対的貧困への無理解があらわれています。報道に対して「貧困ではない」というバッシングは、貧困とは収入が全くなかったり、食べるものや住むところがなかったりなどの窮乏状態を意味するという認識に基づいています。こうした窮乏状態のことを絶対的貧困と呼びます。 この絶対的貧困を認識し、解決していくことは大切な課題ですが、これだけでは先進諸国の貧困を問い直すことはできません。この絶対的貧困に対して、その社会での標準的な生活ができない状態のことを相対的貧困と呼びます。日本を含む先進諸国は、この相対的貧困を貧困の指標としています。日本の「相対的貧困率」は、16.1%と公表されています(2012年厚労省「国民生活基礎調査」)。日本社会では現在、約6人に1人が貧困状態にあります。シングルペアレント(母子・父子家庭)の貧困率は54.6%と、非常に高い比率になっています。標準的な生活ができなければ貧困 相対的貧困とは、仕事はあるものの非正規で低賃金であるために希望している結婚や出産ができなかったり、普段食べることはできても学費が払えないために大学や専門学校への進学をあきらめるなどのことを指します。一見、普通の生活をしているように見えても、その社会での標準的な生活ができていなければ、貧困であると見なすのです。 2015年度の大学・短大進学率は56・5%、専門学校進学率は22・4%ですから、合わせて高校卒業後に78・9%が進学しています。アルバイトで働くシングルマザーの子どもで、同世代の約8割が可能となっている進学をあきらめなければならないのは、相対的貧困に当てはまる可能性が極めて高いといえるでしょう。 また、集団への同調圧力が一人ひとりに過剰にかかっているのが、日本社会の特徴です。経済的に貧しい人々にとってそれは、無理をしてでも「中流」生活に自己を適合させる行動様式を生み出します。スマホ所有や趣味、消費行動などを周囲に合わせなければ、自分が排除される危険性があるからです。「中流」への同調圧力が強ければ強いほど、相対的貧困は見えにくくなります。 この相対的貧困について、「一億総中流」幻想も災いして日本社会の認識は極めて不十分であり、貧困問題への誤解を生み出しています。相対的貧困は一見分かりにくいものですから、それを捉える側に客観的な事実認識と豊かな想像力が必要です。貧困報道バッシングの多くは客観的な事実認識と想像力を欠いており、相対的貧困への無理解を露呈したものでした。当事者である高校生へのバッシングは卑劣な個人攻撃であり、重大な人権侵害です。 第二に、新自由主義政策によって社会に蔓延する自己責任論と中間層の解体です。1980年代に始まり、1990年代以降に浸透した新自由主義は、人々の思考や行動様式、メンタリティに大きな影響を与えました。新自由主義グローバリズムと雇用の規制緩和によって、派遣、契約、パート、アルバイトなど非正規雇用の比率が高まり、不安定な仕事が急増しました。正規雇用労働者でもブラック企業や長時間労働に苦しんでいる人が多数います。高校生や大学生も、「学生であることを尊重しないアルバイト」であるブラックバイトに苦しんでいます。浸透する新自由主義 雇用の安定性が大きく奪われたのが、現代日本の特徴です。人々の生活を支えてきた日本型雇用が解体することによって、多くの人々は「自分の身は自分で守らなければならない」と考え、その感覚を強固に内面化するようになりました。 そもそも日本社会において新自由主義が浸透したのは、それまでの高度経済成長の歴史が影響しています。「頑張れば何とかなる」という努力主義と成功体験が、新自由主義を支える自己責任論へと引き継がれることになりました。 しかし、高度経済成長期の努力主義は頑張ることで「それまで以上の豊かな生活」が期待できたのに対して、現在は「頑張らなければ生き残れない」状況へと悪化しています。中流生活からの脱落におびえ、その恐怖と自己責任論に日々、痛めつけられているのが多くの人々の日常です。 貧困層の増加と同時に、中間層の解体が急速に進んでいます。中間層から振り落とされそうになっている人々の生活は、貧困層に同情したり、共感する余裕を失いつつあります。「生き残り」のための自己責任論を強く内面化している人々が、他者の貧困の苦しみに同情し、共感することは容易ではないでしょう。そして、自己や他者の貧困を、自らが声を上げたり、社会に働きかけることによって解決しようと考えることは、さらに困難であるに違いありません。 貧困高校生報道への多くのバッシングには、「貧困に陥るのはその個人や家族に責任がある」という自己責任論の考え方と、貧困の是正を社会に訴えることへの「いらだち」があらわれているように思います。このいらだちが貧困高校生報道に向けられました。自己責任論に依拠するバッシングは、相対的貧困に苦しむ高校生からの訴えを封じ、貧困報道を委縮させる危険性があります。 求められているのは相対的貧困への理解を深め、貧困層の増加と中間層の解体を同時に阻止する社会保障の枠組みを提示することです。高度経済成長時代に人々の一定の生活保障の役割を果たしていた、終身雇用と年功序列型賃金を特徴とする日本型雇用がここまで解体した以上、それは必要不可欠な課題です。 過度な自助努力を強制する新自由主義政策を転換し、所得の再分配政策と社会保障の枠組みを提示することが重要です。それがなければ、人々はますます自己責任論へとからめとられやすくなるでしょう。自己責任論が蔓延し、自助努力がこれまで以上に求められれば、貧困層の増加と中間層の解体・縮小はさらに進みます。それらが進めば民主主義は危機に陥り、経済や社会が衰退することになります。 今回の貧困高校生報道バッシングから私たちが学ぶべきことは、相対的貧困を認識してその解決を目指していくこと、そして自己責任論の罠に陥らないことだと思います。

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    片山さつきは何も分かっていない! 「現代型貧困」の現実を直視せよ

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) 2016年8月18日の午後7時から放送したNHKのニュース内 「子どもの貧困」が取り上げられました。貧困に悩む日本の若者や子供の実態を取り上げた大変画期的な試みです。 このコーナーでは、実際に貧困に悩む女子高生が実名で登場し、自宅の様子や進学に関する悩みを訴えました。 彼女は母子家庭で、アルバイトのお母さんと暮らしており、家にはエアコンがありません。イラストレーターの道に進むのが夢ですが、進学費用の50万円が出せない事に悩んでいます。学校の「情報」の授業で必要だったパソコンが買えなかったので、その代わりに、1000円ぐらいのキーボードを買って、タイピングに練習をします。 この女子高生は、横浜市で学生たちが企画したイベントに出席し、貧困の子供代表として壇上に上がり、実体験に沿った状況を訴えました。 しかし、その後ツイッターで好きなアニメのグッズを買っていること、エグザイルのコンサートに言っていること、高価なペンを持っていること、1000円のランチを食べていることが発信されていることがわかり、ネットユーザーが叩き始めました。 ニュース内で写った自宅にはたくさんの物があり、アニメグッズなども持っていることも批判されました。そういう風にグッズを買ったりイベントに行くことができるのなら、パソコンも買えるし、貯金して進学すればいいじゃないかという批判です。 そのうちネットユーザーだけではなく、自民党の片山さつき議員まで介入してきて、NHKにこの女子高生は本当に貧困なのかどうか問い合わせる自体になり、女子高生の自宅の住所や写真をネットにアップするという嫌がらせが始まりました。片山さつき参院議員(酒巻俊介撮影) 私もこのニュースの放送部分をネットで見ましたが、女子高生に嫌がらせしていた人々は、重要な情報を見落としています。 それは、日本における貧困の実態です。服装レベルではわからない現代日本の貧困 貧困と聞いて大半の人が思い浮かべるのは、餓死しそうな子供、ボロボロの服を着た人、雨漏りする屋根、穴の空いた靴等でしょう。 戦後すぐ、昭和30年代ぐらいまでは本当にそういう人達がいました。実は私のお婆さん一家は、お父さんが戦死したために 母子家庭で絵に描いたような貧乏を経験しています。当時は誰もが食うや食わずですから助けてくれる人などおらず、役所の手当だって限られており、子持ち女の仕事も限られていました。お婆さんはリュウマチの手足をさすりながら、皿洗い、ゴミ拾い、ビン洗い、お手伝い等々仕事をいくつも掛け持ちして子供を育てていましたが、お金は常に足りません。 子供達が銭湯に行けるのは週に1−2回だから頭はシラミだらけ、給食代は滞納、お金がないので修学旅行に行けない、靴には穴が空き紐で縛ってごまかす、家は雨漏りするので押し入れで寝る生活。貧乏なので学校ではいじめられ、帰宅途中に待ち伏せされて肥溜めに突き落とされます。かつての日本は美しくもなんともありませんでした。 しかし、そこまでのレベルの貧乏というのは、今の日本では存在しません。デフレの日本では、昭和30年代や50年代に比べたら、服や雑貨、食べ物の値段はうんと下がりました。100円ショプでは、そこそこ使えるものが激安で手に入ります。牛丼やハンバーガーは、欧州や北米の先進国の半額以下で食べることが可能です。文房具は半額ぐらいの値段です。 交通費もオランダやイギリスに比べたら、半額どころか70%引きぐらいの感覚。家賃は都内でも、イギリスやイタリアの半額以下の感じですし、ちょっと郊外に行けば、ワンルームで8万円とか6万円なんて物件がある。そんな安い賃貸はイギリスやフランスの大都市近郊にはありません。 日本は物価が安いし物が豊富ですから、イギリスやベトナム、イタリア、フランスに比べたら、貧困層やホームレスは遥かに小綺麗な格好をしています。誰が貧困層か、誰がホームレスかもわかりません。(つまり他の国の場合は、服装等で明らかにわかるレベルです) 国立社会保障・人口問題研究所(当時)の阿部彩氏によれば、日本の貧困率というのは決して低くはありません。アメリカを除く先進国においては最も高い国の一つであり、豊かさの再配分も機能しているとは言いがたいのです。出所: http://web.archive.org/web/20110323005648/http://www.gender.go.jp/konnan/siryo/tyou02-2.pdf 阿部氏の研究によれば、貧困を見る場合に重要なのは「相対的剥奪」(Relative Deprivation)という概念です。これは、一般の人々が普通に生活していて手に入れられる住居、家電、教育、社会活動への参加、仕事、老後の蓄え、保険、娯楽など、人間生活における様々な事柄が入手できない状況を指します。 つまり、先進国の場合は、周りの人が普通に生活していたらアクセスできるものに手が届かないなら「貧困」ということになります。本当の貧困の実態を知ろうとしない日本の絶望 日本の場合、電子レンジや携帯電話などの普及率は100%に近いですし、100円ショップや雑貨屋の物は安いので、年収が低い人でも入手が可能です。 しかし、これが一気に高額な費用のかかる大学進学や塾通い、高級車、大きな住宅、留学、エアコンやパソコン、さらに入院費用など比較的大きな金額となると話は違います。 さらに、年金、保険、貯金といった金融資産は、所得格差による違いがシビアになります。 老後資金の蓄えや金融資産を蓄えるには、ある程度のお金や、生活費以外の余剰資金が必要です。生活費やちょっとした余暇の費用を使ったら、余裕がなくなってしまう家計だと、貯金は無理ですし、個人年金への投資も無理です。 阿部氏の研究によれば、「相対的剥奪率」、つまり多くの人が得られるものに手が届かない比率は、年収400-500万円を境に大きな差がでます。 貧困層の場合は、「相対的剥奪率」が50%を越えます。 つまり、漫画本数冊、シマムラの服、回転寿司、コンビニのプレミアムプリン、 激安のパックツアー、数千円程度のコンサートにお金をつかうことは可能でも、2000万円、3000万円の個人年金を蓄える、500万円の大学進学資金を用意する、8000万円の家を買う、そういったことは貧困層には無理なわけです。 教育にアクセスできなければ、将来を保証された仕事にはありつけません。一生低賃金の社員や 非正規雇用になり、ワーキングプア一直線です。 通勤不便なところに家があったら仕事の選択肢は少なくなり貧困のスパイラルです。 個人年金を準備できない人、厚生年金に加盟できない人は、陰惨な老後が待っています。日本では国民年金の受給年齢が高まっている上に、貰える金額は全期間満額払っても6万6千円ぐらいです。持ち家でも生活は相当苦しいですし、受給年齢は今後先送りされます。 つまり日本の場合、貧困とはあくまで社会全体における相対的な話で、「服が綺麗」「家にものが溢れている」=「貧困」ではないのです。 女子高生の自宅はうんと狭い賃貸住宅で、家に溢れていたものは、どうみても激安の家具や雑貨でした。漫画本や文房具、コンサート、ランチは高校生のアルバイトでも払える金額です。しかし彼女には個人信託に2000万円の資産はないでしょう。 日本の絶望的な所は、物事を決める力のある片山氏の様な人達が、今世の中で何が起こっているか知ろうとすらしないことです。

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    勝手に「貧困女子高生」をマイナスにとらえるNHKの傲慢

    長谷川豊(フリーアナウンサー) 皆さん、ご存知でしょうか?子どもの貧困を特集したNHKの報道番組に、批判の声が集中しています。「子どもの貧困」の例として登場した高校生が貧困とは程遠い生活をしていたことが、指摘されているようです。どうもNHK側のやらせなのか、この女子高生がウソをついていたのかはわかりませんが、とにかくテレビ上で「1000円のキーボードを買ってもらって努力しましたが…」なんて悲しそうに話していた女子高生は、自らのツイッターでアニメグッズなどを買いあさって散財していたことを自慢気に話していたのでした。 私は、実はこの特集をリアルタイムで見ていました。 で、今ネットなどで言われている視点とは全く「違う視点」で、違和感を感じていた人間なのです。う~ん…このNHKの制作者の視点って…あまりにも子供じみているというか、言いたいことは2点あります。NHK金沢放送局 私が違和感を感じたのは…この女子高生が特集の最後に言う言葉なんですけれど、 「努力した人間が、その努力の分、評価される社会にしてほしいです」と話していた点なんです。甘えるのも大概にしてほしいのですが、人間は生まれながらに「不平等」です。人間は単体でそれぞれが違います。能力の高い人間がいますし、能力の低い人間がいます。アホみたいに何でもそろっている人間もいますし、生まれながらにして何にも出来ない人間もいます。だからいいのです。それが社会なのです。努力した分評価して欲しい?幼稚園児か。 高校生くらいになれば、ちょっと意見は変わらないかなぁ…。ちょっとあまりにも痛いというか、高校生がこんな子供みたいなことを言って、それを垂れ流しにしているNHKってどうなんだろうか、と。むしろそちらの方に気を取られてしまったのです。あの発言って…特集の〆にもってくるレベルの話か?どんな青臭いディレクターの作品なんだか…。 社会は厳しいです。世界は残酷です。そんなこと、高校生にもなれば、誰でも知ってる話です。福山雅治はほっといてもモテるんです。な~んにもしなくてもモテるんです。あれだけカッコよくてあれだけ喋りも出来てモテない訳ないでしょうが。私が1万年努力したって福山になんて慣れないんです。イチローは野球が上手いです。 私が「野球選手になりたいな~」って思って、本当にイチロー選手と同じだけ努力しても絶対にアメリカで3000本安打なんて打てません。打てないんです。才能がないから。生まれつき、私はイチロー選手とは違うからです。才能ない人間は死ぬまで頑張っても評価されない 努力した分評価される社会になって欲しい?本籍地をお花畑・ユートピア・タンポポ畑に移した方がいいんじゃないでしょうか?そんな世界あるなら私だって行きたいよ。そんな訳ないでしょうが。努力なんて、どれだけしても結果は1~2割しか変わらない、と主張する学者さんもいます。それ、あながち間違っているとも思えません。そんなもんだと思います。 私が、企業ファーストじゃなく、ビジネスファーストじゃなく、まずは「家族」を大事にしましょう、まずは「子供たちを大事にしましょう」って言い続けているのは、どんな人にも、子供たちは微笑んでくれることが多いからです。 社会的な評価は「社会に対して貢献できた分」しか評価されません。社会は人が人を評価するので、とても残酷なものです。あの特集に出ていた女子高生も、青臭い特集を恥ずかしげもなく組んでいたNHKの高給取りのディレクターもよく聞きなさい。努力した分「評価される」社会なんてものは存在しません。社会に対して与えた「結果」に対して「評価」はされるのです。才能ない人間は死ぬまで頑張っても評価なんてものはされません。きついこと言ってますが事実です。忘れないでください。 そして、その「残酷な現実」を受け入れた上で、もっと人間として大切な、もっと根本的な部分に力を注いだ方が絶対に幸せになれる確率は高いと私は思っています。何人にもモテなくていいから、一人でいいから、大切に思える人を見つける。そして、出来れば、その人と子供を持つ。会社でゴマすりだけが上手い、政治力の高い同僚と競ってて、あなた、幸せですか?子供たちと一緒に夕食食べてる方が1億倍は幸せよ? そして、NHKの特集で絶望的にわかっていない…最もイタいのが「貧困」という「状況」を…勝手にマイナスポイントと決めつけ、それを憐れみ、それを「可哀想ですねぇぇぇぇぇぇ」と言ってる自分たちに酔っている点です。自分たち、優しいでしょぉぉぉぉぉ?と。気持ち悪いわー。私、こういうの、大嫌いです。いいよねNHKさん。あなた方、高給取りで。 ええとですね、私の身の上話を少ししますと、私の家庭は少なくとも「お金のある家庭」ではありませんでした。素晴らしい両親でしたが、特に父親は出世よりも家族と一緒にいることを望んで、あの高度経済成長期に会社とケンカしてでも出来るだけ定時に帰ってきてくれる父でしたので、親と一緒にいる時間は長かったですが少なくともお金はありませんでした。 中学2年生の時、毎月のお小遣いが500円でした。テニス部だった私はもう少しだけ欲しいと訴えかけ、毎月の小遣いが2000円もらえるようになった時は本当に潤ったものでした。家の炊飯器は、先日ついに買い換えましたが、それまで、その炊飯器は40年間使われていました。ガスのやつね。若い人たち、誰も知らないタイプのやつね。あのですね、高給取りのNHKクンたち、よく聞け。お金がなくてかわいそう?アホか。お金持ちが得られない「絶好のチャンス」 お金がないのは「お金がない」という「特徴」でしかないのです。私は確かにクラスの同級生の友人のようにファミコンのソフトはほとんど買えなかったですが、家の近くにある山に行けば、たくさんの木が落ちていました。その木の枝を使って、組み替えてテントのような家を作り、秘密基地を作って遊ぶのは…言っときますけど、ファミコンなんかよりもずっと面白いからね?木の枝の上の方にビニールテープを木の枝を括り付けて放り投げるのです。で、テープを通して、ターザンブランコを作るのです。ワイワイ遊んでいると、木の枝が折れるんだ、これが。下に落ちてね~流血ですよ。ま…唾つけて治しましたけどね。 あのね、お金がないっていう状況は「そこから這い上がる力を身に着けられる絶好のチャンス」なのです。そして、それらの力は受験勉強などよりもよほど社会に出たときに力になります。お金が「たくさんある」と絶対にそれらを乗り越えるチャンスを得られないのです。だってお金があるから。だって物があるから。物もチャンスもないからこそ「自分で作り上げられる」のです。お金持ちさんには、それらのチャンスは絶対に得られないのです。 あの特集を作って満足している視野の狭いNHK君、よく覚えておけ。お金がある人は「お金のかかるいろんな経験」を出来ます。しかし、お金のない人は逆に「お金がないからこそできる様々な経験」を出来るのです。それらは単なる特徴であって、栄養失調になったりするレベルだとそれは問題ですが、貧困な生活であれば、それはそんな恵まれた環境は、私はないと思っています。 金持ちクンたちには絶対に得られない打たれ強さを鍛えるためには、金なんてない方がいいくらいです。NHKクン、正直に言えよ。金のない人間をバカにして楽しいんだろ?金のない人間を憐れんでいる自分が大好きなだけだろ?金がない状況にあるすべての人々にこのコラムを届けたい。君らは「素晴らしい恵まれた環境」にあります。大丈夫。君らは大人になった時に、負けない力を得るチャンスを得たのです。 貧乏人をあざ笑っている中身スカスカの金持ちボンやお嬢ちゃんに負けるな! 応援しています!!

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    NHKが描く「貧困女子高生」のリアリティの低さ

    藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者](メディアゴンより転載) 8月18日にNHKで放送された報道番組「NHKニュース7」での特集「子どもの貧困」。同番組で紹介された進学を断念した「貧困女子高生」。一人一台が当然のように思われているパソコンさえ用意できず、「(本体は買えないけど)キーボードだけ」を買い与えられたという中学生時代のエピソードは強いインパクトを残した。 ドラマに出てくるような貧困状態が、日本にも存在している現実を紹介する・・・はずだったNHKの同番組。しかし、当該女子高生のTwitterが特定され、その過去のポスティングが明らかにされると、一転、いわゆる「貧困」とは思えない消費生活が指摘され、番組の虚偽的内容に非難が集中した。 騒動が発生して以降、「貧困女子高生」を批判する側も、擁護する側も「彼女は本当に貧困であるのか、そうではないのか」といった議論ばかりが目につく。「貧困ではない=捏造」、「貧困だ=捏造ではない」というロジックだ。 この騒動に対し、参議院議員・片山さつき氏までがNHKに説明を求め、その回答として22日に次のようなツイートをした。 【本日NHKから、18日7時のニュース子どもの貧困関連報道について説明をお聞きしました。NHKの公表ご了解の点は「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなく、経済的理由で進学を諦めなくてはいけないということを女子高生本人が実名と顔を出して語ったことが伝えたかった。」だそうです。】@katayama_s しかし、今回の騒動には、このような「捏造の有無」「演出の是非」の議論よりももっと根深い病巣が垣間見れる。今回の騒動が示す問題の本質は、「貧困女子高生」の貧困レベルと番組の虚偽性の有無を関連付ける部分にはないように思うからだ。嫌な話だが、テレビの捏造など、演出の程度問題を含め、NHKに限らず「よくある話」だろう。 【参考】炎上ブーム時代のテレビ作り『だからデザイナーは炎上する』 では何が問題の本質なのかと言えば、番組を制作したNHKが、公共放送という看板で運営しながらも、報道番組とは言い難い客観性の乏しい「前提ありき」の主観的なストーリーを組み、報道番組としてお茶の間に届けているという「コトの重大さ」に気がついていない、と思える点だ。 それは、片山氏へのNHK側からの返答からも見て取れる。あくまでも、「貧困ではない=捏造」「貧困だ=捏造ではない」のロジックに基づいている。これではネット民たちの議論と変わらない。 「前提」が一般国民の感覚や日本の現実を反映したものであれば良いが、残念ながらそうではない。筆者には、NHKの番組制作者たちの現実離れした感覚と、現状把握・分析能力の低さこそに、問題の本質があるように思える。「パソコンの有無と貧困」を安易に結びつける 例えば、「パソコン未所有エピソード」はその象徴だ。 「(誰でもが持っているはずの)パソコンを持っていない→貧困」のように描かれ、「子どもの貧困」ぶりが強く印象づけられている。しかし、冷静に考えてみると、「パソコンの有無」と貧困のレベルは必ずしもイコールではない。 番組では、「パソコンすら持っていない→貧困」というステレオタイプなイメージで貧困が描かれる。しかし、それが現実の貧困を象徴できているわけでも、反映しているわけでもないことはすぐにわかる。 この「ステレオタイプな貧困のイメージ」とは、言い換えれば「NHK(の制作者)が思い込んでいる貧困のイメージ」に過ぎないからだ。その上、番組自体に結論はなく、ただ「主人公である貧困女子高生」の窮乏メッセージが流され、それが印象づけられるだけという内容である。報道番組的な検証性や客観性は「ほぼない」といっても良い。 もちろん、NHKが答えるように、「経済的理由で進学を諦めなくてはいけないということを女子高生本人が実名と顔を出して語ったことが伝えたかった」という主張それ自体は理解できる。テレビに顔を出して発言した「貧困女子高生」の勇気は評価したいところだが、その一人の発言だけで、「子どもの貧困」の「ある一定の方向」に強く印象付ける手法は、NHKによる印象操作を疑われてもしかたがない。新橋の駅前で、ほろ酔い加減もサラリーマン数名を取材した内容を「世論」として公表するようなものだ。 NHK(や制作者)が持つ個人的な「貧困のイメージ」が、現実の貧困や反映していないのは当然だ。しかし、そうならないように、現実を可能な限り客観的に描き、伝えるために、報道番組は存在しているはずだ。そのために報道には十分な取材や検証が求められている。 【参考】<NHK貧困女子高生で炎上>物語ありきで作られた「ニュース」などない 「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなく」というNHKの釈明も、後付けでしかない。報道なのだからそのように明記すべきか、それがあくまでも「参考のひとつ」であることを明示しておけば、発生しなかったかもしれない騒動なのだ。「貧困だから」じゃなく「使わないから」持っていない 「内閣府の消費動向調査」(2016)によれば、「貧困女子高生」が中学生であった2012年頃のパソコン普及率は67.0%。世代別では、29歳以下が76.4%である。そして若者たちのパソコン所有率は、近年、大きく減少傾向にある。この数値が多いか少ないかは受け取り方によって異なるだろうが、少なくとも「2割以上の若者たちはパソコンを所有していない」という事実がある。 筆者は大学の情報系学部に勤務しているが、そこにもパソコンを私的に所有していない学生はいる。家族で共用している場合でも、親が仕事などで利用することがメインであり、頻繁に利用することもなく「必要不可欠なモノ」にもなりえていない場合は少なくない。 若者たちのパソコン未所有の要因と経済的事情には大きな相関関係はないというのが現実であるように思う。パソコンの有無やパソコンのリテラシー能力と家庭の経済状態は、無関係とは言えないまでも、それ以外の要因の方が現在でははるかに大きいからだ。家庭や学生本人たちのパソコンへの理解や関心、認識の方が、「パソコン所有の有無」には大きな影響を及ぼしているはずだ。 パソコン未所有の若者たちを集めてインタビューをしてみれば、「貧困だから持っていない」という人よりも、「使わないから/わざわざ買う必要がないから持っていない」という人の方が多いだろう。それは「テレビ未所有」の理屈と同じだ。 「自分たちにとって重要度が低いから購入していない」のだから、お金持ちの家庭の子どもでも、パソコンを私的に持っていない(持っていても全く利用しない)という人はたくさんいる。 若者にとってのパソコンの最大のニーズであるゲームやインターネット動画の視聴でさえ、近年、急速にスマートフォンに移行しているため、パソコンの「必要率」はさらに下がっている。スマホを使いこなし、驚異的な速さで文字入力をしている学生が、授業では高齢者向けのパソコン教室で見かけるような操作をしている姿を見ることも、決して珍しくない。 【参考】<印象操作をするテレビ報道>メディアは「事実」を重んじなければ信用されない パソコンを持っていなくても、パソコンでできることの多くが、スマートフォンでできてしまうため、パソコンを所有する必然性は低い。パソコンに触れる前に、スマホを所有する世代が今の若者たちだ。制作者の主観的な意図に利用された「貧困女子高生」 学校の教員が、生徒全員パソコンを私的に持っており、十分に習熟しているとを前提に、専門用語や使い方の説明をせずに授業を進めている可能性もあろうが、それはまた別の問題である。その教員の授業方法の問題だからである。教員の質、授業の方法として改善すべき問題だ。 経済的事情で、十分にコンピュータ環境を整備できない家庭もあるだろうが、それは「貧困で鉛筆が買えない」「貧困で給食費が払えない」と同レベルのものではないはずだ。そもそも、パソコンの利用環境の確保は、今日、それほど難しくはない。図書館や公民館などの公共施設でいくらでも利用することはできる。少なくとも買うことができないからといって、「キーボードだけを購入する」などという無駄をする必要はない。 学校の授業で用いる機器を私的に持っていないことを「貧困エピソード」にすること自体が現実離れしていることに、NHKや制作者はなぜ気づかないのか、理解に苦しむ。顕微鏡や試験管やガスバーナーなどを持っている中学生などほとんどいないのと同様だ。 明らかに演出や編集に作り手の一方的な先入観や主観的主張が入り込んでいるわけだ。その意味では、自分の経験や貧困感覚を素直に話しただけの「貧困女子高生」は、番組制作者の主観的な意図に利用された結果となり、 「SEALDsメンバー」にも似た同情を禁じえない。 騒動の発生以降、「番組内の貧困女子高生は貧困か? それとも捏造か?」といった、実はどうでも良いことばかりに注目が集まっているが、それは問題の本質を失わせる。たまたま今回は「パソコンの有無と貧困」を安易に結びつける演出(しかも、貧困の象徴のように)であったが、これはどんなテーマ・内容であっても起きうることだ。 「今どきパソコンを持っていないなんて、なんて貧乏なんだ!」という制作者の一方的な思い込みで作られた番組であることは明白だが、その先入観になんら疑問を持っていないのだたすれば、公共放送であるNHKならびに制作者たちの客観性や一般的な感覚の乏しさに驚かされるばかりだ。これではNHK総合職の「平均年収1624万円」を揶揄されても仕方がない。関連記事炎上ブーム時代のテレビ作り『だからデザイナーは炎上する』NHK貧困女子高生で炎上>物語ありきで作られた「ニュース」などない印象操作をするテレビ報道>メディアは「事実」を重んじなければ信用されないなぜ「炎上」は起きるのか>五輪エンブレム選考に見る「日本のデザイナーは勘違いで時代遅れ」尾木ママのブログはただの暴力?>なぜ尾木直樹氏のブログは炎上するのか

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    ネット右翼と融合する政治家、片山さつきの「参戦」は問題ないのか

    古谷経衡(評論家/著述家) NHKが2016年8月18日に「ニュース7」の中で報じた「貧困女子高生」報道にネットが炎上中だ。この報道を要約すると、母子家庭の女子高生が、低所得のため専門学校への進学費用である約50万円を捻出できず進学をあきらめてしまったこと、その他に家にクーラーがない、パソコンがない、という窮状を扱ったもの。 わずか6分少々の特集ではあったが、ラストでは被写体となった女子高生が、横浜市のシンポジウムで「子供の貧困の実態」を訴えるという内容で終わる。これに対し、またぞろネットユーザーが「本当は(この女子高生は)貧困ではないのではないか」と疑いを持ち、SNS等で「本人特定」を開始。 やれアニメのグッズを買った、高い画材を買った、高いランチを食った、映画に行った、DVDやゲーム機を持っている、などと私生活の消費動態を徹底的に調べ上げ、「NHKの捏造だ!」と大騒ぎしている。参議院本会議を終え議場を後にする片山さつき議員=2016年6月1日、国会 特集の中でも、くだんの女子高生の家にクーラーがなく、パソコンがないという状況から、この女子高生の家庭の貧困度合いは明らかであるし、この女子高生の姉がこの報道内容が事実であると語っている。にも拘らず、一部のネットユーザーは過去のSNSを掘り下げ「豪遊だ」「捏造だ」と決めつけている。 一般的に低所得者は、高価な消費財を買うのが難しいので、小さな消費行動をため込み、消費のフラストレーションを小出しに開放する。すると部屋にモノが溢れるが、パソコンや車、土地や住宅といった高価な耐久消費財や不動産は持っていない。よって、くだんの女子高生の部屋がアニメグッズや小物で溢れているのは、なんら不自然ではない。 そして若年層の貧困は、現に存在する。ネットユーザーによる「炎上」はこの本質を無視し、ひたすらNHKの些末な荒さがしに終始する「反NHK」的イデオロギーに基づいていると言えよう。「本人特定」はネットのお家芸 こうした、疑惑の市井の人物に関しての「本人特定」は、なにも今回が初めてではない。ファイル共有ソフトに感染したパソコンから私的な画像がネットに流失したことで、大手メーカーに勤める写真の所有者が特定される騒動(いわゆる「ケツ毛バーガー事件」2006年)、札幌市の衣料品量販店の店員を強制的に土下座させ、その模様をツイッターにアップロードしていた女を特定する騒動(「しまむら店員土下座強要事件」2013年、女は逮捕された)、大手コンビニ店に勤務するアルバイトの男性が同店舗内に設置されたアイス用冷蔵庫に闖入している模様をSNSでアップロードしたところ、本人の特定に至り店舗が休業になった騒動(いわゆる「ローソン店員アイス事件」2013年)など、枚挙に暇がない。 今回の「貧困女子高生」に対する個人のSNS特定も、決して褒められたものではないが、ある種のネットユーザーの歪んだ義侠心ゆえの追求の一例として、ある種ネットユーザーの「お家芸」の延長であり、特段驚くにはあたらないといえる。 しかし、今回の炎上騒動が、他と決定的に異なるのは、ここに自民党の参議議員という、歴とした国会議員が介入してきたことだ。片山さつき議員による介入片山さつき議員による介入 自民党参議院議員の片山さつき氏は、このネット上の騒動をツイッターで知ったとして、 拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。出典:片山さつきツイッター(2016年8月20日) とネットの騒動に便乗した「本当は貧困ではないのではないか」という趣旨の投稿を開始する。この片山議員が参照したツイッター情報とは、『痛い2ちゃんねるニュース』という、2ちゃんねるユーザーの書き込みをまとめた「まとめサイト」に依拠している。片山議員はこれを見て、 追加の情報とご意見多数頂きましたので、週明けにNHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!出典:片山さつきツイッター(2016年8月20日) などと血気盛んである。これまでの本人特定は、2ちゃんねるやその他のユーザーが盛り上がるだけで、政治家がこういった問題に関与することはなかった。なぜこういった2ちゃんねるの「本人特定」騒動に政治家が関与しなかったのか。第一に根拠があいまいであること、そして第二に、ネットによって「本人特定」された当人が、無名の市井の人であった、という点である。 片山議員は、2012年にも、お笑い芸人の河本準一氏の母親が生活保護を不正受給しているとの疑惑がもたれた際に、河本氏を徹底的に糾弾する急先鋒の一人となり、2012年7月に新宿で開かれた「片山さつき頑張れデモ行進」にも参加した来歴がある。 これは、くだんの河本氏への批判を行った片山議員が、メディアで批判を受けていることについて、在特会(在日特権を許さない市民の会)の支持者など、「行動する保守」を標榜する人々が主体になって行われたデモで、約180人が参加したものだった。このとき片山は、このデモを「日本版ティーパーティー運動が始まった。皆さんは本当に素晴らしい愛国者」など絶賛している。 しかし、河本氏はメディアへの露出も多く、私人とはいえ著名人であり、その親族の不正受給疑惑を糾弾することには、最低限の蓋然性があったともいえる。だが、今回の「貧困女子高生」に関する片山議員の介入は、その対象者が芸能人でも著名人でもない、市井の無名の10代の女子高生であり、「NHKの捏造!」というネットユーザーの滾る声を全面に受け、ネットの「まとめサイト」を批判的に検証することもなく、国会議員が「NHKに説明を求める」などと公言するという事態は、前代未聞の珍事である。 そしてその「説明を求める」の根拠が、「まとめサイト」というところが拙速に過ぎる。今回の「貧困女子高生」騒動は、ネットユーザーの中でも右派、保守系と目されるネット右翼(ネット保守とも)が中心となっていることは疑いようもない。一部のネット右翼によるネット上に限局した(根拠もあやふやな)騒動を、公僕たる国会議員が問題視し、NHKに説明を求める、ということ自体、極めて異様な光景だ。ここまでくると、片山議員自体がある種のネット右翼と融合しているのではないか、と見做されても致し方ないであろう。「反NHK」はネット右翼の精神的支柱「反NHK」はネット右翼の精神的支柱 NHKへのネット右翼の本格的憎悪は、2009年に始まる。同年4月にNHKが放送した「ジャパンデビュー・アジアの一等国」の放送内容について、その内容が日本の台湾統治を悪玉であると決めつけ、取材対象となった台湾少数民族を「人間動物園」などと誹謗したなどとして、「NHKの偏向報道」と銘打ち、右派系の独立放送局「日本文化チャンネル桜」が中心となって、ネット上で原告を集め、集団提訴に及んだのが端緒である(いわゆる「1万人訴訟」)。 この裁判は、2012年の第一審(東京地裁)で原告・チャンネル桜側が敗訴。しかし翌2013年の控訴審(東京高裁)で原告・チャンネル桜が逆転勝訴し、高裁はNHK側に賠償請求を命じた。NHK側は上告し、2016年1月、上告審(最高裁判所)により、原告・チャンネル桜の主張が全面的に棄却され、原告敗訴が確定した。このときの裁判所の判決には「(NHKは)日本による台湾統治の際に人種差別的な扱いがあったと番組の中で批判的に論評しているのであって、台湾少数民族に対する名誉を棄損することには到底あたらない」などとしている。 しかしこの判決以後、ネット右翼層にとって、NHKは唾棄すべき巨悪の対象になった。今回の騒動も、ネットユーザーの中でも右派的、保守的と目されるネット右翼層が主導して火付け役の機能を果たしている。片山議員もこうしたネット右翼の潮流をトレースしていることは明らかである。やはり、ある種のネット右翼と融合しているのではないか、と見做されても致し方ない。片山議員の行為は問題ではないのか片山議員の行為は問題ではないのか 繰り返すように、私はNHKの報道内容の真偽を検証する、というある種のネットユーザーによる義侠心を否定するつもりはない。前述したように、「本人特定」はネットのお家芸だからだ。しかし、その対象が私人である以上、公僕たる国会議員が、市井の日本人に対するネット右翼層の糾弾の騒擾に便乗するのは、果たして国会議員の本務なのだろうか。  NHKの番組内容を批判的に検証することは、NHKウォッチャーやメディア・ウォッチ・ライターの役割であり、国会議員の役割ではない。百歩譲って公共放送の疑義を追及する大義ありとしても、その根拠が2ちゃんねるの「まとめサイト」というところに、知的な怠惰を感じる。しかも、番組で取り上げられた「貧困女子高生」の貧困度合いは、番組に取り上げられた範囲でも明らかに問題として提起するだけの蓋然性がある。この辺の精査も、片山氏のソースは「まとめサイト」なのだから根拠が無い。たまたま自らのツイッターのタイムラインでながれてきた「まとめサイト」の内容を読んで、紛糾しているという印象しか持ちえない。 舛添前都知事は公費で「クレヨンしんちゃん」を購入したとして問題視されたが、「まとめサイト」やある種のネット右翼ユーザーの吹き上がりを根拠とし、無名の10代の私人たる女子高生に関する疑惑をNHKに公に説明求める姿勢、という片山議員の公僕らしからぬ姿勢そのものの方が、より問題であると思うのは私だけだろうか。(2016年8月23日 Yahoo!ニュース個人 「だれ日。」より転載)

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    貧困女子の生態を消費するブームに乗っかっている自覚は、おあり?

    上野千鶴子(社会学者)/坂爪真吾(一般社団法人ホワイトハンズ代表)[障害者にとっての<性>と<生>を考える(中編)]障害のある人たちは、どのように自分や他人の性と向き合っているのでしょうか。それらの喜びや悩みは、障害の無い人たちと同じものか、それとも違うものなのでしょうか。重度身体障害者の射精介助など障害者の性の支援に長年携わり、去年から今年にかけて『はじめての不倫学』『性風俗のいびつな現場』とベストセラーを連発した坂爪真吾さんの最新刊が、『セックスと障害者』(イースト新書)です。今回、坂爪さんの東大時代の師匠・上野千鶴子さんをゲストに招き、フェミニズムの立場から見た障害者の<性>と<生>について、また弟子の言論活動についての評価など、縦横無尽に語ってもらいました。今回の<中編>では、性風俗に福祉をつなげる新たな試み、「風(ふう)テラス」がメインテーマの一つとして論じられています。(2016年6月9日、八重洲ブックセンター本店)「この本、くだらないね」上野 坂爪さんと久しぶりに会うと、なんとなく指導教官モードになっちゃって(笑)。彼の卒業後の来し方行く末を見てきたので、「そうか、こうやってこの子は育ってきたんだ」と思うものだから、他の本にも触れたいなと。まず『はじめての不倫学』(光文社新書 2015)。コレ、くだらないね。坂爪 そんな、いきなり全否定(笑)。上野 だって、不倫のルールとかいろいろ書いてあるけど、結婚するから不倫が成立するんでしょ。坂爪 まあ、そうですね、結婚がそもそもの問題というのはたしかに分かりますけど。上野 じゃ、しなきゃいいじゃん。坂爪 でも、実際に結婚する人がまだまだ多数派だと思うので。上野 この本は売れたんですか?坂爪 今、3万4000部ですね。上野 誰が読むの? これ読んで、何を学ぶの? 坂爪 たぶん不倫で困っている方とか悩んでいる方が読んでくれていて。上野 とっくに不倫をやっている人は、読まないんじゃないの?坂爪 とっくにやっている人は、自分を肯定したくて読むというのはあると思いますね。上野 ふーん。なんか七面倒臭いルールが書いてあるよね。坂爪 ルールというか、不倫の「ワクチン」的なものを。上野 で、不倫学セミナーとかやるの?坂爪 それはやっていません。上野 このあいだ、「人はなぜ不倫するのか」というテーマで、不倫業界のクイーン・亀山早苗さんから取材をお受けした時に、「私にとっては、『人はなぜ不倫しないのか』のほうが謎。なぜしないでいられるのかがよくわからない」というやりとりをしたの。そもそも、不倫する・しない以前に、結婚しなきゃなんの問題もないんだから。坂爪君自身は、結婚しちゃったのよね。満足してる?坂爪 もちろん満足しております、はい。上野 よかったね。いつまで持つか、わからないけど(笑)。坂爪 やめてください、そんな(笑)。上野 結婚は一生モノの約束だから。「期間限定」の約束をしたらいいのにね、特任教員みたいな時限付きの約束。坂爪 時限立法的な感じで。上野 5年経ったら、延長しようか、再契約しようか、とかやればいいのに。まあ、でもご苦労さんです。性風俗の「いびつ」さは、女ではなく男の側にある性風俗の「いびつ」さは、女ではなく男の側にある上野 いい本だなあと思ったのは、『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書 2016)。これは、私はいち押しです。坂爪 おおー、ありがとうございます。上野 すごくいい本なんだけど、表紙の帯にムカついたのよ。「彼女はなぜ母乳風俗店で働くのか?」。これを書くのは、問題編集者ね(笑)。問いが完全に倒錯している。「男はなぜ母乳風俗店に行くのか?」って書けよ。そっちのほうが、ずっとずっと謎だよ。坂爪 男性側の動機ですね。上野 うん、男のほうが謎。『性風俗のいびつな現場』の「いびつ」さがどこにあるのかと言えば、男の側にあるに決まっているじゃない。強者であるとかマジョリティであるということは、自分が何者であるかとか、自分がなぜこうするのかということを問わずにすむ特権のことだから。女の方は経済動機。そちらのほうはずっとわかりやすい。カネが対価でなければ、やらないでしょ。社会学的な問いを立てるなら、男の謎の方を解いてほしい。それにしても、よくここまでフィールドワークしましたね。これだけ性風俗にいろんな種類や序列があるということも、知らなかった。坂爪 「いびつな現場」というタイトルにもあるように、社会的に弱い立場にいる方が集まっている風俗の世界、例えば母乳風俗の妊産婦であったり、障害のある方――知的障害、発達障害、精神障害の方――だったり、あとは生活保護をもらっている方だったり、そういった方が集まる現場をルポする中で、どういう問題があるのかというのを分析しました。最終的な結論としては、福祉との連携ということでソーシャルワーカーと弁護士を現場に派遣して、店の中で相談・支援を行なうという結論を出した本であります。上野 現場で価格破壊が起きていて、ボトムに降りていくと、ブス、熟女……。坂爪 デブ、ブス、ババアの世界になる。上野 「障害」とか「母乳」とか、いくらでもボトムがあって、そういう「いびつ」なニーズをちゃんと吸収できる受け皿があります、という「風俗業界案内書」になっています(笑)。坂爪 まあ、前半は案内ではありますね。上野 女性に対しては「こういうところに受け皿があって、そこに吸収されたら、なんとか生き延びる道もありますよ」というメッセージになっている?坂爪 そこに行けば生き延びられる、とは書いていないですね。やっぱり風俗で働けない人がこれだけいっぱいいて、今こういう状況になっているということが、そもそも言いたかった部分があるので。上野 『性風俗のいびつな現場』が面白いのは、性風俗と女性の貧困がつながっている現場の探訪ルポだから。こういう貧困女子の生態を消費するブームに「乗っかった」という自覚はあります?坂爪 乗っかったというか、自分にとっては鈴木大介さんの『最貧困女子』(幻冬舎新書)のアンサーソングとして書いた部分があります。やっぱり「貧困女子がここにいますよ」「かわいそうだね」で終わりじゃなくて、どういうふうな原因、問題構造があって、どうすれば解決できるかというところまで踏み込んで、実践を通した処方箋を書いたつもりではあります。上野 一応、鈴木さんも処方箋は出している。社会が、政治がという以前に、行き場のない女の子が、「なぜそこにいるのか」と理由を問われず安全に過ごせる場所、そういうスペースをちゃんと作れよって。坂爪 はい、それは書いていますね。そこ「だから」生きられる女性にはプラグマティックな対応をそこ「だから」生きられる女性にはプラグマティックな対応を上野 いちばん、感心したのが、性風俗と福祉という、本当はつながっているはずなんだけれど、誰もがつなげたがらない盲点を突いて、そのど真ん中に入っていったこと。そこで坂爪さんが処方箋として出しているのは、女の子の待機部屋に法律の専門家を連れていくと。坂爪 弁護士さんと、ソーシャルワーカーさん、あとは臨床心理士さん。上野 それで生活相談を受ける。これを「風(ふう)テラス」と名付けた。うまいねっ。坂爪 分かります? 分かります?(笑)上野 「法テラス」のもじりよね。命名者は誰?坂爪 はい、自分です。上野 あ、うまいっす。早めに商標登録しとくといい。坂爪 特許庁に行ってきます(笑)。上野 タテマエじゃなくてプラグマティックな解決を提案しているのがいい。坂爪 そうですね、議論だけじゃなくて、現場で実際に支援すると。上野 つい最近、ソウルに行ってきました。そこで、セックスワーカーの支援事業をやっているイルムという団体で活動している女性たちに会ってきたんです。韓国でもセックスワークに吸収される女性たちは、貧困層です。それに日本よりももっと業者によるセックスワーカーの管理が厳しい。その人たちに「抜けろ」「やめろ」と言ったって、ほとんどその人たちにとっては選択可能なアドバイスにならないんです。坂爪 あまり意味がないですよね。上野 現実にそこで生きている人たち、そこ「だから」生きていける人たちって、やめてもまた同じ業界にブーメランのように戻ってくるような人たちだから。じゃあ具体的にその人が抱えた個別の課題をどう解決していくかという、プラグマティックな対応が必要になる。坂爪 うん、そこだと思うんですね。上野 でも、それ、ひと言で言ったら「モグラ叩き」なんだけどね。モグラは叩いても叩いても、いろんなところから出てくるから、クサい匂いはもとから断たなきゃダメ、なんだけど。そのクサい匂いの元は、もう男を変えないとどうにもならない。そこはどうにもならないから、モグラ叩きでもやらないよりはやるほうがまし。「風テラス」が入ると店はイメージアップ、求人効果も上がる「風テラス」が入ると店はイメージアップ、求人効果も上がる上野 日本の社会保障は、生活保護だろうが介護保険だろうが、みんな自己申告主義なんです。当事者が自分から制度につながらない限り、どれだけ制度があっても、なんの役にも立たない。だから、「アウトリーチ」というのがすごく大事で。だから、「風テラス」ってすごいねと思った。坂爪 ああ、ありがとうございます、はい。上野 風テラスって、女の子に接点を持つ前に、経営者の同意をえなきゃいけないじゃない?坂爪 そこはやはりいちばん課題ですね。上野 それ、どうやったの?坂爪 はじめは、『デッドボール』という「デブ、ブス、ババア」を集めている店があって、それを自分はツイッターで「女性差別だ」と批判したんですね。そうしたら、「じゃあ一回現場を見にきてくれ」というふうにリプライがありまして。上野 あ、いい経営者だね。現場を見てから言えって。坂爪 実際、待機場に行かせてもらって、いろんな方にお話を聞くと、福祉の対象にしか見えない人がたくさんいらっしゃった。これはもう風俗じゃなくて福祉の問題だ、というのが改めて分かったんです。上野 フィールドワークして、現場を踏んで、判断するというのは社会学者の鏡ねー。坂爪 ああ、ありがとうございます(笑)。上野 日本の福祉は制度自体は、そんなに悪くないんですよ。生活保護だって、スティグマを気にしなければ、堂々ともらえばいいんだし。ただ、問題は制度の側に、わざわざ当事者に届ける「アウトリーチ」がないということと、利用者に制度に対するリテラシー(知識)がないということがある。だから制度と当事者をつなげるために、あなたが現場にソーシャルワーカーを連れていったっていうのはすごい。坂爪 制度を知っている人を、ですよね。上野 制度に人をつなぐというのはすごく実践的。ちなみに風テラスは、誰がお金を払ってくれるの?坂爪 基本、寄付モデルです。店舗からもお金を寄付してもらって、あとは自分が講演とかで稼いだお金、プラス、印税とかですね。上野 店舗がお金を寄付してくれるの? そうか、女性に性の健康を維持してもらうほうが、商品価値が維持できると。坂爪 というか、求人の効果が上がるんですよね。やっぱり風テラスが入っているというだけで、イメージがすごく上がる。上野 はー、ブランド効果ね。たしかに、ワーカーさんはどんどん店舗を移ると本に書いてありましたね。店舗を移る際に、口コミってけっこう強力だから、信頼のブランド...坂爪 ……になれればいいなと思います。上野 性風俗産業って顧客市場対策だけでなく、労働市場対策もやらなきゃいけない。その労働市場の中で、ブランド効果を持つと。坂爪 風俗って、どうしても求人費がすごくかかっちゃうんです。月にうん十万のお金が飛んじゃう。それだったら福利厚生にお金をかけたほうが、効果は高いと思うんですね。上野 なるほど。ウィンウィンの社会貢献事業ですね。そういう現場を持って、実践的なことをやっておられるというだけじゃなくて、本では社会学的な分析もちゃんと……。坂爪 社会学っぽい感じ、ではありますが(笑)、はい。「障害をきっちり区別して書いて」という意見も「障害をきっちり区別して書いて」という意見も上野 今、「風俗が最後のセーフティネットだ」と言われているし、そこにつながる人たちは絶えないけれども、できればそれはやらずに済めばそのほうがいい。坂爪 それは確実に言えるとは思うんですよ。本当に心からしたくてしている人って、やっぱり少ないので。上野 韓国のイルムのおネエさんたちに大受けに受けたのは、「セックス産業とは強姦の商品化である」、「キャバクラとはセクハラの商品化である」という上野の発言。坂爪 おおー、ざっくりと(笑)。上野 超わかりやすい(笑)。そういう商品化と引き換えに対価をもらっても、けっきょくいいこと何もないもんね。坂爪 もちろん全部が全部、強姦だけじゃないと思うんですけど、はい。上野 癒やしや恋愛ゲームも男に女性の身体が搾取される点では同じ。その中でも専門的なスキルを磨こうと、ある種のプロフェッショナリズムが生まれる。基本は男の妄想に付き合ってあげるという「妄想系産業」だから。だから「こんなのアホらしくてやってられない、やーめた」って言えれば、それまでなんですが。坂爪 うーん、でもやっぱりやめられない理由が、お金関係ですよね。上野 そうですね、女性にとってはあくまで経済行為だから。その中で坂爪さんが「風テラス」や「ホワイトハンズ」のような極めて実践的なことをやっておられる。ちゃんと公益性のある事業をやって、「新しい性の公共を作ろう」としておられます。それが、障害を持った当事者の人たちからどんなふうに受け止められているか、ですが。例えば、『セックスと障害者』(イースト新書 2016)は啓蒙的な本ですね。読者対象としては、障害を持たない人たちにも……。坂爪 支援者向けに書いた部分はけっこう大きいですね。上野 障害当事者の人からはどんな反応が来ました?坂爪 もっと障害をきっちり区別して書いてほしい、という意見はありましたね。上野 あ、種別に。坂爪 「こういう障害の場合はこう」みたいな感じでちゃんと分けて、大雑把に言わないでくれ、というのはありましたね。上野 なるほど。やっぱりそれはあるでしょう。ジェンダーが違うんだからちゃんと区別して書けよ、というのと同じで。坂爪 はい、それはたしかに、まったく正当な批判だと思います。上野 男性と女性の反応の違いは?坂爪 女性の反応はまだ来ていないですね。上野 やっぱり来ないのか。うん、ちょっと女に届かない感じはあるね。坂爪 そこは自分の限界でもあるとは思うんですよ。自分自身が男なので。上野 だから「ボクちゃん、わからない、知らない、知らないから知らないことは書かない」って謙虚であってもいいと思うんだけど(笑)。坂爪 もうちょっと謙虚になります……(笑)。上野 『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書 2016)は、実際に性風俗に関わっている女性が読んだら、どういう反応をするのかに興味がある。坂爪 母乳店で働く方から「書いてくれてすごく嬉しい」と感想が送られてきましたね。上野 あ、そう。現場の女性たちに読まれている感じはある?坂爪 そうですね。「感動して泣いた」とか「繰り返し読んだ」というメールも女性からいただいたりして、すごく嬉しかったですね。上野 やっぱりフィールドワーカーの最初で最後のオーディエンスは、当事者ですからね。当事者の判定が、いちばん厳しい判定だから。その反応は好感触だったと?坂爪 あくまでも自分の感じではありますが。上野 イヤな意見は耳に届かないということもあるかもしれないけど(笑)。うえの・ちずこ 社会学者・立命館大学特別招聘教授・東京大学名誉教授・認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了、平安女学院短期大学助教授、シカゴ大学人類学部客員研究員、京都精華大学助教授、国際日本文化研究センター客員助教授、ボン大学客員教授、コロンビア大学客員教授、メキシコ大学院大学客員教授等を経る。1993年東京大学文学部助教授(社会学)、1995年から2011年3月まで、東京大学大学院人文社会系研究科教授。2011年4月から認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門は女性学、ジェンダー研究。『上野千鶴子が文学を社会学する』、『差異の政治学』、『おひとりさまの老後』、『女ぎらい』、『不惑のフェミニズム』、『ケアの社会学』、『女たちのサバイバル作戦』、『上野千鶴子の選憲論』、『発情装置 新版』、『上野千鶴子のサバイバル語録』など著書多数。さかづめ・しんご 1981年新潟市生まれ。一般社団法人ホワイトハンズ代表理事。東京大学文学部卒。新しい「性の公共」をつくる、という理念の下、重度身体障害者に対する射精介助サービス、風俗産業の社会化を目指す「セックスワーク・サミット」の開催など、社会的な切り口で、現代の性問題の解決に取り組んでいる。2014年社会貢献者表彰、2015年新潟人間力大賞グランプリ受賞。著書に、『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』、『男子の貞操』、『はじめての不倫学』、『性風俗のいびつな現場』がある。関連記事■ 後編 「関係欲」は商品化できるか?■ ついに書籍化。東大生が唸っただけじゃない!芥川賞作家・又吉さんも大絶賛の一冊!!■ 誰も恨まず怒らず 小池龍之介「マインドフルネスな日々」■ 「風俗」と「射精介助」、どう違うのか?

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    NHKで話題となった「貧困JK」を生み出すキャリア教育の深刻な問題

    増沢隆太(人事コンサルタント 株式会社RMロンドンパートナーズ代表取締役)         NHKの子供の貧困問題で取り上げられた女子生徒が、実は貧困ではないのではないかという強い批判を呼び、炎上騒動が起きました。番組制作に問題があることには同意ですが、もう一つ、出演者が語る夢とキャリアについても強い違和感を覚えます。それはキャリア教育が目的を果たせていないことにより、貧困の連鎖放置にもつながる教育の課題です。炎上の原因 番組が貧困の例として紹介した女子生徒は、自室の風景や高価な趣味のコレクション、食事風景をSNSで投稿していたことが暴露され、「貧困ではない」という批判が起きました。番組制作上の偽装だという批判も呼び、騒動が拡大しています。政治家の片山さつき議員も参加し、いまだ延焼中といえます。 貧困の定義が明確に共有されず個人の感覚も交錯する中、多分に番組の流れが一方的で安易な「貧困、かわいそう」という風潮に寄ったことで、自己責任論が強いネット世論を刺激したといえます。パソコンが買えずに千円のキーボードで練習したという逸話も、無料でパソコンが習える環境がある等、ツッコミどころは確かに多々あります。 もう一つの批判は貧困環境であるにもかかわらず、「夢であるアニメーション関係の仕事に就きたい」という願望が果たせないことへの不満を述べていた点に向かいました。アニメーションの仕事がどんなものか、それこそちょっと調べればわかる今、貧困から抜け出そうとせず、食うのもやっとといわれるキャリアを志向し、それがかなえられないのはかわいそうだというトーンは強い批判を呼んでも仕方ありません。 貧困が偽装かどうかを判断する立場にはありませんが、「貧困だから望むキャリアがかなえられない」という主張には、キャリア教育を実践する立場として強い違和感があります。「夢をかなえる」ことがキャリアではなく、キャリア教育はそうした夢と現実の違いや、その困難を克服するための思考や行動を選択できる力の養成を目指すものだからです。キャリア教育の実態はどうなっているか 平成20年の中央教育審議会答申で、「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」として新しい学習指導要領でのキャリア教育の充実が求められました。今学校教育で求められているのは「生きる力」であり、キャリア教育推進はそのために注力されているのです。(文科省「高等学校キャリア教育の手引き」より) 正に「生きる力」の養成がキャリア教育であり、そのためには情報のリテラシーからメンタルタフネスまで、自分自身が社会に揉まれながらも生存する、技術なり思考なりを身に付けさせることが欠かせないといえます。しかし一方学校教育現場では、「夢をかなえる」式の説話がいまでも蔓延していると感じます。 例えば小学校や中学校などで社会人の話を聞く催しがありますが、私が知る限りの狭い範囲ですと医者や弁護士、公務員の方が来ることはあっても、工場労働者、サービス業で店頭に立つ人、営業職で一日中走り回る人はなかなか登場しないようです。 今、日本のキャリア状況で、生産職、サービス職、営業職以外に就く可能性はどのくらいあるでしょう。まして医師や弁護士に就けるのはごくごく例外的なほんの一部の人だけです。もっとも中心的なキャリアへの理解が著しく欠けた結果、イメージが持ちやすい医師・弁護士等ごく一部の専門職、芸術や芸能、プロスポーツといった、これまた例外的なキャリアの夢と現実を混同してしまう子供が出ています。 小学生が将来はお花屋さんになりたい、Jリーガーになりたいといっている分には何の問題もありませんが、それを高校や大学という現実のキャリア選択においても変わらなかったらどうでしょう、ろくな調査もせず、知識もないままにです。職業選択の自由は好きなことして食べられる権利ではない職業選択の自由は好きなことして食べられる権利ではない 断っておきますが憲法が保障した職業選択の自由は断固守られるべきです。しかしそれは「選択」の自由であって、その選択の結果の生活を保障するものではありません。ロックミュージシャンが、練習時間が8時間を超えたので残業手当が出ないとか、ヒット曲の出し方を教えられていないので自分は売れないなど主張しても誰も聞く耳は持ちません。 自由業ではブラックを飛び越えた超絶な過酷環境での仕事が普通ですが、それは誰にも強制されるものではなく自ら進んで選択するキャリアです。プロボクサーが練習で殴られたのでパワハラだと訴えることができないのは、自ら好き好んで選んだ道だからです。夢には輝く面だけなく、負の面も必ず付いて回ることを教えるのは、キャリア教育では絶対に欠かせません。 1曲歌うだけでとんでもない金額を手にできる、自分が好きな絵やイラスト、アニメを書いてお金がもらえる、パンが好きだから好きなパンを売ってお客さんに喜んでもらう。その現実をわかった上で選ぶなら、全くもって個人の自由であり、憲法はそれを保証しているだけなのです。1曲どころかデビューもできずに沈んで行き、もはや会社員にもなれない末路、売ったパンで腹をこわしたらしいというクレーマー対処で病的に消耗する、キャリアの現実はきれいごとだけでは済まないのです。サラリーマンというキャリアを教えよ キャリア教育で実際に働く大人の話を聞くことは非常に有意義です。しかしそこで聞くべき話はまず第一にリアルな社会を代表するべきです。それは会社員です。世の中の会社員の半分以上が何らかの形で営業職・営業関連職に就いているにも関わらず、営業の仕事が何かをきちんと知っているのは大学生でもまず見たことがありません。 今現在貧困状態であるなら、夢の前に現実を見なければ生きることはできません。生きる力を身に付けさせるには、現実を知ることと、その知った現実にどう対処するかの判断力を養成することです。文科省の目指す「生きる力」は実際に必要な教育なのです。 夢をかなえることをあきらめさせる必要は全くありません。あきらめさせるのではなく、自分で判断する能力を養い、今すぐやりたいことを目指させるのではなく、本当にやりたいことであれば一生かけて夢に近づく努力が必要だと自覚させることです。理想と現実の差をしっかり教育できていれば、貧困環境にあるにもかかわらず非現実的な夢をすぐ実現しようという、キャリア選択の危険から守ることができます。 人間は生まれながらにして不平等です。お金持ちの人もいれば美男美女、スポーツにたけた人、芸術にたけた人もいれば、いずれにも才能がない人もいるのが現実の社会です。不平等で問題のある社会だからこそ、そこでできること、自分の努力で変えられることとそうでないことを見きわめる力を教える必要があると思います。(シェアーズカフェ・オンライン 2016年08月26日分を転載)【参考記事】■就活で傷つく若者たちhttp://shachosan.rm-london.com/?eid=656497■コミュニケーション能力と丸暗記http://shachosan.rm-london.com/?eid=638064■本当に必要?就活用マナー講座 (増沢隆太 人事コンサルタント)http://sharescafe.net/48109814-20160317.html■内定辞退の作法(増沢隆太 人事コンサルタント) http://sharescafe.net/46036751-20150826.html■2018年卒就活時期の読み方 (増沢隆太 人事コンサルタント)http://sharescafe.net/49262203-20160809.html

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    EXILEは貧困の怒りを代弁しない

    田中俊英(一般社団法人officeドーナツトーク代表)湯浅氏と藤田氏の解説 NHKの貧困女子高校生番組は反響を呼び、バッシングも擁護も含め、結局は「相対的貧困」について理解が進んだと僕は解釈している。 擁護しつつ冷静に解説したのはやはり湯浅誠氏で(NHK貧困報道”炎上” 改めて考える貧困と格差)、氏は大学の先生になってしまい微妙に心配していたものの、最近はやっと「前線」に戻ってきたようだ。 また、藤田孝典氏の解説も明晰であり(「1000円ランチ」女子高生をたたく日本人の貧困観)、湯浅氏と藤田氏の擁護解説を読めば、この問題のポイントは理解できる。念のため、湯浅氏の末文を引用しておこう。※ 今回のNHK貧困報道“炎上”は、 登場した高校生と番組を制作したNHKが「まとまった進学費用を用意できない程度の低所得、相対的貧困状態にある」ことを提示したのに対して、 受け取る視聴者の側は「1000円のキーボードしか買えないなんて、衣食住にも事欠くような絶対的貧困状態なんだ」と受け止めた。 そのため、後で出てきた彼女の消費行動が、 一方からは「相対的貧困状態でのやりくりの範囲内」だから「問題なし」とされ、 他方からは「衣食住にも事欠くような状態ではない」から「問題あり」とされた。 いずれにも悪意はなく(高校生の容姿を云々するような誹謗中傷は論外)、 行き違いが求めているのは、 衣食住にも事欠くような貧困ではない相対的貧困は、許容されるべき格差なのか、対処されるべき格差なのか、 という点に関する冷静な議論だ。 そしてその議論は、どうすればより多くの子どもたちが夢と希望を持てて、より日本の発展に資する状態に持っていけるか、という観点でなされるのが望ましい。 その際には、高度経済成長を経験した日本の経緯からくる特殊性や、格差に対する個人の感じ方の違いを十分に踏まえた、丁寧な議論が不可欠だ。文化のシャワーを小さい頃に浴びないことには、発信できない文化のシャワーを小さい頃に浴びないことには、発信できない この結論を読めば今回の騒動の大筋は理解できるが、そのことと、「相対的貧困」当事者の声をどう伝えるか、どう「代弁」するかは別問題である。 相対的貧困者は6人に1人になっているが、その2,000万人の人々は、残念ながらほとんどが自らの気持ちや状態を発信できない。 これは、貧困に伴う学習不足や、貧困の結果生じる児童虐待から陥った発達の遅れ等の原因が考えられるが(たとえば杉山登志郎医師の「第四の発達障がい」や、ライター鈴木大介氏の「脳障害と貧困記事」貧困の多くは「脳のトラブル」に起因している 「見えない苦しみ」ほど過酷なものはない等参照)、そうした原因論はまさに最前線の議論だからまだ一般化はされていない。 これらはひとことで言うと、「文化」不足からくる発信能力の低さだ。 貧困家庭や養育環境が原因の低さなので、思春期以降に出会った第三者による「文化シャワー」があったとしてもなかなか発信能力は獲得できない(ちなみに僕の本業はこうした「文化シャワー」をハイティーンに伝えることだ→たとえばこの記事参照「カルチュラル・シャワー」高校生カフェは2.0に~横浜、川崎、大阪のチャレンジ)。 人間の「世界」とは、イコール「ことば」の世界の豊穣さとつながる。また、ことば(記号)を土台としたさまざまな「文化」を子ども時代にどれだけ浴びたか、その浴びた文化「量」がそのまま、その人の「世界」の広さとつながる。 その文化内容に「善悪」はあるとしても、まずは「量」を浴びる必要がある。ことばと文化をたくさんたくさん浴び、それらのシャワーから自分に適した価値を選択していく。 その価値に基づいた自分なりの「ことば」が、その人の世界観を構成し、その世界観から自分なりのことば(つまりはその人の世界観)が発信できる。 まずは、ことばや文化のシャワーを小さい頃に浴びないことには、発信もできない。 その点で、一般的に、紋切りの文化や狭い語彙しかもたない貧困層の世界観は不利だ。エグザイルは貧困の怒りを代弁しないエグザイルは貧困の怒りを代弁しない だからこそ、貧困層が愛する「文化」が、そうした多様なことばや価値をもつ必要があるのだが、コロンブスの卵的にどちらが先かはわからないものの、貧困層やその代表的生活様式のひとつである「ヤンキー」層が愛する文化は、徹底的に細く紋切り的なことばや価値しかもたない。 それはたとえば、エグザイルの作品に現れている。 ちなみに僕はエグザイルのアツシが結構好きで、アツシが無謀にもアメリカ進出というかアメリカ修行に行くこと(EXILEのATSUSHIが2018年まで海外へ 決断した思いを語る)にはガッカリ感はあるものの、数で勝負するヤンキー/アンダークラス文化のトップにいるアツシが人員キャパを超えるエグザイルから「押し出される」ことは仕方がない(ヤンキー文化と「数」はこれ参照→ヤンキーは「海賊王」がすき~階層社会の『ワンピース』)。 ちなみに元祖ヤンキー代表といえば矢沢永吉だが、ミドルクラスばかりの当時の日本社会ではエーちゃんはマイナーであり、またエーちゃんは『成り上がり』というベストセラー本も書いた。エーちゃん自ら、自分のナマのことばで、「自分」を語る人だったのだ。 が、エグザイルは徹底的に紋切り型だ。典型的な愛のことば、若者のことばが詞にはあふれるが、それは無難な若者世界観を表象しており、ロック的エゴイズムもない(マーケティング的にロック的うっとおしさを排除している)。 エグザイルははじめから貧困層を狙っているわけでもなく、実際、中間ミドルクラス層にも好きな人はいるのだろうが、多くのアンダークラス若者にも結果としてて支持されている。 その結果、無難なエグザイルのことばは、アンダークラス若者の「気持ち」を無難な世界として閉じ込める。現実の貧困アンダークラス若者はもっとセンシティブだったり暴力的だったりするだろうが、そうした微細さは紋切りな愛の言葉が発現を抑止する。 結果として、エグザイルは貧困の怒りを代弁しない。彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師 では誰が「代弁」するか。 それは湯浅氏や藤田氏ではない。彼らはあくまでも「良質な外部」なのだ。もちろん片山さつき氏でもない。 では、雨宮処凛氏だろうか。雨宮氏のこのエッセイを読むと一見代弁者のように勘違いしてしまうが(すべての貧困バッシングは、通訳すると「黙れ」ということ~「犠牲の累進性」という言葉で対抗しよう~の巻 - 雨宮処凛)、ここには「ロマンティック・ヒューマニズム・イデオロギー」(ロマンティック・ラブ・イデオロギーのパロディです)といってもいい、過剰な人権主義ロマンのようなものがある。 この過剰な人権主義ロマンは、一人ひとりの貧困者の単独性(世界でただ1人のその人のあり方)を隠し、ヒューマニズムを主張したいための道具として使われるという皮肉な結果になる(いずれ別に詳述します)。 アンダークラスの人々を誰が代弁するか。 僕は今のところ、それは、「現場」で彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師だと思っている。現場の支援者や教師は、日々の忙しさも大事ではあるが、ある意味、貧困若者を「どう代弁するか」という最重要な仕事を担うと僕は考える。有名人が解説する段階は終わっているのだ。(2016年9月3日 Yahoo!ニュース個人「子ども若者論のドーナツトーク」より転載)

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    「下流老人」のウソ

    下流老人に老後破産。老後リスクを扱う書籍や雑誌は、年金目減りにおびえるシニアのマインドには刺さったが、日本の貧困問題は、実は現役世代の方が根が深いのだ。

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    アベノミクスを阻む「年金制度の壁」は一刻も早く撤廃すべき

    熊野英生(第一生命経済研究所首席エコノミスト) 2016年の経済政策はアベノミクス第2ステージとして名目GDP600兆円に向けた消費喚起が大きなテーマになっている。その前提として、14年の消費悪化をしっかりと振り返っておく必要がある。 14年4月の消費税増税のせいで賃上げの効果が相殺されたというのが通説だが、これは正確ではない。詳しく分析すると、高齢者無職世帯の消費落ち込みが大きかったことが分かる。60歳以上の無職世帯の14年の消費支出は前年比1・5%減であった。勤労者世帯の消費支出が同0.1%増であったのとは対照的であり、高齢者無職世帯が消費低下を引っぱったといっても過言ではないだろう。 国民に提供する福祉・介護などの高齢者サービスの負担をまかなうために、17年4月の消費税の再増税は回避できない側面がある。しかし、14年を教訓として高齢者の消費支出を減らさないようにしなければ、600兆円など夢のまた夢である。 高齢者向けの直接給付を増やせばもちろん、消費は増えるだろう。しかし、それには限界がある。まず必要な政策対応は、高齢者の勤労収入を増やすための環境を整えることだ。これは消費税再増税のときに避けては通れない課題である。そのためにはまず、「年金制度の壁」を取り払うことが必要となる。 総世帯数のうち、世帯主60歳以上の高齢世帯の割合は、すでに53・2%(15年7~9月)と過半数を占める。その7割は無職世帯であり、彼らの主な収入源は公的年金である。 60歳以上の人口がどのように推移するのかを、国立社会保障・人口問題研究所の中位推計に基づいて調べると、17~25年までの年平均の伸び率は0・4%とごく僅かな人口増加ペースになっていく。さらに、40年には減少に転じる見通しである。加齢とともに縮小する消費加齢とともに縮小する消費 高齢者世帯の中でも〝高齢化〟が進んでおり、加齢とともに世帯の消費支出は縮小している。年代別の消費支出額をみると、世帯主年齢が60歳代の時期が最も多く、70歳以上になると急速に少なくなる。シニア世帯の中で、勤労を続ける割合は、60歳代から70歳代にかけて漸減し、70歳を超えると一段と減少していく。だから、加齢とともに消費金額も減っていく格好になる。高齢者人口の増加だけをもってして、シニア消費が今後増えていくことは期待しづらい。 過去10年間、シニア消費は年3・6%のペースで高成長を遂げてきた。背景には、団塊世代(1947~49年生まれ)のボリュームゾーンが60歳以上になっていく効果があった。しかし彼らも、16年時点では67~69歳に達し、消費支出を減らしていくステージに移行する。東京五輪が開催される頃の消費市場は、団塊消費の存在感がいくらか小さくなるだろう。 シニア消費の悲観的な未来を好転させるにはどうしたらいいのか。 現在、60歳以上の総人口は、4241万人(15年12月初)。それに対して、公的年金受給者数(重複を除く)は、3991万人(15年3月末)である。もちろん、彼らが受け取る公的年金の支給額が増えれば、シニア消費も増えるはずである。 しかし、それは不可能に近い。公的年金には物価スライド制があり、前年の消費者物価また賃金上昇率が1%上昇すれば、それに応じて年金支給額も増える仕組みであるが、そこにはマクロ経済スライドという制度が組み込まれている。それは、インフレ率や賃上げ率よりも少ないペースでしか年金支給額が増えていかないルールである。目減りしていく年金支給額目減りしていく年金支給額 例えば、14年は消費者物価(総合)が2・7%、賃金上昇率(名目手取り)が2・3%の上昇率になった。物価スライドでは、消費者物価と賃金上昇率の低い方を基準にして、マクロ経済スライド分の0・9%を差し引くことになっている。この0・9%は公的年金制度の収支を長期的に維持するために、年金加入者の減少や平均寿命の伸びを勘案して決められている。年金財政の今後の展望を考えると、マクロ経済スライドを廃止することは難しい。 15年度に限ってみると、過去の年金支給額を物価下落分だけ減らさなかった過払い分の調整がここに加わって、さらに0・5%ほど減額された。 年金支給額が15年4月に物価スライドで増加した比率は、0・9%(=2・3%?0・9%?0・5%)だった。15年といえば、消費税率が5%から8%へと引き上げられた翌年だ。年金支給額が0・9%しか増えなかったことで、実質的に年金支給額は切り下げられたのだ。 以上のことを勘案すると、シニア世帯の収入が増えるための活路は、公的年金収入以外に頼らざるを得ない。 政策対応を考えるとすれば、①高齢者の事業収入を増やすか、②労働参加率を高めるか、③株価上昇を促して資産効果を発揮させるか、④預金金利を引き上げて財産収入を増やすのか、などの方法がある。まずは①、②の環境整備を行い、勤労収入の増加を行うことが必要だ。 現在の家計収支の状況を調べると、60歳以上の勤労者世帯は、勤め先収入が月27・5万円(14年)。これは無職世帯(年金生活世帯)の月収入16・0万円(夫婦計)を大きく上回る。事業収入もあるが、それには多くは期待できない。勤労意欲を削ぐ”年金制度の壁”勤労意欲を削ぐ”年金制度の壁” しかし、そこに大きな壁が立ちはだかる。年金収入と勤労収入を合算して、毎月28万円以上になると、それを超過したときに超過額の2分の1ほど年金収入を減らしていくという在職老齢年金制度の調整があるからである。これが「年金制度の壁」だ。 60歳以上の有業者数は、1267万人(12年10月)。このうち、雇用者に限ると、正規雇用者は31%に過ぎず、非正規雇用者は69%である。定年延長が行われても、給与水準を減らしたり、非正規形態を選択する人が多い。 高齢者は十分に働く能力があっても、自分がもらえるはずの年金が削減されることを嫌って、勤労収入を低く抑える傾向がある。給与所得よりも年金所得に対する控除が手厚いので、年金を減らされるくらいならば、低賃金で働く方がましだと考える高齢者も多いからだ。 こうした28万円の壁は、60~64歳に適用される「檻」のような存在になっている。なお、65歳以上の高齢者については、年金と給与の合計が47万円を超えると、年金支給が停止されるという47万円の壁が存在する。 筆者は、シニア層の勤労意欲を高めるためには、一刻も早く28万円の壁を撤廃すべきだと考える。これほど日本の成長力を死蔵させている残念な仕組みはない。 しかし、現在、厚生年金の報酬比例部分の支給開始が65歳へと段階的に引き上げられている途上であり、在職老齢年金制度を見直そうという機運は乏しい。過去、11年に見直しの機運が高まったが、その後の政権交代で改革は宙に浮いたまま先送りされた経緯もある。安倍政権下でも、女性の活用を掲げて、配偶者控除の見直しに動こうとするが、在職老齢年金の見直しは後回しにされているようにみえる。 筆者が在職老齢年金の見直しの優先順位が先だと考えている理由は、それが年金問題の改善にもなり得るからだ。もしも、シニアの高度人材が一段と所得水準を上げることになると、シニア層の給与所得から支払われる年金保険料が増える。すると、年金収支の改善が見込まれて、マクロ経済スライドの必要額を減らすこともできる。 前述のとおりシニア消費に悲観的な未来が予測されるなか実現が難しいことは否めない。しかし、本質的に年金問題を解決するには、給与所得の総額を大幅に増やして、年金保険料の総額を増やすことが最善の道である。筆者は、社会保障と雇用を一体化して変革することが、わが国の社会保障システムにある活路であると信じている。くまの ひでお 1990年横浜国立大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。同行調査統計局等を経て、2000年7月に退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。11年4月より現職。

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    孫破産 野放図にカネ要求する子と野放図に出す祖父母の構図

     「孫疲れ」、という言葉が反響を呼んでいる。孫の世話は老後の最大の楽しみの一つではあるものの、程度次第では精神的、経済的にシニア世代が追い詰められていくこともある。なかには孫のための巨額出費で、老後生活が根本から変わってしまうケースも少なくない。 「4歳の孫娘がシックハウス症候群とわかり、息子夫婦が“娘のために郊外に一戸建てを買ってやりたい”と言い出した。でも、まだ30歳の息子にはそれだけの資金は無理。仕方なく、退職金2000万円をすべて息子に渡すことにしました。 おかげで今住んでいる家をバリアフリーにリフォームする計画は白紙撤回。老後の楽しみにしていた国内一周旅行も諦め、夫婦でシルバー人材センターに登録してアルバイト探しの日々です」(元会社員60歳) 家に次いで大きな負担となるのが教育費だ。2人の娘にそれぞれ高校3年生の孫がいる元会社員の男性(70歳)は、孫たちのために自宅を手放してしまった。 「長女の孫は美容系の専門学校を希望していて、2年間の学費が500万円。二女の孫は都内の私立大学に推薦入学がほぼ決まっていて、下宿費用などを含めて4年間で最低でも1000万円必要だという。最初は『そんなに出せるわけがない』と突っぱねていたが、娘たちが『もっと安い専門学校があるんじゃない?』『そっちこそ家から通学させれば下宿代が浮く』などと罵り合いを始めてしまって……。 いたたまれなくなって、家と土地を手放すことにしました。築30年の家屋に値段はつかなかったが、土地は3500万円になり、預貯金500万円を合わせて4000万円。生前贈与の手続きを取り、私の分を1000万円残して、娘たちに1500万円ずつ渡しました」 それでも娘たちに「お父さん、1000万円もいる?」といわれたという元会社員男性、その後は高齢者専用マンションに入居し、貯金を取り崩す日々だ。超高齢化が進むなか、孫が社会人になってからも祖父母を頼るケースも珍しくなくなった。「3年前、初孫としてずっと可愛がってきた孫(28歳)が『自分の店を持ちたい』というので、開業資金の足しにと虎の子の1000万円を渡し、さらに2500万円の借金の保証人になった。ところが最近、その店が潰れてしまい、私は孫の残りの借金2000万円の債務者に。ボロ家を売り払っても返せる額ではないので、自己破産することにしました。今は仏壇も置けないような狭いアパート暮らしで、ご先祖さまに申し訳ない気持ちでいっぱいです」(元自営業80歳) もはや他人事とは思えない「孫破産」。避けるためにはどうすればいいのか。家族問題評論家の宮本まき子氏はこう助言する。「今の子供世代は『祖父母世代は高度経済成長を経験してきた裕福な人たち。だから頼っていい』と思っている。一方、祖父母世代は『貧乏だった日本』も知っているので、自分の子や孫に『みじめな経験』はさせたくないと本能のように思っている。それで『野放図にお金を要求する子供世代と、野放図にお金を出してしまう祖父母世代』という構図が出来上がってしまう。 しかし、なんの方針もなく、息子・娘夫婦に言われるがままにお金を出し続けることは、結果的に家庭内のトラブルを招きやすい。資金援助する時には、どういう条件でいくらまで出すという取り決めをしておくことが大切です。ましてや自分の老後資金までつぶして、孫を支援すべきではありません」 孫疲れによる「下流老人」「老後破産」だけは避けたいものだ。関連記事■ 30代と高齢者の社会保障費 生涯格差は1人あたり6000万円■ 平均的老後過ごすには「年金+α」必要 退職金や貯蓄で補完■ 全然足りない年金 平均的な老夫婦で月4万~5万円の赤字に■ 食・住に困窮する下流老人を取り上げ貧困について考察する本■ 20歳世代 年金保険料は1160万円多くなり463万円の“赤字”

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    バラマキでは効果薄 シニアの財布の紐はこうやれば緩む

    して社会保障を拡充すれば良いのだ。ちなみに、相続税を増税できれば、現役世代の階層の固定化を避けられ、格差社会も是正される。 このような最低保障年金や高齢者給付金での生活を維持するためには、高齢者が部分的に働き続けられる労働環境を作らなければならない。現在も高齢者向けの求人は少なくない。技能労働者や専門性の高い職種では高齢者の雇用は拡大している。一方、健康で身体は動くが、専門的な知識や技能を持たない高齢者がいかに稼げるかが、今後の大きな課題である。 老齢年金は72歳で「元が取れる」ようになっており、平均寿命が80歳を超える高齢社会では現行のまま持つはずがない。支給開始年齢は引き上げざるを得ない状況にあることから、企業も高齢社員を70歳まで適度な給与水準で継続雇用する方法を模索していくことになろう。いいだ やすゆき 1975年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学准教授を経て、2013年より現職。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。専門は日本経済・ビジネスエコノミクス・経済政策・マクロ経済学。

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    本当に医療費の支払いで老後破産になるのか?

    佐藤敦規(ファイナンシャルプランナー)  「下流老人」という言葉が昨年の流行語大賞にノミネートされたように、老後の金銭的な問題が盛んに雑誌やウェブ上で取り上げられています。最近では、中年破産という危機も取り沙汰されるようになってきました。それなりの年収や貯金があった人が中年破産や老後破産に陥る第一の原因は、世帯主の病気と言われています。一方、我が国では全世帯の8割以上が民間保険に加入しています。「日本人は保険にお金をかけすぎている。国が保険者となっている健康保険に入っている上、保険会社の医療保険に加入している」という意見もあるのです。ある程度の年収や貯金がある人でも病気が原因で老後破産に追い込まれるという主張に疑問をいだきました。リスクの中では対策がしやすい病気 実売で20万部を越えたと言われる「下流老人」(朝日新書)という書籍には、普通のサラリーマン(公務員や役員も含む)が下流老人へ転落する5つのパターンがあると述べられています。 (1)病気や事故による高額な医療費の支払い (2)高齢者介護施設に入れない (3)子供がワーキングプア (4)増加する熟年離婚 (5)認知症でも周りに頼れる人がいない いずれも深刻な問題ですが、自分自身ではコントロールできない(2)から(5)に比べて、病気のリスクはまだ対策がしやすいと思われます。国民皆保険制度の名のもと、原則として全員が国の健康保険に加入しています。入院費や治療費の自己負担を抑えられるので、一定の収入がある人ならば残りを貯金や民間保険で補えるのではないかと考えられるからです。負担を抑える高額療養費制度 国が保険者となっている健康保険(サラリーマンや公務員が加入)や国民健康保険には、高額療養費という給付制度があります。医療機関や薬局の窓口で支払った額が、暦月(月の初めから終わりまで)で上限額を超えた場合に、その超えた金額を支給するものです。所得や年齢によって上限額が異なります。 原則として退院後、請求により上限額を超えて支払った分が戻ってきます。事前に「限度額適用認定証」を申請すれば、退院時の支払い額を自己負担限度分のみに押さえることができます。ただ保険会社のFPとして色々な人に会って話をした結果、この制度の認知度はそれほど高くない印象があります。高額療養費制度があるので民間の医療保険は不要?高額療養費制度があるので民間の医療保険は不要? 生命保険には、亡くなったとき(高度障害なども含む)に支給される死亡保険と入院したとき、その日数に応じて給付金が支給される医療保険があります。個別の医療保険には加入していなくても、死亡保険の特約(オプション)として入院関連の保障をつけている人も多いです。 医療保険について、「思っているほど入院費がかからないので必要ない。医療保険に払うお金を貯金にまわしたほうがよい」と主張するFPがいます。その根拠となるのが高額療養費制度です。前述したように所得によって上限額は5段階に分かれますが、最も人数が多い370万~770万の層ですと1月の支払上限額は9万前後となります。ただし1月というのは1ヶ月以内というわけではありません。1月20日から2月14日のように月をまたいで入院した場合は、5万+8万というように2月分の金額が適用されます。 また食事やシーツ代などの入院時生活療養費の自己負担分は含まないため、別途請求されます。さらに患者の希望により1人から4人の病室へ入院したときの差額ベッド代、保険の対象外となっている治療を受けた場合の費用も対象外となります。 実際に1回あたりの入院にかかった費用は、22.7万円、平均日数は19.7日となっております(生命保険文化センターの平成25年度調査結果)。 自営業や日給制の非正規の仕事に就いている人にとっては、入院により収入がなくなる上、23万の出費があるため厳しい状況になるかと思います。しかしサラリーマンであれば有給休暇制度もあるため、入院中の収入はある程度、保障されます。高額な保険外治療を受けないのであれば、医療保険がなくても問題ないかもしれません。高額療養費があれば安心だったのか? 実際、高額療養費があれば大丈夫だったのでしょうか? 何ともはっきりしない感じです。「下流老人」には、69歳の男性が62歳の会社退職時に3000万の貯金があったにも関わらず、心筋梗塞の治療費により大半を使い果たし、生活保護に頼る羽目になったという事例が紹介されていました。高額療養費の制度があることは知らなかったようです。 老後の破産をテーマとした書籍や記事では、上記のような極端な例を掲載していることが多く、具体的な数字の裏付けが不足している印象があります。増加する民間の医療保険の加入者増加する民間の医療保険の加入者 医療保険は不要というFPの主張とは裏腹に、医療関連の保険の加入率も増えています。平成25年度、民間の保険会社、郵便局、JA共済などで入院時に給付金が支払われる保険に加入している人の割合は74%。平成16年度の69.3%より、増加しています(生命保険文化センターの平成25年度調査結果)。ガンの罹患リスクなどが広く認知されていることから、医療関係の保障を手厚くしようとしているようです。最近では、廉価な共済にも先進医療特約といって、保険の対象外の治療にも給付金がおりる場合がある保障が用意されています。 こうした状況を考慮すると、病気になっても心配ないように考えられますが、民間の医療保険が病気になったときに役だったかについて述べている記事は、確認できませんでした。病気になったときに貰える保障を確認しておこう なぜ高額な医療費の支払いにより、ある程度の年収や貯金がある人が破産してしまうのか、今一つわからないところで、モヤモヤ感が消えません。 いずれにせよ、老後破産をテーマにした書籍や記事を読んでいたずらに怯えるのではなく、一度、高額療養費や傷病手当金などの国の社会保険制度はどのような場合に支給されるのか、医療保険に加入しているのであればその内容について確認することをお勧めします。不明点があれば、会社の総務や保険会社の担当者に尋ねてみるのもよいでしょう。いくら手厚い保障があっても使えなければ、何の意味もありません。 普段、病気になったことなど想像する人は少ないと思います。ガンや脳梗塞などになってしまった場合は、本人だけでなく、家族も混乱します。病気になってしまうと対策を思いつかないこともあるからです。【参考記事】■生命保険金が置き去りにされるトラブルが続出中! その理由とは?(加藤梨里 ファイナンシャルプランナー )http://sharescafe.net/40387650-20140817.html■医療費40兆円突破の元凶、医療機関へのフリーアクセスを抑制する方法。(山浦卓 薬剤師・医学博士)http://sharescafe.net/46517054-20151009.html■アルバイトは社会保険完備のほうがよい理由 (佐藤敦規 FP・社会保険労務士)http://sharescafe.net/47340992-20151227.html■積み立て型の生命保険、終身保険は不用? (佐藤敦規 FP・社会保険労務士)http://sharescafe.net/46343820-20150924.html■「年金もらえない話」とあの「大予言」は似ている(原田裕一朗 社会保険労務士)http://sharescafe.net/47537450-20160117.html

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    広がる「嫌老」の影 高齢者がヘイトの対象になる前に

     「今の高齢者は、自力で親を扶養しながらここまで日本を発展させた。そのおかげで若い世代が豊かに暮らせるのだから、受け取る年金に差があっても、若者が損とはいえない」 2年前、厚生労働省がインターネットで公開した公的年金に関する漫画の一コマだ。世代間格差を正当化するかのようなセリフに、「国の狂気」「年金払う必要性がないと確信」とネットは“炎上”したが、漫画は今も公開されている。 金融機関への就職を控えた私立大4年の女子学生(22)=東京都杉並区=はいう。「保険料を払うのは義務。でも自分の老後に年金はもらえないのでは」 結婚や出産をしても仕事は続けるつもりだ。「共働きでなければ、子供は育てられない。だから保育園が必要なのに入れない。義務は果たすから、高齢者より次の世代を支援してほしい」。最近、雑誌で「保育園新設に反対する周辺住民は高齢者が多い」という記事を読み、ため息が出た。 個人が生涯支払う税金や保険料などの「負担」と、国から受け取る年金や医療保険などの「受益」を推計し、その差額を世代別に比較する「世代会計」という指標がある。中部圏社会経済研究所の試算では、現在の70~74歳が2100万円余りも“得”をするのに対し、20~24歳では4500万円以上の“損”。生涯所得に占める税金などの負担率も70代は1割以下だが、20代では2割を超える。 若い世代は「豊かな暮らし」が思い描けない。東京私大教連の調査によると、平成26年度に都内の私大に通う自宅外生の1日当たりの生活費は897円。バブル時代の約3分の1だ。 「友達に『たまには飲みに行こう』とはいえても、『旅行に行こう』とはいえない。理由? 金以外にないっすよ」。男子学生(22)=江東区=は打ち明けた。「僕らは『さとり世代』。でも高級車に乗りたくないわけじゃない。将来を考えたら、乗れないんです」 □   □ 「日本は年寄りを優遇しすぎている」。栃木県内でアルミサッシ製造会社を営む渡辺典雄さん(70)は、月に約15万円の年金がある分、自身の報酬は抑え、従業員に回す。 「高齢者は働かない方が得をする。今度の『3万円給付』はバラマキだ」 渡辺さんが憤るのは、27年度補正予算に盛り込まれた「年金生活者等支援臨時福祉給付金」のことだ。65歳以上の低所得者に一律3万円を支給し、対象者約1100万人、予算額3600億円に上る。半面、中学生以下の子供約1600万人に1人当たり3千円(27年度)支給されていた子育て給付金は打ち切られる。 「高齢者を嫌う『嫌老』の空気」 広がる一方の格差に危機感を覚えるシニアもいる。作家の五木寛之さん(83)は警鐘を鳴らす。 「人々の無意識下で高齢者を嫌う『嫌老』の空気が広がっていると感じる。近い将来、高齢者がヘイト(憎悪)の対象となる前に、働ける人は働き、せめて高齢者間の格差は高齢者自身が何とかしなければならない」画像はイメージです 「いつも頭のどこかに将来の不安があるんです」 千葉県船橋市に住む会社員の男性(42)は、9歳の長女を筆頭に3人の子供に恵まれた。だが、末っ子の長男(3)が保育園に入れず、妻(40)は働けない。2年前に買った自宅マンションのローンが3千万円近く残る。 「今はローン返済で精いっぱい。子供を育て上げて、親をみとったら、自分たちの老後資金は残らない。働ける限りは働くしかないでしょうね」 内閣府が平成25年に行った意識調査によると、男性のように「働けるうちはいつまでも」働きたいと回答した人は、40~44歳で27・3%。「70、75歳くらいまで」を含めると、半数以上が高齢者になっても働く意欲がある。一方で、そのために今備えていることは「特にない」とした人も3割近い。 □   □  「次世代シニア」-。リクルートワークス研究所は26年、「バブル大量採用世代」(昭和42~45年生まれ)と、続く「団塊ジュニア世代」(46~49年生まれ)を合わせた計1500万人をこう定義し、会社で人数が突出したこの世代の行く末に警鐘を鳴らした。 厚生労働省の調査では、大卒・大学院卒の40代の男性が部課長になる比率はバブル期に6割近かったが、平成25年に35%に下落。長く勤めても出世は望めず、仕事への意欲をなくしてしまう人も少なくない。同研究所の戸田淳仁主任研究員は「放置すれば10~20年後に働きたくても働く場所はない。“下流老人”が大量に生まれる」と指摘する。 約25年後には団塊ジュニアが65歳以上となり、高齢者の数はピークを迎える。孤独や貧困など今日のシニアが直面するリスクは、次世代にもっと重くのしかかる。 そうした将来を見据え、動き始めた企業もある。NTTコミュニケーションズの人事・人材開発部門担当課長、浅井公一さん(53)は、2年前から非管理職の50代社員とその上司計約720人との面談を続ける。組織に必要な高齢者になるために 10年後には社員の半数が50歳以上。彼らが意欲を失えば、業績に響く。「やる気がないわけじゃない。『自分に何を求められているのか』が分からない人が多い」。雑談のような雰囲気で悩みを聞き、一人一人の今後をともに考える。 黛徳美さん(50)は「まだ(65歳まで)15年ある、と気持ちが切り替えられた」と、面談後、スマホアプリなど利用者が直接触れるサービス開発の勉強を始めた。面談を受けた人の約8割に、語学学習を始めたり、若手向けの勉強会を開いたり、前向きな変化があったという。 □   □  ただ、40、50代のキャリア開発を積極支援する企業は少ない。「組織に必要な高齢者」になるためには、個人の「備え」も必要だ。 アイリスオーヤマの家電開発拠点、大阪R&Dセンター長の真野一則さん(62)が、パナソニックを退職したのは58歳のとき。製品デザインの戦略をまとめる管理職だったが、「手を動かして仕事をしたい」と転身を決意した。 面接では、5枚のパネルを使って実績と熱意を伝えた。「何度も練習した。良い製品を作りたいという熱意が伝わったのかな」。アイリスオーヤマの人事担当者は、「穏やかな人柄と対話能力が際立っていた」と振り返る。 人材サービス産業協議会の調査によると、40~55歳を中途採用した企業が、採用に当たってもっとも重視したのは「人柄」が65%でトップ。専門的な知識や技術以上に「一緒に働きたい」と思われるかが鍵だ。対話能力、情報収集力、判断力など、業種や会社を問わない「ポータブルスキル(持ち運び可能な能力)」が求められている。 「定年まで無難にやっていこうと思っていても、会社人生のどこかで必ず『想定外の何か』が起きる」 40、50代向けの「セカンドキャリア・デザイン講座」を手がける人材育成プロデューサー、諫山敏明さん(54)=大阪市=は、受講者にこう語りかける。 諫山さん自身、49歳で独立するまで、大手生命保険会社に勤務し、同期トップで支店長に昇格。「役員への道が見えた」と思った44歳で、腎臓にがんが見つかる。手術を受けて復職したが、元の席はなかった。早々に別の道を踏み出した。 「キャリアを会社任せにせず、一人一人が、“自分株式会社”の社長のつもりで、40代のうちから考えるべきだ」

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    高齢者が自立できない子供抱えるパラサイト破産が増加

     昨今若者や子供の貧困が問題視されているが、高齢者の貧困についても衝撃的なデータが存在する。立命館大学・産業社会学部教授の唐鎌直義氏(社会保障論)が厚労省の国民生活基礎調査をもとに世帯構造別の貧困率を独自に試算したデータがそれだ。最低限の生活を送る境界線として生活保護受給者と同程度の年収160万円を設定。それを下回る収入の高齢者を「貧困層」と位置付けた。 世帯数から貧困高齢者数を割り出すと、2009年の679万人から2014年には893万5000人と、5年間で約214万人も急増。およそ4人に1人が生活保護水準以下の収入で暮らす下流老人になっていることになる。年収160万円以下での生活は、常に「老後破産」の危険と隣り合わせだ。 年金に頼れず貯蓄もなければ、破産を免れるためには自分で稼ぐしかない。だが、たとえ体が丈夫な高齢者でも簡単にはいかない。唐鎌氏が言う。 「近年、これまで高齢者が重宝されてきた清掃や警備業といった職種にリストラ等に遭った40~50代の中高年世代が押しかけています。少しでも年齢が若い人が雇われる傾向にあり、高齢者が排除される現象が起きています。以前より就職そのものが困難になっているのです」 高齢者に仕事を斡旋する「シルバー人材センター」などに通って仕事にありつけたとしても、生活が飛躍的に改善するわけではない。工事現場の交通整理や清掃業に従事しても、月に6万円程度の収入にしかならないのが現実だ。年金から毎月天引きされている介護保険料などの穴埋め程度にしかならない収入のために働くという、本末転倒なことになりかねない。 高齢者が自立できない子供を背負い込む「パラサイト破産」も増えている。10年前まで首都圏で小さな印刷工場を夫婦で営んでいた小黒久芳さん(仮名、76歳)の話だ。「昨年、39歳の息子がうつ病を発症し、実家に戻ってきました。息子は今の会社に非正規社員として10年ほど勤めていましたが、会社の方針であっさりとクビを切られたようです。それがショックで転職活動もできないほど心を病んでしまったのです。 未婚の息子が頼るのは私たちしかいない。とはいえうちの収入は夫婦合わせて月12万円ほどの年金のみ。息子の診療費や薬代などで月2万円近く取られ、残る10万円程度では親子3人が暮らしていくのは難しい。先行きを考えると、私たちまでノイローゼになりそうです」 新たな下流老人の出現は「新・老後破産」時代の幕開けを告げている。関連記事■ 高齢者自己破産 自宅売却してもローンと家賃の二重苦■ 65歳以上高齢者世帯 わずか5年で貧困率約3%上昇■ 食・住に困窮する下流老人を取り上げ貧困について考察する本■ 同居息子が生活保護者になるのを避けるため年金切り詰める父■ 地方の人口減少や都市の高齢者激増等の今後の対策を考える本

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    健康で文化的な最低限度の生活と自衛のために必要な措置の共通点

    笹沼弘志(静岡大学教授)  健康で文化的な最低限度の生活と自衛のために必要な措置。 どちらも、似たような扱いを受けている。 健康で文化的な最低限度の生活とはいったいいかなるものか。それだけでは確かに抽象的なように思われる。この規定が「健康で文化的な最低限度の生活」需要を満たすような給付を命じているのは明白である。しかし、現に存在する多様な人にどのように給付すべきか、一律平等か、あるいは個々人の需要に応じて格差を付けるのか。前者の場合、多様な人びとすべての需要を満たしうるのか、需要より多くもらう人もいれば、需要を満たしようがない人もいるだろう。そうすれば「健康で文化的な最低限度の生活」需要をみたすという憲法の要請に反することになる。後者であれば、格差のある給付を行うことが法の下の平等に違反しないかが問題になる。両者の要請を満たすのは結構難しい。 だからこそ、健康で文化的な生活水準の需要を満たす給付を行うためには、事実を踏まえて、年齢・性別・健康状態など多様な人びとが、それぞれ「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができる水準とは何かを決めざるを得ない。そこで、この給付のための基準と何かそれはどのような方法で定められるべきかを法律で規定した。それが生活保護法8条2項である。 「基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない」 つまり、「最低限度の生活の需要」というものは「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した」上で決定されねばならないと基準の内容において考慮すべき事項を定め、かつ基準設定においてはこれらを考慮するという手続を踏まえねばならないと内容(要考慮事項)と手続を定めたのである。 こうして、はじめて憲法の要請である〈「健康で文化的な最低限度の生活」需要を満たす給付を行うべし〉という命令に応えることができるのである。 しかし、この具体化された内容と手続、一言でいえば要考慮事項考慮義務を省略してしまっては憲法25条と14条の要請を満たすことができず、憲法違反になる危険がある。憲法25条の規範を具体化した生活保護法8条2項という「具体化されたもの」を無視し、「具体化」のプロセスをすっとばすことは憲法が許さないのである。 現在議論されている自衛権の問題にも同様な問題がある。憲法九条が戦力の保持を禁止しているけれども、日本国が自衛権を持っていることまでは否定されていないとして、その自衛のための必要な措置とは何か。憲法規範の要請(戦力の不保持)と事実を踏まえて考えだされたのが「自衛のための必要最小限度の実力」の保持と行使という理屈である。しかし、「自衛のため」という点が曖昧であるから、「自衛のため」という理屈を付ければ何でもできるということになりかねない。それは戦前の日本やヒトラーのやったことだけをみても一目瞭然である。だから、限定を加えねばならない。 安倍政権が、それ自体の論理や結論を無視して、集団的自衛権行使容認の根拠としている1972年資料は、「憲法は『自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない』」とした上で、「自衛のため」とは「あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態(または「わが国に対する急迫、不正の侵害」)」に対処する」ために限定されるとの解釈を示した。そして集団的自衛権行使は憲法に違反すると明言した。 なぜ集団的自衛権行使を憲法違反だとした1972年資料を安倍政権はまったく逆に集団的自衛権行使合憲の根拠とできたのだろうか。それは「自衛のために必要な措置はとれる」という点のみを切り取っているからである。憲法九条規範が許容する「自衛のため」とは、「自衛のために必要な措置」とはいったい何か、これを解釈し具体化するプロセスと具体化の結果を消去してしまったから、1972年資料も集団的自衛権行使は合憲だという安倍政権の解釈も同じだというわけである。白を黒と言い含めているようなものだが、本人たちはそういわれても全く分からないだろう そこで、先の健康で文化的な最低限度の生活需要を満たすために必要な給付に置き換えてみよう。「必要な措置」と「必要な給付」を置き換えてみるのだ。とすると、こうなる。 生まれたばかりの人も、30歳のばりばり働いている成人も同じ人間には変わりないから同じ金額だけ給付すれば良い。赤ちゃんにかかる費用はせいぜいミルク代毎月1万円くらい。だからみんな1万円くらいでいい。というようなことになる。あまりにバカバカしい話しだろうか。だとすれば、それは安倍政府の憲法解釈がそのようなものだというだけの話しだ。 ちなみに、生活扶助基準は実際にはこうはなっていない。どういうわけか年齢で細かく別れている。こんなに年齢で格差を設けているのに憲法14条に違反しないといえるためには、生活保護法8条2項の「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情」考慮義務に従っているのだという主張をせざるを得ない。とすれば、厚生労働省も、裁判所も、憲法25条の規定が曖昧だから大臣の裁量は広範だとか言うような寝言は言っていられない。生活保護法8条2項の「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情」考慮義務とは何かまじめに解釈し、これによって大臣の裁量権がどのように統制されるのか示す義務が有る。(ブログ「人権理論の前線」より2015年7月10日分を転載)ささぬま・ひろし 1961年生まれ。静岡大学教育学部教授、憲法学専攻。野宿者のための静岡パトロール事務局長としてホームレスの人々や生活困窮者の支援にも取り組んできた。著書は『ホームレレス自立/排除』(大月書店)、『臨床憲法学』(日本評論社)など。

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    「下流老人」にふるえる日本人

    71歳の男性による新幹線車内での焼身自殺は低年金による生活苦が背景にあったとされる。この男性は年金受給額が生活保護基準を下回る「下流老人」の典型であり、平均的な給与所得がある場合も下流老人になる可能性があるとの指摘もある。低年金時代をどう生き抜くべきか、すぐそばにある貧困を考える。

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    NHK「老人漂流社会」プロデューサーが見た親子共倒れの現実

    板垣淑子(NHKプロデューサー) 2006年に「ワーキングプア」、2010年に「無縁社会」と社会的反響を巻き起こした番組を放送し、「格差と貧困」の問題を追い続けているのが「NHKスペシャル」だが、その取材班としてずっと関わって来たのが板垣淑子さんだ。このところは、「老人漂流社会」というシリーズ名で、昨年秋に「老後破産」(内容は「老後破産」という書名で新潮新書に)、そして今年8月に「親子共倒れを防げ」という番組を放送。板垣さんがチーフ・プロデューサーを務めた。 長年にわたる取り組みで感じたことを板垣さんに聞いた。――NHKスペシャルで「ワーキングプア」からもう10年越しの取り組みですね。板垣 2005年の小泉構造改革の最後の年から取材を始めているので、11年目になります。取り上げてきたテーマは全部つながっています。「無縁社会」も独居高齢者の孤独死の話ですし、この人たちは生きている間にどんなことに困っているのかというと、見えてきたのが「老人漂流社会」だった、ということです。 「老人漂流社会」というシリーズになってもう4回目ですが、第1回は2012年秋、居場所を持てなくて老人が漂流する、終(つい)の棲家(すみか)を持てない、という現象を取り上げました。次に認知症独居の問題を2回目にやって、そのあと昨年秋に「老後破産」、そして今年8月末の番組が「親子共倒れを防げ」というサブタイトルなんです。――昨年の「老後破産」も大きな反響があったようですが、今度の番組はその反響を踏まえて作られたわけですね。板垣 「老後破産」で取材した人たちの中で共通するのが「もう死んでしまいたい」という言葉でした。そこで続編では高齢者の自殺を取り上げようかと思って、秋田県藤里町など自殺対策をやっている自治体に取材をかけたんですね。 そしたら「どうも50代の息子が引きこもっていて困っていて、就職先を探してくれ」という声が強いとかですね、そういう子どもが失職して大変だと高齢者が悩んでいるといった話をいろいろなところで聞くんですね。「えっ、これはなんだろう」と思いました。 その一方で、前回の番組をご覧になってメールやお手紙を寄せてくれた声にも、「自分の体験はもっと深刻だ」として同じような体験を話される方が多かった。そこで調べてみると、親子の同居が予想外に増えている実態がわかりました。80年代から比べると、かなり増えています。30万人台だったのが300万人台くらいまで至っているんです。 それは非正規で働いていた人たちが40代くらいになって一人暮らしを維持できなくなって、かつ生活保護には頼りたくないと、農家をやっている地方の親元に出戻っていくというパターンなのですね。実際に取材を始めると「自分の親戚にもこういう人がいる」とか、見回すとそういう人がかなりたくさんいて、身近な問題になりつつあるのです。 一人暮らしでもやっとという一桁の年金受給額で暮らしている親にとっては、支えてほしいはずの子どもに逆にすねをかじられる。親子共倒れの破産が増えているんです。 実態が見えにくいのは、お子さんと暮らしているので困っていることが周囲にわかりにくいし、生活保護も可動年齢層の子どもと住んでいると受けられません。支援の手が伸びにくい環境の中で、親子虐待が起こってしまったり、問題が複雑化してしまったり、困っている家庭が増えている。実際、今回番組で紹介するのも、一人暮らしをしている時よりも子どもが戻ってきてからの方が大変になったというご家族なんです。老人だけでなく下の世代も生きていけない――老人だけでなく、下の世代も生きていけない社会になっているわけですね。NHK提供板垣 非正規雇用が増えているのです。最初に「ワーキングプア」を取り上げた時は非正規雇用は3割だったんですけれど、今は4割です。かつ団塊ジュニアの世代が40代50代になってきている。20代30代の非正規って肉体労働とかできるので意外と困らないんですが、40代50代になってくると途端に不安定化する。そこで自分で生活できなくなって親元へ戻るのですが、親が介護が必要な状況になったりすると、もう経済的に助けることができない。親を助けるどころか、子どもの方も働き口がなくて共倒れするんです。――年金制度も矛盾が噴出しているし、社会全体が行き詰まりを見せている。板垣 日本の社会はどちらかを選択しなければいけない時期に至っているんです。社会保障の施策はミニマムにして、経済競争とか合理化を進め、基本的に税も少ないけど福祉も小さいという国にするのか、あるいは税は取られるけど手厚い福祉で安心できるという方向を選ぶのか。これまで日本は、行政も政府もその選択肢を明確に提示してこなかったのですね。――新幹線で自殺した老人のケースも、年金受給額が少ないと不満を持っていたようですが、生活保護の申請は行っていなかったようで、そういう情報もきちんと国民に説明されていないようです。板垣 私も取材を続けていて感じたのですが、年金を貰っていると生活保護を受けられないと誤解されている高齢者が非常に多い。「年金を貰っていてもその額が生活保護水準に達していなくて、かつ貯金がなければ生活保護を受けられるんですよ」と教えて差し上げると「そうだったの!」と言われる方も多い。 その一方で、これ以上国の世話になりたくない、とか社会に迷惑をかけたくないというような律儀さや誠実さを口にされる方も多い。これは高齢者の方に共通なんだと思うのですが、自分が社会のお荷物だと思った瞬間に生きる希望を失ってしまい、生活保護の申請に二の足を踏んでしまう。どちらかというとこちらの要因が大きいかもしれません。――それも日本社会が将来の方向性を示して国民に理解を求めるというのをやってこなかったためかもしれませんね。板垣 「老後破産」寸前で困っている方が、年金受給額3万円で貧困にあえいでいるというのならわかるのですが、実際には10万円くらい貰っていて破産していくケースが多いのです。社会保障費抑制はもちろん必要ですし、負担が上がるのもやむを得ないことだと思っていながらも、目の前で負担のことで破産していく人を見るといろいろ考えさせられます。

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    「下流老人」名付け親が警告 新幹線自殺老人のケースは特殊ではない

    藤田孝典(「ほっとプラス」代表理事) 藤田孝典さんが代表理事を務める「ほっとプラス」は、生活困窮者への支援活動を行うNPO法人だ。そこでの活動経験をもとに書いた著書『下流老人』(朝日新書)は、発売された6月に新幹線での老人の自殺事件があったこともあり、大きな反響を呼んだ。藤田さんはその後も、「下流老人」という言葉の名付け親としてマスコミの取材に引っ張りだこだ。いったい高齢化社会にいま何が起きているのか、「ほっとプラス」の事務所のある埼玉で話を聞いた。――6月に新幹線で焼身自殺した老人さんは、6月に仕事を辞めたのに年金受給額が増えずに生活できなくなったと言っていたようですが、それは本人の誤解だったのでしょうか。新幹線放火事件。出火した1号車の隣、2号車でも煙が押し寄せていた=6月30日(乗客提供) 藤田 低賃金で35年くらい働き続けたようですが、年金受給額もそう多くないので、老後も働き続けないと暮らせない、そのケースなんですね。でも70歳を過ぎたら仕事もなかなか見つからない。恐らく生涯働きながら、その収入プラス年金で暮らしていこうと思っていたんでしょうが、失業したことでその人生設計が崩れたということではないでしょうか。失業したら年金受給額が増えるということはないのです。年金制度自体に対する誤解があったのかもしれない。 それよりも残念なのは、元々年金受給額が低い人に対しては「補足性の原理」といって、生活保護基準に満たない場合は足りない分だけ補助が出るんですよ。例えば彼の場合は、足りない分が給付されたはずなんです。――そういう仕組みを知らずに申請していなかった可能性があるわけですね。藤田 実際には生活保護の相談も区議会議員や福祉課の方にしていたようですけれども、彼の場合はちょうど難しいラインなのです。私たちも一番相談が多くて、難しいのが年金受給額が12~13万円というラインです。生活保護の対象になるのかならないのかわかりにくいボーダーライン層なんですよ。私も元ケースワーカーで、非常勤で福祉事務所で働いていましたけれど、計算の仕方によっては該当してこないという難しい事例なんですね。――年金受給額が12~13万円というのは平均的なんですか?藤田 むしろ多い方ですよ。今の年金受給額の全国平均は、確か6万円から8万円程度だったと思います。この人の場合は、低賃金とはいえ厚生年金が上積みされているのでそうなるんです。彼は長いこと真面目に働いてきた労働者なんですよ。現役の時代には月収28~29万あったという人ですね。 だから私が言う「下流老人」というのは、底辺労働者だった人ということでなく、一般の生活をしていた人たちが貰う年金の金額がこれで、そういう人たちが独居暮らしになると生活できなくなってしまうということなんです。大半の人がそうなる可能性を秘めているんです。 私も試算していますけれども、年収400万円の平均的な所得の今のサラリーマンは皆これくらいの基準ですよね。その下の世代になるともっと低い。生活保護基準をゆうに割ってくる金額しか支給されないんです。だから老後は皆そうなる可能性があるよ、ということで警告を発しているんです。 高齢者といっても夫婦ふたりで暮らしている間は両方の年金が得られるので何とかなるのですが、いま一人暮らし世帯が凄く増えているんですよ。一人暮らしの高齢者は東京都内で暮らすのは本当にしんどいと思いますね。もし認知症になったとか、病気になったとかというトラブルに直面すると、入院する費用もなかったりすることがあります。――藤田さんの「ほっとプラス」に年間100人くらい相談が来るそうですが、だいたい生活が成り立たない人?藤田 生活が成り立たない、病気の医療費が払えない、サラ金からお金を借りているけど返せない、とかいろいろですね。 だから私たちは、医療費を払えないという場合には、医療費を払わなくてもいいような病院、無料低額診療事業という病院を紹介したりだとか、一応ソーシャルワーカーという社会福祉の専門家として相談を受けて支援をしているので、「この人は生活保護かな」とか、どの制度を使うと一番良いかな、ということで一人一人アドバイスしています。借金があれば弁護士を紹介して、一緒に自己破産手続きをやったりすることもあります。高齢者の自殺と犯罪が増えつつある高齢者の自殺と犯罪が増えつつある――高齢者の自殺や犯罪も増えていると言われますね。藤田 はい。今自殺率が高いのは高齢者と20代の若者ですね。20代は就活自殺か、入社してもその環境に馴染めないというケースですね。60代以上は孤独死。孤立してしまっているということですね。ただ孤立していてもそれだけで自殺はしないんですよ。そこに病気をしたり、経済的な面で不安があったりとかすると自殺につながるんですね。 犯罪率も増えていると思います。特に万引きしてしまう高齢者が増えています。万引き絡み、無銭飲食絡みが多いんです。 貧困状態と犯罪を結び付けるのは差別につながるので注意が必要ですが、高齢者の犯罪は事実として増えていると思いますね。食えなくなった時のやむを得ない方法の一つが、窃盗なり無銭飲食をして自分の命を永らえさせることです。「ほっとプラス」代表理事、藤田孝典氏 弁護士からの相談も増えてきていますが、顕著なのは高齢者がコンビニでナイフをちらつかせるケースです。そうすると強盗未遂になって罪が重くなるんですよ。窃盗とか無銭飲食の詐欺罪は処分保留で出されちゃったり、執行猶予がついたりするけれど、強盗未遂は余程のことがない限りは実刑になる。なので泣いて懇願されることもあります。三食食えない高齢者は、刑務所とか拘置所に居たいんですね。最後のセーフティネットが刑務所になっているんですよ。 私も情状証人として出廷することがあるんですが、そこで言うことは、生活保護制度にこの人を結びつけていれば犯罪は起きませんでした、ということです。 「生活保護制度って知っていましたか?」と本人に訊くと、「いえ、そんなの知りませんでした」「私受けられると思いませんでした」と言って、「じゃあ出てきたら生活保護を受けましょうか、そうすれば再犯をしなくてすむので」ということです。――抜本的解決へ向けてどうすればよいのでしょうか。藤田 高齢化社会がこのまま進むと、年金も生活保護もこれ以上国の財政から考えると増やせないので、私は「先行投資をしよう」と言っています。今の日本は住宅費が高すぎるし、光熱費も高いし、子育てをすると養育費とか教育費もかかる。それに対してヨーロッパなどは公営住宅や社会住宅がたくさんありますから、家賃分負担で暮らせるんですよ。だから先行投資をしていこうよ、ということを訴えているんです。 例えばアパートは高齢者ってだいたい差別を受けるんですよ。孤独死してしまうし、身寄りのない人を大家さんは嫌うのです。特に低家賃の住宅は礼金・敷金も少ないですから、孤独死となったら百万近く改修費用がかかるんですよね。そうなると全然割が合わないから、もともと高齢者を受け入れたくないという入居差別があるんですね。そういった入居差別に遭いやすい人には公営住宅というのがあるんですけど、公営住宅は当然(入居競争率が)何十倍何百倍というレベルなので当然入れない。そうやって路頭に迷う高齢者が私たちのもとに年間何百人と来るんです。高齢化の進展に何がいま必要なのか高齢化の進展に何がいま必要なのか――深刻な問題になりつつあるのに、社会の対応が追いついていないんですね。藤田 ずっと言われているんですけれどね。10年ちょっと前から、高齢化率が高くなるから、施設も整備しないといけないということで厚生労働省も施設整備には動いています。東京都だと「サコージュ」とよばれているんですが、サービスつき高齢者住宅とか、軽費老人ホームとか、そういう低賃金で入れるような高齢者施設を規制緩和して広げていこうとやっているんですけれど、それでも需要には全然追いついていない。 日本で最も重たいのは住居費。その次は教育費ですね。少なくともこの二つに介入できれば、今の日本人の多くは多分ある程度貯金ができて、ある程度老後の暮らしは安定していくと思うんです。現状では、住宅ローンの重さと、民間賃貸住宅の家賃ですかね。海外だと家賃補助制度を入れていったり、低所得の人は家賃を払えないから半分国が面倒を見ますよという考えになっています。そもそもフランスなどは全住宅の20%が社会住宅なので、所得に応じて1万円から3万円くらいで入居できるんですよね。それも広い綺麗な住宅ですから。――日本では生活保護受給者が増えて困っていますよね。藤田 そうです。でも他にセーフティネットを用意しないんだから増えるのは致し方ない。ある一定は増やさざるを得ないと思うんですよね。そうしないと社会が不安定化するし、自殺も犯罪も増える。生活保護ってそもそもが社会を守るための制度でもあるんですよ。ヨーロッパでは、社会防衛というスタンスで受け止められています。 日本の生活保護受給は、海外と比べてGDPからすると全然少ない方です。それは日本人の生活保護に対する「恥の意識」というのが根強くあるからです。海外だと「権利でしょ」ということで申請するのが当たり前なんですけれど、日本人は本当に困ったら親族、友人、サラ金、そのあとに役所ですから。とことん困らない限りは相談しない、というのは日本の特徴なんですよね。未だに高齢者で「生活保護なんて受けるくらいだったら死んだほうがマシだ」と言う人が多いんですよ。――林崎さんも、もう少し相談する人がいれば違ったのかもしれないし、都市部でみんなが孤立してしまった現状に対してコミュニティをつくろうという取り組みもなされているのですか。藤田 今団地では始まっています。多摩ニュータウン時代のあのあたりなんかは年間何人も孤独死されてしまう方がいるみたいで、その団地でのコミュニティを再生しようという取り組みも行われています。これから増えていくんじゃないでしょうか。

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    8割が「生活保護」受給者…横浜の寿町から見える日本

    トム・ギル(明治学院大学国際学部教授)日本人もあまり知らない「ドヤ街」 大阪市西成区・釜ヶ崎の簡易宿泊所の中には、宿泊費が千円を切るところもある。 日本のいくつかの都市には「ドヤ街」と呼ばれる地区がある。「ドヤ」とは「宿」を逆さ読みにした言葉で、料金の安い簡易宿泊所を指す。「ドヤ」がたくさん集中している場所が「ドヤ街」。英語で言うなら「skid row」が最も近いだろうか。いずれにしても、主に男性が暮らすスラム街のような場所だ。有名なのは、大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、そして横浜の寿町である。  ドヤ街はなにがしかの事情を抱えた人々の最後の避難場所だ。職を失った者、結婚に失敗した者、家賃を払えず住む家を失った者、刑期を終えて刑務所を出たものの行き場がない者。そんなわけありの人間でも、ドヤ街でなら受け入れてもらえる。身分証明書を提示したり、手付金や保証金を用意したり、保証人を立てたりできなくても、安い料金で宿泊することができるのだ。以前なら、食・住には困らない程度の賃金をもらえる日雇い労働にありつくこともできた。  ドヤ街の存在を知る日本人は、実はそれほど多くない。知っている人には、社会の最底辺で生きる人間のたまり場というイメージである。そうした人々の姿は、1960年代のフォークソング「山谷ブルース」(岡林信康)や、演歌「釜ヶ崎人情」(三音英次)などに描かれている。 バブル崩壊で労働者の町から福祉の町へ  私の勤める大学のキャンパスは横浜市にあるが、その「地元」のドヤ街、寿町は、横浜市中心部の一等地にある。周囲には横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムや、人気のショッピングエリア・元町、さらには中華街などが隣接する。町の中でハングルの看板を見かけることはほとんどないが、寿町にある簡易宿泊所の多くが在日朝鮮人の経営であることから、コリアタウンの顔も持つ。 寿町で活動するキリスト教ボランティアたちによる路上伝道(左)に参加すると、無料で食事が提供される。英国では “sing for your supper” と呼ばれるが、寿町では「アーメンでラーメン」と呼ばれる(よく麺類が提供されるので)。右は炊き出しに並ぶ列の光景。 そんな寿町をはじめとするドヤ街の研究を始めて20年余り。ドヤ街は労働者の町から福祉の町へと大きな変貌を遂げた。  1993年に寿町を初めて訪れた時、簡易宿泊所に寝泊まりする人の多くは日雇い労働者で、みな毎朝4時か5時頃には起き出して仕事を探しに出かけていた。寿町には、主に暴力団関係者が日雇いの仕事を仲介する「寄せ場」という路上労働市場に加えて、厚生労働省と神奈川県がそれぞれ管轄する職業紹介所が2カ所あるのだ。  ところが90年代半ばになって、日雇い労働者の生活事情は一変する。90年代初めにバブル経済が崩壊し、日雇い労働の需要が激減したためだ。日雇い労働の多くは建築関連であり、日本の建設業界は、受託業者・下請け業者・孫請け業者というピラミッド構造になっている。その底辺に位置するのが日雇い労働者で、彼らは現場が忙しい時だけ臨時労働者として雇われる。そのため、バブル崩壊による不動産価格の急落の影響は深刻で、職業紹介所では、シャッターが開く6時15分の何時間も前から列を作って、少しでも有利なポジションを陣取ろうとする労働者たちの姿が見られた。  やがて90年代の終わり頃になると、多くが仕事探しを諦め、職業紹介所には閑古鳥が鳴き始める。同時に簡易宿泊所の宿代を払えずにホームレスになる人が増え、路上で寝泊まりする人の数は寿町近辺で数十人、周辺の関内駅や横浜スタジアムの軒下では数百人を数えた。 「自立支援法」でホームレス減少 「横浜市ホームレス自立支援施設 はまかぜ」は2003年にオープンした。 近年、横浜市のホームレスの数は以前に比べるとかなり減少している。これは全国的な傾向で、公式発表によれば、2014年に日本で路上生活を送るホームレスの数は7508人と、2003年の2万5296人から大幅に減少している。  その理由の1つに挙げられるのが、2002年に施行された「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」だ。同法は10年間の時限立法だったが、2012年に期限が5年間延長された。この法律に基づいて国と地方自治体は、ホームレス状態になった人々を路上生活から脱却させ、社会復帰を手助けするべく、自立支援施設の建設を進めた。  寿町にある「はまかぜ」も、ホームレス支援のための施設だ。ホームレス支援目的で建設された恒久的な建物という点では日本ではユニークなのだ。地上7階建てで、ベッド数は合計250台(男性用が230台、別の階にある女性用が20台)。主に4人から8人で1部屋を使う形式になっている。  利用期間は低層階で最長30日間、上層階では最長180日間と定められており、上層階を利用できるのは、就職が決まって賃貸アパートなどで暮らすための資金を貯めている人に限られる。ただし低層階も、最低1カ月の期間を置いて申請すれば再入所することができるので、利用者の中には、1カ月をはまかぜで暮らし、次の1カ月を路上で過ごすというサイクルを繰り返している者もいる。 寿町の8割が「生活保護」受給者 2013 年寿町での越冬闘争キャンペーンに参加した筆者(左端)。 「自立支援法」と並んでホームレス減少の大きな要因となったのが、生活保護の受給者の増加だ。生活保護は日本の重要なセーフティーネットで、日本国憲法第25条に基づいて、すべての国民の「健康で文化的な最低限度の生活」を保証するために設けられた制度である。  かつてドヤ街で暮らす人々は、決まった住所を持っていないことを理由に生活保護の支給を拒否されることが少なくなかった。これは生活保護法に規定されたルールではなく、各自治体が独自に定めた方針なのだが、皮肉にも福祉の手助けが最も必要な人たちが受給の申請を行うことさえできない状況になっていた。  そこで寿日雇労働組合が中心になっていた「衣食住を保証せよ!生存権を勝ちとる寿の会」という組織が行政に強く働きかけ、90年代半ばには永久的な居住地が生活保護の受給要件ではなくなる。その結果、生活保護の受給者が急増した。寿町の簡易宿泊所に暮らすおよそ6500人のうち、20年前はほとんどが日雇い労働者だったのが、今では8割以上が生活保護に頼っている状態である。 深刻な財政赤字のジレンマ 日本の生活保護は、諸外国に比べるとかなり寛大である。支給額は月額およそ8万円で、家賃補助がおよそ5万円まであり、しかも医療費は無料だ。無駄遣いさえしなければ家賃と食費は十分に賄える。かつて日雇い労働者は使い捨ての労働力として都合よく使われ、年を取ったり体が弱ったりしたらお払い箱にされて、野垂れ死にを強いられることもあったが、それに比べたらずいぶんと「人間的な」社会環境になったといえる。 ただし、この状態が長くは続くとは思えない。寿町で生活保護を受給するおよそ5000人は、巨大な氷山の一角にすぎないのだ。全国の生活保護受給者の数は、過去最低の88万2千人だった1995年以降、年々増え続け、2014年6月には215万8千人に達した。その一方で、国が抱える借金は1000兆円を超え、寿町のある横浜市も財政赤字に悩まされている。いずれは生活保護の支給額を減らさざるを得なくなるだろう。実際、政府は2013年、生活保護基準を最大で10%引き下げる決定をした。 幸い今のところ、寿町の高齢化した元日雇い労働者たちはまずまずの老後を送ることができている。町の中に次々と建設される介護施設で介護を受け、食事の世話をしてもらい、必要なら車椅子でデイケアセンターに連れて行ってもらうことも可能なのだ。大都市の最底辺で暮らす人々に対して、これほどきちんと福祉の手が差し伸べられているという事実に、私は感銘を受けずにはいられない。 nippon.com別館、原文英語、翻訳・nippon.com編集部トム・ギル(Tom GILL) 明治学院大学国際学部教授。1960年英国生まれ。ロンドン大学(LSE)博士(社会人類学)。20年にわたり日雇い労働者、寄せ場、ホームレスを調査。主に横浜・寿町で行った調査をまとめた博士論文をMen of Uncertainty: The Social Organization of Day Laborers in Contemporary Japan (State University of New York Press, 2001)として出版。他の著作には「日本の都市路上に散った男らしさ―ホームレス男性にとっての自立の意味」(サビーネ・フリューシュトゥイック/アン・ウォルソール編『日本の男らしさ、サムライからオタクまで「男性性」の変貌を追う』、明石書店、2013年)、『毎日あほうだんす―寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界』(キョートット出版、2013年) 等がある。

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    203X年「大介護社会」ニッポン第二の敗戦

    樋口恵子(「高齢社会をよくする女性の会」理事長)高齢女性の「消され化」を「見える化」に まず「老い」の中にいる人々の数の問題から始めよう。 日本人の平均寿命は2013年に男性80.21歳、女性86.61歳で、男性も初めて80代の大台に乗った(※1)。女性は長い間「世界一」長命の座を守り、男性より6年半ほど長い。ということは、老年になるほど、女性の占める人口比率が高くなる。 現在のところ、65歳以上人口で女性比率56.9%、医療保険における後期高齢者医療制度に全員移行する75歳以上で61.4%、女性の平均寿命に近い85歳以上となると、女性が70.2%を占め、同一年代男性のほぼ2.3倍となる(※2)。100歳以上人口は5万8千人(2014年)を超えるが、その87.1%は女性だ(※3)。 要するに、高齢人口は女性多数社会である。さまざまな政策等は女性にフォーカスされて当然だが、全くそうなっていない。就労、社会保障など各方面において女性の存在は消去されている。まずはこの超高齢社会から消去されがち―「消され化」―の女性の実像を「見える化」するのが出発点だろう。しかし消されているのは必ずしも女性だけではない。男性を含めて、日本の高齢者は意外なほど方針決定の場に代表を送り込んでいない。政策決定権から疎外された高齢者 2014年12月の総選挙後の衆議院で、65歳以上の議員比率は16.8%、75歳以上は1.3%にすぎない。65歳以上が全人口の25%を超え、75歳以上も12.5%を超えることを思えば、高齢者の代表性は著しく疎外されている。ひところ高齢者が政財界を支配することがあって「老害」が叫ばれ、その対策は着々と実行された。自民、公明、民主の3大政党は小選挙区などを除いて立候補に何らかの年齢制限を行っている。 議員でなくても政策に民間人がかかわる場に、各省庁に設置される審議会がある。ここも委員年齢に上限が設けられるようになっている。というわけで2008年4月に施行された75歳以上の後期高齢者医療制度は、30~50代の官僚、70歳未満の国会議員、審議会委員などで立案され、論議され、当該年齢の当事者がほとんど一人も参画しない中で定められた。 ちなみに認知症対策に関しては、2014年11月に東京で開催された認知症対策の国際会議で、当事者たちも「私たち抜きで私たちのことを決めないで」と声を上げた。厚生労働省が2015年1月に公表した認知症施策推進戦略「新オレンジプラン」では、認知症当事者・家族の意見を取り入れることが明記されている。 高齢者は政策の対象者ではあっても、決定権からは疎外されてきた。そして、数少ない75歳以上国会議員のなかに女性は一人も含まれていない。国会議員の女性比率衆院9.5%、参院15.7%(2014年12月現在)という低さは日本名物というべきであり、世界経済フォーラム男女平等ランキングによれば142カ国中104位である。「女を生きて貧乏に老いる」 日本の高齢女性は、高齢者として、女性として、方針決定の場から二重に消去されている。思えば明治以降の歴史を見ても、女性の教育、家族関係、就労などの社会関係、社会保障、妊娠(中絶を含む)出産―すべてにおいて、女性抜きで決められてきた。女性の代表がほとんど皆無の中で決定された政治的、社会的枠組みの中で、生涯の決算期というべき女性の老いが、豊かであるはずがない。 というわけで、女性の老いはまず貧乏である。老いを生きる女の困難さは、一に経済的貧しさであり、二に長らく負わされたケア(介護)役割であろう。両者はからみ合って、女性を貧しさにつき落とし、この社会の下支えをさせてきた。  「人は女に生まれない。女になるのだ」。ボーヴォワールは名著『第二の性』をこの言葉で始めた。そのひそみに倣えば「女は貧乏に生まれない。女を生きて貧乏に老いるのだ」 まず老いた女の貧乏ぶりを示そう。相対的貧困率というのは、可処分所得が中央値の50%を下回る人の比率であるが、ごく若い時期を除いて女性がほぼ生涯にわたって男性を上回り、とくに65歳以上で格差拡大、80歳以上となると男性17.3%に対し、女性23.9%(※4)と7ポイント近く上回る。 特に単身者(おひとりさま)の男女格差は大きく、65歳以上男性の相対的貧困率29.3%に対し同女性は44.6%(※5)。また、高齢者の単身世帯は男性が男性全体の11.1%であるのに対し、女性は20.3%。女性単身者のうち、年収120万円未満の人が23.7%とほぼ4人に1人に達し、とくに離別者は32.5%とさらに上回る(※6)。 女性の貧しさの原因には、女性が個人として生計保持者になることから疎外されてきた長い歴史がある。幼いころから「嫁に行く」ことを目的に、「売れ残り」「返品」(婚家から離縁される)の二つの恐怖とともに育てられた。職場では女性の就労は「家計補助」「若年期」に限られ、女子若年定年制、結婚・出産退職制などは、1985年の男女雇用機会均等法制定直前まで職場慣行として残った。  「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業文化(システムと意識・行動)は高度経済成長期に、その主役である大企業を通して強化されたと言ってよい。戦後まもなくは自由選択だった高校家庭科は主婦養成の教科として最初2単位、やがて4単位、女子のみ必修となった。働く妻を低賃金にとどめる「偽装制度」 1975年に国際連合が開催した「国際婦人年世界会議」以来、グローバル基準の波が押し寄せてきた。その後女性の地位向上のための行動計画を推進する「国連婦人の10年」に続く1985年、政府が決定したのは、年金制度の改革であり、サラリーマンの妻である専業主婦を「第3号被保険者」として、年収130万円未満の場合、国民年金保険料を支払わず年金を受給できる制度を新設した。ここで離婚した主婦の無年金化が救われるなどメリットはあったが、多くのパート主婦が年収を130万円未満に抑えるための所得調整をするなど、働く既婚女性の収入を押し下げ、かつ年金財政に損害を与えている。 もし第3号被保険者がそのときどきの国民年金保険料を支払い続けていたら、と仮定して計算してみたところ、制度発足の1986年から2012年の間に保険料収入はなんと40兆円を超えていた。もっともこの第3号制度がなかったら、夫に先立たれた場合、今の60代以上の元専業主婦はさらに深刻な貧困に落ち込んだに違いない。夫の年金の4分の3が遺族年金として確保されているからこそかろうじて中流に留まっていられる。そういう効果を認めたうえでも、この第3号年金制度は、自営業や働く女性に対して差別的であり、サラリーマンの働く妻を専業主婦として偽装させ低賃金にとどめる不公正な制度である。女性の就労は3度のすべり台 女性は生涯に3度、就労の場からすべり落ちる。第1のすべり台は妊娠出産。今なお6割の女性がここで退職している。第2のすべり台は夫の転勤。3番目が親など家族の介護という名のすべり台。女性雇用者の現在の勤続年数平均9.3年は、男性の13.5年(※7)に比べて大差ないように見えるが、社会保険につながらぬ非正規雇用も多く、就労の総決算というべき厚生年金額(2013年度)は男性平均18万3155円に対し女性は10万9314円(※8)にすぎない。家族のケア役割で出たり入ったりの小間切れ勤務、昇進の機会は少なく高収入になるはずはない。 こうした女性労働の延長線上に、現在の外部化された介護労働がある。他の業種の6割ともいわれる低賃金の根底には「もともと女性が家庭でタダ働きで担ってきた仕事」という認識があるのではないか。そして今の医療・介護行政は日本の家族の構造的変化にもかかわらず「施設から地域・家族へ」の方向を強めている。介護労働の価値を基本的に再評価して、人間の営みの証明として位置づけ、待遇を改善することだ。  もしそれをしなかったら、思い知るがよい。203X年、貧乏ばあさんとじいさんの大群が、野たれ死にならぬ在宅で「家たれ死に」の山。介護なく死去する人々を前に、日本は―「大介護社会ニッポン」は―第2の敗戦を迎えるに違いない。(※1)厚生労働省2013年「簡易生命表の概況」。(※2)総務省統計局人口推計・2015年3月1日現在(概算値)。(※3)厚生労働省・2014年9月1日現在の住民基本台帳に基づく数値。(※4)阿部彩(2014)「相対的貧困率の動向:2006、2009、2012年」(貧困統計ホームページ)。(※5)脚注4と同じ。(※6)2008年内閣府「高齢男女の自立した生活に関する調査結果」。調査対象は55~74歳男女。(※7)厚生労働省 2014年度「賃金基本構造統計調査」。(※8)厚生労働省年金局・2013年度「厚生年金保険・国民年金事業の概況」。引用の数字は厚生年金保健老齢年金受給権者(65歳以上)の平均年金月額。ひぐち・けいこ NGO「高齢社会をよくする女性の会」理事長。東京家政大学女性未来研究所所長。東京大学文学部美学美術史学科卒業。時事通信社、学研、キヤノンを経て評論活動に入る。東京家政大学名誉教授。66歳でパートナーをみとり、数年にわたるひとり暮らしを経験。現在は、長女とペットのネコたちと暮らす。著書に『人生100年時代への船出』(ミネルヴァ書房, 2013年)、『大介護時代を生きる』(中央法規出版, 2012年)等。

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    生活保護レベルの下流老人 高齢者の9割が予備軍の可能性も

     都内の閑静な住宅地の並びに、日が暮れても明かりが灯らない洋館風の一戸建てがある。この家に住む菅井敬子さん(68才、仮名)が「電気代がもったいないから」と夜間も消灯を続けているからだ。 敬子さんの夫(72才)は30代から外資系コンサルに勤め、日本とヨーロッパを往復する生活を送っていた。52才で独立、子供こそいないが都内に庭付きの一戸建てを持ち、夫婦の老後は安泰のはずだった。 ところが、夫が働き盛りの58才の時に脳梗塞を発症。仕事ができなくなり、今も後遺症の麻痺と認知症で要介護の状態だ。 夫婦の現在の収入は14万円程度の年金のみ。夫が海外勤務の時、年金未加入期間があったので、受給額が少なくなった。夫が倒れた時、およそ2000万円あった貯金は毎月の生活費の補填や治療費・介護費用、老朽化した建物のリフォームなどで1年前に底をついた。 敬子さんは毎日、夕方頃にスーパーに行き、店員が食材に5割引のシールを貼るまでじっと待つ。今年の暑い夏もクーラーはほとんど使用しなかった。 「まさかこんな生活をするなんて夢にも思っていませんでした。夕食のメニューが減ったのを見て、認知症の夫が“なんでこんなに少ないんだ”と怒り出したのを見て涙が出た。あとは自宅を手放すしかないけれど、それでも夫を連れて介護施設に入居するお金はないし、受け入れてくれる賃貸もない…。本当に先が見えません」(敬子さん) 菅井さん夫婦のケースは決して他人事ではない。「下流老人」──そんな言葉が今世間を賑わせている。名付け親は、『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新書)の著者で、NPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典さんだ。 「下流老人とは、生活保護を受ける生活レベルで暮らす高齢者、およびそうなる恐れのある高齢者のことです。現在も増え続けていて600万~700万人いると推定されます。今の日本には、かつては大多数だった中流は存在しません。ひとにぎりの富裕層と、大多数の貧困層というのが実態です。さらに社会の高齢化が進み、非正規雇用で所得の低い若年・中年層はいずれ下流老人化します。近い将来、高齢者の9割が下流老人となる可能性もあります」関連記事・「貧困は孤独と混乱がセットになっている」と専門家指摘する・他人事ではない下流老人 無職高齢者は20年で1500万円の赤字・自営業者の国民年金 40年納付でも生活保護世帯の平均額以下

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    約9割が生活保護受給者の簡易宿泊所 川崎火災から考える課題

    明智カイト(いのち リスペクト。ホワイトリボン・キャンペーン代表)  2015年5月17日午前2時頃、川崎市川崎区日進町の簡易宿泊所「吉田屋」(木造3階建て)の玄関付近から出火したと思われる火災が発生し、隣接する「よしの」と合わせて2軒が全焼しました。この火災によって10名が死亡しています。  今回の火災をきっかけにして簡易宿泊所や、そこに暮らしている生活保護受給者の実態と課題について検証します。 利用者の約9割は生活保護受給者 川崎市川崎区の簡易宿泊所が立ち並ぶ一角で木造2棟が全焼した火災は、全国に点在する同様の「簡宿エリア」にも、古い建物が密集した地域での防火対策という課題を突きつけています。 火災があった簡易宿泊所=2015年5月17日、川崎市川崎区 宿泊者の多くは、かつて大半を占めた労働者から、生活保護などを受給する高齢者に変わりつつあります。「日雇い労働者の街」として知られる東京の「山谷地域」でも対策は急務ですが、安価な宿泊費を売りにする簡易宿泊所の経営者からは「スプリンクラーの設置は費用的に無理」との声も上がっています。  山谷地域は戦後に戦災者や復員者などを受け入れ、日雇い労働者が利用する簡易宿泊所が数多く誕生しました。1964年の東京オリンピックでの建設ラッシュを背景に、1万数千人近い日雇い労働者が集まったとされます。現在、山谷地域では約150軒の簡宿に3000人近くが暮らしています。宿泊代金は3畳一間で平均1泊2000円ほど。約9割が生活保護受給者だといいます。  高齢化も進んでいます。東京都の調査では1999年に59.7歳だった宿泊者の平均年齢は、2012年には64.7歳でした。5年以上簡易宿泊所に宿泊している人は5割を超えています。 ※山谷地域簡易宿所宿泊者生活実態調査(H24年10月実施 東京都福祉保健局生活福祉部)より  簡易宿泊所がかつて路上生活を送っていた人たちの受け皿にこうした状況に、東京の山谷地域で生活困窮者へ支援を行うNPO法人「山友会」の油井和徳理事(31)に今後の課題と対策についてお伺いしました。 明智 簡易宿泊所を利用している人はどんな人たちが多いですか? 油井 もともとは、主に地方から職を求めて上京してきた日雇い労働者の人たちが簡易宿泊所を利用していました。高度経済成長期を終え、産業構造も変化したことにより、それまで土木・建築業を中心に日雇い労働を行っていた人々の多くは失業し、路上生活を余儀なくされるようになります。 さらに、高齢になったり、病気になってしまうことで、働くことも出来なくなったことで、その中で生活保護を受給するようになる人々も増えてきました。1990年後半には都市部を中心に全国で急激に路上生活者数が増加しましたが、生活保護を受給するようになった路上生活者の住まいや公的な施設が絶対的に不足していました。そのため、生活保護を受給するようになった路上生活者を受け入れるために、例外的な措置として簡易宿泊所は一時的な住まいとして活用されてきました。  山谷地域では、こうした歴史的な背景もありますが、主にかつて路上生活を送っていた人などの生活保護を受給した人が簡易宿泊所にたどり着き、そこでの暮らしが長期化してしまう要因は複雑で多様です。  まず、身寄りのない低所得者の入居可能な物件が少ないことが挙げられます。アパートなどの賃貸物件は保証人や緊急連絡先が必要なため、入居のハードルが高くなります。さらに高齢であったり、病気を抱えていれば、大家側は孤独死という不安材料が増えることになります。そうした方も入居しやすいのが、公営住宅なのでしょうが、こちらも数が不足しているのが現状です。 明智 行政からの支援はどうなっていますか? 油井 そうですね、生活保護を実施する福祉事務所サイドも、一人暮らしを行う前に生活指導が必要という考えがあるようです。それは、アパートなどでの一人暮らしをしていると家賃滞納やトラブルなどがあったときに対応しなければならないということや、退去を迫られた後どうするかという不安も影響しているように思います。こうした不安が、簡易宿泊所や施設から一般住宅に移るという判断を躊躇させているのかもしれません。  ほかにも、今まで関わった方の中では、日雇い労働をしながら簡易宿泊所や建築現場の寮で生活することが長かったため、アパートなどほぼ完全に一人になる環境での生活がイメージしづらいという方もいましたし、仲のよい人がいることから暮らし慣れたところを今さら離れたくないという方もいました。  こうした様々な要因が複雑に絡み合っているように思えます。  このように、低所得であったり、身寄りがなかったり、高齢であったり、病気や障害を抱えていたり、こうした事情を抱えた方々が地域の中で暮らしていく選択肢が限られているだけでなく、ようやくたどり着いた先で火災により命を落とすという悲劇が起きてしまっているのが現状です。 表面的な対策だけではなく、本質的な対策も必要表面的な対策だけではなく、本質的な対策も必要明智 今後、簡易宿泊所の火災事件を無くしていくために必要なことは何でしょうか? 油井 このような痛ましい出来事を繰り返さないためには、表面的な対策だけではなく、根本的な解決を図らなければならないと感じています。 全焼した吉田屋と同様に2、3階部分が吹き抜け構造 になっている簡易宿泊所=川崎市川崎区今回の川崎市の事件では、簡易宿泊所が違法建築であるとか、防火対策の不備なども指摘されていますが、火災の責任を施設側だけに求めても、この問題は根本的には解決しないと思います。 ただ、先ほどお話したように、身寄りがない生活保護受給者の方の住まいの選択肢は限られてしまっている中で、ただ単に簡易宿泊所でない選択肢を増やしていけばよいのかと言えば、それだけではないと思います。 類似する背景の事件として、2009年に群馬県のたまゆらという無届の施設で火災があり、入所されていた都内の生活保護受給者10数名が亡くなるという痛ましい事件がありました。そこには高齢の方もいましたし、認知症などのために介護が必要な方もいました。こうした悲劇を繰り返さないためにも、その選択肢には「安全性」が担保されていなければなりません。 さらに、先ほどの要因を整理してみると、社会的に不利な立場におかれる方々が地域で暮らすことへの不安を、いかに社会で分かち合うかということが問題解決へのヒントのように思えます。不安を分かち合うために、そうした方々が地域の中で暮らしていく上での支えとなる存在があることが大切です。 地域の中で暮らしていけるサポートを明智 油井さんたちはどのような支援活動を行っていますか? 油井 私たちの活動の生活相談・支援事業では、アパートや簡易宿泊所に暮らす方を支援する「地域生活サポート」という取り組みがあります。具体的には、一人で病院に行けない方の通院に付き添ったり、介護が必要になったときに介護サービスの利用手続きをお手伝いしたり、医療機関、介護事業所、福祉事務所などの支援機関との連絡調整などを行い、孤立してしまい困ったときに誰にも助けが求められないような状況にさせないような取り組みを行っています。 山谷地域では、こうした取り組みを、私たちだけではなく、複数のNPOがバリエーション豊かに展開しています。また、そうした方々が支援を受けるだけでなく、活動に参加してもらったり、一緒に支援を担ってもらったり、社会の中で役割を持ってもらえるような支援も行われています。 さらに、そうしたNPOを中心に、地域の医療・看護・介護・福祉事業所などとのネットワークづくりの取り組みも行われており、地域ぐるみでそうした方々をどのように支えていったらよいかということも考え始められています。  これらの取り組みはあくまで一つの例ですが、住み慣れた地域で暮らす上での「安心」をいかに担保するのか、ということも大切な視点だと思います。  そして、それが一方的に供給されるのではなく、当事者も地域に参加でき、社会的に不利な立場にある方も暮らしやすく参加しやすい地域づくりに結び付けていく、こうした取り組みは、身寄りのない生活保護受給者に限らず、より多くの方々にとってもメリットのあることなのではないかと思います。  川崎市の火災は決して他人事ではありません。簡易宿泊所が身寄りのない生活に困窮した方の受け皿になってしまうような構造に目を向け、身寄りがなくても、低所得でも、高齢でも、病気や障害を抱えていても、「地域」で「安心」して「安全」に暮らせる住まいを地域の中に整備することが、この問題の根本的な解決になると考えています。 川崎市における火災事件の対応明智 10人が死亡した川崎市川崎区の簡易宿泊所の火災を受けて、このほど川崎市は川崎区内の簡易宿泊所を利用する生活保護受給者の転居支援を民間事業者らに委託して行う方針です。今回の川崎市の施策についてどのように思われますか? 油井 そうですね、問題を放置せず、少しでも前向きな動き出しをしてくださったという意味では評価できると思います。あとは、この施策が「誰のためのものなのか」ということは強く意識しなくてはいけないと思います。  現在はクローズアップされて社会的に問題意識があるから実施するという、対処療法的な発想では、先ほどもお話したように個人的には根本的な解決にはならないと思います。  住まいの選択肢が簡易宿泊所に限られてしまった方々や同じような状況にある方々などの視点で課題にコミットしなければ、長期的に見て、簡易宿泊所では同じことが起きないだけで、場所を変えて同じようなことが起きてしまうだけかもしれない気がします。  地域に溶け込めるように支援を行うことは、とても大切なことだと思っています。ただ、私たちも、それにはやはり当事者と事業者だけの関係では限界のあることだと日々痛感しているところです。なので、そうした人々が孤立せず、地域の中で居場所と役割を持って暮らしていくことができるように、地域の支援機関やコミュニティなどさまざまな地域資源とのネットワークづくりも必要となってくると思っています。 (Yahoo!個人 2015年8月16日、23日の記事を転載)

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    子供の貧困、ニッポンの未来が危うい

    日本の子供の貧困率はいま、先進国の中で最悪レベルにあるという。一般家庭と母子家庭の所得格差が、子供の教育機会を奪っているとの指摘もあり、少子高齢化に突き進むわが国の未来は危うい。貧困が貧困を生む現実。こどもの日だからこそ、この問題を真剣に考えてみたい。

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    社会的投資の視点で考える 豊かな日本社会の「子どもの貧困」

    山野良一(千葉明徳短大教授、「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク世話人)6人に1人って、高すぎないか? 豊かな日本社会なのに、子どもの貧困問題が深刻化している。昨年厚生労働省が発表した、貧困な子どもの割合を示す「子どもの(相対的)貧困率」(2012年の数値)は、16.3%、約6人に1人であった。約325万人の子どもが該当する。1985年からのデータが公表されているが、過去最悪の数値を更新した。OECDに属する豊かな20ヶ国のうち、4番目の高さにある。 だが、この6人に1人という数字を見て疑問を持つ向きもあるだろう。日本は、先に述べたように経済大国である。「相対的」というぐらいだから、豊かな日本では貧困であるという基準が高くこのような驚くべき値が出てしまうのではないか。 この基準、貧困ラインは個人単位の額である(同じ世帯であれば大人も子どもも同じ額であると仮定する)。2012年では、年間122万円となる。ただ、子どもの場合、単身で暮らすことは少なく、これでは具体性に欠けるので、世帯単位に換算してみると、親と子1人ずつのひとり親世帯(2人世帯)で年額173万円、月額約14万円、親子4人世帯で年額244万円、月額約20万円あまりにしか過ぎない。しかも、この額には児童手当などの政府から援助されるものはすでに含まれている(一方、税額などは控除されている)。地方によって状況は異なるだろうが、多くの地域では生活できるぎりぎりの額だと言えるだろう。 さらに、留意しなければならないのは、先の額は貧困な子育て世帯の上限の所得額でしかないということだ。貧困世帯全体がどれほどに深刻かは、この数値だけではよく分からないと言えるだろう。これは、貧困の深さという問題だが、貧困にある子育て世帯の平均的な所得額を求めることで全体の状況が垣間見える。 その額は、子ども1人のひとり親世帯では、月額約10万円、親子4人家族では月額約14万あまりでしかない。どうやってサバイバルできているか想像が難しい金額だと言えるだろう。しかも、これが平均的な所得額であるという事実からは、貧困である子どものうち約半数(約8%、160万人)はこの額未満の世帯で暮らしているということになる。豊かな日本社会で、なんと大量な子どもが深刻な経済状況の中で暮らしているのであろうか。学力以前の不利な状況 上記のような厳しい経済状況は子どもたちにどのような影響を与えているのであろうか。 注目を浴びているのは、学力の問題だろう。全国学力テストでも、低所得世帯の子どもの学力が低いことが分析されている。草の根的に(一部行政的な支援を受けて)、全国各地で地域での子どもへの学習支援(無料学習塾)が取り組まれはじめているのも、子どもの学力を補償することを目指されているものだろう。神奈川県横須賀市の児童相談所 だが、筆者の児童相談所での臨床経験からすると、学力や勉強以前とも言える段階での不利な状況を背負う子どもも多いことを伝えなければならない。例えば、食の問題だ。先述のような低所得状況にあると給料日直後は問題ないのだが、給料日直前になると食べるものがコメや乾麺だけという状況になってしまう家族に何度も出会った。緊急的に缶詰などをかき集めて家庭訪問したこともある。さらに、電気やガス代などを滞納して、ライフラインが止められてしまう場合も少なからずあった。電気が止められてしまい暗闇の中でろうそくのみで暮らしているにもかかわらず、母親と離れたくないと泣きじゃくる母子家庭の女児をなだめながら保護せざるを得なかった経験もある。 さらに、貧困家庭の収入が低いのは親たちが働いていないからではない。ほとんどがワーキングプアであるからだ(日本の子育て世帯の失業率は、先進国の中で最も低い)。労働単価が低いため、結局長時間労働に従事したり、夜間や早朝、土日など不規則な働き方をしなければならない。ある工場で働くシングルマザーは、収入を増やすために、昼間から少し単価の高い夜間に勤務時間をシフトさせたのだが、その結果、近隣から育児放棄していると通報された。筆者は、家庭訪問をし母親と話し合ったのだが、経済状況を聞くと母親の選択に共感せざるをえない気持ちが湧いてきて、子どもの危険性に対する判断との間で自分自身が板挟みになってしまったことがある。 その他、医療保険の自己負担分が払えず、病院に行けない子どもたちもいた。こういった状況は、子どもたちの健康や安全、情緒などに深く影響を与えてしまうだろう。これらは、すべて豊かな現代の日本社会で起きていることなのである。なぜ、豊かな日本で子どもの貧困は解決できないのかなぜ、豊かな日本で解決できないのか こうした厳しい状況の背景のひとつは、子どもを持つ親たち、特に若い親たちの労働状況の悪化だろう。バブル崩壊後、20代、30代の非正規労働者の数は急増している。それにあわせて、90年代後半から子どもを持つ世帯の平均稼働所得は下落を続け、最も所得の高かった1997年から2012年では約100万円近く稼働所得は下がっている。物価を考慮に入れても約60万円の下落になる。 しかし、日本の場合、貧困化の進展にあわせて、政府からの子育て世帯への援助が限られている、つまり公的支援が貧困なことを指摘しなければならない。 まず、子育て世帯は経済的に困窮していても、児童手当などの金銭的な支援(「現金給付」と言う)を十分に受けていれば、貧困に陥らずに済み子どもへの影響を防ぐことができる。他の豊かな先進国が、子どもの貧困率を低く抑えることが出来ているのは、親たちの稼働所得に格差が少ないためではない。現金給付が日本に比べ潤沢なためである。図1 先進20ヶ国の家族・子どもに対する社会保障費の中の現金給付(対GDP比) 図1は、OECDに加盟する豊かな20ヶ国の、子育て世帯への現金給付をGDP比で見たものだ。ここでは、2009年のものと最新の2011年のデータを掲載している。2009年までは日本はGDP比でアメリカに次いで2番目に低い割合であった。2011年では少し改善されているが、これは現与党が野党時代に「バラマキ」政策と批判を繰り返した、子ども手当制度が2010年から始まり支給額が改善されたためだ。ただ、2011年で見ても、OECD加盟31ヶ国の平均にもまだ及ばずかなり低い水準にある。 さらに、子育て世帯は、現金給付だけでなく教育や保育など公的なサービスを受けている。こうしたものを「現物給付」と呼んでいるが、現物給付が十分であれば、経済的に困窮していても、例えば高い教育費負担に悩むことは少なくなる。ところが、日本では現物給付も現金給付以上に貧困な状況だ。特に、公的教育支出(対GDP比)に関しては、2005年から2011年(最新データ:図2)までOECD31か国(メキシコ・トルコなど中進国も含む)の中で最も低い割合であることが続いている。図2 OECD31ヶ国の公的教育支出(対GDP比)子どもへの社会的投資をもっと増やすべき 今日は、「こどもの日」である。私たちは、この社会の未来を子どもに託すしかない。天然資源の少ない国であればなおのこと、子どもという人的資源に頼るしかない。 一方で、積極的に言えば子どもほど投資収益率の高い存在はない。株など実態を伴わない資本と違って、子どもという人的資本は私たちの社会を裏切らない。 だが、それは子どもへの社会的投資が十分であるということが前提になる。元来、脆弱さを抱える子どもという存在は、投資不足という環境の不備に敏感だからだ。ところが、現在の日本のように、未来を担う子どもへの社会的投資がやせ細った状況のままでは、貧困など社会的不利な状況にある子どもは、その可能性を開花できなくなってしまうかもしれない。結果として、私たちの社会は大きな損失を被り続け、その未来の発展は遮られてしまっているのではないだろうか。 逆に、子どもたちが抱える、経済的なものを含むさまざまな障壁を減らすことは、社会変革のチャンスにつながる。元来、子どもは社会の鎹(かすがい)とされてきた。無縁社会が進行している今、日本本来の「豊かさ」である社会の絆や連帯を再度取り直すためにも、子どもへの社会的投資を是非とも戦略的に増やすべきであろう。 もちろん、そのためには社会的な負担の議論も必要だろう。しかし、同じ時間の長さでも子どもは大人以上のダメージを受ける。負担(コスト)の議論を待っている間に、損失(コスト)は相乗的に増え続けていることを私たちは自覚するべきである。待つことができる時間はわずかである。今日、「こどもの日」にこそ、私たちはこの危機に気づくべきである。関連記事■ 1日5人が餓死で亡くなるこの国■ 社会が知らない「最貧困女子」の実態■ 被災地アンケートで浮かび上がる貧困の現実

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    母子家庭の子供は「問題行動を起こす」という言説の欺瞞

    査結果報告」(注5)岩手大学准教授、現在は法政大学大原社会問題研究所准教授関連記事■ 日本は本当に「格差社会」なのか■ 社会が知らない「最貧困女子」の実態■ 被災地アンケートで浮かび上がる貧困の現実

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    学生が差し伸べる温かい「手」 貧困世帯の子供と夕食

     家庭環境の事情から、満足に食事や教育を与えられない子供たちに手を差し伸べようと、龍谷大の学生たちがこうした境遇の子供たちと一緒に夕食の食卓を囲む取り組みを進めている。活動資金や人員の確保といった課題はあるが、学生らは「活動を通して、社会をよくするための糸口を見いだしたい」と話している。子供の笑顔がはじける「トワイライトステイ」 「さあ、ご飯にしよう」 こたつを囲んでおこなわれていたトランプ遊びの最中、こう声がかかり、卓上は夕食準備に変わった。食卓を囲む学生たちと少年(右)。鍋をつつきながら会話が弾む 今月8日夜、龍谷大が所有する大津市京町の「町家キャンパス龍龍(ロンロン)」。同大学の学生ら5人と、10代半ばの少年3人が一緒に鍋をつつく。 「やっぱり寒い日は鍋やね」「この肉、誰か食べなよ」「白菜も食べないと」 たわいない会話を交わしながら、箸を手にした少年たちは、すぐにご飯を平らげておかわりを求める。鍋の周りで笑顔が弾けた。 生活保護世帯や1人親家庭など、生活困窮の問題を抱える家の子供たちと週1回、一緒に夕食を取る「トワイライトステイ」という試みは、厚生労働省のモデル事業として、大津市社会福祉協議会などが昨年3月に始めた。現在では、龍龍など市内3カ所で取り組まれている。 この試みを提案した社会福祉士の幸重忠孝さん(41)をはじめ、龍谷大の学生ボランティア団体「トワイライトホーム」や子育て支援を手がける市内のNPO法人が連携して活動に当たっている。「貧困の連鎖」をどう防ぐか 経済協力開発機構(OECD)は、その国や地域の平均的な所得の半分を下回る世帯を「相対的貧困家庭」と規定。これに基づき、厚生労働省が実施した調査では、相対的貧困家庭で暮らす子供の比率「子供の貧困率」は平成24年で16・3%と、過去最悪を記録した。 子供の6人に1人が、相対的貧困家庭で暮らしている計算。その多くが、1人で夕食を取ったり、必要な栄養が摂取できていなかったりしている。さらに、そうした状況下の子供は、学校の勉強についていけず、それが原因で「いじめ」に遭うケースも多く、「子供の貧困」が深刻な社会問題となっている。 そうした子供たちが大人になっても、一定の収入が得られる職に就けず、その家庭も相対的貧困となる「貧困の連鎖」も生じている。この連鎖をどうやって断ち切るかが、行政やコミュニティーなどに課せられた課題だ。反省会で次回につなげる トワイライトステイの活動時間は、午後5~9時。夕食の買い出しや調理などを学生や子供たちが分担しておこなったり、一緒に勉強やトランプをしたりして家庭的な雰囲気の中で一時を過ごしている。 子供たちが帰ったあと、学生たちやNPOのメンバーらは反省会を開く。子供たちについて、その日の様子や以前と比べた変化などの情報を共有。次回の活動時にその子供とどう接するかなどについて協議しておく。 メンバーの一人、同大学社会学部2年の長谷川大介さん(20)は「活動に参加するまで『子供の貧困』という問題を知らなかった。取り組みを続けることで、この問題の存在を多くの人に知らせたい」と話す。 また、同学部2年の長野康平さん(20)は「子供の気持ちを大人が理解してやれる場として価値がある」と活動の意義を強調。子供たちは参加を重ねるごとに心を開いていき、家庭の悩みや将来への不安などを学生たちに口にするようになったという。「子供が子供らしくいることができる時間を」 この活動に、県内約200の社会福祉法人などで構成する「滋賀の縁(えにし)創造実践センター」(草津市)が着目。せっかく始まった試みを県内全域に広げようと、手始めに協力が得られた特別養護老人ホームで来月、不登校児を対象にした居場所づくりを始める。 一方、課題もある。トワイライトステイの活動は、今年4月に施行される「生活困窮者自立支援法」のモデル事業だったため、今年度の活動資金は全額国の補助で賄えた。しかし、来年度はこの補助がなくなる。 また、学生メンバー約20人のうち半数は4年で、今年度に卒業してしまうため、新たな担い手の確保が急務だ。 活動の立ち上げに携わった幸重さんは「子供が子供らしくいられる時間をつくってあげたい。地域の中で育てた子供が元気になれば、地域にも活気が生まれるはず」と力を込める。 東京都豊島区で同じような取り組みに携わる「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の栗林知絵子理事長は「子供たちと年齢の近い学生が活動に参加するのは重要。活動に学生が入ることで、問題を考え社会を変えるきっかけになるはずだ」とエールを送っている。(小川勝也)関連記事■ 1日5人が餓死で亡くなるこの国■ 「格差」拡大しても成長は困難■ 貧しい子供の「1人食」改善に尽力する「食堂」の思い

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    親の所得格差が子どもの学ぶ機会の格差を生む

    今こそ街中に寺子屋を!八尋俊英 (日立コンサルティング取締役) 貧困率が先進国の中でアメリカに次いで2位になってしまった日本。子どもを、公立学校の教育を補完する塾に一億総中流の親が通わせた時代と異なり、通えない所得層は進学率が低く、貧困が貧困を生んでいるという。 塾に行かなくとも公立の学校教育を何とかしようと、公立の中高一貫校、さらには小中高一貫校が検討されているようだ。教え方に工夫をするということであろうか。社会人経験者から教員の中途採用も増えている。 小中高一貫校という新しい制度検討であれ、教師の中途採用であれ、学校・教師の採用という入れ物、仕組みの議論ばかりではないか。別に学校が楽しくなくとも、お稽古事やスポーツで認められれば自信がつく。声をかけてくれたり、ちょっとした出会いが子どもを変える。 失職中、都内のボランティアで貧困家庭の教育を支える現場を見学したが、大変優秀そうな子どもが家庭の事情で才能を開花させられない実情を見て大変感じるところがあった。 そのボランティアグループでは公共の施設を週1で借りて、近隣の事情のある子どもたちの宿題などを見る。主として社会人ボランティアが中学生の公立校受験を支援、小学生は大学生ボランティアが中心となって遊びもしながら勉強を教えている。子どもたちの姿は屈託がないが、個々の家庭は塾に通う余裕がないだけではなく、家庭内暴力や多様な事情があるようだ。(本文と写真は関係ありません) ボランティアには毎週、自分さえよければとは思えない大学生や社会人が集い、反省会も行い、参加できなかった場合も活動の様子をグループメールで知り、仲間の活動に思いを馳せる。 毎週1回の活動メールには、たとえばこのような活動記録が詳細に綴られる。 「私は6年生のAちゃんを久しぶりに担当したのですが、様々な発見がありました。普段のAちゃんは女の先生が良い! と言ってきかない子だと思っていたのですが、そんなことなかったです。一緒にスリッパで遊んだことから打ち解けてくれました」「ナナメの関係」で子どもと接する あるパネルディスカッションで、引きこもりの高校生を見守るボランティア活動を行っている代表者とご一緒した。そのボランティアでは利害関係のある親・先生、同じ視点になりがちの友人とは違う「ナナメの関係」。つまり、少し年上の先輩が手をさし延ばすことで、多くの高校生との対話を進めていた。  私自身、小学校4年生で自由ノートという宿題を出すベテランの教師と出会い、学校生活が激変した。図書館に通っては新しいことを思いついて宿題を提出する毎日となった。はじめて勉強を楽しいと思った。終業式の放課後、担任の先生に残るように言われ、待っていると古い参考書をくれた。もっと勉強したかったら学費のかからない国立の中学校があると教えてくれた。  ケースは多様である。スポーツ、工芸デザイン、ダンス、数学、何か周りの社会人が教師に限らず、子どもに「もっとやりたかったらこれをしてみたら」と、資金的な援助スキームも含めて出すことができたら、この国を支える次の世代に未来を託すことができる。

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    貧困や親不在の子供に食事を 休み限定「食堂」など提供の場

     経済的困難や親の不在で十分な食事を取れない子供のために、各地でNPO法人の支援活動が広がっている。手頃な値段で食事を提供したり、食料を無料で宅配したりするなど、スタイルはさまざまだ。行政の手が届きにくい中、成長期の健康を守る貴重な担い手になっている。ボランティアが調理地域交流施設に学校の長期休み中、オープンする食堂「ぴあぴあ食堂」で、昼食を取る子どもたち。経済的困難や親の不在で十分な食事を取れない子供のために、各地でNPO法人の支援活動が広がっている=2014年7月29日、大阪府箕面市 大阪府箕面市にある地域交流施設。学校の長期休みにオープンする「ぴあぴあ食堂」に、20人以上の子供がお昼を食べにやってきた。この日のメニューは空揚げにサラダ、ご飯とみそ汁。 午前中から遊んでいた小学1年の男の子は「今日はお母さんがお弁当を作れなかったから、ここで食べる。とてもおいしい」。小学4年の女の子は「お母さんは仕事でいない」と淡々と話した。 この取り組みは一昨年から「暮らしづくりネットワーク北芝」が始めた。昼になっても「もう食べた」「おなかすいてない」とやせ我慢をして、食事を抜く子が目につくようになったのがきっかけだ。ボランティアらが栄養バランスを考えた食事を作っている。 同ネットワークの松村幸裕子さんは「普段は給食で補えるが、休み中は朝も昼も食べない子がいる。ひとり親家庭や親の病気などの事情がある」と話す。子供は1食300円。「こども通貨『まーぶ』(あそぶ・まなぶを掛け合わせた言葉)」でも支払うことができる。まーぶは施設の掃除や花壇の植え替えなど、人の役に立つことをすれば、ためることができる。 「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」(東京都豊島区)も昨年4月からメンバーの自宅を利用し、月2回、水曜日の夕方に食事を提供している。1食300円のチケット制で、貧困家庭には事前に配り、気兼ねなく利用できるようにした。親子で訪れることも珍しくない。 新潟県立大の村山伸子教授らは昨年、東日本の4県6市町村で、小学5年約900人を対象に調査。低所得世帯の子には(1)休日に朝ごはんを食べない(2)野菜の摂取頻度が低い(3)インスタント麺をよく食べる-などの傾向があることが分かった。「貧困家庭の子は主食中心で栄養バランスが悪い可能性がある」と村山教授。しかし、こうした実態は外からは見えにくく、学校給食の他には、直接支援する公的な制度がほとんどない。寄付された食料宅配 経済的に苦しい家庭に、市民や企業から寄付された食料の宅配をしているのは「フードバンク山梨」(山梨県南アルプス市)。平成22年の開始以来、利用者は増え続け、176世帯、455人(7月29日現在)に上る。子供がいる世帯は3割を占める。 目立つのは子供が多い母子家庭や、両親ともに非正規雇用のケースで、生活保護を受けるにはさまざまなハードルがあるという。米山けい子理事長は「生活が苦しくても、支援の隙間に落ちている世帯が多い。子供の食を支えるための制度を検討するときではないか」と話している。関連記事■ 被災地アンケートで浮かび上がる貧困の現実■ 1日5人が餓死で亡くなるこの国■ 身の丈に合った社会保障に

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    ピケティからの「返答集」

     ピケティの『21世紀の資本』は、出版されるや多くの注目を集めた。とりわけ学者たちの反応は機敏であり、経済学のみならず、社会学や政治学、人類学、歴史学など、社会科学系の学者にも広く読まれたようだ。 ここに、『The British Journal of Sociology』というイギリスの社会学雑誌に寄稿された、ピケティの論文がある。これは、いわば、社会科学系の学者たちが書評などを通じて表した批評への、ピケティからの「返答集」だ。 ピケティは、まず『21世紀の資本』が学問の枠を超えて広く読まれたことへの謝意を述べ、さまざまな批評に応える形で、みずからの研究の今後の展望を示している。 以下では、いくつか重要と思われる、労働環境の問題、都市と口外の地域格差問題、累進課税の問題、性の格差を抜粋して訳してみた。低賃金など労働環境の問題について この著では、一貫して教育制度(特に、高等教育、高い水準の学校や大学といった教育機関へのアクセスの公平性)、財政機関(特に収入、相続、資産に対する急激な課税)の重要さについて述べた。 さらに、私が収集した20カ国、300年にわたる歴史の中で、格差の事象に大きく関与したと見られる、他の多くの制度や政策についても言及している。 しかし、これら多くの制度は十分に分析研究されるに至っていない。労働組合や低賃金の問題――第9章で深く触れられる――については、細部に至るまでは検証されていない。Bearは、労働環境や危険な労働の問題と、労働市場の構築、それらと財産(公的債務も含む)の関係性については何も明らかにされていない、と指摘している。都市と郊外の地域格差について 『21世紀の資本』は、何よりも資本と勢力権力の歴史を多面的に解説した書である。その分、ほかの多くの重要な分野が十分に取り上げられてこなかったことは認める。講演後に自著にサインするパリ経済学院のピケティ教授=2014年6月16日、ロンドン(共同) Jonesは、資本の地理的分布図――北と南、都市と郊外、中核と周辺の――は正しく明示されてしかるべきだった、と指摘しており、これは実に正しい意見であると思う。Savageによれば、私の著書の中で指摘されている重要な構造変化の一つが、都市部と周辺地域におけるエリート層の変容であるとのことだ。 たしかに、こういった地理的側面については、より丁寧に明示されてしかるべきだった。累進課税の強化について 格差と制度への私の歴史的アプローチは、いまだ探求の途上にあり、まだまだ未完の思索である。特に、今勃興している新たな社会運動や政治活動への参加動員が、今後、はたして制度改革にどのような影響を与え得るかなどについては、この著では十分に語ることができていない。 また、私は累進課税に思索を集中させた一方、たとえば所有権制度の他の可能性など、多くの制度改革の様相や可能性については、十分に言及できなかった。 累進課税がとりわけ重要であると考えたのは、この制度によって、企業の資産や口座の可視化が可能になるかもしれないからだ。そして可視化によって新たな形のガバナンスが可能になると考えている(たとえば企業での雇用機会を増やすなど)。 Plachaudは、グローバルな課税提案に対する極端な論及は、その他、実行可能であるかもしれない社会発展から注意をそらしてしまう危険がある、と論じている。 そういった指摘をしたのは、おそらく私が、富裕税の進歩と改善を一歩ずつ着実に推進することの重要性を、ことさら強く信じているということについて、十分に説明できていなかったからだろう(そのような税制が何百年にも渡って制度化されていたことも、過去にはあった)。 富裕税を徐々に、純資産に対する累進課税へと変化させることは可能で、イギリスなどでは、すでにそういった動きが始まっている。さらに、この動きが仮に進歩したとして、それは資本主義を再び民主主義の手に取り戻すための、いくつもの可能性の一つに過ぎないということ。この点については、もっと明瞭に説明しておく必要があったのかもしれない。性の格差について ある種のケースでは、研究者は社会階級の区別方法を改良して、より細分化する必要もありうる。たとえばSoskiceは、下部50パーセントの中でも最も貧しい層(つまりは最下部にあたる10パーセントと言っていいだろう)を厳密に区別する必要があると指摘している。これを、私は実践できていない。 さらに言うと、すべてのグループは、セクターや年齢、性別にまで細分化する必要がある。Perronsは、格差の分析を、さらに性の領域にまで推し進めて思考する必要があると指摘している。 この指摘には私も全面的に同意である。とはいえ、この著書では性の問題がまったく無視されているわけではない。結婚パターンの多様さが、富の格差に大きく関与している点は強調しているし、18世紀、19世紀の政策が女性の人権無視を基盤に成立していた事実を、繰り返し参照している。また各国の富の差を分析する際、各政府のジェンダー問題に対する親和性についても強調するようにしている(第2章)。 しかしながら、性の格差については、さらに明瞭な手法で提示すべきだったと考えている。こんにち入手できるデータの中には、性格差の分析を進めるのに有効な、貴重な情報が多く見られるため、性格差の問題は、今後、格差研究における重要な、中心テーマとされるべきである。関連記事■ 「21世紀の資本」の欺瞞と拡散する誤読■ 格差は悪か ピケティは正しいか■ 左翼たちの異様な喜びはキモくないか

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    私はピケティ「格差論」をこう読んだ

    世界中で大論争を巻き起こした仏経済学者、トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」。日本でも一大ブームとなった彼の著書で、とりわけ注目されたのが「格差論」である。最近では氏の格差論を曲解する言説も目立つが、ピケティ氏が本当に伝えたかったこととは何か。さまざま視点から考えたい。

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    読んでないけど、ピケティ論

     「頑張れば報われる」 日本では、その言葉が大嘘になってから20年以上が経つ。 今の日本は、「どんなに頑張っても一定数の人は絶対に報われない社会」だ。 当然、報われない人はモヤモヤする。それなりに報われている人だってモヤモヤする。そんなモヤモヤに、鮮やかな「回答」を与えてくれる人が現れた。 一言で言うと、ピケティブームってそんな感じじゃないだろうか。 最初から明かしておくが、私は『21世紀の資本』をまだ読んでいない。 が、昨年から、そして1月はもう連日のように新聞・雑誌・テレビで特集が組まれていたので、読んだような気になっているという、日本に数十万人はいそうな人間の一人である。そして、格差に警鐘を鳴らし、富裕層への課税を訴える彼をざっくり支持しているという、これまた日本に数十万人はいそうな人間の一人である。しかし、メディアから街の居酒屋まで熱くピケティを論じる人のうち、本当に読み切った人の割合なんて1割以下だと思うので、まぁ気にせずに読み進めてほしい。 さて、冒頭に書いたモヤモヤにはいろいろあるけれど、今年のはじめにも「デカい一発」が来た。 2015年1月19日、貧困撲滅を目指すNGOオックスファムが発表したレポートだ。そこには、富裕層上位1%が所有する世界の富の割合は2014年に48%に達し、2016年までに50%を超えると指摘されていた。また、最富裕層のうち、上位80人の大富豪が所有する富の合計は約223兆円で、世界人口の下位50%=35億人の所有する財産に匹敵することも発表された。 「なんか、あまりにもスケールが大きくて現実感がない…。それに日本ってそれほど格差ないでしょ?」と思う人もいるかもしれない。 しかし、2010年の時点で、資産1億円以上を持つ1・8%の富裕層が、日本全体の2割を超える資産を所有していることがわかっている。現在は上位の独占がより露骨になっているはずだが、そんなことを示す数字がある。 例えば、安倍政権になってから5億円以上の純金融資産を持つ「超富裕層」の資産は、29兆円も増えているのだ(野村総研調査より)。また、2013年の時点で、日本で100万ドル(現時点では1億1800万円)以上の資産を持つ富裕層は前年から42万人増え、その資産総額は127兆円も増えて総額652兆円に膨張しているという(東京新聞2014年11月23日)。 翻って、格差の「下」の方はどうか。2012年の時点で貧困率は16・1%。働いているのに年収200万円以下のワーキングプアは8年連続で1000万人を超え、2013年にはとうとう1100万人に達した。そのうち、年収100万円以下は400万人以上。また、非正規雇用率も上がり続け、平均年収が168万円(国税庁)の非正規雇用者は2000万人を突破している。 ちなみに現在の最低賃金は全国平均で780円。一番低い地域は沖縄などで677円。この額で1日8時間、月に22日働いても、月収は11万9152円。 ここで見えてくるのは、富裕層はますます富み、低所得者は拡大の一途を辿っているという現実だ。 しかし、この国で「格差」を問題にすると、必ずと言っていいほど「努力が足りないのだ」「成功した金持ちを妬むな」「貧乏人の感情論」などという批判に晒される。トマ・ピケティ著「21世紀の資本」。重さは889グラムもある そんな現実に対して、ピケティは膨大なデータでもって、長期的に見ると、資本主義下において資本を持つ富裕層と持たざる者の格差は広がるばかりだと示したのだ。個人の努力とかスキルとかそんなものとは関係なく、金持ちの家に生まれた者はより金持ちになるという世襲資本主義。それに警鐘を鳴らしているのである。ある意味、『21世紀の資本』は貧困層や低所得者層を「自己責任論」から解放する書と言えるかもしれない(って、まだ読んでないんだけど)。 思えば、私たちは随分長いことモヤモヤの中にいた。 08年夏に起きたリーマンショックから吹き荒れた派遣切りの嵐。その年の年末には日比谷公園に「年越し派遣村」が出現し、住む場所も所持金も職も失った500人が極寒のテントで命を繋いだ。年末年始、トップニュースで報じられたあの光景はこの国の人々に「なんか、日本って相当ヤバいとこまできてるんじゃないの?」という危機感を植え付けた。 東日本大震災に見舞われた2011年の秋には、ニューヨークで反格差を訴える運動が始まった。多くの人がウォール街の公園を占拠し、「我々は99%だ」「強欲資本主義を終わらせろ」と世界に向けてアピールした。運動は一気に全米に広がり、また、それを見た世界中の「格差にモヤモヤしていた人々」にも拡大。公園占拠翌月の10月に「OCCUPY WALL STREET」メンバーが全世界に「国際連帯アクション」を呼びかけると、世界1500都市で連帯行動が開催された。日本でも、六本木の公園が「占拠」されている。 ウォール街占拠が始まる1月前には、「富裕層に増税を」という呼びかけが富裕層から発される、という事態も起きていた。11年8月、アメリカの著名な投資家ウォーレン・バフェットが「私や私の友人たちは、億万長者を優遇する議会に甘やかされてきた」として、富裕層への増税を主張する記事をニューヨーク・タイムズに寄稿したのだ。 「貧困層や中間層がアフガニスタンで戦い、多くのアメリカ人が家計の帳尻合わせに四苦八苦している一方で、私たち億万長者が異常な減税を受け続けている」 この記事は多くの反響を呼び、ヨーロッパの富裕層も賛同。ドイツでは資産家50人がメルケル首相に対して「富裕層への増税」を主張し、また、イタリアではフェラーリの社長も賛同の意思を表明した。 何かが、変わる予感がしていた。「ヨーロッパの富豪も富裕層増税に賛成」なんて聞くと、日本の富裕層の意識も変わるのではないかと思っていた。 だけど、あれから4年、結局は何も変わらなかった。どんなに不安定雇用の問題が指摘されようとも労働者保護の方向での法改正はなされず、セーフティネットはいまだ十分に機能しているとは言い難く、そんな中で法人税は減税され、生活保護費は引き下げられる。格差論や非正規雇用の深刻な実態はもはや語られ尽くした感があり、誰も有効な処方箋を示せない閉塞の中、登場したのがピケティだ。 「資本に対する累進課税」を世界的に課すべき、というピケティの主張に私は賛同する。一方で、彼の発言の中でもっとも支持している部分は、行き過ぎた格差を放置すると民主主義や社会正義の価値観にとって脅威となる、という点だ。 先に最低賃金で働いた場合の月収を書いた。12万円にも届かない。フルで働いても食べていけない最低賃金の設定は、政治による裏切りであり、政治の無策以外の何者でもない。行き過ぎた格差は、社会に対する最低限の信頼をも奪っていく。「頑張っても一定数が決して報われない社会」は、人の心を歪ませてもいく。 もうひとつ、ピケティの発言で触れておきたいのは、「お金はもう十分持っています。政府はもっと私から税金を取るべきです」というものだ。これを言える日本の富裕層はいるだろうか。もし出てきたら、私は全面的に支持したい。 ピケティの『21世紀の資本』を機に、この国で本気で「格差」に対する政治の取り組みが始まることを心から期待している。 以上、私の「読んでないけどピケティ論」である。関連記事■ 「21世紀の資本」の欺瞞と拡散する誤読■ 格差は悪か ピケティは正しいか■ 左翼たちの異様な喜びはキモくないか

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    「格差」拡大しても成長は困難

    投資ファンドを引きつけても、実体経済の回復につながりそうにない。 安倍首相が本格的に取り組むべきは、格差社会の勝者を太らせる政策を廃棄し、旧世代や新世代を支え、養う現役世代を勝者にさせる政策への転換ではないか。関連記事■ 「21世紀の資本」の欺瞞と拡散する誤読■ 格差は悪か ピケティは正しいか■ 左翼たちの異様な喜びはキモくないか

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    ピケティが本当に伝えたかった3つの論点

     トマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)は、本人の来日もあり、現在そのブームはピークを迎えている。国会でもピケティの議論を援用した討論が行われ、書店にいけば関連書籍や雑誌の特集はまさに山積み状態だ。ピケティの主張自体は極めて簡潔であり、それは以下の三点にほぼ集約できる。 1)世界中で所得と富の分配の不平等化が進んでいる。2)その原因は(税引き後の)資本収益率(r)>経済成長率(g)にある。つまり経済の大きさが拡大するよりも資本の取り分が大きくなる。例外はふたつの世界大戦とそれに挟まれた期間だけである。3)この世界的所得格差を是正するためにグローバル資産課税やまた累進課税を促進すべき、というものだ。 注意すべきは、ピケティのいう「資本」とは、主に個人や企業が有する民間の実物資産(不動産など)や金融資産(株など)のことである。また人的資本は考慮に入れられていない(ピケティの解説としては、高橋洋一『図解ピケティ入門』(あさ出版)がベストなのでぜひ参照されたい)。 ピケティの議論については、誤読や批判的読解が行われてきた。代表的な誤読としては、ピケティの議論を「反成長」やアベノミクス批判、消費税賛成などに利用するものである。ピケティ自身は、将来的に経済成長ができないともそれが否定すべきものだとも一切いっていない。単に経済成長率よりも資本収益率が上回るとだけ言っているにすぎない。またアベノミクスの積極的な金融緩和には肯定的であり、他方で消費増税については格差を悪化させるものとして否定している。 ピケティ「財政面で歴史の教訓を言えば、1945年の仏独はGDP比200%の公的債務を抱えていたが、50年には大幅に減った。もちろん債務を返済したわけではなく、物価上昇が要因だ。安倍政権と日銀が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい。物価上昇なしに公的債務を減らすのは難しい。2~4%程度の物価上昇を恐れるべきではない。4月の消費増税はいい決断とはいえず、景気後退につながった」(日本経済新聞、2014年12月22日)。 例えば民主党の岡田克也代表は、ピケティの議論を同党の経済政策と親和的なものとみなしているという報道を目にした。「時間を置かずに10%にきちんと上げていくことが次の世代のためにも必要だ」と消費増税を積極的に進める発言をし、または積極的な金融緩和論者(原田泰)の日銀審議委員への選出を反対討論まで展開して防ごうとした同党とピケティの議論が協調する余地はないだろう。トマ・ピケティ氏(左)と握手を交わす民主党の岡田代表=1月30日夜、東京都港区のフランス大使公邸 海外の専門家によるピケティ批判には鋭いものが多く、その主要点は、1)ピケティの前提とする経済モデルの特異な仮定への批判、2)r>gがそのまま所得格差につながる可能性が低いこと、などである。前者については、専門的すぎるので割愛する。後者については、冒頭でも解説したが、人的資本(教育や訓練の経済的貢献)を無視していることにも大きく関わっている。また3)グローバル資産課税など処方箋が非現実的だとする反論も多い。 特に重要なのはピケティの議論を日本に適用した場合だろう。この点については、『Voice』4月号に掲載された拙稿「アベノミクス2.0でデフレ脱却へ」や、『電気と工事』3月号「『21世紀の資本』と日本の経済学」、そして原田泰氏との対談(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41814)などで私自身の見解を開陳してきた。 ひとことで言うと、日本の経済格差の問題点は、「貧しい人が多すぎる」ということだ。 デフレによる長期停滞は、失業者の増加、非正規雇用の増加などで低所得者層を生み出しつづけてきた。いま日本の生活保護世帯に属する人たちは約216万人いる。さらに今回の消費税増税(5%から8%増へ)の際に、政府は低所得者層に地方自治体を経由して1万円を補助する政策を打ち出した。その対象となる人たちの総数が約2400万人に上っていた(軽部謙介「消費増税でわかった二四〇〇万人の貧困」『文藝春秋』2014年4月号)。日本の人口の約20%が「低所得者層」に属する。その一方で、富の集中は深刻ではない。つまりピケティの問題視する経済格差は社会のわずかな人たちに富や所得が集中することで出現するのだが、日本ではその種の経済格差は深刻ではない。むしろ日本では「貧しい人が多すぎる」ことが経済格差を深刻化している。 この多数の貧困化現象は、経済停滞の長期化と大きく関連している。そのため対策は、ピケティの富裕税よりも経済成長を促す政策であり、現状ではアベノミクスの積極的な金融緩和政策である。そのほかに日本の高齢化の進展にともなう老人格差も問題ではある。この論点については、(対談以外)の私の上記論説を参照してほしい。 ともあれピケティによる経済格差問題への注目は当分続くだろう。このことは私にはとてもいいことだと思う。経済問題という理解するのに取っ付きにくいが、それでも日々の生活の上で重要な問題に人々の関心がいくからである。 もちろんこのピケティブームはさまざまな派生的な論争を提起するだろう。例えば、最近、伊東光晴(京都大学名誉教授)のピケティ批判「誤読・誤謬・エトセトラ」(『世界』2015年3月号)を読んだ。そこで伊東はピケティの議論は日本の実情をみていないとする。ここまでは私と同じだ。しかし日本の経済格差は、ジニ係数をみると1981年の0.3491から最新調査(2011年)の0.5536まで「異常な値」をとっていると伊東は見ている。ジニ係数は所得の不平等度を測る指標のひとつで、値が1に近いほど所得の不平等度は高まる。このジニ係数の「異常な値」の主因は、伊東によれば、80年代からの「規制緩和をはじめ、市場優位の新自由主義的経済政策」だという。この延長で、現状のアベノミクスも伊東によれば「新自由主義的経済政策」の弊害を象徴したものになるのだろう(伊東光晴『アベノミクス批判』岩波書店、参照)。 しかし伊東の主張には疑問がある。まず問題にすべきは、税や社会保険などによる再分配後所得のジニ係数であるはずだ。再分配前のジニ係数は、高齢化の進行とともに上昇しているが、再分配後のジニ係数はこの20年、0.3前半から後半で安定している。ただ問題は、1997年以降、若い世代中心にほぼ全世代でジニ係数が0.3前半から後半にシフトしたことだ。この原因は、当時の消費増税を起点とする経済の極端な落ち込みと、それに対処しそこなった日本銀行の金融政策の失敗だった(詳細は拙著『経済政策を歴史に学ぶ』ソフトバンク新書参照)。 日本の経済格差論争というのは、先の民主党の政策スタンスやこの伊東論説のように、消費増税の悪影響を軽視し、また金融政策の改善効果に批判的な人たちと、それに抗する人たち(ピケティも日本については抗する側だろう)との論争でもあるのかもしれない。関連記事■ 「21世紀の資本」の欺瞞と拡散する誤読■ 格差は悪か ピケティは正しいか■ 左翼たちの異様な喜びはキモくないか

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    日本は本当に「格差社会」なのか

    が話題になり、格差問題が再燃している。資本主義そのものに格差を低減するメカニズムはなく、放置すれば、格差社会が進行するだけだ、とする。 格差が是正されたのは、第一次大戦と第二次大戦の戦争によるものである。富裕層の資産が破壊されたことや戦後の高度成長によって中・下位層の所得や資産が増大したからである。しかし、これを例外の時期とし、再び経済格差が拡大している。資産と所得の累進課税の強化が講じられなければ、21世紀は19世紀の格差社会に匹敵するか、それ以上の大格差社会になる。このように言う。文化や社会で伸び縮みする 格差は人々のやる気を喚起させ、経済成長にもつながるが、他方では危険な火種ともなる。平等を理念としている現代社会では格差をめぐる理不尽さの閾値(いきち)が下がるからである。多くの人々が所属する社会を理不尽な大格差社会と認知するようになれば、同胞感情をもてなくなる。社会につながれていないと思うことで規範意識が低下する。凶悪犯罪が多発する危険社会になりかねない。 しかし、格差は社会を活性化させる誘因でもある。格差を無限に縮小していけばよいというものでもない。どの程度の格差が公正にもとるのか。危険水域になるのか。その目安をつけるのは簡単ではない。どのくらいの格差であれば妥当とみなされるかは、格差を許容する文化に左右される。能力主義幻想の強い社会であれば、妥当な格差の上限が上がる。逆に結果の平等が望ましいとする社会であれば、その天井は低くなる。許容される妥当な格差は、社会によって、また同じ社会でも時代によって伸び縮みする。 そこでおおまかに危険水域を考える指標としては、日本を他の複数の先進国の格差と比較することから格差が大きいかどうかがわかるだろう。もうひとつの指標は、日本における格差が増大傾向にあるかどうかであろう。そうみてくると、日本の経済格差は微妙なところにある。ピケティのデータでは、日本も経済格差は増大しつつあるが、アメリカや他の先進国などと比べれば格差は小さいからである。驚くべきOECDの調査報告 経済格差をもたらす大きな要因のひとつが教育格差である。日本の教育格差も経済格差と同じように微妙なところにある。 教育格差とは家庭の経済力や文化資産の違いによる子供の学力や学歴への影響の大きさである。家庭の影響の度合いが小さければ教育格差が小さく、反対に家庭の影響力が大きいほど、教育格差が大きいことになる。近年の日本の教育学者の研究のほとんどは教育格差が拡大しているというものである。ここらあたりは、しばしば報道されているからよく知られている。ここまでは、ピケティの、日本でも経済格差が増大しつつあるという見立てと対応する教育格差拡大の知見である。 ところが、こういう教育格差拡大の知見ばかりを耳にしている人には驚くべき調査結果もある。最新(2012年)の『OECD生徒の学習到達度調査』である。保護者の職業や学歴、家庭の文化的所有物などによる「生徒の社会経済文化的背景」と学力の関係を調査したものである。 まず生徒の社会経済文化的背景の違いという教育格差で、日本は調査国(13カ国)中もっとも小さいことに驚くだろう。続いて家庭の社会経済文化的背景が生徒の学力にどのくらい影響しているかをみている。13カ国で家庭の影響力の小さい順でみると、日本は「科学的リテラシー」で1位、「読解力」で2位、「数学的リテラシー」で3位。フィンランドや韓国とともに、日本は、先進国の中では家庭の経済力や文化力による生徒の学力格差の影響が小さく、かつ平均学力が高い群にある。根拠に目配りした複眼の論議を この調査結果については、マスコミでは大きな話題にはならなかった。ここにもあそこにも格差があるという格差探しの空気の中では、不都合な事実だったからではないか。まして教育格差拡大に警鐘乱打する教育学者でこれにふれる者はほとんどいない。 この経済格差と教育格差の二重性、つまり格差拡大傾向にもかかわらず、先進国水準では格差は小さいという特徴は、われわれの格差をめぐる体感とも合致していないだろうか。日本の格差をめぐる人々の評価が格差社会という悲観的評価と相対的に平等社会という楽観的評価の両極に分かれがちな所以(ゆえん)が、この二重性にある。コップの中の半分の水をめぐって、あと半分しかないとみるのと、まだ半分もあるとみるのとの違いのようなところがある。 格差を論ずることも格差是正の施策を実行することも大事であるが、危険水域であるとする側、まだ危険水域には至っていないとする側のどちらかにだけ立つのではなく、両方の格差観とその根拠に目配りした複眼の格差論議であってほしいと思うのである。(たけうち よう)関連記事■ 「21世紀の資本」の欺瞞と拡散する誤読■ 格差は悪か ピケティは正しいか■ 左翼たちの異様な喜びはキモくないか

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    ピケティブームの意味 経済成長の価値転換を暗示

    佐伯啓思(京都大学大学院人間・環境学研究科教授) 時々、ふってわいたようにかなり高度の専門書がベストセラーになる。近いところでは数年前に政治哲学者サンデル氏の『これからの「正義」の話をしよう』が話題を呼んだ。同時にハーバード大学での学生参加型の講義が「サンデル教授の白熱教室」として放映され、議論の内容というより、この講義スタイルが火をつけたといってよい。 フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の今回のブームは、特にそういうパフォーマンスがあるわけではない。また日本だけの現象でもなく、欧米も含めたもので、いや、もとはといえば米国で大評判となった。 こうなると、万事米国の後追いをする日本で評判になるのも時間の問題だったが、案の定、600ページもある翻訳書『21世紀の資本』が出版されるや否や、一気に異例のべストセラーとなった。来日した同氏は、ほとんど分刻みで講演やインタビューやテレビ出演に駆り出され、ほとんど同じ話をし続け、その産物として各テレビ局や新聞などは、ほぼ同様のインタビューを放映、掲載した。雑誌はどれもこれもピケティ特集を組み、解説本までがベストセラーとなる、という何とも不思議な光景が出現した。(もっとも、私もここでピケティについて書いているのだが)■ ■  この集団的現象に一番驚いたのはピケティ自身だったかもしれない。なにせ、格差が開いて貧富の差が固定される一種の階級社会が到来しつつある、と主張した、かなり高価な本に誰も彼もが飛びついたのだから。 この本の主張はわかりやすいもので、おおよそ次のようなものである。19世紀から20世紀の初頭までは、先進国はいずれも経済格差の大きな階級型の社会であった。しかし、二つの大戦によって階級が崩れ、さらに戦後の福祉重視の政策で先進国は平等社会に近づいた。ところが1980年代から先進国ではふたたび経済格差が拡大し、この格差は固定化される傾向がある。 では、格差をもたらしたものは何かといえば、保有する資産の多寡である、というのがピケティの主張である。不動産や金融資産を保有する金持ちは、その資産を投資してさらに資産を増やす。一方、かつかつの生活費をなんとか稼ぎ出している賃金生活者は、資産を増やすことができない。だから、賃金があまり上昇しない状態にあれば、資産の多寡によって格差がいっそう拡大する。 きわめて分かりやすい理屈である。ピケティはフランス人なので、欧州を分析の中心にしており、これをそのまま日本に当てはめるわけにはいかないが、しかし、多くの者が、今日の日本でも経済格差が開いている、という印象をもっていることは間違いない。さらに、日々報道される株価のバブル的な動向を眼前にすれば、うまく金融投資をやることが資産増加の鍵になっている、という気分がつくり出されても不思議はない。■ ■ ピケティ本がそこへきわめて分かりやすい説明を提供した。そこでこの本は、もっぱら格差拡大に焦点を合わせて取り上げられるのだが、もうひとつ重要なことを述べている。それは、先進国がかなりの勢いで成長できた期間は、実はきわめて短く、戦後の30年程度だった、というのだ。これは戦後の復興によるところが大きく、むしろ例外的な期間だったのである。80年代以降のグローバル化や市場競争化は決して経済を成長させてはいないし、この低成長を逆転することは難しい、と彼は見ている。 これは大事な点である。もしも成長が困難となれば、市場競争を強化しても勝者と敗者の差が開くだけで社会はうまくゆかない。そこで、累進課税や相続税をあげて所得を再分配せよということになるが、それではますます生産性を落としかねない。 われわれはこういう社会に入りかけている。先進国はもはや成長を求め、物的富を追求し、さらにはカネをばらまくことで無理に富を生み出そうというような社会ではなくなっている。経済成長の追求を中軸においたわれわれの価値観を転換しなければならない。ピケティが述べているわけではないが、この本が暗示することは経済観の転換なのである。  さえき・けいし 京都大学大学院人間・環境学研究科教授。昭和24年、奈良市生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。専門は大衆社会、市場経済論。平成19年、正論大賞受賞。著書に『新「帝国」アメリカを解剖する』(ちくま新書)、『倫理としてのナショナリズム』(NTT出版)、『日本の愛国心』(同)、『自由と民主主義をもうやめる』(幻冬舎新書)など。関連記事■ 「21世紀の資本」の欺瞞と拡散する誤読■ 格差は悪か ピケティは正しいか■ 左翼たちの異様な喜びはキモくないか

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    さらば、「ピケティ」

    昨年末の日本語版発売以降、国内でもブームに火がついた仏経済学者トマ・ピケティ氏の世界的ベストセラー「21世紀の資本」。案の定、ブームに乗っかって政治的に利用する胡散臭い人々が現れた。彼らが大騒ぎするときこそご用心。まさに「ピケティブームの正体、みたり」である。

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    「21世紀の資本」の欺瞞と拡散する誤読

    福井義高(青山学院大学教授)何を持ってあるいは持たないで生まれるかは自分で決められない。        マイケル・ヤングマルクスよりケインズ トマ・ピケティの『21世紀の資本』が、日本のみならず世界的に話題になっている。とくに、米国主導による市場重視のグローバル・スタンダードに反発する向きからは喝采を浴びているようである。 本書の題名からはカール・マルクスの名がすぐに連想される。確かにマルクスへの心情的理解を示す言葉は随所に出てくる。しかし、ピケティはソ連共産主義に対する肯定的感情は一切持たないし、陳腐な反資本主義には免疫があると明言する。社会的不平等も、正当化できるものである限り問題ないのであって、不平等やそれをもたらす資本主義そのものが悪いわけではないとする。講演するトマ・ピケティ氏=2014年6月、ロンドン(共同) ピケティは、マルクスよりもむしろ、経済的効率性、社会的正義、個人的自由の三つを政治の要諦とし、市場経済の枠組みを維持しつつ、政府の積極的介入の必要性を説いたジョン・メイナード・ケインズの系譜にある。 ピケティとケインズに共通するのが「資本家」(rentier)への反感、反資本主義ならぬ反資本家主義である。ここでいう資本家とは、起業家や経営者とは区別された、企業経営に関与せず主に世襲で得た財産の上がり、「不労所得」によって生きる人々である。後述するように、その処方箋は対照的であるけれども、いかに資本家の「横暴」を抑制するかが文明社会存続のカギと考える点で、両者は軌を一にしている。 実際、第二次大戦後の先進国においては、市場経済に立脚しつつ、政府がその行き過ぎを是正するという考え方が当然視されていた。要するにグローバル・スタンダードであった。ところが、1970年代以降の低成長と、その後のマーガレット・サッチャー英首相やロナルド・レーガン米大統領に代表される保守(反)革命によって、世界的に政府介入否定論が勢いを増す。 ピケティによれば、こうした英米発の市場万能論が新しいグローバル・スタンダードとなったことで、一旦縮小した所得・資産保有格差が昨今、先進国で拡大している。このままでは、第一次大戦前の極端に不平等な時代に戻ってしまう。 そのため、ピケティは今一度、強力な政府介入による格差是正が必要と主張する。確かに、ピケティは現在の市場重視のグローバル・スタンダードには反対している。ただし、グローバル・スタンダードという発想自体に反対しているのではなく、一時代前のスタンダードへの復帰を提唱しているのだ。一種の反英米論であり、それゆえ、英米メディアではピケティへの否定的論調が目立つ。なお、ピケティは日本を経済構造上、仏独を中心とする欧州大陸諸国と同じグループに属するとみなしている。 さて、ひとまず書籍として刊行されたものの、『21世紀の資本』は今も進行中のプロジェクトである。ピケティ自身が強調しているように、人間社会に関するデータの常として、その不完全さや不正確さは避けがたい。実際、英米ではデータへの疑問が相次ぎ、データの一部に関して、ピケティ自身、書籍ではなく、後に本人や共同研究者が公表したものを参照してほしいと要請している。だからといって、データの信頼性に関して、反ピケティ派が主張するような決定的欠陥があるとも思えない。今後の改善が期待されるとはいえ、管見の限り、大まかな傾向を知るには十分な水準に達している。 さらに、図表を含む付属資料や関連論文がピケティのホームページから無料でダウンロードできるようになっている。一般読者を念頭に書かれた書籍本体だけでははっきりしない点、特に理論的枠組みを理解するには欠かせない。 したがって、本稿では書籍本体のみならず、付属資料や書籍刊行後に出た論文も参照し、データ、理論そして思想の三つの部分にわけて、ピケティの主張を検討する。 なお、ピケティは本書に限らず、著作をフランス語と英語の両方で発表し、上述の付属資料も英仏語両方で用意されている。本稿作成にあたっては、英語版を通読した上で、引用箇所などはフランス語原典で確認した。邦訳は未見である。また、わかりやすさを優先し、専門用語の翻訳に関しては、必ずしも慣例に従っていないことをお断りしておく。《capital》は文脈に応じて、資本あるいは資産と訳した。資本のカムバック 『21世紀の資本』の中心部分といえるのが、仏英を中心とした18世紀以降の長期にわたる所得・資産保有データの推計である。なかでも中心となる指標が、ストックである資本がフローである国民所得の何倍かを示す資本所得比である。 英仏を中心とする欧州諸国(日本も同様)では、第一次大戦まで6~7倍であったこの数値が、二度の大戦と戦間期の混乱により、20世紀半ばには2~3倍に低下する。第二次大戦後、歴史上例を見ない経済高成長で労働所得は大幅に増えたのに対し、資本が相対的に減少したため、その果実である資本所得の国民所得に占める割合は低下した。資本家はケインズが望んだとおり、安楽死の道を歩んでいるかに見えた。資本家なき資本主義である。 ところが、資本所得比は20世紀後半に上昇し始め、今日、日欧では5~6倍となっている。ピケティはこれを、一旦重要性を失った資本が再びカムバックしたと解釈する。 資本所得比の上昇がなぜ重要なのか。労働所得も資本所得もその分布には大きな偏りが存在する。ただし、労働所得に比べ、資本所得の格差ははるかに大きい。なぜなら、資本所得の源泉である資産保有は極めて偏っているからだ。 ピケティによって上位、中位及び下位の三層(人口構成比10:40:50)に分けて示された労働所得・資産保有は、現在の欧州では次のようになっている。 労働所得は、上位25、中位45、下位30の割合で、不平等とはいえ下位にもそれなりの所得が分配されている。一方、資産保有は、上位60、中位35、下位5の割合で、下位すなわち国民の半数はほとんど資産を持っていない。さらに、上位10%のうちトップ1%の最上位だけで実に25%の資産を保有している。 それでも、第一次大戦前に比べれば、資産保有の不平等はかなり緩和された。当時は上位90(うち、最上位50)、中位5、下位5の割合で、今日のようなそれなりの資産を持つ安定した中流層というものは存在しなかった。 その結果、労働所得と資本所得を合わせた所得合計では、第一次大戦前の上位50、中位30、下位20に比べ、今日では上位35、中位40、下位25と所得格差はかなり縮小した。その決定的要因は、上位層における資本所得の大幅な減少である。日本や欧州大陸諸国では、20世紀半ばに所得格差が縮小して以来、20世紀後半以降今日まで比較的安定している。 米国における歴史的推移も欧州と同じ傾向を示してはいる。ただし、違いも大きい。まず、資本所得比は、もともと英仏より低く、二度の大戦による被害も軽微であったことから落ち込みも小さく、今日でも4倍程度にとどまっている。 とはいえ、米国と英仏との差は、ピケティの定義では資本に含まれる住宅の相対的大きさでほぼ説明がつく。英仏のほうがその割合は大きく、資本から住宅を除くと米英仏の資本所得比はいずれも2~3倍程度である。ちなみに、資本としての住宅のリターンは、(帰属)家賃の考え方により推計される。簡単にいうと、持ち家に住む場合、資本家である所有者が賃借人である自分に(帰属)家賃を支払うと擬制し、減価償却費等を控除した額が資本所得にカウントされる。日本の場合、国民所得の5%を超える大きな額となっている。住宅を資本に含めることについては議論のあるところである。 米国が日本や欧州大陸諸国と大きく異なる点は、ここ30年間で所得格差が拡がり、1世紀前の水準に回帰したことである。要因は資本所得というより労働所得の格差拡大である。同時に富(資産保有)の集中も急ピッチで進んでいる。資産4億円以上の最上位1%のシェアは30年で2割増加し4割を超えた。しかも、シェア増加の大半は資産20億円以上の0・1%層への集中によるものであり、0・1~1%層のシェアは微増に過ぎない(書籍刊行後に改訂推計値公表)。米国ほどではないにせよ、イギリスにも同様の傾向が見られる。格差拡大論の最大の弱点 以上のデータに基づいて、ピケティは次のように主張する。 資本所得比が上昇し、資本の相対的重要性が高まると、資本にそのリターンすなわち資本収益率をかけた資本所得が国民所得に占める割合である資本分配率は上昇する。生産活動がもたらす所得は資本あるいは労働の対価として分配されるので、資本分配率の上昇は労働分配率の低下を意味する。しかも、労働所得の分布に比べ、資産保有は遥かに不平等であり、しかも、格差が拡がっている。その結果、大規模な所得再分配が行われない限り、労働所得と資本所得を合わせた所得合計の格差は増大する。ある意味、マルクス労働者窮乏化論の現代版である。 そして、資本主義において基本的に「r>g」、すなわち資本収益率(r)が経済の成長率(g)を上回ることを、ピケティは格差拡大の背景にある資本主義の中心的矛盾と呼ぶ。『21世紀の資本』の売りのひとつが、この簡単な公式で資本主義のメカニズムを「深く」理解できるところにある。 しかし、ピケティが「r>g」を前面に押し出したことは、経済学の専門家には概して不評である。米国を代表するマクロ経済学者であるハーバード大教授グレゴリー・マンキューの論文、というより風刺文のタイトル「そのとおり、r>gだ。それがどうした?」が示すように、嘲笑の対象とすらいえる。 もしピケティの格差拡大必然論の理論的根拠が「r>g」に過ぎないのであれば、筆者も「それがどうした?」と言いたくなる。市場原理や政府介入の有効性をどのように考えるかにかかわらず、「r>g」は今日の標準的経済理論の前提、いわば常識である。「r>g」だからといって、格差が拡大するという結論も、資本主義が「本質的」に不安定という結論も出てこない。その常識に挑戦したのがピケティというのは、大衆的人気を獲得するスローガンとしてはともかく、贔屓の引き倒しになってしまう。 『21世紀の資本』を読むと、ピケティは「r>g」すなわち資本収益率が成長率を上回ること自体を問題視しているのではなく、その差が大きくなり過ぎることが格差拡大につながると主張していることがわかる。また、資本収益率は成長率と独立に決まる外生変数ではなく、成長率に依存して決まる内生変数であると仮定されている。 ただし、このピケティ理論の最重要論点を十分理解するには、書籍本体のみならず、ホームページで公開されている技術的補足や学術誌に発表された論文を読む必要がある。以下、ケンブリッジ大ロバート・ローソン名誉教授の論文も参考にしながら、数式を使わずに説明する。 既成経済学への挑戦者のイメージとは異なり、ピケティの理論モデルは標準的経済成長論に拠っている。 生産過程は一次同次(正確にはCES関数)が仮定され、そこに労働と資本(サービス)が投入されて生産が行われ、それぞれの生産性に応じて所得が分配される。具体的にいうと、工場生産において、資本(設備)を二倍、労働投入も二倍にすれば、生産量は二倍になる。すなわち生産性は一定のままである。一方、労働投入一定のまま、資本を増やすと、生産量は増えても、資本の生産性は低下する。 ここでいう労働投入は技術革新による生産性向上分を含むので、人数自体が増えなくても増加する。それゆえ、人口減がそのまま労働投入低下につながるわけではない。 この技術革新も考慮した労働投入を上回って資本が増加すると、資本の生産性は低下する。生産性に応じて決まる資本収益率も低下する。 ピケティ理解にとって「r>g」より重要なのは、「α=r×β」すなわち資本収益率(r)に資本所得比(β)を掛けると資本分配率(α)になるという、資本主義の第一基本法則である。 国民所得における資本家の取り分を表す資本分配率は、ピケティが懸念する資本家復権を数値化する指標ということができる。ピケティがまとめた各国のデータからは例外なく、資本所得比上昇の傾向が見られるので、今後、資本に対するリターンである資本収益率が変わらない限り、資本分配率は上昇し続ける。 しかし、資本所得比の上昇は、基本的に資本が労働投入以上に増えることを意味するので、上述のとおり資本の生産性が下がり、資本収益率を低下させる。この点はピケティも認めている。結局、資本所得比と資本収益率の掛け算である資本分配率の増減は、前者の上昇と後者の低下のどちらの効果が大きいかによって決まる。 その決定要因が労働・資本間の代替の弾力性と呼ばれる概念である。大ざっぱにいうと、弾力性が1の場合、労働投入に比べ資本が相対的に増加したときの数量増効果と資本収益率低下効果が完全に打ち消し合う。つまり、両者の掛け算である資本分配率は変化しない。弾力性が1より大き(小さ)い場合は数量効果が上(下)回り、資本分配率は上昇(低下)する。 これまで実証研究では、弾力性は1を下回るというのが通説であった。ところが、ピケティは弾力性を1・3から1・6であると推計し、政策介入を行わない限り、資本分配率は上昇すると結論づける。 確かに今後、1を超える弾力性が続けば、ピケティの主張どおりとなる。しかしながら、ピケティの弾力性推計には重大な疑問がある。 ピケティの議論では資本の劣化分が減価償却費として生産(所得)額から控除されているので、資本増減を左右する貯蓄も償却費控除後で考えねばならない。低成長経済では投資の大半は償却費見合いの更新投資なので、資本は正味ではほとんど増えないはずである。 にもかかわらず、20世紀後半、なぜ高成長が終わった後も資本が増えたのか。それは、通常、経済成長論では物価変動を調整した実質資本が資本推計に用いられるのに、ピケティが時価を用いたことによる。実質資本が増えなくても、それに対する市場の評価である時価が上昇すれば、ピケティのデータでは資本が増加する。 実際、資本所得比上昇の相当部分が評価水準上昇によることはピケティも認めている。しかも、この上昇は、将来見通しの暗かった20世紀前半から半ばにかけて下がり過ぎた時価が回復したためと論文では明言している。したがって、時価を資本推計に使うことの是非は置くとして、今後、すでに回復した時価のさらなる上昇効果は期待できない。ピケティの得た通説に反する1を超える弾力性推計値は、今後は期待できない一時的時価上昇がもたらした異常値の可能性が高く、この推計値に決定的に依存するピケティの格差拡大論の根拠は強固とはいい難い。 持続可能な定常状態においては、ピケティの主張の如何にかかわらず、彼が資本主義の第二基本法則と呼ぶ「β=s÷g」が成立する。つまり、貯蓄率(s)を成長率(g)で割ると資本所得比(β)になる。もし弾力性が1を下回るのであれば、高貯蓄率、低成長率あるいは両方によって資本所得比が高まると、拡大された生産水準の下、資本分配率は低下、すなわち労働分配率が上昇する。ピケティの主張とは全く逆の結果となるのだ。実は、ケインズが戦間期に資本家の安楽死を唱えた際に念頭にあったのは、こちらのシナリオである。 いずれにせよ、ピケティの政策提言の前提となっている「資本所得比上昇→労働分配率低下」という関係が盤石なものではないことだけは確かである。グローバル国家主義あるいはリベラルの限界 『21世紀の資本』をめぐる巷間の議論は、格差拡大を抑えるために提示された処方箋の是非が中心となっているようである。ここでは、ピケティが保有資産に対する毎年の累進課税こそ「正しい解決策」(la bonne solution)だとしている点のみ指摘しておく。定冠詞が添えられているので、いくつかあるうちのひとつではなく、これこそ解決策そのものという意味である。所得への累進課税は補完的役割を与えられているに過ぎない。 ところで、そもそもなぜ経済的格差は好ましくないのか。ピケティはこの点について、肯定的に引用していることからわかるように、『正義論』で知られるジョン・ロールズの考え方に近い。『正義論』は今日、リベラル知識人にとってバイブルのような存在といってよい。社会においてもっとも不利な立場にある人々に最大限に配慮し、その基本的権利のみならず物質的基盤を提供することが社会の全成員の義務という考え方である。そのためには、社会で有利な立場にある人々の権利を「侵害」するような国家介入もやむを得ないということになる。 ピケティは20世紀半ば以降、所得再分配を含めその役割を拡大してきた「社会国家」(Êtat social)を高く評価する。しかし、社会国家とは、本来の自由主義から見れば、矛盾した表現である。19世紀の古典的自由主義者(classical liberal)にとって、政府すなわち国家から可能な限り自立した社会が理想であった。ところが、今日ではリベラルといわれる人々が、社会を覆い尽くすような国家、社会と一体化した国家の介入を是とする。ピケティが強調する経済活動の民主的コントロールとは、結局のところ、多数派による少数派への国家権力を背景とした強制に過ぎない。 今日の典型的リベラルであるピケティは「国家主義者」(êtatiste)なのだ。フランス語には英語と共通する「ナショナリズム」(nationalisme)とは別に、英語の「国家」(state)に対応する《êtat》から作られた「国家主義」(êtatisme)という表現がある。ピケティ自身、戦後復興の過程で「国家主義は害をなさなかった」(l'êtatisme n'a pas nui)(英語版はstate interventionと意訳)としたうえで、社会国家の成果を巨大な歴史的進歩と断言している。 現代は国家主義者が「リベラル」と呼ばれる、まことに奇妙な時代である。 さらに、ピケティは国家主義者であるとともにグローバリストでもある。資産課税を徹底し、所得再分配を「公正」に行うには、国境を越えた取り組みが必要となる。そこで、ピケティは、通貨ユーロにとどまらず、徴税を含む財政においても欧州統合が不可欠と主張する。しかも、欧州統合は全世界の統合すなわちナショナリズムを超越したグローバル国家設立に向けた前段階に過ぎない。 とはいえ、ピケティが理想とする社会国家は、人間の移動のグローバル化である途上国から先進国への大量移民とは両立しない。低所得者層と競合する移民の受け入れは、格差拡大のみならず、再分配の受け手を増加させることにつながるからだ。 社会国家における所得再分配を考える上で、移民の問題は避けて通れない。にもかかわらず、『21世紀の資本』では移民に関する議論がほとんどない。わずかに言及された箇所では、移民は先進国と途上国の間の所得再分配に資するとして推奨されている。議論の単位を国から世界に変えることで、移民が国内格差拡大に及ぼす影響というリベラルにとって触れたくない問題を避けるため、論点をすり替えているといったら言い過ぎであろうか。パリの移民デモ ハーバード大ジョージ・ボージャス教授らの実証研究により、欧米での移民の経済的効果については、専門家の間でほぼコンセンサスができつつある。一言で表現すると、受入国全体としては移民の効果はほぼゼロである一方、元来の国民の間では逆進的所得再分配が生じる。移民と競合する低所得者層の賃金が抑えられ、安い労働力を利用できる高所得者との格差が拡大するのだ。ここでいう経済的効果には、治安悪化など負の社会的効果は含まれない。 実は、米国も常に移民を積極的に受け入れてきたわけではない。1920年代から1960年代まで、米国は移民を厳しく制限していた。つまり第二次大戦後の所得格差縮小は「閉鎖」社会のなかで進んだのである。それに対して、60年代半ばに改正された移民法の下で途上国からの移民が増加して以降、物価変動を調整した米国ブルーカラー労働者の実質賃金は、数十年にわたって、ほとんど上昇していない。 要するに、移民推進は格差拡大政策なのである。だからこそ、社会国家に対する国民の支持が根強い北欧諸国では、比較的早い時期からいわゆる反移民政党が勢力を伸ばし、政治的に無視できない勢力となっている。その結果、世論に押されるかたちで、実際に移民制限が強化されている。昨年の欧州議会選挙における「極右」政党の台頭は、排外的民族主義の表れというより、エリートが進める格差拡大政策に対する大衆の反逆と捉えるべきであろう。 移民に加えて、『21世紀の資本』ではリベラルの常として、格差をもたらす、ある重要な世襲「財産」の問題が全く無視されている。ピケティは教育とくに大学教育の機会均等が経済的格差ゆえ十分保障されていないとし、英米グローバル・スタンダードで強調される能力主義とそれに基づく格差正当化論に疑問を呈する。その際、マイケル・ヤングの『メリトクラシー』が同様の懸念を示しているとして注で挙げられている。しかし、ヤングが強調したのは、遺伝による知的能力の相違がもたらす、機会均等ではどうにもならない、しかも本人に責任のない遺伝子という「財産」の格差なのだ。 ピケティは、米国で特に顕著な経済学の科学化志向、経済学を他の社会科学より一段上に置く傲慢さを厳しく批判している。経済研究は自然科学を範とする「経済科学」(science êconomique)ではなく、社会科学の一分野としての「政治経済学」(êconomie politique)であって、歴史学や社会学など他の分野との学際研究が不可欠だというのがピケティの持論である。 ところが、格差を議論するうえで避けられないはずの性格や能力の遺伝に関して豊富な成果を上げている心理学には全く言及していない。個人間の相違に遺伝が及ばす影響については、かつて人種差別を正当化する根拠として用いられたことへの反省から、欧米リベラル知識人の間ではタブー視されている。とりわけ黒人問題を抱える米国においてはその傾向が強い。 このタブーに挑戦したことから、かつて米国で大ベストセラーとなるとともに、二人の著者が激しいネガティブ・キャンペーンの対象となったのが『ベル・カーブ』である。その出版20年を記念して、著者の一人(もう一人は故人)チャールズ・マリーは次のように述べている。 現代社会においては、富や社会的地位を獲得する上で、ある種の知的能力の重要性がますます高まってきた。しかし、この世襲「財産」の保有者が自分はそれに値する人間だと自惚れてはならない。「我々は誰一人として自らのIQを獲得したわけではない。我々のうちたまたま運がよかった者は、それが単なる幸運に過ぎないことを痛切に自覚すべきであり(ほとんど誰もしていないが)、それに応じた振舞いをするよう自己を律すべきだ」 能力の遺伝という平等原理主義者にとって「不都合な真実」を直視するマリーは、その相違に基づく格差を正当化することなく、市場原理を重視するリバタリアンであるにもかかわらず、包括的な所得再分配を提言している。なお、このインタビューでも『ベル・カーブ』でも、マリーは人種差別を正当化するような発言は一切していない。 経済的格差に関する基礎データをわかりやすい形で提供することで、『21世紀の資本』は事実に基づく冷静な議論を可能にした。ただし、そのグローバル国家主義に基づく政策提言は、欧米エリートと主要メディアが許容する範囲内に終始した、陳腐な政府介入論の域を出ない。今後、建設的な格差論議を行うためには、ピケティに限らずリベラルが忌避する、移民と遺伝の問題に関する率直な議論が不可欠であろう。主な参照文献Thomas Piketty (2013) Le Capital au XXIe Siêcle (Seuil).[Capital in the Twenty-First Century (Harvard University Press)]Thomas Piketty et al. (2014) Capital Is Back: Wealth-Income Ratios in Rich Countries 1700―2010, Quarterly Journal of Economics, vol. 129.Robert Rowthorn (2014) A Note on Piketty's Capital in the Twenty-First Century, Cambridge Journal of Economics, vol. 38.Natalie Scholl (2014)'The Bell Curve' 20 Years Later: A Q&A with Charles Murray, AEI.ふくい・よしたか 昭和37年(1962年)京都生まれ。東京大学法学部卒業。カーネギー・メロン大学Ph.D. 旧国鉄勤務などを経て、平成20年より現職。専門は会計制度・情報の経済分析。著書に『会計測定の再評価』『鉄道は生き残れるか』(中央経済社)、『中国がうまくいくはずがない30の理由』(徳間書店)など多数。関連記事■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える■ 中核層の時代に向けて~自らの人生と社会を選びとる人々■ 移民受け入れ 欧州に学ぶな

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    「格差があって何が悪い?」“ピケティ人気”に米学者言いたい放題

    ベル経済学賞学者のジョセフ・スティグリッツ氏の言葉を借りるまでもなく、疑いもなく「米国は世界に冠たる格差社会」だからだ。米国には、マンキュー氏をむきにさせる「不都合な真実」があるのだ。 米国は、格差度を示すジニ係数が先進国最高水準の0.47ある。富裕層上位1%の所得は社会全体の20%を占める。 中間層は苦しい。フルタイムで働く男性の保有資産は1990年代初めと同水準のままである。 底辺層は悲惨だ。ニューヨークの場合、ホームレスの数は昨年11月末時点で6万人超と過去10年間で約6割増えた。オバマ大統領が1月の一般教書演説で格差問題を取り上げるわけである。 あえてマンキュー氏を擁護すると、格差「絶対悪」論者や反資本主義者といった左派が「ピケティ人気」に便乗して、論陣を張り始めたのも事実である。ピケティ氏は昨年に何回か訪米して講演したが、壇上で隣に座るのはマルクス経済学者だったケースがあった。 ピケティ氏は資本主義も市場原理も否定していない。ある程度の格差が成長のための均衡状態である点は、多くの経済学者も認めている。1月末に訪日したピケティ氏は日本でも大人気だったそうだが、訪米時と同じく、左派を元気付けたようだ。仮にさらに累進課税を導入しても、それを再配分するのは政府であり、効率的な格差是正が約束されるわけではない。 しかも、日本の根源的な格差は政府による再配分後に際立つ世代間格差である。米国の格差是正ブームを直接輸入するのは間違いなのだ。関連記事■ 社会が知らない「最貧困女子」の実態■ 移民先進地EUが教える生活保護の危機■ 移民受け入れ 欧州に学ぶな