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    次世代の党はなぜ一人負けだったのか

    ヨシザワ タカフミ(東京都) 今回の選挙ほど風が吹かなかった選挙はないと考える。自民党の小泉進次郎氏が当選後のインタビューで述べた言葉は、「熱狂なき選挙であり、熱狂なき圧勝だった」。自民、公明両党の圧勝で幕を閉じた第47回衆院選である。私自身も一人の有権者として、本当に今回の選挙に大義はあったのかと思わせるような選挙であった。 自民・公明両党で、326議席になったことに対しては多少予想していたけれども、実際目にすると愕然となった。理由としては、野党の存在価値のなさである。今回の選挙が不意打ちであることは野党に大きなダメージをあたえたと考えることが出来る。また、野党共闘も出来なかったと考える。民主も目標の100議席には到底及ばなかった(73議席)。また、維新の党もおひざ元の大坂でたったの5議席しかとることが出来なかった。生活・社民はともに低迷し2議席であった。唯一の野党の勝利は共産の8議席から21議席に増えたことにあろう。共産党は小選挙区で1996年以来の議席を獲得し、大幅に議席を増やした。つまり、共産党の議席が増えたのは「反安倍」を掲げていたことに対して、共鳴した国民が投票したのであろう。 しかし、最初に述べたように今回の選挙結果から分かることは、野党の存在価値のなさである。そのなかでも、一人負けといっても、特にダメージが大きかったのは「次世代の党」であろう。 次世代の党の議席数は19議席から2議席に大幅に減少したのである。 まず、当選したのは小選挙区で、元来地盤のある平沼(岡山)・園田(熊本)の2名にとどまった。 「自民党の右に確固たる軸を作る」をスローガンに戦った次世代の党は、なぜ支持されなかったのか。敗北原因として、自民党寄りの政策を掲げたことと知名度の低さ・保守層の離反により議席を失うことになったと考えることが出来る。実際には今の自民党がいるのにわざわざ「次世代の党」に投票する必要があるのかといった意見であろう。さらに、次世代の党が結党して4か月弱しかたっていないという知名度の低さと、ネット保守の離反にあるだろう。実際に、次世代の党は、アベノミクスに賛成し、憲法改正を訴え、自民党寄りの政策を掲げ、保守を意識するPR「タブーブタのうた」を制作し、保守層の票を狙ったのである。しかし、蓋を上げればたったの2議席であり、マイナス17議席である。 これは、「次世代の党一人負け」といっても過言ではないのである。 つまり、国民の目線としては次世代の党の政策において自民との差異がよくわからなかったことと、知名度の低さが主な敗北原因であろう。ここで、実際に次世代の党の綱領・政策骨子に注目してみる。次世代の党の綱領・政策骨子国政も地方も参政権は国民固有の権利であることを明記、移民の国籍取得要件等の厳格化自立、新保守、次世代の理念の下で自主憲法制定正しい歴史観点、愛国心を育む教育憲法に自衛権や家族尊重に関する規定を新設集団的自衛権に関する憲法解釈の適正化と安全保障基本法の整備直間比率の見直し、法人実効税率の大幅引き下げ医療費自己負担割合の一律化世界最先端の原子力技術を維持公正と秩序を維持する規範・道徳教育 2014年11月25日、次世代の党は、衆議院選挙の公約を発表し、自民党の安倍晋三が掲げる経済政策「アベノミクス」の基本的な方向性は容認するが、2014年10月に決定した日本銀行の追加の金融緩和を白紙撤回させ、過度の円安を是正するとする。 このように、極めて自民党寄りの政策であり、極めてアベノミクスに友好的であることがわかる。やはり、次世代の党は野党として十分な役割を果たせなかったのであろう。また、国民の政治離れにより政治無関心層が増えたことは、一定の支持層がいない次世代の党にとっては大きく不利な戦いであったと改めて考えることが出来る。このように、今回の選挙において次世代の党が一人負けした事実は大いに注目しなければならない。自民・公明圧勝選挙は別名、次世代一人負け選挙といってもいいかもしれない。  

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    自民党よ「一強多弱」でも 驕るなかれ

    自民党の「熱狂なき圧勝」で終わったアベノミクス選挙だが、「一強多弱」となった勢力図の中で、共産党の躍進に注目が集まった。自民、民主の二大保守政党アレルギーの受け皿となったとの分析もある。数の論理では圧倒的優位に立つも、驕るなかれ自民党。

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    有権者に見えにくい深い闇中の危機を突破せよ

    あとに取り組むことになるだろう安全保障法制の根本改正、集団的自衛権の法制化は簡単ではない。 なぜなら総選挙でマスメディアは自公が大勝と報じているけれども、その中身は自民党は現有勢力を減らし、公明党は増えているのです。第三次安倍政権の内部で、公明党の影響力は増大します。2014年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定した時も、公明党の北側副代表によって実際は強すぎる縛りが掛けられました。「日本国民への明白な危険」が実証されない限り、自衛権の一部を発動できないことになりました。 わたしは閣議決定の翌月に訪米し、アメリカの外交官や軍人と議論したとき「かえって日本はみずからの自衛権に制約を強めた」と指摘され、「アメリカの国益のための集団的自衛権ではない。日本の国益とアジアの自由と民主主義と平和のための集団的自衛権だ」と反論しましたが、アメリカ側の指摘そのものは客観的に事実です。自衛権は本来、国際法によって個別も集団も認められています。閣議決定は、これまでは一種のグレーゾーンでもあったところに明確な制約を作ってしまった。公明党は、法制化でさらにこの制約を実効的にしようとするでしょう。安倍総理は、再登板の真の目的である改憲と拉致被害者の救出のためにも、これに抵抗し、法制化では国際法に沿ったものにしてほしい。 今こそ、「もはや命も要らぬ、もちろん金も要らぬ、名誉も要らぬ」という幕末の志士の生き方を貫く総理になっていただきたい。それだけが、有権者には見えにくい深い闇のなかの危機を突破できる道です。

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    日本共産党への警戒を緩めるな

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 日本で14日、総選挙の投開票が行われ、大方の予想通り、安倍晋三首相が率いる自民党が議席291、公明党と合わせて与党326議席と3分の2以上の議席を獲得して圧勝した。総選挙の結果を受け、第3次安倍政権がスタートする。 安倍首相の早期議会解散、総選挙の実施は大きな賭けだったが、成功したわけだ。アルプスの小国オーストリアでも14日夜、日本の総選挙結果を報道し、安倍首相の笑顔を映し出していた。オーストリア通信は「弱い野党勢力が与党自民党の大勝利の主因」と分析する記事を発信していた。 民主党は議席を微増させたが、自民党を脅かすには余りにも貧弱だった。維新も前回ほどの勢いがなかった。同党は分裂後、党の態勢立て直しができないまま、選挙戦に突入してしまった。橋下徹共同代表が指摘していたように、準備不足は明らかだった。 総選挙結果で驚いたのは共産党の躍進だ。8議席から21議席と大きく議席を伸ばした。同党の躍進について、「共産党は国民の政府批判票の受け皿となった」という。肝心の民主党が伸び悩み、代表の海江田万里氏は落選。維新は党分裂後の混乱が続いた一方、共産党は他の野党陣営のゴタゴタに助けられた感じだ。 自民党への批判票が共産党へ流れたことに戸惑いを感じる。民主党はその政治信条では自民党と余り変わらないが、共産党は共産主義というイデオロギーに基づく世界観を有した政党だ。イデオロギー色は少なくなったが、同党が共産主義思想を破棄したとは聞かない。 日本の有権者は共産主義の実態を理解しているのだろうか、と懸念する。冷戦時代、東西両欧州の架け橋的な位置にあったオーストリアは共産主義諸国の実態を間近に目撃してきた。連日、旧ソ連・東欧共産政権から人々が命がけで逃げてきた。オーストリアは冷戦時代、200万人の政治難民を収容した。だから、大多数の国民は共産主義が間違った思想であり、国民を幸福にしないことを教えられなくても知っている。 オーストリアにも共産党は政党として存在するが、国民議会で戦後、議席を獲得したことがない。国民は共産党を信頼しないからだ。一方、日本はどうだろうか。共産党が政権への批判の受け皿になった、ということは何を意味するのだろうか。繰り返すが、共産党の歴史観、世界観、人間観が人間を幸せにしないことは実証済みだ。 多分、日本の有権者の中には、共産党イデオロギーを支持はしないが、与党批判の声として票を投じた国民が多くいたのだろう。冷戦を身近に体験してきた当方は日本の共産党が正式にその思想から決別するまで警戒を解くべきではないと考えている。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)

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    祖父を意識した解散、祖父をまねなかった集団的自衛権

    敗だった」と悔やんだものがある。首相在任中、日米安全保障条約の改定承認を国会で審議する前に衆院解散・総選挙をやりたかったのに、やれなかったことだ。 昭和57年に岸から取材した「岸信介証言録」(原彬久編。毎日新聞社)によると、岸はこう述懐している。 《国民に現行の安保条約と新条約の違いを示して、いかに新条約が立派なものであり、また日本にとっていかに利益であるかということを総選挙によってナニしたかったんです。(略)総選挙になれば絶対勝つという確信をもっていました》 《選挙に勝利して議会に臨んだら、議会がいくら騒いだって、国民が新条約を支持しているではないかということになるんです。いろいろ騒いでいる連中は、国民の騒ぎじゃなしに、ある一部のつくられた騒ぎだということがいかにも明確になるんです》 《あのとき解散をやっておけば、あんな騒動はなかったと思うんですよ》 「あんな騒動」とは、「安保闘争」を指す。 新条約は、日米共同防衛を義務付け、昭和26年に調印された日米安保条約よりも日米関係を対等に近づける内容になった。 岸は、昭和35年1月に「首席全権」として訪米、新条約に調印した。その直後に衆院解散を断行しようとした。ところが、自民党の選挙を仕切る側近の川島正次郎幹事長の反対にあい、断念に追い込まれた。 《「解散」の線で党内をまとめることは、到底できないということでした。選挙にあたって党内が不統一では勝ち目がないといって、川島君はどうしても解散に賛成しなかったんです》 新条約承認への国会審議は、社会党が廃案に追い込もうと激しい抵抗をみせ、難航した。岸は、アイゼンハワー米大統領が来日する6月19日までに新条約を承認したかった。そこで、衆院の優越規定を踏まえ、同日には自然承認を迎えられるよう5月19日(実際は20日未明)に衆院の採決を強行した。 警察官を議場に入れての採決という事態に、安保闘争の火はさらに大きくなった。6月15日、反安保のデモ隊は国会内に乱入、参加していた女子学生が警官隊との衝突の中で死亡する事件が起きた。岸は、警護が困難だとしてアイゼンハワー訪日の中止を決断、新条約の自然承認を受けて退陣を表明した。 《安保条約のような問題に対応するときは、事前に解散して国民に信を問うほうがいいんですよ》 もし、衆院解散を強行していれば激しい安保闘争は起きなかったし、政権がまだ続けられた-。岸の「大きな失敗」をもちろん、孫の安倍晋三首相も意識していたはずだ。 安倍首相は、今回の衆院選を、みずから「アベノミクス解散(選挙)」と銘打った。来年10月に予定していた消費税率10%への引き上げを平成29年4月まで延期すると決断。「税制に重大な変更を行った以上、国民に信を問わなければいけない」と訴え、第2次政権の2年弱の経済運営の実績とともに争点に掲げた。 もっとも、勝てると思って解散を断行した。しかし、首相の政治信条からすると、重要な政策は経済よりも集団的自衛権を含む安全保障であるし、究極の目標は憲法改正のはずだろう。しかも、来年の最大の政治課題は、何と言っても集団的自衛権の行使を容認するための安全保障法制の整備だ。来年の統一地方選が終わる同年5月から、安保関連法案の審議が国会で始まる。  首相は3日、民放番組で行われた党首討論で、司会者から「集団的自衛権でも信を問うべきだ」と突っ込まれると、こう反論した。 「いま、まさに信を問うているではないか。まさにこうやって(各党党首と)議論している。これを踏まえて投票していただきたい」 さらに、こうも。 「来年、(安保関連)法案を出す前に解散・総選挙というわけにはいかない」 ただ、衆院選の遊説で、安保法制に触れない会場が半分以上はあったという。それだけ、首相は安保政策を目立たなくさせていたと言わざるを得ない。 野党は、今回の衆院選で安倍政権を突けるような政策課題を見いだせず、当初は「解散に大義がない」と批判するしかできなかった。途中からは「アベノミクスは失敗」を繰り返した。この2年間、株価は上がり、経済指標も多くは上昇したのにだ。景気回復の実感はないと思う有権者は多くいようとも、政権奪取の意欲がない野党と比べると、さすがに「野党よりはまだ自民党」というトレンドになってしまうだろう。 安保政策になると、主要野党の「政権公約」は目を覆う。 民主党は、集団的自衛権の行使を憲法解釈変更で容認するとした閣議決定の撤回を掲げた。しかし、集団的自衛権の行使に賛成かどうかに触れていない。反対の官公労出身らがいれば、賛成の保守系もいて、まじめに議論すると党の解体に突き進みかねないからだ。 維新の会は「現行憲法下で可能な『自衛権』行使のあり方を具体化」するという。党として集団的自衛権をどこまで認めるのか決めたわけではない。 結局、日本をどうやって守るかという根本的な考えを論じることができず、反対派は「自衛隊がどんどん海外に行く」「日本は戦争に巻き込まれる」というような発言しかできなくなる。 報道機関の世論調査を見ると、集団的自衛権の行使容認を支持する回答数は必ずしも多くはない。そうであっても、集団的自衛権を訴えた場合、野党のまずしい発言を聞く限り、自民党の議席を大幅に減らすことになっただろうか。 祖父を尊敬する安倍首相は、祖父がいう「大きな失敗だった」を教訓に、衆院選で安保論議を堂々とやってもよかったのではないか。(政治部次長 今堀守通)

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    自民党が勝ったわけではない 「普通の感覚」の勝利だ 

    古谷経衡(著述家)総選挙の結果を振り返る 総選挙が終わった。自民党が2議席減、公明党が4議席増で自公政権全体で2議席増と、当初「微減」も囁かれた自公政権にとっては現有議席を積み増す「大勝利」となった。一方、投票率は過去最低を更新した。  今回の選挙をどうみるべきか。それは「安倍政権を積極的に全肯定はしないが、強く否定はしない。でもあんまり過激なのは駄目だよ。とりあえず2年じゃ分からないから、もうしばらくやってみては」という事に尽きる。 要するに日本人は、微温的に「現実路線を選んだ」という事だ。 第二次安倍政権が発足してから未だ2年。アベノミクスの光と影、等と言われることが多いが、経済政策は安定的で統一的な政策が長く続いてこそ、遅効的にその効果が確認できるというもの。2年で経過時点ではそもそも判定のしようがない、というのが正直なところだ。 だから、私は今次の総選挙に「大義がない」とよく言われたことについては概ね同意だった。どう考えても争点が希薄だった。だって「たった2年で何を判断しろというのか」というのが、率直な感想だったからだ。 それでも政権与党が衆議院を解散し、国民に信を問うた。国民の側としては、「いまだ判断材料が足りず、よって黒とも白とも判断できないから、とりあえず継続してみたら」という、消極的だが微温的な現政権への信任という回答が返ってきた。「2年という時間で或る政権の良し悪しを判断するのは無理」というのは、至極現実的で常識的な判断だと思う。平成期、ほぼ1年毎に政権が変わってきた、これまでのあり方が明らかに異常だった。 政権への判断基準は、明らかに「政策」ではなく「失言」とか「イメージ」だった。或いは、世論と関係のない党内力学といった「政局」の結果だった。誠に不健康な政治情勢が続いた。常識のレンジ(間隔)の範囲内で ここに来てようやく有権者は、現実の皮膚感覚に見合った「普通の感覚」で、腰を据えて政治を見るようになってきた。今回の総選挙を一言で締めくくるとすれば、それは日本人が常識的に併せ持つ「普通の感覚」の勝利だといえる。「自民党より右」を標榜して選挙戦を戦った次世代の党が、壊滅的状況となり、野党の中で「一人負け」をしたことも、この「普通の感覚の勝利」を大きく証明することだと思う。 公明党をぶっ潰せ、とか外国人(在日朝鮮人など)の生活保護受給批判、などの主張は、政治的にニュートラルな多くの日本人にとっては「過激」と映った。一部のネット空有では「スタンダード」な言説であっても、市井の日本人にとってそれは普通ではない。 これだけネット社会が拡大し、細分化した「島宇宙」にようになっているネット空間の中の、とりわけ保守的な言説を選択して選挙戦で主張した(ように見える)次世代の党のやり方は、多くの日本人の「普通の感覚」からは乖離していた。 さらには、次世代の党の主張の中には、例えば生活保護に関してそもそも事実と異なる主張も散見された。有権者は冷静に、そのあたりの誠実さの有無を見抜いていたのだろう。全く賢く、常識的で、「普通の感覚」が有権者をして投票所に向かわせたと断言するよりほか無い。穏健な「保守」政権の継続を 安倍内閣の政策には、良い部分もあるが、と同時に様々な問題もある。しかし、だからっと言って、100点ではないから、を理由に使い捨てライターの如く、次から次へと首の挿げ替えを行っていては、「安定的で一貫性のある政策」を実行することは出来ない。だからとりあえず、「経過観察」を続けよう―。 この常識的な理屈が、有権者の中に共有されていた「普通の感覚」なのだ。有権者は、極端なものや過激を嫌い、常識的で微温的で穏健な「保守」を支持した。このことは、間違いのない議席となって今次選挙で証明されたのである。 どんどん、世の中の全てのサイクルが短くなっている。映画もアニメも短いものが好まれるようになった。短期間で結果を出すことが殊更強調されるようになった。 一日の長さは太古の昔から変わっていないのに、我々はより短いもの、より短い期間での判断を求めるようになっている気がする。物事がどんどん短くなり、人々は長いものや長いことに我慢ができなくなり、せっかちになっている。このような風潮は、確実に政治や政治家に、短期間での結果を求めがちな風潮に繋がっていると思う。 今次の選挙は、このような風潮に歯止めがかかった、と言える。腰を落ち着けて物事を判断しようという、当たり前の事に有権者は漸く気がついたのかもしれない。 これから発足するであろう、第三次安倍政権には、こういった「普通の感覚」を背に、極端でも過激でもない、常識的で微温的で穏健な「保守」政権として進んでもらいたいと思う。 今次選挙は、自公政権が勝ったのではない。日本人の中にある、「普通の感覚」が勝利したのだ。

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    安倍首相は「中興の祖」となるか 

    櫻田淳(東洋学園大学教授) この度の選挙は、実質上、安倍晋三内閣への「信任」を問う性格のものであった。自民、公明両党の獲得議席数が合わせて衆議院総議席の3分の2を超えた選挙結果は、たとえ投票率が低かった事実を考慮したとしても、その「信任」の明白さを内外に示すものとなろう。何を行うかが問われる もっとも選挙の結果には、民主党の復調、共産党の躍進、維新の党の現状維持という点を考慮しても、野党各党の「自壊」や「無力」という趣が濃厚に漂っている。事実、『時事通信』配信記事によれば、枝野幸男民主党幹事長は、既に選挙公示前の時点で「次の選挙のときには政権の選択肢として認めていただけるような議席を獲得したい」と述べ、暗に「政権奪回」を諦めていた。 また、『しんぶん赤旗』の記事によれば、橋下徹大阪市長(維新の党共同代表)は、投票日前日の時点で、「もう維新の党、はっきり言って負けます」と発言した。 世の人々が政治家を評価する際の指標は、実は、政治家が訴える「政策の中身」というよりも、政治家が伝える「誠実」「信頼」「熱意」といった徳目である。こうした徳目において、野党各党が自民、公明両党を上回っていたとは判じ難い。その意味では、この度の選挙は、「初めから結果が見えていた選挙」であったといえよう。 安倍首相が実質上、2018年までの任期を手にしたとは既に語られているけれども、実際は、安倍首相の執政の下で「東京2020」の催事を迎える光景も視野に入ってきたかもしれない。それならば、18年、あるいは20年までに、何が行われるかが問われなければなるまい。 選挙後、もし、「アベノミクス」と総称される一連の経済政策が成功して、日本の「活力」が戻ることになれば、そして「積極的平和主義」の文脈で説かれた日本の信条が多くの国々に広く受けいれられ、日本の安全保障に係る態勢が盤石になれば、この度の選挙は、「戦後日本の『中興』に途を開いた選挙」として後世、語られるかもしれない。「経済」業績の裏に長期執政 選挙期間中、「アベノミクス」の果実が、なかなか社会や地方の隅々まで行き渡らない、という批判が示された。けれども、そもそも過去20年近く続いた経済停滞が、この2年だけの努力によって克服できると信じるのは、率直に楽観的に過ぎよう。 振り返れば、吉田茂、コンラート・アデナウアー、シャルル・ド・ゴール、ロナルド・レーガンのように、戦後国際政治史に名を刻んだ各国保守政治指導者の業績の筆頭として語られるのは、それぞれの祖国における「経済の再生」であったけれども、その業績の裏付けになったのは、5年から十数年に及ぶ長期の執政であった。 民主主義体制とは、本質的に「待つこと」を厭(いと)う政治体制であるけれども、その「待つこと」の要を説くのも、政治家の役割なのである。 加えて、この度の選挙の結果は、憲法改正への機運を高めるであろうし、安倍首相もまた、それを手掛けたいと願っているであろう。 しかし、安全保障に係る態勢を盤石にする観点から大事なのは、集団的自衛権を織り込んだ上で日米同盟の「深化」を進める法制整備を急ぐことであり、それを基軸にして、豪印両国やASEAN(東南アジア諸国連合)を加えた「アジア・太平洋版NATO(北大西洋条約機構)」とも呼ぶべき枠組みの構築に踏み込むことである。国際安全保障構想への視点 在日米軍基地に係る沖縄の過剰な負担もまた、こうした「アジア・太平洋版NATO」の枠組みを構築できてこそ、確実な軽減に道を開くことができる。この枠組みの下でならば、対中牽制(けんせい)をにらんだ「前線拠点」としての役割や負担は、沖縄だけではなく、フィリピンやベトナムのような国々も引き受けることになるであろう。沖縄が直面する課題もまた、こうした国際安全保障構想への視点が欠ければ、対応できないものなのではないか。 故に、憲法改正それ自体は、日本の安全保障環境を劇的に変える「政策対応」の根拠というよりは、戦後日本の「中興」が成ったことを寿(ことほ)ぐ意味合いで行われる一種の「儀式」の類いになりつつある。 そうであるとすれば、安倍首相は、憲法改正という「儀式」の挙行を後継内閣に譲るぐらいの心積もりで、現下の諸々の政策を断行することに専念するのがよろしかろう。戦後日本の「中興」が依然として道半ばであることを思えば、憲法改正という一大政治事業に精力を費やしている暇はないのではないか。 選挙は終わった。安倍首相は戦後日本の「中興の祖」になることができるのか。「アベノミクス」うんぬんよりも、そうしたことに注目するのが有意義であろう。 もっとも選挙の結果には、民主党の復調、共産党の躍進、維新の党の現状維持という点を考慮しても、野党各党の「自壊」や「無力」という趣が濃厚に漂っている。事実、『時事通信』配信記事によれば、枝野幸男民主党幹事長は、既に選挙公示前の時点で「次の選挙のときには政権の選択肢として認めていただけるような議席を獲得したい」と述べ、暗に「政権奪回」を諦めていた。 また、『しんぶん赤旗』の記事によれば、橋下徹大阪市長(維新の党共同代表)は、投票日前日の時点で、「もう維新の党、はっきり言って負けます」と発言した。 世の人々が政治家を評価する際の指標は、実は、政治家が訴える「政策の中身」というよりも、政治家が伝える「誠実」「信頼」「熱意」といった徳目である。こうした徳目において、野党各党が自民、公明両党を上回っていたとは判じ難い。その意味では、この度の選挙は、「初めから結果が見えていた選挙」であったといえよう。 安倍首相が実質上、2018年までの任期を手にしたとは既に語られているけれども、実際は、安倍首相の執政の下で「東京2020」の催事を迎える光景も視野に入ってきたかもしれない。それならば、18年、あるいは20年までに、何が行われるかが問われなければなるまい。 選挙後、もし、「アベノミクス」と総称される一連の経済政策が成功して、日本の「活力」が戻ることになれば、そして「積極的平和主義」の文脈で説かれた日本の信条が多くの国々に広く受けいれられ、日本の安全保障に係る態勢が盤石になれば、この度の選挙は、「戦後日本の『中興』に途を開いた選挙」として後世、語られるかもしれない。「経済」業績の裏に長期執政 選挙期間中、「アベノミクス」の果実が、なかなか社会や地方の隅々まで行き渡らない、という批判が示された。けれども、そもそも過去20年近く続いた経済停滞が、この2年だけの努力によって克服できると信じるのは、率直に楽観的に過ぎよう。 振り返れば、吉田茂、コンラート・アデナウアー、シャルル・ド・ゴール、ロナルド・レーガンのように、戦後国際政治史に名を刻んだ各国保守政治指導者の業績の筆頭として語られるのは、それぞれの祖国における「経済の再生」であったけれども、その業績の裏付けになったのは、5年から十数年に及ぶ長期の執政であった。 民主主義体制とは、本質的に「待つこと」を厭(いと)う政治体制であるけれども、その「待つこと」の要を説くのも、政治家の役割なのである。 加えて、この度の選挙の結果は、憲法改正への機運を高めるであろうし、安倍首相もまた、それを手掛けたいと願っているであろう。 しかし、安全保障に係る態勢を盤石にする観点から大事なのは、集団的自衛権を織り込んだ上で日米同盟の「深化」を進める法制整備を急ぐことであり、それを基軸にして、豪印両国やASEAN(東南アジア諸国連合)を加えた「アジア・太平洋版NATO(北大西洋条約機構)」とも呼ぶべき枠組みの構築に踏み込むことである。国際安全保障構想への視点 在日米軍基地に係る沖縄の過剰な負担もまた、こうした「アジア・太平洋版NATO」の枠組みを構築できてこそ、確実な軽減に道を開くことができる。この枠組みの下でならば、対中牽制(けんせい)をにらんだ「前線拠点」としての役割や負担は、沖縄だけではなく、フィリピンやベトナムのような国々も引き受けることになるであろう。沖縄が直面する課題もまた、こうした国際安全保障構想への視点が欠ければ、対応できないものなのではないか。 故に、憲法改正それ自体は、日本の安全保障環境を劇的に変える「政策対応」の根拠というよりは、戦後日本の「中興」が成ったことを寿(ことほ)ぐ意味合いで行われる一種の「儀式」の類いになりつつある。 そうであるとすれば、安倍首相は、憲法改正という「儀式」の挙行を後継内閣に譲るぐらいの心積もりで、現下の諸々の政策を断行することに専念するのがよろしかろう。戦後日本の「中興」が依然として道半ばであることを思えば、憲法改正という一大政治事業に精力を費やしている暇はないのではないか。 選挙は終わった。安倍首相は戦後日本の「中興の祖」になることができるのか。「アベノミクス」うんぬんよりも、そうしたことに注目するのが有意義であろう。

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    首相は財務官僚を成敗したほうがいい

    違ったという。政治資金は政党助成金によって党が配分するから、派閥の力は弱まった。ちなみに、2012年総選挙は自民党当選者294人のうち119人が当選1回。当然、派閥色も薄まる。 『読売新聞』の調査では町村派92人、額賀派52人、岸田派44人、麻生派37人、二階派29人、石原派15人、大島派13人で合計282人。現有議席が衆参で408人だから派閥に入っていない人が120人程度いることになる。 総裁の任期は3年で、20人の推薦人がいれば、誰でも立候補できる。最近はほかの派閥に属していても、自分の好みの人物の推薦人になる傾向がある。これを「新人類」と呼ぶとすると、昔ながらの派閥的発想しかできない人がいる。これを「守旧派」と名付ける。派閥をいっさい考慮しないで一本釣りで閣僚を決めるようになったのは、小泉純一郎内閣が最初だ。ところが、守旧派はこういうやり方が納得できない。 財務省は税制改正に当たって民主党の菅直人氏、野田佳彦氏を口説き落とし、当時、野党だった自民党の谷垣禎一総裁に「増税を主張するのは責任ある野党のあり方」といわしめた。 今回、8%へ引き上げたことについて、安倍氏は「2020年のオリンピックが決まって、つい脇が甘くなってしまった」と後悔している。まして景気が下向いているときに10%への二段上げなど、とんでもないというのが安倍氏の心境だった。 8月5日、麻生財務相は官邸に財務省の香川事務次官、田中一穂主計局長、佐藤慎一主税局長を引き連れて、首相に直談判に来た。要は「消費税の二段引き上げをやらないと日本の財政再建について、国際的信用を失う」との言い分である。しかし安倍首相は景気が鈍化している実感を語り、麻生氏らの申し入れを強く拒んだ。優先順位の第一は景気を持ち上げること この間、財務省は自民党の“守旧派”への説得を進めた。谷垣禎一幹事長、二階俊博総務会長、野田毅税制調査会長、伊吹文明衆議院議長ら。閣内では麻生太郎副総理をはじめ主要閣僚も含まれていた。いずれも党の重鎮であって反旗を翻されると党の結束が揺らぐ。 一方、安倍外交に対する不満も潜在化しそうだった。安倍氏はかねてから、日本の対中外交に不満だった。 これまでの日本外交は、とくに中国に対して“土下座外交”というべきものだった。中国は一歩譲れば、次は二歩譲ることを強要する。日中会談をしたいと思えば、(1)靖国参拝をやめる、(2)尖閣諸島は中国のものといえ――といった条件を付けてくる。靖国神社は戦後30年にわたって歴代首相が参拝している。ところが、中曽根康弘首相時代、“公式参拝”をめぐって国内がもめると、中国はすかさず「参拝するな」と押し込んできた。次は明白に日本領土である沖縄県・尖閣諸島の自国への帰属を主張し、「領土問題が存在することを認めろ」という。さらに、「沖縄も中国に帰属していた」などというたわけたことまで言い出している。 中国に対しては、607年、聖徳太子が「対等外交」を申し入れ、明治になっても福沢諭吉が「脱亜論」を書いている。歴史的にみて中国は「敬して遠ざける」のが最適の付き合い方なのである。 安倍首相は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、2年足らずで50カ国以上を歴訪した。安倍氏の外交戦略の第一は、中国に軍事的に負けないように日米安保体制を強化すること。第二は東南アジア諸国連合(ASEAN)と連携し、中国の膨張を防ぐこと。第三が豪州、さらにはインドとの準軍事同盟を築くことである。 中国とは戦略的互恵関係を構築し、積極的平和主義を貫く。安倍氏はいま、戦後日本が失った精神的なものを取り返す途上にある。 「河野談話」のように検証してみると実態がないのに、強制連行を認めてしまったものもある。『朝日新聞』が吉田清治氏の証言はウソだと認めて取り消したが、この32年間に日本はいつの間にか20万人を性奴隷にした汚名を着せられている。いずれも戦後外交の大失敗だが、失敗した原因は土下座精神だ。 その真相の矯正を忘れ、日中友好がいいことだと短絡する守旧派が党内に多数存在する。 首相がダブル引き上げを拒否すれば、引き上げ派の守旧派と親中派が動き出す可能性がある。過去の政変は各派の思惑が重なって重層化して勢いを増す。税法を変えるとか、新法を制定することもできるが、法の内容をめぐる議論をすると党内が真っ二つになる可能性がある。 2015年9月の総裁選をめざして党内が蠢いてくる可能性もある。思惑が交差する官界、政界の動きを見ながら、安倍首相は「民意に問うのがいちばん」と考えたのだろう。そのきっかけになったのは、味方の一人と考えていた黒田日銀総裁が9月15日に語った次の言葉だったに違いない。 「増税して予想以上に景気が落ち込めば、その時点で財政・金融的な措置で対応が可能だが、仮に先送りによって政府の財政再建に向けた決意、方針に疑念をもたれて、国債価格が大きく下がったりすると、財政・金融で対応することが困難になる」 これは財務省の言い分を正直に語ったものだが、同じセリフで橋本龍太郎首相は消費税を引き上げ、平成10年の参院選で惨敗し、政権を去ることになった。あとを襲った小渕政権も含め、10年間にわたって税収は減り続けたのである。肝心なことは税収を増やすことであって、安倍政権では税収は3兆5000億円ほど増えた。第一優先順位は景気を持ち上げることであって、増税をして財源をつくり出すことではない。 小泉純一郎首相は一枚看板の郵政改革法案が参議院で否決されたとき、「どうしても民意に問うてみたい」と衆院の解散に打って出て大勝した。反対する議員の選挙区には“刺客”を立てて落選させることまであえてした。 今回でいえば、最たる守旧派は野田毅税制調査会長だろう。安倍氏の思惑とは関係なく、「税の再引き上げは既定路線、当然2015年の10月から10%にする。安倍さんが何といおうと、私は動かない」と断じた。さながら古い自民党時代の派閥の親分か調査会、部会の長の言い草だ。こういう手合いに公認を与えると党の一体化を損う。 財務省のメンツは丸つぶれだが、麻生財務相が辛うじて出した救いの手は「10%への増税は3年後の2017年4月から始める。その際、経済情勢をみて決めるというような弾力条項は付けない」というもの。経済はつねに変わるもので、こういうのを石頭というのではないか。首相は財務官僚を成敗したほうがいい。屋山太郎(政治評論家)1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任。81年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。87年に退社。2001年に正論大賞を受賞。最近刊に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)がある。

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    正義を騙る詐欺師…サヨク勢力に気を許すな

     総選挙を控え、まーたサヨク勢力による悪質な世論誘導捏造工作が発覚した。 その騒ぎは11月22日に、小学4年生を自称するあるツイッターアカウントの発言から拡大した。「こんなサイトを作りました。協力して欲しいです!」と民主党やサヨク著名人などに彼が呼びかけし宣伝しまくった「どうして解散するんですか?」と題されたそのホームページは、到底小学4年生が独力で作れるようなものではなく、ネットの人々からはすぐに、「小学生を偽装したプロサヨクの犯行では?」との疑念の声が湧き上がった。 ホームページの内容自体も「息を吐くように嘘をつく」と揶揄されるサヨク勢力の典型的症例そのままであった。そのホームページの支持者数が逐次増えていきあたかも「意識の高い小4が提起した解散への疑問にこんなに数多くの人々が賛成しています!」と見せかけていたが、実はその数字自体が支持者数でもなんでもなく、「小4」が恣意的に表示させていた何の根拠もないデタラメなものであった。 しかしこの有権者を舐め腐ったサヨク勢力による捏造工作は、ネットの人々による調査・検証であっけなくその正体を暴かれることになる。なんと、民主党や朝日新聞などとかねてより深いつながりのあった慶應大学生青木大和による犯行であったのだ。 そもそも当初から、ネットではこの捏造事件が民主党や朝日新聞等サヨク勢力による「仕込み」であることが疑われていた。何しろ、この捏造サイトが作られてからのサヨク勢力の反応が早すぎるのである。 例えば11月22日に自称小4の青木が民主党公式ツイッターアカウントに「こんなサイトを作りました。協力して欲しいです!」と営業活動をしかけた何と20分後には、民主党は公式ツイッターで「天才少年現る!とてもいい。皆さんもぜひ!」と全世界に向け宣伝を行っているのだ。それだけでは飽き足らず、蓮舫参議院議員も「素朴な疑問がよくわかる」と紹介している。その上、そのあからさまな「仕込み」がネットで話題になる前日21日には、かねてより「反日マスゴミ」として定評のある講談社の「現代ビジネス」がホームページで、「『#どうして解散するんですか?』Twitter上で政府・メディア関係者ほか100万人に届けられた疑問の声」と題し、この捏造サイトを早々と紹介しているのである。しかもその内容たるや、「20日の夕方にローンチされてから、1日も経たないうちにその数字は約100万件を超えた」などと、青木の捏造工作を何の検証もなく垂れ流したと言われても仕方がないものであり、世論を反安倍自民に誘導操作する犯罪に加担したのだ。 犯人の青木についてはこれ以外にも、民主党のイベントに主要メンバーとして参加していたとか、理事を務める団体に菅直人元総理の息子が名を連ねているとか、現代ビジネス同様に宣伝に加担した朝日新聞記者と懇意で朝日新聞の記事に取り上げられた事もある等、数多くの真っ黒な証拠が続々と判明している。しかし青木自身のその後の対応は反省とか謝罪という言葉とは無縁の居直りと言わざるを得ない呆れた態度に終始している。青木の発言を引用してみよう。寄せられた声の中には、僕たちへの誹謗中傷、暴言、愚痴など、#どうして解散するんですか?への問いではない声もありました。でも僕は、これだけの方が目にしてくださった今回の問い「#どうして解散するんですか?」を、いま一度日本について考え直す機会に出来ないだろうかと思っています。どうして解散するんですか? 盗っ人猛々しいにも程がある。あたかも自分が「誹謗中傷」される被害者であると思い込んでいるばかりか、自分が捏造サイトを作らなければ愚民どもが「考え」無かったとでも言いたげな傲慢さが見え見えである。 犯人の青木ばかりではない。サヨクやリベラル勢力は「犯行は民主党やサヨク陣営による組織的なものではなく、青木個人に全責任がある」とトカゲの尻尾切りした後、彼の犯罪を擁護することに未だ汲々としている。例えばジャーナリストの津田大介は「青木大和は少なくとも実名で謝罪した。デマを拡散させるまとめサイトとかより明らかにマシ」と、この明白な悪意を持った犯罪を相対化し、その罪の軽減に加担している。 ところで、サヨク勢力によるネットを悪用したこうした捏造工作は、別に今回に限ったものではない。この総選挙だけでも他にもいくつもの工作の存在が疑われているし、国政・地方選挙のたび毎回必ずと言って良いほどこの手の邪悪な工作が行われている。 そうした工作の証拠が白日の下に晒された例の一つが、2003年の石原慎太郎東京都知事再選妨害工作事件である。 都知事選の直前、インターネット上で、「プレ東京都知事選挙」なるホームページが開設された。表向きは、来るべき都知事選を予想する「ネット投票」を装ってはいるが、その実体は、明らかに石原都知事再選の妨害工作であった。何しろ候補者に、立候補さえしていない元べ平連活動屋で作家の小田実なんてものまでノミネートされていたのだから、お里が知れるというものだ。 このホームページは当初、在日朝鮮人のメーリングリストや反日活動家、プロ市民の掲示板などでのみ宣伝された。ホームページに「投票結果は11日夜に最終集計し、マスコミ各社に流します」と書かれていたことからもわかるように、反石原グループだけで投票をして、都合の良い結果を出し、マスコミに流すつもりだったのである。実際、当初は、本選挙では石原に惨敗した樋口恵子がトップであった。 ところが、この企みはネット投票開始直後に漏れ、2ちゃんねるなどのインターネット掲示板で宣伝された結果、反石原活動家以外にも多くの一般市民が投票し、樋口をたちまち引き離し、石原がトップに踊りでた。「プレ東京都知事選挙」の主催者は慌て、石原票のカウントを停止したり、石原の得票数を0に差し戻したり、ここでも捏造に躍起となっていたが、結局対応しきれず、ホームページは投票日前に閉鎖された。 一部では、閉鎖の原因は、公職選挙法に触れていたためとも囁かれているが、実はこの「プレ東京都知事選挙」を主宰していたのは、佐高信(評論家)、辛淑玉(人材育成コンサルタント)などの、名だたる反日活動家の面々である。 サヨク連中は選民主義の差別主義者である。自分たちが理想とする正義の実現のためなら、嘘だろうが捏造だろうが何をやっても構わないと思っているし、それがバレても謝罪するどころか居直るばかりだ。しかも一般庶民を舐めきって、幼稚な工作でもバレないに決まっているとタカをくくっている。民主党の海江田代表は最近、「赤穂義士が討ち入りした12月14日が投票日だ。私たちも義士になり、討ち入りを果たさないといけない!」などと、思い上がりも甚だしい笑止な発言を行ったそうだが、我々国民は、正義を騙る詐欺師でしかないサヨク勢力に気を許してはならない。

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    「小4なりすまし」擁護論も登場、炎上続く

     小学4年生が開設したとして話題を呼んだ、安倍晋三首相の衆院解散を疑問視するウェブサイトが、実は民主党と交流が深いNPO法人代表理事(既に辞任)の大学2年生が小4になりすまし、書き込みを行っていたことが判明した。安倍首相は「最も卑劣な行為」と激怒し、猛烈に批判したが、インターネットでは擁護論も登場し、炎上状態が続いている。 問題となったのは、20日夜に開設された「どうして解散するんですか?」という名のサイト。「小学4年生の中村」を名乗る人物が「しつもんです。ぼくにはさっぱり分かりません。あべそーりは『みんなに問い直すための解散だ』って言っていたけど、もんだいは一体なに?」などと、安倍政権批判を展開した。 民主党のマスコットキャラクター「民主くん」がツイッターで、「天才少年現る!」と紹介したことで、注目が一気に高まった。サイトの登録情報から露呈 ところが、書き込みの文章に4年生では習っていない漢字が多用されたり、サイト制作に高度な専門技術が駆使されていたりしたことから、「明らかに大人だろ」「サイト制作のプロの犯行だな」と、疑問の声が噴出。「中村君」は当初、「ぜんぶ小学校の友達でやりました」と強気の姿勢だったが、ネット民の一人がサイトの登録情報から推理の末、NPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」が関係しているのではないかと指摘。“祭り状態”に突入した。 結局、22日になってNPO法人の代表理事を務めていた大学2年生、青木大和氏が「私が(個人的に)リプライ、コメントをしていました。皆さんに嘘をつく形となり、本当に申し訳ありませんでした」などと謝罪。サイト制作は、プログラマー経験がある友人のクリエイター、Tehu氏が行ったことも明らかにした。 小学生になりすましたことについては、「『面白い』と皆さんに受け止められ、より多くの方を巻き込んだ形で、今回の選挙の意義を語り合うことができるのではないかと思った」と説明した。 これを受けて、「民主くん」は24日、サイトの紹介ツイートを削除したうえで、紹介したことについて「ご迷惑をおかけしました」と謝罪。一方、安倍首相は25日、フェイスブックで「選挙目当ての組織的な印象操作ではないでしょうが」としながら、「批判されにくい子供になりすます最も卑劣な行為だ」と憤った。安倍首相も怒り心頭 だが、事態は収束しなかった。脳科学者の茂木健一郎氏はツイッターで、「反省、謝罪して、前に行ってほしい。日本にはこのような若者が必要」と擁護。米アップルの共同設立者の一人、スティーブ・ジョブズ氏も若い頃はいろいろやらかしたとして、「『やらかす』性行と、イノベーションを起こす能力には正の相関がある」と持ち上げた。 これに対し、「確かに、行動力は認めるよ」と賛同の声もあったが、「意図的に小学生のフリをしたのが悪質」「日本をこれから背負う20代の意見として発表すればよかった」などと批判の声が一層強まった。 また、青木氏が受験生の個性を重視して選考するAO入試で大学に合格していたことから、AO入試への批判にも発展。さらに、青木氏を指導したAO推薦入試専門塾の代表が突然、謝罪文を発表して「青木氏を利用した売名行為だ」と攻撃されるなど、混迷は続いている。

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    「小4なりすまし」とは結局なんだったのか

    自民党圧勝で幕を閉じた衆院選だが、公示前に気になるニュースがあった。大学生が「小学4年生の中村君」になりすましてサイトを立ち上げ、「どうして解散するんですか?」などと政治的な主張を発信し、各方面に波紋を広げたあの〝事件〟である。

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    社会の分断を深めない政治を

     新政権に求めることは、まず「社会を分断する」ものであってはならない、ということだ。この十数年、日本社会はふたつの意味で分断されてきたと思う。ひとつは経済的分断、もうひとつは認識上の分断だ。 経済的分断とは経済格差のことだ。日本の経済格差が深刻な背景には、1)長期のデフレ不況、2)低所得者層への再分配政策の失敗を代表的にあげることができる。 長期のデフレ不況は、2400万人にも上るといわれる低所得者層を生み出し、また高い失業率とブラック企業に代表される厳しい雇用環境に多くの国民を追いやった。また低所得者層の状況は、政府が介入することでかえって悪化している。例えば消費税は社会保障の充実を目標にしていると宣伝されることが多いだろう。だが現状では低所得者層からより多くのお金を搾り取ってしまっている。 認識上の分断も深刻だ。代表的例をふたつあげれば、対抗的ナショナリズムの勃興と「逃げ切り世代」の価値観の浸透だ。 例えば、在日外国人への敵意や反発は深刻である。対抗的ナショナリズムに魅かれるものと反発を感じるものとの認識(イデオロギー)上の対立は、しばしばヘイトスピーチをめぐる問題としても顕在化している。もちろん国外をみれば、韓国・中国など近隣諸国への敵意(対抗)の意識はきわめて強くなっている。 「逃げ切り世代」とはエコノミストの安達誠司氏の言葉だ。逃げ切り世代は年金や医療などで現役世代から所得移転を受けている高齢層である。逃げ切り世代の根源的な発想はリスク回避的なものだ。わかりやすくいえば「経済はもう成長しない」や「清貧の思想」に代表される思考パターンである。特に経済が成長して、若い世代がリスクを取ることが容易な環境になれば、自分たちの既得権が侵されるのではないかと懸念している心性(マインド)だ。社会の高齢化もあるだろうが、他方で長期の経済低迷が「逃げ切り世代」のリスク回避的価値観を浸透しやすくしているだろう。 新政権に最低限望むことは、上記の経済的分断と認識上の分断をこれ以上、政府がわざわざ介入することで悪化させないことだ。そして最善には、これらの分断を修復することが望ましい。 経済的分断については、まずデフレ不況脱却が最優先される。8%に引き上げた消費増税の悪影響は深刻である。いま現在、各種の経済統計をみると雇用状況は改善しているように見えるが、雇用を推しはかる指標は実体経済に遅れたものになる。このまま状況を放置していれば、早晩、雇用環境は悪化していくだろう。それを食い止めるためには、早急に財政政策と金融政策の両輪を積極的に活用する必要がある。財政政策であれば、所得の低い層を中心に総額10兆円規模の所得給付を行うことが望ましい。さらに日本銀行の追加緩和も必要だ。 政府と日本銀行が共同声明を行い、いまの目標である「名目成長率3%、実質成長率2%」を引き上げて「名目成長率4%、実質成長率2%」にすることは、これからの持続的な経済成長の安定化のためにも重要だと考える。 認識上の対立はどうだろうか? 「逃げ切り世代」の価値観の浸透については、その発生理由の多くが経済低迷をうけてのものだった。経済がダイナミズムを回復すれば、「逃げ切り世代」の価値観と対抗できる若い世代の価値観が社会で注目される可能性も増える。それがなんなのかいまはわからない。いや、わからないからこそいいではないか。 問題は、対抗的ナショナリズムだろう。今年の6月、報道によれば日中韓三カ国の関係改善を求める経済学者たちの提言を、安倍晋三首相は受取を拒否したという。この提言は経済学者の河合正弘、浜田宏一氏らが中心になったものである。この提言には、三カ国が軍事的衝突に陥った場合の経済的損失が試算されている。結論はアジア経済圏の成長の終焉という深刻なものである。もちろん経済的損失だけではない。失われるかもしれない人命こそ重要だ。 安倍首相の外交術は巧みであるという評価もある(高橋洋一『バカな外交論』(あさ出版)参照)一方で、近隣諸国とのより一層の対立を懸念し、または集団的自衛権を認めることで米国の軍事的従属化がすすむことを懸念する声も大きい。 安全保障の問題に関連して社会の認識(イデオロギー)上の対立が過激化してしまえば、それは社会の分断を加速化してしまうだろう。経済的な安定化は、対抗的ナショナリズムをある程度鎮めることができるかもしれない。だが他方で、高度成長時代においてもしばしば安全保障の問題については、過激な社会対立が随所で見られたことを忘れてはならない。 安倍首相の長期的な目標は憲法改正だろう。今回の衆院選の大勝によって、今後この長期的目標がより具体的に政治的メニューにあがってくることは不可避である。このとき社会の分断が加速化しないこと、それを政権に期待するだけではなく、むしろわれわれ国民がしっかりと判断していかなければならない。

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    どうするニッポンの針路 新政権に問う

    事実上の安倍政権への信任投票となった第47回衆院選は、自民党が絶対安定多数を維持、圧勝した。「一強多弱」の構図はより強まり、安倍晋三首相の政権運営はこれまで以上に日本の針路を左右する。ニッポンはどこへ向かうのか。新政権に問う。

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    野党であるために何ができるのか?

     本原稿は投票日に開票前(※編集部注 14日午後)の執筆なので、各議員の確定した当落が分かっているわけではありませんが、少なくとも各種調査と動向を見る限り与党の自民党と公明党の獲得議席は3分の2に迫る勢いということで、圧勝であることは間違いありません。 その選挙結果を見据えて何を論ずるべきかといえば、私は間違いなく野党再編をどのように行い、民意の取りこぼしを少なくするか、これに尽きます。争点のない解散であったと評したところで、その選挙で実際に勝ったのは与党であり、勝たせたのは日本国民、有権者であって、国民の意志です。この時点で評価されたのは安倍政権であることを真摯に受け止め、与党は自信を持って国民のためになるであろう政策の実現と推進を、野党は敗因を見つめて必要な再編を行って国民の請託を受けられるような体制作りに邁進しなければなりません。 勝った与党はさておき、勝負にならなかった野党にこそ日本の未来を見出さなければなりません。というのも、与党支持率は選挙戦を通じて40%台中盤を推移していたものが、選挙戦が白熱していくにあたって徐々に低下。投票日前日の調査では、確定値において34%から37%まで低下していきました。選挙戦を見ながら、有権者、とりわけ無党派層が自民党の主張や選挙展開を見て「自分が支持する内容ではない」と違和感を感じたことに他なりません。 その低下した分を、民主や維新、次世代、共産などが上積みしたかというとほとんどそうはならず、推定ではありますがそのような人たちは「有力な候補者がいないので選挙にいかない」という選択をしている可能性が高くなっています。それが、今回の選挙での低投票率に繋がっており、国民は自民党への批判票の受け皿としてさえ、いまの野党を評価していないことの表れではないかと思うわけです。 野党の再編のために必要なものはなんでしょうか。今回の選挙直前には、維新の会の低迷と次世代の党への分裂、さらにはみんなの党のお家騒動からの空中分解と、強い与党の結束とは裏腹にどうしようもない野党の実態をさらしたままの選挙戦になりました。 この背景ははっきりしていて、ひとつは資金力の裏づけ、もうひとつが思想的なバックグラウンドが散漫なことです。勝っている政党や勢いのある政党であれば、政党に属していることそのものが資金も集票も見込める磐石な仕組みの歯車になることが議員の参画の動機になるのですが、資金源は将来曖昧であり、思想的にも寄せ集めの議員ばかりでは、どうしても政党としての結束力に欠けるだけでなく、保身のために、党ではなく自分の知名度を確保するための活動に精を出さざるを得ません。有権者の党への評価が低ければ比例で復活することもできない以上、自分の名前を投票用紙に書いてもらわなければ議席を失ってしまうからです。 だからこそ、いまの野党に必要なことは思想的な裏づけのしっかり取れた、反自民の批判票を受け入れられるだけの統制の取れた党組織を次の選挙までにつくり、国民の期待に応えることです。「それができないから困っているのだ」と野党の本部の方は頭を悩ませておられるのでしょうが、国民・有権者が争点として上位に挙げているものを思い出してください。一位こそ「経済政策・雇用」ですが、次いで「年金・社会保障」「少子化対策」「エネルギー政策」「安全保障・日米中関係」となっています。野党は一番得意でない経済政策や雇用を争点に持ってきて惨敗しましたが、実は社会保障や子どもへの補助、安全で安心できるエネルギー政策といったところは野党が本来得意とするものではなかったでしょうか。財源問題とあわせ、次の時代の日本をどう考えるかを打ち出すことが、いま野党に求められていることだと断言できます。 小選挙区制の恐ろしさは、わずかな支持率の違いを大きな獲得議席数に反映させるダイナミックな変革が起きやすいことにあります。もしも四年後かそれより前に選挙があるとき、少しでも自民以上の信任を野党が獲得できたならあっという間に政権奪還ができてしまいます。それまでの間に責任と能力の備わった野党であるために何ができるのか、いまじっくりと考えて再スタートを切って欲しいと、一人の日本人として願ってやみません。

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    もはや出来ない言い訳は通らない

     選挙結果が出た。自公与党の圧勝である。だが、そこに「歴史的」と形容するような高揚感はない。本気で政権に挑戦しない野党のていたらくを前に、与党の勝利はわかりきっていたというのはあるだろう。05年の郵政選挙では、構造改革路線という一つの方向に進んでいくという高揚感があった。09年の政権交代選挙でも、12年の自民党の政権復帰の選挙でも何かが変わるという不安と期待が背中合わせとなった感覚があった。今回は、それがない。 野党や一部のメディアが言うように解散に「大義がなかった」と言いたいのではない。国民の信任を通じて得られた政治的エネルギーをどのように使うのかが、気がかりなのである。 日本という国は岐路に立っている。すべての国民に明らかでないだけで、危機と言ってもいいレベルである。先延ばしにした増税を発動できるところまで経済を成長させることも、中期的に財政を持続可能なところまでもっと行くことも、けしてハードルは低くない。そのためには、国民に痛みを強いる社会保障改革も、与党や霞が関の権力基盤を掘りくずす規制改革も必要である。信を問う大義は十分すぎるほどあったわけだ。問題は、与党がアベノミクスの信任という以外、これからは苦い薬も飲まなければいけないことを示さなかったことである。そんな与党を追いこめなかった野党の力不足も罪深い。 ともあれ、国民は安倍総理と自公政権に圧倒的多数を託した。アベノミクスも、第三の矢も、もはや結果を出せない言い訳はなくなった。いまこそ、仕事をするときである。政権与党にあっては、適齢期だというだけで実力のない方を大臣にするなどもってのほかである。日本がデフレに苦しんだ15年間の一番の変化はグローバル化であろう。改革のスピード感もグローバルな基準で判断される世界だ。小回りの効くシンガポールや、民主主義の制約に縛られない中国と比較される中で結果を出さないといけない。与党が得た2/3に迫る議席は、このスピード感に使っていただきたい。 議席を増やした野党第一党の民主党には、安倍政権との対決姿勢を出すために政権の改革アジェンダに反対し、「やさしい」主張を展開する誘因があるだろう。短期的には、国民の人気も高まるかもしれない。が、それはかつての社会党が歩んだ万年野党への道であり、日本の将来のためにぜひ思いとどまっていただきたい。他の野党と手を結びながら、あるいは維新が築きあげた地方分権のエネルギーも取り込みながら、正々堂々と与党と経済改革を競ってほしい。それが、日本の政治に健全な緊張感を取り戻す唯一の道であり、野党が社会にとって前向きな変化を起こす存在となれるかの分かれ目である。

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    政治的にはタフでも医療崩壊の危機に立ち向かえ

    面的に対決した。 民主党政権と比較して、安倍総理の政権運営は安定している。多くの国民が、今回の解散・総選挙に賛成していないのに、与党を支持しているのも頷ける。 ただ、安倍政権の医療に対する基本的な姿勢は、我々は認識しなければならない。 私個人としては、安倍政権のやり方に反対ではない。社会保障費を圧縮しなければ、いつの日か、我が国は破産する。医療費と雖も、青天井で増やせる筈がない。医療費の抑制は必要だ。 しかしながら、医療費を抑制するだけでは、医療システムは破綻してしまう。高齢化が進むわが国では医療需要は急増する。我が国の医療は政府による価格統制が徹底しており、診療報酬を引き下げ続ければ、やがて医療機関の経営は立ちゆかなくなる。 医療崩壊を防ぐには、医療システムに循環する資金を増やさねばならない。税金・保険料で補えないのであれば、民間の資金を活用出来るようにしなければならない。 そのための具体策が、混合診療の解禁である。 我が国では、健康保険で支払う治療はすべて厚労省が一律に価格を決めている。混合診療が禁止されているため、例外はない。このことが、我が国の医療の進歩を阻害し、医療産業の発展を妨げている。 先日、13年間、凍結させた卵子を用いて出産した癌患者のニュースが報じられた。このように、我が国の不妊治療は世界最高水準だ。それは不妊治療が自費診療で、医療機関が独自に価格を設定できるからだ。患者満足度を上げれば、価格に転嫁できる。収益を増大すれば、最新機器を購入し、専門スタッフが雇用できる。一方で、不妊治療の専門医も増え、医療機関間に競争が生じ、サービス内容・料金は多様化した。これは患者にとっても福音だ。 厚労省は、完全自費診療には関与せず、混合診療は厳禁というのは二枚舌だ。厚労省が、このような態度をとるのは、医療行為の医学的妥当性よりも、医療費の支払いに関心があるからだろう。医療費の伸びを抑制するとともに、医療行為の価格の決定権限を握ることで、大きな権限を持てることは官僚にとって好都合だ。ところが、こんなことを続けていると、我が国の医療は崩壊してしまう。 我が国の医療システムが生き残る、つまり国民皆保険を堅持するには、混合診療規制の緩和が必須だ。 ただ、この問題に安倍政権が真摯に取り組んできたとは言いがたい。安倍政権は「岩盤規制改革」の象徴として、混合診療の解禁を唱っているが、先月、厚労省が発表した案では、混合診療が実施できるのは原則として百程度の大病院に限定されるらしい。これでは、多くの国民が規制緩和の恩恵に預かることが出来ず、見事な骨抜きである。 我が国の医療は、混合診療禁止という規制のもと、様々な既得権を生んできた。公定価格の元、一切の値下げ競争に曝されることはなく、開業医から製薬企業まで大きな利益を上げてきた。厚労官僚たちも絶大な権限を持ち、医療業界誌は、診療報酬改訂情報を垂れ流すだけで、売り上げを確保している。混合診療規制を緩和しようとすれば、彼らからの抵抗を受ける。混合診療規制の緩和は、政治的にはタフな仕事だ。さて、安倍政権は、どこまでやるだろうか。総選挙後の動きに注目したい。

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    それでも、若者の政治参加って必要ですか?

    と。若い人たちが政治から離れてしまうと全体として代議制民主主義そのものの根底が覆りかねない。この前の総選挙も50%代でしたよね。これが下回ってしまうと、つまり国民の半分も参加しない選挙によって唯一の立法機関である国会の議席数が決まってしまうことになる。すると議会制民主主義の根幹そのものが揺らぎかねないと思います。だから若い人に政治に参加してくださいと言ってもなかなか難しいとは思いますけど(笑)日本のなかで政治教育をする仕組みを山本:「教育なき民主主義は無意味である」と言いましたけど、ということは教育ありきの民主主義ということですよね。その点はどうですか。いまは教育はされた上で民主主義が成り立っているとお考えですか?斎木:僕はほぼないと思っています。僕らみたいに政治学科に在籍していれば別ですけど半強制的に政治の勉強をする環境はないわけです。義務教育を見渡してもなかなかありませんし、高校教育をみてもどうしても政治的中立性が重視されて、政治教育はされていません。むしろ先生が政治の話題をすることはタブーですよ。山本:どうしてもイデオロギーの話が日本では起こりやすいからですか?斎木:そうですね。そういう部分もあると思います。ただ正直に言って「日本だから」といったわけではないですよ。先生によってイデオロギーはあると思います。例えば、イデオロギーのある教育を受けた結果、みんながそのイデオロギーに染まるかと言えばそうでもないでしょうし、ある意味そのイデオロギーを利用して中立性を説く工夫はできるわけですよね。だからそのためのガイドラインをつくっていって、同時に日本のなかで政治教育をする仕組みをつくっていくことが大切だと思います。つまりイデオロギー教育になってしまうリスクよりも、政治教育をしないことのリスクが大きいのに、イデオロギーというリスクに気を取られているというのが現状です。山本:なるほど。まあ、イデオロギーに気を取られないという発想自体もまたイデオロギーですけどね〜(笑)お話を聞くと、結局(政治の)教育がないということじゃないですか。ではどういった教育を展開していくべきだと考えていますか?斎木:まったくないとは言い切れませんがほぼないと思います。山本:それこそ、アメリカでは政治教育は徹底しているという話があるじゃないですか。模擬投票や模擬選挙がアメリカにはあるとのことでしたけど、日本でもそれらを導入すべきなんですか?斎木:僕は、模擬投票は素晴らしい教育のコンテンツだと思います。やっぱり政治教育をするならば模擬投票が一番だと思います。実際の選挙をみていくことは、教育を受ける側にとっては一番おもしろいと思います。正解のある話ではないので、各党の政策をみたときに「あ、自分はこれがいいな」と思うところからスタートすることは日本でも取り入れていったらいいでしょうし、模擬投票ならば先生のイデオロギーも入りにくいと思います。やはり中立的に、そこには色んな仕組みが必要でしょうけど、模擬選挙を通して体感型の政治教育をしていけばいいのではないでしょうか。民主主義の究極的目標は弱者救済山本:そのお話には、斎木さんがよく言う市民的公共性が前提にあるんですか?斎木:その先に、市民的公共に対する視野が僕のなかではあります。模擬選挙をやったり政治教育をする人たちの全てが市民的公共を最終的に目指しているわけではないでしょうけど、私は市民的公共の意識は強くあります。山本:ちなみに、市民的公共について一度整理をしたいです。私はあまり詳しい分野ではありませんので(笑)市民的公共というのは、教養ある市民が議論することで世論を形成して、その世論が行政を監査する、といった認識で大丈夫ですか?斎木:そうですね。つまり、公共の担い手となる市民一人ひとりが討議に参加していく。その教養ある市民がね。だからこそ、教育なき民主主義は無意味であるわけですよね。教養ある市民が討議に参加して、監査したり、いまならNPOやNGOを立ち上げることによって公共の担い手になることも可能になってきていると思います。山本:その、つまり政府が動くだけではなくて市民自体が積極的に参加をして社会を形成していくっていうこと?斎木:そういうことだと思います。山本:要するに政府の手が行き届かないところで市民が活動していく必要があるっていう認識だと思うんですけど、そのなかで必要になってくるのが教養だったりするわけですよね。だから教育で補っていかなければいけないはずでありながら、現状ではカバーしきれてないように私は思いますが、その点はいかがですか。斎木:政治教育は先ほど言った通り日本では盛んにおこなわれていないですね。やっぱり僕が思うのは、政治や公共とは、社会の構成員みんなに関わるものだと思う。ルールを決めたりね。それから、僕は政治、とりわけ民主主義の究極的目標は弱者救済だと思っています。強い人は市場の原理で政治が介入しなくていいわけですよ。民主主義の究極的目標はロック・ルソー以来の自然権という根本的な理念だと思います。僕は別に西洋かぶれじゃなくて、日本にしても古くから神道や仏教がありますけど、仏教の法然の言葉を借りれば「みんなが幸せになるために生まれてきた」、つまり幸せを追求するために生まれてきた、というのは日本でも普遍的な考え方でした。これは日本の伝統であると思うと同時に、西洋においても同じだったんですよ、昔から。つまり結局何が言いたいかというと人間が生まれながらにして生命・自由・財産をもっている、幸福を追求する権利があるということ。そして今の日本国憲法の根本的価値は第13条の幸福追求権ですよね。そこで重要なのが、幸せではない人たちを救済することによって、みんなが幸せになるという目的の達成ができます。幸せでない人たちに、公共によってアプローチをしていくことが大切です。山本:ただ、その公共を考えた時に、最初に戻りますけど「教養ある市民による良質な議論」、これによってマイノリティの排除という議論もありますよね。結局教養ない市民は排除されるわけですから。斎木:教養ある市民の定義が難しいですけど、民主主義の究極的な目標を理解していることが大前提だと思います。日本国憲法は日本の根幹であり、その根本的価値と言われるのが13条。それを考えると、民主主義の討議のなかでは一番の大前提ですから、やはり「教養ある」にはここが含まれているでしょう。そうすると、教養ある人たちが教養ない人たちを排除する、っていうのはその大原則に反してますよね。山本:ちなみに衆愚政治についてどう思いますか?斎木:私たちは、この(13条の)大前提を理解できていなかったり学ぶ機会がありません。だって、「日本国憲法の根本的価値と言われる条文は?」というのは、(学校教育では)あまり扱わないですよね。結局、その意味や成立背景を学ばないわけですよ。この教育がないために、衆愚政治に陥ったり、集合愚に陥ったり、インターネットの炎上もそうかもしれませんけど(笑)私はやはり、そのところをしっかり教育によって補完する必要性は必ずあると思っています。今一度の『学問のすゝめ』山本みずき特別編集長山本:私たちは慶應義塾大学で学んでいる立場ですけど、今日も『学問のすゝめ』を改めて読み返していてね…(斎木さんに遮られる)斎木:福澤諭吉先生ね!結局、福澤諭吉先生の時代は近代がはじまったとき。近代とはロック・ルソーの考えがまさに日本にはいってきた時代です。そのときに、福沢諭吉が説いたのが『学問のすゝめ』ですよ。「一身独立して一国独立す」、これは独立不羈の考え方ですけれども、やっぱり一人ひとりが学問してこそ国家が独立する。当時は国家の独立が至上命題だったと思いますが、今はやはり(日本は)独立国家として成り立っているわけですよね。細かい点はおいて、独立国家として危ぶまれることは喫緊ではない。では、何がいま大切かと言うと、成熟した民主主義ですね。これから社会の在り方をどうすべきか考える時に、まさに今、福澤諭吉の言葉が再び意味をもってくると思います。誰がエリートだとか、一部の人間だけが決めるのではなく、できるだけ多くの人々が参画して社会の在り方を決めていく必要があります。当時は独立のために学問だったと思いますが、これからは社会の在り方を、民主主義をどう成熟させていくかを考えるための、今一度の『学問のすゝめ』ですよね。山本:そうそう、それでね、市民的公共っぽい記述が『学問のすゝめ』にあったので是非紹介したいんですけど。第四篇では「国民の気風が国を作る」という項目がありましたね。そこにはこう書かれています。「狭い意味での『政治』をなすのは政府だけれども、世間のあれこれの事業の中には、政府が関係しないものも多い。一国全体を整備し、充実させていくのは、国民と政府とが両立して、はじめて成功することである。われわれは国民としての責任を尽くし、政府は政府としての責任を尽くしてお互いに強力しあい、日本全体の独立しなくてはならない」と。まさに斎木さんの提起した内容そのもだと思いました(笑)福澤諭吉先生も論じていたんですね。斎木:いやいや!福澤諭吉先生が論じられたことを私が勝手に解釈しているので、僕が論じているどうこうではありませんけど(笑)福澤諭吉先生は、だからこそ日本の貨幣の肖像に二度も選出されるわけですね。二度、選出されるのは福澤先生だけですよ。やっぱり慶應義塾大学の誇りでもありますけど、日本人としても誇りです。山本:私も同じ思いであります(笑)最後に、いままさに総選挙があっているわけですけど、選挙に対して若い世代である斎木さんから一言お願いします。斎木:とにかく、参加して欲しいです。とにかく一票を投じて欲しいし、少しでもいいから考えて欲しいです。情報を収集しやすいのはインターネットの良い部分ですし、調べればすぐに政党のマニフェストも見られるわけです。あとは政党マッチングを試すこともできますし、それも含めて色んな情報収集をインターネットや本、街頭演説を少し聞いてたりして自分のなかで何となくでいいから参加してほしい。たしかに自分の思想と照らし合わせたり、真面目に選挙に取り組む人もいますけど、30代40代以降の人でも何となくで参画している人もいます。それに何と言っても!初体験なわけですから(笑)参加してみることが大事で、どれが正解かではなく、自分なりの答えでいいわけだから気負いせずに参加してみてほしい。僕自身が偉そうにお話してしまいましたが、それこそ僕はまだ学んでいる立場です。皆さんからも多くのことを学んでいきたいですし、私も自分なりの確信があって投票できているわけではありません。そういう意味でも是非皆さんには参加して欲しいと思います。山本:実は私はまだ19歳なんですよね(苦笑)しかも今回選挙には参加できないし、(投票の)初体験すらまだっていうところなんですよ。そのなかで、選挙権をもっている人たちが、自分たちがもっている権利を行使しないっていうのが勿体無くて仕方がない。もうね、 選挙に参加できる方々が羨ましい限りですよ。だから、今回せっかく機会があるわけですから、一国民としてこの国をどうしていくか考える上でも選挙権をお持ちの方々には行使していただきたいと思います。斎木:そうですね。若い人が投票にいかないと、どうしてもシルバーデモクラシーになっちゃいますから。山本:是非、選挙には参加を!斎木:とくに若い人は!僕も含めて。笑 今回色んな話がでましたけど、私はまだまだ未熟者であり、学んでいる途中なので、暖かく見守っていただきたいなと思っています(笑)自分自身も正すべきは正して、反省すべきは反省していくつもりです。今回は山本さんとお話できて、後輩とは思えないほどしっかりされているので学びも多かったですし、今後も学び続けていきたい思いです。山本:いえいえ。斎木さんとは今年の夏に一緒に講演して以来、何かと関わりがあるんですが、来年の4月にも愛知で一緒に講演する予定があったりと、今後もそういう機会が増えてくると思いますので、どうか皆様、応援のほどよろしくお願い致します。斎木:ほんとうに期待の後輩です(笑)山本:いやいや、ほんとうに期待の先輩です(笑)というわけで今日はありがとうございました!

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    若者は政治に何を望んでいるのか

    「若者と政治」。私たちの世代の政治観は、他の世代の方々にまで届いていない気がする―。そんな疑問を抱くのは、iRONNA特別編集長の山本みずき。今の若者は政治に何を望んでいるのか。投開票を明日に控えた衆院選を前に、改めて「若者と政治」というテーマを考えたい。

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    デフレ世代からみる解散決意の違和感

    若者と政治をつなぐ」をコンセプトに活動中。18日夜に安倍さんが解散を正式に発表。正直まさかの、師走の総選挙へと。「若者と政治をつなぐ」活動を続けている自分としては、なにかを仕掛けなければならない。若者が選挙を、民主主義を、そして日本を作っていく状況へと進めたい!とは思うものの、正直まだ気乗りがしていない心境です。なぜ、解散総選挙を行わなければならないのか、腑に落ちていない。昨日の安倍さんの解散表明会見で少しでも、腑に落ちる理由があればと思っていました。結果としてよくわかってないのですが・・・わかってないとか言ってる場合じゃなくて、自分から主体的に争点や解散の意義は見い出していかないとだめだなと考えていますが。”デフレあたりまえ”世代としてさて、今回の選挙の意義に直接というわけではないのですが、1986年生まれ、28歳の若者として、今回の選挙をどう見るべきかについて、非常に気になる発言を安倍さんが会見でされました。15年間苦しんできたデフレから、脱却するそのチャンスを、皆さん、ようやく掴んだんです。このチャンスを手放すわけにはいかない。あの暗い、混迷した時代に、再び戻る訳にはいきません。 自由民主党のホームページ物心ついてからほとんどが、安倍さんから見ると”暗い、混迷した時代”だったんだ・・・俺としてはそうは思わない。そして、同世代の多くもそうは思わないだろう。「バブルやら好景気を知らない世代としては、産まれてきてから今までの社会状況は当たり前。」よく感じるし、同世代でもたまにこのような話は出る。だから、「あの時代が良かった」「ずっと不景気で育ってきて大変だね」って上の世代の方にいわれても、正直何のことやらわからない。だから、いまが暗黒時代とは思っていない。なので、安倍さんの決意は全くしっくりこないわけです・・・満足している若者この傾向は、各調査でも明確だ。厚労省が25年春に行った調査では、15歳~39歳の若者の6割以上が現在の生活に満足していると回答。若者の意識に関する調査より内閣府が今年5月に行った調査でも20代の現在の生活に対する満足度は他の度の世代よりも高く、実に80ポイント近くである。国民生活に関する世論調査若者世代と安倍さん世代・政治家の意識のギャップを埋められるかなので、安倍さんが一世一代の決意で、”暗い、混迷した”時代を抜けるために、消費税の再増税も見送り、今回の解散をしたという説明は、腑に落ちないのである。そして、腑に落ちないまま、つまりは若者世代と解散の意義・選挙の争点のギャップが残ったまま、選挙に突入すると若者には響かない選挙になるのだろうなと、危機感を感じている。若者と安倍さんの感覚のどっちが正しいという議論ではない。俺らも安倍さんもともに正しいし、ともに相手からすると腑に落ちないんだろうな。ただ、その相手の気持ちの根本の差を前提に、そしてその差をうめていくための、議論を進めていく必要があると思う。若者も将来の日本に不安をおぼえている先述の「若者の意識に関する調査」にはこういう質問項目もある。「日本の未来は明るいか」この質問に肯定的に答えた人はわずかに19.2%。当然なのだが、若者が現状に満足していようが、日本の未来を何とも思っていないわけではない。少子高齢化・人口減少社会への懸念は大いにある。その懸念を打破するため、日本の未来のために待ったなしであった、消費増税が延期されたことをどう若者が捉えるのか。「消費再増税」とりやめの選挙であるということが、どれほどの若者に響くのか。

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    「若者の政治離れ」のウソ

    ってみよう。 次のグラフは、公益財団法人「明るい選挙推進委員会」が公開している、年代別の「衆議院議員総選挙年代別投票率の推移」(http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/)である。  これをみても分かるように、若者(特に20代)の投票率は、過去(1960年代)とくらべて、長期的に明らかに低下しているのが分かる。しかし注意しなければならないのは、全年齢における投票率は、過去から現在まで、ゆっくりと長期低下(特に平成期)している、という事実だ。 つまり、「投票しないこと」を「政治離れ」と定義するなら、「日本人全体の政治離れが進む中、特に若者についてはその度合いが大きい」という風に解釈するべきだ。ところが一方で次のような統計もある。日米英仏韓の主要5カ国の青年(18-24歳)のそれぞれ各1000人を対象に実施した国際的な意識調査である「世界青年意識調査」の最新統計(第8回・内閣府)によると、政治に「非常に関心がある」は日本=11.7%で、米国=16.4%に次いで高い数値であり、政治に「まあ関心がある」と合わせると日本=57.9%で、主要5カ国の中で最高であった(最低は英国の32.2%)。 このように、日本の若者は「政治には比較的強い興味を持っている」が、しかし「実際の投票行動には繋がっていない」という実態が浮かび上がるのである。 ここからは、「若者の政治離れ」ではなく、むしろ「若者の投票行動離れ」という現実が判明する。どうも、若者が政治に関心がないから投票所に行かない、のではなく「政治に関心はあるが、投票所には行かない」というのが正解に近いだろう。この原因は、まったく制度的な原因に求められると、私は考えている。 つまり、選挙システムそのものが、若者の要求に答えていないのではないか、という疑問が浮かぶ。例えば地方から上京して、一人暮しをしている大学生が投票行為に及ぶ場合、住民票の所在地に投票権利を有するため、一人暮しをしている(生活実態のある)現住所では投票ができず、住民票上の自治体の選挙管理委員会に「遠隔地投票」の手続きを申請しなければならない。 この手続は至極煩雑で、自治体によっても異なるが郵送によって申請しなければならない場合が多い。実際、私もこの制度を利用して遠隔地に投票したことがあるが、選挙管理委員自身も不慣れな場合も多く、書類をたらい回しにされ、危うく投票そのものの意欲が無くなりそうになった。 私が大学生だった時代、周囲の友人・知人の中で「政治には関心があるが投票所には行かない」という人間の、ほとんどすべての理由がこの「遠隔地投票」である。わざわざ元住所の住民票を請求したり、地域の選挙管理委員会に申請用紙を請求したりするのは、よほど奇特な人物ではない限り行わない。この硬直したいわば「住民票主義」のようなシステムを正し、生活実態の存在する自治体で投票行動が可能になるように、法改正するだけで、若者の投票率は随分と変わってくるだろう。 更には、硬直化した投票日や投票時間の問題がある。普通、投票日は日曜日の朝から夜の8時までであるが、それは「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」のライフスタイルを中心とした考え方である。 これだけ非正規雇用が拡大し、若者の多くが親からの仕送り額の減少などに悩み、アルバイトなどを兼任している現在、若者のライフスタイルは多岐に及んでいることから、投票曜日と時間は拡大されて然るべきだ。 投票日数を二日間などに拡大し、24時間に近い形で開放すれば、これも若者だけではなく、全年齢において投票率は格段に向上するだろう。あるいは投票日を祝日にすることなど、法で別途定めるようにしても良い。 投票所の多くは市役所や小・中学校に設置されているが、地の利の不便な場合もある。可処分所得の減少で格差の犠牲になりがちな若年層は、必然自家用車の保有率が少なく、投票所への来所はかえって困難な場合もある。小・中学校の多くは、駅から遠い住宅地の中にあるからだ。 よって、既存の公的施設を転用した臨時投票所の増設や、空港や駅などJRや私鉄、航空会社と連携した投票所開設も有効ではないか。各所に電子認証端末を設置し、住民基本台帳カードによる本人確認が普及すれば、やはり投票率は劇的に改善されるだろう。 現代人のライフスタイルの多様化は、明らかに現行の投票制度から齟齬をきたしている。通販サイトで注文した商品がその日に届くことが当たり前になりつつある中で、投票システムだけは何十年も前の、ハガキ持参と鉛筆書きという、旧態依然としたものに留まっている。これだけ実態と制度が乖離しているのに、それが投票率に作用しないと考えるほうがおかしいと思う。「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」という、日本人の生活や働き方のスタイルは、過去のものになりつつある。その証拠に、「期日前投票」の利用者総数は、選挙の毎に拡大の一途をたどる傾向がある。「日曜日に、決められた場所に、決められた時間に行くことができる人間」は、この世界の中でどんどんと減っている。 その変化に、システムは全く対応していない。「模範的な勤労者」が存在することを前提とした日本のシステムの弊害は、選挙制度にとどまるものではない。年金や健康保険など「模範的な勤労者」が強固に存在した時代に想定された制度の多くに、歪や問題が指摘されているのは周知のとおりである。 住基カード1枚を持って、ふらりと東京駅で投票してから、道後で温泉に浸かりながら選挙速報を観る。そのような時代が到来した時、「若者の政治離れ」というフレーズは消えてなくなっていることだろう。

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    原発を推す短・中・長期の合理性

     言いにくいことでもはっきり言いたい。それもメディアの一つの使命ではないか―― そんな書き出しで始めた『WEDGE』2013年9月号の特集記事「今こそ原子力に舵を切れ」は、かなり大きな反響があった。即時原発ゼロ、踏み込んだとしても将来的な原子力ゼロあるいは原子力比率の低減を掲げる意見が多い中で、なぜあえて「原子力推進」の論調を張ったのか。一言でいえば、それこそが子孫に対する責任だと考えたからだ。 特集記事のなかで、賛否両論、様々な意見をいただいた記事をここに再掲する。◇ 「なぜ民主党のエネルギー政策をリセットしないのか」と題した記事で取り上げた、燃料費増年間3・8兆円の詳細は図9の通りである。 ただただ資源国に垂れ流されるだけのこの国富を抑制する手段は原発再稼働しかない(節電などで電力需要を無理に抑える方法は経済や生活に与える影響が大きい)。石油輸入額激増のインパクト 内訳を見ると、燃料費増3.8兆円の3分の2を石油が占めていることがわかる。震災前、原子力、石油火力、LNG(液化天然ガス)火力はそれぞれ総発電量の約3割、約5%、約3割を占めていた。現在、原子力は大飯原発だけなので約2%まで落ち込んでいる。差の28%は、LNG火力と石油火力が半分ずつ受け持つようなイメージになっている。 図11にあるように、石油火力は発電コストがべらぼうに高い。電力会社も極力使いたくないのだが、他の発電設備を使い切っているため、使わざるを得ないのだ。石油火力が燃料費増に大きなインパクトを与えている。 震災前のデータだが、図10のとおり、石油の中東依存度は約9割とかなり高い。LNGも、カタール産の輸入を増やしているため、中東依存度は上昇している。中東に依存した石油やLNGに電力供給の枢要な部分を委ねてしまっている(しかももう代わりになる発電設備はない)現状は、かなり危ない状況と考えるべきだ。イスラエル情勢もイラン情勢も決して安定していない。 また、膨大な燃料輸入は国の貿易収支はおろか経常収支まで赤字に追い込んでおり、投資家の日本国債への信認の基礎も大きく揺るがしてしまっている。消費税上げも重要だが、この輸入燃料費をいかに抑えるか、つまりいかに早く原発を大規模に再稼働するかは、国家としての喫緊の課題である。発電コストと価格変動の感受性 以上は短期的な視点だが、中長期的視点から見ても、日本にとっての原子力の必要性は変わらない。 まず、発電コストである。この数字は過去の実績値から弾いた数字ではなく、いま新たに建設したとしたら発電量1kWhあたりでどちらが安いか高いかが把握できるコストである。 図11を見ると、脱原発を推し進めたい民主党政権下で弾かれた数値なのだが、原子力が依然としてもっとも安い電源であることがわかる。この単価には、原子力の事故費用として5.8兆円が既に盛り込まれて、事故の損害額が1兆円増えるごとに発電コストが0.1円上がる計算だ。つまり、事故費用が16兆円規模であれば、発電コストは1円増加し9.9円(石炭火力とLNG火力の間)となるし、26兆円規模であれば10.9円(LNG火力の少し上)となる。 事故費用を織り込めば原子力と火力の発電コストはほぼ同等ということだが、考えなければならないのは、燃料費変動に対する感受性である。図11のとおり、火力の発電コストの多くは燃料費のため、燃料価格の変動をもろに受ける。とくに、LNG火力と石油火力は燃料価格に対する感受性が高い。逆に原子力は燃料費の比率が非常に低いため、燃料価格への感受性はほとんどない。しかもそもそも原油価格とウラン価格では変動幅(ボラティリティ)が全く異なるため(図12)、両方の要素で原子力の安定性は捨て難い。 全ての資源を輸入している日本がもっとも重視しなければならないのはエネルギーセキュリティだろう。考えうるどんな危機が訪れても安定供給を確保するには、化石燃料に強く依存するのは避けるべきだ。原子力は、オイルショック以降発電量が大きく伸ばした。その経験を忘れてはならない。 さらに、原子力には資源備蓄の優位性もある。同じエネルギーを得るための体積が化石燃料に比べて圧倒的に小さいため、ウランは備蓄に向くのだ。海水ウランという可能性もある。 図13にあるように、エネルギー自給率の低い国は概ね原子力に熱心である。中期的な観点で見ても、少資源国にとって原子力の合理性は揺るがない。人類の未来と原子力の位置づけ さらに長期的な視線でみればどうか。世界の人口は2050年には96億人に達すると言われている(図15)。この100年の人口の増加とエネルギー消費量の増加は、人類がかつて体験したことのない異常なゾーンに入ってきている。日本が新興国などに対し、相対的な地位を低下させていくのが確実といわれているなかで、化石燃料をこれまで通り確保していくことは本当に可能だろうか。 そういう現実を直視しているからこそ、世界の国々は福島事故後も決して原子力を捨ててはいない(図14)。米国で開発された軽水炉技術は、長い時間をかけて、日本企業が自らのものとして磨いてきた。名門・米ウェスチングハウスは東芝が買収し、米GEは提携した日立の力を必要としている。 トラブルに陥っても放射性物質を原理的に外に出さない次世代炉の開発が世界中で進められている。26〜28頁で書面インタビューに答えてくれたロバート・ストーン監督のように、地球環境保護や途上国の未来のために、日本の原発技術力に期待する声もある(参考記事「なぜ環境保護派が原子力を支持するのか」。 だが、資源を生み出す夢の技術である高速増殖炉では、日本が世界の先頭を走ってきたが、世論の強い抵抗を受けているうちに、ロシアや中国などに巻き返され始めている。 福島第一原発事故があったから、この技術体系を丸ごと捨ててしまうというのは、人類の未来に対する責任から逃げることになりはしないだろうか。 スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故の直後に、当時のレーガン米大統領が発した有名なメッセージを紹介しておきたい。 「私は、スペースシャトルの発射の生中継を見ていたアメリカの児童・学生の皆さんに申し上げたいことがあります。 私は、この事実が皆さんにとって受け止め難いものであることを理解しています。しかしながら今回の事件のような悲痛に満ちたことが時として起こってしまうのです。今回の事件は探検と発見の道のりの一部なのです。未来は臆病さに基づくのではなく、勇敢さから招来するものなのです。 チャレンジャー号の乗組員たちは私たちを未来に導こうとしていました。ですから、私たちは彼らの後を追って継続していくべきなのです。 私は常に、わが国の宇宙計画に対して絶大な信頼と尊敬を抱き続けてきました。そして今日発生してしまった出来事によってその想いが萎むことは一切ありません。 私たちは自分たちの宇宙計画から耳目を背けることはしません」。(Wedge編集部)   

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    民主党のエネ政策をリセットしない訳

     どちらに転んでも不人気にならざるを得ないテーマが争点化するのを避けているのか、安倍政権は発足以来、とくにエネルギー政策について歯切れの悪さが目立つ。民主党の政策が事実上継続されており、このままではエネルギー政策で投票先は選べない。不都合な真実を糊塗して国民を騙すばかりの民主党政権のエネルギー政策は、誰かが早くリセットしなければいけない。参議院選挙明けの安倍政権に対し、エネルギー政策の棚卸しを強く求めた『WEDGE』2013年9月号の特集記事を再掲する。 2013年9月1日から東北電力、四国電力、北海道電力が家庭用の電気料金を7.7〜9.4%引き上げる。12年9月には東京電力が、13年5月には関西電力、九州電力が既に値上げを実施している。 値上げの原因は、原発停止分を代替している火力発電の燃料費だ。火力発電は全体の約9割に上っている。経済産業省の電力需給検証小委員会の資料によると、13年度の原発停止による燃料費増は3.8円。これがそのまま電気料金にはねかえれば、1kWhあたり約4円の上昇となる。震災前の平均原価は1kWhあたり16円強だから、電気料金は約25%上がってもおかしくない計算となる。 しかし、6社の値上げ幅は、家庭用で約7〜9%、産業用で約12〜17%に留まっている。これだけ差があるのは、経済産業大臣の「査定」で約2〜3%原価が削られたこともあるが、もともとの値上げ申請が、ある程度の原発再稼働を織り込んでいるためだ。最初に値上げ申請した東電が前提にしていたのは、柏崎刈羽原発が13年4月に再稼働することだった。実際は13年度中の再稼働ですら危ぶまれている。 これは他の電力会社も同様だ。11年度から13年度までの9社の燃料費合計(一部推計)と、手当てできている原価算定分を比較すると図1に示したような開きがある。各社は他経費の削減でも間に合わず、合計で1兆円台の赤字を出して燃料費を賄っている。電気料金は再稼働を織り込まずに値上げせよそうしなければ原子力停止の痛みがわからない 7月に新規制基準の適合性審査が始まったが、審査には約半年かかると言われている。第一陣でも今年度末の再稼働となると、各社は今年度も大幅赤字になるだろう。 本来、脱原発を進めるのならば、その分の電気料金値上げを国民に引き受けてもらわなければならないはずだ。つまり、まず電気料金を約25%(多少査定したとしても少なくとも約2割は)引き上げるべきだったのではないか。そうして初めて、脱原発のコストが明らかになり、国民が正しく選択することができる。 民主党政権は、この電気料金の大幅上昇が国民の眼にうつらないよう、現実を糊塗し続けた。原発事故の対応や賠償で資金が不足し、値上げを真っ先に行いたい東電に対し、実質国有化と時期を同じくすることで厳しいリストラと査定を飲み込ませた。総合特別事業計画として14年3月期の黒字化を絶対条件とするために、柏崎原発再稼働を認める気もないのに計画として織り込ませる。東電の値上げ申請と査定は他電力のひな型となり、まるで燃料費増をカバーできない中途半端な値上げが続いているのである。 電気料金が2割上がれば、経済に与える影響は大きい。政局は消費税を3%上げるかどうかに注目が集まり、税上げが景気を冷やすことを心配する意見があるが、税収はいずれ国内を循環する。資源国に垂れ流される3.8兆円と、それに伴う電気料金の上昇のほうが余程問題のはずだ。原発を止めても、停電にならず、電気料金が1割弱上がっただけだと受け止めている国民は多い。脱原発のコストをきちんと認識してもらうことが必要だ。民主党政権の世論迎合と事実隠し米国に止められるまでその現実性のなさに気づかない 民主党政権の行った世論迎合と不都合な事実の糊塗は枚挙に暇がない。  ひとつは、原子力事故の責任は東京電力が第一義的に全て負う、としたことだ。原子力損害賠償法が不明確だったということもあるが、巨大な天変地異の際に適用とするとなっていた「ただし書き」を適用せず、東京電力の無限責任で押し通した(図2)。 その結果、賠償も除染も、国有化された東電が超長期に亘って少しずつ電気料金で弁済していく形となり、無規律な状況に陥っている。国でも民間でも、責任ある主体が賠償や除染の責任を負っていれば、どこまで支払うべきかという議論が巻き起こり、一定の合理的な水準が導かれるだろうが、ゾンビ状態と化した国有化東電にその歯止め役は期待できない。その結果、1mSvという除染目標を細野豪志環境相らが無責任に口走り、福島の帰還や復興を逆に遅らせている。 原発事故対応の不手際への批判をそらしたい菅直人首相(当時)は、自らの生きる道を「原発ゼロ」に定めた。中電浜岡原発への停止要請、九電玄海原発の再稼働中止、法的根拠のないストレステスト義務付けなど、「超法規的措置」を重ねに重ねて原発を全面停止に追い込んだ。 さらに、原発の代替は現実には火力発電なのに、再生可能エネルギーへの期待感を煽ることでその現実をごまかした。自らの首と引き換えに「再エネ固定買取法案」をぶち上げ、固定価格買取制度(FIT)を導入する。 続く野田佳彦政権は、2代前の鳩山由紀夫首相がぶちあげた温室効果ガス25%削減と、1代前の菅首相が掲げた脱原発を同時に満たすために、原発の発電量を再エネが代替するという明らかに無理のあるエネルギー計画を立て、「革新的エネルギー・環境戦略」と呼称した。これは革新的でもなんでもなく、「原発ゼロでも経済成長」と詭弁を弄し(図3)、経済成長率を抑え再エネを現実感なく大量導入することで辻褄を合わせるという、お粗末なエネルギー計画だった(図4、5)。 結局、米国に核燃料サイクル施策と脱原発戦略の不整合を指摘される始末となった。2030年代に原発ゼロを謳った革新的エネルギー・環境戦略は、「柔軟性をもって不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という中途半端な形で閣議決定することとなった。自らの責任を問われないようにするための発送電分離「電力叩き」に騙されてはいけない さらに、枝野幸男経産相(当時)は、電力会社に国民の眼を向けさせるために、発送電分離(電力システム改革)を推し進めた(図6)。まるで電力料金が上がるのは、電力会社のムダの多い総括原価方式のせいだといわんばかりに、電力自由化を進めれば電気料金が下がるかのようなイメージを喧伝した。しかし、欧米の先行事例を見ると(図7、8)、決して自由化で電気料金下がるわけではない。そもそも、自由化は発電部門に余裕があって競争を促進すべきときに導入する施策であって、現在ほど電力需給が逼迫しているときに推進すべき政策ではない。 菅政権の「原発ゼロ」戦略は、一応閣議決定されたエネルギー計画として、あるいはFIT法、発送電分離として、さらには新規制基準に埋め込まれた40年廃炉条項や活断層条項として、あちこちにタネがまかれている。この不合理で著しく高コストな一連のエネルギー政策を根幹から一新すべきだ。そうしないと、タネから出た芽がアベノミクスに絡みついてしまうだろう。(Wedge編集部)   

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    沈黙の原発 詭弁と無策が国を滅ぼす

    師走の衆院選はいよいよ最終盤を迎えたが、いまだ盛り上がりに欠けている。「アベノミクス」だけが注目争点と言われる中で、特にかすんでいるのが原発政策である。世論の反対が多いテーマだけに各党とも歯切れが悪い。争点化を避ける選挙戦にあえて直言します。原発なくして日本の未来はありません。

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    なぜ環境保護派が原子力を支持するのか

    映画『パンドラの約束』特別インタビュー――福島の事故をどう見ていますか。 「パンドラの約束」の製作中、私は福島の避難指示区域を訪れ、自分自身の目で、そこで何が起きたのかを確認しました。気候崩壊を防ぐ取り組みに必須なエレメントとして、原子力エネルギーを支持する立場のひとりとして、福島を訪ねることは、ひどく心がかき乱される思いでした。端的に言って、福島原発事故は決して起こってはならないことでした。また、事故を引き起こした人為ミス、すなわち不十分な防波堤と海抜の低い位置に非常用の発電機を設置していたことに対する説明や謝罪はみられません。ロバート・ストーン監督 ((c)フィルムヴォイス、以下同) 日本各地の原子炉は、千年に一度という最強レベルの地震の中でも特段問題ありませんでした。一歩前に進み、このことが思い出されなければなりません。 福島の発電所だけが唯一、津波によって破壊された後に、惨事に見舞われました。WHO(世界保健機構)とUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は原爆が投下された広島と長崎で生き残った人々の健康状態を、およそ70年に亘り調査し、福島での放射線放出による被曝によって健康上の悪影響を受けた人はおらず、また今後についても、何らかの健康被害が認められることは非常に考えにくいと結論付けました。 反核グループは、当然これらの見識に異議を唱えるでしょう。なぜなら、彼らがこれまで40年間作り上げてきた、「核関連の事故がもし起きれば、この世の終わりのような大惨事となる」という説を否定することになるからです。 この主張こそ、彼らが原子力エネルギーに反対する所以であり、彼らは決してその主張と矛盾する科学的な証拠を受け入れません。彼らは、その政治目的を達成するため、民衆が原子力エネルギーを恐れるよう仕向ける必要があります。日本国民の多くは、ほんの少しであっても放射線量が上がることを恐れており、それは彼らの思うつぼです。 私は、避難指示区域のすぐ外にある街を訪れましたが、そこの親たちは子供たちが屋外で遊ぶことを許しませんでした。断じて、です。放射線量は、世界の多くの地域の元々の放射線量より低い数値でした。しかし親たちは、反核の人々やメディアから得た情報で子供たちの健康を慮り、放射線を恐れていました。 苦しんでいるのは誰でしょうか? 二度と外で遊べないかわいそうな子供たちや、(多くの場合、必要以上に)ふるさとに戻ることを恐れている家族たちです。 反核グループは、チェルノブイリについても同様の主張を展開しました。100万人以上の人々が悲劇的な災害のために命を奪われた、と言い募ったのです。国連によって行われた最高レベルの疫学的研究が、チェルノブイリ原発事故が直接の原因で亡くなったのは、長い年月を経た後の今日でさえも、たった56人であったと指摘しているにもかかわらずです! これは異常なことですが、真実として起きていることでもあるのです。 放射線は、極めて弱い発がん物質であることが分かっています。身体へのダメージを与えるには、かなり高い線量─福島の避難指示区域内で認められる線量よりはるかに高い─を要します。我々は、福島の避難指示区域内とその周辺で測定しました。そこの放射線量が、基準より高めであることは疑う余地のないことです。私は、持ってきた線量計で、自分自身の目で確認しました。信じがたいことかもしれませんが、わずかな数のホットスポットを除けば、その線量は人が身をさらしても健康を脅やかすレベルにはありません。放射線量のレベルは、重要な論点です。リンゴにさえもシアン化物が含まれていますが、含有量は低く、人体には無害です。 メディアは、恐怖心を煽ることで人々の注目を集め、視聴率をたたき出し、繁盛しています。何かが、「実はそれほど危険でない」と伝えることは、ニュースではないのです。悲しいことに、日本の原子力発電の所管当局は国民の信頼を失っており、人々が最悪の事態を信じる傾向にあることが見て取れます。これは2011年3月の、日本の難局における、特に東京電力のリーダーシップの大いなる失敗だといえます。 文部科学省や資源エネルギー庁は、国民の信頼を回復する必要があります。彼らは、調査結果の科学的な裏づけを国民に説明するとともに、良いニュースと悪いニュースの双方を、誠実に開示していく必要があります。それによってのみ、彼らは信頼を取り戻し、恐怖心を煽る輩を駆逐することができるのです。――日本では、環境保護派、リベラル派の多くは原子力反対です。なぜ監督は原子力推進に転換されたのですか?燃料再利用型の原子炉を推奨するチャールズ・ティル氏 再生可能エネルギーが、それ単独では決して化石燃料に代わることができず、化石燃料を燃やし続けることが我々を恐ろしいスピードで気候崩壊へと向かわせていることに気づいたとき、私は原子力エネルギーについて考えを変えました。 この気づきは、私たちに、これまでと異なる視点をもたらしました。私たちは、気づかされた危機感の本質を、環境的な見地から調査することにしました。 もし、本当に正確な視点から、精査され公表された科学的事実を見るならば、生産効率の点で原子力が風力の次に安全なエネルギー生産方式であることに気がつくはずです。また、放射性廃棄物の問題についても、むしろ単純な技術的解決方法があり、我々が既に、構造上、物理的にメルトダウンが不可能な、先進的な原子炉の設計手法を知っていることもわかるでしょう。 私は日本の人々に、世界最高の、最新鋭の原子炉─ゆるぎない安全性を備え、モジュール式の原子炉を有し、排出した廃棄物を自ら処理することができるような─を開発するために、その特筆すべき技術力を発揮することを勧めたい。 それこそが、福島で起きてしまった悲劇の遺産を正面から受け止め、日本経済を蘇らせるために、また気候変動を抑止する取り組みにおいて日本が国際的なリーダーシップを発揮していくために最善の方法なのではないかと思うのです。――日本の反原発派は、福島の事故による汚染、そして高レベル廃棄物のことを考えれば、原子力はクリーンでもなく、安価でもない。経済発展のために、そんな危険なものを子孫に残してはならない、と言います。どう思いますか?環境保護主義者のマークライナス氏(右)も原子力推進へ「転向」した 世界中では、およそ440の原子力発電所が稼動しています。我々はおよそ50年の間、商業用の原子力を保持してきました。その間に、世界では3回の原子力事故が起こりました。スリーマイル島、チェルノブイリと福島です。国連の最も信頼できる科学的見識によると、人の死や放射能による発病が起こったとされている唯一の事故はチェルノブイリです。設計が不完全なソビエト連邦時代のプルトニウム施設で、正気の沙汰とは思えない判断によって突然引き起こされた奇妙な事故です。つまり、概して原子力には、稼動から30年以上が経過した原子炉においてさえも、むしろ注目に値するほどの安全な稼動実績があるのです。 放射性廃棄物の問題は、重大なものではありません。放射性廃棄物の量は少なく、そして、化石燃料の排出物とは異なり、それは全て貯蔵され、所在が確認できます(管理できます)。この放射性廃棄物が数千年の間も放射性を保持する間、それらは次世代原子炉の燃料としてリサイクルされ、再利用することができます。この再利用のプロセスが完全に終わった後に残される廃棄物は、たった200~300年の間放射性を有するだけです。 つまり、これはまったく技術的な課題でも、道徳上の問題でもありません。単に政治の問題なのです。もし、あなたが将来の世代の幸福や健康を気にかけるならば、あなたの一番の懸案は、可及的速やかに二酸化炭素の排出を減らすことでなくてはなりません。二酸化炭素は、我々が子孫へ残している有害な遺産です。それに比べ、放射性廃棄物はとるに足らず、簡単に処理できるのです。――ビル・ゲイツ氏が資金を出している次世代原子炉など、イノベーションで原子力はより安全になるでしょう。しかし、反原発派は必ず事故は起こる、人類は核エネルギーを制御できないと言います。人生のほとんどを環境保護運動に費やしてきたスチュアートブランド氏も「転向」組 我々は、激動する技術革新の中を生きていますが、それは核テクノロジーにも影響を与えてきました。しかし、核反対を謳う活動家たちは、1960年代(福島原発が作られた時代)に開発された原子炉技術のみに言及し、それ以降に築き上げられてきた相当な進化については無視します。確かに、それら進化した技術は、今日ようやく商業化(実用化)されはじめたばかりではありますが…。 事故が絶対に起こらないと言うことはできません。しかし、仮に事故が起こり、もしその事故が福島第一原発のような、古い60年代の原子炉で起こったものだとしても、その結果が、反核活動家たちが声高に叫ぶ大惨劇ではないことははっきりしています。身の安全を確保するためにふるさとを離れた人々にとっては、事故はとても恐ろしい状況です。 しかし、我々はリスクに対して現実的な見方をする必要があります。現代文明の利器(=原子力発電)を推進することには、リスクがついて回ります。しかし、化石燃料を使うことのリスクは、先進の原子力エネルギーに頼ることで生じるリスクをはるかに上回ります。化石燃料による汚染によって、毎年300万人が亡くなっていると推定されます。毎年です。それに比べ、商業用の原子力による死者として確認されているのはたった56人のみであり、そしてその全ては(設計に欠陥のある施設で異常な判断ミスのあった)チェルノブイリで起きたものです。――米国ではシェールガス革命が起きていますね。原子力より化石燃料に風が吹いているように見えますが。 私には日本の状況は分かりません。しかし、気候変動の問題については、世界中の大変多くの若者たちが高い関心を寄せています。気候変動の結果は、年を追うごとにより明確にあらわれてきています。アメリカにおいて、ガスが潤沢にある安い燃料であろうことは確かですし、それが原子力を含むエネルギー源のあらゆる選択肢に、とって変わろうとしつつあることも事実です。 私は、それほど遠くない将来、アメリカは中国から先進のモジュール型原子炉を購入するのではないかと思っています。そして日本もまた、同じことをするのではないでしょうか。――太陽光や風力など再生可能エネルギーに頼ることはできませんか。 風力と太陽光は、エネルギーミックスに重要な役割を果たしており、場所によっては他の技術より、これらの発電方法に適している地域もあります。しかし、問題の鍵は、それらが化石燃料に代わることができる地点まで来ているかどうか、単純には測ることができないという点です。原子力とは異なり、再生可能エネルギーを使用するために電気システムをネットワーク化するとなると、化石燃料に置き換えて使えるレベルで実用化し、運用していくためには、エネルギーインフラ全体の完全な再構築が必要になります。これは莫大な投資であり、実際に実行に踏み切った国はまだありません。 また、再生可能エネルギー源(風や日光など)の確保が確実でない時のためのバックアップとして、我々は旧来の化石燃料インフラを引き続き維持していく必要もあります。これらは、再生可能エネルギーが実際に化石燃料にとって代わるのを妨げている深刻な問題であり、すぐには解決しそうもありません。他の国にも増して風力と太陽光に多く投資(20年間、数千億)したドイツでさえも、今日の電力供給源の割合は太陽光が5%、風力が7%という状況です。彼らはまだ石炭の生産能力も拡大させており、原子力発電所を廃炉にするという判断のおかげで、彼らの二酸化炭素排出量は実際に増えています(日本もそうであるように)。 風力と太陽光は、かつては大規模に発展しましたが、相当な数の反対意見にも直面しています。風力と太陽光で、全ての電力を供給できるため、原子力は必要ないという議論は危険な絵空事です。もしその説が真実ならば、数多くの良識ある人々が原子力発電を発展させ、支持しようとする必要はまったくないはずです。 私は、個人的な利益関心のために、原子力推進を唱えているわけではありませんし、原子力それ自体には関心がありません。私が原子力を推進しようと思うのは、それが、死や疾病を引き起こし、海の水を酸性に傾かせ、気候が制御できないほど乱れ始めている原因である、化石燃料の使用を締め出す唯一の手段であると気づいたからに他なりません。 この数十年に亘り、反核の活動家たちによって提示されてきたあらゆる定説や神話にかかわらず、原子力ははるかに優れた選択肢です。60年代に作られた原子炉が、未曾有の規模の津波によって流されたことで起きた、今回の恐ろしい(そして、防ぐことができたはずの)一回の事故を理由に、完全に原子力エネルギーを断念してしまうのはナンセンスです。 日本は、地球上で最も洗練された最新技術でもって、現在の原子力施設を取り替えることに投資するべきです。このことは、日本のエネルギー供給の自活を維持し、全く新しい輸出産業を発展させ、世界中の羨望を日本に集めるでしょう。 今日の状況のように、化石燃料に立ち返る一方で、エネルギーの自活を決してもたらさない再生可能エネルギー施策に浪費し続けるのはとんでもない大間違いである。私はそう考えています。(Wedge編集部)■ロバート・ストーン監督1958年イギリス生まれ、ニューヨーク在住。初監督作『ラジオ・ビキニ』(1987年)がアカデミー賞長編記録映画賞にノミネートされ高い評価を得る。その後、ディレクター、作家、編集者、カメラマンと幅広く活躍する傍ら、アメリカ史、大衆文化、マスメディアや環境問題などのテーマを独自の視点で鋭く切り取る作品を意欲的に制作。最新作『パンドラの約束』は2013年のサンダンス映画祭で上映され注目を集めた。6月12日より全米で公開。人生のほとんどを反核に捧げてきたにもかかわらず、考えを180度変え、原子力推進を訴え始めた著名な科学者や環境保護運動家、ジャーナリストらに主張の機会を与えている。映画『パンドラの約束』ロバート・ストーン監督問い合わせ先:フィルムヴォイス(株)03-5226-0168 担当:山森   

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    日本の離島が狙われる

    日本の離島が危ない。人口減少による過疎化や高齢化、産業の衰退…。近年では中国やロシアによる軍事的脅威にさらされ、韓国をはじめとする周辺国の土地買収など外資流入も目立つ。国境の離島は今、どんな状況に置かれているのか。iRONNA編集部が対馬より報告する。

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    問われるべきは「信念外交」の成果

    Mich Maruyama(新潟県) 14日の投票日に向け、衆院選各候補の選挙活動は活発化している。 安倍首相は主に消費増税延期の判断、そしてアベノミクスについて国民の信を問いたいとして衆院を解散したが、安倍内閣によって劇的に変化した外交政策も有権者の評価の対象とされるべきだろう。 これまでの外交では、中国、韓国などが日本の政治家の言動、政策等に不満を抱き、首脳会談が開かれない状態に陥ると、特定の政治家、メディアなどが騒ぎ立て、首相の責任を追及するのがお決まりのパターンだった。それに抗しきれず、首相も相手国に言われるがまま土下座外交を繰り返すのが日本外交の歴史だったと言えよう。 しかし安倍首相は、外交においては「友好は手段であり、目的ではない」という持論のもと、首脳会談開催に際して条件を付ける中国、韓国の主張を受け入れず、一方で「対話のドアは常に開かれている」とし、日本は対話に前向きだが、相手国が頑ななのだ、という点を世界に発信してきた。 中国は日中首脳会談開催の条件として、尖閣諸島の領有権を巡る論争が存在すること、靖国神社には参拝しないと公の場で発表することを求めていた。しかし安倍首相は譲らず、逆に中国側は、APECで首相が中国を訪れるにも関わらず、首脳会談を拒み続ければ、中国は国際社会から「失礼な国」と見られることを恐れ、結果として、11月10日、日中首脳会談開催へと至った。中国メディアは、安倍首相からの再三の会談要請を中国側が「聞いてやった」と報じたが、中国が事実上、日本側に突き付けていた条件を取り下げ、首脳会談に応じたのは紛れもない事実だと言える。 ここで重要なことは、第一に、第2次安倍内閣成立以降、上述の首脳会談が開催されるまで約2年間、首脳同士の交流がなかったことで何か不都合があったのか、ということだ。これは対韓国に関しても同様だが、首脳会談が開催されなくても全く問題は生じなかった。 第二に、中韓がいくら日本を非難しようとも、日本が筋の通った対応さえしていれば、理不尽な主張は国際社会では理解されず、逆に国際世論から非難の対象となり得ることも明らかになりつつある。こうした点を浮き彫りにした安倍外交。有権者はこの点も衆院選における評価の対象に加えるべきだろう。 このような安倍首相による「信念外交」と対極にあるのが、尖閣諸島中国漁船衝突事件の際、司法への介入まで行って中国に迎合した、当時の菅首相、仙谷官房長官らによる「売国外交」だろう。そうした愚かな行為は、結局、国益に何ら寄与することなく、むしろ特アを増長させる結果を招いたことは明白だろう。 民主党がいかなる主張を行おうとも、このような政党に国家の安全保障を託せるはずがないということは自明であり、もしこうした勢力に再度この国の舵取りを任せたならば、間違いなく日本国崩壊へと導かれることになるだろう。 民主党はそうした事実には頬かむりをして安倍内閣を攻撃し、あるいは甘言を弄して国民を取り込もうとしているが、主に自身の現状への不満などから、残念ながら一定数はそれを支持するナイーブな有権者がいることも事実だろう。 民主党、あるいはそれに類する左翼政党が政権与党になったとしても、彼らが語るようなバラ色の未来が訪れることは決してない。万一ある個人の生活が多少改善されることがあったとしても、国が外国勢力によって支配され、主権国家足り得ないのであれば、純粋な日本国民が幸せになることはあり得ない。 よく「外交は票にならない」と言われるが、魑魅魍魎が跋扈する国政政治の中で、日本の確固たる地位を維持・拡大していくことこそが、真の意味で日本人の幸福に繋がるものと考える。そういう意味で、有権者は地元の、あるいは目先の利益のみを考えるのではなく(もちろんそれも重要ではあるが)、国益に資する外交を行うことができるのはどの政党、政治家なのかを見極める必要があるだろう。我々の一時の判断が、将来を生きる子供たち、そしてこの国の将来を左右するのだということを忘れてはならない。

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    「靖国参拝党」をつくってみませんか

    平成8年から導入された小選挙区制により、幕を開けたはずの「二大政党」対決の構図が崩れつつある。日本の政党政治はどこへ向かうのか。もし、あなたが「二大政党」を考えるなら、どんな線引きをしますか。

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    二大政党制じゃなくてなぜ悪い!?

    古谷経衡(著述家) 日本では二大政党制というのは中々定着しない。「55年体制」に於ける自民党と社会党だって、二大政党制とは程遠かった。「二大政党」というには余りにも社会党の議席が小さすぎたし、そのせいで政権交代の可能性がなかった。アメリカやイギリスなどは、4~8年位のスパンで、明確に温度差のある二つの政党が交代を繰り返しているが、このようなダイナミック性が日本政治にはあまり観ることが出来ない。 私は日本において二大政党制が定着しないことは、全く悪いコトだと思わない。寧ろ、白黒をはっきりさせず、微温的な支持で政権が選択されること自体は、物事を常に中間で観るという志向が定着しているからで、健全な感覚に近いと思う。 アメリカの共和党や民主党は、個別の政策という以上に、明らかに人生観や倫理観の違いが本質的な対立点になっている。同性婚の是非、人工妊娠中絶の是非云々、というアメリカの保革の両極で熾烈な争点になりがちなイシューは、個別の政策というよりもそれらを支持する人々の宗教観を背景にしたものである。日本にはこのような、宗教観を背景とした人生や倫理を問う話題が、真っ二つに分裂し、そこに党派性が宿るという事例は、ほとんど観られない。 日本で見られる保革の両極による熾烈な激突は、例えば憲法「9条」問題に観ることができるが、実際には9条の改正については、自民党、維新の党、次世代党などが「改憲」、公明党が「加憲」、民主が「創憲」と、現状の国会における議席の、9割近い議席を占める各党が、現行憲法に対して何らかの形での変化を望んでいることからも、実際にはその方法論はともかく、「国論を二分する状態」になっているとは言いがたい。 日本における護憲政党はわずかに共産・社民・生活などの少数野党で、この全部を合計してもかつての社会党の議席にも遠く及ばない。日本の有権者は常に、極端で過激な主張を嫌い、中間的で微温的な意見に耳を傾けているからだ。 それでも、「もし二大政党制が日本で実現するとしたら」を想像するのは楽しい。日本で、両者が激突する熾烈なテーマというのは何だろうか。 例えば「モテ党」と「非モテ党」というのはどうだろうか。前者は異性に不自由しない人々の団体で「一夫多妻制法案」や「重婚解禁法案」を提出する。他方、異性にモテない後者の団体は、「童貞軽減税制」や「クリスマス禁止法」の制定を求める。国会内で大激論が交わされるのは必至だし、時として流血の事態にすら成るかもしれない。 更に進めば「猫党」と「犬党」というのも大きな対立点だ。基本的に猫や犬を飼っている人間というのは、自分の飼っている動物が「世界で一番カワイイ」と信じ込んでいる。そこへきて、「猫飼育優遇税制」、「犬飼育優遇税制」などが提起される。限られた予算を、犬と猫で奪い合うという骨肉の争い。こちらも大紛糾に成るだろう。 少し真面目な話に戻せば、「持ち家党」と「借家党」。これは大きな対立点になりうる。「持ち家党」は固定資産税の減免と住宅ローン減税を求める。持ち家のバリアフリー化や耐震診断や補強工事を100%国が助成せよと迫る。とにかく土地所有者に有利な法整備をどんどん提言する。自身が大家になる場合もあるから、所謂「敷金訴訟」などは、徹底的に大家側の味方だ。 一方、「借家党」は国による公営住宅の増設やURの入居審査の緩和、借地借家法の更なる弾力化と、特定優良賃貸住宅の入居基準の緩和と物件数の拡大などを要求する。「敷金訴訟」では、預けた敷金の倍額を慰謝料で払え、等という無茶苦茶な大家への濫訴も支持する。礼金や保証金を法律で禁止し、「更新料」を廃止し、家賃値上げ訴訟の場合、弁護士費用は無料にしろと主張する。違反した大家や仲介業者には熾烈なパナルティーを課す。とにかく借り主に有利な法整備をどんどん提言する。 恐らく、これこそが最も大紛糾に陥るのではないか。土地持ちの老人と、もたざる若者の間で本格的な世代間闘争が勃発し、全国各地で粗暴事件や訴訟が激増するだろう。 やっぱり、「二大政党制」は無い方がいい。

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    「派閥の政党化」が2大政党制へのカギ

     新聞各紙は世論調査を実施し、衆院選の序盤情勢の調査結果を12月4日、紙面で報じた。「自民、300議席超す勢い 民主伸び悩み、維新不振」(朝日)、「自民300議席超勢い 海江田・菅氏苦戦 民主70議席台も」(産経)と、どこも似たような“自民圧勝、野党苦戦”となった。 実際、各選挙区を取材して歩いても、野党候補が勢いづいているところは皆無に等しい。それどころか、自民党候補でさえも、演説で通行人が立ち止まり、拍手する姿はなかなか見られない。立ち止まって拍手するのは、動員をかけた関係者で、いわゆる“仕込み”だ。 つまり、自民党圧勝は熱気に包まれたものではなく、低投票率のなか早くから地盤固めをしっかりしてきた自民党が抜きん出た格好だ。 第三極は沈没し、民主党は伸び悩んでいる。政党政治としてブレていないのは結局、共産党だけ(だからといって、政権担当能力があるというわけではない)というのが透けて見えるのが分かる。 政権交代を可能とした小選挙区制度。確かに、過去に政権交代は起きたが、非自民党政権は長くは続かず、今回の衆院選でも「民主党はノー」という“民意”が突きつけられそうだ。現在の自民党に反対したいのに、投票先がない、野党で受け皿がない。そんな声をよく耳にする。本来、片方がダメならもう片方に任せようとなるのが、2大政党制の持つ意味だからだ。つまりいまなお、日本には自民党に代わる政権担当能力を持つ政党がないということに他ならない。だとしたら、どのような政党であれば、2大政党制が安定して続けられるのだろうか。 2大政党制に関しては、たとえば外交・防衛のスタンス、経済のスタンスなどで振り分けられる。米国の共和党と民主党は、前者が小さな政府、後者が大きな政府(ざっくりとした分け方ですが)を求めている。はっきりした差異が2大政党制には必要で、現在の日本の与野党ではこの差が分かりづらい。それが2大政党制を困難にしている要因の一つだろう。 たとえば、現在の野党を見てみれば分かりやすい。次世代の党は元自民党の石原慎太郎氏、平沼赳夫氏が先頭で引っ張っているが、石原氏は元青嵐会、平沼氏は元師水会で、いずれもタカ派路線。右寄りの議員が多く、安倍首相に近い。 維新の党は、新自由主義を目指し、地方分権、霞が関改革、議員定数削減などを掲げており、経済政策の面で見れば、より強烈なアベノミクス推進だ。 一方、民主党は複雑だ。リベラル保守の色合いを持つものの、ご存知のとおり支持母体に連合があり、旧社会党系の議員もいることから左寄りの政策も出たり、かといえば、松下政経塾出身者による新自由主義寄りの考えを打ち出すこともある。 生活の党、社民党はイデオロギーで異なるものの、政策面では左寄りで似かよっている。 つまり、左寄りの政策か、極端に右に振れているか、それともどっちつかずかが、現在の野党だ。これでは、非自民党の受け皿が見当たらないという有権者の悩みは当然とも言えるだろう。 つまり、リベラル保守が決定的に欠けている。この解決の道は、「派閥の政党化」がカギではないか。これまでの歴史を振り返ってみれば、自民党の派閥による政権たらい回しだった。非自民党政権を樹立したのも、小沢一郎という元自民党の“剛腕”あってのことだった。つまり、自民党で経験した人が中心となって、違った政党で競い合っていく。 ことさら自民党が優れているということではない。しかし、政権を担当するということは、正論を言う、与党を追及するといったことに腐心する野党では計り知れない調整力と先見性、広い視野と冷徹さが求められる。その学習を、階段を一段ずつ上るようにさせていたのが、かつての自民党の派閥だった。 現在の安倍晋三首相は清和会出身。安倍首相の祖父、岸信介元首相の岸派の流れを汲むもので、親米を基調としながら自主憲法制定を唱え、再軍備に積極的であるなどタカ派色が強い。 一方、リベラル色が強く、政策通を自負しているのが宏池会だ。吉田茂元首相をルーツにし、池田勇人元首相が立ち上げた派閥で、その後も大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一が首相の座に就いた名門派閥である。 タカ派とハト派ーー。憲法改正派と九条堅持派は、米国の共和党と民主党のような小さな政府と大きな政府にも分けられる。保守という点では変わりないものの、双方の“思想”には大きな隔たりがある。 現在の自民党内を見れば、宏池会のほか、田中角栄元首相の木曜クラブを前身とした平成研、三木武夫・河本敏夫の流れを汲み“党内左派”と呼ばれたこともあった番町研など比較的ハト派派閥と、清和会のほかには麻生太郎元首相が会長を務める為公会、石原伸晃前環境相が会長の近未来政治研などがタカ派色の強いグループとされる。 この自民党の派閥が分かれることで、野党もどちらかに加わり、徐々に2大政党に収斂していくことが現実的で一番の近道ではないか。いずれにしても、このままでは閉塞感と失望感だけの政治になってしまう。政治家には、一刻も早く2大政党制への道程を突き進んでもらいたい。そう切に願っている。

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    今回の選挙は「夢想家」と「現実主義者」の対決である

     いよいよ衆院選が公示され、12月14日の投開票に向かって、各党の激しい闘いが始まった。今回の選挙の争点は、「アベノミクス」の是非だそうである。私は、この2年間の安倍政権の経済政策だけでなく、集団的自衛権や特定秘密保護法案等々の是非も大いに議論して欲しいと思う。 しかし、私は今回の選挙を名づけるとしたら、それは「DR戦争」だと思う。Dとは、“dreamer”、すなわち「夢想家」「空想家」の意味だ。Rとは、“rearist”、すなわち現実主義者。つまり、今回の選挙は、「夢想家」と「現実主義者」との対決ということだ。 今年、注目すべきニュースとして、朝日新聞の誤報事件があった。慰安婦報道や「吉田調書」報道で追い詰められた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日に記者会見をおこない、「吉田調書」報道の記事を撤回・謝罪した。 他者に対して謝ることを知らない朝日新聞にとって、前代未聞の出来事である。私はこれを「歴史の転換点」だと思って見ていた。以前のブログにも書いたが、それは戦後日本が、やっと辿り着いた「歴史の転換点」なのだと思う。 いったい、何が歴史の転換点なのか。それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。 その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。 しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。 マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。 しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。 だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。 その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。 彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。 その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。脅威かポンコツか、真の実力が問われる中国の空母「遼寧」(中国国防部HPより) 中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。 私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。 すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。 朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。 集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「rearist(現実主義者)」との対立でもある。 左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。 それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。

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    保守二大政党にしかリアリティーがない

    緊張感の消えた日本政治 日本の政治から政権交代の緊張感が消えました。今般の衆議院選挙の最大の特徴はこれです。野党第一党の民主党も、第二党の維新の党も、本気で自民党に挑戦しているようには見えず、次につなげるための延命に関心があるようです。90年代前半の自民党の最初の下野以来、曲がりなりにも存在した緊張感が失われ、他方で、かつて自民党内に存在した派閥抗争と自民党内の擬似政権交代の緊張感もありません。 民主主義というシステムは、想定可能な代替案が存在しないと機能しないものです。日本の政治はそんな領域へと漂流しつつあります。もちろん、国際環境の構造や、国内経済の現実の制約という時代性を加味すれば、ある一定期間、「この道しかない」ということもあるでしょう。しかし、それが長期的に健全な状況でないことは明らかです。だとすれば、長期的に二大政党制、あるいは政権交代の緊張感を与えるための構造とは何か、ということが大事になってきます。 保守二大政党にしかリアリティーない 日本に安定的な二大政党制が確立したのは大正デモクラシーの時期の政友会と民政党の時代です。権力の中枢であった藩閥との距離感や地域的な偏りなど細かいことはありますが、すごく乱暴に言うとこの二大勢力は、それぞれ「統治利権」と「経済利権」を代表しており、今の感覚から言うと双方ともに保守です。だからこそ、双方が全国的に支持を広げることができたのです。ここで言う「利権」とは、代表される利益や権力基盤という意味です。 日本の地方の実態からすると、そこではいわゆる名望家によるリーダーシップが、明治時代から変わらず、今日に至るまで重要です。地方の首長や地方議会の議員は、地域の有力者であり、大半は経済的・文化的な背景から本質的に保守的傾向があります。日本の選挙制度は、一票の格差や参院選挙区の定数の関係から地方票の影響力が大きくなるように設計されています。結果として、地方の有力者を包含した全国的な組織政党を作り上げるには、保守である以外にリアリティーがないのです。 もちろん、大きな工場が集中して立地され、組織労働者の割合が大きくなった地域では労働界に近い層が力を持つこともありますし、経済的に貧しい階層が集中する地域では左派的な政党が支持を集めやすいという傾向はあるでしょう。しかし、それらはあくまで例外です。 日本という国には、たいへん幸福なことですが、国民の間に深刻なクリービッジ(=分断)が存在しません。これは、明治以来の中央集権化の重要な成果です。二大政党制を安定的に機能させている国にはこの分断があります。英国にとっては階級ですし、米国では人種を中心とする国家像の違いです。そして、この分断が地域的にある程度固定化してしまっています。日本には、これがありません。日本の地方は全部保守で、全部自民です。経済改革を前面に出した野党に期待 自民党の強さの本質は、経済利権と統治利権の両者の上にどっかりと居座っていることです。ですから、日本に二大政党制が確立するかどうかは、野党がこのどちらかを突き崩せるかにかかっています。 経済利権をとりにいくのであれば、政策志向は資本主義重視であり、小さな政府であり、規制緩和や現役世代の負担軽減が重要になってくるでしょう。ただ、通常は小さな政府の主張だけでは有権者の多数を惹きつけられませんので、社会政策や歴史問題などの面で保守的な傾向を併せ持つことになるはずです。 反対に、統治利権を重視するならば、政策志向は大きな政府で反資本主義的で、権威主義的でありながら戦後リベラリズムを擁護する立場となるでしょう。官僚組織とも一定の協力関係を築き上げるような政権です。自民党の議員の多くが二世/三世で経済的にも特権階級化しつつあることを攻撃し、公平な予備選挙を実施したり、女性の比率も高めたりすることになるでしょう。 ここで効いてくるのが国民の中に存在する民主党政権の失敗の記憶です。民主党の中でも、市民運動の流れを汲む方々はムダな公共事業を攻撃し、官僚を攻撃するDNAを持っています。民主党は本質的には統治利権側の政党であるにも関わらず、経済利権的な政治的エネルギーで政権に就いたことに矛盾がありました。それでも、政権を担っている間に、統治能力を発揮できたならば歴史は変わっていたでしょう。歴史に「もし」はありません。日本政治に存在したかもしれない統治利権の側から日本を変えるチャンスは失われました。そのチャンスは、おそらく一世代の間は戻ってこないでしょう。 だからこそ、当面は経済利権のプレッシャーに期待せざるを得ません。経済利権を旗印にした改革は民主党政権では全く進みませんでした。アベノミクスの第三の矢も本当に的を射ることができるか、まだまだこれからです。日本の政治に緊張感を取り戻すためには、野党各党が単なるパフォーマンスの域を超えた本当の経済改革を主張できるかにかかっています。今般の選挙では期待できないとしても、延命したあかつきには、ぜひお願いします。

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    「安倍総理vs財務省」どちらが正しいか

    安倍晋三首相が決断した消費増税先送りは、予定通りの引き上げを主張してきた財務省を首相サイドが抑え込んだ形になった。当面の景気はもちろんだが、財政・税制は世界最高レベルの財政赤字を抱えるわが国の在り方を揺るがす課題でもある。本当にリーダーシップを発揮すべきなのは誰なのか。

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    財務省シナリオ「増税決め安倍勇退、谷垣か麻生首相」だった

     消費増税先送りと解散総選挙が決まった。私が予想した通りの展開だ。 そもそも消費増税は民主党の野田佳彦政権と自民党、公明党による3党合意で決まった。それを合意に加わった自民党の安倍晋三政権がひっくり返すというのだから、あらためて選挙で民意を問うのは、政治的にまったく正統性のある手続きである。 3党合意の増税路線に賛成して自民党に投票した有権者からみれば、安倍政権ができたと思ったら突然、公約を反故にして増税先送りでは納得がいかないだろう。 ところが、一部のマスコミは「増税を決めた法律には景気次第で増税を停止できる景気条項があるのだから、解散しなくとも政権が決めればいい。税金の無駄遣いだ」と解散を批判している。 私に言わせると、こういう批判は政治のリアリズムとダイナミズムを理解していない。解散なしで増税先送りを決めようとすると、何が起きるかを考えればすぐ分かる。 自民党の税制調査会を牛耳るベテランたちは増税断行を強硬に唱えていた。野田毅税調会長は言うに及ばず、麻生太郎財務相や谷垣禎一幹事長も増税派である。 民主党はもともと増税に賛成だ。舞台裏では財務省があの手この手で増税根回しに動いていた。そこで安倍首相が先送りを言い出せば、政権を揺るがす大政局になったのは間違いない。 大手マスコミはほとんど増税賛成だから結局、安倍は先送り断念に追い込まれただろう。そうなったら政権の求心力は低下する一方、景気は悪化するので最終的に政権が崩壊してもおかしくない。 それどころか、増税せざるをえなくなった安倍政権は財務省にとって、もはや用済みである。「総理、ご苦労さまでした」の一言で安倍は谷垣や麻生に交代する。実は、これが財務省にとってベストシナリオだった。 つまり「景気条項があるから、先送りしたいならできるじゃないか」という議論は一見、もっともらしいが、裏に秘めた真の思惑は「安倍政権、さようなら」なのだ。 増税先送りなら政局になるくらいの見通しは、政治記者ならだれでも分かる。それでもなぜ景気条項のような建前論を吐くかといえば、理由は2つだ。 まず、左派マスコミは増税賛成だろうが反対だろうが、とにかく安倍政権を倒したい。その思惑が一致するから、増税賛成派の朝日新聞も反対派の東京新聞も同じように景気条項論を持ち出す。 次に、永田町で暮らす政治記者や政治評論家たちは結局、財務省を敵に回したくない。裏で財務省が糸を引いているのは分かっていても、そんな「本当の話」をずばずば書き始めたら、財務省とその応援団に睨まれる。 財務省は奥の院でマスコミのトップ層とツーカーだから、記者は下手をすると自分が飛ばされてしまう。評論家は「永田町の政治が財務省によって動かされている」という実態を暴いたら、飯の食い上げだ。彼らにとっては永田町と霞が関情報こそが商売のタネであるからだ。商売相手を敵にするバカはいない。 はっきり言えば、政治記者も評論家も国民の暮らしなど眼中にない。だから解散も予想外だったのである。 今回の解散は政治バトルの戦場を永田町・霞が関から一挙に国民レベルに拡大した。その結果、増税派は雪崩を打って先送り容認に動いた。戦う前から安倍首相の完勝である。(一部敬称略)■文/長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ):東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。規制改革会議委員。近著に『2020年 新聞は生き残れるか』(講談社)※週刊ポスト2014年12月5日号■関連記事 解散・総選挙 財務省と経産省との官邸主導権巡る暗闘が発端  菅総理言及の消費税増税 「経済の常識知らぬ妄言」と専門家  安倍政権誕生で批判の口火切るのは朝日ではなく読売、日経か  菅首相 震災直後に息吹き返すが余命は財務省の「思惑」しだい  増税批判する産経新聞に財務省有力OB「おたくはひどいな」

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    「財政規律」に縛られすぎた財務省の過ち

     11月17日、安倍総理はGDPの一次速報を受けて、消費税増税延期を決めた。この消費税増税判断に関しては、消費税増税法により、景気弾力条項が設けられており、政権(つまり、総理)が決めるとされており、総理はその条項に従い増税の延期を決めたわけである。衆院解散後、首相官邸で記者会見する安倍晋三首相=11月21日午後  この増税判断に関しては、財務省は予定通りの実施を求めており、ここで総理の判断と財務省の間で判断に対する違いが生じたわけである。なぜ、財務省はそこまでして増税にこだわるのか?そこには「財政規律問題」とその根底にある「財政均衡論」が存在する。   日本の政府は1000兆円を超える大きな債務を抱えており、これを健全化することは政治の使命である。問題はこの債務をいつまでにどのような形で健全化させるかという話になる。よく、国家の債務を家計に例える人がいるがそれは間違っている。なぜなら、国家は通貨発行権を保有しており、徴税権も持っているので、自国通貨建て債務では破綻しない。   これを簡単に説明すると 個人の場合、所得以上の支出を続けた場合、簡単に破綻する。国家の場合、税収以上の支出を続けても、お金を刷ることができるので破綻しないわけである。しかし、お金をたくさん刷れば、当然お金の価値が低下してお金の信用が失われる。   では、お金の信用とは何かという話になる。 もともとお金とは金の引換券(兌換紙幣)であった。銀行にお金を持ち込むと金と交換してもらえることでお金の信用を担保していたわけである。このような体制を「金本位制」と呼ぶ。そして、この発展版が第二次世界大戦以降続いてきた「ブレトンウッズ体制」である。第二次世界大戦により米国に世界中の金が集まった。米国はその金と両替できるドルを発行し、他国はドルとの両替を保証されたお金を発行することで疑似的な金本位制を取ったわけである。これを「ドル基軸体制」とも呼ぶ。   しかし、これは米国のニクソンショック(ドルと金の兌換中止)により崩壊し、現在ではお金と金は直接的に結びついていない。そして、これにより世界の国々は自由にお金を発行できるようになり、支出が税収を上回ってはいけないとする単純な「財政均衡論」は成立しなくなったのだ。   では、現在のお金を担保するものは何かという話になるが、それはお金を発行する国の国富(国、企業、個人の純資産)ということになる。そして、国富は景気に左右される。景気が良ければ、株価や不動産の価格も上がり、個人の所得も増加する。その結果、国富全体が底上げされることになる。言い換えれば、景気が改善され国富が増えれば、通貨を増刷しても問題ないという理屈になる。   そして、消費税増税の最大の問題は、消費税というものは消費に税金をかけるという構造であるため、消費減退効果が高く、景気を悪化させる要因になるという点にある。アベノミクスにより改善がみられてきた国内の景気指数であるが、今年4月の消費税増税を機に一気に悪化しており、消費税の景気悪化効果を立証するとともに、安倍総理の最大の政治目標であるデフレからの脱却にも赤信号がともったわけである。この現状を受け止め、安倍総理は消費税増税延期を決めたと考えられる。   ここで財務省の最大の過ちは何かといえば、例え「税率」を引き上げたとしても、景気が悪化してしまえば元も子もなく税収全体が落ち込むことにある。無理にこれを行えば、国民の負担が増加するだけであり、結果的に財政バランスをさらに悪化しかねないわけである。これでは何の意味もない。財務省は、財政均衡論と財政規律に縛られすぎているとしか言いようがない。  先述したように、現在の通貨制度では単純な財政均衡論は成立しない。しかし、だからといって、無分別に支出を増やしていいわけでもなく、支出に応じた税収を確保することは、中長期的な国の信用にとって不可欠である。また、税収は景気に左右され、景気が改善されれば自然に増える側面もある。   この様ないろいろな要素を踏まえ、デフレからの脱却、景気改善という選択を優先したのが今回の消費税増税延期であるといえる。そして、私はこの判断を正しい判断であったと評価するものである。経済は生き物であり、景気は気に左右される側面も強い。生き物を財務省が主張するように期日通り実施と杓子定規に扱う事は間違っており、状況を見て判断すべきなのである。   そして、安倍総理は消費税増税を2017年4月まで延期し、この時までに消費税を上げられる環境を作ると明言した。逆説的に言えば、この時までに上げられる(あげても景気に大きく左右しない)環境を作れなければ、安倍総理が唱える経済政策は失敗ということになるのだろう。日程的には増税の前年2016年7月に参議院選挙もある。これまでに改善されていなければ、次の消費税増税も危うくなり、退陣し、延期や廃止をかけた選挙が再び行われるように思われる。

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    「高負担」受容し財政危機避けよ

    京都産業大学客員教授・吉田和男 安倍晋三首相は極めて重い決断を強いられた。来年10月から予定されていた消費税率の10%への引き上げを1年半先送りして平成29年4月から実施することを決断した。消費税等改正法の付則で経済動向に関する確認の念押しが規定されていることに基づいている。 8%への消費税率引き上げを行った後の経済動向は決して良好なものではなかった。株価は好調で、賃上げやボーナス上昇など明るいニュースもあったが、景気指標は芳しくないものが多かった。世界的にも深刻な財政状況 4~6月期の国内総生産(GDP)成長率はマイナス7・3%であった。いわゆる消費税率引き上げに伴う個人消費の1~3月期の駆け込み需要に対する反動減がマイナス成長を生み出した。この反動減からの回復が注目されたが、7~9月期のGDP速報値はマイナス1・6%となり、期待された回復が見られなかった。この数値を受けて、安倍首相は経済動向から判断して、法改正を行っての税率引き上げの先送りを選択した。アベノミクスによる成長軌道への回復を優先した結果であった。 一方、財政状況も一時の余裕もないまで悪化している。政府債務残高は1千兆円を超え、GDP比は200%超にもなっており、戦時並みの財政状況になっている。 世界的に見てもこれほど大きな政府債務になっている国はない。財政危機が論じられたPIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の百数十%程度と比較してもダントツの財政赤字である。財政危機を迎えた国の苦悩は、年金の減額や公務員の解雇などに始まる歳出のカットとともに、失業率の上昇とインフレが同時に起こるなど、尋常ではない。 PIIGSのように、大量の国債が売られて財政危機になる状況はもっとも避けるべきことである。財政状況の悪化から国債が売られると正常な財政運営ができなくなる。国債残高がこれほど大きくなってくると、もっとも心配されるのが金融市場での国債の信認の大きさである。国債は安全資産として貯蓄の手段となっているが、国債発行が限度を超えれば国債価格の下落が心配される。金融危機につながる恐れも 現在、長期金利が1%以下になっているが、これがいつ上昇する(国債価格の下落)か分からない。現在の低金利は日本銀行の政策的なオペレーションによって生まれているが、これが常識的な水準になるだけで大幅な国債価格の下落になる。集中的に国債が売られることもあり得る話となる。 こうなれば、国債を多く所有している金融機関にとっては含み損を持つことになり、場合によっては金融危機につながる。 この危惧に対しては、日本の国債の大多数が国内の金融機関や投資家によって保有されていることが、諸外国の財政危機との相違であると指摘されている。財政危機を起こした国では、外国の投機的な国債保有によって財政赤字が直接的な危機につながったという議論である。その点で日本とは異なることが指摘される。 しかし、外国人が国債を保有しているかどうかは財政危機とは必ずしも結びつかない。「空売り」によって国際金融市場で投機的マネーが大きく動き、財政危機を顕在化させることは否定できない。 いずれにしても、国債は税金の後払いであり、「タダ」では決してない。合理的に考えれば、税負担となる国債元利払いの現在割引価値は国債発行額そのものなので、国債発行と税は何の差もない。しかし、金融上の制約があり、後世代にツケを回すのにも限界があると考えるのが常識であろう。消費税率の引き上げを先送りした安倍首相は「財政ギャンブル」を行ったことになる。 国民の負担率上昇は不可避 すなわち、財政問題を先送りしたことで、増税による短期的なマイナスの回避を優先し、財政赤字のもたらすリスクを取るという判断を行ったのである。 もっとも安倍首相の判断も、消費税率の引き上げを1年半先延ばししたものの財政規律を放棄したわけではなく、消費税率10%への引き上げは経済状況のいかんにかかわらず実施することを明言している。これは最低限、必要な措置であり、金融市場からのアタックがないことを望むのみである。 今後、予想される人口の少子高齢化などの要因で、財政支出が増えることはあっても減ることはない。年金医療費の拡大は不可避であり、子育て支援などの支出も充実させることが望まれている。社会保障費だけで年々1兆円ずつ拡大していかざるを得ない。 財政の効率化は常に行われなければならず、不断の行財政改革は必要であるが、国民負担率の上昇は避けられないことを認識すべきである。現在の状況を前提とし、2020年度プライマリーバランスの黒字化を目指すとすれば、いずれ北欧でみられるように消費税率は20%を超えることは避けられない。日本は高負担社会になることの覚悟が求められる。(よしだ かずお)

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    国民不在 元大臣も平身低頭

     毎年12月に入ると、東京・霞が関にある大蔵省一、二階の主計官室には、全国津々浦々から山海の珍味、銘酒が集まり、うず高く積まれる。地方からの陳情団が大勢で押しかけては、手土産を置いていくのである。 地方の関係者を引き連れ、たかが課長である主計官にペコペコと頭を下げている国会議員の中には、たまに大臣経験者もいたりする。交通費や土産代が地方の税金から出ているとしたら、壮大な無駄遣いだが、さらに国の主はだれかと考えると、寒々とした光景に思える。国家予算は、国民や国民を代表する政治家ではなく、一握りの官僚が牛耳っているといっても過言ではない。 今からもう30年近くも前の昭和39年9月、第一次臨時行政調査会は、内閣機能に関する改革意見をまとめたが、そこには次のように書かれている。 「大蔵省は事実上、内閣にかわって予算を編成し、決定する実権を握っているのであるが、さらに予算執行の段階においても、協議ないし承認を通じて各省の主要な施策の実施に対する予算執行上の権限を留保しており、これらの結果、大蔵省の権限は他省に比して著しく強大なものとなっている。大蔵省といえども各省と同列の行政機関であり、(中略)その大蔵省が同時に、行政の全般的調整の役割を果たそうとしているところに種種の問題があるわけである」 事態はいまだに、一向に改善されていないのだ。いや、年々悪化しているとさえいえる。長期にわたる自民党政権は、官僚に対する力を蓄えたものの、その一方で数々の族議員を生み出し、有力政治家がこれを束ねて、大蔵省に圧力をかけるようになった。 大蔵省主計局はどうかというと、大臣経験者といえども力のない政治家の要求には「ノー」という断固たる姿勢を堅持するとともに、限られた予算の枠内で、有力政治家の要請は受け入れるという不公平な予算配分機関と化してしまったのだ。田中角栄元首相の地元・新潟への利益誘導、再びきな臭くなってきた整備新幹線問題など、その例証には事欠かない。 大蔵省以外の役所では、「父親(首相)でなく、母親(大蔵省主計局)がサイフを握っているのが問題だ」「きちんとした調整役がおらず、調整役を買って出ている自民党が好き勝手にやってしまっている」という批判が相次いでいる。現行制度の欠点をきちんと認識しているのである。 こうした矛盾は、予算を官僚に任せて首相が指揮を執ることのない無責任体制、予算編成の事前チェックができない無監視状態からきている。首相がいくら「生活大国」を唱え、住宅政策に力を入れるといっても、シーリング(予算要求の概算要求基準)とシェア固定の壁に阻まれ、住宅への予算配分が大きく変わることはない。 安くて快適な公営住宅が増えれば、需給関係から民間賃貸住宅、持ち家の価格も下がるはずだ。しかし、重点配分されるのは常に道路であり、本当に利用者がどの程度いるかどうかはお構いなく、自然環境の破壊を伴いながら、水田や山林の中を幅の広い道路が通される。そして、沿道の民家にはまだ下水道も備わっていないというアンバランスな状況がつくられていく。 また、チェック体制についていえば、都道府県別や選挙区別の投資配分が、公共事業の個所付け決定直後に発表されることはなく、公平な分配かどうか国民が判断する材料は表に出てこない。 約30年前の第一次臨調は、首相に予算編成の責任を持たせ、直属の内閣補佐官を設置することを勧告した。補佐官は国会議員、行政事務経験者、民間有識者から任命され、予算編成上の重要事項を調整し、大蔵省はこれに基づいて事務を行う。こうした制度であれば、首相が自分の打ち上げた政策に思い切った予算配分をできるはずだ。 しかし、残念ながら、この勧告は葬りさられた。主計局が必死になって政府・自民党に働きかけた結果だといわれている。 霞が関のある役所関係者は、「主計局のしっぺ返しが怖いから、絶対に省の名前は書かないでほしい」と用心深く断ったうえ、「今でも首相が1兆円くらい自由に配分できたら、随分違う予算になる」と断言した。少なくとも、首相が海外に行って何も約束できない、というようなことはないはずだ。(茂谷知己)

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    「守銭奴」 首相の意向も無視

     4月1日のエープリル・フール。大蔵省幹部らは、その日行われた宮沢喜一首相の記者会見の内容を知り、びっくり仰天した。昨年夏に続いて打ち出される予定の追加景気対策について、首相は「史上最大規模になると思う」と言い切ったのだ。 大蔵省があらかじめ首相の元に届けた想定問答集では、事業規模の金額については一切触れられていなかった。再度詰め寄られた場合にだけ「相当規模の対策になる」と逃げることになっていたのだ。 しかし、首相は大蔵省の用意したシナリオを無視し、史上最大規模の景気対策を約束してしまったのだ。 景気対策に関してはすでに、次の総理・総裁の座を目指す自民党領袖(りょうしゅう)の一人、三塚博政調会長(同党総合景気対策本部長)が「12、3兆円」のアドバルーンを揚げていた。宮沢喜一首相(当時) 一方、大蔵省は、景気対策の数字が膨れ上がるのは、建設国債の増発につながり、国の借金が増える上、回復途上にある景気を過熱させてしまうと考えていた。そこで、首相が数字に言及しないよう仕組んだのだが、三塚氏に対抗意識を燃やす首相は、アドリブで筋書きを変えてしまった。 首相の大蔵省に対する“造反”である。 景気対策は、首相の思惑通り、史上最大規模となった。さすがの大蔵省も、首相に食言させるわけにはいかなかったのだ。 それでも、首相が抵抗したこの一件は、日本の宰相の意向さえ初めから無視してしまう、大蔵省主計局の自大的性格を改めて浮き彫りにさせた。 国のサイフを握る大蔵省の権限が強大なのは、なにも今に始まったことではないが、その力がさらに官庁街で強まったのは、財政赤字を抑制するため、各省庁からの予算要求額を前年度並みとする「ゼロ・シーリング(概算要求基準)」制度が、昭和57年度予算に取り入れられてからともいわれる。 健全財政を錦の御旗(みはた)に、主計局はまず、各省庁の予算要求の取りまとめをしている会計課長のところで、それぞれの省庁の予算をシーリングに沿って絞り込むシステムを導入させた。その上で、さらに主計局が予算要求を削るのだ。こうした過程で、予算を削る側の声が大きくなるのは当然のことである。 「資料を持っていったら投げ付けられた」「紙飛行機にして飛ばされた」というたぐいの泣くに泣けない話が要求官庁側から聞こえてくる。「あいつらは守銭奴だ」という言葉まで出る始未だ。  大蔵省の唱える「財政健全主義」に対する懐疑の声もある。 昭和62年度の円高不況対策では、政府は6兆円を上回る財政措置を伴う内需拡大策を決定、これが低金利とともにその後のバブル経済の原因になったとされている。 その後の税収増は、国債以外の隠れ借金を一掃し、赤字国債の発行をも停止させることができた。果たして、大蔵省の理屈は正しいのか、という素朴な疑問である。 もっとも、こうした声が表に出ることがないのは、言うまでもない。(茂谷知己)

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    デタラメばかりだった財務省とエコノミスト

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 消費税率8%によって、景気は反動減のレベルを超えて大きく悪化した。2014年6月27日、政府が発表した家計調査内にある「消費水準指数」を見ると、2014年5月の消費水準指数は対前年同月比でマイナス7.8%。東日本大震災が発生した2011年3月のマイナス8.1%以来という落ち込みだった。最近33年間における最悪値が2011年3月だから、なんと2番目に悪い数字だ。 また、機械受注統計の国内民需(船舶・電力を除くベース)の対前年同月比を見ると、過去2回の消費税増税時(1989年、97年)よりも数字が悪い。 国内民需は、民間設備投資の先行指標である。GDP(国内総生産)は民間消費、民間設備投資、公的部門、海外部門などで構成されており、このうち民間消費と民間設備投資でGDPの7割程度を占める。民間消費と民間設備投資の両者に黄色信号が出たのは、日本経済に黄色信号のサインが灯ったことを意味する。民間消費と民間設備投資が悪いのだから、景気も当然、悪化する。 以前、安倍総理から「増税をしたらどうなるか」と尋ねられたことがある。「景気は悪くなりますよ」と答えたが、事実そのとおりになった。予想されたこととはいえ、なぜこのような事態になったのか。 周知のように、消費税増税法は2012年8月に当時の民主党政権と自民党、公明党との三党合意で決められた。安倍政権が誕生した時点で、増税は法律によって決まっており、安倍総理自身は増税に懐疑的だといわれたが、2013年10月1日に消費税率を8%に引き上げることを決めた。 増税決定のプロセスに影響を与えたのは、「とにかく増税したい」というだけの財務省の意向と「増税の影響は軽微」と言い張る増税御用学者、エコノミストの意見である。 思い返すと一年ほど前、「消費税を増税しても景気に与える影響は軽微である」といった人のなんと多かったことか。彼らは、自らの発言にどうやって責任を取るつもりなのか。本稿では過去にさかのぼり、増税ありきの主張を続け、国民経済を潰した人たちの非論理性を検証することにしたい。 2011年、東日本大震災の発生後に伊藤隆敏氏(東京大学教授)、伊藤元重氏(東京大学教授)と経済学者有志が「震災復興にむけての三原則」という提言を行なった。2011年5月23日現在で、賛同者には浦田秀次郎(早稲田大学教授)、大竹文雄(大阪大学教授)、斎藤誠(一橋大学教授)、塩路悦朗(一橋大学教授)、土居丈朗(慶應義塾大学教授)、樋口美雄(慶應義塾大学教授)、深尾光洋(慶應義塾大学教授)、八代尚宏(国際基督教大学客員教授)、吉川洋(東京大学教授)各氏が名を連ねている。 この提言のなかで、復興のコストを賄うには消費税の増税が必要だといっている。記述を引用しよう。 「消費税は、資本も労働も、生産意欲を減退させにくい税であることから、経済成長に与える影響が軽微である。消費税率を5%から10%に引き上げることで、現在の消費税収入を倍増させるとして、毎年約10兆円程度の歳入増になる」 「『増税か、国債か』、という選択肢の立て方が間違いだ。正しい選択肢は、『今生きている世代が負担するのか、将来世代が負担するのか』、ということである。低成長、人口減少のなかで、次世代にツケを回すのは止めよう」 「消費税増税は、消費意欲を減退させ、景気後退を招く、という批判がある。しかし、二つの意味で、この批判はあたらない。第一に、復興のための政府投資、民間投資がおこなわれるために、来年度は投資拡大が予想されている。消費が減退しても、投資拡大で、総需要としては相殺されるので景気悪化にはつながらない。第二に、消費税率の引き上げ後には、消費が落ち込むということが知られている。しかし、それは数カ月で回復するはずだ。一方、予定された引き上げ時期の前には耐久財を中心として駆け込み需要が生じるので、本格的な投資拡大に向けて、前倒しで景気を拡大する」 いまにして見ると、いかに出鱈目ばかりを述べていたかがわかるだろう。 まず、消費税率の引き上げによる消費の落ち込みを「数カ月で回復するはずだ」と臆断している時点で、すでに誤りだとわかる。「数カ月」というのは、常識的には3、4カ月を指す。今年の家計調査における消費支出は対前年同月比の実質で見てマイナス4.6%(2014年4月)、マイナス8.0%(同年5月)、マイナス3.0%(同年6月)、マイナス5.9%(同年7月)。4カ月目に入ってもマイナス状態である。「経済成長に与える影響が軽微である」という点も、2014年4月―6月期のGDP成長率が前期比年率換算でマイナス7.1%になった事実が反証している。 「消費が減退しても、投資拡大で、総需要としては相殺される」がウソだというのも明らかだ。現実を見れば、政府がいくら公共投資の予算をつけても、建設現場は人手不足で、工事を執行しきれない。いわゆる供給制約が起きている状態だ。 また2014年7月度の鉱工業指数を見ると、生産はマイナス0.7%、出荷はマイナス0.1%。在庫は2.9%増である。出荷が減り、在庫が増えている状況で、設備投資をしようとする経営者はいない。まず在庫を捌(さば)くのが先決である。したがって「民間投資がおこなわれる」という箇所も間違っている。 さらに「引き上げ時期の前には耐久財を中心として駆け込み需要が生じるので、本格的な投資拡大に向けて、前倒しで景気を拡大する」という記述を実感した人がいるだろうか。増税前の駆け込み需要を記憶している人は多いと思うが、それをもって「前倒しの景気拡大」という人など、提言を書いた当人を含めていまや誰もいないはずだ。要するに増税を通すためだけの方便、ウソ話だった、ということだ。 「『増税か、国債か』、という選択肢の立て方が間違いだ」という記述も間違い。大震災が起こったときに、増税で賄うような国はない(あったら挙げてもらいたい)。長期国債を使うのがセオリーである。「課税の標準化(タックス・スムージング)」という理論があるように、課税のインパクトは薄く伸ばして緩和させるのが基本である。仮に百年に一度の震災だとすれば、震災の経済に与えるショックを百年にわたって広く薄く負担し、軽減させるため、百年債を発行して100分の1ずつ償還する。 ところが、財務省と御用学者たちは復興税という経済にダメージを与えるやり方を選んだ。 東日本大震災後の混乱のなかで、「震災復興にむけての三原則」のような意見が、まともな経済ロジックであるかのように受け止められたのは恐ろしいことである。それは前述のように日本を代表する経済学者たちが賛同し、増税に太鼓判を押したからだ。その背後には、彼らに「次世代にツケを回す」という偽ロジックを吹き込んだ財務省の存在がある。仕事にやり甲斐はあるのだろうか 「いまにして見ると出鱈目」な話はまだある。以下は、消費税率が8%に上がる前の『日本経済新聞』2013年8月31日付の記事「消費税と経済成長率(「大機小機」)」からの引用である。 「消費税と実質経済成長率の関係を点検するため、最初に2013~14年度にかけてどんな成長パス(経過)が予想されているかを確認しよう。 第一線のエコノミスト40人の経済予測を毎月調査している日本経済研究センターESPフォーキャスト調査(8月)によると、成長率予測の平均は13年度に2.8%、14年度0.6%となっている」「14年度の成長率が見かけ上、かなり低下してもあまり心配はいらない。成長率低下の最大の理由は駆け込みの反動であり、これは、国民福祉に影響するようなものではないからだ。14年度は駆け込みの反動で住宅や自動車の需要が減るから、何らかの対策が必要だという議論がしばしば出るが、これは不必要なのである」 この記事を書いた人は、署名に「隅田川」と書いてある。誰かは知らないが、現下の成長率低下に対して「何らかの対策」は「不必要」といまでも本気で思っているとしたら、次の朝刊で同じ事を書いてみたらどうか。必ず「空気が読めない人」と思われるだろう。 隅田川氏は何にも勉強していないだろうから論外として、問題は「第一線のエコノミスト40人」のほうである。事実上「予想は大外れ」なのに、その後も「消費税増税の影響は甚大」とは口が裂けてもいわない。なぜか。そんなことをすれば、財務省は次の消費税増税ができなくなってしまうからだ。プロのエコノミストとしての誇りや分析などはどこかに捨ててしまい、財務省の口真似で「消費税増税の影響は軽微」と言い続ける。仕事にやり甲斐はあるのだろうか、と他人事ながら心配してしまう。 さらに、2014年のESPフォーキャスト調査を見てみよう。同年4―6月期の実質GDP成長率を「第一線のエコノミスト40人」が予測した平均値である。4月の調査ではマイナス4.04%、5月調査ではマイナス3.80%、6月調査でマイナス4.18%、7月調査でマイナス4.90%という見通しが記されていた。 ところが、8月12日発表の8月調査ではいきなり見通しがマイナス6.81%に落ち込む。どういうことかと訝(いぶか)しんでいると、ESPフォーキャスト調査が発表された翌日、内閣府がマイナス6.8%(一次速報値、前期比年率換算)という数字を出した。1カ月前まで予想していなかったマイナス6.8%が、内閣府の発表一日前には「想定内」になっている。不思議な事が起きるものだ。 タネを明かせば、GDP統計は家計調査や機械受注、鉱工業生産指数、建築着工統計など各省が毎月公表している各種統計を加工して作成される。だから、事前に各種統計を見ればある程度、GDPの結果がわかるのだ。直前に予想を修正して「想定内だった」と言い繕うのがエコノミストの常套手段である。気温や降水量のグラフぐらい見たらどうか さらに、増税派のエコノミストたちはGDPの落ち込みに対してどんな説明をしたか。口をそろえて「天候不順によるもの」といったのだ。 2014年10月1日、内閣府は経済財政諮問会議に対し、天候不順(低温・多雨)が2014年7―9月の個人消費に与える影響はマイナス0.2兆円からマイナス0.7兆円程度であり、7―9月期のGDPを年率換算でマイナス0.8~マイナス2.4ポイント押し下げる、と報告した。これは「お天気エコノミスト」の気象観測を受けての報告と見られる。 天気がそれほど景気と関係があるなら、エコノミストには気象予報士の資格取得を義務付けるべきだろう。国民は6月や7月の天気がどうだったかなど、漠然としか覚えていない。それをいいことに、いつの日も「天候不順」にして、消費税の増税が与えたダメージをごまかそうとする。図表1、2にあるように、今年7―9月の気温と降水量を見ると、例年と比べて特別に低温・多雨というわけではない。マスコミも統計に関しては赤子同然だから、お天気エコノミストの予報を鵜呑みにして報じてしまう。景気悪化を天気のせいにするなら、せめて気温や降水量のグラフぐらいサボらず真面目に見たらどうか。増税による税収はすべて撒く 安倍総理は財務省とエコノミストに背中を押される格好で昨年10月1日、8%への消費税率引き上げを決定した。最後まで判断に迷われたことと思うが、今年はどうなるのか。 繰り返すが、経済学のセオリーからすれば増税の与える悪影響は甚大であり、そもそも増税しないのが最善のシナリオである。しかし、政治的な理由によってそれが叶わなかったとしたら、われわれは増税による悪影響を最も軽減する方策を考えるしかない。 では、景気の落ち込みに対して何ができるのか。私の答えは簡単明瞭だ。最善の手は「消費税の増税に対して消費税の減税を行なうこと」。次善の手は「増税によって税収が入ったら、そのお金をすべて国民に撒くこと」である。冗談だと思う人もいるかもしれないが、ロジックでいえば当然で、増税しなかったのと同じ効果を与えるからだ。もちろん増収分を国民に撒くといっても、財政支出一辺倒だと供給制約が発生してしまう。公共事業に予算をつけても、事業を行なう技能をもった人や組織には限りがあるからだ。さらに減税や追加の大幅金融緩和に踏み切るなど、ダメージを緩和するための第三、第四のサブシナリオを考えることもできる。 安倍総理も、消費税を10%にするかどうかの判断にあたっては増税のメインシナリオだけでなく、増税凍結のサブシナリオも念頭に置いているはずだ。安倍総理は今年10月1日、経済財政諮問会議の席上で「景気がどう回復するか、将来の見通しはどうか、十分に注視していく必要がある」と強調されていた(甘利明・経済財政担当大臣は相変わらず財務省とエコノミストのいうとおり「天候要因が大きく影響している」とやっていたが)。 第二次安倍改造内閣についても、マスコミは「谷垣禎一氏や二階俊博氏が党役員に入り、増税路線が確定した」と報じた。だが、これも臆断にすぎない。安倍総理が「消費税を10%にしない」と決断すれば、いつでも谷垣禎一氏を切り、増税見送りを宣言することはありうる。本当に強い為政者は政局が「どちらに転んでもOK」と考え、博打はしない。単一のシナリオしか頭にない人間は、想定外の事態が起きたときに墓穴を掘ることになる。 複眼シナリオで見ると、消費増税見送りのチャンスは、じつは9月の「石破の乱」にあった。石破茂氏との交渉が決裂してすわ倒閣、という事態になれば、消費税凍結が国民に信を問う格好の解散カードとなっていたからだ。しかし幸か不幸か、石破氏は政権内に封じ込められ、衆議院解散は沙汰やみとなった。 これからも増税をめぐり、安倍政権の周囲でさまざまな画策が生じるはずだ。財務省としては、石破氏のように自分の思いどおりになる与党議員を探して懐柔することだろう。地方議員には「もし増税が潰れたら予算づくりもやり直しになってしまう。あなたの地元の要望も通らない」と脅しをかけ、経団連には「消費税増税なくして法人税減税なし」という。 だが、そもそも私にいわせれば、税率と支出が結び付いて予算が青天井になる現行の仕組みが異常である。法人税は個人の所得税と重複する「二重課税」だから、もともと無駄な税金だ。マイナンバーなどで個人の所得をきっちり捕捉して増収を図るのがセオリーだ。 いずれにせよ、こうした動きを誰より注意深く見ているのは安倍総理自身である。マスコミは財務省のプロパガンダやお天気エコノミストの観測気球ばかり流さず、ロジックとファクトに基づく報道をすべきだろう。高橋洋一(嘉悦大学教授)1955年、東京生まれ。80年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官などを歴任。第一次小泉内閣、第一次安倍内閣で「改革の司令塔」として活躍。2008年、山本七平賞受賞。最新刊は、『アベノミクスの逆襲』(PHP研究所)。

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    集団的自衛権「ダメよ~」に異議あり!

    今年の世相を反映し、話題になった言葉を選ぶ「流行語大賞」が発表され、年間大賞に「集団的自衛権」と「ダメよ~ダメダメ」が選ばれた。この2つの言葉を並べてみると、何らかの政治的意図を感じる人もいるだろう。そこで、選考委員のみなさまにお尋ねします。やっぱり思惑があったんですか?

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    左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか

    潮 匡人(評論家・拓殖大学客員教授)うしお まさと 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒。航空自衛隊入隊。大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程修了)、航空総隊司令部、長官官房勤務等を経て3等空佐で退官。東海大学海洋学部非常勤講師。著書に『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)など。 自衛隊にとって7月1日は二重に意義深い日付となった。簡単に歴史を振り返ってみよう。1950(昭和25)年の朝鮮戦争勃発に伴い、在日米軍の主力が「国連軍」として朝鮮半島に展開。そこで同年8月、国内の治安維持を図るため、日本政府は警察予備隊を創設した。翌年、対日講和条約と日米安全保障条約が調印。翌々年4月28日、わが国は主権独立を回復した。その後、「保守三党」(自由党、改進党、日本自由党)の度重なる協議を受け、1954(昭和29)年3月、いわゆる「防衛二法」(防衛庁設置法と自衛隊法)案が閣議決定。同年7月1日に施行された。晴れて名実とも日本防衛を主任務とする「自衛隊」が発足したわけである。 それから、ちょうど60年後の今年7月1日。安倍晋三内閣は「新しい安全保障法制の整備のための基本方針」を閣議決定した。 護憲・改憲の立場を問わず、全マスコミが今回の閣議決定を「集団的自衛権」と報道している。その結果たとえば、グレーゾーン事態の法整備が先送りされた問題など、集団的自衛権以外の論点が見えなくなってしまっている(「Voice」8月号拙稿)。 ちなみに閣議決定文のタイトルは「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」。どこにも「集団的自衛権」の6文字がない。実は本文の中核部分も同様である。 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」 以上が「集団的自衛権行使容認」と報じられたのは、なぜか。それは閣議決定文がこう続けて、敷衍したからであろう。 《憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある(中略)が、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである》 たしかに護憲派が咎めるとおり、分かりにくい(週刊「世界と日本」夏季特別号拙稿)。的外れとならない範囲で要約すれば、「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は日本防衛のための措置」となろう。 従来「日本防衛は個別的自衛権であり、他国防衛は集団的自衛権(だから許されない)」と議論されてきた。その延長線上で言えば、「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は個別的自衛権(だから許される)」となろう。 言い換えれば、従来の脈絡における集団的自衛権行使は容認されなかった。憲法上の議論としては、そうなる。事実、公明党代表はそう表明したし、自民党幹事長も追認した。 案外知られていないが、自衛隊は(少なくとも一部の)国際法上「軍隊」として取り扱われる(昭和60年11月5日付・政府答弁書ほか)。 他方で政府は(昭和42年3月以降)「自衛隊を軍隊と呼称することはしない」と言明し続けている。憲法9条が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記している以上、政府としてたとえば航空自衛隊を「空軍」とは呼べない。軍隊ではなく自衛隊、そう言わざるを得ないが、たとえ日本国と日本人が「自衛隊」と呼ぼうが、国際法上は軍隊であり、国際社会も陸海空軍と認識している。 「国際法上は軍隊だが、憲法上は自衛隊(だから許される)」 「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は日本防衛のための措置(だから許される)」 どちらにも同じ匂いが漂う。 いや、マスコミが報じるとおり、集団的自衛権は容認された——そう言ってよいなら、自衛隊は「軍隊」である。日本は「陸海空軍」を保持している。そう容認されている……と言っていいはずなのに、なぜ護憲派は「憲法違反、解釈改憲」と批判しないのか。朝日は朝日、NHKはNHK 今回の閣議決定を、護憲派は口を揃えて「解釈改憲」と誹謗する。だが、彼らは自衛隊も、個別的自衛権も批判しない。なぜか、集団的自衛権(行使)だけを敵視する。 自分は守るが、他人は助けない。家族や友人さえ見殺しにする——人類史上、最も不潔で破廉恥な意見を掲げながら、安倍政権を非難しているのと同じだ。じつに破廉恥な連中だ。 そのせいであろう。安倍総理は「安保法制懇」の報告書を受けた今年5月15日の総理会見で用いたパネルを再び掲げながら、あの日と同様の熱意でこう訴えた。 「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。(中略)外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。(中略)日本が再び戦争をする国になるというようなことは断じてあり得ない」 予想はしていたが、正直ガッカリした。総理には正面から「『現行の憲法解釈の基本的考え方』は間違っていた、だから変更する」と語ってほしかった。願わくは、憲法改正にも言及して頂きたかった。 だが、もはや安倍政権への注文を書いている場合ではない。右の熱弁も、護憲「進歩」派マスコミの耳には、こう聞こえるらしい。 「9条崩す解釈改憲」(7月2日付朝日朝刊1面ヘッドライン)。朝日だけではない。毎日新聞に加え、東京新聞(中日新聞)や北海道新聞など多くの地方紙も閣議決定を非難した。ちなみに総理会見の質疑では、北海道新聞の宇野記者が質問の形を借り、こう主張した。 「抽象的な表現にとどまった感があります。これでは時の政権の判断でいかようにでも拡大解釈でき、明確な歯止めにならない」「(自衛)隊員が戦闘に巻き込まれ血を流す可能性がこれまで以上に高まる」 翌朝の北海道新聞の紙面は、ご想像のとおりである。 5月15日の総理会見では、翌朝の1面ヘッドラインに「『戦地に国民』へ道」と大書した東京新聞が最低最悪だったが、今回は朝日新聞が突出した。全国紙のヘッドラインでは「集団的自衛権 限定容認」とした読売新聞が今回もベスト。読売が書いたとおり、善かれ悪しかれ「限定容認」に過ぎない。それを大批判するのも、大喜びするのも、おかしい。 朝日新聞の集団的自衛権報道については本誌6月号の拙稿で詳論した。加えて最近も「言論テレビ」(7月12日放送・月刊「ウイル」9月号掲載)などで指弾したので、以下(朝日同様、世論形成に大きな影響力を持つ)NHK総合テレビの報道に焦点を絞ろう。 まず、総理会見を生中継した番組で、政治部の岩田明子記者が、会見と閣議決定を解説した。的を射た解説であり、非の打ち所がなかった(以下、今回は個人名を挙げるが、私は誰とも面識がない)。 だが、NHKはやはりNHK。続く同夜の「ニュース7」は31分間中、25分間を当て報道。スタジオ出演したのは政治部の田中康臣記者。アナウンサーとの主要な会話を再現しよう。 「どんな意味を持つんでしょうか」 「日本が攻撃された場合にしか武力行使ができないという、これまでの大きな制約が外れるという点です」 「つまり、何ができて、何ができないか。必ずしも明らかになっていないということなんですね」 「そうですね。そのため野党からも『自衛隊の活動範囲が際限なく広がる』とか『戦争に巻き込まれる可能性が高まる』といった批判が出ているんです。(中略)行使容認という大転換に踏み切ったわけですが(中略)国民の理解を得られるかが問われる(以下略)」あくまで「限定容認」なのに… 朝日同様、聞く耳持たず。総理や与党幹部が連日どう説明しても無駄なようだ。 まず、右の会話は事実に反する(と私は思う)。善かれ悪しかれ「行使容認という大転換に踏み切ったわけ」ではない。あくまで「限定容認」(読売)である。 「大きな制約が外れる」云々と視聴者の不安を煽っているが、「日本が攻撃された場合にしか武力行使ができないという」制約など、これまでもなかった。その他を含め間違いだらけ。念のため付言すれば、「攻撃された場合」ではなく、「急迫不正の侵害」が従来の自衛権行使の要件である。「急迫」とは「法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っている」状態(最高裁判例)。私に言わせれば、要件はより厳しくなった(前掲拙稿)。 同夜の「ニュースウォッチ9」も同様。「武力行使の要件を『日本に対する武力攻撃が発生した場合』に限定してきましたが……」と虚偽報道した上で、こう批判した。 「歯止めが具体的にかかっていると言えるんでしょうか」(井上あさひキャスター) 「その点は必ずしも明確ではないと思います」(政治部の原聖樹記者) ……これでは、岩田記者のパーフェクトな解説が台無しである。公共放送NHKの花形たる政治部記者にして、この始末。自衛権行使の要件は昔も今も明らかである。かりに新3要件の歯止めを不明確と咎めるなら、同等以上の批判が旧3要件にも当てはまる。さらに言えば、「急迫不正」との刑法第36条(正当防衛)その他、あらゆる法令の要件に当てはまる。 もし本心から「必ずしも明らかになっていない」と思っているなら、法学の素養が皆無なのであろう。そうでないなら、意図的かつ悪質な世論操作である。NHK記者は、冠に「必ずしも」と振れば、何であれ、「~ではない」と否定的に断定できると思っているようだ。なんとも卑怯な表現ではないか。 さらに、この番組は「憲法解釈変更その先に…」「記者大越がみた 自衛隊 派遣のこれまで」と題したコーナーで自衛隊イラク派遣を「〝戦時〟の協力へ」と振り返った。当時のNHKニュースも連日「泥沼化するイラク戦争」と報じていた。 現場(サマーワ駐屯地)にいた実感として、そうは思わないが、いずれにせよ、もし「戦争」であり「戦時」だったのなら、根拠法令(イラク特措法)違反、憲法違反となる。いわゆる「非戦闘地域」ではなくなってしまう。つまり、法律と政府答弁を無視した報道である。「いや政府答弁こそ詭弁だ」との認識なら、正面から堂々と「憲法違反だった」と報じ批判するべきだ。昔も今もNHKは直接話法で正面から語らない。未来永劫「必ずしも~でない」と言い続けるのであろう。 遺憾ながら、この程度で驚くのはまだ早い。翌2日放送の情報番組「あさイチ」では、城本勝解説委員がフリップを使いながら「アメリカと一緒になって反撃する権利。これが集団的自衛権」と出鱈目な説明をした。正しくは「反撃する権利」でなく「実力をもって阻止する権利」。そう本誌6月号で縷々述べたが、相変わらずNHKには馬耳東……。「あさイチ」から偏向報道を 看板番組「日曜討論」の司会も務める城本解説委員は5月6日放送の「大人ドリルSP 今さら聞けない…集団的自衛権のいろは」にも出演し、「国際社会に理解してもらうことから始めないと何をするにも難しい」「拡大解釈される」等々と危険性を言い募り、反対姿勢を鮮明にした。 案の定、7月二日も「あさイチ」から、閣議決定を、以下のとおりダメ出しした。 《「明白な危険」というのも誰が判断するんだ、という話になりますし(中略)、非常にあいまいだ。事前に国会承認が必要だと言っているんですが、この歯止めについてはまだ具体的ではない》 井ノ原快彦キャスターが「だから、みんな怖いわけですよね」と受け、「そうですね」との会話が続いた。 くどいようだが、新3要件が「あいまい」との批判は当てはまらない。「非常に」と形容するなど、もっての他である。城本氏は、要件に該当したかを、誰が判断するか、ご存知ないようだが、正解は内閣である。国家安全保障会議や閣議で審議される。その判断の当否は、国会や裁判所もチェックする。これ以上の歯止めはあるまい。 城本氏は番組でさらに「総理会見をどうみたか」聞かれ、こう答えた(正確に再現すると日本語にならないので、明らかな言い間違いや不必要な表現は修正した)。 《率直に言って、これまでの憲法の考え方を大きく変える、(中略)大きく転換させた。これが1つ。(中略)60年安保、ありましたよね。国会で大議論をしてきたわけですね。国民的にも賛成・反対、大変大きな議論があるなか、物事が決められてきた。今回はまず、政府が「政府の責任で決めます」と。んで、「これから国会で議論します」という……ちょっと、その順番はこれまでのやり方と違うな、というのが率直な印象》 率直に言って、レベルが低すぎる。(安保)条約の批准と、閣議決定を同列に議論するのは憲法上もいただけない。いわゆる三権分立を理解していないから、こうなる。 順番が違うと言うが、担当省庁で起案し、関連省庁間で根回しの上、事務次官会議を経て閣議決定後、閣法として国会に提出する。それが「これまでのやり方」である。先に閣議決定しなければ、法案を提出できない。至極当然の順番である。 ポレミック(論争的)に言えば、他のやり方もある。右の順番だと、内閣法制局の審査を経なければならない。もし彼らが抵抗すれば法案はできない。そのハードルを回避すべく議員立法で関連法案を成立させる。たとえば「国家安全保障基本法」を……。 私は本来そうすべきだったと思う。これなら内閣法制局審査を経る必要がない。これぞ従来の政府解釈の縛りを解く効果的かつ合憲的なやり方だった。そうした批判なら傾聴に値するが、NHKの主張は正反対。しかも、まだ議論が足りないという。私の目には今回も「国民的にも賛成・反対、大変大きな議論があるなか、物事が決められてきた」と映るが、安保世代の解説委員に映る風景は違う。まだ議論が足りないらしい。安保騒動のごとく、デモ隊が国会に突入し、犠牲者が出ないと、満足できないのか。 番組では有働由美子キャスターも「なぜ急いだんですかね」と疑問視した。この問題は第一次安倍内閣から議論を始めた。安倍自民党として公約に掲げた二度の国政選挙でも大勝した。第二次安倍内閣で議論を再開後、1年半以上が経過してからの閣議決定なのだ。遅きに失したとの批判すら、あり得る。 ゲストの室井佑月さん(作家)も「他国の戦争に巻き込まれるわけですから、テロの脅威は増えますよね」と総理会見を非難。城本解説委員がこう受けた。 「(そうした)疑問や不安が出てくるのは当然。(中略)抑止力を高めることによって必ずしも戦争を防げるわけではない。むしろ逆になることもある。こういう事実がある」 日本の公共放送が、日本の抑止力が高まることを批判したのだ。生放送を見ていた中国大使館員のほくそ笑んだ顔が目に浮かぶ。消された国谷キャスターの発言 翌3日放送の「クローズアップ現代」も酷かった。ゲストは菅義偉官房長官。まず国谷裕子キャスターがこう語った。「武力行使が許容されるのは日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとされてきました」 先述のとおり「武力攻撃が発生した場合」ではなく「急迫不正の侵害」が正しい。続けて「戦後日本の安全保障政策を大きく転換する閣議決定」とも述べたが、政府見解とも、読売の報道とも、私の理解とも違う。私に言わせれば、大転換すべきだったのに、「限定容認」(読売)に留まった。 今回の閣議決定で許容されるのは「自衛のための措置」と紹介しながら、「これまで世界の多くの戦争が自衛の名の下に行われてきたのも事実です」と、閣議決定を実質的に全否定(ないし大批判)した上で、こう世論を誘導した。 「憲法9条の精神を貫くためには、より具体的な武力行使への歯止めが求められています。重大な解釈変更であるにもかかわらず、閣議決定に至るまで国民的な理解、そして議論が深まっていないという声が多く聞かれます。なぜ今この大転換なのか。集団的自衛権の行使容認は限定的だと言っても、果たして歯止めは利くのでしょうか」 大衆は理解していないという“前衛”気取りの左派体質が露呈している。私の認識は正反対。大半の国民は、漠然とであれ、「必要最小限度なら許される」と、事の本質を正しく理解している。失礼ながら、理解していないのは彼女自身のほうではないのか。 執拗に菅長官を追及し、番組中「他国を守る集団的自衛権は行使しない」と明言させた。ならば「大転換」でも何でもあるまい。さらにブチブチ文句を言い続け、出演した原聖樹記者(前出)も「わが国の存立が脅かされる事態とは、具体的にイメージしにくい」と疑問を呈した。今回、政府は8つも事例を示したのに、まだ足りないらしい。足りないのは政府の説明ではなく、記者や看板キャスターの能力であろう。 彼女らの失礼な態度に官邸が激怒し抗議したとの誤報が生まれたのも致し方あるまい。ちなみに発言や会話は、NHK公式サイトの「全文テキスト」で一部削除、訂正されている。さすがに良心が咎めたのか。だがウエブ上の発言記録は消せても、視聴者の記憶は消せない。終始、一方的な意見表明に終始した、明らかな放送法違反である。政府はこれに懲りて、以後NHKへの出演は控えるべきではないだろうか。 もはや、印象操作は日常茶飯事と化した。最近も7月13日放送の「ニュース7」が反対集会を報じたが、参加者がみな同じプラカードを持っていた。特定の組織(ないし政党)が背後にいるからではないのか。ならば、公共放送ではなく、宣伝機関に堕している。しかもNHKは反対集会しか報道しない。賛成支持するデモや集会を黙殺する。 同夜放送のNHKスペシャルでも、集団的自衛権を「反撃する権利」と国際法を無視し勝手に定義したうえ、アフガン派遣で犠牲を出したドイツの例を挙げ、「犠牲者を生むリスクが高まる」と間接話法で指摘した。 だが、その例は番組が報じたとおり「国連の枠組みの下」の活動である。つまり集団的自衛権の行使ではなく、集団安全保障のケースである。ゆえに「集団的自衛権 行使容認は何をもたらすのか」と題した番組で紹介すべき事例ではない。 ただ遺憾ながら、多くの日本国民が両者を混同している。違いが分かっていない。おそらく視聴者は大きな不安にかられたはずだ。なんとも巧妙かつ悪質な印象操作である。 NHKによって、7月1日の意義は深く傷ついた。一連の報道は憲法上の保障に値しない。放送法に違反した偏向報道である。 蛇足ながら同夜、NHK以下各局は、滋賀県知事選で自公の推薦候補が敗北したニュースを速報した。翌朝の毎日新聞1面は「『集団的自衛権』影響」と報じ、安倍総理も「集団的自衛権の議論が影響していないと申し上げるつもりは毛頭ない」と答弁した(7月14日・衆院予算委)。しかし、影響を与えたのなら、その責任は「集団的自衛権」というより、それを報じた護憲派マスコミの姿勢にある。なかでも公共放送であるNHKの罪が重い。※この記事は「ウソが栄えりゃ、国が亡びる」(KKベストセラーズ)に収録されたものを再構成しています。

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    あなたの「働き方」は変わりますか

    終身雇用、年功序列に代表される、世界的に特殊な日本特有の雇用制度はもはや限界に差し掛かっている。労働改革が進めば、あなたの「働き方」は変わっていくのだろうか。

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    年功序列型賃金だけに目を奪われるな

     平成26年10月の「経済の好循環実現に向けた政労使会議」で、安倍晋三首相は「経済の好循環を拡大するには、賃金の水準と体系の両方の議論が必要になる」と述べ、年功序列型の賃金を見直して全体の賃上げも実現するよう訴えた。 昨今では、日本企業においても、年功制賃金から役職や成果にリンクした制度に移行してきた。それでも大卒男性の50~54歳の所定内給与は、20~24歳と比べると、2倍を超えている(平成25年賃金構造基本統計調査(厚労省))。会議では、年功型の賃金の見直しで生じた財源を子育て世代へ手厚く配分して、少子化問題の解決や消費の拡大につながることを企図している。 たしかに望ましい賃金制度を模索することは十分に意味がある。ただこの課題の解決は一筋縄ではいかない。年功序列型の賃金は、経営者と社員が、長期間にわたって、慣行として築き上げたものだからだ。政府や労働関係の法律で決めているものではないのである。 そもそも日本では、組織に在籍している長さがモノをいう。組織内の位置づけや発言の重みのメルクマールにもなっている。 企業内だけではなく、落語家や宝塚歌劇団のような芸事の世界でも一日でも早く入門、入団すれば、それだけで立場の強い先輩になる。退職した教授に名誉教授を授与する条件も、実質的には勤続年数で決められている大学が多いそうだ。 日本で転職する場合には、たとえ前職を上回る給与を確保できても、必ずしも有利にならない。新たな会社では新人の位置づけになるからだ。 このような年功序列の背景には、社員の能力やスキルを重視しない能力平等主義の考え方がある。欧米のように仕事の出来栄えで賃金を決める「同一価値労働、同一賃金」の原則には従っていないのである。 また年功序列型賃金は、正社員偏重の雇用保障、年次別一括管理の人事運用、配置転換や転勤を一手に引き受ける人事部の権限、「どこにでも行く」「どんな仕事もこなす」「長時間でも働く」といった社員の無限定の働き方などとセットであり、一つのパッケージを構成している。この日本型雇用システムをどのように扱うかが、特に伝統的な企業では大きな課題なのである。 慣行であることも考慮に入れると、年功制の賃金だけを取り出して修正を試みることは無理筋だということに気づくだろう。 日本型雇用システムには、社員が一丸となり、組織に対する忠誠心を育むなどの良い面も少なくない。だから慣行として残ってきたのである。しかし昨今の状況では時代にそぐわなくなっている。 それではどうすればいいのだろうか。まずは、会社や人事部はスタンスを変える必要がある。「会社から何か(昇給やポスト)を与えると、社員のモチベーションは向上する」という従来の発想から、「どういう場面や、どういう条件で、社員は自分の能力を最大限に発揮するのか?」と問いかけるスタンスへ転換しなければならない。 一度、社員個人の側に立ったうえで、会社側の対応を考えていくというプロセスを踏む必要があるのだ。 入社年次を軸とした一律管理から、社員の能力発揮に向けた個別管理に踏み出す。個々社員とのやり取りや交渉を増やしながら、「個別合意」を積み上げていくのである。会社と社員が一つ一つを話し合い、合意を形成していくことが求められる。慣習を改めるには、当事者である経営者、社員が主体的に参加しなければならない。 「前例はこうだから」「上層部が首を縦に振らないから」といった門前払いではなく、「なぜこの対応になるのか」「あなたの場合はこうだから」といった説明責任を会社が尽くす必要がある。これは手間がかかり、面倒な作業ではあるが、この手順を省けば本来の改革はありえないだろう。 昨今は、「限定正社員」の議論など、今までの日本型雇用システムのパッケージをほぐす作業が行われ始めている。また各企業においては、社内FA制度を設定する、新たな職制を増やすなど働き方の多様化が進みつつある。このような制度対応に加えて、会社と社員の個別合意を積み上げ、同時に社員のスキルや適性を十分に見極めない新卒一括採用を改め、自社にフィットした職種別採用への切り替えを検討すべきである。 これらは、いかにして生産性を上げるかという極めて経営的な課題である。年功序列型の賃金は、日本型雇用システムに組み込まれた一つのピースなのである。年功制賃金だけを変えることが、目的になってはいけないのである。 そしてこれらの日本型雇用システムのパッケージをほぐす作業は、女性の登用や海外の現地社員の人事運用においても力を発揮するのである。

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    人材不足が「発明の母」の大きなチャンスに

    伊藤 元重(東京大学大学院教授) 景気が回復する中で、人材不足への懸念が強くなっている。住宅建設や公共事業では人材確保が困難で、建設コストアップや公共事業の延期につながっている。造船業界なども、建設分野に人材がとられて大変だという。安い労働力をふんだんに利用してきた外食産業では、人材確保が難しいということで、一部の店舗の閉鎖を決めた。少子高齢化の下で生産年齢人口は今後急速に縮小する見込みで、労働不足の問題はさらに深刻になりそうだ。労働不足が日本経済の足を引っ張るという見方をする人さえ出てきた。 人材不足の問題は確かに深刻かもしれない。しかし、人材不足問題こそ、日本の雇用の構造的問題を解決する大きなチャンスかもしれない。長い景気低迷の中で、多くの企業が低廉な労働者を使い捨てにするような経営をしてきた。非正規雇用の仕事にしかつけない若者の数が増えてしまった。企業は従業員のスキルアップのための投資を大幅に減らしてきた。おかげで、日本の産業の労働生産性は、諸外国に比べて見劣りするような状況である。 1980年代末のバブルの時期に自動車メーカー幹部から聞いた話が忘れられない。「労働者不足は深刻で1人の労働力を節約するためならロボットなどに4千万円まで投資しても惜しくない」と発言したのだ。それだけ労働者不足は深刻であったのだろう。深刻であるからこそ労働節約的な資本への投資を行うというのだ。当然、従業員のスキルを最大限に向上させるような教育訓練も重視しただろうし、現場の労働生産性を高めるための工程見直しなども徹底しておこなったはずだ。 必要は発明の母とも言う。労働者不足が深刻になるほど貴重な労働力を有効に利用できるように企業も努力することになる。これは労働の使い捨てではなく、従業員のスキルアップを重視する経営であるはずだ。安い労働に依存した低い生産性の企業は淘汰(とうた)され、賃金コストは高くても労働生産性の高い企業が競争上も有利になる。労働力に代替する資本設備への投資が拡大することは投資需要を通じて経済拡大に寄与するはずだ。 政府は労働市場改革に取り組んでいる。一部に強い反対がありながらも、労働時間規制を適用しないホワイトカラー・エグゼンプションの一部導入に踏み切ろうとしている。女性の活躍を支援する政策も、労働力を強化する上では有効であろう。一連の改革を通じて、日本の労働の生産性をいかに引き上げていくのかがポイントとなる。 経済学者の間ではよく話題になるが、失われた20年の間に、日本の無形資産(intangible assets)への投資が低調であった。その典型が人材のスキルアップへの投資だ。経済学者が「人的資本」(ヒューマン・キャピタル)と呼ぶものだ。無形資産への投資を拡大することが日本の成長力を高めるためには必須であるという。労働不足の問題が、人的資本や資本設備への投資を拡大する動きにつながることを期待したい。 伊藤 元重(東京大学大学院教授) 昭和26年、静岡県生まれ。東京大学経済学部卒。米ロチェスター大学大学院経済学部博士課程修了。東京大学経済学部長、同大学院経済学研究科長を歴任。専門は国際経済学。著書に「危機を超えて すべてがわかる『世界大不況』講義」など。 

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    なんで必要かわからないホワイトカラー・エグゼンプション

    経済の常識 VS 政策の非常識原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員) 政府は、労働時間に関係なく成果に基づき給与を支払うホワイトカラー・エグゼンプションの対象について、「年収1000万円以上」「職務の範囲が明確で、高い職業能力を持つ労働者」と決めた。成長戦略にも明記されているが(「日本再興戦略 改訂2014」2014年6月24日閣議決定)、詳細は、15年の通常国会での関連法改正案提出を目指すとしている。 ホワイトカラーの成果が、かかった時間によらない場合が多いのは明らかだから、残業時間に関係なく成果で給与を払うというのは、当然のことだ。しかし、具体的に考えてみるとホワイトカラー・エグゼンプションの議論には分からないことが多い。なお、エグゼンプションとは除外という意味だから、ホワイトカラー・エグゼンプションとは、ホワイトカラー労働時間規制適用免除制度という意味になる。 まず、現行でも、労働時間に拘わらず成果で給与を決めることのできる職種は多い。管理職の他に、厚生労働省は19の業種について、裁量労働制という名で、そうすることを認めている。具体的には、理系・文系の研究職、ソフトウェア開発者、ジャーナリスト、デザイナー、番組のプロデューサーやディレクター、コンサルタント、インテリア・コーディネーター、アナリスト、金融エンジニア、大学教授、公認会計士、弁護士、建築士、不動産鑑定士、弁理士、税理士、中小企業診断士など。他に外回りの営業マンもある。裁量労働制を使い切る ただし、日本の裁量労働制では、休日や深夜勤務には残業代が発生するが、ホワイトカラー・エグゼンプションでは、これが付かない。なお、念のためだが、ホワイトカラー・エグゼンプションにすればいくらでも働かせることができるという訳ではなく、会社には従業員の健康に配慮する義務がある。これは外国でも同じである。 話を戻すと、名ばかり管理職、名ばかり店長などという問題はあるのだが、実際に裁量権、人事権のある管理職、店長なら、残業代を付けないことがすでにできる。昼間の喫茶店に行くと、背広にネクタイの人がかなりいる。多くの人が外回りの営業マンなのだろう。営業マンの成果は見えやすいから、成果で評価するのが本人にも会社にも都合が良い。 研究職、ソフトウェア開発者、ジャーナリスト、デザイナー、コピーライターなどの仕事は、時間が成果に結びつかないのだから、労働時間と無関係に給与を決めるのは当然だろう。明示されていないが、私が大学に職を得る前の仕事、エコノミストも、アナリストの隣接業務であり、仕事の内容としてはジャーナリストと文系研究者の中間のようなものだから、当然、残業代を付けないようにすることができる。 そもそも、日本の裁量労働制対象業務は、アメリカとたいして変わらない。違いは、日本では大学教員だけに認められている除外措置が、アメリカでは学校の教師に広く認められていることぐらいである(厚生労働省労働政策研究・研修機構の「諸外国のホワイトカラー労働者に係る労働時間法制に関する調査研究」労働政策研究報告書№36 05年による)。 ホワイトカラー・エグゼンプションが日本の企業の国際競争力を高めるためであるなら、労働時間と賃金の支払い方に関しては、アメリカと同じ制度にしてしまえば良いのではないだろうか。そうすれば、日本はグローバル化対応が遅れていると批判する人もいなくなる。また、アメリカで過労死など聞いたことがないので、残業代ゼロで過労死が増えると批判する人もいなくなるのではないか。無駄な残業は上司の責任 法律を改正する前に、まず、現行の制度で裁量労働制にできる人には、なるべくそうすれば良い。すると、残るのは、間接部門の下働きのホワイトカラーと、伝票整理や売掛金の回収などの定型業務を行っているホワイトカラーということになるだろう。どちらも普通、年収1000万円にはならないから、法律を改正しても適応範囲にならない。なんで法改正が必要なのだろうか。 年収条件はあとからついたから、本来の意図は下働きや定型業務でも無駄な残業を減らしたいということなのだろう。 そもそも無駄な残業を減らすのは、管理職の仕事である。本来、残業は、管理職の命令で行うべきもので、部下が勝手に残業できてしまうこと自体がおかしい。また、命令しておいて残業代を払わないのはもっとおかしい。部下の時間管理ができないことで、企業に無駄なコストがかかっているというのなら、管理職の給料を減らせば良いのではないか。 定型業務なら成果が分かる。伝票を何枚処理したか、売掛金をどれだけ回収したかは成果として見える。仕事の速い人に成果で払ってたくさん仕事をしてもらえば、仕事の遅い人に残業させる必要はなくなる。 間接部門の下働きのホワイトカラーの仕事が増えるのは、上司が基本的な方針を出さないからである場合が多い。あらゆる場合を想定して資料を作れば、いくらでも資料が増える。上司が基本的な方針を示せば、作るべき資料は一挙に減る。 もちろん、あらゆる場合を想定することが必要な場合もあるだろうが、それがもっとも必要な原子力発電所では、そんな資料は作っていなかった。もちろん、1990年代の初め、不良債権を処理したらどうなるかという資料を作っていた場合も多かっただろう。しかし、その資料は活用されなかった。実際には、ほとんどは意味のない資料を作っているだけではないか。 日本の海外M&Aは失敗の連続である(「特集 あぶない 企業買収」週刊東洋経済14年6月7日号参照)。事前によく調べるべきなのだが、大抵は買収するという結論が決まっていて、部下は、それをサポートする資料を作っているだけだろう。もちろん、被買収企業が不良資産を隠していたなど、決定的な問題を発見すれば上司に告げるだろうが、多くは経営能力があれば解決できると解釈できる程度の問題である。問題だというのは、上司に経営能力がないと言うのと同じになる。そんな資料を上司には持っていかないのがサラリーマンというものだ。 つまりは、間接部門の下働きのホワイトカラーとは、していることが本質的に無駄にならざるを得ない環境にある。 そうであれば、つまらない資料などに頼らず、社長が決断すれば良いだけだ。間接部門の下働きのホワイトカラーの残業代を減らせば、つまらない資料をもっとたくさん作るだけだ。 筆者は前に、管理職に部下の残業代を上乗せして払い、管理職にその中から残業代を払わせれば良いと提案したことがある。そうすれば、自分が判断するために何が本当に必要な情報かを真剣に考える。それは、自分の決断の意味も真剣に考えることになる。それこそが、日本企業をより活性化するのではないか。規制改革だけ行っても、会社が変わらなければ意味がない。原田 泰(はらだ・ゆたか)1950年東京生まれ。東京大学農学部卒。経済企画庁国民生活調査課長、財務省財務総合政策研究所次長などを経て現職。『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(新潮社)など著書多数。

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    非正規から置き換えられる移民労働では経済再生は無理

    田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員) 政府は6月末に打ち出した成長戦略(2013年「日本再興戦略」)の改訂版で、そろりと、移民受け入れに舵を切った。少子高齢化で停滞する日本経済は大量の外国人労働者を受け入れないとジリ貧になるという財務官僚や識者の意見が通ったわけだが、本当に移民で経済は成長するのだろうか。 政府の説明は、帰国を前提とした外国人労働者受け入れ拡大であり、永住につながる「移民」導入ではないというのだが、経済協力開発機構(OECD)など国際機関は「移民」を「外国生まれの移住者」とみなし、外国生まれの労働者をその範疇(はんちゅう)に入れている。外国人労働者を移民としてとらえるのはいわば国際常識だ。「低技能」大量流入も経済財政諮問会議に出席する(右から)菅官房長官、麻生財務相、安倍首相ら=2014年6月13日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 成長戦略改訂版では、さまざまな角度から外国人の働き手増加を導き出している。まず、法人税率引き下げで外国企業の対日直接投資を促して高度な技能・技術を持った外国人人材を受け入れる。高度な外国人が来日して定住してくれるようにするためには、外国人の家事労働者を受け入れる必要がある。これまで日本は単純労働者を受け入れていなかったが、家事労働をきっかけに単純労働者受け入れに転換することになる。 ならば、低技能の労働者も障壁を下げる。発展途上国の労働者が現場作業に従事しながら技能を学ぶという建前の「外国人技能研修制度」に基づく「外国人技能実習生」の受け入れをもっと拡大する。新成長戦略では技能研修生の滞在期間を3年から5年に延長すると同時に、介護福祉を外国人技能実習制度に追加する。さらに2020年東京五輪を控えた建設工事需要に対応する名目で建設業と、同じく人手不足の造船業での外国人労働者受け入れ期間を5~6年とする新制度をつくる。 これらは、急場しのぎでささやかな外国人労働の受け入れ拡大策のように見えるが、新成長戦略を議論する内閣府や経済財政諮問会議を裏方で仕切っている財務官僚は着々と地ならししている。例えば、内閣府が2月24日にまとめた「目指すべき日本の未来の姿について」というリポートで、出生率回復に加えて移民を年20万人ずつ受け入れた場合、2060年に12年と同水準の人口1億1000万人台を保てるが、移民なしでは出生率が回復しても、9894万人に落ち込むと「予測」してみせたが、計算根拠はなしだ。 移民増加で経済が再生できるなら、それだけの綿密な経済分析が必要だが、諮問会議ではおなじみの御用経済学者が「技能のある外国人材が活躍できる環境の構築でイノベーション」などと、もっぱら高度な人材の大量導入による経済活性化のシナリオを強調している。響きのよい「高度人材」を表看板に掲げ、「技能研修」という名の低コスト労働者の拡大を看板の裏に書いた。その裏の方は実現するに違いないが、表看板の方は問題だらけだ。「高度な外国の人材」よりも、低技能の労働者が大量に入ってくる可能性の方がはるかに高い。コスト優先の雇用構造 それでも「持続成長」は達成できるのだろうか。経済学の基本に立ち返ってみよう。企業のグローバル志向は国内雇用の非正規化を伴い、ひいては質的劣化も伴う 移民があろうがなかろうが、生産適齢人口(15歳以上、65歳未満)が減る中で、経済成長を維持するには、労働生産性を高めるというのが、常識である。少子高齢化のトレンドや人口構成が日本とよく似ているのが移民を受け入れてきたドイツである。ドイツの移民は全人口の15%程度になる。では、ドイツの労働生産性の伸び率はというと、2000~12年の年平均で1・1%、対する日本(滞在外国人比率1・7%)は1・3%である。 上記の技能研修を名目にした低技能の労働者には、国内に需要がある。需要というのは、コストの安い労働力のことで、日本の雇用構造がそうなっている。グラフは日本の製造業の海外志向と国内の非正規雇用の推移を追っている。非正規雇用は正規雇用に置き換わる形で、数と比率とも海外展開強化とともに上昇を続けている。企業は海外拠点拡大の一方で国内では、低コストの派遣社員やパートに依存し、高度な知見や経験を持つ正社員の人材を増やそうとしない。今後はさらに、低コストの非正規雇用をさらに低コストの外国人労働で置き換えることになる。生産性向上は二の次であり、コスト削減を最優先とする。それが日本再生につながるはずはないだろう。(SANKEI EXPRESS)

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    選挙後、家計はますます火の車に

    荻原博子(経済ジャーナリスト) 衆議院選挙がスタートしました。この暮れの忙しい時に、640億円もの大金を使って、なぜ選挙をしなくてはならないのか、さっぱりわからないという人が多いようです。 安倍首相は、消費増税先送りの是非を問う選挙だと言いますが、野党をはじめ一般の人も、こんなに景気が悪いのだから消費増税を先送りするのは当たり前だと思っている。それなのに、是非を問う必要などありません。 しいていうなら、経済状況がどんどん悪化している中で、約2年続けてきた「アベノミクス」を、このまま続けても良いのかどうかということなのでしょう。 4~6月期に続いて7~9月期もGDPがマイナスになりました。GDPが2カ月連続でマイナスということは、景気後退(リセッション)に入ったということで、海外からは「日本の景気は急速に悪化している」と見られています。そのせいで、円が売られ、ここにきて円安が急激に進んでいます。 「アベノミクス」では、“円安政策”を掲げ、円安で輸出を増やして経済を潤すと言っていましたが、結果は、輸出が伸びず、輸入コストが上がるという惨憺たる状況になってしまいました。円安でも、儲けのトリクルダウンは起きなかった 円安になると、輸出が伸びると言われていましたが、自動車工業会公表の4輪車の輸出台数を対前年比で見ると、1月マイナス4・9%、2月マイナス6%、3月マイナス0・6%、4月マイナス5・4%、5月マイナス9・6%、6月マイナス4%と惨憺たる状況。7月はかろうじてプラスになりましたが、それでも0・1%。さらに8月マイナス8・6%、9月マイナス3・3%。つまり、昨年は100台売れていた4輪車が、今年は円安が進んだにも関わらず95台に減ってしまったということ。確かに、トヨタなど輸出大手は100万円だった車が円安で120円で売れるので、為替で大儲けしています。けれど下請け企業は、輸出される車の台数が減っているのですから、仕事が減っているということ。儲かるどころか、値上がりした原材料を使わなくてはならないので、苦しくなっている。つまり、輸出大手が儲かれば、儲けが下請けに滴り落ちて行くというトリクルダウン理論は、完全に破綻しているということです。 家計に迫る、円安の津波  こうした中で、実質賃金は15カ月連続で下がっています。 なぜ、企業が賃金を上げられないのかと言えば、前述の4輪車の輸出を見てもわかるように、一部の大手企業は儲かっていても、下請けや中小・零細企業は、原材料の値上がりと消費税がアップする中で、肝心の仕事は増えず、利益がどんどん減ってしまっている状況だからです。 今、日本で働いている人の約7割は、中小・零細企業に勤めています。この人たちの給料が上がらないのですから、一部の儲かっている大手企業にお勤めの方達の給料が上がったとしても、全体的には上がらないということになってしまいます。さらに、働いている人の4割は非正規社員なので、ここには給料を上げるというインセンティブも働きません。 一方で、円安と消費税率8%への引き上げによる物価高は、この先もまだまだ続きそうです。 ここ1カ月の間に、10円以上の円安になっています。つまり、輸入品の原価が1割以上上がっているということです。今、このレートで海外にオーダーしている商品が、船便で日本に届いてスーパーの店頭に並ぶのは1~2カ月先ですから、来年の正月に、皆さんは、また一段と価格が上がったという実感を持つのでしょう。そうなると、当然ながらモノを買わないという行動に出ざるを得ないので、デフレ脱却などは、絵空事となるでしょう。100万人雇用の中身は“非正規社員”! 2年前の衆議院選のマニフェストで、いの一番に掲げていた「デフレ・円高からの脱却を最優先に、名目3%の経済成長を達成します」という公約は見事にどこかに消え去り、今回の政権公約で大看板として掲げているのが、「2年間で雇用が100万人も増えた」という実績(?)です。 確かにデータを見ると、安倍政権下で雇用は100万人以上増えています。ただ、その中身は、非正規が増えているということで、正社員は減っています。実際に、2013年1月と2014年9月を比べると、正社員は約10万人減っていて、非正規が大幅に増えています。しかも、この非正規の過半数はシニア世代と主婦世代。シニア世代は、年金が不安なので定年退職後も引き続き働こうという人が多く、主婦世代は、給料が上がらず家計が苦しく、子どもの教育費負担が大きいのでやむをえずパートで働き始めたということでしょう。しかも、「女性が輝く」とはほど遠い、生活のためにこなす仕事に就いています。 そういう意味では、これを「アベノミクスの成果」と言われても、戸惑います。 しかも、それ以上に不安に思うのは、政府は、「アベノミクス」以外の重要案件を、まったく争点にしない構えでいること。たとえば、国民にとって重要な憲法改正については、膨大なマニフェストの一番末尾に、言訳程度に6行でチョロっと書かれているだけ。秘密保護法や集団的自衛権については、言葉すらも出てきていません。 税金の無駄遣いとしか思えない選挙で、こうしたものにまで「国民の信を得た」などと言われては、たまらない気がします。

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    分岐路に立つ「危機感」が争点である

    活発な論戦を期待したい。 とはいえ、公示日を迎えると実質的に選挙戦は終盤に入ったとも言われる。今回の総選挙の意義については、すでに多くの議論がなされている。その1つとして当初、野党やマスコミの一部からは「大義なき解散」とか「なぜ今なのか」といった疑問が提起された。しかし私には、このような議論があること自体が、今、この国に一番足りないものが何かを教えているように感じられた。それは「危機感」ということである。最後の希望のアベノミクス このことは野党・マスコミだけでなく与党の一部、あるいは国民の中にも広く見いだされた。 「なぜ今、こんなに多くの議席を持っているのに解散などするのか」「任期があと2年以上あるのに、なぜわざわざ」などといった声が聞かれた。しかし解散表明前日の11月17日に内閣府が発表した数字は、日本経済あるいはこの国自体が「危機」に直面していることを示すものであった。 今年7月から9月の第3四半期の国内総生産(GDP)成長率が前期に続いてマイナス成長、それも年率でマイナス1・6%という予想外のものであった。4月に5%から8%に引き上げられた消費税の導入が依然、成長の足を引っ張っており、日本経済がこの2年間、デフレ脱却へ向かっていた勢いがここで失速する可能性が浮上した、ということだ。 当然、来年10月に予定されていた消費税10%への再引き上げは先延ばしせざるを得ず、社会保障をはじめとするさまざまな施策にも影響が及ぶことになる。 しかしそれ以上に、今や「この国の悲願」ともいえる経済再生と持続的成長の確保という、かけがえのない重要な国家目標が成否の分岐路に立っていることを、われわれはもっと強く自覚しなければならないのではないか。 すでに20年近くにわたる長期のデフレによって日本経済は未曽有の低迷を続けており、この2年間アベノミクスの発動によって、ようやく光明が見え始めていた。 そこへ先のような数値が報じられたのである。20年ぶりに成果を生み始めたアベノミクスが、日本の未来にとって、いわば「最後の希望」なのであり、もしこれが失速すれば「日本の底が抜ける」ような事態になるのではないか、ということが分かるはずだ。失ってはならない成長の展望 今後も「この道しかない」とし、アベノミクスに賭けるのか、それとも、もと来た道へと引き返すのか。選挙の大義、争点はまさにこれなのだ。 それゆえアベノミクスを批判する野党は、ぜひとも、それに代わる具体的な代案を出さねばならないのである。いずれにせよ、日本が20年ぶりに「成長する経済」を取り戻せるのか否か、いまこの国は歴史的な分岐路に立っている。 「危機」と「破局」は違う。危機(クライシス)とは、まさに破局が始まる臨界点のことで、悪くすると破滅的な結末に至る重大局面を意味する。もしここで日本が成長への展望を失ってしまえば、少子化の進行と財政危機の頻発の中で不可逆的な国家衰退の道を辿(たど)るだろう。 21世紀の世界において、経済成長のない国は、中東やアフリカの「破綻国家」と同様、国際社会においてはまともな存在感を発揮できず、領土問題など国の存立それ自体にも影を及ぼすことになる。 この観点から、日本におけるエネルギー政策をめぐる議論の現状には、差し迫った疑問を感じないわけにはいかない。適切なエネルギー源の確保は、その国の経済成長の要石である。安全性を確認された原発の早期の再稼働は、今やこの国の存立と未来を確保するための重要な課題となっている。歴史的成果あげた安倍外交 安倍晋三政権は4月に改定されたエネルギー基本計画に則(のっと)って選挙公約を発表している。解散の記者会見を見ても安倍首相のスタンスは、この点でも「この道しかない」とはっきりしている。野党も態度を明確にして、有権者に明瞭な選択肢を示すべきである。 もう1つ、解散・総選挙の重要な大義として、この2年間にわたる活発な「安倍外交」の成果を問う、ということが挙げられる。 まさにこの11月、北京で安倍首相と中国の習近平国家主席との日中首脳会談がほぼ3年ぶりに実現した。沖縄県・尖閣諸島や歴史問題で一方的な条件を付け、首脳会談の開催を拒んできた中国と韓国に対し、「法の支配」や「人権」など普遍的価値を掲げて展開した安倍首相の「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」がついに対話のドアを開けさせることに成功したのである。 日本外交の歴史的成果といっても過言ではない。俗に外交は票にならないという。であれば、次のように言おう。 この選挙の真の争点、それはまさに安倍晋三という指導者その人への信任なのである。 中西 輝政(京都大学名誉教授) 昭和22年、大阪府生まれ。京大大学院博士課程単位取得、英ケンブリッジ大留学。静岡県立大教授、京大大学院教授などを歴任。平成24年から京都大名誉教授。著書に「大英帝国衰亡史」「帝国としての中国」「迫りくる日中冷戦の時代」など。第18回正論大賞受賞。

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    国民はアベノミクス選挙に何を想う

    「この道しかない」。安倍晋三首相がそう声高に訴えてから10日余り。師走の衆院選が2日公示された。各党の公約は出そろい、政策の違いもはっきりみえてきたが、盛り上がりには欠ける。この選挙に国民は何を想い、何を期待するのか。選択の猶予は残り12日しかない。

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    有権者は一票に何を込めればいいのか

    12日間の選挙戦が始まったが、いつにも増して有権者の関心度は薄いようだ。その理由は、「なぜいま、解散総選挙をするのか」といった疑問に他ならない。 安倍晋三首相は解散に先立ち、11月18日の会見で「消費税を現在の8%から10%に再増税するのを1年半先送りする。しかし、18カ月先送りした2016年4月には、景気条項を外し、どんなことがあっても再増税は実施する」という主旨の発言をし、そのために「アベノミクスを引き続きやらせていただきたい」と述べた。つまり、今回の解散総選挙は、アベノミクスの信任選挙だと位置付けたのだ。 果たして、そうなのだろうか。本当に今回の解散はアベノミクスを問う解散なのだろうか。多くの永田町関係者や識者らは「大義がない」と、首を傾げる。野党各党は、再増税の先送りに異を唱えていないからだ。国論を二分するような話なら、解散して国民に信を問うというのは成り立つが、どうやらそうではない。 そんななか、自民党関係者はこう語る。 「実は、解散するタイミングは意外と少ない。来年は統一地方選挙があり、年が明けたらそれ一色に染まる。統一選後の地方議員はなかなか動かない。来年夏の解散を言う評論家など多かったが、選択肢としてはあり得ない話だったんだよ」 衆参合わせて過去5回、統一地方選後に国政選挙が行われたが、自分の選挙を終えたばかりの地方議員は積極的に動くことはせず、自民党にとって苦しい選挙戦の記憶があるのだというのだ。つまり、2016年の12月の任期満了までの政治カレンダーをめくれば、来年は統一地方選、再来年は夏の参院選があり、この機を逃せば参院選に合わせた解散しか手立てが無くなる。消去法による選択肢で“勝てるタイミング”はこの年末だったというのである。 このような話を聞く限り、党利党略、個利個略の解散としか映らない。大義の欠片も感じない。しかも、9月の内閣改造以降、安倍内閣の新大臣は相次ぐスキャンダルに見舞われ、このままいけば閣僚辞任ドミノを引き起こし、政権崩壊が囁かれていた時期でもある。単なる延命策としての解散ではないのか、そんな疑問すら持たれる解散だ。だから、有権者の多くは白けて、前回2012年の最低投票率59.32%を大きく下回るとの予測が出ているのだ。 実際、多くの町の小売業を営む方は、顔を歪めてこう言う。 「今年4月に消費税が8%になって以降、売り上げは全く伸びていない。なんとか年末商戦で今年の“負け分”を取り返そうとしていたのに、こんなんじゃ期待できない。一体、安倍首相は何がしたいんだ」 円安の影響で輸入部材の仕入れ値は急騰し、さまざまな商品が値上げを余儀なくされている。個人消費が伸び悩んでいる要因の大きな一つだ。その直撃をモロにかぶっているのが、小売業者に他ならない。その売り上げの落ち込みを取り戻そうと、年末商戦に賭けていた矢先、冷水を浴びせるような解散だったという。しかも「何がしたいのか分からない解散」(前出・小売り業者)では、怒りが倍増し、政治離れに拍車をかけるだけだ。 多くの国民がアベノミクスを実感できないなか、アベノミクスの信を問うと言われて、何を1票に込めればいいのだろうか。だからこそ、低投票率の話は現実味を帯びている。 低投票率になれば、基礎票が見込める自民、公明が有利だと見られている。事実、12月1日、NHKが発表した世論調査でも政党支持率は自民党が41.7%と他党を大きく引き離していた。このままいけば、解散まえの295議席を大きく割ることはないと見る専門家も出てきている。 責任は野党側にもある。第三極として、非自民、非民主の受け皿だったみんなの党は解党した。多くの野党がまとまらず、ようやく選挙区調整で候補を一本化するのが精一杯。かといって、選挙協力まで進まないので、有権者からすれば選択肢の幅がなくなってきたとしか映らない。本来、「非自民勢力を結集して、選挙後はこのような国会運営で自民党の暴走を食い止めます」というような野党連携の選挙が出来れば、選択肢は広がる。しかし、それが無い以上、以前は民主党に投票していた人が維新の候補しかいないからといって維新候補に投票するとは思えない。野党にとって一本化調整は入口であって、そこから戦略を練る必要があるのに、出来ないまま選挙戦に突入した感が否めないのだ。それが、“野党離れ”の世論調査に繋がっている。 疲弊したこの国の論点は数多くある。集団的自衛権の憲法解釈容認を臨時閣議で決め、今後は行使の前提となる個別法の整備を進めることとなる。この是非は考えなくてはならない。また、原発再稼働の問題も大きいだろう。単に、景気だけが論点ではない。 要は、有権者がいまの政治を自分の考え、生活に置き換えて今後はどうなればいいのか判断するより他ない。加えて言うなら、子どもや孫の世代まで思いを馳せることが重要だ。政治に失望し、投票所に行かないのは簡単だが、次の世代のためにも、1票をムダにしないでほしい。過渡期のなか、今後の政治の行方を決めるのは、有権者の1票に他ならないからだ。

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    アベノミクスの進むべき道

    日銀の黒田東彦総裁による異次元の金融緩和は見事に機能した。だが、今年4月の消費増税でその効果は打ち消された。日本経済再生の「切り札」ともいえるアベノミクスの成否は、民間需要を喚起する成長戦略「第3の矢」の真価にかかっている。試練を迎えたアベノミクスが進むべき道を考える。