検索結果:移民問題/17件ヒットしました

  • Thumbnail

    テーマ

    「移民化」が日本を滅ぼす

    介護部門での外国人大量受け入れ。技能実習制度枠の拡大。これが「移民国家化」の始まりでなくてなんなのか。人口減が深刻化する一方の日本の外国人政策を考える。

  • Thumbnail

    記事

    「日本は移民に占拠される」20年前に仏政治家が警告していた

    家のノーベル文学賞 国家ぐるみでの買収疑惑が浮上■ 移民受け入れに肯定的な米国でも1150万人の不法移民問題あり■ 大前氏 年間40万人の移民受け入れねば国力維持困難と指摘■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ【4/4】「移民の勧め」■ 三橋貴明氏 移民増え日本人5000万人切ったら「日本」でない

  • Thumbnail

    記事

    移民国家へ一直線 強引すぎる外国人労働者の受け入れ拡大

    河合雅司(産経新聞論説委員)なし崩しに決まった介護の外国人大量受け入れ 北陸新幹線の開業によって金沢―東京駅間が2時間半弱で結ばれ、日本がまた一段と小さくなった。だが、同じ「縮む日本」でも歓迎されない話題もある。人口減少だ。 総務省によれば、2013年10月1日時点の生産年齢人口(15~64歳)は前年より100万人以上も減り、7901万人となった。32年ぶりの8千万人割れである。 これは始まりに過ぎない。すでにさまざまな産業で後継者不足の悲鳴が上がっているが、今後、勤労世代は毎年数十万人ペースで急坂を転げ落ちるように減っていく。 勤労世代の不足をどうカバーするのか。安倍政権が出した結論は、女性の活躍推進と外国人労働者による穴埋めだった。 とはいえ、男性中心の企業文化を改めなければならない女性の活躍推進は一朝一夕で実現できない。成長戦略の果実を急ぐ安倍政権は、まず外国人に活路を見出した。 しかし、その進め方は強引でさえある。外国人技能実習制度の趣旨をねじ曲げ、「単純労働者」の受け入れを実質的に解禁しようとしているのだ。 その象徴ともいうべき政策の大転換が、これまで原則認めてこなかった介護分野での単純労働者の大量受け入れを外国人技能実習制度に基づいて可能にするものだ。2月4日、厚生労働省の「外国人介護人材受入れの在り方に関する検討会」の中間報告書に盛り込まれた。早ければ2016年度から受け入れが始まる。 技能実習制度は、日本で習得した技能を母国の経済発展のために役立ててもらうのが本来の目的だ。単純労働者に適用するのは明らかに趣旨を逸脱している。 政府は後ろめたさから「決して人手不足を補うものではない」と繰り返すが、こうした建前を信じる者はいない。それは厚労省の検討会の議論をみれば一目瞭然だ。 介護の仕事は、極めてデリケートな対人サービスである。認知症の人や会話が不自由な高齢者のわずかな表情の違い、短い言葉の中から、伝えようとしていることや体調の変化をつかみ取り、医師などに適切につなげていくことが求められる。一つの判断ミスが事故につながり、相手の死に直結しかねないだけに、専門用語はもとより方言などへの対応も含めた高いコミュニケーション能力が不可欠なのである。 その特殊性がゆえ、経済連携協定(EPA)に基づいて例外的に認めているインドネシア、フィリピン、ベトナムの3カ国についても、母国で看護師資格などを身につけているような“エリート”を対象としている。しかも、滞在期間は原則4年。この間に日本語をマスターし、日本の看護師、介護福祉士の国家試験に合格しなければ帰国しなければならない厳しい条件付きである。 3カ国の“エリート”でさえ苦労しているのに、介護や看護を本格的に勉強したわけではない実習生であれば、介護技能を学ぶためにもなおさら日本語力が必要だろう。 ところが、厚労省の検討会メンバーには日本語教育の専門家が1人もいなかった。これでは、実習生にどれぐらいの日本語力を求めるのが適切なのか、知見に基づいた議論ができるはずもない。 結局、国際交流基金などが実施する「日本語能力試験」(5段階)のうち、介護業界が求めていた上から3番目の「N3」を受け入れ条件として課すことになったのだが、これですら推進派の横やりを受けて骨抜きになった。 1月23日の会議で示された中間報告の原案では「日本語能力試験『N3』程度を基本」となっていたが、わずか3日後の1月26日の会議の最終案では「入国時は『基本的な日本語を理解することができる』水準である『N4』程度を要件として課す。実習2年目(2号)については『N3』程度を2号移行時の要件とする」との文言が加筆されたのだ。介護を外国人に依存する危険性 外国人受け入れに積極的な与党議員の1人は「人手不足を補うために技能実習制度を活用するのに、日本語要件を厳しくしたのでは人が集まらない」と明かした。この種の有識者会議が「結論ありき」で、官僚のシナリオ通りに進むことは、霞が関の“お約束”ではあるが、あまりにあからさまだ。厚労省がどこまで語学力を重視していたのか怪しい。平成26年6月、ベトナムから来日し、研修の開講式で記念写真に納まる看護師や介護福祉士を目指す候補者=千葉市 「日本語能力試験」の公式ホームページによれば、「N3」は日常的な場面で使われる日本語をある程度理解できる、「N4」は基本的な日本語を理解できる――とある。「N4」は小学校低学年レベルともされる。 「大量受け入れ優先」という政策判断だ。 介護現場では「エリートが来るEPA指導に相当苦労しているのに、実習生となれば自分たちの仕事に支障が出る」との懸念も渦巻く。日本語を学ぶ体制も整えず、入り口だけを緩めるのだから混乱が起こることは想像に難くない。 介護の人材難は仕事の厳しさに比べ賃金水準が低いために起こっている。全産業の平均よりも10万円も安いのだ。まずすべきは処遇の改善だろう。資格を持ちながら他業種に移らざるを得なかった人々を呼び戻すのが先である。にもかかわらず、低賃金でも働く外国人が大量流入したのでは、日本人職員の賃金が低く据え置かれることになる。いずれ介護職に就く日本人がいなくなることだろう。 高齢化で介護の需要は伸びる。「安い労働力」に飛びついて大量に受け入れれば、底なしに受け入れ続けざるを得なくなるということだ。それでは外国人抜きに介護現場が回らなくなる危険性と隣り合わせとなる。各国で高齢化が進んでおり、介護人材は国際的な争奪戦が起こるとの予測もある。外国人に依存しすぎたのでは、彼らが来なくなった途端に日本の介護は大混乱に陥る。 介護は、医療と同じく人間の尊厳に関わる仕事だ。「国家の基礎」をなす極めて重要な仕事の1つであるともいえよう。過度に外国人に頼ってよいはずがない。技能実習の受け入れ枠も拡大技能実習の受け入れ枠も拡大 安倍政権下での「単純労働」受け入れ拡大は、介護が初めてではない。その第1弾は、昨年4月に決めた建設業に従事する技能実習生の滞在期間の緩和である。東日本大震災からの復興などに加え、東京五輪の開催準備で建設需要が急増するとして、滞在を実質2年延長できるよう五輪までの臨時措置として認めた。 安倍政権は第2弾ともいえる介護分野の追加と同時に、第3弾として技能実習制度そのものの改革を図ることにした。法令を守っている優良な企業・団体については受け入れ枠を2倍程度に広げ、実習生の滞在期間を5年に延長する緩和策を講じようというのだ。 昨年6月の新たな成長戦略では「国内外で人材需要が高まることが見込まれる分野・職種のうち、制度趣旨を踏まえ、移転すべき技能として適当なものについて、随時対象職種に追加していく」としており、今後、さらに増やす構えである。 だが、技能実習制度をめぐっては海外から「強制労働」との批判もある。安倍政権が本音と建前を使い分けて、強引ともいえる受け入れ拡大路線を突き進めば、予期せぬリスクを背負うことにもなりかねない。 安倍政権の「単純労働者」の受け入れ拡大の動きは、技能実習制度だけではない。国家戦略特区において外国人家事支援人材(メイド)を認めようとしているのだ。「女性の活躍推進のため」という名目で、地方自治体などが一定管理し、家事支援サービス会社に雇用されることを条件とするという。 これは、昨年秋の臨時国会に提出した国家戦略特区法改正案(衆院解散に伴い廃案)にも盛り込まれており、安倍政権は同法案をさらにバージョンアップして今国会での成立を目指している。 家事支援こそ「単純労働」の典型である。「女性の活躍推進のため」ということは、夫婦が働きに出た後の留守家庭に入って掃除や買い物などをすることを想定しているということだ。小さい子供の世話なども請け負うというのだろうか。メイド文化が根付いていない日本で、どれぐらいの人が留守中に見知らぬ人が家庭に入るのを許容するのだろうか。これを経済成長の手段とする政府の説明には無理がある。外国人医師も解禁へ 安倍政権は「単純労働」だけでなく、「高度人材」の受け入れ推進にも邁進している。 1月29日の産業競争力会議では、6月の成長戦略の再改定に向けた検討方針が示されたが、そこでも「外国人材活躍促進のための環境整備」が柱の1つとして打ち出された。 これと符合するように、看過できない動きが出て来た。国家戦略特区において、日本の医師免許を持たない外国人医師に、日本人患者の診療を解禁しようというのだ。1月27日に行われた国家戦略特区諮問会議の配布資料に規制改革の追加項目として記載された。 今回は医師の確保が困難な地方で認めようという提案だ。「あまり影響がない」とでも思っているのか、反対派の動きは鈍い。だが、医師のレベルは国によって大きく異なる。無制限に受け入れたのでは患者の安全が守れるのか疑問だ。 特区といっても壁のようなもので囲われるわけではない。患者が自由に医療機関を選べる日本においては、誰もがいつ外国人医師に受診することになるか知れない。例えば、旅先で急病となり、救急車で運び込まれた病院に、日本の医療水準に遠く及ばない外国人医師しかいなかったということだって想定される。そうでなくとも、高齢化が進むにつれて医師不足地域が広がることが予想される。そのすべてで外国人医師を認めたら、どこが特区なのか分からなくなる。 外国人医師については、2013年12月に成立した国家戦略特区法で、外国人患者一般に対して診療できる道を開いた。今回はこれを一歩踏み出そうというものだ。安倍政権はさらなる緩和を模索しており、今回の小さな一歩が大きな踏みだしに変わることは十分に考えられる。 政府は、外国人医師受け入れについて「外資誘致が拡大できる」とも説明しているが、これも詭弁と言わざるを得ない。 日本に来てまでビジネスをしようという人たちは、元気だからこそ異国に出向くことができる。出身国の医師がいようが、いまいが受診することは稀だろう。 一方、海外の名医がわざわざ母国でのポストをなげうってまで来日するとは思えない。万が一、日本で働く外国人ビジネスマンが急病になったり、大けがをしたりしたとしても、母国から来た二流どころの医師よりも、レベルの高い日本の病院を選ぶだろう。 世界展開するような大企業は、エリートビジネスマンを派遣するに際して、家族を含め医療面のバックアップに万全を期すだろう。大都市のオフィス街には、こうした需要を満たすべく、英語などで対応する医療機関も増えている。気がつけば移民国家!?気がつけば移民国家!? それにしても、なぜ安倍政権は外国人受け入れ拡大に前のめりなのだろうか。「勤労世代の不足を許せば、経済成長の足を引っ張る」との危機意識は理解するが、あまりに性急な印象だ。 背後にちらつくのは、外国人受け入れ推進派の影である。安倍政権がアベノミクスの第3の矢である成長戦略に苦しんでいることをチャンスとして、一気呵成に「外国人を入れるしか労働力不足には対応できず、日本の成長もない」との流れを作ろうということなのだろう。 推進派は実に巧妙である。昨年、「毎年20万人移民を受け入れ」構想をぶち上げた。これに国民世論が反発すると、今度はそれを逆手に取って、いずれ母国に帰る外国人労働者は移民とは異なるから大丈夫とのイメージを作り上げ、受け入れ要件をなし崩しに緩和し始めたのである。 「移民政策と誤解されないように配慮」との表現が1月29日の産業競争力会議の資料にも見つかった。機会があるたびにそう強調して回っているのだ。このまま「単純労働」の受け入れを進めたならば、気が付いたときには外国人が日本中にあふれ、移民受け入れに近い社会が実現しているかも知れない。目先の利益に流されてはならぬ われわれは、単純労働を事実上解禁する国策の大転換が十分な国民的議論もないまま進められていることにもっと危機感を持つ必要がある。 外国人を大量に受け入れることに伴うデメリットは少なくない。例えば、治安の悪化への懸念だ。外国人技能実習制度を隠れ蓑として来日し、失踪して不法滞在となる者は後を絶たない。犯罪組織の仲間に加わって不法行為に手を染めたりする例もあるという。 国際的なテロが頻発、日本人が標的として名指しされる時代となった。極度に恐れることは禁物とはいえ、外国人が増えることへの対策は考えておかねばならない。 外国人を大量に受け入れるとなれば、それを前提に生産ラインもできていくし、消費予測も行われる。忘れてならないのは、労働力として受け入れる業界だけでなく、彼らの消費をあてこむ業界も増えるという点だ。 もし、当該国と日本との関係が悪化し、大量に流入していた外国人が突如として来なくなったらどうなるのか。ただでさえ、日本人の勤労世代が減るのに、外国人まで減ったのでは社会は激変に見舞われることになるだろう。日本が外国人依存を高めるのを待って、日本を困らせるために突如として人の送り出しを止める国が出てくるかもしれない。 安い労働力がたくさん入ってくれば、日本人の賃金も下がり、雇用機会も奪うことにもなろう。結婚できない若者は増加し、新たな少子化の要因ともなり得るのだ。それで、さらに人口が減るという悪循環に陥り、だから、「もっと外国人を入れろ」という話になったのでは本末転倒もいいところだ。 日本人の女性や高齢者を活用すべきだ。外国人を受け入れるよりもはるかにコストもトラブルも少なくて済む。日本人自身の手で少子高齢化と人口減少をどう乗り切るかを考えるのが順序というものだ。安易な数合わせに走れば、必ずどこかで辻褄が合わなくなる。目前の利益だけを考え、子孫から後ろ指をさされるようなことがあってはならない。 日本社会の縮小は避けられない。すべてをこれまで通りにやろうとすれば無理が生じる。日本より人口が少なくとも発展している国はある。限られた人口で経済成長を達成し、豊かな社会を実現させることは可能なはずだ。小さくともキラリと光り輝く国を目指す。今を生きる日本人の覚悟が問われている。関連記事■ 毎年20万人の移民 やがて日本人が少数派に■ 呉善花氏「移民が日本文化を理解し社会に溶け込むのは難しい」■ 「移民ではなく、外国人労働者」 という詭弁は幾重にも罪深い

  • Thumbnail

    記事

    アベノミクス第三の矢でいよいよ始まる移民受け入れ政策

     先週、在シンガポール日本大使館主催でアベノミクスに関するセミナーが開催されました。  内閣官房参与本田悦郎氏をキーノートスピーカー、シンガポール政府投資会社のチーフエコノミストと、シンガポール最大の不動産会社キャピタランド子会社の日本担当責任者をスピーカーに、コーディネーターをシンガポール国際問題研究所トップに依頼するという豪華編成。シンガポールを拠点にして5年になりますが、日本大使館主催でこれだけの規模のセミナーを見たのたのは初めてでした。 アベノミクスの推進者、本田悦郎官房参与講演の意図 講演ではアベノミクス政策により一部で復調の兆しをみせる日本経済の説明に始まり、インフレターゲットを達成することこそが最重要課題と本田参与が力説。ただし、折悪く日銀の黒田総裁が2015年度のインフレターゲットを2%から1%に軌道修正した直後のタイミングで「2020年までに設定したプライマリーバランス黒字化目標を達成できなくてもいたしかたない」といういささか歯切れの悪い場面もありました。  ただ全般的には、本田氏=安倍政権のアベノミクス推進に対するなみなみならぬ熱意だけはじゅうぶん伝わってくる講演で、シンガポール財界人に向けてアベノミクスの大枠を説明し、サポーターを増やす、という目的(私の推察ですが)はある程度果たされたのではないかと思います。 具体的にみえてきた高度外国人材の受け入れ 講演の中では特に言及されませんでしたが、配布された資料で最も気になったのがアベノミクス第三の矢の重点政策の労働資源として、女性と並び外国人が挙げられていたことです。労働力としての女性活用推進は第二次安倍政権発足当初から声高に叫ばれていましたし、昨年3月の自民党日本経済再生本部の「労働力強化に関する中間とりまとめ」で外国人技能実習生制度の拡充についてかなり詳しく述べられていましたが、高度人材に関する言及はごくわずかでした。それが今回の資料では、女性の労働戦力化と並ぶ柱として外国人が挙げられていたのです。  その中で、すでに段階的に実施されている政策は2つあります。 ・高度人材の要件に関する基準の緩和(給与水準や業績などの基準の見直し)・永住権取得に必要な居住期間を5年から3年に短縮  いっぽう、今後検討される政策としては、 ・国家戦略特区(福岡市、養父市、関西圏、新潟市、東京圏)における外国人の起業奨励・同区内における外国人家政婦の受け入れ(高度外国人材家庭向け)・外国人材の積極活用推進のための新基準の促進 が挙げられていました。この中ではさらに製造業セクターへの労働者受け入れも検討されており、2015年3月までに詳細な内容が決定されると書かれています。ここまで踏み込んで外国人受け入れを推進する目的はいったい何なのでしょうか? 少子高齢化では日本の先を行くシンガポール シンガポール政府関係のスピーカー、レスリー・テオ氏は日本経済の最大の問題点として「人口構造の変化」と「規制撤廃が進んでいないこと」を挙げました。後者は「農業、医療分野」と明言されていましたので明らかにTPPを指していると思われ、「人口構造の変化」は日本流にいえば少子高齢化社会への急激な変化です。  しかし、「人口構造の変化」が日本よりもっと深刻なのは実はシンガポールのほうです。一時期産児制限による人口抑制政策をとっていたこともあり、合計特殊出生率は日本の1.43を大幅に下回る1.2ぎりぎりラインで世界最低レベル。1975年に2.1を切ってからほぼ右肩下がりで推移しこれ以上伸びる気配がありません。ただ、シンガポール政府がこの状況に手をこまねいていたかというと、決してそうではありません。  保育園(すべて民営)の数は驚くほど多く自由に選べ、待機児童という言葉さえありません。また、外国人家政婦も低賃金でいつでも雇うことができますので、女性が働きながら子育てする理想的な環境が揃っています。財政サポートも充実しており、ベビー・ボーナスという出産給付金が1人あたり約50万円支給されるほか(3人目からはさらに高くなります)保育料の補助もあります。さらに以前は政府主催の無料お見合いパーティーなどを盛んに催していました。しかしこれだけのことをしたにもかかわらず、出生率は下がり、独身男女の数は増えるいっぽうでした。シンガポールでは少子高齢化に歯止めをかけることはできなかったのです。 移民政策に舵を切ったシンガポール そこでシンガポール政府がとった対策は、移民の受け入れでした。  外国人労働者を高度人材と単純労働者に分け、ビザの種類や滞在期間、規則などを厳密に区分して受け入れました。例えばIT技術者など絶対数が不足している高度人材の場合は、就業ビザや永住権が比較的簡単にとれやすいのですが、逆に低コスト労働者である外国人家政婦の場合は永住権申請はできず、また、妊娠がわかった時点でビザは取り消しとなり、国外退去処分を受けます。  永住者は帰化への段階的措置とみなされており、申請すればシンガポール国民になることも可能です(ただし審査基準は非公開で必ずなれるわけではありません)。帰化する人がもっとも多いのはシンガポール人とあまり変わらない華人系マレーシア人ですが、最近では中国からの帰化シンガポール人も増えています。  このように、シンガポールではすでに自力で人口を増やすのではなく、国にとって有用だと考える人材を輸入する、つまり移民を受け入れる方向に大きく舵を切りました。その結果、外国人人口はこの十年で約2倍に伸び、1人あたりGDPも日本を大きく超える経済成長を果たしました(ただし国民及び永住者は全住民の約70%程度にとどまっていて、その他は依然として外国人労働者です)。シンガポール政府は今後数十年間で人口を現在の倍の1,000万人まで増やす計画ももっているようですが、その実現策が移民を軸としたものであることは疑いようがありません。 移民受け入れと法人税減税はセット 建国当初から多民族国家だったシンガポールと違い、これまで海外からの人材受け入れを厳しく規制してきた日本にはバブル期などに人手不足に陥り、「移民受け入れ」議論が起きてもことごとく潰されてきました。しかし、特区をわざわざ作ってまで高度外国人材を受け入れるという政策の裏には、シンガポールと同じく日本の少子化・人口減少にはもはやドラスティックな改善が望めないという諦念が見え隠れしているような気がします。  そしてもう一つ、安倍政権が財務省の強硬な反対を押し切ってまで推進しようとしている法人税減税もこの高度外国人材受け入れと無関係ではないと私は考えています。というのも、コストのかかる教育を受け、高度なスキルをもつ人材は世界的にどこの国でも歓迎されており、シンガポールをはじめ多くの国が獲得競争をしています。彼らに移民してもらい働いてもらうことにより、国全体の経済成長を促すことができるからです。しかし日本では「(世界共通語である)英語が通じにくい」というハンデがあるうえ、企業法人税が非常に高いというデメリットも抱えています。これでは外国人にとって移民先や投資先として魅力がなく、他国との獲得競争に負けてしまいます。  私はこれまで中国とシンガポールで会社を設立してきましたが、海外からの投資や人材を呼び寄せたい国が真っ先に行うのは税の優遇です。中国に会社を設立したときには外資企業に対し「三免五減」で3年間は会社の利益に対して免税、5年間は減税されるという特典がありました。シンガポールでは3年の免税期間がありました。  これに類する外資企業への優遇措置を日本政府が直ちに行えば、国内企業と差が開きすぎて不満が噴出することは必至です。また、数年間免税や減税をしてもらっても、その後、世界的にみても非常に高い水準の法人税が課されることがわかっていれば進出する企業も二の足を踏んでしまいます。そこでまず段階的に法人税減税をしつつ、外国企業への優遇措置も検討していくというのが次の一手ではないかと考えるのです。外資企業が増えれば当然、そこで働く外国人も増えていきます。このようにステップを踏みながら外国からの高度人材を受け入れたい、というのが政府の本音なのではないかと推測するのです。まず永住権の取得期間を短縮したのはその表れではないでしょうか。 アベノミクス後に来るのは真の日本の国際化か? 本田氏が講演中何度も口にされた数々の政策実現期限である2020年は、東京オリンピック開催年でもあります。公共工事やインバウンド受け入れ整備など現内閣が推進する施策は多いと思いますが、その背景には東京オリンピック以降をにらんで日本という国の将来をどう形作っていくかのビジョンが反映されているはずです。アベノミクスはまさにその礎の政策となる運命にあります。  その意味で、外国人労働者(高度人材であれ単純労働者であれ)の受け入れはこれからの少子高齢化社会をどう乗り切っていくかの一つの解答になると同時に、本当の意味でこれからの日本が国際化していくのかどうかの重要政策の一つになるのではないでしょうか。

  • Thumbnail

    記事

    地域のあり方と移民問題 日本の将来をスイスから学ぶ

    、なかなか議論は進まない。駐スイス大使を務めた國松孝次・元警察庁長官が、地域コミュニティのあり方や、移民問題について、駐日スイス大使のウルス・ブーヘル氏と対談した。國松:私は、1999年から3年間、駐スイス大使としてスイスに滞在しました。在任中、特に、私が強い関心を持ったのは、スイスの地方の町々でした。スイスにはゲマインデ(またはコミューン)と呼ばれる、日本では市町村にあたる基礎自治体があり、自分たちのことは自分たちで決める仕組みを守っています。そうした地域社会の強さと活力に感銘を受けました。そこでは、自治・自守・自決の精神にあふれています。住民相互の扶助意識、連帯感も強い。國松孝次氏とウルス・ブーヘル氏ブーヘル:まさに国の組織の最下層レベルであるゲマインデが強い自主決定権を持つことこそ、スイスという国のカギであり、特長です。さらに私はスイスという国が成功を遂げてきた理由のひとつだと考えています。過去数百年にわたってこの仕組みは機能してきました。 700年以上前にスイス連邦が建国された頃に遡ると、山間部のアルプスのコミュニティでは住民が力を合わせることでしか問題解決はできませんでした。厳しい自然の脅威にさらされる中で、生活物資を確保し、生きていくのは、ひとりの力では不可能です。彼らが築いた共同体では、住民は等しく権利を持ちました。これによって住民は守られ、助けを得られましたが、同時に義務も負いました。 権力者がいてコミュニティが作られたのではなく、個々人が集まってコミュニティを作り、権利と義務を負ったのです。ですから、自治体が自分に何をしてくれるのか、ではなく、自分たちが自分たちのために何をするかを考える。こうした市民感覚が育ってきたことが非常に重要だと思います。 自分たちの必要なことなどまったく分かっていない隣の村の他人に決められるのではなく、地域の人たちが自分たちのことは自分で決める。これが非常に重要で、私たちは今でもシステムとしてこれを維持しているわけです。スイスという国家はトップダウンで作られたのではなく、ボトムアップで出来上がっているのです。スイスも高齢化に直面している國松:直接民主制ですね。ブーヘル:はい。スイス型連邦主義と言われるものです。すべての問題は、その問題に関係するできる限り最末端のレベルの意思で解決すべきだという考えです。今、スイスには2300余の地方自治体がありますが、彼らが税率をどう決めるかは完全に自由です。税金のあり方と歳出を両方とも決めることができるのです。これは住民会議で徹底的に議論されます。 例えば、新しい校舎が欲しいという場合、本当に意味がある投資かどうかを検討し、よし、それでは建設費を賄うために税金を上げようという話になる。逆に、何か不要だというものがあれば、税金を下げることもできるのです。これは非常に重要なことです。もちろん、理想通りに行っていないケースも探せばありますが、私がスイスで住んでいたコミュニティなどは完璧に機能していました。國松:なるほど。日本の地域社会と対照的な状況のようです。日本も、かつては、相互扶助と連帯感の強い地域社会の伝統を持っていました。ところが、最近、その希薄化、あるいは崩壊が危惧されています。日本は、本格的な少子・高齢化の時代を迎えますが、それへの対応の中核を担うのは地域社会であり、その意味で、相互扶助の精神にあふれ、連帯感の強い地域社会の再生は、喫緊の最重要課題だと思います。安倍晋三内閣も「地域創生」を打ち出しています。そこで、ブーヘル大使に伺いたいのですが、スイスの地域社会の強さの秘訣は、どこにあるとお考えですか。地域社会の再生を目指す日本に、スイスの視点から、何か示唆いただけることはあるでしょうか。ウルス・ブーヘル駐日スイス大使ブーヘル:日本の仕組みについて語るのは難しいですが、私たちの経験をお話しすることがお役に立つのではないでしょうか。高齢化に直面しているのはスイスも同じです。そうした中で、スイスの多くの自治体には、退職後10年間くらいの働いていない人たちや、子どもの手が離れた母親などが、高齢者の面倒をみるようなボランティアに従事する制度があります。週に一度か二度、お年寄りの自宅を訪ね、可能な限り一緒にいてあげるのです。これは個人とコミュニティの強力なコミットメントがなければできないことです。 日本のように地域を超えて転勤したり、引っ越したりすることが多い社会では、そんなコミュニティを維持することは難しいと考えるかもしれません。しかし、最初のステップとして、例えば私の地元では、新しい家族が地域にやってきた時に、コミュニティが大歓迎します。引っ越した初めの段階から、ここがわが町であるという意識を持ってもらい、権利を実感してもらうのです。そうすることで、コミュニティに対する義務や責任も芽生えます。特に地方では、初めから、町の会合の場所や、道路の飾りつけといった様々な奉仕活動の日取りなどを教え、すべての活動に誘います。引っ越したその日からコミュニティの一員として生活してもらうわけです。移民をスイス社会の中に「統合」する政策移民をスイス社会の中に「統合」する政策國松孝次・元駐スイス大使國松:そうした新規の移住者に対して優しいというスイスのコミュニティの特長は、外国人居住者が増えていく中で、維持していくのがやや難しくなっているのではないでしょうか。EU(欧州連合)やEFTA(欧州自由貿易連合)などの諸国からの外国人居住者が中心の時代は問題はなかったかもしれませんが、それ以外の第三国からの移住者が増えると、人々の間の文化的な摩擦が増えるなどして、スイス社会も変革を迫られるのではありませんか。ブーヘル:移民問題は今のスイスの政治問題で最大かつデリケートなテーマです。スイスは明らかにグローバル化の勝者として世界有数の豊かな国になりました。国の門戸を開いて世界中から優秀な頭脳を引き寄せたのです。しかし、一方で負の側面として、移民のコミュニティとの同化や協調といった問題が生じました。60年代から70年代にかけてのイタリアからの移民はすでに第二世代、第三世代になっています。彼らはすでに、もとのスイス人よりもスイス人らしく振る舞っています。自然に溶け込むことでコミュニティの一員になってきました。 しかし、一方で、スイスにやってくるすべての外国人がこうした姿勢を持っているわけではないのも事実です。3~5年働いて国に帰っていく外国人はコミュニティの一員になろうとは考えず、4つある公用語の1つすら学ぼうとはしません。問題なのは、おそらく彼らは納税者としてスイスの富に貢献しているにもかかわらず、市民としての役割を担わず、コミュニティにも関与しないことです。國松:これまでスイスが採ってきた移民政策で、私が感心したのは、スイスの連邦政府がとても明確な移民政策を持っていることです。単純な同化政策でもなく、多文化併立政策でもなく、彼等をスイスの社会の中に「統合」するという政策を採ってきた。スイスの人たちを外国の人たちと調和させる政策だったとも言えます。ブーヘル:これまでの移民政策がうまくいったという点は私個人としても同意見です。スイスは小国で天然資源もありません。ではどうやって今のような、世界有数の豊かな国になったのか。スイスの成功のカギは19世紀から国を開いてきたことです。少なくとも海外からスイスに働きにやってきたい人たちにできる限りベストな仕組みを与えてきました。クリエイティブで働く意欲にあふれ、付加価値を増す人々を積極的に受け入れてきました。 世界最大の食品会社であるネスレや、その他のグローバル企業の多くが19世紀の移民によって創業されました。第二次世界大戦後も移民の受け入れによって革新的な人々をスイスに招き入れ続けた結果、多くの富が生まれました。 もちろん、彼らはおカネを生み出すだけでなく、社会の中で責任ある役割を担いました。税金を納め、スイスの基準に従い、参政権を得るのは難しいにもかかわらず、コミュニティの一員となり、社会の役割を担ったのです。有能な外国人をスイスに引き付けるために、給与水準や公共インフラ、医療、学校教育などの様々な条件を魅力的に保ってきたということです。スイスの経験に日本は大いに学ぶべき國松:スイスでは2014年2月に国民投票が行われ、移民の流入を制限することが支持されました。今後、連邦政府は移民政策に関して難しいかじ取りを迫られそうです。ブーヘル:従来、EU諸国に対する労働市場の開放について国民投票で支持を得てきましたが、2月の投票で方向が変わりました。まだこの投票結果は政策に反映されていません。 もちろん、様々な選択肢があります。ただ、基本的な問いに国民は答えを出さなければなりません。どのくらいの成長を欲するのかです。成長は富に直結します。より良い年金制度を維持しようとすれば、成長は不可欠です。成長がなければ将来世代がより豊かになるという道は閉ざされます。移民を制限する代わりに年金額が3分の2になっても良い、インフラも乏しくなっても構わないというのならばそれでもいいでしょう。 一方で、目に見える形で移民の弊害が出ているという指摘もあります。移民増によって社会福祉予算が大きく増え、犯罪が増加しているという指摘です。私は、具体的な現状分析をきちんとした上で、冷静に議論するべきだと考えています。國松:スイスが現実的な解決策を見出すことを期待しています。日本は少子・高齢化が進み、これまで同様の生活水準を維持しようと思えば、より多くの外国人労働者を受け入れざるを得ない状況にあります。しかし、一方で多くの外国人の流入が難しい社会問題を引き起こすことになるでしょう。外国人受け入れの必要性と、それによって起きる問題をどう調和させていくのか。スイスはたくさんの経験を積んでいます。日本が学べることは多いと思います。ブーヘル:そうですね。スイスが過去に採った政策ですと70年代から80年代の経験は教訓になるでしょう。当時、安い労働力としてより遠い国から違う文化的背景を持ったあまり高い教育を受けていない人たちを移民として受け入れました。しかし、彼らはスイスにうまくとけこむことはできませんでした。 ただ安い労働力を求めて、たとえ数万人といえども、低スキルの移民を入れるべきではないでしょう。グローバル経済の中で、われわれは最高の生産性を誇る国になるべきです。海外からの安価な労働力の流入は、生産性の一段の向上を図るために改革されるべきシステムを、永続化させることになりかねません。國松:貴重なご意見です。ブーヘル:今では移民は間違いなく必要です。スイスでは大まかに言って医療分野で働く人の50%が非スイス人です。ヘルパーから看護師、医者、大学教授まで、スイスの医療システムには必要不可欠です。これは問題でしょうか? 病気で倒れた時、助けてくれたドイツ人医師やイタリア人看護師に感謝しこそすれ、脅威に感じるはずはありません。社会システムに貢献している人は誰であれ尊重されるのです。日本は「内向き志向」日本は「内向き志向」國松:スイスが受け入れている外国人の数は約186万人。スイス全居住者の約23%は外国人という勘定になります。これは、ヨーロッパ各国のなかでも、群を抜いて多い。これに対して日本国内に居住する外国人の数は約206万人。全人口比では1.6%に過ぎません。 逆に、海外に居住するスイス人は60万人~70万人と聞きました。これは、スイスの人口の約10%にあたります。これだけの人々が、海外に進出して活躍しています。こうした海外のスイス人をつなぐOSAスイス海外協会という強力な組織があって、彼らをサポートしています。これに対し、海外に居住する日本人の数は、およそ120万人で、全人口の1%にも満たない。日本はよくその「内向き志向」を指摘されますが、スイスに比べれば、海外進出率は、10分の1ということになります。ブーヘル:スイスのスタンダードからみれば、日本の移民問題は、まだないに等しい。これからの問題です。スイスのよい経験と悪い経験の両方を参考にされたらよい。それから、海外進出率のことですが、スイスでは海外に行く経験を持つのはごく普通のことです。若い人たちが、旅行だけでなく、1~2年海外で勉強するというのは一般的で、そうした海外経験をプラスに評価します。ところが、日本で話を聞いていると、学生の時に1年海外に行ったりすると、1年を無駄にしたように受け取られるといいます。40歳になるまで外国を見たことがない人が、本当に外国の人たちを尊重できるはずはありません。 私の息子は14歳の時に6週間インドに行き、16歳では6週間ブラジルで過ごしました。そして高校を卒業すると南アフリカで3カ月生活した。今、彼は米国で勉強しています。私は彼に海外に行くことによって、同時にスイスをより理解してもらいたいと思っています。今は、日本政府も海外留学を後押しする制度を始めたようですが、これは非常に重要なことだと思います。 スイスも日本も伝統を重んじる国民ですが、古い考えに凝り固まるのではなく、発想を変えていかなければなりません。國松孝次(Takaji Kunimatsu) 1937年生まれ。東京大学卒業。61年に警視庁入庁後、大分・兵庫各県警本部長、警察庁刑事局長などを経て94年警察庁長官就任。99~2002年まで駐スイス特命全権大使を務める。ウルス・ブーヘル氏(Urs BUCHER) 1962年生まれ。ベルン大学卒業(ベルン州弁護士資格取得)。90年外務省入省。在ブリュッセル・スイス政府EU代表部審議官、外務省・経済省統合室室長などを経て2010年8月から現職。磯山友幸(いそやま・ともゆき) 経済ジャーナリスト。1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、東京証券部、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長などを務める。11年からフリーに。熊本学園大学招聘教授。近著に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)。関連記事■ 呉善花氏「移民が日本文化を理解し社会に溶け込むのは難しい」■ 「移民ではなく、外国人労働者」 という詭弁は幾重にも罪深い■ ちょっと待て移民論議 定住すれば労働者も「移民」

  • Thumbnail

    記事

    移民受け入れ「日本は身勝手な国」

    化に対応するためには、外国人材の本格的な受け入れが避けられないという意見もある。大和総研経済調査部で移民問題に詳しい児玉卓アジアリサーチ・ヘッドは、移民受け入れをめぐる議論を日本も早急に始めるよう提言している。評判悪い技能実習 ──政府は、技能実習生制度の見直しを行っているが、同制度は批判も多い。そもそも実習生の待遇を良くすれば、日本人の求職者が増え、外国人労働者を受け入れる必要はないのでは 「確かに待遇が改善され、求職者が増えれば、外国人労働者を受け入れる必要はなくなるだろう。ただ、現実問題として建設に関わる力仕事を(国内の)高齢者ができるのか。また女性の場合、保育所などの整備も必要だ。20年の五輪に間に合わせるには、外国人に頼るのはやむを得ない」 ──20年になって需要がなくなれば、帰ってもらうことになる。それでいいのだろうか 「技能実習制度はそもそも開発途上国への技術移転が名目だから、実習期間が終われば自国に帰ってもらうことになっている。しかし、それでは日本は身勝手な国と言われる。今はいいが、将来、外国の人材が本当に必要になったときに来てくれないだろう」 ──日本では、移民受け入れに対する警戒感が強い。移民を受け入れると言えば、選挙に落ちるという政治家もいる。外国人労働者の受け入れをどう考えるか東京・代々木の国立競技場の解体現場。2020年の東京五輪を前に建設現場などでの人手不足は深刻化、外国人の技能実習生への期待が高まる 「日本は少子高齢化で介護問題も深刻化している。また、誰が年金を負担していくのかという課題もある。外国人労働者が納税者として貢献するのかは不明だが、外国人労働者を受け入れることで解決できることは多い。外国人労働者は本当に要らないということを検証しないまま、受け入れないのは問題だ」 ──外国人労働者を受け入れるためには、どういう方法が考えられるのか 「移民法を作るのは難しい。現実には、技能実習生として来る建設労働者や介護分野の労働者に、まともな労働力としてのステータスを与えることから始める。日本が必要とするセクターで受け入れることで日本国民の理解を得ていく。そのうえで、家族や子弟の受け入れ、日本語教育を行うなど個別の受け入れ策につなげていくべきだろう」有期雇用ビザの検討 ──具体的な方法は 「当初は雇用期間を定めて受け入れるのがよい。技能実習制度より待遇は良いし、移民という言葉を使うこともない。労働者としてのステータスを与え、合法的にビザを与える。高度人材の受け入れについて、日本はハードルが低い」 ──まさにシンガポールが行っている方法だ。単純労働者と高度人材とを分けてビザを与えて管理している。外国人労働者の受け入れの上限人数はどのくらいと考えるか 「上限は決めるのは難しい。ただ、現在、日本には(在日韓国・朝鮮人など)特別定住者を含めると200万人の在留外国人がいる。これは全人口の約2%にあたる。日本が成長を維持していくには、30年の時点で5%程度にする必要がある」 ──ドイツなどでは移民排斥運動が起きた。移民が増えると、治安の悪化などを懸念する声もある 「今後も介護分野や建設現場を中心に外国人の労働者や技能実習生は増える。さらに留学生も政府は受け入れを増やす方針で、増え続けるだろう。しかし、このまま何もしなければ、ドイツのように事実上の移民がなし崩し的に増え、問題が噴出してから移民政策をとらざるを得なくなる」 ──政府は、高度人材の受け入れにも力を入れるとしている 「ほとんどの先進国で高度人材の獲得競争が繰り広げられる。日本は海外の高度人材にとって魅力的な国とは思われていない。さらにアジア以外の人材を呼ぶのも難しい。日本はアジア諸国との良好な関係の構築と維持を含め、外国の人材獲得のための競争力を強化していくことが重要だ」

  • Thumbnail

    テーマ

    イスラム移民とヨーロッパの苦悩

    米の国際政治学者、サミュエル・P・ハンティントンの「文明の衝突」論から約20年。パリの仏風刺週刊紙襲撃事件を発端に反イスラム、移民排斥運動が拡大するヨーロッパ。いま起きているのは「原理主義」の衝突ではないだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    移民受け入れ 欧州に学ぶな

    宮家邦彦(外交政策研究所代表) ついに恐れていた事件がパリで起きた。フランス生まれのイスラム過激主義者が風刺週刊紙本社に乱入、自動小銃を乱射して記者や警官十数人を殺害したのだ。この許し難い蛮行には驚愕(きょうがく)と憤りを禁じ得ない。犠牲者のご冥福を心からお祈りする。 欧米メディアは連日、言論・表現の自由の重大な侵害として事件を大々的に取り上げた。各国首脳も口をそろえて「卑劣なテロを断固非難」した。当然だろう、異存などあるはずがない。だが、あまのじゃくの筆者はどこか引っ掛かる。ここは誤解を恐れず疑問点を挙げてみよう。 まずは問題とされた風刺画の質だ。漫画家たちに「表現の自由」があることは疑いない。風刺画の内容を変えろとか、掲載するななどというつもりもない。驚くのは風刺画家たちの無知と傲慢さだ。 特に、預言者ムハンマドに関する一部の風刺画は第三者の筆者が見ても悪趣味としか思えない。漫画家の自由はあくまで「表現」の自由であり、風刺に関するフランスの一般キリスト教徒と同程度の許容度をイスラム教徒に求める権利までは含まない。もちろん、北朝鮮を扱った米国のB級映画や今回の趣味の悪い風刺画にも「表現」の自由はある。だが、欧米マスコミの金科玉条的報道にはやはり違和感を覚えるのだ。 キリスト教徒だけではない。次に違和感を覚えるのは、今回の事件についてイスラム諸国の指導者やオピニオンリーダーが多くを語らないことだ。なぜテレビカメラの前でこの野蛮なテロ行為を明確に非難しないのか。風刺画の内容がひどいからテロリストに同情するのか。そうではないだろう。されば、なぜ沈黙を守るのか。この点も実に気になる。 第3に、この問題は表現の自由にとどまらない。今回の悲劇は、イスラム勢力の過激化と極右勢力の台頭という欧州社会の変質・両極化、さらには欧州各国内の非キリスト教的なものに対する差別意識の根強さを象徴している。欧米の識者は事件の背景として欧州の経済的不振・貧困の拡大などを挙げているが、理由はそれだけではないだろう。 確かに貧困は人々から他者に配慮する余裕を奪い宗教的過激主義を助長する。しかし、移民2世、3世たちが今も貧困から抜け出せない真の理由は欧州各国で台頭する排外的民族主義の差別ではないのか。非キリスト教徒移民を受け入れながら、結果的に国内の格差・不平等を解消できない最大の原因は、実は欧州諸国自身が作り上げたシステム自身の破綻にあるのではないのか。 最後に、最も気になることがある。こうした欧州諸国の現状は日本の将来を暗示しているのではないのか、という漠然とした不安だ。長い伝統の中で健全な市民社会が生まれたこと。経済の成熟により出生率が低下し、人口が減少したこと。それを補うため移民導入を断行し、短期的には一定の成果を挙げたこと等々、日本と欧州には共通点が少なくない。しかし、例えば英仏は旧植民地から多くのイスラム教徒移民を受け入れ、現在国内のムスリム人口は全体の5~8%に達するという。イギリスが移民の宗教・文化を尊重するのに対し、フランスは世俗主義の尊重を移民に求めるなどスタイルの違いはあるが、結局は両国とも新移民の同化に失敗し、イスラム過激主義という爆弾を抱えてしまったのだ。 それでは日本はどうか。人口の減少は現実の大問題であり、減少率はフランスをはるかに上回る。労働力不足を埋めるため日本は大規模な移民受け入れに踏み切るのか。踏み切った場合、欧州諸国が直面した問題を克服できるのか。欧州とは違いイスラム教徒の移民は少ないだろうが、新移民の同化が困難な点は日本も同じだ。欧州に学ぶのか、学ばないのか。日本はいま決断を迫られている。 みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。関連記事■ 「移民ではなく、外国人労働者」 という詭弁は幾重にも罪深い■  「イスラム国」は空爆国が育てた■ 古谷経衡が説く 移民政策の本当の怖さ

  • Thumbnail

    記事

    テロ事件で浮かび上がるフランスの「国のかたち」

    山口昌子(前産経新聞パリ支局長) 司馬遼太郎氏は、「この国のかたち」という表現で日本国のありかたについて鋭い洞察を行ったが、フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」テロ事件と事件に対するフランス人の反応はまさしく、フランスという国の《かたち》を浮かび上がらせたといえる。つまり、フランスがフランス革命に端を発する《共和国》であり、その理念が《自由、平等、博愛》と《非宗教》であることを強く印象付けたからだ。死守した理念 シャルリー・エブドがイスラム過激派をきわどい風刺や挑発の対象にし始めたのは約10年前だ。犠牲者の中の警官2人のうちの1人がステファン・シャルボニエ編集長の護衛官だったように、編集長は絶えず「死の脅迫」にさらされてきた。そして、この「死の脅迫」に屈せずに、文字通り死守したのが、《フランス共和国》の理念の一つである《自由》、つまり《表現の自由》だった。テロ事件発生当日の1月7日、犠牲者らに連帯を示すため首都パリのレピュブリック広場に集まった人々=2015年、フランス(共同) だからこそ、事件数時間後にはデモの名所レピュブリック広場に約10万人が自発的に結集し、事件4日後の「共和国デモ」には仏全土で約370万人が党派の相違などを乗り越えて結集した。この事件は一部で誤解されているように、決して“イスラム教(宗教)対西欧文明”の対決や価値観の対立ではなく、《テロ対民主主義》の「戦い」(バルス仏首相)だ。少なくとも、フランス人はそう考えている。大規模デモの名称が「共和国行進」と命名されたのも偶然ではない。「私はシャルリー」の「シャルリー」は「自由」の代名詞だ。下品でどぎつい風刺を必ずしも支持していない人たちも参加したゆえんだ。 いわゆる「1968年5月革命世代」が中心になって生まれたシャルリー・エブド(当初の名称は「ハラキリ」)の風刺、挑発の対象は当初、当時影響力を誇っていたカトリックだった。政治家も軍人も人気スターも大富豪も例外ではない。風刺が文化であり伝統であるフランスでさえもシャルリー・エブドが抱える係争事件は名誉毀損(きそん)など実に「約80件」と伝えられる。ただ、法律に訴えても、テロという極めて野蛮で卑怯(ひきょう)な手段に訴えたのは今回が初めてだ。 一方で事件直後、ニコラ・サルコジ前大統領らが「混同(アマルガム)するな」と訴えたのは、イスラム過激派とイスラム教徒とを混同するな、という意味だ。フランスにはアラブ系(多くはイスラム教徒)が国民の約8%を占める。イスラム教徒イコール、テロリストでないことを明確に訴えたわけだ。フランソワ・オランド大統領の招待にベンヤミン・ネタニヤフ・イスラエル首相とマハムード・アッバス・パレスチナ自治政府議長ら各国首脳が参加し、バラク・オバマ米大統領の欠席をホワイトハウスが声明を出して「誤り」と認めたのも、このデモが「反テロ」だからだ。「非宗教」が国是 フランスはまた、「非宗教」が国是である。公共の場でのイスラム教徒の女性のスカーフやブルカ(全身を覆った衣服)を禁止した通称「スカーフ禁止令」は決して「信教の自由」には抵触しない。この法律ではユダヤ教のキッパ(男性がかぶる小さな皿状の帽子)もキリスト教の大型の十字架も禁止されている。服装などによる宗教的規律から解放されるがゆえに《自由》であり、宗教的外見から無縁であるがゆえに《平等》であり、信仰とは無関係な市民的空間を構築できるがゆえに《博愛》だからだ。 「非宗教」で「共和国」なので冒涜(ぼうとく)罪(不敬罪)は存在しないが、テロ賛美は刑法で禁止されている。極右系のタレントが「私はシャルリー・クリバリ(テロ犯の一人)」と発言して拘束されたのは、「テロ賛美」だからだ。デカルトの国フランスの論理やフランス人の唯我独尊的態度は誤解や反発を招きやすく、イスラム教徒の多いアフリカや中東諸国などで激しい反仏デモが展開されているが、今回の事件は冷戦終了後の世界が「テロ対民主主義」の対決であることを示唆した事件ともいえそうだ。関連記事■ 石原慎太郎が読み解く イスラムテロに絡む歴史の背景■  「イスラム国」は空爆国が育てた■ 「世界の警察官」を放棄 不安抱え続ける同盟国

  • Thumbnail

    記事

    仏・移民排斥党創設者 23年前から日本の移民受け入れに反対

    人気連載・業田良家4コマ【4/4】「移民の勧め」■ 移民受け入れに肯定的な米国でも1150万人の不法移民問題あり■ 大前氏 年間40万人の移民受け入れねば国力維持困難と指摘■ 「日本は移民に占拠される」20年前に仏政治家が警告していた■ 移民受け入れで自国民賃金低下は誤り 海外移転工場の回帰も■ 大前氏 年間40万人の移民受け入れねば国力維持困難と指摘■ 外国人労働者と労働者不足に悩む国同士はWin-Winの関係

  • Thumbnail

    記事

    イスラモフォビアと フランス流「自由原理主義」の疲弊

    西欧とイスラム 「原理主義」の衝突(2)村中璃子 (医師・ライター)  今年、1月11日。1月7日に起きたシャルリー・エブド紙襲撃に始まる一連のテロ事件を受け、370万人という戦後最大のデモがフランス全土で行われた。そして、13日。今度は事件をうけて招集された臨時議会で、バルス首相の1時間にわたる演説に先立ち「ラ・マルセイエーズ」が大斉唱された。バルスは内務大臣時代にイスラム教徒(ムスリム)とロマ(通称ジプシー)の排斥で名をあげた社会党の議員。仏革命時に作られた国歌ラ・マルセイエーズが議会で斉唱されるのは、1918年に第1次大戦でフランスが勝利して以来、初めてのことである。 演説の中で首相は、「我々はテロに対する、イスラム原理主義に対する、急進的なイスラム勢力に対する戦争に入った」と述べ、「フランス版愛国者法(パトリオット・アクト)」の内容を8日以内に検討すると発表した。同議会ではイスラム国(ISIL)空爆継続を可決した他、翌14日には、仏海軍の主力空母「シャルル・ドゴール」を空爆に参加させる意向も表明。内閣は21日、国内治安維持のために今後3年間で7億3500万の予算確保、内務省・司法省あわせて2670人のテロ対策人員の増員(うち1100人が諜報業務)、搭乗者名記録制度の導入、盗聴法の強化、テロ犯罪者および容疑者のデータベース作成など具体案を提出した。 事件後、オード県やタルヌ県ではムスリムの礼拝施設に銃弾が撃ち込まれ、ローヌ県ではモスクに隣接するスナックが爆破されるなどイスラム教を標的とした事件も多発している。また、昨年11月に罰則が強化されたばかりの「テロ擁護罪」の適用により、ムスリムの少年や若者を中心とした逮捕が相次ぎ、1月19日までに起訴されたケースは全国で117件(うち禁固刑12件、実刑判決7件)。アムネスティと司法組合が事態を憂慮する声明をだすまでに至っている。 しかし、パリでイスラム系のテロが起きたのは、今回が初めてではない。95年から96年にかけて、地下鉄の駅で複数のテロが起き、死傷者が出たが、デモもラ・マルセイエーズ斉唱もなかった。1995年7月、地下鉄サン・ミッシェル駅で(10人死亡、写真)、8月には同凱旋門駅において(17人負傷)、「武装イスラム集団」(GIA)によるテロが起き、96年にもポール・ロワイヤル駅でテロが起きた(4人が死亡、日本人4人を含む91人が負傷)。今回のシャルリー・エブド事件よりも犠牲者は多かった。(AP IMAGES/AFLO)差別とされないイスラモフォビア 今回の騒ぎを受け、内外の論者からあがっているのが、「スカーフ論争」をきかっけに90年代頃から顕在化してきた「イスラモフォビア(嫌イスラム感情)」の問題だ。公道にあふれて祈るイスラム教徒の姿は、イスラモフォビアの心象風景なのだろうか。公道での礼拝は2011年サルコジ大統領によって禁止された(CHARLES PLATIAU/REUTERS/AFLO) 同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授の菊池恵介氏によれば、「イスラモフォビアが広く浸透するのは、それが差別とは認識されていないから。『イスラムには自由や男女平等、政教分離といった西洋的な普遍主義を受け入れることができない』といえば差別には見えない」。 しかし、実際の問題はイスラムが西洋普遍主義を受け入れられないから起きるわけではない。テロ事件の犯人を含め、移民2世3世は文化的にはフランスに同化している。自らをムスリムと名乗ることがあっても、それは私たちの多くが「日本人は仏教徒である」と説明するのと似て、コーランの中身もよく知らなければ、モスクに通っているわけでもない、もちろんアラビア語も話せない。しかし、マジョリティのフランス人にとっての身近な隣人ムスリムは、「よくは知らない」が家父長性や原理主義などと強く結び付いたものだ。流行作家ウエルベックをどう読むか 普遍主義を至上とするフランス人の間には別の空気も存在する。 「今のフランスには“自由・平等・博愛”といった共和国理念への疲労感、特に自由主義への疲労感みたいなものが漂っています。たとえば、フランスにおける結婚制度は、アムール(愛)中心の個人主義を至上とするあまり、完全に崩壊している。自由に対する異常なまでの執着、いわば“自由の原理主義”といったものが『本当にフランス人に幸せをもたらしたのか?』という問いですよね」 こう語るのはフランスの国民的流行作家ミシェル・ウエルベックの近著3冊を翻訳した、東京大学文学部の野崎歓教授。ウエルベックはかねてから「イスラムは馬鹿げた宗教」と公言するなど、フランスの一般人の間ではイスラモフォビアの代表作家として見られていた。新作『服従』の中で、ウエルベックは2022年、「イスラム友愛党」がルペン率いる極右政党、国民戦線(FN)を打ち破り、フランス史上初のイスラム政権を実現する様を描いた。 シャルリー・エブド事件があった1月7日は、たまたま『服従』の出版日で、ウエルベックは当初テロの標的とすら噂された。ウエルベックは、犠牲者のひとりで友人の経済ジャーナリスト、ベルナール・マリスの死に「私はシャルリーだ」と涙を見せた後はしばらくマスコミから姿を消し、1月末に再び現れて「我々には火に油を注ぐ権利がある」と発言した。 しかし、野崎氏によれば「ウエルベックは形式に流れ、難解さを競って活気を失ったフランス文学界に、“同時代を描ききる”バルザック的鮮烈なスタイルで登場した純文学の人。文体では村上春樹に似るという人もいるが、内容的には村上龍のような強いメッセージ性をもつ超人気作家」。新作『服従』は「必ずしもイスラモフォビックな内容ではなく、現実味のない未来を描いて“自由の疲弊”を強烈に批判したものとも読める。ウエルベックが描くのは、自分を抑圧するものから自由になっていくことのまぶしさと悲惨さ。脱宗教化と多文化共存の中で価値が多様化し、すがるべき価値が見つけられなくなっている、共和国の原理への問いかけです」。 ウエルベックが好むのは、男女のセクシュアリティが無い未来、脱宗教化のいきすぎた西洋社会、不老不死などのテーマ。『服従』の中のフランスでは、有能なムスリム系大統領のもと、オイルマネーで経済が潤い、シャリーア(イスラム法)により社会的地位の高い人は妻をふたりもつことが許され、ワインも愉しむことができる。 厄介なのは、『服従』の中で拡大して語られるイスラムのイメージ自体は、完全に間違っているとも言えないことだ。家父長制、政教一致、ジハードなどの教義は、2世3世の日常生活の中でゆるく適応されている。たとえば、ジハードは広義には「神の道のために努力すること」。道徳的な振る舞いや祈りなどを通じて、フランス社会で日々実践していくことには何ら問題はない。しかし、ジハードをコーランの別の箇所にある、報復の肯定や殉教主義と共に原理主義的に解釈すれば「聖戦」という狭義の過激行動を肯定することにもなる。 フランス人が「自由原理主義」の不毛を自覚しながらも、イスラムフォビアを抜け出すことができないことの背景には、こうした事情があることも見逃せない。流行作家ミシェル・ウエルベックの『服従(原題:Soumission)』が注目を浴びる(写真)中、有識者からは高まるイスラモフォビアを諌める声もあがっている。政治学者のオリビエ・ロワは事件直後、1月9日付けの『ル・モンド』紙でテロリストとムスリムの差異を改めて強調し、フランス国民に落ち着きを呼びかけた。また、事件から約3週間後の1月26日、仏国内のマグレブ系社会学者たちは、『問題になるってどんな気持ち?』と題して、自らがイスラモフォビアの対象となることの苦しみと抗議の声明を「恐る恐る」ともいうべきタイミングとトーンで発表した。「表現の自由」ではなく「表現の内容」を疑問視する論者もメディアに登場し始めている。(WOLFGANG RATTAY/REUTERS/AFLO) 1月30日には「テロリストがかわいそうだ」と発言し、黙祷に参加しなかった8歳の児童がテロ擁護罪で逮捕されるなど、呆れるほど過熱したイスラモフォビアの余波は続いている。欧州移民の受難はこれからもまだ続きそうだ。関連記事■ 無秩序時代の到来と米国の役割■ ロシアにも宣戦した「イスラーム国」の脅威■ 「アル=カーイダ3.0」世代と変わるグローバル・ジハード■  「イスラム国」は空爆国が育てた■ サウジが見据える数年後の石油市場

  • Thumbnail

    記事

    フランス共和国が誇る「社会統合」の限界

    、現在の世界で宗教、価値観の壁を乗り越えて和解するということは極めて難しい状況となっています。テロと移民問題を混同するな ─―欧州ではイスラム教徒(ムスリム)や移民に対する排外主義が強まっていると聞きます。 細谷:欧州の戦後70年は、アウシュビッツ解放を起点とし、ホロコーストの反省の上に成り立っています。人種やナショナリズムを乗り越え、移民に対して非常に寛容な社会をつくりました。寛容さ、多様性というものが、欧州を統合する上での非常に大きな価値だったわけです。サルコジ前大統領は顔全体を覆い隠すベールの着用を禁止する「ブルカ禁止法」を成立させた(YOUSSEF BOUDLAL/REUTERS/AFLO) しかし、1960~70年代の脱植民地化の時期と、冷戦終結後の2度にわたって、大きな津波のように移民が増えたことにより、2つの意味で当初想定していなかった事態が起きました。 まず1つが移民の規模。フランスでは、イスラム系だけで450~500万人で、全体では700万近い移民がいるといわれています。戦後初期には移民の割合は極めて小さな比率でしたから、現在のように国民の10%を超えるほどまで移民が増えてしまったのは想定外でした。 2つ目の想定外は経済です。移民に対する寛容さというのは、戦後の欧州の経済成長と不可分に結び付いていました。経済的余裕があったから、とりわけ社会党政権の下では移民に対してさまざまな社会保障のサービスが拡充されてきました。ところが、経済成長が失速し、ユーロが非常に厳しい緊縮財政を要求しているために、移民の多くが属する貧困層に対して手厚く社会保障を提供できなくなってきています。 さらに、国家を動かすエリートの多くは富裕層でグランゼコール出身という共通した背景を持ちます。社会学者のブルデューが文化資本という言葉で指摘したとおり、移民が国家の中枢に入るのはかつては容易ではありませんでした。社会保障の面でも雇用の面でも、移民の人たちを一定程度フランス社会に統合することができたのは、経済成長が基礎にあったのです。それが困難となり失業率が上昇すると、移民の人たちへの不満が高まってきます。グランゼコールとは、フランスの高度専門職養成学校。大学とは別の学校組織であり、実務に特化したエリート教育を行う。フランソワ・オランド大統領はその一つであるフランス国立行政学院(ENA:写真参照)出身。ENA出身の大統領には、ジャック・シラク氏、ヴァレリー・ジスカール・デスタン氏がいる。日産自動車のカルロス・ゴーン社長もグランゼコールの1つであるエコール・ポリテクニークの出身。(GAMMA-RAPHO/GETTY IMEGES) 経済成長の鈍化も、失業も、財政赤字もグローバル化と新興国の台頭が進む世界における構造的な問題なのですが、多くの国で、苦い薬を飲むよりは「他者」の責任にしようというポピュリズムが蔓延しています。欧州各国で移民増加に対して厳しい姿勢を取る右派政党が支持率を伸ばしています。格差是正の極左と移民排斥の極右が連立したギリシャまで極端ではなくても、穏健で中道的、寛容で多様性に基づく政策は、非常に取りづらくなっています。 困難な課題に向き合うことを求めるよりも、各政党は「敵」をつくって不満をそらし、国民の支持を獲得しようとします。民主主義諸国では、統治能力が低下し、内なる「敵」として移民に批判的な声が高まっています。欧州の抱える構造的な問題の一つの表出が移民問題なのですが、政治レベルで解決することが難しくなっています。 ─―そこにテロ事件が起きてしまったわけですね。 細谷:移民問題と、テロは別個に考える必要があります。「ホームグロウン*」テロリストの多くが「ローンウルフ」と言われます。それぞれが一匹狼で、組織ではなく個人がインスパイアされて、独自の行動でテロを起こす。移民に寛容な社会をつくれば、むしろテロリストが外から入りやすくなる。格差のない民主主義的な社会をつくってもテロの解決にならないわけです。*「ホームグロウン」とは“地元育ち”の意味で、移民出身でイギリスやフランスで生まれ育ったテロリストのこと。「ローンウルフ」とは“一匹狼”のテロリストで、組織としての規模が極端に小さいか、個人や兄弟・親戚程度の範囲内のつながりでテロが計画・実行される。シリア出身の活動家、アブー・ムスアブ・アッ=スーリーは04年、『グローバル・イスラム抵抗への呼びかけ』という大著をネット上で発表し、「ローンウルフ」型のテロを主軸に据えたグローバル・ジハードの理論を体系化した(参考:池内恵著『イスラーム国の衝撃』〈文春新書〉)。 何かの目的があったとき、多くのムスリムの人も投票によって自分たちの意思を実現しています。他にロビーやデモなど、ムスリムの人たちが自分たちの意思を表明する機会はたくさんあります。ところが、今回のテロ事件は、そういった平和的で民主主義的手段ではなく、物理的な暴力で自らの意思を貫徹しようとした。これはフランスとかイギリスでの移民政策の変化とは、あまり関係がありません。【アジアカップ観客射殺事件】イラク第3の都市モスルで、1月12日に行われたサッカーアジアカップ、イラク・ヨルダン戦を観戦していた少年13名が、ISILによって殺害された。モスルはイスラム国(ISIL)が勢力を広げている地域であり、サッカーは西洋のものとして観戦禁止令が出ているという。この事件のように、ISILのような過激派は、相手がイスラム教徒であって、何か問題がある行動を起こしていなくても、自らの論理と動機で殺戮する。(BRADLEY KANARIS/GETTY IMEGES) 財政赤字を増やして貧困層に対する社会保障を手厚くし、学校教育でムスリムに対するより正しい理解を求めていく。ムスリムの人権保護を法律でより手厚くする。それでテロはなくなるかといったら、実際のテロ事件を見ればそんなことはないわけです。経済格差や偏見をなくすこととテロを防ぐことは別個に考えるべきです。 グローバリゼーションで人が簡単に移動できるようになったことと、インターネットで世界に向けて簡単に情報発信し、不満を抱える若者たちを煽動できるようになったことが、テロの背景にあると思います。 欧州の中で各国がポピュリズムを脱し苦い薬を飲んで構造改革を進め、イスラムの中で強まる過激派やテロリズムを消化していくという両方の動きが出てこないと安定しません。これは相当に厄介です。 ─―なぜテロはフランスで起きたのでしょうか? 細谷:ドイツでは民族(フォルク)が国家の基盤になっています。イギリスの場合は多文化主義が基礎となり、アメリカの場合は憲法で国家理念を規定しています。他方、フランスの場合は、あくまでも理念に基づいて、自らが共和国の一員であるということがフランス国民の前提条件となっています。結び付けるものはフランス語であり、フランスが誇る理念であるため、政教分離は絶対に譲れない。それは共和国が成立するための核心の原理です。だから、それを否定するイスラム過激派と衝突しやすいのです。2世がむしろ「フランス」に反発 フランスにいるムスリムの多くは、基本的には憲法の規定する政教分離を受け入れています。ですが、自らの意思で来た移民1世はわかっていても、2世たちの中には疑問を持つ人はいるかもしれない。しかも、インターネットの情報には、ジハードやテロを煽動するものがあるわけです。 また、イギリスとの違いでいえば、フランスの場合はシェンゲン協定に入っています。イギリスの場合は、入国を管理していますから、そこで政策的に移民を国境で管理する余地があります。他方でフランスは、EU域内からの移民の流入を止める余地がない。 私がフランスに行った2009年当時、すでに移民が深刻な政治問題となっていました。サルコジ大統領は選挙で、極右の国民戦線(FN)に票を奪われないためにも移民に強硬な姿勢を示しました。移民担当大臣というポストを新設し、エリック・ベッソンがそれに就いて、移民に対して厳しく対処する姿勢をアピールしました。 フランスに入国すると、長期滞在の場合はしばらくしてから移民局に行かなければなりません。私も行きましたが、そこでフランス語が話せるかどうかが試されます。能力がないと、強制的にフランス語学校に通う必要がある。また、フランス共和国の理念を誇示する長時間のビデオを見せられます。しかし、いくらやっても社会統合には限界がある。それはもうフランス人はわかっています。徐々に移民の制限のほうに動いていかざるを得ないと考えています。 今回の「シャルリー・エブド」の事件は、多くのフランス人たちにとっても、これまでフランス共和国が誇ってきた麗しき社会統合の限界を感じさせる、大きな政治的転換点となってしまう懸念があります。ほそや・ゆういち 1971年生まれ。英国バーミンガム大学大学院国際関係学修士号所得(MIS)後、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了、法学博士。近著に『グローバル・ガバナンスと日本』(中央公論新社)。関連記事■ 「世界の警察官」を放棄 不安抱え続ける同盟国■ ナショナリズムという「病」■ スコットランドの独立否決で分離独立主義の幻想を増長と中国紙

  • Thumbnail

    記事

    移民「毎年20万人」受け入れ構想の怪しさ

    河合雅司このままでは人口は激減するが… 「人口激減の世紀」―。このまま何の対策も講じなければ、未来の歴史学者たちは日本の21世紀をこう呼ぶことだろう。 日本人が減り始めたのは2005年である。この年について、厚生労働省の人口動態統計は、出生数から死亡数を引いた自然増減数が初めて2万1266人のマイナスに転じたと伝えている。 ところが、日本はその後の10年、惰眠をむさぼった。少子化に歯止めがかからず、人口の減少幅だけ年々拡大した。国立社会保障・人口問題研究所によれば、現在約1億2730万人の総人口が、2060年に8674万人に減り、2110年には4286万人にまで落ち込む。 われわれは、こうした未来図を何としても変えなければならない。政府がたどりついた結論は「移民の大量受け入れ」の検討であった。 2月24日の政府の経済財政諮問会議の専門調査会「『選択する未来』委員会」。内閣府が用意したペーパーには、大量に受け入れた場合の将来人口見通しがしたためられていたのだ。政府が移民受け入れに伴う人口試算を正面切って行ったことは記憶にない。 まず、内閣府の試算がどんな内容だったかを、ご紹介しよう。2015年から毎年20万人ずつ受け入れ、2030年以降には合計特殊出生率が「2・07」に回復していることを前提としている。かなり高めの設定だが、この2条件を達成すれば、日本の総人口は2060年に1億989万人、2110年には1億1404万人となり、ほぼ1億1千万人水準を維持できるというシナリオだ。 働き手たる20~74歳についても「新生産年齢人口」と呼んで推計を試みている。こちらは2012年の8973万人が、それぞれ6699万人、7227万人になるという。 「移民さえ受け入れれば、日本は労働力不足に悩むことがなくなる」との意識を国民に植え付けるのが狙いなのだろう。こうして具体的な数字で語られると、移民も「有力な選択肢」になり得ると思えてくる。 しかし、移民は本当に日本を救うのだろうか。耳に入ってくるのは「人口が何人減るから、外国人を何人入れて穴埋めしよう」という帳尻合わせの議論ばかりだ。政府からは、大量受け入れに伴う社会の混乱や、日本人が負担しなければならなくなるコストといった負の側面についての説明は聞こえてこない。 うまい話には落とし穴があるものだ。少し冷静に考えれば、「毎年20万人」というのは、かなり怪しく、危険ですらあることが分かる。 移民政策の怪しさを見ていく前に、整理しておきたい点がある。「移民」と「外国人労働者」の違いだ。両者を混同し、問題の本質から大きくずれた議論が実に多い。 最初にお断りしておくが、「移民」という行政用語は存在しない。政府としての定義は明確でないが、政府関係者は永住を前提として受け入れる人を「移民」としてとらえてきた。多くはいずれ日本国籍を取得しようとする人々である。誇張した表現をすれば、青い目、黒い肌の日本人になる人たちだ。 これに対し、「外国人労働者」とは出稼ぎ目的だ。企業の一時的な戦力として働き、仕事がなくなれば母国に帰る。好条件を求めて他国に職場を移すこともある。 これまでの外国人受け入れ論は、企業の賃金抑制策の視点から後者を指すことが多かった。企業が想定するのは、低賃金で働いてくれる20、30代の若者だ。「高齢になる前に母国に帰ってもらえばいい」といった都合のよい考え方である。だが、このような発想で若い外国人労働者を次々と入れ替えたのでは、人口減少を食い止めるという量的問題は解決しない。つまり、企業が経営効率の視点で「外国人労働者」を活用するレベルの話と、労働力人口減少の・穴埋め要員・としての移民を大量受け入れする話では次元が異なる。人口維持試算が意味すること さて、話を本題に戻そう。移民政策の怪しさ、危うさである。まず、内閣府が示した「毎年20万人」という数字が意味するところだ。これは50年にすれば1千万人、100年では2千万人である。 試算通り1億1千万人規模の総人口を維持できたとしても、2060年時点で10人に1人、2110年には約5人に1人が移民という計算になる。2012年末現在の在留外国人数は203万人余で、総人口の1・59%に過ぎない。「2千万人」というのが、いかにインパクトある数字かお分かり頂けるであろう。 しかも、1億1千万人というのは、先に紹介した通り、合計特殊出生率が現在の1・41から2・07にまで上昇することが前提となっている。出生率が回復せず、2110年の総人口が社人研の予測通り4286万人まで減れば、ほぼ2人に1人が移民ということになる。 ところが、この計算には・まやかし・がある。内閣府の資料には見当たらないが、出生率2・07への回復は、子供をたくさん産むのが当たり前の「多産文化の国」から来た移民が、日本に永住後も多くの子供を出産する出生率の・押し上げ効果・を織り込んでいると考えるのが自然だ。少産となったわれわれ日本人が、突如として5人も、6人もの子供を産むようになるとは思えない。 衝撃的なことだが、出生率が2・07にまでならなくとも、移民としてやってきた人と日本で誕生したその2世の合計人数のほうが、いつの日にか多くなるのだ。 もちろん、移民やその2世と結婚する日本人もいるだろう。すごく長い時間軸でみれば、区別がなくなるかも知れない。しかし、個々人が理解し得る時間の長さで考えれば、人口減少下で移民を大量に受け入れる政策とは、人口規模の維持と引き替えに、われわれ日本人が少数派になるのを許容することなのである。 それは、日本という国を現在とは全く異なる「別の国家」にすることに他ならない。われわは、移民政策を考える時、日本人のほうがマイノリティーになる社会とはどんな社会なのかを想像する必要がある。 例えば、天皇への尊敬の念や古来の文化や伝統の継承などは支障なく行われるだろうか。言葉の壁や文化の摩擦も生じる。それどころか、日本語以外の言葉が公用語となるかも知れない。 人間というのは、母国への思いをそう簡単に断ち切れるものではない。彼らの2世や3世が、国会議員や官僚といった政策決定権を持つ要職や指導的地位に就く時代もいつか到来するであろう。そんな時代に大量に移民を送り出した国と日本が外交的な緊張関係に陥りでもすれば、国論が割れて国家を危うくする。「反日」国家が組織的に送り出してくることにでもなればどうなるのか、警戒を怠るわけにはいかない。移民政策とは、安全保障に直結する問題でもあることを知らなければならない。 住宅や社会保障、子供の教育などにも膨大なコストを要する。とりわけ問題なのが、長期の加入を要する年金だ。移民の年齢によっては支払期間が不足する。将来的な低年金者や無年金者の対策コストが増えれば、税負担増でまかなうしかない。 やってくるのは若い年齢層だけとは限らない。彼らにだって家族はいる。年老いた両親を母国から呼び寄せる人もいるだろう。こうした人が増えれば、移民政策とは異なる問題の解決を迫られる。 これまでも外国人労働者をめぐっては、ゴミ出しルールを守らないとか、騒音といった地域のトラブルが問題となってきた。大量に移民を受け入れるとなれば、こうした問題の深刻さは想像を絶するものがある。移民を積極的に受け入れてきた国の多くで排斥事件が起こるなど、各国政府は対応に苦慮している。 異国から来た人というのは、出身国の人同士で社会や集団を作りがちだ。日本がもし受け入れれば、やがて摩擦や衝突を生むだろうことは、ドイツが証明している。他国と国境を接するドイツですら、「移民政策は事実上、失敗に終わった」とされるのに、島国の日本がどうなるかは想像に難くない。治安コストや社会モラルの崩壊というのは決して過小評価してはならないのである。 しかし、この問題の本当の怖さは別のところにある。忘れてはならないのが、移民の大量受け入れが新たな少子化要因となることだ。 低賃金で働く移民が増えれば、日本人の賃金水準も下がるだろう。不安定な雇用を余儀なくされる日本の若者がさらに増え、結婚はますます遠のく悪循環を呼ぶ。日本は婚外子の少なさが証明するように、結婚と出産はワンセットだ。結婚できる人が減れば、結果として将来的な労働力人口の減少に拍車がかかる。それがさらなる移民必要論の根拠として使われたのでは、日本はまさに負のスパイラルに陥っていく。大量移民がもたらす新たな社会的困難 ここまで「年間20万人」を中心に問題点を見てきたわけだが、次は、移民が政策論としてそもそも成り立つのかを考えてみたい。これだけの規模の移民がコンスタントに来日するのかという疑問だ。 結論を先に言えば、日本が移民政策に踏み切ったからといって、どんどん人が入ってくるという保証はどこにもない。 「移民」と聞けば、その送り出し国としてアジアや南米諸国をイメージする人が多いだろう。確かに、インドや中国、ブラジル、インドネシア、フィリピン、タイといった国々は当面、人口が増加基調にある。しかし、どの国も2040~2050年頃には急速に高齢化が進み始める。若い世代を他国に送り出せば、それだけ高齢化のスピードは速まる。難民や出稼ぎの外国人労働者としてならばいざ知らず、100年もの間、「日本はお困りでしょう」と言って積極的に若者を送り出す国がどれだけあるのだろうか。 各国で高齢化が進めば、若い労働力の奪い合いになることも予想される。最速で高齢化が進み、言葉の壁が立ち塞がる日本は必ずしも魅力的な移民先であるとは限らない。東南アジア諸国などの経済成長は著しい。わざわざ遠い島国まで行かずとも、近隣国に・安住の地・を求める人も多いだろう。 それでも、ある特定の国だけが送り出し続けるならば、それはある種の政治的意図をもって日本を狙い撃ちしていると考えたほうがよい。これらからも、移民は政策論として非常に困難だと言わざるを得ない。 しかし、最悪なのは、「外国人を受け入れなければ、日本は終わってしまう」といったスローガンに踊らされて、一時的なムードで中途半端に受け入れを始めてしまうことだ。移民というのは、ひとたび大量に受け入れてしまったら、「数が増えすぎたから」などといって簡単に打ち切ることはできない。 「毎年20万人」もの人が入り始めれば、そのことを前提として社会は出来上がるからだ。それを突然止めるとなれば、人為的に人口急減を起こすのと同じだ。ただでさえ日本人が減っていくのに、増加を当て込んでいた移民までが減るダブルパンチとなったのでは、マーケットは混乱し、経済や社会保障制度への影響も避けられない。 それだけではない。突然打ち切れば、団塊世代のように「特定の年齢層」だけが極めて大きな人口の塊となる。その後の世代が本来ならば味わうはずのなかった急速な社会の縮小を経験することを意味する。 政府がいたずらに人口政策に手を染めてうまくいった試しはない。・移民ありき・で議論を急ぐ進め方は厳に慎まなければならない。東京五輪決定でリベンジに出た黒幕 ところで、なぜ政府は移民政策の検討を急ぐのだろうか。政府だって、移民政策に問題点が多いことは分かっているはずだ。そこには、移民受け入れ推進派の「外国人の受け入れ=開かれた先進的な国」という決めつけと、一度スイッチが入ったら方向転換がなかなかできない官僚の悪弊がある。 安倍政権が移民政策に前のめりになっていることは、安倍晋三首相が議長を務める産業競争力会議が、1月20日にまとめた「成長戦略進化のための今後の検討方針」に明らかだ。そこには「外国人材受入のための司令塔を設置し、高度人材の受入れはもとより、労働人口の減少等を踏まえ、持続可能な経済成長を達成していくために必要な外国人材活用の在り方について、必要分野・人数等も見据えながら、国民的議論を進める」とある。 「移民」という直接的な表現こそ避けてはいるが、「労働人口の減少等を踏まえ」というのは、長期に日本で働く「移民」を念頭に置いているとしか読めない。しかも「高度人材の受け入れはもとより」というのだから「高度人材」だけでなく「単純労働者」を激減する労働力人口の穴埋め要員にしようということである。  しかし、移民政策は安倍政権になって急浮上したわけではない。あまり知られていないが、日本が人口減少局面に突入した2005年の3月に法務省が策定した「第3次出入国管理基本計画」は、「人口減少時代における外国人労働者受入れの在り方を検討すべき時期に来ていると考えられる」としている。「専門的、技術的分野に該当するとは評価されていない分野における外国人労働者の受入れについて着実に検討していく」との文言も見つかるのだ。 政府が非公式ながら、移民の大量受け入れを本格的に検討し始めたのは2000年頃とされる。そして、背後にちらつくのは財務省の影だ。ある中堅幹部が「省内でずっと検討を重ねてきた」と認めている。 推進派官僚たちにとって移民政策は、悲願なのである。とはいえ、彼らも、国民のアレルギーが強く、一筋縄で行かないことは分かっている。その是非に白黒が付くまで待っていたのでは時間がかかるということから、既存のルールに少しずつ例外を設けて、実質的に「単純労働」の拡大を図ってきたというわけだ。 この間、推進派が勝負に出たことがある。2008年だ。6月に自民党の議員連盟が「日本型移民政策の提言」を発表し、50年間で1千万人の移民受け入れ構想を提唱。10月には日本経団連が「人口減少に対応した経済社会のあり方」を発表し、外国人の定着推進の検討を投げかけた。 これらの提言は、その後のリーマン・ショックを引き金とする景気後退により急速に萎んだが、推進派官僚はリベンジ戦の機会をうかがってきたのだろう。そして、ついに彼らにとってのチャンスが到来した。東京五輪の開催決定である。 五輪は「世界に開かれた日本」をアピールする場であり、外国人受け入れ政策を言い出しやすい。そうでなくとも、成長戦略を至上命題とする安倍政権はビジネス面における外国人の活用に積極姿勢をみせていたことから、一気呵成に流れを作ろうという寸法だ。 推進官僚たちは実に巧妙だ。内閣府の試算で「移民」を派手にぶち上げ国民の耳目を惹きつける一方、あたかも移民政策とは別物のように外国人労働者の受け入れ要件をなし崩しに緩和し、実質的に「単純労働」を認めてしまおうとの作戦のようである。 安倍首相がわざわざ「移民政策と誤解されないように」と強調したところにこそポイントがある。こうした説明を聞けば、反対派も「移民政策ではなく外国人労働者だから、そんなに過剰に反応することもない」となろう。しかし、気がついたら、単純労働を行う外国人が日本中にあふれ、移民受け入れに近い社会が実現しかねないのだ。 作戦はすでに実行に移されている。第1弾が4月4日の関係閣僚会議が建設業の受け入れ拡大を決定したことだ。東日本大震災からの復興などに加え、東京五輪の開催準備で建設需要が急増し人手不足が深刻化しているとして、外国人技能実習制度を実質2年延長し最長5年間働けるようにする措置を五輪までの臨時対応として認めたのだ。 「五輪スタジアムの建設が間に合わない」との説明には反対しづらいものがあることを計算に入れてのことだろう。先の財務省中堅幹部は「今回は建設業側から『外国人を入れてほしい』と言ってきたので助かった。これは蟻の一穴となる」と明かしている。 その言葉通り、推進派は建設業を突破口に畳み掛け始めた。関係閣僚会議が建設業の拡大を認めたのと同じ4月4日の経済財政諮問会議と産業競争力会議の合同会議で、民間議員が家事補助と介護職の受け入れ拡大を提案し、安倍晋三首相も「女性の活躍推進の観点から推進してもらいたい」と指示を与えた。それ以外の産業でも単純労働の容認を求める動きが強まっている。 家事補助や介護職種は、高齢化が進む日本においてはますます需要が大きくなる。介護の場合、現行では経済連携協定(EPA)に基づき介護福祉士の国家試験に合格しなければ日本で働き続けられないが、受け入れ拡大となれば国家試験の受験意思のない低技術の外国人労働者が大量に来日する可能性がある。家事補助に至っては、誰の目にも「高度な仕事」とは映らないだろう。まさに単純労働を事実上解禁する国策の大転換が、国民的な議論もなく静かに進められようとしている。後世の日本人に顔向けできるのか 外国人労働者をなし崩しに受け入れようとしていることについて、ある推進派官僚は「人口減少に対応するには、もはや外国人を入れるしかない。移民に反対するのは敗北主義だ」と強調してみせた。しかし、本当に「もはや外国人を入れるしかない」のだろうか。移民を受け入れなくとも済む選択肢はあるはずだ。それを探すことこそ優先されるべきであろう。今の政府の議論の進め方は、明らかに順番が間違っている。 推進派の言い分をよく聞くと、その多くは「労働力人口が減少すれば経済成長しない。日本経済を縮小させないためには、外国人で穴埋めせざるを得ない」との理屈である。まず、この理屈が正しいのか、から確かめる必要がある。 人口減少が日本社会や経済にとってマイナスであることは論をまたない。だが、人口動態は経済成長を左右する絶対的な条件ではない。その証拠に、高度経済成長期の労働力人口は年に1%程度しか伸びていない。 労働力人口が増えたから高度経済成長が可能だったわけではなく、機械化や「全要素生産性」(TFP)と言われる生産要素の増加では説明し切れない技術進歩などが寄与した結果とされる。人口の増減とは関係なく、イノベーション(技術革新)によって今後も経済成長は達成可能ということだ。 高齢社会を迎える日本は経済成長のチャンスがいくらでも転がっている。医療や介護はもちろん、住宅から乗り物、市街地の在り方に至るまで、すべてを高齢者にとって使い勝手のよいものに作り替えていかなければならない。エコノミストの中には1~2%ぐらいの成長は十分可能との見方も少なくない。 そもそも、少子化に歯止めがかかれば、将来の人口予測は全く異なるものとなる。当面避けられない労働力人口の減少には、女性や高齢者の力を引き出すほうが先決だろう。総務省の労働力調査の基本集計(2014年2月速報)によれば、生産年齢人口(15~64歳)の女性は3889万人だ。このうち就業者は2439万人で62・7%に過ぎない。日本の女性や高齢者は高い教育水準にある。言葉や文化の壁もない。外国人を受け入れるよりもはるかにコストもトラブルも少なくて済むはずだ。移民受け入れに先走るのではなく、こうした方策についても検討するのが筋というものだ。 労働人口の減少は避けられない現実であり、外国人との付き合い方に正面から向き合わなければならないときは来る。 だからといって大量の移民を受け入れるかどうかという選択を、現在に生きるわれわれの利益だけで判断してよいわけではない。 後世の日本人に顔向けできる「日本」をいかに残すのか。戦略もなく易きに走れば、国を大きく誤る。

  • Thumbnail

    記事

    呉善花氏「移民が日本文化を理解し社会に溶け込むのは難しい」

    鮮人・韓国人へのヘイトスピーチについて石原氏の見解■移民受け入れに肯定的な米国でも1150万人の不法移民問題あり■「活版印刷」と「羅針盤」 韓国が起源は韓国人の間では常識

  • Thumbnail

    テーマ

    移民ではなく外国人労働者という詭弁

    将来、引き起こされるであろう摩擦を引き受けるのは、制度設計した者ではなく、企業であり、国民であり、当の外国人労働者。詭弁が易々と通る日本であってはならない。

  • Thumbnail

    記事

    「移民ではなく、外国人労働者」 という詭弁は幾重にも罪深い

    うが、そんな虫のいいことは不可能だ。いま氏らが提案している制度を実施すれば、将来必ずや日本における「移民問題」のタネとなろう。 グローバル化が進む現代は、人、モノ、カネが国境を越えて行き交う時代などと表現されて久しいが、人は、モノやカネとは厳然と違う。人はそれぞれ意思や感情をもち、独自の文化や匂いを纏って私たちの国へやって来る。それを「労働力」という、あたかも「モノ」のように捉えて都合よく使おうという発想がそもそも危険だ。 数十年後の労働人口の不足を補うための外国人労働者受け入れ、というお題目からして詭弁である。数年契約で定住なしの出稼ぎ労働者を、いま受け入れることは、数十年後の労働人口補充とは何の関係もない話ではないか。 将来、引き起こされるであろう摩擦を引き受けるのは、制度設計した者たちではなく、労働の現場となる企業であり、市井の日本国民であり、当の外国人労働者たち、と相成る。 「移民ではない、労働者」という詭弁を見過ごしてはいけないのである。

  • Thumbnail

    記事

    移民政策の本当の怖さ

    ただ、現在の安倍内閣の目指す移民についての方針には、そのような「想像力」が足りないような気がします。移民問題に大切なのは、当座受け入れた移民第一世代が引き起こす、雇用や治安や文化摩擦ではありません。彼らの子供の時代こそが、大切なのです。そのような「想像力」で、貴方は移民の子供の代に存在する、日本の姿を肯定することができますか。