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    コンビニより薄給! 外国人労働者しか日本を救えない介護の現実

    中村聡樹(医療介護ジャーナリスト) 介護人材の不足は、新聞紙上で語られる以上に深刻度を増している。 新卒学生の募集では、大手企業が内定のピークを迎える6月ごろの段階で、介護事業者への応募はほとんどないというのが現実である。企業から内定を受けられなかった学生が、仕方なく応募してくる9月以降からが採用活動のピークとなっている。もちろん、早くから介護の仕事に就きたいと考える学生もいるが、大半は就職先がなくて介護業界の門をたたくというケースが多い。 「必要な人数を確保するために、採用基準を低く設定することになり、結果的に優秀な人材を得ることは難しくなっています。就職しても3カ月くらいで辞めていく学生も少なくないですね」と介護事業者の採用担当者は語っている。 苦労して集めた人材も、仕事がきつく給料が安いという環境では長続きしない。多くの介護施設や訪問介護事業者が、年中、人材募集を行っている。転職やパートの募集に加えて、最近では定年退職したシニアを募集のターゲットにしている事業者も増えている。定年制を廃止して、働く意思があればいつまでも働ける環境整備に力を入れる企業も増えてきた。 しかし、これほど努力を重ねても人材不足の解消には至っていない。今年4月にオープン予定だった特別養護老人ホームが、半年たっても開業できないなどという事態も起こっている。表向きは工事の遅れが理由となっているが、実際は、人材確保が進まず施設をオープンできないというのが本当の理由である。 オープンまでこぎつけた施設でも、人材不足の影響で、すべての居室を稼働させることができないケースもある。入居待ちの高齢者の数が40万人以上といった報道もあるが、受け入れをしたくてもできない施設がかなりの数にのぼっていることはあまり知られていない。(iStock) 一方、東京や大阪など都会の事情と地方ではその深刻度が大きく違う。地方では本当に人材が集まらない。コンビニエンスストアで働く方が時給の高い地域も少なくない状態で、人材確保は、ほぼ不可能な状況に追い込まれている事業者もある。介護と看護のミスマッチ こうした状況を解決するために、外国人の介護人材に期待する声は大きくなっている。経済連携協定(EPA)によって、平成20年から外国人看護師、介護福祉士候補者の受け入れがスタートし、10年目の今年は、フィリピン、インドネシア、ベトナムから約850人の外国人労働者が日本にやってきている。介護人材確保が難しくなっている背景から、今年は、全国で1900法人が受け入れを希望したが、多くの事業者がEPAによる人材を確保できていない。過去10年間の実績がない法人は、受け入れ希望を出しても人材が回ってこない状況となっている。 さらに、今年の11月からは、技能実習制度を利用して外国人人材を受け入れる制度に「介護」の項目が加わり、期待が集まっているが、どれくらい人材確保が進むか未知数である。同時に、入国後に職場からいなくなってしまう事例も多数報告されていることから、外国人の受け入れに伴うリスクへの対応を考えると、一気に介護人材の充足までには至らない可能性も高い。 私は、介護の現場に外国人の人材確保を進めていくという考え方には賛成であるが、その受け入れ方法については、多くの疑問を持っている。外国人の入国に際して、多くのリスクを考慮する必要は認めるが、設定された条件は決して理にかなったものとは思えない。 今回実施される技能実習では、語学力が日本語能力試験N4レベル以上であり、母国で看護や介護の経験を積んでいる者が対象となっている。しかし、アジア諸国において、日本以上に高齢化が進んでいる国もなければ、高齢者施設などの施設が充足している国もない。そこで、ある程度の経験値を持った者を探すとなれば条件は非常に厳しくなる。各国ともに、看護師の養成学校は数多く存在するので、日本にやってくる人材の大半は看護師資格を持つ人材となる可能性が高い。 しかし、看護師としてやってきた人材が、日本で介護の仕事をさせられるとなると、その段階でミスマッチが起きることは容易に予想される。看護師としてのプライドを傷つけられたといった反応を示す者も過去のインタビューで何人か出会ったことがある。理屈をこねる必要はない それ以上に不思議なことは、受け入れ側の日本が外国人介護士人材の受け入れの理由として「日本で介護の技術を学び、母国に帰ったときにその技能を生かせることを目的とする」ということを示しているということだ。技能実習後に、海外に技術移転をするという考え方であるが、移転する「場」は海外には不十分である。アジア諸国の高齢化が深刻化するには早くても10年はかかる。 日本に長く滞在するためには、研修期間中に日本語レベルを上げ、さらに介護福祉士の取得、大学や専門学校への進学などステップアップすることが求められている。しかし、日本にやってくる外国人の大半が、そこまでのスキルアップを求めていないのが実情で、決まった期間にできるだけお金を稼ぎたいというのが本音でもある。 日本が設定した受け入れ基準とやってくる外国人との考え方には大きな溝が生まれている。私は、もっと素直に、介護人材不足に陥っている窮状を訴えて、助けを求める姿勢を示すべきではないかと思う。 高齢社会の諸問題に、どこの国よりも先に直面している日本が、どのように難題を解決していくのか、多くの国が注目していることは事実だ。であれば、その大変さをきちんと伝え、外国人人材の助けも借りながら問題解決を図っていく姿を見せることが必要である。困っているのに、どこか「上から目線」の人材受け入れを続けているようでは理解が得られない。(iStock) 不足している人材を海外からの人材に頼ることは恥ずかしいことではない。彼らの働く環境を整え、きちんと賃金を支払い、日本人と変わらない環境で働いてもらう体制づくりを早急に整える。その中で、いくつもの失敗を経験しながら、外国人労働者の受け入れのノウハウを構築すべきだ。先に、理屈をこねて体制を整える必要はない。 私が長年お付き合いしている社会福祉法人は、この10年間で多くの外国人を受け入れてきた。そこで、多くの失敗も経験したが、今では日本語学校も設立し、現在70人以上の外国人が働いている。日本人スタッフとのコミュニケーションも問題なく、法人全体の雰囲気が明るくなった。 こうした成功体験を参考にして、外国人労働者が介護の現場で働くことのできる環境作りを目指すことが重要である。先を見据えた政策は必要ない。介護問題はこの10年間が勝負である。

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    K・ギルバート氏「参政権付与は忠誠誓った帰化人に限定せよ」

     安倍政権が推進する「移民受け入れ」政策は、はたして日本の国益に繋がるのか。40年近く日本で暮らす弁護士でタレントのケント・ギルバート氏(64)が、「在日外国人」の立場からあえて移民問題に斬り込む。* * * 私は移民の受け入れを頭ごなしに否定するつもりはない。むしろ、受け入れ態勢の拡充や、法整備を前提とした議論は大いにすべきだと考えている。ちなみに私は人生の半分以上を日本で過ごしてきたが、帰化はしていない。在留資格は「定住者」で、日本で働くために5年に1度、就労ビザを更新している。 だが、日本が現状のまま無条件に移民を受け入れることには反対だ。なぜなら、受け入れ側も、日本に来る外国人も共に不幸になることが目に見えているからだ。(iStock) 安倍政権は少子高齢化による労働力不足を補うため、介護や建設などを受け持つ「単純外国人労働者」や、高い技術や知識を持った「高度外国人人材」の受け入れを進める方針とされる。 しかし、安直な外国人労働者の受け入れは日本社会を大混乱に陥れかねない。 まず懸念されるのは治安の悪化だ。例えば第二次大戦後、トルコ系を中心に多数の外国人労働者を受け入れたドイツでは、経済成長が止まっても労働者が帰国せず、二世、三世として住み着いた。技術を持たない彼らの暮らしは貧しく、貧困が犯罪の温床となり、治安が急激に悪化した。 日本には開発途上国の外国人が農業や建設業などで働きながら技術を学ぶ「技能実習」制度があるが、これを利用して来日した外国人の失踪者は2015年に5800人を超え、過去最多を記録した。国別では中国が3116人で最も多く、2011年からの5年間で失踪した中国人実習生は累計で1万580人に達した。 失踪者の多くが不法滞在となり、犯罪予備軍になるとの指摘もある。外国人労働者の受け入れが増加すれば、こうしたリスクが増す。 治安面だけでない。安価な労働力の増加は自国民の労働賃金を押し下げ、暮らしの悪化や景気低迷を招く。ゆえに現在、移民の多い米国や欧州で「反移民」「反外国人労働者」が声高に叫ばれているのだ。 一方で、政府は高度外国人人材が永住許可を得るため必要な在留期間を現行の5年から大幅に短縮する「日本版高度外国人材グリーンカード」構想を掲げる。だが永住権を取得して日本に住み続ける外国人が増えれば、彼らの社会的影響力が増し、やがて参政権の付与を求める声が出てくるのは間違いない。これは極めて危険な兆候だ。子ども手当554人分申請子ども手当554人分申請 歴史的に民族間の争いや宗教対立と、ほぼ無縁だった日本では、「性善説」を前提に法律や制度を制定し、権利の乱用や悪用に注意を払わない傾向がある。一例をあげると、2010年に当時の民主党政権が子ども手当を導入した際は収入制限や人数制限がなく、海外に子供がいる在日外国人も申請できた。 すると兵庫県尼崎市に住む韓国人男性が、「妻の母国であるタイに養子縁組した子供がいるから」と、554人分の子ども手当を申請しようとした。さすがに却下されたが、これが子供5人分程度なら問題なく受理されたはずだ。 また、日本の難民認定制度は2010年3月に運用が変わり、難民申請から半年経てば国内で就労できるようになった。認定まで申請から半年~1年ほどかかるが、不認定となれば再申請でき、その間はずっと働き続けることができる。 このため就労目的の偽装申請が急増し、制度が改正された2010年に1202人だった申請数は右肩上がりで増え続けた。2016年は統計開始から初めて1万人の大台を超えたという。 このように合法であれば堂々と権利を行使するのが世界の常識であり、“みんな善い行いをするはずだ”との性善説は通用しない。 特定の地域に言葉や常識の通じない異民族が集まってコミュニティを作ると、密入国者や不法滞在者が群れを成し、地元の警察官すら近寄れない無法地帯となる。そんな地域に住む外国人に参政権を与えたら、日本国内に外国人自治区を設けるようなものだ。 こんな愚策に賛成するのはよほどの愚か者か、日本を壊したい勢力の回し者であり、参政権の付与は日本に忠誠を誓って帰化した人間に限定すべきである。異民族との交流が苦手な日本では文化や宗教面での衝突も避けがたい。 例えばイスラム教徒は一日に複数回の礼拝のほか、豚肉や飲酒の禁止など生活習慣上の厳しい戒律が多い。彼らが、「受け入れ側の受忍は当然の義務」だと主張すれば、日本社会に溶け込むのは容易でない。(iStock) もちろん、そうした点は相互理解で補えるし、イスラム教自体は平和な宗教だが、日本に住むイスラム教徒がシャリーア(※注)と呼ばれる厳格な法律を貫けば、日本人や他の在日外国人との間に深刻な溝を生み出すことが懸念される。(※注/イスラム教徒の実生活を宗教的に規制する法。「イスラーム法」とも呼ばれる。礼拝や断食を定めるほか、軽犯罪には鞭打ち、窃盗には手首切断の身体刑を科すなど、厳格な刑罰があることでも知られる。) 移民を認める前提条件は、彼らがその国の法律や習慣を尊重し遵守することだ。これは移民を考える上で非常に大きなポイントである。【PROFILE】ケント・ギルバート●1952年、米国アイダホ州生まれ。ブリガム・ヤング大学在学中に19歳で初来日。1980年、大学院を修了し、法学博士号と経営学修士号、カリフォルニア州弁護士資格を取得。東京の弁護士事務所に就職し、法律コンサルタント、マルチタレントとして活躍。『日本覚醒』(宝島社刊)、『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社刊)、『日本人は「国際感覚」なんてゴミ箱へ捨てろ!』(祥伝社刊)など著書多数。関連記事■ 中国人がスペインで飲食店や風俗店買収し始め地元民に警戒心■ 外国人参政権 基地抱える等安全保障が絡む自治体は議論必要■ 在日朝鮮人・韓国人へのヘイトスピーチについて石原氏の見解■ 外国人労働者と労働者不足に悩む国同士はWin-Winの関係■ 移民受け入れなら東京五輪後失職外国人を税金で面倒見る必要

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    「大介護時代」の到来にふさわしい処方箋はあるか

    津止正敏(立命館大産業社会学部教授) 「冷遇・衰弱・不衛生」「長寿嘆く20万人寝たきり老人」-これは日本で初めての介護実態調査(全国社会福祉協議会主催)の結果を報じた1968年9月14日の全国紙朝刊記事の見出しだ。日本初の調査報告、いまであれば1面トップを飾ってもおかしくないビッグニュースかもしれないが、当時は社会面で人気の4コマ漫画の下にたった3段組の記事として扱われた。(iStock) 当時の介護問題に対する社会の関心度合いはこのようなものだったのだろう。「介護は家族がするもの」ということを誰もが当然のように受け入れて、そのことを疑う余地すらなかった時代だ。特別養護老人ホームは身寄りがない低所得の高齢者を対象として、全国にわずか4500床しかなかった。介護者は、子供の配偶者(ほとんどが嫁)が49%超とほぼ半数を占め、次が配偶者(大部分が妻)で26%、3番目が娘で14%と、9割以上が婦人の肩にかかっている、と報じられた。この時代、介護する人は「若くて体力もあり、家事も介護も難なくこなし、介護に専念する時間も十分にあって、何より家族の介護を担うことを自然と受け入れている」というような同居女性、とりわけ専業主婦をモデル化したものだった。 あれからほぼ半世紀が経過し、介護の世界は激変した。前述した「嫁・妻・娘」という介護者モデルの劇的な変容がその最たるものだ。今年6月に公表された「国民生活基礎調査」を見て、つくづくそう思う。この調査は毎年実施されている恒例のものだが、3年ごとに介護の項目の入った大規模調査を行っており、今回のものがそれにあたる。 主な介護者をみると、要介護者との「同居」は6割を切った(58・7%)。「別居」して通いながら介護する家族は12・2%で、「事業者」「不明」というのもそれぞれ13・0%、15・2%となっている。在宅の介護実態はますます複雑化しているようだ。「同居」の主な介護者の、要介護者との続柄をみると、「配偶者」が25・2%で最も多く、次いで「子」が21・8%。「子の配偶者」は1割を切って9・7%となっている。また、「同居」の主な介護者を性別にみると、女性が66・0%だが、男性も34・0%と文字通り主な介護者の3人に1人を占めるようになった。 「老老介護」の実態が一段と進んだというのも今回の調査結果で明らかになった。介護する人もされる人も「65歳以上」という世帯が半数を超え(54・7%)、ともに後期高齢者である「75歳以上」という世帯も30%を超えた(30・2%)。「60歳以上」同士に至ってはなんと7割を超えている(70・3%)。もう在宅での介護実態は「老老介護」そのものであるといっていい。さらに、夫婦間での介護となればこの実態はより先鋭化している。これまでのカタチを激変させる老老介護 調査概要には夫婦間での介護する人とされる人の年齢階層を組み合わせたデータは掲載されていないが、介護する夫の83・1%は60歳以上、75歳以上も半数(50・2%)を超えている。また、被介護者のほうはさらに高齢化が進み、65歳以上は89・2%、75歳以上が62・9%に達していることからしても、事態の深刻さは容易に把握することができよう。「老老介護」はもはや一過性のもではなく、さらに加速するように思われる。「人生90年時代」が現実化し、加えて少子化や非婚化の進展によって、家族形態が大きく変容しているからだ。いまや介護は夫婦間が主流となり、その後、ひとりになった親を高齢期に達した息子や娘らが介護するという関係が一般化する。 「老老介護」はこれまでの介護のカタチを激変させる。「家ではコーヒー一杯入れたことがなかった」男性が、介護どころか炊事・洗濯・掃除・買い物など生活全般の困難を抱えながらの介護を始める。これまで何も問題なくこなしてきたに違いない女性の介護者も、年々の体力劣化によって家事にも支障が出てくる。自らも要支援・要介護認定を受けながら、ヘルパーやデイサービス等の介護サービスを利用しつつ介護の役割を引き受けている高齢者も何ら珍しくなくなっている。 こうした「ながら」の介護は「老老介護」に限らない。先述した半世紀前の介護者の専業主婦モデルでは、家族の介護が始まれば介護に専念すると想定されてきたが、それはもう過去の話である。いまあるのは、働きながら、子育てしながら、通いながら、体調不調を抱えながら、就活・婚活しながら、介護する配偶者や子供たちだ。岩手県奥州市で開かれたダブルケアサロンの参加者=2016年8月 では、働きながら介護する人はどれぐらいいるのか。直近の就業構造基本調査(平成24年)という総務省のデータでは291万人。介護者総数(557万人)の半数を超えている。60歳未満という生産年齢層の介護者の中で、働いている人は男性で8割を超え、女性でも6割を超えている。育児と介護を担う「ダブルケアラー」は25万人(男性8万人、女性17万人)ということを内閣府が明らかにしている。 「認知症に克つ」(週刊エコノミスト)「認知症の常識が変わった」(文藝春秋)「家族の介護」(週刊ダイヤモンド)-総合誌でも経済誌でも介護の大特集だ。報道からドラマ、バラエティーまで介護がメディアを席巻し、また時の政権が「介護離職ゼロ」(2015年)を成長戦略の三本の矢の一つに挙げるなど世間を驚かせたが、介護問題をめぐっての上記の状況からすれば何ら不思議でもないように思える。 フランスの著名な歴史人口学者、エマニュエル・トッドは急速に進むわが国の人口減少と人口の老化をあの「幕末の黒船以上の脅威」だと警鐘を鳴らしているが、介護もまた同様にこの時代を象徴する社会問題に違いない。その対処を誤れば社会の崩壊を招くだけである。まさしく「大介護時代」の到来である。 「大介護時代」にふさわしい処方箋こそ、私たちに課せられた重い課題だ。その処方箋のひとつとして、家族介護者への支援とそのための根拠法の制定を挙げたい。現行の介護保険制度は、介護が必要な高齢者への直接的な支援にとどまっており、家族介護者は介護の資源とはみなされても支援対象とはなっていない。介護者の事前評価(アセスメント)や支援プログラムの開発によって、介護する人、される人がともに安心して暮らせる環境づくりが何より急務である。私が代表理事を務める日本ケアラー連盟は、この不可視化されてきた「家族介護者支援」という政策課題を「介護者(ケアラー)支援の推進に関する法案(仮称)」という形にまとめて具体的な政策提言を行ってきた。立法府や行政機関での議論が進み、無理なく介護を続けられる環境が整うことを念願している。

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    貧困高齢者 介護費捻出のため熟年離婚ならぬ“晩年離婚”も

    金の支給開始年齢を75歳に引き上げようと検討している。「生涯現役」などのスローガンで高齢者を働かせて社会保障費も負担させようという目論見だ。「働かせて、負担させる」というやり口は介護を巡っても同じだ。とりわけ、介護を巡る問題の場合、負担増が家族の在り方まで変えてしまいかねない。介護施設情報誌『あいらいふ』の佐藤恒伯編集長が警鐘を鳴らす。「来年8月から、現役世代並みの所得がある高齢者が介護保険サービスを利用した場合、自己負担の割合が2割から3割に引き上げられることが決まっています。3割負担になるのは介護保険を受給している人の3%程度ですが、徐々に対象を拡大していくのではないでしょうか。現在は40歳からとなっている介護保険料の支払い開始年齢についても、引き下げられる可能性はある」 そうしたなかで想定されるのが、「世帯分離」の増加だという。佐藤氏が続ける。「たとえば、親夫婦と息子夫婦が一緒に生活している場合、世帯収入を圧縮するために、親夫婦と息子夫婦の世帯を分割する。そうすると介護保険の自己負担が少なく設定できたりするケースがある。“どうやればいいのか”と相談を受けることもよくあります」 ただ、そうした“対策”も、徐々に国による網を掛けられていくことになる。たとえば夫が働いていて妻が介護施設に入居しなければならなくなった場合に、以前は世帯分離をすれば妻が低所得者扱いとなり、利用者負担が一定程度に抑えられていた。 それが2015年8月の介護保険改正によって、世帯分離していても夫が働いていて住民税を課税される状況であれば、負担軽減は認められなくなった。都内に住む70代男性はこう肩を落とす。「年上の妻が特養に入っているのですが、世帯分離による負担軽減が認められなくなり、施設からの請求額は一気に倍近くになってしまいました。子供も自分たちの生活で汲々としていて頼れない。世帯分離でダメなら、もはやかたちの上では離婚してでも、妻が低所得者扱いになるようにして負担軽減を受けるしかない……」 どんどん“対策”が網に掛けられるようになるたびに、こうした事例が増えていくことが懸念されるのだ。 定年後の熟年離婚ではなく、介護費を捻出するための晩年離婚である。関連記事■ 老人も働け!時代、孫世代の若者に使われ精神的にもキツい■ 年金75歳支給時代、貯金5000万円あっても足りない■ 年金支給年齢引き上げ 働けば働くほど高い医療費払わされる■ 年金支給先延ばし 働いた場合手取りは2.6万円低い試算■ 社会保障カットの決まり文句「子や孫にツケ回さない」の欺瞞

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    「相場師」と化したGPIF、年金が仕手戦で吹っ飛ぶ最悪シナリオ

    山田順(ジャーナリスト) まず言っておきたいが、私はすでに年金受給者である。だから、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が5兆円もの運用損失を出したと聞いて、いい加減にしてほしいと思った。 大方のメディアもこの問題に関しては批判的で、「国民のおカネをなんだと思っているのか」「ポートフォリオを見直すべきではないのか」式の報道が多く見られた。 このような声を受けて、野党・民進党は「年金損失『5兆円』追及チーム」をつくり、厚生労働省やGPIFの担当者を追及した。 しかし、損失を出したことだけが、それほど大きな問題なのだろうか? おカネを運用(投資)すれば、場合によっては損失が出るのは当たり前である。その反対に、運用益を出し続けることもある。 とすれば、GPIFは投資が下手なだけだ。つまり、本当の問題は、GPIFがなぜ、こんな下手な運用しかできないのかということだ。 今回問題視されたのは、8月26日に、GPIFが年金運用実績を公表したからである。それによると、2016年4~6月期の運用実績は5兆2342億円の赤字で、赤字は2期連続である。 その原因をGPIFは、「英国のEU離脱決定などで加速した円高・株安が響いたから」と説明した。実際、今年6月の日経平均株価は1万6000円ほどで、1年前の2015年6月に2万円あったところから、ざっと4000円も下落している。これでは、運用損失が出るのは当然だ。  しかし、運用損失を出した本当の原因はそうではない。GPIFが、資産を株式に偏った運用をしてきたことにある。 2014年10月、GPIFは運用比率を見直し、資産構成に占める株式の比率を24%から50%(このうち日本株は12%から25%)へ、なんと2倍に増やした。これまでになかったポートフォリオの大幅な変更である。 このポートフォリオの変更は、当初はうまくいった。なにしろGPIFは、約140兆円の資金を持つ巨大投資家だから、株を買い進めれば株価は間違いなく上がる。それに、アベノミクスの掛け声とともに、日銀も異次元緩和の一環として上場投資信託(ETF)買いを増やしたのだから、日本の株価は上がって当然だ。 実際、GPIFなどの公的資金と日銀は「5頭のクジラ」と呼ばれることになった。こうして日本の株式市場は、クジラが「仕手戦」をやっているようなことになってしまった。GPIFは投資家というより「相場師」になったのだ。この仕手戦により、GPIFの2013年度以降3年間の累積収益は、いっとき約37.8兆円に上ったという。中国を笑えない日本の「官製市場」化 日本の株式市場のメインプレーヤーは外国人投資家だが、巨大クジラが買ってくれるのだから、彼らは安心して株を売買できた。しかし、仕手戦というのはやがて崩れる。その兆候が今回の5兆円マイナスだろう。  この仕手戦の弊害は、運用損失だけではない。日本の株式市場をほほフリーズさせてしまった。クジラの「爆買い」によって、日本の株式市場は「官製市場」になってしまったのだ。日本経済新聞の8月29日付記事は、次のように書いていた。 《「公的マネー」による日本株保有が急拡大している。日本経済新聞社が試算したところ、公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)と日銀を合わせた公的マネーが、東証1部上場企業の4社に1社の実質的な筆頭株主となっていることが分かった。株価を下支えする効果は大きい半面、業績など経営状況に応じて企業を選別する市場機能が低下する懸念がある。》 要するに、GPIFなどの公的資金が株を買ったおかげで、多くの日本企業が「国有企業」になってしまったということだ。こうなると、市場に自由がなくなり、企業業績と株価が連動しなくなる。 中国は国営企業の天国だが、その状況を日本は笑えない。企業価値に基づいて株を買うまともな投資家は、バカを見るだけになる。 このように、年金資金が株の仕手戦に使われていいのだろうか? GPIFなどの公的資金のポートフォリオの変更は、政治によって恣意的に行われたと見るのが常識だ。つまり、仕手筋は日本政府である。なぜか、政府は株価が上がれば景気がよくなると信じ込み、公的資金を市場につぎ込むことを選択してしまった。 もちろん、GPIFは独立行政法人といっても、実際の資産運用はブラックロックなどの民間の資産運用会社に委託している。そうして長期的な視点で資産運用を任せることになっている。 しかし、本当にそうしているのだろうか? 今年4月1日にGPIFの理事長は交代している。それまでの三谷隆博理事長はじつは昨年3月末までが任期だったが、国の意向で暫定的に続投してきた。なり手がいなかったからだ。そしてやっと、後任に農林中金出身でJA三井リースの社長だった高橋則広氏が就任した。この人選は、明らかに「官邸主導」だろう。 また、現在のCIOである水野弘道氏も、官邸の意向で選ばれている。なぜ、国民の虎の子の年金資産を預かるトップが、そのときどきの政権の意向で決められるのだろうか? 教訓が全く活かされない年金の無駄遣い 株価が下がって損失が出るのがわかっているのであれば、民間の投資家なら早々とリスク回避する。ロスカットに走る。しかし、GPIFはこれができない。長期投資が基本のうえ、そんなことをすれば、資金量が巨額だから株価は一気に暴落してしまう。 民間の投資家ならできるポートフォリオの随時組み替えも、公的資金はなかなかできない。それより、長期投資という以上、株のようなリスク資産に偏った運用などしないだろう。やっても完全なパッシブ運用だけだ。そんな制約のあるGPIFが、株価吊り上げの仕手戦をやっていいわけがない。  とはいえ、いまや日本には資産を安定運用できる金融商品がなくなってしまった。もっとも安全とされる国債が、異次元緩和のやり過ぎでマイナス金利である。これは、日本経済が長期にわたって成長しないというシグナルだから、投資するわけにはいかない。そればかりか、これ以上、日銀が緩和を続ければ、国債が暴落する可能性がある。 となれば、ここは投資先を日本から海外に大きくシフトし、ポートフォリオの多くを海外資産にしてしまうべきだろう。そんなに株が好きなら、日本株はやめて世界株のインデックス投資にしたほうが確実だ。(とはいえ、いまさら日本株は売れないだろうが…) さらに言えば、このフィンテックの時代、なぜ、人間が恣意的に投資をしなければならないのだろうか? すでに、欧米の大銀行もヘッジファンドも、投資を人工知能(AI)にやらせるようになってきている。こちらのほうが、確実に実績を上げるからだ。 AIは進化し、ファンドマネジャーなど必要のない時代になっている。AIが資産運用をやってくれれば、GPIFの職員の給料も民間委託の手数料もいらなくなるから、運用実績はもっと上がるだろう。  というわけで、最後に言いたいのは、GPIFが持つ公的資金は、異常な金融政策を続ける日本政府を支えるためにあるのではないということだ。株価を上げて景気をよく見せかけ、政権維持をはかる政府が、勝手に使っていいわけがない。 かつて、前身の年金福祉事業団はグリーンピアという、とんでもない年金の無駄遣いをやった。その教訓から運用業務に特化したGPIFが生まれた。しかし、やっていることの本質はいまも変わらない。 GPIFがこのまま仕手戦を続けたら、本当に仕手崩れがやってくる。そのときは、海外投資家の売り浴びせにあい、私たちの年金資金は吹っ飛んでしまうだろう。

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    年金運用最大のピンチ! 国民を騙したGPIFの「罪」

    小幡績(慶應義塾大学ビジネススクール准教授) 年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が10兆円以上の損失を出したことが話題になっている。しかし、10兆円の損失自体は問題ではない。問題はその経緯に加え、国民とGPIFの間の信頼関係が存在しないことにある。 GPIFは2014年10月末にポートフォリオ(資産の構成割合)の変更を行い、これまでの日本国債60%、日本株12%、外国株12%、外国債券11%、その他5%という配分から、日本国債35%、日本株25%、外国株25%、外国債券15%へと大きく変更した。この変更は異例ずくめで、半年前の4月末に運用委員会の委員が1名を除いて全員交代したこと、ポートフォリオの変更は5年に一度の最大の運用委員会の審議事項であったにも関わらず、年度末まで検討せずに10月末という異例のタイミングで発表し、新規の運用委員の任命から半年という短期間で行われたこと、そして、株式への配分を倍増させ、リスクを大幅に増やした革命的な内容変更であったことであった。東京証券取引所 なぜ、GPIFの運用方針は突然変わったのだろうか。 背景は不明だが、ポートフォリオの決め方ではっきり変わったことが一つあった。それは「リスク最小化」から「リターン優先」に変わったことだ。従来は全額日本国債で運用した場合と同じリスク水準の下でリターンの最大化を目指すというものだった。だから、株式を混ぜることによってリターンが上がっても、分散投資によりリスクは最小のまま維持されてきた。ところがポートフォリオ変更に伴い、厚生労働省が年金制度としてGPIFに要請する目標利回り達成を優先し、それが達成されないことを「下方確率」と呼び、新たにリスクと定義したのである。 ポイントは二つある。第一に、リスクを取ってリターンを取りに行く方針に180度転換したこと。第二に、年金制度の現行制度維持を最優先し、調整は運用の利回りで行うことを明確にしたことである。だから、年金制度が要請する利回りを達成できないことをリスクと呼び、これを回避することを最優先したのである。「年金のオーナー」国民を騙したGPIF しかし、これは公的年金の運用を決定的に歪めた。 第一に、年金のオーナーである国民が必然的に誤解することになった。ハイリスク・ハイリターンの運用に切り替わったのに、国民は以前と同様にリスクの低い運用をしていると思っていたからである。なぜなら、政府とGPIFは、新しい「リスク」を用いて、新しいポートフォリオは以前の構成よりもリスクが低くなった、さらに全額日本国債で運用するよりもリスクは低くなると説明したからである。もちろん、実際は構成見直しで株式を倍増したのだから、通常のリスク、資産価値の変動も倍増した。当時の説明資料においても、17% の確率で10兆円以上の損失が出ることは示されていた。だから、10兆円の今回の損失はGPIFにとっては、よくあることが起きただけなのである。しかし、国民は10兆円の損失に驚いた。にもかかわらず、GPIFは驚く国民に対し、10兆円の損失はたいしたことではない、心配することは意味がないと国民を諭すような記者会見を行った。国民のGPIFへの不信は決定的に深まった。 第二に、より本質的に国民を騙したことにある。なぜなら、年金制度は国民のものであり、意思決定権は国民にある。運用に関して、ハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリターンを取るかは国民が選択すべきで、実際にこれまでは国民の意向を政府とGPIFが勘案し、最小限のリスクでやってきたのである。この国民の意向は変わっていないのに、政府が180度方針を変えてハイリスク運用に踏み切り、それはローリスクだと国民をミスリードしただけでなく、他に選択肢がないように国民に思わせたのである。これが致命的な年金運用不信を国民にもたらした。 なぜなら、国民にはローリスク・ローリターン運用という選択肢が存在するからである。年金制度からの要請で利回りが名目賃金上昇率+1.7%とされており、名目賃金上昇率は2.8%と想定されているから、運用利回り目標は4.5%となる。現在、世界は低金利下が進行しており、これは一時的なものではなく、長期的な構造変化であることは、世界の金融関係者や運用関係者のコンセンサスである。したがってこの中で4.5%の目標を掲げ、130兆円もの資金を運用するとなれば、極めてハイリターンにならざるを得ない。それならば目標をあきらめて、財源を増税などで確保するか給付を削減するといった、年金制度自体の調整の選択肢も当然あるのである。これは制度と運用を一体で議論しなくてはいけない。ただ、政治的に制度変更は無理なので、すべての歪みを運用で処理しようとしたのである。制度のほうでは運用利回りを想定してこれで安心と言い、運用側には制度の維持のために4.5%で、ということになる。何より制度維持が優先されたのである。 これまでの年金運用では、全額国債で運用するのと同じリスク、つまり「最小限のリスク」だから、運用することに国民も反対する理由はなかった。しかし2014年10月に大きく変更されてしまったのである。国民は、制度を変更するかハイリスクで運用するかの選択に迫られたのであるから、本来であれば国民にきちんと提示され、国民が議論して決定しなければ、前には進めないはずだった。 それにも関わらず、政府とGPIFは国民をまったく無視し、自分たちの都合で運用変更を行った。ポートフォリオの変更に気づかなかった国民やメディアも悪いが、気づかなければいいというものではない。実際、今回の損失だけみれば何ら騒ぎ立てる必要のないものだ。それにも関わらず、愚かにもハイリスク運用に転換していたことを気づいていなかった国民とメディアは大騒ぎになった。ここから信頼を取り戻すことは不可能である。騙されたと思った人から信頼されることはない。運用の専門家が指摘するGPIFへの二つの疑問 さらに、運用の専門家としてもGPIFの運用に対する大きな疑義が二つある。 一つ目は、日本株への配分が25%と異常に高いことだ。株式への50%配分はハイリスク運用としてはあり得る。ただし、その半分を自国株に投資する年金はないし、どのような運用者も行わない。分散投資が基本だから、世界株式市場における日本株式のウェイト8%に比例して投資するのが妥当で、4%が妥当なベースラインとなる。いくらなんでも25%はあり得ない。実際、カナダやノルウェーといった世界で最も評判の良い公的年金運用機関は自国株式への投資を禁じられている。自国市場が小さいこともあるが、余計な憶測や問題が生じることもあるからだ。 二つ目は、ポートフォリオを変更したことによる影響の分析はできないと否定していることだ。今回2015年度全体で5.3兆円の損失、2016年4-6月期で5.2兆円の損失で合わせて10.5兆円になる。また2016年1-3月だけでも4.9兆円損失なので、2016年上半期でも10兆円の損失だ。しかし何よりも、2014年10月以降、つまりポートフォリオ変更後のパフォーマンスは、トータルでマイナス、1.1兆円の損失に落ち込んだ、ということだ。これはポートフォリオを変えていなければ明らかにプラスであったから(日本国債は大幅に値上がりしている)ので、短期的には変更が裏目に出た。記者会見するGPIFの高橋則広理事長=7月29日、東京都港区 この分析は運用者として当然すべきであり、変更しなければどうだったのかを示す必要がある。しかし、GPIFは官僚的な理由でそれを拒み、ただ、「長期的に見れば、むしろやりやすくなった」というような答弁を理事長がしている。これでは国民が信頼しようがない。この説明をしないのは、運用者としてあり得ない。分析をした上で、短期的には裏目だが、長期的にはむしろよい、という理由を分析で示す必要がある。それを一切せずに、単に短期のことで騒ぐな、という説明は運用者としてあり得ない。 現在、GPIFと国民の信頼関係は大幅に低下している。GPIFに運用を任せられるのは、国民の信頼があってこそで、GPIFのガバナンスとは国民の信頼を得ることがすべてであるから、このままでは、運用の継続が危ぶまれる可能性すらある。そして、その危機にGPIFが気づいていないこと、それがGPIF最大の危機なのである。

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    年金運用5兆円損失のウソ、ホント

    私たちの年金は本当に大丈夫なのか? こんな不安にかられた人も多いだろう。公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が2期連続の赤字となり、5兆円もの損失を出したというのである。当のGPIF側は「年金支給に支障はない」と抗弁するが、どこまで信用していいのやら…。

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    安倍首相は一体改革をぶち壊しにするつもりか

    河合雅司(産経新聞 論説委員) 安倍晋三首相は「社会保障・税一体改革」を、ぶち壊しにしようというのだろうか。そう疑いたくなる動きが続いている。  まずは、一体改革の大前提である消費税増税を再延期したことだ。2019年10月までの先送りであることを強調するが、「二度あることは三度ある」とも言う。再々延期とならない保証がどこにあるというのか。  世界経済は不透明さを増しており、「内需を腰折れさせかねない」とした判断を理解しないわけではない。だが、高い内閣支持率を誇る現在において決断できないような政策を、この先、決められるとは思えない。  首相は「引き上げ可能な環境を整えるべく力を尽くす」とも説明しているが、2014年11月に1年半の延期を決めたときも「再び延期することはない」と断言していた。  政府・与党内ではかねてより「消費税増税は安倍政権が決めた政策ではなく、安倍首相は決して積極的なわけではない」と疑いの目が向けられてきた。首相の本音がどこにあるかは分からないが、1つの内閣で2度も同じ政策が反故にされたことの意味は大きい。少なくとも、安倍首相の消費税増税に関する言葉は極めて軽くなったと言わざるを得ない。  消費税率の10%への引き上げは、自民、民主、公明の3党が合意して決定したことだ。本格的な高齢社会を迎え、安定財源を確保しなければならないとの強い危機感の共有であった。消費税を社会保障財源としたのも、税収が景気に左右されにくく、多くのサービスを受ける高齢者にも負担を求められるためだ。増税分をすべて社会保障費に充て、その具体的使い道を決めたのも「政争の具」としないための政治の知恵だったが、こうした理念はどこかに忘れ去られたのだろうか。  これは安倍首相が率いる自民党だけでなく、公明党や民主党の流れをくむ民進党も同じだ。先の参院選では、揃って先延ばしを主張した。消費税に対する政界の機運が冷めた印象である。街頭演説を終え聴衆に手を振り後にする安倍晋三首相=2016年6月17日午後、大阪市北区(前川純一郎撮影) こうなると、2年半後に増税できる経済環境が整ったとしても、「増税しなかったからこそ、こうした環境が生まれた」との声が出て、再び「消費増税することで景気が冷え込み、税収が減ったのでは元も子もない」という理屈が登場するだろう。それでは、消費税増税分を財源として社会保障を充実させるという社会保障・税一体改革の基本的枠組みが根底から崩壊することになる。  一体改革に対する軽視の姿勢は、無年金者救済策として盛り込まれた年金受給資格期間の短縮に関する実施スケジュールを前倒ししようとしていることでも確認できる。  年金受給の権利は、現行制度では保険料を25年間納めなければが得られないが、高齢になっても働かざるを得ない無年金者から「わずかであっても年金がほしい」との要望が強く、10年に短縮しようというのだ。  ただ、年金受給資格期間の短縮には年間650億円を要する。安定財源が必要なことから、2012年に成立させた年金機能強化法で消費税率10%引き上げと同時に行うことを定められた。消費税増税が実現しなければ受給資格期間の短縮も実施されないということであったはずだ。  ところが、7月の参院選で与党が「早期実現」を言いだし、安倍政権がこれに押される形で来年度からの前倒しに踏み切る判断を下したのである。  財源は税収の上振れ分や既存予算のやり繰りで捻出するというが、典型的な見切り発車である。財務省は社会保障費の伸びの抑制を強く求めてもいる。懸念されるように、消費税10%がさらに延期されることになれば、他の社会保障財源を食いつぶすことになりはしまいか。  だが、それ以上に懸念されるのが、法律を変えてまで、スケジュールを曲げる「前例」を作ったことが、一体改革自体をないがしろにする空気を醸成しかねないことだ。  すでに、タガは緩み始めている。このほど安倍政権がまとめた経済対策に、低所得者1人当たり1万5,000円を給付する事業を盛り込まれた。消費税を8%に上げる際に、低所得者の負担軽減のために始めた「簡素な給付措置」を改変し、消費税を10%に再増税する2019年10月まで2年半延長して、その分を一括支給しようというのである。だが、8%への引き上げから3年が経つのに、なぜ継続させる必要があるのか。政府は「景気刺激策」と説明するが、その効果にも疑問符がつく。1回限りの給付では消費よりも貯蓄に回す人が多いだろう。  この1万5,000円給付事業には3千数百億円もの財源が充てられるが、その一方で厚生労働省では高齢者の医療費窓口負担の引き上げや介護保険サービスの縮小といった改革の検討に着手している。負担増となる人にとってみれば「低所得者向け福祉施策にはいとも簡単に3千数百億円もの予算をつけておいて、自分たちがそのツケを払わされるのか」となる。国民に不公平感が広がったのでは社会保障改革は進まない。  一体改革をないがしろにするかのような姿勢がもたらす影響はこれで終わらない。さまざまな無理が生じる。  例えば、安倍首相は消費税が10%に上がるまでの社会保障費財源の捻出策について、「アベノミクスの果実を充てる」と説明しているが、一般財源である「アベノミクスの果実」のすべてが社会保障費に回るわけではないだろう。しかも、経済は生き物と言われる。経済成長に伴う税収の上振れ分がいつもあるとは限らない。果実を得られなければ政策をその時点で縮小したり、借金に頼ったりするとでもいうのだろうか。とても安定財源として織り込むわけにもいかない。  少子高齢社会に対応する社会保障の構築は「消費税率10%」で完結するものではなく、その先を見据えなければならない。だが、消費税増税が本当に実施されるかどうかを疑わざるを得ない状況が続くのでは、ここから先の議論は深まらない。ましてや「10%」後の社会保障制度改革の全体像など、とても描き切れない。  一体改革はやっとの思いで与野党が合意した経緯がある。今後、本当に消費税を選択肢から外すのであれば、別の安定財源を確保すべく新たな社会保障改革の枠組みを構築しなければならない。だが、そのエネルギーは想像以上に大きなものとなるだろう。議論している間も、日本の高齢化は2040年代初頭のピークに向けて止まることなく進んでいく。それで間に合うのだろうか。  伸び行く社会保障費は誰かが何らかの形で負わなければならない。増税再延期に喝采を送った人も少なくないだろうが、そのツケはより重く、より厳しい条件となって、いつか国民に帰ってくる。※「先見創意の会」2016年08月30日コラムを転載。

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    晩婚の予期せぬ影響…急がれるダブルケア対策

    河合雅司(産経新聞論説委員) 子供の数がめっきり減った-という地域が珍しくなくなってきた。総務省がまとめた人口推計(4月1日時点)によれば、14歳以下は前年比15万人減の1605万人、総人口に占める割合は12・6%だ。人数は35年連続、割合も42年連続の減少で、ともに過去最低を更新した。働き盛りが8割占める 少子化はさまざまな要因が複雑に絡んで起こるが、不妊治療の進歩によって晩婚・晩産が進んだことも大きい。 厚生労働白書によれば、2014年の平均初婚年齢は夫31・1歳(1950年は25・9歳)、妻29・4歳(同23・0歳)だ。初産の平均年齢は30・6歳(同24・4歳)と初めて30代に突入した。 妻の結婚時の年齢別に完結出生児数(夫婦の最終的な出生数)で見ると「27~28歳」は1・94人で、これ以下の年齢はおおむね2人産んでいる。一方、「29~30歳」は1・63人、「31歳以上」は1・43人に激減する。30代の結婚では、なかなか「もう1人」とはならないようだ。 晩婚・晩産は人生設計に少なからぬ影響を与える。“予期せぬ悩み”に直面する人は少なくない。 例えば、夫の定年退職後に子供が大学に在学しているというケースである。早くから収入面での計画を立てておかないと、学費と老後の生活資金の両立が難しくなる。 育児が一段落する前に年老いた親が要介護状態となり、育児と介護を同時に行わざるを得ない「ダブルケア」に直面する人も多い。 内閣府が4月に、政府としては初の推計をまとめたが、ダブルケアは男性8・5万人、女性16・8万人の計25・3万人に上っている。年齢別では40代前半が27・1%で最も多いが、30代後半が25・8%、30代前半も16・4%で続く。8割が働き盛りの30~40代である。世代を超えて子供にも さらに問題なのは、親の晩婚・晩産が世代を超えて子供に影響を及ぼし得るという点だ。50歳と40歳の両親から生まれた子供が20代後半で結婚したケースを考えれば分かるだろう。その子供は晩婚でないにもかかわらず、結婚時に両親が高齢化しているためダブルケアに直面する可能性がある。これは、夫が晩婚で妻との年齢が大きく離れた「年の差婚」でも起こり得る。 内閣府の調査によれば、育児と介護の両方を主に担う者は男性が32・3%に対し、女性は48・5%だ。より多くの負担が女性にかかっている。仕事をしていた人のうち、業務量や労働時間を減らさざるを得なかった女性は38・7%で、その半数近くが離職に追い込まれている。 晩婚・晩産の影響の中でも、とりわけ経済的、肉体的に厳しい環境に置かれるダブルケアの悩みは深刻だ。少子化で相談できる兄弟姉妹や親族がおらず、精神的に追い詰められる人も少なくない。 言うまでもなく、結婚や出産に関わる選択は各人の意思だ。そこから生じる課題のすべてに、行政が対応することには限界がある。 だが、ダブルケアは「育児と介護」という組み合わせだけではない。平均寿命の延びで両親が同時に要介護状態になり、介護する側も60代といったケースも見られる。これは晩婚とは無関係だ。 少子高齢化がこのまま進めばダブルケアに悩む人はさらに増え、大きな社会問題となることが予想される。早急な対策が求められる。人生プラン教育が重要 まずは縦割り行政を排して総合的な相談窓口を設け、育児と介護の双方に対応できる専門家がケアプラン作成から支援する態勢をつくることだ。緊急時に利用できるサービスや、保育と介護とを一体的に行う施設をつくり、ダブルケアの人が優先利用できるようにすることも必要となる。 離職を減らすためには、自宅で仕事ができるような働き方を増やす。また、夫が協力しやすい環境を整えることも急がれる。基本給が少なく残業代をあてにしなければならない人が多い現実もあることから、労働時間ではなく成果によって評価する仕組みを普及させなければならない。 育児と介護のダブルケアの解消には、晩婚・晩産に歯止めをかける中長期的な取り組みも重要となる。若者を対象に自分の人生プランを考える機会を設け、晩婚・晩産がもたらすデメリットについても情報提供をする。 できるところから取り組まない限り、「1億総活躍社会」など実現しない。

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    語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史

    (THE PAGEより2015年8月23日分を転載) 戦後70年を迎えた今夏は、戦争関連のさまざまな報道や出版などが相次いだ。しかし、けっしてこれまで多くは語られてこなかった戦争体験がある。障害者から見た戦争だ。障害者に対する法制度がなかった戦時中、彼らはどのような体験をし、どう戦争を見つめたのか。「障害者と戦争」などをテーマにしたNHK Eテレの「シリーズ・戦後70年」を手がけるチーフ・プロデューサー、熊田佳代子氏に聞いた。真っ先に切り捨てられるのは自分たち いま障害者は、ある危機感を持っていると熊田氏は言う。「戦争などの有事の際には障害者は真っ先に切り捨てられる」というものだ。 日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さんは「障害者がすべての前触れになる」とよく話すという。藤井さんは、自身も視覚障害があり、日本障害者協議会の代表を務める。世の中の“空気”が変わった時に真っ先に切り捨てられる、生きている価値がないとして「価値付け」の対象になってしまう、そういう「変化」が一番早く押し寄せるのは障害者なのだと。「平和じゃないと生きられない」ということを、先鋭的に肌身に感じているのが他ならぬ障害者たち自身だという。 これまで障害者の戦争体験はあまり語られてこなかった。 戦前は障害者に対する差別があり、家族も家に隠すなどして表に出したがらなかった。昨年6月に沖縄戦を扱った番組で、熊田氏らは沖縄の障害者の人たちの証言を集めたが、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄だけに、あまりにも辛い体験だったことに加え、「大変なのは障害者だけじゃない」という状況で、思いを胸に閉じ込めてきた人が多かったのだという。 それがここ数年、生き残った障害者が少しずつ取材に応じ始めている。自分たちの年齢も考えて「伝え残さないと」という切迫感と、時代の空気に対する危機感から声を上げ始めているのだと、熊田氏は感じている。日本兵「邪魔になるから殺せ」 沖縄戦をはじめとして多くの市民が犠牲になった沖縄では、障害者もまた、凄惨な体験をした。昨年6月の番組で、その体験が語られている。 1944年10月10日の「10・10空襲」。米軍機の大群が空を覆う中、左足にマヒがあった男性は一人で逃げられない。近くに爆弾が落ちたが、死を覚悟しながら何とか生き延びた。 沖縄戦が始まった4月。那覇から北へ避難しようとした家族には2人の障害者がいた。家族でサポートしながら逃げる最中、「障害者は足手まといになる」と周囲の人たちから嫌味を言われることもあった。そんな中、視覚障害のある娘は父親に「私たち2人は置いていっていい」と告げた。父親はそれでも最後まで家族を守り続けた。 障害を理由に殺されかけた事例もある。脳性小児まひで体に障害がある女性は、幼年時代、母親とともに満州から山口県に引き上げてきた。そこへ日本兵がやってきて「障害のある子供は有事の時に邪魔になるから殺せ」と母親に青酸カリを手渡したという。 戦争中、障害者は「穀潰し」呼ばわりされることもあった。右半身にマヒがある男性もその一人。障害のため、兵隊になって国のために戦えない。徴兵検査で不合格になり、「国家の米食い虫」と言われた。 そうした負い目や軍国教育の影響もあり、国のために戦いたいと考えた障害者もいた。障害があっても人間魚雷になら乗れる、と訴えたり、また視覚障害者は耳がいいので敵機の音を聞き分ける防空監視員になったりして、なんとか役に立ちたいと願ったのだ。画像はイメージですドイツでは20万人以上が虐殺 戦争中の障害者に対する差別・抑圧の歴史は、なにも日本だけではない。 熊田氏は、ユダヤ人を大量虐殺したナチス政権下のドイツで、障害者が虐殺された事例を挙げる。同胞のドイツ人を含む20万人以上の障害者らが、強制断種させられたり、「ガス室」に入れられ殺害されたりしたのだ。 藤井代表は、なぜこんなことが起きてしまったのか、なぜ止められなかったのか、関係者に聞きたいと、ドイツへ渡った。遺族に話を聞き、ガス室を取材したという。 当時のドイツでは、知的障害者や精神障害者をいかに効率的に殺すかを、ヒトラーや医師・科学者らで話し合い、ガス室が作られた。それがアウシュビッツの“リハーサル”になったともいわれる。 こうした障害者の悲劇について、ドイツでも家族らは今まで声を上げてこなかった。沖縄の場合と同じで、当時障害者は差別の対象になっていたからだ。 医学界は、精神障害者らを殺害することは、優生思想や安楽死的な考え方から「正しい」と考えていた。むしろ積極的に殺りくに関わっていたわけで、ナチスはそれを利用した。加害者側の精神医学の学会は5年ほど前まで殺害を公に認めてこなかった。 なぜ止められなかったのか。街の声には「『おかしい』と言うと次は自分がターゲットになってしまう」という意見があった。藤井代表は「これくらいならいいだろう」とみんなが思っているうちに、とてつもないホロコーストへとつながって行ったとみる。そして警鐘を鳴らす。「ちょっとおかしいなと思った時に、誰かが声を上げて大きなうねりにしていかないと」。今も変わらない「危機感」 戦後、日本は日本国憲法の下、新たな道を歩み始めた。1947年施行の憲法に「社会福祉」が初めて明記され、障害者への法制度もスタートした。先進国の中では「まだ遅れがある(熊田氏)」とはいえ、遅ればせながら2014年1月、国連の障害者権利条約も批准した(国連総会での採択は2006年)。現在の日本で、もし仮に再び戦争が起きたら、障害者の人権は、かつての戦争の時代よりも守られるのだろうか。 藤井代表は、4年前の東日本大震災での死者数を参考にこう指摘する。震災で亡くなった障害者の数は、一般の人の2倍だった。震災のような大災害は、普段の社会状況を「丸裸」にする。仮に戦争が起こった場合、「障害者が危険な状態にあることは、今も変わっていない」。 震災時にも、逃げ遅れる、置いて行かれる、情報が届かない、そういう状況が重なって障害者が命を落としている。被災地の避難所でも、医療機器がないと生きられない。しかし、そのためにみんなの貴重な電気を使えるか。また、発達障害のある子が声を上げてしまう。避難所では周囲から「眠れない」と言われ、居づらくなる。震災でも障害者は厳しい状況に置かれた。 戦争のような有事の際は、ともすると、国のためになるか、という「優先順位の社会」になりがちだ。そこでは、人間は平等であるという価値観が忘れ去られてしまう。それは私たち自身にも突きつけられる問題だ。「共同体の中で『優先順位の社会』になると、真っ先に切られるのは弱者」。藤井代表は、今も変わらない危機感を抱いている。

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    「人は障害者を差別する」 私たちの心に根強く残るホンネとタテマエ

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 相模原施設襲撃事件。世にも恐ろしい事件だ。19人もの人が殺害された大量殺人だからということはいうまでもない。だが、それだけではない。重度の知的障害者はいない方が良いと語る男性による、大量殺人だからだ。 今回の事件は、海外でも大きく報道されている。治安の良い日本で起きた残虐な大量殺人であること、そして障害者がターゲットとされたことが、報道を世界的に大きくしている。現場となった障害者福祉施設「津久井やまゆり園」では、日没後も報道陣が取材を続けた=7月26日午後、相模原市緑区(早坂洋祐撮影) 私たちの社会は弱肉強食ではない。ルールがあり、マナーがある。順序を守って並ぶ。高齢者には席を譲る。車椅子のためにスロープを作り、視覚障害者のために点字ブロックを作る。 お笑い芸人たちは、しばしば相方の欠点を指摘し笑いを取るが、実際に軽蔑しているわけではない。相手の間違いを指摘する「ツッコミ」も、侮辱ではなく愛情表現だ。 子どもたちは、ケンカをすることもある。ケンカは両成敗が基本だろう。いじめが起きることもある。いじめは、両成敗ではない。被害者を守り、加害者を指導しなければならない。 さらに、障害児に対するいじめなど、絶対に許されない。これは、ただの理想や抽象論ではない。学校現場において、障害児に対して、その障害のゆえのいじめなど起きたら大問題だ。即座に教育委員会に報告され、普通のいじめ問題以上に、加害者は強く指導されることになる。 芸能人や政治家の発言もそうだろう。公の場、ネット上などで、障害者を差別するような発言がなされたら、大炎上するだろう。 しかし、それでも障害者差別はある。人は、障害者を差別する。たとえば、人は見慣れないものに不安や不快感を感じる。手足がない人や、奇妙な歩き方をする人を突然見たら、戸惑う人は多いだろう。 これは、身体障害者に限らない。たとえば外国人を見たこともない人が、金髪青い眼の白人など見たら、やはり戸惑い、不安を感じるだろう。ただし、見慣れれば大丈夫だ。今は、街中で普通に外国人を見る。 パラリンピックなどの機会も大切だ。身体障害のある人々が活躍する様子を始終見ていると、もうその障害の部分にだけ注目することは少なくなり、純粋に競技が楽しめるようになる。人が差別を好む根底にある「歪んだ優越感」 それでも、人は差別が好きだ。人は他の人と比較することで自分自身のイメージを作る。人は、自信があるときには自分より優れた人物と比較して自分を正しく見ようとし、自信がないときには自分より弱い相手を比較して、歪んだ優越感を得ようとする。 自分たちのチームの実力を知りたいために、強いチームと試合することを願うこともあれば、自分より弱い相手と試合し、楽々勝って相手を見下すようなチームもあるだろう。 健常者である自分と障害者である誰かを比較して、歪んだ優越感を得ようとすることもある。相手が経済的にも人格的に優れているとしても、自分のように普通に歩くことができなければ、その部分を侮辱することもあるだろう。 身体障害以上に、精神障害や知的障害は、微妙で複雑な問題を抱えている。以前であれば、街中で車椅子を見れば、奇異な目で見る人もいただろう。さすがに、現代では見慣れてきたために好奇な目で見る人はいないだろうが。 邪魔者扱いをする人はいるだろう。もちろん、車椅子もルールやマナーをわきまえずに、通行の邪魔をしてはならない。しかし、道には様々な人がいる。子どもも高齢者も、ベビーカーも通る。強く速い人だけが他を押しのけて歩いて良いわけではない。そこに車椅子や視覚障害者がいても、同じだ。 むしろ、子ども、高齢者、車椅子などは、道路上の交通弱者である。交通強者としての自動車は、特に交通弱者に注意して守らなければならない。 車椅子が来たからといって、露骨に不愉快な顔をする人は、現代のまともな市民にはいないはずだ。それだけ、私たちは学んできた。しかし、知的障害や精神障害ならどうだろうか。 たとえば、誰かが場違いな笑顔でへらへらと笑いながら近づいてきたらどうだろう。何らかの障害があるだろうと予測ができても、嫌な顔をしてその場を離れる人は、今も少なくないだろう。 近所に内科や外科の病院ができることは、多くの人が歓迎する。だが、精神病院ができることを反対する人は、少なくないだろう。近所に身体的なリハビリ施設ができることに反対する人は、少ないかもしれない。だが、知的障害者の施設ができるとなれば、反対もあるだろう。 「弱きを助け、強きをくじく」。日本人が慣れ親しんできた言葉だ。特に若者たちは、強いものと対決し、伝統を否定し、弱いものを助けようとしてきた。しかし、現代の若者は違ってきている。 若者は保守化し、そして強いものとの対決を避けるものもいる。さらに、弱者を攻撃する若者もいる。校長にも政府にも逆らわないが、弱いものいじめをたり、ホームレスを攻撃するような若者たちだ。弱者への攻撃でストレス発散を行う人もいる。ネット上でのひどい差別的発言をストレス発散で行っている人もいるだろう。「社会のお荷物」という意識は微塵もないのか いじめは、実は自分より優れたものに対して行われる。自分の方が上だと余裕をもって感じるなら、わざわざいじめる必要はない。自分より優れている人が憎く感じ、その人が持つ些細な弱点を突いていくのが、いじめだ。弱点は、ケンカをしないことかもしれないし、苗字が少し変わっていることかもしれない。つまり何でも良いのだ。 だが弱者に対するいじめも当然あるだろう。成績も良く、裕福で、スポーツもでき、外見も良い人が、何をしてもダメな人をいじめることもある。これは、単なるストレス発散ではなく、自分の方が優れているのに、相手の方が愛されたり認められたりしていることが我慢できないと感じるのだ。 自分が虐げられているのに、自分よりも劣っている人が特別な配慮を受けているなどと感じれば、相手への憎しみが増すだろう。こうして、障害者差別や人種差別が起きることもあるだろう。 今回の事件の容疑者は、障害者は家族や施設職員を苦しめるという。障害者がいない方が、経済的に繁栄し、平和になると衆議院議長あての手紙で語っている。施設には、重度の障害者が多かった。今回彼は、コミュニケーションが取れない障害者を狙ったとも語っている。事件のあった津久井やまゆり園前に集まった緊急車両=7月26日午前、神奈川県相模原市緑区(桐原正道撮影) テレビの出演者たちは、許されない犯罪だと異口同音に語っている。その通りだ。テレビを見ている人も同感だろう。しかし、その私たちに障害者、特に精神障害、知的障害者に対する偏見差別はないだろうか。隣に知的障害者施設ができるなら、反対しないだろうか。 重い知的障害に重い身体障害が重なっている人もいる。彼らを、社会のお荷物だと感じる意識は、微塵もないだろうか。 事件に感じる世にも恐ろしさは、そこにある。私たちは殺人はしないだろう。公の場で無配慮に差別的発言をすることもないだろう。だが、私たちの心の中にも、まだまだ精神障害や知的障害に対する偏見差別は根強く残っていると言わざるをえない。 容疑者男性の言動の一部は、おそらく妄想的なものだろう。しかし同時に、現代の私たちがまだ解決できていない障害者差別への思いに通じる部分はある。自分を安全な場所に置き、容疑者男性を責めるだけでは、いけない。犯罪は、社会を映す鏡だ。目を開き、事件の全容を見、そして現代社会と私たち自身の姿をも見なければならない。

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    ナチスを思わせる教育委員の発言、障害者は生まれてはいけないのか

    岩田温(政治学者) これは問題発言だろう。茨城県教育委員会の長谷川智恵子氏の発言だ。 障害を持った子供が産まれてくる前に、事前に中絶、要するに殺してしまえという発言だ。中絶は殺人なのかという問題は、重要な問題で、今、考察を深めている最中だから、ここでは詳しく論じない。だが、この発言は看過できない。「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」 金のかかる障害者は存在そのものが負担だ。だから、茨城県ではこういう人が減ればいい。生まれてきてからでは「処分」出来ないから、生まれる前に「処分」してしまえ、ということだ。 恐ろしい発言だ。よく、リベラルの人々が、他人を「ナチス」呼ばわりするが、この人物こそ、まさにナチス的な発想に基づいた危険思想の持主だろう。 ナチスは、ユダヤ人殺害に先駆けて、障害者、LGBTの人々を殺害した。生きている価値がない劣った人間だというのが、その根拠だ。「優生学」を信奉する多くの科学者たちも、ナチスの政策を支持した。「生きる価値」を国家が決めたナチスの恥ずべき言葉 この問題は『逆説の政治哲学』で論じたから、詳しくは、そちらをご覧頂きたい。 障害者殺害作戦は本部がティーアガルテン通4番地に置かれたことから、T4作戦と名付けられた。全国の病院にリストを提出させ、「生きている価値のない人間」を国家が決定し、ガス室で殺戮した。無邪気な子供たちにも例外はなく「灰色のトラック」が全国の病院をまわり、「生きる価値の無い人々」を無慈悲に連れ出し、殺戮した。 私が最も衝撃を受けたのは、一枚の写真に付されたコメントだ。車椅子に乗った障害者と一人の健康的でハンサムな青年が映っている写真だ。 この写真自体は、別に驚くような写真ではない。だが、そこに付された言葉が衝撃的なのだ。「この立派な人間が、こんな、われわれの社会を脅かす気違いの世話に専念している。われわれはこの図を恥ずべきではないか」 恥ずべきなのは、こうした言葉を平然と使う側の人間であって、障害者に罪はない。 ナチスとは、本当に恥ずべき存在だったのだが、現在の日本でも、ナチスを髣髴とさせるような発言を平然とする人間が、「教育委員」として堂々としている。過去への反省をいうならば、こうした問題発言を許容すべきではないだろう。 個人的な話で恐縮だが、障害者の問題は、小さいころから、よく考えていた。私の叔父には重度の障害がある。自分で話すことも、歩くことも、食べることも出来ない。小さい頃、疑問だった。何が楽しいのだろう? 生きていて苦痛だけがあるのではないか?本当に小さい頃、色々考えた。 自分は将来、高校、大学に進み、友人と遊び、綺麗な女の子と恋愛し、いずれは結婚するだろう。美味しいものも食べるだろうし、美しい場所にも訪れるだろう。 だが、叔父は自分の意思で何も出来ない。小さい子供には、周りに世話ばかりかける存在としか思えなかった。 いっそのこと死んでしまった方が本人にも楽なのではないか? 今、考えると非常に残酷だった。この残酷な思想に基づいて、障害者を次々に抹殺したのがナチスだ。 今思えば、叔父の存在があるから、家族がひとつになれている部分が大きい。叔父は家族に世話になることによって、家族を家族足らしめている。平和で豊かな日本だから、そう悠長なことを言ってられると思うかもしれないが、それこそが日本のよさではないだろうか。 在日朝鮮人でも、障害者でも、LGBTでも、どんなマイノリティであれ、縁あって、この世に生を受け、日本に育ったわけだ。当然、生きる権利があるし、幸せになる義務がある。存在そのものが否定されてよいはずがない。全ての人が輝く日本こそが、私の誇る日本だ。決してナチスのように「生きる価値」を国家が決めるような国家であってほしくない。(ブログ「岩田温の備忘録」より2015年11月20日分を転載)

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    障害者にとっての「性」と「生」 風俗と射精介助はどう違うのか

    上野千鶴子(社会学者)/坂爪真吾(一般社団法人ホワイトハンズ代表)[障害者にとっての<性>と<生>を考える(前編)]障害のある人たちは、どのように自分や他人の性と向き合っているのでしょうか。それらの喜びや悩みは、障害の無い人たちと同じものか、それとも違うものなのでしょうか。重度身体障害者の射精介助など障害者の性の支援に長年携わり、去年から今年にかけて『はじめての不倫学』『性風俗のいびつな現場』とベストセラーを連発した坂爪真吾さんの最新刊が、『セックスと障害者』(イースト新書)です。今回、坂爪さんの東大時代の師匠・上野千鶴子さんをゲストに招き、フェミニズムの立場から見た障害者の<性>と<生>について、また弟子の言論活動についての評価など、縦横無尽に語ってもらいました。(2016年6月9日、八重洲ブックセンター本店)「童貞喪失作」は推薦を頼まれても断ろうと思っていた上野 私と坂爪さんはかつてのゼミ生とその教員という関係なんですが、今日は坂爪さんの新刊の出版記念トークですから、坂爪さんが主役で、私が脇役。今回、彼の本をこれだけ持ってきました(※坂爪さんの全著書5冊、『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』(小学館新書 2012)、『男子の貞操』(ちくま新書 2014)、『はじめての不倫学』(光文社新書 2015)、『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書 2016)、『セックスと障害者』(イースト新書 2016)を並べる)。この『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』が童貞喪失作?坂爪 はい、童貞喪失作(笑)ですね。上野 わざわざここで「ヘルパー」と書いてあるのは、誰かの手を借りないとセックスできない人たち、つまり身体障害者の性を…。坂爪 そうですね。じつは「ヘルパー」という表現を自分は使っていなくて、編集の方が付けたタイトルではあるんですが。上野 そういう舞台裏は言っちゃダメ、だって著者が同意しているんですから。坂爪 ああ、そうですね、すみません。女性のオーガズムヘルプの産業化ってあるのかな上野 あなたは今度の新刊『セックスと障害者』で、初めて「障害」という言葉を本のタイトルに出したわけですね。 ところで、あなたがつくったホワイトハンズというNPOは、まだみなさんもあまりご存じないし、興味があると思うけども、そもそも何をやるんですか? 坂爪 いくつか柱がありまして、自力での射精行為が難しい重度の身体障害者への射精介助を、8年前から継続的に各地で実施しております。上野 つまり、射精産業?坂爪 介護という文脈でやっています。上野 『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』(小学館新書 2012)の帯に、「東大・上野千鶴子ゼミ出身」って書いてあるのよね。この本が出る時に、もし推薦を頼まれたら断ろうと思っていたの。坂爪 ……その心は?上野 セックスというのは、すごく大きなジェンダー非対称性があるのね。だから男の射精にあたるものが女のオーガズムだとして、射精ヘルプの産業化はあったとしても、女性のオーガズムヘルプの産業化ってあるのかなって。ホワイトハンズさん、それについてはどうするの?坂爪 基本的に女性のケアもしたいとは思っていまして、モニターは集めようとは思っているんですけど、なかなか当事者の方が声をあげてくださらなくて……。上野 あなたのところにニーズは来ないでしょう。ということは、この『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』は基本、「男の、男による、男のための本」としか、読めなかったから。坂爪 まぁ、それ自体は事実ですね。上野 だから、偉そうに「性の公共」とか言うなよって(笑)。人口の半分が、抜けているんだからね。射精介助はなぜ「異性」なのか?射精介助はなぜ「異性」なのか?上野 男性障害者対象に射精介助をやっているわけね。ただ、障害者介助の原則に「同性介助」というのがあるよね? ホワイトハンズさんは、原則それをやっておられると。坂爪 基本は異性介助です。上野 あ、基本、異性なんですか?坂爪 女性スタッフが男性利用者にケアを行っています。一応は利用者の側が性別を選べるという仕組みにはしているのですが、ほぼ全員、女性を選ばれるので。上野 男性も女性も料金が変わらない?坂爪 基本的に一緒ですね、はい。上野 なぜそこは同性介助じゃないんですか? 「マスターベーション介助」といったら、マスターべーションは自分の手なんだから、同性に決まっているじゃないですか?坂爪 やっぱり、同性にされるのに抵抗があるという方がすごく多くて。同性でもいいという方も中にはいらっしゃるんですけど、やっぱり多数派は「女性のほうがいい」と。上野 そこ、何だろうね? 私は、マスターベーションと性交ってまったく違うものだと思っているわけ。マスターベーションについては「自己と自己身体とのエロス的関係」、性交のほうは、「自己と他者身体とのエロス的関係」って定義している。 ここのところセクシュアリティ研究がずいぶん進んで、マスターベーションと性交というのはまったく別のもので、お互いに置き換え不可能なものだと。つまり、マスターベーションをさんざんやったら性交せずに済むとか、性交をさんざんやったらマスターベーションをしないとかいう類のゼロサムじゃないことが分かっってきました。データで見ると、セックスをやりまくっている人間ほど、マスターベーション頻度が高い。坂爪 それはたしかにありますね。上野 やっぱり社会学はエビデンスって大事です。だから、身体が全体にエロティサイズしていると、性交にもマスターベーションにもどっちにも向くというだけの話なんです。ホワイトハンズは、デリヘルとは違うわけですよね?坂爪 そうですね、趣旨的には。風俗系の射精産業とどこが違うんだろう上野 異性を介助に送り込んだとしても、その異性に、例えば風俗のような仕事をしてもらうわけじゃないわけですよね?坂爪 そうですね。訪問介護という枠組みでやっていて。手袋つけて、ローションつけて……。上野 それで、白衣を着て……。坂爪 いや、そういうコスプレはしません。上野 白衣もコスプレか(笑)。風俗系の射精産業とどこが違うんだろう?坂爪 定義的な部分では、風俗は娯楽としてやっている部分が多いと思うんですけど、ホワイトハンズは介護という枠組みの中で、性の健康と権利を守るという立ち位置で行なっています。上野 その「性の健康と権利」だけども、性欲を満たさなくて死んだ人はいないのよね(笑)。坂爪 ただ、やっぱりQOLはガクッと下がると思うんですよ。上野 そんなもんですか。坂爪 はい、特に男性はやっぱりそういう方が多いですね。上野 でも例えば、按摩さんとかマッサージに行くということであれば、基本は同性介助でもいいですよね? その時に異性を送り込むって、何なんだろう?坂爪 たしかに、そこは突っ込めるかとは思うんですけど、逆に、「同性しか派遣しません」となっちゃうと、そもそも依頼が止まっちゃうと思うんですよね。上野 そうでしょ(笑)。じゃあ、利用者の側には異性の介助者に対して、ある種のセクシュアルファンタジーがあってそれを利用してるんですね。坂爪 そこは否定できない部分だと思います。上野 私は、性欲と関係欲、つまり他者と関係したいという欲望は、区別したほうがいいと思っている。体のムラムラ感とか、緊張をほぐしたいという欲望であれば、本来、マスターベーションって自分の手でやるものだから、自分の手のエクステンションを使うというだけでしょ?坂爪 そうですね、はい。上野 そのうちロボットアームが使えれば、それでもいいの? それでもロボットアームなんか嫌だっていう人がいるの?坂爪 TENGAなどのアダルトグッズを使うという案もあるんですけども、やっぱり普通に手のほうが手っ取り早いし、お金もかからないというのもありますね。上野 それはロボットアームがまだローテクで高価だからというだけでしょ? やっぱりジェンダー非対称性を前提に、男向けの射精介助というところに特化しているので、最初の本(『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』)は、どうしても推薦する気にならなかった。坂爪 ですよね、はい(苦笑)。ジェンダー非対称性をどこまで意識しているかジェンダー非対称性をどこまで意識しているか上野 それから今回の『セックスと障害者』(イースト新書 2016)まで何年経ちました?坂爪 えっと、4年ですね。上野 この『セックスと障害者』はすごくまともな本だと思いました。今回、私に推薦のご依頼はなかったけど、もしあったら推薦してもいいなと思ったぐらい。坂爪 ああ、そう言っていただければ光栄です!上野 じつはその前にちゃんと推薦した本も1冊あるんです。『男子の貞操』(ちくま新書 2014)は、帯に「上野千鶴子氏推薦」と書いてある。これが、キミの書いた本の中で、いちばんまとも。坂爪 いちばんまとも(笑)。上野 うん、男の子の性教育に最適な教科書ね。性教育って、「自分の体とどう付き合うか」だけじゃないから。「相手の体を巻き込む時にどういう関係を作るか」という、すごくまともなことが書いてある。ちゃんと実践に裏打ちされている。坂爪君がどうやら妻という女性と愛し愛されていることがわかる、いい本だったわ(笑)。坂爪 なんか、皮肉っぽいですけど(笑)。上野 だけど、『セックスと障害者』も、あまりジェンダー非対称性を意識して書き分けられていないよね。坂爪 そこまでみっちりとはやっていないですね。上野 男の性と女の性、「違うものは違うように論じようぜ」って、基本、思うんだけど。坂爪 たぶん、そこまで社会の認識が進んでないというか、まず障害のある人に性があると分かってもらった上で、話を進めたいっていう部分があって。上野 だから、「ボクちゃん、男の性のことしかわからないから、男の性についてだけ書きます」って言えばいいと思うけど。坂爪 もちろんそれでもいいんですけど、できれば議論の射程を広げたいという野心というか欲はあったので。上野 射程を広げたいなら、違うものは違うものとして、ちゃんと論じること。ゲイ/レズビアン・スタディーズもそうなんだけど、差別発言だって言われそうだけど、ゲイだろうがストレートだろうが「男はしょせん男」って、私は思っているからね。だから、「ゲイの人たちがレズビアンのこともわかるみたいなふりをしないでほしい」と思っちゃうんだよね。坂爪 それはありますね。代弁はできない。結婚なんか推進してどうする?結婚なんか推進してどうする?上野 『セックスと障害者』(イースト新書 2016)の帯には、「愛される障害者から愛する障害者へ」ってあるでしょ。愛し愛される関係が障害者にもあって当たり前なんだという、そこをちゃんと書いたのはすごくいい。坂爪 あ、ありがとうございます!上野 そうなると、関係欲というものが出てくる。性愛とひと言で言うけど、性と愛って同じものじゃない。だから、関係欲の中で、他者身体と関係したいという時の関係の仕方が、「愛し合いたい」なのか「他者身体を支配したい、思うようにコントロールしたい」なのかは大きな違い。「他者身体を搾取したい」とか「虐待したい」とかなら、そんな欲望を介助する必要なんか何もない。坂爪 それはまったくないですね。上野 障害者だからって、そんな欲望を認める権利も必要もない。だから、その中で「愛し愛される」関係というのは、障害があろうがなかろうが、誰もが持っている欲望だし権利だっていうことが、ここで言いたかったわけ?坂爪 基本はそうですね。「愛される障害者」になるべきという考えが今まで支配的だった。支援者側の家族・職員にとって管理しやすい従順な障害者像が理想とされてきた。ただ、それでは障害者が性愛になかなかコミットできない部分が多い。いろんなトラブルが起こるかもしれないけれど、これからは障害者が「愛する」存在として主体的に性に関わっていけるような支援に転換すべきだと言いたかったんです。上野 能動的な愛する存在になるというのはもちろん、誰にとってもすごく大事なこと。でも、恋愛したりお付き合いしたりするというのは、「まっとうな対人関係のスキルを障害者もちゃんと身につけよう」ということになって、障害者の恋愛とか結婚とかが出てくる。でも、やっぱりもうひとつ分からないのは、なぜ結婚がゴールなわけ?坂爪 あ、結婚がゴールじゃないとは一応書いてあるんですよ。共同生活も含めてですけど。もちろん結婚がゴールだということに異論がある人はいらっしゃるとは思います。上野 でも、ちゃんと「障害者の結婚推進事業」に一章分、割いてあります。結婚を推進してどうするわけ?坂爪 いやいや、結婚を否定的に見る方はそう思われるとは思うんですけど(笑)。やっぱり選べないというのはいちばん良くないことだな上野 こういう言い方をしたら、ただちに「障害者に結婚する権利はないのか!」って反発が来るんだけど。安積遊歩さんという車椅子の障害者の女性が、人並みになりたいと思って結婚したら、結婚制度の中で普通の女並みの抑圧を受けることと同じだと、やってみて気がついて、「やめた、あほらしい」って降りたのね。結婚する前に気がつけよって思うけど(笑)。だから、「結婚推進事業」とか言われると、すごく違和感がある。坂爪 そこもたしかに分かるんですけど、そもそも結婚という選択肢がない状態よりもいいと思うんですよね。自分でするかしないかを選べる。やっぱり選べないというのはいちばん良くないことだなと思っていて。強制しているわけではまったくないです。上野 それもわかるけど、当事者の側に「人並み思考」というのがあるだけじゃなくて、どうやらこういう推進事業をしている支援者の側にも、「結婚することが幸せだ」という思い込みから、障害者の女性に健常者女性並みの抑圧を経験するように勧める、っていう逆説もあるんじゃないかしら。坂爪 それはあるとは思いますね、はい。上野 もちろん選択肢があるというのは、すごく大事だけどね。坂爪 それはみんなが結婚できるようになった後に出てくる論点だと思うので、順番の問題かなと思います。上野 結婚してから気がつくって、そんなプロセスをたどらなくてもいいのでは。例えば、最近の発展途上国の開発ルートには、工業化して公害などを経験してから次の段階に行くんじゃなく、工業化をスキップして最初からクリーンな脱工業化に行くという発展の仕方もありますから。坂爪 ああ、なるほど。上野 それは、先に歩んだ人たちの背を見て学んでいただければいいと思うので(笑)。『セックスと障害者』(イースト新書 2016)には、最終的には誰にでも当てはまる、普遍的な対人関係のスキルが書いてあって、すごくまっとうな本だなって思いました。坂爪 ああ、ありがとうございます、はい(笑)。うえの・ちずこ 社会学者・立命館大学特別招聘教授・東京大学名誉教授・認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了、平安女学院短期大学助教授、シカゴ大学人類学部客員研究員、京都精華大学助教授、国際日本文化研究センター客員助教授、ボン大学客員教授、コロンビア大学客員教授、メキシコ大学院大学客員教授等を経る。1993年東京大学文学部助教授(社会学)、1995年から2011年3月まで、東京大学大学院人文社会系研究科教授。2011年4月から認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門は女性学、ジェンダー研究。『上野千鶴子が文学を社会学する』、『差異の政治学』、『おひとりさまの老後』、『女ぎらい』、『不惑のフェミニズム』、『ケアの社会学』、『女たちのサバイバル作戦』、『上野千鶴子の選憲論』、『発情装置 新版』、『上野千鶴子のサバイバル語録』など著書多数。さかづめ・しんご 1981年新潟市生まれ。一般社団法人ホワイトハンズ代表理事。東京大学文学部卒。新しい「性の公共」をつくる、という理念の下、重度身体障害者に対する射精介助サービス、風俗産業の社会化を目指す「セックスワーク・サミット」の開催など、社会的な切り口で、現代の性問題の解決に取り組んでいる。2014年社会貢献者表彰、2015年新潟人間力大賞グランプリ受賞。著書に、『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』、『男子の貞操』、『はじめての不倫学』、『性風俗のいびつな現場』がある。関連記事■ 夏のキャラノベは、あなたの心をほんわか幸せにする、200%満足の心優しい物語が2作!!■ 次元上昇日記 2016年7月25日 ポケモン日和■ 【速報】異例ずくめの共和党大会、報ずるメディアも大混乱!

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    障害者女性を介助しようとしたバス運転士はなぜ罵倒されたのか

    榊裕葵(社会保険労務士) 先日、京都へ出張して市バスに乗っていたときのことだ。あるバス停で、足の不自由な50歳くらいの女性がバスに乗車しようとしたのだが、乗車口の段差を上がるのに難儀していた。 それを見た若い男性の運転士は、運転席を離れて女性のとこへ行き、女性が段差を上がるのを手伝おうとした。私は、運転手の行動を心の中で「素敵だ!」と思っていたのだが、次の瞬間、耳を疑ってしまった。その女性が運転手に対し「ほっといてちょうだい!誰も手伝ってなんて言ってない」と、大声で罵声を浴びせたのだ。 運転手は席に戻り、女性が着席するのを待ってバスを発車させたが、女性はバスの中でも、大きな声で運転手に対して非難する言葉を投げ続けていた。 女性の気持ちを察すれば、「私は自分でできることは自分でやりたいのよ」と思ったのであろうことは理解できる。 しかし、そうであったとしても、私はなぜ運転手が罵声を浴びなければならないのかが納得できなかった。そこで、しばらく時間を置いて冷静に考えてみたのだが、私はこの事件の一部始終を見て、2つの問題点を感じた。障がい者・健常者の前に「人」と「人」 第1は、女性が運転手を罵倒した行為自体の問題だ。障がい者の方だから、ということではなく、そもそも「人」と「人」とのコミュニケーションとして、問題があったのではないかということだ。障がい者の方であれ、健常者の方であれ、他人から何らかの親切を受けたならば、辞退する場合であっても、お礼を言いこそすれ、罵倒するなどあってはならないことではないだろうか。 私が見た限り、運転手は「早くしないとバスが遅れてしまうんだよ!」というビジネスライクな対応ではなく、純粋に女性の方を気遣っての行動であった。親切心から女性を助けようとした運転手が、傷ついたり、トラウマになったりしないか私は心配だ。 第2に、女性が運転手の親切を拒否した結果、本来生じなくてよい社会全体のロスが生じてしまったのではないかということだ。女性が乗り終わるまでバスは発車をすることができず、ダイヤに遅れが生じ、交通量の多い京都の街の中で、後続の交通にも大きな影響が出てしまった。 もちろん、誰もサポートできる人がいない状況であれば、女性がバスに乗り終わるまで待つべきであるし、たとえ時間がかかったとしても女性を非難すべきではない。障がい者の方が安心して公共交通機関を使えないようなことはあってはならない。 しかし、助けようとしてくれる人がいるのに、あえてそれを拒否して、社会全体の流れを止めてしまうのは、「障がい者の方の価値観の尊重」という形で、社会全体として受け入れることが正しいのか、私は考え込んでしまったのだ。障がい者雇用にも通じる話障がい者雇用にも通じる話 私がなぜ、この一件をここまで掘り下げて考えたかというと、社会保険労務士として仕事をする中でも、障がい者雇用の問題に直面することがあるからだ。 障がい者雇用促進法という法律があり、50人以上の従業員を雇用する事業所では、全従業員の2%以上の障がい者の方を雇用しなければならないというルールになっている。合わせて、障がい者の方が快適に働けるような配慮が求められている。 配慮の例として、厚生労働省は「車いすを利用する方に合わせて、机や作業台の高さを調整すること」「文字だけでなく口頭での説明を行うこと・口頭だけでなくわかりやすい文書・絵図を用いて説明すること・筆談ができるようにすること」などを示している。 また、障がい者の方を受け入れる部署の責任者やメンバーに対して、その方のプライバシーに配慮した上で説明をし、協力を求めることも必要であろう。 このように、障がい者の方が安心して働ける環境をつくるために、まずは企業側で、ハード面、ソフト面合わせて体制を整えることが必要だ。日本全体で見て、まだまだそのような体制の整備が行き届いている企業は多くはないが、努力をしている企業は決して少なくはない。 企業はあくまで、営利社団法人であるので、利益を出さなければ存続できないことが大前提である。同じ作業を行って、健常者の方がやれば黒字になり、障がい者の方がやれば赤字になるのは企業が望んでいる姿ではない。 そうならないように企業は、障がい者の方がやっても黒字になるよう作業方法を工夫したり、同僚がサポートしてチーム全体として成果を出そうとしたりしている。先日もある事業所で障がい者雇用についての話をしたのだが、経営者の方は、障がい者を法的義務だから頭数合わせて雇用するのではなく、戦力として考えて、能力を発揮できる部署に配属したいとおっしゃっていた。 差別されていると感じて拒絶するのではなく、仲間として、戦力として、障がい者の方を受け入れたいからこそ、企業は特別な配慮をしているのだと障がい者の方も受け止めてくれれば、お互いがハッピーになれるのではないだろうか。結び 日常生活にせよ、職場生活にせよ、根本的な部分では、障がい者の方も健常者の方も同じで、人間同士のコミュニケーションとして、お互いの立場に立ち、お互いの気持ちを理解しあうことで、何事も円滑に進むのではないだろうか。 健常者の方が障がい者の方を気遣い、また、障がい者の方も健常者の方を気遣う。そうすることで、日常生活であればお互いが快適に過ごすことができ、職場であれば一丸となって成果を出すことができる。それこそが、本当の意味で平等な姿でもあると私は思うのだ。《参考記事》■社労士流 パワハラ上司の撃退術 : エンプロイメント・ファイナンスのすゝめhttp://blog.livedoor.jp/aoi_hrc/archives/38778877.html■資格取得が転職活動を有利にする理由 : Seepのブログhttp://seep-jp.com/2014/04/30/post-2540/■社員のためのフェラーリ!?株主総会で知った島精機流「強い会社」の作り方 榊 裕葵http://sharescafe.net/39610027-20140629.html■福岡労働局の「てんかん開示要請」は間違っていない! 榊 裕葵http://sharescafe.net/38427276-20140423.html ■実は、我が国の労基法は世界水準に達していないのでは!?という警鐘。榊 裕葵http://sharescafe.net/37110706-20140217.html

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    法律で禁止された「障害者差別」 企業はどう関わるべきか

    安藤光展(CSRコンサルタント)障害者差別解消法の施行 先々週の4月1日から「女性活躍推進法」と同じく「障害者差別解消法」(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)が施行されました。 2013年6月制定、2016年4月施行となった「障害者差別解消法」。CSR担当者であれば、直接ではないにしても情報開示などで関わってくる部分ですし、チェックしてるとは思います。(えっ、してないの?) たとえば、この法律の中で「合理的配慮」という概念があるのですが、企業としてどのように対応をすればよいか理解していますでしょうか。この「合理的配慮」は法律による義務ですよ!(民間企業は努力義務だけど) 「障害者差別解消法」の企業対応の具体的内容と解説、参考資料の紹介、あわせてCSRと障害者に関する課題についてまとめます。CSR担当者だけではなく、人事・総務系の方も必ずチェックしましょう。障害者差別解消法Q&AQ、「合理的配慮」とは何ですか。具体的な例を教えてください。A、合理的配慮とは、障害のある方が日常生活や社会生活で受けるさまざまな制限をもたらす原因となる社会的障壁を取り除くために、障害のある方に対し、個別の状況に応じて行われる配慮をいいます。典型的な例としては、車いすの方が乗り物に乗る時に手助けをすることや、窓口で障害のある方の障害の特性に応じたコミュニケーション手段(筆談、読み上げなど)で対応することなどが挙げられます。Q、民間事業者による取組がきちんと行われるようにする仕組みはあるのでしょうか。A、民間事業者の取組が適切に行われるようにするための仕組みとして、この法律では、同一の民間事業者によって繰り返し障害のある方の権利利益の侵害に当たるような差別が行われ、自主的な改善が期待できない場合などには、その民間事業者の事業を担当する大臣が、民間事業者に対し、報告を求めたり、助言・指導、勧告を行うといった行政措置を行うことができることにしています。Q、企業などがこの法律に違反した場合、罰則が課せられるのでしょうか。A、この法律では、民間事業者などによる違反があった場合に、直ちに罰則を課すこととはしていません。ただし、同一の民間事業者によって繰り返し障害のある方の権利利益の侵害に当たるような差別が行われ、自主的な改善が期待できない場合などには、その民間事業者が行う事業を担当している大臣が、民間事業者に対して報告を求めることができることにしており、この求めに対して、虚偽の報告をしたり、報告を怠ったりしたような場合には、罰則(20万円以下の過料)の対象になります。引用:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律についてのよくあるご質問と回答<国民向け> ちなみに「厚生労働省における障害を理由とする差別の解消の推進」では、福祉・医療・衛生・社会保険労務士の各事業者向けガイドラインを発表していますので、該当企業担当者の方は必ずチェックしましょう。障害者とのギャップと課題障害者とのギャップと課題当事者の視点障害者差別解消法の施行によって、障害者は配慮される側だけではなく、配慮する側にもなる。 当事者視点の説明も非常に勉強になります。ぜひ一読してください。この法律こそ超・実践的なダイバーシティ推進だし、障害者の方への差別や不条理が1つでも社会からなくなることを願います。いや、願ってただけではだめですね。「合理的配慮」を個人としても実践しなければ。障害者という表記「障がい」表記は差別の解消に有効なのか? – 栗田季佳/教育学 物理的な差別以外にも、表現などの差別もあります。NPOや中間支援団体では「障がい者」という表記を見るようになりましたが、僕は官公庁が「障害者」という表記なのでこちらを使っています。サンプルは少ないですが、僕が当事者にヒアリングした所「どっちでもいい。字面ではなく実生活での配慮を。」みたいなことでした。 『「障害」の表記に関する検討結果について』(内閣府、2010、PDF)では、「障害」、「障碍」、「障がい」、「チャレンジド」などの表現があるとしてますが、どの表現も賛否両論あるようで、何とも言えませんな。企業はCSR報告書などで注釈つけて、なぜ私たちはこの漢字を使うのか、という解説があると親切ですね。できるかどうか知りませんが。 表記が差別的なものか、当事者や支援側によって感じ方・考え方は様々であるということだけはわかりました。障害者雇用の実態 特例子会社を持たずに障がい者を自社で雇用している企業は74.2%でした。特例子会社と自社の双方で障がい者を雇用している割合は9.7%、特例子会社のみで雇用している企業は1.4%でした。障がい者を自社、特例子会社のいずれにおいても雇用していない会社が14.7%あります。特例子会社を持たず自社で障がい者を雇用する上場企業の半数が、障がい者の採用に課題を抱える 民間企業の法定雇用率を達成しているのは約45%、障害者雇用数は約34万人、ハローワークでの求人は約8万5千件。サービス業などであれば「合理的配慮」は接客時となりますが、サービス業以外であれば障害者雇用などが関連してきます。さてはて、この先どうなることやら。企業はどう対応すべきか障害者雇用の経営効果 1、改正障害者雇用促進法の施行を2016年4月に控え、また、2018年度には法定雇用率が現行の2.0%より上昇することが見込まれ、対応が求められる。一方で、 ダイバーシティ・マネジメントの重要性が高まりつつあり、障がい者雇用を効率性向上や社会貢献、企業ブランド向上につなげる戦略が必要になる。2、2015年5〜8月に野村総合研究所(NRI)が実施した「障害者雇用に関する経営実態調査」によると、障がい者雇用が企業にもたらすことができる価値については、障がい者雇用担当部署や特例子会社(後述)担当役員と親会社との間に認識のギャップがあり、業務を通じた交流を活かした相互理解が解決のカギとなる。3、価値ある業務を生み出す上では、「障がいのある社員が担う業務を生み出し続ける好循環モデル」が重要であり、「親会社経営陣らの理解・協力」「業務責任者・ 担当者の内外へのPR」「現場社員からの自発的な業務依頼」の3要素から成る。4、障がい者の採用・定着促進のためには、「障がい特性、個性への理解を深める体制の整備」として支援機関と連携、「組織貢献への意識付けによる意欲・認知の向上」として感謝の伝達、また「キャリアアップが見える将来展望」としてリーダーへの登用などの3点が有効に機能する。企業価値を高める障がい者雇用のあり方 「経営実態調査」に見る障がい者雇用のポイント(PDF) 障害者雇用はCSR担当・人事担当などの単独ではなく組織として対応する必要がある。当たり前ですが、グループ会社を含めてコミュニケーションと実績を深めるのは難易度高いですよね。だからこそ実践できた企業は評価されるわけですが…。関連記事・事例から学ぶ、障害者雇用とダイバーシティマネジメント論・障害者雇用はCSRなのかー10年連続・過去最高伸び率の先にあるもの・ダイバーシティ経営の本質は、ダイバーシティそのものにはない・ダイバーシティ経営は企業に収益をもたらすが、従業員が幸せとは限らない・ダイバーシティ経営は“CSRの必要性”として認識されているのかまとめ~企業はどう対応すべきか 障害者を差別しない。では、企業はどのように対応すればいいのか。 いくつかの事例や資料を紹介してきましたが、「障害者差別解消法」の施行によって、また、2020年の東京パラリンピックに向けて、障害者スポーツなどを含めて、多くの人が障害者の存在を身近に感じたり考えさせられたりする場面が多くなるのかもしれません。 日本にいる障害者数は約790万人(内閣府、平成26年版障害者白書)。マイノリティではなく、人口比でも結構います。私生活で出会う確率が低いと感じていたら“見えていない”だけで、その存在を知らないだけです。 CSRだから障害者を雇用するぜ・支援するぜ、みたいな恩着せがましい態度ではなく、CSRであってもなくても、定期的に障害者雇用を続けたり、障害者への配慮が常にあるのが理想なのは言うまでもありません。 あなたは、もしくは、あなたの会社は、障害者への「合理的配慮」はありますか?(ブログ「CSRのその先へ」より2016年4月13日分を掲載)

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    「下流老人」のウソ

    下流老人に老後破産。老後リスクを扱う書籍や雑誌は、年金目減りにおびえるシニアのマインドには刺さったが、日本の貧困問題は、実は現役世代の方が根が深いのだ。

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    アベノミクスを阻む「年金制度の壁」は一刻も早く撤廃すべき

    無職世帯であり、彼らの主な収入源は公的年金である。 60歳以上の人口がどのように推移するのかを、国立社会保障・人口問題研究所の中位推計に基づいて調べると、17~25年までの年平均の伸び率は0・4%とごく僅かな人口増加ペースになっていく。さらに、40年には減少に転じる見通しである。加齢とともに縮小する消費加齢とともに縮小する消費 高齢者世帯の中でも〝高齢化〟が進んでおり、加齢とともに世帯の消費支出は縮小している。年代別の消費支出額をみると、世帯主年齢が60歳代の時期が最も多く、70歳以上になると急速に少なくなる。シニア世帯の中で、勤労を続ける割合は、60歳代から70歳代にかけて漸減し、70歳を超えると一段と減少していく。だから、加齢とともに消費金額も減っていく格好になる。高齢者人口の増加だけをもってして、シニア消費が今後増えていくことは期待しづらい。 過去10年間、シニア消費は年3・6%のペースで高成長を遂げてきた。背景には、団塊世代(1947~49年生まれ)のボリュームゾーンが60歳以上になっていく効果があった。しかし彼らも、16年時点では67~69歳に達し、消費支出を減らしていくステージに移行する。東京五輪が開催される頃の消費市場は、団塊消費の存在感がいくらか小さくなるだろう。 シニア消費の悲観的な未来を好転させるにはどうしたらいいのか。 現在、60歳以上の総人口は、4241万人(15年12月初)。それに対して、公的年金受給者数(重複を除く)は、3991万人(15年3月末)である。もちろん、彼らが受け取る公的年金の支給額が増えれば、シニア消費も増えるはずである。 しかし、それは不可能に近い。公的年金には物価スライド制があり、前年の消費者物価また賃金上昇率が1%上昇すれば、それに応じて年金支給額も増える仕組みであるが、そこにはマクロ経済スライドという制度が組み込まれている。それは、インフレ率や賃上げ率よりも少ないペースでしか年金支給額が増えていかないルールである。目減りしていく年金支給額目減りしていく年金支給額 例えば、14年は消費者物価(総合)が2・7%、賃金上昇率(名目手取り)が2・3%の上昇率になった。物価スライドでは、消費者物価と賃金上昇率の低い方を基準にして、マクロ経済スライド分の0・9%を差し引くことになっている。この0・9%は公的年金制度の収支を長期的に維持するために、年金加入者の減少や平均寿命の伸びを勘案して決められている。年金財政の今後の展望を考えると、マクロ経済スライドを廃止することは難しい。 15年度に限ってみると、過去の年金支給額を物価下落分だけ減らさなかった過払い分の調整がここに加わって、さらに0・5%ほど減額された。 年金支給額が15年4月に物価スライドで増加した比率は、0・9%(=2・3%?0・9%?0・5%)だった。15年といえば、消費税率が5%から8%へと引き上げられた翌年だ。年金支給額が0・9%しか増えなかったことで、実質的に年金支給額は切り下げられたのだ。 以上のことを勘案すると、シニア世帯の収入が増えるための活路は、公的年金収入以外に頼らざるを得ない。 政策対応を考えるとすれば、①高齢者の事業収入を増やすか、②労働参加率を高めるか、③株価上昇を促して資産効果を発揮させるか、④預金金利を引き上げて財産収入を増やすのか、などの方法がある。まずは①、②の環境整備を行い、勤労収入の増加を行うことが必要だ。 現在の家計収支の状況を調べると、60歳以上の勤労者世帯は、勤め先収入が月27・5万円(14年)。これは無職世帯(年金生活世帯)の月収入16・0万円(夫婦計)を大きく上回る。事業収入もあるが、それには多くは期待できない。勤労意欲を削ぐ”年金制度の壁”勤労意欲を削ぐ”年金制度の壁” しかし、そこに大きな壁が立ちはだかる。年金収入と勤労収入を合算して、毎月28万円以上になると、それを超過したときに超過額の2分の1ほど年金収入を減らしていくという在職老齢年金制度の調整があるからである。これが「年金制度の壁」だ。 60歳以上の有業者数は、1267万人(12年10月)。このうち、雇用者に限ると、正規雇用者は31%に過ぎず、非正規雇用者は69%である。定年延長が行われても、給与水準を減らしたり、非正規形態を選択する人が多い。 高齢者は十分に働く能力があっても、自分がもらえるはずの年金が削減されることを嫌って、勤労収入を低く抑える傾向がある。給与所得よりも年金所得に対する控除が手厚いので、年金を減らされるくらいならば、低賃金で働く方がましだと考える高齢者も多いからだ。 こうした28万円の壁は、60~64歳に適用される「檻」のような存在になっている。なお、65歳以上の高齢者については、年金と給与の合計が47万円を超えると、年金支給が停止されるという47万円の壁が存在する。 筆者は、シニア層の勤労意欲を高めるためには、一刻も早く28万円の壁を撤廃すべきだと考える。これほど日本の成長力を死蔵させている残念な仕組みはない。 しかし、現在、厚生年金の報酬比例部分の支給開始が65歳へと段階的に引き上げられている途上であり、在職老齢年金制度を見直そうという機運は乏しい。過去、11年に見直しの機運が高まったが、その後の政権交代で改革は宙に浮いたまま先送りされた経緯もある。安倍政権下でも、女性の活用を掲げて、配偶者控除の見直しに動こうとするが、在職老齢年金の見直しは後回しにされているようにみえる。 筆者が在職老齢年金の見直しの優先順位が先だと考えている理由は、それが年金問題の改善にもなり得るからだ。もしも、シニアの高度人材が一段と所得水準を上げることになると、シニア層の給与所得から支払われる年金保険料が増える。すると、年金収支の改善が見込まれて、マクロ経済スライドの必要額を減らすこともできる。 前述のとおりシニア消費に悲観的な未来が予測されるなか実現が難しいことは否めない。しかし、本質的に年金問題を解決するには、給与所得の総額を大幅に増やして、年金保険料の総額を増やすことが最善の道である。筆者は、社会保障と雇用を一体化して変革することが、わが国の社会保障システムにある活路であると信じている。くまの ひでお 1990年横浜国立大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。同行調査統計局等を経て、2000年7月に退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。11年4月より現職。

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    バラマキでは効果薄 シニアの財布の紐はこうやれば緩む

    限や用途が決まったクーポンなどの方が、まだ効果的かもしれない。恒常的に高齢者の消費を下支えするには、社会保障制度と税制の抜本的な改革が必要である。 高齢者の消費を抑制する要因は「想定よりも長生きした場合の将来不安」と「子孫に財産を残そうという動機」というある意味正反対の2つの理由に拠ると考えられる。経済理論では前者をライフサイクル仮説、後者をダイナスティ(王朝)仮説と呼ぶ。 ライフサイクル仮説では、若い頃に働いて貯めた貯蓄を、生涯をかけて取り崩していくという消費行動を想定している。このとき、遺産は想定よりも短命に終わったために使い残してしまった額ということになるわけだ。 一方、ダイナスティ仮説では自己だけでなく子孫の繁栄まで考慮した消費・貯蓄を行う。なお、両者のある意味中間とも言える考え方に、財産を見せ金にして子孫から介護サービスを引き出そうとする「戦略的遺産動機」というものもある。 どちらの仮説が正しいかについては判断の分かれるところだが、いずれにせよ、高齢者の消費を喚起するには、将来不安を和らげるセーフティネットの整備と遺産動機の低減策とがセットで必要になる。 将来不安の緩和には、例えば高齢者に毎月6万円を一律支給する最低保障年金や高齢者給付金制度への移行などが考えられる。このような一律の制度に移行すると無年金・低年金の高齢者はいなくなる。 この財源は相続税の引き上げにより確保することが望ましい。相続税を引き上げると遺産動機も弱まり、貯蓄が消費に回るからだ。 日本の相続税は、相続対象の相続資産額は年間で約80兆円にも上るが、控除額が大きく約1.5兆円しか納税されていない。そこで控除額を配偶者は2000万円に、子は1人当たり100万円に引き下げ、課税額を一律20%に引き上げると、相続財産額が大きくなる将来的には毎年10兆円は捻出できる。これを原資にして社会保障を拡充すれば良いのだ。ちなみに、相続税を増税できれば、現役世代の階層の固定化を避けられ、格差社会も是正される。 このような最低保障年金や高齢者給付金での生活を維持するためには、高齢者が部分的に働き続けられる労働環境を作らなければならない。現在も高齢者向けの求人は少なくない。技能労働者や専門性の高い職種では高齢者の雇用は拡大している。一方、健康で身体は動くが、専門的な知識や技能を持たない高齢者がいかに稼げるかが、今後の大きな課題である。 老齢年金は72歳で「元が取れる」ようになっており、平均寿命が80歳を超える高齢社会では現行のまま持つはずがない。支給開始年齢は引き上げざるを得ない状況にあることから、企業も高齢社員を70歳まで適度な給与水準で継続雇用する方法を模索していくことになろう。いいだ やすゆき 1975年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学准教授を経て、2013年より現職。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。専門は日本経済・ビジネスエコノミクス・経済政策・マクロ経済学。

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    本当に医療費の支払いで老後破産になるのか?

    佐藤敦規(ファイナンシャルプランナー)  「下流老人」という言葉が昨年の流行語大賞にノミネートされたように、老後の金銭的な問題が盛んに雑誌やウェブ上で取り上げられています。最近では、中年破産という危機も取り沙汰されるようになってきました。それなりの年収や貯金があった人が中年破産や老後破産に陥る第一の原因は、世帯主の病気と言われています。一方、我が国では全世帯の8割以上が民間保険に加入しています。「日本人は保険にお金をかけすぎている。国が保険者となっている健康保険に入っている上、保険会社の医療保険に加入している」という意見もあるのです。ある程度の年収や貯金がある人でも病気が原因で老後破産に追い込まれるという主張に疑問をいだきました。リスクの中では対策がしやすい病気 実売で20万部を越えたと言われる「下流老人」(朝日新書)という書籍には、普通のサラリーマン(公務員や役員も含む)が下流老人へ転落する5つのパターンがあると述べられています。 (1)病気や事故による高額な医療費の支払い (2)高齢者介護施設に入れない (3)子供がワーキングプア (4)増加する熟年離婚 (5)認知症でも周りに頼れる人がいない いずれも深刻な問題ですが、自分自身ではコントロールできない(2)から(5)に比べて、病気のリスクはまだ対策がしやすいと思われます。国民皆保険制度の名のもと、原則として全員が国の健康保険に加入しています。入院費や治療費の自己負担を抑えられるので、一定の収入がある人ならば残りを貯金や民間保険で補えるのではないかと考えられるからです。負担を抑える高額療養費制度 国が保険者となっている健康保険(サラリーマンや公務員が加入)や国民健康保険には、高額療養費という給付制度があります。医療機関や薬局の窓口で支払った額が、暦月(月の初めから終わりまで)で上限額を超えた場合に、その超えた金額を支給するものです。所得や年齢によって上限額が異なります。 原則として退院後、請求により上限額を超えて支払った分が戻ってきます。事前に「限度額適用認定証」を申請すれば、退院時の支払い額を自己負担限度分のみに押さえることができます。ただ保険会社のFPとして色々な人に会って話をした結果、この制度の認知度はそれほど高くない印象があります。高額療養費制度があるので民間の医療保険は不要?高額療養費制度があるので民間の医療保険は不要? 生命保険には、亡くなったとき(高度障害なども含む)に支給される死亡保険と入院したとき、その日数に応じて給付金が支給される医療保険があります。個別の医療保険には加入していなくても、死亡保険の特約(オプション)として入院関連の保障をつけている人も多いです。 医療保険について、「思っているほど入院費がかからないので必要ない。医療保険に払うお金を貯金にまわしたほうがよい」と主張するFPがいます。その根拠となるのが高額療養費制度です。前述したように所得によって上限額は5段階に分かれますが、最も人数が多い370万~770万の層ですと1月の支払上限額は9万前後となります。ただし1月というのは1ヶ月以内というわけではありません。1月20日から2月14日のように月をまたいで入院した場合は、5万+8万というように2月分の金額が適用されます。 また食事やシーツ代などの入院時生活療養費の自己負担分は含まないため、別途請求されます。さらに患者の希望により1人から4人の病室へ入院したときの差額ベッド代、保険の対象外となっている治療を受けた場合の費用も対象外となります。 実際に1回あたりの入院にかかった費用は、22.7万円、平均日数は19.7日となっております(生命保険文化センターの平成25年度調査結果)。 自営業や日給制の非正規の仕事に就いている人にとっては、入院により収入がなくなる上、23万の出費があるため厳しい状況になるかと思います。しかしサラリーマンであれば有給休暇制度もあるため、入院中の収入はある程度、保障されます。高額な保険外治療を受けないのであれば、医療保険がなくても問題ないかもしれません。高額療養費があれば安心だったのか? 実際、高額療養費があれば大丈夫だったのでしょうか? 何ともはっきりしない感じです。「下流老人」には、69歳の男性が62歳の会社退職時に3000万の貯金があったにも関わらず、心筋梗塞の治療費により大半を使い果たし、生活保護に頼る羽目になったという事例が紹介されていました。高額療養費の制度があることは知らなかったようです。 老後の破産をテーマとした書籍や記事では、上記のような極端な例を掲載していることが多く、具体的な数字の裏付けが不足している印象があります。増加する民間の医療保険の加入者増加する民間の医療保険の加入者 医療保険は不要というFPの主張とは裏腹に、医療関連の保険の加入率も増えています。平成25年度、民間の保険会社、郵便局、JA共済などで入院時に給付金が支払われる保険に加入している人の割合は74%。平成16年度の69.3%より、増加しています(生命保険文化センターの平成25年度調査結果)。ガンの罹患リスクなどが広く認知されていることから、医療関係の保障を手厚くしようとしているようです。最近では、廉価な共済にも先進医療特約といって、保険の対象外の治療にも給付金がおりる場合がある保障が用意されています。 こうした状況を考慮すると、病気になっても心配ないように考えられますが、民間の医療保険が病気になったときに役だったかについて述べている記事は、確認できませんでした。病気になったときに貰える保障を確認しておこう なぜ高額な医療費の支払いにより、ある程度の年収や貯金がある人が破産してしまうのか、今一つわからないところで、モヤモヤ感が消えません。 いずれにせよ、老後破産をテーマにした書籍や記事を読んでいたずらに怯えるのではなく、一度、高額療養費や傷病手当金などの国の社会保険制度はどのような場合に支給されるのか、医療保険に加入しているのであればその内容について確認することをお勧めします。不明点があれば、会社の総務や保険会社の担当者に尋ねてみるのもよいでしょう。いくら手厚い保障があっても使えなければ、何の意味もありません。 普段、病気になったことなど想像する人は少ないと思います。ガンや脳梗塞などになってしまった場合は、本人だけでなく、家族も混乱します。病気になってしまうと対策を思いつかないこともあるからです。【参考記事】■生命保険金が置き去りにされるトラブルが続出中! その理由とは?(加藤梨里 ファイナンシャルプランナー )http://sharescafe.net/40387650-20140817.html■医療費40兆円突破の元凶、医療機関へのフリーアクセスを抑制する方法。(山浦卓 薬剤師・医学博士)http://sharescafe.net/46517054-20151009.html■アルバイトは社会保険完備のほうがよい理由 (佐藤敦規 FP・社会保険労務士)http://sharescafe.net/47340992-20151227.html■積み立て型の生命保険、終身保険は不用? (佐藤敦規 FP・社会保険労務士)http://sharescafe.net/46343820-20150924.html■「年金もらえない話」とあの「大予言」は似ている(原田裕一朗 社会保険労務士)http://sharescafe.net/47537450-20160117.html

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    広がる「嫌老」の影 高齢者がヘイトの対象になる前に

     「今の高齢者は、自力で親を扶養しながらここまで日本を発展させた。そのおかげで若い世代が豊かに暮らせるのだから、受け取る年金に差があっても、若者が損とはいえない」 2年前、厚生労働省がインターネットで公開した公的年金に関する漫画の一コマだ。世代間格差を正当化するかのようなセリフに、「国の狂気」「年金払う必要性がないと確信」とネットは“炎上”したが、漫画は今も公開されている。 金融機関への就職を控えた私立大4年の女子学生(22)=東京都杉並区=はいう。「保険料を払うのは義務。でも自分の老後に年金はもらえないのでは」 結婚や出産をしても仕事は続けるつもりだ。「共働きでなければ、子供は育てられない。だから保育園が必要なのに入れない。義務は果たすから、高齢者より次の世代を支援してほしい」。最近、雑誌で「保育園新設に反対する周辺住民は高齢者が多い」という記事を読み、ため息が出た。 個人が生涯支払う税金や保険料などの「負担」と、国から受け取る年金や医療保険などの「受益」を推計し、その差額を世代別に比較する「世代会計」という指標がある。中部圏社会経済研究所の試算では、現在の70~74歳が2100万円余りも“得”をするのに対し、20~24歳では4500万円以上の“損”。生涯所得に占める税金などの負担率も70代は1割以下だが、20代では2割を超える。 若い世代は「豊かな暮らし」が思い描けない。東京私大教連の調査によると、平成26年度に都内の私大に通う自宅外生の1日当たりの生活費は897円。バブル時代の約3分の1だ。 「友達に『たまには飲みに行こう』とはいえても、『旅行に行こう』とはいえない。理由? 金以外にないっすよ」。男子学生(22)=江東区=は打ち明けた。「僕らは『さとり世代』。でも高級車に乗りたくないわけじゃない。将来を考えたら、乗れないんです」 □   □ 「日本は年寄りを優遇しすぎている」。栃木県内でアルミサッシ製造会社を営む渡辺典雄さん(70)は、月に約15万円の年金がある分、自身の報酬は抑え、従業員に回す。 「高齢者は働かない方が得をする。今度の『3万円給付』はバラマキだ」 渡辺さんが憤るのは、27年度補正予算に盛り込まれた「年金生活者等支援臨時福祉給付金」のことだ。65歳以上の低所得者に一律3万円を支給し、対象者約1100万人、予算額3600億円に上る。半面、中学生以下の子供約1600万人に1人当たり3千円(27年度)支給されていた子育て給付金は打ち切られる。 「高齢者を嫌う『嫌老』の空気」 広がる一方の格差に危機感を覚えるシニアもいる。作家の五木寛之さん(83)は警鐘を鳴らす。 「人々の無意識下で高齢者を嫌う『嫌老』の空気が広がっていると感じる。近い将来、高齢者がヘイト(憎悪)の対象となる前に、働ける人は働き、せめて高齢者間の格差は高齢者自身が何とかしなければならない」画像はイメージです 「いつも頭のどこかに将来の不安があるんです」 千葉県船橋市に住む会社員の男性(42)は、9歳の長女を筆頭に3人の子供に恵まれた。だが、末っ子の長男(3)が保育園に入れず、妻(40)は働けない。2年前に買った自宅マンションのローンが3千万円近く残る。 「今はローン返済で精いっぱい。子供を育て上げて、親をみとったら、自分たちの老後資金は残らない。働ける限りは働くしかないでしょうね」 内閣府が平成25年に行った意識調査によると、男性のように「働けるうちはいつまでも」働きたいと回答した人は、40~44歳で27・3%。「70、75歳くらいまで」を含めると、半数以上が高齢者になっても働く意欲がある。一方で、そのために今備えていることは「特にない」とした人も3割近い。 □   □  「次世代シニア」-。リクルートワークス研究所は26年、「バブル大量採用世代」(昭和42~45年生まれ)と、続く「団塊ジュニア世代」(46~49年生まれ)を合わせた計1500万人をこう定義し、会社で人数が突出したこの世代の行く末に警鐘を鳴らした。 厚生労働省の調査では、大卒・大学院卒の40代の男性が部課長になる比率はバブル期に6割近かったが、平成25年に35%に下落。長く勤めても出世は望めず、仕事への意欲をなくしてしまう人も少なくない。同研究所の戸田淳仁主任研究員は「放置すれば10~20年後に働きたくても働く場所はない。“下流老人”が大量に生まれる」と指摘する。 約25年後には団塊ジュニアが65歳以上となり、高齢者の数はピークを迎える。孤独や貧困など今日のシニアが直面するリスクは、次世代にもっと重くのしかかる。 そうした将来を見据え、動き始めた企業もある。NTTコミュニケーションズの人事・人材開発部門担当課長、浅井公一さん(53)は、2年前から非管理職の50代社員とその上司計約720人との面談を続ける。組織に必要な高齢者になるために 10年後には社員の半数が50歳以上。彼らが意欲を失えば、業績に響く。「やる気がないわけじゃない。『自分に何を求められているのか』が分からない人が多い」。雑談のような雰囲気で悩みを聞き、一人一人の今後をともに考える。 黛徳美さん(50)は「まだ(65歳まで)15年ある、と気持ちが切り替えられた」と、面談後、スマホアプリなど利用者が直接触れるサービス開発の勉強を始めた。面談を受けた人の約8割に、語学学習を始めたり、若手向けの勉強会を開いたり、前向きな変化があったという。 □   □  ただ、40、50代のキャリア開発を積極支援する企業は少ない。「組織に必要な高齢者」になるためには、個人の「備え」も必要だ。 アイリスオーヤマの家電開発拠点、大阪R&Dセンター長の真野一則さん(62)が、パナソニックを退職したのは58歳のとき。製品デザインの戦略をまとめる管理職だったが、「手を動かして仕事をしたい」と転身を決意した。 面接では、5枚のパネルを使って実績と熱意を伝えた。「何度も練習した。良い製品を作りたいという熱意が伝わったのかな」。アイリスオーヤマの人事担当者は、「穏やかな人柄と対話能力が際立っていた」と振り返る。 人材サービス産業協議会の調査によると、40~55歳を中途採用した企業が、採用に当たってもっとも重視したのは「人柄」が65%でトップ。専門的な知識や技術以上に「一緒に働きたい」と思われるかが鍵だ。対話能力、情報収集力、判断力など、業種や会社を問わない「ポータブルスキル(持ち運び可能な能力)」が求められている。 「定年まで無難にやっていこうと思っていても、会社人生のどこかで必ず『想定外の何か』が起きる」 40、50代向けの「セカンドキャリア・デザイン講座」を手がける人材育成プロデューサー、諫山敏明さん(54)=大阪市=は、受講者にこう語りかける。 諫山さん自身、49歳で独立するまで、大手生命保険会社に勤務し、同期トップで支店長に昇格。「役員への道が見えた」と思った44歳で、腎臓にがんが見つかる。手術を受けて復職したが、元の席はなかった。早々に別の道を踏み出した。 「キャリアを会社任せにせず、一人一人が、“自分株式会社”の社長のつもりで、40代のうちから考えるべきだ」

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    孫破産 野放図にカネ要求する子と野放図に出す祖父母の構図

    ありません」 孫疲れによる「下流老人」「老後破産」だけは避けたいものだ。関連記事■ 30代と高齢者の社会保障費 生涯格差は1人あたり6000万円■ 平均的老後過ごすには「年金+α」必要 退職金や貯蓄で補完■ 全然足りない年金 平均的な老夫婦で月4万~5万円の赤字に■ 食・住に困窮する下流老人を取り上げ貧困について考察する本■ 20歳世代 年金保険料は1160万円多くなり463万円の“赤字”

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    高齢者が自立できない子供抱えるパラサイト破産が増加

    ているが、高齢者の貧困についても衝撃的なデータが存在する。立命館大学・産業社会学部教授の唐鎌直義氏(社会保障論)が厚労省の国民生活基礎調査をもとに世帯構造別の貧困率を独自に試算したデータがそれだ。最低限の生活を送る境界線として生活保護受給者と同程度の年収160万円を設定。それを下回る収入の高齢者を「貧困層」と位置付けた。 世帯数から貧困高齢者数を割り出すと、2009年の679万人から2014年には893万5000人と、5年間で約214万人も急増。およそ4人に1人が生活保護水準以下の収入で暮らす下流老人になっていることになる。年収160万円以下での生活は、常に「老後破産」の危険と隣り合わせだ。 年金に頼れず貯蓄もなければ、破産を免れるためには自分で稼ぐしかない。だが、たとえ体が丈夫な高齢者でも簡単にはいかない。唐鎌氏が言う。 「近年、これまで高齢者が重宝されてきた清掃や警備業といった職種にリストラ等に遭った40~50代の中高年世代が押しかけています。少しでも年齢が若い人が雇われる傾向にあり、高齢者が排除される現象が起きています。以前より就職そのものが困難になっているのです」 高齢者に仕事を斡旋する「シルバー人材センター」などに通って仕事にありつけたとしても、生活が飛躍的に改善するわけではない。工事現場の交通整理や清掃業に従事しても、月に6万円程度の収入にしかならないのが現実だ。年金から毎月天引きされている介護保険料などの穴埋め程度にしかならない収入のために働くという、本末転倒なことになりかねない。 高齢者が自立できない子供を背負い込む「パラサイト破産」も増えている。10年前まで首都圏で小さな印刷工場を夫婦で営んでいた小黒久芳さん(仮名、76歳)の話だ。「昨年、39歳の息子がうつ病を発症し、実家に戻ってきました。息子は今の会社に非正規社員として10年ほど勤めていましたが、会社の方針であっさりとクビを切られたようです。それがショックで転職活動もできないほど心を病んでしまったのです。 未婚の息子が頼るのは私たちしかいない。とはいえうちの収入は夫婦合わせて月12万円ほどの年金のみ。息子の診療費や薬代などで月2万円近く取られ、残る10万円程度では親子3人が暮らしていくのは難しい。先行きを考えると、私たちまでノイローゼになりそうです」 新たな下流老人の出現は「新・老後破産」時代の幕開けを告げている。関連記事■ 高齢者自己破産 自宅売却してもローンと家賃の二重苦■ 65歳以上高齢者世帯 わずか5年で貧困率約3%上昇■ 食・住に困窮する下流老人を取り上げ貧困について考察する本■ 同居息子が生活保護者になるのを避けるため年金切り詰める父■ 地方の人口減少や都市の高齢者激増等の今後の対策を考える本

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    10年後「老害大国」が世界をリードする

    これから日本にとって極めて重要な10年を迎える。団塊の世代が後期高齢者となり、高齢者の5人に1人が認知症となる「2025年問題」が控えるからだ。しかし高齢化の課題を解決する新しいサービスは日本から一向に生まれてこない。残り10年、ニーズをキャッチできずに日本経済は衰退していくのか。

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    崖っぷちの日本経済 「高齢化」解決の秘策、ベンチャーが衰退を防ぐ

    り踏まえていかねばならない10年だということだ。国内の人口動態の変化 次は少子高齢化による人口減少と社会保障費の拡大だ。他の方が詳述するだろうが、2013年の厚労省の試算によると、2025年には65歳以上の高齢者は約3,600万人、そのうち、「認知症高齢者の日常生活自立度」Ⅱ以上の認知症高齢者は訳470万人、高齢者における比率で約13%にものぼるのだ。 このままでは社会保障費の負担は膨れ上がるばかりで、消費税をいくら上げても追いつかない。世界情勢以上に、日本の財政に仕掛けられた時限爆弾が爆発するまでもはや猶予もない。 それなのに、政府は2017年の消費税再増税に向け、低所得者層に配慮して軽減税率なる悪手を打とうとしている。逆進性緩和に効果が薄く、社会保障費に充てるはずの財源が1兆円超減る。ポピュリスト政治の最たるもので、将来に不安を抱く国民の目をそらし、財政健全化への取り組みを先送りしているにすぎない。 問題は今の日本で、こうした人口動態に合った産業が生まれていないことだ。新たなサービスはアメリカ発の企業が独占している。高齢化により、医療・介護の分野で需要が爆発的に伸びると分かっているのに新しいサービスは一向に生まれてこない。これは何故なのか? そして日本経済はこのまま衰退していくのだろうか?変化を望まない日本の社会…停滞した20年テクノロジーの変化 現在世界を席巻している企業の多くは米・シリコンバレー発のICT企業である。マイクロソフト、Apple、Yahoo!、Google、amazon、facebookなどだ。これらのプラットフォーム企業は、次から次へと新サービスを開発して顧客を囲んでいる。しかし、不思議なのはこうしたプラットフォーム企業が日本から生まれないことだ。 その理由の一つは、日本の社会が変化を望まないからだと思う。バブル崩壊後、日本は長いデフレのトンネルに入った。1990年代後半、2信組問題に公的資金が投入されるとき、政府はハードランディングよりソフトランディングな政策を選択した。その結果、メガバンクが生まれ、金融危機は起きなかったが、長いデフレがその後待っていた。又中小の金融機関の再編も進まず、現在に至っている。 こうした日本の選択が、多くの企業経営者のみならず、国民全体の改革への意欲を減退させた。まさに守りの20年だったといえよう。こうした停滞ムードの社会で育った若者の就職観も“寄らば大樹の陰”(これは昔からだが)であり、起業しようというものは未だに少ない。又、アメリカと決定的に違うのは、エンゼル投資家やVC(ベンチャー・キャピタル)がリスクマネーを若い起業家に融資しないことだ。挑戦する気概や進取の気性を良しとしない、この日本社会の空気はデフレのトンネルの中で拡大再生産され、日本人の心に沁みついてしまったかのようだ。 しかし、これからは様々な産業がICT化していく。20世紀型の日本のお家芸、モノ作りだとて、その波からは逃れられない。その波に乗れない企業は市場から撤退を迫られる。しかもそのスピードはICT化により加速度を増している。 具体的に言おう。一つはタクシー業界だ。アメリカ発のUberという企業は、車の所有者と移動したい人をウェブ上でマッチングするアプリを開発した。オンデマンド・ライド・サービス(On-demand Ride Service)と呼ばれるものだ。アメリカで瞬く間に普及し、今や海外67か国、800万人超のユーザーがいるという。資産や時間やスキルなどを共有する、シェアリング・エコノミー企業の一つだ。 これは言ってみれば白タクであるから、当然各国のタクシー業界と政府は規制しようとしているが、一度広がったサービスを止めることは不可能だ。既にアメリカではUberの対抗馬のLyftも存在感を示しているし、更に新しいアプリもサービスも登場している。 例えば、Facebookは、去年12月、メッセ―ジング・サービス“Messenger”に配車機能“Transportation”を追加し、Uberが最初のパートナーとなった。つまり、ユーザーは“Messenger”で相手とチャットしながら車を呼び、目的地に効率的に移動することが可能になったのだ。 さらに、UberやLyftのドライバーをやりたい人と、空いている車を貸したい人をマッチングさせるBreezeというサービスもスタートしている。ドライバーを事故から守る自動車保険や、初めてドライバーをやる人に対するガイダンスサービス、複数のライドサービスに登録している人の収益管理サービス、収益を最大化するためのコンサルサービス、病気になった時の収入補償保険など考えただけでもいくらでも新サービスが生まれる可能性がある。こうしたことが果たして日本で起きるだろうか? そもそも日本のタクシー業界はUberなどへの有効な対抗策を打ち出せていない。アプリで車を呼べるようにはなったが、何より乗りたいときに空車が近くにいないことが往々にしてある。そんな時、Uberのようなライド・サービスがあれば客としては使ってしまうだろう。しかし、既存のタクシー会社は折角ひいきにしている客を囲い込むことすらできていない。ただ車を呼んでもらうのを待っているだけなのだ。これでは、Uberらには勝てない。消費者はより便利でより満足度の高いサービスを求めて行動するからだ。毎日膨大な人数の客を乗せて走っているのに、顧客の属性はおろか、移動のルート、よく使う時間帯などビッグデータを蓄積し分析・利用していないのはもったいないとしか言いようがない。 「自動化運転技術」への対応策も同様だ。既に完全無人化のロボットタクシーの商業化が数年後に迫っている。その時、タクシーの乗務員の仕事はなくなっているかもしれない。そうなったらどのようなサービスを提供するのか、展望は見えてこない。 同じくシェアリング・エコノミー企業のAirbnbという米企業の「民泊」サービスも急速に広がっている。ライド・シェア同様、Airbnbに参入するためのアドバイザーサービスや、借り手が引き起こしたトラブル処理サービス、民泊物件を保有するための投資サービスなど次々と新しいサービスが生まれている。マンションの管理規約違反や住民と民泊にとまった外国人とのトラブルなど解決すべきことはあるが、こうした動きはもはや止めることは出来ない。既存の枠組み、既存のビジネスの在り方に拘泥していたら世界のビジネスの潮流に乗り遅れてしまう。 映像の世界も同じだ。NTTDoCoMoなどが出資して設立したNOTTVは今年6月そのサービスを終える。様々な要因があるが、一番大きなものはSVODという定額制動画配信事業者の進出だ。Hulu、Neflix、amazonビデオなど、これまたすべて米国発だが、毎月定額で映画やTVドラマ、ドキュメンタリーやアニメが見放題である。ビンジ・ウォッチング(Binge Watching:連続再生)という言葉が生まれるほど、人によっては中毒になる。可処分時間を取り合っているスマホ、テレビ、ラジオ、映画、それに活字(新聞、雑誌、本)などにとっては脅威となる。また、ハフィントンポストやBuzzFeedなど米国発のメディアも次々と上陸する。これに既存メディアは太刀打ち出来ていない。デジタルネイティブ、若き人材をオールジャパンで育てよ こうした状況を踏まえ、既存メディアはこれまでのコンテンツの蓄積を存分に生かし、海外、国内問わずより深い情報を提供し、それをスマホのアプリなどで簡単に視聴できるようにすればいいのに、それをやらない。著作権処理の複雑さを盾にいつまでたってもコンテンツの解放に消極的だ。民放が始めた見逃し視聴サービスTverもすべての番組が見ることが出来るわけでもない。となると、海外ドラマを見ようか、となってくるのだ。 今や情報がすべてである。AI(人工知能)が情報化をさらに加速させる。すべての顧客の行動はリアルタイムに把握され、そのビッグデーターはAIが分析して次々と新しい判断を下す。顧客はこの時間帯、この場所にいて、こうした商品を欲しがっている、という情報を考え得くれる。人間は新たな常用にあった新商品、新サービスを投入することに腐心するようになる。そこに大きなビジネスチャンスが生まれるのだ。 また、AIの発達で言語の壁もなくなる。ウェラブル・コンピューターを身に付け、海外のビジネス・パートナーとストレスなくコミュニケーション取れるとなると、外国語がネックだった日本人にとって朗報であろう。グローバル化が進む可能性がある。 こうした中でやはり重要なのは、学校教育だろう。2025年に働き盛りの30代になる人たちは、現在18歳から20歳前半くらいだ。彼らに2025年からの日本経済の飛躍はかかっている。 デジタルネイティブの彼らが社会に出たときに、自由な発想で従来型企業をICT企業、プラットフォーム企業に生まれ変わらせる、もしくは起業して新たなサービスを生むようになっていなけれればならない。 懸念材料は、日本の学校教育がICTで大きく出遅れていることだ。 PCの配備率は都道府県ごとにばらつきはあるが、昨年度末時点で小中生6、7人に1台。一人当たり1台には程遠い。更にWi-Fiの整備率もいまだに100パーセントになっていない。若者の中にもデジタルデバイドがある。これは何としても改善しなければならない。 並行して起業家マインドを持つ若者を育てなくてはならない。また、起業しやすい環境を作り、お金が集まる仕組みを作らねばならない。アベノミクスに期待する声もあるが、官に頼るのも限界がある。史上最高の利益を享受している大企業は、社内ベンチャーのみならず、これからの日本を背負うベンチャー企業に積極投資してもらいたい。この問題ももう10年以上言われてきていることである。しかし、2025年まであと10年、もはや待ったなしだ。ICTを駆使し、日本が直面している「高齢化に関わる課題」を解決するプラットフォーム・サービスを生むことが、成長につながる。なぜなら、高齢化はどの国も遅かれ早かれ直面する課題だからである。その為に、若き人材を政官学民、オールジャパンで育てていかねばならない。

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    介護にさせないことで儲ける!超高齢社会で日本は再び輝く

    松田智生(三菱総合研究所主席研究員)元気の出ない四字熟語ばかりで良いのか? 「介護難民」、「消滅都市」、最近巷で見るのは元気のない四字熟語ばかりだ。確かに世界一の高齢率26%の日本では、こうした四字熟語が溢れるのも理解できる。今後、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となる「2025年問題」を控えるが、果たして超高齢社会はそんなに悲観的な社会なのだろうか?世界に先駆けて超高齢社会を迎えた日本は、世界に先駆けて課題を解決するチャンスにいるのだ。今求められているのはピンチをチャンスに変える逆転の発想だ。以下そのキーワードを示したい。シニアは社会のコストでなく担い手 まず高齢者(シニア)は社会のコストでなく担い手と考えることだ。日本では高齢者の約5人に1人が働いており、これはOECD加盟先進国の平均の約2倍だ。海外の観光客が日本で驚くのは、空港、タクシー、店舗で活き活き働くシニアだという。こんなにアクティブシニアで溢れる国はない。シルバー社会という言葉があるが、それはシルバーシートのように支えられる人のイメージだ。一方、プラチナは錆びない、輝きを失わない。今後目指すのはシニアがプラチナのように輝く社会だ。多世代の視点 高齢社会の誤解は何か?それは「高齢者のため」の社会だ。高齢社会は、本来は若年層、子育て層、ミドル層含めた多世代のための成熟した社会であり、シニアだけが幸福でなく、多世代が幸福になるべきだ。子育て支援や若年層の起業支援などシニアが多世代のために貢献できることは多々ある。55分の50問題を解決せよ 現在、医療費は40兆、介護給付費は10兆円、一方税収は55兆円である。手元に分子を40+10の50、分母を55と書いてみよう。50/55、これは平たく言えば、月収55万円の家庭が医療と介護に50万円使っているのと同じであり、こういう家庭は光熱費も食費も教育費も払うのは困難だ。だから借金するしかない。医療費と介護費はそれぞれ毎年1兆円上がっている。この55分の50問題を解決するにはどうすべきか? 分母の税収を上げて分子の医療介護費を抑制するしかない。分母の税収を上げるのは新たな産業創造である。戦後日本は、繊維、重化学、自動車など常に新たな産業を創りだしてきた。今度は新産業として、健康産業を創造する番だ。健康支援、予防医療といった超高齢社会の課題を解決する産業が雇用を生み、アクティブシニアの消費を生み、分母の税収を増やすのだ。 一方、分子の医療費であるが、医療費は市町村では約3倍の差がある。健康支援、予防医療、社会参加が進んでいる市町村は医療費が改善され、介護も適切なケアやリハビリにより介護度や自立度が改善可能である。最良の事例に学べば、医療介護費の抑制は可能だ。対処から予防の視点 「増える介護者をどうするか?」これは対処の視点であり、結局、後手・後手に回ることになる。重要なのは「介護者を増やさないためにどうするか?」という先手を打った予防の視点だ。いわゆる2・6・2の法則で言えば、上位の2割はアクティブ層、下位2割は病気・介護・困窮の対処層であるが、問題は中間層の6割だ。中間層が上位のアクティブ層に向かうか、下位の対処層に向かうかの分水嶺に今いるが、中間層を上に向かわせる予防策が重要なのだ。介護にさせないことにチャンスあり介護にさせないことにチャンスあり 「介護者をどうするか」でなく「介護にならないためにどうするか」、それが予防視点だ。日本人の平均余命は女性87歳で世界1位、男性81歳で世界3位、平均寿命から介護時を引いた「健康寿命」は、女性は75歳、男性71歳と世界最長だ。課題は平均寿命から健康寿命を引いた約10年の介護期間だ。いかに介護期間を減らしピンピンコロリの人生を送れるか、ここに課題解決のチャンスがあるはずだ。 介護にさせない、介護にならない視点から注目したいのがCCRCというコミュニティだ。CCRC(※Continuing Care Retirement Community)は健康時から介護時まで安心して暮らせるシニアのコミュニティであり、全米で約2千ヵ所、約70万人が居住し、市場規模は約3兆円にもなる。このビジネスのポイントは介護で儲けるのでなく介護にさせないことで儲けることであり、運動、食事、予防医療、生涯学習など介護にさせない仕組みが緻密に組み込まれている。老人ホームでは介護ヘルパーしか雇用が生まれないが、CCRCでは健康ビッグデータの解析者など多様な雇用が生まれる。CCRCは、現在政府において「日本版CCRC(生涯活躍のまち)」として地方創生の主要施策となっており、約250の地方自治体が推進意向を示しており、今後の成否が注目される。参考:Sankei Biz 高齢者地方移住、新ビジネスの好機 大学などと連携も 三菱総研・松田智生氏http://www.sankeibiz.jp/macro/news/150901/mca1509010500012-n1.htm米国のCCRCにて。平均年齢84歳のアクティブシニアと筆者6設計を活かせ 新たな挑戦には制度設計が鍵となる。例えば健康を維持すれば、その人の医療費や健康保険料が安くなる、あるいは預金の金利が上がるような健康インセンティブだ。またシニアが50時間働いたら、その50時間は自分の介護時に使えるようなマイレージ制度も有望だ。前述した日本版CCRCでも、もし居住者の自立度や介護度が改善されたら事業者には奨励金や減税をなすべきである。今の高齢者住宅は介護になれば儲かる仕組みだが、限られた税収のなかで介護保険に依存した収益構造は持続可能とは言い難い。ゆえに介護インセンティブから健康インセンティブの制度設計が重要なのだ。 第二義務教育制度、これは60歳になったらもう一度学校に行かねばならないというアイディアだ。もう一度学校に行って地域の課題や自分の老後を考える。学校では給食も出る。友人もできる。シニアの社会参加で課題なのは、「一歩踏み出せない」層であり、その背中をいかに押すか、「義務教育」を逆手にとってはどうか。否定語批評家症候群を打破せよ ここで紹介した新たな挑戦を阻むものは何か?それは否定語批評家症候群だ。否定語批評家症候群とは、出来ない理由を論理的に言って得意になっている連中であり、得てして優秀と言われる人に多い。制度で出来ない、地域性で出来ない、出来ない理由を言わせたら天下一品の人々だ。しかし出来ない理由を幾ら述べたところで課題は何も解決しない。また「いかがなものか」と言う人、これも要注意だ。いかがなものかを英語で意訳すれば「I have no idea」と同じだ。否定、批評、疑問も結構だが、否定語批評家には必ず対案・代案を出すことを求めたい。東洋のダボスを目指せ 世界経済フォーラムが開催されるスイスのダボスは、「経済のことを知りたければダボスに行け」と言われる。今後は、「超高齢社会のモデルを知りたければ日本に行け」と言われるようにすべきだ。介護難民のような悲観的な四文字熟語から脱却して、国民がワクワクする前向きな話にしようではないか。かつてマルコ・ポーロの時代に、黄金の国・ジパングと世界が憧れた日本は、「プラチナの国・日本」として再び輝くチャンスにあるのだ。逆転の発想でピンチをチャンスに変えるのは今なのだ。

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    認知症になっても大丈夫 「700万人」が日本人の意識を一新する

    維持していくという方向性も、大いに開発していくべきだろう。無縁社会の打開にもつながる。そもそも、国の社会保障費は細り、医療資源も介護資源も枯渇しているのだから。 700万人という数字が、社会イノベーションを促す好機になりはしないか。そんな可能性をできるだけ多くの人と対話しながら考えてみたい。

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    スマホとSNS時代という新しい時代の子育て

    桑崎剛(内閣府「青少年インターネット利用環境整備・普及啓発検討会議」委員長)聞き手/道村弥生(株式会社ハグカム社長)片岡英彦(東京ウーマン編集長、戦略PRプロデューサー、企画家)(「東京ウーマン」より転載)スマートフォンの急速な普及が、通信事業のみならず世界経済を一変させつつある。国民全体がICT(Information and Communication Technology)に触れる機会が増大し、子供から高齢者までが、そのメリットを享受する一方で、情報モラルや情報セキュリティなど、国民全体の情報リテラシーの向上が求められている。以前から懇意にして頂いている、教育ICT、情報モラル教育分野のスペシャリストであり、内閣府「青少年インターネット利用環境整備・普及啓発検討会議」委員長の桑崎剛さんに情報モラル教育の最前線についてお話を伺った。(聞き手として、子供向けオンライン英会話事業を展開する、株式会社ハグカムの道村弥生社長にも加わってもらった。)情報モラル教育をライフワークに片岡 教育ICT(Information and Communication Technology)をやろうと思ったきっかけはなんですか?桑崎 私の教員人生自体がICTと共に歩んできたというところがあります。もともとメカニックなシステムや機械が大好きな一方で、理科系大学に行きながら、実は人にもすごく関心がありました。ある時から学校でパソコンを使うことになりましたが、私の専門は数学なので、数学で何か使えないかなあと考えました。例えば関数かくようなアプリ、グラフを回してみる、あるいは図形を切断してみる、あるいは立体図形を転回してみる等には使えるなと思っていました。 2000年を超えてからは、ITではなくICTと言われるようになり、IT機器がコミュニケーションツールとなると考えました。そんな折に「ガイヤの夜明け」というテレビ番組に出演し、子供たちのネットの扱い方について取り組んでいたことを紹介する機会がありました。それから情報モラル教育が自分のライフワークかなと思うようになりました。アナログの勉強がさらに大事だということを見直すアナログの勉強がさらに大事だということを見直す片岡 スマホに関して言えば、良くも悪くも子どもたちの間では使うことが当たり前になってきています。「スマホの賢い使わせ方」が課題になってきていますね。桑崎 2010年より前は、バイクと同じようにもう「使わせるな」「所持させるな」という世の中の雰囲気が強くありました。今でもそういう雰囲気の地域はあります。全国的にもかなり温度差があります。ただ、将来自動車の免許をとらないという子どもは多分一定の割合でいるんですが、モバイル機器、ネット機器をプライベートなり仕事で使わずに済むということは多分あり得ないですね。トラブルを起こさずに賢く使うためにはどうすればいいかというのをやっと教育機関では取り組み始めたところなんです。 また、実態として高校生はスマホの所持率が急速に広まったという現実があります。結局連絡手段として使わざるを得ない状況です。部活の連絡や友達同士の連絡。あるいはスマホで勉強するという時代を迎えています。その中で、スマホの賢い使わせ方については教師も子供たちもまだまだ模索しているところです。 例えば、某社が行っている月額980円でコンテンツ取り放題、あれを学校の正規の課外授業で取り入れているところもあります。なにがいいかというと、学校で勉強していて時間がきたら続きは家で、というのができるんですね。学校でやるためには、タブレットやパソコン等の機器整備が必要ですが、生徒が持っているスマホを使えばそこを考えずに済みます。スマホをBYOD (Bring your own device)といいますけども、生徒が持っているモバイル機器を使って勉強に利用するという、そんな新たな時代が来ていると思います。実はこれも教材が生きるためにはチューターと呼ばれるアドバイザーが当然必要なのですが、学校で勉強するときには先生がいるので、十分チューター代わりになるということですね。 動画教材のメリットは、例えばわからない時はストップボタンを押してそこでゆっくり考えてみたりリプレイができることです。実際の授業で「先生聞いてませんでしたので、もう1回」なんて言えませんが、それが何回もリプレイできる。微積がわからないから高1の因数分解のところに戻るということも平気でできる。実際の授業じゃこれ無理ですもんね。そういうところに動画教材の良さがあるんです。ただこれの難しいところは、普通の授業を録画しておけば教材になるかというと、ならないんですね。録画してテロップを入れたりちゃんと教材に編集し直さなければいけないんです。 質問のポイントである「賢い使わせ方」ですが、これについては教師も子供たちもまだまだ発展途上。どういう使い方が賢いのかというのを今模索しているところです、教師が教師、あるいは大人が大人というわけでもない。むしろ子供のほうがスキルアップできるんですね。 例えば先日高知のある学校に行った時の話です。「君たちが海岸線でなんか貝殻を見つけたとする。ひょっとしたら化石かもって思ったら、どうやって調べる?」と聞いたら、昔の子だったら、「それを持って図書館に行って調べます」という話になるんですけど、すぐにある子が「写真に写す」と答えました。写真に撮ってどうするって聞いたら、そのあとはちょっとイマイチで、「友達に送って詳しいやつに調べてもらう」と。「いやいやいや、そんなことしなくてももっと賢い方法あるぞ」と言ったら別の子が「その写真をgoogleの画像検索入れれば出てくるかもしれない」と。 実はこういう話って大人に聞いても、写真を撮るという発想は出てこないんですよ。むしろ子供のほうが発想が豊かなんですね。 また、これは小学生の例ですが、牛乳パックから、トイレットペーパーが作れるということはわかっています。「何個分あれば1個のトイレットペーパーになるか?」という質問に対して、ネットでどう検索すればいいか。答えは6個なんですけど、「牛乳パック」と「トイレットペーパー」だけで検索したら、山のように検索結果はヒットしてしまいます。しかし数分で6個が探せた子に聞いたら、「再利用という言葉も入れればいい」と。 検索の仕方一つも、実は小学生でも発想豊かな大人以上の検索、目からうろこの検索ってあるんですよね。これが「再利用」の問題だと気づくということは、ネットが詳しいとか、ITの技術とはなんら関係がありません。この問題で一番大事なキーワードは、『再利用、リサイクルだって気づく』ということ。社会の出来事に関心があってニュースを読んでいると、そういうことが肥やしになります。上手にITを使うためには、きちんとしたアナログの勉強が大事だと見直すのが、今ネット社会が行うべきことかなと思います。ICTの問題点と解決の糸口ICTの問題点と解決の糸口片岡 現在、旬で課題となっているICTの問題は何でしょうか。桑崎 社会現象として、ネットいじめは継続的にあります。また、ネット依存については国立病院機構久里浜病院が、全国のネット依存の子供たちの外来を治療してますが、パンクするくらい患者さんが来院します。でも実はここで対応してる子も数百人くらいの世界で、全体的に見ると多くの中高生は、比較的ネットのスキルが上がってきてます。あと、持ち始め年齢で一番課題の多いのが小学校高学年です。これもスマホではなくて、ゲーム機によるトラブルが多発しています。 また、関係者で話題になっているのは、「幼児スマホ問題」ですね。0歳児から使わせるなど、この2年くらいで環境は激変しています。赤ちゃんの「ガラガラ」は今やスマホですし、「鬼から電話」という、子供を躾けてくれる、叱ってくれるようなアプリがすごく使われている。今の幼稚園、保育園の親御さんたちは35から40ぐらいの世代なんですけど、これが悩ましい世代で、20歳の時ぐらいが2000年。日本のネット社会とともに青春期を歩んできた人たちなんです。 今みたいに情報モラル教育も小中高でのこういう取り組みもしてなかった時代ですので、残念ながらちょうど世代的に情報モラルの教育を受けることなく親の世代になった。そして今スマホ・タブレットが手元にあるという現状です。 彼らも「スマホで子育てはできない」、というのはわかっているのです。でも、一概に「見せるな」みたいな極論だと保護者も受け入れられない。先に挙げたようなコンテンツも含めてスマホの使用には中毒性があるんですね。だから外出中に、早く帰宅してビデオが見たいから子供がキーキー言い出すとか、タブレットを早く渡せと言う等の問題も生じているのです。 一方、中高生の場合は、成熟度が上がっており、高校生は高校生なりに、中学生は中学生なりに自分たちで考えさせて自主ルールを作ろうという取り組みが広まっています。子供たちに考えさせるというのは、すごく教育成果が高いです。「守ろう」という意識が出てくる。それが「守れるルール」を作る。一方的に親とか学校が指示したルールというのは、Your ruleであってMy ruleじゃないという意識があるんですね。 だから、家庭でもネット機器、モバイル機器を与える時には家庭でちゃんとルールを考えませんかと、学校は学校で生徒会と一緒に自主ルールを考えませんかと、あるいは地域でルールを考えませんかというのが一つの流れ、新しい方向性になっています。東京都教育委員会などはとかく問題が多く発生するSNSに関して、「SNS東京ルール」を発表した矢先です。ただこういったことは、うまくいっている地域と、すぐ形骸化してそうでないところがあります。形骸化するところのやり方を見ていると、やはり熟成度が低いんです。一方的に関係者が作って押し付けているパターンが多い。もともとのコンセプトがしっかりしていないと続きません。道村 ルール決定がうまくいったケースはありますか。桑崎 熊本にある江南中という中学校はうまくいっているケースです。もともとはLINEで生徒間のコミュニケーショントラブルがありました。それに対して学年主任の先生が生徒の背中を押して、生徒会で考えてみたら、とアドバイスしました。それにここは苦労してルールを作っています。まずは生徒会の執行部が原案を作り、去年の5月の総会に出しました。ところが反対論者がいて却下されました。そのあとどうしたかというと、じゃあこの原案のどこに課題があるというのを全クラスで討議させたんですよ。パブリックコメントです。ということは、その段階で全校生徒がこの問題について議論に参加しているから、やはり自分がそれを本当に守れるのかというのを考えるようになる。で、各クラスで出た意見を集約して去年の7月に臨時生徒議会を開いて「SNSの利用は10時まで」というのが学校のルールになりました。ところが、11月くらいに文化祭があり、そこで10時が、それがどのくらい守られているかというのを調査したところ7割ぐらいしか守られていなかったんです。 守られなかったのはそれなりに理由がありました。「親しい友達が明日の宿題とか持ちものとか分からなくて問い合わせてきた。気づいたら無視できない」って。「10時のルールを守るか、友情を守るか」どちらかというそのはざまに立たされるわけです。それこそコミュニケーション、そこが大事だということになります。大人が考えるほど一概にはいかないんですね。 それと、高校に行った先輩から問い合わせがあったら無視できないというのも大きな理由でした。こちらは上下関係ですね。 そんな経緯もあり今年の4月、5月の生徒議会で10時以降は「極力」使わないに変更されたそうです。国の法律も運用するためにはある程度そういう柔軟性が必要で、イレギュラーが必ずいろいろ発生するので、そこは運用上の妙技というか、うまくいくためのひとつかもしれませんね。この学校は全員の生徒で討議しているので、大きなネットトラブルはやっぱりなくなっているそうです。生徒に議論させたことは非常に効果が高いと思いますね。道村 自主性がすごく大事ですね。ICT教育の良い影響は?ICT教育の良い影響は?道村 いわゆる知育みたいな観点のアプリケーションや、動画でも勉強っぽいもの等がありますが、それが今までのように絵本ではなく、スマホを使うという形で教育に入れられたことによって、子供に対する良い影響はあるとお考えですか。桑崎 鹿児島県のつるみね保育園の例ですが、園児を集めることに苦労していた保育園が、園児が集まる有名な保育園になりました。ここでは9割のアナログ教育と1割のICT教育を標榜しているんです。ipadが園長先生の1台だけで、1週間に1回、1時間しか使わないですけど、それがすごく活きてるんですよね。 やっていることはコミュニケーションとプレゼンテーション能力。iMovieを使って子供が映してきた映像にコメントをつけて、週に1回順番にプレゼンをさせるんです。例えば養豚農家の子供は家の豚を撮ってきて「うちで豚を養っていまーす。」という風に。道村 自分の好きなことを自分で話すんですね。桑崎 「豚かわいいです」とか「うちの豚は鹿児島黒豚だから黒いんです。」という感じです。すると他の園児が「豚って臭くないですか」と聞く。それに対して「臭いです。でもかわいいです」とか、本当にそのレベルのプレゼンで、小学校中高学年のレベルなんですけど、園児でもやれるんですね。道村 コミュニケーションツールとして使っているということですね。桑崎 他にも「うちのおじいちゃんこんな人ですごく面白いんです」と言っておじいちゃん映してきて、実際のおじいちゃんもその場に登場してみたり、山形の保育園と結んで鹿児島側は半袖で、山形は雪が残っているのを映して、「日本ってこんなに広いんだよ」とか。片岡 アナログでできることをオンラインでやるのではなく、オンラインでしかできないことをオンラインで最小限やっているということですか?桑崎 そうです。しかも9割のアナログを大事にしているという。道村 デジタルが1割入ることによって、いわゆる新しいスキルみたいに子供たちに養われる。その保育園は、コンセプトとしては何を養っているんでしょう。いわゆる学力とかではないですね。桑崎 直接的ではないですが、学力の下支えになっている力を育てていると思いますね。園長の杉本先生が、今は小学校3年生となった元卒業生の園児のお母さんから、「先生の保育園に通わせたのでうちの子の好奇心スイッチは今もONのままです」というようなメールをよくいただくとおっしゃっていました。これって勉強というのは「勉強させる」のではなくて、「勉強のスイッチをどう入れてやるか」なんですよね。 ところが、ICTを導入するとか使うとかが目的の授業や取り組みは、概ね良くないし、評価されないし、成果があがらないんですね。道村 発展したICT系のサービス、いわゆる人工知能とかAIなどのタブレットが出てくるほど、先生の存在意義とはなんだろうとか、チューターみたいな立ち位置でいいのか、昔でいう、「教育者=聖職者」みたいな部分がどんどん削られているのかなという気もしますが、その点についてどう思われますか?桑崎 本質的なことはやはり機械じゃ無理だと思うんです。イノベーション自体は人間が考えないとだめなので、そのための補助ツールとしてICTはあり得るとは思うけど、機械自体がイノベーションを考えるということは、時代がどんなに進んでも難しいのではないかと個人的には思っています。だから素晴らしい教師というのは、子どもに応じて的確なアドバイスをするとか、その場をわきまえるとか、子供たちがまとまっているクラスというのは実にいい話していますもんね。担任が。道村 やっぱり先生の力ですよね。そこは。桑崎 クラスを盛り上げるとか、チームワーク、結束力、ぎすぎすしたクラスになるのか、すごい思いやりのあるクラスになるというのはやっぱり教師の力。どんな学校でも同じようなトラブル起こると思うんですよ。やんちゃ坊主もいるし思いやりのない子もいるし。でもやっぱりそこの叱り方とかですね。言い方とかですね。 講演に訪問した高知の久礼小学校で4年生の情報モラルの授業をゲストティーチャーで見せてもらったんですが、この先生の授業、とても上手だなあと思って感心しました。授業が始まってもランドセルを横に置いていた子がひとりいて、他の子は全部後ろのロッカーにちゃんと置いてたんですよね。そしたらその先生、頭ごなしに叱らないで「授業が始まったのに、まだランドセル置いている人がいまーす、誰だろう?」みたいな感じで問いかけます。その子が「先生すみません」と言うと、「先生がプリント配るのが早いか、あなたがランドセル片付けるのが早いか競争しよう、はい、3、2、1!」みたいな感じで。するとその子もパパパッと置きに行ったんです。だけど、「あなたのランドセルだけ反対方向向いてる、かわいそうですランドセルが」、と言い、またその子が入れ直しに行く。 何ていうかな・・・雰囲気が実にいい。叱り方ってすごく大事です。その子は多分すぐには改善できないかもしれないけど、頭の片隅には、ちゃんと鞄を片付けるという意識が残ります。そういうのがやっぱりクラスの雰囲気となっていく。それは頭ごなしにガミガミ叱る方法もありますよ。でも反発心しか持たないですもんね。こういうことはICTでは絶対できないです。自分のことを認めてくれる、評価してくれる先生を好きになりますよね。ないがしろにする先生はやっぱり好きにならない。大学生のスマホリテラシーは意外と低い道村 先生と生徒と親は、子供の成長に寄与する三角関係だと思いますが、どのような位置関係がベストな三角関係だと思いますか?桑崎 子育てを共に担っている共同教育者。親は家庭という立場で、教師は学校というフィールドで、共にその子の成長を支援しているという、そんなスタイルですね。例えばパイロットと副操縦士がいて、どんな関係かというと、機長が絶対的な権限をもちます。その飛行機に関しては。じゃあ副操縦士は従うかというと、実は従っていない。協同運航者なんです。主と従じゃないんですよね。 ある知り合いのパイロットによると、二人の関係というのは傾きが着陸と離陸の角度と一緒。つまり通常3度、その程度の違いしかないそうです。副操縦士の方がきちんとした的確な情報持っていることもあるし、判断している可能性もある。その場合にはきちんと相談しあえる関係じゃないとダメなんだと。学校においても、校長と教頭がそうだし、親と学校もその程度が理想的なのではないかと思います。大学生のスマホリテラシーは意外と低い片岡 大学生のリテラシーに関してはいかがですか。桑崎 正直言って、ネットに関して自由に使えるのが大学生じゃないですか。いろんな点でスキル高いかなあと思うと、これがびっくりするぐらい低いというのをちょっと感じています。でも考えてみたら、スマホが急速な普及を遂げたのはこの3年なんですよ。本当に安易に使っている学生もいる。かと思うと、写真を写すとき、GPSをOFFにして写すんですという女子学生もいて、スキル差がすごくある。けど、おしなべて言うと、低いと思うんですね。 この前もある宴席で「マイナンバーカードが届きますね」という話をしていたら、写して「届いたぜ」ってアップする子がいるかもしれない。先生の授業で頑張ってくださいと言われました。ああいうのっていうのは、大学生がよくやりがちなんですよね。片岡 一時炎上したコンビニでのアイスクリームの件、あれも大学生でしたね。桑崎  日本の大学生の法的な知識が足りないのではないかという指摘があります。ネット炎上という言葉は英語にはなくて、強いて言えばニューヨークタイムズは、バイトテロリズムと訳しているそうです。ここに実はポイントがあると思います。欧米人の感覚からいくとあれはふざけではなくテロなんですよ。会社や社会に多大な損害を与えている。テロを起こしたということは、首は切られるし、損害賠償もさせられるということなんですね。アメリカ社会は訴訟社会なので自然と歯止めがかかる意識が芽生えていると思います。 去年9月には某県の教育委員会がある若い女性教師を処分しました。それはtwitterに掲載した「2000円拾いました、有効に使わせていただきます」という書き込みがあるけれど、これはいいのですか、という指摘があったからです。実はこの書き込みは前々、つまり女性教師が学生時代に書いたものなんです。それが2年間放置されて、教師になってから指摘をされたわけです。いずれにしても、これは横領罪に当たります。占有離脱物横領罪、拾得物横領罪、10万円以下の罰金か1年以内の禁固なんです。片岡 ヤバい、という感覚もないんですね。古くからある若気の至りなのかもしれないし、無頓着すぎるっていう・・・。その辺は教えていかないといけないですね。桑崎 若気の至りなのか、法律を犯しているのかっていうのが日本の文化としてちょっとあいまいなところがありますよね。成人式のバカ騒ぎもそうですし、高速道路でスピードメーターが150キロを指しているのを映して、「スピード違反ナウ」なんてね。機種で分析されて誰かって分かればこれ警察が捕まえますよっていう世界ですよね。 一方で、これは高校生ですが、今年の夏には1枚の写真がすごいプラスになった。秋田商業高校かな、甲子園でベスト8まで勝ち残った高校の野球部が、長期に渡って滞在した新大阪ワシントンホテルプラザを立ち去る時に、ミーティングルームのホワイトボードに書置きをしていったんです。みんなで感謝の気持ちを書き連ねていたんですね。従業員の人が翌朝出勤したら、嬉しかったんでしょうね。写真を撮ってツイッターにアップして、一気に広がりました。 また、今年度の富士重工の不採用通知もtwitterで拡散して話題になりました。その文面はまずお礼です。「数ある会社からうちを選んでくれた」こと、次は「当日時間をとらせた」こと、そして「意に沿えない結果でした」というお詫びが続きます。「限られた時間の中であなたの能力を全部評価したわけではない」と。まだ「素晴らしい能力ある人だから今後も頑張ってほしい」という激励です。「うちはこんな気持ちで採用業務やっています」と、「今後もよろしくお願いします」みたいなとうとうとした文章なんですよね。道村 うれしいですよね。不採用になると人間否定されたみたいな風に多くの学生が思うと思うんですけど。そういうことではないっていうのが伝わります。桑崎 スマホとSNSが登場したことによって、やっぱり社会が変わったと思うんです。良くも悪くも、今までなら人目に触れなかったことが、日の目を見る時代でもあるというのがネット社会ですね。私はこういう点ではネット社会は本当にいいと思います。お母さん自身はどんなことに気をつけたらいいかお母さん自身はどんなことに気をつけたらいいか片岡 この東京ウーマンという媒体はお母さんが割と多くて、また個人事業主や何かのスペシャリストな方が大半なのですが、子供にそういうリテラシー、いわゆるいい意味での「メディア慣れ」をさせていくには、お母さん自身がどういうことに気をつけていけばいいでしょうか。桑崎 まずは「ネットに関心をもってもらう」ということが一つだと思います。まだ、色々なことが起こり得るということを想定していない保護者の方が多いような気がします。今、アメリカでは幼児を持つ親が心がけることとして、「お風呂の写真はあげない」というようなことがあります。特にカリフォルニアでは子供の裸の写真は子供が成人した時にそれがいじめのネタになったり、「何ていう写真をあげてくれたんだ」と言って子供が親を訴える等が起こっているそうです。確かに3歳児、4歳児は可愛いですよ。裸でも別に何ともないんだけど、この子が将来大きくなるということを考えると、どうなのっていうことを親が考える時代になっている気はするんですよね。 スマホも登場して3年も経ち、SNS含めてどんなことが起こり得るかというのは、少しクリアに見え始めている時代なので、まずそこを知るというのは大事だと思います。片岡 親のリテラシーが大事ということなんですね。桑崎 そういうことがわかれば実は子供に教えるべきポイントというのも少し見えてくると思います。「いつからネット機器を触らせればいいんですか」という質問をする人がよくいますが、実はこれは正解がありません。個人差もすごく激しいし、実際子供たちは小さいころからタブレット等を身近に遭遇していく時代を迎えつつあります。自分で持ちたがるのは、小学校の多分中学年以上ですね。低学年はほとんど興味がない。特に男の子の場合、ネットというと「虫取りネット」しか思いつかないぐらい。中学年から急に関心が出てきて、高学年になると持ちたがります。なので、むしろ小さいころからキッズスマホを持たせて当たり前にしておいた方が、ネットへの対応もスムーズだったのにという話もあります。もう身近にあって当たり前みたいに。そうすると高学年になっても特別に使うこともないそうです。片岡 それは「人と繋がるか、繋がらないかは別として」ということですね。桑崎 ええ。一つ言えることは、親も子も「使ってみなければスキルがあがらない」んですね。例えば自転車でいうと、高校生になったら結構自転車で長距離通学をします。10キロとか平気で行きますね。自転車で安全に通えるようになるためには、自転車に乗らないと安全のスキルが上がらない。車も「ゴールド免許です」と言いながらも、ペーパードライバーの人の運転スキルは決して高くない。当たり話です。でも、運転すれば事故のリスクは高まります。これも当たり前のことです。運転すれば事故のリスクは発生するけども、運転しない限りは安全のリスクも高まらない。ネットも同じことが言えると思うんですね。道村 絶対に使う時期はやってきますもんね。その時にはやはりやってない方が危ないということですよね。桑崎 ネットに関しては、よく「それで中毒みたいになるから使わない」という消極的な意見もあるんですが、私はネットの中毒というのは、日常生活がきちんとしていれば、そんなにはなりにくいと思います。道村 それこそさっきおっしゃった、親子でルールを決めるみたいな話合いの場をちゃんと設けるべきということなんですよね。桑崎 先ほどお話した久里浜病院で治療している子は、1日10時間以上ネットをやっているという子です。長時間利用の子っていますよね。3時間とか4時間とか使う子。そういう子がすべて9時間10時間の依存症になり治療が必要なレベルになるわけじゃないですよね。でも一部になる子がいるんです。一部のなる子は何ゆえかというと、結局もともと不登校になるような要因を抱えているんです。道村 コミュニケーションがなかったりとか。桑崎 そうなんです。友達がきちんといれば、一時的に3~4時間使うこともあるでしょうけど10時間ということはあり得ない。ですが、元々課題を抱えている子はネットに逃げ込んでしまう。もちろん他のことに逃げ込む可能性もありますが。片岡 ネットじゃなくてもいいかもしれないですね。桑崎 そうなんです。ネットの話でそういう子がいるからといって、すべてネットを禁止するというのも論理的に変なような気がします。片岡 昔なら、本を読んでいたかもしれないですよね。読書オタクだったかもしれない。道村 ゲームをずっとやってたとか、マンガ読んでたみたいなのも一時期いわれていましたもんね。桑崎 だからお母さんたちとしては、ネットで言われているSNS問題も、実はすべての子がなるわけじゃない、ほとんどの子がなってない。それは「交通事故はこわいから外出しません」という話と同じです。むしろ積極的に、交通事故のリスクはあるけれど、外出して安全な道の渡り方とか、そういうことを学んだ方がいいと思うんです。子育てにネットは有益です。色々な情報が得られるし、コミュニティもできますし。 ただ親御さんも実は孤立している部分があります。保健センターの乳児健診でよく聞く話ですが、例えば1歳児健診で、子供さんの様子が気になる。ネットで調べたら発達障害じゃないかとか、言葉がしゃべれないんじゃないかとか、情報を鵜呑みにして妙に心配して健診を受けにくるんですね。そこでベテラン看護師さん、保育士さんから、「いやいや、お宅の子供さんは全然心配いりませんよ」「子供には個人差あるから心配いらないレベルですよ」っていわれると、そこでほっとするんです。片岡 真面目な方が陥りがちな例ですね。桑崎 ネットだと、「情報をどう取捨選択するか」というスキルが大人もまだ育っていないんですね。高等学校の保護者が中心だった講演に行った際、こんなことがありました。終わった後に養護教諭の先生が寄ってこられて、女性の健康管理のアプリで「ルナルナ」という生理・排卵日を予測するアプリがあるんですが、あれを禁止できないんですか、と言われました。「このアプリはちゃんと認定も通っていて特に問題があるとは聞いていません」と返答したのですが、その先生が、「あの情報を真に受けて妊娠した子がいる」っておっしゃるんですね。生身の人間の体だから誤差があるのは当然でしょう。身近にそういう方がいらしたから抗議されたんだと思いますけど、それより「その子はその情報をそういう風に理解するなんて、そこが心配ですよ」と、私は言いました。 意外とそういう人が多いですね。これからはいわゆる「情報活用能力」のスキルがもうちょっと上がらないといけないと思います。今後求められるリテラシー今後求められるリテラシー桑崎 今や子育てにネットはやっぱり必須なんです。でも、子供への影響ということに、まずはちょっと関心を持ってほしいと思います。もう一つよく聞こえてくるのは、お母さんは意外と熱心にやっているんだけど、お父さんの協力がないということです。今の幼児のお父さんは、結構ゲーマーが多い世代なんです。お父さんの協力というのは必須で、やはり子育て世代は夫婦で共同歩調というのは大事だと思いますし、ネットのあり方について夫婦で考えるような時代にきているのかなという気がします。 男女協同参画とはいいながらも、子育ての中心は女性が担っている部分があります。でもお母さんだけが一人で背負い込むのは非常に大変な時代で、やはり男性も理解する時にきていると思いますね。何度も言いますけど、スマホが登場してからの子育ては激変しています。いろんな面で。価値観にしろ、なんにしろ。道村 やはりパソコンとは違いますか。桑崎 日常的に持ち歩きますよね。どこでも写せる、どこでも調べられる、シェアできる、情報コミュニケーションがとれる、情報の投稿ができるという点で。基本的にこれは手の平に乗るパソコンですもんね。否応なしに世界中の人々がみんなこれを持ってしまったの。確かにこれで道を案内するとか、クックパッドで食材の調理時間や調理方法を調べるとか、本当に便利です。しかし逆にトラブルが起こるアプリって意外と限られているんですよね。道村 子供にどういうコンテンツならOKで、どういうコンテンツはNOなのか、コミュニケーションの取り方とか、日ごろからどう話しておくか、そこはアナログですもんね。桑崎 禁止という一つの乱暴な方法もあるんですけど、もし禁止をしたときに、例えばネットのトラブルを起こしたら、子供は親に相談できなくなるんですよね。起こったトラブルの解決策を親子で考える前に禁止していたことをとがめなきゃいけなくなる。かと言って野放図に使わせろと言っているわけではないんですけど。平成の子育てになってすごくそこが新たな一つの課題になっています。片岡 新しい時代ですね。桑崎 そうです。次の子育てとしては、今まさにそういうところをもっと考える時期にきているのかなと思います。くわさき・つよし 内閣府「青少年インターネット利用環境整備・普及啓発検討会議」委員長、安心ネットづくり促進協議会特別会員、九州ICT教育支援協議会会長、熊本大学(講師)全学教養機構、兵庫県立大学(客員研究員)。熊本市出身。東京理科大学理学部数学科卒業。テレビ東京「ガイアの夜明け」(2008.5.20放送)へのTV出演他、新聞へ多数の記事掲載など、「青少年のネット問題」における第一人者として、教育ICTおよび情報モラル教育の普及啓発に向け、講演や著書等の活動を全国展開している。文部科学省委嘱「ネット依存対策委員会」の委員、厚生労働省委嘱「熊本ネット安心活用ワークショップ実行委員会」委員長にも就任し研究活動を展開している。みちむら・やよい(聞き手) 株式会社ハグカム代表取締役社長。1984年生まれ。明治大学商学部卒業後、2007年に株式会社サイバーエージェント入社。大手クライアントの営業、新規広告メディアの開発などに携わる。スマホゲーム子会社の立ち上げ、サイバーエージェント本体の人事本部にて新卒採用などを担当した後、Ameba総合プロデュース室の室長としてコミュニティサービスの事業戦略や品質改善、アメーバ事業本部全体の組織活性など幅広く行う。教育ビジネスへの想いが募り、2015年にサイバーエージェントより独立。かたおか・ひでひこ 株式会社東京片岡英彦事務所代表、東京ウーマン編集長。1970年東京生まれ。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」(現株式会社東京片岡英彦事務所)を設立。企業のマーケティング支援の他、フランス・パリに本部を持つ国際NGO「世界の医療団」の広報責任者を務める。2015年から、東北芸術工科大学企画構想学科で教鞭を執る。

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    女子大生エンジニアが少子高齢の日本を救うかもしれないと考えた理由

    榊裕葵(社会保険労務士) 正月早々、日経ビジネスの2015.12.28・2016.01.04合併号を衝動買いしてしまった。若き女性エンジニアの正体とは? 表紙を飾っていた、天使の羽のようなロボットデバイスを身に付けた若き女性が誰なのか、気になったからだ。家に帰り、早速彼女に関する記事を読むと、彼女は「きゅんくん」という名前で活動するロボティクス・ファッション・クリエーターなのだそうだ。 きゅんくんさんは、子供のころ、家にあった鉄腕アトムでロボットに興味を持ち、また、ファッションも好きだったため、自分の好きなことを両方やりたいということで考え付いたのが、「ロボティクス・ファッション」という分野を切り開くことであったということだ。 具体的には、ロボットのような機械的なものを日常的なファッションの一部として取り込んでいきたいという試みである。現在は、大学の機械工学科の学生として勉学に励みながら、ロボティクス・ファッション・クリエーターとしての活動を続けているということである。 私は、彼女のことに興味を持ち、インターネットで調べてみたのだが、本名は松永夏紀さんといい、1994年生まれの21歳。国内外のロボットに関係するイベントに積極的に参加をしたり、電通グループの研究機関で研究員に就任したりなど、大活躍をなさっている様子であった。 ただ、私が大きく意外性を感じたのは、彼女が「ロボットに機能を求めず、純粋にファッションとして身に付けたい」と考えていることである。 彼女は、Webメディアの取材に対し、次のように答えていた。「機能的なことは求めてないんです。私はファッションとしてロボットを身にまといたい。好きなキャラクターや絵柄がプリントされているTシャツとかを着たくなっちゃう心理と同じで、私はロボットをファッションにしたいんです。」(日本テレビ SENSORS.jp 2015.06.10) ロボットとファッションを同じくらい愛する彼女は、世の中がロボットに対し機能面ばかりを重視して求めていることに対し、違和感を持っている様子で、それが上記のような発言になったようだ。機能とファッションの両立を期待 確かに、彼女の意見には一理あると思う。だが、機能とファッション性を高い次元で両立させることができれば、世の中を変えるようなトレンドが生み出せるかもしれないとも私は思った。 きゅんくんさんも、ロボットの機能偏重に違和感を持てど、ロボットが機能を持つこと自体については否定をしないはずである。 例えば、ソニーのウォークマンや、アップルのiPhoneは、機能面だけでなく、ファッション性としても抜群で、ファッショナブルでライフスタイルを変えるようなアイテムとして提案されたからこそ多くの人に受け入れられたわけだ。ウェアラブルロボットが日本を救う 私は、彼女が打ち出した「ウェアラブルロボット」というコンセプトには、少子高齢化の日本を救うポテンシャルがあるのではないかと期待をしている。 というのも、これからの日本、高齢化社会が進むなかで、介護問題がより深刻なものになっていくことは、誰の目から見ても明らかであるが、もしウェアラブルロボットが一般的なものとして世の中に普及したならば、少なからずの人が、介護に頼らなくとも、機械の助けを借りながら、人間らしい自立した生活を送れるようになるのではないかということだ。 例えば、足の不自由な方が膝に装着したデバイスが段差をまたぐサポートをしたり、手の不自由な方が背中に装着したアームがドアノブを開けてくれたりすれば、寝たきりにならない限り、介護に頼らなくても多くの高齢者の方が自活できる世の中になる可能性がある。 トイレ、歯を磨く、靴ひもを結ぶ、などもウェアラブルロボットが助けてくれるようになれば素晴らしい。その結果、介護離職の防止や、介護予算の抑制など、社会問題の解決にもつながっていくはずだ。ベンチャーキャピタルに期待したいことウェアラブルロボットとBMIのコラボも さらに、私が「こうなったらいい」と考えているのは、ウェアラブルロボットと、BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)、すなわち、脳波で機械を制御する、という技術との連携である。 BMIはまだまだ開発途上の技術であるが、2009年時点において、本田技研工業は、BMIの技術を用いて、二足歩行ロボットとして有名なASIMOを動かすことに成功している。同社の広報発表によると、被験者には、「右手」「左手」「足」「舌」の4つの部位を使用した運動をイメージしてもらう実験で、そのイメージを脳波によってASIMOに伝え、90%以上の正答率を得たということである。(2009年3月31日 本田技研工業ニュースリリース) 直近の例では、2014年のFIFAワールドカップのキックオフで、BMIと連動した機械を装備し、下半身が不自由な方がボールをキックオフをするというイベントが行われたそうだ。 このBMIの技術が成熟し、ウェアラブルロボットと合体したならば、例えば、手が不自由な方が、手の役割をするロボットを身に付け、「物をとりたい」とか「ドアを開けたい」と考えたたら、そのロボットが望んだ動作をしてくれるというような世の中が実現するのではないだろうかと期待せずにはいられないわけだ。ウェアラブルロボットを普及させるためのファッション性 だが、このようなウェアラブルロボットが普及するためには、機能面の充実だけでなく、身に付けることが困難であれば普及は不可能なので、重量を感じさせず、動きやすい形で、見た目もスマート、ということが要求されるであろう。 そこで、ウェアラブルロボットをファッションの一部として普及させるというきゅんくんさんの考えは、大きな意味を持っていると感じるのだ。 社会全体として、ファッションとして人がロボットを身に付けていることが不自然ではないという文化が醸成されていけば、ウェアラブルロボットもどんどん洗練されていき、介護や医療の世界においても、ウェアラブルロボットが違和感なく受け入れられていく下地が作られるのではないかと私は思う。 比喩的に補足をするならば、現代において眼鏡は、視力を矯正する機器という機能面と、お洒落のアイテムというファッション面の、二面性を持っているが、ウェアラブルロボットも将来、眼鏡と同じような社会的ポジションを築くことができたら面白い。 直接お会いしたことがないので、きゅんくんさんご本人がどう考えているかは分からないが、私は、ウェアラブルロボットによって、是非、21世紀の日本の社会問題の解決に一石を投じてほしいと願っている。ベンチャーキャピタルに期待したいこと また、私は、きゅんくんさんのような、斬新なアイデアを持った若い人を支援するために、ベンチャーキャピタルが、今まで以上に「川上」での活動に乗り出す動きがあっても良いと思う。 従来、ベンチャーキャピタルというと、将来性のある企業を発掘したり、ベンチャー企業の経営者からプレゼンテーションを受けて、出資を決めるというものであった。 だが、現在はインターネットが発達し、ホームページ、Youtube、ブログなどを見ていると、面白いアイデアや技術を持っている人がたくさん見つかる。 そういう人たちに対してベンチャーキャピタルが働きかけ、もちろん本人にその気があることが前提であるが、アイデアをビジネスに昇華させるための手助けをする動きがあっても良いのではないだろうか。 資金の提供だけでなく、経営に対するアドバイスや、弁護士、税理士、社会保険労務士などの専門家サービスなどをワンストップで提供し、本人はアイデアや技術に集中できる環境を作るということである。 歴史を振り返っても、例えば、世界のHONDAを一代で築き上げた本田宗一郎氏が成功することができたのは、創業初期にビジネスパートナーの藤沢武夫氏に出会い、藤沢氏が裏方として本田技研の資金調達や日々の経営を受け持ち、本田氏は技術や開発に集中することができたからである。 それと同じ考え方で、面白い技術やアイデアを持った人を成功に導くため、そのような人々を発掘し、助けていけるような仕組みができれば、日本で活気あるベンチャーが次々と誕生し、若者が夢を持って働ける国にもなっていくのではないだろうか。《参考記事》■東名阪高速バス事故、11日連続勤務は合法という驚き 榊 裕葵http://sharescafe.net/45556859-20150715.html■職人の世界に労働基準法は適用されるか?http://sharescafe.net/41988647-20141120.html■経験者だから語れる。パワハラで自殺しないために知っておきたい2つのこと。 榊 裕葵http://sharescafe.net/42167544-20141201.html■すき家のワンオペを批判するなら、牛丼にも深夜料金を払うべきだ。 榊 裕葵http://sharescafe.net/41373749-20141016.html■「資生堂ショック」が全然ショックではない理由 榊 裕葵http://sharescafe.net/46880978-20151112.html

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    2025年は多死社会 「死に場所難民」に備える仕組みを

    山崎章郎(ケアタウン小平クリニック院長) 「2025年問題」と言われている。 その頃、団塊の世代が一斉に75歳以上の後期高齢者に突入し、医療と介護の両方を必要とする人が急増するからである。 一方、「多死社会」の到来とも言われる。現在約120万人の年間死亡者数が、2025(平成37)年には約160万人と予測されているからである。死に場所に困る時代に 少子高齢社会では、こうした急増する死に至る人々を受け入れる新たな医療施設の整備は選択肢に入りにくい。団塊の世代がいなくなるころには、それらは不要になり、後の世代の大きな負の遺産になってしまうからである。 しかし、新たな施設の整備がなければ、急増する死亡者が最期を過ごす場所は大幅に不足し、死に場所の見つからない、いわば死に場所難民の大量出現も予測されている。 もちろん政府も手をこまねいているわけではない。近未来の非常事態に備えようと必死である。その一つが2025年までに医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現しようとする構想である。 医療・介護に携わる多職種が連携し、その構想を支えることになる。その中で医療を担うのは、主に地域のかかりつけ医としての一般開業医であるが、一定数の看(み)取りを行うことも想定されており、自宅、グループホーム、有料老人ホーム、特別養護老人ホームなど生活の場での死を増加させることを視野に入れている。 その主な対象は医療や介護を必要とする障害や慢性疾患を持った高齢者、つまり、ある程度、中長期のケア計画の中で対応できる人々である。 千葉県柏市など、地域の医師会や市が中心になってその構想実現を目指して動き出している地域もある。 しかし、懸念もある。 例えば、老化に伴う疾患でもあるがん患者の急増に伴い、現在年間約36万人のがん死者は、2025年には、さらに増加すると予測されている。こうした患者の急増に加え、私が東京都小平市で取り組んでいる末期がん患者を中心とした在宅緩和ケアでは、通院治療が困難となった患者の約4分の1は訪問診療開始から2週以内に、約半数は4週以内とかなり短い間に在宅で死亡しているという現実があるからである。在宅緩和ケア専門診療所を 短期間に死に向かう患者の心身の様々な苦痛症状に対処し、不安の中で戸惑う家族を支援するためには、専門性の高い医師や看護師が中心になった迅速かつ24時間対応のチームケアが求められる。また、がん患者の病状変化を熟知したケアマネジャーも必要である(が、現状では末期がん患者に適切に対応できるケアマネジャーは少ない)。 以上のように短期集中の専門性の高いケアを必要とする末期がんの患者・家族に、先述した中長期的展望の下に慢性疾患や障害を持った高齢者を主な対象にした地域包括ケアシステムは対処できるのだろうか、という懸念である。 緩和ケアで求められるものは、心身の苦痛症状の適切な緩和のみならず、その困難状況を生き、死に向かう患者の人生全体を支援することであり、予測される喪失の悲しみの中にいる家族へも配慮する、きめ細かなケアであるからだ。ただ単に痛みを緩和し、在宅での死が実現できただけでは緩和ケアとはいえない。 そこで、先述した地域包括ケアシステムの中に、例えば、主に急増する末期がん患者の在宅診療に専門的に取り組む、24時間対応在宅緩和ケア専門診療所を入れたい。また、それら専門診療所とチームを組む専門性の高い24時間対応訪問看護ステーション、さらにはがん患者にも適切に対応できるケアマネジャーも一体化した、地域在宅緩和ケアチームのような仕組みが必要であると考えるのである。制度化し地域社会に貢献 もちろん、緩和ケアはがんに限らないので非がん患者の在宅看取りにも対応する必要はある。まずは、それら在宅緩和ケアの中核となる在宅緩和ケア専門診療所の制度化が重要になる。 在宅緩和ケア専門診療所の要件としては、例えば、24時間対応は言うまでもなく、少なくとも、在宅療養を希望する患者の年間在宅看取り率は50%以上かつ年間在宅看取り数もがん、非がん合わせて30~40人以上(地域差は考慮されるべき)は必要と思われる。その程度の看取り率と看取り数がなければ、地域社会に貢献し研修機能も併せ持つ専門診療所とは言いがたい、と考えるからである。 そのような在宅緩和ケア専門診療所を中心とした在宅緩和ケアチームを地域包括ケアシステムに組み入れることで、多死社会に備えた地域包括ケアシステムの更なる充実が図られると考える。在宅緩和ケア専門診療所の制度化を提言する所以(ゆえん)である。

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    やる気と能力があれば出来る 深刻化する独居老人を救う助っ人

    孤独死や振り込み詐欺被害者の予備軍でもある。 このような介護保険制度の枠の外にいる独居老人を何らかの社会保障制度、つまり公的財源を用いて保護、支援することは可能であるか、あるいは、そうすることが妥当であるかということが厳しい国家財政を前提に検討されている。 昨今、高齢者や障がい者の支援主体として地域資源の活用が論じられる。民間団体のボランティアや町内会と言った自治組織による自発的、自立的な主体による支援である。これは相互扶助や住民主体の地域ケアとして語られ、ややシニカルに言えば理念的、非現実的構想でもある。 子どもや家族、そして、役所が頼りにならないのなら民間の知恵と力を拝借して、来る超高齢社会を乗り越えようと言う気持ちはよくわかる。しかし、その実現と継続は決して容易ではないはずである。支援と保護のシステム化 上記のような民間団体等の支援は普遍的ではなく、財政、存立基盤がもろい。たとえば、寄付は強制できず、また、それを必要とする個人、団体すべてに配分できるものではない。また、カリスマ的存在の設立者やリーダーが不在になると、組織自体の存続が危うくなるところも少なくない。 しかし、政府や家族以外に高齢者や障がい者に対する支援の第三の担い手として、上述の民間団体や地域自治組織に期待せざるを得ないこともまた事実である。  介護保険適用未満、しかし、生活不安以上の独居老人(高齢夫婦世帯も含む)は介護保険利用者よりもすそ野がずっと広く、ニーズも多様である。そのような彼らに対する支援が民間の優れた効率性、コスト感覚、機動力によって企画、提供されるような社会システムを作ることが急がれる。 国は憲法、家族は民法に基づき助けを必要とする個人や家族の世話をする義務がある。その義務を果たす仕組みの中に上記民間団体等の活動を組み込み、任意、自発的団体による支援であっても普遍性と継続性を保障させることができるシステムを考えたい。これが実現すれば、やる気と能力のある民間団体が国と家族を補う強力な助っ人になることは間違いない。(「先見創意の会」コラムより2015年8月25日分を転載)※ 先見創意の会 最新のコラム/オピニオン/海外トピックス

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    一人っ子政策廃止と日本の少子化、憂うべきは生産力の低下だ

    猪野亨(弁護士) 日本の人口は減少の一途。出生数は昨年度に比べて増加したものの、「死亡数は出生数を29万4000人上回り、9年連続で自然減となった。減少幅は前年より約2万5000人増え、自然減の数は統計を取り始めた1899年以降で最大となった。」(読売新聞2016年1月1日)ことから、日本の総人口は大きく減少しています。 今後も増加の見込みはないでしょう。 出産に対する支援とか、育児休暇の保障、義務教育の無償化などいろいろな施策はあるにせよ、今の自民党政権はかけ声ばかりのはったり政権ですから、結局は自己責任、受益者負担政策のままですから、そのような観点からも今後、出生数が増える見込みはありません。 しかし、実際に上記のような施策を施したとしても出生数が増えることもないでしょう。もちろん、そのような施策でさえ実施しなければ、出生数の減少に歯止めがかかることも、後述するように困難とみてよいでしょう。 だからといって、子どもが生まれたら現金を交付することによって出生数を促す方策がよいとは思えません。子どもに対価性を持たせているのと同じであり、現金ほしさで子どもが増えるということになれば、その子にとっても不幸です。 あくまで子育て環境を充実させるべきものです。 中国では、一人っ子政策が廃止され、2人までは許容されることになりました。労働人口の減少と急激な高齢化社会を危惧してのことのようです。 しかし、中国の場合、露骨な男子偏重の思想がありますから、最初に生まれた子が女の子であれば必ず2人目は生まれます。 中国ではもともと共稼ぎが当たり前、また祖父母が育児に関与することが当然の前提となっていますので、その意味では産休さえ取れれば仕事に支障がなく、子どもをもつことができるわけです。 もっとも祖父母の関与は別の意味での社会問題にもなっていますから、このような子育てのあり方がそのまま参考になるわけではありません。日本は悲壮感漂う「一人っ子政策」 少子化にあえぐ日本もある意味では「一人っ子政策」です。中国とは異なり、「せめて夫婦1組1人の子をもうけてくれ」という悲壮感漂う「一人っ子政策」です。 日本では、今はやりの「育児休暇」ですが、これを取ってもそのまま戻るところがあるような特権層の人は別ですが、普通は取れません。特に夫が「育児休暇」を取れば、いくら給与所得者としての所得保障があるとはいえ、元の場所には戻ることはかなわず、一線からは外れていくことになります。中小企業であれば居場所はなくなります。 それがいいかどうかは別にしても現実はそのような社会であるし、他方で全での夫が当たり前のように育児休暇を取るなど現状では想定し得ないことです。 妻が専業主婦であるにも関わらず、夫が育児休暇を取得することが当然ということが想定されているとも思えず、あくまで女性(妻)も職を持っているからこそです。それぞれ交代で取るなりして分担することが想定されているわけです。 他方で、専業主婦という型であれば、子が増えるかというと、そもそも専業主婦願望が子育てをしたいからというよりは、楽だからという発想を強く感じざるをえません。それは日本も中国も変わらないでしょう。中国でも北京を中心とした都市部では専業主婦願望の強い女性が増えているようですが、そこには勤労意欲は全く感じないわけです。 日本において以前、専業主婦が当たり前だった時代は、まさに分業そのものであり、家電製品(冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど)が当たり前に家庭に普及するまでは、それこそ主婦が多忙だったわけです。これでは到底、女性の社会進出など困難な状態でした。それが電化製品の普及によって一変したわけです。 それにも関わらず若い層の業主婦願望というのは、単に社会に出たくないことの裏返しに過ぎず、このような発想の中で子育てに励みたいという発想があるとは思えないわけです。 このような状況は何も女性に限ったことでもなく、男性でもきつい職場と言われているところが露骨に敬遠されていく状況とも付合するわけです。「介護だけじゃない トラック運転手が不足 日本はあらゆる分野で劣化している」 中国でも都市部の重労働は地方からの出稼ぎ労働者によって担われており、都市部の住民はやりたがりません。 この問題は、中国だけでなく、日本でも根本的な価値観の変化が訪れているようにも思います。子育てをしたいのにできない、ではなくそもそも子育てをしたくないという価値観への変化もあるのではないかということこそが最大の問題です。 豊かになればなるほど、生まれながらにして豊かであればそれだけ自分からは何もしないという状態です。「今時の若者は~ は間違い?」「現代の若者像 今も昔も変わりない?」 何よりも結婚そのものへの否定的価値観が漂う時代です。勤労に対する意義、そしてその喜びを享受できるような社会でない限り、この劣化は止まりません。また少子化も止まりません。 私自身は人口減少自体は、決して悲観されるべきものではなく、地球規模でみれば人口過剰状態と思われますし、今後も地球規模で人口が増え続けていかなければ経済が発展しないなどと考えているようでは、経済発展の前に地球環境が破滅します。 人口増に頼るような経済発展の発想は危うく、早晩、破綻を来すのは必至です。「人口増に依存する政策はマルチ商法と同じ!」 人口減少を憂うよりも、全体の労働力、生産力の低下こそ、私は憂うべき状況と思います。 (「弁護士 猪野 亨のブログ」より2016年1月1日分を転載)

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    マイナンバーで庶民はみんな損をする

    うマイナンバーは届きましたか? 日本で住民登録するすべての人に12桁の番号を割り当てるマイナンバー(社会保障・税番号)制度が始まりましたが、あちこちで不安や不満の声が上がっています。しかし知れば知るほど、庶民にはあまりメリットがないように思えるのは気のせいでしょうか?

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    テロ対策から不正受給まで すべて炙り出すマイナンバーという踏み絵

    村単位で行われていることで、国として住民をきちんと管理できておらず、縦割り行政の弊害とともに、不正や社会保障の受給の障害になっていたわけである。この代表とされるのが『宙に浮いた年金問題』であり、名前と住所での管理であったため、引っ越しや転職などで移動した住民を補足できていなかったわけである。問題となっている複数市町村を利用した生活保護など社会保障の多重受給や補助金の不正もこれが原因なのである。また、この制度の穴を利用した脱税や不正蓄財も行われていることがわかっている。『同姓同名が多数存在する名前』と『容易に変更できる住所』だけでは完全に本人を特定できず、これを利用した犯罪が行われてきたわけである。本人の完全な特定を可能にする制度 この制度の穴をふさぐのがマイナンバーであり、名前と住所に加え、ナンバーを付与することで、本人の完全な特定を可能にする制度と言って良いのだろう。この制度の運用が始まると、確定申告や納税書類にナンバーが記載され、これにより個人の所得が明確になり、社会保障の不正受給など不正行為もわかるようになるわけである。  そして、この制度の対象は日本人だけではなく、3ヶ月以上滞在する外国人や銀行口座を持つ法人(企業や団体)に対しても適用される。つまり、企業や団体間の資金のやりとりや外国人の不正就労なども把握可能になるわけである。例えば外国人で言えば、観光ビザだけでは就労できない。そして、留学生等に関しては職種や就労時間の制限が設けられている。この制度が導入されることで不正な就労ができなくなるわけである。また、支払いが明確になることで脱税もできなくなる。  また、現在NPOやNGO 任意団体などを利用した脱税や犯罪が行われている実態があるが、これも資金の流れが明確化することにより難しくなってゆくわけである。所得や収益があれば税申告が必要なのは、このような団体も同様であり、不正の実態も明確化することになるわけである。  現在のところ税務申告書類などへのマイナンバーの記載は完全な義務ではなく、任意とされているわけであるが、現実問題として、不明瞭な点が多い申告は、優先的な税務調査の対象になるわけであり、調査が入れば実態が暴き出されることは必須ということなのだ。  そして、来年1月1日以降、様々な金融取引においてもマイナンバーの提示が必要になる。証券や銀行取引をする際に、順次ナンバーを提示する義務が課せられることになっている。現在は証券業務や海外送金など一部に限定されているが、これが一般の銀行口座にも適用されるのは時間の問題であろう。何故ならば、金融機関はこれを徹底しないと日本だけではなく、米国など海外からも制裁金が課せられる可能性が高いからである。  実際に昨年フランスの銀行BNPパリバは、不正な口座使用を容認していたことと不正送金に関与したことで米国当局から1兆円近い罰金を課せられている。また、日本の銀行でも三菱東京UFJ銀行が米国当局から6億6500万ドルの罰金が課せられている。本人確認の徹底は金融機関にとっての国際的な義務であるのだ。日本では容易に取得出来る銀行口座であるが、これは日本が特別であり海外では厳しい審査が行われる。日本の銀行もこれに対処しなくてはいけなくなっているのである。  マイナンバーを巡っては、一部から国民総背番号制やプライバシーの侵害にあたるという批判もある。また、ことさらに不正利用などに対して不安を煽る人もいる。当然の話であるが、新しいシステムには問題が出やすく、運用上のトラブルも発生するだろう。国側としては、情報を一元管理するわけではなく、個別情報を分散管理するなど対策をすすめているが、それだけで補えるものではないだろう。  しかし、それはシステムそのものの問題ではなく、システムを運用する側であったり、悪用する人の問題なのである。包丁を使い殺人が行われたとしても、包丁が悪いわけではなく、それを悪用した人に問題があるのと同じなのである。国民やメディアはここを切り分けた上で、冷静に議論すべきだと思う。  最後にマイナンバー導入で一番困る人は、本人を特定されたくない脱税や生活保護や補助金の不正受給をしていたり、それに手をかしている人である。だから、必要以上に反対しているのは不正発覚を恐れている人や団体の可能性も高い。そのように見ると、良い炙りだしであり踏み絵になっているとも言える。

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    マイナンバー制の本当の目的は「お国のための財産拠出」の準備

    榊原正幸(青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授)(榊原正幸著『株は決算発表の直後に買いなさい!』より) マイナンバー制の本当の目的は、財産税課税(=「お国のための財産拠出」)の準備ということにあります。また、通常の所得税や消費税の課税強化(課税の捕捉率の向上)ということも目的のひとつです。 マイナンバー制の議論になると、必ず出てくるのは「個人情報漏洩に対する対策は万全なのか? それが確認できる前にマイナンバー制を実施するのは問題だ」という意見ですが、これは技術的なことを懸念しているわけです。「個人情報漏洩が心配だから、マイナンバー制には反対」といった意見は、本質的な議論ではありません。本質は、「なぜ今、マイナンバー制なのか」という目的論にあるのです。 マイナンバー制というのは、「納税者番号制度導入の是非」という論題で、少なくとも30年以上前から議論されていたのですが、昔は技術的な限界がありましたし、富裕層からの根強い反対があり、導入されずに今日に至っているのです。それが、2015年に入って、いきなりというか、にわかにというか、粛々とマイナンバー制の導入が進められ、国民的な是非の議論を行なわず、導入ありきになってしまっています。 日本政府は現在、アベクロ体制によってインフレ政策を推し進めています。比較的高めのインフレが実現すれば、国家の債務はインフレ率の分だけ棒引きにできますから、それを政府は狙っているわけです。 そして、もしこの一連のインフレ政策の舵取りを失敗して、ハイパーインフレになってしまったら、国民に財産税を課してハイパーインフレを収束させなければなりません。そのため、政府は慌てて、マイナンバー制を導入することにしたのです。 マイナンバー制を導入することによって、国民一人ひとりの財布の中身は、国に対して丸裸にされます。所得税・法人税・相続税・消費税といった国税は徴収が非常に厳格になるでしょうし、国民に財産税を課すための基礎資料を国がしっかり把握することができるようになります。国家による管理経済ですね。 マイナンバー制導入後には、徐々に国民の保有資産がマイナンバーに登録されていくわけです。個人の資産というのは、会計学上、概ね次のような項目が挙げられます。 主なものは、現金・預金・有価証券・貸付金・建物・土地・車両です。それぞれ次のようにしてマイナンバーに登録されていくと思われます。現時点ではマイナンバーの登録事項ではないものも徐々に範囲が拡大され、最終的にはこうなるだろうという予想に基づいて述べていきます。現金・預金・有価証券・貸付金・建物・土地・車両…全て丸裸に現金新円切り替えを行ない、タンス預金をあぶり出します。現行のお札は旧札となり、交換比率は1対1とするが、切り替え後、旧札は無価値とすることにすれば、タンス預金は一旦すべて銀行預金にせざるを得ません。手元の旧札を銀行に持っていって、預金してから新札で現金を引き出すと、一旦、現金の有り高が通帳に記帳されるわけですから、現金の有り高は把握できてしまいます。しかも、新円切り換えの期間を、たとえば2018年6月1日から同年の8月末日までといった短い期間に設定してしまうでしょう。そして、その期間の通帳残高をチェックすれば、タンス預金がいくらあったのかを把握できるわけです。預金銀行預金にはマイナンバーがふられて、金額がすべて把握されます。有価証券証券会社の口座にもマイナンバーがふられて、保有する有価証券や預託金の金額がすべて把握されます。貸付金貸付証書にもマイナンバーがふられて、金額がすべて把握されます。「マイナンバーがふられていないものは債権としては無効」とされれば、貸付金を持っている人は必死になってマイナンバーを割り付けるでしょう。建物と土地登記簿から情報を集約して、マイナンバーの登録事項にされます。車両車検証から情報を集約して、マイナンバーの登録事項にされます。 以上のように、現金以外は、マイナンバー制を導入すれば、国は、比較的簡単に国民の財産や保有資産を一括で把握することが可能になります。マイナンバー制を導入したうえで、新円切り替えを行なえば主だった個人資産はすべて国に把握されてしまうわけです。もちろん、納税申告書にもマイナンバーがふられることは言うまでもありません。 なお、社会保険や年金もマイナンバー制の下で一元管理されることになるでしょうけれども、政府としてはそれらのものはどうでもよくて、オマケみたいなものだと思います。とにかく、マイナンバー制の本音の目的は 「国民の保有資産額を把握すること」 なのです。 そして、個人の負債(住宅ローン・車のローン・その他の借入金)を申告させれば、国民各人の「純資産」が明らかになります。この「純資産」こそが、財産税課税(=「お国のための財産拠出」)の対象額となるのだろうと予想されます。 マイナンバー制によって、国民が保有する総資産の額は丸裸にされ、国に把握されてしまいます。  負債の多い人は納税原資がありません。極端に言えば、「1億円の家を持っているけど、全額ローンで買った人」は、総資産は1億円ですが、「純資産」はゼロです。総資産に対して課税すると、この1億円の家を全額ローンで買った人には、支払えないほどの重たい負担がかかってしまうので、純資産をベースに課税するしか方法はないはずです。 ちなみに、政府は、「最悪の場合 このように、負債の部分も把握してもらわないことには適正な課税はできないはずです。家を全額ローンで買ったとしても、固定資産税は減免されません。そこにさらに、財産税を総資産ベースで課税してしまうと、さすがに国民が悲鳴を上げて、暴動になるかもしれません。ですから、財産税の課税は「純資産」に対する課税ということになるだろうと予想されます。「純資産税」という名前になるのかもしれません。さかきばら・まさゆき 青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。専攻は会計学。1961年、名古屋市に生まれる。1984年、名古屋大学経済学部卒業。1990年、名古屋大学大学院経済学研究科博士課程修了。1997年、東北大学助教授。2001年、レディング大学よりPhDを授与される。2003年、東北大学大学院教授を経て、2004年から現職。主な著書に、累計10万部のベストセラーとなった『株式投資「必勝ゼミ」』シリーズ、『いちばん安心できる「お金の授業」』『現役大学教授が本気で書いた「株式投資の教科書」』(以上、PHP研究所)等がある。関連記事■ シンプルでローリスク、それでも資産1億円! 大学教授が考えた「科学的投資法」■ アベノミクスの本当の目的は「国債の買いオペ」? ハイパーインフレは起こるのか?■ 現役大学教授が教える「お金持ちになれる投資戦略」とは?■ 私が「今はドルを買え」という理由<新刊発刊記念>■ 今、あなたがすべき「資産運用」とは?

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    「教えない聞かない」が大原則!マイナンバーで暮らしはどう変わる

    影島広泰(弁護士)日本の税や社会保障の仕組みを大きく変えることになるマイナンバー制度。10月からの通知、来年1月からの運用開始を目前に控え、さまざまな情報が飛び交っている。マイナンバーとはどのような制度で、私たちの生活はどう変わるのか、弁護士の影島先生にお話をうかがった。マイナンバーとは「氏名」のようなもの 10月にいよいよスタートするマイナンバー制度をご存じでしょうか。「マイナンバー(個人番号)」とは、外国人を含めた、日本に住民票を持つ全員に与えられる12ケタの番号(数字)です。 直近のスケジュールとしては、10月以降、みなさんのご自宅に簡易書留で「通知カード」が届きます。これは、市区町村の自治体が交付する紙製のカードで、ここに記載された12ケタの番号が、あなたの「マイナンバー」となります。 マイナンバーは、誰とも重複することのない行政上の「氏名」のようなもの。サラリーマンの方は、11月あたりから来年分の扶養控除申告書を提出する際に、会社からマイナンバーの提出を求められるはずなので、しっかり保管しておいてください。 また、マイナンバーの提出を求める会社側には、「マイナンバー法」(※注1)で「本人確認」(※注2)が義務づけられています。通知カードに記載された個人番号の確認に加え、運転免許証やパスポートなど身元(実在)確認できる証明書で本人確認をしなければなりません。 制度運用が始まるのは、来年2016年1月です。それ以降、通知カードは、ICチップつきの「個人番号カード」に交換することができるようになります。 通知カードと個人番号カードの大きな違いは、個人番号カードには本人確認ができる情報が入っていることです。個人番号カードには顔写真が掲載され、ICチップには券面情報(氏名、住所、生年月日、顔写真など)と電子署名がデジタル情報として入っています。 変更手続きをせず、通知カードをそのまま使い続けることも可能ですが、その場合、個人番号を使用する場面で、運転免許証やパスポートなど写真つきの身分証明書との照合が常に必要となるため、個人番号カードに変更しておくと便利でしょう。 なお、個人番号カードは、パスポート同様、10年ごと(子供は5年ごと)の更新が必要です。 万が一、紛失や盗難にあっても、顔写真つきのカードですし、暗証番号が必要となるので、個人番号カードを不正利用されるケースは低いと思われます。もし、個人番号の漏えいにより悪用される恐れがあると認められる場合は、住民票のある市区町村に届けると新しい番号に変更でき、前の番号は無効となります。税金を徴収するために始まった!?税金を徴収するために始まった!? では、そもそもなぜマイナンバー制度は導入されることになったのでしょうか。ひと言で言うと、「行政を効率化して、公平・公正な社会を実現する」ため、言い方を変えれば、「税金を漏れなく徴収する」ためです。タテワリだった行政に横のつながりを持たせることで業務や作業を効率化し、さらに、より正確な所得把握が可能となることで、社会保障や税の給付と負担の公平化を図るようにする──というのが政府の公式見解です。そしてその背景には、政府の財政再建という大きな目的があります。 マイナンバーの利用範囲は、当面は「社会保障(年金分野、労働分野、福祉・医療・その他の分野)、税、災害対策の3分野」のみ。つまり、今後はみなさんが給料をもらったり、税金を払ったり、社会保険料を支払う際に、マイナンバーが必要になります。さらに、確定申告、医療保険の保険料支払い、年金の給付を受ける際、相続する際なども該当します。 現在、個人の情報については、日本年金機構が年金情報を把握し、国税庁が所得や納税を、市役所は住所や家族構成を……などと、行政機関ごとにバラバラで管理されています。これらの情報をすべて照合するには、大変な困難が伴います。これまでは、引っ越しで所在がわからなくなった、同姓同名の人と間違えたなどのミスもありましたが、マイナンバーにより、簡単かつ正確に個人を識別することができるようになるのです。離れて暮らす子供の扶養控除に注意 では、具体的に私たちにはどのようなメリットがもたらされるのでしょうか。 たとえば、2008年に、基礎年金番号に統合されていない5,000万件の年金記録が宙に浮いた「消えた年金問題」がありました。マイナンバー制度が施行されれば、個人番号ですべて管理できるので、このような問題は生じにくくなるでしょう。 また、生活保護の不正受給や脱税などの不正がしにくくなることで公平性・公正性が強まります。行政機関が個人番号で納税や所得、社会保障の情報をひもづけできるので、所得があるにもかかわらず申告していなかったり、生活保護を不正に受給していたりすると、ただちに明らかになります。 さらに、国民が享受できるメリットとしては、「利便性の向上」が挙げられます。今までは行政で手続きをする際に本人確認や添付書類を求められることがたびたびありました。そのために、住民票や所得証明書を事前に役所などに取りに行かなくてはならなかったところを、今後は必要な添付書類を管理している行政機関にその場で問い合わせることができるので、事前に集める必要がなくなります。 一方で、気をつけなくてはならないこともあります。 たとえば、サラリーマンで副業をしている人。少額なのでうっかり申告し忘れていたら、個人番号で国税庁に副収入を把握され、申告漏れを指摘されてしまう。 あるいは、離れて暮らす大学生の息子が、アルバイトで扶養控除の壁である年間103万円以上稼いだ場合。これまでは親が子供の状況を把握しておらず扶養のままということが多かったのではないかと思います。しかし、個人番号によって親子関係や子供の所得がひと目でわかるようになり、扶養控除を外さなくてはならないケースも出てくるでしょう。 このように、これまで各税務署が個別に調べなければわからなかったことが個人番号によって簡単に割り出せるようになり、これまで一部うやむやですまされてきた所得の申告がより厳しくなることが考えられます。情報漏えいや不正利用のリスク管理は大丈夫?情報漏えいや不正利用のリスク管理は大丈夫? もう一つ、デメリットとして考えられる最大の懸念は、「情報漏えいや不正利用の危険性」です。 先日、年金情報の漏えいが発覚しましたが、現代社会において、個人情報の漏えいを完全にゼロにすることは不可能です。だからこそ、私たちは最低限の基礎知識を身につけて、番号の取り扱いに注意をすることが大切です。そのために、2つの大原則を覚えておいてください。 第一に、マイナンバーは「教えない、聞かない」のが大原則です。 マイナンバーが必要になる場面は、今のところ、税と社会保障に関する書類を作成するときのみに限られます。たとえば、税関係では、源泉徴収票、支払調書、扶養控除等申告書など。社会保障では、被扶養者届、被保険者資格取得届、離職票など。また、有価証券の取引口座、保険料の支払いや解約返戻金を受ける際も、税が関わってくるので必要です。 このような税や社会保障関連以外の手続きを理由に他人のマイナンバーを聞き出したり、他人の番号を漏えいした人は厳しい罰則を受けることになります。 第二に、マイナンバーを使用する際は「本人確認」が必要です。先述のように、個人番号カードで本人確認するか、通知カードの場合は、免許証やパスポートによる本人確認が必要となります。 つまり、悪意を持った誰かが番号を手に入れたとしても、マイナンバーは本人確認をせずになんらかの手続きに使うことはできないので、たとえマイナンバーを入手されても、本人不在で年金の受給が行なわれるなどの犯罪で利用する可能性は低いと思われます。この「マイナンバー提出時に本人確認をする」システムは、現在アメリカで運用されている番号制度において、番号の不正入手による成りすましが横行したため、それを防ぐために日本が独自に取り入れたルールです。また、マイナンバー制度によって、あらゆる個人情報が一元管理されるのではなく、これまでどおり、各行政機関で管理される「分散管理」(※注3)が取られます。一カ所に個人情報が集約されるわけではないので、万が一情報漏えいがあっても、すべての個人情報が一気に流出するわけではありません。 政府側は「漏えいの危険性は極めて低い」としていますが、制度設計上は漏えいを前提にしており、たとえ漏えいしたとしても問題が生じないシステムが構築されています。その意味では、マイナンバー制度は良くできた制度ともいえます。  ただし、今現在もいわゆる「名簿業者」が個人の勤め先や収入、出身校のデータをいつの間にか持っているように、今後も個人情報は少しずつ漏えいしていく可能性はあります。そのときに個人が特定される数字(マイナンバー)があることでバラバラだった情報がひもづけされて、詳細かつ膨大なデータになっていくリスクはあります。今後、銀行や健康保険情報とも統合!?今後、銀行や健康保険情報とも統合!? 現在のところ、マイナンバーの利用は「社会保障・税・災害対策」に限定されていますが、今後活用の範囲は広がっていきます。 まず2018年には、銀行の預貯金口座にマイナンバーを登録する制度がスタートします。これは任意ですが、銀行口座にマイナンバーを登録することになれば、オレオレ詐欺や架空請求など不正利用を目的とする口座が開設しにくくなることも考えられます。金融庁の指導や金融機関ごとの方針によりますが、積極的に運用される可能性は高いかもしれません。 また、過去に受けた予防接種や健康診断履歴をマイナンバーで管理して、転職や転居しても次の健康保険組合や自治体に引き継げるようにする法案も審議されています。さらには、個人番号カードに健康保険証の機能を持たせることも検討されており、政府としては、ゆくゆくは個人番号カードを包括的な公的身分証明書として活用できるようにしようとしています。 これを便利だと感じるか、監視下に置かれているようだと感じるかは人それぞれですが、「個人番号カード」は、未来の私たちのビジネスや暮らしを変える、興味深い側面もあります。個人番号カードで広がるビジネスチャンス たとえばITベンダでは、銀行のATM端末に個人番号カードをタッチするだけで、ATMのカメラに映った顔とカードに入っている顔写真を照合して本人確認をし、その場で新規口座開設ができる新しいシステムをすでに開発しています。また、引っ越し時の水道・電気・ガスの開設も、個人番号カード内の情報により、ATMで簡単に届け出ができるようになるかもしれません。 あるいは、ショップのポイントカードやスポーツクラブの会員証の代わりにしたり、ポイント付与も個人番号カードで行なうこともシステム的には可能です。 このようなことは、「個人番号」を利用する必要はなく、「個人番号カード」の機能だけで実現可能ですから、民間での活用はさまざまな用途が考えられ、アイデア次第で新たなビジネスモデルが生まれていくでしょう。 また現在、電子的な個人認証は、生体認証や指紋認証など、あらゆるシステムが運用されていますが、個人番号カードが普及していけば、顔認証の時代がやってくるかもしれません。 住民基本台帳カードは利用範囲が限定的でほとんど普及しませんでしたが、個人番号カードは、民間での活用範囲が広がれば、鉄道各社のプリペイド型電子マネー(Suica、ICOCAなど)のように圧倒的な普及率となることも考えられます。 このように、「個人番号」そのものではなく、「個人番号カード」には大きな可能性が秘められています。個人番号カードの導入は、行政での活用のみならず、民間企業にもさまざまなビジネスチャンスをもたらす可能性があるのです。とかく“政府の都合”ばかりが取り沙汰されるマイナンバーですが、ビジネスの側面で注目してはいかがでしょうか。取材・構成:麻生泰子 (※注1)マイナンバー法 2013年に成立した、マイナンバー制度を整備するために制定された法律。マイナンバーそのものを規定するもので、正式には「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」という。(※注2)本人確認 マイナンバーを提出する際は本人確認が必須。本人確認は「番号確認+身元(実在)確認」(身元確認とは、顔写真つきの身分証明書などで実在する人物かどうかを確認すること)。個人番号カードは、顔写真が掲載されているため1枚で本人確認ができる。(※注3)分散管理 現在、行政機関はそれぞれの機関が個人情報を保有する、分散管理のかたちをとっている。マイナンバー制度は、これらをまとめて一元管理化するのではなく、今までどおり分散管理のまま、必要な情報を照会・提供しやすくするもの。かげしま・ひろやす 弁護士。1973年、静岡生まれ。98年、一橋大学法学部卒業。2003年、弁護士登録し、牛島総合法律事務所入所。現在、パートナー弁護士。15年、情報化推進国民会議本委員。ITシステム・ソフトウエアの開発・運用に関する案件、ネット上の紛争案件などに従事。『担当者の疑問に答えるマイナンバー法の実務Q&A 』(レクシスネクシス・ジャパン)など、マイナンバーに関する著書多数。関連記事■ マイナンバー制の本当の目的は「お国のための財産拠出」の準備■ マイナンバー・広がる格差と「監視社会」への道■ 「見栄」を手放せば何事にも動じない心が手に入る!■ 何事も「どうにかなる」という鈍感力を身につけよう

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    広がる格差と「監視社会」への道 マイナンバーの問題点とは?

    ンバー制度」の運用が始まります。マイナンバー制度は、民主党政権時代の2011年に法案が閣議決定され、社会保障の諸制度を公正・公平に適用するために正確な所得把握が必要であるという主張から生まれた格好です。しかし、すべての国民に固有の番号を振り、個人を識別して管理しやすくする「国民総背番号制」については、1960年代以来、政府が一貫して導入を目指していたナショナルプロジェクトでもありました。60年当時、国民の大反発により断念されたものの、その構想は歴代政権に受け継がれてきたのです。    住基ネットの導入が進められていた当時、私はこの制度の取材を通して、国民一人ひとりの個人情報や行動履歴を一元監視・管理する「国民総背番号制度」ではないかと不信感を覚え、住基ネットの差し止めを求めて訴訟を起こしました。   住基ネットは、居住地以外でも住民票の写しを交付できるようになるなどの利便性をうたっていますが、実際、住民票を取る機会など、年に何回もあるものではありません。また、身分証明書となる「住民基本台帳カード」の普及率も5%ほどです。  そんなこともあり、あまり話を聞かなくなりましたが、実は今回のマイナンバー制度はこの住基ネットの情報を基盤に話が進められています。住基ネット運用開始時に私たちには、11ケタの「住民票コード」が割り当てられており、マイナンバーは、それをベースに番号が割り振られるのです。 ビッグデータ活用に色めき立つIT業界  マイナンバー制度は、2013年3月に国会に提出され、わずか2カ月の審議で可決・成立されました。来年から始まる制度は、当面、社会保障と税、災害分野に限定されます。ですが、スタート前から早くも「共通番号(マイナンバー)法」等の改正案が閣議決定され、国会に提出されています。改正法案は、「金融分野、医療等分野等における利用範囲の拡充」をうたっており、「預貯金口座へのマイナンバーの付番」「予防接種履歴の地方公共団体間での情報共有」が強く推し進められています。他にも、旅券事務、自動車検査登録などへの活用も検討されています。  今後、民間でも利用できるようになることで個人番号を使う場面が増え、それによって個人番号と個人情報や行動がひもづけされていくのは恐いことです。  従来の日本の番号制度は、住基ネットの住民票コードをはじめ、基礎年金番号、旅券番号、運転免許証番号など、分野ごとでバラバラで、番号自体にはほとんど意味はありませんでした。「マイナンバー」という“マスターキー”が誕生したことで、今後は運用する側にとっては個人の行動履歴を名寄せし、把握・記録していくことが容易になったのです。いわゆる「ビッグデータ」への利活用も予定されています。個人一人ひとりのほとんど人格までが丸裸にされ、それぞれのデータに合った商品やサービスを絶えず“お勧め”され続けなければならない時代が、すぐそこまで来ています。  楽天の三木谷浩史社長が率いる経済団体「新経済連盟」は、今年4月、「マイナンバー制度を活用した世界最高水準のIT国家の実現に向けて」という提言を安倍政権に提出。5月には、自民党経済好循環実現委員会のヒアリングで、総額150兆円の経済効果をうたうマイナンバー活用策を提示しており、IT業界を中心にその利用範囲は広がっていくことになるでしょう。しかし、利便性や生産性ばかりが追求・強調され、そこにいるはずの人間の存在が見えなくなっているように思えてなりません。  中小・零細企業にとっては負担が増えるだけ  マイナンバー制度は良いことづくめのように喧伝されています。ですが、政府の説明や礼讃本をいくら読んでも、行政や大企業、それらに勤務する公務員や一流ビジネスマンのメリットはたくさん書かれているのに、零細企業や個人事業主、非正規労働者への影響はまったく触れられていません。なぜでしょうか。そうした層にとってはデメリットのほうがはるかに多いと考えられるからです。  税の公平性強化を前面に掲げるマイナンバー制度においては、扶養控除や社会保険の届け出など、給料や報酬に関わる部分ですべてマイナンバーを使用しなければならなくなったため、雇用主は社員やパート、アルバイトだけでなく、その扶養家族や取引先業者などの番号を集め、管理する必要があります。その保管や廃棄について政府はガイドラインを示していますが、十分なレベルのセキュリティシステムを取り入れるには多額の費用や手間がかかります。大企業なら専門の部署を作ることもできますが、規模の小さい事業体には不可能です。そのうえ、万が一漏えいした場合、最大で「4年以下の懲役、または200万円以下の罰金」という罰則もありますので、対応に苦しみ、負担に耐えかねた事業者の中には、廃業や倒産に追い込まれるところが少なくないはずです。  厳密な運用は諸刃の剣でもあります。アルバイトや登録型派遣で生活している人たちは、1年のうちに2ケタから3ケタの相手から仕事の対価を受け取ります。ということは、相手の数だけマイナンバーを知らせなければなりません。当然、漏えいのリスクも高くなる。原稿料や講演の謝礼で食べている私自身も同じ立場なので、内閣府の窓口に問い合わせてみましたが、こんな具合でした。  ──番号が漏れたためになんらかの損失を強いられたら、どうなるのでしょう? 「罰則規定がありますので問題はありません」  ──どこから漏れたか特定できない場合は、制度を作った国が補償してくれますか? 「さあ……」  つくづく呆れました。こうなってしまったら、運を天に任せるしかないのでしょうか。 これから私たちにできることとは?  マイナンバー制度はさまざまな問題を抱えています。先述しましたが、私が何より懸念するのは、「見える化」によって監視社会が促進されることです。このまま制度が進んでいけば、監視カメラ網や携帯電話のGPS機能などが連動して、個人の一挙手一投足までが記録され、データ化されていくことでしょう。情報化社会の中でそれは便利な一面でしょうし、事件の性格によっては犯罪捜査の面でもそれなりに役立つかもしれませんが、それだけで収まる保証はありません。 「見える化」で何もかもを「見る」のは、システムを運用する側です。言わば“神の目”を持つことになる人々が現われる。言論や思想の統制に使われないほうが不自然でしょう。人間の尊厳に関わる問題です。今から番号を割り振られる私たちはまだしも、これから生まれてくる子供たちは、番号があることが当たり前の社会となってきます。果たして「人間らしさ」とはなんなのか──私たちにできることは、それを忘れないようにすることだけです。さいとうたかお 1958年、東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。イギリス・バーミンガム大学大学院修了(国際学MA )。日本工業新聞記者、週刊文春記者などを経てフリーに。著書に、『プライバシー・クライシス』(文春新書)、『住基ネットの<真実>を暴く―管理・監視社会に抗して』(岩波ブックレット)、『戦争のできる国へ―安倍政権の正体』(朝日新書)など多数。取材・構成:『THE21』編集部関連記事■ ついに開始!「マイナンバー」とは!?■ マイナンバー・広がる格差と「監視社会」への道■ 何事も「どうにかなる」という鈍感力を身につけよう■ 世の中に出回る「数字」のウラを読み解け!

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    想定されるマイナンバー詐欺 漏洩、ニセ還付金、脅迫の手口

    ナンバー不要で、税務署にバレないお得な資産運用の方法がある」という詐欺が出てくるだろう。関連記事■ 社会保障と税を管理するマイナンバー 住基ネットとは別物■ マイナンバー詐欺 高齢者だけではなくOLキャバ嬢も狙われる■ 失敗の住基カード運用者がマイナンバー利権 自民関係者憤慨■ ナンバーズ4「1234」出たが当せん金額は理論値より低かった■ マイナンバー 米ではなりすましで高卒時に150万ドル借金も

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    マイナンバー導入 無届けのままモグリ営業する風俗店激増か

    うした傾向が強まりそうです」関連記事■ マイナンバー導入 貧困女子や老後破産問題が深刻化の懸念も■ 社会保障と税を管理するマイナンバー 住基ネットとは別物■ ナンバーズ4「1234」出たが当せん金額は理論値より低かった■ 風俗街に増え続ける中国人観光客 やたら写真や動画撮り顰蹙■ マイナンバー 大事なのは「番号」で「カードの有無」でない

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    健康で文化的な最低限度の生活と自衛のために必要な措置の共通点

    笹沼弘志(静岡大学教授)  健康で文化的な最低限度の生活と自衛のために必要な措置。 どちらも、似たような扱いを受けている。 健康で文化的な最低限度の生活とはいったいいかなるものか。それだけでは確かに抽象的なように思われる。この規定が「健康で文化的な最低限度の生活」需要を満たすような給付を命じているのは明白である。しかし、現に存在する多様な人にどのように給付すべきか、一律平等か、あるいは個々人の需要に応じて格差を付けるのか。前者の場合、多様な人びとすべての需要を満たしうるのか、需要より多くもらう人もいれば、需要を満たしようがない人もいるだろう。そうすれば「健康で文化的な最低限度の生活」需要をみたすという憲法の要請に反することになる。後者であれば、格差のある給付を行うことが法の下の平等に違反しないかが問題になる。両者の要請を満たすのは結構難しい。 だからこそ、健康で文化的な生活水準の需要を満たす給付を行うためには、事実を踏まえて、年齢・性別・健康状態など多様な人びとが、それぞれ「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができる水準とは何かを決めざるを得ない。そこで、この給付のための基準と何かそれはどのような方法で定められるべきかを法律で規定した。それが生活保護法8条2項である。 「基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない」 つまり、「最低限度の生活の需要」というものは「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した」上で決定されねばならないと基準の内容において考慮すべき事項を定め、かつ基準設定においてはこれらを考慮するという手続を踏まえねばならないと内容(要考慮事項)と手続を定めたのである。 こうして、はじめて憲法の要請である〈「健康で文化的な最低限度の生活」需要を満たす給付を行うべし〉という命令に応えることができるのである。 しかし、この具体化された内容と手続、一言でいえば要考慮事項考慮義務を省略してしまっては憲法25条と14条の要請を満たすことができず、憲法違反になる危険がある。憲法25条の規範を具体化した生活保護法8条2項という「具体化されたもの」を無視し、「具体化」のプロセスをすっとばすことは憲法が許さないのである。 現在議論されている自衛権の問題にも同様な問題がある。憲法九条が戦力の保持を禁止しているけれども、日本国が自衛権を持っていることまでは否定されていないとして、その自衛のための必要な措置とは何か。憲法規範の要請(戦力の不保持)と事実を踏まえて考えだされたのが「自衛のための必要最小限度の実力」の保持と行使という理屈である。しかし、「自衛のため」という点が曖昧であるから、「自衛のため」という理屈を付ければ何でもできるということになりかねない。それは戦前の日本やヒトラーのやったことだけをみても一目瞭然である。だから、限定を加えねばならない。 安倍政権が、それ自体の論理や結論を無視して、集団的自衛権行使容認の根拠としている1972年資料は、「憲法は『自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない』」とした上で、「自衛のため」とは「あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態(または「わが国に対する急迫、不正の侵害」)」に対処する」ために限定されるとの解釈を示した。そして集団的自衛権行使は憲法に違反すると明言した。 なぜ集団的自衛権行使を憲法違反だとした1972年資料を安倍政権はまったく逆に集団的自衛権行使合憲の根拠とできたのだろうか。それは「自衛のために必要な措置はとれる」という点のみを切り取っているからである。憲法九条規範が許容する「自衛のため」とは、「自衛のために必要な措置」とはいったい何か、これを解釈し具体化するプロセスと具体化の結果を消去してしまったから、1972年資料も集団的自衛権行使は合憲だという安倍政権の解釈も同じだというわけである。白を黒と言い含めているようなものだが、本人たちはそういわれても全く分からないだろう そこで、先の健康で文化的な最低限度の生活需要を満たすために必要な給付に置き換えてみよう。「必要な措置」と「必要な給付」を置き換えてみるのだ。とすると、こうなる。 生まれたばかりの人も、30歳のばりばり働いている成人も同じ人間には変わりないから同じ金額だけ給付すれば良い。赤ちゃんにかかる費用はせいぜいミルク代毎月1万円くらい。だからみんな1万円くらいでいい。というようなことになる。あまりにバカバカしい話しだろうか。だとすれば、それは安倍政府の憲法解釈がそのようなものだというだけの話しだ。 ちなみに、生活扶助基準は実際にはこうはなっていない。どういうわけか年齢で細かく別れている。こんなに年齢で格差を設けているのに憲法14条に違反しないといえるためには、生活保護法8条2項の「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情」考慮義務に従っているのだという主張をせざるを得ない。とすれば、厚生労働省も、裁判所も、憲法25条の規定が曖昧だから大臣の裁量は広範だとか言うような寝言は言っていられない。生活保護法8条2項の「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情」考慮義務とは何かまじめに解釈し、これによって大臣の裁量権がどのように統制されるのか示す義務が有る。(ブログ「人権理論の前線」より2015年7月10日分を転載)ささぬま・ひろし 1961年生まれ。静岡大学教育学部教授、憲法学専攻。野宿者のための静岡パトロール事務局長としてホームレスの人々や生活困窮者の支援にも取り組んできた。著書は『ホームレレス自立/排除』(大月書店)、『臨床憲法学』(日本評論社)など。

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    「下流老人」にふるえる日本人

    71歳の男性による新幹線車内での焼身自殺は低年金による生活苦が背景にあったとされる。この男性は年金受給額が生活保護基準を下回る「下流老人」の典型であり、平均的な給与所得がある場合も下流老人になる可能性があるとの指摘もある。低年金時代をどう生き抜くべきか、すぐそばにある貧困を考える。

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    NHK「老人漂流社会」プロデューサーが見た親子共倒れの現実

    が行き詰まりを見せている。板垣 日本の社会はどちらかを選択しなければいけない時期に至っているんです。社会保障の施策はミニマムにして、経済競争とか合理化を進め、基本的に税も少ないけど福祉も小さいという国にするのか、あるいは税は取られるけど手厚い福祉で安心できるという方向を選ぶのか。これまで日本は、行政も政府もその選択肢を明確に提示してこなかったのですね。――新幹線で自殺した老人のケースも、年金受給額が少ないと不満を持っていたようですが、生活保護の申請は行っていなかったようで、そういう情報もきちんと国民に説明されていないようです。板垣 私も取材を続けていて感じたのですが、年金を貰っていると生活保護を受けられないと誤解されている高齢者が非常に多い。「年金を貰っていてもその額が生活保護水準に達していなくて、かつ貯金がなければ生活保護を受けられるんですよ」と教えて差し上げると「そうだったの!」と言われる方も多い。 その一方で、これ以上国の世話になりたくない、とか社会に迷惑をかけたくないというような律儀さや誠実さを口にされる方も多い。これは高齢者の方に共通なんだと思うのですが、自分が社会のお荷物だと思った瞬間に生きる希望を失ってしまい、生活保護の申請に二の足を踏んでしまう。どちらかというとこちらの要因が大きいかもしれません。――それも日本社会が将来の方向性を示して国民に理解を求めるというのをやってこなかったためかもしれませんね。板垣 「老後破産」寸前で困っている方が、年金受給額3万円で貧困にあえいでいるというのならわかるのですが、実際には10万円くらい貰っていて破産していくケースが多いのです。社会保障費抑制はもちろん必要ですし、負担が上がるのもやむを得ないことだと思っていながらも、目の前で負担のことで破産していく人を見るといろいろ考えさせられます。

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    「下流老人」名付け親が警告 新幹線自殺老人のケースは特殊ではない

    藤田孝典(「ほっとプラス」代表理事) 藤田孝典さんが代表理事を務める「ほっとプラス」は、生活困窮者への支援活動を行うNPO法人だ。そこでの活動経験をもとに書いた著書『下流老人』(朝日新書)は、発売された6月に新幹線での老人の自殺事件があったこともあり、大きな反響を呼んだ。藤田さんはその後も、「下流老人」という言葉の名付け親としてマスコミの取材に引っ張りだこだ。いったい高齢化社会にいま何が起きているのか、「ほっとプラス」の事務所のある埼玉で話を聞いた。――6月に新幹線で焼身自殺した老人さんは、6月に仕事を辞めたのに年金受給額が増えずに生活できなくなったと言っていたようですが、それは本人の誤解だったのでしょうか。新幹線放火事件。出火した1号車の隣、2号車でも煙が押し寄せていた=6月30日(乗客提供) 藤田 低賃金で35年くらい働き続けたようですが、年金受給額もそう多くないので、老後も働き続けないと暮らせない、そのケースなんですね。でも70歳を過ぎたら仕事もなかなか見つからない。恐らく生涯働きながら、その収入プラス年金で暮らしていこうと思っていたんでしょうが、失業したことでその人生設計が崩れたということではないでしょうか。失業したら年金受給額が増えるということはないのです。年金制度自体に対する誤解があったのかもしれない。 それよりも残念なのは、元々年金受給額が低い人に対しては「補足性の原理」といって、生活保護基準に満たない場合は足りない分だけ補助が出るんですよ。例えば彼の場合は、足りない分が給付されたはずなんです。――そういう仕組みを知らずに申請していなかった可能性があるわけですね。藤田 実際には生活保護の相談も区議会議員や福祉課の方にしていたようですけれども、彼の場合はちょうど難しいラインなのです。私たちも一番相談が多くて、難しいのが年金受給額が12~13万円というラインです。生活保護の対象になるのかならないのかわかりにくいボーダーライン層なんですよ。私も元ケースワーカーで、非常勤で福祉事務所で働いていましたけれど、計算の仕方によっては該当してこないという難しい事例なんですね。――年金受給額が12~13万円というのは平均的なんですか?藤田 むしろ多い方ですよ。今の年金受給額の全国平均は、確か6万円から8万円程度だったと思います。この人の場合は、低賃金とはいえ厚生年金が上積みされているのでそうなるんです。彼は長いこと真面目に働いてきた労働者なんですよ。現役の時代には月収28~29万あったという人ですね。 だから私が言う「下流老人」というのは、底辺労働者だった人ということでなく、一般の生活をしていた人たちが貰う年金の金額がこれで、そういう人たちが独居暮らしになると生活できなくなってしまうということなんです。大半の人がそうなる可能性を秘めているんです。 私も試算していますけれども、年収400万円の平均的な所得の今のサラリーマンは皆これくらいの基準ですよね。その下の世代になるともっと低い。生活保護基準をゆうに割ってくる金額しか支給されないんです。だから老後は皆そうなる可能性があるよ、ということで警告を発しているんです。 高齢者といっても夫婦ふたりで暮らしている間は両方の年金が得られるので何とかなるのですが、いま一人暮らし世帯が凄く増えているんですよ。一人暮らしの高齢者は東京都内で暮らすのは本当にしんどいと思いますね。もし認知症になったとか、病気になったとかというトラブルに直面すると、入院する費用もなかったりすることがあります。――藤田さんの「ほっとプラス」に年間100人くらい相談が来るそうですが、だいたい生活が成り立たない人?藤田 生活が成り立たない、病気の医療費が払えない、サラ金からお金を借りているけど返せない、とかいろいろですね。 だから私たちは、医療費を払えないという場合には、医療費を払わなくてもいいような病院、無料低額診療事業という病院を紹介したりだとか、一応ソーシャルワーカーという社会福祉の専門家として相談を受けて支援をしているので、「この人は生活保護かな」とか、どの制度を使うと一番良いかな、ということで一人一人アドバイスしています。借金があれば弁護士を紹介して、一緒に自己破産手続きをやったりすることもあります。高齢者の自殺と犯罪が増えつつある高齢者の自殺と犯罪が増えつつある――高齢者の自殺や犯罪も増えていると言われますね。藤田 はい。今自殺率が高いのは高齢者と20代の若者ですね。20代は就活自殺か、入社してもその環境に馴染めないというケースですね。60代以上は孤独死。孤立してしまっているということですね。ただ孤立していてもそれだけで自殺はしないんですよ。そこに病気をしたり、経済的な面で不安があったりとかすると自殺につながるんですね。 犯罪率も増えていると思います。特に万引きしてしまう高齢者が増えています。万引き絡み、無銭飲食絡みが多いんです。 貧困状態と犯罪を結び付けるのは差別につながるので注意が必要ですが、高齢者の犯罪は事実として増えていると思いますね。食えなくなった時のやむを得ない方法の一つが、窃盗なり無銭飲食をして自分の命を永らえさせることです。「ほっとプラス」代表理事、藤田孝典氏 弁護士からの相談も増えてきていますが、顕著なのは高齢者がコンビニでナイフをちらつかせるケースです。そうすると強盗未遂になって罪が重くなるんですよ。窃盗とか無銭飲食の詐欺罪は処分保留で出されちゃったり、執行猶予がついたりするけれど、強盗未遂は余程のことがない限りは実刑になる。なので泣いて懇願されることもあります。三食食えない高齢者は、刑務所とか拘置所に居たいんですね。最後のセーフティネットが刑務所になっているんですよ。 私も情状証人として出廷することがあるんですが、そこで言うことは、生活保護制度にこの人を結びつけていれば犯罪は起きませんでした、ということです。 「生活保護制度って知っていましたか?」と本人に訊くと、「いえ、そんなの知りませんでした」「私受けられると思いませんでした」と言って、「じゃあ出てきたら生活保護を受けましょうか、そうすれば再犯をしなくてすむので」ということです。――抜本的解決へ向けてどうすればよいのでしょうか。藤田 高齢化社会がこのまま進むと、年金も生活保護もこれ以上国の財政から考えると増やせないので、私は「先行投資をしよう」と言っています。今の日本は住宅費が高すぎるし、光熱費も高いし、子育てをすると養育費とか教育費もかかる。それに対してヨーロッパなどは公営住宅や社会住宅がたくさんありますから、家賃分負担で暮らせるんですよ。だから先行投資をしていこうよ、ということを訴えているんです。 例えばアパートは高齢者ってだいたい差別を受けるんですよ。孤独死してしまうし、身寄りのない人を大家さんは嫌うのです。特に低家賃の住宅は礼金・敷金も少ないですから、孤独死となったら百万近く改修費用がかかるんですよね。そうなると全然割が合わないから、もともと高齢者を受け入れたくないという入居差別があるんですね。そういった入居差別に遭いやすい人には公営住宅というのがあるんですけど、公営住宅は当然(入居競争率が)何十倍何百倍というレベルなので当然入れない。そうやって路頭に迷う高齢者が私たちのもとに年間何百人と来るんです。高齢化の進展に何がいま必要なのか高齢化の進展に何がいま必要なのか――深刻な問題になりつつあるのに、社会の対応が追いついていないんですね。藤田 ずっと言われているんですけれどね。10年ちょっと前から、高齢化率が高くなるから、施設も整備しないといけないということで厚生労働省も施設整備には動いています。東京都だと「サコージュ」とよばれているんですが、サービスつき高齢者住宅とか、軽費老人ホームとか、そういう低賃金で入れるような高齢者施設を規制緩和して広げていこうとやっているんですけれど、それでも需要には全然追いついていない。 日本で最も重たいのは住居費。その次は教育費ですね。少なくともこの二つに介入できれば、今の日本人の多くは多分ある程度貯金ができて、ある程度老後の暮らしは安定していくと思うんです。現状では、住宅ローンの重さと、民間賃貸住宅の家賃ですかね。海外だと家賃補助制度を入れていったり、低所得の人は家賃を払えないから半分国が面倒を見ますよという考えになっています。そもそもフランスなどは全住宅の20%が社会住宅なので、所得に応じて1万円から3万円くらいで入居できるんですよね。それも広い綺麗な住宅ですから。――日本では生活保護受給者が増えて困っていますよね。藤田 そうです。でも他にセーフティネットを用意しないんだから増えるのは致し方ない。ある一定は増やさざるを得ないと思うんですよね。そうしないと社会が不安定化するし、自殺も犯罪も増える。生活保護ってそもそもが社会を守るための制度でもあるんですよ。ヨーロッパでは、社会防衛というスタンスで受け止められています。 日本の生活保護受給は、海外と比べてGDPからすると全然少ない方です。それは日本人の生活保護に対する「恥の意識」というのが根強くあるからです。海外だと「権利でしょ」ということで申請するのが当たり前なんですけれど、日本人は本当に困ったら親族、友人、サラ金、そのあとに役所ですから。とことん困らない限りは相談しない、というのは日本の特徴なんですよね。未だに高齢者で「生活保護なんて受けるくらいだったら死んだほうがマシだ」と言う人が多いんですよ。――林崎さんも、もう少し相談する人がいれば違ったのかもしれないし、都市部でみんなが孤立してしまった現状に対してコミュニティをつくろうという取り組みもなされているのですか。藤田 今団地では始まっています。多摩ニュータウン時代のあのあたりなんかは年間何人も孤独死されてしまう方がいるみたいで、その団地でのコミュニティを再生しようという取り組みも行われています。これから増えていくんじゃないでしょうか。

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    8割が「生活保護」受給者…横浜の寿町から見える日本

    トム・ギル(明治学院大学国際学部教授)日本人もあまり知らない「ドヤ街」 大阪市西成区・釜ヶ崎の簡易宿泊所の中には、宿泊費が千円を切るところもある。 日本のいくつかの都市には「ドヤ街」と呼ばれる地区がある。「ドヤ」とは「宿」を逆さ読みにした言葉で、料金の安い簡易宿泊所を指す。「ドヤ」がたくさん集中している場所が「ドヤ街」。英語で言うなら「skid row」が最も近いだろうか。いずれにしても、主に男性が暮らすスラム街のような場所だ。有名なのは、大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、そして横浜の寿町である。  ドヤ街はなにがしかの事情を抱えた人々の最後の避難場所だ。職を失った者、結婚に失敗した者、家賃を払えず住む家を失った者、刑期を終えて刑務所を出たものの行き場がない者。そんなわけありの人間でも、ドヤ街でなら受け入れてもらえる。身分証明書を提示したり、手付金や保証金を用意したり、保証人を立てたりできなくても、安い料金で宿泊することができるのだ。以前なら、食・住には困らない程度の賃金をもらえる日雇い労働にありつくこともできた。  ドヤ街の存在を知る日本人は、実はそれほど多くない。知っている人には、社会の最底辺で生きる人間のたまり場というイメージである。そうした人々の姿は、1960年代のフォークソング「山谷ブルース」(岡林信康)や、演歌「釜ヶ崎人情」(三音英次)などに描かれている。 バブル崩壊で労働者の町から福祉の町へ  私の勤める大学のキャンパスは横浜市にあるが、その「地元」のドヤ街、寿町は、横浜市中心部の一等地にある。周囲には横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムや、人気のショッピングエリア・元町、さらには中華街などが隣接する。町の中でハングルの看板を見かけることはほとんどないが、寿町にある簡易宿泊所の多くが在日朝鮮人の経営であることから、コリアタウンの顔も持つ。 寿町で活動するキリスト教ボランティアたちによる路上伝道(左)に参加すると、無料で食事が提供される。英国では “sing for your supper” と呼ばれるが、寿町では「アーメンでラーメン」と呼ばれる(よく麺類が提供されるので)。右は炊き出しに並ぶ列の光景。 そんな寿町をはじめとするドヤ街の研究を始めて20年余り。ドヤ街は労働者の町から福祉の町へと大きな変貌を遂げた。  1993年に寿町を初めて訪れた時、簡易宿泊所に寝泊まりする人の多くは日雇い労働者で、みな毎朝4時か5時頃には起き出して仕事を探しに出かけていた。寿町には、主に暴力団関係者が日雇いの仕事を仲介する「寄せ場」という路上労働市場に加えて、厚生労働省と神奈川県がそれぞれ管轄する職業紹介所が2カ所あるのだ。  ところが90年代半ばになって、日雇い労働者の生活事情は一変する。90年代初めにバブル経済が崩壊し、日雇い労働の需要が激減したためだ。日雇い労働の多くは建築関連であり、日本の建設業界は、受託業者・下請け業者・孫請け業者というピラミッド構造になっている。その底辺に位置するのが日雇い労働者で、彼らは現場が忙しい時だけ臨時労働者として雇われる。そのため、バブル崩壊による不動産価格の急落の影響は深刻で、職業紹介所では、シャッターが開く6時15分の何時間も前から列を作って、少しでも有利なポジションを陣取ろうとする労働者たちの姿が見られた。  やがて90年代の終わり頃になると、多くが仕事探しを諦め、職業紹介所には閑古鳥が鳴き始める。同時に簡易宿泊所の宿代を払えずにホームレスになる人が増え、路上で寝泊まりする人の数は寿町近辺で数十人、周辺の関内駅や横浜スタジアムの軒下では数百人を数えた。 「自立支援法」でホームレス減少 「横浜市ホームレス自立支援施設 はまかぜ」は2003年にオープンした。 近年、横浜市のホームレスの数は以前に比べるとかなり減少している。これは全国的な傾向で、公式発表によれば、2014年に日本で路上生活を送るホームレスの数は7508人と、2003年の2万5296人から大幅に減少している。  その理由の1つに挙げられるのが、2002年に施行された「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」だ。同法は10年間の時限立法だったが、2012年に期限が5年間延長された。この法律に基づいて国と地方自治体は、ホームレス状態になった人々を路上生活から脱却させ、社会復帰を手助けするべく、自立支援施設の建設を進めた。  寿町にある「はまかぜ」も、ホームレス支援のための施設だ。ホームレス支援目的で建設された恒久的な建物という点では日本ではユニークなのだ。地上7階建てで、ベッド数は合計250台(男性用が230台、別の階にある女性用が20台)。主に4人から8人で1部屋を使う形式になっている。  利用期間は低層階で最長30日間、上層階では最長180日間と定められており、上層階を利用できるのは、就職が決まって賃貸アパートなどで暮らすための資金を貯めている人に限られる。ただし低層階も、最低1カ月の期間を置いて申請すれば再入所することができるので、利用者の中には、1カ月をはまかぜで暮らし、次の1カ月を路上で過ごすというサイクルを繰り返している者もいる。 寿町の8割が「生活保護」受給者 2013 年寿町での越冬闘争キャンペーンに参加した筆者(左端)。 「自立支援法」と並んでホームレス減少の大きな要因となったのが、生活保護の受給者の増加だ。生活保護は日本の重要なセーフティーネットで、日本国憲法第25条に基づいて、すべての国民の「健康で文化的な最低限度の生活」を保証するために設けられた制度である。  かつてドヤ街で暮らす人々は、決まった住所を持っていないことを理由に生活保護の支給を拒否されることが少なくなかった。これは生活保護法に規定されたルールではなく、各自治体が独自に定めた方針なのだが、皮肉にも福祉の手助けが最も必要な人たちが受給の申請を行うことさえできない状況になっていた。  そこで寿日雇労働組合が中心になっていた「衣食住を保証せよ!生存権を勝ちとる寿の会」という組織が行政に強く働きかけ、90年代半ばには永久的な居住地が生活保護の受給要件ではなくなる。その結果、生活保護の受給者が急増した。寿町の簡易宿泊所に暮らすおよそ6500人のうち、20年前はほとんどが日雇い労働者だったのが、今では8割以上が生活保護に頼っている状態である。 深刻な財政赤字のジレンマ 日本の生活保護は、諸外国に比べるとかなり寛大である。支給額は月額およそ8万円で、家賃補助がおよそ5万円まであり、しかも医療費は無料だ。無駄遣いさえしなければ家賃と食費は十分に賄える。かつて日雇い労働者は使い捨ての労働力として都合よく使われ、年を取ったり体が弱ったりしたらお払い箱にされて、野垂れ死にを強いられることもあったが、それに比べたらずいぶんと「人間的な」社会環境になったといえる。 ただし、この状態が長くは続くとは思えない。寿町で生活保護を受給するおよそ5000人は、巨大な氷山の一角にすぎないのだ。全国の生活保護受給者の数は、過去最低の88万2千人だった1995年以降、年々増え続け、2014年6月には215万8千人に達した。その一方で、国が抱える借金は1000兆円を超え、寿町のある横浜市も財政赤字に悩まされている。いずれは生活保護の支給額を減らさざるを得なくなるだろう。実際、政府は2013年、生活保護基準を最大で10%引き下げる決定をした。 幸い今のところ、寿町の高齢化した元日雇い労働者たちはまずまずの老後を送ることができている。町の中に次々と建設される介護施設で介護を受け、食事の世話をしてもらい、必要なら車椅子でデイケアセンターに連れて行ってもらうことも可能なのだ。大都市の最底辺で暮らす人々に対して、これほどきちんと福祉の手が差し伸べられているという事実に、私は感銘を受けずにはいられない。 nippon.com別館、原文英語、翻訳・nippon.com編集部トム・ギル(Tom GILL) 明治学院大学国際学部教授。1960年英国生まれ。ロンドン大学(LSE)博士(社会人類学)。20年にわたり日雇い労働者、寄せ場、ホームレスを調査。主に横浜・寿町で行った調査をまとめた博士論文をMen of Uncertainty: The Social Organization of Day Laborers in Contemporary Japan (State University of New York Press, 2001)として出版。他の著作には「日本の都市路上に散った男らしさ―ホームレス男性にとっての自立の意味」(サビーネ・フリューシュトゥイック/アン・ウォルソール編『日本の男らしさ、サムライからオタクまで「男性性」の変貌を追う』、明石書店、2013年)、『毎日あほうだんす―寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界』(キョートット出版、2013年) 等がある。

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    203X年「大介護社会」ニッポン第二の敗戦

    は女性多数社会である。さまざまな政策等は女性にフォーカスされて当然だが、全くそうなっていない。就労、社会保障など各方面において女性の存在は消去されている。まずはこの超高齢社会から消去されがち―「消され化」―の女性の実像を「見える化」するのが出発点だろう。しかし消されているのは必ずしも女性だけではない。男性を含めて、日本の高齢者は意外なほど方針決定の場に代表を送り込んでいない。政策決定権から疎外された高齢者 2014年12月の総選挙後の衆議院で、65歳以上の議員比率は16.8%、75歳以上は1.3%にすぎない。65歳以上が全人口の25%を超え、75歳以上も12.5%を超えることを思えば、高齢者の代表性は著しく疎外されている。ひところ高齢者が政財界を支配することがあって「老害」が叫ばれ、その対策は着々と実行された。自民、公明、民主の3大政党は小選挙区などを除いて立候補に何らかの年齢制限を行っている。 議員でなくても政策に民間人がかかわる場に、各省庁に設置される審議会がある。ここも委員年齢に上限が設けられるようになっている。というわけで2008年4月に施行された75歳以上の後期高齢者医療制度は、30~50代の官僚、70歳未満の国会議員、審議会委員などで立案され、論議され、当該年齢の当事者がほとんど一人も参画しない中で定められた。 ちなみに認知症対策に関しては、2014年11月に東京で開催された認知症対策の国際会議で、当事者たちも「私たち抜きで私たちのことを決めないで」と声を上げた。厚生労働省が2015年1月に公表した認知症施策推進戦略「新オレンジプラン」では、認知症当事者・家族の意見を取り入れることが明記されている。 高齢者は政策の対象者ではあっても、決定権からは疎外されてきた。そして、数少ない75歳以上国会議員のなかに女性は一人も含まれていない。国会議員の女性比率衆院9.5%、参院15.7%(2014年12月現在)という低さは日本名物というべきであり、世界経済フォーラム男女平等ランキングによれば142カ国中104位である。「女を生きて貧乏に老いる」 日本の高齢女性は、高齢者として、女性として、方針決定の場から二重に消去されている。思えば明治以降の歴史を見ても、女性の教育、家族関係、就労などの社会関係、社会保障、妊娠(中絶を含む)出産―すべてにおいて、女性抜きで決められてきた。女性の代表がほとんど皆無の中で決定された政治的、社会的枠組みの中で、生涯の決算期というべき女性の老いが、豊かであるはずがない。 というわけで、女性の老いはまず貧乏である。老いを生きる女の困難さは、一に経済的貧しさであり、二に長らく負わされたケア(介護)役割であろう。両者はからみ合って、女性を貧しさにつき落とし、この社会の下支えをさせてきた。  「人は女に生まれない。女になるのだ」。ボーヴォワールは名著『第二の性』をこの言葉で始めた。そのひそみに倣えば「女は貧乏に生まれない。女を生きて貧乏に老いるのだ」 まず老いた女の貧乏ぶりを示そう。相対的貧困率というのは、可処分所得が中央値の50%を下回る人の比率であるが、ごく若い時期を除いて女性がほぼ生涯にわたって男性を上回り、とくに65歳以上で格差拡大、80歳以上となると男性17.3%に対し、女性23.9%(※4)と7ポイント近く上回る。 特に単身者(おひとりさま)の男女格差は大きく、65歳以上男性の相対的貧困率29.3%に対し同女性は44.6%(※5)。また、高齢者の単身世帯は男性が男性全体の11.1%であるのに対し、女性は20.3%。女性単身者のうち、年収120万円未満の人が23.7%とほぼ4人に1人に達し、とくに離別者は32.5%とさらに上回る(※6)。 女性の貧しさの原因には、女性が個人として生計保持者になることから疎外されてきた長い歴史がある。幼いころから「嫁に行く」ことを目的に、「売れ残り」「返品」(婚家から離縁される)の二つの恐怖とともに育てられた。職場では女性の就労は「家計補助」「若年期」に限られ、女子若年定年制、結婚・出産退職制などは、1985年の男女雇用機会均等法制定直前まで職場慣行として残った。  「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業文化(システムと意識・行動)は高度経済成長期に、その主役である大企業を通して強化されたと言ってよい。戦後まもなくは自由選択だった高校家庭科は主婦養成の教科として最初2単位、やがて4単位、女子のみ必修となった。働く妻を低賃金にとどめる「偽装制度」 1975年に国際連合が開催した「国際婦人年世界会議」以来、グローバル基準の波が押し寄せてきた。その後女性の地位向上のための行動計画を推進する「国連婦人の10年」に続く1985年、政府が決定したのは、年金制度の改革であり、サラリーマンの妻である専業主婦を「第3号被保険者」として、年収130万円未満の場合、国民年金保険料を支払わず年金を受給できる制度を新設した。ここで離婚した主婦の無年金化が救われるなどメリットはあったが、多くのパート主婦が年収を130万円未満に抑えるための所得調整をするなど、働く既婚女性の収入を押し下げ、かつ年金財政に損害を与えている。 もし第3号被保険者がそのときどきの国民年金保険料を支払い続けていたら、と仮定して計算してみたところ、制度発足の1986年から2012年の間に保険料収入はなんと40兆円を超えていた。もっともこの第3号制度がなかったら、夫に先立たれた場合、今の60代以上の元専業主婦はさらに深刻な貧困に落ち込んだに違いない。夫の年金の4分の3が遺族年金として確保されているからこそかろうじて中流に留まっていられる。そういう効果を認めたうえでも、この第3号年金制度は、自営業や働く女性に対して差別的であり、サラリーマンの働く妻を専業主婦として偽装させ低賃金にとどめる不公正な制度である。女性の就労は3度のすべり台 女性は生涯に3度、就労の場からすべり落ちる。第1のすべり台は妊娠出産。今なお6割の女性がここで退職している。第2のすべり台は夫の転勤。3番目が親など家族の介護という名のすべり台。女性雇用者の現在の勤続年数平均9.3年は、男性の13.5年(※7)に比べて大差ないように見えるが、社会保険につながらぬ非正規雇用も多く、就労の総決算というべき厚生年金額(2013年度)は男性平均18万3155円に対し女性は10万9314円(※8)にすぎない。家族のケア役割で出たり入ったりの小間切れ勤務、昇進の機会は少なく高収入になるはずはない。 こうした女性労働の延長線上に、現在の外部化された介護労働がある。他の業種の6割ともいわれる低賃金の根底には「もともと女性が家庭でタダ働きで担ってきた仕事」という認識があるのではないか。そして今の医療・介護行政は日本の家族の構造的変化にもかかわらず「施設から地域・家族へ」の方向を強めている。介護労働の価値を基本的に再評価して、人間の営みの証明として位置づけ、待遇を改善することだ。  もしそれをしなかったら、思い知るがよい。203X年、貧乏ばあさんとじいさんの大群が、野たれ死にならぬ在宅で「家たれ死に」の山。介護なく死去する人々を前に、日本は―「大介護社会ニッポン」は―第2の敗戦を迎えるに違いない。(※1)厚生労働省2013年「簡易生命表の概況」。(※2)総務省統計局人口推計・2015年3月1日現在(概算値)。(※3)厚生労働省・2014年9月1日現在の住民基本台帳に基づく数値。(※4)阿部彩(2014)「相対的貧困率の動向:2006、2009、2012年」(貧困統計ホームページ)。(※5)脚注4と同じ。(※6)2008年内閣府「高齢男女の自立した生活に関する調査結果」。調査対象は55~74歳男女。(※7)厚生労働省 2014年度「賃金基本構造統計調査」。(※8)厚生労働省年金局・2013年度「厚生年金保険・国民年金事業の概況」。引用の数字は厚生年金保健老齢年金受給権者(65歳以上)の平均年金月額。ひぐち・けいこ NGO「高齢社会をよくする女性の会」理事長。東京家政大学女性未来研究所所長。東京大学文学部美学美術史学科卒業。時事通信社、学研、キヤノンを経て評論活動に入る。東京家政大学名誉教授。66歳でパートナーをみとり、数年にわたるひとり暮らしを経験。現在は、長女とペットのネコたちと暮らす。著書に『人生100年時代への船出』(ミネルヴァ書房, 2013年)、『大介護時代を生きる』(中央法規出版, 2012年)等。

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    生活保護レベルの下流老人 高齢者の9割が予備軍の可能性も

     都内の閑静な住宅地の並びに、日が暮れても明かりが灯らない洋館風の一戸建てがある。この家に住む菅井敬子さん(68才、仮名)が「電気代がもったいないから」と夜間も消灯を続けているからだ。 敬子さんの夫(72才)は30代から外資系コンサルに勤め、日本とヨーロッパを往復する生活を送っていた。52才で独立、子供こそいないが都内に庭付きの一戸建てを持ち、夫婦の老後は安泰のはずだった。 ところが、夫が働き盛りの58才の時に脳梗塞を発症。仕事ができなくなり、今も後遺症の麻痺と認知症で要介護の状態だ。 夫婦の現在の収入は14万円程度の年金のみ。夫が海外勤務の時、年金未加入期間があったので、受給額が少なくなった。夫が倒れた時、およそ2000万円あった貯金は毎月の生活費の補填や治療費・介護費用、老朽化した建物のリフォームなどで1年前に底をついた。 敬子さんは毎日、夕方頃にスーパーに行き、店員が食材に5割引のシールを貼るまでじっと待つ。今年の暑い夏もクーラーはほとんど使用しなかった。 「まさかこんな生活をするなんて夢にも思っていませんでした。夕食のメニューが減ったのを見て、認知症の夫が“なんでこんなに少ないんだ”と怒り出したのを見て涙が出た。あとは自宅を手放すしかないけれど、それでも夫を連れて介護施設に入居するお金はないし、受け入れてくれる賃貸もない…。本当に先が見えません」(敬子さん) 菅井さん夫婦のケースは決して他人事ではない。「下流老人」──そんな言葉が今世間を賑わせている。名付け親は、『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新書)の著者で、NPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典さんだ。 「下流老人とは、生活保護を受ける生活レベルで暮らす高齢者、およびそうなる恐れのある高齢者のことです。現在も増え続けていて600万~700万人いると推定されます。今の日本には、かつては大多数だった中流は存在しません。ひとにぎりの富裕層と、大多数の貧困層というのが実態です。さらに社会の高齢化が進み、非正規雇用で所得の低い若年・中年層はいずれ下流老人化します。近い将来、高齢者の9割が下流老人となる可能性もあります」関連記事・「貧困は孤独と混乱がセットになっている」と専門家指摘する・他人事ではない下流老人 無職高齢者は20年で1500万円の赤字・自営業者の国民年金 40年納付でも生活保護世帯の平均額以下

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    約9割が生活保護受給者の簡易宿泊所 川崎火災から考える課題

    明智カイト(いのち リスペクト。ホワイトリボン・キャンペーン代表)  2015年5月17日午前2時頃、川崎市川崎区日進町の簡易宿泊所「吉田屋」(木造3階建て)の玄関付近から出火したと思われる火災が発生し、隣接する「よしの」と合わせて2軒が全焼しました。この火災によって10名が死亡しています。  今回の火災をきっかけにして簡易宿泊所や、そこに暮らしている生活保護受給者の実態と課題について検証します。 利用者の約9割は生活保護受給者 川崎市川崎区の簡易宿泊所が立ち並ぶ一角で木造2棟が全焼した火災は、全国に点在する同様の「簡宿エリア」にも、古い建物が密集した地域での防火対策という課題を突きつけています。 火災があった簡易宿泊所=2015年5月17日、川崎市川崎区 宿泊者の多くは、かつて大半を占めた労働者から、生活保護などを受給する高齢者に変わりつつあります。「日雇い労働者の街」として知られる東京の「山谷地域」でも対策は急務ですが、安価な宿泊費を売りにする簡易宿泊所の経営者からは「スプリンクラーの設置は費用的に無理」との声も上がっています。  山谷地域は戦後に戦災者や復員者などを受け入れ、日雇い労働者が利用する簡易宿泊所が数多く誕生しました。1964年の東京オリンピックでの建設ラッシュを背景に、1万数千人近い日雇い労働者が集まったとされます。現在、山谷地域では約150軒の簡宿に3000人近くが暮らしています。宿泊代金は3畳一間で平均1泊2000円ほど。約9割が生活保護受給者だといいます。  高齢化も進んでいます。東京都の調査では1999年に59.7歳だった宿泊者の平均年齢は、2012年には64.7歳でした。5年以上簡易宿泊所に宿泊している人は5割を超えています。 ※山谷地域簡易宿所宿泊者生活実態調査(H24年10月実施 東京都福祉保健局生活福祉部)より  簡易宿泊所がかつて路上生活を送っていた人たちの受け皿にこうした状況に、東京の山谷地域で生活困窮者へ支援を行うNPO法人「山友会」の油井和徳理事(31)に今後の課題と対策についてお伺いしました。 明智 簡易宿泊所を利用している人はどんな人たちが多いですか? 油井 もともとは、主に地方から職を求めて上京してきた日雇い労働者の人たちが簡易宿泊所を利用していました。高度経済成長期を終え、産業構造も変化したことにより、それまで土木・建築業を中心に日雇い労働を行っていた人々の多くは失業し、路上生活を余儀なくされるようになります。 さらに、高齢になったり、病気になってしまうことで、働くことも出来なくなったことで、その中で生活保護を受給するようになる人々も増えてきました。1990年後半には都市部を中心に全国で急激に路上生活者数が増加しましたが、生活保護を受給するようになった路上生活者の住まいや公的な施設が絶対的に不足していました。そのため、生活保護を受給するようになった路上生活者を受け入れるために、例外的な措置として簡易宿泊所は一時的な住まいとして活用されてきました。  山谷地域では、こうした歴史的な背景もありますが、主にかつて路上生活を送っていた人などの生活保護を受給した人が簡易宿泊所にたどり着き、そこでの暮らしが長期化してしまう要因は複雑で多様です。  まず、身寄りのない低所得者の入居可能な物件が少ないことが挙げられます。アパートなどの賃貸物件は保証人や緊急連絡先が必要なため、入居のハードルが高くなります。さらに高齢であったり、病気を抱えていれば、大家側は孤独死という不安材料が増えることになります。そうした方も入居しやすいのが、公営住宅なのでしょうが、こちらも数が不足しているのが現状です。 明智 行政からの支援はどうなっていますか? 油井 そうですね、生活保護を実施する福祉事務所サイドも、一人暮らしを行う前に生活指導が必要という考えがあるようです。それは、アパートなどでの一人暮らしをしていると家賃滞納やトラブルなどがあったときに対応しなければならないということや、退去を迫られた後どうするかという不安も影響しているように思います。こうした不安が、簡易宿泊所や施設から一般住宅に移るという判断を躊躇させているのかもしれません。  ほかにも、今まで関わった方の中では、日雇い労働をしながら簡易宿泊所や建築現場の寮で生活することが長かったため、アパートなどほぼ完全に一人になる環境での生活がイメージしづらいという方もいましたし、仲のよい人がいることから暮らし慣れたところを今さら離れたくないという方もいました。  こうした様々な要因が複雑に絡み合っているように思えます。  このように、低所得であったり、身寄りがなかったり、高齢であったり、病気や障害を抱えていたり、こうした事情を抱えた方々が地域の中で暮らしていく選択肢が限られているだけでなく、ようやくたどり着いた先で火災により命を落とすという悲劇が起きてしまっているのが現状です。 表面的な対策だけではなく、本質的な対策も必要表面的な対策だけではなく、本質的な対策も必要明智 今後、簡易宿泊所の火災事件を無くしていくために必要なことは何でしょうか? 油井 このような痛ましい出来事を繰り返さないためには、表面的な対策だけではなく、根本的な解決を図らなければならないと感じています。 全焼した吉田屋と同様に2、3階部分が吹き抜け構造 になっている簡易宿泊所=川崎市川崎区今回の川崎市の事件では、簡易宿泊所が違法建築であるとか、防火対策の不備なども指摘されていますが、火災の責任を施設側だけに求めても、この問題は根本的には解決しないと思います。 ただ、先ほどお話したように、身寄りがない生活保護受給者の方の住まいの選択肢は限られてしまっている中で、ただ単に簡易宿泊所でない選択肢を増やしていけばよいのかと言えば、それだけではないと思います。 類似する背景の事件として、2009年に群馬県のたまゆらという無届の施設で火災があり、入所されていた都内の生活保護受給者10数名が亡くなるという痛ましい事件がありました。そこには高齢の方もいましたし、認知症などのために介護が必要な方もいました。こうした悲劇を繰り返さないためにも、その選択肢には「安全性」が担保されていなければなりません。 さらに、先ほどの要因を整理してみると、社会的に不利な立場におかれる方々が地域で暮らすことへの不安を、いかに社会で分かち合うかということが問題解決へのヒントのように思えます。不安を分かち合うために、そうした方々が地域の中で暮らしていく上での支えとなる存在があることが大切です。 地域の中で暮らしていけるサポートを明智 油井さんたちはどのような支援活動を行っていますか? 油井 私たちの活動の生活相談・支援事業では、アパートや簡易宿泊所に暮らす方を支援する「地域生活サポート」という取り組みがあります。具体的には、一人で病院に行けない方の通院に付き添ったり、介護が必要になったときに介護サービスの利用手続きをお手伝いしたり、医療機関、介護事業所、福祉事務所などの支援機関との連絡調整などを行い、孤立してしまい困ったときに誰にも助けが求められないような状況にさせないような取り組みを行っています。 山谷地域では、こうした取り組みを、私たちだけではなく、複数のNPOがバリエーション豊かに展開しています。また、そうした方々が支援を受けるだけでなく、活動に参加してもらったり、一緒に支援を担ってもらったり、社会の中で役割を持ってもらえるような支援も行われています。 さらに、そうしたNPOを中心に、地域の医療・看護・介護・福祉事業所などとのネットワークづくりの取り組みも行われており、地域ぐるみでそうした方々をどのように支えていったらよいかということも考え始められています。  これらの取り組みはあくまで一つの例ですが、住み慣れた地域で暮らす上での「安心」をいかに担保するのか、ということも大切な視点だと思います。  そして、それが一方的に供給されるのではなく、当事者も地域に参加でき、社会的に不利な立場にある方も暮らしやすく参加しやすい地域づくりに結び付けていく、こうした取り組みは、身寄りのない生活保護受給者に限らず、より多くの方々にとってもメリットのあることなのではないかと思います。  川崎市の火災は決して他人事ではありません。簡易宿泊所が身寄りのない生活に困窮した方の受け皿になってしまうような構造に目を向け、身寄りがなくても、低所得でも、高齢でも、病気や障害を抱えていても、「地域」で「安心」して「安全」に暮らせる住まいを地域の中に整備することが、この問題の根本的な解決になると考えています。 川崎市における火災事件の対応明智 10人が死亡した川崎市川崎区の簡易宿泊所の火災を受けて、このほど川崎市は川崎区内の簡易宿泊所を利用する生活保護受給者の転居支援を民間事業者らに委託して行う方針です。今回の川崎市の施策についてどのように思われますか? 油井 そうですね、問題を放置せず、少しでも前向きな動き出しをしてくださったという意味では評価できると思います。あとは、この施策が「誰のためのものなのか」ということは強く意識しなくてはいけないと思います。  現在はクローズアップされて社会的に問題意識があるから実施するという、対処療法的な発想では、先ほどもお話したように個人的には根本的な解決にはならないと思います。  住まいの選択肢が簡易宿泊所に限られてしまった方々や同じような状況にある方々などの視点で課題にコミットしなければ、長期的に見て、簡易宿泊所では同じことが起きないだけで、場所を変えて同じようなことが起きてしまうだけかもしれない気がします。  地域に溶け込めるように支援を行うことは、とても大切なことだと思っています。ただ、私たちも、それにはやはり当事者と事業者だけの関係では限界のあることだと日々痛感しているところです。なので、そうした人々が孤立せず、地域の中で居場所と役割を持って暮らしていくことができるように、地域の支援機関やコミュニティなどさまざまな地域資源とのネットワークづくりも必要となってくると思っています。 (Yahoo!個人 2015年8月16日、23日の記事を転載)

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    CCRC普及のカギ握る「医療ポイント貯蓄制度」の創設

    河合雅司(産経新聞論説委員) 今後、東京圏が急速に老いていく。  国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が65歳以上人口について2025年と2040年の伸びを推計しているが、東京都の場合、2010年の268万人を「100」とすれば、2025年には「124・0」、2040年には「153・7」と1・5倍に膨らむというのだ。75歳以上人口になるとさらに厳しく、2025年に「144・1」となり、2040年には「167・9」となる。  そうでなくとも東京圏への一極集中が続いている。社人研の予測を上回る勢いで地方の高齢者の東京流入が進めば、さらに高齢者数は増える。  これまで東京圏にある自治体はビジネス優先の効率的な街づくりをしてきたため、病院の療養病床や特別養護老人ホーム(特養)は不足している。高齢化が進むからといって突如、高齢者向けの街づくりに切り替わるとは思えない。  もちろん、東京都など対応に乗り出した事例もないわけではないが、用地取得1つとってみても地価が高く難航が予想される。これから本腰を入れるのでは、高齢者数の激増スピードに追いつくのは容易でないだろう。  問題は、ベッド数を確保すれば済む話ではないことだ。鉄道網の発達した東京圏では、退院後、何度も電車を乗り継いで通院している人が少なくない。しかし、これは患者の年齢が若いからこそ可能なことだ。さらに高齢化が進んだとき、駅の階段を上り下りし、電車を乗り継いで都心に出掛けられる人はどれぐらいいるのだろうか。しかも、今後は高齢者の独居世帯が増えるとも予測されている。それは自宅での介護に携わり、通院に付き添う家族がいない高齢者の増大をも意味する。  厚生労働省は2025年に向けた対策として、レセプト(診療報酬明細書)データの分析をベースに、人口の高齢化や疾病構造の変化を加味して患者数を推計して適正な入院ベッド数を割り出し、都道府県ごとに「地域医療構想」として病床機能の再編を促す計画を描いている。  しかし、患者数の予測は頭で考えるほど簡単ではない。多くの人は自宅近くにある医療機関を受診するが、高度な医療を行う病院が集積する東京圏では事情が異なる。癌や難病患者が、わずかな望みをかけて全国から押し寄せているのだ。  癌や難病ばかりでない。一部メデイアの「名医」特集に影響されて、関東一円や静岡県などから東京都心部の大病院に通院している人は少なくない。二次医療圏内で医療がほぼ完結する地方と同じように、患者予測をしたのでは実態と大きくかけ離れるだろう。  それだけではない。安倍政権は「医療ツーリズム」が経済成長に資するとして、東京圏に海外から富裕層を積極的に受け入れようとしている。これではますます東京圏のベッド不足が深刻になる。待機児童がいつまでも解消されないのと同じで、医療・介護の提供体制を整備すればするほど、患者の需要が掘り起こされることも想定しておかなければならない。東京圏の患者数予測というのは、どんな前提を置いて試算するかによって大きく違ってくるのである。  ではどうするのか。東京圏での医療・介護提供体制の脆弱さへの対応策として、政府が新たに検討を始めたのが高齢者の地方移住の促進だ。東京圏への病院や介護施設を整備することが困難ならば、地方への移住を希望する東京圏の高齢者の希望を叶えようというのである。  高齢者が地方に移り住むことは、人口減少に悩む自治体にとっても渡りに船である。高齢患者が亡くなった途端に人口そのものが減る自治体では、すでに医療機関や介護施設のベッドが空き始めている。地方では医療機関や介護施設が有力な雇用の場ともなっている。東京圏から高齢者が来て患者数が増えれば、雇用が維持され、あるいは新たな雇用が生まれる可能性もある。  人口減少に悩む地方が生き残るには、若者が魅力を感じる街づくりを進め、出生数を増やしていくしかない。しかし、その成果が表れるには時間がかかり、人口が増える前に〝消滅〟しかねないのである。大都市圏から大量の高齢者が移り住めば、対策を講じる時間を稼げるというわけだ。いまや地方への移住はちょっとしたブームでもある。内閣官房が実施した「東京在住者の今後の移住に関する意向調査」によれば、移住を考えている人は40・7%。関東1都6県以外の出身者では49・7%を占める。50代男性は50・8%が関心を示している。  高齢者が地方へ大量移住となれば、東京圏の高齢者激増問題解決に向けた有効な手立ての1つとなろう。  とはいえ、年齢を重ねてからの引っ越しはそう簡単に進むものではないことも事実だ。いざ移住となると、生活環境ががらりと変わることへの心理的負担から二の足を踏む人は少なくない。  こうした懸念を払拭するため、政府の「まち・ひと・しごと創生本部」が高齢者の地方移住の促進に向けた受け皿づくりを検討する「日本版CCRC構想有識者会議」を立ち上げた。筆者も委員として同会議に名前を連ねているが、政府は年内に最終報告書をまとめ、来年度から全国でモデル事業をスタートさせる考えだという。  CCRCとは、Continuing Care Retirement Community の頭文字を取った言葉で、体が弱ってから入所する特別養護老人ホームなどとは異なり、元気なうちに移住した人たちが、大学に通ったり、趣味やボランティアなどに打ち込んだりする生活共同体のことである。米国では各地に広がっているが、これを日本流にアレンジし、大都市圏に住むアクティブシニア(活動的な高齢者)の受け皿として普及させようというのだ。  CCRCを普及させるには、いくつものポイントがある。地方暮らしに、東京圏に住み続ける以上のメリットを見出せなければ踏み切る人は増えまい。  最大のポイントは利用料だろう。CCRCにしてもサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)にしても、高級リゾート地のような大型開発のイメージが先行しがちだ。確かに、大規模な土地の造成し、目を見張るゴージャスな街並みが広がれば、誰もが住みたくなるだろう。  しかし、ゴージャスにすればその分、費用回収のために利用料も高くせざるを得なくなる。必然的に利用者は裕福な高齢者に限定されるだろう。大多数の高齢者は老後生活費の大半を年金収入に頼っている。企業年金もなく、十分な退職金もないという人も少なくない。利用料があまり高くなったのでは、手が届かなくなる。  高級リゾート施設のようなところもあっていいが、CCRCを日本に根付かせようとするならば、利用料金に幅を持たせ、一般的な退職者が入居できるところも整備することが秘訣だ。  では、一般的な退職者が利用できる料金とは、どれくらいなのか。2014年の家計調査などを元に計算すると単身世帯の生活費は全国平均で月額8万8540円である。サ高住は13万579円だ。このうち家賃地代は単身世帯が約4万円、サ高住は5万5千円弱である。  東京圏に住む高齢者の生活費はもう少し高い。2013年の総務省「住宅・土地統計調査」が東京23区や東京隣接3県の政令指定都市を中心に調べているが、専用住宅の1畳当たりの家賃は全国平均の約1・4倍である。これを機械的にあてはめれば、東京圏に住む単身高齢世帯の生活費は月額約10万4800円、サ高住は15万2500円となる。  そのためにも、CCRCを一から造成、建設するのではなく、公的住宅や空き家など既存施設を徹底活用することだ。利用料をぐっと抑え、地方に住む割安感を出すことが移住に向けた大きな動機付けとなる。  一方、CCRCの魅力はその楽しさにある。大学と連携し「もう一度、大学生」として学問に打ち込んだり、映画ロケ村やスポーツタウンの一角に展開して趣味の世界を満喫したり、あるいは起業を志望する人が集まり住むことで〝起業ビレッジ〟として立ち上げ、ビジネスでもうひと花咲かせたりする。人生の残された〝元気な時間〟を充実したものにすることこそ、CCRCの醍醐味である。そのためにも、CCRCにはイベントプロデューサーやコーディネーターが不可欠だ。  人間というのは、他人から認められ、必要とされていると感じたときに喜びを感じるものだ。高齢になればなるほど、こうした承認要求は強まるとされる。CCRCで学んだことや、趣味を通じての成果を発表し、表彰されるような仕掛けが整っているとよい。  しかし、CCRCでの生活を満喫するにもコストはかかる。年金収入の大半をCCRCの利用料に回さざるを得ないのではとても老後生活を楽しむことなどできない。こうした費用を抑える工夫もポイントとなる。  例えば、移住者自身が大学で教え、趣味のインストラクターを務めるのも一案だ。働くのも選択肢であろう。CCRCを楽しむ時間を確保するためにも、若者のようにフルに働くことはない。月に数回のアルバイト感覚で、年金の足しにするイメージである。働けば生活に張り合いもでる。人口減少が続く地元自治体にしてみれば、移住者が働いてくれれば労働力の確保ともなる。受け入れ先となる自治体には移住者の仕事探しのサポートが期待される。  第3のポイントは、医療や介護との連携の充実だ。そもそも政府がCCRCを推進しようとしているのは、東京圏での医療・介護提供体制の整備が追いつかないことが大きな理由である。「CCRCに移り住めば、医療や介護に心配がなくなる」とならなければ、移住の大きな動機付けとはならないだろう。  CCRCは永住の地でもある。入居時は元気であっても、やがて病気を患ったり、要介護状態となったりする場合もあろう。しかし、CCRC入居者の大半が要介護状態になったのでは介護施設と大差がなくなり、アクティブシニアにとっての魅力が損なわれてしまう。こうした状況を避けるには、CCRC内で元気な人と要介護者の住み分けが重要となる。  だが、CCRCに専用の医療機関や介護施設を併設したのでは、やはりCCRCの利用料は高くなり、特養の整備と大差がなくなる。とはいえ、地元の医療機関や介護施設を一方的に占有したのでは地元住民から「過度な移住者優遇」との不満も出よう。  こうした難題を解決するために提案したいのが「医療ポイント貯蓄制度」(仮称)の創設である。CCRCの住民は、元気なうちは行政が指定する「公的な仕事」に汗を流す。例えば、保育支援や小中学校でのゲストティーチャー、医療機関待合室での患者誘導員、高齢者の買い物や通院サポートなどだ。医療や介護のボランティアをすることでポイントを得られる先進事例もあるが、ここでは自分ができる仕事を選べるよう幅広いメニューを用意する。  こうした「公的な仕事」への貢献度に応じてポイントを受け取り、貯めたポイントに応じて、CCRCと提携する医療機関や介護施設を優先利用できるようにしようというのだ。  例えば、提携医療機関がCCRC住民向けの医療コンサルタント事業を行い、ポイントに応じて安い費用で人間ドックを受けられるようなサービスを展開する。  人口が減る地方では、今後、入院ベッドも空いてくる。これを活用して、病床計画を超えた「空きベッド」をCCRC入居者向けベッドとすれば、地域医療が混乱することもないだろう。公的な医療や介護を受ける以上、医療費や介護費用は安くすることはできないが、CCRCに入居すれば、医療機関や介護施設のベッドの心配をしなくて済むとなれば、大きな安心となる。  「公的な仕事」に従事すれば、移住先の住民との交流も進む。働いてもらう側にしてもアルバイトを雇うわけではないので費用面での負担がないのが魅力だ。  働く側にもメリットがある。賃金を受け取る仕事とは違い、自分の能力やペースで働くことができるので参加がしやすい。社会とつながれば生き甲斐ともなり、健康維持にも役立つだろう。社会参加する人が増えれば、社会全体の健康寿命も延びる。  こうした構想を実現するにはCCRCの運営事業者だけでなく、受け入れ自治体や地元商工会、医師会、介護事業者などの協力が不可欠だ。何よりも、地元住民の理解なくしては成り立たない。移住者と地元住民が一緒になって「生活」を楽しむムードをつくれるかどうかがCCRC定着のカギを握っている。※「先見創意の会」コラムより転載。※ 先見創意の会 最新のコラム/オピニオン/海外トピックス

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    地方病院の活用策 「医療ポイント貯蓄制」導入を

    河合雅司(産経新聞論説委員)大都市患者の受け皿に 団塊世代が75歳以上となる2025年に備えるため、都道府県が地域医療構想づくりに取り組み始めた。疾病構造や人口の変化を織り込んで必要となる病床数を算出し、過剰分について削減や機能転換を促そうというのだ。 人口減少が進む地域は、入院患者も減っていく。過剰分を減らさないと病院側が空きベッドを埋めようとして治療の必要性の低い人まで入院させかねず、医療の無駄が生じるとの懸念だ。 医療費抑制の観点からすれば改革が急がれるが、地方の病床をただ削減するのはもったいない。発想を変えれば使い道はある。 東京などの大都市圏では高齢者が激増するため、自治体は病院や介護施設の増設に追われているが、地価が高く用地確保は困難だ。これから整備を進めていたのでは、住民の高齢化スピードに間に合わないとの懸念もある。 巨費を投じて大都市圏に建設するより、地方で余剰となる病床を活用したほうが現実的だといえよう。 一方でリタイア後に故郷などへのUターンや移住を考えている人は多い。政府は地方移住を希望する元気な高齢者向けに、学問や趣味、ボランティアなどに打ち込める「CCRC」と呼ばれるコミュニティーを整備すべく取り組んでいる。これらを考え合わせて一番の方策は、CCRC構想と地方病院を連携させることだ。 「CCRCに住めば医療や介護に心配がない」との評判が定着すれば、「“医療・介護難民”になる恐れがある大都市圏に住み続けるより、移住したほうが賢明」と考える人が増えるかもしれない。 患者不足に悩む地方の病院にとっても、CCRCとの連携は経営を安定させる上で大きなメリットである。「健康管理クラブ」設置 とはいえ、地元の人々が利用する病院をCCRCの移住者が独占するわけにはいかず、連携には工夫を凝らす必要がある。そこで、小欄が考案した「医療ポイント貯蓄制度」の導入を提言したい。 仕組みをご紹介しよう。CCRCへの移住者は、自治体が指定する保育支援や地元高齢者の通院・買い物サポートといった「公的な仕事」を行い、現金ではなくポイントを受け取る。 CCRCと連携する病院は移住者の健康づくりをサポートする「健康管理クラブ」を開設。移住者はたまったポイントに応じて「健康管理クラブ」が提供する人間ドックや定期健診、専門スタッフによる健康アドバイス、夜間や休日の診療といったサービスを無料もしくは低価格で受けられるようにするというアイデアである。 「公的な仕事」のメニューは自治体が提示。移住者はやりたい仕事を選び、自分のスケジュールや体力に応じて時間を決める。健康管理クラブを利用することで病院に健診データが蓄積される。医師やスタッフとも顔なじみになり、実際に病気になったとき不安なく治療が受けられるようにしようというのだ。移住促進策として展開 費用は移住促進事業として国と自治体が分担。たまったポイントはCCRCと連携する病院でしか使えないこととし、病院はCCRC移住者が利用した「健康管理クラブ」の利用料相当額を自治体に請求する流れとする。 CCRCへの移住を促すため、移住後1年でボーナスポイント、数年間住み続けた人には追加ポイントを付与することにしてもよい。 こうした優遇策には地元住民の理解が不可欠だが、移住者の受け入れは人口減少自治体にとって“消滅”を回避する有効策の一つである。大量に人が移り住めば、医療や介護をはじめ多分野の産業で雇用を生み出す。 移住者が「公的な仕事」を行うことで地域住民との交流が進み、労働力不足の対策ともなる。本来、自治体が行うべき業務の一部を移住者が肩代わりしてくれるので、行政コストの抑制効果も期待できる。理解は得られよう。 移住者にとっても、見知らぬ土地で仕事を探すのは大変だが、そうした心配をせずに実質的な所得を増やせる。社会とのつながりは生きがいとなり、健康寿命も延びよう。 人口減少社会では既存施設の有効活用が問われている。地域医療構想は、人口交流がないことを前提にして検討するのではなく、大都市圏の元気な高齢者を積極的に取り込む「地方創生」の視点をもって考えるべきである。

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    政府に多くを期待しない

    河合雅司・産経新聞論説委員 先日行われた政府・与党の社会保障改革に関する集中検討会議に出席した。改革案を提言している新聞4社からのヒアリングだ。菅直人首相をはじめ関係閣僚らに、産経新聞社の年金制度改革に対する基本的考え方を説明する機会を得た。 安倍首相 説明において一番力点を置いたのが、少子高齢社会における社会保障の在り方だ。社会の基本は「自助自立」であると主張した。社会弱者に手を差し伸べることは当然であるが、少子化で社会の支え手は減り、膨大な赤字国債の処理も待ったなしだ。政府に多くを求め続けるわけにはいかないだろう。 財源のめども立たないのに、子ども手当をはじめとするバラマキ政策を続ける民主党政権の首脳が、こうした主張にどこまで真剣に耳を傾けたかは分からないが、国民はそろそろ覚悟を持たねばなるまい。 まずは、自分でできることは自分でやる。うまくいかなければ地域や仲間で助け合う。「共助」の仕組みを整えなければ、少子高齢社会は乗り越えられない。それでも手に負えないときが政府や地方自治体の出番だ。働けるうちは一生懸命に働き、老後に備える。なるべく他人の手を煩わせることなく、凛(りん)として生きたいものだ。 とはいえ、個人の力ではどうにもならないこともある。例えば病気や要介護となったときだ。高齢化の進行で医療や介護のニーズは増大している。これらの財源を安定確保するには消費税増税が一番有力な選択肢である。しかし、経済や家計への影響を考えれば、税率引き上げには限度もあろう。 社会保障制度のほころびには手を打たなければならないが、優先順位をつけるべきだ。医療や介護、少子化対策などに財源を優先配分する。そのためには年金改革で必要となる追加財源を極力抑えることだ。 年金改革は、社会保険方式の現行制度の枠組みの中で手直しするのが現実的といえる。産経新聞社が高年金者の年金の一部を低所得受給者に振り向ける「自立応援年金制度」(仮称)を提言したのも、巨費を投じず弱者対策ができるからだ。 切れ目のない社会保障の実現は理想ではある。しかし、それも国の財政に余裕があっての話だ。社会保障の名の下に、広く薄くばらまく政策は控えるべきである。本当に救済すべき人は誰なのか、しっかりと絞り込まなくてはならない。 雇用が不安定で、低賃金に苦しんでいる若者も少なくない。職に就くまでの間、社会保障の面からもすべきことはあるだろう。だが、こうした人を社会保障政策でずっと支え続けることは本来の姿ではあるまい。 むしろ自立支援策を強化し、一日も早く安定した暮らしができるようにしなければならない。社会保障政策の拡充も大事だが、それ以上に新たな雇用の創出や雇用のミスマッチ解消などに取り組む必要があろう。 政局が混迷し、議論の先行きが危ぶまれるが、改革の先送りは許されない。実のある改革案が早期にまとまることを期待したい。

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    民主党には無理だった

    河合雅司・産経新聞論説委員 やはり、民主党に現実的な政策を期待するのは無理だったようだ。社会保障と税の一体改革のことである。 最終案をまとめる局面になって「消費税引き上げ反対」の大合唱である。核心部分の消費税引き上げ時期は「2010年代半ばまで」とあいまいになり、「経済状況の好転」との条件が付けられた。この条件がくせ者だ。「好転」が何を指すのかはっきりしない。民主党内からは「これで消費税増税は封印できた」との笑い声すら漏れる。 反対は増税だけでない。ただでさえ「切り込み不足」と指摘された社会保障制度改革案まで骨抜きにした。当初案にあった70~74歳の医療費窓口負担の2割への引き上げや、年金支給開始年齢の引き上げなどの負担増案が次々と後退した。むしろ、充実策ばかり目立つ。 一体改革の目的は、少子高齢化に耐えうる社会保障の構築だった。高齢者の増加で社会保障費は伸び続ける。制度の効率化と安定財源確保を実現しなければ制度が行き詰まることは、民主党議員にも分かっていたはずだ。全く無責任である。 ただ、反対は予想された展開でもあった。なぜならば、民主党というのは高速道路の無料化や農家の戸別所得補償などバラマキ政策を政権公約の柱に掲げる党だからだ。 中でも社会保障は中心をなす政策分野である。毎年1兆円を超すペースで伸びる社会保障費の自然増を容認し、財源のあてもないのに、子ども手当や最低保障年金などの巨費を要する政策を目玉とする。こうした党が、国民に痛みを求めるという百八十度の政策転換に踏み切ろうはずがない。 負担増を嫌う理由について、民主党からは「選挙に勝てない」との声が相次いだ。何とも正直な発言で、あきれる。だが、それは同党が少子高齢社会への危機意識を欠いていることの裏返しでもある。 社会保障制度は充実させるに越したことはないが、それは制度の支え手である若者がたくさんいてこその話だ。いまだ基礎年金の国庫負担を2分の1にする財源のめどはついていない。現行制度を維持するだけでも、財源確保に四苦八苦している。制度を拡充すれば支出がかさむということを分かっているのだろうか。民主党は、これをどう賄うのか説明すべきだ。 まさか、赤字国債や「埋蔵金」でやり繰りを続けるということでもないだろう。赤字国債に頼る綱渡りの予算編成は、今後の高齢化の波の大きさを考えれば続かない。すでに累積赤字は膨らんでおり、将来世代にこれ以上のつけ回しもできない。 むしろ少子高齢社会においては自助自立を基本として、社会保障は本当に必要な人に対象を絞り込むべきだ。すべての人に支払い能力に応じた負担を求めていくしかないのである。 民主党に多くを期待しても仕方がないが、社会保障制度改革に残された時間は少ない。制度破綻を何とか避けようと思えば、国民自らが覚悟を示し、世論を盛り上げていくしかないようだ。