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    「受動喫煙はまさに児童虐待だ!」私が都の禁煙条例を草案した理由

    岡本光樹(都民ファーストの会副幹事長) 9月20日から10月5日を会期とする東京都議会定例会に、都民ファーストの会、公明党および民進党は、「東京都子どもを受動喫煙から守る条例(案)」を提出し、3日の厚生委員会で可決されました。5日の本会議で可決、成立する見通しです。主要会派による代表質問が行われた都議会本会議=26日午後、都庁(酒巻俊介撮影) この条例案は、第3条 都民は、受動喫煙による健康への悪影響に関する理解を深めるとともに、いかなる場所においても、子どもに受動喫煙をさせることのないよう努めなければならない。第6条 保護者は、家庭等において、子どもの受動喫煙防止に努めなければならない。2 喫煙をしようとする者は、家庭等において、子どもと同室の空間で喫煙をしないよう努めなければならない。と規定しています。これらの条項について、「法は家庭に入らず」という点で反対する意見が見受けられます。 この論点に関して、この条例案の草案から作成に関わった立場として、また、弁護士・法律家の立場として、解説と意見を述べます。 法律家として、「法は家庭に入らず」という言葉があることは承知しています。これは古代ローマの格言で、現代の刑法においても親族間の窃盗・詐欺・横領などの財産犯については、刑を免除するまたは親告罪とする規定が見られます(親族相盗例・刑法244条)。 しかしながら、家庭内における虐待や暴力については、近年、児童虐待の防止などに関する法律「児童虐待防止法」や、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護などに関する法律「DV防止法」が制定され、かつての法格言を超えて積極的に法が関与すべきとされています(参議院法制局 法制執務コラム「立法と調査」2006年5月)。 受動喫煙は、児童虐待や暴行罪・傷害罪(生命・身体犯の類型)の問題として議論されるべきであると考えています(『捜査研究』2016年3月号「タバコ受動喫煙と刑法 事例別Q&A」62頁)。子供の生命および健康を受動喫煙の悪影響から保護し、子供が安心して暮らせる環境を整備することは、社会全体の責務であると考えます(条例案の前文及び第1条)。 なお、過去の報道によれば、2015年12月頃立て続けに3件、親が幼児に喫煙させた件が暴行罪などの刑事事件として、逮捕や略式起訴されています(前掲『捜査研究』61頁)。家庭内の事案も含まれていました。今回の条例案の対象とは異なりますが、子供への暴行罪の刑事実務において、「法は家庭に入らず」は必ずしも通用しません。児童虐待と受動喫煙の共通点 ここで議論の前提となる、受動喫煙の有害性に関する知見を確認しておきます。 受動喫煙が健康に悪影響を与えることは科学的に明らかにされており、肺がん、虚血性心疾患、脳卒中、乳幼児突然死症候群(SIDS)などのリスクを高めるとされています。 平成28年8月に国立がん研究センター発表及び厚生労働省より公表された「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」(通称「たばこ白書」)によれば、わが国の受動喫煙による年間の超過死亡者数は、少なくとも1万5000人と推計されています。厚生労働省 つまり、受動喫煙を受けなければ、交通事故死の約4倍にあたる年間1万5000人が、これらの疾患で死亡せずに済んだと推計されているのです。このうち乳幼児突然死症候群は年間73人の超過死亡と推計されています。 また「たばこ白書」によれば、子供の受動喫煙と、乳幼児突然死症候群、喘息(ぜんそく)の既往との関連について「科学的証拠は因果関係を推定するのに十分である(レベル1)」と判定されています。 喘息の重症化、喘息発症、肺機能低下、学童期のせき・たん・喘鳴・息切れ、中耳疾患、う蝕(虫歯)との関連については、「因果関係を示唆(レベル2)」と判定されています。 さらに、厚生省心身障害研究において、「父母共に習慣的喫煙あり」は、「父母共に習慣的喫煙なし」に比して約4.7倍程度乳幼児突然死症候群発症のリスクが高まることが示されています。 別の研究では、3歳児の喘息様気管支炎は家庭内喫煙がない場合に比べ、母親が喫煙する場合には3倍に増加することが示されているのです。 このように受動喫煙は、生命の侵害や重篤な健康被害を引き起こすおそれがあります。その上、子供は自らの意思で受動喫煙を避けることが困難であり、受動喫煙から保護する必要性が特に高い存在です。 こうした点で、「児童虐待」との共通性があると考えています。 もっとも、子供の受動喫煙が、現時点で、児童虐待防止法第2条の「児童虐待」の定義に該当していると言っているわけではありません。仮に、同法上の「児童虐待」の定義に該当すれば、発見者の通告義務(同法第6条)、児童相談所による保護(第8条)、行政による立ち入り調査等(第9条)などの規定が適用されますが、この条例案は、法律上の「児童虐待」の定義を変更するものでもありませんし、また上記のような義務や行政措置を導入するものでもありません。 この条例案は、罰則を設けず、まず啓発を進めていくものです。児童虐待防止法のような通告義務や立ち入り調査なども設けていません。「法は家庭に入らず」という思想や反対意見にも配慮した、バランスのとれた内容と考えています。そもそも「喫煙する自由」は権利として断定されない 都民ファーストの会がホームページ上でインターネットを通じて行った意見公募(8月30日~9月8日)では、条例の実効性を高めるために、むしろ罰則を設けるべきだという激励やお叱りの意見も多数頂きましたが、この条例案は罰則を設けておりません。条例上の罰則と、先にも触れた刑法の傷害罪・暴行罪とは別論です。 他党の都議会議員から、啓発目的・訓示だけの条例ならば条例制定は不要であるといった旨の発言もありました。しかし、この意見は正しくありません。 第1に、罰則のない努力義務であっても、この条例によって、子供に受動喫煙させることは避けるべきだという法的な規範が定立されることになります。 こうした法的根拠によって、行政機関も、また私人(医療関係者、学校関係者、保育関係者、各種業界関係者、家庭内外の当事者に近い人などを想定)も、より自信を持って啓発活動を行いやすくなると考えられます。 第2に、行政において、啓発や実態調査のための予算がより確保されやすくなると考えられます。東京都は、これまで職場や飲食店などの受動喫煙対策に、予算を用いて啓発や調査などを実施してきました。しかし、特に子供の受動喫煙に焦点をあてた取り組みは、区市レベルで独自に行っているところはありますが、東京都としては行っていませんでした。この条例の成立によって、しっかりと啓発が進むことを期待します。 実際、2002年制定、2003年施行の健康増進法も、学校・病院・官公庁・飲食店などの施設管理者を対象とした罰則のない努力義務規定ですが、受動喫煙防止の法的根拠及び啓発としての意義がありました。同法は、14年間経過して、現在、罰則の導入が検討されていますが、子供の受動喫煙防止の条例も、まずは啓発条例として早々にスタートすることが肝要と考えます。(iStock) この条例案が、親の監護権や喫煙権、プライバシー権の侵害であるなどという誤った主張も見受けられますので、これについても反論しておきます。 まずそもそも「喫煙権」というものが認められるかは、疑問です。最高裁昭和45年9月16日判決で「喫煙の自由は、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と判示されており、最高裁調査官の解説も踏まえれば、喫煙の自由は、「権利」とは断定されておらず、仮に権利としても制限に服しやすいものにすぎない、と解されています。 次に、プライバシー権については、憲法上に明文の規定がありませんが、憲法13条「幸福追求権」に基づき、肯定されると解釈されています。 その上で、憲法が保障する自由や権利は、「これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とされ(憲法第12条)、「公共の福祉に反しない限り」において認められるものです(同第13条)。 親の監護権、プライバシー権、喫煙の自由は、いずれも、常に無制限・無制約に認められるのではなく、「公共の福祉」による制約を受けます。「法は家庭に入らず」は表面的な反論にすぎない では、この「公共の福祉」とは何でしょうか。「公共の福祉」という名目で、「公益」や「公共の安寧秩序」などの抽象的な理由によって、公権力による人権侵害がなされてはならないのは、当然です。通報・指導を含んだ私の当初案が、監視社会に通ずると誤解されたのは遺憾です。そうした誤解は、現在の国政への危惧によって生じたものと考えられますが、断じて私は人権抑圧的な監視社会を企図するものではありません。 この「公共の福祉」とは、あくまで人権と他の人権とが相互に矛盾・衝突する場合を調整するための原理であると解釈されています(権利の内在的制約)。 これを本件についてみれば、他の人権とは、まさに「子供の生命・健康」に対する権利です。親の監護権・プライバシー権や喫煙欲求が無制約・無限定に認められるのではなく、あくまで、子供の「生命・健康に対する権利」「心身ともに健やかに成長する権利」「安心して快適に暮らせる権利」との調整において、必要な限度で、親の権利が制約されるのは、やむを得ないと考えます。そもそも受動喫煙は、受ける側にとって何のメリットもない、一方向的な「他者危害」です。国立がん研究センター この条例について、「親・喫煙者の権利」VS「条例・行政」といった対立構図と捉えるのは正しい理解とはいえません。親の権利と子供の権利とを「調整」するのが、この条例です。子供は親の所有物ではなく、独立した尊厳ある存在です。 前記9月29日及び10月3日の都議会厚生委員会で、他党の都議会議員は、繰り返し「法は家庭に入らず」と述べ、揚げ句、努力義務・啓発の条例であっても、また、権利と権利の「調整」の条例であっても、私的空間への介入である旨主張していました。 子供の受動喫煙を防止すべきこと、またその啓発をすべきことには賛成し、反対する者は誰もいないなどと述べつつ、条例化には反対、条例ではない啓発にとどめるべきとの意見でした。 その理由としては、子供の受動喫煙が法律上の「児童虐待」には該当せず、これと同等とはいえないから、ということのようです。 この論理は、ゼロか百かといった皮相的な議論であり、妥当でないと考えます。法律上の定義に該当すれば、100%同法の適用を受け、他方、定義に該当しなければ、法・条例は一切口出しすべきでない(ゼロ)と言っているようなものです。 しかし、これまで説明してきたとおり、子供の受動喫煙と児童虐待の共通性・類似点があることから、ゼロと百の間の、少なくとも努力義務・啓発の条例は、早々にスタートすべきと考えています。私個人としては、今回の条例案作成以前に東京都医師会案や豊島区条例案として、義務ではない通報制や行政による指導を含んだ内容の条例案の作成に関与しましたが、それらも法的妥当性を有すると考えています。そうした条例案も、児童虐待防止法に比べれば、規制や介入は謙抑的です。受動喫煙議論で見えた「決められない」政治体質 他党が、子供の受動喫煙防止を啓発すべきことを認めながら、啓発条例の制定には反対などと主張しているのは、矛盾した、「反対のための反対」でしかありません。 また、他党は、都民への説明や周知が不十分であるから「継続審査」とすべきとも主張しましたが、啓発することが目的の条例を、制定前に啓発せよと言っているようなもので、これも的外れの詭弁(きべん)です。 議論を引き伸ばし、受動喫煙防止に関して、これまで「決められない政治」を行ってきた同党の体質を示しているのではないでしょうか。 私を含め、都民ファーストの会の都議会議員は、「古い都議会を新しく」、議会の本来の立法権能を取り戻し、発揮し、そして「スピード感」をもって、しっかりと政策を実現して参りたいと考えています。iStock これまで弁護士として、子供の受動喫煙に関する声をいくつも聴いてきました。その一端を紹介します。 中学生自身から直接相談を受けたことがあります。同居する祖父母が室内で喫煙していて、「のどが痛い、たんがでる、目がしみる、疲れが取れない」と非常に悩んでいました。祖父に外で吸うようにお願いしても、「うるせえ、お前が外に行け」と怒鳴るとのことでした。 保育園の保育士さんからの相談もありました。ある園児が、濃厚なタバコ臭を身にまとって登園してくる、母親と祖母が喫煙していて、その子がかわいそうなだけでなく、世話をする保育士さんや周りの園児も、頭痛や気持ち悪くなるなどの症状が起きているといった相談でした。 母親が病死した父娘家庭の子を、伯母(母親の姉)と祖母が心配しての相談もありました。中学生の娘が副鼻腔(びくう)炎をこじらせているにもかかわらず、父親はヘビースモーカーで家の中でも車中でも喫煙し、子供の健康に無頓着で、受動喫煙に一切聞く耳を持たないといった相談でした。 親から子への受動喫煙は、子供の自己肯定感や自信に影響し得るという話も耳にします。 このほかにも、小児科の医師の方々から、数え切れないほど多くの例を聞いています。子供に喘息の症状があっても、家での喫煙をやめない親が、いまだに何人もいるそうです。医師が受動喫煙防止や禁煙を親に説いても、聞く耳をもたない親もいるようです。 小児科医の研究団体には、「受動喫煙は、まさに児童に危害を与える虐待に違いありません」と宣言している研究会もあります。 こうした状況下、受動喫煙に苦しんでいる子供たちの一助になればと考えて、この条例案を策定しました。 一日も早く、受動喫煙の苦しみがない社会が来ることを、希望します。

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    小池さん、いろいろ間違ってますよ

    都知事の公務そっちのけで、政局に明け暮れる小池さんですが、このどさくさに紛れて、とんでもない禁煙条例が可決されました。子供の受動喫煙を防ぐために自宅などでの禁煙を努力義務とするものですが、嫌煙家の小池さんらしい条例です。とはいえ小池さん、「法は家庭に入らず」の格言までお忘れか。

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    「家庭内喫煙」の法規制で子供の健康はホントに守れるのか

    玉巻弘光(東海大学名誉教授) 東京都議会では、都民ファーストの会と公明党、民進党が共同で提出している「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」が、議会多数派の提案であるところから、近々成立が見込まれる。(iStock) 都民ファーストの会のウェブサイトで公表されている条例案の概要によると、子供の受動喫煙を防止するため、都や都民、保護者などの責務などを定め、またその具体的方策として、喫煙者に子供がいる部屋や自動車内では喫煙しないよう求めている。あわせて受動喫煙防止策が不十分な飲食店やゲームセンターに子供を立ち入らせないことや、公園・学校・小児医療機関周辺での受動喫煙防止を定めている。ただし、いずれも努力義務とし、罰則規定は設けていない。ただし、伝えられるところによると、今後、時機を見て罰則規定を置く方針であるといわれている。なお現在、この条例とは別に、東京都がウェブサイトで「東京都受動喫煙防止条例(仮称)」の新たな制定に係るパブリックコメントを募集しており、両条例の統合が検討されていないことには疑問を禁じ得ない。 今回、筆者は全国初の屋内喫煙を規制した「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」の、施行後3年ごとの条例見直しの検討部会長を既に2回務めた経験を有することもあって、「iRONNA」編集部から、この条例案に関し、特に家庭内喫煙規制を中心に意見を求められたので、部会長という立場を既に離れた個人としての見解を述べてみたい。 まず、条例案で「受動喫煙」とは、「他人のたばこの煙又は蒸気(肉眼で見える煙又は蒸気に限らず、残留するたばこの臭気その他の排出物を含む。)を吸わされることをいう」と規定されている。要するに、たとえ一瞬であっても、また、ごくごく微量であっても、喫煙者のたばこ煙が他人に及ぶと、受動喫煙に該当するということのようであるが、そこまで徹底しなければならない科学的根拠はあるのか、甚だ疑問である。 一定以上の受動喫煙がさまざまな健康影響を生じさせることについては、おおむね立場の違いを超えて一致して認めているところであろう。筆者は医学生理学の知識に欠けるが、たばこ煙に一瞬さらされることが疾病の原因となるだろうか、大いに疑問を感じる。健康保障は重要ではあるが、多種多様な有害物質に取り囲まれた現代の生活環境において、有害物質にさらされることが少しでも許されないとなると、現代生活の否定しか選択肢はないだろう。いや、石器時代に逆戻りしたとしても、多種多様な天然の有害物質から逃れることなど不可能であろう。「不愉快」だから法規制? それゆえ、有害であるとされる物質について、許容限度を定めて規制しているのが現実であり、たばこ煙をその例外とする論理的・科学的根拠は存在しないのではないか。たばこ煙中には200種類以上の有害物質が含まれ、発がん性物質は50種類以上にのぼるといわれており、その代表例として取り上げられるものにニコチン、タール、一酸化炭素があるが、これらはたばこ煙固有のものではない。特にタールと一酸化炭素は環境中のさまざまなところに存在し、環境基準などによって規制されている。 たばこから出る有害物質は一切許容されないが、同一物質でも出どころが異なれば一定の範囲で受け入れられるという主張は、およそ論理的でも科学的でもない。炭火で焼いた焼き鳥や焼き肉は、おそらく一酸化炭素まみれであろう。実際にかつて、冷凍スモークマグロを輸入しようとしたところ、一酸化素汚染を理由に輸入差し止めになり、最高裁まで争われた事件(最高裁平成16年4月26日判決)があったほどだ。(iStock) 人の健康を守るために法令によって規制しなければならない有害物質は、規制が健康保全を目的とするものである限り、その出どころを問わず、人体に対する影響という観点で、同じ手法・同じ基準で規制されるべきであろう。合理的根拠なしに別基準が定められれば、行政法上の平等原則に反する。 さて、本稿で主に論じることが求められたのは「家庭内喫煙」の規制問題である。前置きが若干長くなってしまったが、筆者の基本的考え方は、規制の対象とされるべき受動喫煙とは、人の疾病原因となることについてエビデンス(証拠)のある受動喫煙に限られるというものである。確かに、たばこ煙をごくわずかでも浴びることは不愉快ではあるが、「不愉快」を法規制の根拠とする妥当性はあるのだろうか。健康被害を生じるからこそ規制の必要が認められるのではないか。 次に、本稿の主題である家庭内喫煙規制について検討しよう。その検討の大前提として、成長過程にある子供の健康保障の重要性は明白であり、過保護にならない範囲で、子供は受動喫煙に限らず、あらゆる健康上の危険からできる限り保護されなければならないということを確認しておきたい。そしてこのことは、家庭の内外を問わず、同一の要請である。「法の介入」境界線は 残念なことではあるが、現代社会に生きる子供の身の回りには危険が満ちあふれている。それらを除去するか減少させることは大人の責任であり、それは受動喫煙危害に限らない。とりわけ子供の家庭内事故の原因をみてみると、受動喫煙などよりももっと防止策を講じなければならない危険が多数存在する。子供の生命身体の安全に直結する危険が家庭内に多数ある中で、なぜ今、家庭内受動喫煙だけを多種の家庭内危険からわざわざ抜き出すのか。子供を受動喫煙から守るという一般受けする名目で、隠された別の目的の達成を模索しているのではないか。 喫煙が好ましくない行為であることは論をまたない。しかし、子供を守る必要というなら、より大きな危険を防止する責務も併せて保護者に課す必要を検討しないのか。子供の家庭内事故で多いのは溺死、転落、やけど、誤飲など、命にかかわるものが少なくない。家庭内での子供の健康保全ということを目的に新たな法規制を検討する際には、規制目的を達するための方法や内容が均衡のとれたものである必要がある。 ところで、子供を守る必要があるとはいえ、家庭内まで法規制の対象とすることは妥当だろうか。家庭内は基本的には私的領域として、家族の自律に委ねられるべきであり、プライバシーの領域にまで法が踏み込むことには謙抑的であるべきだ。法学の世界には「法は家庭に入らず」という格言がある。家庭内にも適用されることが当然である刑法ですら、刑の免除という形ではあるが、親族間の窃盗のように法が家庭に入ることを控えている部分がある。 もちろん家庭内を規制対象とする法制も珍しくはない。児童虐待防止法やドメスティックバイオレンス(DV)防止法、消防法などがそれにあたる。しかし、これらは直ちに人の安全にかかわる問題であり、窃盗や受動喫煙とは危険の性質が異なる。長期的な健康への影響という観点で、受動喫煙問題とシックハウス問題などは共通の性格であろう。(iStock) 法が家庭内にまで介入しなければならない問題と、介入を控えるべき問題の境界線をどこに求めるか。この点について考えるとき、考慮されるべきは、介入の必要性、介入することによって確保される利益と、法が家庭内に介入することによるプライバシー侵害の程度、代替手段の存否、これらを総合的に勘案する必要があろう。法令で家庭内のケースを規律するということであれば、法執行機関が家庭内に入ることは必然であり、それが許されるのはどのような場合に限られるかということが問題となる。 提案者によると、今回の条例案は、子供のいる家庭内での喫煙者の心構えを説いた「理念条例」にすぎないとのことであり、罰則は規定されていないので、公権力が家庭内に介入することは考えられない。しかし、都民ファーストの会によると今後、罰則規定の追加もあるとのことなので、この問題はあらかじめしっかりと検討しておくべきであろう。ましてや、この条例案と同じ趣旨の豊島区案では、家庭内違反行為を他人が公権力に通報できるという条項まで置かれていた。 日本国憲法は、他人の法的保護に値する権利利益を侵害しない限り、個人の私事に関する自己決定権を保障している。子供はこの権利を十分に行使できないからこそ、大人が子供に十全の保護を与える必要がある。この憲法上の枠組みを所与の前提として、子供の受動喫煙防止策や一般的受動喫煙防止策を検討すべきである。現下の受動喫煙防止の主張は、この大前提を踏まえたものとなっているだろうか。たままき・ひろみつ 東海大学名誉教授。昭和27年生まれ。上智大大学院法学研究科修士課程法律学専攻修了。東海大法学部助教授、同教授などを経て現職。専門は行政法。神奈川県たばこ対策推進検討会座長を務める。

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    都条例など生ぬるい! 実は120年前に「未成年者禁煙法」があった

    薗潤(日本タバコフリー学会代表理事、医師) 受動喫煙によって年間1万5000人の死亡をはじめとする命にかかわる健康被害が明らかになっている現在、「何人たりとも受動喫煙で死なせない」という大原則を忘れてはならない。子供だけでなく大人を含めた全ての人を守る「分煙を認めず」「例外なし」で「罰則(過料)付き」の受動喫煙条例や法律の制定が絶対に必要である。 「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」(以下、条例と略)が「万人に対して受動喫煙を防止する法律や条例」の上乗せとして、特に自らの意思で受動喫煙を避けることが不可能な子供を特別に保護するという趣旨なら理解できる。しかし、大人をも守る包括的な「都民を受動喫煙から守る条例」が制定されないのであれば、本条例は子供を隠れ蓑(みの)にした弥縫(びほう)策との誹(そし)りを免れないであろう。本文と画像は関係ありません 子供は心身ともに健やかに成長する権利を有しているが、その権利を大きく侵害するのが児童虐待であり、児童虐待は犯罪である。虐待を受けた児童には、たばこの火の押し付けによるやけどの跡がよく見られるが、そもそも子供を受動喫煙に曝(さら)すこと自体が児童虐待であるという認識が必要である。 乳幼児突然死症候群の三大リスクの一つに、受動喫煙が挙げられていることは言うまでもない。米国小児科学雑誌に掲載された論文では、受動喫煙に曝された子供の尿中からは、高濃度のコチニン(ニコチンの代謝物)が検出されている。また寒冷地では、特に冬場に窓を閉め切った自家用自動車に子供を乗せる機会も多く、保護者の車内喫煙による子供の歯肉の着色変化も観察されている。 大気汚染で悪名高い微粒子物質PM2.5の環境基準濃度は35μg/m3であるが、窓を閉めた車内での喫煙では1000μg/m3を超えることがあることも証明されている。 2015年から英国のイングランド・ウェールズ地方では、18歳未満の同乗者がいる車内で喫煙すれば、罰金50ポンド(約7500円)が科せられているという。この措置がなされた背景には、英国医師会の強い働きかけがあったと聞いている。今回の条例提出には、同様に東京都医師会や弁護士の強い働きかけがあったと推測する。子供の権利を守る専門職からの条例提案を、議会が重く受け止め、条例が成立・実施されることを希望する。明治時代の「喫煙禁止法」 条例第8条は、子供が同乗している自動車内における喫煙の制限(禁止)を規定している。将来は英国に倣い、子供が同乗している車内での喫煙に対しては、行政罰で裁判の不要な過料を科すのが望ましい。私的空間に対する行政の介入ではないかとの批判は当たらない。自家用車内は私的空間だが可視化されており、特段の監視装置がなくても、子供の同乗や車内の喫煙行為の有無を目視できる。子供が受動喫煙に限らず体罰を受けていることが確認されれば、行政が介入するのは当然である。 条例第6条が規定している家庭等における受動喫煙防止については、家庭の中まで行政が監視することは実際には困難だ。しかし、第8条に子供が同乗している車内での喫煙禁止の規定がある事が、保護者の意識改革を促し、ひいては家庭内での受動喫煙防止にもつながると確信する。 条例第7条の受動喫煙防止措置がなされていない飲食店・ゲームセンター・カラオケボックスへの子供の立ち入り禁止は、保護者に対する注意喚起にとどまらず、各店舗の完全禁煙化に拍車がかかるものと期待できる。また、コンビニ等の入り口周辺の受動喫煙対策も規定すべきであろう。画像と本文は関係ありません 条例第9条の公園等受動喫煙防止規定も、公園や広場のベンチが喫煙者に占領され、受動喫煙被害を受けずに公園を利用することが困難な現状を考えれば当を得たものである。特に児童が多く利用する児童遊園においては、喫煙を禁止すべきである。第10条の学校・福祉施設周辺、第11条の小児科医療施設周辺の路上での受動喫煙防止について、第11条では7m以内と具体的規定があるが、第10条でも同様の規定をするべきである。スポーツクラブ指導者などの学校利用者が、近隣路上で喫煙し、苦情が来ても具体的規定が無いと注意できないからである。 また、第9・10・11条は、わざわざ分ける意味はなく、児童を含む不特定人々が利用する施設の周囲10メートル以内は一律禁煙とし、第8条の自動車内での規定と共に、罰則付きとすべきである。 日本には、1900(明治33)年に施行された未成年者喫煙禁止法があり、120年以上前に、世界に先駆けて未成年を喫煙の害から守ろうと提案した衆院議員、根本正らの慧眼(けいがん)と功績は特筆に値する。第1条で「満20年に至らざる者は煙草を喫することを得ず」と規定し、続く条文で違反した親権者や代理監督者・販売者に対する罰則を定めている。当時は、受動喫煙の危険性については全く知られていなかったため、受動喫煙防止の条文は見当たらない。国でも法改正を しかし、現在では受動喫煙の主な発生源の副流煙には、主流煙よりもはるかに多い有害物質が含まれており、PM2.5も危険域に達することは医学的には常識である。未成年者を喫煙の害から守るという本法律の趣旨にのっとり、「喫煙の定義に受動喫煙を含む」とすれば、法律により未成年者を受動喫煙から守る事ができる。 東京都の条例成立を機に、国でも未成年者を受動喫煙から守るべく、未成年者喫煙禁止法の改正と活用を要望する。 なお、民法で成人の定義が18歳以上に最近改正されたが、この法律は独自に年齢を定めているので、影響を受けない。 この条例は、対象を子供に限定することにより、受動喫煙被害は子供だけの問題ではないという真実が伝えられない危険性を有している。屈強な大人であっても、受動喫煙で命を奪われる。受動喫煙被害の深刻さを理解していない大人も、平気で完全禁煙でない飲食店を利用している現状がある。完全禁煙でない職場で働く人々、例えば飲食店の従業員や受動喫煙対策がなされていない会社の従業員など、概して弱い立場の人々も、全く守ることができない。厚生労働省研究班の調査でも、日本で毎年1万5000人の非喫煙者が受動喫煙で死亡していると推計しており、人々に対する受動喫煙の暴力性・危険性は、すでに医学的には明白であるからこそ、法律や条例で人々を守る必要がある。堺市役所本館11階の議会フロアにある喫煙室 「分煙」や「喫煙室設置」は、受動喫煙被害の深刻さを認識できていない人たちや、弱い立場の従業員が職場で受動喫煙被害を強いられる現状の容認・放置に他ならない。きれいな空気を呼吸し健康を享受することは「基本的人権」であり、職場における回避不可能な受動喫煙被害は「人権侵害」である。罰則付きの法制化は「何人たりとも受動喫煙で死なせない」「職場での受動喫煙被害から全ての労働者を守る」という大原則の実効性担保に、絶対必要である。 「分煙」を推進したものの、受動喫煙防止ができないことが判明し、完全禁煙となったスペインの例がある。「分煙」を認める事は、日本が世界保健機関世界保健機関(WHO)の「たばこ規制枠組み条約」FCTC批准国でありながら、五輪・パラリンピックを前にしても誠実に履行できない国として、世界から厳しい批判を受けることになると思われる。 したがって、本条例とは別に東京都が作る受動喫煙防止条例は、本来なら国が作るべき「分煙を認めず」「例外なし」で「罰則規定付き」の受動喫煙防止法同様、2020年の五輪・パラリンピック開催都市としてふさわしいものでなければならない。

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    【爆笑座談会】「禁煙ファシズム」に断固反対!

    永卓郎(経済アナリスト)×栗原裕一郎(評論家)司会:山森貴司(喫煙文化研究会事務局長)山森 今日は「禁煙ファシズム断固反対! 愛煙家大集合スペシャル」と題して、ニコニコ動画の配信元・ドワンゴの喫煙室からお送りいたします。山路 本番中にタバコを吸えるなんてあり得ないですね。いまは控室でも吸えないでしょう。でも、こういう番組があってもいいですね。森永 10年ぐらい前まで、『朝まで生テレビ』では吸えたんですよ。それがいつの間にかスタジオの隅に喫煙コーナーができて、今やスタジオからかなり離れた喫煙所まで行かないと、吸えない。CMの時間が2分か3分しかないので、猛ダッシュです。出演者によっても違うんですけどね。一流タレントは吸える。われわれ二流は吸えない。山路 確かに昔、筑紫哲也さんが『ニュース23』の時に吸ってたもの。VTRに入るとバーンと灰皿を置いてね、マルボロにこうやって(火を点けて、煙を吐きながら)「見ようか」。(一同爆笑)山森 「森卓さん、痩せた」というコメントが入っていますけど。森永 ああ、そうなんです。某ライザップに通って、20キロ体重が落ちて、ウエストは23センチ縮んだんです。1年半前まで糖尿病だったんですけど、それも治っちゃいました。山森 ダイエット中、タバコはどうしていたんですか。森永 タバコがなかったら続けられないですよね。「今日も元気だ、タバコがうまい」って。栗原 タバコにドクターストップはなかった?森永 私の主治医はまったく言わなかったですね。これはお医者さんによっても、意見が分かれるんですけど、年を取ったら、禁煙するストレスの方が、健康に悪いって言いますよね。山森 ところで、今日、5月31日はどういう日かご存じの方……。森永 はい(挙手)! 今日は「世界喫煙デー」です。(一同爆笑)山路 この間あるテレビ局に行ったら、喫煙ルームに「5月31日は禁煙デー」というでっかいポスターが貼ってあったんですよ。無言の圧力を感じましたね。嫌がらせとしか思えない。山森 その通り、今日はWHО(世界保健機関)が定めた「世界禁煙デー」ですが、禁煙デーがあるなら、森永さんがおっしゃるように「世界喫煙デー」があってもいいですよね。森永 何のために禁煙デーなんて定めるのか、全く理解できない。だって、別にいいじゃないですか。他人に迷惑をかけないで、バンバン吸えば、社会保障は確実に良くなる。厚生労働省の研究班の調査によると、タバコを吸うと3年半寿命が縮む。だったら、その3年半、年金を支給しなくて済むわけでしょう。年金給付財源が、大体30パーセント以上カットできる。 だから一度ね、厚生労働省に直談判に行ったことがあるんですよ。私、ノーギャラで出るから、「タバコを吸って、早く死のう 社会保険庁」、こういうポスターを作りませんかって。(一同爆笑)実際の喫煙率は意外と高い?世界一規制が厳しい日本山森 ここで視聴者アンケートに行きます。あなたはタバコを吸いますか? 「①吸う」「②IQOS(アイコス)のような電子タバコを吸う」「③吸わない」……おっ! すごい。「吸う」が54・7%……。JT調べでは全体の喫煙率は19・3パーセントというデータがあるんですけどね。森永 それは「吸っている」と言いにくい世の中になったという影響もあるんじゃないですか。山森 「IQOSのような電子タバコを吸う」人が1・8パーセント。森永 意外と少ないですね。山森 栗原さんはIQOSじゃないですか。栗原 はい。最初は興味なかったんですけども、すごい品薄で、手に入らないと言われると欲しくなるじゃないですか。どうすれば買えるのかなと思って、ふらっとセブンイレブンに入ったら、たまたまあったんですね。それで、買って吸い始めたんですけど。森永 どうですか?栗原 うまくないですね(笑)。森永 日本は世界で最も遅れた喫煙大国だってよく言いますよね。だけど、海外では大体、屋外や路上はOKなんですよ。飲み屋とかに行くと、テラスで吸える。だけど、日本は狭いからテラスがない。で、路上では一切禁止。世界で一番喫煙規制が厳しいのは、私は日本だと思いますよ。山路 2020年オリンピックまでに禁煙を徹底するという話があるじゃないですか。けれど、海外からくる人たちの中には、当然スモーカーもいるわけでね。そういう人たちに対してはどうなのかなって思ってね。森永 いまの厚生労働省の屋内全面禁煙法案の一番の問題は何かって言うとね、元々受動喫煙防止って言っていたのが、今の法案の中身というのは、喫煙者を殲滅(せんめつ)しようという方向になっているでしょう。山路 そもそも喫煙者をなくしてしまえというのが今の厚労省なんですよ。森永 レストランとかで、完全に仕切られた喫煙ルームを作るというのは、新しい法律の下でもOKなんですけど、その喫煙ルームに飲食を提供したとたんに、罰則の対象になるんですよ。喫煙ルームに料理を運ばせたら、配膳係が受動喫煙の害を受けるから。それなら喫煙者の客が厨房まで料理やお酒を取りに行けばいいじゃないかというと、それもだめなんですよ。だから結局、問題は受動喫煙じゃないんです。喫煙者というマイノリティを……。山路 まさに殲滅しようと。だから、この喫煙とか禁煙の問題ってね、健康の問題以前に、やっぱり僕は民主主義の問題だと思いますよ。われわれのような少数派が生きていける社会でなければ民主主義の国ではないわけでね。ただ、ちょっと気持ち悪いのは、環境がそうなっていくと、自分の心の中に抑制的なものが働くようになるんですよ、ファシズムに負けていきそうなね。喫煙者だということがイコールだめな人間であるかのような雰囲気があるじゃないですか。だから口に出しづらくなって、声を上げるのも難しくなるという……それはやっぱりちょっと危険だなって思う。 戦争が起きる時ってそうなんですよ。みんなが戦争に向かって行くと、言葉に出せなくなっていく。だからナチス支配下のドイツ人にもナチスに反対していた人がいるんですよ。けれどもそれは声として響いていかなくなってしまう。独裁者と禁煙運動森永 山路さんがおっしゃったことはとっても重要でね、ヒトラーにしろ、ムッソリーニにしろ、独裁者は禁煙運動を推進するんです。結局、自分と違うライフスタイルの存在を認めないということです。山森 『禁煙ファシズムと戦う』という本を出された栗原さんは、その点いかがですか。栗原 うーん、やっぱり副流煙の問題ですよね。煙が出るようなものでなければ、個人の嗜好ということで、勝手にすればっていう話だと思うんですけど、副流煙で二次被曝とか、三次被曝とか今取りざたされているじゃないですか。問題はそこなんですよね。森永 でも、例えば明日から量販店とかスーパーで安く売っているお酒が一斉に値上がりするんですよ。政府から調査が入って、適切な利益を確保していないということになると勧告が行われて、従わなければ処罰されるんです。別に赤字を出して売っているわけではないんですけど、なぜ安い値段で売れるかっていうと、メーカーから報奨金が出るんですよ。それを値段に織り込んでいるんですね。あらゆる食品がそういう構造になっているのに、なぜお酒だけが狙われたかって言うと、お酒は健康に良くないからといういじめでしかない。 で、まだ法案にはなっていないんですけど、いま厚生労働省は喫煙対策と同時に、新しくアルコール対策の部署を作って……例えばね、居酒屋で飲み放題コースを禁止するって言っているんですよ。山路 それはおかしいですよね。森永 要するにタバコも吸わなきゃお酒も飲まないというライフスタイルを国民全体に強要しようとしているんです。 だけどね、そんなのはほっといてくれって。だってサラリーマンをやっていたら、必ずバカな上司とかわけのわからない客がいて、ストレスがたまるわけですよ。それで居酒屋に行って、「バカヤロー」って上司の悪口を言いながら酒を飲んで、タバコをバーッて吸うのが一般的なサラリーマンの姿だった。酒もタバコも禁止されたら、それは長生きするかもしれないですよ。でも、それで長生きして何が楽しいんだっていう話ですよ。山森 小池百合子都知事の都民ファーストの会では、オリンピック・パラリンピックに向けて独自の受動喫煙防止条例を制定すると言っています。室内全面禁煙は当然で、家庭でも子供がいる場合は吸ってはいけない。努力義務にするのか、罰則をつけるのかはまだ検討中らしいんですが、家庭生活まで規制される恐れがあるわけです。山路 家庭でもだめなの? ああ、恐ろしい。森永 それこそライフスタイルへの権力介入ですよ。栗原 猪瀬直樹さんが最近IQOSに替えたんですが、某週刊誌によると、小池さんからもらったらしいですよ。山路 何で小池さんが猪瀬さんにIQOSをプレゼントするんですかね。栗原 何かそのへんで、いろいろ忖度があったらしいですよ。(一同爆笑)森永 猪瀬直樹さんはすごいヘビースモーカーで、『朝まで生テレビ』の打ち合わせをしている部屋で、猪瀬さんがタバコに火をつけたんですよ。そうしたら、ディレクターが血相を変えて飛んできて、「猪瀬さん、ここ禁煙なんで」って言ったら、「知ってるよ」って。(一同爆笑)それでディレクターが灰皿を持ってきたんですよ。テレビ朝日にも灰皿はあるんだな(笑)。古きよき曖昧さ…「曖昧なやさしさの社会」崩壊森永 国鉄の民営化の時には、鉄道共済が破綻状態だったんですね。その旧国鉄職員の年金の支払いにタバコの税金を当てているんですよ。だから私は「JRに禁煙を強制する権利はない」って言ったんですけど、JR東日本は聞く耳を持たない。 私はタクシー会社にも提案したんです。お客がタバコを吸えるタクシーを、タバコから煙が出ているマークの行燈をつけて走らせたらどうですかって。そうしたら、「そんなことをしたら、嫌煙団体が押し寄せて会社はつぶれてしまいます」って言うわけ。山路 それこそファシズムですよ。JR東海には喫煙車両があるから、それを探して乗るんだけど、この間、時間に遅れそうになって滑り込みセーフで乗り込んで、席に座っていざ吸おうと思ったらタバコを切らしていた。三島で止まるひかり号だったから、車掌さんが三島のキオスクが開いていると思いますからと、わざわざ扉まで案内してくれて、「3分くらい止まりますから、どうぞ」って。ところが、キオスクがもう夜で閉まっていて、車掌さんが申し訳なさそうな顔をしていた。森永 JR東海はまだましで、JR東日本は全部禁煙なんですよ。それでたばこを吸う唯一の手段は、秋田新幹線と山形新幹線は福島と盛岡で切り離すときに2、3分止まるので、その瞬間にダッシュして、喫煙所でパーッとタバコを吸って戻る。ところが、これがすごく危険で、ちょっとでも遅れたら、荷物だけ先に行っちゃう。栗原 吸わない人はそういう喫煙者の泡食った姿というのも嫌いなんですよね。喫煙所でせせこましく吸っている姿というのも嫌いだし、あと、副流煙の害がどうこうという統計的な話よりも、匂いが嫌だという人が多いと思うんです。山路 匂いが嫌だというのなら、タバコだけじゃなくて、加齢臭とかいろいろあるじゃない。森永 いやいや加齢臭だけじゃなくて、私、通勤電車に乗っていたとき、女の人の香水の匂いで、吐きそうになったことがある。山路 匂いがイヤだって言われてもねえ。別に匂いで健康被害が及ぶということはないわけだし。栗原 まあ、加齢臭はしょうがないじゃないですか。でも、タバコは主体的に吸うものですから。山路 (栗原さんを指して)さっきから隅っこで禁煙者みたいなことを言っているよ。栗原 だってみんな同じ意見を言っても、しょうがないじゃないですか。(一同爆笑)森永 私、昔専売公社にいたんですが、受動喫煙の影響を調べる時は、ジュラルミンか何かでできた、もう超完全密閉空間の中で、計測するんです。そうしないと、影響が出ないんですよ。だから、外で吸っていて大きな受動喫煙被害があるというのは、少なくとも病理学的には、まったく立証できないんだと思いますよ。山森 私、厚生労働省に電話をして聞いたんです。受動喫煙に対して明確な定義がない。では例えば東京ドームの一塁側でたばこを1本吸ったとすると、三塁側の人が受動喫煙の被害を受けるんですかと。そうしたら「そうです」と答えたんです。山路 ええっ。森永 だからそこが一番の問題で、もうタバコの微粒子ひと粒たりとも許さないという……。だって世の中、人間が暮らしていれば、騒音にしても、いろんなことで摩擦は起こるわけですよ。かつての日本は、私は「曖昧なやさしさの社会」って呼んでいたんですけど、お互いちょっとずつ我慢をして、みんなで共存しましょうよっていうことだったんですけれど、いつのまにか自分たちの権利を全面的に主張する社会になった。 例えばアメリカだと、パーティに呼んだ友人が、真冬だったから庭の飛び石が凍り付いていて、滑って転んでけがをした。そうしたらその友人が、招待した側を庭の管理不届きで、裁判で訴えた。これがみんなが権利を主張する社会なんですね。タバコ問題が派生した背景栗原 タバコが問題になる前に日照権がある。日照権の問題から派生して、たばこの嫌煙権に発展するという流れがあるんです。だから嫌煙権というのは発見されたものだったんですね。たぶん受動喫煙について100パーセントの因果関係を証明することはできないと思うんですよ、いつまでたっても。でも、可能性があるというレベルでも、「嫌だっていう人の人権は?」という話になっちゃう。じゃあ吸う人の人権と吸わない人の人権はとなると、やっぱり吸わない人の人権の方が強いわけですよね。微粒子1個たりとも許さないというPM2・5的な主張も成立してしまう。分煙も結局、喫煙ルームから出た瞬間にタバコ微粒子がまとわりついて出てくるという。森永 そこまで極端な権利主張をするのはたぶん一部の人、せいぜい2、3割の人がそう思っているだけで、タバコを吸う人が2割とすると、その中間層の6割ぐらいは、まあ、横で吸われたら嫌だけど、1粒たりとも許せないというほどではない人たちじゃないかな。加齢臭とフェロモン栗原 でも最近は三次副流煙みたいなことが言われているじゃないですか。髪の毛とかについているタバコの匂いとか、粒子が、健康被害を起こすんだっていう論調が出てきている。やっぱり匂いだと思うんですよね。一番嫌なのは。おじさんが嫌がられるのは加齢臭じゃないですか。森永 そこら辺はどうなんですか、山路さんは? 加齢臭も口説きの道具に使っているんですか。(一同爆笑)山路 僕には加齢臭はないんですよ。この間ある番組で、男の匂いというのをやったんだけど、僕にはなかったの。森永 はあ……それがモテる要因ですか。(一同爆笑)山路 あのね、番組でやっていたのはね、男の匂いは男には分からない……女にしか分からないんだって。栗原 それは加齢臭とも違うんですか。山森 加齢臭っていうけれど、実はそれはフェロモンの一種で、いやな匂いがするから加齢臭という言い方をしているだけなのかも。栗原 嫌いな人の匂いは加齢臭で、好きな男のはフェロモン。あ、でもタバコも人によりますよね。「タバコの匂いがした」って宇多田ヒカルも歌っているじゃないですか。山路 前にアニメかなんかで、戦時中の話なのに、タバコのシーンが出てくるからって圧力団体みたいなのが抗議したことがあったじゃないですか。山森 宮崎駿監督の『風立ちぬ』ですね。日本禁煙学会が猛抗議しました。山路 それもありえない話でね。その時代の文化まで否定してしまうんじゃね。栗原 でもあの団体はタバコが出てくるかどうかで、映画の価値を決めますからね。喫煙シーンがあるともう0点ですから。ハリウッドでも、昔の映画から喫煙シーンをCGで消しちゃったりするという傾向があるじゃないですか。山森 自主規制ですね。先ほどの森卓さんのタクシーの話も実は法律で決まっているんじゃない、自主規制なんですよね。森永 そう。この間、福岡で個人タクシーに乗ったら、「タバコ吸っていいですよ」って言うんです。「福岡にも喫煙タクシーはあるんですね」って喜んで吸い始めたら、「僕はライフワークとして抵抗しているんですけど、ついに福岡では僕だけになりました」って。山森 もし法律や条例で禁止されたら、飲食店はどうなるんですかね。森永 アメリカの禁酒法の時代とまったく同じことが起こると思いますよ。地下に潜って、喫煙居酒屋というのが出来て、見張りが「警察が来たぞ」って言うとパッとたばこを消して……。栗原 でも匂いが残るじゃないですか。森永 だからそこに癒着が生まれるんですよ。たぶん暴力団の資金源になって行くんじゃないかな。アメリカでまさにそれが起こったわけですよね。分煙と経済学の関係性栗原 経済学的にはどうなんですか。お店が主体的に禁煙、喫煙を分けて、それをお客さんが選べばいいだけですよね。森永 それが自由主義経済の基本。栗原 そこをお上が規制しようとするから、話がおかしくなる。森永 横浜市が先進的に禁煙条例を作って、飲食店でタバコを吸わせないようにしたんです。そのときに、松沢成文さんが県知事をしていたのかな。で、「何でそこまで喫煙者いじめをするんですか。僕はもう横浜では二度とお酒を飲みませんよ」って言ったら、「それでもいい」って……。「何でいいんですか」って聞いたら、松沢さんは「これは僕の信念です」って答えたんです。山路 信念と言えば聞こえはいいけどね、結局、独善的な正義みたいなものじゃないですか。ネットでいろいろ書き散らしている意見が、社会を闊歩している感じで嫌ですよね。森永 結局数の暴力ですよね。明らかに潮流が変わったのは、男性の喫煙率が、5割を切った瞬間から。それから猛烈な圧力がかかるようになったんですよ。過半数を制したら、何をやったってかまわないっていう思想が背景にあるんじゃないかなって。山路 嫌な世の中だな。タバコ嫌いの彼女とは別れなさいドワンゴ ここで視聴者の皆様から寄せられたご意見やご感想を紹介したいと思います。まずは東京都の36歳男性です。「私の住んでいるマンションでは、最近ベランダでタバコを吸うことができなくなりました。そんなマンションならそもそも大金を出して買わなかった。だまされた気分でいっぱいです。管理人に文句を言いたいのですが、どのような言い方をすれば、角を立てずにこの悔しい気持ちを伝えることができるでしょうか」山森 これ、実は裁判になったことがありました。ベランダで吸うのは傍迷惑だという結論が出て5万円の罰金刑が適用されています。山路 それはタバコを吸うと、隣の洗濯物に匂いが付くとか、そういう実害がやっぱりあったということなのかな。換気扇の下で吸うのはだめなの?栗原 換気扇も結局ベランダと変わりませんね。森永 私は部屋の中で普通に吸っているんですけど、最近の空気清浄機は結構いいので、大丈夫ですよ、部屋の中で吸っても。山路 それか最高裁まで戦う。ドワンゴ 次の質問に行きます。「付き合って3カ月の彼女がいるのですが、タバコの煙が嫌いなため、僕が吸った後は、いっしょにいてもイチャイチャさせてくれません。彼女にタバコの良さを知ってもらうにはどうしたらいいでしょうか」。山路 タバコの良さを知ってもらおうなんて思わないほうがいい。それは押し付けになるから。僕は女性と言わず男性でもタバコを吸わない人の前では吸わないんですよ。森永 でも匂いは残るじゃない。山路 会う時は吸わなきゃいいんじゃない。栗原 でも一緒に住んでいるんじゃないですか。閉鎖空間で2人きりの時はどうするんですか。山路 でもね、煙がだめだとか、匂いが嫌だとか言っている女性と彼とはそもそも合わない。相性の問題です。別れなさい。(一同爆笑)。 いやこれ冗談じゃなくて、一事が万事で、むりやり一緒にいても、やっぱりそういう問題が出てくるから。僕はきっぱり別れた方がいいと思いますよ。栗原 それ、強者の論理だと思うんですよ。モテ男の論理。山路 そんなことないですよ。森永 好きになると運命の人だって思い込みがちですけど、意外と他の人でもOKだったりするので、だめだったらすぐ次を探すというのでいいんじゃないかと。ドワンゴ 続いての質問に行きます。「たばこが嫌いな女子大生です。山路さんの大ファンなのですが、山路さんがタバコを吸っていることだけが、マイナスポイントです。好きな女性からタバコをやめてと言われたらやめてくれますか」。山路 僕はやめられないなあ。何かを選んだり、何か物を買ったりする時にね、男って女の子を基準に考えるんですよ。これ買ったら女の子に受けるかなとか、モテるかなとか。僕はその考え方は10年前に捨てたんです。自分の人生を生きているのに、他人に何か言われたくないっていうかね。だから申し訳ないんだけど、やめません。ジャニーズが吸ったら…「喫煙」を過疎対策に栗原 例えばキムタクは、ドラマの決めのシーンでいまもタバコを吸ったりするじゃないですか。あれをどういう風にみんな見ているのか知りたくてね。一同 ああ。山森 それアンケートかけますか。栗原 ジャニーズがたばこを吸うシーンはカッコいいと思うかどうか。森永 カッコいいんじゃないですか。私、テレビ局で3メーター先にキムタクを見かけたことあるんですけど、すごくカッコいいんですよ。オーラが全然違う。ドワンゴ アンケートの結果が出ます。一同 おおお。山路 ほら、半数近い。森永 だから喫煙シーンが何でもかんでもバツっていうのは、やっぱり文化への冒瀆だと思うんですけどね。そのシーンが悪いってみんなが思うんだったら、結局、その映画とかテレビ、誰も見なくなるんだから。ほうっておけば自然に淘汰されるものを力によって押さえ込むというのは……。山路 スクリーンから匂いはしないし、受動喫煙もないわけだから、映画ぐらいはちょっと勘弁してもらわないとなあ。栗原 タバコの広告が規制されたのは、青少年に悪影響があるからというロジックですよね。それをカッコいいと思わせてしまうような演出が良くないという。それを見て未成年者が喫煙を始めてしまう恐れがあるというロジックで規制されていったんですよね。山路 いま転換期に来ていて、これがもうちょっと成熟してくると、広告を打っても吸わない人は吸わないし、カッコいいとも思わないようになる時代や世の中が来るとは思うんですよ。いまはこの混乱期をどう乗り越えるかというのが大事で、だからこそあんまりファシズムで押されてくると、何にも生まれない。むしろ成熟させるために、もうちょっと少数派の存在を認めるべきじゃないか。森永 そう、だから、共存共栄の道をどう探るかという建設的な議論をしなきゃいけないのに、喫煙者いじめだけに走っているのがおかしい。栗原 でも人権とか、民主主義の問題とかはありますけど、この趨勢で行くと、われわれは淘汰されますね(笑)。森永 ここまで来たら、日本を県別に喫煙県と非喫煙県と非武装中立県に三分割するのがいいんじゃないかと思う。山路 緩衝地帯かなんかを作ってね。それは過疎対策になりますよ。タバコを吸いたい人はこの村に来てくれれば吸えるぜって。そうしたら喫煙者がワーッと集まる。栗原 喫煙県はやっぱりドームで覆うわけですか。森永 いや、いや。高い壁で仕切れば、オープンエアですから大丈夫ですよ。そして真ん中に非武装中立県を作る。栗原 でも、IQOSを吸っていると、匂いがそんなに気にならないはずなので、いずれこっちにいくんじゃないかという気がするんですが、森卓さん、どうですか。森永 サンプリングやっている時に1回吸わせてもらったんですけど……うーん、ちょっと勘弁してほしいです。山路 手を出す気にもなれないなあ。僕はセブンスターひと筋なんで。森永 はあ……(溜息)。いやまあ、いろいろ環境は厳しくなりつつありますけど、私、個人的にはたばこを吸い続けて早く死んで行こうと思います。……社会に迷惑をかけず、多額の税金を納め……別に仲間を巻き込もうとは全然思っていないので、ただ一言……ほっといてほしい。(一同笑)始める前に、まず一服……やまじ・とおる昭和36年、東京都生まれ。TBSテレビ、テレビ朝日系プロダクションを経て、平成4年に独立し、国内初の紛争地専門の独立系ニュース通信社APF通信社を設立。ビルマ、ボスニア、ソマリア、カンボジア、アフガニスタンほか、世界の紛争地を精力的に取材する。近年は、国内の事件、事故、災害、社会問題などの調査報道にも取り組む。もりなが・たくろう昭和32年、東京都生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。日本専売公社、日本経済研究センター、経済企画庁総合計画局等を経て、平成3年から(株)三和総合研究所(現:三菱東京UFJリサーチ&コンサルティング)の主席研究員。現在は獨協大学教授。専門分野はマクロ経済学、計量経済学、労働経済、教育計画。ミニカーなどのコレクターとしても有名。くりはら・ゆういちろう昭和40年、神奈川県生まれ。東京大学理科一類除籍後、文芸、音楽、美術、経済など多岐にわたるジャンルで評論活動を行う。平成17年、小谷野敦・斎藤貴男氏との共著『禁煙ファシズムと戦う』(ベスト新書)を上梓。20年、『〈盗作〉の文学史』(新曜社)で第62回日本推理作家協会賞を受賞。近著に『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(共著。イースト新書)

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    「分煙先進国」日本の知恵と技術を生かそう

    秦郁彦(現代史家)屋内ばかりか屋外もアウト 2020年の東京五輪に向け、受動喫煙対策の強化を狙う厚生労働省の健康増進法改正案が立ち往生している。たばこ議員連盟(野田毅会長)の主導する自民党が阻止する構えを崩さないからだ。 通例だと政権与党の対立は内輪の暗闘にとどまり、メディアが騒ぎ出す以前に双方が歩み寄ることで収拾されてきた。そうならなかったのは「スモークフリー(たばこのない)社会に向けて歴史的一歩を踏み出さないといけない」と意気込む塩崎恭久厚労相の挑戦的姿勢が一因かと思われる。 厚労相の発言を聞いて、さては1920年から33年まで施行され、「酒のない社会の実験」と評されたアメリカの禁酒法にならい世界最初の完全禁煙法を目指しているのか、と忖度(そんたく)する人がいるかもしれない。 一挙に禁煙法まで行くのは無理だろうが、厚労省案が実現すれば、日本がたばこ規制では世界中でもっとも厳しい国になるのは、ほぼ間違いない。屋内喫煙はアウトだが、野外はセーフというのが世界の大勢なのに、わが国は屋内ばかりか屋外もアウトの範囲を広げつつあるからだ。 屋外禁煙という日本独自の手法が生まれたのは、15年前の2002年に制定されたポイ捨てや路上喫煙を禁止する千代田区の条例が最初で、マスコミの話題を集めた。 28カ条からなる「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」は、自宅周辺の清掃、防犯カメラの設置、吸い殻、空き缶等の投げ捨て禁止、違法駐車の防止と幅広いが、区長が指定した路上禁煙地区等の道路上における喫煙とポイ捨てを禁止していた。違反者には「2万円以下」の過料(罰則)となっていたが、トラブルを避けるため2000円しか徴集しないという戦略は成功した。( iStock) 徴集に出かけるパトロール隊(現在は22人)を、発案者の区長が高層階の自室でたばこを吸いながら見送っているとか、隣区との境界をまたいで立ち、1000円に負けろとごねた人士もいたらしい。難解をきわめる区条例 こうした華々しい宣伝効果のせいか、たちまち全国の自治体に波及、今や東京23区のうち22区(残る1区は渋谷区)、全国では243の市区町村が類似の条例を施行している。次々に疑問がわく条例 ただし適用区域の広狭、罰則の寛厳はまちまち、それに追加や改正も加わるので、全容を把握している人は皆無だろう。私も23区の関連条例に目を通し比較検分を試みたが、難解すぎて何度読んでも頭に入らない。40年住んでいる目黒区の「ポイ捨てなどのないまちをみんなでつくる条例」(2003年)も同様なので困惑していたところへ、2017年6月25日付の「めぐろ区報」が届いた。そのなかに「めぐろたばこルール――区内での喫煙のきまり」を見つけたので、次に要点を転記しよう。①たばこのポイ捨てや歩きたばこは、区内全域で禁止です。②路上喫煙禁止区内では、指定喫煙所以外の路上で立ちどまっての喫煙も禁止です。 中学生でも読める平易な日本語だが、区内全域はともかく路上喫煙禁止区域の範囲がわからない。指定喫煙所の数や所在地も知るすべがない。たちどまり喫煙の禁止をなぜ①に入れなかったのか。吸い殻のポイ捨ては喫煙が先行するはずなのに別々の行為として、併記しているのはなぜか。他区の条例もそうだが、「歩行禁煙」と「路上禁煙」はどう違うのか、次々に疑問が湧く。 区報は罰則の存在に触れていないが、条例を読むと違反者への罰金「3万円以下」は、ポイ捨てだけに適用されると解せる。区役所に聞いてみると罰金を取り立てた実例はないというので、解明するのはやめにした。 他の区に当ってみると、罰則の有無は「あり」が13区、「なし」が10区とほぼ半々、取り立ての実績は「あり」が4区、「なし」が7区、不明(非公開)が11区もある。「なし」が多いのは類似の案件で区が敗訴する判例があったのも影響しているらしい。 罰則がないにもかかわらず、きびしいと定評がある港区は、駅周辺など47カ所の指定喫煙所以外は全区にわたり路上喫煙やポイ捨てを禁じ、違反者には巡回員が説諭するにとどめているが、外国人にも守らせるつもりか英文のポスターも作っている。 これ以上条例を検分しても煩にすぎるので、代表例を別表にまとめ、新機軸を持ち込んだ千代田区の近況に注目したい。当初は対象が区の半分ぐらいだったが、路上禁煙地区はしだいに広がり、2010年に霞が関地区が加わり皇居を除く区の全域に拡大した。東京特別区の喫煙関連の条例 ところが対象をうっかり「路上」に限定していたため行き場を失った喫煙者たちが公園に集まり、子ども連れの母親から苦情が出たため方針を転換する。道路に面した商店等に話をつけ2009年から初期費用は100%、維持管理費の80%を区が負担して一階に屋内喫煙場所を設置し、誰でも利用できるようにしたのである(毎日新聞2015年1月26日付)。 その一方で千代田区はパトロール隊をくり出し、2000円(条例では2万円なのに)の徴集もつづけ、2015年度は7207人から取りたてた。石川区長は「東京五輪までに完全分煙し、風格のある街にしたい」と宣言しているが、他区にも波及すれば、屋内喫煙所を嫌う厚労省には苦々しい動向と言えそうだ。高性能の喫煙室とは? 東京都も独自の条例制定に乗り出すそうで、7月の都議選には都民ファーストの会と公明党が、罰則付きの受動喫煙防止条例を公約としてかかげた。幼児のいる家庭内も規制しようという提案が小池都知事の本拠地である豊島区議会に出ているが、「密告者」がいないと成り立たぬ話だろう。いずれにせよ、都が既存の区条例とすりあわせるのは容易ではあるまい。 オリンピック開催に備えてというのが大義名分になっているが、屋外はセーフと思い込んで来日する選手や観光客にどう対応するのか。酷暑対策と並んで頭痛の種になるのではあるまいか。難点はまだある。( iStock)煙漏れのない喫煙室 厚労省は世界保健機関(WHO)から「煙漏(も)れのリスクがあるから喫煙室を設置せずに、屋内は100%禁煙化」の目標を罰則付きで達成するよう督励されている。しかも、先進49カ国がこの条件(病院、学校、飲食店などの公共的場所8カ所)を満たしているのに、努力義務ですませている日本の現状は世界最低レベルだときめつけられ、当惑した。喫煙室の設置を軸に「分煙先進国」の路線を歩んできたわが国に、急激な方向転換を強いることになるからだ。 喫煙所の総数は不明だが、厚労省は2011年に「受動喫煙防止対策」の名目で、1件の上限を200万円として工事費の半額を負担する助成制度を作り、累計で1551件、30.9億円を交付してきた。 東京都も一昨年から飲食店の分煙を支援する補助金制度を創設した。初年度予算は77施設、9億1000万円で、店頭表示用の「禁煙」「分煙」「喫煙可」のステッカーを無料配布している。「完全分煙」をめざす千代田区は、全額負担の屋内喫煙所を年に5店のペースで殖やしていく方針だ。ここで方向転換すると、自己負担を含め巨額の投資は無駄となり、喫煙室は取り壊されるに違いない。 WHOの「要請」や厚労省の「たばこ白書(2016年8月)」で気になるのは「屋内は100%禁煙」のくだりである。およそ科学的、法的論議で100%という目標値はめったに見かけない。行政文書ならなおさらであろう。それをあえて打ち出すのは、0.01%でも煙が洩れたら不合格と判定するためのトリックではないかと、かんぐりたくもなってくる。 そもそも厚労省は洩れ出る煙の有害物質と許容量を算定していない。副流煙よりも外の空気が汚れているとわかったら困るからだろう。 次ページの図で示すように高性能の喫煙室だと、ドア下部のガラリから吸い込む空気は煙をふくむ気流を形成して換気扇から建物外へ排出され、急速に希釈されて上空へ散っていく。肺がんと喫煙の因果関係は解明されていない  厚労省が定めた「分煙効果判定基準」は副流煙の洩れはないという前提で、外と内の界面での風速が0.2m/秒という条件を満たさないと助成金は交付されない仕組みである。高性能の屋内喫煙所 欧米諸国では経済的理由もあり、低性能の喫煙室にしかなじみがないし、日本も間切り板だけで「分煙」している場所はまだ残っている。そうだとすれば、日本はハイテク技術を磨き、より高性能の喫煙室を整備する方向で対処すべきではないかと思う。 口実を失いかけた原理主義者たちは、喫煙者が煙でにおいを衣服につけてくると言いだしているが、禁煙の次室を作って、外の空気と汚れぐあいを比較したり、臭い消しの装置を開発したりの対策も進んでいる。肺がんの主犯は誰か そもそも喫煙と肺がんの直接因果関係は諸説があり、科学的に立証されているとは言えない。内外で多くの医学者が数十年にわたりマウスにたばこの煙を吸わせ、がんを発生させようと努力を重ねているが、めぼしい成果は見られない。 成功したら、ノーベル医学賞をもらえるだろうと言う人さえいる。1955年に53%(男子は85%)だった喫煙率は60年後の2016年に19%まで低下した。人口動態統計によると、同期間に肺がん死者は、1119人から70倍の7万7300人へと激増している(詳細は拙著『病気の日本近代史』を参照)。平均寿命も20歳ばかり延び、なおも延びつづけている。控えめに見ても、たばこを肺がんの主犯とみなすのは無理がある。 では主犯は誰か。他ならぬWHOが2014年3月に、最大のリスクは、自動車の排ガスを筆頭とする大気汚染だと報告している。アクセルを1回踏むとたばこ数十本分の排ガスが出るのは、ドライバーの実感でもある。それに次ぐのは医療用の放射線被曝(ひばく)、たばこ、食生活……。 厚労省研究班(国立がん研究センター)も2011年10月に「日本におけるがんの原因」と題するレポートを発表している。がん死の要因となる寄与率(推計)の第1位は能動喫煙で23.2%、2位が感染性要因(ウイルスなど)の21.7%、3位が飲酒の6.2%、4位が塩分のとりすぎ(1.4%)、のあと、5位に受動喫煙の0.9%が来る。 WHOが重視した大気汚染や放射能が出てこないのはなぜかと不審に思ったら、「職業的リスク、大気汚染、放射線暴露などの要因については、日本における信頼性の高いデータがないことから含まれていません」と逃げ口上があって失望した。しかも「日本人のがんの半分以上は原因がわからないままです」と結論しているので、茫然とした。 首位候補の寄与率をあっさり外したのでは何のためのレポートだったのか、抗議したくなるが、「石油業界と自動車業界が、たばこをスケープゴートにしているようにしか見えない」(養老孟司)のが的を射ているのかもしれない。がんじがらめの規制は定着しない もしわが国の大気汚染度がPM2・5下の北京なみに高まったら、今は野放しに近い自動車の排ガス規制が始まると思われる。北京では自動車のプレート・ナンバーを奇数と偶数に分ける隔日運行、次に工場の操業停止でしのいでいるから、わが国も見習うことになろう。 ちなみに環境省が算定した喫煙と自動車の年間排出量(2012年)は、窒素酸化物が419トン対68.8万トン(約1500倍)、一酸化炭素が9170トン対280万トン(約300倍)である。肺がん死を減らそうとするなら、排ガスの規制が効果的なはずだ。  すでに引用した厚労省研究班のレポートは、「がんの半分以上は原因がわからない」と結論づけている。言い換えると、がんは複合的要因の産物なのである。 そうだとすれば、世界のどこよりも高性能の喫煙室からもし洩れたとしても拡散する煙の害は、無視してもよい微量にすぎない。大気汚染は除外しても、受動喫煙の寄与率(0.9%)は能動喫煙の26分の1、飲酒の7分の1にすぎないからである。 昨年5月に厚労省が受動喫煙に起因する死者1万5000人と発表し、世間を震撼させたが、全がん死亡者の37万人(うち肺がんは7.7万)と寄与率0.9%とは整合せず、怪しげなフェークニュースと評せざるをえない。そして受動喫煙という現象は、遠からず幻の残像として消え失せるのではないか。がんじがらめの規制は定着しない 3月1日に厚労省が公表した健康増進法改正案は、病院に適用していた敷地内禁煙を小中高校にまで広げ、官公庁、大学、ホテルは屋内禁煙(喫煙室は不可)、飲食店は一部を除き原則禁煙、違反の喫煙者には30万円以下、管理者には50万円以下の罰金――という強烈な内容である。 手本を示すつもりか、厚労省は本館の一階外壁に沿って設けていた喫煙所から戻るときは、遠回りして臭いを落とさせていた。 昨年末には一段と自己規制を強化し、敷地内全面禁煙に切り替え、喫煙職員が「避難」するのを防ぐため、道路を隔てた日比谷公園への出入りを禁じたと朝日新聞(12月9日付)が報じた。耳を疑ったが、本気なら松本楼にカレーを食べに行くのもだめか、と同情にたえない。( iStock) 背水の陣を張ったつもりの喜劇的情景だが、たばこ議連は飲食店に喫煙、分煙、禁煙と表示するのを義務づけ、利用者に選択させるというシンプルな対案を提示し、世論調査(産経FNN)では、60.3%が支持している。 がんじがらめの法規制は、日本人の心性に馴染(なじ)まず、定着しないと思う。 はた・いくひこ 1932(昭和7)年、山口県生まれ。現代史家。東京大学法学部卒業。ハーバード大、コロンビア大留学。プリンストン大客員教授、拓殖大教授、千葉大教授、日大教授を歴任。法学博士。1993年度菊池寛賞受賞。『靖国神社の祭神たち』『明と暗のノモンハン戦史』『旧日本陸海軍の生態学 組織・戦闘・事件』『慰安婦問題の決算 現代史の深淵』など著作多数。

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    2024年五輪決定パリの街中は吸い殻だらけ 驚愕の喫煙事情

     9月13日に行われた国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、2020年の東京に続く夏季五輪の開催地として、フランスのパリ(2024年)、アメリカのロサンゼルス(2028年)が選ばれた。特にパリは1924年大会以来、じつに100年ぶりの開催となるため、フランス中が歓迎ムードに包まれた。 一方、パリに五輪舞台のバトンを渡す立場の東京では、小池百合子都知事をリーダーにさまざまな環境整備が急ピッチで行なわれているが、その中でも注目されているのが「受動喫煙防止」を目的とした“たばこ規制”の強化だ。 IOCと世界保健機関(WHO)が「たばこのないオリンピック」の推進を求めていることもあり、五輪を契機に「喫煙禁止エリア」をしっかり法律で明記し、その後、厳守化していこうという流れができつつある。 厚生労働省も先の国会で、飲食店など屋内を原則禁煙とする罰則付きの受動喫煙防止法案を押し通そうとしたが、与党・自民党内で賛否が分かれ法案提出には至らなかった。そこで名乗りをあげたのが小池都知事だ。〈国でやると時間がかかることは東京都でできるようにしていきたい〉──7月の東京都議会議員選挙で小池都知事率いる「都民ファーストの会」が大勝したこともあり、同会が公約のひとつにしていた受動喫煙対策の早期条例化に自信を見せている。東京都議会の代表質問に耳を傾ける小池百合子東京都知事=9月26日 都民ファーストの会が9月下旬の都議会で提出しようとしているのは、「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」。飲食店などの屋内のみならず、家庭内や子供が同乗する自動車内でも喫煙しないよう求めるなど、プライベート空間にまで踏み込んだ内容となっている。 こうした規制強化に「そこまでルール化しなければ解決しない問題なのか」と疑問の声があがっているのも事実だ。 「東京都内では公共施設の禁煙はもちろん、飲食店や建物内の分煙も進んでいるし、街中では路上喫煙禁止エリアの拡大で、喫煙場所以外で歩きたばこやポイ捨てをする人も少なくなった。また、喫煙者は家庭内でも肩身が狭く、昔のように子供の近くで平然とたばこをふかす人も多くないはず。 オリンピックに合わせた規制というのなら、むしろ日本を初めて訪れる多くの外国人のために、指定喫煙所の場所や日本ならではの“分煙マナー”を分かりやすく伝える方策を練るほうが先決ではないか。諸外国では屋外喫煙は自由な国が多いため、非喫煙者が煙を浴びない場所での灰皿新設とその管理方法を考える必要もある」(飲食業界関係者)パリの喫煙規制は反面教師 確かに日本では屋内規制ばかりが焦点になっているが、屋外でもたばこが吸える公共の喫煙所や店頭の灰皿がどんどん撤去され、喫煙スペースを探すのが難しくなっている。このままオリンピックに突入すれば、東京の街中が吸い殻だらけになる恐れすらある。 日本の喫煙マナーの良さは、東京の次に五輪開催を控えるパリの喫煙事情と比べても明らかだ。8月にスポーツの世界大会でフランスを訪れたジャーナリストは、パリ市内のあまりの汚さに驚いたという。 「私はベルシー・アリーナというパリ市12区にある大きな競技場に取材に行ったのですが、新幹線や地下鉄が乗り入れるリヨン駅を降りた途端、ホームでたばこに火をつけながら歩く女性がいたり、歩道や木陰に平然と吸い殻をポイ捨てする人がいたりと、まったくマナーがなっておらず、不快な気分になりました。 おまけに犬の糞があちこちに落ちていて、夜には立小便をする男性の姿まで目撃してしまい……。オシャレなパリのイメージが一気に崩れました。現地に駐在する記者に聞くと、『パリ市民は街をキレイにするという意識がないんだよ』と教えられ愕然としました」 だが、こんなフランスでもたばこに関する規制は行われている。 WHOが今年発表した報告では、フランスの喫煙率は27.4%と日本(19.1%)よりも高く、長らく喫煙に寛容な国として知られてきた。だが、国民の健康増進や若年層の喫煙率を減らす目的で2008年に喫煙制限がかけられた。学校やオフィス、駅、美術館などの施設のほか、カフェやレストランなど飲食店でも喫煙が全面禁止となったのだ。(iStock) それ以降、「たばこを吸うなら屋根のない外へ」との認識が広がった。飲食店でも店内でたばこを吸う客は見られない代わりに、喫煙者は外のテラス席を確保するのが当たり前の光景になっているという。 また、町中でも駅舎やホテルの外、歩道の脇など至るところに灰皿やたばこの火消しがついたゴミ箱が設置されているのだが、日本のように「吸い殻は灰皿に捨てる」という“常識”は通じないのか、前述した通りポイ捨て行為が後を絶たない。パリ市内で1年間に回収される吸い殻の量が350トンに及ぶとの話もあるほどだ。 駅舎内などでは喫煙やポイ捨てをした人に罰則を科す旨の表示をするところもあるが、まったく無視されているという。 「滞在中に罰金を取られている喫煙者を見たことがないし、現地の人は誰ひとり歩きたばこやポイ捨て行為に関心を示さない。たばこの煙がかかるからやめて欲しいと睨もうものなら、『近くにいるあなたが悪い!』と言わんばかりに睨み返される始末。 フランスでは受動喫煙なんて議論する以前の問題がたくさんある。そう考えると、日本の喫煙マナーがいかに優秀かに気付かされます。むしろ日本はあちこちに禁煙表示が貼られるなど、たばこ規制が過剰なのではと思ってしまったほどです」(前出のジャーナリスト) フランス政府もこうした状況を憂慮し、喫煙規制をさらに強めている。2006年に5ユーロ(約650円)だったたばこ1箱の値段を、約7ユーロ(約910円)と日本の2倍近くまで段階的に引き上げた。さらに、たばこの包装にブランドロゴの表示を認めず、喫煙で亡くなった人の写真を印刷させるなど過激な手法で何とか喫煙率を下げようとしているが、一向に減っていない。 「たばこが合法的に売られて喫煙者がゼロにならない以上、強引に禁煙にもっていく政策は意味がない。喫煙者のマナー意識を徹底させ、たばこが吸える環境を整備して残したほうが受動喫煙防止も期待できるし、何よりオリンピックでもよけいな混乱を招かない」 前出の飲食業界関係者はこう主張する。フランス・パリの喫煙事情やたばこ規制のあり方は、一足先に五輪を迎える東京の受動喫煙対策を深めるうえでも反面教師となるはずだ。 関連記事■ 6割税金のたばこ 意外と知られていない国と地方ダブルの税■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ たばこ臭が嫌いな喫煙者 自分で吸うたびに歯磨き計1日20回■ 創業99年の老舗たばこ店 9月の売り上げはいつもの6倍だった■ 2010年に収穫されたばかりの高級たばこが数量限定発売中

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    浅草には「煙あびる」文化も たばこ規制におかみさんがNO

     飲食店などでの「屋内禁煙」を定めて法規制(健康増進法改正)の強化を目指してきた国の受動喫煙防止対策は、議論が煮詰まらないまま、ひとまず今通常国会での提出は見送られた。 塩崎恭久大臣以下、厚生労働省がたばこの規制強化を急いできたのには訳がある。 2019年のラグビーワールドカップ、そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックと立て続けに開催される国際的なスポーツイベントを機に健康増進を掲げ、「WHO(世界保健機関)やIOC(国際オリンピック委員会)から“世界最低レベル”との烙印を押されている受動喫煙対策を進めて汚名返上したい」(自民党幹部)からだ。 規制賛成派の与党議員の中には、「日本に来る外国人も非喫煙者が多く、日本人のたばこマナーの悪さに不満を持っている人は多い。このままでは、おもてなしどころか、オリンピック時のインバウンド需要に影響が出る」と懸念する向きまである。 だが、屋内禁煙が当たり前の先進国では外での喫煙は比較的自由に認められているのに対し、日本は自治体レベルでの路上喫煙禁止エリアがどんどん拡大している。さらに飲食店では混雑する時間帯を禁煙にしたり、フロア毎に喫煙席と禁煙席を分けたりと、「分煙」の促進で受動喫煙被害を減らそうとする自助努力が広まっている。 いまや喫煙率が2割を切った日本で、少数派の喫煙者の肩身は狭く、屋内外問わず遠慮しながら“煙の行方”に気を遣っている光景もあちこちで見られる。(iStock) そんな環境下で、「お上」が罰則つきの法案をゴリ押しし、これ以上、強制的に喫煙者を締め出さなければ解決できない問題なのか──。年間3000万人の人々が訪れる日本有数の観光地・浅草を取材してみると、その疑問はますます膨らんでくる。「浅草の町は良い意味で皆がバラバラなんです。渋谷や銀座のように大企業が町のカラーを強烈に打ち出しているわけではないし、小さな企業や商店それぞれが『お山の大将』で違った個性を発揮している。だからこそ、来る人を魅了するのだと思います。 飲食店のたばこ対策も同じです。お茶やお酒を飲んで一服しながらゆっくりくつろいで欲しいと思う喫茶店、居酒屋もあれば、純粋に食事だけを楽しんでほしい昔ながらの蕎麦屋や寿司屋もある。いろいろなオーナーの考え方や接客スタイルの選択肢があってこそ浅草なんです。 あまり町のルールや禁止事項を厳しくして、整然とさせてしまったら誰も来なくなりますし、何よりも町全体がつまらなくなってしまいます」 こう話すのは、浅草観光連盟会長で仲見世商店街振興組合理事長の冨士滋美さん。仲見世で煎餅やお菓子などを売る「評判堂」の店主だ。浅草に全面禁煙の縛りは必要なし! もちろん、近年は訪日外国人の増加にも伴い「安心・安全と情報公開は欠かせない」(富士さん)と、時代に合わせた取り組みもしている。全国の商店街に先駆けて仲見世にWi-Fi網を整備したり、浅草のイベントがリアルタイムでチェックできるスマホアプリ「365ASAKUSA」を立ち上げたりしたのも、おもてなしの一環である。(iStock) たばこ対策についても、初めて浅草を訪れる人たちが飲食店の喫煙環境が分かりやすいようにと、「浅草料理飲食業組合」や「浅草おかみさん会」からの協力要請を受け、5月より店頭に貼る共通の“分煙ステッカー”を配り始めた。〈喫煙〉〈分煙〉〈時間分煙〉〈禁煙〉と色分けされた各種ステッカーには、「浅草は、マナーもふくめてOMOTENASHI!」のスローガンとともに、浅草らしいウィットに富んだこんな文言が散りばめられている。〈喫煙〉浅草には煙をあびる文化もあるし!〈分煙〉分煙は白黒つけない日本文化!〈禁煙〉このへんでは数少ない、禁煙の店。 ステッカー作成に携わった協同組合「浅草おかみさん会」理事長の冨永照子さんも喫煙場所の一律規制強化の方向には断固反対だ。「浅草は昔から変わらず“下駄ばきで来られる庶民の町”。昼間から一服しながらお酒を飲んでいるお客さんはいるし、たばこが吸えないと分かったら帰ってしまうお客さんだっている。 もし、たばこの嫌いなお客さんがいたら、お客さん同士で席を交換し合ったり、中座して店外で吸ったりしています。そもそも、喫煙できるか確認してから入店してくるお客さんも増えましたしね。そうやって他人を思いやる人情によっても支えられているんです。だから、浅草には全面禁煙なんて縛りは必要ありません!」 富永さんが営む蕎麦店「十和田」で話を聞いていると、さっそく「たばこ吸える?」と申し訳なさそうに店内に入ってくる客の姿が……。「国会議員にも浅草の町を1日歩いて、小さな店の現状も知ってもらいたい」と冨永さんは切々と訴える。 分煙ステッカーはすでに250軒の飲食店に配布。冨永さんらはそれと同時に屋外の喫煙場所新設にも尽力している。浅草での分煙推進活動が日本のモデルになればと、町の組合はここぞとばかりに団結している。「斜陽の時代」に苦しんだ浅草 もっとも、浅草の町民たちは国と違ってオリンピックだけを見据えているわけではない。じつは1964年の東京五輪の後、浅草は長らく「斜陽の時代」に苦しんだ歴史がある。「もともと浅草は映画館や大衆芸能といった歓楽街として栄えてきましたが、東京五輪後にカラーテレビが普及したことや、住環境の充実などもあって、ゴーストタウン化してしまったのです。夜に外を歩けば“5人と犬1匹”しか歩いていないと揶揄されたりもしました。 もうあんな苦い経験はしたくない──と浅草の商人たちは景気に流されない逞しさを身につけてきたんです」(冨永さん) 前出の浅草観光連盟・冨士会長もこう話す。「オリンピックを軽視しているわけではありませんが、付け焼刃的なインバウンド対策では何の効果もありません。浅草の人たちはもっと未来を見て本物の日本文化をどう繋げていくかを考えています。 例えば、三社祭は氏子が三社様に感謝を捧げる宗教的なお祭りです。それがインバウンド狙いで観光事業化し過ぎれば、外国人向けにアレンジするなどとんでもない行事になりかねません。外国の方は日本の文化や風習に触れたくて来ているのに、自分たちの文化を変えてしまっては意味がないでしょう。 とはいえ、これからは芯の通った浅草文化をしっかり継承しつつも、いかに観光地として新しいものも取り入れて発展させていくか、難しい課題も抱えています。 川を挟んだ隣の墨田区には東京スカイツリーもあるので、今後は他エリアと線引きをせずに連携を深め、足りないところを補い合ってさらに浅草界隈の魅力を高めていけたらと思っています。観光客にとっては、台東区や浅草、墨田区といった区分けは関係なく“このあたり”に来るわけですからね」 受動喫煙対策も、国や自治体ごとに喫煙禁止エリアなどの線引きがあり過ぎて、かえって来街者の混乱を招いている現状がある。「多様性」を尊重しながら町全体の文化や秩序を守ってきた浅草流の心意気。そこから学ぶべきことは多いはずだ。関連記事■ 尾上松也、中村錦之助、中村隼人、坂東巳之助らが鏡開き■ 凶が多いといわれる浅草寺のおみくじ 古来からの割合を厳守■ 「大人のかき氷」がブームに 苺と自家製餡が氷の中で共演も■ 羽田美智子、川島海荷、内田理央が浅草の舞台で主演に■ 肺腺がんは非喫煙者にも多く発生 女性ホルモンとの関係研究も

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    鎌田實医師 大西英男議員の失言に対して言いたい2つのこと

     受動喫煙対策強化の法案提出は先送りされたが、議論百出の状態だ。もっとも大きな話題となったのは、5月15日に開かれた自民党厚生労働部会で、大西英男・衆議院議員が、「がん患者は働かなくていい」、とヤジを飛ばしたことだろう。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、大西議員の言動に対して、2つの言いたいことを述べる。* * * 受動喫煙の防止策を検討していた自民党厚生労働部会で、失言の多い議員がまた失言した。「(がん患者は)働かなくていい」 多くの食堂や居酒屋では、受動喫煙の対策がすすんでいない。受動喫煙の健康に対する害はよく知られているが、その害にさらされながら働くがん患者の実情を訴える三原じゅん子議員に対し、大西英男議員がヤジを飛ばしたのだ。自らの発言が、がん患者や元患者の気持ちを傷つけたとして謝罪する自民党の大西英男衆院議員=5月22日、東京・永田町の党本部 全国がん患者団体連合会は、がん患者の尊厳を否定しかねない、と抗議文を出した。大西議員は、「がん患者らの気持ちを傷つけた」として謝罪。しかし、発言は撤回しなかった。喫煙可能の店で、無理して働かなくていいのではないかという趣旨だったと言い訳した。この大西議員の言動に対して、2つ言いたいことがある。 一つは、働かなければならないがん患者の実情をまったく理解していないということだ。がん患者は「患者」であると同時に、自分や家族を支えていく「生活者」である。最近は、親になる年齢が高齢化していることに伴って、小さな子どもを育てながら、治療を受けている人も多い。生きるためには治療が必要であるが、生きれば生きるほど治療費がかかり、子どもや家族の生活を圧迫していくという状況に苦しむ人もいる。そんな厳しい状況で、働いているがん患者がいることを想像してほしい。 二つ目は、喫煙の害を甘く考えていることだ。これは医師としてどうしても言っておきたい。 タバコは、がん患者だけでなく、すべての人の健康によくない。たとえば、タバコを吸う男性は、吸わない人に比べて、すべてのがんでリスクが2倍高い。食道がんは3.3倍超、肺がんは4.8倍、膀胱がんや尿路がんは5.4倍にも跳ね上がる。 がんだけではない。脳卒中や心筋梗塞は1.7倍、肺気腫や高血圧も喫煙が影響しているといわれている。大西議員よ、額に汗して働け さらに問題なのは、受動喫煙だ。タバコの副流煙には、健康を害する物質がたくさん含まれているといわれ、喫煙者の周りの人たちに対する健康被害が明らかになってきた。 厚生労働省の研究班は、受動喫煙により年間1万5000人が死亡していると発表している。また、肺がんでは、夫がタバコを吸っているだけで1.3倍、脳卒中も1.3倍高まる。 医療費を抑制するためには、喫煙率の低下や、受動喫煙防止はとても重要なカギとなるはずだ。だが、憲法で保障する「幸福を追求する権利」などを持ち出して、どこでもタバコを吸えるようにしたほうがいいという愛煙家や、タバコ産業のロビー活動がおそらくあり、なかなか実現しないのだろう。 小規模の飲食店では受動喫煙の防止策を徹底すると、客が減って収入が落ちるのではないかと心配しているようだが、WHOの調査では、逆の結果が出ている。完全禁煙を実施したら、むしろタバコを吸わない人たちや家族づれが安心して来るようになり、利用者が増えたという調査も出ている。 日本は、WHOの「たばこ規制枠組条約」の締約国となっている。アメリカの半数以上の州や、カナダ、ロシア、オーストラリア、南米諸国、韓国などが、第8条の「飲食店等を含む屋内施設を完全禁煙化することによる受動喫煙の防止」をすでに実現している。日本は、世界でも遅れているのである。 改正がん対策基本法では、患者が仕事を続けられるように、企業に配慮を求める施策がつくられた。当然、がん患者が安心して働けるように、きちんと受動喫煙を防止することは必須である。 本当は「あなたこそ働かなくていい」とヤジりたい気持ちを抑え、大西議員が額に汗して働くべきことは、自民党の先頭を走って、病気のために仕事を続けられなくなったがん患者が安心して働けるような社会にすることである。それが、国民全体のためにも働いたことになるはずだ。関連記事■ 「メンソールを吸うとEDになる」説 科学的根拠ナシ■ 習近平喫煙写真出回る 中国禁煙キャンペーンに反発との説も■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ たばこ副流煙で肺がんになる人「4万人に1人」と武田邦彦氏■ 50歳以上の男性喫煙者が血尿になったら膀胱がんの疑いもあり

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    愛煙家の言い分も少しは聞いてくれ

    受動喫煙をめぐる議論が活発になっています。厚生労働省は先月、一部を除き飲食店などの屋内施設を原則禁煙とする方針を打ち出しましたが、自民党たばこ議員連盟がこれに反発し、迷走が続いています。いずれにせよ愛煙家にとっては厳しい世の中ですが、せめて言い分ぐらい少しは聞いてもらえないでしょうか?

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    遠藤憲一「俺はドラマの中でもタバコ吸いますよ」

    遠藤憲一(俳優)タバコを吸う俳優さんが少なくなった撮影:淺岡敬史――テレビドラマや映画でも喫煙シーンを使いづらい時代になっていますね。遠藤 テレビ局には喫煙ルームが一応ありますけど、病院でロケをするときにはもちろん絶対吸えないし、全面禁煙の建物で撮影することもあって、そういうときは外に出て吸います。タバコを吸える場所を探すのが日課になっている(笑)。ただ、自分だけ外へ行くと、呼びに来る人が大変ですね。――喫煙所がコミュニケーションの場になるのではありませんか。遠藤 スタッフさんは人数が多いので、何人か必ず吸う人がいますけれど、俳優さんには喫煙者は少ないですね。作品によってはいつもより多いなと思ったこともありますが、タバコを吸うのは自分一人というときもありましたし。 俺はドラマでもけっこう吸っていますけどね。役者としての表現のなかで、この役ならタバコが合うだろう、この場面ではタバコを吸ったほうがいいんじゃないかと考えますから。ここではタバコが必要だと提案してダメだといわれたことはいまのところないので。逆に、あえて吸わないと決めた役もあります。 ただ、その時々で社会のマナーとかルールというものがあるから、歩きながら路上でプカプカ吸うというのは、いまはドラマでもなかなか出来ないかもしれません。タバコだけじゃなくて、クルマに乗るシーンでは、どんなに急いでいる状況でも必ずシートベルトをするということになっています。クレームが多くなっている時代だから、そこらへんのバランスをどうとるかが問題ですね。 ただ、木村拓哉さん主演の「安堂ロイド」(TBS・2013年)でヘビースモーカーの刑事役を演じたとき、あえて禁煙の場所で吸って、吸い殻をカップの中に捨てるシーンが台本にありました。さすがにこれは大丈夫かなと気になったんですけど、別にどこからもクレームはつかなかった。視聴者も、そこに意図があって、役柄にはまっているのであれば、そういうものかと思って観てくれると思うんですけどね。 タバコのシーンって、うまくやると味わいが出てくるんですよ。たとえばものを考えている場面で、何かこう煙の中で一つ違う世界にリンクしていくみたいな、味わいのあるシーンがいままであったと思うんですよね、そういうのがまるっきりなくなっちゃうっていうのは寂しい気がしますね。 イメージを気にして禁煙した俳優さんもいるでしょうけど、実際、吸っていない人がすごく多いので、喫煙場面があって苦労している俳優さんもいます。吸う人間がやるのとはやはり芝居が全然違ってきますね。本人も、どうしてもうまくできないって悩むことになる。シガレットの形をした咳止め薬がありますよね。一応煙も出るので、あれを吸う人もいます。 吸わない人、いま本当に多いですよ。やめたって人、多いです。アイコスにした人もけっこういます。俺なんか、ニコチン1ミリのタバコにしたら本数がすごく増えちゃって。時代に逆行していますよね。俺はまあ喫煙家ですよ。やめようと思ったことがないですから。喉の調子が悪くなって本数を減らしたことはありますけど。いちばん少なかったのは1日3本くらい。目標を達成したら、またもとの本数に戻ってしまいました。 酒でもタバコでも、ほどほどならそんなに害はないと思うんですけどね。女房のお父さんなんてずっと愛煙家で96になっても元気ですから。むりやりタバコを止めたせいですごいストレスを抱えちゃった人も知っているので、それならむしろ吸ったほうが長生きできるかもしれない。いや、本当に。人生は偶然の積み重ね人生は偶然の積み重ね――もともとお芝居にはあまり興味がなかったとか。遠藤 まったくなかったですね。本当に偶然なことから芝居を始めたので。ただ、中学時代には美術の時間が好きだったし、昔から何かをつくり上げることが好きだったんだと思います。そのなかで、自分の体を通して人物をつくり上げていく芝居というものにだんだん興味を引かれて、とりあえず長く続いたのが俳優だったという感じです。でも、本当だったら絵描きとか彫刻家とか、あるいは作家だったり作曲家だったり、そういう方面の能力があればそっちをやっていたかなと思う時があります。 芝居は集団作業でしょう。本当は俺、集団生活はあまり得意じゃないので、一人でやれる作業があればそれがいちばんよかったんです。でもよく考えてみると、たとえば作家さんって、言ってみれば編集者との共同作業という面もあるし、一人でやれる仕事って実はそんなにないんですよね。――どういうきっかけでお芝居の道に入ったのですか。撮影:淺岡敬史遠藤 高校をやめて仕事をコロコロ変えながら1年くらいアルバイト生活をしていたときに、タレント養成所の募集広告を偶然見て、バイトの一環みたいな感覚で応募したんです。それで劇団フジに参加してからですね、芝居が好きになったのは。ただ、なかなか食べていけないので、先輩に相談したら、仲代達矢さんの「無名塾」を受けてみたらって勧められて、超難関だったのに、幸いなことに合格したんです。ところが、バイトと同じで続かずに10日でやめちゃった。集団生活が苦手とか、探せば理由はいろいろあるんですけど、さすがにちょっと落ち込んで、そのあと数カ月は一人で悶々として飲んでばかりいました。 ある日、たまたま「ぴあ」というタウン誌をめくっていたら、劇団昴(すばる)の「動物園物語」っていう文字が目に入った。内容も何もわからないまま、題名に惹かれてたまたま観に行ったんです。その芝居にすごく感動してしまった。アメリカの戯曲だったんですが、舞台にはベンチしかなくて、登場人物は二人っきり。その芝居にすごく感動して、自分もやってみたくて自主公演をやったんです。 自主公演といったって二人きりの芝居だし、セットもベンチ一つだから手間はかかりません。前にいた劇団の先輩に頼みこんで相手役になってもらって、稽古場を借りる金がなかったから、夜、バイトが終わってから新宿の中央公園とかで練習しました。本番はたった1日限りです。それでも一応チラシを作ったんですよ。それを偶然前のマネージャーが目にして、観に来てくれたんですよ。そこで拾ってもらった。21歳のときですね。 人には、偶然の積み重ねでググッと人生が変わる出来事ってあると思うんです。あのままずっと無名塾にいたらどうなっていたかは何とも言えない。ただ、やめたから、偶然「ぴあ」で「動物園物語」を見つけてたまたま観に行って、自分でもその芝居を演(や)って、前のマネージャーが偶然チラシを見て劇場に来てスカウトしてくれた。人生には節目というのがあると思うんですけど、あれが俺の人生が変わる最初のきっかけだったんじゃないですかね。演劇に巡り合えたのも学校をやめたのがきっかけだったし、いまから振り返るとそういう「時」というのがあるんだなあと思います。 それで映像のほうに進んで、最初に出たのはNHKの時代劇でした。「壬生の恋歌」(1983年)という新選組の平(ひら)隊士たちの話です。三田村邦彦さんの主演で、渡辺謙さんも出ていました。俺は坂本龍馬の彼女のおりょうさんを好きになる、暴れん坊でちょっと癖のある平隊士の役。おりょうさんも少し気があってみたいな感じです。おりょうさん役は秋吉久美子さんでした。――デビュー作で重要な役に抜擢されたのですね。遠藤 俺、何の実績もありませんでしたから。前の劇団のときはオーディションをさんざん落っこちているので。だから、拾ってくれたマネージャーが「無名塾を10日で退団」というのを経歴の売りにしたんですね。無名塾をすぐやめちゃう人なんていなかったので、NHKの人が興味を持ってくれたらしいです。「どういうやつか見てみたい」ということになって面接に行って決まりました。 それからTBSの連ドラとか、いろいろドラマに出ているうちに徐々に犯人役が多くなっていきました。悪役時代は長かったですね。40代くらいまでほとんどそういう役ばかりでした。いまだに〝Vシネマの悪役〟のイメージを持っている人もいるようですが、Vシネマの全盛期には呼んでもらっていないんですよ。人気が下り坂になって、新たな人材を探しているときに拾ってくれたという感じです。30代半ばくらいだったかな。 最初に主演した「湯けむりスナイパー」(テレビ東京・2009年)でも、温泉宿で働いているけど、実は元殺し屋という設定の役でした。でも、そのすぐあとにフジテレビの「白い春」(2009年)でお父さん役に抜擢された。NHKの朝ドラ「てっぱん」(2010~11)のお父ちゃん役に決まったのもちょうどその頃じゃないですかね。 若い頃は朝ドラのオーディションを受けると「お前の顔は朝には向かない」と言われたものでしたけど、そのあたりから時代が変わったのか、俺自身にも何か変化があったのかはわからないですけど、その頃からいいお父さんみたいな役がどんどんくるようになりました。このときも次の段階に移っていく人生の一つの「時」だったのかもしれません。女房がマネージャーになってくれたことも大きいと思いますが。バイプレーヤーの時代バイプレーヤーの時代――その後バイプレーヤーとして人気が急上昇しますね。最近ネットで見た「主役を食うほど名脇役だと思う俳優ランキング」では遠藤さんが2位に大差をつけて1位でした。遠藤 本当ですか。――2位がムロツヨシさん、以下、生瀬勝久さん、小日向文世さん、古田新太さんと続きます。個性的な俳優さんが注目を集めるようになったのはうれしいですね。遠藤 いままで50代以上の俳優ってあまり話題にならなかったと思うんですけど、そういう世代にも興味を持ってくれるようになったんですかね。あ、でもムロツヨシ君はまだ40そこそこか。――ご自身ではこの人気の理由はどこにあるとお考えですか。遠藤 CMにも使ってもらえるようになったし、顔つきがいかつくて強面(こわもて)なのに、やることは真逆の三の線という使い方をしてくださることが多くなったというのはありますね。今はそういうものを求める時代になっているんじゃないですか。――最近では大河ドラマ「真田丸」の上杉景勝が印象的でした。ちょっと気が弱いところもあって、これまでの景勝とはイメージが違いましたね。ご自分で役づくりをしたところはありましたか。遠藤 あれは脚本の三谷幸喜さんがつくりだしたキャラクターです。上杉家に限らず、大半は三谷さんがつくり上げたイメージどおりにそれぞれの俳優が演じてああいう風になったって感じじゃないですか。 俺には上杉景勝のイメージってなかったので、もちろん本番でデフォルメしてふくらませたところはありましたけど。たとえば堺雅人君の幸村に初めて直面したときの感情的な部分だったりとか、山本耕史君の石田三成が戦に飛び出そうとしたところを口だけじゃ止められないから抱きしめて押さえたりとか、そういう微妙なところを少しずつ足しましたが、基本的には三谷さんがつくり上げたキャラクターを忠実に演じたってことですね。――三谷さんと組んだのは『ギャラクシー街道』(2015年公開。三谷幸喜・脚本監督)が最初ですか。遠藤 それが初めてですね。その前に大河の話はあったんですけど、それが決まったとたんに『ギャラクシー街道』にも出てくれと言われて。実は今日も三谷さんの台本のスペシャルドラマを撮っていたんです。秋にオンエアされる予定ですが、まだ発表されていないので、タイトルとか内容は言えないんですけどね。――秋には映画『ミックス。』も公開されます。卓球クラブの話だそうですが。遠藤 その撮影もいま同時にやっています。新垣結衣ちゃんと瑛太君が主演でミックス(ダブルス)を組んで、いろんな人たちと一緒に卓球の全日本選手権出場をめざす。俺と田中美佐子さんが夫婦の役で、この夫婦は子供を亡くしていたり、ほかにも恋愛の悩みとか将来の目標とか、いろんなものを抱えた人たちが卓球を通して成長していくというストーリーです。――個性的な俳優さんたちが注目を集めるようになったという話が出ましたが、ドラマ「バイプレーヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~」(テレビ東京・毎週金曜深夜0時12分)がいま話題になっていますね。遠藤さんほか、松重豊さん、大杉蓮さんなど文字どおり名バイプレーヤー6人が本人役で出演して、最後にトークのおまけがつく。遠藤 業界の人が観てくれているようですね。あと、ネットで会話するのが好きな人たちのあいだで人気があると聞いています。――出演している6人の俳優さんたちが「かわいい」というネット上の書き込みがずいぶんあります。なぜでしょうね。遠藤 まったくわからないですね(笑)。 えんどう・けんいち 1961年6月28日、東京都生まれ。83年にNHK「壬生の恋歌」でドラマデビュー。映画初出演は88年公開の『メロドラマ』。02年には『DISTANCE』で第16回高崎映画祭最優秀助演男優賞を受賞。主な出演作は映画『クライマーズ・ハイ』『ギャラクシー街道』、ドラマ「白い春」「不毛地帯」「湯けむりスナイパー」「てっぱん」「民王」「お義父さんと呼ばせて」「真田丸」など。番組ナレーションやアニメの声優も務める。

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    たばこ好きの日本人はなぜ長生きなのか

    武田良夫(経営コンサルタント) 昨年9月19日に放送された「NHKスペシャル」は「健康格差―あなたに忍び寄る危機」を取り上げました。「健康格差」が問題とされるようになったのは寿命が延び、がんなどの慢性疾患で亡くなる人が増えてきたことと関係があります。慢性疾患は食事など生活習慣の影響が大きいとされますが、近年、その背後にある所得水準や教育レベル、雇用・家族形態などの社会・経済的な格差が健康格差をもたらす大きな要因であることが指摘されています。社会格差が招く健康格差 番組では、低所得者は高所得者に比べて精神疾患3・4倍、肥満1・53倍、脳卒中1・5倍、骨粗鬆症が1・43倍も罹りやすく、また、非正規雇用者は正社員に比べて糖尿病の罹患率が1・5倍も高いというような数字が示されました。 所得格差は、なぜ健康格差を招くのでしょうか。 厚労省の〈「国民健康・栄養調査」の「所得と生活習慣等に関する状況」〉(別表)によれば、低所得世帯は穀類の摂取量が多く、野菜や肉類は少ない。喫煙率が高い。メタボの人が多い。歯の悪い人が多い。健診を受けている人が極めて少ないなどが示されており、こうした生活習慣などの差が健康格差を招くとされています。 しかし、近年、社会・経済的要因と健康の関係を研究する「社会疫学」が、心理・社会的な要因の健康に与える影響は、いわゆる生活習慣に劣らず大きいことを明らかにしています。社会疫学が示唆するもの まず、我が国で発表された社会疫学研究をいくつか見てみましょう。・静岡県は1999年、65歳以上のお年寄り1万人余を対象に生活習慣や社会活動に関わる30~40項目を調べ、2010年までに亡くなった1117人について調べたところ、何もしない人に比べ、運動、栄養、社会活動の三要素に取り組む人の死亡率は51%も低かったが、運動と栄養だけでは32%にとどまった(2012年6月10日付/朝日新聞夕刊)。・千葉大などの研究チームは2003年、愛知県に住む65歳以上のお年寄り1万3千人に町内会、趣味、運動、宗教、業界、ボランティア、政治、市民活動の八種類のうち、どの活動をしているかを尋ね、4年後に要介護認定を受けた1528人について、年齢や性別、病気、婚姻・就労状況などの影響を取り除き、社会活動と要介護との関連を調べた。その結果、要介護リスクは、何も活動していない人に比べ、1種類取り組む人は17%、2種類28%、3種類以上取り組む人は43%も低かった(2014年8月13日付/朝日新聞夕刊)。・日本福祉大、千葉大などのチームが前記と同じパネルを使い、同居人以外との交流の頻度と要介護、認知症、死亡のリスクを調べたところ、毎日、頻繁に交流している人に比べ、週1回未満の人のリスクは下表のように高くなっていた。 昨年8月、国立がん研究センターは「受動喫煙による非喫煙女性の肺がんの相対リスクは1・28倍」と発表し、これが受動喫煙対策の根拠になっていますが、社会参加の有無が〈健康〉に与える影響は、それ以上に大きいのが興味深いところです。 さらに社会疫学は、前記の〈社会参加〉と関連しますが、〈社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)〉という概念を提示します。「社会関係資本」が日本人を長生きさせた 政治学者でハーバード大学教授のR・パットナムは〈社会関係資本〉を「個人間のつながり、すなわち社会的ネットワークおよびそこから生じる互酬性と信頼性の規範」と定義します。東日本大震災後よく使われるようになった「絆(きずな)」が近いでしょうか。 パットナムによれば、〈社会関係資本〉という言葉は1916年にウェストバージニア州農村学校の指導主事だったL・ハニファンが用いており、決して新しい概念ではないが、近年、綿密で大量の研究により、社会的つながりは我々の健康の最大の決定要因の一つであることは合理的に疑い得ないところまで確証されたと述べています(R・パットナム「孤独なボウリング」柴内康文訳/2006年/柏書房)。 この「社会的なつながりの強さ」の健康に与える影響について、ハーバード大学公衆衛生大学院のイチロー・カワチ教授は「日本人が長生きなのは、食生活などの生活習慣の違いが影響しているのではないかと考えている人が大勢いる。確かに世界的に見ても体に良いと言われている日本食だが、実は塩分や炭水化物が多く含まれているため、とりわけ優れているとは考えにくい。では、寿命を左右する本当の要因は何か。ハーバード大学の社会疫学研究者たちが1996年、世界の国や地域で行った大規模な調査の結果、日本文化の中にある強い〈社会関係資本〉が長寿と健康に大きく関係していることが分かった」と述べています(「日本人はなぜ長生きなのか13万人調査でわかったこと」週刊現代2012年9月15日号)。喫煙文化研究会著『たばこはそんなに悪いのか』(ワック刊) 先年、県別の寿命が発表され、長野県が男女共に1位になりました。その理由について、医師や学者は減塩など食生活の改善運動や喫煙率の低さなどを挙げるのですが、正しい見方とは言えません。例えば、厚労省の平成24年の「国民健康・栄養調査」によれば、長野県の塩分摂取量は依然として全国平均より多く、県別では男女共に岩手県に次いで多い方から2番目でした。そのせいか「脳卒中(脳血管疾患)」の死亡率は全国平均より高く、男性は高い方から13番目、女性は7番目でした(平成22年)。 では、何が長野県を長寿県にしているのでしょうか。まさに〈社会関係資本〉によって説明できます。すなわち、長野県は地域住民の社会参加が活発で〈社会関係資本〉が豊かなのです。高齢者の有業率は男女共に長野県がトップですし、地域住民の社会参加の一つの指標として挙げられるのが公民館活動ですが、人口100万人あたりの長野県の公民館数632は全国平均の125を大幅に上回ってダントツです。数が多いだけでなく、活動も活発で、平成17年に全国の公民館が主催した文化事業2万6千件のうち、長野県は2900件と1割以上を占めました。さらに、長野県は伝統芸能の保護に熱心なだけでなく、サイトウキネン(セイジ・オザワ)音楽祭など芸術文化活動に熱心ですが、大事なことは、こうしたイベントの実施に地域住民がボランティアとして積極的にかかわっていることです。まさに「互酬・互恵」の精神が根付き、これがコミュニティー(地域共同体)の〈社会関係資本〉を豊かにしているのです。ジャパニーズ・パラドックス 一方、東日本大震災の後、3年で震災関連死が震災直接死を上回ったということですが、熊本地震でも直接死が50人であったのに対し、体調悪化などによる「災害関連死」がわずか半年で55人になったということです。「人はパンのみにて生きるにあらず」――被災地での〈社会関係資本〉の回復・蓄積をどう図るか、というのは復興の大きなテーマでしょう。 芸術家が被災地へ行って公演を行い、被災者を楽しませるのは意義あることですが、被災者自身が企画に参加し、実行に当たっては受付や駐車場、託児所の運営などを行い「私もお役に立っています」というカタチで行えば、「互酬・互恵」という観点からもっと意義あるものにすることができると思います。 それに伴う会合・打ち合わせも多いことでしょうから、地域住民の「社会参加」として有意義なことは前述の通りです。ジャパニーズ・パラドックス 昭和30~40年代、わが国の男性の喫煙率は80%を越え、室内はたばこの煙が充満していました(女性は職場や家庭でたばこの煙にさらされ、受動喫煙の暴露量は今日の比ではなかったでしょう)。 それでもその間に寿命はドンドン延びて昭和45年にはスウェーデンを抜き、主要先進国では最長寿国になりました。疫学研究から「喫煙者は寿命が十年短い」とされますが、では「世界一たばこ好きと言われた民族が、なぜ世界一長寿になったのか」について納得できる説明はありませんでした(〝ジャパニーズ・パラドックス〟と呼ばれます)。 説明できないのは当然です。科学的な思考・手法を取り入れた近代医学(生物医学)は、言語・数値をもって記述できるもの(第一性質)のみを対象とし、喫煙行動のような人間の「脳(こころ)」に関わって主観的、知覚的な行為(第二性質)を没却したために、「脳が異常に発達した」「社会的動物として〝人の間〟で生きる」人間の健康における〈喫煙〉の意義・効用が見えなかったのです。その結果、喫煙者を「ニコチン依存」ときめつけ、たばこの煙は器官・臓器に害を与えるのみ→百害あって一利なし、喫煙者は短命、というドグマに陥ったのです。 しかし、前述のように、近年の社会疫学は人間の健康における心理・社会的要因の重要性を明らかにしつつあります。生物医学パラダイムにとらわれない免疫学者などは、かねて「適度な喫煙は免疫力を高める」と喫煙の効用を認めていますが、「世界一たばこ好きの民族が、なぜ世界一長寿になったのか」、社会関係的、薬理的、身体感覚的に多面的な効用を持つ〈喫煙〉の意義が、社会疫学という新しいアプローチの中で、あらためて評価される日が来るのではないかと期待しています。 本稿に興味を持たれた方は『たばこはそんなに悪いのか』(喫煙文化研究会著/ワック刊)をご一読ください。これらのテーマについてくわしく論じられています。

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    タバコの害はアスベスト禍と同じ「命の危機」である

    て「タバコ規制枠組み条約(FCTC)」を提案し、批准国に義務として包括的なタバコ対策を求めています。禁煙ファシズムは見当違い タバコ産業側も、かくも多くの犠牲者を出し続けるタバコ(ビジネス)の将来を憂慮し、電子タバコや加熱式タバコの開発・普及に注力しています。これらの製品は「ハームリダクション」(害がより少ない)をうたい文句にしていますが、まだ医学的評価は定まっておらず、何よりもニコチンを利用した依存症ビジネスであることに変わりはありません。ニコチンは「毒物および劇物取締法」に規定され、食品への使用が禁止されている毒物であり、その依存性を利用したビジネスが将来にわたって許されてはなりません。趣味とか嗜好の問題ではなく、生命にかかわる問題なのです。画像はイメージです 人々の健康と生命を守るための受動喫煙対策を「禁煙ファシズム」などと揶揄することは、全くの見当違いです。アスベストは中皮腫や肺がんの強い関連性が証明され、日本でも今世紀になり、ようやく使用が全面禁止になりました。1980年代後半のニューヨークでの大規模調査によれば、肺がんの罹患リスクは喫煙習慣が10倍で、アスベスト工場勤務の5倍を大きく上回り、両方のリスクが重なれば相乗効果で50倍となっていました。アスベスト全面禁止は遅きに失しましたが、「アスベスト全面禁止はファシズムだ」と言う人はいないでしょう。 タバコの場合は、ニコチン依存症という薬物依存症ゆえに、喫煙者自身が被害者であるにもかかわらず、「禁煙ファシズム」などという言辞を弄して喫煙習慣を合理化してしまうのです。「私は吸わないが、喫煙者いじめの完全禁煙には与しない」という穏健な方々には、「アスベスト全面禁止」にも、同様の傍観者的立場を取られたのでしょうか? 毒物の規制に「ファシズム」というレッテルを貼るのは、タバコ産業のイメージコントロールであり明らかに間違っています。 WHOはタバコによる健康被害への医療費などで、年間1兆ドル(116兆円)以上の経済的損失を与えていると指摘しています。タバコは莫大な人的犠牲者のみならず、タバコ税をはるかに上回る経済的損失の原因になっています。タバコ増税は喫煙者減少と歳入増加を期待できる「ウイン・ウイン」の施策であり、1箱1千円以上の国もあり、日本もこれに倣(なら)うべきです。 自社製品で被害者や犠牲者を出せば、当該企業は公に謝罪しリコールを広報し対策を講じる責任と義務があります。莫大な犠牲者を出し続けるタバコ産業が謝罪も行わず、「拾えば街が好きになる」などの社会貢献活動(CSR)を免罪符として、テレビなどでのCM垂れ流しが容認される日本の現状を、大変嘆かわしく思います。深刻な健康被害をもたらすタバコを「マナーの問題」に矮小化し、豊富な資金力を背景にマスコミを通じて「さまざまな分煙」等という幻想を流布させることは禁止すべきです。「マナーではなくルール」が必要で、そのためには強制力をもつ法制化が絶対に必要です。 タバコの害の啓発に極めて有効なのが、パッケージへの写真警告表示です。オーストラリアやカナダなどに加え、タイやネパール、韓国などアジア諸国でも導入され、啓発に大きな役割を果たしています。日本はFCTC批准国でありながら、国民にFCTCの啓発も行わず、写真警告表示も行っておらず、現状では不作為の誹(そし)りを免れません。日本ではFCTCの国民への周知度が極めて低い事が、タバコ対策の大きな遅れの原因となっています。タバコ休憩を給料に換算すると タバコ対策で忘れてはならないのは、タバコ農家や産業、小売業など、現在タバコで生計を立てている人々(タバコ生活者)が、将来にわたって転作・転業できるような経済的援助と仕組み作りです。例えば、タバコから野菜への転作に必要な補助金とノウハウを提供などが、その一例です。そのためにも喫煙室設置の補助金を直ちに廃止し、タバコ増税も行うべきです。その歳入増を喫煙者の禁煙支援と併せて、タバコ生活者の「転作・転業」予算に回すなど、政府の包括的タバコ対策が是非とも必要です。 東京五輪・パラリンピックの開催国として、FCTCの批准国としても要求されるグローバル・スタンダードのタバコ対策実施には、東京都ローカルの受動喫煙防止条例化では不十分で、国としてのタバコ対策の法制化が不可欠です。日本で対策が遅々として進まない大きな原因が、財務省所管の「たばこ事業法」の存在です。同法は税収増の目的でタバコ産業の発展を目指したものであり、国民の健康を犠牲にしている悪法です。速やかにこの悪法を廃し、タバコの害からの人々の保護を目的とした厚生労働省所管の「タバコ規制法」に置き換えるべきです。 さて神奈川県や兵庫県などの受動喫煙防止条例策定の議論では、業界から「官が徹底できていないことを、どうして民間に先に規制するのか」との意見が相次ぎました。本学会が地方公務員の勤務時間内喫煙の実態調査を元に試算した日本の国家・地方公務員全体のタバコ休憩の時間に支払われる給料、タバコタイムサラリーは、年間920億円以上にのぼり、その結果は2015年11月7日付の産経新聞夕刊にも掲載されました。公務員の勤務時間内喫煙は職務専念義務に反し、莫大なタバコタイムサラリーは納税者としても到底納得できません。職員の喫煙離席は、非喫煙者同僚にも余分な負荷がかかります。喫煙離席者の業務代行や、その間の自己業務の中断に加えて、戻った喫煙者からの三次喫煙被害(呼気や服からのタバコ臭)という余計な「おまけ」まで付いてくるのです。 まず「官より始めよ!」で、議会を含む官公庁が率先して民間の模範となるタバコ対策を実施することが必要です。勤務時間内喫煙は労働者の権利ではなく、全ての労働者が受動喫煙に曝(さら)されない快適職場環境を確保する権利が優先されるべきです。日本タバコフリー学会の提案 以上を踏まえ、NPO法人日本タバコフリー学会は、法律に盛り込むべき受動喫煙防止対策として以下の提案をさせて頂きます。1.職場と不特定多数の人々が利用する施設は、例外なく屋内全面禁煙とする。電子タバコや加熱式タバコの使用も認めない。2.職場と不特定多数が利用する施設の屋内に、喫煙室設置は一切認めない。喫煙室設置の補助金を廃止し、現在の喫煙室は可及的早期に廃止する。3.官公庁・大学を含む学校・医療機関・社会福祉施設は、屋内・敷地内を全面禁煙化し、職員は勤務時間内禁煙とする。4.違反した施設の管理者および喫煙者には罰則(罰金ではなく過料)を課する。 毎年1万5千人もの死者を出し続ける受動喫煙は、迷惑の域をはるかに超えた「公害」で「命」の問題です。被害を防げない「分煙」や「喫煙室」のまま放置されて良いはずはありません。可及的早期に法律で、職場や公共の場を例外なく完全禁煙とし罰則付きとすることで、受動喫煙犠牲者を減らすことが国に求められる喫緊の責務と考えます。

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    愛煙家みなさん、喫煙歴がない私の「肺がん地獄」を想像できますか?

    長谷川一男(NPO法人「肺がん患者の会ワンステップ」代表) 私は肺がんの患者であり、その視点から論考したいと思います。7年前、39歳になったばかりの冬に突然、せきが出始め、病院に駆け込んだところ肺がんであることがわかりました。進行度を示すステージは最も進んだ「4」。5年の生存率は5%ほどでした。青天の霹靂(へきれき)とはこのことを言うのでしょう。そしてもう一つ、ある思いが自然と湧き上がってきました。私には喫煙歴がありません。「よりによってなぜ肺がんなのか?」 喫煙していなくても肺がんを患うことがあります。その原因の一つが「受動喫煙」です。振り返ってみると、発症前、受動喫煙を多く経験していました。まずは親です。父親はたばこを一日2箱吸うヘビースモーカーでした。母親はその煙を嫌い、家のリビングに大きな換気扇を設置しているほどです。畳にはたばこを押し付けた後がいくつもありました。 そういえば、私は不注意から灰皿をひっくり返してしまったことが何度かあります。自分でひっくり返してしまったのだから、自分で片づけるのは当たり前ですが、これ以上ない不快なこととして記憶に残っています。※写真はイメージ 父は肺がんを患い、亡くなりました。大人になり働くようになると、職場においても受動喫煙しています。私が就職したのは25年ほど前です。職種がマスコミということもあり、ほとんどの人が吸っていました。通常、灰皿は直径10センチほどの大きさと思われますが、職場には直径30センチはあろうかという灰皿が置いてありました。銀色で軽い、カンカンと音がする灰皿の巨大版です。 「受動喫煙は本当に病気の原因となるのか?」と問う人がいます。実はその疑問は正しいのです。受動喫煙のリスクは「ほぼ確実」と言われていて、「確実」ではありませんでした。本当に病気の原因となるのかと問われたら、確実にそうだとは言えない状況だったのです。ところが昨年、それがひっくり返りました。 受動喫煙のある人はない人に比べて、肺がんになるリスクが約1・3倍、そのリスク評価は「ほぼ確実」から「確実」に上がりました。乳幼児突然死症候群、虚血性心疾患、脳卒中の原因ともなることも指摘されました。受動喫煙の健康被害・他者危害が明らかとなり、この問題は、マナーの問題ではなくなったのです。昨年までと現在では、異なる状況であることを理解していただきたいです。 「喫煙者は受動喫煙させないように努力している」「今の分煙をもっと進めればよいではないか」「こちらの吸う権利も考えてほしい」と語る人もいます。国会議員のたばこ議連の方がこのような趣旨でよく話されます。しかしながら、私の周りの喫煙者で、「分煙」によって本当に受動喫煙を防ぐことが可能と考えている人はいません。 分煙には、喫煙者も非喫煙者も懐疑的であるという理解です。また世界保健機関(WHO)の評価基準に照らしたとき、残念ながら日本は、受動喫煙防止対策について最低評価となっています。分煙をきちんと進めたとしても、この評価はほぼ変わらずです。世界的に見て、きちんと分煙ができ、受動喫煙を防ぐと考える国はないからです。本来なら「救える命」 がんを患って知ったことがあります。それは「人は苦難を乗り越えようとする強さを持っている」ということです。自分ががんになったことにどのような意味があるのか。すべてのことに意味があるならば、自分自身ががんを患うことにも意味があるはず。右往左往を経験しながらも、やがて一日一日を、一瞬一瞬を生きようと前を向きます。 運命を受け入れ、自分の命を全うしようとするのです。しかしながら、この考え方には前提があります。それが運命ならば、ということです。もし自分のがんが何らかの外的な要因によって起こったとするならば、もし避けられることだったとすれば、話は違います。 想像してみてほしいのです。他人の行為が原因で、もし自分の命に限りがあると告げられたら、それは患者本人だけの問題ではありません。家族、親しい友人、仕事仲間、周りにいる人すべてを苦しませます。※写真はイメージ 想像してみてほしいのです。もし、自分の周りの大切な人が肺がんを患い、命を落とすかもしれない状況になったら…その原因にもしかしたら自分が関わっているかもしれないという疑念がでます。もう一度書きますが、昨年からリスクが「ほぼ確実」から「確実」へと移行し、健康被害や他者危害が明らかになりました。あなたはそれをもう知っています。「本当に受動喫煙は体に悪いの?」と逃げることはできません。これは「地獄」です。 今、2020年の東京五輪・パラリンピックを視野に入れ、罰則付きの受動喫煙防止法案が進められています。この法案は受動喫煙による被害を未然に防ぎ、肺がん患者と周囲の人びとの苦しみのこれ以上の広まりを断ち切る、それが目的です。一日も早く実現することを願っています。厚生労働省には屋内全面禁煙の方針を貫いていただきたい。応援しています。 日本における受動喫煙による年間死亡者数は、交通事故による死者4千人を大きく上回る、およそ1万5千人と推計されています。大事なことは、これは「救える命」である、ということです。それを放置し、苦しみを生み出すのはもう終わりにしなければならない、そう思います。 ※本文中の統計は、『平成27年度厚生労働科学研究費補助金、循環器疾患・糖尿病等生活習慣病対策総合研究事業「たばこ対策の健康影響および経済影響の包括的評価に関する研究」』と『 喫煙の健康影響に関する検討会「喫煙と健康――喫煙の健康影響に関する検討会報告書」(2016年9月2日公表)』、アメリカ疾病管理予防センターの調査に基づくものです。

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    「たばこ白書」はメディアも同罪のプロパガンダ

    山森貴司(喫煙文化研究会事務局長)9本の論文 昨年8月末、厚生労働省の有識者検討会が「喫煙と健康影響」に関する報告書、いわゆる「たばこ白書」を発表。喫煙が、がんなど22種類の病気の発症や病気による死亡の要因であることは「確実」と断定したうえで、日本の受動喫煙対策は「世界最低レベル」であり、「屋内の100%禁煙化を目指すべきだ」と提言している。 時を同じくして、国立がん研究センターは「たばこを吸わない日本人の受動喫煙による肺がんのリスクは、受動喫煙を受けない人に比べて約1・3倍に上昇すると発表した。その〝成果〟をもとに、肺がんに対する受動喫煙のリスク評価を従来の「ほぼ確実」から「確実」に格上げしている。 この厚労省と国立がん研究センター発表を、8月31日付の新聞各紙はいっせいに報道した。「白書として初めて、日本人での喫煙と病気の因果関係を(中略)科学的に判定した」「日本人で受動喫煙によるがんリスクが科学的に証明されたのは初めて」(以上、朝日新聞)、「複数の研究を統合し、対象数を増やして分析したことで明確な結果が得られた」(東京新聞)、また若尾文彦・国立がん研究センターがん対策情報センター長の話として「日本人でも受動喫煙が肺がんに影響していることが科学的根拠に基づいて示された」(同)。 しかし、受動喫煙と肺がんの因果関係を科学的に判定、証明し、明確な結果が得られたという根拠はと言えば、受動喫煙と肺がんの関連を示した426本の論文のなかから、1984年から2013年に発表された九本の論文を選んで分析した結果だという。 いったい426本の論文とはどういうものなのか、そのなかからどういう理由で9本の論文を選んだのか、その論文についてどんな分析を行ったのかは、各紙とも何の説明もしていないので、報道からはまったくわからない。JTの「正論」JTの「正論」 同日、JTは小泉光臣代表取締役社長名義で次のようなコメントを発表した。長くなるが、簡にして要を得た文章なので、その一部を引用しよう。〈これは、過去に実施された日本人を対象とした疫学研究論文から9つの論文を選択し、これらを統合して統計解析したところ、受動喫煙を受けない非喫煙者のリスクを1とした場合に、受動喫煙を受けた非喫煙者のリスクが1・3となったとの結果をもって、受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論付けた発表であると認識しております。〉〈しかしながら、JTは、本研究結果だけをもって、受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論付けることは、困難であると考えています。〉〈受動喫煙を受けない集団においても肺がんは発症します。例えば、今回の解析で選択された一つの研究調査でも、約5万人の非喫煙女性中の受動喫煙を受けない肺がん死亡者は42人であり、受動喫煙を受けた肺がん死亡者は46人でした。肺がん等の慢性疾患は、食生活や住環境等の様々な要因が影響することが知られており、疫学研究だけの結果をもって喫煙との因果関係を結論付けられるものではありません。〉〈また、今回用いられた複数の独立した疫学研究を統合して解析する手法は、選択する論文によって結果が異なるという問題が指摘されており、むしろ、ひとつの大規模な疫学研究を重視すべきとの意見もあります(※)。今回の選択された9つの疫学研究は研究時期や条件も異なり、いずれの研究においても統計学的に有意ではない結果を統合したものです。〉〈これまで、受動喫煙の疾病リスクについては、国際がん研究機関を含む様々な研究機関等により多くの疫学研究が行われていますが、受動喫煙によってリスクが上昇するという結果と上昇するとは言えないという結果の両方が示されており、科学的に説得力のある形で結論付けられていないものと認識しています。〉※「新しい疫学」(財団法人 日本公衆衛生協会)/「メタ・アナリシス入門」(丹後敏郎 朝倉書店)なぜ「疫学研究」と報じないのかなぜ「疫学研究」と報じないのか つまり国立がん研究センターが分析・判定して受動喫煙の肺がんへの影響を「科学的に」証明した根拠というのは、九つの、おそらくは自分たちに都合のいい(?)疫学調査をいじくりまわしたというだけにすぎない。 報道には「疫学研究」という言葉はいっさい出てこないが、疫学研究というのは、もともとは感染症の原因や動向を調べるもので、現在では広く病気の原因と考えられる要因と病気の発生の関連性について、その因果関係を統計的に調査することである。 新聞の読者は、さぞ科学的で医学的な研究が行われたのだろうと思うだろうが、実際はこれまでに発表された論文の統計学的な数字を操作しただけなのである。実は統計的手法による疫学は、調査する人の立場や価値観(予断・予見)に左右されがちで、それが〝証明〟できるのは「相関関係」であって決して「因果関係」ではない。たとえば、「解熱剤をのんだら熱が下がった」としても、その因果関係は証明できない。のまなくても熱は下がったかもしれないからだ。そのことは本誌連載の「医療エッセイ」で葦原祐樹氏が何度となく触れているとおりである。 疫学調査から因果関係を見出そうとすれば、人によってまったく逆の結論に達することもままある。因果関係を決める要因は、その人の期待と願望、つまり「心」であるという意見さえある。決して科学的客観性ではない。  にもかかわらず、各メディアは、どのような〝研究〟のもとに発表が行われたかをいっさい検証せず、ただ厚労省や国立がん研究センターという権威の発表をただ右から左に流すだけでなく、「科学的に判定した」「科学的に証明された」「明確な結果が得られた」と、まるで世紀の大発見扱いである。嫌煙運動を煽り立てているかのようだ。いや、結果的にはまさしく煽っている。近年、誤報や捏造が問題になることの多いメディアの、これも無自覚なプロパガンダの一つと言えるだろう。

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    極端な喫煙者バッシングは民主主義を風化させる

    畑正憲(作家)取材・構成=清水 泰(フリーライター)配給制時代のモク拾い――たばことの出合いについて教えてください。畑 医師だった父が、吸っていないときはたばこの煙を吐いている、というくらいのチェーンスモーカーでした。わが家でいちばん困ったのは終戦前後の配給制ですね。1人当たりの配給本数が1日に5、6本しかないんです。父は本当に困っていましたね。 そこで少年時代の僕は「モク拾い」が日課でした。棒の先に針を付けて、道端にポイ捨てされたたばこの吸い殻を片っ端から突っついて拾い上げる。本格的なモク拾いでしたよ。畑正憲さん――大分県の日田市に住んでいたころの話ですね。畑 そうです。父は満洲の医師免許しかもっていなかったので、日本の医師免許を取るために勉強しなきゃいけない。愛煙家の方はわかると思いますけど、勉強するにはたばこがいるんです。父がたばこがない、ないというものですから「じゃあ僕が拾ってきてやるよ」と。拾ってきた吸い殻の一つひとつからちょっとずつ葉を取り出してはまとめて干します。乾燥させた葉をほぐして、紙で巻くと自家製たばこの出来上がりです。――畑先生ご自身がたばこを嗜むようになったのはいつのことですか。畑 東京大学に入ってからですね。当時は渋谷によく遊びに出かけていたんですが、駅前に「らんぶる」という老舗の名曲喫茶がありまして、そこにはよく行きましたね。あとは道玄坂を上って右手に入ったところにあった「ライオン」というクラシック喫茶。夜中に入ってコーヒーを頼んで、BGMをバックにたばこを吹かす。いまはすっかり変わって子供の街になっていますけど、当時の渋谷は大人の町でしたから。たばこはそのころからおいしいと思って吸っていましたが、まだヘビースモーカーではなかったですね。日本でこそ味わえる贅沢な時間日本でこそ味わえる贅沢な時間――今日は両切りのピースとダンヒルを吸われながらのインタビューですが、たばこが手放せなくなったのはいつからでしょうか。畑 作家になった30代からですね。たばこって不思議なもので、吸い始めたときは「もういいか」と思うんですよ。ところが一本吸い終わって消そうと思うころになると、もう一本欲しくなるんですね。そういう不思議なところがあります。「たばこは生活の句読点」っていうキャッチフレーズは、本当にそのとおりだと思いますね。たばこを口に咥えて何服かすると、何かしたくなる。たとえばお茶を沸かして自分で注ぎたくなるとか、そんなことしなくていいのに、やりたくなるんですね(笑)。そういう不思議な作用がある。だから原稿を書く前には必ず吸いますね。吸って消して、また吸って消す。そのうち「よし、やるか」と書き始めるんですよ。――原稿を書く前のアイドリングのような感じですね。発想力が増したりもするのでしょうか。畑 原稿を書く際のリズムのようなものになっていましたね。ただ、1980年に『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』のテレビ番組を始めて、世界中を飛び回るロケに出るようになってからは、そんな贅沢はいっていられなくなりましたね。それまでは「俺は作家だ」って気取っていました。昼間からカーテンを全部閉めた暗い部屋のなかで、机の前に座ってきちんとした姿勢で書いていたんです。 それがロケに出るようになってからの執筆環境はひどいものです。車とか飛行機の中だと、気分が悪くなってしまって文章が書けないんですよ。だから移動中じゃなく移動前の待ち時間やロケ地での休み時間が仕事の時間なんです。たとえば東京からインドのニューデリーに飛んで、次の飛行機がなかなか飛ばなくて5時間待たされたりする。これは「しめた」ってんで待合室のいちばん空いているところの片隅に原稿用紙を広げて、前のめりになって書いていましたから。たばこを気にする余裕なんてないですよ。 また、たとえば人里離れたところへ行くと、電気も通っていない。もちろん机もなし。それでも仕事はしなきゃいけない。しょうがないから懐中電灯を4本、ガムテープで巻いて電灯代わりに吊るして、その灯りで原稿を書いていましたね。 そういう生活に慣れると不思議なもんでね、僕はこの50年、風邪をひいたことがないんです。おそらくつねに緊張を自分に強いていると、免疫力が高まるんだと思います。僕はテレビ番組で40日間の予定で海外ロケに出かけます。日程にある程度余裕をもたせてあるんで、実際は35日くらいで終わるんですよ。じゃあ「5日は休もう」ではなく「しめた」と、次のロケの日程を前倒しするんです。ロケから帰国したらすぐまた次のロケに出る。そうすると緊張状態がずっと続くでしょ。だから風邪もひかないですね。――50年間ほぼ休みなし、ということですね。畑 1年の約半分が海外ロケ。そういう生活が30年続きました。今日は病気で休むとか体調が悪いから中止、といったことは一度もありません。――そういう過酷なロケ中でも、たばこを吸われるときがあるわけですね。畑 われながらバカだと思いますが、どんなに厳しい環境でもたばこが吸いたくなるんです。たとえばチベットの標高5000m級の山岳地にロケで行く。ただでさえ空気が薄くて息苦しい自然環境でも、僕は吸いましたね。たばこを手に持って、「よし、いまから吸うぞ。おまえを吸うからな。ほんとに吸うよ」といって火を付けるんです。でも息苦しいし、うまくない。本当にバカですね(笑)。 たばこがおいしいというのは贅沢な時間で、心に余裕がないとそうは感じられないんです。追い詰められた状況で吸うたばこは、やっぱりおいしくない。それから僻地で吸うたばこはおいしくないですね。――それは意外ですね。大自然のなかで吸うたばこはおいしいのか、と思っていました。畑 真夏の砂漠で吸ってもちっともおいしくないし、真冬のアラスカで吸ったたばこもまずかったですよ。空気が乾燥しすぎている地域はダメですね。ある程度の湿度がないと。だから大自然のキレイな空気のなかで吸うたばこがおいしいなんてことはありませんね。その点、適度な湿り気のある日本で吸うたばこはおいしい。そう感じる時間は、僕にとってとても贅沢な時間です。――「たばこは生活の句読点」以外にも「今日も元気だ、タバコがうまい」というキャッチコピーもあります。畑 朝起きてカーテンを開け、一本のたばこに火を付けたときの快感といったら! 俺は今日も元気だって実感しますね。うまいキャッチコピーだと思います。自分の正義を押し付ける不寛容さ自分の正義を押し付ける不寛容さ――世の中には畑先生のような愛煙家もいれば、たばこを吸わない人やたばこを毛嫌いする人もいます。畑 たしかに昔はたばこが嫌だっていう人は少なかったんですけど、いまは喫煙者が減って極端なたばこバッシングに走る人が増えています。喫煙者の皆さんにはお気の毒ですが、こうした社会の風潮にはますます拍車が掛かると思います。――畑先生はなぜ極端な嫌煙家が増えていると思われますか。畑 そう聞かれて思い出したことがあります。もう60年も前の話です。日本が豊かになり始めるちょっと前に、外国産のたばこが日本に入ってきました。香料がまたきついんですよね。僕なんかはいろんな種類を試すほうだから、アルバイトの帰りに缶入りの海外たばこを買うのが楽しみでした。家に帰って缶を開けると、まず香りを嗅いでね。吸うのは香りを楽しんだあとでしたね。香りは、たばこを吸う人にとっては強くても弱くても全然関係ない。一口二口吸ったら、すぐ慣れるんです。 問題は、たばこをやめた人です。彼らはたばこの香りやにおいに敏感ですよね。僕なんかもたばこが買えないくらい貧乏していた時代があるから、わかるんです。他人が吸っていると、あれはピースだとかね(笑)。たばこをやめた人ほど毛嫌いしやすくて、ここ何年かでやめた人がたくさんいることも、世の中の風潮と関係しているのかもしれない。――禁煙社会になりつつあるとはいえ、たばこを吸う人の立場も尊重される社会であるべきだと思うのですが。畑 そう思います。本当に嫌な社会になりましたね。何が嫌かって、たばこを嫌う人たちは、自分たちの正義を大上段に振りかざしてものをいうんです。自分のなかだけに正義をしまっておかないで、俺の信じる正義をおまえも信じろ、と押し付ける。信じないおまえは悪だ、とレッテルを貼って攻撃するわけでしょ。たばこの問題に限らず、そういう物の考え方をする人が時がたつごとに多くなってきていますね。僕は民主主義の風化であり、民主主義の害毒だと思っています。街中に設置されている屋外喫煙所=東京都港区の東京メトロ表参道駅前 昨年11月の新聞に「厚生労働省は庁舎の屋外喫煙所の利用時間を制限したうえで、喫煙後は遠回りをして、においを落としてから庁内に入るというルールをつくった」というニュースが載っていました。どう考えてもおかしいでしょう。こんなのは正義でも何でもないですね。でも現実にこれを正義と思う人がいる、ということなんです。他人の服についたたばこのにおいまで嫌だというのは、もはや受動喫煙の問題でもないわけですよ。個人個人の価値観を認めない、他人に対して不寛容な社会は民主主義ではない、と思います。――副流煙や受動喫煙の問題に関してはいかがですか。畑 副流煙による受動喫煙の害がどのくらいあるかですが、どうも科学的ではない、と思います。じつは以前にこんな教育番組がありました。妊娠しているウサギの鼻先に、たばこ10本をまとめて火を付けた煙を近づけて無理やり吸い込ませる。すると心拍数が上がる、という実験を医師がやっていたんです。何も知らない人が見たらなるほどと思うかもしれませんが、こんなの実験でも何でもないですよ。たばこの代わりにただの紙を巻いて火を付け、その煙を鼻先に近づけてウサギに吸わせてごらんなさい。心拍数が極端に変わりますから。生き物とはそういうものなのに、あたかも科学的な実証データかのように取り上げる連中がいるから困るんです。その教育番組を見たときは仰天しました。――医学に携わる人がなぜ、そんな非常識・非科学的なことに手を染めてしまうのでしょう。畑 医師になっても、博士号がないと開業したとき儲からない、と考えているのでしょう。博士号を取るためには論文を書かないといけない。たばこなら結論は健康に悪いと決まっているし、世間の通りもいい。審査に通りやすくて箔が付くからではないでしょうか。自己治癒力はバカにできない自己治癒力はバカにできない――最近では副流煙を吸い込む2次喫煙だけでなく、壁や床に染み付いたたばこの残存成分が大気中に放出されて健康被害を引き起こす3次喫煙の害なるものまで、テレビの情報番組で取り上げられるようになりました。もちろん科学的には何も立証されていません。畑 そんな害を立証できるわけがないですし、人の健康に影響するはずがないんですよ。だってこれだけ排気ガスを出す自動車が走るなかを人間は生きているんですから。仮に害のある物が体内に入ってきたら、それを自己免疫システムで防御しながら生きていくのが、いま生きている命という力強さなんですよ。――害を及ぼす可能性のある物はすべて遠ざけるというのは、生物として生きることを否定しているのと同じですね。他人との接触や付き合いも危険ですし、あらゆるウィルスや各種のリスクが怖くて街も歩けません。畑 僕は作家をしながらテレビ番組も制作して、時間に追われて仕事をしているうちに、39歳で胃がんになって胃の全摘手術を受けました。医師からは術後の抗がん剤治療の継続を勧められましたし、定期的に検診も受けてください、といわれました。でも抗がん剤はいっさい飲んでいないし、術後検診に行ったこともありません。もちろん医者の家に生まれて自分も医学部コースですから、近代医学は信じています。でも、個人の生き方として病気やケガをするたび医者に行くかというと、僕は倒れたときしか行きません。とにかく全部、辛抱して自分で治してきましたね。――気力で病気もケガも治すような感じですか。畑 気力って簡単にいいますけど、本当に気力があれば薬の100万倍効きますよ。気力をバカにしちゃいかんのです。生きる力というのは大したものですよ。 たとえば動物の咬み傷は深いんです。獣の咬んだ歯は骨膜まで通ります。一年の半分を海外ロケで飛び回っていた当時、体に常時200から300の咬み傷がありました。それをいちいち消毒していたら、それこそ消毒の作用にやられて体がもちません。だから咬まれたときは「咬んだか? よしよし」って動物の頭を撫でて、傷口はそのまま放置。そこから菌が入ってきたら、僕の気力と体が菌に勝てばいいんです。(横を向いて)僕の首から顎までを見てください。ここに熊の歯が入って、顎を割られているんですよ。顎を割られて口が開かなくて、3カ月間、歯医者に行けませんでした。寝ていると出血して枕が血だらけになって、目覚めると血を吸った枕が重たくなっていた。それを見て僕は、これだけ出血したら細菌は全部外に流れていっただろう、ざまあみろと(笑)。結局、医者に行かずに治しましたね。人間の自己治癒力ってバカにできないんです。一律の規制が文明を退化させる一律の規制が文明を退化させる――たばこのほかに畑先生が感じる社会の歪みとは。畑 最近はよく同一労働・同一賃金とかいうでしょう。やれ残業させちゃいかん、徹夜させちゃいかんとか。それではたして社会が成り立つのか、疑問に思いますね。同一労働・同一賃金が成立する社会なんて、チャップリンの『モダン・タイムス』の世界ですよ。昔の工場みたいに単純労働であれば同一労働・同一賃金でいいでしょうけど、たとえば作家の僕と大学を出たばかりの労働者が動物の話を書いて、同一労働で同じ原稿料を払いますか? 僕はできません。何いってんだ、って文句をいいますよね。 働き方に十把一絡げの規制を設けず、存分に好きなだけ働ける方向をめざしたほうがいいですよ。東京ムツゴロウ動物王国プレスレビューでスタッフや犬に囲まれる作家・畑正憲さん=東京・あきる野市――悪平等ですね。たしかに、おっしゃるように8時に始めて五時に終わる仕事ばかりでは世の中、成り立ちません。畑 でしょう。僕は大学を卒業して学習研究社(現・学研ホールディングス)の映像部門に入って、理科関係を中心にした学習映画の作製に携わっていました。入社してみるとその仕事が面白くって、とにかく新しい事をやりたい。「何か新しい事はありませんか」というと、上司が「じつは、こういう事をやりたいんだけど」といってくる。その一つが、接写でカエルの卵を微速度撮影する学習映画の製作でした。カエルの卵を極限まで接写して、卵が分割していく様子を微速度撮影で撮るんですよ。卵が分割し始めておたまじゃくしになるまで何日かかると思います? 21日かかるんです。それなら担当の僕が21日間、寝られないのは当然じゃありませんか。撮影を決めた時点で、わかり切っていることです。――一律に働き方を規制されるとやりづらい仕事です。畑 カエルの卵一つを撮影するために、0・01㎜の精度が求められる箱を作らないといけない。箱の中に特別な液体を入れて、きれいに撮像できるように光の位置をセッティングできる人間、卵に埃一つ付着しないように扱える人が必要なんですけど、代わりは誰もいない。世の中には代えの利かない仕事もあるってことなんですよ。――たばこに限らず、つまらない規制が増えました。畑 つまらない規制をするから社会に歪みが出てくる。そして規制すればするほど歪みが拡大するんですよ。この状況は明らかに文明の進化ではない。文明の退化であり、風化ですよ。人間は一人ずつ違っていて、才能も体力も違うし、仕事のやり方も違う。それをみんな一律にしようとするから、間違いが起こるんです。そんな社会に生きていて何が楽しいのか、と思いますね。はた・まさのり 作家。1935年、福岡市生まれ。東京大学大学院で生物を研究。会社員を経て著作活動を始め、「ムツゴロウさん」の愛称で親しまれる。77年に菊池寛賞、2011年に日本動物学会動物教育賞を受賞。関連記事■ 受動喫煙防止法は実現するのか■ 喫煙マークを東京五輪のレガシーに■ ネコはなぜ、人と生活するようになったのか?

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    屋内禁煙案 ゴールデン街の狭小店舗にも適用するのか

     他人のたばこの煙を吸い込んでしまう受動喫煙の防止強化を図ろうと、あらゆる施設で“屋内禁煙”を義務付ける新たな法案(健康増進法改正案)が国会に出されようとしている。 学校や病院、福祉施設や官公庁など誰もが訪れる公的な施設は、敷地内全面禁煙や屋内禁煙の徹底が厳しく求められていく方向だが、賛否が大きく割れているのは、飲食店やホテルなどサービス業に対する規制強化だ。 利用者自らが多様化するサービスを見極め、自分の嗜好に合わせて行くか行かないかを自由に選択できるのがサービス業の本質ともいえるため、飲食業界を中心に「公共性の高い施設とは大きく異なる。一律規制は相応しくない」と反発を強めている。愛煙家・嫌煙家ともに大切なお客さん。喫煙・分煙・禁煙の飲食環境は、あくまで事業者側の経営判断や、客層に応じた自助努力に任せるべきとの主張だ。 いまのところ、飲食店やホテル、駅・ビルの共用部分、電車内といった屋内については、四方を密閉したうえに煙を外部に排出できる「喫煙室」の設置は認められる予定だが、事はそう簡単ではない。 日々の売り上げ確保にさえ汲々とする中小の事業者にとっては、基準を満たす分煙装置の導入費用を捻出する余裕がない。そもそも、飲食店の中には店舗面積が狭く、とても喫煙室など置けるスペースがないところも多い。 2010年に全国で初めて受動喫煙防止条例が施行された神奈川県では、こうした中小零細業者の事情を汲み取り、床面積100平方メートル(30.25坪)以下の飲食店や700平方メートル以下の宿泊施設などは「特例施設」として、分煙または禁煙を“努力義務”にとどめている。同様の条例を築いている兵庫県でも、事業規模により分煙義務・努力義務を区分けしている。 仮に、今回厚労省が出そうとしている法改正に、神奈川や兵庫のような特例措置がつかなければ、中小事業者の多くが否応なく“屋内全面禁煙”に追い込まれることになる。東京・墨田区で小さな居酒屋を構える店主(52)は、「快適な喫煙スペースを設けた大手チェーンに客が流れるのは目に見えており死活問題だ」と憤る。 店の規模でいえば、この飲み屋街に喫煙室を設けるのも、まず不可能だろう。昔から著名な文化人やマスコミ関係者らのオアシスとなってきた「新宿ゴールデン街」だ。 カウンターに10人も座れば満員、3~5坪という狭小な木造店舗が約280軒以上も密集するゴールデン街。その一帯は、昭和の懐かしい佇まいを今に残し、酒とたばこをこよなく愛する常連客が集う。 ゴールデン街で「BARダーリン」を営み、新宿三光商店街振興組合の理事長も務める石川雄也氏(43)がいう。「いまは若者を中心に酒離れが進んだことや、たばこを吸わない人も増えましたが、ゴールデン街の光景は何も変わりません。好きな酒やたばこを嗜みながら、狭い店内で異業種のお客さん同士が顔を突き合わせて、生のコミュニケーションが生まれています。 最近は若いサラリーマンや外国人観光客の姿も目立つようになりましたが、やはりメールやSNSでは味わえないアナログ的な人と人との交流に刺激を受け、新しく常連になるお客さんも増えています」 現状、ゴールデン街では、店内禁煙を掲げる店舗はほぼない。店が極端に狭いため、煙がこもらないよう外に灰皿を設置する店があってもいいようなものの、そうした店も見当たらない。じつは、ゴールデン街では屋内よりも屋外禁煙が徹底されているのだ。「店先に灰皿を置くと、お客さんでもない人が集まってきて一斉にたばこを吸い始めてしまうでしょうし、火種が大きくなって煙が立ち込めている灰皿に店主が気付かなければ、それこそ火災の危険性も増します。 そのため、ゴールデン街では組合を通じて、たばこは基本店内で吸ってもらい、気分転換などで外に出て吸うお客さんについても、吸い殻は必ず店内で処理するように指導しています」(前出・石川氏) ゴールデン街は昨年4月、17店舗が燃える火災に見舞われたが、ホームレスの男による放火が原因で、むしろ、火の取り扱いには日頃から細心の注意を払ってきたという。 では、屋内禁煙を原則とする法案が通ったらどうするのか。小池都知事は、1月13日の知事記者会見で、ゴールデン街の文化に理解を示したうえで、〈それぞれ小規模のお店の方々については、その対応策について、東京都として何ができるかは研究をしていきたい〉としていたが、石川氏はただ困惑するばかりだ。「もちろん、こんな狭い店内に喫煙室を設けることはできませんし、かといって外で吸ってもらうこともできない。ましてやゴールデン街の店をすべて禁煙にするなんて……ちょっと考えられませんね」 新宿ゴールデン街で夜な夜な築かれてきた人間ドラマを語るうえで、どうしても欠かすことのできない酒とたばこ。その歴史ある飲み屋文化も、一律規制で薄らいでしまうのか。関連記事■ 6割税金のたばこ 意外と知られていない国と地方ダブルの税■ 豪のカップルが新婚旅行で新宿ゴールデン街に来た理由■ たばこ店店主 増税で大量まとめ買いした人に保存方法を伝授■ 禁煙に成功した夫 「歯ブラシ」と「フリーソフト」活用■ 禁煙外来での保険適用に必要な「ニコチン依存症判定テスト」

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    タバコはクルマよりも危ないらしい

    他人のタバコの煙を吸い込む「受動喫煙」によって肺がんや脳卒中などで死亡する人は、国内で年間1万5千人に上るという推計を国立がん研究センターが発表しました。車に起因する交通死者をも上回る驚きの数字ですが、このデータ、本当にどこまで信ぴょう性があるのでしょうか? 

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    「受動喫煙」説のいかがわしさを突く

    』(非売品、2003)84ページ。(46)前掲第二次たばこ白書、58─59ページ。(47)斎藤貴男「禁煙ファシズムに物申す!」(『中央公論』2008年1月号)。(48)前掲第三次たばこ白書、72ページ。(49)同右、84ページ。(50)繁田正子「肺癌検診関係者や日本肺癌学会はタバコとどう対峙すべきか」(『肺癌』49巻1号、2009)113─21ページ。(51)斎藤貴男『国家に隷従せず』(ちくま文庫、2004)164ページ。(52)禁酒法の歴史については Mark E. Lender and J.K. Martin, DrinkinginAmerica(N.Y,1987),岡本勝『禁酒法』(講談社現代新書、1996)を参照。(53)『インテリジェンス・ウイークリー』10年3月22日号(出典はGentlemen QuarterlyFeb. 2010)(54) 前掲宮田、193ページ。原典:秦郁彦『病気の日本近代史』(2011年・文藝春秋刊)第七章「肺ガンとタバコ」。なお、原著の記述は2009年前後のデータに基づいているため、著者の了解を得て最新データに変更しています。

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    喫煙主因に年600万人死亡! 世界に広がる禁煙の波

     長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) オーストリアの次期大統領に選出された「緑の党」前党首、アレキサンダー・バン・デ・ベレン氏(72)は愛煙家で知られている。同氏の歯は長年の喫煙で黄色くなっている。同氏がホフブルク宮殿の大統領府の主人となることが判明すると、大統領府は早速、大統領専用の喫煙室を設置する計画を進めているという。 環境保護を党綱領の最初に掲げる「緑の党」出身者が愛煙家という事実について、「言行不一致の典型的な例だ」と声を大にして詰問するつもりはないが、やはり少々まずい。  先月31日は‘World No Tobacco Day'だったが、国連の情報によると、年間、世界で600万人がタバコ、喫煙が主因で死亡しているという。喫煙する人の健康だけではない、その周囲の家族や子供たちの健康にも悪影響(受動喫煙)を及ぼすことは医学的にも知られていることだ。   当方は冷戦時代、多くの反体制派活動家と交流してきた。その一人、チェコスロバキア(当時)のバスラフ・ハベル氏は反体制派活動家で通算5年間、刑務所生活を体験し、民主化後、大統領に選出された人物だ。そのハベル氏は1日2箱のタバコを喫煙していた。残念な事実だが、同氏はその後、肺疾患で亡くなった。長年の喫煙が原因だったことは間違いないだろう。  また、中国の著名な反体制派活動家の魏京生氏は文字通り、ヘビー・スモーカーだ。休みなく紫煙を上げていた。当方がウィーンで同氏とインタビューした時も、煙の隙間から同氏の表情を伺ったほどだ。同氏は通算18年間、収容所生活を送っている。  ハベル氏と魏京生氏は、国は異なるが刑務所生活を体験している。喫煙以外の楽しみがなかった。多分、彼らは紫煙の行方を追って慰めを感じていたのだろう。当方は彼らの喫煙癖を批判できる資格はない。 バン・デ・ベレン氏の場合、父方の先祖はオランダ人だったが、モスクワに移住した。しかし、1917年、ロシアにボルシェヴィキ政権が誕生すると家族はエストニアに亡命。エストニアが1941年、旧ソ連共産政権に併合されると、ドイツに逃げ、そこからオーストリアのウィーンに亡命した。しかし、ウィーンにも旧ソ連赤軍が迫ってきたため、チロルに逃げている。  第二次世界大戦終焉直前に生まれたバン・デ・ベレン氏がいつ頃から喫煙するようになったか知らないが、「大統領府に入ったら、喫煙を止める考えはあるか」という記者たちの質問に返答をぼかしてきた。やめる気はないのだ。  バン・デ・ベレン氏は亡命者家族の息子として身につけた世界観、人生観と同様、喫煙癖も最後まで捨てられないだろう。同氏は大統領選で勝利が決定すると、「ホフブルク宮殿の主人となった以上、全ての国民の大統領を目指す。『緑の党』の党員から離脱する」と述べている。環境保護の政党「緑の党」の看板を背負っていると、大好きな喫煙を楽しめられないからでないか。  アイルランドが2004年4月、欧州で初めて禁煙を決定したのを皮切りに、他の欧州連合(EU)の加盟国も次々と禁煙に乗り出してきた。いずれにしても、愛煙家を取り巻く環境は世界的に厳しくなってきている(「紫煙の行方」2006年11月30日参考)。   72歳のバン・デべレン氏に今更禁煙を強いることは酷だが、国民の模範という大統領の立場から、若者たちが集まる場所での喫煙は控えて頂きたい。                                                          (長谷川良ブログ 2016年6月3日 ウィーン発「コンフィデンシャル」より転載)

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    毛沢東も鄧小平もヘビースモーカー がんは病気よりお金が怖い!

    河原ノリエ(東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師) 中国郊外の農村にがん予防活動に入りはじめて、10年以上の歳月が流れた。  戦前に満州で満鉄関連の事業を行っていた父の足取りを辿っていくうちに知り合った方がたとのご縁のなかで、細々と続けてきた活動である。  中国のがんは急増しており、中国政府もその対策には苦心をしている。がん予防啓発活動とともに、日本同様早期発見、早期治療のスローガンのもと、がん検診を、農村部においても展開している。特に、乳がん健診には力をいれ、日本における地域の婦人会にあたる婦女連合会のネットワークなどを利用して、無料で各地で行われている。 しかしながら、その受診率はかなり低い。 「どうして無料なのに行かないの?」村の女性にきいてみると「だって、検診でがんがみつかったら怖いもの」早くみつかれば、と早期発見、早期治療の話をすると「だってがんになって、生き延びているひと、みたことないもの」そう言って、彼女は首をすくめた。  「がんになって、手術したって、どうせ死んじゃうのに、病院で高いお金をとられてしまう。そのお金、家族に残してあげるほうがずっといいでしょ」そう言う年配の女性は、もし運悪くがんがみつかったら、どうせ助からないのに家族がほっておけずに、自分のためにできる限りのことをするだろうから、絶対にがん検診になんか行かないと言う。  がんになっても治療したってどうせ死ぬのに無駄だからと、まわりの村人も口々に話す。最近村で、がんがみつかって、手術をしたひとが、結局その後治療費用が続かず、早々に退院して、その後どんな悲惨な最期であったかということ。そしてその後どれほど、残された家族が経済的に困窮してきたかということ。人々は、まるで見てきたことのように熱く語りはじめた。  がん患者の経済的問題は日本においても深刻な事態となっている。ましてや社会保障制度が徐々に整備されているとはいうものの、がん治療費用への公的カバー率の低い中国においては、その実像は推し量ってあまりある。  近隣の病院に勤める医師は、「中国も、医療技術が発展してきており、海外の学会などの発表では、治療成績もずいぶんあがったようにみえているかもしれないけど、それは北京や上海の病院でのことで、お金に糸目をつけない富裕層が大都市の有名病院に集中して治療を受けた結果にすぎない。農村のひとたちはほとんどが、がんを怖がり、見つかったときは手遅れで、大多数の中国全土の病院においては、がんはまだまだ死病なんです。」そう力なくつぶやいた。  たしかに日本においても、ほんのしばらく前までは、がんは不治の病であった。  がんサバイバーたちの元気な姿が全国各地で見られ、「がんは、もう治る病気になりました」そんなことを言えるようになったのは、つい最近のことだ。それはがん医療の急速な発展とそれを国民全体が享受できる国民皆保険制度という礎があったからこそである。  中国においては公的医療保険のカバー率が9割を超えたとはいうものの、その実、がん治療においてはそのかなりの部分が自己負担になっているのが現状である。早期発見、早期治療すれば、もうがんは治る時代になったからと言えるのは、中国では、がん医療の発展の恩恵にあずかれる一部のひとのための言葉にすぎない。それゆえ人々にとって、がんという病は、日本で我々が考えるより、もっと恐ろしい病なのである。  年に数回この村を訪れ、健康講座を開催している。このがん予防啓発活動にも、実は、村のひとたちは、がんになるのは運みたいなものだからと、参加してくる。タバコの害について聞いても、毛沢東も鄧小平もヘビースモーカーだったけど、長生きしたよと言いながら、「がん予防なんてほんとかどうかわかんないけどさぁ」といいながら、参加する。がんになったら運命とあきらめるしかない  その心根には、がんになったら運命とあきらめるしかないということなのだ。生活習慣の改善によって、其のリスクを減らすことができると伝えても、がんといったとたん、その聞く耳を閉ざしてしまう。こわいのだ。なかなか、わかってもらうことは難しいのだが、村の医師とともに、一日の塩分摂取量は6グラム以下にする必要があるのに、村の塩分摂取量は平均12グラムであることを伝え、がんは運命ではないからと健康的なメニューの紹介をする。  「はるばる日本から、よくまあいつも来るね。」そういつもの軽口をたたくおばさんが、「あなたに免じて、今度の検診いってみるよ」そう笑いながらいってくれた。  昨年9月25日、ニューヨークの国連本部で、期限を迎える「MDGs(国連ミレニアム開発目標)」に代わる「SDGs(持続可能な開発目標)」が全会一致により採択された。  健康課題は持続可能な開発結果として認知され、そのなかの目標のひとつである Universal Health Coverage(UHC)は、途上国のみならず、先進国にとっても共通課題として設定された。  UHCとは、全ての人々が質の担保された保健医療サービスを享受でき、サービス使用者に経済的困難を伴わない状態を指す概念である。その実現には、まずはその国の経済成長が前提であり、遠い道のりがあることは事実である。  「がんになったら、病気よりお金のことが怖いから」そうつぶやく村の人々に、他国のわたしがいまやり続けることができることはほんとうにささやかなことにすぎない。  先日の健康講座では、塩分講座のあとに、零下30度近くになる冬を乗り切るため、ハンドマッサージの講習会を開いた。相手への思いやりを込めてペアになってハンドマッサージを教えた。家にかえって家族でやってもらう。健康なくらしの方策として家族同士の触れ合いによってお互いの健康状態をいたわりあおうという趣旨だ。コミュニケーションが健康に繋がること、医療資源ってお金だけじゃない。ひとがひとを想い気遣う繋がりが、思いがけない力になることだってある。  「がんになるのは運命ではないから、くらしのなかで、気をつけましょう。くらしのなかで健康に留意しないとがんのリスクがあがり、病気になればお金もかかるので、貯金するとおもって、健康的なくらしを心がけよう。」  がん医療とお金については、今後も大きな課題となっていくが、ひとびとが、いまの暮らしの中で受け入れられる形で、メッセージを伝え続けるしかない。  またこの長い冬があけたら、あの村を訪れたいとおもう。(この記事は2016年01月19日「先見創意の会」コラムより転載しました)

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    健康だの清潔だのと騒ぐのは〝ほとんどビョーキ〟だよ

    山本晋也(映画監督)撮影 淺岡敬史吉永小百合と刑事コロンボ ぼくらが幼い頃、親父といえばタバコの匂いがするものでしたよね。日本映画を観ていても、1960年、70年代くらいまではお父さんたちやサラリーマン連中はみんなタバコを吸っている。飲み屋のママさんなんかも粋に吸っています。淡路恵子さんなんて、タバコが実によく似合う方でしたね。あの頃の女優さんでタバコが似合わないのは吉永小百合さんくらいだったんじゃないかな。彼女が演じた『キューポラのある街』のあの清純な少女がタバコをくわえていたらおかしい(笑)。 逆に、クリント・イーストウッドや刑事コロンボが葉巻をくわえていなかったらサマになりません。コロンボなんて、鑑識が働いているのを横目で見ながら殺人現場で葉巻を吸っている。あんな警察官、いないと思うよ(笑)。でも、それがキャラクターとして決まっているんだね。 ぼくはNHKの朝ドラ『私の青空』(2000年)に築地の氷屋の社長役で出演していたことがあるんだけど、「こういうオヤジだったら、こういうときにタバコ吸うんじゃない?」ってディレクターに言ったんです。気に入らない客が来たときに、タバコに火を点けて相手の顔を見ながらすぐにもみ消す。「わるいけど忙しいんだ、帰ってくんねえかな」というセリフがそこで生きる。吸い方一つで性格まで表現できるタバコは非常にいい小道具なんです。 それが、いまテレビドラマでは喫煙シーンはまず出てこない。主人公がタバコ吸っているのはどういうわけだって、すぐ抗議の電話が来るから。いまの世の中、クレーマーだらけだしね。そりゃあ民主主義の国だから、どんな意見があったっていいけど、問題になるような脚本(ホン)のほうが世の中にアピールするから商売にもなるでしょう。ドラマ一本で一般常識をひっくり返すようなことだってできる。何か問題が起こったら困るからって、無難なものばかりつくっていても面白くないと思うけどね。テレビの人間もサラリーマン化してしまっているのかもしれないけど、そういう人はあまりクリエイティブな仕事には携わらないほうがいいよ。 喫煙所に行くと半数近くは女性ですね。昔はタバコを吸っていることを知られたくないっていう女性が多かった。社会でバリバリ活躍する女性が珍しかった時代は、タバコを吸っていると、いいところのお嬢さんじゃなくて、水商売の女のように見られるっていう、差別みたいなものがありましたからね。 当時、タクシーの運転手から聞いた話だけれど、丸の内のOLが乗って来て、東京駅周辺をグルッと一周してくれって言うんだって。そのあいだにタバコを一服して、それですました顔でまたオフィスに戻っていく。タバコ一本吸うのにワンメーターちょっとの料金を払うんだ。男女雇用機会均等法(1986年施行)の前のことだけど、いまのタバコ代に匹敵するくらい高くついたでしょう。でも、いまはタクシーもほとんど禁煙だから、もうこの手は使えないね。日本は平和だよ日本は平和だよ 今年(平成27年)のタバコの予想税収は2兆940億円ですよ。一方、防衛費は5兆911億円だから、軍事予算の半分弱をタバコの税金でまかなっている計算になる。日本は平和だってことですよ。 そういう数字の比較で言うと、ぼくらが昔やっていた深夜番組『トゥナイト』(テレビ朝日。1980~94年、『トゥナイト2』94~02年)で取り上げた話題だけれど、ラブホテルの一日の売り上げは10億円だった。そうすると月に300億、一年に換算すると3兆6千億円になる。当時の日本の防衛費はそれより少なかったんです。これこそ世界に冠たる平和国家の証明ではないかというわけ。要するに、裏通りにひっそりと並ぶラブホテルと、狭い喫煙所に閉じ込められて肩身の狭い思いでいる喫煙者が日本経済と国防を支えている(笑)。 たとえばタバコ一箱が430円だとすると、そのうち64%の276・73円が税金だっていうんだ。細かく言うと、その税金の105・24円が市区町村のたばこ税、122・44円が国のたばこ税、17・20円が都道府県のたばこ税、消費税が31・85円。税金をさっぴくと、タバコ自体の値段はたったの153・27円にすぎない。「好煙権」運動があってもいい だから、各自治体は「区(市)の重要な財源ですからタバコは地元でお買い求めください」なんてPRしています。そのくせ、たとえばいまこの場でもタバコは吸えないでしょう。千代田区みたいに、路上全面禁煙だとか、立ち止まって吸うのもダメだとかって区もある。軍事予算の半分近い税金を取っておきながら、失礼きわまりない。そういう区には行きたくないね。 ぼくの住んでいる中野区では、駅のまわりでもちゃんと喫煙エリアを決めていますよ。吸う人と吸わない人の住み分けを図っている。全車両禁煙なんて列車もあるけれど、新幹線には狭いけれど一応、喫煙スペースはある。要は喫煙者がマナーを守ればいいだけの話で、まさか山手線のなかで吸うバカはいないんだから。 法律の勉強をしていた大学時代の友人で、わざわざ裁判を起こしたやつがいました。自分がいずれ検事だか弁護士になるんだから裁判というものを体験しておきたいというので、わざと立小便をして警察官につかまって、法廷で争ったんです。生理的にがまんできなかったので、物陰でした。大衆の面前でしたわけではないのになぜいけないのかって主張して、結局、裁判に勝ったんです。 だからぼくも、千代田区で堂々とタバコを吸いながら歩いてみたい(笑)。つかまったら最高裁まで争う。あくまで法律に則って、喫煙に対して最高裁がどういう判断を下すか。法治国家ですからね。まさか「健康に悪いから有罪」とは言わないでしょう。 国の最高機関である国会にだって喫煙室はあったはずですよ。議員会館にもね。それでいて庶民のささやかな嗜好品にとんでもない税金をかけて、禁煙区域をどんどんふやしている。ぼくが政治家になるとしたら、その問題を徹底的に追求しますね。 社会の害悪のように言われながら、一言も文句を言わない喫煙者もおかしいよ。自分でもわるいと思っているのか、逆に、何と言われようが、タバコが一本一万円になろうがおれは吸うんだとか、タバコのために稼いでいるんだとか居直るのだって、肚の中では自分たちは世の中の人たちに迷惑をかけている存在なんだと漠然と思い込んでいるんじゃないかな。「嫌煙権」があるって言うのなら、タバコを吸う人間は「好煙権」運動を起こしたっていいはずだけどね。マッカーサーのコーンパイプマッカーサーのコーンパイプ 葉巻とかパイプとか、ぼくも一時やったことはあるけれど、いちいち手間がかかるものですね。あれは、食事のあとで、男たちだけでゆったりくゆらしながら大人の会話を楽しむ、そういう非常に高尚な嗜好品の一つなんだな。 江戸時代の人間は、煙草入れを粋に帯に差して、煙管や煙草盆だけでなく、根付のようなものにまで凝って、美術品の域にまで高めた。喫煙という趣味の世界が文化になっているんです。 そこまで手間暇かけて、凝りに凝ってタバコを吸うということは、喫煙という習慣に何かしら人の心を引きつけるものがあるからだと思うな。何かと言えばタバコは体に悪いというけれど、ニコチンが体に及ぼすプラスの効果だってたぶんあるはずですよ。 荒野を旅するカウボーイが、小さな宿場町に着いて、馬の蹄鉄を替え、水と餌を与えておいて、自分はバーで一杯キューッとひっかけて煙草を吸う。長旅をしてきた男にとって、いかにも至福のひとときという感じがします。喫煙所はコミュニケーションの場。居合わせた若い女性に火を借りる 表現の自由があるんだから、嗜好品の自由だってあっていいはずでしょう。その人の幸福を追求する権利といってもいい。何か一仕事したあと、たとえば原稿を書き終わったあとの一服がなんとも言えないという人の喜びを法律で奪ってしまうというのは、もはや恐怖政治ですよ。 すごく印象的だったのは、日本が負けて、マッカーサーが厚木に降り立ったシーンです。あのとき彼はコーンパイプをくわえていた。あのパイプが、日本の敗戦を象徴しているような気がしました。タバコと分かちがたく結びついている、記憶に残る場面もあるわけです。そういう歴史とも深いかかわりを持っている嗜好品を禁止することに、果たしてどんな意味があるのか。何のために止めさせようとするのか非常に疑問を感じますね。善良な喫煙者たち ぼくは東京育ちだから、1960年代、70年代の排気ガスやスモッグの大気汚染のなかで生きてきたわけです。タバコより自動車の排ガスのほうがよっぽど体に悪いんじゃないか。東京に住んでいる人間は、タバコを吸わなくたって、街の空気を吸っているだけで少なくとも田舎の人たちよりはるかに大きなハンデを背負っているはずです。だけど、そんなことはまったく問題にしないで、タバコの煙だけが他人に迷惑をかけていると非難される。 人類が宇宙ステーションをつくる時代に、たかがタバコごときでここまで非難される理由が知りたい。喫煙者は非喫煙者に対して本当に毎日迷惑をかけているのか。東京都の空気を汚し、日本全土を汚し、アジアを汚し、地球を汚しているのか。 ボロボロになった肺の写真をパッケージに印刷している外国タバコなんかがあるでしょう。吸っていると、おまえの肺もこうなるぞという脅しだよね。気持ちが悪くて食欲もなくなる。でも、不思議なのは、タバコを吸わなくたって肺ガンになる人が増えているってことです。タバコが害になることが医学的にも社会的にも論理的にはっきり証明されたのならともかく、ほとんど感情論なんだよね。なんであれほどタバコだけを目の敵にするのか不思議でしかたがない。いつからこんな風潮が生まれたのかなあ。嗜好品を嗜む権利はあるが、他人に対してそれをダメだという権利はないと思うんだよ。 でも、喫煙者はそれを主張しないで、「わかったよ、嫌いなんだろタバコが。あなたたちのいないところで吸うよ」とジッと耐えている。そういう非常に善良な人たちによって喫煙文化というものが守られているんですね。北朝鮮のセブンスター北朝鮮のセブンスター 逆に言えば、見ず知らずの間柄でも、相手が愛煙家であることがわかると、「ああ、あなたもタバコお吸いになるんですか」なんていう感じで友だちになれる。 このあいだ仕事でマダガスカルへ行ったとき、通訳にこの国でいちばんいいタバコを買ってきてくれと頼んだんです。そうしたら一本だけ持って戻ってきた。何で一本だけなんだって文句を言ったら、「いやー、一箱は売ってないんですよ」と困った顔をする。いったいどんなタバコ屋なんだと見に行ったら、おばちゃんが小さな屋台でバラ売りしていた。なつかしくってね。日本にもそういう時代がありました。タバコの葉を一本一本巻いて売っていて、紙は薄くて丈夫な辞書の紙(笑)。終戦直後の闇市では、吸い殻をほぐして巻き直して売っていた。 北朝鮮でも、やはりバラ売りしていましたね。番組の取材で12年くらい前に初めて北朝鮮へ行ったとき、民衆の本音が知りたいから、偉い人たちの送迎の時間待ちで、運転手たちが四、五人しゃがんでタバコを吸っているところへ行って、本物のセブンスターをあげたら、もう大喜びでね。北朝鮮にはセブンスターはもちろん、外国タバコはだいたいなんでもあるんだけど、みんな北朝鮮製のニセモノで、実にいいかげんなものなんです。それを一本ずつバラで売っている。本物のセブンスターはとても貴重品だから、すぐには吸わないで、本当に大事そうにしてね。それがすごく切ない感じがして、こっちは免税店でいっぱい買って持っているんだから、一箱やるよってポケットにいれてやると、本当にうれしそうな顔をして、いろいろしゃべってくれたんです。将軍様がどうのこうの、あれは実のところはこうなんだとかって。 だからずいぶんいろんなことを聞き出したんだけれど、日本のテレビ局のほうが、拉致問題の関係とかいろいろあるからそれはマズイって言い出して、番組では流せなかった。 そういう意味では、タバコは国や人種を超えて人と人とのコミュニケーションのツールになるんですね。一本二本とバラでタバコ買って吸っているような貧しい国では、タバコ一箱であんなに喜んでくれるんだから、こっちだってうれしくなる。嫌煙家はそういう人たちにも「タバコは迷惑だからやめろ」というつもりなんだろうか。 理屈じゃない、タバコ吸うやつはくさいからいやなんだっていう人がいるけれど、それは子供のいじめと同じだよ。じゃあお前とおれとどっちがくさいか、科学的な検査を受けて調べてみようかと言ったことがある。 そういうことを言い出したら、外国人には本当に体臭の強い人たちがいるからね。日本を訪れる観光客がどんどん増えているらしいけれど、まさか匂いで人種差別するつもりじゃないだろう。それは日本人の品性、道徳、あるいは文化水準にかかわる問題だよ。モスクの「清潔」さ 日本人は度を過ぎた〝清潔病〟にかかっているんじゃないかな。女の子は起きたら朝シャンといってすぐ髪を洗う。三十代くらいのサラリーマンでも、起きて体にシュッシュッと芳香剤や消臭剤をふりかけて、電車を降りてまたふりかけて、会社で一回は下着を替えるなんて連中がいる。あれは一種のビョーキだな(笑)。 テレビでも殺菌剤だとか消臭剤だとかのコマーシャルをしょっちゅうやっています。「ベッドにも風呂場やキッチンにも実はこんなに雑菌がいます」なんて、すごく気持ち悪い映像を流している。あれも一種の脅しだよ。このあいだ家の近くに新しいドラッグストアができて、行ってみたら、棚いっぱいに男用の芳香剤だか消臭剤が並んでいた。そこまで匂いを気にするというのはどういう神経なんだろうね。 子供の頃、寝転がっているところへおばあちゃんやおふくろが通ると、かすかにナフタリンの匂いがしたりしてね。箪笥の奥にしまっていた冬物を出すと、防虫剤のナフタリンの匂いが移っているから。ああ、そろそろ衣替えか、季節が変わったんだなとそれで気づく。懐かしいね。情緒ってものがあったよ。そういう生活の匂いまで消したいのかなあ。 毎日風呂に入って石鹸で体を洗うのは肌によくない、年をとってから肌が荒れて取り返しがつかなくなるって医者に言われたことがあります。 イスラム教徒の礼拝堂で、モスクっていうのがあるでしょう。昔は、モスクって不潔な場所なんじゃないかと思っていた。だって、絨毯の上は裸足で歩くしさ、礼拝する時には赤の他人の尻と足の裏が目の前にあるんだからね。それで水虫かなんかだったらたまらないよ。だけど、アラブ世界には水虫はないんだって。それに、モスクに入る前に水で足を洗うから清潔なんです。水だけで、石鹸なんか使わないんだよ。  ぼくがイスラム圏でモスクに行ったとき、靴と靴下を脱いで上がっていったら、そこにいた爺さんに、足を洗えと言われてね。素手で足を洗ったことありますか? 妙なものですよ、水だけで、石鹸も何もつけないで手で足を洗うのは。考えてみると、人生で初めての経験だった。でも、それで十分なんだ。 水虫がないっていうのは、アラブの人たちって草履みたいなのをはいているでしょう。水虫を砂漠の砂で殺菌しているのかと思ったら(笑)、彼らに言わせれば、われわれは靴を履くから水虫になるんだって。 もし日本人にモスクに行く習慣があったら大変だよ。朝、風呂に入ってさ、体中に芳香剤をふりかけて、モスクに入る前には足に石鹸つけて洗って、除菌作用のある消臭剤をスプレーして上がって行くだろうね。だけど、アラブでは水で足を洗うだけでいい。そんなものなんだよ。「清潔」という病「清潔」という病 嫌煙権って、タバコに害があるかどうかなんて実はどうでもよくて、本当のところは日本人の異様な潔癖性が言わせているんじゃないかなあ。煙がどうのこうの、肺ガンになるだのなんのと主張する作戦を考えたヤツが悧巧(りこう)だったんだよ。 タバコの匂いがいやだ、煙がいやだ、壁に汚いヤニがつく。とにかく自分の身の周りにはいっさい異物は寄せ付けない、無菌状態でいたいという異常な……、もう潔癖症を通り越して清潔病にかかっているんだろうな。それが当然のことだと思っている自覚症状のない〝病人〟にとっては、タバコが眼前の敵なんでしょう。 ぼくら喫煙者は、そういう人々に囲まれて生きているわけですが、ぼく自身は品位や品行に欠けるどころか、千年以上の昔から人々が伝えてきた嗜みをいまも守り続けている、由緒ある血筋とDNAを持った人種であると思っています。 だから、嫌煙家はみんなビョーキなんだと考えるしかない。匂いに敏感すぎて、潔癖すぎて、体外に自然に排出されるものだけでなく、必要なものまで削り落として、一日中体を消毒している、そういうかわいそうな人たちなんです。 ビョーキのおれが言うんだから、まちがいありません(笑)。  やまもと・しんや 1939(昭和14)年、東京都千代田区生まれ。63年、日本大学芸術学部演劇学科卒業。翌年、岩波映画製作所で羽仁進氏に師事して助監督となり、65年「狂い咲き」で監督デビュー。「未亡人下宿」シリーズで一躍脚光を浴び、60年代から70年代にかけて約250本の作品を手がけた。テレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』『トゥナイト2』に21年間出演し、性風俗に関するルポタージュが後のライフワークに。エイズ問題に関心を持ち、90年代以降はボランティア活動を積極的に行っている。テレビ・ラジオ番組で活躍中。最近著に『カントク記 焼とりと映画と寿司屋の二階の青春』(双葉社)。

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    禁煙について考える 世界禁煙デーと日本の禁煙の現状

    (THE PAGEより転載) 5月31日が「世界禁煙デー」だと知っていた方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。世界中でタバコ使用を効果的に減らすことを目的に、世界保健機関(WHO)が1989年に定めたものです。それに伴って、日本では厚生労働省が1992年より5月31日から6月6日までの一週間を「禁煙週間」としていますが、テーマは「たばこによる健康影響を正しく理解しよう」という緩やかなもので、今後10年間で行政機関と医療機関での受動喫煙をゼロにすることを目標にしています。(対照的に世界保健機関のテーマは「タバコの宣伝、販売促進活動、スポンサー活動を禁止しよう」という直接的なものです。) 「世界禁煙デー」の当日、厚生労働省などによって開かれたイベントでは禁煙大使に任命されたというプロゴルファー東尾理子さんのトークショーなどが行われました。一方、この日の横浜駅周辺では、いつものように喫煙所には人が集まり、禁煙ムードというような雰囲気は見られませんでした。横浜駅だけでなく、さまざまな場所でもいつもと変わりなく、喫煙所には人が集まっていたのではないでしょうか。 ファイザー株式会社の『日本全国のニコチン依存度チェック2012』によると、最近あなたの身の回りでタバコを吸いづらいという雰囲気を感じるか、というアンケートに対し、強く感じると答えている人は2012年の調査で22.4%です。しかしこの数字、2010年には29.9%、2008年には32.9%でした。果たして禁煙はブームなのでしょうか。また、そもそも「ブーム」と捉えることに問題はないのでしょうか。 実際の喫煙率の推移を見てみると、1972年に男性の77.6%、女性の15.5が喫煙していたのに対し、2012年は男性は32.7%、女性は10.4%と、30年で大幅に減っています。(JT『全国喫煙者率調査』) その反面、「禁煙をする気はない」、あるいは「禁煙できない」、という層もいまだ厚く、そういった愛煙家によって、たばこ税は度重なる増税にも関わらず、コンスタントに年間2兆円を越える税収があると財務省は発表しています。世界禁煙デーに合わせ、講義を受ける中国の生徒。マスクを着けて呼び掛け?=2015年、中国・首都北京市(ロイター) ちなみに、タバコの税率は、定価の約64.5%、410円のタバコのうち264.4円が消費税を含む税金となります。ビールは42.9%、ウィスキーは24.5%ですから、かなり高い水準と言えます。急激なたばこ増税に反対する日本たばこ産業株式会社(JT)は、「日本のタバコは税構造と物価によって価格が安くなっているが、税率が低いわけではない」、としています。確かに欧米のたばこ税は小売価格の15%~50%程度に従量税を併課する国がほとんどで、日本の税率は高いといえそうです。世界ぐるみの禁煙ムードの中、1999年以降、M&Aで多角化とグローバル化を進める日本たばこ産業は、海外での基盤作りを進めて業績を伸ばしています。 禁煙デー、禁煙週間を前に、ファイザー株式会社は「禁煙は禁煙外来へ。約3ヶ月の禁煙治療で 合計2万円以内です。」という広告を打ちました。前述の調査によれば、医療関係者に相談したことがないという喫煙者は、全体の92.7%(9400人中)に及びます。しかし、病院で禁煙治療を受けられることを全く知らない、と答えているのは1.7%に過ぎません。つまり、ほとんどの喫煙者が、治療の存在を知りながら、行動を起こしていない、ということになります。 一方で、タバコ価格が1000円になれば93.6%が禁煙すると答えています。厚生労働省は、増税の理由を「国民の健康の観点から消費を抑制するためだ」と言っていますが、その厚生労働省が科学研究費補助金を出す研究では「たばこの価格を1000円に上げれば税収は跳ね上がる」という試算も行っています。 愛煙家、嫌煙家だけでなく、日本たばこ産業や医療機関、行政に至るまで、様々な意見や思惑、数値が飛び交うタバコ問題ですが、それぞれの目的にズレがあるため、なかなか噛み合わない状況が続いています。具体的な受動喫煙による被害についての報道が少ないことや、「禁煙は愛」という抽象的なメッセージが、なかなか伝わりにくいこともあるかも知れません。ニコチンに中毒性があることから、倫理的な見方だけでは解決できないという問題もあると思います。タバコ問題だけではないですが、まずは自分自身の意見や意志をちゃんと考えて確認することが必要なのではないでしょうか。 (矢萩邦彦/studio AFTERMODE)矢萩邦彦(ジャーナリスト/アルスコンビネーター)  教育・アート・ジャーナリズムの各分野を結合する日本初のアルスコンビネーター。一つの専門分野では得にくい視点と技術の重要性を、現場で実践しつつ説く活動に従事。1996年より予備校でレギュラー授業を持ちながら、全国で私塾『鏡明塾』を展開。小中高大学でも特別講師として平和学・社会学・教育学を中心に講演多数。代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードからは若手ジャーナリストを育成輩出、自らも2012年ロンドンパラリンピックには公式記者として派遣された。多分野の越境統合を目指して設立したスタディオアフタモード総合研究所では教育学・社会学・医学を中心に大学との共同研究も行っている。

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    国際基準に遅れるニッポン 都庁は喫煙パラダイス

     おときた駿(東京都議会議員) 昨年の夏、東京五輪開催に向けて受動喫煙防止条例の制定に強い意欲を示していた舛添知事ですが、議会内の与党勢力に配慮をしてかなりトーンダウンをしているようです。 実は昨夏、舛添都知事が条例制定に意欲を見せた途端、都議会自民党は意見書を提出・プレス発表し、要は、「分煙の取組みは順調に進んでいるのだから、このまま分煙でやるべし」、 「一律に屋内禁煙にするなどもってのほか!関係者からヒアリングして慎重に行うべし」という、舛添知事に対する強烈な牽制球を即座に投げていたのです。 この機動力には目を見張るものがあります… しかしながら、我が国の受動喫煙に対する対応は、国際基準と比較して遅れに遅れています。 世界各国の潮流をみると、G8で屋内施設が禁煙でないのは日本だけであり、いわゆる先進国、G20の大半を含む全世界44か国がすでに屋内禁煙を実現しており、我が国の受動喫煙に対する意識の低さと対応の遅れは明らかです。 特に五輪に関連しては、IOCが「スモークフリー・オリンピック」の方針を打ち出して以来、すべての開催国または開催都市で『罰則規定付の法律・条令』が定められています。  しかしながらここ東京都では、いまだに屋内禁煙はおろか、分煙すらも徹底されておりません。その際たる例が実は、政策決定をしている都庁及び都議会議事堂です。 多くの高層ビルが屋内完全喫煙を実現する中、東京都の象徴である「都庁」の建物内は喫煙者パラダイスです。数は以前に比べて減ったそうですが、多数の喫煙所が設置されています。 都庁の第一本庁舎3階。渡り廊下があり往来が激しく、「都民情報ルーム」もあって多くの都民の方が訪れる場所に、仕切りもなく開け放たれたこんなに開放的な喫煙室があります。当然、外に煙がダダ漏れしているデータが検出されます。PM2.5濃度が「25」前後の数値を超えると有害と言われています。 第一庁舎と第二庁舎を移動するには一度屋外に出ることになりますが、 明らかに人がすぐ横を通るところに無配慮に喫煙所が。風が吹けば、タバコの煙は来庁者を直撃です。都庁内に複数ある喫茶店(一般利用可)も、時間帯によっては喫煙が可能になるところが多数。高層階のため窓も開けられず、目に見えて煙が漂っていました。 特に前者の、狭いカフェは数値が200を超えており、非常に劣悪な環境と言えます…。 一方、都庁の正面にある「都議会議事堂」はどうかというと、これがもう喫煙者天国を超えて、喫煙者ユートピアです。 なにせ、廊下などの公共スペースと本会議場を除き、委員会室・会議室・控室などは全面喫煙可。ご丁寧にすべての部屋に灰皿があります。 さらにさらに、建物内には複数個所タバコの自動販売機があります。今どきビルの中にタバコの自販機があるところなんて思い当たらないんですが、都議会議事堂以外にあるんでしょうか?私が非喫煙者なので、見落としてるだけ?受動喫煙を完全に防げない分煙はダメ 一昔前は委員会中でもタバコを吸う議員さんがいたそうです。  今はさすがに減り、常任委員会によっては最初に禁煙を取り決める場合もありますが、議連などの打ち合わせでは普通にタバコを吸う方は複数いらっしゃいます(見ましたから)。 喫煙をされる議員には期数を重ねた「大物議員」が多く、そうした方々が力を持って都議会を牛耳っているわけですから、東京都で屋内禁煙実現などは夢のまた夢…というわけです。 ちなみになぜ分煙ではダメかというと、どれだけ仕切っても分煙では受動喫煙の被害を完全には防げないからです。室内であれば、空気口などを通じてタバコの煙は少しずつ漏れ出ます。何より商業施設の場合、従業員・清掃員の受動喫煙被害が甚大です。客であれば喫煙席に近づかないという選択肢も取れますが、従業員は労働環境を選べるとは限りません。 実際、都庁内の喫煙カフェで働く従業員の方々は、煙に曇った室内で8時間も働くらしく、相当しんどそうでした。清掃員も室内の喫煙所を清掃する場合、かなりの受動喫煙被害を受けます。これは屋外でも完全に防ぐことはできませんが、清掃の時間帯を選べばかなり少なくすることはできるでしょう。 確かに、喫煙の自由・権利もあります。 しかしながら健康被害は明白であり、屋内禁煙は時代と世界の要請です。 私としては、屋内はすみやかに完全禁煙、屋外の喫煙所の数を増やして整備する他ないと考えています。 本件は11月の厚生委員会でも、都庁が喫煙パラダイスである実例を挙げながら、国際基準と比較して遅れている点を厳しく追及・質問しましたが(議事録が未だに出ない!怒)、「受動喫煙防止対策検討会の結論を待つ」の一点張りで、前向きな回答はもらえませんでした。 そして報道や議事録を読む限り、この検討会も屋内禁煙には踏み込みそうにありません。 都議会議員の大半がやる気がないことは明白ではありますけど、最後に議会を、政治を動かすのは皆さま方お一人おひとりの意見です。 東京都の受動喫煙防止対策について、皆さまはどのようにお考えですか?(2015年1月7日 「おときた駿 公式ブログ」より転載)

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    1箱千円で4兆円 消費増税延期の間にたばこの大幅増税を

    本山勝寛(作家) 今年も5月31日の「世界禁煙デー」を迎えた。WHOは毎年約600万人がタバコが原因で死亡しており、そのうち60万人は副流煙が原因、このまま放っておくと2030年にはタバコが要因の死亡者は毎年800万人に増加すると警鐘を鳴らしている。広告の禁止や健康被害の明示といった禁煙政策は国際的な潮流になっているが、そのなかでもタバコ税の引き上げは有効な政策としてWHOにも推奨されている。 タバコ税引き上げは健康の問題と同時に、税収確保と合わせて論じられることが多い。以前の記事「「世界禁煙デー」にタバコ増税の効果を考える」で書いたが、2010年のタバコ増税(70円増税100円値上げ)後、タバコ税収は激増している。2010年度のたばこ税8224億円が2011年度には1兆315億円と2千億円増加、これに「地方たばこ税」の増加分を合わせると、税収は4千億円増加した。 増税後のタバコ税収は高止まりしており、2012年度の(国の)たばこ税1兆200億円、2013年度1兆400億円だ。タバコ増税反対派は、増税したら消費量が減るから税収は下がると反対していたが、そうはなっていないことが見てとれる。 私は昨年、「消費税10%の前にタバコ千円」への増税実施を提案した。現在の心許ない景気状況を考えると、2年連続の消費税増税は国民への大きな負担になるが、タバコ税の増税であれば景気への影響も限定的であるし、国民の健康増進や医療費抑制にもつながる施策であるからだ。実際、消費税10%への引き上げは延長された。 しかし、消費税が増税されない分、財政再建は先送りになり、子育て支援や社会保障費などの財源も不足するままだ。それでは、借金を次世代に押し付けているのと同じだ。消費税増税を先送りしているこの期間だからこそ、タバコ税の大幅増税を実施することで、少しでも財政再建につながる。学術会議の試算(2008年)によると、200円増税で1兆4千億円、300円増税で2兆円、1箱1000円まで増税すれば4兆円の税収増としている。国際的にみればタバコ1箱1000円が先進国の平均的な数字だ。隣国韓国ですら、一気に2000ウォン(約220円)引き上げて、4500ウォン(約500円)に増税したばかりだ。 2020年には東京オリンピック・パラリンピックも開催されるが、首都圏の分煙政策が遅れていることも気になるところだ。分煙化の費用をタバコ税収からまかない加速化させることで、副流煙被害も防ぎ、国際社会にも恥ずかしくない状況にもってこれる。個人の嗜好品であるタバコを「禁止」することは避けるべきだが、副流煙被害を防ぐことは交通事故や公害を防止するのと同様に政府の責任でもある。(ブログ『本山勝寛: 学びのすすめ』より2015年6月1日分を転載)

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    医師たちが触れたがらないタバコ害の〝不都合な常識〟

    葦原祐樹(医学博士) 「たばこは健康に悪い」と多くの人が信じて疑わない、その根拠は何なのでしょうか。たいていは、「人がそう言うから、そうだろう」と、受け売りの知識を信じているだけのようです。 まず、「がん」の問題です。喫煙者と非喫煙者のがんの発症率を比べると、喫煙者に多い「たばこ関連がん」と言われるものがあります。これは疫学調査で示されていて、ここまでは事実です。「それは怖いことだ、僕もたばこを止めよう」と、これは素直な心理です。しかし、素直ではあっても、そう思った時点で、喫煙ががんの原因だと勝手に決め付けるという間違いが生じています。それは医学的には証明されていません。学術的にはっきりとしているのは、喫煙とがんの発症に「関連がある」ということだけです。だからこそ、喫煙者に多いがんを「たばこ関連がん」と言います。がんの中で最も注目されている肺がんを例に考えてみましょう。 まず、図1を見て下さい。喫煙者率は減少していますが、肺がんの死亡者数は増えています。このグラフを見ると、喫煙は肺がんの原因ではないと直感的に思います。しかし、減少と増加と、グラフの傾きが逆ではあっても、関連があるのは事実です(こういう関連を「負の関連」と言います)。負の関連も関連であることにかわりはなく、これをもって、喫煙が肺がんの原因ではないとは言えません。疫学調査の結果で因果関係を断定するのは不可能で、それはどうにでも解釈出来ます。実際に、たばこを止めた人も、吸っていた時の悪影響が20~25年間ぐらい残って、遅れて肺がんを発症するという説を堂々と発表している人もいます。 しかも、このグラフの弱点は、肺がんの死亡者数という「数」と、喫煙者率という「率」を比較していることです。比較するなら、両方とも「率」か「数」で一致しているほうが、説得力があります。 では「喫煙者数」と「肺がんの死亡者数」をグラフにするとどうなるでしょうか。それが図2です。このグラフ、喫煙者数が横ばいなのを奇異に感じる人もいるかもしれません。喫煙者率は1960年代から減少していますが、人口が増加していることと、構成が高齢化して成人が多くなっていますから、喫煙者の人数が一定だと、喫煙者率は下がるのだそうです。図2を見ると、「たばこを吸う人は減ってないんだ」と妙に安心しますが、それはともかく、このグラフは重大なことを証明しています。喫煙が原因ではないことの証明喫煙が原因ではないことの証明 それは、喫煙者数と肺がんの死亡者数には関連がないということです。だからといって、「なんだ、何にもわからないのか」と落胆しないで下さい。実は、疫学調査の結果は、関連があっても因果関係を証明できないのに対して、関連がなければ、因果関係はないことが証明されます。つまり、肺がんになる人が増えているのは、タバコとは全く関係のない別のところに原因があるということです。このグラフが一枚あるだけで、「喫煙は肺がんの原因ではない」と証明されます。 肺がんにも種類があって、「腺がん」と「扁平上皮がん」が主です。腺がんは非喫煙者の女性に多く、肺の奥の方に出来る傾向があります。扁平上皮がんは男性に多く、気管支の入口あたりに出来やすいがんです。症状やCTなどの画像診断である程度区別できますが、切除したがんを顕微鏡で見て最終的に確定されます。喫煙が原因と疑われているのは男性に多い扁平上皮がんで、腺がんは非喫煙者の女性に多いために、昔から喫煙とは無関係なことがわかっています。これは1980年代以前から医学界では常識です。 1960年代では扁平上皮がんが肺がんの首位でしたが、現在では逆転して腺がんが半分以上と首位ですから、肺がんの主因が喫煙以外にあることは、現在の医学界では常識のはずです。 近年肺がんの患者数が増えていて、60年代の20倍以上です。増えているのは主に腺がんですが、扁平上皮がんも比率は減少していても症例の絶対数は増えていて、60年代と比べると症例数は10倍以上です。喫煙者数が一定であるにもかかわらず扁平上皮がんの症例数は増えていますから、喫煙と扁平上皮がんにも関連は認められません。つまり、扁平上皮がんの原因も喫煙とは別のところにあるわけで、かつての常識も間違いです。 では、肺がんの原因は何なのか。疫学調査では因果関係を証明することは出来ませんが、どこに原因がありそうかを推測することは出来ます。つまり、多額の研究費をどこに投入すればいいのか、そのターゲットを見極めるための予備調査が疫学調査です。 喫煙が肺がんの原因らしいと示唆されると、そこが集中的に研究されます。そして、たばこの煙の中に40種類以上の発がん物質が発見されました。これは正しい方向性ですが、問題は実験方法でした。発がん物質の研究は失敗だったと前々回に書きましたが、細胞は分裂する過程で、正常の状態でも一定の確率でがん化します。がん細胞は発がん物質が存在しなくても毎日5000個ほど生まれていて、NK細胞という免疫系で排除されていることがわかってきました。 最近はがんも治る病気になって、治癒してからしばらくすると別のがんになる人がいます。「20年前に胃がんで手術をしていて、10年前には大腸がんで、今回は膀胱がんの手術をする」などと、3回目のがんの手術を受ける患者も珍しくありません。もちろん再発や転移ではなく、新しく発症したがんです。こういう患者は、NK細胞の活性が低い人なのかもしれません。何か、NK細胞の活性を下げる因子があるのでしょうか。その因子を見つければ、がんの原因を突き止めたことになります。 それは遺伝的な体質の違いなのか、あるいは生活環境の問題なのか。いずれにせよ、細胞をがん化させる発がん物質という観点は時代遅れで、がん細胞を排除する免疫系に着目するのがこれからの視点です。禁煙すれば寿命は延びるか禁煙すれば寿命は延びるか もう一つ、タバコの害として言われているのが「寿命を縮める」という観点です。がんは死因の約半分を占めますが、がんだけではなく、全ての原因での死亡者をみても、喫煙者は非喫煙者よりも短命だと言われています。「たばこを止めれば医療費を削減できる」と、まことしやかに言う人がいますが、いったいどうやって計算したのか、僕は疑問でした。 喫煙者と非喫煙者の死亡率を比較すると、たとえば健康な男性の場合、一年間の死亡率は非喫煙者が10万人あたり962人であるのに対して、喫煙者は10万人あたり1559人というデータがあります。これは1991年に英国の医学雑誌に発表されたものですが、全員が非喫煙者なら、単純計算で一年間に10万人あたり597人の死亡が減ることになります。どうも、この辺が、たばこを止めれば医療費を削減できるという論理の根拠になっているようです。  しかし、ことはそう単純ではありません。たばこを止めた人、元喫煙者と分類されますが、元喫煙者の死亡率やがんの発症率は喫煙者と有意差がなく、たばこを止めても非喫煙者と同じにはなりません。現実に、死亡率を比較したデータは元喫煙者を喫煙者に分類して集計していて、つまり、1991年の時点で、たばこを止めても吸い続けても同じであることは研究者の間では常識だったわけです。喫煙者と非喫煙者では遺伝的資質や生活環境に違いがあって、その違いが、非喫煙者として生活するか、喫煙者になるかの分かれ目のようです。 たばこ排斥の機運が高まったのは1950年代の米国と言われていますが、その頃から世界中で熱心に研究が始められたようです。しかし、60年以上たった現在でも、疫学調査の結果だけが頼りの「疑わしい」というレベルで、はっきりした証拠は何一つ出てきません。これは裏を返せば、喫煙の安全性を証明したとも言えます。たばこを吸うか吸わないかは、遺伝的資質や生活環境の違いを示すバロメーターでしかないということです。ついでに言えば、喫煙が自分の体質に合っていて生活環境が良ければ、たばこを吸っても大丈夫です。  考えてみれば、日本でさえも450年以上の喫煙の歴史があるといいます。15世代以上に渡って愛され普及してきたものですから、いまさら、「悪い」というのは論理に無理があります。 最近でも喫煙の害を堂々と発言する医者がいますが、彼らは喫煙に関する研究の原著論文を読んでいないとしか思えません。世間の風潮に後押しされて受け売りの意見を述べているだけで、無知というか怠慢というか、可愛いものです。しかし、医学者を名乗る以上、それは罪です。

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    厚労省調査を疑え! いい加減なデータに基づく副流煙害

    武田邦彦(中部大特任教授) ほとんどの人が「タバコの副流煙は有害だ」と信じて疑わないと思います。 でも私は「自分の目でデータを確かめて納得してから」しか自分の考えを述べないようにしています。なにしろ、今の日本社会は、たとえば温暖化にしてもIPCC(国連の機関)は「温暖化すると南極の氷は増える」と言っているのに、日本人は英語を読まないだろうと高をくくって国内では「減る」と言うぐらいですから、油断できないのです。(多くの人は今でも「政府はウソをつかない、NHKは本当のことを言う」と信じておられますが、決定的なことで事実と違うことを言って来たのです。原発でも「震度6で壊れる」ということがわかっていたのに「政府が安全だというから安全だと報道しても問題は無い」というスタンスだからです。副流煙もまずはそのように考えて調べています。) 副流煙はまず次の2つの問題があります。1) 世界で最初に副流煙の害について論文をだした厚労省の平山論文は事実記載に乏しく、データの提出と求められても提出に応じなかった。2) タバコの追放を続けているWHOは副流煙の健康被害について調査をしたことろ、副流煙の環境にいた人の方が肺がんが少なかったので、発表を見合わせた。 そして、より具体的には、2008年に厚労省が発表した多目的コホート研究があります。これはタバコを吸う人と一緒に住んでいた女性がどのぐらい肺がんになったかという調査です。調査は対象者が2万8千人で期間は13年間。調査中に109人の人が肺がんと診断されています。  特にこの研究では4種類の肺がんのうち、主たるものである腺がんに絞って整理をしています。腺がんは肺がん全体の約3分の2ですから、109人のうち約72人が腺がんと推定されます(詳細なデータは公表されていない)。従来の研究では腺がんのうち、2割が女性の喫煙者で、もともと女性の喫煙者は2割ですから、タバコを吸っている人の割合と、腺がんの割合は一致しているということでした。  ところが、この調査では女性が喫煙せず、夫が喫煙している場合、腺がんが2倍に増えたと書いてあります。このときに夫の喫煙率は50%ですから、72人のうち、14人が喫煙者ですから残りの58人がタバコを吸わない女性で、そのうち29人が夫がタバコをする女性、29人が夫がタバコを吸わない女性となります。  「タバコを吸っている夫とともに生活している女性は腺がんが2倍になった」ということが本当なら(数字が発表されていないので怪しいが)、腺がんのうち39人が夫がタバコを吸っていて、19人が吸っていないということになります。「変わらない」という結果に対して、わずか10人の出入りで「2倍」という数字が出てきています。2万8千人の13年間の調査という触れ込みなのですが、その実体は10名の前後で2倍になったりならなかったりするということなのです。  つまり、もしこの10名が統計的なばらつきではないとしても(タバコと肺がんの全体的な関係でも同じですが)、タバコを吸う夫と一緒に住んでいる女性は1万4000人で、そのうち、10名が「夫がタバコを吸うために腺がんになった」ということですから、その可能性は1400人に一人ということになり、確率は0.07%にしか過ぎません。  とうてい、「夫がタバコを吸うと妻が肺がんになる」などと言うことができる数字ではないのです。逆に「夫がタバコを吸っても妻が肺がんになることは希だ」と言った方が科学的には正しい程度の数字です。また良心的な学者なら大きな母集団の中で29人と39人でこのぐらい大きな違いを言うのに良心の呵責にさいなまれるでしょう。普通なら「調査したがハッキリした結果は得られなかった」というと思います。タバコ以外の要因を無視した調査  ところでこの報告のきっかけとなった有名な平山論文(論文と呼べるものかどうか怪しいが)ではタバコを吸う夫とともに生活をしていた40才以上の「タバコを吸わない妻」約9200人を調査し、そのうちの174人が肺がんで死んでいるので、「タバコを吸う人と一緒に生活していた妻は肺がんになる」という結論を出しています。  この場合は、「タバコを吸っていた夫とともに生活し、肺がんで死んだ妻」は、530人に1人という低率です。530人のうち1人が肺がんで死んだという事実を正直に表現すると、「夫が喫煙者でも肺がんにはならない。極めて希に肺がんになる妻もいるが、あまりにその割合が低いので、他の原因も考えられる」とするべきでしょう。  というのは、肺がんの原因は、タバコの他に、排気ガス、空気の汚れ、核実験の放射性降下物、台所や家の中のほこり、農薬や殺虫剤の粉など多種類があるからです。これらの発ガン率の範囲に入ります。  科学としてこの調査を見ると、「タバコ以外の要因」をまったく無視しています。おそらくタバコを吸う家庭の平均収入は、吸わない家庭に対して低いと考えられますし、町中のアパートに住んでいる人が多いと考えられますので、自動車の排気ガスもより多く吸っているはずですし、衛生環境自体も望ましくないでしょう。  科学的に整理するもので、何かに注目するのは良いのですが、注目したもの以外の原因を無視すると正しい結果は得られません。温暖化騒動が盛んだった頃、「最近は気温が高くなった」ということと「最近はCO2濃度が上がっている」という二つを結びつけて、「CO2が上がると気温が高くなる」という人がいました。気温は太陽活動や都市化などいろいろなものが関係しますから、CO2にだけ注目すると、CO2が原因という結果が得られます。  当時、私はそのような説明をする学者に、「最近、私の年齢が上がってきていますので、私が歳を取ると気温が高くなるのではないですか?」と冷やかしたものです。このデータは日本の厚労省などが「副流煙は危険だ」という基礎的なデータになっていますが、実に不誠実なものであることがわかります。  このほかにもアメリカ保険局などのデータがありますが、いずれも「結論ありきで整理した」というもので、とうてい、国民の健康を心配したようなまじめなものではないものばかりです。大きな研究費と出世が絡んでいる研究を私はイヤと言うほど見てきましたが、その多くがこのようないい加減なデータで決定的なことを言う場合が多いのです。  学問への誠実さ、研究者の倫理をシッカリしてもらいたいものです。実はこの研究グループのトップが食品汚染の暫定基準を決めるときに「食料が足りなくなるから、基準は高くする」と発言した人で、セシウムで1年5ミリ、全核種で約17ミリの被曝を給食でさせました。このような人は、いつもその時、その時、ですね。(2012.5.4ブログより転載) 

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    飲食店 「喫煙可否」ステッカーの効果は

     いまや少数派になった「愛煙家」にとって、外出先で喫煙場所を探すのは容易ではない。 屋外は罰則付きの路上喫煙禁止エリアが凄まじい勢いで広がっているうえ、灰皿のある指定の喫煙場所を探そうにも、土地勘のない所では見当もつかない。さらに、駅周辺や公共スペース、コンビニ前、商業施設の専用スペースなど、これまで喫煙可だった場所からも灰皿が次々と撤去されている。“喫煙難民”の唯一のオアシスともいえるのは、自由にたばこが吸える喫茶店や分煙スペースのある飲食店だ。近年は受動喫煙対策から「全席禁煙」を掲げる店も増えたが、基本的には施設管理者の判断に委ねられている。 大手飲食チェーンが多数加盟する一般社団法人日本フードサービス協会も、〈たばこを吸う方も吸わない方も、飲食業界にとっては大事なお客様。禁煙・分煙・喫煙など多様な飲食空間から、お客様に自由に選んでいただくことが望ましい〉 との方針を崩していない。受動喫煙問題については、時間帯を区切った禁煙・分煙や、空調と間仕切りを工夫した分煙席の配置変更など、店側の自主的な取り組みを尊重する。 その一方で、政府は2020年の東京五輪までに、飲食店の「分煙義務化」を盛り込んだ新法を制定したい考えで、禁煙推進派からは〈完全分煙が守れない店は罰則を設けるべき〉〈五輪を機に飲食店を含めて屋内を完全禁煙にすべき〉との声も挙がる。 だが、こんな強制的な規制の動きに飲食業界は戸惑い、反発している。東京都飲食業生活衛生同業組合の事務局担当者は、こう訴える。「われわれの組合員の多くは、店舗面積50平方メートル以下の小さな店ばかりです。完全分煙が義務化されても狭い店内を喫煙席と禁煙席に仕切るのは物理的に無理があります。 分煙ができない店は完全禁煙にしてしまえばいいというのも行き過ぎた議論です。ただでさえ、分煙環境の整った大手チェーンにお客さんを奪われている中、禁煙にしたらますますお客さんは流れてしまいますし、売り上げが激減して店の死活問題に発展します」 同組合では、飲食店舗の入口に「喫煙ルール」を示すオリジナルステッカーの貼付を広めることで、禁煙者も喫煙者も気持ちよく過ごせる店を選ぶことができ、受動喫煙防止にも寄与すると考えている。そのため、2011年より〈喫煙スペースあります〉〈禁煙席と喫煙席があります〉など8種類のステッカー配布を進めている。 また、東京都も五輪を見据えて訪日外国人にも店の喫煙に関するスタンスが分かりやすいようにと、4種類のステッカーを3万枚製作。都内店舗への配布を始めた。 昭和7年創業の老舗おでん屋『新橋お多幸』(東京・港区)では、5年前より座敷の個室を禁煙にし、3年前からカウンター席も禁煙にした。たばこが吸えるのはテーブル席だけだが、店の外にも灰皿を設置するなど喫煙者に配慮した分煙空間をつくっている。「新橋はサラリーマンの街でたばこを吸うお客さんも多いのですが、隣の席から流れてくる煙がイヤだとおっしゃる人も増えたので、分煙にすることを決めました。特にカウンター席は隣の人との距離だけでなく、おでん種が入った鍋も近いため、衛生上も禁煙にしたほうがいいだろうとの判断です」(新橋お多幸社長の柿野幹成氏) 店先の柱には、前出の東京都飲食業生活衛生同業組合のステッカーに加え、東京都のステッカーも貼り、はっきりと分煙実施の意思表示をしている。 同店を訪れた50代の男性会社員は、「店に入る前に表示は見ました。もし、たばこが完全に吸えないお店だったら、おでんは諦めて違う店に変更していたと思います」と話す。 こうした店側の自主的な分煙対策は、少しずつではあるが着実に浸透してきている。柿野氏は「店のルールを周知させるまでもなく、喫煙者のマナーはきちんとしているから問題ない」という。「昔はたばこに火をつけたまま吸わずにずっと持っているだけの人もいましたが、いまは喫煙席に座っても隣のお客さんが吸わなかったから、我慢してわざわざ外に吸いに行く喫煙者も多い。 こうしたマナーが自ずと定着していけば、強制的に完全禁煙にしなくても喫煙者・非喫煙者がトラブルになることもありませんし、客数や売り上げを極端に落とす心配もありません」(柿野氏) ステッカーの普及促進は東京に限らず、全国の自治体でも広がりつつある。 外国人観光客も多い京都市が、官民一体となり市内4000店以上の飲食店にステッカーの貼付や店頭表示を呼び掛けるマナー啓発運動を起こしていることは当サイトでも紹介したが、その他、栃木・高知・岐阜などでも各飲食組合が「受動喫煙対策はできることから」と、ステッカーによる店頭表示を呼び掛けている。 東京都が2013年度に行った「飲食店における受動喫煙防止に向けた取組状況調査」によれば、〈禁煙〉および〈分煙〉対策を取っている店は全体の42.2%あり、そのうちステッカーをはじめとする表示をしている店は51.3%あった。 多様性を認め合う東京の「喫煙ルール」と「分煙マナー」。そのうねりがさらに高まれば、全国への波及効果は絶大だろう。なによりも、自発的な分煙社会の醸成は、他人を気遣うという意味において、様々な国や文化で育った人々をもてなすオリンピックでも活かされるはずだ。関連記事■ 神戸の中華街・南京町の分煙化の取り組み 客の9割が賛成■ 喫煙所がガラガラに 某IT企業で効果抜群だった禁煙策とは■ 「喫煙席でも子供や妊婦がいたら吸わないべき」と7割の中年女性■ 肺腺がんは非喫煙者にも多く発生 女性ホルモンとの関係研究も■ 東京の受動喫煙対策 飲食店の分煙努力は軽視されていないか

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    三池崇史監督の分煙提案が業界に波及 撮影所にメッセージも

     受動喫煙防止の目的などから職場内で進む分煙対策。いまでは大企業を中心に屋内・屋外に専用の喫煙スペースを設ける事業所は増えた。ところが、喫煙者にとってみたら、必ずしも「快適な空間」とはなっていない。「ウチの会社の喫煙所は質素なプレハブづくりで4人も入ればギュウギュウ詰め。たばこをゆっくり吸いながら気分を落ち着かせるなんてことは到底できません。 屋外にも喫煙所はありますが、建物の裏手にある倉庫脇、しかも日の当たらない場所で、〈私語厳禁〉〈長時間の喫煙禁止〉〈吸い殻以外のゴミを出すな〉なんて注意書きだらけ。ささやかな休憩も後ろめたい気分になります」(千葉県内にある機械メーカーの従業員) これでは仕事で張り詰めた緊張を解きほぐす“一服の効用”など望めるはずもない。 しかし、こんな空間だったらどうだろう――。喫煙所をはっきりと示すデザイン調の共通標識。そのスペース内には、灰皿と街中のオープンカフェを思わせるオシャレな赤いチェアが数脚置かれている。 そして、各喫煙所の壁面には、〈議論の火花は散らしても、火の粉は散らすな〉〈常識をこえた作品を。スペースをこえない喫煙を〉〈物語の行方と煙の行方は、最後まで見届ける〉〈マナーを守ると、現場の空気はちょっとよくなる〉 といった、センス溢れるキャッチコピーの書かれたプレートが掲げられている。コピーライターの岡本欣也氏が手掛けた、さり気なくも目を引く文言が喫煙者を和ませつつ、マナー啓発にも役立っている。実に気の利いた喫煙所だ。 これは映画会社、日活の調布撮影所(東京・調布市)内で今秋整備されたばかりの喫煙スペース。日々、独創的な作品づくりに追われる映画会社らしい分煙対策といえるが、発案者は『十三人の刺客』や『クローズZERO』、『ヤッターマン』などの作品を次々と世に送り出す三池崇史監督だった。自らもスモーカーの三池監督は、兼ねてより撮影所の喫煙スペースの在り方について、一家言を持っていたという。「愛煙家の側から理想的な分煙を発信していこうという思いから始まり、吸う人にも吸わない人にも心地よい環境を作ることがテーマでしたが、空間をデザインするというのは本当に難しい。 なんせ、撮影所というのは各社に個性があり、それはその撮影所の歴史が作り上げているもの。そこに自然に存在できる喫煙所空間をつくることは、そこで創られてきた映画そのものと溶け合うような不思議な感覚があります」(三池監督のコメント) 映画業界とたばこは切っても切れない関係にある。もちろん、監督をはじめ、出演俳優や撮影スタッフがたくさん集う撮影所は、コミュニケーションの場として喫煙所の存在が大きい。 それだけではない。映画ファンの記憶に刻まれた名作には、たばこが重要なシーンの演出に使われたケースも多い。三池監督は、そうした映画業界の歴史や文化を残した分煙環境づくりに頭を悩ませたのである。 実際に所内の喫煙環境整備を手掛けた日活・映像事業部門撮影所グループの佐藤龍朗氏(施設管理チームエキスパート)もいう。「昔の日活アクションシリーズなどは、暗闇でたばこに火をつけることで顔が浮かび上がる演出があったり、エンディングで主人公がたばこを揉み消して颯爽と去っていくシーンが印象的だったりと、たばこは映画の『小道具』として欠かせないものでした。タイミングやきっかけ、間を持たせる効果もあったのです」 いまはテレビドラマを中心に喫煙シーンを自粛する作品も増えたが、映画の世界は文化的なアイテムとしても、たばこを用いた表現の自由度を確保している。それだけ喫煙者に寛容な業界といえる。だが、撮影所内では非喫煙者への配慮も決して忘れてはいない。「最近は若者や女性でたばこを吸わない人も多いので、壁で囲った喫煙スペースでも、人の出入りが激しい場所に煙が行かないよう、排気ダクトで風の向きを変えるなどしています。 撮影所は様々なセットや配線なども多く、施設の管理上、火の取り扱いにはさらなる注意喚起が必要でした。そんな中、三池監督のアイデアも取り入れた喫煙スペースを設けることで、喫煙者・非喫煙者双方が気持ちのいい空間をつくることができましたし、利用者全員のマナー向上に繋がるものと期待しています」(前出・佐藤氏) 三池監督の提案は日活のみならず、東宝など別の映画会社にも広がり、自主的な分煙整備の流れは業界全体に波及しているという。 日活・調布撮影所内の屋外11か所に設けられた喫煙スペース。その中でも三池監督が特にお気に入りの場所には、こんなコピーが躍っていた。〈極道もお化けも怪獣も。ここではマナーを守ります〉 自身がメガホンをとる『極道大戦争』の撮影中に考案されたというメッセージだ。三池監督が分煙対策で魅せた演出は、たばこ議論に象徴される“マイノリティー排除”の社会風潮にも一石を投じたのではないか。※編集部より/日活の調布撮影所内は一般の見学者受付は行っておりません。関連記事■ 6割税金のたばこ 意外と知られていない国と地方ダブルの税■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ 三池崇史監督 ユルさ全開の不思議ワールド「地球兄弟」が完結■ 「喫煙席でも子供や妊婦がいたら吸わないべき」と7割の中年女性■ たばこ臭が嫌いな喫煙者 自分で吸うたびに歯磨き計1日20回

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    タバコが健康に悪いかどうかという議論は「もはや、これまで!」

    黒鉄ヒロシ(漫画家)佐藤英明(撮影)ヒトラーのブラックユーモア 正しいと信じて成したことが実は間違っていた──後世から歴史を振り返ってみると、 そういう例はいくらでも出てきます。自分の意見は正義である、非の打ちどころがないと思っても、その考えの発露は個人の来し方と、それまでの学習にあるわけですから、それがもし間違っていたらどうなるのか。それをまず疑ってかからなければいけない。 早い話が、韓国の朴撞恵(パククネ)大統領の「加害者と被害者の立場は千年たっても変わらない」云々とい う発言。歴史を知っている人なら吹き出すよね。十三世紀の蒙古襲来、いわゆる「元冠」のとき、その気のなかった元を焚きつけて日本侵略の先陣を切り、対馬・壱岐の島民を虐殺したのは高麗です。あまつさえ、日本文物を教えたのは自分たち朝鮮人だと思い込んでいる。 歴史や事実を客観的に見るということがいかに難しいか、お隣の国々をみるだけでよくわかるでしょう。うっかりすると、村落全体が魔法にかかっている恐れもあるし、村落が国家に拡大すると、国民を魔法にかける為政者も出てくる。 それに照らしてみると、国家が国民の健康に口出しし始めたときは危ない。そういうときの国家は、国民を税金取り立ての対象、あるいは兵隊の頭数としか見ていません(笑)。ここには国家としての欲望が必ず潜んでいるんです。 禁煙を国策として国民に最初に押しつけたのは ヒトラーです。彼は母親を肺がんで亡くしている。自分は貧乏でタバコが買えなかった恨みもあって、それをタパコのせいにしました。それで、健康な兵隊と、健康な兵隊を産む女性がほしかったために禁煙を命じた。ドイツの実験的・即物的、ブラックユーモア的な面白さがそこにあるんですが、ただし、当時のドイツ医学の総力を上げてタバコと肺がんの関係を調べたけれど、結論が出なかった。 あのドイツにして立証できなかったんですよ。 そもそも副流煙がどうこう言われ出したのは、ノルウェーの女性首相ブルントラントがWHO(世界保健機関)の事務局長に就任したとき(一九九八年)の演説で「煙草は人殺しの悪魔だ」と喫煙批判をしたのがきっかけです。ところが、彼女はあのときは“電磁波過敏症”とかいう 病気にかかっていて、だから、あんなに過激な発言をしてしまったと後に謝っているんです。でも、 一度口にしたことをあとから謝っても遅い。ご承知のように、WHOは世界中の医療を牛耳っていますから、医療関係者みんながそれにおもねって、「ハイハイおっしゃるとおりでございます」と認めてしまった。ヒトラー、ブルントラントの思い込みから始まっているんです。 よく言われる「オーラ」にしても、ロシア人の 学者が植物から何やらボワーッと出ているものを写真に撮って、それがオーラとして広まったんで すが、その学者はあとから単なる水蒸気が写ったものだったと誤りを認めているんです。それでもいまだにみんな「オーラ」が見える、見えないと騒いでいる。一度強い印象を与えてしまったものをもとに戻すのは至難のわざなんです。設問自体を疑え設問自体を疑え タバコが健康に悪いかどうかという議論から一歩引いて、見かたを変えてみれば、もともとはアメリカ大陸の原住民が神との交信に使っていた。タバコは神事・祭杷や呪術に用いられていたわけです。つまり、喫煙は宗教活動だった。そういう観点からすると、健康に悪いからやめろというのは信教の自由を脅かすものということになる(笑)。宗教の儀式に対して外部からあれこれ批判すべきではないでしょう。まあ、人身御供みたいなことになると、人権問題だ、野蛮だというのでやめさせるのはわかります。だけど、タバコを健康という観点だけからみるのはあまりに一面的だ という話です。 そもそも「体にいいか悪いか」という設問自体が正しいかどうかを疑いもせず、嫌煙に飛びつくのは、わたしだけはオレオレ詐欺にひっかからな いと言っていながらだまされるような人たちでしょうね。設問自体を疑ってかかれば、まず、健康の意味をちゃんと説明できるかどうかが前提になる。長生きすなわち健康なのか。健康ブームというのも、そういうあまり深くものを考えない人たちに 支えられているんでしょうね。健康食品とか何とかいって、通信販売でとんでもないものを売っているじゃないですか(笑)。それをやすやすと買うのは、お値段も手ごろだし、編されても腹は立たないからなのかな。 ちょっと前までは、「どうぞ、どうぞ」と勧めないまでも、「俺の前でタバコを吸うな」という人はいなかった。それでは角が立つから、副流煙の話を持ち出したんでしょう。そばにいるわたしにも実害があるんだからやめてくれということですね。あげくに子供の目の高さに煙草があるから危険だと言い始めた。そこまで言われると、「もはや、これまで」(笑)。 要するに、正義である、完全無欠であると信じている考えにも穴がいっぱいありますよということです。当然、いましゃべっている私にしても同じですよ。ただ、私は“断定”はしない(笑)。健康って、百人いれば百人とも考えが違ってしかるべきで、地域によっても違うだろうし、時代や、四季折々によってもそれぞれ違うでしょう。 それを明確に説明できずに「タバコは健康に悪い!」と主張する人たちには、遊びというか余裕というか、幅というか、そういうものは理解の外なんですね。禁煙運動でも嫌煙でもどちらでもいいんですが、現象をみてフッと笑える人間でないと、語る資格がない。全方位的なユーモアの感覚がないとね。おそらく、人生もそうでしょう。「かくあるべし」みたいに断定する人聞は「もはや、これまで」です。「生まれちゃったよーん」みた いな感じで生きていくのがいい。 赤ちゃんはオギャーと泣いて生まれるけれど、もし言語を習得していれば、実は生まれた瞬間に「もはや、これまで!」と叫ぶべきなんだ(笑)。鄧小平のカンチガイ鄧小平のカンチガイ ところが、これが困っちゃうんだけど、生きていくためにはヘラヘラ笑ってばかりもいられない。「なーんちゃって」って笑いつつも、締めるところは締めないと、せっかく生まれてきて、ダラダラしているだけだと困っちゃうわけです。どこかに心棒を通さにゃいかん。そう考えると、日本人が考えた武士道というのは実によくできているんですよ。いろいろな意味で完全無欠な、神がかった奇跡に近い。まあ神がいるかどうかはまた別問題 だけれど(笑)。武士道を規範にすれば、まず他人に余計な口出しはしませんね。自慢もしないし、自らについて多くを語らない。それに覚悟がある。 武士道があったから、日本は西洋列強の脅威に屈せず、明治維新を成し遂げた。それどころか、あっというまに西洋に追いついてしまいました。ペリーが黒船で来航してから国産の軍艦で清を打ち破るまで、わずか四十一年です。まさに驚天動地。こんなことは人類史上、二度とできません。 それで中国・朝鮮が、それまでパカにしていた武士道、明治維新というものを勉強するんですよ。西洋もしました。アメリカもいまだに研究しています。ところが、理解できない(笑)。これは彼らにはどうしても理解できないでしょうね。毛沢東、周恩来なんかはいい線までいったんですが、やはり途中でギプアップした。  黒鉄氏と西部蓮氏が人類への絶望を朗らかに語り合った対談集『もはや、これまで』( P H P研究所) でも、 毛沢東を讃美するつもりはないけれど、とりあえずは中国を支配するところまでいったやつだから、ある程度の見る目はあるんですね。彼は共産党が政権をとれたのは日本のおかげだと言っています。これはシニカルでもあるし、嫌味でもあるんだけれど、それを言語化したというのは、さすがに彼は日本をそこそこ理解できていたんだと思う。まあ中国六千年という嘘はついているけれど(笑)。それに比べると、鄧小平はまったくわかっていなかった。        鄧小平が副総理だった一九七八年(昭和五十三年)に来日して新幹線に乗ったとき、日本の技術力に驚嘆して、「わが国は遅れている、この技術を何としても手に入れたい」と非常に真塾な態度で頭を垂れた。車窓に目を移してジーッと見ていた鄧小平の姿に日本人は好感を持ったんですよ。それから三十年後に、日本の技術をコピーしたかパクッたか、あるいは日本から持ち込んだ車両の色を塗り替えたのかはともかく(笑) 、中国は新幹線を走らせました。 ところが、これは記録に残っているんですけれど、鄧小平は改革解放をスタートさせた当時、こんなことを言っていた。「日本ごときがこれほどの経済成長を成し得たのであるから、大中国に成し得ないわけがない」と。 その理屈がむちゃくちゃです。鄧小平いわく「中国は大国である、人口が多い、それに社会主義国である。だから日本ができたことは中国にもできる」。これは謎ときにも何にもなっていない。だから、やはり失敗した。いまだに日本にできたことができていません。この謎ときは、実は武士道よりさらに前、織田信長まで遡るんです。「天下一!」の価値観「天下一!」の価値観 ものづくりに対して、信長は「天下一!」と褒め称えました。それを秀吉も踏襲し、家康も踏襲しますから、日本一の畳屋とか瓦職人とかが各分野に出てくるわけです。このときに価値の転換が行われた。金銀とは異なる価値、最高のものをつくるという価値観を日本人全員が自覚し、共有したんです。自分のつくったものは、誰にも負けないという誇りを持った。納期を守らないといけないんだから、芸術家ではないんですよ。職人として最高のものをつくろうとみんなが励むから、勢い頭がよくなってしまう。 これは学歴やアカデミックな知識とは違う。知恵という意味で日本人みんながそろって賢くなってしまったんです。欲望と欲求とは違うと思うんですが、英語のwantとneedの違いと言ったらいいかな。衣食住はneedであるけれども、そこから一歩進んだ、でも芸術ではない、たとえばしゃもじでも最高のものをつくろうという方向に進んでいった。ただご飯をよそるだけなら木ベラでいいじゃないかという考えも成り立つけれど、 日本人のつくるしゃもじの曲線の美しさ。あくまでも実用性を追求しながら、そこに美を生み出す。 儒教にがんじがらめになっている朝鮮では、手足を動かす仕事や肉体労働は下層階級と奴隷のするものだとみなされ、職人も知識階級の貴族から差別されていた。それが日本では褒められ、尊敬されるから、来日した陶工なんかは感激してみんな帰化してしまった。だから彼の地では優秀な職人がいなくなったし、育たなかった。いまでも中国や朝鮮のものづくりの技術は悲惨極まりない。ソウルの南大門の復元工事が終わって記念式典を開いたと思ったら、その直後から塗装がはがれおちたり、柱があちこちひび割れしたりというので、韓国の担当省庁が謝罪したというニュースが最近ありました。日本の接着剤を使ったせいだとか何とか言い訳していたけれど、日本人から見たら話にならない。ちょっとひどすぎるね。信長と戦国を独自の視点でブラックかつシュールに描いたシリーズ第三弾『新・信長記 地』(PHP研究所) 刃物にしても、ドイツのゾーリンゲンが日本の刃物にはかなわないから、刃の部分は日本がつくり、柄の部分は自分たちでつくって合体させて商品にするようになった。これは物品におけるグローパリズムと言えるかもしれないけれど、やはり日本製は日本製。日本の職人の技術というのは 世界でも突出しています。 余談ですが、グローパリズムの時代だなんて騒いでいる連中はどうかしている(笑)。世界のさまざまな文化を一つの基準の下に置くなんでできるわけがない。文化・文明というのは、慣習が日常化していくなかで残ったものが民族や地域に根ざし、それがまた時代とともにあるものは捨てられ、あるものは揉まれて残っていく、それを繰り返して育まれていったものでしょう。 その中心となるものは言語ですよね。そうすると、言語を選択する以上は、その国ないし地域の文化を守ること、つまり保守以外にあり得ない。「革新」というのなら言語も新たにつくったらどうだということになる。ところが、これがつくれない(笑)。 私が若いころにエスペラント語という人工的な“世界共通語”がもてはやされて、これからはエスペラント語だって勉強している友人が二、三人いた。最近、そのうちの一人にバッタリ会ったら、本当に時間の無駄だったと後悔していた(笑)。それはブラッドベリとかSFエンターテインメントの世界の話なら面白いんですよ。だけど、それを現実にやろうとすると、ちょっと無理がある。 話を戻すと、世界史上でも奇跡的な、知恵にひいでた日本人という賢い国民ができてしまった。すると、そこから何が生まれるかといえば、民主主義的なものなんです。民主主義というのは非常に欠陥のある制度だけれど、現在のところ、これに代わるものがない。チャーチルも、「民主主義は最悪だけれど、ほかにないからこれを選択するしかない」と言っています。ですから、これを採用するにはよほど民度が高くなければならない。 実は民主主義をいちばん理解していたのはヨーロッパ人ではなくて、日本人なんです。 幕末に日本にもやって来た西洋列強は、中国にはアへンを売りつけ、アジアを植民地化して、原住民から搾り取るだけ搾り取ることしか考えず、極悪非道の限りを尽くしたでしょう。日本人はすでにして高度な倫理観を手にしていたから、異民族に対してあんなひどいことはしていない。『新・信長記 地』より封建制度のなかった国封建制度のなかった国 中国にちょっと触れますとね、紀元前二二一年、秦の始皇帝が即位したときにあの国の運命が定まってしまいました。始皇帝は封建制を廃止して、皇帝による中央集権制を敷いた。私は封建制の味方というわけではありませんが、ハシカみたいなもので、いいか悪いかは別にして、これを通過しないと国と国民が賢くならんのですよ。封建制度がなかったから、中国人、朝鮮人のメンタリティは古代からほとんど変わっていない。中華思想というのはそう考えても普通じゃありません。それは封建制度をやめてしまったからです。 アメリカにも封建制度はなかった。ですから、よく目をこらして見ればアメリカと中国はそっくりですよ。正面からは見えない尻尾がつながっている双生児ではないかと思うくらい。「オブ・ザ・ピープル、バイ・ザ・ピープル、フォア・ザ・ピープル」の「ピープル」を「人民」なんて訳すから勘違いする。「ピープル」は「アメリカ人」のことです。つまり「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための政治」、インディアンを皆殺しにし、アフリカ人を奴隷にしたアメリカ人のための政治なのです。 ローマがカルタゴを滅ぼしたとき、二度とカルタゴが復活しないように都市を焼き尽くして草木も生えないよう土地に塩をまいたという話があるけれど、これはアメリカが敗戦国日本に対してやったことと驚くほどよく似ていますね。 もうずいぶん前のことだけれど、いちばんおかしな犯罪は銀行強盗と贋札だって阿佐田哲也とゲラゲラ笑ったことがある。金がない。じゃあ、銀行へ盗りに行こう、あるいはつくってしまおう。この妙に短絡的な発想は、非常に中国人的なんですよね。綿密な計画を立てて銀行からまんまと金を盗めるくらいなら、もっと別のことができるだろうし、贋札をつくれるほどの技術と能力があれば、ほかにもやることがあるだろう(笑)。 彼の国では以前、段ボールを餃子の具に入れたという“事件”がありましたが、彼らは人工卵までつくっているでしょう。信長みたいに「天下一!」と褒めてやらないから、中国人は何かしたいわけですよ(笑)。 視野狭窄になると卵しか見えないけれど、そもそも卵というものは、庭があって鶏がいて、餌があって、太陽と水があって初めてできるものでしょう。昔は中国人もわかっていたはずですけどね。それが共産党によって──つまりは鄧小平の話になるんですけれど、彼は「先に豊かになれる者から豊かになって、遅れた者に手を指し伸べよ」と言った。これではダメなんですよ。現に、豊かになった者は落伍者を助けるどころか、金を持って国外に逃げてしまった(笑)。倫理観を教えるのが先でしょう。「死にとうない」「死にとうない」 武士道やら世界史の断片みたいなことを話したのは、要するに、「タバコごとき」ということなんですよね。タバコだけじゃない、戦争ごとき、国家ごとき、ぜんぶ「ごとき」なんです。つまり、「断定はできません」ということです(笑)。あらゆることについて断定できるのは神だけなんですよ。では、神はいるのかと問うたら、その瞬間に神はいないと気づく人は気づくはずです。言語で問うているわけですから。 弘法大師の伝えた「真言」とは、仏の真実の言葉という意味ですから、つまり「言語前」ということです。聖書は「まず言葉ありき」というところからスタートして、言語以前の状態をなかったことにしている。これはずるい。日本人はいち早く気がついていたんですよ。宮本武蔵も気がついた。武蔵ごときがですよ(笑)。 武士道のすごさは、民族ではない、人としての生き方を説いているところにあります。山本常朝の「葉隠」は鍋島藩士の心得ということもあって、視野狭窄に陥っているところはありますが、本質を抽出すれば、要は覚悟の書です。 一休宗純が息を引き取るとき、弟子が「最期の言葉を聞かせてください」と耳を近づけたら、ひと言、「死にとうない」って言った(笑)。これは作り話かもしれませんが、一体和尚は正月にしゃれこうべを杖にのせて、「正月は冥土の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と詠ったくらいシニカルな人ですから、一休さん最後のブラックユーモアととるべきでしょう。要するに「死にとうない」というのは「だから、どうした」ということですね。 ですから、タバコが体にいいか悪いかという設問を解くカギは、副流煙がどうの、肺がんがどうのという、そんな議論の周辺にはないんですよ。万巻の書を読み、思索し、さまざまな経験をしたあげく、首うなだれて「人生ごとき」とつぶやく──そういう心境に至ったら、健康の意味を問うこと自体、もはや無意味になる。 ただ、嫌煙を主張する人たちは、とにかく健康に悪いんだ、タバコの煙が嫌いなんだ、匂いがいやなんだからやめろとヒステリックになりがちでしょう。だけど、そうやって断定するのは子供の駄々と同じなんですよ。「いやといったらいやなんだい」って子供が駄々をこねたら、もうブン殴るしかないわけですが、大人ではそうもいかない(笑)。そんなに厚化粧して、おまえのほうが匂うだろうがって言いたくもなるけど、ケツまくるのはやはり下品ですから、避けるしかない。そうしないと袋叩きにあう(笑)。 要は、あたりまえのことですが、すべての軸は自分にある。面白がるのも自分だし、怒るのも自分なわけですよね。そうすると、怒るって何だろう、叱るって何だろう、他者に道を説くとはどういうことだろうという議論に立ち返ってしまう。だからすべては天に対しての独り言にすぎない。 そうすると、アメリカ大陸原住民のタバコの儀式の話に戻りますね。これは宗教儀式なのであると。健康とか何とかとは話がまったく違う。神との交信をしているんだと。そういう意味ではタバコ問題と靖國問題はよく似ています。中国や韓国は「靖國に行くな、行くな」と騒ぐ。これを最初に問題化して火をつけた朝日新聞はノルウェーの女首相みたいな存在ですね。 己を疑ったことのない人たちが、嫌煙運動に奔走する。日本史にも世界史にもそういう例は山ほどあるにもかかわらず、それに気がつかないということは本を読んでいない、あるいは深くものを考えたことがない。いい友だちもいなかったから、それを思いやることもなかった気の毒な人たちです。無残やなというしかない。 山本夏彦さんは「正義ほどやっかいなものはない」とおっしゃっていましたが、正義自体はいいんです。ところが、一途に思い込んだときには断定が入る。それが大きな誤りなんです。 お前だって、「断定はいかん」と断定しているじゃないか、どうするんだと言われたら、ウフフと笑って逃げるか、“ダンテイの新曲”なんちゃってダジャレでごまかすしかありませんが(笑)。

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    タバコとアニメとナチスの香り 『風立ちぬ』批判への反論と宮崎駿論

    古谷経衡(批評家) これは何かのジョークか、と見紛(みまが)うようなヘッドラインが過日世間を賑(にぎ)わせた。NPO法人「日本禁煙学会」が、現在公開中でロングランが続く『風立ちぬ』に対し、猛烈な抗議を行ったのである。宮崎駿は九月一日、伊・ベネチアでの記者会見で正式に引退を公表した。結果的に本作は宮崎の長編最後の作品となったわけだが、その話題性と相まって本作『風立ちぬ』に対する思わぬ角度からの「抗議」は、今なお多方面から物議を醸かもしている。 彼らの主張を簡潔にまとめると「作中に登場する喫煙シーンが、喫煙美化であるからけしからん」というものだ。彼らはその主張の仔細を「風立ちぬに対する見解」として自身のWEBサイト上に公表しているが、その検証は後述するとして、彼らが問題視している本作中の喫煙シーンとはどういったものであるのか。まず簡単に振り返ることにしよう。『風立ちぬ』ポスター 『風立ちぬ』は作家・堀辰雄の同名小説から舞台設定を拝借し、そこに零戦設計者として著名な堀越二郎の人生を融合させたものであるのは言うまでもない。「禁煙学会」が「問題視」した喫煙シーンとは、ヒロインである菜穂子が肺結核の病を患い、富士山麓のサナトリウムから抜けだして零戦設計者の二郎とつかの間の新婚生活を行う、というくだんのシークエンスの中に登場する。 菜穂子は死を悟っている。ペニシリンが存在しない当時だから致し方ない。そして「美しくも儚(はかな)い」刹那の同棲生活に身を投じていく。禁煙学会が問題視したのはこの場面だ。日中から床に伏せがちな菜穂子が、ようよう帰宅した二郎をねぎらう。その際、二郎はおもむろにポケットからタバコを一本取り出すが、「あ、ここでは……」と思慮する。つまり菜穂子の肺病に思い至って、その副流煙が彼女の肺を更に侵すのではないか、と躊躇(ちゅうしょ)するのである。しかし菜穂子は「いいから」と一服を促す。そこで初めて、二郎は煙を吐く。このシーンが、「喫煙を魅力的に描いている」とされたその核心なのである。非喫煙者への宮崎の配慮 考えるまでもない事だが、このシーンを素直に解釈すると、「タバコの副流煙の害を承知している二郎が、妻の肺病を慮(おもんばか)って一旦、喫煙を躊躇したが、それよりも新婚生活の甘美なるに重きをおいた菜穂子の勧めによって一服する」というもの以外にはない。実はこのシーン、極めて慎重に宮崎駿が非喫煙者(それこそ禁煙学会のような)に対する配慮が込められている場面なのである。「世界には絶望しかない」 なぜなら、「副流煙の害」(それが真実かどうかはともかくとして)が巷間言われるようになったのは一九八〇年代から。昭和初期のこの時代、「結核患者の横でタバコを吸うのは悪」という認識は存在していない。もっと言えば、当時、「タバコは肺病に効く」という認識が一般的であった。結核が日本人の死因第一位であった当時、「タバコは肺病の予防薬」とされ珍重されていたのだ。サナトリウムに健常者が見舞いに行く際、結核に罹患(りかん)してはいけないと「消毒」の為に一服してから入る、というのが作法だったという。驚くべきかなこれが当時のタバコと結核に対する認識だったのである。もっと遡(さかのぼ)れば、戦国時代にタバコが伝来して以来、タバコは薬とされ、「頭痛・肺病」に効用ありと、時の漢方医が病人に勧めたのであった。江戸時代に出された「禁煙令」はタバコの害を懸念したのではなく、タバコの失火が大火になることを予防する消防法的な処置である。まして「副流煙が結核に悪い」などと言う認識は、ここ数十年の、全く現代的な新概念に過ぎない。漫画版『風の谷のナウシカ』(徳間書店) ともあれ宮崎は、史実よりも現代における「禁煙リテラシー」とやらを優先してくだんの場面を描写することを選んだ。繰り返すようにこのシーンは、当時の人々の喫煙に対する感覚に照らし合わせて、歴史事実を描いたものではない。にもかかわらず、禁煙学会は「喫煙を魅力的に描いている」という難癖(なんくせ)をつけ、あろうことか「風立ちぬに対する見解」の中で、「主人公のモデルになった人物はタバコを吸わない人だった。歴史をねじ曲げている」と指摘する。皮肉なことに、「歴史をねじ曲げて」、現代人に配慮しているのは宮崎駿自身なのだ。歴史に素直に違えば、二郎は何の躊躇もなく喫煙し、タバコは消毒と同じで肺病に効きめあり、とされなければならない。宮崎駿の良かれと踏んだ配慮が、実に皮肉な結末を迎えているのである。「世界には絶望しかない」 禁煙学会による抗議は、更に本作のシーンが、「生命軽視につながる」ことを嘆いている。つまり「風たちぬのテーマは、戦争はやってはいけない=命がいちばん大事だ、と言うことだと思います」(原文ママ)。にもかかわらず、一方で「健康に害のある(生命軽視)」の喫煙シーンが登場するのは、この作品の「崇高なる」テーマ性を傷つけているのだ、という論法である。 結論から言うと笑止である。宮崎駿とその作品に対して、もっとも典型的な感想がこの手の論調なので、いい加減嫌(いや)になってくる。つまり、宮崎駿作品というものは、「反戦」「生命至上主義」「環境重視」というまたぞろ戦後民主主義的な三拍子揃ったメッセージが込められている、という「古典的」な認識を、彼ら禁煙学会が決定的に有しているということに対する憤慨だ。 宮崎駿が「反戦」「生命至上」「エコ」の作家だという認識は、一体何処から来るのであろうか。これらの原点は、例えば『風の谷のナウシカ』(八四年・映画版)が金曜ロードショー等で放映される度、その紹介のナレーションで「人と自然の共生を謳い……」という定型句が流れる。多分、このあたりから「宮崎駿=環境主義者(或いは生命至上)」という漠然とした印象が根付いたのかもしれない。実際、「ナウシカ」を俯瞰すると、確かに納得する点はある。巨大産業文明が崩壊して千年後の未来世界。腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の粘菌にその生存が圧迫されていた人類が、いま一度、腐海と共に生きる未来を選択して本作は終劇している。なるほど、作家・宮崎駿を語る時、ナウシカは外せないテーマだ。宮崎は生命至上主義者ではない かつてNHKの対談番組『トップランナー』に彼が出演した時、司会者から「(宮崎)監督はいろいろな作品で人と自然の共生というテーマを描いていますよね……」と言われた際、彼はその言葉を即座に否定している。自分は地球環境の大切さや命の重みを描いたことはない……というニュアンスで、「世界には絶望しかない」と切り返した。この言葉の真髄を理解するには、一九八二年から九四年の足掛け十二年にわたって「アニメージュ」(徳間書店)紙上で連載された漫画版の『風の谷のナウシカ』を読み解く必要があろう。 テレビでよく放映される映画版はこれに先行されて製作・公開されているので、原作である漫画版は、さらに長い長い物語の展開がある。ここでその内容を全て紹介することはしないが、漫画版ナウシカでは、宮崎は「生命とは闇の中に瞬く光だ」と結論している。かつての巨大産業文明を司った人類達は、その行き過ぎた科学礼賛・資本主義礼賛の価値観を反省し、結果人類を「音楽と詩を好む平和で文化的な種族」に改造しようという気宇壮大な計画が暴露される。しかし、宮崎は、主人公の少女・ナウシカに、それを「否!」と喝破させている。宮崎は生命至上主義者ではない 美しいもの。健康で健全なるもの。光り輝く人類。そういった考え方こそ、最も生命から遠い、愚かしい存在であると宮崎は指摘している。「人生や人間は、常に光り輝いていなければならない。常に美しくあらねばならない。常に健全でなければならない」とする、そういった設計的な考え方こそ、最も傲慢で醜い考え方であり、それは混濁に満ちた生命ではなく単なる人工の汚物だ、と宮崎は謳っているのである。泥水をすすり、病に侵され、己の欲に抗しきれず、それでも生きたい。その惨めで、俗にまみれた絶望の命の姿の中にこそ、一縷(いちる)の光がある。それこそが「生命の本質である」と謳って、漫画版ナウシカは終劇していく。『もののけ姫』ドイツ語版DVD この宮崎駿の哲学は、続く『もののけ姫』(九七年)でも明確に継承されていく。劇中、ハンセン病を患う包帯の「長(おさ)」と呼ばれる男が登場する。主人公「アシタカ」が、タタラ場(踏鞴(たたら)製鉄所)の女棟梁であるエボシ御前を殺害しようと目論む場面だ。男は唯一、自身を人間として扱ってくれた恩人であるエボシ御前の助命を乞うた上で、次のように吐露するのである。「生きる事は誠に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい。どうか愚かなわしに免じて……」 日本アニメーション史上、燦然と輝く名シーンである。ハンセン病は当時、病態が進行するとその病相から「業病」と呼ばれ、忌み嫌われた。前世の行いが悪いからだと烙印を押され、村の共同体から放逐され、路傍に迷った彼らがやがて「非人」などの身分に落とされていく。恐らく病状末期の「長」は、鼻が落ち、腐った顔面の、その包帯の下のわずかな眼窩の窪みがしっとりと涙で濡れている。 宮崎駿は生命至上主義者ではない。人生や人は素晴らしいものだといっているわけでもない。世界が光り輝いているなどとは決して思っては居ない。世や人生は絶望と苦しみしか無い。しかし、それでも生きたい。生きていきたいと願う、その俗っぽい泥の中から出る、生命の根源の一縷の力。つまり絶望の傍らにこそ、彼は光を見ているのである。だからこそ人間は素晴らしく、また美しいのだと宮崎は一貫して描いている。因みに、「もののけ姫」にも、当時の明朝からの輸入品と思われるキセルでタバコを吸うシーンがあるが、こちらには難癖がつかないのは実に不思議だ。宮崎アニメへの歪んだイメージ宮崎アニメへの歪んだイメージ この「宮崎哲学」を踏まえると、『風立ちぬ』もまた実に首尾一貫していることが分かる。零戦という航空機に於ける最高峰の「美」は、開戦と同時に次々と連合軍機を屠(ほふ)った。しかし他方、圧倒的な米軍の物量に次第に押され、最終的には特攻機として使用された悲劇の名機でもある。零戦は、このように明と暗の二面性が同居している。 『風立ちぬ』には、昭和恐慌直後の、荒(すさ)んだ都市貧民の姿も描写されている。宮崎は企画書で「まず美しい戦前の日本を描きたい」としているが、その美しさの中には、不況で日銭すらままならない、貧困の様子も活描されている。しかし、その二面性、光と影の同居こそ、彼はもっとも素晴らしい「美」として描いているのである。 結核に侵された菜穂子と二郎のつかのまの新婚生活にしても同じだ。常に死の影にさらされている菜穂子は、やがてくる悲劇の零戦設計者・二郎の伴侶に相応(ふさわ)しい「暗」を背負っている。本作の音声には一部奇妙な効果がある。それは、関東大震災の地鳴りと、飛行機のエンジン音の両方に、人間の、低い、不気味な声があてがわれていることだ。これはこの両者に、破壊という魔物が住み着いていることを暗示する演出である。大空を優雅に、美しく飛ぶ航空機のすぐ背後には、人間の破壊と欲望の衝動が同居しているのである。だからこそ、それは単純な光にも増して、美しく光彩を放っているのである。 私は、禁煙学会が指摘する「喫煙の美化」という頓狂な主張以前に、彼らが、実のところ全く宮崎駿の作品を理解していないことに絶望した。繰り返しになるが、宮崎駿は「戦争が悪い」とか「命が大切だ」などという単純なメッセージなど何処にも配列していない。寧むしろ彼は、実のところそういった考え方そのものを「醜い肉塊」として最も問題視しているのである。「人間は、清く、正しく、健康で健全であらねばならない」 というその傲慢な考え方こそ、光を奪い、生命を醜くしている元凶であるというのだ。正しくこの哲学で言うと、禁煙学会の考え方そのものが、宮崎駿の唾棄(だき)すべき思考であり人種にほかならない。が、作品自体を見ていないのか、そもそもよく思考していないのか、全く的はずれなイメージと論調ばかりが一方で独り歩きしている。いかに世界的で、国民的な宮崎駿とはいえ、こういった歪んだ宮崎へのおかしな期待とイメージの集大成が禁煙学会の今回の抗議であるといえよう。 もう一つ、重要な禁煙学会の主張は「風立ちぬに関する見解」の中で、彼らが指摘する「(風立ちぬの)喫煙シーンは、子供に悪い影響を与える」とする部分である。ご丁寧にどこぞの統計資料まで持ちだして、「喫煙シーンを観た子供の多くが、影響を受けて喫煙者になる」という「調査」を公表しているのだ。つまり、禁煙学会は、宮崎駿の作品を「子供向けの作品である」と捉えている。これも全くの噴飯の認識であると言わなければならない。 宮崎駿の作品は、確かに『となりのトトロ』(八八年)など、子供が素直に見てはしゃぐことの出来る作品はある。『天空の城ラピュタ』(八六年)も、正統的な冒険譚であり学童でも楽しめよう。しかし少なくとも『風立ちぬ』は子供向けとは言い難い。前出した『もののけ姫』でもそうだが、九〇年代後半以降の宮崎駿は、学童に向けた正統的な、わかりやすい起承転結の作品を作っているわけではない。 私は『風立ちぬ』を観に劇場に二回足を運んだが、本作の客層の主軸は青年以上の中・高年であり、一〇代以下の姿は極めて少なかった。むしろ、少しアニメ事情に詳しいものであれば、現在の子供を含んだファミリー向けの大衆アニメ作品の中核は、宮崎では無く細田守に移行していることを知っている筈だ。宮崎作品は子供向け、という古典的な図式そのものが、既にここ十数年で崩れているのである。禁煙学会のアニメ観禁煙学会のアニメ観 にもかかわらず、禁煙学会は宮崎作品は子供向けと一方的に決めつけ、その与える影響を嘆いている。彼らのアニメ全般に対する無理解がその背景に横たわっているのである。 そこには「アニメは子供が見るものだ」というぬぐい去れない蔑視の感情が見え隠れする。喫煙云々以前に、こういった認識こそ、世の批判にさらされるべきであろう。 私が中高校生の時、世で空前の大ブームとなった作品があった。『新世紀エヴァンゲリオン』(九五年放映開始・以下エヴァ)がそれである。受験勉強をほっぽり出し、寝る時間を惜しんでビデオを見た。関連書籍を片っ端から読み漁った。九七年の劇場版では、公開日の前日から十数時間、友人と共に列に並んだ。後に「第三次アニメブーム」と呼ばれることになった当時、私は齢十四歳だった。 『エヴァ』には喫煙者が登場する。赤木リツコという女性の研究者が、野戦指令部のラボ(研究室)でタバコを吸うシーンが頻出するのだ。本作は、テレビ東京系列で夜の六時半から七時の「ゴールデンタイム」に放映されていた。当時「喫煙シーンはけしからん」などという抗議は聴いたことがなかった。そのシーンに影響されて、喫煙者になったという人間も見たことはない。私は『エヴァ』の薫陶を受けたど真ん中の世代だが、何を隠そう現在でも私は非喫煙者なのである。 赤木リツコという女性喫煙者の登場により、女性の喫煙率は上昇したのか? 厚生労働省の統計では、女性喫煙率はここ二十年間横ばいが続いており、直近では斬減(ぜんげん)傾向にある。『エヴァ』の他にも、近年の作品の中には『カウボーイ・ビバップ』(九八年)、『ブラック・ラグーン』(〇六年)でも顕著に女性喫煙者が登場する。モンキー・パンチ原作の『ルパン三世』もアニメ版の放映は七一年から行われており、次元大介が常にタバコをくゆらせている。『機動警察パトレイバー』(八九年)でも、主役級の刑事はいつもマイルドセブンを携行している。 これらが喫煙率の上昇を招いているどころか、この間一貫して喫煙率は大幅に低下しているではないか。アニメと禁煙率には何の相関もない。そしてやはり、そこには「アニメは判断力に乏しい子供の見るものだ」という大前提的な刷り込みが見え隠れしている。「アニメ=子供向け」「アニメ=低俗なもの」という認識が、禁煙学会の根底にあるアニメ観にほかならない。アニメの登場人物の所作をそのまま模写して喜ぶほど、アニメを見る子供は馬鹿ではない。よい映画とは何か 禁煙学会の抗議を巡っては、賛否両論の立場からさまざまな議論が百出している。「(風立ちぬの登場人物は)非喫煙者だったのだから歴史の歪曲だ」という前出の抗議に対しては「当時の喫煙率からいって、成人男子の喫煙は歴史的事実に沿ったもの」という反論がなされる。一方、「(喫煙シーンを)描くのは憲法が保証する表現の自由だ」という反撃が真っ先に行われている。これに対して禁煙学会は「(嫌煙を言うのも)表現の自由だ」と言う。堂々巡りが続く。 重要なのは歴史的事実に忠実なのかどうか、ではない。歴史的事実に忠実な作品が良い作品である、という事になれば、時代劇の描写はほとんどすべてが間違っている。大抵の場合、既婚女性はお歯黒をしていないし、暴れん坊将軍が駆け抜ける夜の江戸の街は、ガス灯が発明される前なので、もっと真っ暗なはずだし、幕府の官吏が乗る馬も、背の低い品種改良前の純血種でないとおかしい。しかし暴れん坊将軍は国民的な時代劇の代名詞として、現在でも我が国で広く親しまれている。喫煙シーンへの背筋が凍る警告 史実に忠実な作品が必ずしも素晴らしい作品とは限らない。世界的に評価された黒澤明の『乱』も、戦国時代が舞台だが登場するのは世継ぎ争いが勃発した大名・一文字家である。そんな大名は存在していない。『乱』は『リア王』をモデルとした黒澤明の創作だ。『シンドラーのリスト』はナチス・ドイツ下のドイツが舞台で登場するのはドイツ人だが、登場人物全員が英語を使っている。ユダヤ人を救った実際のオスカー・シンドラーは英語を喋らない。しかし、この作品はアカデミー賞を受賞し、映画史に名を残している。事ほど左様に、創作物とは、常に虚構が伴っている。虚構があるから駄目だというふうにはならない。虚構があるからおかしいとか、歴史と違うから駄目だ、という批判は、そもそも映像作品を評するにあたっては的外れも著しい。仮に虚構が存在していようと、私は『風立ちぬ』は傑作に違いないと思う。 表現の自由、という問題もある。禁煙学会の言う「表現の自由の侵害(という批判)は、国家権力に対して行われるべき批判であって、民間団体の我々は正統な権利を行使しているだけ」というのも誠に腑に落ちない。そうであるならば、その権利の行使が『風立ちぬ』のみに限局されている理由もまた説明しなければならないが、その理由は全くなされていない。つまり、民間団体の恣意的な選別――たまたまそれがヒットしている宮崎駿の最新作だったから――が介在しているという疑いを向けられても仕方がない。前述したとおり、登場人物が喫煙を行う作品は、『風立ちぬ』以外にも数多く存在するからである。宮崎駿の作品の中で、最も多く喫煙シーンが登場する『紅の豚』(九二年)がまっさきに槍玉にあがらないのも、彼らの強烈な不作為を感じるのだ。喫煙シーンへの背筋が凍る警告 筒井康隆氏の短編小説である『最後の喫煙者』(八七年発表)は、嫌煙運動をシニカルに描いた傑作中の傑作であるが、全体主義の恐怖を描いたという点では、ジョージ・オーウェルの『一九八四』、レイ・ブラッドベリの『華氏四五一』と通底している。今回の禁煙学会による『風立ちぬ』への非難は、はからずもこういった往年の古典的SFが警鐘を鳴らした、全体主義への危機感を彷彿とさせるものであった。ナチス・ドイツは、自らの体制に相いれぬ作家の作品を「非ドイツ的」とカテゴライズし、「退廃芸術展」としてドイツ各地で大々的に見せしめにし、それでも飽きたらず焚書した。トーマス・マンなどの作家やパウル・クレー、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレといった画家をことごとく追放した。戦後、評価を受けたのは退廃的と烙印を押された彼らの側だったのは実に皮肉な話である。 こういった創作への弾圧は、実につまらない理由で開始される。クリムトは女の裸ばかり描いているという理屈で、ゲッペルスに睨まれた。退廃芸術の巣窟と名指しされたバウハウス(美術学校)は、当時の校長であるハンネス・マイヤーが共産主義者だったからという理由だけで徹底的に弾圧された。なにもこういった風潮はドイツに限ったことではない。戦後のアメリカでも、チャップリンが同じ理由で追放されイギリスに亡命している。今や古典となっているエルビス・プレスリーは当時、宗教色の強いアメリカ南部でレコードが焚書運動の対象になった。理由は「ダンスの腰使いが卑猥だから」。今考えれば実に馬鹿馬鹿しい理由だが、放置しておくと、大変な目に合うことは歴史が証明している。『風立ちぬ』への批判はこのように最早、喫煙者と非喫煙者の確執、という単純な図式に収まりきれない深刻な示唆を含んでいる。 禁煙学会は、「風立ちぬに関する見解」の最後に、「風立ちぬに限らず、映像作品を制作するすべての方々に対し、タバコシーンがもたらす影響を熟慮いただきたい」と結んでいる。背筋が凍る警告である。これを許容すると、次は「登場人物が肉ばかり喰うのは健康志向に害を与える」とか、「酒を呑むシーンが未成年者飲酒を助長する」とか、「電車の中でメールを送るシーンはマナー違反である」とか、数限りないアニメや映画に対する難癖が付けられる。 そういったシーンを含む作品は、「退廃的」の烙印を押され、果ては焚書され、後には綺麗で、害のない、光り輝く、「健康で文化的」な平和の作品ばかりが燃えカスのように残ることになるだろう。 世界には、清潔で、都市的で、洗練された、風通しの良い空間だけが残ろう。宮崎が訴えたように、この考えこそ生命の終焉であり、醜い肉塊であるとわからなければならない。生命は闇の中に瞬く光だ。人生とは明と暗の混沌だ。タバコの煙の中に、宮崎駿が込めた哲学を垣間見た気がする。ふるや・つねひら 1982年、北海道札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科卒。ネットと「保守」、メディア問題、アニメ評論などのテーマで執筆活動を行っている。著書に『竹島に行ってみた!』『韓流、テレビ、ステマした』『ネット右翼の逆襲』など。(※iRONNA編集部注:肩書き等は『コンフォール』掲載当時のものです)

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    煙草は「人殺しの悪魔」なのか

    かつて、世界保健機関(WHO)の事務局長に就任したノルウェー元首相が「煙草は人殺しである」との持論を展開したことがあります。そのWHOが今度は映画の喫煙シーンにまでいちゃもんをつけてきました。みなさんにお尋ねします。煙草はやっぱり「悪」なんでしょうか?

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    タバコを吸っていいですか? いいえダメです。

    猪野 亨(弁護士) この間、飲酒について、いろいろと意見を書いてきましたが、アルコールに負けず劣らず害悪をまき散らしているものにタバコがあります。 アルコールは、飲むことによって周囲に迷惑を掛ける、飲酒の強要などの問題がありますが、タバコは、日常的に煙をまき散らし、タバコを吸わない人にとっては、とても迷惑なものです。 昨今、喫煙率が下がってきたことは、まことに喜ばしいことです。 このタバコについて、目から鱗が落ちる思いをしたのが、「タバコを吸っていいですか?」というセリフについてです。 それは、このセリフについては、言わないで吸うよりも配慮はあるのかもしれないが、むしろ嫌とは言わせないためのもの、という指摘でした。 その指摘を聞いて、なるほどと思いました。 私が大学生の頃(今から25年前です)、同じ学生でタバコを吸っている学生から同様の趣旨のことを聞いたことがあります。 タバコを吸っていいかと聞くようにしている、断らないということを承知で聞いているし、どうぞというから堂々と吸えると。 確かに、吸わない人に対する配慮ではありません。 相手が断れないだろうということにつけ込んでいるだけです。このようなものは気遣いでも何でもありません。 喫煙率が80%とか圧倒的多数が吸っている状態、吸って当たり前の状態の中では、このようなセリフは「配慮」になるのかもしれませんが(それでも気休めです。ダメならダメと言える雰囲気の中で聞かなければ全く意味のないセリフです)、少なくとも、今の時代では「配慮」にすらならないのです。 先日、札幌市営地下鉄でのことですが、ホームでタバコを堂々と吸っている男がいました。 私としては既に地下鉄に乗っており、発車を待っている状態だったため、どう対応すべきなのか思案していました。穏当なのは駅員を呼ぶことでしょう。 しかし、現在、地下鉄などではラッシュ時でもない限り、駅には駅員がいません。だからこういう不埒な者が出現するのかもしれません。 その男の行動から目を離さず、見ていました。そのまま列車に乗り込んでくるのではないかと思ったからです。それはさすがに黙認できません。 と思ったら、火を消して1つ先の車両に乗り込んできました。 自分でもどのような行動を取るべきかと思案した経験でした。 今の時代、よく見かけるニュースがこのような喫煙者(携帯利用者である場合も多い)を注意した人が殴られ、殺される(罪名は傷害致死とされます)事件です。 報道の仕方も、注意したことによりトラブルとなったみたいな表現がなされることがありますが、いかにもケンカ両成敗的な表現です。本来的に喫煙してはならない場所で喫煙をしていることの方が問題行動であり、注意した人が非難されるいわれはありません。 こう言っては何ですが、今の時代に喫煙禁止場所で喫煙ができる者というのは、人格的に問題があることが多く、直接、関わらず公の機関に委ねるべきとも思いました。 「タバコを吸っていいですか?」という前に、周囲に迷惑を掛けないところで吸える場所を探しに行きましょう。どこかの席についている場であれば、自身がその席を離れてましょう。それがせめてもの喫煙者の配慮です。 もっともこのセリフ、最近では、あまり聞かれなくはなった気がします。 1つは最初から吸えるところに行く常識派。 もう1つは、そもそも吸って当然という非常識派。 この2つに二極分化してきたのかもしれません。※2015年1月2日「弁護士 猪野 亨のブログ」より転載

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    タバコを止めようとおもってはいけない-大学喫煙今昔譚

    も合点のところだろう、「タバコはうまい」なんて、今やそれ自体公共の場で一切まったく口にできないほど「禁煙ファシズム」が猖獗(しょうけつ)を極めている。ということで、いささか哀しい前フリはこのくらいにして、ここからその異様にしてどこか喜劇的な世の流れを、もっぱらおのれの見聞してきた大学に関連するそれにスポットをあてて回顧していこうとおもう。「煙たいんだよ」「煙たいんだよ」 さて、坂本多加雄のもとでわたしが学位を取得したのは平成五年。その翌年からジャスト一年坂本のつとめる学習院大学へ出講となった。九〇年代初期のこのころは、上記の先生の研究室はむろん、講師控室でも灰皿がいたるところにあって、タバコはまったくフリーだったと断言できる(現在は全国すべての大学のキャンパスで喫煙オッケーの場所は一~二箇所。個人研究室はすくなくとも建前上はどこも禁煙で、建物の内部全体もほとんど喫煙室皆無が常態であり、仮にあったとしてもそんなものは絶滅しようという声が烈しく飛び交っているのはいうまでもない)。 ついでその四年後の平成十年、短大から四年制に衣替えの学習院女子大学と地元の酒田短期大学へ、いずれも思想史と音楽がらみの科目で出講するようになった(ついでながら、この数年まえからわたしは専門の思想史研究を継続の一方、音楽評論活動を生業として開始している)。女子大はむろん、四年後に中国人留学生を過剰に受け入れたせいでつぶれてしまう田舎の短大キャンパス共ども、このころでもいまだどこでも自由にタバコを吸えたし、周囲のちょっと見苦しかった滑稽な禁煙パイポ・ブームを別にすれば、嫌煙キャンペーンの雰囲気もゼンゼン体感したことはない。したがって地方大学へ通うための新幹線でも在来特急でも喫煙車両は健在だった。 ただ、二十一世紀が真近に迫りつつあったこのころ、ほどなく到来する空前の禁煙ファッショ・ムーブメント激発の予兆は幾度か感得させられてはいる。 一例をあげておこう。ある週末の雨あがりの午後、神田駿河台の明治大学はす向かいにある古書会館へ足を運んでいたときのこと。むろん千代田区の公道全面禁煙なんてころではない。その日はまた、案外人どおりがまばらだったことをよく憶えている。靖国通りの交差点へ向かう大通りにそった歩道を、それまでの電車で我慢のタバコを心地よくくゆらせながら足を進めていた。 と、古書会館にあと数メートルというあたりで、真後ろから不意にポンポンと肩を叩かれ、ふり返ると灰色のハーフ・レイコートをまとう三十がらみの男が、いきなり片手をふりながら「煙たいんだよ」という。近年チャラ男とかいわれているタレントみたいな風貌だったその男は作り笑いのような微笑を浮かべていた。しかしその目がカラスのそれのごとく不気味にランランと光っている。それでわたしはちとギョッとして、おもわず「あっ、スミマセン」と頭をペコリ。そうしてしばし、そのままゆるやかな坂道を足早にスタスタ下っていくチャラ男のうしろ姿をみつめながら、憮然とした。つまり、歩行者もまったくすくないんだから、煙いならこちらと離れて歩けばいいだろうにと胸のなかで毒づきつつ、「それにしてもなんだかヘンな時代になってきたもんだな」と。 しかしいうまでもなく、やがてもっと徹底的におもい知らされるように、この件はたしかに市井における「禁煙ファシズム」暴発の前兆体験のひとつでしかなかった。明治以来の「官尊民卑」明治以来の「官尊民卑」 平成十三年、先述の中国人学生の事案でつぶれかかっていた短期大学と入れ替わりで、今度はやはり地元で新設のいわゆる公設民営方式の東北公益文科大学からわたしの専門をひとつにかけあわせたような「音楽と思想」なる講座を委嘱された。同時にこの年は、上野にある東京芸術大学からも、かねて敬愛のジャズ評論家岩浪洋三さんの後釜として「ジャズ・ポピュラー音楽」という科目も担当するようになる。つまりわたしは、この年から女子大を含むいくつもの学校を駆け回るけっこう気ぜわしい文字どおりの兼任講師となったのだった。 嫌煙運動すなわち「禁煙ファシズム」のマグマが胎動しだしたのも、ちょうどそのころからだったとわたしはおもう。また、そのマグマが強烈な赤い炎を吹きあげだしたのは、疑いもなく平成十五年春に施行される「健康増進法」という奇怪な法律の出現にあったとも。 たぶん当時ほとんどの日本人が、とんと気づかなかったといおうか、知っていたとしてもさしたる関心も示さなかったであろうこの法律は(かくいうわたしも大分時間がたってからこの法の存在を知ったんだが)、そもそも栄養増進法の改訂ヴァージョンとしてできあがったものだった。ために同法条文のほとんどは、食品の栄養に関わっている。今おもえばしかし、問題はその第二十五条だった。では、いまだ一瞥(いちべつ)もしたことのない読者のためにその全文を掲げておこう。 「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに順ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」 みてのとおり、ラストに「講ずるように努めなければならない」とあるごとく、この条文を含む「健康増進法」に強制力はない。にもかかわらずこれによって、映画のタイトルではないが、まさしくある朝突然にといった趣で、まずは東京の小田急、京王といった民間私鉄から軒並み駅構内を全面禁煙。地上駅の喫煙灰皿も撤去されてしまう。したがって官公庁に準ずるみたいな意識の私立の学校もお上からのこの「お達し」にたちまち叩頭(こうとう)平伏となってしまう(なんのことはない、この問題でもすかさず民間のほうから明治以来の「官尊民卑」を助長しているのだ)。 わたしも含むわが国の愛煙家が、凄まじい「禁煙ファシズム」にさらされることになるのはそれからのことである。すぎはら・ゆきひろ 1951年、山形県生まれ。学習院大学大学院政治学研究科博士課程修了。音楽評論家。現在、学習院女子大学講師。著書に『蘇峰と「近世日本国民史」』『おもしろい歴史物語を読もう』、共著に『新・地球日本史1』、訳書にヴィン・シン『評伝徳冨蘇峰』、音楽評論家としての著書に『イチローと村上春樹は、いつビートルズを聴いたのか』などがある。

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    煙草シーン映画にR指定勧告 「若者の喫煙助長」は本当か

     映画が未成年者の喫煙を助長している――。2月1日、WHO(世界保健機関)が出した「勧告」が波紋を広げている。 WHOによれば、2014年に上映された米ハリウッド映画の44%に喫煙シーンが登場したほか、米国で喫煙を始めた青年の37%が、映画がきっかけだったとする調査結果もあるという。そこで、喫煙シーンのある映画について、「R指定」などの年齢制限を設けたり、放映前に“禁煙広告”を流したりする措置を取るよう各国に勧告したのだ。 これに対し、すぐさま全英映像等級審査機構が〈喫煙する場面を含むからといって、成人指定にする必要はない〉との見解を示すなど、反発が強まっている。日本でも賛否両論が渦巻いているが、ネット上のアンケート調査などを見ると反対意見が多数を占める。巷ではこんな声が聞かれた。 「シャーロック・ホームズも刑事コロンボも鬼平犯科帳もルパン三世もワンピースもみんな18禁にでもするのか。あり得ない話」(40代男性)「それを言い出したら殺人シーンも若者の残虐な犯罪を誘発するからと、すべてカットしなければならず、行き過ぎた規制だと思う」(30代男性) ツイッターでは【タバコを吸う海外俳優画像祭】というハッシュタグで、コロンボ役のピーター・フォークやオードリー・ヘップバーンほか多数の喫煙画像がツイートされる「反対運動」まで起きている。 「往年の名作には、たばこが表現の幅を広げる重要な小道具として使われたケースが多い」と話すのは、映画評論家の野村正昭氏だ。 「ハードボイルドの最高傑作と呼ばれた探偵モノの『ロング・グッドバイ』(1973)や、ウィレム・デフォーが戦場でたばこを吸う『プラトーン』(1986)など、画面にたばこが出てくる名作は無限にあって挙げきれません。 映画史上最高にたばこを効果的に使ったのは、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソン主演の『さらば友よ』(1968)でしょうね。ラストシーンで警察に連行されるブロンソンが咥えたたばこに、他人のふりをしながら無言で火を貸すアラン・ドロンの姿はとても印象的でした。こうしたシーンはたばこなくしては生まれなかったでしょう」 日本映画でも刑事モノやアクションシリーズ、時代劇などで、喫煙シーンは台詞をつなぐ「間」に使われたり、場面転換、煙による空間演出を表現したりするのに欠かせないアイテムだった。  ところが、近年の過度なたばこバッシングにより、作り手も委縮せざるを得ない状況に追い込まれている。大手映画会社の幹部が嘆く。 「昔の刑事モノといえば、捜査班のボスが事件解決後に決まって一服し、どうかしたら足で吸い殻を揉み消して颯爽と去っていくシーンもありましたが、今そんな作品を撮ったら大変です。 もちろん、敢えて荒唐無稽な作品にする必要はありませんが、合法でもあるたばこを使ったシーン自体がNGになれば、劇場の大画面だからこそ味わえる場面の深みや登場人物の感情表現、時代背景などの演出効果も薄れてしまいます。映画はわざわざお金を払って観に来てもらうもの。『表現の自由』を手放してしまったら終わりです」 映画評論家、野村氏もWHOの勧告は「まったくのナンセンスで、憲法で保障されている〈表現の自由〉の侵害にあたる」と断罪する。弁護士の中には、未成年者の「基本的権利」を奪うものだ――との指摘も出ている。 そもそも米国と同じように、日本の若者の多くが映画をきっかけにたばこを吸い始めるとは限らない。今から10年前に市場調査会社のマクロミルが発表した「タバコに関する意識調査」によると、喫煙を始めたきっかけのトップは「友人」(52.9%)で、「テレビ・映画」はわずか5.8%だった。 しかも、映画より身近なテレビやCMは、すでに自主規制の嵐が吹き荒れている。脚本家の倉本聰氏が〈まるで検閲のようにたばこの出てくるシーンを削除されてしまう〉と打ち明けているように、テレビドラマの喫煙シーンはめっきり見かけなくなった。 また、たばこ製品のテレビCMはとっくに消滅、嗜好品で残る酒類のCMも喉元を映して「ごくごく」という効果音を立てる表現を取りやめるなど、次々と制約が設けられている。それでもなお、若者に悪影響が及ぶというのか。 「表現の受け止め方は人によって違う。いくらカッコイイ主人公が紫煙をくゆらせたり、夜の酒場でウイスキーを煽ったりする映画を見続けたからといって、酒もたばこも一切やらない人はいる」 前出の40代男性が続けた意見はごもっともだ。2013年に宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の喫煙シーンを巡って物議を醸した際、当サイトでも経済アナリストの森永卓郎氏や生物学者の池田清彦氏らのコメントを紹介しながら、文化や芸術にまで介入する喫煙規制、多様性を認めない社会風潮について疑問を投げかけた。 WHOの勧告により再び論争が起きている今こそ、「表現の自由」の範疇はどこまでか、そして、映画やテレビ、CMにおけるたばこの規制強化は本当に必要なのか、改めて議論すべきだろう。関連記事■ 6割税金のたばこ 意外と知られていない国と地方ダブルの税■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ たばこ臭が嫌いな喫煙者 自分で吸うたびに歯磨き計1日20回■ 2010年に収穫されたばかりの高級たばこが数量限定発売中■ たばこ店店主 増税で大量まとめ買いした人に保存方法を伝授

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    京都市のおもてなし精神 寺社の景観損なわぬ喫煙所にも反映

     近年、条例にて路上喫煙の禁止区域を定め、違反者には数千円の過料を徴収する自治体が増えたため、街中の「たばこマナー」は格段に良くなったと評価する向きがある。確かに平然と歩きたばこをしたり、堂々とポイ捨てしたりするスモーカーは減った。 だが、当サイトでも度々報じてきたように、当たり前のマナーやモラルに関する規制やルールを強めれば強めるほど、日々の生活で息苦しさが増し、かえって反発を招くケースは多い。路上喫煙の禁止もそのひとつだ。 「私は外出するときには必ず携帯灰皿を持ち歩き、人通りの多い場所では絶対に吸いませんし、できるだけ灰皿が置いてある喫煙所で吸うようにしています。でも、最近は禁止区域ばかりですし、喫煙所を探すほうが難しい。 そこで、つい1本路地裏に入って、飲みたくもない缶コーヒーを片手にコソコソと吸ってしまうことがあります。たばこは大人に認められた嗜好品。路上禁煙にするなら、せめて要所に喫煙所を設けてくれれば、こんなに肩身の狭い思いはしなくて済むのに、と思います」(東京在住の40代男性喫煙者) こうした喫煙者の不満を汲み取り、非喫煙者との共存を実現させようと努力している自治体もある。国内外から年間5000万人以上の観光客が押し寄せる古都・京都だ。 12月7日、京都屈指の「紅葉の名所」として知られる高台寺(東山区)手前にある高台寺公園で、市内11か所目となる“公共喫煙所”のオープニングセレモニーが開かれた。 灰皿を囲うパーテーションには市内産の木材「みやこ杣木(ヒノキ)」が、丸太の腰掛けには「北山スギ」を使用した豪華なスペース。何よりも、大和塀をイメージしたという外観が周囲の景観に溶け込んでいる。 じつは京都市は8年前の2007年から「路上喫煙禁止条例」を施行し、四条河原町などの繁華街を皮切りに、多くの観光客が訪れる祇園・清水地域まで、段階的に路上喫煙禁止区域を広げてきた。守らない人には1000円の過料を徴収する「罰則」も設け、2012年には年間7000人もの徴収者がいたという。 しかし、京都市は取り締まりの強化だけを目的にはしていない。前出のセレモニーで門川大作市長は、「街の美化を含めた『おもてなし』の観光振興策は、京都の経済活性化や伝統文化の継承、さらには信仰心の向上にも繋がる。喫煙所の設置はその一環で、たばこを吸う観光客の要望も聞きながら美しい街づくりに取り組んできた結果、(条例制定から)8年で着実に成果を上げている」 と胸を張った。 つまり、さまざまな人々が訪れる古都独自の「観光ルール」を周知させるためのワンオブゼムというわけだ。外国人観光客に向けたパンフレット『京都ノ トリセツ』には、路上喫煙のほか、〈ゴミのポイ捨て〉や〈畳に土足で上がる〉〈無理やり舞妓さんの写真を撮る〉〈社寺で大声で騒ぐ〉など“あきまへん”行為が並んでいる。 京都市文化市民局くらし安全推進課の中井秀和氏が話す。 「初めて京都を訪れる人たちに、できるだけ早い段階で条例やマナーを知っていただくことが大事だと考えています。例えば、路上禁止区域は足元に大きな標識を貼るなど注意喚起をしていますし、喫煙場所が書かれた印刷物は駅や観光案内所のほか、多言語表記で関西国際空港など空の玄関口にも置いています。 喫煙所については、吸う方にとっては『もっと設置してほしい』との要望がありますし、吸わない方にとっては喫煙スペースを設けること自体に反対の声が出るなど多様な意見をいただきます。しかし、京都市としてはマナーを守りながら喫煙者も非喫煙者も気持ちよく過ごしていただけるよう街の環境づくりを進めていく考えです」 今回、当サイトでは高台寺公園のほか、清水寺へと続く坂の途中にある喫煙所、京都駅周辺に点在する喫煙スペース、繁華街の木谷町に流れる高瀬川沿いや京都府庁敷地内の喫煙場所などを視察した。 いずれも人の多いメイン通りからは1本外れた場所に構えられ、煙の流入を嫌う非喫煙者への配慮がうかがえる。また、高台寺公園同様、どこも街並みや社寺の景観を損なわない自然な作りになっており、外国人旅行者が一服しながら日本人に道を尋ねるなど、観光地特有の「憩いの場」としての役割も担っていた。 おもてなしの心にも通ずる“京都市モデル”の分煙推進策は、雁字搦めの条例を制定しても街のマナーや美化の改善に繋がらない自治体や、東京五輪を控えて観光客が増え続ける東京都の模範となるかもしれない。関連記事■ 喫煙所がガラガラに 某IT企業で効果抜群だった禁煙策とは■ 公園の受動喫煙裁判 判決は「非喫煙者が喫煙者から離れよ」■ 松沢成文氏が東京五輪に向け禁煙運動 地方の分煙対策に逆行■ 肺腺がんは非喫煙者にも多く発生 女性ホルモンとの関係研究も■ 神戸の中華街・南京町の分煙化の取り組み 客の9割が賛成

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    嫌煙権は人類を滅ぼす?

    肩身は狭くなる一方ですが、今年もまた嫌煙権をめぐる動きは活発になっていくのでしょうか。ということで、禁煙ファシズムについて考える第2弾は「嫌煙権は人類を滅ぼす?」。ちょっと大げさでしょうか(笑)。

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    ダンディズムを理解できない嫌煙権は人類を滅ぼす

    矢崎泰久(ジャーナリスト) コロンブスがアメリカから梅毒と唐辛子とタバコの三つを持ち帰ったというのが通説になっていますね。よけいなことをしてくれたのかもしれないけれど(笑)。アメリカ大陸で原住民が常用していたタバコをコロンブス一行が試してみたら、なかなかいいものじゃないかというわけで、その種を持ち帰ってきた。それでヨーロッパとか中国とかキューバとかでどんどんタバコが栽培されるようになったわけでしょう。 日本人も、ポルトガル人がタバコ吸っているのをみて、あれはなんだということで自分たちも吸うようになった。日本ってある種、「間の文化」じゃないですか。タバコを吸うのが一つのクッションになる。「間がもたない」という言葉があるように、座持ちとか間持ちとか、つまり間をとることを重んじる日本の文化にタバコが合っていたからこれだけ広がったんじゃないでしょうか。煙管(きせる)とか、煙草入れ、煙草盆といったようなタバコに関するグッズを考えてね。落語に煙管がよく出てくるくらいだから、タバコ文化というものが江戸時代にはすでに定着していた。 それが明治になると葉巻とかパイプ煙草が外国との出会いによっていっぱい入ってくる。西洋に追いつけ追い越せという文明開化が、タバコ文化においても日本を駆り立てた。葉巻やパイプ煙草を目の当たりにして、好き嫌いは別としてタバコ文化も西洋化していったという歴史があると思うんですよ。そういう文化的な背景を持つものを悪あしざまに罵ののしって、なきものにしようという風潮は救いようがない。 タバコというのはナス科の多年草で、収穫してからいったん乾燥させたあと、樽に詰めて熟成させる。このときに適度な湿度を与えるんです。このへんが微妙でね。だから、本来、湿度の高い日本にはタバコ文化はなかったはずで、完全に輸入文化なんですね。タバコのおかげで日本人は世界とつながることができたと言ってもいいんです。シガー派とシガレット派 タバコのみはシガー派とシガレット派に分かれますよね。紙巻タバコ(シガレット)ではなく、葉で巻いてタバコ本来のおいしさを楽しむシガー派。それからパイプですね。名人になると、一度パイプに火をつけたら、一日中消さないでずっと手にして、吸いたいときにフッと吸う。あのタイミングというか、コツというかね、これはもう一種の芸ですね。ぼくにはまねできない。趣味が高じてブライヤーの木の根を自分で彫(ほ)ってパイプをつくっていた友人もいました。 シガー派の友人は、朝起きてまず一本のシガーの吸い口をカットして火を点けて、それを一日中持ち歩いているわけです。そうして夜寝るときに最後の一服を吸って消す。アルミで出来ているケースに入れたりしてね。その葉巻も一本、何万円かしたりする。これって大変な贅沢ですよ。 あこがれをこめて言うんですが、パイプや葉巻を吸っている連中のほうが本格的なタバコのみだと思うんですよね。ぼくのような紙巻きたばこをスパスパ吸っているようなのはタバコのみとしては二流、三流ですね。手っ取り早いからどうしてもシガレットにいっちゃう。やっぱり葉巻やパイプを愛用する人たちはとてもダンディですね。そういう洒落た生き方というのは、本当に大事にしなくちゃいけない。 シガレット派でも、作家の野坂昭如さんとか、もうお亡くなりになったエッセイストで中国文学者の草森紳一さんは、両切りのピースしかのまなかった。それで、絶対に切らさないように、いわゆる「ピー罐(かん)」(罐入りピース)をいつも左手に持っていないと落ち着かなくて、持ったまま電車に乗ったりするんです。車掌や周囲の乗客に注意されるんだけど、電車の中で吸いやしないんだから。吸っていれば注意するのはわかるけどね。中毒といえば中毒なんだろうけど、それってすばらしいことだと思うんですよ。 野坂さんも草森さんも、誰かがフィルター付きのタバコを勧めたりすると怒り狂うんです。フィルターを付けてのむことすらタバコに対する冒瀆(ぼうとく)だと思っているから、許せないんですね。そういう人たちにとってはすごく生きにくい世の中になったわけだけれど、「傾(かぶ)く」というか、何かにすごく執着する生き方って、とても人間らしいと思う。そういうものを削ぎ取ってしまおうとするのは人類を滅ぼす感性です。伯父・物集高量(もずめ たかかず) 父親の義理の兄貴にあたる物集高量(もずめ たかかず)という国文学者で博打(ばくち)打ちの伯父がいたんですが、彼には三つ大好きだったものがあって、一つはタバコ、一つは博打、それから女。この三つを生涯手放さず、百六まで生きました。その当時は東京でいちばんの長生きだったから都知事が弔辞(ちょうじ)を読んだほどです。葬式ではぼくら全員でタバコを吸って見送りました。 ゴールデンバットを最低十箱は身近に置いてないと落ち着かないチェーンスモーカーで、目が覚めてから寝るまで、飯を食うときもタバコをくゆらせていた。それこそおならをすると煙が出るんじゃないかというくらい。そういう生き方をしていた人なんです。それでボケもせず長寿を全うしました。 競馬の馬券は自分で買わなければ当たらんと思っている人だから、百歳を超えて足腰が弱っても必ず自分で場外馬券売り場に出かけるんですよ。ついていってやろうとしてもうるさがるだけでね。ところが、爺さんだからモタモタしている。それで、締め切り近くになると後ろに並んでいる連中が焦(あせ)り始めるんですよ。「ジジイ、いいかげんにしろ」「モタモタするな」とか声がかかると、爺さんパッと振り向いてステッキを振り上げてね、「ジジイの後ろに並ぶな! そんなことじゃ馬券は当たらないぞ!」(笑)。そういう男でした。 亡くなる前の日でしたが、入院先の婦長さんから「おじいさんのことで話がある」と電話で呼び出されたんですよ。何かと思ったら、看護婦のスカートの中に手を入れて困っているから注意してくれって言うんです。百六のジイさんですよ。それはそれですごいことなんだけれど、奥さんも死んじゃって、私が後見人になっていたものですから、しかたなく、「もう少しうまくやれないのか」って説教していたら、看護婦さんたちが集まってきて、「いいのよ、私たちはぜんぜん平気だから」って言うんです。爺さんは年寄りと醜いものが嫌いで、きれいな若い娘(こ)には手を出すけれど、婦長には手を出さないから嫉妬しているだけだって(笑)。 その爺さんが、『百歳は折り返し点』(日本出版社)という本を書いて、これがものすごく売れてテレビでも取り上げられました。黒柳徹子さんが爺さんを気に入ってね、「徹子の部屋」にはレギュラーかっていうくらい何回も出演した。番組に呼ばれるとタバコを吸いながら古謡を唄うんですよ。これがまた上手(じょうず)でね。そのころは「徹子の部屋」でもタバコを吸っちゃいけないってことはなかったんですね。 いまのテレビは昼から夜までバカ番組ばかりですね。どうでもいいようなくだらない話をして、わざとらしくギャーギャー笑って。やってるやつもやってるやつだけど、観てるほうも観てるほうです(笑)。だけど、あれ誰もタバコ吸ってませんね。禁煙なんでしょうね、きっと。 映画もいまはタバコを吸うシーンが極端に少ないですよね。だけど、もしタバコがなかったら、たとえば『カサブランカ』という映画は成立しなかったと思うんですよ。ハンフリー・ボガートがタバコくわえてね、紫煙をくゆらせながらイングリッド・バーグマンと別れるあのラストシーンなんて、言ってみればタバコが主役です。宮崎駿さんもヘビースモーカーだから、『風立ちぬ』でもタバコのシーンをいっぱい描いていましたね。配給会社とか資金を出した連中は文句を言ったらしいんだけど、彼は押し通したわけでしょう。あの時代のあの雰囲気のなかではタバコは重要なモチーフなんだし、宮崎駿自身にとっても、絵を描き、ストーリーを考えるときに、タバコはなくてはならないものなんですよね。そういうことを単細胞な人はわかろうとしない。 映画監督でいえば市川崑さんがいつもタバコをくわえていましたね。彼は前歯が一本欠けていたから、ちょうどタバコがおさまる。だからくわえやすいし、そこに次のタバコを入れておけるんです(笑)。それで吸いたくなったらパッと火を点けて吸う。だから、いつもタバコが歯のまんなかから突き出ている。おもしろかったですよ。嫌煙権運動は体にわるい タバコのニコチンが認知症とか脳にいいといっている学者もいるんだけど、役者の小沢昭一さんが死ぬまでタバコをやめなかったのは、認知症が怖かったからなんです。母親が九十いくつまで生きたけど、大変な認知症で、彼はずいぶん苦労したんですね。だから、自分はボケたくないからタバコはやめないと言って、本当に死ぬまで手放さなかった。小沢昭一の葬儀のときは、百六で死んだ爺さんを思い出して、ぼくはお焼香のときにタバコを吸って、それをさして帰ってきました。害ばかりあげつらうんじゃなくて、いいほうに目を向ければタバコにもいろいろ効用はあるはずなんだけれど、でも、そういうこととは関係なくタバコは大切なものだと言いたいわけでね。 いちばん腹が立つのは、街を歩きながらタバコを吸っているときに近づいてきて「ここは禁煙です」って言うお節介なやつがいることですね。このあいだも環八沿いの人気(ひとけ)のない道で、ちょっと急いでいたんで歩きながらタバコを吸っていたら、ぼくとそう変わらない年配の爺さんが、「あなた、どうしてタバコを吸っているんですか」っていきなり言うんですよ。「ええ、タバコ好きですから」って答えたらそのジジイ、「私はそういうことを聞いているんじゃない。この場所でどうしてタバコを吸っているかと聞いているんだ」と怒っちゃってね。ぼくが「吸いたくなったから吸っている。ほかに何の理由もない。あなた、ぼくが吸いたくないのに吸っていると思っているんですか。好きだから吸っている。それについてあなたにとやかく言われる覚えはぼくにはありません」と言ったら「公衆道徳がわかっていない」とますます怒るわけですよ。 「公衆道徳というものについてあなたがぼくを説得できるならおやりなさい。お聞きしましょう」とタバコを吸い続けていたら、「すぐにやめてください!」ってヒステリーを起こしてね。老人だから、よっぽど暇だったんでしょうね。 ある大学で講演を頼まれたときに、壇上でタバコを吸ったんですよ、別に禁煙というわけじゃなかったから。そうしたら、不謹慎だって異議申し立てをしたやつがいましてね。だから、いや不謹慎かどうかは知らないけれど、ちょっとタバコを吸いたくなったので吸ったんでね、そのぶんあなたたちにとっては聞いてよかったなと喜んでもらえるくらいの話はしますよって静かに言ったんですが、そいつはそのあとしつこくうちの会社にまで来て、嫌煙権について記事を書かせろと言い出した。 「冗談じゃない、タバコを禁止するほうが間違いで、のむほうがまっとうなんです」と言っても、いかにタバコが悪いかを延々とまくしたてて帰らない。そのうち突然ひっくり返ったんです。びっくりして救急車を呼んで、そのまま入院しましたが、彼は「禁煙ジャーナル」とかいう雑誌を出している有名な嫌煙権運動の第一人者でした。そういう狂信的な嫌煙家が思いつめると突然倒れたりする。嫌煙権運動というのがいかに危険なものか、体に悪いかということです(笑)。喫煙室なんかで吸いたくない たしかにタバコが体質に合わないという人はいますよ。だからタバコがいやだ、嫌いだというのはかまわないんだけど、そういう人は、タバコをのんでいるやつを見たら近づいていって「タバコをのんでいただいてどうもありがとうございます」ってお礼を言うべきですよ。われわれは彼らよりずっと税金を払っているんだから、彼らの生活を助けているとは言わないまでも、少なくとも生活を支えてやっているんですからね。 すぐタバコの値段を上げようとするのも一種のイジメですね。これでも買うかと言わんばかりでね。高い税金をとっているんだから、タバコのみがどこでも吸えるように灰皿を用意するとか、駅には必ずタバコが吸えるような設備を整えるとか、タバコのみを大事にしなければいけない。そうでしょう。 このごろはけしからんことに居酒屋でも分煙なんてところがある。このあいだなんか、朝鮮焼き肉屋で分煙だといわれてね、のべつ煙を出しているくせに何を言うか、そんな店では食わないと言って久しぶりに怒って出てきました。タバコのみは隔離して勝手にタバコを吸わせておけばいいという基本的な勘違いがある。もののわからないそういう理不尽な人たちが嫌煙権を主張しているわけです。 だから、ぼくに言わせれば分煙なんかくだらないとしか言いようがない。コーヒーのチェーン店でも喫煙席と禁煙席とに分けて、いかにもいいことをしているかのような顔をしていますが、コーヒーを飲むのにタバコが吸えない席があること自体、もはや文化の破壊です。コーヒーにはタバコが欠かせないんです。チェーン店のコーヒーなんか飲もうとするからそんな目にあうんだ、なんて言うと、また嫌われますけれど。 タバコのみは空気のいいところでおいしく吸いたいわけですよ。汚れた空気のところで吸ったって少しもおいしくない。デパートや公共施設の喫煙室なんか、ほかのやつのタバコの匂いがするでしょう。いいタバコを吸っている隣でシケたタバコの煙を吸わされるのは不愉快です。 新幹線でも、ひかりには喫煙車があるんだけど、これがよくない。車両全体にタバコの匂いが染みついていて、ぼくのようなタバコのみですら、ドアを開けて一歩入ったらひっくり返りそうなほど気持ち悪い。 いちばんおいしいのは空気のいい野外、たとえば山なんかで吸うのがいちばんですね。都会だと大気汚染がひどいでしょう。平気で排気ガスをまき散らすうえに、花粉、PM2・5、黄砂、放射能……タバコより有害なものがいくらでもある。とくに排気ガスの恐ろしさはタバコの比じゃない。エンジンを一分吹かすだけで空気の汚染度はタバコ三千本分ですからね。タバコの煙なんて微々たるものですよ。 タバコのみの理想は、まず空気のいいところで吸うこと。いつでもどこでも吸えること。ここでは吸うなと言われるのがいちばん迷惑ですね、わがままかもしれないけれど、吸いたいときに吸いたいんだから。 麻薬撲滅なんていうけれど、麻薬そのものは本来、医薬品ですよね。だけど、タバコはそういう価値さえ認められない。タバコのみはただそれだけで迫害されて、狭い喫煙室に押し込められる。これだけ多くの人が愛好して吸い続けているのにはそれなりに理由があって、生きていることに直結した何かがタバコにはあるはずなんですよ。そういうものを一切かえりみようとしない。 カーボンナノチューブっていう炭素系の微粒な素材がありますが、これが人体にものすごく悪いんです。それを使った繊維でできている競泳用水着なんか、軽くて速く泳げるという効率だけを優先して身につけているうちに炭素が体に染み込んで、それこそががんにもなるだろうし、大変なことになる恐れがある。ところが、そういうものは企業や学校がバックについているから大きな問題にはならない。日本ではタバコだけが悪者になっているという印象が強いですね。「タバコをやめるか、脚を切るか」 ぼくは糖尿病で、医者に行くたびに「体に悪いからタバコをやめろ」とうるさく言われるんです。いくら体に悪いからって、ぼくはやめないんだから言うだけ無駄だって何度言い聞かせてもわからない。こんなバカも珍しい。いろいろ数値を出してきて、これはタバコによるものだと証明しようとするんです。たとえそれがそのとおりであろうと、ぼくには関係ないと言うと、「タバコをやめなければ壊疽(えそ)で脚を切ることになる。タバコやめますか、脚を切りますか。それこそが決断です」真面目な顔をして言うから、「それは脚を切るに決まっている。脚がなくなってもタバコは吸える」。そう答えたら、もうぼくとは口を聞かないっていうんですよね。俺だって口を聞きたくない。おあいこですよ。 イジメでもないんだろうし、向こうも商売だから好きなようにやればいいんだけれど、人間ドックで儲けるのはともかく、禁煙治療だとか、タバコがやめられるというような薬を売っている薬品会社とか、そういう嫌煙権運動に便乗して金儲けをしているやつがいちばん下劣ですよ。 ぼくの周囲で禁煙したりまた吸ったりしている優柔不断なやつらはみんな早死にしました。そういう根性のないやつはもともとタバコを吸っちゃいけないんです(笑)。嫌煙権運動をやっているのはタバコをのむ資格がない、もともとのんじゃいけない連中だからほうっておくしかない。 タバコというのは人類が発見した偉大なる文化です。「世界文化遺産」がどうとか騒いでいる割には、みなさんあまりにも文化に対する自覚がなさすぎる。体に悪いとか、煙が迷惑だとかいろいろ言うけれど、タバコがなければ人類もなかったというくらい重要なものだとぼくは考えているわけですよ。人間にとっていちばん大事なのは自由だと思うんですが、その自由が保証されるべきもののなかでも、喫煙はその最たるものです。タバコがなかったら、自分の人生は実に寂しいものだったと思う。きっとずいぶん違った人生になっていたでしょうね。 人間にとっていちばん害をなすのは「ストレス」だと思うんですよ。あらゆる病気はストレスからきている。少なくともぼくはタバコによってストレスは完全に解消されています。二十歳すぎてから喫煙を始めて、それから一度もやめたことはないから、かれこれ六十年以上タバコを吸い続けている。ぼくの健康と生き方を守ってくれているのはタバコじゃないかって、それくらいに思っているんです。やざき・やすひさ 1933年、東京生まれ。早稲田大学中退。1965年、伝説の雑誌『話の特集』を創刊し、95年まで30年にわたって編集長と社主を兼務。映画、テレビ、ステージのプロデューサーとしても活躍。『情況のなかへ』『編集後記』『変節の人』『口きかん―わが心の菊池寛』『「話の特集」と仲間たち』『あの人がいた』『人生は喜劇だ―知られざる作家の素顔』など多くの著書がある。関連記事■ 言葉狩りの次はタバコ狩り? (さいとう・たかを氏インタビュー)■ 嫌煙カルト教団と戦おう!■「全面禁煙」の攻防 法を凌駕する条例などありえない

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    嫌煙ヒステリーと禁煙ビジネスを斬る!

    にどうして会場を貸すのか」というクレームの電話がありました。まるで地下の秘密組織のような言い方です。禁煙ファシズムがひしひしと迫っているのを感じます。……評論家の西部邁さんは「ファシズムそれ自体が悪いわけではない。禁煙ファシズムではなく、禁煙ヒステリーというべきではないか」とおっしゃっていますが、確かに「ヒステリー」という言い方のほうが適切かもしれません。 加瀬 会場を見まわしますと、私と同じ後期高齢者の方々が盛んにタバコを吹かしておられます。おそらく皆さんも私と同じく十代のころからずっと吸ってこられたのではないでしょうか。それでもいまだに健康で喫煙していらっしゃるということは、タバコが体に悪くない、いちばんの証拠だと思います。 日本と同様、アメリカでも喫煙率が大きく減っているのに、肺がんは劇的に増えています。原因はタバコではなく、自動車の排気ガスでしょう。にもかかわらず、デトロイトの自動車産業が大変なロビー活動を行って、タバコを悪者に仕立て上げたというのが、アメリカにおいては定説になっている。 私はもう半世紀以上、千代田区に住んでおりまして、このあいだ区議会の環境文教委員会で路上喫煙禁止条例について意見交換をしてきましたが、屋外でタバコを吸うことを禁じている都市があるのは世界で日本だけだと思います。私は年に2回はワシントンに行きますが、アメリカは禁煙ヒステリーの先陣を切ってきた国であるにもかかわらず、屋外で吸うことはまったく問題にされていません。7年後の東京オリンピックには外国から多くの観光客も来るでしょう。屋外でタバコが吸えないと言ったら、世界のもの笑いになる。 確かに歩行喫煙は人にぶつかって火傷をさせるとか、ポイ捨ては掃除が大変だという問題があります。しかし、立ち止まって灰皿を持って吸うのを禁じるというのはおかしい。 いや東京だけではありません、韓国のソウルでも屋外喫煙は禁じられていますと言う方がいらっしゃったので、韓国のジャーナリストに聞いてみましたら、千代田区をモデルにして決めたことだと言っていました。韓国人は日本人は悪いことばかりしたと言いながら、こりずに悪いことを真似ているのは滑稽です。 実は私は映画のプロデューサーでもありまして、アニメ映画『風立ちぬ』の喫煙シーンに禁煙団体が抗議したと聞いて、わざわざ映画館に出かけましたが、映画としては本当につまらない作品です。皆さん、ご覧になるまでもありません。ゼロ戦の設計者の話ですが、それなら飛行機の設計製造に関しては後進国だった日本が、15年かそこらで世界一の戦闘機を作ったという事実を紹介するべきだし、アメリカやイギリスの飛行機をバッタバッタと撃ち落とすシーンがなければならないのに、それが全然出てこない。かせ・ひであき 1936年、東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業後、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長を経て、評論家として活動。海外での公演も多い。 それはともかく、設計図を引きながら灰皿にタバコが一杯になっていくとか、肺病の妻の傍で吸うとか、確かに喫煙シーンが多い。しかし、映画でもテレビでも、殺人、暴力、不倫の場面などはいくらでも出てきます。それには文句を言わず、なぜタバコだけを目の敵にするのか。 アメリカは1920年代に禁酒法をつくった国です。清ピユーリタン教徒が建国した国ですから、とにかくヒステリックなんです。アメリカでは、喫煙者だと生命保の掛け金はグーンと上がります。しかしドラッグ、マリファナ、これらを常用していても掛け金には全く影響がない。ラスベガスでのパーティで、ラスベガスは罪の都(シ ン・シテイ)であると中年女性が言っていました。博打と売春のことを言っているのかと思ったらとんでもない、カジノばかりか、レストランやバーでも自由にタバコを吸わせているからだというのです。アメリカでは、タバコを吸うことがいちばんの〝罪〟なんですね。 ここに『コンフォール 愛煙家通信』という雑誌がありますが、コンフォールというのは慰安という意味ですね。タバコは人に迷惑をかけない慰安です。いま、新聞やテレビが特定秘密保護法について大騒ぎをしていますが、私はタバコを吸い過ぎて会社の秘密や国家機密を漏らしたなんて話は聞いたことがない。タバコのせいで家に帰らず、夫婦仲が悪くなったなんて聞いたこともありません。酒の方が遥かに悪い。 私の吸っているマイルドセブンはメビウスという商品名につい先ごろ変わったのですが、JTの幹部に聞きましたら、タバコに「マイルド」という言葉を使ってはならないという国際世論があるからということです。しかし、箱を見たら、「エキストラライト」と書いてある。この表現はいいんでしょうか。そんなことを言い出したら、いま食材や産地の誤表記、虚偽表記などの問題が出ているし、銀座にエレガンスとかラブリーとかそんな名前のクラブがいっぱいありますが、これこそ「虚偽」の記述じゃないか。(会場笑)それに比べれば、喫煙者がマイルドと感じるのであればとくに問題はないのではないか。こうした禁煙ヒステリーは、社会が病んでいるということにほかなりません。 二木 肺がんの死亡率と喫煙の関連について補足します。1950年の喫煙率は85%。実にたくさんの人が吸っていたんですね。で、その年の肺がんの死亡者数は1119人。それから60年後の2010年の男性の喫煙率は36・6%で、肺がんで亡くなっているのは7万人。つまり、喫煙率が6割近く減ったのに対し、肺がんの死亡者数は60倍に増えている。これでどうして、タバコが肺がんの原因だと言えるのでしょうか。46万本のラークマイルド 倉本 ぼくは18歳から吸い始めて、いまも1日に3箱から4箱吸っております。確かに身体に悪い。朝苦しいけれど、それでも吸っている。いまのぼくにとっていちばん体に悪いのは「禁煙」という文字が見えることです。(会場笑)あれが本当にストレスをためます。くらもと・そう 1935年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、ニッポン放送入社。63年、脚本家として独立。TV ドラマ『前略おふくろ樣』『北の国から』、映画『駅 STATION』などの代表作がある。83年、富良野塾を開設。2010年、旭日小綬章受賞。 だいたい、アメリカ人をはじめ、どうしてみんな健康志向になってしまったのか。長生きして一体何をしたいのか、それがぼくには根本的にわかりません。何かをやりたいから長生きするというのはわかるんですが、ただ健康でありたいがために長生きするというのは、使いみちがないのに金を貯めるという拝金主義と同じ匂いがします。 以前もあるシンポジウムで、お医者さんたちが「たばこは百害あって一利なし」と口をそろえるので、まるで犯罪人のような気分になったことがあります。しかし、ぼくは21年間『北の国から』というドラマを書き続けました。それを支えてくれた原動力は、46万本のラークマイルドと1300本のジャックダニエルでした。それでも百害あって一利なしなのか。 ぼくは北海道の富良野で、Soh's BAR(ソーズ・バー)という店をやっているんですが、こんなに喫煙者が差別されるなら、逆に喫煙者が窓側のいい席で、禁煙者は悪い席。ぼくはそう差別します。 最初は喫煙者オンリーのバーにしようと思ったんですが、結局、分煙ということになった。それなら、禁煙席はマイナス三〇度の屋外で氷のテーブルと椅子にしようと言ったら(会場大爆笑)、それはやり過ぎだと。それでも、for miserable smoker(かわいそうな喫煙者のため)のバーとして、おかげさまで繁盛しております。 たばこ税が投入されているはずのJR北海道、JR東日本には、ラウンジすらありません。北海道は広いから、札幌から釧路まで列車で四時間から五時間かかります。その間、タバコを我慢することができないので、車で往復することになる。本当に当たり前のことが当たり前でなくなっている気がします。 きょうは喫煙自由な集まりですが、たとえば会議中にタバコが吸えないと、ぼくは間が持たない。みなさんがどうやって会社の禁煙に慣らされて、清く正しく生きていられるのかわからないというのが本音です。 だいたい、タバコのパッケージに「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」なんて、なぜ商品にこんなことを書かなくてはならないのか、ぼくにはわからない。このあいだもらったベトナムのタバコのパッケージには、がんに侵された肺の写真がドーンと印刷されていました。なんという不愉快なことをするのか。これは商売としておかしいのではないかと思います。 先ほどジブリの『風立ちぬ』の話が出ましたけれども、ぼくは、喫煙シーンはいくらでも書きます。そもそも書きながら吸っていますから。タバコを吸うシーンが多いから悪いというのは、「凶器である刀を差しているから時代劇はけしからん」と言っているのと同じで、水戸黄門も、大岡越前もすべてダメということになる。そんな批判をまともに相手にするのはばかばかしい気がします。 チャーチルとか、吉田茂とか、ハンフリー・ボガートとかが生きていたらどういう態度をとっていたでしょうか。アメリカは禁酒法を言い出した国だから、禁煙法もそのうちなんとかなるだろうと思っていたんですが、一向にやむ気配がない。カナダでは屋外でタバコを吸うのはかまわないが、そのかわり酒を飲むのは禁止されている。だから、打ち上げのときには、中でビールを飲んでは、外でタバコを吸う。それを繰り返しているうちに、どっちがOKでどっちがダメなのかわからなくなってしまった。まるでコメディですよ。 二木 新幹線には喫煙ルームというのがありますが、狭くて車椅子は入れません。配慮のつもりがまったく配慮になっていない。あの狭い所に押し込まれること以上に、そういう点にいちばん腹が立ちます。 列車と言えば、JR九州が「ななつ星」という豪華寝台列車を走らせていますが、一泊15万円から40万円という高額な料金を取っておきながら、車内はすべて禁煙なんですね。JTがお金を出して喫煙車をつくらせたらいいのではないでしょうか。セブンスター(七つの星)ということで。(会場大爆笑)だまされた日経新聞 須田 反喫煙の背後に何があるのかということをわれわれは正しく認識する必要があります。ヒステリックな動きや喫煙に関する無理解に加えて、反喫煙、禁煙が、利権やビジネスになっているという事情があるように思われます。すだ・しんいちろう 1961年、東京都生まれ。日本大学経済学部卒業。経済界記者を経てフリー・ジャーナリストに。執筆活動のかたわら、テレビ、ラジオの報道番組で活躍。『ブラックマネー』『下流喰い―消費者金融の実態』など著書多数。 禁煙外来というのがありますね。薬の処方を受けるのですが、これには健康保険が適用されます。保険の対象は当然二十歳以上です。ところが、これを未成年にまで広げてほしいという要望が製薬会社や病院から出ている。未成年が禁煙外来に通ってタバコをやめるというのはおかしいでしょう。親が強制的に喫煙をやめさせるのが当たり前です。 80歳を過ぎたおばあさんが禁煙外来にかかるというケースもあります。理由は、長生きしたいからだそうですが、いまさらやめてもあまり効果があるとは思えない。 こうした矛盾を見ると、やはり製薬会社や医師にとって反喫煙および禁煙が非常に大きなビジネスチャンスになっているとしか思えません。きょう会場にクレームをつけてきたような団体を動かすことによって、さらにそれを推し進めようとする意図が強く伺えます。 JR東日本は現在すべて禁煙になっています。ところが、JR東日本管内で例外的にタバコの吸える車両というのがある。それは寝台列車なんです。試しに乗ってみましたら、どこにも吸えるところがない。車掌に聞くと、ベッドメイクをする前ならば灰皿があり、吸ってもいいことになっているが、すでにベッドメイクされているので吸えませんということでした。納得がいかないので、布団を外して吸わせてくれと言いましたら、こっそり吸わせてくれましたが。 何故吸えるかといえば、飛行機との競争というビジネス上の理由があるわけです。飛行機は完全禁煙ですから、鉄道を利用すれば吸えますよということで差別化を図ることになる。八時間も十時間も禁煙を強いると、喫煙者の客が逃げてしまいますから。 関西圏の私鉄に目を向けると、たとえば近鉄には喫煙コーナーもあるし、喫煙車両もある。これなら車椅子の方々もタバコが吸える。なぜかといえば、やはりライバルが多いからでしょう。JR東日本がファシストのように禁煙を押しつけるのは、ライバル不在で、独占的なビジネスが行えているからという気がしてなりません。 加えて、禁煙学会の存在が気になります。先ほど話の出た『風立ちぬ』にクレームをつけた団体ですね。「学会」などと名乗っているから、いかにも科学的な研究をしている機関のように思われるけれども、彼らの主張には、科学的根拠のないものが多分にある。 日本経済新聞に、タバコの煙は中国で問題になっているPM2・5と同じ大きさだから危険なのだという禁煙学会の主張をうのみにした記事が出ていました。何もわかっていない。PM2・5というのはあくまで粒子の大きさのことであって、それ自体が何か病気を引き起こすものではありません。 日経という大新聞が、非科学的というより無知な主張をそのまま正しいこととして紙面をつくってしまった。「学会」という名前にだまされて、そういうことが起こるのです。禁煙学会は「学会」というようなものではまったくない。カルト集団です。こういう団体に対してアカデミックな科学的根拠に基づいた主張をしていくのがわれわれの使命だと強く思いますね。行政は民間の経営に口出しするな加瀬 日本の愛煙家が恵まれているのはタバコが安いことですね。アメリカでは一箱10ドルします。イギリスも高い。アメリカでは州それぞれが独自の法律を持っている独立国みたいなものですから、たばこ税の安い州から高い州に、マフィアがトレーラーで密輸するんです。ときどき、州境に検査官が立って取り調べをしています。 禁酒法時代の本を読むと、酒を飲むやつは、意志が弱いと書かれている。いまは、タバコがそれにあたりますね。タバコに対するアメリカ社会の締め付けは相当きつい。喫煙者というだけで就職にも影響します。 日本では、こんな素晴らしいシンポジウムが開けますが、アメリカではとてもできないでしょうね。ナチスのホロコーストを否定するシンポジウムなどをやったらそれこそ大変ですが、それに近いものがある。 河野洋平さんという、ちょっと頭のおかしい政治家が1993年に、韓国の主張する慰安婦問題を認め、謝罪したために、いま世界に誤解が広がっています。私がお金を出すから、ワシントンで慰安婦の客観的なシンポジウムを開かないかとニューヨークの著名な学者に提案したら、それはホロコーストを否定するシンポジウムのようなものだから無理だと言われました。東京のど真ん中でこういった集まりを行えるのだから、日本はいい国です。タバコを吸ってなぜ悪いなんていうシンポジウムはアメリカでは絶対できません。 倉本 中国の文化大革命のときの映画担当官というのが、中国では非常に有名な俳優だったのですが、美食はいけないと言われ、それならば生きているかいがないとズドンとピストル自殺をしてしまったことがあったんです。ぼくはそこまでは出来ないけれども、喫煙のままならない外国にはもう行きたくないから、パスポートを破り捨てました。それ以来一度も行っていません。やめられない人は意志が弱いというけれども、このご時世に吸っている人のほうが意志は強いと思いますよ。ぼくは、周囲で禁煙をした人間に、意志の弱いやつだなって言っています。 いつも泊まるホテルにタバコを吸えるラウンジがあるんですが、この前、ホテルマンが車椅子で鼻にチューブを入れたおばあさんを連れてきた。不思議に思って見ていたら、ポケットから煙草を出してチューブを外して吸い始めた。思わず拍手してしまいました。 須田 日本では条例によって屋外での禁煙が強制されている地域がある。これは、初めは受動喫煙に対するリスクを軽減するといったような理由ではなくて、千代田区の場合は住民税を払っている区民が少ないという特殊な事情の下で、路上に捨てられた吸い殻を清掃するコストを住民に払ってもらうには問題があるだろうということで路上喫煙を禁止した。その後、今度は受動喫煙防止ということで店舗やオフィスといった場所で禁煙が広がり、どんどん吸うところがなくなっていった。先ほどもお話がありましたが、外国では屋内は禁煙であることも多いのですが、屋外ではほとんど喫煙可能です。ニューヨークのセントラルパークでは吸えなくなりましたが、ただこの場合は、公園にペットを連れてきてはいけないとか、大音量の音楽を流してはいけないとか、それと同列なんです。他の人が迷惑に思うことは一律禁止。だから喫煙者が狙い撃ちされているわけではない。 またニューヨークにはプライベートな公園も多くあって、そこではちゃんと灰皿が置いてあって吸えるようになっている。もちろん歩道では吸える。日本で生活している人間の目から見ると、これは危ないのではないかと思うときもあるし、注意したくなるような場合もあるんです。 ヨーロッパでは喫煙文化が根づいています。フランスなんてとくにそうで、室内は禁煙でも、屋外はまったく吸ってかまわない。カフェも屋外席では吸えるわけですよ。つまり、どこでも吸えるので、喫煙場所はどこですかと聞いても、質問の意味を理解してもらえない。そういった意味では、日本の喫煙者は不幸な境遇に置かれていると思いますね。 自治体の対応について話しますと、神奈川県にしても兵庫県にしても、行政側は全面禁煙にもっていきたかった、しかし、旅館業界や飲食店業界とのせめぎ合いで現在の完全分煙という状況になっている。ところが、京都府で面白い動きが起こっています。京都府、京都市、そして業界団体が、喫煙者の観光客に対する配慮について協議した結果、「喫煙」「分煙」「禁煙」というステッカーを店頭に貼って、お客さんに入る店を決めてもらおうということにした。行政が民間企業の経営に干渉するというのはどう考えたっておかしい。だから、ほかの自治体も共存共栄で決着をつけた京都を見習うべきだと思います。 二木 世田谷区の下北沢でも、分煙、喫煙、禁煙、時間帯禁煙というステッカーを貼って、各店舗に任せている。行政とは関係なく、いわゆる「営業権」を保証して、喫煙者と非喫煙者が選択できるようにするのはいい試みだと思います。 須田 神奈川県の松沢前知事の実績を考えてみると、受動喫煙防止条例しかない。この条例は誰しも表立って反対できない、そういう進めやすい施策でしたから。 二木 面白いのは、これまで罰則が適用されたことは一度もない。過去のシンポジウムにもご登場いただいた弁護士の溝呂木雄浩さんが言うには、条例というのは、あくまで法律の下にあるものだから、もし受動喫煙防止条例違反で摘発されたら、それは営業権の侵害にあたる憲法違反である。それがわかっているから一件も違反事例が出てこないのだと。ところが、須田さんがおっしゃるように「自粛」といえば誰も逆らえない。ジワジワとタバコを吸ってはいけない空気を醸成してしまうのは非常に巧妙かつ狡猾なやり方ですね。 倉本 でもなぜ路上でタバコを吸ってはいけなくて、あれだけ排気ガスをまきちらしている自動車は通っていいんでしょうか。これがぼくにはわからない。あの排気ガスはタバコの煙の何百倍も害があると思いますよ。それを声高に言う人がいない。 須田 厚労省が昔、喫煙もお酒もガンになるという「喫煙と飲酒」という小冊子をつくったことがあるんですよ。ではなぜ、飲酒を制限するような法律ができないのか。それは、業界団体が非常に多くて、強いからなんです。タバコだと一社だからやりやすい。自動車についても、何社もの大メーカーが反発するから、法律を作れないという事情もあると思います。 加瀬 私も以前、携帯灰皿を持ってタバコを吸っていたら、吸わないでくださいと言ってきたおばさんがいました。それで、あなたは車に乗りますかと聞いてやった。もちろん乗るという。だから、あなたが自動車に乗らないというなら私も吸うのをやめましょうと言いました。どちらが有害だという話ですよ。喫煙者は警察に出頭すべし 二木 会場に千代田区議会議員で、もと区議会議長の小林やすおさんがいらっしゃいますので、お話をうかがってみたいと思います。その後、ご意見やご質問のある方がいらっしゃいましたら、発言をお願いします。 小林 石川(雅己)区長が十年少し前に、路上喫煙禁止条例を言い出したとき、区長自身はヘビースモーカーですから、私は不思議に思ったんです。問題はその当時の喫煙者のマナーでした。路上喫煙者が手にしているタバコの火は子供の目のあたりにきたりするから危険である、これは禁止すべきだというのです。これはそのとおりですから、千代田区議会全員で賛成したんです。私は秋葉原に住んでいるのですが、五年前はポイ捨てで非常に路上は汚かったのが、そのおかげでかなり改善されました。 しかし、現状をみると喫煙場所が明らかに減ってきて、屋内でも禁煙が増えてきた。そこで、私は議会の一般質問の中で、千代田区には39億円ものたばこ税が一般財源として入ってくる。その一割でもいいから、分煙施設を作るのに使ったらどうかと提案しました。賛同する議員も多いのですが、区長がウンと言わない。これについては今後も粘り強く頑張っていこうと思います。 ただ、喫煙施設をつくるには千代田区は土地が少ないという問題があり、また、私有地に灰皿が置いてあれば規制は出来ない。近隣の非喫煙者が迷惑しているということもあります。青空天井の喫煙所となってしまう。そうすると近隣の方に迷惑がかかってしまうということはあります。 それから、いろいろな方のお話を聞くと、受動喫煙がどうこうという人は、私の聞く限りそれほどいないのですが、やはり、匂いがいやだという意見が多い。排気ガスは大量に拡散しているんでしょうが、匂いはさほど気にならない。ですので、議員同士で相談しているのは、密閉式の喫煙所設置が出来ないかということです。 発言者A もし受動喫煙で人が死んでいるというのが本当なら、われわれは殺人者だということになる。何十人かそろって警察に出頭しようかと思っています。(場内爆笑) 発言者B JRには、たばこ税が投入されているのに、なぜタバコを吸えないようにしているのか疑問です。旧国鉄だけでなく、古い話でいえば満鉄の救済もしていることになると思うんですが。 須田 それは私もJR東日本に聞いてみたことがあるんですよ。そうしましたら、その税金は国鉄清算事業団に流れているのだから、JRは関係ないということでした。また、警察に自首するという話は冗談ではなく、そんなに危険なものだったら、麻薬のように法律で禁止してしまえばいいんです。そこの矛盾をついて行かなければなりませんね。 発言者C 千代田区でたばこ屋をやっております。千代田区には大勢のサラリーマンが集まります。税金を三十九億円も取られているのに吸うところがない。なんでタバコ屋さんはそのことをもっと区に強く言わないんだとお客さんからこぼされています。だけど、石川区長が何とも言うことを聞いてくれません。 仲間のタバコ屋さんがだんだん減って来て、コンビニに取って代わられていますが、六七・五%の税金が含まれているタバコを買ってくださっている喫煙者のみなさんはもっとお気の毒です。(会場拍手)長いものには巻かれろということなんでしょうか。なにかいいアイディアはないものでしょうか。 二木 まさに、いまの方がおっしゃったように長いものには巻かれないと、そういう気持ちを持ち続けたいと思っています。 やはりいまの禁煙ヒステリーは異常です。タバコがこれほど社会悪のように言われている状況で、少しでもそれに対抗する方法を考えていくのがこのシンポジウムの意義だと思います。ありがとうございました。関連記事■ 言葉狩りの次はタバコ狩り? (さいとう・たかを氏インタビュー)■ 嫌煙カルト教団と戦おう!■「全面禁煙」の攻防 法を凌駕する条例などありえない

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    「全面禁煙」の攻防 法を凌駕する条例などありえない

    牧島功 神奈川県議会議員 取材が始まるなり早速タバコをくゆらせる自民党神奈川県議の牧島功氏。1日でピースを50本吸うヘビースモーカーだという。 「ピースのタバコらしい香りがたまらない」と語る牧島氏は、昭和42年、小泉純一郎元総理の父・小泉純也元防衛庁長官の秘書として政治の道に入った。昭和50年に横須賀市議に初当選し、3期務めた後、昭和62年から神奈川県議会議員として活躍している。 平成22年、神奈川県は全国で初めて「受動喫煙防止条例」を制定。以来、一貫して問題提起を行っている牧島氏に、神奈川県の現状についてインタビューした。松沢知事の狙いは「全面禁煙」だった ――国が定めた「健康増進法」では、受動喫煙を防止する措置をとるよう求めていますが、この法律についてはどうお考えですか。 牧島 健康で長生きしたいと思うのは、誰しも同じ。国民の普遍的な願望です。そこに喫煙を組み入れていったから、タバコは健康に害があると考える人が多くなった。もちろん、そうでない人もいますが。 ただ、その絶対数が違いすぎます。非喫煙者が75パーセントで喫煙者は25パーセント。多数に決すれば、禁煙こそ望ましいということになるのも無理からぬ話です。だからといって、多数の意見が必ずしも正しくないことは歴史が証明しています。こういう議論になるのは、未熟な民主主義のせいだと思います。 ――未熟な民主主義とはなんでしょうか。 牧島 タバコを「文化」として議論せずに、害があるかないかという点だけで否定すること自体が未熟だと思います。多様性を認め合わないと、文化は成熟してきません。 ――神奈川県で全国に先駆けて受動喫煙防止条例(「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」平成22年4月1日施行)を定めた理由はどこにあったのでしょう。ずいぶん話題になりましたが。 牧島 提唱者の松沢(成文)前知事の狙いもそこにあったんじゃないでしょうか。最初にやればマスコミが騒ぐ。そういうことを熟知した人でしたから、パフォーマンスの一つだったんじゃないかな。 ――松沢前知事は〝全面禁煙〟にすることを目指していたようですね。 牧島 まず禁煙議論から始まり、最終的に受動喫煙防止法に落ち着きました。本人は最後まで「禁煙条例」と言っていた。そういう考え方の違い、文化価値観の差は、埋められるようで埋めきれません。お互い永久に平行線で、相手の言っていることが理解出来ない。その結果、「分煙」に行きついたのです。 ――議論を進めるなかで、牧島先生たちの活動を阻止しようという動きがあったのではありませんか。 牧島 批判の対象にされたのは事実ですが、議論を深め、より正常な形にしていっただけのことです。 ――どのように歩み寄ったんですか。 牧島 「分煙」にしたことです。禁煙にするくらいなら、国の法律でタバコを作ることも売ることもやめさせるべきです。国家としてタバコを文化として認め、製造も販売もしている以上、〝法〟を凌駕する条例なんてありませんから、禁煙などできない相談です。 文化観、価値観の違いは大きいですね。およそ500年も日本人に親しまれてきたタバコを文化と考えるのか、諸悪の根源と考えるのか。この両者が相交わることはありません。 議論が始まったときには非難や中傷、妨害が波のように押し寄せてきて、時には恐ろしささえ感じました。 このような二極化現象を引き起こしたのは、マスコミや評論家によって、タバコの害が針小棒大に吹聴されてきたためであることは否定できないと思います。普通の考え方が出来る人たちならば一笑に付す話なのに、あたかもタバコと肺がんに因果関係があるかのように広く喧伝されてしまった。何とも思っていなかった方々に、「子供に悪い」「健康に悪い」と洗脳して、タバコ嫌いな人を〝増幅〟させたことに問題があります。 ――平山論文が「受動喫煙は体に悪い。肺がんになる」と主張したのがそもそもの根源だという説があり、松沢前知事も、この論文に依拠したのではないかと思うのですが……。 牧島 肺がんと煙草の因果関係を立証できた人は誰もいないわけだし、吸う人は信じていないんじゃないでしょうか。でも、吸わない人にとってはあの論文は人に禁煙をすすめる、もしくは嫌煙派になる大きなきっかけになったかもしれませんね。 松沢前知事のやり方は世論を味方につける典型的な例だったと思います。圧倒的にタバコを吸わない人が多いですからね。でも、全国に広がらない。 ――山形県も「山形県健康づくり推進に関する計画(案)」で受動喫煙防止条例を制定しようとパブリックコメントを募集(平成25年2月4日~28日)したところ、949件中、943件が反対だったそうです。 牧島 二番煎じ、三番煎じではインパクトがない(笑)。それに、神奈川県の状況をみて喫煙者が声を上げるようになったんでしょう。極めて常識的な姿に戻ってきていると思います。条例見直しに向けて ――神奈川県の受動喫煙防止条例の附則には「知事は、施行日から起算して3年を経過するごとに、この条例の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」とあります。平成22年の施行から3年経ち、今年は条例見直しが検討されていると思いますが、どのような活動をお考えですか。 牧島 大きく分けて3つの課題があります。 1つ目は、受動喫煙防止条例が県民にどう受け止められているか。認知度、賛否の問題も含めて、もう一度検証すべきだと思います。 2つ目は、〝禁煙〟ではなく〝受動喫煙防止〟であることがどれだけ県民に認知されているか。よくあるトラブルなのですが、神奈川県でタバコを吸っている人を見るといきなり怒る人がいます。条例には学校、病院、商店、官公庁施設は禁煙ですが、飲食店、ホテルなどは「禁煙、または分煙」と定められている。決められた場所でタバコを吸うのはかまわないのですが、受動喫煙防止条例イコール神奈川全域禁煙と勘違いしている方がいる。これも問題なのです。 3つ目は、今まで条例の中に織り込めなかった「影響調査」をすべきだと思います。喫煙者数の増減、ルールの遵守状況などの調査が必要です。ルールの面では、かなり進展してきていると思います。私たち喫煙者はほとんど携帯灰皿をもっていますし、路上における喫煙はほとんど見られなくなりました。 また、飲食店やゴルフ場など、分煙や禁煙をしたことによって経済的な影響を受けた人たちの意見も吸い上げなくてはなりません。県は条例のマイナス面をなかなか認めたがりませんから。 いずれにしても、これまで罰金を払った例も、取ろうとした例もありません。結局、法的に機能していない。たばこ税で小学校が一つ建つ――現状では、受動喫煙という言葉だけが独り歩きしている気がします。 牧島 そもそも「文化」を通達によって規制しようということ自体に無理がある。精神文化として取り上げていけば、今日のように矛盾に満ちた問題は起きなかったと思いますが、いきなり条例で制定してしまった。 「公共的空間」「公共的施設」という言い方が一般の人たちにどの程度認識されているでしょうか。病院や学校、公園は公共的空間でしょうが、居酒屋さんを「公共的空間を有する施設」だと思っている人はほとんどいないでしょう。 ――神奈川県庁に問い合わせてみたところ、「今年の12月くらいまでに条例見直しの方針を決める」とのことですが、現実的な動きはどのようになりますか。 牧島 まずは審議会委員の選定です。ほかにも、どれだけの審議を重ねるべきなのか、喫煙所の数や税金などテーマ別の議論をどこまで広げるかを決めねばなりません。ただ、先ほど申し上げたように問題点ははっきりしていますので、それを提示していきたいと思っています。 また、たばこ税について国民的な共感と理解を得る必要性があると思っています。長い間、地方の財源の大きな柱としてたばこ税収益がいかに貢献しているかを国民は意外と知らない。これも一方的なタバコ撲滅論の一端を担っていると思います。神奈川県内の市町村分を合わせるとたばこ税収入は800億円近く。横浜市で280億円、横須賀市で25億円です。 ところが、一般税なので全体の大きな予算の中に組み込まれてしまい、具体的な金額が見えにくい。わかりにくいものは誤解を受けます。 たとえば、横須賀市の25億円は、小学校が新しく一つできるくらいの金額なんです。医療費にすれば、中学生までは全部無料になる。ほかには中学校までの給食費を負担する方法もあります。わかりやすく伝えることによって、たばこ税の貢献が見えてきます。いかに人々の生活に直結しているかということを周知すること、そしてタバコは「文化」だという認識を広く理解してもらうことが必要だと思っています。神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例   神奈川県ホームページ

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    言葉狩りの次はタバコ狩り?

    ――先生とタバコとの出会いをお聞かせください。  終戦後のもののないときに、母親が大阪から鹿児島までよく買い出しに行っていたんですよ。そして葉タバコを見つからないように体いっぱいに巻き付けて帰ってくる。闇で売るためです。それをちょろまかして吸うようになったのが最初ですね。小学校4年生のときだったから、10歳くらいかな。もうそんな時期から吸っていました。 タバコが店で売られるようになってからは「ゴールデンバット」を買うようになって、その後は「光」なんかも好きで吸っていました。いろんなタバコに手を出しましたけど、私が好きになる銘柄に限ってなくなる(笑)。最近は、少し前までは「プレミア・ワン・ボックス」、いまは「メビウス」の「ディースペック」を吸っています。 タバコと名のつくものはなんでも吸ってきたから、葉巻やパイプもやりましたよ。メキシコの「トレンド」という細巻きの葉巻が好きで、一時期よく吸っていました。いちばんよく吸っていたのは「ゴルゴ13」の連載が始まる3年くらい前ですかね(連載開始は1968年)。だからゴルゴが吸っている葉巻も「トレンド」なんですよ。 禁煙したことも2、3度あります。最初は18歳のとき。そのころストレートのジンばかり飲んでいて、飲みすぎたせいで血を吐いたんです。それで医者に止められて、しばらくやめていた。別に吸わなくても何とも思わなくなっていたんですが、二十歳のときに漫画仲間と3人で東京に出てきて、他の2人が吸うタバコの匂いを嗅いでいたらどうしても吸いたくなってしまって、また始めてしまった(笑)。そのあとも、まわりがどんどんタバコをやめていくのに乗せられて禁煙したことはありますが、続きませんでした。いまとなっては、もうやめる気はありませんが、そう考えると、もう60年以上も吸い続けているわけだね。 ――お仕事中もタバコをお手元に置いていらっしゃるのでしょうか。 いつも吸いながら仕事をしています。いまは1日に40本ほど吸っていますが、それでもずいぶん減りました。以前は、吸い終わったタバコの火で次のタバコに火をつけるようなチェーンスモーカーでしたから。 ――修正液をタバコで乾かしたりされていたとか。 よくやりました。急いでいるときにね。少しくらいの修正液ならすぐ乾くんです。ただうっかり原稿を焦がして描き直さなければいけなくなって、逆に時間がかかったこともありました(笑)。 実は、タバコをやめていたときに絵がおかしくなってしまったことがあったんです。周りから「絵がとげとげしくなった」と言われた。そう言われてみるとそんな気がして、これはタバコのせいではないかと思ってまた吸い始めてみたら絵が元に戻りましてね。そういう意味では作品の重要な要素に直接関わってくるわけですから、タバコは仕事道具の一つとして欠かせないものと言っていいでしょうね。 アイディアを練るときも常に吸いながらなので、タバコがないと気になって、アイディアどころではないでしょう(笑)。ただ、今日は体調があまりよくなくて、そんなときに吸うタバコはやはりあまりおいしくない。まさにタバコは健康のバロメーターといったところですね。海外にはもう行けません 禁煙・分煙化が進んでいますが、うちのプロダクションでも吸う人間と吸わない人間がいますので、2フロアある仕事場のうち、2階と3階で禁煙・喫煙を分けているんです。そうやって仕事場では吸えるんですが、移動のときは困りますねえ。 飛行機でタバコが吸えなくなったでしょう? あれから海外には行けなくなりました。10年前にハワイに行ったのが最後になりますか。そのころはまだハワイの禁煙事情もいまほどじゃなくて、ずいぶんゆるかった。ゴルフ場に灰皿がなくて、ここじゃタバコが吸えないのかと思ってキャディーに聞いたら「コースのどこでも吸えますよ」と教えてくれた(笑)。国によっては、レストランでタバコを吸おうと思ったら「外で食べてくれ」なんて言われたこともありましたが。 ただ、飛行機に乗っている長い時間をタバコなしで過ごすことはできませんから、もう海外には行きたくても行けなくなってしまいましたね。 国内の移動もなかなか大変です。タクシーなんか、喫煙できる車両も用意しておけばいいと思うんですよ。喫煙車とわかるように表示してね。 新幹線も東北新幹線は吸えなくなったから、先日、ホームでタバコを吸おうと思って喫煙スペースに行ったんです。狭苦しいところに追いやられて、しかも周りは女性ばかり。そんな中で吸うのは、あまりいい感じはしなかったですね。最近、女性には逆に吸う人が増えているんじゃないかな。よく見かけるようになりましたよ。 ただし、歩きタバコはしません。タバコを指に挟んで歩いているときの手の高さって、子供の顔の高さと同じでしょう。危ないからね。いつも携帯灰皿を持ち歩いて、吸いたくなったら道端で立ち止まって吸うようにしています。マナーは守らないとね。でも、移動のときになかなか吸えなくなってきたから、その分、吸う本数が少なくなってきたというのはありますね。 周囲でもやめる人がどんどん増えています。そういう裏切り者(笑)に限って煙をすごく嫌がる。医者には禁煙を勧められますが、「やめるつもりはない」とつっぱねるので、医者は苦笑いしています。 通院するときにいつも寄っている近くのレストランは、以前は喫煙席があってテーブルでタバコが吸えたんですが、このあいだ行ったら1メートル四方くらいの喫煙ボックスができていて、そこでしか吸えなくなっていた。 店の人に文句を言うと「検討します」と一応は答えるんですけど、変わらないでしょうね。本当にイジメられている気分です。喫煙者はもっと文句を言ってもいいのに、やさしい人が多いのかな、大人しく従っていますね。 文句を言っても逆に諫められてしまいますからね。「ゴルゴ13」は終わらない  ――先生の作品の中で、タバコは小道具としてどのような役割を果たしているのでしょうか。 間(ま)を取るものですね。小道具としてのタバコというより、タバコを吸っているシーンを挟むことによって、そこに流れる時間や空気感を表現しているんです。これは映画の手法と同じですね。もともと私が劇画を描き始めたのも、映画のようなものを描きたいと考えてのことでしたから。 だから、タバコを描くなと言われると困りますねえ。出版社からは「もう登場人物に吸わせないでくれ」とか言われるので、ある程度抑えていますよ。でも、扉なんかではどうしてもタバコを吸っているところを描きたいと思うことがある。そのときはあえて描くようにしています。まさかゴルゴに禁煙させたりしたらおかしい(笑)。 ――出版社から言われることもあるんですね。 言われますよ。一時期、〝言葉狩り〟というのがあったでしょう。時代劇が描きづらくなってね。「坊主」という言葉も使えない、「百姓」という言葉も使えない。たとえば、同業者で、女優の松山容子氏と結婚した棚下((たなか)照生(てるお)氏のいちばんのヒット作「めくらのお市」が出せなくなったんです。「めくら」という言葉がだめなんですね。 私にもそういうことが多々ありました。以前、「ザ・シャドウマン」という作品で、超人になるために真っ黒な姿になるというのを描いたら、それは「黒人蔑視だ」と言われてしまった。正義の味方なのにね。それで出版してもらえず、眠ったままになっています。 そう考えると「ゴルゴ13」がやれるのは不思議だね。ましてや国から賞までいただいたりして(さいとう氏は2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章受章)。 ――「ゴルゴ13」は今年で45周年。これほど長く続いている理由は何でしょう。 何でしょうねえ。もともと長く続けられるとは思っていなかったから、実は私も驚いているんです。ああいう作品ですから、話のパターンなんて、すぐに出つくしてしまうわけですよ。宝探しとか復讐とか追っかけとか、せいぜい10パターンくらいのものです。だから最初は10話で終了する予定で、最終回も用意していたんです。いまでも私の頭の中にコマ割りまで完璧に残っています。それがいつの間にかこんなにも長く続いてしまった。 「最終回用の原稿はすでに用意されている」なんてよく言われるみたいですが、それは連載の最初の時点で、すでにあったわけです。これからそれが掲載されるようなことはありませんけどね。連載の終了は考えていませんし、いまとなっては、やめるにやめられない。「ゴルゴ13」という作品は、すでに私の手を離れて読者のものになっていますから。 ただ、もともとゴルゴは私の一歳年上ということで描きはじめたもので、33歳の設定だった。だから本当はいま77歳になっていなければいけないんですが、彼は永遠に年を取らない。そういう矛盾はついて回ります(笑)。 ――「ゴルゴ13」は2度映画化されていますが、映画については、あまり好ましく思われていないそうですね。 世界を飛び回る話ですからね。漫画であれば簡単ですが、実写でちゃんとしたものを撮ろうと思うと制作費が莫大なものになる。そんなお金をかけるのなら、まったく別のものを撮ったほうがいいんじゃないか。私が撮るとしたら、映画のための新しい話を書いて、それで撮るでしょうね。 映画はいまも週に10本は見ています。ただ、最近の映画の多くは、見た目に派手だったり綺麗だったり、視覚的な部分にばかり重きが置かれていて、中身に乏しい印象がありますね。 ――「ゴルゴ13」の連載が始まった頃は、世界情勢として東西の冷戦が背景にありましたが、冷戦が終結したことで描きにくくなったということはありませんでしたか。 それは冷戦終結当時にもよく聞かれましたが、私にしてみれば、何を言っているんだろうという思いです。 当時の東西の対立は、それぞれのルールにのっとって行われていたんです。それが終わったことによって、逆に、ルールの裏側に隠れていた、より多くの問題が表面に噴出してきた。食糧問題や宗教問題、領土問題など、それこそ、それまで以上に描くテーマが増えてきたわけです。 東西の対立は読者にもわかりやすかったのに比べて、それらの問題は複雑なものが多くて、その説明をしなければならないという難しさはありますけれどね。これからも、まだまだ取り上げるテーマには事欠きません。漫画を大人のものに  ――「鬼平犯科帳」も20年にわたる連載となっています。池波正太郎氏作品の劇画化にはほかに「仕掛人 藤枝梅安」もありますね。池波作品を取り上げた理由は――。 私は池波正太郎さんの小説が好きで、どうしても劇画にしたいと考えていたんです。それで池波さんにお願いに行ったんですけれど、断られてしまった。映画化やドラマ化はしているのに、漫画はダメなのかとガッカリしました。 池波さんが亡くなってから、あらためて奥様にお願いにいったところ、あっさり「いいですよ」と許諾をいただけて、ようやく描けるようになったんです。 ところが、いざ描いてみると、これがなかなか難しい。やはり小説には小説でしか表せない部分がある。それを絵で表そうとすると、どうしても無理が出てくるんです。だから、これはもう小説を劇画にするのではなくて、小説をベースに私の劇画として描こうと。そうしていまのスタイルにたどり着いたというわけです。 気がつけば「鬼平犯科帳」も、もう20年続いているのですが、「ゴルゴ13」と長期連載を二本も抱えていると、なかなか新しいテーマに取り組めないのがちょっと残念です。とくに、「ゴルゴ13」の場合は調べ物をするのにすごく時間がかかるので、出版社からも「新しいものを」と言われることはありませんしね。 描きたいテーマで描いたのは「サバイバル」(1976~78。『少年サンデー』連載)が最後です。ただあれも、本当は大人の物語にしたかったのですが、連載していたのが少年誌ということもあって、主人公が中学生になってしまった。 ――先生は最初から大人向けの劇画を志向されていたのでしょうか。 そうです。かつて漫画は子供のものと言われていたんですが、一時期、貸本屋向けの漫画というものがあって、それはもう少し高い年齢層向けでした。私は貸本漫画を描きながら、漫画は大衆小説と同じようなジャンルになり得ると考えて、最初から青年向けのコミックを志向していました。 周りはみんな子供向けの漫画を描くべきだと言っていたのですが、私はある時期から、いちばん人口の多い団塊の世代を対象に定めたんです。この世代が注目を集めるようになったのは、彼らが大学生くらいになった七〇年前後でした。 大学生が電車で漫画を読んでいると、驚きとあざけりの意味を込めて話題になった時期がありましたが、それはそうですよ。この世代は子供のときに漫画を読み始めて、そのまま漫画から離れずに成長していったわけですから。大学生になっても、社会人になっても読んでくれる。 『少年マガジン』で「無用ノ介」という漫画の連載(1967~70)を始めるときに編集長から「少年マガジンを卒業していく大人に向けて描いてほしい」と言われたんです。それは非常にうれしかったですね。 ――劇画というジャンルと同時に、分業体制によるプロダクション・システムを確立されたのも先生でしたね。 私が東京に出てきたのと同時期に、30人くらいの漫画家が東京に出てきたんですが、そのなかで残ったのは私一人です。私自身、これほど長くやれるとは思っていませんでした。東京で事務所を開いたとき、私は数字にからっきし弱かったもので、神戸大学を出て会社員をやっていた兄貴に来てもらったんです。そのときも兄貴に「自分自身は10年持つかどうかわからないけれど」って言いました。いろいろな人に力を貸してもらって、ここまでこられた。 ――最近の漫画については、どのような目でご覧になっていますか。 〝音〟がわかりづらいですね。擬音で書かれた文字からどんな音がするのかが想像できない。それと、吹き出しかな。吹き出しの先がなかったりして、誰が話しているのかわからなかったりしますね。 ただ、それも時代なのかなと思います。これからはスマートフォンやタブレットなどで読むようなかたちに変わっていくんでしょうね。本というのは重くてとてもかさばるものですから。前に、本の重みで2階の床が抜けたというニュースがありましたね。だから電子書籍というのは非常に優れた媒体だと思う。 まあ、私の作品を電子書籍で読んでもらうのもいいんだけど、それだけじゃ面白くない。若い漫画家さんたちには、これからは、タブレットなどでどう読ませるかを考えてほしいですね。電子媒体に特化したものが出てきてもいいのではないでしょうか。私自身は、最近ようやく携帯電話を持たせてもらえるようになったくらいで、そっちの方面にはうといから、いままでどおりやっていきます(笑)。さいとうたかを(劇画家) 1936年和歌山生まれ、大阪府堺市育ち。本名・斉藤隆夫。17歳で描いた「空気男爵」でデビュー。上京後、仲間と「劇画工房」を結成。大人の鑑賞に堪えうる「劇画」を定着させ、1960年、分業制による「さいとう・プロダクション」を設立し、出版業にも進出 (のちの「リイド社」)。1968年連載開始の「ゴルゴ13」は、現在まで一回も休載することなく続いている。1976年に小学館漫画賞受賞。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章受章。

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    嫌煙カルト教団と戦おう!

    すぎやまこういち(作曲家)島地勝彦(エッセイスト&バーマン)「禁煙歴30回」 島地 先生はいつごろからタバコをお吸いなんですか? すぎやま ぼくは意外ときっちりしていて、満20歳の誕生日に最初の一服。それから62年間ずっと吸っています。いまは1日に3、40本くらい。とは言っても、軽いタバコだから、たいしたことないんだ。昔はずっと「缶ピース」を吸っていましたが。 島地 シガレットは缶ピースがいちばんうまいですよね。 すぎやま その前には、もっと強い「光」を吸っていたこともあります。若いころはキセルをいろいろ買って刻みタバコも楽しみました。あれもなかなかいいものですね。 島地 江戸時代からずっと日本で親しまれてきたものですから。 すぎやま 浮世絵で花魁が長いキセルをもってスッとたたずんでいる姿なんか、いいよね。 島地 ぼくは16歳からずっと吸っています。親父が学校の先生をしていたものですから、隠れて押入れとかで吸っていたんですが、見つかるんですよ、匂いで。 すぎやま そりゃあ、見つかるよ(笑)。 島地 親父は明治の男だから、いつものようにぶん殴られると思っていたら、「男は隠れて吸うな。堂々と吸え! うちでは許す」って言われた。親父は「ホープ」を吸っていて、母親に買ってこさせるんだけれど、そのとき「ぼくも!」って頼んで吸っていました(笑)。高校時代、まわりもみんな吸っていましたよ。大人への好奇心みたいなものなんでしょうね。 すぎやま 大人になる儀式ですね。 島地 お酒はお飲みにならないんですか。 すぎやま ダメなんですよ。たぶんアルコール分解酵素欠落症だと思います。日本人の3割はアルコール分解酵素がないらしいですからね。ロシア人なんかだと99パーセントが分解酵素を持っているらしくて、持っていないやつらはシベリアでとっくに死に絶えているという話もあるくらいです(笑)。 島地 二十歳からずっと吸っていらっしゃっても健康で、大病はされてないんでしょう。 すぎやま 手術したのは盲腸だけですね。盲腸じゃ病気の数のうちに入らない(笑)。あるインタビューで、「先生は80歳を過ぎてもお元気ですね。健康法は?」と聞かれて「喫煙」と答えたら、インタビュアーが固まった(笑)。 島地 ニコチンと糖分は脳の栄養になる。順天堂大学の奥村康先生が力説していらっしゃいました。  シガレットを27歳でやめたのはなぜかというと、ぼくは編集者で〝紙〟を売っているから、紙を燃やすというのにちょっと釈然としない思いがあったから。それに、味がケミカルですよね。柴田錬三郎先生に葉巻とパイプを教わってから、そっちに移ってしまいました。先生は葉巻やパイプはやらないんですか。 すぎやま 吸ったことはありますけれど、持ち歩きはシガレットのほうが楽なものだから。紙といえば、戦後、吸殻をバラして葉っぱを取り出して、買ってきた紙で巻いてみんなが吸っていたのを覚えていますね。 島地 大人がそうやっていたのを見ていらっしゃったんですね。辞書の紙で巻くと味がよかったらしいですね。 すぎやま 辞書の紙は薄くていいんですよ(笑)。親父もヘビースモーカーだったし、祖父も吸っていたから、自然にぼくも吸うようになった。 でも、タバコを吸っていた人がやめると、逆に健康に悪いみたいですね。『ドラゴンクエスト』の作者の堀井雄二さんは、タバコをやめた時から瞬く間に体重が5、6キロ増えて、「また吸おうかなぁ」って言っていますよ。 島地 成人病になってしまう。 すぎやま それでまた思い直して禁煙して、体重が増えて、また吸ってということを繰り返しているので、彼は「禁煙歴30回」といばっていますよ。そんなもの、いばれるか(笑)。 島地 「トム・ソーヤ」の作者マーク・トウェインは「私は100回禁煙した」って言っていたそうです(笑)。自分でバスのパートを歌いながら 島地 先生の音楽は独学だとか。これはすごいことですね。音楽学校に行こうとは思われなかったんですか。 すぎやま 行きたいとは思いましたが、どこの音楽大学もピアノの試験があって、ぼくは弾けないからあきらめました。でも、音楽大学で習う作曲法というのは〝文法〟のようなものです。文法だけ習ってもね。 島地 作曲も文章も感性ですからね。 すぎやま 子供のときから自然に覚えた言葉、つまり〝ネイティブ・ランゲージ〟がいちばん身についているわけです。音楽でもそうだと思う。 島地 先生の若いころはSPレコードの時代ですか。SPは収録時間が短いですよね。 すぎやま せいぜい片面3分ですね。 島地 では交響曲などは何枚にも分けて収録するわけですね。 すぎやま 鉄のない時代ですから、竹針でした。 島地 音はやわらかそうですね。 すぎやま でも、すぐすり減ってダメになってしまうんです。すり減ったら、竹針用のハサミで切って、またはめてサウンドボックスでねじを巻いてかける。再生できる周波数帯域が狭いので、低いコントラバスの音なんか出ない。 もののない時代でしたが、父親も好きでしたから、当時住んでいた荻窪の駅前にあった「月光堂」というレコード屋に、戦争で焼け残った反物を持ち込んで、物々交換でベートーヴェンのシンフォニー6番、7番のレコードを手に入れてきてくれた。いまだに覚えていますよ、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団。 でも、コントラバスの低音が出ないから、借りてきたスコアを見て、コントラバスのパートは自分で歌って補うわけ。ラドドドドドソドラシソ……って。そのうちに「こういうハーモニー進行だったら、ベートーヴェンならこうする」というのが肌でわかるようになった。大学の音楽理論の本を見たら「バスのパートをつけよ」という例題が出ていたので、ベートーヴェンならこうするだろうと思ってつけてみると、ピタリ正解だった。古典派から近代音楽に至るまで浴びるように聴いたのがいちばんの勉強になったと思いますね。 島地 音楽のシャワーですね。 すぎやま 文法ではなく、ネイティブ・ランゲージです。だから、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドンからはじまって、ブラームス、チャイコフスキー、バルトーク、ストラヴィンスキーの近代に至るまで、すべてのクラシックの巨匠がぼくの先生です。 近代音楽に触れたのは戦後になってから。WVTR、のちのFEN(現AFN)という進駐軍向けのラジオ放送があって、Vディスクという軍用のビニール盤のディスクを使っていたんです。そのすり減ったのがPX(米軍基地内の売店)から放出されてジャンク(スクラップ)屋に出てくる。戦時中の日本は国際著作権条約から除外されていましたから、日本のレコード会社は近代音楽のレコードを出せなかった。だから、ジャンク屋に流れてきたVディスクを必死に探して、プロコフィエフの交響曲第5番の第四楽章の出だし3分が入ったディスクを見つけて、擦り切れるほど聴いたのをいまだに覚えています。 島地 ご自身で作曲されるようになった直接のきっかけは何だったのですか。 すぎやま 中学3年のころ、隣に当時の東宝交響楽団(現在の東京交響楽団)の常任指揮者だった上田仁さんのいとこが住んでいた。上田さんが来られたときに会いに行って、「オーケストラの指揮者になりたいんです!」と言ったら、「いいねぇ。ところできみ、ピアノは弾けますか」「かけらも弾けません」「あきらめなさい」って(笑)。でも、「作曲家なら可能性があるかもしれない」と言われた。それがきっかけですね。 上田さんは抑留されていたシベリアから日本に引き揚げるとき、コートのなかに近代音楽のスコアを隠し持ってきて、それで「本邦初演」をなさったんです。ぼくも喜び勇んで聴きに行きました。そのときのオーケストラのコンサートマスターが黒柳徹子さんのお父さんの黒柳守綱さん。感動して、夢遊病者のようになりました。 島地 生で聴く音は違いますからね。 すぎやま 全然違いますよ! 同じ料理でも、缶詰で食べるのと、できたてのものを食べるのとは違う。それと同じです。 島地 どんなに録音技術が進歩しても、肉声や生の楽器の音には、かなわない。 すぎやま 左右だけではなく後ろにもスピーカーをつけたり、サラウンドにしたり……いろいろ工夫してどうがんばっても、現場の臨場感にはかないませんね。オーケストラ演奏は音楽のごちそう すぎやま ぼくは完全に理系で、文系の学科が苦手だったので理科2類を受験しました。 島地 作曲と数学には似ているところがあるのではないでしょうか。 すぎやま 作曲も演奏も数学的なセンスや頭脳の働きが必要だと言われています。音楽はどちらかというと理系ですね。とくにオーケストラのスコアを書くには理系の頭が必要です。メロディは言ってみれば家の間取り図ですから、アマチュアでも書ける。でも、オーケストラのスコアを書くのは立体的な青図をつくる作業。これはプロの仕事です。理系の感覚と音楽に対する感受性は車の両輪で、どちらかが欠けてもダメでしょうね。 島地 三枝成彰さんは、ベートーヴェンの第一から第九まで、毎年大晦日の昼の1時から夜12時までこの10年間、ずっとやっているんです。 すぎやま そうそう! 体力あるなぁ。 島地 ベートーヴェンの原曲をマーラーが編曲したものがあって、それは20分くらい長いんです。深刻にして、マーラーっぽい(笑)。しかも、楽器が倍くらいあってステージいっぱいにズラーッと並ぶ。 すぎやま マーラーは編成が大きいからね。音楽史的にみると、音量を大きくするのに電気という手段がなかった時代の最後くらいですから、電気のかわりに人数を増やして音量を大きくした。 島地 ベートーヴェンの時代は、ロウソク代にいちばんお金がかかったらしいですね。客席は暗くてもいいけれど、譜面を見るために舞台ではたくさんのロウソクを使わなければならない。あとから届いた請求書を見てベートーヴェンは卒倒したらしいですよ(笑)。電気って、大変な発明だったんですね。 すぎやま でも、電気を通さないオーケストラの生演奏の魅力は捨てがたい。 島地 いま、エレキとか電子楽器が全盛ですけれども、生のオーケストラと電気を使ったパフォーマンスとはそれぞれ別の魅力があるんでしょうね。 すぎやま ドラムス、ベース、ギター、キーボード、サイドギターくらいの構成でけっこう大きな音が出せる。あれは言ってみればハンバーガーのようなものだと思うんです。パンとソーセージとレタスなど5種類くらいで出来てしまう。けれども、世界中で売れる数といったら膨大なものでしょう。だから、ハンバーガーにもそれなりに社会的な意味がある。 それに比べて、シンフォニーオーケストラは20数種類の食材を組みあわせた、フランス料理や懐石料理のフルコースにあたりますね。ハンバーガーに比べれば、消費される量ははるかに少ないかもしれないが、値打ちはすごくある。 オーケストラコンサートの時、お客さんに「ロック・ミュージックはハンバーガーのように社会的な意味があるものだけれども、オーケストラの生演奏を一度も聴かないで一生を終えるのは、本当のごちそうの味を知らずに一生を終えるのと同じだ。もったいないでしょう」と言うんです。オーケストラは、音楽の中でいちばんのごちそうだと思っています。禁煙運動と慰安婦騒動 島地 先生はご自分で運がいいとおっしゃっていましたが。 すぎやま 運は強いですね。空襲で学童の列に機銃掃射を受けたけれど、ぼくには当らなかったし、焼夷弾を迎え撃つ高射砲が空中で破裂して2、3センチの肉厚の鋼鉄が空から降ってくるのにも当たらずにすんだ。 文化放送に入社したタイミングも、カソリックの経営から株式会社に変わるときに途中入社の試験があって、それにうまい具合に通って入った。 子供のころからいろんなゲームをやっていたから、いつかはゲーム音楽に携わったとは思いますが、それが「ドラゴンクエスト」だったというのも運がよかった。いいゲームにあたりました。これほど大ヒットするとは思わなかった。 島地 強運ですよ。人生って、運と縁だと思います。ぼくは、就職難のころに当時あまり有名じゃなかった集英社を受けて、1500人の応募者の中から選ばれた9人の中に入ったおかげで編集者になれた。難関を突破するのは、運と縁以外の何ものでもない。 柴田錬三郎先生が『週刊プレイボーイ』で人生相談の連載をすることになったのはいいが、「眠狂四郎」で一大ブームを起こした飛ぶ鳥落とす勢いの流行作家ですから、みんな怖がっていた。それで新米のぼくが志願して担当になったんです。これも運だと思う。その柴田先生の紹介で今東光先生にお会いすることもできました。 今先生はお坊さんだから、唯物史観を嫌がるわけです。むしろオカルティック。「お前は俺に会えたという運がある。この運をもっと強めるには、俺の墓に参ればいい」と、生前からご自身で設計して建てていた墓を見せてもらいに、上野寛永寺に3カ月に1回くらい行っていました。「俺が死んだあと、お前が寂しいとき、困ったときには必ずこの墓に来い。応援してやるからいつでも遊びに来い」って、まるで「家に遊びに来い」とでも言うような調子でおっしゃるんです。ぼくはいまでも新刊を出すたびにお墓に供えています。 すぎやま 唯物史観にはぜったい反対。ぼくの考え方の出発点はフランシス・ベーコンの「実証主義哲学」。そこから科学技術が発展していった。事実をもとに判断する理系の人間から言わせれば、共産主義はまったく間違っている。宗教の教義と同じで、「こうあるべきだ」という「べき論」だから事実とかけはなれてくる。 その典型が、メンデルの法則が共産主義に合わないからといって、ルイセンコが提唱した遺伝学です。これは「事実」ではなく共産主義の教義にもとづいた学説です。ソビエトがそれを採用したら、農作物がダメになって大凶作になった。メンデルの法則は事実にもとづく科学で、ルイセンコ学説は教義です。 いま従軍慰安婦の問題で日本が非難されていますが、事実をもとに判断すれば、慰安婦の強制連行なんかなかったことは明らかです。戦時中に日本の軍部がだした「陸支密受第2197号」という公文書が、国会図書館に保存されています。それを見ると、「慰安婦になることを強制してはならない。強制したものは処罰する」という通達を出していることがわかる。実際、婦女子を連行して慰安婦に売り飛ばした不届きな業者が処罰されたという当時の新聞記事が残っているんですよ。それが当時の日本の軍部と政府の姿勢を示す物的証拠です。強制連行なんかするわけがない。従軍慰安婦問題はまったくの虚構です。 〝南京大虐殺〟にしても、物的証拠をもとに判断すれば、そんなものはなかったことがはっきりわかる。南京に進駐した日本兵で、当時では珍しく8ミリの撮影機をもっていたお金持ちのボンボンが、進駐後の南京の様子を撮影したフィルムがあるんです。その映像を観ると、路上で床屋に髪を刈ってもらっている日本軍の兵隊とか、買い物に行く親子の姿とか、南京城内の景色はまったく平和そのもの。これが物的証拠です。そもそも当時人口20万と言われていた南京で30万人殺したなんてバカな話があるわけがない。 島地 明らかに中国のプロパガンダですね。嫌煙派ヒトラーよりチャーチル すぎやま 喫煙に関しても、嘘がまかりとおっている。いまよりも日本の成人の喫煙率がはるかに高かった昭和30年代に比べて、いまは喫煙率が減っています。ところが、肺がん発生率は逆に増えている。その統計データをみても、タバコが肺がんの原因であるとはとても断定できない。タバコと肺がんはまったく逆相関と言ってもいいんですよ。 アメリカの禁煙団体は病院で肺がん患者を調べたら喫煙率が高かったというリポートを医学界で発表していますが、これは全米に5000以上ある病院のデータのなかから、自分に都合のいいデータを選んでいるわけです。でも、日本全国の喫煙と肺がん発生率のデータや県別データはごまかしがきかない。だから日本のデータを信用すべきだと思います。 島地 いまの禁煙ブームを見ると、マフィアを生みだした1920年代のアメリカの禁酒法を連想しますね。世界で最初に禁煙条例を出したのはナチスですが、一方、敵だったイギリスのチャーチルは、〝チャーチルサイズ〟の大きな葉巻を1週間で100本吸った。彼は九十歳一カ月まで生きました。ぼくはヒトラーよりチャーチルのほうを信じますね。1週間に100本なんて、朝起きてから寝るまで吸い続けていないと吸えませんよ。ぼくなんて1日に3本くらい。すぎやま こういち1931年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒業後、文化放送、フジテレビのディレクターをへて作曲家に。ザ・タイガースをはじめ多くのアーティストのヒット曲を手がける。1968年以降、「ドラゴンクエスト」全シリーズの作曲を担当。喫煙文化研究会代表。交響組曲「ドラゴンクエスト」コンサートを各地で開催中。しまじ かつひこ1941年東京生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』ほかの編集長をつとめ、現在はエッセイストとして活躍中。喫煙文化研究会会員。著書に『アカの他人の七光り』(講談社)『はじめに言葉ありきおわりに言葉ありき』(二見書房)『迷ったら、二つとも買え!』(朝日新書)ほかがある。現在エッセイスト&バーマンとして活躍中。

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    禁煙ファシズムにモノ申す

    世の中どこへ行っても禁煙、禁煙…。受動喫煙による健康被害だの、ポイ捨てが環境美化を損ねるだの、タバコの害悪はもう耳にタコができるほど聞きました。きっと喫煙者にも言い分はあるんでしょうけど、それすら許されない。でもそれって言論封殺と同じだと思いませんか?