検索ワード:田中秀臣の超経済学/42件ヒットしました

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    中国版「失われた20年」が始まった

    金正男暗殺事件で揺れる中国に経済減速のリスクがささやかれている。特に地方政府主導の「不動産バブル」が再燃する異常事態を生み出している。世界経済のリスク要因として懸念される中国経済。日本や韓国に続き「失われた20年」というバブルのツケを払い続けるようになるのか。

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    「粛清」で自壊する北朝鮮、金正男暗殺で得た唯一の政治的利益とは

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 北朝鮮の独裁者、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男(キム・ジョンナム)がマレーシアのクアラルンプール国際空港で、女性二人組によって毒殺されたというニュースは、世界に衝撃をもたらした。このベトナムとインドネシア国籍の実行犯と思われる女性二人組はマレーシア当局によって逮捕され、また主犯格の男性も拘束されたとの報道がある。マレーシア紙が電子版に掲載した金正男氏を殺害した女工作員の一人とされる人物の画像(マレー・メール紙電子版から・共同) 実行犯と目される女性の一人(ベトナムのネットアイドルという証言をしている模様)が着ていたTシャツには「LOL(草生える)」が印字されていて、また「いたずら」として襲撃をしたとする記事も目にする。北朝鮮当局の関与を現時点で疑わない人はまれだろう。しかも北朝鮮の独裁体制を考えたときに、その独裁者の異母兄を暗殺することを、金正恩が知らないことは有り得ない。多くの識者や報道も、金正恩の直接の暗殺指令を肯定したものだ。北朝鮮の独裁者による異母兄暗殺という政治的な謀殺を、(本人の証言が正しければ)素人が実行したことになり、このアンバランスさは世界中の人たちに異様で深い闇をかえって印象づけただろう。 暗殺のタイミングもまた注目に値する。安倍首相とトランプ大統領のゴルフ外交のまっただ中での、北朝鮮の弾道ミサイル発射。これによって日米の対北朝鮮への協調的姿勢がどの程度の強度を持つのものか、おそらく世界各国は理解することができただろう。もちろん北朝鮮のミサイル発射の意図もそこにある。結果として、安倍首相とトランプ大統領の迅速で、強固なタッグがメディアの場で明らかにされたことは、日本の安全保障面からはプラスだった。 他方で、今回の暗殺事件は日米の反応を試すものではなく、主に中国の反応が注目するところとなるのではないか。さまざまな解釈や異説が成り立つ根拠があるが、金正男が北朝鮮の後継者や政権転覆の核になる可能性があったことも改めて議論されている。金正男とその家族の事実上の庇護者は中国政府であったことは明瞭である。冗談やしゃれで他国の人間を中国が保護することは有り得ない。そこにはリスク管理として、将来、北朝鮮の体制転覆したときの「後継者カード」として中国政府が利用する余地があるからではなかったか。経済制裁本格化で体制崩壊の確率が40%上昇 もし、この推論が正しければ、北朝鮮には金正男暗殺の積極的な理由が浮かび上がる。一つはもちろん、現在の独裁体制を揺るがす「後継者」要素を除外することである。また副産物として、国内に暗殺事件の概要が伝えられたときに、金正恩体制内で起こる変化を利用して「裏切り者」をあぶり出す効果を狙うこともできる。恐ろしいことだが、それが北朝鮮の独裁的な監視国家としての「宿命」である。そしてなによりも(今回の弾道ミサイル発射と同様に)北朝鮮と中国の関係がどんなものかを(北朝鮮が)確認することができるからだ。マクドナルドの前でポーズをとる金正男氏=マカオ市内 昨年、5回目の核実験を行った北朝鮮に対して、国連安全保障理事会は制裁措置を決議した。19日の報道によれば、中国政府はその決議にしたがい、北朝鮮からの石炭輸入を年内停止すると発表している。北朝鮮にとって中国への石炭輸出は貴重な外貨獲得の手法であり、同国の経済に重要な重みをもつ。もちろんこの中国の措置は、今回の暗殺事件とどの程度関係があるかはわからない。ただしこの措置が本当に実効性のあるものならば、北朝鮮にとって状況はシビアなものになろう。 米国の経済学者、マーカス・ノーランドがかって公表した研究だが、日米や中国などが北朝鮮に対して経済制裁を本格化した場合には、最初の一年で体制崩壊の確率が40%上昇するというものがある。実際に現状での対北朝鮮制裁は従来よりも厳しさを増している。金正男もかかわったとされる武器取引などによって得た海外マネーの「資金洗浄」についても、米国を主導として規制がより強化されている。北朝鮮経済の苦境は深まるだろう。だが、北朝鮮は体制を引き締めるために、独裁者の異母兄でさえも殺すことを選んでいる。自国内の「引き締め」という政治的利益を、中国を含む対外との緊張というコストよりも大きいと金正恩は判断したのかもしれない。しかし、この選択は北朝鮮体制にとって大きなジレンマを内在する。 北朝鮮経済は、金正恩体制になってから最初の数年は順調なプラスの経済成長率を実現したと評されることが多い。客観的な統計数字はないので注意が必要ではある。しかしここ1、2年は経済が低迷していて、昨年はマイナス成長であったことが韓国の中央銀行から報告されている。このことは北朝鮮から脱出する、いわゆる「脱北者」の動向をみても理解できる。粛清と対外緊張しか手段がない北朝鮮 金正恩体制が発足してから最初の数年は、①国境警備や監視社会の強化で脱北者が出にくくなったこと、②景気の回復により経済的理由での脱北が減少した可能性があり、かなり低い水準に低下していた。 だが、ここ1、2年は脱北者は増加傾向にある。もちろん最近の研究によれば、経済的事由のみが脱北の要因とはいえない。21世紀になり女性の脱北者の割合が高くなっているが、彼女たちの脱北理由に子どもの将来や、緊急性ではない経済的事由(いまの生活を安定化させるための脱北)が挙げられることもある(尹 鉁喜 「近年の脱北者における脱北動機の多様化と「直行」:韓国在住の女性脱北者へのインタビュー分析から」参照)。ただし、経済学的にはこれらもより期待所得の高い国への「脱出」であり、経済成長の動きと連動しているといっていいだろう。北朝鮮の特殊部隊の訓練を視察する金正恩朝鮮労働党委員長 この脱北者の増加傾向と経済低迷は、金正恩体制の不安定化の兆しであろう。伝統的に同国は、自国の体制が不安定化すると二つの手段をとる。一つは自身の政治的不安材料の粛清である。もう一つは「対外冒険主義」といわれる核開発の加速化や周辺国との安全保障面での摩擦である。前者の粛清は、金正恩体制のもと、ここ1、2年でやはり激増している。今回の金正男暗殺もこの粛清による体制引き締めの一環ではないだろうか。 ただし後者の対外的な摩擦は、北朝鮮への制裁の強化をもたらし、さらに北朝鮮の経済的苦境を招くだろう。だが、それに対しては、やはり北朝鮮は粛清と対外緊張という二つの手段以外にとるところはない。これが北朝鮮の根本的なジレンマである。 こう考えると、北朝鮮の対応と、韓国の現在の対応はきわめて類似している。韓国経済も長期停滞が懸念されている。その経済的閉塞感を、韓国の政界は、朴大統領やその周辺の既得権者への政治的粛清、そして対外的には慰安婦問題の蒸し返しという対外緊張をもたらすことで、国民の不満をそらそうとしている。その意味では、北朝鮮と韓国の政治的風土には共通点があるのかもしれない。 政治的手段が粛清と対外緊張しかなく、また経済的な運営が手詰まりになったときに、飢饉が引き金になって巻き起こったのが、90年代後半の大規模な北朝鮮の「飢餓」である。そのときに、何十万もの北朝鮮の人たちが餓死した。今回は、さらに大きな代償が北朝鮮に待っているかもしれない。この悲観シナリオを打ち消す材料は今のところ筆者にはない。ちなみに仮に北朝鮮が崩壊したときに、日本や周辺国はまた特有の試練に直面するだろう。その意味でも今後、北朝鮮問題から目を離すべきではない。

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    財務省はやっぱり緊縮病? いっそのこと幼児教育から無償化せよ!

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 財務省の「エージェント」に近い政治家やマスコミは、人間関係を活用しているのか、ある時期からほぼ一斉に「新ネタ」を言い始めることがある。財務省のエージェントかどうかはさておき、筆者も何人かの人物を「財務省の今の流行」を発言するキーパーソンとして、日頃チェックしている。そこから遅かれ早かれ、「教育国債」的なものが政治の話題にのぼることは十分に予想できた。 自民党が安倍総裁直属の機関をたちあげて、そこで「教育国債」の議論をすると一部メディアで報じられている。一方で6日には、教育国債の発行について野党から質問された麻生財務相が否定的な発言をしている。 高等教育や基礎研究にその資金を活用されるために国債を発行すること自体は、現在の財政法でも認められている常識的なものだ。そもそも国家の基礎的な単位のひとつは「人」である。「人」に投資をすることは、国土を守り、様々なインフラをつくることと並んでとても大切なことである。 この人への投資は、世代をまたいで国を繁栄させ、個々の人々の生活を豊かにするうえでも重要なことである。特に、低年齢の人に政府が積極的に介入して教育投資を行うことは、経済全体をより豊かにすることが実証されてもいる。ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・J・ヘックマン教授は『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)の中で、就学前の幼児への政府による教育投資は、その子供たちの非認知能力(労働意欲、学習意欲、忍耐や努力など)を大きく改善し、また認知能力(IQ指標など)を若干高めるとしている。 例えば最近、日本でも「ベル曲線」を持ち出して、遺伝要因がIQ指標の高低に結び付いて、それが経済の不平等に直結しているという見方が流行している。だが、そのような遺伝決定説的な思考は、すでに時代遅れである。むしろ非認知能力と認知能力の双方が政策的にコントロール可能であることが、教育の経済学の大きなポイントになっている。 ここまでは今回の「教育国債」には関係ないかに見える。だが就学前教育に政府が政策介入する(=お金を投資する)ことにも、日本はまだとても十分とはいえないので、高等教育や基礎研究だけではなく、この年齢層への公的な教育投資の金銭的裏付けとしては実に有効である。 さて、日本の科学に関する基礎研究の問題点については、この連載「ノーベル賞候補の日本人研究者はなぜ中国と韓国を目指すのか」で既にふれた。経済学者のポーラ・ステファン教授の指摘によれば、科学の生産性を決めるキーは科学者のやる気だ。そしてこのやる気は、従来の知的資産の蓄積や本人の知的好奇心も重要なのだが、なにより金銭的な仕組みが決定的な要因となる(ポーラ・ステファン『科学の経済学』日本評論社)。研究開発投資(R&D)のGDPへの比率でみると、有能な科学者たちが世代ごとに生まれるのかどうかがかなりはっきりする、とステファン教授は指摘している。将来世代への借金の先送りにあらず 日本は米国と並んで、この「研究開発投資/GDP比率」が最も高いグループに所属する。この比率が高い時期に研究を開始し成果をあげた人たちが、現在ノーベル賞を日本で受賞している。しかし最近はこの比率が低迷している。ひとつの大きな要因は、財務省の緊縮主義による研究開発投資の引き締めである。まさに財務省的緊縮主義が、国の根幹を研究開発投資のサイドからも破たんさせようとしているといえる。教育国債はこの観点からは、日本の科学研究を進展させる原資として実に有用である。 もちろん財務省も巨大組織で様々な思惑もあるのだろう。「教育国債」がどのような思惑で出てきたかはわからないが、おそらくプラスマイナスゼロ的な発想の枠内だろう。例えば公共投資としての新規国債発行を抑制する代わりとして、この教育国債の発行を想定しているのかもしれない。いずれにせよ、できるだけ「財政中立」的もしくは財政緊縮的な枠組みの中での発想ではないだろうか? それが麻生財務相の教育国債への否定的な発言につながるのだろう。 さて大学や大学院の授業料への補助金として教育国債を使うことに筆者は賛成している。就学前や義務教育期での教育の投資に比べれば、例えば大学教育で期待される予想収益率(教育の見返りでもたらされる社会的な報酬)が低いことは明白である。だがそれでも大学に行くか高校に行くかで、3割から6割以上までの時給の違いが観察されるという。この時給、さらに生涯年収の違いは、多くはその人が教育をうけたことの見返りで説明できる。もちろんその教育が生産性に結び付かないとこれらの報酬の違いは説明ができない。これを「人的資本仮説」という。国債証券(日本銀行提供)=2010年8月 人的資本仮説は実証的に頑強であることが最近の研究で示唆されている。例えば大学にただいくだけで所得があがる(つまり生産性に結び付かないで所得があがる)というシグナルとしての高等教育論は、実証的に支持が難しい。詳細は東京大学の川口大司教授のこの解説論文を参照されたい。 また大学など高等教育の場では、単なる知識・技能の向上だけではなく、さまざまな人的交流の場として、先ほどのヘックマン氏が指摘していたような、非認知的能力(人格的な陶冶)の向上もみられるのではないだろうか。この点は今後、実証してみなくてはいけないだろう。 問題は、財務省発であるにもかかわらず、あいかわらず財務省的な緊縮病の範囲内で、この教育国債が考えられていることだろう。その点は強く修正していかなかればいけない。人を育てる投資は、将来世代への借金の先送りではない。人々が現在不足するそのお金を国民みんながうすく広く負担することで、将来大きな見返りを生み出す「資産」なのである。 最後に、この「教育国債」など資金的な面を安定的にするために、憲法改正を求める意見もあるが、それは間違いである。教育の資金的な安定は経済政策によって達成されるべきである。それは「憲法に書いてあるから平和になる」と同じ理屈であり、政策の割り当てを間違えた意見にしか思えない。

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    権力の闇に潜む2人のドン、猪瀬直樹が明らかにした「新事実」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)2016年11月、東京都の小池百合子知事が設立した政治塾「希望の塾」で、講師としてあいさつする元知事の猪瀬直樹氏 猪瀬直樹氏は筆者が経済時論を書いたそもそものきっかけを与えてくれた、いわば時論での「マエストロ」である。今世紀の始め(2001年)に開始した猪瀬直樹メールマガジン「日本国の研究」が、その時論の舞台であった。当時、小泉純一郎政権での構造改革が始まっていた。猪瀬氏の活躍は、道路公団民営化を中心にして、国民の多くがまだ記憶に残していることだろう。 猪瀬氏の「構造改革」の独自性は、経済・社会の構造問題はその原因になっている組織や人物が必ず存在する、という点にある。日本人はなぜか経済・社会問題を自然現象のように見なしてしまうが、猪瀬氏の批判的視座はそれとは真逆だ。 この態度は、道路公団民営化、そしてそれに続く東京都の副知事・知事としての改革でも一貫していた。マクロ経済政策については必ずしも筆者と完全に同じではないと思うが、猪瀬氏の構造改革的手法は、いまの日本の問題を「事実検証と論理」で解明するためには欠かせないものだと思っている。 また猪瀬氏は諦めることのない「ファイター」でもある。知事時代の挫折を真摯に反省し、それを強靭なバネにして、猪瀬氏が再び東京都という巨大な「構造問題」に取り組んでいる。小池百合子知事の誕生前後で、ネット媒体NewsPicksや自身のTwitterで積極的に意見を表明する姿は、いわゆる「抵抗勢力」には脅威に違いない。その猪瀬氏の東京問題への格闘の「復帰」を象徴するものが、今回出版された『東京の敵』(角川新書)だ。 冒頭からズバリ書く。「東京の敵」とは、まさに具体的な人物だ。都政の妨げになっている二人のドン。「都議会のドン」である前自民党都連幹事長の内田茂都議、そして「五輪のドン」である元首相であり、現在の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長である森喜朗氏である。 東京都の政治制度は都知事に権力が集中しているわけではない。本書でも詳述しているが、政治的権力は形式的には、共に都民に選出される知事と都議会という「二元代表制」になっていて、国レベルでの首相と議会とは異なる仕組みである。 この「二元代表制」の中で、都民の多くが知らなかった権力集中が都議会で行われていた。それが自民党東京都連幹事長の職を10年以上務めてきた内田茂氏の存在である。内田氏への個人的な権限の集中は強く、国会議員もその影響下にあるといっても過言ではない。知事の職務や発言はしばしばマスコミの話題にするところだし、また都民の視線も厳しい。だが、もうひとつの「代表」である都議会の権力集中が闇の中にあることは問題である、というのが猪瀬氏の基本的な態度だ。 冒頭でも書いたが、東京都が決める様々な政治的決定には、それを生み出した「人物」がちゃんと存在しているのだ。その「人物」は決定の内容に見合うだけの社会的責任を負う必要があり、それはきちんと世間の前で明らかになっていないといけない。東京都議会本会議の一般質問中に談笑する内田茂都議(右)=2016年12月8日(桐山弘太撮影) 猪瀬氏は、「闇に棲む者は光を当てることで力を失う」と何度も本書の中で述べている。内田氏の権力集中は、猪瀬氏の一連の発言によって世間の知ることとなる。その結果、都政における決定プロセスが非常にはっきりしてきた。内田氏は以前のように闇の中での権力行使がしづらい環境に今はあるだろう。これこそ、猪瀬氏がかつて道路公団民営化でも進めてきた「情報公開」の真の意図ともいえる。グランドチャンピオン級の大ボス4者協議を終えて握手する大会組織委員会の森喜朗会長(左)と東京都の小池百合子知事=2016年12月21日、東京都港区(代表撮影) さらに「東京の敵」の本丸が存在する。東京五輪エンブレム問題や新国立競技場問題で、その「責任」がまったくあやふやだった大会組織委の森喜朗会長のことである。「内田氏が、金メダル級のドンだとしたら、森氏はグランドチャンピオン級の大ボスであり、まさしく『東京の敵』です」(同書、78頁)。 『東京の敵』では、特になぜ森氏が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長になったのか、その詳細が記述されている。要するに、森氏の猛烈ともいえる権威欲がその就任の直接の原因である。森氏の就任で、民間の人材を積極的に登用し、財務についても成果と責任をはっきりさせる客観性を担保しようとした、猪瀬氏の知事時代の試みは頓挫した。 森氏がどのような過程で会長になり、その無責任体制が出来上がっていったのか、その詳細な記述は本書の中でも「新事実」ともいえるもので、筆者にはとても興味深いものだった。なぜ森会長は、新国立競技場問題でも、その責任感をまったく欠いた発言を繰り返していたのか、その問題の根源がよくわかる。 これらの「東京の敵」にどう対峙するのか。小池都政に対しての猪瀬氏の期待は大きくはあるが、同書を読んだ限りでは抑制的で、いわばケースバイケースだ。特に猪瀬氏は豊洲市場の移転問題が、マスコミが主導して過度に安全性問題に傾斜している実情に批判的だ。 猪瀬氏の豊洲問題での視点もはっきりしている。土壌汚染対策は、安全性の問題というよりも、「盛り土」の件についてもそれは広報の情報発信の問題、そして都組織内部の情報共有の失敗である、という指摘である。この点で、小池都政の情報公開のあり方には好意的であり、他方で自身が退いた後の舛添都政での情報発信の後退と、そこに関与した内田氏ら自民党都議の責任を改めて追及している。 情報の非対称性が経済の資源配分を非効率化することは周知のことである。問題はそれを正すにはどうすればいいかだ。テレビや新聞などのマスコミは、ワイドショー的になってしまい、批判的検証ではなく、単なる発言の責任なき「感想」レベルになっているのではないか、と猪瀬氏はここでも厳しい。 既存のマスコミに代わるものはなにか。その解答は容易なものではない。また他人任せにせずに、「事実検証と論理」で我々自身が考察していかなくてはいけないだろう。もちろん我々には時間的余裕もなく、知識の点でも不十分だ。だからこそ、その点を見事に指揮するだろう論壇の「マエストロ」の復帰を、ここに祝いたい。

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    アベノミクスの破綻を煽る「金融岩石理論」は簡単に論破できる

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本にはさまざまな経済上の「逆神」たちがいる。株価や為替レートの予想をすると、まったく真逆の方向に相場が振れるエコノミストや経済学者たちのことだ。もちろん毎回逆神たちの予測が正しい(予測をした本人たちにとっては間違いなのだが)のかどうかを実証した研究者は知らない。晴れ着姿の女性が見守る中でスタートした東京株式市場=1月4日、東京証券取引所(AP) ところで世界経済、日本経済の予測もやはり難しい。昨年だけみても、イギリスのEU離脱やトランプ氏の大統領当選による世界経済へのショックをいい意味でも悪い意味でも正確に言い当てたエコノミストや経済学者はほとんどいない。それに予測が当たったとしても「まぐれ当たり」ということもある。 筆者もリーマン・ショックの後に、この種の「(世界経済危機の)まぐれ当たり」で知名度をあげた何人かのエコノミストについて、マスコミや一般の方々から意見を求められたことがある。残念ながら、「それは(運がよくて)すごいですねえ」と言うしかできなかった。本当にそう思う。常に経済を「バブル」「危機的な状況」であるといい続けて、それが数年、10年、いや20年という時間の中で「的中」しても、あまり筆者には感心するところはないからだ。 さてこのような「逆神」たちと同じかどうかは、筆者には判断がつかないのだが、現在の日本の経済政策-特に日本銀行の金融政策-を批判する人たちの中に、「金融岩石論者」とでもいうべき人たちがいる。これはなにか。 坂に岩石があり、びくともしない。だがこれをいったん動かすと、猛烈な勢いで坂を転がりだしてしまう。これと同じで、日銀がマネーをどんどん増やしても物価はまったくあがらない。しかしいったん上がりだすと、どんどん物価は上昇してハイパーインフレ(猛烈なインフレ)になってしまう、という理論である。 この金融岩石理論の主張者は実に多い。特に同じ「種族」なのだが、日本国債の岩石理論も支持者に困らない。日本の財政は危機的な状況だ、いまは国債価格が安定しているように思えても、少しだけでも国債利子率が上昇(すなわち少しだけでも国債価格が低下)すれば、あれよあれよと国債価格は暴落し、日本の財政は破綻してしまう、というものだ。このハイパーインフレと財政破綻のふたつの岩石理論は、ほとんど表裏一体化しているので、両方とも主張する人が多い。「どアホノミクス」とヘンテコな予測をする人気経済学者 例えば、前回この連載でも登場した朝日新聞編集委員の原真人氏の新刊『日本「一発屋」論』(朝日新書)はその典型である。安倍政権の経済政策は、金融と財政の一体化という名目での「財政ファイナンス」であり、「意図的にバブルを起こそうとする試み」である。低成長が常態になった日本経済で、日銀によってマネーでじゃぶじゃぶにする政策を行えば、バブルが生じてしまう。そしてバブルはやがて破裂するので、経済への反動は深刻化する、だろうというものだ。バブルの破裂を、原氏の著作ではハイパーインフレや財政破綻などとしても表現されている。 この原氏と同様の意見を、経済学者の浜矩子氏と評論家の佐高信氏がその対談『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)の中で語っている。その対談の一部はネットでも読める。浜矩子 アベノミクスは、すでにして行き詰まっていると言えます。屋上屋を重ねるように場当たり的な金融政策を続けているわけですが、いつそれが崩壊してもおかしくない。「アホノミクス」、いや「どアホノミクス」と言うべき状況です。 浜氏によれば、アベノミクス(日銀の金融政策)は、極端な国債の買い取りによりマネーを無制限に供給する政策である。この無責任な政策は、実体経済と乖離したバブルを生み出し、やがて破綻することが目に見えているものだという。 浜氏は経済評論家の高橋乗宣氏と共著で、21世紀に入ってから(リーマンショックが起きた2008年以外)毎年のように、世界や日本の経済危機を予測する書籍を出していることでも著名だ。今年(2017年)の経済危機を予測する高橋氏との共著はまだ出されていないのが、筆者の少し心配するところではある。それだけの人気経済学者でもある。 さて原氏も浜氏も、それぞれ「金融岩石理論」的な主張だといって差し支えないだろう。この「金融岩石理論」が、理論的にも実証的にも成立しがたいことを、丁寧に解説した良書が出版された。原田泰・片岡剛士・吉松崇編著『アベノミクスは進化する』(中央経済社)がそれだ。 現在の先進国(日本、ユーロ圏、イギリス、アメリカ)は、それぞれインフレ目標を設定していて、その目標値を大きく上回るようなインフレになれば、積極的に金融引き締めにコミットするように公約している。どんなに経済が過熱してもその結果としてインフレが目標値以上に高騰すれば、やがて中央銀行が金融引き締めに転じるであろうと、多くの市場関係者たちが予測し、またはすぐに予測できなくても次第に学習することで、自分たちの経済上のポジションを金融引き締めに適合したものに変更する。これによって自己実現的に経済は金融引き締め型に転換していく、というのがインフレ目標の重要なポイントだ。 簡単に言うと、人々の予測をコントロールしていく政策である。人々の多くは、ときにヘンテコな予測をする人がいても、よほど非合理的な思考に陥る人でもないかぎり、時間をかければほとんどの人が経済の状況(ここでは中央銀行の引き締めスタンスの予測)を正確に把握するだろう。中央銀行がインフレ目標から乖離したら引き締めるといっているのは嘘だ、と思い込む人は極めて少数だ、という意味である。日銀と政府の「デフレ脱却」を信じなくなった理由 さてこのようなインフレ目標を採用していなかった時代、1970年代は年率数十パーセントのような高いインフレに見舞われた。日本でも第一次石油ショックの後の「狂乱物価」が代表的だ。『アベノミクスは進化する』の編著者のひとり、現在の日銀政策委員である原田泰氏は、1)マネーと物価は連動している、2)物価はいきなり猛烈に上昇するのではなく半年以上、通常は1年から数年かかる、ことを指摘している。このことから、中央銀行はインフレ目標を設定することで、物価が上昇し始めても十分にインフレを抑制することが可能だ、ということになる。 日本がデフレを継続してきたのは、90年代から2012年までのインフレ目標なき時代の日銀による政策運営の時期にちょうど該当する。インフレ目標は上限も定めるが、デフレに陥らないようにできるだけ目標値に近い水準を目指して経済を運営するのが、いまの中央銀行の標準であり、日本もそうだ。しかし、このインフレ目標のない時代があまりにも長すぎて、マネーと物価(デフレ)は、21世紀に入る頃には連動しなくなってしまった。この時期に何が起きていたのだろうか。 当時の日銀(そしてその時々の政府、第一次安倍政権も含む)は、インフレ目標の導入や積極的な金融緩和を拒否する一方で、「デフレ脱却に努力する」と空手形を出し続けてきた。その10年以上に及ぶ「ウソ」の累積によって、人々は日銀と政府の「デフレ脱却」を信じなくなってしまったのだ。 これはこれで実に合理的な態度であるが、このデフレ予想が固着してしまったことの弊害は深刻である。マネーをどんなに供給してもそれがいつか縮小するのではないか、(デフレ脱却には)不十分なままで終わるのではないか、と人々が予測することで、物価とマネーの連動が壊れてしまったからだ。 いわば十数年かけて、日銀は人々の物価とマネーの連関を見事に破壊してしまったのである。これを再度、連動するような正常な状態に戻すことを、いまの日銀は最終的な目標にしてはいる。ただしまだデフレ脱却の途中であり、過去のしがらみ(デフレ予測)はかなり強靭である。 では、デフレ予想のしがらみが一気になくなるとしたら、どうなるか。これはこれでインフレ目標政策がしっかりと有効になるということなので、高率のインフレがいきなり出現するわけではない。先のインフレ目標政策の効果から自明である。 原田氏らはこのような事例をふんだんに先の著作の中で示し、金融岩石理論を理論的にも実証的にも論破している。ちなみに、原氏などの懸念とは真逆に、積極的な金融緩和政策をすることで、政府の財政は大きく改善することも同書では実証的に示されている。むしろ財政危機は、経済の停滞を自明としてしまい、経済停滞の中で緊縮政策(財政再建政策という名前の政府支出減少や増税)で生じてしまうことも明らかにされている。 まだ一年が始まったばかりである。安易に危機を煽る本よりも、地に足がついた経済書や議論をしっかりとこの一年読んでいきたいと思っている。

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    朝日編集委員の「経済成長が例外」という主張こそ、むしろ例外

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) この記事は、新年初笑いなのか? そんな論説が1月4日の朝日新聞の一面に掲載された。題して「『経済成長』永遠なのか」(経済成長は永遠なのか 「この200年、むしろ例外」:朝日新聞デジタル)。執筆者は朝日新聞編集委員の原真人氏である。この論説はネットでも話題になったが、ひと段落ごとに突っ込みをいれたくなる発言が盛りだくさんで、なにも松の内からこんなにサービスしなくてもいいものを、と思うものだった。ただしサービスの内容はトンデモな経済認識のてんこ盛りだが。 記事全体は、論点が錯綜しているが、要するに、アベノミクスのうち金融政策批判と、それに連動した「経済成長神話」なるものへの批判である。批判ばかりだと申し訳ないと思ったのは、経済成長がなくても十分に幸福に生きられるよ、とでもいった経済観で締めくくっている。 経済成長自体に懐疑的になる立場は経済学の発祥とほぼ同じ段階で始まっていて、別にトンデモでもなんでもない。例えば19世紀初めのフランスの経済学者シスモンディは、富の追求自体ではなく、人間的価値を高める生活を希求し、当時のモノの豊かさだけを追い求める経済学のあり方に否定的だった。この話題についてはまたあとで考察する。 筆者がトンデモな経済認識だと思ったのは、論説の冒頭からいきなり出てくる。原氏は日本銀行が2016年1月に導入したマイナス金利政策について以下のように紹介し、アベノミクスの成長重視、デフレ脱却政策の「希望をくじいた」と主張している。「いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようにせかす狙いだった」 このような記述が、日本を代表する新聞の一面で目にするのはきわめて驚くことである。なぜなら私たちが銀行に預金して、そこで利息をとられてはいないのが常識だからだ。日本銀行もこの種の誤解に対応するためにわかりやすいQ&Aを設けている。「マイナス金利になると、私が銀行に預金しているお金も減ってしまうの?」「マイナス金利といっても、銀行が日銀に預けているお金の一部をマイナスにするだけ。個人の預金は別の話です。」「個人の預金金利はマイナスにはならない?」「ヨーロッパでは日銀よりも大きなマイナス金利にしていますが、個人預金の金利はマイナスにはなっていません。」5分で読めるマイナス金利(日本銀行) 常識的な観察でも私たちはマイナスの金利をとられていないし、そもそもマイナス金利政策は個人の預金をターゲットにしたものではないのだ。本当に若者たちは事実上豊かになっているのか ところでこのマイナス金利への「誤解」を踏まえて、続けて原氏は以下のように記述している。「政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がりの経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である」 原氏によればアベノミクスは「成長よ再び」に失敗したことになっているので、この名目成長率のほぼゼロという話は、アベノミクスの失敗という誤った印象を読者に与えるにふさわしいものとなっている。 ところがアベノミクス期間中の名目成長率はゼロより高い。年次名目GDP成長率は、2013年度(対前年比)2.6%、14年度が2.1%、15年度が2.8%である。2016年度は進行中なのでデータは得られていない。ちなみに2014年4月の消費増税実施前で、なおかつ駆け込み需要の影響がなかったアベノミクス実施期間での実質経済成長率をみると2.6%と高い水準になっている(2013年第4四半期の対前年比)。名目経済成長率の上昇も(特にデフレ脱却期間中には)重要だが、もちろん実質経済成長率も同じかそれ以上に重要である。 要するに、名目経済成長率がゼロ近くにしかならず、日本は低成長から抜け出せない、という原真人氏のシナリオは、アベノミクスの下での日本経済では成立していない。ちなみに筆者の見解では、2014年の消費増税の悪影響がなく、続く世界経済の不安定性がなければ、さらに日本の経済成長率は高かったと思われる。 まさに「トンデモ」ない日本経済への認識だと思う。さらに原氏は、GDPだけに注目してはだめだという。そのときに彼が例示するのは、日本が「失われた20年」に喘いでいたときでも、若者たちは事実上豊かになっているということだ。「若者たちが当たり前に使う一台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか」と、原氏は書いている。25年前なら80万円超の価値があると、それがいまや8万円になっている。「ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産(GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ」 原氏のトンデモ経済論はこの記述に極まっている。確かにこのようなGDPの解説では、「見えなくなる」ものがある。25年前なら80万円の価値のあった8万円のスマホを買うことができない若者の存在である。モノが豊富にあっても買うことができない人たちが大勢いれば、その国民の生活は悲惨なものだろう。 モノを手に入れるには、人々の所得が豊かになる必要がある。所得を豊かなものにするには、働きたい人が働けるような環境がまずは大切だ。ところが原氏の論説には、このアベノミクスの期間中に大幅に改善した雇用状況の話は一切触れられていない。これは非常に奇妙なことだ。むしろ「富の追求」を称賛している原氏 なぜ奇妙か? さきに富のみを追求する経済学のあり方に疑問を提起したシスモンディを例示した。シスモンディは、原氏の論説の後段でも出てくる「定常化社会」や経済成長懐疑論の源流である。 シスモンディがなぜ富の追求のみを追う(つまりGDPのみを追う)経済学のあり方に疑問を抱き、それに代わる人間の価値を高める経済学を追求したのだろうか。それはシスモンディの時代に恐慌(経済危機)で働きたくても働けない、困窮した多くの人をみてのことだった。つまり雇用の悪化とそれによる生活苦が、シスモンディにいくら財が豊富でもそれを買うお金がなければ意味がない、それによって人は貧困に陥り、人間の価値を高める機会を失う、とみたのである。 だが、原氏には25年前の80万円の価値があるスマホが8万円になったことを称賛しても、シスモンディのような雇用機会の確保の重要性や購買力(総需要)への重視はない。つまり原氏の認識こそが、実はご本人の意図とは異なり、富の追求それ自体をまさに称賛しているものなのだ。 さて、シスモンディの考え方-人々に購買力をもたらす雇用機会の確保-という経済思想は、富の追求のみを重視する「原真人型」(!)の経済論を否定しながら進展していく。例えば、19世紀から20世紀はじめにかけて活躍したジョン・アトキンソン・ホブソン、現代の福祉社会論の父ともいえるウィリアム・ベヴァリッジ、そしてホブソンやベヴァリッジの意義を認めていたケインズなどである。ベヴァリッジは特に労働という側面だけではなく、病人・幼児・老人あるいは女性などの「社会的弱者」を救済する社会保障の仕組みと、完全雇用のふたつを自らの福祉社会論の骨格とした。 経済危機からの完全雇用の達成には、経済の拡大が必要である。経済が拡大する中で、財政が改善し、それによって社会保障の基盤も充実していく。そればベヴァリッジの基本構想だった。つまり福祉社会は完全雇用をもたらす経済成長とは矛盾しないのである。矛盾しないどころか、完全雇用は福祉社会の重要な核である。 また原氏は論説でGDP懐疑論や低成長「正常」論を唱えているが、日本ではこの種の議論のときにしばしば援用される、『スモール・イズ・ビューティフル』という本がある。著者はエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー。本の題名からもわかるように、彼は富の追求自体に重きを置く経済成長論に否定的だった。 だが、ここでもシスモンディやベヴァリッジ同様に忘れてはならないことがある。シューマッハーは、ケインズの経済学に多大な影響をうけた「雇用重視の成長」論者であるのだ。シューマッハーとケインズ、ベヴァリッジはそれぞれ生前に面識があり、社会保障の拡充と完全雇用の達成という現代の福祉社会論の構築に大きく貢献した。ベヴァリッジに雇用の重要性を教えたのは、ケインズの影響をうけたシューマッハーであった。 ここまでお読みいただくと、原真人氏に代表されるような低成長「正常」化=GDP懐疑論者が、いかに一面的なものかがおわかりいただけるだろう。それに対して、富の追求ではない、人間の価値を追求してきた経済学者たちの多面的で、豊かな経済認識の格闘があったことも。 アベノミクスを建設的に批判するなら結構である。それはそれで得るものがあるだろう。だが、残念ながら原氏の論説からは、単なるトンデモ経済論の音しか聞こえない。

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    「トランプ円安」はなぜ日本経済にプラス作用するのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 報道によれば、エコノミストの高橋乗宣氏と浜矩子氏の毎年恒例、日本経済の一年を守ってくれる「経済危機予測」シリーズが今年は出ないという。非常な危機感を意味もなく抱いてしまう(笑)。 本来、人間とはすべて合理的にモノゴトを考える動物ともいえず、なんらかしらのバイアス(偏見)を抱懐しているのが通例である。とはいえ、経済合理性の強さもまた歴然としていて、要はその合理と非合理のバランスをどうみていくかが、経済に限らず人間の集団的行動の推移を理解するうえでのキーポイントといえるのかもしれない。 高橋氏&浜氏の「経済危機予測」シリーズが刊行されなかった2008年のリーマン・ショックのような世界的な経済危機は起きなかったが、それでも世界経済は「不連続変化」とでもいっていい出来事に見舞われた。ウィスコンシン州で開かれた感謝集会で演説するトランプ米次期大統領=12月13日(ロイター) 特に今年は、イギリスの国民投票でのEU離脱支持や、トランプ大統領の誕生など、事前の世論調査では予測できなかったような出来事が生じ、それによって経済も思いがけない衝撃をうけた。特にトランプ氏の大統領当選は、世界経済の光景を一変させてしまったといえるだろう。 日本でも日経平均株価は急騰し、ひと月ほどでそれまでのトレンドから10数パーセント上昇、またドル円レートも14円以上の円安になった。これらの事象は日本経済には明らかにプラスに作用するだろう。また外交面ではロシアとの関係のクールダウンが生じてしまうなど、安倍政権にも政治的「誤算」が生じている。 2015年から本格化していた世界経済の動乱ともいえる事象の根源には、アメリカの経済政策が事実上「失敗」していることが原因ではないか、と指摘されてきた。例えば、エコノミストの片岡剛士氏やG・エガートソン教授(ブラウン大学)はその代表的な論客だった。 アメリカ経済が実はそれほど回復していないにもかかわらず、財政政策は議会の反対によって膠着状況が続き、また金融政策は金利引き上げのタイミングを逃し続けていた。世界経済の人、モノ、情報、そしてお金の流れの根幹を担うのは、いまだアメリカ経済であり続けている。このアメリカの経済「覇権」の裏返しで、その経済政策が方向性を見失うことが、世界経済のリスクを増大させてきた。株も為替も2015年夏頃までの水準に戻る? だが、トランプ当選以降、アメリカの経済政策はこう着状態から事実上脱した。トランプ次期政権の経済政策の根幹は、大規模な財政政策だ。他方で減税政策も採用するといわれているため、将来的には国債の増発が予想される。国債の増発は国債価格を引き下げ、同時に国債の利回りを上昇させる。実際にトランプ当選直後から10年物の米国債の金利が急騰している。現状では約2.6%であり、約0.1%の日本を含めて各国との金利差は急上昇している。(AP) 特に日本の場合は、日本銀行の新しい政策手段で、10年物の国債の金利をゼロ近傍に維持することが公約されている。このため米国債との金利格差は将来にわたって拡大ないし維持されることが予想される。日銀とトランプ氏の経済政策は実に「相性」がいいのだ。 日米の金利格差は、投資家にはドル建て資産(高い利回り)を購入し、円建て資産(低い利回り)を売却する動きを促す。これはドルを買い、円を売る動きの加速化につながる。そのため上述したようにドル円レートは円安に一挙に進んでいる。これは教科書的な現象である(参照:藤井英次『コアテキスト国際金融論』新世社他)。 また円安の定着は、日本企業に主にふたつの経路をもって影響を与える。ひとつが輸出に寄与することであり、もうひとつは日本企業のバランスシートを改善させることである。後者は簡単にいうと、日本企業の負債は円建てなので急激に圧縮し、他方でドル建て資産の価値上昇により、バランスシートの改善がもたらされる。このような企業のフロー(収益)、ストック(資産)両面での改善が予測されるので、株式市場ではこの予測をもとに日経平均株価やTOPIXなどの指数が上昇していく。 株、国債、そして為替レートなどの資産の動きを読み切ることはできない。いま描いた図式に沿って、単調に事態が推移していくわけでもなく、時折の変動をみることだろう。ただ片岡氏らの指摘してきたように、世界経済の動乱の根源が、アメリカの経済政策の事実上の「失敗」にあったならば、それが解消されつつある現在、株価や為替レートも世界経済の動乱が本格化した2015年夏頃までの水準に戻っても不思議ではない。ちなみに資産運用は個人の責任で行っていただきたい。トランプとFRBの強調で世界経済に活気? さて2017年、このような資産市場の動きがどう世界経済に影響を与えるだろうか。高橋乗宣氏と浜矩子氏のように大胆な予測をすることは、私にはできない。ただあえて、「世界は日本経済の復活を知っている」といえるだろう。 まず国際的には、2017年も米国経済が主役であり続けるだろう。先日、アメリカの中央銀行であるFRBが金利の引き上げを行った。金融政策の決定をするFOMCのメンバーの多くが来年3回の利上げを予測しているが、他方でFRBのジャネット・イエレン議長はトランプ政権の経済政策次第では今後の金融政策を柔軟に対応させると明言している。実は当たり前なことだが、中央銀行と政府がうまく政策協調できることは難しい。実際に、この日本で安倍政権が始まる前までは、日銀と政府の政策協調が事実上破たんし続けていた。米連邦公開市場委員会後、記者会見するFRBのイエレン議長=12月14日、ワシントン(ロイター=共同) トランプ政権が経済拡張を狙って財政刺激政策を活発化させれば、当然にFRBはそのサポートをしなければいけない。FRBの金利引き上げはそれ自体経済を冷却化してしまうので、今後の金利引き上げは事実上凍結に近い状況になるのではないだろうか。他方で政府と中央銀行の協調がうまくいけば、アメリカ経済の成長余力が発揮され、アメリカの好況は世界経済に活気を与えるだろう。またOPECの減産などをうけて資源価格も上昇しはじめ、ロシア、中国などの新興経済圏の失速リスクはやわらぐだろう。 海外の不安定要因としては、やはり紛争リスクがあることは間違いない。特にアメリカと中国、そして経済・外交的に漁夫の利を得つつあるロシア、もちろんシリアを中心とする中東情勢は予断をまったく許さない。これらの地政学的リスクへの配慮は、世界経済を考える上での必修となっている。 もちろん日本経済は、国際状況のみに依存しているのではない。独自の経済政策によって変えることのできる「人為的現象」だ。2017年における日本の経済政策の方針は、デフレの完全脱却というリフレーション政策におくべきだ。リフレーション政策は、現在のアベノミクスに反映されている政策でもある。日本銀行はインフレ目標2%の早期達成に全力を尽くすべきだし、また安倍政権は積極的な財政政策を行い、その政治力のすべてで財務省が主導する消費増税路線を封殺すべきである。日本が進むべき方向は、世界が知っている。

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    メンバーの確執よりも重い!SMAPロスを招いた「談合」という歪み

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) SMAPは楽しく感動的で、また時に波瀾万丈でもあり、そしてなにより平成という時代をともに生きてきたという実感がもてるただ一つといっていいアイドルだ。そのSMAPの5人が揃う姿をみることが、まもなくなくなってしまう。東京新聞に掲載されたSMAPのデビュー25周年を祝うメッセージ=9月9日、東京都港区 実際には、『SMAP×SMAP』の収録が終わったことで、我々が見ることのできるのは、少し前の5人の姿でしかない。5人そろったSMAPの姿を、もうライブやテレビの生番組で見ることができないのだ。もちろん紅白歌合戦への電撃的な出場があるかもしれない。だが、その可能性は絶望的とも報じられてもいる。 どんな形でもいいので、彼らの「今」の姿、5人そろった現在を一目でも見たいというのは、多くの国民の願いではないだろうか。 できれば5人がお互いに笑顔を交わし合う姿が一瞬でもあれば、それは本当に幸福なエンディングではないか。もちろん終わりであってほしくはない、再び結集してほしい、いまでも解散を撤回してほしい、というのは筆者を含めた圧倒的多数のSMAPファンの偽りなき心境だろう。 最近では、SMAPがアイドル市場から喪失することの経済効果を聞かれることが多い。経済学者なのでこのマスコミの依頼に答えることは義務だと思っているので数字をあげている。ただそのときでも、数字では表せないファンの感情を考慮することが重要だと指摘している。実際にSMAPが喪失することによる心理的な負担は、人によりけりではあっても、かなりのものになると思っている。それだけSMAPは平成に生きる人たちの、個々の人生の中にしっかりと根を張った「物語」だった。 ひとまずSMAPの経済効果を考えてみる。年間でどのくらいの金額を稼ぎ出しているのか、簡単に推計してみよう。売り上げは、ライブの収入、グッズの販売料、ファンクラブの会費、CDやDVDの販売料、テレビやCMなどの出演料、に大別されるだろう。これらの数字をすべてまとめると、SMAPは潜在的に年間約211億円を稼ぎ出すことができるグループだと思われる。 では、SMAPが喪失することでこの211億円の支出がすべて消えてしまうのだろうか。211億円(一説には600億円という数字もある)がSMAP喪失の経済的損失なのだろうか。答えはノーである。確かにSMAPへの支出は211億円から急激に減少するかもしれない。もちろん彼らが解散した後も、その関連商品は売れ続けるかもしれない。そのため、解散後もSMAPへの支出がゼロになることはありえない。 またSMAP解散を悲しむ人たちや、それをなんとか止めたいと願っている人たちが、SMAPの過去のCDやまたベスト盤などを購入することで売り上げを伸ばす分野も出てきている。確かに最近のオリコンチャートをみると、彼らの過去の楽曲が常時上位に名前を連ねている。真の「SMAPロス効果」とは さらにより経済学的にみると、人々の予算と消費性向が一定であれば、そのうちSMAPへの支出が減少しても、その他のアイドルや娯楽、財・サービスへの支出に振り向けられることになる。このときSMAPへの支出が消滅しても、経済全体での消費には影響を与えないことになる。ちなみに消費性向とは、所得のうちに消費が占める割合である。 ただ筆者はこの経済学的説明は不十分だと考えている。そこには「失望効果」が含まれていない。SMAPのファンの人たちは実に活動的だ。ライブやイベントに出かけることはもちろんのこと、昨年の事務所からの「独立」報道の際や今回の解散に際しても、オリコンチャートの上位にSMAPの名曲がランクインするなど、ネットなどを利用した「社会参加」型の運動をすることにも熱心である。 だが、SMAPの解散によって、多くのファンは喪失感を今後抱いていかざるを得ない。そのときの「失望」が、このような積極的な社会参加型の消費を抑制してしまうかもしれない。まさにSMAPロス効果である。 さらにこのSMAPロス効果をそもそももたらしたものは何かを考える必要がある。つまり、なぜSMAPは解散に追い込まれたかということである。メンバー間の確執を伝えるのが最近のメディアの常とう手段であるが、それは筆者からすると、問題の本質から意図的に論点をずらしているように思える。 SMAP解散の原因は、1)メディアのSMAP報道の歪み、2)芸能界のマネジメントに関わる構造的な問題、のふたつによると思われる。前者は間接的な原因で、後者は直接的な原因といえる。 ジャニーズ関連の経済規模は、SMAPや嵐、関ジャニ∞やKis-My-Ft2なども加えると約1000億円になると、筆者は推計している。おそらく日本の芸能界でも屈指の経済規模を誇るものだ。他方で、このアイドル市場最大規模ともいえる経済効果は、負の側面をもっている。ジャニーズ事務所のメンバーに対する報道姿勢が、「御用記者」と「暴露記者」の両極端しか存在しないことは、アイドル批評の世界では既知の事実であった。つまり客観的な批評が成立しがたい世界なのだ。 「暴露記者」的なものとしては、今回のSMAP解散はそもそもジャニーズ事務所内の勢力争いが、一部週刊誌による報道を契機にこじれてしまったことにある。どこの組織にも権力闘争的なものはある。だがそこに第三者(週刊誌など)が介入して面白おかしく書けば、それはノイズとなって当事者たちの判断を狂わせてしまうだろう。ただ「暴露記者」そのものに責任が完全にあるのか、といわれればそうではない。ジャニーズ系のアイドルに対する報道の在り方が、客観的な批判を受け入れる余地を常に持っていれば、そのような「暴露記者」のもたらす弊害を緩和することができたかもしれない。背景にある日本の芸能界特有の構造的問題 「暴露記者」の存在は、実はジャニーズについての報道が「御用記者」が中心になってしまっていること裏返しだ。「御用記者」といっても、実際に事務所側が何かを直接コントロールしているのではない。ジャニーズを批評する上で、多くのメディアが自ら「“事務所のあり方”に触れるな」などと事前に注意を与えることが多い。いわゆる自主規制だ。筆者も昨年の「独立」問題から今回の解散まで、この種の注意を何度も言われたことがある。岩手産リンゴ「冬恋」を来場者にプレゼントするのん=8日、東京都内 またSMAP解散報道が、あたかも事前に示し合わせたように、各スポーツ紙などで一斉に行われた「談合」的事実も周知のことだろう。メディアのジャニーズ事務所への「配慮」は極端に思える。他方で、メンバー個々への人間関係に焦点をずらすことで、事務所とメンバーとの対立は報道の場から消えてしまっている。非常にアンフェアな状況に思える。 さらに日本の芸能界特有の構造的問題がある。これはジャニーズ事務所固有の問題ではない。日本のアイドルやタレントたちが事務所と揉めると、多くの場合、その後の芸能界から「干される」ことになる。事務所とアイドル・タレントが(法的な問題も含めて)揉めても、他のテレビやラジオなど他の企業には一般的には関係のないことだろう。もし揉めていることが(媒体イメージを損なうなどで)問題であるならば、アイドルやタレント側だけではなく、その事務所自体への仕事の依頼も取りやめるのがまだしもフェアだ。だが、実際にはアイドル側しか「干される」ことはない。 例えば、国民的なブームになったNHK朝ドラ『あまちゃん』の主役を演じた能年玲奈(現在の芸名:のん)にかかわるケースはこの典型だ。彼女の所属していた旧事務所との確執が報道され、それが現在も尾を引いていて、テレビやラジオなどへの出演が抑制されてしまっているというものだ。実際に彼女に言及することを自粛するように求められたメディア出演者の証言もある。 ひとつの事務所がいくらその権威が大きくても、メディア全体に影響を及ぼすことは不可能だ。だが、ひとつひとつの事務所の権力が小さくとも、それらが一群となって交渉力を発揮すれば問題は別である。例えばフリーライターの星野陽平氏は、『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)の中で、各事務所がタレントの引き抜き禁止、独立阻止の協定を結んでいて、談合していると指摘している。この談合した独占的な交渉力がもし本当だとすれば、芸能界だけではなくメディアの報道は、わたしたちのメディア受容のあり方を過度に歪めてしまうだろう。 SMAPの件でこの独占的な交渉力に関わる事実を確証することは現時点ではできない。ただ一般的な意味で、このような芸能界の構造的体質が存在するとすれば、アイドルファンに損失をもたらすことは明白である。また多くのタレントたちは事務所から独立する自由、つまり職業選択の自由を持つことができなくなる。 今回のSMAP解散に至る報道で、海外からは現代の奴隷制なる批判も寄せられたが、その背景には日本の芸能界の談合の構造があると指摘されている。SMAPの解散と同様の国民的悲しみが繰り返されないためにも、このメディア・芸能界の構造的問題の批判的検証が必要だろう。

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    日本に「死亡フラグ」を立てるのは民進党さん、あなたたちですよ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「保育園落ちた日本死ね」という言葉が、今年のユーキャン新語・流行語大賞トップ10入りした。大賞の授賞式には、民進党の山尾志桜里議員が出てきて、この「保育園落ちた日本死ね」の受賞者としてスピーチしたという。ネットを中心にして、この「保育園落ちた日本死ね」、特に「日本死ね」の表現をめぐって受賞の賛否両論が湧き上がった。「日本死ね」はヘイトスピーチであると批判する人や、他方でそれは「日本の内部」への批判だから無問題だとする人など多様だ。筆者の私見では、この「日本死ね」という表現自体に賛成しかねる。この手の過剰な表現で注目を集め、世間を扇動するのは最悪の政治的手法だと思っている。「保育園落ちた日本死ね」などと国に不満をぶつけるインターネットの匿名ブログの一部(画面の広告部分をモザイク加工しています) だが、注目したいのは、この言葉の受賞者として民進党の議員が出てきたことだ。率直な感想として、民進党の経済政策に任せれば、本当に日本に死亡フラグがたちかねない。その意味では、この人選は、選考委員や受賞者自身の意に反して皮肉極まるものかもしれない。 なぜ民進党の経済政策は日本を「死亡」させかねないのだろうか? 「どうあってもマクロ経済政策は増税のみ!」その力強いメッセージを感じる「民進党の経済政策」(次期衆院選挙の公約たたき台)の報道を読んだ。ちなみにマクロ経済政策とは、日本全体の経済を良くする政策の総称であり、具体的には財政政策、金融政策に分かれる。民進党では、この日本全体の経済状況を考える政策では、消費増税が最も強調されている。いや、事実上、消費増税のみであるといっていい。 もちろんまだ「叩き台」だという反論はあるだろうが、民進党が民主党政権時代に何を具体的に行ってきたか、そして現在の民進党の蓮舫・野田体制になってからのことあるごとの発言から、その持っている経済政策観は明瞭である。 「緊縮主義」、これ以外の表現を思いつくことが難しい。経済の大きさは一定のままで、増税を財源として再分配政策を実行する。もちろんまともなマクロ経済政策がなければ、経済の大きさは一定のわけもなく縮小するリスクに直面するだろう。その中でパイの分け前を実行するので、パイを切り分ける権力保有者(政治家、官僚)の政治力は増すかもしれないが、パイの取り合いをしなければいけない国民の分断化は嫌でも加速するだろう。これが緊縮主義の「理想と現実」である。教育、子育て政策の裏にある「落とし穴」 民進党の政策の主眼である教育、子育て政策自体は「立派」に見える人もいるだろう。例えば、大学教育までの無償化は、考慮に値する政策提言だ。もっとも大学教育をどう考えるかによる。例えば、大学に進学することを多くの人が望んでいるとしよう。その理由はなんだろうか。ひとつは大学で高度な教育を受け、その人の生涯の生産性(技能、知識など)が向上することで所得増加につながるというものだ。他方で、「大卒」という称号を得ること自体が得だから進学するというものだ。これをシグナル効果という。実際には知識も技能も高度なものは身につけていないのだが、そんなことは第三者からはわからない。ただ単に「大卒」というシグナルだけが世間にまかり通って年収のアップや就職の有利さに貢献してしまう。 前者の、個々の学生の生産性向上のために大学の無償化や、または教育費の公的扶助を大幅に行うことは道理にかなっている。だが、大学教育がシグナル効果しかもたらさないのであれば、完全無償化を正当化することは難しい。実際に大学教育は生産性に貢献するものか、単なるシグナル効果でしかないのか、これは実証すべき問題になる。仮にシグナル効果が無視できない大きさならば、大学教育を完全無償化することは経済的な非効率性を増大しかねない。 さらに重要な問題は、これらの民進党の経済政策の財源が、消費増税で主に調達されることだ。 いまの自公政権とは違い、民進党の経済政策には、金融緩和政策や財政拡張政策は徹頭徹尾出てこない。増税以外では、配偶者控除を廃止して、その分を財源にして教育無償化にまわすという。これはまさに経済のパイの大きさを一定にしたまま、そのパイの切り分け方を変えただけである。右から左へ、というわけだ。ゼロサム的な思考の典型といえるだろう。 長期的には教育や子育てが経済成長に結びつくから問題ない、という意見もあるだろう。だが、教育も子育ても「現在」の経済状況が大きな問題なのだ。例えば「子どもの貧困」とは、現在の家庭の貧困を言っているのである。この現在の貧困状況を解消するには、マクロ経済政策こそその必要条件だ。実際に、2014年までの子どもの貧困率をみると、近年大幅に改善されている。これはアベノミクス、特に金融緩和政策による雇用の改善が、家庭の貧困の解消、そして子どもの貧困率の改善に大きく寄与したことは疑いない(参照:http://www.stat.go.jp/data/zensho/2014/pdf/gaiyo5.pdf )。再分配政策にも矛盾する「緊縮主義」都議会民進党の集いで、挨拶を終え引き揚げる民進党の蓮舫代表=11月29日(菊本和人撮影) 他方で、緊縮主義では、むしろ景気悪化が持続することで、失業や賃金切り下げなどの雇用環境の悪化で、貧困や経済格差はより深刻化するだろう。これでは経済は安定しないし、また貧困や格差を解消するはずの再分配政策にも矛盾するだろう。 問題はそれだけではない。消費増税に依存してしまうと、むしろ「歪んだ再分配」をもたらしてしまう。学習院大学の鈴木亘教授は、著書『社会保障亡国論』(講談社現代新書)の中で次のように指摘している。どんな高所得者でも社会保障給付費の半分が税で補助されてしまう。しかもその税金は、現役世代や将来世代であり、いわば「持たざる若者」から「持てる高齢者」への逆再分配になってしまう。「消費税を安易に引き上げることで、こうした歪んだ所得再分配を認め、固定化することにつながってしま」う、と厳しく批判している。 他に「子ども国債」というものがでてきているが、これは単に「国債」に「子ども」がついただけであり、経済の規模を増やすようなものではないだろう。新規発行の「子ども国債」を日本銀行が事実上引き受けてそれで資金調達をしていけば、経済も拡大し、また長期的に安定化するだろう。ただしそのような目前の経済の大きさを拡大していくという発想はない。繰り返しになるが、「今日」の経済を重視しない経済政策には明日はこないのだ。常識でもわかるこの理屈を、民進党は一切わかろうともしない。 経済産業省などの分割案もどうしてこれがアベノミクスの「対案」になるのか皆目わからない。おそらく民進党の中でこの問題にこだわる特定議員でもいるのだろう。だが、それはその議員の私的なこだわりでしかないのではないか。また歳入庁の導入など他により優先されるべき官庁再編が課題としてあるのではないか。 そもそも国民はマクロ=経済全体の復興、それを通じたそれぞれの生活の安定こそを願っているのだ。緊縮主義による国民生活のしばき上げはご遠慮願いたい。

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    朴槿恵が弾劾されても、韓国経済が逃れられない「無間地獄」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 各種メディアの伝えるところによると、朴槿恵大統領の弾劾訴追案が、与党非主流派によって可決される可能性が出てきた。もし報道の通りの動きになれば、朴槿恵政権は事実上瓦解し、政治的な空白期間が生まれる。4日、ソウルでの集会で、朴槿恵大統領の退陣を求める人々(AP=共同) 弾劾訴追をうければ、その間の大統領の職務代行をそのときの首相が行うことになる。現在の黄教安(ファン・ギョアン)首相は、産経新聞の報道によれば、朴槿恵大統領に近すぎることを問題視されているので、仮に黄氏が大統領代行になっても野党や世論から批判が強く、満足な政策を行えなくなると懸念されている。そうなると韓国の政治的空白は継続することになるだろう。 現在の先進国の経済をみると、EU離脱を問いかけたイギリスの国民投票、アメリカのトランプ大統領の当選などに典型的なように、事前の世論調査などでは予期せぬ大衆の集団的行動が、政権や政策自体の方向性を大きく変更させてしまうことがしばしば観測される。まさに現代はポピュリズムの時代なのかもしれない。 ポピュリズムは、通常は反知的で反エリート的な大衆行動として「否定的」に理解されることが多い。しかし最近の諸外国のポピュリズムは反知性的なものとは思えない。少なくとも先進国でみられる一連の経済的なポピュリズムの動きは、十分すぎるほど経済的合理性をみたしている。 例えば、アメリカ大統領選挙で、トランプ氏が勝利した背景は、低所得な白人労働者たちの支持だけではない。現在のアメリカの経済政策に不満をもつ実に広範囲な人たちの支持をとりつけたからに他ならない。もちろん独自の選挙人制度に助けられた側面は多いが、そもそも「泡沫候補」にしかすぎなかったトランプ氏が、国民的な人気の高いクリントン氏と互角以上に戦えた背景には、既存の政治勢力の経済政策への不満がなければありえなかったことだろう。 民主党自体も候補者選定の過程で明らかになったのは、ポピュリズム的な候補者、サンダース上院議員の根強い人気であった。サンダース氏は自称「社会主義者」であり、いわば政府介入を最も強く志向する人物である。そして政治的には真逆の極右的な立場だったトランプ氏と経済政策だけみると実によく似ている。 もちろん社会保障のあり方や減税の手法、移民対策には決定的な相違はある。しかしマクロ経済政策(財政政策や金融政策)を、ポピュリズム的(国民主体)で推し進めることでは両者はまったく同じで、財政・金融政策とも拡張・刺激的である。つまり、もっとも右ともっとも左がまったく同じ経済観をもっていることになる。 これはイギリス、フランスなどでもみられる政治的な動きである。日本では左派・リベラル層には積極的な財政・金融政策を推し進める勢力は事実上不在であり、ただの消費増税・財政再建派ばかりである。その意味では先進国のポピュリズムブームとは様相は異なる。ただ安倍政権の根強い支持には、やはり国民の経済優先の意識とその改善への期待があり続けていることは間違いない。ポピュリズムブームから見る朴氏が追い込まれた背景 さて、このポピュリズムブームからみると、朴槿恵大統領が追い込まれていく背景も理解しやすい。韓国経済は朴槿恵政権に移行してから継続して「デフレ経済」の中にある。中央銀行である韓国銀行はインフレ目標政策を採用し、2016~2018年の3年間の物価安定目標を年率2%に定めている。それ以前の2013~2015年のインフレ目標は2.5~3.5%に設定されていた。だが、朴政権が誕生してからは、その目標域から逸脱し、デフレが懸念される状況が続いた。 直近のデータでは、消費者物価指数の対前年比が総合で1.3%、農産物や石油関連を除外したコア消費者物価指数では1.5%である。0%割れが懸念された夏頃に比べると大きく改善してはいるものの、いまだにインフレ目標達成に遠い。夏には、政策金利を1.5%から1.25%に韓国銀行は低下させたが、他方で韓国銀行はマネタリーベースをまったく増やしていない。 つまり日本と比較してみると、その金融政策は金利を逐次引き下げているだけである。日本はご承知のように、マネタリーベースを拡大する量的緩和政策とマイナス金利政策を併用している。 この韓国の事実上の非緩和スタンスのため、為替レート市場ではウォン高が進行してしまった。ウォン高の長期持続は、韓国の代表的な企業の「国際競争力」を著しく低下させてきた。さらに最近ではサムスン電子のスマホの発火事件で国際的なブランドに大きく傷がつき、直近の経済の落ち込みにさらに拍車がかかっている。ただ、トランプ・ショックでいまはウォン安の傾向にあるが、日本とは違いそもそも事実上の非緩和的姿勢なので、またウォン高に戻る可能性が大きい。 筆者の見解では、韓国経済の雇用と物価のバランスをみると、韓国経済が「完全雇用」もしくは経済の安定化を維持するには、インフレ率でみると少なくとも2%台後半、できれば3%台前半を維持しているのが望ましい。つまりいまの韓国経済には、韓国銀行や韓国政府が目標としているインフレ率2%は、経済を安定化し雇用を極大化するにはあまりに低すぎるのだ。 韓国の政策当事者たちは、韓国経済の潜在成長率が低くなったために、目標インフレ率を2.5~3.5%から2%に引き下げたという説明をしている。しかしこれは政策の誤りである。 非緩和的な金融政策のスタンスと大胆な財政政策をとれなかったため、インフレ目標を達成できていなかった。そのため現実の経済成長率の低迷を潜在的な経済成長率の低下と読み誤っている。これは、いまでも根強いファンが日本でもいる「経済低迷は構造問題による潜在的成長率の低下説」そのものである。いわば、風邪をこじらせている人に対して、体質を改善するために寒風吹き荒れる屋外で、肉体強靭化をしろとうながすような経済観である。「長期混迷」に向かう韓国経済 このような構造問題化説は、しばしば政策当事者たちのミスをごまかすために、政治家や官僚たちの口にのることが多い。そしてそれを政治家や官僚たちとの親しげな長期的関係を重視するマスコミがさらに増幅して国民に信じ込ませようとする。これは韓国だけでなく、日本や欧米でもよく見られる政治的現象である。 筆者は今年の夏、韓国三大ネットワークMBCのスペシャル番組「低成長時代に生き残る」に出演した。そこでも日本のように「失われた20年」に陥る危険性は大きくとりあげられたが、番組の方向性はまさに構造問題による長期停滞の可能性であった。 ところで、現在の1.3~1.5%水準は、筆者の目線では、上記の理由から事実上のデフレ真只中といっていい。リーマンショック以来といわれる若年者の失業率の高さ、そもそも働き口が見つからずに職探しをあきらめた人たちの多さ、賃金報酬の低迷は、この経済安定からはほど遠い事実上のデフレ経済がもたらしたものだ。これは経済全体でいうと、恒常的に総需要が総供給に不足している状況である。株価指数が映し出されたモニターを見つめるトレーダー。韓国経済は先行きの見通しが立たない状況が続いている=10月12日、ソウル市内(AP) 実際にOECDの経済予測では、韓国の2017年の総需要不足は今年よりもさらに悪化している。最近では、韓国の経済マスコミでは、まもなくマイナス成長に落ち込むという見方が取りざたされている。「ヘル朝鮮」の称号はだてではなく、韓国の雇用状況は想像以上に厳しいままだろう。 朴槿恵大統領の辞任を求める韓国のポピュリズムの背景には、このような政府・中央銀行の事実上のデフレ政策への反感があるのは疑いない。ただ韓国では、日本や欧米と異なり、デフレを克服しインフレ率を高めることで経済を活性化させる「高圧経済」を支持する政治勢力は見られない。「高圧」のインフレで経済を活性化すれば、いままで構造的な雇用問題と思われていたもの、例えば若年者の失業率の高さなども融解するだろう。 だが韓国の現状をみると、ただ単に朴槿恵氏を打倒するのが自己目的化してしまっている。しかも冒頭で書いたように、ただ単なる政治的空白が生まれる可能性の方が大きい。このことは韓国のポピュリズムの勃興が、欧米や日本とはまた異なる帰結をもたらすだろう。そのひとつの帰結―韓国経済は「長期低迷」から「長期混迷」に向かうかもしれない。

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    相性はバッチリ! それでも「トランプノミクス」の恩恵は続かない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) まさかのトランプ大統領の誕生。世界はその衝撃の余波の中にいまもいる。日本の株価と為替レートをみても大荒れだった。当確が出る前後に、東京市場がオープンしていたためもあり、株価は1000円近く下落し、また為替レートも大きく円高にふれた。 しかしトランプ氏の経済政策「トランプノミクス」への期待を表したのか、日が変わると一転して株価が1000円以上の大幅反発、為替レートは円安に進み、執筆の時点では1ドル111円台直前、株価は1万8千円台目前にまでにきている。このような資産市場の乱高下は、日本だけの問題ではなく、全世界的にみられた。 日本についていえば、この急速な円安傾向はまさに「恵みの慈雨」といえるかもしれない。なぜなら円安は輸出を伸ばす効果だけではなく、日本企業のバランスシートの改善(ドル建て資産の価値増加、円建て負債の圧縮など)につながり、それはアベノミクス初期(2013年)にみられたように、やがて消費や投資の増加につながるからだ。この意味で、「トランプショック」は現状の日本経済に対して、リフレ(デフレを脱却しての低インフレをもたらす経済安定化)のためのレジーム転換だったといえるだろう。トランプタワー前で「トランプ大統領」の誕生に抗議する人々=11月17日、ニューヨーク(AP) 日本のマスコミは、米国で起きている反トランプデモやヘイトスピーチの「蔓延」とでもいうべき話題を報じている。私見では、SEALDsの活動や国会前デモ、そして「アベ政治を許さない」系といった日本型リベラルの騒動と、それを過剰に煽ったマスコミを目撃してきただけに、このような反トランプ報道には距離を置いて冷静に見たいところだ。米国でも「ヘイトスピーチは蔓延してない」という発言が出ているだけでなく、むしろトランプ支持者が声を出しにくい状況を懸念する論説もある。 トランプ氏が大統領に正式に就任し、その政策の形が見えるまでは、このような不確実性と予断のカオス的状況は継続するものと思われる。 安倍首相はトランプ氏と世界の首脳の中でいち早く会談をした。1時間半に及ぶ会談の具体的な中味はわからないが、報道では日米の同盟関係やTPPの意義を安倍首相が強調したと伝わっている。TPPの行方、そして日米の安全保障がどうなっていくのか、これも今後注視していく必要がある。ただ現状でひとつわかっていることは、トランプノミクスとアベノミクスの相性はとてもいいのではないか、ということだ。「フランス最大の知性」が見抜いたトランプへの熱望 日米ともに雇用状況は「完全雇用」に近い水準だが、まだそこに到達していないと思われる。日本では失業率は3%、有効求人倍率など高水準で推移しているが、インフレ率でみると消費者物価指数(総合)ではマイナス0.5%であり、その他の指標でもデフレのもたらす負のリスクが極めて高い状況だ。 他方でアメリカ経済は雇用状況がやはり堅調だが、日本と違うのは、どの物価指数をみても1%を上回るインフレ域にあることだ。ただしアメリカ経済でも「完全雇用」には遠く、またインフレ目標になかなか到達できないのはそのためであるという主張もある。そもそもトランプ氏が広範囲な支持を集めたのは、経済の低迷感が米国民に広く共有されていて、その打開策をもっていると期待されたからではないか、という説が有力だ。 フランスの社会人類学者であり、経済問題の発言も多いエマニュエル・トッド氏は、トランプ氏に対して米国民の求める景気浮揚の経済政策への熱望があったとして、勝利の可能性を早くから指摘していた。つまり大衆迎合的な政策ではなく、米国経済の現状(経済低迷の長期化による生活水準の全般的低下)を改善する、ケインズ的な経済政策をトランプ氏なら採用するだろう、という国民の期待である。 実際にトランプ氏の大統領選勝利演説では、インフラ投資を中心にしたケインズ型の財政政策が全面に出ていた。さらに彼はこの財源を増税ではなく(むしろ減税をトランプ氏は志向している)、国債の借り換えを中心に行うことも言明していた。 ところでやや専門的な話になるが、経済活動を考えるキーワードに「自然利子率」というものがある。これは実際に観測できるものではなく、完全雇用をもたらす均衡利子率というものである。消費や投資が完全雇用を満たすだけの水準になっているときに、この自然利子率は成立している。計測には専門的な手法が必要だ。またその計測手法によってふり幅がかなり大きいことも知られている。 米連邦公開市場委員会(FOMC)の多数派の認識は、金利引き上げスタンスを採用している。この金利引き上げスタンスの背景には、米国経済の正常な金利は、この自然利子率の水準であり(言い換えれば米国経済は完全雇用に達しているという認識)、そのため市場利子率を引き上げることが望ましいということだ。仮に現実の経済が自然利子率にあって、市場利子率がそれを下回ったままだと累積的にインフレ率だけが上昇していき、経済的損失が発生する。このFOMCの認識は、トランプ氏の経済認識とは乖離があるだろう。「トランプ効果」じゃ他国まかせ 筆者の私見でもアメリカ経済が「完全雇用」には遠いという認識だ。インフレ率も1%台を上回るものの、まだ目標値には遠く、そして仮に目標値に到達しても安定的に推移できる保証はまったくない。失業率が低下しているのは、そもそも労働参加率が低迷していることが大きいのではないか、という指摘もある。 つまりまだ雇用増加の余地が大きい。その意味でトランプ氏の財政政策は正しく、また他方で金融政策はそれをサポートすることが必要だ。具体的には、自然利子率を下回る程度に市場利子率をFRBがコントロールする必要がある。完全雇用に達していないので、この場合では(現状のFOMCメンバーの認識とは異なり)金融緩和効果によって雇用は増加し、生産はより刺激されていく。 トランプ氏が本当にケインズ型の財政政策を行い、またFRBがそれと矛盾ない金融政策をするならば、この自然利子率以下での市場利子率のコントロールは必要条件である。したがって年内の利上げは確実だとしても、現実的にはFRBの金利上げスタンスは事実上封印される可能性が大きい。 トランプノミクスの発動期待をうけて、市場では米国債を売却し(米国債金利の上昇)、株式などよりリスクのある資産への投資の移動が顕著だ。これは日本にも波及していて、日本国債から株式などでの資産選択のシフトがみられる。日本国債の金利が上昇したために、日本銀行は従来からのコミット通りに、指値での買いオペを実行した。 これは将来時点にわたる日米の金利格差を拡大させ、低金利の円建て資産を売却し高金利のドル建て資産を購入することで、円安ドル高をもたらし、その勢いは現在も持続していることは冒頭でもふれた。この金利格差は名目・実質ともにしばらくは継続していくために、円安の趨勢もまた当面続くだろう。その意味では、アベノミクスとトランプノミクスは現時点ではランデブー状態にある。 ところで、このトランプ効果があるにしても、それはあくまでも他国まかせでしかないことだ。実際に何度強調してもいいが、トランプ氏の経済政策がどんな形で実行されるかは、いまのところ不確実性の方が高い。足元では期待感が強くリードしており、やがて大きく修正される局面も出てくるだろう。会談前、トランプ次期米大統領と記念写真に納まる安倍首相=17日、ニューヨークのトランプタワー(内閣広報室提供・共同) だから日本独自の経済政策を強く打ち出す側面であることにいささかの修正の余地もない。政府は三次補正予算を編成すべきだし、また日本銀行は追加緩和を躊躇すべきではない。なによりも緊縮政策との永続的な決別こそが必要である。 日本の緊縮政策とは、財務省がシナリオを書いた消費増税路線のことである。安倍政権であれ他の政治勢力であれ、この緊縮政策を放棄することが、長期停滞に苦しむ国民の厚い信頼を得る機会となることを、今回のトランプ勝利は実証している。いまこそ日本の政治家たちは、官僚依存から離脱し国民に依存する政策に転換すべきときだ。それが世界の流れなのである。

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    高学歴のトランプ支持者はなぜ中国との「貿易戦争」を歓迎するのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 箸が転がっても「安倍のせいだ」といういわゆるアベノセイダーズに加えて、最近は、「戦争が起きる」「アメリカは分裂する」と煽るトランプセイダーズの活動も盛んだ。そしてこのアベノセイダーズとトランプセイダーズはかなり重なっているように思える。たとえば、トランプ氏が予想を裏切って大統領に当選すると、「安倍首相にはトランプ氏とのパイプがない」と大事のように政権の無能力さの象徴とばかりに批判する。10日、北京で米新大統領にトランプ氏が選出されたと伝える中国紙。「損得勘定」が染みついた中国には、ビジネスマン出身の新大統領を歓迎する向きも(AP) ところが安倍政権はトランプ氏が大統領になる可能性も見越して訪米時にもクリントン氏と会談すると同時に、トランプ氏側にも「保険」としてつながりを構築していた。その成果もあってか、安倍首相はトランプ次期大統領と直接会談を行う見込みだ。ところがこの会談の報道が行われると、今度は「植民地の代表が行くようなものだ」などと批判する。本当にいつまで経ってもまともな検証が行われないまま、揚げ足取りを繰り返すのがこの種の人たちの未来永劫変わりそうもない所業である。 危機は煽ったもの勝ちな側面はある。例えば、「TPPはアメリカの陰謀であり、日本が植民地化される」「TPP賛成という者は亡国の徒だ」という脅し文句は、政治勢力の左右問わず言われてきた「危機」論だ。このTPP亡国論とでもいうべきものは、アメリカという超巨大国家のイメージを悪用した、政治的なプロパガンダの一種だといって差し支えない。脅しによって利益を得る人たちは、主に三種類いる。 ひとつは、貿易の自由化によって不利益を得る人たちだ。そしてこの不利益を得る人たちはまま衰退産業で働いている人や規制で分厚く守られている人たちである。もうひとつは、危機を喧伝することを商売にしている言論人やマスコミである。「危機」も10年、20年続けていっていれば、たまには当たるかもしれず、その意味では割りのいい商売かもしれない。そして、最後のひとつは「危機」的な煽りを好んで消費する人たちだ。これは認知的なバイアスの一種なのだが、残念ながら合理的な推論に導く有効な手段(啓蒙方法)に乏しい。 私の知る範囲でも、日本経済や財政の破綻論が好きな人は実に多く、危機論をまったく信じきっている。特にネット動画などのヘッドライン(見出し)で、物事の判断をする人が多い。評論家の古谷経衡氏は「ヘッドライン寄生」とそのような消費態度を表現したことがある。ただ危機や破綻発言を好む認知バイアスは、前二者の政治的勢力と無責任な言論人のもたらしたものであることは間違いない。破綻論を好んで信じている多くの人たちは、その意味では無責任なマスコミや言論人の「犠牲者」である。トランプの「脅し」に乗る人たち ところでトランプ氏はTPPに反対である。TPPの再交渉があるのかないのか、あるいは再交渉の余地もなく、単にアメリカの不参加でTPPは事実上破綻するのか、そこにいま注目が集まっている。つまり、アメリカ側からTPPに対して拒否姿勢が出ているということである。ということは、TPPはアメリカの陰謀でも、日本の植民地化を実現する手段ではなかったことになる。だが、従来からTPP亡国論の類を主張していたメディアや言論人は、この事態を自省することもなく、別な屁理屈で米国陰謀論(そして貿易自由化脅威論)を仕立てあげる最中かもしれない。 さてトランプ氏の保護貿易的な発言のメニューは豊富である。TPPのようなまだ実効がないものはまだまし(?)であり、候補者のときの発言を拾ってみてもWTO(世界貿易機関)からの脱退、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉、メキシコや中国へのそれぞれ35%、45%の関税付与などである。これらの政治的な決断をトランプ氏は大統領権限として行うことができる。 もちろんこれらは選挙戦略の一環としていわれていた側面もあるだろう。トランプ氏自らが、日本の「危機」論者と同じようなレトリックを駆使して、彼の政治的支持を拡大していったものと思われる。つまり「貿易自由化が、あなたたちを苦境に陥れる(陰謀である)」という脅しだ。この脅しに乗る人たちは、認知的バイアスに陥っている可能性が大きいが、それでも低学歴であるとか無知な人たちではまったくない。ここが最大の注意点だ。むしろ高学歴(そして高収入)で、隣人に対する共感に優れた人たちが多い。経済学者のタイラー・コーエンは、共和党の予備選挙などを分析して、トランプ支持者の所得が全米の中位層よりもはるかに上の所得であることを指摘し、さらに自分たちが貿易自由化で苦境に陥っているというよりも、むしろ文化的な意味で「貿易自由化」を敵視している可能性があると分析している。 これは日本でも同様なことがいえるかもしれない。このコーエンの分析が正しければ、トランプ支持者は、日本のネットの意見でも散見される貧しい労働者たちや、低学歴の人たちが中核ではない可能性がある。言い換えれば、経済的に追い詰められていない(=物事を冷静に判断する自由な時間がある)高学歴の人にトランプ支持者が多く、なおかつそれらの人が貿易自由化に否定的であれば、それだけ事は深刻である。認知的バイアスは根深いものになるからだ。 アメリカの経済学者たちの試算では、例えば中国との「貿易戦争」(関税引き上げなどの報復競争や全面的な禁輸など)の経済的損失で、最大で480万人の職をアメリカから奪うことになるだろうという。ただこのような経済的で合理的な試算を提供しても、なかなか理解が進まないことは、TPPの日本国内の論争と煽りをみてもわかることである。もちろん貿易自由化がすべてバラ色ではないし、さまざまな問題はあるだろう。しかしすでに十分に発展した経済で、また国内景気をコントロールする手段(マクロ経済政策)が保証されている国が、保護貿易のほうが自由貿易よりも得るものが多いということを想定することは難しい。また過去の歴史をも否定する出来事ともいえる。 今回のトランプ勝利をきっかけに、貿易自由化の意義、その国民の生活にもたらす経済的成果を冷静に考える時間を持ちたいと思う。

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    反省はまるでなし! 民進党はまた消費増税で「自爆」したいのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 蓮舫=野田コンビによる民進党の猛攻がやまない。どこを猛烈に攻撃しているかというと、自分が仕切る民進党そのものに対してだ。NHKなどの報道によると、民進党の「次の内閣」は、消費税10%引き上げを延期する法案に反対する方針を執行部に伝えるという。都道府県連の代表らを集めた「全国幹事会」に出席した民進党の蓮舫代表。右は野田佳彦幹事長=10月8日(撮影・春名中) 消費税はこのまま放置すると来年4月には8%から10%に増税されてしまうので、安倍政権の新しい公約の通りに平成31年10月に再延期するには、国会で法案を成立させる必要がある。民進党はこの延長法案に反対の姿勢を鮮明にした。このような蓮舫=野田コンビの方針は、国民の期待を裏切ることで、民進党の低迷する人気にさらにダメージを与えることだろう。 誤解のないように注釈すれば、民進党は、消費税増税そのものに反対するとか、もっと先延ばしすべきだ、という次元の話をしたいのではない。消費増税を来年4月に予定通りに実施するべしというのがその主張の骨子だ。 「一刻でもはやく消費増税を。しかも財務省の思惑どおりに」 この方針が蓮舫代表、野田幹事長のコンビから国会議員のほぼすべてに遺伝子のごとく叩き込まれているかのようだ。財務省は消費増税の延期はもちろんのこと、公明党がこだわる軽減税率にも反対の姿勢であり、それを受けるかのように民進党も当然軽減税率にも反対している。財務省への「満額回答」こそが、民進党の党是なのだろう。もちろん軽減税率には経済的な非効率性(一部の業者や政治的レントの発生)があるが、嘉悦大学の高橋洋一教授の主張ではないが、それならばすべての消費に軽減税率を適用すればいいだろう(事実上の消費「減税」になる)。あたりまえだが、「財務省様」の意向がともかく尊重されるので、このような大胆な発想は採用できないだろう。 民進党は、「アベノミクスが失敗」したから消費増税ができない経済環境になったといいたいらしい。しかしその「アベノミクスの失敗」とはなんだろうか。これは簡単に言えば、2014年に行われた消費増税による消費急減と現在までの低迷を意味する。消費の力が弱くなったままで、そこにまた消費増税すればさらに経済は失速してしまい、本格的なデフレ経済に陥るリスクがある。つまり「アベノミクスの失敗」とは、いまの民進党が一刻も早く実施したいと思っている「消費増税による経済悪化」に他ならない。 ちなみに安倍政権の打ち出すアベノミクスには昔も今も消費増税自体はそのメニューには入っていない。民主党政権時代から引き継いでいる「負の遺産」である。アベノミクス自体には経済の改善効果があることは明白であり、雇用状況の20数年ぶりの改善をみれば常識でも明らかである。このアベノミクスの改善効果の中心は、積極的な日本銀行の金融緩和政策にある。政策の発想が財務省の緊縮財政レベル だが、蓮舫=野田コンビの民進党には、むしろこのアベノミクスの成功部分を、「富裕層に有利なだけで、格差拡大に貢献するもの」と批判してやまない。この「格差拡大」にはデータ上の根拠は現時点ではまったくない。失業状態にある人々の状況を大幅改善することは、批判されるべきことではまったくない。むしろ消費増税によって労働市場のより一層の改善が阻害されているし、そもそも民主党政権時代の雇用状況は、高失業率や格差拡大に陥っていた。 例えば、民進党は子どもの貧困や奨学金問題などを重視している。だが、その発想は徹頭徹尾、財務省の緊縮財政の発想レベルである。例えば、文科省が毎年度予算化している奨学金の総額は会計規模で1兆1千億円である。これは無利子・有利子の奨学金だが、いずれにせよ返済が義務付けられているものだ。文科省の資料では、最も利用者多いケースで、大学、大学院を卒業するまでにその返済額を900万円超と計算している(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/069/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2016/02/23/1367261_7.pdf)。これでは低所得で教育費に悩む若者やまたその保護者たちに過大な重荷を負わすことは確実である。 ざっくりいえば、たかが年度あたり1兆円程度、政府から学生への所得移転が毎年続いたとしても何の「財政危機」も生まないだろう。政府支出の年度規模はほぼ100兆円であり、1兆円もしくは2兆円増えても経済規模の拡大によって無理なく吸収されるレベルでしかない。「財源」も無論困らない。最低でも20年以上、できれば30年から永久までの長期国債を発行し、日本銀行は国債市場から吸収していけばいい。日本銀行の金融緩和スタンスとも整合的であり、まさに人づくり、国づくりに貢献する政策だろう。 だがもちろんこのような発想は、いまの民進党からは出てこない。むしろ「財政危機」を強く訴え、金融緩和政策は叩きまくるという姿勢だ。先の民進党代表選のときに、玉木雄一郎議員は、「こども国債」の発行により、子どもの貧困などを解消する政策の「財源」にすると言ったが、その具体的な設計は事実上ない。現在の国債発行のスキームを前提にして、いわば「名前だけ変えた」ものにしかすぎない。財政規模を増やし、金融緩和と連動させるという発想ではない。 最後に、筆者の主な関心は経済問題にあるので、ここでは簡単に指摘したいが、民主党政権時代では、尖閣諸島問題などが表面化し、安全保障の枠組みが揺らいで今日にまで尾をひく「失政」が行われたのは記憶に新しい。もちろんわが国の領土を侵犯する諸問題(尖閣諸島、北方領土など)で一切改善はみられなかった。常識的にみて、民主党政権時代は、経済失政、安全保障失政、原発危機・震災危機への深刻な対応ミスなど、まさに日本の暗黒時代だった。 その責任者として首相の座にあった野田幹事長が、「北方領土二島返還など笑止」と言ったとされる。北方領土についての外交交渉が今後どうなるのか、予断は許さない。だが、少なくとも野田氏にだけはこの文句を言われたくない、と思うのは筆者だけではないだろう。経済問題にいたっては、民進党の姿勢が無反省きわまるというのが筆者の偽りのない、また客観的な意見である。

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    ドゥテルテ大統領「鳩山化」で日本が払わされるどえらいツケ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) フィリピンのドゥテルテ大統領の「暴走」が国際的に注目されている。北京での中国の習近平国家主席との首脳会談後、ドゥテルテ大統領は講演の中で米国との経済面と軍事面での「離別」を強調した。米主要メディアはこの発言をすぐさまトップニュースにして伝え、世界にも驚きが広がった。ドゥテルテ政権内部できちんと意思の疎通ができているのか、各種の報道をみてもよくわからない。10月20日、北京の人民大会堂でスピーチするフィリピンのドゥテルテ大統領(ゲッティ=共同) むしろ今回の訪中におけるドゥテルテ外交は、フィリピン側に安全保障面の端的な成果がなく失敗だったというのが客観的な判断だろう。なぜなら、中国の監視船によってフィリピンの漁船が排除されているスカボロー礁をめぐる状況は、21日の共同声明ではまったく触れられていなかったからだ。ほとんど外交的には成果がなく、ただ単にフィリピンと米国との安全保障面にリスクを残しただけだ。ドゥテルテ大統領は帰国後、さすがに国内・国際世論向けの火消しに懸命になっているが、このように安全保障上の重要なパートナーとの関係がギクシャクすることは、フィリピンだけではなく、南アジアや、日本を含むアジア全域にただならぬ不安定要因を生み出しかねない。 ドゥテルテ大統領の暴走を見ていて思い出すのは、民主党政権時代の日本と米国の安全保障のギクシャクである。鳩山由紀夫内閣では、「対米従属からの脱却」というイデオロギー的な姿勢が顕在化して、沖縄の基地移転問題を契機に米国との関係が緊張化した。そのタイミングを狙うかのように、中国が尖閣諸島での侵犯行為を加速させたのは明らかである。つまり日米の集団的安全保障関係の揺らぎを、中国側は見のがさずに衝いてきたということだろう。フィリピンと米国の間にも日本と類似した安全保障条約(米比相互防衛条約)が存在しているが、今回のドゥテルテ大統領の「鳩山化」は米国との関係だけではなく、アジア全域にわたる不安定要因になりかねない。 そもそも中国は南アジアの安全保障だけを重視しているのではない。中国の世界戦略の一環として切れ目なく構築されているものである。エコノミストの竹内宏氏は著作『経済学の忘れもの』(日本経済新聞出版社)の中で、中国の「世界制覇のための投資」が、主に資源と輸送ルートの軍事的奪取として行われていること、東アジアから南アジア、そしてインド、中東、アフリカまでの全域で漏れなく展開している様子を描写している。もちろん中央アジアやヨーロッパも例外ではない。 経済学の常識では、自分の国だけが経済的な資源や金銭を独占することは、国際的にもまた自国経済にとっても得策ではない。例えば、竹内氏も指摘するように、中国は来たるべき超高齢化社会にむけて国内のインフラや社会保障の構築に力をいれるべきなのに、そのための重要な資源(リソース)を「世界制覇のための投資」に過剰に向けている。これは中国にとって長期的なデメリットになる、というのが経済学の常識だ。だが、中国では「世界制覇のための投資」、具体的には軍事的な過剰投資には歯止めは一切かかっていない。この観点からいうと、今回のフィリピン外交の失敗は、南アジアの安全保障リスクを高めただけではなく、日本の安全保障にも脅威となる可能性が大きい。理屈に合っていた日本の安保法整備 公共財という考え方が経済学にはある。これは公園や道路などをイメージするとわかりやすい。国や地方自治体が運営している公園、または国道や県道などは多くの人が特段の許可もいらずに自由に利用しているだろう。これを「非排除性」という。また公園で散策している人がひとり余計に増えたぐらいでは他の人の散策の邪魔になることはめったにないだろう。これを「非競合性」という。この非排除性と非競合性の両方の性格を備えた財を「公共財」といっている。防衛は公共財の一例とみなされていて、自衛隊による防衛はすべての国民がなんらかの金銭的な負担をしなくとも、国民であるということだけで享受することができるし、また一人余計に守られるべき国民の数が増えてもそれによって既存の自衛力が左右されることはほとんどない。  防衛は公共財であり、また他国との集団的安全保障の枠組みで考えれば「国際公共財」であるともいえる。隣国との摩擦が絶えないところでは、この国際公共財の動きをみておく必要がある。例えば周辺国同士の争いの可能性に直面すると、お互いの国は軍縮が一番いいと思っていても、自分の国だけ軍縮してしまうと相手が軍拡すると不利になってしまう。そこでお互いに軍拡を選んでしまう。この軍事ゲーム的状況を、イェール大学の浜田宏一名誉教授は「戦略的補完」と名付けた。調印式に臨む、フィリピンのドゥテルテ大統領(右)と中国の習近平国家主席=10月20日、北京の人民大会堂(共同) 尖閣諸島などでの中国の脅威、また北朝鮮有事の可能性やロシアの潜在的脅威など、日本周辺でのリスクの高まりは、日本の防衛支出の増大を(ゲーム論的な意味で)合理化させている。もちろん長期的にみれば、先ほどの中国のケースと同じように、対外的な防衛支出の増大は、国内経済的にはマイナスに寄与する。もちろん経済成長に適合させながらの防衛支出の増加はなんの問題もない。むしろ現状では財務省の緊縮路線のために防衛費が過度に抑制されていることに重大なリスクがある。長期的には経済的な非効率を生み出すので、過剰な防衛支出を抑制するために、軍事支出の拡大ゲーム以外の手法が重要になる。例えば、日本と同じ民主的な国々との集団的安全保障の関係を強化することは重要だ(日本からみれば防衛支出の抑制に貢献できる効果も大きい)。その意味では、日本の安保法制の整備は理屈に合っていたのである。 だが、フィリピンと米国の軍事的な協調関係に摩擦が生じれば、東アジアでの安全保障の枠組みにも動揺が生じかねない。ドゥテルテ大統領の発言が暴言のレベルで終わればいいが、残る任期を考えると、暴走大統領はアジア全域の長期リスクとして無視できない要因になるかもしれない。

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    なぜ大新聞の経済記者たちは財務省の「広報紙」をつくるのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 経済評論家の上念司氏の新刊『財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済』(講談社+α新書)が話題だ。日本経済の長期停滞を、日本型エリートの構造的欠陥に求めた快著である。 今日でも「消費増税しないと国の借金を未来の世代に押しつけてしまう!」「日本の借金は1000兆円以上で財政危機!」という話題は、いろいろなところで聞かれる。この話題のルーツを見ていくと、たいがいは財務省の官僚たちの作文や発言にたどり着く。財務官僚が政治家やマスコミなどに「ご説明」や「根回し」で利用している資料や説明文のことである。 日本の興味深いところだが、自信満々な民間の企業家や「反体制」的な姿勢をとる言論人の多くが、この財務官僚たちの作文や発言をそのままオウム返しに繰り返していることだ。 特に深刻なのは、大新聞の経済系記者たちである。大新聞の経済系記者たちの大半は、財務省の広報機関としての役割を忠実に果たしている。日本の大新聞だけではない。海外系通信社でも、日本人もしくは日本で長く特派員を務めている人たちの記事には同じ傾向があるので注意が必要だ。 もちろん財務官僚発のものでも正しければなんの問題もない。だが、上念氏の新著は、財務官僚の経済音痴ぶりや数々の間違いを指摘しており、その批判は痛快である。本書では、大新聞の代表として、特に「日本経済新聞」に焦点をあてている。 日本経済新聞の「“国の借金”が(2015年)12月末で1044兆円 国民一人当たり832万円」という見出しの記事を見てみよう。上念氏によれば、この種の記事は「一定の間隔を置いて、定期的に掲載されている」といい、「まるで借金が雪ダルマ式に膨らんでいくかのような印象」を読者に与えるという。ちなみにこの種の「国の借金が大変だ!」的な記事は、日本経済新聞だけのお家芸ではない。多くの大新聞やテレビのニュースなどでも垂れ流されている。 この「国の借金が大変だ!」的な報道は、1)財務省の発表をそのまま記事にしただけ、2)経済や会計の常識を利用すれば、誰でもわかることが無視されている、3)そのため財務省の意図する「財政再建」路線への誘導として利用される結果になる、という特徴を持っている。 上念氏の記述を借りよう。「まるで借金が雪ダルマ式に膨らんでいくかのような印象です。しかし、債務の大きさは、あくまで借り手の資産と収入とのバランスで考えなければ意味がありません。具体的にいえば、国の賃貸借対照表を見ないと、それが多いのか少ないのかは判断できない、ということになります。この記事のどこを読んでも、賃貸借対照表の左側にある資産のことは一言も書いてありません」(『財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済』(講談社+α新書)103頁)。 繰り返し指摘するが、この財務省の報道をそのままニュースにして、なんの分析も加えないのは、日本経済新聞だけのお得意芸ではない。大メディアの多くが好んでこのような報道スタイルをとっている。そのためむしろ財務省のホームページを直接見たほうが情報も正しく豊富だ(おわかりだろうが皮肉である)。真のエリートの足を引っ張る日本の醜い「エリート」競争 上念氏の新著によれば、きちんと「国の借金」を資産と負債でバランスよくみれば、実質的な借金はたかだか100兆円にしかすぎないことが指摘されている。しかも最近の経済の好転とそのリフレ政策(一定の物価上昇を目標にする政策)によって、事実上「消滅」していることもあわせて解説されている。つまり大新聞やテレビなどでの財務省発の報道は、事実誤認を国民に伝える役割を果たしているとさえいえるのだ。 では、そもそもなぜ財務省は間違えた財政認識を持っているのだろうか。また大新聞の記者たちは、なぜ財務省の報道をそのまま繰り返すだけなのだろうか。東京・霞が関の財務省の正門前 上念氏の新著では、エリート官僚やエリート記者たちが、実は「エリート」ではないことが明らかにされている。例えば、日本の官僚のトップは財務省の事務次官だが、彼ら(女性はいない)のほぼ全員が東京大学法学部卒業者である。これだけ見ると、「東大=エリートだろう」と思う人たちが大半だろう。しかしエリートは本来知的な意味での選ばれた人たちであるはずだ。残念なことに、上念氏が指摘するように、大学の偏差値ランキングと、知性や専門性とは必ずしも連動していない。むしろ、経済問題を扱う省庁(財務省)のトップが、経済を専門にしていない法学部卒業者であることはどう考えても無視できない問題だろう。 海外のエリート官僚たちと比較しても日本の「エリート」官僚の低学歴&低学力は突出していて、むしろ先進国型よりも「開発途上国」に多いと、上念氏は指摘する。私見では、財務官僚と同省出身の政治家たちの多くは、「嫉妬」が強い人たちが多い。試験の点数は満点という上限がある。では満点ばかりとる人間たちが集まり、そこで出世や自分のプライドをみたすには、どうすればいいだろうか。日本のエリートの評価が、大学卒業までの試験の点数で決められるとすれば、満点以上の客観的な評価は当然「ない」。このため客観的ではない評価に、日本型のエリートたちは走るのである。努力さえすれば満点はどんな人でも到達可能かもしれない。そこで彼らは、特定の大学の特定学部出身者(実際にはさらに細分化されていて、特定の指導教官についていたものなど)が「エリート」であるとふるいをかけた。さらにそれでも競争者が多いので、とるになりないことで足を引っ張り合い、「嫉妬」で他者を排除する手法が磨かれていく。 このような醜い「エリート」競争こそ、財務省だけではなく、多くの日本の組織の頂点で行われていることだ。 官僚だけではなく、大新聞もそうである。もし仮にやる気と公平性の富んだ記者がいて、財務省の発表をそのまま鵜呑みにはせずに、そこに上念氏が指摘したような経済・会計では常識的な解説を加えたとしよう。おそらくそのような行為は、まわりの「エリート」たちからは恰好の足をひっぱる材料になるだろう。ブラックな白鳥の中に白い白鳥がひとりいれば、全員で叩きまくる。それが日本型エリートの組織の特徴だ。 日本型「エリート」たちが勝手に嫉妬と足の引っ張り合いを醜く演じるのはかまわない。だが、問題はそれによって多くの国民に実害が及ぶことだ。上念氏の新著は、この日本型エリートたちの醜悪さと問題性を明瞭に描いている。

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    ノーベル賞候補の日本人研究者はなぜ中国と韓国を目指すのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 今年もノーベル賞の季節がやってきた。ノーベル賞は好意的にみれば、人類の英知の進展に対する世界をあげての賞賛と顕彰の機会ともいえるが、別の側面でみれば愛国心的な名誉欲が露わになる場ともいえる。後者からみれば、日本人もしくは日本出身の人たちが受賞することは、同じ日本人として名誉に思う気持ちが、国民の多くから自然に沸くだろう。4日、ノーベル医学生理学賞に決まり、学生らが祝福する中、記者会見に臨む大隅良典・東京工業大栄誉教授と妻萬里子さん=横浜市の東工大すずかけ台キャンパス 今年も日本はノーベル賞の受賞者を輩出した。これ自体はとてもおめでたいことである。ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典東京工業大学栄誉教授は会見で「基礎研究を日本はもっと大切にして、役立つとか役立たないとかで科学研究を断定的に評価すべきではない」という趣旨の発言をしたが、筆者も大いに賛同したい。 経済学者のポーラ・ステファン教授(アンドリュー・ヤング公共政策大学)の指摘によれば、科学の生産性(進展)を決めるキーは、当たり前のようだが科学者のやる気だ。そしてこのやる気は、従来の知的資産の蓄積や本人の知的好奇心も重要なのだが、やはり金銭的な仕組みが決定的な要因となる(ポーラ・ステファン『科学の経済学』日本評論社)。 例えば、先に「発明」や「発見」をした科学者への先取権認定の仕組みや、研究のための資金調達方法、研究者の雇用の仕組みはもちろん重要だ。ただ、有能な科学者たちの世代ごとの変化は、その国の研究開発投資に大きく依存している。 研究開発投資(R&D)のGDPへの比率でみると、有能な科学者たちが世代ごとに生まれるのかどうかがかなりはっきりする、とステファン教授は指摘している。日本は米国と並んでこの「研究開発投資/GDP比率」が最も高いグループに所属する。実際に1980年代後半から21世紀の今日まで世界でトップもしくはそれに準ずる地位を維持してきた。ノーベル賞の受賞者が21世紀になって日本で相次いでいる背景には、この80年代後半からの経済規模に見合った研究開発投資の高水準があることはほぼ間違いない。 ちなみに最近では、韓国が猛烈に研究開発投資を増加させていて、「研究開発投資/GDP比率」でみると日本から世界一位の座をここ数年奪取している。また博士号取得者数、特許権出願数などで中国、韓国が猛烈にその件数を増やしていることも注目される。後藤康雄氏(経済産業研究所上席研究員)は、特に海外向け特許の出願件数の動向をみて、米国、韓国、中国が順調の増加スピードを上げている中で、トップ水準にあった日本が次第に低迷し始めていることに警鐘を鳴らしている(ステファン前掲書解説)。科学技術の停滞で日本の国力が衰退する! 21世紀に入ってから、日本は米国に次いでノーベル賞の受賞者が多い国だ(自然科学部門のみ。日本出身者含む)。だが、有能な科学者たちは世代ごとにまとまって生まれる傾向が強い(コホート効果という)。コホート効果が「研究開発投資/GDP比率」の規模や、また科学者たちの(雇用、研究面での)金銭的なインセンティブに依存するならば、やがて中国や韓国に日本はアジアの盟主をとってかわられる日も遠くないかもしれない。 このことは単に愛国心的な名誉欲を傷つけるだけではない。日本の科学技術の進展にとっても脅威である。なぜなら有能な研究者たちは、国境をまたいで移動することが一般的だ。つまり従来の欧米だけでなく、中国や韓国の研究者市場に有能な人材が流出する可能性が大きくなるからだ。このことは、特にふたつの意味で日本にリスクをもたらす。ひとつは経済面だ。科学技術の進展は、経済成長をもたらす大きなポイントである。最近の経済学では、研究開発投資や高度な人材育成が、経済全体に波及するプラスの効果を重視している。豊富な実証研究も存在していて、内生的な経済成長には科学の発展こそキーになる。つまり研究へのお金を出し渋り、研究者たちの働き方の仕組みをおざなりにすれば、長期的には日本の国力は衰退する。 またもうひとつのリスクは安全保障面だ。中国と韓国は日本への地政学上のリスクを抱える国だ。有能な人材が日本から中国・韓国にわたることは、地政学的にはゼロサム戦略的になる可能性もある。特に中国はレアメタルなど資源を国際政治の恫喝に利用した前科もあり、科学上の発見・発明を「悪用」するリスクも当然に存在するだろう。このとき、科学技術の国際的なスピルオーバー(世界の経済成長を促すプラスの効果)は絶たれる。もちろん日本への安全保障上の脅威は増大しかねない。この地政学的リスクは、やや非経済学的ではあるが、留意したい点だ。有能な科学者を確保し続けるための経済学 日本が今後とも有能な科学者を集団として維持していくにはどうしたらいいだろうか。 まず日本では国内で博士号を取得しても職がない「専門家に厳しい」雇用環境を解決することが大事だろう。この点を指摘すると、なぜか雇用の流動性を促す政策を打ち出す人たちが多い。早期退職制の工夫とか、または任用制の導入などだ。しかしおおざっぱにいってこのような「雇用流動化」政策は、現場の研究者の不安定雇用に寄与こそすれ、安定的な研究の環境を生み出しているとは到底思えない。むしろ新規の雇用を生み出すことが重要だ。日本ではその雇用先として有望なのは、民間部門だろう。民間の研究所、企業などが博士号取得者をそれなりに吸収できることが重要だ。マクロ経済政策の観点からみれば、それはデフレを脱却し、経済を安定化させ、雇用を増加させることだろう。だが、いまの財務省やその支持勢力(最近では石原伸晃議員の消費増税発言が話題をよんだ)の増税ありきの経済思想では、日本の科学の進展には暗雲が立ち込める。 またここでも財務省の緊縮主義が障害になっているのだが、民主党政権時から極端に振れ始めている財政再建路線によって、科学技術関係経費の枠がかなり抑制されてきた(近年では低下している)ことも大きな問題だ。一例だが、最近、人工知能の研究者たちの声を聞く機会があった。人工知能の開発競争はいまや世界をあげてデットヒートの状態が続いている。この国際的な競争の中で、政府からの金銭的な助成があまりにも乏しいという指摘だ。もちろん産業政策的な資金の拠出には問題は多い。だが、研究開発投資(科学技術関係経費はその代理指数のひとつ)が、科学の発展を生み出すことは確実である。人工知能については、井上智洋駒澤大学講師が「政府はAIの産業育成ではなく、新たなAI技術を生み出す研究開発の促進にこそ力を入れるべきなのです」(『人工知能と経済の未来』文春新書)と指摘していることは正しい。 日本の科学の発展やそれをもとにする国力の増加そのものが、ここでもまた財務省とその支持者たちの、官僚的な意識によって抑圧されている光景を目にする。日本人の英知を育むことに対する「敵」は、中国でも米国でもなく、まさに自らの内部にこそいるのだろう。

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    民進党に教えたい! 国会論戦を一躍ハイレベルにする経済政策

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 新しい代表と執行部がどのようなものか。民進党の経済政策に日頃から厳しい目を向けている筆者だが、国会論戦はやはり客観的に見なければならない。だが、臨時国会冒頭の民進党の代表質問や、また衆院予算委員会に移しての質問などを見た限り、まったくひどいものだった。少しでも期待した自分の愚かさを呪った。 いまのところ国会の最大の論点は、安倍首相が所信表明演説のときに起きた、自民党議員らのスタンディングオベーション「問題」だ。個人的には自衛隊への敬意には賛同するが、確かに見慣れない光景ではある(ちなみに民主党政権時代に鳩山元首相個人へのスタンディングオベーションがあったが、なぜかマスコミは問題視しなかった)。第192臨時国会が召集され、衆院本会議で安倍晋三首相の所信表明演説に、立ち上がって拍手を送る与党議員(奥側)=9月26日午後、国会(斎藤良雄撮影) だが、それだけのことでしかない。「光景」でしかない問題なので、それをみて気持ちのいい人も気味の悪い人もいるのだろう。ただの個人的な感情レベルであり、政策論争でもなんでもない、と筆者は思う。Buzzfeed Japanの石戸諭記者のように、「三権分立」の観点から問題だという指摘もあるが、これも国会議員の意識を改めて問う程度の話でしかない。憲法で規定されている三権分立を侵す行為ならば、法的に問題だ。しかしそんな議論にまで拡張する出来事であるとはおよそ思えない。 その他で、民進党の質問で目立ったものといえば、やはり「ミスター消費増税」とでもいうべき、野田幹事長の代表質問だろう。主要なポイントは、1)政府は日本銀行にマイナス金利をやめさせろ、2)消費増税10%の先送り批判と再分配政策の強化、3)TPP批判、である。これらの質問の逐一については、ジャーナリストの長谷川幸洋氏が的確に批評しているのでそれを一読されたい(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49830)。 特に一番目と二番目は、この連載でも何度でも書いているが、緊縮主義と消費増税主義の亡霊でしかない。消費増税をすれば、経済は縮小する。その中で再分配政策を「強化」すれば、自分たちのひいきする勢力への「再分配」は加速するだろうが、縮小するパイの中では、他の勢力への取り分が急減するだけである。例えば、蓮舫代表は高齢者の福祉を重視しているらしいが、その反動で若年層への福祉や雇用が犠牲になるかもしれない。 縮小するパイの分捕りは、またそれを采配する人たちの政治的権力を歪んだ形で高めてしまう。そして政治とコネのある人たちがますます有利なパイの「再分配」にあずかるというクローニー(縁故)資本主義が加速し、私たちの経済的恩恵をはなはだしく阻害するだろう。対抗勢力同士が政策面で競争すれば政治は機能する ルイジ・ジンガレス教授は以下のように指摘している。「資本主義システムの真髄は、私有財産ではなく、利潤動機でもなく、競争である。競争なき私的所有制は不正な独占につながるが、競争は私有財産が危ういときでも福祉を最大化するという驚くべき成果を挙げられる。政治の競争が高まれば高まるほど、政策と自由の面で結果がよくなる。アダム・スミスが教えた(そして経済学の200年の歴史が立証してきた)とおり、競争こそが、自由市場がこうした経済的恩恵をふんだんにもたらす、その根本的理由である。但し、競争がその優れた効果を発揮するには、ルールが必要だ」(『人びとのための資本主義』NTT出版)。 ジンガレス教授も指摘するように、政治がうまく機能するには、対抗勢力同士が政策の面で競争的な状況になるのが好ましい。政策レースの展開だ。アベノミクスが十分なレベルに遠いのは、経済学の面からも指摘できるし、また常識レベルからも明らかだ。ただし「アベノセイダーズ」(安倍政権批判者のひとつの典型:悪いことはなんでも安倍晋三の責任)のように、「民主党政権時代の方が現政権よりも経済成長率も高く、素晴らしい」などと、雇用改善をすべて無視して不十分な点のみ強調し、アベノミクスをすべて否定する、というものは論外である。完璧な経済政策は一種のユートピアなので、相対的により望ましい政策はどれだ、と政治家は国民に提起する余地があり、またそれが望まれてもいるのではないか。 ちなみに民主党政権時代に経済成長率が高かったのは見かけである。2008年のリーマンショック以降、恐ろしい勢いで経済がどん底にいった状態から、リカバリーしたので見かけの成長率が高まっただけだ。しかもリーマンショック以前の経済状況に戻ることは、民主党政権時にはなく停滞を続けた。失業率は4%台で高止まりし、若年層の雇用も最悪であり、またパート労働や高齢者の再雇用も暗かった。この民主党政権時の雇用の悲惨さに目がいかないように、おそらく「見かけ」だけの成長率の高さの強調と、加えて現状の雇用の改善の無視が、反アベノミクス陣営から垂れ流されているではないか。 さて、経済政策からみた場合で、臨時国会の最大の論点は、もちろん第二次補正予算案になるだろう。望ましい財政政策は、消費税の減税である。だがそれが政治的に難しいのが現状だ。今回の補正予算案は、規模が大きいことと、公共事業中心などであることがマスコミで強調されている。ただし規模については、前回の連載で書いたように、本予算と今回の補正予算を加えてもほぼ前年度並みでしかなく、昨年度ではデフレ脱却ができてないことからも不十分なものだ。しかも今年度は前年度よりも、国際的な経済不安から状況が一段と悪化している。第三次補正予算を早急に組むべきだ。規模的には、5兆円ほどが望ましい。公共事業中心の補正で配慮すべきこと 内容を見ると、公共事業が中心になっている。ちなみに、財政政策を公共事業「だけ」だと思い込んでいる人が多い。経済刺激の面からは減税や社会保険料などの減額、または給付金(補助金)も同じ財政政策であることに注意してほしい。前回でも書いたが、金融政策が緩和スタンスの下であれば、財政政策はかなり効果のある政策だ。公共事業でももちろん例外ではない。ただし公共事業には財政政策上の弱点がある。ひとつ指摘されているのは、人材や資材などの供給制約である。2012年から14年の局面では、公共事業の供給制約は厳しいものがあった。供給制約が厳しいと、要するに仕事が実現しないのだから、その分お金が流通しないことになり、財政政策の経済刺激効果を著しくそいでしまう。また資源(人や資材)が限られていると、公共部門と民間部門で資源の奪い合いになり、特に民間部門の押し出し(クラウディングアウト)が発生しやすくなる。 ただし現状では、建設労働者の需給も、2012~14年当時より余裕のあるものになっている( http://www.mlit.go.jp/toukeijouhou/chojou/rodo.htm などを参照)。公共事業による雇用増加や、また受注による金銭的な刺激効果はかなり高いだろう。 仮に第三次補正予算が考案されたとして、それが公共事業中心であれば、つねにこの供給制約に配慮しなくてはいけない。例えば建設工事費デフレーターをみると、公共事業の「値段」(コスト)は、最近上昇傾向にある。人手が不足しているときに、公共事業のコストが高いということは、他面で働く人たちの給与を押し上げる根拠になる。だが、あまりに高くなると仕事も減る可能性もある。いま話題の東京オリンピックの経費が、工事のコスト高によるものが多く、そのために開催規模を小さくしようという意見もある。これは当然に仕事の量を減らしてしまうだろう。また優先されるべき被災地復興にも影響がでる可能性がある。 もちろん公共事業の供給制約はいまの段階では緩んでいるので、今回の補正予算の効果はそれなりにあるのは疑いがない。繰り返すが問題は、財政規模が全体で足りないこと、もし不足を埋め合わせるならば、公共事業とその他の財政政策をうまく組み合わせる必要がある、ということだ。衆院本会議で代表質問する民進党の野田幹事長=9月27日午後 正直な話、民進党など自民党の対抗勢力となる政党で、金融緩和のさらなる推進や、いまの日本経済を呪縛している消費増税路線の放棄が議論されてほしい。そのとき筆者は立ち上がりはしないが、どの政治勢力であれ熱烈に応援するだろう。

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    消費増税で日銀をジャマする財務省 「チキンゲーム」は終わらない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「チキンゲーム」というものがある。ここでいう「チキン」は臆病者のことを意味している。昔見た映画では、断崖絶壁めざして猛烈なスピードで車をとばして、いったいどこまで耐えられるか根性を試すゲームであり、途中で断念したものは敗者となるものだった。個人的には断崖絶壁をフルスピードで目指すだけで十分にチキンではないと思うが。 ところで日本の経済政策も、かなり前からこのチキンゲームに似た状況に陥っている。ゲームを競っているのは、日本銀行と財務省である。政策目標で考えれば、日銀は2%のインフレ達成を目指している。他方で財務省は「財政再建」が政策目的と一応考えられる。実際に財務省には国民に対して明示的な政策目標を打ち出す法的義務はないので、あくまでも推測である。しかも「財政再建」というが、本当のところは「財政再建」を狙って財政支出や税率変更などを駆使して省益を向上させることが政治経済的な目的だろう。日銀も組織的な利害はあるが、それでもインフレ目標の達成は、政治側からの強い圧力により、日銀の利害と背反してでも追求しなくてはいけない羽目に陥っている。G7財務相・中央銀行総裁会議に臨み、日銀の黒田東彦総裁(左)と話す麻生太郎財務相=5月20日、仙台市(代表撮影) ここまで書けばおわかりだろうが、ざっくりいえば、日銀は経済を刺激する緩和を追求している。反対に財務省は経済を緊縮させるスタンスを採用しているのだ。これは日本の二つの政策的柱が互いに逆方向を向いていることを意味している。当然、日本のマクロ的な経済政策ははなはだしい矛盾をかかえることになる。 ノーベル経済学賞を受賞したトマス・サージェント(ニューヨーク大学バークレー経済学・経営学教授)は、このようなマクロ経済政策のあり方をさきほどのチキンゲームに例えた。両者の反対方向の政策スタンスは、どちらがチキンであるかがわかるまで、どんどん矛盾を重ねるが、やがてどちらかが自分の政策スタンスを放棄しなくてはいけなくなるだろう。 このとき「矛盾を重ねる」と書いたが、それはいまの日本の状況だと、実質的なデフレ経済が続き、(雇用など大幅改善しているが)日本経済がいまいちぱっとしない状況に陥ったままだということを意味する。働く人や経済的に不利な状況の人たちの生活がより改善する余地が大きくあるのに、それを向上させないままなのである。具体的な例でいえば、失業率も現状の3%から2%台後半まで改善するだろうし、それに合わせて名目賃金や実質賃金の上昇もいまよりもはっきりとみられるだろう。「出口戦略」「緩和後退」など笑止千万 しかし現状では、このチキンゲームはなかなか終わらない。断崖絶壁はまだ遠いままで、チキンは誰なのか容易に決まっていないようだ。しかもどちらかというと財務省の緊縮路線の方がいまは断崖絶壁めがけてフルスピードで突入していこうとしているようだ。その「雄姿」をみて、緊縮主義者(具体的なイメージとしては民進党の蓮舫代表や野田佳彦幹事長ら)たちは大きく歓声をあげている。 さて、21日に日銀は政策決定をして従来の政策のフレームワークを「補強」した。相変わらず日本の反リフレ的なマスコミや識者たちを中心に、この政策決定を金融緩和が手じまいする「出口戦略」だとか「緩和後退」などと評価している。まったく笑止千万な事態だ。 筆者はすでに別の媒体で書いたが、今回の日銀の政策決定は、金融緩和のスタンスは変更せず、むしろインフレ目標を達成してからもしばらくはそれを持続することを明瞭にしたこと、さらにインフレ目標達成のための手段として、従来の「質的・量的緩和」に加えて、金利の上限を目標化する(イールドカーブ・コントロールという)ことで、さらに緩和姿勢を「強化」するものであった(参照:http://www.newsweekjapan.jp/tanaka/2016/09/post-6.php)。ひとつの大きなメリットとしては、人々の国債価格の決定を日銀が主導することで、いままでよりも国債の日銀購入をより効率的に行うことができる。これは日銀の緩和政策の自由度を増したといえる。 ベン・バーナンキFRB前議長も筆者と同じ評価をいち早く自身のブログで与えている(「The latest from the Bank of Japan(日本銀行の最新の公表)」)。「緩和終了」とでもいわんばかりの論調が支配する、日本の論壇・メディアとは大違いである。もちろん政策のフレームワークは変えたが、本当に効果を発揮できるかはこれからの話である。特に注意をしなくてはいけないのは、緩和スタンスを質的な意味で大きく緩和方向に転換したわけではないことだ。いわば使用する大砲をより最新ヴァージョンに変えただけで、武器自体を大砲からミサイルに変更したわけではない。物騒な比喩で申し訳ないが。バーナンキ前FRB議長(左)と握手する安倍晋三首相=7月12日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影) その意味では日銀の緩和スタンスのより積極的な変更を求めてきた人たちには失望や批判もあると思う。筆者も今回の政策決定について、緩和スタンス自体を大きく変えてほしかった意味で批判もある。評点を与えれば60点で、なんとか合格なのが本音だ。ただ、緊縮主義者たちが「政策変更を」と唱える中では、なんとかチキンであることを回避したといえる。不合格ではないし、まわりが零点以下なのでここは褒めるのがいい教師だと思っているので、反リフレ論者や緊縮主義者たちから弁護するためには全力を尽くす。勝者を決めるのは官邸以外にない ところで財政政策の方はどうだろうか? 第二次補正予算と今年度の当初予算を含めると約100兆円の財政支出が行われる。特に第二次補正予算は、安倍政権も大きく力点を置いている。しかし財政政策自体は、このチキンゲームで財務省の緊縮主義に汚染されてしまっている。アベノミクス起動の2013年度こそ予算規模は106兆円近くだったもの、14年度は約101兆円に急減(消費増税導入の年なのに!)、15年度は100兆円に満たない額でしかない。今年度もこの予算の緊縮傾向の中でのささいな増額にすぎない。「アベノミクスを再起動」とはおよそいかない財政状況である。金融政策決定会合に臨む日銀の黒田総裁(奥中央)ら=9月21日午前、日銀本店(代表撮影) こう書くと、「財政危機だから仕方がない」という指摘があるが、現状の日本には財政危機はない。これまでの4年ほどのアベノミクスの成果で、財政危機問題はとうに消滅した(参照:http://ironna.jp/article/3464)。だが財務省の緊縮主義者にとっては、この事実は許容できない。チキンであることをどうしても認めるわけにはいかないようだ。そのため第二次補正予算もイメージ戦略で事業規模の大きさや「かさ上げ」などを打ち出しているが、さきほど見たように経済全体への影響はきわめて限定されている。むしろ異常なほど禁欲的だ。 もちろん昨年度と同じ規模だといっても、補正予算の中身は(金融緩和政策と同時に行うならば)景気刺激効果が潜在的に高い公共投資に該当するものが中核である。財政政策の「質」が多少いい程度だ。だが、それでも金額的な不足感を打ち消すことはできないだろう。日本経済が安定的な成長経路にのるためには、少なくとも今回の補正予算であと5兆円は増額すべきだ。第三次補正予算や次年度に執行をするものを前倒しするなど早めの財政対応をとるべきなのだ。 今回の日銀の政策決定では、いままでのインフレ目標の実施状況を評価する「総括的検証」が同時に発表された。「総括的検証」の注目すべき話題のひとつは、消費増税がインフレ目標を阻害したという指摘を、ごくあっさりと日銀が組織として公式に認めたことだ。いままでも黒田総裁や岩田副総裁の発言には消費増税の悪影響を指摘するものはあったが、今回のように日銀の重要な公式文書に明示されたのは意義が大きい。そしてこのことは政策上も重要な意義を持つ。もし日銀がインフレ目標を早期に実現し、実現後もしばらく緩和姿勢を強めたままにするならば、政府が公約している2018年の消費再増税は、日銀の政策と矛盾することになる。これは冒頭でも書いたように、われわれには明示的なことだが、日銀はいままで消費増税がインフレ目標の障害だと明言したことはなかったのだ。むしろ黒田総裁は消費増税をしないと「どえらいリスク」がくると公言してさえいた。だが、この「(増税しないと発生する)どえらいリスク」は、国債利子率の目標化と消費増税のリスクを明言した日銀にとっては、いまは否定される文言である。ただ黒田総裁の財務省出身の遺伝子が動いて、自分たちの組織の方針と矛盾することを言う別のリスクはある。それは日銀の政策スタンス自体をゆるがしてしまうだろう。この(失言や誤認レベルの)黒田リスクはこれからも懸念ではある。 日銀が「われわれはチキンではない。緩和姿勢を貫く」場合、日銀のいまの政策フレームワークと矛盾しない財政政策を取るならば、消費増税の無期限延期や、経済学的に意味がないプライマリーバランスの2020年黒字化の放棄だろう。でも残念ながら、財務省が自分からチキンゲームを降りる気配はない。このチキンゲームの勝者を決めるのは、結局は首相ら政治側のリーダシップ以外にはないのである。

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    日本経済最大の「悪」と為す蓮舫-野田ラインの増税シンパ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民進党は名称が変わっても、中味は民主党そのものである。だが国民もメディアもこの点をすぐに忘れがちだ。名称さえ変えれば過去の経済政策と安全保障の失敗を見過ごすだろうという軽薄な打算が、今も見え隠れしている。同じことが、蓮舫新代表の選出にもいえるだろう。「なにか新しいものが始まる」というイメージ戦略が企てられているが、実際には民主党政権時代の負の遺産をより強力に継承しているだけである。 蓮舫代表が推し進めようという経済政策は、財務省ご謹製ともいえる増税=緊縮政策である。「女性の社会進出」、「子どもの貧困対策」、「老人の福祉」などと、一見国民の心情に訴えやすい看板を掲げているが、それらは著しく具体性に欠け、いわばメディアや世論の注目を集めやすい、人気の話題だけを持ち出しているにすぎない。経済政策の方向性でむしろ異様なほど具体的なのは、消費増税を核とする緊縮策である。この増税=緊縮策も、名称だけみれば、「財政再建」とか「社会保障の充実」などと掲げられているが、実際には増税による財務省とその周辺グループの既得権益の増大を狙うものでしかない。民進党両院議員総会で蓮舫代表(右)は、野田佳彦前首相を幹事長に起用する人事案を提示し了承された=9月16日、東京都千代田区(撮影・春名中) この「消費増税=緊縮策」象徴のひとつが、野田佳彦前首相の党幹事長起用である。蓮舫代表と野田幹事長が以前から党内勉強会などを通じて強いつながりがあることはわかっていた。さらにこの野田幹事長と屈指の消費増税派である藤井裕久元民主党最高顧問とは、財務省消費増税主義のいわば“師弟関係”にある。鳩山由紀夫政権のときの財務大臣(藤井)と財務副大臣(野田)であり、当時、藤井氏は野田幹事長に増税=緊縮策という財務省的な経済思想を官僚総出で“教育”したとされている。 つまり、財務省的な消費増税主義は、藤井―野田―蓮舫という強いラインで結ばれている。筆者は消費増税路線こそ日本の経済が改善する道を妨げている最大の「悪」だと確信している。確信するだけではなく、この連載でも何度も事実と論理を提示してきた。アベノミクスがデフレ脱却という点で困難に陥りそうなのは、この消費増税路線の妨げによることが大きい。もちろんインフレ目標の到達が難しくなっているだけで、雇用面では何十年ぶりの改善がみられるし、実体経済も底堅い。しかし、より発展の余地があるのを妨害しているのは、2014年4月から続くこの消費増税の影響であることは疑う余地はない。消費増税の三党合意まで「復活」 なぜなら2014年4月以降、消費は急激に減少し、その後も低水準を継続しているからだ。例えば消費支出(実質)をみていくと、2014年は前年比マイナス2.9%、2015年はマイナス2.3%であり、直近でも前年同月比でマイナス0.5%(2016年7月)の低水準のままである。ちなみに消費増税のいわゆる「駆け込み需要」の影響を控除した、アベノミクスがフル稼働していた2012年終わりから2013年の実質経済成長率は2.6%の高率だった。消費もプラス成長であった。 このような消費増税の「悪」をいっさい認めることなく、むしろより推し進める勢力の中心が、この財務省―藤井―野田―蓮舫の流れだ。もちろん他にもこのグループの構成員は多く、民進党のほぼ9割超の議員はその先兵である。また与党も例外ではない。一例だが、山口那津男公明党代表が野田幹事長の就任に際して、「消費増税10%引き上げを決めた三党合意のときの首相であり、いまもその枠組みは活きている」という発言要旨で、増税路線への期待感を事実上表明している(http://www.asahi.com/articles/ASJ9K71RJJ9KUTFK00K.html)。筆者の記憶では、この公明党が特に強く推し進める軽減税率導入に民主党が反対することで、事実上、(民主党の側から)三党合意は崩壊したはずだった。それが野田幹事長の起用で、いつの間にか「復活」している。蓮舫=野田民進党の消費増税路線は、党内外で国民の世論とはいっさい関係ない形で“増税シンパ”を増やしているようである。 筆者はかつて民主党政権発足のときに、その経済政策がデフレを推し進め、日本経済に未曾有の危機的状況をもたらすとラジオなどで指摘した。その際に、民主党支持者を標榜する人たちから猛烈なバッシングをうけた。それも「まだ政権が始まったばかりで決めつけるな」とか「一回はやらせてみよう」などと、ほとんどの発言は根拠がないものだった。リーマンショック後の経済停滞期に、経済全体を成長させることなく、ただ単に緊縮(蓮舫代表「二位じゃだめなんでしょうか」発言の事業仕分けなどが典型)や増税をすすめて、そこで得た果実を自分たちのお気に入りの分野に再分配する。このゼロサム思考にどっぷりつかった発想が、いかに国民全体を苦境に陥れたか、その顛末は心ある圧倒多数の国民がいまも生々しく記憶に残っていることだろう。ただ発想の背景には、財務省という日本のタブーともいえる官僚組織がある。財務省がエージェント(代理人たる政治家)を駆使して現実政治にさまざまな影響を及ぼしていることについて、国民の理解は一般的ではない。 蓮舫代表の新しいイメージによって、国民の多数が再び、「民進党にもう一度やらせてみよう」と思うことはきわめて危険だ。そのような安易な発想こそ日本経済を確実に頓挫させてしまうだろう。 実は筆者は「緊縮策」にも期待している。ただし緊縮の矛先は、民進党およびその他の増税主義議員の数に向けられている。反省なき政治家には一刻も早い退去をお願いしたい。

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    アベノミクスを翻弄するヘッジファンドの「カジノ資本主義」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 最近、いわゆるリフレ派のメンバー(エコノミスト、経済学者、評論家などからなる緩い政策集団)と何度も話す機会があった。リフレは、単にデフレを脱却し、低インフレ状態で経済を活性化させることを目指す政策の総称である。経済の活性化の中身は、雇用の改善、一人当たりの生活水準の向上などが含まれる。ちなみにリフレはリフレーションの略語である。 日本の雇用状況は失業率をみると3%で、また有効求人倍率など雇用指標は極めていい。また(主に反アベノミクス陣営で話題の)実質賃金も、雇用増加の中で、最近は上昇傾向にある。つまり名目賃金の変化が、物価水準の変化以上に増加している。この実質賃金は雇用環境にとっていい傾向だ。ただ、実質賃金は一面で企業側のコストにあたるので、これが増加することは採用減につながるが、いまの日本では雇用と実質賃金、両方の増加がみられる。すわなち、さきほどのリフレの最終目的として掲示した、雇用の改善と1人当たり生活水準の向上が見られるということでもある。この理由は簡単で、雇用状況が改善している結果、名目賃金など雇用環境も改善しなくては、企業サイドが望む人材が集まらないからだ。平成29年春に卒業予定の大学生らを対象とした企業の採用面接が解禁され、三菱商事本社の受付に並ぶ学生たち。平成27年では8月だった選考開始時期が6月に前倒しされた=6月1日午前、東京都千代田区 問題は物価水準だろう。現状では消費者物価指数をみると、総合、生鮮食料品を除く総合はマイナス、そして食料及びエネルギーを除く総合(コアコアCPI)もプラス幅を縮小させている。つまり、いまだに実質的なデフレ経済にあるのだ。例えば、実質賃金は名目賃金を物価水準で割ったものである。分母の方は多少減少しても分母の伸びの方が大きいので、いま現在の実質賃金は、わずかにではあるが増加傾向にある。ただし他方で、物価水準の低落傾向は、日本経済の消費や投資などが活性化していないことを裏付けている。つまりもっと消費や投資が活発化すれば、物価水準は上昇し、いまの雇用環境はさらに改善(具体的には名目賃金のさらなる増加、非正規雇用の正規雇用への転換、社内失業的状況の消滅、ブラック企業の淘汰など)がみられるはずだ。実質賃金の分母も増えるが、それ以上に、失業率低下など雇用環境がいっそう改善されることで分子の報酬部分が増加する。やがて労働市場は完全雇用状態に到達し、失業率も2.5%近傍に下がると思われる。この段階では、物価水準も2%前後に到達しているとみるのがリフレ派の考えである。 確かに現状の雇用状況は堅調であり、次第に「完全雇用」水準に向かって進んでいる。しかし他方で物価水準については、リフレ派の望むような水準には遠い。リフレ的な傾向が進めば、さらに雇用の改善スピードがあがり、また一人当たりの生活水準も改善するだろう。ここに冒頭に登場したリフレ派の共通の問題意識がある。 そして日本では物価の好ましい水準を達成する責務を負うのは、日本銀行である。日銀は9月に総括的検証を行う。理解が乏しいか、またはアベノミクスに批判的なエコノミストやアナリスト、経済評論家やメディアの記者などからは、この日銀の「総括的検証」がいままでの金融緩和スタンスを「やめる」方向で検証しているかのように取る向きがとても多い。もちろん日銀の公式文書や日銀総裁・副総裁らの発言を素直に読めば、インフレ目標達成のために金融緩和の方策をどうすればいいかという検証であり、「やめる」方向ではなく「おしすすめる」方向と考えるのが正解だ。海外投資家に金融政策に消極的だと見破られた日銀 さきほどの「理解が乏しいか、またはアベノミクスに批判的なエコノミストやアナリスト、経済評論家やメディアの記者」を、長いのでここでは「市場関係者Z」とまとめる。この市場関係者Zは、事実上のリフレの実現を妨害する既得権集団である。その意味では、消費増税などの緊縮政策で、実質的なデフレ経済を継続させ、また金融政策に重い負担を強いている財務省と同様の勢力だ。これらの集団に加えて、今年になって急速に存在を誇示している「反リフレ」「反アベノミクス」集団が存在する。マイナス金利でも円高に投機的なポジションをとるヘッジファンドである。内閣官房参与の浜田宏一イェール大名誉教授 今年になって採用された日銀のマイナス金利政策には、金融緩和の効果がある。もちろん効果の大小で議論はあるが、緩和スタンスであることは変わりない。金融緩和は自国通貨を減価、つまり円安の方向に誘導していく。他方で今年に入って円高の傾向は著しく、1ドル120円台から現状では102~3円であり、一時は1ドル100円を割った。25%以上の円高傾向が現出しており、これはほとんどの通貨についても同様の傾向がみられる。金融緩和傾向の中で、この過度な円高傾向は異様に思える。 この過度な円高進行については、中国経済の減速リスク、米国経済のピークアウトの可能性、イギリスのEU離脱ショックなどで、「比較的リスクの少ない安全資産である円買い」の動きの帰結として説明されている。だが、このような見方に対しては、リフレ派の何名かは違った見方を提示している。浜田宏一イェール大学名誉教授、高橋洋一嘉悦大学教授、そしてエコノミストの安達誠司氏(丸三証券経済調査部部長)らである。 ここでは優れた世界経済の展望ともなっている『英EU離脱 どう変わる日本と世界』(KADOKAWA)を出版したばかりの安達氏の見解を、同著から紹介する。安達氏によれば、世界経済が「リスクオフ・モード」(投資家がハイリスク・ハイリターンの投資戦略を回避する状況)になると、円が買われる(=円高になる)傾向が今年になって特に強い。これは「安全な資産」として円を買うというよりも、むしろ世界経済が「リスクオフ・モード」になっても、日銀の金融政策がより消極的だったことで実現したという。例えば、イギリスのEU離脱の国民投票のあともこの「リスクオフ・モード」の状況であり、そのときに日銀は追加緩和しないだろうという観測が、海外投資家に急速な円買いを促した。安達氏は「海外投資家」といっているが、その中の有力プレイヤーはヘッジファンドだろう。浜田氏、高橋氏もほぼ同様の見方をとっている。「カジノ資本主義」に翻弄される日本経済 このヘッジファンドや海外投資家勢の投機的なスタンスは、足元の日本経済には事実上の「障害」である。例えば日銀が今後、金融緩和政策としてマイナス金利のさらなる引き下げ(いわゆる深掘り)だけをすすめたりすると、ヘッジファンド勢はこの政策決定を日本銀行の金融緩和の「限界」と受け取って、さらに円高の投機攻撃をしかけてくる可能性が懸念される。これはマイナス金利的な経済政策の短期的な「足かせ」になるだろう。読者にわかりやすくいえば、マイナス金利を深掘りすれば、ヘッジファンドによる円高投機の結果、円高が過度に進んでしまえば、例えば外国人旅行客が大幅に減少して日本経済に痛手を短期的にもたらすかもしれない。まさに日本経済は「カジノ資本主義」に翻弄されるのである。 だが、この種の円高投機懸かりにあっても、経済学的には中長期的な維持が不可能な代物ではある。また退治方法も、先の論者たちはいくつかの処方を提供している。一番は、日銀による一段と積極的な金融緩和姿勢の表明と、それを支援する政府の積極的な財政政策である。例えば、政府と日銀がインフレ目標を2%から3~4%に引き上げることで合意するのも市場に効果を与えるだろう。雇用の安定化を明記した日本銀行法の改正を宣言するのもいい。先の論者の何人かは、日銀は外債購入をすべきだと主張している。ただし、日銀と相変わらず日本経済を阻害する役目しか果たしていない財務省は、縦割り行政の弊害で日銀の外債購入に反対するかもしれない。しかし日銀が実際にどの資産を購入するか手段の自由はあるので、外債購入の可能性は排除すべきではない。ただ筆者は、外債購入ではなくても、国債の買い入れを一段と増やす余地はあると思っている。日銀の国債市場でのシェアがより拡大し、マイナス金利の深掘りが連動して行われれば、かなりの緩和効果を発揮する可能性が高いからだ。 また財務省が「円安の為替介入」を行うべきだ、という主張もある。このとき、米国の政治的な反対は避けられない。ただFRBが金利引き上げを今月行うのであれば、ヘッジファンド勢の投機的スタンスには大きな変動がみられるだろう。 いずれにせよ、ヘッジファンドによる円高投機の「カジノ資本主義」の現出には、日銀と財務省の中途半端な姿勢が寄与していることは間違いない。政策手段の余地はあるのに、それをしない理由付けに奔走する官僚的マインドをいかに払拭できるかに、リフレの成否の多くはかかっている。雇用環境がいいうちに問題の解消をはかるべきだ。

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    反省なんてまるでない! 「緊縮ゾンビ」だらけの民進党代表選

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民進党の代表選が始まった。立候補したのは、蓮舫代表代行と、前原誠司元外相、玉木雄一郎国対副委員長の三名だ。この選挙戦を通して、民主党時代から続く党勢の低迷に歯止めをかけたい狙いは、三者共通するものだろう。民進党とその支持者たちにとっても、これを機会に国民の間で根強い「民主党≒民進党はダメ」という空気を換えたいと当然思っているはずだ。しかし私見では、民進党への支持率の低さは、国民の合理的な判断が大きく作用した結果なのだ。民主党政権時代の経済運営も最低だったが、現在立候補している人たちの政策公約もまた同じ過ちを繰り返すことが確実の無残な内容である。そのことを国民の多くは見逃してはいない。民進党代表選への出馬を表明し記者会見する(左から)玉木雄一郎国対副委員長、前原誠司元外相、蓮舫代表代行=9月2日、東京・永田町の党本部 蓮舫氏、前原氏の選挙用のチラシや出馬会見時の配布資料、そして玉木氏の直近でのブログでの経済関係の発言などから、三人に共通する経済政策に関する共通項を摘出することができる。一言でいうと、消費増税路線。またの名は「緊縮病」である。 三氏さまざまな表現を使っているが、基本的には民主党政権のときの基本路線と変わらない。経済政策的には財務省主導による消費増税路線であり、その意味では民主党政権の崩壊をいささかも反省していない見事なブレのなさである。 例えば前原氏は、「まず身を切る改革・行政改革。その上で希望と安心のALL for ALL 『尊厳ある生活保障』」と題された出馬会見時(8月26日)のときの資料をみてみると、消費税を10%に引き上げるなどしたうえで、教育や保育の充実を目指すとする。まともなマクロ経済政策(総需要不足の経済低迷時には積極的な金融・財政政策を行うこと等)に否定的、もしくは完全に無視する、まさに民主党政権時代の誤った経済政策そのものである。 蓮舫氏も同様であり、選挙用のチラシをみると、2020年度のプライマリーバランスの黒字化へのコミット、「社会保障充実と身を切る改革・行革の実行を前提にする」消費増税路線を採用している。配偶者控除の見直し、法人税減税や所得税の見直しなども三氏ほぼ共通している。 憲法観や安全保障について、出馬した三氏はかなり共通している。実際には党内でも憲法についての意見はバラバラなのだが、なぜか民進党の経済政策については、ほとんどの国会議員が共通する意見(財務省主導による消費増税路線=緊縮病)を採用しているのが興味深い。興味深いと書いたが、率直にいって野田政権の失敗にこりない「緊縮病ゾンビ」の群れにしか思えない。 玉木氏の具体的な政策集的なものはこの原稿を書いている段階では(出馬がギリギリになったためもあるのか)ネットでも見当たらない。だが彼の過去の発言をみても、消費増税への執着は明瞭である。「危険な政治」をもたらしかねない緊縮ゾンビ 現在の日本のように経済が総需要不足の状態にあるとき、行政改革などの「身を切る改革」やまたプライマリーバランス黒字化に固執する「財政再建主義」は、「危険な政治」をもたらしかねない。ブラウン大学教授のマーク・ブライスは『緊縮策という病』(NTT出版)の中で、先進国の歴史と現状を実証したうえで、「緊縮が要求するデフレはより有害な政治をもたらす」と明言している。 「というのはだれかの自己防衛にかかわる最初の動き(例えば、仕事にとどまるために給与カットを受諾する)は、実際には他の人すべての人々の動きに対してゼロ・サムになる(というのは、給与カットはその人の消費を減らし、他の全員に対する需要を縮小させる)からだ」「勝者はおらず敗者しかいない。欧州周辺国が過去数年間にわたって証明しているように、勝とうと努めるほど結末は悪くなる」(ブライス前掲書、22頁)。9月の代表選に不出馬の意向を表明し、記者会見場を後にする民進党の岡田代表=7月30日、東京・永田町の党本部 このブライスの指摘と同じで、デフレ経済のときに「身を切る改革」や消費増税を行えば、それによって経済全体が縮小してしまい、「社会保障の充実」も達成できなくなる。どんな理想的な「社会保障の充実」を唱えていても、まさに実現性の乏しいものか、または国民全体は困窮化していても「自分たちだけがよければそれでよい」とする悪しきエゴイズムに行き着くだけだろう。ちなみに候補者たちだけではなく、多くの政治家がこだわっている「プライマリーバランスの黒字化を、2020年に達成」というものは、経済的な重要性はまったくない(消費増税なくして「財政再建も社会保障もなし」の大ウソ)。目的自体の経済合理性がないのだから、それで話は終わりなのだ。だが、消費増税をしたい「緊縮病ゾンビ」の人たちにとっては、消費税を上げたいためならばどんな理屈でもいいのである。あるいはゾンビゆえに国民経済を考えるというまともな思考がすでにできないのかもしれない。ちなみに「緊縮病」をゾンビに例えたのは、ジョン・クイギン教授(クイーンズランド大)の『ゾンビ経済学』(筑摩書房)によっている。 かつて民主党政権誕生のときに、筆者は今回書いたのと同様の意見をもって、ラジオやネット上で警鐘を鳴らしたところ、「まだ政権が始まったばかりで決めつけるな」とか「一度はやらせてみるべきだ」などと猛烈なバッシングを浴びた。だが、民主党政権の経済政策の無残さは事実が証明している。太古の昔から、官僚たちの専横で腐敗した国は多いが、民主党政権ほど財務省のいいなりだった政権もなかった。民主党の経済政策の無残な成果はその表れのひとつだったろう。 大番狂わせがなければ、代表に最も近いであろう蓮舫氏は産経新聞のインタビューで「私はバリバリの保守ですよ。野田佳彦前首相並みの保守ですよ」と語った。これを「私はバリバリの消費増税論者ですよ。野田佳彦前首相並みの消費増税論者ですよ」という緊縮ゾンビの発言にも読み替えることができるかもしれない。

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    財務省の「使い捨て議員」小泉進次郎はポスト安倍にはなれない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 二階俊博自民党幹事長が同党総裁任期の延長を検討しているという発言が、内閣改造後いち早くニュースとなった。二階氏は早ければ年内に総裁任期の延長を決着させたいと最近でも発言を繰り返し論説まで公にしている。現在の安倍政権の高い支持率の維持を背景にすれば、この総裁任期延長論は、そのまま安倍政権続行を党内的に支援する結果になるだろう。 ところで筆者がこの二階発言を聞いてまっさきに思ったのは、いかに「ポスト安倍」を選ぶのが難しいかということであった。現状、野党はもちろんのこと与党、特に自民党の中でさえも容易に「ポスト安倍」は見出しがたい。もちろん政治的な権力のバランスによって、実際の「ポスト安倍」はそのうち選出されていくだろう。ここで筆者が特に考えたいのは、「ポスト安倍」には何が望まれるかだ。そしてこの「ポスト安倍」を考えていくと、(批判勢力には残念なことだが)「ポスト安倍は当分、安倍晋三氏以外にいない」という結果になってしまう。同様のことは二階幹事長の論説でも採用されている結論だ。また政治学者の岩田温氏は政治学的視点から、「政党の論理」で事実上の総理の任期を制約するべきではないとした(「自民党総裁の任期延長は時代に相応しい制度改革だ」)。この考え方には賛成したい。リオ五輪の閉会式で「スーパーマリオ」に扮して登場した安倍晋三首相 =8月21日、ブラジル・リオデジャネイロ、マラカナン競技場 だが、これは日本の政治の選択肢がきわめて限られていることの表れでもある。どうして「ポスト安倍は安倍晋三」になってしまうのだろうか? 安倍政権への期待が高い背景には、もちろんライバルの不在がある。このライバルの潜在的な不在は、主に政策的な理由に依存している。つまり経済政策と安全保障政策において国民の支持をひきつけるだけの対抗勢力がでてこないのだ。経済政策でいえば、アベノミクスであり、安全保障政策は安保法制と積極的な外交戦略だ。ここでは主に前者に話題を絞る。 アベノミクスは、この連載でも何度も強調したが、日本の経済停滞をデフレの継続に求め、その解消を狙うものだ。そしてデフレ脱却の結果、雇用環境を改善し、経済成長を安定軌道に乗せ、さらに結果的に(副次的に)財政再建やまた防衛費の無理のない増額を通じて安全保障にも貢献しようとしている。 いわゆる「バブル崩壊」以降、経済停滞が続く中で、アベノミクスのような発想は採用されてこなかった。多くは政府主導の「財政再建路線」と事実上のデフレの放置であった。政治家たちの多くの政策思想の中で、デフレ(あるいは不況)放置と「財政再建路線」は分かちがたく結ばれていた。財務省のカルト的な妄執との闘い 例えばかって小泉純一郎元首相は在任時に「景気が回復すると構造改革ができなくなる」と明言した。あるいは筆者もラジオ番組で、某自民党有力議員から「景気回復待ってると増税できなくなる」と直接聴いたことがある。もちろんここのでの「増税」は消費増税のことである。消費増税は、財政再建路線の日本における中核的な手段である。手段でしかないのだが、実際には消費増税はしばしば自己目的化してもいる。衆院選翌日、会見を終えた安倍晋三首相=2014年12月、東京・永田町の自民党本部 アベノミクスは金融政策を中心にしてデフレ脱却を目指すのだが、2012年末から13年までの(消費増税による駆け込み需要期を抜かす)実質GDPで2.6%の増加という目覚ましいものであり、その間、雇用状況が現在に至るまで大幅な改善に至っている。アベノミクスの成果を客観的にみることが重要だ。そしてこの金融政策中心の効果を今日に至るまで妨害している国内要因は、消費増税の持続的な悪影響である。消費増税自体は民主党政権の負の産物だが、安倍政権がその実行を2014年4月にしたことは事実であり、それは明瞭な「失政」だ。ところが興味深いのは、この消費増税の「失政」は政治的なライバルたちにはほとんど焦点があてられていない。むしろ与野党問わずに、アベノミクス批判は、消費増税や不安定な海外要因ではなく、アベノミクス(つまり中核の金融政策)自体の効果が乏しいか、あるいは悪しき副作用があるために、いまの経済の低迷があると語られていることだ。これは主要メディアや「市場関係者」(実際には数十名程度のアナリストを中心とした既得権的な小集団)も同様の態度をとっている。ともかく消費税の悪影響をできるだけ無視するのが、安倍政権のライバルや批判者たちの発言パターンである。 ところで消費増税は誰が推進しているのだろうか? 経済政策は自然現象ではないので「誰が」が存在する。簡単にいうと財務省以外にその主体はありえない。さらにいえば財務省とそれをとりまく上記の「消費税の悪影響を無視している」政治家、メディアや市場関係者たちも含む、「財務省グループ」だ。しばしばその行動は倒閣的なものにつながるほど、日本ではすさまじいスーパー権力だ。その具体的な政治的パワーは、例えば山口敬之『総理』(幻冬舎)などを読まれるべきだ。実際に、消費増税を二度も先送りした第二次安倍政権でさえ、先ほどのように2014年には一度「失政」をしているし、またデフレ脱却のためには消費増税ではなく「消費減税」と同時に消費増税路線の廃棄が望ましいのだが、それを果たしえていない。それだけ財務省の消費増税というほとんどカルト的な妄執は強いとみていい。それでも現状の安倍政権は、この財務省のカルト的な妄執と過去いかなる政権もなしえなかったほどの「闘い」をみせたことは最大評価すべきだ。小泉進次郎議員はより深刻かもしれない そしてこれが「ポスト安倍」が安倍首相以外にありえない答えにもなっている。与野党問わずに、「ポスト安倍」と目される政治家や政治勢力は、財務省の消費増税路線の妄執の奴隷でしかない。さきほど消費増税は財政再建のための「手段」でしかないが、しばしば「手段が自己目的化」していると書いた。まさに消費増税ありきの財務省脳的な政治家が日本の圧倒的大多数である。むしろ財務省的な経済政策観をもたない政治家を数える方が容易だ。アベノミクス(の金融政策中心)的政策観をもつ国会議員は、その数は二けたいかないだろう。 財務省にとって消費増税が自己目的化しているため、それに貢献する政治家たちもすべて消費増税のための手段でしかない。なんといっても財務省的な経済政策観をもつ政治家は腐るほどいるのだ。視察先で桃を摘み取る小泉進次郎農林部会長=7月3日、福島県福島市 ちなみに自民党の中の「ポスト安倍」と目されている人たち―稲田朋美防衛大臣、小泉進次郎衆議院議員、石破茂衆議院議員らーの過去の発言をみれば、消費増税ありきの財政再建主義か、もしくは金融政策中心のデフレ脱却への懐疑や批判が明瞭である。稲田大臣は、先の再延期の前には「消費税をまず1%引き上げる」案をだしたが、これも「なぜそもそも消費増税を経済が低迷しているときにこだわるのか?」という疑問に一切答えがない、消費税引き上げが自己目的化したものだ。また小泉議員はより深刻かもしれない。先の再延期のときの報道を読むかぎりでは、消費増税先送りへの懐疑的な態度にくわえて、親譲りなのだろうか、ともかく経済的な倹約(社会保障の見直し)という視点しかない。むしろ消費増税は積極的に先送りすることで、経済成長を安定化させ、そこで財政再建(社会保障制度の積極的な拡充)も実現していくべきなのだろうが、その手の発想は過去の発言をみるかぎり希薄だ。石破議員は、デフレ脱却を金融政策中心で行うと高いインフレに帰結するなど副作用の可能性を指摘してきた。いずれも財務省の消費増税路線やその背景にある財政再建主義に親和的だ。とりあえず代表的な三者をあげたが、さきほど指摘したように他の政治家もごく少数を抜かして同じ考えだと断言していい。 財政再建は大事かもしれない。だが経済が十分に復活しないときに、増税や財政支出の緊縮を行えば、それは国民の経済生活を困難なものに陥れるだろう。経済のまともな発展の副産物として、財政再建は実現されるものでしかない。 筆者の希望的な観測だが、国民の多くが実はこの財務省的な政策観が「狂ったもの」であることにうすうす気づいているのではないだろうか?  安倍政権の支持率の高さが、「ポスト安倍は安倍晋三」といわせる背景には、この国民の覚醒があるように思えてならない。だが、これは希望の芽であると同時に、現状では安倍政権以外に、まともな経済政策観を抱く有力な政治勢力がないことを示唆してもいて、そこに日本の潜在的なリスクがあるといえるだろう。

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    まさに不勉強の産物! SEALDsは「貧困プロパガンダ」で自滅した

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) いろいろ世間を騒がせ、日本の左翼やリベラルに妙な期待と幻想を植え付けたSEALDsが8月15日に解散した。SEALDsの一年ほどの活動のピークは、昨年の安保法制をめぐる国会論戦の最中であった。政治に参加する若い世代の新しい力としてマスコミなどに注目されるようになり、実際に左翼やリベラル的勢力の支持は、ネットや国会前のデモを中心に熱くなる一方だった。 筆者の見聞する範囲でも、SEALDsに批判的な発言をした論者が、とある有名ライブ会場に、その発言ゆえに出演することが難しくなったことも聞いた。それだけ熱狂的なファンがいたことは間違いない。ただしネットの一部や国会前のデモが、どれほど国民の支持を集めていたかというと、ほとんど実体を伴っていたようには思えない。 例えば、安保法制反対や安倍政権批判を全面に出した先の参院選では、SEALDsと同じ「若い世代」と目されている人たちの投票結果はどうだったろうか? 共同通信社の出口調査では、20代、30代の半数近くは自民党に投票したし(43・2%、40・9%)、10代もそれと同程度の40・0%だった。この数字は全世代の平均よりも高かった。その一方で、SEALDsと事実上の共闘関係にあった共産党や社民党などは10代では他の世代よりも低い支持率だったし、また民進党も同様だった。解散を表明し、会見するSEALDsの奥田愛基(左)氏ら=8月16日、衆院第二議員会館(斎藤良雄撮影) 簡単にいうとSEALDsは若者の代表でもなんでもなかったのである。では、なぜ同じ世代の人たちの多くが自民党を支持したのだろうか。それは安倍政権以前まで、特に麻生政権後期から民主党政権でピークを迎えた経済の大停滞の苦しい経験をリアルに知っているからではないだろうか? 民主党政権下の2011年に大学の就職率は最低水準(91・0%)にまで落ち込んだ。この数字の背景には、就職先がなく途中で求職自体を断念した膨大な人数を無視している。筆者は当時、大学の就職指導の担当だったが、職務先や近隣の大学も総じて就職はまさに「大氷河期」の様相だった。また高卒・専門学校も就職地獄であった。筆者は当時、就職指導による過労のあまり倒れてしまった。 この状況は安倍政権の経済政策が発動するまで基本的に変わらなかった。ちなみに最新の統計(2016年春)では、大卒の就職率は統計を取って以来最高の水準である。また高卒の就職率も24年ぶりの高水準であった。要するに若い世代の多くは、SEALDs以上に実際の経済や社会の動向に敏感だったのだ。 では、SEALDsは何を代表していたのだろうか? 政治的な行動(国会前での長時間のデモなど)に時間を割くことができる、経済学的にいえば時間当たりの機会費用が低いひとたち。要するに暇人の代表であった。 筆者は暇が大好きである。暇がなければ社会も文化も成立しない。だが、どうやらSEALDsのメンバーはあまりその暇を有効には活用していなかったかもしれない。少なくとも前記のような経済の動向を同世代の若者たちより学ぶ機会に利用しなかった。確かに先鋭的な政治スタイルへの評価はある。しかし少なくとも経済を見る視点は同世代に比べて鈍感だったし、また正しくもなかった。アベノミクス批判ありきの経済観 SEALDsのホームページをみてみよう(http://www.sealds.com/#opinion)。そこにはオピニオンと称して、同団体の経済観が網羅的に記述されている。テーゼは「持続可能で健全な成長と公正な分配によって、人々の生活の保障を実現する政治」であり、これだけだと異論は何人からもでないだろう。問題は具体的な中味だ。まず安倍政権批判ありき、つまりアベノミクス批判ありきの、事実一切無視の現状認識が展開されている。 逐条的になってしまうが、いくつか引用してみよう。ちなみにこのホームページが公開されたのは昨年2015年であることに留意されたい。参院選挙戦最終日に、候補者の応援演説をするSEALDsの奥田愛基氏=7月9日夜、東京都新宿区 「派遣村、就職難、ワーキングプアなど、現在の日本はかつてない貧困のなかにあります」とある。まず派遣村は2008年から10年当初までの出来事(施策)であり現在の話ではない。就職難も先ほど書いたように解消され、過去にない水準にまで回復している。失業率も3%を切る目前まで低下しているし、有効求人倍率も全県・全国で大幅に改善している。雇用状況をもっとよくする余地があるのは事実だが、どう考えても日本が「かつてない貧困」にあるようには思えない。人々を間違った事実認識に誘導する悪質なプロパガンダか、単に事実を認識していない不勉強の産物である。 SEALDsは「ワーキングプア」が増えたといいたいのかもしれない。次の一文からもその意思だけは伝わる。 「現政権は、格差拡大と雇用の不安定化を促進し、中間層・貧困層を切り捨てた、いびつな成長戦略を実行しています。アベノミクスの結果、一部の富裕層の所得は増えたものの、中間層の所得は減りました」 まずアベノミクスの核心をとらえ損ねている。アベノミクスは、積極的な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の3つである。特に第1の「積極的な金融政策」がアベノミクスの核心である。なお第2の「機動的な財政政策」のメニューに消費増税が当初から入っていたわけではない。消費増税は「機動的」でもなんでもないし、民主党政権のときに法律で決められてしまっていた「非機動的」なものだからだ。ポール・クルーグマンが指摘したように、実際に日本経済に効果を与えたのは、「積極的な金融政策」だけである(「Abenomics and the Single Arrow」 , The New York Times)。つまり、先ほどの就職状況や雇用環境の大幅改善は金融政策が実現したものであり、また金融政策がしばしば雇用政策といわれる理由でもある。SEALDsではそのような事実と常識レベルの経済学の知識を踏まえずに、アベノミクスは「雇用の不安定」を生み出していると主張していた。まさにいいかげんなレベルの事実認識だ。さらにSEALDsの文言では「成長戦略」となっているが、「雇用の不安定化」が起きるどころか大改善しているので、アベノミクスの成果として考えればいいだけだ。ちなみにアベノミクスの成長戦略自体には見るべきものはほとんどない。むしろ三本の矢に入っていない最低賃金の引き上げが毎年継続し、さらに労使にベアの引き上げを誘導するような所得政策的な方向性も根強い。これらは雇用の安定化に寄与する隠れたアベノミクスだ。消費増税を条件付で容認したSEALDs さらにアベノミクスが格差拡大や貧困を加速したという証拠は、2015年当時も現在も代表的なデータは事実上ない。つまりSEALDsの勝手な思い込みにすぎないのだ。例えば、貧困率は2012年までしか利用できず、ジニ係数の推移は2010年までしか利用できない。経済格差は高齢化とともに拡大する傾向にあるが、現段階の雇用状況の大幅改善、雇用者報酬の増加、さらには最近の実質賃金の増加傾向も含めると、安倍政権の政策の結果で貧困や格差が増加しているようには思われない。もちろんさらに経済状況を改善する余地があるとか、または現状の消費低迷からくる経済低迷(停滞ではない!)を改善するという主張なら賛成である。しかしSEALDsはまずアベノミクス全否定ありきなのだ。こんな事実に支持されず、また若い世代の実感にも乏しいオピニオンが支持されるわけがないだろう。 ちなみにトンデモな意見として「失業していた方がましだったのにいやいや非正規で働くので、アベノミクスは失敗」というものをネットでしばしば目にすることがある。この種の「やむなく非正規」を含んだ広義の失業率もアベノミクス以降、二けただった水準から2%近く低下した。これをさらに引き下げる余地はある。だがSEALDsはそもそもアベノミクスでの雇用の改善を全否定しているので、このような事実も一切無視であろう。2015年9月、国会前でリズムに乗って安保関連法案に反対するSEALDsのメンバーら 最後にSEALDsの消費税に関する態度も問題ありまくりのものだった。 「社会保障を中心とした再分配システムが再建されないまま消費税増税が行われれば、格差拡大はますます進行します」これは要するに消費増税の条件付容認である。だがSEALDsの考える「社会保障を中心とした再分配システム」の「再建」とはなんなのか、まったく具体策はない。まるで官僚の作文である。ちなみに民進党の政策パンフレットでも同様に、自分たちの考える再分配システムが成立するなら「本来やるべき消費税引き上げ」を実施すべきだと書かれている。 だが、消費増税ありきというこの発想こそ、いま問われるべきなのだ。実際に消費増税は所得下層の経済状況を悪化させてしまう。ならば事後的な再分配に頼る必要はない。消費増税をしなければいいだけなのだ。もっともSEALDsの消費税ありきの発想は、財務省のお気に入りの考え方なので、その方面からの支援を受けられたかもしれない。 SEALDsは自ら解散を予定したかのように説明している。確かに文言だけを追うとそうだろう。だが、本当のところは若い世代から見放されてしまったのだと思う。ただし効用もあった。古い政治イデオロギーにすがる高齢層の「政治的おもちゃ」の役割は果たしたと言えるからだ。

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    『シン・ゴジラ』が浮き彫りにしたニッポン停滞のメッセージ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 毎回ハードな経済政策について論じているこの連載だが、お盆休み真っ只中で書いている今回は、少し小休止の意味もこめて、「これは傑作だ」と確信した映画について書きたい。もちろん、日本中の映画ファンの話題を一身に集めている『シン・ゴジラ』についてである。『エヴァンゲリオン』などで著名な庵野秀明氏が総監督・脚本を、そして樋口真嗣氏が監督・特技監督を務めた超話題作である。 筆者は劇場公開初日の初回で見て、短い感想をSNSに書いた。以下はその全文である。近所のシネコンで早朝の回。普通に傑作。もう一度みたい。 『シン・ゴジラ』は、3.11の国民的な体験を前提にしていることは疑いない。怪獣映画としてのカタルシスはあるが、他方で何人かの評者が指摘してたように政治ドラマ。最後のシーンは新しい「原爆の図」をみるかのようだった。 『シン・ゴジラ』は完全な情報統制が敷かれていて、事前情報はほとんどなかった。だが公開日になると、多くの映画評や感想がネットに溢れた。そこでは従来のゴジラシリーズとはまったくコンセプトの違う映画、まさに想定外すぎる災害に対する日本の各人・各組織、そして時には米国や諸外国がどう対応するかの「ポリティカル・フィクション」であることが指摘された(「前田有一超映画評」)。宣伝コピーである「虚構対現実」は、この映画のテーマをまさに集約している。自衛隊が総力を挙げてゴジラに向かう映画「シン・ゴジラ」 (C)2016 TOHO CO.,LTD. すでに映画が公開されて半月以上が経過しているので、優れた『シン・ゴジラ』論が続々と発表されている。iRONNAでもおなじみの評論家の古谷経衡氏はテレビ番組「モーニング CROSS」やTwitterなどで『シン・ゴジラ』の素晴らしさをまさに言葉を尽くして伝え、また庵野映画の系譜の中で『シン・ゴジラ』の特徴をおさえながら絶賛した。 『シン・ゴジラ』を傑作とする評論家の宇野常寛氏は、その必読のインタビューの中で、以下のように優れたいくつもの発言を残している(「評論家・宇野常寛氏が語る『シン・ゴジラ』-この映画は99%の絶望と、1%の愛でできている」)。 そして明らかにこの映画は「3.11の原発事故が東京を直撃していれば、日本はちゃんとスクラップ&ビルドできたのかもしれない」という強烈な風刺が根底にあると思います。そのあり得たかもしれない現実を描くっていうフィクションの力というのを最大限に引き出す存在が今回のゴジラですよね。みんな忘れているけど、怪獣ってもともとはそのために生まれてきたものなんです。庵野映画に現れる「スクラップ&ビルド」というメッセージ この「スクラップ&ビルド」という言葉は、劇中で主要人物のひとりが、ゴジラをとりあえず防衛した後に語った言葉である。歴史の中で日本は「スクラップ&ビルド」のたびにのし上がってきた、と。この「スクラップ&ビルド」的なメッセージは、庵野映画にしばしば現れる中心的なものである。『シン・ゴジラ』の総監督・脚本を務めた庵野秀明監督 例えばその典型が、従前の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』である。この映画の背景となる社会は非常に奇妙なあり方をしている。いわば想定外の災害さえも内部に取り込むことが可能な、「超防災社会」としての姿を見せているのである。ファーストインパクトによって人類の半分が絶滅した後の社会であるにもかかわらず、劇中で描かれた社会は巨大土木工事と都市自体を兵器化するという備えによって、きわめて安定的な世界になっている。交通網や社会的インフラは完備し、また食料の供給も滞りない(登場人物たちは気軽にコンビニで買い物ができる等)。それだけではない。「使徒」の度重なる攻撃にもかなりの程度耐え、まるでその退治の後には何事もないかのように日常が送られる。例えば、学校の教育など戦地真っ只中で平常通りに行われる。つまり、大規模災害をある程度包摂し、そこできわめて効率的な社会運営が行われているのである。しかも今日の我々が直面している資本主義経済的なものとして。まさにエヴァの中で描かれているのは、日常的な「スクラップ&ビルド」社会である。 社会や経済が厳しい環境に落ち込むことで、かえって以前よりも効率性をまし、潜在的可能性を発揮すると考える思想を、経済学では「清算主義」といっている。例えば景気が悪化することによって、非効率的な企業や能力のない人員が整理されて、それがかえって経済全体を以前よりも押し上げるという思想だ。不景気が深ければ深いだけ、それに耐える優良な企業や労働者が残ると考えるわけである。この清算主義は、最近では別名「緊縮主義」ともいわれている。不景気であっても安易に拡張・緩和的な経済政策を行うべきではなく、むしろ安易に政府が救済してしまうと、経済はダメなままになってしまうと考えるのである。「不況を極限まですすめる」。これが清算主義=緊縮主義のメインテーマである。 このような清算主義、緊縮主義が猛威を振るったのが、戦前では1920年代から30年代にかけての大恐慌時代であった。また最近でもリーマンショック以降の「大停滞」の時代に、同様の思想が様々な形で主張されている。さすがに「不況を極限まですすめよ」と声高に言う政策当事者たちはいないが、それでも経済が危機的状態からそれほど回復していないのに、「財政再建」などを名目にして増税に走るという態度は、この清算主義や緊縮主義の立場と基本は同じである。 エヴァシリーズにも今回の『シン・ゴジラ』にもこのような清算主義的思考が顕著である。『シン・ゴジラ』では、ゴジラのはじめの襲撃後に、円安・株安・国債暴落などが語られるシーンがある。また失業の増加、避難生活を送る人々の苦境にも簡単に触れられている。これらの諸現象の背景には、「スクラップ&ビルド」=清算主義的メッセージが横たわっている。現在の苦境は、明日の成長のための養分なのである。『シン・ゴジラ』に通じる村上龍の世界観 このような『シン・ゴジラ』の清算主義的メッセージの由来はどこにあるだろうか。もちろんそれは脚本も担当した庵野総監督の思想の由来を尋ねることになるだろう。この点について、『シン・ゴジラ』の映画的由来を解説した先ほどの古谷氏や宇野氏の発言も重要である。またライターの飯田一史氏の論説「村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』」は、村上龍氏の作品からの影響関係で、庵野氏の思想世界を解明していることで注目できる。庵野氏は村上龍の小説『ラブ&ポップ』を実写映画化したり、エヴァの登場人物に村上龍氏の作品から名前を借用してもいる。両者の影響関係はそれだけではないことを、飯田論説は詳細に解明している。 実は村上龍氏の作品世界もまたこの「スクラップ&ビルド」=清算主義的メッセージが中心である。いまから10年以上前に、筆者は村上龍氏の清算主義的世界観を総合的に論じたことがある(『最後の「冬ソナ」論』(2005年、太田出版)の第6章)。特に村上氏がこの清算主義的世界観を、彼の主宰するJMM(ジャパン・メール・メディア)などのメディア活動を通じて、いわば日本の「失われた20年」の経験から抽出し、それを強固なビジョンにまで仕立てあげたことはあまり知られていない。 村上氏の「失われた20年」の日本経済とは「異常な低金利が続き、市場から退席すべき衰退企業が延命することになった」(村上龍『ハバナ・モード』)ものであった。そしてマクロ経済政策よりも、優れた企業達の活動に目をむけ、そこでの様々なイノベーションのあり方に注目する、「マクロからミクロへ」という視点が、いまの村上氏の経済社会論における基礎である。それは事実上、マクロ経済の問題=不況などの解決を、企業の活動によるミクロ的な試みで解決すると信奉している、市場中心的な創造破壊の見方だ。このような村上龍的な清算主義は、『シン・ゴジラ』などの庵野作品における「スクラップ&ビルド」=清算主義的メッセージと同類であり、事実上その思想的親であろう。 この「スクラップ&ビルド」=清算主義的メッセージは、単純な論理であり、心情的にも受け入れやすい。だが『シン・ゴジラ』で、ゴジラ以上に中心的な役割を担う政治家や官僚たちが採用してしまえば、人災となって社会に襲い掛かってくるはずだ。だが、実は『シン・ゴジラ』のテーマとは、怪獣という自然災害ではなく、そもそも「人災」の話であるように思われる(詳細はネタばらしになるので控えるが)。その意味ではこの作品における「スクラップ&ビルド」=清算主義的メッセージは複雑な色彩を帯びているともいえる。「シン・ゴジラ」公開直前イベントin大阪に登場した(左から)石原さとみ、長谷川博己とシン・ゴジラ=7月26日、大阪市中央区(撮影・永田直也) もちろん私は『シン・ゴジラ』を「スクラップ&ビルド」=清算主義的メッセージがあるからダメだといっているのではない。むしろこの日本の現状の戯画化として成功したこのドラマが、日本を事実上停滞させてきた清算主義的な思想が根本にあることに、ひとつの深い興味を抱いているだけにすぎない。 ところで筆者は、現時点で三回『シン・ゴジラ』を見ているのだが、石原さとみ氏の魅力は特筆すべきであると思っている。同映画での彼女の役柄への批判は多いが、それは妥当ではない。とりあえず4DX対応の映画館でまた『シン・ゴジラ』を見に行きたいといま熱烈に思っている次第である(「シン・ゴジラを絶対に4DX対応の映画館で見るべき理由は石原さとみ」)。

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    アベノミクスを取り戻せ! 経済の常識を知らぬプロが多すぎる

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) もう10数年前のことになるが、『昭和恐慌の研究』(2004年、東洋経済新報社)の形になる共同研究を行った。この書籍は出版年度の日経・経済図書文化賞を受賞するなど一定の評価を得、今日でも増刷されて広く愛読されている。この本はいわゆるリフレ派(デフレを脱却して低インフレに移行することで経済を安定化させる政策を志向する集団)のマニフェスト的な位置にある。しばしば共同研究会の場で、エコノミストの故・岡田靖氏が、「中長期的には貨幣数量説が成立する。問題の核心は日本銀行の政策のあり方だ」という趣旨の発言をしていたことを思い出す。よくデフレ(物価の継続的下落)は貨幣的現象といわれるが、その特徴を明瞭に要約したものだといえる。『昭和恐慌の研究』はいわばその詳細な理論・歴史・実証の総括的な分析の本だった。 岡田氏の要約のように、日本銀行がデフレを脱却し、低インフレにもっていくことにコミットすることがまずは重要だ。現実の政策手段では、現在の日本銀行のように2%のインフレ目標を採用することにある。日本銀行本店(早坂洋祐撮影) それに加えて、中長期的に貨幣数量説が成立するような政策枠組みが必要になる。言い換えると「貨幣数量説が中長期的に成立することを市場が予想するような政策手段を考案する」ことがキーとなる。具体的にはなんだろうか? 単純な貨幣数量説は、MV=PYという式で表現されることがある。Mは貨幣数量、Vは一定期間の取引回数(貨幣の流通速度)、Pは物価水準、Yは経済の取引量(GDPなど)である。PYは名目GDPとも解釈ができる。いまVをとりあえず一定とすれば、Mの増減はそのままPYや(Yを一定にすれば)Pの増減に対応する。物価はまさに貨幣的な現象となる。この関係が中長期的に成立することを、市場に存在するたいていの人が予想するような政策の枠組みが必要となる。岡田氏が研究会で話した発言はそう解釈できる。「レジーム転換」の足を引っ張る消費増税 具体的には、経済全体のマネーをコントロールするためにマネタリーベースを変化させることが必要だ。マネタリーベースの増減は、日本銀行がいまも直接の政策手段にしている。現状では長期国債やETFなどの買い入れで年間80兆円のペースで増加させている。このことが市場に中長期的に貨幣数量説が成立する予想をもたらす具体的な方策になる。なお短期的には貨幣が実物経済(雇用、生産など)に影響を与えるので、金融緩和政策は雇用増加・改善政策となる。また「中長期」もいつでもいいというわけではない。いまの日本銀行と同様に「できるだけ早期」にデフレを脱出することにコミットしないと、短期的な経済改善効果も大幅に損なわれてしまう。 このインフレ目標、そしてマネタリーベースの増加といったものが、日本銀行がデフレを放置する政策から、低インフレ(前年度比2%のインフレ)に移行する政策に転換したと、人々の予想のあり方を大きく転じることに貢献することになる。これを「レジーム転換」という。 さらに政府の政策的な協調が必要だ。いままでの説明の範囲内でいえば、政府は名目GDPに影響を与えることができるからだ。財政支出は、税、補助金、公共事業などの形態で経済に刺激を与えることができる。なので先ほどの「レジーム転換」には、政府との協調が欠かせない。日本銀行がデフレ脱却を目指して金融緩和をしているのに、他方で政府が増税してしまえば、「レジーム転換」は困難になる。わかりやすくいえば、日本銀行の金融緩和政策が政府の増税によってその効果を大きく減退させるのだ。 ここまで書いてわかるように、政府が増税を採用し、中央銀行が金融緩和政策を行っているのが現在の日本だ。アベノミクスが行われている下で、消費増税を行えば、人々の予想が大きく乱れる。そのことが政策の効果を減じてしまい、デフレ脱却が遠のくだろう。実はこのような見取り図は、リフレ派の専門家たちは、安倍政権が消費増税を行うはるか前から予測し、警鐘を鳴らしていた(一例:田中秀臣編著『日本経済は復活するか』藤原書店2013年)。だが不幸にもそのデフレ脱却レジームは現在も揺らいだままである。 より具体的な指標では、いわゆるデフレギャップが6兆円から10兆円の規模で存在し、さらに 6月の消費者物価指数(食料及びエネルギーを除く総合、対前年同月比)は0.4%だった。次第にプラス幅を縮小させており、統計的な見地からいえばデフレ経済に戻る臨界水準であるといっていい。 このデフレ経済再突入の危機をどう脱するか。すでにここまで詳細に書いたように、アベノミクスを再起動させることが重要になる。金融緩和と財政拡張のポリシーミックス(政策組み合わせ)が必要だ。「金融緩和縮小」見方を広めた市場関係者と一部マスコミ ところでこの当たり前の話が、どうも自称「市場関係者」や一部のマスコミにかかると一気に不透明になってしまうようだ。7月の日本銀行の政策決定会合で、その公式文章の最後に、「2%の『物価安定の目標』をできるだけ早期に実現する観点から、次回の金融政策決定会合において、『量的・質的金融緩和』・『マイナス金利付き量的・質的金融緩和』のもとでの経済・物価動向や政策効果について総括的な検証を行う」とした文言が奇奇怪怪な反応を引き起こした。 「市場関係者」(実際の市場は膨大な人数がかかわるが、この場合はたかだか数十名の既得権益をもったアナリストやエコノミストたちにしかすぎないことに注意)や一部マスコミは、この文言をもって現状の日本銀行の金融緩和の手段を終わりにする、もしくは縮小すると解釈したのである。まさに驚きの超解釈だ。「マイナス金利をやめる」「マネタリーベースの増加スピードを緩める」「インフレ目標を放棄する」などなど、まさに本当に経済学の基礎を学んだのだろうか? という発言や記事のオンパレードであった。ちなみに先に書くが、学んでないというのが正解だ。記者会見で金融緩和縮小に向かうとの市場の観測を否定した日銀の岩田規久男副総裁=8月4日、横浜市 これは金融政策とは関係ないが、ある経済評論家との対談で、比較優位の説明をしたところ、初めてきくような新説のような顔をしたことがあった。あとで「これは驚くことはなく、ただの比較優位である」と種明かし(?)したら、その経済評論家は憤然として「そんなのは経済学を学んだからわかっている!」と怒り出した。ちなみにその経済評論家は日本銀行の金融緩和政策についても間違った解釈を今も精力的に行っているようだ。閑話休題。 日本銀行の公式文章を素直に読めば、2%の物価目標を「できるだけ早期に」実現するのだから、金融緩和を持続するに決まっているのだ。だがそのような常識が通用しない人たちの声の方が、いまの「市場関係者」や「一部マスコミ」には多いのである。 さすがにこのようなノイズを懸念してか、日本銀行では黒田東彦総裁も岩田規久男副総裁も、「金融緩和の縮小はない」と当たり前の発言をしなければいけない事態になった。いかにいまの日本の論壇が知的な意味で貧しい状況なのか端的に示す事態だろう。 「これまで、「量」・「質」・「金利」という3次元を駆使してきましたが、2%の「物価安定の目標」の早期実現のために、どういう組み合わせが一番よいかということを、これから検証していくということです。金融政策の緩和の程度を緩めるというようなことは、元々あり得ないと思っています。」(岩田副総裁記者会見、8月4日)。 アベノミクス(デフレ脱却政策)を取り戻すことが必要だ。まずは、「市場関係者」や「一部マスコミ」の知の暗闇から!

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    日本銀行の無策は「犯罪行為」に等しい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 消費増税の再延期が決定し、それをうけてアベノミクスの継続が話題になっている。アベノミクスは2013年冒頭の開始以来、頻繁に話題になっているが、その最大の目的はデフレを脱却して経済を安定軌道にのせることであり、それに尽きている。この基本を忘れないことが重要だ。 アベノミクスの中身はいろいろな表現が変わっても基本は同じで、1)拡張的な金融緩和政策、2)機動的な財政政策、3)成長戦略、である。今回の参院選「勝利」をうけてのアベノミクスの再構築もこの三本の柱で行うだろう。特にデフレ脱却という目的に関係するのは、1)と2)であって、3)ではない。 日本のマスコミや「市場関係者」(実態はごく少人数のアナリストなどでしかない)は、成長戦略こそアベノミクスの中心だともてはやす。確かに日本経済にとって長期的には必要かもしれないが、デフレ脱却という目的のためには簡単にいえば無縁である。むしろデフレ脱却以前で「成長戦略」だけを重視する人は、経済政策のイロハの理解に欠ける人としてジャンク扱いしてもいいだろう。むしろ、このデフレ脱却の前で、やたら「成長戦略」だけを持ち上げる人たちは、事実上の反アベノミクスに立脚する人たちであると言って差し支えない。参院選で安倍首相(右)は争点に掲げる経済政策、アベノミクスは「失敗していないが、道半ばだ」と強調していた=6月14日、盛岡市 目的(デフレ脱却しての経済の安定化)と適合した手段(金融政策と財政政策)を採用しないかぎり、アベノミクスは成功しない。アベノミクスが成功しないということは、国民にとって高みの見物ではない。成功しなければ国民生活は決定的な困難に陥るだろう。 ところでこの金融政策と財政政策だが、私見では重大な懸念が生じている。「公」が「民」を喰う公共事業 まず財政政策は補正予算の形で行われる。基本だが、補正予算はあくまで一回限りの政府支出の拡大でしかなく、消費税のように一度引き上げると何年も続くものではない。現在、報道されている範囲では事業規模は20兆円とされているが、追加的な財政支出にあたる部分は3兆円程度になる見通しだ。事業規模自体は官僚の計算でしかなく、やりようによってはいくらでも増額可能でみせかけの数字でしかない。実際に経済に刺激を与えることができるのは、この約3兆円の追加的な財政支出だけだ。 経済が不安定化しているときに、財政政策を拡大するのは当たり前である。そのときに「財源」問題を声高に語る人は極度の緊縮主義にとらわれていて、経済論的には単なるトンデモだ。報道によれば、財源は国債の発行と国債の金利支払いの減少分で対応するという。問題はこの追加的な財政支出の規模と中身だ。先の消費増税の延期時(2014年)にも補正予算が組まれた。その規模も3.5兆円であり、今回と同じ程度である。 中身をみてみると、2014年の補正では地方向け新交付金や住宅エコポイント制度の復活など個人消費を刺激する政策が採用されていた。ところが今回は、インフラ整備などの公共事業が中心である。この連載でも何度か指摘しているが、2014年4月以降、個人消費が大きく下落し、そのまま消費低迷が継続している。この消費低迷こそが日本経済をデフレ経済にしている主因だ。公共事業でももちろん消費は増加するが、あくまでも波及効果次第である。この波及効果を「乗数効果」といっているが、90年代からこの効果が失われていることが問題視されていた。 やや専門的になるが「マンデル・フレミング効果」が乗数効果低下の筆頭としてあげられるが、これは大胆な金融政策を行えば、財政政策は効果のあるものになる(教科書的な説明だがこの理解にも乏しいのが現状だ)。実際に2013年初頭の財政政策は金融政策とともに効果を十分に上げたものだった。ただし公共事業に利用できる人的資源や物的資本は有限であり、質的に高度なものが求められているので「供給制約」が厳しい。簡単にいうと、首都圏などでインフラ整備がすすめば、例えば震災や大規模災害で復興に割り当てている資源が不足する。または民間の土木・建築の活動が抑圧されてしまうかもしれない。このことは公共事業の効果を限定的なものにしかねない。 例えば、経済産業省は全産業の活動指数を公表している。この中で公的部門と民間部門それぞれの「土木・建築活動指数」や土木・建築個々の活動指数をみると、公的部門の活動指数はアベノミクス発動以来、高い水準を維持している。他方で、公的な活動指数が増加するとほぼそれに連動して民間の土木・建築(そしてそれぞれの)活動指数が低迷している。これは土木や建築に必要な資源(人・もの)を民間部門から公的部門が引き抜いてしまい、新しい雇用の創出などで制約が厳しいことを意味している。新しい雇用創出などに制約があれば、もちろん新規の所得創出も制約され、消費も追加的に増加できにくい。底堅い雇用は「無策」では続かない なぜか日本では財政政策=公共事業という図式でしか考えることができない人たちが多い(公共事業バイアス)。以上のような公共事業制約説を主張すると、「財政政策の否定だ」という人が実に多いが、おそらくそういう人たちは教科書レベルの経済学さえ理解していないといっていい。公共事業に制約があっても、もちろんその制約に配慮しながら行えばいいだけのことである。問題は公共事業「だけ」でいまの消費低迷を脱出できる見込みが乏しいことだ。景気を刺激する財政政策には、公共事業以外に、減税や各種の補助金政策が存在する。日本、韓国は公共事業に過度に依存するが、欧米ではむしろ減税や補助金政策で工夫するのが財政政策の常道だ。 この連載でも繰り返し提起しているのは、消費に直接効き目がある政策である。理想は消費減税なのだが、残念ながら安倍政権ですら財務省の増税主義に抗すことができていない。これは本当に日本の不幸だ。代替案は直接給付や社会保障負担の軽減だろうが、どうも今回はその種の発想に乏しい。これが財政政策をとりまく不安だ。金融政策決定会合に臨む日銀の黒田総裁(中央)ら=4月28日(代表撮影) さらに今週末に行われる日本銀行の決定会合はことさら重大である。アベノミクスの継続を好感して、株価も上昇し、また為替レートも円安傾向にある。この市場の期待は、そのまま日本銀行が追加的な金融緩和を行うかどうかに依存しているといってもいい。しかしいまの日本銀行はあまりにも動きが鈍い。まるで消費増税しなければ追加緩和はしないとでもいうようなシグナルを、黒田日銀は発しているようだ。このような財務省中心主義的な懸念が各所で聞かれる。 もし実際に今度の政策決定会合で「無策」に等しい判断をすれば、市場の予想は崩壊し、(現状で想定している範囲内での)デフレ脱却に赤信号がともるだろう。日銀の「無策」は事実上、国民の生活を再び低迷させることになるので、もはや「犯罪行為」に等しい。実際、景気低迷のときに、財政・金融政策をしっかり行わないと自殺者数が増加するなど国民が本当に死んでしまう、という実証結果は豊富だ。確かにいまの日本はまだ雇用改善の結果を受けて、経済苦などによる自殺者数が大幅に減少傾向にある。だがこの勢いをとめてはいけない。底堅い雇用は「無策」でも続くものではないからだ。アベノミクスの本気度が、そのまま国民の生命に直結していることを、安倍政権と日本銀行の首脳陣はよくよく考えるべきだ。

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    日本のリベラル左派が民主主義を救うのは無理かもしれない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 文芸評論家の斎藤美奈子氏による日本のリベラルや左派に向けての痛烈な批判が一部の識者の間で話題になっている。最近の参議院選や、東京都知事選の候補者選びなどの出来事を見たうえで、斎藤氏は「というわけで、私はもう日本の左派リベラルには何の期待もしないし、野党連合も応援しない。日本の民主主義は今日、死んだ、と思った。たいへん残念です」と書いた(「web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第五十二回」)。 リベラルや左派だけが日本の民主主義を支えているわけではない。しかし斎藤氏のこの主張には深く同意する部分がある。(右手前から)民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首 立命館大学教授の松尾匡氏の『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)は、欧米におけるリベラル・左派の経済政策や経済観が、日本のリベラルや左派と大きく異なることを指摘している。 欧米の保守は財政再建を目的とする緊縮政策や規制緩和・民営化が中心であるのに対して、リベラル・左派は積極的な財政政策や金融緩和政策で経済全体を成長させて、その上で再分配を強力にすすめるものである。 それに対して、日本のリベラルと左派は、そもそも経済政策を重視するにしても、優先順位は憲法問題に比べて極めて低いか事実上無視している。アベノミクスは批判するけれども、対抗して提起されている政策は「自分たちの認める形で再分配するならば消費増税も認める」という、財務省の思惑(消費増税主義)におんぶにだっこした代物である。このような消費増税主義は、財政再建という美名がついているが、経済理論的にもまた実証的にも支持できないトンデモ理論である。 ブラウン大学教授のマーク・ブライス氏は、財政再建などを目的とした緊縮政策が、「完全に、そしてまったく間違っていることだ」(『緊縮策という病』(NTT出版))と、200年以上の経済思想と政策の歴史を検証して断言している。実際、アベノミクスに大きなブレーキがかかったのは、消費増税を実行してからである。このように日本のリベラルと左派にはまともな代案はない。「安倍」というだけで常識的な政策を認めないリベラル左派 アベノミクスへの批判も問答無用のものが多く非生産的だ。典型例は、笠井潔氏の次の発言のように一切の検証なしの断言形式のものが多い。 「来年には2%程度の物価上昇が達成され、長いこと日本経済を蝕んできたデフレ不況から脱却できると、政府日銀は声高に宣伝してきた。しかし、安倍晋三や黒田東彦の与太話に期待するアベノミクス信者は、いまや減少の一途を辿っている」(笠井潔・野間易通『3.11後の叛乱』集英社新書)。 アベノミクスのどこが与太話なのかまったく触れることがない。多くのアベノミクス批判者は、日本銀行の金融政策が雇用政策である側面を完全に見失っているか、あるいは確信犯的に無視をしている。日本の失業率の大幅な低下、有効求人倍率の大幅改善、若年雇用や高齢層の再就職、パート労働の大幅改善は一切、アベノミクスの成果としてカウントされない。世論調査では景気や雇用への関心が高いのに、リベラルや左派はともかく安倍政権の成果を認めるのがいやなために、国民生活を改善する経済政策を一切無視することに決め込んでいるようだ。例えば、「雇用が増えてもそれは非正規雇用だけで失業の方がましだ」というトンデモな意見にふれたりもする。常識的に変なのだが、この種の論点ずらしはアベノミクス批判の定番である。 もちろんリベラルや左派にもアベノミクスの側面(特に金融政策=雇用政策などの側面)を理解し、それをすすめようとする人材も少数だがいる。政治家では、民進党の金子洋一氏がその代表であった。しかし民進党はこの貴重な人材を参院選で落選させるという選挙対策の大失敗をしてしまった。また、同じくリフレ政策の理解者である明治学院大学教授の稲葉振一郎氏が名を連ねる学者グループ「リベラル懇話会」では、リフレ政策そのものが、旧民主党に行った提言の中心になることはまったくなかった。 要するに通常の経済政策(不況には金融・財政政策を積極的に行うこと)は、「安倍」という主語がつくので一切認められない、という偏狭な党派主義に、いまのリベラルと左派は陥っている。そしてこのような偏狭な党派主義は、多くの国民に見透かされていることが、参院選の結果で端的に示されている。その意味では、リベラルや左派の現状に希望がないことこそ、民主主義の明瞭な結論なのだ。リベラルや左派にとっては不満でも、民主主義は死んではいない。最低賃金「だけ」に重点を置いた歪んだ政策 ところでリベラルや左派勢力も「経済を意識している。反成長なんていうリベラルは一部」だという反論を目にした。その具体的な中身は、例えば最低賃金を底上げする政策だという(野間易通氏ら)。しかしこの反論にもリベラルと左派の経済に対する無理解が典型的に表れている。 例えば、社会運動団体「エキタス」は、最低賃金を1500円に引き上げることを主張している。最低賃金制度は、もともと交渉力で不利な立場に陥りやすい多くの働く人たちを補助する制度であり、歴史的にも理論的にも有益な制度である。誤解している人が多いが、最低賃金制度はうまく設計すれば、市場を損なうよりも健全に機能させるだろう。だがエキタスのように1500円の最低賃金「だけ」にターゲットをしぼり、引き上げてしまうと、高い確率で若年層やパートの主婦、高齢者などを労働市場から排除してしまい、日本の構造的失業を引き上げるだろう。京都府の最低賃金をPRするポスターコンテストの最優秀賞デザイン 最低賃金を引き上げるには、経済全体の成長とのバランスが重要だ。松尾匡教授や筆者は2000年代半ばごろから、最低賃金を引き上げる政策を提案し、それが拡張的な金融政策によるインフレ期待の醸成の中で行われるべきだとした。よりわかりやすく言えば、名目経済成長率が年間4%ほどならば、それを上限にして最低賃金を段階的に引き上げることは経済の活性化に役立つと思われるからだ。実際に経済が拡大基調にあった米国では、最低賃金の引き上げは、ほとんど雇用にマイナスの影響を与えなかった。そして日本では拡張的な金融政策と歩調を合わせて、最低賃金を毎年のように引き上げてきたのが安倍政権である。これは隠れたアベノミクスの成果だ。だが、このような指摘はリベラルや左派には受け入れられないようだ。最低賃金「だけ」に重点を置いた歪んだ政策提言だけが行われていて、筆者のような指摘は安倍政権擁護として断罪される。 日本には欧米的なリベラルや左派はほとんどいない。なぜか欧米の保守政権が好むような構造改革や財政再建政策が好まれる傾向にある(そのルーツの一部については過去の連載で触れた)。そして安倍首相の経済政策がむしろ欧米リベラルそのものであることを、謙虚に評価する必要があるのではないだろうか。これを頑迷なリベラルや左派ではなく、柔軟な精神をもつ人たちに伝えたいと思う。

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    アベノミクスにYES、カルト現象にはNOを突きつけた18歳選挙権

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 10日に投開票が行われた参議院選挙は、多くの世論調査の通りに与党の圧勝に終わった。 マスコミの多くが、「改憲勢力が三分の二をとれるかどうか」に選挙の焦点を特別に絞っていた。だが事前の世論調査では、どのメディアでも「社会保障」「雇用・景気」などの経済問題が圧倒的多数の有権者の関心であった。 また他方で今回の選挙は、「18歳からの投票」が可能になった初の国政規模の選挙になったことでも注目された。なぜ18歳から投票権が引き下げられたかは、現状の日本の人口構成比をみると、例えば65歳以上の高齢者たちが人口の圧倒部分を占めていて、そのため将来の社会を担う若年者の関心や政治的権能をすくい取ることが難しくなってきた実情をいくばくか反映している。世田谷区役所で期日前投票PRのデモンストレーションを行った女優の広瀬すずさん=7月4日、世田谷区 簡単にいえば高齢層が自分たちの既得権(特に年金給付が焦点)を失いたくないために、投票で事実上の結託をしてしまう“シルバー民主主義”が懸念されている。 だが今回の参議院選挙の投票率は過去の歴史の中でも低水準であった。「憲法改正」も無論そうだが、経済問題や「18歳からの投票」なども多くの国民の投票行動を平均的な投票率を超えて刺激することはなかった。 平均値も下がったが、若年者の投票率も毎回のように低迷したままである。もちろん年齢を引き下げたので、若年層の投票人口は増えているが、率としてみればいつもと同じく40%に届かず低迷したままであろう(これはこの原稿を書いている時点では、出口調査などからの推測でしかない)。対して高齢者の投票はこれまた毎回のように若年者に比して投票率でも上回り、また投票者数でもはるかに上回っている。例えば前回並みとすれば60歳代で70%に近く、20歳代のほぼ倍である。 高齢者たちのシルバー民主主義は健在であったわけだ。もし今後、このシルバー民主主義を抑制し、若年層の利害をより反映する仕組みにするならば、次の方策が考えられる(参照:八代尚宏『シルバー民主主義』中公新書)。1)被選挙権者の年齢を引き下げて若年層の利害をより反映することができる候補をたてることで、若年層の投票率を引き上げていく。2)全年齢層での投票の義務化。である。前者はかなり有望な選択肢である。後者は投票する事由、しない自由を含めて議論が多いだろう。経済合理的な意見を持っていた18、19歳の人たち 前者は筆者個人も推している。例えば今回の選挙でも「若者代表」というようなイメージを利用するかのような候補や戦術は多かった。例えばSEALDsはその初期からそのような「若者」の政治参加として注目を浴びてきた。今回の参議院選挙でもその動向は一部の人たちには注視されてきただろう。また東京都選挙区で立候補した三宅洋平氏は「選挙フェス」という目立つ手法で、聴衆の“熱狂”を駆り立てて、主にネットの世界で話題になっていた。 特に三宅氏には一部のタレントや著名人が支援をしたり、またtwitterなどでは「当確」だとか書く人たちもいて、正直、その熱狂はカルト的な雰囲気を生じさせていた。他方でその三宅氏の主張には他の識者たち(かくいう私を含めて)やネット民の間では批判が強かった。特にユダヤ陰謀論や似非科学的な言説(EM菌、ホメオパシーの推奨など)に批判が集中した。 今回、ネットでの熱狂とは異なり、東京都選挙区では早々に敗退が確定し、この原稿を書いている段階では各種調査では泡沫的候補に近いレベルでしかなかった。ネットが局所的な熱狂を生み出しやすく、また分極化(極端な主張にふれて対立しやすい)の典型例になったといえるのかもしれない。今後も注意してみておかなくてはいけない現象だろう。 ところで「18歳からの投票」を行った18、19歳の人たちの関心はどうだったろうか。先ほどのように投票率は低かったものの、他方でSEALDsなどが喧伝する「若者」的な意見とはかなり異なっていたようだ。NHKの出口調査によると、支持政党では自民党が他の政党を圧倒的に引き離していた。また安倍政権の経済政策(アベノミクス)を「大いに評価する」、「ある程度評価する」と答えたものは合わせて64%だった。これは他の世代に比べてもかなりユニークな特徴といえる。7月の世論調査では全年齢でアベノミクスに肯定的評価を与えたのが48%であったからだ。これは筆者の私見だが、2012年までの経済停滞よりもそこからアベノミクスによって高卒・専門学校卒、大学卒など新卒市場が大幅に改善されたことを、この年齢層の人たちが敏感に反応したからかもしれない。その意見はきわめて経済合理的だ。他方で18、19歳では憲法改正に慎重であり、また将来の財政・社会保障への不安を感じる度合いが高年齢層並みに高いのも注目すべきところだろう。 今回、メディアは憲法改正を大きなテーマにしてきたが、各種世論調査でも経済問題が最優先であった。結局、自称「改憲阻止」を訴えた政党はその念願を達成することなく終わるだろう。その意味では惨敗である。

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    共産党議員「人殺す予算」発言のホンネと安保法「違憲多数決」の誤解

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) NHKの討論番組で、共産党の藤野保史衆議院議員が防衛費を「人殺しのための予算」と発言したことが問題視され、その責任をとって党政策委員長を辞任したことは記憶に新しい。表向きは、藤野発言が共産党の方針と違うための辞任であると伝えられている。しかしネットではこの藤野発言こそ、共産党の自衛隊や防衛費に対する典型的な見方だという意見も多い。その傍証も目にすることができる。参院選に向け街頭で支持を訴える共産党の志位委員長=6月5日午後、札幌市中央区 例えば共産党の尾張美也子市議(東京国立市)は、Twitterで「人殺しの道具等の軍事費」として防衛費を批判している(現在は削除されて書影が保存されている)。また共産党がその党の綱領で、日本国憲法の全文を保持する一方で、自衛隊を違憲だとみなしていることは有名である。憲法違反の存在だから自衛隊の行う活動は違法だという、共産党の考えがストレートに表れている話だろう。個別的な自衛権の行使で、仮に何者かが殺傷される事態が生じれば、共産党の発想では法的裏付けがないために「人殺し」とみなすのだろう。そう理解してもなんの不思議でもない(念のために、個別的自衛権の行使で人が殺傷されるケースが生じないことを筆者が願っているのは言うまでもない。そういう事態を防ぐために我々はできる限りの努力をするべきだ)。 現状で、共産党や社民党以外の政党で自衛隊を違憲であると党是で主張している政党は国会で議席を占めていない。憲法九条は、日本が個別的自衛権を有していることを認めていて、自衛隊はその権利(個別的自衛権)の行使を行う主体として合憲である、というのが、圧倒多数の政党とまた国民の世論調査でも過半数を大きく上回る人たちの支持を得ている事実である。 だが共産党以外に、「自衛隊=違憲」が多数を占めているケースを比較的最近目にしたことを思い出す。朝日新聞が行ったいわゆる安保法制(平和安全法制)をめぐる憲法学者へのアンケート結果である。ちなみに朝日新聞だけではなく、テレビ朝日の「報道ステーション」や東京新聞も同様な調査結果を得ている。圧倒的だった憲法学者の「安保法制は違憲」 朝日新聞の当時(2015年7月11日)の報道によれば、安保法制が憲法違反にあたるか、という問いに対して、回答を得た憲法学者の答えは、おおよそ次の三つにわかれた。憲法違反が104名(報道ステーションでは127人)、違反の疑いがあるが15名(同12人)、また違反の疑いはないが2人(同3人)である。 このアンケートは一人歩きを始めて、いまも「憲法学者の圧倒多数が違憲といっているので安保法制は違憲だ」というものとして利用されている。つまり専門家たる憲法学者の圧倒多数がいうことが「正しい」という見方だろう。これを学術的に支持するような意見も目にする。 最近、坂井豊貴・慶應大学教授の新著『「決め方」の経済学』(ダイヤモンド社)を読んだ。坂井教授は『多数決を疑う』(岩波新書)で、新書大賞の上位にランクするなど新進気鋭の論客としても注目されている。筆者も坂井教授の『社会的選択理論への招待』(日本評論社)は名著だと評価している。 坂井教授は「多数決で正しい判断ができる確率」がどのくらいなのか、を問題にしている。これは「コンドルセの陪審定理」というものとして知られている。いくつかの前提が必要なのだが、坂井教授は安保法制が違憲か違憲ではないのかを、専門家たる憲法学者に聞くことこそがこの陪審定理の恰好の素材と考えている。 陪審定理を利用して、憲法学者の多数(上記のアンケートでは安保法制違憲派)がどのくらい「正しい」のか確率でわかるのだ。 報道ステーションの方の結果を利用した坂井教授の計算によれば、安保法制が違憲だと考える人たち(上記の127名)が、正しい意見であるという確率はなんと99%以上になる。 坂井教授の言葉を借りると、「安保法制は違憲の疑いが高いというよりも、純粋な違憲である」(『「決め方」の経済学』、160頁)となる。これは単に「多数決がいつも正しい」という次元のものとは違うことを指摘しておきたい。科学的な論証なのだ。 だが、筆者は坂井教授のこの計算は正しくないと思う。正しくないというのが言い過ぎならば、注意が足りないと指摘したい。 報道ステーションのアンケートには、調査対象になった憲法学者が、そもそも自衛隊を違憲と考えているかという質問項目がなかった。だが他方で、朝日新聞のアンケート結果では(当時、紙面にこの問いの結果が掲載されてないと批判を浴びたことは記憶に新しい)では、そもそも自衛隊自体を違憲と考えている人たちが大多数だったということが重要だ。陪審定理を単純に応用できない政治バイアス 冒頭の共産党ではないが、そもそも安保法制の行使主体である自衛隊そのものが違憲であるので、当然に安保法制も違憲なものとみなすのは自然な流れだ。だからこそ共産党は、安保法制を「戦争法案」と批判しているのだろう(筆者は愚論かデタラメだと思うが)。 日本報道検証機構がまとめた記事だと、実名がわかっている人たちの回答をまとめてみると、当たり前だが自衛隊を違憲と思っている人全員が、安保法制を違憲だとみなしている。他方で、自衛隊は違憲ではないと答えた憲法学者は実名では19名。そのうち違憲だとするものは8名、違憲ではないとするものは2名であった。「立憲デモクラシーの会」が主催する集会で、発言する早稲田大の長谷部恭男教授(右端)=2015年9月16日夕、参院議員会館前 陪審定理にはいくつかの前提条件があるのだが、その前提のひとつに「空気を読め」とか「ボスの支持にしたがう」など、自分の熟慮以外のものに影響されないというものがある。しかし自衛隊を違憲であるとするのはかなり政治的なバイアスをもつことは自明ではないだろうか。 例えばアベノミクスのうち、金融政策はリフレ政策ともいわれているが、このリフレ政策を支持しているマルクス経済学者もしくはその影響にある人は、筆者の知る限り、日本では松尾匡・立命館大学教授と稲葉振一郎・明治学院大学教授の二名ぐらいである。他の数千名に達するだろうマルクス経済学者たちはリフレ政策に反対か懐疑的である。マルクス経済学者に「リフレ政策は正しいか否か」を聞き、その結果を陪審定理で判断したら、間違いなく、リフレ政策は「誤ったもの」になってしまうだろう。つまりこのケースもそうだが、自衛隊=違憲という政治バイアスをもつ憲法学者が多数のケースに陪審定理を単純に応用するのは正しくないのだ。 ちなみに自衛隊を合憲とする人たちだけに絞り、陪審定理を適用しなおすと、安保法制が違憲であるという人たちが「正しい意見」になる確率は約55%になる。約99%とした坂井氏とは違い、まさに安保法制が専門家の見地からみても容易にどちらが「正しい解釈」であるのか、少なくとも陪審定理ではほぼ半々だ。このような安易な理論の援用ではなく、安保法制が日本の安全保障という現実の前でどのような意味をもつか、それと憲法解釈との真摯な対話という、まさに立憲主義の本義に沿って問うべきことだろう。

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    追加緩和に踏み切れない黒田日銀がハマった「先入観」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本銀行は6月16日の政策決定会合で、当面の金融政策の運営について「現状維持」を決めた。日本銀行が現状維持を採用するのではないか、ということはいわゆる市場関係者の多くが予想していた。この予想が裏付けられたことを反映して、株価は急落し、また為替レートは大きく円高にふれた。 また日本銀行の政策(2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」)に期待をかけている人たちに、今回の決定はかなりの失望をもたらした。円高が進行し1ドル103円台を表示する証券会社の株価ボード=6月16日午後、大阪市中央区(恵守乾撮影) 安倍首相の消費増税の2年半後への再延期をうけて、日本銀行側がどのような政策判断をするかに注目が集まっていたからだ。特に最近の世界経済の不透明感や、また個人消費を中心にした国内経済の低迷をうけて、このタイミングで追加緩和を行うべきだという見方があった。例えば、中原伸之元日銀審議委員は、メディアの取材に対して、消費増税という障害が取り除かれた今こそ、「号砲一発」大規模な金融緩和を行うべきであり、その手段として国債の年間買い入れペースを現状の80兆から100兆に増額することなどを提起していた(http://digital.asahi.com/articles/ASJ6956RFJ69ULFA01F.html)。 もちろん筆者も中原氏らの意見を支持しており、むしろ日本銀行の追加緩和はもっと早い段階で行うべきだったと確信していた。だが残念ながら冒頭にも書いたように今回も見送られた。 公式的にはその理由は、「雇用・所得環境の着実な改善」を背景にした「緩やかな成長」を実現しているので、緩和する必要を認めないということだろう。物価上昇率も、弱含みを認めつつも、目標にむけて改善していると解釈している。簡単に言うと「日銀シナリオ」に変更はない、ということだ。 公式的な理由以外では、1)委員会を主導する黒田総裁の「財務省的バイアス」、2)今年初めに採用されたマイナス金利政策の効果待ち、などがあげることができる。 黒田総裁の財務省バイアスというのは、財務省出身である黒田総裁にとっては、同省の悲願である消費増税を実現するためだけに金融緩和政策は貢献すべきであり、消費増税が先送りされた現状では追加緩和の余地はない、と考える姿勢である。「増税なくして追加緩和なし」とこの財務省バイアスはまとめることができるが、もし本当にそう思っているならば相当に重症なトンデモ経済論である。「金融政策は雇用政策である」 多くの中央銀行が共通して保持している政策は、究極的にはその国の経済の安定、わかりやすい指標で言えば実質経済成長率の安定化にある。実質経済成長率を安定化させる(=その国の潜在的な経済能力に見合った成長率を維持すること)は、雇用の最大化を通じて実現できる。中央銀行は金融政策を通じて、雇用の最大化を目指すので、しばしば「金融政策は雇用政策である」と表現されている。 この実質経済成長率が安定化したいわば副産物として税収が増加し、また税制度自体の信頼性が高まっていくだろう。どの中央銀行当事者も「増税」しかも「消費増税」のために金融政策を判断するなどと本心でも抱懐してはいまい。黒田総裁には、政府との協調を語る以上に、財政再建にかかわる発言が多いのは事実である。ただ財務省バイアスがどれだけ本当に政策判断を曇らせているのかは不明だ。 マイナス金利政策の効果待ちという姿勢は、黒田総裁の記者会見での発言でも明瞭に表れている。今回の政策決定会合後でも、マイナス金利の効果が住宅投資の改善など実体経済面にも波及していて、これからより具体化するとしている。 だが、マイナス金利政策のマクロ経済に与える効果は、現状の政策フレームの中ではきわめて限定的なものだろう。確かに政府の純債務に与える圧縮効果は大きいという財政面での貢献はある。長期国債の利回りもマイナス圏を安定的に推移している。他方で、個人消費や投資など総需要に与える影響はきわめて限定されたものになるだろう。その理由は簡単だ。マイナス金利は消費や投資を促す原因である実質利子率を引き下げる効果がその主たる狙いである。 実質利子率を計算する手法はいろいろあるが、ここでは簡便に財務省のホームページにある実質利子率の推移を見てみる。アベノミクスが行われた2012年後半以降では、現状の実質利子率は期間中の高め圏に属するものであり、マイナス金利の効果を検出することは難しい。確かに今後、マイナス金利政策の効果が表面化する可能性はある。 例えば、最近話題になっている三菱東京UFJ銀行の国債入札の「プライマリー・ディーラー」の資格返上は、ありていにいえばマイナス金利政策によって国債保有をする経済的魅力が急減した証拠であろう。市場での国債買いオペにはもちろん支障はないし、銀行が過度に国債を保有するのではなく、貸出増加に傾斜していくことはむしろ歓迎すべきだろう。 だがマイナス金利政策が実体経済に与える影響を見つけることは、今も指摘したがかなり難しい。むしろ実質利子率が、アベノミクス始動後では高め圏にあることが問題だ。これを低下するためには、今現在の追加緩和が必要であろう。だがマイナス金利の効果待ちという日本銀行の姿勢そのものが、追加緩和の「足かせ」になっている可能性が大きい。日銀の公式見解、シナリオの背後にある罠 ところで、さらに問題なのは、公式見解「雇用・所得の着実な改善」というシナリオの背後にあるものだ。これは日本銀行がいわゆる構造的失業(金融政策では引き下げることができない失業率の水準)がどの程度であるか、という「こだわり」だ。日本銀行自体が明示的な目標失業率を明示したことはないが、おおむね3.5%前後を構造的失業率と考えているらしい。構造的失業率に到達すれば、あとは急速にインフレ率が上昇するだけなので、経済的損失が大きくなり、むしろ金融引き締めに転じることが望ましい。会見場をあとにする日銀の黒田東彦総裁=6月16日、日銀本店(大西正純撮影) だが、日本の失業率は現在3.2%であり、日銀の暗黙の目標失業率からかなり下回っている。この失業率はまだ低下する余地があるというのが標準的な経済学の示すところだ。常識的に考えても人手不足になれば、経営者側は雇用条件を改善し、多くは賃金を引き上げていくだろう。所得や賃金の改善は、やがて旺盛な需要となって財やサービスの価格を平均的に引き上げていくだろう。だが、そのような段階まで人手不足にはなっていないことは常識的な観察からもいえるだろう。 常識的な観察から離れた経済学の推計でいえば、日本の構造的失業率は2.7%から2.4%の間のどこかである。「どこかである」というのは不正確な話に思えるかもしれないが、実際には構造的失業に接近すれば、賃金・物価が上昇し始めるのでそれをみて政策判断をすればいいだけである。またそのための2%のインフレ目標ともいえる。経済が過熱してもインフレ目標の範囲内で金融政策をコントロールして、雇用の最大化、実質経済成長率の安定化を達成するのが、当たり前の経済政策の運営方法だ。 日本銀行が追加緩和しない背景にはこの構造的失業が高めに設定されているという可能性がある。だがそのような「こだわり」は単に間違いである。なぜならいまも書いたが、本当に構造的失業率に至っているのならば、現状のように物価上昇率が低下リスクにさえも直面することはありえないからである。 実は構造的失業率を高めに推測し、またその反映でインフレ目標の到達を軽視する姿勢は、日本銀行だけの問題ではない。米国のFRBも同様の姿勢を採用してしまっているといっていい。 米ブラウン大学のガウティ・エガートソン教授は「日本経済新聞」への寄稿の中で、FRBが雇用の最大化を実現できていないこと、つまりは米国経済の潜在成長率に見合った雇用を生み出していないにもかかわらず、金利引き上げスタンスを維持していることを問題にしている。言い換えれば、米国は金利引き上げどころか、むしろ金融緩和スタンスに回帰すべきなのだ。筆者もこのエガートソン教授の見解に賛成である。 日本では米国同様に雇用への間違った見方が採用されているのに加えて、財務省バイアスの潜在的可能性、そしてマイナス金利政策の「足かせ」が、日本銀行を大きく拘束してしまっている。それは日本経済が再び停滞の罠に引き戻される不気味な予兆でもあるだろう。

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    財務省的「クソゲー」政策論が無視する財政危機の真犯人

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本のインターネットで話題になっていることのひとつに、東京財団がネット上で公開した「長期財政推計モデル」がある。朝日新聞などがこの財政推計モデルに言及して、この推計があたかも現実の財政状況の見通しを与えているかのような報道したのをきっかけに、ネットで議論の火がついてしまった。 例えば、この推計モデルで計算すると、先に延期が決まった消費増税を2017年度に予定通り実施しても、まだ政府の債務残高は名目GDPに対して大きく発散拡大してしまう。消費税率が8%のままだと、名目GDP比でいうと約4倍になってしまうという。これはあえて家計に例えると、年収(名目GDPに該当)の4倍ほどの借金を抱えて、その借金の額の増加に歯止めがかかっていないことを意味している。 報道ではさらに、「消費税を北欧並みにあげるか」もしくは同時に「医療費の自己負担を増加するか」しないと、この債務残高の発散はとまらないと“現実的”な政策提言に結びつけている。 結論を書けば、この長期財政推計モデルを使って、それが将来必ず起こる「財政危機」的な状況だと思い込むことは間違いだ。 ましてやこの推計モデルの結果を利用して、1)現在の消費増税の延期について評価する、2)将来の消費税率の引き上げや医療費などの社会保障の見直し議論に直接結び付ける、といった発言は、ただの「トンデモ」である。 まずネットでも批判の主眼になっているが、この長期財政推計モデルは、例えば消費税率をどれだけあげてもまったく経済成長に影響することはない。簡単にいえば、消費税率をあげればあげるだけ財政状況が改善するだけの、まさにクソゲーである(高橋洋一・嘉悦大学教授の指摘)。ネットの有志が、1000%に消費税をあげたところ、税収の方が経済規模を上回るという異常な事態が現れるという。 マクロ経済要因を一定にしたうえで、消費税率の変化がどのような財政予測を出すかを示しただけ、というもっともらしい「弁護」もあるが、それこそこの予測モデルの政策論的な意味でのダメっぷりを示しているものはないだろう。 なぜなら現状の財政悪化の真因は、過去の消費税率引き上げなどの「緊縮病」や、また日本銀行の事実上のデフレ放置のつけが溜まっていたからだ。つまりこの予測モデルが仮定で除外している、消費税率からマクロ経済要因への影響こそが決定的に重要なものだった。20年前から日本が罹患した「緊縮病」 このことを端的に示すのが図表1だ。この図表1は、国債残高比率(名目GDPに対する名目国債発行残高の比率)での推移を示したもので、これは先の東京財団の長期推計で重視されていた指標の“現実の動向”である。中央大学の浅田統一郎教授による優れたマクロ経済の教科書である『マクロ経済学基礎講義 第3版』(中央経済社)では、この国債残高比率が近年急増しているのは、まさに財務省の消費増税路線=「緊縮病」と、日本銀行のデフレ放置によるものであったことを解説している。図表1 浅田教授の解説を簡単に紹介すると、1980年代に低位安定していた国債残高比率が1997年以降急速に増加に転じたのは、財務省(当時は大蔵省)によって主導された3%から5%への消費増税引き上げが原因である。この97年以降から、日銀がコントロール可能なマネーの成長率が極めて低く、また財務省と政府がコントロールしている名目政府支出の成長率も極めて低くなった。まさに「緊縮病」に日本は罹患した。日本銀行はマネーをしぼり、政府・財務省は公共支出を減少し続けた。 浅田教授は以下のように書いている。 「消極的な財政金融政策によって引き起こされる経済停滞により、国債残高比率の分母である名目GDPが増えなくなってしまうということが主な原因」であった。 このように東京財団の長期財政予測と称したモデルは、日本の政策議論にかえって誤解をもたらしかねない。実際に先の新聞報道はそのような誤解の典型だ。 東京財団のモデルでは、報道などでも解説されていたように、消費増税の延期は国債残高比率を発散させることに貢献してしまう。しかし現実の経済をみれば、今回の消費増税延期は、むしろ経済の大きさを安定化することで、財政危機的状況を回避するだろう。 また将来的な消費税率の引き上げもマクロ経済への影響を無視してはいけないことになり、これも東京財団モデルでは除外されていることだ。さらに同様のことが、医療費の自己負担の増加についてもいえる。自己負担額の増加も増税と同じ緊縮的な方向に寄与するだろう。 要するに東京財団モデルの特徴を誤解して利用するマスコミなども問題だが、そもそもこの予測モデル自体が政策ベースで使えない代物なのだ。 過去20年にわたって行われてきた経済政策論争は、「社会保障の拡充」や「財政危機」を錦の旗(=言い訳)にして、財務省や日本銀行の主導のもとに一貫して緊縮病的な政策思想にふりまわされてきた。今回の財務省的「クソゲー」騒動には、この緊縮病がいまだに健在であり、社会的なエスタブリッシュメント(官僚や官僚的組織、マスコミ、そしてアカデミズムなど)の中にがっつり根をおろしていること、それを退治するにはまだまだ困難が待ち受けていることを証明している。

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    消費増税なくして「財政再建も社会保障もなし」の大ウソ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 安倍首相は6月1日夕、来年4月に予定されていた消費増税を「2年半」先送りすることを表明した。平成32年(2019年)10月に現行の8%から10%に消費税率を引き上げることになるという。この再延期の理由は、1)海外経済の不安定性などリスク要因が無視できないこと、2)この世界経済リスクの下で「内需」を「腰折れさせかねない消費税率の引上げは延期すべきである。そう判断」した、と首相は述べている。記者会見に臨む安倍首相=6月1日午後6時1分、首相官邸(代表撮影) 安倍首相の1日の記者会見は現状の安倍政権の経済政策のスタンスを考えるうえで非常に興味深い(全文及び動画はこちら)。まずいま要約したように、現状の日本経済が低迷しているという認識は、安倍首相のこの記者会見では“明示的には”見当たらないことだ。つまり先の5%から8%への引き上げによる消費低迷の継続など、日本経済の現状の「内需」の弱さの説明はない。代わって日本の雇用状況の改善(有効求人倍率の歴史的にみない改善、パート自給の上昇、中小企業含めた倒産件数の大幅減少など)を丁寧に説明した。経済政策の主目的が「雇用の改善」であることを考えれば、拙速なアベノミクス批判が雇用状況を無視する傾向にある中では適切な事実の指摘だろう。 他方で気がかりな点がある。8%への消費増税の悪影響が今回の記者会見に“明示的に”ないことは、首相がどこまでこの悪影響の大きさを認識しているかに不安が残ることだ。これは今後の日本銀行との政策協調、補正予算の内容と規模などにも影響してくるかもしれない。 他方で、重点がおかれたのは、3)財政再建への堅持の姿勢である。首相の発言を引用すると、「3年間のアベノミクスによって、国・地方を合わせて税収は21兆円増えました。その2年半の延期によって、その間にアベノミクスをもう一段加速する。そのことで更なる税収アップを確保し、2020年度のプライマリーバランスの黒字化を目指す考えであります」とある。「政治的に必要」プライマリーバランスの黒字化は成功するか 基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化にはさして大きな意義はない。財政の深刻な状況を回避したければ、名目成長率を上げ(生活実感でいえば給料やバイト代の上昇だ)、名目金利と同じかそれを上回ればいいだけである。ちなみに現状の国債金利はマイナス圏であり(例:新発10年国債利回りではマイナス0.095%)、デフレ脱却後も安定的推移になる蓋然性が極めて大きい。プライマリーバランス自体の黒字・赤字の目的化に固有の意義が認められないとする議論は別サイトでの論説に書いたので参照されたい。 したがって名目成長率が年3%程度で安定的に推移すれば、プライマリーバランスの黒字化も早期に達成できる。安倍首相自身も今回の記者会見で指摘したようにここ数年の21兆円になる税収増は、この名目成長率の増加による貢献である。 このようにプライマリーバランスの黒字化を、2020年にこれを達成できるかどうかは、経済的な重要性はまったくないが、政治的な意味はあるのだろう。 この「政治的必要」を真にうけてみて、2020年度のプライマリーバランスの黒字化は成功するだろうか? 嘉悦大学の高橋洋一教授は、最新刊『マイナス金利の真相』(KADOKAWA)で、消費増税を行えば(内閣府の予測とは異なり)2020年度の黒字化は失敗しかなりの赤字になること、さらに消費増税を見送れば2020年度の赤字はほぼゼロになると指摘している。 マーク・ブライス教授(米ブラウン大学)は、著書『緊縮策という病 「危険な思想」の歴史』(NTT出版)の中で、好不況に関係なく拡張的な緊縮政策の方が財政赤字を解消できるという「危険な思想」について批判を書いている。 ブライス教授の解説によれば、むしろ「経済成長なくして財政再建なし」なのだ。IMFの若手研究者たちは、財政状況の改善は、増税によるのではなく、(改善がみられた年度に)先立つ経済成長率が上昇していること、そして中央銀行(日本では日本銀行)が積極的な金融緩和政策を行うことで、金利を押し下げる効果と国債の買いオペによって、事実上の政府の負債を「圧縮」することによってもたらされたとした。 現状のような経済低迷のリスクの高いときに、消費増税などを行うことはかえって財政再建を遅らすことになるのだ。 この点は日本のマスコミ、識者、政治家や財務官僚に決定的に欠けている認識である。経済の情勢を無視した「緊縮病」こそ、日本の経済的不幸の根源である。消費増税を「新しい判断」で先送りすることは、「緊縮病」との戦いにおいて最低限必要なことである。 ちなみに日本銀行の積極的な金融緩和政策(インフレ目標と質的・量的緩和)によって、政府の負債の「圧縮」効果は目覚ましいものがあり、名目成長率の上昇による税収増なども含めて、日本の純債務はアベノミクス起動時の約200兆円から半分程度の約100兆円まで「圧縮」されている。  しばしばマスコミや世論でも、財務省のコントロールがきいているのか、どんな経済状況でも「2020年までプライマリーバランスの黒字化を目指すのが財政再建だ」とか「消費増税をしないと社会保障が拡充できない。なので増税を先送りにすると社会保障が大幅カットされる」などと思い込んでしまっている。「民主党の失敗」を引きずる安倍政権の経済政策の限界 日本に財政危機をもたらすとしたら、経済が低迷するリスクのあるときに増税や政府支出の削減をすることによってもたらされる。もちろん常識的にみてでたらめな浪費(わかりやすくいえば、現在の都知事の公費の無駄遣いなど)は抑制する必要があるが、経済リスクのあるときこそ、政府はどんどん歳出をすべきだ。そこにためらう必要はない。 安倍首相が記者会見時に行った問答の中では、(首相の発言がうまく推敲されてないが)10%に引き上げないのだから、それと引き上げない期間にそれと同じだけの社会保障サービスを提供することはできないと注意するとりあえずの「留保」をする一方で、世論の多くが注目している、「保育の受け皿50万人分の確保、来年度までの達成」、「介護の受け皿50万人分の整備」、「保育士、介護職員等の処遇改善」などを進めていくとしている。美容室「MASHU」の企業内保育所(同社提供) 先に社会保障サービスの点で「留保」をつけたと首相は述べたが、この「留保」を解消する方法は、首相自身が指摘しているように、税収を大きく今後の2年半で伸ばしていく方法だろう。この連載では何度も消費税の先送りは当然で、減税こそが経済を好転させると述べてきた。そして減税こそが、税収を増やすことで社会保障の拡充にもつながるはずだ。 だが、今回はまだ財務省や旧民主党(現在のほぼ民進党)の負の遺産である「税と社会保障の一体化」という悪しき政策を引き継いでいる。そのため減税を採りえることができない。ここに安倍政権の経済政策の限界がある。まさに「アベノミクスの失敗」ではなく、実は「民主党(≒民進党)の失敗」をいまだに引きずっているのだ。安倍首相の判断ミスは、この民主党(と財務省のコラボ)政権のときの負の遺産を過小評価していることにある。 だが次善の政策として多年度にまたがる政府からの直接給付政策を行うことは可能だろう。その財源は外国為替資金特別会計や、先の高橋教授の新刊に解説されている財投債などを活用した資金調達などが考えられる。またさらに有効なのは政府紙幣の発行だ。具体案はいくつも存在する。消費減税とそれと協調した金融緩和政策こそがもっとも効果的だが、現状で消費減税を採用しないならば、これらの次善の財政政策をいくつも組み合わせていくことを政府にはぜひとも望みたい。 積極的な財政・金融政策こそ、財政再建と社会保障の拡充をもたらすのだ。世論の意識から「消費増税しないと社会保障拡充や財政再建できない」という財務省が無責任に作り出した現代の神話(緊縮病)を放棄することに全力をつくすべきだ。

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    「サミットもアベノミクスも失敗だ!」と政治対立を煽る悪いヤツら

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 伊勢志摩サミット閉会直後、安倍首相は麻生財務相、自民党の谷垣幹事長ら政権幹部に消費増税の再延期を行う意図を伝えたと有力メディアが伝えている。再延期の期限は二年半後の2019年後半までである。これに対して、一部の報道では2014年の延期の時のように衆議院解散をして民意を問うべきだとする意見や、社会保障対応のための確実な財源確保の点から難色を示す意見もあったと伝えられている。またすでに伊勢志摩サミットにおける首相の「リーマンショック級」の経済危機的状況であるとする現状認識に対して、野党やアベノミクスに批判的なマスコミや経済評論家などから異論が出ている。要するにいよいよ、アベノミクスを支持する勢力と増税勢力がその本性をむき出しにした政治闘争を繰り広げる状況になってきたといっていい。ちなみに後者の後見人は、もちろん財務省であり、私見では日本の停滞を演出してきた最悪の組織のひとつである。伊勢志摩サミットで議長国記者会見をする安倍晋三首相=5月27日、三重県志摩市(門井聡撮影) 実際に首相が本当に消費増税を「再延期」するのか、あるいは「凍結」や他の政策オプションを考えているのか、それは不明であり、本人が直接国民に語るまでその判断を慎重にしておくのが、我々の正しい態度だろう。そうしないと政局を操作したいマスコミや政党、官僚の思惑通りになる可能性がある。消費税問題と絡んで報道されることが多い、衆参同日選の可能性をめぐる問題も同じ態度をとるのが無難である。 ところでまずは、伊勢志摩サミットの経済政策上の成果をみておきたい。国内外の報道をみるかぎりその焦点は、安倍首相の積極的な財政政策への各国協調のとりまとめに尽きる。アベノミクスに批判的なマスコミの記者たちや政党関係者などには、世界的な経済危機にあるとする首相の現状認識や、それを裏付けるとされるデータ(コモディティ価格の下落幅など)が、作為的であるという批判を展開している。 首脳宣言を読んだかぎりでは、参加国が共通して経済的危機的なものと現状をみなさなかったことは明白である。だが他方で、安倍首相はその目論見である、世界経済低迷に対応する積極的な経済政策の出動が必要である、という「国際公約」を獲得したこともまた疑うことができない。懲りない「構造改革的」な人たち まず世界経済全体でその潜在能力を下回る経済活動であることは各国共通の認識として確立している。そのため各国がそれぞれの国の実情に応じて、ポリシーミックス(政策の組み合わせ)で対応していくことが明記された。日本の実情をみれば、経済状況が潜在能力を大幅に下回っていること(約10兆円規模のデフレ・ギャップ)は明瞭である。 このような現実の経済がその潜在能力を下回るときに行うポリシーミックスはなんだろうか。アベノミクスに批判的な勢力だけではなく、多くの識者や市場関係者、またマスコミなどが安易に口にするのが「生産性の上昇」を実現する政策や、または規制緩和や政府部門のリストラといった「成長戦略」「構造改革」的なものだろう。しかしこれらの政策は、現実の経済が潜在能力を下回っているときに採用されるものではまったくない。むしろこれらの政策だけを行ってしまえば、百歩譲って現在の経済状況は悪化したまま、多くは経済をさらに減速させることに貢献するだろう。実際に日本では過去20年以上、経済が停滞するたびにこのような「生産性上昇」をもたらす政策群が、声だかに強調されてきた。その結果、現出したものは、停滞の長期化、貧困の悪化などであった。正直、「構造改革主義」的な人たちは、懲りることがない人たちだと思う。 また「社会保障が安定しないために消費が減速して景気が不安定化する」という主張をする人がいる。だが、そうならば消費増税を5%から8%に引き上げればそれによって消費は回復するはずであるが、2014年4月以降、消費は急激に減少し、その後、低水準を継続している。例えば、 消費支出(実質)をみていくと、2014年は前年比マイナス2.9%、2015年はマイナス2.3%であり、直近でも前年同月比で0.5%(2016年3月、季節調整済)の低水準のままである。 そして日本経済が14年度から今日までマイナス成長から事実上のゼロ成長を続けているのは、この消費の低迷とそれに対応した投資の不安定にあることは明白である。もちろん経済低迷が継続すれば、やがて税収も減少していき、社会保障の安定的な財源も確実ではなくなるだろう。むしろ税収の安定を望むのならば、その必要条件は、現状の経済をその潜在能力に見合った水準まで引き上げることである。 通常、経済がその潜在能力を下回るときに必要とされるポリシーミックスとは、拡張的な財政政策と金融緩和政策の組み合わせにつきる。構造改革主義に毒された人たちを除けば、現状の世界経済に対応すべき政策の組み合わせはこのふたつだけ、と考えるのが常識であろう。世界経済のリスクが潜在し、なおかつ日本経済が大幅に潜在能力以下であれば、このポリシーミックスを駆使して経済的対応を行うことは、日本経済にとっても必要なことであるし、また日本経済が上昇していけば各国経済にも恩恵があるだろう。この政策意識にはなんの問題点もない。しかし国内をみてみれば、この政策担当者であれば当然の問題意識と政策対応に不満な勢力がある。特にサミットで経済危機の共通理解がないことだけに注目して、あたかもサミットは失敗だといわんばかりの主張は、ただ単なる政治的な対立を煽る悪質な発言である。 例えば、現状の経済問題は、1)国際的な経済の不安定化でもなく、2)消費増税のせいでもない、むしろアベノミクス、特にその金融政策の在り方が問題である、とする反対論は、トンデモ経済論の中でも究極の形態である。なぜ消費増税を牽制する人は構造改革主義に走るのか サミットの宣言をみても世界経済が(政策対応が必要な)潜在能力を下回っているという認識は共通している。そのこと自体だけでこの1)のトンデモ認識は却下されるだろう。実際に現実のデータを参照すると、構造改革主義的なイデオロギーが強いIMFの成長見通しでさえも世界経済の減速傾向を指摘している。世界経済の不安定化が、日本経済の現状の低迷を説明する要因ではない、と批判することは常軌を逸しているといって差し支えない。だが、繰り返し指摘するが、世界経済の不安定化が日本には関係なし、悪いのはアベノミクスのみ、という主張が実に多いのだ。さらに2)の消費増税の悪影響についてだが、先に指摘したように、目下の日本経済の低迷の直接の原因といって差し支えない。伊勢志摩サミットのワーキングディナーに臨むオバマ米大統領(奥左)、安倍首相ら各国首脳=5月26日午後、三重県志摩市 だが、民進党の岡田克也代表の「(首相のサミットでの発言は)理解に苦しむ、増税延期に利用している」という発言に典型的なように、なぜか世界経済が不安定化していること、さらに消費増税の悪影響があること、を無視して政府の消費増税先送りを牽制する政治勢力が存在している。 しかも彼らの代替政策の多くが、単なる構造改革主義的な発想(経済低迷のときに潜在能力の強化のみを図り、さらに経済を低迷させるもの)であることも問題だ。ここでは「増税延期に利用」が問題なのではない、むしろ「増税延期に利用」すべきときなのだ。「理解に苦しむ」のは、世界経済の不安定化と消費増税の悪影響を積極的に見ることができない人たちだ。つまりは現実を無視して、ひたすら政治的な攻防戦のみをしかけている人々の反知性的で、また現状の国民生活への酷薄な姿勢にある。 ところで安倍首相の消費増税の再延期は、報道によれば「二年半」もしくは「二年」ということだ。もちろん再延期は、経済政策的には正しい。だが、「二年半」などの期限を単につけることには意義が乏しい。2014年の8%引き上げの悪影響がまるまる残っている現状は、再延期だけではまったく解消されないからだ。公共事業中心の補正予算の編成が噂されているが、これも14年度、15年度の補正予算をみれば明らかなように効果はきわめて限定的である。 むしろいま求められるのは、財政政策に関しては消費減税である。本連載「増税先送りは当然! 消費減税こそ日本経済を救う」でも言及したのでぜひ一読をお願いしたい。最近では若田部昌澄早稲田大学教授が英語ブログで同様の主張を展開している(「日本の首相は消費税引き上げを延期するだろうか?」)。 若田部教授はさらに家計への直接的な給付も提言し、また日本銀行のさらなる金融緩和を提言している。これにはまったく異論がない。実際に減税や直接給付については、その財源不足を声だかに叫ぶ増税勢力の主張がでてくるだろう。これについては、日本銀行が積極的にサポートすべきだし、また未利用な財源が存在している(参考:消費減税には100兆円「余剰資金」を動員するしかない!)。 これからますます増税勢力とアベノミクスを支持する勢力との政治的闘争が白熱するであろう。予断なくこの政治の季節を国民は良識をもって判断していかなくてはいけない。

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    補正予算なんかじゃ消えない消費増税の「逆効果」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) しばしば安倍政権のアベノミクスに批判的な記事を大量生産する新聞や通信社を中心に、「安倍首相が消費増税の再延期を決断した」とするニュースを目にする。その報道が大きく伝わるたびに、官邸はこの「決断ニュース」を否定することを繰り返している。このようにアベノミクスに批判的なメディアに限って「決断ニュース」を繰り返すのは、メディアが政治の行方を自ら操作したいという思惑もあるのかもしれない。つまりメディアの「政局工作」の一面がどうも匂ってしかたがない。 実際には、安倍首相と菅官房長官は消費増税を「予定通り行う」とのコメントを繰り返している。最近では国会の党首討論の場で、民進党の岡田代表に対して、「専門家の議論も聞いて、適時適切に判断する」と発言している。要するに素直に解釈すれば、消費増税については現状では「予定通り」だが、その最終決断について首相は、メディアや野党の扇動に乗らずにフリーハンドをいまだ有しているという状態だろう。 ところでこの消費税増税をめぐって興味深い動きが、最近2つあった。ひとつは、民進党が消費増税の先送りを提言したこと、もうひとつは自民党の有志議員からなり、首相に近いといわれる山本幸三議員が会長をつとめる「アベノミクスを成功させる会」が消費増税と補正予算対策の組み合わせを主張したこと、である。「アベノミクスを成功させる会」であいさつする山本幸三衆院議員(右)。中央は本田悦朗内閣官房参与=2014年10月22日午前、東京・永田町の自民党本部(酒巻俊介撮影) 民進党の経済政策の認識には、いわゆるマクロ経済(雇用、経済成長、物価の問題)をまともに扱う認識に欠けている。その代わりに同党が長く保有しているのは、「局地戦思考」である。例えば、今回の消費増税先送りも、先の5%から8%への消費増税が今現在の日本経済の低迷をもたらしているとは考えていない。アベノミクスが失敗したゆえの経済減速と考えている。特にその失敗の過半は金融政策にあるというのが基本的な認識だろう。対して、民進党の進める政策は昔風にいえば「構造改革」、つまりは政府部門の収支の見直しということになる。最近の民進党首脳の発言でも、財政収支の見直しが消費増税先送りの条件になっている。 現在の日本経済は2014年4月以降から、消費水準の低下が持続していること、それに応じて設備投資などが不安定化していることが特徴である。消費の低迷は消費増税以外に考えられないが、それでもこの事実を消し去りたい人たちが指摘してきたのが、アベノミクスの成果にウソをつくことや、火山噴火やエボラ出血熱・デング熱が消費低迷を招いたとすること、さらには有名なところでは野菜不足を消費低迷に結び付けたものだ。後者のふたつはあまりにバカバカしいのでここでは触れない。ただこれらのバカバカしい主張がしばしば政府の委員会や組織で語られてきたことだけは指摘したい。 アベノミクスの成果についてウソをつくということは、簡単にいうと安倍政権ができてから消費増税が行われるまでの(実際には駆け込み需要の効果を抜かす)経済成長率の高さが実質GDPで2.6%の増加という目覚ましいものになり、その間、雇用状況が現在に至るまで大幅な改善に至っていることをまったく評価しないか、「アベノミクスでは成長は実現していない」とウソをつく姿勢を表している。アベノミクス批判の典型的な態度である。補正予算では消費増税対策にはならない! ところで直近の2016年1−3月期のGDP速報値でみると、実質GDP成長率は1.7%だが、多くの論者が指摘しているように、消費には力強さが欠け、設備投資は減少傾向で不安定化している。日本経済が民間部門を中心に不調なのは統計でも裏付けられていることだ。その主因は(民間部門の貢献する)総需要が不足していることにある。そうなると政府部門がこの経済の不足を補う必要があるのだが、先の民進党の「構造改革」路線では、むしろ政府部門のリストラをすることになり、政府から流れるお金を縮減してしまうだろう。経済が低迷しているときに採用すべきものではないが、マクロ経済を見ずに局地戦に魅かれる政党の体質ゆえに、なかなか改まることはないだろう。 他方で、自民党のほうも深刻だ。アベノミクスへの理解がかなりあると目されている山本幸三議員が会長をする「アベノミクスを成功させる会」が、消費増税を予定通りする一方で、10兆円超の補正予算を組んで増税への対応をするという提言をした。端的にいえば、これほど財務省が喜ぶ政策提言はないだろう。2014年の増税のときも補正予算を5兆円程度組んで挑んだが、その成果は悲惨であり、マイナス成長が持続し、さらなる追加緩和や補正予算が要求され、そして首相の増税延期に至った。ここが肝心だが、そのような追加対策を行ってもまったく消費が回復せずに、今日のはっきりしない景況を生み出していることだ。いいかえると、補正予算での対応は、まったくといっていいほど経済回復に効果を発揮していない。むしろ消費増税の実現を狙いたい勢力だけが、その成果を得ているだけだ。 この補正予算での財政政策の効果がない理由は単純だ。補正予算は一回限りのものだということ。それに対して消費増税は恒常的なものだ。いま現状で5%から8%への増税による負担部分が、だいたい10兆円ある(総需要不足の額と同じ)。そこにさらに税負担が2%増えると5兆円ほど(2%の消費税収に該当)、単純に総需要は落ち込むだろう。これに対応して今年度10兆円の補正予算を行っても、翌年度もそのままこの消費税ショックは残る。 さらに政府側が増税して事実上の緊縮財政スタンスを取っているのに、他方で日本銀行だけが金融緩和スタンスという、ちぐはぐした政策の組み合わせが金融緩和政策の効果を大幅に削減してしまうだろう。2014年以降の消費増税以降、マイナス成長と現状でも実質ゼロ成長が続く中で再度増税を行えば、マイナス成長に落ち込む可能性がきわめて高い。そしてそれは自民党の総裁任期を考えると、安倍政権が続く残り二年、現状よりも悪い事態が継続することを意味する。もちろんデフレ脱却は困難になるだろう。 注意が必要なのは、単に消費税を8%から10%にあげるリスクだけではないのだ。すでに5%から8%へ消費税を引き上げた悪影響が、まるまる残った中で、さらに同程度のマイナスのショックをわざわざ引き起こそうとしているということに、日本経済を沈没させる深刻なリスクがあるのだ。 いいかげんに財務省を中心とする増税勢力に国民の生活と政治がふりまわされる事態を止める必要があるだろう。

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    「日本型共産主義」を生み出してしまった江戸幕府の“悪政”遺伝子

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 最近、経済評論家の上念司氏とラジオ番組「ザ・ボイス そこまで言うか!」(ニッポン放送、5月4日放送 https://www.youtube.com/watch?v=LX4kceGVo0I)で共演して、現在の日本や世界経済の動向について意見を交わした。 私たちの共通する視点は、いわゆる「リフレ派」として表現されている。「リフレ」というのは、リフレーションの略であり、「日本経済の長期停滞は、持続的な物価下落とその予想が持続することが原因である。物価とその予想をコントロールできるのは金融政策なので、その政策転換が長期停滞脱出のキー」と考える立場である。ここでいう「金融政策の転換」は具体的には、物価下落(デフレ)から物価上昇(インフレ)への転換を目指すことである。これだけのことで日本経済が長期停滞を脱して再生することができるのか? とこの20年以上、多くの議論を招いてきた。 しかし第二次安倍晋三政権が発足し、その経済政策(アベノミクス)の中核に、この金融政策の転換が置かれ、それによって経済は急速に改善し、株価の上昇・円安の加速、企業収益や雇用の大幅改善がみられた。また日本の大問題と(私はそれは誤った認識だと思うが)散々いわれてきた「財政赤字問題」も大幅に改善し、事実上“終焉”した。 このようなリフレ派の考えはシンプルであるが、同時に強力なものである。だが、今日、財務省的な緊縮政策(具体的には消費増税)のために安倍政権と日本銀行のリフレ政策が不安定化し、日本経済に再び長期停滞に陥る危険が迫っていることは、本連載で毎回のように書いていることである。 ところで上念司氏の近著『経済で読み解く明治維新』(KKベストセラーズ)は、この金融政策の転換(デフレからインフレへ)が、江戸幕府の崩壊と明治維新の成功を解き明かす最大のキーであることを示した優れた評論である。先のラジオ番組の合間にも、上念氏のこの近著を話題にして大いに盛り上がった。幕府がデフレを選んだ理由 詳細は同書を読んでほしいのだが、江戸幕府というのはデフレの維持を目的にした経済システムである。幕府も諸藩もともに緊縮財政の結果、経済が疲弊し、米価の低迷はさらに財政状況を悪化させ、経済全体を停滞させてしまった。 なぜ幕府はデフレを選んだのか? それは緩やかなインフレになってしまうと経済が活性化してしまい、特に農村部から(より経済的利益を生みやすい)都市への人口流出を生んでしまう。農村部は米の生産、つまりは幕府や諸藩の収入の基礎である。そこから農業生産者が流出してしまうことは、当時の幕府・諸藩には認めることができない事態だった。そのためそのような人口流出(米の生産減)を抑制するために一貫したデフレ政策がとられた。たまに江戸時代の中で貨幣改鋳などでマネーの量を増やし、経済を低インフレの形で活性化する政策がとられても、すぐに当時の財務省官僚的な連中が「緊縮!」と叫んで、たちまち経済はデフレに戻り、停滞してしまう。停滞すれば幕府は安泰と考えてしまっていたのだ。以前、ある政治家と議論したときに、「景気がよくなってしまうと消費増税ができない」と言っていたが、その議員の発想は江戸時代並みだということになるだろう。加賀藩主も立ち寄ったと言われる江戸時代の「米屋」 だが実際にはデフレを続けることで、幕府や諸藩の財政状況はさらに悪化してしまい、それが江戸幕府の終焉を招いてしまった。この過程を上念氏の『経済で読み解く明治維新』は実にわかりやすく解説している。 ところでこの幕府のデフレ政策は、のちに日本のマルクス主義者たちに引き継がれていった。戦前日本のマルクス主義の代表者である河上肇(1879-1946)は、江戸時代のデフレ政策を高く評価していた。マネーだけ増やしても経済では贅沢だけが増えてしまい、むしろ経済格差が深刻化してしまうだろう。しかも農村から都市へ人口が流出してしまうと、農村が人口の供給源なので人口減少を招き、人口減少は経済や社会の停滞をもたらす。農村の人口減を阻止するデフレが望ましいのだと考えた江戸時代の官僚たちの発想は、河上にとっても重要なものだった。むしろ農業部門で働く人たちを増やし、日本経済を導くリーディング産業として農業を再生することが、日本の経済発展の基礎である、と河上は信じていた。 ところが河上はのちに米騒動(1918(大正7)年)を契機にして、農業部門の生産性の限界(米の構造的不足)を認識するようになり、もはやいまの資本主義経済では日本を支えることはできない、むしろ体制を転換してソ連型の共産主義国家にすべきだと強く確信するようになった。ちなみにその当時激しさを増していたデフレ型の恐慌は体制転換に伴う“必然”的なものであり、金融政策を転換してデフレ経済をインフレ経済にしても意味がない、と主張した。実際に河上はこの立場から、当時のリフレ派であった石橋湛山と昭和恐慌の時代に激しく論争した。注目に値する坂本龍馬の経済論 いずれにせよ、江戸幕府から続くデフレ政策好きな遺伝子が、明治以降もマルクス主義や日本型共産主義の中に脈々と受け継がれていき、一種の「金融緩和政策嫌い」「リフレ嫌いデフレ好き」とでもいう病理的現象を生み出していったひとつのルーツをここに見出すことができる。 ところで明治維新を生み出した功労者であった坂本龍馬の経済論は、江戸時代の官僚や河上肇に比べると金融政策の転換を重視していることで注目に値する。坂本は今日の「会社」の先駆といえる海援隊を設立・運営したり、貿易を立国の基礎と考えていた。そのため彼は貿易に欠かせない為替レート政策の構築を重視した。江戸幕府の為替レート政策もまた「失政」であったことは、上念氏の先の著作にまた詳しい。そして諸藩の財政危機の根源が、借金をリスケジュールすることで解消するということ、そのキーがリフレ政策であることも理解していたように思われる。 坂本龍馬が実際にどんな人であったかは、現在は文庫版で『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)という本がでているのでそれを読めばおおよそのことがわかる。例えば慶応三年(1868年)に後藤象二郎に宛てた手紙には、大政奉還を実効性のあるものにするために、貨幣鋳造の権利を幕府からとりあげて、さらに銀座を京都に移すことをすれば、幕府の権力も有名無実のものになると書いている。これなどは龍馬の政府運営における金融政策の転換を重視する立場を端的に表しているだろう。龍馬の経済政策の師匠である横井小楠は積極財政政策を唱え、「日本のケインズ」ともいわれているが、龍馬が金融政策の転換を重視したのは、マネーを増やし、それで財政政策も積極的に行えば、日本経済も活性化すると思っていたと解釈することはそんなに間違ってはいないだろう。 さらに坂本が起草した「船中八策」や「新政府綱領八策」には、新政府の取り組むべき問題(八策の中のただひとつの経済項目)として、「金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事」が強調されている。為替レートを日本経済に負担をかけない形で、諸外国と交渉すべし、という態度は、他の幕末の志士たちにはあまり見られない卓見である。少なくとも「円高=円が尊敬される」と盲信している現在のトンデモな経済論者たちよりも数段ましであることは確かである。

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    世界市場が失望した日銀の「無策」に裏はないのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本銀行の金融政策決定会合が4月27、28日の両日に行われた。その結果は、熊本・大分地震への対応を除けば、ゼロ回答に等しく、日本銀行のインフレ目標の到達を先送りするというマイナス材料までも提供したものだった。本連載でも書いたように、今回の政策決定会合でより強力な金融緩和政策を実施すべきだったが、日本銀行の対応は失望するに値するものであった。 エコノミストやアナリストの多くが、今回の日本銀行の追加緩和の動きを予想していたし、市場でもその観測が根強かった。そのために日本銀行の事実上のゼロ回答は、株式市場と為替レート市場に強い衝撃を与えた。一瞬ではあるが、日経平均株価は1000円以上の暴落、また為替レートのドル円で2円以上通貨安に大きく振れた。結局、東京市場は前日比624円安で引け、この原稿を書いている時点(4月29日朝)では1ドル108円台と多少の落ち着きは取り戻している段階である。ただし日本銀行の政策決定の「驚き」は、世界市場にも拡大した。株価は現状ではやや戻しつつあるが、ニューヨーク証券取引所のダウ平均株価も大きく下落、上海総合指数も下落した。市場が予期しない形で金融政策が変化することは、必ずしも悪いことばかりではないが、今回の「無策」に応じた予期せざるショックは、ただでさえ不安定化していた株価や為替レートに好ましくない影響を与えたことだけは確かである。下げ幅がことし4番目の大きさとなった日経平均株価の終値を示すボード=4月28日午後、東京・八重洲 今回の日本銀行の金融政策「無策」への予測は、何人かの論者から出ていた。それぞれ傾聴に値するので簡単に紹介していこう。まず日銀の元審議委員である中原伸之氏は、ブルームバーグの報道(4月26日 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-04-26/O68AMX6JTSE801)によれば、インタビューの中で「日銀はいまは動く必要がない(と安倍首相は思っている)」と語ったという。特にその理由は、マイナス金利政策の効果が現れるのと見届けるべきだということと、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合物価指数が2月公表段階で前年同月比0.8%の上昇(最新では0.7%)であること、また中原氏によれば一ドル110円台の為替レートは「居心地がいい水準」であることも理由にあげている。「ヘリコプターマネー政策」採用の可能性は? また中原氏は安倍政権の政策指南役の一人とみなされているが、公的にもその立場をもつ内閣官房参与の本田悦朗氏も複数のメディアに対して、日本銀行は今回は動く可能性がないことを指摘し、また6月の政策決定会合での追加緩和の可能性を示唆するコメントを行っている。特に5月下旬の伊勢志摩サミットを契機にして、安倍政権が拡張的な経済政策に転換する必要性を力説しているところが注目すべきところである。消費税凍結・金融緩和・補正を含む大規模な財政出動の三者をほぼ同時に行うことで、「政策転換」を国民に印象づけるのは、本田参与のいうように政策効果の点ではきわめて大きなものになるであろう。本田参与が今回、日本銀行が動かない理由として挙げているのは、報道によれば中原氏と同様に日銀がマイナス金利の効果をまだ見たいということだ。さらに海外での英語ブログの執筆を続ける早稲田大学教授の若田部昌澄氏のエントリー記事も重要だ。「日本の上空にヘリコプター(マネー)は舞うのか?」(4月25日付)http://www.forbes.com/sites/mwakatabe/2016/04/25/will-helicopter-money-fly-over-japan/#1639263c4bcc では、従来の日本銀行のマイナス金利と質的・量的緩和政策を上回る緩和政策として、ヘリコプターマネー政策を採用する可能性を示唆しつつ、現状では大胆な政策転換の可能性は4月はないだろうと予測するものになっている。 へリコプターマネー政策とは、本連載でも取り上げているが、減税やまたは大規模な財政出動をするために発行する新規国債を(場合によれば市場を経由せずに)日本銀行がほぼそのまま買い取り、その見返りとしてお金を発行するものだ。政府は事実上、日銀を経由してお金を(インフレというコストを考えなければ)無制限に発行することも原理的に可能になる。もちろん実際にはインフレというコストが発生してしまうので、通常はそのような政策が行われることはない。だが、現在の日本経済は事実上のデフレ経済の体質の下にあり、4月の政策決定会合でも先送りされたように、インフレ目標にまだ未達の状態が続いている、そのためにインフレ目標という制御の下であれば、このようなヘリコプターマネー政策は、日本経済の刺激政策として十分に効果的なものである。このことについては、日本のリフレ派(デフレを脱して低インフレにすることで経済を活性化する世界標準の経済学)では共通の理解として従来から採用されているものだ。リフレ派の考え方に親和的な、黒田日銀総裁、そして安倍首相も十分にこの政策の意義を考慮にいれていると思われる。 いずれにせよ、この政策には、政府と日本銀行の協調が必要になってくる。私は日本銀行が今回の政策決定会合において、金融政策の大胆な転換を示して、政府の財政政策の幅を拡大すること(つまりヘリコプターマネーの準備完了)を告げることで、政策をリードするほうが望ましいと考えていた。だが残念ながらそのような政策転換は「先送り」された。日銀「だけ」のマイナス金利政策では意味がない マイナス金利政策については、いろいろ細かい技術的な側面が語られているが、マクロ経済政策的にみて重要なのは二点しか存在しない。ひとつは、消費や投資に効果を与える実質利子率への影響だ。もうひとつはマネーの量的な拡大と“合体”しないと効果が乏しいという側面だ。前者の実質利子率効果とはこういうことだ。消費や投資は現在だけでなく将来の計画も重要だ。車や住宅を購入する際のローン、または企業の新規ビジネスのための資金調達でも現在から将来にまたがる利子率の負担を考慮することはきわめて重要なことだろう。現在の名目上の利子率から、将来に発生するだろうインフレ率の予測を引き算すると、現在から将来にまたがる実質的な金利負担が求められる。それを「実質利子率」という。実質利子率は、名目利子率から予測されるインフレ率を引き算したものだから、現状の名目利子率は(マイナス金利の前までは)事実上ゼロだった。消費や投資を刺激するためには、日本銀行と政府はインフレ目標政策を導入することで、将来の予測インフレ率をコントロールすることで、この実質利子率を低下させてきた。 マイナス金利政策とは、それに加えてこれまで名目利子率はゼロだという「固定観念」を打ち破り、マイナスにもなるということを示した。他方でマイナス金利の幅はたかだか0.1%にしかすぎないことを見ることも重要だ。つまり実質利子率の引き下げ幅が小さすぎるのだ。そのため消費や投資への効果はきわめて限定されたものでしかない。そのため日銀「だけ」のマイナス金利政策は、私見によれば現状での事態がすべて語るように、ほとんど実際の経済には影響を与えないとみて差し支えないだろう。 4月の政策決定会合をうけての黒田総裁の記者会見では、今回追加緩和を見送った理由としては、要するに「マイナス金利の効果をまだ見守る」ためということだった。だが、いま書いたように、日本銀行「だけ」のマイナス金利政策では実質利子率効果の側面ではその影響は過小であり、世界経済のかく乱が続く中では今後もその効果が発現する可能性は低いだろう。さらにマイナス金利の幅を細かく引き下げる可能性はあるが、それは(原理的には引き下げ幅は無制限だが)逐次後退戦略的なものと理解されるおそれがある。金融政策決定会合後の記者会見を終え席を立つ日銀の黒田総裁=4月28日午後、日銀本店 だが、日銀「だけ」ではなく、政府との協調とともに行うのであれば話は別である。先ほどのヘリコプターマネーもこのマイナス金利政策とタッグを組めばきわめて効果的なものになるのだ。この「合体効果」による経済刺激効果は、例えば政府が行う財政政策が(デフレとデフレ予測が根にある経済では)ほとんどコストなしに行うことが可能だということになる。税金の調達もいらない(消費増税の必要もない)、また国債の将来返済も大きな問題ではない(マイナス金利なので)。 黒田総裁が記者会見で重視したマイナス金利の効果が明瞭になったり、またマイナス金利政策をより深掘りするためには、政府側との協調こそが最大の眼目になるだろう。今回の日銀の「無策」は市場を不安定化させた点でお世辞にもほめることはできないが、それでもこの政府との協調に希望は見いだせる。 雇用の指標などは相変わらず堅調だが、それでも新卒採用などは次年度の計画を大手企業の多くが夏の始まりとともに策定することが多い。そのためにも梅雨入り前の経済状況は極めて重要な意義をもつ。もちろん(悪化を防ぎ、より改善するためにも)雇用全般もこのままでいいわけではない。 5月下旬のサミットの前後で、安倍首相がどのような政策転換の決意と行動を示すのか、それに応じて6月の日銀の政策決定会合でどのような行動がとられるのか、実際にここにアベノミクスがどうなるのか、その命運がかかっている。

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    大地震を利用する増税派の悪質な手口を忘れるな

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「熊本地震」による深刻な被害が次第に明らかになっている。しかも強い余震がこの原稿を書いている時点でも続いていて、現地の方々の精神的な不安と肉体的な疲労は募るばかりだろう。まだ救援活動も継続している中で、熊本地震に関わる経済的な側面について論説を書くことを早急すぎると思われる方々もいるかもしれない。 しかし日本の政治や官僚(端的にいえば財務省)が、過去の大地震、特に東日本大震災で行った事例を思い出すと、私は安閑としてはいられない。なぜなら、大災害への救援活動が続く中で、当時の財務省グループ(増税を志向する政治家、財務官僚、それを支持する専門家やマスコミ)は、消費税増税をもくろむ様々な手段を一気にすすめようとしたからである。 東日本大震災の翌々日には、菅直人首相(当時)と自民党の谷垣総裁(当時)との間で、災害対策としての「臨時増税」が議論されている。この協議自体はのちに復興特別税として結実し、またこのときの与野党協議を基礎にして消費増税路線が構築されていった。増税派のやり口は急速で、また時には驚くほど露骨かつ大胆に進められる。 2011年当時、このような復興目的を利用して増税路線をまい進する政府と財務省、またそれを支援する経済学者・エコノミスト、マスコミに対して、私は経済評論家の上念司氏との共著で『震災恐慌』(宝島社)<後に『「復興増税」亡国論』として再刊>を出版するなどして猛烈な批判を展開した。 経済学の常識からすれば、大規模災害は、復興目的の国債を発行して、なるべく災害に遭遇している現時点の国民に負担を集中的に課すのではなく、きわめて長時間(場合によれば一世紀でもいい)をかけてゆっくりと負担するのが望ましいとされている。もし災害に直面している国民にも税負担を課してしまうと、経済的な困難がさらに増してしまう。また被災地を救援する多くの国民にも経済的な余裕を失わせてしまうことで、復興事業自体が滞ってしまうだろう。 だが、過去の阪神・淡路大震災のときもまだ復興の道半ばで、消費税増税が行われ、日本は経済危機に直面してしまった。もちろん経済的に弱まっていた阪神・淡路地域の方々の経済的困難は他に比べても深刻なものになってしまった。この教訓があるにもかかわらず、2011年当時の与野党の増税派は、大地震を口実に消費増税を推し進めたのである。熊本地震に際しての増税派的な動きは? 2011年から12年にかけて復興税に反対するために、言論の場だけではなく、きわめて少数ではあったが、与野党の議員の中で復興税に反対する勢力が形成され、積極的に反対活動が行われた。その中で、自民党の取りまとめ役として活躍したのが、安倍首相であった。この復興税に反対する議員連盟の中で、いわゆるリフレ派(デフレ不況を金融政策の転換で克服しようとする経済学者・エコノミスト集団)との接点が生まれた。それがのちのアベノミクスに至る大きな道になった、と私は推測している。 他方で、不幸なことに、復興特別税の法案は通過し、また消費税増税法案も決まってしまった。この消費増税がいまも日本経済の不調の主因であることは、本連載でも繰り返し強調してきたところである。 では、今回の熊本地震に際しての増税派的な動きはどうだろうか?自民党の全国政調会長会議であいさつする谷垣幹事長。隣は稲田政調会長=4月18日午後、東京・永田町の党本部 例えば自民党総務会メンバーは、4月19日に会合をもち、報道によれば「財政規律」や「(景気対策のための)財源のための増税」を主張する議員がいたとされている。景気対策のためには財源が必要であるとすることはいかにももっともらしいが、現時点で経済的な困難に直面している国民を救うために、一方では景気対策をし、一方では増税でさらに負担を増やす、という意味が不明の「悪しき財源論」は、日本の経済政策の中でも最もトンデモな議論といっていい。しかも前者の景気対策は短期的に終わってしまうが、後者の増税は恒久化してしまう。まさに国民の不幸につけこんだ非情なやり口である。 また稲田朋美自民党政調会長は、「固定概念にとらわれることなく議論する必要がある」として消費税のまずは1%の引き上げを志向する発言も伝えられている。もし「固定観念」にとらわれないとしたら、いままでの大災害や景気対策での「財源」としての増税路線を転換することが、まさに「固定観念」を打破するものではないだろうか? 他方で、与党の中では、景気の悪化や今回の熊本地震を考慮して、消費増税が困難になったという見方も強い。ただ安倍首相自身は、繰り返し消費税増税のスケジュールに変更はないことを今でも強調している。もしこれを額面通りにとれば、もちろん(地震災害と景気悪化の前では)最悪の選択となる。玉虫色な政策決定では効果は持続しない ただ消費増税をするか否かの政治的判断はまだ最終的なものではない、というのが大方の見方である。仮に現段階で、首相が消費増税の「先送り」や「凍結」を打ち出してしまうと、野党勢力はいまも公言しているが、このことを安倍政権の「口約違反」や政策のミスとして追及していくだろう。場合によっては内閣不信任案の口実とさえなりかねない。野党は(いろいろな能書きがあるようだが)表向きは消費増税に反対する態度を示しているが、政治的にみれば首相の消費増税凍結を阻止しているともいえる。参議院選挙を控える中で、首相はぎりぎりまで消費税に関する態度決定を回避することになろう。 また首相が玉虫色な政策決定をする可能性はあるだろう。例えば消費増税と同時に、一時的な給付金や大規模な公共事業を行う政策である。しかしこのような給付金&公共事業の組み合わせは、前回の5%から8%への税率引き上げ時にも行われたが、結局は金額も過小になり、また効果も持続的なものではなかった。その証拠に、今日の景気失速の主因は2014年4月の増税開始からまったく実質消費が回復しないことである。いまは景気対策をする一方で、他方で増税するという「悪しき財源論」や「財政規律」に依存する政策から脱することが必要なのである。後者でいえば、むしろいまこそ「財政規律」を破壊すべきなのだ。国の財政はなんであるのか? それは我々国民の生活を豊かにするためだ。現時点で経済的な困難に直面している国民に対して財政的救済を行わない政府などその存在意義を疑われてしかるべきだろう。それはもちろん被災された方々の苦境を救うために必要な絶対条件ともいえるものだ。 具体的な政策の大枠は前回のコラム「消費減税には100兆円「余剰資金」を動員するしかない!」http://ironna.jp/article/3146 で書いた通りである。消費減税を中心とする財政政策がベストであり、それをサポートする金融緩和政策が必要条件になる。金融政策の決定会合は、今週27日(水)28日(木)に迫っている。例えば、長期国債の買い取りペースを拡大し、政府が震災対策として発行する新規国債を吸収して予算をバックアップするのもいいだろう。また新規発行された「財投債」、既存の地方債や社債、さらに有力候補としては外債の買い取りによって、日本銀行のバランスシートの規模を拡大させ、緩和基調の経済を生み出していく。このような金融緩和政策を前提にして、政府は「悪しき財源論」「財政規律」論を封じこめ、より積極的な財政政策を打ち出すことが、何度も繰り返すが必要であろう。 われわれ国民ができることは、災害を利用する増税勢力をつねに監視し、警戒を強めていくことである。彼らは甘くはない。

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    消費減税には100兆円「余剰資金」を動員するしかない!

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 先日、経済評論家の上念司氏、エコノミストの片岡剛士氏と私の三人で、近時の経済問題について公開討論の機会を得た。我々三人は世の中でいうところの“リフレ派”である。“リフレ”は、リフレーションの略語であり、日本の長期停滞がデフレ(物価下落)とデフレ予想によってもたらされ、その解消には金融政策の転換を必要条件にした低インフレ(とその予想)が必要だと考える人たちである。 その討論の場では、現在の日本経済の状況を打開するための政策手段が話題になった。特に上念氏から日本の外貨準備高を財政政策の財源として活用する案への同意を求められた。私も執筆者のひとりである『日本建替論』(麻木久仁子・田村秀男・田中秀臣、藤原書店2012年)で、かってこの外国為替特別会計(外為特会)の積極的活用を、共著者の田村秀男氏が主張したからである。本の宣伝文句が、「100兆円の余剰資金を動員せよ!」とあるのは、この外為特会の活用に基づく。 そもそもいまの日本経済の状況を「GDPギャップ」の観点からみてみよう。GDPギャップとは、日本経済全体の購買力(=総需要)がどれだけ財やサービスなどの総供給量に上回るか、あるいは不足するかを示す指標である。最近の日本経済の低迷をうけて、GDPギャップはマイナス幅を拡大していて、内閣府の試算では約8兆円程度である。このGDPギャップのマイナス幅の拡大(デフレ・ギャップともいう)は、主に消費増税の影響でもたらされた。片岡氏は独自の試算で、デフレ・ギャップを埋め、さらに2014年から続く消費増税のマイナスの影響を払拭するためには、約8兆円規模の消費減税が必要であると主張している。私も本連載で強調してきたように、消費減税に賛成するものである。 他方で、このような「減税」議論をすると必ずでてくるのが、“財源論”という奇怪な考えである。そもそも増税によって経済が停滞してしまい、それが将来的な財源を失ってしまうので、それを回避するために減税を行うというのが趣旨だ、それなのに、なんで今現在の減税に財源を要求されるのかまったく理解しがたい。減税する一方で、それと同額の財源(増税など)を課せば、プラスマイナスゼロでまったく意味のない政策になってしまう。しかしそれがいまの日本の財務官僚とその支持者たちの発想なのである。 先の三人の公開討論でも話題になったのだが、現在の政治状況と世論の動向を踏まえると、すでに消費増税の凍結は自明のことのように思われる(むしろ実施すれば安倍政権とその経済政策の終焉を意味するだろう)。 問題はいつそれを公表するかだ。5月26,27日に開催される伊勢・志摩G7サミットの会期中もしくはその前後が有力視されている。と同時に、(ドイツを除く)多くの先進国が共通して志向している世界同時リフレとでもいうべき事態に対応すべく、日本政府と日本銀行はより積極的な財政政策と金融政策の採用が求められている。受身じゃない、攻めの政策決定を 消費増税の「凍結」もしくは「先送り」は、いわば受け身の政策決定であり、これ自体は政府の政策スタンスを確立するうえではきわめて重要なのだが、当面の景気失速を解消する手段ではない。攻めの政策決定の核は、消費減税を中心にするのが最善だ。 もっとも現実の財政政策にかかわる動きを推察すると、旧来型の公共事業の増額、各種給付負担の減免など細々した項目が集積した、官僚たちの“お勉強”の結晶になってしまう可能性がある。金額も片岡氏の推奨する金額にははるかに届かないのではないか、と懸念している。おそらく先の“悪しき財源論”が大胆な財政支出を制限するものとして機能している。 冒頭で紹介した外為特会にある外為資金(中核は米国債)を活用した政策は、このようなとは一線を画すものだった。 2015年3月末の外貨準備は約1兆2600億ドルである。現在のレートで日本円に直すと136兆円ほどになる。これだけの巨額の外貨を積み上げている必然性に乏しいことは、経済学者の高橋洋一氏らによってもしばしば指摘されてきた。おそらくこれだけの巨額の外貨準備が積みあがる背景にはそれなりの既得権益が存在するに違いないが、それはまた別の機会に譲りたい。 田村秀男氏は先の『日本建替論』の中で、「外為特別会計の中にある米国債など外貨資産をそっくり日銀に売却し、日銀の資産に置き換える。日銀は政府から譲渡された外貨資産相当の日銀資金を発行し、政府に支払う。政府はこの100兆円の資金を創設する「復興・再生基金」に組み込んで」、当時の議論の対象であった大震災からの復興事業やデフレ脱却のために活用する、というのが我々の主張のひとつであった(同書、215頁以下)。 もちろん100兆円(現状では130兆円規模)すべてが利用できるわけではない。田村氏の主張では曖昧になっているが、外為特会は資産と負債からなっていて、日銀から米国債の代わりに日銀券で政府側資産が置き換わっても、負債側(為替介入のときに発行された政府短期証券など)はそのまま残っている。また現状では、(2012年当時とは異なり)外為特会の運用基準が変更され、外為資金の運用収入からコストを引いた剰余金の半分ほどが一般会計の歳出に繰り入れられてもいる(平成27年度では1兆4280億円)。もちろんこの額を増額することは原理的に可能であり、最低でも追加的に1兆円超の金額を活用することができるのではないだろうか。拡張的な財政政策を金融緩和が支援せよ ところで田村案が今日でも重要性を持つのは、日銀と政府の協調を指摘しているところだ。先の三人の討論会でも日本銀行の金融政策の緩和拡大が、財政政策のいわば必要条件として議論された。例えば、首相が消費増税の「凍結」もしくは「先送り」の表明と同時になんらかの拡張的な財政政策を打ち出す(繰り返すができれば消費減税が最善だ)。その拡張的な財政政策を支援するのは、財政政策の「財源」ともなる新規国債や既発国債の買い取りを(市場経由だが)より一層日銀が拡大していくことが必要だ。日銀の財政政策を支援する金融緩和政策の公表タイミングは、早くて4月下旬の政策決定会合か、あまり評価できないが遅くても6月の政策決定会合にすべきだ。 例えば、どのくらいの金融緩和が必要かといえば、私見ではその規模は(インフレというコストを無視すれば)事実上制約はない。例えば、日本銀行は、長期国債については、保有残高が年間約80兆円に相当するペースで増加するよう買入れている。これを倍増することも容易だ。より極端にいえば、市場に存在する(また新たに追加される)国債をすべて吸収する構えでもいいのだ。田村氏のかっての主張をまねて、新たに「100兆円の余剰資金」を用意することも、日本銀行の現状の政策フレームで可能だろう。 もちろんインフレ目標があるので、金融緩和政策の効果でインフレ率が上昇していけば、その買い入れペースを調整していけばいいだけである。なおETFや社債などの買い入れ枠の増加も同様の理由で行うべきである。 このような金融緩和による政府の財政支援は、きわめて効果のあるものになる。実際に政府と日銀の協調的な拡張政策がとられることが確実視される段階で、株価と為替レートが好転する可能性さえあるだろう。実際にそれが起きたのが、安倍政権の誕生が確実視された2012年秋以降の展開であった。 今回は政権誕生というモニュメントが不在である。対して国際リフレ競争表明の場になると期待されるG7の場が用意され、また消費増税の「凍結」といった政治的な好機はある。これを利用して、日本経済の景気失速を防ぐことを期待したい。(注)冒頭の上念、片岡、田中の公開討論会の内容は、以下から(無料会員登録でも)購入可能である。https://y-e-lab.cd-pf.net/?next=%2Fstore

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    「円高シンドローム」が国民を殺すだろう

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本経済に赤信号が点灯している。 もちろん「アベノミクス失敗」であるとか、「失われた20年」に完全に戻ってしまったとか、あるいはより具体的に失業が激増したとか、倒産件数が急上昇とか、そういう現状ではまったくない。しかしこのまま事態を放置すれば、日本経済は間違いなく長期停滞に再帰してしまうだろう。 日本の経済低迷の主因はデフレとデフレ予想の定着にある。 デフレとはデフレーション(物価下落)のことであり、これは財やサービスの平均価格のことである。個々の商品の値段が下がることと区別することが重要で、例えば、吉野家の低価格商品として豚丼の復活が最近話題になったが、この豚丼の価格低下をデフレとはいわない。これは単にひとつの財の価格の低下であり、財やサービスの(代表的なものを組み合わせた)平均価格とは全く異なる概念である。 このデフレが進行する状態は、(日本経済の現状から)ざっくり言うと人々の財やサービスを購入するお金が不足するために生じている。具体的には民間の消費、投資、政府から出るお金、そして海外から入るお金の純増部分(輸出マイナス輸入)から構成されている。この経済全体での物を購入するお金の不足を「総需要不足」という。 日本のデフレはこの「総需要不足」が招いている。またより深刻なのは、このデフレが現在だけでなく将来にわたって続くと人々が予想する「デフレ予想」(デフレ期待)である。現在だけでなく将来にわたって、人々がモノを買うお金に不足する(これが経済全体で生じていることがポイント)と考えてしまうと、消費を控えるだろうし、また企業も売り上げの低迷を予想して投資活動を抑制するだろう。デフレ予想が続くと現在だけでなく将来の経済の低迷までも招いてしまうのである。 このデフレとデフレ予想は、経済に回るお金の量の不足とそれが今後も続くという予想のことだから、解決策は、現在のお金を増やし、将来のお金が増えるという予想を生み出すことに尽きる。これを言い換えたのが、インフレ目標を伴う金融緩和政策であり、積極的な財政政策である。「インフレ目標」は将来、デフレではなくインフレ(物価上昇)をもたらすほどお金を増やし続ける、という政策のスタンス(姿勢)を明確にするためのものであり、現在のいわゆるアベノミクスの基本中の基本的な政策ツールである。なぜ「円高」傾向が赤信号なのか さてこの基本ラインをおさえたうえで、現在の日本経済の「赤信号」をみておきたい。その問題点は、進行する円高(この原稿を書いている段階では1ドル107円台)と、年初からの株価の低落傾向である。特にここでは前者が重要だ。 「円高」傾向がなぜ赤信号か。簡単にいうと為替レートは異なる二国間(1ドル107円とは、ドルと円)の交換比率のことである。この為替レートは、二国間の通貨の総量の比率に等しい。違う考え方やより精緻な為替レートの決定理論があるが、現状の日本経済をシンプルにとらえるには、為替レートは二国間の通貨総量の比率で考えるのが、便利なのだ。例えば、米ドルの総量は変化しないまま、日本円の総量が減るとしよう。ドルに対して円の価値が高まるので、円高になる。この円高は、先ほどのデフレ(お金の不足)とデフレ予想(今後のお金の不足が続くこと)が蔓延する経済では生じやすい。実際に、アベノミクスが始動した2012年後半まで、(一時期を除いて)日本は円高が20年以上進行していた。これを「円高シンドローム」と呼んでいた。経済の病理的な現象とみなしていたのである。なぜ病理的か? それは経済に出回るお金の不足(これが円高傾向の原因)を治せるにもかかわらず、放置してしまっていた異常事態だからだ。 円の不足は、先ほども解説したように、日本銀行が基本的に解消する。その解消するという政策スタンスをみせて、消費者や投資家などの予想を変化させることも重要だ。重要度でいえば、政策スタンスの方が、実際のお金の供給量よりもはるかに上回る。 いまドルやユーロなど主要通貨に対して円高が加速しているということは、これは日本銀行や政府がお金を増やす政策ではなく、お金を引き締めてしまう政策(その方向性)を事実上採用していると、市場がみなしているからだ。もちろん他国のお金の供給に対する政策スタンスも重要である。例えば、米国経済では利上げ観測が遠のいている。また現状のマネタリーベース(米国の中央銀行が操作可能なお金の量)は減少ではなく、高め水準を維持したままだ。簡単にいうと米国は(いま説明したかぎりでの)緩和スタンスを維持している。欧州中央銀行やイングランド銀行の政策スタンスも緩和的だ。言い換えれば、それだけ世界経済は不安定化、脆弱化している。市場に緊縮政策のシグナルを送っている日本 これに対して、日本は諸外国に比べて、より「緊縮政策」を採用しているとみなされているのだ。その主因は、ふたつある。その最大のものは、まず消費増税だ。2014年の増税による現在時点での消費低迷。それに加えて来年に予想される消費再増税の姿勢がいまだに維持されていること。これらは将来の経済のさらなる低迷、つまりはデフレ予想をもたらすだろう。緊縮的な政策スタンスのシグナルは、円高傾向をもたらす。1ドル=108円台をつけた円相場を示すモニター=4月7日午後、東京・東新橋 二番目に、この消費増税と再増税という緊縮政策によって、日本銀行のインフレ目標という政策スタンスが妨害されていることだ。インフレ目標の達成がどんどん先送りされてしまうことは、人々の予想を不安定化させ、日本銀行の政策スタンスに対する信頼性を損ねてしまうだろう。現状の円高傾向という日本経済の「赤信号」の背景には、このような政策スタンスの毀損がある。 では、解決策としてはどんなものがあるだろうか? まず政府と日本銀行が協調して財政政策と金融政策の拡大を行うべきだ。財政政策のかなめは、消費再増税の事実上の凍結であり、また消費低迷を打ち消すだけの減税(最善では消費減税)だ。これについては以下を参照されたい(http://ironna.jp/article/3028)。また財政面では長期国債の新規発行額を増やし、また同時に超長期国債の発行も重要だ。日本銀行の金融緩和政策は、政府の財政面での支援と両建てでないとおそらく効果は乏しいものになるだろう。 現状では、日本経済には「赤信号」が点灯しているが、その信号を早期に消灯しなければいけない。現状では、この数年の景気回復を背景にして、雇用状況は大幅に改善した。それをうけて、失業率と連動している自殺者数もピーク時に比べると大幅に減少した。その減少傾向はいまも続いている。しかし「赤信号」が長期化すれば、日本経済は再びデフレ経済に再帰してしまうだろう。そうなれば、再び数千人単位で新たに自殺者数が増加してしまう。景気が悪化すると、自殺者数が3割以上増えるという実証もある。 日本経済は20年以上、緊縮政策を続けることで、国民の生活を苦境に陥れ、またその人生の可能性の芽を摘んでしまった。その最たるものが(失業率と連動する)自殺者数の動向だ。この緊縮的政策スタンスの悪夢を再現してはならない。いままさに決断のときだ。

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    民進党の経済政策じゃ、また大停滞に逆戻り?

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民主党と維新の党が合併して、党名を「民進党」として再出発した。各種世論調査をみると、民進党への支持率が、母体であった両党を合わせたものよりも低くなってしまっている。もちろん新しい政党への評価が定まるには時間を要するのが一般的だ。だが、私見では民進党には経済政策の面で、まったく期待できそうもない。 では、どんな政策を「民進党」は採用するのだろうか? 民進党のホームページには、「基本的政策合意」が掲載されている(https://www.minshin.jp/about-dp/policy-agreement)。この文章からわかるのは、規制改革や政府部門の縮小(小さな政府)を志向する構造改革路線が鮮明だということだ。構造改革(効率性)を追求することで経済成長を実現していく。そしてこの構造改革と同時に社会保障の充実という再分配政策を追求するものになっている。基本的に、民主党政権発足のときの政策志向と変更はない。 例えば、最大の経済政策の論点である消費増税についての記述をみてみよう。「消費税10%への引き上げは、身を切る改革の前進と社会保障の充実を前提とする」と書いてある。この「身を切る改革」というのが、先の「小さな政府」の追求という構造改革路線である。つまり効率性の追求と再分配政策の強化がなければ、消費増税を否定するという考え方である。 また旧民主党、旧維新の党では、「軽減税率の導入を前提とした消費税増税に反対」ということも党の方針であった。軽減税率を含んだ税制改正関連法が3月29日に成立したことで、それを理由とした消費増税反対路線が、両党の立場になるはずであると、普通なら考えるところである。民進党結党大会では岡田克也代表が写ったポスターが飾られていた。自身のポスター前をたまたま通りかかった岡田代表=3月27日、東京・高輪のホテル(鈴木健児撮影) だが、どうも消費増税の反対が鮮明ではない。民進党の岡田克也代表が最近出たテレビでは、消費増税についての立場を明言することを避け、または秋にその立場を表明するなどとしている。もちろん岡田代表個人が、財政再建を重視するいわゆる「緊縮派」であり、また消費増税の予定通りの実施に前向きなのは、おそらく周知の事実だ。だが、軽減税率の導入を前提にした税制改正関連法が成立したからには、党として鮮明に消費増税に反対しないのは一貫性がないと批判されてもやむをえないだろう。なぜ景気への影響を無視するのか もっとも私は軽減税率の導入のあるなしを消費増税の賛否に結び付ける発想自体が、いまの日本経済を考えるときに間違っていると思う。 現状の日本経済と消費増税の関係を考える最大のポイントは、消費増税することで国民の暮らし向きが良くなるか悪くなるかである。その結論は、消費増税すればかならず国民の暮らし向きは悪くなる、ということだ。 まず国民の暮らし向きは、一人当たりの生活水準のことだが、これは短期的には現実のGDP(国内総生産)の大きさとその成長率に依存する。現状では、この現実のGDPの大きさが低迷し、また現実の成長率が失速している。その国内的な主因は民間の消費の低迷であり、また国際的には中国などの経済リスクの増加である。さらに重要なのは、経済の先行きを規定する予想実質利子率も最近、急上昇していることだ。例えば財務省が発表しているブレーク・イーブン・インフレ率を利用した実質金利を参照すると最近の急増がわかる(http://www.mof.go.jp/jgbs/topics/bond/10year_inflation-indexed/bei201602.pdf)。予想実質利子率が難しく感じる人は、単に「景気の気」を具体的に表すものと考えていい。「景気の気」が低下する(=予想実質利子率が上昇する)と、民間の投資や消費が冷え込んでいく。それはさらに景気を下降させてしまうだろう。雇用状況は依然としていいが、「景気の気」が低下していけば、やがて雇用にも悪影響がでるだろう。そのような経済の深刻な局面で、消費増税を行えば経済はさらなる失速を避けることはできない。 いいかえると、消費増税をするかしないかの判断で、最も重視されるのは景気への影響だろう。もちろん消費税には逆進性の問題(簡単にいえば低所得者層ほどその負担が過大になり、現状の日本では経済格差の拡大に寄与する)という深刻な欠点がある。そもそも消費税増税が社会保障の目的税化になっていることにも問題点が多い。だが、これらの論争点はとりあえずおいても、消費増税の景気への悪影響は決定的で重大なものになる。 だが、民進党の経済政策では、「身を切る改革の前進と社会保障の充実」や軽減税率との関係が重視されていても、景気との関係はまったく無視されている。むしろ「身を切る改革」を公務員の給料カットなどの形で行えば、政府からのお金の流れが減少することで、景気の下降局面にある日本経済には悪影響しかないだろう。 前回の連載記事(http://ironna.jp/article/3028)で解説したように、日本が長期停滞にまた戻らないためには、民進党が推し進める構造改革路線と社会保障の充実路線ではなく、通常のマクロ経済政策(積極的な金融政策と財政政策)が必要だ。社会保障の充実は、このマクロ経済政策による経済状況の改善の中で実現されるべきだ。 だが、民進党の経済政策には、この当たり前の財政・金融政策の組み合わせがまったく欠如している。基本的に(財政再建を中心とした)緊縮政策を志向する政党といっていだろう。緊縮をすすめるなかで、社会保障を充実すれば、どうなるか? その答えを十分に日本の国民は過去の民主党政権時代に経験したのではないだろうか? 欧米では、保守的な政治勢力に対する対抗軸として、リベラル側が拡張的な財政・金融政策を高々と掲げ、支持を集めている。それに対して、日本の自称「リベラル」勢力はまったく逆向きの緊縮政策を追求しているようにしか思えない。ここに日本の政治構造の不幸のひとつがあるのだろう。

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    増税先送りは当然! 消費減税こそ日本経済を救う

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 今年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、審査員特別賞と観客賞を受賞した映画『脱脱脱脱17』は、高校三年生の松本花奈氏が監督したことで話題になった。若い才能が評価されることはとても嬉しいことだ。この『脱脱脱脱17』は、17歳のときからある事情で高校を卒業できないまま34歳になった男(ノブオ)と同級生の少女をめぐるドラマである。ノブオはなぜ20年近くも高校生のままなのか? そして彼はその状態を「脱出」することができるのだろうか? この映画のことを、知人の評論家中森明夫氏から聞いたときに、まっさきに思い出したのは、「失われた20年」といわれた日本経済の状況だ。日本経済は90年代から2012年頃まで長期の経済停滞を経験した。特に97年の経済危機以降は、本格的なデフレ(物価の継続的な下落)に陥り、日本は「デフレ不況」と称される状態になってしまった。1998年1月生まれの松本監督はいわば、デフレ不況=失われた20年の中で生まれ育ったといえるだろう。映画の主人公のように、日本は「デフレ不況」という状態から脱出することができないまま、年齢を重ねて(少子高齢化して)いった。『脱脱脱脱17』は、そんな日本が長くおかれた状態の比喩としてみることも可能かもしれない。 ところで安倍晋三氏が2012年秋の自民党総裁選で勝利して以降、「デフレ不況」脱出を意図したリフレ政策を採用してきた。「リフレ」というのは、デフレを脱し前年比2%程度の物価水準を目標にすることで、経済の活性化(雇用や経済成長の安定化)を実現する政策のことである。世に言う「アベノミクス」とはこのリフレ政策を核にするものだ。 早稲田大学教授の若田部昌澄氏は、「政権交代の起こった2012年10-12月期と、(消費税増税の駆け込み需要が発生した2014年1-3月期の直前である)2013年10-12月期までの実質GDP(名目GDPから物価上昇分を差し引いたもの)を比べると、2.6%の成長を果たし」、リーマンショック以前の実質GDPの水準に戻ったと指摘している(『ネオアベノミクスの論点』PHP新書、36頁)。つまりアベノミクスは消費税増税の影響が表れる前までは、経済の活性化に威力を発揮したことに疑いがなかった。国際金融経済分析会合(第1回)であいさつするスティグリッツ教授(左)。右は日銀の黒田東彦総裁=3月16日午前、首相官邸(斎藤良雄撮影) またしばしば「アベノミクスはトリクルダウン理論に依存している政策だ」という批判を目にする。この「トリクルダウン理論」というのは、富裕層や大企業が(アベノミクスの成果である)株高や円安によって儲けることで、その「おこぼれ」が所得中間層から下位層に滴り落ちてくることで経済拡大を目指すという考え方だ。ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ氏(コロンビア大教授)は、このトリクルダウン理論を「新自由主義」や「市場原理主義」に基づく間違った政策だとして徹底的に批判している。スティグリッツ氏によれば、トリクルダウン政策を実施しても、実際には富裕層からの「滴り」は生じておらず、富裕層や大企業のみがますます富み、それ以外の者たちはより貧しくなることで経済格差が深刻になると非難している。日本のアベノミクス批判者たちは、アベノミクス(リフレ政策)を、この起こりもしないトリクルダウン効果に依存した、経済格差を拡大してしまう危険な政策だとみなしている。「リフレ政策では経済を活性化できない」批判に応える だが、先ほどのアベノミクス発動最初の一年の実績(2.6%の高い成長)の中身をみてみると、アベノミクスはトリクルダウン理論とは大きく異なる性格をもっている。まず日本銀行が2%のインフレ目標の実現をめざし、大規模な量的緩和政策を採用したことによって急速に円安、株高が進行した(実際には安倍政権が確実視された12年秋から円安・株高は本格化していた)。また公共事業中心の大規模な財政政策も機動した。この金融政策と財政政策の本格的な拡大政策によって、日本経済は目覚ましく好転していった。 特に経済を引っ張ったのは、金融政策がもたらした株高や円安による「資産効果」である。12年11月から13年終わりにかけて日経平均株価は約70%の増加、為替レートは対ドルで25%ほど円安が進んでいた。株高と円安は人々の保有する金融資産を増加させ、消費を刺激した。2012年10-12月期から13年10-12月期までの一年間の高い成長は、この消費増加と、財政政策による公共投資の増加、円安による輸出増加(ただし輸入も増加しているので効果は限定的)によって牽引された。また設備投資も堅調な動きだった。資産効果はもちろん株などを保有している所得階層でも上位の人たちに顕著に表れている。ここだけ見ると、スティグリッツ氏の批判したトリクルダウン効果とまったく同じである。だが、アベノミクスを評価するときに、なぜか批判者たちが見落としているのが、雇用状況の改善である。2012年10-12月期から雇用状況も好転していく。一般に雇用は経済の実態を遅く反映するとされているが、今回は雇用の改善スピードも速かった。 企業など労働の需要側が、将来に対する展望を改善することで、積極的に雇用を増加させていった。実際に完全失業率は政権交代期では4%真ん中だったものが、一年後では3%半ばまで減少した。また有効求人倍率も大幅に改善した(2割程度の改善)。この雇用状況の改善は現在まで持続的に続いている。特に不況の中で職探し自体を断念していた人たち(パートやアルバイトを探していた主婦層等や、再雇用先を求めていた高齢者)が、消費増税の効果が表れるまでは、雇用回復の主役であった。また学卒者の雇用状況も大幅に改善している。つまり労働市場で金銭的な待遇面(経済的勢力という)や社会的な評価(経済外的勢力という)で不利な立場におかれやすい、雇用弱者の立場が真っ先に大幅改善したのが、アベノミクス最初の一年の成果であった。雇用の改善は、もちろん経済成長の成果でもあるし、また同時に経済成長自体を底支えする基盤でもある。 まとめると、アベノミクスは経済を上からも下からも両方で改善し、それが消費増税の効果が顕著になる2014年1月までの高い経済成長をもたらしたといえるのである。そのため、トリクルダウン理論に手厳しいスティグリッツ氏ではあるが、アベノミクスの基本的な方向性には高い評価を与えている。 なぜここまで(消費増税の効果が現れるまでの)アベノミクスの成果を事細かに解説したかというと、「リフレ政策の支持者は、消費増税の悪影響を強調するが、アベノミクス=リフレ政策にはたして経済を活性化する能力があったのだろうか」という批判をしばしば目にするからである。それに対する答えはいま解説したように、「とてもあった」というのが答えである。そして拡張的な金融・財政政策の両輪からなるアベノミクス(=リフレ政策)がそのまま継続していけば、経済成長は安定化し、いまだに堅調な雇用状況はさらに改善しただろう(例えば名目賃金の大幅改善・実質賃金の増加、完全失業率の2%台への低下、正規雇用増加の本格化、ブラック企業の淘汰の一層の加速など)。「商品券ばらまき」では解決にならない このリフレ政策に大きくブレーキをかけ、2014年の経済成長率をマイナスにおとしいれ、さらに15年も(推測だが)0%程度でしかない低成長に落とし込んだのが、消費の低迷、その原因としての14年4月からの消費増税の影響である。片岡剛士氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済・社会政策部主任研究員)は、2014年4月以降、家計消費はL字型に大きく落ち込み、そのまま回復せずに消費は低迷したままだと指摘している。そして消費の落ち込みが、この二年余りの経済低迷の主因でもある。しかも片岡氏は、2015年秋以降は、さらに家計消費は落ち込みはじめ、「消費の底割れ」が見られるという(「消費低迷の特効薬」を考える http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/kataoka/column/kataoka160304)。リーマン・ショック級のような出来事が起らなければ、消費再増税を明言している安倍首相(斎藤良雄撮影) この「消費の底割れ」の原因は、それまでの消費増税によるL字型への消費落ち込みの継続に加えて、15年7月から顕在化した世界同時株安による資産効果の縮減が大きく寄与しているだろう。また現状では堅調なままの(ただし改善の余地は前述したように大きくある)雇用状況も、経済低迷が今後も続き、また中国経済の減速など国際環境の変化などを踏まえると悪化の可能性が否定できない。まさに日本経済は再び「失われた20年」に逆戻りする瀬戸際に立っているだろう。そしてこの状況は、政策サイドが何もしないでは悪化することはあれ、改善することはない。 特に来年度に予定されている消費税の10%への再引き上げは、日本経済の息の根をとめかねないインパクトをもたらすだろう。政府の「国際金融経済分析会合」に招かれたスティグリッツ氏や、ポール・クルーグマン氏(ニューヨーク市立大学大学院教授、ノーベル経済学賞受賞者)は口をそろえて、安倍首相らに消費増税の先送り(スキップ)を提言している。と同時に、消費増税(財政緊縮)ではなく、いまの日本の状況では財政拡大こそが望まれるとしている。もちろん金融緩和の継続、そして追加緩和も早急に必要とされるだろう。 最近の政府首脳サイドの発言をみると、消費増税のスキップをするハードルが徐々に引き下がっている印象がある。安倍首相は以前はリーマンショック並みの経済危機がないかぎり再増税を行うとしたが、最近では菅官房長官の発言では税収低下や株価下落などが再増税見送りのシグナルになっている。世論調査をみても、消費税再増税見送りを支持する意見は圧倒的多数だ。むしろ、安倍政権が再増税すること自体が、サプライズともいえる状況が生まれつつあるといえるだろう。 だが、仮に消費再増税が再び先送りになったとしてもそれは経済状況の確実な破たんを回避しただけであって、現状の消費低迷、経済低迷を治す処方箋ではない。消費低迷の原因が、消費増税なのだから、抜本的な政策は「消費減税」であるはずだ。望まれる消費減税の幅は3%だろう。最近では、財務省の支配下にあるといっていい経済財政諮問会議から若年層向けの商品券をばらまく政策が、消費低迷の対策として提起されてきている。だが、この政策の効果はきわめて限定的だ。なぜなら消費の低迷が持続しているのは、消費増税が持続的な悪影響をもっているからである。その持続的な効果を打ち消すのに、一時的(単年度)の商品券ばらまき政策はほとんど効果をもたないだろう。同じことが一時的な給付金や減税政策にもいえる。 現状の日本経済を救済できるのは、継続的な効果のある財政政策(最善は3%の消費減税、次善の策としては持続的な(複数年度にまたがる)減税と給付金政策)と、さらなる追加緩和政策(最善はインフレ目標の引き上げ、名目国民所得ターゲット政策の採用)である。 政策の舞台は、消費増税のスキップは当然(仮にすれば日本経済は再び大停滞へ、安倍政権は終焉、続く政権も短命化必至)で、むしろ消費減税にその力点は移りつつあるといえるだろう。

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    韓国経済、「失われた20年」への招待状

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 先日、韓国の公営放送KBSから取材をうけた。題材は「韓国経済は日本と同じように失われた20年に陥るのだろうか」というものだった。私の答えは明瞭で、このままの政策を続ければ確実にイエスであった。 2015年の経済成長率は、政府の目標成長率である3.1%を下回る2.6%であり、朴槿恵政権が発足してからの平均成長率は2.9%と過去の政権の中でも低レベルな成果しかあげていない。98年のアジア経済危機以降では、歴代政権の中で最低の平均成長率だともしばしば批判されている。 また経済の減速は、実感レベルでは特に顕著であり、「ヘル朝鮮」(地獄のような韓国)という流行語までも生み出している。実際に失業率は3.6%だが、若年層の失業率は過去最高の9.2%にまで達している。どの経済でもある程度共通しているが、新卒などの若者、主婦層などの女性、高齢者などは、労働市場での交渉力が弱く、また社会的評価(経済外的勢力という)が低いために、不利な雇用環境に直面しやすい。韓国でも経済失速の重しが、雇用弱者である若者層に強くのしかかっている。また職を探しても見つからないので断念してしまう、「求職意欲喪失者」も増加している。韓国の真の失業率は、「求職意欲喪失者」などを含めると二けた近いだろう。働く能力が著しく低い社員を企業が解雇できるという政府の方針に抗議し集会を開く労組員ら=1月25日、韓国・ソウル(共同) 経済評論家の上念司は、ニールセン(米国の調査会社)の公表した消費者信頼感指数を利用して、韓国の景気停滞への実感は、ちょうど日本でいえば東日本大震災と長期不況が重なった2011、12年頃に該当するだろうと指摘している。また韓国の四大財閥が擁する企業群も不振であり、サムスン電子、現代自動車、LG電子などの主要企業の減益が顕著である。 このような経済の停滞をうけて、韓国では「日本化」(90年代後半からの20年に及ぶ経済停滞=失われた20年)を警戒する論調が盛んになっている。また韓国の朴大統領をはじめとする政策当事者、経済学者やエコノミストたち主流派の意見は、この韓国の経済低迷の主因を「構造的要因」に求めているのが一般的だ。 例えば、韓国銀行(中央銀行)が公表した論文では、韓国が21世紀になってから次第に低成長に移行していく過程を、全要素生産性の低下として解説している。全要素生産性とは、ある国が一定の資本や労働の下でどれだけ効率的に財やサービスを生み出すことができるかを示す指標である(生産性パラメーター、効率性パラメーターなどともいう)。日本とダブり始めた低迷原因の仮説 全要素生産性が低下しているということは、人間の体でたとえると肉体の節々に老廃物がたまり、次第に疲労が募り、十分に自分の体を動かすことができなくなることに似ている。韓国での主流の意見は、この老廃物がたまりやすいのは、生活習慣のため(構造的問題)であり、これを徹底的に鍛え直すことが重要だというものだ。日本でも「失われた20年」で一貫して唱え続けられてきた「構造問題仮説」の韓国版である。この構造問題仮説は、例えば韓国の代表的企業がグローバル経済に対応できなくなり、旧来型の産業構造が温存されているためだとする「グローバル構造不況説」、または韓国の消費者たちが新しいイノベーションを伴った製品が現れないために飽きてしまったとする「消費飽和説」などとして、政策レベルで議論されている。日本でいうと、小泉純一郎政権発足間もないころに標語になっていた「構造改革なくして景気回復なし」と同じ議論である。そして小泉政権の時もそうだったが、韓国経済の最近の低迷もまた構造問題説でとらえるのは端的に間違いである。 一国の経済は総供給(財やサービスの生産側)と総需要(財やサービスを実際に求める側)とに分けて考えるのが妥当である。いまの韓国経済の状況は、総需要(消費、投資、政府支出、純輸出)が不足している状況が継続している。先ほどの構造問題というのは、すべて生産する側をいかに効率化するかという問題である。総需要不足が問題の核心であるならば、いくら生産する側を効率化しても事態は改善しない。例えば売上げ不振に悩む企業がそのためにリストラをして生産の効率化をすすめれば、当然に解雇された人たちの所得は大幅に減少する。そのためその人たちの消費が低下し、それはまた企業の売上に響いてくるだろう。 朴大統領自身もしばしば韓国の労働市場の「構造改革」をすすめることを今般の停滞の打開策のひとつとしている。先ほどの若年層の失業率の急上昇を抑制するために、賃金ピーク制の導入を進めたい考えだ。韓国では60歳以上の定年延長が義務化され、これに対応して延長された年限に応じて賃金を下方調整していく仕組みである。これで企業側の若い労働者の採用コストを低めようという狙いだ。しかしこのような構造改革では経済停滞は脱出できない。 総需要不足に原因があるのは、実は上記した一連の経済データから明らかである。朴政権になってからの経済成長率の低下、失業率の累増、そして加えるにデフレ突入を懸念されるインフレ率の低下といった現象を同時に説明できるのは、総需要不足でしかありえないからだ(詳細は、野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』東洋経済新報社参照)。実際にOECDの統計では、2012年度以降、総供給(潜在GDP)と総需要の開きは拡大する一方である。 実は日本でも90年代から、経済成長率の低迷、失業率の高止まり、低インフレからデフレへの長期継続といった現象が観測されてきた。消費や投資など総需要不足が原因なのは疑いなかった。だが、政策の現場やマスコミなどでは構造問題仮説が主流であり、そのため経済の無駄をなくせの大合唱のもと、構造改革が推し進められてきた。このことは単に政策のミスマッチでしかない。このミスマッチを解消する方向に政策の舵を切られたのが、第二次安倍晋三政権、つまりアベノミクス採用後である。朴政権と韓国銀行に蔓延している間違った政策観 なんで「失われた20年」にも及ぶほど、日本は正しい経済政策をとりえなかったのだろうか。簡単にいうとそれは財務省・日本銀行が政策のミスを認めたくなかったこと、そしてそれに事実上の支援を続けた日本の政治家たちに原因がある。 同じことがいまの韓国経済にもいえる。問題の本質は総需要不足にあるならば、構造改革は問題解決になりえないどころか、解決を遅らせるだけ害をもたらす政策思想である(既得観念ともいう)。中国経済の景気後退は韓国の輸出に大きなダメージを与え、それはまた韓国の総需要を低下させる。また昨年のMERS(中東呼吸器症候群)による売り上げや観光客減少などももちろん無視することはできない。しかしチャイナショックもMERSショックもたかだか昨年からの出来事であり、ここ数年も続く低迷を説明することは困難である。経済分野の会議で声を張り上げ不満を爆発させた韓国の朴槿恵大統領=2月24日、ソウルの青瓦台(聯合=共同) 例えば、韓国銀行はインフレ目標政策(3%±1%)を採用しているが、朴政権誕生後、そこから逸脱し、デフレが懸念される状況を放置している。度重なる金利低下を韓国銀行は採用をしているが、日本がアベノミクス下で行った大胆な金融緩和で目標インフレ率の回復を目指すという意思に乏しい。事実上の“非”緩和スタンスのため、為替レート市場では一貫してウォン高が進行している。これが韓国の代表的な企業の「国際競争力」を著しく低下させていることは疑いない。 では、なぜ韓国は大胆な金融緩和政策を採用することができないのか? それは大胆な金融緩和を行えば、一挙にウォン安が加速する。そうなるとウォン建ての資産の魅力が急減し、海外の投資家たちが韓国市場からひきあげてしまい、株価などが大幅に下落することを、政府と中央銀行が恐れている、というのが日本のいわゆるリフレ派論者の見方だ(代表的には、高橋洋一、上念司、片岡剛士ら)。もちろんいまの事態を放置してしまえば、緩やかに韓国は長期停滞に埋没していくだろう。それはアジア経済危機のときのような劇的なものではなく、日本がかって体験したように持続的に緩やかに経済がダメになっていくのである。 日本の論者には、韓国が大胆な金融緩和政策を行えないのは、日韓スワップ協定などで潤沢なドル資金を韓国に融通する枠組みに欠けているからだという指摘もある。たしかにその側面はあるかもしれないが、私見ではより深刻なのは、朴政権と韓国銀行に蔓延している間違った政策観(既得観念による構造問題仮説)である。この既得観念が政策当事者を拘束しているかぎり、韓国経済に「失われた20年」の招待状が届く日は目前である。