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    デフレ世代からみる解散決意の違和感

    者と政治をつなぐ」をコンセプトに活動中。18日夜に安倍さんが解散を正式に発表。正直まさかの、師走の総選挙へと。「若者と政治をつなぐ」活動を続けている自分としては、なにかを仕掛けなければならない。若者が選挙を、民主主義を、そして日本を作っていく状況へと進めたい!とは思うものの、正直まだ気乗りがしていない心境です。なぜ、解散総選挙を行わなければならないのか、腑に落ちていない。昨日の安倍さんの解散表明会見で少しでも、腑に落ちる理由があればと思っていました。結果としてよくわかってないのですが・・・わかってないとか言ってる場合じゃなくて、自分から主体的に争点や解散の意義は見い出していかないとだめだなと考えていますが。”デフレあたりまえ”世代としてさて、今回の選挙の意義に直接というわけではないのですが、1986年生まれ、28歳の若者として、今回の選挙をどう見るべきかについて、非常に気になる発言を安倍さんが会見でされました。15年間苦しんできたデフレから、脱却するそのチャンスを、皆さん、ようやく掴んだんです。このチャンスを手放すわけにはいかない。あの暗い、混迷した時代に、再び戻る訳にはいきません。 自由民主党のホームページ物心ついてからほとんどが、安倍さんから見ると”暗い、混迷した時代”だったんだ・・・俺としてはそうは思わない。そして、同世代の多くもそうは思わないだろう。「バブルやら好景気を知らない世代としては、産まれてきてから今までの社会状況は当たり前。」よく感じるし、同世代でもたまにこのような話は出る。だから、「あの時代が良かった」「ずっと不景気で育ってきて大変だね」って上の世代の方にいわれても、正直何のことやらわからない。だから、いまが暗黒時代とは思っていない。なので、安倍さんの決意は全くしっくりこないわけです・・・満足している若者この傾向は、各調査でも明確だ。厚労省が25年春に行った調査では、15歳~39歳の若者の6割以上が現在の生活に満足していると回答。若者の意識に関する調査より内閣府が今年5月に行った調査でも20代の現在の生活に対する満足度は他の度の世代よりも高く、実に80ポイント近くである。国民生活に関する世論調査若者世代と安倍さん世代・政治家の意識のギャップを埋められるかなので、安倍さんが一世一代の決意で、”暗い、混迷した”時代を抜けるために、消費税の再増税も見送り、今回の解散をしたという説明は、腑に落ちないのである。そして、腑に落ちないまま、つまりは若者世代と解散の意義・選挙の争点のギャップが残ったまま、選挙に突入すると若者には響かない選挙になるのだろうなと、危機感を感じている。若者と安倍さんの感覚のどっちが正しいという議論ではない。俺らも安倍さんもともに正しいし、ともに相手からすると腑に落ちないんだろうな。ただ、その相手の気持ちの根本の差を前提に、そしてその差をうめていくための、議論を進めていく必要があると思う。若者も将来の日本に不安をおぼえている先述の「若者の意識に関する調査」にはこういう質問項目もある。「日本の未来は明るいか」この質問に肯定的に答えた人はわずかに19.2%。当然なのだが、若者が現状に満足していようが、日本の未来を何とも思っていないわけではない。少子高齢化・人口減少社会への懸念は大いにある。その懸念を打破するため、日本の未来のために待ったなしであった、消費増税が延期されたことをどう若者が捉えるのか。「消費再増税」とりやめの選挙であるということが、どれほどの若者に響くのか。

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    「若者の政治離れ」のウソ

    く言われる。つまり25歳の投票率は25%前後、という意味だ。実際、2014年2月に行われた東京都知事選挙では、「20-24歳」の投票率はわずかに25.7%、「25-29」では28.38%に過ぎなかった。 第23回参議院通常選挙(2013)では、「20-24歳」の投票率は31.18%、「25-29歳」では35.41%と、軒並み60%を超えてくる50代以上の中・高年とくらべて、明らかに低いのが実態だ。 このことを踏まえて、「若者の政治離れ」とか、「若者の政治意識の希薄化」が叫ばれて久しい。まずこの前提が本当なのかどうか、疑ってみよう。 次のグラフは、公益財団法人「明るい選挙推進委員会」が公開している、年代別の「衆議院議員総選挙年代別投票率の推移」(http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/)である。  これをみても分かるように、若者(特に20代)の投票率は、過去(1960年代)とくらべて、長期的に明らかに低下しているのが分かる。しかし注意しなければならないのは、全年齢における投票率は、過去から現在まで、ゆっくりと長期低下(特に平成期)している、という事実だ。 つまり、「投票しないこと」を「政治離れ」と定義するなら、「日本人全体の政治離れが進む中、特に若者についてはその度合いが大きい」という風に解釈するべきだ。ところが一方で次のような統計もある。日米英仏韓の主要5カ国の青年(18-24歳)のそれぞれ各1000人を対象に実施した国際的な意識調査である「世界青年意識調査」の最新統計(第8回・内閣府)によると、政治に「非常に関心がある」は日本=11.7%で、米国=16.4%に次いで高い数値であり、政治に「まあ関心がある」と合わせると日本=57.9%で、主要5カ国の中で最高であった(最低は英国の32.2%)。 このように、日本の若者は「政治には比較的強い興味を持っている」が、しかし「実際の投票行動には繋がっていない」という実態が浮かび上がるのである。 ここからは、「若者の政治離れ」ではなく、むしろ「若者の投票行動離れ」という現実が判明する。どうも、若者が政治に関心がないから投票所に行かない、のではなく「政治に関心はあるが、投票所には行かない」というのが正解に近いだろう。この原因は、まったく制度的な原因に求められると、私は考えている。 つまり、選挙システムそのものが、若者の要求に答えていないのではないか、という疑問が浮かぶ。例えば地方から上京して、一人暮しをしている大学生が投票行為に及ぶ場合、住民票の所在地に投票権利を有するため、一人暮しをしている(生活実態のある)現住所では投票ができず、住民票上の自治体の選挙管理委員会に「遠隔地投票」の手続きを申請しなければならない。 この手続は至極煩雑で、自治体によっても異なるが郵送によって申請しなければならない場合が多い。実際、私もこの制度を利用して遠隔地に投票したことがあるが、選挙管理委員自身も不慣れな場合も多く、書類をたらい回しにされ、危うく投票そのものの意欲が無くなりそうになった。 私が大学生だった時代、周囲の友人・知人の中で「政治には関心があるが投票所には行かない」という人間の、ほとんどすべての理由がこの「遠隔地投票」である。わざわざ元住所の住民票を請求したり、地域の選挙管理委員会に申請用紙を請求したりするのは、よほど奇特な人物ではない限り行わない。この硬直したいわば「住民票主義」のようなシステムを正し、生活実態の存在する自治体で投票行動が可能になるように、法改正するだけで、若者の投票率は随分と変わってくるだろう。 更には、硬直化した投票日や投票時間の問題がある。普通、投票日は日曜日の朝から夜の8時までであるが、それは「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」のライフスタイルを中心とした考え方である。 これだけ非正規雇用が拡大し、若者の多くが親からの仕送り額の減少などに悩み、アルバイトなどを兼任している現在、若者のライフスタイルは多岐に及んでいることから、投票曜日と時間は拡大されて然るべきだ。 投票日数を二日間などに拡大し、24時間に近い形で開放すれば、これも若者だけではなく、全年齢において投票率は格段に向上するだろう。あるいは投票日を祝日にすることなど、法で別途定めるようにしても良い。 投票所の多くは市役所や小・中学校に設置されているが、地の利の不便な場合もある。可処分所得の減少で格差の犠牲になりがちな若年層は、必然自家用車の保有率が少なく、投票所への来所はかえって困難な場合もある。小・中学校の多くは、駅から遠い住宅地の中にあるからだ。 よって、既存の公的施設を転用した臨時投票所の増設や、空港や駅などJRや私鉄、航空会社と連携した投票所開設も有効ではないか。各所に電子認証端末を設置し、住民基本台帳カードによる本人確認が普及すれば、やはり投票率は劇的に改善されるだろう。 現代人のライフスタイルの多様化は、明らかに現行の投票制度から齟齬をきたしている。通販サイトで注文した商品がその日に届くことが当たり前になりつつある中で、投票システムだけは何十年も前の、ハガキ持参と鉛筆書きという、旧態依然としたものに留まっている。これだけ実態と制度が乖離しているのに、それが投票率に作用しないと考えるほうがおかしいと思う。「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」という、日本人の生活や働き方のスタイルは、過去のものになりつつある。その証拠に、「期日前投票」の利用者総数は、選挙の毎に拡大の一途をたどる傾向がある。「日曜日に、決められた場所に、決められた時間に行くことができる人間」は、この世界の中でどんどんと減っている。 その変化に、システムは全く対応していない。「模範的な勤労者」が存在することを前提とした日本のシステムの弊害は、選挙制度にとどまるものではない。年金や健康保険など「模範的な勤労者」が強固に存在した時代に想定された制度の多くに、歪や問題が指摘されているのは周知のとおりである。 住基カード1枚を持って、ふらりと東京駅で投票してから、道後で温泉に浸かりながら選挙速報を観る。そのような時代が到来した時、「若者の政治離れ」というフレーズは消えてなくなっていることだろう。

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    民主党のエネ政策をリセットしない訳

    糊塗して国民を騙すばかりの民主党政権のエネルギー政策は、誰かが早くリセットしなければいけない。参議院選挙明けの安倍政権に対し、エネルギー政策の棚卸しを強く求めた『WEDGE』2013年9月号の特集記事を再掲する。 2013年9月1日から東北電力、四国電力、北海道電力が家庭用の電気料金を7.7〜9.4%引き上げる。12年9月には東京電力が、13年5月には関西電力、九州電力が既に値上げを実施している。 値上げの原因は、原発停止分を代替している火力発電の燃料費だ。火力発電は全体の約9割に上っている。経済産業省の電力需給検証小委員会の資料によると、13年度の原発停止による燃料費増は3.8円。これがそのまま電気料金にはねかえれば、1kWhあたり約4円の上昇となる。震災前の平均原価は1kWhあたり16円強だから、電気料金は約25%上がってもおかしくない計算となる。 しかし、6社の値上げ幅は、家庭用で約7〜9%、産業用で約12〜17%に留まっている。これだけ差があるのは、経済産業大臣の「査定」で約2〜3%原価が削られたこともあるが、もともとの値上げ申請が、ある程度の原発再稼働を織り込んでいるためだ。最初に値上げ申請した東電が前提にしていたのは、柏崎刈羽原発が13年4月に再稼働することだった。実際は13年度中の再稼働ですら危ぶまれている。 これは他の電力会社も同様だ。11年度から13年度までの9社の燃料費合計(一部推計)と、手当てできている原価算定分を比較すると図1に示したような開きがある。各社は他経費の削減でも間に合わず、合計で1兆円台の赤字を出して燃料費を賄っている。電気料金は再稼働を織り込まずに値上げせよそうしなければ原子力停止の痛みがわからない 7月に新規制基準の適合性審査が始まったが、審査には約半年かかると言われている。第一陣でも今年度末の再稼働となると、各社は今年度も大幅赤字になるだろう。 本来、脱原発を進めるのならば、その分の電気料金値上げを国民に引き受けてもらわなければならないはずだ。つまり、まず電気料金を約25%(多少査定したとしても少なくとも約2割は)引き上げるべきだったのではないか。そうして初めて、脱原発のコストが明らかになり、国民が正しく選択することができる。 民主党政権は、この電気料金の大幅上昇が国民の眼にうつらないよう、現実を糊塗し続けた。原発事故の対応や賠償で資金が不足し、値上げを真っ先に行いたい東電に対し、実質国有化と時期を同じくすることで厳しいリストラと査定を飲み込ませた。総合特別事業計画として14年3月期の黒字化を絶対条件とするために、柏崎原発再稼働を認める気もないのに計画として織り込ませる。東電の値上げ申請と査定は他電力のひな型となり、まるで燃料費増をカバーできない中途半端な値上げが続いているのである。 電気料金が2割上がれば、経済に与える影響は大きい。政局は消費税を3%上げるかどうかに注目が集まり、税上げが景気を冷やすことを心配する意見があるが、税収はいずれ国内を循環する。資源国に垂れ流される3.8兆円と、それに伴う電気料金の上昇のほうが余程問題のはずだ。原発を止めても、停電にならず、電気料金が1割弱上がっただけだと受け止めている国民は多い。脱原発のコストをきちんと認識してもらうことが必要だ。民主党政権の世論迎合と事実隠し米国に止められるまでその現実性のなさに気づかない 民主党政権の行った世論迎合と不都合な事実の糊塗は枚挙に暇がない。  ひとつは、原子力事故の責任は東京電力が第一義的に全て負う、としたことだ。原子力損害賠償法が不明確だったということもあるが、巨大な天変地異の際に適用とするとなっていた「ただし書き」を適用せず、東京電力の無限責任で押し通した(図2)。 その結果、賠償も除染も、国有化された東電が超長期に亘って少しずつ電気料金で弁済していく形となり、無規律な状況に陥っている。国でも民間でも、責任ある主体が賠償や除染の責任を負っていれば、どこまで支払うべきかという議論が巻き起こり、一定の合理的な水準が導かれるだろうが、ゾンビ状態と化した国有化東電にその歯止め役は期待できない。その結果、1mSvという除染目標を細野豪志環境相らが無責任に口走り、福島の帰還や復興を逆に遅らせている。 原発事故対応の不手際への批判をそらしたい菅直人首相(当時)は、自らの生きる道を「原発ゼロ」に定めた。中電浜岡原発への停止要請、九電玄海原発の再稼働中止、法的根拠のないストレステスト義務付けなど、「超法規的措置」を重ねに重ねて原発を全面停止に追い込んだ。 さらに、原発の代替は現実には火力発電なのに、再生可能エネルギーへの期待感を煽ることでその現実をごまかした。自らの首と引き換えに「再エネ固定買取法案」をぶち上げ、固定価格買取制度(FIT)を導入する。 続く野田佳彦政権は、2代前の鳩山由紀夫首相がぶちあげた温室効果ガス25%削減と、1代前の菅首相が掲げた脱原発を同時に満たすために、原発の発電量を再エネが代替するという明らかに無理のあるエネルギー計画を立て、「革新的エネルギー・環境戦略」と呼称した。これは革新的でもなんでもなく、「原発ゼロでも経済成長」と詭弁を弄し(図3)、経済成長率を抑え再エネを現実感なく大量導入することで辻褄を合わせるという、お粗末なエネルギー計画だった(図4、5)。 結局、米国に核燃料サイクル施策と脱原発戦略の不整合を指摘される始末となった。2030年代に原発ゼロを謳った革新的エネルギー・環境戦略は、「柔軟性をもって不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という中途半端な形で閣議決定することとなった。自らの責任を問われないようにするための発送電分離「電力叩き」に騙されてはいけない さらに、枝野幸男経産相(当時)は、電力会社に国民の眼を向けさせるために、発送電分離(電力システム改革)を推し進めた(図6)。まるで電力料金が上がるのは、電力会社のムダの多い総括原価方式のせいだといわんばかりに、電力自由化を進めれば電気料金が下がるかのようなイメージを喧伝した。しかし、欧米の先行事例を見ると(図7、8)、決して自由化で電気料金下がるわけではない。そもそも、自由化は発電部門に余裕があって競争を促進すべきときに導入する施策であって、現在ほど電力需給が逼迫しているときに推進すべき政策ではない。 菅政権の「原発ゼロ」戦略は、一応閣議決定されたエネルギー計画として、あるいはFIT法、発送電分離として、さらには新規制基準に埋め込まれた40年廃炉条項や活断層条項として、あちこちにタネがまかれている。この不合理で著しく高コストな一連のエネルギー政策を根幹から一新すべきだ。そうしないと、タネから出た芽がアベノミクスに絡みついてしまうだろう。(Wedge編集部)   

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    沈黙の原発 詭弁と無策が国を滅ぼす

    特にかすんでいるのが原発政策である。世論の反対が多いテーマだけに各党とも歯切れが悪い。争点化を避ける選挙戦にあえて直言します。原発なくして日本の未来はありません。

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    原発を推す短・中・長期の合理性

     言いにくいことでもはっきり言いたい。それもメディアの一つの使命ではないか―― そんな書き出しで始めた『WEDGE』2013年9月号の特集記事「今こそ原子力に舵を切れ」は、かなり大きな反響があった。即時原発ゼロ、踏み込んだとしても将来的な原子力ゼロあるいは原子力比率の低減を掲げる意見が多い中で、なぜあえて「原子力推進」の論調を張ったのか。一言でいえば、それこそが子孫に対する責任だと考えたからだ。 特集記事のなかで、賛否両論、様々な意見をいただいた記事をここに再掲する。◇ 「なぜ民主党のエネルギー政策をリセットしないのか」と題した記事で取り上げた、燃料費増年間3・8兆円の詳細は図9の通りである。 ただただ資源国に垂れ流されるだけのこの国富を抑制する手段は原発再稼働しかない(節電などで電力需要を無理に抑える方法は経済や生活に与える影響が大きい)。石油輸入額激増のインパクト 内訳を見ると、燃料費増3.8兆円の3分の2を石油が占めていることがわかる。震災前、原子力、石油火力、LNG(液化天然ガス)火力はそれぞれ総発電量の約3割、約5%、約3割を占めていた。現在、原子力は大飯原発だけなので約2%まで落ち込んでいる。差の28%は、LNG火力と石油火力が半分ずつ受け持つようなイメージになっている。 図11にあるように、石油火力は発電コストがべらぼうに高い。電力会社も極力使いたくないのだが、他の発電設備を使い切っているため、使わざるを得ないのだ。石油火力が燃料費増に大きなインパクトを与えている。 震災前のデータだが、図10のとおり、石油の中東依存度は約9割とかなり高い。LNGも、カタール産の輸入を増やしているため、中東依存度は上昇している。中東に依存した石油やLNGに電力供給の枢要な部分を委ねてしまっている(しかももう代わりになる発電設備はない)現状は、かなり危ない状況と考えるべきだ。イスラエル情勢もイラン情勢も決して安定していない。 また、膨大な燃料輸入は国の貿易収支はおろか経常収支まで赤字に追い込んでおり、投資家の日本国債への信認の基礎も大きく揺るがしてしまっている。消費税上げも重要だが、この輸入燃料費をいかに抑えるか、つまりいかに早く原発を大規模に再稼働するかは、国家としての喫緊の課題である。発電コストと価格変動の感受性 以上は短期的な視点だが、中長期的視点から見ても、日本にとっての原子力の必要性は変わらない。 まず、発電コストである。この数字は過去の実績値から弾いた数字ではなく、いま新たに建設したとしたら発電量1kWhあたりでどちらが安いか高いかが把握できるコストである。 図11を見ると、脱原発を推し進めたい民主党政権下で弾かれた数値なのだが、原子力が依然としてもっとも安い電源であることがわかる。この単価には、原子力の事故費用として5.8兆円が既に盛り込まれて、事故の損害額が1兆円増えるごとに発電コストが0.1円上がる計算だ。つまり、事故費用が16兆円規模であれば、発電コストは1円増加し9.9円(石炭火力とLNG火力の間)となるし、26兆円規模であれば10.9円(LNG火力の少し上)となる。 事故費用を織り込めば原子力と火力の発電コストはほぼ同等ということだが、考えなければならないのは、燃料費変動に対する感受性である。図11のとおり、火力の発電コストの多くは燃料費のため、燃料価格の変動をもろに受ける。とくに、LNG火力と石油火力は燃料価格に対する感受性が高い。逆に原子力は燃料費の比率が非常に低いため、燃料価格への感受性はほとんどない。しかもそもそも原油価格とウラン価格では変動幅(ボラティリティ)が全く異なるため(図12)、両方の要素で原子力の安定性は捨て難い。 全ての資源を輸入している日本がもっとも重視しなければならないのはエネルギーセキュリティだろう。考えうるどんな危機が訪れても安定供給を確保するには、化石燃料に強く依存するのは避けるべきだ。原子力は、オイルショック以降発電量が大きく伸ばした。その経験を忘れてはならない。 さらに、原子力には資源備蓄の優位性もある。同じエネルギーを得るための体積が化石燃料に比べて圧倒的に小さいため、ウランは備蓄に向くのだ。海水ウランという可能性もある。 図13にあるように、エネルギー自給率の低い国は概ね原子力に熱心である。中期的な観点で見ても、少資源国にとって原子力の合理性は揺るがない。人類の未来と原子力の位置づけ さらに長期的な視線でみればどうか。世界の人口は2050年には96億人に達すると言われている(図15)。この100年の人口の増加とエネルギー消費量の増加は、人類がかつて体験したことのない異常なゾーンに入ってきている。日本が新興国などに対し、相対的な地位を低下させていくのが確実といわれているなかで、化石燃料をこれまで通り確保していくことは本当に可能だろうか。 そういう現実を直視しているからこそ、世界の国々は福島事故後も決して原子力を捨ててはいない(図14)。米国で開発された軽水炉技術は、長い時間をかけて、日本企業が自らのものとして磨いてきた。名門・米ウェスチングハウスは東芝が買収し、米GEは提携した日立の力を必要としている。 トラブルに陥っても放射性物質を原理的に外に出さない次世代炉の開発が世界中で進められている。26〜28頁で書面インタビューに答えてくれたロバート・ストーン監督のように、地球環境保護や途上国の未来のために、日本の原発技術力に期待する声もある(参考記事「なぜ環境保護派が原子力を支持するのか」。 だが、資源を生み出す夢の技術である高速増殖炉では、日本が世界の先頭を走ってきたが、世論の強い抵抗を受けているうちに、ロシアや中国などに巻き返され始めている。 福島第一原発事故があったから、この技術体系を丸ごと捨ててしまうというのは、人類の未来に対する責任から逃げることになりはしないだろうか。 スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故の直後に、当時のレーガン米大統領が発した有名なメッセージを紹介しておきたい。 「私は、スペースシャトルの発射の生中継を見ていたアメリカの児童・学生の皆さんに申し上げたいことがあります。 私は、この事実が皆さんにとって受け止め難いものであることを理解しています。しかしながら今回の事件のような悲痛に満ちたことが時として起こってしまうのです。今回の事件は探検と発見の道のりの一部なのです。未来は臆病さに基づくのではなく、勇敢さから招来するものなのです。 チャレンジャー号の乗組員たちは私たちを未来に導こうとしていました。ですから、私たちは彼らの後を追って継続していくべきなのです。 私は常に、わが国の宇宙計画に対して絶大な信頼と尊敬を抱き続けてきました。そして今日発生してしまった出来事によってその想いが萎むことは一切ありません。 私たちは自分たちの宇宙計画から耳目を背けることはしません」。(Wedge編集部)   

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    なぜ環境保護派が原子力を支持するのか

    映画『パンドラの約束』特別インタビュー――福島の事故をどう見ていますか。 「パンドラの約束」の製作中、私は福島の避難指示区域を訪れ、自分自身の目で、そこで何が起きたのかを確認しました。気候崩壊を防ぐ取り組みに必須なエレメントとして、原子力エネルギーを支持する立場のひとりとして、福島を訪ねることは、ひどく心がかき乱される思いでした。端的に言って、福島原発事故は決して起こってはならないことでした。また、事故を引き起こした人為ミス、すなわち不十分な防波堤と海抜の低い位置に非常用の発電機を設置していたことに対する説明や謝罪はみられません。ロバート・ストーン監督 ((c)フィルムヴォイス、以下同) 日本各地の原子炉は、千年に一度という最強レベルの地震の中でも特段問題ありませんでした。一歩前に進み、このことが思い出されなければなりません。 福島の発電所だけが唯一、津波によって破壊された後に、惨事に見舞われました。WHO(世界保健機構)とUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は原爆が投下された広島と長崎で生き残った人々の健康状態を、およそ70年に亘り調査し、福島での放射線放出による被曝によって健康上の悪影響を受けた人はおらず、また今後についても、何らかの健康被害が認められることは非常に考えにくいと結論付けました。 反核グループは、当然これらの見識に異議を唱えるでしょう。なぜなら、彼らがこれまで40年間作り上げてきた、「核関連の事故がもし起きれば、この世の終わりのような大惨事となる」という説を否定することになるからです。 この主張こそ、彼らが原子力エネルギーに反対する所以であり、彼らは決してその主張と矛盾する科学的な証拠を受け入れません。彼らは、その政治目的を達成するため、民衆が原子力エネルギーを恐れるよう仕向ける必要があります。日本国民の多くは、ほんの少しであっても放射線量が上がることを恐れており、それは彼らの思うつぼです。 私は、避難指示区域のすぐ外にある街を訪れましたが、そこの親たちは子供たちが屋外で遊ぶことを許しませんでした。断じて、です。放射線量は、世界の多くの地域の元々の放射線量より低い数値でした。しかし親たちは、反核の人々やメディアから得た情報で子供たちの健康を慮り、放射線を恐れていました。 苦しんでいるのは誰でしょうか? 二度と外で遊べないかわいそうな子供たちや、(多くの場合、必要以上に)ふるさとに戻ることを恐れている家族たちです。 反核グループは、チェルノブイリについても同様の主張を展開しました。100万人以上の人々が悲劇的な災害のために命を奪われた、と言い募ったのです。国連によって行われた最高レベルの疫学的研究が、チェルノブイリ原発事故が直接の原因で亡くなったのは、長い年月を経た後の今日でさえも、たった56人であったと指摘しているにもかかわらずです! これは異常なことですが、真実として起きていることでもあるのです。 放射線は、極めて弱い発がん物質であることが分かっています。身体へのダメージを与えるには、かなり高い線量─福島の避難指示区域内で認められる線量よりはるかに高い─を要します。我々は、福島の避難指示区域内とその周辺で測定しました。そこの放射線量が、基準より高めであることは疑う余地のないことです。私は、持ってきた線量計で、自分自身の目で確認しました。信じがたいことかもしれませんが、わずかな数のホットスポットを除けば、その線量は人が身をさらしても健康を脅やかすレベルにはありません。放射線量のレベルは、重要な論点です。リンゴにさえもシアン化物が含まれていますが、含有量は低く、人体には無害です。 メディアは、恐怖心を煽ることで人々の注目を集め、視聴率をたたき出し、繁盛しています。何かが、「実はそれほど危険でない」と伝えることは、ニュースではないのです。悲しいことに、日本の原子力発電の所管当局は国民の信頼を失っており、人々が最悪の事態を信じる傾向にあることが見て取れます。これは2011年3月の、日本の難局における、特に東京電力のリーダーシップの大いなる失敗だといえます。 文部科学省や資源エネルギー庁は、国民の信頼を回復する必要があります。彼らは、調査結果の科学的な裏づけを国民に説明するとともに、良いニュースと悪いニュースの双方を、誠実に開示していく必要があります。それによってのみ、彼らは信頼を取り戻し、恐怖心を煽る輩を駆逐することができるのです。――日本では、環境保護派、リベラル派の多くは原子力反対です。なぜ監督は原子力推進に転換されたのですか?燃料再利用型の原子炉を推奨するチャールズ・ティル氏 再生可能エネルギーが、それ単独では決して化石燃料に代わることができず、化石燃料を燃やし続けることが我々を恐ろしいスピードで気候崩壊へと向かわせていることに気づいたとき、私は原子力エネルギーについて考えを変えました。 この気づきは、私たちに、これまでと異なる視点をもたらしました。私たちは、気づかされた危機感の本質を、環境的な見地から調査することにしました。 もし、本当に正確な視点から、精査され公表された科学的事実を見るならば、生産効率の点で原子力が風力の次に安全なエネルギー生産方式であることに気がつくはずです。また、放射性廃棄物の問題についても、むしろ単純な技術的解決方法があり、我々が既に、構造上、物理的にメルトダウンが不可能な、先進的な原子炉の設計手法を知っていることもわかるでしょう。 私は日本の人々に、世界最高の、最新鋭の原子炉─ゆるぎない安全性を備え、モジュール式の原子炉を有し、排出した廃棄物を自ら処理することができるような─を開発するために、その特筆すべき技術力を発揮することを勧めたい。 それこそが、福島で起きてしまった悲劇の遺産を正面から受け止め、日本経済を蘇らせるために、また気候変動を抑止する取り組みにおいて日本が国際的なリーダーシップを発揮していくために最善の方法なのではないかと思うのです。――日本の反原発派は、福島の事故による汚染、そして高レベル廃棄物のことを考えれば、原子力はクリーンでもなく、安価でもない。経済発展のために、そんな危険なものを子孫に残してはならない、と言います。どう思いますか?環境保護主義者のマークライナス氏(右)も原子力推進へ「転向」した 世界中では、およそ440の原子力発電所が稼動しています。我々はおよそ50年の間、商業用の原子力を保持してきました。その間に、世界では3回の原子力事故が起こりました。スリーマイル島、チェルノブイリと福島です。国連の最も信頼できる科学的見識によると、人の死や放射能による発病が起こったとされている唯一の事故はチェルノブイリです。設計が不完全なソビエト連邦時代のプルトニウム施設で、正気の沙汰とは思えない判断によって突然引き起こされた奇妙な事故です。つまり、概して原子力には、稼動から30年以上が経過した原子炉においてさえも、むしろ注目に値するほどの安全な稼動実績があるのです。 放射性廃棄物の問題は、重大なものではありません。放射性廃棄物の量は少なく、そして、化石燃料の排出物とは異なり、それは全て貯蔵され、所在が確認できます(管理できます)。この放射性廃棄物が数千年の間も放射性を保持する間、それらは次世代原子炉の燃料としてリサイクルされ、再利用することができます。この再利用のプロセスが完全に終わった後に残される廃棄物は、たった200~300年の間放射性を有するだけです。 つまり、これはまったく技術的な課題でも、道徳上の問題でもありません。単に政治の問題なのです。もし、あなたが将来の世代の幸福や健康を気にかけるならば、あなたの一番の懸案は、可及的速やかに二酸化炭素の排出を減らすことでなくてはなりません。二酸化炭素は、我々が子孫へ残している有害な遺産です。それに比べ、放射性廃棄物はとるに足らず、簡単に処理できるのです。――ビル・ゲイツ氏が資金を出している次世代原子炉など、イノベーションで原子力はより安全になるでしょう。しかし、反原発派は必ず事故は起こる、人類は核エネルギーを制御できないと言います。人生のほとんどを環境保護運動に費やしてきたスチュアートブランド氏も「転向」組 我々は、激動する技術革新の中を生きていますが、それは核テクノロジーにも影響を与えてきました。しかし、核反対を謳う活動家たちは、1960年代(福島原発が作られた時代)に開発された原子炉技術のみに言及し、それ以降に築き上げられてきた相当な進化については無視します。確かに、それら進化した技術は、今日ようやく商業化(実用化)されはじめたばかりではありますが…。 事故が絶対に起こらないと言うことはできません。しかし、仮に事故が起こり、もしその事故が福島第一原発のような、古い60年代の原子炉で起こったものだとしても、その結果が、反核活動家たちが声高に叫ぶ大惨劇ではないことははっきりしています。身の安全を確保するためにふるさとを離れた人々にとっては、事故はとても恐ろしい状況です。 しかし、我々はリスクに対して現実的な見方をする必要があります。現代文明の利器(=原子力発電)を推進することには、リスクがついて回ります。しかし、化石燃料を使うことのリスクは、先進の原子力エネルギーに頼ることで生じるリスクをはるかに上回ります。化石燃料による汚染によって、毎年300万人が亡くなっていると推定されます。毎年です。それに比べ、商業用の原子力による死者として確認されているのはたった56人のみであり、そしてその全ては(設計に欠陥のある施設で異常な判断ミスのあった)チェルノブイリで起きたものです。――米国ではシェールガス革命が起きていますね。原子力より化石燃料に風が吹いているように見えますが。 私には日本の状況は分かりません。しかし、気候変動の問題については、世界中の大変多くの若者たちが高い関心を寄せています。気候変動の結果は、年を追うごとにより明確にあらわれてきています。アメリカにおいて、ガスが潤沢にある安い燃料であろうことは確かですし、それが原子力を含むエネルギー源のあらゆる選択肢に、とって変わろうとしつつあることも事実です。 私は、それほど遠くない将来、アメリカは中国から先進のモジュール型原子炉を購入するのではないかと思っています。そして日本もまた、同じことをするのではないでしょうか。――太陽光や風力など再生可能エネルギーに頼ることはできませんか。 風力と太陽光は、エネルギーミックスに重要な役割を果たしており、場所によっては他の技術より、これらの発電方法に適している地域もあります。しかし、問題の鍵は、それらが化石燃料に代わることができる地点まで来ているかどうか、単純には測ることができないという点です。原子力とは異なり、再生可能エネルギーを使用するために電気システムをネットワーク化するとなると、化石燃料に置き換えて使えるレベルで実用化し、運用していくためには、エネルギーインフラ全体の完全な再構築が必要になります。これは莫大な投資であり、実際に実行に踏み切った国はまだありません。 また、再生可能エネルギー源(風や日光など)の確保が確実でない時のためのバックアップとして、我々は旧来の化石燃料インフラを引き続き維持していく必要もあります。これらは、再生可能エネルギーが実際に化石燃料にとって代わるのを妨げている深刻な問題であり、すぐには解決しそうもありません。他の国にも増して風力と太陽光に多く投資(20年間、数千億)したドイツでさえも、今日の電力供給源の割合は太陽光が5%、風力が7%という状況です。彼らはまだ石炭の生産能力も拡大させており、原子力発電所を廃炉にするという判断のおかげで、彼らの二酸化炭素排出量は実際に増えています(日本もそうであるように)。 風力と太陽光は、かつては大規模に発展しましたが、相当な数の反対意見にも直面しています。風力と太陽光で、全ての電力を供給できるため、原子力は必要ないという議論は危険な絵空事です。もしその説が真実ならば、数多くの良識ある人々が原子力発電を発展させ、支持しようとする必要はまったくないはずです。 私は、個人的な利益関心のために、原子力推進を唱えているわけではありませんし、原子力それ自体には関心がありません。私が原子力を推進しようと思うのは、それが、死や疾病を引き起こし、海の水を酸性に傾かせ、気候が制御できないほど乱れ始めている原因である、化石燃料の使用を締め出す唯一の手段であると気づいたからに他なりません。 この数十年に亘り、反核の活動家たちによって提示されてきたあらゆる定説や神話にかかわらず、原子力ははるかに優れた選択肢です。60年代に作られた原子炉が、未曾有の規模の津波によって流されたことで起きた、今回の恐ろしい(そして、防ぐことができたはずの)一回の事故を理由に、完全に原子力エネルギーを断念してしまうのはナンセンスです。 日本は、地球上で最も洗練された最新技術でもって、現在の原子力施設を取り替えることに投資するべきです。このことは、日本のエネルギー供給の自活を維持し、全く新しい輸出産業を発展させ、世界中の羨望を日本に集めるでしょう。 今日の状況のように、化石燃料に立ち返る一方で、エネルギーの自活を決してもたらさない再生可能エネルギー施策に浪費し続けるのはとんでもない大間違いである。私はそう考えています。(Wedge編集部)■ロバート・ストーン監督1958年イギリス生まれ、ニューヨーク在住。初監督作『ラジオ・ビキニ』(1987年)がアカデミー賞長編記録映画賞にノミネートされ高い評価を得る。その後、ディレクター、作家、編集者、カメラマンと幅広く活躍する傍ら、アメリカ史、大衆文化、マスメディアや環境問題などのテーマを独自の視点で鋭く切り取る作品を意欲的に制作。最新作『パンドラの約束』は2013年のサンダンス映画祭で上映され注目を集めた。6月12日より全米で公開。人生のほとんどを反核に捧げてきたにもかかわらず、考えを180度変え、原子力推進を訴え始めた著名な科学者や環境保護運動家、ジャーナリストらに主張の機会を与えている。映画『パンドラの約束』ロバート・ストーン監督問い合わせ先:フィルムヴォイス(株)03-5226-0168 担当:山森   

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    日本の離島が狙われる

    日本の離島が危ない。人口減少による過疎化や高齢化、産業の衰退…。近年では中国やロシアによる軍事的脅威にさらされ、韓国をはじめとする周辺国の土地買収など外資流入も目立つ。国境の離島は今、どんな状況に置かれているのか。iRONNA編集部が対馬より報告する。

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    問われるべきは「信念外交」の成果

    Mich Maruyama(新潟県) 14日の投票日に向け、衆院選各候補の選挙活動は活発化している。 安倍首相は主に消費増税延期の判断、そしてアベノミクスについて国民の信を問いたいとして衆院を解散したが、安倍内閣によって劇的に変化した外交政策も有権者の評価の対象とされるべきだろう。 これまでの外交では、中国、韓国などが日本の政治家の言動、政策等に不満を抱き、首脳会談が開かれない状態に陥ると、特定の政治家、メディアなどが騒ぎ立て、首相の責任を追及するのがお決まりのパターンだった。それに抗しきれず、首相も相手国に言われるがまま土下座外交を繰り返すのが日本外交の歴史だったと言えよう。 しかし安倍首相は、外交においては「友好は手段であり、目的ではない」という持論のもと、首脳会談開催に際して条件を付ける中国、韓国の主張を受け入れず、一方で「対話のドアは常に開かれている」とし、日本は対話に前向きだが、相手国が頑ななのだ、という点を世界に発信してきた。 中国は日中首脳会談開催の条件として、尖閣諸島の領有権を巡る論争が存在すること、靖国神社には参拝しないと公の場で発表することを求めていた。しかし安倍首相は譲らず、逆に中国側は、APECで首相が中国を訪れるにも関わらず、首脳会談を拒み続ければ、中国は国際社会から「失礼な国」と見られることを恐れ、結果として、11月10日、日中首脳会談開催へと至った。中国メディアは、安倍首相からの再三の会談要請を中国側が「聞いてやった」と報じたが、中国が事実上、日本側に突き付けていた条件を取り下げ、首脳会談に応じたのは紛れもない事実だと言える。 ここで重要なことは、第一に、第2次安倍内閣成立以降、上述の首脳会談が開催されるまで約2年間、首脳同士の交流がなかったことで何か不都合があったのか、ということだ。これは対韓国に関しても同様だが、首脳会談が開催されなくても全く問題は生じなかった。 第二に、中韓がいくら日本を非難しようとも、日本が筋の通った対応さえしていれば、理不尽な主張は国際社会では理解されず、逆に国際世論から非難の対象となり得ることも明らかになりつつある。こうした点を浮き彫りにした安倍外交。有権者はこの点も衆院選における評価の対象に加えるべきだろう。 このような安倍首相による「信念外交」と対極にあるのが、尖閣諸島中国漁船衝突事件の際、司法への介入まで行って中国に迎合した、当時の菅首相、仙谷官房長官らによる「売国外交」だろう。そうした愚かな行為は、結局、国益に何ら寄与することなく、むしろ特アを増長させる結果を招いたことは明白だろう。 民主党がいかなる主張を行おうとも、このような政党に国家の安全保障を託せるはずがないということは自明であり、もしこうした勢力に再度この国の舵取りを任せたならば、間違いなく日本国崩壊へと導かれることになるだろう。 民主党はそうした事実には頬かむりをして安倍内閣を攻撃し、あるいは甘言を弄して国民を取り込もうとしているが、主に自身の現状への不満などから、残念ながら一定数はそれを支持するナイーブな有権者がいることも事実だろう。 民主党、あるいはそれに類する左翼政党が政権与党になったとしても、彼らが語るようなバラ色の未来が訪れることは決してない。万一ある個人の生活が多少改善されることがあったとしても、国が外国勢力によって支配され、主権国家足り得ないのであれば、純粋な日本国民が幸せになることはあり得ない。 よく「外交は票にならない」と言われるが、魑魅魍魎が跋扈する国政政治の中で、日本の確固たる地位を維持・拡大していくことこそが、真の意味で日本人の幸福に繋がるものと考える。そういう意味で、有権者は地元の、あるいは目先の利益のみを考えるのではなく(もちろんそれも重要ではあるが)、国益に資する外交を行うことができるのはどの政党、政治家なのかを見極める必要があるだろう。我々の一時の判断が、将来を生きる子供たち、そしてこの国の将来を左右するのだということを忘れてはならない。

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    「靖国参拝党」をつくってみませんか

    平成8年から導入された小選挙区制により、幕を開けたはずの「二大政党」対決の構図が崩れつつある。日本の政党政治はどこへ向かうのか。もし、あなたが「二大政党」を考えるなら、どんな線引きをしますか。

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    二大政党制じゃなくてなぜ悪い!?

    古谷経衡(著述家) 日本では二大政党制というのは中々定着しない。「55年体制」に於ける自民党と社会党だって、二大政党制とは程遠かった。「二大政党」というには余りにも社会党の議席が小さすぎたし、そのせいで政権交代の可能性がなかった。アメリカやイギリスなどは、4~8年位のスパンで、明確に温度差のある二つの政党が交代を繰り返しているが、このようなダイナミック性が日本政治にはあまり観ることが出来ない。 私は日本において二大政党制が定着しないことは、全く悪いコトだと思わない。寧ろ、白黒をはっきりさせず、微温的な支持で政権が選択されること自体は、物事を常に中間で観るという志向が定着しているからで、健全な感覚に近いと思う。 アメリカの共和党や民主党は、個別の政策という以上に、明らかに人生観や倫理観の違いが本質的な対立点になっている。同性婚の是非、人工妊娠中絶の是非云々、というアメリカの保革の両極で熾烈な争点になりがちなイシューは、個別の政策というよりもそれらを支持する人々の宗教観を背景にしたものである。日本にはこのような、宗教観を背景とした人生や倫理を問う話題が、真っ二つに分裂し、そこに党派性が宿るという事例は、ほとんど観られない。 日本で見られる保革の両極による熾烈な激突は、例えば憲法「9条」問題に観ることができるが、実際には9条の改正については、自民党、維新の党、次世代党などが「改憲」、公明党が「加憲」、民主が「創憲」と、現状の国会における議席の、9割近い議席を占める各党が、現行憲法に対して何らかの形での変化を望んでいることからも、実際にはその方法論はともかく、「国論を二分する状態」になっているとは言いがたい。 日本における護憲政党はわずかに共産・社民・生活などの少数野党で、この全部を合計してもかつての社会党の議席にも遠く及ばない。日本の有権者は常に、極端で過激な主張を嫌い、中間的で微温的な意見に耳を傾けているからだ。 それでも、「もし二大政党制が日本で実現するとしたら」を想像するのは楽しい。日本で、両者が激突する熾烈なテーマというのは何だろうか。 例えば「モテ党」と「非モテ党」というのはどうだろうか。前者は異性に不自由しない人々の団体で「一夫多妻制法案」や「重婚解禁法案」を提出する。他方、異性にモテない後者の団体は、「童貞軽減税制」や「クリスマス禁止法」の制定を求める。国会内で大激論が交わされるのは必至だし、時として流血の事態にすら成るかもしれない。 更に進めば「猫党」と「犬党」というのも大きな対立点だ。基本的に猫や犬を飼っている人間というのは、自分の飼っている動物が「世界で一番カワイイ」と信じ込んでいる。そこへきて、「猫飼育優遇税制」、「犬飼育優遇税制」などが提起される。限られた予算を、犬と猫で奪い合うという骨肉の争い。こちらも大紛糾に成るだろう。 少し真面目な話に戻せば、「持ち家党」と「借家党」。これは大きな対立点になりうる。「持ち家党」は固定資産税の減免と住宅ローン減税を求める。持ち家のバリアフリー化や耐震診断や補強工事を100%国が助成せよと迫る。とにかく土地所有者に有利な法整備をどんどん提言する。自身が大家になる場合もあるから、所謂「敷金訴訟」などは、徹底的に大家側の味方だ。 一方、「借家党」は国による公営住宅の増設やURの入居審査の緩和、借地借家法の更なる弾力化と、特定優良賃貸住宅の入居基準の緩和と物件数の拡大などを要求する。「敷金訴訟」では、預けた敷金の倍額を慰謝料で払え、等という無茶苦茶な大家への濫訴も支持する。礼金や保証金を法律で禁止し、「更新料」を廃止し、家賃値上げ訴訟の場合、弁護士費用は無料にしろと主張する。違反した大家や仲介業者には熾烈なパナルティーを課す。とにかく借り主に有利な法整備をどんどん提言する。 恐らく、これこそが最も大紛糾に陥るのではないか。土地持ちの老人と、もたざる若者の間で本格的な世代間闘争が勃発し、全国各地で粗暴事件や訴訟が激増するだろう。 やっぱり、「二大政党制」は無い方がいい。

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    「派閥の政党化」が2大政党制へのカギ

    ・菅氏苦戦 民主70議席台も」(産経)と、どこも似たような“自民圧勝、野党苦戦”となった。 実際、各選挙区を取材して歩いても、野党候補が勢いづいているところは皆無に等しい。それどころか、自民党候補でさえも、演説で通行人が立ち止まり、拍手する姿はなかなか見られない。立ち止まって拍手するのは、動員をかけた関係者で、いわゆる“仕込み”だ。 つまり、自民党圧勝は熱気に包まれたものではなく、低投票率のなか早くから地盤固めをしっかりしてきた自民党が抜きん出た格好だ。 第三極は沈没し、民主党は伸び悩んでいる。政党政治としてブレていないのは結局、共産党だけ(だからといって、政権担当能力があるというわけではない)というのが透けて見えるのが分かる。 政権交代を可能とした小選挙区制度。確かに、過去に政権交代は起きたが、非自民党政権は長くは続かず、今回の衆院選でも「民主党はノー」という“民意”が突きつけられそうだ。現在の自民党に反対したいのに、投票先がない、野党で受け皿がない。そんな声をよく耳にする。本来、片方がダメならもう片方に任せようとなるのが、2大政党制の持つ意味だからだ。つまりいまなお、日本には自民党に代わる政権担当能力を持つ政党がないということに他ならない。だとしたら、どのような政党であれば、2大政党制が安定して続けられるのだろうか。 2大政党制に関しては、たとえば外交・防衛のスタンス、経済のスタンスなどで振り分けられる。米国の共和党と民主党は、前者が小さな政府、後者が大きな政府(ざっくりとした分け方ですが)を求めている。はっきりした差異が2大政党制には必要で、現在の日本の与野党ではこの差が分かりづらい。それが2大政党制を困難にしている要因の一つだろう。 たとえば、現在の野党を見てみれば分かりやすい。次世代の党は元自民党の石原慎太郎氏、平沼赳夫氏が先頭で引っ張っているが、石原氏は元青嵐会、平沼氏は元師水会で、いずれもタカ派路線。右寄りの議員が多く、安倍首相に近い。 維新の党は、新自由主義を目指し、地方分権、霞が関改革、議員定数削減などを掲げており、経済政策の面で見れば、より強烈なアベノミクス推進だ。 一方、民主党は複雑だ。リベラル保守の色合いを持つものの、ご存知のとおり支持母体に連合があり、旧社会党系の議員もいることから左寄りの政策も出たり、かといえば、松下政経塾出身者による新自由主義寄りの考えを打ち出すこともある。 生活の党、社民党はイデオロギーで異なるものの、政策面では左寄りで似かよっている。 つまり、左寄りの政策か、極端に右に振れているか、それともどっちつかずかが、現在の野党だ。これでは、非自民党の受け皿が見当たらないという有権者の悩みは当然とも言えるだろう。 つまり、リベラル保守が決定的に欠けている。この解決の道は、「派閥の政党化」がカギではないか。これまでの歴史を振り返ってみれば、自民党の派閥による政権たらい回しだった。非自民党政権を樹立したのも、小沢一郎という元自民党の“剛腕”あってのことだった。つまり、自民党で経験した人が中心となって、違った政党で競い合っていく。 ことさら自民党が優れているということではない。しかし、政権を担当するということは、正論を言う、与党を追及するといったことに腐心する野党では計り知れない調整力と先見性、広い視野と冷徹さが求められる。その学習を、階段を一段ずつ上るようにさせていたのが、かつての自民党の派閥だった。 現在の安倍晋三首相は清和会出身。安倍首相の祖父、岸信介元首相の岸派の流れを汲むもので、親米を基調としながら自主憲法制定を唱え、再軍備に積極的であるなどタカ派色が強い。 一方、リベラル色が強く、政策通を自負しているのが宏池会だ。吉田茂元首相をルーツにし、池田勇人元首相が立ち上げた派閥で、その後も大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一が首相の座に就いた名門派閥である。 タカ派とハト派ーー。憲法改正派と九条堅持派は、米国の共和党と民主党のような小さな政府と大きな政府にも分けられる。保守という点では変わりないものの、双方の“思想”には大きな隔たりがある。 現在の自民党内を見れば、宏池会のほか、田中角栄元首相の木曜クラブを前身とした平成研、三木武夫・河本敏夫の流れを汲み“党内左派”と呼ばれたこともあった番町研など比較的ハト派派閥と、清和会のほかには麻生太郎元首相が会長を務める為公会、石原伸晃前環境相が会長の近未来政治研などがタカ派色の強いグループとされる。 この自民党の派閥が分かれることで、野党もどちらかに加わり、徐々に2大政党に収斂していくことが現実的で一番の近道ではないか。いずれにしても、このままでは閉塞感と失望感だけの政治になってしまう。政治家には、一刻も早く2大政党制への道程を突き進んでもらいたい。そう切に願っている。

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    今回の選挙は「夢想家」と「現実主義者」の対決である

     いよいよ衆院選が公示され、12月14日の投開票に向かって、各党の激しい闘いが始まった。今回の選挙の争点は、「アベノミクス」の是非だそうである。私は、この2年間の安倍政権の経済政策だけでなく、集団的自衛権や特定秘密保護法案等々の是非も大いに議論して欲しいと思う。 しかし、私は今回の選挙を名づけるとしたら、それは「DR戦争」だと思う。Dとは、“dreamer”、すなわち「夢想家」「空想家」の意味だ。Rとは、“rearist”、すなわち現実主義者。つまり、今回の選挙は、「夢想家」と「現実主義者」との対決ということだ。 今年、注目すべきニュースとして、朝日新聞の誤報事件があった。慰安婦報道や「吉田調書」報道で追い詰められた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日に記者会見をおこない、「吉田調書」報道の記事を撤回・謝罪した。 他者に対して謝ることを知らない朝日新聞にとって、前代未聞の出来事である。私はこれを「歴史の転換点」だと思って見ていた。以前のブログにも書いたが、それは戦後日本が、やっと辿り着いた「歴史の転換点」なのだと思う。 いったい、何が歴史の転換点なのか。それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。 その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。 しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。 マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。 しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。 だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。 その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。 彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。 その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。脅威かポンコツか、真の実力が問われる中国の空母「遼寧」(中国国防部HPより) 中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。 私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。 すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。 朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。 集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「rearist(現実主義者)」との対立でもある。 左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。 それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。

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    保守二大政党にしかリアリティーがない

    緊張感の消えた日本政治 日本の政治から政権交代の緊張感が消えました。今般の衆議院選挙の最大の特徴はこれです。野党第一党の民主党も、第二党の維新の党も、本気で自民党に挑戦しているようには見えず、次につなげるための延命に関心があるようです。90年代前半の自民党の最初の下野以来、曲がりなりにも存在した緊張感が失われ、他方で、かつて自民党内に存在した派閥抗争と自民党内の擬似政権交代の緊張感もありません。 民主主義というシステムは、想定可能な代替案が存在しないと機能しないものです。日本の政治はそんな領域へと漂流しつつあります。もちろん、国際環境の構造や、国内経済の現実の制約という時代性を加味すれば、ある一定期間、「この道しかない」ということもあるでしょう。しかし、それが長期的に健全な状況でないことは明らかです。だとすれば、長期的に二大政党制、あるいは政権交代の緊張感を与えるための構造とは何か、ということが大事になってきます。 保守二大政党にしかリアリティーない 日本に安定的な二大政党制が確立したのは大正デモクラシーの時期の政友会と民政党の時代です。権力の中枢であった藩閥との距離感や地域的な偏りなど細かいことはありますが、すごく乱暴に言うとこの二大勢力は、それぞれ「統治利権」と「経済利権」を代表しており、今の感覚から言うと双方ともに保守です。だからこそ、双方が全国的に支持を広げることができたのです。ここで言う「利権」とは、代表される利益や権力基盤という意味です。 日本の地方の実態からすると、そこではいわゆる名望家によるリーダーシップが、明治時代から変わらず、今日に至るまで重要です。地方の首長や地方議会の議員は、地域の有力者であり、大半は経済的・文化的な背景から本質的に保守的傾向があります。日本の選挙制度は、一票の格差や参院選挙区の定数の関係から地方票の影響力が大きくなるように設計されています。結果として、地方の有力者を包含した全国的な組織政党を作り上げるには、保守である以外にリアリティーがないのです。 もちろん、大きな工場が集中して立地され、組織労働者の割合が大きくなった地域では労働界に近い層が力を持つこともありますし、経済的に貧しい階層が集中する地域では左派的な政党が支持を集めやすいという傾向はあるでしょう。しかし、それらはあくまで例外です。 日本という国には、たいへん幸福なことですが、国民の間に深刻なクリービッジ(=分断)が存在しません。これは、明治以来の中央集権化の重要な成果です。二大政党制を安定的に機能させている国にはこの分断があります。英国にとっては階級ですし、米国では人種を中心とする国家像の違いです。そして、この分断が地域的にある程度固定化してしまっています。日本には、これがありません。日本の地方は全部保守で、全部自民です。経済改革を前面に出した野党に期待 自民党の強さの本質は、経済利権と統治利権の両者の上にどっかりと居座っていることです。ですから、日本に二大政党制が確立するかどうかは、野党がこのどちらかを突き崩せるかにかかっています。 経済利権をとりにいくのであれば、政策志向は資本主義重視であり、小さな政府であり、規制緩和や現役世代の負担軽減が重要になってくるでしょう。ただ、通常は小さな政府の主張だけでは有権者の多数を惹きつけられませんので、社会政策や歴史問題などの面で保守的な傾向を併せ持つことになるはずです。 反対に、統治利権を重視するならば、政策志向は大きな政府で反資本主義的で、権威主義的でありながら戦後リベラリズムを擁護する立場となるでしょう。官僚組織とも一定の協力関係を築き上げるような政権です。自民党の議員の多くが二世/三世で経済的にも特権階級化しつつあることを攻撃し、公平な予備選挙を実施したり、女性の比率も高めたりすることになるでしょう。 ここで効いてくるのが国民の中に存在する民主党政権の失敗の記憶です。民主党の中でも、市民運動の流れを汲む方々はムダな公共事業を攻撃し、官僚を攻撃するDNAを持っています。民主党は本質的には統治利権側の政党であるにも関わらず、経済利権的な政治的エネルギーで政権に就いたことに矛盾がありました。それでも、政権を担っている間に、統治能力を発揮できたならば歴史は変わっていたでしょう。歴史に「もし」はありません。日本政治に存在したかもしれない統治利権の側から日本を変えるチャンスは失われました。そのチャンスは、おそらく一世代の間は戻ってこないでしょう。 だからこそ、当面は経済利権のプレッシャーに期待せざるを得ません。経済利権を旗印にした改革は民主党政権では全く進みませんでした。アベノミクスの第三の矢も本当に的を射ることができるか、まだまだこれからです。日本の政治に緊張感を取り戻すためには、野党各党が単なるパフォーマンスの域を超えた本当の経済改革を主張できるかにかかっています。今般の選挙では期待できないとしても、延命したあかつきには、ぜひお願いします。

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    「安倍総理vs財務省」どちらが正しいか

    安倍晋三首相が決断した消費増税先送りは、予定通りの引き上げを主張してきた財務省を首相サイドが抑え込んだ形になった。当面の景気はもちろんだが、財政・税制は世界最高レベルの財政赤字を抱えるわが国の在り方を揺るがす課題でもある。本当にリーダーシップを発揮すべきなのは誰なのか。

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    財務省シナリオ「増税決め安倍勇退、谷垣か麻生首相」だった

     消費増税先送りと解散総選挙が決まった。私が予想した通りの展開だ。 そもそも消費増税は民主党の野田佳彦政権と自民党、公明党による3党合意で決まった。それを合意に加わった自民党の安倍晋三政権がひっくり返すというのだから、あらためて選挙で民意を問うのは、政治的にまったく正統性のある手続きである。 3党合意の増税路線に賛成して自民党に投票した有権者からみれば、安倍政権ができたと思ったら突然、公約を反故にして増税先送りでは納得がいかないだろう。 ところが、一部のマスコミは「増税を決めた法律には景気次第で増税を停止できる景気条項があるのだから、解散しなくとも政権が決めればいい。税金の無駄遣いだ」と解散を批判している。 私に言わせると、こういう批判は政治のリアリズムとダイナミズムを理解していない。解散なしで増税先送りを決めようとすると、何が起きるかを考えればすぐ分かる。 自民党の税制調査会を牛耳るベテランたちは増税断行を強硬に唱えていた。野田毅税調会長は言うに及ばず、麻生太郎財務相や谷垣禎一幹事長も増税派である。 民主党はもともと増税に賛成だ。舞台裏では財務省があの手この手で増税根回しに動いていた。そこで安倍首相が先送りを言い出せば、政権を揺るがす大政局になったのは間違いない。 大手マスコミはほとんど増税賛成だから結局、安倍は先送り断念に追い込まれただろう。そうなったら政権の求心力は低下する一方、景気は悪化するので最終的に政権が崩壊してもおかしくない。 それどころか、増税せざるをえなくなった安倍政権は財務省にとって、もはや用済みである。「総理、ご苦労さまでした」の一言で安倍は谷垣や麻生に交代する。実は、これが財務省にとってベストシナリオだった。 つまり「景気条項があるから、先送りしたいならできるじゃないか」という議論は一見、もっともらしいが、裏に秘めた真の思惑は「安倍政権、さようなら」なのだ。 増税先送りなら政局になるくらいの見通しは、政治記者ならだれでも分かる。それでもなぜ景気条項のような建前論を吐くかといえば、理由は2つだ。 まず、左派マスコミは増税賛成だろうが反対だろうが、とにかく安倍政権を倒したい。その思惑が一致するから、増税賛成派の朝日新聞も反対派の東京新聞も同じように景気条項論を持ち出す。 次に、永田町で暮らす政治記者や政治評論家たちは結局、財務省を敵に回したくない。裏で財務省が糸を引いているのは分かっていても、そんな「本当の話」をずばずば書き始めたら、財務省とその応援団に睨まれる。 財務省は奥の院でマスコミのトップ層とツーカーだから、記者は下手をすると自分が飛ばされてしまう。評論家は「永田町の政治が財務省によって動かされている」という実態を暴いたら、飯の食い上げだ。彼らにとっては永田町と霞が関情報こそが商売のタネであるからだ。商売相手を敵にするバカはいない。 はっきり言えば、政治記者も評論家も国民の暮らしなど眼中にない。だから解散も予想外だったのである。 今回の解散は政治バトルの戦場を永田町・霞が関から一挙に国民レベルに拡大した。その結果、増税派は雪崩を打って先送り容認に動いた。戦う前から安倍首相の完勝である。(一部敬称略)■文/長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ):東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。規制改革会議委員。近著に『2020年 新聞は生き残れるか』(講談社)※週刊ポスト2014年12月5日号■関連記事 解散・総選挙 財務省と経産省との官邸主導権巡る暗闘が発端  菅総理言及の消費税増税 「経済の常識知らぬ妄言」と専門家  安倍政権誕生で批判の口火切るのは朝日ではなく読売、日経か  菅首相 震災直後に息吹き返すが余命は財務省の「思惑」しだい  増税批判する産経新聞に財務省有力OB「おたくはひどいな」

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    「財政規律」に縛られすぎた財務省の過ち

    、安倍総理が唱える経済政策は失敗ということになるのだろう。日程的には増税の前年2016年7月に参議院選挙もある。これまでに改善されていなければ、次の消費税増税も危うくなり、退陣し、延期や廃止をかけた選挙が再び行われるように思われる。

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    国民不在 元大臣も平身低頭

    っていないというアンバランスな状況がつくられていく。 また、チェック体制についていえば、都道府県別や選挙区別の投資配分が、公共事業の個所付け決定直後に発表されることはなく、公平な分配かどうか国民が判断する材料は表に出てこない。 約30年前の第一次臨調は、首相に予算編成の責任を持たせ、直属の内閣補佐官を設置することを勧告した。補佐官は国会議員、行政事務経験者、民間有識者から任命され、予算編成上の重要事項を調整し、大蔵省はこれに基づいて事務を行う。こうした制度であれば、首相が自分の打ち上げた政策に思い切った予算配分をできるはずだ。 しかし、残念ながら、この勧告は葬りさられた。主計局が必死になって政府・自民党に働きかけた結果だといわれている。 霞が関のある役所関係者は、「主計局のしっぺ返しが怖いから、絶対に省の名前は書かないでほしい」と用心深く断ったうえ、「今でも首相が1兆円くらい自由に配分できたら、随分違う予算になる」と断言した。少なくとも、首相が海外に行って何も約束できない、というようなことはないはずだ。(茂谷知己)

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    「守銭奴」 首相の意向も無視

     4月1日のエープリル・フール。大蔵省幹部らは、その日行われた宮沢喜一首相の記者会見の内容を知り、びっくり仰天した。昨年夏に続いて打ち出される予定の追加景気対策について、首相は「史上最大規模になると思う」と言い切ったのだ。 大蔵省があらかじめ首相の元に届けた想定問答集では、事業規模の金額については一切触れられていなかった。再度詰め寄られた場合にだけ「相当規模の対策になる」と逃げることになっていたのだ。 しかし、首相は大蔵省の用意したシナリオを無視し、史上最大規模の景気対策を約束してしまったのだ。 景気対策に関してはすでに、次の総理・総裁の座を目指す自民党領袖(りょうしゅう)の一人、三塚博政調会長(同党総合景気対策本部長)が「12、3兆円」のアドバルーンを揚げていた。宮沢喜一首相(当時) 一方、大蔵省は、景気対策の数字が膨れ上がるのは、建設国債の増発につながり、国の借金が増える上、回復途上にある景気を過熱させてしまうと考えていた。そこで、首相が数字に言及しないよう仕組んだのだが、三塚氏に対抗意識を燃やす首相は、アドリブで筋書きを変えてしまった。 首相の大蔵省に対する“造反”である。 景気対策は、首相の思惑通り、史上最大規模となった。さすがの大蔵省も、首相に食言させるわけにはいかなかったのだ。 それでも、首相が抵抗したこの一件は、日本の宰相の意向さえ初めから無視してしまう、大蔵省主計局の自大的性格を改めて浮き彫りにさせた。 国のサイフを握る大蔵省の権限が強大なのは、なにも今に始まったことではないが、その力がさらに官庁街で強まったのは、財政赤字を抑制するため、各省庁からの予算要求額を前年度並みとする「ゼロ・シーリング(概算要求基準)」制度が、昭和57年度予算に取り入れられてからともいわれる。 健全財政を錦の御旗(みはた)に、主計局はまず、各省庁の予算要求の取りまとめをしている会計課長のところで、それぞれの省庁の予算をシーリングに沿って絞り込むシステムを導入させた。その上で、さらに主計局が予算要求を削るのだ。こうした過程で、予算を削る側の声が大きくなるのは当然のことである。 「資料を持っていったら投げ付けられた」「紙飛行機にして飛ばされた」というたぐいの泣くに泣けない話が要求官庁側から聞こえてくる。「あいつらは守銭奴だ」という言葉まで出る始未だ。  大蔵省の唱える「財政健全主義」に対する懐疑の声もある。 昭和62年度の円高不況対策では、政府は6兆円を上回る財政措置を伴う内需拡大策を決定、これが低金利とともにその後のバブル経済の原因になったとされている。 その後の税収増は、国債以外の隠れ借金を一掃し、赤字国債の発行をも停止させることができた。果たして、大蔵省の理屈は正しいのか、という素朴な疑問である。 もっとも、こうした声が表に出ることがないのは、言うまでもない。(茂谷知己)

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    「高負担」受容し財政危機避けよ

    京都産業大学客員教授・吉田和男 安倍晋三首相は極めて重い決断を強いられた。来年10月から予定されていた消費税率の10%への引き上げを1年半先送りして平成29年4月から実施することを決断した。消費税等改正法の付則で経済動向に関する確認の念押しが規定されていることに基づいている。 8%への消費税率引き上げを行った後の経済動向は決して良好なものではなかった。株価は好調で、賃上げやボーナス上昇など明るいニュースもあったが、景気指標は芳しくないものが多かった。世界的にも深刻な財政状況 4~6月期の国内総生産(GDP)成長率はマイナス7・3%であった。いわゆる消費税率引き上げに伴う個人消費の1~3月期の駆け込み需要に対する反動減がマイナス成長を生み出した。この反動減からの回復が注目されたが、7~9月期のGDP速報値はマイナス1・6%となり、期待された回復が見られなかった。この数値を受けて、安倍首相は経済動向から判断して、法改正を行っての税率引き上げの先送りを選択した。アベノミクスによる成長軌道への回復を優先した結果であった。 一方、財政状況も一時の余裕もないまで悪化している。政府債務残高は1千兆円を超え、GDP比は200%超にもなっており、戦時並みの財政状況になっている。 世界的に見てもこれほど大きな政府債務になっている国はない。財政危機が論じられたPIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の百数十%程度と比較してもダントツの財政赤字である。財政危機を迎えた国の苦悩は、年金の減額や公務員の解雇などに始まる歳出のカットとともに、失業率の上昇とインフレが同時に起こるなど、尋常ではない。 PIIGSのように、大量の国債が売られて財政危機になる状況はもっとも避けるべきことである。財政状況の悪化から国債が売られると正常な財政運営ができなくなる。国債残高がこれほど大きくなってくると、もっとも心配されるのが金融市場での国債の信認の大きさである。国債は安全資産として貯蓄の手段となっているが、国債発行が限度を超えれば国債価格の下落が心配される。金融危機につながる恐れも 現在、長期金利が1%以下になっているが、これがいつ上昇する(国債価格の下落)か分からない。現在の低金利は日本銀行の政策的なオペレーションによって生まれているが、これが常識的な水準になるだけで大幅な国債価格の下落になる。集中的に国債が売られることもあり得る話となる。 こうなれば、国債を多く所有している金融機関にとっては含み損を持つことになり、場合によっては金融危機につながる。 この危惧に対しては、日本の国債の大多数が国内の金融機関や投資家によって保有されていることが、諸外国の財政危機との相違であると指摘されている。財政危機を起こした国では、外国の投機的な国債保有によって財政赤字が直接的な危機につながったという議論である。その点で日本とは異なることが指摘される。 しかし、外国人が国債を保有しているかどうかは財政危機とは必ずしも結びつかない。「空売り」によって国際金融市場で投機的マネーが大きく動き、財政危機を顕在化させることは否定できない。 いずれにしても、国債は税金の後払いであり、「タダ」では決してない。合理的に考えれば、税負担となる国債元利払いの現在割引価値は国債発行額そのものなので、国債発行と税は何の差もない。しかし、金融上の制約があり、後世代にツケを回すのにも限界があると考えるのが常識であろう。消費税率の引き上げを先送りした安倍首相は「財政ギャンブル」を行ったことになる。 国民の負担率上昇は不可避 すなわち、財政問題を先送りしたことで、増税による短期的なマイナスの回避を優先し、財政赤字のもたらすリスクを取るという判断を行ったのである。 もっとも安倍首相の判断も、消費税率の引き上げを1年半先延ばししたものの財政規律を放棄したわけではなく、消費税率10%への引き上げは経済状況のいかんにかかわらず実施することを明言している。これは最低限、必要な措置であり、金融市場からのアタックがないことを望むのみである。 今後、予想される人口の少子高齢化などの要因で、財政支出が増えることはあっても減ることはない。年金医療費の拡大は不可避であり、子育て支援などの支出も充実させることが望まれている。社会保障費だけで年々1兆円ずつ拡大していかざるを得ない。 財政の効率化は常に行われなければならず、不断の行財政改革は必要であるが、国民負担率の上昇は避けられないことを認識すべきである。現在の状況を前提とし、2020年度プライマリーバランスの黒字化を目指すとすれば、いずれ北欧でみられるように消費税率は20%を超えることは避けられない。日本は高負担社会になることの覚悟が求められる。(よしだ かずお)

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    デタラメばかりだった財務省とエコノミスト

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 消費税率8%によって、景気は反動減のレベルを超えて大きく悪化した。2014年6月27日、政府が発表した家計調査内にある「消費水準指数」を見ると、2014年5月の消費水準指数は対前年同月比でマイナス7.8%。東日本大震災が発生した2011年3月のマイナス8.1%以来という落ち込みだった。最近33年間における最悪値が2011年3月だから、なんと2番目に悪い数字だ。 また、機械受注統計の国内民需(船舶・電力を除くベース)の対前年同月比を見ると、過去2回の消費税増税時(1989年、97年)よりも数字が悪い。 国内民需は、民間設備投資の先行指標である。GDP(国内総生産)は民間消費、民間設備投資、公的部門、海外部門などで構成されており、このうち民間消費と民間設備投資でGDPの7割程度を占める。民間消費と民間設備投資の両者に黄色信号が出たのは、日本経済に黄色信号のサインが灯ったことを意味する。民間消費と民間設備投資が悪いのだから、景気も当然、悪化する。 以前、安倍総理から「増税をしたらどうなるか」と尋ねられたことがある。「景気は悪くなりますよ」と答えたが、事実そのとおりになった。予想されたこととはいえ、なぜこのような事態になったのか。 周知のように、消費税増税法は2012年8月に当時の民主党政権と自民党、公明党との三党合意で決められた。安倍政権が誕生した時点で、増税は法律によって決まっており、安倍総理自身は増税に懐疑的だといわれたが、2013年10月1日に消費税率を8%に引き上げることを決めた。 増税決定のプロセスに影響を与えたのは、「とにかく増税したい」というだけの財務省の意向と「増税の影響は軽微」と言い張る増税御用学者、エコノミストの意見である。 思い返すと一年ほど前、「消費税を増税しても景気に与える影響は軽微である」といった人のなんと多かったことか。彼らは、自らの発言にどうやって責任を取るつもりなのか。本稿では過去にさかのぼり、増税ありきの主張を続け、国民経済を潰した人たちの非論理性を検証することにしたい。 2011年、東日本大震災の発生後に伊藤隆敏氏(東京大学教授)、伊藤元重氏(東京大学教授)と経済学者有志が「震災復興にむけての三原則」という提言を行なった。2011年5月23日現在で、賛同者には浦田秀次郎(早稲田大学教授)、大竹文雄(大阪大学教授)、斎藤誠(一橋大学教授)、塩路悦朗(一橋大学教授)、土居丈朗(慶應義塾大学教授)、樋口美雄(慶應義塾大学教授)、深尾光洋(慶應義塾大学教授)、八代尚宏(国際基督教大学客員教授)、吉川洋(東京大学教授)各氏が名を連ねている。 この提言のなかで、復興のコストを賄うには消費税の増税が必要だといっている。記述を引用しよう。 「消費税は、資本も労働も、生産意欲を減退させにくい税であることから、経済成長に与える影響が軽微である。消費税率を5%から10%に引き上げることで、現在の消費税収入を倍増させるとして、毎年約10兆円程度の歳入増になる」 「『増税か、国債か』、という選択肢の立て方が間違いだ。正しい選択肢は、『今生きている世代が負担するのか、将来世代が負担するのか』、ということである。低成長、人口減少のなかで、次世代にツケを回すのは止めよう」 「消費税増税は、消費意欲を減退させ、景気後退を招く、という批判がある。しかし、二つの意味で、この批判はあたらない。第一に、復興のための政府投資、民間投資がおこなわれるために、来年度は投資拡大が予想されている。消費が減退しても、投資拡大で、総需要としては相殺されるので景気悪化にはつながらない。第二に、消費税率の引き上げ後には、消費が落ち込むということが知られている。しかし、それは数カ月で回復するはずだ。一方、予定された引き上げ時期の前には耐久財を中心として駆け込み需要が生じるので、本格的な投資拡大に向けて、前倒しで景気を拡大する」 いまにして見ると、いかに出鱈目ばかりを述べていたかがわかるだろう。 まず、消費税率の引き上げによる消費の落ち込みを「数カ月で回復するはずだ」と臆断している時点で、すでに誤りだとわかる。「数カ月」というのは、常識的には3、4カ月を指す。今年の家計調査における消費支出は対前年同月比の実質で見てマイナス4.6%(2014年4月)、マイナス8.0%(同年5月)、マイナス3.0%(同年6月)、マイナス5.9%(同年7月)。4カ月目に入ってもマイナス状態である。「経済成長に与える影響が軽微である」という点も、2014年4月―6月期のGDP成長率が前期比年率換算でマイナス7.1%になった事実が反証している。 「消費が減退しても、投資拡大で、総需要としては相殺される」がウソだというのも明らかだ。現実を見れば、政府がいくら公共投資の予算をつけても、建設現場は人手不足で、工事を執行しきれない。いわゆる供給制約が起きている状態だ。 また2014年7月度の鉱工業指数を見ると、生産はマイナス0.7%、出荷はマイナス0.1%。在庫は2.9%増である。出荷が減り、在庫が増えている状況で、設備投資をしようとする経営者はいない。まず在庫を捌(さば)くのが先決である。したがって「民間投資がおこなわれる」という箇所も間違っている。 さらに「引き上げ時期の前には耐久財を中心として駆け込み需要が生じるので、本格的な投資拡大に向けて、前倒しで景気を拡大する」という記述を実感した人がいるだろうか。増税前の駆け込み需要を記憶している人は多いと思うが、それをもって「前倒しの景気拡大」という人など、提言を書いた当人を含めていまや誰もいないはずだ。要するに増税を通すためだけの方便、ウソ話だった、ということだ。 「『増税か、国債か』、という選択肢の立て方が間違いだ」という記述も間違い。大震災が起こったときに、増税で賄うような国はない(あったら挙げてもらいたい)。長期国債を使うのがセオリーである。「課税の標準化(タックス・スムージング)」という理論があるように、課税のインパクトは薄く伸ばして緩和させるのが基本である。仮に百年に一度の震災だとすれば、震災の経済に与えるショックを百年にわたって広く薄く負担し、軽減させるため、百年債を発行して100分の1ずつ償還する。 ところが、財務省と御用学者たちは復興税という経済にダメージを与えるやり方を選んだ。 東日本大震災後の混乱のなかで、「震災復興にむけての三原則」のような意見が、まともな経済ロジックであるかのように受け止められたのは恐ろしいことである。それは前述のように日本を代表する経済学者たちが賛同し、増税に太鼓判を押したからだ。その背後には、彼らに「次世代にツケを回す」という偽ロジックを吹き込んだ財務省の存在がある。仕事にやり甲斐はあるのだろうか 「いまにして見ると出鱈目」な話はまだある。以下は、消費税率が8%に上がる前の『日本経済新聞』2013年8月31日付の記事「消費税と経済成長率(「大機小機」)」からの引用である。 「消費税と実質経済成長率の関係を点検するため、最初に2013~14年度にかけてどんな成長パス(経過)が予想されているかを確認しよう。 第一線のエコノミスト40人の経済予測を毎月調査している日本経済研究センターESPフォーキャスト調査(8月)によると、成長率予測の平均は13年度に2.8%、14年度0.6%となっている」「14年度の成長率が見かけ上、かなり低下してもあまり心配はいらない。成長率低下の最大の理由は駆け込みの反動であり、これは、国民福祉に影響するようなものではないからだ。14年度は駆け込みの反動で住宅や自動車の需要が減るから、何らかの対策が必要だという議論がしばしば出るが、これは不必要なのである」 この記事を書いた人は、署名に「隅田川」と書いてある。誰かは知らないが、現下の成長率低下に対して「何らかの対策」は「不必要」といまでも本気で思っているとしたら、次の朝刊で同じ事を書いてみたらどうか。必ず「空気が読めない人」と思われるだろう。 隅田川氏は何にも勉強していないだろうから論外として、問題は「第一線のエコノミスト40人」のほうである。事実上「予想は大外れ」なのに、その後も「消費税増税の影響は甚大」とは口が裂けてもいわない。なぜか。そんなことをすれば、財務省は次の消費税増税ができなくなってしまうからだ。プロのエコノミストとしての誇りや分析などはどこかに捨ててしまい、財務省の口真似で「消費税増税の影響は軽微」と言い続ける。仕事にやり甲斐はあるのだろうか、と他人事ながら心配してしまう。 さらに、2014年のESPフォーキャスト調査を見てみよう。同年4―6月期の実質GDP成長率を「第一線のエコノミスト40人」が予測した平均値である。4月の調査ではマイナス4.04%、5月調査ではマイナス3.80%、6月調査でマイナス4.18%、7月調査でマイナス4.90%という見通しが記されていた。 ところが、8月12日発表の8月調査ではいきなり見通しがマイナス6.81%に落ち込む。どういうことかと訝(いぶか)しんでいると、ESPフォーキャスト調査が発表された翌日、内閣府がマイナス6.8%(一次速報値、前期比年率換算)という数字を出した。1カ月前まで予想していなかったマイナス6.8%が、内閣府の発表一日前には「想定内」になっている。不思議な事が起きるものだ。 タネを明かせば、GDP統計は家計調査や機械受注、鉱工業生産指数、建築着工統計など各省が毎月公表している各種統計を加工して作成される。だから、事前に各種統計を見ればある程度、GDPの結果がわかるのだ。直前に予想を修正して「想定内だった」と言い繕うのがエコノミストの常套手段である。気温や降水量のグラフぐらい見たらどうか さらに、増税派のエコノミストたちはGDPの落ち込みに対してどんな説明をしたか。口をそろえて「天候不順によるもの」といったのだ。 2014年10月1日、内閣府は経済財政諮問会議に対し、天候不順(低温・多雨)が2014年7―9月の個人消費に与える影響はマイナス0.2兆円からマイナス0.7兆円程度であり、7―9月期のGDPを年率換算でマイナス0.8~マイナス2.4ポイント押し下げる、と報告した。これは「お天気エコノミスト」の気象観測を受けての報告と見られる。 天気がそれほど景気と関係があるなら、エコノミストには気象予報士の資格取得を義務付けるべきだろう。国民は6月や7月の天気がどうだったかなど、漠然としか覚えていない。それをいいことに、いつの日も「天候不順」にして、消費税の増税が与えたダメージをごまかそうとする。図表1、2にあるように、今年7―9月の気温と降水量を見ると、例年と比べて特別に低温・多雨というわけではない。マスコミも統計に関しては赤子同然だから、お天気エコノミストの予報を鵜呑みにして報じてしまう。景気悪化を天気のせいにするなら、せめて気温や降水量のグラフぐらいサボらず真面目に見たらどうか。増税による税収はすべて撒く 安倍総理は財務省とエコノミストに背中を押される格好で昨年10月1日、8%への消費税率引き上げを決定した。最後まで判断に迷われたことと思うが、今年はどうなるのか。 繰り返すが、経済学のセオリーからすれば増税の与える悪影響は甚大であり、そもそも増税しないのが最善のシナリオである。しかし、政治的な理由によってそれが叶わなかったとしたら、われわれは増税による悪影響を最も軽減する方策を考えるしかない。 では、景気の落ち込みに対して何ができるのか。私の答えは簡単明瞭だ。最善の手は「消費税の増税に対して消費税の減税を行なうこと」。次善の手は「増税によって税収が入ったら、そのお金をすべて国民に撒くこと」である。冗談だと思う人もいるかもしれないが、ロジックでいえば当然で、増税しなかったのと同じ効果を与えるからだ。もちろん増収分を国民に撒くといっても、財政支出一辺倒だと供給制約が発生してしまう。公共事業に予算をつけても、事業を行なう技能をもった人や組織には限りがあるからだ。さらに減税や追加の大幅金融緩和に踏み切るなど、ダメージを緩和するための第三、第四のサブシナリオを考えることもできる。 安倍総理も、消費税を10%にするかどうかの判断にあたっては増税のメインシナリオだけでなく、増税凍結のサブシナリオも念頭に置いているはずだ。安倍総理は今年10月1日、経済財政諮問会議の席上で「景気がどう回復するか、将来の見通しはどうか、十分に注視していく必要がある」と強調されていた(甘利明・経済財政担当大臣は相変わらず財務省とエコノミストのいうとおり「天候要因が大きく影響している」とやっていたが)。 第二次安倍改造内閣についても、マスコミは「谷垣禎一氏や二階俊博氏が党役員に入り、増税路線が確定した」と報じた。だが、これも臆断にすぎない。安倍総理が「消費税を10%にしない」と決断すれば、いつでも谷垣禎一氏を切り、増税見送りを宣言することはありうる。本当に強い為政者は政局が「どちらに転んでもOK」と考え、博打はしない。単一のシナリオしか頭にない人間は、想定外の事態が起きたときに墓穴を掘ることになる。 複眼シナリオで見ると、消費増税見送りのチャンスは、じつは9月の「石破の乱」にあった。石破茂氏との交渉が決裂してすわ倒閣、という事態になれば、消費税凍結が国民に信を問う格好の解散カードとなっていたからだ。しかし幸か不幸か、石破氏は政権内に封じ込められ、衆議院解散は沙汰やみとなった。 これからも増税をめぐり、安倍政権の周囲でさまざまな画策が生じるはずだ。財務省としては、石破氏のように自分の思いどおりになる与党議員を探して懐柔することだろう。地方議員には「もし増税が潰れたら予算づくりもやり直しになってしまう。あなたの地元の要望も通らない」と脅しをかけ、経団連には「消費税増税なくして法人税減税なし」という。 だが、そもそも私にいわせれば、税率と支出が結び付いて予算が青天井になる現行の仕組みが異常である。法人税は個人の所得税と重複する「二重課税」だから、もともと無駄な税金だ。マイナンバーなどで個人の所得をきっちり捕捉して増収を図るのがセオリーだ。 いずれにせよ、こうした動きを誰より注意深く見ているのは安倍総理自身である。マスコミは財務省のプロパガンダやお天気エコノミストの観測気球ばかり流さず、ロジックとファクトに基づく報道をすべきだろう。高橋洋一(嘉悦大学教授)1955年、東京生まれ。80年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官などを歴任。第一次小泉内閣、第一次安倍内閣で「改革の司令塔」として活躍。2008年、山本七平賞受賞。最新刊は、『アベノミクスの逆襲』(PHP研究所)。

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    集団的自衛権「ダメよ~」に異議あり!

    今年の世相を反映し、話題になった言葉を選ぶ「流行語大賞」が発表され、年間大賞に「集団的自衛権」と「ダメよ~ダメダメ」が選ばれた。この2つの言葉を並べてみると、何らかの政治的意図を感じる人もいるだろう。そこで、選考委員のみなさまにお尋ねします。やっぱり思惑があったんですか?

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    あなたの「働き方」は変わりますか

    終身雇用、年功序列に代表される、世界的に特殊な日本特有の雇用制度はもはや限界に差し掛かっている。労働改革が進めば、あなたの「働き方」は変わっていくのだろうか。

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    年功序列型賃金だけに目を奪われるな

     平成26年10月の「経済の好循環実現に向けた政労使会議」で、安倍晋三首相は「経済の好循環を拡大するには、賃金の水準と体系の両方の議論が必要になる」と述べ、年功序列型の賃金を見直して全体の賃上げも実現するよう訴えた。 昨今では、日本企業においても、年功制賃金から役職や成果にリンクした制度に移行してきた。それでも大卒男性の50~54歳の所定内給与は、20~24歳と比べると、2倍を超えている(平成25年賃金構造基本統計調査(厚労省))。会議では、年功型の賃金の見直しで生じた財源を子育て世代へ手厚く配分して、少子化問題の解決や消費の拡大につながることを企図している。 たしかに望ましい賃金制度を模索することは十分に意味がある。ただこの課題の解決は一筋縄ではいかない。年功序列型の賃金は、経営者と社員が、長期間にわたって、慣行として築き上げたものだからだ。政府や労働関係の法律で決めているものではないのである。 そもそも日本では、組織に在籍している長さがモノをいう。組織内の位置づけや発言の重みのメルクマールにもなっている。 企業内だけではなく、落語家や宝塚歌劇団のような芸事の世界でも一日でも早く入門、入団すれば、それだけで立場の強い先輩になる。退職した教授に名誉教授を授与する条件も、実質的には勤続年数で決められている大学が多いそうだ。 日本で転職する場合には、たとえ前職を上回る給与を確保できても、必ずしも有利にならない。新たな会社では新人の位置づけになるからだ。 このような年功序列の背景には、社員の能力やスキルを重視しない能力平等主義の考え方がある。欧米のように仕事の出来栄えで賃金を決める「同一価値労働、同一賃金」の原則には従っていないのである。 また年功序列型賃金は、正社員偏重の雇用保障、年次別一括管理の人事運用、配置転換や転勤を一手に引き受ける人事部の権限、「どこにでも行く」「どんな仕事もこなす」「長時間でも働く」といった社員の無限定の働き方などとセットであり、一つのパッケージを構成している。この日本型雇用システムをどのように扱うかが、特に伝統的な企業では大きな課題なのである。 慣行であることも考慮に入れると、年功制の賃金だけを取り出して修正を試みることは無理筋だということに気づくだろう。 日本型雇用システムには、社員が一丸となり、組織に対する忠誠心を育むなどの良い面も少なくない。だから慣行として残ってきたのである。しかし昨今の状況では時代にそぐわなくなっている。 それではどうすればいいのだろうか。まずは、会社や人事部はスタンスを変える必要がある。「会社から何か(昇給やポスト)を与えると、社員のモチベーションは向上する」という従来の発想から、「どういう場面や、どういう条件で、社員は自分の能力を最大限に発揮するのか?」と問いかけるスタンスへ転換しなければならない。 一度、社員個人の側に立ったうえで、会社側の対応を考えていくというプロセスを踏む必要があるのだ。 入社年次を軸とした一律管理から、社員の能力発揮に向けた個別管理に踏み出す。個々社員とのやり取りや交渉を増やしながら、「個別合意」を積み上げていくのである。会社と社員が一つ一つを話し合い、合意を形成していくことが求められる。慣習を改めるには、当事者である経営者、社員が主体的に参加しなければならない。 「前例はこうだから」「上層部が首を縦に振らないから」といった門前払いではなく、「なぜこの対応になるのか」「あなたの場合はこうだから」といった説明責任を会社が尽くす必要がある。これは手間がかかり、面倒な作業ではあるが、この手順を省けば本来の改革はありえないだろう。 昨今は、「限定正社員」の議論など、今までの日本型雇用システムのパッケージをほぐす作業が行われ始めている。また各企業においては、社内FA制度を設定する、新たな職制を増やすなど働き方の多様化が進みつつある。このような制度対応に加えて、会社と社員の個別合意を積み上げ、同時に社員のスキルや適性を十分に見極めない新卒一括採用を改め、自社にフィットした職種別採用への切り替えを検討すべきである。 これらは、いかにして生産性を上げるかという極めて経営的な課題である。年功序列型の賃金は、日本型雇用システムに組み込まれた一つのピースなのである。年功制賃金だけを変えることが、目的になってはいけないのである。 そしてこれらの日本型雇用システムのパッケージをほぐす作業は、女性の登用や海外の現地社員の人事運用においても力を発揮するのである。

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    なんで必要かわからないホワイトカラー・エグゼンプション

    経済の常識 VS 政策の非常識原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員) 政府は、労働時間に関係なく成果に基づき給与を支払うホワイトカラー・エグゼンプションの対象について、「年収1000万円以上」「職務の範囲が明確で、高い職業能力を持つ労働者」と決めた。成長戦略にも明記されているが(「日本再興戦略 改訂2014」2014年6月24日閣議決定)、詳細は、15年の通常国会での関連法改正案提出を目指すとしている。 ホワイトカラーの成果が、かかった時間によらない場合が多いのは明らかだから、残業時間に関係なく成果で給与を払うというのは、当然のことだ。しかし、具体的に考えてみるとホワイトカラー・エグゼンプションの議論には分からないことが多い。なお、エグゼンプションとは除外という意味だから、ホワイトカラー・エグゼンプションとは、ホワイトカラー労働時間規制適用免除制度という意味になる。 まず、現行でも、労働時間に拘わらず成果で給与を決めることのできる職種は多い。管理職の他に、厚生労働省は19の業種について、裁量労働制という名で、そうすることを認めている。具体的には、理系・文系の研究職、ソフトウェア開発者、ジャーナリスト、デザイナー、番組のプロデューサーやディレクター、コンサルタント、インテリア・コーディネーター、アナリスト、金融エンジニア、大学教授、公認会計士、弁護士、建築士、不動産鑑定士、弁理士、税理士、中小企業診断士など。他に外回りの営業マンもある。裁量労働制を使い切る ただし、日本の裁量労働制では、休日や深夜勤務には残業代が発生するが、ホワイトカラー・エグゼンプションでは、これが付かない。なお、念のためだが、ホワイトカラー・エグゼンプションにすればいくらでも働かせることができるという訳ではなく、会社には従業員の健康に配慮する義務がある。これは外国でも同じである。 話を戻すと、名ばかり管理職、名ばかり店長などという問題はあるのだが、実際に裁量権、人事権のある管理職、店長なら、残業代を付けないことがすでにできる。昼間の喫茶店に行くと、背広にネクタイの人がかなりいる。多くの人が外回りの営業マンなのだろう。営業マンの成果は見えやすいから、成果で評価するのが本人にも会社にも都合が良い。 研究職、ソフトウェア開発者、ジャーナリスト、デザイナー、コピーライターなどの仕事は、時間が成果に結びつかないのだから、労働時間と無関係に給与を決めるのは当然だろう。明示されていないが、私が大学に職を得る前の仕事、エコノミストも、アナリストの隣接業務であり、仕事の内容としてはジャーナリストと文系研究者の中間のようなものだから、当然、残業代を付けないようにすることができる。 そもそも、日本の裁量労働制対象業務は、アメリカとたいして変わらない。違いは、日本では大学教員だけに認められている除外措置が、アメリカでは学校の教師に広く認められていることぐらいである(厚生労働省労働政策研究・研修機構の「諸外国のホワイトカラー労働者に係る労働時間法制に関する調査研究」労働政策研究報告書№36 05年による)。 ホワイトカラー・エグゼンプションが日本の企業の国際競争力を高めるためであるなら、労働時間と賃金の支払い方に関しては、アメリカと同じ制度にしてしまえば良いのではないだろうか。そうすれば、日本はグローバル化対応が遅れていると批判する人もいなくなる。また、アメリカで過労死など聞いたことがないので、残業代ゼロで過労死が増えると批判する人もいなくなるのではないか。無駄な残業は上司の責任 法律を改正する前に、まず、現行の制度で裁量労働制にできる人には、なるべくそうすれば良い。すると、残るのは、間接部門の下働きのホワイトカラーと、伝票整理や売掛金の回収などの定型業務を行っているホワイトカラーということになるだろう。どちらも普通、年収1000万円にはならないから、法律を改正しても適応範囲にならない。なんで法改正が必要なのだろうか。 年収条件はあとからついたから、本来の意図は下働きや定型業務でも無駄な残業を減らしたいということなのだろう。 そもそも無駄な残業を減らすのは、管理職の仕事である。本来、残業は、管理職の命令で行うべきもので、部下が勝手に残業できてしまうこと自体がおかしい。また、命令しておいて残業代を払わないのはもっとおかしい。部下の時間管理ができないことで、企業に無駄なコストがかかっているというのなら、管理職の給料を減らせば良いのではないか。 定型業務なら成果が分かる。伝票を何枚処理したか、売掛金をどれだけ回収したかは成果として見える。仕事の速い人に成果で払ってたくさん仕事をしてもらえば、仕事の遅い人に残業させる必要はなくなる。 間接部門の下働きのホワイトカラーの仕事が増えるのは、上司が基本的な方針を出さないからである場合が多い。あらゆる場合を想定して資料を作れば、いくらでも資料が増える。上司が基本的な方針を示せば、作るべき資料は一挙に減る。 もちろん、あらゆる場合を想定することが必要な場合もあるだろうが、それがもっとも必要な原子力発電所では、そんな資料は作っていなかった。もちろん、1990年代の初め、不良債権を処理したらどうなるかという資料を作っていた場合も多かっただろう。しかし、その資料は活用されなかった。実際には、ほとんどは意味のない資料を作っているだけではないか。 日本の海外M&Aは失敗の連続である(「特集 あぶない 企業買収」週刊東洋経済14年6月7日号参照)。事前によく調べるべきなのだが、大抵は買収するという結論が決まっていて、部下は、それをサポートする資料を作っているだけだろう。もちろん、被買収企業が不良資産を隠していたなど、決定的な問題を発見すれば上司に告げるだろうが、多くは経営能力があれば解決できると解釈できる程度の問題である。問題だというのは、上司に経営能力がないと言うのと同じになる。そんな資料を上司には持っていかないのがサラリーマンというものだ。 つまりは、間接部門の下働きのホワイトカラーとは、していることが本質的に無駄にならざるを得ない環境にある。 そうであれば、つまらない資料などに頼らず、社長が決断すれば良いだけだ。間接部門の下働きのホワイトカラーの残業代を減らせば、つまらない資料をもっとたくさん作るだけだ。 筆者は前に、管理職に部下の残業代を上乗せして払い、管理職にその中から残業代を払わせれば良いと提案したことがある。そうすれば、自分が判断するために何が本当に必要な情報かを真剣に考える。それは、自分の決断の意味も真剣に考えることになる。それこそが、日本企業をより活性化するのではないか。規制改革だけ行っても、会社が変わらなければ意味がない。原田 泰(はらだ・ゆたか)1950年東京生まれ。東京大学農学部卒。経済企画庁国民生活調査課長、財務省財務総合政策研究所次長などを経て現職。『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(新潮社)など著書多数。

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    人材不足が「発明の母」の大きなチャンスに

    伊藤 元重(東京大学大学院教授) 景気が回復する中で、人材不足への懸念が強くなっている。住宅建設や公共事業では人材確保が困難で、建設コストアップや公共事業の延期につながっている。造船業界なども、建設分野に人材がとられて大変だという。安い労働力をふんだんに利用してきた外食産業では、人材確保が難しいということで、一部の店舗の閉鎖を決めた。少子高齢化の下で生産年齢人口は今後急速に縮小する見込みで、労働不足の問題はさらに深刻になりそうだ。労働不足が日本経済の足を引っ張るという見方をする人さえ出てきた。 人材不足の問題は確かに深刻かもしれない。しかし、人材不足問題こそ、日本の雇用の構造的問題を解決する大きなチャンスかもしれない。長い景気低迷の中で、多くの企業が低廉な労働者を使い捨てにするような経営をしてきた。非正規雇用の仕事にしかつけない若者の数が増えてしまった。企業は従業員のスキルアップのための投資を大幅に減らしてきた。おかげで、日本の産業の労働生産性は、諸外国に比べて見劣りするような状況である。 1980年代末のバブルの時期に自動車メーカー幹部から聞いた話が忘れられない。「労働者不足は深刻で1人の労働力を節約するためならロボットなどに4千万円まで投資しても惜しくない」と発言したのだ。それだけ労働者不足は深刻であったのだろう。深刻であるからこそ労働節約的な資本への投資を行うというのだ。当然、従業員のスキルを最大限に向上させるような教育訓練も重視しただろうし、現場の労働生産性を高めるための工程見直しなども徹底しておこなったはずだ。 必要は発明の母とも言う。労働者不足が深刻になるほど貴重な労働力を有効に利用できるように企業も努力することになる。これは労働の使い捨てではなく、従業員のスキルアップを重視する経営であるはずだ。安い労働に依存した低い生産性の企業は淘汰(とうた)され、賃金コストは高くても労働生産性の高い企業が競争上も有利になる。労働力に代替する資本設備への投資が拡大することは投資需要を通じて経済拡大に寄与するはずだ。 政府は労働市場改革に取り組んでいる。一部に強い反対がありながらも、労働時間規制を適用しないホワイトカラー・エグゼンプションの一部導入に踏み切ろうとしている。女性の活躍を支援する政策も、労働力を強化する上では有効であろう。一連の改革を通じて、日本の労働の生産性をいかに引き上げていくのかがポイントとなる。 経済学者の間ではよく話題になるが、失われた20年の間に、日本の無形資産(intangible assets)への投資が低調であった。その典型が人材のスキルアップへの投資だ。経済学者が「人的資本」(ヒューマン・キャピタル)と呼ぶものだ。無形資産への投資を拡大することが日本の成長力を高めるためには必須であるという。労働不足の問題が、人的資本や資本設備への投資を拡大する動きにつながることを期待したい。 伊藤 元重(東京大学大学院教授) 昭和26年、静岡県生まれ。東京大学経済学部卒。米ロチェスター大学大学院経済学部博士課程修了。東京大学経済学部長、同大学院経済学研究科長を歴任。専門は国際経済学。著書に「危機を超えて すべてがわかる『世界大不況』講義」など。 

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    非正規から置き換えられる移民労働では経済再生は無理

    田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員) 政府は6月末に打ち出した成長戦略(2013年「日本再興戦略」)の改訂版で、そろりと、移民受け入れに舵を切った。少子高齢化で停滞する日本経済は大量の外国人労働者を受け入れないとジリ貧になるという財務官僚や識者の意見が通ったわけだが、本当に移民で経済は成長するのだろうか。 政府の説明は、帰国を前提とした外国人労働者受け入れ拡大であり、永住につながる「移民」導入ではないというのだが、経済協力開発機構(OECD)など国際機関は「移民」を「外国生まれの移住者」とみなし、外国生まれの労働者をその範疇(はんちゅう)に入れている。外国人労働者を移民としてとらえるのはいわば国際常識だ。「低技能」大量流入も経済財政諮問会議に出席する(右から)菅官房長官、麻生財務相、安倍首相ら=2014年6月13日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 成長戦略改訂版では、さまざまな角度から外国人の働き手増加を導き出している。まず、法人税率引き下げで外国企業の対日直接投資を促して高度な技能・技術を持った外国人人材を受け入れる。高度な外国人が来日して定住してくれるようにするためには、外国人の家事労働者を受け入れる必要がある。これまで日本は単純労働者を受け入れていなかったが、家事労働をきっかけに単純労働者受け入れに転換することになる。 ならば、低技能の労働者も障壁を下げる。発展途上国の労働者が現場作業に従事しながら技能を学ぶという建前の「外国人技能研修制度」に基づく「外国人技能実習生」の受け入れをもっと拡大する。新成長戦略では技能研修生の滞在期間を3年から5年に延長すると同時に、介護福祉を外国人技能実習制度に追加する。さらに2020年東京五輪を控えた建設工事需要に対応する名目で建設業と、同じく人手不足の造船業での外国人労働者受け入れ期間を5~6年とする新制度をつくる。 これらは、急場しのぎでささやかな外国人労働の受け入れ拡大策のように見えるが、新成長戦略を議論する内閣府や経済財政諮問会議を裏方で仕切っている財務官僚は着々と地ならししている。例えば、内閣府が2月24日にまとめた「目指すべき日本の未来の姿について」というリポートで、出生率回復に加えて移民を年20万人ずつ受け入れた場合、2060年に12年と同水準の人口1億1000万人台を保てるが、移民なしでは出生率が回復しても、9894万人に落ち込むと「予測」してみせたが、計算根拠はなしだ。 移民増加で経済が再生できるなら、それだけの綿密な経済分析が必要だが、諮問会議ではおなじみの御用経済学者が「技能のある外国人材が活躍できる環境の構築でイノベーション」などと、もっぱら高度な人材の大量導入による経済活性化のシナリオを強調している。響きのよい「高度人材」を表看板に掲げ、「技能研修」という名の低コスト労働者の拡大を看板の裏に書いた。その裏の方は実現するに違いないが、表看板の方は問題だらけだ。「高度な外国の人材」よりも、低技能の労働者が大量に入ってくる可能性の方がはるかに高い。コスト優先の雇用構造 それでも「持続成長」は達成できるのだろうか。経済学の基本に立ち返ってみよう。企業のグローバル志向は国内雇用の非正規化を伴い、ひいては質的劣化も伴う 移民があろうがなかろうが、生産適齢人口(15歳以上、65歳未満)が減る中で、経済成長を維持するには、労働生産性を高めるというのが、常識である。少子高齢化のトレンドや人口構成が日本とよく似ているのが移民を受け入れてきたドイツである。ドイツの移民は全人口の15%程度になる。では、ドイツの労働生産性の伸び率はというと、2000~12年の年平均で1・1%、対する日本(滞在外国人比率1・7%)は1・3%である。 上記の技能研修を名目にした低技能の労働者には、国内に需要がある。需要というのは、コストの安い労働力のことで、日本の雇用構造がそうなっている。グラフは日本の製造業の海外志向と国内の非正規雇用の推移を追っている。非正規雇用は正規雇用に置き換わる形で、数と比率とも海外展開強化とともに上昇を続けている。企業は海外拠点拡大の一方で国内では、低コストの派遣社員やパートに依存し、高度な知見や経験を持つ正社員の人材を増やそうとしない。今後はさらに、低コストの非正規雇用をさらに低コストの外国人労働で置き換えることになる。生産性向上は二の次であり、コスト削減を最優先とする。それが日本再生につながるはずはないだろう。(SANKEI EXPRESS)

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    選挙後、家計はますます火の車に

    荻原博子(経済ジャーナリスト) 衆議院選挙がスタートしました。この暮れの忙しい時に、640億円もの大金を使って、なぜ選挙をしなくてはならないのか、さっぱりわからないという人が多いようです。 安倍首相は、消費増税先送りの是非を問う選挙だと言いますが、野党をはじめ一般の人も、こんなに景気が悪いのだから消費増税を先送りするのは当たり前だと思っている。それなのに、是非を問う必要などありません。 しいていうなら、経済状況がどんどん悪化している中で、約2年続けてきた「アベノミクス」を、このまま続けても良いのかどうかということなのでしょう。 4~6月期に続いて7~9月期もGDPがマイナスになりました。GDPが2カ月連続でマイナスということは、景気後退(リセッション)に入ったということで、海外からは「日本の景気は急速に悪化している」と見られています。そのせいで、円が売られ、ここにきて円安が急激に進んでいます。 「アベノミクス」では、“円安政策”を掲げ、円安で輸出を増やして経済を潤すと言っていましたが、結果は、輸出が伸びず、輸入コストが上がるという惨憺たる状況になってしまいました。円安でも、儲けのトリクルダウンは起きなかった 円安になると、輸出が伸びると言われていましたが、自動車工業会公表の4輪車の輸出台数を対前年比で見ると、1月マイナス4・9%、2月マイナス6%、3月マイナス0・6%、4月マイナス5・4%、5月マイナス9・6%、6月マイナス4%と惨憺たる状況。7月はかろうじてプラスになりましたが、それでも0・1%。さらに8月マイナス8・6%、9月マイナス3・3%。つまり、昨年は100台売れていた4輪車が、今年は円安が進んだにも関わらず95台に減ってしまったということ。確かに、トヨタなど輸出大手は100万円だった車が円安で120円で売れるので、為替で大儲けしています。けれど下請け企業は、輸出される車の台数が減っているのですから、仕事が減っているということ。儲かるどころか、値上がりした原材料を使わなくてはならないので、苦しくなっている。つまり、輸出大手が儲かれば、儲けが下請けに滴り落ちて行くというトリクルダウン理論は、完全に破綻しているということです。 家計に迫る、円安の津波  こうした中で、実質賃金は15カ月連続で下がっています。 なぜ、企業が賃金を上げられないのかと言えば、前述の4輪車の輸出を見てもわかるように、一部の大手企業は儲かっていても、下請けや中小・零細企業は、原材料の値上がりと消費税がアップする中で、肝心の仕事は増えず、利益がどんどん減ってしまっている状況だからです。 今、日本で働いている人の約7割は、中小・零細企業に勤めています。この人たちの給料が上がらないのですから、一部の儲かっている大手企業にお勤めの方達の給料が上がったとしても、全体的には上がらないということになってしまいます。さらに、働いている人の4割は非正規社員なので、ここには給料を上げるというインセンティブも働きません。 一方で、円安と消費税率8%への引き上げによる物価高は、この先もまだまだ続きそうです。 ここ1カ月の間に、10円以上の円安になっています。つまり、輸入品の原価が1割以上上がっているということです。今、このレートで海外にオーダーしている商品が、船便で日本に届いてスーパーの店頭に並ぶのは1~2カ月先ですから、来年の正月に、皆さんは、また一段と価格が上がったという実感を持つのでしょう。そうなると、当然ながらモノを買わないという行動に出ざるを得ないので、デフレ脱却などは、絵空事となるでしょう。100万人雇用の中身は“非正規社員”! 2年前の衆議院選のマニフェストで、いの一番に掲げていた「デフレ・円高からの脱却を最優先に、名目3%の経済成長を達成します」という公約は見事にどこかに消え去り、今回の政権公約で大看板として掲げているのが、「2年間で雇用が100万人も増えた」という実績(?)です。 確かにデータを見ると、安倍政権下で雇用は100万人以上増えています。ただ、その中身は、非正規が増えているということで、正社員は減っています。実際に、2013年1月と2014年9月を比べると、正社員は約10万人減っていて、非正規が大幅に増えています。しかも、この非正規の過半数はシニア世代と主婦世代。シニア世代は、年金が不安なので定年退職後も引き続き働こうという人が多く、主婦世代は、給料が上がらず家計が苦しく、子どもの教育費負担が大きいのでやむをえずパートで働き始めたということでしょう。しかも、「女性が輝く」とはほど遠い、生活のためにこなす仕事に就いています。 そういう意味では、これを「アベノミクスの成果」と言われても、戸惑います。 しかも、それ以上に不安に思うのは、政府は、「アベノミクス」以外の重要案件を、まったく争点にしない構えでいること。たとえば、国民にとって重要な憲法改正については、膨大なマニフェストの一番末尾に、言訳程度に6行でチョロっと書かれているだけ。秘密保護法や集団的自衛権については、言葉すらも出てきていません。 税金の無駄遣いとしか思えない選挙で、こうしたものにまで「国民の信を得た」などと言われては、たまらない気がします。

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    国民はアベノミクス選挙に何を想う

    が2日公示された。各党の公約は出そろい、政策の違いもはっきりみえてきたが、盛り上がりには欠ける。この選挙に国民は何を想い、何を期待するのか。選択の猶予は残り12日しかない。

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    有権者は一票に何を込めればいいのか

     いよいよ公示された“年の瀬衆院選”。12日間の選挙戦が始まったが、いつにも増して有権者の関心度は薄いようだ。その理由は、「なぜいま、解散総選挙をするのか」といった疑問に他ならない。 安倍晋三首相は解散に先立ち、11月18日の会見で「消費税を現在の8%から10%に再増税するのを1年半先送りする。しかし、18カ月先送りした2016年4月には、景気条項を外し、どんなことがあっても再増税は実施する」という主旨の発言をし、そのために「アベノミクスを引き続きやらせていただきたい」と述べた。つまり、今回の解散総選挙は、アベノミクスの信任選挙だと位置付けたのだ。 果たして、そうなのだろうか。本当に今回の解散はアベノミクスを問う解散なのだろうか。多くの永田町関係者や識者らは「大義がない」と、首を傾げる。野党各党は、再増税の先送りに異を唱えていないからだ。国論を二分するような話なら、解散して国民に信を問うというのは成り立つが、どうやらそうではない。 そんななか、自民党関係者はこう語る。 「実は、解散するタイミングは意外と少ない。来年は統一地方選挙があり、年が明けたらそれ一色に染まる。統一選後の地方議員はなかなか動かない。来年夏の解散を言う評論家など多かったが、選択肢としてはあり得ない話だったんだよ」 衆参合わせて過去5回、統一地方選後に国政選挙が行われたが、自分の選挙を終えたばかりの地方議員は積極的に動くことはせず、自民党にとって苦しい選挙戦の記憶があるのだというのだ。つまり、2016年の12月の任期満了までの政治カレンダーをめくれば、来年は統一地方選、再来年は夏の参院選があり、この機を逃せば参院選に合わせた解散しか手立てが無くなる。消去法による選択肢で“勝てるタイミング”はこの年末だったというのである。 このような話を聞く限り、党利党略、個利個略の解散としか映らない。大義の欠片も感じない。しかも、9月の内閣改造以降、安倍内閣の新大臣は相次ぐスキャンダルに見舞われ、このままいけば閣僚辞任ドミノを引き起こし、政権崩壊が囁かれていた時期でもある。単なる延命策としての解散ではないのか、そんな疑問すら持たれる解散だ。だから、有権者の多くは白けて、前回2012年の最低投票率59.32%を大きく下回るとの予測が出ているのだ。 実際、多くの町の小売業を営む方は、顔を歪めてこう言う。 「今年4月に消費税が8%になって以降、売り上げは全く伸びていない。なんとか年末商戦で今年の“負け分”を取り返そうとしていたのに、こんなんじゃ期待できない。一体、安倍首相は何がしたいんだ」 円安の影響で輸入部材の仕入れ値は急騰し、さまざまな商品が値上げを余儀なくされている。個人消費が伸び悩んでいる要因の大きな一つだ。その直撃をモロにかぶっているのが、小売業者に他ならない。その売り上げの落ち込みを取り戻そうと、年末商戦に賭けていた矢先、冷水を浴びせるような解散だったという。しかも「何がしたいのか分からない解散」(前出・小売り業者)では、怒りが倍増し、政治離れに拍車をかけるだけだ。 多くの国民がアベノミクスを実感できないなか、アベノミクスの信を問うと言われて、何を1票に込めればいいのだろうか。だからこそ、低投票率の話は現実味を帯びている。 低投票率になれば、基礎票が見込める自民、公明が有利だと見られている。事実、12月1日、NHKが発表した世論調査でも政党支持率は自民党が41.7%と他党を大きく引き離していた。このままいけば、解散まえの295議席を大きく割ることはないと見る専門家も出てきている。 責任は野党側にもある。第三極として、非自民、非民主の受け皿だったみんなの党は解党した。多くの野党がまとまらず、ようやく選挙区調整で候補を一本化するのが精一杯。かといって、選挙協力まで進まないので、有権者からすれば選択肢の幅がなくなってきたとしか映らない。本来、「非自民勢力を結集して、選挙後はこのような国会運営で自民党の暴走を食い止めます」というような野党連携の選挙が出来れば、選択肢は広がる。しかし、それが無い以上、以前は民主党に投票していた人が維新の候補しかいないからといって維新候補に投票するとは思えない。野党にとって一本化調整は入口であって、そこから戦略を練る必要があるのに、出来ないまま選挙戦に突入した感が否めないのだ。それが、“野党離れ”の世論調査に繋がっている。 疲弊したこの国の論点は数多くある。集団的自衛権の憲法解釈容認を臨時閣議で決め、今後は行使の前提となる個別法の整備を進めることとなる。この是非は考えなくてはならない。また、原発再稼働の問題も大きいだろう。単に、景気だけが論点ではない。 要は、有権者がいまの政治を自分の考え、生活に置き換えて今後はどうなればいいのか判断するより他ない。加えて言うなら、子どもや孫の世代まで思いを馳せることが重要だ。政治に失望し、投票所に行かないのは簡単だが、次の世代のためにも、1票をムダにしないでほしい。過渡期のなか、今後の政治の行方を決めるのは、有権者の1票に他ならないからだ。

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    分岐路に立つ「危機感」が争点である

    中西 輝政(京都大学名誉教授) いよいよ今日、衆院選の公示日を迎え、師走の選挙戦が本格的にスタートする。12月14日の投票日まで比較的短い選挙期間であるが、活発な論戦を期待したい。 とはいえ、公示日を迎えると実質的に選挙戦は終盤に入ったとも言われる。今回の総選挙の意義については、すでに多くの議論がなされている。その1つとして当初、野党やマスコミの一部からは「大義なき解散」とか「なぜ今なのか」といった疑問が提起された。しかし私には、このような議論があること自体が、今、この国に一番足りないものが何かを教えているように感じられた。それは「危機感」ということである。最後の希望のアベノミクス このことは野党・マスコミだけでなく与党の一部、あるいは国民の中にも広く見いだされた。 「なぜ今、こんなに多くの議席を持っているのに解散などするのか」「任期があと2年以上あるのに、なぜわざわざ」などといった声が聞かれた。しかし解散表明前日の11月17日に内閣府が発表した数字は、日本経済あるいはこの国自体が「危機」に直面していることを示すものであった。 今年7月から9月の第3四半期の国内総生産(GDP)成長率が前期に続いてマイナス成長、それも年率でマイナス1・6%という予想外のものであった。4月に5%から8%に引き上げられた消費税の導入が依然、成長の足を引っ張っており、日本経済がこの2年間、デフレ脱却へ向かっていた勢いがここで失速する可能性が浮上した、ということだ。 当然、来年10月に予定されていた消費税10%への再引き上げは先延ばしせざるを得ず、社会保障をはじめとするさまざまな施策にも影響が及ぶことになる。 しかしそれ以上に、今や「この国の悲願」ともいえる経済再生と持続的成長の確保という、かけがえのない重要な国家目標が成否の分岐路に立っていることを、われわれはもっと強く自覚しなければならないのではないか。 すでに20年近くにわたる長期のデフレによって日本経済は未曽有の低迷を続けており、この2年間アベノミクスの発動によって、ようやく光明が見え始めていた。 そこへ先のような数値が報じられたのである。20年ぶりに成果を生み始めたアベノミクスが、日本の未来にとって、いわば「最後の希望」なのであり、もしこれが失速すれば「日本の底が抜ける」ような事態になるのではないか、ということが分かるはずだ。失ってはならない成長の展望 今後も「この道しかない」とし、アベノミクスに賭けるのか、それとも、もと来た道へと引き返すのか。選挙の大義、争点はまさにこれなのだ。 それゆえアベノミクスを批判する野党は、ぜひとも、それに代わる具体的な代案を出さねばならないのである。いずれにせよ、日本が20年ぶりに「成長する経済」を取り戻せるのか否か、いまこの国は歴史的な分岐路に立っている。 「危機」と「破局」は違う。危機(クライシス)とは、まさに破局が始まる臨界点のことで、悪くすると破滅的な結末に至る重大局面を意味する。もしここで日本が成長への展望を失ってしまえば、少子化の進行と財政危機の頻発の中で不可逆的な国家衰退の道を辿(たど)るだろう。 21世紀の世界において、経済成長のない国は、中東やアフリカの「破綻国家」と同様、国際社会においてはまともな存在感を発揮できず、領土問題など国の存立それ自体にも影を及ぼすことになる。 この観点から、日本におけるエネルギー政策をめぐる議論の現状には、差し迫った疑問を感じないわけにはいかない。適切なエネルギー源の確保は、その国の経済成長の要石である。安全性を確認された原発の早期の再稼働は、今やこの国の存立と未来を確保するための重要な課題となっている。歴史的成果あげた安倍外交 安倍晋三政権は4月に改定されたエネルギー基本計画に則(のっと)って選挙公約を発表している。解散の記者会見を見ても安倍首相のスタンスは、この点でも「この道しかない」とはっきりしている。野党も態度を明確にして、有権者に明瞭な選択肢を示すべきである。 もう1つ、解散・総選挙の重要な大義として、この2年間にわたる活発な「安倍外交」の成果を問う、ということが挙げられる。 まさにこの11月、北京で安倍首相と中国の習近平国家主席との日中首脳会談がほぼ3年ぶりに実現した。沖縄県・尖閣諸島や歴史問題で一方的な条件を付け、首脳会談の開催を拒んできた中国と韓国に対し、「法の支配」や「人権」など普遍的価値を掲げて展開した安倍首相の「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」がついに対話のドアを開けさせることに成功したのである。 日本外交の歴史的成果といっても過言ではない。俗に外交は票にならないという。であれば、次のように言おう。 この選挙の真の争点、それはまさに安倍晋三という指導者その人への信任なのである。 中西 輝政(京都大学名誉教授) 昭和22年、大阪府生まれ。京大大学院博士課程単位取得、英ケンブリッジ大留学。静岡県立大教授、京大大学院教授などを歴任。平成24年から京都大名誉教授。著書に「大英帝国衰亡史」「帝国としての中国」「迫りくる日中冷戦の時代」など。第18回正論大賞受賞。

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    アベノミクスの進むべき道

    日銀の黒田東彦総裁による異次元の金融緩和は見事に機能した。だが、今年4月の消費増税でその効果は打ち消された。日本経済再生の「切り札」ともいえるアベノミクスの成否は、民間需要を喚起する成長戦略「第3の矢」の真価にかかっている。試練を迎えたアベノミクスが進むべき道を考える。

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    アベノミクスの光と影

    でも国際公約としている「2015年度のプライマリーバランスの赤字半減」を達成しなければならない。また選挙に突入し、軽減税率の導入やその他歳出拡大は起こるだろう。黒字達成を約束している2020年度に向け、今まで先送りされ続けている社会保障改革に対して痛みを伴う改革を断行しなければならない。 いずれにせよ選挙に向かった。この選挙が安倍首相による安倍首相のための選挙だったとのちのち言われないためにも、選挙で立ち止まっている間にアベノミクスの影の部分に対してどう対応するかを決め、選挙後、遅れている成長戦略や先送りされている財政再建をスピード感もって進めなければならない。

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    円安はアベノミクスに不可避

    岡崎研究所 フィナンシャルタイムズ紙コラムニストのデヴィッド・ピリングが、10月15日付同紙にて、円安は、日本にとってメリットもデメリットもあるが、デメリットに気をとられ過ぎて、アベノミクスの柱である円安政策を放棄して、アベノミクスを損なうべきではない、と指摘しています。 すなわち、弱い円は、安倍総理のリフレ政策の重要な柱である。大規模な金融緩和の推進は、円をドルに対して26%下落させ、輸入価格が上昇し、消費者物価を日銀の2%のインフレターゲットに向けて押し上げるのに役立った。しかし、弱い円は、日本にとって、もはや、良いことだけではないかもしれない。 それには、いくつかの理由がある。一つは、48基の原発全てが停止した結果、はるかに多くの、石油、LNGを輸入するようになり、弱い円が、貿易収支を悪化させている。対外投資からの多くの収益があるが、最近では、拡大する貿易赤字を相殺するには十分ではない。 もう一つの理由は、日本はもはや輸出経済ではない点である。日本の輸出は、GDPの15%に過ぎない。 安倍総理は、明らかに、弱い円の利点について再考している。6年ぶりに1ドル110円台に下落した時、安倍総理は、円の下落には良い面と悪い面があると述べた。黒田日銀総裁は、釈明のため、国会に招致された。政府と日銀の亀裂の徴候は、アベノミクスへの信認を弱めかねない。もう一段の量的・質的緩和をためらうようなことがあれば、インフレ期待の定着に失敗し、リフレ政策全体が挫折し得る。 弱い円はメリットだけではないという安倍総理の認識は正しいが、今ふらつくことは、災厄である。持続的な物価上昇は、アベノミクスの中心眼目である。デフレに戻ることは、それを全て捨て去ることになる。好むと好まざるとに関わらず、弱い円は、アベノミクスの一部である、と述べています。出典:David Pilling, ‘A weak yen is no panacea but Shinzo Abe needs it all the same’(Financial Times, October 15, 2014)* * * アベノミクスについては、近隣窮乏化政策である、通貨操作である、といった批判もありますが、円安それ自体を目的としているというよりは、金融緩和が主眼であり、円安はその結果として起こっていると捉える方が正確でしょう。最近は、ピリングが言うように、円安のデメリットが指摘されています。円安によって輸出数量が伸び、国内生産が増加し、経済の拡大に貢献することが期待されていたにもかかわらず、円安でも輸出数量が伸びず、期待された経済効果が見られず、他方、円安で輸入物価が上昇し、購買力の低下につながっている、という指摘です。円安にもかかわらず、何故輸出が伸びないかについては、一例として、以前は輸出を引っ張っていた電気セクターが国内の生産能力を大幅に減らすとともに、輸出の中心である自動車同様、生産拠点を大幅に海外に移転し、国内の供給体制が制約されていることがあります。 以前のように円安が輸出増をもたらすためには、製造業が設備投資を増やし、生産能力を増やしたり、輸出の新しい担い手が出てきたりする必要があります。これこそが、アベノミクスの第3の矢である構造改革の課題です。他方、円安は輸入物価高をもたらし、給与が増えない限り、実質所得減をもたらすのは当然であり、安倍政権は賃上げを重視しています。 つまり、アベノミクスには円安のデメリット対策が含まれているのであって、円安のメリットがデメリットを上回るよう、これらの対策が着実に実施されることが期待されます。ただ、円安のデメリットへの対策の中でも、構造的要因に対しては、長期的な対策とならざるを得ません。しかし、LNGや石油の輸入増と円安が相まって物価上昇をもたらしている点は、原発を再稼働すれば回避し得ることです。アベノミクスの成否は、原発の迅速な再稼働が出来るかどうかにもかかっていると言ってよいでしょう。

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    消せない「8%」の負の衝撃

    田村秀男(産経新聞編集委員) あれよと言う間に衆院が解散され、総選挙が始まる。最大の争点はアベノミクスだ。打ち出されて2年近くになるアベノミクスの成果と問題点を検証してみよう。 まずグラフを見てほしい。平成24年10~12月期以降の日経平均株価と実質国内総生産(GDP)の伸び率、勤労者実質収入の伸び率の推移を追っている。実質とは、名目値から物価の上昇率を差し引いた正味の分だ。 アベノミクスが本格的に始動した25年初め以来、最も目覚ましい成果を挙げたのは株価である。株価は上昇を続けた後、今年前半の停滞を経て再び上向いている。「第1の矢」である異次元金融緩和によって日銀がおカネを大量発行すると外国為替市場で円の価値が下がる。円安は輸出企業や多国籍化した大企業の収益をかさ上げする一方で、ドルに換算した日本株に割安感をもたらす。こうして日本株売買の7割前後を占めるニューヨーク・ウォール街などの海外投資家を引き寄せ、国内投資家が呼応する。 読者の多くはここで疑問を持つだろう。確かに株高は投資家にとっては喜ばしいが、私たちが生活する実体経済をどれだけよくするのか、と。とりわけ、金融資産をため込むだけのゆとりのない一般の勤労者にとっては株式投資どころではない。 リーマン・ショック当時のGDPと株価をそれぞれ100として、株価が100上がった場合の実質GDPがどれだけ上昇してきたか、日米の最近の2年間について筆者が試算してみると、米国は15前後で推移し、日本は3~7の幅で動いている。米国はリーマン後、連邦準備制度理事会(FRB)がおカネの発行量を6年間で4倍以上増やして、株価を上昇させて景気を回復軌道に乗せた。 日本の株高による景気押し上げ効果は米国に比べてかなり見劣りするものの、それなりに効き目がある。日銀がおカネを刷って、金融市場に流し込んで円安・株高に誘導し、景気をよくするという手法は弱いとはいえ、有効には違いないようだ。 この好循環は今年1~3月でぷっつり途絶えた。GDPの改善基調は消費税率8%になった4月で暗転してしまったが、その前に勤労者家計の実質収入は減り続けていた。 実質収入の増加率は昨年10~12月からマイナスに転じ、消費税増税後は下落に加速がかかった。GDP成長率は、実質収入のあとを追うようにぽきんと腰折れし、7~9月期でさらに悪化した。収入が減れば、消費を切り詰める。家計消費が6割を占めるGDPが萎縮する。 実質収入が減ったのは、物価上昇に賃上げが追いつかなかったためだ。インフレ目標2%を掲げる日銀は円安に誘導して輸入物価を押し上げ、消費者物価上昇率を1%台のプラスに押し上げた。企業の方はしばらくの間、景気の先行きを見極めるまでは賃上げには慎重になるので、物価上昇分だけ実質賃金が下がる。そこに消費税率引き上げ分が物価に転嫁されたので、実質賃金が急下降した。金融緩和を柱とするアベノミクスで消費は確かに上向いたが、航空機で言えば巡航速度に入る前に増税で逆噴射させたために失速してしまったのだ。民主党など野党は「アベノミクスの失敗」を騒ぎ立てるが、民主党政権が主導した「3党合意」による消費税増税が元凶だと素直に認めるべきだ。 肝心の安倍首相も判断ミスを犯した。日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁は楽観的過ぎた。黒田氏は昨年10月初めの増税決断の際、異次元緩和をすれば消費税増税による悪影響を相殺できると首相に進言したのだ。 そこで安倍首相が来年10月に予定されていた消費税再増税を先送りしたのは当然だが、それでアベノミクスが息を吹き返すわけではない。消費税率8%が引き起こした家計への圧迫は今後も続く。安倍首相は引き続き、企業に賃上げを求めると言明しているが、国内需要に不安がある中では、おいそれとは実現しそうにない。 日銀のほうは10月末に異次元緩和の追加策に踏み切った。新規発行額の2倍近い国債を市場から購入すると同時に株価指数に連動する上場投資信託の買い上げ規模をこれまでの3倍にする。市場は沸き立ち円安・株高が進行しているが、それによる実体経済押し上げ効果に限度があるのは、上述した通りだ。 筆者が知る限り、アベノミクスに代わる現実的な脱デフレ策はない。総選挙を通じて、安倍政権と与党はアベノミクスのまき直し策を明示し、野党側も建設的な対案をぶつけるべきなのだ。

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    解散会見から見えた総選挙の本当の論点

    岸博幸 (慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)相変わらず不明な選挙の大義名分 18日夜、安倍首相が衆議院解散表明を行った記者会見。みなさんは12月の総選挙の“大義名分”がお分かりになられたでしょうか。私は、以下の2つの点から相変らずその“大義名分”を理解することができませんでした。 第一に、7~9月の成長率がマイナスであった以上、法律の景気条項に基づいて政治の裁量で消費再増税を淡々と延期すれば良いのであり、それを選挙で国民に問う必要はないからです。 第二に、アベノミクスの是非を国民に問うというのも未だによく分かりません。アベノミクスは金融緩和・財政出動という短期の経済運営と成長戦略という長期の経済運営という、教科書的に当たり前の経済運営を行なっているに過ぎず、+αの足りない部分を議論するならともかく、その是非自体は問う必要もないからです。安倍首相は経済運営の退路を断った衆院本会議を前に、沈思黙考の様子の安倍晋三首相=11月6日(酒巻俊介撮影) しかし、安倍首相の会見から、少なくとも選挙戦を通じて与野党にしっかりと議論してもらいたい論点だけは明確になりました。それは、正しい経済運営を行なえる体制を構築できるかということです。 その理由は、安倍首相が“2017年4月には必ず消費税を10%にし、景気条項も付さない”と断言したからです。この発言はある意味で非常に思い切った発言であり、安倍首相自ら経済運営について退路を断ったとも言えます。 というのは、今の金融緩和のペースが続けば、2017年4月より前には物価上昇率が2%を超えている可能性が高いと考えられるからです。 物価上昇率が2%を超えたら、日銀は今の大規模な金融緩和を止め、逆に金融引き締めに移行するでしょう。それなしには、とめどもないインフレというデフレとは正反対のリスクが顕在化しかねないからです。即ち、2017年4月に日本経済は、既に金融引き締めに転じている中で増税を行なうという、景気の足を引っ張るダブルパンチに直面することになる可能性があるのです。 それだけではありません。2017年4月に増税が延期になったというと、財政再建を始めるタイミングも先送りになったように思われかねませんが、現実は逆です。日銀が金融引き締めに転じたら、日銀が吸収する国債の量も減少することになるので、そうなっても国債が市場で円滑に消化されるようにするには、日本の財政規律に対する外国人投資家の信頼が維持されるよう、2017年4月の増税より前の段階から本格的な財政再建に取り組むことが必要となります。 即ち、2017年4月に増税が延期になったということは、経済運営や財政再建で一息つける時間ができたのではなく、むしろそれまでの2年半の間に日本経済を正しく再生させて成長率を高め、そして本格的な財政再建を始めるという2つの約束をしたに等しいのです。選挙戦で議論すべきは改革を進める体制かどうか それでは、あと2年半で日本経済を再生するには何が必要でしょうか。安倍政権のこれまでの2年間で大した成果を出せていない成長戦略を充実させ、思い切った岩盤規制の改革や法人税減税などの構造改革を進める必要があります。今の金融緩和や財政出動は2年半後まで効果が続くと思えない一方で、成長戦略の効果が出て生産性が上昇するにはある程度の時間がかかることを考えると、できるだけ早く、それこそ来年の前半には成果を出さなければなりません。 次に、本格的な財政再建のためには何が必要でしょうか。そもそも消費税率を10%にしても財政再建の観点からは焼け石に水であり、増税の前に本来必要な歳出削減、特にもっとも歳出と赤字の大きい社会保障制度の抜本改革が不可欠です。この点については、安倍政権のこれまでの2年間は成長戦略以上に何もやれていません。小役人的なこまごまとした社会保障支出の削減のみであり、それを超えた社会保障制度の抜本改革なしには財政再建のリアリティは出てきません。 そして、安倍政権のこれまでの2年間で成長戦略や社会保障制度改革が進まなかったのは、霞ヶ関の官僚に改革意欲が一切なく、そして自民党の大半を占める族議員が改革を阻んできたからに他なりません。かつ、官邸に置かれた経済財政諮問会議や産業競争力会議という、本来は改革の司令塔となるべき会議体が、官僚の書いた筋書きどおりに何の論争もなく毎回つつがなく終わっているようでは、そうした官僚や族議員の抵抗を官邸の政治主導でぶち破れるはずがありません。 こうした現実を考えると、今回の選挙を通じて問われるべきは、過去2年のアベノミクスの是非ではなく、その2年で実現できなかったけれどあと2年半で必ず実行しなければならない2つの改革を進める体制が本当に構築できるかの是非ではないでしょうか。 それなしに連立与党が淡々と選挙に勝利するだけでは、官僚と族議員の抵抗、そして官邸の政治主導の欠如という選挙前と同じ体制が続き、2つの改革が進まないまま本当の意味での時間切れを迎えてしまうリスクがあるのではないでしょうか。 そう考えると、やる意味がないように見える今回の選挙も、実は重要な意味合いを含んでいると言えます。特に野党はこの点を深く肝に命じ、正しい政策論争をしてほしいと切に願います。(ダイヤモンド・オンラインより) 岸 博幸(きし・ひろゆき) 昭和37年、東京都生まれ。一橋大学経済学部、コロンビア大学ビジネススクール卒。61年に通商産業省(現・経済産業省)入省 後、経済財政政策担当相、金融担当相、郵政民営化担当相、総務大臣の政務秘書官を歴任。慶応大学大学院メディアデザイン研究科教授。 

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    首相は誰と戦っているのか

    自ら命名した「アベノミクス解散」を掲げ、走り始めた安倍首相。2度の会見で抵抗勢力の存在を示唆してきたが、姿ははっきりと見えてこない。首相が見据える“敵”とは誰なのか。

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    改革のターゲットを名指しせよ

    石井 聡(産経新聞論説副委員長) 年末総選挙に打って出た安倍晋三首相は、いったい誰と戦っているのだろう。もちろん、序盤からアベノミクスを批判する民主党など野党を蹴散らす戦いには、すでにアクセル全開といった感じだ。 「この道しかない」というスローガンで、政権2年の成果を自賛する。民主党政権後の日本の立て直しを強調し、民主党にはできないと突き放す。その戦法で戦い抜くのだろう。 もっとも、これでは解散前と選挙後で、世の中の何が変わるのかがよく分からない。 消費税率10%への再増税を1年半延期したので国民の信を問う。「大義」と胸を張れるかどうかはおき、道理ではある。 だが、なぜ再増税を延期せざるを得なかったのか。そもそも、4月の税率8%への増税が景気の足を引っ張ったとすれば、どうすればそこから立ち直り、脱デフレの道筋を確かにできるのか。有権者としてはそこが聞きたい。◇衆院解散後、記者会見をする安倍晋三首相=11月21日午後、首相官邸(宮崎瑞穂撮影) 首相は解散にあたって2度の記者会見をした。1回目は再増税延期を決めた11月18日、2度目は「アベノミクス解散」と命名した21日だ。その中で共通する下りがあった。 まず18日の会見で「国民の皆様のご協力なくして、こうした成長戦略のような困難な政策は前に進みません」と述べた。困難な政策とは何なのだろう。 21日には「賛否両論、抵抗も大きい、その成長戦略をしっかりと前に進め、国民生活を豊かにしていく」と語った。二つを考え合わせると、どうやら成長戦略に抵抗している勢力の存在を示唆しているようだ。 すぐに思い浮かぶのは、成長戦略の柱となる規制緩和、なかでも「岩盤規制」と呼ばれる分野である。業界や関係省庁の強力な抵抗で、規制の緩和や撤廃が難しいものだ。医療、農業、雇用などが例示されてきた。 これに対し、野党側からは「岩盤規制の打破は、しがらみだらけの自民党ではできない」との批判も出ている。関係業界が既得権益を保護するため、自民党を支援する構図を強調する狙いだ。 「三本の矢」の中でも、成長戦略を意味する「第3の矢」に力強さが欠けているとの指摘は多い。首相がまき直しを図ろうとするのは当然だが、それならなぜ、その対象を具体的に示さないのか。 小泉純一郎元首相は「郵政解散」において、敵とそれを支持する抵抗勢力を明確に色分けして選挙に臨んだ。それによって自民党がぶっ壊れてもよいという姿勢だった。ちなみに、解散の本会議で小泉進次郎復興政務官は万歳に加わらなかった。「万歳する姿が、余計に国民との心の距離を生む」と思ったからだという。 仮に安倍首相が「●協を解体せよ」「◎◎会をぶっ壊せ」などと抵抗勢力を名指しして改革の対象に挙げれば、「何のための解散か」というモヤはかなり晴れる。そうした手法には賛否両論あるだろうが、今よりも選挙戦は盛り上がる。果たして、そうした場面は訪れるだろうか。◇ それにしても「72・2%」には驚いた。産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の11月下旬の合同世論調査で、安倍首相の解散決断について「適切だと思わない」と答えた人の比率である。「思う」は22・8%だ。 これだけ世論が明確に反応すると、今回の選挙の意義をあれこれと書く立場にある者も困惑する。 その意味でも、首相には「仮想敵」をはっきりさせたうえで選挙を戦ってもらいたい。この際、具体的な対案を示せない民主党など野党は、真の敵にはならない。 再増税延期にあたり、首相と「増税派」、財務省との間で激しい綱引きがあったという見方もある。「財務省による政権支配」との戦いというのだろう。 ただし、この構図で考える場合、首相が1年半の延期後、再増税を必ず行うと宣言していることの説明が必要になる。 首相は中国、ミャンマー、オーストラリアの歴訪から帰国する直前、記者団に「精神論ではいけない」という言葉を用いて再増税への考えを述べた。 この時点で、首相はまだ先送りも解散も明言していない。 景気の腰折れなどの懸念があり、税収が増えるどころが減ることも考えられるのに、再増税はすでに決まったものとして、精神論で突き進むべきではない、といった意味で用いたのだろう。この発言が、再増税延期を強くにおわせる効果もあった。 予定通り、首相は帰国後に延期と解散を表明したが、意外だったのは増税時の景気動向によって実施の可否を判断する「弾力条項」をつけないと明言したことだ。 29年4月の再増税実施を前に、景気がどうなっているかは読み切れない。だが、少々の不安がある程度なら、ためらわずに踏み切るという意味だろう。 そう言っておかないと、内外から財政再建への姿勢を疑われかねない。増税派である麻生太郎財務相と、その線で折り合ったのではないか、などの観測を呼んだ。 だが、弾力条項を外して退路を断つという姿勢は、首相が否定した「精神論」に映らないか。 第3の矢を放つ改革のターゲットを名指ししたうえで、国民の前でファイティングポーズをとってみせてはどうか。それなしにアベノミクスの成果を語るばかりでは、大義の乏しさを自ら強調することになりかねない。

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    拉致解決はどこへ消えた

    新聞をみてもテレビをみても世の中は総選挙一色だが、この間も忘れてはならない政治課題は山積している。北朝鮮による国家犯罪、日本人拉致問題もその一つである。

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    国連人権決議は金正恩氏への「核爆弾」である

    久保田るり子(産経新聞編集委員) 北朝鮮にとっては「核爆弾」級のインパクトだという。国連総会で12月中の採択が確実の「北朝鮮人権決議」のことだ。 北朝鮮外交官が国連本部ビルをナーバスに走り回っている。国連北朝鮮代表部の幹部が自国の人権をめぐる抗弁で口角泡を飛ばしたり、自画自賛する〝決議案〟を配りまくったりとロビー活動に血眼という。「金正恩が国際刑事裁判所に訴えられるかもしれないということで、それを『すべての外交力量を使って防げ』という命令が出ていると聞いている」(北朝鮮情勢に詳しい専門家)。 10年ほど前から毎年、出ている国連での北朝鮮人権決議だが、これまで北朝鮮は見向きもしなかった。今回が異なるのは決議案に「人道に対する罪を犯した最高責任者を特定する」と「人権侵害を国際刑事裁判所(ICC)に付託するよう国連安保理に議論を促す」との2点が明記されたこと。だがICC付託には安保理決議が必要だし、すでに中露が反対を表明しているため、金正恩氏がICCで裁かれる実現性はほぼゼロ。それでも北朝鮮はなりふり構わず必死になっている。一体、なぜ? 「みなさんは北朝鮮のことをあまりに知らない。首領主義がすべての中心にある北朝鮮で、最高権力者が世界から刑事被告に名指しされたら、それこそ核爆弾だ。本物の核実験非難や制裁など、今回に比べたら何の痛痒もない」 「労働新聞を見てください。毎日のように赤道ギニア共和国から花輪が届いたとか、どこどこ共和国の元首から祝電が届いたと、わが国の指導者は世界中から尊敬されていると北では教えている。『国連で刑事告発された』などと風船ビラで撒かれたり、ラジオで言われたりしたらとんでもないダメージだ」と北朝鮮出身者たちは言う。 金正恩政権は基盤が危うい 韓国の2014年の外国白書は「無分別な恐怖政治で権力内部の脆弱化が進み、権力層の動揺、民心離反が広がっている」と評価した。国連総会の決議は国際社会の「総意」だ。金正恩氏が父や祖父はじめ金氏一族の名誉を地に堕とす、これにまさる恥はなかろう。 この「北朝鮮人権決議」は欧州連合(EU)とともに日本が共同提案した。2014年2月、ジュネーブで国連の調査委員会が「北朝鮮人権報告書」を公表、政治犯収容所や外国人拉致、公開処刑など1950年代からの残虐行為を「人道に対する罪」と断定、最高指導者の責任追及にも言及した。これを元にまとめられた決議案には日本人拉致事件も明記された。3月にはジュネーブの国連人権理事会で採択。そして舞台をニューヨークに移し、国連総会での採択を迎えようとしている。 実は、日本政府代表団が訪朝し、北朝鮮の特別調査委員会、徐大河・国家安全保衛部副部長と面談していた10月28日、ニューヨークの国連本部は決議案をめぐる攻防戦がピークを迎えていた。この日、北朝鮮人権問題に関する国連特別報告者のマルズキ・ダルスマン氏が、「北朝鮮の人権問題はICCに付託すべきだ」と安保理に向けて熱弁をふるい、北朝鮮が危機感を募らせていた。 平壌では徐大河委員長が登場し、何やら芝居がかった協議が行われたが、予想通り何の成果もなかった。日朝協議は、「拉致問題もやっていますよ」というNYの決議案をめぐる北朝鮮の宣伝攻勢の一環だった可能性があるのだ。だとすると日本は、一方で金正恩氏の急所を突いた画期的な決議案を共同提案しておきながら、一方で宣伝に使われたことになる。 拉致問題再調査の日朝協議は、北朝鮮の対応全体を俯瞰して戦略を立て直すべきである。結果を出さない彼らには「再制裁」を突きつける必要がある。追い詰めなければ、彼らは決して動かない。彼らは焦っている。今回の国連での動きを受けて有名な「燿徳(ヨドク)収容所」を農村に偽装しているとの話もある。国際社会の追い風の中、日本外交はこの好機を逃すというのか。■北朝鮮人権非難決議を採択 国連総会委、刑事裁判所へ付託促す 北「核実験自制難しい」(産経ニュース 2014/11/19)■核実験に重ねて言及 国連決議で北朝鮮外務省(産経ニュース 2014/11/20)

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    議員の役割 日米でこれだけ違うのか

    今回の総選挙は、11月初めの米中間選挙から1ヶ月あまり後に行われる。双方とも世論を二分するような争点があまりないといった類似点がある一方、当選した議員が実際の立法活動で果たす役割には両国で相当の違いがある。日本でも、個々の議員が真の意味で立法に携われる環境が必要なのではないだろうか。

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    「明確な争点なし」が共通点 日米ともに信任投票?

     今回の総選挙が、政党間での政権交代はもちろん、与党内での首班交代につながると思う方はまずいないだろう。その意味でこの選挙は、政治・選挙システムは大きく異なるものの、大統領の地位には影響を及ぼさない米国の中間選挙と似た性格を帯びたものになりそうだ。  折から、米国では11月4日に中間選挙の投票が行われたばかりだが、「近年まれに見る争点がない選挙」(ワシントン・ポスト紙)との声が高く、盛り上がりに大きく欠けた。。下院に続いて上院でも共和党が多数を獲得したことで、「政権と議会の緊張関係が一段と高まる」などとも報じられているが、議席数をみれば、米国政治の潮流を変えるようなインパクトは少ない。特に内政面では、オバマ大統領の残り任期2年間は、重要問題では政権と議会がお互いに譲らず、手詰まり状態が続く可能性が高くなっている。 時期的に近接して行われることになった日米両国での選挙を取り巻く類似点、相違点はどのようなものだろうか。■ 「経済」に最も高い関心も、両党とも具体的な政策不在 ギャラップ社が中間選挙の投票約1ヶ月前の9月末に実施した世論調査では、有権者が「極めて重要」「とても重要」と考えた政策課題の上位は、1・経済(88%)2・雇用(86%)3・連邦政府が正常に機能すること(81%)4・イラク、シリアでの「イスラム国」の動き(78%)5・男女間での賃金平等(75%)6・財政赤字(73%)の順だった。 このうち「連邦政府の機能」は、昨年10月には議会の上下両院対立によって歳出法案が成立せず、約半月にわたって連邦政府が業務を停止したことなど、米国独特の事情を背景にしているもので、「イスラム国」は米国が歴史的にも、21世紀に入ってからのイラク介入などによっても中東情勢に強い関心を抱いていることによる。 その他の4項目は日本でもほぼそのまま、今回の総選挙で意識されている課題となっている。いずれも、広い意味での経済問題に属しており、少なくとも先進国間では「政治は経済によって動く」ことを証明している。  ギャラップの調査では、各課題について「(民主・共和)どちらの党がより良い結果を出せると思うか」を質問。6課題のうち、民主党を評価する意見が多かったのは「男女間での賃金平等」のみで、「雇用」はほぼ同率だったが、他の4項目では過半数が共和党を高く評価した。実際の選挙結果を見ても、オバマ政権に対する失望感と合わせ、有権者のこのような受け止め方が議席の増減に直結したといえる。■中間選挙は72年ぶりの低投票率 とはいえ、今回の中間選挙は、「記憶にある限り、一番退屈で新味がない選挙戦だった」(コラムニストのデビッド・ブルックス氏)。全国平均投票率は36.4%と、第二次大戦中の1942年以来実に72年ぶりという低さを記録し、選挙民の関心の低さを如実に示す結果になった。 この最大の原因が、国民を二分するような明確な争点が最後まで現れなかったことだ。 前回2010年の中間選挙では、医療保険制度改革(オバマケア)の是非や、不法移民規制などが重大な争点となった結果、共和党が圧勝し下院で4年ぶりに多数派に。08年選挙で大統領ポストをはじめ上下両院でも多数を占めた民主党の勢いが完全に止まり、米国政治が大きな転機を迎えることになった。 これに対して、最も関心が高い経済問題についても目新しい公約は両党からあまり聞かれることないままで終始。米国の景気自体は、日本や欧州に比べると上向き傾向を示しているだけに、リーマンショック当時などと比べれば切実さは少なかったこともあり、結局は政党レベルで広がりを見せた政策・公約は見当たらなかった。 投票の結果、共和党が上院で多数派となり、下院でも議席差を拡大したが、大統領の拒否権を覆せる3分の2に遠く及ばないのはもちろん、上院で重要法案の討論を終わらせて投票を強制させるのに必要な60票もはるか彼方。これから2016年大統領選までは、ブッシュ前政権の最後の2年間と同じように、両党とも主要な政策課題は動かしにくい状況が続くとの見方が圧倒的だ。米国での投票風景■日本も「信任投票」か 一方、日本の現状を見ると、同様に明確な争点を欠いている感は強い。景気の先行きに以前よりも不安感が強まっている中で不思議な現象ではあるが、解散の最大の理由である消費増税を、当初の予定通り「来年実施すべき」という政党が存在していないのだから当然ともいえる。 さらに、現在の日本は近年で最も野党の勢力が弱い時期に入っており、選挙民の関心をひきつけるような政党がなかなか見当たらない。となれば今回の総選挙が安倍政権、ないしはアベノミクスに対する信任投票の色を帯びることは避けがたく、米中間選挙以上に、現政権に対する評価が示される場となりそうだ。 オバマ大統領の場合、任期6年目の現在での支持率が概ね40%台で、昨年夏ごろからは常に不支持が支持を上回る状態になっており、同時期に支持率が3割台にまで落ちたブッシュ前大統領には勝っているとはいえ、歴代大統領の中でも「レイムダック化」は激しい(クリントン元大統領は、6年目で60%以上の支持を得ていた)。 これに対し、各種世論調査での安倍内閣への支持率は解散前で概ね40%台後半と、オバマ大統領のそれと大きくは変わらないが、不支持率が支持率を上回る状況は出ていない。となれば、やはり今回は米中間選挙以上に、自民の議席がどのように変動するかが、唯一の焦点にならざるを得ないのかもしれない。 (iRONNA編集部)

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    米中間選挙は「勝者なき選挙」  レーム・ダック化するオバマ政権

     辰巳由紀 (スティムソン・センター主任研究員)  11月4日、アメリカでは中間選挙が行われた。選挙前の予想どおり、共和党が上院で52議席を確保して過半数を獲得、下院でも議席を伸ばし、243議席を確保した。本稿執筆時点で、まだ結果が確定していない選挙区も若干、残っているが、オバマ政権の最後の2年間は上下両院とも共和党が多数党を占めることが決定した有権者は共和党を積極的に選択したわけではない 米国のメディアはもちろん、日本のメディアでも、今回の中間選挙の結果については「民主党大敗」を前面に出した報道が主流を占める。しかし、実は見落とされがちなのは、中間選挙は大統領にとっては負け戦になることが多いということだ。 カリフォルニア州立大学サンタ・バーバラ校が集積したデータを見ると、1934年以降、中間選挙の際に上下両院で議席を増やしたのは第1期ルーズベルト政権(1934年)と第1期ブッシュ政権(2002年)のみだ。1996年の大統領選挙で圧倒的勝利で再選を果たしたクリントン大統領でさえ、第2期の1998年に迎えた中間選挙では下院で5議席を増やしたのみにとどまっている。つまり、2期目に入った政権が中間選挙で負けるのは米国政治サイクルの中の必然であり、オバマ大統領率いる民主党は、今回の選挙では「負けるべくして負けた」ともいえるのだ。 特に、今年の中間選挙の行方を左右した大きな要因は、民主党が提示した個々の政策に対する反感というよりも、有権者の間に広まっている、既存の政治システムに対するいら立ちや怒り、将来についての漠然とした不安だった。 このような悲観的なムードの根底には、2008年に「変革」を訴えて当選したオバマ大統領が政権を発足させてからの6年間、有権者が期待していたような劇的な変化が感じられていないことへの失望といら立ちがある。国内では景気回復の実感は薄い。オバマ大統領が公約に掲げた財政再建も、移民制度改革も進んでいない。目に見える数少ない実績だったはずの「国民皆保険制度」も導入の手続きでつまずき、制度の効果を実感できるまでには至っていない。大学は出たものの就職もままならず、多額の学生ローンを抱えて、両親との同居を余儀なくされる若者も増えている。 国外を見れば、2008年に公約に掲げたイラクとアフガニスタンからの戦闘部隊撤退は実現したが、ISISに代表されるイスラム教過激派テロ集団はその残忍性を増し、彼らの活動が活発化するにつれ、再び中東に米軍を投入することになってしまった。アフリカでのエボラ出血熱の流行に対する米政府の対応にもむらがあり、国民の不安感は増長した。そんな現状を横目に、ワシントンではオバマ政権と議会共和党は対立を繰り返し、2013年10月には連邦政府が一時閉鎖される事態まで起きた。このような状況に有権者がやり場のない怒りやいら立ちを抱える中で行われたのが、今回の中間選挙だったのだ。 つまり、共和党の大勝利は、有権者が共和党を積極的に選択した結果ではないのだ。投票後のCNNの出口調査では、民主党に前向きなイメージを持っていると答えた有権者は44%、共和党に対して前向きなイメージを持っていると答えた有権者は40%と、僅差ではあるが、共和党に対する見方がより厳しい結果が出ていることが、それを物語っている。 確かに、現在の共和党は、選挙までは「反オバマ」の一点で辛うじてまとまりを見せていたが、その内実は昔ながらのエスタブリッシュメント、リバタリアン、新孤立主義派、茶会運動支持者、社会問題保守派などの寄せ集めだ。共和党が議会で多数党となった後も、これらのグループが、これまでのように内輪もめに明け暮れ、オバマ大統領からの提案に「ノー」としか言えない状態に逆戻りすれば、2016年の選挙で有権者から厳しい判断を下されるのは必至だ。 つまり、今回の選挙は、数字だけみれば共和党の大勝に見えるが、実際は「勝者なき選挙」だったのではないだろうか。国内問題を巡る政権運営への影響大 とは言え、今回の中間選挙での民主党の大敗によりオバマ大統領のレーム・ダック(死に体)化は確定したと言わざるを得ない。であるとすれば、この現実は今後2年間のオバマ大統領の政権運営にどのような影響を与えるのであろうか。 一番、影響が出るのは国内問題を巡る政権運営だろう。確かに、最低賃金引き上げ、移民制度改革、通商問題、法人税減税など、共和党との間で議論をし、立法化を進める余地が残っている案件もある。しかし、より大きな政策問題、例えば、財政再建の手法や、共和党が「オバマケア」と名付けて、その廃止を主張する国民皆保険制度などについては、両者が歩み寄る余地がどれだけあるのか、疑問が残る。 特に、前者については、2015年9月末には現在の連邦政府予算に関する合意が失効する。実は、米連邦政府は予算年度上は既に今年の10月1日から2015年度に入っているのだが、2015年度予算が成立していないため、現在は、今年12月10日を期限とした予算継続決議を元に、2014年度予算と同程度の支出を行っている状態なのだ。しかも、2013年には、財政再建を目指した連邦政府予算の枠組みに関してオバマ大統領とべイナー下院議長が原則合意に達したものの、ベイナー下院議長が茶会運動の支持を基盤にする共和党下院議員の同意を取り付けることができずに合意が反故になり、同年10月の連邦政府閉鎖に至ってしまった経緯もある。2015年度予算の成立もおぼつかない中で、2016年以降の財政再建について合意が成立するのかについては、早くも悲観的な見方が出ているのが実情だ。 外交・安全保障問題についてはどうか。外交や安全保障政策は、基本的には大統領の専権事項であり、共和党が議会の両院で多数党となったことで、個々の政策に直接的影響を与えるケースは少ないだろう。短期的にはイランとの核交渉に対する議会の視線が一段と厳しくなることが予想される以外は、具体的な案件はない。 しかし、連邦議会は、上下両院の外交問題委員会や軍事委員会で、議会が関心を持つ問題については積極的に公聴会を開催し、政府内外の関係者を参考人として招致して証言させ、質疑応答を通じて活発な議論を行う。政府からの情報提供が不十分である、あるいは定期的な情報提供が必要と判断される場合には、省庁に報告書の提出を義務付ける法律を成立させたり、予算法案に当該条項を挿入したりする場合もある。例えば、国務省がテロ国家に関する年次報告書を毎年議会に提出し、国防省が『四年毎の国防見直し(QDR)や人民解放軍の軍事力を評価する報告書を毎年それぞれ議会に提出するのは、これらの報告書の提出が法律によって義務付けられているからだ。 特に、共和党が上院でも多数党になったことで、各委員会の委員長ポストが全て共和党に異動することになる。例えば、外交委員会ではボブ・コーカー上院議員が委員長職に、同委員会のアジア太平洋小委員会では、2016年大統領選出馬も囁かれるマルコ・ルビオ上院議員が、軍事委員会では、ジョン・マケイン上院議員がそれぞれ、委員長に就任することが確実視されている。特に、マケイン上院議員やルビオ上院議員は、イラン問題をはじめとする中東情勢や中国、北朝鮮問題について強硬な姿勢を持っていることで知られており、彼らが委員長職に就任する来年1月以降、活発に公聴会を開催し、これらの問題について政府高官の証言を求めていくことで、これらの問題についての対応に関する説明を厳しく求めていくことが予想される。オバマが残り2年間に向けて何を学ぶか上院軍事委員長に就任する見込みのマケイン議員 日本にとっては、共和党が多数党になる議会が北朝鮮や中国に対して、断固とした姿勢を明確に示してくれることは、日本がこれらの国との間に抱えている懸案を考えると歓迎すべきことだろう。しかし、日本にとってプラスになることばかりではない。実は、日米関係、特に日米同盟のマネージメントに直接的な影響が出る可能性もある。マケイン議員が上院軍事委員長に就任することで、沖縄の普天間飛行場移設問題にも再び議会の関心が向く可能性があるからだ。 マケイン議員は、かねてよりグアムにおける海兵隊基地建設に対して「税金の無駄遣い」として批判的で、2013年国防省歳出法案をめぐる議論の中でグアムでの施設建設のための予算をつけないように強硬に主張した。日本で11月の沖縄知事選以降、普天間飛行場移設に向けた動きが停滞するようなことがあれば、上院軍事委員長としての立場から、これまで取ってきたグアムの代替施設建設に反対する姿勢をより明確に打ち出す可能性は強いだろう。 このように内政から外交・安全保障問題まで多岐にわたる問題への対応をめぐって、オバマ政権が今後2年、どのような政権運営を見せるのか。鍵となるのはオバマ大統領が今回の敗北を経て、残り2年間に向けて何を学ぶかだろう。 2006年中間選挙で、今回のオバマ大統領に負けず劣らずの大敗を喫したブッシュ大統領は、選挙後、ラムズフェルド国防長官を更迭し、ホワイトハウスのスタッフの刷新を図り、イラク情勢やリーマン・ショックへの対応に苦しみながらも、当時議会で過半数を持っていた民主党のペロシ下院議長やリード民主党上院院内総務と、建設的な話し合いができる関係を作った。オバマ大統領が同じように人事刷新を断行し、議会との調整にこれまで以上に自分が積極的に前に出るような思い切った方向転換ができれば、残り2年の任期で「レーム・ダック」の評価を吹き飛ばすような実績を上げることも可能だが、その鍵を握るのは、よくも悪くも、オバマ大統領ただ一人である。辰巳由紀(たつみ・ゆき) スティムソン・センター主任研究員、キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。東京生まれ。国際基督教大学卒業後、ジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究大学院で修士号取得。在米日本大使館専門調査員、戦略国際問題研究所(CSIS)研究員などを経て2008年より現職。2012年よりキヤノングローバル戦略研究所主任研究員を兼任。専門は日本の防衛政策、日本の国内政治、日米安全保障関係、米国の対アジア安全保障政策。

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    議員の役目は立法ではないのか  

    。当選回数を重ね、与党なら行政府の一部である大臣になることが「出世」と認識されるこの政治システムが、選挙前後以外は大半の議員の存在は薄らいでしまい、不祥事などでも起こさない限り、注目されない環境を作ってしまっていないだろうか。 「押し付け憲法」下でも、米国式ではなく英国に近いものとされた議会制度だが、議員個人がより、能力を発揮して本来の仕事であるはずの立法活動を行う国会は実現できないのか。米国の状況を伝える。 ■一人の議員がキャスティングボートを握ることも  米議会では上院、下院とも党議拘束は基本的に存在しない。下院議長、各委員長など院内人事案件で所属党の方針に反する票を投じれば除名などの処分を受けることになるが、それ以外の法案審議では、院内の党指導部や大統領に従う必要はなく、各議員の信条や、選出選挙区の事情に従って態度を決することが一般的だ。  この結果、議会内の共和・民主両党指導部にとっては、いかに自党所属の議員票をまとめるか、対立党所属議員で見込みがある層を切り崩せるかが極めて重要な任務になっている。これらの工作は上層部同士ではなく、個人を対象に行われることが普通で、よくも悪くも議会政治をダイナミックなものとする。  上院を例にとれば、来年初頭まで有効な現会期では民主党が(同党に近い無所属議員を含め)10議席差で優位、今回の中間選挙を受けた次会期では現時点で(決選投票が行われる1州を除き)共和党が6議席差で優位になるが、実際の議会審議で投票結果がこの党派構成どおりになることはかなり少ない。 オバマ現政権の最大の実績とされる「オバマケア」法案をめぐる上院審議では最終段階で、共和党穏健派のスノウ議員(当時)か、民主党保守派のネルソン議員(同)のいずれかの賛成を得ることが成立に必須になった。結局、後者の賛同を得ることで成立したが、その際にはネルソン議員が要求した、法案の一部修正が受け入れられたように、たった一人の議員がキャスティングボートを握ることもままあるのだ。 ■一票の格差60倍以上、強大な権限持つ上院共和党上院院内総務のマコーネル議員。日本での知名度は高くないが、共和党最高実力者の一人。  日本の参議院や英国の上院(貴族院)に代表されるように、二院制を採用する大半の国では、第二院は権限が小さくなるよう定められている。しかし、米国の場合はこれらとまったく異なり、上院の権限が極めて強い。  上院と下院は立法機関としてまったく同等の権限を持っており、すべての法案は両院で可決されない限り、大統領の署名を求めることができない。それに加え、憲法では上院の専権事項として・     宣戦布告・     外国との条約批准・     連邦裁判所判事人事の承認・     閣僚、大使など主要な政府人事の承認などが定めている一方、下院が優越しているのは予算案の先議権程度だ。  さらに上院の定数は1州2人で100人と、435議席がある下院に比べ、議員1人の重みが違うことも、上院の存在感を強めている。2008年の大統領選が民主党オバマ、共和党マケイン両上院議員の争いとなったように、上院で名声を得ることは、州知事に次いで大統領への有力な道になっている。 このように上院や上院議員の権限が強いのは、米国が”United States”の名の通り、各州の連合体としての性格を強く有しているからに尽きる。2010年の国勢調査で最も人口が多かったカリフォルニア州は約3700万人(東京都、神奈川県、埼玉県の全部と、千葉県の約半分を合わせたのに近い数字)、最も少ないワイオミング州は約56万人(東京都八王子市の人口とほぼ同じ)と60倍以上の格差があるが、両州の上院議員数も議員の権限もまったく変わらないし、異議を唱える声が真剣にあがったこともない。この点は、米国の個性といって間違いない。 ■ 少数党所属でも新人でもチャンスあり 米国では、大統領をはじめとした行政府には、法案を議会へ提出する権限は一切ない。国家の根幹をなす予算法案・歳出法案も例外でなく、ホワイトハウスは毎年初めに行政府としての要求をまとめた「予算教書」を議会へ送るが、これは形式としては拘束力を持たない「要請」または「勧告」で、実際の法案はホワイトハウスに近い議員によって提出される。 また、予算(歳出)の割り当てをめぐる攻防も、政府案が決定されるまでが事実上の勝負であり、国会の予算委員会、本会議はいわば各党のパフォーマンスの場になっている日本とは違う。半年を軽く超える議会での審議が本番だ。原案どおりに通過することは絶対無く、両院で数多くの修正が付される(この過程で、各議員の力関係などによる地元への利益誘導が露骨に行われていくが、少なくとも結果は明白に公表される)。  予算以外でも無論、行政府=ホワイトハウスの意向が影響する法案は少なくないが、議員が個別に行う立法はそれをはるかにしのぐ。この土壌では、少数党の議員といえども、立法過程で蚊帳の外に置かれることはなく、特定問題に関しては考えが近い対立党議員らと組んで多数派工作を行い、最終的に法律として成立することも珍しくない。各議員が擁する政策スタッフや、議会予算局(CBO:Congressional Budget Office)などの機関は決して飾り物ではないのだ。  とはいえ、院内総務や委員長などの主要ポストを得るには、実力もさることながら当選を重ねて所属党内の序列を上がっていく必要があることは、米国も日本と変わらない。だが、たとえ2年ごとに選挙が繰り返される下院でも、現職がほとんどの場合圧倒的有利という国柄もあり、「1年生議員」でも本人の能力やスタッフしだいで、政治目標を実現させやすい環境にあるのは間違いない。(iRONNA編集部)

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    政治の「大義」とは何なのか

    のか」(12日付朝日新聞社説)、「民意を問う大義たり得るか」(同日付毎日新聞社説)、「『大義』示せる選挙に」(19日付日経新聞1面署名記事)など枚挙にいとまがない。 今回の解散・総選挙のように大義が取り沙汰された選挙は記憶になく、困惑を禁じ得ないでいる。そこで手元の辞書を引くと、大義の意味はこうである。 「人がふみ行うべき最高の道義。特に、国家・君主に対してつくすべき道」 そもそも現憲法下で、解散を断行せず任期満了で衆院選を行ったのは昭和51年の三木武夫首相だけなのである。それ以外のあまたの衆院選で、果たして「最高の道義」や「国家・君主に対してつくすべき道」が実践されたというのだろうか。 いま、首相の専権事項である解散権を行使しようとする安倍首相に「大義がない」と詰め寄るメディアは、これまでの解散にはどんな姿勢で臨み、どんな批判を浴びせてきたのか。 百鬼夜行の政界で、どんな大義が実現していると信じてきたのか問いたい。抽象的な言葉乱用 また、19日付朝日新聞は1面で「愚直な政治 忘れたのか」と題する署名記事を載せ、記事中で「正直いちずなこと」を表す愚直という言葉を4回も用いて安倍首相に愚直さが足りないと説いている。 だが、複雑怪奇な国際情勢下にあって、それこそ権謀術数渦巻く政界で国のかじ取りをする首相に、いまいたずらに愚直さを求めてどうするのだろうか。 そもそも近年、愚直という言葉を好んだ首相はというと、野田佳彦、鳩山由紀夫の両氏が思い浮かぶ。 野田氏は「愚直に真っすぐに日本の政治を進めていく」「愚直に訴え続ければ必ずや理解を得られる」などと主張し続け、民主党を政権から転落させた。 鳩山氏は平成22年4月、米ワシントン・ポスト紙に「愚か」(loopy)と酷評されたことを国会で取り上げられた際、当初は自らを「愚かな首相」と認めつつ、いつの間にか肯定的な表現である「愚直」にすり替え、こう述べた。 「少しでもそれ(沖縄県の米軍基地負担)を和らげることができたら。そう愚直に思ったのは間違いでしょうか」 鳩山氏は同日、記者団に「愚かな首相」と述べた真意を問われると、7回も「愚直」を繰り返した。とても愚直とはいえない狡猾(こうかつ)なやり口が印象に残った。 報道機関が時の首相に批判的視線を向けるのは当然だ。ただ、「大義」や「愚直」といった曖昧で抽象的な言葉の乱用はいただけない。

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    アベノミクス 強固にできるか

    10%への引き上げをやるかやらないかだけを問う、一見、安易な政治行動のように見える。しかし、実態は中選挙区制選挙の時代から続く、官僚主導の政治形態を終わらせるかどうかの重大な節目になる選挙である。安倍首相が衆院解散の決意に至ったきっかけは、消費税導入について、財務省と党内の財務省応援団との対立が収まらないとみたからだ。「民意に問う」と判断 安倍首相はアベノミクスを軌道にのせるには、あと3年程度の時間が必要だと判断している。これに対して、財務省は「財政再建」を重視し、「予定通りの引き上げ」に固執した。 財務官僚の根回しのすごさは政権中枢を担った人なら誰もが知っている。その財務省が本気になって予定通りの増税を迫ってきた。 閣内では麻生太郎財務相、党内では野田毅税制調査会長、二階俊博総務会長らが財務省の側にまわった。 官僚が議会を動かす力を持つに至ったのは、中選挙区制度の産物である。業界と結びついて議員に金の工面をすることで多くの便宜を図り、権限を発揮するという考え方がいまも強く残っており、政権公約さえも否定する。こういう発想や行動が、公約を掲げて信を問うという政党政治を妨げている要因となっている。 15年にわたるデフレや不況が続いたのは、財務省とそれに操られてきた政治家の責任だ。これに対して安倍首相は、これまでの路線を打ち破ったアベノミクスで大成功を収めたのである。 ただし、その道のりはまだ半分だ。5%から8%への消費増税の重みに、経済は耐え切れていない。7~9月期の国内総生産(GDP)の実質成長率は年率換算で1・6%減となり、2期連続のマイナス成長となった。ここで消費税の2%引き上げを行えば、景気が底割れしかねないと恐れた。 この現実をみながら、なお消費税再引き上げを主張する議論に対抗するには、「民意に問うしかない」と安倍首相は考えた。かつて小泉純一郎首相は一枚看板の郵政改革法案が参議院で否決されたとき、「民意を聞いてみたい」と衆院の解散に打って出て大勝した。画期的に変わった外交政策 安倍首相が信を問うきっかけになったのは消費増税問題だが、安倍政治によって画期的に変えられたのは、外交・安保政策である。集団的自衛権の行使容認の決定により日米同盟を強化する一方で、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を展開し、2年足らずの間で50カ国以上を歴訪。積極的平和主義を推し進めた。 これまで戦後の日本外交は、どの国とも「良好な関係」を保ちたいというもので、三木武夫首相(当時)は等距離外交、福田赳夫首相(同)は全方位外交を説いた。特に中国に対しては日中国交正常化以降、“中国土下座外交”ともいうべき外交が展開された。 ある政治評論家から、第1次安倍政権ができる直前、「この人は善い政治家だが、中国が嫌うだろうから他の人が良い」というのを聞いて、私はがくぜんとしたことがある。 冷戦中、ソ連の意向をおもんばかってフィンランドは常にソ連寄りの首相を選んだという。 中国は1歩譲れば、次に2歩譲ることを強要する。日本の首相は占領終了後、30年以上も靖国神社に参拝してきた。ところが中曽根康弘首相の時代に公式参拝をめぐって日本国内がもめると「参拝するな」と押し込んできた。 今も首相の靖国神社不参拝を主張し、さらに沖縄県・尖閣諸島が中国領であると言い張っている。欧米メディアの高い評価 中国に対して原則を譲れば果てしなく押し込まれる。こうした中国の傍若無人の態度には、東南アジアの国々も辟易(へきえき)している。 その中で、安倍首相は日中首脳会談を実現し、戦略的互恵関係の再構築を確認した。「中国を押さえ込むためのキックオフ」(産経新聞)とも指摘されている。 安倍外交の戦略の第1は、中国に軍事的に負けないように日米安保体制を強化する。第2は東南アジア諸国連合(ASEAN)と連携し、中国の膨張を防ぐこと。第3が豪州、さらにはインドとの準軍事同盟関係を築くことだ。 安倍首相就任当初、アメリカの新聞に「右翼政権」などと書かれたが、米欧メディアの評価はいま、格段に上がっている。安倍外交の成功を象徴しているといえるだろう。 安倍政権には消費税引き上げを先送りした後の経済動向や、原発の再稼働問題、安全保障政策など、重い課題がのしかかってくる。選挙に勝利し、それにどう対処できるかが焦点となる。 官僚主導の政治形態を払拭できるかが最重要課題だ。政権基盤をさらに安定化し、アベノミクスをより強固なものとできるか注目したい。屋山太郎(評論家) 日本の保守論壇を代表する論客の一人。昭和7年生まれ。福岡県出身。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。34年に時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、62年退社。第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、国鉄の分割・民営化を進めた。以後、第1~3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。平成13年に第17回正論大賞を受賞。

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    師走の審判 本当の争点は何か

    2年ぶりとなる師走の選挙戦の火ぶたが切られた。安倍晋三首相は21日の記者会見で「アベノミクス解散」と銘打って、自身の経済政策の成否について国民に信を問う考えを示した。「争点が見えにくい」と多くの国民が疑問を抱く今回の総選挙。本当の「争点」は何か、いま一度考えたい。

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    景気、再増税…明確な公約を掲げよ

    経は「税財政政策の大きな転換で国民の信を問うことはおかしくはない」としながらも、「再増税延期と解散総選挙を結びつけた判断には、与党内や経済界にも異論がある。首相自身が延期の判断理由や今後とるべき対策について、国内外に丁寧に説明することが極めて重要だ」と首相に注文を付けた。 一方、朝日は「原発再稼働や集団的自衛権の関連法整備が控える来年に衆院選を戦うのは厳しい」といった声が与党幹部から聞こえてくるとし、「まさに党利党略」「政策目標よりも、政権の座を持続可能にすることの方が大切だと言わんばかりではないか」などと与党を厳しく批判した。毎日は「増税に慎重な世論に乗じて選挙にまで利用しようという発想が感じられる」と「あざとい」という表現で口を極めて論難した。 安倍首相には、これらの注文、批判も踏まえ、いま衆院を解散する意義、再増税の時期の明示やそのための景気対策、成長戦略の具体化など、争点となる明確な公約を掲げてほしい。(内畠嗣雅)

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    過去にもあった「電撃解散」

    が行われたが難航、27日に召集された第54通常国会冒頭に衆院が解散(黒い霧解散)された。翌年1月の総選挙では自民党は改選議席を確保、佐藤首相は危機を乗りきった。解散できず退陣も 解散したくてもできず、退陣に追い込まれたケースもある。 平成3年9月、政治改革関連法案の廃案が決まったことを受け、海部俊樹首相は自民党の小渕恵三幹事長らに「重大な決意」で臨む考えを表明、解散をちらつかせた。しかし、当時の最大派閥・竹下派の反対で解散に踏み切れず、退陣に追い込まれた。 安倍首相の祖父・岸信介元首相もそうだ。岸首相は昭和35年1月に新日米安全保障条約に調印。その直後に解散し、新条約の信を問うことを考えた。だが、川島正次郎幹事長は「解散」で党内をまとめることはできないとして反対。新条約は批准されたが、安保反対闘争による混乱の責任をとって岸内閣は総辞職した。(肩書はいずれも当時)

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    増税の先にニッポンの未来はあるか

    2015年10月に予定されていた消費税率10%の再引き上げが延期された。安倍晋三首相は「デフレ脱却が危うくなる」として1年半先送りする方針を表明。景気の腰折れを回避する狙いがあるとはいえ、時間的猶予だけでは問題解決にならないという意見も根強い。増税の先に未来はあるのか。

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    コストカット優先主義からの脱却を

    KeroChan(東京都) 先日、財務省が文部科学省に対して、小学校の35人学級の設置を40人に戻すように申請していたことが話題となった。これは、教職員や国庫負担の削減を目的としたものであるが、インターネット上を中心に財務省への批判が殺到した。 確かに、財務省の申請は、教員の負担軽減や公教育の拡充が求められている現状と明らかに逆行しており、批判が殺到することは目に見えている。しかし、コストカットを最優先し、必要な投資までも行わないという問題は財務省ばかりでなく、我々国民も抱える問題であると認識すべきである。 1990年代のバブル崩壊以降、財政健全化や行政による無駄遣いがマスメディアを通じて取り上げられることとなった。とりわけ、公共事業に対するバッシングは凄まじいものであった。「公共事業=悪」というイメージが植えつけられ、政府支出の削減が実行された。また、国民生活から見ても、ファストフードや100円ショップなどの安値でモノを得られる店が人気を集め、生活を支える存在に成長した。こうした傾向が何年にも渡って続き、あらゆる場において「とにかく削減しろ!」「とにかく安くしろ!」という論調が現在に至るまで、我が国を支配することとなった。政府支出の削減や規制緩和をはじめとした、構造改革を強く求める声が大きいこともその支配の強さを象徴している。iRONNAの読者の方々の中にもこうした考えを持っておられる方が多くいるのではないかと思う。 こうした現状と合わせて考えると、財務省の文部科学省に対する申請の目的と多くの国民が普段求めている考え方はそんなに変わらないと私は思った。今回は教育予算の削減について言及したからこそ、こうした批判が集まったのであって、その他の分野に関する予算であれば、削減に賛成するだろう。こうしたコストカット優先主義の考え方は多くの弊害をもたらした。人材派遣の広がりによる雇用の不安定化や食の安全に対する不安、インフラの老朽化の放置などがそれに当たる。我が国が今抱える緊急を要する問題の諸悪の根源は、コストカット優先主義に起因する。例に挙げた教育問題に限らず、あらゆる事案を解決するためには、それなりの費用と人材育成が必要であるということを忘れてはいないだろうか。 今、我々に求められているのは、コストカット優先主義から脱却し、必要なものに適切な量を投資することである。コストを削って解決しようとする考え方は、欠陥をもたらすだけである。