検索ワード:禁煙ファシズム/26件ヒットしました

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    タバコはクルマよりも危ないらしい

    他人のタバコの煙を吸い込む「受動喫煙」によって肺がんや脳卒中などで死亡する人は、国内で年間1万5千人に上るという推計を国立がん研究センターが発表しました。車に起因する交通死者をも上回る驚きの数字ですが、このデータ、本当にどこまで信ぴょう性があるのでしょうか? 

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    「受動喫煙」説のいかがわしさを突く

    』(非売品、2003)84ページ。(46)前掲第二次たばこ白書、58─59ページ。(47)斎藤貴男「禁煙ファシズムに物申す!」(『中央公論』2008年1月号)。(48)前掲第三次たばこ白書、72ページ。(49)同右、84ページ。(50)繁田正子「肺癌検診関係者や日本肺癌学会はタバコとどう対峙すべきか」(『肺癌』49巻1号、2009)113─21ページ。(51)斎藤貴男『国家に隷従せず』(ちくま文庫、2004)164ページ。(52)禁酒法の歴史については Mark E. Lender and J.K. Martin, DrinkinginAmerica(N.Y,1987),岡本勝『禁酒法』(講談社現代新書、1996)を参照。(53)『インテリジェンス・ウイークリー』10年3月22日号(出典はGentlemen QuarterlyFeb. 2010)(54) 前掲宮田、193ページ。原典:秦郁彦『病気の日本近代史』(2011年・文藝春秋刊)第七章「肺ガンとタバコ」。なお、原著の記述は2009年前後のデータに基づいているため、著者の了解を得て最新データに変更しています。

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    喫煙主因に年600万人死亡! 世界に広がる禁煙の波

     長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) オーストリアの次期大統領に選出された「緑の党」前党首、アレキサンダー・バン・デ・ベレン氏(72)は愛煙家で知られている。同氏の歯は長年の喫煙で黄色くなっている。同氏がホフブルク宮殿の大統領府の主人となることが判明すると、大統領府は早速、大統領専用の喫煙室を設置する計画を進めているという。 環境保護を党綱領の最初に掲げる「緑の党」出身者が愛煙家という事実について、「言行不一致の典型的な例だ」と声を大にして詰問するつもりはないが、やはり少々まずい。  先月31日は‘World No Tobacco Day'だったが、国連の情報によると、年間、世界で600万人がタバコ、喫煙が主因で死亡しているという。喫煙する人の健康だけではない、その周囲の家族や子供たちの健康にも悪影響(受動喫煙)を及ぼすことは医学的にも知られていることだ。   当方は冷戦時代、多くの反体制派活動家と交流してきた。その一人、チェコスロバキア(当時)のバスラフ・ハベル氏は反体制派活動家で通算5年間、刑務所生活を体験し、民主化後、大統領に選出された人物だ。そのハベル氏は1日2箱のタバコを喫煙していた。残念な事実だが、同氏はその後、肺疾患で亡くなった。長年の喫煙が原因だったことは間違いないだろう。  また、中国の著名な反体制派活動家の魏京生氏は文字通り、ヘビー・スモーカーだ。休みなく紫煙を上げていた。当方がウィーンで同氏とインタビューした時も、煙の隙間から同氏の表情を伺ったほどだ。同氏は通算18年間、収容所生活を送っている。  ハベル氏と魏京生氏は、国は異なるが刑務所生活を体験している。喫煙以外の楽しみがなかった。多分、彼らは紫煙の行方を追って慰めを感じていたのだろう。当方は彼らの喫煙癖を批判できる資格はない。 バン・デ・ベレン氏の場合、父方の先祖はオランダ人だったが、モスクワに移住した。しかし、1917年、ロシアにボルシェヴィキ政権が誕生すると家族はエストニアに亡命。エストニアが1941年、旧ソ連共産政権に併合されると、ドイツに逃げ、そこからオーストリアのウィーンに亡命した。しかし、ウィーンにも旧ソ連赤軍が迫ってきたため、チロルに逃げている。  第二次世界大戦終焉直前に生まれたバン・デ・ベレン氏がいつ頃から喫煙するようになったか知らないが、「大統領府に入ったら、喫煙を止める考えはあるか」という記者たちの質問に返答をぼかしてきた。やめる気はないのだ。  バン・デ・ベレン氏は亡命者家族の息子として身につけた世界観、人生観と同様、喫煙癖も最後まで捨てられないだろう。同氏は大統領選で勝利が決定すると、「ホフブルク宮殿の主人となった以上、全ての国民の大統領を目指す。『緑の党』の党員から離脱する」と述べている。環境保護の政党「緑の党」の看板を背負っていると、大好きな喫煙を楽しめられないからでないか。  アイルランドが2004年4月、欧州で初めて禁煙を決定したのを皮切りに、他の欧州連合(EU)の加盟国も次々と禁煙に乗り出してきた。いずれにしても、愛煙家を取り巻く環境は世界的に厳しくなってきている(「紫煙の行方」2006年11月30日参考)。   72歳のバン・デべレン氏に今更禁煙を強いることは酷だが、国民の模範という大統領の立場から、若者たちが集まる場所での喫煙は控えて頂きたい。                                                          (長谷川良ブログ 2016年6月3日 ウィーン発「コンフィデンシャル」より転載)

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    毛沢東も鄧小平もヘビースモーカー がんは病気よりお金が怖い!

    河原ノリエ(東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師) 中国郊外の農村にがん予防活動に入りはじめて、10年以上の歳月が流れた。  戦前に満州で満鉄関連の事業を行っていた父の足取りを辿っていくうちに知り合った方がたとのご縁のなかで、細々と続けてきた活動である。  中国のがんは急増しており、中国政府もその対策には苦心をしている。がん予防啓発活動とともに、日本同様早期発見、早期治療のスローガンのもと、がん検診を、農村部においても展開している。特に、乳がん健診には力をいれ、日本における地域の婦人会にあたる婦女連合会のネットワークなどを利用して、無料で各地で行われている。 しかしながら、その受診率はかなり低い。 「どうして無料なのに行かないの?」村の女性にきいてみると「だって、検診でがんがみつかったら怖いもの」早くみつかれば、と早期発見、早期治療の話をすると「だってがんになって、生き延びているひと、みたことないもの」そう言って、彼女は首をすくめた。  「がんになって、手術したって、どうせ死んじゃうのに、病院で高いお金をとられてしまう。そのお金、家族に残してあげるほうがずっといいでしょ」そう言う年配の女性は、もし運悪くがんがみつかったら、どうせ助からないのに家族がほっておけずに、自分のためにできる限りのことをするだろうから、絶対にがん検診になんか行かないと言う。  がんになっても治療したってどうせ死ぬのに無駄だからと、まわりの村人も口々に話す。最近村で、がんがみつかって、手術をしたひとが、結局その後治療費用が続かず、早々に退院して、その後どんな悲惨な最期であったかということ。そしてその後どれほど、残された家族が経済的に困窮してきたかということ。人々は、まるで見てきたことのように熱く語りはじめた。  がん患者の経済的問題は日本においても深刻な事態となっている。ましてや社会保障制度が徐々に整備されているとはいうものの、がん治療費用への公的カバー率の低い中国においては、その実像は推し量ってあまりある。  近隣の病院に勤める医師は、「中国も、医療技術が発展してきており、海外の学会などの発表では、治療成績もずいぶんあがったようにみえているかもしれないけど、それは北京や上海の病院でのことで、お金に糸目をつけない富裕層が大都市の有名病院に集中して治療を受けた結果にすぎない。農村のひとたちはほとんどが、がんを怖がり、見つかったときは手遅れで、大多数の中国全土の病院においては、がんはまだまだ死病なんです。」そう力なくつぶやいた。  たしかに日本においても、ほんのしばらく前までは、がんは不治の病であった。  がんサバイバーたちの元気な姿が全国各地で見られ、「がんは、もう治る病気になりました」そんなことを言えるようになったのは、つい最近のことだ。それはがん医療の急速な発展とそれを国民全体が享受できる国民皆保険制度という礎があったからこそである。  中国においては公的医療保険のカバー率が9割を超えたとはいうものの、その実、がん治療においてはそのかなりの部分が自己負担になっているのが現状である。早期発見、早期治療すれば、もうがんは治る時代になったからと言えるのは、中国では、がん医療の発展の恩恵にあずかれる一部のひとのための言葉にすぎない。それゆえ人々にとって、がんという病は、日本で我々が考えるより、もっと恐ろしい病なのである。  年に数回この村を訪れ、健康講座を開催している。このがん予防啓発活動にも、実は、村のひとたちは、がんになるのは運みたいなものだからと、参加してくる。タバコの害について聞いても、毛沢東も鄧小平もヘビースモーカーだったけど、長生きしたよと言いながら、「がん予防なんてほんとかどうかわかんないけどさぁ」といいながら、参加する。がんになったら運命とあきらめるしかない  その心根には、がんになったら運命とあきらめるしかないということなのだ。生活習慣の改善によって、其のリスクを減らすことができると伝えても、がんといったとたん、その聞く耳を閉ざしてしまう。こわいのだ。なかなか、わかってもらうことは難しいのだが、村の医師とともに、一日の塩分摂取量は6グラム以下にする必要があるのに、村の塩分摂取量は平均12グラムであることを伝え、がんは運命ではないからと健康的なメニューの紹介をする。  「はるばる日本から、よくまあいつも来るね。」そういつもの軽口をたたくおばさんが、「あなたに免じて、今度の検診いってみるよ」そう笑いながらいってくれた。  昨年9月25日、ニューヨークの国連本部で、期限を迎える「MDGs(国連ミレニアム開発目標)」に代わる「SDGs(持続可能な開発目標)」が全会一致により採択された。  健康課題は持続可能な開発結果として認知され、そのなかの目標のひとつである Universal Health Coverage(UHC)は、途上国のみならず、先進国にとっても共通課題として設定された。  UHCとは、全ての人々が質の担保された保健医療サービスを享受でき、サービス使用者に経済的困難を伴わない状態を指す概念である。その実現には、まずはその国の経済成長が前提であり、遠い道のりがあることは事実である。  「がんになったら、病気よりお金のことが怖いから」そうつぶやく村の人々に、他国のわたしがいまやり続けることができることはほんとうにささやかなことにすぎない。  先日の健康講座では、塩分講座のあとに、零下30度近くになる冬を乗り切るため、ハンドマッサージの講習会を開いた。相手への思いやりを込めてペアになってハンドマッサージを教えた。家にかえって家族でやってもらう。健康なくらしの方策として家族同士の触れ合いによってお互いの健康状態をいたわりあおうという趣旨だ。コミュニケーションが健康に繋がること、医療資源ってお金だけじゃない。ひとがひとを想い気遣う繋がりが、思いがけない力になることだってある。  「がんになるのは運命ではないから、くらしのなかで、気をつけましょう。くらしのなかで健康に留意しないとがんのリスクがあがり、病気になればお金もかかるので、貯金するとおもって、健康的なくらしを心がけよう。」  がん医療とお金については、今後も大きな課題となっていくが、ひとびとが、いまの暮らしの中で受け入れられる形で、メッセージを伝え続けるしかない。  またこの長い冬があけたら、あの村を訪れたいとおもう。(この記事は2016年01月19日「先見創意の会」コラムより転載しました)

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    健康だの清潔だのと騒ぐのは〝ほとんどビョーキ〟だよ

    山本晋也(映画監督)撮影 淺岡敬史吉永小百合と刑事コロンボ ぼくらが幼い頃、親父といえばタバコの匂いがするものでしたよね。日本映画を観ていても、1960年、70年代くらいまではお父さんたちやサラリーマン連中はみんなタバコを吸っている。飲み屋のママさんなんかも粋に吸っています。淡路恵子さんなんて、タバコが実によく似合う方でしたね。あの頃の女優さんでタバコが似合わないのは吉永小百合さんくらいだったんじゃないかな。彼女が演じた『キューポラのある街』のあの清純な少女がタバコをくわえていたらおかしい(笑)。 逆に、クリント・イーストウッドや刑事コロンボが葉巻をくわえていなかったらサマになりません。コロンボなんて、鑑識が働いているのを横目で見ながら殺人現場で葉巻を吸っている。あんな警察官、いないと思うよ(笑)。でも、それがキャラクターとして決まっているんだね。 ぼくはNHKの朝ドラ『私の青空』(2000年)に築地の氷屋の社長役で出演していたことがあるんだけど、「こういうオヤジだったら、こういうときにタバコ吸うんじゃない?」ってディレクターに言ったんです。気に入らない客が来たときに、タバコに火を点けて相手の顔を見ながらすぐにもみ消す。「わるいけど忙しいんだ、帰ってくんねえかな」というセリフがそこで生きる。吸い方一つで性格まで表現できるタバコは非常にいい小道具なんです。 それが、いまテレビドラマでは喫煙シーンはまず出てこない。主人公がタバコ吸っているのはどういうわけだって、すぐ抗議の電話が来るから。いまの世の中、クレーマーだらけだしね。そりゃあ民主主義の国だから、どんな意見があったっていいけど、問題になるような脚本(ホン)のほうが世の中にアピールするから商売にもなるでしょう。ドラマ一本で一般常識をひっくり返すようなことだってできる。何か問題が起こったら困るからって、無難なものばかりつくっていても面白くないと思うけどね。テレビの人間もサラリーマン化してしまっているのかもしれないけど、そういう人はあまりクリエイティブな仕事には携わらないほうがいいよ。 喫煙所に行くと半数近くは女性ですね。昔はタバコを吸っていることを知られたくないっていう女性が多かった。社会でバリバリ活躍する女性が珍しかった時代は、タバコを吸っていると、いいところのお嬢さんじゃなくて、水商売の女のように見られるっていう、差別みたいなものがありましたからね。 当時、タクシーの運転手から聞いた話だけれど、丸の内のOLが乗って来て、東京駅周辺をグルッと一周してくれって言うんだって。そのあいだにタバコを一服して、それですました顔でまたオフィスに戻っていく。タバコ一本吸うのにワンメーターちょっとの料金を払うんだ。男女雇用機会均等法(1986年施行)の前のことだけど、いまのタバコ代に匹敵するくらい高くついたでしょう。でも、いまはタクシーもほとんど禁煙だから、もうこの手は使えないね。日本は平和だよ日本は平和だよ 今年(平成27年)のタバコの予想税収は2兆940億円ですよ。一方、防衛費は5兆911億円だから、軍事予算の半分弱をタバコの税金でまかなっている計算になる。日本は平和だってことですよ。 そういう数字の比較で言うと、ぼくらが昔やっていた深夜番組『トゥナイト』(テレビ朝日。1980~94年、『トゥナイト2』94~02年)で取り上げた話題だけれど、ラブホテルの一日の売り上げは10億円だった。そうすると月に300億、一年に換算すると3兆6千億円になる。当時の日本の防衛費はそれより少なかったんです。これこそ世界に冠たる平和国家の証明ではないかというわけ。要するに、裏通りにひっそりと並ぶラブホテルと、狭い喫煙所に閉じ込められて肩身の狭い思いでいる喫煙者が日本経済と国防を支えている(笑)。 たとえばタバコ一箱が430円だとすると、そのうち64%の276・73円が税金だっていうんだ。細かく言うと、その税金の105・24円が市区町村のたばこ税、122・44円が国のたばこ税、17・20円が都道府県のたばこ税、消費税が31・85円。税金をさっぴくと、タバコ自体の値段はたったの153・27円にすぎない。「好煙権」運動があってもいい だから、各自治体は「区(市)の重要な財源ですからタバコは地元でお買い求めください」なんてPRしています。そのくせ、たとえばいまこの場でもタバコは吸えないでしょう。千代田区みたいに、路上全面禁煙だとか、立ち止まって吸うのもダメだとかって区もある。軍事予算の半分近い税金を取っておきながら、失礼きわまりない。そういう区には行きたくないね。 ぼくの住んでいる中野区では、駅のまわりでもちゃんと喫煙エリアを決めていますよ。吸う人と吸わない人の住み分けを図っている。全車両禁煙なんて列車もあるけれど、新幹線には狭いけれど一応、喫煙スペースはある。要は喫煙者がマナーを守ればいいだけの話で、まさか山手線のなかで吸うバカはいないんだから。 法律の勉強をしていた大学時代の友人で、わざわざ裁判を起こしたやつがいました。自分がいずれ検事だか弁護士になるんだから裁判というものを体験しておきたいというので、わざと立小便をして警察官につかまって、法廷で争ったんです。生理的にがまんできなかったので、物陰でした。大衆の面前でしたわけではないのになぜいけないのかって主張して、結局、裁判に勝ったんです。 だからぼくも、千代田区で堂々とタバコを吸いながら歩いてみたい(笑)。つかまったら最高裁まで争う。あくまで法律に則って、喫煙に対して最高裁がどういう判断を下すか。法治国家ですからね。まさか「健康に悪いから有罪」とは言わないでしょう。 国の最高機関である国会にだって喫煙室はあったはずですよ。議員会館にもね。それでいて庶民のささやかな嗜好品にとんでもない税金をかけて、禁煙区域をどんどんふやしている。ぼくが政治家になるとしたら、その問題を徹底的に追求しますね。 社会の害悪のように言われながら、一言も文句を言わない喫煙者もおかしいよ。自分でもわるいと思っているのか、逆に、何と言われようが、タバコが一本一万円になろうがおれは吸うんだとか、タバコのために稼いでいるんだとか居直るのだって、肚の中では自分たちは世の中の人たちに迷惑をかけている存在なんだと漠然と思い込んでいるんじゃないかな。「嫌煙権」があるって言うのなら、タバコを吸う人間は「好煙権」運動を起こしたっていいはずだけどね。マッカーサーのコーンパイプマッカーサーのコーンパイプ 葉巻とかパイプとか、ぼくも一時やったことはあるけれど、いちいち手間がかかるものですね。あれは、食事のあとで、男たちだけでゆったりくゆらしながら大人の会話を楽しむ、そういう非常に高尚な嗜好品の一つなんだな。 江戸時代の人間は、煙草入れを粋に帯に差して、煙管や煙草盆だけでなく、根付のようなものにまで凝って、美術品の域にまで高めた。喫煙という趣味の世界が文化になっているんです。 そこまで手間暇かけて、凝りに凝ってタバコを吸うということは、喫煙という習慣に何かしら人の心を引きつけるものがあるからだと思うな。何かと言えばタバコは体に悪いというけれど、ニコチンが体に及ぼすプラスの効果だってたぶんあるはずですよ。 荒野を旅するカウボーイが、小さな宿場町に着いて、馬の蹄鉄を替え、水と餌を与えておいて、自分はバーで一杯キューッとひっかけて煙草を吸う。長旅をしてきた男にとって、いかにも至福のひとときという感じがします。喫煙所はコミュニケーションの場。居合わせた若い女性に火を借りる 表現の自由があるんだから、嗜好品の自由だってあっていいはずでしょう。その人の幸福を追求する権利といってもいい。何か一仕事したあと、たとえば原稿を書き終わったあとの一服がなんとも言えないという人の喜びを法律で奪ってしまうというのは、もはや恐怖政治ですよ。 すごく印象的だったのは、日本が負けて、マッカーサーが厚木に降り立ったシーンです。あのとき彼はコーンパイプをくわえていた。あのパイプが、日本の敗戦を象徴しているような気がしました。タバコと分かちがたく結びついている、記憶に残る場面もあるわけです。そういう歴史とも深いかかわりを持っている嗜好品を禁止することに、果たしてどんな意味があるのか。何のために止めさせようとするのか非常に疑問を感じますね。善良な喫煙者たち ぼくは東京育ちだから、1960年代、70年代の排気ガスやスモッグの大気汚染のなかで生きてきたわけです。タバコより自動車の排ガスのほうがよっぽど体に悪いんじゃないか。東京に住んでいる人間は、タバコを吸わなくたって、街の空気を吸っているだけで少なくとも田舎の人たちよりはるかに大きなハンデを背負っているはずです。だけど、そんなことはまったく問題にしないで、タバコの煙だけが他人に迷惑をかけていると非難される。 人類が宇宙ステーションをつくる時代に、たかがタバコごときでここまで非難される理由が知りたい。喫煙者は非喫煙者に対して本当に毎日迷惑をかけているのか。東京都の空気を汚し、日本全土を汚し、アジアを汚し、地球を汚しているのか。 ボロボロになった肺の写真をパッケージに印刷している外国タバコなんかがあるでしょう。吸っていると、おまえの肺もこうなるぞという脅しだよね。気持ちが悪くて食欲もなくなる。でも、不思議なのは、タバコを吸わなくたって肺ガンになる人が増えているってことです。タバコが害になることが医学的にも社会的にも論理的にはっきり証明されたのならともかく、ほとんど感情論なんだよね。なんであれほどタバコだけを目の敵にするのか不思議でしかたがない。いつからこんな風潮が生まれたのかなあ。嗜好品を嗜む権利はあるが、他人に対してそれをダメだという権利はないと思うんだよ。 でも、喫煙者はそれを主張しないで、「わかったよ、嫌いなんだろタバコが。あなたたちのいないところで吸うよ」とジッと耐えている。そういう非常に善良な人たちによって喫煙文化というものが守られているんですね。北朝鮮のセブンスター北朝鮮のセブンスター 逆に言えば、見ず知らずの間柄でも、相手が愛煙家であることがわかると、「ああ、あなたもタバコお吸いになるんですか」なんていう感じで友だちになれる。 このあいだ仕事でマダガスカルへ行ったとき、通訳にこの国でいちばんいいタバコを買ってきてくれと頼んだんです。そうしたら一本だけ持って戻ってきた。何で一本だけなんだって文句を言ったら、「いやー、一箱は売ってないんですよ」と困った顔をする。いったいどんなタバコ屋なんだと見に行ったら、おばちゃんが小さな屋台でバラ売りしていた。なつかしくってね。日本にもそういう時代がありました。タバコの葉を一本一本巻いて売っていて、紙は薄くて丈夫な辞書の紙(笑)。終戦直後の闇市では、吸い殻をほぐして巻き直して売っていた。 北朝鮮でも、やはりバラ売りしていましたね。番組の取材で12年くらい前に初めて北朝鮮へ行ったとき、民衆の本音が知りたいから、偉い人たちの送迎の時間待ちで、運転手たちが四、五人しゃがんでタバコを吸っているところへ行って、本物のセブンスターをあげたら、もう大喜びでね。北朝鮮にはセブンスターはもちろん、外国タバコはだいたいなんでもあるんだけど、みんな北朝鮮製のニセモノで、実にいいかげんなものなんです。それを一本ずつバラで売っている。本物のセブンスターはとても貴重品だから、すぐには吸わないで、本当に大事そうにしてね。それがすごく切ない感じがして、こっちは免税店でいっぱい買って持っているんだから、一箱やるよってポケットにいれてやると、本当にうれしそうな顔をして、いろいろしゃべってくれたんです。将軍様がどうのこうの、あれは実のところはこうなんだとかって。 だからずいぶんいろんなことを聞き出したんだけれど、日本のテレビ局のほうが、拉致問題の関係とかいろいろあるからそれはマズイって言い出して、番組では流せなかった。 そういう意味では、タバコは国や人種を超えて人と人とのコミュニケーションのツールになるんですね。一本二本とバラでタバコ買って吸っているような貧しい国では、タバコ一箱であんなに喜んでくれるんだから、こっちだってうれしくなる。嫌煙家はそういう人たちにも「タバコは迷惑だからやめろ」というつもりなんだろうか。 理屈じゃない、タバコ吸うやつはくさいからいやなんだっていう人がいるけれど、それは子供のいじめと同じだよ。じゃあお前とおれとどっちがくさいか、科学的な検査を受けて調べてみようかと言ったことがある。 そういうことを言い出したら、外国人には本当に体臭の強い人たちがいるからね。日本を訪れる観光客がどんどん増えているらしいけれど、まさか匂いで人種差別するつもりじゃないだろう。それは日本人の品性、道徳、あるいは文化水準にかかわる問題だよ。モスクの「清潔」さ 日本人は度を過ぎた〝清潔病〟にかかっているんじゃないかな。女の子は起きたら朝シャンといってすぐ髪を洗う。三十代くらいのサラリーマンでも、起きて体にシュッシュッと芳香剤や消臭剤をふりかけて、電車を降りてまたふりかけて、会社で一回は下着を替えるなんて連中がいる。あれは一種のビョーキだな(笑)。 テレビでも殺菌剤だとか消臭剤だとかのコマーシャルをしょっちゅうやっています。「ベッドにも風呂場やキッチンにも実はこんなに雑菌がいます」なんて、すごく気持ち悪い映像を流している。あれも一種の脅しだよ。このあいだ家の近くに新しいドラッグストアができて、行ってみたら、棚いっぱいに男用の芳香剤だか消臭剤が並んでいた。そこまで匂いを気にするというのはどういう神経なんだろうね。 子供の頃、寝転がっているところへおばあちゃんやおふくろが通ると、かすかにナフタリンの匂いがしたりしてね。箪笥の奥にしまっていた冬物を出すと、防虫剤のナフタリンの匂いが移っているから。ああ、そろそろ衣替えか、季節が変わったんだなとそれで気づく。懐かしいね。情緒ってものがあったよ。そういう生活の匂いまで消したいのかなあ。 毎日風呂に入って石鹸で体を洗うのは肌によくない、年をとってから肌が荒れて取り返しがつかなくなるって医者に言われたことがあります。 イスラム教徒の礼拝堂で、モスクっていうのがあるでしょう。昔は、モスクって不潔な場所なんじゃないかと思っていた。だって、絨毯の上は裸足で歩くしさ、礼拝する時には赤の他人の尻と足の裏が目の前にあるんだからね。それで水虫かなんかだったらたまらないよ。だけど、アラブ世界には水虫はないんだって。それに、モスクに入る前に水で足を洗うから清潔なんです。水だけで、石鹸なんか使わないんだよ。  ぼくがイスラム圏でモスクに行ったとき、靴と靴下を脱いで上がっていったら、そこにいた爺さんに、足を洗えと言われてね。素手で足を洗ったことありますか? 妙なものですよ、水だけで、石鹸も何もつけないで手で足を洗うのは。考えてみると、人生で初めての経験だった。でも、それで十分なんだ。 水虫がないっていうのは、アラブの人たちって草履みたいなのをはいているでしょう。水虫を砂漠の砂で殺菌しているのかと思ったら(笑)、彼らに言わせれば、われわれは靴を履くから水虫になるんだって。 もし日本人にモスクに行く習慣があったら大変だよ。朝、風呂に入ってさ、体中に芳香剤をふりかけて、モスクに入る前には足に石鹸つけて洗って、除菌作用のある消臭剤をスプレーして上がって行くだろうね。だけど、アラブでは水で足を洗うだけでいい。そんなものなんだよ。「清潔」という病「清潔」という病 嫌煙権って、タバコに害があるかどうかなんて実はどうでもよくて、本当のところは日本人の異様な潔癖性が言わせているんじゃないかなあ。煙がどうのこうの、肺ガンになるだのなんのと主張する作戦を考えたヤツが悧巧(りこう)だったんだよ。 タバコの匂いがいやだ、煙がいやだ、壁に汚いヤニがつく。とにかく自分の身の周りにはいっさい異物は寄せ付けない、無菌状態でいたいという異常な……、もう潔癖症を通り越して清潔病にかかっているんだろうな。それが当然のことだと思っている自覚症状のない〝病人〟にとっては、タバコが眼前の敵なんでしょう。 ぼくら喫煙者は、そういう人々に囲まれて生きているわけですが、ぼく自身は品位や品行に欠けるどころか、千年以上の昔から人々が伝えてきた嗜みをいまも守り続けている、由緒ある血筋とDNAを持った人種であると思っています。 だから、嫌煙家はみんなビョーキなんだと考えるしかない。匂いに敏感すぎて、潔癖すぎて、体外に自然に排出されるものだけでなく、必要なものまで削り落として、一日中体を消毒している、そういうかわいそうな人たちなんです。 ビョーキのおれが言うんだから、まちがいありません(笑)。  やまもと・しんや 1939(昭和14)年、東京都千代田区生まれ。63年、日本大学芸術学部演劇学科卒業。翌年、岩波映画製作所で羽仁進氏に師事して助監督となり、65年「狂い咲き」で監督デビュー。「未亡人下宿」シリーズで一躍脚光を浴び、60年代から70年代にかけて約250本の作品を手がけた。テレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』『トゥナイト2』に21年間出演し、性風俗に関するルポタージュが後のライフワークに。エイズ問題に関心を持ち、90年代以降はボランティア活動を積極的に行っている。テレビ・ラジオ番組で活躍中。最近著に『カントク記 焼とりと映画と寿司屋の二階の青春』(双葉社)。

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    禁煙について考える 世界禁煙デーと日本の禁煙の現状

    (THE PAGEより転載) 5月31日が「世界禁煙デー」だと知っていた方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。世界中でタバコ使用を効果的に減らすことを目的に、世界保健機関(WHO)が1989年に定めたものです。それに伴って、日本では厚生労働省が1992年より5月31日から6月6日までの一週間を「禁煙週間」としていますが、テーマは「たばこによる健康影響を正しく理解しよう」という緩やかなもので、今後10年間で行政機関と医療機関での受動喫煙をゼロにすることを目標にしています。(対照的に世界保健機関のテーマは「タバコの宣伝、販売促進活動、スポンサー活動を禁止しよう」という直接的なものです。) 「世界禁煙デー」の当日、厚生労働省などによって開かれたイベントでは禁煙大使に任命されたというプロゴルファー東尾理子さんのトークショーなどが行われました。一方、この日の横浜駅周辺では、いつものように喫煙所には人が集まり、禁煙ムードというような雰囲気は見られませんでした。横浜駅だけでなく、さまざまな場所でもいつもと変わりなく、喫煙所には人が集まっていたのではないでしょうか。 ファイザー株式会社の『日本全国のニコチン依存度チェック2012』によると、最近あなたの身の回りでタバコを吸いづらいという雰囲気を感じるか、というアンケートに対し、強く感じると答えている人は2012年の調査で22.4%です。しかしこの数字、2010年には29.9%、2008年には32.9%でした。果たして禁煙はブームなのでしょうか。また、そもそも「ブーム」と捉えることに問題はないのでしょうか。 実際の喫煙率の推移を見てみると、1972年に男性の77.6%、女性の15.5が喫煙していたのに対し、2012年は男性は32.7%、女性は10.4%と、30年で大幅に減っています。(JT『全国喫煙者率調査』) その反面、「禁煙をする気はない」、あるいは「禁煙できない」、という層もいまだ厚く、そういった愛煙家によって、たばこ税は度重なる増税にも関わらず、コンスタントに年間2兆円を越える税収があると財務省は発表しています。世界禁煙デーに合わせ、講義を受ける中国の生徒。マスクを着けて呼び掛け?=2015年、中国・首都北京市(ロイター) ちなみに、タバコの税率は、定価の約64.5%、410円のタバコのうち264.4円が消費税を含む税金となります。ビールは42.9%、ウィスキーは24.5%ですから、かなり高い水準と言えます。急激なたばこ増税に反対する日本たばこ産業株式会社(JT)は、「日本のタバコは税構造と物価によって価格が安くなっているが、税率が低いわけではない」、としています。確かに欧米のたばこ税は小売価格の15%~50%程度に従量税を併課する国がほとんどで、日本の税率は高いといえそうです。世界ぐるみの禁煙ムードの中、1999年以降、M&Aで多角化とグローバル化を進める日本たばこ産業は、海外での基盤作りを進めて業績を伸ばしています。 禁煙デー、禁煙週間を前に、ファイザー株式会社は「禁煙は禁煙外来へ。約3ヶ月の禁煙治療で 合計2万円以内です。」という広告を打ちました。前述の調査によれば、医療関係者に相談したことがないという喫煙者は、全体の92.7%(9400人中)に及びます。しかし、病院で禁煙治療を受けられることを全く知らない、と答えているのは1.7%に過ぎません。つまり、ほとんどの喫煙者が、治療の存在を知りながら、行動を起こしていない、ということになります。 一方で、タバコ価格が1000円になれば93.6%が禁煙すると答えています。厚生労働省は、増税の理由を「国民の健康の観点から消費を抑制するためだ」と言っていますが、その厚生労働省が科学研究費補助金を出す研究では「たばこの価格を1000円に上げれば税収は跳ね上がる」という試算も行っています。 愛煙家、嫌煙家だけでなく、日本たばこ産業や医療機関、行政に至るまで、様々な意見や思惑、数値が飛び交うタバコ問題ですが、それぞれの目的にズレがあるため、なかなか噛み合わない状況が続いています。具体的な受動喫煙による被害についての報道が少ないことや、「禁煙は愛」という抽象的なメッセージが、なかなか伝わりにくいこともあるかも知れません。ニコチンに中毒性があることから、倫理的な見方だけでは解決できないという問題もあると思います。タバコ問題だけではないですが、まずは自分自身の意見や意志をちゃんと考えて確認することが必要なのではないでしょうか。 (矢萩邦彦/studio AFTERMODE)矢萩邦彦(ジャーナリスト/アルスコンビネーター)  教育・アート・ジャーナリズムの各分野を結合する日本初のアルスコンビネーター。一つの専門分野では得にくい視点と技術の重要性を、現場で実践しつつ説く活動に従事。1996年より予備校でレギュラー授業を持ちながら、全国で私塾『鏡明塾』を展開。小中高大学でも特別講師として平和学・社会学・教育学を中心に講演多数。代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードからは若手ジャーナリストを育成輩出、自らも2012年ロンドンパラリンピックには公式記者として派遣された。多分野の越境統合を目指して設立したスタディオアフタモード総合研究所では教育学・社会学・医学を中心に大学との共同研究も行っている。

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    国際基準に遅れるニッポン 都庁は喫煙パラダイス

     おときた駿(東京都議会議員) 昨年の夏、東京五輪開催に向けて受動喫煙防止条例の制定に強い意欲を示していた舛添知事ですが、議会内の与党勢力に配慮をしてかなりトーンダウンをしているようです。 実は昨夏、舛添都知事が条例制定に意欲を見せた途端、都議会自民党は意見書を提出・プレス発表し、要は、「分煙の取組みは順調に進んでいるのだから、このまま分煙でやるべし」、 「一律に屋内禁煙にするなどもってのほか!関係者からヒアリングして慎重に行うべし」という、舛添知事に対する強烈な牽制球を即座に投げていたのです。 この機動力には目を見張るものがあります… しかしながら、我が国の受動喫煙に対する対応は、国際基準と比較して遅れに遅れています。 世界各国の潮流をみると、G8で屋内施設が禁煙でないのは日本だけであり、いわゆる先進国、G20の大半を含む全世界44か国がすでに屋内禁煙を実現しており、我が国の受動喫煙に対する意識の低さと対応の遅れは明らかです。 特に五輪に関連しては、IOCが「スモークフリー・オリンピック」の方針を打ち出して以来、すべての開催国または開催都市で『罰則規定付の法律・条令』が定められています。  しかしながらここ東京都では、いまだに屋内禁煙はおろか、分煙すらも徹底されておりません。その際たる例が実は、政策決定をしている都庁及び都議会議事堂です。 多くの高層ビルが屋内完全喫煙を実現する中、東京都の象徴である「都庁」の建物内は喫煙者パラダイスです。数は以前に比べて減ったそうですが、多数の喫煙所が設置されています。 都庁の第一本庁舎3階。渡り廊下があり往来が激しく、「都民情報ルーム」もあって多くの都民の方が訪れる場所に、仕切りもなく開け放たれたこんなに開放的な喫煙室があります。当然、外に煙がダダ漏れしているデータが検出されます。PM2.5濃度が「25」前後の数値を超えると有害と言われています。 第一庁舎と第二庁舎を移動するには一度屋外に出ることになりますが、 明らかに人がすぐ横を通るところに無配慮に喫煙所が。風が吹けば、タバコの煙は来庁者を直撃です。都庁内に複数ある喫茶店(一般利用可)も、時間帯によっては喫煙が可能になるところが多数。高層階のため窓も開けられず、目に見えて煙が漂っていました。 特に前者の、狭いカフェは数値が200を超えており、非常に劣悪な環境と言えます…。 一方、都庁の正面にある「都議会議事堂」はどうかというと、これがもう喫煙者天国を超えて、喫煙者ユートピアです。 なにせ、廊下などの公共スペースと本会議場を除き、委員会室・会議室・控室などは全面喫煙可。ご丁寧にすべての部屋に灰皿があります。 さらにさらに、建物内には複数個所タバコの自動販売機があります。今どきビルの中にタバコの自販機があるところなんて思い当たらないんですが、都議会議事堂以外にあるんでしょうか?私が非喫煙者なので、見落としてるだけ?受動喫煙を完全に防げない分煙はダメ 一昔前は委員会中でもタバコを吸う議員さんがいたそうです。  今はさすがに減り、常任委員会によっては最初に禁煙を取り決める場合もありますが、議連などの打ち合わせでは普通にタバコを吸う方は複数いらっしゃいます(見ましたから)。 喫煙をされる議員には期数を重ねた「大物議員」が多く、そうした方々が力を持って都議会を牛耳っているわけですから、東京都で屋内禁煙実現などは夢のまた夢…というわけです。 ちなみになぜ分煙ではダメかというと、どれだけ仕切っても分煙では受動喫煙の被害を完全には防げないからです。室内であれば、空気口などを通じてタバコの煙は少しずつ漏れ出ます。何より商業施設の場合、従業員・清掃員の受動喫煙被害が甚大です。客であれば喫煙席に近づかないという選択肢も取れますが、従業員は労働環境を選べるとは限りません。 実際、都庁内の喫煙カフェで働く従業員の方々は、煙に曇った室内で8時間も働くらしく、相当しんどそうでした。清掃員も室内の喫煙所を清掃する場合、かなりの受動喫煙被害を受けます。これは屋外でも完全に防ぐことはできませんが、清掃の時間帯を選べばかなり少なくすることはできるでしょう。 確かに、喫煙の自由・権利もあります。 しかしながら健康被害は明白であり、屋内禁煙は時代と世界の要請です。 私としては、屋内はすみやかに完全禁煙、屋外の喫煙所の数を増やして整備する他ないと考えています。 本件は11月の厚生委員会でも、都庁が喫煙パラダイスである実例を挙げながら、国際基準と比較して遅れている点を厳しく追及・質問しましたが(議事録が未だに出ない!怒)、「受動喫煙防止対策検討会の結論を待つ」の一点張りで、前向きな回答はもらえませんでした。 そして報道や議事録を読む限り、この検討会も屋内禁煙には踏み込みそうにありません。 都議会議員の大半がやる気がないことは明白ではありますけど、最後に議会を、政治を動かすのは皆さま方お一人おひとりの意見です。 東京都の受動喫煙防止対策について、皆さまはどのようにお考えですか?(2015年1月7日 「おときた駿 公式ブログ」より転載)

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    1箱千円で4兆円 消費増税延期の間にたばこの大幅増税を

    本山勝寛(作家) 今年も5月31日の「世界禁煙デー」を迎えた。WHOは毎年約600万人がタバコが原因で死亡しており、そのうち60万人は副流煙が原因、このまま放っておくと2030年にはタバコが要因の死亡者は毎年800万人に増加すると警鐘を鳴らしている。広告の禁止や健康被害の明示といった禁煙政策は国際的な潮流になっているが、そのなかでもタバコ税の引き上げは有効な政策としてWHOにも推奨されている。 タバコ税引き上げは健康の問題と同時に、税収確保と合わせて論じられることが多い。以前の記事「「世界禁煙デー」にタバコ増税の効果を考える」で書いたが、2010年のタバコ増税(70円増税100円値上げ)後、タバコ税収は激増している。2010年度のたばこ税8224億円が2011年度には1兆315億円と2千億円増加、これに「地方たばこ税」の増加分を合わせると、税収は4千億円増加した。 増税後のタバコ税収は高止まりしており、2012年度の(国の)たばこ税1兆200億円、2013年度1兆400億円だ。タバコ増税反対派は、増税したら消費量が減るから税収は下がると反対していたが、そうはなっていないことが見てとれる。 私は昨年、「消費税10%の前にタバコ千円」への増税実施を提案した。現在の心許ない景気状況を考えると、2年連続の消費税増税は国民への大きな負担になるが、タバコ税の増税であれば景気への影響も限定的であるし、国民の健康増進や医療費抑制にもつながる施策であるからだ。実際、消費税10%への引き上げは延長された。 しかし、消費税が増税されない分、財政再建は先送りになり、子育て支援や社会保障費などの財源も不足するままだ。それでは、借金を次世代に押し付けているのと同じだ。消費税増税を先送りしているこの期間だからこそ、タバコ税の大幅増税を実施することで、少しでも財政再建につながる。学術会議の試算(2008年)によると、200円増税で1兆4千億円、300円増税で2兆円、1箱1000円まで増税すれば4兆円の税収増としている。国際的にみればタバコ1箱1000円が先進国の平均的な数字だ。隣国韓国ですら、一気に2000ウォン(約220円)引き上げて、4500ウォン(約500円)に増税したばかりだ。 2020年には東京オリンピック・パラリンピックも開催されるが、首都圏の分煙政策が遅れていることも気になるところだ。分煙化の費用をタバコ税収からまかない加速化させることで、副流煙被害も防ぎ、国際社会にも恥ずかしくない状況にもってこれる。個人の嗜好品であるタバコを「禁止」することは避けるべきだが、副流煙被害を防ぐことは交通事故や公害を防止するのと同様に政府の責任でもある。(ブログ『本山勝寛: 学びのすすめ』より2015年6月1日分を転載)

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    医師たちが触れたがらないタバコ害の〝不都合な常識〟

    葦原祐樹(医学博士) 「たばこは健康に悪い」と多くの人が信じて疑わない、その根拠は何なのでしょうか。たいていは、「人がそう言うから、そうだろう」と、受け売りの知識を信じているだけのようです。 まず、「がん」の問題です。喫煙者と非喫煙者のがんの発症率を比べると、喫煙者に多い「たばこ関連がん」と言われるものがあります。これは疫学調査で示されていて、ここまでは事実です。「それは怖いことだ、僕もたばこを止めよう」と、これは素直な心理です。しかし、素直ではあっても、そう思った時点で、喫煙ががんの原因だと勝手に決め付けるという間違いが生じています。それは医学的には証明されていません。学術的にはっきりとしているのは、喫煙とがんの発症に「関連がある」ということだけです。だからこそ、喫煙者に多いがんを「たばこ関連がん」と言います。がんの中で最も注目されている肺がんを例に考えてみましょう。 まず、図1を見て下さい。喫煙者率は減少していますが、肺がんの死亡者数は増えています。このグラフを見ると、喫煙は肺がんの原因ではないと直感的に思います。しかし、減少と増加と、グラフの傾きが逆ではあっても、関連があるのは事実です(こういう関連を「負の関連」と言います)。負の関連も関連であることにかわりはなく、これをもって、喫煙が肺がんの原因ではないとは言えません。疫学調査の結果で因果関係を断定するのは不可能で、それはどうにでも解釈出来ます。実際に、たばこを止めた人も、吸っていた時の悪影響が20~25年間ぐらい残って、遅れて肺がんを発症するという説を堂々と発表している人もいます。 しかも、このグラフの弱点は、肺がんの死亡者数という「数」と、喫煙者率という「率」を比較していることです。比較するなら、両方とも「率」か「数」で一致しているほうが、説得力があります。 では「喫煙者数」と「肺がんの死亡者数」をグラフにするとどうなるでしょうか。それが図2です。このグラフ、喫煙者数が横ばいなのを奇異に感じる人もいるかもしれません。喫煙者率は1960年代から減少していますが、人口が増加していることと、構成が高齢化して成人が多くなっていますから、喫煙者の人数が一定だと、喫煙者率は下がるのだそうです。図2を見ると、「たばこを吸う人は減ってないんだ」と妙に安心しますが、それはともかく、このグラフは重大なことを証明しています。喫煙が原因ではないことの証明喫煙が原因ではないことの証明 それは、喫煙者数と肺がんの死亡者数には関連がないということです。だからといって、「なんだ、何にもわからないのか」と落胆しないで下さい。実は、疫学調査の結果は、関連があっても因果関係を証明できないのに対して、関連がなければ、因果関係はないことが証明されます。つまり、肺がんになる人が増えているのは、タバコとは全く関係のない別のところに原因があるということです。このグラフが一枚あるだけで、「喫煙は肺がんの原因ではない」と証明されます。 肺がんにも種類があって、「腺がん」と「扁平上皮がん」が主です。腺がんは非喫煙者の女性に多く、肺の奥の方に出来る傾向があります。扁平上皮がんは男性に多く、気管支の入口あたりに出来やすいがんです。症状やCTなどの画像診断である程度区別できますが、切除したがんを顕微鏡で見て最終的に確定されます。喫煙が原因と疑われているのは男性に多い扁平上皮がんで、腺がんは非喫煙者の女性に多いために、昔から喫煙とは無関係なことがわかっています。これは1980年代以前から医学界では常識です。 1960年代では扁平上皮がんが肺がんの首位でしたが、現在では逆転して腺がんが半分以上と首位ですから、肺がんの主因が喫煙以外にあることは、現在の医学界では常識のはずです。 近年肺がんの患者数が増えていて、60年代の20倍以上です。増えているのは主に腺がんですが、扁平上皮がんも比率は減少していても症例の絶対数は増えていて、60年代と比べると症例数は10倍以上です。喫煙者数が一定であるにもかかわらず扁平上皮がんの症例数は増えていますから、喫煙と扁平上皮がんにも関連は認められません。つまり、扁平上皮がんの原因も喫煙とは別のところにあるわけで、かつての常識も間違いです。 では、肺がんの原因は何なのか。疫学調査では因果関係を証明することは出来ませんが、どこに原因がありそうかを推測することは出来ます。つまり、多額の研究費をどこに投入すればいいのか、そのターゲットを見極めるための予備調査が疫学調査です。 喫煙が肺がんの原因らしいと示唆されると、そこが集中的に研究されます。そして、たばこの煙の中に40種類以上の発がん物質が発見されました。これは正しい方向性ですが、問題は実験方法でした。発がん物質の研究は失敗だったと前々回に書きましたが、細胞は分裂する過程で、正常の状態でも一定の確率でがん化します。がん細胞は発がん物質が存在しなくても毎日5000個ほど生まれていて、NK細胞という免疫系で排除されていることがわかってきました。 最近はがんも治る病気になって、治癒してからしばらくすると別のがんになる人がいます。「20年前に胃がんで手術をしていて、10年前には大腸がんで、今回は膀胱がんの手術をする」などと、3回目のがんの手術を受ける患者も珍しくありません。もちろん再発や転移ではなく、新しく発症したがんです。こういう患者は、NK細胞の活性が低い人なのかもしれません。何か、NK細胞の活性を下げる因子があるのでしょうか。その因子を見つければ、がんの原因を突き止めたことになります。 それは遺伝的な体質の違いなのか、あるいは生活環境の問題なのか。いずれにせよ、細胞をがん化させる発がん物質という観点は時代遅れで、がん細胞を排除する免疫系に着目するのがこれからの視点です。禁煙すれば寿命は延びるか禁煙すれば寿命は延びるか もう一つ、タバコの害として言われているのが「寿命を縮める」という観点です。がんは死因の約半分を占めますが、がんだけではなく、全ての原因での死亡者をみても、喫煙者は非喫煙者よりも短命だと言われています。「たばこを止めれば医療費を削減できる」と、まことしやかに言う人がいますが、いったいどうやって計算したのか、僕は疑問でした。 喫煙者と非喫煙者の死亡率を比較すると、たとえば健康な男性の場合、一年間の死亡率は非喫煙者が10万人あたり962人であるのに対して、喫煙者は10万人あたり1559人というデータがあります。これは1991年に英国の医学雑誌に発表されたものですが、全員が非喫煙者なら、単純計算で一年間に10万人あたり597人の死亡が減ることになります。どうも、この辺が、たばこを止めれば医療費を削減できるという論理の根拠になっているようです。  しかし、ことはそう単純ではありません。たばこを止めた人、元喫煙者と分類されますが、元喫煙者の死亡率やがんの発症率は喫煙者と有意差がなく、たばこを止めても非喫煙者と同じにはなりません。現実に、死亡率を比較したデータは元喫煙者を喫煙者に分類して集計していて、つまり、1991年の時点で、たばこを止めても吸い続けても同じであることは研究者の間では常識だったわけです。喫煙者と非喫煙者では遺伝的資質や生活環境に違いがあって、その違いが、非喫煙者として生活するか、喫煙者になるかの分かれ目のようです。 たばこ排斥の機運が高まったのは1950年代の米国と言われていますが、その頃から世界中で熱心に研究が始められたようです。しかし、60年以上たった現在でも、疫学調査の結果だけが頼りの「疑わしい」というレベルで、はっきりした証拠は何一つ出てきません。これは裏を返せば、喫煙の安全性を証明したとも言えます。たばこを吸うか吸わないかは、遺伝的資質や生活環境の違いを示すバロメーターでしかないということです。ついでに言えば、喫煙が自分の体質に合っていて生活環境が良ければ、たばこを吸っても大丈夫です。  考えてみれば、日本でさえも450年以上の喫煙の歴史があるといいます。15世代以上に渡って愛され普及してきたものですから、いまさら、「悪い」というのは論理に無理があります。 最近でも喫煙の害を堂々と発言する医者がいますが、彼らは喫煙に関する研究の原著論文を読んでいないとしか思えません。世間の風潮に後押しされて受け売りの意見を述べているだけで、無知というか怠慢というか、可愛いものです。しかし、医学者を名乗る以上、それは罪です。

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    厚労省調査を疑え! いい加減なデータに基づく副流煙害

    武田邦彦(中部大特任教授) ほとんどの人が「タバコの副流煙は有害だ」と信じて疑わないと思います。 でも私は「自分の目でデータを確かめて納得してから」しか自分の考えを述べないようにしています。なにしろ、今の日本社会は、たとえば温暖化にしてもIPCC(国連の機関)は「温暖化すると南極の氷は増える」と言っているのに、日本人は英語を読まないだろうと高をくくって国内では「減る」と言うぐらいですから、油断できないのです。(多くの人は今でも「政府はウソをつかない、NHKは本当のことを言う」と信じておられますが、決定的なことで事実と違うことを言って来たのです。原発でも「震度6で壊れる」ということがわかっていたのに「政府が安全だというから安全だと報道しても問題は無い」というスタンスだからです。副流煙もまずはそのように考えて調べています。) 副流煙はまず次の2つの問題があります。1) 世界で最初に副流煙の害について論文をだした厚労省の平山論文は事実記載に乏しく、データの提出と求められても提出に応じなかった。2) タバコの追放を続けているWHOは副流煙の健康被害について調査をしたことろ、副流煙の環境にいた人の方が肺がんが少なかったので、発表を見合わせた。 そして、より具体的には、2008年に厚労省が発表した多目的コホート研究があります。これはタバコを吸う人と一緒に住んでいた女性がどのぐらい肺がんになったかという調査です。調査は対象者が2万8千人で期間は13年間。調査中に109人の人が肺がんと診断されています。  特にこの研究では4種類の肺がんのうち、主たるものである腺がんに絞って整理をしています。腺がんは肺がん全体の約3分の2ですから、109人のうち約72人が腺がんと推定されます(詳細なデータは公表されていない)。従来の研究では腺がんのうち、2割が女性の喫煙者で、もともと女性の喫煙者は2割ですから、タバコを吸っている人の割合と、腺がんの割合は一致しているということでした。  ところが、この調査では女性が喫煙せず、夫が喫煙している場合、腺がんが2倍に増えたと書いてあります。このときに夫の喫煙率は50%ですから、72人のうち、14人が喫煙者ですから残りの58人がタバコを吸わない女性で、そのうち29人が夫がタバコをする女性、29人が夫がタバコを吸わない女性となります。  「タバコを吸っている夫とともに生活している女性は腺がんが2倍になった」ということが本当なら(数字が発表されていないので怪しいが)、腺がんのうち39人が夫がタバコを吸っていて、19人が吸っていないということになります。「変わらない」という結果に対して、わずか10人の出入りで「2倍」という数字が出てきています。2万8千人の13年間の調査という触れ込みなのですが、その実体は10名の前後で2倍になったりならなかったりするということなのです。  つまり、もしこの10名が統計的なばらつきではないとしても(タバコと肺がんの全体的な関係でも同じですが)、タバコを吸う夫と一緒に住んでいる女性は1万4000人で、そのうち、10名が「夫がタバコを吸うために腺がんになった」ということですから、その可能性は1400人に一人ということになり、確率は0.07%にしか過ぎません。  とうてい、「夫がタバコを吸うと妻が肺がんになる」などと言うことができる数字ではないのです。逆に「夫がタバコを吸っても妻が肺がんになることは希だ」と言った方が科学的には正しい程度の数字です。また良心的な学者なら大きな母集団の中で29人と39人でこのぐらい大きな違いを言うのに良心の呵責にさいなまれるでしょう。普通なら「調査したがハッキリした結果は得られなかった」というと思います。タバコ以外の要因を無視した調査  ところでこの報告のきっかけとなった有名な平山論文(論文と呼べるものかどうか怪しいが)ではタバコを吸う夫とともに生活をしていた40才以上の「タバコを吸わない妻」約9200人を調査し、そのうちの174人が肺がんで死んでいるので、「タバコを吸う人と一緒に生活していた妻は肺がんになる」という結論を出しています。  この場合は、「タバコを吸っていた夫とともに生活し、肺がんで死んだ妻」は、530人に1人という低率です。530人のうち1人が肺がんで死んだという事実を正直に表現すると、「夫が喫煙者でも肺がんにはならない。極めて希に肺がんになる妻もいるが、あまりにその割合が低いので、他の原因も考えられる」とするべきでしょう。  というのは、肺がんの原因は、タバコの他に、排気ガス、空気の汚れ、核実験の放射性降下物、台所や家の中のほこり、農薬や殺虫剤の粉など多種類があるからです。これらの発ガン率の範囲に入ります。  科学としてこの調査を見ると、「タバコ以外の要因」をまったく無視しています。おそらくタバコを吸う家庭の平均収入は、吸わない家庭に対して低いと考えられますし、町中のアパートに住んでいる人が多いと考えられますので、自動車の排気ガスもより多く吸っているはずですし、衛生環境自体も望ましくないでしょう。  科学的に整理するもので、何かに注目するのは良いのですが、注目したもの以外の原因を無視すると正しい結果は得られません。温暖化騒動が盛んだった頃、「最近は気温が高くなった」ということと「最近はCO2濃度が上がっている」という二つを結びつけて、「CO2が上がると気温が高くなる」という人がいました。気温は太陽活動や都市化などいろいろなものが関係しますから、CO2にだけ注目すると、CO2が原因という結果が得られます。  当時、私はそのような説明をする学者に、「最近、私の年齢が上がってきていますので、私が歳を取ると気温が高くなるのではないですか?」と冷やかしたものです。このデータは日本の厚労省などが「副流煙は危険だ」という基礎的なデータになっていますが、実に不誠実なものであることがわかります。  このほかにもアメリカ保険局などのデータがありますが、いずれも「結論ありきで整理した」というもので、とうてい、国民の健康を心配したようなまじめなものではないものばかりです。大きな研究費と出世が絡んでいる研究を私はイヤと言うほど見てきましたが、その多くがこのようないい加減なデータで決定的なことを言う場合が多いのです。  学問への誠実さ、研究者の倫理をシッカリしてもらいたいものです。実はこの研究グループのトップが食品汚染の暫定基準を決めるときに「食料が足りなくなるから、基準は高くする」と発言した人で、セシウムで1年5ミリ、全核種で約17ミリの被曝を給食でさせました。このような人は、いつもその時、その時、ですね。(2012.5.4ブログより転載) 

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    飲食店 「喫煙可否」ステッカーの効果は

     いまや少数派になった「愛煙家」にとって、外出先で喫煙場所を探すのは容易ではない。 屋外は罰則付きの路上喫煙禁止エリアが凄まじい勢いで広がっているうえ、灰皿のある指定の喫煙場所を探そうにも、土地勘のない所では見当もつかない。さらに、駅周辺や公共スペース、コンビニ前、商業施設の専用スペースなど、これまで喫煙可だった場所からも灰皿が次々と撤去されている。“喫煙難民”の唯一のオアシスともいえるのは、自由にたばこが吸える喫茶店や分煙スペースのある飲食店だ。近年は受動喫煙対策から「全席禁煙」を掲げる店も増えたが、基本的には施設管理者の判断に委ねられている。 大手飲食チェーンが多数加盟する一般社団法人日本フードサービス協会も、〈たばこを吸う方も吸わない方も、飲食業界にとっては大事なお客様。禁煙・分煙・喫煙など多様な飲食空間から、お客様に自由に選んでいただくことが望ましい〉 との方針を崩していない。受動喫煙問題については、時間帯を区切った禁煙・分煙や、空調と間仕切りを工夫した分煙席の配置変更など、店側の自主的な取り組みを尊重する。 その一方で、政府は2020年の東京五輪までに、飲食店の「分煙義務化」を盛り込んだ新法を制定したい考えで、禁煙推進派からは〈完全分煙が守れない店は罰則を設けるべき〉〈五輪を機に飲食店を含めて屋内を完全禁煙にすべき〉との声も挙がる。 だが、こんな強制的な規制の動きに飲食業界は戸惑い、反発している。東京都飲食業生活衛生同業組合の事務局担当者は、こう訴える。「われわれの組合員の多くは、店舗面積50平方メートル以下の小さな店ばかりです。完全分煙が義務化されても狭い店内を喫煙席と禁煙席に仕切るのは物理的に無理があります。 分煙ができない店は完全禁煙にしてしまえばいいというのも行き過ぎた議論です。ただでさえ、分煙環境の整った大手チェーンにお客さんを奪われている中、禁煙にしたらますますお客さんは流れてしまいますし、売り上げが激減して店の死活問題に発展します」 同組合では、飲食店舗の入口に「喫煙ルール」を示すオリジナルステッカーの貼付を広めることで、禁煙者も喫煙者も気持ちよく過ごせる店を選ぶことができ、受動喫煙防止にも寄与すると考えている。そのため、2011年より〈喫煙スペースあります〉〈禁煙席と喫煙席があります〉など8種類のステッカー配布を進めている。 また、東京都も五輪を見据えて訪日外国人にも店の喫煙に関するスタンスが分かりやすいようにと、4種類のステッカーを3万枚製作。都内店舗への配布を始めた。 昭和7年創業の老舗おでん屋『新橋お多幸』(東京・港区)では、5年前より座敷の個室を禁煙にし、3年前からカウンター席も禁煙にした。たばこが吸えるのはテーブル席だけだが、店の外にも灰皿を設置するなど喫煙者に配慮した分煙空間をつくっている。「新橋はサラリーマンの街でたばこを吸うお客さんも多いのですが、隣の席から流れてくる煙がイヤだとおっしゃる人も増えたので、分煙にすることを決めました。特にカウンター席は隣の人との距離だけでなく、おでん種が入った鍋も近いため、衛生上も禁煙にしたほうがいいだろうとの判断です」(新橋お多幸社長の柿野幹成氏) 店先の柱には、前出の東京都飲食業生活衛生同業組合のステッカーに加え、東京都のステッカーも貼り、はっきりと分煙実施の意思表示をしている。 同店を訪れた50代の男性会社員は、「店に入る前に表示は見ました。もし、たばこが完全に吸えないお店だったら、おでんは諦めて違う店に変更していたと思います」と話す。 こうした店側の自主的な分煙対策は、少しずつではあるが着実に浸透してきている。柿野氏は「店のルールを周知させるまでもなく、喫煙者のマナーはきちんとしているから問題ない」という。「昔はたばこに火をつけたまま吸わずにずっと持っているだけの人もいましたが、いまは喫煙席に座っても隣のお客さんが吸わなかったから、我慢してわざわざ外に吸いに行く喫煙者も多い。 こうしたマナーが自ずと定着していけば、強制的に完全禁煙にしなくても喫煙者・非喫煙者がトラブルになることもありませんし、客数や売り上げを極端に落とす心配もありません」(柿野氏) ステッカーの普及促進は東京に限らず、全国の自治体でも広がりつつある。 外国人観光客も多い京都市が、官民一体となり市内4000店以上の飲食店にステッカーの貼付や店頭表示を呼び掛けるマナー啓発運動を起こしていることは当サイトでも紹介したが、その他、栃木・高知・岐阜などでも各飲食組合が「受動喫煙対策はできることから」と、ステッカーによる店頭表示を呼び掛けている。 東京都が2013年度に行った「飲食店における受動喫煙防止に向けた取組状況調査」によれば、〈禁煙〉および〈分煙〉対策を取っている店は全体の42.2%あり、そのうちステッカーをはじめとする表示をしている店は51.3%あった。 多様性を認め合う東京の「喫煙ルール」と「分煙マナー」。そのうねりがさらに高まれば、全国への波及効果は絶大だろう。なによりも、自発的な分煙社会の醸成は、他人を気遣うという意味において、様々な国や文化で育った人々をもてなすオリンピックでも活かされるはずだ。関連記事■ 神戸の中華街・南京町の分煙化の取り組み 客の9割が賛成■ 喫煙所がガラガラに 某IT企業で効果抜群だった禁煙策とは■ 「喫煙席でも子供や妊婦がいたら吸わないべき」と7割の中年女性■ 肺腺がんは非喫煙者にも多く発生 女性ホルモンとの関係研究も■ 東京の受動喫煙対策 飲食店の分煙努力は軽視されていないか

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    三池崇史監督の分煙提案が業界に波及 撮影所にメッセージも

     受動喫煙防止の目的などから職場内で進む分煙対策。いまでは大企業を中心に屋内・屋外に専用の喫煙スペースを設ける事業所は増えた。ところが、喫煙者にとってみたら、必ずしも「快適な空間」とはなっていない。「ウチの会社の喫煙所は質素なプレハブづくりで4人も入ればギュウギュウ詰め。たばこをゆっくり吸いながら気分を落ち着かせるなんてことは到底できません。 屋外にも喫煙所はありますが、建物の裏手にある倉庫脇、しかも日の当たらない場所で、〈私語厳禁〉〈長時間の喫煙禁止〉〈吸い殻以外のゴミを出すな〉なんて注意書きだらけ。ささやかな休憩も後ろめたい気分になります」(千葉県内にある機械メーカーの従業員) これでは仕事で張り詰めた緊張を解きほぐす“一服の効用”など望めるはずもない。 しかし、こんな空間だったらどうだろう――。喫煙所をはっきりと示すデザイン調の共通標識。そのスペース内には、灰皿と街中のオープンカフェを思わせるオシャレな赤いチェアが数脚置かれている。 そして、各喫煙所の壁面には、〈議論の火花は散らしても、火の粉は散らすな〉〈常識をこえた作品を。スペースをこえない喫煙を〉〈物語の行方と煙の行方は、最後まで見届ける〉〈マナーを守ると、現場の空気はちょっとよくなる〉 といった、センス溢れるキャッチコピーの書かれたプレートが掲げられている。コピーライターの岡本欣也氏が手掛けた、さり気なくも目を引く文言が喫煙者を和ませつつ、マナー啓発にも役立っている。実に気の利いた喫煙所だ。 これは映画会社、日活の調布撮影所(東京・調布市)内で今秋整備されたばかりの喫煙スペース。日々、独創的な作品づくりに追われる映画会社らしい分煙対策といえるが、発案者は『十三人の刺客』や『クローズZERO』、『ヤッターマン』などの作品を次々と世に送り出す三池崇史監督だった。自らもスモーカーの三池監督は、兼ねてより撮影所の喫煙スペースの在り方について、一家言を持っていたという。「愛煙家の側から理想的な分煙を発信していこうという思いから始まり、吸う人にも吸わない人にも心地よい環境を作ることがテーマでしたが、空間をデザインするというのは本当に難しい。 なんせ、撮影所というのは各社に個性があり、それはその撮影所の歴史が作り上げているもの。そこに自然に存在できる喫煙所空間をつくることは、そこで創られてきた映画そのものと溶け合うような不思議な感覚があります」(三池監督のコメント) 映画業界とたばこは切っても切れない関係にある。もちろん、監督をはじめ、出演俳優や撮影スタッフがたくさん集う撮影所は、コミュニケーションの場として喫煙所の存在が大きい。 それだけではない。映画ファンの記憶に刻まれた名作には、たばこが重要なシーンの演出に使われたケースも多い。三池監督は、そうした映画業界の歴史や文化を残した分煙環境づくりに頭を悩ませたのである。 実際に所内の喫煙環境整備を手掛けた日活・映像事業部門撮影所グループの佐藤龍朗氏(施設管理チームエキスパート)もいう。「昔の日活アクションシリーズなどは、暗闇でたばこに火をつけることで顔が浮かび上がる演出があったり、エンディングで主人公がたばこを揉み消して颯爽と去っていくシーンが印象的だったりと、たばこは映画の『小道具』として欠かせないものでした。タイミングやきっかけ、間を持たせる効果もあったのです」 いまはテレビドラマを中心に喫煙シーンを自粛する作品も増えたが、映画の世界は文化的なアイテムとしても、たばこを用いた表現の自由度を確保している。それだけ喫煙者に寛容な業界といえる。だが、撮影所内では非喫煙者への配慮も決して忘れてはいない。「最近は若者や女性でたばこを吸わない人も多いので、壁で囲った喫煙スペースでも、人の出入りが激しい場所に煙が行かないよう、排気ダクトで風の向きを変えるなどしています。 撮影所は様々なセットや配線なども多く、施設の管理上、火の取り扱いにはさらなる注意喚起が必要でした。そんな中、三池監督のアイデアも取り入れた喫煙スペースを設けることで、喫煙者・非喫煙者双方が気持ちのいい空間をつくることができましたし、利用者全員のマナー向上に繋がるものと期待しています」(前出・佐藤氏) 三池監督の提案は日活のみならず、東宝など別の映画会社にも広がり、自主的な分煙整備の流れは業界全体に波及しているという。 日活・調布撮影所内の屋外11か所に設けられた喫煙スペース。その中でも三池監督が特にお気に入りの場所には、こんなコピーが躍っていた。〈極道もお化けも怪獣も。ここではマナーを守ります〉 自身がメガホンをとる『極道大戦争』の撮影中に考案されたというメッセージだ。三池監督が分煙対策で魅せた演出は、たばこ議論に象徴される“マイノリティー排除”の社会風潮にも一石を投じたのではないか。※編集部より/日活の調布撮影所内は一般の見学者受付は行っておりません。関連記事■ 6割税金のたばこ 意外と知られていない国と地方ダブルの税■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ 三池崇史監督 ユルさ全開の不思議ワールド「地球兄弟」が完結■ 「喫煙席でも子供や妊婦がいたら吸わないべき」と7割の中年女性■ たばこ臭が嫌いな喫煙者 自分で吸うたびに歯磨き計1日20回

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    タバコが健康に悪いかどうかという議論は「もはや、これまで!」

    黒鉄ヒロシ(漫画家)佐藤英明(撮影)ヒトラーのブラックユーモア 正しいと信じて成したことが実は間違っていた──後世から歴史を振り返ってみると、 そういう例はいくらでも出てきます。自分の意見は正義である、非の打ちどころがないと思っても、その考えの発露は個人の来し方と、それまでの学習にあるわけですから、それがもし間違っていたらどうなるのか。それをまず疑ってかからなければいけない。 早い話が、韓国の朴撞恵(パククネ)大統領の「加害者と被害者の立場は千年たっても変わらない」云々とい う発言。歴史を知っている人なら吹き出すよね。十三世紀の蒙古襲来、いわゆる「元冠」のとき、その気のなかった元を焚きつけて日本侵略の先陣を切り、対馬・壱岐の島民を虐殺したのは高麗です。あまつさえ、日本文物を教えたのは自分たち朝鮮人だと思い込んでいる。 歴史や事実を客観的に見るということがいかに難しいか、お隣の国々をみるだけでよくわかるでしょう。うっかりすると、村落全体が魔法にかかっている恐れもあるし、村落が国家に拡大すると、国民を魔法にかける為政者も出てくる。 それに照らしてみると、国家が国民の健康に口出しし始めたときは危ない。そういうときの国家は、国民を税金取り立ての対象、あるいは兵隊の頭数としか見ていません(笑)。ここには国家としての欲望が必ず潜んでいるんです。 禁煙を国策として国民に最初に押しつけたのは ヒトラーです。彼は母親を肺がんで亡くしている。自分は貧乏でタバコが買えなかった恨みもあって、それをタパコのせいにしました。それで、健康な兵隊と、健康な兵隊を産む女性がほしかったために禁煙を命じた。ドイツの実験的・即物的、ブラックユーモア的な面白さがそこにあるんですが、ただし、当時のドイツ医学の総力を上げてタバコと肺がんの関係を調べたけれど、結論が出なかった。 あのドイツにして立証できなかったんですよ。 そもそも副流煙がどうこう言われ出したのは、ノルウェーの女性首相ブルントラントがWHO(世界保健機関)の事務局長に就任したとき(一九九八年)の演説で「煙草は人殺しの悪魔だ」と喫煙批判をしたのがきっかけです。ところが、彼女はあのときは“電磁波過敏症”とかいう 病気にかかっていて、だから、あんなに過激な発言をしてしまったと後に謝っているんです。でも、 一度口にしたことをあとから謝っても遅い。ご承知のように、WHOは世界中の医療を牛耳っていますから、医療関係者みんながそれにおもねって、「ハイハイおっしゃるとおりでございます」と認めてしまった。ヒトラー、ブルントラントの思い込みから始まっているんです。 よく言われる「オーラ」にしても、ロシア人の 学者が植物から何やらボワーッと出ているものを写真に撮って、それがオーラとして広まったんで すが、その学者はあとから単なる水蒸気が写ったものだったと誤りを認めているんです。それでもいまだにみんな「オーラ」が見える、見えないと騒いでいる。一度強い印象を与えてしまったものをもとに戻すのは至難のわざなんです。設問自体を疑え設問自体を疑え タバコが健康に悪いかどうかという議論から一歩引いて、見かたを変えてみれば、もともとはアメリカ大陸の原住民が神との交信に使っていた。タバコは神事・祭杷や呪術に用いられていたわけです。つまり、喫煙は宗教活動だった。そういう観点からすると、健康に悪いからやめろというのは信教の自由を脅かすものということになる(笑)。宗教の儀式に対して外部からあれこれ批判すべきではないでしょう。まあ、人身御供みたいなことになると、人権問題だ、野蛮だというのでやめさせるのはわかります。だけど、タバコを健康という観点だけからみるのはあまりに一面的だ という話です。 そもそも「体にいいか悪いか」という設問自体が正しいかどうかを疑いもせず、嫌煙に飛びつくのは、わたしだけはオレオレ詐欺にひっかからな いと言っていながらだまされるような人たちでしょうね。設問自体を疑ってかかれば、まず、健康の意味をちゃんと説明できるかどうかが前提になる。長生きすなわち健康なのか。健康ブームというのも、そういうあまり深くものを考えない人たちに 支えられているんでしょうね。健康食品とか何とかいって、通信販売でとんでもないものを売っているじゃないですか(笑)。それをやすやすと買うのは、お値段も手ごろだし、編されても腹は立たないからなのかな。 ちょっと前までは、「どうぞ、どうぞ」と勧めないまでも、「俺の前でタバコを吸うな」という人はいなかった。それでは角が立つから、副流煙の話を持ち出したんでしょう。そばにいるわたしにも実害があるんだからやめてくれということですね。あげくに子供の目の高さに煙草があるから危険だと言い始めた。そこまで言われると、「もはや、これまで」(笑)。 要するに、正義である、完全無欠であると信じている考えにも穴がいっぱいありますよということです。当然、いましゃべっている私にしても同じですよ。ただ、私は“断定”はしない(笑)。健康って、百人いれば百人とも考えが違ってしかるべきで、地域によっても違うだろうし、時代や、四季折々によってもそれぞれ違うでしょう。 それを明確に説明できずに「タバコは健康に悪い!」と主張する人たちには、遊びというか余裕というか、幅というか、そういうものは理解の外なんですね。禁煙運動でも嫌煙でもどちらでもいいんですが、現象をみてフッと笑える人間でないと、語る資格がない。全方位的なユーモアの感覚がないとね。おそらく、人生もそうでしょう。「かくあるべし」みたいに断定する人聞は「もはや、これまで」です。「生まれちゃったよーん」みた いな感じで生きていくのがいい。 赤ちゃんはオギャーと泣いて生まれるけれど、もし言語を習得していれば、実は生まれた瞬間に「もはや、これまで!」と叫ぶべきなんだ(笑)。鄧小平のカンチガイ鄧小平のカンチガイ ところが、これが困っちゃうんだけど、生きていくためにはヘラヘラ笑ってばかりもいられない。「なーんちゃって」って笑いつつも、締めるところは締めないと、せっかく生まれてきて、ダラダラしているだけだと困っちゃうわけです。どこかに心棒を通さにゃいかん。そう考えると、日本人が考えた武士道というのは実によくできているんですよ。いろいろな意味で完全無欠な、神がかった奇跡に近い。まあ神がいるかどうかはまた別問題 だけれど(笑)。武士道を規範にすれば、まず他人に余計な口出しはしませんね。自慢もしないし、自らについて多くを語らない。それに覚悟がある。 武士道があったから、日本は西洋列強の脅威に屈せず、明治維新を成し遂げた。それどころか、あっというまに西洋に追いついてしまいました。ペリーが黒船で来航してから国産の軍艦で清を打ち破るまで、わずか四十一年です。まさに驚天動地。こんなことは人類史上、二度とできません。 それで中国・朝鮮が、それまでパカにしていた武士道、明治維新というものを勉強するんですよ。西洋もしました。アメリカもいまだに研究しています。ところが、理解できない(笑)。これは彼らにはどうしても理解できないでしょうね。毛沢東、周恩来なんかはいい線までいったんですが、やはり途中でギプアップした。  黒鉄氏と西部蓮氏が人類への絶望を朗らかに語り合った対談集『もはや、これまで』( P H P研究所) でも、 毛沢東を讃美するつもりはないけれど、とりあえずは中国を支配するところまでいったやつだから、ある程度の見る目はあるんですね。彼は共産党が政権をとれたのは日本のおかげだと言っています。これはシニカルでもあるし、嫌味でもあるんだけれど、それを言語化したというのは、さすがに彼は日本をそこそこ理解できていたんだと思う。まあ中国六千年という嘘はついているけれど(笑)。それに比べると、鄧小平はまったくわかっていなかった。        鄧小平が副総理だった一九七八年(昭和五十三年)に来日して新幹線に乗ったとき、日本の技術力に驚嘆して、「わが国は遅れている、この技術を何としても手に入れたい」と非常に真塾な態度で頭を垂れた。車窓に目を移してジーッと見ていた鄧小平の姿に日本人は好感を持ったんですよ。それから三十年後に、日本の技術をコピーしたかパクッたか、あるいは日本から持ち込んだ車両の色を塗り替えたのかはともかく(笑) 、中国は新幹線を走らせました。 ところが、これは記録に残っているんですけれど、鄧小平は改革解放をスタートさせた当時、こんなことを言っていた。「日本ごときがこれほどの経済成長を成し得たのであるから、大中国に成し得ないわけがない」と。 その理屈がむちゃくちゃです。鄧小平いわく「中国は大国である、人口が多い、それに社会主義国である。だから日本ができたことは中国にもできる」。これは謎ときにも何にもなっていない。だから、やはり失敗した。いまだに日本にできたことができていません。この謎ときは、実は武士道よりさらに前、織田信長まで遡るんです。「天下一!」の価値観「天下一!」の価値観 ものづくりに対して、信長は「天下一!」と褒め称えました。それを秀吉も踏襲し、家康も踏襲しますから、日本一の畳屋とか瓦職人とかが各分野に出てくるわけです。このときに価値の転換が行われた。金銀とは異なる価値、最高のものをつくるという価値観を日本人全員が自覚し、共有したんです。自分のつくったものは、誰にも負けないという誇りを持った。納期を守らないといけないんだから、芸術家ではないんですよ。職人として最高のものをつくろうとみんなが励むから、勢い頭がよくなってしまう。 これは学歴やアカデミックな知識とは違う。知恵という意味で日本人みんながそろって賢くなってしまったんです。欲望と欲求とは違うと思うんですが、英語のwantとneedの違いと言ったらいいかな。衣食住はneedであるけれども、そこから一歩進んだ、でも芸術ではない、たとえばしゃもじでも最高のものをつくろうという方向に進んでいった。ただご飯をよそるだけなら木ベラでいいじゃないかという考えも成り立つけれど、 日本人のつくるしゃもじの曲線の美しさ。あくまでも実用性を追求しながら、そこに美を生み出す。 儒教にがんじがらめになっている朝鮮では、手足を動かす仕事や肉体労働は下層階級と奴隷のするものだとみなされ、職人も知識階級の貴族から差別されていた。それが日本では褒められ、尊敬されるから、来日した陶工なんかは感激してみんな帰化してしまった。だから彼の地では優秀な職人がいなくなったし、育たなかった。いまでも中国や朝鮮のものづくりの技術は悲惨極まりない。ソウルの南大門の復元工事が終わって記念式典を開いたと思ったら、その直後から塗装がはがれおちたり、柱があちこちひび割れしたりというので、韓国の担当省庁が謝罪したというニュースが最近ありました。日本の接着剤を使ったせいだとか何とか言い訳していたけれど、日本人から見たら話にならない。ちょっとひどすぎるね。信長と戦国を独自の視点でブラックかつシュールに描いたシリーズ第三弾『新・信長記 地』(PHP研究所) 刃物にしても、ドイツのゾーリンゲンが日本の刃物にはかなわないから、刃の部分は日本がつくり、柄の部分は自分たちでつくって合体させて商品にするようになった。これは物品におけるグローパリズムと言えるかもしれないけれど、やはり日本製は日本製。日本の職人の技術というのは 世界でも突出しています。 余談ですが、グローパリズムの時代だなんて騒いでいる連中はどうかしている(笑)。世界のさまざまな文化を一つの基準の下に置くなんでできるわけがない。文化・文明というのは、慣習が日常化していくなかで残ったものが民族や地域に根ざし、それがまた時代とともにあるものは捨てられ、あるものは揉まれて残っていく、それを繰り返して育まれていったものでしょう。 その中心となるものは言語ですよね。そうすると、言語を選択する以上は、その国ないし地域の文化を守ること、つまり保守以外にあり得ない。「革新」というのなら言語も新たにつくったらどうだということになる。ところが、これがつくれない(笑)。 私が若いころにエスペラント語という人工的な“世界共通語”がもてはやされて、これからはエスペラント語だって勉強している友人が二、三人いた。最近、そのうちの一人にバッタリ会ったら、本当に時間の無駄だったと後悔していた(笑)。それはブラッドベリとかSFエンターテインメントの世界の話なら面白いんですよ。だけど、それを現実にやろうとすると、ちょっと無理がある。 話を戻すと、世界史上でも奇跡的な、知恵にひいでた日本人という賢い国民ができてしまった。すると、そこから何が生まれるかといえば、民主主義的なものなんです。民主主義というのは非常に欠陥のある制度だけれど、現在のところ、これに代わるものがない。チャーチルも、「民主主義は最悪だけれど、ほかにないからこれを選択するしかない」と言っています。ですから、これを採用するにはよほど民度が高くなければならない。 実は民主主義をいちばん理解していたのはヨーロッパ人ではなくて、日本人なんです。 幕末に日本にもやって来た西洋列強は、中国にはアへンを売りつけ、アジアを植民地化して、原住民から搾り取るだけ搾り取ることしか考えず、極悪非道の限りを尽くしたでしょう。日本人はすでにして高度な倫理観を手にしていたから、異民族に対してあんなひどいことはしていない。『新・信長記 地』より封建制度のなかった国封建制度のなかった国 中国にちょっと触れますとね、紀元前二二一年、秦の始皇帝が即位したときにあの国の運命が定まってしまいました。始皇帝は封建制を廃止して、皇帝による中央集権制を敷いた。私は封建制の味方というわけではありませんが、ハシカみたいなもので、いいか悪いかは別にして、これを通過しないと国と国民が賢くならんのですよ。封建制度がなかったから、中国人、朝鮮人のメンタリティは古代からほとんど変わっていない。中華思想というのはそう考えても普通じゃありません。それは封建制度をやめてしまったからです。 アメリカにも封建制度はなかった。ですから、よく目をこらして見ればアメリカと中国はそっくりですよ。正面からは見えない尻尾がつながっている双生児ではないかと思うくらい。「オブ・ザ・ピープル、バイ・ザ・ピープル、フォア・ザ・ピープル」の「ピープル」を「人民」なんて訳すから勘違いする。「ピープル」は「アメリカ人」のことです。つまり「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための政治」、インディアンを皆殺しにし、アフリカ人を奴隷にしたアメリカ人のための政治なのです。 ローマがカルタゴを滅ぼしたとき、二度とカルタゴが復活しないように都市を焼き尽くして草木も生えないよう土地に塩をまいたという話があるけれど、これはアメリカが敗戦国日本に対してやったことと驚くほどよく似ていますね。 もうずいぶん前のことだけれど、いちばんおかしな犯罪は銀行強盗と贋札だって阿佐田哲也とゲラゲラ笑ったことがある。金がない。じゃあ、銀行へ盗りに行こう、あるいはつくってしまおう。この妙に短絡的な発想は、非常に中国人的なんですよね。綿密な計画を立てて銀行からまんまと金を盗めるくらいなら、もっと別のことができるだろうし、贋札をつくれるほどの技術と能力があれば、ほかにもやることがあるだろう(笑)。 彼の国では以前、段ボールを餃子の具に入れたという“事件”がありましたが、彼らは人工卵までつくっているでしょう。信長みたいに「天下一!」と褒めてやらないから、中国人は何かしたいわけですよ(笑)。 視野狭窄になると卵しか見えないけれど、そもそも卵というものは、庭があって鶏がいて、餌があって、太陽と水があって初めてできるものでしょう。昔は中国人もわかっていたはずですけどね。それが共産党によって──つまりは鄧小平の話になるんですけれど、彼は「先に豊かになれる者から豊かになって、遅れた者に手を指し伸べよ」と言った。これではダメなんですよ。現に、豊かになった者は落伍者を助けるどころか、金を持って国外に逃げてしまった(笑)。倫理観を教えるのが先でしょう。「死にとうない」「死にとうない」 武士道やら世界史の断片みたいなことを話したのは、要するに、「タバコごとき」ということなんですよね。タバコだけじゃない、戦争ごとき、国家ごとき、ぜんぶ「ごとき」なんです。つまり、「断定はできません」ということです(笑)。あらゆることについて断定できるのは神だけなんですよ。では、神はいるのかと問うたら、その瞬間に神はいないと気づく人は気づくはずです。言語で問うているわけですから。 弘法大師の伝えた「真言」とは、仏の真実の言葉という意味ですから、つまり「言語前」ということです。聖書は「まず言葉ありき」というところからスタートして、言語以前の状態をなかったことにしている。これはずるい。日本人はいち早く気がついていたんですよ。宮本武蔵も気がついた。武蔵ごときがですよ(笑)。 武士道のすごさは、民族ではない、人としての生き方を説いているところにあります。山本常朝の「葉隠」は鍋島藩士の心得ということもあって、視野狭窄に陥っているところはありますが、本質を抽出すれば、要は覚悟の書です。 一休宗純が息を引き取るとき、弟子が「最期の言葉を聞かせてください」と耳を近づけたら、ひと言、「死にとうない」って言った(笑)。これは作り話かもしれませんが、一体和尚は正月にしゃれこうべを杖にのせて、「正月は冥土の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と詠ったくらいシニカルな人ですから、一休さん最後のブラックユーモアととるべきでしょう。要するに「死にとうない」というのは「だから、どうした」ということですね。 ですから、タバコが体にいいか悪いかという設問を解くカギは、副流煙がどうの、肺がんがどうのという、そんな議論の周辺にはないんですよ。万巻の書を読み、思索し、さまざまな経験をしたあげく、首うなだれて「人生ごとき」とつぶやく──そういう心境に至ったら、健康の意味を問うこと自体、もはや無意味になる。 ただ、嫌煙を主張する人たちは、とにかく健康に悪いんだ、タバコの煙が嫌いなんだ、匂いがいやなんだからやめろとヒステリックになりがちでしょう。だけど、そうやって断定するのは子供の駄々と同じなんですよ。「いやといったらいやなんだい」って子供が駄々をこねたら、もうブン殴るしかないわけですが、大人ではそうもいかない(笑)。そんなに厚化粧して、おまえのほうが匂うだろうがって言いたくもなるけど、ケツまくるのはやはり下品ですから、避けるしかない。そうしないと袋叩きにあう(笑)。 要は、あたりまえのことですが、すべての軸は自分にある。面白がるのも自分だし、怒るのも自分なわけですよね。そうすると、怒るって何だろう、叱るって何だろう、他者に道を説くとはどういうことだろうという議論に立ち返ってしまう。だからすべては天に対しての独り言にすぎない。 そうすると、アメリカ大陸原住民のタバコの儀式の話に戻りますね。これは宗教儀式なのであると。健康とか何とかとは話がまったく違う。神との交信をしているんだと。そういう意味ではタバコ問題と靖國問題はよく似ています。中国や韓国は「靖國に行くな、行くな」と騒ぐ。これを最初に問題化して火をつけた朝日新聞はノルウェーの女首相みたいな存在ですね。 己を疑ったことのない人たちが、嫌煙運動に奔走する。日本史にも世界史にもそういう例は山ほどあるにもかかわらず、それに気がつかないということは本を読んでいない、あるいは深くものを考えたことがない。いい友だちもいなかったから、それを思いやることもなかった気の毒な人たちです。無残やなというしかない。 山本夏彦さんは「正義ほどやっかいなものはない」とおっしゃっていましたが、正義自体はいいんです。ところが、一途に思い込んだときには断定が入る。それが大きな誤りなんです。 お前だって、「断定はいかん」と断定しているじゃないか、どうするんだと言われたら、ウフフと笑って逃げるか、“ダンテイの新曲”なんちゃってダジャレでごまかすしかありませんが(笑)。

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    タバコとアニメとナチスの香り 『風立ちぬ』批判への反論と宮崎駿論

    古谷経衡(批評家) これは何かのジョークか、と見紛(みまが)うようなヘッドラインが過日世間を賑(にぎ)わせた。NPO法人「日本禁煙学会」が、現在公開中でロングランが続く『風立ちぬ』に対し、猛烈な抗議を行ったのである。宮崎駿は九月一日、伊・ベネチアでの記者会見で正式に引退を公表した。結果的に本作は宮崎の長編最後の作品となったわけだが、その話題性と相まって本作『風立ちぬ』に対する思わぬ角度からの「抗議」は、今なお多方面から物議を醸かもしている。 彼らの主張を簡潔にまとめると「作中に登場する喫煙シーンが、喫煙美化であるからけしからん」というものだ。彼らはその主張の仔細を「風立ちぬに対する見解」として自身のWEBサイト上に公表しているが、その検証は後述するとして、彼らが問題視している本作中の喫煙シーンとはどういったものであるのか。まず簡単に振り返ることにしよう。『風立ちぬ』ポスター 『風立ちぬ』は作家・堀辰雄の同名小説から舞台設定を拝借し、そこに零戦設計者として著名な堀越二郎の人生を融合させたものであるのは言うまでもない。「禁煙学会」が「問題視」した喫煙シーンとは、ヒロインである菜穂子が肺結核の病を患い、富士山麓のサナトリウムから抜けだして零戦設計者の二郎とつかの間の新婚生活を行う、というくだんのシークエンスの中に登場する。 菜穂子は死を悟っている。ペニシリンが存在しない当時だから致し方ない。そして「美しくも儚(はかな)い」刹那の同棲生活に身を投じていく。禁煙学会が問題視したのはこの場面だ。日中から床に伏せがちな菜穂子が、ようよう帰宅した二郎をねぎらう。その際、二郎はおもむろにポケットからタバコを一本取り出すが、「あ、ここでは……」と思慮する。つまり菜穂子の肺病に思い至って、その副流煙が彼女の肺を更に侵すのではないか、と躊躇(ちゅうしょ)するのである。しかし菜穂子は「いいから」と一服を促す。そこで初めて、二郎は煙を吐く。このシーンが、「喫煙を魅力的に描いている」とされたその核心なのである。非喫煙者への宮崎の配慮 考えるまでもない事だが、このシーンを素直に解釈すると、「タバコの副流煙の害を承知している二郎が、妻の肺病を慮(おもんばか)って一旦、喫煙を躊躇したが、それよりも新婚生活の甘美なるに重きをおいた菜穂子の勧めによって一服する」というもの以外にはない。実はこのシーン、極めて慎重に宮崎駿が非喫煙者(それこそ禁煙学会のような)に対する配慮が込められている場面なのである。「世界には絶望しかない」 なぜなら、「副流煙の害」(それが真実かどうかはともかくとして)が巷間言われるようになったのは一九八〇年代から。昭和初期のこの時代、「結核患者の横でタバコを吸うのは悪」という認識は存在していない。もっと言えば、当時、「タバコは肺病に効く」という認識が一般的であった。結核が日本人の死因第一位であった当時、「タバコは肺病の予防薬」とされ珍重されていたのだ。サナトリウムに健常者が見舞いに行く際、結核に罹患(りかん)してはいけないと「消毒」の為に一服してから入る、というのが作法だったという。驚くべきかなこれが当時のタバコと結核に対する認識だったのである。もっと遡(さかのぼ)れば、戦国時代にタバコが伝来して以来、タバコは薬とされ、「頭痛・肺病」に効用ありと、時の漢方医が病人に勧めたのであった。江戸時代に出された「禁煙令」はタバコの害を懸念したのではなく、タバコの失火が大火になることを予防する消防法的な処置である。まして「副流煙が結核に悪い」などと言う認識は、ここ数十年の、全く現代的な新概念に過ぎない。漫画版『風の谷のナウシカ』(徳間書店) ともあれ宮崎は、史実よりも現代における「禁煙リテラシー」とやらを優先してくだんの場面を描写することを選んだ。繰り返すようにこのシーンは、当時の人々の喫煙に対する感覚に照らし合わせて、歴史事実を描いたものではない。にもかかわらず、禁煙学会は「喫煙を魅力的に描いている」という難癖(なんくせ)をつけ、あろうことか「風立ちぬに対する見解」の中で、「主人公のモデルになった人物はタバコを吸わない人だった。歴史をねじ曲げている」と指摘する。皮肉なことに、「歴史をねじ曲げて」、現代人に配慮しているのは宮崎駿自身なのだ。歴史に素直に違えば、二郎は何の躊躇もなく喫煙し、タバコは消毒と同じで肺病に効きめあり、とされなければならない。宮崎駿の良かれと踏んだ配慮が、実に皮肉な結末を迎えているのである。「世界には絶望しかない」 禁煙学会による抗議は、更に本作のシーンが、「生命軽視につながる」ことを嘆いている。つまり「風たちぬのテーマは、戦争はやってはいけない=命がいちばん大事だ、と言うことだと思います」(原文ママ)。にもかかわらず、一方で「健康に害のある(生命軽視)」の喫煙シーンが登場するのは、この作品の「崇高なる」テーマ性を傷つけているのだ、という論法である。 結論から言うと笑止である。宮崎駿とその作品に対して、もっとも典型的な感想がこの手の論調なので、いい加減嫌(いや)になってくる。つまり、宮崎駿作品というものは、「反戦」「生命至上主義」「環境重視」というまたぞろ戦後民主主義的な三拍子揃ったメッセージが込められている、という「古典的」な認識を、彼ら禁煙学会が決定的に有しているということに対する憤慨だ。 宮崎駿が「反戦」「生命至上」「エコ」の作家だという認識は、一体何処から来るのであろうか。これらの原点は、例えば『風の谷のナウシカ』(八四年・映画版)が金曜ロードショー等で放映される度、その紹介のナレーションで「人と自然の共生を謳い……」という定型句が流れる。多分、このあたりから「宮崎駿=環境主義者(或いは生命至上)」という漠然とした印象が根付いたのかもしれない。実際、「ナウシカ」を俯瞰すると、確かに納得する点はある。巨大産業文明が崩壊して千年後の未来世界。腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の粘菌にその生存が圧迫されていた人類が、いま一度、腐海と共に生きる未来を選択して本作は終劇している。なるほど、作家・宮崎駿を語る時、ナウシカは外せないテーマだ。宮崎は生命至上主義者ではない かつてNHKの対談番組『トップランナー』に彼が出演した時、司会者から「(宮崎)監督はいろいろな作品で人と自然の共生というテーマを描いていますよね……」と言われた際、彼はその言葉を即座に否定している。自分は地球環境の大切さや命の重みを描いたことはない……というニュアンスで、「世界には絶望しかない」と切り返した。この言葉の真髄を理解するには、一九八二年から九四年の足掛け十二年にわたって「アニメージュ」(徳間書店)紙上で連載された漫画版の『風の谷のナウシカ』を読み解く必要があろう。 テレビでよく放映される映画版はこれに先行されて製作・公開されているので、原作である漫画版は、さらに長い長い物語の展開がある。ここでその内容を全て紹介することはしないが、漫画版ナウシカでは、宮崎は「生命とは闇の中に瞬く光だ」と結論している。かつての巨大産業文明を司った人類達は、その行き過ぎた科学礼賛・資本主義礼賛の価値観を反省し、結果人類を「音楽と詩を好む平和で文化的な種族」に改造しようという気宇壮大な計画が暴露される。しかし、宮崎は、主人公の少女・ナウシカに、それを「否!」と喝破させている。宮崎は生命至上主義者ではない 美しいもの。健康で健全なるもの。光り輝く人類。そういった考え方こそ、最も生命から遠い、愚かしい存在であると宮崎は指摘している。「人生や人間は、常に光り輝いていなければならない。常に美しくあらねばならない。常に健全でなければならない」とする、そういった設計的な考え方こそ、最も傲慢で醜い考え方であり、それは混濁に満ちた生命ではなく単なる人工の汚物だ、と宮崎は謳っているのである。泥水をすすり、病に侵され、己の欲に抗しきれず、それでも生きたい。その惨めで、俗にまみれた絶望の命の姿の中にこそ、一縷(いちる)の光がある。それこそが「生命の本質である」と謳って、漫画版ナウシカは終劇していく。『もののけ姫』ドイツ語版DVD この宮崎駿の哲学は、続く『もののけ姫』(九七年)でも明確に継承されていく。劇中、ハンセン病を患う包帯の「長(おさ)」と呼ばれる男が登場する。主人公「アシタカ」が、タタラ場(踏鞴(たたら)製鉄所)の女棟梁であるエボシ御前を殺害しようと目論む場面だ。男は唯一、自身を人間として扱ってくれた恩人であるエボシ御前の助命を乞うた上で、次のように吐露するのである。「生きる事は誠に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい。どうか愚かなわしに免じて……」 日本アニメーション史上、燦然と輝く名シーンである。ハンセン病は当時、病態が進行するとその病相から「業病」と呼ばれ、忌み嫌われた。前世の行いが悪いからだと烙印を押され、村の共同体から放逐され、路傍に迷った彼らがやがて「非人」などの身分に落とされていく。恐らく病状末期の「長」は、鼻が落ち、腐った顔面の、その包帯の下のわずかな眼窩の窪みがしっとりと涙で濡れている。 宮崎駿は生命至上主義者ではない。人生や人は素晴らしいものだといっているわけでもない。世界が光り輝いているなどとは決して思っては居ない。世や人生は絶望と苦しみしか無い。しかし、それでも生きたい。生きていきたいと願う、その俗っぽい泥の中から出る、生命の根源の一縷の力。つまり絶望の傍らにこそ、彼は光を見ているのである。だからこそ人間は素晴らしく、また美しいのだと宮崎は一貫して描いている。因みに、「もののけ姫」にも、当時の明朝からの輸入品と思われるキセルでタバコを吸うシーンがあるが、こちらには難癖がつかないのは実に不思議だ。宮崎アニメへの歪んだイメージ宮崎アニメへの歪んだイメージ この「宮崎哲学」を踏まえると、『風立ちぬ』もまた実に首尾一貫していることが分かる。零戦という航空機に於ける最高峰の「美」は、開戦と同時に次々と連合軍機を屠(ほふ)った。しかし他方、圧倒的な米軍の物量に次第に押され、最終的には特攻機として使用された悲劇の名機でもある。零戦は、このように明と暗の二面性が同居している。 『風立ちぬ』には、昭和恐慌直後の、荒(すさ)んだ都市貧民の姿も描写されている。宮崎は企画書で「まず美しい戦前の日本を描きたい」としているが、その美しさの中には、不況で日銭すらままならない、貧困の様子も活描されている。しかし、その二面性、光と影の同居こそ、彼はもっとも素晴らしい「美」として描いているのである。 結核に侵された菜穂子と二郎のつかのまの新婚生活にしても同じだ。常に死の影にさらされている菜穂子は、やがてくる悲劇の零戦設計者・二郎の伴侶に相応(ふさわ)しい「暗」を背負っている。本作の音声には一部奇妙な効果がある。それは、関東大震災の地鳴りと、飛行機のエンジン音の両方に、人間の、低い、不気味な声があてがわれていることだ。これはこの両者に、破壊という魔物が住み着いていることを暗示する演出である。大空を優雅に、美しく飛ぶ航空機のすぐ背後には、人間の破壊と欲望の衝動が同居しているのである。だからこそ、それは単純な光にも増して、美しく光彩を放っているのである。 私は、禁煙学会が指摘する「喫煙の美化」という頓狂な主張以前に、彼らが、実のところ全く宮崎駿の作品を理解していないことに絶望した。繰り返しになるが、宮崎駿は「戦争が悪い」とか「命が大切だ」などという単純なメッセージなど何処にも配列していない。寧むしろ彼は、実のところそういった考え方そのものを「醜い肉塊」として最も問題視しているのである。「人間は、清く、正しく、健康で健全であらねばならない」 というその傲慢な考え方こそ、光を奪い、生命を醜くしている元凶であるというのだ。正しくこの哲学で言うと、禁煙学会の考え方そのものが、宮崎駿の唾棄(だき)すべき思考であり人種にほかならない。が、作品自体を見ていないのか、そもそもよく思考していないのか、全く的はずれなイメージと論調ばかりが一方で独り歩きしている。いかに世界的で、国民的な宮崎駿とはいえ、こういった歪んだ宮崎へのおかしな期待とイメージの集大成が禁煙学会の今回の抗議であるといえよう。 もう一つ、重要な禁煙学会の主張は「風立ちぬに関する見解」の中で、彼らが指摘する「(風立ちぬの)喫煙シーンは、子供に悪い影響を与える」とする部分である。ご丁寧にどこぞの統計資料まで持ちだして、「喫煙シーンを観た子供の多くが、影響を受けて喫煙者になる」という「調査」を公表しているのだ。つまり、禁煙学会は、宮崎駿の作品を「子供向けの作品である」と捉えている。これも全くの噴飯の認識であると言わなければならない。 宮崎駿の作品は、確かに『となりのトトロ』(八八年)など、子供が素直に見てはしゃぐことの出来る作品はある。『天空の城ラピュタ』(八六年)も、正統的な冒険譚であり学童でも楽しめよう。しかし少なくとも『風立ちぬ』は子供向けとは言い難い。前出した『もののけ姫』でもそうだが、九〇年代後半以降の宮崎駿は、学童に向けた正統的な、わかりやすい起承転結の作品を作っているわけではない。 私は『風立ちぬ』を観に劇場に二回足を運んだが、本作の客層の主軸は青年以上の中・高年であり、一〇代以下の姿は極めて少なかった。むしろ、少しアニメ事情に詳しいものであれば、現在の子供を含んだファミリー向けの大衆アニメ作品の中核は、宮崎では無く細田守に移行していることを知っている筈だ。宮崎作品は子供向け、という古典的な図式そのものが、既にここ十数年で崩れているのである。禁煙学会のアニメ観禁煙学会のアニメ観 にもかかわらず、禁煙学会は宮崎作品は子供向けと一方的に決めつけ、その与える影響を嘆いている。彼らのアニメ全般に対する無理解がその背景に横たわっているのである。 そこには「アニメは子供が見るものだ」というぬぐい去れない蔑視の感情が見え隠れする。喫煙云々以前に、こういった認識こそ、世の批判にさらされるべきであろう。 私が中高校生の時、世で空前の大ブームとなった作品があった。『新世紀エヴァンゲリオン』(九五年放映開始・以下エヴァ)がそれである。受験勉強をほっぽり出し、寝る時間を惜しんでビデオを見た。関連書籍を片っ端から読み漁った。九七年の劇場版では、公開日の前日から十数時間、友人と共に列に並んだ。後に「第三次アニメブーム」と呼ばれることになった当時、私は齢十四歳だった。 『エヴァ』には喫煙者が登場する。赤木リツコという女性の研究者が、野戦指令部のラボ(研究室)でタバコを吸うシーンが頻出するのだ。本作は、テレビ東京系列で夜の六時半から七時の「ゴールデンタイム」に放映されていた。当時「喫煙シーンはけしからん」などという抗議は聴いたことがなかった。そのシーンに影響されて、喫煙者になったという人間も見たことはない。私は『エヴァ』の薫陶を受けたど真ん中の世代だが、何を隠そう現在でも私は非喫煙者なのである。 赤木リツコという女性喫煙者の登場により、女性の喫煙率は上昇したのか? 厚生労働省の統計では、女性喫煙率はここ二十年間横ばいが続いており、直近では斬減(ぜんげん)傾向にある。『エヴァ』の他にも、近年の作品の中には『カウボーイ・ビバップ』(九八年)、『ブラック・ラグーン』(〇六年)でも顕著に女性喫煙者が登場する。モンキー・パンチ原作の『ルパン三世』もアニメ版の放映は七一年から行われており、次元大介が常にタバコをくゆらせている。『機動警察パトレイバー』(八九年)でも、主役級の刑事はいつもマイルドセブンを携行している。 これらが喫煙率の上昇を招いているどころか、この間一貫して喫煙率は大幅に低下しているではないか。アニメと禁煙率には何の相関もない。そしてやはり、そこには「アニメは判断力に乏しい子供の見るものだ」という大前提的な刷り込みが見え隠れしている。「アニメ=子供向け」「アニメ=低俗なもの」という認識が、禁煙学会の根底にあるアニメ観にほかならない。アニメの登場人物の所作をそのまま模写して喜ぶほど、アニメを見る子供は馬鹿ではない。よい映画とは何か 禁煙学会の抗議を巡っては、賛否両論の立場からさまざまな議論が百出している。「(風立ちぬの登場人物は)非喫煙者だったのだから歴史の歪曲だ」という前出の抗議に対しては「当時の喫煙率からいって、成人男子の喫煙は歴史的事実に沿ったもの」という反論がなされる。一方、「(喫煙シーンを)描くのは憲法が保証する表現の自由だ」という反撃が真っ先に行われている。これに対して禁煙学会は「(嫌煙を言うのも)表現の自由だ」と言う。堂々巡りが続く。 重要なのは歴史的事実に忠実なのかどうか、ではない。歴史的事実に忠実な作品が良い作品である、という事になれば、時代劇の描写はほとんどすべてが間違っている。大抵の場合、既婚女性はお歯黒をしていないし、暴れん坊将軍が駆け抜ける夜の江戸の街は、ガス灯が発明される前なので、もっと真っ暗なはずだし、幕府の官吏が乗る馬も、背の低い品種改良前の純血種でないとおかしい。しかし暴れん坊将軍は国民的な時代劇の代名詞として、現在でも我が国で広く親しまれている。喫煙シーンへの背筋が凍る警告 史実に忠実な作品が必ずしも素晴らしい作品とは限らない。世界的に評価された黒澤明の『乱』も、戦国時代が舞台だが登場するのは世継ぎ争いが勃発した大名・一文字家である。そんな大名は存在していない。『乱』は『リア王』をモデルとした黒澤明の創作だ。『シンドラーのリスト』はナチス・ドイツ下のドイツが舞台で登場するのはドイツ人だが、登場人物全員が英語を使っている。ユダヤ人を救った実際のオスカー・シンドラーは英語を喋らない。しかし、この作品はアカデミー賞を受賞し、映画史に名を残している。事ほど左様に、創作物とは、常に虚構が伴っている。虚構があるから駄目だというふうにはならない。虚構があるからおかしいとか、歴史と違うから駄目だ、という批判は、そもそも映像作品を評するにあたっては的外れも著しい。仮に虚構が存在していようと、私は『風立ちぬ』は傑作に違いないと思う。 表現の自由、という問題もある。禁煙学会の言う「表現の自由の侵害(という批判)は、国家権力に対して行われるべき批判であって、民間団体の我々は正統な権利を行使しているだけ」というのも誠に腑に落ちない。そうであるならば、その権利の行使が『風立ちぬ』のみに限局されている理由もまた説明しなければならないが、その理由は全くなされていない。つまり、民間団体の恣意的な選別――たまたまそれがヒットしている宮崎駿の最新作だったから――が介在しているという疑いを向けられても仕方がない。前述したとおり、登場人物が喫煙を行う作品は、『風立ちぬ』以外にも数多く存在するからである。宮崎駿の作品の中で、最も多く喫煙シーンが登場する『紅の豚』(九二年)がまっさきに槍玉にあがらないのも、彼らの強烈な不作為を感じるのだ。喫煙シーンへの背筋が凍る警告 筒井康隆氏の短編小説である『最後の喫煙者』(八七年発表)は、嫌煙運動をシニカルに描いた傑作中の傑作であるが、全体主義の恐怖を描いたという点では、ジョージ・オーウェルの『一九八四』、レイ・ブラッドベリの『華氏四五一』と通底している。今回の禁煙学会による『風立ちぬ』への非難は、はからずもこういった往年の古典的SFが警鐘を鳴らした、全体主義への危機感を彷彿とさせるものであった。ナチス・ドイツは、自らの体制に相いれぬ作家の作品を「非ドイツ的」とカテゴライズし、「退廃芸術展」としてドイツ各地で大々的に見せしめにし、それでも飽きたらず焚書した。トーマス・マンなどの作家やパウル・クレー、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレといった画家をことごとく追放した。戦後、評価を受けたのは退廃的と烙印を押された彼らの側だったのは実に皮肉な話である。 こういった創作への弾圧は、実につまらない理由で開始される。クリムトは女の裸ばかり描いているという理屈で、ゲッペルスに睨まれた。退廃芸術の巣窟と名指しされたバウハウス(美術学校)は、当時の校長であるハンネス・マイヤーが共産主義者だったからという理由だけで徹底的に弾圧された。なにもこういった風潮はドイツに限ったことではない。戦後のアメリカでも、チャップリンが同じ理由で追放されイギリスに亡命している。今や古典となっているエルビス・プレスリーは当時、宗教色の強いアメリカ南部でレコードが焚書運動の対象になった。理由は「ダンスの腰使いが卑猥だから」。今考えれば実に馬鹿馬鹿しい理由だが、放置しておくと、大変な目に合うことは歴史が証明している。『風立ちぬ』への批判はこのように最早、喫煙者と非喫煙者の確執、という単純な図式に収まりきれない深刻な示唆を含んでいる。 禁煙学会は、「風立ちぬに関する見解」の最後に、「風立ちぬに限らず、映像作品を制作するすべての方々に対し、タバコシーンがもたらす影響を熟慮いただきたい」と結んでいる。背筋が凍る警告である。これを許容すると、次は「登場人物が肉ばかり喰うのは健康志向に害を与える」とか、「酒を呑むシーンが未成年者飲酒を助長する」とか、「電車の中でメールを送るシーンはマナー違反である」とか、数限りないアニメや映画に対する難癖が付けられる。 そういったシーンを含む作品は、「退廃的」の烙印を押され、果ては焚書され、後には綺麗で、害のない、光り輝く、「健康で文化的」な平和の作品ばかりが燃えカスのように残ることになるだろう。 世界には、清潔で、都市的で、洗練された、風通しの良い空間だけが残ろう。宮崎が訴えたように、この考えこそ生命の終焉であり、醜い肉塊であるとわからなければならない。生命は闇の中に瞬く光だ。人生とは明と暗の混沌だ。タバコの煙の中に、宮崎駿が込めた哲学を垣間見た気がする。ふるや・つねひら 1982年、北海道札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科卒。ネットと「保守」、メディア問題、アニメ評論などのテーマで執筆活動を行っている。著書に『竹島に行ってみた!』『韓流、テレビ、ステマした』『ネット右翼の逆襲』など。(※iRONNA編集部注:肩書き等は『コンフォール』掲載当時のものです)

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    煙草は「人殺しの悪魔」なのか

    かつて、世界保健機関(WHO)の事務局長に就任したノルウェー元首相が「煙草は人殺しである」との持論を展開したことがあります。そのWHOが今度は映画の喫煙シーンにまでいちゃもんをつけてきました。みなさんにお尋ねします。煙草はやっぱり「悪」なんでしょうか?

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    タバコを吸っていいですか? いいえダメです。

    猪野 亨(弁護士) この間、飲酒について、いろいろと意見を書いてきましたが、アルコールに負けず劣らず害悪をまき散らしているものにタバコがあります。 アルコールは、飲むことによって周囲に迷惑を掛ける、飲酒の強要などの問題がありますが、タバコは、日常的に煙をまき散らし、タバコを吸わない人にとっては、とても迷惑なものです。 昨今、喫煙率が下がってきたことは、まことに喜ばしいことです。 このタバコについて、目から鱗が落ちる思いをしたのが、「タバコを吸っていいですか?」というセリフについてです。 それは、このセリフについては、言わないで吸うよりも配慮はあるのかもしれないが、むしろ嫌とは言わせないためのもの、という指摘でした。 その指摘を聞いて、なるほどと思いました。 私が大学生の頃(今から25年前です)、同じ学生でタバコを吸っている学生から同様の趣旨のことを聞いたことがあります。 タバコを吸っていいかと聞くようにしている、断らないということを承知で聞いているし、どうぞというから堂々と吸えると。 確かに、吸わない人に対する配慮ではありません。 相手が断れないだろうということにつけ込んでいるだけです。このようなものは気遣いでも何でもありません。 喫煙率が80%とか圧倒的多数が吸っている状態、吸って当たり前の状態の中では、このようなセリフは「配慮」になるのかもしれませんが(それでも気休めです。ダメならダメと言える雰囲気の中で聞かなければ全く意味のないセリフです)、少なくとも、今の時代では「配慮」にすらならないのです。 先日、札幌市営地下鉄でのことですが、ホームでタバコを堂々と吸っている男がいました。 私としては既に地下鉄に乗っており、発車を待っている状態だったため、どう対応すべきなのか思案していました。穏当なのは駅員を呼ぶことでしょう。 しかし、現在、地下鉄などではラッシュ時でもない限り、駅には駅員がいません。だからこういう不埒な者が出現するのかもしれません。 その男の行動から目を離さず、見ていました。そのまま列車に乗り込んでくるのではないかと思ったからです。それはさすがに黙認できません。 と思ったら、火を消して1つ先の車両に乗り込んできました。 自分でもどのような行動を取るべきかと思案した経験でした。 今の時代、よく見かけるニュースがこのような喫煙者(携帯利用者である場合も多い)を注意した人が殴られ、殺される(罪名は傷害致死とされます)事件です。 報道の仕方も、注意したことによりトラブルとなったみたいな表現がなされることがありますが、いかにもケンカ両成敗的な表現です。本来的に喫煙してはならない場所で喫煙をしていることの方が問題行動であり、注意した人が非難されるいわれはありません。 こう言っては何ですが、今の時代に喫煙禁止場所で喫煙ができる者というのは、人格的に問題があることが多く、直接、関わらず公の機関に委ねるべきとも思いました。 「タバコを吸っていいですか?」という前に、周囲に迷惑を掛けないところで吸える場所を探しに行きましょう。どこかの席についている場であれば、自身がその席を離れてましょう。それがせめてもの喫煙者の配慮です。 もっともこのセリフ、最近では、あまり聞かれなくはなった気がします。 1つは最初から吸えるところに行く常識派。 もう1つは、そもそも吸って当然という非常識派。 この2つに二極分化してきたのかもしれません。※2015年1月2日「弁護士 猪野 亨のブログ」より転載

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    タバコを止めようとおもってはいけない-大学喫煙今昔譚

    も合点のところだろう、「タバコはうまい」なんて、今やそれ自体公共の場で一切まったく口にできないほど「禁煙ファシズム」が猖獗(しょうけつ)を極めている。ということで、いささか哀しい前フリはこのくらいにして、ここからその異様にしてどこか喜劇的な世の流れを、もっぱらおのれの見聞してきた大学に関連するそれにスポットをあてて回顧していこうとおもう。「煙たいんだよ」「煙たいんだよ」 さて、坂本多加雄のもとでわたしが学位を取得したのは平成五年。その翌年からジャスト一年坂本のつとめる学習院大学へ出講となった。九〇年代初期のこのころは、上記の先生の研究室はむろん、講師控室でも灰皿がいたるところにあって、タバコはまったくフリーだったと断言できる(現在は全国すべての大学のキャンパスで喫煙オッケーの場所は一~二箇所。個人研究室はすくなくとも建前上はどこも禁煙で、建物の内部全体もほとんど喫煙室皆無が常態であり、仮にあったとしてもそんなものは絶滅しようという声が烈しく飛び交っているのはいうまでもない)。 ついでその四年後の平成十年、短大から四年制に衣替えの学習院女子大学と地元の酒田短期大学へ、いずれも思想史と音楽がらみの科目で出講するようになった(ついでながら、この数年まえからわたしは専門の思想史研究を継続の一方、音楽評論活動を生業として開始している)。女子大はむろん、四年後に中国人留学生を過剰に受け入れたせいでつぶれてしまう田舎の短大キャンパス共ども、このころでもいまだどこでも自由にタバコを吸えたし、周囲のちょっと見苦しかった滑稽な禁煙パイポ・ブームを別にすれば、嫌煙キャンペーンの雰囲気もゼンゼン体感したことはない。したがって地方大学へ通うための新幹線でも在来特急でも喫煙車両は健在だった。 ただ、二十一世紀が真近に迫りつつあったこのころ、ほどなく到来する空前の禁煙ファッショ・ムーブメント激発の予兆は幾度か感得させられてはいる。 一例をあげておこう。ある週末の雨あがりの午後、神田駿河台の明治大学はす向かいにある古書会館へ足を運んでいたときのこと。むろん千代田区の公道全面禁煙なんてころではない。その日はまた、案外人どおりがまばらだったことをよく憶えている。靖国通りの交差点へ向かう大通りにそった歩道を、それまでの電車で我慢のタバコを心地よくくゆらせながら足を進めていた。 と、古書会館にあと数メートルというあたりで、真後ろから不意にポンポンと肩を叩かれ、ふり返ると灰色のハーフ・レイコートをまとう三十がらみの男が、いきなり片手をふりながら「煙たいんだよ」という。近年チャラ男とかいわれているタレントみたいな風貌だったその男は作り笑いのような微笑を浮かべていた。しかしその目がカラスのそれのごとく不気味にランランと光っている。それでわたしはちとギョッとして、おもわず「あっ、スミマセン」と頭をペコリ。そうしてしばし、そのままゆるやかな坂道を足早にスタスタ下っていくチャラ男のうしろ姿をみつめながら、憮然とした。つまり、歩行者もまったくすくないんだから、煙いならこちらと離れて歩けばいいだろうにと胸のなかで毒づきつつ、「それにしてもなんだかヘンな時代になってきたもんだな」と。 しかしいうまでもなく、やがてもっと徹底的におもい知らされるように、この件はたしかに市井における「禁煙ファシズム」暴発の前兆体験のひとつでしかなかった。明治以来の「官尊民卑」明治以来の「官尊民卑」 平成十三年、先述の中国人学生の事案でつぶれかかっていた短期大学と入れ替わりで、今度はやはり地元で新設のいわゆる公設民営方式の東北公益文科大学からわたしの専門をひとつにかけあわせたような「音楽と思想」なる講座を委嘱された。同時にこの年は、上野にある東京芸術大学からも、かねて敬愛のジャズ評論家岩浪洋三さんの後釜として「ジャズ・ポピュラー音楽」という科目も担当するようになる。つまりわたしは、この年から女子大を含むいくつもの学校を駆け回るけっこう気ぜわしい文字どおりの兼任講師となったのだった。 嫌煙運動すなわち「禁煙ファシズム」のマグマが胎動しだしたのも、ちょうどそのころからだったとわたしはおもう。また、そのマグマが強烈な赤い炎を吹きあげだしたのは、疑いもなく平成十五年春に施行される「健康増進法」という奇怪な法律の出現にあったとも。 たぶん当時ほとんどの日本人が、とんと気づかなかったといおうか、知っていたとしてもさしたる関心も示さなかったであろうこの法律は(かくいうわたしも大分時間がたってからこの法の存在を知ったんだが)、そもそも栄養増進法の改訂ヴァージョンとしてできあがったものだった。ために同法条文のほとんどは、食品の栄養に関わっている。今おもえばしかし、問題はその第二十五条だった。では、いまだ一瞥(いちべつ)もしたことのない読者のためにその全文を掲げておこう。 「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに順ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」 みてのとおり、ラストに「講ずるように努めなければならない」とあるごとく、この条文を含む「健康増進法」に強制力はない。にもかかわらずこれによって、映画のタイトルではないが、まさしくある朝突然にといった趣で、まずは東京の小田急、京王といった民間私鉄から軒並み駅構内を全面禁煙。地上駅の喫煙灰皿も撤去されてしまう。したがって官公庁に準ずるみたいな意識の私立の学校もお上からのこの「お達し」にたちまち叩頭(こうとう)平伏となってしまう(なんのことはない、この問題でもすかさず民間のほうから明治以来の「官尊民卑」を助長しているのだ)。 わたしも含むわが国の愛煙家が、凄まじい「禁煙ファシズム」にさらされることになるのはそれからのことである。すぎはら・ゆきひろ 1951年、山形県生まれ。学習院大学大学院政治学研究科博士課程修了。音楽評論家。現在、学習院女子大学講師。著書に『蘇峰と「近世日本国民史」』『おもしろい歴史物語を読もう』、共著に『新・地球日本史1』、訳書にヴィン・シン『評伝徳冨蘇峰』、音楽評論家としての著書に『イチローと村上春樹は、いつビートルズを聴いたのか』などがある。

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    煙草シーン映画にR指定勧告 「若者の喫煙助長」は本当か

     映画が未成年者の喫煙を助長している――。2月1日、WHO(世界保健機関)が出した「勧告」が波紋を広げている。 WHOによれば、2014年に上映された米ハリウッド映画の44%に喫煙シーンが登場したほか、米国で喫煙を始めた青年の37%が、映画がきっかけだったとする調査結果もあるという。そこで、喫煙シーンのある映画について、「R指定」などの年齢制限を設けたり、放映前に“禁煙広告”を流したりする措置を取るよう各国に勧告したのだ。 これに対し、すぐさま全英映像等級審査機構が〈喫煙する場面を含むからといって、成人指定にする必要はない〉との見解を示すなど、反発が強まっている。日本でも賛否両論が渦巻いているが、ネット上のアンケート調査などを見ると反対意見が多数を占める。巷ではこんな声が聞かれた。 「シャーロック・ホームズも刑事コロンボも鬼平犯科帳もルパン三世もワンピースもみんな18禁にでもするのか。あり得ない話」(40代男性)「それを言い出したら殺人シーンも若者の残虐な犯罪を誘発するからと、すべてカットしなければならず、行き過ぎた規制だと思う」(30代男性) ツイッターでは【タバコを吸う海外俳優画像祭】というハッシュタグで、コロンボ役のピーター・フォークやオードリー・ヘップバーンほか多数の喫煙画像がツイートされる「反対運動」まで起きている。 「往年の名作には、たばこが表現の幅を広げる重要な小道具として使われたケースが多い」と話すのは、映画評論家の野村正昭氏だ。 「ハードボイルドの最高傑作と呼ばれた探偵モノの『ロング・グッドバイ』(1973)や、ウィレム・デフォーが戦場でたばこを吸う『プラトーン』(1986)など、画面にたばこが出てくる名作は無限にあって挙げきれません。 映画史上最高にたばこを効果的に使ったのは、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソン主演の『さらば友よ』(1968)でしょうね。ラストシーンで警察に連行されるブロンソンが咥えたたばこに、他人のふりをしながら無言で火を貸すアラン・ドロンの姿はとても印象的でした。こうしたシーンはたばこなくしては生まれなかったでしょう」 日本映画でも刑事モノやアクションシリーズ、時代劇などで、喫煙シーンは台詞をつなぐ「間」に使われたり、場面転換、煙による空間演出を表現したりするのに欠かせないアイテムだった。  ところが、近年の過度なたばこバッシングにより、作り手も委縮せざるを得ない状況に追い込まれている。大手映画会社の幹部が嘆く。 「昔の刑事モノといえば、捜査班のボスが事件解決後に決まって一服し、どうかしたら足で吸い殻を揉み消して颯爽と去っていくシーンもありましたが、今そんな作品を撮ったら大変です。 もちろん、敢えて荒唐無稽な作品にする必要はありませんが、合法でもあるたばこを使ったシーン自体がNGになれば、劇場の大画面だからこそ味わえる場面の深みや登場人物の感情表現、時代背景などの演出効果も薄れてしまいます。映画はわざわざお金を払って観に来てもらうもの。『表現の自由』を手放してしまったら終わりです」 映画評論家、野村氏もWHOの勧告は「まったくのナンセンスで、憲法で保障されている〈表現の自由〉の侵害にあたる」と断罪する。弁護士の中には、未成年者の「基本的権利」を奪うものだ――との指摘も出ている。 そもそも米国と同じように、日本の若者の多くが映画をきっかけにたばこを吸い始めるとは限らない。今から10年前に市場調査会社のマクロミルが発表した「タバコに関する意識調査」によると、喫煙を始めたきっかけのトップは「友人」(52.9%)で、「テレビ・映画」はわずか5.8%だった。 しかも、映画より身近なテレビやCMは、すでに自主規制の嵐が吹き荒れている。脚本家の倉本聰氏が〈まるで検閲のようにたばこの出てくるシーンを削除されてしまう〉と打ち明けているように、テレビドラマの喫煙シーンはめっきり見かけなくなった。 また、たばこ製品のテレビCMはとっくに消滅、嗜好品で残る酒類のCMも喉元を映して「ごくごく」という効果音を立てる表現を取りやめるなど、次々と制約が設けられている。それでもなお、若者に悪影響が及ぶというのか。 「表現の受け止め方は人によって違う。いくらカッコイイ主人公が紫煙をくゆらせたり、夜の酒場でウイスキーを煽ったりする映画を見続けたからといって、酒もたばこも一切やらない人はいる」 前出の40代男性が続けた意見はごもっともだ。2013年に宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の喫煙シーンを巡って物議を醸した際、当サイトでも経済アナリストの森永卓郎氏や生物学者の池田清彦氏らのコメントを紹介しながら、文化や芸術にまで介入する喫煙規制、多様性を認めない社会風潮について疑問を投げかけた。 WHOの勧告により再び論争が起きている今こそ、「表現の自由」の範疇はどこまでか、そして、映画やテレビ、CMにおけるたばこの規制強化は本当に必要なのか、改めて議論すべきだろう。関連記事■ 6割税金のたばこ 意外と知られていない国と地方ダブルの税■ たばこ値上げで吸わなくなる人急増し税収500億円落ち込むか■ たばこ臭が嫌いな喫煙者 自分で吸うたびに歯磨き計1日20回■ 2010年に収穫されたばかりの高級たばこが数量限定発売中■ たばこ店店主 増税で大量まとめ買いした人に保存方法を伝授

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    京都市のおもてなし精神 寺社の景観損なわぬ喫煙所にも反映

     近年、条例にて路上喫煙の禁止区域を定め、違反者には数千円の過料を徴収する自治体が増えたため、街中の「たばこマナー」は格段に良くなったと評価する向きがある。確かに平然と歩きたばこをしたり、堂々とポイ捨てしたりするスモーカーは減った。 だが、当サイトでも度々報じてきたように、当たり前のマナーやモラルに関する規制やルールを強めれば強めるほど、日々の生活で息苦しさが増し、かえって反発を招くケースは多い。路上喫煙の禁止もそのひとつだ。 「私は外出するときには必ず携帯灰皿を持ち歩き、人通りの多い場所では絶対に吸いませんし、できるだけ灰皿が置いてある喫煙所で吸うようにしています。でも、最近は禁止区域ばかりですし、喫煙所を探すほうが難しい。 そこで、つい1本路地裏に入って、飲みたくもない缶コーヒーを片手にコソコソと吸ってしまうことがあります。たばこは大人に認められた嗜好品。路上禁煙にするなら、せめて要所に喫煙所を設けてくれれば、こんなに肩身の狭い思いはしなくて済むのに、と思います」(東京在住の40代男性喫煙者) こうした喫煙者の不満を汲み取り、非喫煙者との共存を実現させようと努力している自治体もある。国内外から年間5000万人以上の観光客が押し寄せる古都・京都だ。 12月7日、京都屈指の「紅葉の名所」として知られる高台寺(東山区)手前にある高台寺公園で、市内11か所目となる“公共喫煙所”のオープニングセレモニーが開かれた。 灰皿を囲うパーテーションには市内産の木材「みやこ杣木(ヒノキ)」が、丸太の腰掛けには「北山スギ」を使用した豪華なスペース。何よりも、大和塀をイメージしたという外観が周囲の景観に溶け込んでいる。 じつは京都市は8年前の2007年から「路上喫煙禁止条例」を施行し、四条河原町などの繁華街を皮切りに、多くの観光客が訪れる祇園・清水地域まで、段階的に路上喫煙禁止区域を広げてきた。守らない人には1000円の過料を徴収する「罰則」も設け、2012年には年間7000人もの徴収者がいたという。 しかし、京都市は取り締まりの強化だけを目的にはしていない。前出のセレモニーで門川大作市長は、「街の美化を含めた『おもてなし』の観光振興策は、京都の経済活性化や伝統文化の継承、さらには信仰心の向上にも繋がる。喫煙所の設置はその一環で、たばこを吸う観光客の要望も聞きながら美しい街づくりに取り組んできた結果、(条例制定から)8年で着実に成果を上げている」 と胸を張った。 つまり、さまざまな人々が訪れる古都独自の「観光ルール」を周知させるためのワンオブゼムというわけだ。外国人観光客に向けたパンフレット『京都ノ トリセツ』には、路上喫煙のほか、〈ゴミのポイ捨て〉や〈畳に土足で上がる〉〈無理やり舞妓さんの写真を撮る〉〈社寺で大声で騒ぐ〉など“あきまへん”行為が並んでいる。 京都市文化市民局くらし安全推進課の中井秀和氏が話す。 「初めて京都を訪れる人たちに、できるだけ早い段階で条例やマナーを知っていただくことが大事だと考えています。例えば、路上禁止区域は足元に大きな標識を貼るなど注意喚起をしていますし、喫煙場所が書かれた印刷物は駅や観光案内所のほか、多言語表記で関西国際空港など空の玄関口にも置いています。 喫煙所については、吸う方にとっては『もっと設置してほしい』との要望がありますし、吸わない方にとっては喫煙スペースを設けること自体に反対の声が出るなど多様な意見をいただきます。しかし、京都市としてはマナーを守りながら喫煙者も非喫煙者も気持ちよく過ごしていただけるよう街の環境づくりを進めていく考えです」 今回、当サイトでは高台寺公園のほか、清水寺へと続く坂の途中にある喫煙所、京都駅周辺に点在する喫煙スペース、繁華街の木谷町に流れる高瀬川沿いや京都府庁敷地内の喫煙場所などを視察した。 いずれも人の多いメイン通りからは1本外れた場所に構えられ、煙の流入を嫌う非喫煙者への配慮がうかがえる。また、高台寺公園同様、どこも街並みや社寺の景観を損なわない自然な作りになっており、外国人旅行者が一服しながら日本人に道を尋ねるなど、観光地特有の「憩いの場」としての役割も担っていた。 おもてなしの心にも通ずる“京都市モデル”の分煙推進策は、雁字搦めの条例を制定しても街のマナーや美化の改善に繋がらない自治体や、東京五輪を控えて観光客が増え続ける東京都の模範となるかもしれない。関連記事■ 喫煙所がガラガラに 某IT企業で効果抜群だった禁煙策とは■ 公園の受動喫煙裁判 判決は「非喫煙者が喫煙者から離れよ」■ 松沢成文氏が東京五輪に向け禁煙運動 地方の分煙対策に逆行■ 肺腺がんは非喫煙者にも多く発生 女性ホルモンとの関係研究も■ 神戸の中華街・南京町の分煙化の取り組み 客の9割が賛成

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    嫌煙権は人類を滅ぼす?

    肩身は狭くなる一方ですが、今年もまた嫌煙権をめぐる動きは活発になっていくのでしょうか。ということで、禁煙ファシズムについて考える第2弾は「嫌煙権は人類を滅ぼす?」。ちょっと大げさでしょうか(笑)。

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    ダンディズムを理解できない嫌煙権は人類を滅ぼす

    矢崎泰久(ジャーナリスト) コロンブスがアメリカから梅毒と唐辛子とタバコの三つを持ち帰ったというのが通説になっていますね。よけいなことをしてくれたのかもしれないけれど(笑)。アメリカ大陸で原住民が常用していたタバコをコロンブス一行が試してみたら、なかなかいいものじゃないかというわけで、その種を持ち帰ってきた。それでヨーロッパとか中国とかキューバとかでどんどんタバコが栽培されるようになったわけでしょう。 日本人も、ポルトガル人がタバコ吸っているのをみて、あれはなんだということで自分たちも吸うようになった。日本ってある種、「間の文化」じゃないですか。タバコを吸うのが一つのクッションになる。「間がもたない」という言葉があるように、座持ちとか間持ちとか、つまり間をとることを重んじる日本の文化にタバコが合っていたからこれだけ広がったんじゃないでしょうか。煙管(きせる)とか、煙草入れ、煙草盆といったようなタバコに関するグッズを考えてね。落語に煙管がよく出てくるくらいだから、タバコ文化というものが江戸時代にはすでに定着していた。 それが明治になると葉巻とかパイプ煙草が外国との出会いによっていっぱい入ってくる。西洋に追いつけ追い越せという文明開化が、タバコ文化においても日本を駆り立てた。葉巻やパイプ煙草を目の当たりにして、好き嫌いは別としてタバコ文化も西洋化していったという歴史があると思うんですよ。そういう文化的な背景を持つものを悪あしざまに罵ののしって、なきものにしようという風潮は救いようがない。 タバコというのはナス科の多年草で、収穫してからいったん乾燥させたあと、樽に詰めて熟成させる。このときに適度な湿度を与えるんです。このへんが微妙でね。だから、本来、湿度の高い日本にはタバコ文化はなかったはずで、完全に輸入文化なんですね。タバコのおかげで日本人は世界とつながることができたと言ってもいいんです。シガー派とシガレット派 タバコのみはシガー派とシガレット派に分かれますよね。紙巻タバコ(シガレット)ではなく、葉で巻いてタバコ本来のおいしさを楽しむシガー派。それからパイプですね。名人になると、一度パイプに火をつけたら、一日中消さないでずっと手にして、吸いたいときにフッと吸う。あのタイミングというか、コツというかね、これはもう一種の芸ですね。ぼくにはまねできない。趣味が高じてブライヤーの木の根を自分で彫(ほ)ってパイプをつくっていた友人もいました。 シガー派の友人は、朝起きてまず一本のシガーの吸い口をカットして火を点けて、それを一日中持ち歩いているわけです。そうして夜寝るときに最後の一服を吸って消す。アルミで出来ているケースに入れたりしてね。その葉巻も一本、何万円かしたりする。これって大変な贅沢ですよ。 あこがれをこめて言うんですが、パイプや葉巻を吸っている連中のほうが本格的なタバコのみだと思うんですよね。ぼくのような紙巻きたばこをスパスパ吸っているようなのはタバコのみとしては二流、三流ですね。手っ取り早いからどうしてもシガレットにいっちゃう。やっぱり葉巻やパイプを愛用する人たちはとてもダンディですね。そういう洒落た生き方というのは、本当に大事にしなくちゃいけない。 シガレット派でも、作家の野坂昭如さんとか、もうお亡くなりになったエッセイストで中国文学者の草森紳一さんは、両切りのピースしかのまなかった。それで、絶対に切らさないように、いわゆる「ピー罐(かん)」(罐入りピース)をいつも左手に持っていないと落ち着かなくて、持ったまま電車に乗ったりするんです。車掌や周囲の乗客に注意されるんだけど、電車の中で吸いやしないんだから。吸っていれば注意するのはわかるけどね。中毒といえば中毒なんだろうけど、それってすばらしいことだと思うんですよ。 野坂さんも草森さんも、誰かがフィルター付きのタバコを勧めたりすると怒り狂うんです。フィルターを付けてのむことすらタバコに対する冒瀆(ぼうとく)だと思っているから、許せないんですね。そういう人たちにとってはすごく生きにくい世の中になったわけだけれど、「傾(かぶ)く」というか、何かにすごく執着する生き方って、とても人間らしいと思う。そういうものを削ぎ取ってしまおうとするのは人類を滅ぼす感性です。伯父・物集高量(もずめ たかかず) 父親の義理の兄貴にあたる物集高量(もずめ たかかず)という国文学者で博打(ばくち)打ちの伯父がいたんですが、彼には三つ大好きだったものがあって、一つはタバコ、一つは博打、それから女。この三つを生涯手放さず、百六まで生きました。その当時は東京でいちばんの長生きだったから都知事が弔辞(ちょうじ)を読んだほどです。葬式ではぼくら全員でタバコを吸って見送りました。 ゴールデンバットを最低十箱は身近に置いてないと落ち着かないチェーンスモーカーで、目が覚めてから寝るまで、飯を食うときもタバコをくゆらせていた。それこそおならをすると煙が出るんじゃないかというくらい。そういう生き方をしていた人なんです。それでボケもせず長寿を全うしました。 競馬の馬券は自分で買わなければ当たらんと思っている人だから、百歳を超えて足腰が弱っても必ず自分で場外馬券売り場に出かけるんですよ。ついていってやろうとしてもうるさがるだけでね。ところが、爺さんだからモタモタしている。それで、締め切り近くになると後ろに並んでいる連中が焦(あせ)り始めるんですよ。「ジジイ、いいかげんにしろ」「モタモタするな」とか声がかかると、爺さんパッと振り向いてステッキを振り上げてね、「ジジイの後ろに並ぶな! そんなことじゃ馬券は当たらないぞ!」(笑)。そういう男でした。 亡くなる前の日でしたが、入院先の婦長さんから「おじいさんのことで話がある」と電話で呼び出されたんですよ。何かと思ったら、看護婦のスカートの中に手を入れて困っているから注意してくれって言うんです。百六のジイさんですよ。それはそれですごいことなんだけれど、奥さんも死んじゃって、私が後見人になっていたものですから、しかたなく、「もう少しうまくやれないのか」って説教していたら、看護婦さんたちが集まってきて、「いいのよ、私たちはぜんぜん平気だから」って言うんです。爺さんは年寄りと醜いものが嫌いで、きれいな若い娘(こ)には手を出すけれど、婦長には手を出さないから嫉妬しているだけだって(笑)。 その爺さんが、『百歳は折り返し点』(日本出版社)という本を書いて、これがものすごく売れてテレビでも取り上げられました。黒柳徹子さんが爺さんを気に入ってね、「徹子の部屋」にはレギュラーかっていうくらい何回も出演した。番組に呼ばれるとタバコを吸いながら古謡を唄うんですよ。これがまた上手(じょうず)でね。そのころは「徹子の部屋」でもタバコを吸っちゃいけないってことはなかったんですね。 いまのテレビは昼から夜までバカ番組ばかりですね。どうでもいいようなくだらない話をして、わざとらしくギャーギャー笑って。やってるやつもやってるやつだけど、観てるほうも観てるほうです(笑)。だけど、あれ誰もタバコ吸ってませんね。禁煙なんでしょうね、きっと。 映画もいまはタバコを吸うシーンが極端に少ないですよね。だけど、もしタバコがなかったら、たとえば『カサブランカ』という映画は成立しなかったと思うんですよ。ハンフリー・ボガートがタバコくわえてね、紫煙をくゆらせながらイングリッド・バーグマンと別れるあのラストシーンなんて、言ってみればタバコが主役です。宮崎駿さんもヘビースモーカーだから、『風立ちぬ』でもタバコのシーンをいっぱい描いていましたね。配給会社とか資金を出した連中は文句を言ったらしいんだけど、彼は押し通したわけでしょう。あの時代のあの雰囲気のなかではタバコは重要なモチーフなんだし、宮崎駿自身にとっても、絵を描き、ストーリーを考えるときに、タバコはなくてはならないものなんですよね。そういうことを単細胞な人はわかろうとしない。 映画監督でいえば市川崑さんがいつもタバコをくわえていましたね。彼は前歯が一本欠けていたから、ちょうどタバコがおさまる。だからくわえやすいし、そこに次のタバコを入れておけるんです(笑)。それで吸いたくなったらパッと火を点けて吸う。だから、いつもタバコが歯のまんなかから突き出ている。おもしろかったですよ。嫌煙権運動は体にわるい タバコのニコチンが認知症とか脳にいいといっている学者もいるんだけど、役者の小沢昭一さんが死ぬまでタバコをやめなかったのは、認知症が怖かったからなんです。母親が九十いくつまで生きたけど、大変な認知症で、彼はずいぶん苦労したんですね。だから、自分はボケたくないからタバコはやめないと言って、本当に死ぬまで手放さなかった。小沢昭一の葬儀のときは、百六で死んだ爺さんを思い出して、ぼくはお焼香のときにタバコを吸って、それをさして帰ってきました。害ばかりあげつらうんじゃなくて、いいほうに目を向ければタバコにもいろいろ効用はあるはずなんだけれど、でも、そういうこととは関係なくタバコは大切なものだと言いたいわけでね。 いちばん腹が立つのは、街を歩きながらタバコを吸っているときに近づいてきて「ここは禁煙です」って言うお節介なやつがいることですね。このあいだも環八沿いの人気(ひとけ)のない道で、ちょっと急いでいたんで歩きながらタバコを吸っていたら、ぼくとそう変わらない年配の爺さんが、「あなた、どうしてタバコを吸っているんですか」っていきなり言うんですよ。「ええ、タバコ好きですから」って答えたらそのジジイ、「私はそういうことを聞いているんじゃない。この場所でどうしてタバコを吸っているかと聞いているんだ」と怒っちゃってね。ぼくが「吸いたくなったから吸っている。ほかに何の理由もない。あなた、ぼくが吸いたくないのに吸っていると思っているんですか。好きだから吸っている。それについてあなたにとやかく言われる覚えはぼくにはありません」と言ったら「公衆道徳がわかっていない」とますます怒るわけですよ。 「公衆道徳というものについてあなたがぼくを説得できるならおやりなさい。お聞きしましょう」とタバコを吸い続けていたら、「すぐにやめてください!」ってヒステリーを起こしてね。老人だから、よっぽど暇だったんでしょうね。 ある大学で講演を頼まれたときに、壇上でタバコを吸ったんですよ、別に禁煙というわけじゃなかったから。そうしたら、不謹慎だって異議申し立てをしたやつがいましてね。だから、いや不謹慎かどうかは知らないけれど、ちょっとタバコを吸いたくなったので吸ったんでね、そのぶんあなたたちにとっては聞いてよかったなと喜んでもらえるくらいの話はしますよって静かに言ったんですが、そいつはそのあとしつこくうちの会社にまで来て、嫌煙権について記事を書かせろと言い出した。 「冗談じゃない、タバコを禁止するほうが間違いで、のむほうがまっとうなんです」と言っても、いかにタバコが悪いかを延々とまくしたてて帰らない。そのうち突然ひっくり返ったんです。びっくりして救急車を呼んで、そのまま入院しましたが、彼は「禁煙ジャーナル」とかいう雑誌を出している有名な嫌煙権運動の第一人者でした。そういう狂信的な嫌煙家が思いつめると突然倒れたりする。嫌煙権運動というのがいかに危険なものか、体に悪いかということです(笑)。喫煙室なんかで吸いたくない たしかにタバコが体質に合わないという人はいますよ。だからタバコがいやだ、嫌いだというのはかまわないんだけど、そういう人は、タバコをのんでいるやつを見たら近づいていって「タバコをのんでいただいてどうもありがとうございます」ってお礼を言うべきですよ。われわれは彼らよりずっと税金を払っているんだから、彼らの生活を助けているとは言わないまでも、少なくとも生活を支えてやっているんですからね。 すぐタバコの値段を上げようとするのも一種のイジメですね。これでも買うかと言わんばかりでね。高い税金をとっているんだから、タバコのみがどこでも吸えるように灰皿を用意するとか、駅には必ずタバコが吸えるような設備を整えるとか、タバコのみを大事にしなければいけない。そうでしょう。 このごろはけしからんことに居酒屋でも分煙なんてところがある。このあいだなんか、朝鮮焼き肉屋で分煙だといわれてね、のべつ煙を出しているくせに何を言うか、そんな店では食わないと言って久しぶりに怒って出てきました。タバコのみは隔離して勝手にタバコを吸わせておけばいいという基本的な勘違いがある。もののわからないそういう理不尽な人たちが嫌煙権を主張しているわけです。 だから、ぼくに言わせれば分煙なんかくだらないとしか言いようがない。コーヒーのチェーン店でも喫煙席と禁煙席とに分けて、いかにもいいことをしているかのような顔をしていますが、コーヒーを飲むのにタバコが吸えない席があること自体、もはや文化の破壊です。コーヒーにはタバコが欠かせないんです。チェーン店のコーヒーなんか飲もうとするからそんな目にあうんだ、なんて言うと、また嫌われますけれど。 タバコのみは空気のいいところでおいしく吸いたいわけですよ。汚れた空気のところで吸ったって少しもおいしくない。デパートや公共施設の喫煙室なんか、ほかのやつのタバコの匂いがするでしょう。いいタバコを吸っている隣でシケたタバコの煙を吸わされるのは不愉快です。 新幹線でも、ひかりには喫煙車があるんだけど、これがよくない。車両全体にタバコの匂いが染みついていて、ぼくのようなタバコのみですら、ドアを開けて一歩入ったらひっくり返りそうなほど気持ち悪い。 いちばんおいしいのは空気のいい野外、たとえば山なんかで吸うのがいちばんですね。都会だと大気汚染がひどいでしょう。平気で排気ガスをまき散らすうえに、花粉、PM2・5、黄砂、放射能……タバコより有害なものがいくらでもある。とくに排気ガスの恐ろしさはタバコの比じゃない。エンジンを一分吹かすだけで空気の汚染度はタバコ三千本分ですからね。タバコの煙なんて微々たるものですよ。 タバコのみの理想は、まず空気のいいところで吸うこと。いつでもどこでも吸えること。ここでは吸うなと言われるのがいちばん迷惑ですね、わがままかもしれないけれど、吸いたいときに吸いたいんだから。 麻薬撲滅なんていうけれど、麻薬そのものは本来、医薬品ですよね。だけど、タバコはそういう価値さえ認められない。タバコのみはただそれだけで迫害されて、狭い喫煙室に押し込められる。これだけ多くの人が愛好して吸い続けているのにはそれなりに理由があって、生きていることに直結した何かがタバコにはあるはずなんですよ。そういうものを一切かえりみようとしない。 カーボンナノチューブっていう炭素系の微粒な素材がありますが、これが人体にものすごく悪いんです。それを使った繊維でできている競泳用水着なんか、軽くて速く泳げるという効率だけを優先して身につけているうちに炭素が体に染み込んで、それこそががんにもなるだろうし、大変なことになる恐れがある。ところが、そういうものは企業や学校がバックについているから大きな問題にはならない。日本ではタバコだけが悪者になっているという印象が強いですね。「タバコをやめるか、脚を切るか」 ぼくは糖尿病で、医者に行くたびに「体に悪いからタバコをやめろ」とうるさく言われるんです。いくら体に悪いからって、ぼくはやめないんだから言うだけ無駄だって何度言い聞かせてもわからない。こんなバカも珍しい。いろいろ数値を出してきて、これはタバコによるものだと証明しようとするんです。たとえそれがそのとおりであろうと、ぼくには関係ないと言うと、「タバコをやめなければ壊疽(えそ)で脚を切ることになる。タバコやめますか、脚を切りますか。それこそが決断です」真面目な顔をして言うから、「それは脚を切るに決まっている。脚がなくなってもタバコは吸える」。そう答えたら、もうぼくとは口を聞かないっていうんですよね。俺だって口を聞きたくない。おあいこですよ。 イジメでもないんだろうし、向こうも商売だから好きなようにやればいいんだけれど、人間ドックで儲けるのはともかく、禁煙治療だとか、タバコがやめられるというような薬を売っている薬品会社とか、そういう嫌煙権運動に便乗して金儲けをしているやつがいちばん下劣ですよ。 ぼくの周囲で禁煙したりまた吸ったりしている優柔不断なやつらはみんな早死にしました。そういう根性のないやつはもともとタバコを吸っちゃいけないんです(笑)。嫌煙権運動をやっているのはタバコをのむ資格がない、もともとのんじゃいけない連中だからほうっておくしかない。 タバコというのは人類が発見した偉大なる文化です。「世界文化遺産」がどうとか騒いでいる割には、みなさんあまりにも文化に対する自覚がなさすぎる。体に悪いとか、煙が迷惑だとかいろいろ言うけれど、タバコがなければ人類もなかったというくらい重要なものだとぼくは考えているわけですよ。人間にとっていちばん大事なのは自由だと思うんですが、その自由が保証されるべきもののなかでも、喫煙はその最たるものです。タバコがなかったら、自分の人生は実に寂しいものだったと思う。きっとずいぶん違った人生になっていたでしょうね。 人間にとっていちばん害をなすのは「ストレス」だと思うんですよ。あらゆる病気はストレスからきている。少なくともぼくはタバコによってストレスは完全に解消されています。二十歳すぎてから喫煙を始めて、それから一度もやめたことはないから、かれこれ六十年以上タバコを吸い続けている。ぼくの健康と生き方を守ってくれているのはタバコじゃないかって、それくらいに思っているんです。やざき・やすひさ 1933年、東京生まれ。早稲田大学中退。1965年、伝説の雑誌『話の特集』を創刊し、95年まで30年にわたって編集長と社主を兼務。映画、テレビ、ステージのプロデューサーとしても活躍。『情況のなかへ』『編集後記』『変節の人』『口きかん―わが心の菊池寛』『「話の特集」と仲間たち』『あの人がいた』『人生は喜劇だ―知られざる作家の素顔』など多くの著書がある。関連記事■ 言葉狩りの次はタバコ狩り? (さいとう・たかを氏インタビュー)■ 嫌煙カルト教団と戦おう!■「全面禁煙」の攻防 法を凌駕する条例などありえない

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    嫌煙ヒステリーと禁煙ビジネスを斬る!

    にどうして会場を貸すのか」というクレームの電話がありました。まるで地下の秘密組織のような言い方です。禁煙ファシズムがひしひしと迫っているのを感じます。……評論家の西部邁さんは「ファシズムそれ自体が悪いわけではない。禁煙ファシズムではなく、禁煙ヒステリーというべきではないか」とおっしゃっていますが、確かに「ヒステリー」という言い方のほうが適切かもしれません。 加瀬 会場を見まわしますと、私と同じ後期高齢者の方々が盛んにタバコを吹かしておられます。おそらく皆さんも私と同じく十代のころからずっと吸ってこられたのではないでしょうか。それでもいまだに健康で喫煙していらっしゃるということは、タバコが体に悪くない、いちばんの証拠だと思います。 日本と同様、アメリカでも喫煙率が大きく減っているのに、肺がんは劇的に増えています。原因はタバコではなく、自動車の排気ガスでしょう。にもかかわらず、デトロイトの自動車産業が大変なロビー活動を行って、タバコを悪者に仕立て上げたというのが、アメリカにおいては定説になっている。 私はもう半世紀以上、千代田区に住んでおりまして、このあいだ区議会の環境文教委員会で路上喫煙禁止条例について意見交換をしてきましたが、屋外でタバコを吸うことを禁じている都市があるのは世界で日本だけだと思います。私は年に2回はワシントンに行きますが、アメリカは禁煙ヒステリーの先陣を切ってきた国であるにもかかわらず、屋外で吸うことはまったく問題にされていません。7年後の東京オリンピックには外国から多くの観光客も来るでしょう。屋外でタバコが吸えないと言ったら、世界のもの笑いになる。 確かに歩行喫煙は人にぶつかって火傷をさせるとか、ポイ捨ては掃除が大変だという問題があります。しかし、立ち止まって灰皿を持って吸うのを禁じるというのはおかしい。 いや東京だけではありません、韓国のソウルでも屋外喫煙は禁じられていますと言う方がいらっしゃったので、韓国のジャーナリストに聞いてみましたら、千代田区をモデルにして決めたことだと言っていました。韓国人は日本人は悪いことばかりしたと言いながら、こりずに悪いことを真似ているのは滑稽です。 実は私は映画のプロデューサーでもありまして、アニメ映画『風立ちぬ』の喫煙シーンに禁煙団体が抗議したと聞いて、わざわざ映画館に出かけましたが、映画としては本当につまらない作品です。皆さん、ご覧になるまでもありません。ゼロ戦の設計者の話ですが、それなら飛行機の設計製造に関しては後進国だった日本が、15年かそこらで世界一の戦闘機を作ったという事実を紹介するべきだし、アメリカやイギリスの飛行機をバッタバッタと撃ち落とすシーンがなければならないのに、それが全然出てこない。かせ・ひであき 1936年、東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業後、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長を経て、評論家として活動。海外での公演も多い。 それはともかく、設計図を引きながら灰皿にタバコが一杯になっていくとか、肺病の妻の傍で吸うとか、確かに喫煙シーンが多い。しかし、映画でもテレビでも、殺人、暴力、不倫の場面などはいくらでも出てきます。それには文句を言わず、なぜタバコだけを目の敵にするのか。 アメリカは1920年代に禁酒法をつくった国です。清ピユーリタン教徒が建国した国ですから、とにかくヒステリックなんです。アメリカでは、喫煙者だと生命保の掛け金はグーンと上がります。しかしドラッグ、マリファナ、これらを常用していても掛け金には全く影響がない。ラスベガスでのパーティで、ラスベガスは罪の都(シ ン・シテイ)であると中年女性が言っていました。博打と売春のことを言っているのかと思ったらとんでもない、カジノばかりか、レストランやバーでも自由にタバコを吸わせているからだというのです。アメリカでは、タバコを吸うことがいちばんの〝罪〟なんですね。 ここに『コンフォール 愛煙家通信』という雑誌がありますが、コンフォールというのは慰安という意味ですね。タバコは人に迷惑をかけない慰安です。いま、新聞やテレビが特定秘密保護法について大騒ぎをしていますが、私はタバコを吸い過ぎて会社の秘密や国家機密を漏らしたなんて話は聞いたことがない。タバコのせいで家に帰らず、夫婦仲が悪くなったなんて聞いたこともありません。酒の方が遥かに悪い。 私の吸っているマイルドセブンはメビウスという商品名につい先ごろ変わったのですが、JTの幹部に聞きましたら、タバコに「マイルド」という言葉を使ってはならないという国際世論があるからということです。しかし、箱を見たら、「エキストラライト」と書いてある。この表現はいいんでしょうか。そんなことを言い出したら、いま食材や産地の誤表記、虚偽表記などの問題が出ているし、銀座にエレガンスとかラブリーとかそんな名前のクラブがいっぱいありますが、これこそ「虚偽」の記述じゃないか。(会場笑)それに比べれば、喫煙者がマイルドと感じるのであればとくに問題はないのではないか。こうした禁煙ヒステリーは、社会が病んでいるということにほかなりません。 二木 肺がんの死亡率と喫煙の関連について補足します。1950年の喫煙率は85%。実にたくさんの人が吸っていたんですね。で、その年の肺がんの死亡者数は1119人。それから60年後の2010年の男性の喫煙率は36・6%で、肺がんで亡くなっているのは7万人。つまり、喫煙率が6割近く減ったのに対し、肺がんの死亡者数は60倍に増えている。これでどうして、タバコが肺がんの原因だと言えるのでしょうか。46万本のラークマイルド 倉本 ぼくは18歳から吸い始めて、いまも1日に3箱から4箱吸っております。確かに身体に悪い。朝苦しいけれど、それでも吸っている。いまのぼくにとっていちばん体に悪いのは「禁煙」という文字が見えることです。(会場笑)あれが本当にストレスをためます。くらもと・そう 1935年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、ニッポン放送入社。63年、脚本家として独立。TV ドラマ『前略おふくろ樣』『北の国から』、映画『駅 STATION』などの代表作がある。83年、富良野塾を開設。2010年、旭日小綬章受賞。 だいたい、アメリカ人をはじめ、どうしてみんな健康志向になってしまったのか。長生きして一体何をしたいのか、それがぼくには根本的にわかりません。何かをやりたいから長生きするというのはわかるんですが、ただ健康でありたいがために長生きするというのは、使いみちがないのに金を貯めるという拝金主義と同じ匂いがします。 以前もあるシンポジウムで、お医者さんたちが「たばこは百害あって一利なし」と口をそろえるので、まるで犯罪人のような気分になったことがあります。しかし、ぼくは21年間『北の国から』というドラマを書き続けました。それを支えてくれた原動力は、46万本のラークマイルドと1300本のジャックダニエルでした。それでも百害あって一利なしなのか。 ぼくは北海道の富良野で、Soh's BAR(ソーズ・バー)という店をやっているんですが、こんなに喫煙者が差別されるなら、逆に喫煙者が窓側のいい席で、禁煙者は悪い席。ぼくはそう差別します。 最初は喫煙者オンリーのバーにしようと思ったんですが、結局、分煙ということになった。それなら、禁煙席はマイナス三〇度の屋外で氷のテーブルと椅子にしようと言ったら(会場大爆笑)、それはやり過ぎだと。それでも、for miserable smoker(かわいそうな喫煙者のため)のバーとして、おかげさまで繁盛しております。 たばこ税が投入されているはずのJR北海道、JR東日本には、ラウンジすらありません。北海道は広いから、札幌から釧路まで列車で四時間から五時間かかります。その間、タバコを我慢することができないので、車で往復することになる。本当に当たり前のことが当たり前でなくなっている気がします。 きょうは喫煙自由な集まりですが、たとえば会議中にタバコが吸えないと、ぼくは間が持たない。みなさんがどうやって会社の禁煙に慣らされて、清く正しく生きていられるのかわからないというのが本音です。 だいたい、タバコのパッケージに「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」なんて、なぜ商品にこんなことを書かなくてはならないのか、ぼくにはわからない。このあいだもらったベトナムのタバコのパッケージには、がんに侵された肺の写真がドーンと印刷されていました。なんという不愉快なことをするのか。これは商売としておかしいのではないかと思います。 先ほどジブリの『風立ちぬ』の話が出ましたけれども、ぼくは、喫煙シーンはいくらでも書きます。そもそも書きながら吸っていますから。タバコを吸うシーンが多いから悪いというのは、「凶器である刀を差しているから時代劇はけしからん」と言っているのと同じで、水戸黄門も、大岡越前もすべてダメということになる。そんな批判をまともに相手にするのはばかばかしい気がします。 チャーチルとか、吉田茂とか、ハンフリー・ボガートとかが生きていたらどういう態度をとっていたでしょうか。アメリカは禁酒法を言い出した国だから、禁煙法もそのうちなんとかなるだろうと思っていたんですが、一向にやむ気配がない。カナダでは屋外でタバコを吸うのはかまわないが、そのかわり酒を飲むのは禁止されている。だから、打ち上げのときには、中でビールを飲んでは、外でタバコを吸う。それを繰り返しているうちに、どっちがOKでどっちがダメなのかわからなくなってしまった。まるでコメディですよ。 二木 新幹線には喫煙ルームというのがありますが、狭くて車椅子は入れません。配慮のつもりがまったく配慮になっていない。あの狭い所に押し込まれること以上に、そういう点にいちばん腹が立ちます。 列車と言えば、JR九州が「ななつ星」という豪華寝台列車を走らせていますが、一泊15万円から40万円という高額な料金を取っておきながら、車内はすべて禁煙なんですね。JTがお金を出して喫煙車をつくらせたらいいのではないでしょうか。セブンスター(七つの星)ということで。(会場大爆笑)だまされた日経新聞 須田 反喫煙の背後に何があるのかということをわれわれは正しく認識する必要があります。ヒステリックな動きや喫煙に関する無理解に加えて、反喫煙、禁煙が、利権やビジネスになっているという事情があるように思われます。すだ・しんいちろう 1961年、東京都生まれ。日本大学経済学部卒業。経済界記者を経てフリー・ジャーナリストに。執筆活動のかたわら、テレビ、ラジオの報道番組で活躍。『ブラックマネー』『下流喰い―消費者金融の実態』など著書多数。 禁煙外来というのがありますね。薬の処方を受けるのですが、これには健康保険が適用されます。保険の対象は当然二十歳以上です。ところが、これを未成年にまで広げてほしいという要望が製薬会社や病院から出ている。未成年が禁煙外来に通ってタバコをやめるというのはおかしいでしょう。親が強制的に喫煙をやめさせるのが当たり前です。 80歳を過ぎたおばあさんが禁煙外来にかかるというケースもあります。理由は、長生きしたいからだそうですが、いまさらやめてもあまり効果があるとは思えない。 こうした矛盾を見ると、やはり製薬会社や医師にとって反喫煙および禁煙が非常に大きなビジネスチャンスになっているとしか思えません。きょう会場にクレームをつけてきたような団体を動かすことによって、さらにそれを推し進めようとする意図が強く伺えます。 JR東日本は現在すべて禁煙になっています。ところが、JR東日本管内で例外的にタバコの吸える車両というのがある。それは寝台列車なんです。試しに乗ってみましたら、どこにも吸えるところがない。車掌に聞くと、ベッドメイクをする前ならば灰皿があり、吸ってもいいことになっているが、すでにベッドメイクされているので吸えませんということでした。納得がいかないので、布団を外して吸わせてくれと言いましたら、こっそり吸わせてくれましたが。 何故吸えるかといえば、飛行機との競争というビジネス上の理由があるわけです。飛行機は完全禁煙ですから、鉄道を利用すれば吸えますよということで差別化を図ることになる。八時間も十時間も禁煙を強いると、喫煙者の客が逃げてしまいますから。 関西圏の私鉄に目を向けると、たとえば近鉄には喫煙コーナーもあるし、喫煙車両もある。これなら車椅子の方々もタバコが吸える。なぜかといえば、やはりライバルが多いからでしょう。JR東日本がファシストのように禁煙を押しつけるのは、ライバル不在で、独占的なビジネスが行えているからという気がしてなりません。 加えて、禁煙学会の存在が気になります。先ほど話の出た『風立ちぬ』にクレームをつけた団体ですね。「学会」などと名乗っているから、いかにも科学的な研究をしている機関のように思われるけれども、彼らの主張には、科学的根拠のないものが多分にある。 日本経済新聞に、タバコの煙は中国で問題になっているPM2・5と同じ大きさだから危険なのだという禁煙学会の主張をうのみにした記事が出ていました。何もわかっていない。PM2・5というのはあくまで粒子の大きさのことであって、それ自体が何か病気を引き起こすものではありません。 日経という大新聞が、非科学的というより無知な主張をそのまま正しいこととして紙面をつくってしまった。「学会」という名前にだまされて、そういうことが起こるのです。禁煙学会は「学会」というようなものではまったくない。カルト集団です。こういう団体に対してアカデミックな科学的根拠に基づいた主張をしていくのがわれわれの使命だと強く思いますね。行政は民間の経営に口出しするな加瀬 日本の愛煙家が恵まれているのはタバコが安いことですね。アメリカでは一箱10ドルします。イギリスも高い。アメリカでは州それぞれが独自の法律を持っている独立国みたいなものですから、たばこ税の安い州から高い州に、マフィアがトレーラーで密輸するんです。ときどき、州境に検査官が立って取り調べをしています。 禁酒法時代の本を読むと、酒を飲むやつは、意志が弱いと書かれている。いまは、タバコがそれにあたりますね。タバコに対するアメリカ社会の締め付けは相当きつい。喫煙者というだけで就職にも影響します。 日本では、こんな素晴らしいシンポジウムが開けますが、アメリカではとてもできないでしょうね。ナチスのホロコーストを否定するシンポジウムなどをやったらそれこそ大変ですが、それに近いものがある。 河野洋平さんという、ちょっと頭のおかしい政治家が1993年に、韓国の主張する慰安婦問題を認め、謝罪したために、いま世界に誤解が広がっています。私がお金を出すから、ワシントンで慰安婦の客観的なシンポジウムを開かないかとニューヨークの著名な学者に提案したら、それはホロコーストを否定するシンポジウムのようなものだから無理だと言われました。東京のど真ん中でこういった集まりを行えるのだから、日本はいい国です。タバコを吸ってなぜ悪いなんていうシンポジウムはアメリカでは絶対できません。 倉本 中国の文化大革命のときの映画担当官というのが、中国では非常に有名な俳優だったのですが、美食はいけないと言われ、それならば生きているかいがないとズドンとピストル自殺をしてしまったことがあったんです。ぼくはそこまでは出来ないけれども、喫煙のままならない外国にはもう行きたくないから、パスポートを破り捨てました。それ以来一度も行っていません。やめられない人は意志が弱いというけれども、このご時世に吸っている人のほうが意志は強いと思いますよ。ぼくは、周囲で禁煙をした人間に、意志の弱いやつだなって言っています。 いつも泊まるホテルにタバコを吸えるラウンジがあるんですが、この前、ホテルマンが車椅子で鼻にチューブを入れたおばあさんを連れてきた。不思議に思って見ていたら、ポケットから煙草を出してチューブを外して吸い始めた。思わず拍手してしまいました。 須田 日本では条例によって屋外での禁煙が強制されている地域がある。これは、初めは受動喫煙に対するリスクを軽減するといったような理由ではなくて、千代田区の場合は住民税を払っている区民が少ないという特殊な事情の下で、路上に捨てられた吸い殻を清掃するコストを住民に払ってもらうには問題があるだろうということで路上喫煙を禁止した。その後、今度は受動喫煙防止ということで店舗やオフィスといった場所で禁煙が広がり、どんどん吸うところがなくなっていった。先ほどもお話がありましたが、外国では屋内は禁煙であることも多いのですが、屋外ではほとんど喫煙可能です。ニューヨークのセントラルパークでは吸えなくなりましたが、ただこの場合は、公園にペットを連れてきてはいけないとか、大音量の音楽を流してはいけないとか、それと同列なんです。他の人が迷惑に思うことは一律禁止。だから喫煙者が狙い撃ちされているわけではない。 またニューヨークにはプライベートな公園も多くあって、そこではちゃんと灰皿が置いてあって吸えるようになっている。もちろん歩道では吸える。日本で生活している人間の目から見ると、これは危ないのではないかと思うときもあるし、注意したくなるような場合もあるんです。 ヨーロッパでは喫煙文化が根づいています。フランスなんてとくにそうで、室内は禁煙でも、屋外はまったく吸ってかまわない。カフェも屋外席では吸えるわけですよ。つまり、どこでも吸えるので、喫煙場所はどこですかと聞いても、質問の意味を理解してもらえない。そういった意味では、日本の喫煙者は不幸な境遇に置かれていると思いますね。 自治体の対応について話しますと、神奈川県にしても兵庫県にしても、行政側は全面禁煙にもっていきたかった、しかし、旅館業界や飲食店業界とのせめぎ合いで現在の完全分煙という状況になっている。ところが、京都府で面白い動きが起こっています。京都府、京都市、そして業界団体が、喫煙者の観光客に対する配慮について協議した結果、「喫煙」「分煙」「禁煙」というステッカーを店頭に貼って、お客さんに入る店を決めてもらおうということにした。行政が民間企業の経営に干渉するというのはどう考えたっておかしい。だから、ほかの自治体も共存共栄で決着をつけた京都を見習うべきだと思います。 二木 世田谷区の下北沢でも、分煙、喫煙、禁煙、時間帯禁煙というステッカーを貼って、各店舗に任せている。行政とは関係なく、いわゆる「営業権」を保証して、喫煙者と非喫煙者が選択できるようにするのはいい試みだと思います。 須田 神奈川県の松沢前知事の実績を考えてみると、受動喫煙防止条例しかない。この条例は誰しも表立って反対できない、そういう進めやすい施策でしたから。 二木 面白いのは、これまで罰則が適用されたことは一度もない。過去のシンポジウムにもご登場いただいた弁護士の溝呂木雄浩さんが言うには、条例というのは、あくまで法律の下にあるものだから、もし受動喫煙防止条例違反で摘発されたら、それは営業権の侵害にあたる憲法違反である。それがわかっているから一件も違反事例が出てこないのだと。ところが、須田さんがおっしゃるように「自粛」といえば誰も逆らえない。ジワジワとタバコを吸ってはいけない空気を醸成してしまうのは非常に巧妙かつ狡猾なやり方ですね。 倉本 でもなぜ路上でタバコを吸ってはいけなくて、あれだけ排気ガスをまきちらしている自動車は通っていいんでしょうか。これがぼくにはわからない。あの排気ガスはタバコの煙の何百倍も害があると思いますよ。それを声高に言う人がいない。 須田 厚労省が昔、喫煙もお酒もガンになるという「喫煙と飲酒」という小冊子をつくったことがあるんですよ。ではなぜ、飲酒を制限するような法律ができないのか。それは、業界団体が非常に多くて、強いからなんです。タバコだと一社だからやりやすい。自動車についても、何社もの大メーカーが反発するから、法律を作れないという事情もあると思います。 加瀬 私も以前、携帯灰皿を持ってタバコを吸っていたら、吸わないでくださいと言ってきたおばさんがいました。それで、あなたは車に乗りますかと聞いてやった。もちろん乗るという。だから、あなたが自動車に乗らないというなら私も吸うのをやめましょうと言いました。どちらが有害だという話ですよ。喫煙者は警察に出頭すべし 二木 会場に千代田区議会議員で、もと区議会議長の小林やすおさんがいらっしゃいますので、お話をうかがってみたいと思います。その後、ご意見やご質問のある方がいらっしゃいましたら、発言をお願いします。 小林 石川(雅己)区長が十年少し前に、路上喫煙禁止条例を言い出したとき、区長自身はヘビースモーカーですから、私は不思議に思ったんです。問題はその当時の喫煙者のマナーでした。路上喫煙者が手にしているタバコの火は子供の目のあたりにきたりするから危険である、これは禁止すべきだというのです。これはそのとおりですから、千代田区議会全員で賛成したんです。私は秋葉原に住んでいるのですが、五年前はポイ捨てで非常に路上は汚かったのが、そのおかげでかなり改善されました。 しかし、現状をみると喫煙場所が明らかに減ってきて、屋内でも禁煙が増えてきた。そこで、私は議会の一般質問の中で、千代田区には39億円ものたばこ税が一般財源として入ってくる。その一割でもいいから、分煙施設を作るのに使ったらどうかと提案しました。賛同する議員も多いのですが、区長がウンと言わない。これについては今後も粘り強く頑張っていこうと思います。 ただ、喫煙施設をつくるには千代田区は土地が少ないという問題があり、また、私有地に灰皿が置いてあれば規制は出来ない。近隣の非喫煙者が迷惑しているということもあります。青空天井の喫煙所となってしまう。そうすると近隣の方に迷惑がかかってしまうということはあります。 それから、いろいろな方のお話を聞くと、受動喫煙がどうこうという人は、私の聞く限りそれほどいないのですが、やはり、匂いがいやだという意見が多い。排気ガスは大量に拡散しているんでしょうが、匂いはさほど気にならない。ですので、議員同士で相談しているのは、密閉式の喫煙所設置が出来ないかということです。 発言者A もし受動喫煙で人が死んでいるというのが本当なら、われわれは殺人者だということになる。何十人かそろって警察に出頭しようかと思っています。(場内爆笑) 発言者B JRには、たばこ税が投入されているのに、なぜタバコを吸えないようにしているのか疑問です。旧国鉄だけでなく、古い話でいえば満鉄の救済もしていることになると思うんですが。 須田 それは私もJR東日本に聞いてみたことがあるんですよ。そうしましたら、その税金は国鉄清算事業団に流れているのだから、JRは関係ないということでした。また、警察に自首するという話は冗談ではなく、そんなに危険なものだったら、麻薬のように法律で禁止してしまえばいいんです。そこの矛盾をついて行かなければなりませんね。 発言者C 千代田区でたばこ屋をやっております。千代田区には大勢のサラリーマンが集まります。税金を三十九億円も取られているのに吸うところがない。なんでタバコ屋さんはそのことをもっと区に強く言わないんだとお客さんからこぼされています。だけど、石川区長が何とも言うことを聞いてくれません。 仲間のタバコ屋さんがだんだん減って来て、コンビニに取って代わられていますが、六七・五%の税金が含まれているタバコを買ってくださっている喫煙者のみなさんはもっとお気の毒です。(会場拍手)長いものには巻かれろということなんでしょうか。なにかいいアイディアはないものでしょうか。 二木 まさに、いまの方がおっしゃったように長いものには巻かれないと、そういう気持ちを持ち続けたいと思っています。 やはりいまの禁煙ヒステリーは異常です。タバコがこれほど社会悪のように言われている状況で、少しでもそれに対抗する方法を考えていくのがこのシンポジウムの意義だと思います。ありがとうございました。関連記事■ 言葉狩りの次はタバコ狩り? (さいとう・たかを氏インタビュー)■ 嫌煙カルト教団と戦おう!■「全面禁煙」の攻防 法を凌駕する条例などありえない

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    「全面禁煙」の攻防 法を凌駕する条例などありえない

    牧島功 神奈川県議会議員 取材が始まるなり早速タバコをくゆらせる自民党神奈川県議の牧島功氏。1日でピースを50本吸うヘビースモーカーだという。 「ピースのタバコらしい香りがたまらない」と語る牧島氏は、昭和42年、小泉純一郎元総理の父・小泉純也元防衛庁長官の秘書として政治の道に入った。昭和50年に横須賀市議に初当選し、3期務めた後、昭和62年から神奈川県議会議員として活躍している。 平成22年、神奈川県は全国で初めて「受動喫煙防止条例」を制定。以来、一貫して問題提起を行っている牧島氏に、神奈川県の現状についてインタビューした。松沢知事の狙いは「全面禁煙」だった ――国が定めた「健康増進法」では、受動喫煙を防止する措置をとるよう求めていますが、この法律についてはどうお考えですか。 牧島 健康で長生きしたいと思うのは、誰しも同じ。国民の普遍的な願望です。そこに喫煙を組み入れていったから、タバコは健康に害があると考える人が多くなった。もちろん、そうでない人もいますが。 ただ、その絶対数が違いすぎます。非喫煙者が75パーセントで喫煙者は25パーセント。多数に決すれば、禁煙こそ望ましいということになるのも無理からぬ話です。だからといって、多数の意見が必ずしも正しくないことは歴史が証明しています。こういう議論になるのは、未熟な民主主義のせいだと思います。 ――未熟な民主主義とはなんでしょうか。 牧島 タバコを「文化」として議論せずに、害があるかないかという点だけで否定すること自体が未熟だと思います。多様性を認め合わないと、文化は成熟してきません。 ――神奈川県で全国に先駆けて受動喫煙防止条例(「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」平成22年4月1日施行)を定めた理由はどこにあったのでしょう。ずいぶん話題になりましたが。 牧島 提唱者の松沢(成文)前知事の狙いもそこにあったんじゃないでしょうか。最初にやればマスコミが騒ぐ。そういうことを熟知した人でしたから、パフォーマンスの一つだったんじゃないかな。 ――松沢前知事は〝全面禁煙〟にすることを目指していたようですね。 牧島 まず禁煙議論から始まり、最終的に受動喫煙防止法に落ち着きました。本人は最後まで「禁煙条例」と言っていた。そういう考え方の違い、文化価値観の差は、埋められるようで埋めきれません。お互い永久に平行線で、相手の言っていることが理解出来ない。その結果、「分煙」に行きついたのです。 ――議論を進めるなかで、牧島先生たちの活動を阻止しようという動きがあったのではありませんか。 牧島 批判の対象にされたのは事実ですが、議論を深め、より正常な形にしていっただけのことです。 ――どのように歩み寄ったんですか。 牧島 「分煙」にしたことです。禁煙にするくらいなら、国の法律でタバコを作ることも売ることもやめさせるべきです。国家としてタバコを文化として認め、製造も販売もしている以上、〝法〟を凌駕する条例なんてありませんから、禁煙などできない相談です。 文化観、価値観の違いは大きいですね。およそ500年も日本人に親しまれてきたタバコを文化と考えるのか、諸悪の根源と考えるのか。この両者が相交わることはありません。 議論が始まったときには非難や中傷、妨害が波のように押し寄せてきて、時には恐ろしささえ感じました。 このような二極化現象を引き起こしたのは、マスコミや評論家によって、タバコの害が針小棒大に吹聴されてきたためであることは否定できないと思います。普通の考え方が出来る人たちならば一笑に付す話なのに、あたかもタバコと肺がんに因果関係があるかのように広く喧伝されてしまった。何とも思っていなかった方々に、「子供に悪い」「健康に悪い」と洗脳して、タバコ嫌いな人を〝増幅〟させたことに問題があります。 ――平山論文が「受動喫煙は体に悪い。肺がんになる」と主張したのがそもそもの根源だという説があり、松沢前知事も、この論文に依拠したのではないかと思うのですが……。 牧島 肺がんと煙草の因果関係を立証できた人は誰もいないわけだし、吸う人は信じていないんじゃないでしょうか。でも、吸わない人にとってはあの論文は人に禁煙をすすめる、もしくは嫌煙派になる大きなきっかけになったかもしれませんね。 松沢前知事のやり方は世論を味方につける典型的な例だったと思います。圧倒的にタバコを吸わない人が多いですからね。でも、全国に広がらない。 ――山形県も「山形県健康づくり推進に関する計画(案)」で受動喫煙防止条例を制定しようとパブリックコメントを募集(平成25年2月4日~28日)したところ、949件中、943件が反対だったそうです。 牧島 二番煎じ、三番煎じではインパクトがない(笑)。それに、神奈川県の状況をみて喫煙者が声を上げるようになったんでしょう。極めて常識的な姿に戻ってきていると思います。条例見直しに向けて ――神奈川県の受動喫煙防止条例の附則には「知事は、施行日から起算して3年を経過するごとに、この条例の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」とあります。平成22年の施行から3年経ち、今年は条例見直しが検討されていると思いますが、どのような活動をお考えですか。 牧島 大きく分けて3つの課題があります。 1つ目は、受動喫煙防止条例が県民にどう受け止められているか。認知度、賛否の問題も含めて、もう一度検証すべきだと思います。 2つ目は、〝禁煙〟ではなく〝受動喫煙防止〟であることがどれだけ県民に認知されているか。よくあるトラブルなのですが、神奈川県でタバコを吸っている人を見るといきなり怒る人がいます。条例には学校、病院、商店、官公庁施設は禁煙ですが、飲食店、ホテルなどは「禁煙、または分煙」と定められている。決められた場所でタバコを吸うのはかまわないのですが、受動喫煙防止条例イコール神奈川全域禁煙と勘違いしている方がいる。これも問題なのです。 3つ目は、今まで条例の中に織り込めなかった「影響調査」をすべきだと思います。喫煙者数の増減、ルールの遵守状況などの調査が必要です。ルールの面では、かなり進展してきていると思います。私たち喫煙者はほとんど携帯灰皿をもっていますし、路上における喫煙はほとんど見られなくなりました。 また、飲食店やゴルフ場など、分煙や禁煙をしたことによって経済的な影響を受けた人たちの意見も吸い上げなくてはなりません。県は条例のマイナス面をなかなか認めたがりませんから。 いずれにしても、これまで罰金を払った例も、取ろうとした例もありません。結局、法的に機能していない。たばこ税で小学校が一つ建つ――現状では、受動喫煙という言葉だけが独り歩きしている気がします。 牧島 そもそも「文化」を通達によって規制しようということ自体に無理がある。精神文化として取り上げていけば、今日のように矛盾に満ちた問題は起きなかったと思いますが、いきなり条例で制定してしまった。 「公共的空間」「公共的施設」という言い方が一般の人たちにどの程度認識されているでしょうか。病院や学校、公園は公共的空間でしょうが、居酒屋さんを「公共的空間を有する施設」だと思っている人はほとんどいないでしょう。 ――神奈川県庁に問い合わせてみたところ、「今年の12月くらいまでに条例見直しの方針を決める」とのことですが、現実的な動きはどのようになりますか。 牧島 まずは審議会委員の選定です。ほかにも、どれだけの審議を重ねるべきなのか、喫煙所の数や税金などテーマ別の議論をどこまで広げるかを決めねばなりません。ただ、先ほど申し上げたように問題点ははっきりしていますので、それを提示していきたいと思っています。 また、たばこ税について国民的な共感と理解を得る必要性があると思っています。長い間、地方の財源の大きな柱としてたばこ税収益がいかに貢献しているかを国民は意外と知らない。これも一方的なタバコ撲滅論の一端を担っていると思います。神奈川県内の市町村分を合わせるとたばこ税収入は800億円近く。横浜市で280億円、横須賀市で25億円です。 ところが、一般税なので全体の大きな予算の中に組み込まれてしまい、具体的な金額が見えにくい。わかりにくいものは誤解を受けます。 たとえば、横須賀市の25億円は、小学校が新しく一つできるくらいの金額なんです。医療費にすれば、中学生までは全部無料になる。ほかには中学校までの給食費を負担する方法もあります。わかりやすく伝えることによって、たばこ税の貢献が見えてきます。いかに人々の生活に直結しているかということを周知すること、そしてタバコは「文化」だという認識を広く理解してもらうことが必要だと思っています。神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例   神奈川県ホームページ

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    言葉狩りの次はタバコ狩り?

    ――先生とタバコとの出会いをお聞かせください。  終戦後のもののないときに、母親が大阪から鹿児島までよく買い出しに行っていたんですよ。そして葉タバコを見つからないように体いっぱいに巻き付けて帰ってくる。闇で売るためです。それをちょろまかして吸うようになったのが最初ですね。小学校4年生のときだったから、10歳くらいかな。もうそんな時期から吸っていました。 タバコが店で売られるようになってからは「ゴールデンバット」を買うようになって、その後は「光」なんかも好きで吸っていました。いろんなタバコに手を出しましたけど、私が好きになる銘柄に限ってなくなる(笑)。最近は、少し前までは「プレミア・ワン・ボックス」、いまは「メビウス」の「ディースペック」を吸っています。 タバコと名のつくものはなんでも吸ってきたから、葉巻やパイプもやりましたよ。メキシコの「トレンド」という細巻きの葉巻が好きで、一時期よく吸っていました。いちばんよく吸っていたのは「ゴルゴ13」の連載が始まる3年くらい前ですかね(連載開始は1968年)。だからゴルゴが吸っている葉巻も「トレンド」なんですよ。 禁煙したことも2、3度あります。最初は18歳のとき。そのころストレートのジンばかり飲んでいて、飲みすぎたせいで血を吐いたんです。それで医者に止められて、しばらくやめていた。別に吸わなくても何とも思わなくなっていたんですが、二十歳のときに漫画仲間と3人で東京に出てきて、他の2人が吸うタバコの匂いを嗅いでいたらどうしても吸いたくなってしまって、また始めてしまった(笑)。そのあとも、まわりがどんどんタバコをやめていくのに乗せられて禁煙したことはありますが、続きませんでした。いまとなっては、もうやめる気はありませんが、そう考えると、もう60年以上も吸い続けているわけだね。 ――お仕事中もタバコをお手元に置いていらっしゃるのでしょうか。 いつも吸いながら仕事をしています。いまは1日に40本ほど吸っていますが、それでもずいぶん減りました。以前は、吸い終わったタバコの火で次のタバコに火をつけるようなチェーンスモーカーでしたから。 ――修正液をタバコで乾かしたりされていたとか。 よくやりました。急いでいるときにね。少しくらいの修正液ならすぐ乾くんです。ただうっかり原稿を焦がして描き直さなければいけなくなって、逆に時間がかかったこともありました(笑)。 実は、タバコをやめていたときに絵がおかしくなってしまったことがあったんです。周りから「絵がとげとげしくなった」と言われた。そう言われてみるとそんな気がして、これはタバコのせいではないかと思ってまた吸い始めてみたら絵が元に戻りましてね。そういう意味では作品の重要な要素に直接関わってくるわけですから、タバコは仕事道具の一つとして欠かせないものと言っていいでしょうね。 アイディアを練るときも常に吸いながらなので、タバコがないと気になって、アイディアどころではないでしょう(笑)。ただ、今日は体調があまりよくなくて、そんなときに吸うタバコはやはりあまりおいしくない。まさにタバコは健康のバロメーターといったところですね。海外にはもう行けません 禁煙・分煙化が進んでいますが、うちのプロダクションでも吸う人間と吸わない人間がいますので、2フロアある仕事場のうち、2階と3階で禁煙・喫煙を分けているんです。そうやって仕事場では吸えるんですが、移動のときは困りますねえ。 飛行機でタバコが吸えなくなったでしょう? あれから海外には行けなくなりました。10年前にハワイに行ったのが最後になりますか。そのころはまだハワイの禁煙事情もいまほどじゃなくて、ずいぶんゆるかった。ゴルフ場に灰皿がなくて、ここじゃタバコが吸えないのかと思ってキャディーに聞いたら「コースのどこでも吸えますよ」と教えてくれた(笑)。国によっては、レストランでタバコを吸おうと思ったら「外で食べてくれ」なんて言われたこともありましたが。 ただ、飛行機に乗っている長い時間をタバコなしで過ごすことはできませんから、もう海外には行きたくても行けなくなってしまいましたね。 国内の移動もなかなか大変です。タクシーなんか、喫煙できる車両も用意しておけばいいと思うんですよ。喫煙車とわかるように表示してね。 新幹線も東北新幹線は吸えなくなったから、先日、ホームでタバコを吸おうと思って喫煙スペースに行ったんです。狭苦しいところに追いやられて、しかも周りは女性ばかり。そんな中で吸うのは、あまりいい感じはしなかったですね。最近、女性には逆に吸う人が増えているんじゃないかな。よく見かけるようになりましたよ。 ただし、歩きタバコはしません。タバコを指に挟んで歩いているときの手の高さって、子供の顔の高さと同じでしょう。危ないからね。いつも携帯灰皿を持ち歩いて、吸いたくなったら道端で立ち止まって吸うようにしています。マナーは守らないとね。でも、移動のときになかなか吸えなくなってきたから、その分、吸う本数が少なくなってきたというのはありますね。 周囲でもやめる人がどんどん増えています。そういう裏切り者(笑)に限って煙をすごく嫌がる。医者には禁煙を勧められますが、「やめるつもりはない」とつっぱねるので、医者は苦笑いしています。 通院するときにいつも寄っている近くのレストランは、以前は喫煙席があってテーブルでタバコが吸えたんですが、このあいだ行ったら1メートル四方くらいの喫煙ボックスができていて、そこでしか吸えなくなっていた。 店の人に文句を言うと「検討します」と一応は答えるんですけど、変わらないでしょうね。本当にイジメられている気分です。喫煙者はもっと文句を言ってもいいのに、やさしい人が多いのかな、大人しく従っていますね。 文句を言っても逆に諫められてしまいますからね。「ゴルゴ13」は終わらない  ――先生の作品の中で、タバコは小道具としてどのような役割を果たしているのでしょうか。 間(ま)を取るものですね。小道具としてのタバコというより、タバコを吸っているシーンを挟むことによって、そこに流れる時間や空気感を表現しているんです。これは映画の手法と同じですね。もともと私が劇画を描き始めたのも、映画のようなものを描きたいと考えてのことでしたから。 だから、タバコを描くなと言われると困りますねえ。出版社からは「もう登場人物に吸わせないでくれ」とか言われるので、ある程度抑えていますよ。でも、扉なんかではどうしてもタバコを吸っているところを描きたいと思うことがある。そのときはあえて描くようにしています。まさかゴルゴに禁煙させたりしたらおかしい(笑)。 ――出版社から言われることもあるんですね。 言われますよ。一時期、〝言葉狩り〟というのがあったでしょう。時代劇が描きづらくなってね。「坊主」という言葉も使えない、「百姓」という言葉も使えない。たとえば、同業者で、女優の松山容子氏と結婚した棚下((たなか)照生(てるお)氏のいちばんのヒット作「めくらのお市」が出せなくなったんです。「めくら」という言葉がだめなんですね。 私にもそういうことが多々ありました。以前、「ザ・シャドウマン」という作品で、超人になるために真っ黒な姿になるというのを描いたら、それは「黒人蔑視だ」と言われてしまった。正義の味方なのにね。それで出版してもらえず、眠ったままになっています。 そう考えると「ゴルゴ13」がやれるのは不思議だね。ましてや国から賞までいただいたりして(さいとう氏は2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章受章)。 ――「ゴルゴ13」は今年で45周年。これほど長く続いている理由は何でしょう。 何でしょうねえ。もともと長く続けられるとは思っていなかったから、実は私も驚いているんです。ああいう作品ですから、話のパターンなんて、すぐに出つくしてしまうわけですよ。宝探しとか復讐とか追っかけとか、せいぜい10パターンくらいのものです。だから最初は10話で終了する予定で、最終回も用意していたんです。いまでも私の頭の中にコマ割りまで完璧に残っています。それがいつの間にかこんなにも長く続いてしまった。 「最終回用の原稿はすでに用意されている」なんてよく言われるみたいですが、それは連載の最初の時点で、すでにあったわけです。これからそれが掲載されるようなことはありませんけどね。連載の終了は考えていませんし、いまとなっては、やめるにやめられない。「ゴルゴ13」という作品は、すでに私の手を離れて読者のものになっていますから。 ただ、もともとゴルゴは私の一歳年上ということで描きはじめたもので、33歳の設定だった。だから本当はいま77歳になっていなければいけないんですが、彼は永遠に年を取らない。そういう矛盾はついて回ります(笑)。 ――「ゴルゴ13」は2度映画化されていますが、映画については、あまり好ましく思われていないそうですね。 世界を飛び回る話ですからね。漫画であれば簡単ですが、実写でちゃんとしたものを撮ろうと思うと制作費が莫大なものになる。そんなお金をかけるのなら、まったく別のものを撮ったほうがいいんじゃないか。私が撮るとしたら、映画のための新しい話を書いて、それで撮るでしょうね。 映画はいまも週に10本は見ています。ただ、最近の映画の多くは、見た目に派手だったり綺麗だったり、視覚的な部分にばかり重きが置かれていて、中身に乏しい印象がありますね。 ――「ゴルゴ13」の連載が始まった頃は、世界情勢として東西の冷戦が背景にありましたが、冷戦が終結したことで描きにくくなったということはありませんでしたか。 それは冷戦終結当時にもよく聞かれましたが、私にしてみれば、何を言っているんだろうという思いです。 当時の東西の対立は、それぞれのルールにのっとって行われていたんです。それが終わったことによって、逆に、ルールの裏側に隠れていた、より多くの問題が表面に噴出してきた。食糧問題や宗教問題、領土問題など、それこそ、それまで以上に描くテーマが増えてきたわけです。 東西の対立は読者にもわかりやすかったのに比べて、それらの問題は複雑なものが多くて、その説明をしなければならないという難しさはありますけれどね。これからも、まだまだ取り上げるテーマには事欠きません。漫画を大人のものに  ――「鬼平犯科帳」も20年にわたる連載となっています。池波正太郎氏作品の劇画化にはほかに「仕掛人 藤枝梅安」もありますね。池波作品を取り上げた理由は――。 私は池波正太郎さんの小説が好きで、どうしても劇画にしたいと考えていたんです。それで池波さんにお願いに行ったんですけれど、断られてしまった。映画化やドラマ化はしているのに、漫画はダメなのかとガッカリしました。 池波さんが亡くなってから、あらためて奥様にお願いにいったところ、あっさり「いいですよ」と許諾をいただけて、ようやく描けるようになったんです。 ところが、いざ描いてみると、これがなかなか難しい。やはり小説には小説でしか表せない部分がある。それを絵で表そうとすると、どうしても無理が出てくるんです。だから、これはもう小説を劇画にするのではなくて、小説をベースに私の劇画として描こうと。そうしていまのスタイルにたどり着いたというわけです。 気がつけば「鬼平犯科帳」も、もう20年続いているのですが、「ゴルゴ13」と長期連載を二本も抱えていると、なかなか新しいテーマに取り組めないのがちょっと残念です。とくに、「ゴルゴ13」の場合は調べ物をするのにすごく時間がかかるので、出版社からも「新しいものを」と言われることはありませんしね。 描きたいテーマで描いたのは「サバイバル」(1976~78。『少年サンデー』連載)が最後です。ただあれも、本当は大人の物語にしたかったのですが、連載していたのが少年誌ということもあって、主人公が中学生になってしまった。 ――先生は最初から大人向けの劇画を志向されていたのでしょうか。 そうです。かつて漫画は子供のものと言われていたんですが、一時期、貸本屋向けの漫画というものがあって、それはもう少し高い年齢層向けでした。私は貸本漫画を描きながら、漫画は大衆小説と同じようなジャンルになり得ると考えて、最初から青年向けのコミックを志向していました。 周りはみんな子供向けの漫画を描くべきだと言っていたのですが、私はある時期から、いちばん人口の多い団塊の世代を対象に定めたんです。この世代が注目を集めるようになったのは、彼らが大学生くらいになった七〇年前後でした。 大学生が電車で漫画を読んでいると、驚きとあざけりの意味を込めて話題になった時期がありましたが、それはそうですよ。この世代は子供のときに漫画を読み始めて、そのまま漫画から離れずに成長していったわけですから。大学生になっても、社会人になっても読んでくれる。 『少年マガジン』で「無用ノ介」という漫画の連載(1967~70)を始めるときに編集長から「少年マガジンを卒業していく大人に向けて描いてほしい」と言われたんです。それは非常にうれしかったですね。 ――劇画というジャンルと同時に、分業体制によるプロダクション・システムを確立されたのも先生でしたね。 私が東京に出てきたのと同時期に、30人くらいの漫画家が東京に出てきたんですが、そのなかで残ったのは私一人です。私自身、これほど長くやれるとは思っていませんでした。東京で事務所を開いたとき、私は数字にからっきし弱かったもので、神戸大学を出て会社員をやっていた兄貴に来てもらったんです。そのときも兄貴に「自分自身は10年持つかどうかわからないけれど」って言いました。いろいろな人に力を貸してもらって、ここまでこられた。 ――最近の漫画については、どのような目でご覧になっていますか。 〝音〟がわかりづらいですね。擬音で書かれた文字からどんな音がするのかが想像できない。それと、吹き出しかな。吹き出しの先がなかったりして、誰が話しているのかわからなかったりしますね。 ただ、それも時代なのかなと思います。これからはスマートフォンやタブレットなどで読むようなかたちに変わっていくんでしょうね。本というのは重くてとてもかさばるものですから。前に、本の重みで2階の床が抜けたというニュースがありましたね。だから電子書籍というのは非常に優れた媒体だと思う。 まあ、私の作品を電子書籍で読んでもらうのもいいんだけど、それだけじゃ面白くない。若い漫画家さんたちには、これからは、タブレットなどでどう読ませるかを考えてほしいですね。電子媒体に特化したものが出てきてもいいのではないでしょうか。私自身は、最近ようやく携帯電話を持たせてもらえるようになったくらいで、そっちの方面にはうといから、いままでどおりやっていきます(笑)。さいとうたかを(劇画家) 1936年和歌山生まれ、大阪府堺市育ち。本名・斉藤隆夫。17歳で描いた「空気男爵」でデビュー。上京後、仲間と「劇画工房」を結成。大人の鑑賞に堪えうる「劇画」を定着させ、1960年、分業制による「さいとう・プロダクション」を設立し、出版業にも進出 (のちの「リイド社」)。1968年連載開始の「ゴルゴ13」は、現在まで一回も休載することなく続いている。1976年に小学館漫画賞受賞。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章受章。

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    嫌煙カルト教団と戦おう!

    すぎやまこういち(作曲家)島地勝彦(エッセイスト&バーマン)「禁煙歴30回」 島地 先生はいつごろからタバコをお吸いなんですか? すぎやま ぼくは意外ときっちりしていて、満20歳の誕生日に最初の一服。それから62年間ずっと吸っています。いまは1日に3、40本くらい。とは言っても、軽いタバコだから、たいしたことないんだ。昔はずっと「缶ピース」を吸っていましたが。 島地 シガレットは缶ピースがいちばんうまいですよね。 すぎやま その前には、もっと強い「光」を吸っていたこともあります。若いころはキセルをいろいろ買って刻みタバコも楽しみました。あれもなかなかいいものですね。 島地 江戸時代からずっと日本で親しまれてきたものですから。 すぎやま 浮世絵で花魁が長いキセルをもってスッとたたずんでいる姿なんか、いいよね。 島地 ぼくは16歳からずっと吸っています。親父が学校の先生をしていたものですから、隠れて押入れとかで吸っていたんですが、見つかるんですよ、匂いで。 すぎやま そりゃあ、見つかるよ(笑)。 島地 親父は明治の男だから、いつものようにぶん殴られると思っていたら、「男は隠れて吸うな。堂々と吸え! うちでは許す」って言われた。親父は「ホープ」を吸っていて、母親に買ってこさせるんだけれど、そのとき「ぼくも!」って頼んで吸っていました(笑)。高校時代、まわりもみんな吸っていましたよ。大人への好奇心みたいなものなんでしょうね。 すぎやま 大人になる儀式ですね。 島地 お酒はお飲みにならないんですか。 すぎやま ダメなんですよ。たぶんアルコール分解酵素欠落症だと思います。日本人の3割はアルコール分解酵素がないらしいですからね。ロシア人なんかだと99パーセントが分解酵素を持っているらしくて、持っていないやつらはシベリアでとっくに死に絶えているという話もあるくらいです(笑)。 島地 二十歳からずっと吸っていらっしゃっても健康で、大病はされてないんでしょう。 すぎやま 手術したのは盲腸だけですね。盲腸じゃ病気の数のうちに入らない(笑)。あるインタビューで、「先生は80歳を過ぎてもお元気ですね。健康法は?」と聞かれて「喫煙」と答えたら、インタビュアーが固まった(笑)。 島地 ニコチンと糖分は脳の栄養になる。順天堂大学の奥村康先生が力説していらっしゃいました。  シガレットを27歳でやめたのはなぜかというと、ぼくは編集者で〝紙〟を売っているから、紙を燃やすというのにちょっと釈然としない思いがあったから。それに、味がケミカルですよね。柴田錬三郎先生に葉巻とパイプを教わってから、そっちに移ってしまいました。先生は葉巻やパイプはやらないんですか。 すぎやま 吸ったことはありますけれど、持ち歩きはシガレットのほうが楽なものだから。紙といえば、戦後、吸殻をバラして葉っぱを取り出して、買ってきた紙で巻いてみんなが吸っていたのを覚えていますね。 島地 大人がそうやっていたのを見ていらっしゃったんですね。辞書の紙で巻くと味がよかったらしいですね。 すぎやま 辞書の紙は薄くていいんですよ(笑)。親父もヘビースモーカーだったし、祖父も吸っていたから、自然にぼくも吸うようになった。 でも、タバコを吸っていた人がやめると、逆に健康に悪いみたいですね。『ドラゴンクエスト』の作者の堀井雄二さんは、タバコをやめた時から瞬く間に体重が5、6キロ増えて、「また吸おうかなぁ」って言っていますよ。 島地 成人病になってしまう。 すぎやま それでまた思い直して禁煙して、体重が増えて、また吸ってということを繰り返しているので、彼は「禁煙歴30回」といばっていますよ。そんなもの、いばれるか(笑)。 島地 「トム・ソーヤ」の作者マーク・トウェインは「私は100回禁煙した」って言っていたそうです(笑)。自分でバスのパートを歌いながら 島地 先生の音楽は独学だとか。これはすごいことですね。音楽学校に行こうとは思われなかったんですか。 すぎやま 行きたいとは思いましたが、どこの音楽大学もピアノの試験があって、ぼくは弾けないからあきらめました。でも、音楽大学で習う作曲法というのは〝文法〟のようなものです。文法だけ習ってもね。 島地 作曲も文章も感性ですからね。 すぎやま 子供のときから自然に覚えた言葉、つまり〝ネイティブ・ランゲージ〟がいちばん身についているわけです。音楽でもそうだと思う。 島地 先生の若いころはSPレコードの時代ですか。SPは収録時間が短いですよね。 すぎやま せいぜい片面3分ですね。 島地 では交響曲などは何枚にも分けて収録するわけですね。 すぎやま 鉄のない時代ですから、竹針でした。 島地 音はやわらかそうですね。 すぎやま でも、すぐすり減ってダメになってしまうんです。すり減ったら、竹針用のハサミで切って、またはめてサウンドボックスでねじを巻いてかける。再生できる周波数帯域が狭いので、低いコントラバスの音なんか出ない。 もののない時代でしたが、父親も好きでしたから、当時住んでいた荻窪の駅前にあった「月光堂」というレコード屋に、戦争で焼け残った反物を持ち込んで、物々交換でベートーヴェンのシンフォニー6番、7番のレコードを手に入れてきてくれた。いまだに覚えていますよ、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団。 でも、コントラバスの低音が出ないから、借りてきたスコアを見て、コントラバスのパートは自分で歌って補うわけ。ラドドドドドソドラシソ……って。そのうちに「こういうハーモニー進行だったら、ベートーヴェンならこうする」というのが肌でわかるようになった。大学の音楽理論の本を見たら「バスのパートをつけよ」という例題が出ていたので、ベートーヴェンならこうするだろうと思ってつけてみると、ピタリ正解だった。古典派から近代音楽に至るまで浴びるように聴いたのがいちばんの勉強になったと思いますね。 島地 音楽のシャワーですね。 すぎやま 文法ではなく、ネイティブ・ランゲージです。だから、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドンからはじまって、ブラームス、チャイコフスキー、バルトーク、ストラヴィンスキーの近代に至るまで、すべてのクラシックの巨匠がぼくの先生です。 近代音楽に触れたのは戦後になってから。WVTR、のちのFEN(現AFN)という進駐軍向けのラジオ放送があって、Vディスクという軍用のビニール盤のディスクを使っていたんです。そのすり減ったのがPX(米軍基地内の売店)から放出されてジャンク(スクラップ)屋に出てくる。戦時中の日本は国際著作権条約から除外されていましたから、日本のレコード会社は近代音楽のレコードを出せなかった。だから、ジャンク屋に流れてきたVディスクを必死に探して、プロコフィエフの交響曲第5番の第四楽章の出だし3分が入ったディスクを見つけて、擦り切れるほど聴いたのをいまだに覚えています。 島地 ご自身で作曲されるようになった直接のきっかけは何だったのですか。 すぎやま 中学3年のころ、隣に当時の東宝交響楽団(現在の東京交響楽団)の常任指揮者だった上田仁さんのいとこが住んでいた。上田さんが来られたときに会いに行って、「オーケストラの指揮者になりたいんです!」と言ったら、「いいねぇ。ところできみ、ピアノは弾けますか」「かけらも弾けません」「あきらめなさい」って(笑)。でも、「作曲家なら可能性があるかもしれない」と言われた。それがきっかけですね。 上田さんは抑留されていたシベリアから日本に引き揚げるとき、コートのなかに近代音楽のスコアを隠し持ってきて、それで「本邦初演」をなさったんです。ぼくも喜び勇んで聴きに行きました。そのときのオーケストラのコンサートマスターが黒柳徹子さんのお父さんの黒柳守綱さん。感動して、夢遊病者のようになりました。 島地 生で聴く音は違いますからね。 すぎやま 全然違いますよ! 同じ料理でも、缶詰で食べるのと、できたてのものを食べるのとは違う。それと同じです。 島地 どんなに録音技術が進歩しても、肉声や生の楽器の音には、かなわない。 すぎやま 左右だけではなく後ろにもスピーカーをつけたり、サラウンドにしたり……いろいろ工夫してどうがんばっても、現場の臨場感にはかないませんね。オーケストラ演奏は音楽のごちそう すぎやま ぼくは完全に理系で、文系の学科が苦手だったので理科2類を受験しました。 島地 作曲と数学には似ているところがあるのではないでしょうか。 すぎやま 作曲も演奏も数学的なセンスや頭脳の働きが必要だと言われています。音楽はどちらかというと理系ですね。とくにオーケストラのスコアを書くには理系の頭が必要です。メロディは言ってみれば家の間取り図ですから、アマチュアでも書ける。でも、オーケストラのスコアを書くのは立体的な青図をつくる作業。これはプロの仕事です。理系の感覚と音楽に対する感受性は車の両輪で、どちらかが欠けてもダメでしょうね。 島地 三枝成彰さんは、ベートーヴェンの第一から第九まで、毎年大晦日の昼の1時から夜12時までこの10年間、ずっとやっているんです。 すぎやま そうそう! 体力あるなぁ。 島地 ベートーヴェンの原曲をマーラーが編曲したものがあって、それは20分くらい長いんです。深刻にして、マーラーっぽい(笑)。しかも、楽器が倍くらいあってステージいっぱいにズラーッと並ぶ。 すぎやま マーラーは編成が大きいからね。音楽史的にみると、音量を大きくするのに電気という手段がなかった時代の最後くらいですから、電気のかわりに人数を増やして音量を大きくした。 島地 ベートーヴェンの時代は、ロウソク代にいちばんお金がかかったらしいですね。客席は暗くてもいいけれど、譜面を見るために舞台ではたくさんのロウソクを使わなければならない。あとから届いた請求書を見てベートーヴェンは卒倒したらしいですよ(笑)。電気って、大変な発明だったんですね。 すぎやま でも、電気を通さないオーケストラの生演奏の魅力は捨てがたい。 島地 いま、エレキとか電子楽器が全盛ですけれども、生のオーケストラと電気を使ったパフォーマンスとはそれぞれ別の魅力があるんでしょうね。 すぎやま ドラムス、ベース、ギター、キーボード、サイドギターくらいの構成でけっこう大きな音が出せる。あれは言ってみればハンバーガーのようなものだと思うんです。パンとソーセージとレタスなど5種類くらいで出来てしまう。けれども、世界中で売れる数といったら膨大なものでしょう。だから、ハンバーガーにもそれなりに社会的な意味がある。 それに比べて、シンフォニーオーケストラは20数種類の食材を組みあわせた、フランス料理や懐石料理のフルコースにあたりますね。ハンバーガーに比べれば、消費される量ははるかに少ないかもしれないが、値打ちはすごくある。 オーケストラコンサートの時、お客さんに「ロック・ミュージックはハンバーガーのように社会的な意味があるものだけれども、オーケストラの生演奏を一度も聴かないで一生を終えるのは、本当のごちそうの味を知らずに一生を終えるのと同じだ。もったいないでしょう」と言うんです。オーケストラは、音楽の中でいちばんのごちそうだと思っています。禁煙運動と慰安婦騒動 島地 先生はご自分で運がいいとおっしゃっていましたが。 すぎやま 運は強いですね。空襲で学童の列に機銃掃射を受けたけれど、ぼくには当らなかったし、焼夷弾を迎え撃つ高射砲が空中で破裂して2、3センチの肉厚の鋼鉄が空から降ってくるのにも当たらずにすんだ。 文化放送に入社したタイミングも、カソリックの経営から株式会社に変わるときに途中入社の試験があって、それにうまい具合に通って入った。 子供のころからいろんなゲームをやっていたから、いつかはゲーム音楽に携わったとは思いますが、それが「ドラゴンクエスト」だったというのも運がよかった。いいゲームにあたりました。これほど大ヒットするとは思わなかった。 島地 強運ですよ。人生って、運と縁だと思います。ぼくは、就職難のころに当時あまり有名じゃなかった集英社を受けて、1500人の応募者の中から選ばれた9人の中に入ったおかげで編集者になれた。難関を突破するのは、運と縁以外の何ものでもない。 柴田錬三郎先生が『週刊プレイボーイ』で人生相談の連載をすることになったのはいいが、「眠狂四郎」で一大ブームを起こした飛ぶ鳥落とす勢いの流行作家ですから、みんな怖がっていた。それで新米のぼくが志願して担当になったんです。これも運だと思う。その柴田先生の紹介で今東光先生にお会いすることもできました。 今先生はお坊さんだから、唯物史観を嫌がるわけです。むしろオカルティック。「お前は俺に会えたという運がある。この運をもっと強めるには、俺の墓に参ればいい」と、生前からご自身で設計して建てていた墓を見せてもらいに、上野寛永寺に3カ月に1回くらい行っていました。「俺が死んだあと、お前が寂しいとき、困ったときには必ずこの墓に来い。応援してやるからいつでも遊びに来い」って、まるで「家に遊びに来い」とでも言うような調子でおっしゃるんです。ぼくはいまでも新刊を出すたびにお墓に供えています。 すぎやま 唯物史観にはぜったい反対。ぼくの考え方の出発点はフランシス・ベーコンの「実証主義哲学」。そこから科学技術が発展していった。事実をもとに判断する理系の人間から言わせれば、共産主義はまったく間違っている。宗教の教義と同じで、「こうあるべきだ」という「べき論」だから事実とかけはなれてくる。 その典型が、メンデルの法則が共産主義に合わないからといって、ルイセンコが提唱した遺伝学です。これは「事実」ではなく共産主義の教義にもとづいた学説です。ソビエトがそれを採用したら、農作物がダメになって大凶作になった。メンデルの法則は事実にもとづく科学で、ルイセンコ学説は教義です。 いま従軍慰安婦の問題で日本が非難されていますが、事実をもとに判断すれば、慰安婦の強制連行なんかなかったことは明らかです。戦時中に日本の軍部がだした「陸支密受第2197号」という公文書が、国会図書館に保存されています。それを見ると、「慰安婦になることを強制してはならない。強制したものは処罰する」という通達を出していることがわかる。実際、婦女子を連行して慰安婦に売り飛ばした不届きな業者が処罰されたという当時の新聞記事が残っているんですよ。それが当時の日本の軍部と政府の姿勢を示す物的証拠です。強制連行なんかするわけがない。従軍慰安婦問題はまったくの虚構です。 〝南京大虐殺〟にしても、物的証拠をもとに判断すれば、そんなものはなかったことがはっきりわかる。南京に進駐した日本兵で、当時では珍しく8ミリの撮影機をもっていたお金持ちのボンボンが、進駐後の南京の様子を撮影したフィルムがあるんです。その映像を観ると、路上で床屋に髪を刈ってもらっている日本軍の兵隊とか、買い物に行く親子の姿とか、南京城内の景色はまったく平和そのもの。これが物的証拠です。そもそも当時人口20万と言われていた南京で30万人殺したなんてバカな話があるわけがない。 島地 明らかに中国のプロパガンダですね。嫌煙派ヒトラーよりチャーチル すぎやま 喫煙に関しても、嘘がまかりとおっている。いまよりも日本の成人の喫煙率がはるかに高かった昭和30年代に比べて、いまは喫煙率が減っています。ところが、肺がん発生率は逆に増えている。その統計データをみても、タバコが肺がんの原因であるとはとても断定できない。タバコと肺がんはまったく逆相関と言ってもいいんですよ。 アメリカの禁煙団体は病院で肺がん患者を調べたら喫煙率が高かったというリポートを医学界で発表していますが、これは全米に5000以上ある病院のデータのなかから、自分に都合のいいデータを選んでいるわけです。でも、日本全国の喫煙と肺がん発生率のデータや県別データはごまかしがきかない。だから日本のデータを信用すべきだと思います。 島地 いまの禁煙ブームを見ると、マフィアを生みだした1920年代のアメリカの禁酒法を連想しますね。世界で最初に禁煙条例を出したのはナチスですが、一方、敵だったイギリスのチャーチルは、〝チャーチルサイズ〟の大きな葉巻を1週間で100本吸った。彼は九十歳一カ月まで生きました。ぼくはヒトラーよりチャーチルのほうを信じますね。1週間に100本なんて、朝起きてから寝るまで吸い続けていないと吸えませんよ。ぼくなんて1日に3本くらい。すぎやま こういち1931年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒業後、文化放送、フジテレビのディレクターをへて作曲家に。ザ・タイガースをはじめ多くのアーティストのヒット曲を手がける。1968年以降、「ドラゴンクエスト」全シリーズの作曲を担当。喫煙文化研究会代表。交響組曲「ドラゴンクエスト」コンサートを各地で開催中。しまじ かつひこ1941年東京生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』ほかの編集長をつとめ、現在はエッセイストとして活躍中。喫煙文化研究会会員。著書に『アカの他人の七光り』(講談社)『はじめに言葉ありきおわりに言葉ありき』(二見書房)『迷ったら、二つとも買え!』(朝日新書)ほかがある。現在エッセイスト&バーマンとして活躍中。

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    禁煙ファシズムにモノ申す

    世の中どこへ行っても禁煙、禁煙…。受動喫煙による健康被害だの、ポイ捨てが環境美化を損ねるだの、タバコの害悪はもう耳にタコができるほど聞きました。きっと喫煙者にも言い分はあるんでしょうけど、それすら許されない。でもそれって言論封殺と同じだと思いませんか?