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    小池百合子「排除発言」の責任は私にある

    第4次安倍内閣が発足した。先の総選挙で圧勝し安定政権を維持した安倍総理だが、この結末は図らずも新党を立ち上げた小池百合子東京都知事の「排除発言」によるところが大きい。小池氏はなぜ風を読み誤ったのか。

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    小池百合子「排除発言」は私が進言した

    上杉隆(メディアアナリスト) 今回の総選挙において、当初勢いのあった希望の党の潮目になったのが「排除の論理」という言葉だ。「排除の論理」は強烈な「呪文」である。うまく使えば武器になるが、使い方を間違えると凶器に変わる。民主党結成の呼びかけをする左から岡崎トミ子氏、鳩山由紀夫氏、菅直人氏、鳩山邦夫氏=1996年9月、第一議員会館  1996年、その「排除の論理」によって誕生したのが民主党(のち民進党)だ。新党立ち上げ直前、村山富市元首相、武村正義さきがけ代表の二人を斬るために行使したのがこの年流行語大賞にもなった「排除の論理」だ。 発案者は鳩山邦夫副代表(新進党)。決定者は菅直人、鳩山由紀夫の共同代表(ともにさきがけ)、仙谷由人代表幹事と横路孝弘副代表(ともに社民党)で、実行者には枝野幸男氏、前原誠司氏、玄葉光一郎氏(以上さきがけ)、赤松広隆氏(社民党)、海江田万里氏(市民リーグ)がいた。 「排除の論理」でスタートした民主党(民進党)が、その「呪文」によって、20年以上の歴史に自ら終止符を打つことになるとは、なんという歴史の皮肉であろう。 21年前、自民党と新進党とは違う、リベラル独自路線を歩むべくスタートを切った民主党は、最初の総選挙で52議席(参院と合わせて57議席)を獲得し、政界の台風の目になった。 それから21年、民主党の「創業者」のひとりで故人となった鳩山邦夫氏の創った「呪文」が再び政界に嵐をもたらした。 「希望の党」の結党直前、ほとんど政権交代を手中に収めるかにみえた小池百合子代表には大きな不安があった。それは「リベラル」の偽看板を掲げた民進党の護憲左派が、大挙して新党に押し寄せるという悪夢だった。 「憲法改正や安全保障政策だけは絶対に譲れない」 自民党で防衛大臣まで務めた小池代表がそう公言するのは当然のことであった。新党にまさか民進党左派や護憲派がやってくるとは思わなかったが、政治の世界はなにがあるかわからないし、特に選挙直前はなおさらだ。 実際、21年前の「排除の論理」の際の政治家たちの阿鼻(あび)叫喚を、鳩山邦夫秘書として目撃していた筆者は、小池氏の不安を十分理解できた。 「最終的には『排除の論理』を行使すればいいじゃないですか」 それほど深い意味はなかった。政策や方針を旗印に政党がまとまるのは当然のことだ。日本だけではない、世界中の政党が不断に「排除の論理」を行使して政治を行っている。 21年前、鳩山氏が「呪文」を唱えたからこそ、その後の民主党は世紀をまたいで成長し、ついには政権を獲得できたのではないか――。筆者は、その率直な気持ちを小池氏の前で吐露し、旧知の細野豪志氏の前でも語った。 実は、昨年の都知事選で小池氏と戦った後も、小池氏とは都政についての意見交換を続けたり、筆者の運営している報道番組『ニューズオプエド』等に出演してもらう中で交流を続けていた。そうした人間関係の中で、まさか自分の会話から、21年ぶりに「呪文」をよみがえらせることになろうとはいったい誰が想像しえたか。枝野氏がヒーローはおかしい ちなみに筆者の政治信条は排除の論理とは別だ。安倍政権を終わらせ、政権交代可能な健全な保守二大政党制のためには「右手に学会、左手に連合、非自民、非共産の新進党型の政党を作るしかない」と言い続けてきた。実際に小池氏や前原氏や小沢氏にもそう伝えている。 「排除の論理」自体の論理に瑕疵(かし)は無いと思う。表現方法だけの問題だろう。希望の党の鳩山太郎候補の応援演説を行う小池百合子代表、上杉隆氏(右) =2017年10月10日、東京都中央区 「排除の論理」は確かにキツい言葉だ。だが、しがらみを断ち切る健全な政党を創るためには不可欠な論理だと小池氏も細野氏も確信したからこそ、発言に至ったのだろう。 彼らの姿勢に同意したのは何も希望の党の「創業者」たちだけではない。立憲民主党の枝野氏も、菅氏も、海江田氏も、21年前から「排除の論理」を行使してきたではないか。 そもそも「政策的にきちんと分けないと国民は混乱する、だから右から左までごった煮の民進党(民主党)は支持が伸びないのだ」と延々と多様な政党のあり方への批判を繰り返して来たのは誰か? 今回、「排除の論理」で反射的に希望の党を批判しているメディアは過去の自らの言葉を直視できるか? いまだに多くのメディアが「排除の論理」を行使したとして希望の党の小池氏と前原氏を批判している。その一方で、選挙目当ての「野合」で議席を伸ばした立憲民主党を礼賛している。 日本人は忘れっぽすぎまいか。メディアは国民をバカにしすぎていないか? 思い出してみよう。この10年余、共産党も社民党もすべてひっくるめて、選挙に勝ち、自民党政権を終わらせるためならば、いかなる枠組みでも構わないとした小沢一郎氏の存在と言葉を批判していたのはいったいどこの誰か? 2014年、共産党や社民党との連携を目指す小沢氏を民主党から排除して、「いまの民主党こそ保守本流」(枝野憲法総合調査会会長/当時)だと宣言、純化路線を採ったのはいったい誰だったか? 9月27日朝、前原代表が先の代表選で戦ったばかりの代表代行に「解党」の説明をした際、すぐに賛成したのはいったい誰か? 前原代表は、枝野代表代行との話を受けて、常任幹事会を開催、両院議員総会で全会一致を経て、解党に向けて作業を始めている。代表選挙で勝ったばかりにも関わらず、代表として丁寧なデュー・プロセスをたどった前原誠司氏が一方的に責められ、勝手に政党を立ち上げ、選挙で対立候補を立てるという反党行為を続けた枝野幸男氏がヒーローになる。どこかおかしくはないだろうか。なぜ枝野氏は排除されたと振る舞ったか 実際に、民進党から希望の党側に出された最初の仮リストには民進党候補者全員の氏名が記載されていた。新人候補も含めて全員だ。 前原氏は約束を守ったのだ。だが、結果は数名の排除が行われた。それも数名だ。この数名の排除の責任を前原氏ひとりに帰するのは無理がありすぎる。 なぜなら、前原氏から最初に相談を受けて賛同した当時の党幹部の枝野代表代行も連帯責任を負うからだ。 結局、希望の党が正式に排除した議員は滋賀1区の嘉田由紀子氏だ(鹿児島一区の川内博史氏などのように別の選挙区を提示されて断った者を排除に入れなければ)。しかも、彼女は民進党議員ではない。 実は、「いの一番」に解党に賛成した枝野氏に至っては希望の党への公認申請すらしていない。申請の無い者を排除することができないのは自明の理であろう。しかも、そもそも枝野氏は排除対象ではなかった。申請すれば公認され、実際希望の党ではその準備もしていた。自らの当選を確実にし、支持者らに迎えられて事務所に入る 立憲民主党の枝野幸男代表=2017年10月22日、さいたま市 ではなぜ枝野氏は自らが排除されたと振る舞ったのか。実は、驚くべきことに、一部メディアの報じた「偽排除リスト」を根拠に、排除されると信じ込んだにすぎないのだ。 選挙に強くない枝野氏が無所属立候補を恐れたことは想像に難くない。ゆえに、前原誠司氏、玄葉光一郎氏、安住淳氏、岡田克也氏、野田佳彦氏、小沢一郎氏(全員無所属で立候補)などのように選挙に強い政治家と違って、自らの立場を守るため右往左往していたことは筆者のもとにも情報として伝わっていた。 「排除の論理」について、感情的な議論が幅を利かせている。いつものことだが、日本の言論空間に真実が広がるのはずっと後のことだろうし、場合によっては虚偽の政治史が作られ、続いていくのかもしれない。 しかし、歴史の検証に耐えられるのは事実に対して誠実であった者のみだ。その点で、批判の矛先に立たされている前原氏こそが有資格者だ。 「排除の論理」を政治の師匠、鳩山邦夫氏から伝承した筆者の責任はこれを断言することだと信じる。

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    マスコミの掌返し「小池バッシング」が浅ましい

    子は愚かである。しかし、考え無しに小池百合子を批判した者は、はるかに愚かである。 そもそも、今回の総選挙で小池百合子希望の党代表の勝利条件は何だったであろうか。 一、 過半数である233人をはるかに上回る数の候補者の即時擁立。 二、 衆議院選挙勝利、政権奪取。 三、 2018年3月の日銀人事勝利(参議院自民党の切り崩し)。 四、 創価学会・共産党に対抗しうる組織政党の構築。 一と二に関しては、総選挙の結果が明らかとなり、現在の小池と希望の党の惨状を見れば明らかだろう。一気に政権にありつけねば、空中分解する。今や昔となってしまった小池人気など、その程度の基盤しかなかったのだ。 三に関しては、多くの人が勘違いしている。希望の党が衆議院選挙で勝利したところで、参議院では自民党が単独過半数を握っているのである。仮に政権を明け渡しても、参議院で拒否権を行使して早期退陣に追い込むことも可能なのだ。少なくとも、衆参がねじれた場合、首相は野党第一党との妥協を強いられる。しかも、日銀人事には衆議院の優越が効かない。街頭演説する希望の党の小池百合子代表と民進党の前原誠司代表=2017年10月、東京都墨田区(松本健吾撮影) かつての民主党は参議院でのねじれを利用し、ことごとく拒否権を行使して死に体に追い込み、遂には政権を奪取した。特に、日銀人事では当時の自民党案をことごとく拒否した。逆に、安倍首相は日銀人事に勝利して意中の黒田東彦総裁と岩田規久男副総裁を送り込み、アベノミクスによる景気浮揚と支持率向上で長期政権の基盤としている。来年3月に任期が切れる日銀人事こそ、日本経済すなわち政権の死命を制する天王山なのだ。果たして、小池にいかなる成算があったか。“野党第一党の自民党”が聞き分けがいいか、あるいは参議院自民党を切り崩すかをしなければ、“小池首相”は短命政権に終わる可能性もあったのだ。かつての福田康夫や麻生太郎の内閣の如く。 四に関しては、組織の重要性を認識させられた選挙だったから、わかりやすかろう。自民党が創価学会抜きでは選挙で戦えない政党なのは自明である。立憲民主党が共産党との提携により息を吹き返したのは記憶に新しい。 今回、希望の党は連合の支持を固めることができなかった。仮に一気に政権を奪取したところで、組織政党の構築無くしては、かつての細川内閣の二の舞になる。これだけの条件がそろって、はじめて小池は勝利なのである。果たして、勝率はどれほどだっただろうか。 私が小池の参謀ならば指南しただろう。 明治維新よりは、楽勝だ。 その覚悟が無いならば、おとなしくしていればよかったのだ。「今回の総選挙で既成政党と野合しない。都政に専念する」と宣言しておけば存在感が増し、次の総選挙で決戦を挑むことができたかもしれない。民進党が死のうがどうなろうが、知ったことではない。その判断ができず、中途半端な対応に終わった。これを「小池百合子は愚かである」と評する理由である。 しかし、逆の立場で考えよう。小池の現実的な勝利条件は「明治維新よりは可能性がある」程度であった。それにもかかわらず、小池を批判した者は、どういう了見だったのか。極左勢力が息を吹き返すのを望んでいたのか。小池叩きに狂奔した論者の罪 ところで、我が国は長らく保革二大政党状態に苦しんできた。戦後史では常に野党第一党が革新(リベラル)勢力であった。民進党という、憲政史上に残る恥ずべき政党が、議会政治の常道をいかに蹂躙したか記憶に新しい。 民進党の前は、民主党だった。3年半の政権担当時は言うに及ばない。その前の野党第一党は、日本社会党だった。政権を取る意思が無い無責任な政党だが、拒否権だけは行使する。特に、日本国憲法の条文は誤植一文字たりとて改正させないことには血道を上げる。社会党は、衆参どちらでも良いから34%の議席を獲られれば政権のような責任を伴うものはいらないとの姿勢だった。こうした姿勢は、いかなる手段を講じてでも衆議院に51%の議席が欲しい政権亡者の自民党の思惑と一致する。かくして、自社「1・5大政党制」が成立した。これを55年体制と称する。 社会党が野党第一党の座を占めることで、他のまともな野党が伸長する余地が無くなる。「まさか社会党に政権を渡す訳にはいかない」という国民の常識は、自民党の無能と腐敗を助長する。昭和20年代の憲政史は、悲惨だった。保守二大勢力の抗争で、社会党を味方につけた方が勝つという状況だった。例外は第三次吉田内閣の2年半だけだった。保守合同による自民党結成は、このような状況を回避するためだった。 自民党は、自由党と日本民主党の合同で成立した。自由党の前身は政友会であり源流は地方の地主を代表する板垣退助の自由党に、民主党の前身は民政党であり源流は都市のインテリを代弁する大隈重信の改進党にさかのぼる。保守合同自体は対等合併だったが、自民党は本質的に地方の利益代表である。本質的に自由党~政友会の遺伝子の党なのである。自民党の存在意義は富の公正配分であり、極端な貧乏人を出さないこと、「日本人を食わせること」にある。これは裏を返せば、「都市が生み出した利益を地方にばら撒く」ことである。 ここに都市の主張が置き忘れられる。新自由クラブや日本新党から、最近に至るまでの新党がすべて都市から発生しているのはこれが理由だ。かくして、改進党~民政党の遺伝子は薄れ、野党第一党の地位は革新(勢力)に居座られた。 小池や希望の党の問題点など、山のようにあげられる。これは絶対評価だ。しかし、枝野幸男氏や立憲民主党の方が優れているというのか。これは相対評価だ。小池や希望の党を叩いたもので、その10倍、枝野氏や立憲民主党を叩かなかったものは愚か者か確信犯と決めつけよ。立憲民主党の両院議員総会に臨む枝野代表(右)と辻元政調会長=2017年10月、国会 7月のブームが嘘のように、マスコミの小池叩きにより希望の党は失速し、革新が野党第一党の地位を占める55年体制の継続が決まった。マスコミの掌返しは今に始まったことではないが、今回は保守二大政党制潰しが目的だ。小池が安倍をおろし革新政権を作るなら応援するが、その気がないなら潰す。小池叩きに狂奔した論者はそれに加担したのだ。威嚇していようといまいと。 かくして、民進党を牛耳っていた極左勢力をあぶり出し、一網打尽にして政界から放逐する好機は失われた。 二・二六事件を起こした青年将校たちは、純真に国を想い、多くの重臣を殺害した。何の考えも無しに。その後の結果は言うに及ばず。我が国の宿敵であるソ連だけが笑い転げる事態となった。現在では、二・二六事件の背後関係でソ連の介在も指摘されている。小池や希望の党を絶対評価のみで批判し、さらなる悪を伸長させたとしたら…。笑いをかみ殺していた志位委員長 筋を通す。マスコミは、選挙中に枝野幸男氏と立憲民主党を持ち上げた。しかし、希望の党に入れてもらえなかった者が新党を結成したにすぎない。何が筋を通したのか。偏向報道である。選挙前から最終日まで、三つの段階に分けられる。 第一段階:安倍叩きで小池に期待。 第二段階:小池叩き。枝野応援。特に安倍叩きをせず。 第三段階:小池失速、枝野躍進。特に安倍叩きをせず。 確かに、一部マスコミの安倍叩きは偏執的だ。一方的すぎる。安倍叩きへの偏向報道は批判されて然るべきだ。 ならば、マスコミが安倍叩きから鉾先を小池叩きに向けた時にも、マスコミの偏向報道を批判すべきではなかったか。信者や院外団でない限り。安倍首相と利害関係があることを公言しているならともかく、少なくとも公平中立を建前とする言論人ならば、己の言動に一貫性を持たすべきだっただろう。 開票3日前になり、立憲が希望を追い抜く形勢となった。ここでようやく立憲叩きを始めたが、後の祭りだ。第一段階と第三段階でマスコミの偏向報道を批判していた論者は多い。しかし、一貫してマスコミの偏向報道を批判した論者が何人いるのか。すべてあげてもらいたい。 そして、テレビで志位和夫共産党委員長は必死に沈痛の表情をしていたが、笑いをかみ殺していたのではないか。どういうことか。会見する共産党・志位和夫委員長=2017年10月、東京都渋谷区(川口良介撮影) 小選挙区制においては、野党が共闘して一本化しなければ勝ち目は薄い。自民党は、政権批判票が希望の党と立憲民主党に分散されて助けられた。そして立憲民主党に肩入れし、希望の党を逆転した。249の選挙区で共闘が成立したが、それには共産党が67人の候補者を取り下げたことが大きい。世の常として、お金をあげても感謝されるとは限らない。しかし、供託金没収の危機を免れて感謝される、お金を出さないで感謝されるのだ。それだけでも慢性的財政難に苦しむ共産党は笑いが止まるまい。普通の政党で候補者取り下げなど血の雨が降るが、共産党は組織があるので候補者の面倒を見られるので不満が出ない。他にこれができるのは公明党だけだ。 また、意外に注目されていないが、共産党が候補者を取り下げなかった場合、自民党の候補者の当選率が向上したのだ。一例をあげるが、東京8区である。  石原 伸晃(99,863)自民党 吉田 晴美(76,283)立憲民主党 木内 孝胤(41,175)希望の党 長内 史子(22,399)共産党 この選挙区は、自民党が鉄壁の強さを誇ってきた。それがこの接戦である。しかし、野党分裂に助けられたどころではない。共産党が「この候補者ならば当選させても良い」と考えたから、候補者を取り下げなかったと考えるべきだろう。民共共闘が実現していたら、石原氏はどうなっていたか。 自民党は「公明党抜きでも、希望の党と組めば改憲発議可能な3分の2を獲得した」と改憲勢力の勝利を誇っている。ところが、石原伸晃氏が憲法改正に熱心だなどと聞いた事が無い。それどころか、9条改正には慎重の立場だ。本気で改憲するには、公明党と自民党内護憲派を説得せねばなるまい。共産党からしたら、石原氏は与しやすしなのだ。今や共産党は立憲民主党を隠れ蓑に、昔の社会党の地位を得た。 マスコミはまたもやモリカケ騒動を蒸し返そうとしているし、安保法案騒動では一年を空費した。立憲民主党や共産党があの騒動を繰り返せば、良識ある国民は安倍自民党の支持に傾くだろう。それこそが共産党の望むところなのだ。なぜならば、「飯のタネ」だからだ。いっそ、憲法改正を政治日程に乗せてほしいと思っているだろう。最低一年は大騒ぎできる。いっそ、「毒にも薬にもならない憲法改正」「やらなければよかった憲法改正」なら大歓迎だろう。そうした改憲に「安倍右傾化」のレッテル張りをすれば、二度とまともな憲法論議などできなくなる。安倍内閣の生命線は日銀人事 そうでなくとも、野党第一党は立憲民主党だ。議事運営は、与党と野党第一党で決める。まともな国会審議を期待する方がどうかしているだろう。しかし、これすべて考え無しに小池叩きをした結果だ。そして安倍一強は、共産党との55年体制に変質し、維持されることとなった。 そもそも安倍首相は何の為に解散したのか。大義名分は北朝鮮危機だった。では、有事が起きなかった場合、「フェイクニュース」と批判する論者はいるだろうか。院外団や信者は安心されたし。左翼勢力(最近はパヨクと呼ばれる)も健忘症だ。一カ月前のことなど覚えていまい。 ただし、選挙民は「わざわざ解散しなければならないほどの事は何だったのか」と監視すべきだ。北朝鮮が何度も「日本列島を核で沈める」と宣言しているのだから、日本が核武装をしてもどこも文句は言えまい。また、トランプ大統領は「対等の同盟国(パートナー)として行動してほしい。まずは防衛費をGDP2%に引き上げを」と求めている。いきなり自主防衛ができるとは思えないが、まさかルーティンワークを続けるために「北朝鮮危機」を利用した訳ではあるまい。 さっそく麻生太郎副総理が「衆議院選挙勝利は北朝鮮のおかげ」と失言している(10月26日)。政権の弛緩が心配だ。 また、安倍首相は選挙中こそ争点隠しをしたが、「消費増税10%の使途変更」を公約に掲げた。消費税増税が前提なのだ。会見翌日に「リーマンショック級なら延期」と訂正したが、財務省が忘れるわけはない。また、その際には再び解散総選挙を行うのか。閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=2017年10月、首相官邸(斎藤良雄撮影) 一部の「事情通氏」はまことしやかに「2年後のことなどわからない。安倍首相は増税すると決めた訳ではない」と苦しい怪しげな解説をする。だったら、2年後のことなど、最初から公約に掲げる必要などないではないか。安倍擁護者は希望の党の公約を無責任だと叩きつつ、「自民党の公約にはすべて財源の裏付けがある」と持ち上げた。財源は景気回復のよる税収増ではなかったのか。増税を公約、財源の裏付けのない政策は無責任、景気回復による税収増は財源にならない。すべて、故与謝野馨氏の主張だった。当然、安倍首相は与謝野氏に詫びてから、このような公約を掲げたのだろう。  しかし、いかに安倍首相の熱心すぎる支持者、信者とか院外団とでも呼ぶしかない連中が不愉快でも、日本のためには安倍内閣の継続は最善であったと思う。現時点での相対的最善ではあるが。 安倍内閣の生命線は、日銀人事である。3月に行われる日銀正副総裁人事で意中の人事を送り込み、景気回復政策を徹底すれば、支持率は上がる。本気で自主防衛や自主憲法をやりたい日本人は、3月に注目すべきだ。日銀人事に勝ってこそ、すべてがはじまる。(文中一部敬称略)

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    なぜ小池氏は「まともな野党」をつくれなかったのか

    櫻田淳(東洋学園大学教授) 先刻の衆議院議員選挙に際して自民・公明の政権与党が総議席の3分の2を獲得した流れを受けて、此度(このたび)の特別国会での首班指名選挙を経て第4次安倍晋三内閣が発足した。先刻の選挙の結果、冷戦期の「55年体制」にも似た自民党「一党優位体制」の様相が、昔日よりも鮮明に出現した。 此度の選挙は、野党第一党としての民進党が立憲民進党、希望の党、無所属の会、そして参議院を中心とする民進党残党の4政治勢力に分裂しただけの結果を招いた。日本政治の永年の宿婀(しゅくあ)としての「野党の弱さ」は再び世に印象付けられた。このことは、立憲民進党と希望の党という二つの野党の姿から説明される。 第一に、立憲民進党は先刻の選挙に際しての「躍進」が専ら語られているけれども、その「躍進」の実相はきちんと見ておく必要がある。立憲民主党の獲得議席は55であり、これに共産、社民両党を併せた「日本左派連合」の獲得議席は70に届くかという水準になる。「左派連合」が総議席の15%を占めるに過ぎない勢力にまで零落したということの意味は、「55年体制」下に社会、共産両党を含む「革新」勢力が最低でも20数%の線を保っていた事実に重ねれば、相当に重いものがある。 これに関連して、立憲民主党の今後の党勢を占う意味では「新人候補はどれだけ勝てたのか」を見ておくのが適切である。どの政党にとっても、「新しい血」がどれだけ入るかは先々の党勢に結び付くからである。この点、立憲民主党が小選挙区で獲った17議席中、新人候補が獲ったのは、北海道の2議席と神奈川の1議席の、併せて3議席に過ぎない。立憲民主党も結局、民進党のリベラル系議員が「看板」を付け替えただけというのが実態であろう。「民主」と掲げられた立憲民主党の選挙カー=2017年10月、新潟市中央区(太田泰撮影、画像の一部を処理しています) しかも、枝野幸男代表は「安保法制を前提とした9条改憲には反対。阻止に全力を挙げる」と語っているけれども、立憲民主党が共産、社民両党と同様に「反改憲」を党のアイデンティティーにしようとするならば、その党勢は尻すぼみであろう。立憲民主党の先々の党勢は、立憲民主党支持層の主体が若年層ではなく高齢層であるという事実にも示唆される。全然できていなかった「選別」 第二に、後世、先刻の選挙を象徴する風景として語られるかもしれないのは、希望の党の「竜頭蛇尾」とも表現すべき党勢の「隆盛」と「失速」、そして選挙後の「混乱」である。希望の党の「竜頭蛇尾」はそれが結局、代表である小池百合子東京都知事の「野心」と民進党の面々の「保身」の枠組みに過ぎないという印象が世の人々に植え付けられたことによっている。 まず、小池氏における「我」の強さは、彼女の姿勢に「独善性」と「利己性」を浮き上がらせた。希望の党が実質上「小池私党」であるかのように小池氏が演出したことこそ、希望の党から民心を離反させたのである。小池氏が選挙の投開票当日に訪問していたパリで発した「『鉄の天井』があることを改めて知った」という言葉は、彼女にとって先刻の選挙が持っていた意味を示唆する。希望の党公認候補の選挙事務所に貼られた小池百合子代表のポスター=2017年10月、兵庫県内 次に、希望の党に民進党が合流すると伝えられたことに端を発する紛糾は、希望の党の政党としての性格を誠に曖昧なものにした。実際、希望の党は候補公認の条件として「安保法制容認」を明示していたのであるけれども、10月27日付の朝日新聞は、選挙当選者の7割が安保法制に否定的に評価している事実を伝えていた。 それは、小池氏が「選別」を口にした割には、その「選別」が全然できていないということを意味した。安保法制評価のような安全保障案件で二言を弄(ろう)するような政治家は、信頼度において最低の部類に属するであろう。 しかも、選挙中に希望の党の失速が語られる段階に至って、公認候補から党への「離反」を示唆する発言が相次いだのは、喩(たと)えていえば「戦中に自陣の備えを崩す」が如き振る舞いであり、有権者に対して極めて不誠実であったと断ずる他はない。政党の根底にあるべき「信頼」において、希望の党が立憲民主党よりも格段に落ちると見られたのであれば、その失速も当然の成り行きであったと評すべきであろう。 加えて、立憲民主党や希望の党に「看板」を付け替えた面々の多くが民主党内閣三代の政権運営を担った事実に醸し出される憂鬱(ゆううつ)な空気は、立憲民主党の「躍進」と思(おぼ)しきものを前にしても払拭(ふっしょく)されるわけではないし、現下の希望の党の実態が伝えられれば余計に増幅されよう。日本の諸々のメディアに披露される幾多の政治評論において、自民党を中心とした政権与党の執政を批判することに忙しく、「まともな野党」を鍛えることに精力を割かなかった弊害は、今後次第に日本政治全体をむしばんでいくことになるかもしれない。

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    心理学者が読み解く小池百合子「4つの誤算」

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 私たちは真実を求める。だが、真実とはなんだろう。身だしなみも整えず、お世辞の一つも言わないことではないだろう。裸であることが真実ではない。私たちには伝えたいことがある。伝えたいことのために演出もする。それは真実を覆い隠す嘘ではない。 人はみな、自分をプレゼンする。自分のプレゼンの仕方を心得ている人は人間関係がうまくいく。普通の人はもちろん、芸能人や、そして支持率の高い政治家はことにそうだ。彼らは自分自身を売るための企画をし、プロデュースしていく。自分の見せ方こそが、芸能人の人気につながり、政治家としての力になっていく。 小池百合子東京都知事は、自分の見せ方を心得ている。元ニュースキャスターとして、見られること、聞かれることになれている。古い政治家とは全く異なり、ファッションも立ち居振る舞いも、言葉の選び方もタイミングも最適の選択をして、あの熱狂的な「小池ブーム」を作り出してきた。ほんの1年前、小池候補の演説を聴くために大通りを埋めつくす群衆が詰めかけていた。しかし、プレゼンで成功した人はプレゼンで失敗もする。党首討論会に参加した希望の党の小池百合子代表(中央)。左は自民党の安倍晋三首相、右は日本共産党の志位和夫委員長=2017年10月8日、東京都千代田区の日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) 自分の見せ方のことを、心理学では「セルフ・プレゼンテーション(自己呈示)」と呼んでいる。人はみな、自分のイメージを演出し、自分の印象をコントロールしようとしている。これがセルフ・プレゼンテーション、自己呈示である。 子供から大人までみんながしていることだが、人気商売の人たちには専門のプロデューサーがついたり、スタイリストがついたり、芸能事務所や政党がついて、よりよく見せて売り出すための支援をしている。米大統領にも専門のスタッフがついてアドバイスし、専門家が演説の文章を考える。 セルフ・プレゼンテーションには、積極的にある印象を与えようとする積極的な「主張的自己呈示」と、逆に悪い印象を避けようとする「防衛的自己呈示」がある。政治家の中にも、攻撃に強い人や登り調子の時には強い人でも、攻められたとき、調子がくだり坂になったときには弱い人もいる。主張的自己呈示は得意でも、防衛的自己呈示の苦手な人はいるだろう。セルフ・プレゼンテーション五つの種類 主張的であれ防衛的であれ、自己呈示には次の五つの種類がある。まず、第一は「取り入り」である。これは相手から好意を持たれたい時に行う自己呈示である。小池氏も、お高くとまった政治家ではなく、庶民に寄り添う政治家を演じる。豊洲市場についても「安全だが安心がない、安心できるまでは移転しない」と庶民の声を代弁してくれるのだ。 自己呈示の二つ目は「自己宣伝」、つまり自己PRだ。これは自分の能力を高く見せたい時に行う自己呈示である。小池氏はとてもリーダーシップがあり、頭がよく能力も高いと、都知事選の時は多くの人が思っただろう。彼女は自己PRもうまい。第一声のあいさつをする候補の応援に駆けつけた自民党の二階俊博幹事長(左)の話を聞く小池百合子東京都知事=2016年9月、東京都・池袋駅西口前(納冨康撮影) 三つ目は「師範」である。師範とはお手本の意味であり、自分の道徳的評価を高めたい時に行う自己呈示である。うっかりすると政治家には不誠実な印象が付きまとう。だが、都知事選の時の小池氏はとても清廉潔白でさわやかに見えた。都議会自民党の「古だぬき」とは正反対に見えた。 四つ目は「威嚇」。これは他人を恐れさせたい時に使う自己呈示である。小池氏は敵にすると怖い存在だと、安倍晋三首相も感じていただろう。彼女は鉄の女のようであり、信念の人である。いざとなれば崖から飛び降りるように自民党とも戦い、堂々と都知事選に立候補してきた。 五つ目は「哀願」である。これは、自分の弱さを印象付け、相手から応援や援助を引き出したい時に使われる自己呈示である。小池氏は弱い存在でもないし、また男女平等を具現化したような存在だ。しかし、彼女は「女性性」を捨ててはいない。テレビのニュースキャスターのように、美しさやファッショナブルさを活用する。そして、強くて悪い男性政治家とひとり戦う女性政治家だった。 幸いにして、都議会自民党は見事な悪役ぶりを演じてくれたおかげで、彼女の「弱さ」は都民に印象付けられ、多くの人が彼女のサポーターになっていった。都議選の時に化粧の濃さを揶揄(やゆ)されたとき、怒ることもなく、自分の肌の問題を話した。この巧みさと正直さもファンを増やしたことだろう。戦う女は魅力的でも… しかし、彼女の見事なセルフ・プレゼンテーションも歯車が狂い始める。確かに人は食に安全だけではなく、安心を求める。そこに共感できれば支持は得られる。「取りいり」成功だ。だが本来のリーダーは、感情にされやすい大衆の誤解を解き、正しく導いてくれることも必要だ。安全の上に安心を求めすぎることで、トラブルが大きくなることもある。 小池氏はとても優秀だ。だが、国政にまで手を広げたとき、さまざまな準備不足が露呈する。完璧だと思われていた彼女もそうではないと感じられ始める。「自己宣伝」もうまくいかなくなる。「緑のたぬき」と小池百合子東京都知事を揶揄した角田義一元参院議員=2017年9月、前橋市内 清く正しい「師範」(お手本)のイメージだった小池氏だが、衆院選の後半には古だぬきならぬ「緑のたぬき」と揶揄する人まで現れた。彼女もまた、古い政治家と重なる部分があると感じた人々もいる。 現代では戦う女は魅力的だ。ドラマでも映画でも、強くて美しい戦う女は人気がある。「女だからとなめるな」といった「威嚇」も必要なのだ。だが、そのためには「敵」が必要だ。国政に打って出たとき、都議会自民党のようなわかりやすい敵は作れなかった。そうなると、強い女のイメージは必ずしも人気につながらない。威嚇はマイナスに作用することもある。 都知事選の時は、都議会自民党や古い男社会からいじめられる役を演じることができて、「哀願」が成功した。ところが、今度は自分が党首となると「哀願」を表現しにくくなる。「排除」という発言だけが希望の党の凋落(ちょうらく)の原因ではないだろうが、象徴的な出来事ではあっただろう。 私たちは、メディアを通して政治家を知る。政治家はメディアを活用して、セルフ・プレゼンテーションする。それは必ずしもありのままの姿ではないが、それで良いのだ。それは真実を伝えるための正しい演出だ。しかし、演出だからこそ、ほんの少しの狂いが生じると一気にイメージが崩れることがある。 小池氏は、小さな歯車の狂いでイメージ戦略に失敗しただけなのだろうか。それとも化けの皮が剥がれ、魔法が解けて、正体をさらしたのだろうか。答えを出すのはまだ早い。都知事の任期はまだ3年もあり、希望の党はスタートしたばかりだ。セルフ・プレゼンテーションは大切で必要だ。だが、私たちはその奥にある真実の姿を見る努力を続けなければならい。

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    「排除発言」よりタチが悪かった小池百合子の思いつき

    別として、内部留保に課税すると言い切るのであれば、それはそれで一つの考え方ではある。出張先のパリで総選挙について記者の質問に答える小池百合子知事=2017年10月(共同)   しかし、内部留保に対する課税を検討するだけのことならば、結局、実現することは不可能であっただろう。それに内部留保に対する課税については、そもそも二重課税の問題があり、専門家からすれば筋悪のアイデアでしかないからだ。企業が海外移転しないように、あるいは海外の企業が自国に本社を移すようにと、法人税率の引き下げ競争のようなことが世界的に起きているなか、どうして法人税率の引き上げよりも過酷な内部留保課税などできようか。 小池氏はベーシックインカムなんて横文字も口にしたが、今ある年金制度を維持することさえ至難の業なのに、どうして国民全員に生活に必要な資金を支給するなんて夢物語が実現するのか。もっと言えば、ベーシックインカムなんて有権者たちは端から期待していなかった。というよりも、今でもベーシックインカムって何?という国民が大半ではないのか。 分かりやすかったのは原発廃止を訴えたことであるが、しかし、これもどこまで本気か分からない。あとは、彼女のライフワークとでもいうべき電線の地中化。街中にある電柱、電線を地下に埋めるという事業である。これも、確かにオフィス街や観光地ではそれを切望する声が大きいことも事実ではあろうが、 しかし、日本中の電柱をすべて地下に埋める必要がどこまであるのか。そして、そのための莫大な財源はどこに求めるのか。花粉症をゼロにしたいとか満員電車をゼロにしたいのもあったが、国民の反応は、「ああ、そうですか」という程度のものでしかなかった。 これでは、安倍政権に終止符を打つのはいいとしても、小池政権になったからといって本当に希望が持てるとはとても思えない、と多くの有権者が感じたに違いない。 大義名分があり、そしてまた、本当に国民が希望を抱くような政策メニューを提示することができたとしたら小池氏に対する人気は続いていたかもしれない。例えば、小難しい話であっても、なぜアベノミクス、あるいは日銀の超緩和策がなぜ成功していないか、その理由を示した上で、それに代わる政策を提言できていれば彼女に対する信頼度は増した可能性はある。しかし、すでに述べたように彼女が提示した公約はほとんど思いつきの域を出ないものばかりであった。 都知事選や都議会選とは異なり、衆議院選では桃太郎の鬼退治の構図を描くことができなかったことと、小池氏の言葉の空虚さに有権者が気付いたことのために小池劇場の終演となったのだ。

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    反「安倍」選挙で顕在化、小池バブルの崩壊と健全な左派へのニーズ

    (中部圏社会経済研究所チームリーダー) 今月10日に公示され22日に投開票された第48回衆議院議員総選挙は、自民党単独で衆議院の全ての常任委員会で委員長を出したうえで、全委員会で野党を上回る過半数の委員を確保できる「絶対安定多数」を獲得し圧勝した。連立を組む公明党は議席を減らしたものの両党で定数の「3分の2」以上を維持、与党が大勝した。対する野党は、小池百合子東京都知事が率いる希望の党は公示前勢力57議席を割り込み、共産党、日本維新の会も議席を減らした。一方、枝野幸男元官房長官の立憲民主党は公示前勢力15議席から大きく躍進して野党第1党となった。 一般的に小選挙区制では与党の政権担当期間中の業績評価を中心に有権者の審判が下される。こうした民意の圧倒的な支持は、与党の業績が概ね国民に支持されたことを示すといえる。 衆院選の注目の一つは小池百合子都知事率いる希望の党であったのは確かである。解散表明当初は政権交代実現かとさえ言われた。解散序盤時点では、勢いに乗るように自民党に代わる政権交代可能な政党をアピールした。しかし、自らの議席を死守するために従来の主義主張を曲げてでも希望の党に駆け込んだ民進党議員の見苦しさが国民からの顰蹙を買う中、小池代表の失言とが相まって希望の党の勢いが失速すると「反対のために反対する」野党ではなく、建設的な野党の必要性をアピールしはじめた。それでも不利な情勢を挽回できないことがわかると、結局最後は「モリカケ(森友・加計学園疑惑)」で安倍総理批判を展開する普通の野党と化してしまった。このように、二大政党の一角を担える政党を希求する国民の希望が失望から絶望に変わるまで時間はそれほど要しなかった。 こうした希望の党失速は小池代表による「排除」宣言を契機としていることは多くのメディアが指摘しているところである。ただし、政党とは本来、同じ哲学、目標、政治信条を共有する者から構成されるのが筋であり、異分子を「排除」するのは当然ではある。しかし、誰を味方として迎え入れ、誰を排除するかについては、結党までに水面下でやっておくべきことであったのが、第44回衆院選に際しての小泉劇場の再現よろしく敢えて表舞台で行うことでメディアジャックを図るが、かえって排除された側にアンダードッグ効果(判官贔屓)を惹起してしまった。2017年10月、記者会見で衆院選公約を発表する希望の党代表の小池百合子都知事=東京都内のホテル そうした小池代表への不快感を起点に、開幕まで3年を切った2020年東京オリンピック・パラリンピックの準備や、長引く築地市場から豊洲市場への市場移転問題への対応をはじめとして都政でも実績を上げていないなかで、小池代表への都政と国政の二足の草鞋問題、そもそもの政治姿勢に疑問符がつけられるなど、負のスパイラルがはじまった。自民党に類似した右派政党にニーズなし さらに、希望の党が12日に公表した公約も、外交安保・憲法は右派的、経済政策は左派的と、結局、候補者だけではなく公約も寄せ集めであることを露呈させてしまった。また、「満員電車ゼロ」「花粉症ゼロ」など「12のゼロ」はあまりの荒唐無稽さにメディアにさえ黙殺されてしまう体たらくだった(ちなみに筆者の周りでは嘲笑の対象でしかなかった)。 このように、はじまりは小池代表の舌禍ではあったが、小池代表の政策遂行能力への疑問、政党としての理念の曖昧さ、公約の支離滅裂さ加減等が白日の下にさらされた結果、小池バブルが崩壊した。 そもそも希望の党への合流に舵を切った前原誠司民進党代表も保守二大政党による政権交代が持論であり、日本維新の会、日本のこころは自民党と同様、憲法改正を掲げ、場合によっては自民党より右寄りの主張を掲げていた。そうした自民党に類似した右派政党が軒並み議席を減らした点に鑑みると、最近右傾化したと指摘されがち日本にあっても自民党以外の右派政党にはそれほどのニーズが存在していないことが確認できた。 日本経済新聞によると、年代別の政党支持率は、「全年代を合わせた政党支持は自民が36.0%と最も高く、立憲民主党が14.0%と続いた。自民党の支持率は、20代が40.6%と最高で、次に70歳以上、18~19歳が続いた。一方、立憲民主党は60代の17.8%が最も高く、70歳以上がそれに次いで高かった。10~30代ではいずれも10%を下回り、高齢層ほど支持を集める傾向が強かった。共産党も高齢層のほうが若年層より支持率が高かった」とのことである。 こうした調査結果は、最近指摘される若年層の保守化と整合的なように思われる。しかし、元々若年層ほど重視する政策は、(財)明るい選挙推進協会のアンケート調査によれば、「景気対策」「雇用対策」であり、昨今の雇用環境の改善を考慮すると、経済状況の改善が与党である自民党支持をもたらしている可能性も指摘できる。しかも、若年層の多くは冷戦構造の崩壊以降に出生し、イデオロギーからは比較的自由である点も、経済改善という業績に対して与党への業績評価投票の傾向を促進したと考えられる。(iStock) したがって、若年層が与党である自民党への支持を強めているからといって、必ずしも保守化したわけではなく、さらに、若年層ほど特定の政党支持が低く無党派層の割合が高いことも含めると、自民党への支持が高かったのは、若年層が単に業績評価投票の原理に則って行動した結果に過ぎない点に留意する必要がある。躍進した立憲民主党、失速した共産党 これまでの安倍一強自民党への批判の受け皿は共産党が一手に引き受けてきた。しかし、そうした共産党への批判票の集中は他にめぼしい野党勢力が存在しなかったための消極的な支持であり、アレルギーは持ちつつも、仕方なく支持していただけであることが、先の東京都議会議員選挙での都議会自民党への批判票の受け皿が都民ファーストとされたこと同様、今回の選挙で、共産党が失速し、立憲民主党が大躍進した事実から読み取ることができるだろう。 つまり、自民党に類似した右派政党や、「日米安保条約の破棄」「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」等昨今の東アジア情勢等に鑑み非現実的な路線を堅持する共産党には支持が集まらず、現時点では「リベラル」イメージ先行の立憲民主党に支持が集まったことを考慮すると、国民は安倍一強に代表される右派に対して健全な左派政党としてのイメージを獲得することに成功した立憲民主党に票を投じることで左からバランスを保とうとしたとも考えられる。こうした国民のバランス感覚は、共同通信社の出口調査によると、無党派層の比例代表での投票先は立憲民主党が30.9%でトップであり、しかも「立憲民主、共産、社民3党」では42.8%と連立与党の27.3%を大きく引き離したことからも裏付けられる。衆院選の開票当日、インタビューに応じる共産党・志位和夫委員長=2017年10月22日、東京都渋谷区(川口良介撮影) ただし、日本では混乱して用いられている保守やリベラルのラベル、ひいては与野党の対立軸は、経済哲学ではなく憲法哲学といった旧態依然としたものである。 東西冷戦の終了により、それまでの資本主義と社会主義間での体制選択を軸とした党派的活動が世界的に弱まる中、欧米先進国では、社会主義陣営に対抗するため肥大化した政府の役割をどこまで小さくしていくのか、つまり、小さな政府対大きな政府が体制選択に変わる新たな対立軸として確立された。日本でもいわゆる55年体制確立以降対立してきた自民党と社会党(当時)による自社さ連立政権が1995 年に樹立されたことで、イデオロギーが政治の中心であった時代が完全に終焉したかのように見えた。しかし、日本では財政赤字ファイナンスの存在で給付面では中福祉、負担面では低負担が実現しており、政府の大きさは対立軸に成り得なかった(この点については、来月刊行予定の拙著『シルバー民主主義の政治経済学』日本経済新聞出版社で詳しく論じている)。 したがって、冷戦構造の崩壊以降現在に至るまで、政治的な対立軸は、自衛隊の意義や活動範囲を憲法上どのように位置付けるかという冷戦時代の残滓であることもまた明らかになった。新党バブルの読み方 希望の党が設立され、バブルが崩壊するまでごく短時間しかかからなかった。93年の新党ブーム以来最近に至るまで30を超える相次ぐ新党の誕生・消滅、看板の掛け替えが、政治に対する分かりにくさを増大させた。これまで何らかの理由により民意を集めることができなくなった既存の政党に所属する政治家は、離党して新党を立ち上げたり、あるいは政党そのものの名称を変更して、今までの所属政党の色を薄くし、政治的な立ち位置を曖昧にすることで、こうした特定の支持政党を持たない有権者に対する理解の困難性に付け込んで新たに民意獲得を狙ってきた。 有権者は有権者で、これまでの評価がいったんリセットされた既存の政治家グループに対して、実績がないにもかかわらず根拠に乏しい期待を抱き、風を起こす事態が生じる。まさに、勘違いが有権者の投票を支え、新党バブルを煽ることになるのだ。 しかし、希望の党のバブルの生成と崩壊を見ると、立憲民主党への支持がバブルであるか本物であるかは、今後どのようなスタンスで与党の政治に対峙していくのか、反対のための反対なのか、国民の利益を第一に与党との議論を重視し、課題の解決を図っていくのかが問われることとなる。 民進党が突然の希望の党への合流を決め、選挙目当てに逃げ込んだ先の希望の党が惨敗し、分裂した立憲民主党や無所属議員が健闘したことから、今後、野党の再編を巡る騒動が勃発するのは想像に難くない。しかも、今回の選挙でも政策論争が行われた形跡は全く見当たらない。2017年10月、立憲民主党本部の公開で会見に臨む枝野幸男代表(斎藤良雄撮影) しかし、いわゆる団塊の世代が後期高齢者になる2025年までに残された時間が少ないにもかかわらず、財政や社会保障の問題にはめどがついていないなど、相変わらず山積の課題の先送りが続いている。これまでも先送りができたから今後も先送り可能であるとは限らない。 政治の役割は、本来、こうした危機感をすべての国民と共有したうえで、国民に解決のための選択肢を提示し、熟議を重ねて決定していくことにある。 政党や政治家はいつまでも数あわせの政治ゲームにうつつを抜かす時間的余裕がないことを肝に銘じて、国民の利益のために国民から負託された権力と時間とお金を行使する必要がある。しまさわ・まなぶ 中部圏社会経済研究所チームリーダー。富山県生まれ。1994年東京大学経済学部卒業 同年4月経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課、総合計画局計量班、調査局国際経済第一課等を経て2001年内閣府退官。02年秋田経済法科大学経済学部専任講師、04年10月秋田大学教育文化学部准教授。12年4月より現職。

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    小池百合子氏 「チャック女子」の聞き捨てならないセリフ

    ば全てと言ってもいい。 パリ出張中、小池百合子都知事はキャロライン・ケネディ前駐日米大使との対談で、選挙についてこう振り返りました。「都知事に当選してガラスの天井を一つ破ったかな。もう一つ、都議選もパーフェクトな戦いをしてガラスの天井を破ったかなと思ったが、今回の総選挙で鉄の天井があると改めて知りました」(2017.10.23 産経新聞)。 世を沸かせてきたはずの「役者」がパリの華やかな舞台で言い放ったセリフが、「ガラスの天井」「鉄の天井」。これは聞き捨てならない。看過できない。 女性の活躍を阻む見えない壁の意味として使われてきた「ガラスの天井」。そして「鉄の天井」をここでひきあいに出すとは………。まるで「希望の党」の失敗を「社会のせい」「他者のせい」にしていませんか。つまりは、女性だから不当な壁に阻まれ負けた、と? まったくのお門違い。 なぜなら小池さんは、「チャック女子」だからです。背中のチャックをおろして着ぐるみを脱ぐと、中から闘争本能ガチガチのマッチョが出てくるからです。(iStock)「チャック女子」という言葉について少し解説すれば……女性活躍推進プログラムの専門家、プロノバCEO岡島悦子氏による造語といわれ、「外見は女子の着ぐるみを着ているが、背中のチャックを下ろすと中身はおじさん、というオス化女子のことを指す。女性が視点も思考パターンもおじさんと同一化してしまう現象のこと」(「Woman type」2014.2.20)。 まさしくぴったり。戦士として政界を渡り歩いてきた小池さんの思考回路が今回、「排除します」というセリフではっきりと見えた。いくら女の着ぐるみを着ても、有権者はきちんと中味を見抜いているのです。 何よりも残念なのは、小池さんの着ぐるみの中にあるのが「政治闘争」の要素だけで、あとは空っぽだということ。戦いに勝つことしか眼中にないこと。勝っていったいどんな政治をしたいのか、どんな社会にしたいのか。伝わってこない。 一方、今回の選挙で「チャック女子」と対極の展開を見せたのが山尾志桜里さん。不倫スキャンダルで離党し無所属で立候補、自民党を破って薄氷の勝利を手にしました。 待機児童問題等、子育てに対する意識を変えようという意気込みが、不倫スキャンダルを超えて有権者の心に食い込んだ。 山尾さんの当確が出た現場で、文春の記者が結婚指輪を外していることについて山尾さんに質問したとか。山尾さんは「答える必要はないと思います」と一蹴。男の議員にも果たして同じような質問をするのでしょうか。こういうのが「ガラスの天井」を作り出す要素ではないでしょうか? 政治家の言葉に真実味があるか。そのセリフ、本気で語っているか。直感的に見抜く有権者が増えている昨今。だとすれば、勝った自民党が今やたら口にしている「ケンキョ、ケンキョ」も何だか怪しい。そもそも謙虚さって、自己宣伝するものではなくて他者から見ての評価、ではないでしょうか?  喧伝は謙虚に見えません。関連記事■ 小池百合子都知事 「弱者イメージ」崩れ、アンチ増やす■ 希望の党、小池百合子代表 戦い終えて「みじめな微笑み」■ 排除発言で負けた小池都知事 自民党は「小池さまさま」■ 希望の党 離党者続出で崩壊し“55年体制”復活か■ 44歳主婦「不倫への反発は怒りではなく、ズルいという気持ち」

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    「フェイクニュースの惨敗」メディアの腐敗が後押しした安倍一強

    はよう寺ちゃん活動中」で、コメンテーターの経済評論家、上念司氏は「フェイクニュースの惨敗だ」と今回の選挙を総括した。上念氏のいうフェイクニュース(嘘のニュース)は、朝日・毎日系列に代表される新聞やテレビが、今年冒頭から連日のように流してきた森友学園・加計学園に関する一連の疑惑報道のことを指している。疑惑の矛先は、安倍晋三首相に向けられてきた。両学園に関してなんらかの不正を首相が犯したのではないかという、現段階ではまったく事実の裏付けのない「疑惑」だ。 今回の選挙の勝利を受けて、安倍首相は今後も丁寧に説明するとしたうえで、自身への疑惑が根も葉もないことを指摘した。首相の言い分をこの場で擁護するつもりはないが、実際に森友・加計問題がマスコミで連日のように取り上げられた中で、筆者も何度もこの問題について書いてきた。結論だけ書くと、上念氏が明言したように、マスコミが首相に「悪魔の証明」(自分がしていないことを証明させる永久に立証できないもの)を求める悪質な偏向報道だということだ。 だが、今回の選挙後でも、朝日・毎日系列を中心にして、相変わらずこの両学園の問題に繰り返し言及している。一種の「社会的ストーカー」といってもいい事態だろう。もちろんマスコミには政治を客観的に批判、監視する役割がある。それが民主主義の根幹にもなっている。また時にはマスコミ自身が間違うこともあるだろう。それは選挙にかかる金銭と同じように、民主主義のコストだといえる。だが、さすがにこれだけ長期間にわたって、なんら具体的な証拠も証言も、またそもそも何が問題かさえ明白ではない「安倍首相の疑惑」を報道することは、マスコミの政治的偏向だと指摘されてもやむをえないだろう。 このようなマスコミによる政治的な誘導を狙っているとしか思えない偏向報道が長期化することは、今後の日本の政治・社会に暗雲をもたらす可能性が高い。世論調査をみると、まだ両学園問題について「(首相自身の)疑惑が解明されていない」という意見が多いようである。しかしそれが今回の投票に結び付いていない。これはなんでだろうか。筆者の推測でしかないが、ひとつは世論調査の仕方や対象に大きなゆがみがあることだろう。しばしば指摘されるのが、世論調査の方法が固定電話を対象にしたもので、そうなると高年齢の回答が多くなる。「フェイクニュース民主主義」誰が正す? 高齢者の多くは、ワイドショーなど特定のメディアで情報を入手するため、先ほどの偏向報道の影響をうけやすいといわれている。また高年齢層ほど、自民党の支持者が大きく減少することも各種の調査で明らかである。このような一種の世代効果(あるいはワイドショー効果)とでもいうべきものが本当に存在するのかどうか。この点の解明は専門家の分析を待つしかない。もうひとつは、たとえ「疑惑」があるにせよ、それが確証されていない段階では、現在の自公政権の枠組み維持のほうにメリットを感じる有権者が多いということだろう。それを示すように、安倍政権への支持率はいまだ不安定だが、他方で今回の選挙でも自民の圧勝をもたらしている。これはなかなか賢い国民の選択だともいえる。 筆者はこの連載で繰り返しているように、両学園問題は言葉の正しい意味で、首相の責任ということに関してはフェイクニュースであると確信している。その理由は前回の論説で書いた通りだ。その一方で、このフェイクニュースによって政治状況が左右される「フェイクニュース民主主義」とでもいう事態には警戒感を強めている。残念ながら、今回の選挙によってもこの種のフェイクニュース民主主義の芽がついえたわけではない。今後も警戒を続けなければいけないだろう。 経済学では、市場はお金、人材、設備などといった資源を効率的に利用できる経済環境であるとされている。だが、環境問題などに典型的なように、市場活動の結果、社会的な害悪をもたらす事実や可能性が絶えず存在する。そのとき、市場活動に問題の解決をまかせることはできない。政府の介入余地が必要になってくる。これを「市場の失敗」といい、社会的に望ましい状態と現状とのかい離を表現するものである。 ただし、このときの政府はしばしば賢く、また社会的に望ましい状況にむけて改善するものだと、一種の性善説を前提にしていることが多い。だが、実際には政府はそのような存在ではない。さまざまな既得権益や利害対立をはらむ存在である。つまり「政府の失敗」が存在する。 この「政府の失敗」を正すものはなんだろうか。それが実際にはマスコミの役割だったはずだ。だが、マスコミ自体も「報道の失敗」を引き起こす。マスコミも権力機構であり、腐敗するのだ。このようなマスコミの腐敗、またはフェイクニュース民主主義への誘導を厳しく検証する必要がある。その役割は誰がするのだろうか。 衆院解散の検討を厳しく批判した、2017年9月19日付の毎日新聞社説(左)と2017年9月18日付の朝日新聞社説 それは国民自らの関与でなくてはならない。インターネットでのマスコミ監視や、マスコミに代替・補完するさまざまな活動かもしれない。もちろん話は最初に戻り、われわれの経済活動の根幹をなす市場も失敗する。試行錯誤が続くだろう。だが、その活動をあきらめてはいけない。現状のフェイクニュース民主主義がもたらす弊害は深刻だ。そしてそれゆえに、われわれは失敗を恐れず、常に政治とマスコミの両方を冷静に事実と論理で検証していかなくてはいけないだろう。

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    またしても選挙報道がひどかった

    3年ぶりの総選挙は自民・公明与党の圧勝劇で終わった。国民は安定政権の継続を支持したわけだが、それにしても期間中にこれほど風向きがころころ変わった選挙も珍しい。その主因は言うまでもなく既存メディアの偏った選挙報道にある。罪深きはメディアか、それとも情報の受け手たる主権者のリテラシーか。

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    テレ朝、TBS「モリカケ報道」のどこが悪い

    山田順(ジャーナリスト) 今回の総選挙を主にマスメディアの報道から考えるというのが、本稿に与えられた命題である。しかし、そもそも現在の日本のマスメディアの選挙報道に、なにか大きな問題があるとは私は思っていない。やれ偏向報道だ、世論調査は操作されているなどとやかましいが、ネットメディアに比べたら、極めて常識的な範囲の中で報道が行われているのではなかろうか。 例えば、大新聞で言えば、安倍晋三首相が朝日新聞を嫌い、読売新聞を「御用メディア」とするのだから、そういう両極のメディアがあることが健全な証だと私は思う。そもそも、これまでマスメディアに要求されてきた「公正報道」ということ自体が間違っていたからだ。 ネットメディアが乱立し、ほとんどの国民がSNSを使っている現状で、公正報道を問うこと自体がおかしい。事実関係をゆがめたり、まったくの虚偽報道はあってはならないが、政治的に偏った報道はどんどんあるべきだろう。 朝日新聞、毎日新聞が「リベラル」を勝手に自認し、「平和」と「護憲」を訴えなかったら誰も見向きもしないし、部数も激減するだろう。逆に読売新聞と産経新聞が「体制擁護」に徹し、「首相と日本を守る」ための報道をしなかったら、読者は一気に離れるだろう。 テレビも同じだ。首相がことあるごとにTBSやテレビ朝日の報道番組に出演して、例えば「モリカケ問題」の潔白を訴え続けたら、両局は、それぞれTBSとテレビ朝日でなくなってしまうだろう。2017年9月、会談中に握手する安倍首相とトランプ米大統領=ニューヨーク(共同) 首相自らが「印象操作」と言うのだから、この状態は批判するようなことではない。なにしろトランプ「オレ様大統領」は自分がツイッターで言うこと自体が真実で、米主要メディアのワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズを「フェイクニュース」呼ばわりしたのだ。この世に「公正報道」など期待するのが無理というもので、そんなことをマスメディアがする必要もないのだ。国民全員が「ジャーナリスト」に? おバカな「地球市民」と、自分は庶民より利口だと思っている「小市民」は、いまもマスメディアに「公正報道」を求めている。しかし、なにが公正かと問えば、誰も答えられない。いまの日本にあるメディアで、いったいどこが「公正報道」ばかり行っているというのか。NHKと答えたら「それはブラックジョークですか?」と笑われるだろう。 そもそも現在のマスメディアは、近代国家の成立とともに誕生し、そこではジャーナリズムによって「権力監視」が行われるものとされてきた。「フリーダム・オブ・スピーチ(言論の自由)」と「フリーダム・オブ・プレス(出版の自由)」が保障され、新聞、雑誌、その後に登場したラジオ、テレビがそれを独占してきた。だからこそ、「公正報道」による「権力監視」がジャーナリズムの役割とされてきたのである。2017年2月、BPOの放送倫理検証委が公表したテレビの選挙報道を巡る意見書。右は記者会見する委員ら=東京都千代田区 しかし、ネット社会の現在は違う。SNSによって誰もが情報発信ができるし、ブログやネットメディアで記事を書ける。要するに、意図しようとしまいと、国民全員が「ジャーナリスト」となってしまったのだから「公正報道」など期待するほうが無理というものだ。 なにしろ、公正報道を心がけるように教育・訓練されてきたジャーナリストの記事と、取るに足らない自身の意見を書き連ねている「小市民」の記事が同列に並んでしまうのが、ネットメディアである。さらに、そこに最近では「プロ市民」によるプロパガンダ、偽ニュースを拡散するボットなどが登場し、なんでもありの世界になっている。 つまり、トランプ様のように言いたいことだけ言えばいいのが、この世界の最新ルールだ。そこにおいて、なぜ旧来のマスメディアだけが「公正報道」をしなければならないのか。 選挙報道において、マスメディアがもっとも尊重してきたのが、テレビの場合、放送法第4条にある「政治的に公平であること」「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」だった。この公平の原則はこれまで「量」によって担保されてきた。報道の「質」で公平保たれたか 例えば、自民党総裁である安倍首相の演説を1分間流したら、共産党の志位和夫委員長の演説も1分間流すという「量による公平性」だった。これは、大新聞の紙面においても配慮されてきたことだ。なぜ、このように量を担保したかといえば、それは電波が希少だったからである。しかし、ネットのように無限のメディア空間ができてしまった現在、この理屈は成り立たない。 そこで、2月に放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、テレビの選挙報道について「編集の自由が保障されている以上は、求められているのは出演者数や露出時間などの量的公平性ではない」とし、政治的公平性は報道の「質」で保つべきだとする意見書を公表した。「量」から「質」への転換である。したがって、今回の総選挙はテレビにとって報道の質を初めて問われることになった。 そこで、特にこの点を注視して報道を見てきたが、これまで大きく変わった点はそう見られなかったというのが私の見解だ。むしろ、各局は独自の姿勢に基づいて報道してもよかったのではないかと思う。 例えば、「希望」を「絶望」に変えた小池百合子東京都知事が大風呂敷を広げたにもかかわらず「敵前逃亡」してしまったことだ。初めから当日パリにいるつもりなら、なぜ民進党を巻き込んだのか。その国民をなめたやり方の無責任ぶりをもっと追及すれば、この国が抱えている政治的な問題がもっと明らかになっただろう。希望の党開票センターで、当確者の名前をボード張る樽床伸二代表代行(左)。右はテレビ中継で発言する細野豪志氏=2017年10月22日、東京都内のホテル(酒巻俊介撮影) また、日本の「リベラル」が実はリベラルではないこと、護憲とリベラルは一致しないことを立憲民主党の主張から導いてほしかった。リベラルが「改革・革新」を意味するなら、リベラルこそ改憲を唱えて社会を革新していく使命がある。それが、なぜ「平和憲法」といっても「日本の平和」ではなく「アメリカの平和」のために存在する第9条を変えてはいけないか。この摩訶(まか)不思議なリベラルをもっと解明してほしかった。 そして、選挙のために途切れてしまった「モリカケ問題」報道を、なぜこの期間に限ってほとんどやめてしまったのか教えてほしい。選挙結果と関係なく、「腹心の友」と「アッキー」は国民の前に出るべき義務から逃れられないはずだ。「すき好んでだまされる」情弱の人々 いずれにせよ、「大義なき選挙」「国難選挙」は終わった。この間、ネットを含めて膨大な情報が飛び交った。特にネット空間では、ネトウヨ、極右、リベラル、ネトサヨ、ネトサポなどの「血みどろ」の攻防が繰り広げられた。今や政権擁護のネット組織がギャラをもらってプロパガンダを流している、あるいは左翼系サイトを攻撃していることは広く知られている。また、テレビ報道では「電波芸者」と揶揄(やゆ)されるコメンテーターが「与党は正しい」コメントを流し続けた。 しかし、こうしたことすべてを批判するのはおかしい。なぜなら、繰り返し書くが「公正報道」はもはや無意味だからだ。したがって、こうした世界でたやすくだまされるとしたら、だまされた人間のほうが悪いのだ。雨の中、街頭演説に耳を傾ける有権者たち=2017年10月21日、東京都中野区 ネットの世界のプロパガンダには、本来、政治思想など存在しない。右も左もない。発信・運営する側はマネーで動いているからだ。 現在では、ビッグデータを人工知能(AI)で解析してプロパガンダがつくられている。例えば、トランプ大統領を誕生させたとされる英データ分析会社「ケンブリッジ・アナリティカ」は、ヘッジファンドの大物ロバート・マーサーが大金をつぎ込んでつくった。日本でも同じだ。ただ、日本の業者はいまのところ単におカネを得て、右や左に偏ったプロパガンダを製造し、さらに敵対サイトに書き込み攻撃をしているだけだ。だまされるほうがどうかしている。 よく、人は信じたいことを信じるといわれる。これは、ある意味で正しく、例えば左翼なら「政権は腐敗している」系の記事、右翼なら「日本は素晴らしい」系の記事ばかり喜んで読んでしまうという悲しい習性を持っている。これを「選択的接触」と呼ぶようだが、この傾向が強い人間ほど情弱であるのは間違いない。 要するに、情弱の人々というのは「すき好んでだまされる」のだ。果たして日本人はそれほど情弱ばかりなのだろうか。選挙結果を見て、考えてみることが大切だ。

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    「偏向報道だらけ」なら、なぜ自公が圧勝したのか

    事前の情勢が当たってしまうのである。 よって、投開票日のよる20時0秒にでる開票予測が、ほぼそのまま選挙結果とイコールになる。「事前に優勢(或いは劣勢)報道がでると、有権者が判官びいきで逆行動に走る」というは冷戦時代のお話。大平正芳や中曽根康弘時代の前提であって、現在では通用しない。 私は何が言いたいのかといえば、良くも悪くも現在の選挙報道の精度が高く、信頼に足る、ということだ。冷戦時代の選挙予測が聴診器だとすれば、現在のそれはMRI(核磁気共鳴診断装置)である。そのぐらい精度が上がっている。 だから、一昔前ならばあった「大番狂わせ」というのが、とんと無くなった。よほどの接戦区ならわからないが、大体読み通りになる。だから、つまらないと言えばつまらない。解散した時点で、おおよその結果は分かるのである。解散表明のテレビ画面に見入る家電量販店の来店者ら=2017年9月、横浜市 小池百合子が「希望の党」代表になった際(立憲民主が存在していない時分)、「反アベ」に血眼になった一部の週刊誌や予想屋が「自民単独過半数割れ、希望の党100議席に躍進」などと書いたが、大うそだ。 安倍総理の解散決断の時点で、私は直感的に自民党単独で270前後、ミニマム(最小)でも260、マックスで280議席超すらありうる、とテレビやラジオで公言してきた。本稿執筆時点は投開票日の2日前であるが、この予想はいささかも変わらない。自公あわせて300議席の攻防であろう(―結局、議員定数の母数が10減っているので、自公は現有を維持し、大きく変化ない)。創価学会と組まない希望の党が、100議席に新調することなど、選挙の常識から言ってあり得ない。公明党は常時700万票前後を保有している、現代日本で唯一残された組織票だ。 ここを味方にできなかった希望の党と小池に最初から勝利などありはしない。ガソリンを止められた戦車師団と同じで、学会に背を向けられたものは勝てない。現代日本政治の常識だ。逆に言えば先の都議会議員選挙で小池率いる「都F」(都民ファーストの会)が勝ったのは学会票が所以(ゆえん)である。小池の政治力のお陰ではない。ここを勘違いしている人が多い。 アベ憎しのあまり、選挙予測の常道を忘れて「自民党単独過半数割れ」などとした予想屋は、22日の20時0秒を以て赤っ恥をかくに違いない。断っておくが私は安倍政権からカネを貰っているわけでも、安倍政権を100%信任しているわけでもない。自民党員でもなければ、元来の自民党支持者でもない。自民党や安倍総理に対しては、どちらかと言えば冷淡な方だ。 単に、客観的な選挙の常道から言って、自公が勝つに決まっているという事実を述べただけだ。今次選挙に限ったことではないが、とりわけスポーツ紙などで煽情的な「自民壊滅」の報が出る。が、これらは統計的根拠に基づかない嘘なので信用しないように。 CNNと朝日新聞調査の方が1000倍信用できる。そのぐらい、現代の世論調査は進化している(―ちなみに、新聞やテレビが実施する電話世論調査には携帯電話しかもっていない青年層は除外され、固定電話を持つ高齢者世帯からのみ意見を抽出している、というデマが未だに一部でまかり通っているが、現在の電話世論調査は無作為に発生させた”ケータイユーザー”にもきちんと調査を実施しているので、騙されてはいけない)。賢くなったのは有権者 私は、今次衆院選における選挙報道は、つとめて新聞・テレビは客観的報道に「努めよう」と努力をした形跡が大である、と評価している。 たとえば2005年の郵政選挙(小泉内閣)の時はそうではなかった。小泉から「抵抗勢力」と名指しされた郵政造反組は、徹底的に悪辣な守旧派と罵られ、小泉の掲げる輝かしい大義「聖域なき構造改革」に無思慮に抵抗するだけの利権屋のごときイメージ報道をされた。 なにせ、郵政造反で自民党を離党した亀井静香氏に対し、「刺客」として広島に送り込まれた堀江貴文氏(当時ライブドア社長)が、なにかまぶしい日本の希望として喧伝された時代である。 当時(―すなわち12年前)のマスメディアにも、一定の基準はあったが、明らかに「小泉旋風」に肩入れした報道内容だった。しかしあれから12年がたち、「劇場政治」は一変した。この12年間、「劇場政治」に惑わされないだけの肥えた「目と耳と舌」を有権者は獲得した。有権者は馬鹿ではない。冷徹に現状を見つめている。池袋駅前で街頭演説を聞く有権者ら=2017年10月10日、東京都豊島区 メディアの側も、放送倫理・番組向上機構(BPO)を恐れてどちらか一方に偏った報道をしなくなった。いまだに一部ネット界隈では、例えば地上波テレビの〇〇局を「偏向報道!」と呪詛(じゅそ)するが、革新勢力からNHKやTOKYO MXが「右翼の偏向報道!」とデモ隊に包囲されるご時世である。12年前にはこんな様相はなかった。メディアはより公正、厳密になり、有権者は賢くなっている。 むろん、これが最適かどうかはまだわからない。しかし少なくとも、相対的に報道は中立性を強く意識するようになった。やおら公正なメディアの元、自公が信任されたのであれば、より安倍政権の民主的正当性は補強される。 アベは独裁者だ、という声にも、抗することのできる社会科学的根拠を有することができよう。いやはやよく言えばフェアーな、悪く言えば面白みのない時代になったものだ。しかしこのような時代だからこそ、イデオロギーの左右を超えて、客観体な数字をもとにした合理的な判断のできる識者が求められているのかもしれない。(文中一部敬称略)

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    TBS『サンモニ』の選挙報道はなぜやりたい放題なのか

    中宮崇(左翼ウォッチャー) 衆議院総選挙を控えた10月15日、「反日」「捏造(ねつぞう)」で定評のあるTBSの「サンデーモーニング」がまたやらかした。産経新聞はこのように報じている。 出演者が野党に投票を促すかのような発言があった。番組は放送法4条で「政治的に公平であること」を求められており、あらためて問題視されそうだ。出演した東京大学名誉教授の姜尚中氏は「見どころは選挙の中で野党のビッグバンが起きるかどうか。選挙後にどこが主導権を握るのか。投票先を決めてない54・4%の人は選挙に行かなければいけない。そして次回に何をするか賭けてみることが必要」とコメント」 産経ニュース 2017年10月15日  TBSやテレビ朝日による悪質な世論操作、選挙操作は今に始まったことではない。特に1993年の「椿事件」においては、「今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」とテレビ朝日の取締役が臆面(おくめん)もなく言い放ったことで、国民に衝撃を与えた。TBSの報道姿勢に対するデモ行進=2017年9月9日、東京都港区 記事でも触れられているように、これに先立つ9月9日にTBS本社前で「TBS偏向報道糾弾大会・デモ」が行われた。この抗議集会でも特に名指しで批判されているのは「サンデーモーニング」である。 私が2006年に『天晴れ!筑紫哲也NEWS23』(文春新書)を書いた当時、「捏造TBS」の筆頭偏向番組といえば「筑紫哲也News23」であった。サンデーモーニングは日曜の朝という放送時間のせいか、仕事帰りのサラリーマンらのチェックが入りやすいNews23と比べて、その偏向ぶりはそれほど注目されてはいなかった。当時、私がNews23と並ぶほどの危険性を指摘しても、あまり反響は得られなかった。 しかしインターネットの普及により、日曜朝の放送をライブで見ていなくても放送内容のチェックが比較的容易になった現在、かつてはやりたい放題であったサンデーモーニングも今や厳しい批判を免れることはできない。 サンデーモーニングのこれまでの捏造・偏向事件をすべてまとめようとすると、本が一冊書けてしまうので、到底本稿のスペースではすべてを網羅することはできない。私はかつてある記事で、 「『馬鹿だ』。自分たちのずうずうしい街頭インタビューに足を止めて答えてくれた日本国民に言い放つテレビ番組がある。『東京オリンピックは辞退すべき』。五輪招致に喜ぶ日本の人々に向かって公共の電波で口角泡を飛ばしてプロパガンダするテレビ番組がある。『日本のロケットはゴミになる』。打ち上げ成功に湧き立つ人々をあざ笑うテレビ局がある」 と書いたことがあるが、そういう発言が毎週のように繰り返されている番組なのだ。「報道番組」とか「マスコミ」などとは到底言えない、ただの「反日プロパガンダ」であるとしか言いようがない、あきれたシロモノである。87年の放送開始以来すでに30年間、中国や北朝鮮の虐殺、独裁をスルーどころか時には応援しつつ、「日本の民主主義は終わった」「安倍独裁政治」などと罵るだけの無責任な番組をつくってきたのだから救いようもない。 しかも私は何度か指摘してきたが、司会の関口宏以外にも、レギュラーの「ゲスト」コメンテーターのほとんどは比喩的な意味でなく、文字通り関口が社長を務める会社と何らかの関わりがあるのである。本当に「意図的」でないのか そんな「利権番組」サンデーモーニングによる、毎週繰り返される卑劣なプロパガンダは枚挙にいとまがないが、最も有名なのは、やはりこれも2003年の選挙直前に発生した「石原発言テロップ捏造事件」である。TBSテレビ外観 当時、東京都知事の石原慎太郎の「私は日韓合併100%正当化するつもりはないが」という発言に「私は日韓合併100%正当化するつもりだ」という正反対のテロップをつけ、音声・映像もテロップに合わせるように「…つもりは…」と切って編集し、出演したコメンテーターたちもその映像やテロップに沿って都知事を批判した、世界のマスコミ史上類を見ない呆れた事件はもはや「伝説」と化している。いや、サンモニが愛する北朝鮮や中国にはいくらでもその類はあるが…。 この「事件」について、TBSは「意図的な捏造」であることは全く認めていない。しかし、一回や二回にとどまらず、毎週のように行われている捏造・偏向、反日プロパガンダを見れば、これが「意図的ではない」と言い張る人なんているのか。 サンデーモーニングの「意図」は、冒頭の姜尚中をいまだ出演させ続けていることだけでも十分証明可能である。姜尚中と言えば、2002年の小泉訪朝により北朝鮮が拉致犯罪を認めるその瞬間まで「共和国が拉致犯罪を行う合理的理由はない」として、この卑劣な犯罪の存在を否定してきたのは有名な話である。 そればかりか北朝鮮の拉致や核・ミサイル開発を批判する日本の対応を「文明国ではない」とまで言い放った人物である。これは日本テレビ系「爆笑問題のススメ」なるトークショーに出演した時の発言だ。 いわく「植民地になっていた国と正常な関係が結べないというのは、実はヨーロッパ的な基準からすると先進国ではないわけです」とのこと。いまだにこんなことを言い続けている人物なのだ。 それ以外にもトンデモ発言の例には枚挙にいとまがない。「(北朝鮮との)交渉による解決の可能性はより大きくなったと見るべきです」(週刊金曜日、1999年6月24日号)「5人の(ようやく帰ってきた拉致被害者)家族を(一旦北朝鮮に)帰す。どんな形でも良い。返す」(2003年元旦朝まで生テレビ)「防衛予算は4兆円も必要なのか」「北朝鮮がほんとうに脅威でしょうか」(「アジアから日本を問う」岩波ブックレット)「日本とはどうかというと、ミサイルや「拉致疑惑」で正常化交渉は遅々として進まない」(「東北アジア共同の家をめざして」平凡社)「よく“北朝鮮が日本を攻撃するかもしれない”という報道があるけれど、“なぜ?何の目的で?”と、僕が聞きたいたいですね」(日経ウーマン2003年9月号) こんな人物をいまだ出演させ続けているのが、TBSの「サンデーモーニング」なのである。なぜ抗議デモまで起きるのか。まともな良心の持ち主であれば、もはや説明の必要はなかろう。 これが今回の選挙でも野党に投票を促すかのような発言をした番組の正体なのだ。(文中一部敬称略)

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    テレビのやらせと同じ? SNSフォロワー数で煽った選挙報道のウソ

    ・博士(学術)、メディア学者) 多くの議論と話題を振りまきつつ2013年に解禁された「インターネット選挙」も今回の衆院選で4回目を迎えた。しかし、有権者の多くが感じていることは「で、結局何だったの?」という拍子抜け感であろう。今回の総選挙は、スマホ・ネーティブ(初めて持った携帯がスマホ)世代である18歳が参加する初の総選挙ではあるが、何ら変化が起きているようにも見えない。候補者の選挙活動の様子を携帯電話で 撮影するスタッフ=2015年4月、大津市内 一方で、政党や候補者たちは、SNSでの情報拡散に躍起だ。また、それを後押しするように、SNSで得られる数値を指標にした動向分析に必死に取り組む選挙報道を見ると、筆者はある種の危機感すら覚える。 SNS情報の客観的な数値化と一般化は、その母集団が明確ではないため非常に難しい。世論とSNSの投稿動向を関連づけようとする分析も多いが、そのほとんどはこじつけや偶然の域を出ない。メディアにおいては都合のよい投稿だけを抽出して、「SNSでは…」という枕詞(まくらことば)を付けることで、フェイクニュースや意図的な偏向報道を「客観報道」にカムフラージュする古典的な手法もまだまだ現役で利用されている。 それらは「おおむねフェイクニュース」と言っても過言ではない。「SNSで挽回を図る」とか「SNSで優勢に」といった政党側の論調でさえ、そんなフェイクニュースをよりどころにしつつ、実際は単なる「願望」にすぎないことばかりだ。 本稿では、前回の参議院選挙の頃から急速に登場してきた、選挙の動向分析の新しい指標である「SNSから得られる数値」を選挙報道で利用することの無意味さと危険性について詳述したい。 今日、選挙報道で利用される「SNSから得られる数値」には大きく二つある。 まず、SNSアカウントのフォロワー数である。具体的には政党のTwitter公式アカウントのフォロワー数によって人気や勢いが計られる。 そして二つ目が「SNS上での言及数」である。FacebookやTwitterなどのSNSの投稿内で言及された政党名の総数でランキングをつけ、なにがしかの傾向や支持の変動を見いだそうとする。 これらをひとことで言ってしまえば、フォロワー数が多ければ支持者が多いのではないか、政党名の言及数が多ければ関心を持たれている(得票につながる)のではないか、という単純で楽観的な解釈である。しかしながら、多少なりともSNSを利用している人であれば、このSNSの数値による選挙分析に違和感を覚える人は少なくないはずだ。 フォロワー数で大騒ぎ 例えば、以下が10月20日現在のおおよその主要政党Twitter公式アカウントのフォロワー数である。(カッコ)内は解散時の衆議院議席数・党員数である。立憲民主党:18万3000(16人・/)自民党:12万8000(286人・約104万人)公明党:7万5000(35人・約46万人)共産党:4万(21人・約30万人)日本のこころ:4万(0人・約5000人)社民党:2万3000(2人・約1万5000人)日本維新の会:1万4000(15人・/)希望の党:1万2000(11人・/) 今現在の瞬間風速的な話題性の反映はあるが、少なくともその数値が現実の党勢や支持率と必ずしもリンクしているようには見えない。むしろ脈略(みゃくらく)のない数値といっても良い。 数値の違いも注意が必要だ。最大18万と最低1万程度ではその数値に大きな差があるように見えるが、1万から20万程度のフォロワー数の違いは100万オーダーのネットやSNSの世界では「ほとんど誤差」と言えるような数値である。テレビを賑(にぎ)わすような話題があれば、その程度の数値は瞬時に増減する。実際社会の投票動向を反映するとは言いがたい数値を比較して「抜いた、抜かれた」を報道していることになる。 参考までに同水準のアカウントをあげれば、「ほぼ日刊イトイ新聞」「NHKクローズアップ現代+」がそれぞれ約18万5000である。 SNSでの政党名の言及数なども選挙時の党勢を知るための参考にはならない。 もちろん、今日の社会においてSNSのフォロワー数や投稿での言及数が、話題の尺度になっていることは間違いない。特に芸能人やテレビ番組などでは、SNSでの言及数の広がりが視聴率と伍(ご)するほどに重要視されるようにもなっている。例えば、2016年のTBSドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のヒットの要因は徹底したSNSマーケティングにあったことは有名だ。 しかし、このようなSNSによるマーケティングと情報コントロールがうまく機能するのは、あくまでも芸能人やテレビ番組のように、仮に賛否両論があったとしても、それが露出や知名度向上がビジネスへと直結するという場合に限られる。選挙時におけるネガティブな話題での言及数などは、マイナス以外何の価値も持っていない。今回の選挙には無関係な多くの政党名の投稿も含め、玉石混合で話題の尺度にはなっても、それが投票行動にリンクするような類いのものではないことは明らかだ。ネット戦術に依存する新設政党 例えば、10月2日に結成を表明した立憲民主党が、4日に開設した公式Twitterのフォロワー数が、わずか2日目にして自民党のフォロワー数(約12万人)を追い越した、というニュースが大きく報じられた。そのTwitterの勢いから、大手メディアまでもが党勢の「躍進」と表現した。中にはあたかも自民党の支持率や議席数にもリアルに影響するかのごとき表現すらあった。街頭演説で支持を訴える立憲民主党の枝野代表 =2017年10月17日、福島市 しかし、Twitterのフォロワー数は党員数ではないし、支持率でもない。開設2日で自民党のフォロワー数を抜き、10月15日には17万人を突破したものの、10月20日現在のフォロワー数は18万3200人。15日から20日までの伸びが1万人程度という現状を見れば、「躍進」というよりも、最初の数日でフォロワー数(元々の支持者+ネットウォッチャー層)の上限に達し、その後は平行線をたどっていると見るべきが妥当だ。ネット戦術に依存せざるを得ない新設政党と一定の基盤を持つ既成政党ではSNSに対する接し方がそもそも異なるのだ。 民進党からの分裂劇など、これまでになく混乱する「劇場型選挙」になった立憲民主党の場合、支持の有無とは無関係にウォッチングされる。そのような時事的な話題性に基づく短期間でのフォロワー数急増という現象は、SNSではよくあることだ。特に、今回の選挙のようなケースであれば、単に野党の選挙情報を知るためにフォローしているような人もかなりの数いるはずだ。 SNSとは今日、最も身近で最も簡単で最も手軽な情報収集手段である。そうであるからこそ、フォローという行為が必ずしも支持の表明という特別な意味を有しているわけではない。単に「情報を選別して受け取るための登録」という意味であることは非常に多い。 今回の衆院選では、SNS上の党名言及数において、立憲民主党が自民党にも届く勢いにまで伸びていることを理由に、党勢の躍進を報じているニュースは多い。 しかし、SNSでの政党名の言及数は全てが応援というわけではない。選挙時におけるSNSでの言及は、一部の著名人候補を除けば、必ずしも積極的な関心でも、プラスに働いているとも限らない。特に、Twitterの場合、その媒体特性を考えれば、短期間での急激な発言数の増加は、むしろネガティブな罵詈(ばり)雑言の拡散装置として機能の方が、肯定的な話題よりは多いと考えた方がよい。 例えば、「ハゲ暴言」でおなじみの豊田真由子氏は今年、Twitterで最も言及された政治家の一人だろうが、政治家として勢いがあるとは言い難い。今、Twitter上で最も話題になっている髪型は「金正恩ヘア」と言われているが、このスタイルが今年のファッション業界で流行するとも思えない。同様に、どういった内容や文脈であるかまでは加味されないSNSでの言及数という指標は、選挙報道や投票行動の参考にはなり得ないのだ。SNS万能論の勘違い SNSから抽出される数値は、選挙での意思決定を左右する支持のバロメーターというよりも、「ゆるい関心」のバロメーターと見るべきが妥当だ。だからこそ、芸能人やテレビ番組のような場合には人気のバロメーターとして機能するのである。むしろ、強く働くのは、ネガティブな反応が多いだろう。 特にそれまで地道にネットやSNSを駆使した政治活動を展開していたような政治家・候補者以外が、突如選挙シーズンになってから積極的なSNS戦略を展開したところで、それに突き動かされて一票を投じるほど、愚かなSNSユーザーが多いとは思えない。政党やメディアが考えているほど、SNSの使い方、使われ方は単純ではないのだ。 それでもなお、SNSから得られた「なにがしかの数値」を指標にし、大手メディアまでもがその数値から選挙の趨勢(すうせい)を見いだそうとするのはなぜか。 その理由として以下の二つをあげたい。ジャスミン革命後の自由をアピールするチュニジアの人々=2011年4月 まず一つ目が、SNSが若者層を中心に生活の一部として定着し、大きな影響力と情報伝播(でんぱ)力をもっているという事実が生み出す「あらゆる場面で影響力を発揮可能」というSNS万能論の存在だ。特に2011年のチュニジア民主化運動「ジャスミン革命」で、FacebookなどのSNSが運動の成功に大きな役割を果たしたことなどから、SNSと政治運動は親和性が高いと印象づけたことも大きい。 しかし、言うまでもなく、ジャスミン革命で利用されたSNSは、情報共有・情報拡散ツールとしてであり、マーケティングツールとしてではない。もちろん、ジャスミン革命からの数年で、SNSのあり方、使われ方も大きく変容しているので、「SNS=社会変革ツール」という認識はあまりにも古い。しかし、SNS万能論は選挙が始まるといたるところで散見される。 そして二つ目に指摘できるのが、印象操作や偏向報道のテクニックの一つとして利用しやすい、というメディアの側の都合である。リアリティーの薄いSNSのフォロワー数や言及数という数値を、客観データとして党勢を推し量る指標にする。それを意図的に利用することで、暗に特定政党の支持が急速に伸びている(あるいは追い抜かれている)という印象操作をすることも可能になるからだ。SNSの数値という有機的で明確ではない指標を自分たちなりの解釈で利活用することで、状況や「民意」はどのようにでも描けてしまう。数値を乱用することで人心を惑わす「おおむねフェイクニュース」と言っても良い。ネットの声は市民の声? 一応、統計データ、定量データとしての体裁を整えることができる分、悪質に感じる場合も多い。「あくまでもSNSに投稿され、言及された政党名の数でしかなく、内容は考慮されていない」と明言している良心的なメディアもあるが、あたかも「民意」の反映のように表現するメディアも少なくない。 このようなことが今後まかり通るようなことになれば、SNSの数値を利用したような「おおむねフェイクニュース」は、新しい偏向報道のテクニックの主要な一つになるだろう。 数値を使ったトリックはなかなか見破るのが難しい、ということも事実だ。冷静に見聞きすれば荒唐無稽な内容でも、数値化されて一覧にして提示されると、思わず信用してしまう数値化マジックは「おおむねフェイクニュース」の常とう手段でもある。衆院選最終日、「最後の訴え」に聞き入る聴衆ら =2017年10月21日、東京都新宿区 もちろん、SNSから抽出した情報から組み立てられる報道やニュースの怖さは、数値の利用だけに限った話ではない。SNSで検索した面白い(あるいは刺激的な)投稿のいくつかを抜き出して、「ネットではこんな反応もある」といった、「市民の声」として一般化して出すような場面を見ると、偏向報道を超えて、単なる捏造報道なのではないか、と感じることさえある。その「市民の声」を関係者が自作自演で作っていないとも限らない。 テレビの情報番組で「町の声」「市民の声」として取材に応じる一般人が、実は一般人ではなく、テレビ局が用意した役者だった、という問題が発覚する騒動は多いが、それよりも発覚リスクが低く、しかもテクニカルに作り込むことができる分、有権者や視聴者が被る不利益は大きい。 フェイクニュースよりも信ぴょう性がありそうな体裁をとるわかりづらい「おおむねフェイクニュース」が溢(あふ)れる今日。その狡猾(こうかつ)なテクニックに翻弄(ほんろう)されず、「情報の確からしさ」を検証し、情報を選別するには、何よりも有権者自身のリテラシー能力を高めることが必要だ。

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    小池百合子を持ち上げて地獄に落としたワイドショーの「ご都合主義」

    レギュラー陣、ビートたけし(中央)、俳優の大竹まこと、エッセイストの阿川佐和子 そしてインターネット選挙が13年に解禁となってから既に4年がたった。何が変わって何が変わっていないのか。まず、変わった点は政党、政治家のメディア戦略が進化した。国会における討論はテレビ中継を意識したものとなり、国民からしてみればわかりやすいものとなった。大きなフリップを使い、テレビの視聴者が一目でわかるように各議員も工夫するようになった。 政党がインターネットを使いこなすようになってきたのも顕著だ。自民党の動画チャンネル「Cafe Sta」はその典型だ。生放送もあれば録画で見逃し視聴もできる。FacebookやTwitter、YouTube、ニコ生、FreshなどSNSや動画配信プラットホームがフルに活用されている。それ自体は悪いことではない。有権者は、より多くのメディアで政治関連情報に触れることができるようになったのだから。ポピュリズムを助長するテレビ 一方で、各メディアの役割はその分高まったかというと極めて懐疑的にならざるを得ない。テレポリティクスという言葉は使われなくなっても、テレビの役割は全く進化していないと言っていいだろう。いや、むしろ「ポピュリズム」を助長しているとしか思えないのだ。 とりわけ朝や昼過ぎのワイドショーに大きな問題がある。政治に多くの時間を割くこと自体は問題ない。むしろ好ましいことであろう。しかし、それはあくまで公平公正に扱っている限りにおいて、である。 特に、一部の局で「モリカケ問題」にほとんどの時間を割いたことに違和感を抱いた視聴者も多かろう。問題の本質がなんなのか、今でもわからない人が多いのではないか。 国家戦略特区そのものに問題があるのか、決定プロセスに問題があるのか、請託があったのか、国家公務員法に抵触する取引があったのか、国会議員の関与があったのか、地方議員の関与があったのか、一向にわからない。「オトモダチ」優遇が悪いといっても、世の中そんなことはごまんとあるわけで、やはり法的にどのような瑕疵(かし)があるのか明確にするのがメディアの役割だろう。 それを当事者の言うことを断片的に垂れ流すだけでは視聴者をミスリードするだけでなく、政局すら左右しかねない。本来テレビは慎重の上にも慎重を期すべきだろう。キャラが立つ人物が現れると出しまくり、潮目が変わると一斉に手を引くのがテレビの常套(じょうとう)手段だ。2017年3月、森友学園の籠池泰典前理事長を単独インタビューし、報道陣に囲まれる著述家の菅野完氏(中央)(宮崎瑞穂撮影) 一時、渦中の籠池泰典氏に単独インタビューを敢行した著述家の菅野完氏を出しまくっていたのはなんだったのか。また、あれだけワイドショーの常連だったTBS出身のジャーナリスト、山口敬之氏も暴行疑惑が持ち上がってから一切画面から姿を消した。その後の経緯は読者諸氏もご承知の通りだが、検察審査会が不起訴相当の判断を出したにもかかわらず、テレビで顔を見ることはない。全てはご都合主義なのだ。もうあぐらをかいている場合じゃない 小池百合子東京都知事についての報道も同じ構図だ。都知事選、千代田区長選、都議選と、「小池旋風」が吹いているときはそれほどでもなかったが、希望の党を立ち上げ、民進党の前原誠司代表と手を組んでから風向きがガラッと変わった。小池都政1年の検証はそっちのけで小池批判に舵を切った感がある。そこにはなんのポリシーもない。豊洲市場問題、オリンピック問題などどこかに消え去ってしまった。これでいいのか。2017年10月、パリへ出発する小池百合子東京都知事=羽田空港国際線ターミナル(宮崎瑞穂撮影) 北朝鮮問題しかり、だ。最大の脅威なら日本は安全保障をどうしたら良いのか、拉致問題をどう進展させるべきなのか、政治家に考えさせるような報道が必要だろう。 一部政党の消費税先送りや原発ゼロといったポピュリズム政策をちゃんと検証しているといえるだろうか。自民党の政策でも、消費税の使途変更で国の借金返済は遅れることが明白だ。政策ごとに各党の公約をちゃんと比較・評価して視聴者に届ける努力をしているだろうか。 そうした中、日本でも偽ニュースを検証する、ファクトチェックの動きがようやく出てきた。国内初の本格的な検証団体「ファクトチェック・イニシアチブ」が立ち上がり、その趣旨に呼応してネットメディアのBuzzFeed JapanやGoHoo、ニュースのタネ、そしてJapan In-depthらが参加し、総選挙に関する報道や政治家の発言などを検証し始めた。朝日新聞などマスコミにもその動きが見られた。これは健全なことであり、メディア同士のチェックもこれからますます進んでいくだろう。 こうした動きはメディアに対する国民の信頼を取り戻すことにつながることから歓迎すべきことだ。しかし、テレビはファクトチェックに熱心とは思えない。 報道以外の番組で批判が集まることも珍しくない中、自ら批判しその内容を公表することが、信頼回復につながり、評価が高まるということを理解すべきである。 もはやメディアは「第4の権力」などといってあぐらをかいている場合ではない。インターネット上で誰でもニュースを検証でき、その結果をSNSで拡散することが容易になった。ファクトチェックはますます進むだろう。 今後テレビはワイドショーやドラマ、バラエティーなども含め、発信する情報全ての品質管理を厳しくしていかねばならない。さもなくば、テレビだけ置いてけぼりを食らうのは間違いない。

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    安倍氏VSメディア イヤホン騒動など「ガキの喧嘩」の醜悪

     希望の党の失速で、見るべきところがほとんどなくなった総選挙報道。目立つのは安倍晋三首相と大メディアの“不毛な論戦”ばかりだ。 安倍首相ほど、メディアの好き嫌いがハッキリしている総理大臣も珍しい。今回の選挙戦を通じて「嫌い」なメディアがどこか、改めてはっきりわかった。 日本記者クラブの党首討論会(8日)で、朝日新聞の論説委員から加計疑惑について問われると、“朝日の報道こそおかしい”と色をなして反論した。「朝日新聞は先ほど申し上げた八田(達夫・国家戦略特区WG座長)さんの(加計の特区決定に一点の曇りもない、との発言の)報道もしておられない」 対する朝日は論説委員が「(報道)しています」と言い返すだけでなく、わざわざ翌朝の紙面で〈今年3月下旬以降に10回以上、八田氏の発言や内閣府のホームページで公表された見解などを掲載〉とやり返した。 もちろん、総理大臣の政策論を聞き、選挙記事を読んで投票先を決めたいと考える有権者にとっては、不毛な応酬でしかない。街頭演説を終え、聴衆に手を振る安倍首相=2017年10月、埼玉県上尾市 『NEWS23』(TBS系)での諍いもそうだ。きっかけは解散表明当日、同番組に出演した安倍首相が、“解散の大義”を延々と語っている最中に突然、「2人でモリカケ!」という音声が流れた一件だった。 「流れてしまったのは森友・加計問題に話題を移すよう指示する番組ディレクターの声で、キャスターの星浩氏が外していたイヤホンから音が漏れ、それをマイクが拾った。初歩的なミスだが、安倍首相は“敵失”がよほど面白かったのか、公示前日に再び同番組に出演すると、話題が森友・加計に及んだ時、わざわざ星氏に『イヤホンは大丈夫ですか』と当てこすってみせた」(TBS関係者) 政権に批判的なメディアには“口撃”を繰り返しているわけだ。田島泰彦・上智大文学部新聞学科教授はこう嘆く。 「権力者がメディアに監視され、批判的検証の対象になるのは当然のこと。安倍首相の対応はあまりに子供じみている。また、メディアの側も“報じたかどうか”といったレベルに合わせるのではなく、疑惑の本質を伝える報道に絞るのがあるべき姿ではないか」 与野党間のやり取りも、首相とメディアの諍いも、まるで「子供のケンカ」である。関連記事■ 「安倍ヤメロ!隊」完封するため最強「安倍応援団」組織登場■ 小池知事が来春国政復帰も まさかの自民復党シナリオ■ 安倍首相 11月のトランプ会談後に“禅譲”の可能性も■ 安倍首相「過半数は堅い」の報告も喜ばず 目標喪失原因か■ 公明中心に自民、希望連立の場合 山口総理誕生の可能性は?

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    大メディア 解散で100億円の「総選挙特需」でウハウハ

     大メディアがこぞって解散総選挙を煽りまくっている。〈首相が解散権を行使し、衆院選に勝利することで、重要政策を遂行する推進力を得ようとすることは理解できる〉(読売新聞9月19日付社説)〈安倍首相による、安倍首相のための、大義なき解散である〉(朝日新聞9月20日付社説) 主張こそ正反対に見えるが、国民のために解散をやめろとは書かない。それもそのはずで、新聞・テレビなど大メディアにとって解散は100億円を超える「総選挙特需」が待っているからだ。 国政選挙には候補者のポスター代や公選ハガキ、選挙カーのレンタル費用やガソリン代から政見放送、新聞広告まで税金で負担する「選挙公営」という仕組みがある。安倍首相が衆院を解散し総選挙を行うと表明したニュースを報じるビジョン=2017年9月25日、大阪市北区(彦野公太朗撮影) 新聞広告に落ちる金額は巨額にのぼる。まず政党は比例代表名簿の登載者数に応じて税金で新聞広告が打てる。全国版の全面広告は読売で1回ざっと5000万円。 前回2014年総選挙の期間中(12日間)で国(中央選管分)が新聞社に出稿した比例代表候補の政党広告代のランキングと金額を見ると、【1】読売・5億5000万円【2】朝日・2億3700万円【3】中日・1億6400万円【4】北海道・8900万円【5】毎日・7500万円 ──など56社で総額15億円となっている。 これとは別に小選挙区の候補者(全国で959人)は1人につき5回分の新聞広告(1回誌面2段、幅9.6センチ)を税金で好きな新聞に掲載できる。 掲載料は最高額の読売(東京本社版)が1回約262万円(税抜き)。候補者1人が5回分すべて読売に広告を出せば1300万円を超える。東京ブロックの小選挙区には97人の候補者が出馬したから、新聞広告費は東京だけで10億円前後にのぼったと推計できる。それが全国の小選挙区で地方紙にも落ちる。 選挙公営の仕組みが新聞に有利なのは、広告費は候補者を通さずに国(選管)から新聞社に直接支払われることだ。候補者にとっても一定得票数に届かないと自腹になるポスター代やビラ代と違い、全額公費負担が保障されている。候補者は安心して血税を大新聞に注げるというわけだ。 テレビ局の選挙収入はもっぱら政党のテレビCMだ。放映料は「15秒のスポット広告」で300万円から500万円が相場とされ、こちらは選挙公営ではなく政党が支払う。前回総選挙が行なわれた2014年の各党の宣伝事業費は自民党が約20億円、民主党が約24億円で両党だけで44億円に達した。 財源は主に政党助成金であり、国民の税金から出されるのは同じだ。さらに2013年の参院選からは「資金力のない小政党や無所属候補も金をかけずに有権者に政策を訴えることができる」という触れ込みでインターネットでの選挙運動が解禁され、政党のバナー広告が認められた。 しかし、新聞・テレビ各社はこのネット選挙もビジネスチャンスとみて、自社ニュースサイトのトップ面や速報面に政党のバナー広告を呼び込む営業にも力を入れた。朝日新聞デジタルの場合、最高額の「ビルボードプラン」の料金はなんと1000万円である。 選挙特需は告示から投開票までの12日間でざっと100億円は超え、テレビは選挙の開票特番で多くのCM収入を稼ぐことができる。まさに大メディアにとって「選挙ほどおいしい商売はない」のである。関連記事■ 解散煽る大新聞・テレビ 税金から260億円選挙特需あるため■ ネット選挙広告 新聞社バナー広告は見る人半分でも料金6倍■ 国政選挙 新聞・TVには料金取りっぱぐれない重要かき入れ時■ 安倍晋三氏に総理再選を諦めさせる本当の勝敗ラインを検証■ 稲田朋美氏 地元のオジサマから「パンツ姿もいいねェ」

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    自公勝利、改憲議席確保へ

    憲民主党が躍進する見通しだ。小池百合子東京都知事の希望の党創設に端を発し、「政局」に終始した今回の総選挙。iRONNAでも開票速報をお届けする。

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    リベラル潰しの功罪

    希望の党を立ち上げた小池百合子東京都知事の戦略は浅はかだったのか。リベラル切りを宣言した「排除の論理」は結局、左派勢力の受け皿となる立憲民主党の台頭を許し、希望の党は図らずも失速した。小池氏主導の「リベラル潰し」に正義はあったのか。功罪を問う。

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    安倍の悲願を打ち砕く「マイルドリベラル旋風」はこうして生まれた

    民進党は「三分裂」の憂き目に遭った。どれがミソでどれがクソなのか、ここでは問うまい。 10月10日に選挙の号砲が鳴ったが、新聞各社などの序盤世論調査に共通するのは「自公が300議席を伺う勢い」「希望の党は失速」「立憲民主党の健闘」だ。上記三つの傾向の原因を作ったのは、解散した安倍首相や、希望の党へのまるごと合流を袖にされた前原氏よりも、やはり小池氏だろう。小池氏は有権者の「五つの疑問や不安」に答えられず、有権者の不信を招いたからだ。ポピュリスト・小池百合子への不安 第一は「敵をたたくポピュリズムへの疑問」だ。昨年夏の都知事選で広がった「百合子グリーン旋風」は、ひとことで言えば「既成政治破壊への期待」だった。1993年衆院選での日本新党の「改革派vs守旧派」、2005年衆院選での郵政民営化「賛成派vs反対派」もそうだった。さらに小池氏は「都議会自民党はブラックボックス」と攻め立て、築地市場の移転延期などメディアの注目を集めそうな争点も持ち出した。 この手法は大成功、約291万票を獲得した。今年7月の都議選でも、自民党のオウンゴールもあったにせよ、都議会自民党を23議席の大惨敗に追い込み、小池氏率いる都民ファーストの会は、都議会第1党に躍り出た。 選挙は戦である以上、敵をたたかなければならないが、「破壊」だけで「創造」がともなうのか。今度の敵は「安倍政権」だが、政権を倒した後に政策も含めてどういった「創造」ができるのか。小池氏得意の「曖昧戦術」で、首班指名も衆院選の結果で判断、というのでは、有権者の不安は払拭(ふっしょく)できまい。焦りから、またぞろ森友・加計学園問題を持ち出して忖度(そんたく)政治を批判しているが、都議会の知事への「忖度」はもっとあからさまだ。 第二は「政策への不安」だ。機を見るに敏で、世論の風を読み、耳障りのいい政策をアピールするのがポピュリズムの最大の特徴だ。小池氏が都知事選で使った「築地市場移転の見直し」もそうだったはずだ。それが、豊洲市場への移転を「決められない」都知事との批判が高まるや、都議選の公示直前になって「豊洲市場に移転、5年後をめどに築地市場も再開発」という、極めて中途半端な公約を打ち出した。それでも、都民の過半数はその曖昧な公約に納得した。2017年9月、豊洲市場で行われた地域住民向けの見学会を視察に訪れた東京都の小池百合子知事(手前)。約1年1カ月ぶりに豊洲市場を訪れた 政策の中身より、政策イメージで世論を動かそうとするのがポピュリズム。衆院選でも、自民党との政策の違いをどこかで際立たせようと「消費税引き上げの凍結」を希望の党はうたっている。党首討論会でも、「いったん立ち止まって考える」と小池代表は述べていたが、注目を集めそうな争点を取り出して「立ち止まって考える」は、都知事選での築地市場移転でも使われたフレーズ。有権者にとっては既視夢だ。19年10月に予定されている消費増税まであと2年もある。それまでの社会状況の変化で、どうなるか分からない課題に、より口当たりがいい「増税凍結」など、単なる票目当てのイメージ戦略との批判がつきまとった。 経済政策にしても、政権与党の成果を真っ向から否定できないからといって「ユリノミクス」とは疑問符だらけだ。大阪、名古屋と連携して「三都物語」をアピールしたが、選挙のための同床異夢、大村秀章愛知県知事は「一抜けた」となり、三都物語どころか「打算とファンタジー」に終わり、かえって小池氏へのボディーブローとなった。カタカナ言葉満載で、言葉は踊っているが、政権与党に対抗できるような政策なのかどうか。「実質は政権与党の政策」に、違いを出そうとして味付けしている感がどうしても否めない。言葉遊びもほどほどに、と有権者は考えないか。独善批判で飛び出した「自爆テロ」 第三は「変節者を抱え込む不信」だ。小池氏は「安倍政権打倒」のためにすべてを抱え込むリスクはとらず、政策協定書への署名を求め、特に安保法制や憲法改正で納得できない勢力の排除に成功、立憲民主党に追いやった。だが、「排除します」「受け入れる気はさらさらない」といった強い言辞は、希望の党にとってプラスになったか。選挙期間中に玄葉光一郎元外相が「失言だった、あれがなければ200議席取れていた」と慨嘆するありさまだ。 リベラル勢力の排除は、時間切れで中途半端になったとはいえ、共産党や社民党も含めたリベラル勢力の選挙協力結集を促した。一方で、政策協定書の中身に問題はない、踏み絵ではないとはいっても、有権者の間に「民進党は安保法制に反対したのに、小池人気にあやかろうとして変節して希望の党にはせ参じた」というネガティブなイメージは払拭されない。 政治にとって、「ブレた」というイメージは致命傷になりかねない。もちろん、ここは有権者の評価だが、「安保法制と憲法改正で変節した」というイメージの候補を抱えていることで、希望の党のイメージダウンは避けられまい。 第四は「独善性への不協和音」だ。都議会で都民ファーストの荒木千陽(ちひろ)新代表が決まる際、都民ファーストの都議には何の相談もなかった、と不満が噴出した。また、自由に取材を受けることを制限するなど、小池氏が看板とする「オープンな政治」とは程遠い「言論統制」「小池独裁」への批判が高まりつつある。「お友達政治」「しがらみ政治」を批判しているが、独善的な党運営になるのではないか、という懸念が消えない。2017年10月、地域政党「都民ファーストの会」に離党届を提出し、記者会見する音喜多駿都議(左)と上田令子都議 それが「自爆テロ」となって爆発したのが、都知事選から小池氏を支援していた、いわば「譜代の臣」である音喜多駿、上田令子両都議による都民ファーストからの離党劇だ。都民ファースト内部で冷や飯を食わされていることへの不満など、表向きの離党理由以外にもさまざまな要因が取り沙汰されているものの、離党のタイミングといい、「オープンな政治」「情報公開」を掲げる小池氏にとって、そのスローガンとは裏腹の、都民ファーストの独善的な運営のマイナスイメージは計り知れない。希望の党も、都民ファースト同様「小池商店」で、小池氏個人の差配で何でも決まるのでは、果たして国政政党の体をなすのか、ましてや政権政党としてふさわしいのか、という疑問符がつきつつある。リベラルな衣をまとったご都合主義 第五は「二足のわらじへの冷めた目」だ。小池氏は圧倒的な得票で都知事の座に就きながら、わずか1年余で国政政党の代表となった。読売新聞社が10月7~8日に行った全国世論調査では、小池氏が希望の党の代表を務めていることについて、「都知事の仕事に専念すべきだ」が71%と7割を超えた。「今のまま、希望の党の代表と都知事の兼務を続けるべきだ」は19%、「都知事を辞職して、衆議院選挙に立候補すべきだ」は7%にすぎなかった。 都知事辞職、衆院選出馬していれば、総スカンの逆サプライズは必至だった。結局出馬しなかったが、党首討論や街頭演説で映る小池氏をテレビで見ている人たちは「都知事なのになぜ国政?」と思い続け、マイナスは増幅する。希望の党は「小池代表の二足のわらじ」への評価も含めて衆院選を戦わなければならない。 同じ読売新聞社の世論調査で衆院比例選の投票先は、自民党が32%、希望の党が13%。立憲民主党が7%だ。希望の党の失速、立憲民主党の躍進は、その後ますます顕著になりつつある。安倍内閣の支持率は41%、不支持率は46%で、いまだに「安倍嫌い」が根強いなかで、にわかに浮上した「リベラル勢力」。 小池氏は「リベラルを排除します」「リベラルを受け入れる気はさらさらない」などという強い表現でリベラルを排除し、「保守二大政党」を志向することを鮮明にした。それはそれで、一つの考え方ではある。小池氏としては、排除発言の時点では「リベラル潰し」をしたつもりだろう。その「功」といえば、「有権者にとって分かりやすい構図になった」ということだろうか。 1994年に「自社さ連立」の村山富市政権が誕生した際には、55年体制下で政策的にも対立した自民党と社会党が政権奪還のために組んだことで有権者を驚かせた。だが、村山首相も「自衛隊は合憲」とこれまでの主張を覆し、現実政治をリベラルが追っていくことで、有権者にとって、リベラル勢力が目指す政治の姿が見えにくくなった。新内閣組閣後、橋本龍太郎通産相(右)と握手する村山富市首相=1994年6月、首相官邸 その後、民主党が結党され、リベラルから保守勢力まで幅広いウイングが一つの党に同居することで、とりわけ安全保障などで政策の一致ができているのか、有権者には懸念が付きまとった。安保法制でも「反対すれば野党に有利」というような、リベラルな衣をまとったご都合主義が鼻についた。純化されたリベラルが首相の悲願に牙を向く しかし、小池氏がリベラルを排除したことで、共産党のように「護憲」「自衛隊は違憲」「だが憲法に定められた天皇制は否定」というような極端な主張ではなく、「マイルドリベラル」の立憲民主党が誕生し、リベラルな傾向を持つ層にとって、投票しやすくなったといえる。 衆院選の序盤情勢でも、小池氏に排除された同情だけでなく、護憲・自衛隊違憲の「教条主義」にはついていけないマイルドリベラル層が立憲民主党に流れている。リベラル系の有権者は根っからの「安倍嫌い」で、もとより自民党や公明党に投票する層ではない。共産党にも抵抗感がある層にとって、立憲民主党は「投票しやすい」側面があり、リベラル系有権者の票を集めて一定の支持を集めるだろう。しかし、リベラル勢力で衆議院の過半数を制して政権を奪取できるとは考えられない。2017年10月、「立憲民主党」を結党すると表明した記者会見を終え、写真に納まる枝野幸男代表 一方の「罪」は、マイルドリベラル層が支持する政党が誕生したことで、「安倍一強」対「その他」の構図が、「保守」対「リベラル」の構図に単純化されていくリスクだ。失速した希望の党は、いずれ自民党の切り崩しにあい、消滅していくかもしれない。しかし、選挙期間中であるにもかかわらず、早くも参議院の民進党は、政党助成金のことがからんでいるとも取り沙汰されているが、前原代表を解任して民進党に再結集するなどと、有権者不在のあぜんとするようなことを言い始めている。 民進党のリベラル派が参議院も含め、立憲民主党として一定の勢力を占めれば、憲法改正反対で、小池氏ばりの「ポピュリズム」をあおるリスクが高い。衆参で3分の2以上の議席を占めても、国民投票に向けて、純化されたリベラル勢力がマイルドリベラルにアピールして憲法改正反対のポピュリズムをあおれば、2012年の政権奪取以来の悲願だった安倍首相の憲法改正が頓挫することになる。 日本政治の中で、長年表舞台から遠ざかってきた「リベラルの旗」が掲げられた分かりやすさを、マイルドリベラルの有権者は歓迎するだろうが、「憲法改正反対」のポピュリズムに巻き込まれれば、それはまた日本政治停滞のリスクにもなる。 歴史の歯車を回した3人、安倍首相、前原氏、小池氏の誰が新しい歴史を作った「功労者」として後世に名をとどめることになるのか。それとも、日本政治に混乱と停滞をもたらした「戦犯」と名指しされるか。有権者も衆院選後の政治の動きを固唾(かたず)をのんで見守っている。

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    小池百合子の「リベラル潰し」はなぜ失敗したのか

    佐藤健志(作家、評論家) 今回の総選挙では、「リベラル壊滅」が生じたとする見方が強い。壊滅論のポイントを整理すれば、次のようになろう。 (1)民進党が希望の党への合流を決めたことで、リベラル系政党の連携、いわゆる「野党共闘」が打撃を受けた。 (2)希望の党の公認を得るべく、多くの民進党出身者がみずからの姿勢を保守化させ、リベラルから転向した。 (3)希望の党に合流せず、リベラルの姿勢を維持している者は、もはや少数派にすぎず、政権獲得をめざすどころか、改憲発議を阻止する勢力にもなりえない。 (4)民進党が希望の党への合流を決めたのは、「今のままでは選挙を戦えない」という判断の産物であった。 つまりリベラルは国民から愛想をつかされていたのであり、希望の党への合流をめぐる騒動によって、それが決定的に浮き彫りになったというわけなのだ。会見する希望の党代表の小池百合子氏=2017年9月、東京都庁(飯田英男撮影) ここで言う「リベラル(派)」は、「往年の『革新(派)』ほど、左翼的な反政府・反体制志向が顕著ではないものの、ナショナリズムや積極的な安全保障政策の追求には否定的で、経済政策に関しても、平等志向に基づく弱者擁護の姿勢を強調したがる立場の者たち」と定義できる。 希望の党代表である小池百合子東京都知事は、同党からの公認を申請した民進党候補について、平和安全法制や憲法改正を肯定するかどうかで選別を行った。しかもその際、「(選別は)リベラル派大量虐殺なのか?」と質問された小池氏は、これを打ち消すのではなく、次のように返答したと伝えられる。 「排除致します。というか、絞らせていただくということです。それはやはり、安全保障や憲法観という根幹部分で一致していくことが政党の構成員として必要最低限のことではないかと思っています」 くだんの選別、ないし排除によって、選挙の構図は大きく変わる。希望の党と民進党の合流が伝えられた当初は、「自民党VS希望の党」の構図も、「保守とリベラルの競合」としての側面を持っていた。民進党はもともとリベラル色が強く、希望の党はできたばかりの新党だからだ。 しかるに希望の党が公認に関するリベラル排除を打ち出したとたん、この構図は「保守と保守の競合」に変貌した。ハフィントンポストの記事によると、民進党の前議員88人のうち、希望の党の公認を得た者は約60%。あとの40%のうち、リベラル系新党「立憲民主党」に参加した者はさらに約40%で、残りは無所属で出馬したという。 上記の経緯を見るかぎり、リベラル壊滅論は相応の説得力を持つ。しかるに、注目すべきは、公認に関するリベラル排除を打ち出したとたん、希望の党のブームがいきなり失速したことである。 同党の獲得議席については、一時は150を超えるとか、200をうかがうかもしれないとまで言われた。ところが現時点では、良くて公示前の57を多少上回る程度、下手をすれば割り込むと予想されている。選挙の主役は枝野幸男? 逆に立憲民主党は躍進の勢いだ。10月13日に発表された朝日新聞の情勢調査は、獲得議席上限を49と、公示前(15議席)の3倍以上に設定した。同調査における希望の党の獲得議席下限は45なので、希望と立憲民主の勢力逆転すらありうることになる。 はたせるかな、10月16日にJNNが発表した世論調査では、立憲民主党の支持率が希望の党を上回った。10月17日にFNNが発表した調査も、小池氏の支持率が急落する一方、立憲民主党が「希望の党との間で、野党第一党を競り合う勢い」だと報じている。 国民から愛想をつかされていた(はずの)リベラルを排除するや、喝采を浴びるどころか大ヒンシュクを買うとは、一体どういうことだろうか? しかも排除されたリベラルは、総崩れのまま消滅の道をたどるかと思いきや、予想外の健闘を見せている。 これで選挙後、希望の党の民進系議員がこぞってリベラルに再転向、同党を出て立憲民主党に合流するような事態が生じればどうなるか? 共産党や社民党と合わせて、改憲発議を阻止できる勢力となることすらありうるかもしれない。 今回の選挙の主役は、安倍総理でもなければ小池氏でもなく、立憲民主党の枝野幸男代表だという声まで出た。リベラル壊滅論の妥当性も、こうなると再検討する必要が生じよう。その際のキーワードは、ずばり「政局」である。連合の神津里季生会長と会談後、取材に応じる立憲民主党の枝野幸男氏=2017年10月、東京都千代田区(飯田英男撮影) 『広辞苑』は「政局」について、「政治の局面。その時の政界の有様。政界のなりゆき。政権にかかわる動向」と定義する。けれども現在、この言葉は「政界における自分の立場を有利にすることを唯一最大の目標とする行動パターン」の意味で使われる場合が多い。 一寸先は闇という政界の特徴を思えば、これは「自分の立場を有利にするためなら、その時々で主義主張をどんどん変える」ことを意味しよう。政局重視の発想のもとでは、御都合主義的な振る舞いこそ適切なのであり、政策理念に関する一貫性や整合性へのこだわりなど、脇に追いやられるのだ。 今回の総選挙にいたる経緯は、まさしく「政局と政局の化かし合い」とも呼ぶべきものだった。安倍総理が解散に打って出たこと自体、「民進党の内紛が続き、小池氏の新党づくりも十分進んでいない時点で選挙をやるのが最も有利」という判断によるものだったのは否定しえまい。 アベノミクスのさらなる展開(いわゆる「生産性革命」や「人づくり革命」)であれ、消費増税分の使い道の変更であれ、少子高齢化対策であれ、はたまた北朝鮮問題への対処であれ、今ここで選挙を行い、国民の信を問わなければ推進できないなどということがあろうか。これらのうち、何が最大のポイントかさえ、実のところ判然としない。 だからこそ小池氏は、「与党がそこまで御都合主義に走ったのだから、急ごしらえで新党を立ち上げても、大義名分が立つので勝てる」という判断のもと、希望の党を旗揚げしたに違いない。さしずめ「御都合主義と御都合主義の競合」だが、政局重視に徹する姿勢の鮮やかさにおいて、小池氏は明らかに総理より優っていた。 旗揚げ直後、希望の党が圧勝して政権に王手をかけるのではと言われたのも無理からぬことだろう。現に安倍総理は、「誠実に愚直に政策を訴えていきたい」と演説するなど、政局重視の姿勢を撤回するかのような動きまで見せた。リベラル風が吹いたら最後 民進党が希望の党への合流を決めたのも、「政局と政局の化かし合い」という視点に立てば、批判されるべきことではない。政局重視とは「自分の立場を有利にできるなら、無節操に振る舞ってもよい」と構えることなのだ。 「政局の女王」として、寛容の精神、ないし御都合主義を発揮し、公認希望者をことごとく受け入れることこそ、小池氏にふさわしい対応だったはずである。ところが小池氏は、政策理念の一貫性や整合性にこだわり、リベラルの排除に踏み切った。希望の党候補の応援に駆けつけた小池百合子氏(左)と民進党の前原誠司代表=2017年10月、東京都品川区(桐原正道撮影) 御都合主義的な態度を取らずに筋を通した、そう肯定的に評価することもできるのだが、こうなると「希望の党の旗揚げ自体が巨大な御都合主義ではないのか」という点が際立ってしまう。政局重視に徹することでブームをつくりだしておきながら、政策面で筋を通そうとするのは、これまた一つの破綻にほかならない。 安倍総理の「愚直に政策を訴えていきたい」発言も、その意味では破綻しているのだが、小池氏の場合、政局重視の姿勢が鮮やかだっただけに、破綻も鮮烈なものとなってしまう。リベラルの排除が、希望の党ブームの失速や、小池氏の人気失墜を引き起こしたのは、必然の帰結だったのだ。 だとしても、政策面で筋を通そうとすることがヒンシュクを買うというのは、憂慮すべき事態と評さねばならない。それは国民が、政治家、または政党に対して、「主義主張なんかどうでもいい、とにかく世の風向きを敏感に読み取り、相手を痛快に出し抜いてみせろ」と求めていることを意味する。 ならばリベラル壊滅についても、額面通り受け止めることはできない。たとえ現時点では国民の多くから愛想を尽かされていようと、世の風向きがリベラルのほうに吹いたら最後、今度はそちらに走るのが望ましいことになるのだ。リベラル派の前身たる「革新派」は、敗戦直後、まさにそのような風潮のもとで生まれた。 リベラル壊滅の陰には、「筋の通った政策論に対する関心の消滅」という、きわめて厄介な問題がひそんでいる。そのような政局至上主義が横行するもとでは、どの党が政権を担ったところで、国のあり方が良くなるとは信じがたい。平和安全法制や憲法改正に賛成であろうと、今回の事態を喜んではいられないのである。

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    枝野新党にもぐり込んだ「筋を通さない偽リベラル」の正体

    ベラル派を左派と訳しているのだ。日本の左派がリベラルと名乗るのは、左派ではイメージが悪いからだろう。選挙で票にならないので、必死にリベラルという呼称を確保しようと、アピールしているように見える。左派勢力こそ全く筋が通っていない 要するに、日本ではリベラルではない左派の政治家が、自由民主主義の本家本元である欧州での言葉の意味を無視して、リベラルの呼称を奪って、勝手に使っているのである。 次に、立憲民主党に結集した左派勢力が、踏み絵を踏まずに護憲・安保法制反対を守った姿勢が「筋が通っている」と評価されていることに反論したい。むしろ彼らの言動こそ、全く筋が通っていないのではないだろうか。 そもそも、前原氏が「みんなで希望の党に行きましょう!」と演説し、事実上の解党を決めたとき、みんな拍手喝采していた。左派のほとんどが希望の党の公認を得るつもりだったのである。小池氏が保守色が強い政治家であることは、百も承知であったはずだ。「基本政策の違いなんか、大したことない。とにかく小池氏の人気にあやかって、当選することだ」と、あまり深刻に考えていなかったのは間違いない。街頭演説後、記者の質問に答える辻元清美氏=2017年10月、JR高槻駅前(水島啓輔撮影) 左派は「基本政策の不一致」を理由に、希望の党から公認を得られないことが判明したときに、初めて慌て騒ぎ出したのだ。「筋が通っている」というならば、前原代表が最初に合流案を提案したときに反対すべきだったはずだ。だが、あの辻元清美氏でさえ黙っていたのである。 彼らは、希望の党の公認を得られなかったから新党を作ったのであり、もし公認を得られていたら、そのまま希望の党に入っていたのだ。この過程を時系列的に整理してみれば、左派の行動こそ筋が通っていないのは明らかだ。逆に、希望の党の公認を得た民進党右派の候補者は「当選のために魂を売った」と批判され続けているが、それは正確ではない。彼らは民進党から出ることで「売っていた魂を取り戻した」のだ。 確かに、彼らは2015年の安保法制の審議で徹底的に法案を批判し、採決の際に反対票を投じた。しかし、当時は共産党との共闘関係があり、党議拘束でがんじがらめであった。また、安倍首相が法案審議開始前に米議会で演説し、安保法制の成立を約束してしまったことで、「国会軽視」「野党軽視」だと感情的に首相に反発してしまった経緯があった。 本来、前原氏ら右派が保守的な安全保障観を持っていることは、国民に幅広く知られている。彼らの中には、民主党政権期に外交や安全保障政策に取り組んだ議員が少なくない。米軍普天間基地の移設問題や、尖閣諸島沖の日本領海に侵入した中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事故、尖閣諸島の国有化など、非常に難しい判断を迫られる政治課題に直面した経験を持っている。もちろん、民主党政権の運営の稚拙さは批判されてきた。判断の間違いもあった。だが、少なくとも彼らは、厳しい国際情勢にリアリスティックに対応することの重要性を知ることにはなった。野党「戦後最悪の惨敗」 安保法制の国会審議が始まる前、旧民主党のホームページには「安保法制の対案」が掲載されていた。そこには、安保法制をめぐる国会審議への準備として「安全保障法制に関する民主党の考え方」がまとめられていた。この中で、旧民主党は「憲法の平和主義を貫き、専守防衛に徹することを基本とし、近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に対応する」という安全保障政策の基本方針を示し、「国民の命と平和な暮らしを守るのに必要なのは個別自衛権であり、集団的自衛権は必要ない」と主張を展開していた。野党なので、安倍政権との違いを明確に出そうとしたのは当然のことだ。 一方で、旧民主党は「日本を取り巻く安全保障環境が近年大きく変わりつつある」と、安倍政権と共通する国際情勢認識を持っていることを記していたし、「離島などわが国の領土が武装漁民に占拠される『グレーゾーン事態』への対応は最優先課題」「周辺有事における米軍への後方支援は極めて重要である」としている。要するに、安保法制に関して安倍政権と全て相いれないということはなく、国会審議において政権と是々非々で議論をする準備をしていたということなのだ。 それなのに、安保法制の審議が始まったときには、旧民主党の右派議員たちは感情的になり、まともな審議ができる状態ではなくなった。安倍政権の強引な手法に大激怒してしまい、「安保法制の全てに反対ではないが、安倍にだけはやらせない」と言い放ち、安倍政権の安保法制に全面的反対の姿勢を取ったのだ。 その後、旧民主党は維新の党と合流して民進党となったが、共産党との共闘関係が強固になり、安全保障や消費税で政策の幅の広さ、柔軟性を奪われた。野党共闘は選挙においては一定の有効性があったが、政策面ではリアリティーを失い、無党派層を全て与党側に取られてしまうことになった。安保法制成立後の16年7月の参院選で、野党共闘は、自民党、公明党の連立与党に維新の党などを加えた「改憲勢力」に、改憲の国民投票発議を可能とする衆参両院で3分の2の議席を与えることになった。参院選、開票センターで取材に答える民進党の岡田克也代表。当確者の名前を張るスペースは広く空いたままだった。野党統一候補で一定の成果を挙げるも、党自体は大きく議席を減らした=2016年7月10日(大西史朗撮影) 戦後政治の野党にとって、国会で改憲勢力が3分の2を占めることを阻止することは最低限の目標であった。それを許してしまったことは、まさに「戦後最悪の惨敗」を喫したと断ぜざるを得ない。野党共闘によって、民進党から政権の座は完全に遠ざかり、「万年野党化」が進んでいたといえる。政権交代可能な野党復活へ「急がば回れ」 その後の民進党は、東京都知事選の野党共闘候補の惨敗、都議選での公認候補者の「離党ドミノ」と泡沫(ほうまつ)政党化、蓮舫氏の代表辞任、所属議員のスキャンダルと党勢低迷と混乱が続いた。共産党との共闘が党内の意思決定をゆがめ、党内ガバナンスが失われた結果だということは、離党した右派議員が口々に主張していたことだ。 党に残っていた保守系議員も、野党共闘に対するストレスは頂点に達していた。前原氏は、希望の党への合流を決断した理由に関して、自身のツイッターで「野党共闘に懸念を持っていた」「支持者や関係者から民進党は左傾化し、共産党や社民党との違いが分からなくなった、と指摘される度に悩んでいた」と語っている。また、「民進党が左派化したことで憲法改正の議論や現実的な安全保障政策の議論すらできなかった。そんな状況を打破したい。これが、今回の挑戦の原点です。私は、大きな塊を作る政治のダイナミズムが必要だと思い定めました。小池百合子さんとともに、新たな理念・政策の旗を掲げ、安倍一強の現状を打ち破るために大同団結しようと決意しました」などと主張していた。2017年9月、希望の党代表の小池都知事との会談後、取材に応じる民進党の前原代表 つまり、希望の党に移った民進党右派とは「失っていた信念を取り戻そうとした政治家たち」である。一方、立憲民主党を作った左派は「信念が合わなくても大丈夫と軽く考えたが、拒否されて、慌てて信念を貫くと言い出した政治家たち」だ。どちらが筋が通っているかといえば、信念を取り戻そうとした右派である。 筆者は、野党側が再び「政権交代可能な勢力」に復活するためには「急がば回れ」だと主張してきた。国民の野党に対する根強い不信感は、突き詰めると政策志向がバラバラな政治家が集まっている「寄り合い所帯」にあると思うからだ。 確かに、かつて自民党に数で対抗することで「非自民政権」を作ってきた歴史はある。しかし、細川護熙政権と羽田孜政権は政治改革や安全保障で社会党の造反によって混乱した。民主党政権では、憲法、安全保障、財政・税制など基本政策をめぐって、党内が分裂して足を引っ張り合うような醜態をさらし続けた。寄り合い所帯に対する国民の不信感は頂点に達していて、政策の違いを無視して自民党に数で対抗する戦略は、もはや国民に理解してもらえないのだ。小池氏への厳しい批判は必然だった希望の党の候補者の応援演説を行う小池百合子代表=2017年10月10日、東京都中央区(納冨康撮影) 野党が政権交代可能な勢力になるには、特に安全保障政策という基本政策が一致する政治家で二つくらいに集まる「政策別野党再編」が必要だと考えてきた。それが、野党が国民の信頼を取り戻す第一歩だからだ。その意味で、小池氏が安全保障政策で一致を求めたのは、全く正しい。 小池氏が「排除の論理」を持ち出したことが厳しく批判されているが、全ての民進党出身の候補者を希望の党の公認候補としていたら、どうだっただろうか。おそらく、現在以上の厳しい批判にさらされることになったはずだ。 「保守色」が強い小池氏と、安保法制反対や護憲を訴える左派の議員が無条件で合同したら、寄り合い所帯以外の何物でもない。それ以上に問題なのは、小池氏が民進党を丸ごと受け入れることは、小池氏が民進党代表に就任するのと同じことになるということだ。選挙で敗色濃厚な党が、人気のある大衆政治家を代表にしてなりふり構わず生き残ろうとする「究極的な大衆迎合」だという批判も巻き起こったはずだ。 つまり、今回の総選挙は排除の論理を持ち出そうが、持ち出すまいが、どちらにしても小池氏は厳しい批判にさらされることになっていた。しかし、民進党からの合流がなければ候補者すらそろえることはできなかっただろう。 一方、野党が共闘して統一候補を出せば政権交代できると主張する方がいるが、それも甘い考えだと思う。日本の無党派層の多くは、基本的には自民党支持、時に自民党批判票を投じる「消極的保守支持層」である。共産党に引きずられて改憲も安保も原発も「何でも反対」では無党派層の票は取れない。なにより、アベノミクスはサラリーマン層や就職活動が好調な若者にしっかり支持されている。野党が、これを崩す説得力ある論理を構築できているとは思えない。 要するに、野党にはそもそも一挙に政権交代を実現する実力などないということなのだ。基本政策の一致を軽んじて選挙のためだけに一緒にいた集団が、政策をまじめに考えてきたはずがない。だから、突然選挙になったときに説得力ある対案など出てこないのは当然だ。まずは、政策別に分かれることで、初めて真剣に政策立案に取り組もうという気になるものだ。今回の民進党分裂で、ようやく野党は政権奪取の長い道のりのスタート地点に立ったと考えるべきだ。「急がば回れ」なのである。小池・前原が起こした「創造的破壊」 今回、小池氏と前原氏が起こしたことは、古臭い保守・革新の対立を超えた、新しい政治勢力の誕生という「政界の創造的破壊」ではないだろうか。それは、「安全保障政策を争点にしない」という、欧米の自由民主主義国では当たり前の政治を実現したことである。 例えば、英国では野党は国内のさまざまな政策課題で激しく政府・与党を批判していても、政府・与党が海外への軍隊の派遣を決定するときは、「首相の偉大なる決断」を称賛する演説を行うものだ。このように、欧米の民主主義諸国では、野党は安全保障政策で対立を挑まないし、たとえ政権交代となっても政策の継続性を重視する。国民の生命と安全がかかっている最重要政策を政争の具にはしないということだ。 もちろん、欧米の議会でも安全保障政策をめぐる議論が行われないわけではない。しかし、日本の、15年の安全保障法制をめぐる与野党の激突のような、とにかく法案を潰すためにありとあらゆる方向から反対するようなことはあり得ない。強固な安全保障体制を確立し、抑止力を強化するためにはどうすればいいかという観点で、建設的な議論が行われるのだ。 小池氏と前原氏は故意犯的に「安全保障政策を政争化しない政治」を実現しようとしたと考えられる。前原氏は立憲民主党が立ち上がったとき、「想定の範囲内だ」とコメントしている。最初から小池氏の蛮勇を使って、自ら手を汚さず左派と縁を切るつもりだったのだろう。 一部のメディアや識者が「リベラル勢力の結集」とはしゃいでいるのを見ると、いまだに古臭い東西冷戦期の保革対立という構図のまま、物事を考えているようだ。だから保守色の強い小池氏に左派が排除されることに感情的な反発をしてしまったのだろう。あえていえば、彼らは対立構図を死守したいがために、徹底的な小池バッシングに走ったといえる。2017年10月、麻布十番駅前で街頭演説後、有権者に手を振る立憲民主党の枝野幸男代表(佐藤徳昭撮影) 北朝鮮の核開発や中国の海洋進出、世界で頻発するテロの問題に対して、日本は安全保障政策で最悪の事態に備えなければならない。また、日本は世界で競争力を失ってしまっている。IT産業の発展、人工知能(AI)を使った無人工場や自動運転の開発など、米国、ドイツのみならず、中国の後塵(こうじん)をも拝しているのが現実だ。日本は「何でも反対」で足を引っ張り合っている場合ではない。国会で建設的な議論を行い、「政府の改革は手ぬるい、よりよき政策はこれだ!」と競い合う新しい政治を創るのが急務だ。古臭い対立構図の死守にこだわらず、現在日本政治に起こっている現象の意義を、冷静に評価すべきなのである。

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    比例票はどこへ? 3千人意識調査から見えた「自民圧勝ムード」のワケ

    小林良彰(慶応大学法学部教授) 突然の衆議院解散に伴う総選挙の投開票日が間近に迫っている。現時点までのメディア報道では与党が堅調に推移しており、今年7月に行われた東京都議会議員選挙における自民党惨敗とは様変わりな状況である。 そこで、当研究室でも全国の有権者を対象に意識調査(注)を行った。まず投票意欲は、「すでに期日前投票や不在者投票をした」と「必ず投票に行く」を合わせると、前回2014年衆院選調査時よりも数ポイント高くなっており、有権者の関心の高さがうかがえる。ただし、投開票日の天候次第によっては前回よりも下がる可能性も残されている。 ここ数年、政党支持率では自民党が他党を圧倒している。その自民党が2009年総選挙で負けた原因は、自民党を支持しながら約25%が民主党に投票したことと、政党支持を持たない無党派層の取り合いで「民主党60%vs自民党30%」とダブルスコアで負けたことである。それにより、基礎票は多いのにもかかわらず、選挙結果では大敗したのだった。 今回はどうだろうか。調査回答者の内、「すでに期日前投票や不在者投票をした」と「必ず投票に行く」と回答した者に限ってみてみると、自民党支持者の88・8%が小選挙区で自民党に投票すると答え、比例代表でも85・2%が同様に答えている。つまり、今度の総選挙では自民党の歩留まり率がこれまでにないほど高く、支持者の票が他党にこぼれていない。 また、同様に無党派層の投票行動をみると、小選挙区では25・8%が自民党に投票すると答え、希望の党の27・5%と並び、立憲民主党の13・1%を引き離している。ただし、比例代表では、逆に無党派層の28・3%が立憲民主党に投票すると答え、これに希望の党の27・0%が続き、自民党は22・1%である。いずれにしろ、2009年総選挙のように、特定の野党にダブルスコアで引き離される状況ではない。街頭演説する立憲民主党の枝野代表=2017年10月18日、新潟県長岡市(中島悠撮影) 衆院選序盤では人気が高かった希望の党は、メディアが調査をする度に支持を落とし、今回の調査でも、比例代表では立憲民主党と逆転している。その立憲民主党も準備期間が足りなかったことから、小選挙区で十分な候補者を立てることができずにいる。こうして東京では野党の希望の党と立憲民主党、大阪では日本維新の会と立憲民主党が票を取り合って分散することで、与党の自民党が50%に届かなくても小選挙区で当選することができる構図になっている。安倍総理の「ある戦略」が成功した それでは、どうして3カ月前の東京都議会議員選挙時の都民ファーストのようなブームが起きなかったのであろうか。それは、希望の党代表の小池百合子氏が「民進党候補を全部受け入れる気はさらさらない」と言ったことで独断的に見え、自民党支持だが首相の独断は好きではないという一部有権者の票の受け皿にならなくなったからではないか。 また、これまでの国会で安保法案に反対していた民進党議員が、希望の党の公認を得るために安保法制の実施や憲法改正に賛成する協定書に同意したことによって、政策や信念よりも自分が議員でいることの方が大事なのかという思いを持った有権者もいるのではないか。さらに、党の代表自身が立候補しないことも、希望の党の人気が盛り上がりに欠けた一因となったのではないか。 その上、安倍晋三氏が野党の政策を先取りして行う戦略が成功している面も否定できない。安倍氏が小泉純一郎氏の後を継いだときは、「ジェンダー」という言葉の使い方をめぐり、女性に冷たいのではないかと思われて支持率を落としたこともあったが、首相に返り咲いてからは男女共同参画を主張し、国家公務員試験の合格者の3割を女性にするようにしている。 また、「保育園落ちた。日本死ね」と批判されたこともあったが、今回の総選挙では消費税を10%に上げた分を保育園などの幼児教育に使うことを公約に掲げている。つまり、本来、野党が言い出すべき政策を先取りして実行することで、自民党のウイングを広げる戦略が功を奏しているとも言える。街頭演説後、つめかけた人らとハイタッチを交わす安倍晋三・自民党総裁(右)=2017年10月19日、生駒市の近鉄生駒駅前(神田啓晴撮影) その結果、自公連立政権が過半数割れする可能性は低くなり、憲法改正の発議に必要な3分の2の議席をどのような枠組みでとるのかに焦点が移っている。自公+日本のこころ+保守系無所属の追加公認で届くのか、それとも他党の議席も必要となるのか。一方、野党側からみれば、立憲民主党+社民党+共産党で3分の1を確保することはかなりハードルが高いことから、総選挙後の野党再編が再度、話題になるのではないか。 いずれにしろ政治家の都合による勝手な離合集散で、選挙前の公約と選挙後の行動が異なることだけはあってはならない。注:全国の18歳以上の男女を対象に、居住地域と都市規模による層化を行った上で、性別と年齢による割り当てを行い、10月13~16日に実施。有効回答3000を得た。

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    共産党 立憲民主・社民と合流し党名変更のラストチャンスか

     日本共産党の志位和夫・委員長は選挙後の首班指名で「(立憲民主党の)枝野幸男・首相」に投票する可能性を示唆したことで驚かれた。党首討論会で、訴えたいことをパネルに掲げる日本共産党の志位和夫委員長=2017年10月、東京・内幸町(宮崎瑞穂撮影) 小池百合子・東京都知事の「排除の論理」で希望の党からの出馬を拒否された民進党の候補を救済するために急遽、旗揚げした立憲民主党が希望以上の勢いで“台風の目”になりつつある。それを支えているのが共産党との連携だ。共産党は各小選挙区に1万5000から5万近い票を持つ。自民党幹部が語る。「組織力ゼロの希望の党は恐くないが、立憲民主党には、共産党の組織力と行動力、そして民進党が持っていた労組の動員力の3つの力が備わっているから侮れない」 志位氏は2年前、「国民連合政府」構想を掲げて当時の民主党に共闘をもちかけたことがある。 本誌・週刊ポストはその当時、共産党支持者の間から、党名を変更して「国民政党」への脱皮を求める声があがっていることを報じた(2016年1月8日号)。しかし、共産党の運動員には党名への誇りが強く、志位氏ら指導部は踏み切れなかった。 立憲民主党の結党は共産党にとって党名変更の最後のチャンスかもしれない。西欧の共産党は党名を変えて現実路線に転換している。ドイツでは東西統一後、共産党メンバーが左派政党に合流、「左翼党」という名で野党第一党となり、イタリア共産党は1990年代に「左翼民主党」と名を変えて左翼連合「オリーブの木」の一角として政権に加わった。「選挙後に枝野氏の首班指名をきっかけにドイツのように左派政党と合流し、日本労働党など新しい党を結成すれば、事実上、共産党の指導部がコントロールする国民政党になることができる」(共産党関係者) こちらも数を集めるための政治に変わりはない。しかも共産党の希望への刺客作戦で、「野党連合」は壊れ、自民党を利することになっている。

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    選挙区改定の限界「地盤変動」に焦る議員、戸惑う住民

    を誇る。それは中曽根内閣の任期延長をもたらした「死んだふり解散」(59%)より高い。 この背景には小選挙区比例代表並立制という制度的要因がある。この制度は安倍内閣のみならず、2005年(自民61%)、09年(民主64%)と強い与党を創出してきた。政権交代を可能にすると謳われた小選挙区制は、今、長期政権をもたらす制度的基盤となっている。 もっとも、私たちが選挙の結果である議席数に囚われていることは否めない。それが選挙区レベルでの支持・不支持の積み重ねであることを忘れがちである。ひとたび個々の選挙区のあり方に目を向けてみると、その政治的な空間が現代日本の民主主義を強く規定していることに気づかされる。選挙区とは何か、改めて考えてみたい。 というのも、まさに今、選挙区の改定が進められている。いわゆる「一票の格差」に関する最高裁の「違憲状態」判断を受け、格差を2倍未満に収めるべく、衆議院議員選挙区画定審議会(以下、区割り審)による見直しが行われている最中だ。その規模は20都道府県約100選挙区と戦後最大である(注:改定対象は鳥取県を除いた19都道府県に変更)。 その大きさから、区割りの改定は政局にも影響を与えている。7月に予定される改定より前に、早期の解散総選挙を望む声があるからだ。解散の可能性が囁かれ続けるのはここにも原因がある。しかし、そうなれば最長で4年間、違憲状態が続くこととなる。中選挙区と何が変わった? 「一票の格差」をめぐる議論が顕著になった1970年代は中選挙区制の時代だった。これは格差是正との相性がよい。選挙区あたりの議席数に3~5と幅があり、人口変動に応じた増減で対応可能だからだ。参院選・一票の格差「違憲状態」との判決を批判する久保利英明弁護士ら原告弁護団=2016年10月、岡山市北区 しかし、94年以降の小選挙区制下ではそうはいかない。選挙区あたりの議席数は1であり、増減による調整は利かない。このため選挙区の線引きを変更せざるを得ない。2002年、13年の改定でも、候補者は地盤が切られることに抵抗し、有権者は新しい選挙区では自分たちの声が国政に届きにくくなると不安を口にした。 なかでも格差是正のために切り分けられた基礎自治体の住民は強い不安に駆られていた。「○○区と△△区の一部」といったよく目につくケースである。「△△区の一部」とされた住民からすれば、これは堪え難いことであろう。自治体を跨ぐことで選挙事務の混乱が生じる恐れもある。 その意味において今回の改定は画期的なものとなりそうだ。昨年末、区割り審が、基礎自治体は原則として切り分けない方針を示したからだ。今回、区割り審が都道府県知事に対して行った意見照会で最も目立ったのが、基礎自治体の分割に対する反対だったという。平成の市町村合併が基礎自治体の領域を生活圏に合わせるという論理で行われたことに鑑みても、妥当な方針転換と評価できるだろう。 では、選挙区から選ばれる国会議員は誰を代表しているのか。理論上、代議士は国民の代表であるとされる。しかし、私たちの肌感覚では、選挙区の声を代弁する地域代表という見方の方が素直に受け容れられるだろう。 国民代表か地域代表か。その議論は、実に衆議院議員選挙制度が創設された1889年から続いている。この時、政府は選挙区の単位を市町村ではなく郡とした。自治体である市町村ではなく行政区画である郡を単位とすることで、そこから選出される議員は地域代表ではなく国民代表であるという論理を示したのだ。 しかし、同時に政府は小選挙区制を採用した。明治憲法と同様に選挙法についても欧米の事例が詳細に検討されたが、当時、大選挙区制を取る国はいまだわずかだった。選挙管理の観点からも広域に及ぶ大選挙区制は非現実的だった。区割りも変更が加えられた 加えて、政府による区割り案は地方長官たちへの諮問を経て、大きく変更された。政府が地図と人口表を基に機械的に行った区割りを、地方長官たちは旧藩の領域に寄せて人為的に線引きし直したのである。行政区画が中央集権を目指して旧秩序の断絶を図ったのに対して、選挙区画は選挙の安定的な実施を求めて旧秩序との連続性を持たせたのである。 こうして選挙区が国民代表を標榜しつつ地域代表を選出する区画としてスタートしたことは、今日に及ぶまで色濃く影響を与えている。江戸時代以来の地方有力者たちが代議士選出の母体となったことで、代議士は地域の利害関係に強く縛られることとなった。その構造は1900年の大選挙区制でもしぶとく生き残り、19年の小選挙区制でふたたび息を吹き返し、25年の中選挙区制に組み込まれた。 中選挙区制の区割りは既存の小選挙区を3~5組み合わせたものであった。有力者たちは代議士後援会を立ち上げて自らの利益代表を輩出する仕組みを維持し、地域代表の性格を持った代議士たちが連続当選を重ねていった。そして70年ののち、ふたたび採用された小選挙区制度のもとで代議士たちは名実ともに地域代表としての基盤を得て今日に至る。今回の改定によって基礎自治体の分割が是正されれば、なお一層その性格は強まるだろう。 もちろん、議員たちは国政にあっては政党の一員として、国民代表としての機能を見せる。国民代表論と地域代表論は択一ではなく、そのバランスのあり方を考えるべきものだろう。しかし、現在は地域代表としての側面がいささか強く出ているように思われる。(iStock) 一方で、参議院議員を地域代表とすべきという議論がある。先の参議院議員選挙では、やはり「一票の格差」を解消するために鳥取・島根、徳島・高知の4県で合区が行われた。参議院は3年ごとの半数改選であるため1選挙区に最低でも2議席が充てられており、現状の人口分布では合区を行わない限り「一票の格差」が解消されないからだ。合区へ反対の声も ところが、この措置には対象となった4県から猛烈な反発が生じ、改正法採決の際には同県選出の与党議員が棄権する事態に至った。4県では現在も合区解消を求める声が強い。 このため、参議院議員は地域代表として「一票の格差」とは別の代表制を認めるべきとする議論が現れている。参議院議員の選挙区は都道府県と一致しており、地域代表性と馴染みやすい。合区解消の弁法と評する向きもあるが一考すべき議論だろう。 しかし、参議院を地域代表の府とした場合、衆議院との関係はどうなるのか。選挙の実態から考えても、地域代表としての性格が濃いのは衆議院議員と見るのが一般的だろう。衆参両院については、選挙制度のズレによって異なる民意が表出される問題が指摘されているが、両院の性格と制度を改めて考える時期に来ているといえよう。 より大きなトレンドで見れば、国内における人口の偏在にどう対応していくかという問題がある。偏在の進行は「一票の格差」の拡大に繋がる。現行制度での是正可能性には疑問が残る。 偏在が拡大していけば、区割り変更の頻度は増えるだろう。一方で頻繁な区割りの変更は国政に自分たちの声が届かないという有権者の不安を招く。それは政治的有効性感覚の低さに繋がり、政治不信に拍車をかけ、投票率をさらに低下させる恐れがある。解決は容易ではない。(iStock) しかし、政治的な安定がある今こそ、代議制民主主義と「一票の格差」、それに国民代表論と地域代表論という連立方程式の解を探る好機だろう。そのためには選挙区はもちろん、衆議院、参議院のあり方を含めた統治構造全般を対象とした議論が行われることが期待される。 現内閣は、主要閣僚と官邸スタッフを留任させ、人材の力によって当面の課題に対処し、長期安定政権を現出してきた。その内閣が折り返し地点を迎えた今、次を見据えた抜本的な制度的な改革に着手するタイミングが訪れている。

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    徹底検証「アベノミクス5年間の実績」

    日経平均株価が21年ぶりの高値をつけた。連騰が続く株価に「いざなぎ超え」への期待も高まる。解散総選挙に臨む安倍首相は遊説先で自らの経済政策の実績を強調するが、それを実感できない国民の声が止まないのも、事実である。アベノミクスの5年間は本当に正しかったのか。徹底検証する。

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    「異次元金融緩和は成功した」数字が語るアベノミクスの5年間

    榊原英資(青山学院大学特別招聘教授) 第2次安倍晋三内閣が発足したのは2011年12月26日。既に第3次安倍内閣の第3次改造(17年8月3日)になっているが、この間の政策全体が「アベノミクス」と呼ばれた。 アベノミクスの3本の矢は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」であった。このうち、金融政策は13年から安倍総理によって任命された黒田東彦日本銀行総裁によって実施された。 「異次元金融緩和」と呼ばれた積極的な金融緩和によって円ドルレートは大きく円安に動き、日経平均株価も急速に上昇した。 【年間平均レート】2012年:1ドル79・79円、2013年:1ドル97・60円、2014年:105・94円、2015年:121・04円【終値】2012年12月:1万395円、2013年12月:1万6291円、2014年12月:1万7451円、2015年12月:1万9034円 経済成長率もリーマン・ショックによるマイナス成長(2008年マイナス1・09%、2009年マイナス5・42%、2011年マイナス0・12%)から1~2%のプラス成長に転じた。大胆な金融政策は明らかに成功し、日本経済は息を吹き返したのである。後場開始から高値を更新した日経平均株価 =10月11日、東京都中央区(春名中撮影) 2014年は5%から8%の消費税増税によって成長率は0.34%に鈍化したが、2015年には1・20%に戻し、その後も1~2%の成長が続いた。成熟段階に既に達している日本経済にとって1%前後の成長率は「巡航速度」といえるだろう。日本経済は1956~73年の高度成長期(年平均成長率9・1%)、1974~90年の安定成長期(年平均成長率4・2%)を経て、1990年から成熟期に入ったのである。(1991~2016年の年平均成長率1・00%) 経済成長率の低下に伴って、インフレ率もまた次第に低下した。高度成長期の年平均インフレ率は2桁に達することにあり、1970年代でも年平均9%、1980年代でも2・4%に達していた。90年代に成長率が鈍化し、日本経済が成熟期に入るとインフレ率も低下し、90年代は年平均1・21%、2000年代はデフレ状況になり年平均マイナス0・53%。2010年代に入ってデフレ状況は脱したものの、2010~16年の年平均インフレ率は0・27%と極めて低いものであった。日本は明らかに低成長、低インフレの局面に入ったのである。総裁人事のベストシナリオ この状況は日本だけの現象ではない。先進国は軒並み低成長、低インフレの局面に入っている。先進国の中では成長率が高いアメリカでも、2010~16年の年平均成長率は2・09%、年平均インフレ率は1・62%だった。同じく2010~16年のイギリス、ドイツ、フランス、イタリアの年平均成長率はそれぞれ1・96%、1・97%、1・13%、0・42%だった。 一方、インフレ率はイギリスが年平均2・18%、ドイツが1・23%、フランスが1・18%、イタリアが1・36%で、各国とも経済成長率は1~2%、インフレ率も1~2%に収斂(しゅうれん)しつつある。 こうした中で日本銀行は2%のインフレ・ターゲットを維持しているが、世界的な低成長、低インフレ時代に日本で2%のインフレ率を達成するのは極めて難しいだろう。「1%成長、1%インフレ率」が日本経済の巡航速度であり、それで大きな問題はないのではないだろうか。「2%ターゲット」を今すぐ引き下ろす必要はないだろうが、次第に1%に目標を下げることが妥当なのではないかと思われる。 アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)が金融緩和を終了し、引き締めに転じ、欧州中央銀行(ECB)も金融緩和の出口を探り出している。こうした状況の中、いつ日本銀行が出口を模索するのかが、次第にマーケットの関心事になってきている。日本銀行は今のところ、大規模金融緩和を維持するとしているが、そろそろ黒田東彦総裁も出口戦略を考え始めているのかもしれない。前述したように大規模金融緩和は成功し、日本経済はリーマン・ショック前の状況に戻っている。いつまでも緩和を継続する必要は次第になくなってきている。日経平均もこの4年間大きく上昇し、既に2万円の大台を突破した。当面インフレの懸念はないものの、FRB・ECBと同様、日本銀行も次第に舵(かじ)を穏やかな引き締めに切ってくるのではないだろうか。インタビューに答える日銀の雨宮正佳氏=2012年12月、大阪市北区(柿平博文撮影) 日本銀行の黒田東彦総裁の任期は2018年4月に切れる。このところ、日銀総裁は1期5年で交代している。総裁はこれまで財務省OBと日銀プロパーが交互に務めるケースが多く、これまでの慣例からいけば、次の総裁は日銀出身者から選ばれることになるだろう。現在、日銀出身の副総裁は中曽宏氏だが、中曽氏がそのまま総裁になる可能性はそれほど高くないと思う。むしろ、「日銀のエース」と言われる雨宮正佳理事が昇格する可能性もあるが、理事からそのまま総裁ポストに就くのは現実的に難しい。 総裁ポストをめぐっては、さまざまなシナリオが考えられるとはいえ、来年4月の任期満了後に黒田氏が再任され、雨宮氏を副総裁に指名した後、短期間で雨宮氏に交代するという筋書きが有力だろう。時として総裁人事が国会承認でもめるということがあったが、このシナリオに抵抗があるとは思えないし、「黒田―雨宮」のバトンタッチがスムーズに進む可能性は十分にある。黒田総裁は財務省の国際派。財務官を務め、アジア開発銀行の総裁も経験している。以前は財務省出身の総裁は事務次官経験者で、どちらかというと国内派(23代森永貞一郎、25代澄田智、27代松下康雄)だったが、金融の世界でも国際化が進む中、国際派の起用は適切だと言えよう。

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    アベノミクスの限界「3本目の矢」は放たれない

    加谷珪一(経済評論家) 解散総選挙は、希望の党と立憲民主党の誕生によって状況が流動化してきた。希望か立憲民主が多数の議席を獲得した場合には経済政策が大きく変わる可能性がある一方、自民党が勝利しても、今回の解散は失敗と見なされる可能性があり、そうなった場合にはポスト安倍が強く意識されることになる。いずれにせよ5年間続いてきたアベノミクスは今回の総選挙をきっかけに何らかの方向転換を余儀なくされる可能性が高い。本稿ではアベノミクスの成果について、あらためて検証していきたい。 アベノミクスは説明するまでもなく第二次安倍政権が掲げた経済政策のことだが、その内容は徐々に変化しており、現在では明確な定義が難しくなっている。 当初のアベノミクスは「3本の矢」というキーワードに象徴されるように、3つの柱からなる政策であった。1本目の矢は「大胆な金融政策」で、これは日銀の量的緩和策のことを指している。2本目は「機動的な財政政策」で、主に大規模な公共事業である。そして3本目が「成長戦略」である。   量的緩和策は、日銀が積極的に国債を購入することで、市場にマネーを大量供給し、世の中にインフレ期待(物価が上昇すると皆が考えること)を発生させるという金融政策である。期待インフレ率が高くなると、実質金利(名目金利から期待インフレ率を引いたもの)が低下するので、企業が資金を借りやすくなる。これによって設備投資が伸び、経済成長が実現するというメカニズムである。日銀本店=東京都中央区(早坂洋祐撮影) 日本は不景気が長期化し、デフレと低金利の状態が続いていた。名目上の金利は、これ以上引き下げることができないので、逆に物価を上げて、実質的な金利を下げようというのが量的緩和策の狙いであった。 しかし、物価が上がる見通しがついただけでは、経済を持続的に成長させることはできない。本当の意味での成長を実現するには、日本経済の体質を根本的に変える必要があると考えられており、それを実現する手段が成長戦略であった。 成長戦略の内容は、時間の経過とともに変わっていくのだが、少なくともアベノミクスが提唱された当初は、いわゆる構造改革のことを指していた。だが、構造改革を実施すると、一部の人は転職を余儀なくされたり、もらえていた補助金を失ってしまうなど、痛みを伴うことになる。また、構造改革が一定の成果を上げるまでには、それなりの時間が必要である。その間のショックを緩和するための措置として掲げられていたのが2本目の財政出動であった。  整理するとアベノミクスは、金融政策でデフレからの脱却を試み、財政出動で当面の景気を維持し、その間に痛みを伴う構造改革を実施するという流れだったことになる。 だが、アベノミクスは、当初描いていたような形には進展しなかった。構造改革に対する世論の反発が強く、安倍首相はやがてこの言葉を使わなくなり、構造改革の司令塔であった規制改革会議も有名無実化された。その後、成長戦略は何度か追加されたが、多くが予算措置を伴うものであり、3本目の矢は、実質的に2本目の矢に収れんしたとみてよい。つまり、アベノミクスは、量的緩和策と財政出動を組み合わせた2本立ての経済政策にシフトしたのである。 1本目の矢については、当初はうまく機能するかに見えた。量的緩和策がスタートした時点では、消費者物価指数(「生鮮食品を除く総合(コア指数)」)は前年同月比マイナスだったが、すぐにプラスに転じ、消費税が8%に増税された2014年5月にはプラス1・4%(消費税の影響除く)まで上昇した。2%という物価目標の達成はもうすぐかと思われたが、ここを境に物価は失速を開始し、2015年2月には0%まで低下。2016年に入るとマイナスが目立つようになってしまった。量的緩和策の限界 日銀は2016年1月にマイナス金利政策を導入し、同年9月にはイールドカーブ・コントロールという聞き慣れない手法の導入に踏み切っている。この手法は、購入額をコミットするという従来の考え方をあらため、購入額ではなく金利水準に軸足を置くというものだが、市場はこの措置について物価目標からの事実上の撤退と認識した。 結果として、消費者はデフレマインドを強めることになり、物価が上がるとイメージする人はほとんどいなくなってしまった。スーパー大手のイオンは、2度にわたって商品の値下げを敢行したほか、家具大手のイケアも大幅な値下げに踏み切っている。埼玉県越谷市にあるイオンの店舗 もっともアベノミクスがスタートして以後の実質GDP(国内総生産)成長率は、2013年度がプラス2・6%、2014年度がマイナス0・5%、2015年度がプラス1・3%、2016年度がプラス1・3%と微妙な状況が続く。直近の四半期については世界経済の回復もあって、1~3月期が年率換算でプラス1・2%、4~6月期が年率換算でプラス2・5%となっており、まずまずの結果だった。 かなりスローペースではあるものの、日本経済は回復しつつあると評価することもできるが、一方で、安倍政権が掲げていた名目3%、実質2%の成長目標という点からすると、現時点ではほど遠い状況にある。 ただ、量的緩和策については、国債の総量という上限があり、無制限に継続できるわけではない。市場では量的緩和策はそろそろ限界との見方が支配的であり、少なくとも緩和策の拡大という選択肢はなくなりつつある。消費増税については自民と希望で方針が異なっているが、アベノミクスの主軸であった量的緩和策が限界に近づいている以上、希望が獲得する議席数にかかわらず、何らかの形でアベノミクスが軌道修正される可能性は高いだろう。

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    前原誠司のアベノミクス批判はあながち間違っていない

    言えるだろう。森友学園、加計学園問題をめぐる対応の不手際で、支持率を大きく下げた安倍政権だが、解散総選挙に踏み切る力を与えたのは、異次元緩和の効果も大きかったと考えられる。街頭演説する自民党総裁の安倍晋三首相=2017年10月15日、北海道 9月21日の金融政策決定会合で、新任審議委員の片岡剛士が「効果が不十分だ」と、むしろ緩和強化の必要性を訴え、大規模な金融緩和策の維持に反対した。一方で、審議委員を退任した木内登英はマスコミのインタビューに「金融緩和の副作用は膨らんでいる」「2%の目標を断念して柔軟化すべき」と主張、日銀のOBの中にも、異次元緩和の効果を疑問視する声もある。 果たして、国民は異次元緩和に、どのように審判を下すのか、注目される。(文中敬称略)

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    このままでは政権維持しても「アベノミクスの果実」を享受できない

    飯田泰之(明治大学政治経済学部准教授) 2012年末の政権交代以降、日本経済の「潮目」が明確に変わったことは確かだ。株価・為替・雇用についてその数字を繰り返す必要はないだろう。 さらに、アベノミクスの勢いを大きくそぐこととなった14年の消費増税ショックもようやく一巡しつつある。先日発表された9月の日銀短観で、景気が「良い」と答えた企業の割合から「悪い」と答えた割合を引いた「業況判断DI」は、大企業で製造業・非製造業ともに20を超える。これは10年ぶりの水準であり、大企業の景況感がリーマン・ショック前まで回復していることを示している。そして、中小・中堅企業を含めても同指数は15となっており、これは27年ぶりの数字である。製造業・非製造業間、地域間、企業規模間の格差が相対的に小さい点も今回の景気拡大の特徴だ。 アベノミクスの政策目標である2%のインフレは達成されていないが、その意味するところは政策の失敗ではない。昨夏の寄稿で指摘したように、鈍い賃金上昇、その結果としての低インフレといまなお続く雇用の拡大が同居している状況は、日本経済の潜在能力の高さを意味している。2013年2月、「三矢の訓」を説いた戦国武将・毛利元就が本拠地とした広島県安芸高田市から贈られた「三本の矢」を手にする安倍晋三首相(酒巻俊介撮影) ここであらためてアベノミクスとは何かを振り返ってみよう。当初のアベノミクスは「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を誘発する成長戦略」の三本の矢であるとされていた。金融政策において大きな転換が行われたことは確かである。だが、成長戦略についてはようやく働き方改革の検討が始まったばかりだし、社会保障改革については手つかずと言ってよい。まだまだ不十分というのは多くの論者の見解が一致するところだろう。しかし、後述するように成長戦略はいわゆる構造改革のみによって達成されるわけではない点にも注意が必要だ。 一方、アベノミクスへの評価をめぐる議論でいつも混乱の元となるのが財政政策である。「財政・金融政策をフル稼働させて短期的な経済浮揚を果たしただけだ」といった言及が行われることがあるが、これは二重に誤りである。第一に、安倍政権下の財政運営は拡張的なものではない。アベノミクスのマクロ政策運営の基本方針は「金融緩和+財政再建」である。 政府支出(正確には公的需要)の対国内総生産(GDP)比は12年第4四半期の25・3%から17年第2四半期には24・5%まで低下している。また、政府の赤字を示す資金循環勘定の国と地方の資金過不足の対GDP比は-7%台から17年第2四半期には-1・8%(季節調整値)まで改善した。14年の消費増税だけでなく、支出の抑制や景況の回復による自然増徴によって財政再建が進んでいる。終盤を迎える衆院選をめぐる政策論争に際し、ここ数年の日本経済が抑制的な財政運営の中、事実上金融政策のみで一定の経済浮揚効果を得てきたという点を忘れてはならない。日本が人手不足対応型経済の先進国になる 第二に、財政政策・金融政策は短期的な経済の改善のみをもたらすものではない。短期の蓄積が長期なのだ。 労働者の能力・技能は現場で形成される。短期的な経済停滞によって青年期に仕事の経験を積み、その能力を向上させる機会を得られなかった労働者が多いと、10年後・20年後の日本の生産性に大きな足かせとなる。逆もまた真(しん)なりだ。さらに、労働市場の逼迫(ひっぱく)が深刻になる、つまりは人手不足が深刻化すると、企業は自動化・機械化といった省力化投資を余儀なくされる。 長期的な人口減少傾向の中で、その初期から人手不足対応型の経済にシフトしていくことは将来の日本経済にとっても必要な変化である。人手不足という圧力により、企業のみならず社会・制度が人工知能(AI)やモノのインターネット(IoT)にむけたシステムに変化していくことが予想される。制度や構造問題が景気に押されて変化するケースは、海外でも労働者保護的な制度改正などで頻繁に観察されてきた。 現下の短期的な(?)景気回復は、日本の企業・社会を「人手不足対応型経済」に変えていく上で大きな原動力となり得る。近年の東アジア、そして東南アジアの出生率の低下をかんがみると、日本が人手不足対応型経済の先進国となる意味は大きい。少子化・高齢化にマッチした商品・サービス、経営手法はより長期にわたる日本経済の成長の源泉なのだ。(iStock) 企業行動の変化、制度改革を後押しする人手不足状態を創り出したという点で、アベノミクスは短期的にとどまらない成果を残しつつある。次に課題となるのは、この状態をどうやって維持し、さらなる成長に結びつけていくかだ。そのためには、(1)安定政権による将来予想可能な政策運営、(2)適度の人手不足プレッシャーを引き続き維持するための財政・金融政策の組み合わせが必要となる。 この両条件が満たされるか否かに日本経済の未来はかかっている。第一の条件に関するリスクは当然衆院選にある。いずれの党も安定的な議席数を確保できず、連立の枠組みや政策協調が猫の目のように変わるようになると、政策の継続性に疑問符がつくことになり、経済政策は「効くモノも効かない」状態に陥る。 そして、第一の条件が満たされたとしても、第二の条件に配慮した政策運営が行われなければ、日本経済は「人手不足の果実」を享受することはできないだろう。10月22日以降の政権には、これまでの金融政策の効果を軽視することなく、そして2014年の消費増税ショックの教訓を生かして、財政・金融一体での「適度の人手不足プレッシャー」の維持をはかっていただきたい。

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    有権者をそそのかす報道ステーション「依存効果」の罠

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 各社の選挙戦中盤までの情勢分析が出ているが、いまのところ総じて与党が300議席に届くかどうかという、いわゆる「与党圧勝」を伝えている。わずか2週間ほど前は、希望の党が民進党をすべて飲み込む形で、小池百合子東京都知事が国政に転じて、安倍政権が終焉(しゅうえん)するという予測を伝える報道が大半だっただけに、この様変わりは驚きに値するだろう。もっともこの「与党圧勝」という情勢分析が本当にその通りになるかどうかはわからない。いまの選挙はいわゆる「風」に依存しているし、その「風」はワイドショーなどテレビの印象で激しく変化するだろう。2017年10月、衆院選の街頭演説に集まった大勢の有権者ら=札幌市(政党名などを画像加工しています) かつて日本でもベストセラーになった『不確実性の時代』を著した米国の経済学者、ジョン・K・ガルブレイスが「依存効果」という概念を提唱したことがある。依存効果は、広告・宣伝によって消費者の購買意欲が大きく左右されることを示すものだ。依存効果が強まれば、消費者は合理的な判断ができなくなり、広告にあおられて過剰な消費に走ってしまう。政治の状況も似ていて、ワイドショーや報道番組の問題設定やそこでの映像の加工・編集、そしてコメンテーターや識者たちの発言の断片で、視聴者の意見は大きく左右されているようだ。 例えば、公示前は小池新党への期待や、その後の同党と立憲民主党の話題が、各メディアともに激増していた。ところが選挙戦が始まると、これは一例だが、10月11日にテレビ朝日系「報道ステーション」で放送された党首討論では、森友・加計学園問題が内容全体の6割を占めていた。これは国民の選挙への関心とは大きくずれた問題設定であるといえる。例えば、その報道ステーション自身が9月31日・10月1日に実施した世論調査によれば、森友・加計問題など政権固有の「スキャンダル」を論点化したいと考えている国民はほとんどいないのである。 多くの国民の関心は経済政策、安全保障問題に集中している。その他の報道機関での世論調査でもほぼ同様の傾向がみられる。国民の関心では、森友・加計問題はもう争点ではなくなっているのだろう。それだけに報道ステーションの森友・加計問題への党首討論での過度な傾斜は異様にさえ思える。ちなみに同問題については、私はかなり早い段階に本連載で、安倍首相個人や政権の固有の問題ではない、その意味での議論は事実上フェイクであると指摘してきた。マスコミがあおりたい対決図式 現状では、関係者ともいえる国家戦略特区ワーキンググループの八田達夫座長から、朝日新聞など事実上のフェイクニュースをただす公開質問が出されているが、それに対して朝日新聞の応答はまったくない(参照:「岩盤規制」を死守する朝日新聞)。その他にも多くの識者・関係者らから同問題の報道姿勢について、マスコミに批判が加えられている。その意味では、上記した朝日新聞や報道ステーションなどの、あまりに政治的に過度に偏った報道姿勢が問われている局面ではないだろうか。マスコミのあり方が、実はいまの選挙でも問われている隠れた論争点かもしれない。 マスコミの多くは選挙における政策的論争点を、「消費増税(与党)vs消費税凍結(野党)」という対立図式であおりたいようだった。この図式がいかに誤っているかは前回の寄稿で解説した。 簡単にまとめると、現在の日本経済は総需要不足、つまり国民にお金が不足している状態である。過去20年の停滞期よりははるかに改善されているが、まだ不十分である。このはるかにましになった状況は、政府と日本銀行がデフレ脱却にコミットした持続的な金融緩和の成果である。財政政策は2013年こそ拡大基調だったが、それからは14年の消費増税や以降の財政緊縮スタンスであまり効果は発揮されていない。そのため金融緩和政策を否定する政党には、日本経済の改善をストップさせてしまうから評価はできない。また消費増税はそもそも2年後であり、そのときの経済状況に大きく依存する話である。 もちろん減税をいまの段階で決めることがベストだが、それでも金融緩和政策という経済回復の前提条件を否定してまでやるとすれば、それは単に倒錯した政策スタンスでしかない。つまり何が重要かは、「いまの段階でどんな政策をやるか」そして特に「金融緩和政策への姿勢」こそが問われる。2017年10月、党首討論会を終えた(左から)公明党の山口那津男代表、自民党の安倍晋三首相、日本共産党の志位和夫委員長、希望の党の小池百合子代表、立憲民主党の枝野幸男代表=日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) その点から評価すれば、自公政権のスタンスは金融緩和政策の継続であり、この経済回復のための前提条件を満たしている。ただし2年後の消費増税を現時点で許容していることで、今後も大きな政策的争点になる。また財政政策については基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年の黒字化目標を取り下げたため、目前の財政政策の制約がなくなり拡大スタンスを取りやすくなっている。もちろん取りやすくなっただけで実際にデフレ脱却のために財政政策も積極的にやるかどうかは厳しく今後も検証すべきだろう。少なくとも衆院選後の補正予算の構築が大きな経済政策上のテーマになる。一番の争点はやっぱりこれだ さて、対する与党の最大ライバルである希望の党、立憲民主党は公約を見る限り、現時点の経済政策については、緊縮スタンスと反リフレ政策(デフレ脱却政策の否定)を主にしている。そのためそもそもの経済回復の前提条件を満たす政策を、この両党は提起しえないでいる。せいぜい2年後の消費税を凍結するといっているだけだ。つまり、これから2年間は緊縮政策とリフレ政策の見直しを続けると明言しているのである。 確かに2年たてば「凍結」せざるをえないかもしれない。ただし、日本経済がどうにもならない危機的状況になっていて、政治的に「凍結」しないとその時の政権が持たなくなるからだ。その意味では、希望の党も立憲民主党もともに危機的な政党といえる。ちなみに各党の経済政策についての評価は、エコノミストの安達誠司氏とネット放送で徹底的に議論したのでそれを参照していただきたい。 以上書いた理由から、消費増税vs消費税凍結というのはニセの論点であり、むしろ経済政策全体をみていく必要がある。この常識的な観点が、マスコミの問題設定に誘導されるとみえなくなるおそれがあるだろう。 さらに投開票日が差し迫った選挙の論点は経済問題だけではない。やはり「北朝鮮リスク」こそが選挙で問われる本当のテーマであったろう。この点についてはあまり議論が盛り上がっていないというのが率直なところだ。だが北朝鮮リスクが今後、高まることはあれ低くなることがない情勢である。2017年10月9日、平壌駅前に設置された朝鮮労働党創建記念日の飾り(共同) 端的にいえば北朝鮮リスクが戦争状態にまでなるのか、それとも北朝鮮の政治体制の大きな変更になるのか、その選択になっている状況といえるかもしれない。そのときに日本はどのような状況におかれるのか。さまざまなシナリオが具体的に考えなければいけない局面だろう。例えば、難民問題をどうとらえるのか、国連軍が立ち上がったときに日本はどう関与するのかしないのか。北朝鮮リスクを客観的に考えることは今後ともに極めて重要になるだろう。

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    小池流「ワイドショー政治」はもうウンザリです

    れた票の「受け皿」にはなりえないのではないか。その象徴的な例が自民党東京都連である。街頭演説を前に、選挙カーに乗り込む希望の党の小池百合子代表=2017年10月、仙台市(佐藤徳昭撮影) 自民党東京都連は9月27日、「都連支部長・常任総務合同会議」で会長を鴨下一郎氏に決め、トップ以外の執行部4役は前体制を引き継いだ。7月の都議選で歴史的大敗を受けて辞意表明した下村博文・前会長の後任がようやく決まったことは前進ではある。しかし実質的には23日の幹部会で決めた内容の追認で、再び会長人事という最重要事項の決定が「密室」で行われるかたちになった。 しかもこの決定までには、実に3カ月もの時間を要した。都連では初となる会長選を行う方針を打ち出したのは、都議選から2カ月近くも経った8月24日のことだ。 さらに実施方法をめぐって①10万人近い党員による投票とするか、②国会議員や都議、区市町村議ら1000人規模で投票を行うかをめぐって綱引きとなり、後者に落ち着きかけたところで、解散総選挙が急浮上した。 総選挙となればこれに向けた準備が第一となるのは当然で、その時点で、唯一手があがっていた鴨下氏に決まったこと自体は不合理なことではない。だがその結果として会長選は「幻」に終わり、都連が「脱ブラックボックス」をアピールして小池都政に対抗する最良の好機を逸した損失は小さくない。 都民ファーストの会が半年間で4度も密室で代表を決めたことに意を強くしたのか、「向こうと同じ、ブラックボックス返しだ」(都連幹部)とうそぶいてみる声もあるが、こうした優先順位を履き違える鈍感さに自民党都連の病巣がある、と私は思う。 この1年で、都議や都連の感覚が有権者から乖離(かいり)していたことにスポットライトがあてられたからこそ、都議選の壊滅的な選挙結果に至ったのではなかったのか。小池「情報公開は一丁目一番地」は方便 このところ、都連を不透明と批判してきた小池氏自身が、不透明な決定を繰り返している。 都議選直前の6月に唐突に公表した築地と豊洲の市場両立案は都庁官僚の誰とも討議した形跡はなく、毎日新聞の情報公開請求にも「記録なし」。小池氏自身も会見で「最後に決めたのは人工知能、つまり私」とはぐらかした。 移転延期に伴う補償先や補償額を求めた筆者の情報公開請求に対しても黒塗りだったし、特別秘書の給与の情報公開請求も黒塗り。後者については非開示決定に対しジャーナリストから裁判を起こされそうになると、慌てて公開する始末だった。 小池氏が強調する「情報公開は一丁目一番地」というキャッチフレーズは、あくまで権力奪取のための方便で、自らに刃が向かう情報については非公開という自己都合である。 それでも小池氏の存在がここまでクローズアップされたのは、安倍自民党の森友・加計疑惑への反感から、有権者が投じる先を探し求めていたからだ。 小池氏はこの1年、繰り返し敵対勢力の「失点」をテコに騒動を拡大させ、影響力はそのたびに高まった。都議会のドン、内田茂前都議に偏重した都連への「口撃」が喝采を浴びたのも、内田氏に依存した都連の不透明な決定プロセスという「つけ入る隙」があったからだ。 その総括はどれだけ組織内でなされたのだろうか。強力なカリスマである内田氏が存在する間、「弱点」は知事選後も見直されずに2月の千代田区長選、7月の都議選と持ち越された。これらの選挙に連戦連敗し、内田氏が引退した今が変革の最大のチャンスである。自民党千代田総支部総会後、議員引退を表明した内田茂都議=2017年2月、東京都(鈴木健児撮影) 会長選の方式をめぐる対立は、内田氏に近い丸川珠代前五輪相を推す萩生田光一党幹事長代行ら細田派系の旧執行部と、鴨下一郎氏を推す石破派系議員との間の主導権争いの側面が指摘されたが、果たしてそんなことをしている場合なのだろうか。 「政権交代を目指す」としながら首相候補についてははぐらかし続けた小池氏は、選挙後、大連立をいとわぬ戦術を仕掛けるだろう。「疑心暗鬼」を抱かせ、存在感を大きく見せるテクニックだとの見方もある。 有権者不在のこうした便法に軽々しく応じるような政党や政治家こそ、次の「ブラックボックス」になる。 総選挙後、自民党東京都連が脱ブラックボックスの政治に意識的に取り組めば、小池都政への明確なアンチテーゼとなる。さもなくば、ブラックボックスの中心が「内田氏」から「小池氏」に移転しただけ。再びわかりにくい行政が、首都で繰り広げられることになるだろう。

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    「ワイドショー政治」はもうたくさん

    第48回衆院選の序盤情勢は、新聞各紙の世論調査で自民・公明与党が「300議席超の勢い」と伝えられた。一方、民進党の乗っ取りを画策し、新党ブームに乗るはずだった希望の党は伸び悩んでおり、小池人気の陰りも鮮明になった。有権者へのパフォーマンスに明け暮れる「ワイドショー政治」もそろそろ潮時か?

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    小池騒動よりも変だよ、ニッポンのシルバー民主主義

    山本一郎(個人投資家・作家) 今回の衆議院選挙では公示までの道のりの中でどうしても民進党代表・前原誠司さんの大決断からの小池百合子女史の「希望の党合流」のすったもんだと、枝野幸男さんや辻元清美女史が結成した立憲民主党に話題が集まりがちです。 大きな野党再編のおかげで、「自民党+公明党」による安倍晋三政権に対する是非だけでなく、野党も非自民の保守系である「維新の会+希望の党」と、革新系の流れをくむ「立憲民主党+共産党+諸派」の3極に日本の政治が移り変わっていくことが見て取れます。二大政党制を目指して日本の政治が動いてきたところ、自民対非自民の構造が非自民のアプローチが変容したというのは大事な意味合いを持つのではないかと思います。2017年10月10日、衆院選が公示され、候補者の第一声を聞くお年寄りたち 一方で、総務省の発表では一票の格差は2倍を切り、1.9倍あまりまで差が縮まってきました。これは日本の政治において「0増10減」という大きな議席数の変化があっただけでなく、それに伴って人口割で小選挙区の区割り変更、合区が行われて、東京でも地方選挙区でも区割りが人口減少に見合った反映を行ってきた結果でもあります。 今回、希望の党の立ち上げで一定の貢献をした若狭勝さんは、民進党を事前に離党した長島昭久さんや細野豪志さんに対して希望の党への合流に際し一院制の重要性を繰り返し説くというエピソードも聞かれました。政治改革を志すにあたって今回の選挙で一院制の是非を前提とする若狭勝さんの政治的センスの良しあしは別としても、少子高齢化から人口減少時代に差し掛かる日本の政治が、いままでの利益代表を政界に送り込むだけでは政治改革を満足に行えないという問題意識はもう少し持たれてもよいのではないか、と感じる部分はあります。 例えば、目下国政最大の争点となっているのは、いまや景気対策や雇用の充実、産業育成などではなく、高齢者の年金、福祉、介護といった社会保障がトップに躍り出ています。ここで問題となるのは、高齢者ほど投票に足を向けやすく、また有権者の人口比でも高齢者が大きな割合を占めるシルバーデモクラシーという現象です。日本の政治において、シルバーデモクラシーの影響は非常に大きく、今回解散に打って出た安倍政権も高齢者向けの社会保障を削減しなければならない政治課題を言い換えるようにして「全世代対応の社会保障」というオブラートに包んで公示日に突入しています。 この問題は極めて大きい課題を日本社会に突きつけていて、社会保障の削減はもちろん年金に頼った暮らしをしている高齢者の生活を直撃するだけでなく、その子供の世代に大きな負担を強いることになります。つまり、介護離職に代表される福祉の問題は、突き詰めれば高齢者を誰が面倒を見るのかという話であり、国家が税金や保険料で高齢者を養う余力がなくなったので、地域や家庭でご自身のお父さんお母さんの面倒を見てくださいという流れなのですが、その高齢者を食べさせ、介護をし、病気やけがをすれば病院に連れて行くのは家族の負担となって、結果として日中独居老人や介護離職といった課題を日本社会に突きつけます。もっと議論すべきことがある! しかも、少子化が進んでいる以上、こういう年老いた親の介護は少ない子供、下手をすると1人しかいない子供が仕事を辞めてでも介護しなければならないという状況になり、とても「結婚しない人の自己責任」とか「子供ももうけないで自業自得」などとはとても突き放せない問題として日本社会に降り掛かってきます。期日前投票に一番乗りし、一票を投じる高校生=2017年10月11日、大阪府箕面市(共同) そうなると、利益代表という意味において地域で区切られたいまの選挙制度は日本の政治改革を考えるにあたって本当にふさわしいのか、ひょっとしたら、年齢別の利益代表や、利害関係の異なる層に対するより包括的な選挙制度を考えなければならない時代に入ったのではないかとさえ思います。地域の代表が70代の衆院議員であって良かった時代は、それこそ地元に大地主がいて、名士がいて、地域を代表する人物が住民から選ばれて議員となる政治プロセスを意味していました。 しかしながら、デジタル全盛時代になってくると、もはや個別の政策論争を国会で議論するよりも、より簡便で多くの人たちが参画できる政治手法も出てくることになります。電子投票はいまだ認められておらず、公職選挙法ではインターネットの利活用もきちんと解禁されているとは言いにくい状況です。社会の発展や技術の進歩が私たちの暮らしに与える影響が大きくなっているにも関わらず、立法も行政もこれに追いつかないのは、文字通り議員代表制、間接民主主義そのものが制度疲労を起こしているからではないかとさえ思います。 有権者の意見を広く取り入れるためにも18歳以上に選挙権を与える改革や、区割りの変更などで一票の格差を是正するというのは極めて大事なアプローチであり、一歩一歩進めていくべきものです。その一方、今回の選挙は古色蒼然(そうぜん)とした選挙戦での勝った負けたが目の前の国難である安全保障と社会保障について適切な議論を向けきれていない、議院内閣制や政党政治が持つ枠組みが遅すぎてさまざまな問題解決の阻害要因になっているようにも感じます。 今回、さほど争点にもならない消費税10%への引き上げや、それに伴う「社会保障と税の一体改革」で日本の形もある程度の道筋がもたらされるかもしれない割に、どのように行政が国民の声を吸い上げて技術革新や国際競争の中で日本の取るべきポジションやリーダーシップを確保するのか、また、より産業の前線で戦っている日本人や、家族の暮らしで困窮している日本人がより良く生きていくことのできる環境を実現するために間接民主主義、政党政治にどんな改革を必要とするかは、もう少しきちんとした議論を積み上げていくべき状況であることは言うまでもありません。少子高齢化で衰退に向かう日本の未来の青写真を描けるような議論は、今回の選挙では沸き起こらないものなのでしょうか。

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    安倍政権にあって「小池劇場」に足りなかったモノ

    松竹伸幸(ジャーナリスト、編集者) 安倍晋三首相による解散・総選挙は唐突に始まったが、その後の「小池劇場」が生み出した政界再編の動きは目まぐるしく、大方の予想を超える激動的なものだった。ただ、現時点で冷静に振り返ってみると、野党側の混乱の背景には安倍政権への対決軸をどう構築するか、その準備が成熟していなかったことが大きかったように思う。とりわけ安全保障に関する対決軸が未成熟と言わざるを得ない。本稿ではその点について考察してみたい。 小池百合子東京都知事が希望の党の公認を求める民進党出身候補に対して、憲法改正と新安保法制への賛成が条件であり、それが飲めない人を「排除する」と明言したことは、今回の経緯の核心をなす問題だと感じる。希望の党の動きがなければ、今回の選挙は、新安保法制を踏まえて北朝鮮情勢などに対処するという政権側と、新安保法制を廃止する枠内で対処するという野党側が、正面からぶつかる二項対立の構図になる可能性があった。小池発言は、結果だけから見れば、民進党の新安保法制に対する「反対」勢力の弱さを露呈させ、想定されていた対決構図が浮上するのを押しとどめるという役割を担うことになったのである。 ただ、これは小池知事にグチを言っても仕方のないことである。野党側にも問題があるからだ。 では、何が問題だったのか。端的に言えば、新安保法制に反対したとしても、どんな安全保障政策で対処すればいいのか、という対案に説得力が欠けていたことである。野党間の政策協議で一致していたのは「新安保法制に反対」ということだけであり、新安保法制廃止後の国防政策をどうするのかということへの言及はない。つまり、建設的な防衛政策が法案反対野党にはなかったということである。 野党共闘を市民の側から主導したのは「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)である。その市民連合は9月26日、民進・自由・社民・共産の野党4党に対し、衆院選での「野党の戦い方と政策に関する要望書」を提出した。そこにも9条改正への「反対」や新安保法制などの「白紙撤回」はあったが、防衛政策での要望と呼べるようなものは見られなかった。「市民連合」と面会し、プラカードを掲げる(左2人目から)共産党の小池書記局長、立憲民主党の福山幹事長、社民党の吉田党首=2017年10月、東京都千代田区 いま、わが国の眼前で進行しているのは、北朝鮮による核ミサイル開発である。有権者の多くが関心を持っているのに、この問題が政策協議で議題になったとも聞かないし、市民運動も言及しない。国民意識と野党共闘の間には深い溝があったわけだ。 この間、北朝鮮の「完全な破壊」を叫ぶトランプ政権の下で、安倍政権がそれに追随し、新安保法制に基づいて米艦防護などを実施している状況は、有事の際には日本も巻き込まれる危険を示すものであり、この法制の「廃止」には安全保障上の危機が生じる。しかし、法律を廃止したからといって、北朝鮮の核ミサイルに対処できる態勢ができるわけではない。自民党の一部にあるような敵基地攻撃論にはくみしないにせよ、ミサイル防衛システムを整備、改良するという程度の政策も打ち出せないのが一連の野党共闘であった。「総論賛成、各論反対」の共産党 むろん、野党共闘に期待する人々もいたと思う。同時に、目の前の事態に不安を感じる大多数の国民にとって、野党は弱々しく映ったに違いない。このままでは当選できないと感じた民進党議員の中から、持論を曲げてでも希望の党に移りたいという動きが生まれたのには、そういう背景もあろう。 しかし、野党にその気があれば、安全保障問題でも政策協議できたはずだ。この間の野党共闘は、共産党が日米安保条約の廃棄と自衛隊の解消という独自の立場を持ち込まないと明確にしたことで、ようやく成り立っていたものだ。しかも、共産党はただ持ち込まないというだけではなく、新安保法制以前の条約や法律で安保や自衛隊を運用するとまで明言していたのである。志位 私たちは、日米安保条約を廃棄するという大方針、それから自衛隊は、日米安保条約を廃棄した新しい日本が平和外交をやるなかで、国民合意で一歩一歩、解消に向かっての前進をはかろうという大方針は堅持していきたいと思っています。ただ、その方針を『国民連合政府』に求めるということはしない。これをしたら他の党と一致にならない。そういう点では方針を『凍結』する。 ですから、『国民連合政府』の対応としては、安保条約にかかわる問題は『凍結』する。すなわち戦争法の廃止は前提にして、これまでの(戦争法成立前の)条約と法律の枠内で対応する。現状からの改悪はやらない。『廃棄』に向かっての措置もとらない。現状維持ということですね。これできちんと対応する。「赤旗」2015年11月8日、テレビ東京系番組「週刊ニュース新書」での田勢康弘氏とのやり取り 「戦争法廃止以前の条約と法律」と言えば、安倍政権以前の自民党政権時代の条約と法律ということである。そこには条約で言えば、日米地位協定もあるだろうし、「思いやり予算」の特別協定も含まれるということだ。法律といえば、自衛隊法はもちろん、日本防衛とは距離のある周辺事態法も含まれる。これらはすべて、共産党が野党として反対してきたものだ。それでも新安保法制を廃止するために、ここまで踏み切ったのである。この考え方で行けば、既に配備されているミサイル防衛システムの発動や改良にだって「賛成」を明言できたはずである。 ところが、その共産党もメディアに尋ねられれば、ここまで踏み込むのに機関紙「しんぶん赤旗」の記事では、自衛隊について肯定的な報道をすることが一切ない。ミサイル防衛システムを改善するイージス・アショアについても、猛反対の記事ばかりが掲載される。つまり、総論では現状の枠内なら賛成と言いつつ、各論になると賛成できるものを提示できないのである。街頭演説で支持を訴える共産党の志位和夫委員長=2017年10月、東京・新宿 そういう現状では、共産党から他の野党に防衛問題を提起することができなかったのは仕方がない。国民が信頼できる防衛政策を野党共闘が打ち出せなかった理由の一つはここにある。エキスパートでも提起できなかった民進党 一方の民進党には、共産党と共闘することへの躊躇(ちゅうちょ)がもともとあることは理解できる。けれども、民進党が総崩れになったことの本質は別のところにあったのではないか。最初に離党した長島昭久元防衛副大臣は、離党の理由を次のように述べたが、そこから見えてくるものが実に興味深い。 野党共闘そのものを否定しているわけでもありません。まず民進党がしっかりと政策の柱を立てる。その政策に共産党が賛同していただけたとする。そうなれば、『ともに闘う』という形も納得できます。 (しかし)野党共闘路線に引きずられる党の現状に非常に強い『危機感』を持っていました。つまり、共産党が主導するなかで、野党がいわば『左に全員集合』する形になりつつある。 これまで私が書いてきたことを理解していただける方は、この長島氏の言明に違和感を覚えてもらえるのではないだろうか。共産党は、左か右かを分ける分水嶺(ぶんすいれい)である安全保障問題で、魅力ある政策を自分から打ち出せていないとはいえ、野党共闘に独自の立場を持ち込まなかったのである。安全保障に関しては、新安保法制に反対するということを除き、民進党は自由にできる立場にあったのである。だから、長島氏が言っているように「まず民進党がしっかりと政策の柱を立てる。その政策に共産党が賛同していただけた」ということが可能だったのである。 それなのに、長島氏は安全保障政策について「しっかりと柱を立てる」努力をしてこなかった。共産党に賛同を求めるには、まず自分たちの政策の柱が必要だといいながら、実際には何もしてこなかった。その結果、野党共闘は安全保障政策に関しては何一つ提示できなかったのである。少なくとも、この分野では「左に全員集合」の政策など影も形も存在しない。2017年10月、党本部で会見する民進党の前原誠司代表(佐藤徳昭撮影) 民進党の中で安全保障政策の第一人者である長島氏が提示できないわけだから、他の民進党議員が提示できるはずもない。というより、長島氏も含め民進党の議員たちは、そもそも安全保障で安倍政権に代わる「政策の柱」が必要だとも思っていなかったのではないだろうか。 民進党の中にも、安倍政権に対抗するだけのリベラルな防衛政策の必要性を自覚している人が個々にはいる。民主党時代に政権奪取に成功した理由の一つも、「対等平等の日米関係」とか「米軍普天間基地は最低でも国外」として、自民党と異なる選択肢を有権者に示せたことが大きい。しかし、鳩山由紀夫政権が「抑止力のことを考えれば考えるほど」と述べて普天間基地の辺野古移設に回帰して以来、防衛問題で自民党との対抗軸を打ち出す気風はなくなり、現在も全体として問題意識は希薄である。公示直前に立憲民主党を立ち上げた枝野幸男代表も含め、安全保障政策は自民党とあまり変わらなくていいという人が多数だったのである。もう護憲派にも防衛政策は必要だ 結局、問題の根源はここにある。新安保法制への賛否というのは、あくまで安全保障政策全体の中の一部である。民進党の中でその一部を大事に思う人が多かったから、これまで「廃止」で結束し、野党共闘も成り立ってきた。 しかし、そうはいっても新安保法制は安全保障政策全体の一部に過ぎないのである。その安全保障政策が「自民党と一緒でいい」というままでは、民進党あるいは野党共闘は自民党の対抗軸になり得なかったということだ。いや、少なくとも希望の党は、憲法でも安全保障でも自民党と足並みをそろえるが、それでも対決の構図を打ち出している。そういう道も不可能ではないのかもしれない。それに意味があるかどうかは別にして。 しかし、どの野党であれ、自民党に代わる政権を本気で目指すなら、安全保障問題でも対抗軸となるものを打ち出すことが求められるだろう。それがないと、今回のように「自民党と変わらない政党」の軍門にあっさり下ることになる。2017年10月、盛岡市での街頭演説を終え、JR盛岡駅の新幹線ホームで携帯電話を操作する希望の党の小池代表 わが国では、安全保障政策といえば、これまでは政権側のものしか存在してこなかった。というより、米国の抑止力に頼るというのが、わが国の安全保障政策のすべてであり、そういう意味では政策を考えるのは米国であり、現政権側も含め自分たちで政策を考える人はいなかったのかもしれない。一方、政権と対峙(たいじ)すべき護憲派は、防衛政策を持たないことを誇りにしてきたのである。冷戦時代はそれでも良かったかもしれない。旧ソ連の影響下に入らないようにする点で、米国と日本の国益は一致していたからだ。だが、現在は明らかに違う。 中国との関係をめぐって、日本は尖閣諸島の主権が侵されることを心配しているが、米国が関心を持つのはこの地域における自国の覇権、自国主導の秩序を侵されないようにすることである。北朝鮮の核ミサイル開発についても、仮に核弾頭が米本土に到達する事態になれば、自国民を犠牲にしてでも、わが国を「核の傘」で守ることができるのかという問題も生じる。 つまり、米国と日本の国益には、微妙なズレがあるのだ。その時に、ただ米国の核抑止力に頼るという安全保障政策でいいのか、無思考のままでいいのかが、今まさに問われているのである。 野党が政権に接近しようとすれば、安保と自衛隊の維持を前提にして、しかし自民党政権とは違って抑止力を疑い、安全保障とは何か、日本の国益はどこにあるのかということをトコトン突き詰め、安保と自衛隊をどう使いこなすのかということを提示する必要がある。それができない野党は結局、他党に飲み込まれていくか、小勢力のまま生き永らえるしかないのである。いずれにせよ、小池氏が主導した今回の政界再編は、そのことを野党に自覚させたという点では、大いに意味があったのかもしれない。

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    “排除”宣言で幻に 「小池総理&野田聖子都知事」構想

     総選挙の幕は上がったばかりなのに、「小池劇場」のクライマックスはすでに終了した様子。「女性総理誕生」のラストシーンが見たくて切符を買った人たちからは「カネ返せ!」と野次が飛びそうだが、まずは冷静にダメ出ししてみよう。快進撃を続けた小池百合子東京都知事は、どこでしくじったのか。 立候補者が出そろう「公示日」は、選挙戦の火ぶたが切って落とされる初日。ニュースでは、党首や注目候補の街頭演説の第一声がこれでもかというほど流され、列島はこの日を境に選挙モードへと突入していく。さる10月10日、かつてこれほどまでに総選挙の公示日が“失望”に包まれたことがあっただろうか。 振り返ると、この選挙が最も注目を集めたのは、公示の2週間前、小池百合子東京都知事(65才)が「希望の党」の結党を宣言した日だった。「これは政権選択選挙になる」。小池氏のこの一言で、「安倍自民圧勝」の予測が一気に吹っ飛ぶ。“どうせ投票に行っても同じ”という有権者の雰囲気がガラリと変わって、選挙への関心が一気に高まった。「“政権を選ぶ”ということは、“首相を選ぶ”ということですよね。小池さんが選挙に出て、“私か安倍さん、どちらを首相に選ぶんですか?”と有権者に訴えるんでしょ? しかも、もし小池さんが総理大臣になったら、女性初。歴史的な選挙になるかもしれませんよね」(50代主婦) そんな期待は、公示日に裏切られることになる。小池氏が衆院選出馬を見送ったのだ。「結党の日から小池さんはメディアに対して一貫して、“私は出ませんよ”と言い続けてきました。いくら“政権選択”なんて挑戦的な言葉を使っても、世間を煽っただけで、もともと出馬するつもりなんてなかったんじゃないですか」(自民党関係者)街頭演説で有権者に支持を訴える希望の党の小池代表=2017年10月、東京(鈴木大介撮影) 本当に彼女は最初から「女性初の総理大臣」の椅子なんて狙っていなかったのか。小池氏に近い政界関係者が明かす。「小池さんが衆院選に出馬するとなれば、都知事を辞任しなければなりません。そうなると、都知事選もやり直すことになります。実は小池さんは、東京都の選挙管理委員会に、“11月19日日曜日の投開票で都知事選を行うことはできるか”とシミュレーションを指示していました。つまり、小池さんは公示日ギリギリまで、出馬の可能性を探っていたんです」なぜ女性ツートップ計画は幻に終わったのか 小池氏はただ都政を放り出そうとしていたわけではない。後任の知事には、自分が打ち出してきた政策を引き継いでもらえる人になってもらいたいと、後任候補の人選も進めてきた。「そこで白羽の矢を立てたのが、“初の女性総理候補”のライバル関係にありながらも、お互いを政治家として認め合う関係だった野田聖子総務相(57才)でした」(前出・政界関係者)衆院が解散され、拍手する安倍晋三首相(右)と野田聖子総務相=2017年9月28日、国会(松本健吾撮影) 小池氏と野田氏は盟友ともいえる間柄だ。2015年、野田氏が自民党総裁選への出馬を目指した際には、小池氏が野田氏を支援。逆に、昨年7月の都知事選では、野田氏が自民党の禁を破ってまで小池氏を応援するなど、2人は党のしがらみを超えた深い信頼関係で結ばれている。「今年7月頃には、2人で国政政党を立ち上げて共同代表になるという動きもありました。その企みを裏で支援していたのが、かつてテレビキャスターだった小池さんを政治家にスカウトした細川護熙元首相でした。しかし、その情報は事前に自民党サイドに漏れてしまいます。そこで安倍首相は内閣改造で野田さんを入閣させて、計画をご破算にさせたんです」(政治ジャーナリスト) 今回の解散・総選挙を受けての「小池総理、野田都知事」構想はそれほど突飛なものではなく、以前からその伏線はあったということだ。「打診を受けていた野田氏も前向きに検討していました。実際、小池さんサイドは、希望の党からは野田氏の選挙区に対抗馬を立てないことにしました。もし野田氏が都知事選に転じ、選挙区では後任の新人候補が出馬しても、当選を妨げないようにするためです。2人とも、かなり本気でした」(前出・政界関係者) しかし、結局、小池氏は出馬を断念せざるを得なかった。なぜ女性ツートップ計画は幻に終わってしまったのか。 希望の党の立ち上げ直後ぐらいまでは、民進党との合流も決まり、小泉純一郎元総理を味方につけるなど、トントン拍子でうまくいっていた小池氏。「安倍自民党を倒そうとするならば、“野党を1つにまとめる”のが正攻法でした。しかし、彼女はより難しい戦略を選びました。それは“自民党の中から味方を引っこ抜いて、自民党を内部から崩壊させる”というものでした。まさに『策士、策に溺れる』です。打つ手がことごとくうまくいくので、調子に乗ったところがあるのでしょう。そこで飛び出したのが、政治的主張が合わない野党議員を仲間から締め出す“排除いたします”宣言でした」(前出・政治ジャーナリスト)小池氏は次の次を狙っている その発言は、小池氏にとって大きな逆風になる。一部の革新系議員を切り捨てることによって、自分を保守系だとアピールする。そうすれば、安倍首相に不満を持つ自民党内の保守系議員が味方になってくれるのではないか──そんな作戦だったのだが、目論見は外れた。 小池氏の後ろ盾ともいえる前出の細川元首相は、小池氏を「女帝っぽくなってきて」と、こう眉をひそめた。「排除の論理を振り回すようでは、私はこの試みの先に懐疑的にならざるを得ません」「排除宣言」は、世間の小池氏のイメージを「冷酷な人」というものに変えてしまっただけではない。「永田町は日本で“最強最古の男社会”です。水面下で交渉をして、相手のメンツを立てて、もし決裂したとしても、お互いが納得した上で物事を進めていく。ある意味で“馴れ合い”が必要なわけです。小池さんが毛嫌いする“ブラックボックス”ですが、それが、いろいろな立場の人の利害関係を調整してきました。しかし、小池さんは水面下のネゴを拒否してスパッと主張の合わない人たちを切り捨ててしまいました。彼らが怒り心頭なのはもちろんですが、“そのやり方はいくらなんでも…”と仲間からも反感を買ってしまった。排除宣言によって、旧来の『男型政治』からアレルギー拒否反応を受けてしまったんです」(前出・自民党関係者)本会議に臨む小池百合子都知事=27日、都庁(酒巻俊介撮影) いつの間にか四面楚歌になっていた小池氏は、かくして出馬を見送らざるを得なくなった。だが、もちろんこのまま黙っているわけではないだろう。「選挙の結果を見て、“次の次”を虎視眈々と狙うはずです。場合によっては、希望の党の誰かを議員辞職させ、小池氏が補選に打って出て国政へ、なんていう仰天のシナリオも絶対にないとはいえません」(前出・政界関係者)「ガラスの天井」は高く、厚かった、と言うのは簡単。まだチャンスはある。関連記事■ 梅沢富美男が小池百合子に一言「下手打ったんじゃないかな」■ 小池都知事の手法は「しがらみ政治そのもの」ではないか■ 中居正広、6年交際のダンサー恋人と破局 「結婚より仕事」■ 満島ひかり 新作映画で見せた覚悟の初体験に試写室どよめく■ 『民衆の敵』で女性議員演じる篠原涼子 小池氏よりも期待大か

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    もし希望の党が安倍政権を倒したら「首班指名」どうなる?

     急転直下の「希望の党」誕生と事実上の民進党の合流により、安倍政権が「余裕の戦い」と見ていた選挙戦は、一気に風向きが変わってきた。7月の参院選では小池百合子氏の都民ファーストと共闘した公明党が自民離れを起こせば、全国的に自民党候補者がピンチに陥ることも考えられる。そして「劇的な与野党大逆転」が仮に現実となった場合は、その後の特別国会での首班指名は混迷を極める。 安倍政権を倒した立役者は間違いなく希望の党首(代表)である小池都知事になるが、知事の座を捨てて自ら総選挙に出馬しない限り、「日本初の女性総理大臣」の権利はない。自宅を出る「希望の党」代表の小池都知事=2017年9月28日、東京都内 では、希望の党は誰を総理に担ぐのか。小池氏は「(公明党代表の)山口那津男さんがいいと思います」と語ったが、それは連立工作になった時に公明党を引き込むためのリップサービスだろう。 「当選2回の若狭(勝)さんはその器じゃない。かといって民進党を離党してきたばかりの細野(豪志)さんが総理というのも不自然で、国民の支持を得られない。結党メンバーの国会議員14人の中に適任者は誰もいない」(前出の小池ブレーン) かといって民進党を“解党”し、無所属で出馬する前原誠司氏に投票する展開は、細野氏や若狭氏以上に不自然だ。調整がつかなければ、“最大野党”の自民党総裁が首班指名され、少数政権を樹立する展開にもなりかねない。小池ブレーンと民進党中堅は奇しくも同じ言い方をした。 「突き詰めて言えば、希望の党は“小池党”だ。最終的には首班指名で『小池百合子』と書く意外の選択肢はない」 どういう意味か。 「希望の中では、“もはや小池さんの出馬しかない”との意見が強まっている。前原さん(誠司・民進党代表)も同意見です。1年余りで知事を辞めれば批判を浴び、後任の都知事候補の目処も立っていないが、政権を取る好機を逃してはいけない。それは誰よりも政治勘がある小池さんが分かっているはず。公示直前に出馬を決断すると期待している」(小池ブレーン) すでに橋下徹・前大阪市長らを後継都知事候補にリストアップしているとの情報も駆け巡る中、小池氏はどんな決断を下すのか。 それが解散権を弄んで奇襲作戦に出た安倍首相に対する「とどめの一撃」となるかもしれない。関連記事■ 自民党選対「パールハーバーと思ったらミッドウェーだった」■ 公明票の自民離れが広がれば「与野党逆転」の展開もある■ 豊田真由子氏が孤立無援状態 後援会幹部はカンカンに■ 稲田朋美氏 地元のオジサマから「パンツ姿もいいねェ」■ 国会議員 年収2000万+非課税で1200万、世界有数の厚遇

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    「腰の据わらない保守」希望の党に可能性はない

    認められない、あるいは拒否したグループが立憲民主党を掲げ、社民・共産と連携しつつ第3の勢力をつくる-選挙情勢はこうして固まりつつある。 しかし、表面的な事実から見ても、政治情勢の推移からしても、今回の三つどもえの選挙戦は全く新しい事態では「ない」。筆者はこれまでにも複数の講演で、現在の日本政治は、今から30年近く前に注目することが必要だ、と述べることから始めてきた。 国会前デモが起きれば1960年代が参照され、選挙になれば安倍政権「5年」の採点だと騒ぐが、前者は長きにすぎ、後者は短すぎる。 今回の選挙は90年代初頭、とりわけ細川護煕政権前後の政治状況から復習せねばならない。構造が似ている、というよりその延長線上にあるからだ。 細川政権誕生の経緯を略述しておこう。「55年体制」の自民党一党支配に対する国民の食傷感が、日本新党と新生党などの出現に新鮮さを感じさせ期待をもたせた。細川内閣が発足し、シャンパンで乾杯する細川護熙首相(中央)、羽田孜副総理兼外相(左)ら=1993年8月9日、首相官邸 理由は紋切り型の批判だけを吐き続け、実際の政権担当能力を欠いた社会党への違和感を、これら保守新党がすくい取る役目を果たしたからだ。新政権の「顔」だった細川氏を担いだのは、二大政党制の必要性を掲げて自民党を飛びだした小沢一郎氏だった。 小沢氏だけではない、細川氏も羽田孜氏も武村正義氏すら自民党出身だといえば、今回の希望の党の顔ぶれに重なってしまう。 大前研一氏なる人物が登場する際に掲げた政策が「規制緩和」と「地方分権」であり、その政党名が「平成維新の会」だったといえば、膝を叩(たた)く人も多いのではないだろうか。 また当時、小沢氏の自民党批判は、東西冷戦構造でアメリカ側についているだけで十分だという「アメリカ追従保守」自民党に揺さぶりをかけることだった。憲法9条に「第3項」を付け加え、国連との関係を意識した自衛隊の性格を明記せよ、とは他ならぬ小沢氏の考えであった。 国際社会秩序の激変に敏感に反応し、だからこそ国内改革も必要だ、その改革こそ選挙制度改革なのだというのが、小沢氏の考えだったのである。希望の党は腰の据わった保守か 冷戦以後の国際情勢に目を転じてみるがよい。2017年の今日は、冷戦崩壊とアメリカの国力衰退によって、世界を二極で説明する時代が終わり、「多極化」の時代がやってきた。つまり「世界情勢が見えにくい」時代になった。 これはわが国周辺の極東アジアが、本来であれば1990年代から、世界情勢と同様に多極化・混沌(こんとん)化し始めたということである。 しかし日米安保関係を自明の前提とし、また世論全体が国際情勢=経済情勢で眺めることに慣れ切った日本では、90年代からつい最近まで、注目はひたすら中国の経済成長を中心に語られてきた。 だから今回、北朝鮮情勢がトランプ米大統領の出現によってにわかに顕在化し、それに対応する安倍政権が、これまた「にわかに」強硬策に出ているように見えるのは間違いである。 国内政治からみても、国際政治の推移からしても、私たちは90年代に始まった出来事の渦中に、現在も直面しているのだ。30年も前から、今日の北朝鮮情勢を含めた混乱は予想できたことだし、対応策は公開の場で議論されているべきであった。 つまり、今回の「国難」とは、直近の北朝鮮情勢を言うのではない。また総選挙の意義を「ここ5年の安倍政権の総括」だというのも短期的に過ぎることが分かるだろう。改革保守政党を掲げる希望の党が、この時期の細川・小沢両氏が構想した政治改革路線を、いよいよ実現するために出現した政党であることは、一目瞭然のはずである。 だとすれば、希望の党という小池新党は、次のような可能性と危険性を孕(はら)んでいると指摘することができよう。第1に、アメリカ追従保守・自民党に反旗を翻す以上、希望の党は対米追従ではない、日本独自の防衛政策と国家像を追求するような政党になるのかどうか。国政新党「希望の党」の政策について話す東京都の小池百合子知事=9月25日、東京都庁 第2として、国内の諸制度を「リセット」すると言っている以上、規制緩和をこれまで以上に進め、結果、日本の「相互扶助」のよき伝統を破壊するかもしれないこと。第1は可能性であり、第2が危険性の指摘ということになる。 しかし、希望の党に可能性はないだろう。腰の据わった保守政党ではないからである。かくして筆者は第2の危険性、伝統の喪失を「国難」だと見なすものである。

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    【上西小百合独占手記】橋下さん、私からはこれが最後の言葉です

    ても仕方ないと思います。橋下氏からの励ましメール でも、私が公募面接で聞かれたことはたった二つ。 「選挙費用3000万円くらいだけど、用意できる?」「万が一、落選しても生活は大丈夫?」 これを私はクリアしていました。議員の給料がなくても、資産運用などで既に生活が安定していたから、私は政治理念を曲げず、保身にも走らず議員としての職責を全うすることができた。それなのに、橋下さんが「お金のために」と言うので、ついに私は「生活を安定させてから立候補した。お金が欲しかったら、野党の国会議員なんかにならない」と本当のことを言いました。そうしたら、ちょっとだけ世間の目が変わったのです。議員であるなら、何でも言ってしまった方が伝わるんだというのは、皮肉だけれど橋下さんに気付かせてもらった大切なことです。記者会見を行う橋下徹代表、上西小百合衆院議員 (ともに当時)=2015年 あと、橋下さんは人に直接何かを言うのが苦手なのかもしれませんが、よく所属議員宛てにおそろしく長いメールが一括送信されてきました。しっかり読むと非常に論理的でいい内容だったから、そこは「橋下さん、すごいな」と思いました。 また、私が国会質問中にセクハラヤジを受けた時には「腹の立つヤジだったでしょうが、その場で受け流し、その後これだけ話題となっていることなのに(少し時間がたってから報道されたので)、それに便乗することなく「犯人捜しをするつもりはない」とのコメント、立派です。政治家ですからね、ヤジを飛ばした相手には機会があったらボロクソにやり込めてやって下さい。頑張って下さい。橋下」という激励メールもくださいました。 “議員が国会内で起こったことで、わざわざメディアの前に出て行って弱々しく被害者面するのは違うでしょ、議員は強くないといけないんだから”という私の思いを橋下さんもわかってくれたんだと、その時は感動しましたね。 橋下さんの背中を見ながら歩んできた私の議員生活。その中で感じた橋下さんの人柄には、好きな部分も嫌いな部分もあります。どちらが多いかは言いません。でも、政治家としてやってこられた手法は素晴らしいと今でも思っています。 熱狂の渦を作り上げ、そこに人を巻き込んでいく。大阪府民は6年前、橋下さんから目が離せなくなった。これこそ政治家のカリスマ性であり、今の議員にはないものです。橋下さんと離れてから、それでも何とか橋下さんと直接お話しさせていただきたいと色んなルートでアタックしてきましたが、叶わなかったことは残念でした。 ただ、私も今回の解散である意味、橋下ベイビーとして一区切りつきました。私が橋下さんについて語るのは、この原稿をもって最後にしたいと思っています。 これからは自分の信じる政治家としての道をしっかり歩んでいきますね、橋下さん。

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    橋下徹よ、責任を取れ

    「橋下さんについて語るのは、この原稿で最後にします」。前衆院議員、上西小百合氏がiRONNAに独占手記を寄せた。政治家を志すきっかけをつくってくれた前大阪市長、橋下徹氏への感謝と訣別宣言。政界引退を決めた彼女がどうしても橋下氏に伝えたかったラストメッセージとは。

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    橋下徹が私たち大阪人に残したのは「負の遺産」だけだった

    薬師院仁志(帝塚山学院大学教授) 9月24日に行われた大阪府堺市長選挙は、4年前の前回と同様、大阪維新の会と他党が全面対決する一騎打ちという構図であった(公明党は自主投票)。そして、結果もまた前回と同様、無所属で現職の竹山修身氏が、大阪維新の会の新人候補を制して当選を果たしたのである。しかしながら、選挙戦は前回ほどの盛り上がりを見せず、投票率は6%以上も低下してしまった。4年前とは異なり、政界を引退した橋下徹氏の姿がなかったことも、その一因に違いあるまい。それでも、票集めにおける大阪維新の会の手口は、橋下代表の時代から何も変わっていなかった。だからこそ、首長選挙における維新と反維新の全面対決という構図も維持されているのである。 大阪維新の会は、まず現状に対する不満を煽動(せんどう)する。その上で、「改革」だとか「Change」だとかいった中身のない標語を声高に叫ぶのだ。実際、今回の堺市長選挙においても、大阪維新の会が掲げた争点は「停滞か、成長か」という抽象的なものであった。つまり、現市政を「停滞」だと一方的に決めつけておいて、自分たちは「成長」だと自称するという次第である。言うまでもなく、こんなものは争点でも何でもない。堺市民の意見が「停滞か、成長か」で割れていたわけでもなければ、対立候補の竹山氏が「停滞」を主張していたわけではないのである。そもそも、現在の堺市が停滞しているという具体的な根拠は何もない。大阪維新の会は、堺市が停滞しているというイメージだけを煽(あお)ったのだ。図1 大阪維新の会のビラ 例えば、大阪維新の会のビラを見てみよう(図1)。まず、冒頭に「女性777人にお聞きしました!」と記されているが、何を聞いたかといえば、「堺市の不満や不安」なのである。あえて不満や不安を口にするよう、人々を煽っているのだ。その上で、ビラは「保育園がすくない。(西区・20代)」という市民の不満が載せられている。だが、実際には西区の待機児童はゼロだ。堺市全体でも31人しかいない。たしかに、昨年度の16人から比べれば増えてはいるのだが、その理由は3人目の子どもの無償化を実施したことで申し込み自体が急増したことに起因する。 また、同じビラには、「水道料金がべらぼうに高い!(西区・70代)」という不満も紹介されている。しかし、堺市の水道料金は、大阪府の33市中9番目の安さである。なるほど、大阪市と比べれば高い。だが、淀川という大水源を持つ自治体が有利なのは当たり前であろう。同様に、「健康保険料が高い(西区・50代)」という不満にしても、堺市の国民健康保険料は竹山市長が就任以来8年連続で引き下げて来たし──単純な自治体間比較は難しいが──少なくとも府内市町村の平均よりはかなり安い。その一方で、大阪市は、橋下市長と吉村市長が6年間で合計7%も国保料を引き上げているのだ。維新の「グラフ目盛り操作」 極めつけは、ビラの中にある「堺市にお住まいの方の73%の方が停滞・衰退していると答えました!」という記述だ。そのデータ元は「2017年2月 大阪維新の会 調べ」と非常に小さな文字で記されているが、実際にどのような調査をしたのかは全く示されていない。新聞社や放送局のアンケートなら、そんなデータの示し方では全く通用しないだろう。それでも、「73%の方が停滞・衰退」と大書すれば、堺市民の不満を煽ることだけはできるのである。図2 『維新プレス号外 堺特集号vol.2』 さらに、大阪維新の会が配布した『維新プレス号外 堺特集号vol.2』(図2)に記されたグラフをよく見てみよう。堺市と大阪市の借金を比較したものなのだが、左のグラフ(堺市)と右のグラフ(大阪市)とでは目盛り幅が約4倍も違う。つまり、堺市の借金がわずかに増え、大阪市の借金がわずかに減っただけの事実を、あたかも非常に大きな差があるように見せているのである。そのことで、維新市長の大阪市は優れているという錯覚を与えようとしているのだ。しかしながら、大阪市の借金が減っているのは維新市政の手柄ではない。関市長と平松市長の努力によって、橋下氏が大阪市長になる前から負債削減路線は軌道に乗っていたのである。むしろ、維新市政になってからは、借金の減り幅が停滞傾向にあるのだ。 もちろん、堺市の財政事情が悪いわけでもない。自治体の借金が健全な額であるか否かは、単なる金額ではなく、実質公債費比率(収入に対する借金返済額の割合)によって判断されるからである。つまり、ある人物に100万円の借金がある場合、それが多すぎるかどうかは、当人の収入によって判断されるのと同じである。そこで、堺市、大阪市、大阪府の実質公債費比率を比較すると、順に5.5%、9.2%、19.4%となる(2015年度決算)。堺市の数字は、全国20政令指定都市中4位の健全さだ。これに対して、大阪市は8位である。さらに、橋下知事、松井知事と続く維新府政の間に大阪府の借金は増え続け、ついには起債許可団体に転落してしまっている。端的に言えば、大阪維新の会は、大阪における実質的な行革成果を何ら生み出していないということなろう。 借金残高が年間収入の何倍に相当するかを示す「将来負担比率」を見ても、堺市は全国20政令指定都市中3位なのに対して、大阪市は9位にとどまっている。2012年から2016年における企業の本社流入数(=転入-転出)に至っては、堺市がプラス28社で政令指定都市中2位である一方、大阪市はマイナス468社で同最下位だ(帝国データバンク調べ)。自市そのものの廃止議論を7年もの長きにわたって延々と続けているような自治体は、政情不安だと思われても仕方あるまい。いずれにせよ、停滞しているのは維新市政、維新府政に他ならない。それでも、大阪維新の会は現堺市政を「停滞」だと決めつけ、目盛りを操作したグラフまで駆使して不満を煽るのである。大阪以外では知られていないかもしれないが、正しく事実を直視すれば、一事が万事このような次第なのだ。有権者の「維新慣れ」 補足しておくと、堺市の借金がわずかばかり増えたのは、必ずしも悪いことだとは言えない。実質公債費比率を健全な水準に保ったまま収入に応じた借金をすることは、市民生活の向上につながるからである。例えば、自治体が30年にわたって使う橋を建設する際には、借金をせずに今の住民だけが全額を負担するのは不公平だし、一度に多額の支出となるので、30年ローンとした上で、その自治体に暮らした年数分だけ各住民がローンの支払いを負担するという方法をとることになる。このように考えると、自治体が収入に応じて借金を増やすのは、むしろ望ましいとも言えるのだ。何にせよ、大阪維新の会の宣伝とは裏腹に、現堺市政が財政を悪化させているのではないのである。 大阪維新の会が今回の堺市長選挙で使ったグラフ目盛り操作は、今に始まったことではない。2015年の大阪市住民投票の際、大阪維新の会がタウンミーティング等で使用していたパネル(図3)もまた、極めてデタラメな目盛りであった。グラフの下部を切り、ごくわずかの借金減を極めて大げさに見せていたのである。これが、今も変わらぬ手口なのだ。そして、反維新勢力は、主義主張に違いこそあれ、こうした維新の政治手法に対して一斉に異議を唱えているのである。対立軸の根元にあるのは、主義主張の内容以前の問題なのだ。しかしながら、今回の堺市長選挙の結果を見る限り、もう維新の手口が見破られつつあるのかもしれない。少なくとも、大阪維新の会の新鮮さは失われ、多くの有権者が維新慣れしてきたことは事実であろう。図3 大阪維新の会がタウンミーティング等で使用していたパネル ただし、大阪維新の会が得票数を減らしているわけではない。今回の堺市長選挙の結果を前回と比べてみると、表1(次ページ)のようになる。前回に比べ、投票者数は3万7000人以上減ったにも拘らず、大阪維新の会の候補は前回から1268票しか減らしていないのだ。ほぼ同数の票を得たと言ってもよいだろう。そこには、橋下氏が引退した影響など全く見られない。この背後には、維新票の固定化があると推測される。つまり、雨が降ろうが槍(やり)が降ろうが維新に一票という固定支持層が生まれているのである。それは、決して少数派ではない。全く逆に、自民党や共産党や公明党の固定支持層よりも人数は多い。実際、今回の堺市長選挙にしても、もっと投票率が下がっていれば維新候補が当選していたであろう。こうなると、選挙における大阪維新の会の命運は、投票率にかかっていることになる。大阪は政治的な特殊地帯になった 2011年の大阪W選挙の頃は、無党派層や浮動票が大阪維新の会を支えていた。もちろん、橋下氏個人のタレント的な人気も大きかったに違いない。そして、当時は半ば詐欺的なイメージ戦略も新手の策略であった分だけ大いに通用した。だが、今は違う。少なくとも堺市長選挙を見る限り、橋下氏がいなくても票は減らなかった一方、従来と同じような手口を駆使しても票は増えなかったのだ。いわゆる無党派層は、ある意味で冷静であり、維新の手口を見破りつつあるのだろう。その一方で、大阪の場合、大阪維新の会が他のどの政党よりも多くの固定支持者をつかんでいるのである。表1 堺市長選挙結果 この支持層にとって、大阪維新の会が流布する言辞の正確さや信憑性は何ら問題ではないのだろう。むしろ、大阪維新の会の煽動によって不満を強くかき立てられ、その矛先を求めているように見えてならない。だからこそ、橋下氏個人が政界を引退しようが維新に投票するのである。そこにあるのは、もはや橋下氏に対する支持ではなく、不満をぶつける標的を求める態度なのだ。となると、投票先が大阪維新の会である必然性もないことになる。別の勢力が巧妙に煽動すれば、そこに一気に流れる可能性さえあるのだ。 このように考えるならば、固定化した維新支持層が今後どうなるのかは、まるで予測がつかないことになる。それでも、目前に迫った第48回衆議院議員総選挙において、大阪維新の会(日本維新の会)は、橋下氏がいなくとも堅調に大阪票を獲得するのではないだろうか。大阪府が起債許可団体に転落しているという事実を前にしても、維新支持の固定票は動きにくいのだ。希望の党は大阪に候補を立てないので、それに票を奪われる心配もない。大阪の現状では、安保が何であれ憲法が何であれ消費税が何であれ森友学園問題が何であれ、維新支持層は維新に投票するだろう。そうした中、もし他党が互いに票を奪い合う情勢になれば、固定票の多い維新が漁夫の利を得て小選挙区の多くを制することにならざるを得ない。 以上のような次第であるからこそ、小池百合子氏の率いる希望の党は、大阪における維新との対決から逃げたのであろう。その結果、全国的に希望の党が話題を呼ぶ中で、大阪人は選択の埒外(らちがい)に置かれているのだ。そして、政令指定都市の首長選挙では自民党と共産党が反維新で一致団結している……。これらは、全国的に見ても非常にまれな状況であろう。 橋下徹氏が私たち大阪人に残した負の遺産は、煽動政治を蔓延(まんえん)させたことだけではなく、大阪を政治的な特殊地帯にしてしまったことである。

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    橋下徹は今こそ「敗北の呪縛」から解かれるとき

    。こう強く感じているのは、おそらく筆者だけではないだろう。 そもそも目まぐるしい政局の末、始まった総選挙。大義なき解散とか自己都合解散とか言っているうちに、結局は「民進党解党解散」の色彩となった。その受け皿に小池百合子氏の率いる希望の党と枝野幸男氏の立憲民主党が担うことになりそうだが、客観的にいうと、自公体制に大きな影響の出ない「民進党の区画整理事業」の感が強い。 ただ、総選挙は政権選択を含む国民の政策選択の機会だが、日本を一括りに議論する視点がチョッとずれていないか。実は東京、名古屋、大阪の3大都市圏という「国」と、それを除く地方圏の「国」の2つを内包するのが日本であり、そこで抱える問題群は全く違っているといってよい。 人口減少を冠にして議論するにしても、国土面積の10%足らずに国民の60%が集中する大都市圏での問題と、国土面積の90%を占めるが国民の40%しか住んでいない地方圏では、人口減少に伴う問題の所在が全く違うからだ。 例えば、政策決定の「見える化」を売りに戦おうとする小池氏の発想(希望の党)が、過疎問題、限界集落、地域衰退と戦っている地方圏にピンとくるだろうか。そうした話より、どうすれば人口流出を食い止め地方創生ができるか、補助金などの強化策を地方圏では望んでいる。党首討論会に参加した希望の党の小池百合子代表(中央)。左は安倍晋三首相、右は共産党の志位和夫委員長=10月8日 こうした内在する問題の根底が違うことを見抜かずして「全国津々浦々に希望のいきわたる政治を!」、そのために「国政の見える化を図る」、「消費税凍結を迫る」と訴えても、それはどちらの「国」の話ですかという、答えが返ってくる。日ごろ、各地での講演活動、対話機会の多い筆者からすると、自民も含めてだが、特に新党ブームの風に乗って受かろうと浮足立つ旧民進党グループの動きに違和感を持つが、それは私一人だけだろうか。 選挙というものは、政治家の本性が透けて見えてくるものだ。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればタダの人」、有名な元自民副総裁・大野伴睦の言葉だが、これを地でいくような動きが連日報じられてきた。 衆院解散でバッジを外された議員はタダの人になるまいと必死。その空席を狙って「ドサクサでもいい、当選すれば代議士だ」とばかり新人が食い込んでくる。特に解党後の民進党の面々は希望だ、リベラルだ、立憲民主党だと蜘蛛の子を散らしたような狼狽ぶり。要はみな当選第1主義、選挙ファーストなのだ。 突然の解散もそうだったが、それ以上に驚くのは「希望」を国民に押し付けてきたことだ。希望は国民一人ひとりの心の問題だが、それを政党名に冠して選挙の選択肢になった。ほんとうに希望のある話なのかどうか。「日本改造」に欠かせない橋下氏 正直、渦中の政治家以外、おそらく多くの国民、特に地方圏に住む国民は「希望」とは思っていないのではないか。「全国隅々にまで希望を届ける政治に変える」ときれいごとを並べるが、人口減少で限界集落の加速に悲鳴をあげ、地方創生ひとつパッとしない現状をどう変えるのか、何をどうすれば全国津々浦々に希望を届けられるのか、主張を聞いていてもさっぱりわからない。 東京大改革と大仰な言い方をしてきた小池氏のマジックか。東京をどう変えるのか、未だ分からないのと同様、選挙が終わった以後も、このままだと口先だけのような気がしてならない。急な解散であわてているのは分かるが、あまりにもお粗末ではないか。 それは都議選で大勝した小池氏の成功体験にあやかろうという思惑と、都議選での成功を国政選挙で再現しよう、という候補者と党首の思惑の一致以外、どこに大義があるのかわからない民進党解党劇だった。一時的なブーム、風に乗って勝てばそれで官軍、それで全てがリセットなのだろうか。それでは選挙は議員のためだけのものになってしまう。 そこで、本格的な日本改造論をやるなら、1人、欠けている人物がいる。もちろん、そうした渦中に入るほど軽い人物ではないが、評論家活動をさせておくにはじつに惜しい人、それは橋下氏だろう。2015年12月、最後の定例記者会見に臨む橋下徹・大阪維新の会代表(当時) 橋下氏の最近の言動はこうだ(ツイッターから)。 「ポンコツ議員をこんな短期間で整理するのは、小池さんの公認権に委ねる方法しか実際はない。僕も無責任な机上の論をほざく自称インテリになったもんだ」(9月28日) 「今の民進党の右往左往ぶりを見ると、ほんとこの党は国家運営を担えない集団だったんだなと改めて感じる。選挙くらいでこんなドタバタぶりだったら国家の危機のときにどうなっていたか。希望に合流しない者たちを、ドンとまとめる者はいないのか。現執行部から金を引き出す知恵者はいないのか」(9月30日) こうしたもの言い、感度は極めて高く核心をついているが、だったら2年前まで日本の政局の大きな一翼を担ってきた橋下氏は、高みの見物ではなく、救国のために動くべきではないか。少なくも大阪維新の改革の成功体験の方が、膨張する日本行政の大改革に大きなヒントと説得力を持つと思うが、何より行動力と実践力が氏の8年間を物語る。 とはいえ、今回の総選挙は小池氏の動きが政局の焦点になった。7月の都議選で都民ファーストの会(都民ファ)を率いて55議席を得て大勝した成功体験を、今度はもう一度国政の場で「希望の党」代表として再現できないか。柳の下にドジョウが2匹いるかどうか分からないが、あわよくば安倍政権に代わって首相の座を射止めることはできないか。そうした思いが「小池一極集中」を押し上げ、政権選択の選挙だとメディア、評論家らは囃し立てる。小池氏の手法の元祖は橋下氏 もちろん、可能性は否定しない。閉塞感の漂う自民1強政治を打破すべきとの空気があるのも事実。ただ、小池氏が全面に出て政権交代を訴える以上、本来なら党首として闘う小池氏は東京都知事を辞めて総選挙に出馬し自民と対峙する顔にならなければならない。 そもそも都知事が首相を兼務することも衆院議員を兼務することもできない。だからこそ、再三、菅義偉官房長官や小泉進次郎自民党幹事長代理らが「当然出てきて闘うべき」と挑発を繰り返してきたのは理にかなう。 一方で、東京、名古屋、大阪など大都市圏の無党派層の票を取り込みたい思いか、松井大阪、大村愛知、小池東京の3知事が「3都物語」と選挙協力で合意し連携を表明した。維新代表の松井氏が「ここにいる3人は衆院選には出ません、出たらこの合意はご破算です」と公言したように小池氏が都知事であり続けることを前提に事を組み立ててきた。9月30日の3知事共同発表後、握手する(左から)小池百合子・東京都知事、大村秀章・愛知県知事、松井一郎・大阪府知事 この2つの足かせを小池氏はどう切り抜けるのか。筆者はそれ以上に、第3のそして最大の足かせは都知事1年足らずで都政に重きをおくといった都民への裏切り行為が許されるのか、という点にあると見る。1年前の都知事選の票(291万票)も2カ月前の都民ファ55議席の票も逃げないと踏んでの「東京は希望の党一色」という見方だろうが、国政復帰に色気を見せたことで、政治家としての小池氏の信用が急落する可能性は高い。 権力の亡者、安倍首相への驕り高ぶり批判はそっくり小池氏に向くのではないか。石原慎太郎氏の都知事辞任後、猪瀬直樹氏、舛添要一氏と短命政権が続き、混乱の渦中にある首都政治をキチッと立て直し国政を安定させるのが都知事の役割ではないのか。 ただ、大きな政局をつくった小池氏のやり方は、そもそも橋下氏の創設した大阪維新の会、日本維新の会の成功体験をモデルにしたものだ。地域政党が国政を揺るがす存在にまで仕立てた、その元祖は橋下氏だ。その橋下氏、なぜいま動かないのか。個人的な事情、氏の考える日本改革像の違いなど、氏の動かない理由、思いがあることは重々承知の上であえて言おう。「橋下さん出番です!」と。 「佐々木さん(筆者)、民間人っていいねえ」と自由を謳歌している自身の日常を満腹感で話す氏に実感は籠るが、一転、講演で身振り手振りを交えながら全身で話す姿をみる限り、日本を変えようという野心満々の政治家そのものだ。 大阪府知事、大阪市長の8年で20年分のエネルギーを使い、最大の政治目標としてきた大阪都構想の住民投票で2年前、1万票の僅差で敗れたことが政界引退表明の引き金になっているが、そんなことはどうでもよいのではないか。充電、エネルギー蓄積のうえ、ふたたび政治の舞台に立つべきだ。橋下氏がやるべき「第3次臨調」 こうした期待を踏まえ、つい最近までこんな見方があったのも事実だ。 橋下氏が維新の会から(比例ででも)総選挙に出馬し、希望の党は総選挙後の首班指名で橋下氏に投票するというシナリオ。小池氏が総選挙に不出馬なら、橋下氏の出馬で安倍総理の対抗の顔は橋下氏で闘うということだ。橋下総理誕生の道をそう読む見方が、かなり信憑性をもって流されていたようだ。逆に小池辞任なら次期都知事に橋下氏という話もあった。 この手の憶測は常になくならないが、もっと踏み込むと、希望・維新が選挙協力で掲げた共通政策、①地方分権の大改革②成長戦略の大改革③安心の暮らし創造の大改革、は筆者も支持する。それを実現するために橋下氏は動くべきではないか。それは単に衆院選に出るべきという話に限定しない。 より実質的にこの政策を主導することを期待したいのだ。当面、3都ネットワークの民間代表として仕切る形でよい。もっというと国鉄、電電、たばこ専売の民営化など「増税なき財政再建」を仕掛けた元経団連会長の土光敏夫氏が会長を務めた第2次臨時行政調査会(土光臨調)に次ぐ「第3次臨調」の総指揮者ではどうか。昭和56年10月、第2次臨時行政調査会の土光敏夫会長(中央)の訪問を受ける鈴木善幸首相(右)。左は中曽根康弘行政管理庁長官 というのも、安倍政権はひたすらアベノミクス、経済優先をかざすが、47都道府県体制を含め日本の統治機構改革はこの40年間、ほとんどメスが入っていない。365万公務員体制、国地方160兆円予算を使う話だけで、その内部構造に2重3重の無駄があり、機能不全に陥っている統治の仕組みを与件として増税を掛けても、カネ食い虫の国地方は変わらない。それは国民にとって賢い税金の使い方(ワイズスペンディング)には全くならない。 土光臨調から40年以上経ついま、国と地方の統治大改革、そのための第3次臨調の設置は不可避ではないか。その引き金を橋下氏は引いたらどうか。大阪維新の改革実績を日本の改革に全面的に役立てるには大きな選択肢ではないか。総選挙を機に、そうした日本大改革に踏み込めるなら、「希望の党」に多くの国民は希望を見出すのではないか。ならば、実践力と行動力をもった、ぶれない改革者、橋下氏あなたの出番といえる。 もちろんこの先、小池、橋下両氏が性格的に気脈の合う2人かどうかは分からない。ただ小池氏の東京での強みは大きな力となる。大都市圏の「国」でそれなりの評価があろう。もし、この2人が組んで、日本でまだ顔をみない「都市型新党」としての日本に新しい党を育てるなら大いに期待したい。 東京、大阪、名古屋という日本の3都が政治的に一体化し、農村過剰代表制のなかで巣食ってきた古い自民党に代わって、大都市有権者の不満、不信、不安を吸収し、6割以上を占める都市有権者に密着した都市型新党として方向性を明確にしていくべきだ。そして、それが地方圏というもう1つの「国」まで広がっていくなら、今回の民進党の解党も、自己都合解散と揶揄される安倍首相の衆院解散も、歴史的に意味をもとう。

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    橋下徹はそろそろ政界の表舞台に出たほうがいい

     小池百合子東京都知事を代表とする「希望の党」の迷走により、10月22日に投開票が行われる第48回総選挙は、公示日直前まで政党の枠組みが固まらなかった。さらに、希望の党が改選前議席数で野党第1党だったにもかかわらず、小池氏が都知事にとどまり出馬しなかったことにより、首班指名候補なしの選挙戦に突入してしまった。党首討論会で政策目標を掲げる希望の党の小池代表=10月8日、東京・内幸町の日本記者クラブ しかし、党首かそれに近い政治家が地方の首長で、総選挙に立候補しないというのは、初めてのことではない。 2012年の総選挙では、日本未来の党が嘉田由紀子滋賀県知事を代表にして挑戦したが、9議席にとどまった。一方、大阪維新の会と日本創新党が合同して創立された日本維新の会は、太陽の党から合流した石原慎太郎代表、大阪市長の橋下徹代表代行、大阪府知事の松井一郎幹事長という体制で臨み54議席を獲得した。 また、14年の総選挙では、石原グループが次世代の党として分離した後の日本維新の会と、江田憲司代表率いる結いの党が維新の党を結成して、橋下氏が共同代表の1人を務めて総選挙に臨み、41議席を獲得した。 今回の総選挙では、もともと選挙は来年とみた小池氏が、希望の党という政党名を商標登録するなど着々と準備していたのだと思う。しかし、それを察した安倍晋三首相が、低迷していた支持率が回復したのを見て、一気にサプライズ解散に踏み切った。そこで、小池氏も民進党の前原誠司代表を口説いて、民進党との実質上の合流というウルトラCに出たものと察することができる。 しかし、1年あまりで都知事を辞めてしまうと、いかにも投げ出したという印象を与えかねない。また、善戦はできても首相になれるほどの議席獲得が難しいという状況で、あわよくばという気持ちがありつつも、不出馬をいい続けることになり、それを翻すチャンスがないまま告示の日が来たということだろう。 私は、小池氏のためにも希望の党は今回あまり急成長しない方がよいと思う。むしろ、安倍首相のもとでの憲法改正に賛成するということで、自民との大連立でも目指し、憲法改正を片付けて東京五輪の2020年の春にでも辞任し、あとは総選挙出馬を待てばよいと思う。それは、衆院選の候補者が政権を狙えるだけの数をそろえていなかったこともあるが、それ以上に、小池氏が経済政策で十分に準備ができていなかったことのほうが大きいと思う。 希望の党が打ち出した「12のゼロ」という公約も、小池氏が都知事選で掲げた「7つのゼロ」に肉付けしただけだ。しかも、7つのゼロに「多摩格差のゼロ」があるなら、「12のゼロ」には「地方格差のゼロ」などあってもよさそうだが、そのようなものはなく「東京優先」の本音があらわだ。そろそろ復帰を期待したい理由 そういう意味では、中央政界での経験はないにせよ、12年や14年の総選挙での橋下氏のほうがよほど成熟していたと思う。もちろん、いくつも閣僚を経験してきた小池氏のほうが、軽やかに当たり障りのないことを言えるし、橋下氏は危なっかしい発言も多かった。しかし、学習能力は抜群だし、知事や市長を務めながら、成熟していく力も持っていた。 ところが、その橋下氏は12年も14年も国政転身をしなかったし、また、将来においても転身するタイムスケジュールを示さなかった。その結果、12年の日本維新の会も14年の維新の党も総選挙で一気に勢力を拡大するには至らず、さらには分裂という形で失速してしまった。 また、15年8月には、維新の党代表を辞任すると共に離党し、地域政党の大阪維新の会の代表を続けた。10月には、国政政党として模様替えした「おおさか維新の会」を結党して初代代表に就任したが、12月には代表を退き、大阪市長も任期満了で退任した。17年5月には退任後務めていた日本維新の会の法律政策顧問から法律顧問に専念するという、めまぐるしい変身ぶりをとげている。 そして、今回の総選挙では、維新は希望の党の出現によって大阪ではすみ分け協定で生き残るにせよ、他の地域では希望の党へのくら替えまで出て、結果次第ではあるが、大阪の地域政党に近いものになってしまうかもしれない。3月27日、米ワシントンで講演する橋下徹・前大阪市長(共同) 橋下氏への政治家復帰のラブコールは相変わらず強いものの、本人は否定して評論家的な活躍を続けている。しかし、ツイッターを通じて政治的発言を繰り返し、政党関係者が一喜一憂している。また、小池氏との関係からも突然復帰するのではという臆測も強い。 私は、基本的には、政治的に大きな役割をもつ人物が公職に就かないのはよくないと思う。特に政党の創業者的な人物が、実質的なオーナー的な影響を持ちながら公的なポジションにつかないことは、自らが公的な場所で攻撃されないことにつながる。かつて、田中角栄元首相が「闇将軍」と呼ばれたことがあり、小沢一郎氏もしばしばそれに類した立場にある時期があったがよろしくなかった。  韓国では朴槿恵大統領が友人との不適切な付き合いから生じたスキャンダルで辞任したが、その発端は国家機密を正式の肩書きを持たないこの友人に相談したということだったが、そうした問題だって出かねない。 そういう意味でも、国政政党のトップが、地方の首長であったり、実質的にオーナー的な立場にありながら法律顧問というような中途半端な立場が長期間にわたって続くのは、民主主義という観点から言ってもあまり好ましくないと思う。だからこそ、そろそろ橋下氏の表舞台への復帰を期待したい。言動を見る限り、かつてより、はるかに円熟した政治家になってきたと思うからでもある。

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    「10・22総選挙」絶対に失敗しない候補者の選び方

    然その情報ソースの妥当性を疑う必要が発生するでしょう。そのため、そうした部分も視野に含めながら今回の選挙について論考することにしました。 選挙というものは、当然政治家の進退に関わる重要なものであり、ここで政治家が熱弁を振るうのは当然のことと思われます。その信義、信条に基づいた雄弁や一体感を醸し出す「空気」には力強いものがありますが、ここにおいてわれわれは投票という行為によって選ぶ側にあります。つまり、政治家の語る内容の冷静な吟味と、分析が必要なのです。だからこそ、選挙の時こそ国民は冷静になるべきでしょう。選挙カーから有権者に手を振る立候補者=10月10日、京都府舞鶴市(水島啓輔撮影)  現実問題として、理想的な政治家が存在すればその人に投票するのが当たり前かと思います。ですが、政治家も人間です。テレビニュースや新聞に載っているからといって、何でもできる超人ではないでしょう。そのため、現実に存在する人の中から、誰かは選ばなければならないと思います。選挙である以上、誰かは選ばないといけないのです。無投票も、構わないとは思いますがそれでは国会に影響を与えることは不可能です。一部が投票しなくとも、それでも国会は開かれ、討議は始まってしまうのです。 日本は、「偏向報道」という言葉が流行した時期に安易な批判が横行し、政権交代を経験しました。その結果、国政がわれわれの生活に、甚大な影響を及ぼすことは十分なほど認知されたと考えています。当然ですが各党、その信義・信条は異なります。個人のレベルのそれと、団体のそれとを同じレベルで論じることに問題は感じますが、それはいわば価値観の違いとも表現できるでしょう。 当然ですが価値観が異なれば、現実の問題へのアプローチが異なります。具体性を伴った個々の政策が異なるということは、例えば金融政策のような、直接的に経済に影響を及ぼすような政策が変化することを意味します。国政は、われわれの生活と直結しているのです。 そして「冒頭解散」、「加計・森友隠し」というこの2つのキーワードは、今回の自民党勢力を批判するワードになるかと思います。まず「冒頭解散」に関しては、むしろ本当に、このタイミングで良かったのではないのかと思うのです。理由は北朝鮮のミサイルに代表されるように、この国を取り巻く国際情勢というのは今後、重要な局面を迎えることになると思います。その重要な時期になってから、選挙をするのでしょうか。常識的に考えてその時になって、選挙などやっている場合ではないと思います。 加えて、国会議員というものはその任期が満了を迎えれば、どうせ選挙をするのです。まずい時期に被るくらいであれば、本当に今のうちにやってしまった方がよいのではないでしょうか。「浄化」される国政 次に、「加計・森友隠し」の問題ですが私がこの問題の情報を最初に知り得た時、その情報源は週刊誌であったと記憶しています。過激なネタと呼ばれるものは、書けば売れやすい傾向にあると言えるでしょう。この問題の、実際のところがどの程度であるのかはまだ不明瞭ではありますが、私の所感としては、かつての「埋蔵金ネタ」と同種のものではないのかという疑いを抱いています。参院文科・内閣委員会連合審査会に参考人で出席した前川喜平前文部科学事務次官(右)と加戸守行前愛媛県知事(左)=7月10日 そもそも出回っている情報の信憑性はどの程度のものなのでしょうか。その部分について検証せずに信用するのも危険かと思われます。結論として、選挙のタイミングとしてはむしろ歓迎だ。学園系の問題については、情報の信憑性自体を疑っている。ということです。 まず、今回の選挙にあたって、民進党の事実上の解党、希望の党の結党、立憲民主党の結党がありました。この状況の中で、前大阪市長の橋下徹氏が過激な発言をした対象である、いわゆる「中途半端な議員たち」つまり、その性質が疑わしい議員たちが恐らく消える結果になると思っています。正直なところ、これにより国政がある意味「浄化」されるだけでも大変有意義になるとは思わないでしょうか。 加えて注目するべきは現状存在する政党の、その構図です。現在候補を立てている政党のうち、自民・公明、維新、そして小池氏率いる希望の党、これらの党は、改憲保守勢力です。つまり、基本的には改憲の必要性を認めている勢力なのです。そして今日までの国会を振り返れば分かることと思われますが、国会内においては、単純に賛成と反対の意見の応酬を繰り返すだけで全くもって結論に至ることはありませんでした。 私はその責任は、政治家にだけあるものではないと思っています。結論が出なかった理由に、世論の影響というものがあると思います。つまり、われわれに対する意識調査からその議論が停滞する要因の一つになったということを意味しています。この意味において、また、このタイミングで選挙の運びなったことはある意味絶好の機会ともいえるでしょう。 そのため、今回の選挙の結果が改憲を考える上での参考になるのです。こうした事情が考えられるので、今回だけは絶対に投票した方がよいと私は考えています。賛成にしても、反対にしても投票率を可能な限り高い状態にすることが答えを導く上で、最も早く解決に至る近道ではないでしょうか。 ここで、改憲の必要性とは何であるのかについて整理しておかなければならないと思います。歴史の教科書に載っているレベルではありますが、下記に持論を述べさせていただきます。 そもそも、この国の憲法の由来は明治時代までさかのぼります。それは明治期に植民地化の脅威から当時の明治政府高官が、プロイセン憲法を参考に日本に取り入れたものです。これは当時の問題を解決と、日本の伝統を取り込むために行われたものです。しかし、大日本帝国憲法は、必要に迫られ用意した急ごしらえの憲法であるとも捉えることができるのではないでしょうか。改憲は歴史的な転換点 実際、第二次世界大戦中にはその前後の国粋主義の横行から、軍部の政権掌握による全体主義への傾倒を招きました。その中で、戦争を中断できなかった要因の一つに、かつての憲法に記載されていた「統帥権」の存在です。 状況に対応するために用意されたものの、欠陥と呼ぶべき要因を備えていたと見なすのは、先の大戦の結果を見れば言うまでもないと思います。そしてその後に制定され、今日まで手を加えられていない現在の憲法は連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥により影響を受けたものです。マッカーサー元帥 振り返ると、この国には「自分たちで定めた憲法」というものは有史以来、存在しなかったとも言えるのではないでしょうか。ここにおいて、われわれが民主主義の概念とその権利、自由に基づいてこれを定めることは非常に大きな意味を持つでしょう。自分たちは、自分たちで扱うための憲法を定めることができる。日本が、主権国家として完全回復したことを示すものになると思います。 次に、国際問題への対応です。冷静に考えて、戦力を保有しないとうことはあり得ないでしょう。加えて北朝鮮のミサイルのように、軍事的圧力が加わる場合、普通に考えて対策は必要でしょう。ですが必要であるにもかかわらず、現在の憲法での自衛隊の解釈は、違憲なのです。当たり前の話ですが、自衛隊は日本の国民と領土・領空、ひいては日本の主権を守るために存在しています。この矛盾した状態は、明らかに異常でしょう。 また別に、平和主義はそのまま最大限尊重すればいいのです。ただ我を通すために対話もなく武力を行使してきかねない国家があった場合には、断固として抵抗する必要があるのは言うまでもありません。 最後に、改憲は日本国の歴史的な転換点になるということです。戦後、長い間私たちの先人は、第二次世界大戦への反省を重ねてきました。ここで育まれた平和への祈りは、現在もわれわれに受け継がれ大切にされています。それは国際社会における日本国の基本的な態度に現れています。 この中で、私たちが選んだ政治家が十分な議論の元に改憲を行い、その上で平和主義を尊重することで、先人たちの育んだ平和主義の概念を伝統として受け継いだうえで、新たに平和国家としての歩みを進めるということを意味しています。今回は「政権選択型」選挙 つまり、われわれは自分たちの意志でその平和の概念と祈りの下に行動しできるということを、国内外に明確に示すことができるのです。また、これは長年にわたって、象徴天皇としての道を歩まれた今上天皇陛下の祈りを、全国民が伝統として受け継ぎ、将来にわたって独立した平和国家として歩み始めるための重要な転換点だと思われるのです。 戦争の記憶が薄れる昨今において、最も重要であるのは、この平和の概念を伝統として将来の長きにわたって受け継ぐ環境を整えることにあるとは思わないでしょうか。 上記までの内容を踏まえて、あらためてどの政党が与党を担当するべきかを考えてみますと、自民党しかないと思います。また個人的には本当に「政権選択型の選挙」になったと思っています。今回の選挙の、つまりわれわれの投票によって、選ぶしかないでしょう。そうでなければいつまで経っても、投票率の低さを言い訳に結論が出ないままになってしまうという恐れもあるのではないでしょうか。 また、経済などの問題もあります。実際のところ、理論や原則はあるものの現実の経済は生ものです。つまり、最終的にはフタは開けて見なければ分からない、という話もあるでしょう。その中で、アベノミクスは成功した。失敗した。現時点での様々な見方ができるとは思います。衆院選が公示され、候補者の街頭演説に集まった大勢の有権者=10月10日、東京・新宿駅前 ですがある意味、やったからといって確実に結果が出るとは言い難いこの分野において比較的まともなコントロールが働いているとは思えないでしょうか。その上で考えると、この取り組みを途中でやめる方が逆に危険なのではないのかと思っています。 実際、円安誘導には成功している状況にはあります。これから効果が出るのか、限界を迎えるのか。現実的な態度として、それを見守るというのが、冷静な態度と呼べるのではないでしょうか。

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    民進党の師弟コンビが仕組んだ「菅直人潰し」がエゲつない

    ないだろう。民進党で刺客候補の擁立を検討したが、すぐに頓挫したのも個人人気が高いためだ。結党集会では選挙期間中に地元に戻ることができても1日程度になると本人が認めている。激戦区となる地域での応援がメーンになるのだろう。毎度のことなので有権者は慣れっこだ。都知事公務で応援活動に制限のある小池百合子氏にかわって、選挙報道で毎日顔を見ることになる。 細野氏とは選挙区が隣という渡辺周氏も希望の党公認が確定している。10月1日の時点で選挙事務所に確認したところ、「希望の党での公認を予定しています」とよどみなくキッパリ即答された。少なくともリベラルではないので十分ありうるが、本人はインタビューで当惑した風を装っている。彼も相当のタヌキだ。 それにしてもいつから希望の党は準備されていたのか? 先の結党集会においては、マスコミへの公式発表前に小池氏らしきハイヒールの女性が年配議員らしき男性たちから罵倒されるのを完全無視して会見場に現れるというPR動画が披露された。さらに「希望の党」党名入りの細野氏の名刺が参加者各位に束で配布され、私も受け取った。要するに安倍総理が事実上衆議院解散を切り出した9月17日にはすでに準備万端だったのだろう。急きょ、印刷業者に発注したにしては出来すぎており、数もそろっていた。「師弟」の2人はグル? そうなると8月10日に1人で離党した細野氏の行動も予定通りで、仲間をあえて残したのも民進党の代表選で前原誠司氏を代表にするための行為だったと思える。9月24日のフジテレビの番組「報道2001」内で、細野氏が「前原氏との話し合いがなされている」と不敵に笑ったことで、師弟のつながりを持つ2人がグルだと確信し、まさにその通りとなった。 前原新執行部は山尾志桜里議員を要職に置くと発表し、すかさずスキャンダルで潰されるというのも、どこかの誰かと重なる。支持率が回復傾向にあった安倍総理が解散を決断したのもまさにそれだった。菅義偉官房長官が元首相の娘を入閣させたときの手口と酷似している。あれは潰れる前提だった。 前原氏があえて党勢の凋落(ちょうらく)を演出した。蓮舫氏と争った前回の代表選で前原氏が公約した政権与党時の反省はこういう形だ。選挙前はなりを潜めていたリベラル勢力が与党となるや正体を現し、マニフェストを反故にした上、外国人参政権などを発議し、中国に擦り寄り、官邸主導どころか官僚に丸投げせざるを得ず、良きにつけ悪しきにつけ豪腕で民主党を引っ張った小沢一郎氏をたたき出した。 東日本大震災では、外国人献金問題で揺れていた菅直人元総理が人気回復目的で迷走して現場の足を引っ張り、1番厄介な除染、残土、原発問題を細野氏に押しつけた。いよいよ政党支持率が危険域に達すると、旧日本新党から野田佳彦元総理を引っ張り出す。実のところ旧社会党勢力の数の論理と連合による仮面政党だった。野党転落後は誰も音頭を取れる者がいなくなり、方針が決められない野党にして「なんでも反対」の旧社会党化した。それでも左派マスコミの協力で打倒安倍政権といって悪質なイメージ戦略で「モリカケ問題」をアピールして支持率を下げた。衆院本会議に臨む(手前から)枝野幸男官房長官、野田佳彦財務相、菅直人首相(肩書きはいずれも当時)=2011年3月31日、国会(酒巻俊介撮影) そのように与党時代に好き勝手し民進党を迷走させた最大戦犯を大量粛清する絶好機を作ったことで結実したし、民共共闘の解消も霧散した。そうした意味では公約を実現したことになる。結局、対抗馬だった枝野幸男氏らが執行部の要職を牛耳ったが、まさに三日天下だった。 また、細野氏の「三権の長は(希望の党)公認を辞退すべきだ」という発言は明らかに「菅直人潰し」が目的だと考えられる。野田元総理も該当はするが、実際のところ無所属で出馬しても余裕で勝てるほど地元に愛されている。無所属出馬を予定している前原氏にしても同様だ。2人とも大逆風の前回の衆院選でアッサリ当確を決めてみせた。比例名簿でゾンビ復活したのは菅直人氏だけだ。そもそも民進党の看板など選挙の邪魔なくらいではなかろうか。野田元総理があえて「(細野氏の)股(また)くぐりはしない」と発言したのも猿芝居の類いではないか。なんにせよ立場が完全に逆転した感は否めない。 本当に追い詰められているのは枝野氏たちだろう。まさかここまで用意周到に民進党解体が準備されていたとは思わなかっただろうし、立憲民主党が自民や希望の候補者と拮抗(きっこう)できるかは微妙だ。マスコミの無意味な追及 こんな状況下でマスコミが執拗(しつよう)に質問を浴びせていたのが、小池氏の衆議院出馬だった。「出る」と言えば都政軽視と批判し、「出ない」と言えば首班指名をどうするのかと追及する。つまり小池氏に対する踏み絵だ。早い話、日々刻々と希望の党が繰り出す動きについて行けておらず、そこを追及するしかなかったのだろう。自民党補完勢力なのは小池氏の発言でも明白だ。小池氏がくら替え出馬をするとしたら、若狭勝氏の求心力・政治力が野心の大きさに全く伴っておらず、合流した民進党勢に党を乗っ取られるという危機感が生じたときだろう。答弁を聞いている限り、歯切れが悪すぎて絵面も悪い。腰巾着感が否めず、百戦錬磨でブラフも効かせたマスコミ対応をしてネット記事を賑(にぎ)わせている細野氏とは比較にならない。街頭演説を行う希望の党の小池百合子代表=10月10日、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) そもそも代表代行という形で若狭氏・細野氏・中山恭子氏ら結党メンバーをその地位につけ、首班指名ではそのうちの誰かの名前を書くなりすればいいだけの話だ。あるいは希望の党の議員全員で「小池百合子」と書いて全員分無効票となる。少なくとも党としての足並みがそろっていることが強烈にアピールできる。また、結党直後の政党が一度の選挙で全部ひっくり返せるとは多分、希望の党の関係者でさえも思っていない。第一、橋下徹氏は大阪府知事、大阪市長を務めたものの、結局現在に至るまで一度も衆院選に出馬せず、それなのにずっと維新の代表だった。 そうした前例があるのに無意味な追及をするマスコミの姿勢からして、言いがかりに等しいアベバッシングと暗に民共をプッシュすれば良かった状態から脱却しきれていない証拠だ。希望の党はあえて政権選択選挙の形を取ることで、まずは国会内に頭数をそろえることが目的であり、実際に民主党でも維新の会でも結党直後の選挙では躍進はしても与党になっていない。 実際のところ、希望の党は改憲について是々非々と結党集会でも主張していた。つまりは自民党、維新の会と足並みをそろえ、中身の議論を詰める準備は万端。有権者が三党のいずこに票を入れても改憲の機運は高まる一方だ。希望の党が玉虫色で稚拙な綱領を掲げざるを得ないのも誕生段階なのだから仕方ない。むしろ相当煮詰まった内容を出された方が前段の「いったいいつからこの一連の政治謀略は準備されていたんだ」ということになる。 いっそのこと護憲勢力はまとまって「護憲党」でも作ることをご検討された方が良いのではないだろうか。

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    自民か希望か立憲民主か、「増税」対「凍結」で判断したらダメな理由

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 22日に投開票される衆議院選挙をめぐって、主要政党の経済政策についての考えが出そろった。ここでは、自民党、希望の党、立憲民主党を中心にみておく。言うまでもなく、経済政策はわれわれ国民の生活を養う上で極めて重要度の高いものだ。北朝鮮リスクが潜在的に高まっている中でも、安全保障政策と並ぶ重要な関心事である。有権者の判断材料としても大切なものであろう。衆院選の政策を発表する希望の党の小池百合子代表=10月6日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影) 日本経済の現状はどのようなものであるか、そのときに望ましい政策はどのようなものであるか、この二つの点を明らかにしたうえで、各党の経済政策を評価していきたい。 現在の日本経済は「総需要不足」の状態にある。総需要不足とは、私たち民間の消費や投資といったモノやサービスを購入するお金の不足を表す。この原因は、消費や投資を可能にする経済全体の所得が不足しているということでもある。総需要不足というのは要するに購買力不足のことだ。この状況は、デフレーション(デフレ、物価の継続的下落)を伴っている。 簡単にいうと、デフレが継続するということは、日本経済全体で総需要不足が今後も継続する可能性が高いことを示している。例えば、経済全体でモノやサービスが売れ残っているとすれば、モノやサービスの平均価格が低下することになる。この辺りは直観的には、スーパーが売れ残りを避けるため夕方以降に総菜などの料金表示を割引価格に貼り替える状況に似ている。もし売れ残りが恒常化したり、店舗全体の売り上げも伸び悩めば、やがてスーパーの閉店や従業員・パートタイマーの解雇という最悪のケースにもつながるだろう。そのような状況が経済全体で起こっていると理解してほしい。 もちろん、経済全体で不景気が蔓延(まんえん)しているという認識は完全に誤りである。日本経済は現状では経済停滞の状況から脱却する過程にある。直近の2017年4~6月期の国内総生産(GDP)成長率は2.5%でかなりいい。雇用状況はここ数年改善傾向を続けていて、失業率も低下し、実質雇用者報酬が上昇している。正規雇用は増加し、他方で非正規雇用は昨年から減少傾向にある。デフレと総需要不足、三党の政策は? ただし、上記の総需要不足は依然として継続していて、それが日本経済の景況感をいまひとつのものにしている。これは言い換えれば、日本経済はいまだにデフレにハマっているからだ。実際に物価指標をみると、直近ではエネルギーや生鮮食料品を抜いた消費者物価指数(コアコアCPI)をみると0・2%と極めて低い水準にある。さまざまな物価指標があるが、私見ではこのコアコア物価指数が安定的に2%に近くならないかぎり、日本はデフレ経済のままであろう。つまり日本は潜在的に経済停滞に陥るリスクを常に抱えたままだといっていい。現状の雇用の大幅な改善などは、世界経済の不安定化、北朝鮮リスクの顕在化、あるいは国内政策の失敗といった何かのショックにより、容易に「失われた20年」といわれる状況に再び戻りかねない。 このような日本経済の状況を改善する経済政策の特徴は明らかである。デフレと総需要不足を解消することである。この観点から主要三党の経済政策をみておきたい。 安倍晋三首相の「アベノミクス」、小池百合子東京都知事が率いる希望の党の「ユリノミクス」、そして枝野幸男元官房長官が代表に就いた立憲民主党の「中間層の再生」政策の三つとも消費税が焦点になっている。衆院選で掲げる政権公約を発表する自民党の岸田政調会長=10月2日、東京・永田町の党本部 安倍政権は、消費増税を確約し、増税時には従来の使途の配分を修正するとしている。具体的には、国の借金の返済に充てる分から、教育の無償化など社会保障の充実に充てる部分を拡大するという。このことは基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年度黒字の先送りを伴う財政支出の拡大を潜在的に伴う。小池氏の希望の党は、19年10月の消費税引き上げを「凍結」すると主張している。この点では枝野氏の立憲民主党と同じである。ただし希望の党は、凍結に伴う代替財源として内部留保課税や行財政改革など政府の支出見直しを行うとしている。他方で立憲民主党ではこの代替財源そのものへの言及はないようだ。 この消費税を「増税」するか「凍結」するか、「それだけ」に注目するのはあまり得策ではない。もちろん現時点で消費増税を行えば明らかに経済に与える影響は悪い。実際の消費税の引き上げは2年後であり、そのときの経済状況次第だが、私見ではいまの経済政策が順調に機動したとして、ようやくインフレ目標に到達できたころであろう。まだ安定しているとは言い切れない。その意味で、消費増税は否定すべき政策である。消費増税「だけ」に注目していけない理由 ただし、注意すべき点がある。消費増税「だけ」に注目してしまうと、経済政策全体のあり方を見失ってしまうことがあるからだ。最近、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授は、人間の経済的判断が非合理的なものだとして「行動経済学」を主張している。選挙になると、各党ともキャッチフレーズを利用して特定の論点だけに人々の注目を集めようとする。これを「アンカリング効果」ともいう。例えば、安倍政権の「消費増税」というレッテルだけに注目してしまうと、まるで緊縮主義的に思えてしまう。対して希望の党や立憲民主党の「消費税凍結」の方は総需要不足を解消するような経済拡大をもたらすように見えてしまう。 だが、このような見方は「アンカリング効果」の結果にしかすぎない。「アンカリング効果」が発揮されると、われわれの判断は非合理的なものになりやすくなる。確かに安倍政権の「消費増税」が実施されれば、デフレ経済に再び転落する可能性は大きい。だが、そもそも実施が2年後であり、首相の発言では、その間「リーマン・ショック級」の事態があれば見直すともいっている。この発言は前回の消費増税先送りのときにも見られたものだ。また日本銀行による金融緩和の継続などデフレ脱却を主眼としている。つまり経済政策全体でみれば、総需要不足解消・デフレ脱却に主眼をおき、また目標未達ではあるが、経済の良好なパフォーマンスを築いてきた実績がある。経済を拡大し、税収増の中で財源を確保していくスタンスでもあるのだ。 対して希望の党は消費増税凍結をするものの、経済政策全体では「緊縮主義」的だ。消費増税凍結の代替財源として内部留保課税などを挙げている。ただ、内部留保に課税すると企業の投資に悪影響がもたらされる。総需要の主要な構成は消費と投資であり、内部留保課税はその意味で総需要不足の解消にはマイナスに作用する。また金融政策については、財政政策とともに「過度に依存しない」としており、金融政策の「出口戦略」を強調している。 デフレ脱却という目標達成の強い意思を見せないままに、金融引き締めを意味する「出口戦略」をいまから強調することは得策ではない。まずは国民の懐具合を改善するには、デフレ脱却が優先であるべきだ。またインフラ整備などの長期的な公共事業の見直しなども含めて、その姿勢は小泉政権時の構造改革を想起させる。構造改革は、経済の潜在的な成長率を高める政策ではあるが、それが正しく機能するにはまずは総需要不足を解消することが重要である。その意味で「消費増税凍結」といいながらも希望の党の経済政策は緊縮主義そのもので形成されているといっていい。立憲民主党の経済政策は? 枝野氏の立憲民主党の経済政策は、財政政策については若干拡大スタンスであり、児童手当や高校などの授業料無償化(所得制限廃止)などが盛り込まれている。この点は評価すべきだ。消費増税の凍結は、これらの財政政策の拡大と矛盾しない。また所得税の累進税率強化、相続税増税、金融課税の強化を主張している。特に所得税と相続税の見直しは、経済格差の縮小に貢献するだろう。ただし金融課税については、国際的な競争の観点から慎重に考えるべきだろう。政策発表に臨む立憲民主党の福山哲郎幹事長(左)と長妻昭代表代行。左は政策パンフレット「国民との約束」=10月7日、東京都港区(松本健吾撮影) だが、基本的に立憲民主党の財政政策のスタンスは、総額を拡大するというよりも、あくまでも総額が一定もしくは微増の下で、再分配機能を強化するものでしかない。事実上、過去の民主党政権の財政政策スタンスと変わらず、デフレ脱却を意図したものではないのだ。その中で「消費増税凍結」も位置づけるべきだろう。また、金融政策については同党の方針ははっきりしない。枝野氏は、いまの日銀の金融緩和を直ちにやめることを考えるのは難しいと発言しているが、他方でデフレ脱却への強いコミットをしているわけでもない。つまり財政政策については拡張的な姿勢だが、他方でデフレ脱却のための必要条件ともいえる金融緩和政策については消極的である。金融政策への消極姿勢をとるということは、現状の経済の好転からすると政治的な不安定要因になりかねない。 要するに、希望の党も立憲民主党も「消費増税凍結」とはいいながら、その経済政策全体は緊縮主義に大きくとらわれている。対して安倍政権の経済政策は反緊縮主義(リフレ主義)だが、将来の「消費増税」に不安を抱えている、という形だ。デフレ脱却を確実に実現するという絶対的評価からすれば三党ともに不十分であるか、またはお話にならない。しかし相対的基準でいえば、現政権の経済政策は他の二党よりもはるかにましである。その理由はすでに書いた。 公明党は安倍政権と基本的に同じだとみなしてかまわない。日本維新の会は消費増税凍結を訴えるが、やはりマクロ経済政策全体がはっきりしない。共産党は消費増税中止だが、金融緩和政策も否定的なので、マクロ経済政策の観点からは論外である。 ノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授が指摘しているように、人々の判断は必ずしも合理的に行われるとはかぎらない。むしろ、非合理的に判断することが普通だという。消費税の「増税」対「凍結」という論点のみでみてしまうと、経済政策全体が拡大重視か、緊縮的かという構図を見失いがちである。経済状況と経済政策全体のスタンスをもとに、有権者がよりよい投票を行うことを願いたい。

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    「小池劇場」がとことんショボかった

    ーマンとして注目を一身に浴びた小池百合子東京都知事が、衆院選出馬を固辞した。大将不在の公算が高まった選挙戦に新党の勢いは失速し、安倍自民の高笑いは止まらない。「小池劇場」はなぜこうもあっけなく萎んでしまったのか。

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    結論、小池さんは「総無責任選挙」で最後の希望を失った

    山田順(ジャーナリスト) これまでの選挙では、「後出しジャンケン」が有利ということが半ば定説化してきた。したがって、衆院選出馬は「100%ない」と言っている小池百合子東京都知事が「変節」する可能性は十分に残っていると考えてきたが、5日の前原誠司民進党代表との会談でも出馬を改めて否定してしまった。民進党の前原誠司代表との会談後、囲み取材に応じる希望の党代表の小池百合子東京都知事=5日、東京都(佐藤徳昭撮影) しかし、民進党を丸のみすると思われていた小池「希望の党」が、結局、民進党候補に「踏み絵」を踏ませ、前原誠司・破壊合流組と細野豪志・旧合流組vs枝野幸男「立憲民主党」結党組に分裂した時点で、勝負はあったのではないかと思う。 もちろん、まだまだ情勢はめまぐるしく変わる可能性があるが、それをかんがみても、結局は安倍晋三・自民党および公明党の現政権与党組が有利である。  しかし、本稿は今回の総選挙を占い、その結果を予想しようとは努めるが、以下、述べることに自信はない。だいたい、私は昨年、米大統領選で「ユーアー・ファイアード男」トランプ大統領の当選をないと断言して大恥をかいている。よって、選挙予想などする資格がないので、以下は外すことを前提として読んでいただきたい。 では、現時点での構図をまず、整理しておこう。 本当に単純化してしまえば、今回の総選挙は、「自民・公明」vs「希望・維新」vs「立憲民主・共産・社民」の3極が争う構図になった。こうなると、現与党の安倍政権に対する批判票が分裂するので、常識的に考えれば「自民・公明」が有利である。いくら森友・加計学園問題がくすぶり続けても、この下馬評は変わらないだろう。  「二都物語」は成立しても、「三都物語」は成立しない。実際、「グリーン大好き」小池知事が「都知事を道半ばで投げ出すのか」という批判を恐れて、態度を保留している現状では、この状況に変化はない。 いつの時代も、有権者は単純な図式、つまり二者択一を求めている。3択は苦手だ。小池「希望の党」代表も出馬せず、結局は民進党に踏み絵を踏ませた時点で、「安倍」vs「小池」の図式は崩れてしまった。このことは、今回の選挙がいかに大義のない、安倍自民党の「森友・加計疑惑」逃れだとしても現野党勢力には不利だ。結論、「総無責任選挙」だ 「影の仕掛け人」であるブラックハットに白マフラーの麻生太郎副総理は、小池・前原連合に一瞬たじろいだといわれるが、民進分裂に「高笑い」が止まらないという。安倍首相もほっとしたに違いない。「森友・加計疑惑」はすっ飛び、北朝鮮のミサイルの援護射撃と敵失が重なったからだ。解散後、街頭演説に飛び回る安倍首相=3日午後、栃木県鹿沼市 このような状況を見て、自由党の小沢一郎共同代表は、やはり最善の選択である無所属で立候補する意向を表明した。自由党はメンバー3人が「希望の党」から出馬する一方、自らは無所属で出馬し、自由党の公認候補は擁立しないことを明らかにした。さらに小沢氏は、出馬しない小池知事を「きちんと、国民の前に自ら立って訴えるというのが自然だ」と批判した。 「後出しジャンケン」が有利だというのは、これまでの選挙で半ば定説化してきた。しかし、小池「希望の党」代表は、都知事という地位に満足していないのは誰もが知っている。ならば、もし後出しジャンケンをしても、もはやサプライズは起こらない。この点を、細川護熙元首相が突いた。「首相を目指すのであれば、保守やリベラルにこだわらず、器量の大きい人でいてもらいたい」「(安倍政権を倒す)倒幕が始まるのかと思っていたら、応仁(おうにん)の乱みたいにぐちゃぐちゃになってきた。政権交代までいかなくとも、せめて自民党を大敗させて、安倍晋三首相の党総裁3選阻止まではいってもらわないと」(10月2日「毎日新聞」インタビュー) こうしてやっと、今回の総選挙の意味がわかった。それで、こうネーミングするかしかないという結論に至った。小ざかしい、お利口さんばかりが争う「総無責任選挙」だ。 まず、解散した首相も自民党も無責任だ。北朝鮮のミサイルが日本列島上空を飛び越えている状況で解散をするのだから、「大義なし」「(森友・加計)疑惑隠しだ」と批判されても仕方ない。それを承知で「勝てる」とした麻生名参謀の計略が、いまのところ敵失ではまっている。小池百合子のラストチャンス さすがと思わせるのが、「若武者」小泉進次郎自民党筆頭副幹事長だ。練馬区・豊島園駅前の街頭演説で、衆院選を「責任対無責任の戦い」と訴え、小池知事を批判した。「小池さんは選挙に出ても出なくても、無責任になるジレンマに陥った」と指摘したのだ。 希望の党は3日になって、第1次公認候補として、小選挙区191人、比例代表単独1人の計192人を発表したが、小池知事本人は出馬をまたも否定した。それ以前に、参謀なのかファンなのかよくわからない若狭勝氏がこう言ったことは、いまや致命傷になっている。「(小池さんは)今回確実に政権交代できる見通しがあるなら、国政に出ることもありえる」「調整中の(候補者擁立などの)話を踏まえ、『次の次で確実に交代できる議席数に達する』という思いでいるとすれば、今回の衆院選に小池代表が出なくてもかまわない」 党首が出馬しない選挙というものがあり得るのだろうか。残念至極だが、ここで出なかったらその後の彼女に都知事としての求心力が残されているかどうか、はなはだ疑問だ。小泉進次郎氏も菅義偉(よしひで)官房長官も、出馬を「アドバイス」しているではないか。特に、菅長官は3日の記者会見で、こう「逆エール」を送っている。「国のことを思うのであれば堂々と出馬宣言し、真正面から政策論争することが、政治の透明性からもわかりやすい」自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長=1日、東京都(小川真由美撮影) 残念だが、彼女は年をとることがいかに残酷か知らないのではないか。あれほど知にたけたヒラリー・クリントン元国務長官すら、やっと米大統領候補の指名を受けたときは、68歳になっていた。もちろん、破ったのは70歳と2歳年上のトランプ氏だったが、女性にとって年を取ることは残酷だ。 なぜ、同じように知にたけた小池知事が立候補しないのだろうか。フランスを救った「オルレアンの乙女」ジャンヌ・ダルクは17歳の乙女だった。当時の平均寿命からすれば、立派な成人女性だが、常に先頭に立って戦い、後出しジャンケンなどしなかった。小池氏は東京五輪のときは68歳になる。今回が最後のチャンスではないのか。 国会議員でなければ首相になれないのだから、チャンスはこれ1回きりだ。

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    「殿の気まぐれ」と重なる小池百合子の裏切り

    岩渕美克(日本大学法学部教授) 大義のない解散・総選挙だけでも有権者の気持ちが揺らいでいると思われるのに、それを上回るかのような出来事が野党の側にも起こった。それが、小池百合子東京都知事を代表とする希望の党の立ち上げであり、それに伴う最大野党・民進党の対応である。希望の党設立会見で細野豪志元環境相(左)と握手を交わす小池百合子代表。右は若狭勝氏=9月27日、東京・新宿のホテル(酒巻俊介撮影) 言葉はややきついかもしれないが、選挙費用と候補者が欲しい希望の党と、低迷する支持率の起爆剤として「小池人気」が欲しい民進党とのチキンレースに、民進党が敗れたという現象である。都議選の際も、都民ファーストの会が単独過半数を目指すと目標を上方修正しながら、50人しか候補者を集められなかったのは選挙費用を自前で用意できる塾生がいなかったためであろう。今回の衆院選でも、100人を超える候補者を擁立するとなれば、供託金、選挙費用を自前で用意できるものに限られる。そうなれば現職議員や元議員などに間違いなく頼らざるを得ない。そうした思惑に合致したのが民進党であったのであろう。 当初、新党の立ち上げは比較的淡々とした形で準備をしていたような印象であった。離党した現職の国会議員を若狭勝氏が面談をして仲間に加わることを認めていった。断る人がいなかったのは奇異に感じる部分も確かになかったわけではないが、それでも順調に見えていた。ところが突然、若狭氏を中心とした立ち上げ準備、議論をリセットするという表現で、小池知事が自ら新党の代表となることで国政への関与を明確にしたのである。それ以前は、あくまでも都知事として希望の党を応援する対応で一貫していたと思われていたのが、「予想通り」より直接的な関与を明らかにしたのである。 そうなると、日本最大都市である東京都の知事と政権交代を狙う国政政党の代表が務まるのかという疑問がわいてくる。小池知事は「可能である」と繰り返すが、現実に都政の日程をキャンセルしているようであるし、真剣に政権交代を目指す政党を立ち上げようとするのであれば、首班指名に誰を考えているかを明確にしたほうがわかりやすい。戦略なのかもしれないが、政党の代表について、小池知事の考え方には不可解な点が多くみられるのである。まずは、小池知事が立ち上げた都民ファーストの例を考えてみよう。 都民ファーストは当初、知事特別秘書の野田数(かずさ)氏を代表に立てていた。都議選が近づくと、小池知事自ら代表に収まり、「小池人気」にあやかる姿勢を明らかにしたものの、選挙に大勝すると野田氏に戻すことになった。選挙だけの小池代表だったのである。しかも、戻したところで、政党の代表とはいえ都議選は出馬しなかった野田氏には安定した収入は見込めない。さらには情報公開請求で明らかになった、野田氏が掛け持ちする特別秘書の給与額に批判が集まると、今度は初当選した元秘書の荒木千陽(ちはる)都議を代表に据えたのである。そもそも、知事が自らの特別秘書を都議会最大会派の代表にしていたこと自体が二元代表制の否定につながる行為である。これでは「都政改革を進める」と言えるかも難しい。やはり総理大臣が目的か また、このように代表がころころ変わるのは、政党組織として正常、安定しているとはとても言い難い。しかも、情報公開を旨とする割には、代表の交代を所属議員へ十分な説明もなされていなかったことが報道され、結局離党者まで出している。こうしてみると、小池知事には「政党および代表とは何であるか」という考えがやや希薄にさえ感じてしまうのである。まして、希望の党でもそれまで議論を積み重ねてきた側近と思われる若狭氏や細野豪志元環境相の議論をリセットするとまで言い放つのは、あまりにも国会議員軽視であり、あたかも使用人を使うような物言いとしかみえない。 このようにして考えると、小池知事の目的は国政進出であり、巷間(こうかん)噂されるように、女性初の総理大臣を目指した行動の一環であることは間違いないように思われる。特に年齢など時間的な問題を考えれば、今回の衆院選に出馬することが肝要であり、何度否定しても出馬の噂が依然消えない理由でもある。出馬しなければ首相には近づけない一方で、出馬すれば都政をないがしろにしているといった批判が沸き上がり、小池人気に水を差すことは疑いないところである。 こうした悩みから、国政への進出に関しては慎重な物言いになっているのであろう。選挙に勝てるようであれば出馬するだろうとの憶測や、「ただの国会議員はもういい」と言ったなどの報道はその目的を表しているといっていいだろう。政権交代を目指すために、松井一郎大阪府知事や大村秀章愛知県知事と連携しているのも、そうした戦略の一環とすれば納得できる。やはり、首相になることが目的といっていいだろう。 小池知事は、都知事を足掛かりとしていないのに、この時期に国政へ進出せざるを得ない理由も明確ではない。地方から立ち上げていくと限界があるので、国政進出を余儀なくされるというのであれば、理解はできる。橋下徹前大阪市長がその典型である。しかしながら小池知事は、一昨年までは国会議員の職にあっただけでなく、自民党政権で大臣まで務め上げていた。そうした国政の関与を承知の上で都政に進出したのであるから、国政の改革が進まないのであれば、国会議員にとどまるべきであったのではなかろうか。これならば、いいか悪いかは別として、首相を目指すためであれば納得はできる。少数党でありながら、国民人気を背景にして連立政権を樹立した細川護熙元首相をイメージしているのではなかろうか。となれば、自民党との連立も考えられる。安保法制、憲法改正への対応を公認の条件にするあたりに、そうした余地を残しているように思える。「都民ファーストの会」の新代表に就任し、記者会見する荒木千陽氏(右)=9月13日、東京都庁 次は、小池知事の政党観について考えてみよう。都民ファーストは自分に従う人だけを集めた政党であり、希望の党もそうした形にしようとしているのが透けてみえる。その意味で「お友達」を優先するなど、おごりが見えるようになって支持率を大きく落とした安倍晋三首相と似た部分がある。前述のように都民ファーストの代表を特別秘書にして安定した収入を確保しようとしたり、1回生議員であるにもかかわらず元秘書を代表に据えたりしているのも、身内優先の表れといえる。都知事の実績はメディア政治そのもの 都知事になってから大きな話題になったのは、豊洲市場移転問題、東京五輪・パラリンピックの会場移転問題、石原慎太郎元都知事に対する税の無駄遣いに対する住民訴訟の見直しなどである。実はこれらがどのようにして決定されたのか明確にされていない。自らの諮問機関で議論したと称するだけである。この本質は、内田茂元都議、森喜朗五輪・パラリンピック組織委員長、石原氏を悪とし、自らを善とすることでマスコミの関心を引き付ける、メディア政治の手法そのものであった。3月3日、豊洲市場移転問題で記者会見する石原慎太郎元東京都知事(左)と都庁を退庁時取材に応じる小池百合子東京都知事 結果としては、豊洲移転は築地も残すという敵を作らない結論となったが、いまだに具体策は見えていない。五輪会場移転は現行の通りだが、予算を削減させた効果を宣伝した。 訴訟問題は従来通りに、東京都としては訴えないという結論になったようである。この問題は、豊洲移転にかかる経費は高すぎることや土壌汚染にかかる費用が掛かりすぎたことに対して、石原氏に賠償責任を追及するように東京都が訴えなさいという住民の要望である。これを今までは責任がないので訴えは起こさないとしていたことを見直すというものであった。ところが移転延期で掛かった費用を小池知事に賠償するように、石原氏と同様の住民訴訟が起こされた。結果として、石原氏を訴えることはしないという結論になったのである。この辺も理由は、少なくとも都民には明確にはされていない。豊洲、五輪・パラリンピックの運営費用の問題も解決してはいない。しかもこれらは時間的な制約のあるものである。やはり都政に専念すべきであるように思える。 このように、人気を権力の背景としてステップ・アップを目指すのは構わないが、少なくとも日本の政党政治を崩壊させるようなことは、未来の日本政治にとって大きな問題である。都民ファースト、希望の党ともに具体的な政策は乏しい。希望の党は、「寛容な保守改革政党」を標榜(ひょうぼう)し、「しがらみのない政治」を目標とすることで、自民党との一線を画しているように思える。だが、寛容な保守とはどのような政治理念を指しているのであろうか。保守中道を言い換えていると思われるが、具体的には全く意味不明である。 民進党議員の合流条件とした安保法制、憲法改正に賛成することは自民党と同じである。「原発ゼロ」も期限を示さない限りほとんどの政党と変わりはない。とすれば、保守政党でしかないのではないか。どの部分をもって寛容とするかの説明が不足している。その改革の象徴が「しがらみ」を断つことのようだが、何のしがらみかは不明である。例えば、政策協定書では政党支部に対する企業献金は禁止されているが、政党本部や個人については今のところ不明確である。国会議員時代の小池知事は、もちろん企業献金に賛成してきた。どこで考えが変わったかの説明も必要になる。日本新党の再来? 思えば、政党そのものに対する考えが不透明な点や、小池人気だけで政党を維持しようとする点に、日本新党の再来を見るような気がしてならない。1993年の都議選でデビューしたものの、4年後には立候補すら少数になり、都政を国政の足掛かりにしたとの批判を受けた。その際の都議選は過去最低の投票率に終わった。政治献金問題といわれるが、細川首相自身も突然に辞任して「殿の気まぐれ」とやゆされた。新党に対する国民の期待が裏切られた原因の一つであったことは疑いのないところである。1992年7月の参院選で当選が決まり、日本新党の細川護熙代表(左)と握手をする小池百合子氏=東京都港区の選挙事務所 こうしたことを繰り返しては、政治不信につながるだろう。小池知事には都民の期待にかなうように都政に専念していただくことが肝要である。国政に進出したことで、都民ファーストは公明党との連携が崩れ、最大会派であっても過半数を失う結果となるだろう。1回生議員が大半を占める都民ファーストは順風とはいかない展開になることも予想される。優先課題とした都政改革も順調にいかない可能性も出てきたのである。 こうした政局の話に報道が終始することで、大義のない解散・総選挙に関する報道は鳴りを潜め、重要な政治課題がないがしろにされることにつながった。もちろんメディアにも責任があると思う。とりわけテレビの情報番組は、こうした視聴者の関心を引きやすい話題を優先する傾向にある。無関係とは言わないが、選挙そのものや公約などの政策課題も丁寧に報道してもらいたい。選挙報道はこれからであるが、政策論議になることを期待したい。党首人気の報道だけでは、必ずしも政治の信頼にはつながらない。 同様に前原誠司氏は何のために民進党代表になったのであろうか。小池知事と交渉するのであれば、すべての議員を希望の党公認にすることを確約してから希望の党と事実上の合流に踏み切るべきではなかったか。民主党政権時の首相やリベラル派を公認しないのでは、民進党そのものがバラバラにされることになる。それが党代表のすることであろうか。 こうした一連の動きは、日本政治にとって、国民にとって有意義なものなのだろうか。こうした事態は、与野党ともに信頼を低下させる要因になりはしないだろうか。投票率の低下が心配である。必ずしも投票したい候補者がいない場合に、投票を促すために「選挙はよりマシな人を選ぶ」という考え方がある。投票が民主主義の根幹にかかわる有権者の権利であることを表している。その意味で今回の選挙は、国会議員と、それを選ぶ有権者の矜持(きょうじ)が問われているのではないか。これを機に、日本政治が未来に向けて国民の信頼感を得るようになってほしいものである。

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    現代の「日野富子」小池百合子のあくなき権力欲

    明義(作家、ジャーナリスト) 小池百合子東京都知事の土壇場での出馬がまだ話題になっている。このまま総選挙に突入すれば、70議席~80議席と言われている獲得議席数が、130~140議席以上と、50議席以上増やす可能性があるから当然だろう。 小池氏が出馬するかしないかという決断は、公示日になってみないとわからない。なぜなら、小池氏が「100%ない」と言っても、周囲がそれを認めないからだ。なぜ認めないのか。 小池氏と近かったある元民主党国会議員はこう語った。 「あの女は、本当に何をするかわからない政治家だからね。これまで長く党派を渡り歩くだけでなく、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎といった首相級の政治家たちを食い物にして自分がのし上がっていく。日本のしがらみが悪いというが、日本人の縁をまったく大事にしない。希望の党もいつかこれまでの新党と同じ運命をたどると私は思うよ」会談後、握手して記念撮影に応じる希望の党代表の小池百合子知事(左)と前原誠司氏=10月5日(佐藤徳昭撮影) 実際に、1992年に日本新党という新党を小池氏や民進党の代表である前原誠司氏らと共に立ち上げた細川護煕氏は、「いやあ、名も実も魂も取られてしまうのではないか、と心配になりますよ」(毎日新聞10月4日付)と前原氏ら希望の党に合流した議員たちに対して、強く危惧しているのだ。 その前原氏と組んで、まず民進党を三分裂させた上で、一体本当は誰が敵なのかもわからない「現代版・応仁の乱」を勝ち抜こうとする小池氏。5日、その小池氏は前原氏と会談し、小池氏に衆議院選へ出馬することを持ちかけられたが断ったことを明らかにした。 それでも消えぬ衆議院選出馬ー首班指名での総理就任ーというシナリオは、別にマスコミが面白がっているだけで取り沙汰されているわけではない。それは彼女のあくなき権力欲や実際に永田町で歩いてきた足跡からそう呼ばれているのだ。 持ち前の度胸と勝負勘、敵と味方をハッキリ分ける非情さを併せ持ち、敵をなぎ倒していくやり方は、まさに応仁の乱そのものだ。その小池氏は、実は永田町などで、応仁の乱と、その後続いた戦国時代を生き残ったある女性に準(なぞら)えられている。 「小池氏は、『現代の日野富子』ではないか」ー。 日野富子は、室町幕府第8代将軍・足利義政の正室で、第9代足利義尚の母として、自ら従一位まで登り詰めた。その一方、義政の側室を次々と追放、応仁の乱の原因の一つとして、日野富子が義尚の後見人を細川勝元と争った山名宗全に頼んだーということが指摘されているが、戦乱の世で次々と蓄財を繰り返して、応仁・戦国時代において評判が悪かった日本人としては、指折りの人物として上げられるだろう。  応仁の乱の時代を生きていた日本人には、これほどまでに日野富子が権力の座を握るとは思っていなかったに違いない。小池百合子は現代の日野富子か その勝負勘で政界を乗り出してきた小池氏に対し、続々と内部からも反旗を掲げる動きが広がっている。まず、自ら作った東京都議でつくる都民ファーストから、一時期は「側近中の側近」と呼ばれた音喜多駿氏と上田令子氏の2人の都議が離党を発表。東京都議団の一人はこう語った。離党の決断理由を述べる上田令子都議(右)と音喜多駿都議=10月5日、都庁(宮川浩和撮影) 「小池氏のおかげで当選した都民ファーストだが、自分でつくっておいて責任を取らない小池氏をやり方に内心苦々しく思っている都民ファーストの議員も少なくない。もし小池氏が土壇場で衆議院出馬を表明し、都知事を投げ出せば、離党するかもしれないと言われている都民ファースト議員が7人いると言われている」 また、国会議員の中からも、長野1区の篠原孝元農水副大臣のように、一度希望の党の公認が決まったにもかかわらず、辞退する政治家も現れている。これは、「すべて想定内だ」と語った前原氏への不満もあるとされているが、小池氏のやり方にはついて行けない人間が続々と出始めているのだ。 私自身は、小池氏に対して、アメリカを中心とするGHQによる占領期と日本の55年制の下、日本を内側から弱体化することに躍起となってきた左翼・リベラル陣営をこなごなに粉砕したことに対しては大いに評価している。「何でも反対」で、日本にはすでに必要がなくなっていた左翼リベラルを重視するよりも、安全保障や経済の観点から、現実的で自由主義的な保守が侃々諤々(かんかんがくがく)と議論する陣営を日本社会の中枢に置かなければ、日本の未来はないーと考えているからだ。実際に、今回小池氏が仮に出馬しなくても、比例区を合わせれば100近い獲得議席に到達できる力はあるだろう。 しかし、それにしても、小池氏はやりすぎた。日本人同士のごく普通の人間関係まで何でも「しがらみ」と語り、「改革」をぶち上げて、敵を破壊していくやり方は、新党ブームだった90年代から今世紀に入って、すでに終わったものであり、敵を増やすことを嫌がる日本人からは受けないと思われるからだ。 この小池氏の評価は、必ず歴史に残る。小池氏が後世の日本人たちから、果たして本当に「現代の日野富子」と呼ぶようになるかどうかは、そのうちわかるに違いない。