検索ワード:田中秀臣の超経済学/86件ヒットしました

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    私を忌み嫌った西部邁の死を悼む

    評論家、西部邁(すすむ)氏が死去した。遺書を残し、川に飛び込んだ入水自殺とみられるが、その衝撃的な最期に驚きが広がった。わが国を代表する保守論客として知られ、彼の言論活動は多大な影響を与えた。その死を悼み、リフレ派エコノミストの一人として、西部氏の経済論にあえて苦言を呈したい。

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    エコノミストを忌み嫌った「保守の真髄」西部邁の過ち

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 保守派を代表する論客の西部邁(すすむ)氏が自殺したという報道は、多くの人たちに驚きと悲しみ、そして喪失感をもたらした。 筆者にとって西部氏の発言は、主にその「経済論」を中心に1980年代初頭からなじんできたものである。また80年代におけるテレビ朝日系『朝まで生テレビ!』の討論者としての活躍も印象に残る。個人的には、2013年に編集・執筆した『日本経済は復活するか』(藤原書店)で、いわゆるリフレ派論客の中に混じり、リフレ政策への批判的な立ち位置を代表する論者として、フランスの経済学者、ロベール・ボワイエ氏、榊原英資・青山学院大教授らとともに原稿を頂戴したことを、今も感謝とともに思い出す。ボワイエ氏も榊原氏も、そして西部氏もともに単なる経済評論ではなく、その主張には思想的または実践的な深みがあったので、彼らへの依頼は拙編著の中で太い柱になった。講演する西部邁さん=2010年3月(前川純一郎撮影) また06年に出版した拙著『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)の中では、西部氏の「経済論」やその背景になる主張を、筆者なりに読み説いて、批判的に論じた。先の『日本経済は復活するか』への依頼でもわかるように、筆者にとっては、「西部邁」は自分とは異なる主張の代表、しかも彼を批判することが自分の「勉強」にもなるということで、実に知的な「論争相手」だった。もちろん、いままで一度も実際にお会いすることはなかったのは残念である。おそらく、会っても彼の一番忌み嫌う「エコノミスト」の典型であったかもしれないが、それはそれでむしろ筆者の願うことでもあったろう。なぜなら、それだけ西部氏の「経済論」には賛同しがたい一面があるからだ。 だが他方で、評論家の古谷経衡氏が表した以下の喪失感も共有している。西部邁先生が居られない保守論壇なんて…考えただけでも恐ろしい。どんどんと劣化、トンデモ、陰謀論、区別という名の差別が跋扈するだろう。現在でもそうなのに。古谷経衡氏の2018年1月21日のツイート 西部氏はその最後の書『保守の真髄(しんずい)』(講談社現代新書)でも明らかなように、保守派の論客であった。だが、現在の自称「保守」の一部のように、例えば「韓国破たん論」をヘイトスピーチに誘導するような形で言及し、または各種の陰謀論を匂わすような手法も採ることはなかった。西部ファンは多くいても、「信者」のような形で囲いこむこともない。その意味では、西部氏の言動は現代の「保守」論壇の中でまれなものだった。 西部氏の「経済論」は、かなり昔からある「正統派経済学批判」の形を採っている。西部氏にとっての正統派経済学とは、1)人々は合理的な存在、2)市場は効率的な資源の配分を行う自律的なシステムである、という主張を核にしている。だが、西部氏にとって人間の社会的行動とは、そもそも合理的な面と不合理的な面の二重性をもっている。そしてこの不安定な二重性を平衡に保つ力を、西部氏は「慣習」あるいは「伝統」と名付けている。経済問題の文脈で理解するとどうなるか この「慣習」ないし「伝統」を経済問題の文脈で理解するとどうなるか。『保守の真髄』でも例示しているが、賃金など雇用関係がわかりやすい。賃金は「慣習」で決まることで、経済の安定と不安定との平衡化に寄与するのである。 企業の投資活動は将来の不確実性に必ず直面している。このような不確実性に対処するために企業は労使間のあつれきをできるだけ最小化することを選ぶ。なぜなら、労使でもめ事が発生すればそれだけ企業の直面する不確実性もまた増幅するからだ。これは経営者側に長期の雇用契約を結ぶ動機付けを与え、また労働者側も自らの生活の安定のために長期的雇用関係を結びたがる。このことが長期雇用関係を「慣習」や「伝統」として企業の中に、あるいは日本経済の中にビルト・インしていくことになる。 このような経済論は、初期の著作『ソシオ・エコノミックス』から最後の著作である『保守の真髄』まで一貫している。後者から引用しておく。 勤労者がその慣習賃金を受容するというのは、それで自分の家族の生活が賄えると思うからに違いない。ということは、勤労者の購入する主として消費財の価格について何らか安定した期待を持っているということでもある。総じていうと市場で取引される多くの商品の価格が公正価格の周辺で、需要と供給の差に反応しつつ少しばかり変動する、というのが市場なるものの標準的な姿である。『保守の真髄』142ページ ただし、このような「慣習」=公正価格や慣習賃金などは、平衡作用と同時に非平衡作用も生み出す力を持っている。例えば、長期的雇用関係は慣習賃金として、名目賃金の下方硬直性を生み出す。労使間の信頼ややる気などを損なわないために、不況であっても賃金を引き下げることを選ばない。すでに大企業に雇われている労働者は身分も賃金も保証される。だがその半面で、若者たちの新規採用を削減したり、または非正規雇用などを増加させるなど経済不安定化を生み出してしまう。(iStock) もちろん西部氏は、「伝統」や「慣習」は人間社会の合理性と非合理性の平衡を「綱渡り」的にとることができるとみなしているだけで、いま書いたように「伝統」や「慣習」が一部の人たちには安定的でも、経済自体に不安定化をもたらすことも想定していたと考えることはできる。 この「伝統」や「慣習」に二面性を求める見解、時には社会・経済を綱渡り的に平衡させ、時には非平衡化させてしまう働きというものは、西部氏の貨幣論にも典型的に表れている。 貨幣は社会的価値を交換可能にすることで社会の安定化に寄与するだろう。しかし他方で強烈な不確実性ショックに直面すると、この貨幣がかえって社会そのものの平衡を危うくする可能性を、西部氏は同時に示唆していた。過剰だった「官僚」への期待 例えば、強いデフレショックがもたらした貨幣価値の急騰(貨幣バブル)によって、人々は実物投資や消費、そして何よりも人間そのものにお金を使うこと(雇用、教育など)を控えてしまい、ひたすら貨幣をため込んでしまうかもしれない。西部氏自身は、多くの経済学批判者と同様にインフレの方がデフレよりも社会を非平衡化=不安定化するものと思っていたようだが、いずれにせよ、この「デフレ=貨幣バブル」を再平衡化するには「貨幣=慣習」の価値を微調整していくべきだ、というのが西部氏の政策論の核心である。 ただし、このとき西部氏は「貨幣=慣習」の平衡化は、金融政策よりもむしろ財政政策が担うものと考えていたし、また政策の担い手としては「官僚」に期待しすぎていた。 要するに、日本のデフレの長期化は、それが問題であるにしても、原因が金融政策の失敗というような観点についぞ、西部氏は立脚することはなかった。むしろ市場原理主義的なもの、グローバリゼーション的なものが、「慣習」や「伝統」の平衡化を阻害することで日本の長期停滞は生じたと、彼はみていたと思われる。そのため、デフレとデフレ期待の蔓延(まんえん)、それをもたらしている日本銀行の金融政策の失敗というリフレ派の主張には、西部氏は最後まで賛同しなかったと思われる。それは残念なことであり、西部氏の影響を受けている人たちの「経済政策鈍感」ともいえる現象を招いただけに、さらに残念さは募る。2000年11月、参院憲法調査会で意見を述べる参考人の西部邁さん さらに「官僚」への期待が過剰なようにも思える。ここでいう「官僚」というのは、実際の高級官僚たちだけではなく、政治家、言論人などを含むものだ。この「官僚」が「指示的計画」を策定し、市場経済の基盤であるインフラ整備を行うことで、社会を安定化させることを西部氏は期待した。しかしその「官僚」から、なぜか「エコノミスト」たちは排除されていた。なぜなら、「エコノミスト」たちは世論の好む意見しか表明しない、社会をよくする存在であるよりも、社会に巣くう連中であるにすぎないからだ。だが、他方で、西部氏の期待する「官僚」たちも大衆や世論が好むように発言し、活動するものがいるのではないか。 大衆や世論には、真理を求めるという姿勢よりも、常に自分たちの好むものだけを望む傾向があるのは確かだ。だが、他方で今日の財務省的な緊縮主義に対抗できているのは、大衆の反緊縮的姿勢だけではないだろうか。日本の言論人やマスコミ、政治家、そして高級官僚のほとんどすべてが、日々、緊縮主義の掛け声をあげているのが実情である。大衆に安易な依存も期待もできない。しかし他方で、そこにしか今の日本ではまともな政策、少なくとも経済政策の支持の声は強くない。この日本の特殊な言論・政策環境にこそ、日本の精神的病理があるようにも思える。 西部氏の著作や発言は膨大である。そこにはひょっとしたらこの問題への解もあるかもしれない。だが、いまはここまでにとどめておきたい。 最後になってしまいましたが、心からお悔やみ申し上げます。生前のご教示ありがとうございました。

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    デフレ不況の勝ち組「債券ムラ」と既存メディアの蜜月関係

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) テレビ報道を検証する任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」(百田尚樹代表理事)が興味深いアンケートを公表した。「最近のテレビは偏向報道が増えている」という質問に対して、「すごく増えている」と「増えていると思う」の回答両方で、67・8%にもなっているのである。 「偏向報道」というのは、専門的な知見や社会的な常識などから著しく偏った報道を一定期間行っているときに使われている言葉だろう。もちろん単に報道することだけではなく、いわゆる「報道しない」ことも含まれている。世界的に当たり前の知見や事実が日本だけ報道されていない事例などを指す。2017年3月、「放送法遵守を求める視聴者の会」の代表理事に就任し、あいさつする作家の百田尚樹氏(左から2人目) 特に日本では、放送法の第1条第2項で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」とある。しかし、森友学園問題や加計学園問題などを中心に、テレビの報道は本当に「不偏不党」だったのか、しばしば議論の対象になっている。もちろん二つの学園問題だけではない。筆者の主なる関心である経済問題についても、専門的な知見というよりも特定の既得権団体、つまり財務省などの官庁、国債市場や民間金融機関の関係者などの意見だけが大きく取り上げられている傾向に思える。 素朴な観測をすると、全国放送レベルで、「ニュースウオッチ9」(NHK)「報道ステーション」(テレビ朝日系)といった平日午後9時以降の報道番組で、いわゆるリフレ派の経済学者やエコノミスト、経済評論家が出演して、経済政策についてコメントや解説することはまれといっていい。 リフレ派とは、日本の長期停滞の原因がデフレとデフレ期待にあるとし、その解決策として日本銀行の政策スタンスが重要だとする政策主張者たちである。特に政治的な主張と連動しておらず、政治スタンスはそれこそ保守からリベラル、左翼まで属している。ちなみに、日銀の政策スタンスのキーは、デフレ予想を転換することであり、インフレ目標と大胆な量的緩和を唱えるのが定番である。 政策レベルでいえば、アベノミクス「第一の矢」である大胆な金融緩和政策とほぼ同じになる。「ほぼ」としたのは、日本銀行の現状の政策に少なからぬリフレ派が不満足だからだ。海外では、リフレ派が主張する経済政策、つまりリフレ政策は「当たり前の政策」のひとつである。経済が停滞しているときに、積極的な金融緩和と財政拡張を行うことは、国際的には標準的な政策ツールである。ところが、日本のマスコミ報道ではその「国際標準」は例外扱いになっているわけだ。長期停滞で「勝ち組」になった人たち リフレ派は現実の政策的にも重要な専門家集団なのだが、存在が明らかになってきた1990年代後半から今日に至るまで、日本の報道番組に出演する機会はごくごく限られたものになっている。むしろ、テレビの経済解説では、彼らとは異なる財政再建論者や長期デフレ論者、消費増税論者などがテレビに出演する「専門家」の中心であり、あえて言えばほぼすべてである。 ちなみに、日本のテレビ報道の重要な特性だが、民間の主要キー局がすべて大新聞の関係組織であるため、新聞とテレビでの報道が極めて類似している。例えば、日本経済新聞にリフレ派の論客のコメントが掲載されたり解説記事を書いたりことは極めてまれだ。それの合わせ鏡で、関連会社のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」にリフレ派の論者が出演することもめったにないのである。利付10年の日本国債 ところで、日本には「債券ムラ」と呼ばれる民間金融機関の債券部門が存在している。彼らは日本が長期停滞を続ける中で「勝ち組」といわれていた。長期停滞が続けば名目金利が趨勢(すうせい)的に低下していくので、取り立てて有能ではなくとも、その部署にいるだけで債券の売却益で荒稼ぎできたわけである。 短期国債の名目金利はゼロに早く到達したが、それでも長期金利はプラス域であった。デフレ期に多くの金融機関が国債保有の比率を増加させていたのは、債券購入と債券売却との利ざや(=売却益)を稼ぐためであった。 だが、最近では、長期名目金利もマイナス域から極めて低い金利でコントロールされている。そうなると債券ムラにとっては自分たちの不況で得てきた有利なポジションを奪われているという不満が募ってくる。しかも債券ムラの住人は、デフレ不況の期間において、新聞、テレビ、通信社など既存のマスメディアと長期的な関係を構築してきた。 なぜなら、長期デフレの間で、最も目覚ましい活躍(?)をしていたのが債券ムラの住人たちであり、その動向を報じることは、既存のメディアにとっても商売になったからである。そのためか、今もメディアの多くは、債券ムラの住人たちの意見に沿った報道をする傾向が強い。「出口戦略」を求めるムラの願望 例えば、日銀の黒田東彦総裁が何か発言するたびに、いわゆる「出口戦略」として解釈する傾向がそれだ。今の日銀は、インフレ目標が2%に到達し、場合によればそれを超えることをしばらく放任する姿勢を採用している。もちろん今の日本は、デフレ不況ではないが低いインフレ率のままであり、目標達成はまだまだ見通せない。だが、マスコミの報道は常に「出口戦略はまだか」という解釈で、日銀の政策を理解しようとするバイアス(偏向)がある。 実際に昨年、黒田総裁が「リバーサル・レート理論」について言及したとき、それを日銀の政策変更の予兆としてとらえる報道が相次いだ。リバーサル・レート理論とは、黒田総裁の当の発言がわかりやすいので引用しておく。「最近、『リバーサル・レート』の議論が注目を集めています。これは、金利を下げすぎると、預貸金利ざやの縮小を通じて銀行部門の自己資本制約がタイト化し、金融仲介機能が阻害されるため、かえって金融緩和の効果が反転(reverse)する可能性があるという考え方です」2017年12月、会見場に入る日本銀行の黒田東彦総裁(桐原正道撮影) これは先ほどの債券ムラの理屈で読み直すと、国債の利回りがマイナスから極めて低い名目金利になると、国債の売却益が縮小してしまい、そのことが民間金融機関というか、債券ムラの収益を損ねてしまう、ということになる。つまり黒田総裁がこのリバーサル・レート理論を持ち出したことは、債券ムラ的な発想からは、黒田日銀の政策転換のシグナルに解釈できるのだ。 実際、この黒田発言以降の多くの報道記事は、金融関係や国債市場の関係者たちがこれを日銀の出口戦略のシグナルとしてみたとするものが相次いだ。のちに黒田総裁自身はそのような日銀の政策転換をもたらすものではないと否定するのだが、当初の報道の多くは、この黒田発言を日銀の政策が変わりつつあるシグナルとして伝えるものが多かった。しかも、いまだにこのリバーサル・レート発言を話の枕にして、今年の日銀の政策転換を解説するマスコミの記事に事欠かない。 念を押すまでもなく、もし、インフレ目標未達のままで日銀が政策転換を行えば、今後の政策の信頼性は著しく損なわれてしまうだろう。そのことは日銀の損失だけではなく、もちろん日本経済の損失にもなる。だが、「出口戦略」=日銀の金融緩和政策の終わりを求める、既存マスコミと債券ムラの関係者の願望はそんな日本経済や国民生活などはどうでもいいのだ。そう、彼らの利害こそがすべてだからである。

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    三橋貴明DV事件を機に考えたい「家庭内暴力の経済学」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 著名な経済評論家の三橋貴明氏が逮捕されたニュースは、経済など時事問題に関心の強い層を中心に大きな驚きを与えた。筆者が最初に目にした朝日新聞の報道によると、10代の妻を口論の末に「自宅で転倒させて腕にかみついたり、顔を平手で殴ったりして約1週間のけがを負わせた」とある。いわゆる家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)に該当する事象での逮捕だろう。他の報道では、去年2回にわたり、妻への暴力をやめるように警察から警告を受けていたという。 これらの報道の信憑(しんぴょう)性を含めて、今後この事件がどうなるのか推移を見ていかなくてはいけない。釈放された三橋氏本人のブログでは、彼の視点による「事実」の説明とおわびの言葉が書かれている。ブログには「最後に、妻がかなりきつい言葉を私にぶつけ、一瞬、カッとなった私は、妻の左ほほを平手打ちしてしまいました」とあるので、暴力があったことは少なくとも明白だろう。 三橋氏の釈放を受けた報道には「裁判所が身柄の拘束を認めなかったため、三橋さんは8日午後、釈放された。三橋さんは警視庁の調べ容疑を否認していたということで、今後は、在宅のまま捜査が続けられる」(日本テレビ系 NNN)とある。報道が正しければ、捜査は継続中のため予断を許さない。経済評論家の三橋貴明氏=2014年4月(宮崎裕士撮影) 三橋氏とは今まで何度か討論番組で同席し、またラジオでは日にちが違うが同じ番組のコメンテーターを務めるなど、面識がある。三橋氏の人柄について個人的な感想は特に今はない。彼が主張する経済論には、今までも厳しい批判の姿勢を持っていた。ただ、そのことと今回の事件は特に関連するものではない。 ネットではさまざまな「陰謀論」めいた話が交錯しているが、なんの根拠もない、身びいきあるいはその反対の悪意に満ちたものがあるだけで読む価値はない。以下は今回の事件を契機にして、日本の家庭内暴力について、経済学者としての視点を中心に簡単な考察を試みることにした。家庭内暴力は「隠れた貧困」 家庭内暴力については、個人的にもトラウマ(心的外傷)に似た経験を持っている。筆者の幼少のころに母親、そして筆者自身も、父親の苛烈な家庭内暴力に見舞われていた。詳細は控えるが、父親からの加害によって母親は生涯、片足に障害を負ってしまった。冬場になると古傷が痛むらしく、よく足を引きずるようにしていたのを思い出す。今は両親ともに鬼籍に入っているが、家庭内暴力は筆者にとっても無縁の出来事ではないのだ。(iStock) 内閣府の統計によると、全国の配偶者暴力相談支援センターに寄せられた相談件数は年間で10万件を超えている。ものすごい件数である。アンケートでは、配偶者(事実婚や別居中の夫婦、元配偶者も含む)から「身体的暴行」「心理的攻撃」「経済的圧迫」「性的強要」のいずれかを一つでも受けたことがある人の数は、女性では20%以上、男性は16%ほどにものぼるという。 相談件数自体も驚くほど多いが、ほぼ一貫して件数などが上昇傾向にあることは見逃すべきではないだろう。もちろん他のアプローチも存在するが、家庭内暴力を経済学の視点からどう考えるべきか。それは一種の「隠れた貧困」と考えるべきかもしれない。 貧困といえば、満足な栄養や最低限の所得に欠けるような「絶対的貧困」、社会の一定割合を貧困状態であるとみなす「相対的貧困」など、多様な貧困の基準がある。 最近、日本の貧困研究の第一人者である日本女子大学名誉教授の岩田正美氏が『貧困の戦後史』(筑摩書房)を出版した。同書では、幼児の虐待死や未受診・飛び込み出産を「『かたち』になっていない貧困」と定義して分析している。「かたち」になっていない貧困とは、貧困として社会的な注目の濃度にまだ乏しいが、実体は貧困に起因するものであるという視点だ。生活保護から閉ざされるなど経済的な制約のために、児童への虐待が見られるという可能性を岩田氏は指摘している。 現時点の経済学の成果をみると、家庭内暴力も経済的な要因が無視できないほど大きい。ブラウン大のアナ・エイザー教授は家庭内暴力の経済学を積極的に公表している。その中で、エイザー氏は男女間の賃金ギャップに注目している。この男女間の賃金ギャップが縮小するほど家庭内暴力が減少していくという。つまり、労働報酬で男女間の賃金ギャップが少なくなれば、家庭の中での女性パートナーの交渉力が増し、それにより家庭内暴力が減って女性の健康が促進されていくというのである。家庭内暴力は周期性を持つ また、家庭内暴力が周期性を持つことをエイザー氏は指摘している。家庭内暴力を振るわれた女性パートナーが、当局に助けを求めても、しばらくするとその男性パートナーと暴力的な関係性に戻ってしまう現象が存在するという。この時の原因は、心的な依存関係もあるが、経済的依存関係が大きく左右するだろう。例えば、男性パートナーだけが働いているために、女性パートナーは経済的に自立しにくいケースが典型的には考えられる。この家庭内暴力に経済的な依存関係が大きな役割を果たすことは、別の欧米の経済学者たちによっても指摘されている。 これは視点を変えると、家庭における男女分業への伝統的な経済学の解釈を再考するきっかけともなるだろう。例えば、異なる仕事それぞれに特化しても、そのカップルには効率性はあっても、心の幸福を得られないかもしれない。男性パートナーが会社などで高い報酬を得、一方で専業主婦の女性パートナーが家庭内労働で大きな成果を挙げていても、それによりこのカップルが幸福といえるかどうかは別問題というわけである。エイザー氏の視点では、ここには経済的な依存関係が発生していることになる。 ただし注意すべきは、一例として女性パートナーの男性パートナーへの経済的依存関係が強いときは、家庭内暴力が深刻であっても女性パートナーが声を上げることが難しいかもしれないことだ。離婚や別居することで十分な生活を今後送ることができるのかどうかが最重要な問題だろう。また今までの人間関係を失うコストも重大なものだ。これらのコストを払うことができないまま、家庭内暴力に泣き寝入りする可能性がある。これはまさに「隠れた貧困」といってもいいのではないか。(iStock) ブリティッシュ・コロンビア大学の講師マリナ・アドシェイド氏は、『セックスと恋愛の経済学』(東洋経済新報社)の中で、外国人の妻たちが離別した後や家庭内暴力についての声をどれほど頻繁に上げているかを解説している。理由を簡単にいえば、彼女たちがその時点では経済的な依存関係から脱却しているからである。別な角度からみれば、経済的依存関係が深ければ、そのような声が出にくいだろう。 アドシェイド氏は、さらに経済的に効率的ではないかもしれないが、幸せなカップルになるには似たもの同士が好ましいと書いている。ある人が教えてくれた古いことわざに「割れ鍋にとじぶた」というものがあるが、経済学からもそれと同じ含意が出てくるのは興味深い。 もちろん家庭内分業がうまくいっているカップルも多くある。また、ささいなトラブルはどの家庭にもあるだろう。だが、私は前述した個人的な経験も踏まえていうならば、家庭内暴力に安易な妥協はしないほうがいいと伝えたいのである。

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    「日本の借金1108兆円」NHKの歪んだ報道が国民をさらに惑わす

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) たまたまNHKを見ていて非常に懸念を抱いたニュースがあった。「来年度予算案 1100兆円の借金 財政の先行き一段と不透明に」という記事で、インターネットでも読める。 簡単に要旨を書くと、政府予算案の規模が大きく、歳出が増加する一方で歳入では国債の発行額が3分の1を占めるのが問題と指摘する。そして、来年度末には国と地方を合わせた「借金」が1108兆円に上り、「先進国中最悪」になることに警鐘を鳴らすものである。報道は、このような財政状況が若い世代に将来不安をもたらしていると結んでいる。筆者から見れば、このようなNHKの報道こそが、財政状況へのゆがんだ認識を広めることで、若い世代に不安を与えていると思う。東京都渋谷区のNHK放送センター まず、どこがゆがんでいるのだろうか。それは政府の「1108兆円の借金」という見方である。単純に、日本の財政は借金=負債だけが存在するのではなく、資産も存在している。政府の持つ資産と負債を比較して、その上で事実上の「借金」を特定すべきである。負債の方が資産を上回っていれば、それを「純債務」と名付けよう。ただし、この純債務の大小だけがわかっても財政状況はまだ判断できない。だが、ここまでの議論を「政府のバランスシート問題」と名付けておく。 たとえ借金の方が資産よりも多くても、将来それが返済可能であれば問題はない。つまり返済できる金額と返済しなければいけない金額を比較して、それがほどほどのバランスであればまず問題はない。以下ではこの点を「政府のバランスシート問題」の観点から検討する。 政府の資産と負債を比較できるバランスシートを見る重要性は繰り返し指摘されてきている。今回のNHKニュースに代表されるような「政府の借金(負債)」の大きさだけに注目するのは全く妥当ではない。これでは国民が財政再建、増税路線、緊縮政策といった特定の政策に誘導されてしまうだろう。実際NHKニュースでも、いまのところ再来年に実施される消費増税が、教育無償化などに使われることよりも、むしろ国債償還という「借金」返済に使われるべきだとの趣旨として読むことができる。だが、そのような誘導はもちろん真実への誘導ではない。誤解への誘導である。「政府+日銀」の保有を無視するのか 政府のバランスシートの最新版は以下の通りである。 これを見ると平成27年度末で、政府の純債務はマイナス520兆円である。前年度よりも30兆円近く増えているし、ここ数年でもその傾向はある。だが他方で、この純債務と日本の名目国内総生産(GDP)を比較すると、名目GDPが同年度で531兆円なので約98%である。 さらに政府の概念をより広げてみよう。特に日本銀行との関係が重要である。数年前に日本経済新聞の紙上で、コロンビア大学のデイビット・ワインスタイン教授は、日銀の金融緩和政策を好意的に評価したうえで、日銀はその保有する国債を永久に所持できる(実際には償還期限がきたものから日銀のバランスシートから剥落)と指摘している。この考え方を採用すると、広義の政府、つまり統合政府は「政府+日銀」となる。両者のバランスシートのうち国債保有の関係だけをみると、日銀は現状で国債を438兆円保有している(営業毎旬報告12月20日)。参照:財務省 政府部門の最新のものは、2015年3月末までなので類推しなければいけない。いま年度ごとの純負債の増加額が、毎年度約30兆円としておくと、現時点の政府と政府関連機関の純債務は571兆円と考えられる。対して日銀の現時点の国債保有額が438兆円なのでこれを571兆円から引き算すると、統合政府の純債務は現状では、133兆円である。名目GDPは約540兆円としておこう。すると名目GDPと純債務の比率は、約25%になる。これは同様の推計をした2014年末の比率では、約41%なので大きな縮小である。 このような統合政府からみた見解を、どうもNHKは無視したいようである。NHKがなぜ無視したがるのか、記事には載っていないのでわからない。だがしばしば国の借金だけを強調する論者や政治家たち、マスコミが指摘しているのは「日本銀行のバランスシートを組み込んで、そのような財政膨張を弁護してもやはり財政の信認が失われる」というものだ。日銀の国債保有の「メリット」 この論点については、経済金融アナリストの吉松崇氏が論説「中央銀行のバランスシート拡大と財政への信認」(原田泰・片岡剛士・吉松崇編著『アベノミクスは進化する』中央経済社)で集中的に検討している。簡単に要旨だけ書く。日銀が「質的量的金融緩和」で多くの国債を保有している。日銀の保有する国債からは金利収入が発生する。他方で日銀当座預金には0・1%の金利がつき、この部分は民間銀行に支払われる(実際の日銀当座預金への金利適用は複雑だがここでは単純化する)。だから金利収入からこの0・1%を引いたものが、日銀の得る通貨発行益(シニョレッジ)となる。 吉松氏の解説の通り、この通貨発行益は、日銀の収益であると同時に、国庫に納付するため事実上の国の収益である。つまり通貨発行益がプラスで推移していくことは、日銀の国債保有が政府にとってもメリットがあり、狭い意味での政府の財政を安定化させることに寄与しているということだ。 なお、日銀の説明ではもっと単純に「日本銀行の利益の大部分は、銀行券(日本銀行にとっては無利子の負債)の発行と引き換えに保有する有利子の資産(国債、貸出金等)から発生する利息収入で、こうした利益は、通貨発行益」としている。2017年12月、記者会見する日本銀行の黒田東彦総裁(桐原正道撮影) 日銀の公式の説明通りだと、昨年度だと国債の利息収入(貸出金の利息収入は小規模なので無視する)は、1兆1800億円超である。今年度はそれ以上のペースで増加しているようだ。もちろん吉松氏が指摘している通り、この金額は財政の安定に寄与している。 さらに、日銀の国債保有は「インフレ税」の面でも政府の財政安定化に寄与している。もし日銀がインフレ目標を実現すれば、その実現の過程ないし実現後に、固定利回りの国債やその他の債券を保有している人たちは、名目金利が上昇し債券価格が低下することで「課税」されたことと同じ現象が生じる。これをインフレ税という。もちろん政府はこの分だけ、インフレになったことで国債の償還の負担が軽減される。このインフレ税の増加はもちろん政府の財政安定化に貢献するだろう。 ただし吉松氏も指摘しているように、通貨発行益もインフレ税も日本が事実上のデフレの間や、インフレ目標が達成され、しばらく金融緩和基調が続く間だけの「一時的な財政安定化」の効果しかもたない。もちろんそれでも大きな効果だ。ただし、さらに恒久的な財政の安定化は、インフレ目標の達成により経済成長が安定化し、税収が増えていくことで実現されていく。 要するに、日本の財政の維持可能性、つまり日本の財政危機は、きちんとした政府と日銀のマクロ経済政策の成功か失敗かに依存しているのである。今回のNHKに代表される「政府の借金」論の偏った報道こそが、この正しい政策の見方を誤らせ、ただの増税主義へ国民を誘導しかねないだろう。

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    アベノミクス批判本に徹底反論! なぜ「成果」を過小評価するのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 以前、保守系の討論番組「闘論!倒論!討論!」(日本文化チャンネル桜)に出たときに、出席者のクレディセゾン主任研究員、島倉原(はじめ)氏が、同志社大学教授の服部茂幸氏の『偽りの経済政策』(岩波新書)を援用して、アベノミクスの雇用創出効果について否定的な意見を提起した。服部氏の上記の本では、第二章「雇用は増加していない」という刺激的な見出しがついた、アベノミクスの雇用創出への否定的な意見が確かに展開されている。 そこで服部氏は「日本経済は実体経済が停滞しているだけではなく、雇用も労働生産性も停滞していることを明らかにした」(同書93ページ)とある。また同書を読むと、服部氏のいうアベノミクスはほぼ日本銀行のインフレ目標2%を目指す金融緩和政策、すなわちリフレ政策と同じものとみなしているようだ。 実は服部氏の所論については、以前に学会の依頼で「アベノミクスをめぐる論争―日本は復活したか、それともまだ罠にはまったままか?」という批判的な書評を書いたことがある。冒頭に紹介したように、討論番組などでその所説が利用されるようならば、改めて服部氏の議論を再検討してみたいと思う。実際に、世論やネットの中では、アベノミクス期間中の雇用の改善を否定し、過小評価する傾向があるからだ。(iStock) もちろんこの連載の読者ならばおわかりだろうが、雇用状況にはまだまだ改善する余地がある。だが、それは雇用の停滞という状況ではない。雇用はアベノミクス導入以前に比べると改善しているし、その成果は金融緩和の持続に貢献している。それに加えて、もちろん海外経済の好調もある。 金融緩和の雇用改善効果は、国内的には消費増税、国際的には2015年ごろの世界経済の不安定化によって一時期低迷したが(といっても底堅い状況だった)、現状では再び改善の度合いを深めている。ただし、消費の停滞は消費増税の影響が持続しているとみなしていいので、その面から日本の雇用の改善は抑制されてしまっている。 金融緩和や財政政策の拡大による経済政策を採用することで、雇用状況はさらに改善するだろう。例えば、より一層の失業率低下や賃金上昇、労働生産性の上昇などがみられるだろう。 さて、服部氏の主張を簡単にまとめておこう。1)アベノミクス期間で就業者数は増えた。ただし、それは短時間就業者が増えただけで、「経済学上の正しい雇用あるいは就業の指標」である「延べ就業時間」でみるとむしろ減少した。2)また、実質国内総生産(GDP)を述べ就業時間で測った労働生産性だと、その上昇率はほぼゼロにまで低下している。3)安倍政権は2%の実質経済成長率を目指しているが、そのためには延べ就業時間を増加させるか、労働生産性を上昇させるか、あるいはその両方が必要である。だが、1)2)により実現は不可能に思える。特に、延べ就業時間増加率は人口構造の変化(現役世代の減少)からゼロとみても楽観的なので、労働生産性次第になる。ところが、2)もほぼゼロなので、安倍政権はその目的を達しない。4)「労働生産性の上昇なき雇用の改善は、政策の成果ではなく、失敗なのである」(同書94ページ)。雇用状態より失業がマシ? 以上が、服部氏の「雇用は増加していない」という主張である。働く場が増えることは失業している状況よりも望ましいと思うが、服部氏はそのように考えていないということだろう。 まず延べ就業時間数だが、例えば労働力調査をみてみると非農林業の延べ就業時間(週間)は、民主党政権の終わりの2012年の23・58億時間から2016年は23・60億時間になっている。確かに、この数字だけみると、安倍政権は民主党政権と比べて雇用が全く増えていないということになる。他方で就業者総数は増加しているので、パートや高齢者の再雇用といった短時間労働が貢献しているかのようである。 だが、現状では、短時間労働の原因ともいえるパート労働などの非正規雇用の増加は頭打ちともいえる状況だ。最新の統計だと、2カ月ぶりに5万人ほど増加したにとどまる。対して正規雇用は、正規の職員・従業員数は3485万人。前年同月に比べ68万人増えて、35カ月連続の増加となっている。 それに加えて、服部氏はどうも失業よりも雇用された状態がいいとは思っていないのかもしれないが、専業主婦層のパート労働の増加は家計の金銭的補助となるだろうし、また高齢者の再雇用もまた経済的な助力になるだろう。延べ就業時間の「低迷」をいたずらに過大評価すべきではない。服部氏もそれを冒頭の番組で援用した島倉氏も、働くことができる人間的価値を軽視しているのではないか。また、最近では正規雇用の増加が進んでいるので、2017年の統計は服部氏目線でもさらに「改善」されている可能性が大きい。(iStock) 次に労働生産性についてである。服部氏の定義だと確かにゼロ成長率になる。ただ、この労働生産性の定義の場合、景気が回復していけば、延べ就業時間総数が一定でも実質GDPは事後的に増加していく。現状のような総需要不足の状況であれば、それを解消していくことで実質GDPは増加し労働生産性も伸びていく。それだけの話にしかすぎない。ちなみに、総需要不足の失業がある段階で、労働生産性の向上を重視するのは奇異ですらある。なぜなら失業のプールから雇用されていく人たちは限界生産性が低い人たちであり、そのため労働生産性は低下するからだ。先に指摘したように、どうも職を得るよりも服部氏らは労働生産性が重要なのだろう。しかしそれでは国民の幸せは向上しないだろう。 また、労働生産性の伸びがゼロに近くとも、正規雇用が増加し続け、それにより延べ就業時間も増加すれば、服部氏の定義でも問題はないだろう。そうであれば、答えは簡単だ。現状の「雇用の増加」傾向を強めることが必要である。そうである以上、少なくとも現状の金融緩和の継続をやめる理由はないし、また財政政策は現在明るみに出ている事実上の「増税シフト=緊縮主義」をますます正す必要があるだろう。

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    日本人医師の快挙を黙殺 「報道しない自由」はなぜ行使されたか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 医師でジャーナリストである村中璃子氏が、科学的に権威のある雑誌『ネイチャー』が主催するジョン・マドックス賞を受賞したニュースから、改めて日本のマスメディアの特異な現象を目の当たりにした。いわゆる「報道しない自由」ともネットなどで批判される態度である。 ジョン・マドックス賞は、公益に資する正しい科学や根拠を、困難や敵意に直面しながらも、人々に広める努力をした人に与えられるものである。ジョン・マドックスは『ネイチャー』の編集長を長期間務めたことで有名で、その功績を記念して2012年から続いている賞である。ジョン・マドックス賞が日本人に与えられるのは初めてであり、『ネイチャー』のもつ権威と国際的な知名度からも、村中氏の受賞は報道の価値が極めて高いものだったろう。 だが、現時点で、新聞では産経新聞と北海道新聞のみが伝えただけである。テレビ媒体は筆者の知る範囲ではまったくない。他方で各種のネット媒体では広く関心を呼び、大きく取り上げられていて、何人もの識者やネット利用者たちが話題にしている。ただし産経以外では、新聞やテレビ系列のネット媒体に記載はない。 当の村中氏はこの機会に自身の貢献を、あらためてネットを中心に訴えているところだ。だがマスメディアの代表であるテレビと新聞の大半は沈黙したままである。まさに「報道しない自由」が行使されているといっていいだろう。 そもそも村中氏の貢献は何だったのだろうか。ジョン・マドックス賞のホームページによれば、子宮頸(けい)がんワクチン(ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン)について、科学的に正しい証拠に基づき多数の記事を書いたそのジャーナリストとしての功績に与えられている。(iStock) 子宮頸がんワクチンについては、世界保健機関(WHO)や医学界でその効果が認められているにもかかわらず、誤情報に基づく国民的キャンペーンによって、日本の同ワクチンの接種率は70%から1%に急減してしまった。村中氏は訴訟に遭遇し、また自身の社会的立場への恫喝(どうかつ)などに抗して、子宮頸がんワクチンの安全性の啓蒙(けいもう)に努めたことが直接の受賞理由である。村中氏は訴訟を含めてどのような困難に遭遇してきたかは、Buzzfeed Newsの記事が詳しい。また村中氏自身も受賞スピーチの中でその活動を伝えている。「報道しない自由」というコーディネーションゲーム 子宮頸がんそのものの情報は、国立がん研究センターの情報がわかりやすい。この情報によれば、年間の罹患(りかん)者数は1万人を超え、死亡者数も年間3千人近い。「年齢別にみた子宮頸がんの罹患率は、20歳代後半から40歳前後まで高くなった後横ばいになります。近年、罹患率、死亡率ともに若年層で増加傾向にあります」と記述にあることは注意すべきだろう。 子宮頸がんワクチンは、2013年に定期接種化されたが、痛み、記憶障害、運動障害を訴える人たちが現れたのを契機にして、新聞やテレビなどの大メディアではワクチン接種へのネガティブキャンペーンが生じた。これをうけて厚生労働省はワクチンの接種勧奨をとりやめたという経緯がある。 この事態に対しては、WHOは警鐘を鳴らし、また日本産科婦人科学会でも何度も接種勧奨の再開を表明している。つまり専門家集団ではワクチンの接種についてはその有効性について共通の理解があるようだ。スイス・ジュネーブにある世界保健機関(WHO)本部(IStock) 経済学者の高橋洋一嘉悦大教授は、ワクチンの接種には副作用があることを指摘しつつ、ただし「どのようなワクチンにも副作用があるが、それを上回るような効用がある場合、接種が許される。子宮頸がんワクチンの場合にはデータがあるので、副作用がデータから逸脱していたかどうかを、厚労省はより慎重にチェックすべきであった」と主張している。これはひとつの合理的な態度だといえるだろう。 ただし、ここではなぜ新聞やテレビで「報道しない自由」が生じたのかを考えたい。産経や道新だけが例外であった。道新は村中氏が北海道出身なので取り上げたともいわれているが、続報はない。これは一種のコーディネーション(協調)ゲームといえるだろう。 コーディネーションゲームとは、ゲームに参加するプレーヤーがみんな同じことをすることが全員のメリットになることをいう。ゲームとは、遊戯を指すのではなく、人のあらゆる相互作用、あらゆる社会的行動を指すことができる社会科学で主に利用されているワードだ。この場合のゲームは村中氏の受賞を伝えるか伝えないかのゲームである。そしてプレーヤーは、新聞やテレビということになる。ネット媒体はこのケースではゲーム外のプレーヤーともいえ、いわばマスメディアとネット言論は分断されているともいえる。典型的だった「VHS対ベータ」 コーディネーションゲームを考えるときに、しばしば持ち出される日本の事例としては「VHS対ベータ戦争」の帰結がある。VHSとベータとは、家庭用ビデオデッキの再生機器の名称だ。1980年代にどちらの規格がいいかで経済「戦争」が生じた。結果として国内ではVHS派が勝利し、ベータ派は負けた。だが、ベータの方が性能はいいとの評価は当時からあった。だがそのような評価は、みんながVHSを選ぶ前では意味を失っていた。(iStock) 確かに、みんながVHSの規格を選ぶと、それ以外の少数の規格をもつ人は友人同士のビデオの貸し借りでも不便だろう。レンタルビデオショップでも最初は両方あったが、次第にVHSのみが置かれるようになり、ベータ派はここでも不利だった。 このようにプレーヤー全員が同じ戦略を選ぶことで、その戦略の帰結が本当に社会的に望ましいか否かに関係なく、このコーディネーション(協調)が安定化してしまうことになる。例えば、日本では長く経済停滞が続いたが、それを打破しようという政策当事者はいまも少数派である。大多数はメディアも含めて、経済成長否定やただの財政再建論者のたぐいである。例えば、NHKの「日曜討論」などのテレビ番組に、デフレ脱却論者がでるケースはまれである。 むしろ、国際的にはデフレ脱却論が優勢で事実としても政策の有効性が認められているのに、テレビや新聞ではデフレ志向の論陣の方が圧倒的である。これは多数の前では多数に従うという、物事の良しあしを無視した現象の一例だろう。例えば、私の知人にも某経済系メディアに務める知人がいるが、彼は筆者の文化関係のつぶやきはリツイートやお気に入りをするのだが、立場上なのか経済政策の話題にはまったく反応しない。Twitterは私的な活動のはずだし、特に経済問題で意見の違いがあるわけではないのにも関わらずである。空気を読むとはそういうことなのかもしれない。 さて社会的帰結が望ましいにも関わらず、そうでない協調行動がとられてしまうと物事は厄介である。その安定性を突き崩すことはプレーヤーの数が多ければ多いほど難しいとされている。産経新聞も大メディアだし、ネット世論も今日かなりの威力をもつ。また海外からの今回の声もあるが、それらは「報道しない自由」というコーディネーションゲームの安定性を変更するほどではない。現時点では。 私見では、子宮頸がんワクチン接種反対派の意見も含めて、今回の村中氏の受賞や海外の事例を紹介することは、報道の多様性と意見の自由を担保とする観点からも重要だと思う。いまの新聞やテレビは、報道しない自由という悪いコーディネーションゲームに陥っている。 この悪い均衡、つまり「報道しない自由」を打ち破るには、ゲームのルール自体を変える必要がある。日本のマスメディアは率直にいって官庁の広報団体的な側面が強い。お上の意見に従う傾向が強いのだ。ならば、このあしき均衡はおそらく政治側からしか変更はできないだろう。それはそれでメディアの在り方として情けないことは確かだ。それでも、今回の一種の「外圧」は、この政治側のアクションを引き起こすひとつの契機かもしれない。

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    「首相の関与」は無理筋だった? 森友問題で一変した朝日新聞の責任論

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 森友学園問題は、会計検査院が11月22日に調査報告を国会に提出したことで再び国民の注視を浴びることとなった。森友学園が大阪府豊中市に新設予定だった小学校用地の売却額が評価額よりも低かったことについて、会計検査院の報告は主に2点に集約できる。 一つは、用地の地下に埋まっているごみの量が、国土交通省大阪航空局が当時推計した量の約3~7割であった可能性があり、十分に調査されていなかったこと。もう一つは、その不十分なごみの埋設量をもとに計算された財務省近畿財務局のごみ処理の単価の基礎となるデータや資料が廃棄されたため、会計検査院が会計経理の妥当性について十分な検証ができないと公にしたことである。不十分なごみの埋設調査と、ごみ処理の費用計算の不透明性という二つの事実が、改めて国民に印象を強くした出来事であるだろう。森友学園に売却された国有地のごみ撤去費について、試算額が明記されていた会計検査院の報告書案 森友学園問題の真相については、筆者も含めて何人かの論者は、一部マスコミや野党、そして無視できない数の国民が思うような安倍晋三首相や昭恵夫人の「忖度(そんたく)」や「関与」はないものだと主張してきた。むしろ財務省近畿財務局という一地方部局の担当者の交渉ミスが原因であり、それに加えて公的データや資料の保管・廃棄ルールに不備があったという、財務省の問題とみなすのが妥当であろう。違法性の問題というよりも行政のミスのレベルというのが結論である。 森友学園問題がこれほど過大な注目を浴びてきた背景には、一部マスコミの「印象報道」ともいうべき流れがあることがはっきりしている。例えば、最近情報公開請求していた大学教授らに、財務省近畿財務局は森友学園が設置する予定だった小学校の設置趣意書を開示した。そこに記されていた、森友学園が新設を計画していた小学校の名前は「開成小学校」であり、首相や昭恵夫人の名前や関与は一切記載されていなかった。 これは多くの国民にとっては意外な事実だったろう。なぜならマスコミや野党は、森友学園の籠池泰典前理事長が安倍首相や名誉校長だった首相夫人の「ブランド力」とでもいうものを利用して、さまざまな利益を得ようとしていたという印象を伝えていたからだ。特にそのことが関係官僚たちに、首相や首相夫人と「懇意」である籠池氏に利益を供与する「忖度」をさせたという、マスコミや野党の批判の根源にもなっていたのではないか。メディアのミスリードにハマった国民 だが、実際には籠池氏の小学校には首相や首相夫人とのつながりを明らかに示す資料はなかった。だが、この森友学園問題が政治的に大化けする過程で、マスコミは籠池氏の発言をろくに検証することもなく、そのまま報道し続けた。その中で、あたかも新設小学校が「安倍晋三記念小学校」ではないかという印象を垂れ流すことに貢献したことは明白である。 例えば、朝日新聞は5月9日の記事で「籠池泰典・前理事長は8日夜、取得要望書類として提出した小学校の設立趣意書に、開設予定の校名として『安倍晋三記念小学校』と記載したことを朝日新聞の取材に認めた」と報じた。この記事によって籠池氏と安倍首相との「つながり」の濃さを信じてしまうというミスリードに陥った国民も多かっただろう。テレビなどもこの記事に似た報道を連日垂れ流し続けた。森友学園問題を取り上げた2017年4月2日付の朝日新聞社説 もちろん、朝日新聞はこの一方の当事者の発言を事実検証もせずに垂れ流した責任を取る気はさらさらない。むしろ最近では、どうも安倍首相への「忖度」が無理筋だと思ってきたのか、社説などでは、財務省のミスを追及する責任が首相にある、と論調を変化させている。 例えば、12月1日の社説「森友問題審議 無責任すぎる政府答弁」では、「責任は財務官僚にあり、自分は報告を信じただけ。そう言いたいのだろうか。だとすれば、行政府トップとして無責任な発言というほかない」と書いている。これは以下のように書き換えることができるだろう。 「責任は籠池泰典氏にあり、自社(=朝日新聞)は発言を信じただけ。そう言いたいのだろうか。だとすれば、言論の府としての新聞として無責任な発言というほかない」 実は朝日新聞と似たような報道を毎日新聞もしている。以下は毎日新聞の公式ツイッターでの発言である。「首相がすべきなのは、自身の関与がなかったとしても周辺に『そんたく』がなかったか徹底調査すること」。加計・森友問題の報道に関わってきた記者は指摘します。毎日新聞公式ツイッター(2017年11月16日) これまで散々「首相の関与」をあおってきた末のこの発言にはあきれるしかない。 だが、無責任な報道姿勢が改まることはないだろう。例えば、自民党の和田政宗議員が12月1日朝のブログで、「新しいメモ」でもないものをいかにも森友学園の不正を追及する新資料が発見された、といわんばかりの記事を掲載していると批判している。これはささいな問題に思えるかもしれないが、この種のミスリードの蓄積が「安倍首相は謙虚ではない」「安倍首相は人格的に好ましくない」といった印象へと導いていくのかもしれない。森友学園問題も加計学園問題についても、首相から発生する問題はいまだみじんも明らかになっていないのにである。「安倍擁護」の批判に応える 「われわれは知らず知らずに心の中で魔女裁判を行っているのではないか?」。このようなことを書くと毎度出てくるのが、安倍擁護をしているという批判である。経済政策や安全保障を含めて重大な問題がある中で、あくまで責任が全く明示されていない問題に過度にこだわることの愚かさを指摘しているのである。朝日新聞や毎日新聞に代表されるような無責任なマスコミの報道姿勢を追及することは、政権の政策ベースでの批判と矛盾することはない。実際に安倍政権の経済政策だけでも、前回の論考で消費税増税シフトを批判したように問題はある。報道によってミスリードされている世論の「魔女裁判」的状況の解消を願っているだけなのである。2017年11月、参院予算委で答弁する安倍首相 このようなマスコミの無責任な報道姿勢は、森友学園問題だけではない。朝日新聞がいまでも自社の誇り、もしくは売りにしているものに「天声人語」がある。いまでも入試のための必読アイテムだとか、文章の見本などと宣伝されていることがある。実際にはそんなものではない。 日本銀行の岩田規久男副総裁はかつて『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(2011年、東洋経済新報社)の中で、天声人語はいったい何が議論の本位なのか明示することなく、それを明示したとしても十分に論じることもなく終わってしまう悪い文章であると批判していた。まさに同意である。今回の森友学園問題も、いったい何が具体的な問題なのかわからないまま、「忖度」という議論になりえないものを延々と十分に論じることなく、一方だけの発言を恣意(しい)的に垂れ流していく。そのような朝日の報道姿勢が、そのメーン商品である天声人語にも明瞭だというのが、岩田氏の批判からもわかる。 岩田氏は、当時話題になっていた大相撲力士の野球賭博問題を絡めて以下のように書いている。 多くの日本人の責任の取り方は、福澤(諭吉)の言うように自己責任を原則とする個人主義とはかなり異なっている。自己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。 つまり法によらずに、メディアが「罪」をつくり出す風土にこそ現代日本の病理がある。

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    安倍政権の「消費増税路線」が犯す3つの過ち

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 特別国会では論戦が一応展開中である。しかし相変わらず森友学園と加計学園についての質疑が論戦の中心である。筆者の記憶によると、確か選挙では野党側が「消費税凍結」を訴え、それに対して安倍晋三政権は「消費増税を前提にした再分配の見直し」を提起していたはずだ。だが、国会では各党党首の代表質問をみても、この「凍結vs増税」という図式はない。2017年11月、衆院本会議で共産党の志位和夫委員長(手前)の質問を聞く安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) 筆者はこの連載でも指摘してきたが、野党の消費税凍結は偽の論点だと思っていた。立憲民主党も希望の党も2年後の凍結をうたうものの、その経済政策は、成長を否定する単なる緊縮主義か、または金融緩和への否定的評価に基づくものであった。要するに、今の日本経済がそこそこうまくいっている事態を否定する政治勢力と思えた。そのため消費増税の賛否という偽の論点に釣られることなく、経済政策全体をみる必要性を訴えてきたつもりである。今の国会の論戦では、この「消費増税凍結」がいかに国民の多くを「釣る」ために持ち出されてきた論点が明るみに出ているといえよう。つまり、今の野党は安倍政権を打倒できればそれでいいわけであり、日本の経済政策などまともに考えていないのではないか。 とはいえ、安倍政権が今もまだ消費増税路線を放棄していないことも深刻な間違いである。消費増税を推進する側の理由は、税の公正性、高齢社会にむけての福祉目的、そして「財政危機」への対応の三点を列挙するのが普通である。以下では、消費増税に反対する観点を、これらの賛成側の三つの理由に反論する形で書いてみたい。 日本で最も長く消費増税に反対を続けているのは、八田達夫大阪大学名誉教授である。『消費増税はやはりいらない』(1994年)、『日本再生に「痛み」はいらない』(2003年、岩田規久男氏と共著)などが代表的な著作である。八田氏の消費増税への反対は、消費税が税の公正性をもたらさないこと、高齢化社会の福祉目的として妥当とはいえないこと、そして消費減税をむしろ行うべきでありそのときは所得税改革とともに行うべきだ、という点にある。八田氏の従来の主張を参照しながら、消費増税の抱える問題を深く検討していこう。 税の公正性については、消費税推進派はしばしば「クロヨン」の解消を挙げる。クロヨン(9・6・4)とは、税務署の課税所得の捕捉率をいう俗称であり、給与所得者は9割、自営業者は6割、そして農業者・漁業者などは4割にしかすぎないことをいう。だが消費はすべての人たちが行うので、所得税から消費税に税制の基本をシフトすることは、このクロヨン問題の解消につながる、というのが推進派の理屈である。消費税率が上がれば上がるほど得する人たち このクロヨン解消について、八田氏は消費税はむしろ税率を上げれば上げるほど自営業者たちに「益税」(免税によって消費税を免れる額)をもたらす、第2のクロヨン問題を生み出していると指摘する。例えば、現在の消費税の免税点は年間売り上げが1千万円で基本的に設計されている。もし1千万円の売り上げがある事業者がいて、そのうち原材料費が200万円とすると、残り800万円についての自営業者は56万円の益税を得る。そしてこの自営業者は800万円のうち自分で消費する部分を半分の400万円とすると、最終的にこの人が得する額は56万円から自分の消費した分への課税28万円を引いた28万円になる。 そしてこの最終的に得をする金額は、消費税率が上がれば上がるほど上昇する。この場合、同じ設例で10%に上げると、お得な部分は28万円から40万円に上昇する。このような制度であるかぎり、自営業者など消費税版クロヨンで益を得る人たちは、消費増税の引き上げに反対するインセンティブ(動機付け)を持たない。八田氏は、このような益税の仕組みを正すには、税務署署員の増加など徴税コストをかける必要があるのに、全くなされていないと批判している。高橋洋一嘉悦大学教授も、徴税コストを効率化するために、歳入庁の導入を主張しているが、官僚側の抵抗にあって全く進展していない。八田達夫・大阪大名誉教授 八田氏はさらに高齢化社会の税源としての消費税にも疑問を提示している。高齢化すれば勤労者世代の税負担が増加するから、それを避けるために世代間でより公平な消費税にすべきだというのが消費税導入肯定派の主張であった。これに対して八田氏は次のように指摘する。平均的な所得の人は、所得税から消費税に課税の重心が移動することで確かに働いているときの税負担は減る。ただし老後(例:60歳から85歳まで)でも高い消費税率を死ぬまで負担しなくてはいけない。そのため働いている時代から、老後の税負担の分だけより多く貯蓄していくだろう。これでは税負担が全く変わらない。 そのうえ深刻なのは、働いているときに所得の低い人たちは、所得税で減税や非課税措置を受けているかもしれない。その人たちも現役を引退すると一律で高い消費税を負担する。他方で高所得者たちは所得税から消費税にシフトすることで現役のときは得をし、また高齢になっても低所得だった人たちと変わらない負担になる。低所得の人はもともと減税や無税なので、その意味で税負担は消費税へのシフトでも変化しない。つまり生涯を通じた税負担が、高所得者には有利に、低所得者に不利に作用する。この意味では低所得者層に大きなダメージを与え、「老老格差」とでもいうべきものを深刻化させてしまう。 八田氏はむしろこのような所得格差の深刻化を招く消費増税へのシフトではなく、所得税の強化を図るべきだと主張する。所得税の最高税率は、1986年までは約70%だった。つまり1億円を稼いでもそのうち手元には3千万円しか残らない。ところが、それは高所得者の働く意欲をそぐという理由のもとに次第に引き下げられ、1999年には37%までになった。その後、財政危機を名目にして税率が再度引き上げられて、今は45%である。ところが八田氏は、このような過去20年以上の所得税から消費税への課税シフトの結果、日本の個人所得税の対国内総生産(GDP)比率は、先進国の中で最低になっているという。そのため累進税率を引き上げる余地が十分にあるというのが、八田氏の主張である。3年前、経済復活をおじゃんにした人たち さらにこの高所得者層への所得税率引き下げは、取れるところから税金を取っていないため、90年代から今日まで財政赤字増加の潜在的な要因になっている。他方で、所得税率を上げれば高所得者が働く動機を本当に阻害されるかは全く不明である。おそらく働く動機は大して変わらず、むしろ徴税システムの不備を突く、タックスヘイブン(租税回避地)などを利用した税金対策に努力を傾注するのではないだろうか。 八田氏はまた消費増税シフトが景気の安定化効果を阻害することも指摘している。所得税に経済を安定化する効果があることはよく知られている。例えば、景気が過熱しているときは、人々の平均所得も増加するので、課せられる所得税率も平均的に高くなり、また所得税も増加する。これにより経済の過熱を抑制する。他方で経済が落ち込んでいるときは全く逆のことが起きる。所得が平均的に低いので、課せられる平均税率も低く、また所得税も低い。そのため人々の可処分所得は上昇することで、経済を回復させる効果がある。これを教科書では「自動安定化装置」(ビルト・イン・スタビライザー)と呼んでいた。 だが、最近の政府と財務省はこの機能をすっかり忘れてしまっている。2014年の消費増税が、前年までの経済の復活を全くおじゃんにしてしまった。 日本経済は14年の消費税引き上げ以降、消費を低迷させ続け、いまだに本格的な回復に遠い。八田氏が主張する消費税のさまざまな弊害をみても消費税には現在の日本にとってほとんど利益があるように思えない。むしろ現状では、消費増税シフトを停止し、所得格差をなくす税制に回帰すべきだろう。また14年以降の消費低迷を払拭(ふっしょく)するためには、むしろ消費減税こそが最大の処方箋として考えられると思う。閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) だが消費減税をする政治的資源(ポリティカル・キャピタル)が、安倍政権にないという人たちもいる。憲法改正よりも、消費減税や百歩譲っての永久凍結は難しいらしい。もし本当にそのように政治的に困難であるならば、その真因であるものはなにか。これほどの多数の民主的な支持を得ている政権でさえも実行できないとするならば、その原因こそ、野党や反安倍勢力が声高にいっている「立憲民主主義ならざるもの」ではないだろうか。そしてその正体が、財務省という一官僚集団であることもまたよくわかっていることではないか。そこを批判的に検討できないことに、政治や言論の危機を感じる。

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    ムガベ大統領と日銀、どっちの通貨政策が信用できる?

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ジンバブエのロバート・ムガベ大統領が、軍のクーデターによって退陣を迫られている。現段階では辞任を拒否しているようで、事態は混とんとしたままだ。ジンバブエといえば、経済学的には人類史上でもまれなハイパーインフレ(物価の異常な高騰)をもたらした国として有名である。また最近では、日本がアフリカ外交のひとつの拠点にしようと画策していた点でも注目されていた。 このジンバブエの経済の現状は、ハイパーインフレを防ぐための米ドルを中心とした複数外貨制を採用した結果、落ち着きを取り戻し、一時期は高めのプラス成長であった。だが、近年は低成長とデフレ経済に悩み、失業率が累増していた。つまり、社会的な不満がかなり蓄積されていたことが、今回のクーデターの背景にあったのかもしれない。ちなみにジンバブエ経済は、ギリシャ経済と似ている。自国独自の通貨を持たず、そのため金融政策は封じられている。他方で巨額の対外債務を抱え、また官僚や軍などの政府組織のリストラにも手がつけられない。金融・財政そして成長戦略ともに思うように動けないから、両国は似ているのである。テレビ演説するジンバブエのムガベ大統領=2017年11月19日、ハラレ(AP=共同) ジンバブエが過去に経験したハイパーインフレには、顕著な特徴が存在する。それは各国の中央銀行のマネーの供給量と物価の上昇レベルが「連動していない」ことだ。つまり、中央銀行が貨幣を刷る量をはるかに上回ってインフレ率が進んでいく。貨幣の量と物価の関係性が切断されている、とも表現できる。それだけ自国通貨への信頼が毀損(きそん)されてしまったのだ。 このハイパーインフレの状況は「貨幣の増加レベル+通貨の信認の低下=物価の急上昇」という公式で理解するとわかりやすい。左辺の第2項「通貨の信認の低下」がとりわけ重要だ。この「通貨の信認の低下」というものは、「そもそも貨幣とは何か」という問題に直結しているからだ。 貨幣とは何か、という基本的な問題に、最近の経済学者は「貨幣は貨幣として使われるから貨幣である」という「貨幣の自己循環論的定義」を与えている。つまり、貨幣として人々が使うがゆえに貨幣であるのだ。まるで禅問答のようだが、これがいまの経済学が貨幣を解明する上で与えた最先端の解である。代表的には、経済学者のコチャラコータ元米連邦準備制度理事会(FRB)理事や国際基督教大学の岩井克人客員教授がそのような主張である。インフレ5千億%でも使い続けた国民 貨幣が貨幣であることを保証するのは、人々がその紙や金属片を「貨幣」だと信認するときだけである。それだといかにも頼りなげであるが、存外にこの信認は強固である。例えば、ジンバブエでは5千億%のインフレになっても国民はまだこのジンバブエドルを使い続けた。物々交換や他国の通貨を闇で使うことはあったが、自国通貨を完全に放棄することはなかった。そのため、私も知人から譲ってもらったのだが、100兆ジンバブエドル紙幣まで登場していた。どんなに信用が下落しても、通貨の信用はゼロにはなりきれないのだ。(左から)10億、10兆、100兆ジンバブエドル(iStock) ただし、信認をほとんど失うことは可能で、それがジンバブエのハイパーインフレの背景だったろう。この経済危機を乗り越えて、ムガベ政権の安定性は高まったかにみえたが、前述した経済運営などの失敗が背景にあり、ムガベ大統領のほうが今度は信認を失ってしまったようだ。 さらにジンバブエの教訓は日本にも参考になる。「通貨の信認」は要するに政府や中央銀行の政策スタンスがかかわってくる。ハイパーインフレが、貨幣の発行量と連動していない、むしろ信認のキーになる政策スタンスが重要である。日本では長くデフレが問題視されてきた。デフレを脱出するためには、日本銀行がデフレ脱却に強いコミットメントを発揮する必要がある。しばしば、日銀のマネタリーベース、ざっくりいうと日銀がコントロール可能なマネーの残高や、マネーストック(通貨供給量)の残高などをみて、金融政策の評価をする人たちが多い。これらは完全に誤りではないにしても、いままで述べてきた話でいえば妥当な見解ではない。 先の式を書き換えると「貨幣の増加レベル+日銀の政策への信認=デフレからの脱却」という公式になる。貨幣の増加レベルには、マネタリーベースの増加レベルと考えていい。ただしそこが論点ではない。なぜなら、90年代からマネタリーベースを増加させても、デフレから脱却は難しかったからだ。 ところが、2012年終わりから13年を通じて、日銀が強くコミットしたインフレ目標の導入と大規模なマネタリーベースの拡大(水準でも変化率でも大幅増加)が極めて有効に働いた。消費者物価指数(CPI)では民主党政権末期のデフレ域から、総合でみて2%に迫る勢いで上昇し、また生鮮食料品やエネルギーを除くコアコアCPIでも0・7%まで上昇した。おそらく翌年の消費増税などの障害がなければインフレ目標に到達していた可能性が大きい。日銀「政策への信認」は強い? だが、いまの日銀にこの「日銀の政策への信認」が強いかといえば、筆者は正直かなり疑問を抱いている。以前の論説で書いたように、日銀には一段の金融緩和が必要である。だが、それに対して日銀の現在の執行部は慎重すぎる姿勢だ。これではデフレ脱却へのコミットについて疑義も生じかねない。 ちなみに、このような私と同じ疑義を抱いているのは、デフレ脱却を重視している人たちだけだ。他の「疑義」を日銀に抱いている人たちの多くは、単にいまの金融緩和を妨害して、できるだけ早く「出口戦略」(金融緩和の終わり)を目指したい人ばかりだ。そこは同じ日銀の政策への批判でも明瞭にわけてほしいものだ。 いずれにせよ、いまのままでの政策スタンスを継続していればよほど運のよい事態が生じないかぎり、早期のインフレ目標の達成は困難である。再びデフレ経済に戻ってしまう可能性は、ジンバブエ経済と同様に通貨への信認次第になる。もちろんデフレとハイパーインフレは真逆の現象だが、通貨への信認という点では共通する。このデフレ脱却への強い信認を得るための最も安上がりの方法は、日銀の正副総裁の交代であろう。筆者からみると、現在の黒田東彦総裁の続投は「最悪中の最善」でしかない。リフレ派の岩田規久男副総裁は交代するだろうから、副総裁もリフレ的な考えの人を入れないと市場からはリフレ的政策の交代とみなされるだろう。2017年11月18日、ジンバブエ・ハラレで「ムガベは去れ」とのポスターを掲げ、大統領退陣を求める集会に詰め掛けた人たち(中野智明氏撮影・共同) 黒田総裁に代わる人材や、リフレ的な副総裁はどれだけ在野に残っているだろうか。ブルームバーグの取材に本田悦朗駐スイス大使は、現執行部の退任とインフレ目標への強い再コミットを求めている。そして自身が総裁に任命されれば「命を懸ける」と言ったという。取材記事なのでどこまで本当かわからない。ただ本田氏の従来の発言からは矛盾はしない。本田氏以外に、在野にいるリフレ派で日銀の中で孤独を恐れず信念を貫ける人材はどれだけいるだろうか。その人数はおそらく6、7人ほどでしかない。ある意味で恐ろしいほどの人材難である。だが、それが日本の現実である。 ジンバブエでは大統領が辞任しなさそうで混乱が懸念される。日銀の正副総裁人事も、政治的に混乱することなく、デフレ脱却=リフレの本筋を貫き通してもらいたい。

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    玉木さん、あなたにモリカケ疑惑を追及する資格はない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 間もなく特別国会の審議が本格化するが、野党は相変わらず森友学園・加計学園問題を追及する構えである。最近、加計学園の獣医学部新設を認めるように、文部科学省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が答申を行ったことで話題が再燃している。 筆者は、両学園をめぐる一連の「疑惑」には事実に基づくものではない、という立場である。マスコミの一連の報道も「疑惑」だけをあおるものが多いという印象を強く持っている。両方の学園の問題については前々回に総論的なものを書いた。今回はそのとき触れていないいくつかの問題について簡単に書いてみたい。2017年11月、岡山市内で講演する文科省の前川喜平前事務次官 まず「前川喜平問題」がある。朝日新聞の加工された画像で有名になった、文科省から流出した文書に関連して、前川喜平前文科事務次官が批判する、「総理のご意向」が国家戦略特区諮問会議で審査されていた加計学園について「行政をゆがめた」、というおなじみの問題である。 「総理のご意向」文書自体に証拠となる信憑(しんぴょう)性が乏しいのは、国会での質疑などを通じて明らかになっている。つまり文科省の内部文書であるとマスコミが喧伝(けんでん)していたものは、単なる職員の裏取りなしのメモであった。また萩生田光一官房副長官(当時)、和泉洋人首相補佐官らが前川氏に「圧力」をかけたという点も、当の前川氏の証言以外になにも裏付けが取れていない。安倍政権を批判する人たちや、「疑惑」に事実と論理もなくこだわり続ける人たちは、いまだにこの前川氏の発言を重視している。 そもそもこの「総理のご意向」というのはなんだったのか。もし単に規制緩和のスピードを速めるように、諮問会議などで発言していたことを指すのならば当たり前である。国家戦略特区諮問会議は、規制緩和が必要な分野についてそのスピードと確実性をあげる制度だからだ。もし反対に、特定分野だけは規制緩和のスピードを手加減すべきだといったのなら、それのほうが大問題である。 ここで出てくるのが、加計学園の加計孝太郎理事長は安倍晋三首相の刎頸(ふんけい)の友だからだ、という「疑惑」である。友達ならば便宜を図って当然という意見だが、その種の意見がまったく規制緩和の議論において意味をなさないことは前々回に丁寧に書いたのでそれを読んでほしい。 規制緩和は特定の人間や組織に利益を与え続ける枠組みではない。それこそ獣医学部を申請することは複数校で認めたいというのが、特区会議のスタンスである。前川氏の発言は、あたかも「総理のご意向」で加計学園にのみ便宜が図られて、その結果「1校だけに限る」という結果になったというシナリオに組み込まれて、マスコミなどで宣伝されている。しかし、「1校に限る」動きは、日本獣医師会が安倍首相以外の政治家に働きかけた結果であることは、当の日本獣医師会側も認めているところである。前川氏が本当に「正義の人」ならば、「総理のご意向」で加計学園1校に絞られたわけではないことを認めるべきだろう。「天下り」と「規制」は同じコインの両面 もちろん前川氏はそんなことはしない。前川氏は課長時代から「現在ある規制はすべて望ましい」と発言している文科省の「利権の権化」だからだ。冒頭の獣医学部新設認可の答申を受けて、毎日新聞のインタビューでも「定年間近の教員が多い。(最初に入学する学生の)卒業前に先生が辞めるのなら無責任だ」「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」などと、新設反対の姿勢を崩していない。八田達夫大阪大学名誉教授の表現を借りれば、「筋金入りの岩盤規制の擁護者」である。 ちなみに教員の潜在的不足も、博士課程の未設置も深刻な問題ではない。前者は海外も含めて人材を募ればいいだけだ。後者は大学院や研究所の設置を別途図ればいいだけである。要するに新設を認可しない積極的な理由にはまったく当たらない。それがまた設置審の結論でもあったのだろう。前川氏の言い分は単なる揚げ足取り以外の何物でもない。 前川氏は天下りあっせんに関連して懲戒処分を受けた人である。天下りの問題は、天下り先が非効率的な事業を継続することで国民に損失を与えることである。その非効率性は官僚側の厳しい規制によってしばしば生じる。つまり、天下りによる弊害と規制の厳しさは同じコインの両面である。 既存の獣医学部には、文科官僚たちが多く天下りしている。もちろん獣医学部だけではない。文科官僚が広範囲に大学などに天下りしているのは周知の事実である。大学はさまざまな規制が厳しい。その中でも獣医学部は何十年も新規参入許可どころか、その申請さえも受け付けなかった岩盤規制の牙城である。現状の規制がすべて正しいとする官僚にとって、確かに規制緩和自体が「行政をゆがめる」ものに映るのだろうが、それは単に天下りなどで大学を食い物にしてきた側の理屈である。 ところで「前川喜平問題」だけではない。加計学園問題を追及する野党側にも「疑惑」がある。玉木雄一郎衆院議員は、加計学園問題で政府を追及していた急先鋒(せんぽう)だった。そして希望の党の共同代表に選ばれた現在も、やはり同問題で国会での審議を求めているようである。だが、玉木氏には過去に日本獣医師政治連盟から100万円の献金をうけた事実が判明している。つまり今回の規制で保護される側からお金をもらっていることになる。2017年11月、希望の党の共同代表に選出され会見する玉木雄一郎氏(斎藤良雄撮影) 玉木氏の国会での加計学園問題に関する追及が、そのような政治的・金銭的なつながりを「忖度(そんたく)」したものでないことを、ぜひ国会で証明してほしい。玉木氏はこの種の「悪魔の証明」を行う義務がある。それができないときは、そろそろこのバカげた不毛の問題から、野党の党首らしい政策論争に主軸を移すべきだろう。だが、それはおそらく無理な注文だろう。

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    元SMAP3人のホンネに国民的アイドルの真髄を見た

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本のソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)、特にその芸能関係において歴史的な3日間だった。元SMAPのメンバー、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾による『72時間ホンネテレビ』(AbemaTV)は、世界水準での注目を集める一大イベントになった。しかも地上波のように計算され、緊密な展開の番組ではなかった。むしろメンバーの素に近い感情のふり幅が存分に映し出され、3日間の緊張と疲労からくるグダグダ感もあり、ただそれが全て新たな自由の息吹の前で素晴らしく昇華されていた。1年8カ月ぶりの生歌唱で72曲メドレーを披露した左から草彅剛、香取慎吾、稲垣吾郎(C)AbemaTV グランドフィナーレの企画「3人だけの72曲生ライブ」を終え、他の出演者たちからの心のこもったエールが流されるエンディング。そこで本当の最後の最後に、元メンバーの森且行が出てきて「ずっとずっと仲間だから」と語ったとき、3人の目には熱いものが流れた。と同時に筆者もまた深い感動に打たれた。そしてTwitterでその思いを簡潔に以下のようにつぶやいた。感動した。SMAPで感動したのはいつぶりだろうか? この1年、感動よりも息苦しい問題意識しか抱かなかった。それを薙ぎ払う、ともかくいい番組だった。田中秀臣氏のツイッターより このつぶやきには、1000を軽く超えるリツイートと2000を超える「いいね」を頂戴した。SMAPについて書くといつも思うのだが、SMAPのファンの方々は本当に気持ちが温かく、また包容力のある方々が圧倒的に多いことだ。これは多くのアイドル批評家たちが共通して感じていることではないだろうか。 アイドル批評は、あくまでも客観的な観点からアイドルを評価するスタンスが求められる。それは時にファンの感情とは違う方向にいくだろう。筆者もSNSで何度かその「すれ違い」によってファンの方々からの批判、いやしばしば誹謗(ひぼう)中傷に遭遇することがある。ところが、SMAPの論説を書いたり、感想をつぶやいても、そのような目に遭うことは極めて珍しい。 むしろ、論説を書くたびに実感するのは、ファンの方々がみんなSMAPを愛し、そして彼らの未来に自分たちの未来も重ねて応援していることだ。その温かい心と秘めた思いに、筆者もまた心を打たれる。これは日本のSNSでは稀有(けう)な体験である。もちろんそれは筆者の個人的な体験だけではない。彼らを見守る世界の人々全ての感情だろう。今回の3人のホンネテレビへの出演で、長い間忘れていた言葉、「国民的アイドル」の本当の意味を思い出した。 SMAPは温かいのだ。そしてファンもまた温かい。世界と時代を変えるのはアイドル 今回のAbemaTVで3人が関係したSNSは幅広い。Twitter、YouTube、ブログなどさまざまであり、3人の使い慣れていない感じさえ、ジャニーズ事務所時代とは異なる自由な雰囲気も感じた。特に森との再会を契機にして、「森くん」がTwitterトレンド世界一を獲得するなど、彼らの人気はネットの中でも健在であった。この自由なアイドルの雰囲気こそ、日本が長く忘れてきた未来への可能性ではないだろうか。 くしくも、日本経済はようやくバブル崩壊後の長いトンネルを脱するところまできた。ホンネテレビが放送された翌々日、「バブル崩壊」の象徴のひとつでもあった日経平均株価は、ついに崩壊後の最高値を更新した。確実な企業業績の改善を受けて、今後株価は日本経済の巡航速度に20数年ぶりに戻るだろう。まだ何度か調整局面があるにしても、それは日本経済の上昇トレンドを阻害するほど深刻にはならないだろう。もちろん好調なのは株価だけではなく、雇用の改善も継続しているので、若い世代を中心にして労働市場は堅調だ。いろいろ難題はあるが、それでもこの20数年の長期停滞にいよいよ別れを告げる大きな段階まできたといえる。 そして20数年の長期停滞の苦しみ、特に「ポスト団塊世代」といわれる「失われた20年」の苦しみを最も受けてきた世代。その世代の代表こそが、今回の3人、森、そしてジャニーズ事務所に残る2人の「オリジナルSMAP」なのだ。SMAPはその意味で、日本の長期停滞をともに苦しみ、戦い、そして長期停滞が終わるのとまったく軌を一にして、メンバーの大半が「自由」を得た。このような時代との符号。時代の精神と経験を象徴することこそ、国民的アイドルという称号にふさわしい。森且行(右)と再開した(左から)稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾(C)AbemaTV 日本を代表するアイドル批評家の中森明夫氏が、筆者にTwitterで以下のように書いたことは、まさに真実を正確に描いている。やっぱり世界と時代を変えるのはアイドルですよね!中森明夫氏のツイッターより そしてこの約30年をともに歩んできたファンの方々も、SMAPの生み出した喜び、楽しさ、癒やし、そして魂の共感を得てきた。簡単に約30年と書いたが、とんでもない永い時だ。ファンのみなさんに敬意を表したい。日本のアイドル文化が豊かなのは、みなさんのおかげであると。アイドル批評の端くれにあるものとしてこれだけは書いておきたく、この小論を書かせていただいた。そしてこれがこの1年のSMAPをめぐる問題について何度も書いてきた最後の論説となるだろう。ありがとう 新しいこの場所が好きになった 風通しいい感じ ありのまま伝えたいホンネテレビ テーマ曲「72」 3人とSMAPファンだけではなく、今度は、われわれ国民全員とそして日本経済が「新しい場所」を獲得する番である。

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    モリカケで生き延びようとする「民進党なるもの」たち

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 自民党の圧勝に終わった総選挙だが、この1週間余り、テレビの報道は立憲民主党と希望の党に関するものでほぼ埋めつくされている印象がある。もちろん民放局は営利企業なので、視聴率のとれる話題を扱うのはやむをえない面がある。ただし、立憲民主党も希望の党も、まだ残存している民進党ももちろん、すべて「民進党なるもの」であることに注意が必要だ。つまり希望の党も、代表の小池百合子東京都知事以外はほぼ旧民進党系の議員で占められているし、他の政党は言うまでもない。2017年10月25日、国会内で開かれた希望の党の両院議員懇談会。奥中央はあいさつする小池百合子代表 つまりテレビの報道は、「民進党なるもの」の宣伝をこの1週間積極的にしているとみていいだろう。テレビの報道はさておき、民主党政権の負のイメージを抹消するために党名を変更し、そして今はアメーバのように生き残りをかけて分裂を繰り返すその政治的な生命力には感心するよりも、あきれているというのが率直なところだ。 さて、その政治的生命力たくましい「民進党なるもの」が国会で追及するとマスコミで意気込んでいるのが、例によって「モリカケ問題」である。つまり森友学園・加計学園についての安倍晋三首相への「疑惑」解明である。 さすがに半年近くやって「疑惑」以上のことがまだ何も出てこない話をまたやるのか、とあぜんとせざるをえない。いま、「与党2割、野党8割」という国会の質問時間の配分があまりに野党側に偏りすぎていることを、自民党の若手議員が問題提起して話題になっている。賛否あると思うが、単純に半々にして、少数派の声も反映させるのがいいのではないか、と思った。ところが、野党が「またモリカケ問題をやる」というあまりに無反省な発言をみて考えなおした。やはり議席配分通りでいいのではないか。 議会は政治的やりとりの場ではあるが、マスコミというかワイドショーのネタを提供する場では少なくともない。なんの論理的・実証的なものがない「疑惑」をショーのように野党がやろうとするならば、これはなんらかの歯止めが必要だろう。さらに特殊な事情もある。それは現時点の野党の三大勢力は事実上、冒頭でも書いたようにみんな「民進党」だからだ。これでは民進党の単独ショーに国会がなりかねない。 国民の大半は、野党に票をいれたのではなく、与党に票をいれたのだ。しかも最近では、国会での質問が議員の評価にもつながる傾向がある。「モリカケショー」はもういいだろう。だが、それで納得しない人のために以下にモリカケ問題とは何か、その現状の論点を書いておく。これを読んでまだ納得しない人たちは政治イデオロギーに汚染させているのだろう。 「森友」2つの論点 森友学園問題とは、同法人に払い下げた国有地が周辺の取引価格の実勢よりも極端に低かったことだ。最近の報道によれば、会計検査院の調査では、値引き額が最大6億円過剰だったという。このような過剰な値引きがなぜ起きたのか、というのが第一の論点になる。 第二の論点は、このような過剰な値引きについて安倍首相や安倍昭恵夫人が関わったのではないか、という問題である。過剰な値引きが、法的もしくは道義的な責任を伴うものならば、当然首相も昭恵夫人もその責任を問われてしかるべきものである。典型的には、贈収賄などが考えられるだろう。だが、現時点でそのような事実はまったくない。 ところが、安倍首相が国会で「私や妻が(土地の値引き交渉に)関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と発言したことが異様な拡大解釈を生み出すことになる。この「関係」を野党や反安倍系の識者、マスコミは、不法なものや道義的なものではなく、後述する「忖度(そんたく)させた罪」という一種の「魔女狩り」にまで発展させた。このことで森友学園問題は理性という歯止めを失ったと筆者は解釈している。 この「忖度させた罪」とは以下のような話である。財務省近畿財務局をはじめ、関係した省庁や職員などが、安倍首相や昭恵夫人を「忖度」して、森友学園に対して土地の価格値引きなどの便宜が図られたのではないか、という「疑惑」である。そしてこの官僚たちの「忖度」(相手の気持ちをおもんばかること)の責任を、安倍首相に要求していることだ。つまり官僚たちに「忖度させた罪」を首相は認めて、政治的責任をとれということである。 もちろんこのような「忖度させた罪」は違法でもなければ、そもそもなんらかの罪でもない。言い掛かり以上のものではない。疑いをかけられた官僚も「忖度」はないと答えればそれで終わりだ。もちろん国会でも野党の質問に官僚側はそう答えている。ましてや、赤の他人がどう思って行動しようが、基本的にわれわれには関係ない。ある日、あなたの家に警察が訪ねてくる。あなたがよく知らない他人が「あなたの気持ちを忖度して盗みを働いたかもしれないので、あなたを逮捕します」と宣告する。これを暗黒社会といわずしてなんというだろうか。「魔女狩り」の構図 森友学園問題について、野党やマスコミが追及するには、信頼できる証言や物証を掲示しなければいけない。つまり挙証責任は追及する側にある。だが、野党や一部の反安倍系の識者、そしてマスコミの一部もそのような理性的な態度ではない。これが森友学園をめぐる魔女狩りの構図である。「森友学園」が小学校用地として取得した大阪府豊中市の旧国有地。現在は国の所有に戻っている=2017年6月 このようなことを書くと、「安倍首相があんな発言をするのが悪い」と魔女狩りへの擁護論がでてくるが、本当に「いじめられるのはいじめられた方が悪い」と同じ幼稚な言いぐさである。だが、そのような幼稚な論理がまかり通っているのが日本の現状でもある。一時期ほどではないが、いまだにこのような魔女狩りとその弁護は有力なのである。 森友学園問題で最も参考になるのが、嘉悦大教授の高橋洋一氏の『大手新聞・テレビが報道できない「官僚」の真実』(SB新書)、『ついにあなたの賃金上昇が始まる!』(悟空出版)などの著作である。 高橋氏が指摘する森友学園問題の真因は簡単明瞭である。過剰に安い土地価格取引になったのは、森友学園と直接に交渉した近畿財務局の失敗である。土地に大量のごみが投棄されている可能性が大きいのに、このごみの埋設の事実を隠して、あるいは告知することを怠って森友学園と契約したことにある。そのためごみの埋没が明らかになった過程で、森友学園側に土地価格で大幅な譲歩を迫られたというのが、高橋説である。そもそも近畿財務局は、森友学園と直接の契約(随意契約)ではなく、入札方式で行うべきだったとも高橋氏は指摘する。さらにこの経緯を記した財務省側の資料が廃棄されたことも、厳しく批判している。要するに、財務省、直接の交渉者である近畿財務局の責任である。 ところが野党やマスコミ、一部の識者は、政争的思惑などから昭恵夫人や安倍首相の「忖度」責任追及に忙しい。これではむしろ野党などは、国民の多くに真実を伝えない努力をしていると指摘されても仕方がない。ライバルが断念しただけの話 加計学園問題については、野党やマスコミの姿勢はさらに深刻なものである。端的にいえば「報道しない自由」とフェイクニュースの問題である。それに加えてこの問題を追及している野党側の方こそ政治的・道義的な問題が生じていることである。 さて、あらためて加計学園問題とはなにか。加計学園の加計孝太郎理事長が首相と友人関係にあり、そのため同学園の獣医学部新設について優遇されたという疑惑のことである。この問題についても筆者は何度もこの問題について書いてきた。そもそも獣医学部の新設についての申請自体を認めない状況がおかしい。文科省などの官僚側の規制のひずみが深刻であった。そのため獣医学部新設の申請を認める、という議論が国家戦略特区会議で行われた。申請されたが、それを認めるかどうかは別問題である。この点さえもごっちゃにする議論は後を絶たない。2017年7月、衆院予算委員会の閉会中審査で、玉木雄一郎氏の質問に対して答弁する安倍晋三首相(右、斎藤良雄撮影) そして、日本獣医師会からの圧力などもあり、なんとか1校だけ申請が認められた。そのときに、十数年にもわたり繰り返し申請許可を求めていた加計学園が最優先で認められただけである。新潟市の候補も長年にわたり申請許可を求めていたが、あまりに時間がかかりすぎて途中で断念した。またしばしば話題になる京都産業大学は最近プレーヤーとして登場してきたにすぎない。京産大自身の説明でも、準備不足ということが辞退の主因になっている。時間がかかりすぎてライバル校が断念、または準備不足でもまた別のライバルが断念したために、加計学園が長年の準備を認められて申請することを許されただけである。 ここに安倍首相の「友達」だからそのような申請を認めたとする余地はない。しかも八田達夫国家戦略特区ワーキンググループ座長が明瞭に指摘しているように、国家戦略特区制度では、ある一つの特区で認められた改革は他の特区でも適用されるということである。つまり重複した議論をする必要がなくなる。八田氏の発言を引用しよう。 「話を獣医学部に戻せば、この特区法の原則では、今治市だけに特区を与えることは不可能です。1区域でできれば他でも同様にできて、必ず競争が生まれる。つまりわれわれとしては、まず『特区ができる』ことが大事なのであって、それが『どこで最初にできるのかは』重要ではありません。新しい獣医学部ができるのが、京都でも、新潟でも、愛媛でも、どこでも構わない。WGの議事録から明らかなように、実際に私は、どこが出してきたときでも賛成しています。特区の原則の下では、加計学園が最初の新設獣医学部になったとしても、それは利権になり得ません」(八田達夫「『岩盤規制』を死守する朝日新聞」『Hanada』2017年10月号)。深刻すぎる「報道しない自由」 しかも最大のポイントは、獣医学部の申請校を複数から一つに絞ることが、国家戦略特区の目的ではない。国家戦略特区を悪用して、1校に絞る画策を安倍首相がしたかのような「疑惑」をマスコミなどは繰り返し報道して、世論を誘導している。これは完全に誤りだ。国家戦略特区の目的は、先に述べたように、獣医学部の申請を、異常といえるほど何十年も認めなかったその「規制を撤廃」することにあり、それに尽きる。 獣医学部の規制撤廃は、特定の組織や関係者に利益をもたらすものではない。むしろ現状のように、獣医学部の申請さえも受け付けない官僚とその背後になる既得権団体や政治家たちの存在こそが、特定者の利益温存に動いているのである。この既得権者たちの利害構造については、国会などで前愛媛県知事の加戸守行氏は鋭く批判を展開している。しかしこの加戸氏の発言を紹介するテレビや大新聞はほとんどない。また先の八田氏も、朝日新聞に対して岩盤規制の側に立つか否か公開質問をしているが、その八田氏自身の主張の紹介を含めて、まったく朝日からは返答はない。加戸・八田両氏はともに加計学園問題のキーマンである。その証言や発言をほとんど無視するマスコミの「報道しない自由」ほど、今回深刻なものはない。2017年5月、加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が国会内で開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左) さらに野党側にも「疑惑」がある。希望の党(前民進党)の玉木雄一郎議員は、国会で首相追及の急先鋒(せんぽう)だった。しかし報道にもあるように、玉木氏には獣医師連盟から100万円の献金が行われていた。つまり規制で守られている側と親しい。このことは玉木氏が国会で行った一連の質問が、既得権者の利益を代弁して行ったものである「疑惑」がある。安倍首相のケースと違い、金銭の授受が明瞭である。この点の「疑惑」を与野党やマスコミはむしろ追及すべきだろう。ただしこの点でもネットではともかく、新聞・テレビでの追及はほとんど行われなかった。 さて、間もなく開かれる国会で、「民進党的なるもの」たちがどのようにまたモリカケ問題を追及するのか、またそれをどのようにマスコミが報道するのか、そして識者たちはどのようにコメントするのか、もういいかげんうんざりな向きも多いだろう。実際に今まで書いてきたように、根拠なき「疑惑」をまき散らすマスコミや、それを安易に信じてしまう世論にこそ反省を求めるときだと、筆者は思う。

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    「フェイクニュースの惨敗」メディアの腐敗が後押しした安倍一強

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2017年の衆院選は、誰がみても自民党の圧勝に終わった。台風の影響で開票作業がずれこんだが、追加公認した無所属3人を加えて284議席を獲得した。10議席の定数削減分があるので、占有率では上回った。連立を組む公明党は29議席と苦戦したが、それでも与党全体では改憲発議に必要な衆院の3分の2の議席を上回るというものだ。事前の世論調査でも序盤から最終盤にかけて与党の優勢が伝えられていたが、ほぼそのまま獲得議席となって現れた。開票速報センターで候補者のバラ付けに臨む自民党総裁の安倍晋三首相=2017年10月22日、東京・永田町の自民党本部(松本健吾撮影) 投開票翌日の文化放送「おはよう寺ちゃん活動中」で、コメンテーターの経済評論家、上念司氏は「フェイクニュースの惨敗だ」と今回の選挙を総括した。上念氏のいうフェイクニュース(嘘のニュース)は、朝日・毎日系列に代表される新聞やテレビが、今年冒頭から連日のように流してきた森友学園・加計学園に関する一連の疑惑報道のことを指している。疑惑の矛先は、安倍晋三首相に向けられてきた。両学園に関してなんらかの不正を首相が犯したのではないかという、現段階ではまったく事実の裏付けのない「疑惑」だ。 今回の選挙の勝利を受けて、安倍首相は今後も丁寧に説明するとしたうえで、自身への疑惑が根も葉もないことを指摘した。首相の言い分をこの場で擁護するつもりはないが、実際に森友・加計問題がマスコミで連日のように取り上げられた中で、筆者も何度もこの問題について書いてきた。結論だけ書くと、上念氏が明言したように、マスコミが首相に「悪魔の証明」(自分がしていないことを証明させる永久に立証できないもの)を求める悪質な偏向報道だということだ。 だが、今回の選挙後でも、朝日・毎日系列を中心にして、相変わらずこの両学園の問題に繰り返し言及している。一種の「社会的ストーカー」といってもいい事態だろう。もちろんマスコミには政治を客観的に批判、監視する役割がある。それが民主主義の根幹にもなっている。また時にはマスコミ自身が間違うこともあるだろう。それは選挙にかかる金銭と同じように、民主主義のコストだといえる。だが、さすがにこれだけ長期間にわたって、なんら具体的な証拠も証言も、またそもそも何が問題かさえ明白ではない「安倍首相の疑惑」を報道することは、マスコミの政治的偏向だと指摘されてもやむをえないだろう。 このようなマスコミによる政治的な誘導を狙っているとしか思えない偏向報道が長期化することは、今後の日本の政治・社会に暗雲をもたらす可能性が高い。世論調査をみると、まだ両学園問題について「(首相自身の)疑惑が解明されていない」という意見が多いようである。しかしそれが今回の投票に結び付いていない。これはなんでだろうか。筆者の推測でしかないが、ひとつは世論調査の仕方や対象に大きなゆがみがあることだろう。しばしば指摘されるのが、世論調査の方法が固定電話を対象にしたもので、そうなると高年齢の回答が多くなる。「フェイクニュース民主主義」誰が正す? 高齢者の多くは、ワイドショーなど特定のメディアで情報を入手するため、先ほどの偏向報道の影響をうけやすいといわれている。また高年齢層ほど、自民党の支持者が大きく減少することも各種の調査で明らかである。このような一種の世代効果(あるいはワイドショー効果)とでもいうべきものが本当に存在するのかどうか。この点の解明は専門家の分析を待つしかない。もうひとつは、たとえ「疑惑」があるにせよ、それが確証されていない段階では、現在の自公政権の枠組み維持のほうにメリットを感じる有権者が多いということだろう。それを示すように、安倍政権への支持率はいまだ不安定だが、他方で今回の選挙でも自民の圧勝をもたらしている。これはなかなか賢い国民の選択だともいえる。 筆者はこの連載で繰り返しているように、両学園問題は言葉の正しい意味で、首相の責任ということに関してはフェイクニュースであると確信している。その理由は前回の論説で書いた通りだ。その一方で、このフェイクニュースによって政治状況が左右される「フェイクニュース民主主義」とでもいう事態には警戒感を強めている。残念ながら、今回の選挙によってもこの種のフェイクニュース民主主義の芽がついえたわけではない。今後も警戒を続けなければいけないだろう。 経済学では、市場はお金、人材、設備などといった資源を効率的に利用できる経済環境であるとされている。だが、環境問題などに典型的なように、市場活動の結果、社会的な害悪をもたらす事実や可能性が絶えず存在する。そのとき、市場活動に問題の解決をまかせることはできない。政府の介入余地が必要になってくる。これを「市場の失敗」といい、社会的に望ましい状態と現状とのかい離を表現するものである。 ただし、このときの政府はしばしば賢く、また社会的に望ましい状況にむけて改善するものだと、一種の性善説を前提にしていることが多い。だが、実際には政府はそのような存在ではない。さまざまな既得権益や利害対立をはらむ存在である。つまり「政府の失敗」が存在する。 この「政府の失敗」を正すものはなんだろうか。それが実際にはマスコミの役割だったはずだ。だが、マスコミ自体も「報道の失敗」を引き起こす。マスコミも権力機構であり、腐敗するのだ。このようなマスコミの腐敗、またはフェイクニュース民主主義への誘導を厳しく検証する必要がある。その役割は誰がするのだろうか。 衆院解散の検討を厳しく批判した、2017年9月19日付の毎日新聞社説(左)と2017年9月18日付の朝日新聞社説 それは国民自らの関与でなくてはならない。インターネットでのマスコミ監視や、マスコミに代替・補完するさまざまな活動かもしれない。もちろん話は最初に戻り、われわれの経済活動の根幹をなす市場も失敗する。試行錯誤が続くだろう。だが、その活動をあきらめてはいけない。現状のフェイクニュース民主主義がもたらす弊害は深刻だ。そしてそれゆえに、われわれは失敗を恐れず、常に政治とマスコミの両方を冷静に事実と論理で検証していかなくてはいけないだろう。

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    有権者をそそのかす報道ステーション「依存効果」の罠

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 各社の選挙戦中盤までの情勢分析が出ているが、いまのところ総じて与党が300議席に届くかどうかという、いわゆる「与党圧勝」を伝えている。わずか2週間ほど前は、希望の党が民進党をすべて飲み込む形で、小池百合子東京都知事が国政に転じて、安倍政権が終焉(しゅうえん)するという予測を伝える報道が大半だっただけに、この様変わりは驚きに値するだろう。もっともこの「与党圧勝」という情勢分析が本当にその通りになるかどうかはわからない。いまの選挙はいわゆる「風」に依存しているし、その「風」はワイドショーなどテレビの印象で激しく変化するだろう。2017年10月、衆院選の街頭演説に集まった大勢の有権者ら=札幌市(政党名などを画像加工しています) かつて日本でもベストセラーになった『不確実性の時代』を著した米国の経済学者、ジョン・K・ガルブレイスが「依存効果」という概念を提唱したことがある。依存効果は、広告・宣伝によって消費者の購買意欲が大きく左右されることを示すものだ。依存効果が強まれば、消費者は合理的な判断ができなくなり、広告にあおられて過剰な消費に走ってしまう。政治の状況も似ていて、ワイドショーや報道番組の問題設定やそこでの映像の加工・編集、そしてコメンテーターや識者たちの発言の断片で、視聴者の意見は大きく左右されているようだ。 例えば、公示前は小池新党への期待や、その後の同党と立憲民主党の話題が、各メディアともに激増していた。ところが選挙戦が始まると、これは一例だが、10月11日にテレビ朝日系「報道ステーション」で放送された党首討論では、森友・加計学園問題が内容全体の6割を占めていた。これは国民の選挙への関心とは大きくずれた問題設定であるといえる。例えば、その報道ステーション自身が9月31日・10月1日に実施した世論調査によれば、森友・加計問題など政権固有の「スキャンダル」を論点化したいと考えている国民はほとんどいないのである。 多くの国民の関心は経済政策、安全保障問題に集中している。その他の報道機関での世論調査でもほぼ同様の傾向がみられる。国民の関心では、森友・加計問題はもう争点ではなくなっているのだろう。それだけに報道ステーションの森友・加計問題への党首討論での過度な傾斜は異様にさえ思える。ちなみに同問題については、私はかなり早い段階に本連載で、安倍首相個人や政権の固有の問題ではない、その意味での議論は事実上フェイクであると指摘してきた。マスコミがあおりたい対決図式 現状では、関係者ともいえる国家戦略特区ワーキンググループの八田達夫座長から、朝日新聞など事実上のフェイクニュースをただす公開質問が出されているが、それに対して朝日新聞の応答はまったくない(参照:「岩盤規制」を死守する朝日新聞)。その他にも多くの識者・関係者らから同問題の報道姿勢について、マスコミに批判が加えられている。その意味では、上記した朝日新聞や報道ステーションなどの、あまりに政治的に過度に偏った報道姿勢が問われている局面ではないだろうか。マスコミのあり方が、実はいまの選挙でも問われている隠れた論争点かもしれない。 マスコミの多くは選挙における政策的論争点を、「消費増税(与党)vs消費税凍結(野党)」という対立図式であおりたいようだった。この図式がいかに誤っているかは前回の寄稿で解説した。 簡単にまとめると、現在の日本経済は総需要不足、つまり国民にお金が不足している状態である。過去20年の停滞期よりははるかに改善されているが、まだ不十分である。このはるかにましになった状況は、政府と日本銀行がデフレ脱却にコミットした持続的な金融緩和の成果である。財政政策は2013年こそ拡大基調だったが、それからは14年の消費増税や以降の財政緊縮スタンスであまり効果は発揮されていない。そのため金融緩和政策を否定する政党には、日本経済の改善をストップさせてしまうから評価はできない。また消費増税はそもそも2年後であり、そのときの経済状況に大きく依存する話である。 もちろん減税をいまの段階で決めることがベストだが、それでも金融緩和政策という経済回復の前提条件を否定してまでやるとすれば、それは単に倒錯した政策スタンスでしかない。つまり何が重要かは、「いまの段階でどんな政策をやるか」そして特に「金融緩和政策への姿勢」こそが問われる。2017年10月、党首討論会を終えた(左から)公明党の山口那津男代表、自民党の安倍晋三首相、日本共産党の志位和夫委員長、希望の党の小池百合子代表、立憲民主党の枝野幸男代表=日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) その点から評価すれば、自公政権のスタンスは金融緩和政策の継続であり、この経済回復のための前提条件を満たしている。ただし2年後の消費増税を現時点で許容していることで、今後も大きな政策的争点になる。また財政政策については基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年の黒字化目標を取り下げたため、目前の財政政策の制約がなくなり拡大スタンスを取りやすくなっている。もちろん取りやすくなっただけで実際にデフレ脱却のために財政政策も積極的にやるかどうかは厳しく今後も検証すべきだろう。少なくとも衆院選後の補正予算の構築が大きな経済政策上のテーマになる。一番の争点はやっぱりこれだ さて、対する与党の最大ライバルである希望の党、立憲民主党は公約を見る限り、現時点の経済政策については、緊縮スタンスと反リフレ政策(デフレ脱却政策の否定)を主にしている。そのためそもそもの経済回復の前提条件を満たす政策を、この両党は提起しえないでいる。せいぜい2年後の消費税を凍結するといっているだけだ。つまり、これから2年間は緊縮政策とリフレ政策の見直しを続けると明言しているのである。 確かに2年たてば「凍結」せざるをえないかもしれない。ただし、日本経済がどうにもならない危機的状況になっていて、政治的に「凍結」しないとその時の政権が持たなくなるからだ。その意味では、希望の党も立憲民主党もともに危機的な政党といえる。ちなみに各党の経済政策についての評価は、エコノミストの安達誠司氏とネット放送で徹底的に議論したのでそれを参照していただきたい。 以上書いた理由から、消費増税vs消費税凍結というのはニセの論点であり、むしろ経済政策全体をみていく必要がある。この常識的な観点が、マスコミの問題設定に誘導されるとみえなくなるおそれがあるだろう。 さらに投開票日が差し迫った選挙の論点は経済問題だけではない。やはり「北朝鮮リスク」こそが選挙で問われる本当のテーマであったろう。この点についてはあまり議論が盛り上がっていないというのが率直なところだ。だが北朝鮮リスクが今後、高まることはあれ低くなることがない情勢である。2017年10月9日、平壌駅前に設置された朝鮮労働党創建記念日の飾り(共同) 端的にいえば北朝鮮リスクが戦争状態にまでなるのか、それとも北朝鮮の政治体制の大きな変更になるのか、その選択になっている状況といえるかもしれない。そのときに日本はどのような状況におかれるのか。さまざまなシナリオが具体的に考えなければいけない局面だろう。例えば、難民問題をどうとらえるのか、国連軍が立ち上がったときに日本はどう関与するのかしないのか。北朝鮮リスクを客観的に考えることは今後ともに極めて重要になるだろう。

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    自民か希望か立憲民主か、「増税」対「凍結」で判断したらダメな理由

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 22日に投開票される衆議院選挙をめぐって、主要政党の経済政策についての考えが出そろった。ここでは、自民党、希望の党、立憲民主党を中心にみておく。言うまでもなく、経済政策はわれわれ国民の生活を養う上で極めて重要度の高いものだ。北朝鮮リスクが潜在的に高まっている中でも、安全保障政策と並ぶ重要な関心事である。有権者の判断材料としても大切なものであろう。衆院選の政策を発表する希望の党の小池百合子代表=10月6日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影) 日本経済の現状はどのようなものであるか、そのときに望ましい政策はどのようなものであるか、この二つの点を明らかにしたうえで、各党の経済政策を評価していきたい。 現在の日本経済は「総需要不足」の状態にある。総需要不足とは、私たち民間の消費や投資といったモノやサービスを購入するお金の不足を表す。この原因は、消費や投資を可能にする経済全体の所得が不足しているということでもある。総需要不足というのは要するに購買力不足のことだ。この状況は、デフレーション(デフレ、物価の継続的下落)を伴っている。 簡単にいうと、デフレが継続するということは、日本経済全体で総需要不足が今後も継続する可能性が高いことを示している。例えば、経済全体でモノやサービスが売れ残っているとすれば、モノやサービスの平均価格が低下することになる。この辺りは直観的には、スーパーが売れ残りを避けるため夕方以降に総菜などの料金表示を割引価格に貼り替える状況に似ている。もし売れ残りが恒常化したり、店舗全体の売り上げも伸び悩めば、やがてスーパーの閉店や従業員・パートタイマーの解雇という最悪のケースにもつながるだろう。そのような状況が経済全体で起こっていると理解してほしい。 もちろん、経済全体で不景気が蔓延(まんえん)しているという認識は完全に誤りである。日本経済は現状では経済停滞の状況から脱却する過程にある。直近の2017年4~6月期の国内総生産(GDP)成長率は2.5%でかなりいい。雇用状況はここ数年改善傾向を続けていて、失業率も低下し、実質雇用者報酬が上昇している。正規雇用は増加し、他方で非正規雇用は昨年から減少傾向にある。デフレと総需要不足、三党の政策は? ただし、上記の総需要不足は依然として継続していて、それが日本経済の景況感をいまひとつのものにしている。これは言い換えれば、日本経済はいまだにデフレにハマっているからだ。実際に物価指標をみると、直近ではエネルギーや生鮮食料品を抜いた消費者物価指数(コアコアCPI)をみると0・2%と極めて低い水準にある。さまざまな物価指標があるが、私見ではこのコアコア物価指数が安定的に2%に近くならないかぎり、日本はデフレ経済のままであろう。つまり日本は潜在的に経済停滞に陥るリスクを常に抱えたままだといっていい。現状の雇用の大幅な改善などは、世界経済の不安定化、北朝鮮リスクの顕在化、あるいは国内政策の失敗といった何かのショックにより、容易に「失われた20年」といわれる状況に再び戻りかねない。 このような日本経済の状況を改善する経済政策の特徴は明らかである。デフレと総需要不足を解消することである。この観点から主要三党の経済政策をみておきたい。 安倍晋三首相の「アベノミクス」、小池百合子東京都知事が率いる希望の党の「ユリノミクス」、そして枝野幸男元官房長官が代表に就いた立憲民主党の「中間層の再生」政策の三つとも消費税が焦点になっている。衆院選で掲げる政権公約を発表する自民党の岸田政調会長=10月2日、東京・永田町の党本部 安倍政権は、消費増税を確約し、増税時には従来の使途の配分を修正するとしている。具体的には、国の借金の返済に充てる分から、教育の無償化など社会保障の充実に充てる部分を拡大するという。このことは基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年度黒字の先送りを伴う財政支出の拡大を潜在的に伴う。小池氏の希望の党は、19年10月の消費税引き上げを「凍結」すると主張している。この点では枝野氏の立憲民主党と同じである。ただし希望の党は、凍結に伴う代替財源として内部留保課税や行財政改革など政府の支出見直しを行うとしている。他方で立憲民主党ではこの代替財源そのものへの言及はないようだ。 この消費税を「増税」するか「凍結」するか、「それだけ」に注目するのはあまり得策ではない。もちろん現時点で消費増税を行えば明らかに経済に与える影響は悪い。実際の消費税の引き上げは2年後であり、そのときの経済状況次第だが、私見ではいまの経済政策が順調に機動したとして、ようやくインフレ目標に到達できたころであろう。まだ安定しているとは言い切れない。その意味で、消費増税は否定すべき政策である。消費増税「だけ」に注目していけない理由 ただし、注意すべき点がある。消費増税「だけ」に注目してしまうと、経済政策全体のあり方を見失ってしまうことがあるからだ。最近、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授は、人間の経済的判断が非合理的なものだとして「行動経済学」を主張している。選挙になると、各党ともキャッチフレーズを利用して特定の論点だけに人々の注目を集めようとする。これを「アンカリング効果」ともいう。例えば、安倍政権の「消費増税」というレッテルだけに注目してしまうと、まるで緊縮主義的に思えてしまう。対して希望の党や立憲民主党の「消費税凍結」の方は総需要不足を解消するような経済拡大をもたらすように見えてしまう。 だが、このような見方は「アンカリング効果」の結果にしかすぎない。「アンカリング効果」が発揮されると、われわれの判断は非合理的なものになりやすくなる。確かに安倍政権の「消費増税」が実施されれば、デフレ経済に再び転落する可能性は大きい。だが、そもそも実施が2年後であり、首相の発言では、その間「リーマン・ショック級」の事態があれば見直すともいっている。この発言は前回の消費増税先送りのときにも見られたものだ。また日本銀行による金融緩和の継続などデフレ脱却を主眼としている。つまり経済政策全体でみれば、総需要不足解消・デフレ脱却に主眼をおき、また目標未達ではあるが、経済の良好なパフォーマンスを築いてきた実績がある。経済を拡大し、税収増の中で財源を確保していくスタンスでもあるのだ。 対して希望の党は消費増税凍結をするものの、経済政策全体では「緊縮主義」的だ。消費増税凍結の代替財源として内部留保課税などを挙げている。ただ、内部留保に課税すると企業の投資に悪影響がもたらされる。総需要の主要な構成は消費と投資であり、内部留保課税はその意味で総需要不足の解消にはマイナスに作用する。また金融政策については、財政政策とともに「過度に依存しない」としており、金融政策の「出口戦略」を強調している。 デフレ脱却という目標達成の強い意思を見せないままに、金融引き締めを意味する「出口戦略」をいまから強調することは得策ではない。まずは国民の懐具合を改善するには、デフレ脱却が優先であるべきだ。またインフラ整備などの長期的な公共事業の見直しなども含めて、その姿勢は小泉政権時の構造改革を想起させる。構造改革は、経済の潜在的な成長率を高める政策ではあるが、それが正しく機能するにはまずは総需要不足を解消することが重要である。その意味で「消費増税凍結」といいながらも希望の党の経済政策は緊縮主義そのもので形成されているといっていい。立憲民主党の経済政策は? 枝野氏の立憲民主党の経済政策は、財政政策については若干拡大スタンスであり、児童手当や高校などの授業料無償化(所得制限廃止)などが盛り込まれている。この点は評価すべきだ。消費増税の凍結は、これらの財政政策の拡大と矛盾しない。また所得税の累進税率強化、相続税増税、金融課税の強化を主張している。特に所得税と相続税の見直しは、経済格差の縮小に貢献するだろう。ただし金融課税については、国際的な競争の観点から慎重に考えるべきだろう。政策発表に臨む立憲民主党の福山哲郎幹事長(左)と長妻昭代表代行。左は政策パンフレット「国民との約束」=10月7日、東京都港区(松本健吾撮影) だが、基本的に立憲民主党の財政政策のスタンスは、総額を拡大するというよりも、あくまでも総額が一定もしくは微増の下で、再分配機能を強化するものでしかない。事実上、過去の民主党政権の財政政策スタンスと変わらず、デフレ脱却を意図したものではないのだ。その中で「消費増税凍結」も位置づけるべきだろう。また、金融政策については同党の方針ははっきりしない。枝野氏は、いまの日銀の金融緩和を直ちにやめることを考えるのは難しいと発言しているが、他方でデフレ脱却への強いコミットをしているわけでもない。つまり財政政策については拡張的な姿勢だが、他方でデフレ脱却のための必要条件ともいえる金融緩和政策については消極的である。金融政策への消極姿勢をとるということは、現状の経済の好転からすると政治的な不安定要因になりかねない。 要するに、希望の党も立憲民主党も「消費増税凍結」とはいいながら、その経済政策全体は緊縮主義に大きくとらわれている。対して安倍政権の経済政策は反緊縮主義(リフレ主義)だが、将来の「消費増税」に不安を抱えている、という形だ。デフレ脱却を確実に実現するという絶対的評価からすれば三党ともに不十分であるか、またはお話にならない。しかし相対的基準でいえば、現政権の経済政策は他の二党よりもはるかにましである。その理由はすでに書いた。 公明党は安倍政権と基本的に同じだとみなしてかまわない。日本維新の会は消費増税凍結を訴えるが、やはりマクロ経済政策全体がはっきりしない。共産党は消費増税中止だが、金融緩和政策も否定的なので、マクロ経済政策の観点からは論外である。 ノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授が指摘しているように、人々の判断は必ずしも合理的に行われるとはかぎらない。むしろ、非合理的に判断することが普通だという。消費税の「増税」対「凍結」という論点のみでみてしまうと、経済政策全体が拡大重視か、緊縮的かという構図を見失いがちである。経済状況と経済政策全体のスタンスをもとに、有権者がよりよい投票を行うことを願いたい。

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    小池新党と民進党の「ドタバタ野合」に政治の倫理的腐敗を見た

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 10月10日公示、22日投開票が行われる衆議院選挙をめぐる政治情勢が混沌(こんとん)としている。特に民進党の前原誠司代表が提案した、小池百合子東京都知事が率いる希望の党との事実上の「合併」をめぐる問題は、国民の多くに分かりにくい政治劇として映っているに違いない。全国幹事会・選挙対策者会議であいさつするため演壇に向かう、民進党の前原誠司代表=9月30日、東京・永田町の民進党本部(古厩正樹撮影) 簡単に整理すると、小池知事の抜群の知名度と国民の高い支持を民進党の全国的組織、資金力と交換することで、双方が選挙で実利を得るという作戦だった。そこには両党の「理念」や「政策」の一致を真剣に議論した痕跡は皆無であり、単なる選挙対策のための、まさに正真正銘の「野合」である。 そのためか、あれだけマスコミを中心にして行われていた「大義なき解散」という批判はどこかに吹き飛んでしまった。むしろ今の国民の焦点は、この理念も政策も全くない両党の野合と、そして対する安倍政権(自民・公明連立政権)が続くか否かの二つに向けられている。どちらかというと、前者の方がこの原稿を書いている段階で注目度が高い。 希望の党と民進党の野合は、前者が後者を事実上吸収する形をとった。その際に、選挙での立候補者を「選別」することが前提条件だったようである。おそらく筆者が指摘したような野合批判をかわすためのものだろう。 この「選別」をする過程で興味深いことが起こった。ひとつは、希望の党は、政策方針として憲法改正と安全保障法制賛成の立場を鮮明にしていた。改憲は、安倍晋三首相が提案した憲法9条第3項(自衛隊の明記)ではなく、より広範囲に及ぶものにするという積極的なスタンスだ。もちろん民進党の中にも改憲派が多くいたが、それでも党内の分裂を避けるために大っぴらには議論されてこなかった。また安全保障法制については、同党は全面否定の立場で国論をリードしてきた。その基本方針に賛同してきた議員は多数に上る。その過去を一切捨てて、今や積極的に賛成する側にまわっている。安全保障法制の委員会採決のときに、体を張って阻止しようと「蛮行」に及んだ議員が、いまでは「親類に自衛隊員がいて賛成している」とにこやかに語る始末である。まさに政治の倫理的腐敗のオンパレードを見る思いである。希望も民進も経済再生に本気なのか 憲法観や安全保障の在り方をどう考えるかは、政治家としてのアイデンティティーにかかわる問題だと思うが、どうもそんな意識はいかようにも変化するのだろう。そうなると、ただ単に生活のためか、権威欲のために政治家になっている連中がこれほど多かったということになるのだろう。 民進党の希望の党への合流について、ある有名政治家はギリシャ神話の「トロイの木馬」と称したり、ある大学教授は「安倍政権を倒すために反対の立場でもともかく糾合するのだ」と発言したりしている。仮にこの「トロイの木馬」戦略を採用して政治的に主導権を握っても、立場の違いから党の中は四分五裂してしまい、この北朝鮮リスクが顕在化する状況で、国内政治の混乱がもたらされるという最悪の結果になるだろう。まさに愚か者を超えて、悪質な政治ゲームに国民を巻き込む者たちである。 「選別」の過程で起きたもうひとつのことは、いわゆる「日本型リベラル・左派」勢力が少数ながら結集したことである。現段階の報道では、民進党の枝野幸男代表代行ら希望の党から「排除」される議員を中心に新党を立ち上げるという。この日本型リベラル勢力は第三極的な立ち位置で、共産党や社民党などとの連携を強めるのかもしれない。 ちなみに、なぜ「日本型」リベラルというと、この政治集団の多くは再分配政策には意欲的でも、積極的なマクロ経済政策には消極的だからである。現在の日本のように完全雇用に達していない経済で、積極的なマクロ経済政策に消極的であることは、経済格差、貧困、そして雇用の不安定化に寄与するだろう。それは社会的弱者を保護するリベラル的な発想から最も遠い。もちろん枝野氏も、最近では消費税凍結や現状の金融政策の維持を唱えるが、いずれも消極的な採用でしかない。リベラルであれば、例えば前者の財政政策ならば増税ストップではなく積極財政を採り、後者であればより一層の金融緩和政策を唱えるのが常とう手段であろう。しかし、これは希望の党でもいえるのだが、消費増税凍結を持ち出せば国民の関心を引きつけると思って言っているだけではなかろうか。連合の神津里季生会長との会談を終え、記者の囲み取材に応じる民進党の枝野幸男代表代行=10月2日、東京都千代田区(川口良介撮影) そもそも希望の党も民進党も経済停滞を脱する意識に乏しい。これでは過去の民主党政権がそうだったように、消費増税をしないといいながら、やがて最悪のタイミングでその法案化を決めたやり口をまた採用するのではないか。希望の党も、民進党の希望移籍組も新党合流組も、行政改革など政府支出を絞るという緊縮主義、財政再建主義だけがかなり明瞭だ。他方で、マクロ経済政策、特に金融政策についてはまったく評価が低いままである。このような政治集団が政治的に力を得れば、即時に為替市場や株式市場に悪影響をもたらし、消費や投資を抑圧して再び経済停滞に戻してしまうだろう。首相会見で重要な発言は消費税ではない 自民党と公明党の政策に対する批判もある。その代表的なものは、衆院解散の意図が分からないというものだ。冒頭の「大義なき解散」の言い換えである。安倍首相がこの時期に解散を決めた要因は、大きく三つあるだろう。ひとつは、北朝鮮リスクが11月の米中首脳会談後に高まる可能性があることだ。そしてこの北朝鮮リスクはそれ以降、短期的には収束することなく、むしろ高止まりしたままになる可能性がある、という判断からだろう。 残りの二つはいずれも選挙対策的なものだ。内閣支持率の改善がみられたこと、そして小池知事の新党の選挙準備が不十分なこの段階を狙ったというものである。ただこれらふたつの要因は、マスコミの報道の仕方や、新党の行方に大きく依存するので、首相側からすれば確たる解散の理由にはなりにくい。いずれにせよ、どんなに遅くとも来年末には任期満了を迎えるので、北朝鮮リスクが相対的に低い現時点での解散に踏み切ったということではないか。 また経済政策については、安倍首相の2019年の消費増税を前提にして、その消費税の使途変更が注目されている。簡単に言うと、国債償却から教育の無償化などへの使途変更である。これについて、あたかも2019年10月の消費増税が確実に行われるとする皮相な見方がある。過去の消費増税の見送りもそうだったが、増税自体はその時々の経済状況をみて政治的に判断されてきた。使途の変更と増税「確定」は分けて判断すべきだろう。 むしろ首相の記者会見では、日本の財政再建の旗印であった基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年までの黒字化達成を断念したことの方が筆者からすれば重要である。これによって中長期的な財政支出への重しがとれたことになる。経済低迷や北朝鮮リスクによる意図しない政府支出にも十分対応可能になるだろう。一方で、経済面で残念なこともある。それはインフレ目標の早期達成をはかるためには、日本銀行との協調を再強化しなければならないのに、その点への認識が甘いように感じられる。選挙のためには、現在の経済状況の良さを強調するという戦略だろうが、まだまだ日本経済は不完全雇用の状態である。それに立ち向かえるだけの政策の装備をしなくてはいけない。報道陣の取材に応じる希望の党の小池百合子代表=10月1日、東京都中央区 このままいけば、今度の選挙の論点はワイドショー的な「安倍自民vs小池希望」という構図で騒がれてしまうだろう。または小池新党をめぐる政治的混乱に注目が集まってしまう。今の政治状況では、ワイドショー的なものがかなり政治的なパワーを持っている。もし、また安易にテレビなどの報道にあおられて、「一度チャンスを与えよう」とか「新しいものがいい」などという安易で空疎な態度で、選挙に挑まないことを筆者としては祈るばかりである。

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    安倍政権が黒田日銀に仕掛けた片岡委員「反対票」の舞台裏

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 9月20、21日の両日に行われた日本銀行の金融政策決定会合は、「現状維持」で今後の金融政策のあり方が決まった。表決に参加するのは、総裁と2人の副総裁、そして6人の審議委員であり、その多数決で政策のあり方を決めている。今回の日銀の政策決定会合は、ひとつのサプライズをもたらした。新たに任命された片岡剛士審議委員がただひとり、この「現状維持」決定について反対を表明したからだ。新委員になって最初の議決で、ひとり他の委員たちと違う票を投じることは、新日銀法下では初めての出来事である。金融政策決定会合に臨む、日銀の黒田総裁(奥中央)ら。手前右が新任の片岡剛士審議委員=9月21日、日銀本店(代表撮影) 片岡氏はいわゆる「リフレ派」のエコノミストとして有名だ。リフレ派は、大胆な金融政策を採用することを前提にして、デフレを脱却し、低インフレ状態で経済を安定化させることを目的としている。筆者もそのリフレ派の一員であることはこの連載で何度も書いているのでお分かりの読者も多いだろう。片岡氏は就任会見でも、物価安定目標の達成に並々ならぬ意欲をみせた。 また、若田部昌澄早大教授は片岡氏を評して「勇気の人」と述べている。片岡氏は長年、民間のエコノミストとして活動してきており、一企業のいわば組織人である。片岡氏の発言をみてきた経験でいうと、彼の発言は所属する組織の利害と全く関係なく、その経済学に立脚した視点と事実に対する検証に裏付けられた政策観で首尾一貫していた。日本の組織は一般的に同調圧力が強い。今回の決定会合のように、最初から自説を展開できる人が今までいなかったことも、論理と事実の検証という理屈が、いかに組織的な同調圧力=「空気」の前に弱いか傍証しているだろう。そのような日銀にも代表される同調圧力に抗する「勇気」を、片岡氏は民間エコノミスト時代から養っていたのだろう。 片岡氏の今回の日銀における「抵抗」は非常に強いメッセージを発している。片岡氏は日本銀行法が20世紀の終わりに改正されてから最も若い審議委員である。それ以前の日銀の歴史の中でも、われわれと立場が似ていた日本を代表するエコノミスト、下村治(1910-1989)に次いで2番目に若い審議委員である。またリフレ派でもあることを考えれば、この人選には官邸の意志が強く反映していると考えるのが普通だろう。つまり言い方をかえれば、官邸は片岡氏の意見を重視するはずである。ただのマイナーな意見の表明とは質が違う、と考えるべきだ。そして片岡氏が「勇気の人」であるならば、日本経済の状況と政策のあり方が変わらない限り、この「反対」の意見もまた変わることがないだろうと予測できる。繰り返すが、この「反対」は日銀への評価として、官邸や言論の場にも影響を与えることは間違いない。停滞脱出は金融政策のたまもの さて、次にいまの日本経済における金融政策のあり方を簡単にみておく。その上で今回の片岡氏の「反対」の理由について簡単にコメントしておきたい。 経済を安定化させ、雇用や生活の水準を改善していく役目を、各国の中央銀行は担っている。日本の中央銀行は日本銀行であり、その政策を決定するのは日銀正副総裁3人と審議委員6人からなる政策決定会合である。いまの日銀は経済の安定化を、物価安定目標(インフレ目標とも呼称される)を対前年比2%の水準を達成することで果たそうと考えている。なぜならば、日本経済の長期停滞は物価下落(デフレ)の継続にその真因があると、日銀は考えているからだ。 ただし、物価安定目標が導入されてから4年以上経過したが、いまだに物価水準は0%近くの低位置のままだ。その原因は、主に2014年4月導入の消費増税による消費低迷が現在も持続していることである。そして15年から本格化してきた新興国経済の不安定化、ギリシャ危機、英国の欧州連合(EU)離脱ショック、なによりも米国の金融政策が不透明化したことも大きい。 今日、後者の世界経済の撹乱(かくらん)は一息ついている状態だ。前者をみれば、17年6月の消費は名目・実質ともにプラス域に転じている。その意味では、ここ数年の日本経済の不安定感は次第に薄れているようでもある。だが、2%の物価安定目標への道のりは依然として厳しいだろう。もっとも雇用状況を含めて大半の経済指標は、日本が長期停滞に入る前の水準か、あるいは統計史上でもまれなほど改善しているものもあり、実体経済はかなり堅調ではある。これらは明らかに、不十分とはいえ長期停滞を脱しつつある証拠であり、また日本の金融政策の成果であることは疑いない。なぜなら日本経済全体を改善する政策効果のひとつである財政政策のスタンスは、この連載でも指摘しているように13年度は拡張基調だったが、それ以降は事実上の緊縮スタンスである。平成30年春に卒業予定の大学生らを対象にした企業の採用選考が解禁となり、三井住友海上火災保険の採用面接で、順番を待つ学生たち=6月1日、東京都千代田区 雇用状況を、世界経済の好転や生産年齢人口の減少による人手不足に求める不可思議な議論がある。だが、前者に関してはいま述べたように、ここ数年の世界経済は撹乱要因が大半であった。08年のリーマン・ショックにより落ち込んだ前後6年で比較すると、前では7・4%、後では5・3%である。先の「いまの雇用状況などがいいのは世界経済の好転のせい」という仮説に従うと、リーマン・ショック前は現状よりも日本経済はいいはずだ。だが、そんなことにはなっていない。つまりニセの議論なのである。 後者の生産年齢人口が減少したためにいまの雇用状況がいい、という議論もまたトンデモ経済論である。例えば、生産年齢人口は21世紀初頭から今日まで約1000万人減少している。今世紀に限定しても17年間、この減少は継続している。もし先の「生産年齢人口減少仮説」が正しければ、この減少トレンドと同時に失業率の低下や有効求人倍率の改善がみられただろう。だが実際には、小泉政権後期から08年までのリーマン・ショック以前、そして第2次安倍政権以降を抜かせば、失業率は高止まりし、有効求人倍率は極めて低かった。そうなると金融政策の緩和継続こそが、いまの雇用状況の改善に効果があったということはいえるであろう。安定的な経済再生にはあれしかない ただし、要するに金融政策は効果が極めて高かったが十分ではない。特に、経済の安定化というのは一時的なものであってはならず、継続的なものでないといけない。そのためには早急な物価安定目標の実現が必要である。その意味でも片岡氏の「抵抗」は高い評価に値する。それでは、現状までで公にされている片岡氏の反対理由をみておきたい。 「資本・労働市場に過大な供給余力が残存しているため、現在のイールドカーブ(国債の利回り曲線)のもとでの金融緩和効果は、2019年度頃に2%の物価上昇率を達成するには不十分であるとして反対した」と日銀のアナウンスメントにはある。これはまだ雇用状況の改善が不十分であり、まだまだ失業率の低下の余地もあり、そしてその結果としての賃金上昇圧力の可能性があることを、現状認識として言っている。資本市場の方は簡略にいうと企業の設備投資にまだ余力があるということである。この労働市場と資本市場の不完全利用を解消するには、いまのイールドカーブコントロールという日銀の政策手段は不十分である、というのが片岡氏の主張だ。これには私も賛同する。すでに今年の4月、この連載の中で指摘したことと全く同じだからである。以下に当該部分を再録する。 残念ながら、日銀の大胆な金融緩和政策は継続こそすれ、もう一段の緩和には動き切れていない。ここ1年をみても、短期・長期の金利を操作する「イールドカーブコントロール」やマイナス金利などを追加的に採用しただけである。これらの政策の効果はきわめて限定的だ。 例えば、イールドカーブコントロールは、具体的には国債の金利を操作することである。これは日銀の保有する国債の金利構成を変更することにもつながる。より大胆な政策であれば、最近、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授が指摘し、さらに昔にさかのぼればベン・バーナンキ前米連邦準備制度理事会(FRB)議長も主張していたように、日銀のバランスシート(貸借対照表)の構成を変化させる、例えば保有国債の償還期間長期化を財務省と交渉することも一案である。そうなれば、10年物国債を20年、30年と長期化させることが可能だろう。 さらに、高等教育無償化などの目的を持つ国債を新規発行して、それを日銀に引き受けさせるのも一案である。いずれにせよ、政府との協調が重要であることは言うまでもない。この財政政策と金融政策の協調こそが、日本経済の安定的な再生のキーポイントである(「デフレ脱却はどうなった? 黒田日銀総裁4年間の『通信簿』」)。 筆者の観測が正しければ、片岡氏の「反対」には、黒田東彦総裁が安倍晋三首相と約束した「アコード」(政策協調)の再検討が含意されているのではないだろうか。そこに今回の片岡氏の「反対」のもつ大きな意義がある。経済財政諮問会議で、あいさつする安倍首相(左端)。右端は黒田日銀総裁=1月25日、首相官邸 やがて総選挙が行われるが、そのときに改めて政府と日銀の関係が問われることになるだろう。そのときに片岡氏の「抵抗」のもつ意味がより鮮明になってくるであろう。できればその「抵抗」が日本経済に実りをもたらす方向になることを期待したい。

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    山尾志桜里は不倫スキャンダルで政治家の価値を高めるかもしれない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民進党の新代表に前原誠司元外相が選出された直後、山尾志桜里元政調会長のスキャンダルによって同党は出だしからイメージを大きく損ねてしまった。最近では、ワイドショーをはじめとするメディアの「印象」によって政治が大きく左右されてしまっている。安倍政権における森友・加計学園問題もそうだし、豊田真由子衆院議員の暴言も東京都議会選挙の行方にかなりの影響を与えただろう。民進党の両院議員総会に出席し、拍手する山尾志桜里元政調会長=9月5日、東京・永田町の民進党本部(斎藤良雄撮影) 報道によれば、前原氏は山尾氏を幹事長の要職に据えたかったらしいが、スキャンダルによってそれはかなわなかった。山尾氏は民進党から去ることで問題の沈静化を狙っている。 山尾氏のスキャンダルは男女問題が原因である。男女問題のスキャンダルについては、山尾氏が与党議員に対して倫理的な観点から厳しい批判を展開していた。そのため、今回の彼女のスキャンダルは「特大ブーメラン」などとして批判を浴びている。 また離党の理由もよくわからない、という批判もある。9月7日に行われた離党会見の文言も「倉持(麟太郎)弁護士と男女の関係はありません。しかし、誤解を生じさせるような行動で様々な方々にご迷惑をおかけしましたこと、深く反省しお詫び申し上げます。そのうえで、このたび、民進党を離れる決断をいたしました」となっている。 スキャンダルに根拠がなければただの嘘である。嘘をつかれた責任をとる必要はまったくない。ただ、安倍晋三首相に「(官僚などに)忖度(そんたく)させた罪」を問うてきた民進党だけに、その党のやり口を自身の問題にも適用したのだったら、それはそれで首尾一貫している。もっとも褒められたものではないが。パリス・ヒルトンでわかる「スキャンダルの経済学」「お騒がせセレブ」パリス・ヒルトン(2013年6月撮影) 離党の理由は、倫理的な問題よりもむしろ政治的な計算だろう。スキャンダルは必ずしも政治家や有名人にとって致命傷とはかぎらないからだ。問題はどのように制御するかに依存する。拙著『不謹慎な経済学』(講談社)の中で、ハーバード大学のジョージ・ボージャス教授の「パリス・ヒルトンの経済学」というものを紹介したことがある。パリス・ヒルトンといえば最近は、香水販売やアパレルなど実業家の側面が話題だが、少し前までは上流階級のお騒がせセレブだった。10年前、そんな彼女が交通規則違反で刑務所に収監されたことが話題になった。 ボージャス教授は「パリス・ヒルトンの経済学」の中で、この刑務所生活が彼女のセレブ価値にどんな影響を与えるかを経済学的に分析したのである。その結論は、予想に反して、「セレブとしての価値を高めるのに、今回の刑務所での服役は長期的に有効である」というものだった。その理由は「奔放なセレブ」「富豪の苦労知らずの娘」というイメージに、服役という人生の試練を受けたという「箔(はく)」を与えたことで、彼女の市場価値が高まったとみなしたのである。ボージャス教授の予言が正しかったのかはわからないが、パリス・ヒルトンはいまだに10代から30代の女性の生き方のモデルとして健在なのは確かだ。 さて、「山尾志桜里議員の経済学」はどうだろうか。ポイントのひとつは議員辞職ではなく、あくまでも民進党からの離党だということだ。冒頭でも書いたが、最近の政治はワイドショーを中心とするメディアの印象によってその方向性が大きく左右されている。特に一議員のスキャンダルが、党全体の問題として印象づけられる傾向が強い。先述した都議選のときの豊田議員の暴言や稲田朋美前防衛相の失言問題は、女性層を中心にして自民党への支持を失わせた典型例だ。 一議員の問題が党全体に波及する。経済学的には一種の外部効果だが、いまのワイドショーなど報道の在り方をみてみると、特定の政党を「悪魔」のように仕立て上げて批判することで、視聴率獲得などの歓心を得ようとしている。そのため政党に影響があればあるほど、一議員の問題の価値もまた高まるというフィードバック現象がみられる。この負の連鎖をとめるには、議員辞職が最善の選択になる。議員であるがゆえに、「不倫」というよくある出来事も報道の市場価値を持つからである。宮崎謙介元衆院議員のケースはこの対処法であった。政治家はなかなか食えない「生き物」8月21日、民進党代表選の出陣式で、山尾志桜里元政調会長(左)とあいさつを交わす前原誠司元外相(斎藤良雄撮影) 山尾氏は、議員辞職ではなく民進党の党籍を離れたので、いわば「次善の策」だ。一説には、10月に行われる衆院の三つの補欠選挙に絡んでいるともいわれている。いまの段階で議員辞職してしまうと、山尾氏の選挙区でも同日に補選を行うことになるため、候補者探しなどのコストを民進党が避けたという解釈だ。山尾氏個人は、議員であるかぎり当分の間、スキャンダルを引きずるというコストが発生する。他方で、民進党を離れたことで先の負のフィードバックから免れるという便益を得ることができる。この便益とコストの比較での民進党からの離脱だろう。 短期的には、民進党を離れたことにより党からの金銭的な支援なども受けられなくなり、その意味でのコストも発生している。他方で、長期的にみると必ずしも損ばかりとは言い切れない。議席を維持しているので、次の国政選挙のときに民進党に復帰し闘うことも可能である。その意味では、パリス・ヒルトンが一時期刑務所に入っていても「箔」がつきセレブ価値を長期的に高めたように、政治家というセレブとしての価値も長期的には高まる可能性がある。要するに、政治家はなかなか食えない生き物だということだ。 山尾氏の問題については、一部の識者たちのダブルスタンダードともいえる発言も目立っている。自民党議員に同種の問題があれば苛烈な批判をしていたのに、山尾氏には弁護的だ、というものだ。これは認知バイアス(政治的偏見)の問題だろう。 ただ、政治家の私的スキャンダルで、政党の評価を決めるような社会的風潮はやはり問題なのだ。政党の評価でいうなら、前原代表の経済政策観には深刻な問題がある。例えば、消費税を引き上げることで、社会のすべての人の幸福を実現し、分断社会にも歯止めがかかるという。 社会の分断が防げるのならそれは大いに賛成だ。だが、引き上げる消費税率だけがやたら具体的で、他方でその税金でどのくらい私たちの生活水準が向上するのか(1人当たりの所得)、また、ジニ係数などを用いて経済格差がどのくらいの数値で低下するのか、といった具体的な政策目標の値は明示されていない。ただ、単にやたらはっきりとした税率の数字と、「all for all」というスローガンが先行しているだけである。ひょっとしたら、1人当たりの生活水準の向上を断念しているのではないかとさえ思える。それこそ「反成長主義」「成長断念」というトンデモ経済思想ではないだろうか。 「山尾スキャンダル」よりも、やはり前原氏の経済政策の方が個人的にはよほどスキャンダルである。

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    北朝鮮危機、日本経済のリスクはこうやれば回避できる

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 経済を安定化させ、雇用や生活の水準を改善していく役目を、政府と日本銀行は担っている。いまの日銀は、経済の安定化を、物価安定目標(インフレ目標)を対前年比2%の水準を達成することで果たそうと考えている。なぜならば、日本経済の長期停滞は、物価下落(デフレ)の継続にその真因があると、政府と日銀は考えているからだ。政府はそれを財政政策で支えるのが通常の政策のあり方だ。 ただし、物価安定目標が導入されてから4年以上経過したが、いまだに物価水準は0%近くの低位置のままだ。その原因は、主に2014年4月導入の消費増税による消費低迷が現在も持続していることにある。これは先ほどの政府の財政政策の責務を果たすことに失敗したともいえる。もちろん消費増税はそれから2回連続して延期され、その政治的成果は評価すべきだ。だが、残念ながら財政政策の規模は、第2次安倍政権初年度にあたる2013年度を除けば、一貫して緊縮財政的なものである。他方で金融緩和政策は積極的なスタンスを崩さず、それが雇用などを中心に経済状況の改善に貢献していることは明瞭である。つまり財政政策のスタンスを緊縮型から拡大型に転換すれば、日本経済の状況はよりよくなる。 また、2015年から本格化してきた新興国経済の不安定化、ギリシャ危機、イギリスの欧州連合(EU)離脱ショック、なによりもアメリカの金融政策が不透明化したことも大きい。今年に入り、世界経済の撹乱(かくらん)は一息ついていたが、最近の北朝鮮の核・ミサイル問題によって一気に不透明感を増している。 先月末の日本の領土上空を通過した北朝鮮のミサイル発射、そしてその後の核実験で、日本の株価は下落、そして為替レートは円高に振れた。円高は、企業の収益構造をふたつの経路から悪化させる。ひとつは、輸出にとって不利に作用する。また企業のバランスシートをみると資産にある外貨建て資産の価値を低下させ、他方で負債側にある円資産の価値を上昇させる。そのため企業のバランスシートが悪化して、設備投資や働く人たちへの報酬に悪影響を及ぼす。株価の低下ももちろん企業の資産価値を低下させることで同じ影響を及ぼすだろう。9月3日、ソウル駅で北朝鮮の核実験を報じるテレビ(共同) ただし、前回の連載でも書いたが、現時点ではまだ「北朝鮮リスク」が日本経済に破滅的な影響を及ぼすほどではない。現時点で株式、為替など資産市場の不安定化は、ある程度は予想の範囲内でもあり、しばらくすればリスク発生前の水準に戻る可能性が大きい。ただしこれはあくまで楽観的な予測であり、実際には「北朝鮮リスク」がどうなるか、中長期的にみていく必要がある。 この原稿を書いている段階でも、韓国国防省は北朝鮮がさらなるミサイル発射を準備していると、韓国の国会で報告している。実際にミサイル発射が繰り返され、半島情勢が危機感を深めていけば、「北朝鮮リスク」による経済危機の可能性も高まっていく。アベノミクスの財政政策は緊縮そのもの 「北朝鮮リスク」そのものは、もちろん北朝鮮の軍事的意図をその根源にして発生しているものだ。つまり「北朝鮮リスク」を抑制ないし、払拭(ふっしょく)するには、外交的・軍事的なカードしかない。 日本が経済面でできる「北朝鮮リスク」への備えはなんだろうか。それは冒頭にも書いたが、金融政策と財政政策を経済刺激に向けてて協調させることに尽きる。だが、現状では、財政政策が事実上の緊縮スタンスのままで、この協調を破綻させてしまうだろう。それは「北朝鮮リスク」に対して日本経済を脆弱(ぜいじゃく)なものにしかねない。 財政政策の緊縮スタンスは深刻である。アベノミクス初年度である2013年度だけ、予算規模(補正含む)が約106兆円であった。2014年が101兆円、2015年が100兆円を下回り、2016年は約100兆円で推移した。初年度だけ拡大で、あとは一貫して抑制気味なのは明らかである。そして、2017年度は当初予算規模で97兆4千億円であり、いまだ補正予算の声を聞くことは少ない。 しかも、2014年度以降の予算規模において注意すべきポイントとして、消費税のマイナスの影響を勘案しておかなくてはいけない。ざっと消費税の税収を年度ごとに8兆円とすれば、上記の予算規模からこの数字を引き算する必要がある。そうなると例えば、2014年度は実際には93兆円であり、アベノミクス初年度に比べてなんと約13兆円も緊縮財政に大きく振れたことになる。もし今年度の当初予算に同じやり方を適用すれば90兆円台を割り込んでしまう。大緊縮財政になってしまうだろう。3月27日、参院本会議で、平成29年度予算が成立し一礼する安倍晋三首相(右)ら閣僚(斎藤良雄撮影) 「北朝鮮リスク」が顕在化している状況でこのような大緊縮財政を採用するのは、強い言葉でいえば狂気の沙汰である。至急、大規模な補正予算を策定する必要があるだろう。例えば、アベノミクス初年度をひとつの目標とするならば、消費増税の影響を含めた実質の予算規模との差は、約17兆円である。これだけの規模の補正予算をすれば、「北朝鮮リスク」の中で、経済を安定化させる最低限の守りができる。もちろん積極財政の資金源は、国債発行で賄う。一例としては、教育国債を発行すれば、それを日銀が買いオペすればいいだろう。もちろん公共事業(できれば多年度のインフラ投資が望ましい)、減税、あるいは防衛費の増額などでも積極的な財政の必要は大きい。 このような積極的な財政政策と金融政策の協調が行われない場合は、「北朝鮮リスク」の影響をもろにかぶってしまうだろう。言い換えると、日本経済にとっての真の「北朝鮮リスク」とは、自らの緊縮政策のことなのである。

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    加計学園ワインセラー、日刊ゲンダイの「印象操作」にレッドカード

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設問題について、またもマスコミの「事実検証なき報道」が話題を広めている。その焦点のひとつが、獣医学部の「設計図」にある「ワインセラー」というものだ。例えば、日刊ゲンダイは「驚いたのは、最先端のライフサイエンス研究とは無関係な豪華『パーティー施設』が計画されていることだ」と批判を展開している。同紙によれば、ワインセラーやビールディスペンサーなどが装備された100人規模の立食パーティーが可能な会議室は豪華であり、まったく「宴会場」というべきもので許容外であるようだ。ネット媒体のリテラも似たような論調で報じている。 このワインセラー問題は、全くくだらない問題だとは思うが、印象操作としては政権批判層の支持をある程度集めるのだろう。実際に、私の見聞でも、このワインセラー設置を安倍晋三首相と加計学園の加計孝太郎理事長の親密さを表すものとして、超越的な印象批判をする人たちをネットで見かける。 ちなみに、常識的には「なぜ獣医学部にワインセラーがあることが政権批判になるのか?」と思うところだろう。だが、日刊ゲンダイの記事では「図面が明らかになった今、獣医学部新設の必要性、国家戦略特区とアベ友の闇がさらに深まったと言える」と、ワインセラーや「宴会場」の設置が、さも安倍首相と関係があるかのように匂わせて記事は締めくくられている。そして、この話題は政治の場にも波及し、民進党の加計学園問題調査チームの座長である桜井充参院議員が、ワインセラーの設置を問題視していた。民進党が開いた「加計学園」問題に関する調査チームの会合。中央奥は共同座長の桜井充参院議員=8月16日午後、国会 先に結論を書けば、朝日新聞の報道によると、そもそもこのワインセラーは当初の図面にあるだけで、現状は別の厨房(ちゅうぼう)施設に置き換わっているらしい。つまり上記の日刊ゲンダイもリテラも事実確認をしないまま、当初設計図の記載をうのみにして記事を書いていたことになる。これではジャーナリズムとして褒めたものではなない。 ところでこのニュースをめぐって、ネットではいち早く、各大学にワインセラーなどが設置されていることが珍しくないこと、また国際会議や学会用に大学内にレセプション用(つまり「宴会」)のホールやレストランなどを設置するのも珍しくないことも指摘された。一例だが、このワインセラー設置に厳しいコメントを出していた元文部科学省官僚の寺脇研氏の出身大学である東京大学でもワインセラーは設置されているし、毎年、「東大ワイン祭り」も開催されていて、大学の「教育」活動に貢献している。ワインセラー設置は「常識外れ」じゃない 実際に、当初設計図の通りならば、100人程度の立食パーティーができる会議室転用のスペースがあるのは、どの大学でも珍しくないだろう。学会を開けば、よほどマイナーな学会でないかぎり、数十名から100人程度の参加者はあるはずだ。学会の時間をできるだけ拡張し、参加者の負担を減らすためにも学会の会場内に「宴会」スペースがあれば、参加者にとっても利便性は増す。もちろん学会などの開催を近くのホテルでやればいいというもっともらしい意見もあるが、移動の時間やコストを考えると絶対にホテルにすべきだ、とはいえない。 そもそも学会は土日に行われることが多く、民間のホテルなどを利用するときは、他の顧客との競争になってしまう面もある。これらの取引費用を、大学が内部化することは合理的でもある。その都度その都度、外部の業者と契約を交わす費用(取引費用)をかけずに、組織の中で不経済に対処することができることを「内部化」という。 さらに加計学園の当初設計図にあるワインセラーは、ただの設置タイプを想定していて、いわば冷蔵庫のようなものであり、価格も数万円から高額でも数十万円のものである。さらに、備品扱いだろうから、このワインセラーなどに今治市からの補助金が使われるかどうかもわからない。通常では建築費用に含まれないから補助金の対象外であろう。 いずれにせよ、当初設計図での話でしかなく、この加計学園獣医学部の「設計図問題」とでもいうべきものは、慎重かつ(批判するならばまずは)事実検証のもとで行う必要がある。少なくともワインセラー設置は、批判者たちが思うほどには常識外れとはいえない。 さらに加計学園には、ワインセラーを設置する「教育上の利益」もあったかもしれない。これは私のツイッターのフォロワーが教示してくれたことだが、岡山理科大学には「ワインプロジェクトプログラム」という産学官連携のワイン造りの研究計画がある。同大学のほかのセクションが作ったワインを、獣医学部にいる教職員、成人の学生などがその成果をたしなむことは教育的価値がある(もちろん希望者のみだ)。むしろ大学のアイデンティティーを形成するうえでは、同大学にとってワインは重要なものだろう。そして外部からくる多くの人たちに、ワインセラーでよく冷えた大学特産のワインを供することは、教育的な見地だけでなく、大学の広報活動としても価値があることではないか。文科省で記者会見する「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表(右)ら=8月24日 率直にいって、問題にもならない事象をあたかも大きな問題としてとりあげ、なんだか正体不明の「アベ友疑惑」につなげる一部マスコミや一部識者、運動家の発言には、そろそろ賞味期限切れのレッドカードを出したくなる今日この頃である。

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    民進党が安倍政権と張り合うには「金子ノミクス」の採用しかない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民進党の代表選は、前原誠司元外務大臣と枝野幸男元官房長官との一騎打ちの構図となった。代表選の結果は来月1日に判明し、野党第一党の新しい代表が決まる。民主党政権の瓦解、安倍政権の誕生から今日まで、日本では野党第一党の勢力(民主党、民進党)が、与党に比べて議会の勢力でも、また政党支持率の推移でも一貫して弱体化している。 最近の世論調査でも、さまざまなスキャンダル報道禍の中で、安倍内閣の支持率が揺らいでも、民進党など野党への支持率は総じて弱いままだ。産経・FNNの最新の合同調査でも、安倍政権への支持率が43・8%(前回調査より9・1ポイント上昇)、不支持率は49・0%(同7・1ポイント下落)で、依然として不支持率が支持率を上回り、国民の安倍政権に対する視線は厳しい。 この安倍政権への不支持率が支持率を上回る契機になったと思われる、森友学園問題や加計学園問題などについては、筆者はマスコミ報道や一部識者たちの姿勢に批判的であり、安倍政権の過誤よりもむしろマスコミの「ワイドショー効果」とでもいうべき負の影響の結果だと思っている。この点については別の論説で書いたので参照してほしい。衆院予算委員会の集中審議で答弁する安倍晋三首相。右は麻生太郎副総理兼財務相=2017年7月(斎藤良雄撮影) いずれにせよ、この数年にわたり「一強」といわれた安倍政権の政治的弱体化は、内閣改造後で小休止しているものの、まだ継続していることは明白だ。だが、この政治的好機にまったく民進党は乗れていない。先の世論調査でも民進党への支持率は、6・9%で0・1ポイント微減していて、低迷したままである。なお、自民党の支持率は、33%で3・9ポイントの上昇であり、民進党の約5倍近い。 このような野党第一党である民進党の不人気の理由はなんだろうか。端的にいえば、やはり民主党政権時代の政策の失敗について、国民が依然として厳しい視線を(党名が変わったとしても、中身は同じものだとして)民進党に注いでいるからであろう。この不人気を党の再建によって回復することができるのか。蓮舫代表の辞任表明を受けた今回の代表選は、マスコミの報道回数も増えて国民の注目も増し、同党にとってはまたとないチャンスである。それを生かせるのか。 最近では、マスコミ、特にテレビ(ワイドショーなど)での露出のあり方が、政治の人気・不人気をかなり左右するので、その効果は、無視はできない。しかし、こと政策ベースでとらえると、前原氏、枝野氏双方とも民進党の不人気の根源である、民主党時代の政策の失敗から教訓を得ているようには思えない。民主党政権時代の政策の失敗の筆頭は、なによりも国民の生活を困窮化させたことだ。その主因は、旧民主党の「緊縮病」的体質にある。この点については、前々回のこの連載でとりあげたが、重要なのでもう一度書いておく。「緊縮ゾンビ」という旧民主党時代の過ち 旧民主党の経済政策を総称して、筆者は「緊縮ゾンビ」と名付けた。「緊縮ゾンビ」とは、日本のような長期停滞からまだ完全に脱出していない経済状況にあって、財政再建などを名目にして増税することで、経済をさらに低迷させてしまう誤った経済思想をいう。ブラウン大学教授のマーク・ブライス氏は、「緊縮はゾンビ経済思想である。なぜならば、繰り返し論駁(ろんばく)されているのに、ひっきりなしに現れてくるからだ」(『緊縮策という病』NTT出版、若田部昌澄監訳、田村勝省訳)とも書いている。 この民主党政権時代の「緊縮ゾンビ」の典型的な政策は、消費増税の法案化である。それと同時に、積極的な金融政策を核にし、積極的な財政政策で補うという、不況脱出の常套手段を放棄したことが最も深刻な過ちである。 そしてこの「緊縮ゾンビ」から今回の二候補は脱却できたであろうか。前原氏は「中福祉・中負担」を目指して、教育の実質的な無償化や職業教育の充実などを掲げている。消費増税については、「中福祉・中負担」の核心部分であり、積極的に引き上げるべきだとしている。対する、枝野氏は、消費増税については現段階では引き上げるべきではないと述べている。そして、公共事業費などを削減し、他方で保育士などの賃金を引き上げて、雇用や消費の拡大を狙うという。民進党代表選の公開討論会に臨む前原誠司氏(左)と枝野幸男氏=2017年8月 前原氏の経済政策のスタンスは、伝統的(?)な同党の緊縮ゾンビそのものである。その意味では、まったく過去の政策の過ちを反省してはいない。消費増税をする一方で、教育や福祉を充実させて、それで国民の生活は豊かになるだろうか。また経済格差などを解消できるだろうか。 答えはノーである。消費増税政策は、むしろ国民の生活を窮乏化し、また経済格差などのデメリットを増加するだろう。「消費増税しても社会保障を拡充すれば経済格差や生活の困窮を防げる」というのは、緊縮ゾンビの主張の核心だ。前原氏のあげている「中福祉」はここでの「社会保障」に該当する。この消費増税政策は同時に、所得税から消費税への「消費税シフト」という税制の変更の一環であることに注意が必要だ。この「消費税シフト」は、財務省(旧大蔵省)が1980年代から本格的に推進している税制改革の主軸である。実際に消費税率が引き上げられる一方で、所得税の最高税率は引き下げ基調が続いた。 例えば、1986年の所得税の最高税率は、約70%だったが、「消費税シフト」に伴い引き下げられていき、1999年には37%に低下した。2015年には45%に戻しているが、所得税の累進課税としての機能はかなり低下した。つまり、より多く所得を稼ぐ人から税金をとることがなくなったために、再分配機能(経済格差の是正効果)は低下したということだ。 また、税金を多くとれるところから取らなくなったために、財政状況はもちろん悪化する。さらに経済自体も長引くデフレ不況によって税収が伸び悩むことで、さらに二重に悪化した。もちろんデフレ不況を深める上で、1997年の消費増税の負の衝撃は大きな役割を果たしてもいる。アベノミクスに代わる政策提言 そして世代にわたる資産の格差をふせぐ相続税の最高税率も1970年代では70%台だったが、今日では50%台に引き下げられている。すなわち「消費税シフト」は、人々の経済的平等を妨げてきたといえる。実は、このような「消費税シフト」が、世界的にも経済格差を深刻化させ、将来的にも無視しがたい要因になっていることは、トマ・ピケティの『21世紀の資本』などの議論で明瞭だった。 だが、消費増税への反対や不況期に行う積極的なマクロ経済政策(金融政策中心で、財政政策でそれを補う)を採用する政治家は、民進党では絶対的少数派であり、また同党の中で政治的な勢力にはまったくなっていない。筆者の見るところでは、馬淵澄夫衆議院議員が現職としてただ一人である。 さらに、同党員では、金子洋一前参議院議員が、積極的なリフレ政策の主張者であり、また消費増税反対論者としても知られていた。残念ながら、これらの筆者からすると長期不況に抗する政策を唱えることができる人たちが、野党の中で政治的な中核にならないことが、日本の経済政策論争を貧しいものにしていることは疑いない。『デフレ脱却戦記 消費増税をとめろ編』の著者で前参議院議員の金子洋一氏 例えば、金子氏は、最近意欲的に政策発信をしている。ユニークな試みであると思うが、自著『デフレ脱却戦記 消費増税をとめろ編』(金子洋一コミケ事務所発行)を出して評判になっている。その中で、金子氏は次のような、アベノミクスに代わる政策提言を行っている。 「政権との対立軸が必要なら、手垢のついたイデオロギーに囚われるのではなく、『緊縮財政をやめて金融緩和+教育子育て予算を純増』、『すでに欧州で法定化されている11時間インターバル制導入など労働時間短縮』などにしてはどうでしょうか」 この金子氏の提言は筆者も賛成である。だが、前原氏も枝野氏もともに緊縮財政、金融緩和反対である。前原氏の場合は、教育子育て予算は「純増」ではなく、増税して増やすので、金子氏のいう「純増」ではなくプラスマイナスゼロの発想だ。このプラスマイナスゼロの発想は、枝野氏も同様で、先に書いたように、公共事業を削り、その一方で保育士の賃金などをあげるものだ。 金子氏のような発想であれば、必要ならば長期的な観点でインフラ投資を増やし、また同時に保育士の賃上げも行い、また教育投資も増やすだろう。その財源は、消費増税ではない。国債の新規発行や、また所得税や相続税の税率の見直しも含めて、経済成長の安定化による税収増がその財源調達として中心になるだろう。 枝野氏は、消費増税の現状での引上げに否定的なので、あたかも「緊縮ゾンビ」ではないかのようだ。だが、枝野氏の引き上げ否定は、経済論には立脚していない。前々回の論説で指摘したように、枝野氏の消費税に対する見解は「消費税シフト」を目指すものである。 もし、その考えを訂正するならば、従来の見解を否定して、金子氏のような反緊縮政策の姿勢を明瞭にすべきだろう。それができないならば、単に経済論なき政治的な身振りと評価しても差し支えないものである。いま、アベノミクスに対抗するために求められるのは、枝野ノミクスや前原ノミクスの類いではない。先に紹介した「金子(勝ではなく、洋一)ノミクス」ではないだろうか。

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    北朝鮮リスクより危険? 経済最優先「人づくり革命」に足りないもの

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 米領グアム島周辺に弾道ミサイルを発射する準備が整ったとする北朝鮮の発言を受けて、日経平均株価は続落した。また安全志向の高まりをうけて円資産が買われ、円高も進行した。この「北朝鮮リスク」が経済状況に継続して影響を与えるかは現段階では不明である。ただ、日本経済の不確定要因として今後も注意が必要だろう。北朝鮮の労働新聞が7月29日掲載した、「火星14」発射に立ち会い、笑顔で拍手する金正恩朝鮮労働党委員長(中央)の写真(共同) GDPのプラス転換は1年半前からであり、その勢いが増しているようにも思える。だが、本当にこの「好調」は続くのだろうか。そして日本経済は1990年代からの「失われた20年」に最終的な別れを告げることができるのだろうか。 筆者は、今回の「好調」とアベノミクスの初年度に起こった出来事を比較することが重要だと考えている。アベノミクスの初年度とは、2012年第4四半期(10~12月)から2013年第4四半期までである。この時期は、翌年度の消費増税による駆け込み需要が顕在化する前であり、またアベノミクスの成果が最も明瞭だった高いパフォーマンスの期間だった。 実際にこの期間の実質GDP成長率は2・6%という高い水準だった。失業率は急減し、有効求人倍率は大きく改善し出した。アベノミクスの核となる日本銀行の金融政策も順調だった。インフレ目標で対前年比2%を目指していたが、採用前の2012年第4四半期で、消費者物価指数ではマイナス0・1%、生鮮食品とエネルギーを除く総合ではマイナス0・5%だったものが、それぞれ1・6%、0・7%にまで大きく改善した。残念ながら翌年の消費増税によってこの高いパフォーマンスは、「不十分」なものに転落してしまう。 このアベノミクス初年度の高いパフォーマンスを今回の状況と比較すると、共通する特徴がいくつか浮かび上がる。典型的には、個人消費が最も成長率に貢献しているということだ。そして設備投資がそれに続いているのも共通する。公共支出についてはアベノミクス初年度ほどではない。ただしいずれにせよ、「内需」中心の経済成長が生じている点では同じだ。「Aランク」を目指せる資産効果 個人消費の中身をみると、自動車や家電製品などの購入増や、外食の売り上げが伸びている。要するに人々の財布の中身が膨らんで、その結果として消費増加が起きている。なぜ人々の財布の中身(可処分所得)が増加したのだろうか。ここもアベノミクス初年度と共通するのだが、ひとつは資産効果によるものである。 1年前の2016年8月中旬の日経平均株価は1万6千円台だったが、現状では2万円台前後で推移している。伸び率で言えば25%ほどになる。この株高トレンドによって、家計の金融資産残高も増加している。この資産の増加が、耐久消費財などの個人消費の増加を生み出したと考えられる。また為替レート(円ドル)でみても昨年の8月は、1ドル=100円台を割り込む円高傾向だったが、現在は「北朝鮮リスク」に直面しながらも1ドル=110円台で推移している。この円安効果は、日本企業のドル建て資産を増価させ、他方で円建ての負債を圧縮することで、バランスシートの改善をもたらし、設備投資の増加に結びついていく。2万円を超える日経平均を表示する株価ボード=6月2日、東京都中央区(春名中撮影) このような株高・円安による消費と投資の増加経路は、アベノミクス初年度と全く同じである。ただし、資産効果も円安効果も、アベノミクス初年度ほどの効果はない。なんといっても、前回は民主党政権のどん底のような状況からの一大飛躍であり、その分経済への資産効果は極めて大きかった。わかりやすくいえば、全く勉強をせずに零点を採っていた学生が、ようやくやる気を出して勉強し、60点の合格点に達したのが、アベノミクス初年度の資産効果だといえる。それに対して現状では、すでに資産価値の改善は高い水準で実現していて、60点から「Aランク」の80点を目指す状況にあるといえる。前回に比べて伸びしろが限られてると言い換えてもいい。 むしろ今後のポイントは、アベノミクス初年度では不十分だった、人々の所得の増加そのものが焦点になるだろう。例えば、実質雇用者報酬は直近では前年同期比で1・4%の増加である。昨年度はほぼ2%台で推移したので、若干弱含みである。この実質雇用者報酬、つまり人々の給料そのものを増やすことが、今後の「内需」増加のキーポイントになる。 では、どうすればいいか。給料を増やすには、雇用の改善がさらに促される必要がある。確かに現状では、失業率も2・8%にまで低下し、有効求人倍率も全国・地方共に統計上でもまれにみる改善である。その他の雇用関係の指標もよく、しばしばマスコミが喧伝(けんでん)する「人手不足」がもっともらしく聞こえる。日本の雇用はまだ「リーマン前」 だが、実際には全般的な「人手不足」という状況ではない。経済全体での「人手不足」とは、総労働需要に対して総労働供給が不足する現象である。経済全体でみて、求人に対して働き手が足りないために、労働者を採用する側は、報酬を増やす必要がでてくる、というのが教科書的説明である。だが、日本経済の状況をみると、このような報酬の本格的な増加をみせるほどには、全般的な「人手不足」の状況ではない。深刻な人手不足は企業に大方針の転換を迫る。ファミリーレストランのロイヤルホストは全国で24時間営業を取りやめた=福岡市南区 実際のところ、日本の雇用はせいぜいリーマン・ショックの前の水準に戻った程度と考えたほうがいい。つまり堅調だといわれている雇用も最悪期をようやく脱したものの、まだデフレ経済の中に片足がはまった状態である。 例えば、就業率(15歳以上の人口に占める就業者の割合)をみると、現状では59・3%であり、ほぼリーマン・ショック前の水準に回帰した。だが、「失われた20年」が始まる90年代初めまでは就業率の水準は60-62%台であった。つまりまだまだ就業率に改善の余地が大きくあるのだ。例えば、非労働力人口は現状で4323万人ほどだが、このうち働く機会があれば働きたいと思っている人たちが、ざっと300万人ほどいると思われる。この300万人の多くが、働ける状況にもっていくことが重要だ。 現象的には、非労働力人口が減少し、他方で労働力人口が増加、就業率が60%台に上昇していく。もちろんその過程で失業率はさらに低下して、おそらく2・5%台前後にまで到達するだろう。このときになって初めて、全般的な「人手不足」が発生し、働く人たちの実質的な報酬も急増するだろう。報酬が増えれば、消費もさらに増加し、市場は拡大する。企業の設備投資も消費拡大を背景にして堅調に推移し、経済成長を支える。このような好循環が達成するまでは、まだまだ日本経済には不足するものがある。 その不足するものの典型は、追加的な金融緩和と補正予算による財政政策の拡大だ。財政政策については、筆者は以前から消費減税や長期間のインフラ投資を最善のメニューとして薦めているが、政治的な制約を考えれば、次善の補正予算の増加が「現実的」だろう。これらのいわゆるマクロ経済政策をさらに行うことが、いまの日本経済に重要なのだ。楽観的にいえば、あと一押しなのだ。 だが、今回のGDP速報をみて、茂木敏充経済再生担当相は、「人づくり革命」などによる生産性向上を政策対応としてあげている。だが、「人づくり革命」というのは、金融政策や財政政策のように人々の購買力を増やす政策ではない。経済を人間に例えれば、「人づくり革命」は体そのものを鍛える政策である。つまり筋肉増強みたいなものだ。だが、いまの日本経済はいわば風邪をこじらしている状況である。風邪をひいたときには金融・財政政策という「薬」が必要であり、筋肉増強のために訓練することではない。 茂木氏の発言を聴くと、本当に必要なのは「人づくり革命」よりも、政治家たちの「政策認識の革命」なのだと思う。

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    安倍総理、国民の生命より「消費増税ありき」でいいんですか?

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 安倍政権は内閣改造によって、下がり続けた支持率に歯止めがかかった。それでも、国民の政府に対する見方は依然として厳しいものがあるだろう。安倍政権はいままでも、そしてこれからも経済と外交を特に重視した運営を行うはずだ。中でも経済政策のスタンスは極めて重要だ。8月3日、初閣議後の記念撮影に臨む安倍晋三首相と閣僚(酒巻俊介撮影) その意味では、安倍晋三首相が内閣改造後に出演したテレビ番組で、2019年秋に予定されている消費増税の再引き上げを明言したことに、筆者は大きく落胆した。日本経済の長期停滞からの脱却にあと一押しが足りないのは、2014年4月からの消費増税による消費低迷に原因があることは、この連載でも何度となく指摘してきたことである。 最近の消費統計をみると、今年に入ってからの株高・円安傾向による「資産効果」や所得増などによって消費がやや上向き始めているが、それでも力強さには欠ける。その原因としては将来の増税を予想して現在の消費を手控えて、貯蓄してしまうことが考えられる。その意味では、安倍首相が予定通りの増税実施を確言したことは、消費者のデフレマインドをさらに定着させてしまっただろう。 確かに、現在の政治状況から、この時期に消費増税の「凍結」やあるいは減税などのオプションに言及することは難しい、という指摘もある。ただ、安倍政権が今後、経済政策で積極姿勢を鮮明にしない限り、内閣支持率の上昇を含めて政権の再浮揚は困難だろう。 また、経済政策は単に政権の安定だけが目的ではもちろんない。私たち国民の経済状況、さらには直接に「生命」に関わる問題でもある。7月後半に出された最新の統計によれば、今年前半の自殺者数は前年比で約5・1%減少の1万910人であった。自殺者数は民主党政権時代の後半から減少しているが、その勢いが加速したのは第2次安倍政権になってからである。その要因は、自殺対策への政府・地方政府の予算増加、さらには積極的な財政・金融政策による景気の改善効果によるものが大きい。市場に任せても自殺は防げない 1997年は日本の金融危機と消費増税により経済が大失速した年だ。自殺者数はこの年以降急増、2011年まで14年連続して3万人台であり、ピークの年では3万5千人近くに達した。さらに、自殺未遂した人や自殺しようかと悩んだ人たちまで含めると膨大な数に及ぶに違いない。つまり消費増税による経済失速、その後の経済政策の失敗が、国民の生命を直接に奪ったことになる。4月26日、自殺総合対策大綱の見直しについて議論した厚労省の有識者検討会 実は、経済政策の失敗が人々の「生命」を直接に奪うとした分析を、英オックスフォード大教授のデヴィッド・スタックラーと米スタンフォード大助教授のサンジェイ・バスが『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)で提示している。原題を直訳すると「生身の経済学 なぜ緊縮は殺すのか」というものだ。 スタックラーとバスはともに英国の公衆衛生学の専門家だ。彼らの問題意識は、医療や社会福祉(公衆衛生を含む)に経済政策がどのような影響を及ぼすかどうかにあった。その検証は鋭く、また多くの経済学者が「市場に基本的に任せておけば安心だ」という安易な市場原理主義的信奉に陥りがちなのに比べて、経済学者以上に経済政策の重要性を認識している。 スタックラーとバスの指摘で注目すべきなのは、不況そのものよりも、不況のときに緊縮政策を採用し、経済政策が失敗することで国民を殺してしまうということだ。日本の事例でいうならば、1997年以降の自殺者数の急増は、アジア経済危機や金融危機そのものではなく、消費増税(増税という形ので緊縮政策)であったということになる。また当時の日本銀行による金融政策の失敗が持続したことも大きい。 例えば、不況になれば失業者が発生する。このとき政府や中央銀行が適切に対処しなければ、失業の増加が自殺者の増加を招いてしまうだろう。日本の場合では、失業率が高まるとそれに応じるかのように自殺者数も増加していき、また失業率が低下すると自殺者数も低下していく。この関係を専門用語で「正の相関」という。不況で起こる中高年男性「自殺の引き金」 経済停滞期に緊縮政策を採用することで、男女ともに自殺者数が増加する。ただし、仕事を奪われることによる社会的地位の喪失を、男性しかも中高年が受けやすいといわれている。実際、日本の失業率が増加すると、特に中高年の男性が自死を選択するケースが激増する。現在でも男性の自殺者数は女性のほぼ倍である。もちろん女性の自殺者数も経済政策の失敗によって増加することは同じで、深刻度は変わらない。 スタックラーとバスの本では、2008年のリーマン・ショックで仕事を失ったイタリアの中高年の男性職人が「仕事ができない」ということを理由に自殺したエピソードを紹介している。つまりここでのポイントは、経済的な理由よりも地位や職の喪失そのものが自殺の引き金になっていることだ。 経済政策の失敗の典型は、不況のど真ん中やあるいは十分に回復していない段階での増税だ。先ほどのスタックラーとバスはこう指摘する。リーマン・ショック以後の英政府は当初、積極的な景気刺激策により雇用増加や自殺者減少に貢献したにもかかわらず、それを1年で止め、日本でいうところの消費増税や公務員の人件費カットなど「緊縮策」を採用したことで失業が増え、自殺も増加したとしている。 不幸なことだが、日本の政治家の大半が緊縮主義者だ。政治家の大半は、将来世代のために財政再建が必要であるとか、人口減少社会への対応で福祉を向上させるために「消費増税が必要だ」と語るケースが多い。だが、長期停滞、つまりデフレによる経済低迷を脱しないままで消費増税を目指すことは、確実に国民の生命を傷つけ、最悪の場合、奪ってしまうだろう。 消費税と社会保障があまりも強固に結びついてしまっている日本の制度設計の失敗の問題でもある。いずれにせよ、将来世代と現在の国民の生命と生活の安定を本当に重視するならば、まずはデフレを脱却させ、経済停滞を回避することが最優先であって、「消費増税ありき」「財政再建ありき」ではないのだ。安易な消費増税の確約は、国民の生命を危機に陥れると宣告することに等しい。日本の政治家は、特にこのことを心に刻んでほしい。

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    「利上げして景気回復」枝野幸男の経済理論が凄すぎてついていけない

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 民進党の蓮舫代表と野田佳彦幹事長がともに辞任する。これを受けて次期代表をめぐる戦いが注目されている。今のところ本命視されているのは、「リベラル」寄りの枝野幸男前幹事長、「保守」寄りの前原誠司元外相の二強対決らしい。7月27日、会見で辞任する旨を表明する民進党の蓮舫代表(春名中撮影) もちろんこのリベラルと保守という対決図式は、筆者にはどうでもいい。民進党がなぜ民主党時代に政権を追われ、そしてそれ以後も党勢が回復しないか。そして蓮舫代表が野田幹事長を選んだ以降、なぜ急速にその党内外の支持を失ったのか。そこを考えれば、同党の経済政策のあり方こそが、国民的な関心事ではないか、と思う。だが、どうもマスコミや同党の支持者だけではなく、民進党自身にもその意識はないようだ。 簡単に言うと、前原氏も枝野氏も経済政策のスタンスは変わらない。相変わらずの「消費増税ありき」の緊縮主義である。民進党の経済政策を総称して、筆者は「緊縮ゾンビ」と呼んできた。そして、今回の代表選もどうやら「緊縮ゾンビ」たちの顔ぶれしか拝めなさそうである。 「緊縮ゾンビ」とは、日本のような長期停滞からまだ完全に脱出していない経済状況にあって、財政再建などを名目にして増税することで、経済をさらに低迷させてしまう誤った経済思想を持った人々のことを指す。日本はこの「緊縮ゾンビ」が政界を中心にして大流行していて、なかなか退治できないでいるのが現状だ。ブラウン大学教授のマーク・ブライス氏は、「緊縮はゾンビ経済思想である。なぜならば、繰り返し論駁(ろんばく)されているのに、ひっきりなしに現れてくるからだ」(『緊縮策という病』NTT出版、若田部昌澄監訳、田村勝省訳)とも書いている。 ただ、民進党首脳の過去の発言を見る限り、消費税の引き上げに反対したこともある。直近では2016年の再凍結のときだ。だが、反対の理由として挙げたのは、経済への悪影響ではない。軽減税率の導入への反対や、衆議院の定数是正などに絡めたものであった。要するに、その都度その都度の政治情勢で、まともな理由にならないものを列挙し、消費税についての立場を変更しているともいえる。だが、その基本的なスタンスは、消費増税への賛同であることは間違いない。消費増税は低所得者層に有利? 今回の有力候補といわれる二人の消費税に対するスタンスを見ておこう。前原氏は、昨年の代表選で出した「まず身を切る改革・行政改革。その上で希望と安心のALL for ALL 『尊厳ある生活保障』」と題された資料を見てみると、消費税を10%に引き上げ、教育や保育の充実を目指すと述べていた。積極的な金融緩和など、今日の日本経済で効果を上げている政策についてはほぼ無視している。前原氏については今回も大差ないのではないか。つまり、前原氏の経済政策観は、民進党のスタンダードなものである(参照:「反省なんてまるでない! 「緊縮ゾンビ」だらけの民進党代表選」)。いままでこの連載でも多くを書いてきたので、今回は枝野氏について特に紙数を割きたい。地元の祭りに参加し、住民と言葉を交わす民進党の前原誠司元外相=7月30日、京都市左京区 枝野氏については、2012年に出された著作『叩かれても言わねばならないこと。』(東洋経済新報社)が参考になる。同著では、所得税よりも消費税がむしろ現在の生活水準が高くない層には有利だと説明されている。消費税が、低所得者層に負担が重いという「逆進性」の指摘を否定している。そして消費が多く生活水準の高い「引退世代」に負担してもらうという主張であった。 しかし、この枝野氏の主張ほど実際の消費税の負担について間違ったものはない。消費税の「負担額」は確かに高所得者の方が大きいが、やはり「逆進性」の懸念通りに、低所得者層の方が消費税の「負担率」が高くなっている。 消費増税が直近で行われた2014年4月から8月にかけての統計データを見て、現在の日本銀行審議委員である片岡剛士氏は、『日本経済はなぜ浮上しないのか』(幻冬舎)の中で以下のように指摘していた。「消費税増税が始まった2014年4月から8月にかけて悪化が深刻であるのは、世帯所得が最も低い第一分位及び第二分位といった低所得層の家計消費であり、かつ勤労者世帯の中でも非正規労働者の比重が高い低所得者層の悪化度合いが深刻であることがわかります。消費税増税の逆進性に伴う負担率の高まりが低所得者層を中心に生活防衛意識を高めて支出を抑制しており、家計消費の回復にブレーキをかける一因となっているのです」(同書、180ページ)。 この状況は2014年から16年までほとんど変わらず、低所得層の消費の動きは低迷したままである。枝野氏の主張は現実の動きの前では否定されたといっていい。信じられない枝野氏の「トンデモ経済論」 さらに枝野氏には興味深い主張がある。それは以前から「利上げして景気回復」という主張である。これは端的にトンデモ経済論の域だと思われる。筆者の知る限り、08年9月下旬のテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」の番組中に表明している。当時はもちろんリーマン・ショックが顕在化したころであり、深刻な経済危機に世界が直面していた。その中での発言である(当時の記録が筆者のブログにある)。 通常は、経済危機や深刻な不況のときは、金利を引き下げることが重要だ。もし金利を引き下げる余地がないときは、今度は中央銀行が供給するマネー自体を増やしていく、さらには物価安定目標(インフレ目標)の導入で人々の予想をコントロールしたりすることが重要だ。なぜ金利を引き下げるかといえば、経済が落ち込んでいるときは、民間の消費や投資が振るわないときだ。例えば、住宅ローンでも車のローンでも金利を安くした方が借りやすくなるだろう。もちろん金利が変動型であればそれだけ返済負担も少なくなる。消費だけではなく、企業の設備投資のための金利負担も軽くなる。 だが、どんな教科書にも経済危機や不況に、金利を引き上げて景気回復が行われるとは書かれていない。当たり前だが、そんなことを経済危機に行えば、経済は壊滅的な打撃を受けるだろう。それをリーマン・ショックの時期に行えというのは、かなり経済政策のセンスを根本的に疑う事態だろう。「朝まで生テレビ」で同席していた嘉悦大学の高橋洋一教授も同様に、枝野氏の経済政策観を批判している。 やはり、枝野氏の経済政策観は、緊縮主義、その一種である「清算主義」に立脚しているかもしれない。不況や経済危機のときに、積極的な金融緩和や財政拡大で介入することは、かえって非効率的な企業や非効率な人々の経済活動(一例で余剰人員など)を温存させてしまう。だから不況や経済危機は市場に任せて放置した方がいいという経済思想である。そしてこの清算主義もまた間違っているにもかかわらず、何度も政策議論の場でよみがえってくるゾンビでもあるのだ。講演後に記者団の取材に応じる民進党の枝野幸男元官房長官=7月29日、さいたま市 ただ枝野氏は「利上げ」という形で積極的に市場に介入して、さらに不況を深めるかもしれないので、積極的清算主義という新種の可能性がある。このような「介入」が、彼が市場に任さないで、政府の活動を重視する「リベラル」という評価の源泉なのかもしれない。ただあまりに「自由すぎる」発想で、筆者はついていけないのだが。 まじめに話を戻せば、前原氏も枝野氏もともに緊縮主義であることに大差なく、蓮舫-野田体制とこの点で変化はみじんも期待できないのではないか。ここに民進党の低迷の真因がある。

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    「加計ありき」で発狂するワイドショーの安倍叩きがヒドすぎる

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 7月24日に衆院予算委、25日には参院予算委で、いわゆる閉会中審査が行われた。テーマは、加計学園の獣医学部新設計画をめぐる「問題」である。なぜ「」でくくったかというと、この件には具体的な問題が不在だと、私が思っているからだ。しばしば新聞やワイドショーなどのメディアでは、「加計ありき」という言葉を聞く。これは安倍晋三首相と加計学園の理事長が友人関係にあり、そのため獣医学部新設について優遇されたという疑惑があるという。 では、どんな具体的な「疑惑」なのだろうか? そしてそれは違法性があったり、あるいは政治的、道義的責任を発生させる「問題」なのだろうか? 具体的ならば一言で表現できるはずである。だが、繰り返されるのは「加計ありき」というおうむ返しと、なんの実体も伴わない「疑惑」のバーゲンセールである。 「疑惑」を持つことは結構である。実際に政府にはさまざまな権力が集中していて、それをチェックするのは政治家やメディア、そしてなによりも私たち国民の責務である。だが、その「疑惑」は少なくともある程度の具体性を持たなければならない。7月24日、衆院予算委の集中審議で、答弁に立つ和泉洋人首相補佐官(左)と前川喜平前文部科学事務次官(斎藤良雄撮影) 例えば、「総理のご意向」を書かれた文部科学省の内部メモである。出所がいまだにはっきりしないこの内部メモには、和泉洋人首相補佐官から「総理の口から言えないから」としてスピード感を持って取り組むように、と前川喜平前文科事務次官に伝えたとある。どうも「総理の口から言えないから」の存否が論点らしい。前川氏はそのような発言があったとする一方、他方で和泉氏は否定している。 しかしそもそもこの文言があったとして、何か重大な法律違反や不公平な審議が国家戦略特区諮問会議の中で起こったのであろうか。むしろ規制緩和のスピードを速めることは、国家戦略特区のあり方でいえば正しい。ましてやその内部メモには、加計学園に決めよ、という誘導を示すものは何もない。だが、多くの報道は、なぜかこの点を飛び越えてしまい、「加計ありき」のシナリオとして読み込んでいる。「ありき」論者たちの思い込みである。 ちなみにこの内部メモが作成された段階では、京都産業大も候補として残っていたのだから、「京産大ありき」や「加計も京産大もありき」の可能性さえも、「ありき」論者たちの読み込みに付き合えばありえるだろう。だが、もちろん「ありき」論者たちは、加計学園の加計孝太郎理事長が安倍首相の「お友達」なので、「加計ありき」だと証拠も論理的根拠さえもなく、断定するわけである。およそ良識外だ。ニュースの消費は「娯楽の消費」 連日のように新聞やワイドショーなどのテレビ番組が、このような実体のおよそ考えられない良識外の「疑惑」を2カ月にわたり流し続けてきた。他にもさまざまな要因があるだろうが、安倍政権の支持率はがた落ちである。ワイドショーなど既存メディアの権力の強さを改めて実感している。7月25日、参院予算の集中審議で、民進党・蓮舫代表(右下)の質問に答弁する安倍晋三首相(川口良介撮影) 加計学園「問題」の真偽については、筆者も以前この論説などで書いた。また当サイトでも他の論者たちが実証的に議論しているだろう。ここでは、主に森友学園「問題」や加計学園「問題」などで明らかになってきた、ワイドショーなどマスメディアの報道の経済学について簡単に解説しておきたい。 経済学者でハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ジェンセン教授が、1976年に発表した「報道の経済学に向けて」という野心的な論文がある。通常の経済理論では、財やサービスに対する消費者の好み自体には無関心である。ある特定の好みを前提にして、単に価格の高低にしたがって需要と供給が一致することで現実の取引が決まると考える。だが報道の経済では、ニュースという「財」そのものが消費者の好みを作り出すことに特徴がある。ここでいうニュースは、政治、経済、芸能などの中身を問わない多様なメディアが提供する広告宣伝以外のサービス総体を指す。 ジェンセン氏は、ニュースの消費は、「情報」の獲得よりも、エンターテインメント(娯楽)の消費であると喝破する。つまりテレビなどの「報道」は、ディズニーランドで遊ぶことや、または映画や音楽鑑賞、アイドルのライブで沸き立つことと同じだということだ。これは慧眼(けいがん)だろう。日本のようにワイドショー的な「報道」方法が主流ではなおさらのことだ。 ジェンセン氏は、この報道=娯楽、という視点から、どんなニュースが消費者の好みを作り出し、また消費者は実際にそれを好むかを主に3点から解説している。1 「あいまいさへの不寛容」…ニュースがもたらす「疑問」「問題」よりも、単純明快な「解答」をニュースの視聴者は求める。証拠と矛盾していても、また複雑な問題であっても、単純明快な「答え」が好まれる。ニュースの消費者の多くは、科学的な方法を学ぶことにメリットを見いだしていない。つまり学ぶことのコストの方が便益よりも大きいと感じているのだ。そのためニュースの消費は、いきおい、感情的なもの、ロマンチシズム、宗教的信条などが中核を占める。単純明快な二元論を好む消費者2 「悪魔理論」…単純明快な二元論を好む。善(天使)VS悪(悪魔)の二項対立で考える傾向が強い。極端なものと極端なものを組み合わせて論じる報道が大好きである。特に政府は「悪魔」になりやすく、政府のやることはすべて失敗が運命づけられているような報道を好む。まさにいまの「学園シリーズ」の報道はこの図式にあてはまる。「天使」は前川喜平氏なのだろうか。「悪魔」は安倍首相であることは間違いないだろう。その友人や知人は「悪魔」の一族なのだろうか。 また対立する意見や見解を明らかにするよりも、「人間」そのものやゴシップを好む。それが「面白い」娯楽になるからで、それ以外の理由などない。戦前も朝日や毎日などの大新聞は、政治家や著名人のスキャンダルを虚実ないまぜにして取り上げては、政権批判につなげていた。このような悪しき人物評論については、戦前もかなり批判があった。政策の議論よりも政治家の「人間性」という実体のわからないものに国民の関心が向き、それで政策の評価がなおざりになるのである。3 「反市場的バイアス」…市場的価値への嫌悪をニュースの消費者は持ちやすい。例えば規制緩和や自由貿易への否定的感情がどの国も強い。例えば、今回の加計学園「問題」は、規制緩和が敵役になっているといっていい。規制緩和は、国民全体の経済的厚生を改善するのだが、それよりも規制緩和は、むしろ国民の利害を損なうものとしてニュースの消費者から捉えられるという。今回も既得権側の日本獣医師会や、また文科省などの官僚組織、そしてそれを支援する政治家たちの方が、安倍政権の批判者たちには人気のようである。 ジェンセン氏の報道の経済学はいまの日本の政治状況、そして報道のあり方を考える上で示唆的である。しかし、いまの日本の報道が、もし真実よりも「娯楽」の提供を中心にするものだったとしたらどんなことがいえるのか。その答えは簡単である。現在、新聞やテレビなどの企業群が、報道の「公正中立」などを担保として持つさまざまな特権が、国民にとってアンフェアなものだということだ。 さまざまな遊園地や映画館、そしてアイドルたちも政府から優遇的な規制を受けてはいない。それと同じように、日本の報道機関は、いまのような「娯楽」中心の報道を重ねるかぎり、政府からのさまざまな優遇措置を保証する国民が納得する根拠はない。軽減税率の適用除外、再販売価格維持の見直し、記者クラブ廃止、新聞とテレビのクロスオーナーシップ禁止、新聞社の株式売買自由化などが検討されるべきだ。今回の新聞やワイドショーなどテレビの「学園シリーズ」をめぐる報道は、日本の報道のあり方を再考するまたとない機会になっている。

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    民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 世の中に取り組まなければならない政治問題が100しかないとすれば、民進党の蓮舫代表のいわゆる「二重国籍問題」は、その中でも99番目か100番目の重要度しか持っていないというのが私の見方である。日本と台湾の「二重国籍」解消に関する記者会見に臨む民進党の蓮舫代表=7月18日、東京・永田町の民進党本部(酒巻俊介撮影) この二重国籍「問題」について、ネットでは執着して批判する人たちがわりと多い印象を持っていた。ただ「問題」が発覚してからだいぶ時間も経過し、一部の人たちの熱い関心以外は、このまま立ち消えするものと思っていた。ところが最近、またこの「問題」が再炎上している。 そのきっかけは東京都議選の民進党の惨敗である。具体的には民進党の今井雅人衆院議員が「この問題をうやむやにしてきたから、党はピリッとしない」などとツイッターで書いたことがきっかけのようだ。同党の原口一博衆院議員も同じ趣旨のツイートをしている。これらの民進党議員の発言は、安倍政権への支持率の急低下が生じている半面、その反対票の受け皿として全く機能していない同党衰退への危機感が裏側にある。実際に世論調査をみても、民進党への支持は相変わらず低調だ。 私見だが、蓮舫氏の二重国籍「問題」は、まず説明が二転三転したこと、そして過去のメディアでの発言との非整合性など、その政治家としての発言の首尾一貫性への疑問に尽きるだろう。昨秋米国との「二重国籍」状態が発覚、その後解消した自民党の小野田紀美議員が指摘しているように、だいたいの人たちは蓮舫氏の出自や差別の話などはしていないだろう。 もちろん差別主義的な発言も目にするが、蓮舫氏の発言が矛盾していることへの疑問が多数だ。むしろ、蓮舫氏がこの機会に自分の立場を国民の多くが納得する形で発言すれば、差別主義的な発言に抗するいい機会にもなるかもしれない。そのときに戸籍謄本の開示が必要かどうかは、それは単なるひとつの証拠物が必要かそうでないかのレベルだと筆者は思う。別に開示がなくても、蓮舫氏が国民の疑念を払拭(ふっしょく)できると思うならば、それだけの話である。言い換えれば、戸籍謄本の開示なしで説得に失敗しても、またそれだけの話でしかなく、周りが強制すべき話では一切ない。もちろんこの点については議論が分かれるだろう。筆者も自分の見解が最善だというつもりもない。身内が指摘する民進党「低迷の根源」 だが、民進党が本当に国民の信頼を取り戻そうとするならば、その方向性だけは明瞭である。例えば、民進党の金子洋一前参院議員が以下のように発言している。「民進党の議員たちに問う。蓮舫氏が戸籍を公開すれば、党勢は上向く。そう本気で思っているのか。なぜ、野党第1党の民進党が、政権の受け皿として認知されないのか」 金子氏はいわゆるリフレ政策の主張者として長く知られてきている人だ。現在のアベノミクスの骨格部分である、大胆な金融緩和政策を基本とする政策をリフレ政策という。そもそも安倍晋三首相よりも金子氏の方がリフレ政策の理解は熟達している。公平にいえば、安倍首相の理解もかなり上級だ。こう書くとすぐに安倍擁護だという人がいるが、あくまで国会答弁を見た客観的な評価である。民進党の金子洋一前参院議員 いずれにせよ、金子氏が言いたいことは、おそらく民進党の低迷の根源には、その政策無策、特に経済政策の無策があるということだろう。金子氏の従来の発言を追ってみても、そのことは明瞭である。より具体的にいえば、いまの蓮舫代表と野田佳彦幹事長の体制に色濃い、反リフレ政策、消費増税路線への批判である。これらの政策が、民進党が国民に全く支持されない原因であることを、金子氏は言いたいのではないか。 金子氏の著作『日本経済復活のシナリオ』(青林堂、2014年)では、以下の3点をあげている。1)日本銀行による金融緩和は強化すべきだ。また、消費増税の判断は慎重にすべきだ。2)景気対策として数兆円規模の輸入物価上昇対策のための補助金を実現すべきだ3)政府の経済政策を「雇用重視」にかじを取るべきだ。 これらの提言は、多少の修正が必要かもしれないが、現在の日本経済を考えるうえで重要だ。そしてこのような政策提言こそ、いまの民進党にこそ求められているのではないだろうか。大変貌に必要なのはこの政策 例えば「雇用重視」だが、金子氏も強調しているように、いまの日本には「雇用の最大化」すなわち失業を予防するために働く官庁がない。金融緩和政策は、日本の雇用を大幅に改善したのだが、本来、日銀にとってその使命は法的に自明ではない。現在、たまたま安倍政権と協調しているために雇用重視のスタンスをとっているだけだ。そのため「雇用最大化」と「物価安定」のふたつを日銀に課すような日銀法改正を目指すことを金子氏は説いていた。これは現在の安倍政権でも全くなおざりにされている点だ。この日銀法改正によってさらにリフレ政策は強化される。もちろん民進党の政策として採用されるならば、筆者は応援するだろう。2011年11月、民主党政権時代の野田佳彦首相(左)と蓮舫行政刷新担当相=東京・サンシャインシティ文化会館(瀧誠四郎撮影) また消費増税を明確に否定することも重要である。これは民主党時代の野田政権での政治的な大失敗だし、また今日の安倍政権が2014年に行った現実的な失敗でもある。もし消費増税の放棄と、それに代わるリフレ政策による財政健全化を優先することを表明すれば、国民の多くは民進党の性格が大変貌したことを瞬時に悟るだろう。 また民進党ならではの「弱者」保護政策も重要だ。例えば上記2番目の補助金政策は、電気料金の引き下げや、ガソリン税・軽油引取税などの廃止ないし引き下げなど、低所得者層へ恩恵のあるものである。 だが実際には、民進党は金子氏を参院選で見殺しにしたといっていい。神奈川選挙区に複数候補を立ててこの有為な人材を国会から失った。その損失は計り知れない。 他方で、自民党もそうだが、国会議員の多くが「消費増税主義」を全く変えることがなく、しかもバーゲンセールできるほど存在している。この病は深刻である。蓮舫氏の二重国籍「問題」は人によっては重要かもしれない。しかし私見では、その「問題」がどうあれ、ほとんどの国民にとって、政治、経済、外交の多くの課題の前では優先度は限りなく低い。 筆者は民進党の政策を批判する点では、日本の論者の中でも筆頭に位置するくらい辛辣(しんらつ)であると認識している。だが、それでも最大野党が本当にどうしようもない事態であることには危機感もある。 ちなみに、金子氏は経済政策でも卓越しているが、8月13日に東京・ビックサイトで行われている国内最大規模の同人誌即売会、コミックマーケットに参加するらしい。筆者も時間が合えば行くつもりだ。もはや民進党関係では、金子氏のコミケ参加が個人的に最大の注目になってしまったのである。

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    「消費増税、反アベノミクス」石破茂の総理への野望を阻止せよ!

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 東京都議選の前後から妙にマスコミが熱心に取り上げている政治家がいる。石破茂前地方創生担当相である。どうも最近の「安倍下ろし」とでもいうべき、一部のマスコミが扇動している政治ショーのクライマックスは、この石破政権の誕生であるようだ。これは筆者だけの妄想ではないようで、嘉悦大学教授の高橋洋一氏も最近の論説を読むかぎり、同様の動きを察知しているようである。政治家の野心とそれに乗じる特定のマスコミの動きが連動しているのは、一昔前に比べれば、ネットなどを通じて誰でも見抜きやすくなっている。東京都議選で自民党公認候補の応援演説を行う石破茂前地方創生担当相=6月24日、東京都墨田区(納冨康撮影) 石破氏の経済政策のスタンスは、高橋論説にも言及されているように「反アベノミクス」に尽きる。アベノミクスは3点から構成されていて、大胆な金融緩和政策、機動的な財政政策、そして成長戦略である。このうちアベノミクスの核心部分が大胆な金融緩和政策にある。政府は日本銀行の人事を国会での議決を通じてコントロールし、この大胆な金融緩和政策、いわゆるリフレ政策(デフレを脱却して低インフレ状態で経済を安定化させる政策)を実現しようとしてきた。石破氏の「反アベノミクス」とは、このリフレ政策への批判に他ならない。 例えば、まだ民主党政権の時代に評論家の宇野常寛氏との共著『こんな日本をつくりたい』(2012年)の中で、宇野氏のリフレ政策をとっても良いのではないか、という問いに対して、石破氏は即時に否定している。石破氏の理屈では、リフレ政策は「二日酔いの朝に迎え酒飲むようなもの」で、続けていけばハイパーインフレ(猛烈なインフレ)になる可能性があるというものだった。 石破氏の反リフレ政策の議論は、マネーのバラマキを継続すればハイパーインフレになるというもので、これは石破氏の年来の主張でもある。2010年7月のインタビューで、すでに彼は次のように述べている。(みんなの党(当時)が提出したデフレ脱却法案について) わたしはああいう考え方をとらない。マネーのバラマキは効果的かもしれないが、1年限りで終わるものでなく、2年、3年、4年と続ける必要があり、そのときハイパーインフレにならないという自信がない。麻薬を打つと元気になるが中毒になる前に止めるからいい、という話にならないか。(デフレ脱却法案への反対は)党としてまとまっている。うまくいくかもしれないが、ギャンブルではないのだから(政策として採れない)インタビュー:民主代表選の結果次第で首相交代も=自民政調会長(2010.07.16)石破氏「反アベノミクス」政策の実態 まずマネーのバラマキとリフレ政策はそもそも同じではない。この点は後で説明するとして、とりあえず石破氏の懸念と異なり、日銀の大胆な金融緩和政策が始まってすでに5年目が経過した。しかし、ハイパーインフレになるどころか、14年の消費増税と世界経済の不安定化によって、いまだに事実上のデフレ状態が続いている。もっともこの点についても、単にデフレ状態のままだからという理由で、アベノミクスは否定されるわけではないことは、先に参照した高橋論説でも触れた就業者数の増加などの各種経済指標の大幅改善をみれば、よほどの悪意を持たない限り、誰もが認めるところだろう。 最近でも石破氏は、消費税を必ず上げることを約束していることが国債の価値を安定化させていることと、またプライマリーバランスの2020年度の黒字化目標を捨てることも「変えたら終わりだ」とマスコミのインタビューに答えている。 要するに、石破氏の「反アベノミクス」政策とは、①大胆な金融緩和政策は危険なので手じまいが必要、②財政再建のために消費増税を上げることが最優先、と解読することができるだろう。もしこれらの政策を実行すれば、間違いなく日本経済は再び大停滞に陥るだろう。6月16日、金融政策決定会合のため日銀本店に入る黒田総裁(代表撮影) まず①のようにマネーのバラマキを続ければハイパーインフレになる、という理屈だが、これを「金融岩石理論」という。坂道に巨大な岩があり、それをどかそうとしてもなかなか動かない。だが、一度動きだすと坂道を猛烈な勢いで転げだすというものである。このような「金融岩石理論」は、実証的には支持されていない。むしろ日本の現状をみれば、日銀がマネタリーベース(中央銀行が供給する資金量)を拡大してもなかなか物価水準は上昇しない期間が継続していた。 次期の日銀政策委員であるエコノミストの片岡剛士氏は、日本のマネタリーベースの水準と物価水準との相関が低いことを指摘した。これはいわゆる「失われた20年」で、マネーのバラマキをしてもデフレ脱却に結び付かなかったことを意味する(「金融緩和政策とハイパーインフレ」原田泰他編著『アベノミクスは進化する』所収)。 そのため、片岡氏や先の高橋氏、そして筆者ら日本のリフレ派といわれる政策集団は、一定の物価上昇率の目標を設定し、金融政策を運営する「インフレ目標」を導入することで、マネーと物価の関係が再構築されることを目指した。つまりインフレ目標のない金融政策だと、いつ金融引き締めが行われるかわからないために、人々の予想形成が困難になり、そのためデフレ脱却効果を大幅に下げてしまうことになる。石破氏の主張は「トンデモ理論」 安倍首相は、12年秋の自民党総裁選からこのインフレ目標の導入を掲げて総裁選に勝利した。そして政権の座に就いてからも日銀にインフレ目標の導入を事実上迫り、そして日銀の人事管理(正副総裁選出)を通じて導入の実現に成功した。13年のインフレ率の改善は目覚ましかった。これはインフレ目標によってそれまでとは違い、マネタリーベースの水準と物価水準の相関がよみがえりつつある状況になったといえる。ただ残念ながら、それを妨害したのは財政政策の失敗、つまり消費増税である。 ところで仮にマネタリーベースの水準と物価水準の相関がよみがえり、簡単にいうとマネーを増やせば物価もそれに応じて増加する世界になれば、石破氏の主張するようにハイパーインフレになるのだろうか。それはただのトンデモ理論である。 過去のハイパーインフレの経験をみると、物価が急速に上昇するまでに1年以上の時間の遅れがある。つまりその間に金融引き締めを行えばいいのだ。さらに、インフレ目標自体が重要になってくる。アベノミクスで、マネタリーベース水準と物価水準の相関が戻りつつあるのは、インフレ目標の成果だといま解説した。インフレ目標は現状では、対前年比2%の物価水準を目指す内容である。2%のインフレ目標の導入自体が、ハイパーインフレを起こさない強力な手段になっていることは論理的にもおわかりだろう。 つまり石破氏のリフレ=ハイパーインフレ論はまったくの誤りなのである。むしろ彼がリフレ政策に消極的ないし反対の立場に立てば、日本経済の各種の指標は大きく悪化していくだろう。2012年9月、安倍晋三総裁選出に伴う自民党新三役共同会見で握手する(右から)安倍総裁、石破茂幹事長、甘利明政調会長、菅義偉幹事長代行ら自民党執行部(古厩正樹撮影) さらに問題なのは、石破氏の「消費増税主義」といえる立場にある。まるで消費増税自体が自己目的化しているようだ。現在のリフレ政策が100%ではなく、合格点をなんとかクリアする状況にとどまっているのは、消費増税とその悪影響が続いているからに他ならない。デフレを脱却しないままで、消費増税を実施し財政を緊縮化し、さらにリフレ政策に否定的な消極的金融政策をとるであろう「石破政権」は日本に再び大停滞を引き起こすだろう。

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    都議選惨敗、安倍首相に残された道は「消費減税」しかない

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 東京都議選は都民ファーストの会の圧勝と、自民党の歴史的大敗北に終わった。公明党、共産党は選挙前の議席数から増やし、民進党も選挙前の議席が少ないとはいえ健闘した。自民党への逆風が猛烈だったぶん、批判の受け皿として都民ファーストが大きく勝った。候補者の名前が並ぶボードを背に開票を待つ自民党の下村博文都連会長=7月2日、東京・永田町の党本部 政治的には、都民ファーストの大勝よりも、自民党の惨敗の方が重要だと思う。国政への影響が避けられないからだ。いくつかその影響を考えることができる。あくまで予測の域をでないのだが、いまの政治状況を前提にすれば、年内の衆議院解散は無理だろう。2018年12月の任期満了に近くなるかもしれない。もっとも、1980年代から現在まで3年を超えての解散が多いので、それほど不思議ではない。ひょっとしたらこれはすでに織り込み済みかもしれない。ここまでの大敗北はさすがに自民党も予測はしていなかったろうが。 国政に与える影響で興味の焦点は、安倍晋三政権の持続可能性についてである。あくまで都議選でしかないことが注意すべきところだが、今後いままで以上にマスコミの安倍批判が加速することは間違いない。都議選の有権者が東京都民だけにもかかわらず、それを世論と等値して、国民から不信任を食らったと煽(あお)るかもしれない。 もちろん煽らなくても、今回の都議選大敗により、世論調査で内閣支持率がさらに低下し、自民党の支持率も急減する可能性はある。ただその場合、国政には都議選で受け皿となった都民ファーストがないし、また野党も受け皿にはなれない。つまり支持率の低下はほぼ無党派層の増加に吸収される可能性が大きい。この現象がみられるとすれば、都議選の大敗北は、安倍政権への世論の逆風が全国的に吹いたままだということを意味するだろう。 この潜在的な逆風が、安倍政権をレームダック(死に体)化するだろうか。ここでのレームダック化は、安倍首相が現状のアベノミクスなど基本政策を実施することが難しくなる状況、あるいは転換を迫られる状況としたい。当面はその可能性は低いと思われる。「増税」で激化する自民の政治闘争 ただし、党内の政治闘争は以前よりも格段に顕在化するだろう。そのキーワードは、やはり消費税を含めた「増税主義」である。2017年度の政府の基本的な経済政策の見立てを描いた「骨太の方針」には、19年10月に予定されている消費増税の記述が姿を消した。また20年度のプライマリーバランス黒字化の目標もトーンが下がったとの識者たちの評価もある。 おそらくそのような「評価」をうけてのことだろう。石破茂前地方創生担当相は、消費税を必ず上げることが国債の価値を安定化させていること、またプライマリーバランスの20年度の黒字化目標を捨てることも「変えたら終わりだ」とマスコミのインタビューに答えている。今回の都議選大敗に際しても、石破氏は即時に事実上の政権批判を展開していて、党内野党たる意欲は十分のようである。日本記者クラブの会見で「こども保険」の構想について説明する小泉進次郎衆院議員=6月1日(佐藤徳昭撮影) また財務省OBの野田毅前党税制調査会長を代表発起人とし、財政再建という名の「増税主義者の牙城」といえる勉強会もすでに発足している。またその他にも反リフレ政策と増税主義を支持する有力政治家は多く、小泉進次郎氏、石原伸晃経済再生相ら数えればきりがないくらいである。また金融緩和政策への理解はまったく不透明だが(たぶんなさそうだが)、消費増税に反対し、公共事業推進を唱える自民党内の勉強会も発足している。 これらの動きが今後ますます勢いを増すのではないだろうか。もっとも安倍政権への世論の批判は、筆者からみれば実体がないのだが、森友学園や加計学園問題、続出した議員不祥事などいくつかに対してである。そもそもアベノミクスに対して世論が否定的な評価を与えたわけではない。それでも自民党も野党も含めて、アベノミクスに代わる経済政策はほぼすべて増税主義か、反リフレ政策(金融緩和政策の否定)か、その両方である。 もちろん世論が、アベノミクスの成果を評価しても、それを脇において安倍政権にノーをつきつける可能性はある。アベノミクスの中核は、リフレ政策(大胆な金融緩和政策)である。現在の政治状況では、いまも書いたが安倍政権が終わればリフレ政策もほぼ終焉(しゅうえん)を迎える。日本銀行の政策は、政策決定会合での多数決によって決まる仕組みだ。日銀にはリフレ政策を熱心に支持する政策委員たちがいるにはいるが過半数ではない。政府のスタンスが劇的に変化すると、それに応じていままでの前言を撤回して真逆の政策スタンスを採用する可能性はある。首相が経済政策スタンスで慢心したわけ都議選での自民党大敗が伝えられる中、飲食店を後にする安倍首相(右)=7月2日、東京都新宿区 そもそも、安倍首相と同じリフレ政策の支持者は、菅義偉官房長官はじめ、自民党内にはわずかしかいない。次の日銀の正副総裁人事が来年の3月に行われるはずだが、そのときに最低1人のリフレ政策支持者、できれば2人を任命しないと、リフレ政策すなわちアベノミクスの維持可能性に赤信号が点灯するだろう。このリフレ政策を支持する人事を行えるのは、安倍首相しかいないのである。それが安倍政権の終わりがリフレ政策のほぼ終わりを意味するということだ。 もちろん日銀人事だけの問題ではない。仮に日銀人事をリフレ政策寄りにできたとしても、政府が日銀と協調した財政政策のスタンスをとらないと意味はない。デフレを完全に脱却するまでは、緊縮政策(14年の消費増税と同様のインパクト)は絶対に避ける必要がある。デフレ脱却には、金融政策と財政政策の協調、両輪が必要なのだ。 さて、安倍首相もこのまま党内闘争に巻き込まれ、守勢に立たされるのだろうか。それとも攻勢に出るのだろうか。そのきっかけは大胆な内閣改造や、より強化された経済政策を行うことにあるだろう。後者は18年夏頃までのインフレ目標の達成や、教育・社会保障の充実などが挙げられるが、端的には減税が考えられる。何より国民にとって目に見える成果をもたらす政策パッケージが必要だ。それこそ筆者がたびたび指摘しているように消費減税がもっともわかりやすい。 実際に、消費増税が行われた14年以降、政府が実施してきた中で、消費増税の先送りや毎年の最低賃金引き上げ、そして昨年度末の補正予算ぐらいが「意欲的」な政策姿勢だったという厳しい評価もできる。2%のインフレ目標の早期実現を強く日銀に要請することはいつでもできたはずだ。ある意味で、雇用の改善が安倍首相の経済政策スタンスの慢心をもたらしている、ともいえる。 いまも書いたように、さらなるアベノミクスの拡大には実現の余地はある。ただ、それを行うだけの政治力が安倍首相にまだ残っているだろうか。そこが最大の注目点だろう。

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    経済成長不要?内田樹先生、だから鰻重食っただけで炎上するんですよ

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 日本のリベラルはどん詰まりの状況である。まず「日本のリベラル」とは何かを定義すれば、現状では、単に「反安倍政権」というくくりが最も具体的かもしれない。東京・築地にある朝日新聞東京本社(斎藤浩一撮影) 評論家の栗原裕一郎氏、社会学者の北田暁大氏、批評家の後藤和智氏の共著『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書)では、リベラルや左派について興味深い定義がなされている。それは日本のリベラルは、「朝日・岩波文化人」という特定のマスメディアご御用達であるということだ。北田 一概に左翼といっても難しいですが、栗原さんは左翼という時、どういう方を想定していますか。栗原 左翼というかリベラルというか。日本の場合、よく言われるように「リベラル」の定義が難しいんだけど、単純に考えると要は、朝日・岩波文化人の系列に連なる人々ということになるんじゃないですか。北田 僕、小熊さんを批判してからすっかり朝日から声が掛からなくなりました(笑)。社是なのでしょうかね。左翼の典型は小熊英二(編集部注:慶応大教授)さんとか、今なら内田樹(同:たつる、神戸女学院大名誉教授)さんとかなのかな。『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』156ページ 『現代ニッポン論壇事情―』は、現代日本のリベラルと左派を徹底的に批判し、その問題性を明らかにしている好著だ。筆者のように、最近のリベラルや左派のあり方に大きな疑問を抱いたり、またはポスト安倍政権を考えている人たちには極めて参考になる本だ。 3人が容赦のない毒舌を全開にする様は、10数年前に筆者も参加した『エコノミスト・ミシュラン』(田中秀臣・野口旭・若田部昌澄共編著、太田出版)を思い出させる。『エコノミスト・ミシュラン』は、当時の経済論壇で活躍していた経済学者やエコノミストを総点検し、徹底した批判を浴びせて、かなり話題になったものだ。栗原氏らの本は、そのノリを2010年代の論壇一般に拡大したものだ。この一冊を読むと、いかにいまのリベラル・左派がどん詰まりの状況になっているかが鮮明である。 そのどん詰まりの状況は、端的に「経済オンチ」という性格で表現されている。例えば、安倍政権がさまざまに批判されても、それでも他の野党勢力よりも圧倒的に支持率が高いのは、私見では経済政策の成果がかなりあると思う。特にいまの若年層の支持の高さは、端的に経済の安定化、雇用の回復に顕著な実績をあげたからであろう。この点は論説「若者に変化を求めた関口宏の本心はやっぱり『安倍下ろし』だった」で詳細に解説した。反安倍だけで安易に結びつく つまり、安倍政権が積極的に取り組んできたのが、国民の生活、とりわけ若者たちの未来を改善する経済政策であったことは明瞭だ。もちろんこの経済政策の効果を一段も二段も改良することはできる。この連載の読者であれば、「アベノミクス」をさらによくするには、消費税増税路線の放棄、できれば消費減税などの政策が最も効果的であることは自明であろう。ところが、栗原氏らの著作で指摘されているように、日本のリベラルと左派の考えはまったく明後日の方向にいく。北田 小熊英二さんも、SEALDsを擁護する中で、若者の生活保守を認めてあげなきゃいけないということを書いていたけれど、やっぱりズレていると思います。「かつてこんな栄光の時代があったけれど、君たちの時代は成長できない、かわいそうだね」と声をかけたところで何になるんでしょうか。栗原 小熊さんのあの記事(小熊英二「国会前を埋めるもの 日常が崩れてゆく危機感」朝日新聞2015年9月8日付)で、「現政権は、生活や未来への不安という、国民最大の関心事に関わる施策を後回しにして、精力の大半を安全保障法制に費やしている」と書いていて、ここがもうズレているよなあと思いました。(略)『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』206-7ページ そして実際には、リベラルや左派といわれる人たちでさえ、例えば憲法9条をめぐってだけでも思惑の違いがあるにもかかわらず、「反安倍」だけで安易に結びついている状況と、この経済オンチぶりがドッキングしている。栗原 (略)基本的には反安倍で、反資本主義で、反経済成長で、反グローバリズムで、資本主義ではない別の世界が…。という話で止まっている。じゃあ安倍を倒してどうするんだよ、民進党がちゃんとした政策を出せるのかとか、そのレベルでまともな話にならない。同書127ページ北田 経済成長って、別に「ぐんぐん伸びようぜ」とか「バブルをもう一度」とか言っているわけじゃないというのを何百回言っても通じないんですね。同書129ページ「共謀罪」法に反対し、記者会見する神戸女学院大の内田樹名誉教授(右から3人目)ら=6月18日、東京都千代田区 要するに「反安倍」という旗のもとでは結集できても、それに代わる政策、特に経済政策がまったくの空っぽなのが、いまのリベラルと左派の現状である。もっとも何人かの例外が存在している。 例えば、同書でも詳しく評されている英国在住の保育士でライター、ブレイディみかこ氏の反緊縮主義に基づく時論の数々や、左派的な立場からリフレ政策を唱える立命館大の松尾匡教授らの存在である。これに同書ではとりあげられていないが、反安倍政権であると同時に消費減税などリフレ政策を主張している経済アナリストの森永卓郎氏を入れてもいいだろう。あるいは文芸評論家でリフレ的=反緊縮的な立場を評価している斎藤美奈子氏も忘れてはいけない。だがこの人たちはいまのリベラル・左派論壇の中ではすべて批判されるか、無視されているかあるいは都合のいいところだけつまみ食いされているだけだ、と栗原氏らは厳しく指摘している。英労働党「躍進」の理由に気付かない 栗原氏らの本を読むと、日本型リベラルや左派に未来があるのかというと絶望的であるとしかいえない。これは世界におけるリベラル的な政治の復興というべきものとは真逆の流れだ。例えば、英国の総選挙で躍進した労働党のジェレミー・コービン党首の政策は、「人民のための量的緩和」という大規模な金融緩和政策と積極財政政策の組み合わせ、そして大学授業料の無料化などの再分配政策であった。6月9日、ロンドンの選挙区で親指を立てるコービン労働党党首(AP=共同) このコービン労働党の政策に、現在の安倍政権に似たものを見いだすことは容易だろう。だが、日本型リベラルや左派は、このコービン流の経済政策を否定することで成立している。むしろ日本型リベラルや左派の経済政策観は、欧米のネオリベラリズムと似ている。反経済成長は、一種のマクロ経済政策的な介入を放棄し、事実上の緊縮主義と同じだからだ。 日本型リベラルと左派の経済オンチゆえの閉塞(へいそく)感は実際に本人たちは自覚していないだろう。なぜなら「反安倍」という熱狂の中で、日本型リベラルと左派が今日もまた元気に活動中だからだ。これでは多くの国民からまったく相手にされることはないだろう。栗原 内田樹も、もう十分稼いで老後の心配もないから「経済成長は要らない」って言えるんだ、「あんたは要らないかもしれないけど、若い連中には要るんだよ」とよく批判されています。内田センセイは、ご自分が昼食に食べた鰻重の写真をツイートしただけでなぜ炎上するのか、よくお考えになったほうがいいんじゃないですかね(略)。『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』207ページ もちろん内田氏だけではない。リベラルと左派全体にこのような若い世代、経済的に困窮している人たちへの共感の欠落がみられることは、おそらく本人たち以外に自明だ。北田 (略)ご本人が裕福になることは構わないのだけれども、それが生活保守とか彼らが言う新自由主義に当てはまちゃっているということは、少し考えてほしいなとは思いますよね。じゃあ、オルタナティブを出せと言われたら、リフレ派だっていくらでも出している。そういうのを反安倍ということで思考停止して蓋をしてしまうのは、私はよくないと思います。同書210ページ 今回は経済系の話題に絞ったために、後藤和智氏の若者論壇などをめぐる辛辣(しんらつ)な発言を拾えなかったのは残念だ。北田暁大・栗原裕一郎・後藤和智の三者による『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』は、日本のリベラルと左派にまだ一縷(いちる)の望みを持っている人にも、そしてもちろん絶望しきっている人にも、今の日本の論壇を知る上で欠かせない対談になっている。

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    若者に変化を求めた関口宏の本心はやっぱり「安倍下ろし」だった

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) TBS系列のテレビ番組「サンデーモーニング」で、司会の関口宏氏が11日、いまの若者世代の安倍政権への高支持率を批判的に言及した。街角での若い人たちへのインタビュー映像を交えながら、関口氏は若い世代がいまの「安定」よりも「変化」を望むべきではないか、と疑問を呈したわけである。もちろん、関口氏は若者が就職率の回復をはじめとするいまの経済的安定にひかれていることに一定の理解を示してはいるが、結局は彼の言う「変化」というのは、今の安倍政権を打倒するという「変化」でしかないのだろう。 関口氏のこの「安定」と「変化」論は、「安倍下ろし」という結論ありきの議論であり、端的にいって政治的なものでしかない。ただ、話をこれで終わりにするのはあまりにもったいないので、もう少しこの関口氏に代表される「安定」と「変化」とはそもそも何かを経済学的な視点も交えて考えてみたい。 結論だけ先に書くと、経済が安定的だからといって、若者の気持ちまで安定的であるわけはない。関口氏のいうように「安定をずっと安定かと思ってたら、眠りに入っちゃう」とはいえないのだ。関口宏氏 むしろ経済学の研究成果では、経済が不安定なほうが、若者の心は「安定」志向になってしまうようだ。関口氏の発言は、あまりに若者の心の行方を断定し、その変化と躍動の可能性を軽視している。 例えば、大恐慌期を経験した世代は、経験しなかった世代に比べてリスク回避的な傾向が強いという実証分析もある(ウルリケ・マルメンディア&ステファン・ネーゲル「不況ベイビー:マクロ経済の経験はリスク行動に影響するか?」)。つまり「変化」に伴うリスクを避ける傾向が、不況を経験した世代の方が強く出るというのだ。 カリフォルニア大ロサンゼルス校経済学部准教授のパオラ・ジュリアーノと、国際通貨基金(IMF)アシスタントディレクターのアントニオ・スピリンベルゴの研究「経済危機の長期持続的な諸効果」には、さらに興味深い研究の要旨がまとめられている。たとえば、景気の良し悪しのようなマクロ経済的な環境が、若い世代に影響を及ぼすのは「人格形成期」の18歳から24歳までで、それ以降はそれほど強い影響を与えないという。 今の安倍政権が発足したのは2012年の終わり(実際には同年の自民党総裁選で安倍氏が勝利してから株価などは大きく変化している)からであり、そのときに18歳だった人たちは23歳になっている。24歳だった人たちは30歳近い。いま現在の18歳から30歳ぐらいまでは、アベノミクスの影響下にあるのかもしれない。関口氏は「失われた20年」を忘れてしまったのか 仮にこの大胆な推測が正しければ、彼らの行動は「安定」よりも「変化」を好んでいるだろう。もちろんそれは個々人の行動としてだ。私や関口氏が思いもよらない発想で、旧世代の予想を裏切る変化が生じるかもしれない。たとえば、昔ながらのリベラルや左派的なメディアに疑いの眼を抱いたりしている可能性だってある。その反対の政治勢力に対しても同様かもしれないが。日経平均株価の午前終値を示すボード。1年半ぶりに大台の2万円を回復した=6月2日午前、東京都中央区(春名中撮影) ジュリアーノとスピリンベルゴの論説で興味深い指摘はそれだけではない。おそらく客観情勢を考えれば、いまの安倍政権の経済政策は「偶然」に生まれたものである。たまたま安倍首相が、いわゆる大胆な金融緩和政策を主軸にした経済政策(リフレ政策)を採用しただけだ。実際に自公政権、そして野党含めてリフレ政策の支持者は数人程度しかいない。いわばリフレ政策による最近の若者の雇用状況の改善は、安倍晋三氏が首相にたまたまなったという「偶然」でしかない。 ジュリアーノとスピリンベルゴは、偶然の重みを知っている人たちが「大きな政府」を望むと指摘している。ただし彼らの定義した「大きな政府」の定義は、増税=緊縮なので、本当の「大きな政府」ではない。「大きな政府」とは、緊縮を否定し、金融緩和と財政拡大を支持する政府のことだ。この意味では、いまの日本の若い世代は、安倍政権のリフレ政策が偶然の産物にしかすぎないことを十分知っている可能性がある。 この議論が正しいとすると、「大きな政府」を積極的に支持する気持ちは理解できる。若い世代は、この「偶然」の成果を背景にして、それを支持する一方で、自分たちは自分たちの人生の可能性を切り開いていこうとしているのかもしれない。言い方をかえれば、マクロ経済政策は最低でも現状維持、できればもっと非緊縮型(=大きな政府)を進め、そして個々人の生活はより変化を追求していくことが考えられる。 いずれにせよ、関口氏が本心では期待しているとしか思えない、アベノミクスの否定は、日本の経済と社会を逼迫(ひっぱく)させ、政治勢力の「変化」はあってもそれは混乱だけをもたらすだろう。その政治的混乱は、経済の停滞という形で、若い世代の活躍の場と意欲をくじいていくことだけは間違いない。そのことをわれわれは老いも若きもこの「失われた20年」の体験で十分に知っているはずだ。どうも関口氏とその意見に賛同する人たちは、そのことを忘却してしまったか、違う世界線の住人なのかもしれない。

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    百田尚樹に嫌われる私でも、一橋大「講演中止」の判断は残念に思う

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)一橋大附属図書館=東京都国立市 作家の百田尚樹氏が一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で行う予定だった講演会が中止になったニュースは、ここ数日のネット界の話題となった。まず最初に書いておくが、筆者は百田氏の著作や発言には批判的なほうである。そのためか知らないが、彼のTwitterアカウントからブロックされている。ちなみにブロック行為は個人の自由なので最大限尊重されるべきだ。ただ、百田氏と筆者にはかなり意見の相違があるのだ、ということをまずは注記したい。 話を戻すが、この開催の中止理由について、主催した学生側からは、KODAIRA祭のそもそもの趣旨が新入生歓迎のイベントであり、セキュリティーの確保などでこの趣旨の実現をむしろ損ねてしまうために中止したと、述べている。他方で、講演を行う予定だった百田氏はTwitter上で主催側への嫌がらせや圧力があったことを明記し、その圧力を激しく批判している。念のために書くが、ブロックされていても検索サイトで彼の発言は確認できる。これらの一連の経緯をうけて、ネットでの保守系の識者たちの反応はこの記事にまとめられている。 百田氏が批判しているような、「左派系団体」という特定の人や組織が言論の弾圧に動いたのかどうかは、筆者が確かめることはできない。ただその可能性は排除できないし、実際に学生側は、かなりの重圧を大学の外部から不当に受けていたことは想像に難くない。例えば、同大学のOBである常見陽平千葉商科大学講師は、学生側の取り組む態度が不十分であったことを指摘している。 もちろん、常見氏の発言が後輩思いのものであることは、文章からもよく読み取れる。ただ、彼の意見は学生側にいささか酷だと思う。大学や学生側に対して言論を封殺しようとする卑怯(ひきょう)な手段は、匿名での電話や手紙での攻撃、ネットでの脅迫まがいのものなどを含めて、さまざまあったことは想像に難くないだろう。もちろん面と向かって学生側はそのような「脅し」をうけたかもしれない。これは精神的に非常につらく、個人で対処するには限界がある。批判すべきは、そのような事態を巻き起こした「言論を卑怯な手段で封殺する力」にあることは明白である。これはひとつの深刻な暴力である。独り歩きする百田氏のイメージ ちなみに百田氏の社会的なイメージはいささか過度に誇張されて、その実体とかけ離れて独り歩きしている部分がある。例えば、百田氏の批判者側からみれば、彼の発言はヘイトスピーチまがいのものばかりに見えているかもしれない。だが、そのようなニュアンスのものがあったとしても、それは彼の全発言からいえば極めて例外的な「暴言」である。作家の百田尚樹氏 例えば、最近筆者が読んだ百田氏の発言に、『Voice』2017年5月号での、経済評論家の上念司氏との「トランプの核が落ちる日」という対談があった。対談では北朝鮮情勢を中心に、韓国、米国、中国、そして日本などの周辺国のパワーポリティックスに関して議論されている。地政学と経済学の両面を駆使して専門的に鮮やかに語る上念氏に対して、百田氏は各国の勢力均衡論的な見地に立ったごく普通の語りに徹していた。もちろんそこにはヘイトスピーチ的なものはまったくない。他の評論系の著作をいくつか読んでみたが、それらも特に過激なものはなかった。つまりはごく普通の今風の保守系論客のひとりでしかない。 そして百田氏の「暴言」があったとして、ネットなどでは賛否あわせて自由に議論がなされているではないか。この賛否あわせての自由な議論こそが重要だ。もちろんTwitterでの発言を封殺しようとして、同社に抗議する人たちも目にする。あるいは感情的な誹謗(ひぼう)中傷を吐きかける人も多々目にする。これは個人的には正しい批判の仕方とは思えない。発言する場を奪う「圧殺勢力」だ。まさに一橋大の学生を襲ったものと同類であろう。 百田氏の「虚像」に惑わされることなく、その意見を一度は丁寧に聞くべきだ。私のようにTwitter上でブロックされていてもだ。余談だが、実際に百田氏に会った知人たちはおしなべて彼の人柄の優しさを語っている。天下りあっせんを仕切っていた元官僚の「人格者ぶり」を、会ってもいない人たちが称賛する無責任な風潮もある。このような時流に抗する意味でも、百田氏がどのような人物であるのかを実際に知った方が、より深い人物評価を可能にし、学生側にも大きな恩恵があったかもしれない。それだけに残念なことだ。 19世紀の偉大な啓蒙(けいもう)思想家のジョン・スチュアート・ミルは、古典的著作『自由論』の中で、規制されることのない言論の場こそが人々の満足(効用)を増加することができるとした。意見集約で満足は最大化する ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。1)多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい、2)多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる、3)反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい、4)反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。 そして意見の集約するところで、言論をめぐる人々の満足が最大化することになる。もちろん意見の集約がたとえ達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので自粛すべきなのはもちろんである。 もちろんミルは異なる立場での意見の集約について常に楽観的ではない。言論の自由がかえって意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的・法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねている。 どちらの立場で主張している人であれ、公平さが欠けているか、悪意や頑迷さ、不寛容の感情をあらわにした態度で自説を主張する人を批判する。だが、自分とは反対の意見を持っている人に対して、その立場を根拠として、これらの態度を捨てるはずだと予想することはない。山岡洋一訳『自由論』日経BP社 寛容と賢慮。なかなか難しいものだし、また正解や公式があるわけでもない。筆者も常に失敗を重ねている問題だ。だが、少なくとも今回の百田氏のケースは彼に発言の機会を与え、さらに学生たちはその発言の内容を知るべきだったと残念に思っている。

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    加計学園、前川氏の爆弾文書よりヤバい「レント・シーキング」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 文部科学省の前川喜平前事務次官の「加計(かけ)学園問題」をめぐる記者会見が波紋を呼んでいる。特に前川氏の会見から、マスコミ、識者、そしてネットなど世論を中心に主にふたつの話題がある。記者会見の途中、弁護士と話す文科省の前川喜平前事務次官(左)=5月25日午後、東京・霞が関 ひとつは学校法人「加計学園」(岡山市)が獣医学部を愛媛県今治市に新設することに関する「怪文書」の内容についてである。この「怪文書」の出所が前川氏であることが判明した。ただし、政府はこの文書に該当する公式文書は存在しないと現時点では明言している。 この「怪文書」については、前回書いたとおり、安倍晋三首相に違法性や道義上の責任を生じさせるものではない。例えば、官僚たちが首相の暗黙の政治的圧力を「忖度(そんたく)」して認可のスピードを速めたというが、このような他人に「忖度させた罪」「忖度させた道義的責任」などは合理的な論点にはなりえない。他人が内心でどう思っているかの責任を「忖度させた」の一言で取らせることは、ただの魔女狩りである。マスコミの多くがこの「忖度させた罪」というものがあるかのように安易に報道していることは極めて危険だ。 もうひとつは、いわゆる「出会い系バー」に前川氏が出入りし、それを「貧困調査」のためだと説明した事例である。この問題については、正直、筆者はそもそも「出会い系バー」という存在の詳細を知らない。この論点については、テレビで取材したと述べたジャーナリストの須田慎一郎氏ら適切な方々が論評していくことだろう。 筆者は主に最初の論点を考える。といっても怪文書の出所が前川氏であることを除いては、前回の論説に付け加えるものはない。このような安易な「疑惑」作りは、民主主義を本当の意味で危機にさらすことだろう。 今回は、この「加計学園問題」をより経済学的な視点から再考してみる。獣医学部の新設については、日本獣医師会やその関係する政治家たち、また文科省自体も長年にわたって反対してきた。52年間もの間、獣医学部の新設が認められてこなかったまさに「岩盤規制」であった。「忖度」批判を繰り広げる既得権者たち 今回の獣医学部新設を安倍首相が「忖度させた」と批判している人たちが、「岩盤」側の既得権者であることは注目していい事実だろう。要するに、加計問題とは単なる既得権者と規制緩和側との政治的抗争であり、そこに「安倍下ろし」を画策する野党や一部メディア、識者がただ乗りしているという構図だろう。さらにいえば、文科省の天下り斡旋(あっせん)問題で引責辞任した前川氏の個人的な思惑も当然に絡んでくるに違いない。 ところで今回の規制緩和の枠組みは、国家戦略特区という極めて限定されたものだ。しかもわざわざ既得権者側に配慮したとしか思えないのだが、獣医学部が周辺にない「空白地域」に絞って、あえて大学間競争の可能性をもできるだけ排除しているようだ。このような極めて限定された規制緩和であっても、猛烈な反発を得ているのが実情だ。それだけ新規参入を規制することによって、既得権者が得ていたレント(規制によって生じる利得)が大きかったということだろう。 またこの「岩盤」が継続された理由を、経済学者のマンサー・オルソンが、彼の代表的な業績である「ただ乗り」の観点から、かつて以下のように分析した。集団の規模が大きくなればなるほど、その組織に属する人たちは、自ら負担して組織改善のために動こうとはせずに、ただ乗りを選ぶだろう。 例えば、これを政府に置き換えてみれば、多くの有権者は自分が政府の改善を熱心に行っても、そこから得る追加的な利益が自分の犠牲に見合わないことを知っている。そのため、他者の努力にただ乗りをする方を選ぶだろう。 またこのようなただ乗りは、自分のただ乗り自体が損なわれない限り、政府がよくなろうが悪くなろうが知ったことではないとする「合理的な無関心」を生み出してしまう。実際に、獣医学部が52年間新設されなかった事実は、今回の問題が発覚するまで、多くの国民は「無関心」だったのではないか。分け前増加しか関心がない集団の正体 オルソンはこの分析を「国家がなぜ興隆し、また衰退するのか」という問題にまで広げた。オルソンは、ここで「分配結託」という考えを強調している。どの国でも保護貿易的な考え方を支持する集団はあるだろう。日本では農協やその関連団体、米国では自動車メーカーがすぐにあげられる。これら「特殊利益集団」と呼ばれる集団は、もちろん自分たちの集団の利益しか関心がない。集団が直接自分たちに利害が発生する仕組みになっているので、こちらは規模が大きくなればなるほど、自分たち一人当たりの分け前が増えることに関心をもつ。2015年10月、JA全国大会であいさつをするJA全中の奥野長衛会長(左)。右手前は安倍晋三首相(西村利也撮影) つまり特殊利益集団は自分の特殊利害という目的に合わせて集団を効率化することが多い。手法も洗練化され、時にはマスコミや政治家と「分配結託」をする場合もある。今回の加計学園問題の件も、この「分配結託」の1ケースといえるかもしれない。 そしてこの「分配結託」を可能にしている組織的な利益が、先ほどのレントの発生であり、これを追い求める行為を「レント・シーキング」という。レント・シーキングが国家の中で大きなウェイトを占めれば、その国は衰退してしまう。オルソンはそのような主張を展開した。 官僚組織は一般的に、規制を設け、それを運用する権限をできるだけ最大化することを最優先の目的としている。そして規制があれば、それによってレントが発生する。つまり規制の権限があるところ「常にレントあり」といえる。そのわかりやすいレントの代表が、「天下り」である。官僚が規制先の対象組織に天下りをする行為こそ、最もわかりやすいレントの一例である。その本質は「賄賂」と変わらない場合が圧倒的だ。それゆえ、天下り規制が行われた。 今回の前川氏の発言や行動はそもそもこのレント・シーキングを具現化しているように思える。天下りの斡旋、そして獣医学部新設のあまりに極端な規制。首相が「忖度させた」罪などというトンデモ議論よりも、筆者にはこのレント・シーキング行動の方が比較にならないほど、日本の問題のように思える。

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    なにがなんでも「安倍降ろし」 フェイク臭あふれる加計学園疑惑

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民進党を中心にした野党勢力、そして安倍政権打倒をおそらく目的にしているマスコミの一部が、なりふり構わぬ「猛攻」を展開している。共謀罪法案とも俗称されている「テロ等準備罪法案」の衆院通過を控えてのことなのか。もちろん政権批判がまっとうな理由によるものならば、むしろ公正な政治を進展させるために必要な条件だろう。だが、最近明らかになった事例をみれば、むしろ日本の政治そのものを壊しかねない危惧を抱くものだ。 典型的な事例が「加計(かけ)学園問題」といわれるものだ。先に書いておくが、これは「加計学園が生み出した問題」という意味ではない。まったく落ち度のない学校法人加計学園と愛媛県今治市のそれぞれの関係者や市民、そしてこの件に関して安倍首相を政争の手段として「生贄(いけにえ)」にしている民進党、そして朝日新聞の「共謀」のことを指して言っている。もっとも、この「共謀」には法律の適用はない。われわれが全力で批判する代物であるにすぎない。 問題の経緯は以下の通りだ。朝日新聞は今月16日の朝刊一面に、今治市の国家戦略特区に獣医学部を新設する件で、「官邸の最高レベル」「総理のご意向」によって早期に計画をすすめるように促す文書を掲載した。これは内閣府から文部科学省に提示された文書だという。文部科学省が作成したとされる「加計学園」に関する文書 17日には、国会で民進党の玉木雄一郎議員が、松野博一文部科学相にこの文書の真偽について問いただした。朝日新聞と民進党が入手した文書は同一のものだったようである。この連係プレーにも似た動きは、たちまち国民の注目することになった。あたかも「森友学園」第二幕のようであったが、あまりにもフェイク臭があふれる第二幕であった。 まず文書はいわゆる「怪文書」である可能性が大きい。記述については事実を反映している部分もある。世の怪文書あるいはトンデモ経済論といわれるものは、全部がデタラメではなく、核心部分がデタラメ以外はだいたい「真実」によって構成されている。それで読み手を巧妙に釣るのである。朝日新聞などはこの核心部分以外が事実であることを、かなり詳細に報道していて感心してしまう。もはや「魔女狩り」 ところで核心部分はもちろん「総理のご意向」といわれる部分だ。この「総理のご意向」については総理自身が否定している。また政府はこの文書が公式には存在しない、まさに「怪文書」であることを現時点の調査で明らかにしているといえよう。 だが、そもそもこの文書に書かれていることが真実だとして何が問題になるのだろうか。繰り返すが文書の核心部分が真実だとしても、要は獣医学部の開設をできるだけスピード感をもって進めろ、と首相が命じているだけなのだ。 国家戦略特区というのは、首相官邸ホームページの説明だと、「国家戦略特区は、産業の国際競争力の強化および国際的な経済活動の拠点の形成に関する施策の総合的かつ集中的な推進を図るため、2015年度までの期間を集中取組期間とし、いわゆる岩盤規制全般について突破口を開いていくものです」というものだ。「加計学園」が岡山理科大の獣医学部を新設予定の建設現場=5月17日午後、愛媛県今治市 簡単にいうと、規制緩和を短期集中的に行う枠組みである。規制緩和を早急に進めていくことを、首相が指示したとして何の不思議もない。「総理のご意向」などがあったとしてそれは違法でもなければ、道義的責任をもたらすものでもない。 ましてや加計学園の理事長が首相の友人であり、その友人と会食やゴルフをすることが何の問題になるのだろうか。まるで友人関係があるために、不正なことが行われているかのような報道を目にするがあまりにもひどく、「魔女狩り」に近いものである。 だが、この種の悪質な釣り、もしくは現代版魔女狩りの効果はバカにはできない。私のTwitterなどでもしばしば、「事実関係はわからないのですが」というコメントを頂戴する。つまり疑いの芽を少なからずもっている人たちがいるのだ。法的にも道義的にも何の問題もないのだが、マスコミが報道するだけで不安や疑心を抱く人たちが少なからず生まれるのだ。もちろん報道にそれなりの正当性があれば推測記事もありだろう。「疑惑」は簡単に人の心に芽生える しかし今回の件は、違法性も道義的な問題もまったくない。現在の情報を前提にすればゼロだ。例えばネットでみかけた「疑惑」の例だが、「公募期間が1週間なのは加計学園ありきだ」というが、実は1週間とは公募期間の平均的な設定で優遇では全くないのだ。あるいは「土地の無償譲渡は首相が便宜したもの」という指摘もあったが、今治市議会が賛成多数で決めたことで、あくまで地方自治の成果だということになる。まさに「疑惑」は簡単に人の心に芽生えるという好例だ。 実はこの件については、国会で追及した玉木議員自身が、フジテレビ系報道番組「ユアタイム」で違法性がないことを認めており、まったく理解に苦しむ。だが、民進党の蓮舫代表は、「いま急がれるのは共謀罪よりも加計学園や森友学園の究明だ」と断言している。違法性もなければ道義的責任もない、加計学園を単に政争のために利用していることは明瞭すぎるほどだ。なお森友学園については以前の連載で書いたので参照されたい。 また最近では、そもそも獣医学部新設の動きは、民主党や民主党議員、つまり現在の民進党議員らが積極的にすすめていたことが明らかになっている。これだけでも政党としてまったく首尾一貫していない。さらに追及の急先鋒(せんぽう)である玉木議員には、現段階でいくつかの問題が指摘されている。日本獣医師政治連盟から玉木議員は政治献金をうけ、または父親が獣医師であることで、既存の獣医師の利益を守るために行動する私的なインセンティブ(動機付け)が存在するということだ。 既存の獣医師たちの多く、特に日本獣医師会は、特区における獣医学部の設置については従来反対であった。つまり、この意図を忖度(そんたく)しての政治的な動きではないか、という疑念だ。もちろん民進党が規制緩和に反対するのなら、それはそれで政策論争の意味で興味深い。加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左)=5月17日、国会 だが、蓮舫代表や玉木議員がやっていることは、なにがなんでも安倍氏を首相の座から引きずりおろすための、怪文書を利用した不公正な扇動だけしかない。そこに朝日新聞など一部マスコミが安易に同調していることは、さらにあきれ果てるしかない。

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    デフレ崖っぷちの韓国、文在寅がハマる「財閥改革」の罠

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は対外・対内的に厳しい環境の中での船出を強いられている。対外政策的には、さっそく大統領就任への「祝砲」ともいえる北朝鮮の弾道ミサイルの発射が待っていた。核開発・弾道ミサイル問題で緊張する北朝鮮情勢をめぐっての、近隣諸国との調整がほぼ待ったなしで待ち構えている。今回の「新型」弾道ミサイルの発射をめぐっての対応を含めて、内外で文政権の姿勢を問う声は大きくなっていくだろう。ソウルの大統領府で開いた国家安全保障会議で発言する韓国の文在寅大統領=5月14日(大統領府提供・聯合=共同) 日本とはさっそく安倍晋三首相との電話会談を行い、そこで日本と韓国の慰安婦問題をめぐる認識の違いが早くも明らかになっている。「慰安婦問題」と書いたが、現状で「問題」化させているのは韓国側であることは言を俟(ま)たない。 経済政策的には、朴槿恵(パク・クネ)前政権が倒れた要因の一つともいえる、若年層を中心にした雇用の悪化をどうするのか、という課題がある。さらに雇用悪化が長期的に継続したことにより、社会の階層化・分断化が拡大している事実も忘れてはいけない。 韓国の若年失業率(15歳から29歳までの失業率)は11%を超えていて、最近は悪化が続く。全体の失業率は直近では4・2%であり、韓国の完全失業率が2%台後半と考えられるので、高め推移の状態であることはかわらない。韓国経済のインフレ目標は消費者物価指数で前年比2%であるが、インフレ率は前年同月比では1・9%(総合)と、目標を若干下回るだけで一見すると良好に思える。だが、この点がくせ者であることはあとで再び考える。 文政権の経済政策は、基本的に雇用の改善を大きく力点を置くものになっている。もちろん、政権発足まもないのでその実体は不明だ。だが、新しい雇用を公共部門で81万人、民間部門では50万人を生み出す、さらに最低賃金も引き上げるという文政権の公約は、主に財政政策拡大と規制緩和を中心にしたものになりそうだ。 公共部門で従事している非正規雇用の人たちを正規雇用に転換していくことで、雇用創出と同時に正規と非正規の経済格差の解消も狙っているという。これはもちろん賃金など待遇面での政府支出が増加することになるので、文政権の公約では、前年比7%増の政府支出を計画しているという。 韓国経済は完全雇用ではないので、このような財政支出は効果があるだろう。ただし完全雇用が達成された後で、膨れ上がった政府部門をどのように修正していくかは大きな問題になるだろう。だが、その心配はまずは現状の雇用悪化への対処がすんでからの話ではある。韓国「インフレ目標」のカラクリ 増税の選択肢は限られたものになるだろう。政府の資金調達は国債発行を中心にしたものになる。政府債務と国内総生産(GDP)比の累増を懸念する声もあるが、完全雇用に到達していない経済の前では、そのような懸念は事態をさらに悪化させるだけでしかない。不況のときには、財政政策の拡大は必要である。ただし文政権の財政政策、というよりも経済政策の枠組みには大きな問題がある。 それは簡単にいうと、「韓国版アベノミクス」の不在、要するにリフレ政策の不在だ。リフレ政策というのは、現在日本が採用しているデフレから脱却して、低インフレ状態を維持することで経済を安定化させる政策の総称である。第2次安倍政権が発足したときの公約として、2013年春に日本銀行が採用したインフレ目標2%と、それに伴う超金融緩和政策が該当する。 韓国でもインフレ目標が採用されている。対前年比で消費者物価指数が2%というのが目標値であることは先に述べた。この目標値は、15年の終わりに、従来の2・5%から3・5%の目標域から引き下げて設定されたもので、現状では18年度末までこのままである。韓国の金融政策は、政策金利の操作によって行われている。具体的には、政策金利である7日物レポ金利を過去最低の1・25%に引き下げていて、それを昨年6月から継続している。その意味では金融緩和政策のスタンスが続く。 だが、韓国の経済状況をみると、最近こそ上向きになったという観測はあるものの、依然完全雇用には遠い。さらに財政政策を支えるために、より緩和基調の金融政策が必要だろう。だが、その面で文政権関係者の発言を聴くことはない。どの国でも金融政策と財政政策の協調が必要であろう。特に韓国のように、最近ではやや持ち直している物価水準でも、実体では高い失業と極めて低い物価水準が同居する「デフレ経済」には、金融政策の大胆な転換が必要条件である。3月29日、米ニューヨークで新型スマートフォンを発表するサムスン電子幹部(聯合=共同) 日本でも長期停滞を、現在の文政権と同様に財政政策を中心にして解消しようという動きが10数年続いた。だが、その結果は深刻な危機の回避(1997年の金融危機など)には一定の成功をみせたものの、デフレ経済のままであり、むしろ非正規雇用の増加など雇用状況は一貫して停滞した。雇用の回復の本格化がみられたのは、日本がリフレ政策を採用しだした13年以降から現在までである。もちろんさらに一段の回復をする余地はあるが、金融政策の大きな転換がなければこのような雇用回復は実現できなかったろう。「スワップ協定がないと韓国経済破綻」という誤解 文政権の財政政策主導で、なおかつ現状の微温的な金融政策では、本格的な雇用回復とその安定化は難しいだろう。具体的には、韓国銀行はインフレ目標を3-4%の目標域に引き上げ、同時にマネタリーベース拡大を中心にした超金融緩和政策に転換すべきだろう。そのとき政府の財政政策の拡大は、より効率的なものになる。 つまり毎年いたずらに政府支出の拡大を目標化することなく、その雇用増加の恩恵をうけることができるはずだ。リフレ政策のようなインフレによる高圧経済が持続すれば、非正規雇用の減少が民間部門中心にやがて起こるだろうし、また現在の安倍政権がそうであるように最低賃金引き上げもスムーズに転換できるだろう。 だが、実際には金融政策の大きな転換の意識は、文政権にはない。むしろ民間部門を刺激する政策として、財閥改革などの構造改革を主眼に考えているようだ。だが、この連載でもたびたび指摘しているが、そのような構造改革はデフレ経済の解決には結びつかない。 韓国の歴代政権が、超金融緩和政策に慎重な理由として、ウォン安による海外への資金流出を懸念する声がしばしばきかれる。しかし超金融緩和政策は、実体経済の改善を目指すものだ。さらに無制限ではなく、目標値を設定しての緩和である。日本でもしばしば聞かれる「超金融緩和するとハイパーインフレになる」というトンデモ経済論とあまりかわらない。 私見では、リフレ政策採用による韓国の急激な資金流出の可能性は低いと思うが、もし「保険」をさらに積み重ねたいのならば、日本など外貨資金が潤沢な国々との通貨スワップ協定も重要な選択肢だろう。ただし、日本とは現状では慰安婦問題によりこの協議は中止している。通貨スワップ協定は、いわば「事故」が起きたときの保険のようなものなので、事故が起きない限り必要にはならないものだ。この点の理解があまりないため、「日韓通貨スワップ協定がないと韓国経済が破綻する」という論を主張する人たちがいるが、それは単なる誤解である。2016年8月、第7回日韓財務対話を終え、笑顔で言葉を交わす麻生太郎副総理兼財務相(左)と韓国の柳一鎬経済副首相兼企画財政相=韓国・ソウル(共同) ただし保険はあるにこしたことがない。特にリフレ政策を新たに採用するときには、市場の不安を軽減させるためには、日韓通貨スワップ協定は相対的に重要性を増すだろう。その意味では、慰安婦問題を再燃させる政策を文政権がとるのは愚かなだけであろう。もっともこの点は、日本側からすれば相手の出方を待っていればいいだけである。 ただし、そもそも文政権がリフレ政策を採用する可能性はいまのところないに等しい。その意味では、韓国経済の長期停滞、特に雇用問題が本格的に解消する可能性は低い。

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    小泉進次郎が「こども保険」にこだわるホントの理由はアレしかない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 毎年、3月11日になると、2011年3月にどんなことが起きたのか、当時の記録が掲載されている自分のブログを見て思い出すことがある。もちろん東日本大震災の悲惨な被害、そして失われた多くの命、さらには「人間的価値の毀損(きそん)」という事態の前では、いまだ復興への道のりが遠いことに思いを強くしている。だが、今日書きたいのは、当時の「非人道的」ともいえる動きである。2011年6月、党首討論で発言する自民党の谷垣禎一総裁(左)と、菅直人首相(酒巻俊介撮影) それは2011年3月13日、当時の民主党政権の菅直人首相と自民党の谷垣禎一総裁の会談において、復興政策の一番手として増税政策があげられたことだ。その時点では、被害の実態も把握できず、復興自体よりも人命救助に努力を傾注すべきときだった。もちろん福島第二原発の状況は予断を一切許さない緊迫したものであった。 さらにこの増税政策は、後に設置された政府の「復興構想会議」などでも最初の具体的提案として、議長や委員から提起されている。実際に復興政策として何を行うかさえもはっきりしない段階において、である。 この復興構想会議では、事実上、後に「復興特別税」となる増税構想だけが具体的に決まったといっていい。当時、複数の復興構想会議の委員に会ったが、いまでも印象に残るのは、「僕らは経済のことはわからないから」という発言だった。経済のことを理解していない人たちが、なぜか増税だけを最優先にかつ具体的に決めたというのはどういったことなんだろうか。 さらに時間が経過していくにつれてわかったことだが、この復興特別税での当時の与野党の連携は、民主党・自民党・公明党による「社会保障と税の一体改革」、つまりは今日の消費税増税のための「政治的架け橋」になっていたことだ。 つまりは、大震災で救命対策が必要とされる中、消費増税にむけた動きが震災後わずか2日後には本格化していたことになる。つまりは震災を人質にしたかのような増税シフトである。これが冒頭で書いた「非人道的な動き」の内実である。 実際、民主党政権はその政治公約(マニフェスト)の中には、消費増税のことは一切書かれていなかった。だが、この震災以降の増税シフトが本格化する中で、当時の野田佳彦首相(民主党、現在の民進党幹事長)は、自民党と公明党とともに消費増税を決定した。日本では社会と経済の低迷と混乱が続いていたにもかかわらず、ともかく消費増税だけは異様ともいえるスピードと与野党の連携で決まったのである。この消費増税は後に法制化され、第2次安倍政権のもと、日本経済を再び引きずり下ろす役割を果たした。その意味でも本当に「非人道的」であった。「こども保険」に潜むくせ者のスローガン さてこの動きと類似した消費増税シフトをいまの政治の世界でも見ることができる。自民党の小泉進次郎議員が主導する「2020年以降の経済財政構想小委員会」が発表した、いわゆる「こども保険」だ。現在の社会保険料に定率の増加分をのせて、それで教育の無償化を狙うスキームである。「こども保険」と呼ばれているが、実体はただの「こども増税」である。以下でも詐称を控えるためにも、「こども保険」ではなく、正しく「こども増税」と表記する。自民党の小泉進次郎衆院議員(酒巻俊介撮影) 小泉議員らの主張によれば、高齢者に偏重する社会保障体系を、若年層向けに正す効果があるという。この一見するとあらがうことが難しいようなスローガンではある。だが、これがくせ者であることは、冒頭のエピソードを読まれた読者はピンとくるはずだ。 消費増税シフトは、そもそも震災復興を契機に仕込まれ、そして社会保障の充実という名目で選挙公約を無視してまで導入された。この経緯を踏まえると、小泉議員らの「こども増税」は、消費税増税シフトを狙う政治勢力の思惑ではないか、と推察することは可能だろう。 もちろん「こども増税」自体が消費増税ではない。「こども増税」は、消費増税をより実現しやすくするための、政治勢力の結集に使われる可能性があるのだ。小泉議員は国民の人気が高い。いわば「ポスト安倍」候補の一人であろう。 現在の安倍政権は、首相の決断によって過去2回消費増税が先送りされた。さまざまな情報を総合すると、安倍首相の財務省への懐疑心はいまも根深いとみられる。なぜなら財務省は2013年の消費増税の決定時期において、「消費増税は経済に悪影響はない。むしろ将来不安が解消されて景気は上向く」と説明していたからだ。もちろんそのようなトンデモ経済論は見事に外れた。日本経済がいま一段の安定経路に入れないのは、この消費増税の悪影響である、と首相は固く信じているようだ。そのための二度の消費増税延期である。 このような首相の決断は、財務省を中心とする消費増税派からすれば脅威に思えるだろう。今後の消費増税は本当に実施されるのか、また10%引き上げ後も財務省が現段階で狙っていると噂される15%以上への引き上げの道筋が早期にめどがつくのかどうか、彼らは不安であろう。 ある意味で、ポスト安倍の有力候補としての力の結集、または現段階で安倍首相を与党の中で牽制(けんせい)する「消費増税勢力」が誕生した方が得策である、と消費増税派は踏んでいるのかもしれない。もちろん「こども増税は、消費増税を確実にするための前ふりですよね」と、小泉議員らにいっても即座に否定するだろう。だが、同時に思い出されるのは、数年前に復興構想会議のメンバーに「この増税路線は消費増税路線の一環ではないか」とただしたとき、「そんなことはない」と一笑にふされたことだ。今回はだまされたくはないものである。

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    エンゲル係数、29年ぶり高水準が裏付ける「ニッポン貧困化」のウソ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) エンゲル係数の高水準が続いているという。エンゲル係数とは、消費支出の中に占める食費の割合のことで、19世紀のドイツの社会統計学者エルンスト・エンゲルが発見した経験法則である。この法則は一般にも知られている。 例えば、所得の上昇とともにエンゲル係数は低下する、と学校で習っているかもしれない。これを「エンゲルの法則」と称しておこう。所得が上昇するとともに、食費以外の支出が増えていく。したがって、エンゲル係数が低下するのは生活が豊かになっている証拠だというふうに教えられたかもしれない。反対にいえば、所得が低下すれば、エンゲル係数は上昇することにもなる。 エンゲルの法則は、戦前の日本社会でも話題になった。ユニークな経済学を当時展開していた、京都帝国大学(現京都大学)教授の高田保馬は、エンゲルの法則について興味深い分析を行っていた。 高田保馬は、論文「住居費の一研究」(1924年)の中で、大正後期の都市住民の住居費、食料費の動向について統計的な分析を行っている。高田は、生計費の内訳を、生存費(自己の生命を維持するための費用)、充実費(生活内容の充実のための出費)、誇示費(自らの社会的勢力を誇示するための費用)として区分している。 高田のユニークなところは、最後の誇示費を入れているところだ。彼はこれを、「世間的な対面を気にする際に必要な経費」としていて、所得の高い層ほど住居に対する出費が「安定的である」と主張した。この「安定的である」とは、所得の上昇に応じて、少なくとも住居費が低下することはない、という意味である。 むしろ、住居費には体裁を気にして下限が存在する、あるいは自分の社会的評価を住宅の質で見せびらかしたいという動機が作用して、できるだけ住居費にお金を割くだろう、と高田は考えていた。住居費の下方硬直性という現象だ。他方で、高田は食料費に関する支出については、エンゲルの法則に賛同していて、所得の上昇とともにエンゲル係数は低下すると考えていた。戦間期とタブる「失われた20年」 この高田の生計費の解釈は妥当だったろうか。1910年から1930年までの20年間(いわゆる戦間期)の日本の生計費の動向の中で、私は高田の分析を検証してみたことがある。戦間期の生活水準全体は一般的に上昇したといわれている。これがまず前提だ。 住居費に関しては、高田の見地からは所得と「正の相関」を持つことが予想される。「AとBが正の相関を持つ」という意味は、Aという現象が増加(低下)するときに、Bもまた増加(低下)している、というものである。ただしAが増えたからBが増えた、という因果関係ではないことに注意してほしい。「負の相関」は、正の相関とは違う関係を示している。こちらは、Aが増えるときに(減るときに)Bは減っている(増えている)というものだ。 日本の戦間期では、住居費に関しては、統計的に意味のある負の相関であった。この結果は高田の主張とは整合的ではない。つまり所得が向上しているときに、住居費の割合が低下しているのである。また生活水準が上昇していたとはいえ、この時代では家計の支出の約7割が食料支出であった。私の推計では所得が増加(減少)しても直接には食料支出に関係しなかった。つまりエンゲルの法則はこの時代には成立していなかったのである。 なぜエンゲルの法則に関する高田保馬の解釈をここでまず紹介したかというと、当時の日本の戦間期は今日と同じように長期のデフレ不況だったからだ。つまり最近までの日本の長期デフレ不況と類似しているからである。 ところで、最近のエンゲルの法則を適用した議論はどうだろうか。本当に所得が低下したから食費の割合が上昇したのだろうか。例えば、アベノミクスで私たちはより貧しくなったのだろうか。 答えはノーである。例えば、日本人一人当たりの生活水準はどうなっているだろうか。2012年の一人当たり実質国内総生産(GDP)は390万円だったが、16年にはこれが410万円超にまで拡大している。さらに今年は国際機関の推計では420万円を超えそうである。 一人当たりの所得水準が上昇しているのに、なぜ食費の割合が高くなっているのか。つまりエンゲル係数の上昇がみられるのだろうか。本当は、一人当たりの所得水準の伸び以上に私たちの生活は苦しくなっているのではないか、とアベノミクスの成果を否定したい人たちにこの意見が多い。エンゲル係数上昇が日本の貧困と結びつかない理由 だが、これは端的な誤解である。以下の図表を参考にしてほしい。※世帯主が60歳以上の世帯の割合は、全国消費実態調査の二人以上の世帯における割合 この図は総務省統計局の栗原直樹氏の解説記事「食料への支出の変化を見る(平成26年全国消費実態調査の結果から)」に掲載されていたものである。 「エンゲル係数の推移を見ると、平成元年から平成16年にかけて低下していましたが、平成21年以降上昇しています。これは、エンゲル係数が、世帯主が60歳以上の高齢の世帯では高い傾向があるため、高齢化に伴って高齢の世帯の割合が上昇していることなどが全体のエンゲル係数の上昇にも関係」している、と栗原氏は解説している。 人は高齢化すると、あまりいろいろなものにお金を使わなくなる。そのため高田保馬のいうところの生存費にあたる食費の割合が増加するのだ。当然エンゲル係数は上昇する。おしゃれに気を使い、積極的に社交の場に出る高齢者の方も増えているので、高田の誇示費にあたる支出も増えていいように思えるが、実際には高齢化は、「消費の保守化」と等しいようだ。高田保馬的にいえば、高齢化は充実費や誇示費を抑制していることになる。 エンゲル係数は基本的に高齢化の進展でこれからも上昇トレンドにあると思うが、その他の要因でも影響が起こる。代表例としては、所得が上昇すると外食が増えることでエンゲル係数がやはり上がる。共働き夫婦になると、外食やコンビニなどでの買い物も増える。このこともエンゲル係数の底上げに貢献しているだろう。 エンゲル係数が上昇していることで、日本がより貧しくなっているとはどうもいえないようである。 そもそも最近では、失業率の低下、有効求人倍率の改善も一段と進んでいる。パートやアルバイトの時給も都市部を中心に増加傾向にある。それだけではない。倒産件数や自殺者数の低下傾向もある。このようにわかりやすい範囲でも、経済状況が改善している中で、どうにかしてアベノミクス(その中核であるリフレ政策)を、「日本が貧しくなることに貢献している」と思わせたい人たちがいるようである。そのような人たちにとって、エンゲル係数の上昇は、かっこうの批判のための批判の道具なのだろう。

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    極右ルペン氏の台頭を招いたフランス労働市場の「腐敗」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) フランス大統領選挙の第一回投票が行われた。投開票の結果、中道・無所属のエマニュエル・マクロン前経済相、そして極右政党「国民戦線」のマリーヌ・ルペン党首がそれぞれ1位、2位となり、5月7日の決選投票に進んだ。 今回の選挙の争点は、欧州連合(EU)の枠組みの維持もしくは離脱、そして移民の受け入れをどう考えるかをめぐってのものになっている。マクロン氏はEUの枠組み堅持を訴え、保守・左派双方に目配りをした選挙戦術を展開してきた。他方で、ルペン氏はEUから国民投票・憲法改正によって離脱し、移民を制限する政策を訴えることで急速にその支持を拡大してきた。開票状況をみるとこの上位2人の得票数は肉薄したもので、今後半月ほどの選挙戦は白熱したものになるだろう。 上位2人以外の主要候補の得票数も注目されている。3位と4位に終わった中道右派、共和党のフィヨン元首相は、EUの枠組み堅持を支持していて、敗北宣言の中でマクロン氏への投票を支持者たちに訴えている。また急進左派、左派党のメランション元共同党首は、政治的な立ち位置こそルペン氏と真逆なのだが、それでもルペン氏同様にEUの制約に縛られない積極的な経済政策を掲げることで、若者中心に急速に支持を拡大してきた。報道では、メランション氏は、支持者には自由投票を呼び掛けたようである。また5位につけている社会党のアモン前教育相は、反ルペンを訴え、そのため政治信条では異なるマクロン氏への支持を表明している。 単純に第1回投票の票の割合を、ルペン対反ルペンで割り振ってみると、反ルペン票の方が大きく上回りそうである。しかし現状のフランスの中に潜在するポピュリズム的潮流や、移民問題への関心の高まりを考えると、決選投票がどうなるか予断を持たないほうがいいだろう。4月23日、フランス北部エナンボモンで、支持者から祝福されるルペン氏(AP=共同) フランス経済のここ5年ほどの経済成長率は、平均すると0・78%(IMF推計)であり、ユーロ圏全体の状況も含めると長期停滞的な状況である。またフランスの失業率も悪い。もともと若年層中心に構造的な失業率が高いのだが、それでもこの数年は10%を超えている。先に若年層の不満が根強いと書いたが、その不満の背景にはこの失業率の高止まりが存在している。ドイツの経済思想のわなにハマったフランス フランス経済は簡単にいえば、より積極的な財政政策を必要としていることは明白だ。だが、EUの中心国であるドイツは相変わらず財政規律を重視するスタンスを崩していない。フランスはユーロ圏でもあるので、金融政策は自国の自由にはならず、また積極的な財政政策もEUの制約に服さなければいけない。マクロ経済政策的には自由度がかなり限られている。フランス大統領選の投票所近くを警備する兵士=4月23日、パリ(AP=共同) フランスやイタリアの有力な経済学者の多くは、EUにおける積極的な財政政策を支持している。例えば、パリ政治学院の経済学者フランチェスコ・サラセノ氏は、論文「ケインズがブリュッセルにいくとき:欧州経済通貨統合の新しい財政ルール」(2016年)の中で、先進国が従来の景気コントロールに利用していたルール(金融政策中心、財政政策は消極的)を変更して、財政政策と金融政策の協調、特に財政政策の拡大を新ルールの中心にすべきだとしている。ちなみになぜケインズ(財政政策の比喩)がブリュッセルにいくかというと、そこにEUの本部があるからだ。 ドイツ経済も最近の指標をみると、ここ最近では輸出が力強さを回復し、ドイツ経済にとっては現状の政策を大きく変える動機はない。これに加えてドイツの政策担当者や経済学者たちの間では、財政の規律(秩序)を重んじる勢力が根強い。この秩序(オルド)を重んじる経済思想の風土は、戦後のドイツ経済思想の根幹といっていい。 「オルド自由主義」ともいわれる経済思想は、戦後のドイツの経済政策を考える上では欠かせない要素である。オルド自由主義の特徴は、ルペン氏や米国のトランプ政権を支えているようなポピュリズム的傾向を否定していることで知られている。例えば、大衆消費、大衆向きの生産が拡大し、それが産業の独占化を招き、経済を閉塞(へいそく)してしまう、というのがオルド自由主義のひとつの見方である(竹森俊平『逆流するグローバリズム』PHP新書など参照)。 また、債務=借金を否定的にとらえている倫理的な価値判断も強く、そのため積極的な財政政策を嫌い、財政的な秩序を重んじるのである。簡単にいうと、大衆の欲求よりも、道徳的な秩序を最優先に考えるものだ。このオルド自由主義の経済思想が、ドイツの経済政策や世論さえも拘束している。 フランス経済は要するにこのドイツの経済思想のわなにはまっているともいえるだろう。経済低迷を脱することができないために、不満は社会の中のごく一部、ただし大衆にもわかりやすい「問題」に向くことになる。それが「移民問題」である。フランス国内の若年層や低所得者層の雇用を、移民が奪ってしまう。そのことで自分たちの失業率が高まり、また職を得てもより低い生活状況に甘んじなければならない、という不満に論点が移行してしまっている。本当に移民がフランスの雇用を奪ったのか だが、本当に移民(外国人労働者)がフランスの雇用を奪ったのだろうか。欧州の統合に関する代表的な教科書『欧州統合の経済学』(未邦訳)を書いたジュネーブ高等国際・開発問題研究所のチャールズ・ワイプロツ氏とリチャード・ボールドウィン氏によれば、移民が(フランスを含めた)EU内諸国に失業の悪化などをもたらした証拠は乏しいと指摘している。またむしろフランスへの移民は事実上かなり制約されてもいることを指摘している。簡単にいうと、フランスに移動することは、法的には容易なのだが、フランスの労働市場が、経済的な意味では排他的な市場だということだ。つまり、フランスの高い失業率は、移民によるものというよりも、フランス国内の労働市場に内在する問題だ、ということになる。第1回投票が始まったフランスの大統領選で票を投じる有権者=4月23日、リヨン(ロイター=共同) フランスの失業率は、1970年代初めは3%台を切る水準だった。それが急速に上昇し、9%台がほぼ定位置になってしまった。この要因については、フランスの未熟練労働者や若年労働者がきわめて低い報酬しか受け取っていないことに原因がある。そのために、求職の意欲を失いやすい。求職の意欲を喪失している期間が長ければ長いほど、その人の人的資本の蓄積は阻害され、「腐敗」しやすくなる。いざ働こうとしても自分の能力に見合った職が見つからずに、長期の失業状態が続いてしまう。また運よく職についても高い技能を要さない職しか見つけることができないために、さらに人的資本を伸ばすことがないままになる。これらがフランスの構造的失業の主因だろう。 この裏側には、労働組合などの交渉力の強さがあり、既存の産業(職種)への手厚い保護が存在することは明白である。つまり特定の産業(職種)への保護はあっても、本当の労働者の保護に欠けているのである。このフランスの閉鎖的な雇用環境が、外国人労働者に避けられているところなのだろう。 ちなみに同時期のイギリスとの対比をみると興味深い。イギリスもまた80年代後半までにフランスと変わらない10%近い失業を経験していた。それが90年代以降は急速に低下して約5-6%の間で推移してきた。これはイギリスの(フランスに比して)よりオープンな雇用環境、さらにはユーロ圏に所属していないために金融政策の自由度が高いことなどがその主因だろう。いわゆるリーマンショック後は、イギリスも失業の上昇に悩まされてはいるが、それはフランスのような、がんじがらめの状態に比較すればまだましである。 フランス経済をみると、そこにEUの悩みが集約して現れている。今後の大統領選挙の結果次第では、ヨーロッパには大きな変化が生まれるだけに注目していきたい。

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    「100円節約運動」を唱えた経済学者のトンデモ理論

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 経済学者の高橋伸彰立命館大教授のツイッターでの発言が話題と批判を集めている。高橋氏は、「国民ひとり当たりを100円節約し、『アベを買わない運動』を展開すれば、個人消費は4.6兆円減り、アベノミクスは崩壊して安倍政権の落日は近い」などと主張した。高橋氏の発言はすでに削除されているが、ガジェット通信の記事に発言内容が保存されているので参照されたい。立命館大の高橋伸彰教授のツイート 高橋氏はネットでの猛烈な批判を受けて、いろいろ弁解をしているようだが、その発言の意図は間違いなく、安倍政権の打倒のために意図的に100円を節約して経済を悪化させようと、扇動するものだった。 経済学者が政策論争に関与したり、その政策実現のために政治家の助言者や政策ブレーンになったり、あるいは政策実現のために政治運動を展開することは、国際的にもしばしば観察されるし、それ自体奇異なことではない。むしろ、自分の望む政策を実現することに情熱を傾けることは、(経済学者の素養や性格にも依存する部分が大きいが)個人的には望ましいことではないかと思っている。 だが、今回の高橋氏の「100円節約運動論」は言語道断である。経済政策の役目は、人々の暮らし向きを改善することである。しかし、高橋氏の主張は経済の悪化を狙っていることが明瞭である。経済全体の消費を意図的に減少させることは、(その他の条件を一定にすれば)間違いなく経済成長率も下降させてしまうだろう。 確かに、経済がこれからどのように成長していくか否かという議論は今でも熱い論題だ。欧米でもこれからの先進国の多くは長期停滞が避けられないという論調も多い。だが、この種の経済成長論争と、今回の高橋氏の主張はまったく質が異なる。長期停滞論は、経済の構造的な動きなのだが、高橋氏の主張は人為的に経済を減速させるものだからだ。その目的は安倍政権の瓦解である。政策評価より「政権打倒」を優先する経済学者 安倍政権の経済政策が良いか悪いかではなく、安倍政権の瓦解を目指して経済を悪化させる。これほど醜悪な発言はない。過去にも、不良債権など経済の非効率性を淘汰するために、経済の悪化を放置するという経済思想はあった。これは昭和恐慌期の日本や、同時期の世界の経済思想の中で展開されていたが、今日でもその末裔がいる。「清算主義」という経済思想である。だが清算主義は、いわば経済不況を「放置」することが本義である。清算主義者でさえ、わざわざ経済を人為的により一層悪化させるなどと主張はしない。高橋氏はその意味で清算主義者ですらない。国会前集会で安倍首相の退陣を求め訴える人たち=3月23日夜 このような高橋氏の経済論の認識の底には何があるのだろうか。一つは経済成長自体の軽視だろう。これについては後に触れる。もう一つは、高橋氏だけではなく、今も広範囲に観察される「アベ政権打倒」を自己目的化した人たちのイデオロギーである。彼らは安倍政権の個々の政策評価よりも、政権打倒自体が自己目的化しているとしか思えない。 高橋氏は経済成長の低下をそれほど重大視していないのだろう。だが、経済の低迷は多くの人たちの暮らし向きを悪化させ、また人命を危機に陥れる。 経済の安定化に失敗するとそれだけで多くの人命が失われてしまう。長期停滞を背景にして、日本の自殺者数と失業率の関係については21世紀初頭から議論されてきた。  日本の自殺者数の推移をみてみよう。20世紀終盤の1997年は日本の金融危機と消費増税があった年だが、それ以降自殺者数は急増していき、2011年まで14年連続して3万人台で推移し、ピークの年には3万5千人近くに上った。自殺未遂した人や自殺しようかと悩んだ人たちまで含めると膨大な数に及ぶだろう。 人がさまざまな理由で生死を選択しているのには異論はない。しかし、それを認めたうえでも、自殺と景気循環(好況と不況の循環のこと)が極めて密接な関係にあることは矛盾しない。最近では、リーマンショック以降の各国の動向を踏まえて、経済政策の失敗が人間の生き死にを直接に左右するという分析を、英オックスフォード大教授のデヴィッド・スタックラー(公衆衛生学)と米スタンフォード大助教授のサンジェイ・バス(医学博士)が『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)で提示している。原題を直訳すると「生身の経済学 なぜ緊縮は殺すのか」というものだ。ここで言う「緊縮」には、高橋氏が主張しているような「人為的な消費削減」が入っても矛盾しない。 スタックラーとバスによれば、不況になれば失業者が発生する。このとき政府や中央銀行が適切に対処しなければ、失業の増加が自殺者の増加を招いてしまうだろう。日本の場合では、失業率が高まるとそれに応じるかのように自殺者数も増加していき、また失業率が低下すると自殺者数も低下していく。経済減速の主張に感じられない「生命の危機」 スタックラーとバスの本では、2008年のリーマンショックで仕事を失ったイタリアの中高年の男性職人が「仕事ができない」ということを理由に自殺したエピソードを紹介している。ここでのポイントは、経済的な理由よりも地位や職の喪失そのものが自殺の引き金になっていることだ。また精神疾患患者数の推移と景気の関係に対する議論もある。(※画像はイメージです) 失業とうつ病は関係が深い。社会的地位の喪失もうつ病の引き金になりやすい。うつ病が進行しての自殺のケースも多いだろう。また失業率の上昇は、一方でリストラに直面しなかった人たちにも生命の危機をもたらす。首切りを免れて、会社に残った人たちの時間当たりの労働強度を高めてしまう。 つまり辞めたり、新規の採用がなかったりした分だけ、より少ない人数で仕事をすることになる。過労によるストレスは、うつ病の引き金をひいてしまう。不況になれば、なかなか他の職を得ることができないので、つらい職場環境でも我慢して勤めてしまう。このことが不況期でのブラック企業の隆盛をもたらした。高橋氏の主張ではこの種の人命を損失させる経済減速の悪影響に対する配慮が全くない。配慮があれば、経済を減速させようという主張は出てくるはずもないのだ。 経済政策の是非、これから経済成長が安定的に達成可能か否か、そういう論点と高橋氏の「100円節約運動論」は全く異なる。繰り返すが、経済学は一人ひとりの生活を改善することにその目的がある。この点を忘れた経済学者の発言には何の価値もない。

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    「フェイクニュース」を垂れ流す日本の経済報道はもう笑うしかない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 先日、批評家の栗原裕一郎氏、エコノミストの片岡剛士氏と私の3人でトークイベントを行った。最近の経済・社会問題についてのざっくばらんなトークだったが、時間の大半を費やしたのはやはり「森友学園問題」だった。 ここで栗原氏が指摘したことだが、いわゆる日本のリベラルからみると、リフレ派は「ネトウヨ」(ネット右翼)に見えるということらしい。まさに「笑」としか表現できないことなのだが、どうも安倍政権の政策を個別に評価しただけでも「ネット右翼」、ましてや森友学園問題で、野党や朝日、毎日に代表される左派メディアのあり方を批判すれば、間違えることなく「ネット右翼」になるのだという。これまた笑うしかない状況ではある。 「ネット右翼」でもなんでもいいのだが、このように敵味方のふたつに分けてしまい、相手を政治的に批判するのがいまやブームといえるような状況である。もちろんこのような事態が深刻化すれば、個別の政策への評価や批判が難しくなるだろうし、また社会の分断にもつながってしまう。 ちなみにリフレ派というのは、単に日本の経済的停滞をデフレの継続に求め、その解消のためには、まず日本銀行の政策の転換によって低インフレ状態を実現し、そして低インフレによって日本経済を安定的な成長経路に戻し、雇用や一人当たりの生活水準を向上させることを最終目的とする「集団」のことである。もちろん日銀の政策転換は重要なのだが、政府が消費増税などといった、デフレ脱却と真逆の政策をやることは避けなければならない。そのため金融政策と財政政策の協調がぜひとも必要になる。 つまり、リフレ派とは単なるデフレ脱却の政策面での共通項を指すだけであり、もちろん政治的意見を同じくする人たちではない。実際にリフレ派といわれる人たちには、マルクス主義に主軸を置く人(立命館大の松尾匡教授ら)や、安倍政権のブレーン(浜田宏一内閣府参与)がいて、政治的立場は多様である。 また、特定の政権だけにリフレ政策を採用することを推し進めてきたわけでもない。例えば、筆者は民主党政権の時代に、同党の「デフレ脱却議連」や個々の民主党議員にデフレ脱却に関する政策の重要性を何度も説いてきた。その成果は残念ながらなかったのだが…。つまりリフレ派に特定の政治的レッテルを貼るのは完全に間違いである。 リフレ政策はいわば日本経済復活の処方箋であり、リフレ派はその意味で「医者」である。薬や手術、またはそれを行う医者に保守だ、リベラルだ、ネット保守だ、とレッテルを貼ってもなんの意味も持たない。いわば「フェイク」(偽物)のレッテルである。「フェイクニュース」の見分けが難しい理由 ところでフェイクは報道の場でも深刻である。前々回の連載でも書いたが、森友学園問題は、安倍首相や首相夫人の違法性や道義的責任にまったく結びついていない。一時期よりも少なくなったが、いまだにメディアの報道では両者を結びつける根拠のない「疑惑」のオンパレードである。 注意しなくてはいけないのは、「フェイクニュース」というものは、核心部分(森友学園問題と首相サイドの違法的な関係)が間違いや偽物であっても、それ以外の部分は「真実」で構成されていることが多いことだ。これが報道を偽物であるか本物であるのか見分けを難くしている。 実は、リフレ派はこの種のフェイクニュースに過去20年以上悩まされてきた。「デフレになったのは中国やインドから安い製品が入ってきたためである」「日本の産業がグローバル化に対応できないので日本は停滞している」「インフレ目標を導入するとハイパーインフレになる」などというものである。 例えばインドと、中国発のデフレをみてみよう。インドと日本の貿易関係は、日本の経済規模からみて規模が小さい。2015年現在、輸出入総額が1兆円超程度で、純輸出はプラスであり、日本からの輸出の方が大きい。一方、中国と日本の貿易関係は巨額である。輸入額(2015年で20兆円近く)だけみても日本のGDPに対する比率は大きい。日本へ中国の安価な製品が流入していることは「真実」である。だが、安価な製品の輸入が多くても、それが日本経済全体の物価を押し下げていることにはならない。 なぜなら日本よりも輸入規模がはるかに大きい米国や、日本の次の貿易関係国である韓国はデフレ経済に過去20年間陥ってきたわけではないからだ。韓国はむしろ中国との貿易関係が縮小している現段階の方がデフレ経済に陥る危機に直面している。このように中国発デフレは、真実(中国との貿易関係が大きいこと)でカモフラージュした、核心部分(中国がデフレの原因)がフェイク=偽、という典型的な主張である。日本と中国、韓国の経済貿易相会合で握手する、(左から)中国の高虎城商務相、世耕弘成経済産業相、韓国の周亨煥産業通商資源相=2016年10月29日、東京都目黒区 同様に、日本の産業の中でグローバル化に対応できていない部門があってもおかしくはないが(真実)、そのこととデフレが関係するわけではない(フェイク)。これは経済学的には財やサービスの総供給面に問題があるということだが、実際の日本経済では総需要が不足していることで、まず簡単に否定できる。 さらに、インフレ目標を導入すればハイパーインフレになるという主張も、これは単にすべてデタラメであったことは自明である。だが、この種の主張もインフレ目標が導入される前は執拗(しつよう)に報道されていた。独り歩きする「景気回復の実感」 とりわけ、最近のフェイク的な経済報道として筆者が注目しているのは、しばしば世論調査で出てくる「景気回復の実感がない人が多い」というものだ。このとき報道の多くが、「景気回復の実感」とはそもそも何かを定義することなく、印象だけを流していることに注目すべきだ。 人によって景気の実感はバラバラだろうし、個々人の感覚は正しいかもしれない。だが、個々の実感と経済全体の景気回復をイコールにしてしまうのは間違いだ。仮に、1年や数年で給料が倍になることを「景気回復の実感」だと思う人がいるとしよう。もしこれを経済全体にまで拡張したらどうなるだろうか。 「マジックナンバー69」というものがあって、これは給料や経済規模が倍になるための成長率を導き出すのに便利な数字である。一例で、年間の経済成長率が3%であれば、3で69を割ると23になる。つまり23年かければ、その国の経済規模が倍になるということである。 もし1年で給料が倍になることを「景気回復として実感する」ならば、日本経済は年間69%も成長しなくてはいけない。先進国の平均的な成長率がだいたい3%前後の中で、このような超高度成長は単なる夢物語にすぎない。もちろん個々人がこのような収入を実現できることを否定しているのではない。個人の景気への実感が、何の定義もされることなく安易に独り歩きをすることを警戒すべきだといいたいのである。 ちなみにリフレ派の目指す経済状況は、(論者によって異なるが)実質経済成長率が3%前後になれば上出来であり、またそのときには完全雇用に達し、なによりもその状況が長期的に安定化することが目的となるだろう。

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    デフレ脱却はどうなった? 黒田日銀総裁4年間の「通信簿」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 黒田東彦総裁を中心とする現在の日本銀行の体制が確立して4年が経過した。黒田総裁、岩田規久男、中曽宏両副総裁の任期は残り1年ほどになる。現在の日銀の政策は、アベノミクスの核として機動している。その政策の主要要素は、20年ほど続くデフレ経済を脱却し、2%のインフレ目標を達成することで、日本経済を安定的な成長経路に戻すことである。安倍首相との会見を終え、記者の質問に応じる日本銀行の黒田東彦総裁(中央)=1月11日、首相官邸(ロイター) 経済の安定はまた一人当たりの生活水準の増加、雇用の最大化を伴うことが意図されているのは言うまでもない。デフレ脱却によるインフレ目標の到達は、その意味では私たちの生活や働く場の安定的な改善という最終目標からみれば、中間目標である。 さて、残り1年を切った黒田日銀について、今回は簡単にその成果と問題点を指摘しておきたい。これは言い換えるとほとんどアベノミクスの成果を現時点で点検することに等しい。ただし以下では少数のポイントだけに絞る。 まずインフレ目標自体については、昨年までのマイナス域からは脱却しているが、デフレ経済を脱したとはおよそいえない状況である。消費者物価指数の総合でみれば、対前年同月比で0.2%である。消費者物価指数は上方バイアス(インフレ方向に強くでる歪み)があることや、再びデフレに陥らないようなのりしろ部分を考慮に入れれば、インフレ目標達成についてはもちろん不合格である。ここ数か月は改善傾向にあり、また予想インフレ率の指標をみると若干の改善をみせてはいる。ただし、黒田総裁の任期は来年の3月までなので、2%のインフレ目標の到達は難しいだろう。 この理由については、本連載でも何度も書いてきているが、ふたつの要因が考えられる。ひとつは2014年4月の消費増税による消費の急低下とその後の悪化持続である。もうひとつは国際的要因で、これは中国経済の減速、イギリスのEU離脱、そして米国の大統領選などに伴う経済政策の不透明感などである。 後者の国際的要因は、日本の政策ではどうしようもできない。だが前者は対応が可能であった。実際にその後予定されていた消費税のさらなる引き上げは2回にわたって先送りされた。しかし消費マインドは、14年4月以降回復していない。直近で若干の改善傾向が見られ始めただけだ。 ここで注意すべきは、日銀の大胆な金融緩和政策自体の効果を否定してはいないことだ。むしろ反対に、日銀の大胆な金融政策は目覚ましい効果をあげている。ただそれを打ち消す逆向きの効果があるということだ。前者の改善効果を後者の悪化効果が完全に上回っていないことも注意を要するポイントである。つまり、過度な悲観は禁物ということだ。財政政策の失敗のツケは財政政策で払う いまも書いたように、インフレ目標が未達の原因は日銀の政策によるものではない。実際に13年度の消費者物価は0.9%(総合)であり、これは12年度のマイナス0.3%に比較すると、1.2%もの急上昇を果たしている。その後の状況は(消費増税の影響で物価はプラス域に大きく振れるが、これは見かけなので)デフレ的状態に再下降してしまっている。日本のデフレ脱却が困難に直面したのは、金融政策に効果がなかったのではなく、その効果を打ち消す財政政策の失敗(消費増税)があったことは明白である。 消費増税という財政政策の失敗のツケは、財政政策で対応するのが基本である。有効な政策は、減税を中心にする可処分所得を増加させる財政政策である。理想は消費減税だろう。金融政策のさらなる緩和、例えばインフレ目標の3%程度への目標値の引き上げも考慮すべきである。 残念ながら、日銀の大胆な金融緩和政策は継続こそすれ、もう一段の緩和には動き切れていない。ここ一年をみても、短期・長期の金利を操作する「イールドカーブコントロール」やマイナス金利などを追加的に採用しただけである。 これらの政策の効果はきわめて限定的だ。 例えば、イールドカーブコントロールは、具体的には国債の金利を操作することである。これは日銀の保有する国債の金利構成を変更することにもつながる。より大胆な政策であれば、最近、ジョセフ・スティグリッツが指摘し、さらに昔にさかのぼればベン・バーナンキも主張していたように、日銀のバランスシートの構成を変化させて、例えば保有国債の償却期間長期化を財務省と交渉することも一案である。 例えば10年物国債を20年、30年と長期化させることが可能だろう。さらに高等教育無償化などの目的を持つ国債を新規発行して、それを日銀に引き受けさせるのも一案である。いずれにせよ、政府との協調が重要であることは言うまでもない。この財政政策と金融政策の協調こそが、日本経済の安定的な再生のキーポイントである。 さてインフレ目標の未達の真因と、今後の対応は書いた。冒頭にも書いたが、インフレ目標は、経済の安定化(生活水準、雇用環境の改善)のための中間目標でしかない。その最終目標である経済の安定について簡単にみておく。特に注目したいのが、雇用の状況である。報道でも取り上げられたように、失業率がついに2.8%と3%を切った。3%を下回ったのは、日本が「失われた20年」に突入する前にさかのぼり、22年2か月ぶりである。働き手減少で改善したというのは「トンデモ仮説」 しばしば、この失業率の低下や有効求人倍率の4半世紀ぶりの改善について、生産年齢人口が減少説を主張するむきがある(人口仮説)。要は働き手が構造的に減少しているために起きた「改善」である、という指摘だ。これは簡単にいえば、「トンデモ仮説」といえよう。 例えば、生産年齢人口は21世紀冒頭から今日まで約1000万人減少している。今世紀に限定しても17年間、この減少は継続している。もし先の人口仮説が正しければ、この減少トレンドと同時に失業率の低下や有効求人倍率の改善がみられる必要がある。だが実際には、小泉政権後期から08年までのリーマンショック以前、そして第二次安倍政権以降を抜かせば、失業率は高止まりし、有効求人倍率も極めて低かった。 野田政権(民主党政権)のときに失業率が低下に転じているという指摘もあるが、これもトンデモ仮説のひとつである。不況が厳しくて、職探し自体を断念した人たち(求職意欲喪失者)や社内失業が増加しただけだからだ。これは、民主党政権下での失業率の見かけの低下が起きているということである。 黒田日銀の最大の成果は、この雇用環境の大幅な改善にある。失業率の低下や有効求人倍率の大幅な改善は、「人口要因」というトンデモ仮説ではなく、金融政策にその主因が求められるからだ。確かに財政政策(政府支出規模)は13年こそ増加したが、以降は16年後半まで漸次減少スタンスであり、またなによりも消費増税があった。一貫して景気刺激的なスタンスを採用しているのは、日銀の金融政策のみである。 特にここ1年数カ月は正規雇用が増加し、他方で(不安定雇用の代名詞である)非正規雇用が減少に転じている。パートやアルバイト、派遣社員の賃金面での改善も著しい。 ただしいくつか注意が必要である。雇用者の数が増えているので、平均的な賃金が低下してしまう局面があるのは、常識的にもわかるだろう。特に雇用の回復初期では、実質賃金の低下がみられる。だがこれは生活水準の悪化ではもちろんない。短時間労働で働く人間が増えている(当初は女性のパート、アルバイトの増加、高齢者の再雇用などで吸収されていく)ので、平均賃金が低下するだけなのだ。 実際に安倍政権発足後から、雇用者数とその報酬を掛け合わせた名目雇用者報酬は一貫して増加傾向である。また実質賃金もいまでは増加に転じている。現在、さまざまな場で、人手不足の声をきくようになっている。大都市や一部の産業での時間当たり賃金の伸びが目立ってきている。これらの動きがより定着していけば、さらに失業率は低下し、報酬面でも雇用環境は改善していくだろう。いまの雇用改善は「ようやく合格点」レベル そしてこれは通念と異なるが、実はいまの雇用改善もまだ「不十分」な段階である。点数でいえば、ようやく合格点に達している程度だとみなしたほうがいい。金融政策の景気刺激効果は、安倍政権発足後から今日までずっと持続している。他方で、13年と直近の状況を抜かせば、ほぼ財政政策は緊縮的スタンスであった。 だが、先ほども指摘したように、前者の景気拡大効果の方が後者の景気抑制効果よりも大きく、それが雇用の持続的な改善を下支えしている。この理屈でいえば、後者すなわち財政政策も金融政策とともに拡大スタンスで協調すれば、さらに雇用の改善が機能する余地があるのだ。以下では景気刺激策をとれば、まだその雇用改善の「余地」があることを解説する。 失業率には、需要不足による失業と構造的失業のふたつに分かれている。前者は金融政策や財政政策で解消することができる。現在の失業率の低下は、この部分の解消が主に貢献している。他方で構造的失業の方は、金融・財政政策では解消されないと考えるのが「通念」だ。豊富に職があっても自分の技能に見合うものを探し出すコストが高い場合や、性別・年齢などの障壁でこの構造的失業は高止まりするといわれている。そのため構造的失業には構造改革(規制緩和や職業教育など)が政策割り当て的に妥当であると考えるのが「通念」だ。 しかし需要不足の失業と構造的失業は明確に分かれているわけではない。構造的失業と思われている部分も、実は需要不足の失業が長期化したために現出している可能性が大きい。言い換えると、需要不足が解消されれば、通常の需要不足の失業の低下とともに、この構造的失業のいくばくかも低下する可能性がある。 日本の構造的失業率は90年代以降、緩やかに上昇している。例えば、片岡剛士氏の分析によれば、90年代当初の構造的失業率は2%ほどであった(原田泰・吉松崇・片岡剛士『アベノミクスは進化する』中央経済社)。それが四半世紀かけて2%台後半まで上昇している。この構造的失業の緩やかな増加の原因はなんだろうか。 ここではその主因のひとつとして4半世紀に及ぶ非正規雇用の増加を指摘しておきたい。非正規雇用の人たちの報酬水準や働く環境は、現在改善傾向にあるが基本的には不安定なままだ。「失われた20年」というのは、働く人たちの中で、この非正規雇用=不安定雇用が著しく増加したということでもある。スキルの「腐食」で構造的失業率が上がる デフレ不況の下では、不安定雇用を避けるために、求職自体を断念してしまう人たち(女性やまた再雇用を望む高齢者たち)が増加し、他方で正規雇用を求めてもなかなか決まらず長期の失業に甘んじる人たち、あるいはコンビニなどの定型化された職で長期間働いている人たちなどが増加した。例えば、いったん働くことを断念した人の職業面でのスキルは時間の経過とともに「腐食」していく。またコンビニで定型化された仕事に若いうちからついていると、その期間の間に蓄積される予定だったさまざま仕事の技能・対人スキルが失われてしまう。これも人的資本の「腐食効果」といわれるものだ。 大学や高校などを卒業してから、長期間この状態が継続すると、バイトをやめて正規雇用につこうとしても自分の蓄積された人的資本の生産性に見合う仕事が見つからない。このような状況を典型例として緩やかに構造的失業は上昇していく。 これらの構造的失業の上昇要因は、非正規雇用が増大すればするほど拡大していく。逆にいえば、非正規雇用を減少させるような政策対応が行われれば、構造的失業は低下する。現在の金融政策には、非正規雇用を減少させ、他方で正規雇用を増やす効果があることは、データからも明瞭である。 となれば構造的失業自体が、雇用の改善をうけて低下していくことは十分に予想される。イメージでいえば、人手不足が深刻化していき、非正規雇用の層や求職意欲喪失者の層からも人手を積極的に調達していかなくてはならなくなる。現在の日本はこの構造的失業の低下も、需要不足の失業の解消とともに同時並行的に進んでいると思われる。 実際に、失業率が構造的失業の水準までぶつかれば、どんなに金融緩和をしても物価は上がっても、雇用の改善など実体経済には何の効果もない。この段階では物価水準のみの急上昇が観測されるだけだ。そのため構造的失業は、別名でインフレ加速的な失業率ともいわれている。現状では、物価水準にはそのような変化は観測されないため、2.8%の現状の失業率はまだまだ金融政策で低下することができるのだ。では、いったいどのくらいまだ雇用の改善がみられるのか、いいかえれば需要不足、また構造的にみえても実は需要不足を解消すれば下がる構造的失業の部分はどのくらいだろうか。 答えは簡単である。インフレ目標が安定的に達成されたときの水準がまさに「構造的失業」だろう。この水準に到達するために、日銀は一段の取組余地を残している。さらに政府はその運用を妨害しないように、協調的な財政拡大のスタンスと消費増税路線の明白な放棄が望まれる。

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    根拠なき籠池証言と「忖度」に色めくメディアは早く消えてほしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) まさか21世紀の日本で大がかりな「魔女狩り」を目撃できるとは、というのがここ最近のマスメディアをみての率直な感想である。言わずと知れた「森友学園問題」についての、一部の新聞やテレビでの論調のことである。 様々な「問題」が喧伝されて何がいったい論点なのかさっぱりわからなくなっているが、簡単にいえば、学校法人森友学園に払い下げた国有地が周辺の取引価格の実勢よりも極端に低かったこと、それについて予定されていた小学校の「名誉校長」であった安倍昭恵首相夫人とまた安倍晋三首相が、その土地の値引き交渉に関与していたか否かである。 この話は二段階になっていて、1)国有地の売却価格が違法なほど低かったのか、あるいは違法ではないまでも過度に「裁量」が働いたような価格だったのか否か、2)首相夫人と首相は本当に関与したのか、そのときの「見返り」はなんだったのか、という問題であった。 1)についての論点はかなり整理されてきていて、簡単にいえば適法ではあるが、森友学園の事例については、財務省近畿財務局の判断に「政策のミス」の疑いが濃厚である。通常は入札により競争者を募り、公正な条件で販売価格を決めればいいはずが、財務省が主導して森友学園側との相対取引で性急に条件を決めてしまった。財務省側は言い分があるかもしれないが、これは現場サイドの致命的な判断ミスである。参院予算委員会の集中審議で、民進党の福山哲郎幹事長代理の質問に答弁に立つ元近畿財務局長の武内良樹財務省国際局長(前列右)と元財務省理財局長の迫田英典国税庁長官(同左)=3月24日(斎藤良雄撮影) もちろんその「言い分」の中には当該する国有地が置かれた歴史的・環境的な要因があるだろう。だが説明が複雑になるだけで、要は現場の判断ミスであると考えれば、いまのところそれでいい。財務省は今回の件で、その責任をやがてとらざるを得ないだろう。実際にはローカルでたかだか一学校法人との取引ミスにすぎないにせよ、問題が拡大しすぎてしまった。 2)については、現在までマスメディアや世論の大半に「疑惑」を抱かせたままである。だがあえて言えば、その「疑惑」には安倍政権への過度な批判が招いたバイアス(偏見)が作用しているように思える。籠池泰典理事長の証人喚問での発言によれば、首相と首相夫人が国有地の値下げ交渉に関与したという発言はなかった。また攻める側の野党やマスコミにもこの「関与」を裏付ける証拠はない。つまりこの国有地の価格引き下げ問題という最大の論点であり、そもそもの森友問題の出発点について事実上問題は“解決”しているはずである。昭恵氏の寄付が「悪」に受け取られる理由山口県下関市長選の候補者の集会であいさつする安倍昭恵首相夫人=3月10日 ではどこについて世論は「疑惑」を抱き続けているのだろうか。私見では主に二点である。ひとつは、首相夫人の森友学園への寄付金問題、もうひとつは、昭恵夫人付政府職員が財務省に国有地における小学校建設について問い合わせた件だ。 前者について籠池氏の国会証言と昭恵氏との間では事実認識が食い違っている。これはもはや国会で明らかになる問題ではない。籠池氏の発言が偽証や名誉棄損などの可能性があるならば、司法や捜査機関の出番である。筆者はその方がこの問題は早急にけりがつくと思っている。ただし念を推しておきたいのは、昭恵氏が学校法人に寄付したこと自体はなんの違法性もないということだ。なぜこれがいかにも「悪」のように受け取られているのか、そこにはマスメディアなどの報道の在り方、問題があるのではないか、という感想を抱いている。 政府職員の問い合わせについては、そもそも国有地の価格引き下げ交渉ではない。政府職員がさらに上長と相談して問い合わせを行ったとしても、違法でもなければ、道義的責任を問われるものでもない。実際に、籠池氏へ政府職員が送ったファックスの内容は問い合わせ以上の関わりを「謝絶」する内容を含んでいた。だが、野党もそして安倍政権に日頃から批判的なメディアも、これを土地取引への「関与」だとして批判し続けている。 問題は、土地取引に関して価格面などで籠池氏側に有利に働いたかどうかのはずだ。現行の法規についての問い合わせには、交渉手段になりえる要素はない。これが常識的な見解だと思うが、単なる問い合わせさえも政権交代を要求するほどのものに映る人たちがいるようだ。さらに、自制のタガが完全に外れたようなマスコミの報道姿勢がこの風潮に作用している面もある。 とどめは、財務省近畿財務局をはじめ、関係した省庁や職員などに、安倍首相や首相夫人を「忖度(そんたく)」して、便宜が図られたのではないか、という「疑惑」である。そしてこの官僚たちの「忖度」(相手の気持ちを慮ること)の責任を、安倍首相に要求していることだ。つまり官僚たちに「忖度させた罪」を首相は認めて、政治的責任をとれということである。メディアがバイアスを増幅していく 例えば、テレビ朝日の報道番組で、コメンテーターの後藤謙次氏が「安倍首相も忖度がないと言うなら、ないという物証を出すべきだと思うんです」と発言していた。忖度は人の心の中で生まれるものであって、それを他人である首相がどうやって物証で「忖度のあるなし」を証明するのだろうか。後藤氏だけではなく、類したことを発言している識者やメディアがかなりいて、それらの人たちはあたかも魔女裁判を現在の日本に復活させているかのようだ。悪質な報道姿勢であると断じていい。 仮に安倍政権への批判があるならば、堂々と政策論争で競えばいい。しかし実体的には、ほとんど根拠のない「疑惑」や魔女狩りめいた「忖度」の有無で、国会での貴重な時間を浪費している。まさに亡国の国会である。裏返せば、野党に安倍政権に代わる政策が打ち出せない無能力が、森友学園問題の膨張を生んだともいえる。世論は、森友学園問題の「疑惑」が解明されてないと思う反面、しっかりと野党の無策はみているようで、民進党など野党の多くはこの二か月近く支持率が低迷もしくは下落していることで明らかだ。衆院予算委員会の証人喚問で、民進党の枝野幸男氏の質問を受け、安倍昭恵夫人付き職員の谷査恵子氏からのファクスを手に答弁する籠池泰典氏=3月23日(酒巻俊介撮影) 人間は合理的判断と不合理的判断の混交体といっていい。合理的判断が勝れば、現代の魔女狩りのような「忖度」という論点は時間の経過とともに消滅していき、具体的な問題がなんなのか、より鮮明になるはずである。他方で、人間には不合理な判断をする余地がとても多い。経済政策の評価についても、専門家ではない大衆の理解にはバイアスが作用しやすいことが知られている。そしてそのバイアスはメディアの力によって強化されていく。 例えば、昭和恐慌期には、当時の朝日新聞や毎日新聞など主要メディアは、デフレや不景気を極限まですすめれば、経済の「悪」が淘汰されてより高い成長が可能であると信じた(清算主義)。主要メディアの大半がそのような報道姿勢であり、政界含めた世論の大勢もこの清算主義の考え方であった。だが、この清算主義は経済学的には間違った経済思想である。実際にこの清算主義を採用した当時の日本経済は恐慌に陥り、失業、倒産、子女の身売りなどが激増した。社会情勢は不安定化し、解決の糸口はまったくなくなってしまった。 このようなバイアスがメディアによって増幅・伝播していく恐ろしさを、今回の森友学園問題でも体験していると筆者は思っている。少なくとも、司法や警察の手を借りなくても、「忖度させた罪」などという歪んだ意見がメディアから消えることを願いたい。まさに罪なきところに罪を見出す最悪の発言だからだ。

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    世界的有名な経済学者がこぞって海外版アベノミクスを支持する理由

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 北朝鮮では大陸間弾道弾の開発が急ピッチに進み、韓国も朴槿恵大統領が失職し、朝鮮半島全体が安全保障の観点から不安定な状態にある。トランプ政権の発足により、従来のアメリカとその同盟国の関係がどうなるのかいまだ不透明な部分が多い。そして日本もまた経済・安全保障面で不安定な部分を多く残す状況にある。 そんな内外の緊張状況の高まる中で、このひと月以上、国会は「森友学園問題」、そして学園理事長の籠池泰典氏の発言などに振り回されてきた。すでにあまりにも多くの情報が錯綜(さくそう)し、そもそも何が問題なのかさえ不透明になっていて、いたずらに国民の「疑惑」だけが暴走している状況だ。日本のネットをみても、政権を擁護する側と批判する側で対立していて、そこだけを取れば社会は分断化されているようである。 米、中国など周辺国の発言や政治的・軍事的な動きをみると、朝鮮半島有事は秒読みに入りつつあるかのような緊張感がある。だが、まるでそこから話をそらすかのように野党の大半とマスコミの一部が、森友学園問題を国家的関心事に祭り上げているように筆者には思える。 ただこの森友学園問題について、今回はこれ以上言及しない。関心のある読者は、筆者のTwitterでの発言や、また高橋洋一氏の詳細で説得的な論説を参照されたほうがいいだろう。ちなみに筆者のTwitterではなるべく多くの情報を集めているが、その姿勢は野党やマスコミに対して厳しいものであることをお断りしておく。 さて、このような緊迫化する国際情勢もそうだが、やはり筆者には日本経済の行く末が気になる。確かにトランプ政権が発足してから、経済の見通しが一気に改善した。3月10日の東京株式市場は1ヵ月半ぶりの円安水準を受けて大幅続伸し、昨年来高値を更新した(AP) 経済の先行きを見る上で重要な、日本の株価や為替レートなどは大幅に「改善」している。これはトランプ政権の財政政策のスタンスと米国の金融政策の動向への「予想」がもたらしたものだ。財政政策も金融政策もアメリカの金利が高止まりする「予想」を告げている。そのため日米の金利格差は拡大し、それが円安ドル高をもたらした。 ただ今年に入ってからは急速な円安傾向を警戒したトランプ大統領の発言や、先のG20での日米の「通貨安競争」を回避する旨の財務相発言で、円安ドル高傾向はかなり抑制気味になっている。それでもトランプ政権前よりは円安ドル高のままであり、日米の金利格差は「予想」から実体を伴うものに転換していくであろう。なぜなら、アメリカの中央銀行FRBの金利引き上げスタンスと、日本のマイナス金利政策は維持されているからである。消費税「3年の負の遺産」から脱却へ 円安ドル高傾向は、日本企業にとって輸出に貢献するだけではなく、また企業のバランスシートを改善する効果があることが知られている。日本の大企業の多くが資産をドル建て、負債を円建てで所有しているとしよう。円安ドル高によって企業は資産価値を高め、負債を圧縮する。企業のバランスシートの改善は、やがて投資や名目報酬の引き上げなどで働く人たちに恩恵をもたらすだろう。 この傾向は、2012年終わりから2013年にかけての安倍政権発足後に観測された「事実」だ。この「事実」が株価の改善にもつながる。もっとも、日本特有の要因(東芝問題など)が若干足を引っ張っていることはある。だが、それでも11月のトランプ氏の大統領選勝利後から大幅に株価は戻し、日経平均株価は2万円台目前まで迫っている。 これらの「予想」面での改善は、別な観点からも裏付けることができる。いわゆる「イワタ式景気予測法」である。これは現在、日本銀行副総裁の岩田規久男氏がしばしば重視してきた経済の動きを見分ける手法で、有力エコノミストもこの予測法を参考にしている。3月16日、日銀本店へ入る岩田規久男副総裁(代表撮影) 内閣府がホームページ上で公表しているコンポジット・インデックス(CI)という景気動向指数がある。このCIには景気の動きに先行すると考えられる先行系列、景気の動きと一致する一致系列、さらに景気の動きに遅れて反応する遅行系列がある。CIは景気の強弱を定量的に計測しようというもので、いわば景気の勢い(景気拡張や景気後退の度合い)を伝えるものだ。例えば、世界経済に懸念材料があれば、どのくらい日本経済を悪化させるのか、その度合いを予測するのに使える。特に、「イワタ流景気予測法」は、このCIの先行系列の6カ月前・対比年率を景気予測で重視している。 最近の日本ではどうなっているだろうか。ネットでは「質問者2さん」として著名なブロガーが最新のデータを紹介している。最新のイワタ式景気予測だと、2013年のアベノミクスの初年度に近い水準にまで経済が回復している。また相変わらず雇用面では、過去最高の数値を達成した大卒の就職率や、今年度の新卒採用の動向をみても相変わらず好調である。日本経済は、消費増税によってもたらされたこの3年近くの「雇用の回復がある」景気低迷からようやく脱却しそうである。 もちろんこれは黙って達成されるものではない。2012年後半から現在に至る安倍政権の経済政策、アベノミクスによるものだ。雇用回復の余地はまだ大きく、さらにデフレの完全脱却、賃金・所得の上昇を実現しなくてはいけない。だが、それはいまの政策を最低でも維持、そして強化していけば達成が可能だろう。もちろん海外のリスクは冒頭に述べたように安全保障面で深刻なのだが、それでも国内経済の改善ペースをあげていく障害にはならない。できることをするまでだ。アベノミクスが海外の「標準装備」に 実は海外の経済政策の動向をみると、アベノミクスが「標準装備」になってきている。背景には、欧州やイギリス、そしてアメリカなど先進国経済圏が直面する、リーマンショック以降の経済低迷が「長期停滞」ではないか、という問題意識に支えられたものだ。つまり経済には新たなフロンティアがなくなってしまい、そのために景気が回復したとしても以前のような成長経路には戻らない、一段も二段も低めの成長経路になってしまうという「構造的」な認識である。 これを解消するためには、積極的な金融政策だけでは改善の余地が限られている(金融政策が役立たないのではなく、効果があるが不足しているという意味であることに注意!)。むしろインフラ投資など長期の政府支出が可能になるような財政政策の枠組みを再構築し、同時に規制緩和や貿易の自由化などもすすめていこうというのが、最近の経済政策の大きな流れである。この海外版アベノミクス(積極的で非伝統的な金融政策の採用、長期の財政政策、構造改革の三点セット)は、先進国の経済学者やエコノミストによってここ1、2年特に強調されている。 例えば、暗殺された金正男氏の長男、キム・ハンソル氏が通っていたことで注目を集めたフランスの超エリート校パリ政治学院の経済学者フランチェスコ・サラセノ氏は、論文「ケインズがブリュッセルにいくとき:欧州経済通貨統合の新しい財政ルール」(2016年)の中で、先進国が従来の景気コントロールに利用していたルール(金融政策中心、財政政策は消極的)を変更して、財政政策と金融政策の協調、特に財政政策の推進を新ルールの中心にすべきだとしている。ちなみになぜケインズ(財政政策の比喩)がブリュッセルにいくかというと、そこに欧州連合(EU)の本部があるからだ。 このような財政政策中心の政策ルールの変更は、むろんサラセノ氏だけではないことはすでに指摘した。オリバー・ブランシャール元IMF専務理事や、ハーバード大学のローレンス・サマーズ教授など世界的に影響のある経済学者たちの多くが主張している。最近来日し、経済財政諮問会議で安倍首相の前で日本の望ましい政策を提言した、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授もそのひとりである。経済財政諮問会議に臨むコロンビア大のジョセフ・スティグリッツ教授(左)と経団連の榊原定征会長=3月14日、首相官邸(斎藤良雄撮影) スティグリッツ教授の提言は、日本の財政政策のスタンス変更を熱心に説くものである。日本のマスコミでは完全に無視されていたようだが、消費増税による経済失速を批判し、また他方でこれからの消費増税の回避を説いている。その上で日銀が保有する膨大な国債の大部分を「永久国債化」することを提言している。 つまり、いま日本銀行が抱える膨大な中長期国債をほぼすべて永遠に日銀が保有し続け、国に償還を要求しないことと同じである。そうすることによって政府の「財政不安」のかなりの部分が瞬時に解消されるとしている。ただしスティグリッツ教授には誤解があると思う。すでにアベノミクスはこのスティグリッツ提案と同じことを実現しているからだ。事実上、日本に財政危機は存在しない。この点は以下の論説を参照されたい(http://www.newsweekjapan.jp/tanaka/2016/04/post-2_2.php)。誰が「ポスト・アベノミクス」を担うのか このように消費増税の否定、日銀の中長期国債の大規模な保有を支持する一方で、スティグリッツ氏は長期間にわたる財政政策のルール変更も訴えている。スティグリッツ氏は米国経済に関しては長期のインフラ投資に傾斜すべきことを熱心に説いている(スティグリッツ『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』(徳間書店)参照)。 だが、日本の場合は成長が期待される産業への政府支出の拡大(産業政策)に重点を置いたものになっている。それに合わせて不平等の解消や財政基盤の安定のために累進課税の強化、そして炭素税の導入も主張している。 筆者は税制の改正については、スティグリッツ氏の主張に賛成である。明治大学の飯田泰之准教授が以前から強調しているが、日本が90年代以降財政赤字を累増してきた背景には、経済の低迷に加えて、累進税率をフラット化したことに大きく原因がある(飯田泰之・雨宮処凛『脱貧困の経済学』ちくま文庫)。つまり、取れるところから税金を取らなくなったので財政が悪化したのだ。もちろんそれに加えて、スティグリッツ教授の指摘するように、所得の不平等にも寄与してきただろう。累進税率を高めることは、この財政赤字の解消への貢献、さらには不平等の解消の面で効果があるだろう。 ただし、産業政策を財政支出の目玉にすることには筆者は慎重である。政府が成長産業や成長分野を的確に見つけ出すことができれば、経済成長に貢献するだろう。だが、日本で行われた産業政策の多くが、農業や石炭産業など衰退産業への保護政策の別名でしかなかった。そして成長分野の育成にほぼ100%近く失敗してきたのである。この点で、筆者はスティグリッツ氏と見解を異にする。 もちろん財政政策の新ルールの変更は重要だ。消費増税の事実上の廃止、日本銀行と政府が協調して保有する国債の永久塩漬け(の維持・拡大)、さらに累進課税の強化に炭素税の導入、そして教育支出の拡大が望まれる。 消費税については増税の取りやめに加えて、減税が望ましい。さらにムダな公共投資はもちろんすべきではないが、それでも現状で景気失速が懸念されるならば、拡大基調に行うべきだ。ただそのときは補正予算で組むよりも、「国土強靱省」のような長期インフラ投資を実行する新組織を策定した方が、従来の財務省と国土交通省によるインフラ投資よりも財政政策の信任が高まり、より長期的に効果を維持するだろう。 このように財政政策の新ルールを国際的な流れの中で(一部はそれを先取りして実現)見直すことが今後、アベノミクス、またはポスト・アベノミクスを考えるときのキーになる。 ただし、それを行うことができる政治勢力は、いまのところ現在の安倍政権以外に与野党とも不在である。以前の連載でも書いたが、国民に人気の高い小泉進次郎氏らは財政再建=緊縮主義であり、いまの国際的な経済政策に逆行する政策観を持っている。また次の都議選で新党を設立し、将来的には国政を狙う小池百合子東京都知事の政策観もやはり構造改革主義的なもので、国際的なアベノミクス化の流れとは異なる。その意味では、安倍政権に代替する有力な政治勢力が不在である。JA全中の奥野長衛会長(右)と二人三脚での農業改革をアピールする自民党の小泉進次郞農林部会長(左)=2016年6月26日午前、三重県度会町 このポスト安倍の不在こそが、日本の根本的な危機である。

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    信長が戦った最大の敵は、戦国時代の「デフレ経済」だった!

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 評論家とは何か? それは専門的な知と世間知の間を巧みに橋渡しすることで、私たちに現実を見る目を提供する人たちであろう。さらに言えば、時には荒れ狂う大河に橋をわたすというリスクを担うことでもある。最新作『経済で読み解く織田信長』(ベストセラーズ)は、著者である上念司氏が評論というリスクを背負い、世の中に投じたスリリングな剛速球である。 上念氏の『経済で読み解く』シリーズは、「大東亜戦争」「明治維新」に続く三作目であり、ますます著者独特の歴史眼に磨きがかかってきた。しかも前二作が現代に近いこともあり、資料や研究蓄積が豊富であった。対して今回は経済史的には資料が乏しい室町・戦国時代にかけての話題である。それだけに著者の挑むハードルは格段に上がり、またそのリスクを伴うだけに読書の楽しみもより増してくる。2014年7月、ひもで通し、つぼに納められたままの状態で見つかった4万枚の銅銭。唐の「開元通宝」や宋銭、明の「永楽通宝」など約50種類あり、当時の価値で計400万円相当だったとみられるという=京都市 特に上念史観のポイントは「リフレ史観」であることだ。リフレとは、リフレーションの略語である。デフレーション(デフレ)は持続的に物価が下落することであり、しばしば経済に悪影響をもたらす。経済全体の疲弊、失業、倒産、自殺者数の増加など社会的な害悪の原因ともいえる。このデフレを解消して、低いインフレーション(インフレ:物価の持続的上昇)にもっていくことで経済を活性化させることを「リフレーション」といっている。上念史観はこのリフレーションの背後にある経済思想、つまり貨幣量の変化と実体経済との関係に注目することで、異なる時代を共通する視座からみるという実に合理的で総合的な見方を提示している。 通常の経済学では、長期において貨幣量の変化は物価水準の変化だけをもたらして、実体経済(実質GDPの大きさ、消費、投資、雇用など)に影響を与えないとされている。簡単にいうと貨幣は「経済の着物」であり、中身は見かけによって影響はされないと考えている。 しかし「長期」とはそもそも具体的に何年、何十年という年数で考えるものではない。経済をそこそこまともに回すだけの貨幣量が不足する事態が、人為的に何年も続く場合が実体経済を狂わしてしまうケースも実に頻発しているのだ。これを「デフレ不況」と呼ぶ。「デフレ不況時代」だった戦国時代 ここ100年ほどの日本史をみても、1920年代初めから30年代はじめにかけての「昭和恐慌」を含めた「失われた10年」の日本、そして1990年代初めのバブル経済崩壊から2012年頃までの「失われた20年」の日本が、経済を長期停滞に陥れたデフレ不況の時代であった。二つの時代で経済の活力は大きく失われた。その原因は人為的な政策によるもので、デフレ政策という足かせが経済の動きを鈍らせていたのである。 実は「デフレ不況」は、日本史の中でも頻発している。先の昭和と平成それぞれのデフレ不況もそうだったが、江戸時代や本書がテーマにしている戦国時代も基本的にデフレ不況の時代だった。 本書のユニークなところは、なぜデフレ不況が戦国期の室町時代に現れたのか、実に明瞭に説明していることだ。それは「国際金融のトリレンマ」という経済学ではよく知られた話題だ。国際金融のトリレンマとは、「固定相場制」「金融政策の自由」「資本取引の自由」の三つのうち、二つしか一国の経済では採用することができないというルールのことである。 例えば、室町時代の日本は独力で貨幣を鋳造する能力に極めて乏しく、国産貨幣よりも当時の中国の王朝である明の通貨が利用されていた。そのため明との間の貿易が活発であれば、明から通貨が日本に流入するためインフレ経済に陥り、一方で貿易が停滞したり経済関係が途絶すると、国内の貨幣量が減少するのでデフレ経済に陥っていた。要するに、完全に「外国=明」の貨幣量のやりとりに依存しているので、日本独自に貨幣の量をコントロールすることができない。そのため室町時代では「金融政策の自由」はなかったのである。 また、明の貨幣は日本国内に入ってくると、一定量の交換比率が決まっているコメとお金の固定相場制が採用されていた。とりわけ、この日本国内の固定為替レート(コメと明の貨幣との交換比率)を高めに維持することが政策的な目標だった。現代の価値観で表現すれば、円高ドル安を目指していたことになる。室町「デフレ」時代で焼け太りした既得権階級 つまり、貨幣は日本国内で希少価値を持っていて、それは必然的にデフレを伴うものに政策的に誘導されていたわけである。そして日本と中国の間ではお金のやりとりは自由だったので資本取引の自由も担保されていた。このように上念氏は当時の室町・戦国経済の概要を描く。要するに「国際金融のトリレンマ」から、室町時代の経済が基本的にデフレ不況にはまりやすくなっていた。誠に大胆明瞭で、かつ刺激的な考察である。 室町時代のデフレ志向的な経済は、やがて戦国期の幕開けである応仁の乱の背景にもなっている。しばしばインフレが加速すると社会的な不安から荒廃した経済・社会体制を生むと誤解されている(ナチス経済などはその一例)。だが、実際には長期化したデフレ経済の方がよほど社会を荒れたものにするのである。上念氏の本はまずこの基本メッセージを外さない。 さらに、デフレ経済は既得権階級を維持し繁栄させてしまう。デフレでは経済の活発化が損なわれてしまうので、新陳代謝がまず損なわれる。新しい事業をやろうとしても市場が狭いままではビジネスチャンスが潰えてしまいがちだ。「信長公出陣の像」=愛知県清須市の清洲公園(関厚夫撮影) だが、すでに社会の中で既得権を持っている人たちはそうではない。既得権の実質価値はデフレの中で拡大していくだろう。その室町時代の象徴として、上念氏は「寺社勢力」をとりあげる。そして本書の主人公である織田信長こそ、このデフレが生み出した「既得権=寺社勢力」に対抗したリスクテイカーであった、というのが本書の肝だ。信長から始まり、豊臣秀吉、徳川家康はデフレに立ち向かったリフレの戦士でもあったのだ。この視点は極めて野心的だ。戦国時代とは、デフレを終わらせる戦争だったのだ。 織田信長の反デフレ的活動という性格付けは、類書をもたない、まさに革新的な解釈である。特に現代日本との対比も頻繁に言及することで読者の理解を容易にし、また独特のユーモアも楽しい。 これほどの野心的な経済史の評論はめったにお目にかかれないだろう。最近は、応仁の乱の再評価など、室町時代が熱い。本書はその点からも歴史マニアたちの興味を十分以上にひきつけるだろう。注目の一書である。

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    「石原慎太郎は無責任」の影に隠れた豊洲移転の腐敗の元凶

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 石原慎太郎元東京都知事の記者会見は、石原氏の豊洲市場移転問題の「責任」の存否をめぐって激しい議論を引き起している。石原氏は記者会見で、「行政の責任は裁可した最高責任者」としての責任を認めつつも、同時に環境・安全面の判断をした専門委員会、副知事や様々な業務に携わった都官僚、そしてなによりも移転を議決した都議会にも責任があることを指摘した。また小池百合子都知事こそが、今日の豊洲移転問題の停滞の元凶であると指摘した。記者会見に臨む石原慎太郎元都知事=3月3日、東京・内幸町の日本記者クラブ(松本健吾撮影 このような石原氏の記者会見での発言を、「石原氏は無責任である」というのは簡単である。特に大メディアやテレビのワイドショーなどでのコメンテーターの発言は、おおむね石原無責任論に傾斜しているようである。しかし記者会見の冒頭にもあるように、「行政の責任」は自身にあると明言している。ならばどの範囲までの「行政の責任」を負うのかという、客観的で実証的な議論になるはずだ。だが、メディアの報道はそうなっていない。むしろ石原氏をすべての問題の背後にいた巨悪のように扱う「空気」を生み出すことに終始している。 最近のメディアの報道の特徴だが、なにか政治的な事件の裏側に、問題をすべて引き起こしているようなスーパー権力が存在すると読者や視聴者を煽る傾向がある。これは実体が伴わないときには、真に憂慮すべきことになる。もちろん政治的な腐敗や問題を引き起こす真の「権力者」がいる場合もあるだろう。だが、そのときにはその「権力者」が何らかの政治的・経済的利益を得ていることが前提である。つまり「権力者」は腐敗を引き起こす合理的な理由があるはずだ。 石原氏は、豊洲移転を決めることで、何か政治的にも経済的にも利益を得ただろうか。筆者はこの点を考えたところ、その答えは前者については、鈴木俊一知事の時代に既定路線になっていた築地市場の移転を、豊洲に移すということを決定したリーダーシップで、世間から高評価の政治的価値を得ることであったと思う。後者の(石原氏が得た疑いのある金銭的見返りなどの)経済的価値の奪取については、筆者の知る範囲では“ない”。本当に問われるべき石原氏の「行政責任」 前者についてはもちろん「悪い」こととは言い切れない。なぜなら自身の政治的権威を高めることが、そのまま都民の生活向上を生み出すことになれば、その政治的欲望は社会的に肯定できる。もちろん威張った人を見るのが嫌いだ、という感情的な反発は世論の中には常に一定数あるが、それを社会的に議論する意義は乏しい。 豊洲移転は2001年に石原氏によって決定されたのだが、移転先の豊洲が土壌汚染に見舞われていることは当時から明らかだった。2007年に専門家会議が立ち上がり、そこで汚染対策(地面の深掘り、盛り土など)が決定された。 当時の石原知事が汚染対策に強いリーダーシップを発揮していたことは、猪瀬直樹氏の『東京の敵』(角川新書)でも具体的に記述されている。読者にはぜひ猪瀬氏の『東京の敵』を熟読していただきたい。 要点を書けば、豊洲の汚染問題はワイドショー的なものとして過剰に報道されている。きちんとコンクリートを貼るなど対策をすれば安全面では問題はない。問題があるとすれば、技術会議での議事録の取り方、決定のプロセスや情報公開の仕方である、と猪瀬氏は解説している。2012年10月、庁議に臨む石原慎太郎都知事。左は猪瀬直樹副知事=東京都庁「豊洲については長年かけて安全対策を講じてきました。盛り土のはずが空洞になっていた、なぜそうなったのか、そこでどういう意思決定・情報共有があったのかが不明で間違った広報活動があった。それがテーマのはずが、基準値以下の汚染、あるいは周辺の道路とさほど変わりない空気中のベンゼンが密閉空間から検出されたなど、おおげさな報道で風評を煽って不安感を植えつけたのです」(同書、173頁)。 この猪瀬氏の指摘を筆者なりに解釈すれば、記者会見で石原氏が言い切った自身の「行政の責任」が生じ、そのミスの責任が問われるとすれば、情報公開の仕方になる。 また石原氏が決めた土壌汚染対策に含まれるモニタリング調査(全9回を当初予定)は、7回までは汚染物質はなく、8回目で検出されたが微量であった。汚染が大きく報道された9回目のモニタリング調査は、最近の報道によれば不適切な調査が行われていたという。ワイドショー的に、汚染が過大に喧伝されるきっかけになった調査でもあり、その真相の究明が待たれる。経済的見返りを期待できる政治勢力の正体 しかもここが重要だが、もし環境面に問題があるならば、それは対策が可能なはずである。先に書いたように、コンクリートを貼る、地下水は長期間飲まないこと(!)など適切に対応できる範囲ではないか。環境対策を早急に行う方に努力を傾注したほうが都民の経済的負担も少なくなるのではないか。 だがこの面についての小池知事の対応は鈍い。むしろ「犯人捜し」にその政治的努力のほとんどが向かってさえいる。その標的がいまは石原元知事になっている。これはきたる都議選での戦略もからんでいるのかもしれない。 さて筆者は、石原氏には豊洲移転に伴う金銭的報酬などの経済的見返りの証拠がない、と指摘した。だが、経済的見返りを期待できる政治的勢力は実は存在している。猪瀬直樹氏の『東京の敵』では、豊洲市場の建屋建設の入札、また最近ではTwitterなどで築地市場の解体工事の入札に伴う不信な動きに注意を促している。自民党千代田総支部総会後、議員引退を表明した内田茂都議=2月25日、東京都千代田区(鈴木健児撮影) 猪瀬氏は、『東京の敵』の中で、入札に関わった企業の中に、石原時代から都議会を事実上、掌握していた内田茂自民党元都連幹事長が役員をしていたJV(ジョイント・ベンチャー)が加わっていたことを指摘している。これは地方自治法の違反にあたると糾弾している。そしてこの入札の決定プロセスが、知事の権力の空白期にタイミングを合わせておこなわれていると猪瀬氏は指摘している。 先ほど、筆者は政治的な腐敗を引き起こす合理的理由がふたつあるとした。ひとつは政治的権威を高めること、もうひとつは経済的報酬である。さらに議会は、東京都の制度上でも「二重代表制」の一翼を担い、知事と並ぶ都政の「責任」主体でもある。 政治的権威と経済的報酬を得る可能性のあった人物こそ、百条委員会に召喚すべきではないだろうか。石原氏だけを世間の空気から断罪するのは適切ではないのではないか。筆者は、猪瀬氏の指摘を真摯に受け止めるべきだと思う。

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    「粛清」で自壊する北朝鮮、金正男暗殺で得た唯一の政治的利益とは

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 北朝鮮の独裁者、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男(キム・ジョンナム)がマレーシアのクアラルンプール国際空港で、女性二人組によって毒殺されたというニュースは、世界に衝撃をもたらした。このベトナムとインドネシア国籍の実行犯と思われる女性二人組はマレーシア当局によって逮捕され、また主犯格の男性も拘束されたとの報道がある。マレーシア紙が電子版に掲載した金正男氏を殺害した女工作員の一人とされる人物の画像(マレー・メール紙電子版から・共同) 実行犯と目される女性の一人(ベトナムのネットアイドルという証言をしている模様)が着ていたTシャツには「LOL(草生える)」が印字されていて、また「いたずら」として襲撃をしたとする記事も目にする。北朝鮮当局の関与を現時点で疑わない人はまれだろう。しかも北朝鮮の独裁体制を考えたときに、その独裁者の異母兄を暗殺することを、金正恩が知らないことは有り得ない。多くの識者や報道も、金正恩の直接の暗殺指令を肯定したものだ。北朝鮮の独裁者による異母兄暗殺という政治的な謀殺を、(本人の証言が正しければ)素人が実行したことになり、このアンバランスさは世界中の人たちに異様で深い闇をかえって印象づけただろう。 暗殺のタイミングもまた注目に値する。安倍首相とトランプ大統領のゴルフ外交のまっただ中での、北朝鮮の弾道ミサイル発射。これによって日米の対北朝鮮への協調的姿勢がどの程度の強度を持つのものか、おそらく世界各国は理解することができただろう。もちろん北朝鮮のミサイル発射の意図もそこにある。結果として、安倍首相とトランプ大統領の迅速で、強固なタッグがメディアの場で明らかにされたことは、日本の安全保障面からはプラスだった。 他方で、今回の暗殺事件は日米の反応を試すものではなく、主に中国の反応が注目するところとなるのではないか。さまざまな解釈や異説が成り立つ根拠があるが、金正男が北朝鮮の後継者や政権転覆の核になる可能性があったことも改めて議論されている。金正男とその家族の事実上の庇護者は中国政府であったことは明瞭である。冗談やしゃれで他国の人間を中国が保護することは有り得ない。そこにはリスク管理として、将来、北朝鮮の体制転覆したときの「後継者カード」として中国政府が利用する余地があるからではなかったか。経済制裁本格化で体制崩壊の確率が40%上昇 もし、この推論が正しければ、北朝鮮には金正男暗殺の積極的な理由が浮かび上がる。一つはもちろん、現在の独裁体制を揺るがす「後継者」要素を除外することである。また副産物として、国内に暗殺事件の概要が伝えられたときに、金正恩体制内で起こる変化を利用して「裏切り者」をあぶり出す効果を狙うこともできる。恐ろしいことだが、それが北朝鮮の独裁的な監視国家としての「宿命」である。そしてなによりも(今回の弾道ミサイル発射と同様に)北朝鮮と中国の関係がどんなものかを(北朝鮮が)確認することができるからだ。マクドナルドの前でポーズをとる金正男氏=マカオ市内 昨年、5回目の核実験を行った北朝鮮に対して、国連安全保障理事会は制裁措置を決議した。19日の報道によれば、中国政府はその決議にしたがい、北朝鮮からの石炭輸入を年内停止すると発表している。北朝鮮にとって中国への石炭輸出は貴重な外貨獲得の手法であり、同国の経済に重要な重みをもつ。もちろんこの中国の措置は、今回の暗殺事件とどの程度関係があるかはわからない。ただしこの措置が本当に実効性のあるものならば、北朝鮮にとって状況はシビアなものになろう。 米国の経済学者、マーカス・ノーランドがかって公表した研究だが、日米や中国などが北朝鮮に対して経済制裁を本格化した場合には、最初の一年で体制崩壊の確率が40%上昇するというものがある。実際に現状での対北朝鮮制裁は従来よりも厳しさを増している。金正男もかかわったとされる武器取引などによって得た海外マネーの「資金洗浄」についても、米国を主導として規制がより強化されている。北朝鮮経済の苦境は深まるだろう。だが、北朝鮮は体制を引き締めるために、独裁者の異母兄でさえも殺すことを選んでいる。自国内の「引き締め」という政治的利益を、中国を含む対外との緊張というコストよりも大きいと金正恩は判断したのかもしれない。しかし、この選択は北朝鮮体制にとって大きなジレンマを内在する。 北朝鮮経済は、金正恩体制になってから最初の数年は順調なプラスの経済成長率を実現したと評されることが多い。客観的な統計数字はないので注意が必要ではある。しかしここ1、2年は経済が低迷していて、昨年はマイナス成長であったことが韓国の中央銀行から報告されている。このことは北朝鮮から脱出する、いわゆる「脱北者」の動向をみても理解できる。粛清と対外緊張しか手段がない北朝鮮 金正恩体制が発足してから最初の数年は、①国境警備や監視社会の強化で脱北者が出にくくなったこと、②景気の回復により経済的理由での脱北が減少した可能性があり、かなり低い水準に低下していた。 だが、ここ1、2年は脱北者は増加傾向にある。もちろん最近の研究によれば、経済的事由のみが脱北の要因とはいえない。21世紀になり女性の脱北者の割合が高くなっているが、彼女たちの脱北理由に子どもの将来や、緊急性ではない経済的事由(いまの生活を安定化させるための脱北)が挙げられることもある(尹 鉁喜 「近年の脱北者における脱北動機の多様化と「直行」:韓国在住の女性脱北者へのインタビュー分析から」参照)。ただし、経済学的にはこれらもより期待所得の高い国への「脱出」であり、経済成長の動きと連動しているといっていいだろう。北朝鮮の特殊部隊の訓練を視察する金正恩朝鮮労働党委員長 この脱北者の増加傾向と経済低迷は、金正恩体制の不安定化の兆しであろう。伝統的に同国は、自国の体制が不安定化すると二つの手段をとる。一つは自身の政治的不安材料の粛清である。もう一つは「対外冒険主義」といわれる核開発の加速化や周辺国との安全保障面での摩擦である。前者の粛清は、金正恩体制のもと、ここ1、2年でやはり激増している。今回の金正男暗殺もこの粛清による体制引き締めの一環ではないだろうか。 ただし後者の対外的な摩擦は、北朝鮮への制裁の強化をもたらし、さらに北朝鮮の経済的苦境を招くだろう。だが、それに対しては、やはり北朝鮮は粛清と対外緊張という二つの手段以外にとるところはない。これが北朝鮮の根本的なジレンマである。 こう考えると、北朝鮮の対応と、韓国の現在の対応はきわめて類似している。韓国経済も長期停滞が懸念されている。その経済的閉塞感を、韓国の政界は、朴大統領やその周辺の既得権者への政治的粛清、そして対外的には慰安婦問題の蒸し返しという対外緊張をもたらすことで、国民の不満をそらそうとしている。その意味では、北朝鮮と韓国の政治的風土には共通点があるのかもしれない。 政治的手段が粛清と対外緊張しかなく、また経済的な運営が手詰まりになったときに、飢饉が引き金になって巻き起こったのが、90年代後半の大規模な北朝鮮の「飢餓」である。そのときに、何十万もの北朝鮮の人たちが餓死した。今回は、さらに大きな代償が北朝鮮に待っているかもしれない。この悲観シナリオを打ち消す材料は今のところ筆者にはない。ちなみに仮に北朝鮮が崩壊したときに、日本や周辺国はまた特有の試練に直面するだろう。その意味でも今後、北朝鮮問題から目を離すべきではない。

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    財務省はやっぱり緊縮病? いっそのこと幼児教育から無償化せよ!

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 財務省の「エージェント」に近い政治家やマスコミは、人間関係を活用しているのか、ある時期からほぼ一斉に「新ネタ」を言い始めることがある。財務省のエージェントかどうかはさておき、筆者も何人かの人物を「財務省の今の流行」を発言するキーパーソンとして、日頃チェックしている。そこから遅かれ早かれ、「教育国債」的なものが政治の話題にのぼることは十分に予想できた。 自民党が安倍総裁直属の機関をたちあげて、そこで「教育国債」の議論をすると一部メディアで報じられている。一方で6日には、教育国債の発行について野党から質問された麻生財務相が否定的な発言をしている。 高等教育や基礎研究にその資金を活用されるために国債を発行すること自体は、現在の財政法でも認められている常識的なものだ。そもそも国家の基礎的な単位のひとつは「人」である。「人」に投資をすることは、国土を守り、様々なインフラをつくることと並んでとても大切なことである。 この人への投資は、世代をまたいで国を繁栄させ、個々の人々の生活を豊かにするうえでも重要なことである。特に、低年齢の人に政府が積極的に介入して教育投資を行うことは、経済全体をより豊かにすることが実証されてもいる。ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・J・ヘックマン教授は『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)の中で、就学前の幼児への政府による教育投資は、その子供たちの非認知能力(労働意欲、学習意欲、忍耐や努力など)を大きく改善し、また認知能力(IQ指標など)を若干高めるとしている。 例えば最近、日本でも「ベル曲線」を持ち出して、遺伝要因がIQ指標の高低に結び付いて、それが経済の不平等に直結しているという見方が流行している。だが、そのような遺伝決定説的な思考は、すでに時代遅れである。むしろ非認知能力と認知能力の双方が政策的にコントロール可能であることが、教育の経済学の大きなポイントになっている。 ここまでは今回の「教育国債」には関係ないかに見える。だが就学前教育に政府が政策介入する(=お金を投資する)ことにも、日本はまだとても十分とはいえないので、高等教育や基礎研究だけではなく、この年齢層への公的な教育投資の金銭的裏付けとしては実に有効である。 さて、日本の科学に関する基礎研究の問題点については、この連載「ノーベル賞候補の日本人研究者はなぜ中国と韓国を目指すのか」で既にふれた。経済学者のポーラ・ステファン教授の指摘によれば、科学の生産性を決めるキーは科学者のやる気だ。そしてこのやる気は、従来の知的資産の蓄積や本人の知的好奇心も重要なのだが、なにより金銭的な仕組みが決定的な要因となる(ポーラ・ステファン『科学の経済学』日本評論社)。研究開発投資(R&D)のGDPへの比率でみると、有能な科学者たちが世代ごとに生まれるのかどうかがかなりはっきりする、とステファン教授は指摘している。将来世代への借金の先送りにあらず 日本は米国と並んで、この「研究開発投資/GDP比率」が最も高いグループに所属する。この比率が高い時期に研究を開始し成果をあげた人たちが、現在ノーベル賞を日本で受賞している。しかし最近はこの比率が低迷している。ひとつの大きな要因は、財務省の緊縮主義による研究開発投資の引き締めである。まさに財務省的緊縮主義が、国の根幹を研究開発投資のサイドからも破たんさせようとしているといえる。教育国債はこの観点からは、日本の科学研究を進展させる原資として実に有用である。 もちろん財務省も巨大組織で様々な思惑もあるのだろう。「教育国債」がどのような思惑で出てきたかはわからないが、おそらくプラスマイナスゼロ的な発想の枠内だろう。例えば公共投資としての新規国債発行を抑制する代わりとして、この教育国債の発行を想定しているのかもしれない。いずれにせよ、できるだけ「財政中立」的もしくは財政緊縮的な枠組みの中での発想ではないだろうか? それが麻生財務相の教育国債への否定的な発言につながるのだろう。 さて大学や大学院の授業料への補助金として教育国債を使うことに筆者は賛成している。就学前や義務教育期での教育の投資に比べれば、例えば大学教育で期待される予想収益率(教育の見返りでもたらされる社会的な報酬)が低いことは明白である。だがそれでも大学に行くか高校に行くかで、3割から6割以上までの時給の違いが観察されるという。この時給、さらに生涯年収の違いは、多くはその人が教育をうけたことの見返りで説明できる。もちろんその教育が生産性に結び付かないとこれらの報酬の違いは説明ができない。これを「人的資本仮説」という。国債証券(日本銀行提供)=2010年8月 人的資本仮説は実証的に頑強であることが最近の研究で示唆されている。例えば大学にただいくだけで所得があがる(つまり生産性に結び付かないで所得があがる)というシグナルとしての高等教育論は、実証的に支持が難しい。詳細は東京大学の川口大司教授のこの解説論文を参照されたい。 また大学など高等教育の場では、単なる知識・技能の向上だけではなく、さまざまな人的交流の場として、先ほどのヘックマン氏が指摘していたような、非認知的能力(人格的な陶冶)の向上もみられるのではないだろうか。この点は今後、実証してみなくてはいけないだろう。 問題は、財務省発であるにもかかわらず、あいかわらず財務省的な緊縮病の範囲内で、この教育国債が考えられていることだろう。その点は強く修正していかなかればいけない。人を育てる投資は、将来世代への借金の先送りではない。人々が現在不足するそのお金を国民みんながうすく広く負担することで、将来大きな見返りを生み出す「資産」なのである。 最後に、この「教育国債」など資金的な面を安定的にするために、憲法改正を求める意見もあるが、それは間違いである。教育の資金的な安定は経済政策によって達成されるべきである。それは「憲法に書いてあるから平和になる」と同じ理屈であり、政策の割り当てを間違えた意見にしか思えない。

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    権力の闇に潜む2人のドン、猪瀬直樹が明らかにした「新事実」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)2016年11月、東京都の小池百合子知事が設立した政治塾「希望の塾」で、講師としてあいさつする元知事の猪瀬直樹氏 猪瀬直樹氏は筆者が経済時論を書いたそもそものきっかけを与えてくれた、いわば時論での「マエストロ」である。今世紀の始め(2001年)に開始した猪瀬直樹メールマガジン「日本国の研究」が、その時論の舞台であった。当時、小泉純一郎政権での構造改革が始まっていた。猪瀬氏の活躍は、道路公団民営化を中心にして、国民の多くがまだ記憶に残していることだろう。 猪瀬氏の「構造改革」の独自性は、経済・社会の構造問題はその原因になっている組織や人物が必ず存在する、という点にある。日本人はなぜか経済・社会問題を自然現象のように見なしてしまうが、猪瀬氏の批判的視座はそれとは真逆だ。 この態度は、道路公団民営化、そしてそれに続く東京都の副知事・知事としての改革でも一貫していた。マクロ経済政策については必ずしも筆者と完全に同じではないと思うが、猪瀬氏の構造改革的手法は、いまの日本の問題を「事実検証と論理」で解明するためには欠かせないものだと思っている。 また猪瀬氏は諦めることのない「ファイター」でもある。知事時代の挫折を真摯に反省し、それを強靭なバネにして、猪瀬氏が再び東京都という巨大な「構造問題」に取り組んでいる。小池百合子知事の誕生前後で、ネット媒体NewsPicksや自身のTwitterで積極的に意見を表明する姿は、いわゆる「抵抗勢力」には脅威に違いない。その猪瀬氏の東京問題への格闘の「復帰」を象徴するものが、今回出版された『東京の敵』(角川新書)だ。 冒頭からズバリ書く。「東京の敵」とは、まさに具体的な人物だ。都政の妨げになっている二人のドン。「都議会のドン」である前自民党都連幹事長の内田茂都議、そして「五輪のドン」である元首相であり、現在の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長である森喜朗氏である。 東京都の政治制度は都知事に権力が集中しているわけではない。本書でも詳述しているが、政治的権力は形式的には、共に都民に選出される知事と都議会という「二元代表制」になっていて、国レベルでの首相と議会とは異なる仕組みである。 この「二元代表制」の中で、都民の多くが知らなかった権力集中が都議会で行われていた。それが自民党東京都連幹事長の職を10年以上務めてきた内田茂氏の存在である。内田氏への個人的な権限の集中は強く、国会議員もその影響下にあるといっても過言ではない。知事の職務や発言はしばしばマスコミの話題にするところだし、また都民の視線も厳しい。だが、もうひとつの「代表」である都議会の権力集中が闇の中にあることは問題である、というのが猪瀬氏の基本的な態度だ。 冒頭でも書いたが、東京都が決める様々な政治的決定には、それを生み出した「人物」がちゃんと存在しているのだ。その「人物」は決定の内容に見合うだけの社会的責任を負う必要があり、それはきちんと世間の前で明らかになっていないといけない。東京都議会本会議の一般質問中に談笑する内田茂都議(右)=2016年12月8日(桐山弘太撮影) 猪瀬氏は、「闇に棲む者は光を当てることで力を失う」と何度も本書の中で述べている。内田氏の権力集中は、猪瀬氏の一連の発言によって世間の知ることとなる。その結果、都政における決定プロセスが非常にはっきりしてきた。内田氏は以前のように闇の中での権力行使がしづらい環境に今はあるだろう。これこそ、猪瀬氏がかつて道路公団民営化でも進めてきた「情報公開」の真の意図ともいえる。グランドチャンピオン級の大ボス4者協議を終えて握手する大会組織委員会の森喜朗会長(左)と東京都の小池百合子知事=2016年12月21日、東京都港区(代表撮影) さらに「東京の敵」の本丸が存在する。東京五輪エンブレム問題や新国立競技場問題で、その「責任」がまったくあやふやだった大会組織委の森喜朗会長のことである。「内田氏が、金メダル級のドンだとしたら、森氏はグランドチャンピオン級の大ボスであり、まさしく『東京の敵』です」(同書、78頁)。 『東京の敵』では、特になぜ森氏が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長になったのか、その詳細が記述されている。要するに、森氏の猛烈ともいえる権威欲がその就任の直接の原因である。森氏の就任で、民間の人材を積極的に登用し、財務についても成果と責任をはっきりさせる客観性を担保しようとした、猪瀬氏の知事時代の試みは頓挫した。 森氏がどのような過程で会長になり、その無責任体制が出来上がっていったのか、その詳細な記述は本書の中でも「新事実」ともいえるもので、筆者にはとても興味深いものだった。なぜ森会長は、新国立競技場問題でも、その責任感をまったく欠いた発言を繰り返していたのか、その問題の根源がよくわかる。 これらの「東京の敵」にどう対峙するのか。小池都政に対しての猪瀬氏の期待は大きくはあるが、同書を読んだ限りでは抑制的で、いわばケースバイケースだ。特に猪瀬氏は豊洲市場の移転問題が、マスコミが主導して過度に安全性問題に傾斜している実情に批判的だ。 猪瀬氏の豊洲問題での視点もはっきりしている。土壌汚染対策は、安全性の問題というよりも、「盛り土」の件についてもそれは広報の情報発信の問題、そして都組織内部の情報共有の失敗である、という指摘である。この点で、小池都政の情報公開のあり方には好意的であり、他方で自身が退いた後の舛添都政での情報発信の後退と、そこに関与した内田氏ら自民党都議の責任を改めて追及している。 情報の非対称性が経済の資源配分を非効率化することは周知のことである。問題はそれを正すにはどうすればいいかだ。テレビや新聞などのマスコミは、ワイドショー的になってしまい、批判的検証ではなく、単なる発言の責任なき「感想」レベルになっているのではないか、と猪瀬氏はここでも厳しい。 既存のマスコミに代わるものはなにか。その解答は容易なものではない。また他人任せにせずに、「事実検証と論理」で我々自身が考察していかなくてはいけないだろう。もちろん我々には時間的余裕もなく、知識の点でも不十分だ。だからこそ、その点を見事に指揮するだろう論壇の「マエストロ」の復帰を、ここに祝いたい。

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    アベノミクスの破綻を煽る「金融岩石理論」は簡単に論破できる

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本にはさまざまな経済上の「逆神」たちがいる。株価や為替レートの予想をすると、まったく真逆の方向に相場が振れるエコノミストや経済学者たちのことだ。もちろん毎回逆神たちの予測が正しい(予測をした本人たちにとっては間違いなのだが)のかどうかを実証した研究者は知らない。晴れ着姿の女性が見守る中でスタートした東京株式市場=1月4日、東京証券取引所(AP) ところで世界経済、日本経済の予測もやはり難しい。昨年だけみても、イギリスのEU離脱やトランプ氏の大統領当選による世界経済へのショックをいい意味でも悪い意味でも正確に言い当てたエコノミストや経済学者はほとんどいない。それに予測が当たったとしても「まぐれ当たり」ということもある。 筆者もリーマン・ショックの後に、この種の「(世界経済危機の)まぐれ当たり」で知名度をあげた何人かのエコノミストについて、マスコミや一般の方々から意見を求められたことがある。残念ながら、「それは(運がよくて)すごいですねえ」と言うしかできなかった。本当にそう思う。常に経済を「バブル」「危機的な状況」であるといい続けて、それが数年、10年、いや20年という時間の中で「的中」しても、あまり筆者には感心するところはないからだ。 さてこのような「逆神」たちと同じかどうかは、筆者には判断がつかないのだが、現在の日本の経済政策-特に日本銀行の金融政策-を批判する人たちの中に、「金融岩石論者」とでもいうべき人たちがいる。これはなにか。 坂に岩石があり、びくともしない。だがこれをいったん動かすと、猛烈な勢いで坂を転がりだしてしまう。これと同じで、日銀がマネーをどんどん増やしても物価はまったくあがらない。しかしいったん上がりだすと、どんどん物価は上昇してハイパーインフレ(猛烈なインフレ)になってしまう、という理論である。 この金融岩石理論の主張者は実に多い。特に同じ「種族」なのだが、日本国債の岩石理論も支持者に困らない。日本の財政は危機的な状況だ、いまは国債価格が安定しているように思えても、少しだけでも国債利子率が上昇(すなわち少しだけでも国債価格が低下)すれば、あれよあれよと国債価格は暴落し、日本の財政は破綻してしまう、というものだ。このハイパーインフレと財政破綻のふたつの岩石理論は、ほとんど表裏一体化しているので、両方とも主張する人が多い。「どアホノミクス」とヘンテコな予測をする人気経済学者 例えば、前回この連載でも登場した朝日新聞編集委員の原真人氏の新刊『日本「一発屋」論』(朝日新書)はその典型である。安倍政権の経済政策は、金融と財政の一体化という名目での「財政ファイナンス」であり、「意図的にバブルを起こそうとする試み」である。低成長が常態になった日本経済で、日銀によってマネーでじゃぶじゃぶにする政策を行えば、バブルが生じてしまう。そしてバブルはやがて破裂するので、経済への反動は深刻化する、だろうというものだ。バブルの破裂を、原氏の著作ではハイパーインフレや財政破綻などとしても表現されている。 この原氏と同様の意見を、経済学者の浜矩子氏と評論家の佐高信氏がその対談『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)の中で語っている。その対談の一部はネットでも読める。浜矩子 アベノミクスは、すでにして行き詰まっていると言えます。屋上屋を重ねるように場当たり的な金融政策を続けているわけですが、いつそれが崩壊してもおかしくない。「アホノミクス」、いや「どアホノミクス」と言うべき状況です。 浜氏によれば、アベノミクス(日銀の金融政策)は、極端な国債の買い取りによりマネーを無制限に供給する政策である。この無責任な政策は、実体経済と乖離したバブルを生み出し、やがて破綻することが目に見えているものだという。 浜氏は経済評論家の高橋乗宣氏と共著で、21世紀に入ってから(リーマンショックが起きた2008年以外)毎年のように、世界や日本の経済危機を予測する書籍を出していることでも著名だ。今年(2017年)の経済危機を予測する高橋氏との共著はまだ出されていないのが、筆者の少し心配するところではある。それだけの人気経済学者でもある。 さて原氏も浜氏も、それぞれ「金融岩石理論」的な主張だといって差し支えないだろう。この「金融岩石理論」が、理論的にも実証的にも成立しがたいことを、丁寧に解説した良書が出版された。原田泰・片岡剛士・吉松崇編著『アベノミクスは進化する』(中央経済社)がそれだ。 現在の先進国(日本、ユーロ圏、イギリス、アメリカ)は、それぞれインフレ目標を設定していて、その目標値を大きく上回るようなインフレになれば、積極的に金融引き締めにコミットするように公約している。どんなに経済が過熱してもその結果としてインフレが目標値以上に高騰すれば、やがて中央銀行が金融引き締めに転じるであろうと、多くの市場関係者たちが予測し、またはすぐに予測できなくても次第に学習することで、自分たちの経済上のポジションを金融引き締めに適合したものに変更する。これによって自己実現的に経済は金融引き締め型に転換していく、というのがインフレ目標の重要なポイントだ。 簡単に言うと、人々の予測をコントロールしていく政策である。人々の多くは、ときにヘンテコな予測をする人がいても、よほど非合理的な思考に陥る人でもないかぎり、時間をかければほとんどの人が経済の状況(ここでは中央銀行の引き締めスタンスの予測)を正確に把握するだろう。中央銀行がインフレ目標から乖離したら引き締めるといっているのは嘘だ、と思い込む人は極めて少数だ、という意味である。日銀と政府の「デフレ脱却」を信じなくなった理由 さてこのようなインフレ目標を採用していなかった時代、1970年代は年率数十パーセントのような高いインフレに見舞われた。日本でも第一次石油ショックの後の「狂乱物価」が代表的だ。『アベノミクスは進化する』の編著者のひとり、現在の日銀政策委員である原田泰氏は、1)マネーと物価は連動している、2)物価はいきなり猛烈に上昇するのではなく半年以上、通常は1年から数年かかる、ことを指摘している。このことから、中央銀行はインフレ目標を設定することで、物価が上昇し始めても十分にインフレを抑制することが可能だ、ということになる。 日本がデフレを継続してきたのは、90年代から2012年までのインフレ目標なき時代の日銀による政策運営の時期にちょうど該当する。インフレ目標は上限も定めるが、デフレに陥らないようにできるだけ目標値に近い水準を目指して経済を運営するのが、いまの中央銀行の標準であり、日本もそうだ。しかし、このインフレ目標のない時代があまりにも長すぎて、マネーと物価(デフレ)は、21世紀に入る頃には連動しなくなってしまった。この時期に何が起きていたのだろうか。 当時の日銀(そしてその時々の政府、第一次安倍政権も含む)は、インフレ目標の導入や積極的な金融緩和を拒否する一方で、「デフレ脱却に努力する」と空手形を出し続けてきた。その10年以上に及ぶ「ウソ」の累積によって、人々は日銀と政府の「デフレ脱却」を信じなくなってしまったのだ。 これはこれで実に合理的な態度であるが、このデフレ予想が固着してしまったことの弊害は深刻である。マネーをどんなに供給してもそれがいつか縮小するのではないか、(デフレ脱却には)不十分なままで終わるのではないか、と人々が予測することで、物価とマネーの連動が壊れてしまったからだ。 いわば十数年かけて、日銀は人々の物価とマネーの連関を見事に破壊してしまったのである。これを再度、連動するような正常な状態に戻すことを、いまの日銀は最終的な目標にしてはいる。ただしまだデフレ脱却の途中であり、過去のしがらみ(デフレ予測)はかなり強靭である。 では、デフレ予想のしがらみが一気になくなるとしたら、どうなるか。これはこれでインフレ目標政策がしっかりと有効になるということなので、高率のインフレがいきなり出現するわけではない。先のインフレ目標政策の効果から自明である。 原田氏らはこのような事例をふんだんに先の著作の中で示し、金融岩石理論を理論的にも実証的にも論破している。ちなみに、原氏などの懸念とは真逆に、積極的な金融緩和政策をすることで、政府の財政は大きく改善することも同書では実証的に示されている。むしろ財政危機は、経済の停滞を自明としてしまい、経済停滞の中で緊縮政策(財政再建政策という名前の政府支出減少や増税)で生じてしまうことも明らかにされている。 まだ一年が始まったばかりである。安易に危機を煽る本よりも、地に足がついた経済書や議論をしっかりとこの一年読んでいきたいと思っている。

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    朝日編集委員の「経済成長が例外」という主張こそ、むしろ例外

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) この記事は、新年初笑いなのか? そんな論説が1月4日の朝日新聞の一面に掲載された。題して「『経済成長』永遠なのか」(経済成長は永遠なのか 「この200年、むしろ例外」:朝日新聞デジタル)。執筆者は朝日新聞編集委員の原真人氏である。この論説はネットでも話題になったが、ひと段落ごとに突っ込みをいれたくなる発言が盛りだくさんで、なにも松の内からこんなにサービスしなくてもいいものを、と思うものだった。ただしサービスの内容はトンデモな経済認識のてんこ盛りだが。 記事全体は、論点が錯綜しているが、要するに、アベノミクスのうち金融政策批判と、それに連動した「経済成長神話」なるものへの批判である。批判ばかりだと申し訳ないと思ったのは、経済成長がなくても十分に幸福に生きられるよ、とでもいった経済観で締めくくっている。 経済成長自体に懐疑的になる立場は経済学の発祥とほぼ同じ段階で始まっていて、別にトンデモでもなんでもない。例えば19世紀初めのフランスの経済学者シスモンディは、富の追求自体ではなく、人間的価値を高める生活を希求し、当時のモノの豊かさだけを追い求める経済学のあり方に否定的だった。この話題についてはまたあとで考察する。 筆者がトンデモな経済認識だと思ったのは、論説の冒頭からいきなり出てくる。原氏は日本銀行が2016年1月に導入したマイナス金利政策について以下のように紹介し、アベノミクスの成長重視、デフレ脱却政策の「希望をくじいた」と主張している。「いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようにせかす狙いだった」 このような記述が、日本を代表する新聞の一面で目にするのはきわめて驚くことである。なぜなら私たちが銀行に預金して、そこで利息をとられてはいないのが常識だからだ。日本銀行もこの種の誤解に対応するためにわかりやすいQ&Aを設けている。「マイナス金利になると、私が銀行に預金しているお金も減ってしまうの?」「マイナス金利といっても、銀行が日銀に預けているお金の一部をマイナスにするだけ。個人の預金は別の話です。」「個人の預金金利はマイナスにはならない?」「ヨーロッパでは日銀よりも大きなマイナス金利にしていますが、個人預金の金利はマイナスにはなっていません。」5分で読めるマイナス金利(日本銀行) 常識的な観察でも私たちはマイナスの金利をとられていないし、そもそもマイナス金利政策は個人の預金をターゲットにしたものではないのだ。本当に若者たちは事実上豊かになっているのか ところでこのマイナス金利への「誤解」を踏まえて、続けて原氏は以下のように記述している。「政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がりの経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である」 原氏によればアベノミクスは「成長よ再び」に失敗したことになっているので、この名目成長率のほぼゼロという話は、アベノミクスの失敗という誤った印象を読者に与えるにふさわしいものとなっている。 ところがアベノミクス期間中の名目成長率はゼロより高い。年次名目GDP成長率は、2013年度(対前年比)2.6%、14年度が2.1%、15年度が2.8%である。2016年度は進行中なのでデータは得られていない。ちなみに2014年4月の消費増税実施前で、なおかつ駆け込み需要の影響がなかったアベノミクス実施期間での実質経済成長率をみると2.6%と高い水準になっている(2013年第4四半期の対前年比)。名目経済成長率の上昇も(特にデフレ脱却期間中には)重要だが、もちろん実質経済成長率も同じかそれ以上に重要である。 要するに、名目経済成長率がゼロ近くにしかならず、日本は低成長から抜け出せない、という原真人氏のシナリオは、アベノミクスの下での日本経済では成立していない。ちなみに筆者の見解では、2014年の消費増税の悪影響がなく、続く世界経済の不安定性がなければ、さらに日本の経済成長率は高かったと思われる。 まさに「トンデモ」ない日本経済への認識だと思う。さらに原氏は、GDPだけに注目してはだめだという。そのときに彼が例示するのは、日本が「失われた20年」に喘いでいたときでも、若者たちは事実上豊かになっているということだ。「若者たちが当たり前に使う一台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか」と、原氏は書いている。25年前なら80万円超の価値があると、それがいまや8万円になっている。「ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産(GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ」 原氏のトンデモ経済論はこの記述に極まっている。確かにこのようなGDPの解説では、「見えなくなる」ものがある。25年前なら80万円の価値のあった8万円のスマホを買うことができない若者の存在である。モノが豊富にあっても買うことができない人たちが大勢いれば、その国民の生活は悲惨なものだろう。 モノを手に入れるには、人々の所得が豊かになる必要がある。所得を豊かなものにするには、働きたい人が働けるような環境がまずは大切だ。ところが原氏の論説には、このアベノミクスの期間中に大幅に改善した雇用状況の話は一切触れられていない。これは非常に奇妙なことだ。むしろ「富の追求」を称賛している原氏 なぜ奇妙か? さきに富のみを追求する経済学のあり方に疑問を提起したシスモンディを例示した。シスモンディは、原氏の論説の後段でも出てくる「定常化社会」や経済成長懐疑論の源流である。 シスモンディがなぜ富の追求のみを追う(つまりGDPのみを追う)経済学のあり方に疑問を抱き、それに代わる人間の価値を高める経済学を追求したのだろうか。それはシスモンディの時代に恐慌(経済危機)で働きたくても働けない、困窮した多くの人をみてのことだった。つまり雇用の悪化とそれによる生活苦が、シスモンディにいくら財が豊富でもそれを買うお金がなければ意味がない、それによって人は貧困に陥り、人間の価値を高める機会を失う、とみたのである。 だが、原氏には25年前の80万円の価値があるスマホが8万円になったことを称賛しても、シスモンディのような雇用機会の確保の重要性や購買力(総需要)への重視はない。つまり原氏の認識こそが、実はご本人の意図とは異なり、富の追求それ自体をまさに称賛しているものなのだ。 さて、シスモンディの考え方-人々に購買力をもたらす雇用機会の確保-という経済思想は、富の追求のみを重視する「原真人型」(!)の経済論を否定しながら進展していく。例えば、19世紀から20世紀はじめにかけて活躍したジョン・アトキンソン・ホブソン、現代の福祉社会論の父ともいえるウィリアム・ベヴァリッジ、そしてホブソンやベヴァリッジの意義を認めていたケインズなどである。ベヴァリッジは特に労働という側面だけではなく、病人・幼児・老人あるいは女性などの「社会的弱者」を救済する社会保障の仕組みと、完全雇用のふたつを自らの福祉社会論の骨格とした。 経済危機からの完全雇用の達成には、経済の拡大が必要である。経済が拡大する中で、財政が改善し、それによって社会保障の基盤も充実していく。そればベヴァリッジの基本構想だった。つまり福祉社会は完全雇用をもたらす経済成長とは矛盾しないのである。矛盾しないどころか、完全雇用は福祉社会の重要な核である。 また原氏は論説でGDP懐疑論や低成長「正常」論を唱えているが、日本ではこの種の議論のときにしばしば援用される、『スモール・イズ・ビューティフル』という本がある。著者はエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー。本の題名からもわかるように、彼は富の追求自体に重きを置く経済成長論に否定的だった。 だが、ここでもシスモンディやベヴァリッジ同様に忘れてはならないことがある。シューマッハーは、ケインズの経済学に多大な影響をうけた「雇用重視の成長」論者であるのだ。シューマッハーとケインズ、ベヴァリッジはそれぞれ生前に面識があり、社会保障の拡充と完全雇用の達成という現代の福祉社会論の構築に大きく貢献した。ベヴァリッジに雇用の重要性を教えたのは、ケインズの影響をうけたシューマッハーであった。 ここまでお読みいただくと、原真人氏に代表されるような低成長「正常」化=GDP懐疑論者が、いかに一面的なものかがおわかりいただけるだろう。それに対して、富の追求ではない、人間の価値を追求してきた経済学者たちの多面的で、豊かな経済認識の格闘があったことも。 アベノミクスを建設的に批判するなら結構である。それはそれで得るものがあるだろう。だが、残念ながら原氏の論説からは、単なるトンデモ経済論の音しか聞こえない。