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    左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか

    潮 匡人(評論家・拓殖大学客員教授)うしお まさと 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒。航空自衛隊入隊。大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程修了)、航空総隊司令部、長官官房勤務等を経て3等空佐で退官。東海大学海洋学部非常勤講師。著書に『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)など。 自衛隊にとって7月1日は二重に意義深い日付となった。簡単に歴史を振り返ってみよう。1950(昭和25)年の朝鮮戦争勃発に伴い、在日米軍の主力が「国連軍」として朝鮮半島に展開。そこで同年8月、国内の治安維持を図るため、日本政府は警察予備隊を創設した。翌年、対日講和条約と日米安全保障条約が調印。翌々年4月28日、わが国は主権独立を回復した。その後、「保守三党」(自由党、改進党、日本自由党)の度重なる協議を受け、1954(昭和29)年3月、いわゆる「防衛二法」(防衛庁設置法と自衛隊法)案が閣議決定。同年7月1日に施行された。晴れて名実とも日本防衛を主任務とする「自衛隊」が発足したわけである。 それから、ちょうど60年後の今年7月1日。安倍晋三内閣は「新しい安全保障法制の整備のための基本方針」を閣議決定した。 護憲・改憲の立場を問わず、全マスコミが今回の閣議決定を「集団的自衛権」と報道している。その結果たとえば、グレーゾーン事態の法整備が先送りされた問題など、集団的自衛権以外の論点が見えなくなってしまっている(「Voice」8月号拙稿)。 ちなみに閣議決定文のタイトルは「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」。どこにも「集団的自衛権」の6文字がない。実は本文の中核部分も同様である。 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」 以上が「集団的自衛権行使容認」と報じられたのは、なぜか。それは閣議決定文がこう続けて、敷衍したからであろう。 《憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある(中略)が、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである》 たしかに護憲派が咎めるとおり、分かりにくい(週刊「世界と日本」夏季特別号拙稿)。的外れとならない範囲で要約すれば、「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は日本防衛のための措置」となろう。 従来「日本防衛は個別的自衛権であり、他国防衛は集団的自衛権(だから許されない)」と議論されてきた。その延長線上で言えば、「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は個別的自衛権(だから許される)」となろう。 言い換えれば、従来の脈絡における集団的自衛権行使は容認されなかった。憲法上の議論としては、そうなる。事実、公明党代表はそう表明したし、自民党幹事長も追認した。 案外知られていないが、自衛隊は(少なくとも一部の)国際法上「軍隊」として取り扱われる(昭和60年11月5日付・政府答弁書ほか)。 他方で政府は(昭和42年3月以降)「自衛隊を軍隊と呼称することはしない」と言明し続けている。憲法9条が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記している以上、政府としてたとえば航空自衛隊を「空軍」とは呼べない。軍隊ではなく自衛隊、そう言わざるを得ないが、たとえ日本国と日本人が「自衛隊」と呼ぼうが、国際法上は軍隊であり、国際社会も陸海空軍と認識している。 「国際法上は軍隊だが、憲法上は自衛隊(だから許される)」 「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は日本防衛のための措置(だから許される)」 どちらにも同じ匂いが漂う。 いや、マスコミが報じるとおり、集団的自衛権は容認された——そう言ってよいなら、自衛隊は「軍隊」である。日本は「陸海空軍」を保持している。そう容認されている……と言っていいはずなのに、なぜ護憲派は「憲法違反、解釈改憲」と批判しないのか。朝日は朝日、NHKはNHK 今回の閣議決定を、護憲派は口を揃えて「解釈改憲」と誹謗する。だが、彼らは自衛隊も、個別的自衛権も批判しない。なぜか、集団的自衛権(行使)だけを敵視する。 自分は守るが、他人は助けない。家族や友人さえ見殺しにする——人類史上、最も不潔で破廉恥な意見を掲げながら、安倍政権を非難しているのと同じだ。じつに破廉恥な連中だ。 そのせいであろう。安倍総理は「安保法制懇」の報告書を受けた今年5月15日の総理会見で用いたパネルを再び掲げながら、あの日と同様の熱意でこう訴えた。 「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。(中略)外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。(中略)日本が再び戦争をする国になるというようなことは断じてあり得ない」 予想はしていたが、正直ガッカリした。総理には正面から「『現行の憲法解釈の基本的考え方』は間違っていた、だから変更する」と語ってほしかった。願わくは、憲法改正にも言及して頂きたかった。 だが、もはや安倍政権への注文を書いている場合ではない。右の熱弁も、護憲「進歩」派マスコミの耳には、こう聞こえるらしい。 「9条崩す解釈改憲」(7月2日付朝日朝刊1面ヘッドライン)。朝日だけではない。毎日新聞に加え、東京新聞(中日新聞)や北海道新聞など多くの地方紙も閣議決定を非難した。ちなみに総理会見の質疑では、北海道新聞の宇野記者が質問の形を借り、こう主張した。 「抽象的な表現にとどまった感があります。これでは時の政権の判断でいかようにでも拡大解釈でき、明確な歯止めにならない」「(自衛)隊員が戦闘に巻き込まれ血を流す可能性がこれまで以上に高まる」 翌朝の北海道新聞の紙面は、ご想像のとおりである。 5月15日の総理会見では、翌朝の1面ヘッドラインに「『戦地に国民』へ道」と大書した東京新聞が最低最悪だったが、今回は朝日新聞が突出した。全国紙のヘッドラインでは「集団的自衛権 限定容認」とした読売新聞が今回もベスト。読売が書いたとおり、善かれ悪しかれ「限定容認」に過ぎない。それを大批判するのも、大喜びするのも、おかしい。 朝日新聞の集団的自衛権報道については本誌6月号の拙稿で詳論した。加えて最近も「言論テレビ」(7月12日放送・月刊「ウイル」9月号掲載)などで指弾したので、以下(朝日同様、世論形成に大きな影響力を持つ)NHK総合テレビの報道に焦点を絞ろう。 まず、総理会見を生中継した番組で、政治部の岩田明子記者が、会見と閣議決定を解説した。的を射た解説であり、非の打ち所がなかった(以下、今回は個人名を挙げるが、私は誰とも面識がない)。 だが、NHKはやはりNHK。続く同夜の「ニュース7」は31分間中、25分間を当て報道。スタジオ出演したのは政治部の田中康臣記者。アナウンサーとの主要な会話を再現しよう。 「どんな意味を持つんでしょうか」 「日本が攻撃された場合にしか武力行使ができないという、これまでの大きな制約が外れるという点です」 「つまり、何ができて、何ができないか。必ずしも明らかになっていないということなんですね」 「そうですね。そのため野党からも『自衛隊の活動範囲が際限なく広がる』とか『戦争に巻き込まれる可能性が高まる』といった批判が出ているんです。(中略)行使容認という大転換に踏み切ったわけですが(中略)国民の理解を得られるかが問われる(以下略)」あくまで「限定容認」なのに… 朝日同様、聞く耳持たず。総理や与党幹部が連日どう説明しても無駄なようだ。 まず、右の会話は事実に反する(と私は思う)。善かれ悪しかれ「行使容認という大転換に踏み切ったわけ」ではない。あくまで「限定容認」(読売)である。 「大きな制約が外れる」云々と視聴者の不安を煽っているが、「日本が攻撃された場合にしか武力行使ができないという」制約など、これまでもなかった。その他を含め間違いだらけ。念のため付言すれば、「攻撃された場合」ではなく、「急迫不正の侵害」が従来の自衛権行使の要件である。「急迫」とは「法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っている」状態(最高裁判例)。私に言わせれば、要件はより厳しくなった(前掲拙稿)。 同夜の「ニュースウォッチ9」も同様。「武力行使の要件を『日本に対する武力攻撃が発生した場合』に限定してきましたが……」と虚偽報道した上で、こう批判した。 「歯止めが具体的にかかっていると言えるんでしょうか」(井上あさひキャスター) 「その点は必ずしも明確ではないと思います」(政治部の原聖樹記者) ……これでは、岩田記者のパーフェクトな解説が台無しである。公共放送NHKの花形たる政治部記者にして、この始末。自衛権行使の要件は昔も今も明らかである。かりに新3要件の歯止めを不明確と咎めるなら、同等以上の批判が旧3要件にも当てはまる。さらに言えば、「急迫不正」との刑法第36条(正当防衛)その他、あらゆる法令の要件に当てはまる。 もし本心から「必ずしも明らかになっていない」と思っているなら、法学の素養が皆無なのであろう。そうでないなら、意図的かつ悪質な世論操作である。NHK記者は、冠に「必ずしも」と振れば、何であれ、「~ではない」と否定的に断定できると思っているようだ。なんとも卑怯な表現ではないか。 さらに、この番組は「憲法解釈変更その先に…」「記者大越がみた 自衛隊 派遣のこれまで」と題したコーナーで自衛隊イラク派遣を「〝戦時〟の協力へ」と振り返った。当時のNHKニュースも連日「泥沼化するイラク戦争」と報じていた。 現場(サマーワ駐屯地)にいた実感として、そうは思わないが、いずれにせよ、もし「戦争」であり「戦時」だったのなら、根拠法令(イラク特措法)違反、憲法違反となる。いわゆる「非戦闘地域」ではなくなってしまう。つまり、法律と政府答弁を無視した報道である。「いや政府答弁こそ詭弁だ」との認識なら、正面から堂々と「憲法違反だった」と報じ批判するべきだ。昔も今もNHKは直接話法で正面から語らない。未来永劫「必ずしも~でない」と言い続けるのであろう。 遺憾ながら、この程度で驚くのはまだ早い。翌2日放送の情報番組「あさイチ」では、城本勝解説委員がフリップを使いながら「アメリカと一緒になって反撃する権利。これが集団的自衛権」と出鱈目な説明をした。正しくは「反撃する権利」でなく「実力をもって阻止する権利」。そう本誌6月号で縷々述べたが、相変わらずNHKには馬耳東……。「あさイチ」から偏向報道を 看板番組「日曜討論」の司会も務める城本解説委員は5月6日放送の「大人ドリルSP 今さら聞けない…集団的自衛権のいろは」にも出演し、「国際社会に理解してもらうことから始めないと何をするにも難しい」「拡大解釈される」等々と危険性を言い募り、反対姿勢を鮮明にした。 案の定、7月二日も「あさイチ」から、閣議決定を、以下のとおりダメ出しした。 《「明白な危険」というのも誰が判断するんだ、という話になりますし(中略)、非常にあいまいだ。事前に国会承認が必要だと言っているんですが、この歯止めについてはまだ具体的ではない》 井ノ原快彦キャスターが「だから、みんな怖いわけですよね」と受け、「そうですね」との会話が続いた。 くどいようだが、新3要件が「あいまい」との批判は当てはまらない。「非常に」と形容するなど、もっての他である。城本氏は、要件に該当したかを、誰が判断するか、ご存知ないようだが、正解は内閣である。国家安全保障会議や閣議で審議される。その判断の当否は、国会や裁判所もチェックする。これ以上の歯止めはあるまい。 城本氏は番組でさらに「総理会見をどうみたか」聞かれ、こう答えた(正確に再現すると日本語にならないので、明らかな言い間違いや不必要な表現は修正した)。 《率直に言って、これまでの憲法の考え方を大きく変える、(中略)大きく転換させた。これが1つ。(中略)60年安保、ありましたよね。国会で大議論をしてきたわけですね。国民的にも賛成・反対、大変大きな議論があるなか、物事が決められてきた。今回はまず、政府が「政府の責任で決めます」と。んで、「これから国会で議論します」という……ちょっと、その順番はこれまでのやり方と違うな、というのが率直な印象》 率直に言って、レベルが低すぎる。(安保)条約の批准と、閣議決定を同列に議論するのは憲法上もいただけない。いわゆる三権分立を理解していないから、こうなる。 順番が違うと言うが、担当省庁で起案し、関連省庁間で根回しの上、事務次官会議を経て閣議決定後、閣法として国会に提出する。それが「これまでのやり方」である。先に閣議決定しなければ、法案を提出できない。至極当然の順番である。 ポレミック(論争的)に言えば、他のやり方もある。右の順番だと、内閣法制局の審査を経なければならない。もし彼らが抵抗すれば法案はできない。そのハードルを回避すべく議員立法で関連法案を成立させる。たとえば「国家安全保障基本法」を……。 私は本来そうすべきだったと思う。これなら内閣法制局審査を経る必要がない。これぞ従来の政府解釈の縛りを解く効果的かつ合憲的なやり方だった。そうした批判なら傾聴に値するが、NHKの主張は正反対。しかも、まだ議論が足りないという。私の目には今回も「国民的にも賛成・反対、大変大きな議論があるなか、物事が決められてきた」と映るが、安保世代の解説委員に映る風景は違う。まだ議論が足りないらしい。安保騒動のごとく、デモ隊が国会に突入し、犠牲者が出ないと、満足できないのか。 番組では有働由美子キャスターも「なぜ急いだんですかね」と疑問視した。この問題は第一次安倍内閣から議論を始めた。安倍自民党として公約に掲げた二度の国政選挙でも大勝した。第二次安倍内閣で議論を再開後、1年半以上が経過してからの閣議決定なのだ。遅きに失したとの批判すら、あり得る。 ゲストの室井佑月さん(作家)も「他国の戦争に巻き込まれるわけですから、テロの脅威は増えますよね」と総理会見を非難。城本解説委員がこう受けた。 「(そうした)疑問や不安が出てくるのは当然。(中略)抑止力を高めることによって必ずしも戦争を防げるわけではない。むしろ逆になることもある。こういう事実がある」 日本の公共放送が、日本の抑止力が高まることを批判したのだ。生放送を見ていた中国大使館員のほくそ笑んだ顔が目に浮かぶ。消された国谷キャスターの発言 翌3日放送の「クローズアップ現代」も酷かった。ゲストは菅義偉官房長官。まず国谷裕子キャスターがこう語った。「武力行使が許容されるのは日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとされてきました」 先述のとおり「武力攻撃が発生した場合」ではなく「急迫不正の侵害」が正しい。続けて「戦後日本の安全保障政策を大きく転換する閣議決定」とも述べたが、政府見解とも、読売の報道とも、私の理解とも違う。私に言わせれば、大転換すべきだったのに、「限定容認」(読売)に留まった。 今回の閣議決定で許容されるのは「自衛のための措置」と紹介しながら、「これまで世界の多くの戦争が自衛の名の下に行われてきたのも事実です」と、閣議決定を実質的に全否定(ないし大批判)した上で、こう世論を誘導した。 「憲法9条の精神を貫くためには、より具体的な武力行使への歯止めが求められています。重大な解釈変更であるにもかかわらず、閣議決定に至るまで国民的な理解、そして議論が深まっていないという声が多く聞かれます。なぜ今この大転換なのか。集団的自衛権の行使容認は限定的だと言っても、果たして歯止めは利くのでしょうか」 大衆は理解していないという“前衛”気取りの左派体質が露呈している。私の認識は正反対。大半の国民は、漠然とであれ、「必要最小限度なら許される」と、事の本質を正しく理解している。失礼ながら、理解していないのは彼女自身のほうではないのか。 執拗に菅長官を追及し、番組中「他国を守る集団的自衛権は行使しない」と明言させた。ならば「大転換」でも何でもあるまい。さらにブチブチ文句を言い続け、出演した原聖樹記者(前出)も「わが国の存立が脅かされる事態とは、具体的にイメージしにくい」と疑問を呈した。今回、政府は8つも事例を示したのに、まだ足りないらしい。足りないのは政府の説明ではなく、記者や看板キャスターの能力であろう。 彼女らの失礼な態度に官邸が激怒し抗議したとの誤報が生まれたのも致し方あるまい。ちなみに発言や会話は、NHK公式サイトの「全文テキスト」で一部削除、訂正されている。さすがに良心が咎めたのか。だがウエブ上の発言記録は消せても、視聴者の記憶は消せない。終始、一方的な意見表明に終始した、明らかな放送法違反である。政府はこれに懲りて、以後NHKへの出演は控えるべきではないだろうか。 もはや、印象操作は日常茶飯事と化した。最近も7月13日放送の「ニュース7」が反対集会を報じたが、参加者がみな同じプラカードを持っていた。特定の組織(ないし政党)が背後にいるからではないのか。ならば、公共放送ではなく、宣伝機関に堕している。しかもNHKは反対集会しか報道しない。賛成支持するデモや集会を黙殺する。 同夜放送のNHKスペシャルでも、集団的自衛権を「反撃する権利」と国際法を無視し勝手に定義したうえ、アフガン派遣で犠牲を出したドイツの例を挙げ、「犠牲者を生むリスクが高まる」と間接話法で指摘した。 だが、その例は番組が報じたとおり「国連の枠組みの下」の活動である。つまり集団的自衛権の行使ではなく、集団安全保障のケースである。ゆえに「集団的自衛権 行使容認は何をもたらすのか」と題した番組で紹介すべき事例ではない。 ただ遺憾ながら、多くの日本国民が両者を混同している。違いが分かっていない。おそらく視聴者は大きな不安にかられたはずだ。なんとも巧妙かつ悪質な印象操作である。 NHKによって、7月1日の意義は深く傷ついた。一連の報道は憲法上の保障に値しない。放送法に違反した偏向報道である。 蛇足ながら同夜、NHK以下各局は、滋賀県知事選で自公の推薦候補が敗北したニュースを速報した。翌朝の毎日新聞1面は「『集団的自衛権』影響」と報じ、安倍総理も「集団的自衛権の議論が影響していないと申し上げるつもりは毛頭ない」と答弁した(7月14日・衆院予算委)。しかし、影響を与えたのなら、その責任は「集団的自衛権」というより、それを報じた護憲派マスコミの姿勢にある。なかでも公共放送であるNHKの罪が重い。※この記事は「ウソが栄えりゃ、国が亡びる」(KKベストセラーズ)に収録されたものを再構成しています。

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    増税先送り この程度で金利「暴騰」ですか?

    経済の常識 VS 政策の非常識原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員) 消費税増税は2017年4月まで先送りされた。増税しないと金利が暴騰して大変なことになると言われていたが、確かに暴騰した。図に見るように、10年物長期国債指標銘柄の金利は、増税がそのまま実施されるだろうと思われていた2014年11月10日の0.454%から先送りが完全に明らかになった17日には0.470%と0.016%ポイント「暴騰」した。金利0.016%ポイント上昇の謎を解く なぜ0.016%ポイントしか上昇しなかったのか。ある国の財政赤字がなぜ金利を上昇させるかと言えば、長期的に財政状況が悪化すれば国債の償還能力が疑われ、そのリスクを考慮した金利でなければ、資金を集めることができなくなるからである。すると、短期的な財政赤字よりも、長期的な財政状況が金利に影響を与えるはずである。長期的な財政状況はどの指標で判断できるかと言えば、政府債務をGDPで割ったものが適当な指標になるだろう。ここで政府債務は名目値であるから、GDPも当然名目値である。 消費税再増税の先送りで、政府債務対GDP比率がどれだけ悪化するだろうか。以下の数字は、消費税率を除いては、現実の数字とそう異ならない概算値である。現在、政府債務は1000兆円、GDPは500兆円であるとする。 まず、消費税を8%から10%に2%ポイント上げる場合の税収増加額は、消費税1%がGDPの0.5%分の増収をもたらすのでGDP1%分、5兆円の増収となる。しかし、消費税を上げると景気が悪くなるので、景気が悪くならないようにとGDP0.5%分2.5兆円の公共事業の積み増しが行われる(これまでの経験でそう言える)。すると、消費税増税で政府債務の改善は、2.5兆円にしかならない。 さらに、消費税増税でGDPが減少する効果がある。5兆円の増税は、GDPを5兆円低下させると見るのが穏当な予測であろう。ただし、2.5兆円分の公共事業の積み増しがあるので、GDPが2.5兆円増加すると考えることができる(増加しないという説もあるが、ここでは増加するとしておく)。すると、GDPは差し引き2.5兆円低下する。 GDPが低下することで、税収も減少する。どれだけ減少するかについては、大きく減少するという説とGDPの低下率と同じだけ減少するという説がある。ここでは、後者の説にしたがって、無視できるとしておこう。すなわち、財政状況の改善は2.5兆円である。 以上の議論をまとめる。消費税を2%ポイント上げた場合の政府債務対GDP比率は、分子、分母とも2.5兆円減る。比率は(1000兆円-2.5兆円)÷(500兆円-2.5兆円)で200.5%と上昇する。 話がこんがらがって分かりにくいので表にすると、以下のようになる。 消費税を上げなければ、分子の債務は減らないが、分母のGDPも減らないので、比率は200%と変わらない。 消費税を上げた方が、この比率が上がるというのは意外な結果だが計算は合っている。これに対して、消費税増税がGDPを減らす効果はそれほど大きくはないという反論があるだろう。そこで、消費税増税のGDPを減らす効果が、私の想定の半分だとすれば、GDPは1.25兆円しか減らないことになる。分子が2.5兆円減って、分母が1.25兆円減るので、比率は(1000兆円-2.5兆円)÷(500兆円-1.25兆円)で200%のままである。 さらに、消費税増税でGDPが減る効果は一時的だが、税収増の効果は永久だという反論があるだろう。分子が2.5兆円ずつ減っていくから、2年たてば分子は(1000兆円-2.5兆円×2)となる。一方、分母はそのままなので、比率は995兆円÷497.5兆円で、200%に戻り、3年目以降は低下していく。しかし、11月17日の自民党の決定では、1年半後には8%を10%に引き上げるとしているので、消費税を上げても下げても、比率にはたいして変化がない。 消費税増税を延期しても、金利がほとんど動かなかったのは、長期の財政状況を示す指標にほとんど変化がないことが予想されるからで、これは理屈に合っている。これで金利「暴騰」の謎は解けた。根本問題を考えて欲しい 消費税増税を延期したら大変なことになると言っていた人々の予測は外れた。不思議なのは、外れても外れても同じ人が同じことを言い続けていることだ。 さらに私が分からないのは、政府債務の対GDP比が200%以上になっても、日本の長期金利が上がらず、レベルとして0.5%前後でしかないことである。外した人が特に経済学者の場合には特に、当たらない予測よりも、この根本問題を解くことに精力を傾けていただきたい。学者はエコノミストより予測用のデータにアクセスすることが不便なのだから、そうすることが理屈にかなっていると私は思う。原田 泰(はらだ・ゆたか)1950年東京生まれ。東京大学農学部卒。経済企画庁国民生活調査課長、財務省財務総合政策研究所次長などを経て現職。『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(新潮社)など著書多数。

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    消費増税は日本の未来に役立つのか

     平成14年4月、財務省は、日本国債を格下げした格付け会社3社に対して書簡を発出し、その中で「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか」と抗議した。財務省は、日本政府の財政破綻はあり得ないと言っていたのだ。もっとも、この認識は正しい。日本の国債はすべて円建てであり、その円の発行権は日本政府にあるのだから、日本政府が返済不履行に陥ることはあり得ない。歴史上も、自国通貨建ての国債が返済不履行となった例は、(政治的な理由によるものを除けば)ない。日本は財政危機にはないのであり、それゆえ消費増税は必要がない。 消費増税は不要だと言うと、決まって「では、社会保障の財源はどうするのだ」という反論が返って来る。しかし、財政破綻があり得ない国が財源に悩む必要などない。そもそも、税というものを、政府支出の「財源」と考える発想自体が間違いなのだ。課税とは、政府収入を増やすための手段ではなく、国民経済を適切に運営するための手段なのである。この考え方を「機能的財政論」と言う。 機能的財政論によれば、財政赤字の善し悪しは、それが国民経済にもたらした「結果」で判断すべきとされる。具体的には、失業や物価上昇率、あるいは社会格差などが判断指標となろう。 例えば、完全雇用が達成され、需要超過で高インフレであるなら、財政支出の削減や課税によって、加熱した需要を冷却する必要がある。逆に、失業率が高く、デフレであるならば、財政支出の拡大や減税によって消費や投資を刺激すべきである。しかも、完全雇用やデフレ脱却を達成するまで、財政赤字を拡大し続けてもよいし、そうすべきなのだ。 この「機能的財政論」によれば、長期のデフレに苦しむ現在の日本は、財政赤字を拡大すべき状況なのであって、消費増税どころか消費減税が必要だということになる。まして、格差の拡大が懸念される中で、逆進性があって低所得者層に不利に働く消費税を増税してよいはずがない。 国債の増発による金利の高騰を不安視する声が後を絶たないが、デフレ下での金利高騰はまずあり得ない。しかも、中央銀行が国債を購入すれば金利を低く抑えることは容易だ。実際、日本銀行は、現在、量的緩和によってそれを実行しているのである。 我が国の政治家・官僚・経済学者らは、「機能的財政論」という税財政政策の基本的な理解を欠いたまま、消費税の是非を巡って大騒ぎを繰り返してきた。そんなことだから、二十年も虚しく失われたのだ。

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    恐るべき消費増税の「破壊力」

    18日、2015年10月に予定されていた消費税率10%への引き上げ実施を先送りしたうえで、衆院解散・総選挙に踏み切る意向を表明した。アベノミクスが増税のために瀕死(ひんし)の状態に追い込まれたことから、再増税見送りは当然だが、まず必要なのは、消費税増税の恐るべき破壊力の認識だ。 甘利明(あまり・あきら)経済財政・再生相はGDP速報値発表後の記者会見で、「デフレ下で消費増税を行うことの影響について学べた」「デフレマインドが払拭しきれないなかで、消費税を引き上げるのはかなり影響が大きい」と反省の弁を述べたが、そんなことは1997年4月の橋本龍太郎政権当時の消費税増税後のデフレ不況をみればわかるのに、甘利氏は周辺の内閣府エコノミストたちから楽観論ばかり吹き込まれたのだろう。 本欄などで、「消費税増税でアベノミクスは殺される」と1年半以上前から警告してきた筆者からすれば、これらエリート官僚たちは、権力と納税者のカネを使って収集した豊富な情報をいったいどのように加工、歪曲(わいきょく)したか、知りたいところだ。 問題はこれからだ。再増税を先送りしたところで、景気が復調するわけではない。 甘利氏は「大事なことは好循環をしっかりまわしていくことだ」と言い、「企業収益は過去に例のないくらいに好業績をあげている。それが内部留保にとどまらず、雇用者報酬に反映されることが一番大事だ」としており、賃上げを引き続き産業界に求めて行くつもりのようだ。 しかし、消費税増税で実質所得が減って消費が冷え込む中で、賃上げを求めるには無理がある。好業績なのは輸出大手なのだが、内需型企業は原材料コスト上昇に悩まされている。現役世代へ所得減税 即効性が期待されるのが金融緩和である。黒田東彦(はるひこ)日銀総裁は10月末に思い切った「異次元緩和」追加策を打ち出し、円安、株高を演出した。円安は株高を導き、株高は実体経済を押し上げるという読みがある。 伝統的な日銀マンは金融政策を通じて株高に誘導するのは「タブー」で口にしたがらなかったのだが、黒田日銀は株式のインデックス投信を信託銀行全体の規模並みで買い上げるのだから、随分と変わったものだ。では、株高で実体経済はどのくらい押し上げられるのか。 グラフは2008年9月のリーマン・ショックを起点に、実質GDP、家計消費と株価を指数化して、推移を追ったものだ。株価が低迷している間、実質GDPは低迷する一方、家計消費はわずかながら上向いてきた。デフレで物価が下がっているなかで名目消費は横ばいでも実質では物価下落分だけプラスになる。 そんな基調の中で、安倍政権が12年12月に発足して、アベノミクスへの期待で株価が上昇し始めた。すると、家計消費も実質GDPも上昇軌道を描き出したことが読み取れる。ところが、この2つとも今年4月にぽきんと折れた。いったん下がった株価は6月から反転上昇し始めたにもかかわらず、GDPは下向いたままだし、家計消費の回復は弱々しい。 グラフのデータは9月までで、10月末の異次元緩和追加と円安・株高を反映していないが、株高によるGDP押し上げ効果は日本の場合、米国に比べてかなり弱い。リーマン・ショック後のデータをもとにした筆者の試算では、株価が2倍になった場合、米国では11年9月以降、一貫して実質GDPが15%前後増えるが、日本では12年12月以降は5%前後で、7月以降は2%台まで落ち込んだ。 安倍政権が消費税増税を見送るだけでは、アベノミクスを蘇生(そせい)させられない。デフレ再燃の恐れが顕在化した以上、政府は増税効果を相殺する財政政策を打ち出すべきだ。現役世代向けの所得税減税が急がれる。

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    消費税増税延期と解散総選挙をめぐる5つの矛盾

    律が必要となる。2.廃止法案の矛盾 自民党は総理による消費税増税延期判断があった場合、国民の信を問う総選挙を行うとしているわけだが、これは先程の法律の矛盾があるためである。総理の判断により実質的に延期や廃止ができるが、法改正を必要とするので、この法改正が選挙の争点になるからである。与党自民党は「増税延期又は廃止法案」を争点に掲げるとしており、反面、野党第一党の民主党とその支持母体の連合は「予定通り実施すべき」としていた。これを単純に整理すると与党自民党「消費税増税延期」、野党民主党「消費税増税賛成」となるわけで、野党が票を失う要因となる増税を謳うというありえない状況となるわけだ。この矛盾に気がついたのが、11月14日になって突如消費税増税延期を容認し、意見を翻した。3.内閣不信任の矛盾 消費税増税延期を国民に問うという解散について、野党などは「解散に大義がない」として、内閣不信任を提出するとしているが、もし、不信任が決議された場合、「解散」又は「内閣総辞職」になるのだが、与党自民党が解散を容認しているため、安倍総理が「内閣総辞職」を選択する可能性はなく、「解散」を選択すると思われる。つまり、内閣不信任案の提出が「解散」を促進するものになってしまうのである。4.アベノミクス批判の矛盾 アベノミクスとは 1.量的緩和 2.財政出動 3.成長戦略 という3つの柱をベースに、デフレ脱却に向けて適宜必要な政策を組み合わせてゆくというものである。当然であるが、この経済政策に消費税増税は含まれていない。そして、現在の経済の失速の原因は「消費税増税」によるものであることは間違いなく、昨年の消費税増税判断の間違いを批判する事はできても、アベノミクスを批判するのは間違いである。また、消費税増税の間違いを正すのが今回の判断であり、争点なのである。5.消費税増税推進の矛盾 アベノミクスと消費税増税が直接的関係がないことは先述したが、景気悪化を批判しながら、消費税増税推進を進めるのは矛盾している。消費税は消費に税金をかけるという構造上、消費が大きく減退するリスクが高い。そして、現在の指標の悪化はこの消費税増税に因るものである。原因と結果がわかっているからこそ、総理は消費税増税延期を決定するとかんがえられるわけであり、さらなる増税は景気悪化に拍車をかけるものになる。だから、景気悪化を批判し増税を行うべきだとするのは根本的に間違っているといえるのである。 最後に、論理的矛盾が生じているものはいつか破綻する。物事には原因があって過程があり結果がある。結果や印象を見ているだけではなかなかわからないものが綺麗に論理整理することで見えてくると私は信じている。

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    解散・総選挙で平成版「富国強兵」の評価を問え

    櫻田淳(東洋学園大学教授) 安倍晋三首相は、衆議院解散・総選挙断行を表明した。解散の事由として消費税再増税の扱いが語られ、それが経済全般に及ぼす影響については、既に多くのエコノミストがさまざまな評価を下している。筆者は、その評価の当否を判断する知見はないけれども、安倍首相が採った解散・総選挙という「政治術策」の意味について、以下のように所見を示し得る。 そもそも、解散・総選挙とは何か。それは、その時々の内閣の政権運営に「燃料」を充填(じゅうてん)する機会である。政策断行に必要な求心力 中曽根康弘内閣時の「死んだふり解散」にせよ小泉純一郎内閣時の「郵政解散」にせよ、そうした機会をいかした宰相は、その後の政権運営に際しての求心力を高め、自ら願う政策を断行できた。国鉄分割・民営化や郵政民営化は、その事例である。 然るに、もし、安倍首相やその周辺の人々が財政再建の観点から消費税再増税の必要を感じていたとしても、内閣改造後にあらわになった政権の「息切れ」状態の下では、再増税の決断を下すのは難しい。消費税再増税を決断する材料は、経済指標だけではない。 仮に、現在の政治環境の下で消費税再増税を既定方針通りに来年10月に行うならば、それは、衆議院議員の任期満了まで1年2カ月を残した時点での政策対応になる。それは、「次の選挙」への負の影響を考えれば、確かに手掛け難い対応である。 しかしながら、今、選挙を済ましてしまえば、2017年4月に先送りされる再増税は、衆議院議員の任期の折り返し点を過ぎた辺りで行われることになる。消費税増税に代表されるように、有権者に嫌われる政策対応は、政権の勢いがある「任期の前半」に敢然と行うべきものであって、「次の選挙」の声が近づく「任期の後半」に半ば追い込まれるようにして行うものではない。 いくら必要度の高い政策であっても、安定した政権基盤の裏付けを持たない限りは、それを円滑に遂行するのはおぼつかない。 1つや2つの政策の実現に、自らの内閣を心中させることを厭(いと)わないという姿勢は、実は国政全般を差配する宰相にふさわしいものではない。順調に展開された安倍路線 そうであるならば、此度(このたび)の解散・総選挙が消費税再増税を確実に行うための仕切り直しとみることは、十分に可能なのではないか。 安倍首相の2度目の執政の意義は、経済の再生と安全保障の確保を着実に進めるという趣旨で、平成版「富国強兵」路線とでも呼び得るものを貫徹することでしかない。過去2年、その平成版「富国強兵」路線はおおむねつつがなく展開されてきた。 「富国」に関していえば、執政の重要課題として語られた「デフレ脱却」への道筋は着実に付きつつある。無論、「地方の疲弊」や「格差の拡大」を指摘した「アベノミクス」批判は折々に示されているけれども、それは、日本経済の全般的な再生が図られてこそ対応できる政策課題ではないのか。 「強兵」に関していえば、その前提となる対外政策は、目立った瑕疵(かし)を作ることなく順調に展開されている。「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」の名の下に、特に米豪印3カ国や東南アジア諸国連合(ASEAN)、さらにはロシアや欧州諸国との「縁」を固め直したことは、安倍第2次内閣の明々白々な業績として評価されよう。 唯一の懸念材料として語られた対中関係もまた、先刻の日中首脳会談の開催によって「雪解け」への兆しが見えたところであろう。不合理といえない解散・総選挙 此度の総選挙の結果、自民、公明両党が現有議席を減らしたとしても、政権を維持するであろうというのは、平凡な予測にすぎない。民主党が民主党内閣期の悪印象を払拭するには、2年という時間は短過ぎる。また、みんなの党や維新の党を含む他の「非共産主義・社会民主主義系」野党に至っては、過去2年の離合集散の結果、「何だかよく分からない」存在になってしまった。 この選挙をくぐり抜ければ、安倍内閣の実質上の任期は、2018年まで延びることになるであろう。安倍首相にしてみれば、平成版「富国強兵」路線を貫徹する際、国民の信任を直に確認し自らの政治基盤を確固にする上では、解散・総選挙という過程を経るのは、決して不合理とはいえないのであろう。 選挙後、平成版「富国強兵」路線の展開のために具体的に採られる政策対応が何であるかを注視するのが、建設的な姿勢であるかもしれない。 ゆえに、此度の解散・総選挙に際して問われるべきは、消費税再増税という1つの政策への個別的な評価ではなく、過去2年に展開された平成版「富国強兵」路線への全般的な評価である。 平成版「富国強兵」路線を進めるのか、それとも抑えるのか。今後、4年の日本の「位置」を決める選択の機会が迫っている。 櫻田淳(東洋学園大学教授) 1965(昭和40)年、宮城県生まれ。北海道大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。衆院議員政策担当秘書などを経て現職。専門は国際政治学、安全保障。著書に「国家への意志」「『常識』としての保守主義」など。

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    虎を放つのは誰か エボラ報道と解散総選挙

    げる努力をしているような不本意な結果にならないのか。ここは思案のしどころだ。 年の瀬が迫ってから解散総選挙が実施されるなどとは、ついこの間まで日本の国内のほとんどの人が思っていなかったのではないか。政界の常識に疎い私のような記者には、どうして解散しなければならなかったのか、その理由が未だに腑に落ちない。 一つの方向に風が吹き出すと止まらない。バーチャルな現実に報道が煽られていく様は、国内での感染がまったく確認されていないのに、あたかも状況が激変したかのような雰囲気を生み出していったエボラ報道と同質の危うさを示しているように感じられる。それを社会の「病理」と呼びたい誘惑にも駆られるが、ここは総選挙が実施され、その結果が出るまで、つまり有権者がどのような判断を示すのかが明らかになるまで、踏みとどまって保留にしておこう。 信頼の喪失や失望の思いもまた、野に放たれた虎であっていいはずはない。少々傍観者的な結論で恐縮だが、いまは高い投票率のもとで現実が再構築されることを望みつつ、じっくりと自分の一票を考えたいと思う。

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    「アベノミクスの終わり」解散で社会保障改革待ったなし

     アベノミクスは、消費税10%への再引き上げを見送ったという点では財政再建の面からも、デフレ脱却で力強い経済成長の道筋を示すという面からも失敗に終わりつつあると考えてなんら問題ないでしょう。 いろんな意味で、できることは全部やったのが安倍政権であり、日本人にとっては打った博打が外れてオケラ街道を歩くことになった現実を受け入れざるを得ません。それでも前を向いて改革を安倍政権に託すか、改めて非自民の力量に期待して再度の政権交代を目指すか、「どちらが悪くないか」という異常に消極的な選択を有権者は迫られることになります。 巷では、アベノミクスがどうのこうのというより、ごく単純にリセッション、景気循環における不況に陥っているのではないかという見方も出てくるようになりました。ただ、低成長を長らく続けてきた日本は、悪い意味で不況慣れしており、苦しいデフレ環境下で慎ましく暮らす方法に長けてしまったとも言えます。 各種インジケーターとしてはあまり楽観視できる状況になく、公示前の調査においても景気問題や生活の不安が断然トップの状況での解散でして、増税見送りで野田政権からの三党合意後の是非を問う形になっております。 それでもなお現状では各選挙区においては与党やや優勢は変わらないのですが、非常に揺らぎが大きいように感じている次第です。今回の選挙においては、本当の意味で太い争点の芯が見えていません。解散の理由も消費税増税が延期といっても国民に争点としてははっきりとは伝わらない。前回のような民主党政権に対する懲罰もなければ躍進できそうな政策に対する期待感もない中で、無党派層が拡大しているというよりはどこに投票しても打開策が見出せそうにないという非常にたそがれた選挙戦に突入しつつあるからです。 今回は安倍政権特有の「投げ出し」でないことを期待するほかないわけですが、選挙に勝った後で、本格的に景気が後退→消費税引き上げ再延期からの社会保障制度の破綻が起きるとシャレにならないぐらいに日本全国夕張化する可能性もあるので、正直いろんなものを考え直す必要があるのではないでしょうか。 この前、都議のおときたさんが面白いレビューを書いておられたので、真のダークツーリズムにご関心のある方はぜひご一読ください。「燃えるゴミ」が燃やせない町・夕張に、暗い日本の未来をみた 本来問うべき争点というのは消費税増税そのものではなく、また消費税が財政再建にどう資するかでもなく、100兆円を超えて膨れ上がった社会保障費の抜本的な見直しと、年100万人を切るであろう新生児をいかに増やすかです。下手をすると、このまま日本の国力が衰退し、社会保障制度が破綻するぞということになると、それこそ「子供をもうけることが最大の社会保障」という時代に戻りかねません。敗戦もそうでしたが、そういう壁にいちいち強く頭をぶつけないと我が国は自らの変革を促すことはできないのでしょうか。 おそらくは、国力の衰退を国民が認識し、受け入れる準備をする選挙になるのかもしれません。それは、もうこれ以上老人を支えることのできなくなった社会が、無理に無理を重ねていままでやってきて、言い逃れのように「経済成長すれば財政はいずれ均衡する」と念仏のように唱え続けて現実逃避し、埋まるはずのない大きな穴を放置した結果が現在の体たらくであるとも言えます。老人は票田であることに違いはないけれど、同時に回収の見込みのない老人に医療費を突っ込んで長生きをさせても、生産性がない以上は社会にとって負担にしかならないという現代の姥捨て山問題待ったなしの情勢であることはまじめに議論しても良いと思うのです。 解散自体に大義名分があるとはとてもいえないけど、今回もまた日本の将来を占う本当に大事な選挙になるかもしれないです、が、与党がああで、対抗するべき野党もああというのは日本人にとって最大の不幸といえるのではないでしょうか。 もちろん、政治家各氏が本当に意欲のない無能だとはとても思えません。それだけ、我が国の現状で解決するべき問題が山積していることの証左だろうと感じます。社会保障費、本当にどうするんでしょう。このテーマについては、財源問題とセットで各党各政治家の意見をじっくり聞いて、一人の有権者としてきちんと判断していきたいと思います。

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    江田氏、「増税失敗解散」 誰のための解散か

    江田憲司(維新の党共同代表)昭和31年、岡山県生まれ。東京大学法学部卒。通商産業省(現経済産業省)入省。平成14年衆議院議員(補選)初当選、17年衆議院議員2回目の当選、21年8月みんなの党結成、25年12月みんなの党離党、同月結いの党代表。26年9月維新の党共同代表。 驚愕の数字が出た。本日(11月17日)発表された7~9月期のGDPが、安倍首相にとっては想定外のマイナス成長(▼0.4%)となったのである。今年の経済成長を、増税の影響を払しょくしてプラスマイナスゼロにするためには、7~9月期は3.8%のプラス成長が必要だったにもかかわらず、である。この数字がいかに深刻な事態を意味しているかおわかりいただけるだろう。残念ながら、私をはじめ維新の党が警鐘を鳴らしてきた通り、その悪い予想が当たってしまった。 最大の要因は、4月の消費増税(5%→8%)の失敗である。アベノミクスというアクセルを踏んでいる時に増税というブレーキを同時にかけ、GDPの6割を占める「消費」を冷え込ませてしまった。財務省の口車に乗って、暖房と冷房を同時にかけてしまう愚の骨頂を犯してしまったのだ。高度な政治判断で、アベノミクスとはベクトルの違う、異質の分子を紛れ込ませてしまったのだから、当然の結果ともいえる。 また、これも累次指摘してきたことだが、アベノミクス肝心要の第三の矢、規制改革をはじめとした成長戦略が、既得権益というしがらみで骨抜きにされてしまった。これは自民党の宿啞(しゅくあ)ともいうべき問題である。そう、既得権益やしがらみから多くの票やお金をもらっている自民党に本当の改革などできはしないのだ。これでは景気が本格的に回復しようがない。 おまけに、第二の矢、財政出動も「公共事業のバラマキ」であらぬ方向に飛んでしまった。今や、例年5兆円規模だった公共事業は、累次の補正予算や景気対策で年間10兆円と二倍までふくらみ、消化しきれない予算が毎年2~4兆円余り繰り越されている。これでは何のための消費増税だったのかわけがわからなくなる。 こうした深刻な経済状況の中で、安倍首相は本当に解散をするのだろうか? 国政の課題は山積である。衆院議員の任期はまだ二年以上残っている。そうした中で、この師走の忙しい中で600億円~700億円の税金をかけて選挙を行う理由があるのか?!  それが、このままいくとさらに景気が悪化して、アベノミクスの正体がバレバレになるから今のうちというなら、それは「消費増税失敗解散」「経済失政隠し解散」だろう。来年になると、「集団的自衛権」や「原発再稼働」といった不人気な政策も強行しなければならない、そうなれば安倍政権の支持率も落ちる、だから野党の選挙準備も整っていない今のうち、というなら、究極の「自己都合」「自己チュウ」解散だろう。さらに、前閣僚へ司直の手が伸び12月にもその結論がでる、だからそれを選挙というベールで覆い隠そうというなら「疑惑隠し解散」でもある。そんなことをしている場合では、絶対にない! 安倍首相は、消費増税10%を先送りする方針と聞く。そして、それを解散の大義名分にしたいようだ。しかし、そうなら、維新の党がすでに提出した「消費税10%増税凍結法案」に賛成すれば良いだけの話だ。そして、国会を引き続き開き、本格的に景気を回復軌道に乗せるために、どういう対策をとったら良いか、侃侃諤々国会で議論すれば良い。それが国民の負託にこたえる道だろう。そのために、維新の党としては引き続き、しがらみのない立場から、既得権益からフリーな立場から、規制改革をはじめとした成長戦略の断行を訴えていきたい。

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    写真家が見た「沖縄の心」

    那覇市若狭に建造される龍柱に反対する、頑張れ日本!全国行動委員会のデモ。県庁前にてキャンプ・シュワブ、ゲート前。反対派市民と民間警備会社那覇の寒中水泳。悪しき公共工事の象徴として語られる波の上ビーチ。沖縄自身が壊していく沖縄エイサーとは?沖縄式不良更正プログラムである北谷町の駐車場にて海上自衛隊の若者達。那覇国際通りにて沖縄で唯一日本式の相撲が行われる大東島那覇は新宿2丁目に次いで、同性愛者が市民権を得ている街ではないか?美しい和彫りの沖縄人6月23日、慰霊の日。浜比嘉島にて7月中旬、那覇市内の公園にて北谷町砂辺の遊歩道キャンプ・ハンセン内の散髪屋規正線の内側。那覇新都心北部やんばる、八重岳の寒桜

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    衆院解散は憲法上重大な問題がある

     郷原信郎(弁護士、関西大学客員教授)  先週から、安倍首相が衆議院解散を決断し、年内に総選挙が行われる見通しなどと報じられている。民意を問うべき重大な政治課題があるわけでもないのに、自公両党で圧倒的多数を占める衆議院を、任期半ばで解散するというのは、常識的には考えられない。それだけでなく、今回の解散は憲法が内閣に与えている衆議院解散権という点からも、問題がある。 【「空振り」被告人質問に象徴される検察官立証の惨状】でも書いたように、全国最年少市長の藤井浩人美濃加茂市長事件は最終局面を迎えており、明後日に贈賄供述者中林の再度の証人尋問と、ブログ【藤井美濃加茂市長事件、検察にとって「引き返す最後の機会」】で「B氏」と称した中林の隣房者の証人尋問が「対質形式」で行われる。主任弁護人として、尋問の準備等に忙殺されているところだが、しばらくの間中断し、今回の衆議院解散の問題に関して、ブログで私見を述べることにしたい。憲法上の内閣の解散権の根拠 内閣による衆議院の解散が、憲法69条により衆議院で内閣不信任案が可決された場合に限られるのか、それ以外の場合でも認められるのかは、古くから、憲法上の論点とされてきた。 憲法の規定を素直に読めば、憲法45条が衆議院の任期は4年と定めており、69条がその例外としての内閣不信任案可決に対抗する衆議院解散を認めているのだから、解散は69条の場合に限定されるということになるはずだ。憲法草案に携わったGHQも、衆議院解散を69条所定の場合に限定する解釈を採っていたようで、現行憲法下での最初の衆議院解散となった1948年のいわゆる馴れ合い解散は、野党が内閣不信任案を提出して形式的にそれを衆議院で可決し、「69条所定の事由による解散」とする方法が採られた。 日本では、その後、野党側も早期解散を求める政治状況の下で、解散事由を限定する考え方は実務上とられなくなり、1952年の第2回目の衆議院解散は、69条によらず天皇の国事行為を定めた7条によって行われた。 その解散で議席を失った苫米地議員が、解散が違憲であると主張して議員の歳費を請求する訴訟を起こしたのに対して、高裁が69条によらない7条による衆議院解散を合憲と認め、最高裁判所は、いわゆる統治行為論を採用し、高度に政治性のある国家行為については法律上の判断が可能であっても裁判所の審査権の外にあり、その判断は政治部門や国民の判断に委ねられるとして、違憲審査をせずに上告を棄却したこともあり、その後、69条によらない7条による衆議院解散が慣例化した。 しかし、内閣には議会の解散権が無条件に認められるというのでは、決してない。先進諸外国でも、内閣に無制約の解散権を認めている国はほとんどない。 日本と同じ議院内閣制のドイツでも、内閣による解散は、議会で不信任案が可決された場合に限られており、法制度上は内閣に自由な解散権が認められているイギリスにおいても、2011年に「議会任期固定法」が成立し、首相による解散権の行使が封じられることになった。理由なき解散は「内閣の解散権の逸脱」 もともと、議院内閣制の下では、内閣は議会の信任によって存立しているのであるから、自らの信任の根拠である議会を、内閣不信任の意思を表明していないのに解散させるのは、自らの存在基盤を失わせる行為に等しい。予算案や外交・防衛上重要な法案が否決された場合のように、実質的に議院による内閣不信任と同様の事態が生じた場合であればともかく、それ以外の場合にも無制限に解散を認めることは、内閣と議会との対立の解消の方法としての議会解散権の目的を逸脱したものである。 現行憲法は、衆議院議員の任期を原則として4年と定め(45条)、例外としての衆議院解散を、条文上は内閣不信任案が可決された69条の場合に限定している。そして、直接国民の意思を問う国民投票としては、憲法改正が発議された場合の特別の国民投票(96条)しか認めていない。このような規定からすると、内閣が、自らを信任している議会を解散することによって国民に信任を求めるということは、憲法は原則として認めていないと解するべきであろう。 69条の場合ではなくても、憲法7条に基づく衆議院解散が認められる理由とされたのは、重大な政治的課題が新たに生じた場合や、政府・与党が基本政策を根本的に変更しようとする場合など、民意を問う特別の必要がある場合があり得るということであり、内閣による無制限の解散が認められると解されてきたわけではない。 現在の安倍内閣は、一昨年の年末の総選挙で大勝し、国民から支持を受け、衆議院の圧倒的な多数で信任されて成立した内閣だ。安倍政権が衆議院の信任を失うという事態や、民意を問うべき重大な政治課題が生じることがない限り、衆議院議員に任期を務めさせることが国民の意思のはずだ 今回、安倍首相が決断したと言われている現時点の衆議院解散が、民意を問うべき重大な政治上の争点もなく、主として安定した政権を今後4年間維持するためのタイミングの判断として行われるのだとすれば、それは、衆議院議員の任期を定める憲法45条及びその例外として衆議院の解散を認める憲法69条の趣旨に実質的に反するものである。法の下の平等を侵害する衆議院解散 それに加え、現時点で衆議院解散を強行するとすれば、もう一つ憲法上大きな問題が生じることになる。最高裁でも法の下の平等に反し「違憲状態」であるのに、国会がこれを合理的期間内に是正しないのは憲法に違反するとの判断が示されている「衆議院定数不均衡問題」である。前回衆議院選挙の際の三党合意による国会議員定数削減による定数不均衡の抜本的是正は、少なくとも、次の総選挙までに行わなければならない必須の事項だったはずだ。この点について、「0増5減」で極端な不均衡を是正しただけで、何ら抜本的な改正を行うことなく、任期が2年以上残っているこの時期に敢えて衆議院を解散し、総選挙を行うのは、憲法の要請に反するものと言えよう。 もし、安倍首相が、現時点で衆議院解散を強行するとすれば、内閣に与えられた解散権を逸脱し、なおかつ、国会議員定数の不均衡を是正し法の下の平等を図るという憲法上重要な義務にも反する。 これまで最高裁判所が、違憲審査に対して極めて消極的で、国の重大な憲法違反に対しても、統治行為論によって判断を回避してきたこともあり、「首相の憲法違反」に対して司法的救済が行われることは期待しがたい。そのため、もし解散総選挙が行われた場合、国民に残された手段は、「首相の重大な憲法違反」を十分に認識した上で、投票を行うことである。「アベノミクスへの信任」をめぐる誤謬 このように憲法上重大な問題がある衆議院解散が強行された場合、安倍首相は、そこで行われる総選挙を、国民に「アベノミクスへの信任」を問う選挙と位置づけることになるであろう。それが、憲法7条による衆議院解散を正当化するような「民意を問うべき重大な政策課題」に当たらないことは言うまでもないが、もう一つの大きな問題は、「アベノミクス」を、現時点で多くのマスコミの論調通りに評価してよいのかという疑問だ。第一に、日本銀行の追加金融緩和決定との関係である。現時点での「アベノミクスの評価」は、10月31日に黒田日本銀行総裁が追加金融緩和を発表したことによる「急激な円安・株高」という状況に大きく影響されることになる。 この「急激な円安・株高」は、安倍政権発足以降強調されてきた象徴的な経済事象である。しかし、金融緩和は、政府から独立性を保障された中央銀行である日本銀行の政策決定会合で、総裁、副総裁2名、審議委員6名の合計9名による評決の結果、賛成5人、反対4人の多数決で決定されたものだ。その責任は、政府から独立した日本銀行が負うべきものであり、それ自体は、安倍政権による政策の評価の対象とすべきものではない。 第二に、「急激な円安・株高」が、現時点において国民生活にどのような影響を与えているのか、それが国民に正しく認識・理解されているかどうかという問題だ。 円安は、輸入物価の上昇を通じて国民生活を圧迫するというデメリットの一方で、企業業績の向上、株高によって国民に経済的メリットをもたらす。 問題は、その「企業業績の向上、株高」の中身だ。 まず、企業業績の方だが、安倍政権発足後の円安による企業業績の向上の大部分は、海外事業の収益が円安によって円ベースで膨らんでいることによるものだ。ドル円が30%下がれば、それによって、ドルで得ている海外事業での収益が円ベース30%増加する。日本企業は、本社経費や国内での人件費を円ベースで支払うので、海外収益が増えた分、トータルの収益が増加するのは当然のことである。 その収益の増加が円ベースの賃金の上昇につながるのであれば、国民は円安による企業業績向上のメリットを享受できるわけだが、現在までのところ、それが十分に実現しているとは言い難い。 もう一つの株高の方も、その中身は、「日経平均7年ぶり高値更新」等の見出しの新聞報道から受ける国民のイメージとは異なったものだ。 10月31日に黒田日銀総裁が追加緩和を発表して以降、日経平均株価は先週末までに1800円余り上昇した。その上昇寄与分は、一部の超値嵩株に極端に偏っている。株価4万4000円余のファーストリテイリングと株価2万円余のファナックの2銘柄の日経平均寄与分は、450円にも上る(筆者の試算)。日経225の上昇分の約4分の1が、この2銘柄によるものなのだ。当然のことながら、このような超値嵩株は、小口投資家には手が届かない。売買単位が100株なので、ファーストリテイリングは440万円、ファナックは200万円余の資金が必要となる。NISA(少額投資非課税制度)を利用して株式投資をしている庶民などにはほとんど無縁の銘柄だ。 日経平均上昇がそのように偏った銘柄によるものであるだけに、資金の逃げ足も速く、ちょっとしたきっかけで大きく下落するリスクもある。庶民にはなかなか手を出しづらい「株高」だといえよう。 多くの国民は、企業業績の向上も、給与の増加にはつながっておらず、株高も庶民の持ち株への影響は限られているということで、円安のメリットを実感できないでいる。それなのに、マスコミで連日「円安・株高」が報じられると、そのメリットを享受できていないのは自分だけであるような錯覚に陥るのではないだろうか。 このような状況のもとで、アベノミクスが正しく評価されるであろうか。むしろ、日銀の金融緩和と政府の経済政策がうまく調和して、日本経済の回復軌道が鮮明になり、「円安・株高」が本当の意味で国民の経済的利益につながったといえるときに、本当の評価が可能になるのではないだろうか。 現時点での解散・総選挙によって「アベノミクスへの信任」を求めることには、大きな問題があるように思える。

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    石破氏、「地域再生」キーワードは自立

     石破 茂(地方創生担当相)昭和32年、鳥取県出身。慶応大法学部卒。銀行員を経て昭和61年から衆院選9期連続当選。防衛相、農水相、自民党幹事長などを歴任。第2次安倍改造内閣で地方創生担当相に就任。著書に「日本を、取り戻す。憲法を、取り戻す。」など。  石破 茂 です。 月曜日あたりから急に解散風が吹き始め、日を追うに従ってその風速が強まりつつあるようです。 総理が何一つ発言しておられないにも拘らず、一部のマスコミ報道によって端を発し、急速にこのような雰囲気が醸成されつつあるのは、正直何とも不思議な気が致します。 党利党略、との批判を野党から受けますが、政党政治である以上ある程度それは避けがたいことです。しかし「党利」はすべからく「国益」と一致せねばなりませんし、問われるべきは政権党が何を訴えて国民に信を問うかにこそあります。  「財政再建と経済再生の二兎を追う政権」を標榜する以上、当然その道筋だけは示さなくてはなりませんし、そうであってこそはじめて国民に信を問う意義があるというものでしょう。  消費税率アップなら消費減退を最小限に留めるとともに低所得者に対する対策を、先送りなら財政再建のための歳出改革の道筋を示すのが当然であって、それを示さないのなら何のための解散なのかわからない、と言われても仕方ないでしょう。  主権者たる国民に対する畏れを失えば、その時は良くても後で必ず報いを受けるのは必定であり、仮に解散を選択するのであれば、我が政権はそれをよく自覚しているということを国民に示すことが必要ですし、総理はそれを十分にご承知のことと思います。  常に国家国民に対する最大の責任感と緊張感を持って国政にあたるべし、と幹事長在任時に言い続けてきましたが、まさしくそれが問われるのであり、自分自身もこれをよく戒めとしなければならないと思っております。 さる日曜日、鹿児島での自民党の政経パーティで講演を致しました。  講演の際は、その地における「地域再生」の事例を事前に研究しておくのですが、鹿屋市串良町柳谷集落における地域組織「やねだん」の取り組みには本当に深い感銘を受けました。ネット上でも多数紹介されていますので、どうかご覧くださいませ。  「地域を再生させるのはカネではなく人であり、人を動かすのはカネではなく感動である」と言うと何か美辞麗句みたいですが、実際にそれを実践している地域があることに大きな意義があると思います。  同じ取り組みは岡山県真庭市や庄原市でも行われており、前回ご紹介した島根県大田市の「中村ブレイス」もそうですが、キーワードはまさしく「自立」に他ならないのだと痛感させられます。  週末は地元紙である日本海新聞主催の政経懇話会での講演を米子、倉吉、鳥取で行います。 その他、赤澤亮正代議士のパーティ(米子市)、里山資本主義フォーラム(日南町)、県議会自民党議員との懇談会など、久しぶりに地元に一泊の予定で帰郷致します。 世の中暮れを控えて慌ただしくなります。来週の週末は一体どのような世の中になっていますことか。 皆様どうかご自愛くださいませ。 ■石破茂ブログはこちら

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    「金で動くと思ったら大間違いだ」 沖縄の声は届くか 

    分からない県政の始まりとなったことは確かだ。  これしかない、というタイミングでの衆議院解散、総選挙の来たるべき結果は、沖縄から見れば辺野古埋め立てを日本国民全体が是とする確認、と写るだろう。  翁長氏自身が、沖縄のアイデンティティーを死守するために国家を敵に回す厳しさに耐えられるかは甚だ未知数である。   保守派の中の一層過激なヘイトスピーチは、これまでのところ「沖縄県民よ、琉球新報、沖縄タイムスのような、左翼のアジびらに騙されるな!」という論調であったが、県知事選の結果を受け、県民自体に直接向けられることも考えられる。  翁長新知事は投開票日の深夜のインタビューで、「ヘイトスピーチに対して、我々はひるむことはない。あくまでも日本人としての品格の問題だ」と答えていた。  かつて「居酒屋独立論」とウチナーンチュ自身が揶揄していた独立論だが、一昨年「琉球民族独立総合研究学会」の設立まではこぎ着けた。すぐさま独立の動きが加速することは現実的ではないが、今後の政府との対峙いかんでは、わずかずつでもリアリティを増す可能性はある。沖縄にとって独立が本当に是か否か、という冷静な議論を飛び越えてヒートアップしなねない火種は今後も維持されていく。 あるいは、そのような論法を持ち出してでも平等を勝ち取りたい、という思いは多くの県民が共通している認識だろう。一体いつまで0.6%の土地に74%の米軍専用施設を置いておくのだ。という主張が間違ってはいないことは、日本人の共通認識として確認できる点ではないだろうか?  基地反対運動が、補助金の増額を狙ったバーゲニングに過ぎない、という本土の認識は現場の感覚とは明らかにズレていることを、私自身、この一年で確認した。   日本は沖縄と対決すべきなのだろうか? 沖縄の声をわずかでも聞き入れ、融和していくべきなのか?  沖縄人以上に、日本人の問題として我々一人一人が考えていく必要があるのではないか? と私は感じている。

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    首相の決断は正しいと言えますか?

    費再増税については民主党が突然凍結を表明したため、実はそれほどの争点にはならなくなっているが、前回の総選挙から2年間、安倍内閣が何をしてきたかというと、集団的自衛権の行使容認の閣議決定であり、その前には特定秘密保護法の成立もさせてきた。私はいずれも賛成の立場で国会で参考人として証言してきたが非常に強い反対もあって、そのとき例えば朝日新聞などはしきりに「国民の声を聞け」と言っていた。 現在その2つの大きなイシューはどうなっているかというと、集団的自衛権は閣議決定しただけであり、閣議決定しただけで何でも出来るとなると中国や北朝鮮、韓国と同じになってしまう。日本では民主国家だから必ず法改正をしなくてはならない。その法改正は来年1月から開く通常国会で時間をかけて審議され、あるいは特定秘密保護法は12月10日施行になるので、本格運用は来年からになる。まさしくこの2年間に決めた重大な事を実際にどのように運用するかを国民に問う絶好の機会であるから、これほど絶妙なタイミングの総選挙もないと思っている。 それなのに朝日新聞や多くの政治評論家が、新聞・テレビのネガティブキャンペーンに迎合して、例えば選挙に600~700億円かかるからもったいないと言っているが、われわれ国民は本当に弾劾すべき発言だと思っている。われわれのような本物の民主国家、法治国家においては、国民の声を聞くことほど大事なことはないから、全国津々浦々の国民がきちんとつつがなく票を投じて意見を表明できるように予算をかけるのは当たり前のことであり、年間100兆円になろうかという予算を使っている国が2年に1度の総選挙で700億円使うことはいったいこれは無駄なことだろうか。600~700億円という数字を言われて少ないと思う感覚の人は庶民にはいない。その素朴な感情を悪辣にも利用して、この「もったいない」という世論を作っている新聞・テレビ・政治評論家は本当に許すべきではないと思っている。 その上で安倍総理や与党の側も、消費再増税を延期することについては民主党が豹変したのでもう大きな争点ではない。したがって「アベノミクス」が上手くいっているかだけではなくて、集団的自衛権の法改正や、あるいは特定秘密保護法の施行に向けて堂々とそれを争点にして、ゆめ逃げることがないように「今こそ国民に意見を聞きます」ということを鮮明にして戦ってほしい。 まずいま、総選挙をやる理由がないという全くおかしなネガティブキャンペーンでほぼ主要メディアがそろっている。新聞でいうと産経・読売以外はそうだし、テレビはNHKも含めて全部がそう流れている。日本国民、有権者はとても賢明で、特に衆院選ではずっと「振り子の原理」を働かせてきた。そうすると2012年12月選挙では自民党が大勝しているわけだから、それが今回争点や大義がないなら振り子だけを振ろうということで、理由のないまま今の惨憺たる野党が勝つようなことになりうる。そうなれば安倍政権がどうのこうのではなく、アベノミクスが今後運用できなくなり、デフレ脱却の処方箋が書けないということになる。日本が先んじてデフレ脱却の処方箋が書けないとなると世界経済は今後デフレに対応できないということになる。消費増税だけではなく金融緩和や成長戦略含めて全部無効というような間違った意思表示になることを心配している。 それから沖縄県知事選の結果も含めて、安全保障や外交についてはやたらにブレるんではなくて、いわば国家の意思として共通した土台があってブレは最低限にとどめるというのは世界の常識だが、先ほど言ったように絶妙なタイミングだからこそバラバラの野党に好都合の結果になる、つまり集団的自衛権も閣議決定で終わり、特定秘密保護法も実際には運用出来ずにいままでと変わりがない、スパイ防止法の成立の入口にもならないというような一気に悪い流れになることを大変懸念している。 また「大義なき解散」と言われることで、投票率が落ちることも懸念しなければならない。その意味でマスメディアの責任は本当に重大で、投票に行くなと言わんばかりのネガティブキャンペーンというのは報道ではなくただのキャンペーンだ。そういうことにわれわれ主権者自身は新聞やテレビのニュースに触れながら、気がつかなければいけない。増税は景気回復を経て期限を決めてやるのが正解だ北沢栄(元参院行政監視委員会調査員、ジャーナリスト)1942年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。共同通信社経済部、ニューヨーク特派員などを経て、フリーのジャーナリスト。 安倍首相は消費増税後、景気の予想以上の悪化を導いた。GDPの速報値結果は事前に官邸に上がってて、こりゃ相当悪いってことに気付いてもうはっきり決断しなきゃいけないと。このままいくとアベノミクスそのものが金融緩和の限界でもう成長戦略しかない、ということになると時間かかる。今支持率の高いうちに今討って出れば勝てるというふうに踏んで、あの唐突にも思える解散に踏み切ったと私はみている。 国内景気は相当悪い。税務当局によると、赤字の中小企業は7割強。結局、トヨタなど輸出関連や大手の上場企業はいいが、中小は下請け的立場で買いたたかれたりして、輸出関連でもばらつきがある。中小と大手の格差拡大に加え、輸出関連はいいが国内のドメスティック産業は悪いという状況。「これはとてもじゃないが1年半後に増税やると、もう」ってことを予知して行動に出た。 消費増税については、成長しなければ何にも意味がないので先送りすべき。そのぐらい実態は悪い。増税は景気回復を経てやるべきで、1年半とかそのまんま受け身ではまた悪くなったりするから、やはり期限を決めてやるのが正解だ。 1年半そのものはいい。ただその間に成長戦略を打つ。中小企業ってのはお山でいえば山腹。山のすそからそこを上がって来ないと駄目。GDPの6割が個人消費で、個人消費を支えている一般のサラリーマンってのが全国の6割ぐらい。そのうちの3分の1以上が非正規雇用だ。女性労働力って政権は言いますけど、半分以上は非正規雇用なんです。だから女性をいくらやったとしても収入が大体200万円以下が大半ですから、決定的な支えや成長にはつながりにくい。そういう実態も段々分かってきて、ここでとりあえず増税は1年半先送りだ、とスケジュール化したんだとみている。だいたい1年じゃ準備的にも成長の期間としても短いから1年半にして、あんまり延ばすと海外の反響とかもあったり、財政的な不安も出てくる。1年半というのは適当なところだと思う。 で、その間に何をするか。成長軌道に乗っけるのは、ずばり言って難しい。なぜかと言うと、安倍政権は官僚依存なんです。一言で言うと機構が無数に出来てて、そこに予算がどんどん配分されて彼らは使わないで積立金とかの形で貯めてるわけ。たとえば原発の問題でも現地の方に流れない。国土強靭化法といって全国ベースで流れちゃう。独立行政法人を通じてやることが多い。そういうメカニズムがあるから官僚依存の政権だと規制緩和なんか進みにくいから、僕は難しいと思う。規制緩和は今も全然進んでないでしょ。庶民の生活は崖っぷち。選挙、消費増税なんて冗談じゃない荻原博子(経済ジャーナリスト)1954年、長野県生まれ。大学卒業後、経済評論家の亀岡太郎氏に師事。亀岡太郎取材班で、日刊ゲンダイ、大阪新聞、月刊セールス(ダイヤモンド社)などのビジネス記事を担当。 1982年にルポライターを志して独立し。1983年、満州開拓者を取材して「満州・浅間開拓の記」を脱稿するも、一冊でルポライターを断念。フリーの経済ジャーナリストとしての活動を始める。ダイヤモンド社、実業之日本社、日本実業出版社などで、ベンチャー企業などを連載。1988年、マガジンハウス“Hanako”創刊と同時に、女性のためのマネー・ビジネス記事の連載を始める。難しい経済と複雑なお金の仕組みを、わかりやすく解説。地価下落、マンション価格の下落を早くから予測。掛け捨て生命保険の活用を提唱。デフレ経済の長期化を予測し、ローンの返済の必要性を説き続ける。 選挙なんて冗談じゃないですよ。選挙に使うお金があったら、その分を財政に回して、増税なんかするなという思いです。 いま、日本経済は落ちているんです。消費増税を1年半先延ばししたって、景気が良くなるという確証もない。消費増税は白紙に戻すべきでしょう。白紙に戻して、どうやって経済を成長させていくのか成長戦略をしっかり示し、景気をよくして、それからの話じゃないですか。 一番困るのは、家計なんです。物の値段は上がるは、税金は上がるはで、さらに実質の賃金は15カ月連続で下がっています。毎日の生活が大変で財布のひもを締めている状態。いまは円安が進んで、11月17日の円が116円。先月は106円だったので1カ月で10円も円安が進んでいます。物は海外から注文してから輸送して、スーパーなどの店頭に並ぶまでに時間がかかるので、円安の影響があらわれるのは、クリスマスやお正月といった、いちばん出費がかさむ時期。もうやっていけないですよ。 「アベノミクス失敗でした。ごめんなさい」って謝らなくてもいいから、消費増税はやめるということにして、補正予算を組むなり、有効な手段をとらないと。本当に選挙なんてやっている場合じゃない、庶民の生活は崖っぷちなんです。もうちょっと庶民の生活を考えてくれと安倍首相には言いたいです。解散には賛成できない。だがウーマノミクスには期待している上昌広(東大医科学研究所特任教授)1968年10月3日生まれ。93年東大医学部卒。97年同大学院修了。医学博士。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事。05年より東大医科研探索医療ヒューマンネットワークシステム(現 先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。帝京大学医療情報システム研究センター客員教授、周産期医療の崩壊をくい止める会事務局長、現場からの医療改革推進協議会事務局長を務める。 今回の解散には驚いた。私は賛成できない。解散により、現行の政策が滞ってしまうことは避けられないからだ。 安倍政権が掲げるウーマノミクスには期待している。人口減に直面する我が国で、女性の活用は喫緊の課題だからだ。その主旨に賛成する。では、具体的にどうすればいいのだろう。今こそ、真剣に議論すべきだ。 私は看護師の育成強化を提案したい。それは、看護師の育成が医療だけでなく、地域の雇用や教育レベルの向上にも寄与するからだ。 まず、我が国の看護師は不足していることを強調したい。特に関東は悲惨だ。平成24年現在の人口10万人あたりの就業看護師数(准看護師を含む)は、西日本(九州・四国・中国地方)は1498人、関東は806人と倍以上の差がある。 このままでは、関東の医療は崩壊する。現に既に各地で、看護師不足による病床閉鎖が相次いでいる。 一方で、看護師の給与は比較的高い(平均年収470万円)。日本のサラリーマンの平均年収より上だ。しかも人数が多い(就労看護師は137万人)。地域の女性の雇用に与える影響は大きい。 地方都市で病院は主要な「産業」だ。看護師が充足し、規模を拡大させれば、波及効果は大きい。ちなみに、全国でもっとも医師や看護師が少ない埼玉県の有効求人倍率は、0.76(6月現在)であることは示唆に富む。上田清司知事は、会社の本社が移転してきていることを県政の成功例として強調しているが、それだけでは不十分なようだ。 看護師の育成は大学教育にも影響する。少子化が進み、多くの大学は深刻な経営難に喘いでいる。例外が看護学部・学科だ。90年代以降、各地で新設、あるいは短大・専門学校からの改組が相次いでいる。平成元年に、11大学(関東に5)しかなかった看護学部・学科は、現在では228大学(関東に63)に設置されている。こんなに養成数を増やしたのに、定員割れはしない。 なぜ、看護学部・学科は人気なのだろうか。それは、国家資格をとり、確実に就職できるからだ。確かに、「粗製濫造」と批判する人は少なくない。偏差値が40の大学さえある。「偏差値40代で、確実に就職でき、年収500万円が期待できるのは看護学部くらいだ」と皮肉る教育関係者もいる。 しかしながら、状況は変わってきている。一流大学の参入が続いているのだ。関東では慶応、上智大学、関西では甲南女子大に看護学部が出来た。さらに来年から同志社女子大学も立ち上げる。このあたりがでてくると、状況は変わる。 では、看護師養成数は、どこまで増やすべきだろうか。実は、この程度の増設では関東の看護師不足は解決しない。地域の看護師の数は、基本的に地元での養成数と比例するからだ。医師以上に「地産地消」の側面が強い。平成24年現在、人口10万人あたりの看護師養成数は西日本が85人であるのに対し、関東は43人に過ぎない。西日本で看護師は余っていないのだから、関東は大幅に足りないことになる。 質を下げずに、看護師の養成数を増やすにはどうすればいいだろう。特効薬など存在しない。 私が注目するのは、関東には、埼玉大、茨城大、横浜国大など、看護学部を持っていない国立大学があることだ。このような大学に看護学部を作ればどうだろう。 また、東京医科歯科大学や千葉大学など(何れも定員は60人程度)、既存の看護学部の定員を増やすことも考慮すべきだ。08年、医学部が定員を増やしたのと同じ対応をとればいい。 私立の名門大学に進みたい人は多いだろうが、学費が高い。初年度納付金が200万円を超す大学も珍しくない。国公立大学での看護師育成の強化は、教育の機会均等に貢献する。ウーマノミクスが議論されている、政府が検討すべき事案である。