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    モリカケ頼み「報ステ」のニセ論点

    衆院選は終盤戦にさしかかった。選挙結果はマスコミ報道に影響されやすいが、党首討論で放送時間の6割も森友・加計問題に費やしたのは「報道ステーション」(テレビ朝日系)である。テレ朝は本当に「モリカケ」が最重要争点だと思っているのか。有権者は報ステを筆頭とする一部マスコミの「ニセ論点」にだまされてはいけない。

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    有権者をそそのかす報道ステーション「依存効果」の罠

    計問題への党首討論での過度な傾斜は異様にさえ思える。ちなみに同問題については、私はかなり早い段階に本連載で、安倍首相個人や政権の固有の問題ではない、その意味での議論は事実上フェイクであると指摘してきた。マスコミがあおりたい対決図式 現状では、関係者ともいえる国家戦略特区ワーキンググループの八田達夫座長から、朝日新聞など事実上のフェイクニュースをただす公開質問が出されているが、それに対して朝日新聞の応答はまったくない(参照:「岩盤規制」を死守する朝日新聞)。その他にも多くの識者・関係者らから同問題の報道姿勢について、マスコミに批判が加えられている。その意味では、上記した朝日新聞や報道ステーションなどの、あまりに政治的に過度に偏った報道姿勢が問われている局面ではないだろうか。マスコミのあり方が、実はいまの選挙でも問われている隠れた論争点かもしれない。 マスコミの多くは選挙における政策的論争点を、「消費増税(与党)vs消費税凍結(野党)」という対立図式であおりたいようだった。この図式がいかに誤っているかは前回の寄稿で解説した。 簡単にまとめると、現在の日本経済は総需要不足、つまり国民にお金が不足している状態である。過去20年の停滞期よりははるかに改善されているが、まだ不十分である。このはるかにましになった状況は、政府と日本銀行がデフレ脱却にコミットした持続的な金融緩和の成果である。財政政策は2013年こそ拡大基調だったが、それからは14年の消費増税や以降の財政緊縮スタンスであまり効果は発揮されていない。そのため金融緩和政策を否定する政党には、日本経済の改善をストップさせてしまうから評価はできない。また消費増税はそもそも2年後であり、そのときの経済状況に大きく依存する話である。 もちろん減税をいまの段階で決めることがベストだが、それでも金融緩和政策という経済回復の前提条件を否定してまでやるとすれば、それは単に倒錯した政策スタンスでしかない。つまり何が重要かは、「いまの段階でどんな政策をやるか」そして特に「金融緩和政策への姿勢」こそが問われる。2017年10月、党首討論会を終えた(左から)公明党の山口那津男代表、自民党の安倍晋三首相、日本共産党の志位和夫委員長、希望の党の小池百合子代表、立憲民主党の枝野幸男代表=日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) その点から評価すれば、自公政権のスタンスは金融緩和政策の継続であり、この経済回復のための前提条件を満たしている。ただし2年後の消費増税を現時点で許容していることで、今後も大きな政策的争点になる。また財政政策については基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年の黒字化目標を取り下げたため、目前の財政政策の制約がなくなり拡大スタンスを取りやすくなっている。もちろん取りやすくなっただけで実際にデフレ脱却のために財政政策も積極的にやるかどうかは厳しく今後も検証すべきだろう。少なくとも衆院選後の補正予算の構築が大きな経済政策上のテーマになる。一番の争点はやっぱりこれだ さて、対する与党の最大ライバルである希望の党、立憲民主党は公約を見る限り、現時点の経済政策については、緊縮スタンスと反リフレ政策(デフレ脱却政策の否定)を主にしている。そのためそもそもの経済回復の前提条件を満たす政策を、この両党は提起しえないでいる。せいぜい2年後の消費税を凍結するといっているだけだ。つまり、これから2年間は緊縮政策とリフレ政策の見直しを続けると明言しているのである。 確かに2年たてば「凍結」せざるをえないかもしれない。ただし、日本経済がどうにもならない危機的状況になっていて、政治的に「凍結」しないとその時の政権が持たなくなるからだ。その意味では、希望の党も立憲民主党もともに危機的な政党といえる。ちなみに各党の経済政策についての評価は、エコノミストの安達誠司氏とネット放送で徹底的に議論したのでそれを参照していただきたい。 以上書いた理由から、消費増税vs消費税凍結というのはニセの論点であり、むしろ経済政策全体をみていく必要がある。この常識的な観点が、マスコミの問題設定に誘導されるとみえなくなるおそれがあるだろう。 さらに投開票日が差し迫った選挙の論点は経済問題だけではない。やはり「北朝鮮リスク」こそが選挙で問われる本当のテーマであったろう。この点についてはあまり議論が盛り上がっていないというのが率直なところだ。だが北朝鮮リスクが今後、高まることはあれ低くなることがない情勢である。2017年10月9日、平壌駅前に設置された朝鮮労働党創建記念日の飾り(共同) 端的にいえば北朝鮮リスクが戦争状態にまでなるのか、それとも北朝鮮の政治体制の大きな変更になるのか、その選択になっている状況といえるかもしれない。そのときに日本はどのような状況におかれるのか。さまざまなシナリオが具体的に考えなければいけない局面だろう。例えば、難民問題をどうとらえるのか、国連軍が立ち上がったときに日本はどう関与するのかしないのか。北朝鮮リスクを客観的に考えることは今後ともに極めて重要になるだろう。

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    マウンドに戻った特攻帰還兵の奇跡

    かつてプロ野球「近鉄パールス」に所属した投手、武智文雄を知る人は少ないだろう。先の大戦で一度はあきらめた野球。だが、特攻隊に配属されながら生還を果たし、1シーズンに二度の完全試合まであと一歩で幻となる偉業を残した名投手だ。生きてホーム(家)に還るスポーツ「野球」を体現した武智文雄の生涯とは。

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    知られざる名投手「特攻帰還兵」武智文雄の人生

    小林信也(作家、スポーツライター) 「私が生まれたばっかりに、父の二度目の完全試合がダメになってしまった。私は生まれたときから親不孝者です」 初めて会った日、その女性は真面目な顔で言った。 「完全試合を二度やった投手はメジャーリーグにもいないそうです。もし父が二度達成していたら、もう少し世間に知られた存在になって、野球の殿堂にも入れてもらえたのではないでしょうか」 日本のプロ野球史上二人目の完全試合投手、と聞いてすぐ名前が浮かぶ野球ファンがどれほどいるだろう? 史上初の完全試合は、巨人の藤本英雄だと、多くのファンが知っている。だが、二人目となると、知る人は少ない。女性はその人、武智文雄(近鉄パールス)の長女、美保さんだ。 2013年7月、武智文雄は病気で亡くなった。遺品を整理していると、ボールやユニホームが出て来た。それをどうしたものか、どれほど貴重なのものか、誰かにその相談をしたいと紹介されて筆者が会った。その時の自己紹介が冒頭の言葉だ。 武智文雄は、26勝を挙げて最多勝投手に輝いた翌年の1955年(昭和30年)6月19日、大映スターズとの試合で完全試合を達成した。史上二人目、パ・リーグでは初となる快挙だった。そしてその年の8月30日にも、同じ大映戦で9回1死まで完全に抑えていた。 「文(ふみ)さん、またやるぞ!」、球場は期待と緊張に包まれ、「同じ年に二度もやられてたまるか!」、大映ベンチには悲壮な空気が流れていた。 その時、ひとつの難問が近鉄ベンチに投げかけられていた、と美保さんは言う。 「ちょうどその日、私が生まれたのです。ベンチにその知らせが届いて、監督、コーチはそれを父に伝えるかどうか、迷ったそうです。9回1死になって、ベンチはタイムを取り、マウンドにいる父に私の誕生を伝えた……」現役当時の武智文雄投手 女の子が生まれたぞ、と。その途端に、代打で出て来た新人の八田正にセンター前に打たれた。鈍い当たり、テキサス・ヒットだった。これで世界でも初、「同じ年に二度の完全試合」は断たれた。だから、「生まれたときから親不孝」と美保さんが自嘲するのだ。その逸話を、美保さんはまだ幼いころ、自宅に遊びに来た近鉄の選手から聞かされた。しかも、誰かがそのことを書いた記事も見せられたという。だから、自分が生まれた8月30日は誕生日であっても、常に苦い思いとともにある、美保さんにとっては複雑な気持ちにかられる日だという。 さらに、武智文雄(結婚して婿養子になる前は田中文雄だった)が名門・岐阜商に進学、野球部での活躍を期待されながら夏の甲子園大会が中止になったこともあり途中で退部。自ら予科練を志願し、野球をあきらめた人だと知らされた。 運命の糸に引かれるように、私は武智文雄の人生をたどり始めた。「神風」から「桜花」へ 武智文雄が配属されたのは、特攻隊。神風特攻隊から、やがて桜花特攻隊員へ。桜花は別名「人問ロケット」と呼ばれた。エンジンがついていない親機にぶらさがり、引っ張られて上空に昇る。そこで切り離されると、加速用のエンジンだけを噴かして時速600キロで急降下する。出撃したら、生きて帰る道がない。武智文雄の頭には生きて輝く未来はもう描けなかった。野球どころではない。死ぬことが目的となった日々。 野球評論家、近藤唯之が書いた夕刊フジ(1977年10月21~23日)のコラム「背番号の消えた人生」に、文雄自身の回想とともに、下記のように掲載されている。 「男の運命ぐらい、不思議なものはない。戦争中、田中文雄は特別攻撃隊神雷隊員だった。最初はゼロ戦に乗っていた。しかし戦争末期はゼロ戦ではない。『桜花』と名づけられた、翼のあるロケット特攻機である」  「一式陸攻が桜花を腹にかかえて飛ぶんです。そして敵艦の近くにきたら桜花を胴体から切り離す。すると桜花は5分間ほど自動ロケット装置で飛び、時速600キロのスピードで敵艦に突っ込んでいく。私はこの桜花特攻隊員になったから、いずれは間違いなく死ぬと思ってました」 「それが生き残った。紙一枚の差というか、まばたきする瞬間の差というか、すれすれの作戦変更で彼の特攻出撃はないまま、戦争は終わった」 幸運にも、武智文雄は出撃命令のたびに何らかの理由で出撃が中止され、出撃した際も天候不良で作戦が中止され不時着するなど、大けがは負っても死は免れ、終戦を迎えたのだ。日本海軍の特攻専用機「桜花」 復員してしばらくは「愚連(ぐれん)隊」を自称して荒れた日々を過ごした。生きて還ったものの、飛び立ったまま二度と戻らなかった仲間たちを思えば、生きている自分を恥じる気持ちが消えなかった。その後、社会人野球に誘われ、思いがけず野球の世界に戻った。所属した大日本土木(岐阜)が都市対抗野球で2連覇を飾るなど実績を積んだ武智文雄は、1950年(昭和25年)、誕生したばかりの近鉄球団の契約第1号選手としてプロ野球に入った。 武智文雄の人生をたどりながら、私は改めて、戦争の悲惨さを知った。戦争は多くの命を犠牲にする、だから絶対に繰り返してはならないと思っていた。それだけではない。武智文雄のように、九死に一生を得て、生き延びた人にとっても、その周囲の家族にも、実は一生消えない心の傷を与え、生涯その痛みを抱えて苦しみ続ける。 私たちの父親たちがそうだったように、その世代の日本人の多くは案外、戦争体験やその後抱え続けた心の苦悩を自分の中にとどめ、表現しようとしなかった。いや、どう表現すればいいのか、どう理解すればいいのか、ついにはっきりした答えが見つからないまま、人生を重ねていたのかもしれない。 また私は、死ぬことを覚悟して生きた青春時代を持つ武智文雄の生きざまから、野球という競技そのものの、そして日米の野球観の違いなどに気づくことができた。 野球は27の「死(アウト)」を重ねて勝利を目指すゲームだ。日本の草野球では、アウトをただ「アウト」とコールするが、アメリカの野球では必ず「ヒー・イズ・アウト」と言う。 ひとつひとつの「死」をどのように生かすか。日本とアメリカではまったく考え方が違う。それをただ戦術論として捉えがちだが、その背景には、社会の価値観、個人の尊厳をどれだけ尊重するかの重要な社会の空気も反映されているように気がついた。そんな新たな視点もまじえ、筆者は彼の人生を『生きて還る 完全試合投手となった特攻帰還兵 武智文雄』(集英社インターナショナル刊)にまとめた。高校時代、武智文雄と同じアンダースロー投手だった私が、武智文雄に出会ったのも何かの運命かと感じている。

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    自民か希望か立憲民主か、「増税」対「凍結」で判断したらダメな理由

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 22日に投開票される衆議院選挙をめぐって、主要政党の経済政策についての考えが出そろった。ここでは、自民党、希望の党、立憲民主党を中心にみておく。言うまでもなく、経済政策はわれわれ国民の生活を養う上で極めて重要度の高いものだ。北朝鮮リスクが潜在的に高まっている中でも、安全保障政策と並ぶ重要な関心事である。有権者の判断材料としても大切なものであろう。衆院選の政策を発表する希望の党の小池百合子代表=10月6日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影) 日本経済の現状はどのようなものであるか、そのときに望ましい政策はどのようなものであるか、この二つの点を明らかにしたうえで、各党の経済政策を評価していきたい。 現在の日本経済は「総需要不足」の状態にある。総需要不足とは、私たち民間の消費や投資といったモノやサービスを購入するお金の不足を表す。この原因は、消費や投資を可能にする経済全体の所得が不足しているということでもある。総需要不足というのは要するに購買力不足のことだ。この状況は、デフレーション(デフレ、物価の継続的下落)を伴っている。 簡単にいうと、デフレが継続するということは、日本経済全体で総需要不足が今後も継続する可能性が高いことを示している。例えば、経済全体でモノやサービスが売れ残っているとすれば、モノやサービスの平均価格が低下することになる。この辺りは直観的には、スーパーが売れ残りを避けるため夕方以降に総菜などの料金表示を割引価格に貼り替える状況に似ている。もし売れ残りが恒常化したり、店舗全体の売り上げも伸び悩めば、やがてスーパーの閉店や従業員・パートタイマーの解雇という最悪のケースにもつながるだろう。そのような状況が経済全体で起こっていると理解してほしい。 もちろん、経済全体で不景気が蔓延(まんえん)しているという認識は完全に誤りである。日本経済は現状では経済停滞の状況から脱却する過程にある。直近の2017年4~6月期の国内総生産(GDP)成長率は2.5%でかなりいい。雇用状況はここ数年改善傾向を続けていて、失業率も低下し、実質雇用者報酬が上昇している。正規雇用は増加し、他方で非正規雇用は昨年から減少傾向にある。デフレと総需要不足、三党の政策は? ただし、上記の総需要不足は依然として継続していて、それが日本経済の景況感をいまひとつのものにしている。これは言い換えれば、日本経済はいまだにデフレにハマっているからだ。実際に物価指標をみると、直近ではエネルギーや生鮮食料品を抜いた消費者物価指数(コアコアCPI)をみると0・2%と極めて低い水準にある。さまざまな物価指標があるが、私見ではこのコアコア物価指数が安定的に2%に近くならないかぎり、日本はデフレ経済のままであろう。つまり日本は潜在的に経済停滞に陥るリスクを常に抱えたままだといっていい。現状の雇用の大幅な改善などは、世界経済の不安定化、北朝鮮リスクの顕在化、あるいは国内政策の失敗といった何かのショックにより、容易に「失われた20年」といわれる状況に再び戻りかねない。 このような日本経済の状況を改善する経済政策の特徴は明らかである。デフレと総需要不足を解消することである。この観点から主要三党の経済政策をみておきたい。 安倍晋三首相の「アベノミクス」、小池百合子東京都知事が率いる希望の党の「ユリノミクス」、そして枝野幸男元官房長官が代表に就いた立憲民主党の「中間層の再生」政策の三つとも消費税が焦点になっている。衆院選で掲げる政権公約を発表する自民党の岸田政調会長=10月2日、東京・永田町の党本部 安倍政権は、消費増税を確約し、増税時には従来の使途の配分を修正するとしている。具体的には、国の借金の返済に充てる分から、教育の無償化など社会保障の充実に充てる部分を拡大するという。このことは基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年度黒字の先送りを伴う財政支出の拡大を潜在的に伴う。小池氏の希望の党は、19年10月の消費税引き上げを「凍結」すると主張している。この点では枝野氏の立憲民主党と同じである。ただし希望の党は、凍結に伴う代替財源として内部留保課税や行財政改革など政府の支出見直しを行うとしている。他方で立憲民主党ではこの代替財源そのものへの言及はないようだ。 この消費税を「増税」するか「凍結」するか、「それだけ」に注目するのはあまり得策ではない。もちろん現時点で消費増税を行えば明らかに経済に与える影響は悪い。実際の消費税の引き上げは2年後であり、そのときの経済状況次第だが、私見ではいまの経済政策が順調に機動したとして、ようやくインフレ目標に到達できたころであろう。まだ安定しているとは言い切れない。その意味で、消費増税は否定すべき政策である。消費増税「だけ」に注目していけない理由 ただし、注意すべき点がある。消費増税「だけ」に注目してしまうと、経済政策全体のあり方を見失ってしまうことがあるからだ。最近、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授は、人間の経済的判断が非合理的なものだとして「行動経済学」を主張している。選挙になると、各党ともキャッチフレーズを利用して特定の論点だけに人々の注目を集めようとする。これを「アンカリング効果」ともいう。例えば、安倍政権の「消費増税」というレッテルだけに注目してしまうと、まるで緊縮主義的に思えてしまう。対して希望の党や立憲民主党の「消費税凍結」の方は総需要不足を解消するような経済拡大をもたらすように見えてしまう。 だが、このような見方は「アンカリング効果」の結果にしかすぎない。「アンカリング効果」が発揮されると、われわれの判断は非合理的なものになりやすくなる。確かに安倍政権の「消費増税」が実施されれば、デフレ経済に再び転落する可能性は大きい。だが、そもそも実施が2年後であり、首相の発言では、その間「リーマン・ショック級」の事態があれば見直すともいっている。この発言は前回の消費増税先送りのときにも見られたものだ。また日本銀行による金融緩和の継続などデフレ脱却を主眼としている。つまり経済政策全体でみれば、総需要不足解消・デフレ脱却に主眼をおき、また目標未達ではあるが、経済の良好なパフォーマンスを築いてきた実績がある。経済を拡大し、税収増の中で財源を確保していくスタンスでもあるのだ。 対して希望の党は消費増税凍結をするものの、経済政策全体では「緊縮主義」的だ。消費増税凍結の代替財源として内部留保課税などを挙げている。ただ、内部留保に課税すると企業の投資に悪影響がもたらされる。総需要の主要な構成は消費と投資であり、内部留保課税はその意味で総需要不足の解消にはマイナスに作用する。また金融政策については、財政政策とともに「過度に依存しない」としており、金融政策の「出口戦略」を強調している。 デフレ脱却という目標達成の強い意思を見せないままに、金融引き締めを意味する「出口戦略」をいまから強調することは得策ではない。まずは国民の懐具合を改善するには、デフレ脱却が優先であるべきだ。またインフラ整備などの長期的な公共事業の見直しなども含めて、その姿勢は小泉政権時の構造改革を想起させる。構造改革は、経済の潜在的な成長率を高める政策ではあるが、それが正しく機能するにはまずは総需要不足を解消することが重要である。その意味で「消費増税凍結」といいながらも希望の党の経済政策は緊縮主義そのもので形成されているといっていい。立憲民主党の経済政策は? 枝野氏の立憲民主党の経済政策は、財政政策については若干拡大スタンスであり、児童手当や高校などの授業料無償化(所得制限廃止)などが盛り込まれている。この点は評価すべきだ。消費増税の凍結は、これらの財政政策の拡大と矛盾しない。また所得税の累進税率強化、相続税増税、金融課税の強化を主張している。特に所得税と相続税の見直しは、経済格差の縮小に貢献するだろう。ただし金融課税については、国際的な競争の観点から慎重に考えるべきだろう。政策発表に臨む立憲民主党の福山哲郎幹事長(左)と長妻昭代表代行。左は政策パンフレット「国民との約束」=10月7日、東京都港区(松本健吾撮影) だが、基本的に立憲民主党の財政政策のスタンスは、総額を拡大するというよりも、あくまでも総額が一定もしくは微増の下で、再分配機能を強化するものでしかない。事実上、過去の民主党政権の財政政策スタンスと変わらず、デフレ脱却を意図したものではないのだ。その中で「消費増税凍結」も位置づけるべきだろう。また、金融政策については同党の方針ははっきりしない。枝野氏は、いまの日銀の金融緩和を直ちにやめることを考えるのは難しいと発言しているが、他方でデフレ脱却への強いコミットをしているわけでもない。つまり財政政策については拡張的な姿勢だが、他方でデフレ脱却のための必要条件ともいえる金融緩和政策については消極的である。金融政策への消極姿勢をとるということは、現状の経済の好転からすると政治的な不安定要因になりかねない。 要するに、希望の党も立憲民主党も「消費増税凍結」とはいいながら、その経済政策全体は緊縮主義に大きくとらわれている。対して安倍政権の経済政策は反緊縮主義(リフレ主義)だが、将来の「消費増税」に不安を抱えている、という形だ。デフレ脱却を確実に実現するという絶対的評価からすれば三党ともに不十分であるか、またはお話にならない。しかし相対的基準でいえば、現政権の経済政策は他の二党よりもはるかにましである。その理由はすでに書いた。 公明党は安倍政権と基本的に同じだとみなしてかまわない。日本維新の会は消費増税凍結を訴えるが、やはりマクロ経済政策全体がはっきりしない。共産党は消費増税中止だが、金融緩和政策も否定的なので、マクロ経済政策の観点からは論外である。 ノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授が指摘しているように、人々の判断は必ずしも合理的に行われるとはかぎらない。むしろ、非合理的に判断することが普通だという。消費税の「増税」対「凍結」という論点のみでみてしまうと、経済政策全体が拡大重視か、緊縮的かという構図を見失いがちである。経済状況と経済政策全体のスタンスをもとに、有権者がよりよい投票を行うことを願いたい。

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    本能寺の変、足利義昭「黒幕説」の真偽

    信長殺しの首謀者、明智光秀が本能寺の変直後に紀州の豪族に送った書状の原本が見つかり、その記述内容に注目が集まった。「将軍の命に従い協力すべし」。これを額面通り受け止めれば、足利義昭の黒幕説を補強する歴史的発見と言えるが、この説だけはどうも腑に落ちない点が多いのも事実である。

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    足利義昭「将軍黒幕説」が成り立たないこれだけの理由

    渡邊大門(歴史学者) 前回は、本能寺の変における「朝廷黒幕説」の一つの原因とされる「暦問題」を取り上げ、その説が成り立たないと結論付けた。 ほかにも重要な黒幕説としては、将軍・足利義昭が黒幕だったという「将軍黒幕説」がある。この説が有力視されるのは、義昭が信長と決裂して信長包囲網を形成し、中国の毛利輝元や大坂本願寺(石山本願寺)などと結託し、信長を討とうとしていたからだろう。そのためには、明智光秀の助力が必要だった。以下、最初に当時の政治情勢を簡単に取り上げ、次に将軍黒幕説の当否を考えることにしたい。室町幕府を開いた足利氏ゆかりの鑁阿寺本堂。国宝に指定された=2013年5月11日、栃木県足利市 永禄11(1568)年9月、義昭は信長に推戴(すいたい)されて、念願の上洛(じょうらく)を果たした。しかし、両者は政治志向の相違などもあり、天正元(1573)年に関係が破綻した。義昭は信長の圧倒的な軍事力に敗北を喫し、紆余曲折を経て、天正4年に備後国鞆(広島県福山市)を訪れた。こうして義昭は、毛利輝元の庇護を受け、各地に「打倒信長」の檄(げき)を飛ばしたのである。 しかし、ことは義昭の思い通りに進まなかった。天正5年以降、信長の命により羽柴(豊臣)秀吉が中国経略に出陣すると、たちまち毛利氏は劣勢に追い込まれた。天正10年3月以降、毛利方の備中高松城(岡山市北区)は包囲され、秀吉の水攻めによって苦境に立たされたのである。 そして、同年6月2日に本能寺の変が勃発した。変は偶然起こったのではなく、義昭が光秀と連絡を取り合って、計画的に起こしたというのが将軍黒幕説の主張である。義昭は積極的に有力な諸大名と関わりを持って来たので、光秀と関係していたとしても不思議ではない。しかし、本能寺の変の前に義昭と光秀が結託していたことを示す決定的な根拠史料を欠くのは大きな問題で、批判も数多くある。以下、将軍黒幕説の根拠を確認することにしよう。 大村由己(ゆうこ)の手になる『惟任(これとう)謀反記』には、「光秀は公儀を奉じて2万余の兵を揃えたが、備中に下ることなく密かに謀反を企てた(現代語訳)」という記述がある。本能寺の変の直前の記述である。本来、光秀は本能寺を襲撃するのではなく、備中高松城を攻める秀吉の救援に向かう予定だった。資料をどう解釈するか 将軍黒幕説の主張者の指摘の通り、文中の「公儀」を義昭と考えると、「光秀は義昭を擁立して謀反を起こした」という解釈になり、将軍黒幕説が成立する。しかし、この「公儀」の語については、すでに指摘があるように、義昭ではなく信長を意味する。 改めて先の史料を解釈すれば、「光秀は信長の意を奉じて2万余の兵を揃えたが、備中に下ることなく、密かに謀反を企てた(現代語訳)」ということになる。2万騎の兵を集めたのは義昭のためではなく、信長の命令を受け、備中高松城に向かう予定だったのだ。 二つ目は、『本法寺文書』の乃美兵部丞(ひょうぶのじょう)宛て天正10年6月13日付足利義昭御内書をめぐる解釈である。この御内書は「信長を討ち果たしたうえは、上洛の件を進めるよう毛利輝元、小早川隆景に命じたので、いよいよ忠功に励むことが肝要である…」と解釈された。 冒頭で示した「信長討果上者(原文)」を「信長を討ち果たしたうえは」と解釈することにより、義昭が光秀に命じて信長を討ち果たしたと理解するのがポイントである。 しかし、こちらも「信長討ち果つる」と読み、「信長が討ち果たされたうえは」と解釈すべきと指摘されている。つまり、義昭が光秀に命じて討たせたというよりも、信長が本能寺の変で横死したという解釈になる。そうなると、やはり義昭と光秀との共謀という説は、成り立ちにくいと考えられる。 最後は、『森文書』の土橋平尉(つちはしへいのじょう・紀州雑賀の土豪)宛て天正10年6月12日付明智光秀書状の解釈である。最近になって美濃加茂市民ミュージアムに原本で公開されたが、もともと『森文書』の写しが知られていた。明智光秀が天正10年6月12日に土橋重治に宛てた書状の原本と確認された「土橋重治宛光秀書状」(美濃加茂市民ミュージアム所蔵) 土橋氏は紀州にあって反信長の行動を取っており、毛利氏や義昭とも連絡を取り合っていた。土橋氏はこれ以前に光秀に書状を送っており、この光秀書状はその返事なのである。つまり、この書状は義昭と光秀を結ぶ接点となろう。 もともと同史料の冒頭部分は「なお、受衆が上洛するならば、協力することが肝要である(現代語訳)」と解釈されてきた。文中の「受衆」は、義昭の謀反に応じた者たちと理解され、首尾よく信長を果たした光秀と義昭が事前に連絡を取り合ってきたと考えられたのである。「受衆」とは何を示すのか しかし、現在は「受衆」の崩し字を「急度」と読むべきであり、先の解釈は成り立たないと指摘されている。そのほうが妥当な解釈であり、光秀と義昭が事前に通じていたとの証左にはならないと考えられており、今では「受衆」説は撤回されている。 何より重要なのは、あくまで光秀が義昭の支援を表明したのは、6月12日でのことであって、それ以前に両者が打倒信長を画策した史料は残っていない。つまり、将軍黒幕説の主張者は、この時点で両者は協力関係にあったのだから、それ以前に遡及(そきゅう)することができると考えているのだろう。 そのような論法が通用するとは、とても思えない。変以前に光秀と義昭が結託した確かな史料を挙げるか、納得しうる状況証拠を示すよりほかはないと考える。現状の説明では、とても将軍黒幕説が受け入れられる余地はない。 変後の光秀は、丹後の細川藤孝(幽斎)・忠興父子や大和の筒井順慶らに味方になってくれるよう要請していたが、色よい返事をもらえなかった。したがって、光秀が味方を募るべく、変後に目的を同じくする義昭と結託したことは、特段不思議なことではない。現状の史料残存状況では、そのように考えるのが妥当だろう。 実は、本能寺の変を4日経過しても、毛利氏は正しい状況をつかんでいなかったと指摘されている。6月6日付の小早川隆景の書状によると、「京都のこと、去る1日に信長・(長男の)信忠父子が討ち果て、同じく2日に大坂で(三男の)信孝が殺害されました。津田信澄、明智光秀、柴田勝家が策略により討ち果たしたとのことです」とある(『萩藩閥閲録』)。信長時代の本能寺跡=2011年5月18日、京都市中京区(木戸照博撮影) 信長が殺されたのは未明なので1日でよいとしても、信孝が殺害されたというのは明らかに誤報である。光秀の勢力に津田信澄や柴田勝家が加わっているのもおかしい。義昭が光秀と結託していたならば、もっと正確な情報を得られるはずではないか。 そもそも義昭だけが正しい情報をつかんで光秀とともに打倒信長を果たし、毛利氏には適切な情報を与えないというのは不可解である。苦戦していた信長に挑むならば、義昭は光秀だけでなく、毛利氏を交えて計画を練るべきだろう。単純に考えてみても、現状では将軍黒幕説は成り立たないのである。 将軍黒幕説を成り立たせるには、より合理的な史料解釈を示すか、本能寺の変の前に義昭と光秀が結託していたことを示す決定的な根拠史料を挙げるしかないだろう。【主要参考文献】・谷口克広『検証本能寺の変』(吉川弘文館、2007年)・渡邊大門『信長政権 本能寺の変にその正体を見る』(河出ブックス、2013年)

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    小池新党と民進党の「ドタバタ野合」に政治の倫理的腐敗を見た

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 10月10日公示、22日投開票が行われる衆議院選挙をめぐる政治情勢が混沌(こんとん)としている。特に民進党の前原誠司代表が提案した、小池百合子東京都知事が率いる希望の党との事実上の「合併」をめぐる問題は、国民の多くに分かりにくい政治劇として映っているに違いない。全国幹事会・選挙対策者会議であいさつするため演壇に向かう、民進党の前原誠司代表=9月30日、東京・永田町の民進党本部(古厩正樹撮影) 簡単に整理すると、小池知事の抜群の知名度と国民の高い支持を民進党の全国的組織、資金力と交換することで、双方が選挙で実利を得るという作戦だった。そこには両党の「理念」や「政策」の一致を真剣に議論した痕跡は皆無であり、単なる選挙対策のための、まさに正真正銘の「野合」である。 そのためか、あれだけマスコミを中心にして行われていた「大義なき解散」という批判はどこかに吹き飛んでしまった。むしろ今の国民の焦点は、この理念も政策も全くない両党の野合と、そして対する安倍政権(自民・公明連立政権)が続くか否かの二つに向けられている。どちらかというと、前者の方がこの原稿を書いている段階で注目度が高い。 希望の党と民進党の野合は、前者が後者を事実上吸収する形をとった。その際に、選挙での立候補者を「選別」することが前提条件だったようである。おそらく筆者が指摘したような野合批判をかわすためのものだろう。 この「選別」をする過程で興味深いことが起こった。ひとつは、希望の党は、政策方針として憲法改正と安全保障法制賛成の立場を鮮明にしていた。改憲は、安倍晋三首相が提案した憲法9条第3項(自衛隊の明記)ではなく、より広範囲に及ぶものにするという積極的なスタンスだ。もちろん民進党の中にも改憲派が多くいたが、それでも党内の分裂を避けるために大っぴらには議論されてこなかった。また安全保障法制については、同党は全面否定の立場で国論をリードしてきた。その基本方針に賛同してきた議員は多数に上る。その過去を一切捨てて、今や積極的に賛成する側にまわっている。安全保障法制の委員会採決のときに、体を張って阻止しようと「蛮行」に及んだ議員が、いまでは「親類に自衛隊員がいて賛成している」とにこやかに語る始末である。まさに政治の倫理的腐敗のオンパレードを見る思いである。希望も民進も経済再生に本気なのか 憲法観や安全保障の在り方をどう考えるかは、政治家としてのアイデンティティーにかかわる問題だと思うが、どうもそんな意識はいかようにも変化するのだろう。そうなると、ただ単に生活のためか、権威欲のために政治家になっている連中がこれほど多かったということになるのだろう。 民進党の希望の党への合流について、ある有名政治家はギリシャ神話の「トロイの木馬」と称したり、ある大学教授は「安倍政権を倒すために反対の立場でもともかく糾合するのだ」と発言したりしている。仮にこの「トロイの木馬」戦略を採用して政治的に主導権を握っても、立場の違いから党の中は四分五裂してしまい、この北朝鮮リスクが顕在化する状況で、国内政治の混乱がもたらされるという最悪の結果になるだろう。まさに愚か者を超えて、悪質な政治ゲームに国民を巻き込む者たちである。 「選別」の過程で起きたもうひとつのことは、いわゆる「日本型リベラル・左派」勢力が少数ながら結集したことである。現段階の報道では、民進党の枝野幸男代表代行ら希望の党から「排除」される議員を中心に新党を立ち上げるという。この日本型リベラル勢力は第三極的な立ち位置で、共産党や社民党などとの連携を強めるのかもしれない。 ちなみに、なぜ「日本型」リベラルというと、この政治集団の多くは再分配政策には意欲的でも、積極的なマクロ経済政策には消極的だからである。現在の日本のように完全雇用に達していない経済で、積極的なマクロ経済政策に消極的であることは、経済格差、貧困、そして雇用の不安定化に寄与するだろう。それは社会的弱者を保護するリベラル的な発想から最も遠い。もちろん枝野氏も、最近では消費税凍結や現状の金融政策の維持を唱えるが、いずれも消極的な採用でしかない。リベラルであれば、例えば前者の財政政策ならば増税ストップではなく積極財政を採り、後者であればより一層の金融緩和政策を唱えるのが常とう手段であろう。しかし、これは希望の党でもいえるのだが、消費増税凍結を持ち出せば国民の関心を引きつけると思って言っているだけではなかろうか。連合の神津里季生会長との会談を終え、記者の囲み取材に応じる民進党の枝野幸男代表代行=10月2日、東京都千代田区(川口良介撮影) そもそも希望の党も民進党も経済停滞を脱する意識に乏しい。これでは過去の民主党政権がそうだったように、消費増税をしないといいながら、やがて最悪のタイミングでその法案化を決めたやり口をまた採用するのではないか。希望の党も、民進党の希望移籍組も新党合流組も、行政改革など政府支出を絞るという緊縮主義、財政再建主義だけがかなり明瞭だ。他方で、マクロ経済政策、特に金融政策についてはまったく評価が低いままである。このような政治集団が政治的に力を得れば、即時に為替市場や株式市場に悪影響をもたらし、消費や投資を抑圧して再び経済停滞に戻してしまうだろう。首相会見で重要な発言は消費税ではない 自民党と公明党の政策に対する批判もある。その代表的なものは、衆院解散の意図が分からないというものだ。冒頭の「大義なき解散」の言い換えである。安倍首相がこの時期に解散を決めた要因は、大きく三つあるだろう。ひとつは、北朝鮮リスクが11月の米中首脳会談後に高まる可能性があることだ。そしてこの北朝鮮リスクはそれ以降、短期的には収束することなく、むしろ高止まりしたままになる可能性がある、という判断からだろう。 残りの二つはいずれも選挙対策的なものだ。内閣支持率の改善がみられたこと、そして小池知事の新党の選挙準備が不十分なこの段階を狙ったというものである。ただこれらふたつの要因は、マスコミの報道の仕方や、新党の行方に大きく依存するので、首相側からすれば確たる解散の理由にはなりにくい。いずれにせよ、どんなに遅くとも来年末には任期満了を迎えるので、北朝鮮リスクが相対的に低い現時点での解散に踏み切ったということではないか。 また経済政策については、安倍首相の2019年の消費増税を前提にして、その消費税の使途変更が注目されている。簡単に言うと、国債償却から教育の無償化などへの使途変更である。これについて、あたかも2019年10月の消費増税が確実に行われるとする皮相な見方がある。過去の消費増税の見送りもそうだったが、増税自体はその時々の経済状況をみて政治的に判断されてきた。使途の変更と増税「確定」は分けて判断すべきだろう。 むしろ首相の記者会見では、日本の財政再建の旗印であった基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年までの黒字化達成を断念したことの方が筆者からすれば重要である。これによって中長期的な財政支出への重しがとれたことになる。経済低迷や北朝鮮リスクによる意図しない政府支出にも十分対応可能になるだろう。一方で、経済面で残念なこともある。それはインフレ目標の早期達成をはかるためには、日本銀行との協調を再強化しなければならないのに、その点への認識が甘いように感じられる。選挙のためには、現在の経済状況の良さを強調するという戦略だろうが、まだまだ日本経済は不完全雇用の状態である。それに立ち向かえるだけの政策の装備をしなくてはいけない。報道陣の取材に応じる希望の党の小池百合子代表=10月1日、東京都中央区 このままいけば、今度の選挙の論点はワイドショー的な「安倍自民vs小池希望」という構図で騒がれてしまうだろう。または小池新党をめぐる政治的混乱に注目が集まってしまう。今の政治状況では、ワイドショー的なものがかなり政治的なパワーを持っている。もし、また安易にテレビなどの報道にあおられて、「一度チャンスを与えよう」とか「新しいものがいい」などという安易で空疎な態度で、選挙に挑まないことを筆者としては祈るばかりである。

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    神をも恐れぬ信長がビビった魔物

    「尾張の大うつけ」。若き日の信長は、その奇抜ないでたちと突拍子もない行動から、周囲から白い目でみられていたというエピソードはあまりに有名である。だが、信長が当時持ち歩いたとされるグッズを調べてみると、その意外な用途が見えてきた。神をも恐れぬ信長は、実は「魔物」にビビっていたのである。

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    信長のヤンキーファッションに隠された「3つの魔除けアイテム」

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 前回の最後で、若き日の信長の風変わりないでたちについて触れた。 浴衣の原型になる袖を外した湯帷子(かたびら)、半袴(足首までの長さの袴)、朱鞘の太刀、紅と萌黄(もえぎ)の2色の糸でハデに結い上げた髷(まげ)までは当時、傾奇者(かぶきもの)と呼ばれた不良少年、青年にありがちな風体ということで理解できるのだが、問題はそれ以外に身につけていたモノだ。太刀と脇差しの柄は三五縄(みごなわ)で巻かれ、腰回りには火燧袋(ひうちぶくろ)と7、8個のひょうたんをぶら下げていたというところに妖しい臭いがプンプン漂っているのである。 まず三五縄だが、これは三五七縄とも書き、どちらも「しめなわ」とも読む。つまりしめ繩だ。もうお分かりかと思うが、神社、神木、神岩などに張られるしめ繩は「ハレとケ(晴れと汚れ)」との境界を示し、ケから清浄なものを守る結界の役割を果たす。家庭で正月飾りに用いるしめ飾りも同様で、家の中にケ(厄)が入ってこないように祓うという意味があるのだ。これを鞘(さや)に巻いたということは、信長がその魔除け効果を期待した、あるいは信長自身が神聖な存在というアピールだったと考えられないだろうか。 無論、「いやいや、合理主義者の信長は戦闘のとき、敵の血でぬれた柄が滑って刀を取り落とさないよう、縄で巻いただけだろう」という解釈も可能だろうが、それなら荒縄で良いではないか。筆者は単なる縄ではなく、しめ繩だったというところに信長の意図を感じるのだ。そして、これは後々、重要な意味を持ってくるので留意しておいていただきたいのだが、しめ繩は「蛇」と密接な関係を持っている。口縄坂、西側の案内碑と説明板 少し話がそれるが、大阪の天王寺(大阪市天王寺区)近く、夕陽丘は活断層によって形作られた上町台地の上にあり、西の市街地とは「天王寺七坂」ほか、多くの急坂で結ばれている。その一つが「口縄(くちなわ)坂」だ。「口縄」は大阪の古語といわれるが、戦国時代の日本ですでに広く使われていた。当時の『日葡辞書』(ポルトガル語を日本語に訳した辞書)にも収録されている日常語で、蛇を意味する。「朽ち縄=古びて切れた縄」が蛇を思わせるところからこの言葉が生まれたことは容易に想像がつくけれども、この坂も起伏が蛇に似ているところから名付けられたという。つまり、緩やかな傾斜が途中から急になるため、蛇が鎌首をもたげて前進する形を連想したのだろう。 「三五縄=しめ繩」もまた、蛇を表す。『蛇 日本の蛇信仰』(講談社学術文庫)の中で著者の吉野裕子氏は、しめ繩の形が蛇の交尾に由来していると説く。確かに雄と雌の蛇は体を互いに巻き付かせて交尾し、しめ繩の形にそっくりだ。古代から日本にはヤマタノオロチ伝説や奈良・三輪山の大神神社(奈良県桜井市)の祭神として信仰をあつめる蛇神・大物主(大国主神)などの蛇信仰があった。信長が火打ち石を携帯していた謎 ちなみに江戸時代、摂津国嶋上郡(現在の大阪府三島郡島本町ほか)の原村では、毎年2月8日の天王祭で縄を蛇の形にしてその目を射るという儀式が行われた(『諸国年中行事』)。これは破魔とともに「目当てに的中する」、つまり願い事成就も意味する。蛇自体はケの象徴だが、同時に願い事=ハレをも体現するという面白い位置づけだ。口縄坂、奥で急に斜度があがる 閑話休題。ともあれ、信長が刀の柄に巻いた三五縄は「魔除け、厄除け」の意味を持ち、同時に蛇を表現するものでもあった、ということだ。 次に火燧袋だが、これは火打ち石を入れる袋。ライターもマッチもない当時、どこでも手軽に火を起こせる道具は火打ち石しかない。野遊びが大好きだった信長としては、ぜひ身につけておきたいところだろう…と思うのだが、よく考えてみると信長は腐っても織田家の若様。『信長公記』を見ても、常に従者(小姓衆)を連れ、彼らによりかかったり背中にぶら下がったりして歩いていた、とある。そんな身分の信長が自ら火を起こす必要なんかないではないか。まだ犬千代と言った前田利家ら小姓衆の仕事を取り上げてしまっては「主君失格」なのである。 では信長はなぜ火打ち石を携えていたのか。実は、これもまた魔除けアイテムだったのだ。時代劇オールドファンには、大川橋蔵の「銭形平次」で、出掛ける平次の背に妻のお静が火打ち石と火打ち金(かね)をカチッと打ち合わせるシーンはおなじみだろう。あれは「切火(きりび)を切る」といって、火花を起こすことがおはらい、厄除けになるという民俗信仰から来ている。 少なくとも江戸時代にはこの風習はあったというが、仮に信長の時代にはまだ火打ち石で厄を除けるという考えはなかったとしても、火打ち石が生み出す火や炎は古代神話の時代から清めの効果を持つと考えられてきた。『古事記』では伊弉諾(いざなぎ)神が、死んだ妻、伊弉冉(いざなみ)神の真実の姿を見るときに火を用い、あやうく難を逃れている。京をはじめ各地の神社では毎年11月に「清めの御火焚」が行われるが、これも火の持つ破魔の効用だ(「十二ヶ月風俗図」)。信長の大マナー違反 また、『古事記』には火燧袋自体も登場している。日本武尊(やまとたけるのみこと)も天皇から東国平定を命じられ、倭比売命(やまとひめのみこと)に草薙剣と袋をもらって出発。敵に火を付けられたときに袋を開けると火打ち石が入っていたので、剣で草をなぎ、それに火を付けて向かい火にし、難を逃れた。火燧袋はいわば「ラッキーアイテム」であり、火が厄を祓ったのである。 古事記の時代から200年近くたった平安時代、歌人、源公忠の『公忠朝臣集』には、田舎に下る人に火打ち袋を贈った際の作として 《うち見ても 思ひ出でよと 我が宿の しのぶ草にて すれるなりけり》と詠んだものが収められている。この場合、火打ち石は餞別(せんべつ)として喜ばれる旅の必需品であり、安全祈願のアイテムでもあったということなのだろう。 つまり、信長の時代には切火という魔除けのまじない自体が仮にまだ存在しなかったとしても、火打ち石は魔を祓い厄を除けるための火を生み出す重要な道具と見なされていた、というわけだ。 信長の時代より少しだけ前、享禄元(1528)年に伊勢貞頼が著した武士のマナー指南書『宗五大草紙』などには「火燧袋は40歳以後に提げるべし。それも晴れの時や主君の御前では提げてはいけない。火打ち袋は刀に提げる」と記されているから、通常火燧袋は老境に差し掛かってから非公式の場合のみ、刀に結びつけて提げるものだったようだ。すると、まだ若い内から火燧袋を提げていた信長は大マナー違反をやらかしていたことになる。このあたりも「大うつけ」と呼ばれた信長らしいといえばらしいのだが、マナーを無視してまで魔除けの効用にすがりたい―そんな思いが信長の胸の中にあったのかもしれない。「信長公出陣の像」=愛知県清須市の清洲公園(関厚夫撮影) 最後に、ひょうたんについて触れておこう。ひょうたんが古くからお守り、縁起物、魔除けとして喜ばれたのはかなり知られている。信長の覇業を継いで日本統一を達成した豊臣秀吉の馬印「千成瓢箪」が好例だが、それ以外でも九州福岡の太宰府天満宮では厄除けのためにひょうたんに詰めた酒を飲む風習があって今でも「厄晴れひょうたん」が参拝者に授与されているし、島根の出雲大社の爪剥(つまむぎ)祭でも洞切にした生のひょうたんに柄を付けた柄杓(ひしゃく)でご神水を供えるときに使用している。信長が魔除けグッズに頼った理由 古来、作物の種の入れ物として使われたひょうたんは豊穣(ほうじょう)を意味した。豊穣はすなわち凶作を封じる、厄をけるという意味につながり、またひょうたん固有の機能として酒の入れ物に用いられたことで清めの象徴ともなる。酒が神への供物であり、また外傷の消毒用に使われたことも大きかっただろう。豊臣秀吉の馬印だった瓢箪=2012年2月8日、京都府(安元雄太撮影) その結果、ひょうたんは縁起物として絵や着物の柄などに採用され、家紋にも無数のバリエーションが存在する。日本人の「ひょうたん頼み」は尋常ではないのだ。信長が腰からぶら提げていた7、8個のひょうたんというのも、実用オンリーであればひとつは水、ひとつは酒、ひとつは灯油(当時は荏胡麻油)などフィールドワークで必要ないくつかと、あとは信長が大好きな火縄銃を撃つ際の火薬、弾丸ぐらいは思い浮かぶが、あと2つ3つが何か、思い浮かばない。 砂でも詰めておけば、他のひょうたんと合わせて結構な重量になるから鍛錬にはなるだろうが、よもや「大リーグボール養成ギプス」でもあるまいし、それなら日頃から甲冑をつけるなり、大太刀でも提げておけばよい。何より家来に持ち運ばせるという主人としての「義務」を無視することにもなるから、やはりこれも魔除け効果を期待した「必携グッズ」だったのだろう。 当時、信長はその異様な形(なり)や粗暴なふるまいによって織田家の重臣連から疎まれ、弟の信勝に期待が集まる中、いつ誰から暗殺されるかも分からない日常を送っていた。常に命の危険にさいなまれる中で精神を正常に保つためにはこれらの魔除けグッズに頼るしかなかったのではないだろうか。そして、その魔除けグッズの一つ、三五縄に潜む蛇のイメージ。それを求めた信長の心の源流をこれから探ってみよう。 天文3年5月12日(1534年6月23日)、織田信長は父、信秀と土田御前の次男として生まれた。庶腹の兄、信広がいたものの、正室の土田御前を母に持つ信長は嫡子である。その生地は、現在の名古屋城二の丸辺りにあったとされる那古野城が、当時まだ信秀の支配下となっていなかったということで、勝幡城(現在の愛知県の愛西市勝幡町から稲沢市平和町六輪にかけての一帯)説が有力となっている。その後、那古野城を手に入れた信秀は、まだ「吉法師」と呼ばれていた信長にこの城を与える。そこで信長はある経験をするのだが、その話はまた次回に。

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    安倍政権が黒田日銀に仕掛けた片岡委員「反対票」の舞台裏

    し、低インフレ状態で経済を安定化させることを目的としている。筆者もそのリフレ派の一員であることはこの連載で何度も書いているのでお分かりの読者も多いだろう。片岡氏は就任会見でも、物価安定目標の達成に並々ならぬ意欲をみせた。 また、若田部昌澄早大教授は片岡氏を評して「勇気の人」と述べている。片岡氏は長年、民間のエコノミストとして活動してきており、一企業のいわば組織人である。片岡氏の発言をみてきた経験でいうと、彼の発言は所属する組織の利害と全く関係なく、その経済学に立脚した視点と事実に対する検証に裏付けられた政策観で首尾一貫していた。日本の組織は一般的に同調圧力が強い。今回の決定会合のように、最初から自説を展開できる人が今までいなかったことも、論理と事実の検証という理屈が、いかに組織的な同調圧力=「空気」の前に弱いか傍証しているだろう。そのような日銀にも代表される同調圧力に抗する「勇気」を、片岡氏は民間エコノミスト時代から養っていたのだろう。 片岡氏の今回の日銀における「抵抗」は非常に強いメッセージを発している。片岡氏は日本銀行法が20世紀の終わりに改正されてから最も若い審議委員である。それ以前の日銀の歴史の中でも、われわれと立場が似ていた日本を代表するエコノミスト、下村治(1910-1989)に次いで2番目に若い審議委員である。またリフレ派でもあることを考えれば、この人選には官邸の意志が強く反映していると考えるのが普通だろう。つまり言い方をかえれば、官邸は片岡氏の意見を重視するはずである。ただのマイナーな意見の表明とは質が違う、と考えるべきだ。そして片岡氏が「勇気の人」であるならば、日本経済の状況と政策のあり方が変わらない限り、この「反対」の意見もまた変わることがないだろうと予測できる。繰り返すが、この「反対」は日銀への評価として、官邸や言論の場にも影響を与えることは間違いない。停滞脱出は金融政策のたまもの さて、次にいまの日本経済における金融政策のあり方を簡単にみておく。その上で今回の片岡氏の「反対」の理由について簡単にコメントしておきたい。 経済を安定化させ、雇用や生活の水準を改善していく役目を、各国の中央銀行は担っている。日本の中央銀行は日本銀行であり、その政策を決定するのは日銀正副総裁3人と審議委員6人からなる政策決定会合である。いまの日銀は経済の安定化を、物価安定目標(インフレ目標とも呼称される)を対前年比2%の水準を達成することで果たそうと考えている。なぜならば、日本経済の長期停滞は物価下落(デフレ)の継続にその真因があると、日銀は考えているからだ。 ただし、物価安定目標が導入されてから4年以上経過したが、いまだに物価水準は0%近くの低位置のままだ。その原因は、主に2014年4月導入の消費増税による消費低迷が現在も持続していることである。そして15年から本格化してきた新興国経済の不安定化、ギリシャ危機、英国の欧州連合(EU)離脱ショック、なによりも米国の金融政策が不透明化したことも大きい。 今日、後者の世界経済の撹乱(かくらん)は一息ついている状態だ。前者をみれば、17年6月の消費は名目・実質ともにプラス域に転じている。その意味では、ここ数年の日本経済の不安定感は次第に薄れているようでもある。だが、2%の物価安定目標への道のりは依然として厳しいだろう。もっとも雇用状況を含めて大半の経済指標は、日本が長期停滞に入る前の水準か、あるいは統計史上でもまれなほど改善しているものもあり、実体経済はかなり堅調ではある。これらは明らかに、不十分とはいえ長期停滞を脱しつつある証拠であり、また日本の金融政策の成果であることは疑いない。なぜなら日本経済全体を改善する政策効果のひとつである財政政策のスタンスは、この連載でも指摘しているように13年度は拡張基調だったが、それ以降は事実上の緊縮スタンスである。平成30年春に卒業予定の大学生らを対象にした企業の採用選考が解禁となり、三井住友海上火災保険の採用面接で、順番を待つ学生たち=6月1日、東京都千代田区 雇用状況を、世界経済の好転や生産年齢人口の減少による人手不足に求める不可思議な議論がある。だが、前者に関してはいま述べたように、ここ数年の世界経済は撹乱要因が大半であった。08年のリーマン・ショックにより落ち込んだ前後6年で比較すると、前では7・4%、後では5・3%である。先の「いまの雇用状況などがいいのは世界経済の好転のせい」という仮説に従うと、リーマン・ショック前は現状よりも日本経済はいいはずだ。だが、そんなことにはなっていない。つまりニセの議論なのである。 後者の生産年齢人口が減少したためにいまの雇用状況がいい、という議論もまたトンデモ経済論である。例えば、生産年齢人口は21世紀初頭から今日まで約1000万人減少している。今世紀に限定しても17年間、この減少は継続している。もし先の「生産年齢人口減少仮説」が正しければ、この減少トレンドと同時に失業率の低下や有効求人倍率の改善がみられただろう。だが実際には、小泉政権後期から08年までのリーマン・ショック以前、そして第2次安倍政権以降を抜かせば、失業率は高止まりし、有効求人倍率は極めて低かった。そうなると金融政策の緩和継続こそが、いまの雇用状況の改善に効果があったということはいえるであろう。安定的な経済再生にはあれしかない ただし、要するに金融政策は効果が極めて高かったが十分ではない。特に、経済の安定化というのは一時的なものであってはならず、継続的なものでないといけない。そのためには早急な物価安定目標の実現が必要である。その意味でも片岡氏の「抵抗」は高い評価に値する。それでは、現状までで公にされている片岡氏の反対理由をみておきたい。 「資本・労働市場に過大な供給余力が残存しているため、現在のイールドカーブ(国債の利回り曲線)のもとでの金融緩和効果は、2019年度頃に2%の物価上昇率を達成するには不十分であるとして反対した」と日銀のアナウンスメントにはある。これはまだ雇用状況の改善が不十分であり、まだまだ失業率の低下の余地もあり、そしてその結果としての賃金上昇圧力の可能性があることを、現状認識として言っている。資本市場の方は簡略にいうと企業の設備投資にまだ余力があるということである。この労働市場と資本市場の不完全利用を解消するには、いまのイールドカーブコントロールという日銀の政策手段は不十分である、というのが片岡氏の主張だ。これには私も賛同する。すでに今年の4月、この連載の中で指摘したことと全く同じだからである。以下に当該部分を再録する。 残念ながら、日銀の大胆な金融緩和政策は継続こそすれ、もう一段の緩和には動き切れていない。ここ1年をみても、短期・長期の金利を操作する「イールドカーブコントロール」やマイナス金利などを追加的に採用しただけである。これらの政策の効果はきわめて限定的だ。 例えば、イールドカーブコントロールは、具体的には国債の金利を操作することである。これは日銀の保有する国債の金利構成を変更することにもつながる。より大胆な政策であれば、最近、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授が指摘し、さらに昔にさかのぼればベン・バーナンキ前米連邦準備制度理事会(FRB)議長も主張していたように、日銀のバランスシート(貸借対照表)の構成を変化させる、例えば保有国債の償還期間長期化を財務省と交渉することも一案である。そうなれば、10年物国債を20年、30年と長期化させることが可能だろう。 さらに、高等教育無償化などの目的を持つ国債を新規発行して、それを日銀に引き受けさせるのも一案である。いずれにせよ、政府との協調が重要であることは言うまでもない。この財政政策と金融政策の協調こそが、日本経済の安定的な再生のキーポイントである(「デフレ脱却はどうなった? 黒田日銀総裁4年間の『通信簿』」)。 筆者の観測が正しければ、片岡氏の「反対」には、黒田東彦総裁が安倍晋三首相と約束した「アコード」(政策協調)の再検討が含意されているのではないだろうか。そこに今回の片岡氏の「反対」のもつ大きな意義がある。経済財政諮問会議で、あいさつする安倍首相(左端)。右端は黒田日銀総裁=1月25日、首相官邸 やがて総選挙が行われるが、そのときに改めて政府と日銀の関係が問われることになるだろう。そのときに片岡氏の「抵抗」のもつ意味がより鮮明になってくるであろう。できればその「抵抗」が日本経済に実りをもたらす方向になることを期待したい。

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    巨人澤村のはり治療ミスと重なる江川卓「禁断のツボ」事件

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人が「澤村拓一投手に謝罪した」というニュースが報じられたのは9月10日。このニュースに接してからずっと、胸が痛む思いが消えない。   契約更改を終え、会見に臨む澤村拓一投手 =2016年12月、東京・大手町の球団事務所 胸が痛むのは、活躍の場を持つ投手が、人為的なミスによってその機会を奪われることへの痛切な哀感。本人の気持ちを思えば、言葉がない。同時に、その原因とされた球団トレーナーの気持ちや未来を思うと、いたたまれない。なぜなら、私自身が、はり治療によってスポーツ選手のケガを治し、オリンピックの金メダルを獲得させるなど、スポーツ施術の現場に直接関わっていた経験があるからである。私は鍼灸師ではないが、今回の騒動をめぐり世間から批判を浴びているトレーナー側、いわば当事者に近い立場でもあった。 まずは、事件の経緯を確認しよう。サンケイスポーツ紙はこう伝えている。 開幕前に右肩の異常を訴えて2軍で調整していた巨人の沢村拓一投手の故障の原因が球団トレーナーのはり治療での施術ミスである可能性が高いとして球団が謝罪していたことが10日、分かった。石井一夫球団社長、鹿取義隆ゼネラルマネジャー(GM)と当該のトレーナーが9日に川崎市のジャイアンツ球場で沢村に謝罪した。鹿取GMによると本人は納得しているという。 これを公表した巨人の姿勢に一定の評価を与える反応もあるが、同じ球団に所属する選手とトレーナー間で起きた治療ミス(事故)とはいえ、「本人は納得している」という解決法で終わっていい問題なのかどうか。 結局、「最善を尽くしても失敗することはあり、医療ミスは起こり得る」から、お互いの思いやりで「なかったこと」にするのが最も平和な解決だという現実はあるにはある。だが、もし本当に戦列離脱を長引かせた理由がはり治療だったとしたら、球団は澤村投手にもっと明確な補償をし、再発防止策を真剣に探る責務がある。 同紙はさらに次のように報じている。 球団関係者によると、沢村はキャンプ中の2月25日に右肩の不調を訴え、27日にはり治療を受けた。その後も状態が上向かなかったため、複数の医師の診察を受けて「長胸神経まひ」と診断された。まひは外的要因によるものとされ、はり治療で一時的な機能障害が引き起こされた可能性があるとの所見が出たことで、球団が謝罪した。 この記事の下りには「複数の医師の診察」とある。「複数だから間違いなさそうだ」という印象を与えるが、ここにひとつの不公平が隠されている。検証のため診察したのは、いずれも西洋医学の医師であり、原因とされたのが東洋医学に基づくはり治療を施したトレーナーである。スポーツ界に限らず、日本の医学界はある時期からずっと西洋医学主導で動き、東洋医学を冷遇、または排除する方向に働いてきた。はり治療はこうして浸透した 私は昭和60年代の半ばから数年間、はり治療を得意とする白石宏トレーナーのマネジメントとプロデュースを担当した。彼との活動を通して、治療技術を持ったトレーナーという新しい分野を拓き、普及させる一翼を担った。ロス五輪で4つの金メダルを獲ったカール・ルイス、ソウル五輪で金メダルを獲った水泳の鈴木大地(現スポーツ庁長官)、柔道の斉藤仁、さらにはテニスの伊達公子、松岡修造、マラソンの有森裕子ら、数え切れない選手たちのケガを治療し、競技に復帰させた。目標を果たす傍らにいた白石トレーナーの活躍を私は身近で支援し、それを雑誌や単行本で発信したこともあり、実際にトレーナーを志した人たちも少なくないと聞かされている。シート打撃練習に登板した巨人・澤村拓一=7月28日、ジャイアンツ球場(撮影・矢島康弘) その当時、はりを使うトレーナーに対する医学界の「拒否反応」はあからさまだった。鈴木大地、斎藤仁両選手から要請を受け、五輪の会期中ソウルに赴いたが、選手村に入ることは当然許されず、私はソウル市内に部屋を確保し、両選手が選手村から治療に通ってくる環境を整えた。西洋医学の医師たちが治せなかったケガだからこそ、選手は藁にもすがる思いではり治療を選択し、夢を達成した。それなのに、はり治療を根拠のないものとして排除しようとする組織的パワーを痛いほど感じた。 実際に、はり治療で選手がケガから回復した例は数え切れない。西洋医学的な治療より効果があり、短期間で競技に戻った例をたくさん知っている。反対に、スポーツ選手のケガや障害に関して、検査による診断はできても改善できない医師たちの現状もたくさん知っている。投薬や手術では改善できないスポーツ障害がたくさんある。 はり治療がスポーツ界で注目されたひとつのきっかけは、いま日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦だ。福岡国際マラソンを3連覇、ボストンマラソンにも優勝して広く国民的なスターだった瀬古利彦が、足のケガで長くレースから遠ざかった時期がある。いくつの病院を訪ねても治らなかったケガを治し、レースで走れるまでに回復させてくれたのが、はり治療家、小林尚寿だった。彼の伝説は、当時のファンにはよく知られている。アメリカのトレーナー制度を学んで帰国し、当初は西洋的なシステムに傾倒していた前述の白石宏トレーナーが痛切にはり治療を学ぶきっかけとなったのも、瀬古のケガを小林尚寿が治す姿を間近で見たからだ。 このように、西洋医学で治せなかったスポーツ選手のケガをはり治療が改善した事例は、その後の日本スポーツ界にもたくさんある。だが、日本各地に立派な競技場が建設され、その内部にトレーニング場やメディカル・ルームが併設されるが、東洋医学的なトレーナールームが採用された例を私はあまり知らない。ここは日本であるにもかかわらず、そういう場合に幅を利かせるのはやはり西洋医学的な施設なのだ。江川卓の引退は鍼のせい? はり治療に関わっていた者にとって、冷や水を浴びせられるような出来事は過去にもあった。苦い記憶のひとつは、巨人のエース、江川卓投手の引退コメントだ。まだ誰も引退を予想していなかった時期に早々と引退を発表したことが世間を驚かせた。 江川が引退を決意したきっかけは、澤村と同じ右肩のコンディション不良である。江川も長年、肩痛を抱えて苦しんでいたが、ここに打ったらもう二度と投げられなくなるという「禁断のツボ」に中国ばりを打った。そのため投手生命が終わった、というエピソードを引退会見で語ったのである。これはどう考えても納得のいかない表現だった。そんなツボがあるのか、という突っ込みはずいぶん後になってから指摘されたが、あまりに突然で衝撃的な引退発表だったため、「中国ばりが江川の投手生命を奪った」ような印象が強くファンに刷り込まれた。 もちろん、施術ミスは許されるものではない。だが今回の澤村にしても、不調の原因が本当に球団トレーナーの施術ミスだったのか、現時点で断定できる材料は見当たらない。画像は本文と関係ありません ひとつ、はり治療を近くで見ていた立場から「世間があまり認識していない現実」をつけ加える。はり治療は、ツボにはりを打って自然治癒力を高め、回復を促す効果があると一般には理解されている。しかし、スポーツ選手が受けるはり治療の大半は違う。小林尚寿が瀬古利彦に施したのは、要約すれば「痛みに直接打つはり」だと報じられた。白石宏は小林から直接指導を受け、身近にいてその技を学び、これを継承した。ふたりの存在は、はり治療を使うトレーナーたちの誕生に大きな影響を与えた。 この治療法は、もろ刃の剣、という側面がある。おそらく、はりの学校ではこのような治療法は教えない。国家資格に基づき、経絡を教え、ツボを刺激する治療を基本としている。はりの国家資格を取った治療家やトレーナーたちは、そこから自分の試行錯誤で独自の治療法を追求する。それをしないと治らないケガに多く直面し、また他のトレーナーより抜きん出た存在となって、仕事のチャンスをつかむことができないからだ。 そこに、真理とは違う我流がはびこり、治るときは治るが、治らないときもある、もしくはむしろ悪化する場合もある、といった現実が広がる可能性もある。 日本のスポーツ界は、これを機に、ただ東洋医学的な治療を排除するのでなく、積極的に西洋医学の医師、現場の監督、コーチ、研究者が一体となって連動する動きを促進すべきだと強く希望する。

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    本能寺の変、朝廷黒幕説を覆すキーワードは「日食」だった

    渡邊大門(歴史学者) 天正10年(1582)6月2日、京都の本能寺において、織田信長は明智光秀に襲撃され自害した。光秀が謀反を起こした原因については現在までにさまざまな指摘がなされており、いまだに注目を浴びるのは、光秀の背後に黒幕がいたという説だ。最近では、「土橋重治宛 明智光秀書状」(美濃加茂市民ミュージアム所蔵史料)の原本が発見され、光秀が室町幕府の再興を狙ったのではないかという議論が活発になっている。この件については後日詳述する「将軍黒幕説」の中で取り上げたい。 さらに他にも、朝廷が光秀の黒幕であったという説がこれまでも有力視されていた。つまり、信長が朝廷を圧迫あるいは蔑(ないがし)ろにしたため、反発した朝廷が光秀を背後から操り、信長を討伐させたというのである。では、信長が朝廷を圧迫あるいは蔑ろにした事実というのはあったのだろうか。その一つ一つを確認することにしよう。「宣明暦」吉田光由著 寛永21年(1644)(国立天文台所蔵) 最初に取り上げるのは、暦の問題である。信長はこれまで朝廷が採用していた宣明暦を止めるよう要望し、地方で使用されていた三島暦の採用を強要したといわれている。暦といっても大した問題でないように思われるが、実際は時間の支配に関わるもので大きな意味があった。暦の採用は朝廷の権限に属するものであり、他者が口出しすべき問題ではないということだ。 信長が三島暦を強要した理由については、これまでどのように考えられてきたのか。一説によると、本来は朝廷の掌中にあった「時の支配」を信長が掌握し、正確な暦法の確立を目指したという指摘がなされている。これを平たくいえば、信長が朝廷の権限の一つを奪取しようと考えたということになる。以下、経緯を見ることにしよう。 天正10年1月、信長は陰陽頭・土御門久脩(つちみかど ひさなが)が作成した宣明暦を取り止め、尾張国など関東方面で使用していた三島暦の採用を要望した(『晴豊記』など)。こうした要望は異例でもあり、信長が朝廷を圧迫したものの一つと解釈されてきた。 宣明暦とは中国から伝来した暦法のことで、日本には貞観(じょうがん)元年(859)に伝来した。以来、宣明暦は江戸時代の貞享(じょうきょう)元年(1684)までの約800年間も利用される。しかし、宣明暦には日食や月食の記載があっても、実際には起こらなかったことがたびたびあり、不正確であるという大きな問題があった。そのような事情も加味され、貞享元年以降は渋川春海(しぶかわ はるみ)が作成した貞享暦が用いられるようになる。三島歴を推した理由とは? 信長が要望したのは、以下の内容である。宣明暦では天正11年正月が閏(うるう)月に設定されていたが、三島暦では天正10年12月が閏月だった。信長は三島暦に合わせて、天正10年12月を閏月にするよう要望したのである。検討された結果、信長の意に反して、朝廷は宣明暦の天正11年正月に閏月を定めた(『天正十年夏記』)。この時点で、信長は強硬な姿勢や態度をとったわけではなく、いったんは納得したのである。信長が採用するよう要望した「三島暦」(国立天文台所蔵) 暦問題はこれで終息せず、信長は再びこの問題を蒸し返す。事態が急展開を遂げたのは、本能寺の変の前日の天正10年6月1日のことだった。この日、公家衆は信長の滞在する本能寺を訪れた。そのとき信長は公家衆に対して、再び宣明暦から三島暦に変更するよう迫ったのである。これは、いったいどういうことなのだろうか? 最近の研究によると、信長が変更を迫った理由は宣明暦が同年6月1日の日食を予測できなかったからであると指摘されている。先述のとおり、宣明暦は日食や月食の予測が正確にできなかった。では、信長はどのような理由で、日食が把握できなったことを問題視したのだろうか。 当時は現在のように科学が十分に発達しておらず、日食や月食は不吉なものと捉えられていた。日食や月食が起こると、朝廷では天皇を不吉な光から守るため、御所を筵(むしろ)で覆うようにしていたのだ。今となっては迷信であるが、当時の人々は天皇の身の安全を守ろうと真剣に考えていたのである。 同年6月1日、信長は自身で日食を確認し、宣明暦の不正確さを再認識した。宣明暦では不十分であり、三島暦の方が正確であると、信長は改めて認識した。つまり、信長が暦の変更を強く迫ったのは、天皇を不吉な光から守るためであり、そのことを公家衆に伝えたかったのだ。信長は自身が慣れ親しんだ三島暦を用いるようゴリ押ししたのではなく、あくまで天皇の身を守ろうとしたのである。 これまでの流れを見る限り、信長が三島暦の採用を提案した理由は、天皇の身を案じたと見る方が自然なようである。信長は「天皇を守りたい」という親切心で、三島暦の採用を進言したと考えられる。少なくともこの一件については、信長が朝廷を圧迫あるいは蔑ろにした事例とはいえず、逆に感謝される出来事だったといえる。よって、暦の問題は朝廷黒幕説の適切な理由の一つと言えないようだ。【主要参考文献】・桐野作人『だれが信長を殺したのか 本能寺の変・新たな視点』(PHP新書、2007年)・渡邊大門『信長政権 本能寺の変にその正体を見る』(河出ブックス、2013年)

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    無欲の走りでつかんだ桐生祥秀「9秒98」の金字塔

    小林信也(作家、スポーツライター)日本学生対校選手権の男子100メートル決勝で、9秒98の日本新記録を樹立し喜ぶ桐生祥秀=9日、福井県営陸上競技場 9月9日、陸上男子100メートルで桐生祥秀(東洋大)がついに9秒98を記録し、日本人で初めて100メートル「10秒の壁」を破った。桐生が先鞭(せんべん)をつけたことで、同じく9秒台を狙うサニブラウン・ハキーム(東京陸協)、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、多田修平(関西学院大)、山縣亮太(セイコーホールディングス)らも次々に9秒台に突入する期待がふくらんでいる。 世界のスプリント界は伝統的に黒人選手の天下が続いている。これまで100メートルを9秒台で走った選手はすでに100人を超えるが、その中で、黒人以外のスプリンターはたった3人しかいなかったという。クリストフ・ルメール(フランス)9秒92、パトリック・ジョンソン(豪州)9秒93、蘇炳添(中国)9秒99。桐生は「4人目」となった。 黒人優位の100メートルにあって、桐生が9秒台を突破できたのは、そして桐生に続く期待のランナーが片手で数え切れないくらい控えている日本の高レベルの背景には何があるのか。 ひとつは、日本の中学、高校の陸上指導者の情熱と努力。大学の研究者も含め「日本人が100メートル10秒を突破する夢」を誰もが追い求め、それぞれに「人生をかける」ほど日々の努力を重ねてきた、その集大成ともいえるだろう。 9秒台の夢を多くの陸上関係者が追い求めてきた。不断の努力が全国津々浦々で行われていた。その中から、才能ある桐生が飛び出し、次いでサニブラウン、ケンブリッジ、今年はさらに多田が9秒台に迫る実力を身につけた。 記録が伸びた背景にはトレーニングの進化や、何十台ものビデオカメラで撮影してフォーム分析するなどの技術研究の成果もある。加えて、シューズやトラックの開発も挙げられる。 1968年のメキシコ五輪のころから、アンツーカーに代わって、ポリウレタン舗装の全天候トラックが主流になった。弾力性に富むウレタン素材はストライドを伸ばしやすく、記録が2パーセント良くなるといわれている。この素材開発も年々重ねられているから、選手の実力が同じでも記録は向上する環境が整っている。 さらに、日本のシューズメーカーを中心に、スパイクの改良、開発も日進月歩、重ねられている。カール・ルイスの勝利を支えるために「片足たった115グラム」の軽量スパイクが提供され、話題になった。かつては耐久性も兼備していなければ「市販に耐えない」という考え方があったが、カール・ルイスのころからは選手のプロ化もあり、「記録を出すための一発勝負のスパイク」を選手たちが使うようになった。これも記録短縮に大きな役割を果たしている。「少し遅すぎた」壁を破った無欲の力 桐生の9秒台はもちろん快挙だ。歴史を開く一歩であるのは間違いない。だが、「少し遅すぎた」という気持ちを持つ関係者、ファンも少なくないだろう。 電動計時で世界初の9秒台が記録されたのは、1968年10月、ジム・ハインズ(米国)の9秒95。それから49年もたっている。ただ、ハインズの記録が高地メキシコでマークされたものだったため、1983年5月、カール・ルイスが出した9秒97が「平地で初めての9秒台」とも形容されている。それからでさえ、34年も過ぎている。 ウサイン・ボルトが9秒58の現世界記録をマークしたのは2009年8月のベルリン世界陸上。桐生の記録と0秒4もの差がある。伊東浩司が10秒0をマークしたのは、1998年12月。この記録更新に19年近くかかった。それだけ難しかったとも言えるだろうし、桐生の快記録を誰も驚きはしなかった。それは「機が熟していた」と誰もが感じていたからだろう。それだけに、ここからの飛躍に期待がかかる。 世界の現状に目を移すと、9秒98は決して手放しで喜べる記録ではない。国際陸上連盟のホームページに、世界歴代ランキングが掲載されている。桐生は99位にランクされている。すでに引退した選手も多いが、世界はまだ決して近くはない。 今季のベスト10を見ても、トップがクリスチャン・コールマン(米国)の9秒82。2位がヨハン・ブレークの9秒90、3位ジュリアン・フォルテの9秒91とジャマイカ勢が続く。11位に9秒97で5人が並んでいるから、桐生より速い選手がまだ15人いるわけだ。内訳は、アメリカ5人、ジャマイカ3人、南アフリカ3人、フランス、トルコ、英国、コートジボワール各1人。そのうちのボルトは引退した。もちろん、このランクなら、決勝進出は射程内といっていい。決して夢ではないだろう。だが、他の選手が実力どおりの走りを展開したら、まだ金メダルを確実に狙えるまでには至っていない。 京都・洛南(らくなん)高2年のとき、ユース世界記録の10秒21をマークし、桐生は一躍脚光を浴びた。9秒台を実現するのに、それから5年の月日が必要だった。この長い5年の間に桐生は何を感じ、何をつかみ取ってきたのか。それが大きな糧となって、五輪ファイナリスト、さらにはメダル獲得につながればいい。陸上の日本選手権男子100メートル決勝で4位に終わった桐生祥秀(中央)。右は10秒05をマークし、初優勝したサニブラウン・ハキーム。左は2位の多田修平=2017年6月24日、ヤンマースタジアム長居(撮影・甘利慈) 今回の記録達成は、実はあまり期待されていないレースだった。コンディションはよくなかった。そのため、普段はあまりやらない長い距離を走る練習を数日間やっていた。そのためか、後半の失速が遅かった。いつもは55メートル付近でトップスピードを記録するのが、今回は65メートル付近が最速だったという分析がある。これが世界の上位に食い込むための、意外に大きな手がかりになるのではないかとの見方もある。 ずっと望み続けた9秒台だが、このレースに限っては「無欲」な記録達成が、桐生に思いがけないひらめきと新たな感覚を与えた可能性がある。

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    山尾志桜里は不倫スキャンダルで政治家の価値を高めるかもしれない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 民進党の新代表に前原誠司元外相が選出された直後、山尾志桜里元政調会長のスキャンダルによって同党は出だしからイメージを大きく損ねてしまった。最近では、ワイドショーをはじめとするメディアの「印象」によって政治が大きく左右されてしまっている。安倍政権における森友・加計学園問題もそうだし、豊田真由子衆院議員の暴言も東京都議会選挙の行方にかなりの影響を与えただろう。民進党の両院議員総会に出席し、拍手する山尾志桜里元政調会長=9月5日、東京・永田町の民進党本部(斎藤良雄撮影) 報道によれば、前原氏は山尾氏を幹事長の要職に据えたかったらしいが、スキャンダルによってそれはかなわなかった。山尾氏は民進党から去ることで問題の沈静化を狙っている。 山尾氏のスキャンダルは男女問題が原因である。男女問題のスキャンダルについては、山尾氏が与党議員に対して倫理的な観点から厳しい批判を展開していた。そのため、今回の彼女のスキャンダルは「特大ブーメラン」などとして批判を浴びている。 また離党の理由もよくわからない、という批判もある。9月7日に行われた離党会見の文言も「倉持(麟太郎)弁護士と男女の関係はありません。しかし、誤解を生じさせるような行動で様々な方々にご迷惑をおかけしましたこと、深く反省しお詫び申し上げます。そのうえで、このたび、民進党を離れる決断をいたしました」となっている。 スキャンダルに根拠がなければただの嘘である。嘘をつかれた責任をとる必要はまったくない。ただ、安倍晋三首相に「(官僚などに)忖度(そんたく)させた罪」を問うてきた民進党だけに、その党のやり口を自身の問題にも適用したのだったら、それはそれで首尾一貫している。もっとも褒められたものではないが。パリス・ヒルトンでわかる「スキャンダルの経済学」「お騒がせセレブ」パリス・ヒルトン(2013年6月撮影) 離党の理由は、倫理的な問題よりもむしろ政治的な計算だろう。スキャンダルは必ずしも政治家や有名人にとって致命傷とはかぎらないからだ。問題はどのように制御するかに依存する。拙著『不謹慎な経済学』(講談社)の中で、ハーバード大学のジョージ・ボージャス教授の「パリス・ヒルトンの経済学」というものを紹介したことがある。パリス・ヒルトンといえば最近は、香水販売やアパレルなど実業家の側面が話題だが、少し前までは上流階級のお騒がせセレブだった。10年前、そんな彼女が交通規則違反で刑務所に収監されたことが話題になった。 ボージャス教授は「パリス・ヒルトンの経済学」の中で、この刑務所生活が彼女のセレブ価値にどんな影響を与えるかを経済学的に分析したのである。その結論は、予想に反して、「セレブとしての価値を高めるのに、今回の刑務所での服役は長期的に有効である」というものだった。その理由は「奔放なセレブ」「富豪の苦労知らずの娘」というイメージに、服役という人生の試練を受けたという「箔(はく)」を与えたことで、彼女の市場価値が高まったとみなしたのである。ボージャス教授の予言が正しかったのかはわからないが、パリス・ヒルトンはいまだに10代から30代の女性の生き方のモデルとして健在なのは確かだ。 さて、「山尾志桜里議員の経済学」はどうだろうか。ポイントのひとつは議員辞職ではなく、あくまでも民進党からの離党だということだ。冒頭でも書いたが、最近の政治はワイドショーを中心とするメディアの印象によってその方向性が大きく左右されている。特に一議員のスキャンダルが、党全体の問題として印象づけられる傾向が強い。先述した都議選のときの豊田議員の暴言や稲田朋美前防衛相の失言問題は、女性層を中心にして自民党への支持を失わせた典型例だ。 一議員の問題が党全体に波及する。経済学的には一種の外部効果だが、いまのワイドショーなど報道の在り方をみてみると、特定の政党を「悪魔」のように仕立て上げて批判することで、視聴率獲得などの歓心を得ようとしている。そのため政党に影響があればあるほど、一議員の問題の価値もまた高まるというフィードバック現象がみられる。この負の連鎖をとめるには、議員辞職が最善の選択になる。議員であるがゆえに、「不倫」というよくある出来事も報道の市場価値を持つからである。宮崎謙介元衆院議員のケースはこの対処法であった。政治家はなかなか食えない「生き物」8月21日、民進党代表選の出陣式で、山尾志桜里元政調会長(左)とあいさつを交わす前原誠司元外相(斎藤良雄撮影) 山尾氏は、議員辞職ではなく民進党の党籍を離れたので、いわば「次善の策」だ。一説には、10月に行われる衆院の三つの補欠選挙に絡んでいるともいわれている。いまの段階で議員辞職してしまうと、山尾氏の選挙区でも同日に補選を行うことになるため、候補者探しなどのコストを民進党が避けたという解釈だ。山尾氏個人は、議員であるかぎり当分の間、スキャンダルを引きずるというコストが発生する。他方で、民進党を離れたことで先の負のフィードバックから免れるという便益を得ることができる。この便益とコストの比較での民進党からの離脱だろう。 短期的には、民進党を離れたことにより党からの金銭的な支援なども受けられなくなり、その意味でのコストも発生している。他方で、長期的にみると必ずしも損ばかりとは言い切れない。議席を維持しているので、次の国政選挙のときに民進党に復帰し闘うことも可能である。その意味では、パリス・ヒルトンが一時期刑務所に入っていても「箔」がつきセレブ価値を長期的に高めたように、政治家というセレブとしての価値も長期的には高まる可能性がある。要するに、政治家はなかなか食えない生き物だということだ。 山尾氏の問題については、一部の識者たちのダブルスタンダードともいえる発言も目立っている。自民党議員に同種の問題があれば苛烈な批判をしていたのに、山尾氏には弁護的だ、というものだ。これは認知バイアス(政治的偏見)の問題だろう。 ただ、政治家の私的スキャンダルで、政党の評価を決めるような社会的風潮はやはり問題なのだ。政党の評価でいうなら、前原代表の経済政策観には深刻な問題がある。例えば、消費税を引き上げることで、社会のすべての人の幸福を実現し、分断社会にも歯止めがかかるという。 社会の分断が防げるのならそれは大いに賛成だ。だが、引き上げる消費税率だけがやたら具体的で、他方でその税金でどのくらい私たちの生活水準が向上するのか(1人当たりの所得)、また、ジニ係数などを用いて経済格差がどのくらいの数値で低下するのか、といった具体的な政策目標の値は明示されていない。ただ、単にやたらはっきりとした税率の数字と、「all for all」というスローガンが先行しているだけである。ひょっとしたら、1人当たりの生活水準の向上を断念しているのではないかとさえ思える。それこそ「反成長主義」「成長断念」というトンデモ経済思想ではないだろうか。 「山尾スキャンダル」よりも、やはり前原氏の経済政策の方が個人的にはよほどスキャンダルである。

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    高山善廣の悲劇を繰り返さないために昭和のプロレスから学ぶべきこと

    小林信也(作家、スポーツライター) 試合中の事故で療養中のプロレスラー高山善廣の症状が重く、首から下がまひして現状では回復が難しいと伝えられ、ファンならずとも多くの人が心を痛め、衝撃と波紋が広がっている。 高山善廣は今年5月4日、DDT豊中大会(大阪府)の試合直後に救急搬送され、頸髄(けいずい)損傷および変形性頚椎(けいつい)症の診断と発表されていた。高山は回転エビ固めをかけに行って失敗し、頭からマットに落ちた上に相手レスラーの全体重が首と頭にかかる形になり、動けなくなった。 今回の発表を受け、レスラー仲間からさまざまなメッセージが発せられている。 この問題を特集したTOKYO MXテレビの番組に出演した人気レスラー蝶野正洋は、「リング上の事故は使う側がルールを作らないと止まらないと思う」と語った。 今回の事故だけでなく、プロレス界はある時期からリング上での事故が増えている。 2009年6月、人気レスラーでプロレスリング・ノアの代表取締役でもあった三沢光晴の事故は衝撃的だった。バックドロップを受けて頸髄離断、心肺停止状態となり、その夜に亡くなった。ノア・小橋建太復帰戦タッグマッチで、三沢光晴(右)のエルボーを受ける高山善廣=2007年12月2日、日本武道館(撮影・荒木孝雄) 00年4月には福田雅一(新日本プロレス)が死亡。女子プロレスでも1997年8月にプラム麻里子(JWP)が、99年3月に門恵美子(アルシオン)がリング渦で亡くなっている。 こうした事故は、日本のプロレス界の「変化」「風潮」がもたらした背景がある。技が過激化したこともあるが、一方には、「プロレスはリアルか、フェイクか、エンターテインメントか」という、常に語られる(あるいは見る側の心の奥にある)素朴な思いに対するプロレスラーの挑戦とプライドのようなものが絡み合っている。 日本のプロレスの歴史は力道山に始まり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木らが受け継いで、ひとつの時代を築く。街頭テレビで日本中が熱狂したと言われる時代は知らないが、試合と試合の間に電気掃除機が登場し、マットをきれいに掃除する風景でもおなじみだった日本プロレス中継は、男性だけでなく、中年以上の女性たちにも人気が高かった。 「四の字固め」のザ・デストロイヤー、「頭突き」のボボ・ブラジル、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック、バックドロップが得意な「鉄人」ルー・テーズら、個性が明快な敵役との対決がファンの心をかきたてた。激しくほのぼのした、あのころのプロレス 「日本人」対「外国人」という対決の構造も明確だった。多くのファンの中には、「このダイナミックな勝負は、お互いの呼吸がなければ成立しない」という認識はあって、「だからプロレスは面白くない」という批判にはつながらなかった。当時のプロレスには、リアルかどうか、といった議論を遙かに上回る魅力と吸引力があったからだろう。そして、時代も、大衆も、そうした昂奮(こうふん)とストレス解消を求めていた。 昭和31年に生まれた私の世代は、小学校の高学年になると当たり前のように「プロレスごっこ」に興じた。雪国だったから、降り積もった新雪の上に友だちをバックドロップで投げる光景は珍しくなかった。 プロレスごっこをすると、とくに大技になればなるほど、攻め手ひとりの力では成し得ない。技を受けるレスラーの呼吸もなければ、ファンが昂奮し、感嘆する鮮やかさは生まれないと体感する。だから、と非難するのでなく、それこそがプロレスの深さだと子ども心に了解した。もちろん、ささやかな葛藤もあるにはあるが、その了解がなければプロレスは成立しないと理解したのだと思う。その辺の機微を見事に表現し、プロレスの見方に新しい自信を与えたのが、作家・村松友視の人気作《私、プロレスの味方です》だった。 当時のプロレスには、激しさの一方に、どこかほのぼのとする空気もあった。 極悪ガイジンレスラーの凶器攻撃、口の周りを血だらけにして高笑する「吸血鬼」フレッド・ブラッシーの姿には慄然(りつぜん)とした。その怖さは半端でなかったが、実際に日本人レスラーは死ななかったし、毎週、元気な姿をテレビで見ることができた。 ところが、「暗黙の了解」の了解を打破する動きを売り物に台頭する勢力が現れた。その先鋒(せんぽう)が、ずっとジャイアント馬場の二番手のような立場に甘んじていたアントニオ猪木だ。あのころ、私自身も猪木のファイトに衝き動かされた。その挑戦をワクワクする思いで見つめた。(もしかして、猪木のプロレスは本気なんじゃないか) そんな幻想を抱いた。そして、その幻想がもしや真実かと思わされる瞬間の鋭い昂奮は、それまでのプロレスにない新しい地平だった。モハメッド・アリと闘ったのも、猪木がリアルに強いことを証明するひとつの階段だったろう。1976年6月26日、格闘技世界一決定戦でモハメド・アリ(右)とアントニオ猪木が対決=日本武道館 しかし、83年6月、後に「猪木舌出し失神事件」と称される事故が起こった。人気レスラーのハルク・ホーガンとの試合。ロープの外のエプロンサイドと呼ばれるエリアに立っていた猪木に、ホーガンが得意技のアックスボンバーを見舞った。腕を水平にして首筋に叩き込む技。リング下に落ちた猪木は、ファンが予想した動きとはまったく別の雰囲気を醸し出した。立ち上がらない、反応しない。やがて、緊急事態が宣言され、猪木の救急処置が行われた。舌出し失神事件の「罪」 舌出し失神事件と呼ばれるのは、窒息を防ぐため、猪木の舌を引き出したからと言われる。この事件には諸説あって真相はわからないが、素直なプロレスファンだった私にとって、プロレスとの訣別を感じたターニングポイントでもあった。振り返れば、あの日以来、無邪気にプロレスを見ることができなくなった。「暗黙の了解」を打破する方向に動き出せば、猪木の事故のような出来事が起こるのは必然。その方向に立ち入ってはいけないという警鐘だったかもしれない。日本のプロレス界はそれを自覚できなかった。むしろ、馬場・猪木以後のスター選手群雄割拠の時代となり、より過激な方向に向かった。 その代表は、有刺鉄線デスマッチであり、その鉄線に電流まで流されるようになった。 リング上で展開される技もより過激を求められ、過激な技を受けることを相手レスラーも求められる風潮がエスカレートしていた。新日本プロレスのノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチで、長州力(上)のさそり固めから逃れるために自ら有刺鉄線に手をのばす大仁田厚=2000年7月30日(荒木孝雄撮影) 過激化し、リアルを求めざるを得なかった背景には、総合格闘技の隆盛もあっただろう。K-1などの人気が沸騰し、一時はプロレスの影は薄かった。その存亡さえ危ぶまれた。そうした事情も一方にあるだろう。 アメリカでは、WWEという勢力が人気を得ている。完全にストーリーがあり、配役があり、さまざまなドラマや設定の上でプロレスが展開される。リアルを追求するのでなく、エンターテインメントを追求した結果の集大成ともいえる形だ。日本でもCSテレビなどを通じて人気がある。 またアメリカのプロレス界では、頭部や首筋への攻撃を基本的には禁止、危険な技も規制されているという。パイルドライバー(脳天逆落とし)といった大技は、雪の上のプロレスでよく登場したダイナミックな技だが、相手を高く持ち上げ、頭や首でなく背中から落としてやると、見た目の豪快さと裏腹に、受け身も取りやすく、ダメージは小さい。アメリカのレスラーたちはこうした工夫を凝らしているという。 蝶野の発言は、こうした規制を含んだ指摘だろう。また、心身が不十分な状態でも無理矢理出場する選手が少なくない現状の中、主催者がレスラーの健康状態を把握し、リングに上がれる状態でなければ出場を認めないなどの規則も必要だと訴えている。 それ以上に、力道山、馬場、猪木の系譜をしのぐ、明るくダイナミックでドラマチック、レスラーとファンが新たな感動と昂奮を共有できる新しいプロレスの創造。その方向に敢然と舵(かじ)を切ることこそ、根本的な急務だと感じる。 安心して見られるプロレスと言ったら誤解されそうだが、ハラハラしながらも心の奥底では安心を持って見ている…。それがまさに、リアルとエンターテインメントのギリギリの“プロの水準”ではないのだろうか。

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    神仏を恐れぬ織田信長の「悪魔信仰」を示唆する2つの記述

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 2017年。織田信長が天下統一を前に本能寺の変で非業の死を遂げてから435年になる。この間、信長はどういう性格の男と考えられてきただろうか。 同時代の公家、山科言継(やましな ときつぐ)は永禄12年(1569)1月に信長が将軍・足利義昭のために造営を開始した京・二条第の工事現場で何度も接触をはかったが、信長は「機嫌が悪いとして対面しない」ときもあり、また「寒いから」と会わずに済ませることもあったという(『言継卿記』)。 そのほかにも、信長が公家たちと立ち話だけで大事な用件を片付けた例は多い。仮にも当時の上級貴族、朝廷の洗練された礼儀作法や圧倒的な教養、全国へ伝わる情報の発信源ともなる公家に対するこの人もなげなふるまい。体面を気にせず、無駄な礼儀作法や時間の浪費をとことん嫌う彼の性格が表れている。 一方、キリスト教布教のためにはるばる日本へやって来たポルトガル宣教師ルイス・フロイスは、信長に関する多くの感想を書き遺(のこ)した。彼も「信長はだらだらした長話や無駄な前置きを嫌った」と表現し、言継と同じ二条第工事現場での信長についても「虎皮を腰に巻き、どこでも座れるようにした粗末な身なりをしていた」と記録している。 さらに「地球儀によって地球が丸いことを説明された信長は『理にかなっている』と即座に理解した」とも説いており、当時ヨーロッパでもまだまだ地球が球体であることを納得していない人が多かったことを考えると驚くべき頭脳の柔らかさではないか。 フロイスが見た信長も、時間を有効に使い、人目を気にせず行動するだけでなく、筋道が立った理論であれば先入観無く受け入れる人物だったのだ。横瀬浦公園のルイス・フロイス像(長崎県観光連盟提供) 以上のような同時代人の証言から浮かび上がる信長の姿は、一言でいえば「合理主義者」。だが、こんなものはまだまだ序の口にすぎない。フロイスがこう続けた。 「信長は神と仏に対する祭式と信心をいっさい無視した」 「彼は良い理性と明晰(めいせき)な判断力の持ち主で、神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教(非キリスト教)の占いや迷信的慣習を軽蔑していた。(中略)霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした」(以上フロイス『日本史』)。 日本人のほぼすべてが神々を敬い仏教をありがたがる中で、彼はそれを明確に否定していたというのだ。信長のこの思想については、「日本では自分自身が生きた神・仏になり、石や木で出来たものは神ではない、と言った」と、強敵・武田信玄が死去した直後の天正元年(1573)4月20日のフロイス書簡(『耶蘇会士日本通信』)に顕(あらわ)れたのが一番早い例だ。どうしても気になる2つの文章 しかし、信長はその3年前の元亀元年(1570)には浄土真宗の本願寺との戦争状態に入り、翌元亀2年(1571)には有名な比叡山延暦寺(えんりゃくじ)(天台宗)の焼き討ちもおこなっている。そして何よりも、天文21年(1552)に父の信秀が亡くなった際に信長は葬儀の場で焼香に立つと、「抹香をくわっとつかんで仏前に投げかけて帰った」という若き日の強烈なエピソードもある(『信長公記』)。 無駄な時間と虚礼を嫌う合理主義者であり、神仏を無視した信長。これがあいまって、「彼は無宗教だった」と言われるようになった。そこからさらに進んで、彼が特定の神社や寺を保護した実例もあるから、宗教すべてを完全に否定していたのではない、という論議も出ている。「信長は自分に従わない宗教を敵としただけだ」というわけだ。 だが、全国制覇をめざす信長としてみれば、すべての宗教を敵にまわすなど「時間と労力の無駄」の最たるものだったのではないだろうか? 従来の信仰生活の中で暮らしている家臣たちにも動揺が広がる。信長は、計算ずくで宗教に理解を示すポーズをとることがあった、とも解釈できるのではないか。 これも有名な話だが、先に紹介したフロイスの書簡には、信長は「第六天の魔王」と自称したとも書かれている。第六天魔王というのは仏教の修行を妨げる存在なのだが、これについては後で詳述することにしよう。字面に忠実ならば、これは信長自身が無宗教どころか反宗教であることを公言していたとしか説明できない。安土駅の織田信長像 いずれにしても、現在の一般的な信長像は「科学的な思考法を持つ徹底した合理主義者であり、神仏を否定する無宗教論者」といったところだろう。妥当な信長観であり、筆者自身も、一応それに納得し賛同するひとりである。 ところが、だ。もうひとり、心の奥の方にいる別の私がどうしても異議を唱えたくてうずうずしているのだ。筆者には、以前からどうしても気になって仕様が無い文章が2つある。まずその一つ目を紹介しよう。 皆さんは『甫庵(ほあん)信長記』という信長伝記をご存じだろうか。小瀬甫庵(おぜ ほあん)という人物が、信長の近侍だった太田牛一の『信長公記』を底本としてそれに脚色を加え読み物として整えたもので、大坂冬の陣の3年前、慶長16年(1611)に刊行されたものである。信長は「鬼神を敬った」 その性格上、信頼性という点では割り引いて考える必要があるのだが、その中に信長について、「鬼神を敬い、社稷(しゃしょく)の神を祭らなかった」という一節があるのだ。これは信長が志なかばで死を迎えなければならなかった理由のひとつとして書かれている。 社稷の神というのは土地の神、すなわち氏神のことなのだが、それは取りあえず置いておこう。ここで問題なのは、「鬼神を敬った」という部分だ。当時の日本語を採録した『日葡(にっぽ)辞書』をひいても、「鬼神」は「悪魔」という意味でしかない。信長が鬼、悪魔を信仰していたとしか解釈不能なのだ。 「史料的に信頼性が低い本なのだから、気に留める必要もないのではないか」とも思うのだが、それでは『甫庵信長記』とは比較にならないほど史料価値の高さを認められ、学者や研究家がこぞって参照している『信長公記』はどうだろうか。 同書には、先述したように信長が父の葬儀で抹香を投げつけた逸話以外にも、ハッとする記述が多くある。中でも、永禄3年(1560)桶狭間の戦いの直前、前哨戦の勝利に喜んだ信長の敵・駿河遠江三河3カ国の大大名、今川義元がこう述べたというのは興味深いところだ。 「義元の矛先には、天魔鬼神も対抗できない」。討ち果たすべき相手の信長を魔神に例え、今川軍はそれを上回る強さなのだ、と誇っている。まぁ、敵を「天魔」と呼ぶのは日蓮や上杉謙信など他にも多くの例が見られるからあえてあげつらう必要は無いのかもしれないが、「鬼神を敬った」と考え合わせると、妙に不気味ではないか。そう思うと、どうにも好奇心がとまらなくなって来る。好奇心は、「信長は鬼神に代表されるオカルト信仰に凝っていたのではないか」と筆者にささやきかけるのだ。夕闇迫る桶狭間古戦場公園に立つ織田信長像(左)と今川義元像=2016年12月9日、名古屋市緑区(関厚夫撮影) そこで『信長公記』から順を追って信長の生活、行状を見ていこう。抹香を投げつける前の年から、それは始まる。なお、これ以降は意訳だけでなく原文も併記するので、若干お読みいただく手間は増えるかもしれないが、細かいニュアンスを感じていただきたいケースもあると思うので、ご寛恕(かんじょ)願いたい。若き日の異様な服装 天文20年(1551)、信長は数えで18歳だった。この頃までの彼の風体はこう描写されている。 「明衣(ゆかたびら)の袖をはづし、半袴、ひうち袋、色々余多(あまた)付けさせられ、御髪(おぐし)はちやせんに、くれなゐ糸・もゑぎ糸にて巻立てゆわせられ、太刀朱ざや」(袖無しの湯帷子を着て半袴をはき、火打ち石の入った袋など色々身につけ、髪は紅や萌黄(黄色っぽい緑色)の糸で巻き茶筅曲げに結い上げ、朱色の鞘の太刀を佩いた) 湯帷子(かたびら)というのは現在の浴衣の原型で、それに半袴(長袴ではなく、足首までの長さ)を履き、火打ち石の袋などを腰から下げ、カラフルな糸で髷を結う。朱色の鞘(さや)の太刀は、傾奇者の象徴でもあり、絵に描いたような不良少年の姿なのだが、翌年の信秀の葬儀の場ではどうだろうか? 「長つかの大刀・わきざしを三五なわにてまかせられ、髪はちやせんに巻立、袴もめし候はで」(長い柄の太刀と脇差しを差しているのだが、その柄を三五縄で巻き、茶筅(ちゃせん)曲げの髪型で袴も穿かず) おやおや、このときには袴すら履かない着流しスタイルだったようだ。岐阜公園の入り口に立つ「若き日の織田信長像」奇矯ないでたちをしていた頃の信長を想像させる この葬儀の翌年、信長はしゅうとで美濃の大名である斎藤道三と面会する(信長の正室は道三の娘、帰蝶だった)。ここでも信長の格好は変わりない。いや、ひとつ異なるところがあった。 「御腰のまはりには猿つかひの様に火燧袋・ひようたん七つ・八つ付けさせられ」(腰のまわりに猿使いの様に火打ち石袋・7~8個のひょうたんを付けていた) ひょうたんが何個も腰にぶら下がっていたという。 道三との会見の場で信長は礼式にのっとった正装へと鮮やかな変身を遂げ、以降はまともな身なりをするようになるのだが、それまではこの異様な装いを通していたのだ。 次回はここで問題となる若き日の信長スタイルのアイテムについて、掘り下げていきたいと思う。

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    北朝鮮危機、日本経済のリスクはこうやれば回避できる

    とで同じ影響を及ぼすだろう。9月3日、ソウル駅で北朝鮮の核実験を報じるテレビ(共同) ただし、前回の連載でも書いたが、現時点ではまだ「北朝鮮リスク」が日本経済に破滅的な影響を及ぼすほどではない。現時点で株式、為替など資産市場の不安定化は、ある程度は予想の範囲内でもあり、しばらくすればリスク発生前の水準に戻る可能性が大きい。ただしこれはあくまで楽観的な予測であり、実際には「北朝鮮リスク」がどうなるか、中長期的にみていく必要がある。 この原稿を書いている段階でも、韓国国防省は北朝鮮がさらなるミサイル発射を準備していると、韓国の国会で報告している。実際にミサイル発射が繰り返され、半島情勢が危機感を深めていけば、「北朝鮮リスク」による経済危機の可能性も高まっていく。アベノミクスの財政政策は緊縮そのもの 「北朝鮮リスク」そのものは、もちろん北朝鮮の軍事的意図をその根源にして発生しているものだ。つまり「北朝鮮リスク」を抑制ないし、払拭(ふっしょく)するには、外交的・軍事的なカードしかない。 日本が経済面でできる「北朝鮮リスク」への備えはなんだろうか。それは冒頭にも書いたが、金融政策と財政政策を経済刺激に向けてて協調させることに尽きる。だが、現状では、財政政策が事実上の緊縮スタンスのままで、この協調を破綻させてしまうだろう。それは「北朝鮮リスク」に対して日本経済を脆弱(ぜいじゃく)なものにしかねない。 財政政策の緊縮スタンスは深刻である。アベノミクス初年度である2013年度だけ、予算規模(補正含む)が約106兆円であった。2014年が101兆円、2015年が100兆円を下回り、2016年は約100兆円で推移した。初年度だけ拡大で、あとは一貫して抑制気味なのは明らかである。そして、2017年度は当初予算規模で97兆4千億円であり、いまだ補正予算の声を聞くことは少ない。 しかも、2014年度以降の予算規模において注意すべきポイントとして、消費税のマイナスの影響を勘案しておかなくてはいけない。ざっと消費税の税収を年度ごとに8兆円とすれば、上記の予算規模からこの数字を引き算する必要がある。そうなると例えば、2014年度は実際には93兆円であり、アベノミクス初年度に比べてなんと約13兆円も緊縮財政に大きく振れたことになる。もし今年度の当初予算に同じやり方を適用すれば90兆円台を割り込んでしまう。大緊縮財政になってしまうだろう。3月27日、参院本会議で、平成29年度予算が成立し一礼する安倍晋三首相(右)ら閣僚(斎藤良雄撮影) 「北朝鮮リスク」が顕在化している状況でこのような大緊縮財政を採用するのは、強い言葉でいえば狂気の沙汰である。至急、大規模な補正予算を策定する必要があるだろう。例えば、アベノミクス初年度をひとつの目標とするならば、消費増税の影響を含めた実質の予算規模との差は、約17兆円である。これだけの規模の補正予算をすれば、「北朝鮮リスク」の中で、経済を安定化させる最低限の守りができる。もちろん積極財政の資金源は、国債発行で賄う。一例としては、教育国債を発行すれば、それを日銀が買いオペすればいいだろう。もちろん公共事業(できれば多年度のインフラ投資が望ましい)、減税、あるいは防衛費の増額などでも積極的な財政の必要は大きい。 このような積極的な財政政策と金融政策の協調が行われない場合は、「北朝鮮リスク」の影響をもろにかぶってしまうだろう。言い換えると、日本経済にとっての真の「北朝鮮リスク」とは、自らの緊縮政策のことなのである。

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    成績不振が原因なのか? ロッテとヤクルト監督退任に言いたいこと

    小林信也(作家、スポーツライター) まだ8月のうちに、千葉ロッテの伊東勤監督、ヤクルトの真中満監督が辞意を表明。今季限りの退任が正式に発表された。 伊東監督は、8月13日の西武戦前に、自ら記者たちに今季限りでの辞意を表明した。オールスター戦前には伊東監督自身が決断。8月5日に球団幹部に辞意を伝え、了承されていた。公式戦終了まで口外する気持ちはなかったが、一部メディアが続投を伝えるなどしたたため、誤報がひとり歩きして迷惑をかけては申し訳ない、と公表した背景がある。  2013年に就任してからの成績は、3位、4位、3位、3位。2013年と2016年はクライマックスシリーズのファイナルステージまでチームを率いたが、日本シリーズには届かなかった。今季はオープン戦で13勝2敗3分、圧倒的な強さを見せて仕上がりの良さをアピールし、ファンの期待も高まった。ところが、オープン戦の成績が必ずしも反映しない過去の例を証明するかのように、開幕4連敗。投打の主力が戦列を離れ、新外国人打者も不振。借金が膨らみ続けて優勝の望みは遠ざかった。戦況を見守るヤクルト・真中満監督=8月23日、神宮球場 ヤクルト・真中満監督は、8月22日の阪神戦の前に記者会見し、球団から続投を要請されたが固辞したことを公表した。就任1年目にリーグ優勝。2年連続最下位だったチームの優勝だけに、監督としての手腕が高く評価され、真中株は急騰したが、残念ながらそれがピークだった。昨年は5位、今季も開幕から低迷を続けた。 問題提起したいことは2点ある。「成績低迷がただ監督のせいなのか?」と「30試合以上も、クビになったも同然の監督が指揮を執り続ける是非」についてだ。 今季は6月に巨人の堤辰佳ゼネラルマネジャー(GM)が成績不振の責任を問われて退任し、球界は衝撃が走った。これは高橋由伸監督の責任を問うのでなく、チーム編成を担当したGMこそが責任者だという、ある意味で、日本野球の新しい形というか、責任追及の新スタイルだった。巨人は、生え抜きのエリートである高橋由伸監督を守り、GMを斬ったのだ。 だが、たいていはやはり、今回の伊東、真中両監督のように、監督が成績不振の責任を取らされる伝統がこれからも続くだろう。 釈然としないのは「成績不振の要因が、本当に監督にあるのか」が曖昧だからだ。山口俊の処分もおかしい 選手が体調を崩す、ケガをする、期待どおりのパフォーマンスを発揮しない、できない原因は、プロ野球の場合、監督以外の理由が大きい。それでも監督たる者、たとえ前年活躍した有名選手でも続けて活躍できる素材かどうか、性格や普段の生活態度、選手を取り巻く人間模様なども把握してクールに分析するべきかもしれない。そしてもし、期待したい選手でも不安な要素があれば、代役を探し、抜てきする準備が求められる。こう書けばいかにも正論だ。が、プロ野球界はそれを全面的に支援する仕組みになっていない。ドラフト会議によって、必要な戦力を着実に補強する道は制約され、メディアは知名度の高い選手を連日報道して、半ば出場を強要する雰囲気も作る。 球団は、明確なチームの方針を描き、その上でGM、監督と一体となってチームを運営しているだろうか。巨人・堤GM解任の後味が悪かったのは、堤前GMは、球団の方針や司令に従って選手補強を進め、それが失敗したのに堤氏個人が詰め腹を切らされた印象が拭えなかったからだ。ビジネスと現場が一体となって初めて成立するプロ野球である以上、責任は何より球団にある。その球団がほとんど責任を負わない体質に根本的な矛盾がある。 暴力事件で処罰を受けた山口俊投手の問題は、選手会の提言で新展開を迎えているので、今後の展開に関心が集まっているが、大臣の不祥事ではないが、山口俊にフリーエージェント(FA)で入団を懇願した球団にも任命責任ならぬ選択責任がある。それをまったくひとごとのように認めない球団の厚顔にあきれる。また、あまり指摘がないが、「1億円の減俸」は球団にとってはその分、「お得」な処分だ。球団は処分して得をする側で、選手だけが処分され、非難され、損をする立場というのは正しいのだろうか。厳しい表情を見せるロッテ・伊東勤監督=6月18日、東京ドーム もうひとつ、まだ8月、30試合以上も残して事実上の退任発表。「今季で引退します」と公表し、残り試合をファンと特別な思いを共有しながらプレーする選手と監督は違う。また高校野球なら、「この夏限りで勇退」と大会前に発表することで選手たちが特別な感情を抱き、チームが理屈を越えた一体感で強さを発揮する例は少なくない。今夏も新潟・日本文理、熊本・秀学館がその例で、甲子園出場を果たした。けれど、今回の2監督の場合は違う。もう事実上、鮮度が落ちた監督に率いられるチームをファンから入場料を取ってお見せするのがプロ野球としてマナーに沿うのか。 契約やいろいろな事情もあるだろうが、「来季の契約を結ばない」と公表した時点で、監督の威厳や尊敬は失う。だから、その日をもって退任し、代行監督を立てるのが筋だと思う。その方が、来季の監督選びの現実性も高まる。例えば、次期監督とうわさに上がる、ロッテなら井口資仁、ヤクルトなら高津臣吾2軍監督に残りのシーズンを任せてどんな試合が見られるのか。それをファンとともに共有し、来季の展望を語り合うなら、プロ野球としては話題も提供でき、夢も膨らむのではないだろうか。

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    加計学園ワインセラー、日刊ゲンダイの「印象操作」にレッドカード

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設問題について、またもマスコミの「事実検証なき報道」が話題を広めている。その焦点のひとつが、獣医学部の「設計図」にある「ワインセラー」というものだ。例えば、日刊ゲンダイは「驚いたのは、最先端のライフサイエンス研究とは無関係な豪華『パーティー施設』が計画されていることだ」と批判を展開している。同紙によれば、ワインセラーやビールディスペンサーなどが装備された100人規模の立食パーティーが可能な会議室は豪華であり、まったく「宴会場」というべきもので許容外であるようだ。ネット媒体のリテラも似たような論調で報じている。 このワインセラー問題は、全くくだらない問題だとは思うが、印象操作としては政権批判層の支持をある程度集めるのだろう。実際に、私の見聞でも、このワインセラー設置を安倍晋三首相と加計学園の加計孝太郎理事長の親密さを表すものとして、超越的な印象批判をする人たちをネットで見かける。 ちなみに、常識的には「なぜ獣医学部にワインセラーがあることが政権批判になるのか?」と思うところだろう。だが、日刊ゲンダイの記事では「図面が明らかになった今、獣医学部新設の必要性、国家戦略特区とアベ友の闇がさらに深まったと言える」と、ワインセラーや「宴会場」の設置が、さも安倍首相と関係があるかのように匂わせて記事は締めくくられている。そして、この話題は政治の場にも波及し、民進党の加計学園問題調査チームの座長である桜井充参院議員が、ワインセラーの設置を問題視していた。民進党が開いた「加計学園」問題に関する調査チームの会合。中央奥は共同座長の桜井充参院議員=8月16日午後、国会 先に結論を書けば、朝日新聞の報道によると、そもそもこのワインセラーは当初の図面にあるだけで、現状は別の厨房(ちゅうぼう)施設に置き換わっているらしい。つまり上記の日刊ゲンダイもリテラも事実確認をしないまま、当初設計図の記載をうのみにして記事を書いていたことになる。これではジャーナリズムとして褒めたものではなない。 ところでこのニュースをめぐって、ネットではいち早く、各大学にワインセラーなどが設置されていることが珍しくないこと、また国際会議や学会用に大学内にレセプション用(つまり「宴会」)のホールやレストランなどを設置するのも珍しくないことも指摘された。一例だが、このワインセラー設置に厳しいコメントを出していた元文部科学省官僚の寺脇研氏の出身大学である東京大学でもワインセラーは設置されているし、毎年、「東大ワイン祭り」も開催されていて、大学の「教育」活動に貢献している。ワインセラー設置は「常識外れ」じゃない 実際に、当初設計図の通りならば、100人程度の立食パーティーができる会議室転用のスペースがあるのは、どの大学でも珍しくないだろう。学会を開けば、よほどマイナーな学会でないかぎり、数十名から100人程度の参加者はあるはずだ。学会の時間をできるだけ拡張し、参加者の負担を減らすためにも学会の会場内に「宴会」スペースがあれば、参加者にとっても利便性は増す。もちろん学会などの開催を近くのホテルでやればいいというもっともらしい意見もあるが、移動の時間やコストを考えると絶対にホテルにすべきだ、とはいえない。 そもそも学会は土日に行われることが多く、民間のホテルなどを利用するときは、他の顧客との競争になってしまう面もある。これらの取引費用を、大学が内部化することは合理的でもある。その都度その都度、外部の業者と契約を交わす費用(取引費用)をかけずに、組織の中で不経済に対処することができることを「内部化」という。 さらに加計学園の当初設計図にあるワインセラーは、ただの設置タイプを想定していて、いわば冷蔵庫のようなものであり、価格も数万円から高額でも数十万円のものである。さらに、備品扱いだろうから、このワインセラーなどに今治市からの補助金が使われるかどうかもわからない。通常では建築費用に含まれないから補助金の対象外であろう。 いずれにせよ、当初設計図での話でしかなく、この加計学園獣医学部の「設計図問題」とでもいうべきものは、慎重かつ(批判するならばまずは)事実検証のもとで行う必要がある。少なくともワインセラー設置は、批判者たちが思うほどには常識外れとはいえない。 さらに加計学園には、ワインセラーを設置する「教育上の利益」もあったかもしれない。これは私のツイッターのフォロワーが教示してくれたことだが、岡山理科大学には「ワインプロジェクトプログラム」という産学官連携のワイン造りの研究計画がある。同大学のほかのセクションが作ったワインを、獣医学部にいる教職員、成人の学生などがその成果をたしなむことは教育的価値がある(もちろん希望者のみだ)。むしろ大学のアイデンティティーを形成するうえでは、同大学にとってワインは重要なものだろう。そして外部からくる多くの人たちに、ワインセラーでよく冷えた大学特産のワインを供することは、教育的な見地だけでなく、大学の広報活動としても価値があることではないか。文科省で記者会見する「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表(右)ら=8月24日 率直にいって、問題にもならない事象をあたかも大きな問題としてとりあげ、なんだか正体不明の「アベ友疑惑」につなげる一部マスコミや一部識者、運動家の発言には、そろそろ賞味期限切れのレッドカードを出したくなる今日この頃である。

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    菊池雄星の投手生命か審判の権威か、「反則投球」ルールのジレンマ

    小林信也(作家、スポーツライター) 西武、菊池雄星投手の「2段モーション」が物議を醸している。正確にいえば、菊池の2段モーションを、シーズン終盤に差し掛かろうという8月半ばに突然やり玉にあげた審判団の姿勢に疑問の声が上がっている。 8月17日の楽天戦、2回表1死の場面で、菊池の投球が2球続けて「反則投球でボール」と判定された。コールしたのは一塁塁審だ。菊池はその後、クイックモーションに変えて、完封勝ちを果たした。 続いて登板した8月24日のソフトバンク戦では、初回の先頭打者の初球、川島慶三から空振りを奪ったが、これがまたしても「反則投球」と判定された。投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 菊池のフォームは今季5月ころから変わったといわれ、上げた右足を少しおろしてまた引き上げる2段モーションになっている。厳密に判定すれば、野球規則で禁じられている「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさらに段階をつけるモーションをしたり」という行為に該当する。 反則投球とジャッジされても仕方がない。だが、当事者やファンが怒っているのは、3カ月も許されていて、「なぜいま急に?」という疑問が消えないからだ。8月半ば、しかも試合の途中で宣告された。意図や作為がないとしても、それは不自然な印象をぬぐえない。 法律の解釈や適用がそうであるように、野球ルールにも一定の理解やあうんの呼吸がある。 とくにプロ野球においては、曖昧な判定もあるが、その曖昧さにも一定の基準や解釈があって、その枠を大きく外さない暗黙の了解がある。外さないから選手もファンも、一定の感覚で試合に臨める。 例えば、ハーフスイング。昔は「長嶋ボール」などという言葉があった。長嶋茂雄さんがスイングしかけて大げさなアクションでバットを止めると、主審はしばしば「振っていない」「ボール」と判定した。それがひとつの楽しみにもなっていた。ビデオテープで見直せば、明らかにバットの先端は回っている。それでも「ボール!」。時代が変わり、グリップが鋭く動けば、バットの先端の動きにかかわらず「ストライク」と判定するような基準に変わり、ハーフスイングのジャッジは厳しくなった。実際、グリップが明らかに動いたときは、おおむねバットも回っている。誰もがそう認識し、いまは案外、ハーフスイングをめぐるトラブルは少なくなっている。 2段モーションは、2006年ころに一度厳しくなったが、最近はまた緩やかになっていた印象がある。それが突然、牙をむいた格好だ。繊細な投手に与える影響西武・菊池雄星の反則投球を観客に伝え打席に戻る白井球審=8月24日、ヤフオクドーム 多くのファンや当事者が感じているとおり、判定基準の変更はシーズン前か開幕直後に行われるべきであって、シーズン途中でされるべきではない。この問題に関連して、指摘したいのはふたつのことだ。 ひとつは「審判の権力と試合の崩壊」について。 投球のストライク、ボールの判定ひとつで、勝負がどちらかに転ぶこともある。言うまでもなく、野球において審判の判定は大きな影響力を持つ。その中でも、打った、打たない、捕った、捕り損なったといった、選手のパフォーマンス以外のところで、突然、強権的な鉈(なた)を振り下ろし、強引とも見える方法で勝負に介入する方法を審判は持っている。それが例えば「ボーク」の判定である。 セットポジションで動作を止めないなどの明らかな反則投球があった場合、たとえそのボークの判定で攻撃側のサヨナラ勝利になる場合でもそれはやむを得ない。だが、今回の菊池のように、その試合ずっと同じモーションで投げていたのに、ある場面で急に反則投球が宣告されるのは違和感をぬぐえない。 審判はそこまで強権を振るって勝負に介入すべきではない。 投手は繊細だ。突然バッサリ斬られるような反則投球の判定は、投手生命を奪うほどの影響力(危険)も伴う。審判はそれを十分に自覚すべきだ。 もうひとつは、審判と監督、コーチ、選手間のコミュニケーションの「不在」だ。 コミュニケーションの欠如ではなく、プロ野球において審判と監督、コーチ、選手はコミュニケーションを「取ってはならない」前提があり、理解を深める仕組みになっていない。「親しく交われば不正の温床になる」という、古くからの慣習と規定のせいである。だから、常に両者間には対決ムードというのか、取り締まる人と取り締まられる人のような不穏な関係がある。それは即刻改善し、コミュニケーションを図る方向に舵(かじ)を切るべきである。審判長の説明に感じる違和感投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 野球以外の他の競技を取材すると、野球との大きな違いに驚かされる。例えばラグビー。レフェリーと両チームの選手(主に主将)とは試合中ずっと短い会話を交わし続けている。危険なファウルがないよう未然に注意を促し、助言を与え、双方の理解にずれがないよう調整しながら試合を進めるのがラグビーにおいては当たり前になっている。試合後、競技場近くのバーや喫茶店で、微妙な判定を下された当事者とレフェリーとがビールのグラスを交わしながら直接議論し合う姿を見ることも珍しくない。 それは「親しくなって不正な判定をもらうため」でなく、「ルールの解釈や適応をめぐって、両者の理解をすりあわせるため」であり、時には選手側から「杓子(しゃくし)定規な判定では好プレーにたどり着けない選手のジレンマ」などが伝えられたりもする。もちろん、だからといってルールを曲げることはないが、レフェリーはなぜ選手が反則を犯してしまうのか、犯しがちになるのかの背景を、常に変化するプレーの傾向や技術の変化に応じて理解する好機にもなる。そうやって、お互いにラグビーという競技を深め、高めているのだ。野球にはそのような機会が日常的にはない。 菊池の2段モーションが最初に反則投球と判定された試合後、判定を下した塁審はメディアの取材を拒んで「ノーコメント」を通したという。それはあたかもコミュニケーションを拒絶することで審判の権威が保たれるというような古い常識に縛られているようだった。 しかし、25日になって日本野球機構(NPB)の友寄正人審判長が菊池に対し、事前に複数回注意を行っていたことを明らかにした。日刊スポーツによると、友寄審判長は「注意は何回もしています。なぜ今の時期か、じゃなくて、少しずつ悪くなってきているから今の時期。4月、5月、6月と変わっていることは明らかなので」と説明したという。こうした注意を秘密裏に行う必要があるだろうか。仮にもプロ野球、ファンが見るスポーツだ。 審判団にも開かれた情報公開の意識改革と、コミュニケーションを取る新しい姿勢への転換が求められるべきだ。

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    民進党が安倍政権と張り合うには「金子ノミクス」の採用しかない

    活を困窮化させたことだ。その主因は、旧民主党の「緊縮病」的体質にある。この点については、前々回のこの連載でとりあげたが、重要なのでもう一度書いておく。「緊縮ゾンビ」という旧民主党時代の過ち 旧民主党の経済政策を総称して、筆者は「緊縮ゾンビ」と名付けた。「緊縮ゾンビ」とは、日本のような長期停滞からまだ完全に脱出していない経済状況にあって、財政再建などを名目にして増税することで、経済をさらに低迷させてしまう誤った経済思想をいう。ブラウン大学教授のマーク・ブライス氏は、「緊縮はゾンビ経済思想である。なぜならば、繰り返し論駁(ろんばく)されているのに、ひっきりなしに現れてくるからだ」(『緊縮策という病』NTT出版、若田部昌澄監訳、田村勝省訳)とも書いている。 この民主党政権時代の「緊縮ゾンビ」の典型的な政策は、消費増税の法案化である。それと同時に、積極的な金融政策を核にし、積極的な財政政策で補うという、不況脱出の常套手段を放棄したことが最も深刻な過ちである。 そしてこの「緊縮ゾンビ」から今回の二候補は脱却できたであろうか。前原氏は「中福祉・中負担」を目指して、教育の実質的な無償化や職業教育の充実などを掲げている。消費増税については、「中福祉・中負担」の核心部分であり、積極的に引き上げるべきだとしている。対する、枝野氏は、消費増税については現段階では引き上げるべきではないと述べている。そして、公共事業費などを削減し、他方で保育士などの賃金を引き上げて、雇用や消費の拡大を狙うという。民進党代表選の公開討論会に臨む前原誠司氏(左)と枝野幸男氏=2017年8月 前原氏の経済政策のスタンスは、伝統的(?)な同党の緊縮ゾンビそのものである。その意味では、まったく過去の政策の過ちを反省してはいない。消費増税をする一方で、教育や福祉を充実させて、それで国民の生活は豊かになるだろうか。また経済格差などを解消できるだろうか。 答えはノーである。消費増税政策は、むしろ国民の生活を窮乏化し、また経済格差などのデメリットを増加するだろう。「消費増税しても社会保障を拡充すれば経済格差や生活の困窮を防げる」というのは、緊縮ゾンビの主張の核心だ。前原氏のあげている「中福祉」はここでの「社会保障」に該当する。この消費増税政策は同時に、所得税から消費税への「消費税シフト」という税制の変更の一環であることに注意が必要だ。この「消費税シフト」は、財務省(旧大蔵省)が1980年代から本格的に推進している税制改革の主軸である。実際に消費税率が引き上げられる一方で、所得税の最高税率は引き下げ基調が続いた。 例えば、1986年の所得税の最高税率は、約70%だったが、「消費税シフト」に伴い引き下げられていき、1999年には37%に低下した。2015年には45%に戻しているが、所得税の累進課税としての機能はかなり低下した。つまり、より多く所得を稼ぐ人から税金をとることがなくなったために、再分配機能(経済格差の是正効果)は低下したということだ。 また、税金を多くとれるところから取らなくなったために、財政状況はもちろん悪化する。さらに経済自体も長引くデフレ不況によって税収が伸び悩むことで、さらに二重に悪化した。もちろんデフレ不況を深める上で、1997年の消費増税の負の衝撃は大きな役割を果たしてもいる。アベノミクスに代わる政策提言 そして世代にわたる資産の格差をふせぐ相続税の最高税率も1970年代では70%台だったが、今日では50%台に引き下げられている。すなわち「消費税シフト」は、人々の経済的平等を妨げてきたといえる。実は、このような「消費税シフト」が、世界的にも経済格差を深刻化させ、将来的にも無視しがたい要因になっていることは、トマ・ピケティの『21世紀の資本』などの議論で明瞭だった。 だが、消費増税への反対や不況期に行う積極的なマクロ経済政策(金融政策中心で、財政政策でそれを補う)を採用する政治家は、民進党では絶対的少数派であり、また同党の中で政治的な勢力にはまったくなっていない。筆者の見るところでは、馬淵澄夫衆議院議員が現職としてただ一人である。 さらに、同党員では、金子洋一前参議院議員が、積極的なリフレ政策の主張者であり、また消費増税反対論者としても知られていた。残念ながら、これらの筆者からすると長期不況に抗する政策を唱えることができる人たちが、野党の中で政治的な中核にならないことが、日本の経済政策論争を貧しいものにしていることは疑いない。『デフレ脱却戦記 消費増税をとめろ編』の著者で前参議院議員の金子洋一氏 例えば、金子氏は、最近意欲的に政策発信をしている。ユニークな試みであると思うが、自著『デフレ脱却戦記 消費増税をとめろ編』(金子洋一コミケ事務所発行)を出して評判になっている。その中で、金子氏は次のような、アベノミクスに代わる政策提言を行っている。 「政権との対立軸が必要なら、手垢のついたイデオロギーに囚われるのではなく、『緊縮財政をやめて金融緩和+教育子育て予算を純増』、『すでに欧州で法定化されている11時間インターバル制導入など労働時間短縮』などにしてはどうでしょうか」 この金子氏の提言は筆者も賛成である。だが、前原氏も枝野氏もともに緊縮財政、金融緩和反対である。前原氏の場合は、教育子育て予算は「純増」ではなく、増税して増やすので、金子氏のいう「純増」ではなくプラスマイナスゼロの発想だ。このプラスマイナスゼロの発想は、枝野氏も同様で、先に書いたように、公共事業を削り、その一方で保育士の賃金などをあげるものだ。 金子氏のような発想であれば、必要ならば長期的な観点でインフラ投資を増やし、また同時に保育士の賃上げも行い、また教育投資も増やすだろう。その財源は、消費増税ではない。国債の新規発行や、また所得税や相続税の税率の見直しも含めて、経済成長の安定化による税収増がその財源調達として中心になるだろう。 枝野氏は、消費増税の現状での引上げに否定的なので、あたかも「緊縮ゾンビ」ではないかのようだ。だが、枝野氏の引き上げ否定は、経済論には立脚していない。前々回の論説で指摘したように、枝野氏の消費税に対する見解は「消費税シフト」を目指すものである。 もし、その考えを訂正するならば、従来の見解を否定して、金子氏のような反緊縮政策の姿勢を明瞭にすべきだろう。それができないならば、単に経済論なき政治的な身振りと評価しても差し支えないものである。いま、アベノミクスに対抗するために求められるのは、枝野ノミクスや前原ノミクスの類いではない。先に紹介した「金子(勝ではなく、洋一)ノミクス」ではないだろうか。

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    史上最弱巨人の救世主、菅野智之の「魔球」が打てない理由

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人の投手、菅野智之が7月の月間MVPを獲得した。7月は4試合に先発し、4戦全勝。この間、投球回数29で失点わずか1、与四球3、奪三振30。安定感抜群の内容で文句なしの受賞だった。 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも侍ジャパンのエースとして活躍した菅野。いまさら喧伝するまでもない存在だが、大谷翔平(日本ハム)のように160キロ台の速球を投げるわけではない。千賀滉大(ソフトバンク)のような目を見張るフォークボールが武器というわけでもない。その菅野がこれだけ「打たれない理由」は何なのか? 日本の野球界には、いくつかの誤った常識がある。古くからの思い込み。気づいている人、いない人で野球がずいぶん変わる。少年野球や高校野球を見ていると、技術的に古い常識にとらわれて、子供の良さを伸ばしきれない指導者の姿をしばしば見かける。DeNA対巨人で10勝目を挙げた巨人の菅野智之=2017年7月22日、横浜スタジアム(撮影・山田俊介) 菅野はその意味で「常識を覆す」よい見本だ。端的な例を挙げると、菅野のよさは「球の速さ」以上に「左足を踏み出してから球が離れる速さ」にある。 日本の野球ファン、指導者の間には、逆の常識がある。「投手は、右投手なら、左足を踏み出したとき、右腕を後ろに残し、ためを作ってそこから勢いよく投げ下ろすのがいい」という思い込みがある。私自身も少年時代、そう思っていたし、高校野球でもそのように指導された。 ところが、メジャーリーグの好投手の大半は、まったく別の投げ方をしている。ここでは右投手を前提に話すが、左足を踏み出したときにはもう投手の上半身が打者に正対し、ボールを持つ右手が顔の前に出ている。左足の踏み出しと右腕の振りがほとんど同時なのだ。 もちろん、左足をゆっくりおろし、地面すれすれのところまでは右手は後ろにある。しかし、左足が着くか着かないかのわずかの間に上体を反転し、足を着くと同時に右手を前に振り出すのだ。この左足と右手の誤差が少なければ少ないほど、打者は打ちにくい。 まだ来ないはずのボールが、突然目の前に現れるような感覚がある。菅野はまさに、こういう投げ方をしている。ゆっくりと左足を上げ、まっすぐな姿勢を保ち、しっかりと右足に乗ってから打者方法に重心を移動する。その仕種はゆったりと見えるが、次の瞬間、急にボールが飛び出してくる。 だから、スピードガンで測る球速以上に菅野のボールは速く鋭く感じるはずだ。打者にすれば、「アッ」と慌てる感覚になるから、そのボールが鋭く変化したら(スライダー)、腰砕けして手に負えない。菅野の投球は「新常識」 日本のプロ野球の投手たちは、ある時期から「これが大事だ」と新しい常識を共有し始めた。ソフトバンクの工藤公康監督などは、それを後輩たちにしきりに強調していたと、若い投手から聞いたことがある。 ファンにとって印象深いのは、いまシカゴ・カブスで活躍する上原浩治ではないか。巨人に入団した一年目、歴代4位タイとなる15連勝をマーク(新人としては巨人・堀内恒夫をしのぐ最多記録)、いきなり20勝を達成して衝撃のデビューを果たした。 当時、上原の速球の平均は140キロ前後だった。それでも打てない。その秘密はやはり「球の速さ」ではなく、「球が離れるまでの速さ」だった。独特の上原の投球リズムを思い起こせばわかるだろう。ためた状態から左足を着くその瞬間に上原の右腕が出て来る。上原の場合はほとんど同時といってよかった。 古い常識にとらわれて、腕が遅れてくる投手が多かった中で、上原は特別で、衝撃的な投手だった。その影響もあってか、他の投手たちもその核心に目覚め、新しい常識を追求するようになっている。ブレーブス戦の8回に登板し、1回を三者凡退に抑えたカブス・上原=2017年7月、アトランタ もちろん、それ以前にもそれを自覚し、実践していた投手はいる。伊良部秀輝もその一人だった。158キロを投げても清原和博に打たれた。白星に恵まれなかった。その苦悩の末に生み出した投法「伊良部クラゲ」とも形容された投げ方は、右手と左足を一緒に出すための工夫でもあった。 そして菅野は、奇しくも同じ背番号19の先輩である上原が、日本の先がけをなした投法を継承して、大投手への階段を昇っている。 さらに菅野自身は、上原とも伊良部とも違う独自の工夫も凝らしている。とくに走者を置いた場面で、菅野は投げた後、左足をひっかくように後ろに引く動作をすることがある。普通の投手は絶対にしない。勢いをつけて前へ前へ投げようとする投手には、やろうと思ってもできない動作だ。 あるテレビの取材に答えて菅野自身がこう語っている。「左足を引くことによって、右肩が前に出る。加速する。よりボールに力が伝わりやすいんじゃないか」 自然と左足を引くようになって「球も強くなるし、面白いように空振りが取れる感じもあった」という。こうした新しい目覚めが今季の菅野の好調の背景にあるのだ。

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    北朝鮮リスクより危険? 経済最優先「人づくり革命」に足りないもの

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 米領グアム島周辺に弾道ミサイルを発射する準備が整ったとする北朝鮮の発言を受けて、日経平均株価は続落した。また安全志向の高まりをうけて円資産が買われ、円高も進行した。この「北朝鮮リスク」が経済状況に継続して影響を与えるかは現段階では不明である。ただ、日本経済の不確定要因として今後も注意が必要だろう。北朝鮮の労働新聞が7月29日掲載した、「火星14」発射に立ち会い、笑顔で拍手する金正恩朝鮮労働党委員長(中央)の写真(共同) GDPのプラス転換は1年半前からであり、その勢いが増しているようにも思える。だが、本当にこの「好調」は続くのだろうか。そして日本経済は1990年代からの「失われた20年」に最終的な別れを告げることができるのだろうか。 筆者は、今回の「好調」とアベノミクスの初年度に起こった出来事を比較することが重要だと考えている。アベノミクスの初年度とは、2012年第4四半期(10~12月)から2013年第4四半期までである。この時期は、翌年度の消費増税による駆け込み需要が顕在化する前であり、またアベノミクスの成果が最も明瞭だった高いパフォーマンスの期間だった。 実際にこの期間の実質GDP成長率は2・6%という高い水準だった。失業率は急減し、有効求人倍率は大きく改善し出した。アベノミクスの核となる日本銀行の金融政策も順調だった。インフレ目標で対前年比2%を目指していたが、採用前の2012年第4四半期で、消費者物価指数ではマイナス0・1%、生鮮食品とエネルギーを除く総合ではマイナス0・5%だったものが、それぞれ1・6%、0・7%にまで大きく改善した。残念ながら翌年の消費増税によってこの高いパフォーマンスは、「不十分」なものに転落してしまう。 このアベノミクス初年度の高いパフォーマンスを今回の状況と比較すると、共通する特徴がいくつか浮かび上がる。典型的には、個人消費が最も成長率に貢献しているということだ。そして設備投資がそれに続いているのも共通する。公共支出についてはアベノミクス初年度ほどではない。ただしいずれにせよ、「内需」中心の経済成長が生じている点では同じだ。「Aランク」を目指せる資産効果 個人消費の中身をみると、自動車や家電製品などの購入増や、外食の売り上げが伸びている。要するに人々の財布の中身が膨らんで、その結果として消費増加が起きている。なぜ人々の財布の中身(可処分所得)が増加したのだろうか。ここもアベノミクス初年度と共通するのだが、ひとつは資産効果によるものである。 1年前の2016年8月中旬の日経平均株価は1万6千円台だったが、現状では2万円台前後で推移している。伸び率で言えば25%ほどになる。この株高トレンドによって、家計の金融資産残高も増加している。この資産の増加が、耐久消費財などの個人消費の増加を生み出したと考えられる。また為替レート(円ドル)でみても昨年の8月は、1ドル=100円台を割り込む円高傾向だったが、現在は「北朝鮮リスク」に直面しながらも1ドル=110円台で推移している。この円安効果は、日本企業のドル建て資産を増価させ、他方で円建ての負債を圧縮することで、バランスシートの改善をもたらし、設備投資の増加に結びついていく。2万円を超える日経平均を表示する株価ボード=6月2日、東京都中央区(春名中撮影) このような株高・円安による消費と投資の増加経路は、アベノミクス初年度と全く同じである。ただし、資産効果も円安効果も、アベノミクス初年度ほどの効果はない。なんといっても、前回は民主党政権のどん底のような状況からの一大飛躍であり、その分経済への資産効果は極めて大きかった。わかりやすくいえば、全く勉強をせずに零点を採っていた学生が、ようやくやる気を出して勉強し、60点の合格点に達したのが、アベノミクス初年度の資産効果だといえる。それに対して現状では、すでに資産価値の改善は高い水準で実現していて、60点から「Aランク」の80点を目指す状況にあるといえる。前回に比べて伸びしろが限られてると言い換えてもいい。 むしろ今後のポイントは、アベノミクス初年度では不十分だった、人々の所得の増加そのものが焦点になるだろう。例えば、実質雇用者報酬は直近では前年同期比で1・4%の増加である。昨年度はほぼ2%台で推移したので、若干弱含みである。この実質雇用者報酬、つまり人々の給料そのものを増やすことが、今後の「内需」増加のキーポイントになる。 では、どうすればいいか。給料を増やすには、雇用の改善がさらに促される必要がある。確かに現状では、失業率も2・8%にまで低下し、有効求人倍率も全国・地方共に統計上でもまれにみる改善である。その他の雇用関係の指標もよく、しばしばマスコミが喧伝(けんでん)する「人手不足」がもっともらしく聞こえる。日本の雇用はまだ「リーマン前」 だが、実際には全般的な「人手不足」という状況ではない。経済全体での「人手不足」とは、総労働需要に対して総労働供給が不足する現象である。経済全体でみて、求人に対して働き手が足りないために、労働者を採用する側は、報酬を増やす必要がでてくる、というのが教科書的説明である。だが、日本経済の状況をみると、このような報酬の本格的な増加をみせるほどには、全般的な「人手不足」の状況ではない。深刻な人手不足は企業に大方針の転換を迫る。ファミリーレストランのロイヤルホストは全国で24時間営業を取りやめた=福岡市南区 実際のところ、日本の雇用はせいぜいリーマン・ショックの前の水準に戻った程度と考えたほうがいい。つまり堅調だといわれている雇用も最悪期をようやく脱したものの、まだデフレ経済の中に片足がはまった状態である。 例えば、就業率(15歳以上の人口に占める就業者の割合)をみると、現状では59・3%であり、ほぼリーマン・ショック前の水準に回帰した。だが、「失われた20年」が始まる90年代初めまでは就業率の水準は60-62%台であった。つまりまだまだ就業率に改善の余地が大きくあるのだ。例えば、非労働力人口は現状で4323万人ほどだが、このうち働く機会があれば働きたいと思っている人たちが、ざっと300万人ほどいると思われる。この300万人の多くが、働ける状況にもっていくことが重要だ。 現象的には、非労働力人口が減少し、他方で労働力人口が増加、就業率が60%台に上昇していく。もちろんその過程で失業率はさらに低下して、おそらく2・5%台前後にまで到達するだろう。このときになって初めて、全般的な「人手不足」が発生し、働く人たちの実質的な報酬も急増するだろう。報酬が増えれば、消費もさらに増加し、市場は拡大する。企業の設備投資も消費拡大を背景にして堅調に推移し、経済成長を支える。このような好循環が達成するまでは、まだまだ日本経済には不足するものがある。 その不足するものの典型は、追加的な金融緩和と補正予算による財政政策の拡大だ。財政政策については、筆者は以前から消費減税や長期間のインフラ投資を最善のメニューとして薦めているが、政治的な制約を考えれば、次善の補正予算の増加が「現実的」だろう。これらのいわゆるマクロ経済政策をさらに行うことが、いまの日本経済に重要なのだ。楽観的にいえば、あと一押しなのだ。 だが、今回のGDP速報をみて、茂木敏充経済再生担当相は、「人づくり革命」などによる生産性向上を政策対応としてあげている。だが、「人づくり革命」というのは、金融政策や財政政策のように人々の購買力を増やす政策ではない。経済を人間に例えれば、「人づくり革命」は体そのものを鍛える政策である。つまり筋肉増強みたいなものだ。だが、いまの日本経済はいわば風邪をこじらしている状況である。風邪をひいたときには金融・財政政策という「薬」が必要であり、筋肉増強のために訓練することではない。 茂木氏の発言を聴くと、本当に必要なのは「人づくり革命」よりも、政治家たちの「政策認識の革命」なのだと思う。

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    このままでは清宮幸太郎はプロ入りしても「ホームラン王」になれない

    小林信也(作家、スポーツライター)  これまで、早稲田実業の清宮幸太郎について語ることを避けていた。大騒ぎに便乗する気はないし、騒ぎに水を差すほど無粋でもない。実績はそろっているが、まだ10代の少年。高校生同士が戦った結果を過剰に持ち上げる違和感もあった。 清宮が高校3年間で通算107本のホームランを打ったのは事実だ。が、いずれも高校生投手から打ったにすぎない。しかも、プロ野球では使えない金属バットから放たれたものである。 東京の高校野球のレベル差は極端だ。強い高校もあれば、中学の硬式チームより拙い高校も少なくない。それを「107本」という数字でくくるのは、少なからず誇張も含まれる。 将棋の世界では、藤井聡太四段が14歳にしてプロ入りし、29連勝を飾った。彼が戦う相手は紛れもなく一流のプロ棋士であり、プロを相手に29連勝した藤井四段の実力は掛け値無しだ。その彼でさえ、このまま順調に成長するかどうか、100%の確証はない。なぜなら、かつて28連勝した先輩はいま壁に当たり、苦闘を続けている。メディアは平気で、「凡人の作った記録を天才に抜かれて良かった」と謙遜した彼のコメントを真に受けて発信したが、彼だって28連勝した当時は「天才」と呼ばれたはずだ。 清宮は、まだプロ野球の投手から1本のホームランも打っていない。野球界の規則に阻まれて対戦する機会が与えられないためで、清宮のせいではない。対戦すれば打ったかもしれない。 将棋界のように、若い才能がプロ野球選手と直接対戦する機会を野球界も作る必要があるというのは安全性の面で早計だが、新しい方向や発想を出し合い、改善を模索する土壌さえないのはお粗末だ。 ひとつ疑問がある。なぜ清宮は、これほど高校野球に没頭したのか。甲子園出場を逃し、試合後に取材に応じる早実の清宮幸太郎主将 =7月30日、東京・神宮球場 早実野球部で清宮は「青春」を満喫した。敗戦後、チームメイトと過ごした充実感、主将である自分についてきてくれた仲間や後輩への感謝を口にした。まさに青春そのもの。人間的な成長において「大切な経験」を清宮は高校野球で培ったと言っていいのだろう。個人競技の色合いが強い野球だが、一方でチームゲームの現実があり、そのチームゲームの何たるかを高校で体感した。だが、プロ野球選手としてそれがプラスであったかどうかは、にわかには断定できない。プロの世界で感傷(センチメンタル)はあまり役に立たないからだ。その意味では、現役時代、まったくセンチメンタルを感じさせなかった父・克幸さんとは少し違った人間味を感じさせる。 藤井四段が青春を捨てているように、ある道に秀でた天才が、何かを犠牲にするのは選択肢の一つだ。高校時代に「次」を見据えて野球に取り組むなら、清宮が自ら進んでやるべきことは「甲子園出場を目指すこと」や「通算ホームラン記録を抜くこと」以外にあったように思う。そう、いま清宮が最も不安視されている「木製バットへの対応」と「守備力の改善」である。 西東京大会の決勝では一塁手としてふたつのミスをし、それが失点、敗戦につながった。 野球を見る目を持つ人なら、清宮の守備の動き、スローイングのレベルには思わず口をつぐみ、ため息をもらすだろう。お世辞にもプロのレベルとは言えない。打撃と違って、守備は努力で向上する、と一般的には言われるが、清宮がどれほど努力すればプロで一流と呼ばれるようになるのか。正直言って、かなり前途多難だと多くの人は感じることだろう。履正社・安田尚憲との違い 一塁手というポジションは、プロ野球ではある種の「指定席」の色合いがある。巨人の阿部慎之助が捕手を卒業して守っているように、ベテラン選手の生きる道に使われる。守備に難のある強打の外国人助っ人の「指定席」でもある。 18歳のルーキーに最初から喜んで提供できるポジションとは言えない。もしプロ球団がそれを確約するなら、清宮にはホームラン王を争う助っ人並みの数字が求められる。1年または2年、結果に目をつぶって経験を積ませてくれる余裕のある球団がどこにあるだろうか。 高校時代に木製バット対策と守備力強化を行わなかった清宮は、今からその課題を克服しなければならない。 木製バット対応は、打撃の天性を持ってすれば、案外すぐにできても不思議ではない。ただし、特別な知識と指導力を持ち、清宮の潜在的可能性を見いだし伸ばしてくれる名伯楽との出会いが必須だ。今の球界にそのような人物が本当にいるのだろうか。 王貞治には、荒川博コーチがいた。巨人に入って3年間、期待ほどの結果を出せない王にしびれを切らした川上哲治監督(当時)が、「安打製造機」の異名を取った榎本喜八の育ての親である荒川を大毎オリオンズから引き抜き、王の専属打撃コーチにした。二人の師弟関係から「一本足打法」が生まれ、王がホームラン王に変貌した伝説はオールドファンなら誰もが知っている通りだ。松井秀喜には長嶋茂雄監督(当時)が熱心にマンツーマン指導したという逸話もある。 清宮は184センチの恵まれた体躯からホームランを量産してきた。だが、今のバッティングスタイルはむしろ中距離打者である。やわらかなリストワーク、しなやかなバットコントロールは、打撃センスと安定感を感じさせる。投球を捉えるのもうまい。しかし、イチローがホームラン打者でないように、その打ち方がプロ野球に入ってもホームランを生むのに最適な打法かは一考の余地がある。今秋のドラフト候補、履正社の安田尚憲内野手 履正社の安田尚憲は松井秀喜を手本にし、内面でボールを捉えた後、バットと身体をひとつにして、「ブン!」と振り抜く。これは紛れもなくホームラン打者の打ち方だ。清宮は、バットと身体の出方にズレがある。下半身が投手方法に向かった後、上半身(バット)は少し遅れて出てくる。昔の好打者に多かった打撃スタイル。ヒットや二塁打は高い確率で打てても、柵超えを狙うのに最適な打ち方ではない。 フルスイングが代名詞の柳田悠岐(ソフトバンク)も、中田翔(日本ハム)も、中村剛也(西武)も、軽々とホームランを打つときは、ステップとバットとボールが一つになっている。 結論から言えば、「中距離打者」の清宮幸太郎など、誰も求めてはいない。不自由すぎる野球の世界 ホームランこそが清宮に求められる代名詞だ。ところが、今の清宮は「ホームラン王」への道をまっしぐらに歩んでいるとは言い切れない。そういう誤差を指摘し、納得の上で清宮をホームラン打者へと導いてくれる指導者との出会いが何より重要である。もしくは、少年時代、そうして来たように、清宮自身がメジャーリーガーらを参考に、自らフォームの見直しを図ることだ。 U-18(18歳以下)世界大会では不調に終わり、昨秋の東京都大会では日大三高のエース、櫻井周斗に5打数5三振を喫した。今夏の西東京大会決勝では、東海大菅生のエース、松本健吾から丁寧に攻められ、凡打を重ねた。最後の打席で一二塁間を抜いたのはさすがだが、レベルの高い投手から攻められたら、必ずしも結果を出していないのが、早実時代の清宮だった。 次の2年、3年、どんな環境で、どんなコーチと、何をどう改善するかが、清宮の野球人生を大きく左右する。 早稲田大学にそれを満たす環境があるだろうか。通算107号本塁打を放つ早実・清宮幸太郎=7月28日、神宮球場 今の時点で考えると、大学生活の4年は長すぎる。「プロ入りの準備完了」と判断したら、中退してプロ入りしたいだろう。その自由が日本の野球界にはない。社会人野球でも3年は拘束される。唯一の例外は独立リーグだが、清宮には合わないだろう。 アメリカ留学の声もあるが、注意が必要だ。アメリカの野球界に飛び込んだら、MLBの制約を受ける可能性が出てくる。マイナーリーグに所属すれば、自分の意志で日本のプロ野球に入れない立場になる。 こうして考えると、野球界とはなんと不自由な世界なんだろうとつくづく思う。清宮には、今すべきことを、それにふさわしい環境で取り組んでほしい。例えば、アメリカ、南米の環境で自由に野球を謳歌(おうか)するのも、もう一度清宮を大きく飛躍させる糧になるように思える。 プロ・アマ規定や日米の紳士協定が邪魔になるなら、この機会に改善してほしい。清宮のための「特例」ではなく、そうした堅苦しい規制のために、のびやかな野球人生を過ごせない多くの若者に、もっと選択肢を広げ、野球以外の経験も含めたスケールの大きな野球人生を保証するために。 通常ルートでプロに入る選手ばかりでなく、独自の成長過程を過ごして才能を伸ばす選手たちを柔軟に受け入れる懐の深さを野球界は持つべきだ。 清宮が次の2年間をどこでどう過ごすかが重要だ。それは候補に挙げられる「即プロ入り」でも、「早稲田大進学」でも、単純な「アメリカ留学」でもない気がする。そんな杓子定規しか選択肢のない日本の野球界そのものが、常識の枠におさまらない清宮幸太郎には居心地が悪いのではないだろうか。

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    安倍総理、国民の生命より「消費増税ありき」でいいんですか?

    の脱却にあと一押しが足りないのは、2014年4月からの消費増税による消費低迷に原因があることは、この連載でも何度となく指摘してきたことである。 最近の消費統計をみると、今年に入ってからの株高・円安傾向による「資産効果」や所得増などによって消費がやや上向き始めているが、それでも力強さには欠ける。その原因としては将来の増税を予想して現在の消費を手控えて、貯蓄してしまうことが考えられる。その意味では、安倍首相が予定通りの増税実施を確言したことは、消費者のデフレマインドをさらに定着させてしまっただろう。 確かに、現在の政治状況から、この時期に消費増税の「凍結」やあるいは減税などのオプションに言及することは難しい、という指摘もある。ただ、安倍政権が今後、経済政策で積極姿勢を鮮明にしない限り、内閣支持率の上昇を含めて政権の再浮揚は困難だろう。 また、経済政策は単に政権の安定だけが目的ではもちろんない。私たち国民の経済状況、さらには直接に「生命」に関わる問題でもある。7月後半に出された最新の統計によれば、今年前半の自殺者数は前年比で約5・1%減少の1万910人であった。自殺者数は民主党政権時代の後半から減少しているが、その勢いが加速したのは第2次安倍政権になってからである。その要因は、自殺対策への政府・地方政府の予算増加、さらには積極的な財政・金融政策による景気の改善効果によるものが大きい。市場に任せても自殺は防げない 1997年は日本の金融危機と消費増税により経済が大失速した年だ。自殺者数はこの年以降急増、2011年まで14年連続して3万人台であり、ピークの年では3万5千人近くに達した。さらに、自殺未遂した人や自殺しようかと悩んだ人たちまで含めると膨大な数に及ぶに違いない。つまり消費増税による経済失速、その後の経済政策の失敗が、国民の生命を直接に奪ったことになる。4月26日、自殺総合対策大綱の見直しについて議論した厚労省の有識者検討会 実は、経済政策の失敗が人々の「生命」を直接に奪うとした分析を、英オックスフォード大教授のデヴィッド・スタックラーと米スタンフォード大助教授のサンジェイ・バスが『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)で提示している。原題を直訳すると「生身の経済学 なぜ緊縮は殺すのか」というものだ。 スタックラーとバスはともに英国の公衆衛生学の専門家だ。彼らの問題意識は、医療や社会福祉(公衆衛生を含む)に経済政策がどのような影響を及ぼすかどうかにあった。その検証は鋭く、また多くの経済学者が「市場に基本的に任せておけば安心だ」という安易な市場原理主義的信奉に陥りがちなのに比べて、経済学者以上に経済政策の重要性を認識している。 スタックラーとバスの指摘で注目すべきなのは、不況そのものよりも、不況のときに緊縮政策を採用し、経済政策が失敗することで国民を殺してしまうということだ。日本の事例でいうならば、1997年以降の自殺者数の急増は、アジア経済危機や金融危機そのものではなく、消費増税(増税という形ので緊縮政策)であったということになる。また当時の日本銀行による金融政策の失敗が持続したことも大きい。 例えば、不況になれば失業者が発生する。このとき政府や中央銀行が適切に対処しなければ、失業の増加が自殺者の増加を招いてしまうだろう。日本の場合では、失業率が高まるとそれに応じるかのように自殺者数も増加していき、また失業率が低下すると自殺者数も低下していく。この関係を専門用語で「正の相関」という。不況で起こる中高年男性「自殺の引き金」 経済停滞期に緊縮政策を採用することで、男女ともに自殺者数が増加する。ただし、仕事を奪われることによる社会的地位の喪失を、男性しかも中高年が受けやすいといわれている。実際、日本の失業率が増加すると、特に中高年の男性が自死を選択するケースが激増する。現在でも男性の自殺者数は女性のほぼ倍である。もちろん女性の自殺者数も経済政策の失敗によって増加することは同じで、深刻度は変わらない。 スタックラーとバスの本では、2008年のリーマン・ショックで仕事を失ったイタリアの中高年の男性職人が「仕事ができない」ということを理由に自殺したエピソードを紹介している。つまりここでのポイントは、経済的な理由よりも地位や職の喪失そのものが自殺の引き金になっていることだ。 経済政策の失敗の典型は、不況のど真ん中やあるいは十分に回復していない段階での増税だ。先ほどのスタックラーとバスはこう指摘する。リーマン・ショック以後の英政府は当初、積極的な景気刺激策により雇用増加や自殺者減少に貢献したにもかかわらず、それを1年で止め、日本でいうところの消費増税や公務員の人件費カットなど「緊縮策」を採用したことで失業が増え、自殺も増加したとしている。 不幸なことだが、日本の政治家の大半が緊縮主義者だ。政治家の大半は、将来世代のために財政再建が必要であるとか、人口減少社会への対応で福祉を向上させるために「消費増税が必要だ」と語るケースが多い。だが、長期停滞、つまりデフレによる経済低迷を脱しないままで消費増税を目指すことは、確実に国民の生命を傷つけ、最悪の場合、奪ってしまうだろう。 消費税と社会保障があまりも強固に結びついてしまっている日本の制度設計の失敗の問題でもある。いずれにせよ、将来世代と現在の国民の生命と生活の安定を本当に重視するならば、まずはデフレを脱却させ、経済停滞を回避することが最優先であって、「消費増税ありき」「財政再建ありき」ではないのだ。安易な消費増税の確約は、国民の生命を危機に陥れると宣告することに等しい。日本の政治家は、特にこのことを心に刻んでほしい。

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    「利上げして景気回復」枝野幸男の経済理論が凄すぎてついていけない

    ドなものである(参照:「反省なんてまるでない! 「緊縮ゾンビ」だらけの民進党代表選」)。いままでこの連載でも多くを書いてきたので、今回は枝野氏について特に紙数を割きたい。地元の祭りに参加し、住民と言葉を交わす民進党の前原誠司元外相=7月30日、京都市左京区 枝野氏については、2012年に出された著作『叩かれても言わねばならないこと。』(東洋経済新報社)が参考になる。同著では、所得税よりも消費税がむしろ現在の生活水準が高くない層には有利だと説明されている。消費税が、低所得者層に負担が重いという「逆進性」の指摘を否定している。そして消費が多く生活水準の高い「引退世代」に負担してもらうという主張であった。 しかし、この枝野氏の主張ほど実際の消費税の負担について間違ったものはない。消費税の「負担額」は確かに高所得者の方が大きいが、やはり「逆進性」の懸念通りに、低所得者層の方が消費税の「負担率」が高くなっている。 消費増税が直近で行われた2014年4月から8月にかけての統計データを見て、現在の日本銀行審議委員である片岡剛士氏は、『日本経済はなぜ浮上しないのか』(幻冬舎)の中で以下のように指摘していた。「消費税増税が始まった2014年4月から8月にかけて悪化が深刻であるのは、世帯所得が最も低い第一分位及び第二分位といった低所得層の家計消費であり、かつ勤労者世帯の中でも非正規労働者の比重が高い低所得者層の悪化度合いが深刻であることがわかります。消費税増税の逆進性に伴う負担率の高まりが低所得者層を中心に生活防衛意識を高めて支出を抑制しており、家計消費の回復にブレーキをかける一因となっているのです」(同書、180ページ)。 この状況は2014年から16年までほとんど変わらず、低所得層の消費の動きは低迷したままである。枝野氏の主張は現実の動きの前では否定されたといっていい。信じられない枝野氏の「トンデモ経済論」 さらに枝野氏には興味深い主張がある。それは以前から「利上げして景気回復」という主張である。これは端的にトンデモ経済論の域だと思われる。筆者の知る限り、08年9月下旬のテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」の番組中に表明している。当時はもちろんリーマン・ショックが顕在化したころであり、深刻な経済危機に世界が直面していた。その中での発言である(当時の記録が筆者のブログにある)。 通常は、経済危機や深刻な不況のときは、金利を引き下げることが重要だ。もし金利を引き下げる余地がないときは、今度は中央銀行が供給するマネー自体を増やしていく、さらには物価安定目標(インフレ目標)の導入で人々の予想をコントロールしたりすることが重要だ。なぜ金利を引き下げるかといえば、経済が落ち込んでいるときは、民間の消費や投資が振るわないときだ。例えば、住宅ローンでも車のローンでも金利を安くした方が借りやすくなるだろう。もちろん金利が変動型であればそれだけ返済負担も少なくなる。消費だけではなく、企業の設備投資のための金利負担も軽くなる。 だが、どんな教科書にも経済危機や不況に、金利を引き上げて景気回復が行われるとは書かれていない。当たり前だが、そんなことを経済危機に行えば、経済は壊滅的な打撃を受けるだろう。それをリーマン・ショックの時期に行えというのは、かなり経済政策のセンスを根本的に疑う事態だろう。「朝まで生テレビ」で同席していた嘉悦大学の高橋洋一教授も同様に、枝野氏の経済政策観を批判している。 やはり、枝野氏の経済政策観は、緊縮主義、その一種である「清算主義」に立脚しているかもしれない。不況や経済危機のときに、積極的な金融緩和や財政拡大で介入することは、かえって非効率的な企業や非効率な人々の経済活動(一例で余剰人員など)を温存させてしまう。だから不況や経済危機は市場に任せて放置した方がいいという経済思想である。そしてこの清算主義もまた間違っているにもかかわらず、何度も政策議論の場でよみがえってくるゾンビでもあるのだ。講演後に記者団の取材に応じる民進党の枝野幸男元官房長官=7月29日、さいたま市 ただ枝野氏は「利上げ」という形で積極的に市場に介入して、さらに不況を深めるかもしれないので、積極的清算主義という新種の可能性がある。このような「介入」が、彼が市場に任さないで、政府の活動を重視する「リベラル」という評価の源泉なのかもしれない。ただあまりに「自由すぎる」発想で、筆者はついていけないのだが。 まじめに話を戻せば、前原氏も枝野氏もともに緊縮主義であることに大差なく、蓮舫-野田体制とこの点で変化はみじんも期待できないのではないか。ここに民進党の低迷の真因がある。

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    「加計ありき」で発狂するワイドショーの安倍叩きがヒドすぎる

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 7月24日に衆院予算委、25日には参院予算委で、いわゆる閉会中審査が行われた。テーマは、加計学園の獣医学部新設計画をめぐる「問題」である。なぜ「」でくくったかというと、この件には具体的な問題が不在だと、私が思っているからだ。しばしば新聞やワイドショーなどのメディアでは、「加計ありき」という言葉を聞く。これは安倍晋三首相と加計学園の理事長が友人関係にあり、そのため獣医学部新設について優遇されたという疑惑があるという。 では、どんな具体的な「疑惑」なのだろうか? そしてそれは違法性があったり、あるいは政治的、道義的責任を発生させる「問題」なのだろうか? 具体的ならば一言で表現できるはずである。だが、繰り返されるのは「加計ありき」というおうむ返しと、なんの実体も伴わない「疑惑」のバーゲンセールである。 「疑惑」を持つことは結構である。実際に政府にはさまざまな権力が集中していて、それをチェックするのは政治家やメディア、そしてなによりも私たち国民の責務である。だが、その「疑惑」は少なくともある程度の具体性を持たなければならない。7月24日、衆院予算委の集中審議で、答弁に立つ和泉洋人首相補佐官(左)と前川喜平前文部科学事務次官(斎藤良雄撮影) 例えば、「総理のご意向」を書かれた文部科学省の内部メモである。出所がいまだにはっきりしないこの内部メモには、和泉洋人首相補佐官から「総理の口から言えないから」としてスピード感を持って取り組むように、と前川喜平前文科事務次官に伝えたとある。どうも「総理の口から言えないから」の存否が論点らしい。前川氏はそのような発言があったとする一方、他方で和泉氏は否定している。 しかしそもそもこの文言があったとして、何か重大な法律違反や不公平な審議が国家戦略特区諮問会議の中で起こったのであろうか。むしろ規制緩和のスピードを速めることは、国家戦略特区のあり方でいえば正しい。ましてやその内部メモには、加計学園に決めよ、という誘導を示すものは何もない。だが、多くの報道は、なぜかこの点を飛び越えてしまい、「加計ありき」のシナリオとして読み込んでいる。「ありき」論者たちの思い込みである。 ちなみにこの内部メモが作成された段階では、京都産業大も候補として残っていたのだから、「京産大ありき」や「加計も京産大もありき」の可能性さえも、「ありき」論者たちの読み込みに付き合えばありえるだろう。だが、もちろん「ありき」論者たちは、加計学園の加計孝太郎理事長が安倍首相の「お友達」なので、「加計ありき」だと証拠も論理的根拠さえもなく、断定するわけである。およそ良識外だ。ニュースの消費は「娯楽の消費」 連日のように新聞やワイドショーなどのテレビ番組が、このような実体のおよそ考えられない良識外の「疑惑」を2カ月にわたり流し続けてきた。他にもさまざまな要因があるだろうが、安倍政権の支持率はがた落ちである。ワイドショーなど既存メディアの権力の強さを改めて実感している。7月25日、参院予算の集中審議で、民進党・蓮舫代表(右下)の質問に答弁する安倍晋三首相(川口良介撮影) 加計学園「問題」の真偽については、筆者も以前この論説などで書いた。また当サイトでも他の論者たちが実証的に議論しているだろう。ここでは、主に森友学園「問題」や加計学園「問題」などで明らかになってきた、ワイドショーなどマスメディアの報道の経済学について簡単に解説しておきたい。 経済学者でハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ジェンセン教授が、1976年に発表した「報道の経済学に向けて」という野心的な論文がある。通常の経済理論では、財やサービスに対する消費者の好み自体には無関心である。ある特定の好みを前提にして、単に価格の高低にしたがって需要と供給が一致することで現実の取引が決まると考える。だが報道の経済では、ニュースという「財」そのものが消費者の好みを作り出すことに特徴がある。ここでいうニュースは、政治、経済、芸能などの中身を問わない多様なメディアが提供する広告宣伝以外のサービス総体を指す。 ジェンセン氏は、ニュースの消費は、「情報」の獲得よりも、エンターテインメント(娯楽)の消費であると喝破する。つまりテレビなどの「報道」は、ディズニーランドで遊ぶことや、または映画や音楽鑑賞、アイドルのライブで沸き立つことと同じだということだ。これは慧眼(けいがん)だろう。日本のようにワイドショー的な「報道」方法が主流ではなおさらのことだ。 ジェンセン氏は、この報道=娯楽、という視点から、どんなニュースが消費者の好みを作り出し、また消費者は実際にそれを好むかを主に3点から解説している。1 「あいまいさへの不寛容」…ニュースがもたらす「疑問」「問題」よりも、単純明快な「解答」をニュースの視聴者は求める。証拠と矛盾していても、また複雑な問題であっても、単純明快な「答え」が好まれる。ニュースの消費者の多くは、科学的な方法を学ぶことにメリットを見いだしていない。つまり学ぶことのコストの方が便益よりも大きいと感じているのだ。そのためニュースの消費は、いきおい、感情的なもの、ロマンチシズム、宗教的信条などが中核を占める。単純明快な二元論を好む消費者2 「悪魔理論」…単純明快な二元論を好む。善(天使)VS悪(悪魔)の二項対立で考える傾向が強い。極端なものと極端なものを組み合わせて論じる報道が大好きである。特に政府は「悪魔」になりやすく、政府のやることはすべて失敗が運命づけられているような報道を好む。まさにいまの「学園シリーズ」の報道はこの図式にあてはまる。「天使」は前川喜平氏なのだろうか。「悪魔」は安倍首相であることは間違いないだろう。その友人や知人は「悪魔」の一族なのだろうか。 また対立する意見や見解を明らかにするよりも、「人間」そのものやゴシップを好む。それが「面白い」娯楽になるからで、それ以外の理由などない。戦前も朝日や毎日などの大新聞は、政治家や著名人のスキャンダルを虚実ないまぜにして取り上げては、政権批判につなげていた。このような悪しき人物評論については、戦前もかなり批判があった。政策の議論よりも政治家の「人間性」という実体のわからないものに国民の関心が向き、それで政策の評価がなおざりになるのである。3 「反市場的バイアス」…市場的価値への嫌悪をニュースの消費者は持ちやすい。例えば規制緩和や自由貿易への否定的感情がどの国も強い。例えば、今回の加計学園「問題」は、規制緩和が敵役になっているといっていい。規制緩和は、国民全体の経済的厚生を改善するのだが、それよりも規制緩和は、むしろ国民の利害を損なうものとしてニュースの消費者から捉えられるという。今回も既得権側の日本獣医師会や、また文科省などの官僚組織、そしてそれを支援する政治家たちの方が、安倍政権の批判者たちには人気のようである。 ジェンセン氏の報道の経済学はいまの日本の政治状況、そして報道のあり方を考える上で示唆的である。しかし、いまの日本の報道が、もし真実よりも「娯楽」の提供を中心にするものだったとしたらどんなことがいえるのか。その答えは簡単である。現在、新聞やテレビなどの企業群が、報道の「公正中立」などを担保として持つさまざまな特権が、国民にとってアンフェアなものだということだ。 さまざまな遊園地や映画館、そしてアイドルたちも政府から優遇的な規制を受けてはいない。それと同じように、日本の報道機関は、いまのような「娯楽」中心の報道を重ねるかぎり、政府からのさまざまな優遇措置を保証する国民が納得する根拠はない。軽減税率の適用除外、再販売価格維持の見直し、記者クラブ廃止、新聞とテレビのクロスオーナーシップ禁止、新聞社の株式売買自由化などが検討されるべきだ。今回の新聞やワイドショーなどテレビの「学園シリーズ」をめぐる報道は、日本の報道のあり方を再考するまたとない機会になっている。

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    民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 世の中に取り組まなければならない政治問題が100しかないとすれば、民進党の蓮舫代表のいわゆる「二重国籍問題」は、その中でも99番目か100番目の重要度しか持っていないというのが私の見方である。日本と台湾の「二重国籍」解消に関する記者会見に臨む民進党の蓮舫代表=7月18日、東京・永田町の民進党本部(酒巻俊介撮影) この二重国籍「問題」について、ネットでは執着して批判する人たちがわりと多い印象を持っていた。ただ「問題」が発覚してからだいぶ時間も経過し、一部の人たちの熱い関心以外は、このまま立ち消えするものと思っていた。ところが最近、またこの「問題」が再炎上している。 そのきっかけは東京都議選の民進党の惨敗である。具体的には民進党の今井雅人衆院議員が「この問題をうやむやにしてきたから、党はピリッとしない」などとツイッターで書いたことがきっかけのようだ。同党の原口一博衆院議員も同じ趣旨のツイートをしている。これらの民進党議員の発言は、安倍政権への支持率の急低下が生じている半面、その反対票の受け皿として全く機能していない同党衰退への危機感が裏側にある。実際に世論調査をみても、民進党への支持は相変わらず低調だ。 私見だが、蓮舫氏の二重国籍「問題」は、まず説明が二転三転したこと、そして過去のメディアでの発言との非整合性など、その政治家としての発言の首尾一貫性への疑問に尽きるだろう。昨秋米国との「二重国籍」状態が発覚、その後解消した自民党の小野田紀美議員が指摘しているように、だいたいの人たちは蓮舫氏の出自や差別の話などはしていないだろう。 もちろん差別主義的な発言も目にするが、蓮舫氏の発言が矛盾していることへの疑問が多数だ。むしろ、蓮舫氏がこの機会に自分の立場を国民の多くが納得する形で発言すれば、差別主義的な発言に抗するいい機会にもなるかもしれない。そのときに戸籍謄本の開示が必要かどうかは、それは単なるひとつの証拠物が必要かそうでないかのレベルだと筆者は思う。別に開示がなくても、蓮舫氏が国民の疑念を払拭(ふっしょく)できると思うならば、それだけの話である。言い換えれば、戸籍謄本の開示なしで説得に失敗しても、またそれだけの話でしかなく、周りが強制すべき話では一切ない。もちろんこの点については議論が分かれるだろう。筆者も自分の見解が最善だというつもりもない。身内が指摘する民進党「低迷の根源」 だが、民進党が本当に国民の信頼を取り戻そうとするならば、その方向性だけは明瞭である。例えば、民進党の金子洋一前参院議員が以下のように発言している。「民進党の議員たちに問う。蓮舫氏が戸籍を公開すれば、党勢は上向く。そう本気で思っているのか。なぜ、野党第1党の民進党が、政権の受け皿として認知されないのか」 金子氏はいわゆるリフレ政策の主張者として長く知られてきている人だ。現在のアベノミクスの骨格部分である、大胆な金融緩和政策を基本とする政策をリフレ政策という。そもそも安倍晋三首相よりも金子氏の方がリフレ政策の理解は熟達している。公平にいえば、安倍首相の理解もかなり上級だ。こう書くとすぐに安倍擁護だという人がいるが、あくまで国会答弁を見た客観的な評価である。民進党の金子洋一前参院議員 いずれにせよ、金子氏が言いたいことは、おそらく民進党の低迷の根源には、その政策無策、特に経済政策の無策があるということだろう。金子氏の従来の発言を追ってみても、そのことは明瞭である。より具体的にいえば、いまの蓮舫代表と野田佳彦幹事長の体制に色濃い、反リフレ政策、消費増税路線への批判である。これらの政策が、民進党が国民に全く支持されない原因であることを、金子氏は言いたいのではないか。 金子氏の著作『日本経済復活のシナリオ』(青林堂、2014年)では、以下の3点をあげている。1)日本銀行による金融緩和は強化すべきだ。また、消費増税の判断は慎重にすべきだ。2)景気対策として数兆円規模の輸入物価上昇対策のための補助金を実現すべきだ3)政府の経済政策を「雇用重視」にかじを取るべきだ。 これらの提言は、多少の修正が必要かもしれないが、現在の日本経済を考えるうえで重要だ。そしてこのような政策提言こそ、いまの民進党にこそ求められているのではないだろうか。大変貌に必要なのはこの政策 例えば「雇用重視」だが、金子氏も強調しているように、いまの日本には「雇用の最大化」すなわち失業を予防するために働く官庁がない。金融緩和政策は、日本の雇用を大幅に改善したのだが、本来、日銀にとってその使命は法的に自明ではない。現在、たまたま安倍政権と協調しているために雇用重視のスタンスをとっているだけだ。そのため「雇用最大化」と「物価安定」のふたつを日銀に課すような日銀法改正を目指すことを金子氏は説いていた。これは現在の安倍政権でも全くなおざりにされている点だ。この日銀法改正によってさらにリフレ政策は強化される。もちろん民進党の政策として採用されるならば、筆者は応援するだろう。2011年11月、民主党政権時代の野田佳彦首相(左)と蓮舫行政刷新担当相=東京・サンシャインシティ文化会館(瀧誠四郎撮影) また消費増税を明確に否定することも重要である。これは民主党時代の野田政権での政治的な大失敗だし、また今日の安倍政権が2014年に行った現実的な失敗でもある。もし消費増税の放棄と、それに代わるリフレ政策による財政健全化を優先することを表明すれば、国民の多くは民進党の性格が大変貌したことを瞬時に悟るだろう。 また民進党ならではの「弱者」保護政策も重要だ。例えば上記2番目の補助金政策は、電気料金の引き下げや、ガソリン税・軽油引取税などの廃止ないし引き下げなど、低所得者層へ恩恵のあるものである。 だが実際には、民進党は金子氏を参院選で見殺しにしたといっていい。神奈川選挙区に複数候補を立ててこの有為な人材を国会から失った。その損失は計り知れない。 他方で、自民党もそうだが、国会議員の多くが「消費増税主義」を全く変えることがなく、しかもバーゲンセールできるほど存在している。この病は深刻である。蓮舫氏の二重国籍「問題」は人によっては重要かもしれない。しかし私見では、その「問題」がどうあれ、ほとんどの国民にとって、政治、経済、外交の多くの課題の前では優先度は限りなく低い。 筆者は民進党の政策を批判する点では、日本の論者の中でも筆頭に位置するくらい辛辣(しんらつ)であると認識している。だが、それでも最大野党が本当にどうしようもない事態であることには危機感もある。 ちなみに、金子氏は経済政策でも卓越しているが、8月13日に東京・ビックサイトで行われている国内最大規模の同人誌即売会、コミックマーケットに参加するらしい。筆者も時間が合えば行くつもりだ。もはや民進党関係では、金子氏のコミケ参加が個人的に最大の注目になってしまったのである。

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    「消費増税、反アベノミクス」石破茂の総理への野望を阻止せよ!

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 東京都議選の前後から妙にマスコミが熱心に取り上げている政治家がいる。石破茂前地方創生担当相である。どうも最近の「安倍下ろし」とでもいうべき、一部のマスコミが扇動している政治ショーのクライマックスは、この石破政権の誕生であるようだ。これは筆者だけの妄想ではないようで、嘉悦大学教授の高橋洋一氏も最近の論説を読むかぎり、同様の動きを察知しているようである。政治家の野心とそれに乗じる特定のマスコミの動きが連動しているのは、一昔前に比べれば、ネットなどを通じて誰でも見抜きやすくなっている。東京都議選で自民党公認候補の応援演説を行う石破茂前地方創生担当相=6月24日、東京都墨田区(納冨康撮影) 石破氏の経済政策のスタンスは、高橋論説にも言及されているように「反アベノミクス」に尽きる。アベノミクスは3点から構成されていて、大胆な金融緩和政策、機動的な財政政策、そして成長戦略である。このうちアベノミクスの核心部分が大胆な金融緩和政策にある。政府は日本銀行の人事を国会での議決を通じてコントロールし、この大胆な金融緩和政策、いわゆるリフレ政策(デフレを脱却して低インフレ状態で経済を安定化させる政策)を実現しようとしてきた。石破氏の「反アベノミクス」とは、このリフレ政策への批判に他ならない。 例えば、まだ民主党政権の時代に評論家の宇野常寛氏との共著『こんな日本をつくりたい』(2012年)の中で、宇野氏のリフレ政策をとっても良いのではないか、という問いに対して、石破氏は即時に否定している。石破氏の理屈では、リフレ政策は「二日酔いの朝に迎え酒飲むようなもの」で、続けていけばハイパーインフレ(猛烈なインフレ)になる可能性があるというものだった。 石破氏の反リフレ政策の議論は、マネーのバラマキを継続すればハイパーインフレになるというもので、これは石破氏の年来の主張でもある。2010年7月のインタビューで、すでに彼は次のように述べている。(みんなの党(当時)が提出したデフレ脱却法案について) わたしはああいう考え方をとらない。マネーのバラマキは効果的かもしれないが、1年限りで終わるものでなく、2年、3年、4年と続ける必要があり、そのときハイパーインフレにならないという自信がない。麻薬を打つと元気になるが中毒になる前に止めるからいい、という話にならないか。(デフレ脱却法案への反対は)党としてまとまっている。うまくいくかもしれないが、ギャンブルではないのだから(政策として採れない)インタビュー:民主代表選の結果次第で首相交代も=自民政調会長(2010.07.16)石破氏「反アベノミクス」政策の実態 まずマネーのバラマキとリフレ政策はそもそも同じではない。この点は後で説明するとして、とりあえず石破氏の懸念と異なり、日銀の大胆な金融緩和政策が始まってすでに5年目が経過した。しかし、ハイパーインフレになるどころか、14年の消費増税と世界経済の不安定化によって、いまだに事実上のデフレ状態が続いている。もっともこの点についても、単にデフレ状態のままだからという理由で、アベノミクスは否定されるわけではないことは、先に参照した高橋論説でも触れた就業者数の増加などの各種経済指標の大幅改善をみれば、よほどの悪意を持たない限り、誰もが認めるところだろう。 最近でも石破氏は、消費税を必ず上げることを約束していることが国債の価値を安定化させていることと、またプライマリーバランスの2020年度の黒字化目標を捨てることも「変えたら終わりだ」とマスコミのインタビューに答えている。 要するに、石破氏の「反アベノミクス」政策とは、①大胆な金融緩和政策は危険なので手じまいが必要、②財政再建のために消費増税を上げることが最優先、と解読することができるだろう。もしこれらの政策を実行すれば、間違いなく日本経済は再び大停滞に陥るだろう。6月16日、金融政策決定会合のため日銀本店に入る黒田総裁(代表撮影) まず①のようにマネーのバラマキを続ければハイパーインフレになる、という理屈だが、これを「金融岩石理論」という。坂道に巨大な岩があり、それをどかそうとしてもなかなか動かない。だが、一度動きだすと坂道を猛烈な勢いで転げだすというものである。このような「金融岩石理論」は、実証的には支持されていない。むしろ日本の現状をみれば、日銀がマネタリーベース(中央銀行が供給する資金量)を拡大してもなかなか物価水準は上昇しない期間が継続していた。 次期の日銀政策委員であるエコノミストの片岡剛士氏は、日本のマネタリーベースの水準と物価水準との相関が低いことを指摘した。これはいわゆる「失われた20年」で、マネーのバラマキをしてもデフレ脱却に結び付かなかったことを意味する(「金融緩和政策とハイパーインフレ」原田泰他編著『アベノミクスは進化する』所収)。 そのため、片岡氏や先の高橋氏、そして筆者ら日本のリフレ派といわれる政策集団は、一定の物価上昇率の目標を設定し、金融政策を運営する「インフレ目標」を導入することで、マネーと物価の関係が再構築されることを目指した。つまりインフレ目標のない金融政策だと、いつ金融引き締めが行われるかわからないために、人々の予想形成が困難になり、そのためデフレ脱却効果を大幅に下げてしまうことになる。石破氏の主張は「トンデモ理論」 安倍首相は、12年秋の自民党総裁選からこのインフレ目標の導入を掲げて総裁選に勝利した。そして政権の座に就いてからも日銀にインフレ目標の導入を事実上迫り、そして日銀の人事管理(正副総裁選出)を通じて導入の実現に成功した。13年のインフレ率の改善は目覚ましかった。これはインフレ目標によってそれまでとは違い、マネタリーベースの水準と物価水準の相関がよみがえりつつある状況になったといえる。ただ残念ながら、それを妨害したのは財政政策の失敗、つまり消費増税である。 ところで仮にマネタリーベースの水準と物価水準の相関がよみがえり、簡単にいうとマネーを増やせば物価もそれに応じて増加する世界になれば、石破氏の主張するようにハイパーインフレになるのだろうか。それはただのトンデモ理論である。 過去のハイパーインフレの経験をみると、物価が急速に上昇するまでに1年以上の時間の遅れがある。つまりその間に金融引き締めを行えばいいのだ。さらに、インフレ目標自体が重要になってくる。アベノミクスで、マネタリーベース水準と物価水準の相関が戻りつつあるのは、インフレ目標の成果だといま解説した。インフレ目標は現状では、対前年比2%の物価水準を目指す内容である。2%のインフレ目標の導入自体が、ハイパーインフレを起こさない強力な手段になっていることは論理的にもおわかりだろう。 つまり石破氏のリフレ=ハイパーインフレ論はまったくの誤りなのである。むしろ彼がリフレ政策に消極的ないし反対の立場に立てば、日本経済の各種の指標は大きく悪化していくだろう。2012年9月、安倍晋三総裁選出に伴う自民党新三役共同会見で握手する(右から)安倍総裁、石破茂幹事長、甘利明政調会長、菅義偉幹事長代行ら自民党執行部(古厩正樹撮影) さらに問題なのは、石破氏の「消費増税主義」といえる立場にある。まるで消費増税自体が自己目的化しているようだ。現在のリフレ政策が100%ではなく、合格点をなんとかクリアする状況にとどまっているのは、消費増税とその悪影響が続いているからに他ならない。デフレを脱却しないままで、消費増税を実施し財政を緊縮化し、さらにリフレ政策に否定的な消極的金融政策をとるであろう「石破政権」は日本に再び大停滞を引き起こすだろう。

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    都議選惨敗、安倍首相に残された道は「消費減税」しかない

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 東京都議選は都民ファーストの会の圧勝と、自民党の歴史的大敗北に終わった。公明党、共産党は選挙前の議席数から増やし、民進党も選挙前の議席が少ないとはいえ健闘した。自民党への逆風が猛烈だったぶん、批判の受け皿として都民ファーストが大きく勝った。候補者の名前が並ぶボードを背に開票を待つ自民党の下村博文都連会長=7月2日、東京・永田町の党本部 政治的には、都民ファーストの大勝よりも、自民党の惨敗の方が重要だと思う。国政への影響が避けられないからだ。いくつかその影響を考えることができる。あくまで予測の域をでないのだが、いまの政治状況を前提にすれば、年内の衆議院解散は無理だろう。2018年12月の任期満了に近くなるかもしれない。もっとも、1980年代から現在まで3年を超えての解散が多いので、それほど不思議ではない。ひょっとしたらこれはすでに織り込み済みかもしれない。ここまでの大敗北はさすがに自民党も予測はしていなかったろうが。 国政に与える影響で興味の焦点は、安倍晋三政権の持続可能性についてである。あくまで都議選でしかないことが注意すべきところだが、今後いままで以上にマスコミの安倍批判が加速することは間違いない。都議選の有権者が東京都民だけにもかかわらず、それを世論と等値して、国民から不信任を食らったと煽(あお)るかもしれない。 もちろん煽らなくても、今回の都議選大敗により、世論調査で内閣支持率がさらに低下し、自民党の支持率も急減する可能性はある。ただその場合、国政には都議選で受け皿となった都民ファーストがないし、また野党も受け皿にはなれない。つまり支持率の低下はほぼ無党派層の増加に吸収される可能性が大きい。この現象がみられるとすれば、都議選の大敗北は、安倍政権への世論の逆風が全国的に吹いたままだということを意味するだろう。 この潜在的な逆風が、安倍政権をレームダック(死に体)化するだろうか。ここでのレームダック化は、安倍首相が現状のアベノミクスなど基本政策を実施することが難しくなる状況、あるいは転換を迫られる状況としたい。当面はその可能性は低いと思われる。「増税」で激化する自民の政治闘争 ただし、党内の政治闘争は以前よりも格段に顕在化するだろう。そのキーワードは、やはり消費税を含めた「増税主義」である。2017年度の政府の基本的な経済政策の見立てを描いた「骨太の方針」には、19年10月に予定されている消費増税の記述が姿を消した。また20年度のプライマリーバランス黒字化の目標もトーンが下がったとの識者たちの評価もある。 おそらくそのような「評価」をうけてのことだろう。石破茂前地方創生担当相は、消費税を必ず上げることが国債の価値を安定化させていること、またプライマリーバランスの20年度の黒字化目標を捨てることも「変えたら終わりだ」とマスコミのインタビューに答えている。今回の都議選大敗に際しても、石破氏は即時に事実上の政権批判を展開していて、党内野党たる意欲は十分のようである。日本記者クラブの会見で「こども保険」の構想について説明する小泉進次郎衆院議員=6月1日(佐藤徳昭撮影) また財務省OBの野田毅前党税制調査会長を代表発起人とし、財政再建という名の「増税主義者の牙城」といえる勉強会もすでに発足している。またその他にも反リフレ政策と増税主義を支持する有力政治家は多く、小泉進次郎氏、石原伸晃経済再生相ら数えればきりがないくらいである。また金融緩和政策への理解はまったく不透明だが(たぶんなさそうだが)、消費増税に反対し、公共事業推進を唱える自民党内の勉強会も発足している。 これらの動きが今後ますます勢いを増すのではないだろうか。もっとも安倍政権への世論の批判は、筆者からみれば実体がないのだが、森友学園や加計学園問題、続出した議員不祥事などいくつかに対してである。そもそもアベノミクスに対して世論が否定的な評価を与えたわけではない。それでも自民党も野党も含めて、アベノミクスに代わる経済政策はほぼすべて増税主義か、反リフレ政策(金融緩和政策の否定)か、その両方である。 もちろん世論が、アベノミクスの成果を評価しても、それを脇において安倍政権にノーをつきつける可能性はある。アベノミクスの中核は、リフレ政策(大胆な金融緩和政策)である。現在の政治状況では、いまも書いたが安倍政権が終わればリフレ政策もほぼ終焉(しゅうえん)を迎える。日本銀行の政策は、政策決定会合での多数決によって決まる仕組みだ。日銀にはリフレ政策を熱心に支持する政策委員たちがいるにはいるが過半数ではない。政府のスタンスが劇的に変化すると、それに応じていままでの前言を撤回して真逆の政策スタンスを採用する可能性はある。首相が経済政策スタンスで慢心したわけ都議選での自民党大敗が伝えられる中、飲食店を後にする安倍首相(右)=7月2日、東京都新宿区 そもそも、安倍首相と同じリフレ政策の支持者は、菅義偉官房長官はじめ、自民党内にはわずかしかいない。次の日銀の正副総裁人事が来年の3月に行われるはずだが、そのときに最低1人のリフレ政策支持者、できれば2人を任命しないと、リフレ政策すなわちアベノミクスの維持可能性に赤信号が点灯するだろう。このリフレ政策を支持する人事を行えるのは、安倍首相しかいないのである。それが安倍政権の終わりがリフレ政策のほぼ終わりを意味するということだ。 もちろん日銀人事だけの問題ではない。仮に日銀人事をリフレ政策寄りにできたとしても、政府が日銀と協調した財政政策のスタンスをとらないと意味はない。デフレを完全に脱却するまでは、緊縮政策(14年の消費増税と同様のインパクト)は絶対に避ける必要がある。デフレ脱却には、金融政策と財政政策の協調、両輪が必要なのだ。 さて、安倍首相もこのまま党内闘争に巻き込まれ、守勢に立たされるのだろうか。それとも攻勢に出るのだろうか。そのきっかけは大胆な内閣改造や、より強化された経済政策を行うことにあるだろう。後者は18年夏頃までのインフレ目標の達成や、教育・社会保障の充実などが挙げられるが、端的には減税が考えられる。何より国民にとって目に見える成果をもたらす政策パッケージが必要だ。それこそ筆者がたびたび指摘しているように消費減税がもっともわかりやすい。 実際に、消費増税が行われた14年以降、政府が実施してきた中で、消費増税の先送りや毎年の最低賃金引き上げ、そして昨年度末の補正予算ぐらいが「意欲的」な政策姿勢だったという厳しい評価もできる。2%のインフレ目標の早期実現を強く日銀に要請することはいつでもできたはずだ。ある意味で、雇用の改善が安倍首相の経済政策スタンスの慢心をもたらしている、ともいえる。 いまも書いたように、さらなるアベノミクスの拡大には実現の余地はある。ただ、それを行うだけの政治力が安倍首相にまだ残っているだろうか。そこが最大の注目点だろう。

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    「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物

    小林信也(作家、スポーツライター) まもなく、7月3日にテニスのウィンブルドン選手権が開幕する。 錦織圭が初めて四大大会(グランドスラム)を制覇できるか。現時点で男子シングルス世界ランキング9位の錦織は第9シードと発表された。第1シードは昨年優勝のアンディ・マリー(英国)。第2シードはノバク・ジョコビッチ(セルビア)、第3シードがロジャー・フェデラー(スイス)、全仏オープンを制したラファエル・ナダル(スペイン)が第4シードだ。 ゴルフの全米オープンで松山英樹が2位に入り、モータースポーツのインディ500では佐藤琢磨が優勝するなど、このところ日本の男子選手の世界での活躍が続いているだけに、錦織への期待も当然のように高まる。 だが、芝生のコートで開催されるウィンブルドンと錦織の相性はよいとはいえない。初出場の2008年は1回戦敗退。14年と16年には4回戦まで進んだが、四大大会のうちウィンブルドンでだけはまだ準々決勝に進めていない。ベスト8に進出すれば、1995年の松岡修造以来、戦後2人目となる。 相性がよくない一番の理由は、コートのサーフェス(種類)とみられている。錦織はハードコートが舞台の全米オープンでは14年に決勝、16年には準決勝進出を果たしている。同じくハードコートで行われる全豪オープンでは3度準々決勝に進んでいる。クレーコートの全仏オープンでは15年に続いて今年も準々決勝に進出した。グラスコートのウィンブルドンだけが、高い壁のようになっている。ゲリー・ウェバーOPシングルス2回戦で、試合中にマッサージを受ける錦織圭。結局途中棄権した=6月22日、ドイツ・ハレ(共同) ファンにとっては気になる状況がある。錦織は、ウィンブルドン前哨戦でもあるゲリー・ウェバー・オープン(ドイツ)の2回戦途中、左臀部(でんぶ)を痛めて棄権した。この大会で途中棄権するのは、今年で3年連続になる。これで芝生の大会では5回連続、下部大会を含めると9度目の棄権となった。昨年のウィンブルドンでは、マリン・チリッチ(クロアチア)との4回戦途中(第2セットの途中)で棄権した。今年もまた同じような不安を抱えて晴れ舞台に臨む。錦織はなぜ芝コートでケガをしやすいのか 錦織が芝生のコートでケガをしやすいのはなぜか? 実は芝生のコートが身体に負担を与える実例は、錦織圭に限らない。芝のコートはハードコートやクレーコートに比べてバウンドが低いため、普段より態勢を沈め、体重を乗せて打つことが要求される。軽快なフットワークとその流れで打つイメージでは対応しきれない難しさがある。 しかも、ウィンブルドンの前には全仏オープンがあり、クレーコートになじんだ状態から選手たちは芝への順応と切り替えを求められる。クレーコートを得意とし、今年3年ぶりに全仏オープンを制覇したナダルが優勝後の記者会見でウィンブルドンへの抱負を聞かれて語った言葉にその一端が表れている。「芝のコートでは重心を低く保たなければいけない。足元の踏ん張りが利かなくて不安定。膝の状態次第だね」 足元の踏ん張りが利かない。芝は滑りやすい。そのため、身体とスイングの微妙なずれによって膝や股関節、腰、臀部(でんぶ)などをひねって痛める選手が少なくない。伝統ある憧れの大会でありながら、芝が舞台だからという理由で出場を回避する選手もいる。  テニスは19世紀の終わりころ、芝の上で行う競技として発展した。「ローンテニス(lawn tennis)」が競技名として使われていたくらい、芝が当然の舞台のだった。それなのに芝が敬遠されるのはおかしな気もするが、それが時代の流れ、競技の現実だ。 錦織はハードコートで育った選手だ。抜群のフットワークも、「エアK」に代表されるトリッキーでエネルギッシュなショットも、ハードコートの安定性の上に成り立っている。ボールが一定の高さまでバウンドする。ショットのスピードからバウンドのイメージを容易に想像できる。足元(足裏)とコートがしっかりグリップして、スリップしたり、イメージとの誤差を生じることも少ない。 芝でプレーする場合は、いつ足元が滑るかわからない。ボールのバウンドも低く、はね方も一定ではない。不測の事態が常に頭の片隅から離れない。 「芝生のコートに入ると、自然と敵が強く見える」と錦織圭がつぶやく理由もその不安から生じるものかもしれない。見た目には美しい緑の芝が、選手にとっては恐ろしい魔界でもあるようだ。「最高峰」ウィンブルドンに生じた時代とのズレ2014年10月、楽天ジャパンOP男子シングルス2回戦でエアKを放つ錦織圭=東京・有明テニスの森公園(撮影・中鉢久美子). 錦織と芝生の相性を考えたとき、ふと野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の光景が目に浮かんだ。侍ジャパンの菊池涼介二塁手(広島)は、人工芝で行われた1次ラウンド、2次ラウンドで素晴らしい守備を繰り返し披露した。従来の野手の動きとは少し違う、人工芝の特性を生かした身体のこなし、切り返しだと私は感じた。表面が土や芝だったらできない動きを菊池は開発し、駆使していると感じたのだ。それが、準決勝では痛恨のエラーをした。下は天然芝だった。予想外の打球の伸び、はね方に対応できなかった。広島は普段から天然芝の球場が本拠だから慣れてはいるはずだが、メジャーリーガーの鋭い打球を芝で捕る経験は少ない。その切り替えがうまくできなかったための失策のように見えた。そして何より、野手の技術や動きの基本が、もはや人工芝を前提に培われている事実に気づいて感嘆した。 テニスも同様だろう。打ち方、フットワークの基本は、かつては芝を前提にしていた。いまはハードコートが前提だ。ボールを捉えて打つ間合いやテンポが全然違う。錦織はショットを打つのに止まらない。フットワークとショットはほぼ一体だ。その当たり前のリズムが芝によって制約され、ズレが生じる。バウンドも低いため、いつもの高い態勢で打つことができない場合が多い。そのずれの中で故障が生まれる。 いまスポーツは、伝統と近代のはざまで実は難しい状況にあるとも言えるのだろう。ウィンブルドンは伝統を誇る大会で、賞金も高く、決して軽視できない大会だ。しかし、その舞台は時代の主流とは大きくかけ離れた芝生。陸上でいえば、土のトラックで100メートル競走を行うようなもの。ゴルフで言えば、木製ウッド全盛期にはやったパーシモン(柿)のクラブですべて打つよう制約されているのに近いかもしれない。時代とのズレが、伝統の重さという名で強要されているウィンブルドンを、以前のように世界最高峰を決める大会と認識し続けることを少し見直すべきなのかもしれない。 ボールの高さ、ショットの間合い、この当たり前の感覚を調整するのは、われわれが思うよりずっと難しいだろう。芝生に合わせるのか、芝生でもいつものリズムで打つ感覚で調整するのか。態勢を低くするのか、あまり低くせず、スイングの角度で対応するのか。 錦織圭のウィンブルドンはまず、足元を克服し、足元を意識せずにプレーできるかどうかにかかっている。

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    経済成長不要?内田樹先生、だから鰻重食っただけで炎上するんですよ

    する経済政策であったことは明瞭だ。もちろんこの経済政策の効果を一段も二段も改良することはできる。この連載の読者であれば、「アベノミクス」をさらによくするには、消費税増税路線の放棄、できれば消費減税などの政策が最も効果的であることは自明であろう。ところが、栗原氏らの著作で指摘されているように、日本のリベラルと左派の考えはまったく明後日の方向にいく。北田 小熊英二さんも、SEALDsを擁護する中で、若者の生活保守を認めてあげなきゃいけないということを書いていたけれど、やっぱりズレていると思います。「かつてこんな栄光の時代があったけれど、君たちの時代は成長できない、かわいそうだね」と声をかけたところで何になるんでしょうか。栗原 小熊さんのあの記事(小熊英二「国会前を埋めるもの 日常が崩れてゆく危機感」朝日新聞2015年9月8日付)で、「現政権は、生活や未来への不安という、国民最大の関心事に関わる施策を後回しにして、精力の大半を安全保障法制に費やしている」と書いていて、ここがもうズレているよなあと思いました。(略)『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』206-7ページ そして実際には、リベラルや左派といわれる人たちでさえ、例えば憲法9条をめぐってだけでも思惑の違いがあるにもかかわらず、「反安倍」だけで安易に結びついている状況と、この経済オンチぶりがドッキングしている。栗原 (略)基本的には反安倍で、反資本主義で、反経済成長で、反グローバリズムで、資本主義ではない別の世界が…。という話で止まっている。じゃあ安倍を倒してどうするんだよ、民進党がちゃんとした政策を出せるのかとか、そのレベルでまともな話にならない。同書127ページ北田 経済成長って、別に「ぐんぐん伸びようぜ」とか「バブルをもう一度」とか言っているわけじゃないというのを何百回言っても通じないんですね。同書129ページ「共謀罪」法に反対し、記者会見する神戸女学院大の内田樹名誉教授(右から3人目)ら=6月18日、東京都千代田区 要するに「反安倍」という旗のもとでは結集できても、それに代わる政策、特に経済政策がまったくの空っぽなのが、いまのリベラルと左派の現状である。もっとも何人かの例外が存在している。 例えば、同書でも詳しく評されている英国在住の保育士でライター、ブレイディみかこ氏の反緊縮主義に基づく時論の数々や、左派的な立場からリフレ政策を唱える立命館大の松尾匡教授らの存在である。これに同書ではとりあげられていないが、反安倍政権であると同時に消費減税などリフレ政策を主張している経済アナリストの森永卓郎氏を入れてもいいだろう。あるいは文芸評論家でリフレ的=反緊縮的な立場を評価している斎藤美奈子氏も忘れてはいけない。だがこの人たちはいまのリベラル・左派論壇の中ではすべて批判されるか、無視されているかあるいは都合のいいところだけつまみ食いされているだけだ、と栗原氏らは厳しく指摘している。英労働党「躍進」の理由に気付かない 栗原氏らの本を読むと、日本型リベラルや左派に未来があるのかというと絶望的であるとしかいえない。これは世界におけるリベラル的な政治の復興というべきものとは真逆の流れだ。例えば、英国の総選挙で躍進した労働党のジェレミー・コービン党首の政策は、「人民のための量的緩和」という大規模な金融緩和政策と積極財政政策の組み合わせ、そして大学授業料の無料化などの再分配政策であった。6月9日、ロンドンの選挙区で親指を立てるコービン労働党党首(AP=共同) このコービン労働党の政策に、現在の安倍政権に似たものを見いだすことは容易だろう。だが、日本型リベラルや左派は、このコービン流の経済政策を否定することで成立している。むしろ日本型リベラルや左派の経済政策観は、欧米のネオリベラリズムと似ている。反経済成長は、一種のマクロ経済政策的な介入を放棄し、事実上の緊縮主義と同じだからだ。 日本型リベラルと左派の経済オンチゆえの閉塞(へいそく)感は実際に本人たちは自覚していないだろう。なぜなら「反安倍」という熱狂の中で、日本型リベラルと左派が今日もまた元気に活動中だからだ。これでは多くの国民からまったく相手にされることはないだろう。栗原 内田樹も、もう十分稼いで老後の心配もないから「経済成長は要らない」って言えるんだ、「あんたは要らないかもしれないけど、若い連中には要るんだよ」とよく批判されています。内田センセイは、ご自分が昼食に食べた鰻重の写真をツイートしただけでなぜ炎上するのか、よくお考えになったほうがいいんじゃないですかね(略)。『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』207ページ もちろん内田氏だけではない。リベラルと左派全体にこのような若い世代、経済的に困窮している人たちへの共感の欠落がみられることは、おそらく本人たち以外に自明だ。北田 (略)ご本人が裕福になることは構わないのだけれども、それが生活保守とか彼らが言う新自由主義に当てはまちゃっているということは、少し考えてほしいなとは思いますよね。じゃあ、オルタナティブを出せと言われたら、リフレ派だっていくらでも出している。そういうのを反安倍ということで思考停止して蓋をしてしまうのは、私はよくないと思います。同書210ページ 今回は経済系の話題に絞ったために、後藤和智氏の若者論壇などをめぐる辛辣(しんらつ)な発言を拾えなかったのは残念だ。北田暁大・栗原裕一郎・後藤和智の三者による『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』は、日本のリベラルと左派にまだ一縷(いちる)の望みを持っている人にも、そしてもちろん絶望しきっている人にも、今の日本の論壇を知る上で欠かせない対談になっている。

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    若者に変化を求めた関口宏の本心はやっぱり「安倍下ろし」だった

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) TBS系列のテレビ番組「サンデーモーニング」で、司会の関口宏氏が11日、いまの若者世代の安倍政権への高支持率を批判的に言及した。街角での若い人たちへのインタビュー映像を交えながら、関口氏は若い世代がいまの「安定」よりも「変化」を望むべきではないか、と疑問を呈したわけである。もちろん、関口氏は若者が就職率の回復をはじめとするいまの経済的安定にひかれていることに一定の理解を示してはいるが、結局は彼の言う「変化」というのは、今の安倍政権を打倒するという「変化」でしかないのだろう。 関口氏のこの「安定」と「変化」論は、「安倍下ろし」という結論ありきの議論であり、端的にいって政治的なものでしかない。ただ、話をこれで終わりにするのはあまりにもったいないので、もう少しこの関口氏に代表される「安定」と「変化」とはそもそも何かを経済学的な視点も交えて考えてみたい。 結論だけ先に書くと、経済が安定的だからといって、若者の気持ちまで安定的であるわけはない。関口氏のいうように「安定をずっと安定かと思ってたら、眠りに入っちゃう」とはいえないのだ。関口宏氏 むしろ経済学の研究成果では、経済が不安定なほうが、若者の心は「安定」志向になってしまうようだ。関口氏の発言は、あまりに若者の心の行方を断定し、その変化と躍動の可能性を軽視している。 例えば、大恐慌期を経験した世代は、経験しなかった世代に比べてリスク回避的な傾向が強いという実証分析もある(ウルリケ・マルメンディア&ステファン・ネーゲル「不況ベイビー:マクロ経済の経験はリスク行動に影響するか?」)。つまり「変化」に伴うリスクを避ける傾向が、不況を経験した世代の方が強く出るというのだ。 カリフォルニア大ロサンゼルス校経済学部准教授のパオラ・ジュリアーノと、国際通貨基金(IMF)アシスタントディレクターのアントニオ・スピリンベルゴの研究「経済危機の長期持続的な諸効果」には、さらに興味深い研究の要旨がまとめられている。たとえば、景気の良し悪しのようなマクロ経済的な環境が、若い世代に影響を及ぼすのは「人格形成期」の18歳から24歳までで、それ以降はそれほど強い影響を与えないという。 今の安倍政権が発足したのは2012年の終わり(実際には同年の自民党総裁選で安倍氏が勝利してから株価などは大きく変化している)からであり、そのときに18歳だった人たちは23歳になっている。24歳だった人たちは30歳近い。いま現在の18歳から30歳ぐらいまでは、アベノミクスの影響下にあるのかもしれない。関口氏は「失われた20年」を忘れてしまったのか 仮にこの大胆な推測が正しければ、彼らの行動は「安定」よりも「変化」を好んでいるだろう。もちろんそれは個々人の行動としてだ。私や関口氏が思いもよらない発想で、旧世代の予想を裏切る変化が生じるかもしれない。たとえば、昔ながらのリベラルや左派的なメディアに疑いの眼を抱いたりしている可能性だってある。その反対の政治勢力に対しても同様かもしれないが。日経平均株価の午前終値を示すボード。1年半ぶりに大台の2万円を回復した=6月2日午前、東京都中央区(春名中撮影) ジュリアーノとスピリンベルゴの論説で興味深い指摘はそれだけではない。おそらく客観情勢を考えれば、いまの安倍政権の経済政策は「偶然」に生まれたものである。たまたま安倍首相が、いわゆる大胆な金融緩和政策を主軸にした経済政策(リフレ政策)を採用しただけだ。実際に自公政権、そして野党含めてリフレ政策の支持者は数人程度しかいない。いわばリフレ政策による最近の若者の雇用状況の改善は、安倍晋三氏が首相にたまたまなったという「偶然」でしかない。 ジュリアーノとスピリンベルゴは、偶然の重みを知っている人たちが「大きな政府」を望むと指摘している。ただし彼らの定義した「大きな政府」の定義は、増税=緊縮なので、本当の「大きな政府」ではない。「大きな政府」とは、緊縮を否定し、金融緩和と財政拡大を支持する政府のことだ。この意味では、いまの日本の若い世代は、安倍政権のリフレ政策が偶然の産物にしかすぎないことを十分知っている可能性がある。 この議論が正しいとすると、「大きな政府」を積極的に支持する気持ちは理解できる。若い世代は、この「偶然」の成果を背景にして、それを支持する一方で、自分たちは自分たちの人生の可能性を切り開いていこうとしているのかもしれない。言い方をかえれば、マクロ経済政策は最低でも現状維持、できればもっと非緊縮型(=大きな政府)を進め、そして個々人の生活はより変化を追求していくことが考えられる。 いずれにせよ、関口氏が本心では期待しているとしか思えない、アベノミクスの否定は、日本の経済と社会を逼迫(ひっぱく)させ、政治勢力の「変化」はあってもそれは混乱だけをもたらすだろう。その政治的混乱は、経済の停滞という形で、若い世代の活躍の場と意欲をくじいていくことだけは間違いない。そのことをわれわれは老いも若きもこの「失われた20年」の体験で十分に知っているはずだ。どうも関口氏とその意見に賛同する人たちは、そのことを忘却してしまったか、違う世界線の住人なのかもしれない。

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    佐藤琢磨、インディ500制覇で叶った「消えた天才ライダー」の夢

    小林信也(作家、スポーツライター) 先週は「佐藤琢磨インディ500初優勝」のニュースが伝えられ、日本が湧いた。その1週間前、二輪の分野では、ヤマハが世界グランプリ(GP)シリーズ通算500勝を達成、世界のモータースポーツファンから喝采を浴びた。 ヤマハ発動機の柳弘之社長は「『世界で通用するものでなければ商品ではない』という創業者の意志を若い会社全体で共有して世界に打って出た」と、ヤマハが世界GPシリーズに挑戦した当初の意気込みを代弁している。 ヤマハの世界GP初勝利は1963年のベルギーGPだ。ライダーは伊藤史朗。2005年3月、来日会見を行い、新しいヤマハのバイクにまたがるオートバイ世界選手権シリーズ、モトGPクラス総合王者のバレンティーノ・ロッシ(手前)(共同) 伊藤に始まった歴史が500勝まで到達したのは、私自身、感慨深いものがある。なぜなら、その後「消えた天才ライダー」と呼ばれ、突如姿を消して16年間も行方不明になっていた伊藤を追い、アメリカ・フロリダ州でインタビューに成功したのが、私だったからだ。 16年間の沈黙を破って日本人ジャーナリストである僕に会い、インタビューに応じてくれた伊藤は、少しずつ人間味あふれる心情を吐露してくれた。あるとき、言った。「オレは、ヤマハの川上源一社長のために命を賭けて走った。あの人の作るバイクを世界一にするためなら、命を捨てても惜しくないと思った。オレの気持ち、伝えて来てくれないか? そして、川上社長がオレを覚えてくれているか、確かめてくれ」 伊藤の言葉の端々から、昔気質(かたぎ)の心情と同時に、まだ草創期のオートバイで高速走行し、可能な限り高速でコーナーに飛び込み、駆け抜けるためには、高等技術と同時に「命知らず」な覚悟が不可欠だったことを切々と感じた。 「川上のオヤジのために」、そういう思いが必要だった。そして、「オレはそれをやり遂げた」、伊藤の背中がそう語っていた。 私は、伊藤の思いを受けてヤマハに取材を申し込んだ。何の縁もない、若いノンフィクション作家の求めに応じて、川上社長は浜松の本社で時間を取ってくれた。そして、少し離れたレストランで、当時、川上社長が力を入れていた「エピキュリアン料理」をごちそうしてくれた。 しかし、伊藤のことを尋ねたときの反応は意外なものだった。同行の社員に、「そういうライダー、いたかなあ?」と、聞いたのだ。おそらく川上社長にとっては、オートバイの技術開発・性能向上で頭がいっぱいで、ライダーにはそれほど関心を寄せていなかったのかもしれない。「あの人のために命をかけて走った」 再びアメリカに渡り、恐る恐る伊藤にその報告をしたとき、「馬鹿な、そんな馬鹿な! オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」 なんともやるせない表情で、オールドミルウォーキーという名の安いビールをあおった、伊藤の叫び、黙り込んでうなだれた姿が忘れられない。 ヤマハがオートバイを作り始めたのは、1955年(昭和30年)1月。同じ年の7月、主に楽器などを製造する日本楽器製造(現在のヤマハ)から独立して、ヤマハ発動機株式会社が発足。初代社長には当時、日本楽器製造4代目社長だった川上が就いた。 ヤマハ発動機の社史にはこうつづられている。ヤマハ発動機の創業者、川上源一氏『1953年11月7日、ヤマハ発動機の前身である日本楽器の幹部社員に対し、川上源一社長から極秘の方針が伝えられた。 「オートバイのエンジンを試作する。できれば5-6種類くらいのエンジンに取り組む必要がある。その中から製品を選び、1年後には本格的な生産に入りたい」 日本が復興への道を歩み始めた1950年代、無数の企業が二輪業界へと参入し、その数は一時204社までふくれ上がった。しかし、川上社長がモーターサイクルの製造を示唆した頃にはすでに淘汰(とうた)も始まっており、「そういう市場に最後発として参入して、果たして本当にやっていけるのか」という戸惑いの声も社内にないわけではなかった。 のちに川上社長は「今どきになってオートバイを? という意見もありましたが、自分もヨーロッパを回って、技術部長その他に勉強させた結果、これをやるのが一番よろしいという確信のもとにスタートした」と説明。さらに「木材資源の面から見ても楽器の無制限な増産は困難。楽器産業はいつまでも楽にできる商売ではない」と語り、将来の事業発展の足がかりとしてモーターサイクル製造に賭けたことを明らかにしている』 素人から見ると、楽器とオートバイのどこに共通点があるのか、すぐには理解できないが、ピアノのシリンダーを作る技術がオートバイ・エンジンのシリンダーに通じる、技術陣は、トロンボーンの共鳴原理を排気系の共振に応用させるなど、数々の応用が可能といったひらめきがあった。 ヤマハは、1955年7月、毎日新聞社の主催で行われた第3回富士登山レースに参戦。本田宗一郎率いるホンダもこの大会での優勝を狙って参戦していたが、ヤマハは見事、125ccクラスで優勝。同じ年の11月に開かれた第1回浅間高原レースでも125ccクラスで再び上位を独占した。そしてレース後、この大会の250ccクラスで初参戦初優勝を飾った16歳の伊藤少年とワークスライダー契約を結ぶ。「インディで勝てたかもしれない」 再び、ヤマハ発動機の社史から紹介する。『川上源一社長は、モーターサイクル事業への進出を決めたときからすでに「海外に雄飛する」という構想を描いていた。こうした信念を実現する方策として、1958年5月3、4日の両日、ロサンゼルス沖のサンタ・カタリナ島で開かれるカタリナグランプリに参戦することが決まる。ヤマハにとっては初の国際レースだった。 ヤマハは、250ccクラスに5台のマシンを送り込んだ。第2回浅間火山レースで活躍した「YD1改」に、不整地走行のためのモディファイ(編集部注:アレンジ)を加えたマシンだった。5台のうち1台には伊藤史朗選手が乗り、他の4台にはアメリカ人ライダーが乗った。 このレースでヤマハの最高位は6位に入賞した伊藤選手だったが、全32台中完走わずか11台という過酷なレースの中で、最後尾からの追い上げで6位まで順位を上げた伊藤選手の走りは現地で大きな注目を集めた。また、その後ロサンゼルス市内で行われたハーフマイルレースにも出場し、このレースで優勝を飾ると、はるばる日本から遠征してきたヤマハチームの活躍は現地のマスコミでも話題となり、ヤマハモーターサイクルのアメリカ市場進出に大きな弾みをつけたのだった。』 この話にはもうひとつの因縁がある。伊藤史朗さん=1984年、フロリダ(小林信也撮影) 取材で伊藤と一緒に過ごしているとき、「どうしてもノビーさんを連れて行きたい場所がある」と言って、フロリダからインディアナ州まで僕を乗せ、ロング・ドライブをした。その行き先こそが、佐藤琢磨が快挙を成し遂げたインディアナポリス・モーター・スピードウェイだった。 ちょうど1台のマシンが練習走行をしていた。日本でもモータースポーツ取材はしていたが、インディカーの爆音、オーバル・コースを撥(は)ねるようにして直線に向かってくるスピードと迫力には度肝を抜かれた。少しでも浮力を受けたら、そのまま空に舞い上がるのではないかと思った。 「四輪転向の誘いもあった」という伊藤がインディ500の舞台を見つめ、つぶやいた。「オレだって、レースを続けていれば、ここで勝てたかもしれない」 アメリカで20年近く暮らした伊藤にとって、最大のモータースポーツレース、最大の憧憬といえばインディ500だったのだろう。1950年代、60年代にオートバイレースを戦った高橋国光らはその後四輪に転向し、ルマン24時間などで活躍した。 高橋らが「自分たちとは別格、伊藤史朗は天才だった」と口をそろえる伊藤のインディ500への思いは決して戯(ざ)れ言とはいえない。その夢を、30年以上経って、同じ日本人の佐藤琢磨がついに果たした。日本の快挙は、一朝一夕ではなく、草創期からモータースポーツに尋常ではない情熱とそれこそ命を懸けた先人たちの生き様の先にあるものだ。

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    百田尚樹に嫌われる私でも、一橋大「講演中止」の判断は残念に思う

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)一橋大附属図書館=東京都国立市 作家の百田尚樹氏が一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で行う予定だった講演会が中止になったニュースは、ここ数日のネット界の話題となった。まず最初に書いておくが、筆者は百田氏の著作や発言には批判的なほうである。そのためか知らないが、彼のTwitterアカウントからブロックされている。ちなみにブロック行為は個人の自由なので最大限尊重されるべきだ。ただ、百田氏と筆者にはかなり意見の相違があるのだ、ということをまずは注記したい。 話を戻すが、この開催の中止理由について、主催した学生側からは、KODAIRA祭のそもそもの趣旨が新入生歓迎のイベントであり、セキュリティーの確保などでこの趣旨の実現をむしろ損ねてしまうために中止したと、述べている。他方で、講演を行う予定だった百田氏はTwitter上で主催側への嫌がらせや圧力があったことを明記し、その圧力を激しく批判している。念のために書くが、ブロックされていても検索サイトで彼の発言は確認できる。これらの一連の経緯をうけて、ネットでの保守系の識者たちの反応はこの記事にまとめられている。 百田氏が批判しているような、「左派系団体」という特定の人や組織が言論の弾圧に動いたのかどうかは、筆者が確かめることはできない。ただその可能性は排除できないし、実際に学生側は、かなりの重圧を大学の外部から不当に受けていたことは想像に難くない。例えば、同大学のOBである常見陽平千葉商科大学講師は、学生側の取り組む態度が不十分であったことを指摘している。 もちろん、常見氏の発言が後輩思いのものであることは、文章からもよく読み取れる。ただ、彼の意見は学生側にいささか酷だと思う。大学や学生側に対して言論を封殺しようとする卑怯(ひきょう)な手段は、匿名での電話や手紙での攻撃、ネットでの脅迫まがいのものなどを含めて、さまざまあったことは想像に難くないだろう。もちろん面と向かって学生側はそのような「脅し」をうけたかもしれない。これは精神的に非常につらく、個人で対処するには限界がある。批判すべきは、そのような事態を巻き起こした「言論を卑怯な手段で封殺する力」にあることは明白である。これはひとつの深刻な暴力である。独り歩きする百田氏のイメージ ちなみに百田氏の社会的なイメージはいささか過度に誇張されて、その実体とかけ離れて独り歩きしている部分がある。例えば、百田氏の批判者側からみれば、彼の発言はヘイトスピーチまがいのものばかりに見えているかもしれない。だが、そのようなニュアンスのものがあったとしても、それは彼の全発言からいえば極めて例外的な「暴言」である。作家の百田尚樹氏 例えば、最近筆者が読んだ百田氏の発言に、『Voice』2017年5月号での、経済評論家の上念司氏との「トランプの核が落ちる日」という対談があった。対談では北朝鮮情勢を中心に、韓国、米国、中国、そして日本などの周辺国のパワーポリティックスに関して議論されている。地政学と経済学の両面を駆使して専門的に鮮やかに語る上念氏に対して、百田氏は各国の勢力均衡論的な見地に立ったごく普通の語りに徹していた。もちろんそこにはヘイトスピーチ的なものはまったくない。他の評論系の著作をいくつか読んでみたが、それらも特に過激なものはなかった。つまりはごく普通の今風の保守系論客のひとりでしかない。 そして百田氏の「暴言」があったとして、ネットなどでは賛否あわせて自由に議論がなされているではないか。この賛否あわせての自由な議論こそが重要だ。もちろんTwitterでの発言を封殺しようとして、同社に抗議する人たちも目にする。あるいは感情的な誹謗(ひぼう)中傷を吐きかける人も多々目にする。これは個人的には正しい批判の仕方とは思えない。発言する場を奪う「圧殺勢力」だ。まさに一橋大の学生を襲ったものと同類であろう。 百田氏の「虚像」に惑わされることなく、その意見を一度は丁寧に聞くべきだ。私のようにTwitter上でブロックされていてもだ。余談だが、実際に百田氏に会った知人たちはおしなべて彼の人柄の優しさを語っている。天下りあっせんを仕切っていた元官僚の「人格者ぶり」を、会ってもいない人たちが称賛する無責任な風潮もある。このような時流に抗する意味でも、百田氏がどのような人物であるのかを実際に知った方が、より深い人物評価を可能にし、学生側にも大きな恩恵があったかもしれない。それだけに残念なことだ。 19世紀の偉大な啓蒙(けいもう)思想家のジョン・スチュアート・ミルは、古典的著作『自由論』の中で、規制されることのない言論の場こそが人々の満足(効用)を増加することができるとした。意見集約で満足は最大化する ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。1)多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい、2)多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる、3)反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい、4)反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。 そして意見の集約するところで、言論をめぐる人々の満足が最大化することになる。もちろん意見の集約がたとえ達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので自粛すべきなのはもちろんである。 もちろんミルは異なる立場での意見の集約について常に楽観的ではない。言論の自由がかえって意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的・法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねている。 どちらの立場で主張している人であれ、公平さが欠けているか、悪意や頑迷さ、不寛容の感情をあらわにした態度で自説を主張する人を批判する。だが、自分とは反対の意見を持っている人に対して、その立場を根拠として、これらの態度を捨てるはずだと予想することはない。山岡洋一訳『自由論』日経BP社 寛容と賢慮。なかなか難しいものだし、また正解や公式があるわけでもない。筆者も常に失敗を重ねている問題だ。だが、少なくとも今回の百田氏のケースは彼に発言の機会を与え、さらに学生たちはその発言の内容を知るべきだったと残念に思っている。

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    誰が「靖国問題」をつくったのか

    戦後、歴代内閣総理大臣が靖国神社に参拝しても関心を示さなかった中国と韓国にありもしない「靖国問題」を突き付けたのは他ならぬ日本人だった。国のために戦って亡くなった方々を私利私欲のために利用した日本のマスコミ、政治家、偽善的な自称知識人。罪深き彼らの行動を決して許してはならない。

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    加計学園、前川氏の爆弾文書よりヤバい「レント・シーキング」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 文部科学省の前川喜平前事務次官の「加計(かけ)学園問題」をめぐる記者会見が波紋を呼んでいる。特に前川氏の会見から、マスコミ、識者、そしてネットなど世論を中心に主にふたつの話題がある。記者会見の途中、弁護士と話す文科省の前川喜平前事務次官(左)=5月25日午後、東京・霞が関 ひとつは学校法人「加計学園」(岡山市)が獣医学部を愛媛県今治市に新設することに関する「怪文書」の内容についてである。この「怪文書」の出所が前川氏であることが判明した。ただし、政府はこの文書に該当する公式文書は存在しないと現時点では明言している。 この「怪文書」については、前回書いたとおり、安倍晋三首相に違法性や道義上の責任を生じさせるものではない。例えば、官僚たちが首相の暗黙の政治的圧力を「忖度(そんたく)」して認可のスピードを速めたというが、このような他人に「忖度させた罪」「忖度させた道義的責任」などは合理的な論点にはなりえない。他人が内心でどう思っているかの責任を「忖度させた」の一言で取らせることは、ただの魔女狩りである。マスコミの多くがこの「忖度させた罪」というものがあるかのように安易に報道していることは極めて危険だ。 もうひとつは、いわゆる「出会い系バー」に前川氏が出入りし、それを「貧困調査」のためだと説明した事例である。この問題については、正直、筆者はそもそも「出会い系バー」という存在の詳細を知らない。この論点については、テレビで取材したと述べたジャーナリストの須田慎一郎氏ら適切な方々が論評していくことだろう。 筆者は主に最初の論点を考える。といっても怪文書の出所が前川氏であることを除いては、前回の論説に付け加えるものはない。このような安易な「疑惑」作りは、民主主義を本当の意味で危機にさらすことだろう。 今回は、この「加計学園問題」をより経済学的な視点から再考してみる。獣医学部の新設については、日本獣医師会やその関係する政治家たち、また文科省自体も長年にわたって反対してきた。52年間もの間、獣医学部の新設が認められてこなかったまさに「岩盤規制」であった。「忖度」批判を繰り広げる既得権者たち 今回の獣医学部新設を安倍首相が「忖度させた」と批判している人たちが、「岩盤」側の既得権者であることは注目していい事実だろう。要するに、加計問題とは単なる既得権者と規制緩和側との政治的抗争であり、そこに「安倍下ろし」を画策する野党や一部メディア、識者がただ乗りしているという構図だろう。さらにいえば、文科省の天下り斡旋(あっせん)問題で引責辞任した前川氏の個人的な思惑も当然に絡んでくるに違いない。 ところで今回の規制緩和の枠組みは、国家戦略特区という極めて限定されたものだ。しかもわざわざ既得権者側に配慮したとしか思えないのだが、獣医学部が周辺にない「空白地域」に絞って、あえて大学間競争の可能性をもできるだけ排除しているようだ。このような極めて限定された規制緩和であっても、猛烈な反発を得ているのが実情だ。それだけ新規参入を規制することによって、既得権者が得ていたレント(規制によって生じる利得)が大きかったということだろう。 またこの「岩盤」が継続された理由を、経済学者のマンサー・オルソンが、彼の代表的な業績である「ただ乗り」の観点から、かつて以下のように分析した。集団の規模が大きくなればなるほど、その組織に属する人たちは、自ら負担して組織改善のために動こうとはせずに、ただ乗りを選ぶだろう。 例えば、これを政府に置き換えてみれば、多くの有権者は自分が政府の改善を熱心に行っても、そこから得る追加的な利益が自分の犠牲に見合わないことを知っている。そのため、他者の努力にただ乗りをする方を選ぶだろう。 またこのようなただ乗りは、自分のただ乗り自体が損なわれない限り、政府がよくなろうが悪くなろうが知ったことではないとする「合理的な無関心」を生み出してしまう。実際に、獣医学部が52年間新設されなかった事実は、今回の問題が発覚するまで、多くの国民は「無関心」だったのではないか。分け前増加しか関心がない集団の正体 オルソンはこの分析を「国家がなぜ興隆し、また衰退するのか」という問題にまで広げた。オルソンは、ここで「分配結託」という考えを強調している。どの国でも保護貿易的な考え方を支持する集団はあるだろう。日本では農協やその関連団体、米国では自動車メーカーがすぐにあげられる。これら「特殊利益集団」と呼ばれる集団は、もちろん自分たちの集団の利益しか関心がない。集団が直接自分たちに利害が発生する仕組みになっているので、こちらは規模が大きくなればなるほど、自分たち一人当たりの分け前が増えることに関心をもつ。2015年10月、JA全国大会であいさつをするJA全中の奥野長衛会長(左)。右手前は安倍晋三首相(西村利也撮影) つまり特殊利益集団は自分の特殊利害という目的に合わせて集団を効率化することが多い。手法も洗練化され、時にはマスコミや政治家と「分配結託」をする場合もある。今回の加計学園問題の件も、この「分配結託」の1ケースといえるかもしれない。 そしてこの「分配結託」を可能にしている組織的な利益が、先ほどのレントの発生であり、これを追い求める行為を「レント・シーキング」という。レント・シーキングが国家の中で大きなウェイトを占めれば、その国は衰退してしまう。オルソンはそのような主張を展開した。 官僚組織は一般的に、規制を設け、それを運用する権限をできるだけ最大化することを最優先の目的としている。そして規制があれば、それによってレントが発生する。つまり規制の権限があるところ「常にレントあり」といえる。そのわかりやすいレントの代表が、「天下り」である。官僚が規制先の対象組織に天下りをする行為こそ、最もわかりやすいレントの一例である。その本質は「賄賂」と変わらない場合が圧倒的だ。それゆえ、天下り規制が行われた。 今回の前川氏の発言や行動はそもそもこのレント・シーキングを具現化しているように思える。天下りの斡旋、そして獣医学部新設のあまりに極端な規制。首相が「忖度させた」罪などというトンデモ議論よりも、筆者にはこのレント・シーキング行動の方が比較にならないほど、日本の問題のように思える。

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    日本人も知らない靖国神社「A級戦犯」合祀のウソ

    一色正春(元海上保安官) 靖国神社を敵視する人たちによる「靖国神社に戦争犯罪人が祀られている」という理屈ですが、実はこれも根拠がありません。特にA級戦犯が合祀されたからうんぬんと言うのは全く理屈になっていません。2016年8月15日、71回目の「終戦の日」を迎えた靖国神社には、祈りをささげるため早朝から参拝者が訪れた そもそも戦争犯罪が国家間で議論されるようになったのは18世紀後半からです。それまでは、そういう概念自体がなく、相次ぐ戦争で疲弊したヨーロッパ諸国の間で何とか戦争を防ごうという動きに伴い、戦争自体を禁止できないのであればせめて一定のルールを課そうと「非戦闘員に対する攻撃や捕虜虐待の禁止」「非人道兵器の使用禁止」などの決まりを定め、それを破ったものを戦争犯罪と呼ぶようになったのです。 逆に言えば、それ以前は、やりたい放題だったということで、戦争犯罪の定義は時代とともに変わってきており、重要なのは問題とされる行為が、その時代に禁止されていたのかどうかということです。その大前提を踏まえず、過去の行いを現在の基準で裁けば、ナポレオンなど祖国で英雄と讃えられている王や将軍のほとんどが「戦争犯罪人」になってしまいます。 これがいかにむちゃくちゃなことか。身近な例で表現するならば、時速60キロ制限の道路に対して、ある日突然「この道を30キロ以上で走った者は懲役刑に科す」という法律をつくり、過去その道を30キロ以上で走った人々を次々と捕まえていけば、車を運転するほとんどの人を刑務所に送ることが可能になってしまいます。 ですから、普通の法治国家では、刑を定めてから罰する「罪刑法定主義」を原則としており、その法を遡(さかのぼ)って適用すれば不利益を被る人間がいる場合、法の遡及(そきゅう)を禁じているのです(ただし、有利になる場合は認められる)。 そこで、彼らが特に問題視している、いわゆる「A級戦犯」が行ったとされる行為が、その時代に禁止されていたのかどうかということを見てみようと思いますが、その前にA級戦犯とは何なのかという話をしておきます。戦勝国が定義した戦争犯罪 順を追って説明しますと、第二次世界大戦の戦勝国がドイツに対して懲罰を加えるために協議した結果、米英仏ソの4カ国が1945年8月8日にロンドンで国際軍事裁判所憲章(ニュルンベルク憲章)に調印し、その中で以下のように戦争犯罪を定義しました。第6条a項-平和に対する罪侵略戦争あるいは国際条約、協定、誓約に違反する戦争の計画、準備、開始、あるいは遂行、またこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画あるいは共同謀議への関与。b項-戦争犯罪戦争の法規または慣例の違反。この違反は、占領地所属あるいは占領地内の一般人民の殺害、虐待、奴隷労働その他の目的のための移送、俘虜(ふりょ)または海上における人民の殺害あるいは虐待、人質の殺害、公私の財産の略奪、都市町村の恣意(しい)的な破壊または軍事的必要により正当化されない荒廃化を含む。ただし、これらは限定されない。c項-人道に対する罪犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、あるいはこれに関連して行われた、戦争前あるいは戦争中にすべての一般人民に対して行われた殺害、せん滅、奴隷化、移送およびその他の非人道的行為、もしくは政治的、人種的または宗教的理由にもとづく迫害行為。 これが、そのまま極東軍事裁判に適用され、マスコミなどが「項」を「級」に代えて用いるようになったといわれています。つまり、戦勝国がつくった罪の定義をマスコミが呼びやすいように作り出した造語でA、B、Cというのは罪の重さをランク付けしたものではなく、簡単に言えばA級 侵略戦争を始める罪B級 従来定義されていた戦争犯罪C級 ホロコーストなどの非人道的な罪という区分けにすぎません。 しかもc項に関しては、第一次世界大戦終了後に適用が検討されましたが、国際裁判自体が否定され、ドイツ国内で形式的な裁判が行われただけで、第二次世界大戦が終わるまで厳罰に処された人間はいませんでした。a項に至っては、この時初めて定義されたものであり「いわゆるA級戦犯」の方々が罪として裁かれた行為を行った時点では違法行為でも何でもなかったのです。極東国際軍事裁判が東條英機元首相以下、25被告に判決を下す日の法廷全景=昭和23年11月4日 そもそも戦争を始めることが罪になるのであれば、ドイツに対して一方的に宣戦布告し第二次世界大戦を始めたイギリスとフランス、日本に対して先に宣戦布告したオランダは、なぜ罰せられないのでしょうか。曖昧すぎる「侵略」の定義米バージニア州ノーフォーク市役所の旧庁舎を改装したマッカーサー記念館前に立つマッカーサーの銅像 こう言うと日本が起こした戦争は「侵略戦争」だからだと反論する人がいると思われますが、ではいったい何をもって「侵略戦争」と「そうでない戦争」とを分けるのでしょうか。 おそらくそういう人たちは、国連が1974年の国連総会で決議した「国連決議3314」(侵略の定義に関する国連決議)をもって「侵略」を定義しているではないかと主張されるのでしょうが、確かにそこには一応「侵略」の定義らしいことは書かれていますが、よく読むと机上の空論でしかありません。 事実、湾岸戦争のきっかけとなったイラクによるクウェート侵攻でさえも「侵略」と認定されておらず、現在の日本政府の見解も「侵略」の定義は定まっていないとしています。仮に国連が明確な定義を定めたとしても、当時に遡って適用できないことは言うまでもありません。 実際のところ、いまの時代でも、アメリカのような力のある国がアフガンやイラクへ侵攻しても「自衛戦争だ」と強弁すれば罷り通り、ロシアがクリミヤに侵攻すれば経済制裁を受ける現実を見れば、侵略戦争か否かということは国の力関係によって決まるのが実情です。そんな中でも、盧溝橋事件は極東軍事裁判においてさえ侵略戦争と断定できなかったという事実は重く受け止めるべきです。 当時、日本は開戦以来、終始一貫して大東亜戦争は自衛戦争であると主張していました。アメリカ極東軍司令官として日本と戦い、戦後はGHQの総司令官として約6年間日本に滞在したマッカーサー元帥は、朝鮮戦争で日本が感じていた共産主義の脅威を肌で感じ、戦前の日本の立場を理解するようになりました。そして、退任後にアメリカ上院議会で「日本が戦争を始めたのは経済封鎖に対する自衛のため」と証言しました。実際に戦った敵国の大将でさえ認めた日本の主張の正当性は明白であり、日本は決して侵略戦争など行っていないのです。 日本が米英蘭相手に戦争を始めた1941年当時には、自衛戦争を認めた不戦条約しかなかったので、日本は当時の国際法には一切違反していないのです(詳しい日本の戦争目的に関しては、米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書《開戦の詔勅》と帝国政府声明をお読みください)。 さらに言えば、ドイツと同時期にポーランドに侵攻し、その後、1939年11月と1941年6月にフィンランド、1945年8月に日本へと国際法に違反して一方的に攻め込んだソ連はニュルンベルク裁判、極東軍事裁判のいずれにおいても被告席に座ることはありませんでした。つまり「いわゆるA級戦犯」とよばれる人たちは、戦勝国が後から自分たちの都合のいいように作った法令(事後法)と裁判により敗戦国の人間であるという理由で裁かれた人たちで、裁判の名を借りた復讐(ふくしゅう)劇の被害者なのです。 これに対しても「日本は戦争に負けて無条件降伏したのだから仕方がない」「誰かが責任をとらなければいけない」「ドイツを見習え」「サンフランシスコ平和条約で極東軍事裁判を認めた」などと反論される方がいますが、それは日本の立場を無視した戦勝国の言い分です。 まず、多くの日本人がいまだに日本が「無条件降伏」したと誤解していますが、戦争末期に政府が崩壊したドイツとは違い日本は終戦時にも政府機関が機能しており、その日本政府がポツダム宣言という連合国が提示した条件を受け入れたのであって、その条件は後に連合国によって破られましたが、日本の降伏は条件つきだったのです。詳しくはポツダム宣言をお読みください。「ドイツを見習え」なんて見当違い 確かに日本は戦争に負けたのですから、一定のペナルティーを受けるのは仕方がないのかもしれませんが、法治国家において犯罪者にも人権があるように、国際社会も法による支配を目指すのであれば戦争に負けたからといって何をされても仕方がないということはありません。誰かが責任をとるべきであるというのは、その通りなのですが、それは当時の政府首脳が対外的にではなく日本国内に対して「負けた責任」や「多くの命や領土を失った責任」をとるべきで、本来であれば戦後、日本人による日本人のための東京裁判を行わなければならなかったのかもしれません。 「ドイツを見習え」というのは全くの見当違いで、ドイツは戦争を始めたことに対して謝罪しているのではなく、ナチス党員などの一部のドイツ人がホロコーストなどの人道に対する罪を行ったことは同じドイツ人として申し訳ない、とその人たちに罪をかぶせているだけのことです。 そもそも日本は、特定の民族に対して国家単位で迫害を行ったことはなく、むしろ当時、世界で一番多くユダヤ人を助けた国で、そのことに対してナチスドイツが日本に猛抗議してきましたが、いわゆるA級戦犯の代表格である東條英機大将は毅然とした態度でそれを一蹴しました。おそらく、日本も「軍部などの一部の人間が勝手に戦争を始めた」「その人間だけが悪い」と一部の人間に罪をかぶせれば当面の非難を避けることはできるかと思いますが、そういう卑劣な行いは人間として正しくありません。 日本もドイツもマスコミに煽られたとはいえ国民の大半が戦争を望んだという側面もあり、それを今になって一部の人間だけの責任にしようとする行為は卑怯(ひきょう)としか言いようがなく、命を懸けて祖国のために戦った先人に対する冒涜(ぼうとく)に他なりません。 また、日本は下記の「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)第11条で「裁判を受諾」しているではないかと言う人もいますが、それは誤解(誤訳)です。 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(後略) そもそもこの条約は当時の公用語である英仏西の三カ国語で作られており、日本語で書かれているものはそれを訳したものでしかなく、意味が微妙に異なる場合は英仏西語の正文の方が正しいとするのが道理です。 そこで問題の部分の英文を見ると「accepts the judgments」(判決を受諾する)となっています。「裁判を受諾する」と「判決を受諾する」は一見同じように思えるかもしれませんが似て非なるものです。裁判の名に値しない「東京裁判」 「裁判を受諾する」というのは裁判そのものを認めることですが、それに対して「判決を受諾する」というのは裁判全体を認めることではなく判決のみを認めるということで、たとえ身に覚えのない犯罪容疑でも有罪判決が下され、それが確定してしまえば法治国家に住む以上、判決に不服だとしてもそれに従わねばなりませんが「冤罪(えんざい)だ。自分は無実だ」と訴えるのは自由だということです。 だいたい「いわゆるA級戦犯」を裁いた極東軍事裁判は・裁判の根拠法令が極東国際軍事裁判所条例という国際法を無視したマッカーサーの命令・恣意(しい)的な被告の選定(満州事変の首謀者石原莞爾は逮捕すらされていない)・事後法による法の不遡及(ふそきゅう)の原則に反している(前述)・法の公平性に反している(戦勝国の原爆投下や無差別爆撃などの民間人大量虐殺は不問)・裁判官11人全員が戦勝国の出身(中立国出身の人すらいなかった)・裁判官の出身国、英仏蘭は裁判中もアジアを再侵略していた・同じくソ連は国際法に違反して多くの日本人をシベリアなどに強制連行強制労働・11人のうち法律家は2人(国際法の専門家はインドのパール判事のみ)・裁判長が事件の告発に関与(ウェッブ裁判長は日本軍の不法行為を自国に報告)・ポツダム宣言違反(宣言の範囲外の行為を裁いた)・被告側の証拠のほとんどを採用しない一方で、検察側のでっち上げの証拠を採用・結果、ありもしなかった共同謀議や南京大虐殺という虚構を認定 というようなもので、とても裁判の名に値するものではありませんでしたが、当時の日本は敗戦国ゆえに抗弁することができなかったのです。 仮に彼らが本当の戦争犯罪人だったとしても、従来の国際法に従えば戦争犯罪というのは講和条約発効時に無効になり、獄中にいる戦争犯罪人は釈放されるのですが、サンフランシスコ平和条約発効時に限り、そうさせないように作られたのが、この11条の条文なのです。 つまり、この条文は連合国の復讐(ふくしゅう)心を満たすため、あえて従来の国際法の趣旨に反して懲罰的な意味を込め、講和条約発効後も日本独自の判断で受刑者を放免してはならないという趣旨を盛り込んだもので、軍事裁判を認めるとか認めないとかという意味合いのもではないのです。極東国際軍事裁判の際、戦犯容疑者が多数勾留された巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)=昭和27年8月2日(産経新聞社機から撮影) 連合国が、それほどまでして許さなかった、いわゆる戦争犯罪人ですが、当時、大多数の日本人は彼らのことを犯罪者であると思っていませんでした。まず日本が主権を回復したサンフランシスコ平和条約発効直後の1952年5月1日、当時の木村篤太郎法務総裁により戦争犯罪人の国内法上の解釈についての変更通達が出されました。 そして、戦争犯罪人として拘禁されていた間に亡くなられた方々すべてが公務死として扱われるようになったことを皮切りに、全国各地で戦争犯罪人として扱われている人たちの助命、減刑、内地送還を嘆願する署名運動が始まりました。日本に戦争犯罪人と呼ばれる人は一人もいない 日本弁護士連合会も「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出するなど、運動は盛り上がりを見せ、それに呼応して国会でも次々と社会党や共産党を含む全会一致で戦犯受刑者の釈放に関する決議などがなされ、1953年には遺族援護法が改正され拘禁中に亡くなられた方々の遺族に弔慰金と年金が支給されるようになりました。 つまり、彼らの死は戦死であると国権の最高機関である国会が正式に認めたのです。署名は最終的に当時の全人口8千万人の半数である4千万人に達し、これに後押しされた日本政府はサンフランシスコ平和条約第11条にもとづき関係11カ国に働きかけ、その結果、1958年には戦争犯罪人として勾留されていた、すべての方々が赦免されたのです。 このような当時の日本人の戦争犯罪人と呼ばれた人たちへの熱い思いを知らない世代の日本人が、今になって「A級戦犯が~」と息巻いているのを見ると、日韓併合時代を直接知っている人間より知らない世代の方が、反日感情が強い韓国と重なり、情けない思いになります。 近代法では刑罰の終了をもって受刑者の罪は消滅するというのが理念ですから、百歩譲って仮に彼らが本当の戦争犯罪人であったとしても、この時点から日本には死者を含めて戦争犯罪人と呼ばれる人は一人もいないのです。それは、以下のいわゆるA級戦犯のリストを見ていただければ、よくわかるかと思います。 ほかにも、下記のように逮捕勾留されたものの不起訴になった、戦後の日本を牽引してきた方々もおられます。帝国石油社長 鮎川義介首相 岸信介日本船舶振興会会長 笹川良一読売新聞社社長 正力松太郎朝日新聞社副社長 緒方竹虎 そして、この流れの延長線上で1959年に「いわゆるBC級戦犯」が、1966年に「いわゆるA級戦犯」が靖国神社に合祀されたのであり、それをもって軍国主義復活などとは誤解曲解も甚だしい話なのです。

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    疑惑の判定で村田諒太をはめた「カネの亡者」WBAの大誤算

    小林信也(作家・スポーツライター) 20日の世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王座決定戦での村田諒太選手の敗戦後、判定への異論が噴出している。プロボクシングの世界には、過去にも不可解な判定で物議を醸した例が少なくない。だが、今回はちょっと事情が違う。不思議なことがいくつかあるのだ。 第一に、村田はどこで戦ったのか? という素朴な疑問だ。ホームタウン・デシジョンという言葉がある。試合の開催地側の選手に有利な判定が出る傾向が強いことから、この言葉が生まれた。 今回の騒ぎでしばしば前例に出される亀田興毅選手の世界タイトル初挑戦の試合はまさに、ホームタウン・デシジョンの一例。日本で開催された王座決定戦で、初回にダウンを奪われ、終始苦戦したと見えた亀田がランダエタを破り、王者と判定された。 ところが今回はホームタウンで戦った村田が、敵地かと思われる不可解な判定で王座獲得を取り逃がした。一体なぜ、日本が「敵地」になってしまったのか?ボクシングWBAミドル級王座決定戦で、アッサン・エンダム(左)に判定で敗れた村田諒太=5月20日、東京・有明コロシアム 会場は有明コロシアム、紛れもなく日本。だが結果的に見れば、「あのリングとリングサイドだけはパナマだった」と言うべきかもしれない。村田はアウェーの中で戦った。そのことに気がつかなかった。あるいは、甘く見ていた? すでに試合後の大騒ぎで多くの人が知っているが、ジャッジのひとり、グスタボ・パディージャ氏(パナマ)は日本人選手キラーだ。何しろ、過去9回、日本人選手の世界タイトルマッチのジャッジを担当し、一度も日本選手に勝ちをつけていない。先に挙げた亀田対ランダエタとの王座決定戦でもジャッジを担当し、他のふたりのジャッジと違い、亀田を負けとしている。 日本人キラーと言えば、野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で西岡剛のタッチアップをアウトと判定したデービッドソン審判が有名だ。まさに、グラウンドに敵がもうひとりいた、という象徴的な出来事だった。パディージャ氏は、その上を行く日本キラーであることは過去の実績が物語っている。 だが、彼に作為があったかどうかはもちろん断定できない。なにしろ、亀田戦では敢然とランダエタの勝利と評価しているのだから、一貫して筋が通っていると見るべきかもしれない。 WBAの本部があるパナマから来たパディージャ氏が、WBAの意向を忖度(そんたく)して強引な判定をしたと見る向きも強いが、過去の実績を冷静に見れば、パディージャ氏はあまり忖度(そんたく)するタイプではない。ただし、パディージャ氏が敢然と日本人選手に負けをつけるジャッジだという実績をWBAは当然知っているはずだから、「そこを見込んで連れてきた」と見るべきかもしれない。 彼がジャッジに指名された時点で、エンダム対村田戦のリングは日本でなく、パナマだった? 恥ずかしながら、私も含めて、それを試合前に指摘できたメディアは知る限り、いなかった。「亀田に甘く、村田に厳しかった」ワケ 帝拳ジムの関係者はパディージャ氏の実績を当然知っていただろうが、「判定になったら、どんなに優勢でも負けをひとつ覚悟する必要がある」とまでは認識できていなかった。その危機感を持っていたなら、初回あれほど手を出さず見ることはなかったろうし、終盤優勢を確信したにしても、もっと明らかにポイントを狙いに行っただろう。試合後の記者会見で視線を落とす村田諒太=5月20日、有明コロシアム 村田サイドは、パディージャ氏の存在の大きさを軽視し、自分たちの採点シートを基準に試合を進めてしまった。 「WBAは亀田兄弟には甘く、村田に厳しかった」との声もある。亀田兄弟は、WBAにとってはビジネス的にも大切な看板選手だった。 亀田興毅が13回、亀田大毅が7回、兄弟で計20回のWBA世界タイトルマッチを戦った。これだけのビジネスパートナーはWBAにとっては得がたい存在だったろう。 亀田大毅の世界戦実現のため、亀田側とWBAの間でランキング順位の認定に関して協調する動きがあったとの報道が出たこともある。 亀田興毅、大毅とも、すでに引退している。今後のためにも、新星・村田はWBAにとっても重要な存在だったのではないか。それなのになぜ、地元・日本がアウェー状態になっていたのか? 理由のひとつは、村田が所属する帝拳ジムの本田明彦会長の存在だという。本田会長は、全盛時のマイク・タイソン(世界ヘビー級王者)の来日を二度実現させるなど、世界的にも実績と評価の高いプロモーターである。ファイティング原田氏、ジョー小泉氏とともに、世界ボクシング殿堂に入っている。 WBAは、資金的な苦しさもあり、お金を優先順位の上に設定した運営をせざるを得ないと批判されている。スーパークラスを新設して世界チャンピオンを増産した。そのことで世界王座の価値やプロボクシングの評価が下がることを危惧する声も大きいが、WBAは構わず拡大路線を走ってきた。 本田会長は、これを公然と批判し、プロといえども優先すべき重要なことがあるとの姿勢を貫いて、WBAのタイトル戦はここ数年ほとんど行ってこなかった。すなわち、WBAにとっては煙たい存在なのだ。今回も、WBAが今後一階級一王者の路線に戻す方針を決めたから村田の挑戦を承知した、と本田会長はコメントしている。 私も含め、少年時代にボクシング黄金時代をテレビで見ている世代にとってWBAは世界最高の団体だという、思い込みがあるように感じる。ファイティング原田、海老原博幸、藤猛、沼田義明、小林弘、西条正三、大場政夫…。世界ボクシング評議会(WBC)の併記もあったが、彼らのタイトルには必ずWBAの冠があった。輪島功一も具志堅用高もそうだった。 その後、WBCのほかに国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)が誕生し、いまは4団体がしのぎを削る形だ。 いまも権威があるのは伝統あるWBAだろうとのノスタルジーがあるかもしれないが、実際は違う。いま世界の趨勢(すうせい)は、IBF、WBOにあり、WBAは最も後塵(こうじん)を拝しているというのが近年のボクシング界の共通認識だ。日本のファン全体を敵に回したWBAの焦りWBAのヒルベルト・ヘスス・メンドサ会長 試合後、WBAのヒルベルト・メスス・メンドサ会長自らが判定に異議を唱え、再戦を指示する異例の事態になっている。これは、本田会長への苦い思いがあって設定したパナマ・シフト(WBAの意向)が思いがけない形で奏功し、本田会長への一撃のつもりが、日本のボクシングファン全体を敵に回す事態を生んだことへの大きな焦りの表れではないだろうか。 4団体の中でも、日本マーケットの依存度が最も高く、生命線のひとつとなっているWBAにとって、日本のファンの支持と信頼を失えば存亡の危機にもつながりかねない。 そう考えると、パディージャ氏はいわば確信犯だから、会長の怒りはもうひとりのジャッジ、カナダのヒューバート・アール氏に向いているのではないか。報道によれば、アール氏はあまり実績がないジャッジだという。実績が少ないアール氏を、日本で異様なほど期待が高まっていた「五輪金メダリストの世界挑戦」という大舞台に起用する感覚と意向にこそ、WBAの体質がうかがえる。アール氏は、あまりに完璧にパナマの意向を忖度(そんたく)し、パナマ寄りのホームタウン・デシジョンを実践しすぎた。 手数を重視する判定基準に非難が噴出しているが、かつて採点基準が問題にされたとき、当のパディージャ氏がWBAに見解を送り、「プロである以上、手数より有効打(効いたかどうか)を重視すべきだ」と提言したとの報道もある。まったく同感だが、いかにも皮肉な提言だ。 今後はWBAも、かつて採用を見送り、WBCが採用している公開採点制度(毎回、あるいは4回ごとにジャッジを公表する方式)を実施するなど、明らかな改善が求められるだろう。 最後になるが、エンダムとの試合で村田の強さが際立ち、世界的な評価と注目が高まったのは間違いない。すでにWBO、IBFからも声がかかっているという報道が事実なら、何よりの証明だ。 序盤も終盤も、あまりに手を出さなかったのは反省点だが、リング中央で足をほとんど動かさず、手も出さず、エンダムを危険な距離に立ち入らせなかった。その圧力、パンチを出さずに相手を威圧し、圧倒できるボクサーは過去にどれだけいただろうか。世界王者初挑戦でタイトルは奪えなかったが、村田が証明したものはそれ以上に大きいと言ってもいいだろう。

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    なにがなんでも「安倍降ろし」 フェイク臭あふれる加計学園疑惑

    任もない、加計学園を単に政争のために利用していることは明瞭すぎるほどだ。なお森友学園については以前の連載で書いたので参照されたい。 また最近では、そもそも獣医学部新設の動きは、民主党や民主党議員、つまり現在の民進党議員らが積極的にすすめていたことが明らかになっている。これだけでも政党としてまったく首尾一貫していない。さらに追及の急先鋒(せんぽう)である玉木議員には、現段階でいくつかの問題が指摘されている。日本獣医師政治連盟から玉木議員は政治献金をうけ、または父親が獣医師であることで、既存の獣医師の利益を守るために行動する私的なインセンティブ(動機付け)が存在するということだ。 既存の獣医師たちの多く、特に日本獣医師会は、特区における獣医学部の設置については従来反対であった。つまり、この意図を忖度(そんたく)しての政治的な動きではないか、という疑念だ。もちろん民進党が規制緩和に反対するのなら、それはそれで政策論争の意味で興味深い。加計学園の獣医学部新設計画を巡り、民進党が開いたプロジェクトチームの初会合で発言する玉木雄一郎氏(左)=5月17日、国会 だが、蓮舫代表や玉木議員がやっていることは、なにがなんでも安倍氏を首相の座から引きずりおろすための、怪文書を利用した不公正な扇動だけしかない。そこに朝日新聞など一部マスコミが安易に同調していることは、さらにあきれ果てるしかない。

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    韓国人にとって靖国神社とはいかなる存在なのか

    一色正春(元海上保安官) 今回は前回に引き続き大日本帝国軍人軍属として日本のために戦った朝鮮半島出身者についての話から始めます。 先の大戦において動員された朝鮮半島出身者は軍人軍属合わせて約24万人、そのうち還らぬ人となったのが約2万人です。その中には特別攻撃隊に自ら進んで参加した人や、いわゆる戦犯として刑死した人もおられ、さまざまな思いで亡くなられたことと思います。ですから、この方たちの最期を単に非業の死と一口でくくることはできませんが、すべての方に共通するのは、自ら進んで戦地に赴き、大日本帝国のために戦ったことと、現在は靖国神社に神として祀られ多くの人にお参りされていることです。 そのことに対して日本人の多くは「日本人として戦いに参加してもらった以上、靖国に祀るのは当然だ」として異議を唱えることはありません。台湾出身軍人軍属も同様に3万人弱の方々が靖国に祀られていますが、台湾において、そのことに抗議しているのは極少数の人たちだけです。夕方以降も多くの参拝客でにぎわう靖国神社(財満朝則撮影) それに比べて、現代韓国人の多くは靖国神社そのものの存在に対して不快感をあらわにし、日本国の首相をはじめとする政治家が靖国神社に参拝することに対して抗議するだけではなく、参拝中止を求めるという重大な内政干渉を平気で行い、中には実際に靖国神社まで出向いて爆発物を仕掛ける人間までいるくらいです。 彼らの言い分は「朝鮮民族を無理やり戦わせた人間が祀られている」「植民地支配を行った日本軍国主義の象徴だ」「戦争犯罪人が祀られている」というものですが、いずれも明らかな事実誤認で、日本の立場としては言いがかりをつけられているとしか言いようがありません。 まず「朝鮮民族を無理やり戦わせた人間が祀られている」という理屈は、前回の「もし、今も朝鮮統治が続いていれば、日本はどうなっていたか」をお読みいただければわかるように、無理やり徴兵されて実際に戦地に行った朝鮮系日本人がいないのですから、完全な誤解です。 次に「植民地支配を行った日本軍国主義の象徴だ」という理屈で、あたかも日本が武力により平和で豊かな朝鮮半島を侵略して搾取したかのような印象を与えようとしていますが、日本の朝鮮統治は西欧型の植民地支配ではなく主権国家双方が合意のもとに締結した日韓併合条約という国際条約に基づく併合であり、同条約により大日本帝国と大韓帝国は武力を用いずに一つの国になったのです。日清戦争勝利で独立できた韓国 そもそも19世紀末、朝鮮という国は清国の属国で完全なる独立国ではありませんでした。それを日本が日清戦争に勝利したことにより大韓帝国という独立国となったのです。それは日清講和条約(下関条約)の第一条「清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼などは永遠に廃止する」を見れば明らかです。伊藤博文、李鴻章が会談した春帆楼2階大広間を再現した日清講和記念館 日清戦争後、日本は清の冊封体制を脱し独立国となった朝鮮に対して自立を促しましたが、彼らはこともあろうか当時の日本にとって最大の脅威であるロシアの支配下に自ら進んで入ろうと、王宮ごとロシア公館に逃げ込むありさまで、その結果ロシアは朝鮮半島におけるさまざまな利権を手に入れ、次第に日本とロシアは朝鮮半島の主導権をめぐって対立するようになっていきました。 満州だけではなく朝鮮半島がロシアの支配下に入れば「力のある白人国家が力のない有色人種国家を支配する」という当時の国際情勢に鑑みて、次に超大国ロシアに侵略されるのは弱小日本の番であることは火を見るより明らかですから、日本としては何とかそれを阻止しようと外交努力を重ねました。しかし当時、世界一の陸軍国といわれたロシアが弱小国日本に譲歩するはずもなく、日本は座して死を待つか、勝てる見込みは少なくとも打って出て戦うかという選択を迫られることになったのです。 戦うことを選んだ日本は、局外中立を宣言していた大韓帝国の防衛および領域内での軍事行動を可能にするため日韓議定書を締結し、それに応えた進歩会などの大韓帝国改革派は鉄道施設などの工事に数万人を動員するなど日本に協力的でしたが、皇帝を中心とする守旧派の腰が定まらないため、外交案件に日本政府の意向が反映されるよう、さらに第一次日韓協約を結びました。 ところが大韓帝国皇帝は、これに違反してロシアだけではなくフランス、アメリカ、イギリスに密使を送ったので、辛くもロシアに勝利した日本は後顧(こうこ)の憂いを絶つため「日本が大韓帝国の外交権を完全に掌握する」とする第二次日韓協約を締結しました。 しかし、その後も大韓帝国皇帝はオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送るなど迷走を止めず、日本の国家安全保障に重大な脅威を与え続けました。(密使は、会議参加国から「大韓帝国の外交権が日本にある」ことなどを理由に門前払いにされています) 日本は、この状態を放置して大韓帝国が植民地拡張政策を続ける欧米諸国の支配下に入れば再び日本は重大な危機に陥ると危機感を抱き、外交だけではなく内政も掌握するため、やむなく併合に踏み切ったのです。日韓併合と靖国神社は無関係 日本としては自主的に独立した大韓帝国と同盟を組んで西欧諸国に対抗することを望んでいたのですが、肝心の大韓帝国にその能力や意思がなく、朝鮮時代からの事大主義を改めることなく大国に擦り寄る政策を続ける姿勢を見て、今の大韓帝国には自主独立する力がないと判断し、他国の保護下になるくらいであれば日本の保護下に置く方が自国のためになると考えたのです。 このように、日本が大韓帝国を併合した最大の理由は自国の安全保障のためで、西欧諸国の搾取を目的とした植民地支配とは異なり、朝鮮半島には搾取するものはなく、併合後は搾取どころか内地から資金や物資を半島につぎ込んだため、内地に住む日本人の生活が苦しくなるほどでした。 しかも併合前は、そうなることを予見した人たちが併合に反対していたため、当時の日本の世論は併合賛成派と反対派が拮抗しており、日本人全員が朝鮮を併合しようと思っていたわけではありません。同様に大韓帝国内も併合賛成派と反対派に意見が分かれており、現在の韓国のようにほぼ100%反対ではありませんでした。 ちなみにアメリカとイギリスは併合に賛成、その他の主要国である清国、ロシア、イタリア、フランス、ドイツなどからの反対もありませんでした。つまり日韓併合は両国の国内に反対派がいたとしても両国政府が話し合いで合意し、かつ当時の国際法上何ら問題のないことで、今の韓国人が反対しているのは後付けの理屈でしかなく、百歩譲って日本の統治を非難するのであれば、その象徴である統監や総督を非難するべきなのですが、下表を見ればわかるように歴代10人の統監と総督のうち靖国神社に祀られているのは、朝鮮統治とは無関係の罪状で服役中に病死した小磯國昭ただ1人でした。 そもそも日韓併合に際して戦争は行われておりませんので戦死して靖国神社に祀られた将兵はいません。したがって日韓併合と靖国神社は無関係なのです。次回は靖国神社に「戦争犯罪人が祀られている」という韓国人の理屈がいかにおかしいかということについて説明をいたします。

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    小泉進次郎が「こども保険」にこだわるホントの理由はアレしかない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 毎年、3月11日になると、2011年3月にどんなことが起きたのか、当時の記録が掲載されている自分のブログを見て思い出すことがある。もちろん東日本大震災の悲惨な被害、そして失われた多くの命、さらには「人間的価値の毀損(きそん)」という事態の前では、いまだ復興への道のりが遠いことに思いを強くしている。だが、今日書きたいのは、当時の「非人道的」ともいえる動きである。2011年6月、党首討論で発言する自民党の谷垣禎一総裁(左)と、菅直人首相(酒巻俊介撮影) それは2011年3月13日、当時の民主党政権の菅直人首相と自民党の谷垣禎一総裁の会談において、復興政策の一番手として増税政策があげられたことだ。その時点では、被害の実態も把握できず、復興自体よりも人命救助に努力を傾注すべきときだった。もちろん福島第二原発の状況は予断を一切許さない緊迫したものであった。 さらにこの増税政策は、後に設置された政府の「復興構想会議」などでも最初の具体的提案として、議長や委員から提起されている。実際に復興政策として何を行うかさえもはっきりしない段階において、である。 この復興構想会議では、事実上、後に「復興特別税」となる増税構想だけが具体的に決まったといっていい。当時、複数の復興構想会議の委員に会ったが、いまでも印象に残るのは、「僕らは経済のことはわからないから」という発言だった。経済のことを理解していない人たちが、なぜか増税だけを最優先にかつ具体的に決めたというのはどういったことなんだろうか。 さらに時間が経過していくにつれてわかったことだが、この復興特別税での当時の与野党の連携は、民主党・自民党・公明党による「社会保障と税の一体改革」、つまりは今日の消費税増税のための「政治的架け橋」になっていたことだ。 つまりは、大震災で救命対策が必要とされる中、消費増税にむけた動きが震災後わずか2日後には本格化していたことになる。つまりは震災を人質にしたかのような増税シフトである。これが冒頭で書いた「非人道的な動き」の内実である。 実際、民主党政権はその政治公約(マニフェスト)の中には、消費増税のことは一切書かれていなかった。だが、この震災以降の増税シフトが本格化する中で、当時の野田佳彦首相(民主党、現在の民進党幹事長)は、自民党と公明党とともに消費増税を決定した。日本では社会と経済の低迷と混乱が続いていたにもかかわらず、ともかく消費増税だけは異様ともいえるスピードと与野党の連携で決まったのである。この消費増税は後に法制化され、第2次安倍政権のもと、日本経済を再び引きずり下ろす役割を果たした。その意味でも本当に「非人道的」であった。「こども保険」に潜むくせ者のスローガン さてこの動きと類似した消費増税シフトをいまの政治の世界でも見ることができる。自民党の小泉進次郎議員が主導する「2020年以降の経済財政構想小委員会」が発表した、いわゆる「こども保険」だ。現在の社会保険料に定率の増加分をのせて、それで教育の無償化を狙うスキームである。「こども保険」と呼ばれているが、実体はただの「こども増税」である。以下でも詐称を控えるためにも、「こども保険」ではなく、正しく「こども増税」と表記する。自民党の小泉進次郎衆院議員(酒巻俊介撮影) 小泉議員らの主張によれば、高齢者に偏重する社会保障体系を、若年層向けに正す効果があるという。この一見するとあらがうことが難しいようなスローガンではある。だが、これがくせ者であることは、冒頭のエピソードを読まれた読者はピンとくるはずだ。 消費増税シフトは、そもそも震災復興を契機に仕込まれ、そして社会保障の充実という名目で選挙公約を無視してまで導入された。この経緯を踏まえると、小泉議員らの「こども増税」は、消費税増税シフトを狙う政治勢力の思惑ではないか、と推察することは可能だろう。 もちろん「こども増税」自体が消費増税ではない。「こども増税」は、消費増税をより実現しやすくするための、政治勢力の結集に使われる可能性があるのだ。小泉議員は国民の人気が高い。いわば「ポスト安倍」候補の一人であろう。 現在の安倍政権は、首相の決断によって過去2回消費増税が先送りされた。さまざまな情報を総合すると、安倍首相の財務省への懐疑心はいまも根深いとみられる。なぜなら財務省は2013年の消費増税の決定時期において、「消費増税は経済に悪影響はない。むしろ将来不安が解消されて景気は上向く」と説明していたからだ。もちろんそのようなトンデモ経済論は見事に外れた。日本経済がいま一段の安定経路に入れないのは、この消費増税の悪影響である、と首相は固く信じているようだ。そのための二度の消費増税延期である。 このような首相の決断は、財務省を中心とする消費増税派からすれば脅威に思えるだろう。今後の消費増税は本当に実施されるのか、また10%引き上げ後も財務省が現段階で狙っていると噂される15%以上への引き上げの道筋が早期にめどがつくのかどうか、彼らは不安であろう。 ある意味で、ポスト安倍の有力候補としての力の結集、または現段階で安倍首相を与党の中で牽制(けんせい)する「消費増税勢力」が誕生した方が得策である、と消費増税派は踏んでいるのかもしれない。もちろん「こども増税は、消費増税を確実にするための前ふりですよね」と、小泉議員らにいっても即座に否定するだろう。だが、同時に思い出されるのは、数年前に復興構想会議のメンバーに「この増税路線は消費増税路線の一環ではないか」とただしたとき、「そんなことはない」と一笑にふされたことだ。今回はだまされたくはないものである。

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    エンゲル係数、29年ぶり高水準が裏付ける「ニッポン貧困化」のウソ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) エンゲル係数の高水準が続いているという。エンゲル係数とは、消費支出の中に占める食費の割合のことで、19世紀のドイツの社会統計学者エルンスト・エンゲルが発見した経験法則である。この法則は一般にも知られている。 例えば、所得の上昇とともにエンゲル係数は低下する、と学校で習っているかもしれない。これを「エンゲルの法則」と称しておこう。所得が上昇するとともに、食費以外の支出が増えていく。したがって、エンゲル係数が低下するのは生活が豊かになっている証拠だというふうに教えられたかもしれない。反対にいえば、所得が低下すれば、エンゲル係数は上昇することにもなる。 エンゲルの法則は、戦前の日本社会でも話題になった。ユニークな経済学を当時展開していた、京都帝国大学(現京都大学)教授の高田保馬は、エンゲルの法則について興味深い分析を行っていた。 高田保馬は、論文「住居費の一研究」(1924年)の中で、大正後期の都市住民の住居費、食料費の動向について統計的な分析を行っている。高田は、生計費の内訳を、生存費(自己の生命を維持するための費用)、充実費(生活内容の充実のための出費)、誇示費(自らの社会的勢力を誇示するための費用)として区分している。 高田のユニークなところは、最後の誇示費を入れているところだ。彼はこれを、「世間的な対面を気にする際に必要な経費」としていて、所得の高い層ほど住居に対する出費が「安定的である」と主張した。この「安定的である」とは、所得の上昇に応じて、少なくとも住居費が低下することはない、という意味である。 むしろ、住居費には体裁を気にして下限が存在する、あるいは自分の社会的評価を住宅の質で見せびらかしたいという動機が作用して、できるだけ住居費にお金を割くだろう、と高田は考えていた。住居費の下方硬直性という現象だ。他方で、高田は食料費に関する支出については、エンゲルの法則に賛同していて、所得の上昇とともにエンゲル係数は低下すると考えていた。戦間期とタブる「失われた20年」 この高田の生計費の解釈は妥当だったろうか。1910年から1930年までの20年間(いわゆる戦間期)の日本の生計費の動向の中で、私は高田の分析を検証してみたことがある。戦間期の生活水準全体は一般的に上昇したといわれている。これがまず前提だ。 住居費に関しては、高田の見地からは所得と「正の相関」を持つことが予想される。「AとBが正の相関を持つ」という意味は、Aという現象が増加(低下)するときに、Bもまた増加(低下)している、というものである。ただしAが増えたからBが増えた、という因果関係ではないことに注意してほしい。「負の相関」は、正の相関とは違う関係を示している。こちらは、Aが増えるときに(減るときに)Bは減っている(増えている)というものだ。 日本の戦間期では、住居費に関しては、統計的に意味のある負の相関であった。この結果は高田の主張とは整合的ではない。つまり所得が向上しているときに、住居費の割合が低下しているのである。また生活水準が上昇していたとはいえ、この時代では家計の支出の約7割が食料支出であった。私の推計では所得が増加(減少)しても直接には食料支出に関係しなかった。つまりエンゲルの法則はこの時代には成立していなかったのである。 なぜエンゲルの法則に関する高田保馬の解釈をここでまず紹介したかというと、当時の日本の戦間期は今日と同じように長期のデフレ不況だったからだ。つまり最近までの日本の長期デフレ不況と類似しているからである。 ところで、最近のエンゲルの法則を適用した議論はどうだろうか。本当に所得が低下したから食費の割合が上昇したのだろうか。例えば、アベノミクスで私たちはより貧しくなったのだろうか。 答えはノーである。例えば、日本人一人当たりの生活水準はどうなっているだろうか。2012年の一人当たり実質国内総生産(GDP)は390万円だったが、16年にはこれが410万円超にまで拡大している。さらに今年は国際機関の推計では420万円を超えそうである。 一人当たりの所得水準が上昇しているのに、なぜ食費の割合が高くなっているのか。つまりエンゲル係数の上昇がみられるのだろうか。本当は、一人当たりの所得水準の伸び以上に私たちの生活は苦しくなっているのではないか、とアベノミクスの成果を否定したい人たちにこの意見が多い。エンゲル係数上昇が日本の貧困と結びつかない理由 だが、これは端的な誤解である。以下の図表を参考にしてほしい。※世帯主が60歳以上の世帯の割合は、全国消費実態調査の二人以上の世帯における割合 この図は総務省統計局の栗原直樹氏の解説記事「食料への支出の変化を見る(平成26年全国消費実態調査の結果から)」に掲載されていたものである。 「エンゲル係数の推移を見ると、平成元年から平成16年にかけて低下していましたが、平成21年以降上昇しています。これは、エンゲル係数が、世帯主が60歳以上の高齢の世帯では高い傾向があるため、高齢化に伴って高齢の世帯の割合が上昇していることなどが全体のエンゲル係数の上昇にも関係」している、と栗原氏は解説している。 人は高齢化すると、あまりいろいろなものにお金を使わなくなる。そのため高田保馬のいうところの生存費にあたる食費の割合が増加するのだ。当然エンゲル係数は上昇する。おしゃれに気を使い、積極的に社交の場に出る高齢者の方も増えているので、高田の誇示費にあたる支出も増えていいように思えるが、実際には高齢化は、「消費の保守化」と等しいようだ。高田保馬的にいえば、高齢化は充実費や誇示費を抑制していることになる。 エンゲル係数は基本的に高齢化の進展でこれからも上昇トレンドにあると思うが、その他の要因でも影響が起こる。代表例としては、所得が上昇すると外食が増えることでエンゲル係数がやはり上がる。共働き夫婦になると、外食やコンビニなどでの買い物も増える。このこともエンゲル係数の底上げに貢献しているだろう。 エンゲル係数が上昇していることで、日本がより貧しくなっているとはどうもいえないようである。 そもそも最近では、失業率の低下、有効求人倍率の改善も一段と進んでいる。パートやアルバイトの時給も都市部を中心に増加傾向にある。それだけではない。倒産件数や自殺者数の低下傾向もある。このようにわかりやすい範囲でも、経済状況が改善している中で、どうにかしてアベノミクス(その中核であるリフレ政策)を、「日本が貧しくなることに貢献している」と思わせたい人たちがいるようである。そのような人たちにとって、エンゲル係数の上昇は、かっこうの批判のための批判の道具なのだろう。

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    極右ルペン氏の台頭を招いたフランス労働市場の「腐敗」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) フランス大統領選挙の第一回投票が行われた。投開票の結果、中道・無所属のエマニュエル・マクロン前経済相、そして極右政党「国民戦線」のマリーヌ・ルペン党首がそれぞれ1位、2位となり、5月7日の決選投票に進んだ。 今回の選挙の争点は、欧州連合(EU)の枠組みの維持もしくは離脱、そして移民の受け入れをどう考えるかをめぐってのものになっている。マクロン氏はEUの枠組み堅持を訴え、保守・左派双方に目配りをした選挙戦術を展開してきた。他方で、ルペン氏はEUから国民投票・憲法改正によって離脱し、移民を制限する政策を訴えることで急速にその支持を拡大してきた。開票状況をみるとこの上位2人の得票数は肉薄したもので、今後半月ほどの選挙戦は白熱したものになるだろう。 上位2人以外の主要候補の得票数も注目されている。3位と4位に終わった中道右派、共和党のフィヨン元首相は、EUの枠組み堅持を支持していて、敗北宣言の中でマクロン氏への投票を支持者たちに訴えている。また急進左派、左派党のメランション元共同党首は、政治的な立ち位置こそルペン氏と真逆なのだが、それでもルペン氏同様にEUの制約に縛られない積極的な経済政策を掲げることで、若者中心に急速に支持を拡大してきた。報道では、メランション氏は、支持者には自由投票を呼び掛けたようである。また5位につけている社会党のアモン前教育相は、反ルペンを訴え、そのため政治信条では異なるマクロン氏への支持を表明している。 単純に第1回投票の票の割合を、ルペン対反ルペンで割り振ってみると、反ルペン票の方が大きく上回りそうである。しかし現状のフランスの中に潜在するポピュリズム的潮流や、移民問題への関心の高まりを考えると、決選投票がどうなるか予断を持たないほうがいいだろう。4月23日、フランス北部エナンボモンで、支持者から祝福されるルペン氏(AP=共同) フランス経済のここ5年ほどの経済成長率は、平均すると0・78%(IMF推計)であり、ユーロ圏全体の状況も含めると長期停滞的な状況である。またフランスの失業率も悪い。もともと若年層中心に構造的な失業率が高いのだが、それでもこの数年は10%を超えている。先に若年層の不満が根強いと書いたが、その不満の背景にはこの失業率の高止まりが存在している。ドイツの経済思想のわなにハマったフランス フランス経済は簡単にいえば、より積極的な財政政策を必要としていることは明白だ。だが、EUの中心国であるドイツは相変わらず財政規律を重視するスタンスを崩していない。フランスはユーロ圏でもあるので、金融政策は自国の自由にはならず、また積極的な財政政策もEUの制約に服さなければいけない。マクロ経済政策的には自由度がかなり限られている。フランス大統領選の投票所近くを警備する兵士=4月23日、パリ(AP=共同) フランスやイタリアの有力な経済学者の多くは、EUにおける積極的な財政政策を支持している。例えば、パリ政治学院の経済学者フランチェスコ・サラセノ氏は、論文「ケインズがブリュッセルにいくとき:欧州経済通貨統合の新しい財政ルール」(2016年)の中で、先進国が従来の景気コントロールに利用していたルール(金融政策中心、財政政策は消極的)を変更して、財政政策と金融政策の協調、特に財政政策の拡大を新ルールの中心にすべきだとしている。ちなみになぜケインズ(財政政策の比喩)がブリュッセルにいくかというと、そこにEUの本部があるからだ。 ドイツ経済も最近の指標をみると、ここ最近では輸出が力強さを回復し、ドイツ経済にとっては現状の政策を大きく変える動機はない。これに加えてドイツの政策担当者や経済学者たちの間では、財政の規律(秩序)を重んじる勢力が根強い。この秩序(オルド)を重んじる経済思想の風土は、戦後のドイツ経済思想の根幹といっていい。 「オルド自由主義」ともいわれる経済思想は、戦後のドイツの経済政策を考える上では欠かせない要素である。オルド自由主義の特徴は、ルペン氏や米国のトランプ政権を支えているようなポピュリズム的傾向を否定していることで知られている。例えば、大衆消費、大衆向きの生産が拡大し、それが産業の独占化を招き、経済を閉塞(へいそく)してしまう、というのがオルド自由主義のひとつの見方である(竹森俊平『逆流するグローバリズム』PHP新書など参照)。 また、債務=借金を否定的にとらえている倫理的な価値判断も強く、そのため積極的な財政政策を嫌い、財政的な秩序を重んじるのである。簡単にいうと、大衆の欲求よりも、道徳的な秩序を最優先に考えるものだ。このオルド自由主義の経済思想が、ドイツの経済政策や世論さえも拘束している。 フランス経済は要するにこのドイツの経済思想のわなにはまっているともいえるだろう。経済低迷を脱することができないために、不満は社会の中のごく一部、ただし大衆にもわかりやすい「問題」に向くことになる。それが「移民問題」である。フランス国内の若年層や低所得者層の雇用を、移民が奪ってしまう。そのことで自分たちの失業率が高まり、また職を得てもより低い生活状況に甘んじなければならない、という不満に論点が移行してしまっている。本当に移民がフランスの雇用を奪ったのか だが、本当に移民(外国人労働者)がフランスの雇用を奪ったのだろうか。欧州の統合に関する代表的な教科書『欧州統合の経済学』(未邦訳)を書いたジュネーブ高等国際・開発問題研究所のチャールズ・ワイプロツ氏とリチャード・ボールドウィン氏によれば、移民が(フランスを含めた)EU内諸国に失業の悪化などをもたらした証拠は乏しいと指摘している。またむしろフランスへの移民は事実上かなり制約されてもいることを指摘している。簡単にいうと、フランスに移動することは、法的には容易なのだが、フランスの労働市場が、経済的な意味では排他的な市場だということだ。つまり、フランスの高い失業率は、移民によるものというよりも、フランス国内の労働市場に内在する問題だ、ということになる。第1回投票が始まったフランスの大統領選で票を投じる有権者=4月23日、リヨン(ロイター=共同) フランスの失業率は、1970年代初めは3%台を切る水準だった。それが急速に上昇し、9%台がほぼ定位置になってしまった。この要因については、フランスの未熟練労働者や若年労働者がきわめて低い報酬しか受け取っていないことに原因がある。そのために、求職の意欲を失いやすい。求職の意欲を喪失している期間が長ければ長いほど、その人の人的資本の蓄積は阻害され、「腐敗」しやすくなる。いざ働こうとしても自分の能力に見合った職が見つからずに、長期の失業状態が続いてしまう。また運よく職についても高い技能を要さない職しか見つけることができないために、さらに人的資本を伸ばすことがないままになる。これらがフランスの構造的失業の主因だろう。 この裏側には、労働組合などの交渉力の強さがあり、既存の産業(職種)への手厚い保護が存在することは明白である。つまり特定の産業(職種)への保護はあっても、本当の労働者の保護に欠けているのである。このフランスの閉鎖的な雇用環境が、外国人労働者に避けられているところなのだろう。 ちなみに同時期のイギリスとの対比をみると興味深い。イギリスもまた80年代後半までにフランスと変わらない10%近い失業を経験していた。それが90年代以降は急速に低下して約5-6%の間で推移してきた。これはイギリスの(フランスに比して)よりオープンな雇用環境、さらにはユーロ圏に所属していないために金融政策の自由度が高いことなどがその主因だろう。いわゆるリーマンショック後は、イギリスも失業の上昇に悩まされてはいるが、それはフランスのような、がんじがらめの状態に比較すればまだましである。 フランス経済をみると、そこにEUの悩みが集約して現れている。今後の大統領選挙の結果次第では、ヨーロッパには大きな変化が生まれるだけに注目していきたい。

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    「100円節約運動」を唱えた経済学者のトンデモ理論

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 経済学者の高橋伸彰立命館大教授のツイッターでの発言が話題と批判を集めている。高橋氏は、「国民ひとり当たりを100円節約し、『アベを買わない運動』を展開すれば、個人消費は4.6兆円減り、アベノミクスは崩壊して安倍政権の落日は近い」などと主張した。高橋氏の発言はすでに削除されているが、ガジェット通信の記事に発言内容が保存されているので参照されたい。立命館大の高橋伸彰教授のツイート 高橋氏はネットでの猛烈な批判を受けて、いろいろ弁解をしているようだが、その発言の意図は間違いなく、安倍政権の打倒のために意図的に100円を節約して経済を悪化させようと、扇動するものだった。 経済学者が政策論争に関与したり、その政策実現のために政治家の助言者や政策ブレーンになったり、あるいは政策実現のために政治運動を展開することは、国際的にもしばしば観察されるし、それ自体奇異なことではない。むしろ、自分の望む政策を実現することに情熱を傾けることは、(経済学者の素養や性格にも依存する部分が大きいが)個人的には望ましいことではないかと思っている。 だが、今回の高橋氏の「100円節約運動論」は言語道断である。経済政策の役目は、人々の暮らし向きを改善することである。しかし、高橋氏の主張は経済の悪化を狙っていることが明瞭である。経済全体の消費を意図的に減少させることは、(その他の条件を一定にすれば)間違いなく経済成長率も下降させてしまうだろう。 確かに、経済がこれからどのように成長していくか否かという議論は今でも熱い論題だ。欧米でもこれからの先進国の多くは長期停滞が避けられないという論調も多い。だが、この種の経済成長論争と、今回の高橋氏の主張はまったく質が異なる。長期停滞論は、経済の構造的な動きなのだが、高橋氏の主張は人為的に経済を減速させるものだからだ。その目的は安倍政権の瓦解である。政策評価より「政権打倒」を優先する経済学者 安倍政権の経済政策が良いか悪いかではなく、安倍政権の瓦解を目指して経済を悪化させる。これほど醜悪な発言はない。過去にも、不良債権など経済の非効率性を淘汰するために、経済の悪化を放置するという経済思想はあった。これは昭和恐慌期の日本や、同時期の世界の経済思想の中で展開されていたが、今日でもその末裔がいる。「清算主義」という経済思想である。だが清算主義は、いわば経済不況を「放置」することが本義である。清算主義者でさえ、わざわざ経済を人為的により一層悪化させるなどと主張はしない。高橋氏はその意味で清算主義者ですらない。国会前集会で安倍首相の退陣を求め訴える人たち=3月23日夜 このような高橋氏の経済論の認識の底には何があるのだろうか。一つは経済成長自体の軽視だろう。これについては後に触れる。もう一つは、高橋氏だけではなく、今も広範囲に観察される「アベ政権打倒」を自己目的化した人たちのイデオロギーである。彼らは安倍政権の個々の政策評価よりも、政権打倒自体が自己目的化しているとしか思えない。 高橋氏は経済成長の低下をそれほど重大視していないのだろう。だが、経済の低迷は多くの人たちの暮らし向きを悪化させ、また人命を危機に陥れる。 経済の安定化に失敗するとそれだけで多くの人命が失われてしまう。長期停滞を背景にして、日本の自殺者数と失業率の関係については21世紀初頭から議論されてきた。  日本の自殺者数の推移をみてみよう。20世紀終盤の1997年は日本の金融危機と消費増税があった年だが、それ以降自殺者数は急増していき、2011年まで14年連続して3万人台で推移し、ピークの年には3万5千人近くに上った。自殺未遂した人や自殺しようかと悩んだ人たちまで含めると膨大な数に及ぶだろう。 人がさまざまな理由で生死を選択しているのには異論はない。しかし、それを認めたうえでも、自殺と景気循環(好況と不況の循環のこと)が極めて密接な関係にあることは矛盾しない。最近では、リーマンショック以降の各国の動向を踏まえて、経済政策の失敗が人間の生き死にを直接に左右するという分析を、英オックスフォード大教授のデヴィッド・スタックラー(公衆衛生学)と米スタンフォード大助教授のサンジェイ・バス(医学博士)が『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)で提示している。原題を直訳すると「生身の経済学 なぜ緊縮は殺すのか」というものだ。ここで言う「緊縮」には、高橋氏が主張しているような「人為的な消費削減」が入っても矛盾しない。 スタックラーとバスによれば、不況になれば失業者が発生する。このとき政府や中央銀行が適切に対処しなければ、失業の増加が自殺者の増加を招いてしまうだろう。日本の場合では、失業率が高まるとそれに応じるかのように自殺者数も増加していき、また失業率が低下すると自殺者数も低下していく。経済減速の主張に感じられない「生命の危機」 スタックラーとバスの本では、2008年のリーマンショックで仕事を失ったイタリアの中高年の男性職人が「仕事ができない」ということを理由に自殺したエピソードを紹介している。ここでのポイントは、経済的な理由よりも地位や職の喪失そのものが自殺の引き金になっていることだ。また精神疾患患者数の推移と景気の関係に対する議論もある。(※画像はイメージです) 失業とうつ病は関係が深い。社会的地位の喪失もうつ病の引き金になりやすい。うつ病が進行しての自殺のケースも多いだろう。また失業率の上昇は、一方でリストラに直面しなかった人たちにも生命の危機をもたらす。首切りを免れて、会社に残った人たちの時間当たりの労働強度を高めてしまう。 つまり辞めたり、新規の採用がなかったりした分だけ、より少ない人数で仕事をすることになる。過労によるストレスは、うつ病の引き金をひいてしまう。不況になれば、なかなか他の職を得ることができないので、つらい職場環境でも我慢して勤めてしまう。このことが不況期でのブラック企業の隆盛をもたらした。高橋氏の主張ではこの種の人命を損失させる経済減速の悪影響に対する配慮が全くない。配慮があれば、経済を減速させようという主張は出てくるはずもないのだ。 経済政策の是非、これから経済成長が安定的に達成可能か否か、そういう論点と高橋氏の「100円節約運動論」は全く異なる。繰り返すが、経済学は一人ひとりの生活を改善することにその目的がある。この点を忘れた経済学者の発言には何の価値もない。

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    「フェイクニュース」を垂れ流す日本の経済報道はもう笑うしかない

    である。「フェイクニュース」の見分けが難しい理由 ところでフェイクは報道の場でも深刻である。前々回の連載でも書いたが、森友学園問題は、安倍首相や首相夫人の違法性や道義的責任にまったく結びついていない。一時期よりも少なくなったが、いまだにメディアの報道では両者を結びつける根拠のない「疑惑」のオンパレードである。 注意しなくてはいけないのは、「フェイクニュース」というものは、核心部分(森友学園問題と首相サイドの違法的な関係)が間違いや偽物であっても、それ以外の部分は「真実」で構成されていることが多いことだ。これが報道を偽物であるか本物であるのか見分けを難くしている。 実は、リフレ派はこの種のフェイクニュースに過去20年以上悩まされてきた。「デフレになったのは中国やインドから安い製品が入ってきたためである」「日本の産業がグローバル化に対応できないので日本は停滞している」「インフレ目標を導入するとハイパーインフレになる」などというものである。 例えばインドと、中国発のデフレをみてみよう。インドと日本の貿易関係は、日本の経済規模からみて規模が小さい。2015年現在、輸出入総額が1兆円超程度で、純輸出はプラスであり、日本からの輸出の方が大きい。一方、中国と日本の貿易関係は巨額である。輸入額(2015年で20兆円近く)だけみても日本のGDPに対する比率は大きい。日本へ中国の安価な製品が流入していることは「真実」である。だが、安価な製品の輸入が多くても、それが日本経済全体の物価を押し下げていることにはならない。 なぜなら日本よりも輸入規模がはるかに大きい米国や、日本の次の貿易関係国である韓国はデフレ経済に過去20年間陥ってきたわけではないからだ。韓国はむしろ中国との貿易関係が縮小している現段階の方がデフレ経済に陥る危機に直面している。このように中国発デフレは、真実(中国との貿易関係が大きいこと)でカモフラージュした、核心部分(中国がデフレの原因)がフェイク=偽、という典型的な主張である。日本と中国、韓国の経済貿易相会合で握手する、(左から)中国の高虎城商務相、世耕弘成経済産業相、韓国の周亨煥産業通商資源相=2016年10月29日、東京都目黒区 同様に、日本の産業の中でグローバル化に対応できていない部門があってもおかしくはないが(真実)、そのこととデフレが関係するわけではない(フェイク)。これは経済学的には財やサービスの総供給面に問題があるということだが、実際の日本経済では総需要が不足していることで、まず簡単に否定できる。 さらに、インフレ目標を導入すればハイパーインフレになるという主張も、これは単にすべてデタラメであったことは自明である。だが、この種の主張もインフレ目標が導入される前は執拗(しつよう)に報道されていた。独り歩きする「景気回復の実感」 とりわけ、最近のフェイク的な経済報道として筆者が注目しているのは、しばしば世論調査で出てくる「景気回復の実感がない人が多い」というものだ。このとき報道の多くが、「景気回復の実感」とはそもそも何かを定義することなく、印象だけを流していることに注目すべきだ。 人によって景気の実感はバラバラだろうし、個々人の感覚は正しいかもしれない。だが、個々の実感と経済全体の景気回復をイコールにしてしまうのは間違いだ。仮に、1年や数年で給料が倍になることを「景気回復の実感」だと思う人がいるとしよう。もしこれを経済全体にまで拡張したらどうなるだろうか。 「マジックナンバー69」というものがあって、これは給料や経済規模が倍になるための成長率を導き出すのに便利な数字である。一例で、年間の経済成長率が3%であれば、3で69を割ると23になる。つまり23年かければ、その国の経済規模が倍になるということである。 もし1年で給料が倍になることを「景気回復として実感する」ならば、日本経済は年間69%も成長しなくてはいけない。先進国の平均的な成長率がだいたい3%前後の中で、このような超高度成長は単なる夢物語にすぎない。もちろん個々人がこのような収入を実現できることを否定しているのではない。個人の景気への実感が、何の定義もされることなく安易に独り歩きをすることを警戒すべきだといいたいのである。 ちなみにリフレ派の目指す経済状況は、(論者によって異なるが)実質経済成長率が3%前後になれば上出来であり、またそのときには完全雇用に達し、なによりもその状況が長期的に安定化することが目的となるだろう。

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    デフレ脱却はどうなった? 黒田日銀総裁4年間の「通信簿」

    田総裁の任期は来年の3月までなので、2%のインフレ目標の到達は難しいだろう。 この理由については、本連載でも何度も書いてきているが、ふたつの要因が考えられる。ひとつは2014年4月の消費増税による消費の急低下とその後の悪化持続である。もうひとつは国際的要因で、これは中国経済の減速、イギリスのEU離脱、そして米国の大統領選などに伴う経済政策の不透明感などである。 後者の国際的要因は、日本の政策ではどうしようもできない。だが前者は対応が可能であった。実際にその後予定されていた消費税のさらなる引き上げは2回にわたって先送りされた。しかし消費マインドは、14年4月以降回復していない。直近で若干の改善傾向が見られ始めただけだ。 ここで注意すべきは、日銀の大胆な金融緩和政策自体の効果を否定してはいないことだ。むしろ反対に、日銀の大胆な金融政策は目覚ましい効果をあげている。ただそれを打ち消す逆向きの効果があるということだ。前者の改善効果を後者の悪化効果が完全に上回っていないことも注意を要するポイントである。つまり、過度な悲観は禁物ということだ。財政政策の失敗のツケは財政政策で払う いまも書いたように、インフレ目標が未達の原因は日銀の政策によるものではない。実際に13年度の消費者物価は0.9%(総合)であり、これは12年度のマイナス0.3%に比較すると、1.2%もの急上昇を果たしている。その後の状況は(消費増税の影響で物価はプラス域に大きく振れるが、これは見かけなので)デフレ的状態に再下降してしまっている。日本のデフレ脱却が困難に直面したのは、金融政策に効果がなかったのではなく、その効果を打ち消す財政政策の失敗(消費増税)があったことは明白である。 消費増税という財政政策の失敗のツケは、財政政策で対応するのが基本である。有効な政策は、減税を中心にする可処分所得を増加させる財政政策である。理想は消費減税だろう。金融政策のさらなる緩和、例えばインフレ目標の3%程度への目標値の引き上げも考慮すべきである。 残念ながら、日銀の大胆な金融緩和政策は継続こそすれ、もう一段の緩和には動き切れていない。ここ一年をみても、短期・長期の金利を操作する「イールドカーブコントロール」やマイナス金利などを追加的に採用しただけである。 これらの政策の効果はきわめて限定的だ。 例えば、イールドカーブコントロールは、具体的には国債の金利を操作することである。これは日銀の保有する国債の金利構成を変更することにもつながる。より大胆な政策であれば、最近、ジョセフ・スティグリッツが指摘し、さらに昔にさかのぼればベン・バーナンキも主張していたように、日銀のバランスシートの構成を変化させて、例えば保有国債の償却期間長期化を財務省と交渉することも一案である。 例えば10年物国債を20年、30年と長期化させることが可能だろう。さらに高等教育無償化などの目的を持つ国債を新規発行して、それを日銀に引き受けさせるのも一案である。いずれにせよ、政府との協調が重要であることは言うまでもない。この財政政策と金融政策の協調こそが、日本経済の安定的な再生のキーポイントである。 さてインフレ目標の未達の真因と、今後の対応は書いた。冒頭にも書いたが、インフレ目標は、経済の安定化(生活水準、雇用環境の改善)のための中間目標でしかない。その最終目標である経済の安定について簡単にみておく。特に注目したいのが、雇用の状況である。報道でも取り上げられたように、失業率がついに2.8%と3%を切った。3%を下回ったのは、日本が「失われた20年」に突入する前にさかのぼり、22年2か月ぶりである。働き手減少で改善したというのは「トンデモ仮説」 しばしば、この失業率の低下や有効求人倍率の4半世紀ぶりの改善について、生産年齢人口が減少説を主張するむきがある(人口仮説)。要は働き手が構造的に減少しているために起きた「改善」である、という指摘だ。これは簡単にいえば、「トンデモ仮説」といえよう。 例えば、生産年齢人口は21世紀冒頭から今日まで約1000万人減少している。今世紀に限定しても17年間、この減少は継続している。もし先の人口仮説が正しければ、この減少トレンドと同時に失業率の低下や有効求人倍率の改善がみられる必要がある。だが実際には、小泉政権後期から08年までのリーマンショック以前、そして第二次安倍政権以降を抜かせば、失業率は高止まりし、有効求人倍率も極めて低かった。 野田政権(民主党政権)のときに失業率が低下に転じているという指摘もあるが、これもトンデモ仮説のひとつである。不況が厳しくて、職探し自体を断念した人たち(求職意欲喪失者)や社内失業が増加しただけだからだ。これは、民主党政権下での失業率の見かけの低下が起きているということである。 黒田日銀の最大の成果は、この雇用環境の大幅な改善にある。失業率の低下や有効求人倍率の大幅な改善は、「人口要因」というトンデモ仮説ではなく、金融政策にその主因が求められるからだ。確かに財政政策(政府支出規模)は13年こそ増加したが、以降は16年後半まで漸次減少スタンスであり、またなによりも消費増税があった。一貫して景気刺激的なスタンスを採用しているのは、日銀の金融政策のみである。 特にここ1年数カ月は正規雇用が増加し、他方で(不安定雇用の代名詞である)非正規雇用が減少に転じている。パートやアルバイト、派遣社員の賃金面での改善も著しい。 ただしいくつか注意が必要である。雇用者の数が増えているので、平均的な賃金が低下してしまう局面があるのは、常識的にもわかるだろう。特に雇用の回復初期では、実質賃金の低下がみられる。だがこれは生活水準の悪化ではもちろんない。短時間労働で働く人間が増えている(当初は女性のパート、アルバイトの増加、高齢者の再雇用などで吸収されていく)ので、平均賃金が低下するだけなのだ。 実際に安倍政権発足後から、雇用者数とその報酬を掛け合わせた名目雇用者報酬は一貫して増加傾向である。また実質賃金もいまでは増加に転じている。現在、さまざまな場で、人手不足の声をきくようになっている。大都市や一部の産業での時間当たり賃金の伸びが目立ってきている。これらの動きがより定着していけば、さらに失業率は低下し、報酬面でも雇用環境は改善していくだろう。いまの雇用改善は「ようやく合格点」レベル そしてこれは通念と異なるが、実はいまの雇用改善もまだ「不十分」な段階である。点数でいえば、ようやく合格点に達している程度だとみなしたほうがいい。金融政策の景気刺激効果は、安倍政権発足後から今日までずっと持続している。他方で、13年と直近の状況を抜かせば、ほぼ財政政策は緊縮的スタンスであった。 だが、先ほども指摘したように、前者の景気拡大効果の方が後者の景気抑制効果よりも大きく、それが雇用の持続的な改善を下支えしている。この理屈でいえば、後者すなわち財政政策も金融政策とともに拡大スタンスで協調すれば、さらに雇用の改善が機能する余地があるのだ。以下では景気刺激策をとれば、まだその雇用改善の「余地」があることを解説する。 失業率には、需要不足による失業と構造的失業のふたつに分かれている。前者は金融政策や財政政策で解消することができる。現在の失業率の低下は、この部分の解消が主に貢献している。他方で構造的失業の方は、金融・財政政策では解消されないと考えるのが「通念」だ。豊富に職があっても自分の技能に見合うものを探し出すコストが高い場合や、性別・年齢などの障壁でこの構造的失業は高止まりするといわれている。そのため構造的失業には構造改革(規制緩和や職業教育など)が政策割り当て的に妥当であると考えるのが「通念」だ。 しかし需要不足の失業と構造的失業は明確に分かれているわけではない。構造的失業と思われている部分も、実は需要不足の失業が長期化したために現出している可能性が大きい。言い換えると、需要不足が解消されれば、通常の需要不足の失業の低下とともに、この構造的失業のいくばくかも低下する可能性がある。 日本の構造的失業率は90年代以降、緩やかに上昇している。例えば、片岡剛士氏の分析によれば、90年代当初の構造的失業率は2%ほどであった(原田泰・吉松崇・片岡剛士『アベノミクスは進化する』中央経済社)。それが四半世紀かけて2%台後半まで上昇している。この構造的失業の緩やかな増加の原因はなんだろうか。 ここではその主因のひとつとして4半世紀に及ぶ非正規雇用の増加を指摘しておきたい。非正規雇用の人たちの報酬水準や働く環境は、現在改善傾向にあるが基本的には不安定なままだ。「失われた20年」というのは、働く人たちの中で、この非正規雇用=不安定雇用が著しく増加したということでもある。スキルの「腐食」で構造的失業率が上がる デフレ不況の下では、不安定雇用を避けるために、求職自体を断念してしまう人たち(女性やまた再雇用を望む高齢者たち)が増加し、他方で正規雇用を求めてもなかなか決まらず長期の失業に甘んじる人たち、あるいはコンビニなどの定型化された職で長期間働いている人たちなどが増加した。例えば、いったん働くことを断念した人の職業面でのスキルは時間の経過とともに「腐食」していく。またコンビニで定型化された仕事に若いうちからついていると、その期間の間に蓄積される予定だったさまざま仕事の技能・対人スキルが失われてしまう。これも人的資本の「腐食効果」といわれるものだ。 大学や高校などを卒業してから、長期間この状態が継続すると、バイトをやめて正規雇用につこうとしても自分の蓄積された人的資本の生産性に見合う仕事が見つからない。このような状況を典型例として緩やかに構造的失業は上昇していく。 これらの構造的失業の上昇要因は、非正規雇用が増大すればするほど拡大していく。逆にいえば、非正規雇用を減少させるような政策対応が行われれば、構造的失業は低下する。現在の金融政策には、非正規雇用を減少させ、他方で正規雇用を増やす効果があることは、データからも明瞭である。 となれば構造的失業自体が、雇用の改善をうけて低下していくことは十分に予想される。イメージでいえば、人手不足が深刻化していき、非正規雇用の層や求職意欲喪失者の層からも人手を積極的に調達していかなくてはならなくなる。現在の日本はこの構造的失業の低下も、需要不足の失業の解消とともに同時並行的に進んでいると思われる。 実際に、失業率が構造的失業の水準までぶつかれば、どんなに金融緩和をしても物価は上がっても、雇用の改善など実体経済には何の効果もない。この段階では物価水準のみの急上昇が観測されるだけだ。そのため構造的失業は、別名でインフレ加速的な失業率ともいわれている。現状では、物価水準にはそのような変化は観測されないため、2.8%の現状の失業率はまだまだ金融政策で低下することができるのだ。では、いったいどのくらいまだ雇用の改善がみられるのか、いいかえれば需要不足、また構造的にみえても実は需要不足を解消すれば下がる構造的失業の部分はどのくらいだろうか。 答えは簡単である。インフレ目標が安定的に達成されたときの水準がまさに「構造的失業」だろう。この水準に到達するために、日銀は一段の取組余地を残している。さらに政府はその運用を妨害しないように、協調的な財政拡大のスタンスと消費増税路線の明白な放棄が望まれる。

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    根拠なき籠池証言と「忖度」に色めくメディアは早く消えてほしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) まさか21世紀の日本で大がかりな「魔女狩り」を目撃できるとは、というのがここ最近のマスメディアをみての率直な感想である。言わずと知れた「森友学園問題」についての、一部の新聞やテレビでの論調のことである。 様々な「問題」が喧伝されて何がいったい論点なのかさっぱりわからなくなっているが、簡単にいえば、学校法人森友学園に払い下げた国有地が周辺の取引価格の実勢よりも極端に低かったこと、それについて予定されていた小学校の「名誉校長」であった安倍昭恵首相夫人とまた安倍晋三首相が、その土地の値引き交渉に関与していたか否かである。 この話は二段階になっていて、1)国有地の売却価格が違法なほど低かったのか、あるいは違法ではないまでも過度に「裁量」が働いたような価格だったのか否か、2)首相夫人と首相は本当に関与したのか、そのときの「見返り」はなんだったのか、という問題であった。 1)についての論点はかなり整理されてきていて、簡単にいえば適法ではあるが、森友学園の事例については、財務省近畿財務局の判断に「政策のミス」の疑いが濃厚である。通常は入札により競争者を募り、公正な条件で販売価格を決めればいいはずが、財務省が主導して森友学園側との相対取引で性急に条件を決めてしまった。財務省側は言い分があるかもしれないが、これは現場サイドの致命的な判断ミスである。参院予算委員会の集中審議で、民進党の福山哲郎幹事長代理の質問に答弁に立つ元近畿財務局長の武内良樹財務省国際局長(前列右)と元財務省理財局長の迫田英典国税庁長官(同左)=3月24日(斎藤良雄撮影) もちろんその「言い分」の中には当該する国有地が置かれた歴史的・環境的な要因があるだろう。だが説明が複雑になるだけで、要は現場の判断ミスであると考えれば、いまのところそれでいい。財務省は今回の件で、その責任をやがてとらざるを得ないだろう。実際にはローカルでたかだか一学校法人との取引ミスにすぎないにせよ、問題が拡大しすぎてしまった。 2)については、現在までマスメディアや世論の大半に「疑惑」を抱かせたままである。だがあえて言えば、その「疑惑」には安倍政権への過度な批判が招いたバイアス(偏見)が作用しているように思える。籠池泰典理事長の証人喚問での発言によれば、首相と首相夫人が国有地の値下げ交渉に関与したという発言はなかった。また攻める側の野党やマスコミにもこの「関与」を裏付ける証拠はない。つまりこの国有地の価格引き下げ問題という最大の論点であり、そもそもの森友問題の出発点について事実上問題は“解決”しているはずである。昭恵氏の寄付が「悪」に受け取られる理由山口県下関市長選の候補者の集会であいさつする安倍昭恵首相夫人=3月10日 ではどこについて世論は「疑惑」を抱き続けているのだろうか。私見では主に二点である。ひとつは、首相夫人の森友学園への寄付金問題、もうひとつは、昭恵夫人付政府職員が財務省に国有地における小学校建設について問い合わせた件だ。 前者について籠池氏の国会証言と昭恵氏との間では事実認識が食い違っている。これはもはや国会で明らかになる問題ではない。籠池氏の発言が偽証や名誉棄損などの可能性があるならば、司法や捜査機関の出番である。筆者はその方がこの問題は早急にけりがつくと思っている。ただし念を推しておきたいのは、昭恵氏が学校法人に寄付したこと自体はなんの違法性もないということだ。なぜこれがいかにも「悪」のように受け取られているのか、そこにはマスメディアなどの報道の在り方、問題があるのではないか、という感想を抱いている。 政府職員の問い合わせについては、そもそも国有地の価格引き下げ交渉ではない。政府職員がさらに上長と相談して問い合わせを行ったとしても、違法でもなければ、道義的責任を問われるものでもない。実際に、籠池氏へ政府職員が送ったファックスの内容は問い合わせ以上の関わりを「謝絶」する内容を含んでいた。だが、野党もそして安倍政権に日頃から批判的なメディアも、これを土地取引への「関与」だとして批判し続けている。 問題は、土地取引に関して価格面などで籠池氏側に有利に働いたかどうかのはずだ。現行の法規についての問い合わせには、交渉手段になりえる要素はない。これが常識的な見解だと思うが、単なる問い合わせさえも政権交代を要求するほどのものに映る人たちがいるようだ。さらに、自制のタガが完全に外れたようなマスコミの報道姿勢がこの風潮に作用している面もある。 とどめは、財務省近畿財務局をはじめ、関係した省庁や職員などに、安倍首相や首相夫人を「忖度(そんたく)」して、便宜が図られたのではないか、という「疑惑」である。そしてこの官僚たちの「忖度」(相手の気持ちを慮ること)の責任を、安倍首相に要求していることだ。つまり官僚たちに「忖度させた罪」を首相は認めて、政治的責任をとれということである。メディアがバイアスを増幅していく 例えば、テレビ朝日の報道番組で、コメンテーターの後藤謙次氏が「安倍首相も忖度がないと言うなら、ないという物証を出すべきだと思うんです」と発言していた。忖度は人の心の中で生まれるものであって、それを他人である首相がどうやって物証で「忖度のあるなし」を証明するのだろうか。後藤氏だけではなく、類したことを発言している識者やメディアがかなりいて、それらの人たちはあたかも魔女裁判を現在の日本に復活させているかのようだ。悪質な報道姿勢であると断じていい。 仮に安倍政権への批判があるならば、堂々と政策論争で競えばいい。しかし実体的には、ほとんど根拠のない「疑惑」や魔女狩りめいた「忖度」の有無で、国会での貴重な時間を浪費している。まさに亡国の国会である。裏返せば、野党に安倍政権に代わる政策が打ち出せない無能力が、森友学園問題の膨張を生んだともいえる。世論は、森友学園問題の「疑惑」が解明されてないと思う反面、しっかりと野党の無策はみているようで、民進党など野党の多くはこの二か月近く支持率が低迷もしくは下落していることで明らかだ。衆院予算委員会の証人喚問で、民進党の枝野幸男氏の質問を受け、安倍昭恵夫人付き職員の谷査恵子氏からのファクスを手に答弁する籠池泰典氏=3月23日(酒巻俊介撮影) 人間は合理的判断と不合理的判断の混交体といっていい。合理的判断が勝れば、現代の魔女狩りのような「忖度」という論点は時間の経過とともに消滅していき、具体的な問題がなんなのか、より鮮明になるはずである。他方で、人間には不合理な判断をする余地がとても多い。経済政策の評価についても、専門家ではない大衆の理解にはバイアスが作用しやすいことが知られている。そしてそのバイアスはメディアの力によって強化されていく。 例えば、昭和恐慌期には、当時の朝日新聞や毎日新聞など主要メディアは、デフレや不景気を極限まですすめれば、経済の「悪」が淘汰されてより高い成長が可能であると信じた(清算主義)。主要メディアの大半がそのような報道姿勢であり、政界含めた世論の大勢もこの清算主義の考え方であった。だが、この清算主義は経済学的には間違った経済思想である。実際にこの清算主義を採用した当時の日本経済は恐慌に陥り、失業、倒産、子女の身売りなどが激増した。社会情勢は不安定化し、解決の糸口はまったくなくなってしまった。 このようなバイアスがメディアによって増幅・伝播していく恐ろしさを、今回の森友学園問題でも体験していると筆者は思っている。少なくとも、司法や警察の手を借りなくても、「忖度させた罪」などという歪んだ意見がメディアから消えることを願いたい。まさに罪なきところに罪を見出す最悪の発言だからだ。

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    世界的有名な経済学者がこぞって海外版アベノミクスを支持する理由

    だし、それを行うことができる政治勢力は、いまのところ現在の安倍政権以外に与野党とも不在である。以前の連載でも書いたが、国民に人気の高い小泉進次郎氏らは財政再建=緊縮主義であり、いまの国際的な経済政策に逆行する政策観を持っている。また次の都議選で新党を設立し、将来的には国政を狙う小池百合子東京都知事の政策観もやはり構造改革主義的なもので、国際的なアベノミクス化の流れとは異なる。その意味では、安倍政権に代替する有力な政治勢力が不在である。JA全中の奥野長衛会長(右)と二人三脚での農業改革をアピールする自民党の小泉進次郞農林部会長(左)=2016年6月26日午前、三重県度会町 このポスト安倍の不在こそが、日本の根本的な危機である。