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    安保デモ参加者 安倍氏落選狙い10万人の山口4区移住提言

    ている。 そうはいっても、安保法案の責任者として名前があがっている有力政治家の多くは固い地盤を誇り、選挙に強い議員たちだ。山口県下関市の長府商店街を視察に訪れた安倍首相=2014年8月13日午後 衆院山口4区の安倍首相の場合、昨年12月の総選挙で約10万票を獲得し、次点の共産党候補(約1万7000票)に6倍近い8万票以上の差をつけて楽々当選している。山口1区の高村氏も次点の維新の党候補に8万票以上の差で当選した。「落選運動」といっても、この2人のように解釈改憲の象徴ともいえる議員たちを追い詰めるくらいの選挙戦にならなければ政治を変えることは難しいはずだ。 果たして反対派に“安倍首相落選”への成算はあるのだろうか。選挙・政治制度論が専門の湯浅墾道(はるみち)・情報セキュリティ大学院大学教授は「可能性はある」と、米国の州議会選挙などの落選運動で使われているボート・スワッピング(投票交換)の手法をあげる。 「東京都民が安倍首相を落選させたい場合、ネットで山口4区の人に“安倍首相に入れないで”と依頼し、それに応じた山口4区の人は東京で誰に投票しないでほしいと依頼して投票行動を交換する。落選運動は主にネットで広がるため、効果は大都市の選挙区であるほど大きく出る傾向がある」 これならば、“長年、自民党支持者だったが、安倍首相には反対、でも自民党以外に投票するのも気がすすまない”というジレンマを抱えている有権者も動きやすくなる。 とりわけ参院選であれば、選挙区と全国比例の候補者の投票を交換するといった多様な交換条件が考えられる。かなり有効だろう。ただし、衆院選の場合、ガチガチの「安倍支持者」が多い首相の選挙区で8万票もの大差を覆すほどの有権者が票の交換に応じるかは疑問がある。 安保法案反対派の中から「究極の秘策」として浮上しているのは、もっとストレートなやり方だ。「8月30日に全国300か所以上で行なわれた安保反対デモに参加した人は1日で数十万人にのぼった。デモ参加者を中心に“絶対に安倍さんを落選させたい”という人に呼びかけて山口4区に移ってもらう。10万人規模の有権者が住民票を移せば、現職総理を落選させることも可能だ」(デモ参加者) 現実にはハードルが高いが、もしそんな規模の有権者が行動すれば、どんなに選挙に強い政治家でも心胆を寒からしめることができるはずだ。関連記事■ 落選運動 制約少ないが選挙期間中はSNSで実名の使用が必要■ 政党乱立選挙 7~8割もの投票が「死に票」になる恐れあり■ 落選運動 選挙活動ではないため今すぐ始められると東大教授■ 尖閣上陸問題 2004年自民党政権時も今回同様弱腰対応の過去■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」

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    朝日と毎日の論調が地方選挙をダメにする

    の佐藤孝弘さんが初当選したことは、政権運営にとっては小さくない勝利なわけですが、そもそも論として地方選挙で毎度のごとく思うのは、その地元と関連性の薄い国政マターがメインな争点であるかのようになってしまう違和感です。山形市長選で当選を決め、遠藤五輪相(左)と抱き合って喜ぶ佐藤孝弘氏=9月13日夜、山形市 まあ、選挙というのは血みどろの戦なので、野党陣営が何が何でも勝つための方策として、安保法制を掲げるのはそんなものかと思いますが、そういう当事者間の刺し合いで過熱するからこそ、メディアというものは中立性を発揮して、そういう永田町文脈からは一歩引いて、その地域の有権者が直面する課題を深く考えてもらい、投票率が上がっていくようにするのが本分ではないかと思います。 しかし、たとえば今回の市長選を取り上げた毎日新聞の記事はこんな調子です。山形市長選:まるで地方版「安保対決」の様相(15年9月6日) 6日に告示された山形市長選。参院で審議が進む安全保障関連法案の与野党対立がそのまま持ち込まれ、選挙戦は、さながら「安保対決」の様相だ。 遠藤利明・五輪担当相(衆院山形1区)の地元でもあり、野党側は「安倍政権を追い込める選挙」と結束。1966年以来続く革新・非自民陣営からの市政奪還を目指す自民は、法案賛成を前面に出さず争点化を避けたい考えだが、防戦に追われている。 そして朝日もこんな感じ。安保、市長選争点に 山形、与野党の対立軸(15年9月10日) 国会での審議が大詰めを迎える安全保障関連法案が、山形市長選で主要争点のひとつになっている。国会での与野党対決の構図を映した無所属新顔の2人を軸にした戦い。野党が推す候補が「選挙結果は法案の行方を左右する。山形から反対の民意を示そう」と訴えれば、対立候補の陣営は「地方選と外交・安保は関係ない」と主張する。投開票は13日だ。 両紙とも、さすがに地元の山形版は、市政担当記者が書いた定番の市政の課題連載は一応やっているわけですが、後者の朝日の記事は第二社会面(東京本社管内)に掲載されていて、本社の息がかかってくると、永田町文脈が介入してくるわけですよ。朝日も毎日も野党に“加担”している 沖縄の県知事選のように、県政の争点がイコール基地問題のようになっている場合は例外的に国政とリンクした報道になるのはやむを得ないでしょう。しかし中国が攻めてくるわけでもない山形市で安保法制を“主要争点”扱いとしようとすること自体、朝日も毎日もメディアの中立性を踏み越えて、安倍政権を倒したくてたまらない本音を微妙ににじませつつ、安保法制を争点化したい野党に実質的に“加担”しているわけです。 日本新聞協会が綱領で「報道は正確かつ公正でなければならない」と示す建前論の影で、朝日新聞は昨年の第三者委員会の調査で「角度をつける報道」をやっていたのが暴露されたわけですが、永田町文脈を安易に持ち込む全国紙の地方選挙報道が、不毛な対立を招いたり、政策論議の空洞化につながっていたりするんじゃないでしょうかね。むしろ国政マターを安易に持ち込もうとする中央政党を戒めるような論調をすべきじゃないでしょうかね。別に争点化を避けたかった自民党の肩を持つつもりも全くないけど、政治関連の仕事をしていると、つくづくそう思います。 とりあえず、山形市長選に勝って「安倍政権の打倒へ弾み」なーんてFacebookでシェアしようと思っていたSEALDsクラスタの皆さん、空振りに終わってご愁傷様でした。逆に自民党の皆さんも調子に乗らないことですね。「安保法制が支持された」なんて言わないで粛々と国政と地方のことは切り分けて仕事していただきたいと思います。ではでは。(「新田哲史のWrite Like Talking」より2015年9月14日分を転載)

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    橋下市長の敗因は「シルバーデモクラシー」ではない

    の動かしようのない数字から分かる事は、橋下氏の敗北はシルバーデモクラシーが原因ではないという事だ。 選挙結果として、年代別、男女別の出口調査がテレビで報じられていた。20代から70代以上まで6つの年代と男女に分けられた賛否の割合だ。この調査で反対が50%を上回っているのは50代の女性と70代以上の男女のみだ。それ以外は50代男性も、そして60代の男女まで賛成が50%を上回っている。 これだけを見れば70代以上が全てを決めてしまっているシルバーデモクラシーじゃないかという事になるが、数字の上では40代とそれ以上の年代の人口割合はほぼ半々だ。50代男性と60代まで賛成派の味方についたのに、なぜ負けたのかといえば投票率という事になる。 40代までとそれ以上の人口比がほぼ半々なのであれば、賛成派が負けた原因はワカモノの低い投票率以外に無い。人口比で負けたのならばシルバーデモクラシーという指摘は正しいが、投票率で負けたのなら、それは単に民意が反映されたと考えるべきだ。投票に行かない人は「どんな結果が出ても従います」という意見表明をしている事になるからだ。 つまり高齢者の意見が反映されている事は間違いないがその原因はシルバーデモクラシーでは無いという事だ。※全体の投票率は66.83%と報じられている。自分が確認した限り記事を書いている時点では年代別の投票率を報じたメディアが見当たらなかったが、おそらく本日中には公開されるだろう。投票に行って自分の意見を表明する事は悪い事ではない このようなシルバーデモクラシーの誤解は国政選挙でもあり、以前以下のように書いた。 選挙は投票率が下がるほど組織票がモノを言う。単純な話だが選挙に興味の無いワカモノはこれを知らない。高齢者は投票率が高いので、ある意味で組織票に近いものがある。そして当然の事だが選挙に行く事はなんら悪い事ではないし、自分が支持する政策を実現する人・政党に投票するのも当然だ。それに呼応してリピート率・利用頻度の高い「顧客」向けの政策を打ち出すのも政治家としては当たり前だ。災害より老後を怖がる日本人 ~20代と60代の利害は一致する~ シェアーズカフェのブログより 2012/12/07 反対派が自分の意見を投票する事も、高齢者がワカモノより投票に行くことも、何ら問題のある行動ではない。これを否定するのであれば選挙や住民投票の仕組み自体を否定する事になり、住民投票で賛否を問うと決断した橋下氏を否定する事にすらなりかねない。橋下氏自身も民意に選ばれなかったことをはっきりと認めている。 大阪都構想による二重行政の解消が高齢者にとってマイナスになるとは到底思えないが、今回の結果を受けて大阪は終わった、という意見を多数見かけた。将来大阪が地盤沈下する事になっても、全ては住民にとって自己責任としか言いようが無い。もっと言えば自業自得だ。敗因は女性票か? 先ほど書いた男女別の投票率を見ると、男性の賛成票の多さに比べて女性の賛成票は随分少ない。例えば20代から40代男性の賛成票の割合は60%後半から70%超と強い支持を見せている。同年代の女性はいずれも50%半ばと半数は超えているものの、男性と比べて10ポイントから15ポイントも低い。 橋下氏が女性票に弱いというイメージはあまりなかったが、強権的な手法が嫌われたのだろうか。過去には女性関連の問題で週刊誌に報じられたものや、慰安婦に関する発言などがある。いずれも数年前の話題で今さら掘り返すようなものではないが、僅差での敗北を考えると影響している可能性はあるかもしれない。 今回の住民投票はあくまで都構想の賛否ではあったが、現実には橋下氏の信任投票でもあったように思う。とはいえ、実際にはワカモノの投票率がもう少し高ければほとんど関係の無い小さな影響だと言わざるを得ない。やはり敗因はワカモノの投票率の低さという事になる。橋下氏にすがる記者たちという異様な光景 昨夜11時から始まった記者会見は2時間にわたって続けられた。 橋下氏は会見当初からすっきりとした笑顔を見せていた。最後まで戦い切った満足感、あきらめ、お前ら今後どうなっても俺はもう知らないぞという突き放し……これらがないまぜになったような表情に見えた。「本当に引退するんですか?」「負けたとはいえ半数近くの支持があったんですよ?」「これだけの支持者と維新の会を放り出してやめてしまうんですか?」「例えば10年後の復帰も本当に無いんですか?」 まるで突然引退を表明した芸能人かアイドルに対するような、何とも不思議な質問が新聞社やテレビ局から何度も繰り返された。橋下氏は、僕は奴隷じゃない、職業選択の自由がありますので、と今後について政治家への未練が一切無いことを表明した。 過去の2万%府知事選挙への出馬は無いという発言についても、当時すでに撮影したテレビ番組がお蔵入りになってしまうので嘘をつかざるを得なかった、今はそういう事情は全くない、と取り付くしまも見せなかった。これまで政治家として散々タダでテレビに出て来たけど今後はそうはいかない、と冗談とも本気ともつかないような発言もあった。 しつこく繰り返された本当に辞めるんですか?という質問は、無料で使える「面白いコンテンツ」としての政治家・橋下徹氏が消えてしまう事への未練だったのだろうか。自分にはマスコミとケンカをしながらも、現状打破のために戦う政治家に目の前であっさりと引退を表明されてしまい、辞めないでほしいとすがっている人達にしか見えなかった。それはまるでこれまで批判してきたことに対する懺悔のようだった(市と府を混乱に陥れた責任を取って辞めるんですか?といったようなキツイ質問が多数ぶつけられるかと思いきや、そういった質問は全くと言って良いほど無かった)。足による投票 今回の投票結果は決してシルバーデモクラシーではなく住民全体の意思によるものだ。本人も認めるように賛否が別れる、そして一部からは大いに嫌われているものの稀有な政治家を住民の意思で葬った事になる。 今回の住民投票が将来の大阪に、そして日本にどのような影響を与えるのか。反対派として手を組んだ自民・公明・民主・共産は野合と批判されているが、二重行政の解消は大阪都でなくとも出来ると説明している。 今後は足による投票、つまり大阪の地盤沈下に伴って移住もありうるだろう。停滞した地方から都市部に働きに出るワカモノが珍しくないように、大阪以外の都市に引っ越すという選択肢だ。以下の記事も参考にされたい。■グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?http://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/43503648.html■「残業代ゼロ法案」は正しい。http://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/43530974.html■なぜスイスのマクドナルドは時給2000円を払えるのか?http://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/43721475.html■「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~http://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/41886861.html■お金を払ってFPに相談……でも本当に信頼できる? ~同業者の目から見た「ファイナンシャルプランナーの選び方、使い方」~http://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/42814111.html 東京都と大阪都、2つのエンジンで国が回っていく将来を期待していた人も居ると思うが、これが完全に消えてしまうのか、それとも橋下氏が去り、江田氏が代表を辞任した後の維新の党が新しい政策を掲げていくのか、今後も注目したい。なかじま・よしふみ ファイナンシャルプランナー、シェアーズカフェ・オンライン編集長。1979年生まれ。2011年開業、翌年に開設した「シェアーズカフェのブログ」はFPとしてアクセス数日本一を誇る。現在は日経DUAL、アゴラ、ハフィントンポスト等で執筆中。その他新聞雑誌など多数の媒体で情報発信を行う。対面では住宅購入のアドバイスを得意とする。生命保険の販売や住宅ローンの仲介等を一切行わず、FP本来のスタイルで営業中。現在は各種士業や大学教授など、多数の専門家が書き手として参加するウェブメディアを編集長として運営。シェアーズ・カフェ:http://sharescafe.com/関連記事■ 大阪都構想 影響が大きい「政治論としての」敗北■ 政権批判なら何でもいいのか トンチンカンな左派マスコミ■ 高齢者の地方移住 安い生活費と医療がカギ

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    老人の老人による老人のための政治

    大阪都構想に関する住民投票の結果からにわかに巻き起こった「シルバーデモクラシー」論争。将来に責任を持つ有権者層の意見を政治に反映できないと言われて久しいが、高齢者の発言力が強すぎるのか、それとも若者があまりに政治に無関心すぎるだけなのか。

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    民主主義を通じた問題解決は「臭いものに蓋」では進まない

    だ。特に、他世代よりも人数の多い団塊世代が高齢化する中でこの傾向が顕著になっている。 第二に、日本の選挙制度では一票の格差が温存され、高齢化が一段と進んでいる農村票の価値が高く設定されていることである。 人口構成については、誰かに責任がある問題ではないが、選挙の度に問題となる一票の格差問題は人為的に作り出された民主主義の欠陥である。しかも、最高裁さえも投票価値を1倍に近づけていこうという発想はなく、衆議院では2倍以内、参議院では概ね4~5倍以内が目指されているに過ぎない。参議院が地域代表としての特性を持つというのは百歩譲ってそうかもしれないが、衆議院についてはかような欠陥を正当化できるようには思えない。 第三に、高齢者の投票率が高いということが指摘される場合もある。この点は各世代の行動様式の問題であり、過剰代表の原因であるのはそうとしても、以上に挙げた構造上の点と同じ次元で捉えるべきかどうかは微妙なところだろう。 では、シルバーデモクラシーが、問題である所以は何かというと、民主主義における負担と給付の関係が崩れ、不公正が生じてしまうということに尽きる。 近代民主主義の根幹には、「代表なくして課税なし」という言葉に代表されるように、負担と給付を均衡させる発想がある。絶対王政下ならばいざ知らず、このバランスが崩れると、「割を食う」集団が現れ、民主主義を長期的安定的に持続させることができないからだ。 ことがそれほど単純でないのは、ここに福祉国家の理念が重なってくるからである。福祉国家という制度は、負担と給付をバランスさせるという発想を、「能力に応じて負担し、必要に応じて給付する」という発想で修正したものである。そして、近代化の過程では高齢者は弱者であることが多かったため、現行の福祉制度は高齢者を弱者として制度設計が行われている。 結果として起こってきたのが国民の負担能力を超えた福祉の膨張であり、強者としての高齢者による既得権保護の欲求である。実際、日本でも何十年も社会保障改革が叫ばれているが、現役世代の負担増は進んでも、高齢世代の給付減は少しずつしか進んでこなかった。 シルバーデモクラシーの問題が根深いのは、民主主義の中で解決することが極めて難しいということである。多数決原理を原則とする限り、上記の負担と給付のアンバランスを克服することが困難だからだ。この困難さは、他国においても日本においても繰り返し証明されている。  民主主義を通じて解決が難しいからこそ、民主主義の外側に解決策を求める声も大きくなる。高齢者の過剰代表性の補正を目的とした、一票の重みの調整や世代別の投票制度などである。個人的には、殆どリアリティーのないこれらの提案には懐疑的である。むしろ、問題の本質から国民の目を背けさせ、社会の階層、年代でのセクト化を助長するものとして害があるとさえ思っている。民主主義の欠陥は、民主主義を通じた修正を尽くしてから検討されるべきと考えるからだ。そして、民主主義を通じた解決の前提は、問題の所在を明確にすることである。 例えば、世代間不均衡の代表例である年金の負担と給付の格差については、年金は損得で考えるべきでなく世代間の助け合いである、という誤魔化しがまかり通ってきたことは問題である。これでは、民主主義を通じた解決は望むべくもない。結果として、年金の信頼感がガタガタとなり、負担する人の割合が極端に低下するというマイナスのスパイラルが生じている。 住民投票を通じた大阪都構想の否決は、シルバーデモクラシーの問題を先鋭化させた。民主主義を通じた問題解決は、「臭いものに蓋」では進まない。その意味で、一連の経緯を通じて、シルバーデモクラシーの問題が晒され風が当てられたことはいいことだったかもしれない。フラストレーションが高まっている方々にとっても、そう考えることで多少は救いとならないであろうか。もちろん、問題の所在が明らかになった後には、問題の解決に向けて汗をかくリーダーが必要であるのだが。関連記事■ 大阪都構想 影響が大きい「政治論としての」敗北■ 政権批判なら何でもいいのか トンチンカンな左派マスコミ■ 高齢者の地方移住 安い生活費と医療がカギ

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    民主主義の“当たり前”を変えられないことがシルバーデモクラシーだ

    いくことが求められている。 もちろん、現状を打破するための取り組みは色々と進んでいる。インターネット選挙運動の解禁や大学内への期日前投票所設置等がわかりやすい事例だ。さらに、選挙権年齢に達していない子どもを持つ親が、子どもに代わって投票に行くことができる制度(子どもが二人いれば、親が3票投じることができる)などの大胆な変化も本格的に検討が必要だ。 少子高齢社会においてであっても、若者を政治のほうに振り向かせ、主体的にアクションをとるためには何ができるのか。ひきつづき考えたい。「シルバーデモクラシーだよね」、で諦めるのは早すぎる。まだまだやれることはある。関連記事■ 大阪都構想 影響が大きい「政治論としての」敗北■ 政権批判なら何でもいいのか トンチンカンな左派マスコミ■ 高齢者の地方移住 安い生活費と医療がカギ

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    なぜ「泡沫候補」は選挙に出るのか

    自身の裸体を選挙ポスターに掲げた人もいれば、元グラビアアイドルや大物歌手の元カレといったユニークな経歴の人たちが、今回の統一地方選に立候補し、地方自治の在り方とは違った意味で注目されている。当選する見込みがほとんどないのに、なぜ彼らは選挙に出るのか。

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    選挙に強い泡沫候補”はすべて計算ずくのことである

    外山恒一(政治活動家、「我々団」総統)少しもフザケてなどいない 私が(普通の意味で)選挙に出たのは05年から08年にかけての計4回だけで、したがって直近のものでもすでに7年前のことになる。一番よく知られているであろう東京都知事選への出馬は07年4月である(他の3回は05年11月の鹿児島県霧島市議選、件の都知事選を前半戦とした07年統一地方選の後半戦・熊本市議選、08年4月の鹿児島市議選)。 都知事選の政見放送で私は、選挙での社会変革の可能性を全否定し、はっきりそうは云わなかったがおそらくはきっと何か物騒な手段での「政府転覆」を呼びかけて、一躍“著名な泡沫候補”の仲間入りをしたわけだが、“泡沫候補”呼ばわりされること自体に特に異議はない。 もっともマスコミも含め世間一般のその線引きは非常に恣意的ではある。とくに奇矯な印象でもない無名の地味なオッサンたちも泡沫候補扱いされるから、キャラで峻別されているわけでもあるまい。絶対に当選するはずがないのになぜか立候補してる人、をそう呼ぶのであれば、07年以来の都知事選を例にとれば、石原・猪瀬・舛添氏の当選は投開票を待つまでもなく明らかだったのだから、浅野史郎、黒川紀章、そのまんま東、ワタミ、宇都宮健児、松沢成文、細川護熙、タモちゃん(田母神俊雄)ら各氏、みんな泡沫候補ではないか。 ただ多少不服なのは、どうも世間では“笑える”イコール“フザケている”という等式が常識的であるらしいことだ。むろん“笑わせる”ことと“笑われる”こととは全然違う、ということでもある。私は明確に意図して“笑わせた”のだし、私以外にも(私にはミジンも面白いとは思えないが)わざと“笑わせて”いるらしい著名泡沫候補もいる。だがそれとはまったく違う水準で、さらに不服なのである。私は“笑わせた”が、少しも“フザケて”などいない(もう一人の著名泡沫候補は明らかにフザケている)。件の政見放送で語った内容は、すべて私が心の底から本気で思っていることばかりであり、そうでないフレーズは一つとしてない。東京都知事選に落選し、熊本市議会議員に立候補した外山恒一氏=2007年4月17日、熊本市内 私は他の(少なくとも主観的にはマジメなタイプの)著名な泡沫候補たちと違って、その主張の内容に(婉曲に云って)独創的なところはまったくない。世界史の教科書にだって太字で載ってる左右のメジャーな反体制思想であるアナキズムとファシズムとが私の信条(正確には“アナキズム経由のファシズム”)であり、“選挙否定・議会制民主主義否定”はそれらに共通する主張でしかない(ムソリーニもヒトラーも議会進出はしたが、彼らがそれら“民主的”システムをハナっからバカにし、状況次第で平然と踏みにじったことを否定する者はあるまい)。勢力的には極少な過激思想の表現にいきなり触れた無学な人民が唖然とするのは仕方がないが、一流大学の学生や出身者どころか教授レベルにさえそれらと大差ない反応が多いことには、むしろこちらが唖然とさせられた。 私はただ自らが拠って立つアナキズム&ファシズム(無学なインテリたちはこの併記にも唖然とするようだが、先入観を捨ててそれらの成立史を辿ってみれば、両者はほぼ表裏一体の思想である)の選挙観を、例えば社会派ミュージシャンがいくら渾身の歌詞とはいえ、それをただ棒読みすることはなく必ずリズムを整えメロディをつけアレンジを施すように、できるだけ多くの人を最後まで飽きさせず画面に釘づけさせられるよう、レトリックと“役作り”の面を工夫して伝えたにすぎない。 選挙に出た目的も私の場合ははっきりしている。私は選挙を中心的手段としない、直接行動的な闘争の延長線上に革命を展望しており、中期的には60年代末のようなラディカルな学生運動が、かつてのそれとは違い左派の枠内で模索されるのではなく右派的な志向を持つものとして再興することがその唯一の突破口であると考えているが、そのさらに前段階としてはまず誰かが現代に公然とラディカリズムの旗を掲げて登場しなければならない。それが私の05年から08年にかけての一連の立候補だったというだけである。 要するにラディカリズム復興のための核となる“最初期の同志”を求めての立候補だったわけだが、その目的は充分には果たせず、各地から私が本拠としている九州へと移住し合流した、志ある感心な若者は数名しか出現せずに終わった。その理由は、日本のジャーナリズム・アカデミズムあるいは前衛美術シーンなども含めて、私の予想をはるかに下回る水準で停滞しており、“マジメなラディカリズムの論客・活動家”として各種メディアに進出するという、都知事選後に想定していた“二の矢”を放てなかったことにあると考えている。政治活動を選挙便乗路線に政治活動を選挙便乗路線に したがって08年の鹿児島市議選を最後に、存在アピールとしての(当落を度外視、というより落選前提の)立候補路線は断念し、やはり政治的関心が通常より高まる機会ではあるので度々“選挙”には便乗しつつも、以後は別の方向を模索している。 08年にはアメリカ大統領選に“勝手に立候補”を表明する演説動画を自作して公開し(これまたわざと“笑わせる”工夫を随所に施してあるが、内容的には極めてオーソドックスな“反グローバリズム”である)、11年の都知事選でも正規の政見放送の放映時間に合わせて“自主製作の政見放送”動画を公開した(こちらはそんなに“笑わせる”ことは追求していない“マジメな”演説である)。 “3・11”以降は、もともと駆け出しの活動家だった88年の第1次反原発ブーム以来、反原発の主張を撤回したことはないし(03年に獄中でアナキズム→ファシズムの転向を果たした際に“原発にも核武装にも反対”の立場から“原発反対・核武装賛成”の立場に移行した程度である)、原発問題に絡めて各種選挙に“便乗”してきた。12年暮れの衆院選では、九州各地の原発推進派と思われる立候補者たちの選挙カーを、「原発問題を争点に!」と大書した街宣車で、ショパンの葬送行進曲を浴びせながら1候補につき1日ずつ追い回しつつ、「今、目の前を走っている何々サンは原発推進派です!」と沿道をご通行中の有権者の皆様に云いふらす“原発推進派懲罰遠征”を敢行し、13年夏の参院選では、たまたま他の用事で北陸から東北・北海道にかけての長旅の最中で、その合間に片手間で、今度は「こんな国もう滅ぼそう原発で」と看板を書き換えて、忌野清志郎のイヤミったらしく能天気な曲調の「原発賛成音頭」を爆音で鳴らしながら、北日本各地の繁華街で「原発を標的として狙う私たちテロリストは、原発を続けてくれる自民党を支持します!」と表明して回る(この時は“選挙カー追い回し”はしなかった)“自民党ほめご…いや大絶賛キャンペーン”を展開した。ほぼ同じことを14年の都知事選でも、原発推進派のタモちゃんと、とくに当選確実だったやはり原発推進派の舛添サンを標的におこなった。無責任な期待に応える気は一切ない これら一連の行動によって、遅まきながら私を“マジメな政治活動家”として認知してくれる人が多少は増えてきたのはよいのだが(選挙のたびに確実に支持者を増やし、一部では“選挙に強い泡沫候補”とまで云われた)、もちろん私は反原発派であると同時に反選挙派であり、原発がらみの選挙介入も、そんなことで選挙結果を左右できるとは考えていなかったし、むしろ逆に、いつまでも選挙に幻想を抱いて、フツーに立候補したり、立候補をした人をマジメに応援したりしている愚かな反原発派の諸君に、“選挙以外の直接行動路線”を身を以て提示するための行動だった。そこらへんがどうも誤解されて、単にちょっと奇抜な手法でのマジメな選挙介入だと思われてしまったフシがあるので、先日の統一地方選では、反原発の主張はいったん一切引っ込めて、選挙の無意味さを告発し、投票ボイコットを呼びかける“ニセ選挙カー”を、福岡市議選をはじめ、九州各地の選挙戦エリアに走らせた。 考えてみれば07年の都知事選以来、本拠の福岡ではそれほど派手な活動はしておらず(先述の“懲罰遠征”の舞台の一部としたぐらいか)、少数の同志たちと地味な“学習会”など組織していた程度なので、そもそもずーっと福岡にいるのに、今回の“ニセ選挙運動”で「なぜ外山恒一が福岡に?」という反応が多いのを見て反省した。今後は選挙と無関係にも、日常的に福岡での街宣活動に力を入れて、いよいよ“党建設”を最優先課題とするつもりである。 かくのごとくに私の行動はすべて、あくまで将来の革命政権樹立を念頭に、現在がそのどれくらい手前の状況であるかを勘案して展開されているので、「また選挙に出てくださいよ」などという単なる面白がりの無学な自称“ファン”どもの無責任な期待に応える気は一切ないのである。中期的には、我が革命党がいよいよ数百数千の規模に拡大したら、同志たちの一部をまずは地方議会に順次送り込むための本気の選挙戦を考えてはいるが、その場合も私自身が出馬することはないだろう。革命を目指す党において、公職の議員などはせいぜい中堅幹部が担当する役割にすぎないからである。私を本当に支持してくれたり、支持はしないまでもマジメな考察の対象としてはくれている人々は、選挙なんぞという、我々過激少数派にとっては徹頭徹尾どーでもいい“多数派のお祭り”の場に公式に登場せずとも、今でも引き続き私の一挙手一投足に注目しており、「外山恒一って今どうしてるんだwww」とかツイートしたりしないので、これでいいのである。関連記事■ 上西小百合さん、議員辞職を拒否ですか 責任は維新の会にある■ 「スネ夫」的生き方を是とした橋下徹の少年時代■ 記者へのお礼に果物贈る議員秘書 「腐るから」と返品回避する

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    映画「立候補」監督が問う 泡沫候補とは何か?

    藤岡利充(映画監督)羽柴誠三秀吉の死去 2015年4月11日。日本全国の選挙に何度も立候補し続けた羽柴誠三秀吉(本名:三上誠三)氏が65歳で亡くなった。羽柴氏は青森県五所川市金木町出身。青函トンネルの土をダンプで運ぶことをきっかけに財を築いた。自宅は日本の城を模したもの。甲冑を身につけ、ヘリコプターを飛ばすなどの派手な選挙パフォーマンスは、目立ちたがり屋で金持ちの道楽立候補、選挙の時だけ現れては消える水の泡、泡沫(ほうまつ)候補として揶揄する人もいた。一方で、人から何を言われようとも我が道を行き、自由奔放に生きていると賞賛する人もいた。本人はどう考えていたのか?2000年の大阪府知事選に鎧兜姿で出陣する羽柴誠三秀吉氏 2012年6月。まだ闘病中だった羽柴氏に、私はインタビューした。「今後、羽柴氏を手本にして立候補する人たちも現れてくるのではないか?」 すると、意外な答えが本人から返ってきた。「まず、私を手本にして欲しくないナ。戦って、戦って、最後の結末で勝てたなら、いくら負けても、何度でも戦っていけ!と言うけどもヨ。まだ私は最後の戦いに勝利して、(政治の世界に)歯車を噛ませていませんから。だから、私を手本にはして欲しくないナ。」 泡沫候補と呼ばれた彼は、負ける前提の戦いではなく、勝利を信じ選挙戦を戦い、社会の歯車となることを目指していた。羽柴氏のカメラを見つめる目は優しく、言葉は力強かった。羽柴氏が亡くなったことを大変残念に思う。 供託金 日本の選挙には、供託金制度というものがある。例えば、大きな首長や国政の選挙では立候補するのに300万円が必要となる。もしも、一定の得票率に達しない場合は300万円が没収される。海外の民主国家では供託金制度自体がないところも多く、立候補をお金によって制限することにも議論がある。しかしそれ以前に、この供託金制度自体を知らないという人も多い。日本人の多くは、立候補という政治参加の手段を存在しないものとしている。政治参加の手段1「家の中でグチる」2「家の外でガナる」3「投票する」4「立候補する」5「革命を起こす」 今の政治に対して満足している人は3の「投票」で良いだろう。しかし、現在の政治に対して不満があり、支持する政党や政治家がいない場合、どうしたら良いだろうか? 棄権や無記名投票は、政治に対して何ら法的効力を持たない(憲法改正では有効かもしれないが)。1も2も法的な力はほとんどない。5番目の「革命」は違法だ。 泡沫候補と呼ばれる人たちは、政治に対して不満があり、投票先が見当たらなくて、4番目の「立候補」という合法的な政治参加の手段に気づいてしまった人たちなのだ。 あなたはまだ、負けてすらいない。 とはいえ、いきなり選挙に立候補しても、落選必至である。出るからには勝ちたい。地盤(組織力)、看板(知名度)、鞄(資金力)。もしも既成政党にも各種団体にも頼らず、自力で当選したいと考えたなら…。 鞄は借りることが出来る。でも看板は借りることができない。看板は、芸能人やスポーツ選手など限られた人だけしか持てない。しかし、選挙での勝利を目指し、その手段として知名度(看板)を上げようとすると、こう言われる。 「目立ちたいだけでしょ。」 彼らは目立つことが目的ではない。あくまで、それは手段。インターネット、学校、職場。認められたい、勝利したい思う場所は人それぞれ違う。この言葉を投げかけた人は、自分自身が何か新しい大きなことに立候補しようとするとき、自分に返ってくる。 「目立ちたいだけでしょ。」 負ケルトワカッテ、ナゼ戦ウ? 私は泡沫と呼ばれる立候補者たちを取材した映画「立候補」で、上記のコピーをつけた。この言葉は立候補しない人たちから、泡沫候補たちへの問いかけを意味している。大阪出直し市長選の告示日、戎橋上で遊説するマック赤坂氏 私は負ける戦いを仕掛けることがおかしいとは思わない。なぜなら、私自身が、生まれてから死ぬまで負ける戦いをしているからだ。お金を貯める。体を鍛える。映画を作る。そんなことしなくても三途の川は必ず渡れる。患者を治療して、その患者の最期を看取る医者のことを誰もおかしいとは言わない。 老病死。いつかは負ける人生という戦いの中で、かりそめの泡のような勝利を目指してもがくことは美しい。例え、その戦いで敗北しても、今度は子供たちが勝利を目指して戦いを続けてくれるだろう。 映画の中では最終的にカットしたが、私は上記コピーの問いかけに答えを3つ用意していた。  1.死に場所を求めている。2.いつかは勝てると思っている。3.思いは誰かに伝わるから。 2013年1月、泡沫候補として有名なスマイル党総裁マック赤坂氏はこの問いかけにこう答えた。 「うん。それは基本的に2だよ。勝つための立候補であって、その上で結果的に3も達成します。当選に向けて逆算すれば良いんでしょ?俺の選挙戦は今まで投票へ行かない若者にアピールしていた。次は投票へ行く人たちにアピールすれば良いんだろ?もうレオタードは封印だよ!」 レオタード封印と宣言したインタビューから約半年後の2013年7月。参院選に立候補したマック氏は、衣装をレオタードから、ガンジーの衣装に変えた。勝利を目指す手段は人によってさまざまだ。 私は映画で勝利を目指し戦い続ける。あなたは、どんな泡沫候補ですか?ふじおか・としみち 映画監督、ディレクター。1976年生まれ、山口県出身・在住。立命大卒。ワードアンドセンテンス合同会社所属。映画作品に「フジヤマにミサイル」(2005年)、「映画「立候補」」(2013年)。著書に「泡沫候補」(ポプラ社)。現在、新作映画に向けて準備中。関連記事■ 上西小百合さん、議員辞職を拒否ですか 責任は維新の会にある■ 橋下徹が本当に冷たい人とは思わない■ やっぱり若者はダメだ…広がる失望を払拭できるか

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    本気で当選目指した羽柴秀吉氏 家では別の顔を持つ父だった

    有名な「泡沫候補」が死去した。自分を生まれ変わりと信じていた「羽柴秀吉」の名で東京都知事選など多くの選挙に出馬した三上誠三氏が4月11日、肝硬変のため65歳で亡くなった。 甲冑姿のド派手な選挙ポスターや大阪城を模した自宅などが話題となり、「泡沫候補」の中でも名の知れた存在となった。選挙にのめり込むようになったきっかけを次男の大和氏が話す。 「父は20代の頃、青函トンネルの土砂運搬工事の仕事を、談合破りをして取ってきたことがあったそうです。そのせいで青森の業者からは締め出しをくらい、隣の秋田県まで資材を取りに行かなければならなかった。そんな経験をしたことで、政治の力で公共事業をめぐる悪しき風習を何とかしたいと思ったようです」4月11日に亡くなった「羽柴秀吉」こと三上誠三氏 1976年に地元・青森県金木町(現・五所川原市)での立候補を皮切りに、2011年の夕張市長選まで「計17回立候補してすべて落選」(大和氏)。2005年、五所川原市長選に立候補した際に支援した民主党青森県連副代表の今博氏が振り返る。 「どうやったら有権者に思いが伝わるかという情熱を持っていて、金色の名刺を配るなどして印象に残るアピールをしていました。長靴に会社の作業着姿で演説するなど庶民的な面もあって、人なつっこい笑顔が印象に残っています」 ところが、意外にも家庭では全く別の顔を持った父親だったと大和氏はいう。「家族の前では口答え無用の『鬼』でした。怒鳴るわ手が出るわで誰も逆らえません。子供の頃は私の友達ですら『お前の親父がいるなら家に遊びに行かない』というぐらい恐れられていた。晩年、病気で立っているのがやっとの状態でも、柱にしがみつきながら怒鳴り散らしていたくらいです。 仕事人間で朝は早く夜は遅いため、食卓を共にした記憶もありません。しかし選挙は遊び半分でやっていたわけではなく、本気で当選しようと情熱を注いでいました。病気が発覚した後も『もう一度選挙に出たい』と漏らしていたほどです。タバコや酒、ギャンブルはやらなかったので、選挙が生きがいだったのではないでしょうか」 2007年の夕張市長選では当選者と342票差まで詰め寄った三上氏だったが、それでも当選は叶わなかった。有権者からの支持は集まらなかったが、国民的関心を集めたことは間違いない。関連記事■ 元美魔女衆院選候補 落選後は「子供と常に一緒に過ごしてる」■ マスコミが報じない参院選・ネット選挙の真相に迫った1冊■ 当選無効騒動の「美しすぎる市議」立川明日香がセミヌードに■ 鈴木宗男氏の選挙カー 箱乗り姿勢保つ手すり付きの特別仕様■ 藤川優里八戸市議と因縁の元女子アナ候補(39)が笑顔で手振る

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    有名候補者、“唯一神”又吉イエス代表の素顔に迫る

     2大政党の時代。地盤もカバンも看板もなく国政選挙に出馬し“独自の戦い”を繰り広げる候補者たちがいる。新聞やテレビなどでは半ば存在しないものとして扱われている彼らの中で、ネット上で「唯一神」と呼ばれ伝説的な存在となっているのが、「世界経済共同体党」の又吉イエス代表(65)だ。「対立候補は腹を切って死ぬべきだ」「唯一神又吉イエスが地獄の火の中に投げ込む」などの過激なスローガンで知られ、実際の得票数をはるかに上回る独特のプレゼンスを示す又吉代表の素顔に迫った。唯一神が扇風機を… JR高田馬場駅周辺の繁華街から少し離れた新宿区下落合の住宅街。又吉代表が代表を務める世界経済共同体党の事務所は、針灸院やもんじゃ焼き屋などが入居する雑居ビルの4階にあった。 暗く狭い階段を上る。「地獄の火の中に投げ込まれるようなことになったらどうしよう」と緊張しながらドアをノックすると、又吉代表の妻、正子さん(62)が出迎えてくれた。 12畳ほどの部屋の真ん中にある簡素な応接テーブルに案内されると、唯一神が自ら扇風機をかついで向きを変え、「冷房の効きが悪くて申し訳ありません。風は来ますか」と気遣ってくれた。とりあえず火あぶりは避けられそうだと一安心した。 最も話題を集めている選挙ポスターの過激な文言の意図について質問したところ、「腹を切って死ぬべきだ、というのは責任追及であり、日本の責任感の精神なんです。神の当選を邪魔しているのだからその罪万死に値する、という意味でもある」という。公職にある者は命をかけて臨み、失政を猛省すべしということだと、私は理解することにした。 「参院選のときは(選挙区が東京全域であり多くの立候補者がいるため)首相を名指ししているんですよ」。切腹の指名相手は、衆院選と参院選でちゃんと使い分けがあるようだ。雑貨屋の5人兄弟の末っ子 「私が再臨した沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の大山というところがあるんですが、そこの海はとっても…最高です。もちろん私の創造の手によるものです。ほかのところの海ももちろんいいんですが、(宜野湾の海は)とってもいい…」 又吉代表は昭和17年、沖縄本島中南部の宜野湾市(当時は宜野湾村)の雑貨店に、5人兄弟の末っ子として生まれた。戸籍名は又吉光雄。中央大学商学部に進学し、東京の商社や設計事務所で働いた後、沖縄に戻った。 家の近くの海で泳いだり潮干狩りをしたり…。子供のころの故郷の美しい海での楽しい思い出を語る又吉代表は、政治の話をしているときの激しさとは全く違う、本当に幸せそうな表情を浮かべた。 沖縄に戻った又吉代表は自動車販売店勤務、学習塾経営などを経た後、牧師となって教会を開いた。主に精神障害の患者に対し、心のケアを行った。当時は心の病に対する偏見が強く、世間の無理解に苦労を重ねたという。 そんな中、故郷の海岸を埋め立て地とする計画が持ち上がり、反対運動を起こしたのが政治にかかわるきっかけだった。沖縄県庁で「再臨宣言」 「絶対に許さない」。故郷の海を愛する又吉代表にとって、まったく受け入れがたい計画だった。しかし運動もむなしく、埋め立ては進んでいく。その抗議行動の最中、沖縄県庁で又吉代表は自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行った。 「これは(神としての)予定の行動です。これからは政治を直接私がみる時代だ、時期がきたな、と」。又吉光雄から、唯一神又吉イエスへと変わった瞬間だった。 以後、平成9年の宜野湾市長選を手始めに、沖縄県知事選、名護市長選などに相次いで立候補。いずれも落選した。 そして14年、2度目の県知事選立候補の際に掲げた「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」との公約に従って、15年の衆院選には東京1区から出馬した。 「腹を切って死ぬべきだ」のスローガンなどにより、ネットを中心として一気に“全国区”に。この選挙以降は、ずっと東京を活動拠点としている。又吉代表、選挙の資金源は…資金源は軍用地地代 法定得票数に達しなかった候補は供託金を没収される。その額は衆院選挙区立候補の場合300万円。軽い金額ではない。 「300万円をドブに捨てているのではないか、その金で困っている人を助けられるのではないかとご批判もありました。しかしそれでもやらないといけないのが私なんですね」「私が唯一神の世界経済共同体を作らない限り、一人ひとりの困っている皆さんを助けられないんですよ」 寄付も最も多いときで200万円ほどであるため、足りない分や実際の選挙活動費は、年400万円ほどある宜野湾市の普天間基地内に所有する軍用地の地代収入から拠出しているという。 1~2年に1度のペースで出馬しているため、冗費は許されない。一張羅のグレーのスーツも、2年前の参院選の際に近所のスーパー「ライフ」で買った約1万円のものだ。 「私はライフ育ちなんですよ。ライフで身を包んでます」。室内を見回しても電化製品の型は古く、本棚にいたっては3段のカラーボックスを2つ並べただけ。唯一神の生活は、実に質素だった。「2ちゃんねらーの功績大」参院選、JR新大久保駅前で演説する又吉光雄氏=2013年7月7日、東京都新宿区 沖縄時代はほとんど夫婦2人だけで行っていた選挙活動だが、現在はボランティアによって支えられている。 人数は19年の参院選の場合、50~60人ほど。ネット上で初めてブレークした15年衆院選では、巨大ネット掲示板「2ちゃんねる」を通じ、個人同士で連絡を取り合った若者約90人が手伝いに訪れたという。 「2ちゃんねらーのみなさんが連れ立って、たくさん来ていただいたようです」 当初は学生が多かった支持者層だが、6年がたった今では「外に出ましても声をかけてくださる皆さんが…あれ、世界経済共同体党もちょっと歳とってきたな、年期が入ってきたなと。皆さん、30歳ぐらいになってきてますよ」。 そんな子や孫ほどに歳の離れた世代のボランティアや支持者たちに囲まれてあれこれ語らうのが、選挙期間中の何よりの楽しみ。 彼らにパソコンの使い方を習ったり、公式サイトを作ってもらったりしたことを、好々爺の表情で語る。「唯一神又吉イエスにとって、2ちゃんねらーの皆さんの功績は大きいです。とっても大きいです」。「本当に恩師です」 「すごく優しくてとてもきめ細かい先生でした。子供心にも、大丈夫かな、と思ったほどに」。学習塾経営時代の又吉代表の教え子だった那覇市の映画館「桜坂劇場」番組責任者の真喜屋力(まきやつとむ)さん(42)は、当時の印象をこう話した。 「目がまっすぐな人でした。今はやせて目だけギョロッとした感じなんですが、昔はもっとぽっちゃりしていた」 小中学生を対象に、全教科を又吉代表がみる小さな個人塾。月謝は4000円程度で、当時としても格安だった。教え方は徹底した教科書中心主義で、問題を理解するまでやる。「熱心に、意味を考えるよう教えてくれました。車での送り迎えもあった」という。 「本当に恩師です。おかげさまで、立派に…かどうかはともかく、社会人としてやっています。今でも感謝しています」。真喜屋さんはいつか又吉代表に会ってそう伝えたいという。(磨井慎吾) 関連記事■ 上西小百合さん、議員辞職を拒否ですか 責任は維新の会にある■ 「タカ」も「ハト」も不毛だ■ 沖縄県紙の市長選「介入」報道は許されるのか

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    次世代の党はなぜ一人負けだったのか

    ヨシザワ タカフミ(東京都) 今回の選挙ほど風が吹かなかった選挙はないと考える。自民党の小泉進次郎氏が当選後のインタビューで述べた言葉は、「熱狂なき選挙であり、熱狂なき圧勝だった」。自民、公明両党の圧勝で幕を閉じた第47回衆院選である。私自身も一人の有権者として、本当に今回の選挙に大義はあったのかと思わせるような選挙であった。 自民・公明両党で、326議席になったことに対しては多少予想していたけれども、実際目にすると愕然となった。理由としては、野党の存在価値のなさである。今回の選挙が不意打ちであることは野党に大きなダメージをあたえたと考えることが出来る。また、野党共闘も出来なかったと考える。民主も目標の100議席には到底及ばなかった(73議席)。また、維新の党もおひざ元の大坂でたったの5議席しかとることが出来なかった。生活・社民はともに低迷し2議席であった。唯一の野党の勝利は共産の8議席から21議席に増えたことにあろう。共産党は小選挙区で1996年以来の議席を獲得し、大幅に議席を増やした。つまり、共産党の議席が増えたのは「反安倍」を掲げていたことに対して、共鳴した国民が投票したのであろう。 しかし、最初に述べたように今回の選挙結果から分かることは、野党の存在価値のなさである。そのなかでも、一人負けといっても、特にダメージが大きかったのは「次世代の党」であろう。 次世代の党の議席数は19議席から2議席に大幅に減少したのである。 まず、当選したのは小選挙区で、元来地盤のある平沼(岡山)・園田(熊本)の2名にとどまった。 「自民党の右に確固たる軸を作る」をスローガンに戦った次世代の党は、なぜ支持されなかったのか。敗北原因として、自民党寄りの政策を掲げたことと知名度の低さ・保守層の離反により議席を失うことになったと考えることが出来る。実際には今の自民党がいるのにわざわざ「次世代の党」に投票する必要があるのかといった意見であろう。さらに、次世代の党が結党して4か月弱しかたっていないという知名度の低さと、ネット保守の離反にあるだろう。実際に、次世代の党は、アベノミクスに賛成し、憲法改正を訴え、自民党寄りの政策を掲げ、保守を意識するPR「タブーブタのうた」を制作し、保守層の票を狙ったのである。しかし、蓋を上げればたったの2議席であり、マイナス17議席である。 これは、「次世代の党一人負け」といっても過言ではないのである。 つまり、国民の目線としては次世代の党の政策において自民との差異がよくわからなかったことと、知名度の低さが主な敗北原因であろう。ここで、実際に次世代の党の綱領・政策骨子に注目してみる。次世代の党の綱領・政策骨子国政も地方も参政権は国民固有の権利であることを明記、移民の国籍取得要件等の厳格化自立、新保守、次世代の理念の下で自主憲法制定正しい歴史観点、愛国心を育む教育憲法に自衛権や家族尊重に関する規定を新設集団的自衛権に関する憲法解釈の適正化と安全保障基本法の整備直間比率の見直し、法人実効税率の大幅引き下げ医療費自己負担割合の一律化世界最先端の原子力技術を維持公正と秩序を維持する規範・道徳教育 2014年11月25日、次世代の党は、衆議院選挙の公約を発表し、自民党の安倍晋三が掲げる経済政策「アベノミクス」の基本的な方向性は容認するが、2014年10月に決定した日本銀行の追加の金融緩和を白紙撤回させ、過度の円安を是正するとする。 このように、極めて自民党寄りの政策であり、極めてアベノミクスに友好的であることがわかる。やはり、次世代の党は野党として十分な役割を果たせなかったのであろう。また、国民の政治離れにより政治無関心層が増えたことは、一定の支持層がいない次世代の党にとっては大きく不利な戦いであったと改めて考えることが出来る。このように、今回の選挙において次世代の党が一人負けした事実は大いに注目しなければならない。自民・公明圧勝選挙は別名、次世代一人負け選挙といってもいいかもしれない。  

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    自民党よ「一強多弱」でも 驕るなかれ

    自民党の「熱狂なき圧勝」で終わったアベノミクス選挙だが、「一強多弱」となった勢力図の中で、共産党の躍進に注目が集まった。自民、民主の二大保守政党アレルギーの受け皿となったとの分析もある。数の論理では圧倒的優位に立つも、驕るなかれ自民党。

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    有権者に見えにくい深い闇中の危機を突破せよ

    してそれを盛り込んだ新年度予算の年度内成立まではすんなり行くでしょう。しかし2015年4月の統一地方選挙のあとに取り組むことになるだろう安全保障法制の根本改正、集団的自衛権の法制化は簡単ではない。 なぜなら総選挙でマスメディアは自公が大勝と報じているけれども、その中身は自民党は現有勢力を減らし、公明党は増えているのです。第三次安倍政権の内部で、公明党の影響力は増大します。2014年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定した時も、公明党の北側副代表によって実際は強すぎる縛りが掛けられました。「日本国民への明白な危険」が実証されない限り、自衛権の一部を発動できないことになりました。 わたしは閣議決定の翌月に訪米し、アメリカの外交官や軍人と議論したとき「かえって日本はみずからの自衛権に制約を強めた」と指摘され、「アメリカの国益のための集団的自衛権ではない。日本の国益とアジアの自由と民主主義と平和のための集団的自衛権だ」と反論しましたが、アメリカ側の指摘そのものは客観的に事実です。自衛権は本来、国際法によって個別も集団も認められています。閣議決定は、これまでは一種のグレーゾーンでもあったところに明確な制約を作ってしまった。公明党は、法制化でさらにこの制約を実効的にしようとするでしょう。安倍総理は、再登板の真の目的である改憲と拉致被害者の救出のためにも、これに抵抗し、法制化では国際法に沿ったものにしてほしい。 今こそ、「もはや命も要らぬ、もちろん金も要らぬ、名誉も要らぬ」という幕末の志士の生き方を貫く総理になっていただきたい。それだけが、有権者には見えにくい深い闇のなかの危機を突破できる道です。

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    日本共産党への警戒を緩めるな

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 日本で14日、総選挙の投開票が行われ、大方の予想通り、安倍晋三首相が率いる自民党が議席291、公明党と合わせて与党326議席と3分の2以上の議席を獲得して圧勝した。総選挙の結果を受け、第3次安倍政権がスタートする。 安倍首相の早期議会解散、総選挙の実施は大きな賭けだったが、成功したわけだ。アルプスの小国オーストリアでも14日夜、日本の総選挙結果を報道し、安倍首相の笑顔を映し出していた。オーストリア通信は「弱い野党勢力が与党自民党の大勝利の主因」と分析する記事を発信していた。 民主党は議席を微増させたが、自民党を脅かすには余りにも貧弱だった。維新も前回ほどの勢いがなかった。同党は分裂後、党の態勢立て直しができないまま、選挙戦に突入してしまった。橋下徹共同代表が指摘していたように、準備不足は明らかだった。 総選挙結果で驚いたのは共産党の躍進だ。8議席から21議席と大きく議席を伸ばした。同党の躍進について、「共産党は国民の政府批判票の受け皿となった」という。肝心の民主党が伸び悩み、代表の海江田万里氏は落選。維新は党分裂後の混乱が続いた一方、共産党は他の野党陣営のゴタゴタに助けられた感じだ。 自民党への批判票が共産党へ流れたことに戸惑いを感じる。民主党はその政治信条では自民党と余り変わらないが、共産党は共産主義というイデオロギーに基づく世界観を有した政党だ。イデオロギー色は少なくなったが、同党が共産主義思想を破棄したとは聞かない。 日本の有権者は共産主義の実態を理解しているのだろうか、と懸念する。冷戦時代、東西両欧州の架け橋的な位置にあったオーストリアは共産主義諸国の実態を間近に目撃してきた。連日、旧ソ連・東欧共産政権から人々が命がけで逃げてきた。オーストリアは冷戦時代、200万人の政治難民を収容した。だから、大多数の国民は共産主義が間違った思想であり、国民を幸福にしないことを教えられなくても知っている。 オーストリアにも共産党は政党として存在するが、国民議会で戦後、議席を獲得したことがない。国民は共産党を信頼しないからだ。一方、日本はどうだろうか。共産党が政権への批判の受け皿になった、ということは何を意味するのだろうか。繰り返すが、共産党の歴史観、世界観、人間観が人間を幸せにしないことは実証済みだ。 多分、日本の有権者の中には、共産党イデオロギーを支持はしないが、与党批判の声として票を投じた国民が多くいたのだろう。冷戦を身近に体験してきた当方は日本の共産党が正式にその思想から決別するまで警戒を解くべきではないと考えている。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)

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    祖父を意識した解散、祖父をまねなかった集団的自衛権

    だった」と悔やんだものがある。首相在任中、日米安全保障条約の改定承認を国会で審議する前に衆院解散・総選挙をやりたかったのに、やれなかったことだ。 昭和57年に岸から取材した「岸信介証言録」(原彬久編。毎日新聞社)によると、岸はこう述懐している。 《国民に現行の安保条約と新条約の違いを示して、いかに新条約が立派なものであり、また日本にとっていかに利益であるかということを総選挙によってナニしたかったんです。(略)総選挙になれば絶対勝つという確信をもっていました》 《選挙に勝利して議会に臨んだら、議会がいくら騒いだって、国民が新条約を支持しているではないかということになるんです。いろいろ騒いでいる連中は、国民の騒ぎじゃなしに、ある一部のつくられた騒ぎだということがいかにも明確になるんです》 《あのとき解散をやっておけば、あんな騒動はなかったと思うんですよ》 「あんな騒動」とは、「安保闘争」を指す。 新条約は、日米共同防衛を義務付け、昭和26年に調印された日米安保条約よりも日米関係を対等に近づける内容になった。 岸は、昭和35年1月に「首席全権」として訪米、新条約に調印した。その直後に衆院解散を断行しようとした。ところが、自民党の選挙を仕切る側近の川島正次郎幹事長の反対にあい、断念に追い込まれた。 《「解散」の線で党内をまとめることは、到底できないということでした。選挙にあたって党内が不統一では勝ち目がないといって、川島君はどうしても解散に賛成しなかったんです》 新条約承認への国会審議は、社会党が廃案に追い込もうと激しい抵抗をみせ、難航した。岸は、アイゼンハワー米大統領が来日する6月19日までに新条約を承認したかった。そこで、衆院の優越規定を踏まえ、同日には自然承認を迎えられるよう5月19日(実際は20日未明)に衆院の採決を強行した。 警察官を議場に入れての採決という事態に、安保闘争の火はさらに大きくなった。6月15日、反安保のデモ隊は国会内に乱入、参加していた女子学生が警官隊との衝突の中で死亡する事件が起きた。岸は、警護が困難だとしてアイゼンハワー訪日の中止を決断、新条約の自然承認を受けて退陣を表明した。 《安保条約のような問題に対応するときは、事前に解散して国民に信を問うほうがいいんですよ》 もし、衆院解散を強行していれば激しい安保闘争は起きなかったし、政権がまだ続けられた-。岸の「大きな失敗」をもちろん、孫の安倍晋三首相も意識していたはずだ。 安倍首相は、今回の衆院選を、みずから「アベノミクス解散(選挙)」と銘打った。来年10月に予定していた消費税率10%への引き上げを平成29年4月まで延期すると決断。「税制に重大な変更を行った以上、国民に信を問わなければいけない」と訴え、第2次政権の2年弱の経済運営の実績とともに争点に掲げた。 もっとも、勝てると思って解散を断行した。しかし、首相の政治信条からすると、重要な政策は経済よりも集団的自衛権を含む安全保障であるし、究極の目標は憲法改正のはずだろう。しかも、来年の最大の政治課題は、何と言っても集団的自衛権の行使を容認するための安全保障法制の整備だ。来年の統一地方選が終わる同年5月から、安保関連法案の審議が国会で始まる。  首相は3日、民放番組で行われた党首討論で、司会者から「集団的自衛権でも信を問うべきだ」と突っ込まれると、こう反論した。 「いま、まさに信を問うているではないか。まさにこうやって(各党党首と)議論している。これを踏まえて投票していただきたい」 さらに、こうも。 「来年、(安保関連)法案を出す前に解散・総選挙というわけにはいかない」 ただ、衆院選の遊説で、安保法制に触れない会場が半分以上はあったという。それだけ、首相は安保政策を目立たなくさせていたと言わざるを得ない。 野党は、今回の衆院選で安倍政権を突けるような政策課題を見いだせず、当初は「解散に大義がない」と批判するしかできなかった。途中からは「アベノミクスは失敗」を繰り返した。この2年間、株価は上がり、経済指標も多くは上昇したのにだ。景気回復の実感はないと思う有権者は多くいようとも、政権奪取の意欲がない野党と比べると、さすがに「野党よりはまだ自民党」というトレンドになってしまうだろう。 安保政策になると、主要野党の「政権公約」は目を覆う。 民主党は、集団的自衛権の行使を憲法解釈変更で容認するとした閣議決定の撤回を掲げた。しかし、集団的自衛権の行使に賛成かどうかに触れていない。反対の官公労出身らがいれば、賛成の保守系もいて、まじめに議論すると党の解体に突き進みかねないからだ。 維新の会は「現行憲法下で可能な『自衛権』行使のあり方を具体化」するという。党として集団的自衛権をどこまで認めるのか決めたわけではない。 結局、日本をどうやって守るかという根本的な考えを論じることができず、反対派は「自衛隊がどんどん海外に行く」「日本は戦争に巻き込まれる」というような発言しかできなくなる。 報道機関の世論調査を見ると、集団的自衛権の行使容認を支持する回答数は必ずしも多くはない。そうであっても、集団的自衛権を訴えた場合、野党のまずしい発言を聞く限り、自民党の議席を大幅に減らすことになっただろうか。 祖父を尊敬する安倍首相は、祖父がいう「大きな失敗だった」を教訓に、衆院選で安保論議を堂々とやってもよかったのではないか。(政治部次長 今堀守通)

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    自民党が勝ったわけではない 「普通の感覚」の勝利だ 

    古谷経衡(著述家)総選挙の結果を振り返る 総選挙が終わった。自民党が2議席減、公明党が4議席増で自公政権全体で2議席増と、当初「微減」も囁かれた自公政権にとっては現有議席を積み増す「大勝利」となった。一方、投票率は過去最低を更新した。  今回の選挙をどうみるべきか。それは「安倍政権を積極的に全肯定はしないが、強く否定はしない。でもあんまり過激なのは駄目だよ。とりあえず2年じゃ分からないから、もうしばらくやってみては」という事に尽きる。 要するに日本人は、微温的に「現実路線を選んだ」という事だ。 第二次安倍政権が発足してから未だ2年。アベノミクスの光と影、等と言われることが多いが、経済政策は安定的で統一的な政策が長く続いてこそ、遅効的にその効果が確認できるというもの。2年で経過時点ではそもそも判定のしようがない、というのが正直なところだ。 だから、私は今次の総選挙に「大義がない」とよく言われたことについては概ね同意だった。どう考えても争点が希薄だった。だって「たった2年で何を判断しろというのか」というのが、率直な感想だったからだ。 それでも政権与党が衆議院を解散し、国民に信を問うた。国民の側としては、「いまだ判断材料が足りず、よって黒とも白とも判断できないから、とりあえず継続してみたら」という、消極的だが微温的な現政権への信任という回答が返ってきた。「2年という時間で或る政権の良し悪しを判断するのは無理」というのは、至極現実的で常識的な判断だと思う。平成期、ほぼ1年毎に政権が変わってきた、これまでのあり方が明らかに異常だった。 政権への判断基準は、明らかに「政策」ではなく「失言」とか「イメージ」だった。或いは、世論と関係のない党内力学といった「政局」の結果だった。誠に不健康な政治情勢が続いた。常識のレンジ(間隔)の範囲内で ここに来てようやく有権者は、現実の皮膚感覚に見合った「普通の感覚」で、腰を据えて政治を見るようになってきた。今回の総選挙を一言で締めくくるとすれば、それは日本人が常識的に併せ持つ「普通の感覚」の勝利だといえる。「自民党より右」を標榜して選挙戦を戦った次世代の党が、壊滅的状況となり、野党の中で「一人負け」をしたことも、この「普通の感覚の勝利」を大きく証明することだと思う。 公明党をぶっ潰せ、とか外国人(在日朝鮮人など)の生活保護受給批判、などの主張は、政治的にニュートラルな多くの日本人にとっては「過激」と映った。一部のネット空有では「スタンダード」な言説であっても、市井の日本人にとってそれは普通ではない。 これだけネット社会が拡大し、細分化した「島宇宙」にようになっているネット空間の中の、とりわけ保守的な言説を選択して選挙戦で主張した(ように見える)次世代の党のやり方は、多くの日本人の「普通の感覚」からは乖離していた。 さらには、次世代の党の主張の中には、例えば生活保護に関してそもそも事実と異なる主張も散見された。有権者は冷静に、そのあたりの誠実さの有無を見抜いていたのだろう。全く賢く、常識的で、「普通の感覚」が有権者をして投票所に向かわせたと断言するよりほか無い。穏健な「保守」政権の継続を 安倍内閣の政策には、良い部分もあるが、と同時に様々な問題もある。しかし、だからっと言って、100点ではないから、を理由に使い捨てライターの如く、次から次へと首の挿げ替えを行っていては、「安定的で一貫性のある政策」を実行することは出来ない。だからとりあえず、「経過観察」を続けよう―。 この常識的な理屈が、有権者の中に共有されていた「普通の感覚」なのだ。有権者は、極端なものや過激を嫌い、常識的で微温的で穏健な「保守」を支持した。このことは、間違いのない議席となって今次選挙で証明されたのである。 どんどん、世の中の全てのサイクルが短くなっている。映画もアニメも短いものが好まれるようになった。短期間で結果を出すことが殊更強調されるようになった。 一日の長さは太古の昔から変わっていないのに、我々はより短いもの、より短い期間での判断を求めるようになっている気がする。物事がどんどん短くなり、人々は長いものや長いことに我慢ができなくなり、せっかちになっている。このような風潮は、確実に政治や政治家に、短期間での結果を求めがちな風潮に繋がっていると思う。 今次の選挙は、このような風潮に歯止めがかかった、と言える。腰を落ち着けて物事を判断しようという、当たり前の事に有権者は漸く気がついたのかもしれない。 これから発足するであろう、第三次安倍政権には、こういった「普通の感覚」を背に、極端でも過激でもない、常識的で微温的で穏健な「保守」政権として進んでもらいたいと思う。 今次選挙は、自公政権が勝ったのではない。日本人の中にある、「普通の感覚」が勝利したのだ。

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    安倍首相は「中興の祖」となるか 

    櫻田淳(東洋学園大学教授) この度の選挙は、実質上、安倍晋三内閣への「信任」を問う性格のものであった。自民、公明両党の獲得議席数が合わせて衆議院総議席の3分の2を超えた選挙結果は、たとえ投票率が低かった事実を考慮したとしても、その「信任」の明白さを内外に示すものとなろう。何を行うかが問われる もっとも選挙の結果には、民主党の復調、共産党の躍進、維新の党の現状維持という点を考慮しても、野党各党の「自壊」や「無力」という趣が濃厚に漂っている。事実、『時事通信』配信記事によれば、枝野幸男民主党幹事長は、既に選挙公示前の時点で「次の選挙のときには政権の選択肢として認めていただけるような議席を獲得したい」と述べ、暗に「政権奪回」を諦めていた。 また、『しんぶん赤旗』の記事によれば、橋下徹大阪市長(維新の党共同代表)は、投票日前日の時点で、「もう維新の党、はっきり言って負けます」と発言した。 世の人々が政治家を評価する際の指標は、実は、政治家が訴える「政策の中身」というよりも、政治家が伝える「誠実」「信頼」「熱意」といった徳目である。こうした徳目において、野党各党が自民、公明両党を上回っていたとは判じ難い。その意味では、この度の選挙は、「初めから結果が見えていた選挙」であったといえよう。 安倍首相が実質上、2018年までの任期を手にしたとは既に語られているけれども、実際は、安倍首相の執政の下で「東京2020」の催事を迎える光景も視野に入ってきたかもしれない。それならば、18年、あるいは20年までに、何が行われるかが問われなければなるまい。 選挙後、もし、「アベノミクス」と総称される一連の経済政策が成功して、日本の「活力」が戻ることになれば、そして「積極的平和主義」の文脈で説かれた日本の信条が多くの国々に広く受けいれられ、日本の安全保障に係る態勢が盤石になれば、この度の選挙は、「戦後日本の『中興』に途を開いた選挙」として後世、語られるかもしれない。「経済」業績の裏に長期執政 選挙期間中、「アベノミクス」の果実が、なかなか社会や地方の隅々まで行き渡らない、という批判が示された。けれども、そもそも過去20年近く続いた経済停滞が、この2年だけの努力によって克服できると信じるのは、率直に楽観的に過ぎよう。 振り返れば、吉田茂、コンラート・アデナウアー、シャルル・ド・ゴール、ロナルド・レーガンのように、戦後国際政治史に名を刻んだ各国保守政治指導者の業績の筆頭として語られるのは、それぞれの祖国における「経済の再生」であったけれども、その業績の裏付けになったのは、5年から十数年に及ぶ長期の執政であった。 民主主義体制とは、本質的に「待つこと」を厭(いと)う政治体制であるけれども、その「待つこと」の要を説くのも、政治家の役割なのである。 加えて、この度の選挙の結果は、憲法改正への機運を高めるであろうし、安倍首相もまた、それを手掛けたいと願っているであろう。 しかし、安全保障に係る態勢を盤石にする観点から大事なのは、集団的自衛権を織り込んだ上で日米同盟の「深化」を進める法制整備を急ぐことであり、それを基軸にして、豪印両国やASEAN(東南アジア諸国連合)を加えた「アジア・太平洋版NATO(北大西洋条約機構)」とも呼ぶべき枠組みの構築に踏み込むことである。国際安全保障構想への視点 在日米軍基地に係る沖縄の過剰な負担もまた、こうした「アジア・太平洋版NATO」の枠組みを構築できてこそ、確実な軽減に道を開くことができる。この枠組みの下でならば、対中牽制(けんせい)をにらんだ「前線拠点」としての役割や負担は、沖縄だけではなく、フィリピンやベトナムのような国々も引き受けることになるであろう。沖縄が直面する課題もまた、こうした国際安全保障構想への視点が欠ければ、対応できないものなのではないか。 故に、憲法改正それ自体は、日本の安全保障環境を劇的に変える「政策対応」の根拠というよりは、戦後日本の「中興」が成ったことを寿(ことほ)ぐ意味合いで行われる一種の「儀式」の類いになりつつある。 そうであるとすれば、安倍首相は、憲法改正という「儀式」の挙行を後継内閣に譲るぐらいの心積もりで、現下の諸々の政策を断行することに専念するのがよろしかろう。戦後日本の「中興」が依然として道半ばであることを思えば、憲法改正という一大政治事業に精力を費やしている暇はないのではないか。 選挙は終わった。安倍首相は戦後日本の「中興の祖」になることができるのか。「アベノミクス」うんぬんよりも、そうしたことに注目するのが有意義であろう。 もっとも選挙の結果には、民主党の復調、共産党の躍進、維新の党の現状維持という点を考慮しても、野党各党の「自壊」や「無力」という趣が濃厚に漂っている。事実、『時事通信』配信記事によれば、枝野幸男民主党幹事長は、既に選挙公示前の時点で「次の選挙のときには政権の選択肢として認めていただけるような議席を獲得したい」と述べ、暗に「政権奪回」を諦めていた。 また、『しんぶん赤旗』の記事によれば、橋下徹大阪市長(維新の党共同代表)は、投票日前日の時点で、「もう維新の党、はっきり言って負けます」と発言した。 世の人々が政治家を評価する際の指標は、実は、政治家が訴える「政策の中身」というよりも、政治家が伝える「誠実」「信頼」「熱意」といった徳目である。こうした徳目において、野党各党が自民、公明両党を上回っていたとは判じ難い。その意味では、この度の選挙は、「初めから結果が見えていた選挙」であったといえよう。 安倍首相が実質上、2018年までの任期を手にしたとは既に語られているけれども、実際は、安倍首相の執政の下で「東京2020」の催事を迎える光景も視野に入ってきたかもしれない。それならば、18年、あるいは20年までに、何が行われるかが問われなければなるまい。 選挙後、もし、「アベノミクス」と総称される一連の経済政策が成功して、日本の「活力」が戻ることになれば、そして「積極的平和主義」の文脈で説かれた日本の信条が多くの国々に広く受けいれられ、日本の安全保障に係る態勢が盤石になれば、この度の選挙は、「戦後日本の『中興』に途を開いた選挙」として後世、語られるかもしれない。「経済」業績の裏に長期執政 選挙期間中、「アベノミクス」の果実が、なかなか社会や地方の隅々まで行き渡らない、という批判が示された。けれども、そもそも過去20年近く続いた経済停滞が、この2年だけの努力によって克服できると信じるのは、率直に楽観的に過ぎよう。 振り返れば、吉田茂、コンラート・アデナウアー、シャルル・ド・ゴール、ロナルド・レーガンのように、戦後国際政治史に名を刻んだ各国保守政治指導者の業績の筆頭として語られるのは、それぞれの祖国における「経済の再生」であったけれども、その業績の裏付けになったのは、5年から十数年に及ぶ長期の執政であった。 民主主義体制とは、本質的に「待つこと」を厭(いと)う政治体制であるけれども、その「待つこと」の要を説くのも、政治家の役割なのである。 加えて、この度の選挙の結果は、憲法改正への機運を高めるであろうし、安倍首相もまた、それを手掛けたいと願っているであろう。 しかし、安全保障に係る態勢を盤石にする観点から大事なのは、集団的自衛権を織り込んだ上で日米同盟の「深化」を進める法制整備を急ぐことであり、それを基軸にして、豪印両国やASEAN(東南アジア諸国連合)を加えた「アジア・太平洋版NATO(北大西洋条約機構)」とも呼ぶべき枠組みの構築に踏み込むことである。国際安全保障構想への視点 在日米軍基地に係る沖縄の過剰な負担もまた、こうした「アジア・太平洋版NATO」の枠組みを構築できてこそ、確実な軽減に道を開くことができる。この枠組みの下でならば、対中牽制(けんせい)をにらんだ「前線拠点」としての役割や負担は、沖縄だけではなく、フィリピンやベトナムのような国々も引き受けることになるであろう。沖縄が直面する課題もまた、こうした国際安全保障構想への視点が欠ければ、対応できないものなのではないか。 故に、憲法改正それ自体は、日本の安全保障環境を劇的に変える「政策対応」の根拠というよりは、戦後日本の「中興」が成ったことを寿(ことほ)ぐ意味合いで行われる一種の「儀式」の類いになりつつある。 そうであるとすれば、安倍首相は、憲法改正という「儀式」の挙行を後継内閣に譲るぐらいの心積もりで、現下の諸々の政策を断行することに専念するのがよろしかろう。戦後日本の「中興」が依然として道半ばであることを思えば、憲法改正という一大政治事業に精力を費やしている暇はないのではないか。 選挙は終わった。安倍首相は戦後日本の「中興の祖」になることができるのか。「アベノミクス」うんぬんよりも、そうしたことに注目するのが有意義であろう。

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    首相は財務官僚を成敗したほうがいい

    で下げた財務官僚の誰が責任を取ったのか。政治家の安倍氏が新機軸で財政を立て直そうという。失敗すれば、選挙によって責任を取らされるのは安倍氏の側だ。 財政はもちろん、国のあらゆる政策について財務省が下知(げじ)をしている。 戦時中は軍部、内務省が内閣を握っていたが、いま内閣を完全に握っているのは財務省である。にもかかわらず、責任を背負っているのは政治家である。これは終わったはずの官僚内閣制の姿ではないか。 財務官僚の根回しの凄さは、政権中枢を担った人なら誰でも知っている。財務省の意のままにならなかったからといって、税制調査会長が女性問題をバラされて失脚したのは公然の秘密。政治家などは国税庁に政治資金を握られているから、反抗できないといわれている。国税庁と年金徴収を合併させて「歳入庁」をつくるのが最善の形だと思うのだが、何十年も前から叫ばれながら、国会の場に上ったことがない。財務省が独占的に国税を握って、政界を操縦したいからだ。 説得力も抜群にうまい。菅直人氏は鳩山由紀夫首相のときの財務相で5カ月務めた。そのあと首相になるのだが、菅氏のあとを継いだ野田佳彦氏は「菅首相が増税論を熱心に説くのを聞いて驚いた。人が変わったようだった」という。その野田氏もわずか3カ月で強烈な増税信者になり、首相になって「三党合意を世に問おうじゃないですか」というほどの財務省信者になってしまう。 この財務省攻勢に対して、安倍氏は2014年6月、木下康司次官を退任させ、新財務次官に香川俊介氏(主計局長)、主計局長に田中一穂氏(主税局長)の人事を決めた。木下、香川、田中の3人はいずれも54年組の同期。これはまったく異例の人事である。同期が2人続けば、3人目の主税局長は国税庁長官か退任というのがこれまでの常識だ。しかし安倍氏は、かつて第一次安倍内閣時代に秘書官を務めた田中氏が安倍氏の「法人税減税論」に理解を示していることから、どうしても田中氏を主計局長、次官と歩ませたい。かといって、上にいる次官、主計局長の2人を飛ばせば田中氏が省内で浮いてしまう。そこで3人を順番に昇級させる手を打った。 こういう人事ができたのは、人事に先立つ5月「内閣人事局」を創設して各省の審議官以上600人の人事を内閣官房が評価できるシステムを創ったからだ。これによって内閣が省をまたいだ人事や降格もできるようにしたからである。派閥連立内閣だった自民党 財務官僚が与党の幹部を籠絡し、与党をほとんど“支配”できたのは、中選挙区制度が70年間も続いたからだ。中選挙区制度というのは一つの選挙区で3~5人が選ばれる。当然、同一政党から複数の立候補者が出るから、党内に最大五つの派閥ができるはずだ。自民党は総裁をこの五つの派閥からたらい回しで選んだ。このため、派閥単位の合従連衡が起こる。一方、親分は数がものをいうから子分たちを年功序列で遇し、時期が来たら閣僚に押し込む。盆暮れの資金も多いほど子分が増える。 こうなると官僚は重要政策を通そうとすると、親分か代貸しクラスの幹部を説得し、派閥をまとめてもらう。幹部には担当の係を付け、係が業界に頼んで政治献金をさせる。政・官・業の癒着はこういう持ちつ持たれつの関係で生まれた。 たとえば、旧宮沢派に親中派が多いという特色がある。官房長官を務めた加藤紘一氏、河野談話を出した河野洋平氏がいる。新人議員はこの親中派閥に楯突くような人は入ってこない。派閥によって色が違うから、自民党はつねに派閥連立内閣だった。政策は派閥ごとに出すため、官僚に付け込まれやすい。 安倍首相は7回当選で、初回は中選挙区制だったが、2回以降は小選挙区制に変わった。初回とそれ以後の金の掛かりようはケタが違ったという。政治資金は政党助成金によって党が配分するから、派閥の力は弱まった。ちなみに、2012年総選挙は自民党当選者294人のうち119人が当選1回。当然、派閥色も薄まる。 『読売新聞』の調査では町村派92人、額賀派52人、岸田派44人、麻生派37人、二階派29人、石原派15人、大島派13人で合計282人。現有議席が衆参で408人だから派閥に入っていない人が120人程度いることになる。 総裁の任期は3年で、20人の推薦人がいれば、誰でも立候補できる。最近はほかの派閥に属していても、自分の好みの人物の推薦人になる傾向がある。これを「新人類」と呼ぶとすると、昔ながらの派閥的発想しかできない人がいる。これを「守旧派」と名付ける。派閥をいっさい考慮しないで一本釣りで閣僚を決めるようになったのは、小泉純一郎内閣が最初だ。ところが、守旧派はこういうやり方が納得できない。 財務省は税制改正に当たって民主党の菅直人氏、野田佳彦氏を口説き落とし、当時、野党だった自民党の谷垣禎一総裁に「増税を主張するのは責任ある野党のあり方」といわしめた。 今回、8%へ引き上げたことについて、安倍氏は「2020年のオリンピックが決まって、つい脇が甘くなってしまった」と後悔している。まして景気が下向いているときに10%への二段上げなど、とんでもないというのが安倍氏の心境だった。 8月5日、麻生財務相は官邸に財務省の香川事務次官、田中一穂主計局長、佐藤慎一主税局長を引き連れて、首相に直談判に来た。要は「消費税の二段引き上げをやらないと日本の財政再建について、国際的信用を失う」との言い分である。しかし安倍首相は景気が鈍化している実感を語り、麻生氏らの申し入れを強く拒んだ。優先順位の第一は景気を持ち上げること この間、財務省は自民党の“守旧派”への説得を進めた。谷垣禎一幹事長、二階俊博総務会長、野田毅税制調査会長、伊吹文明衆議院議長ら。閣内では麻生太郎副総理をはじめ主要閣僚も含まれていた。いずれも党の重鎮であって反旗を翻されると党の結束が揺らぐ。 一方、安倍外交に対する不満も潜在化しそうだった。安倍氏はかねてから、日本の対中外交に不満だった。 これまでの日本外交は、とくに中国に対して“土下座外交”というべきものだった。中国は一歩譲れば、次は二歩譲ることを強要する。日中会談をしたいと思えば、(1)靖国参拝をやめる、(2)尖閣諸島は中国のものといえ――といった条件を付けてくる。靖国神社は戦後30年にわたって歴代首相が参拝している。ところが、中曽根康弘首相時代、“公式参拝”をめぐって国内がもめると、中国はすかさず「参拝するな」と押し込んできた。次は明白に日本領土である沖縄県・尖閣諸島の自国への帰属を主張し、「領土問題が存在することを認めろ」という。さらに、「沖縄も中国に帰属していた」などというたわけたことまで言い出している。 中国に対しては、607年、聖徳太子が「対等外交」を申し入れ、明治になっても福沢諭吉が「脱亜論」を書いている。歴史的にみて中国は「敬して遠ざける」のが最適の付き合い方なのである。 安倍首相は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、2年足らずで50カ国以上を歴訪した。安倍氏の外交戦略の第一は、中国に軍事的に負けないように日米安保体制を強化すること。第二は東南アジア諸国連合(ASEAN)と連携し、中国の膨張を防ぐこと。第三が豪州、さらにはインドとの準軍事同盟を築くことである。 中国とは戦略的互恵関係を構築し、積極的平和主義を貫く。安倍氏はいま、戦後日本が失った精神的なものを取り返す途上にある。 「河野談話」のように検証してみると実態がないのに、強制連行を認めてしまったものもある。『朝日新聞』が吉田清治氏の証言はウソだと認めて取り消したが、この32年間に日本はいつの間にか20万人を性奴隷にした汚名を着せられている。いずれも戦後外交の大失敗だが、失敗した原因は土下座精神だ。 その真相の矯正を忘れ、日中友好がいいことだと短絡する守旧派が党内に多数存在する。 首相がダブル引き上げを拒否すれば、引き上げ派の守旧派と親中派が動き出す可能性がある。過去の政変は各派の思惑が重なって重層化して勢いを増す。税法を変えるとか、新法を制定することもできるが、法の内容をめぐる議論をすると党内が真っ二つになる可能性がある。 2015年9月の総裁選をめざして党内が蠢いてくる可能性もある。思惑が交差する官界、政界の動きを見ながら、安倍首相は「民意に問うのがいちばん」と考えたのだろう。そのきっかけになったのは、味方の一人と考えていた黒田日銀総裁が9月15日に語った次の言葉だったに違いない。 「増税して予想以上に景気が落ち込めば、その時点で財政・金融的な措置で対応が可能だが、仮に先送りによって政府の財政再建に向けた決意、方針に疑念をもたれて、国債価格が大きく下がったりすると、財政・金融で対応することが困難になる」 これは財務省の言い分を正直に語ったものだが、同じセリフで橋本龍太郎首相は消費税を引き上げ、平成10年の参院選で惨敗し、政権を去ることになった。あとを襲った小渕政権も含め、10年間にわたって税収は減り続けたのである。肝心なことは税収を増やすことであって、安倍政権では税収は3兆5000億円ほど増えた。第一優先順位は景気を持ち上げることであって、増税をして財源をつくり出すことではない。 小泉純一郎首相は一枚看板の郵政改革法案が参議院で否決されたとき、「どうしても民意に問うてみたい」と衆院の解散に打って出て大勝した。反対する議員の選挙区には“刺客”を立てて落選させることまであえてした。 今回でいえば、最たる守旧派は野田毅税制調査会長だろう。安倍氏の思惑とは関係なく、「税の再引き上げは既定路線、当然2015年の10月から10%にする。安倍さんが何といおうと、私は動かない」と断じた。さながら古い自民党時代の派閥の親分か調査会、部会の長の言い草だ。こういう手合いに公認を与えると党の一体化を損う。 財務省のメンツは丸つぶれだが、麻生財務相が辛うじて出した救いの手は「10%への増税は3年後の2017年4月から始める。その際、経済情勢をみて決めるというような弾力条項は付けない」というもの。経済はつねに変わるもので、こういうのを石頭というのではないか。首相は財務官僚を成敗したほうがいい。屋山太郎(政治評論家)1932年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒。時事通信社に入社後、政治部記者、ローマ特派員、官邸クラブキャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任。81年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。87年に退社。2001年に正論大賞を受賞。最近刊に『それでも日本を救うのは安倍政権しかない』(PHP研究所)がある。

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    「小4なりすまし」擁護論も登場、炎上続く

    なりすましたことについては、「『面白い』と皆さんに受け止められ、より多くの方を巻き込んだ形で、今回の選挙の意義を語り合うことができるのではないかと思った」と説明した。 これを受けて、「民主くん」は24日、サイトの紹介ツイートを削除したうえで、紹介したことについて「ご迷惑をおかけしました」と謝罪。一方、安倍首相は25日、フェイスブックで「選挙目当ての組織的な印象操作ではないでしょうが」としながら、「批判されにくい子供になりすます最も卑劣な行為だ」と憤った。安倍首相も怒り心頭 だが、事態は収束しなかった。脳科学者の茂木健一郎氏はツイッターで、「反省、謝罪して、前に行ってほしい。日本にはこのような若者が必要」と擁護。米アップルの共同設立者の一人、スティーブ・ジョブズ氏も若い頃はいろいろやらかしたとして、「『やらかす』性行と、イノベーションを起こす能力には正の相関がある」と持ち上げた。 これに対し、「確かに、行動力は認めるよ」と賛同の声もあったが、「意図的に小学生のフリをしたのが悪質」「日本をこれから背負う20代の意見として発表すればよかった」などと批判の声が一層強まった。 また、青木氏が受験生の個性を重視して選考するAO入試で大学に合格していたことから、AO入試への批判にも発展。さらに、青木氏を指導したAO推薦入試専門塾の代表が突然、謝罪文を発表して「青木氏を利用した売名行為だ」と攻撃されるなど、混迷は続いている。

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    正義を騙る詐欺師…サヨク勢力に気を許すな

     総選挙を控え、まーたサヨク勢力による悪質な世論誘導捏造工作が発覚した。 その騒ぎは11月22日に、小学4年生を自称するあるツイッターアカウントの発言から拡大した。「こんなサイトを作りました。協力して欲しいです!」と民主党やサヨク著名人などに彼が呼びかけし宣伝しまくった「どうして解散するんですか?」と題されたそのホームページは、到底小学4年生が独力で作れるようなものではなく、ネットの人々からはすぐに、「小学生を偽装したプロサヨクの犯行では?」との疑念の声が湧き上がった。 ホームページの内容自体も「息を吐くように嘘をつく」と揶揄されるサヨク勢力の典型的症例そのままであった。そのホームページの支持者数が逐次増えていきあたかも「意識の高い小4が提起した解散への疑問にこんなに数多くの人々が賛成しています!」と見せかけていたが、実はその数字自体が支持者数でもなんでもなく、「小4」が恣意的に表示させていた何の根拠もないデタラメなものであった。 しかしこの有権者を舐め腐ったサヨク勢力による捏造工作は、ネットの人々による調査・検証であっけなくその正体を暴かれることになる。なんと、民主党や朝日新聞などとかねてより深いつながりのあった慶應大学生青木大和による犯行であったのだ。 そもそも当初から、ネットではこの捏造事件が民主党や朝日新聞等サヨク勢力による「仕込み」であることが疑われていた。何しろ、この捏造サイトが作られてからのサヨク勢力の反応が早すぎるのである。 例えば11月22日に自称小4の青木が民主党公式ツイッターアカウントに「こんなサイトを作りました。協力して欲しいです!」と営業活動をしかけた何と20分後には、民主党は公式ツイッターで「天才少年現る!とてもいい。皆さんもぜひ!」と全世界に向け宣伝を行っているのだ。それだけでは飽き足らず、蓮舫参議院議員も「素朴な疑問がよくわかる」と紹介している。その上、そのあからさまな「仕込み」がネットで話題になる前日21日には、かねてより「反日マスゴミ」として定評のある講談社の「現代ビジネス」がホームページで、「『#どうして解散するんですか?』Twitter上で政府・メディア関係者ほか100万人に届けられた疑問の声」と題し、この捏造サイトを早々と紹介しているのである。しかもその内容たるや、「20日の夕方にローンチされてから、1日も経たないうちにその数字は約100万件を超えた」などと、青木の捏造工作を何の検証もなく垂れ流したと言われても仕方がないものであり、世論を反安倍自民に誘導操作する犯罪に加担したのだ。 犯人の青木についてはこれ以外にも、民主党のイベントに主要メンバーとして参加していたとか、理事を務める団体に菅直人元総理の息子が名を連ねているとか、現代ビジネス同様に宣伝に加担した朝日新聞記者と懇意で朝日新聞の記事に取り上げられた事もある等、数多くの真っ黒な証拠が続々と判明している。しかし青木自身のその後の対応は反省とか謝罪という言葉とは無縁の居直りと言わざるを得ない呆れた態度に終始している。青木の発言を引用してみよう。寄せられた声の中には、僕たちへの誹謗中傷、暴言、愚痴など、#どうして解散するんですか?への問いではない声もありました。でも僕は、これだけの方が目にしてくださった今回の問い「#どうして解散するんですか?」を、いま一度日本について考え直す機会に出来ないだろうかと思っています。どうして解散するんですか? 盗っ人猛々しいにも程がある。あたかも自分が「誹謗中傷」される被害者であると思い込んでいるばかりか、自分が捏造サイトを作らなければ愚民どもが「考え」無かったとでも言いたげな傲慢さが見え見えである。 犯人の青木ばかりではない。サヨクやリベラル勢力は「犯行は民主党やサヨク陣営による組織的なものではなく、青木個人に全責任がある」とトカゲの尻尾切りした後、彼の犯罪を擁護することに未だ汲々としている。例えばジャーナリストの津田大介は「青木大和は少なくとも実名で謝罪した。デマを拡散させるまとめサイトとかより明らかにマシ」と、この明白な悪意を持った犯罪を相対化し、その罪の軽減に加担している。 ところで、サヨク勢力によるネットを悪用したこうした捏造工作は、別に今回に限ったものではない。この総選挙だけでも他にもいくつもの工作の存在が疑われているし、国政・地方選挙のたび毎回必ずと言って良いほどこの手の邪悪な工作が行われている。 そうした工作の証拠が白日の下に晒された例の一つが、2003年の石原慎太郎東京都知事再選妨害工作事件である。 都知事選の直前、インターネット上で、「プレ東京都知事選挙」なるホームページが開設された。表向きは、来るべき都知事選を予想する「ネット投票」を装ってはいるが、その実体は、明らかに石原都知事再選の妨害工作であった。何しろ候補者に、立候補さえしていない元べ平連活動屋で作家の小田実なんてものまでノミネートされていたのだから、お里が知れるというものだ。 このホームページは当初、在日朝鮮人のメーリングリストや反日活動家、プロ市民の掲示板などでのみ宣伝された。ホームページに「投票結果は11日夜に最終集計し、マスコミ各社に流します」と書かれていたことからもわかるように、反石原グループだけで投票をして、都合の良い結果を出し、マスコミに流すつもりだったのである。実際、当初は、本選挙では石原に惨敗した樋口恵子がトップであった。 ところが、この企みはネット投票開始直後に漏れ、2ちゃんねるなどのインターネット掲示板で宣伝された結果、反石原活動家以外にも多くの一般市民が投票し、樋口をたちまち引き離し、石原がトップに踊りでた。「プレ東京都知事選挙」の主催者は慌て、石原票のカウントを停止したり、石原の得票数を0に差し戻したり、ここでも捏造に躍起となっていたが、結局対応しきれず、ホームページは投票日前に閉鎖された。 一部では、閉鎖の原因は、公職選挙法に触れていたためとも囁かれているが、実はこの「プレ東京都知事選挙」を主宰していたのは、佐高信(評論家)、辛淑玉(人材育成コンサルタント)などの、名だたる反日活動家の面々である。 サヨク連中は選民主義の差別主義者である。自分たちが理想とする正義の実現のためなら、嘘だろうが捏造だろうが何をやっても構わないと思っているし、それがバレても謝罪するどころか居直るばかりだ。しかも一般庶民を舐めきって、幼稚な工作でもバレないに決まっているとタカをくくっている。民主党の海江田代表は最近、「赤穂義士が討ち入りした12月14日が投票日だ。私たちも義士になり、討ち入りを果たさないといけない!」などと、思い上がりも甚だしい笑止な発言を行ったそうだが、我々国民は、正義を騙る詐欺師でしかないサヨク勢力に気を許してはならない。

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    「小4なりすまし」とは結局なんだったのか

    自民党圧勝で幕を閉じた衆院選だが、公示前に気になるニュースがあった。大学生が「小学4年生の中村君」になりすましてサイトを立ち上げ、「どうして解散するんですか?」などと政治的な主張を発信し、各方面に波紋を広げたあの〝事件〟である。

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    社会の分断を深めない政治を

     新政権に求めることは、まず「社会を分断する」ものであってはならない、ということだ。この十数年、日本社会はふたつの意味で分断されてきたと思う。ひとつは経済的分断、もうひとつは認識上の分断だ。 経済的分断とは経済格差のことだ。日本の経済格差が深刻な背景には、1)長期のデフレ不況、2)低所得者層への再分配政策の失敗を代表的にあげることができる。 長期のデフレ不況は、2400万人にも上るといわれる低所得者層を生み出し、また高い失業率とブラック企業に代表される厳しい雇用環境に多くの国民を追いやった。また低所得者層の状況は、政府が介入することでかえって悪化している。例えば消費税は社会保障の充実を目標にしていると宣伝されることが多いだろう。だが現状では低所得者層からより多くのお金を搾り取ってしまっている。 認識上の分断も深刻だ。代表的例をふたつあげれば、対抗的ナショナリズムの勃興と「逃げ切り世代」の価値観の浸透だ。 例えば、在日外国人への敵意や反発は深刻である。対抗的ナショナリズムに魅かれるものと反発を感じるものとの認識(イデオロギー)上の対立は、しばしばヘイトスピーチをめぐる問題としても顕在化している。もちろん国外をみれば、韓国・中国など近隣諸国への敵意(対抗)の意識はきわめて強くなっている。 「逃げ切り世代」とはエコノミストの安達誠司氏の言葉だ。逃げ切り世代は年金や医療などで現役世代から所得移転を受けている高齢層である。逃げ切り世代の根源的な発想はリスク回避的なものだ。わかりやすくいえば「経済はもう成長しない」や「清貧の思想」に代表される思考パターンである。特に経済が成長して、若い世代がリスクを取ることが容易な環境になれば、自分たちの既得権が侵されるのではないかと懸念している心性(マインド)だ。社会の高齢化もあるだろうが、他方で長期の経済低迷が「逃げ切り世代」のリスク回避的価値観を浸透しやすくしているだろう。 新政権に最低限望むことは、上記の経済的分断と認識上の分断をこれ以上、政府がわざわざ介入することで悪化させないことだ。そして最善には、これらの分断を修復することが望ましい。 経済的分断については、まずデフレ不況脱却が最優先される。8%に引き上げた消費増税の悪影響は深刻である。いま現在、各種の経済統計をみると雇用状況は改善しているように見えるが、雇用を推しはかる指標は実体経済に遅れたものになる。このまま状況を放置していれば、早晩、雇用環境は悪化していくだろう。それを食い止めるためには、早急に財政政策と金融政策の両輪を積極的に活用する必要がある。財政政策であれば、所得の低い層を中心に総額10兆円規模の所得給付を行うことが望ましい。さらに日本銀行の追加緩和も必要だ。 政府と日本銀行が共同声明を行い、いまの目標である「名目成長率3%、実質成長率2%」を引き上げて「名目成長率4%、実質成長率2%」にすることは、これからの持続的な経済成長の安定化のためにも重要だと考える。 認識上の対立はどうだろうか? 「逃げ切り世代」の価値観の浸透については、その発生理由の多くが経済低迷をうけてのものだった。経済がダイナミズムを回復すれば、「逃げ切り世代」の価値観と対抗できる若い世代の価値観が社会で注目される可能性も増える。それがなんなのかいまはわからない。いや、わからないからこそいいではないか。 問題は、対抗的ナショナリズムだろう。今年の6月、報道によれば日中韓三カ国の関係改善を求める経済学者たちの提言を、安倍晋三首相は受取を拒否したという。この提言は経済学者の河合正弘、浜田宏一氏らが中心になったものである。この提言には、三カ国が軍事的衝突に陥った場合の経済的損失が試算されている。結論はアジア経済圏の成長の終焉という深刻なものである。もちろん経済的損失だけではない。失われるかもしれない人命こそ重要だ。 安倍首相の外交術は巧みであるという評価もある(高橋洋一『バカな外交論』(あさ出版)参照)一方で、近隣諸国とのより一層の対立を懸念し、または集団的自衛権を認めることで米国の軍事的従属化がすすむことを懸念する声も大きい。 安全保障の問題に関連して社会の認識(イデオロギー)上の対立が過激化してしまえば、それは社会の分断を加速化してしまうだろう。経済的な安定化は、対抗的ナショナリズムをある程度鎮めることができるかもしれない。だが他方で、高度成長時代においてもしばしば安全保障の問題については、過激な社会対立が随所で見られたことを忘れてはならない。 安倍首相の長期的な目標は憲法改正だろう。今回の衆院選の大勝によって、今後この長期的目標がより具体的に政治的メニューにあがってくることは不可避である。このとき社会の分断が加速化しないこと、それを政権に期待するだけではなく、むしろわれわれ国民がしっかりと判断していかなければならない。

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    どうするニッポンの針路 新政権に問う

    事実上の安倍政権への信任投票となった第47回衆院選は、自民党が絶対安定多数を維持、圧勝した。「一強多弱」の構図はより強まり、安倍晋三首相の政権運営はこれまで以上に日本の針路を左右する。ニッポンはどこへ向かうのか。新政権に問う。

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    政治的にはタフでも医療崩壊の危機に立ち向かえ

    的に対決した。 民主党政権と比較して、安倍総理の政権運営は安定している。多くの国民が、今回の解散・総選挙に賛成していないのに、与党を支持しているのも頷ける。 ただ、安倍政権の医療に対する基本的な姿勢は、我々は認識しなければならない。 私個人としては、安倍政権のやり方に反対ではない。社会保障費を圧縮しなければ、いつの日か、我が国は破産する。医療費と雖も、青天井で増やせる筈がない。医療費の抑制は必要だ。 しかしながら、医療費を抑制するだけでは、医療システムは破綻してしまう。高齢化が進むわが国では医療需要は急増する。我が国の医療は政府による価格統制が徹底しており、診療報酬を引き下げ続ければ、やがて医療機関の経営は立ちゆかなくなる。 医療崩壊を防ぐには、医療システムに循環する資金を増やさねばならない。税金・保険料で補えないのであれば、民間の資金を活用出来るようにしなければならない。 そのための具体策が、混合診療の解禁である。 我が国では、健康保険で支払う治療はすべて厚労省が一律に価格を決めている。混合診療が禁止されているため、例外はない。このことが、我が国の医療の進歩を阻害し、医療産業の発展を妨げている。 先日、13年間、凍結させた卵子を用いて出産した癌患者のニュースが報じられた。このように、我が国の不妊治療は世界最高水準だ。それは不妊治療が自費診療で、医療機関が独自に価格を設定できるからだ。患者満足度を上げれば、価格に転嫁できる。収益を増大すれば、最新機器を購入し、専門スタッフが雇用できる。一方で、不妊治療の専門医も増え、医療機関間に競争が生じ、サービス内容・料金は多様化した。これは患者にとっても福音だ。 厚労省は、完全自費診療には関与せず、混合診療は厳禁というのは二枚舌だ。厚労省が、このような態度をとるのは、医療行為の医学的妥当性よりも、医療費の支払いに関心があるからだろう。医療費の伸びを抑制するとともに、医療行為の価格の決定権限を握ることで、大きな権限を持てることは官僚にとって好都合だ。ところが、こんなことを続けていると、我が国の医療は崩壊してしまう。 我が国の医療システムが生き残る、つまり国民皆保険を堅持するには、混合診療規制の緩和が必須だ。 ただ、この問題に安倍政権が真摯に取り組んできたとは言いがたい。安倍政権は「岩盤規制改革」の象徴として、混合診療の解禁を唱っているが、先月、厚労省が発表した案では、混合診療が実施できるのは原則として百程度の大病院に限定されるらしい。これでは、多くの国民が規制緩和の恩恵に預かることが出来ず、見事な骨抜きである。 我が国の医療は、混合診療禁止という規制のもと、様々な既得権を生んできた。公定価格の元、一切の値下げ競争に曝されることはなく、開業医から製薬企業まで大きな利益を上げてきた。厚労官僚たちも絶大な権限を持ち、医療業界誌は、診療報酬改訂情報を垂れ流すだけで、売り上げを確保している。混合診療規制を緩和しようとすれば、彼らからの抵抗を受ける。混合診療規制の緩和は、政治的にはタフな仕事だ。さて、安倍政権は、どこまでやるだろうか。総選挙後の動きに注目したい。

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    もはや出来ない言い訳は通らない

     選挙結果が出た。自公与党の圧勝である。だが、そこに「歴史的」と形容するような高揚感はない。本気で政権に挑戦しない野党のていたらくを前に、与党の勝利はわかりきっていたというのはあるだろう。05年の郵政選挙では、構造改革路線という一つの方向に進んでいくという高揚感があった。09年の政権交代選挙でも、12年の自民党の政権復帰の選挙でも何かが変わるという不安と期待が背中合わせとなった感覚があった。今回は、それがない。 野党や一部のメディアが言うように解散に「大義がなかった」と言いたいのではない。国民の信任を通じて得られた政治的エネルギーをどのように使うのかが、気がかりなのである。 日本という国は岐路に立っている。すべての国民に明らかでないだけで、危機と言ってもいいレベルである。先延ばしにした増税を発動できるところまで経済を成長させることも、中期的に財政を持続可能なところまでもっと行くことも、けしてハードルは低くない。そのためには、国民に痛みを強いる社会保障改革も、与党や霞が関の権力基盤を掘りくずす規制改革も必要である。信を問う大義は十分すぎるほどあったわけだ。問題は、与党がアベノミクスの信任という以外、これからは苦い薬も飲まなければいけないことを示さなかったことである。そんな与党を追いこめなかった野党の力不足も罪深い。 ともあれ、国民は安倍総理と自公政権に圧倒的多数を託した。アベノミクスも、第三の矢も、もはや結果を出せない言い訳はなくなった。いまこそ、仕事をするときである。政権与党にあっては、適齢期だというだけで実力のない方を大臣にするなどもってのほかである。日本がデフレに苦しんだ15年間の一番の変化はグローバル化であろう。改革のスピード感もグローバルな基準で判断される世界だ。小回りの効くシンガポールや、民主主義の制約に縛られない中国と比較される中で結果を出さないといけない。与党が得た2/3に迫る議席は、このスピード感に使っていただきたい。 議席を増やした野党第一党の民主党には、安倍政権との対決姿勢を出すために政権の改革アジェンダに反対し、「やさしい」主張を展開する誘因があるだろう。短期的には、国民の人気も高まるかもしれない。が、それはかつての社会党が歩んだ万年野党への道であり、日本の将来のためにぜひ思いとどまっていただきたい。他の野党と手を結びながら、あるいは維新が築きあげた地方分権のエネルギーも取り込みながら、正々堂々と与党と経済改革を競ってほしい。それが、日本の政治に健全な緊張感を取り戻す唯一の道であり、野党が社会にとって前向きな変化を起こす存在となれるかの分かれ目である。

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    野党であるために何ができるのか?

    の自民党と公明党の獲得議席は3分の2に迫る勢いということで、圧勝であることは間違いありません。 その選挙結果を見据えて何を論ずるべきかといえば、私は間違いなく野党再編をどのように行い、民意の取りこぼしを少なくするか、これに尽きます。争点のない解散であったと評したところで、その選挙で実際に勝ったのは与党であり、勝たせたのは日本国民、有権者であって、国民の意志です。この時点で評価されたのは安倍政権であることを真摯に受け止め、与党は自信を持って国民のためになるであろう政策の実現と推進を、野党は敗因を見つめて必要な再編を行って国民の請託を受けられるような体制作りに邁進しなければなりません。 勝った与党はさておき、勝負にならなかった野党にこそ日本の未来を見出さなければなりません。というのも、与党支持率は選挙戦を通じて40%台中盤を推移していたものが、選挙戦が白熱していくにあたって徐々に低下。投票日前日の調査では、確定値において34%から37%まで低下していきました。選挙戦を見ながら、有権者、とりわけ無党派層が自民党の主張や選挙展開を見て「自分が支持する内容ではない」と違和感を感じたことに他なりません。 その低下した分を、民主や維新、次世代、共産などが上積みしたかというとほとんどそうはならず、推定ではありますがそのような人たちは「有力な候補者がいないので選挙にいかない」という選択をしている可能性が高くなっています。それが、今回の選挙での低投票率に繋がっており、国民は自民党への批判票の受け皿としてさえ、いまの野党を評価していないことの表れではないかと思うわけです。 野党の再編のために必要なものはなんでしょうか。今回の選挙直前には、維新の会の低迷と次世代の党への分裂、さらにはみんなの党のお家騒動からの空中分解と、強い与党の結束とは裏腹にどうしようもない野党の実態をさらしたままの選挙戦になりました。 この背景ははっきりしていて、ひとつは資金力の裏づけ、もうひとつが思想的なバックグラウンドが散漫なことです。勝っている政党や勢いのある政党であれば、政党に属していることそのものが資金も集票も見込める磐石な仕組みの歯車になることが議員の参画の動機になるのですが、資金源は将来曖昧であり、思想的にも寄せ集めの議員ばかりでは、どうしても政党としての結束力に欠けるだけでなく、保身のために、党ではなく自分の知名度を確保するための活動に精を出さざるを得ません。有権者の党への評価が低ければ比例で復活することもできない以上、自分の名前を投票用紙に書いてもらわなければ議席を失ってしまうからです。 だからこそ、いまの野党に必要なことは思想的な裏づけのしっかり取れた、反自民の批判票を受け入れられるだけの統制の取れた党組織を次の選挙までにつくり、国民の期待に応えることです。「それができないから困っているのだ」と野党の本部の方は頭を悩ませておられるのでしょうが、国民・有権者が争点として上位に挙げているものを思い出してください。一位こそ「経済政策・雇用」ですが、次いで「年金・社会保障」「少子化対策」「エネルギー政策」「安全保障・日米中関係」となっています。野党は一番得意でない経済政策や雇用を争点に持ってきて惨敗しましたが、実は社会保障や子どもへの補助、安全で安心できるエネルギー政策といったところは野党が本来得意とするものではなかったでしょうか。財源問題とあわせ、次の時代の日本をどう考えるかを打ち出すことが、いま野党に求められていることだと断言できます。 小選挙区制の恐ろしさは、わずかな支持率の違いを大きな獲得議席数に反映させるダイナミックな変革が起きやすいことにあります。もしも四年後かそれより前に選挙があるとき、少しでも自民以上の信任を野党が獲得できたならあっという間に政権奪還ができてしまいます。それまでの間に責任と能力の備わった野党であるために何ができるのか、いまじっくりと考えて再スタートを切って欲しいと、一人の日本人として願ってやみません。

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    それでも、若者の政治参加って必要ですか?

    。若い人たちが政治から離れてしまうと全体として代議制民主主義そのものの根底が覆りかねない。この前の総選挙も50%代でしたよね。これが下回ってしまうと、つまり国民の半分も参加しない選挙によって唯一の立法機関である国会の議席数が決まってしまうことになる。すると議会制民主主義の根幹そのものが揺らぎかねないと思います。だから若い人に政治に参加してくださいと言ってもなかなか難しいとは思いますけど(笑)日本のなかで政治教育をする仕組みを山本:「教育なき民主主義は無意味である」と言いましたけど、ということは教育ありきの民主主義ということですよね。その点はどうですか。いまは教育はされた上で民主主義が成り立っているとお考えですか?斎木:僕はほぼないと思っています。僕らみたいに政治学科に在籍していれば別ですけど半強制的に政治の勉強をする環境はないわけです。義務教育を見渡してもなかなかありませんし、高校教育をみてもどうしても政治的中立性が重視されて、政治教育はされていません。むしろ先生が政治の話題をすることはタブーですよ。山本:どうしてもイデオロギーの話が日本では起こりやすいからですか?斎木:そうですね。そういう部分もあると思います。ただ正直に言って「日本だから」といったわけではないですよ。先生によってイデオロギーはあると思います。例えば、イデオロギーのある教育を受けた結果、みんながそのイデオロギーに染まるかと言えばそうでもないでしょうし、ある意味そのイデオロギーを利用して中立性を説く工夫はできるわけですよね。だからそのためのガイドラインをつくっていって、同時に日本のなかで政治教育をする仕組みをつくっていくことが大切だと思います。つまりイデオロギー教育になってしまうリスクよりも、政治教育をしないことのリスクが大きいのに、イデオロギーというリスクに気を取られているというのが現状です。山本:なるほど。まあ、イデオロギーに気を取られないという発想自体もまたイデオロギーですけどね〜(笑)お話を聞くと、結局(政治の)教育がないということじゃないですか。ではどういった教育を展開していくべきだと考えていますか?斎木:まったくないとは言い切れませんがほぼないと思います。山本:それこそ、アメリカでは政治教育は徹底しているという話があるじゃないですか。模擬投票や模擬選挙がアメリカにはあるとのことでしたけど、日本でもそれらを導入すべきなんですか?斎木:僕は、模擬投票は素晴らしい教育のコンテンツだと思います。やっぱり政治教育をするならば模擬投票が一番だと思います。実際の選挙をみていくことは、教育を受ける側にとっては一番おもしろいと思います。正解のある話ではないので、各党の政策をみたときに「あ、自分はこれがいいな」と思うところからスタートすることは日本でも取り入れていったらいいでしょうし、模擬投票ならば先生のイデオロギーも入りにくいと思います。やはり中立的に、そこには色んな仕組みが必要でしょうけど、模擬選挙を通して体感型の政治教育をしていけばいいのではないでしょうか。民主主義の究極的目標は弱者救済山本:そのお話には、斎木さんがよく言う市民的公共性が前提にあるんですか?斎木:その先に、市民的公共に対する視野が僕のなかではあります。模擬選挙をやったり政治教育をする人たちの全てが市民的公共を最終的に目指しているわけではないでしょうけど、私は市民的公共の意識は強くあります。山本:ちなみに、市民的公共について一度整理をしたいです。私はあまり詳しい分野ではありませんので(笑)市民的公共というのは、教養ある市民が議論することで世論を形成して、その世論が行政を監査する、といった認識で大丈夫ですか?斎木:そうですね。つまり、公共の担い手となる市民一人ひとりが討議に参加していく。その教養ある市民がね。だからこそ、教育なき民主主義は無意味であるわけですよね。教養ある市民が討議に参加して、監査したり、いまならNPOやNGOを立ち上げることによって公共の担い手になることも可能になってきていると思います。山本:その、つまり政府が動くだけではなくて市民自体が積極的に参加をして社会を形成していくっていうこと?斎木:そういうことだと思います。山本:要するに政府の手が行き届かないところで市民が活動していく必要があるっていう認識だと思うんですけど、そのなかで必要になってくるのが教養だったりするわけですよね。だから教育で補っていかなければいけないはずでありながら、現状ではカバーしきれてないように私は思いますが、その点はいかがですか。斎木:政治教育は先ほど言った通り日本では盛んにおこなわれていないですね。やっぱり僕が思うのは、政治や公共とは、社会の構成員みんなに関わるものだと思う。ルールを決めたりね。それから、僕は政治、とりわけ民主主義の究極的目標は弱者救済だと思っています。強い人は市場の原理で政治が介入しなくていいわけですよ。民主主義の究極的目標はロック・ルソー以来の自然権という根本的な理念だと思います。僕は別に西洋かぶれじゃなくて、日本にしても古くから神道や仏教がありますけど、仏教の法然の言葉を借りれば「みんなが幸せになるために生まれてきた」、つまり幸せを追求するために生まれてきた、というのは日本でも普遍的な考え方でした。これは日本の伝統であると思うと同時に、西洋においても同じだったんですよ、昔から。つまり結局何が言いたいかというと人間が生まれながらにして生命・自由・財産をもっている、幸福を追求する権利があるということ。そして今の日本国憲法の根本的価値は第13条の幸福追求権ですよね。そこで重要なのが、幸せではない人たちを救済することによって、みんなが幸せになるという目的の達成ができます。幸せでない人たちに、公共によってアプローチをしていくことが大切です。山本:ただ、その公共を考えた時に、最初に戻りますけど「教養ある市民による良質な議論」、これによってマイノリティの排除という議論もありますよね。結局教養ない市民は排除されるわけですから。斎木:教養ある市民の定義が難しいですけど、民主主義の究極的な目標を理解していることが大前提だと思います。日本国憲法は日本の根幹であり、その根本的価値と言われるのが13条。それを考えると、民主主義の討議のなかでは一番の大前提ですから、やはり「教養ある」にはここが含まれているでしょう。そうすると、教養ある人たちが教養ない人たちを排除する、っていうのはその大原則に反してますよね。山本:ちなみに衆愚政治についてどう思いますか?斎木:私たちは、この(13条の)大前提を理解できていなかったり学ぶ機会がありません。だって、「日本国憲法の根本的価値と言われる条文は?」というのは、(学校教育では)あまり扱わないですよね。結局、その意味や成立背景を学ばないわけですよ。この教育がないために、衆愚政治に陥ったり、集合愚に陥ったり、インターネットの炎上もそうかもしれませんけど(笑)私はやはり、そのところをしっかり教育によって補完する必要性は必ずあると思っています。今一度の『学問のすゝめ』山本みずき特別編集長山本:私たちは慶應義塾大学で学んでいる立場ですけど、今日も『学問のすゝめ』を改めて読み返していてね…(斎木さんに遮られる)斎木:福澤諭吉先生ね!結局、福澤諭吉先生の時代は近代がはじまったとき。近代とはロック・ルソーの考えがまさに日本にはいってきた時代です。そのときに、福沢諭吉が説いたのが『学問のすゝめ』ですよ。「一身独立して一国独立す」、これは独立不羈の考え方ですけれども、やっぱり一人ひとりが学問してこそ国家が独立する。当時は国家の独立が至上命題だったと思いますが、今はやはり(日本は)独立国家として成り立っているわけですよね。細かい点はおいて、独立国家として危ぶまれることは喫緊ではない。では、何がいま大切かと言うと、成熟した民主主義ですね。これから社会の在り方をどうすべきか考える時に、まさに今、福澤諭吉の言葉が再び意味をもってくると思います。誰がエリートだとか、一部の人間だけが決めるのではなく、できるだけ多くの人々が参画して社会の在り方を決めていく必要があります。当時は独立のために学問だったと思いますが、これからは社会の在り方を、民主主義をどう成熟させていくかを考えるための、今一度の『学問のすゝめ』ですよね。山本:そうそう、それでね、市民的公共っぽい記述が『学問のすゝめ』にあったので是非紹介したいんですけど。第四篇では「国民の気風が国を作る」という項目がありましたね。そこにはこう書かれています。「狭い意味での『政治』をなすのは政府だけれども、世間のあれこれの事業の中には、政府が関係しないものも多い。一国全体を整備し、充実させていくのは、国民と政府とが両立して、はじめて成功することである。われわれは国民としての責任を尽くし、政府は政府としての責任を尽くしてお互いに強力しあい、日本全体の独立しなくてはならない」と。まさに斎木さんの提起した内容そのもだと思いました(笑)福澤諭吉先生も論じていたんですね。斎木:いやいや!福澤諭吉先生が論じられたことを私が勝手に解釈しているので、僕が論じているどうこうではありませんけど(笑)福澤諭吉先生は、だからこそ日本の貨幣の肖像に二度も選出されるわけですね。二度、選出されるのは福澤先生だけですよ。やっぱり慶應義塾大学の誇りでもありますけど、日本人としても誇りです。山本:私も同じ思いであります(笑)最後に、いままさに総選挙があっているわけですけど、選挙に対して若い世代である斎木さんから一言お願いします。斎木:とにかく、参加して欲しいです。とにかく一票を投じて欲しいし、少しでもいいから考えて欲しいです。情報を収集しやすいのはインターネットの良い部分ですし、調べればすぐに政党のマニフェストも見られるわけです。あとは政党マッチングを試すこともできますし、それも含めて色んな情報収集をインターネットや本、街頭演説を少し聞いてたりして自分のなかで何となくでいいから参加してほしい。たしかに自分の思想と照らし合わせたり、真面目に選挙に取り組む人もいますけど、30代40代以降の人でも何となくで参画している人もいます。それに何と言っても!初体験なわけですから(笑)参加してみることが大事で、どれが正解かではなく、自分なりの答えでいいわけだから気負いせずに参加してみてほしい。僕自身が偉そうにお話してしまいましたが、それこそ僕はまだ学んでいる立場です。皆さんからも多くのことを学んでいきたいですし、私も自分なりの確信があって投票できているわけではありません。そういう意味でも是非皆さんには参加して欲しいと思います。山本:実は私はまだ19歳なんですよね(苦笑)しかも今回選挙には参加できないし、(投票の)初体験すらまだっていうところなんですよ。そのなかで、選挙権をもっている人たちが、自分たちがもっている権利を行使しないっていうのが勿体無くて仕方がない。もうね、 選挙に参加できる方々が羨ましい限りですよ。だから、今回せっかく機会があるわけですから、一国民としてこの国をどうしていくか考える上でも選挙権をお持ちの方々には行使していただきたいと思います。斎木:そうですね。若い人が投票にいかないと、どうしてもシルバーデモクラシーになっちゃいますから。山本:是非、選挙には参加を!斎木:とくに若い人は!僕も含めて。笑 今回色んな話がでましたけど、私はまだまだ未熟者であり、学んでいる途中なので、暖かく見守っていただきたいなと思っています(笑)自分自身も正すべきは正して、反省すべきは反省していくつもりです。今回は山本さんとお話できて、後輩とは思えないほどしっかりされているので学びも多かったですし、今後も学び続けていきたい思いです。山本:いえいえ。斎木さんとは今年の夏に一緒に講演して以来、何かと関わりがあるんですが、来年の4月にも愛知で一緒に講演する予定があったりと、今後もそういう機会が増えてくると思いますので、どうか皆様、応援のほどよろしくお願い致します。斎木:ほんとうに期待の後輩です(笑)山本:いやいや、ほんとうに期待の先輩です(笑)というわけで今日はありがとうございました!

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    若者は政治に何を望んでいるのか

    「若者と政治」。私たちの世代の政治観は、他の世代の方々にまで届いていない気がする―。そんな疑問を抱くのは、iRONNA特別編集長の山本みずき。今の若者は政治に何を望んでいるのか。投開票を明日に控えた衆院選を前に、改めて「若者と政治」というテーマを考えたい。

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    「若者の政治離れ」のウソ

    く言われる。つまり25歳の投票率は25%前後、という意味だ。実際、2014年2月に行われた東京都知事選挙では、「20-24歳」の投票率はわずかに25.7%、「25-29」では28.38%に過ぎなかった。 第23回参議院通常選挙(2013)では、「20-24歳」の投票率は31.18%、「25-29歳」では35.41%と、軒並み60%を超えてくる50代以上の中・高年とくらべて、明らかに低いのが実態だ。 このことを踏まえて、「若者の政治離れ」とか、「若者の政治意識の希薄化」が叫ばれて久しい。まずこの前提が本当なのかどうか、疑ってみよう。 次のグラフは、公益財団法人「明るい選挙推進委員会」が公開している、年代別の「衆議院議員総選挙年代別投票率の推移」(http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/)である。  これをみても分かるように、若者(特に20代)の投票率は、過去(1960年代)とくらべて、長期的に明らかに低下しているのが分かる。しかし注意しなければならないのは、全年齢における投票率は、過去から現在まで、ゆっくりと長期低下(特に平成期)している、という事実だ。 つまり、「投票しないこと」を「政治離れ」と定義するなら、「日本人全体の政治離れが進む中、特に若者についてはその度合いが大きい」という風に解釈するべきだ。ところが一方で次のような統計もある。日米英仏韓の主要5カ国の青年(18-24歳)のそれぞれ各1000人を対象に実施した国際的な意識調査である「世界青年意識調査」の最新統計(第8回・内閣府)によると、政治に「非常に関心がある」は日本=11.7%で、米国=16.4%に次いで高い数値であり、政治に「まあ関心がある」と合わせると日本=57.9%で、主要5カ国の中で最高であった(最低は英国の32.2%)。 このように、日本の若者は「政治には比較的強い興味を持っている」が、しかし「実際の投票行動には繋がっていない」という実態が浮かび上がるのである。 ここからは、「若者の政治離れ」ではなく、むしろ「若者の投票行動離れ」という現実が判明する。どうも、若者が政治に関心がないから投票所に行かない、のではなく「政治に関心はあるが、投票所には行かない」というのが正解に近いだろう。この原因は、まったく制度的な原因に求められると、私は考えている。 つまり、選挙システムそのものが、若者の要求に答えていないのではないか、という疑問が浮かぶ。例えば地方から上京して、一人暮しをしている大学生が投票行為に及ぶ場合、住民票の所在地に投票権利を有するため、一人暮しをしている(生活実態のある)現住所では投票ができず、住民票上の自治体の選挙管理委員会に「遠隔地投票」の手続きを申請しなければならない。 この手続は至極煩雑で、自治体によっても異なるが郵送によって申請しなければならない場合が多い。実際、私もこの制度を利用して遠隔地に投票したことがあるが、選挙管理委員自身も不慣れな場合も多く、書類をたらい回しにされ、危うく投票そのものの意欲が無くなりそうになった。 私が大学生だった時代、周囲の友人・知人の中で「政治には関心があるが投票所には行かない」という人間の、ほとんどすべての理由がこの「遠隔地投票」である。わざわざ元住所の住民票を請求したり、地域の選挙管理委員会に申請用紙を請求したりするのは、よほど奇特な人物ではない限り行わない。この硬直したいわば「住民票主義」のようなシステムを正し、生活実態の存在する自治体で投票行動が可能になるように、法改正するだけで、若者の投票率は随分と変わってくるだろう。 更には、硬直化した投票日や投票時間の問題がある。普通、投票日は日曜日の朝から夜の8時までであるが、それは「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」のライフスタイルを中心とした考え方である。 これだけ非正規雇用が拡大し、若者の多くが親からの仕送り額の減少などに悩み、アルバイトなどを兼任している現在、若者のライフスタイルは多岐に及んでいることから、投票曜日と時間は拡大されて然るべきだ。 投票日数を二日間などに拡大し、24時間に近い形で開放すれば、これも若者だけではなく、全年齢において投票率は格段に向上するだろう。あるいは投票日を祝日にすることなど、法で別途定めるようにしても良い。 投票所の多くは市役所や小・中学校に設置されているが、地の利の不便な場合もある。可処分所得の減少で格差の犠牲になりがちな若年層は、必然自家用車の保有率が少なく、投票所への来所はかえって困難な場合もある。小・中学校の多くは、駅から遠い住宅地の中にあるからだ。 よって、既存の公的施設を転用した臨時投票所の増設や、空港や駅などJRや私鉄、航空会社と連携した投票所開設も有効ではないか。各所に電子認証端末を設置し、住民基本台帳カードによる本人確認が普及すれば、やはり投票率は劇的に改善されるだろう。 現代人のライフスタイルの多様化は、明らかに現行の投票制度から齟齬をきたしている。通販サイトで注文した商品がその日に届くことが当たり前になりつつある中で、投票システムだけは何十年も前の、ハガキ持参と鉛筆書きという、旧態依然としたものに留まっている。これだけ実態と制度が乖離しているのに、それが投票率に作用しないと考えるほうがおかしいと思う。「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」という、日本人の生活や働き方のスタイルは、過去のものになりつつある。その証拠に、「期日前投票」の利用者総数は、選挙の毎に拡大の一途をたどる傾向がある。「日曜日に、決められた場所に、決められた時間に行くことができる人間」は、この世界の中でどんどんと減っている。 その変化に、システムは全く対応していない。「模範的な勤労者」が存在することを前提とした日本のシステムの弊害は、選挙制度にとどまるものではない。年金や健康保険など「模範的な勤労者」が強固に存在した時代に想定された制度の多くに、歪や問題が指摘されているのは周知のとおりである。 住基カード1枚を持って、ふらりと東京駅で投票してから、道後で温泉に浸かりながら選挙速報を観る。そのような時代が到来した時、「若者の政治離れ」というフレーズは消えてなくなっていることだろう。

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    デフレ世代からみる解散決意の違和感

    者と政治をつなぐ」をコンセプトに活動中。18日夜に安倍さんが解散を正式に発表。正直まさかの、師走の総選挙へと。「若者と政治をつなぐ」活動を続けている自分としては、なにかを仕掛けなければならない。若者が選挙を、民主主義を、そして日本を作っていく状況へと進めたい!とは思うものの、正直まだ気乗りがしていない心境です。なぜ、解散総選挙を行わなければならないのか、腑に落ちていない。昨日の安倍さんの解散表明会見で少しでも、腑に落ちる理由があればと思っていました。結果としてよくわかってないのですが・・・わかってないとか言ってる場合じゃなくて、自分から主体的に争点や解散の意義は見い出していかないとだめだなと考えていますが。”デフレあたりまえ”世代としてさて、今回の選挙の意義に直接というわけではないのですが、1986年生まれ、28歳の若者として、今回の選挙をどう見るべきかについて、非常に気になる発言を安倍さんが会見でされました。15年間苦しんできたデフレから、脱却するそのチャンスを、皆さん、ようやく掴んだんです。このチャンスを手放すわけにはいかない。あの暗い、混迷した時代に、再び戻る訳にはいきません。 自由民主党のホームページ物心ついてからほとんどが、安倍さんから見ると”暗い、混迷した時代”だったんだ・・・俺としてはそうは思わない。そして、同世代の多くもそうは思わないだろう。「バブルやら好景気を知らない世代としては、産まれてきてから今までの社会状況は当たり前。」よく感じるし、同世代でもたまにこのような話は出る。だから、「あの時代が良かった」「ずっと不景気で育ってきて大変だね」って上の世代の方にいわれても、正直何のことやらわからない。だから、いまが暗黒時代とは思っていない。なので、安倍さんの決意は全くしっくりこないわけです・・・満足している若者この傾向は、各調査でも明確だ。厚労省が25年春に行った調査では、15歳~39歳の若者の6割以上が現在の生活に満足していると回答。若者の意識に関する調査より内閣府が今年5月に行った調査でも20代の現在の生活に対する満足度は他の度の世代よりも高く、実に80ポイント近くである。国民生活に関する世論調査若者世代と安倍さん世代・政治家の意識のギャップを埋められるかなので、安倍さんが一世一代の決意で、”暗い、混迷した”時代を抜けるために、消費税の再増税も見送り、今回の解散をしたという説明は、腑に落ちないのである。そして、腑に落ちないまま、つまりは若者世代と解散の意義・選挙の争点のギャップが残ったまま、選挙に突入すると若者には響かない選挙になるのだろうなと、危機感を感じている。若者と安倍さんの感覚のどっちが正しいという議論ではない。俺らも安倍さんもともに正しいし、ともに相手からすると腑に落ちないんだろうな。ただ、その相手の気持ちの根本の差を前提に、そしてその差をうめていくための、議論を進めていく必要があると思う。若者も将来の日本に不安をおぼえている先述の「若者の意識に関する調査」にはこういう質問項目もある。「日本の未来は明るいか」この質問に肯定的に答えた人はわずかに19.2%。当然なのだが、若者が現状に満足していようが、日本の未来を何とも思っていないわけではない。少子高齢化・人口減少社会への懸念は大いにある。その懸念を打破するため、日本の未来のために待ったなしであった、消費増税が延期されたことをどう若者が捉えるのか。「消費再増税」とりやめの選挙であるということが、どれほどの若者に響くのか。

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    民主党のエネ政策をリセットしない訳

    糊塗して国民を騙すばかりの民主党政権のエネルギー政策は、誰かが早くリセットしなければいけない。参議院選挙明けの安倍政権に対し、エネルギー政策の棚卸しを強く求めた『WEDGE』2013年9月号の特集記事を再掲する。 2013年9月1日から東北電力、四国電力、北海道電力が家庭用の電気料金を7.7〜9.4%引き上げる。12年9月には東京電力が、13年5月には関西電力、九州電力が既に値上げを実施している。 値上げの原因は、原発停止分を代替している火力発電の燃料費だ。火力発電は全体の約9割に上っている。経済産業省の電力需給検証小委員会の資料によると、13年度の原発停止による燃料費増は3.8円。これがそのまま電気料金にはねかえれば、1kWhあたり約4円の上昇となる。震災前の平均原価は1kWhあたり16円強だから、電気料金は約25%上がってもおかしくない計算となる。 しかし、6社の値上げ幅は、家庭用で約7〜9%、産業用で約12〜17%に留まっている。これだけ差があるのは、経済産業大臣の「査定」で約2〜3%原価が削られたこともあるが、もともとの値上げ申請が、ある程度の原発再稼働を織り込んでいるためだ。最初に値上げ申請した東電が前提にしていたのは、柏崎刈羽原発が13年4月に再稼働することだった。実際は13年度中の再稼働ですら危ぶまれている。 これは他の電力会社も同様だ。11年度から13年度までの9社の燃料費合計(一部推計)と、手当てできている原価算定分を比較すると図1に示したような開きがある。各社は他経費の削減でも間に合わず、合計で1兆円台の赤字を出して燃料費を賄っている。電気料金は再稼働を織り込まずに値上げせよそうしなければ原子力停止の痛みがわからない 7月に新規制基準の適合性審査が始まったが、審査には約半年かかると言われている。第一陣でも今年度末の再稼働となると、各社は今年度も大幅赤字になるだろう。 本来、脱原発を進めるのならば、その分の電気料金値上げを国民に引き受けてもらわなければならないはずだ。つまり、まず電気料金を約25%(多少査定したとしても少なくとも約2割は)引き上げるべきだったのではないか。そうして初めて、脱原発のコストが明らかになり、国民が正しく選択することができる。 民主党政権は、この電気料金の大幅上昇が国民の眼にうつらないよう、現実を糊塗し続けた。原発事故の対応や賠償で資金が不足し、値上げを真っ先に行いたい東電に対し、実質国有化と時期を同じくすることで厳しいリストラと査定を飲み込ませた。総合特別事業計画として14年3月期の黒字化を絶対条件とするために、柏崎原発再稼働を認める気もないのに計画として織り込ませる。東電の値上げ申請と査定は他電力のひな型となり、まるで燃料費増をカバーできない中途半端な値上げが続いているのである。 電気料金が2割上がれば、経済に与える影響は大きい。政局は消費税を3%上げるかどうかに注目が集まり、税上げが景気を冷やすことを心配する意見があるが、税収はいずれ国内を循環する。資源国に垂れ流される3.8兆円と、それに伴う電気料金の上昇のほうが余程問題のはずだ。原発を止めても、停電にならず、電気料金が1割弱上がっただけだと受け止めている国民は多い。脱原発のコストをきちんと認識してもらうことが必要だ。民主党政権の世論迎合と事実隠し米国に止められるまでその現実性のなさに気づかない 民主党政権の行った世論迎合と不都合な事実の糊塗は枚挙に暇がない。  ひとつは、原子力事故の責任は東京電力が第一義的に全て負う、としたことだ。原子力損害賠償法が不明確だったということもあるが、巨大な天変地異の際に適用とするとなっていた「ただし書き」を適用せず、東京電力の無限責任で押し通した(図2)。 その結果、賠償も除染も、国有化された東電が超長期に亘って少しずつ電気料金で弁済していく形となり、無規律な状況に陥っている。国でも民間でも、責任ある主体が賠償や除染の責任を負っていれば、どこまで支払うべきかという議論が巻き起こり、一定の合理的な水準が導かれるだろうが、ゾンビ状態と化した国有化東電にその歯止め役は期待できない。その結果、1mSvという除染目標を細野豪志環境相らが無責任に口走り、福島の帰還や復興を逆に遅らせている。 原発事故対応の不手際への批判をそらしたい菅直人首相(当時)は、自らの生きる道を「原発ゼロ」に定めた。中電浜岡原発への停止要請、九電玄海原発の再稼働中止、法的根拠のないストレステスト義務付けなど、「超法規的措置」を重ねに重ねて原発を全面停止に追い込んだ。 さらに、原発の代替は現実には火力発電なのに、再生可能エネルギーへの期待感を煽ることでその現実をごまかした。自らの首と引き換えに「再エネ固定買取法案」をぶち上げ、固定価格買取制度(FIT)を導入する。 続く野田佳彦政権は、2代前の鳩山由紀夫首相がぶちあげた温室効果ガス25%削減と、1代前の菅首相が掲げた脱原発を同時に満たすために、原発の発電量を再エネが代替するという明らかに無理のあるエネルギー計画を立て、「革新的エネルギー・環境戦略」と呼称した。これは革新的でもなんでもなく、「原発ゼロでも経済成長」と詭弁を弄し(図3)、経済成長率を抑え再エネを現実感なく大量導入することで辻褄を合わせるという、お粗末なエネルギー計画だった(図4、5)。 結局、米国に核燃料サイクル施策と脱原発戦略の不整合を指摘される始末となった。2030年代に原発ゼロを謳った革新的エネルギー・環境戦略は、「柔軟性をもって不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という中途半端な形で閣議決定することとなった。自らの責任を問われないようにするための発送電分離「電力叩き」に騙されてはいけない さらに、枝野幸男経産相(当時)は、電力会社に国民の眼を向けさせるために、発送電分離(電力システム改革)を推し進めた(図6)。まるで電力料金が上がるのは、電力会社のムダの多い総括原価方式のせいだといわんばかりに、電力自由化を進めれば電気料金が下がるかのようなイメージを喧伝した。しかし、欧米の先行事例を見ると(図7、8)、決して自由化で電気料金下がるわけではない。そもそも、自由化は発電部門に余裕があって競争を促進すべきときに導入する施策であって、現在ほど電力需給が逼迫しているときに推進すべき政策ではない。 菅政権の「原発ゼロ」戦略は、一応閣議決定されたエネルギー計画として、あるいはFIT法、発送電分離として、さらには新規制基準に埋め込まれた40年廃炉条項や活断層条項として、あちこちにタネがまかれている。この不合理で著しく高コストな一連のエネルギー政策を根幹から一新すべきだ。そうしないと、タネから出た芽がアベノミクスに絡みついてしまうだろう。(Wedge編集部)   

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    沈黙の原発 詭弁と無策が国を滅ぼす

    特にかすんでいるのが原発政策である。世論の反対が多いテーマだけに各党とも歯切れが悪い。争点化を避ける選挙戦にあえて直言します。原発なくして日本の未来はありません。

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    なぜ環境保護派が原子力を支持するのか

    映画『パンドラの約束』特別インタビュー――福島の事故をどう見ていますか。 「パンドラの約束」の製作中、私は福島の避難指示区域を訪れ、自分自身の目で、そこで何が起きたのかを確認しました。気候崩壊を防ぐ取り組みに必須なエレメントとして、原子力エネルギーを支持する立場のひとりとして、福島を訪ねることは、ひどく心がかき乱される思いでした。端的に言って、福島原発事故は決して起こってはならないことでした。また、事故を引き起こした人為ミス、すなわち不十分な防波堤と海抜の低い位置に非常用の発電機を設置していたことに対する説明や謝罪はみられません。ロバート・ストーン監督 ((c)フィルムヴォイス、以下同) 日本各地の原子炉は、千年に一度という最強レベルの地震の中でも特段問題ありませんでした。一歩前に進み、このことが思い出されなければなりません。 福島の発電所だけが唯一、津波によって破壊された後に、惨事に見舞われました。WHO(世界保健機構)とUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は原爆が投下された広島と長崎で生き残った人々の健康状態を、およそ70年に亘り調査し、福島での放射線放出による被曝によって健康上の悪影響を受けた人はおらず、また今後についても、何らかの健康被害が認められることは非常に考えにくいと結論付けました。 反核グループは、当然これらの見識に異議を唱えるでしょう。なぜなら、彼らがこれまで40年間作り上げてきた、「核関連の事故がもし起きれば、この世の終わりのような大惨事となる」という説を否定することになるからです。 この主張こそ、彼らが原子力エネルギーに反対する所以であり、彼らは決してその主張と矛盾する科学的な証拠を受け入れません。彼らは、その政治目的を達成するため、民衆が原子力エネルギーを恐れるよう仕向ける必要があります。日本国民の多くは、ほんの少しであっても放射線量が上がることを恐れており、それは彼らの思うつぼです。 私は、避難指示区域のすぐ外にある街を訪れましたが、そこの親たちは子供たちが屋外で遊ぶことを許しませんでした。断じて、です。放射線量は、世界の多くの地域の元々の放射線量より低い数値でした。しかし親たちは、反核の人々やメディアから得た情報で子供たちの健康を慮り、放射線を恐れていました。 苦しんでいるのは誰でしょうか? 二度と外で遊べないかわいそうな子供たちや、(多くの場合、必要以上に)ふるさとに戻ることを恐れている家族たちです。 反核グループは、チェルノブイリについても同様の主張を展開しました。100万人以上の人々が悲劇的な災害のために命を奪われた、と言い募ったのです。国連によって行われた最高レベルの疫学的研究が、チェルノブイリ原発事故が直接の原因で亡くなったのは、長い年月を経た後の今日でさえも、たった56人であったと指摘しているにもかかわらずです! これは異常なことですが、真実として起きていることでもあるのです。 放射線は、極めて弱い発がん物質であることが分かっています。身体へのダメージを与えるには、かなり高い線量─福島の避難指示区域内で認められる線量よりはるかに高い─を要します。我々は、福島の避難指示区域内とその周辺で測定しました。そこの放射線量が、基準より高めであることは疑う余地のないことです。私は、持ってきた線量計で、自分自身の目で確認しました。信じがたいことかもしれませんが、わずかな数のホットスポットを除けば、その線量は人が身をさらしても健康を脅やかすレベルにはありません。放射線量のレベルは、重要な論点です。リンゴにさえもシアン化物が含まれていますが、含有量は低く、人体には無害です。 メディアは、恐怖心を煽ることで人々の注目を集め、視聴率をたたき出し、繁盛しています。何かが、「実はそれほど危険でない」と伝えることは、ニュースではないのです。悲しいことに、日本の原子力発電の所管当局は国民の信頼を失っており、人々が最悪の事態を信じる傾向にあることが見て取れます。これは2011年3月の、日本の難局における、特に東京電力のリーダーシップの大いなる失敗だといえます。 文部科学省や資源エネルギー庁は、国民の信頼を回復する必要があります。彼らは、調査結果の科学的な裏づけを国民に説明するとともに、良いニュースと悪いニュースの双方を、誠実に開示していく必要があります。それによってのみ、彼らは信頼を取り戻し、恐怖心を煽る輩を駆逐することができるのです。――日本では、環境保護派、リベラル派の多くは原子力反対です。なぜ監督は原子力推進に転換されたのですか?燃料再利用型の原子炉を推奨するチャールズ・ティル氏 再生可能エネルギーが、それ単独では決して化石燃料に代わることができず、化石燃料を燃やし続けることが我々を恐ろしいスピードで気候崩壊へと向かわせていることに気づいたとき、私は原子力エネルギーについて考えを変えました。 この気づきは、私たちに、これまでと異なる視点をもたらしました。私たちは、気づかされた危機感の本質を、環境的な見地から調査することにしました。 もし、本当に正確な視点から、精査され公表された科学的事実を見るならば、生産効率の点で原子力が風力の次に安全なエネルギー生産方式であることに気がつくはずです。また、放射性廃棄物の問題についても、むしろ単純な技術的解決方法があり、我々が既に、構造上、物理的にメルトダウンが不可能な、先進的な原子炉の設計手法を知っていることもわかるでしょう。 私は日本の人々に、世界最高の、最新鋭の原子炉─ゆるぎない安全性を備え、モジュール式の原子炉を有し、排出した廃棄物を自ら処理することができるような─を開発するために、その特筆すべき技術力を発揮することを勧めたい。 それこそが、福島で起きてしまった悲劇の遺産を正面から受け止め、日本経済を蘇らせるために、また気候変動を抑止する取り組みにおいて日本が国際的なリーダーシップを発揮していくために最善の方法なのではないかと思うのです。――日本の反原発派は、福島の事故による汚染、そして高レベル廃棄物のことを考えれば、原子力はクリーンでもなく、安価でもない。経済発展のために、そんな危険なものを子孫に残してはならない、と言います。どう思いますか?環境保護主義者のマークライナス氏(右)も原子力推進へ「転向」した 世界中では、およそ440の原子力発電所が稼動しています。我々はおよそ50年の間、商業用の原子力を保持してきました。その間に、世界では3回の原子力事故が起こりました。スリーマイル島、チェルノブイリと福島です。国連の最も信頼できる科学的見識によると、人の死や放射能による発病が起こったとされている唯一の事故はチェルノブイリです。設計が不完全なソビエト連邦時代のプルトニウム施設で、正気の沙汰とは思えない判断によって突然引き起こされた奇妙な事故です。つまり、概して原子力には、稼動から30年以上が経過した原子炉においてさえも、むしろ注目に値するほどの安全な稼動実績があるのです。 放射性廃棄物の問題は、重大なものではありません。放射性廃棄物の量は少なく、そして、化石燃料の排出物とは異なり、それは全て貯蔵され、所在が確認できます(管理できます)。この放射性廃棄物が数千年の間も放射性を保持する間、それらは次世代原子炉の燃料としてリサイクルされ、再利用することができます。この再利用のプロセスが完全に終わった後に残される廃棄物は、たった200~300年の間放射性を有するだけです。 つまり、これはまったく技術的な課題でも、道徳上の問題でもありません。単に政治の問題なのです。もし、あなたが将来の世代の幸福や健康を気にかけるならば、あなたの一番の懸案は、可及的速やかに二酸化炭素の排出を減らすことでなくてはなりません。二酸化炭素は、我々が子孫へ残している有害な遺産です。それに比べ、放射性廃棄物はとるに足らず、簡単に処理できるのです。――ビル・ゲイツ氏が資金を出している次世代原子炉など、イノベーションで原子力はより安全になるでしょう。しかし、反原発派は必ず事故は起こる、人類は核エネルギーを制御できないと言います。人生のほとんどを環境保護運動に費やしてきたスチュアートブランド氏も「転向」組 我々は、激動する技術革新の中を生きていますが、それは核テクノロジーにも影響を与えてきました。しかし、核反対を謳う活動家たちは、1960年代(福島原発が作られた時代)に開発された原子炉技術のみに言及し、それ以降に築き上げられてきた相当な進化については無視します。確かに、それら進化した技術は、今日ようやく商業化(実用化)されはじめたばかりではありますが…。 事故が絶対に起こらないと言うことはできません。しかし、仮に事故が起こり、もしその事故が福島第一原発のような、古い60年代の原子炉で起こったものだとしても、その結果が、反核活動家たちが声高に叫ぶ大惨劇ではないことははっきりしています。身の安全を確保するためにふるさとを離れた人々にとっては、事故はとても恐ろしい状況です。 しかし、我々はリスクに対して現実的な見方をする必要があります。現代文明の利器(=原子力発電)を推進することには、リスクがついて回ります。しかし、化石燃料を使うことのリスクは、先進の原子力エネルギーに頼ることで生じるリスクをはるかに上回ります。化石燃料による汚染によって、毎年300万人が亡くなっていると推定されます。毎年です。それに比べ、商業用の原子力による死者として確認されているのはたった56人のみであり、そしてその全ては(設計に欠陥のある施設で異常な判断ミスのあった)チェルノブイリで起きたものです。――米国ではシェールガス革命が起きていますね。原子力より化石燃料に風が吹いているように見えますが。 私には日本の状況は分かりません。しかし、気候変動の問題については、世界中の大変多くの若者たちが高い関心を寄せています。気候変動の結果は、年を追うごとにより明確にあらわれてきています。アメリカにおいて、ガスが潤沢にある安い燃料であろうことは確かですし、それが原子力を含むエネルギー源のあらゆる選択肢に、とって変わろうとしつつあることも事実です。 私は、それほど遠くない将来、アメリカは中国から先進のモジュール型原子炉を購入するのではないかと思っています。そして日本もまた、同じことをするのではないでしょうか。――太陽光や風力など再生可能エネルギーに頼ることはできませんか。 風力と太陽光は、エネルギーミックスに重要な役割を果たしており、場所によっては他の技術より、これらの発電方法に適している地域もあります。しかし、問題の鍵は、それらが化石燃料に代わることができる地点まで来ているかどうか、単純には測ることができないという点です。原子力とは異なり、再生可能エネルギーを使用するために電気システムをネットワーク化するとなると、化石燃料に置き換えて使えるレベルで実用化し、運用していくためには、エネルギーインフラ全体の完全な再構築が必要になります。これは莫大な投資であり、実際に実行に踏み切った国はまだありません。 また、再生可能エネルギー源(風や日光など)の確保が確実でない時のためのバックアップとして、我々は旧来の化石燃料インフラを引き続き維持していく必要もあります。これらは、再生可能エネルギーが実際に化石燃料にとって代わるのを妨げている深刻な問題であり、すぐには解決しそうもありません。他の国にも増して風力と太陽光に多く投資(20年間、数千億)したドイツでさえも、今日の電力供給源の割合は太陽光が5%、風力が7%という状況です。彼らはまだ石炭の生産能力も拡大させており、原子力発電所を廃炉にするという判断のおかげで、彼らの二酸化炭素排出量は実際に増えています(日本もそうであるように)。 風力と太陽光は、かつては大規模に発展しましたが、相当な数の反対意見にも直面しています。風力と太陽光で、全ての電力を供給できるため、原子力は必要ないという議論は危険な絵空事です。もしその説が真実ならば、数多くの良識ある人々が原子力発電を発展させ、支持しようとする必要はまったくないはずです。 私は、個人的な利益関心のために、原子力推進を唱えているわけではありませんし、原子力それ自体には関心がありません。私が原子力を推進しようと思うのは、それが、死や疾病を引き起こし、海の水を酸性に傾かせ、気候が制御できないほど乱れ始めている原因である、化石燃料の使用を締め出す唯一の手段であると気づいたからに他なりません。 この数十年に亘り、反核の活動家たちによって提示されてきたあらゆる定説や神話にかかわらず、原子力ははるかに優れた選択肢です。60年代に作られた原子炉が、未曾有の規模の津波によって流されたことで起きた、今回の恐ろしい(そして、防ぐことができたはずの)一回の事故を理由に、完全に原子力エネルギーを断念してしまうのはナンセンスです。 日本は、地球上で最も洗練された最新技術でもって、現在の原子力施設を取り替えることに投資するべきです。このことは、日本のエネルギー供給の自活を維持し、全く新しい輸出産業を発展させ、世界中の羨望を日本に集めるでしょう。 今日の状況のように、化石燃料に立ち返る一方で、エネルギーの自活を決してもたらさない再生可能エネルギー施策に浪費し続けるのはとんでもない大間違いである。私はそう考えています。(Wedge編集部)■ロバート・ストーン監督1958年イギリス生まれ、ニューヨーク在住。初監督作『ラジオ・ビキニ』(1987年)がアカデミー賞長編記録映画賞にノミネートされ高い評価を得る。その後、ディレクター、作家、編集者、カメラマンと幅広く活躍する傍ら、アメリカ史、大衆文化、マスメディアや環境問題などのテーマを独自の視点で鋭く切り取る作品を意欲的に制作。最新作『パンドラの約束』は2013年のサンダンス映画祭で上映され注目を集めた。6月12日より全米で公開。人生のほとんどを反核に捧げてきたにもかかわらず、考えを180度変え、原子力推進を訴え始めた著名な科学者や環境保護運動家、ジャーナリストらに主張の機会を与えている。映画『パンドラの約束』ロバート・ストーン監督問い合わせ先:フィルムヴォイス(株)03-5226-0168 担当:山森   

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    原発を推す短・中・長期の合理性

     言いにくいことでもはっきり言いたい。それもメディアの一つの使命ではないか―― そんな書き出しで始めた『WEDGE』2013年9月号の特集記事「今こそ原子力に舵を切れ」は、かなり大きな反響があった。即時原発ゼロ、踏み込んだとしても将来的な原子力ゼロあるいは原子力比率の低減を掲げる意見が多い中で、なぜあえて「原子力推進」の論調を張ったのか。一言でいえば、それこそが子孫に対する責任だと考えたからだ。 特集記事のなかで、賛否両論、様々な意見をいただいた記事をここに再掲する。◇ 「なぜ民主党のエネルギー政策をリセットしないのか」と題した記事で取り上げた、燃料費増年間3・8兆円の詳細は図9の通りである。 ただただ資源国に垂れ流されるだけのこの国富を抑制する手段は原発再稼働しかない(節電などで電力需要を無理に抑える方法は経済や生活に与える影響が大きい)。石油輸入額激増のインパクト 内訳を見ると、燃料費増3.8兆円の3分の2を石油が占めていることがわかる。震災前、原子力、石油火力、LNG(液化天然ガス)火力はそれぞれ総発電量の約3割、約5%、約3割を占めていた。現在、原子力は大飯原発だけなので約2%まで落ち込んでいる。差の28%は、LNG火力と石油火力が半分ずつ受け持つようなイメージになっている。 図11にあるように、石油火力は発電コストがべらぼうに高い。電力会社も極力使いたくないのだが、他の発電設備を使い切っているため、使わざるを得ないのだ。石油火力が燃料費増に大きなインパクトを与えている。 震災前のデータだが、図10のとおり、石油の中東依存度は約9割とかなり高い。LNGも、カタール産の輸入を増やしているため、中東依存度は上昇している。中東に依存した石油やLNGに電力供給の枢要な部分を委ねてしまっている(しかももう代わりになる発電設備はない)現状は、かなり危ない状況と考えるべきだ。イスラエル情勢もイラン情勢も決して安定していない。 また、膨大な燃料輸入は国の貿易収支はおろか経常収支まで赤字に追い込んでおり、投資家の日本国債への信認の基礎も大きく揺るがしてしまっている。消費税上げも重要だが、この輸入燃料費をいかに抑えるか、つまりいかに早く原発を大規模に再稼働するかは、国家としての喫緊の課題である。発電コストと価格変動の感受性 以上は短期的な視点だが、中長期的視点から見ても、日本にとっての原子力の必要性は変わらない。 まず、発電コストである。この数字は過去の実績値から弾いた数字ではなく、いま新たに建設したとしたら発電量1kWhあたりでどちらが安いか高いかが把握できるコストである。 図11を見ると、脱原発を推し進めたい民主党政権下で弾かれた数値なのだが、原子力が依然としてもっとも安い電源であることがわかる。この単価には、原子力の事故費用として5.8兆円が既に盛り込まれて、事故の損害額が1兆円増えるごとに発電コストが0.1円上がる計算だ。つまり、事故費用が16兆円規模であれば、発電コストは1円増加し9.9円(石炭火力とLNG火力の間)となるし、26兆円規模であれば10.9円(LNG火力の少し上)となる。 事故費用を織り込めば原子力と火力の発電コストはほぼ同等ということだが、考えなければならないのは、燃料費変動に対する感受性である。図11のとおり、火力の発電コストの多くは燃料費のため、燃料価格の変動をもろに受ける。とくに、LNG火力と石油火力は燃料価格に対する感受性が高い。逆に原子力は燃料費の比率が非常に低いため、燃料価格への感受性はほとんどない。しかもそもそも原油価格とウラン価格では変動幅(ボラティリティ)が全く異なるため(図12)、両方の要素で原子力の安定性は捨て難い。 全ての資源を輸入している日本がもっとも重視しなければならないのはエネルギーセキュリティだろう。考えうるどんな危機が訪れても安定供給を確保するには、化石燃料に強く依存するのは避けるべきだ。原子力は、オイルショック以降発電量が大きく伸ばした。その経験を忘れてはならない。 さらに、原子力には資源備蓄の優位性もある。同じエネルギーを得るための体積が化石燃料に比べて圧倒的に小さいため、ウランは備蓄に向くのだ。海水ウランという可能性もある。 図13にあるように、エネルギー自給率の低い国は概ね原子力に熱心である。中期的な観点で見ても、少資源国にとって原子力の合理性は揺るがない。人類の未来と原子力の位置づけ さらに長期的な視線でみればどうか。世界の人口は2050年には96億人に達すると言われている(図15)。この100年の人口の増加とエネルギー消費量の増加は、人類がかつて体験したことのない異常なゾーンに入ってきている。日本が新興国などに対し、相対的な地位を低下させていくのが確実といわれているなかで、化石燃料をこれまで通り確保していくことは本当に可能だろうか。 そういう現実を直視しているからこそ、世界の国々は福島事故後も決して原子力を捨ててはいない(図14)。米国で開発された軽水炉技術は、長い時間をかけて、日本企業が自らのものとして磨いてきた。名門・米ウェスチングハウスは東芝が買収し、米GEは提携した日立の力を必要としている。 トラブルに陥っても放射性物質を原理的に外に出さない次世代炉の開発が世界中で進められている。26〜28頁で書面インタビューに答えてくれたロバート・ストーン監督のように、地球環境保護や途上国の未来のために、日本の原発技術力に期待する声もある(参考記事「なぜ環境保護派が原子力を支持するのか」。 だが、資源を生み出す夢の技術である高速増殖炉では、日本が世界の先頭を走ってきたが、世論の強い抵抗を受けているうちに、ロシアや中国などに巻き返され始めている。 福島第一原発事故があったから、この技術体系を丸ごと捨ててしまうというのは、人類の未来に対する責任から逃げることになりはしないだろうか。 スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故の直後に、当時のレーガン米大統領が発した有名なメッセージを紹介しておきたい。 「私は、スペースシャトルの発射の生中継を見ていたアメリカの児童・学生の皆さんに申し上げたいことがあります。 私は、この事実が皆さんにとって受け止め難いものであることを理解しています。しかしながら今回の事件のような悲痛に満ちたことが時として起こってしまうのです。今回の事件は探検と発見の道のりの一部なのです。未来は臆病さに基づくのではなく、勇敢さから招来するものなのです。 チャレンジャー号の乗組員たちは私たちを未来に導こうとしていました。ですから、私たちは彼らの後を追って継続していくべきなのです。 私は常に、わが国の宇宙計画に対して絶大な信頼と尊敬を抱き続けてきました。そして今日発生してしまった出来事によってその想いが萎むことは一切ありません。 私たちは自分たちの宇宙計画から耳目を背けることはしません」。(Wedge編集部)   

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    日本の離島が狙われる

    日本の離島が危ない。人口減少による過疎化や高齢化、産業の衰退…。近年では中国やロシアによる軍事的脅威にさらされ、韓国をはじめとする周辺国の土地買収など外資流入も目立つ。国境の離島は今、どんな状況に置かれているのか。iRONNA編集部が対馬より報告する。

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    問われるべきは「信念外交」の成果

    Mich Maruyama(新潟県) 14日の投票日に向け、衆院選各候補の選挙活動は活発化している。 安倍首相は主に消費増税延期の判断、そしてアベノミクスについて国民の信を問いたいとして衆院を解散したが、安倍内閣によって劇的に変化した外交政策も有権者の評価の対象とされるべきだろう。 これまでの外交では、中国、韓国などが日本の政治家の言動、政策等に不満を抱き、首脳会談が開かれない状態に陥ると、特定の政治家、メディアなどが騒ぎ立て、首相の責任を追及するのがお決まりのパターンだった。それに抗しきれず、首相も相手国に言われるがまま土下座外交を繰り返すのが日本外交の歴史だったと言えよう。 しかし安倍首相は、外交においては「友好は手段であり、目的ではない」という持論のもと、首脳会談開催に際して条件を付ける中国、韓国の主張を受け入れず、一方で「対話のドアは常に開かれている」とし、日本は対話に前向きだが、相手国が頑ななのだ、という点を世界に発信してきた。 中国は日中首脳会談開催の条件として、尖閣諸島の領有権を巡る論争が存在すること、靖国神社には参拝しないと公の場で発表することを求めていた。しかし安倍首相は譲らず、逆に中国側は、APECで首相が中国を訪れるにも関わらず、首脳会談を拒み続ければ、中国は国際社会から「失礼な国」と見られることを恐れ、結果として、11月10日、日中首脳会談開催へと至った。中国メディアは、安倍首相からの再三の会談要請を中国側が「聞いてやった」と報じたが、中国が事実上、日本側に突き付けていた条件を取り下げ、首脳会談に応じたのは紛れもない事実だと言える。 ここで重要なことは、第一に、第2次安倍内閣成立以降、上述の首脳会談が開催されるまで約2年間、首脳同士の交流がなかったことで何か不都合があったのか、ということだ。これは対韓国に関しても同様だが、首脳会談が開催されなくても全く問題は生じなかった。 第二に、中韓がいくら日本を非難しようとも、日本が筋の通った対応さえしていれば、理不尽な主張は国際社会では理解されず、逆に国際世論から非難の対象となり得ることも明らかになりつつある。こうした点を浮き彫りにした安倍外交。有権者はこの点も衆院選における評価の対象に加えるべきだろう。 このような安倍首相による「信念外交」と対極にあるのが、尖閣諸島中国漁船衝突事件の際、司法への介入まで行って中国に迎合した、当時の菅首相、仙谷官房長官らによる「売国外交」だろう。そうした愚かな行為は、結局、国益に何ら寄与することなく、むしろ特アを増長させる結果を招いたことは明白だろう。 民主党がいかなる主張を行おうとも、このような政党に国家の安全保障を託せるはずがないということは自明であり、もしこうした勢力に再度この国の舵取りを任せたならば、間違いなく日本国崩壊へと導かれることになるだろう。 民主党はそうした事実には頬かむりをして安倍内閣を攻撃し、あるいは甘言を弄して国民を取り込もうとしているが、主に自身の現状への不満などから、残念ながら一定数はそれを支持するナイーブな有権者がいることも事実だろう。 民主党、あるいはそれに類する左翼政党が政権与党になったとしても、彼らが語るようなバラ色の未来が訪れることは決してない。万一ある個人の生活が多少改善されることがあったとしても、国が外国勢力によって支配され、主権国家足り得ないのであれば、純粋な日本国民が幸せになることはあり得ない。 よく「外交は票にならない」と言われるが、魑魅魍魎が跋扈する国政政治の中で、日本の確固たる地位を維持・拡大していくことこそが、真の意味で日本人の幸福に繋がるものと考える。そういう意味で、有権者は地元の、あるいは目先の利益のみを考えるのではなく(もちろんそれも重要ではあるが)、国益に資する外交を行うことができるのはどの政党、政治家なのかを見極める必要があるだろう。我々の一時の判断が、将来を生きる子供たち、そしてこの国の将来を左右するのだということを忘れてはならない。

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    「靖国参拝党」をつくってみませんか

    平成8年から導入された小選挙区制により、幕を開けたはずの「二大政党」対決の構図が崩れつつある。日本の政党政治はどこへ向かうのか。もし、あなたが「二大政党」を考えるなら、どんな線引きをしますか。

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    二大政党制じゃなくてなぜ悪い!?

    古谷経衡(著述家) 日本では二大政党制というのは中々定着しない。「55年体制」に於ける自民党と社会党だって、二大政党制とは程遠かった。「二大政党」というには余りにも社会党の議席が小さすぎたし、そのせいで政権交代の可能性がなかった。アメリカやイギリスなどは、4~8年位のスパンで、明確に温度差のある二つの政党が交代を繰り返しているが、このようなダイナミック性が日本政治にはあまり観ることが出来ない。 私は日本において二大政党制が定着しないことは、全く悪いコトだと思わない。寧ろ、白黒をはっきりさせず、微温的な支持で政権が選択されること自体は、物事を常に中間で観るという志向が定着しているからで、健全な感覚に近いと思う。 アメリカの共和党や民主党は、個別の政策という以上に、明らかに人生観や倫理観の違いが本質的な対立点になっている。同性婚の是非、人工妊娠中絶の是非云々、というアメリカの保革の両極で熾烈な争点になりがちなイシューは、個別の政策というよりもそれらを支持する人々の宗教観を背景にしたものである。日本にはこのような、宗教観を背景とした人生や倫理を問う話題が、真っ二つに分裂し、そこに党派性が宿るという事例は、ほとんど観られない。 日本で見られる保革の両極による熾烈な激突は、例えば憲法「9条」問題に観ることができるが、実際には9条の改正については、自民党、維新の党、次世代党などが「改憲」、公明党が「加憲」、民主が「創憲」と、現状の国会における議席の、9割近い議席を占める各党が、現行憲法に対して何らかの形での変化を望んでいることからも、実際にはその方法論はともかく、「国論を二分する状態」になっているとは言いがたい。 日本における護憲政党はわずかに共産・社民・生活などの少数野党で、この全部を合計してもかつての社会党の議席にも遠く及ばない。日本の有権者は常に、極端で過激な主張を嫌い、中間的で微温的な意見に耳を傾けているからだ。 それでも、「もし二大政党制が日本で実現するとしたら」を想像するのは楽しい。日本で、両者が激突する熾烈なテーマというのは何だろうか。 例えば「モテ党」と「非モテ党」というのはどうだろうか。前者は異性に不自由しない人々の団体で「一夫多妻制法案」や「重婚解禁法案」を提出する。他方、異性にモテない後者の団体は、「童貞軽減税制」や「クリスマス禁止法」の制定を求める。国会内で大激論が交わされるのは必至だし、時として流血の事態にすら成るかもしれない。 更に進めば「猫党」と「犬党」というのも大きな対立点だ。基本的に猫や犬を飼っている人間というのは、自分の飼っている動物が「世界で一番カワイイ」と信じ込んでいる。そこへきて、「猫飼育優遇税制」、「犬飼育優遇税制」などが提起される。限られた予算を、犬と猫で奪い合うという骨肉の争い。こちらも大紛糾に成るだろう。 少し真面目な話に戻せば、「持ち家党」と「借家党」。これは大きな対立点になりうる。「持ち家党」は固定資産税の減免と住宅ローン減税を求める。持ち家のバリアフリー化や耐震診断や補強工事を100%国が助成せよと迫る。とにかく土地所有者に有利な法整備をどんどん提言する。自身が大家になる場合もあるから、所謂「敷金訴訟」などは、徹底的に大家側の味方だ。 一方、「借家党」は国による公営住宅の増設やURの入居審査の緩和、借地借家法の更なる弾力化と、特定優良賃貸住宅の入居基準の緩和と物件数の拡大などを要求する。「敷金訴訟」では、預けた敷金の倍額を慰謝料で払え、等という無茶苦茶な大家への濫訴も支持する。礼金や保証金を法律で禁止し、「更新料」を廃止し、家賃値上げ訴訟の場合、弁護士費用は無料にしろと主張する。違反した大家や仲介業者には熾烈なパナルティーを課す。とにかく借り主に有利な法整備をどんどん提言する。 恐らく、これこそが最も大紛糾に陥るのではないか。土地持ちの老人と、もたざる若者の間で本格的な世代間闘争が勃発し、全国各地で粗暴事件や訴訟が激増するだろう。 やっぱり、「二大政党制」は無い方がいい。

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    今回の選挙は「夢想家」と「現実主義者」の対決である

     いよいよ衆院選が公示され、12月14日の投開票に向かって、各党の激しい闘いが始まった。今回の選挙の争点は、「アベノミクス」の是非だそうである。私は、この2年間の安倍政権の経済政策だけでなく、集団的自衛権や特定秘密保護法案等々の是非も大いに議論して欲しいと思う。 しかし、私は今回の選挙を名づけるとしたら、それは「DR戦争」だと思う。Dとは、“dreamer”、すなわち「夢想家」「空想家」の意味だ。Rとは、“rearist”、すなわち現実主義者。つまり、今回の選挙は、「夢想家」と「現実主義者」との対決ということだ。 今年、注目すべきニュースとして、朝日新聞の誤報事件があった。慰安婦報道や「吉田調書」報道で追い詰められた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日に記者会見をおこない、「吉田調書」報道の記事を撤回・謝罪した。 他者に対して謝ることを知らない朝日新聞にとって、前代未聞の出来事である。私はこれを「歴史の転換点」だと思って見ていた。以前のブログにも書いたが、それは戦後日本が、やっと辿り着いた「歴史の転換点」なのだと思う。 いったい、何が歴史の転換点なのか。それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。 その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。 しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。 マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。 しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。 だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。 その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。 彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。 その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。脅威かポンコツか、真の実力が問われる中国の空母「遼寧」(中国国防部HPより) 中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。 私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。 すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。 朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。 集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「rearist(現実主義者)」との対立でもある。 左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。 それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。

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    保守二大政党にしかリアリティーがない

    緊張感の消えた日本政治 日本の政治から政権交代の緊張感が消えました。今般の衆議院選挙の最大の特徴はこれです。野党第一党の民主党も、第二党の維新の党も、本気で自民党に挑戦しているようには見えず、次につなげるための延命に関心があるようです。90年代前半の自民党の最初の下野以来、曲がりなりにも存在した緊張感が失われ、他方で、かつて自民党内に存在した派閥抗争と自民党内の擬似政権交代の緊張感もありません。 民主主義というシステムは、想定可能な代替案が存在しないと機能しないものです。日本の政治はそんな領域へと漂流しつつあります。もちろん、国際環境の構造や、国内経済の現実の制約という時代性を加味すれば、ある一定期間、「この道しかない」ということもあるでしょう。しかし、それが長期的に健全な状況でないことは明らかです。だとすれば、長期的に二大政党制、あるいは政権交代の緊張感を与えるための構造とは何か、ということが大事になってきます。 保守二大政党にしかリアリティーない 日本に安定的な二大政党制が確立したのは大正デモクラシーの時期の政友会と民政党の時代です。権力の中枢であった藩閥との距離感や地域的な偏りなど細かいことはありますが、すごく乱暴に言うとこの二大勢力は、それぞれ「統治利権」と「経済利権」を代表しており、今の感覚から言うと双方ともに保守です。だからこそ、双方が全国的に支持を広げることができたのです。ここで言う「利権」とは、代表される利益や権力基盤という意味です。 日本の地方の実態からすると、そこではいわゆる名望家によるリーダーシップが、明治時代から変わらず、今日に至るまで重要です。地方の首長や地方議会の議員は、地域の有力者であり、大半は経済的・文化的な背景から本質的に保守的傾向があります。日本の選挙制度は、一票の格差や参院選挙区の定数の関係から地方票の影響力が大きくなるように設計されています。結果として、地方の有力者を包含した全国的な組織政党を作り上げるには、保守である以外にリアリティーがないのです。 もちろん、大きな工場が集中して立地され、組織労働者の割合が大きくなった地域では労働界に近い層が力を持つこともありますし、経済的に貧しい階層が集中する地域では左派的な政党が支持を集めやすいという傾向はあるでしょう。しかし、それらはあくまで例外です。 日本という国には、たいへん幸福なことですが、国民の間に深刻なクリービッジ(=分断)が存在しません。これは、明治以来の中央集権化の重要な成果です。二大政党制を安定的に機能させている国にはこの分断があります。英国にとっては階級ですし、米国では人種を中心とする国家像の違いです。そして、この分断が地域的にある程度固定化してしまっています。日本には、これがありません。日本の地方は全部保守で、全部自民です。経済改革を前面に出した野党に期待 自民党の強さの本質は、経済利権と統治利権の両者の上にどっかりと居座っていることです。ですから、日本に二大政党制が確立するかどうかは、野党がこのどちらかを突き崩せるかにかかっています。 経済利権をとりにいくのであれば、政策志向は資本主義重視であり、小さな政府であり、規制緩和や現役世代の負担軽減が重要になってくるでしょう。ただ、通常は小さな政府の主張だけでは有権者の多数を惹きつけられませんので、社会政策や歴史問題などの面で保守的な傾向を併せ持つことになるはずです。 反対に、統治利権を重視するならば、政策志向は大きな政府で反資本主義的で、権威主義的でありながら戦後リベラリズムを擁護する立場となるでしょう。官僚組織とも一定の協力関係を築き上げるような政権です。自民党の議員の多くが二世/三世で経済的にも特権階級化しつつあることを攻撃し、公平な予備選挙を実施したり、女性の比率も高めたりすることになるでしょう。 ここで効いてくるのが国民の中に存在する民主党政権の失敗の記憶です。民主党の中でも、市民運動の流れを汲む方々はムダな公共事業を攻撃し、官僚を攻撃するDNAを持っています。民主党は本質的には統治利権側の政党であるにも関わらず、経済利権的な政治的エネルギーで政権に就いたことに矛盾がありました。それでも、政権を担っている間に、統治能力を発揮できたならば歴史は変わっていたでしょう。歴史に「もし」はありません。日本政治に存在したかもしれない統治利権の側から日本を変えるチャンスは失われました。そのチャンスは、おそらく一世代の間は戻ってこないでしょう。 だからこそ、当面は経済利権のプレッシャーに期待せざるを得ません。経済利権を旗印にした改革は民主党政権では全く進みませんでした。アベノミクスの第三の矢も本当に的を射ることができるか、まだまだこれからです。日本の政治に緊張感を取り戻すためには、野党各党が単なるパフォーマンスの域を超えた本当の経済改革を主張できるかにかかっています。今般の選挙では期待できないとしても、延命したあかつきには、ぜひお願いします。

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    「派閥の政党化」が2大政党制へのカギ

    ・菅氏苦戦 民主70議席台も」(産経)と、どこも似たような“自民圧勝、野党苦戦”となった。 実際、各選挙区を取材して歩いても、野党候補が勢いづいているところは皆無に等しい。それどころか、自民党候補でさえも、演説で通行人が立ち止まり、拍手する姿はなかなか見られない。立ち止まって拍手するのは、動員をかけた関係者で、いわゆる“仕込み”だ。 つまり、自民党圧勝は熱気に包まれたものではなく、低投票率のなか早くから地盤固めをしっかりしてきた自民党が抜きん出た格好だ。 第三極は沈没し、民主党は伸び悩んでいる。政党政治としてブレていないのは結局、共産党だけ(だからといって、政権担当能力があるというわけではない)というのが透けて見えるのが分かる。 政権交代を可能とした小選挙区制度。確かに、過去に政権交代は起きたが、非自民党政権は長くは続かず、今回の衆院選でも「民主党はノー」という“民意”が突きつけられそうだ。現在の自民党に反対したいのに、投票先がない、野党で受け皿がない。そんな声をよく耳にする。本来、片方がダメならもう片方に任せようとなるのが、2大政党制の持つ意味だからだ。つまりいまなお、日本には自民党に代わる政権担当能力を持つ政党がないということに他ならない。だとしたら、どのような政党であれば、2大政党制が安定して続けられるのだろうか。 2大政党制に関しては、たとえば外交・防衛のスタンス、経済のスタンスなどで振り分けられる。米国の共和党と民主党は、前者が小さな政府、後者が大きな政府(ざっくりとした分け方ですが)を求めている。はっきりした差異が2大政党制には必要で、現在の日本の与野党ではこの差が分かりづらい。それが2大政党制を困難にしている要因の一つだろう。 たとえば、現在の野党を見てみれば分かりやすい。次世代の党は元自民党の石原慎太郎氏、平沼赳夫氏が先頭で引っ張っているが、石原氏は元青嵐会、平沼氏は元師水会で、いずれもタカ派路線。右寄りの議員が多く、安倍首相に近い。 維新の党は、新自由主義を目指し、地方分権、霞が関改革、議員定数削減などを掲げており、経済政策の面で見れば、より強烈なアベノミクス推進だ。 一方、民主党は複雑だ。リベラル保守の色合いを持つものの、ご存知のとおり支持母体に連合があり、旧社会党系の議員もいることから左寄りの政策も出たり、かといえば、松下政経塾出身者による新自由主義寄りの考えを打ち出すこともある。 生活の党、社民党はイデオロギーで異なるものの、政策面では左寄りで似かよっている。 つまり、左寄りの政策か、極端に右に振れているか、それともどっちつかずかが、現在の野党だ。これでは、非自民党の受け皿が見当たらないという有権者の悩みは当然とも言えるだろう。 つまり、リベラル保守が決定的に欠けている。この解決の道は、「派閥の政党化」がカギではないか。これまでの歴史を振り返ってみれば、自民党の派閥による政権たらい回しだった。非自民党政権を樹立したのも、小沢一郎という元自民党の“剛腕”あってのことだった。つまり、自民党で経験した人が中心となって、違った政党で競い合っていく。 ことさら自民党が優れているということではない。しかし、政権を担当するということは、正論を言う、与党を追及するといったことに腐心する野党では計り知れない調整力と先見性、広い視野と冷徹さが求められる。その学習を、階段を一段ずつ上るようにさせていたのが、かつての自民党の派閥だった。 現在の安倍晋三首相は清和会出身。安倍首相の祖父、岸信介元首相の岸派の流れを汲むもので、親米を基調としながら自主憲法制定を唱え、再軍備に積極的であるなどタカ派色が強い。 一方、リベラル色が強く、政策通を自負しているのが宏池会だ。吉田茂元首相をルーツにし、池田勇人元首相が立ち上げた派閥で、その後も大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一が首相の座に就いた名門派閥である。 タカ派とハト派ーー。憲法改正派と九条堅持派は、米国の共和党と民主党のような小さな政府と大きな政府にも分けられる。保守という点では変わりないものの、双方の“思想”には大きな隔たりがある。 現在の自民党内を見れば、宏池会のほか、田中角栄元首相の木曜クラブを前身とした平成研、三木武夫・河本敏夫の流れを汲み“党内左派”と呼ばれたこともあった番町研など比較的ハト派派閥と、清和会のほかには麻生太郎元首相が会長を務める為公会、石原伸晃前環境相が会長の近未来政治研などがタカ派色の強いグループとされる。 この自民党の派閥が分かれることで、野党もどちらかに加わり、徐々に2大政党に収斂していくことが現実的で一番の近道ではないか。いずれにしても、このままでは閉塞感と失望感だけの政治になってしまう。政治家には、一刻も早く2大政党制への道程を突き進んでもらいたい。そう切に願っている。

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    「安倍総理vs財務省」どちらが正しいか

    安倍晋三首相が決断した消費増税先送りは、予定通りの引き上げを主張してきた財務省を首相サイドが抑え込んだ形になった。当面の景気はもちろんだが、財政・税制は世界最高レベルの財政赤字を抱えるわが国の在り方を揺るがす課題でもある。本当にリーダーシップを発揮すべきなのは誰なのか。

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    「財政規律」に縛られすぎた財務省の過ち

    、安倍総理が唱える経済政策は失敗ということになるのだろう。日程的には増税の前年2016年7月に参議院選挙もある。これまでに改善されていなければ、次の消費税増税も危うくなり、退陣し、延期や廃止をかけた選挙が再び行われるように思われる。

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    財務省シナリオ「増税決め安倍勇退、谷垣か麻生首相」だった

     消費増税先送りと解散総選挙が決まった。私が予想した通りの展開だ。 そもそも消費増税は民主党の野田佳彦政権と自民党、公明党による3党合意で決まった。それを合意に加わった自民党の安倍晋三政権がひっくり返すというのだから、あらためて選挙で民意を問うのは、政治的にまったく正統性のある手続きである。 3党合意の増税路線に賛成して自民党に投票した有権者からみれば、安倍政権ができたと思ったら突然、公約を反故にして増税先送りでは納得がいかないだろう。 ところが、一部のマスコミは「増税を決めた法律には景気次第で増税を停止できる景気条項があるのだから、解散しなくとも政権が決めればいい。税金の無駄遣いだ」と解散を批判している。 私に言わせると、こういう批判は政治のリアリズムとダイナミズムを理解していない。解散なしで増税先送りを決めようとすると、何が起きるかを考えればすぐ分かる。 自民党の税制調査会を牛耳るベテランたちは増税断行を強硬に唱えていた。野田毅税調会長は言うに及ばず、麻生太郎財務相や谷垣禎一幹事長も増税派である。 民主党はもともと増税に賛成だ。舞台裏では財務省があの手この手で増税根回しに動いていた。そこで安倍首相が先送りを言い出せば、政権を揺るがす大政局になったのは間違いない。 大手マスコミはほとんど増税賛成だから結局、安倍は先送り断念に追い込まれただろう。そうなったら政権の求心力は低下する一方、景気は悪化するので最終的に政権が崩壊してもおかしくない。 それどころか、増税せざるをえなくなった安倍政権は財務省にとって、もはや用済みである。「総理、ご苦労さまでした」の一言で安倍は谷垣や麻生に交代する。実は、これが財務省にとってベストシナリオだった。 つまり「景気条項があるから、先送りしたいならできるじゃないか」という議論は一見、もっともらしいが、裏に秘めた真の思惑は「安倍政権、さようなら」なのだ。 増税先送りなら政局になるくらいの見通しは、政治記者ならだれでも分かる。それでもなぜ景気条項のような建前論を吐くかといえば、理由は2つだ。 まず、左派マスコミは増税賛成だろうが反対だろうが、とにかく安倍政権を倒したい。その思惑が一致するから、増税賛成派の朝日新聞も反対派の東京新聞も同じように景気条項論を持ち出す。 次に、永田町で暮らす政治記者や政治評論家たちは結局、財務省を敵に回したくない。裏で財務省が糸を引いているのは分かっていても、そんな「本当の話」をずばずば書き始めたら、財務省とその応援団に睨まれる。 財務省は奥の院でマスコミのトップ層とツーカーだから、記者は下手をすると自分が飛ばされてしまう。評論家は「永田町の政治が財務省によって動かされている」という実態を暴いたら、飯の食い上げだ。彼らにとっては永田町と霞が関情報こそが商売のタネであるからだ。商売相手を敵にするバカはいない。 はっきり言えば、政治記者も評論家も国民の暮らしなど眼中にない。だから解散も予想外だったのである。 今回の解散は政治バトルの戦場を永田町・霞が関から一挙に国民レベルに拡大した。その結果、増税派は雪崩を打って先送り容認に動いた。戦う前から安倍首相の完勝である。(一部敬称略)■文/長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ):東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。規制改革会議委員。近著に『2020年 新聞は生き残れるか』(講談社)※週刊ポスト2014年12月5日号■関連記事 解散・総選挙 財務省と経産省との官邸主導権巡る暗闘が発端  菅総理言及の消費税増税 「経済の常識知らぬ妄言」と専門家  安倍政権誕生で批判の口火切るのは朝日ではなく読売、日経か  菅首相 震災直後に息吹き返すが余命は財務省の「思惑」しだい  増税批判する産経新聞に財務省有力OB「おたくはひどいな」

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    「高負担」受容し財政危機避けよ

    京都産業大学客員教授・吉田和男 安倍晋三首相は極めて重い決断を強いられた。来年10月から予定されていた消費税率の10%への引き上げを1年半先送りして平成29年4月から実施することを決断した。消費税等改正法の付則で経済動向に関する確認の念押しが規定されていることに基づいている。 8%への消費税率引き上げを行った後の経済動向は決して良好なものではなかった。株価は好調で、賃上げやボーナス上昇など明るいニュースもあったが、景気指標は芳しくないものが多かった。世界的にも深刻な財政状況 4~6月期の国内総生産(GDP)成長率はマイナス7・3%であった。いわゆる消費税率引き上げに伴う個人消費の1~3月期の駆け込み需要に対する反動減がマイナス成長を生み出した。この反動減からの回復が注目されたが、7~9月期のGDP速報値はマイナス1・6%となり、期待された回復が見られなかった。この数値を受けて、安倍首相は経済動向から判断して、法改正を行っての税率引き上げの先送りを選択した。アベノミクスによる成長軌道への回復を優先した結果であった。 一方、財政状況も一時の余裕もないまで悪化している。政府債務残高は1千兆円を超え、GDP比は200%超にもなっており、戦時並みの財政状況になっている。 世界的に見てもこれほど大きな政府債務になっている国はない。財政危機が論じられたPIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の百数十%程度と比較してもダントツの財政赤字である。財政危機を迎えた国の苦悩は、年金の減額や公務員の解雇などに始まる歳出のカットとともに、失業率の上昇とインフレが同時に起こるなど、尋常ではない。 PIIGSのように、大量の国債が売られて財政危機になる状況はもっとも避けるべきことである。財政状況の悪化から国債が売られると正常な財政運営ができなくなる。国債残高がこれほど大きくなってくると、もっとも心配されるのが金融市場での国債の信認の大きさである。国債は安全資産として貯蓄の手段となっているが、国債発行が限度を超えれば国債価格の下落が心配される。金融危機につながる恐れも 現在、長期金利が1%以下になっているが、これがいつ上昇する(国債価格の下落)か分からない。現在の低金利は日本銀行の政策的なオペレーションによって生まれているが、これが常識的な水準になるだけで大幅な国債価格の下落になる。集中的に国債が売られることもあり得る話となる。 こうなれば、国債を多く所有している金融機関にとっては含み損を持つことになり、場合によっては金融危機につながる。 この危惧に対しては、日本の国債の大多数が国内の金融機関や投資家によって保有されていることが、諸外国の財政危機との相違であると指摘されている。財政危機を起こした国では、外国の投機的な国債保有によって財政赤字が直接的な危機につながったという議論である。その点で日本とは異なることが指摘される。 しかし、外国人が国債を保有しているかどうかは財政危機とは必ずしも結びつかない。「空売り」によって国際金融市場で投機的マネーが大きく動き、財政危機を顕在化させることは否定できない。 いずれにしても、国債は税金の後払いであり、「タダ」では決してない。合理的に考えれば、税負担となる国債元利払いの現在割引価値は国債発行額そのものなので、国債発行と税は何の差もない。しかし、金融上の制約があり、後世代にツケを回すのにも限界があると考えるのが常識であろう。消費税率の引き上げを先送りした安倍首相は「財政ギャンブル」を行ったことになる。 国民の負担率上昇は不可避 すなわち、財政問題を先送りしたことで、増税による短期的なマイナスの回避を優先し、財政赤字のもたらすリスクを取るという判断を行ったのである。 もっとも安倍首相の判断も、消費税率の引き上げを1年半先延ばししたものの財政規律を放棄したわけではなく、消費税率10%への引き上げは経済状況のいかんにかかわらず実施することを明言している。これは最低限、必要な措置であり、金融市場からのアタックがないことを望むのみである。 今後、予想される人口の少子高齢化などの要因で、財政支出が増えることはあっても減ることはない。年金医療費の拡大は不可避であり、子育て支援などの支出も充実させることが望まれている。社会保障費だけで年々1兆円ずつ拡大していかざるを得ない。 財政の効率化は常に行われなければならず、不断の行財政改革は必要であるが、国民負担率の上昇は避けられないことを認識すべきである。現在の状況を前提とし、2020年度プライマリーバランスの黒字化を目指すとすれば、いずれ北欧でみられるように消費税率は20%を超えることは避けられない。日本は高負担社会になることの覚悟が求められる。(よしだ かずお)

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    国民不在 元大臣も平身低頭

    っていないというアンバランスな状況がつくられていく。 また、チェック体制についていえば、都道府県別や選挙区別の投資配分が、公共事業の個所付け決定直後に発表されることはなく、公平な分配かどうか国民が判断する材料は表に出てこない。 約30年前の第一次臨調は、首相に予算編成の責任を持たせ、直属の内閣補佐官を設置することを勧告した。補佐官は国会議員、行政事務経験者、民間有識者から任命され、予算編成上の重要事項を調整し、大蔵省はこれに基づいて事務を行う。こうした制度であれば、首相が自分の打ち上げた政策に思い切った予算配分をできるはずだ。 しかし、残念ながら、この勧告は葬りさられた。主計局が必死になって政府・自民党に働きかけた結果だといわれている。 霞が関のある役所関係者は、「主計局のしっぺ返しが怖いから、絶対に省の名前は書かないでほしい」と用心深く断ったうえ、「今でも首相が1兆円くらい自由に配分できたら、随分違う予算になる」と断言した。少なくとも、首相が海外に行って何も約束できない、というようなことはないはずだ。(茂谷知己)

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    デタラメばかりだった財務省とエコノミスト

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 消費税率8%によって、景気は反動減のレベルを超えて大きく悪化した。2014年6月27日、政府が発表した家計調査内にある「消費水準指数」を見ると、2014年5月の消費水準指数は対前年同月比でマイナス7.8%。東日本大震災が発生した2011年3月のマイナス8.1%以来という落ち込みだった。最近33年間における最悪値が2011年3月だから、なんと2番目に悪い数字だ。 また、機械受注統計の国内民需(船舶・電力を除くベース)の対前年同月比を見ると、過去2回の消費税増税時(1989年、97年)よりも数字が悪い。 国内民需は、民間設備投資の先行指標である。GDP(国内総生産)は民間消費、民間設備投資、公的部門、海外部門などで構成されており、このうち民間消費と民間設備投資でGDPの7割程度を占める。民間消費と民間設備投資の両者に黄色信号が出たのは、日本経済に黄色信号のサインが灯ったことを意味する。民間消費と民間設備投資が悪いのだから、景気も当然、悪化する。 以前、安倍総理から「増税をしたらどうなるか」と尋ねられたことがある。「景気は悪くなりますよ」と答えたが、事実そのとおりになった。予想されたこととはいえ、なぜこのような事態になったのか。 周知のように、消費税増税法は2012年8月に当時の民主党政権と自民党、公明党との三党合意で決められた。安倍政権が誕生した時点で、増税は法律によって決まっており、安倍総理自身は増税に懐疑的だといわれたが、2013年10月1日に消費税率を8%に引き上げることを決めた。 増税決定のプロセスに影響を与えたのは、「とにかく増税したい」というだけの財務省の意向と「増税の影響は軽微」と言い張る増税御用学者、エコノミストの意見である。 思い返すと一年ほど前、「消費税を増税しても景気に与える影響は軽微である」といった人のなんと多かったことか。彼らは、自らの発言にどうやって責任を取るつもりなのか。本稿では過去にさかのぼり、増税ありきの主張を続け、国民経済を潰した人たちの非論理性を検証することにしたい。 2011年、東日本大震災の発生後に伊藤隆敏氏(東京大学教授)、伊藤元重氏(東京大学教授)と経済学者有志が「震災復興にむけての三原則」という提言を行なった。2011年5月23日現在で、賛同者には浦田秀次郎(早稲田大学教授)、大竹文雄(大阪大学教授)、斎藤誠(一橋大学教授)、塩路悦朗(一橋大学教授)、土居丈朗(慶應義塾大学教授)、樋口美雄(慶應義塾大学教授)、深尾光洋(慶應義塾大学教授)、八代尚宏(国際基督教大学客員教授)、吉川洋(東京大学教授)各氏が名を連ねている。 この提言のなかで、復興のコストを賄うには消費税の増税が必要だといっている。記述を引用しよう。 「消費税は、資本も労働も、生産意欲を減退させにくい税であることから、経済成長に与える影響が軽微である。消費税率を5%から10%に引き上げることで、現在の消費税収入を倍増させるとして、毎年約10兆円程度の歳入増になる」 「『増税か、国債か』、という選択肢の立て方が間違いだ。正しい選択肢は、『今生きている世代が負担するのか、将来世代が負担するのか』、ということである。低成長、人口減少のなかで、次世代にツケを回すのは止めよう」 「消費税増税は、消費意欲を減退させ、景気後退を招く、という批判がある。しかし、二つの意味で、この批判はあたらない。第一に、復興のための政府投資、民間投資がおこなわれるために、来年度は投資拡大が予想されている。消費が減退しても、投資拡大で、総需要としては相殺されるので景気悪化にはつながらない。第二に、消費税率の引き上げ後には、消費が落ち込むということが知られている。しかし、それは数カ月で回復するはずだ。一方、予定された引き上げ時期の前には耐久財を中心として駆け込み需要が生じるので、本格的な投資拡大に向けて、前倒しで景気を拡大する」 いまにして見ると、いかに出鱈目ばかりを述べていたかがわかるだろう。 まず、消費税率の引き上げによる消費の落ち込みを「数カ月で回復するはずだ」と臆断している時点で、すでに誤りだとわかる。「数カ月」というのは、常識的には3、4カ月を指す。今年の家計調査における消費支出は対前年同月比の実質で見てマイナス4.6%(2014年4月)、マイナス8.0%(同年5月)、マイナス3.0%(同年6月)、マイナス5.9%(同年7月)。4カ月目に入ってもマイナス状態である。「経済成長に与える影響が軽微である」という点も、2014年4月―6月期のGDP成長率が前期比年率換算でマイナス7.1%になった事実が反証している。 「消費が減退しても、投資拡大で、総需要としては相殺される」がウソだというのも明らかだ。現実を見れば、政府がいくら公共投資の予算をつけても、建設現場は人手不足で、工事を執行しきれない。いわゆる供給制約が起きている状態だ。 また2014年7月度の鉱工業指数を見ると、生産はマイナス0.7%、出荷はマイナス0.1%。在庫は2.9%増である。出荷が減り、在庫が増えている状況で、設備投資をしようとする経営者はいない。まず在庫を捌(さば)くのが先決である。したがって「民間投資がおこなわれる」という箇所も間違っている。 さらに「引き上げ時期の前には耐久財を中心として駆け込み需要が生じるので、本格的な投資拡大に向けて、前倒しで景気を拡大する」という記述を実感した人がいるだろうか。増税前の駆け込み需要を記憶している人は多いと思うが、それをもって「前倒しの景気拡大」という人など、提言を書いた当人を含めていまや誰もいないはずだ。要するに増税を通すためだけの方便、ウソ話だった、ということだ。 「『増税か、国債か』、という選択肢の立て方が間違いだ」という記述も間違い。大震災が起こったときに、増税で賄うような国はない(あったら挙げてもらいたい)。長期国債を使うのがセオリーである。「課税の標準化(タックス・スムージング)」という理論があるように、課税のインパクトは薄く伸ばして緩和させるのが基本である。仮に百年に一度の震災だとすれば、震災の経済に与えるショックを百年にわたって広く薄く負担し、軽減させるため、百年債を発行して100分の1ずつ償還する。 ところが、財務省と御用学者たちは復興税という経済にダメージを与えるやり方を選んだ。 東日本大震災後の混乱のなかで、「震災復興にむけての三原則」のような意見が、まともな経済ロジックであるかのように受け止められたのは恐ろしいことである。それは前述のように日本を代表する経済学者たちが賛同し、増税に太鼓判を押したからだ。その背後には、彼らに「次世代にツケを回す」という偽ロジックを吹き込んだ財務省の存在がある。仕事にやり甲斐はあるのだろうか 「いまにして見ると出鱈目」な話はまだある。以下は、消費税率が8%に上がる前の『日本経済新聞』2013年8月31日付の記事「消費税と経済成長率(「大機小機」)」からの引用である。 「消費税と実質経済成長率の関係を点検するため、最初に2013~14年度にかけてどんな成長パス(経過)が予想されているかを確認しよう。 第一線のエコノミスト40人の経済予測を毎月調査している日本経済研究センターESPフォーキャスト調査(8月)によると、成長率予測の平均は13年度に2.8%、14年度0.6%となっている」「14年度の成長率が見かけ上、かなり低下してもあまり心配はいらない。成長率低下の最大の理由は駆け込みの反動であり、これは、国民福祉に影響するようなものではないからだ。14年度は駆け込みの反動で住宅や自動車の需要が減るから、何らかの対策が必要だという議論がしばしば出るが、これは不必要なのである」 この記事を書いた人は、署名に「隅田川」と書いてある。誰かは知らないが、現下の成長率低下に対して「何らかの対策」は「不必要」といまでも本気で思っているとしたら、次の朝刊で同じ事を書いてみたらどうか。必ず「空気が読めない人」と思われるだろう。 隅田川氏は何にも勉強していないだろうから論外として、問題は「第一線のエコノミスト40人」のほうである。事実上「予想は大外れ」なのに、その後も「消費税増税の影響は甚大」とは口が裂けてもいわない。なぜか。そんなことをすれば、財務省は次の消費税増税ができなくなってしまうからだ。プロのエコノミストとしての誇りや分析などはどこかに捨ててしまい、財務省の口真似で「消費税増税の影響は軽微」と言い続ける。仕事にやり甲斐はあるのだろうか、と他人事ながら心配してしまう。 さらに、2014年のESPフォーキャスト調査を見てみよう。同年4―6月期の実質GDP成長率を「第一線のエコノミスト40人」が予測した平均値である。4月の調査ではマイナス4.04%、5月調査ではマイナス3.80%、6月調査でマイナス4.18%、7月調査でマイナス4.90%という見通しが記されていた。 ところが、8月12日発表の8月調査ではいきなり見通しがマイナス6.81%に落ち込む。どういうことかと訝(いぶか)しんでいると、ESPフォーキャスト調査が発表された翌日、内閣府がマイナス6.8%(一次速報値、前期比年率換算)という数字を出した。1カ月前まで予想していなかったマイナス6.8%が、内閣府の発表一日前には「想定内」になっている。不思議な事が起きるものだ。 タネを明かせば、GDP統計は家計調査や機械受注、鉱工業生産指数、建築着工統計など各省が毎月公表している各種統計を加工して作成される。だから、事前に各種統計を見ればある程度、GDPの結果がわかるのだ。直前に予想を修正して「想定内だった」と言い繕うのがエコノミストの常套手段である。気温や降水量のグラフぐらい見たらどうか さらに、増税派のエコノミストたちはGDPの落ち込みに対してどんな説明をしたか。口をそろえて「天候不順によるもの」といったのだ。 2014年10月1日、内閣府は経済財政諮問会議に対し、天候不順(低温・多雨)が2014年7―9月の個人消費に与える影響はマイナス0.2兆円からマイナス0.7兆円程度であり、7―9月期のGDPを年率換算でマイナス0.8~マイナス2.4ポイント押し下げる、と報告した。これは「お天気エコノミスト」の気象観測を受けての報告と見られる。 天気がそれほど景気と関係があるなら、エコノミストには気象予報士の資格取得を義務付けるべきだろう。国民は6月や7月の天気がどうだったかなど、漠然としか覚えていない。それをいいことに、いつの日も「天候不順」にして、消費税の増税が与えたダメージをごまかそうとする。図表1、2にあるように、今年7―9月の気温と降水量を見ると、例年と比べて特別に低温・多雨というわけではない。マスコミも統計に関しては赤子同然だから、お天気エコノミストの予報を鵜呑みにして報じてしまう。景気悪化を天気のせいにするなら、せめて気温や降水量のグラフぐらいサボらず真面目に見たらどうか。増税による税収はすべて撒く 安倍総理は財務省とエコノミストに背中を押される格好で昨年10月1日、8%への消費税率引き上げを決定した。最後まで判断に迷われたことと思うが、今年はどうなるのか。 繰り返すが、経済学のセオリーからすれば増税の与える悪影響は甚大であり、そもそも増税しないのが最善のシナリオである。しかし、政治的な理由によってそれが叶わなかったとしたら、われわれは増税による悪影響を最も軽減する方策を考えるしかない。 では、景気の落ち込みに対して何ができるのか。私の答えは簡単明瞭だ。最善の手は「消費税の増税に対して消費税の減税を行なうこと」。次善の手は「増税によって税収が入ったら、そのお金をすべて国民に撒くこと」である。冗談だと思う人もいるかもしれないが、ロジックでいえば当然で、増税しなかったのと同じ効果を与えるからだ。もちろん増収分を国民に撒くといっても、財政支出一辺倒だと供給制約が発生してしまう。公共事業に予算をつけても、事業を行なう技能をもった人や組織には限りがあるからだ。さらに減税や追加の大幅金融緩和に踏み切るなど、ダメージを緩和するための第三、第四のサブシナリオを考えることもできる。 安倍総理も、消費税を10%にするかどうかの判断にあたっては増税のメインシナリオだけでなく、増税凍結のサブシナリオも念頭に置いているはずだ。安倍総理は今年10月1日、経済財政諮問会議の席上で「景気がどう回復するか、将来の見通しはどうか、十分に注視していく必要がある」と強調されていた(甘利明・経済財政担当大臣は相変わらず財務省とエコノミストのいうとおり「天候要因が大きく影響している」とやっていたが)。 第二次安倍改造内閣についても、マスコミは「谷垣禎一氏や二階俊博氏が党役員に入り、増税路線が確定した」と報じた。だが、これも臆断にすぎない。安倍総理が「消費税を10%にしない」と決断すれば、いつでも谷垣禎一氏を切り、増税見送りを宣言することはありうる。本当に強い為政者は政局が「どちらに転んでもOK」と考え、博打はしない。単一のシナリオしか頭にない人間は、想定外の事態が起きたときに墓穴を掘ることになる。 複眼シナリオで見ると、消費増税見送りのチャンスは、じつは9月の「石破の乱」にあった。石破茂氏との交渉が決裂してすわ倒閣、という事態になれば、消費税凍結が国民に信を問う格好の解散カードとなっていたからだ。しかし幸か不幸か、石破氏は政権内に封じ込められ、衆議院解散は沙汰やみとなった。 これからも増税をめぐり、安倍政権の周囲でさまざまな画策が生じるはずだ。財務省としては、石破氏のように自分の思いどおりになる与党議員を探して懐柔することだろう。地方議員には「もし増税が潰れたら予算づくりもやり直しになってしまう。あなたの地元の要望も通らない」と脅しをかけ、経団連には「消費税増税なくして法人税減税なし」という。 だが、そもそも私にいわせれば、税率と支出が結び付いて予算が青天井になる現行の仕組みが異常である。法人税は個人の所得税と重複する「二重課税」だから、もともと無駄な税金だ。マイナンバーなどで個人の所得をきっちり捕捉して増収を図るのがセオリーだ。 いずれにせよ、こうした動きを誰より注意深く見ているのは安倍総理自身である。マスコミは財務省のプロパガンダやお天気エコノミストの観測気球ばかり流さず、ロジックとファクトに基づく報道をすべきだろう。高橋洋一(嘉悦大学教授)1955年、東京生まれ。80年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官などを歴任。第一次小泉内閣、第一次安倍内閣で「改革の司令塔」として活躍。2008年、山本七平賞受賞。最新刊は、『アベノミクスの逆襲』(PHP研究所)。

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    「守銭奴」 首相の意向も無視

     4月1日のエープリル・フール。大蔵省幹部らは、その日行われた宮沢喜一首相の記者会見の内容を知り、びっくり仰天した。昨年夏に続いて打ち出される予定の追加景気対策について、首相は「史上最大規模になると思う」と言い切ったのだ。 大蔵省があらかじめ首相の元に届けた想定問答集では、事業規模の金額については一切触れられていなかった。再度詰め寄られた場合にだけ「相当規模の対策になる」と逃げることになっていたのだ。 しかし、首相は大蔵省の用意したシナリオを無視し、史上最大規模の景気対策を約束してしまったのだ。 景気対策に関してはすでに、次の総理・総裁の座を目指す自民党領袖(りょうしゅう)の一人、三塚博政調会長(同党総合景気対策本部長)が「12、3兆円」のアドバルーンを揚げていた。宮沢喜一首相(当時) 一方、大蔵省は、景気対策の数字が膨れ上がるのは、建設国債の増発につながり、国の借金が増える上、回復途上にある景気を過熱させてしまうと考えていた。そこで、首相が数字に言及しないよう仕組んだのだが、三塚氏に対抗意識を燃やす首相は、アドリブで筋書きを変えてしまった。 首相の大蔵省に対する“造反”である。 景気対策は、首相の思惑通り、史上最大規模となった。さすがの大蔵省も、首相に食言させるわけにはいかなかったのだ。 それでも、首相が抵抗したこの一件は、日本の宰相の意向さえ初めから無視してしまう、大蔵省主計局の自大的性格を改めて浮き彫りにさせた。 国のサイフを握る大蔵省の権限が強大なのは、なにも今に始まったことではないが、その力がさらに官庁街で強まったのは、財政赤字を抑制するため、各省庁からの予算要求額を前年度並みとする「ゼロ・シーリング(概算要求基準)」制度が、昭和57年度予算に取り入れられてからともいわれる。 健全財政を錦の御旗(みはた)に、主計局はまず、各省庁の予算要求の取りまとめをしている会計課長のところで、それぞれの省庁の予算をシーリングに沿って絞り込むシステムを導入させた。その上で、さらに主計局が予算要求を削るのだ。こうした過程で、予算を削る側の声が大きくなるのは当然のことである。 「資料を持っていったら投げ付けられた」「紙飛行機にして飛ばされた」というたぐいの泣くに泣けない話が要求官庁側から聞こえてくる。「あいつらは守銭奴だ」という言葉まで出る始未だ。  大蔵省の唱える「財政健全主義」に対する懐疑の声もある。 昭和62年度の円高不況対策では、政府は6兆円を上回る財政措置を伴う内需拡大策を決定、これが低金利とともにその後のバブル経済の原因になったとされている。 その後の税収増は、国債以外の隠れ借金を一掃し、赤字国債の発行をも停止させることができた。果たして、大蔵省の理屈は正しいのか、という素朴な疑問である。 もっとも、こうした声が表に出ることがないのは、言うまでもない。(茂谷知己)

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    集団的自衛権「ダメよ~」に異議あり!

    今年の世相を反映し、話題になった言葉を選ぶ「流行語大賞」が発表され、年間大賞に「集団的自衛権」と「ダメよ~ダメダメ」が選ばれた。この2つの言葉を並べてみると、何らかの政治的意図を感じる人もいるだろう。そこで、選考委員のみなさまにお尋ねします。やっぱり思惑があったんですか?